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2020年7月

2020年7月31日 (金)

2020年7月31日(金)の聖教

2020年7月31日(金)の聖教

◆わが友に贈る

 上半期の奮闘を
 皆でたたえ合おう!
 試練の中で積み重ねた
 価値創造の歩みは
 全てが人生の財となる。


◆名字の言 「食」を通して平和の尊さを知る  2020年7月31日

 白いお米のおにぎりを、おなかいっぱい食べてみたい。それが太平洋戦争中のひいおじいちゃんの夢だったらしい。そんな話を小学生のひ孫たちが聞く。「少年少女きぼう新聞」8月号に掲載された漫画「ツボミチャン」の内容である▼「戦争になると白いお米ってなくなっちゃうのか」。子どもたちは戦時中の食生活を調べ、その悲惨さを思い知る。生きるために野草や虫さえ食べたこと。栄養不足で倒れる人もいたこと……一人の子がぽつりと言う。「戦争っていやだな」▼戦禍に苦しんだことはなくても、身近な「食」を通して平和の尊さをかみ締めることはできよう。平和なくして豊かな「食」はない。「食」は暮らしの基であり「命」。御書に「白米は白米にはあらず・すなはち命なり」(1597ページ)と仰せだ▼池田先生が60年前に第3代会長に就任した後、まず祈ったことは世界の平和、災害がないこと、そして「豊作でありますように」ということだった。庶民の幸福を願うゆえであり、「農業を大切にしない社会は、生命を粗末にする野蛮な社会となり、全ての面で行き詰まる」との信念からである▼今年は全国的に梅雨が長い。日照不足による農作物への影響も出ている。終戦75年の今夏、平和と豊作を一層強く祈りたい。(之)


◆寸鉄

広布に生き抜く志を持っ
た人材を育てたい―恩師
青年に全力の励ましを!
     ◇
毎朝、本紙届ける「無冠の
友」に感謝。激変の天候が
続く夏、無事故最優先で
     ◇
「此の土は本土なり」御書
わが栄光の舞台はここ!
誓いを定め恐れなく進め
     ◇
長めの手洗いは熱を放出
し熱中症予防にも有効。
水分補給を含め油断せず
     ◇
心身不調等訴える若者の
SNS投稿急増―調査。
周囲が声掛け絶やさずに


◆きょうの発心 崇峻天皇御書 東京・府中総区壮年部長 高山兼道2020年7月31日

御文
 蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり(崇峻天皇御書、1173ページ・編1038ページ)
通解
 蔵に蓄える財宝よりも、身の財がすぐれ、身の財よりも、心に積んだ財が第一である。

師弟共戦の日々が「心の財」に
 財産や名誉、地位より、信心という心の財を積むことこそ大切であると仰せです。
 20代の頃、創価班として、創価大学で行われた会合の役員をしていた折、池田先生に声を掛けていただいたことが生涯の原点です。
 以来、いつも心に師を抱き、負けじ魂を燃やしながら、広布と人生の坂を上ってきました。
 45歳の時、母の突然の死とともに、連帯保証人として数千万円もの負債を抱えることに。5年前には、ステージ2の大腸がんを患いました。壁にぶつかるたびに悩みましたが、師匠と同志の励ましを支えに、広布に生き抜く中で一切を乗り越えることができました。これまでに夫婦で37世帯の弘教を成就。現在は、元気に本紙の配達員を務め、本年で14年目になります。
 経済苦や病苦を乗り越えた今、「蔵の財」や「身の財」よりも、「心の財」が何よりも大切であることを深く実感しています。
 報恩感謝の思いを胸に、さらなる挑戦を重ねていく決意です。


【先生のメッセージ】

◆マイ・ヒューマン・レボリューション――小説「新・人間革命」学習のために 
 第15巻2020年7月31日

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第15巻を掲載する。次回の第16巻は8月7日付2面の予定。挿絵は内田健一郎。

人と自然の調和目指す哲学を

 <公害問題が深刻化していた1970年(昭和45年)、山本伸一は、大手出版社の依頼に応じて寄稿し、問題解決のための道筋を示す>
 
 彼(伸一=編集部注)は、公害を克服するうえで、「生命の尊厳」の哲学が必要であることは言うまでもないが、その内実の厳しい検証こそが、最も大切であると述べた。 
 なぜなら、「生命の尊厳」は、これまでに、誰もが口にしてきたことであるからだ。 
 さらに、あくなき環境支配を促した独善的な思想のなかにさえ、「生命の尊厳」という発想があるからだ。いや、その誤った“人間生命の尊厳観”こそ、無制限な自然の破壊と汚染を生んだ元凶にほかならないのだ。なればこそ、伸一は記していった。 
 「自然を、人間に征服されるべきものとし、いくら破壊され、犠牲にされてもかまわぬとする“ヒューマニズム”は、実は、人間のエゴイズムであって、かえって人間の生存を危うくする“アンチ・ヒューマニズム”にほかならない。真のヒューマニズムは、人間と自然との調和、もっと端的に言えば、人間と、それを取り巻く環境としての自然とは、一体なのだという視点に立った“ヒューマニズム”であるべきである」 
 本来、人間もまた一つの生物であり、大自然をつくり上げている悠久の生命の環の、一部分にすぎない。 
 その環は、生命が幾重にも連なり合った生命の連鎖であって、一つが壊されれば全体が変調をきたし、一カ所に毒物が混入されれば、全体が汚染されてしまうのだ。また、人間が無限と思い込んできた、自然の恩恵も、実は有限であり、地球という“宇宙船”の貯蔵物質にすぎない。 
 そうした視点をもたない、“独善的なヒューマニズム”に支えられた人類文明は、自然の再生産の能力を遥かに上回る消費を続け、自然を破壊し、汚染して、生命的な自然のメカニズムそのものを破壊しているのだ。 
 (「蘇生」の章、26~28ページ)
 
逆境も飛躍へと転ずる生き方

 <72年(同47年)7月、「滝山祭」のため創価大学の滝山寮を訪れた伸一は、人生の哲学を語る>
 
 「うらやましいな。ぼくも、こんなところで、思う存分、本を読んで、勉強したいな」
 会長としての執務の合間を縫うようにして、会員の激励に飛び回らなくてはならない伸一にとって、それは、率直な心境であった。(中略) 
 伸一は言った。 
 「寮生活は、何かと窮屈で、煩わしい面もあるかもしれない。しかし、やがて、その寮生活が、人生の貴重な財産になるよ。 
 実はオックスフォード大学を訪問した時、案内してくれた教授に、『この大学のことを知りたければ、学生寮に行ってください。それも突然に』と言われたんだ。(中略) 
 寮に行き、四階の部屋を訪問すると、十九歳だという二人の学生がいた。『何が一番、お困りですか』と尋ねると、そのうちの一人が、『ぼくが勉強しようとすると彼が遊び始めるし、彼が勉強している時は、ぼくが遊びたくなることです』と言うんだよ。 
 私は、『それは社会に出た時に、どうやって人と対応していくのかという人間学を学ぶ、大事な訓練なんです』と言ったんだ。彼は、納得していたよ。君たちも、同じ思いでいるんだろうね」
 
 居合わせた寮生は、笑いながら頷いた。 
 自分の直面した事柄から、未来への積極的な意味を見いだし、何かを学び取っていく――そこに逆境をも人生の飛躍台へと転ずる哲学がある。 
 また、その生き方を貫くなかに、価値創造の実践があることを、伸一は語りたかったのである。 
 (「創価大学」の章、187~188ページ) 

職場は自身の「人間修行」の場

 <74年(同49年)5月、創価大学を訪れた伸一は、就職活動に臨む学生たちに、その心構えを指導する>
 
 伸一は、学生たちの就職に対する考え方を正しておかなければならないと思った。 
 「世の中に安定している会社なんて、一つもありません。社会が激動しているんだから。 
 日々激戦に勝ち抜くために、どの会社も必死です。発展している会社は常に商品開発や機構改革などを行い、真剣に企業努力をしています。 
 たとえば、食品会社にしても、医薬品の分野に進出したり、生き残りをかけて、懸命に工夫、研究し、活路を開いているんです。 
 どの業界も、食うか、食われるかの戦いです。 
 昨日まで、順調であっても、今日、どうなるかわからないのが、現実なんです。 
 大会社に入っても、別会社への出向もあれば、人員整理もある。また、倒産することだってあるでしょう。 
 だから、“この会社に入れば安心だ。将来の生活が保障された”などと考えるのは間違いです。(中略) 
 就職する限りは、どんな仕事でもやろうと、腹を決めることです」(中略)
 皆、頷きながら話を聞いていた。 
 「社会も企業も、常に変化、変化の連続です。
 その時に、自分の希望と違う職場だから仕事についていけないとか、やる気が起こらないというのは、わがままであり、惰弱です。敗北です。 
 就職すれば、全く不得意な仕事をしなければならないこともある。いやな上司や先輩がいて、人間関係に悩み抜くこともあるかもしれない。 
 しかし、仕事とは挑戦なんです。そう決めて、職場の勝利者をめざして仕事に取り組む時、会社は、自分を鍛え、磨いてくれる、人間修行の場所となります」 
 (「創価大学」の章、258~261ページ)
 
「安国」は仏法者の社会的使命

 <71年(同46年)6月6日、先師・牧口常三郎の生誕百年に際し、伸一はその源流を確認しつつ、仏法者の使命を明らかにする>
 
 牧口常三郎が推進した創価教育学会の運動は、日蓮仏法をもって、人びとの実生活上に最大価値を創造し、民衆の幸福と社会の繁栄を築き上げることを目的としていた。 
 日蓮仏法の最たる特徴は、「広宣流布の宗教」ということにある。 
 つまり、妙法という生命の大法を世界に弘め、全民衆の幸福と平和を実現するために生きよ。それこそが、この世に生を受けた使命であり、そこに自身の幸福の道がある――との教えである。 
 したがって、自分が法の利益を受けるために修行に励むだけでなく、他人に利益を受けさせるために教化、化導していく「自行化他」が、日蓮仏法の修行となる。 
 大聖人は「我もいたし人をも教化候へ」「力あらば一文一句なりともかた(談)らせ給うべし」(御書1361ページ)と仰せである。 
 ゆえに、唱題と折伏が、仏道修行の両輪となるのだ。 
 そしてまた、日蓮仏法は「立正安国の宗教」である。
 「立正安国」とは、「正を立て国を安んずる」との意義である。
 正法を流布し、一人ひとりの胸中に仏法の哲理を打ち立てよ。そして、社会の平和と繁栄を築き上げよ――それが、大聖人の御生涯を通しての叫びであられた。
 一次元からいえば、「立正」という正法の流布が、仏法者の宗教的使命であるのに対して、「安国」は、仏法者の社会的使命であるといってよい。
 大聖人は「一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を?らん者か」(同31ページ)と仰せになっている。「四表の静謐」とは社会の平和である。
 現実に社会を変革し、人びとに平和と繁栄をもたらす「安国」の実現があってこそ、仏法者の使命は完結するのである。
 (「開花」の章、303~304ページ)
 
一対のブロンズ像
 1971年(昭和46年)4月2日、開学した創価大学に伸一は一対のブロンズ像を寄贈。そこには創価大学生の永遠の指針となる言葉が刻まれている。
                              ◇ 
 学生らが見守るなか、二つの像を覆っていた白い布が、順番に取り払われていった。見事なブロンズ像が姿を現した。
 像の高さは、それぞれ、台座を除いて四メートルほどで、作者はフランスの彫刻家アレクサンドル・ファルギエールである。

創価大学にあるブロンズ像「天使と鍛冶屋」
 向かって右側は、髭をたくわえた鍛冶職人と、腕を高くかざした天使の像であった。鍛冶職人の目は鋭く、信念の炎を燃え上がらせているようでもある。この像の台座には、「労苦と使命の中にのみ 人生の価値は生まれる」との、伸一の言葉が刻まれていた。
 現代の社会には、楽をすることが得であるかのような風潮があるが、それは不幸だというのが伸一の結論であり、信念であった。
 苦労を避け、面白おかしく生きることは、一時的には、よいように思えるかもしれない。
 しかし、結局は自身を軟弱にし、敗北させるだけである。
 労苦なくしては歓喜もない。また、人間形成もありえない。苦労に苦労を重ね、自らの使命を果たしゆくなかでこそ、自分自身が磨かれ、真実の人生の価値が生まれることを、伸一は、最愛の創大生たちに知ってもらいたかったのだ。

創価大学にあるブロンズ像「天使と印刷工」
 そして、左側は、片膝をつき、未来を見すえるように彼方に目をやる若き印刷工と、翼を広げ、ラッパを吹き鳴らす天使の像である。台座には、「英知を磨くは何のため 君よそれを忘るるな」と、刻まれていた。学問や学歴は、本来、立身出世のための道具ではない。
 人びとの幸福に寄与するためであり、むしろ、大学で学ぶのは、大学に行けなかった人たちに奉仕し、貢献するためであるといってもよい。
 ましてや、創価大学は多くの民衆の真心によって実現した大学である。
 それだけに、創大生には、その学問の目的を、断じて忘れないでほしかったのである。
 いずれの言葉も、伸一が創価大学の出発にあたって、考え抜いた末の指針であった。
 (「創価大学」の章、121~122ページ)
                   ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
 聖教電子版の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」第15巻「解説編」の池田博正主任副会長の紙上講座と動画を閲覧できます。


【聖教ニュース】

◆〈世界青年部総会まで残り58日〉 各国・各地で先駆の集い  2020年7月31日
 目指す“決勝点”は9月27日―― 一人立つ池田門下の底力を

 さあ「青年の月」7月から、挑戦と成長の8月へ出発――各国・各地のSGI(創価学会インタナショナル)の青年部が今月、7・11「男子部結成記念日」、7・19「女子部結成記念日」を祝う集いを開催。“池田門下の本領発揮は、いよいよこれから”と拡大への誓いを新たにした。そして、皆が心一つに目指す“決勝点”は9月27日のオンラインによる世界青年部総会! 池田大作先生の初の海外指導60周年となる10・2「世界平和の日」! 後継の誇りを胸に、各人がわが舞台で一人立ち、地球を包む「世界最大の青年の連帯」を築きゆく。

韓国

韓国の青年部先駆大会が26日、首都ソウルの池田記念講堂で。会合の模様は、全国143会場に同時中継された。大会では、男子部の田旼浩さん、女子部の李效珍さんの活動報告に続き、鄭辰宇青年部長、洪成国男子部長、田正美女子部長が、青年部の陣列拡大への決意を発表。金仁洙理事長は、一人立つ精神と師弟不二の魂を胸に、希望を広げる対話に挑戦し、「世界青年部総会」を大勝利で飾ろうと語った


韓国の青年部先駆大会が26日、首都ソウルの池田記念講堂で。会合の模様は、全国143会場に同時中継された。大会では、男子部の田旼浩さん、女子部の李效珍さんの活動報告に続き、鄭辰宇青年部長、洪成国男子部長、田正美女子部長が、青年部の陣列拡大への決意を発表。金仁洙理事長は、一人立つ精神と師弟不二の魂を胸に、希望を広げる対話に挑戦し、「世界青年部総会」を大勝利で飾ろうと語った

カナダ
カナダでは25日、男女青年部がそれぞれ、結成記念日を祝うオンラインの集いを実施。185人が参加した女子部の集いでは、活動報告が行われ、オオグシ女子部長が、池田先生の同国初訪問から60周年の佳節を刻む本年10月へ、一人一人が自身の課題や目標を達成しようと呼び掛けた

ガーナ
アフリカ・ガーナの集いは19日、オンラインで。代表が御書講義を行い、「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり」(御書790ページ)などを研さん。真剣な祈りと勇気の行動を誓い合った

ニカラグア
中米・ニカラグアの青年部は5日、記念の総会を行った。集いでは、代表の女子部員が池田先生の指導を胸に、困難を打開した体験を発表。小説『新・人間革命』第4巻「青葉」の章を皆で研さんした

香港

7・19「女子部結成記念日」を祝賀する香港女子部(蔡少薇部長)の総会(事前収録による映像を19日にYouTubeで限定公開)。女子文化部の友が各自宅などで撮影した演奏、ダンス、合唱の動画をつないだ“リモートステージ”を披露。呉楚煜理事長が、揺れ動く心に負けない不動の自己を築こうと訴えた

7・19「女子部結成記念日」を祝賀する香港女子部(蔡少薇部長)の総会(事前収録による映像を19日にYouTubeで限定公開)。女子文化部の友が各自宅などで撮影した演奏、ダンス、合唱の動画をつないだ“リモートステージ”を披露。呉楚煜理事長が、揺れ動く心に負けない不動の自己を築こうと訴えた


◆SOKAnet特設ページに映像追加 ボローニャ大学での講演  2020年7月31日

世界最古の総合大学といわれるイタリア・ボローニャ大学で記念講演する池田先生(1994年6月)

世界最古の総合大学といわれるイタリア・ボローニャ大学で記念講演する池田先生(1994年6月)

 学会公式ホームページ「SOKAnet」特設ページ「映像で見る池田SGI会長の行動と軌跡」に、新たな映像が追加された。
 池田先生は1994年6月、世界最古の総合大学と仰がれるイタリアのボローニャ大学で「レオナルドの眼と人類の議会――国連の未来についての考察」と題して、記念講演を行った。
 “万能の天才”レオナルド・ダ・ヴィンチの生き方を通して、“人類の議会”である国連の活性化の鍵は世界市民の輩出にあると語った、歴史的な大学講演の内容を学ぶことができる。
 ※SOKAnetの特設ページで視聴可能。


【特集記事・信仰体験など】

◆「未来部ドリームチャレンジ期間」を応援! 池田先生の指針や読者投稿を紹介
 連載企画<みんなで学ぶ創価の心>

夢に向かって成長を! スペイン文化会館で未来っ子たちが朗らかに(2018年4月)

夢に向かって成長を! スペイン文化会館で未来っ子たちが朗らかに(2018年4月)

 「未来部ドリームチャレンジ期間」(8月31日まで)を応援! 今回の「みんなで学ぶ創価の心」では、未来部機関紙8月号に掲載された池田先生の指針を学びます。またコロナ禍にあって、地域に励ましを広げる未来部員の声や、オンラインを活用した九州の少年少女部合唱団の取り組みを紹介します。

【池田先生の指針】
未来部機関紙8月号から――“自分の宝”を輝かせるチャレンジの夏に!

 8月は「平和」を誓う月です。
 広島への原爆投下から48年となる8月6日に、私は小説『新・人間革命』を書き起こしました。
 「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」
 冒頭の一節は、わが未来部へ託す創価の師弟の信念です。
 皆さんには「妙法の信心」という最極の正義があります。この正義によって立つ時、皆さんの力は百倍千倍にもなります。21世紀を「平和の世紀」と照らす希望の太陽と輝くのです。 
 世界中の仲間と共に、地球上に友情と信頼を広げゆく使命の皆さんです。楽しく粘り強く、語学の実力も磨いてください。
 この夏は、戦争と平和をテーマに読書にも挑もう!
 みんなが踏み出す一歩こそ、平和を開く偉大なチャレンジだから!
 (「未来ジャーナル」の「2030年へ 後継の正義の走者に贈る」より)
                      ◇◇◇
 この大宇宙のすべての財宝よりも、すばらしい宝ものがあります。それは「一日の命」です。この宝は挑戦によって光をまします。皆さんが一日、命を燃やして挑戦したことが、かけがえのない宝とかがやくのです。
 この夏休み、勇気を出して勤行に挑戦したり、勉強・読書にはげんだり、作文や絵画に取り組んだり、楽しく、いっぱいの宝を積んでください。
 みんなの命を守ってくれている、お父さんやお母さんへの親孝行にも、チャレンジしよう!
 きょうも明るい笑顔で「ありがとう」の心を伝えようよ。
 (「少年少女きぼう新聞」の「2030年へ 希望の王子・王女に贈る」より)

【わたしの実践】
心を結ぶ“手作り新聞”
 <大阪市西成区 坂口華音さん(中学1年)>
 
 今年3月から、オリジナルの「みらいぶしんぶん」を作成し、聖教新聞を配達する母の横を走って、地域のメンバーの家に配ってきました。

 作ろうと思ったきっかけは、新型コロナウイルスの影響で、学校にも行けず、友達とも会えず、不安を募らせている後輩たちを励ましたかったからです。

 私はこの春、関西創価小学校を卒業しました。創立者・池田先生の温かく大きな真心に包まれ、楽しく充実した毎日を過ごすことができました。
 特に昨年11月、アンジェリック・ブラスバンドの一員として、東京で行われた全国大会に出場した思い出は忘れられません。創立者から、たくさんの激励をいただき、とても感動しました。
「日本管楽合奏コンテスト」全国大会に出場した関西創価小学校のアンジェリック・ブラスバンドのメンバー(昨年11月、都内で)
 学校の先生や職員の皆さんをはじめ、陰で支えてくださった全ての方々に、感謝の気持ちでいっぱいです。
 「みらいぶしんぶん」は“今度は私が希望を届ける番”との思いも込めて作り始めました。
 ちょうど母が、気分転換になればと、地区の同志の方々のためにクイズを作っているのを見て、私も楽しい内容になるよう工夫しました。
 作ったのは、小学生向けと幼児向けの2種類です。勉強コーナーやクイズのほか、池田先生の指針を紹介し、みんなの心に勇気が湧くようにと願いながら書きました。
 そんな中、ある小学3年生のメンバーは、“私もやってみたい”と、「みらいぶクイズ」を作成し、届けてくれました。心がつながったようで、とてもうれしかったです。
 今月から通常登校が始まり、勉強に集中するため、残念ながら先日の7月19日が最終号になりました。今まで読んでくださった皆さんに、心から感謝しています。
 この夏は、“未来部ドリームチャレンジ”の英語スピーチコンテストに挑戦します。学校の課題やクラブ活動、習い事と、全てをやり切れるよう、勤行・唱題を根本に「負けじ魂」を燃やして頑張ります。

コロナ禍に立ち向かう九州・菜の花少年少女合唱団の取り組み
 コロナ禍の中で、知恵を尽くして子どもたちと心をつなぎ、励ましを送り続けているのが、各地にある少年少女部合唱団のスタッフである。
 九州・福岡の「菜の花少年少女合唱団」では、学会活動が自粛となった2月中旬から、スタッフが電話を通じて保護者との連携を強化。4月上旬には“菜の花だより”という合唱団通信を発行した。子どもたちへの励ましのメッセージを掲載して、それぞれの自宅へ投函したのである。
 4月末からはSNSのビデオ通話を利用して、メンバーと個別懇談を実施。休校期間中の子どもたちの思いに寄り添った。卒団式ができないまま小学校を卒業したメンバーともつながり、「一緒に乗り越えていこうね」とエールを送った。
 このやりとりを通じて、スタッフが確認していたことがある。それは各家庭のオンライン環境だ。
 自宅にWi―Fiはあるか。使っている端末は何なのか。保護者に丁寧に聞き取りを行った。問題がないことを確認した上で、6月末から「オンライン定例会」をスタート。ほぼ隔週でメンバーとスタッフをビデオ会議システムで結び、近況を共有したり、発声の練習をしたり、池田先生の指導を学んだりしている。

今月26日に行われた、菜の花少年少女合唱団のオンライン定例会。子どもたちが笑顔で
 たとえ直接会えなくても、思いは届く。心はつながる。
 ある少年部員は、地域の野球チームで投手を任された。先日、初めて登板する機会が。ところが冒頭から四球を連発してしまう。その姿を観客席から見ていた母親は、心配で仕方がない。しかし彼はそこから立ち直り、見事な投球で、試合の流れを変えた。
 彼は元々、プレッシャーに弱かったという。試合終了後、母が「なんで頑張れたん?」と尋ねると、少年は笑顔で答えた。「あのね、心の中でお題目あげたんよ。合唱団で教えてもらったこと、思い出して」
 合唱団にとって困難な状況に変わりはない。それでもスタッフたちは「子どもたちが大きくなった時に、『この合唱団で良かった』『僕たち・私たちは負けなかった』と心から言える思い出をつくってあげたい」と、祈りと工夫を重ねている。

「わたしの実践」を大募集
 氏名、年齢、職業(学年)、住所、電話番号(※任意で携帯電話番号)を明記してください。当社のウェブサイトに掲載される場合があることも、ご了承ください。
 【ファクス】03(5360)9613
 【メール】kansou@seikyo-np.jp
 【LINE】
 以下のリンクから「聖教新聞 ONE MINUTE LINEアカウント」にアクセスし、「#みんなで学ぶ創価の心」と入れて送ってください。
 https://line.me/R/ti/p/%40wwl1214s


 

2020年7月30日 (木)

2020年7月30日(木)の聖教

2020年7月30日(木)の聖教

◆わが友に贈る

 創価後継の未来部は
 「法華経の命を継ぐ人」。
 全員が世界の宝だ!
 無限の可能性を信じ抜き
 温かなエールを送ろう!
 御書P1169


◆名字の言 新たな日常に求められる「多様性の尊重」 2020年7月30日

 昨年のこと。学会活動に頑張ってきた壮年が、ぱったりと地区の集いに来なくなった。気になって自宅を訪ねると、変わりなく元気そうに見えたので、ほっとした▼親しく会話していると、理由を打ち明けてくれた。「実は、持病の発作が出るようになって……。でも参加できない分、地区の発展を真剣に祈っていたよ」と。頑張ってきた“のに”ではなく、頑張ってきたから“こそ”、壮年は同志に心配を掛けまいと気遣い、活動への参加を見合わせていたのだ。こうした友への配慮を常に忘れてはいけない、と痛感した▼感染症と共存しながら充実した生活を送るには「多様性を尊重すること」――そう指摘する識者は多い。例えば、「皆で集まりたい」と思う人もいれば、「集まるのは怖い」と思う人も。コロナ感染の脅威の感じ方は人それぞれ▼「新たな日常」とは、いろいろな状況があり、いろいろな考え方の人がいるという多様性を尊重しつつ、自他共の幸福を築き上げていく「新たな挑戦」といえよう▼御書に「所見の人に於て仏身を見る」(242ページ)と。どんな人にも仏性がある。だからこそ“一人”を仏のごとく尊び、“一人”を心から大切にしていく。その姿勢こそ仏法の真髄であり、時代が求める最高の生き方と確信する。(実)


◆寸鉄

信心の歓喜を周囲と共有
する学会員の姿に感動―
教授。希望の連帯を拡大
     ◇
「たすくる者強ければた
うれず」御聖訓。幹部は
苦難の友の励まし全力で
     ◇
御本尊に常に感謝する人
は福運がいよいよ増す―
恩師。絶対勝利の題目を
     ◇
熱中症原因の死者、この
10年で2倍に。猛暑日増
加で。躊躇せず空調活用
     ◇
国内感染者の4割が20、
30代―調査。若者の意識
変革が鍵だ。声掛け強く


◆社説 2020・7・30 特集「危機の時代を生きる」 求められる「利他の精神」

 新型コロナウイルスの感染流行によって、私たちのライフスタイルは様変わりした。マスクの着用が常態化し、オンラインで交流する機会も増えた。テレワークを導入した企業も多い。このように、コロナとの共存が前提となる生活は、「新しい日常」と呼ばれる。  
 ライフスタイルの変化に伴い、私たちの価値観や生き方なども変わっていくだろう。本紙の特集「危機の時代を生きる」では、コロナ禍で奮闘する学会員のエピソードや識者の声を通して、「新しい日常」を生きる上で大切な視点や生き方、そして創価の仏法哲理が何を提示できるかを探求してきた 
 その一つに挙げられるのが「利他の精神」といえよう。感染者への差別や、“自粛警察”と呼ばれる行為が問題となったように、人間は危機的な状況に置かれた時、他者との間に壁をつくって、自分を守ろうとする。しかし、感染症はそうした壁をやすやすと越える。人々の分断は、社会の分断をき、感染拡大を助長する恐れもある。
 6月11日付に掲載された特集の中で、中部大学の酒井吉廣教授は、今後の国際社会における「利他の精神」の必要性を説き、「『分断』から『協調』への流れをつくるためにも、自分とは異なる他者との『共生の哲学』が求められています」と語った。また同17日付の、創価大学看護学部の佐々
木諭教授のインタビューでは、「感染症対策で必要なのは『自分が感染しない』『人に感染させない』との思いを持ち、皆で感染を抑え込もうという協力体制です。その意味では、人々の絆が鍵を握ると思います」と、他者への共生・協力の重要性が示されている。
 仏法は「依正不二」と説く。生を営む主体である人間(正報)と、人間が生を営むためのよりどころとなる環境・国土(依報)は別のものではあるが、実は密接不可分で、互いに影響され合うとの考えだ。これをさらに、自己と他者の関係性と見れば、自他は相互に深く支え合っている。自己の安全だけを求めていては、結果として自己を守ることはできない。「自利」を考えるならば、「利他」の視点は必須であるといえよう。
 池田先生は語る。「『他人だけが不幸』はありえない。と同時に『自分だけが幸福』もありえない。ならば『人を幸せにする』ことが『自分が幸福になる道』です。自他共に幸福を勝ち開いていく。ここに、法華経の真髄の行動があります。これが、我らの学会精神です」と。
 「自利」と「利他」を勝ち開く――「自他共の幸福」を目指す生き方こそ、「新しい日常」において、希求されるモデルの一つとなるだろう。


◆きょうの発心 呵責謗法滅罪抄 神奈川・緑区総合婦人部長 嵩本晴美2020年7月30日

御文
 何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり(呵責謗法滅罪抄、1132ページ・編599ページ)
通解
 いかなる世の乱れにも、あなた方を法華経や十羅刹女よ助け給え、と湿った木から火を出し、乾いた土から水を出すように強盛に祈っている。

師弟一体の祈りこそ勝利の源泉
 強盛な祈りが、不可能を可能に転じると教えられています。
 女子部時代の1988年(昭和63年)6月、池田先生が神奈川の友に贈られた長編詩「正義の旗 平和の心」を読み、大感動。“師匠にお応えできる弟子になろう”と誓ったことが原点です。
 結婚後、義父にがんが見つかり余命宣告を受けました。義父は、とても気落ちしていましたが、同志の皆さまがたくさん励ましてくださり、さらに、先生から真心の伝言もいただき、家族一丸となって祈る中、義父は病を克服。その後も家族や自身の病、経済苦など、困難に直面するたび、師と共に広布に走る中で全てを乗り越え、師弟一体の祈りこそ勝利の源泉であると確信しています。
 1・27「緑区の日」35周年を迎えた本年、いま一度、先生・奥さまへの報恩感謝を胸に、緑区の皆さまと心を合わせて、新たな広布の歴史を開いてまいります。


【先生のメッセージ】

◆〈心に御書を〉64 信心の眼で魔を見破れ2020年7月30日

〈御文〉
 法華経を持つ者は必ず成仏し候、故に第六天の魔王と申す三界の主此の経を持つ人をば強に嫉み候なり(種種御振舞御書、925ページ)
〈通解〉
 法華経を持つ者は必ず成仏する。それ故に第六天の魔王という三界の主が、この経を持つ人を強く嫉むのである。

〈池田先生が贈る指針〉
 広布に生きる人生は、「成仏」という絶対の幸福への大道である。ゆえに、天魔が嫉んで妨げようとする。
 病魔も同じだ。断じて負けてはならない。信心の眼で魔と見破り、断固と打ち勝つのだ。
 「必ず成仏し候」――病の友も、看護・介護のご家族も、妙法の大功力を確信して、聡明に勇敢に宿命転換の前進を!

【聖教ニュース】

◆フィリピン国立カリンガ大学が決定 池田先生に名誉人文学博士号  2020年7月30日
 通知書「平和への行動は大学の理念と合致」

国内外に有為の人材を輩出し続けてきた、フィリピンの国立カリンガ大学のキャンパス
国内外に有為の人材を輩出し続けてきた、フィリピンの国立カリンガ大学のキャンパス

 フィリピンの国立カリンガ大学から、池田大作先生に「名誉人文学博士号」が授与されることが決定した。
 池田先生の長年にわたる平和・文化・教育への卓越した貢献をたたえたもの。このほど、エドワルド・バグタン学長から、決定通知書が届いた。
 同国の島として最大の面積を誇るルソン島。カリンガ大学は、同島北部に位置するカリンガ州の州都・タブクをはじめ、州内に三つのキャンパスを構える名門学府である。
 1970年代に設立された職業訓練を提供する機関を前身とする同大学。86年に国立カリンガ・アパヤオ大学となり、その後、農学や環境学等の学士課程や修士・博士課程のプログラムを拡充した。
 そして2015年、現在の国立カリンガ大学に。“社会・自然科学や農林業などの研究分野において、先進的な教育実践を展開する”等の理念を掲げ、アジア太平洋地域の知識・技術の集積拠点を目指す教育機関として発展を遂げてきた。
 今回、池田先生に送られた決定通知書には、次のように記されている。
 「慈愛の行動を通し、人類社会に対して多大な貢献を果たした功績をたたえ、池田博士に『名誉人文学博士号』を授与することを、謹んでお伝え申し上げます」
 「恒久平和実現に向けた博士の情熱と行動は、わが大学の理念と合致するものです」


【特集記事・信仰体験など】

◆〈世界青年部総会へ前進〉コロナ禍の中で奮闘する友

 オンラインで全世界を結び、開催される「世界青年部総会」まで、残り2カ月を切った。コロナ禍の中、青年部は総会に向けて、「立正安国の旗」を掲げて挑戦を起こしている。奮闘する各地の友を紹介する。​

滋賀・大津錦州圏 上田文雄さん
自身の人間革命で勝ち開く

 旅行・観光業はコロナ禍によって、深刻な打撃を受けた業界の一つ。 ​
上田文雄さん(圏男子部長)は、滋賀・京都で六つの旅館を営む会社の取締役営業部長、経営企画室長として奮闘している。 
 二つの要職に、最年少で登用されたのは昨年2月。学会組織では10月に圏男子部長に就いた。
 “仕事も、学会活動も、全てで勝利の実証を”と師弟の誓いを立て、本年をスタートした。3人の本部長と共に男子部員の激励に奔走する中、全ての部で男子部大学校への入校を決意するメンバーが誕生した。 そんな中での、コロナの感染拡大だった。旅行・観光業界への影響は大きく、各国で出入国制限が実施され、インバウンド(訪日外国人客)はほぼゼロに。感染拡大の第2波、第3波の懸念から、国内旅行市場の先行きも見えなくなった。 
 上田さんが携わる各旅館でも宿泊のキャンセルが相次ぎ、4月にはほとんどが一時休業に追いやられた。
 緊急の役員会では、自身を含む全役員の給与減額と賞与の見送りを決めたが、休業中の従業員への給与だけは満額支給を定めた。
 それでも上田さんの胸の内は、不安と葛藤でいっぱいだった。
 “本当に社員を守り抜けるのか”“自分はいったい何をすべきなのか”……。 
 そんな時、信心の先輩が声を掛けてくれた。「師匠にお応えするとの誓願の祈りは、コロナ禍でも忘れてはいけない」
 上田さんは、はっとした。“そうだ! 池田先生に勝利を誓ったじゃないか”と。 
 真剣な祈りから戦いを始めた。御書の拝読にも挑戦し、日蓮大聖人の御精神に触れると、“絶対に負けない”との熱意がふつふつと湧き上がるのを感じた。
 大学校生一人一人には、池田先生の指導を記した手紙と題目帳を届けた。オンラインを活用しての会合も開始。コロナ禍で会うことは制限されても、心は絶対に離れないとの思いを伝えたかったのだ。
 仕事では、感染対策のガイドラインに則り、各旅館で徹底した対応を重ねた。休業している従業員に代わり、送迎係や予約の電話番などを買って出た。誰よりも明るく振る舞い、職場に活気を送り続けた。 
 6月からは宿泊の予約が徐々に入り、各旅館の営業が少しずつ再開した。新旅館のオープンにもこぎ着けた。
 今月には、会社の会長が取り仕切ってきた経営塾の責任者に就くことに。躍進の実証を示せた。

 ウイルスとの共存が想定される今後も、旅行・観光業には課題が多い。それでも上田さんは前を向く。
 心に刻んだ小説『人間革命』『新・人間革命』の、“一人の偉大な人間革命は、全人類の宿命の転換をも可能にする”との希望の哲学を、自身の生き方で示す時は今である。
 
 仕事も、師に誓った“日本一”の広布拡大も、自身の人間革命と常勝関西の負けじ魂で勝ち開くべく、決して歩みを止めない。

北海道・王城南区 網真悠子さん
「一人」の笑顔と幸福のため

 網真悠子さん(総区女子部長)は、札幌市内の医療機関で、入院患者の給食を担当する栄養士。病態やアレルギーに応じたメニューを考案するだけでなく、調理スタッフと共に食事の提供も担うなど、食の安心・安全のために奮闘する。
 配膳前には、約100人分の食事に目を走らせ、取り違えや異物がないかを確認する。「私が扱うのは、何百という食事ですが、患者さんにとっては、命をつなぐ大切な一食。笑顔で、楽しく、おいしく、安全に食べてもらえるよう、業務に励んでいます」 
 そんな一人を大切にする心は、「学会活動で培いました」と網さん。
 学会の庭で育ち、真っすぐに信心に励んできたが、前職に就いていた5年前、深夜までの仕事が続き、会合に参加できない状況が増えた。次第に心も信心から遠ざかっていった。追い打ちをかけるように、父・文寿さんに肺がんが見つかる。リンパや骨など全身に転移していた。4カ月の闘病の末、2016年1月、父は霊山へと旅立った。 
 網さんの胸には悲しみと同時に、信心の大切さを教えてくれた父に“もっと恩返しがしたかった”との思いが募った。
 そして、再び信心で立ち上がろうと決めた。支えてくれたのは女子部の先輩。親身にじっくりと、思いに耳を傾けてくれた。 

「池田先生のご指導に、毎日触れていこう」と先輩に提案され、網さんは、当時、本紙で連載が開始されたばかりの小説『新・人間革命』第30巻「大山」の章の拝読を始めた。

 「人は、人の絆のなかで育まれ、成長し、学び合い、助け合って真実の人間となる。ゆえに、自分一人だけの幸せはない。自他共の幸福のなかにこそ、本当の幸福もある」――自分にぴったりの言葉がたくさんあった。信心根本の人生をと誓い、会合参加に率先し、唱題や仏法対話にも挑戦。心が弾み、生命力が湧くのを実感した。
 さらに“栄養士として、広布のリーダーとして使命を果たせる職場に”と祈る中、18年には好条件で、現在の勤務先に再就職することができた。 
 コロナ禍の今、調理場や医療の現場には緊張感が漂うが、明るいあいさつやコミュニケーションを大切にし、和やかで楽しい雰囲気づくりを心掛ける。共に働く調理スタッフは、「網さんがいるだけで、その場の雰囲気が良くなる」と信頼を寄せる。 
 女子部では、オンラインの取り組みを推進。隔週の総区の集いでは、化粧品の販売に従事する友によるメーキャップ講座など、仕事や趣味を生かした“教えてコーナー”が人気を博し、コロナ禍で初めて会合に参加できた友もいる。
 一人のために、一人と共に――師匠や同志から学んだ創価の心を胸に、網さんは希望の前進を続ける。
 「総区の華陽姉妹全員の勝利が自身の勝利と定め、先生へのご恩返しの人生を歩んでまいります」


◆〈池田先生の会長就任60周年 青年部が原田会長に聞く Ⅱ部〉第16回 
 「御書根本」を貫く民衆仏法の学会教学 ⑤ 2020年7月30日

〈出席者〉西方男子部長、大串女子部長、樺澤学生部長、林女子学生部長

仏法は全人類に開かれた世界宗教
 ◆大串 世界宗教として192カ国・地域に創価の連帯は広がり、昨年はアフリカ31カ国で教学実力試験が行われるなど、年々、人間主義の仏法哲理を学び、実践する運動が活発になっています。世界広布を進める上で、宗教、思想、文化、伝統の違いなどを、どう捉えるかが大事になってくると思います。
  
 ◇原田 日蓮大聖人の仏法は今、太陽が地球上をあまねく照らすように、世界の人々に希望と勇気の大光を送っています。
 小説『新・人間革命』第1巻の冒頭「旭日」の章には、「随方毘尼」という法理に基づいて、私たちが踏まえるべき重要な考え方が示されています。
 例えば、アメリカには正座の習慣がありません。しかし、世界広布の旅で初めて訪れたハワイで、先生に同行した当時の幹部ですら、“勤行の時に正座する習慣を変えてはいけないのでは”と言っていたのです。
 これに対して先生は、「随方毘尼」の考え方を示され、「御本尊への信仰という、大聖人の仏法の本義に違わない限り、化儀などは各地の風俗や習慣、時代の風習に従ってもいいんだよ」「大聖人の仏法は、日本人のためだけの教えではなく、全世界の人類のための宗教なんだからね」と明確に示されたのです。


 ◆西方 御書には「(随方毘尼という)戒の心はいたう事かけざる事をば少少仏教にたがふとも其の国の風俗に違うべからざるよし仏一つの戒を説き給へり」(1202ページ)と仰せです。
  
 ◇原田 大切なのは、御本尊への「信」があるかどうかです。大聖人が“少々仏教と違うことがあっても、その国の風俗に背くべきではない”とまで仰せの通り、仏法は開かれた精神という世界性を持つ宗教です。
 御書には「まことの・みちは世間の事法にて候」「世間の法が仏法の全体と釈せられて候」(1597ページ)と仰せです。真実の仏法は、社会を大切にし、人々のため、地域のために貢献し、活躍していくためにこそある。その実践の人が智者です。 

差異を超えた連帯で平和の世紀を
 ◆林 『新・人間革命』第30巻<下>「誓願」の章で先生は、1995年(平成7年)に制定されたSGI憲章について触れられています。その中に「仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の基本的問題について対話し、その解決のために協力していく」とあります。
  
 ◇原田 その通りです。先生は「『世界の平和』と『人類の幸福』を実現するために大切なことは、人類は運命共同体であるとの認識に立ち、共に皆が手を携えて進んでいくことである。これを阻む最大の要因となるのが、宗教にせよ、国家、民族にせよ、独善性、排他性に陥ってしまうことだ。人類の共存のためには、“人間”という原点に立ち返り、あらゆる差異を超えて、互いに助け合っていかねばならない」と強調されています。

閉ざされた教条主義に陥る宗門
 ◆西方 一方で宗門は、時代錯誤の閉ざされた教条主義、権威主義で、信徒を隷属させようとしました。例えば、学会の会合でベートーベンの第九「歓喜の歌」を合唱したことに対し、“ドイツ語で歌うことはキリスト教の神を賛嘆する「外道礼讃」”などと滑稽な非難を繰り返し、日本や世界の識者からも呆れられていました。
  
 ◇原田 人類の精神遺産である文化を否定することは、人間性を否定することに等しい。「誓願」の章につづられている通り、「宗教が教条主義に陥り、独善的な物差しで、文化や芸術を裁断するならば、それは、人間のための宗教ではなく、宗教のための宗教」です。
 そもそも、宗教活動の基本は対話です。その対話すら拒否し、一方的に広宣流布の前進を妨害してきたのが宗門です。
 学会は大聖人の仰せ通りに御本尊根本、御書根本を貫き、対話主義に徹し、広宣流布を目指して戦ってきました。だからこそ全てに勝利し、大発展を遂げてきたのです。
  
 ◆大串 イタリア・新宗教研究所のマッシモ・イントロビーニェ所長は、かつて次のように語られていました。
 「(イタリア創価学会が成功した最大の理由は)伝統を捨てなさい、こちらの文化に乗り換えなさいということは全く言わないで、むしろ地元の文化に合致した形で、イタリア版仏教という形でメッセージを伝えた、これが素晴らしい」と。
  
 ◇原田 イタリア創価学会は、2015年に国家との間でインテーサ(宗教協約)が結ばれ、社会からの期待と信頼は一層高まっています。今回の新型コロナの感染拡大に対しても、さまざまな形で貢献し、コンテ首相からも、人間主義の行動と連帯、責任感に感嘆を伝える言葉が寄せられています。 

池田会長は最も感銘を受けた人

 ◆樺澤 人間主義は、法華経の精神でもあります。東洋哲学研究所(東哲)が中心となって、06年から始まった“法華経展”は、イスラム文化圏のマレーシアやインドネシア、上座部仏教国のタイをはじめ、欧州、南米など世界17カ国・地域で約90万人が観賞し、共感の輪が大きく広がっています。
  
 ◇原田 先生は各国の宗教、文化、民族などについて正しく認識していくことが大切であるとされ、東洋をはじめ世界の思想・哲学・文化を多角的に研究する機関として、1962年1月に東哲の前身となる東洋学術研究所を発足されました。これは、先生の創立する各種の文化・教育機関の先駆けでもありました。こうした先生の打たれた手が一つ一つ実を結び、今日の世界との連帯があるのです。

首都バンコク近郊のタイ創価学会本部で開かれた“法華経展”を観賞する上座部仏教の僧侶学校の生徒ら(2017年6月)。57日間の会期中、約12万5000人が来場し、大きな反響を呼んだ

「人間と人間」が語らう――そこに友好の道が
 ◆西方 先生ご自身が、イスラム教、キリスト教、ヒンズー教をはじめ、世界の宗教指導者、識者とも宗教間対話、文明間対話を続けてこられました。
  
 ◇原田 イスラムでは、インドネシアのアブドゥルラフマン・ワヒド元大統領や、イラン出身の平和学者マジッド・テヘラニアン博士らと、平和と共生の社会建設への方途を巡り、対談されています。
 キリスト教については、イギリスの宗教社会学者ブライアン・ウィルソン博士、ドイツの哲学者ヨーゼフ・デルボラフ博士、米ハーバード大学の宗教学者ハービー・コックス名誉教授らと対話。さらに、インド文化関係評議会元会長のカラン・シン博士、米デンバー大学の国際法学者ベッド・ナンダ博士らヒンズー教を背景とする識者、またユダヤ教の識者とも交流を結んでこられました。
 先生は、「戸田記念国際平和研究所」の初代所長に就任したテヘラニアン博士との会見の折、このように語られました。
 「人間と人間が語り合うこと。これが全ての始まりです。宗教を前面に出して、『宗教と宗教』の話し合いをしても、そこからは友好は開けません。そうではなく、まず人間です。『人間と人間』の対話です。人間と人間が心を開き合い、知り合い、仲よくなれば、そこからいくらでも相互の違いに対する理解も生まれるものです」と。
 この人間主義に基づく先生の平和への対話に、私たちも学んでいきたいと思います。

インドネシアのワヒド元大統領と会見する池田先生(2002年4月、八王子市の東京牧口記念会館で)。仏教とイスラム教を巡る語らいは、対談集『平和の哲学 寛容の智慧』に結実した

 ◆林 本年には、米モアハウス大学キング国際チャペルのローレンス・カーター所長が、先生から受けた啓発について著した書籍の日本語版『牧師が語る仏法の師』が発刊されました。
  
 ◇原田 バプテスト教会(プロテスタントの教派)の牧師である所長は、ガンジーとキング牧師を自らの師と定め、長年、非暴力の運動を進めてきた方です。先生との出会いを重ね、対談集や平和提言などを読み深めていく中、その思想と人格に深く感動された一人です。
 『牧師が語る仏法の師』の中で所長は「池田会長こそが、その誠実さ、学識、行動力、高潔な人格、業績、グローバルな理念において、最も感銘を受けた人物である」と語られています。
 これは先生が、文化や宗教の違いを超え、人間主義の仏法を基調に平和の世紀を開く行動を貫かれてきた結果です。
  
 ◆樺澤 学会伝統の教学部任用試験は、2016年から名称を「教学部任用試験(仏法入門)」とし、新会員だけでなく多くの会友も仏法を学ぶ時代となりました。世界中でも教学試験が実施されています。
  
 ◇原田 近年は任用試験で仏法哲理を学ぶことをきっかけに、入会に至る人も少なくありません。それだけ、人々が確かな生命哲学、人生の指針を求めている証左でもあるでしょう。
 また、教学研修会も世界各国で行われ、皆が真剣に大聖人の仏法を学び、信心の成長の糧としています。すごい時代になりました。
 分断や対立が深刻化する現代世界において、創価の人間主義の哲学は、人々を結び、共生の社会を築く希望の光源です。
 大聖人は、「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」(御書254ページ)と仰せです。私たちは、試練の時代に敢然と立ち向かい、「太陽の仏法」で地域を、社会を、世界をさらに照らし、晴らしていこうではありませんか!
      (この項終わり)


◆〈未来の宝と共に 池田先生の書籍に学ぶ〉 東北女子未来部長 菊地真理さん
テーマ​「進路に不安があります」​​

〈池田先生の指針〉
 あなたが歩いた、その道が、あなたの「進路」になるんです。
 あなたが選んだ、その生き方が、あなたの「将来」を決めるんです。
 だれが決めるものでもない。だれのせいでもない。全部、あなたの人生です。
「環境」に振りまわされるだけなら、環境が、あなたの人生の主人公ということになってしまう。それでは、つまらない。
 あなたの人生を決める主人公は、「あなた自身」なのです。
 (『希望対話』〈普及版〉90ページ)

勤行・唱題で前向きな気持ちに
 私は福島県の会津美里町(あいずみさとちょう)で生まれ、高校卒業まで過ごしました。歌うことが大好きで、小学校から高校まで合唱部一筋の青春時代を送りました。
 “勉強と部活の両立を頑張ろう!”と決意し、過ごした高校生活はとても充実していましたが、3年生になり、進路をどうするのか真剣に向き合う時がやってきました。親や先生とも相談しながら、国公立大学の受験を決意。必死に勉強し、迎えた受験の結果は、残念ながら不合格でした。落ち込みましたが、家族や友達に励まされ、立ち直ることができ、浪人することを決めました。 
 勉強に集中できる環境に身を置くために、県内で寮生活ができる予備校に進むことに。しかし、その直後、東日本大震災が発生。私が住んでいた地域は大きな被害はありませんでしたが、進む予定だった予備校は校舎が損壊したため、入ることができなくなってしまったのです。 
 さまざまな不安を抱える中でしたが、別の場所を探し、新潟の予備校に入ることを決めました。 
 進路のことや経験のない震災にも遭遇し、先行きへの不安は募りました。その気持ちに負けないために、寮に入ってからは毎日の勤行・唱題に挑戦。自然と前向きな気持ちになり、学力も徐々に向上していきました。

今できることを積み重ねよう
 あっという間に時は過ぎ、再び受験の時がやってきました。今回は国公立だけでなく、私立も受けることに。毎日のように祈り、勉強を重ねてきたので、自信を持って臨みましたが、結果は国公立が不合格。創価大学を含めた私立3校に合格でした。どうするか祈り悩みましたが、学びたいことやキャンパスの雰囲気、建学の精神を改めて調べていく中で、創大に進学を決めたのです。 
 進学後には、池田先生との出会いを結ぶことができ、一生涯の仲間との友情を育めたことを振り返ると、祈っていく中で決めた進路に無駄はなかったと実感しています。 
 池田先生は「『もう手遅れだ』なんてことはない。『今』始めることだ。勉強でも何でも、本当に『わかりたい』と心の底から思ったら、必ずわかるようになる」とおっしゃっています。 
 コロナ禍の中で、未来部の皆さんにとって進路への不安は大きいでしょう。だからこそ、唱題根本に、今できることを積み重ね、ベストな進路を開いていける準備をしていきましょう。皆さんが使命の舞台で活躍できるように、私も一緒に祈り、応援しています!


◆〈信仰体験〉笑いは「家族の勝利の証し」 スマイル自分らしく 
スマイル お笑い芸人「そのせん」の家族

 お笑い芸人「そのせん」こと、千葉県浦安市の園田高志さん(37)=県男子部長、芸術部員。
 ハイテンションな“おふざけキャラ”とは裏腹に「この人、根は、めちゃくちゃ真面目なんですよ」と、 妻・実華子さん(32)=白ゆり長=は笑う。
 園田さんは関西創価高校で剣道部の主将を務め、学業成績も優秀。特待生で創価大学に進み、全日本学生剣道選手権大会に出場。中学・高校社会科の教員免許を取得した。
 だが幼い頃からの夢を捨てきれず、芸人の道へ。お笑いライブで度々優勝し、人気テレビ番組にも出演。
 その一方で学会活動にも奔走し、今月11日には友人への弘教も実った。
 「信心で生命力を満タンにして、日本中の人を笑わせる“最強の芸人”になりたい」
 37歳、大きな夢へ、まっしぐら。

お笑い芸人 「そのせん」
 僕は今、プロダクションHITという、誰もヒットしていない事務所に所属している。(冗談です)
 特技の剣道(五段)を生かし、昨年、剣道エンタメ系「ユーチューバー」としてもデビュー。
 チャンネル視聴回数は計180万回。「動画、見たよ!」って、学園・創大の同級生や、創価学会の同志の方々も連絡をくださる。(感涙)
 僕が芸人を目指したのは、小学6年の時。全校集会でミニコントをしたら、みんな爆笑してくれた。
 人を笑わせることって、こんなにもうれしいんだって、鳥肌が立った。
 でも甘くない世界。アルバイトを掛け持ちし、フル回転の毎日。
 夢を追い続けられるのは、妻の支えがあるから。朝早い現場の時も、お弁当を作ってくれる。これがまた絶品!
 僕のネタを見て、「ウケる! 面白い!」と褒(ほ)めてくれる妻。お世辞じゃないと信じたい……。(苦笑)

「戦力外通告」 おかんの病
 僕の親父は明るい。でも冗談は、さえない。おかんは寡黙(かもく)。でもズバッと面白いことを言う。笑いの遺伝子は母親譲りであってほしい。
 「題目が趣味なの?」って思うくらい、ずっと御本尊の前に座ってる親父と、聖教新聞の配達が大好きだった、おかん。
 「信心だけは、ちゃんとしなさい」。これが両親の口癖だった。親父もおかんも、右手に障がいがあった。その中でも、懸命に僕たち兄弟を育ててくれた。
 夢をかなえて親孝行したい。
 創大を卒業し、人気芸人の登竜門といわれる大手養成所に合格した。
 10倍の競争率を勝ち抜き、ついに大手事務所と専属契約! 新人の有望株として使ってもらい、“このまま売れる”って信じてた。
 でも1年半後、潮目が変わった。舞台に立てない。ネタすら見てもらえない。とうとう“戦力外通告”。
 こんなところで、夢を諦めるわけにはいかない。信心でもう一度! 
 そう決意した直後のことだった。突然、おかんが倒れたのは……。
 診断は「急性大動脈解離」。ドクターヘリで搬送されたけど、願い届かず、10日後、旅立ってしまった。
 全身の力が抜けた。何をしていても、上の空。
 おかんのことばっかり思い出してしまう。
 僕の剣道の大会。おかんは、いつもこっそり見に来てくれた。
 僕が泣きながら題目をあげていた時、おかんがそっと後ろに座り、一緒に祈ってくれた。
 “僕の信心が弱いから、おかんを守れなかったんだ”
 自暴自棄になって、自分を責め続けた。
 それでも芸人をやめなかったのは、親父が教えてくれたから。
 「お母さんな、芸人として頑張るおまえが、自慢だったんだぞ」  

命は三世永遠 もう一度、会いたい
 おかんの期待に応えたい。でも、何をやっても空回り。
 ライブに出ても全くウケない。「つまんない」「売れるわけない」。厳しい言葉が突き刺さる。
 “もう無理だ……”
 どん底にいた時、男子部の先輩が会いに来てくれた。3カ月間、祈ることさえできなかった僕を、ずっと励まし続けてくれた。
 「命は、三世永遠。お母さんは必ず、高志のそばに生まれ変わってくるよ」
 こらえていた思いが、あふれた。
 “もし、おかんに会えるなら、こんな暗い顔してちゃダメだ。笑顔で胸を張れる自分でいたい”
 もう一度、御本尊の前から夢への挑戦を始めた。
 祈れば祈るほど戦う気力が湧いてくる。同じネタでも、お客さんのウケが全然違う。今の事務所に移り、再スタートした。
 少しずつ、願いがかなっていく。
 大手キー局のバラエティー番組のレギュラー出演が決まったり、自分がメインになった放送回で、番組史上最高の視聴率が出たり。
 何よりうれしかったのは、収入不安定の僕が、信心強盛なお嫁さんと一緒になれたこと。妻は医療ソーシャルワーカーとして病院で働き、家計も支えてくれた。
 結婚の2年後(2018年)、妻のおなかに、待望の第1子を授かった。女の子だった。
 うれしくて、うれしくて。早く娘に会いたい。
 お医者さんが出産予定日を教えてくれた。「4月7日」。その瞬間、びっくりして、言葉を失った。
 その日は、亡き母の誕生日――。
 あの日の先輩の言葉を思い出す。
 “おかんに会える。僕の娘になって、わが家に帰ってくる!”
 妻が、娘の名前を考えてくれた。
 妻・実華子、母・和子から、1字ずつ取って「実和」。和やかに、実り多き幸せを願って――。
  
握り返してくれた 小さな手
 妊娠6カ月の時、実和が先天性水頭症を患っていることが分かった。
 “無事に生まれてきてくれますように”
 目を真っ赤に腫らしながら、妻と毎日毎日、祈り抜いた。
 帝王切開で生まれた実和。脳の髄液の流れが悪く、頭がふくらんでた。細い体で、懸命に息をしてる。
 “これから、どうなってしまうんだろう……”
 そんな不安を抱えながら、保育器の中に手を伸ばすと、実和が僕の指を強く握り返してくれた。
 “パパ、大丈夫だよ”って、励ましてくれてるようで。
 その時、思ったんだ。実和は、この病を通して、多くの人を幸せにしていくんだ。そう願って、生まれてきたんだって。
 妻は毎日病院に通い、実和の耳元で題目を唱えていた。
 6度の手術を勝ち越え、7カ月の入院の末、実和は晴れて、退院を果たした。
  
看護師の皆さんがくれた、実和ちゃんのバースデーカード
 在宅で、集中治療室の医療器具を使いながらの子育て。実和を守り抜けるか、妻を支えられるか、不安は大きかった。
 でも実和は、お医者さんも驚くほど、日に日に「できること」が増えていって、少しだけど、ほ乳瓶でミルクを飲めるようにもなった。
 ずりばいの訓練中、疲れて寝ちゃう姿がキュート。今、1歳4カ月。実和がニコニコ笑ってくれるたび、妻と顔を見合わせ、ほっこりする。
 どんな時も、励ましを送ってくださる池田先生。先生は言われた。
 「闊達な『笑い』こそは、不屈なる『心の勝者』の証(あか)し」
 実和の笑顔こそ、僕たち家族の勝利の証しだ。
 将来、僕のギャグで実和を大爆笑させちゃうよ。実和、生まれてきてくれて、ありがとう。
「見て見て、実和のまゆげ、つながってるよ」と僕。「いいの。これがいいの」と笑う妻。実和とじゃれ合っていて、ほっぺにチューしようとしたら、実和が僕のあごを手で押さえつけて、完全に拒否(笑)。さすが芸人の娘だ​​

◆〈「人生地理学」からの出発――自己を知り、豊かな世界像を築くために〉2020年7月30日
第4回 地理学の考え方と人生(人間の生活)
東京学芸大学 名誉教授 斎藤毅

宇和島鉄道で最初に走った機関車の模型。鉄道唱歌の誕生100周年を記念し、作詞した大和田建樹の出身地、愛媛県宇和島市に復元された

宇和島鉄道で最初に走った機関車の模型。鉄道唱歌の誕生100周年を記念し、作詞した大和田建樹の出身地、愛媛県宇和島市に復元された

暗記科目に苦労しつつ
 学問としての地理学はともかく、例えば「所変われば品変わる」や「郷に入れば郷に従え」など、地理的な考え方は意外に日常的に見られるものです。しかし、牧口常三郎師も『人生地理学』の中で嘆かれているように、学校教育では「歴史」とともに「地理」は「暗記科目」と呼ばれ、とかく試験前夜の暗記力を競う学科と見られがちです。
 「歴史」では、例えば年代を覚えるために「いいくに作ろう鎌倉幕府」として鎌倉幕府の成立年「1192年」を引き出していました。〈現在は、この年は源頼朝が征夷大将軍になった年で、鎌倉幕府の成立年ではないというのが通説〉
 一方、「地理」とは、地名や特産品を覚えることと考えられ、例えば「北海道の産物は、ニシン、サケ、マス、タラ、カニ、コンブ」などと、歌のように節を付けながら覚えられた年配の読者もいらっしゃるのではないでしょうか。

鉄道唱歌は地理教育!?
 その極め付きは、あの懐かしい「汽笛一声新橋を……」で始まる、大和田建樹作詞の鉄道唱歌かもしれません。
 この歌は明治33年(1900年)に出版されたもので、正式には『地理教育鉄道唱歌第1集』になります。
 作詞者の大和田は愛媛県生まれの国文学者で、東京高等師範学校(現在の筑波大学)、東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)の教授。新橋から始まって神戸まで、各駅停車どころか、途中、横須賀線などの支線も含め、歌詞は66番まで。余興で全曲歌えた人もいたようですが、聞く方も大変だったでしょう。
 これは「東海道編」で、他に「山陽・九州編」「奥州・磐城編」「北陸編」など、各地の幹線編もあったようです。どこまで歌えるかはともかく、ここまでくると、もはや単なる暗記の手段とはいえません。

歴史学の対となる学問
 地理学は、古くから「地理の東西、歴史の古今」と、セットのようにいわれてきました。学校教育でこそ人気はなくとも、調べるのを一種の趣味としている人とは意外によく出会います。先ほどの鉄道唱歌の作詞者も専門は国文学でも、地理や歴史が趣味だったのかもしれません。
 しかし、「歴史とは何か」「地理とは何か」と改めて聞かれると、すぐには答えにくいはず。学問としての歴史学は確かに難しく、そこには過去の諸事象をどのように拾い出し、解釈していくか、一つの原理のようなものがあります。「史観」と呼ばれていますが、一つの哲学です。戦後しばらくは、「マルクス史観」や「唯物史観」に立つ研究者が多く見られたものです。

起源は古い哲学の一つ
 実は地理学もまた一つの哲学です。詳しくは後ほど述べますが、世界観と直接かかわるからです。
 『人生地理学』でも、第7章「平原」の中で平原を区分するために引用しているヘーゲル(ドイツの哲学者)の『歴史哲学講義』には、「世界史の地理的基礎」が述べられています。
 地理学の起源は古く、歴史学とともにそのルーツは古代ギリシャに。日本でも『古事記』や『日本書紀』は歴史学のルーツといえるでしょうし、各地の由来や産物などを集めた奈良時代の地誌『風土記』は日本における地理学の最初の姿と見ることができます。
 それにしても、地理や歴史はなぜ、このように古くからあったのでしょうか。

人生の3つの疑問から
 人間は、どうしても物事やその因果関係を考えてしまいがちなもの。それなりの説明がつくと一応、安心します。その体系の一つが神話です。
 “考える人間”には当然、多くの疑問があります。こうした疑問を集約すれば、「自分は何か」「どこにいるのか」「どこへ行くのか」になるはずです。画家ゴーギャンの遺作では、最初の問いが「我々はどこから来たのか」になりますが、同じような疑問です。多くの神話も学問も、方法こそ違っても、これらの疑問から出発しています。
 まず、「自分は何か」からは、その後、哲学とともに歴史学や生物学、心理学などが生まれました。自分のルーツを探し、現在の立場を納得するためです。「どこにいるのか」は、天文学とともに何より地理学形成の動機といえるものです。もちろん、これらの学問から多様な学問が派生していきます。
 しかし、「どこへ行くのか」は、もちろん死後の世界の話で、実証科学の方法では封印されたまま。ただ神話や宗教は観念で結論が出せるので、この疑問に対しても早くからそれぞれ満足のいく答えを、信じる人々に出しています。

私達はどこにいるのか
 私たちは一体、どこにいるのでしょう。
 東京とか日本などというのは、ここでは大して意味がありません。この場合、「この世」とか「現世」の方が適当でしょう。もちろん、古代からこうした疑問に対しては、いろいろな考え方が示されてきました。
 真言密教の両界曼荼羅をそのように考える向きもありますし、須弥山を中心とした古代インドの壮大な世界観は、もう少し具体的に示しています。しかし、これらは共に極めて観念的なものと感じる人も少なくありません。
 現代の私たちは通常、科学的世界観に立って物事を判断しています。また、世界的に見ても、通常の学校教育は科学的世界観を基礎としていますので、世界中の人たちが一応、これを共有しているとみることができましょう。
 例えば、地球の温暖化とその対策について、あるいは新型コロナウイルスへの対応に関しても、解決に向かって国際的に話し合えるのは、そのおかげだといえます。
 世界観とは、私たちがいる世界をどう見るかということです。この問題は『人生地理学』の牧口師の思想とその発展を見るうえでも大切なことなので、後でもう一度、掘り下げて考えたいと思います。
 科学的世界観のルーツをどこに求めるかについては見解が分かれるとしても、少なくとも地理学については古代ギリシャと見てよさそうです。
 英語の「Geography」もフランス語の「Géographie」も、共にギリシャ神話の「大地の女神」ガイア(Gaea)を語源にした「Geo」に由来。これは「大地」、さらに「地球」を意味します。
 実際、地球が球状であるとか、その大きさなどについても、既に古代ギリシャでは、例えば紀元前に活躍した学者エラトステネスなどが1割程度の誤差で測定しています。
 こうした客観的、科学的な思考が中世のヨーロッパでは著しく後退。その復活がルネサンス期以降なのは、ご存じの通りです。

「世界の姿」を求めて
 先ほど述べたように、地理学は英語で「Geography」。これを見て、「おや?」と思われる方も。確かに、学問には「Physics」(物理)や「Mathematics」(数学)のようなものもありますが、「Biology」(生物学)や「Psychology」(心理学)のように「logy」が付くのが一般的。「graphy」が付くのは、差し当たり、「oceanography」(海洋学)でしょうか。
 一方、「Geo」に「logy」を付けて「Geology」とすると、「地質学」となります。
 前述のように、「Geo」は「大地」「地球」の意味で、「graphy」は「記述したもの」。従って「Geography」を直訳すれば、「地球を記述したもの」であり、「世界の姿」ともなるでしょう。地理学の歴史は、いわば、世界の姿――世界像を索める歴史といえます。ヨーロッパ人による大航海時代は、そのための大運動ともなりましょう。
 大切なのは、世界像は単に大陸や海、島、山だけでなく、気候や動植物、そして、何よりその多様な大地とそれぞれ折り合いを付けながら独自の生活様式、すなわち、文化を組み立てつつ生きている人類集団の個々の姿にも注目することなのです。『人生地理学』は、ここに重点が置かれているのは、もちろんです。
 フランスの地理学者ブラーシュは、これに「人文地理学」という概念を与えており、その和訳は岩波文庫でも読むことができます。
 いずれにしても、この同じ地球の表面で他の動植物と深く関わりつつ、それぞれの場所で、さまざまな形で、多様な人生(=人間の生活)が重なり合っている姿こそ、現代の世界像なのです。
 それでは個人にとって地理学や世界像はどのような意味を持っているのでしょうか。次回で考えてみましょう。 

2020年7月29日 (水)

2020年7月29日(水)の聖教

2020年7月29日(水)の聖教

◆わが友に贈る

 大気の状態が不安定。
 引き続き豪雨等の
 自然災害に要注意!
 小まめな水分補給など
 熱中症対策も万全に。


◆名字の言 サッカーコーチの提案――ミスをしたチームメートにどう声を掛けるか

 少年サッカークラブのコーチを務める、ある男子部員。“楽しくやろう”をモットーに指導するが、子どもたちの快活さはいまひとつで、チームの成績も伸び悩んでいた▼そこで彼が提案をした。練習や試合でミスをしてしまったチームメートへ、皆が掛ける声を「ドンマイ(気にするな)」から「ナイストライ(よく挑戦した)」に変えようと。以降、積極的なプレーが実を結ぶことも増え、皆、楽しそうだという▼文芸批評家の小林秀雄氏がある対談で“野球”を例に引いた、こんな趣旨の話をした。易しい球ばかり打ててもつまらない。好投手の難しい球を打ってこそ面白い、と(『人間の建設』)。失敗を恐れず、困難に挑んでこそ、真の楽しさや充実をつかめるということだろう▼これは信心にも通じよう。広布拡大について池田先生は指導している。「新しき開拓に、困難と労苦が伴うのは当然である。困難といえば、すべてが困難であり、不可能といえば、いっさいが不可能である。それを突き抜ける炎のような覇気と闘争によってのみ、広布の開拓はなされる」と▼“できるかどうか”は、可能性で推し量る面がある。だが“やるかどうか”は、主体者である自分の意欲と決意が、行動の起点となる。信心根本の挑戦が自らの世界を変えていく。(代)


◆寸鉄

御書「浅きを去って深き
に就くは丈夫の心」。試練
の今こそ立正安国へ一歩
     ◇
創大・短大のオンライン
見学会、事前予約受付中。
俊英よ人間教育の大城へ
     ◇
内面が明るくなれば周囲
の闇も消える―詩人。信
心は前進の光。祈り強く
     ◇
感染収束後もテレワーク
続けたい―76%。育児等
と両立できる社会へ更に
     ◇
自分が住む所の防災地図
―46%が見たことなし。
命を守る基本。確認必ず

◆きょうの発心 佐渡御書  埼玉・川越県長 村上茂

御文
 悪王の正法を破るに邪法の僧等らが方かた人うどをなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし(佐渡御書、957ページ・編472ページ)
通解
 悪王が正法を破ろうとする際、邪法の僧等が悪王に味方し、智者を滅ぼそうとする時、師子王のような心を持つ者は必ず仏になることができる。

“師子王の心”で師弟の道歩む
 権力の魔性との闘争においては、師子王のような勇気ある信心が大事であることを教えられた御文です。
 若き日の池田先生が、「川越地区講義」で講義された「佐渡御書」を胸に刻み、信心に励んできました。
 19歳の時に発心。学会活動に挑戦する中、先輩・同志の励ましもあり、一度は諦めかけていた、映像制作の仕事に就くことができました。
 7年前、潰瘍性大腸炎との診断が。闘病生活が始まりましたが、池田先生の指導を胸に“楽観主義でいこう”と勇気を奮い起こし、信心で立ち向かいました。
 昨年末には、完全寛かん解かいを勝ち取り、病を通してより多くの人の心に寄り添えるようになったと実感しています。
 明年は、「川越地区講義」から70周年。“大変な時こそ、師子王の心で”との決意で、師弟の道を歩み抜いてまいります。


【聖教ニュース】

アメリカ・池田センターでオンライン行事 分断する社会を結ぶ詩心を巡り  2020年7月29日

 池田国際対話センター(米マサチューセッツ州ケンブリッジ市)が主催する対話行事が16日(現地時間)、オンラインで行われ、19カ国から250人が参加した。
 今回は池田大作先生が2006年に英字紙「ジャパンタイムズ」に寄せたコラム「現代文明と詩心の復権」を基礎として、分断される世界を再結合させる力となりうる詩心の重要性について議論した。
 池田先生と対談した、エマソン協会元会長のサーラ・ワイダー博士と若手研究者2人が「詩心とは何か」「詩心はどのように希望をもたらすか」などを巡り語らった。
 ワイダー博士は、池田先生の考えを通し、詩心とは自然や宇宙などあらゆる存在と自分自身を結び付けられるものであると指摘。
 困難に挑戦し、その価値を見いだす中で詩が生まれ、困難に深い意味が与えられると訴えた。
 その後、参加者は詩を自作し「現況をより良く変革するために詩心をどのように生かせるか」を話し合った。
 最後にワイダー博士は池田先生の詩を引用しながら、詩心をもって生きることが、活気ある人生と自他の差異をも喜び合える状況につながると強調した。

◆〈危機の時代を生きる〉寄稿 創価大学経済学部長 高木功教授  2020年7月29日
 新型コロナ危機後の世界――人間主義と持続可能性によって制御されたグローバル経済へ

 新型コロナウイルス感染のパンデミック(世界的大流行)によって、世界経済は大きな打撃を受けた。各国で経済活動が再開される中、専門家やメディアの間では“新型コロナ後”のグローバル経済の在り方について、さまざまな議論が交わされている。世界経済の現状と今後の課題について、創価大学経済学部長の高木功教授に考察してもらった。

 新型コロナウイルスの世界的な感染拡大が止まらない。WHO(世界保健機関)などによると、世界220カ国・地域に及び、感染者の数は世界で1648万人を超え、約65万4100人の命が奪われた(7月28日現在)。国境の存在を忘れさせるグローバルな経済活動と大量の人々の移動・交流が、新型コロナウイルス感染のパンデミックを導いた主因であり、超グローバル化の帰結の一つである。
 1990年代後半から、経済のグローバル化は加速し始めた。規制緩和と自由化の政策路線は、先進国内の企業による国際投資を活性化させ、企業の生産工程において分業・協業化を導いた。「グローバル供給連鎖」と呼ばれる現象である。
 特定の部品も、製品も、複数の企業によって意匠・製造・ブランド化され、世界市場への販売に向けて、いくつもの国境をまたいでいく。一つの生産物を、一つの企業の製品として特定することは今や難しい。そこに「グローバルな価値創造の連鎖」が形成される。私たちの生活の維持は、世界各地の多様かつ無数の労働・資源に支えられており、“一蓮托生の世界”といえよう。
 グローバル経済はこの30年、一段と拡大・膨張した。購買力平価(ある国において一定の商品・サービスの組み合わせの価格が、米国では何ドルで買えるかを示す交換レート)で換算した80年の世界のGDP(国内総生産)は13兆ドル余りだったが、90年に27・4兆ドルに増加。2000年には50・2兆ドルとなった。08年、世界を震撼させた金融危機が起きたにもかかわらず、10年には89・6兆ドルに拡大。そして19年には142兆ドルにまで達している。
 グローバル経済の急拡大を支えたのは先進各国の相互の過大な投資であり、また中国やブラジル、インドなど新興諸国への投資と、新興国経済の急成長である。その背景には、米国の慢性的な経常収支赤字と、先進各国の金融緩和政策によって生み出された巨額の余剰資金、すなわち過剰流動性が挙げられる。
 新型コロナウイルスの感染拡大は、こうしたグローバル経済の連結構造を一気に分断し、世界経済を危機に陥れた。国家レベルの危機回避策として、国や都市の封鎖を実施し、人々の国内外の移動を制限したが、それによって生産・消費活動は停止し、国際物流網は寸断された。年内の危機収束を前提としたIMF(国際通貨基金)の推計でも、経済成長率は、米国がマイナス5・9%、欧州ユーロ圏がマイナス7・5%、日本がマイナス5・2%となっている。今年の世界経済は戦後最大の危機に直面しているといえよう。
 米国、日本、EU(欧州連合)からなる先進国経済はこれまで、異常なまでの金融緩和策で景気を演出してきたが、バブル経済の崩壊と危機の発生が、経済の内的要因ではなく、感染症のパンデミックによってもたらされるとは、誰が予想しただろうか。
 金融危機ではなく、新型コロナ危機が近年の野放図なグローバリゼーションのリスクを広く知らしめたのである。

差社会を是正し、万人に“健康的な生活”の保障を
 では、新型コロナ危機後の世界経済は、どうあるべきであろうか。
 第1に、グローバル化の負の産物である格差社会の是正と、万人に「人間らしい生活」を保障する経済体制の構想が求められよう。
 フランスの経済学者トマ・ピケティが示唆するように、グローバルな供給連鎖と金融中心のグローバリゼーションは国内・国際を問わず、所得・資産格差を拡大してきた。経済格差の大きい米国では、新型コロナウイルス感染による死者と被害者は、十分な医療サービスを受けられない貧困層、マイノリティー(少数派)に偏っているという。経済格差と感染症の被害に密接な相関があると思われる。
 つまり、経済格差が大きいほど、その社会は感染症の危機に脆弱だということ。医療サービスの享受をはじめ、健康的な、人間らしい生活を最低限保障することが再び注目されるべきであろう。ここでは、人々の意識変化、国家と地方自治の役割の見直し、そして危機管理能力が問われることになる。
 第2に、分断されたグローバル経済を再生・再構築すると同時に、足元の各国経済、地域経済の再構成が必要だ。新型コロナ危機は、グローバルな供給連鎖と、世界市場への過度な依存によるリスク、不確実性を明らかにしたからである。
 例えば、国外で、どこか一つの工場が閉鎖されれば、ある商品の生産活動がストップしてしまうのである。これまでのように、収益性と効率性を追求するだけではなく、リスク管理の強化が必須となる。供給連鎖を構成する契約先を複数・多様化させると同時に、生産活動の簡素化あるいは国内回帰も見直されるべきだ。国・地域内の循環経済も再構築される必要がある。
 第3に、人々と世界を結び付けるインフラ整備として、ICT(情報通信技術)ネットワークと、リアルな社会・経済との融合が挙げられる。目に見えないウイルスは、人々の心を恐怖と不安で覆い、人や社会、経済の連帯を破壊した。一方で、世界中の人々が同じ危機に直面し、自分自身と世界とのつながりを認識した結果、相互連結のネットワークの修復と再構築へ動き出している。この関係性の構築と修復に欠かせないインフラがICTである。
 ICTはAI(人工知能)と結び付くと、国家による監視強化とプライバシーの侵害をもたらしうるが、国境を越えて人々を結ぶツールとして、計り知れない潜在力を有している。新型コロナ危機の後、リモートワーク、リモートラーニングは広く普及し、対面会議よりもリアルタイムのオンラインコミュニケーションが主流になる可能性すらある。

富への際限なき欲望を抑制・転換する動きも

米ニューヨークの国連本部で開催された「国連持続可能な開発サミット」(2015年9月)=ロイター

米ニューヨークの国連本部で開催された「国連持続可能な開発サミット」(2015年9月)=ロイター

 最後に、私たち自身の意識変革と行動変化について記したい。

 グローバリゼーションの拡大を支えた原動力は、中国に代表される新興国の人々の豊かさへの渇望と、国境を越えて肥大化する富への際限なき欲望である。人間の豊かさへの渇望と欲望の肥大化を止めることは難しいが、これらを抑制・転換する新しい変化はすでに見られる。
 例えば、環境問題への対策を含む国連「持続可能な開発目標(SDGs)」の達成を目指す「2030アジェンダ」は、普遍的な共通目標として人々に共有されつつある。その中には、感染症対策と、全ての人に保健医療サービスの提供を目指す「ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ」の達成が含まれている。同時に、目標達成のための国際パートナーシップの構築も掲げられている。
 世界的な投資市場においても、環境・社会・企業統治への配慮を掲げる「ESG投資」が主流化しつつある。
 一方で、新型コロナ危機をきっかけに、世界の貧困率は上昇し、SDGsの「目標達成は一層困難になっている」(グテーレス国連事務総長)との見通しもある。その意味で、今まさに正念場であり、達成に向けた意識と取り組みが世界的に強化されなければならない。
 持続可能性と、あらゆる人間の生を保障する人間主義に導かれる「制御可能なグローバルエコノミー」の構築を期待したい。

〈プロフィル〉
 たかぎ・いさお 1956年生まれ。創価大学大学院博士課程単位取得満期退学。専門は、世界経済論、開発経済学、アジア経済論。シンガポール東南アジア研究センター客員研究員、フィリピンのデ・ラ・サール大学ユーチェンコ・センター客員研究員などを歴任。現在、「ウェルビーイング(よき生)」「人間主義経済学」の研究に取り組む。

 ご感想をお寄せください
 ファクス 03―5360―9613
 kansou@seikyo-np.jp


◆〈危機の時代を生きる〉寄稿 創価大学経済学部長 高木功教授  2020年7月29日
新型コロナ危機後の世界――人間主義と持続可能性によって制御されたグローバル経済へ

 新型コロナウイルス感染のパンデミック(世界的大流行)によって、世界経済は大きな打撃を受けた。各国で経済活動が再開される中、専門家やメディアの間では“新型コロナ後”のグローバル経済の在り方について、さまざまな議論が交わされている。世界経済の現状と今後の課題について、創価大学経済学部長の高木功教授に考察してもらった。

 新型コロナウイルスの世界的な感染拡大が止まらない。WHO(世界保健機関)などによると、世界220カ国・地域に及び、感染者の数は世界で1648万人を超え、約65万4100人の命が奪われた(7月28日現在)。国境の存在を忘れさせるグローバルな経済活動と大量の人々の移動・交流が、新型コロナウイルス感染のパンデミックを導いた主因であり、超グローバル化の帰結の一つである。
 1990年代後半から、経済のグローバル化は加速し始めた。規制緩和と自由化の政策路線は、先進国内の企業による国際投資を活性化させ、企業の生産工程において分業・協業化を導いた。「グローバル供給連鎖」と呼ばれる現象である。
 特定の部品も、製品も、複数の企業によって意匠・製造・ブランド化され、世界市場への販売に向けて、いくつもの国境をまたいでいく。一つの生産物を、一つの企業の製品として特定することは今や難しい。そこに「グローバルな価値創造の連鎖」が形成される。私たちの生活の維持は、世界各地の多様かつ無数の労働・資源に支えられており、“一蓮托生の世界”といえよう。
 グローバル経済はこの30年、一段と拡大・膨張した。購買力平価(ある国において一定の商品・サービスの組み合わせの価格が、米国では何ドルで買えるかを示す交換レート)で換算した80年の世界のGDP(国内総生産)は13兆ドル余りだったが、90年に27・4兆ドルに増加。2000年には50・2兆ドルとなった。08年、世界を震撼させた金融危機が起きたにもかかわらず、10年には89・6兆ドルに拡大。そして19年には142兆ドルにまで達している。
 グローバル経済の急拡大を支えたのは先進各国の相互の過大な投資であり、また中国やブラジル、インドなど新興諸国への投資と、新興国経済の急成長である。その背景には、米国の慢性的な経常収支赤字と、先進各国の金融緩和政策によって生み出された巨額の余剰資金、すなわち過剰流動性が挙げられる。
 新型コロナウイルスの感染拡大は、こうしたグローバル経済の連結構造を一気に分断し、世界経済を危機に陥れた。国家レベルの危機回避策として、国や都市の封鎖を実施し、人々の国内外の移動を制限したが、それによって生産・消費活動は停止し、国際物流網は寸断された。年内の危機収束を前提としたIMF(国際通貨基金)の推計でも、経済成長率は、米国がマイナス5・9%、欧州ユーロ圏がマイナス7・5%、日本がマイナス5・2%となっている。今年の世界経済は戦後最大の危機に直面しているといえよう。
 米国、日本、EU(欧州連合)からなる先進国経済はこれまで、異常なまでの金融緩和策で景気を演出してきたが、バブル経済の崩壊と危機の発生が、経済の内的要因ではなく、感染症のパンデミックによってもたらされるとは、誰が予想しただろうか。
 金融危機ではなく、新型コロナ危機が近年の野放図なグローバリゼーションのリスクを広く知らしめたのである。

格差社会を是正し、万人に“健康的な生活”の保障を
 では、新型コロナ危機後の世界経済は、どうあるべきであろうか。 
 第1に、グローバル化の負の産物である格差社会の是正と、万人に「人間らしい生活」を保障する経済体制の構想が求められよう。
 フランスの経済学者トマ・ピケティが示唆するように、グローバルな供給連鎖と金融中心のグローバリゼーションは国内・国際を問わず、所得・資産格差を拡大してきた。経済格差の大きい米国では、新型コロナウイルス感染による死者と被害者は、十分な医療サービスを受けられない貧困層、マイノリティー(少数派)に偏っているという。経済格差と感染症の被害に密接な相関があると思われる。
 つまり、経済格差が大きいほど、その社会は感染症の危機に脆弱だということ。医療サービスの享受をはじめ、健康的な、人間らしい生活を最低限保障することが再び注目されるべきであろう。ここでは、人々の意識変化、国家と地方自治の役割の見直し、そして危機管理能力が問われることになる。
 第2に、分断されたグローバル経済を再生・再構築すると同時に、足元の各国経済、地域経済の再構成が必要だ。新型コロナ危機は、グローバルな供給連鎖と、世界市場への過度な依存によるリスク、不確実性を明らかにしたからである。
 例えば、国外で、どこか一つの工場が閉鎖されれば、ある商品の生産活動がストップしてしまうのである。これまでのように、収益性と効率性を追求するだけではなく、リスク管理の強化が必須となる。供給連鎖を構成する契約先を複数・多様化させると同時に、生産活動の簡素化あるいは国内回帰も見直されるべきだ。国・地域内の循環経済も再構築される必要がある
 第3に、人々と世界を結び付けるインフラ整備として、ICT(情報通信技術)ネットワークと、リアルな社会・経済との融合が挙げられる。目に見えないウイルスは、人々の心を恐怖と不安で覆い、人や社会、経済の連帯を破壊した。一方で、世界中の人々が同じ危機に直面し、自分自身と世界とのつながりを認識した結果、相互連結のネットワークの修復と再構築へ動き出している。この関係性の構築と修復に欠かせないインフラがICTである。 
 ICTはAI(人工知能)と結び付くと、国家による監視強化とプライバシーの侵害をもたらしうるが、国境を越えて人々を結ぶツールとして、計り知れない潜在力を有している。新型コロナ危機の後、リモートワーク、リモートラーニングは広く普及し、対面会議よりもリアルタイムのオンラインコミュニケーションが主流になる可能性すらある。

富への際限なき欲望を抑制・転換する動きも

 最後に、私たち自身の意識変革と行動変化について記したい。 
 グローバリゼーションの拡大を支えた原動力は、中国に代表される新興国の人々の豊かさへの渇望と、国境を越えて肥大化する富への際限なき欲望である。人間の豊かさへの渇望と欲望の肥大化を止めることは難しいが、これらを抑制・転換する新しい変化はすでに見られる。 
 例えば、環境問題への対策を含む国連「持続可能な開発目標(SDGs)」の達成を目指す「2030アジェンダ」は、普遍的な共通目標として人々に共有されつつある。その中には、感染症対策と、全ての人に保健医療サービスの提供を目指す「ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ」の達成が含まれている。同時に、目標達成のための国際パートナーシップの構築も掲げられている。 
 世界的な投資市場においても、環境・社会・企業統治への配慮を掲げる「ESG投資」が主流化しつつある。
 一方で、新型コロナ危機をきっかけに、世界の貧困率は上昇し、SDGsの「目標達成は一層困難になっている」(グテーレス国連事務総長)との見通しもある。その意味で、今まさに正念場であり、達成に向けた意識と取り組みが世界的に強化されなければならない。 
 持続可能性と、あらゆる人間の生を保障する人間主義に導かれる「制御可能なグローバルエコノミー」の構築を期待したい。

〈プロフィル〉
 たかぎ・いさお 1956年生まれ。創価大学大学院博士課程単位取得満期退学。専門は、世界経済論、開発経済学、アジア経済論。シンガポール東南アジア研究センター客員研究員、フィリピンのデ・ラ・サール大学ユーチェンコ・センター客員研究員などを歴任。現在、「ウェルビーイング(よき生)」「人間主義経済学」の研究に取り組む。

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【特集記事・信仰体験など】

◆〈勇気の旗高く〉=完  池田先生が福井の友に贈る指針  郷土のルネサンスを

福井文化会館から自然豊かな町並みを望む(1990年10月、池田先生撮影)。先生は90年の福井訪問の折、和歌を詠み贈った。「晴れわたる また 晴れわたる 常勝の 福井の諸天は 踊り舞いたり」
福井文化会館から自然豊かな町並みを望む(1990年10月、池田先生撮影)。先生は90年の福井訪問の折、和歌を詠み贈った。「晴れわたる また 晴れわたる 常勝の 福井の諸天は 踊り舞いたり」


不死鳥の如く

 <池田先生が初めて福井を訪れたのは、1959年(昭和34年)3月24日。御書の「一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外ほかの遊楽なきなり」(1143ページ)を拝し、県内各地から集った1700人の友に、「この信心をたもった私たちは、世界最高の幸福者である」と力強く訴えた。その背景には、“幾度となく災害に見舞われてきた福井の同志を励ましたい”との思いがあった。
 先生が最初に、「郷土のルネサンスを」と呼び掛けたのも、福井だった。73年(同48年)6月5日に行われた県幹部会での講演である。多くの同志が誓いを新たにしたこの日は、後に「福井の日」に制定された>

 ここ福井県は自然条件の厳しい土地柄であります。だが、歴史を振り返ってみると、古代においてはまことに誇りと気概に満ちた国土でありました。三世紀末から六世紀にかけての古墳こふん時代をみても、福井県下の古墳は約三千基にのぼると推定されております。
 古墳は、当時の豪族の権力と財力の象徴であり、それはとりもなおさず、本格的な農業生産の大きさを示していた。ということは、古墳三千基は、そのまま福井地方の大繁栄ぶりを物語っていたといってよいでありましょう。

 (私は)古代からの誇りと気概と実力は、脈々として現代にも底流をなしていて、条件さえ整えば、立派にそれが開花すると考えている一人であります。
 その証拠に、福井は豪雨、豪雪、地震による大災害多発地帯であるにもかかわらず、そのたびごとに立派に立ち上がり、不撓不屈ふとうふくつの精神を如実に発揮してきたではありませんか。

 現在の立派な福井市を建設し“不死鳥・福井”と賛嘆されたことは天下周知の事実であります。

 福井の皆さん方は“福井のルネサンス(文芸復興)を私どもの時代で必ず成し遂げる”また“子孫のために福井のルネサンスの土壌だけは開拓してみせる”ということを合言葉にして進んでいっていただきたいのであります。

我らは勝ちたり

 <福井は、第1次宗門事件の嵐が最も激しかった地域の一つ。苦難の中で、友は先生との絆をさらに強め、忍耐強く広布の陣列を広げてきた。
 90年(平成2年)10月22日、池田先生は9年ぶりに福井を訪問。石川、富山の同志も参加した日本海3県合同総会の席上、「皆さまは見事に勝ちました!」とたたえた。先生は、2000年の随筆でこうつづっている>

 震災、水害、豪雪……戦後になってからも、幾度となく天災に遭いながら、たくましく復興してきた福井である。
 そのなかで、同志も、また、信頼の根を張り、深雪を踏み分けるように、創価の大道を広げてきたのである。

 しかし、にわかに、冷酷無残な悪侶の狂きょう刃じんが、わが学会の純真な仏子に襲いかかり、苦悩と悲嘆と混乱に陥れたのだ。
 福井の寺で、激しい学会攻撃が始まったのは、七六年(昭和五十一年)の半なかばごろであり、「法師の皮を著きたる畜生」(御書1386ページ)の卑劣な策動の狼煙のろしであった。

 福井の同志は、来る日も来る日も、暗黒の嵐を耐えに耐え、必死に、創価の正義軍の陣列を守り抜いていた。

 私は、福井の友がかわいそうでならなかった。その苦衷くちゅうを思うと、胸が苦しかった。
 ある日、私は、福井に電話を入れた。七九年(昭和五十四年)の九月――名誉会長になって間もない、私自身も自由に動けぬ時代であった。
 「福井の皆さんも、悔しいだろう。しかし、こんなことが、いつまでも続くわけがない。大聖人が必ず裁いてくださる。それまで、福井の皆さんも、耐え抜いてください」
 「仏法は勝負だ。正義は必ず勝つ! 十年後には、はっきりするよ!」
 そして、福井訪問を約束して電話を切ったのである。
 福井は、遂に、遂に、「師子王の心」で奮い立った。
 この二年後、武生たけふ文化会館でお目にかかった皆さま方の、あの雄々しき大英雄の姿は忘れられない。

 そして、激戦の十年が過ぎた九〇年(平成二年)――私は、勝利の太陽に包まれた福井文化会館を訪問したのである。
 福井の同志の、あの晴れやかな顔、顔、顔。一緒に参加した石川、富山の友も、心の底から歓喜していた。
 我らは勝ちたり! 堂々たる福井の凱旋がいせんの大会は、日本一、世界一であった。

“新思考”の時代

 <池田先生は、この90年の3県合同総会の席上、幸・不幸を決めるのは自身の「心」であると強調。その心を鍛えるのが、日々の信仰の実践であると語った>

 若狭わかさ湾など、美しい自然の景観に恵まれたふるさと――。私も、この福井が、そして石川、富山の地が、大好きである。私は東京生まれで、太平洋側は比較的よく知っているが、できれば将来は、この日本海側の地で、時間をかけて、人生と広布への語らいを、皆さまと行いたい。
 また福井では、これまで発展のマイナス要因とされてきた「雪」を、逆にプラス要因として活用できるよう、工夫されているとうかがった。「活かっ雪せつ」、つまり雪を活いかすという、逆転の発想である。
 例えば、冬に雪にちなんだ行事を催す。また、村おこしに役立てたり、雪を利用する新しいタイプの公園を整備したり――まことに、素晴らしいアイデアと思う。

 ものごとは価値的にとらえたほうが得である。そして、新しい発展のためには、古い“常識”にとらわれない柔軟な発想と知恵が必要となる。いわゆる“新思考”の時代なのである。

 他人と比べたり、見栄を張ったり、そんなことで、いつも心が焦りと不満で揺れている――それでは、どんなに他の人から幸福そうに見えたとしても、何の意味もない。むしろ不幸である。人生は他の人に見せるためにあるのではない。自分自身の人生であり、自分自身が満足できるかどうかが根本である。

 勇者は、どんな環境でも平静でいられる。憶病な人は常に心が不安である。知恵ある人は、障害をも自分の味方にしてみせる。知恵なき人は幸運をも、つまずきの原因にする。強者にとっては、運命と戦うことすら喜びであり、弱者にとっては、人生そのものが重荷であろう。全部、自分で決まる。自分の「一念」で一切が百八十度、違う顔を見せてくる。
 幸・不幸を決定する、この「心」に、限りない「強さ」と「知恵」をわき出させていくもの――これが妙法の信仰であり、私どもの日々の実践なのである。

 <苦難の中、真っすぐに師弟の道を歩んできた福井の友。池田先生は「勇者の福井」の前進に期待を寄せる>

 粘り強い挑戦と持続、そして決してあきらめない負けじ魂――これこそ偉大な歴史をつくる力である。
 いかなる困難な環境さえも、自身の栄光の舞台に変えていけるのが、仏法であり、妙法である。
 今、人間世紀を拓ひらく「勇者の福井」に、希望の太陽は赫かっ々かくと昇った。
 「常勝関西」の一翼を担い、いよいよ「世界の福井」の本領を発揮する、歓びの春が来た!
 私には聞こえる! 朗らかな福井の同志の敢闘かんとうに、あの地、この地から、潮うしおのごとく沸き上がる、行進と喝采かっさいの響きが!


◆〈文化〉コロナ関連死を防ぐ 災害ケースマネジメントの取り組み 津久井進2020年7月29日
感染拡大が間接的に影響
社会の変化に対応し支援策を
オンライン会議で意見交換も

第1波対策は成功か
 新型コロナウイルスの第2波、第3波への警戒が強まるなか、私は「コロナ関連死」への危惧感を抱いている。そもそもわが国の第1波対策は本当に「成功」だったのか。
 他国では「超過死亡(平年の死者数を基にした予想数より多い死者数)」が問題になっている。新型コロナウイルスの感染が死因であると確認されている死者数を考慮してもなお死者数が平年よりも突出して多くなっている地域もある。パンデミック(世界的大流行)による医療体制の崩壊等で本来の治療が受けられず亡くなった人も多いと思われる。
 日本はどうか。それを推し量るデータさえ乏しいのが現実で、実態も明らかにできていない。
 しかし、緊急事態宣言下、見過ごせない出来事があった。福島県南相馬市の復興住宅で、定期的な見守り訪問を自粛している間に、1人暮らしだった60代の男性が孤独死する事件が起きた。東京都では、経営の先行きを悲観視した老舗とんかつ店の店主が焼死する事件も起きている。
 「ウイルス」による死亡ではなく、感染拡大の影響による「社会変化」が原因で死亡する事例は、「コロナ関連死」というべき事態だ。
 直ちに想起するのは災害関連死である。福島原発事故(2011年)では、爆発事故による直接死はなく、その後の過酷な避難生活のなか無念の死を迎えた関連死の人数が2300人を超えている。熊本地震(16年)では、震度7の激震で亡くなった直接死の人数は50人だが、その後、続いた余震と避難生活のなかで関連死した人数は220人に上る。
 災害関連死は、社会システムを改善することで防ぐことができる。ただ、その対策はいまだ途上にある。そこにコロナ禍という新たな災害が複合し、事態はより深刻化している。

新型コロナウイルスの感染拡大の中、診察に訪れる人々であふれる病院(2020年6月、米マイアミ、EPA時事)

個々の死に異なる原因
 災害関連死を防ぐにはどうすればよいのか。数々の災害の教訓から浮き彫りになったのは、「一人一人の死の原因が異なる」ことだ。体力衰退や精神的ストレスの亢進、不衛生による疾病、自死、孤独死等。それぞれが直面していた課題が異なる。ワンイッシュー(一つの政策課題)の対策で防げるものではない。一人一人の状況に応じたきめ細やかな対応が必要だ。そこで生み出された手法が「災害ケースマネジメント」である。
 これを初めて条例化した鳥取県では、屋根修理を放置している被災者宅に支援員が訪問し、生活状況を詳しく聴き取り、ある世帯は経済困窮、ある世帯は家族の疾病、ある世帯は地域社会からの孤立、といった根本的原因を突き止め、行政や民間団体、専門家が一体となって、課題解決する取り組みを続けている。
 災害ケースマネジメントのポイントは、①一人一人に寄り添い、②アウトリーチして課題を調査・評価し、③ケース会議等の場でさまざまな支援策を組み合わせた個別の支援計画を立て、④多様なセクターが連携して支援を実行すること、にある(拙著『災害ケースマネジメント◎ガイドブック』)。
 この手法で、経済困窮や健康障害、精神疾患、地域孤立等の問題に迫ることで、災害関連死を防ぐのが最も効果的かつ合理的と日弁連も推奨しており、被災地支援の現場で急速に広がりつつある。

新しい触れ合い方の創出
 問題はコロナ禍における災害ケースマネジメントの適用だ。感染症の流行による被害はゆっくりと社会を蝕んでいる。景気後退や失業が続くと自殺率が高まることは知られている。また、コミュニティーの破壊は孤独死の温床となる。全国的に病院の受診率が激減したが、高齢者等の健康に不安が強まっている。確実に「コロナ関連死」の危険が迫っている。
 災害ケースマネジメントはその防止対策の切り札になる。ただし自宅訪問などのアウトリーチは制限され、ケース会議等も開催できない。何より現場での支援が限られている。
 しかし、私は「新しいコミュニティーの様式」によってこれらの課題は打破できると考えている。第一はアウトリーチの方法の多様化だ。足しげく訪問する労の多くをオンライン等で代替する。第二に個人情報の利活用。個人情報の「保護」ばかりに目が行きがちだが、法令は「個人の権利利益の保護」のために個人情報の利用推進を定めている。今がその場面だ。
 第三にオンライン会議を利用すれば、縦割りになりがちな行政・支援者・専門家を横糸でつなぐ意見交換の場が開きやすくなる。第四にコロナ禍で次々にできた支援策を活用すればいい。「福祉」「災害支援」の2枚のカードにさらに1枚カードが加わったと考えればいい。
 第五に新しい触れ合い方の創出だ。大阪では外出できない高齢者に学生が手紙を出してつながり合うボランティア活動が始まった。必要に迫られてタブレットを使うようになった世帯もある。コミュニティーの手段の多様化はチャンスでもある。
 災害ケースマネジメントは一人一人のニーズに応じて自由に変化する支援策である。社会の激変に対応する柔軟なカスタマイズで、新たな脅威「コロナ関連死」に立ち向かおう。
 (日弁連災害復興支援委員会委員長・弁護士)

 つくい・すすむ 1969年、名古屋市生まれ。弁護士。日本災害復興学会理事、近畿災害対策まちづくり支援機構事務局次長等を兼務。著書に『大災害と法』『Q&A被災者生活再建支援法』『災害ケースマネジメント◎ガイドブック』などがある。


◆〈信仰体験〉いま想う 戦後75年  沖縄戦を生き抜いて

 【東京都武蔵村山市】太平洋戦争における沖縄戦。大城清せい泉せんさん(84)=副本部長(本陣長<ブロック長>兼任)=は生まれ育った本島南部で、祖母、伯母おば、いとこ、妹の4人の肉親を失った。住んでいたのは、ガジュマルの木に囲まれた大きな屋敷。「豚とヤギ、鶏にわとりとアヒルを飼ってにぎやかだった。ハイビスカスが咲き乱れてチョウが舞い、夏はセミの大合唱がうるさいくらい」。そんな愛してやまなかった古里の暮らしを、戦争が奪っていった――。

 戦争の足音が聞こえてきたのは、1944年(昭和19年)、那覇をはじめ各地への「10・10空襲」からだ。島尻しまじり(本島南部)の大里村にある実家の一室も、軍人の宿舎に提供された。
 「小学校は軍に接収され、3年生の自分たちも、高射砲陣地を作るのに駆り出された。わが家にとどまる小隊長とお付きの兵士の物腰は丁寧で、“この人たちが僕らを守ってくれるんだ”と頼もしく思っていた」
 翌45年4月、米軍が本島中部に上陸したが、まだ村は静かだった。
 「昼間は防空壕に潜み、夜は家に帰って寝る。だが、5月の末頃から銃声が聞こえてきた。“殺気”が、ザーと波のように、迫ってくるのを感じるんだ」
 6月、村を出て南へと逃げた。
 「避難民が密集してくるところに、海、空、地から無数の弾が打ち込まれる。山肌ははげ、梅雨時の道には遺体があふれた。火薬の臭い、血の臭い、肉が腐る臭い。そこに“戦場の掃除屋”のハエが群がり、卵を産む。日本兵の肩から白いウジがもくもくと湧いていたよ」
 ある日、砲弾を避けて物陰に入ると、直後に日本兵数人がやって来て、「ここは軍隊が使う」といって追い出された。また、自分たちの前を行く一家の主が、日本兵とすれ違いざまに殴られ、「軍隊の荷を担げ」と、妻と2人の娘を残したまま引き立てられていくのを見た。
 「軍人なんか一兵でも沖縄に来なければよかったのにと痛感した。彼らがいなければ、沖縄はみじんに砕かれなくて済んだのにと」
 一緒に避難したのは祖母、伯母とまだ赤ん坊のいとこ、妹、そして大城さんの5人。森の茂みの中でじっとして、6月18日の朝を迎えた。
 「カカーンと突き上げるような衝撃で気が付いた。艦砲の弾が直撃したんだ。僕の隣に居た祖母は頭を砕かれた。僕は破片で右あごを削られ、妹は腹に破片が入った」
 祖母の遺体を振り返ることもできず、そこを離れた。夕刻、また移動しようと妹の体を揺すった。「反応がなくてね。(体は)温かくて柔らかいのに。伯母が『もうやられてるさ。行こう』と言った」
 暗い森を行くと、大城さんの足に何かが触れた。「危ない!と伏せた瞬間、『ぎゃああ』という伯母の悲鳴が上がった。アメリカの手りゅう弾に当たり、赤子を背負ったまま、吹き飛ばされた。それから夜通し、手りゅう弾が飛んできた。耳をふさいでうずくまっていたよ」
 翌朝、目の前に黒人の米兵が銃を構えて立っていた。トラックで本島中部の民間人収容所へ。組織的戦闘が終結する4日前。大城さんは一人になった。

 さらに山原やんばる(本島北部)の収容所へ移送される。半年ほど過ごすと、叔父おじが迎えに来てくれた。その後は親戚の家を転々。そんな中、母が満州(現・中国東北部)から戻ってきた。「僕が小学1年の時に、役場の職員をしていた親父が、お袋と満州に行った。びっくりした。何にも言わず、朝起きたらいないんだから」
 母の頭は丸刈りになっていた。父の姿はない。ソ連によって、シベリアへ連行・抑留されたという。
 「お袋はソ連兵に襲われないよう、女であることを隠したんだ。親父は昭和24年に帰ってきた。凍傷で足の指がなくなっていた」
 一家は再び家畜を飼い、田畑を耕すように。だが大城さんに以前の明るさが戻ることはなかった。“父母に捨てられた”とのわだかまり。親族や級友の数多くの死。自身の顔にも傷が残った。「親を失った連中の中には“愚連隊”みたいに悪さばかりするやつもいた。生き残っても、みんな心がズタズタだった」
 限られた時間で勉学に励み、公費留学制度で九州の大学に進学。卒業後は、沖縄の会社に就職し、東京へ赴任した。「当時は本土へ行くにもパスポートが必要でした。何をやっても楽しくなかったね。軍人とか国家悪を憎んで生きていた」
 そんな大城さんを見て、声を掛ける人がいた。会社のビルに出入りしていた保険外交員の女性だ。
 「『あなたは自分の人間を革命しなくてはダメですよ』と言われて。“社会の革命じゃなくて人間の革命か”と。試しに、お題目をあげてみた。そうしたら、グワーっと湧き上がってくる生命力を感じた。“すごい宗教だ”と思った」
 1960年に入会。男子部の活動に励む中で、池田先生との出会いを刻んだ。「記念撮影をしてくださいました。先生は“私に力があるとしたら、全て御本尊様から頂いた力だよ。苦しいことも全て、御本尊様に祈っていきなさい”と。先生の境涯に、包み込まれた感じがした。憎むことしか知らなかった自分だが、この人を師匠として生き抜いていこう。そう思った」

 60年代には、集団就職等で沖縄から多くの若者が本土にやって来た。妻・房子ふさこさん(81)=支部副婦人部長=もその一人。結婚後、房子さんから「沖縄に帰る気はないの?」と水を向けられたことがある。
 大城さんは「池田先生のいる場所で、平和のために頑張らせてもらうよ」と応じた。
 沖縄が日本に返還された72年、夫婦で沖縄に一時帰省した。父はすでに亡くなり、母は那覇で精肉店を切り盛りしていた。
 「十数年ぶりの再会だったが、母には“産んでくれてありがとう”という思いを込めて接した。仏法対話をして、母は入会することもできた」
 戸田先生の「青年訓」の一節が自身の胸に刻まれていた。
 <青年は、親をも愛さぬような者も多いのに、どうして他人を愛せようか。その無慈悲の自分を乗り越えて、仏の慈悲の境地を会得する、人間革命の戦いである>
 他人を愛するという意味においては、地域のつながりも大切にした。住まいである村山団地は、都内有数の大規模集合住宅。自治会長、事務局長、会計を歴任。老人会の立ち上げにも尽力し、長く地域に貢献した。「結婚してこちらに来た72年は、学会では『地域の年』だった。池田先生は『平和といっても、それを支えるものは地域である』と言われているから」
 惜しまれながら、役を後進に譲ったのは、自身が緑内障を患ったからだ。その後、脳梗塞も経験したが、治療も奏功し、後遺症はない。84歳の今、日課としているのは午前4時に起きて学会の書籍を読むことと、学会の内外を問わず、友に手紙を書き送ることだ。
 「広布のために頑張れる。これ以上の幸せはないと思います。反対に戦争は、冷酷、冷血、野蛮、悲惨。劣悪な犯罪です。生命尊厳の思想を人々に伝えていくことが、戦争を防ぎ、平和を築くことになると思います」
 そしてまた、朝な夕な、戦争で亡くなった親族、友人、全ての人に、追善回向の祈りをささげている。

2020年7月28日 (火)

2020年7月28日(火)の聖教

2020年7月28日(火)の聖教

◆わが友に贈る

 活路を開く智慧と希望は
 全て御書の中にあり!
 一節でも一行でもいい。
 「今の私への御手紙だ」と
 捉えて拝していこう!


◆名字の言 「誰かのために」が力になる  2020年7月28日

 高校野球の独自大会が各地で開催されている。選手や関係者の皆さんの健康と無事故を祈りたい。かつて地方大会の優勝校の主将に勝因を聞いた時だ。主将いわく、試合に出られない人の分まで頑張ろうと皆で誓い合った結果です、と。選手たちから、大事な生き方を教えられることが度々あった▼17年前、「嗅神経芽細胞腫」という鼻の奥のがんを患い、懸命の治療も効果なく、悶々としていた壮年がいた。ある時、支部の集いで体験発表してほしいと頼まれた。病気が治ったわけでもないのに自分に何が語れるのか。迷ったが、引き受けた▼引き受けたからには、参加してくれる人のために信心の実証を示したいと、会合までの3週間、死にもの狂いで祈った。検査の結果、医師が驚くほど、がんは小さくなり、体験発表では生き生きとした壮年の姿があった。62歳の今も壮年は、広布と社会の第一線で奮闘する▼自分のためだけでは力が出なくとも、誰かのためと思えば力が湧き上がる。池田先生は語る。「人に『生きる力』を与えるものは何か。それは、自分以外の誰かのために生きようという『人間の絆』ではないだろうか」と▼無私の心で祈ってくれる同志がいる。弟子の勝利を祈り待つ師匠がいる。この学会家族の絆を誇らしく思う。(進)


◆寸鉄

「法華経を信ずるを水の
行者とは云うなり」御書。
地道な実践が勝利の直道
     ◇
未来部がドリームチャレ
ンジ期間。勉強第一、健康
第一で大きく伸びゆけ!
     ◇
世の荒波にもまれてこそ
優れた人に成長できる―
恩師。青年は激戦に挑め
     ◇
SNSで画像転載は著作
物の権利侵害加担の恐れ
安易な投稿は厳重に注意
     ◇
今夏のゲリラ豪雨発生、
昨年比1・4倍に―予測
常に最新情報確認し警戒


【先生のメッセージ】

◆〈心に御書を〉63 絶対的幸福の直道を2020年7月28日

〈御文〉
 妙法と唱へ蓮華と読まん時は我が一念を指して妙法蓮華経と名くるぞと深く信心を発すべきなり(一生成仏抄、383ページ)
〈通解〉
 妙法と唱え、蓮華と読誦するときは、わが一念をさして妙法蓮華経と名付けるのであると深く信心を起こすべきである。

〈池田先生が贈る指針〉
 最も基本の勤行・唱題が、どれほど深遠な仏道修行であるか。
 「我が一念」こそ妙法の当体なりと覚知し、金剛不壊の仏の大生命力が涌現しゆく儀式なのだ。
 どんな悩みも打ち破れぬわけがない。広大無辺の功徳力を引き出せる。
 「歓喜の中の大歓喜」の題目で、自他共に「一生成仏」という絶対的幸福の直道を!


【教学】

◆〈日蓮大聖人の慈愛の眼差し〉 北条弥源太 「師弟」は試練を越えゆく力
 幕府と深い関わりがあったとされる鎌倉の門下 大聖人の励ましを受け苦難から立ち上がる​​

日蓮大聖人の広布の主戦場となった鎌倉。名越方面から由比ケ浜を望む(神奈川・鎌倉市で)

日蓮大聖人の広布の主戦場となった鎌倉。名越方面から由比ケ浜を望む(神奈川・鎌倉市で)

 かつて池田先生は自身の師弟の闘争を振り返り、つづった。
 「師弟こそ、最も美しき人間ドラマである。峻厳なる魂の交流である」「どんな苦境も、戸田先生と一緒なら、楽しかった。負けるはずがないと自信満々であった」と。 

 人生は試練の連続である。思いがけない苦難が立ちはだかり、心が折れそうになったり、悲しみに暮れたりすることもあろう。そうした苦悩の闇に沈んだ心を照らす、太陽のごとき存在こそ「師匠」である。 
 日蓮大聖人の御在世当時、自身の大病や同志の死に直面しながらも、大聖人の励ましを胸に立ち上がり、師匠を求め抜いた門下がいた。北条弥源太である。
 
「十一通御書」の一つを頂く
 北条弥源太の名前が、御書に初めて登場するのは、文永5年(1268年)10月に大聖人が送られた「北条弥源太への御状」である。
 これは「十一通御書」の一つとしても知られる。十一通御書とは、「立正安国論」で予言された「他国侵逼難」が、蒙古(モンゴル帝国)からの国書の到来で的中したことを受けて、執権・北条時宗をはじめとする幕府の要人や各宗の高僧に、正法に帰依するよう警告されるとともに、諸宗との公場対決を求められた、11通の書状を指す。
 その中に「殊に貴殿は相模の守殿(=北条時宗)の同姓なり」(御書172ページ)とあることから、北条氏の一族で、鎌倉在住の武士と考えられてきた。しかし、北条氏の姓は「平」であり、弥源太の「源太」は「源」氏(うじ)の人物であることを示す通称のため、他姓で養子となったか、あるいは他姓の人物の猶子(ゆうし)(仮に結ぶ親子関係の子)となった人物とも推測される。

 この重要な書状を送られたことから、弥源太の地位は相応に高く、幕府中枢と深い関わりがあったと考えられる。また「北条弥源太への御状」には、弥源太が大聖人の元を訪れていることが記されており、この頃、すでに大聖人と何らかの関係があったと思われる。 
 時は過ぎ、弘安元年(1278年)8月ごろ、弥源太は身延の大聖人の元を訪れ、下山の後に書状を送っている。その書状では、北条時宗らの帰依を受けて権勢を誇っていた禅僧の道隆の死去などを知らせている。
 
信心奮い起こし重い病を克服
 そんな弥源太にも試練の時があった。生死に関わるような症状と考えられる重い病を患ったのである<従来、文永11年(1274年)2月ごろと考えられてきたが、現在、再考されている>。弥源太は、大聖人に平癒の祈念を依頼し、その際、太刀と刀を合わせて二振りをお届けしている。 
 この刀は、大聖人が「弥源太殿御返事」で「相当な刀鍛冶が作ったのではないか」(同1226ページ、通解)と仰せのように、弥源太が大切にしてきたものだと思われる。大聖人は、この刀を御宝前にお供えし、弥源太の無事を祈念された。 
 大聖人は御返事の中で、諸宗の謗法による亡国の危機を「一日、片時もたゆむことなく叫び続けてきたゆえに」(同ページ、通解)、また法華経の行者であるがゆえに、御自身に三類の強敵が競い起こって、種々の大難に遭っていると教えられる。 
 さらに、このような自身の弟子に弥源太がなったのは不思議である。きっと特別な理由があるだろうと述べられている。
 
 鎌倉で幕府の要人を諫暁された大聖人の雄姿に接してきた弥源太にとって、胸に迫る一節だっただろう。
 また、届けられた名刀に関して大聖人は、「殿の御もちの時は悪の刀・今仏前へまいりぬれば善の刀なるべし」(同1227ページ)と仰せになっている。 
 刀は武士が戦闘で使えば、悪道へと引き込む「悪の刀」であるが、仏に供養したことで、弥源太を死後、悪道へ堕ちないように支える「善の刀」になったと励まされている。加えて、弥源太の病状を心配されて、次のように認められた。  
 「亡くなった後には、この刀を杖と頼みなさい。法華経は三世の諸仏の発心の杖である。日蓮を杖とも柱とも頼みなさい」「日蓮が先に霊山へ旅立つならば、あなたをお迎えに行くこともあるでしょう。また、あなたが先に亡くなったならば、日蓮は必ず閻魔法王にも詳しく申し上げよう」(同ページ、通解) 
  “師匠の真心は、これほどまでに深いのか”――弥源太は胸を打たれ、いやまして信心を奮い起こしたことだろう。 

亡き友の分まで広布に生き抜く
 病に苦しんだ弥源太だが、同じ年の9月までに治すことができた。大聖人に病気が平癒した旨を報告している。
 しかし、弥源太は、自身の回復を素直に喜べなかったようだ。それは、近しい間柄にあった河野辺入道が亡くなったからである。河野辺入道は、鎌倉の中心門下の一人と推測される。一説には、竜の口の法難の際に捕らえられて牢に入った日朗ら門下5人のうちの一人であると考えられる。
 大聖人は弥源太にお手紙を送られ、「河野辺入道がすでに先立たれた今は、あなたをその形見と拝していくことにします」(同1228ページ、趣意)と仰せになった。 
 “病気を勝ち越えた今、共戦の同志に代わって、あなたが広宣流布に生き抜きなさい”とのご指導と拝される。慈愛こもる激励に、悲しみに沈んでいた弥源太は、師のため、友のためにと奮起したことだろう。 
 さらに大聖人は、病気を引き合いに、重要な法門を教えられる。すなわち、人々は皆「私は法華経を読んだ」と言っているが、空海(弘法)・円仁(慈覚)・円珍(智証)の三大師を根源として、法華経が真言の教えよりも劣るとする誤った読み方(=病)が、弟子たちに伝えられ、日本中に蔓延していると仰せになる。

 たとえ、弟子が信仰に励んでも、教えの浅深・正邪を弁えず、誤った師の教えを受け継いでしまえば、時代や社会を超えて、かえって人々を不幸に導いてしまう――仏法の根幹である師弟の重要性について戒めるに当たり、弥源太が苦しんだであろう病気を引き合いにされたところに、大聖人の深い慈愛を拝することができる。
 
 お手紙は「さらにお便りを頂きたい」(同1229ページ、通解)と結ばれており、久方振りに届いた弥源太からの報告を大聖人がいかに喜ばれたか、その温かい心の交流がうかがえる。 
 池田先生は「どんなに有名になっても、成功しても、師匠のいない人生は淋しい。人間としての本当の勝利はない。人生の最大の幸福は、生涯の師を持つことです」とつづっている。 
 大病や同志の他界という苦難にも、師の励ましを胸に立ち向かった弥源太にとって、相当な地位や財力も、儚いものであったに違いない。
 混乱した世相にあって、自身の進路を示してくれる師を持つことがいかに幸せか。師弟の絆ほど、美しく強いものはない。
 大聖人と北条弥源太の交流のドラマは、師弟の道こそ、いかなる試練をも越えゆく力であることを、後世の私たちに教えてくれる。

◆〈ロータスラウンジ――法華経への旅〉  第16回 見宝塔品第十一〈下〉
御本尊を拝することで
「いま・ここ」で虚空会の儀式に連なれる

■三箇の勅宣

 日蓮大聖人は、「開目抄」の中で、「見宝塔品」の経文に照らし、御自身が「末法の法華経の行者」であることを証明されました。
 そこで挙げられているのが「三箇の勅宣」です。これは、法華経の会座に列席している菩薩たちに、釈尊が滅後の弘通を3回にわたって勧めている箇所になります。
 まず第1の勅宣は、「付属有う在ざい(付属して在ること有らしめん)」(法華経386ページ)です。
 滅後の娑婆世界で法華経を弘める者に「付属」することを宣言し、弘通の誓いの言葉を述べるように呼び掛けたことです。付属とは、教えを弘めるように託すことです。
 第2の勅宣は、十方の諸仏が集まって虚空会の儀式が行われたのは、「令法久住(法をして久しく住せしめん」(同387ページ)のためであることを示し、弘通の誓いを述べるように呼び掛けたことです。
 第3の勅宣は「六難九易」を説き(同390ページ以下)、滅後の弘通が難事中の難事であることを示して、大願を起こして滅後弘通の誓いの言葉を述べるように、菩薩たちに命じたことです。
 大聖人は立宗に当たり、「六難九易」の経文に照らして、「今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願じぬ」(御書200ページ)と誓願を立てられました。あえて滅後の弘通が困難であることが説かれているのは、不退の決意でそれらを乗り越えていく生き方を呼び掛けられているからにほかなりません。

■六難九易

 「見宝塔品」に描かれている「六難九易」とは、具体的にどのようなことなのでしょう。
 まず九つの易しいことです。
 ①法華経以外の諸もろ々もろの経典を説くこと。
 ②須弥山をとって他方の無数の仏土に投げ置くこと。
 ③足の指でこの三千大千世界を動かし、遠く他国に投げること。
 ④この世界の頂点である有頂天に立って、法華経以外の無量の経典を説くこと。
 ⑤手で虚空をつかんで自在に動くこと。
 ⑥大地を足の甲に置いて天に昇ること。
 ⑦乾いた草を背負って大火に入っても焼けないこと。
 ⑧無数の法門を説いて人々に神通力を得させること。
 ⑨多くの人々に小乗の最高の覚りである阿羅漢の位を得させること。
 易しいこととして挙げられていますが、とても実現できないようなことばかりです。
 では、もっと困難な六つのこととは、どんなことでしょう。

 ①仏の滅後に、悪世で法華経を説くこと。
 ②仏の滅後に、法華経を書き、あるいは人にも書かせること。
 ③仏の滅後に、悪世で、しばらくの間でも法華経を読むこと。
 ④仏の滅後に、一人のためにでも法華経を説くこと。
 ⑤仏の滅後に、法華経を聞き、その意味を問うこと。
 ⑥仏の滅後に、能よく法華経を受持すること。
 つまり、釈尊滅後の悪世に、法華経を自行化他にわたって修行することは、極めて難しいというのです。
 伝教大師は『法華秀句』で、「六難九易」の意義について「浅きは易やすく深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり」と述べています。
 丈夫の心とは仏の心のことです。つまり、釈尊が六難九易を説いて滅後弘通を勧めたのは、“浅い教えを去って、深い教えである法華経を弘めよ”という意味なのです。

■法華経を持つ男女

 日蓮大聖人は、宝塔の意義について、次のように認められています。
 「末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり」(御書1304ページ)
 「今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此の五大は題目の五字なり、然しかれば阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房・此れより外の才覚無益むやくなり」(同ページ)
 宝塔は、万人に具わる尊極な仏性を表現していると言えます。さらに、妙法を信じ、南無妙法蓮華経と唱える人間の生命そのものであることも教えられています。
 また、大聖人以外に「宝塔の中の二仏並座の儀式を作り顕すべき人なし」(同1358ページ)と言われ、「是全く日蓮が自作にあらず多宝塔たっ中の大牟尼に世尊分身の諸仏すりかたぎたる本尊なり」(同1243ページ)と仰せです。
 大聖人は、虚空会の儀式をもって御本尊を顕されたのです。

■境智冥合

 釈尊と多宝仏が、宝塔の中で並んで座ったことには、どういう意味があるのでしょう。
 大聖人は、境智冥合ごうを現していると教えられています。
 仏性があるという真理が「境」です。それを覚知する智慧の働きが「智」です。ここでは、多宝が「境」、釈尊が「智」に当たります。
 つまり、扉が閉じている宝塔は、私たちの生命に仏界が本来具わっていることを譬えています。
 扉が開かれて、二仏が並び座る姿は、境智冥合を現し、真実の成仏の姿を現しています。
 池田先生は語っています。
 「本来、だれもが『仏』である。これは『境』です。その仏界を輝かせるのは、智慧の光です。仏であることを自覚する智慧があって、初めて仏と輝く。これが境智冥合です。
 私どもで言えば『以信代慧(信を以って慧に代う)』ですから、『信心』が『智』にあたる。
 自分に『仏界がある』というのは客観的真理であり『境』です。それを事実のうえで輝かせるのが『信心』です」(『法華経の智慧』普及版〈上〉)

【『法華経の智慧』から】 九界即仏界

 宝塔が大地から出現したというのも意味がある。大地とは九界の現実です。衆生の生命です。宝塔は、ただたんに仏界という生命を表現しているだけではない。衆生の命そのものに宝塔が打ち立てられることを示している。九界即仏界です。ゆえに宝塔は、大地から涌出したのではないだろうか。
                            ◇ 
 「いま・ここ」で永遠なる虚空会の儀式に連なれる。我が身に、我が生活に、我が家庭に、宝塔を光らせていける。これが御本尊のすばらしさです。どこまでも身近です。現実です。
 虚空会は前後の霊山会(霊鷲山での会座)と違って、「時空を超えた」世界である。歴史的な特定の時・場所ではない。だからこそ、「いつでも・どこでも」虚空会につながることができるのです。
 虚空会の儀式を表した御本尊を拝することによって、私どもは、「いま」永遠なる宇宙生命と一体になり、「ここで」全宇宙を見おろす境涯を開けるのです。
 その意味で、日々の勤行・唱題は、宇宙飛行士が宇宙空間から地球を望むよりも、もっと壮大な「生命の旅」と言えるのではないだろうか。
 (普及版〈上〉「見宝塔品」)

明鏡――尊極の生命を映し出す

 日蓮大聖人は、御本尊を虚空会の宝塔を用いて表現されています。それは私たちが目指すべき仏の生命境涯を顕されたものです。
 大聖人は、「我等衆生の五体五輪妙法蓮華経と浮び出いでたる間宝塔品を以もって鏡と習うなり」(御書724ページ)と仰せです。
 自身が妙法蓮華経の当体であることを、法華経の見宝塔品を鏡として映し出すことができるのです。
 鏡がなければ、自分がどんな姿をしているか知ることはできません。同じように、自身の生命を映し出す鏡がなければ、煩悩に支配され、宿命に流されていることに気付くこともできません。
 いわんや御本尊という明鏡がなければ、自身に具わる尊極なる仏性を顕すことはできないのです。
 故に、悪世を力強く生き抜いていくためには、御本尊を信じ、祈り、我が生命に仏界を涌現させていくことが大切なのです。


【聖教ニュース】

◆「世界の友は今」 第12回 イギリスSGI・マーチャント婦人部長 2020年7月28日
 希望の哲学胸に「人間の絆」を広げる

 感染者が29万人を超えるなど、新型コロナウイルスの大きな被害に直面してきたイギリス。現在は一日の感染者数は減少傾向にあり、外出禁止措置や経済活動の規制の緩和が進んでいる。こうした状況の中で、イギリスSGI(創価学会インタナショナル)では、どのように活動を進めているのか。ジャスティン・マーチャント婦人部長に話を聞いた。

「新たな日常」をつくる努力
 ――イギリスではロックダウン(都市封鎖)の段階的な解除が行われ、今月からレストラン等の営業も再開しています。現在の状況や、街の雰囲気について教えてください。
 私はイギリス東部の海辺の町に住んでいますが、ビーチや歩道には、一定の距離を保ちながら多くの人が歩く姿が見られ、日が沈むと、例年の夏の休日のような光景になります。自粛生活の中で不満や不安がたまり、何らかの方法で“かつての日常を取り戻したい”という思いが人々の間に生まれているように感じます。
 経済活動の再開に関しては困惑の声もありますが、地域のレストランでは、オンラインやテークアウトでの提供を促進するなど、人々は「新たな日常」をつくろうと努力しています。
  
 ――マーチャント婦人部長は自営業をされていると伺いました。
 
 私は、小さなコンサルタント会社を経営しています。仕事では常に対面かつグループでの作業を行ってきたため、コロナ禍で一時は休業を余儀なくされました。しばらくしてから仕事を再開し、オンラインも活用しながら仕事を進める中で、幸いにも従来の顧客とつながり続けるとともに、新しい顧客が現れ始めています。
 しかし、社会全体としては経済状況の悪化は著しく、失業者が増加しています。また人間関係の希薄化や、教育の遅れといった問題が深刻化しています。

どんな苦難にも負けない!――オンラインで開催されたイギリス婦人部の集い。友は一人一人が家庭で、地域で“希望の太陽”と輝く

オンラインの集いを開催
 ――さまざまな困難が立ちはだかる中で、イギリスSGIではどのような取り組みを行ってきましたか。
 
 どんな苦難に直面しても、私たちは、信心の上で決して負けませんでした。
 欧州SGIの「1・2・3 BE THE LIGHT(光り輝け)!」運動(一日に①1時間の唱題②20分の研さん③電話等で3人への励まし)を、イギリスでも青年部を先頭に取り組み、友人や同志への励ましを広げてきました。
 4月から5月にかけては、多くの地区で、少なくとも週に1度のオンラインでの集いを開催。育児のため会合に出席する時間を確保することが難しかった婦人部員らが、集いに参加できるようになりました。子どもの在宅教育に加え、夫の在宅勤務を支えるメンバーなど、困難な状況で奮闘する彼女たちの姿に私自身、深く感動しました。
 多くの同志が、危機の時代にあって、こうした“つながり”を持てることに、深い感謝の思いを抱いています。オンラインの会合にアクセスできない人もいますが、そうしたメンバーには電話やメールなどで励ましを送っています。
 また、イギリスSGIの機関誌である「アート・オブ・リビング」や、オンラインで配信されている「eブレティン」が、皆の前進の原動力になっています。以前は隔週で制作されていた「eブレティン」ですが、翻訳や編集を担当するメンバーらの奮闘で、現在は週に1度、発信されています。
 これによって、聖教新聞に掲載される池田先生の「四季の励まし」などをいち早く学ぶことができ、私たちは創造的で安全な方法を常に模索しながら、励ましの輪を広げています。
 現在は制限の緩和に伴って、玄関先で十分な距離を取って話をするなどの家庭訪問も、少しずつですが、できるようになってきています。

困窮者支援でフードバンクへの寄付も
 ――イギリスのメンバーは、それぞれの地で“希望の光”を広げているのですね。
 
 はい。多くのメンバーはまた、コミュニティーの一員として、地域社会にも貢献しています。例えば、医療施設で働く人々のためにマスクを作ったり、買い物が困難な人たちのために、代わりに必要なものを購入してあげたりしています。こうした活動を通して、メンバーは地域により強い絆を築くことができています。
 また、経済危機が深刻化するにつれて、生活困窮者を支援するフードバンクへの寄付の必要性が高まりました。そこで、イギリスSGIの中心会館である、ロンドン郊外のタプロー・コート総合文化センターでは、食堂のスタッフが一日約100食の食事を用意し、フードバンクを通じて高齢者や困窮した人々に提供しています。

ロンドン郊外に立つタプロー・コート総合文化センター。歴史と伝統が薫る“平和の城”として、地域の人々にも愛されている

ロンドン郊外に立つタプロー・コート総合文化センター。歴史と伝統が薫る“平和の城”として、地域の人々にも愛されている
 ――仕事を通して、社会に貢献しているメンバーもいるのでしょうか。
 
 介護施設や医療現場で奮闘するメンバーもいます。 
 また、ある友は、家賃の支払いに苦労する人や、食べ物や薬の入手が困難な社会的に弱い立場の人を支える仕事に従事し、子どもの教育の遅れを防ぐためにパソコンの手配なども行っています。
 新型コロナウイルスのパンデミック(世界的流行)は、単に身体に悪影響を与えるだけでなく、貧富の差をさらに広げました。そうした中で同志は、信心根本に、師匠の励ましを胸に刻みながら、それぞれの舞台で誠実に努力を重ねています。

日々の活動こそ平和創出の王道
 ――現在の困難な状況について、マーチャント婦人部長は信心の観点から、どのように捉えていますか。
 コロナ禍はかつて経験したことがない危機であり、まだ終わりが見えない状況です。こうした時だからこそ、希望の哲学が必要なのだと思います。
 現在、イギリスSGIでは「立正安国論」や、「立正安国」の章がつづられた小説『新・人間革命』第4巻などの研さんを進めています。
 その中で、私が改めて深く心に刻んだのは「汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり仏国其れ衰んや十方は悉く宝土なり宝土何ぞ壊れんや」(御書32ページ)との一節です。
 今ほど、生命の尊厳を社会の根本原理とすることが求められている時はありません。
 「人間革命」の連帯を広げ、「生命尊厳」「人間尊敬」の哲理を社会の根本精神にすることで、「仏国」すなわち、自他共の幸福を実現しゆく平和と安穏の世界を築くことができるのです。
 私たちは一人で全ての問題に対処することはできませんが、それぞれが今いる場所で、社会のために何かをなすことができます。
 
 池田先生は、「誠実な対話を通し、一人一人の心に平和の種を蒔きながら、多くの人々の理解と納得を得ていくしか、真に時代を変革することはできません。迂遠のようでも、これが平和創出の王道なのです」と語られています。
 私たちは日々の学会活動を通し、その実践をしています。
 これからも同志と共に広布の前進を重ね、あらゆる分野で生命の尊厳が重視され、全ての人が幸福で、豊かな人生を送れる社会を築いていきたいと決意しています。

【特集記事・信仰体験など】

◆〈扉をひらく 池田先生の対話録Ⅲ〉第13回 周恩来総理ら要人の通訳を担当 中日友好協会副会長 黄世明氏  2020年7月28日
 順調な時も、困難の時も、友情は永遠に変わらない

「笑顔で帰ってきました!」――病を克服した黄世明氏が、池田先生と喜びの再会を果たす(2000年4月14日、八王子市の東京牧口記念会館で)。毛沢東主席、周恩来総理をはじめ、要人の日本語通訳を務めてきた黄氏。「池田先生は、中日友好、世界平和に、絶対になくてはならない方です」と

「笑顔で帰ってきました!」――病を克服した黄世明氏が、池田先生と喜びの再会を果たす(2000年4月14日、八王子市の東京牧口記念会館で)。毛沢東主席、周恩来総理をはじめ、要人の日本語通訳を務めてきた黄氏。「池田先生は、中日友好、世界平和に、絶対になくてはならない方です」と

 通訳は、外交の要であり、時に歴史の目撃者となる。
 池田先生は、よく若手の通訳たちに語った。
 「通訳の声は、大きくなければいけない。大きい声でこそ、話は通じる。中国の名通訳の声は、マイクなしに人民大会堂の床から高い天井まではいのぼり、床まで降りてきて、部屋中に聞こえるような朗々とした声だよ」
 その声の持ち主は黄世明氏。
 毛沢東主席や周恩来総理の日本語通訳を務め、中日友好協会副会長等を歴任した日中交流の中核の一人である。
 池田先生の訪中でも、鄧小平副総理や周総理夫人の鄧穎超氏、李先念副総理との会見で通訳を務めた。
 髪を七三に分け、明るく礼儀正しい人柄。時折、言葉に関西弁が交じる。氏の出身は中国ではなく、華僑が多く暮らす日本の神戸だった。
 1945年の神戸大空襲では、焼夷弾の嵐の中を逃げ惑った。当時、11歳だった黄少年は、焼けただれた死体の山を踏み分け、親戚らを捜し回った。
 「酷かった……。口にしたくないほどです。戦争は民衆をこれほど苦しめるのかと思いました」
 その後、中国に渡り、今度は日本軍による大虐殺の跡を目にした。街にも村にも無数の遺骨が散らばっていた。
 戦争に、敵も味方も、正義もない。黄氏は「中国の惨状が、神戸の空襲とだぶって見えた」と述懐する。
 ある時、知人から“今後の中日交流のために通訳にならないか”と声を掛けられ、氏は誓いを込めて決断する。「両国民は絶対に戦争をしてはいけない。あくまで友好を進めるべきだ。互いに理解を深め、平和であるべきだ」。そのために生涯をささげよう、と。
                            ◇ 
 東西冷戦下、日中国交正常化に至る激動の10年――黄氏は、その水面下の“真実”を知る一人でもある。
 「創価学会とは、どういう団体か」。60年代初頭、中国政府の上層部から中国人民外交学会に突然の問い合わせが入った。
 池田先生の会長就任を機に、学会は大きく飛躍し、61年には公明政治連盟(後の公明党)が結成。周総理は、中日友好の鍵を日本の民衆に見いだし、早くから学会に関心を抱いていた。
 中国人民外交学会に所属していた黄氏らは、学会についての調査を始め、『創価学会』という冊子をまとめる。
 資料を目にした周総理は、「引き続き(学会の)研究を続けていかなくてはならない」と指示したという。
 60年代後半、日本はアメリカに追従し、中国を敵視する政策を継続していた。一方、中国では文化大革命の混乱が広がり、中日貿易の流れも風前の灯火に。当時、日本で日中友好を叫ぶことは、世論に逆行するのみならず、命の危険をも意味した。
 そうした中、池田先生は68年9月8日、「日中国交正常化提言」を発表。「アジアの繁栄と世界の平和のため」との国際的視野に立ち、「中国との国交正常化」「中国の国連参加」「貿易促進」などを訴えた。提言は大ニュースとして中国に伝わり、周総理もまた、この提言を重視した。
 71年6月には、周総理の招請で、結党間もない公明党が初訪中。当初、交渉は決裂寸前となったが、異例なことに総理が自ら交渉の席につき、共同声明の調印へとつながった。
 通訳等を務めた黄氏は、公明党訪中団を迎える前、先生の提言が重要資料として印刷されていたと証言する。
 「公明党は池田先生が創立した政党です。彼らが正式に訪中できたのは、先生の68年の講演があったからです」
 この共同声明が土台となり、翌年、両国の国交正常化が実現する。
                          ◇ 
 74年12月5日、池田先生は第2次訪中で鄧小平副総理と会見。この時、通訳を担当したのが黄氏である。
 この3カ月前、先生はソ連のコスイギン首相と会い、「中国を攻めない」との発言を引き出すなど、中ソ対立の打開へと奔走を重ねていた。
 周総理と先生の劇的な出会いが実現したのは、鄧副総理との会見の日の夜。末期のがんを患う総理が、医師の反対を制して要請した会見である。
 「今後、われわれは、世々代々にわたる友好を築かねばなりません。20世紀の最後の25年間は、世界にとって最も大事な時期です」――周総理の言葉を、先生は遺言と受け止めた。
 二人の会見の重みを、黄氏は深くかみ締める。その後も先生の訪中の舞台には、いつも黄氏の姿があった。
 中国が国際的に孤立していた90年5月、池田先生は、約300人もの大訪中団を率いて海を渡った。国家指導者と会見し、周総理が育てた「東方歌舞団」の招へいを提案するなど、さらなる日中交流の促進に取り組んだ。
 翌年、同団の顧問として、初の日本公演を成功に導いたのも黄氏である。
 日本滞在中、黄氏は先生と会談し、こう述べている。「池田先生の世界平和への大きな足跡に思いをはせる時、痛感するのは『真の友情ほど尊いものはない』『順調な時にも、困難の時にも、中日を結ぶ私たちの友情は永遠に変わらない』ということです」
 語らいのたび、氏は友誼に深謝し、「艱難に真の交わりを知る(苦難の時こそ真実の友が分かる)」「真金は火煉を恐れず(真金は炎に焼かれても変わることはない)」と、中国の箴言を引いて真情を述べるのが常だった。
                             ◇ 
 「池田先生! 私は笑顔で帰ってきました!」
 「お元気で何よりです。お会いできて光栄です!」
 2000年4月、春爛漫の都内で、黄氏が池田先生と握手を交わした。
 「あれは、1992年でした。重い病気だった私に、池田先生はお歌を詠んでくださいました」「その歌を、私は今も大事に大事にしています。その歌を見るたびに、力が湧いてきます。勇気づけられます」
 黄氏は長年患っていた病が悪化し、人知れぬ闘病の中で、友好事業に命を懸けていた。92年の訪中のさなか、黄氏の闘病を知った池田先生は、即座に和歌をしたため、病床に届けている。
 「祈るらむ また祈るらむ 大兄の 偉大な笑顔が 帰るその日を」
 かつて黄氏が体調を崩した折、ホテルの廊下で周総理とばったり会ったことがある。総理は「君、しっかりやっているか。大丈夫か」と、氏を包み込むように励ましてくれたという。
 池田先生もまた、立場や肩書などを超え、氏の回復を願い続けた。
 その激励に応えるかのように、黄氏は健康を取り戻し、94年に来日を果たす。再会の折、先生は「あまりにも うれしき笑顔の 君来たる 夫婦の幸は 三世に薫れと」と詠み贈った。
 黄氏には、こんな思い出もある。
 かつて日本で学会員宅を訪れた際、その家の仏壇に「黄世明さんの全快を祈る」と書かれた紙があった。
 その時の驚きと喜びは、終生、忘れることはできないと語っていた氏。
 先生との会見で、力を込めた。
 「皆さんの思いを強く強く感じています。創価学会との友情は、もはや私の『生命の一部』になっているのです。私は、これからも、池田先生のためにも、創価学会の皆さんのためにも、中日友好を進めていきます」
 亡くなる前年の2002年には沖縄研修道場を訪問。学生たちと懇談し、両国友好への思いを語り残した。
 「理解し合い、祝福し合い、互いの幸福を願うという心が、中日友好を育んでいきます。私はこの思いで50年間、友好事業に携わってきました」「“人民のために奉仕しよう”“人民のために尽くそう”という思いが、困難な状況に至っても、初志を貫く基礎になりました」
 日中友好を象徴する「金の橋」。この言葉を先生が初めて用いたのは、黄氏と出会った第1次訪中(1974年)の折だった。後年、その真情を明かしている。
 「『金』という言葉はぜいたくという意味ではない。仏法では生老病死を金銀銅鉄という意味にあてはめている。金は『生』であり、生き抜いていく、光り輝いた生命のことであり、平和という意味であります」
 心と心、命と命に架けられた「金の橋」は、日中両国の人々を、確かな未来へと導いている。
 こう・せいめい 1934年、神戸生まれ。中国に帰国後、中国人民外交学会に勤務。毛沢東主席、周恩来総理ら、国家要人の通訳として活躍した。全国政治協商委員、中国人民対外友好協会副会長、中日友好協会副会長等を歴任。また、ベトナム、ラオス、インド、パキスタン、マレーシアなど、アジア諸国と中国との友好協会の要職を務めた。池田先生と中国要人との会見の通訳も担当。2003年8月、死去。

 〈引用・参考文献〉 南開大学周恩来研究センター著・王永祥編『周恩来と池田大作』周恩来・鄧穎超研究会訳(朝日ソノラマ)、孔繁豊/紀亜光著『周恩来、池田大作と中日友好』周恩来・鄧穎超研究会訳(白帝社)、同著『周恩来・鄧穎超と池田大作』高橋強編訳(第三文明社)、時事通信出版局編『扉はふたたび開かれる――検証 日中友好と創価学会』時事通信出版局、ほか。
●ご感想をお寄せください
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◆〈信仰体験〉アルコール依存症の夫が再起   救いきるまで諦めない

 【奈良県香芝かしば市】毎晩、仕事の疲れを癒やすようにビールを口に注ぎ込む夫。
 堀川由美さん(53)=支部婦人部長=は“お酒を飲むことで、仕事のストレスが発散できるなら”と飲酒に目をつぶった。
 だが、真面目な夫が「アルコール依存症」になるなんて、想像もしなかった。

◆下りのエスカレーター◆

 夫・克己さん(50)=副常勝長(副ブロック長)=は心優しい人だった。
 2000年(平成12年)に折伏して結婚。その1年半後、克己さんの勤めていた会社が倒産すると、毎日の晩酌が、350ミリリットルの缶ビールで4本、5本と増えていく。
 すぐに転職先は見つかったが、今度は職場内の人間関係に悩み、休日は朝から酒を飲むようになった。それがやがて出勤前にも。
 「そんなん、絶対にあかん!」と止めても、缶ビールを一気に飲み干して出掛けていく。
 やがて克己さんに手の震えなどの離脱症状が現れ、症状を抑えるために会社でも隠れて飲んだ。
 その悪循環から仕事のミスが増え、とうとう会社から「期待を裏切られた」と解雇を言い渡された。
 当時、41歳。飲む量も時間も、コントロールできない「アルコール依存症」に陥っていた。
 堀川さんが専門医療機関を勧めると、「俺は病気とちゃう。好きな酒を飲んでるだけや!」と怒鳴りだす。
 「あなたの体が心配やから」と説得し続け、最後は渋々、受診してくれた。
 専門医から「依存症は完治しない病気です。これからは、下りのエスカレーターに乗っていると思ってください」と告げられた。
 もはや節度ある飲酒は不可能に近い。このままでは悪くなる一方だという。
 3人の小さい子を抱え、夫は肝臓も悪くして働けない体に。「これが私の宿業かと、人生で初めて思い知ったんです」
 この時、池田先生の指導が胸中に浮かぶ。
 「祈り――それは、あきらめない勇気だ。自分には無理だと、うなだれる惰弱だじゃくさを叩き出す戦いだ。“現状は変えられる! 必ず!”。確信を命の底に刻み込む作業だ」
 堀川さんは深い決意に立ち、御本尊の前に座った。

◆家族、同志の支えと祈り◆
 克己さんは入院治療を終え、体が回復すると、すぐに酒を求めた。
 だが家には料理酒すらない。妻の財布からお金を盗み取った。子どもの貯金箱にも手を出した。
 飲酒への果てしない欲求。目はつり上がり、子煩悩だったかつての夫は、見る影もなくなった。
 一緒に遊んでくれた大好きな父親を失い、悲しげな表情を見せる3人の子に堀川さんは言った。
 「お父さんは、お酒をやめられない病気になったけど、必ず信心で治してみせるから」
 その覚悟をうなずいて受け止めてくれた、当時、小学4年の長男は、食事を用意し、弟2人を風呂に入れて寝かしつけてくれるようになった。
 常にいら立つ夫。同じ感情で土俵に上がると衝突する。
 もう言い争うのはやめようと決めた。
 傷つく限りの暴言を吐かれても、“これは本当の夫の言葉じゃない。病気がそう言わせてるんや”と受け止めた。
 体を気遣い、少しでも楽しくなるような会話を心掛けた。
 寝込むことが多くなった夫の介護に疲れ、唱題中にうとうとしてしまうことも。
 そんな隙すきを見て酒を飲む夫の姿を見ると、全てを投げ出したくなる。
 涙をこらえ、何度も池田先生に決意の手紙をしたためた。
 そんな心境を察し、近くに住む義母のノリ子さん(78)=婦人部員=が、いつもそばで寄り添ってくれた。
 克己さんが暴れる日もあったが、堀川さんは地区婦人部長として、悩みを抱える同志を、放っておけなかった。精いっぱいの笑顔を向けて励ました。
 ある日、地区座談会が終わると、婦人部の先輩から声を掛けられた。
 「道は険しいかもしれへん。でも必ず結果は出るよ。それも“見事な結果”になって返ってくるから。一緒に頑張ろう」
 やがて克己さんを取り巻く環境に変化が。入院先で断酒会の会長に声を掛けられ、たびたび激励を受けるようになったり、大阪の壮年部の同志から信心の話を聞いたり。
 ある日、会合から帰ると、夫が慣れない手つきで、夕飯を用意してくれていた。

◆断酒への“気付き”◆

 2013年6月。克己さんの父親が末期がんで危篤きとく状態に。
 克己さんは専門医療機関で入院治療中だったが、外出許可をもらい病院へ。
 親族が見守る中、父の手を握って「大丈夫やで!」と声を掛けた。
 その後、病室を出て戻ってきた時は、顔が真っ赤。自身を落ち着かせようとしたのか、コンビニで酒を飲んだのだった。
 そして意識がもうろうとなって、その場に倒れ込んだ。
 依存症の治療薬による飲酒後の不快反応だった。親族は皆、あ然とした。
 専門医療機関に戻ると、担当の看護師が険しい表情で待っていた。「なんて人! あなたの“たった1杯”のお酒で、ご家族たちの、お父さんへの悲しみを全部、奪ってしまったのよ」と涙ながらに語ってくれた。
 この言葉が克己さんにとって決定的な、断酒への“気付き”となる。
 「俺は取り返しのつかないことをしてきた。親不孝もので最低な人間や。今まで迷惑ばかり掛けて、悪かった……」
 肝硬変、食道・胃静脈瘤の破裂、すい炎など3度の手術、7回の入退院を繰り返してもやめられなかった酒を、ついに断つ。
 そして勤行・唱題を地道に実践し、同志と共に学会活動に励むようになった。同じ病で苦しむ友人夫妻を入会にも導いた。
 翌年12月から社会復帰。郵便物仕分けのアルバイトから始め、今では介護の仕事の正社員に。
 長年、本紙配達員を務める堀川さんを見習い、今年から代配も行っている。
 今春、関西創価高校を卒業した長男・誠司せいじさん(18)=学生部員=をはじめ、次男・将まさ志しさん(15)=中学3年、三男・太陽君(12)=小学6年=も皆、後継の人材へと育つ。
 断酒を継続するのは難しい。ほんの少しの飲酒でも依存症再発の引き金になってしまう。
 克己さんは7年間、断酒を続けている。「もう二度と裏切らへん」と、今も“下りのエスカレーター”を逆方向に懸命に上っている状態だという。
 笑顔にあふれた平穏な家庭に戻った。でも以前とは光景が違って見える。互いに支え合う家族の絆、感謝の言葉……。
 救い切るまで諦めない慈愛が、真の幸福を開く力となっている。

 

2020年7月27日 (月)

2020年7月27日(月)の聖教

2020年7月27日(月)の聖教

◆今週のことば

 「いかなる病
 さはりをなすべきや」
 妙法の師子吼を響かせ
 健康・無事故の日々を。
 皆で励まし合いながら!
       御書P1124


◆名字の言 「五木の子守唄」に込められた力強い心  2020年7月27日
 子守歌と聞けば、母親が子どもを寝かしつけるための愛情がこもった歌を思い浮かべる。だが、熊本・五木村に伝わる「五木の子守唄」の歌詞は、そうではない。経済的苦境のため、年季奉公に出された守子の娘たちが自らの境遇を歌っている▼「子どん可愛いけりゃ 守りに餅食わせ 守りが転くれば 子もこくる(子どもが可愛いのなら、守子に餅を食わせろ。守子が倒れてしまえば、子どもも倒れてしまう)」。歌詞には悲哀を嘆くだけでなく、不条理を乗り越えようとする力強さもある▼民俗学者の赤坂憲雄氏は「五木の子守唄」を「守り子たちの抵抗の唄」と評している。「幼い子守りの娘たちが、捨て身で、何か巨大な黒い影に向けて、孤独な戦いを挑んでいる姿が、ここにはある」と(『子守り唄の誕生』講談社現代新書)▼不遇のどん底にあっても、負けないと決めた時、人は底知れぬ強さを発揮することができる。小説『新・人間革命』第25巻「人材城」の章には、「五木の子守唄」を通して、「人間は誰もが力を秘め、そして、誰にでも、幸せになる権利がある」と▼最も苦しんだ人が、最も幸福になる――そのために、私たちの信仰はある。さまざまな困難と戦う一人一人を、断じて孤独にさせず、その「心」を力強く支えたい。(芯)


◆寸鉄

会長の著作には闇の中に
ある人を奮起させる力が
―詩人。今日も胸に刻み
     ◇
中部の日。広布の一番星
が輝けば未来は一層輝く
―希望拡大の主役は私と
     ◇
青年部が「不戦の誓い継
承月間」を前進。君らの手
で悲惨の二字なき世界を
     ◇
旧友と再び繫がる―心の
若返りに効果と。電話や
オンライン等を使い賢く
     ◇
自分は罹らないから平気
…この油断は感染の因。
危険ある所は呉々も避け


【聖教ニュース】

◆きょう池田先生とゴルバチョフ氏(ソ連大統領)との会見30周年  2020年7月27日

1990年7月27日、池田先生とゴルバチョフ大統領が初の出会い。瞬時に平和への魂が共鳴した(モスクワのクレムリンで)

1990年7月27日、池田先生とゴルバチョフ大統領が初の出会い。瞬時に平和への魂が共鳴した(モスクワのクレムリンで)

 きょう27日は、池田大作先生とソ連(当時)大統領であったミハイル・ゴルバチョフ氏との初会見から30周年。会見の経緯や意義を振り返るとともに、先生の日露友好の信念を受け継ぐ使命と展望について、創価大学の田中亮平副学長(国際担当)の声を紹介する。

日露友好の歴史開いた率直な対話
 1990年7月27日、モスクワのクレムリンで行われた、池田先生とゴルバチョフ氏の歴史的な会見。
 語らいは、氏が進めた「ペレストロイカ(改革)」の現状と意義、青年への期待などを巡って1時間10分に及んだ。
 会見では、先生が「世界平和を愛する一人の哲学者として、大統領の訪日を念願しています」と語ると、氏は「絶対に実現させます」「できれば春に日本を訪れたい」と明言した。この発言は一大ニュースとして日本中を駆け巡った。先生の誠実な対話が日露友好の新たな一ページを開いたのである。
 ゴルバチョフ氏は85年、最高指導者に当たるソ連共産党書記長に就任。経済改革や情報公開などを促進した。また、世界の緊張緩和に向け、対話を重視した「新思考外交」で西側諸国や中国、東欧に歩み寄った。
 さらに氏は、核軍縮・廃絶に積極的に取り組む。しかし当初は“単なる宣伝”との心ない批判にさらされる。その中で先生は86年、ノーボスチ通信に氏の取り組みを支持する所信を寄稿。翌年にもソ連『新時代』誌が同趣旨の先生の論文を掲載し、英語やフランス語などでも紹介された。
 氏の努力は実を結び、87年にアメリカとの間で中距離核戦力(INF)全廃条約が締結。89年にはマルタでブッシュ米大統領と冷戦終結を宣言し、世界規模の対立に終止符を打ったのである。
 そうした世界史のうねりの中で行われたのが、先生とゴルバチョフ氏との会見だった。
 冒頭、先生は「今日は大統領と“けんか”をしにきました。火花を散らしながら、なんでも率直に語り合いましょう。人類のため、日ソのために!」とユーモアを込めて発言。氏も「私も率直な対話が好きです。会長とは、昔からの友人同士のような気がします」と応じた。
 会見で氏は、先生の掲げる人間主義の価値観と理想を評価。「ペレストロイカの『新思考』も、会長の哲学の樹の一つの枝のようなものです」と述べた。先生も、自身と氏の考えは「人間」を見つめるという共通性があると強調した。
 氏は91年4月、約束通り日本を訪れ、池田先生と再会。以来、東京、大阪、モスクワで、合わせて10度の会談を重ねている。対談集『20世紀の精神の教訓』は、語らいの一つの結実である。
 30年前の会見は、30年という歳月を経ても色あせることはない。個人の自由と尊厳、社会の平和と安穏に勝る価値はないという二人の信念は、21世紀に生きる人々の心を揺さぶり続けるだろう。

創価大学・田中副学長「創立者の精神を永遠に継承」
 創立者・池田先生が築かれてきた日露友好の礎によって、創価大学にはロシアから絶大な信頼が寄せられています。
 その大きな証しの一つが、2016年に「ロシアセンター」が本学に開設されたことです。これは大統領令によって設立された「ルースキー・ミール基金」が世界で推進する、ロシアの言語教育の推進と文化の普及に努める拠点です。
 さらに、毎回の「日露学長会議」には馬場学長が招かれ、モスクワ大学のサドーヴニチィ総長らと親交を深めています。
 池田先生が初めてソ連(当時)を訪問されたのは1974年。翌75年には創価大学とモスクワ大学の間で学術交流協定が結ばれ、学生・教員の往来が始まりました。
 これまで、本学の学生からは日本を代表する優秀な通訳や国立大学の教授ら両国の友好に尽くす人材が誕生しています。また、現・駐日ロシア大使のガルージン氏も本学の留学生の一人です。
 本学にロシア語を学ぶコース(文学部外国語学科ロシア語専攻=当時)が開設されたのが、先生とゴルバチョフ氏との会見に先立つ90年4月であったことにも、不思議な時の符合を感じます。
 ゴルバチョフ氏は本学を2度、訪問されています(93年、2007年)。93年には、先生の提案でライサ夫人と共に「ゴルバチョフ夫婦桜」を植樹されました。氏と先生の変わらぬ友情を象徴するかのように毎年、美しい花を咲かせます。本学の担当者が氏と連携をとるたびに“私の桜は元気でしょうか”と、いつも気に掛けてくださっているそうです。
 氏は、ロシアセンターの開所式にも「今後も露日友好の輪を広げ、深めていってくれることを期待します」と祝辞を寄せてくださいました。
 先生と氏との会見、そして本学の本格的なロシア語教育のスタートから30周年を迎えた今、ロシアの交流校は「12」に広がっています。これからも、各大学と協力しながら、ロシア文化への見識を日本で広めるとともに、日露友好に尽くす人材の育成に一層、力を注いでまいります。
 
 ●SOKAnetの特設ページでは、池田先生とゴルバチョフ氏の交流を描いた番組が紹介されています。コチラから視聴できます。


◆青年部が主催 オンラインで被爆証言会  2020年7月27日
 日本被団協の濱住氏を講師に
 青年部主催のオンライン証言会で講演する日本被団協の濱住氏

 青年部が主催する「オンライン証言を聞く会」の第2回が26日、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)事務局次長の濱住治郎氏を講師に行われた。
 広島出身の濱住氏は、1945年8月6日に母親の胎内で被爆。爆心地近くにある会社に出勤していた父は、数え年49歳で帰らぬ人となった。
 講演で氏は、残された母と子ども7人が送ってきた半生を振り返り、父の死はつい昨日の出来事のように思えると言及。被爆から75年が経過する今も原爆は被爆者を苦しめ続けていると述べた。また、世界各地に核兵器がいまだ存在する現状に触れて、「私にとって、戦争はまだ終わっていません」と語った。
 そして、核兵器の使用は人類を破滅に導くものであり、二度と被爆者を生んではならないと力説。核兵器のない世界を、皆の力で実現していきたいと訴えた。

【特集記事・信仰体験など】

◆〈池田先生の会長就任60周年 青年部が原田会長に聞く Ⅱ部〉第15回 
 「御書根本」を貫く民衆仏法の学会教学④  2020年7月27日

〈出席者〉西方男子部長、大串女子部長、樺澤学生部長、林女子学生部長 

万人の生命に無限の可能性――「人間尊敬」の潮流を世界へ共生の時代開く挑戦の先頭に

 ◆西方 新型コロナウイルスの感染拡大という未聞の試練の時代にあって、池田先生は、「あらためて世界で、宗教の真価が問われている」と、生命尊厳の仏法を持った私たちの使命の重大さを訴えられています。
  
 ◇原田 聖教新聞でも紹介されているように、各国・各地でSGIメンバーは、一日も早い感染の終息を祈りながら、試練の「挑戦」に「応戦」しつつ、断じて打ち勝つ決意で希望の励ましの連帯を広げています。
 先生が教えてくださったように、「よき市民」「よき国民」として活動していく中に、仏法者の社会的使命があります。

 ◆大串 各国の青年部も、皆で「立正安国」の誓いを共有し、“誰も置き去りにしない”との思いで、電話や手紙、オンラインなどを活用しながら励まし運動を展開しています。
  
 ◇原田 そうした人間主義の運動に注目し、期待する識者の声も広がっています。
 ロンドン大学衛生熱帯医学大学院のクレア・バーチンガー博士は、“自他共の幸福への祈りと行動を広げる創価学会は、共生の新時代を開く挑戦の先頭に立っている”と語られました。
 先生が米ハーバード大学の2回目の講演「21世紀文明と大乗仏教」の中で指摘されたように、人間を「強くするのか」「善くするのか」「賢くするのか」という点こそ、今後の時代の宗教が果たすべき大事な役割です。

主役は、社会で戦う在家の民衆
 ◆西方 日本には、いまだ宗教に対して偏った見方をする人も少なくありませんが、創価三代の師弟が刻んできた学会の歩みは、そうした日本社会の風潮を破る歴史でもありました。
  
 ◇原田 一般的に仏教は、僧侶たちが中心のものと思われてきました。この既成の仏教観を根底からくつがえしたのが、創価学会の教学運動です。
 池田先生は、小説『新・人間革命』第22巻「命宝」の章でつづられています。
 「大聖人の仏法は民衆仏法です。主役は社会で戦う在家の民衆です」「私たちの運動は、前代未聞の仏教運動といえます。いわば、創価学会の広宣流布運動こそ、現代における宗教革命の新しき波であり、人間仏法、民衆仏法の幕開けである」と。
 学会の草創期には、貧しく、義務教育すら満足に受けられず、読み書きができないという壮年や婦人もいました。そうした方々が、懸命に字を覚え、御書を研さんし、教学部員となって皆に御書講義をするようになったという話は、枚挙にいとまがありません。
 学者や他宗の僧にも、理路整然と、日蓮大聖人の正法正義を語っていきました。そこには、御書の仰せ通りに実践し、信心によって苦悩を克服できたという、体験からほとばしる歓喜と確信の裏付けがあったのです。
  
 ◆林 草創期の先輩方の多くが御金言を暗記していたと伺いました。
  
 ◇原田 そうです。試練に出くわせば、「魔競はずは正法と知るべからず」(御書1087ページ)と、苦しい時には「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」(同1253ページ)というように、常に御文を口にし、励まし合いながら、皆、広布にまい進してきました。教学が生活に根差し、その中で「実践の教学」の伝統がつくられていったのです。

「如我等無異」が仏の根本の目的
 ◆樺澤 学会の歴史をひもとくと、1963年(昭和38年)、73年、77年、78年が「教学の年」と定められ、教学運動の大きな潮流を起こしてきました。とりわけ73年ごろ、先生は「創価学会に脈打つ仏法の叡知を社会に開き、人類の共有財産としていく時代の到来」と考えられ、『私の釈尊観』『私の仏教観』『続・私の仏教観』などの教学著作を次々と著されました。
  
 ◇原田 アメリカの仏教学者であるハーバード大学のチャーリー・ハリシー博士は、仏教講座の教材として『私の釈尊観』を使って講義されています。博士は「SGI会長は、釈尊のしたことに、『人間的な視点』から、自身の釈尊観を踏まえながら迫っております」「人間とは何かを追究していくこと――それこそが21世紀の課題なのです」と述べられています。
 また、米アイダホ大学名誉教授のニコラス・ガイヤ博士は、授業の教材として『私の仏教観』を30年にわたり使用されています。
 博士は、「池田博士による、創価学会の“仏教ヒューマニズム”の運動に、心からの賞讃を寄せております。その運動は、『仏性がすべての人間の中にある』との自己実現のための力強い法理に基づいております」と高い評価を寄せています。    

 ◆林 法華経方便品には、「如我等無異」、つまり衆生を仏と同じ境涯に高めていくことこそが、仏が出現した根本目的であると説かれています。どこまでも人間を尊敬し、人間を尊極の仏と一体の方向へと導いていく――これが法華経の精神だと思います。
  
 ◇原田 まさしく、その精神を根本とし、人間主義の仏法運動の潮流を起こしてこられたのが池田先生です。そうした場面を、私は何度も目の当たりにしてきました。
 74年3月、先生は中南米への旅の途上、アメリカのマイアミを訪問されました。懇談会で一人の青年から質問を受けた先生は、仏教の特質について、こう語られました。
 「宗教があって人間が存在するのではなく、人間のために宗教があるのです。宗教が人間から完全に遊離してしまったところに現代文明の行き詰まりがある」と。
 質問会の後、私どもに「今、話したことは非常に重要なことだよ。よく覚えておきなさい」と、念を押すように言われたことも鮮明に覚えています。師の確信と先見性に満ちた講演
 ◆樺澤 77年の「教学の年」は、聖教新聞の元日付から先生の「諸法実相抄」講義、「大白蓮華」1月号から「百六箇抄」講義の連載が開始され、1月15日には、先生が大阪での第9回教学部大会で、「仏教史観を語る」と題して講演されました。
  
 ◇原田 講演で先生は、「宗教のための人間」から「人間のための宗教」への大転回点こそ、仏教の発祥であると論じられました。
 また、「仏教界全体が“出家仏教”に陥り、民衆をリードする機能を失った」と指摘され、民衆と共に、仏法のために戦ってこそ、真の法師であると、衆生を導く指導者のあるべき姿を示されました。
 さらに、出家と在家の本義や寺院の歴史にも論及され、仏教本来の精神に照らし、真実の仏教教団の在り方や学会の運動の意義を明らかにされたのです。
  
 ◆西方 この講演を“宗門への批判だ”と言いだす坊主たちがいました。大聖人の民衆救済の精神もなく、ただ“僧が上で俗は下”という時代錯誤の差別意識で信徒を見下す頑迷さには呆れ返ります。
  
 ◇原田 先生の講演は、広布の新展開の道を示した確信と先見性に満ちたものでした。また、現代文明の行き詰まりを転換していくために、その基盤となる人間主義の哲理を明確にしたものでもありました。
 ところが、彼らはそれをねじ曲げて捉え、“学会は宗門を軽視している”などと騒ぎ始めました。これは、とんでもない話です。学会は先生の指導のもと、宗門の繁栄を願い、懸命に外護し、総本山の整備や末寺の建立に全力を尽くし抜いてきたのです。宗門が未曽有の興隆を遂げたのも、先生のおかげであることは歴史的事実です。

 ◆樺澤 第1次、第2次宗門事件の経過を知れば知るほど、どれだけ宗門が自己保身と権威に凝り固まり、醜い欲望に支配されていたのかが分かります。
  
 ◇原田 学会こそ大聖人の御遺命である広宣流布を実践する唯一の団体であり、学会にのみ信心の血脈が流れ通っています。だからこそ、192カ国・地域へ大発展したのです。
 ハーバード大学のハービー・コックス名誉教授も、「宗門と決別したことは、おそらく創価学会に起こった最良の出来事」「従来の儀式的で閉鎖的な宗教観に固執することなく、『友情』を前面に掲げ、世界の人々と心の交流を図りながら、未来のあるべきヒューマニズムの宗教の方向を示そうとしている」とエールを送ってくださいました。
  
 ◆大串 学会が宗門からの「魂の独立」を果たして以降、95年(平成7年)から始まった『法華経 方便品・寿量品講義』『法華経の智慧』の連載、そして今に続く「大白蓮華」での講義など、先生は未来に、世界に向けて仏法を展開し、今を生きる私たちに指針を示してくださっています。
  
 ◇原田 先生の教学著作の核心は、人間への尊敬、生命の無限の可能性と尊厳性への信、そして「人間のための宗教」という宗教観にあります。
 宗教は、どこまでいっても、「人類の平和のため」「人間の幸福のため」です。法華経と御書の真髄もそこにあります。それを創価三代の会長が死身弘法の実践で示し、現代によみがえらせてくださったのです。
 私たちは釈尊、日蓮大聖人、そして創価学会という系譜に連なる誇りを胸に、今こそ人間主義の仏法哲理を、生き生きと社会に広げていきたいと思います。


◆〈現代と仏法〉第23回​「求められる企業のあり方」​ 日本大学教授 鈴木由紀子さん

 経営学を専門とする私は、企業と社会の関係性や企業倫理を研究していますが、今回のコロナ禍によって、企業においても難しいかじ取りが求められていると感じます。
 例えば、映画館やスポーツ施設等は、多くの観客が入ることで価格も手の届くものになっていました。航空機などの乗り物も同様でしょう。しかし、大企業から個人商店まで、あらゆる経営者に身体的距離の確保が求められることで、これまでの世界で当たり前とされてきた「効率性」という価値観が奪われ、今後のあり方を模索しなければならなくなったのです。
 そもそも、企業は効率性を上げ、利潤を追求することを第一義に掲げます。それが人々に豊かな生活をもたらしたことは事実かもしれませんが、それぞれの企業が自社の利潤にしか目を向けなくなってしまえば、ひいては利潤を巡る争いが社会全体に広がってしまい、時には対立の火種となってしまいます。単に効率性といっても、何を目指して効率化していくのか。そして今後の社会にあって、企業は何を根底に置いて進むべきか。危機の今こそ、それらを問い直さなければならないと思えてなりません。
 これまでも社会における企業のあり方は、時代とともに変化してきました。日本では1950年代から公害問題が深刻化しましたが、バブル経済期には企業の文化芸術支援活動が脚光を浴び、平成不況期には企業倫理が問題となりました。そして2000年代には、企業が社会に対して果たす責務を示す「CSR」という言葉が定着し、環境や貧困・人権問題などから社会的にも「持続可能な開発」が目指されるようになり、現在は企業もそれらへの貢献が求められるようになりました。

根底に「人間革命」の思想を
 こうした変遷の中にあって、これからの時代に求められていくのは、初代会長・牧口先生が『人生地理学』で提唱されたように、多くの人の犠牲の上に自らの安全と繁栄を追い求める軍事的・政治的・経済的競争ではなく、「他のためにし、他を益しつつ自己も益する」との理念に基づく人道的競争だと思うのです。

 私の研究分野でも“企業を取り巻く環境への影響を配慮することで、自己利益も公益も増進させること”を意味する「啓発された自己利益」との言葉があります。人道的競争に通じるものであり、牧口先生の先見性を感じずにはいられません。既に、良識ある人々の中では「より良いものを目指す競争」ということも言われています。
 
 しかし、企業が高邁な理想を掲げても、企業をつくるのは人間であり、人間が変わらないと企業も変わりません。社会貢献を掲げる企業が増えても、その中から会計不正や検査データの改ざん、消費者に危害をもたらす商品による副作用や事故といった問題が相次いでいるのは、その証左ではないでしょうか。 
 問題が起こる前は「誤差のうちだ」「他の会社もやっている」と自らを納得させているのかもしれませんが、こうした背景には、“自己の良心に照らしてやるべきではない”という倫理観の欠如や、“自分は企業の中の単なる一人に過ぎない”という責任逃れの心があると思えてなりません。
 『人生地理学』の初版本(1903年発刊)。牧口先生は、同書で軍事的、政治的、経済的競争から人道的競争へという“競争の質的転換”を呼び掛けた
 日蓮大聖人は「立正安国論」で「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祈らん者か」(御書31ページ)と仰せです。企業を支える一人一人にあっても、“社会をより良くしたい”との大きな使命感に立ってこそ、企業の掲げる理想は輝き、その中で働く人々の充実もあるのだと思います。 
 そうした意味からも、社会のために尽くす「本物の一人」を育てる学会の運動、そして“一人が地域、世界を変えていく”との「人間革命」の思想は、これからの社会を築く上で、重要な力になっていくと確信します。 (総神奈川副学術部長)


◆〈世界の体験プラザ〉台湾の桃園国際空港で消防小隊長として活躍
 陰の努力で円滑な運行支える 台湾SGI 洪 英傑(ホン インジェ)さん

経験が浅いからこそ
 空港消防士となって6年目の2005年、一つの転機が訪れました。
 当時、働いていた台北市内の松山空港から、敷地面積や旅客機の発着本数が数倍の規模になる桃園国際空港に移るチャンスが巡ってきたのです。 
 やりがいは増しますが、同時に、消防や救護の負担も重くなります。妻と熟慮した末、移ることを決心。異なる環境に戸惑うのは覚悟していましたが、それ以上に苦しかったのは、私にはベテランの先輩や同僚と違って大きな事故の経験がほとんどないことでした。
 しかし、真剣に唱題に挑戦し、池田先生の指導を研さん。「小事が大事なんです。大問題、大事故も、みんな小さなことから始まっている」(小説『新・人間革命』第10巻「桂冠」の章)との一文に目が留まり、“よし、自分は事故を未然に防ぐことに全力を挙げよう。そのためならば何でもしていこう”と誓ったのです。
 翌年、池田先生が会長に就任されたのと同じ32歳になってすぐ、上司から「中級救護技術員訓練」を受けないかと打診されると、二つ返事で引き受けたのも、そのためでした。
 訓練が終了したまさにその月、アメリカから到着した旅客機に、院外心肺停止(OHCA)の患者が出たと出動の依頼。2人の先輩と緊急救護に向かいました。
 先輩方は「初級」の資格しかなく、現場では、最も経験の浅い、私が指令を出すことに。胸中で題目をあげながら、冷静に患者の状態を確認。気道確保、心肺蘇生、酸素吸入を行い、駆け付けた空港の医療スタッフと協力し、無事に病院まで送り届けることができました。
 このことを通じて、私は少しずつ自信を付け、空港消防士が自身の使命だと自覚を深めることができたのです。

SGIの理念に感動
 私は1974年、3人兄弟の末っ子として桃園市に生まれました。
 父は電力会社の検針の仕事をし、母は織物工場に勤務。兄が2人いることもあって、両親は、私が幼い頃から仕事で家にいないことが多かったです。
 私はそれをいいことに、学校が終わると同級生や近隣の家に遊びに行き、思う存分、野山を駆け回りました。これが基礎体力を形作ってくれたと思います。
 家の経済状況が良くないことは分かっていたため、中学に上がる前から、長期休みにはアルバイトをして、家計を支えました。 
 性格はおとなしく、内気で、じっくり落ち着いて勉強するのは好きではなく、暗記が多い教科は苦手。半面、数式など、最小限の記憶で済む数学は好きでした。
 高校を卒業すると、専門学校で会計・統計学を学び、偶然、空港で働いている親戚から、空港消防士の募集があることを聞き、“自分に向いているのではないか”と思いました。 
 約3カ月間、これ以上ないというほど集中力を発揮し、消防に関連する法律や専門用語を覚えました。同時に体力も鍛え、50キロの荷物を背負ったり、長距離を走ったり、綱登りなどにも挑戦しました。
 99年、晴れて消防士試験に合格し、松山空港に配属。ちょうどこの頃、後に妻となる張安君(日本名・池上梁子)から仏法の話を聞き、台湾SGIに入会したのです。 
 翌年、1万人以上の青年が集った「5・3青年平和文化祭」に参加。SGIの“寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重し、人類の基本的問題について対話する”という理念に深く感動し、本気で活動に取り組むようになりました。

地区部長として奔走
 仕事では「だれが見ていなくても陰の陰で戦う人が、最も偉い人である」との池田先生のスピーチを胸に、2007年には、所属チームの運営業務を担いました。訓練の責任を負い、文書を作成する陰の仕事です。
 昇給や昇進とも無関係。他の同僚から見れば“余計な仕事”ですが、チームが少しでも円滑になればと黙々と取り組みました。

 すると10年、思いもかけず、空港の経営主体が変わり、業務が全て見直しに。私は昇進試験を受ける資格を得て、翌年、災害救護第一線の代理班長に任命されたのです。
 しかし、仕事が多忙を極めていくと、いつしかSGIの活動を休みがちに……。知らず知らずのうちに生活は空転していきました。
 13年に上司の勧めを受け、開南大学大学院修士課程(航空運輸管理専攻)の社会人クラスに入学。あっという間に、6年間の在学期限は翌年に迫っていました。このまま論文が完成しなければ退学です。


 私は心を入れ替え、仕事にも活動にも全力で取り組み、18年10月には地区部長の任命を受けました。
 にこやかな笑顔の裏で、心は焦りと苦悩でいっぱいでした。地区副婦人部長の妻と共に題目をあげ、広布と学業の両立を祈っていくと、不思議なことに、修士1年目で知り合った教授と、空港でばったり再会。私の進み具合を心配し、なんと論文指導を買って出てくれたのです。おかげで論文は順調に進み、昨年7月、晴れて修士号を取得することができました。
 この間、日本にいる義父母が絶えず励ましてくれ、12年には実母を、15年にはすぐ上の兄を入会に導き、消防隊では14年から小隊長になりました。
 御書に「陰徳あれば陽報あり」(1178ページ)と仰せの通り、地道な努力の積み重ねこそが力となることを決して忘れず、また陰で真面目に戦っている人に光を当て、職場でも地域でも、必ずや勝利の実証を示していく決意です。

 

2020年7月26日 (日)

2020年7月26日(日)の聖教

2020年7月26日(日)の聖教

◆わが友に贈る

 広宣流布とは
 信頼を広げること。
 地域・社会に貢献し
 友の幸福に尽くす
 模範の“良き市民”たれ!


◆名字の言 人を鍛えるのは「人・本・旅」  2020年7月26日

 「学びに年齢は関係ありません」と語るのは、立命館アジア太平洋大学の出口治明学長。生命保険会社を退職後、60歳の時にベンチャー企業としてライフネット生命を開業。70歳になった一昨年から、現職に就いた▼人を鍛えるのは「人・本・旅」と氏。すなわち、たくさんの人に会い、良書に親しみ、さまざまな場に足を運んで刺激を受けることだ。実際に氏は、学長就任に当たって、教育基本法や学校教育法などの法律を徹底して学んだ。そして、心構えや必要なことなどを聞くため、他大学の総長や学長を訪ねて回ったという▼氏は“自分が今いるポジションで、できることに少しずつでも取り組んでいくことが大切”と強調する。「どんな年齢の人でもいまこの時が一番若いのですから、思い立ったらすぐ行動することが大切」と(『還暦からの底力』講談社現代新書)▼何かを始めるとき、“今さら”“もう遅いのでは”という、周囲のささやきや自分の心の声で気持ちが萎えることがある。ただ、それに従っても何も変わらない。“年齢は関係ない!”“やってみよう!”と立ち上がれば、新しい自分が見えてくる▼仏法は「現当二世」と説く。常に「今」「ここから」未来は変わっていく。きょう成すべきことに、果敢に挑んでいこう。(巍)


◆寸鉄

「まことの時はわするる
なるべし」御書。苦しい時
こそ信強く!それが師子
     ◇
長野婦人部の日。祈りと
励ましで郷土を明るく!
人材山脈の太陽は赫々と
     ◇
壁を築くより橋を架けよ
―古言。孤立進む現代。
人々の心結ぶ声掛け益々
     ◇
感染症の影響で防災備品
の中身変化と。マスク等
の準備も。各家庭で確認
     ◇
読書習慣ある人は認知症
の発症率が低い―研究。
学びの人生は永遠に向上


◆社説 2020・7・26 杉原千畝“命のビザ”から80年 豊かな知恵に満ちた日常を

 「人間として当たり前のことをしただけ」――。第2次世界大戦中の、今から80年前に、ナチスの迫害を逃れてきた多くのユダヤ人にビザを発給し、彼らの命を救った“日本のシンドラー”と称される外交官・杉原千畝の言葉だ。
 リトアニアの在カウナス日本領事館に勤務していた杉原が、ユダヤ人にビザを発給し始めたのは、1940年7月26日ごろ。それから1カ月以上かけて、約6000人もの人命を救った。
 彼の妻・幸子さんは、その“決断”の時の様子を本紙で回顧している。「最後に、『これでいいかい』と私に言うので、『そうしてください』と言いました。私も、主人と同じ考えでしたから」
 2度にわたり、ビザ発給の可否を本国に確認するも「否」。それでもなお、戦時下に訓令違反も辞さず、人道の信念を貫いた夫妻の勇気の行動は、不滅の良心の輝きを放っている。
 だが、杉原の優れた点は、ヒューマニズムだけではない。ビザ発給は、インテリジェンス・オフィサー(=情報の収集・分析のプロフェッショナル)として活躍してきた彼の真骨頂だった。
 杉原の研究に従事する白石仁章氏は「偉大なヒューマニストの側面に、希代のインテリジェンス・オフィサーの姿が加わってこそ等身大の杉原像に近づける」(『杉原千畝 情報に賭けた外交官』新潮文庫刊)と記す。
 カウナス在勤時、杉原が独断でユダヤ人に発給した“命のビザ”は「2139」。「6000」とは大きな開きがある。近年の調査で、1枚のビザで家族全員が救われた“特例措置”や、子どもの名前が併記されたケースが確認されている。
 押し寄せる人が増えることを予想し、8月初めの段階で調書を簡略化。さらに、効力を担保しつつ、手書きの大部分をスタンプ化することでビザの大量発給を可能に。この“決断”もまた、緻密な計算や秘策に裏打ちされた“英断”だった。
 そこには、戦渦の極限状態の中、“命を救う”と執念を燃やし、聡明に危機を乗り越え、不可能を可能にした英知が光る。杉原の行動から学ぶことは多い。
 今は誰もが多くの情報を入手し、発信できる時代だ。膨大な情報をいかに見極め、社会や人のために生かせるか。その見識や判断力が一段と問われている。
 池田先生は語っている。「知識は、究極的には、智慧をわきたたせるための手段である。智慧が『幸福』を生む。智慧こそ『人を救う力』であり、人が生きていくための根源の魂である」
 コロナ禍で環境が激変している試練の今こそ、より深く、強盛に祈り、豊かな知恵に満ちた日常を送りたい。


◆きょうの発心 経王殿御返事 長野第4総県婦人部長 村山香世子2020年7月26日

御文
 此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや(経王殿御返事、1124ページ・編569ページ)
通解
 この曼荼羅(御本尊)をよくよく信じなさい。南無妙法蓮華経は師子吼のようなものである。どのような病が、障りをなすことができようか。

家族一丸の祈りで病乗り越える
 唱題によって、どんな病にも負けない境涯を築くことができるとの慈愛の励ましです。
 1992年(平成4年)8月、池田先生が飯田の地を初訪問してくださいました。確信と慈愛の励ましに感動し、「生涯、先生、学会と共に」と誓ったことが原点です。
 結婚後、義父母らとの同居生活が始まりました。夫は念願かない、仕事で独立。経済苦の中、子どもや義父の病気など、宿命の嵐が襲いました。さらに、元気だった義母が突然、病に。御本尊に向かい宿業に立ち向かう義母の姿に信心を学びました。
 心が折れそうになる時もありましたが、この一節を胸に、家族一丸となって唱題に挑戦。一つ一つ乗り越えることができました。4人の子どもたちも後継の道を歩んでいます。
 8月14日には「総県の日」を迎えます。“師弟有縁の地”長野で広布に駆ける喜びを胸に、同志の皆さまと、励ましの輪を広げていきます。


【先生のメッセージ】

◆池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」 未来部と共に成長の夏を 2020年7月26日

 【写真の説明】陽光を浴びて輝くヤシの木。その向こうには、真っ青な海原が広がっていた――。1987年(昭和62年)2月、池田大作先生が、ドミニカ共和国の首都サントドミンゴでカメラに収めた。
 創価学会では今夏、「未来部ドリームチャレンジ期間」を推進(8月31日まで)。「未来部イングリッシュチャレンジ」をはじめ、各種コンクールの募集が行われている。子どもたちが“自分発”で取り組めるよう、創価家族が一丸となって応援していく。
 太陽の光を受けて草木が伸びるように、子どもは“励ましの光”によって健やかに育つ。わが家、わが地域の“後継の宝”と共に、挑戦と成長の夏にしていこう。
  
池田先生の言葉
 少子化が
 進む時代だからこそ、
 「一人」が大事である。
 「一人」を徹底して
 大切にしていくことだ。
 後継の一人一人が、
 「一騎当千の人材」に
 育ってこそ、
 平和の未来は盤石となる。
  
 師の夢は、
 弟子の夢である。
 弟子の勝利は、
 師の勝利である。
 これが「創価の師弟」だ。
 後継の未来部の皆さんも、
 この「師弟の道」に
 続いてもらいたい。
 未来部は私の生命である。
 未来部の勝利こそが、
 私の勝利なのだ。
  
 絶対に、
 君には君にしかできない、
 この世の使命がある。
 あなたには、あなたでしか
 咲かせられない
 人生がある。
 何を疑ったとしても、
 このことだけは
 疑ってはならない。
  
 夢と現実を結ぶ橋は
 「努力」である。
 努力する人は
 希望が湧いてくる。
 希望とは、
 努力から生まれるのだ。
 夢を大きくもって、
 走れるところまで
 走るのだ。
  
 よき先輩をもち得た人は、
 人生の宝を持った人だ。
 若き後輩の生命に、
 希望と成長の種子を
 残しゆく人は、
 偉大な人間教育の王者だ。
 わが創価学会にあって、
 未来部の育成に
 奮闘してくださる
 尊き皆様方こそ、
 その王者の中の
 大王者の方々である。
  
 さあ、後継者育成の夏、
 共に成長の夏だ。
 大切な未来部を
 皆で励まそう!
 宝の師子の子を、
 全力で育てよう!
 ここにこそ、
 広宣流布の永遠の前進と
 勝利の大道があると
 確信して!


【教学】

◆各国でのSGI教学研修会から――ラテンアメリカ教学研修会  「崇峻天皇御書」に学ぶ

 世界各国で開催されてきたSGI(創価学会インタナショナル)教学研修会。今回は、昨年9月にアルゼンチンで行われたラテンアメリカ教学研修会の講義を紹介する。7カ国から集った友が、清水SGI副教学部長の担当で「崇峻天皇御書(三種財宝御書)」を研さんした。

 師匠が立ち上がる。さらに後継の弟子が立ち上がる。そして共に勝利する。これが、広宣流布の前進のリズムです。この師弟共戦の勝利の方程式をもって、今日の世界広布の大道を開いてくださったのが創価三代の会長です。
 その上で、池田門下である私たちが勝つことによって、日蓮大聖人の仏法が受け継がれ、未来に流布されていくことが決定づけられます。
 そこで、きょうは、広布と人生における“勝利の要諦”ともいうべき「心の財(たから)」と、「人を敬う実践」の2点について、「崇峻天皇御書(三種財宝御書)」を通して、学んでまいりましょう。

自分の住む場所で信仰の実証を
 本抄は建治3年(1277年)、四条金吾に与えられました。

 当時、金吾は主君を折伏したことにより、主君から疎まれ、ついには“法華経を捨てなければ所領を没収する”と迫られ、窮地に立たされました。しかし、主君が病に倒れ、医術の心得があった金吾が看病に当たることになり、その誠実な姿に徐々に長年の誤解が解け、信頼を回復していくのです。  一方、依然として、周囲には金吾を追い落とそうと狙う者がおり、油断できない状況でした。そこで大聖人は、本抄で金吾に対し、生活や言動に至るまで細かな注意を与えられます。
 さらに、金吾の勝利を不動のものにするため、信心の楔を打ち込まれていくのです。本抄からは、どこまでも弟子の勝利を願われた大聖人の深い慈愛が伝わってきます。 
​​​ 金吾は大聖人の指導の通り、忍耐強く、主君に最大の誠意を尽くし、自身を錬磨していきました。この自らの心の変革、すなわち「人間革命」をもって勝利の扉を開いたのです。金吾は、本抄を送られた後、主君の病を治したことによって厚い信頼を受け、所領も以前の3倍になるなど、見事な実証を示しました。この苦闘を通して金吾が勝ち取った最高の宝――それは、「心の財」でした。

7カ国の友が参加したラテンアメリカ教学研修会(2019年9月、アルゼンチンの首都ブエノスアイレス近郊のテクノポリス・スタジアムで)

〈「崇峻天皇御書」の一節〉
 人間として生を受けることはまれであり、爪の上に乗った土のようにごく少ない。人間として命を持ち続けることは難しく、草の上の露のようにはかない。百二十歳まで生きて名を汚して死ぬよりは、生きて一日でも名をあげることこそ大切である。「中務三郎左衛門尉(四条金吾)は、主君に仕えることにおいても、仏法に尽くすことにおいても、世間における心掛けにおいても、大変に素晴らしい」と鎌倉の人びとの口にうたわれていきなさい。「蔵の財(たから)」よりも「身の財」がすぐれている。「身の財」よりも「心の財」が第一である。この手紙をご覧になってからは、「心の財」を積んでいきなさい。(御書1173ページ13行目~16行目、通解)
  ​​​​​

 長寿であることはもちろん喜ばしいことですが、かけがえのない人生で何をなすのか。どう生きるのか。どのような人生の目的を定めているのか。これこそが最も大事であるとの大聖人の御教示と拝されます。 
 また、「生きて一日でも名をあげることこそ大切」と仰せです。
 「名をあげる」とは、人間として最高に充実した人生を送ることであると思います。そういう人生を、具体的に「『主君に仕えることにおいても、仏法に尽くすことにおいても、世間における心掛けにおいても、大変に素晴らしい』と鎌倉の人びとの口にうたわれていきなさい」と仰せです。
「主君に仕える」とは、主君に信頼されるということ。今で言えば職場、社会で勝利するということでしょう。
「仏法に尽くす」とは、法を弘め不退の信心を貫くことです。

「世間における心掛け」とは、世間(社会)からの信用を得ることです。たゆまず心を磨き、自分の周辺、家族、地域の人たちから信頼され、称賛される自分になっていきなさい、ということです。 
 そして「鎌倉の人びとの口にうたわれていきなさい」と仰せです。
 今、現実に自分の住むその場所で信仰の実証を示し、人々から称えられる。これ以上の身近で具体的な目標はありません。
 それは、信心で培(つちか)われた人間性の力による勝利、仏法者としての最高の勝利といえます。

学会活動こそ「心の財」を積む作業

 こうした勝利の人生を築く要諦として、「心の財」が根本であると大聖人は教えられていきます。
 
 ここで、改めて三つの財について確認します。
 「蔵の財」は物質的な財産。「身の財」とは、健康や身につけた技能。「心の財」とは、「心の豊かさ」であり、根本的には「信心」のことです。信心によって現れる「仏の生命の輝き」ともいえます。 この三つの財について語られているのは、この中で「心の財」を強調されるためです。それが「『心の財』が第一」という表現です。 
 この一節は「蔵の財」や「身の財」それ自体を否定しているわけではありません。「心の財」を根本にしなければ、本当の勝利の人生は築けないということです。また「心の財」によって、「蔵の財」「身の財」も生かされ、その真の価値も発揮されていくということです。このことについて、池田先生は次のように言われています。

〈池田先生の指導から〉
 「心」こそ、人生の最高の「財宝」です。それは、「心」の中に、偉大な可能性と無上の尊極性が具わっているからです。「心」は、いくらでも広がります。また、いくらでも深められます。そして、いくらでも強くなります。(中略)人生をよりよく生きるために、内なる心の世界をどう広げゆくか。いかに心を鍛え、「心の財」を積んでいくか。そのために妙法があるのです。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第4巻) 
 先生は常々、「心の財」は絶対に壊されない、と教えてくださっています。
 どんな逆境にあっても、前へ前へと進んでいける力の源泉が「心の財」です。日々の学会活動も、この「心の財」を積み重ねていく作業にほかなりません。大聖人が仰せの「心の財」とは、三世永遠の福徳となってわが身を飾る、壊れることのない永遠の価値なのです。

「人を敬う」実践が心を鍛える要(かなめ)
 本抄では、「心の財」を積むための根本的な生き方が示されています。それは「人を敬う」実践です。
​​​​​
〈「崇峻天皇御書」の一節〉
 釈尊一代の肝心は法華経であり、法華経の修行の肝心は不軽品である。不軽菩薩​が人を敬ったことには、どのような意味があるのだろうか。教主釈尊の出世の本懐は、人の振る舞いを示すことにあったのである​。(御書1174ページ、14行目~15行目、通解) ​​​​​
 「人を敬う」実践とは、自他共の生命に、仏の生命を見る実践です。それは具体的には唱題と折伏です。
 どんなにつらく大変な時でも題目を唱える――それは、自分の中の仏の生命を確信する実践です。
 そして、友人に仏法対話をする――それは“万人に尊極の仏性あり”との信念を、不動のものにしていく実践です。 
 この「人を敬う」実践の拡大こそ、仏の永遠の誓願である広宣流布です。ゆえに、大聖人の教えの通りに世界広布の誓願を貫き、日々、学会活動に励む一人一人の生命に、仏の生命が脈動していることは間違いありません。

教学研修会はアルゼンチンSGIの池田青年文化センターでも(2019年9月)

地球規模で友情結ぶ創価の連帯
 仏の誓願を「人を敬う」実践に移し、自他共の可能性、仏界を信じ抜く人には、行き詰まりも、絶望もありません。だからこそ、大変な苦境にある人にも希望と勇気を与え、人々の間に友情と信頼の絆を結んでいけるのです。
 それを地球規模で実現しているSGIの存在を、世界が注目し、称賛し始めています。ますますそういう時代に入ってきたと思います。SGIの友は、各国の、そして世界の平和の大連帯を築く、かけがえのない「人類の宝」の存在であると確信します。 
 池田先生は、小説『新・人間革命』が完結した直後の随筆で、世界広布への新たな出発を呼び掛けてくださいました。このご指導の拝読をもって、講義を締めくくりたいと思います。

〈池田先生の指導から〉
 師と同じ大法弘通の大願に立てば、力は無限に湧き出(いだ)すことができる。それが、誇り高き地涌の菩薩の底力だ。 師弟の誓願の太陽は、母なる地球を照らし、未来永遠を照らす光源として、今、いやまして赫々と輝き始めたのである。あの国にも、この天地にも、友がいる。民衆が待っている。さあ、人類が待望してやまぬ「世界広布」即「世界平和」へ、新たな決意で、新たな出発だ。
 我は進む。君も進め。
 我は戦う。君も戦え。
 我は勝つ。君も勝て。


 我らは、共々に「人間革命」の大光を放ちながら、新鮮なる創価の師弟の大叙事詩を綴りゆくのだ! 君と我との誓願の旅を、永遠に!(『随筆 輝く民衆の大城』<「人間革命」の大光>)


【聖教ニュース】

◆<アフターコロナの世界>先人の営みから今を生きる知恵をつかむ 東北大学 平川新名誉教授
2020年7月26日

1950年、福岡県生まれ。法政大学文学部卒、東北大学大学院文学研究科修士課程修了。博士(文学)。専門は日本近世史(江戸時代)研究、歴史資料保存学。宮城学院女子大学助教授、東北大学教授、同大東北アジア研究センター長・災害科学国際研究所所長、宮城学院女子大学学長を歴任。著作に『伝説のなかの神――天皇と異端の近世史』『紛争と世論――近世民衆の政治参加』『戦国日本と大航海時代――秀吉・家康・政宗の外交戦略』などがある。

 「祈り」から始まった災厄との戦い。連綿と受け継がれる先人の思いと教訓を、私たちはいかに継承すべきか。(「第三文明」2020年8月号から、6月10日取材)

災厄と対峙し続けた先人の歩み
 去る5月25日、国内に出されていたすべての緊急事態宣言が解除されました。今後は新型コロナウイルス感染症の第2波、第3波に備えながら、新しい生活様式に適応していくことになります。同時に、感染の拡大を一定程度に抑制できている今こそ、ここまでの経緯や対応を一度総括し、「歴史の教訓」として残すべきであると考えます。
 そのためにもまず、私たちの生きる現代社会がどのような成り立ちを経てきたのか。とりわけ、先人が災厄に対し、いかに向き合ってきたのかを学ぶ必要があります。
 太古の昔、国は帝王の「徳」によって統治されるものと考えられていました。ゆえに災厄の発生も、帝王の徳に左右されると受け止められていたのです。
 このため歴代天皇は、統治の正統性を守るべく「祭祀」、すなわち祈りの力で災厄を払おうとしました。奈良時代に編纂された歴史書『日本書紀』には、第10代・崇神天皇が祈りの力で疫病を鎮めたとの伝承が残されています。
 また、仏教公伝(6世紀半ば)以降は、いわゆる鎮護国家の思想が発達しました。第45代・聖武天皇は、震災・飢饉・疫病など相次ぐ災厄を退治すべく、東大寺(奈良県)に大仏を建立。全国各地には国分寺・国分尼寺を創建し、仏教の力で国家安泰を図ろうとします。
 このほか歴代天皇は、改元による災厄退治も試みています。古来、帝王には時間と空間を支配する力があるとされてきました。その象徴が元号で、制定は天皇の専権事項だったのです。
 元号の制定には「災異改元」と称する考え方があり、元号を変えることで災厄を払うことができると信じられていました。わが国では、大化(645年)から令和まで248の元号が存在しますが、そのうち100を超える元号が災異改元によります。これは新天皇即位による改元の74回を大幅に上回ります。
 一方、先人たちは、ただ神仏に祈りをささげていただけではありません。貴族から庶民に至るまで、それぞれの立場で、またときには他者とも協力しながら、災厄と向き合っています。
 たとえば、聖武天皇の皇后(光明皇后)は仏教に帰依し、悲田院(貧しい人や孤児を救うための施設)や施薬院(病人の治療のための施設)を開き、貧者や病者の救済に力を尽くしました。
 また、平安時代に入ると、天皇が大災害の発生時などに賑給(衣料・食料の支給)を行い、民心の安定を図っています。さらに、都の治安と民生を担当した検非違使らも、行き倒れた民衆の遺体を回収し、不衛生な環境が広がらぬよう努めていました。
 現在、庶民の文化として根付いている催しのなかにも、災厄と関係の深いものがいくつもあります。たとえば、室町時代に始まったとされる節分行事は、人智を超えた災厄を起こす存在である「鬼」を払うために行われました。また、村祭りの多くは、五穀豊穣や家内安全だけではなく、悪病退散を祈願する年中行事でした。打ち鳴らす太鼓や笛の音によって、悪霊を追い払おうとしたのです。
 ほかにも道端の石碑を注意して見てみると、「疱瘡神」と刻まれた石碑が残されています。これは疱瘡(天然痘)で亡くなった人々を供養するとともに、悪病が再び流行しないよう祈りを込めて建てられたものです。

明治期に起きたコレラの大流行
 こうして先人たちは、たび重なる災厄を乗り越えてきたわけですが、時代を経るごとに災厄に対する経験値を高めていきます。
 これは私の地元、東北・仙台藩での出来事ですが、1773年に気仙郡(岩手県)の村人たちが集団で上方参詣(伊勢参りなど)へ出かけました。途中、東海道で疫病に感染し、10人に3人くらいが死去。残りが半死半生の状態で、ふるさとに戻ったといいます。そこから地域一帯に感染が拡大し、翌年までに1万3473人が罹患。このうち2000~3000人が命を落としたと伝わります。
 仙台藩は速やかに医師を派遣し、治療に当たりました。同時にある村では、死者が出た家は自宅を固く閉じ、感染が外へ広がらないよう努めました。また周囲も、そうした家には決して出入りせず、病気の見舞いも自粛したため、感染拡大を免れたといいます。恐らく、陽性患者に近づけば、自身も感染するとの認識があったのでしょう。
 ほかにも、ヨーロッパでは屎尿が町なかに投棄され、感染症の拡大につながった事実がありますが、江戸の町では農村の肥料として屎尿が買い取られていました。結果的に市中の衛生が保たれ、深刻な感染症が起こりにくかったのではないかと考えられます。
 もちろん、こうしたことがすべて感染症対策を意図して生まれたものとはいえません。実際、近代的な公衆衛生の仕組みや防疫対策がなされるようになったのは、明治時代に入ってからです。
 幕末から明治期にかけて、日本ではコレラが流行しました。“ころり”と人が死ぬことから「狐狼狸」とも呼ばれたコレラ。1858年には、江戸だけで10万人以上が亡くなりました。
 明治に入り、清国でコレラが流行し始めたと知った政府は、1877年に「虎列刺病予防法心得」を布告し、患者の届け出を医師に義務づけます。また、各地に「避病院」(伝染病院)を建設し、患者の収容と隔離を進めました。それでも、77年から79年にかけてコレラが爆発的に流行し、感染者は17万人を超え、11万人もの人々が亡くなりました。
 問題だったのは、防疫対策を強権的に進めてしまったことです。当時、感染者を隠そうとしたり、加持祈祷で治そうとしたりして、あげく末期状態で病院へ担ぎ込まれる事例が続出しました。そこで政府は、警察による収容も可能としたのです。
 実はこのときの経験と反省が、現代につながっています。先に述べた予防法心得や避病院の仕組みは、「伝染病予防法」(現在の感染症法)や伝染病院・隔離病舎の設立に引き継がれています。また、対策の指揮についても、警察ではなく医師と行政が中心となって行うようになりました。その伝統が現在も受け継がれ、今回の感染症対策につながっているのです。

世界に広がる「祈り」
 すでに、アフターコロナの時代をいかに築いていくか、社会の各分野で議論がなされています。ですが、社会づくりの根本は、為政者(政治家)のリーダーシップによることは論をまちません。そして政治の指導力は、国民の信頼に左右されます。ゆえに為政者は、国民の信頼に応える政治をすべきと考えます。
 一方で、危機のときはポピュリズム(大衆迎合主義)が台頭しやすくなることにも注意が必要です。では、あるべき政治のリーダーシップとはどういうものか。私はその姿を江戸時代三大改革の一つ、天保の改革を主導した幕府老中の水野忠邦という人物に見ます。
 水野といえば、庶民を苦しめ、かつ改革に失敗した人物として批判されています。ですが、私は違う評価をしています。確かに水野は、奢侈(ぜいたく)を禁じて風俗を取り締まり、歌舞伎小屋の郊外移転も強行しました。しかし、それは高騰した物価を引き下げるためであり、芝居小屋が火事を頻発させていたからです。また江戸町奉行の反対にもかかわらず、流通特権を持っていた株仲間(企業カルテル)の解散も断行しました。
 くわしくは自著『開国への道』(全集日本の歴史第12巻、小学館)で論証していますが、結果として改革の目的どおりに物価は下がり、庶民の暮らしは守られたのです。その意味で、近代につながる新しい自由市場は、水野の改革から始まったといえます。
 それでいて不人気なのは、彼が庶民におもねらずに改革を断行して、人々に少なからぬ痛みを与えたからでしょう。また、改革について丁寧に説明するなどの庶民の共感を得ようとする姿勢を欠いた点も一因かもしれません。
 政治への評価は、歴史によって変わるものです。ゆえに、政治家の皆さんには世論の批判を恐れず、本当に必要な政策や改革は何かを考え、かつ自分の言葉で国民に訴えかけてほしい。それが危機にある今、求められるリーダーシップのあり方だと思います。
 今、新型コロナウイルス禍を鎮める祈りが、世界各地でささげられています。それは宗教者のみならず、ありとあらゆる立場の人々が、一日も早い終息を祈っているのです。
 こうした「祈りの連帯」ともいえるものを、コロナ禍のはるか以前から世界に広げてこられたのが創価学会の皆さんです。皆さんは自身の幸福のみならず、他者の幸せ、そして世界の平和を毎日祈っていらっしゃる。祈りは人の心を豊かにし、心に明日への希望の灯をともします。ゆえに、太古の昔から人々は、災厄に対して祈りをささげてきたのでしょう。
 コロナ禍によって、人々の心は傷つき、世界は分断の方向に向かっています。世界はコロナ以前と後で、その歴史を大きく変えてしまうかもしれない。アフターコロナの世界を、「祈り」の大切さを見つめ直すことから始めていく――それもまた、歴史が伝える教訓なのかもしれません。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈世界の識者の眼〉 イタリア宗教社会学者 ピエルルイジ・ゾッカテッリ氏2020年7月26日
 支え合う連帯づくりを  “誰も置き去りにしない”学会の運動に期待


ドブラーレ博士㊧と握手を交わす池田先生(1984年12月、東京で)。ゾッカテッリ氏は国際宗教社会学会の会長を務めた博士のもとで、創価学会の研究を進めてきた

 イタリア共和国政府とイタリア創価学会との間で結ばれたインテーサ(宗教協約)が発効して、今月で4年。同国創価学会に対する社会からの信頼は揺るがぬものとなり、コロナ禍における支援活動にも深い共感が寄せられている。なぜイタリアで仏法は広がったのか。これからの時代に求められる宗教の使命とは何か。長年、学会を研究している著名な宗教社会学者のピエルルイジ・ゾッカテッリ氏に聞いた。(聞き手=西賢一)

信仰の歓喜を共有する生き方
 ――創価学会との出あいは、25年以上前だと伺いました。
  
 1994年5月、ローマ・ラ・サピエンツァ大学で開催された仏教に関する学術会議に参加したことを、印象深く覚えています。
 会議では、創価学会の諸活動や池田大作博士の思想について、研究者からの報告がありました。
 実は、その以前から、創価学会のことはよく知っていました。というのも、私は他の専門家と共に、学会がどのようにして全国的な発展を遂げてきたのか、興味をもって研究していたからです。
 その後、私は96年から98年にかけて、ベルギー・ルーベン大学のカール・ドブラーレ博士の指揮のもと、学会の研究を進めました。
 ドブラーレ博士は、国際宗教社会学会の会長を務めた方です。同学会の初代会長であるイギリスのブライアン・ウィルソン博士と同国SGIについての共同研究書『タイム・トゥ・チャント』を著したことでも知られています。
 ドブラーレ博士との研究成果は、後に一冊の本に編集して発刊することができました。
 タイトルは『創価学会――在家運動が宗教になる』です。反響を呼んだイタリア語版に続き、フランス語、英語でも翻訳・出版されています。
  
 ――学会を研究する中で、注目した点についてお聞かせください。
  
 人類の宗教運動の歴史から見ても、短期間で会員数が急速に増えたという点は、非常に重要であると思います。
 しかし、それ以上に私が注目したのは、信心によって自身の生命や人生の中に湧き起こってきた「歓喜」を、創価学会の皆さんが一人でも多くの人に伝えたいと願い、行動している点です。
 日蓮仏法は、人々が生きていく上で直面する悩みに対し、精神的・物質的な「功徳」という説得力のある答えを与えてくれます。
 さらに言うと、そうした功徳も活動全体の一部に過ぎず、会員の方々は教義の研さんや実践を通して、自身を変革し、自分にしか果たせない使命を見いだそうとしています。
 仏法によって人生が変わった――その喜びを、周囲の人々とも共有しようとする姿に、私は大きく心を動かされました。
 こうした現象は、他の宗教にも見られますが、創価学会の最大の特徴ではないでしょうか。だからこそ、ここまで発展したのだと思います。

正しい道示す人生の羅針盤
 ――池田先生は「真実の宗教は、人々の心に希望の火を点すものである。社会の未来を照らしていくものである」と言われています。若者を中心とした「宗教離れ」も指摘される中、これからの時代における宗教の使命を、どのように見ておられますか。
  
 池田博士の視点に心から共感します。
 振り返れば、20世紀前半に勃発した二度の大戦は、当時の西洋世界に広がっていた全体主義的傾向が影響していました。
 しかしその傾向は、東西冷戦の象徴である「ベルリンの壁」とともに破壊されたように思われます。
 その後、2001年のアメリカ同時多発テロなどにつながる過激な宗教現象も起こりましたが、時代の変遷の中で、宗教が果たすべき役割は、ますます大きくなっています。現代化などにより、宗教の重要性は低くなるという見方があったにもかかわらずです。
 宗教の使命とは、それぞれの宗派・団体がもつ叡智を生かし、平和な世界を築くことにほかなりません。思想や民族などの壁を超えて、異なる人間同士の共生を実現することができれば、「戦争の20世紀」とは違う「平和の21世紀」を開いていける

――そこに宗教の価値があると私は確信しています。

 「宗教離れ」について言えば、国や世代によって状況が全く違っています。
 例えば、信教の自由が根付いているアメリカは、欧州諸国と比較して、宗教が社会に受容されています。
 韓国や台湾など、この数十年で経済的・政治的に発展してきた国や地域では、宗教への関心が高まっていることが分かりました。
 若い世代が宗教から離れる傾向があるのは事実ですが、将来的には信仰を求めるようになる、という意見もあります。
 宗教は人生の羅針盤となるものです。困難に直面した時に、正しい方向へと導いてくれます。そうした意味では、子どもの頃から家庭や学校の中で、宗教の価値を正しく伝えていくことが大事でしょう。
  
 ――イタリアや日本では、少子高齢化・人口減少が急速に進行しています。また現在は、世界中で新型コロナウイルスが猛威を振るっています。山積する地球規模の諸課題に、私たちはどのように立ち向かっていくべきでしょうか。
  
 少子高齢化・人口減少は、両国において、さまざまな課題の一つではなく、極めて深刻な事態として受け止められています。
 イタリアの人口は、日本の約半分です。合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産む子どもの推計人数)は両国共に低く、50年後の人口は、それぞれ大幅に減ると予測されています。高齢化もさらに進むため、現在の若い世代が抱える将来的な負担は大変なものです。
 目下の新型コロナウイルスの感染拡大もそうですが、重大な問題が起きた際に大切になるのが、自身の生活の場に存在する「コミュニティー(共同体)」ではないでしょうか。宗教団体も、その一つです。
 創価学会などの団体・組織は、誰も置き去りにすることなく、とりわけ未来を担う青年たちに希望の光を注いでいくべきであると思います。
 コミュニティーは、困難を乗り越えていく力になります。
 スティーブ・ジョブズ氏(米アップル社共同創業者)は「Stay Hungry.Stay Foolish(ハングリーであれ。愚か者であれ)」という言葉を青年たちに贈りましたが、私はこのような時代だからこそ「連帯をつくり、支え合って生きていこう」と強調したいのです。 

 PierLuigi Zoccatelli 1965年生まれ。宗教社会学者。フランス・パリの高等研究実習院で宗教学を研究。宗教的少数派を研究する学者(専門家)の国際的機関「新宗教研究所(CESNUR)」の副所長を務める。バチカン・サレジオ会大学教授。トリノ大学研究所科学委員会「推移する現代宗教と信仰」委員。トリノ在住。

 

◆信仰体験​ 可憐な最上紅花 いのちの力を感じて​

2018年、山形県の紅花は日本遺産に。翌19年には日本農業遺産に認定された。いずれも大山さんは推進協議会、振興協議会の一員として、紅花料理11品のレシピ考案等に携わった。それが「紅花膳」に認定された

【山形県天童市】夏の訪れを告げる紅花。その昔、シルクロードを通り、大陸から伝来したといわれる。大山るり子さん(70)=地区婦人部長=は、その花の持つ力強さに魅せられた。黄色い花から紅を生み出す不思議さと美しさにも引かれた。「紅花は、見てよし、染めてよし、食べてよしなんです」。好きが高じて最上紅花を育み、魅力を伝えている。
 山里に広がる紅花畑。早朝、小鳥のさえずりが心地よく響く。朝露に濡れた黄色い花びらを摘む女性たち。これが村山地方の夏の風物詩である。
 「紅花には棘(とげ)があるからね、少し濡れている方が摘みやすい」。指先でそっと花弁を包み込み、摘み取る。摘むほどに指先は黄色く染まっていく。「99%が黄色の色素。紅はわずか1%しか取れないんです」
 紅花から作られる天然の染料「紅」。江戸時代には山形産が全国の生産量の大半を占め、京都の西陣織はじめ着物の染色、はたまた口紅など化粧用の原料となった。かつて金の何倍もの価値があったというから、その希少さがうかがい知れる。
 紅花染めは「紅もち」づくりから始めるのが伝統的だが、花びらを天日干しにしてつくる「乱花」を使う方法もある。半日かけて丁寧(ていねい)に黄色の色素を抜く作業を繰り返せば、紅が生まれる。そこに不思議な生命の力を感じる、という。
 たった一輪の花。されど、その花の力に魅せられた人々がいた。国境を越え、時代を超えて、種を守ってきた人々がいた。そこには次の世代に伝えていく情熱があり、いくつもの人間ドラマがあったに違いない。目を閉じた大山さんは「紅花は人と人をつなぐ花。広布のロマンに通じるものがあるなって思う」。

 小雪舞う真冬のある日、父を病で亡くした。深い悲しみが母子を襲った。まだ多感な15歳だった。「寒さがあんなに身に染みた日はなかった。でもね、父が仏法に巡り合わせてくれたんだ。そう思えてならないんです」
 知人の紹介で一家は創価学会に入会。父亡き後、生活苦を抜け出そうと信心に励んだ。母は小さな雑貨店を営み、夜遅くまで働いた。毎夜、題目を唱える母だった。
  二人で折伏にも歩いた。学会への無理解から、心ない言葉を浴びせられることも多かった。生活が楽にならず、悩み苦しむ日々が続く。大山さんの胸の内を察した母は決まって、こう言った。
 「大丈夫だあ、るり子。心配しなくていい。どんなに厳しい冬も、必ず春になんだあ。うれしい時も、悲しい時も題目だあ。一番苦労した人が一番幸せになる信心だ。池田先生が教えてくれてんだ。間違いねえ」
 母の言葉が希望の種になった。学会の鼓笛隊に入り、御書を拝し、学会活動に励んだ。いつしか池田先生を師匠として慕うようになった。
 21歳の時にアートフラワーを知り、デザイン専門学校へ。花を使った芸術の世界にのめり込んだ。やがて故郷の県花・紅花と出合う。「こんなに素晴らしい花が身近にあったんだ」

 奥深さに引かれた大山さんは1990年(平成2年)、紅花染めの匠に教えを請うた。当初、険しい顔をしていた匠が言った。「本当はな、よそもんには教えたくねえんだ。あんたの熱意を感じたんだ。伝え残してけろ」。その言葉に胸が熱くなった。使命を感じた。
 JR天童駅のビル1階に店を構えて43年。教室を開き、紅花染めや押し花体験を手ほどきする。そこに集う人との絆を大事にしてきた。それが少しずつ大きな輪となっていく。地道な活動を10年、20年と続ける中でマスコミにも取り上げられるようになった。
 一方で容赦なく大山さんを試練が襲う。子どもの病が相次いだ。「代われるものなら代わってあげたい」。苦しむわが子の姿に涙した。折れそうな心を支えてくれたのは温かい同志の存在だった。祈り戦い、悩みを一つ一つ乗り越えていった。

「同志の励まし、そして“負けるな、負けるな”という池田先生の言葉に、どれほど勇気づけられたか分かりません。子どもが病を通して、私に信心を教えてくれたんです。乗り越えられない悩みなんてない。誰もが自分にしか咲かせられない使命の花を持っている。わが子も同じです。今は心からそう言えます」 県内の高校や小学校で数年前から紅花染めや紅花料理を教える。「未来を担う子どもたちに郷土の紅花の魅力、いのちの力を伝えられる。それが本当にうれしい」

 

2020年7月25日 (土)

2020年7月25日(土)の聖教

2020年7月25日(土)の聖教

◆わが友に贈る

   学び続ける人に
 行き詰まりはない。
 徹底して自身を磨き
 哲学と見識を備える
 賢者の振る舞いを!

◆名字の言   ベートーベンの音楽は「悩むものの友だち」2020年7月25日

 今年、生誕250周年となる楽聖ベートーベンについて、音楽評論家の吉田秀和氏がつづっている。「ベートーヴェンの音楽は、ほかのどんな音楽よりも、悩むものの友だちであり、ときに、慰め手である」(『吉田秀和全集1』白水社)▼楽聖が人生の途上で味わった苦悩の深さは計り知れない。突然の家族の死、貧困と孤独、音楽家として致命的ともいえる難聴……▼その中で彼は、勇気を湧き立たせ、希望を見いだし、作曲という“戦い”に挑み続けた。「勇気、からだがどんなに弱っていようとも精神で打ち克ってみせよう」(小松雄一郎訳)、「希望よ、お前は心を鉄にきたえる!」(吉田秀和訳)と。だからだろう。彼の音楽は時を超え、国を超え、人々の心を鼓舞し続ける▼各地に甚大な被害をもたらした「令和2年7月豪雨」。50年間住んできた自宅が損壊した壮年が語っていた。「絶対に負けません。復活する姿を見ていてください」。ある婦人は自ら被災しながらも、懸命に友を励ましていた。「大丈夫。師匠と同志が祈ってくれています。一緒に乗り越えましょう」▼苦難があれど、試練があれど、不屈の心で連帯し、前へ前へ進む創価の友。この“蘇生の劇”は必ず、偉大な音楽のごとく、勇気と希望の曲を奏で続ける。(誠)


◆寸鉄

「今日蓮等の類いは善の
導師なり」御聖訓。試練の
時こそ地域の灯台と輝け
     ◇
「志の固き人は幸いなる
かな」詩人。広布に生き
抜く人生は最も尊く幸福
     ◇
社会の基盤は、家庭にあ
る―戸田先生。親子で信
心継承の夏季友好期間に
     ◇
北極圏が記録的高温に。
温暖化が原因と。未来を
守るため人類の英知結集
     ◇
マスク、手袋等の“コロナ
ごみ”が海・川で増加。自
分勝手の心捨て規則守れ

 

【先生のメッセージ】


◆〈心に御書を〉62 未来部員は輝く「宝塔」なり 2020年7月25日




〈御文〉

 日女御前の御身の内心に宝塔品まします凡夫は見ずといへども釈迦・多宝・十方の諸仏は御らんあり(日女御前御返事、1250ページ)
〈通解
 日女御前の御身の内に厳然と宝塔品はましますのである。凡夫には見えなくとも、釈迦、多宝、十方の諸仏はご覧になっているのである。
〈池田先生が贈る指針〉
 未来部の育成は、令法久住の仏事だ。尊き担当者に感謝は尽きない。
 仏眼で見れば、どの子の生命も「宝塔」である。全員が、妙法の当体だ。地涌の使命を自覚するとき、宝の可能性はダイヤのごとく輝きを増す。
 一人の宝塔を開くことは、「世界広布」の未来を開くことだ。励ましの福徳は無量である。
 共々に成長の夏を!

 

【教学】

◆ONE GOSHO ~この一節とともに!~ 男子部教学室編 南条殿御返事

平和の楽土を築く挑戦
 本年8月で終戦75年――。日蓮仏法は、万人の幸福のための「平和の哲学」にほかならない。今回は、妙法を弘めることが、社会を変えゆく方途であることを学ぶ。​

御文
​​​​​​​​​ かかる不思議なる法華経の行者の住処(すみか)なれば・いかでか霊山浄土に劣るべき、法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊しと申すは是なり​​​​​​​​​(御書1578ページ)​

通解
 このように不思議な法華経の行者の住処であるから、どうして霊山浄土に劣ることがあるだろうか。法華文句に「法が妙であるがゆえに、その法を持った人は貴い。人が貴いがゆえに、その人がいる所も尊い」といっているのはこのことである。


背景
 本抄は弘安4年(1281年)9月、日蓮大聖人が身延で著され、駿河国(静岡県中央部)の門下・南条時光、あるいは南条一族の誰かに与えられたと推定されている。

 頻発する自然災害や、深刻な飢饉、疫病の大流行に加え、本抄ご執筆の直前には2度目の蒙古襲来があり、世情は極めて騒然としていた。
 そのような状況下で、お手紙を頂いたこの門下は、何らかの病を患っていたようだが、大聖人のもとへ使いを送り、赤誠の御供養を届けた。
 大聖人は、困難な中でも供養を届けた門下の真心に対し、末法で法華経の行者にわずかでも供養する人は、計り知れないほどの大果報を受けるであろうと、門下の志を最大に称えられている。

解説
 本抄の冒頭、日蓮大聖人は、門下の病身を気遣われ、“再会する日を待ち望んでいる”と慈愛の励ましを送られている。
 御執筆当時、大聖人が住まわれたのは、人里離れた身延の山中にある、小さな草庵であった。


 しかし大聖人は、拝読御文で、正法受持の人の尊貴さを表した天台大師の『法華文句』の言葉を引かれ、妙法を実践する法華経の行者がいる場所であるがゆえに、霊山浄土(仏の住む清浄な国土)にも劣らないと述べられている。
 「法華経の行者」とは、妙法を持ち、実践する人のことである。
 現代でいえば、大聖人の仏法を正しく実践し、妙法弘通に生き抜く、創価学会員一人一人である。

 人間の真価は、いかなる法を持ち、いかなる生き方をするかで決まる。
 世界最高峰の哲理を持ち、広布に励む人は、世界で最も尊貴な存在であり、その人の住む場所もまた、平和と安穏の仏国土として輝かせていくことができるのだ。
 言い換えれば、自分が今いる場所を“希望の天地”として開いていく実践が、仏法者の使命なのである。
 とりわけ、混迷の渦巻く現代社会にあって、対話によって世界第一の生命尊厳の思想を広げることで、地域や社会、職場を一段と繁栄させゆく挑戦こそ、私たち男子部の責務にほかならないのだ。
 池田先生はかつて、終戦の日を前に、「いずこの地を訪れても、私が祈りを込めて拝してきた御聖訓」として、今回の御文を記し、こうつづられた。
 「たとえ今、どんな苦境にあろうと、妙法を受持した創価の友が献身する国土が、平和に勝ち栄えていかないわけがない。草創以来、この確信で同志を励まし続けてきた」
 この師の心をわが心とし、学会員は“一人の変革が社会を変える”との「人間革命」の精神を胸に、地域社会に尽くしてきた。
 その陣列は今や世界192カ国・地域に広がる。この「人間革命の連帯」こそ、平和建設の最大の力にほかならない。

 広島への原爆投下から48年後の1993年(平成5年)8月6日、先生は小説『新・人間革命』の執筆を開始された。その冒頭に「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない」とつづられた真情を、かつて、「『原爆の日』に、自らに下した、平和への闘争宣言であった」と述懐された。
 翻って今、師の“闘争宣言”を受け継ぎ、平和の世紀を開くのは、私たち後継の青年の使命である。
 「誰か」ではなく「自分」が、「いつか」ではなく「今」、大確信の対話に挑み、人間革命の大連帯を広げたい。

〈大学校生とナットクTALK〉テーマ:世界宗教

Q:なぜ学会は多くの国に広がったの?

A:「一人」を大切にしてきたから

 赤羽ニュー・リーダー 聖教新聞に「世界青年部総会」がオンラインで開催されるって書いてありましたね。

 中村区男子部大学校団長 そうそう、9月下旬の予定だよ。
 赤羽 海外の人と一緒に会合なんて、すごいですね。学会って、何カ国に広がっているんですか?
 中村 192カ国・地域だね。ほぼ世界中になる。
 赤羽 そんなにですか!? でも日本の仏教がどうやって広まったんでしょうね。
 中村 いい質問だね。日蓮大聖人は「法華経の大白法の日本国並びに一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか」(御書265ページ)とおっしゃっていて、世界中に広まることを確信されていた。その大聖人に連なる仏意仏勅の教団として、実際に妙法を世界に広げているのが創価学会なんだ。
 赤羽 逆に、学会誕生以前は、広まっていなかったということですよね。なぜ学会にはできたんでしょうか。
 中村 一つは、現代の人に分かりやすく大聖人の仏法を語ったということが言えるんじゃないかな。たとえば学会員がよく使う「宿命転換」という言葉に象徴されるように、“人生は自分で切り開くことができる”という考え方は、国や文化にかかわらず、苦しんでいる人にとって大きな希望になる。
 赤羽 確かにどの国の人にも通じますね。
 中村 でも、思想が優れていても、それだけでは広まらない。御書に「法自おのずから弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」(856ページ)とあるように、“弘める人”が重要なんだ。
 赤羽 それが学会員ということですか。
 中村 そう。創価三代の師弟に連なる草創からの同志の方々が、地涌の菩薩の使命に燃えて、仏法対話に挑んできたから世界広布は実現したんだ。池田先生は、未来学者のヘンダーソン博士から“なぜ学会が世界に広まったのか”と聞かれ、「『徹して一人の人を大切にしてきた』からです」と答えられているよ。先生はどの国に行っても、出会った人たちを渾身で励まされた。メンバーは先生の励ましを支えに、その国で幸福の実証を示しながら、仏法を語っていった。その姿に仏法への理解が深まっていったんだ。
 赤羽 “一人を大切にする”っていう地道な積み重ねで、世界に広まったというのは、意外ですね。
 中村 僕ら自身が人間革命に挑戦して、目の前の一人を大切にすることが、世界広布につながっていくんだ。
 赤羽 なんか壮大ですね! 僕も“今いる場所”で頑張ります!

 

【聖教ニュース】

新型コロナ“介護崩壊”に立ち向かう 連載〈危機の時代を生きる〉2020年7月25日

 今月に入り、東京をはじめ、新型コロナウイルスの感染者数の増加が報じられている。先の政府の緊急事態宣言下で、危機に直面した一つが介護現場だ。
 訪問介護事業所で管理者を務める宇佐美輝明さん(38)=東京都足立区、区男子部長。利用者の生活を支え、介護従事者の同僚を励ます。
 先の見えない状況で周囲に安心を与える力の源は、彼の“一人立つ”強さにある。(記事=橋本良太、野田栄一) 


誰かに知ってもらえたら、苦しい時も踏ん張れる

 訪問介護。利用者宅を訪ね、食事・入浴・排せつといった「身体介護」や、買い出しや掃除など身の回りの「生活援助」などを行う。
 春先、感染拡大とともに、「デイサービス」などの「通所介護」について、事業所の休業や規模縮小が相次いだ。その分、宇佐美さんのような訪問介護の事業所は、業務量が格段に増えた。
 マスクや消毒液といった物資の不足、ヘルパーの人員不足、感染防止のノウハウの不足。それらを補うため、宇佐美さんら管理職も現場へ出た。
 「利用者の方もそうですが、ヘルパーさんも感染の不安を抱え、緊張していました」
 事業所のヘルパーは、50代半ばの中高年層が主軸。体力にも限界があるし、家に帰れば子や孫もいる。感染拡大当初から、「利用者はもちろん、事業所としてヘルパーを守る」。その意思を明確に示すことが、危機に立ち向かう力になる、と宇佐美さんは思った。
 感染防止の具体策に加え、重視したのが「自分から」同僚へ声を掛けることだ。
 利用者の様子、ヘルパー自身の健康や家庭の状況――どんな小さな不安でも話してほしいと呼び掛け、打つ手を考えた。
 「ヘルパーさんの気持ちから、まず守っていこうと。思いを誰かに知ってもらえたら、踏ん張れる。信心も、そうじゃないですか」
 
 介護業界に飛び込んだ当時、宇佐美さんは、何の志も持っていなかった。高校卒業後、1年間のアルバイト生活。遊びほうけて夢も目標もない。そんな時、母から勧められたのがヘルパー資格の養成講座だった。
 デイサービスの事業所に就職するも、給料の大半は遊びに消えた。職場の上司にも口答えしてばかり。本人が言うには「もし昔の自分と今、出会ったら、ぶん殴ってやりたいぐらいですね」。
 だが22歳の時、思いがけない試練が続いた。父が海外出張中に事故に遭い、急逝。突然の出来事を受け止められないまま、第1子の長男が誕生。生後すぐに、「ゴールデンハー症候群」と診断された。
 医師によると、「およそ10万人に一人の病」。左目の眼球の上には腫瘍ができ、光が目に入らない。心臓にも穴があいていた。その後、右耳の聴力がなく、左耳も高度の難聴であることが分かった。
 「どうして、俺にばっかり、こんなことが起きるんですか」
 毎日のように訪ねて来てくれる男子部の先輩らに、思いをぶつけた。足立区で生まれ育った宇佐美さんを幼い頃から見守ってきた人たちだった。
 「今は分からないかもしれないが、輝にしか乗り越えられない試練と、果たすべき使命がある。お父さんも息子さんも、それを教えてくれてるんだ」
 
 



東京・足立総区花畑王者区の男子部の仲間たち
東京・足立総区花畑王者区の男子部の仲間たち

 
 現実と向き合いたくなくて、家に帰らず、遊び歩いたことも。そんな時も先輩は探し回って、宇佐美さんを見つけ出し、全力で抱きかかえてくれた。
 「輝、負けんな! 強くなれ!」
 どんな自分でも、受け止めてくれる人がいる。だから、踏ん張れた。先輩は一緒に祈ってくれた。毎日、御本尊に向かい、折伏にも挑戦した。ある時、職場の同僚に言われた。「最近変わったね」。短気だった自分が人を思いやり、周りに声を掛けるようになっていた。
 「男子部で活動に打ち込む中で、目の前の景色が全く違って見えてきた。仕事も家庭のことも、生命が躍動すれば、全部、前向きになれるんです」
 長男は治療が奏功し、心臓の穴がふさがり、生後9カ月で左耳の聴力が改善。左目の手術も成功し、1歳を迎える頃には光を感じられるようになった。
 
 そんな試練の渦中で、自分と妻を「今こそ題目よ」と支え続けてくれた母が2005年(平成17年)、末期のがんに。「余命半年」と宣告されたが、2年半、闘い抜いた。
 亡くなる前日、昏睡状態が続く母の意識がはっきりした時間があった。宇佐美さんは聞いた。「お母さん、俺は、どう生きていったらいいかな?」
 母は優しい目で答えた。「これからは、自分で考えて生きていきなさい」
 ずっと自分を叱咤激励し続けてくれた、母からの意外な一言。おかげで自覚できた。「これまでの試練は、自分が本当の意味で『自立』するためにあったんだ。社会人として、父として、青年部員として。別れを通して、母に感謝しました」
 
 母を見送り、現在の事業所に転職して11年が過ぎた。
 今月中旬、再びの感染拡大が報じられる中、宇佐美さんは利用者宅へ。にこやかにあいさつを交わし、「生活援助」の買い出しの要望を聞く。スーパーへ向かう足取りは驚くほど速い。10分ほどで利用者宅に戻り、掃除を始めた。

 

誰かを責めず、まず「自分から」声を掛けよう

 昨今の報道では、介護の現場で“外出できないストレスを抱えた利用者から感情をぶつけられた”とのヘルパーの声をよく耳にする。
 「外出時の感染リスクも分かりますが、家に居続けることで心身に悪影響を及ぼす傾向も少なからず見られます」
 未知のウイルス。正しいとされる情報も刻々と変化する。100人いれば、100通りの取るべき行動があり得る。宇佐美さんは思う。
 「感染の恐怖にのまれて、誰かを責めてはいけない。利用者もヘルパーも、皆さんが納得できるよう、私がしっかり決断し、行動していく。信心で教えてもらった『自立』が今、試されています」
 
 池田先生は、先師の思想を通して、つづっている。
 「(牧口先生は)何かに頼る生き方から、自立した生き方へ、そして、自他共の幸福の実現へ、他者に貢献していく生き方へ、一人ひとりが成長していくことを願われました。同じように宗教の実践も、『依存の宗教』から『自立の宗教』へ、そして『貢献の宗教』へと発展すべきではないでしょうか」
 ――1時間の訪問介護を終え、利用者宅を後にする宇佐美さん。玄関を出る前に、一枚の紙を利用者に渡す姿が印象的だった。それはスーパーの特売のチラシ。わざわざ店の棚から取ってきたものだ。
 「あら、頼み忘れてたのに。こういうところ、よく気が付いてくださるのよねえ」
 小さいことかもしれない。しかし、その振る舞いに、人としての生き方が表れる。
 
●ご感想をお寄せください
 kansou@seikyo-np.jp
 ファクス 03―5360―9613

 

【特集記事・信仰体験など】

 

◆ 〈第3代会長就任60周年記念 広布史アルバム〉7 中部の友の「7・27」

「この道」歩まん 朗らかに


“今日を、中部の宿命を転換する原点に”――中部記念幹部会に出席した池田先生は、「生死一大事血脈抄」の一節を拝して、「組織は人間の和」であると強調。指導の後、金糸で刺しゅうされた「堅塁」の二字が躍る「中部旗」を高々と掲げ、会場中央へ。万雷の拍手に包まれ、代表に同旗が授与された(1976年7月27日、名古屋文化会館で)

“今日を、中部の宿命を転換する原点に”――中部記念幹部会に出席した池田先生は、「生死一大事血脈抄」の一節を拝して、「組織は人間の和」であると強調。指導の後、金糸で刺しゅうされた「堅塁」の二字が躍る「中部旗」を高々と掲げ、会場中央へ。万雷の拍手に包まれ、代表に同旗が授与された(1976年7月27日、名古屋文化会館で)
                   *
 「7・27」。中部の同志が、池田先生との誓いに燃え立つ原点の日である。
 1976年(昭和51年)7月27日、中部の記念幹部会(名古屋文化会館)に出席した先生は、堅塁の象徴である「中部旗」を贈った。中部の頭文字「C」が赤・青・緑の3色で描かれ、3県の強き団結を示すように、「堅塁」の金文字が輝いていた。
   
 愛知と三重と岐阜の団結を象徴する「中部旗」が授与され、「中部の日」の淵源となった歴史的な会合である。
 私の決意は深かった。
 “今日の出会いを、中部の苦しき宿命を転換する原点にしたい”
 一九七〇年(昭和四十五年)の“言論問題”の前後より、学会は、数人の代議士からも罵倒され、ある時は、テレビを使い、雑誌を使い、演説会を使い、非難中傷された。あらゆる会合で、火をつけるように、悪口罵詈を煽り立てられた。
 なんという悪逆か! なんという狂気じみた悪口か!
 私自身も、愛知県の代議士から、国会喚問の要求を初めてされた。
 「信教の自由」を侵害する狂暴な嵐であった。理不尽な罵倒の連続であった。
   
 一部の評論家や著名人、そしてまた何人かの代議士たちは、これだけの大攻撃を受けた愛知の学会は、必ず崩壊するであろうと囁いていた。
 しかし、中部の創価学会の勇敢なる信心は、凄まじき苦境を乗り越え、すべてに大勝利したのだ。それは、永遠に燦と輝きわたる歴史として残るにちがいない。
     
 「この道」とは、信念の道であり、そしてまた正義の道、幸福の道、同志と歩む勝利の道である。それは、我ら「創価の烈士」が進みゆく大道なのだ。
 当初の発表では、歌詞の結びは、「ああ中部中部 諸天舞う」となっていた。
 だが、皆の合唱を聴きながら、最後の歌詞がちょっと違うな、と思った。諸天が「舞う」だけでは、主体である我々にとっては、受動的になってしまうからだ。
 大事なのは、諸天をも「舞わせる」、つまり「動かしていく」、我々自身の強き祈りと行動にしていくべきであると思った。
 そこで、後になって申し訳なかったが、「諸天舞え」と直したのである。
 仏法の勝負は厳しい。中途半端な、ひ弱な精神では、断じて勝てない。
 民衆の悲嘆の流転を変え、堂々たる民衆勝利の大喝采を叫ぶことはできない。
 ゆえに、徹して、断じて強くあれ! ひとたび戦いを起こしたなら、必ず勝て!
 必死の一人は、万軍に勝るのだ!
   
 「広布の一番星」と輝く友は、自らが決めた「この道」を、これからも進む。「堅塁・中部」の誇りも高く。


◆〈「人類の議会」と歩む SGI国連事務所リポート〉⑥ 桜井浩行所長 2020年7月25日

「民衆の声」を届ける

 SGI国連事務所は、国連本部があるアメリカ・ニューヨークと、国連欧州本部があるスイス・ジュネーブにオフィスを構えています。
 
 少数精鋭の陣容で、学会本部と連携を密に取りながら、平和軍縮、持続可能な開発、人権教育、ジェンダー、気候変動などの分野を中心に取り組んでいます。
 池田先生は国連に対して、「人間の顔をした国連」「民衆の声が届く国連」等のビジョンを示され、国連強化のための具体的な方途を提唱してこられました。2006年には、チョウドリ国連事務次長(当時)との会見の場で、国連提言を発表。「あらゆる次元で国家の主権を超えて、人類は、国連を守り支える道を選ばなければならない」と力強く訴えられました。
 先生の構想のもと、SGIは長年、国連での活動に取り組んできました。先生が「SGIの日」記念提言の発表を開始された1983年には、国連経済社会理事会の「協議資格」を持つNGO(非政府組織)として登録されました。
 国連での市民社会の役割は高まっており、その協議資格を有するNGOは、国連での会議に参加し、発言や文書の提出等の機会を与えられます。この資格のもとでSGIの活動の幅は広がり、97年にはニューヨークとジュネーブに連絡所を設置。そして、SGI発足40周年の2015年1月26日、SGI国連事務所として出発しました。

広がるSGIへの信頼と期待
 私たちの主な活動は、先生の理念や提言を具体的に展開していくことであり、また、教育の重要性の宣揚、NGOや国連機関・政府代表部との連携・協働、女性や青年を軸とする活動の推進です。
 他のNGOとの連携を強化しながら、軍縮NGO委員会や宗教NGO委員会、人権教育学習NGO作業部会、女性の地位NGO委員会で中心的な役割を担ってきました。また、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)やキラーロボット反対キャンペーンに参加しているSGIの一員としても活動しています。
 こうしたNGOの協働と努力に、長年にわたって参加・貢献してきたことが今、SGIへの信頼と期待に結実していることを実感します。

アメリカ・ニューヨークの国連本部。SGI国連事務所はここから徒歩圏内にある


アメリカ・ニューヨークの国連本部。SGI国連事務所はここから徒歩圏内にある


 池田先生が訴えてこられた青年と女性の役割は、近年、国連でその重要性への認識が高まっているテーマです。女性平和委員会や青年部による平和運動の貢献を、国連に届けることができるのは大きな喜びであり、先生の先見性に心から感謝しています。

 また、教育こそ総仕上げの事業であるとの先生の信条のもと、人権や持続可能な開発、世界市民教育の大切さを宣揚し、SGIが世界各地で展開する意識啓発の活動を紹介してきました。
 国連は本年、創設75周年を迎えます。コロナ禍により、全ての会議がオンラインとなり、多くの議論に、ニューノーマル(新常態)やビルド・バック・ベター(より良い復興)という観点が反映されています。「誰も置き去りにしない」との精神のままに、人類の議会・国連の前進に貢献してまいります。

 

◆婦人部のページ 
創価の母の声が皆を希望の道へ――わが家は和楽の前進


 婦人部の「実践の五指針」の2番目にある「わが家は和楽の前進」。さまざまな困難の中、家族の要となって、はつらつと希望の連帯を広げる婦人部の友がいます。ここでは、和楽の前進を続けてきた2家族のエピソードとともに、池田先生の言葉を紹介します。

鹿児島 喜多圏・上伊敷支部 島木美千代さん(地区婦人部長)焦らず自分らしく挑戦

かわいい孫たちとの一こま。「広布後継のバトンを次の世代に必ず渡していきます」と島木さん(右から3人目)
 「柱に向かって『一家和楽の信心』を祈り続けていたあの頃は、今のわが家からは想像すらできません」と島木美千代さんは語る。

 「嫁いだ時、私は創価学会をやめたことになっていたんです」と島木さんが当時を笑いながら振り返れば、夫の憲司さんは「結婚すれば、学会はやめるだろうと思っていまして……」と苦笑い。

 島木家は代々、他宗教を信仰していた。御本尊の安置も聖教新聞の購読もできず、島木さんは結婚当初から、悩みの日々を送っていたという。 

 そんな島木さんの唯一の支えは同志の励ましだった。「美千代ちゃん、祈りは必ずかなうんだよ」――時折、参加することができた会合や、実家に戻った際は、真剣に御本尊の前に。自宅でも、夫のいない時には、一家和楽を願い、題目を唱えた。いつしか、床の間の柱の前が、祈りの“定位置”になった。

 とはいえ、「なかなか夫と対話する勇気がもてませんでした」と島木さん。しかし、地域の友が家を訪ねるたびに、家族にも明るく接してくれ、憲司さんは次第に学会に共感を示すようになった。

 島木さんが“和楽の前進”を祈り始めて10年目の1996年(平成8年)。ついに憲司さんが首を縦に振り、入会。御本尊を受持することができた。  

 その後、積極的に活動ができるようになったのもつかの間、翌年から夫の実家の隣に引っ越すことに。「特にお義母さん(利子さん)は信心に大反対。また“振り出しに戻る”みたいな感じです(笑い)。でも、自宅に御本尊がある限り、必ず乗り越えていけるという確信がありました」

 利子さんも自宅で行われた地区総会に参加してくれたり、長女・力久詩織さんの創価大学進学を応援してくれたりと、理解を一歩ずつ深めていった。利子さんの同級生だった同志は何度も対話をしてくれた。  

 義父は入会前に亡くなったが、2006年(同18年)に利子さんが入会。「本当に夢のようでした。全てが遠回りのように思えましたが、一家和楽を祈り前進した日々が、そのまま自身の成長につながったと思います」  

 その後、利子さんは、がんで入退院を繰り返すが、亡くなるまでの3年間、幾度となく島木さんと御本尊の前に座り、広布への祈りを深めることができた。  

 現在、島木さんの2人の子どもも独立し、それぞれが新しい和楽の道を元気に歩む。  

 島木さんは力強く決意する。「前に進めないという時期もありましたが、心は一歩も引きませんでした。これからも、焦らず、自分らしく目の前の課題に挑み、学会創立90周年の『11・18』を荘厳していきます」  

 
宮城 登米圏・創価栄光支部 山田誉子さん(支部婦人部長)桜梅桃李の花を咲かせて

 美容師として働きながら、3人の子どもを育てた山田誉子さん。「子どもの不登校と夫婦で向き合った16年間は、つらいと思う日も多かったけれど、今振り返ると私たち夫婦の宝物のような日々でした」
  
 山田さんは1982年(昭和57年)、清さんと結婚。長女・斉藤恵さん、次女・佐藤香さんを相次いで授かった。86年(同61年)には清さんを入会に導くことができ、共に広布の道を歩くように。その後、長男・洋さんも誕生し、幸せな日々が続いていくように思えた。

 しかし、恵さんが中学2年生だったある日の朝。山田さんがいつものように起こしに行くと、恵さんがベッドで布団をかぶって出てこない。うつむく顔は蒼白で、すぐにただ事ではないと感じた。

  

 地域の小児科の先生が、大きな病院を紹介してくれた。

 「無理をして、学校に行かなくてもいいんだよ」――娘に優しく語り掛ける医師。山田さんは“なぜ、うちの子が……”という気持ちが頭を巡り、すぐに現実を受け止められなかった。  

 思い返すと、小学校高学年の時から、小さないじめはあった。だが、恵さんは明るくハキハキとした性格。「今思えば、母娘のちょっとしたすれ違いが続いていたんです」と振り返る。  

 “わが子を信じ、一緒に乗り越えよう”と、わらをもつかむ思いで山田さん夫婦は祈り、学会の書籍や不登校の専門書を読みあさった。

 しかし半年後。今度は香さんが学校に行けなくなった。「もうあの時は、どうしていいか分からなくなりました」

 そんな時、ふと聖教新聞で目にしたのが仏法の「桜梅桃李」の考え方だった。

 「苦しかった思いがすーっと消えました。恵は恵、香は香でいいんだ。子どもたちの個性を尊重していくには、まず私が変わることなんだ」。そう思うと、心は軽くなった。  

 以来、夜を徹してテレビゲームに付き合ったり、思い出を語り合ったりと、子どもとの時間を大切にしてきた山田さん。長男の洋さんが不登校になった時も、動じることはなく、そばに寄り添ってきた。  

 3人の子どもたちは一歩ずつ、自分たちのペースで登校するように。欠席の日も多くあったが、恵さんと香さんは大学まで進学。それぞれ結婚し、現在は婦人部として活躍している。洋さんは地元地域で男子部本部長として学会活動に駆ける。 

「子どもたちのおかげで、師弟や信心を深めることができました。これからも“一家の太陽”として、笑顔を忘れず、親子ともども広布の人材に成長していきます」。山田さんは報恩感謝の心で、地域に希望のスクラムを広げる。
   

◆〈師とつづる幸福の劇(ドラマ)〉小説「新・人間革命」と共に​
長野 浅間圏・湯の丸支部 坂口美栄子さん(圏総合婦人部長)勇気と情熱を燃やして​

 大聖人は、「大将軍よは(弱)ければ・したがうものも・かひなし」(御書1135ページ)と仰せですが、この御文は指導者論として拝することができます。​

 幹部に、勇気も情熱もなく、心が弱ければ、誰もついてこない。勝負はリーダーの一念によって決まるということです。(第14巻「烈風」の章、196ページ)

 長野では各部が「創価信濃大学校」を開校し、小説『新・人間革命』を学び合っています。婦人部は今年4月に11期生を迎え、スタートを切る予定でしたが、新型コロナの影響で延期になりました。 

 会合中止や訪問による激励の自粛が長く続いている間も、同志の皆さんと、手紙、電話、メールで励まし合ってきました。これまで研さんの時間をとるのが難しかったという方が、コロナ禍の中で、小説をひもとくことができたりと、新たな喜びも生まれています。

 “今こそ池田先生の心を胸に刻む時”との思いで、友の心に寄り添った語らいを続けていきます。       

               ◇   

 11歳の時、私の両親は相次いで他界しました。まだ高校生だった兄と2人で生きていく選択をしたものの、食べるにも事欠くほど困窮した生活でした。

 地域に住む学会員に温かく励まされ、先に兄が入会。急速に変わっていく姿を目の当たりにした私も高校2年の時に入会しました。  

 女子部時代に、白蓮グループ1期生として池田先生との出会いを刻むことができ、“父のような慈愛”で直接、励ましを頂いたことが私の原点です。

 その後、結婚。婦人部になってからも、師匠と学会への感謝を胸に、広布の最前線を走り抜いてきました。 

 大きな転機は2008年(平成20年)のリーマンショックです。翌年から夫の会社は経営が傾いていく一方。10年(同22年)にはついに赤字になりました。その後も東日本大震災の影響を受けたりと、何度も会社をたたむことを考えましたが、「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)との御聖訓を抱き締め、一歩も引かずに夫婦で学会活動に挑戦。6年半も続いた赤字を、黒字へと転換することができました。  

 しかし翌年、今度は私に乳がんがあることが分かりました。この『新・人間革命』の一文は、闘病中に池田先生と“対話”する思いで学んだ私の指針です。 

 当時は圏の婦人部長。“絶対に病気に負けられない!”と心に勇気と情熱を燃やして、手術に臨みました。

 無事に手術は成功し、退院後の放射線治療も終え、再び学会活動の最前線に戻れた喜びは、生涯忘れられません。  

 難が襲い掛かるたびに、池田先生を求める気持ちが強くなり、成長できたように思います。

 コロナ禍という厳しい困難の今だからこそ、強き祈りを根本に、地域に励ましの絆を広げてまいります。

池田先生の言葉から

 その家に、妙法の声が響くということが、どれほどすばらしいことか。  

 強き信心とは、強力な磁石のように、幸いを万里の外より集める力である。鉄壁の守りとなって、いかなる災難をも退散させていく。この大確信をもって、わが家を幸福と安穏の城に築き上げていくことである。 

 家族が信心していない場合も、多々ある。しかし、心配することはない。あせることもない。  

 一人が真剣に、厳然と信心に立ち上がれば、縁する人を皆、幸福の方向へ、希望の方向へとリードしていくことができるからだ。 

 ちょうど、暗夜の海に一つの灯台が厳然と光を放てば、無数の船が、安全な航路を進んでいけるようなものである。(2003年12月、「海外・第2総東京代表協議会」でのスピーチ。『池田大作全集』第95巻所収)

                     ◆ ◇ ◆  

 戸田先生は、幼子を連れて奮闘する母親に、「子どもは久遠元初からの使者だよ。親をはじめ、皆を仏にするために生まれてきたのだ」と、よく語られていました。
  

 また、子育てに悩んでいる方には、「手のかかる子ほど立派に育つものだよ」とも励まされました。 

 たとえ子どもが悩みの種となっていたとしても、それによって親や家族が信心を深める契機となれば、その子は、実は親孝行しているのと同じです。(「大白蓮華」2016年8月号)

 

◆〈信仰体験〉日本三景・松島で海鮮料理店をオープン

【宮城県大崎市】本年5月16日。日本三景・松島のメインストリートに、真新しい看板がまぶしく輝いた。「松島海鮮 もり田」。店主の森田勝利さん(56)=副支部長=にとって、念願の開店初日である。
 「松島海岸」駅から海岸沿いに徒歩15分。2階の店内からは、松島海岸がよく見える。コロナ禍でなければ、国内外の観光客でにぎわうエリアだ。
 厨房では、料理人人生37年の森田さんが、すし職人の次男・裕ゆう毅きさん(28)=男子部員=と腕を振るう。品書きには、海鮮丼、すし、アナゴ天丼など自慢のメニューがずらり。妻・礼子さん(57)=婦人部員=の笑顔の接客が花を添える。

 “料理人になって、自分の店を持つ”。それが少年時代からの夢だった。
 19歳で割烹かっぽうの道へ。3年間、大阪で修業し、仙台の有名な割烹店の門をたたいた。覚悟はしていたが、仕事は厳しかった。反省しては決意する、その連続。
 どんなに苦しくても頑張れたのは、親方の慈愛を感じられたからだ。一度板場を離れれば冗談を飛ばし、明るく包んでくれた。信心に励む同志だった。
 折々に語ってくれた。「心を磨かなければ本物にはなれないぞ。だから信心が大事なんだ」。その姿から池田先生の弟子として生きる誇りを教わった。
 7年半ほど勤めた後、さらなる飛躍を期し、何店かを学び歩いた。行く先々で信頼を勝ち取る。
 だが2013年(平成25年)、宿命の嵐に襲われた。重度の腰痛、腹膜炎、腎疾患、大腸ポリープ、心房細動と、相次ぎ病が見つかり、そのたびに入院を。交通事故にも見舞われた。
 そんな森田さんに壮年部の先輩は、御書を拝してくれた。
 「仏法は体たいのごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり」(御書992ページ)
 そして「宿命を断ち切るには、信心しかない。どこまでも御本尊に祈り抜くことです!」と。
 寝食を忘れて、祈りに祈った。信心の姿勢はどうだったか。仕事を理由に引いていなかったか。病に対して、弱気になっていないか……題目を唱えるほどに、止めどなく涙があふれてくる。“断じて乗り越えてみせる!”と腹が決まった時、深い感謝の思いが湧いてきた。
 その後、祈りと治療で、一つ一つ病状は好転していく。
 昨年3月、それまでの勤務先を退職し、独立へ準備を始めた。当初は自宅を改装し、開業するつもりだったが、資金面で壁にぶつかった。それでも再起を期し、松島海岸の料理店でアルバイトを始めた。
 ある日、「店の2階を貸すから、ここで開店してみては」と、オーナーから提案された。設備もそのまま使っていいと。願ってもない好条件だった。
 今春のオープンに向け、準備を進めていた矢先、新型コロナウイルスの感染が拡大。松島からも観光客が消えた。開店を延期せざるを得なかった。
 不安に押しつぶされそうになる。聖教新聞の「わが友に贈る」が目に留まった。
 「逆境は人間革命の好機! 乗り越えられない 苦難は絶対にない。 この強き信心の一念で 今を真剣に生き抜こう!」
 ふと思った。“もし昨年、多額の融資を受け開店していたら、今頃どうなっていたか……”
 5月、緊急事態宣言の解除が決まると、開店を決断。池田先生に決意の手紙をしたためると、祝福の伝言が。感謝と勇気が込み上げた。
 開店初日。多くの同志が祝福に駆け付けてくれた。さらに、地元のテレビやラジオ、新聞が、コロナ禍に負けない明るい話題として大きく紹介。県外移動が解禁されると、客足は少しずつ伸びていった。
 ところが今月、再びの感染拡大が危惧されると売り上げは激減。先の見えない日々が続くが、森田さんは歯を食いしばる。一日も早く松島ににぎわいが戻る日を願い、一品一品に丹精を込める。
 「皆に応援され励まされて開店した店です。絶対に負けてたまるか! 信心の実証を示してみせます!」


◆信仰体験 信頼集める行政書士。40年の功労に総務大臣表彰

「スタッフの頑張りもあり、法人をここまで成長させることができました」。山本さんは信心根本に仕事に取り組む

 【広島市西区】「依頼者の方は、私のもとに相談に来られた時点で、既にお困りの状態ですから、とにかく迅速な対応を心掛けています」。そう語るのは、行政書士法人「アッパーリンク」代表の山本重吉さん(71)=副本部長(開拓長<ブロック長>兼任)、総県副専門部長。​​
 行政書士は、弁護士、公認会計士、税理士など、「士業」といわれる国家資格の中でも、幅広い業務を担う。扱う書類は1万種類を超えるとも。
 「自動車登録、車庫証明など身近なものから、近年では、相続にまつわる遺言書の作成も多くなっています」
 新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、経営に大きな打撃を受けた事業主からの相談も増えた。
 山本さんは、その一つ一つに電光石火の行動を心掛ける。
 「そのためにも、朝の唱題から出発。男子部時代の先輩から教わった勝利の方程式です」
 愛媛県・内子町(うちこちょう)の出身。8歳上の長兄から信心の話を聞き、1964年(昭和39年)、創価学会に入会した。
 工業高校を卒業後、看板業、電気工事士、ガソリンスタンドの店員など、職を転々とした。
 男子部の仲間と会合に参加する中、病や貧困などの悩みを、信心で乗り越えていく同志の姿に触発を受けた。
 “俺もこの信心で使命の人生を切り開こう” 広島市内で広告代理店の営業をしていた時、決意したのが「行政書士」の資格取得だった。
 昼は営業に奔走し、夜は受験専門の予備校に通った。苦労したのは民法の条文。カセットテープに自身の声を吹き込み、通勤中の車で聞いては口ずさみ、頭に刻み付けた。31歳で、行政書士試験を突破。
 80年、「山本重吉行政書士事務所」を立ち上げる。本当の勝負はここからだった。
 仕事の依頼が来ない。ようやく相談を受けても、申告書や書類の作成に戸惑った。見通しの甘さと自身の未熟さが情けなかった。
 ある時、男子部の先輩が励ましてくれた。「今こそ、信心で立ち上がり、環境を変えていこうよ。それには、唱題を根本にすることだよ」
 目が覚める思いがした。真剣に題目を唱える中で、何度も拝した御書が胸に迫る。「冬は必ず春となる」(1253ページ)
 “漫然と時を過ごしていて、春になるのではない。冬の時代を乗り越え、自身の力で希望の春を呼び込むんだ” 同じ頃、広島文化会館を訪れた池田先生との出会いを刻んだ。一人でも多くの会員を激励しようと、一瞬たりとも時を無駄にしない師匠の振る舞いを目に焼き付けた。
 以来、営業活動にも全力を注いだ。新規で会社を立ち上げたと聞けば、すぐに訪問。数百枚のはがきも出した。
 ある時、前職の広告代理店の社長が顧客を紹介してくれた。感謝の思いで、誠実とスピード感をもって対応すると、これを機に、仕事の依頼が増えていく。
 池田先生は、小説『新・人間革命』につづっている。
 「戦いはスピードだ。速さが勝負だ。行動が遅れ、打つべき時に手を打ち損なえば、未来に敗北を招くことになる。それぞれが迅速に、今日の使命に生き、今の課題を完璧に果たし抜いていくなかに、広宣流布の大勝はある」
 2006年(平成18年)には、広島県内でもいち早く、個人事務所を法人化。これにより、顧客からの依頼を法人として契約することができ、永続的に業務を遂行できるようになった。
 これまでに、広島県行政書士会の理事や副会長を務め、昨年には総務大臣から、本年6月には日本行政書士会連合会の会長から表彰を受けた。
 「経営が苦しい時、そばで支えてくれた妻(安子さん=区副婦人部長)をはじめ、事務所のスタッフたちのおかげです。ますます青年の心を燃やして、90歳を目標に現役で仕事を続けていきます」
(中国支社編集部発)

 

2020年7月24日 (金)

2020年7月24日(金)の聖教

2020年7月24日(金)の聖教

◆わが友に贈る

 局地的な豪雨による
 河川の増水・氾濫や
 土砂災害に厳重警戒!
 配達員の皆様も
 安全・無事故第一で!


◆名字の言 傘寿を迎える壮年が語った師弟の原点

 池田先生の会長就任60周年を記念して発刊された年譜『栄光の共戦譜』。世界192カ国・地域に広がった広宣流布の軌跡がつづられている▼「私の入会は、池田先生が第3代会長に就任された1960年の5月。先生の会長就任60年の歩みは、そのまま、自分の入会60年の歩みと重なります」。間もなく傘寿(80歳)を迎える壮年が誇らしく話し始めた▼壮年の原点は、入会2年目に訪れた池田先生との出会い。“私は、何があっても諸君の屋根になる。土台となる”との先生の師子吼と振る舞いに全身に電流が走り、人生が百八十度変わったという。「この時、“この方に本気になって付いていく”と誓ったのです」▼学会活動を本格的に始めてからも、経済苦、家族との突然の別れをはじめ、宿命の嵐は猛然と吹き荒れた。それでも原点が揺らぐことはなかった。「私の場合、創価学会の世界の素晴らしさを心の底から実感できるまで50年、60年かかりました。何事もそうですが、自分が本気になって取り組まないと分かりません」▼御義口伝に「共の一字は日蓮に共する時は宝処に至る可し」(御書734ページ)と。どんな時も師匠と共に! 偉大な学会と共に!――これこそ、我らの原点であり、永遠に忘れてはならない学会精神である。(側)


◆寸鉄

世界青年部総会へ出発!
誓いは一つ。“未来までの
広布の物語”綴る挑戦を
     ◇
信心で苦難に向かえば、
仏の力が出る―戸田先生
祈りが根本。さあ勇躍!
     ◇
「父母の恩を報ぜよ」御書
感謝の心を持つ人は負け
ない。自身が成長し輝く
     ◇
炎天下でのマスク着用は
熱中症に注意。自覚ない
まま進行も。水分忘れず
     ◇
飛び交う感染情報、不安
吐露する人増加と。正確
な情報確認し賢明に行動


◆きょうの発心 祈祷抄  大阪・此花このはな総区婦人部長 中野里美

御文
 大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出いづるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず(祈祷禱抄、1351ページ・編519ページ)

通解
 大地をさして外れることがあっても、大空をつなぐ者があっても、潮の満ち干がなくなっても、日が西から出ることがあっても、法華経の行者の祈りのかなわないことは絶対にない。

誓いを胸に不退転の信心を貫く
 法華経の行者の祈りは必ずかなうと仰せです。
 女子部時代、先輩がこの一節を拝し、生涯、純粋な信心を貫く大切さを教えてくれました。
 1982年(昭和57年)に行われた、第1回関西青年平和文化祭に出演した際も、この御文を心に刻み、師匠に不退転の信心を誓いました。
 結婚後、夫の病や経済苦など、さまざまな苦難にも遭いましたが、“今こそ宿命転換の時”と一念を定めて祈り抜き、一つ一つ乗り越えることができました。
 3人の子どもたちも、創価の学びやで育ち、後継の道を歩んでいます。
 7月26日は「此花総区婦人部の日」。池田先生からいただいた「戦う人は 諸天の力が増す。勝ちゆく人は 諸仏の満足がある」との指針を胸に、希望と励ましのネットワークを広げてまいります。


【先生のメッセージ】

◆マイ・ヒューマン・レボリューション――小説「新・人間革命」学習のために 「未来部」編
 未来は君たちのもの! きょうも挑戦の一歩を!

未来部員を激励する池田先生(1995年8月、長野研修道場で)


未来部員を激励する池田先生(1995年8月、長野研修道場で)

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は、「未来部ドリームチャレンジ期間」(8月31日まで)の応援企画として、「未来部」編を掲載する。次回の第15巻は31日付2面の予定。

“対等な人格”として接する
 <1964年(昭和39年)6月、江東区での男子高等部の結成式に出席した山本伸一は、会合終了後、担当幹部の在り方について語る>

 「高等部は未来の広布を考えると、極めて重要な部になります。本来、私が一人ひとりのメンバーを育んでいきたいが、とても、そこまではできない。
 だから、皆さんのお力をお借りしたい。私に代わって、メンバーを励ましていただきたい」(中略)
 一人の担当幹部が尋ねた。
 「高等部や中等部の指導にあたって、最も強調すべきことはなんでしょうか」
 伸一は、即座に答えた。
 「あくまで勉学第一であり、学問に励むようにすることです。当然、根本は信心です。(中略)
 また、大勢の先輩、よき相談相手が周囲にいれば、安心して自分の人生行路を決めていくことができる。若芽が未来に、スクスクと伸びゆくための応援をしていくことが、高等部、中等部の結成の趣旨です」(中略)
 「豊かな心を培い、また、人間としての生き方の骨格をつくっていくのが信仰です。だから、若いうちから、信心をすることが大事になる。
 人間として大成するために、信仰の『種』、信念の『種』、哲学の『種』を植えていくんです。そして、将来の社会の指導者を、学会の指導者を育てていくことが、担当者の皆さんの使命です」(中略)
 「高等部といえば、もう大人です。昔なら、元服を終えている。したがって、担当者としては、どこまでも対等な人格として、若き同志として接していくことです。同じ人間として、人格の触発を行っていくことが、本当の指導です」
 (第9巻「鳳雛」の章、118~120ページ)

自分に勝つ人が本当の勇者

 <70年(同45年)6月、伸一は箱根の研修所で高・中等部、少年・少女部の代表と懇談し、激励する>

 「民衆を守り、幸福にするために、みんな、しっかり勉強してほしい。私は、このなかから、大文学者や大科学者、大記者、また、偉大な政治家も、どんどん出てもらいたいんだ。全員が、何かの道で、最高のものをめざしてください。羊千匹より、獅子一匹だ!
 それには努力です。天才とは何か。人より十倍、百倍、努力した人のことです。
 また、人生の勝負は何歳か。いろいろな考え方ができるが、一つの目標として、私は五十歳だと思っています。その時に、人間の真価が決まるといってよい。
 人生というのは、“絶対にこうしよう”“こうなっていこう”と心を定め、真剣に頑張り抜いていけば、必ず、自分が納得できる結果が得られるものです。大切なのは、毎日毎日の精進です。どんなに辛く苦しくとも、負けないで、懸命に努力を重ねることです。それが人生の根っこをつくることになる。
 根が深くなければ、大木には育たない。二十代、三十代で、有名になったとしても、人生の本当の価値とはならないことが多い。むしろ、それによって人生の真実の価値がわからなくなり、幻惑されてしまうこともある」
(中略)
 伸一は、子どもたち一人ひとりに視線を注ぎながら言った。

 「私は、みんなが五十歳になった時に、どんな人生を歩んでいるか、じ
っと見ていきたい。
 みんな、頑張れるね」
 「はい!」(中略)
 だが、彼は、あえて厳しい口調で言った。
 「返事は簡単です。実際にそうなるかどうかが問題だ。それには、自分に厳しく挑戦し抜いていくことです。人は、みんな自分の弱さに敗れていく。自分に勝つ人が、本当の勇者なんです」
 (第14巻「大河」の章、322~324ページ)

一人一人に光り輝く才能が

 <箱根の研修所での語らいでは、男子中等部員が、“頭がよいとはどういうことか”と伸一に尋ねる>

 「いい質問だね。かつて戸田先生が、紙に筆で一本の線を引き、そのすぐ上と下を指さしながら、こうおっしゃったことがある。
 ――『頭がいいとか、悪いとか言ったって、所詮、この程度の差だ。違いなんてほとんどない』
 人には誰でも、得意、不得意はあるし、実は皆、なんらかの天才になる力をもっているものなんだ。だから、総合的に見れば、人間の能力なんて、そんなに変わるものではない。(中略)
 これから花火をやりますが、一流の花火師もいる。花を育てるのが上手な人もいる。人を思いやる能力もあれば、人を笑わせる能力もある。絵や文の才能がある人もいれば、野球がうまい人もいる。また、頭がよいといっても、記憶力や理解力だけが能力ではない。探究する能力や独創性に優れた人もいる。(中略)
 これまで成績が悪かった人がいたとしても、『自分は頭が悪い』なんて思うのは間違いです」(中略)
 「ある人が『頭がいい人というのは常に疑問をもっている人である』と語っていたが、私もそうだと思う。一つ一つの事柄を、ただ鵜呑みにするのではなく、『どうしてそうなるのだろう』『本当にそうなのだろうか』『もっとほかに方法はないのか』と考える人です。(中略)
 その探究心が大切なんです。
 人には、皆、個性がある。全く同じ顔の人がいないように、もっている能力もさまざまです。だから、互いに尊敬し合いながら、師子の子らしく、自分の決めた道で、一流をめざしていってもらいたい」
 (第14巻「大河」の章、324~326ページ)

信仰貫き心に平和の砦を!

 <さらに、女子中等部員が、“将来、世界平和に貢献していくために、今するべきことは”と、伸一に質問する>

 「まず、世界の平和を生涯のわが使命と決め、信心を貫いていくことです。人類の平和実現の根本的な道は、生命の尊厳を説き明かした仏法にしかないからです。だから今は、しっかり信心に励み、教学も学んで、仏法への確信を深めていくことが必要です。
 また、理想を実現していくためには、健康であることが大事です。したがって、体を鍛え、頑健にしておくことです。(中略)
 そして、勉強です。実際に平和貢献する場合、なんらかの専門的な知識や技能が求められる。今は、その基礎となる勉強を、しっかりしておかなければならない。特に、語学は欠かせません。平和は対話から始まるからです。語学ができなければ、世界の人たちと、コミュニケーションが図れない。
 あとは、人格を磨いていくことです。お母さんや友だちと喧嘩したりしないで、誰からも信頼される人になっていってください。
 口で平和を唱えても、周りの人と喧嘩ばかりしているようでは、まやかしの平和主義者です。平和といっても、身近なことから始まります。まず、自分自身のなかにある、人に対する偏見や差別、また、わがままな心と戦い、勝たねばならない。同時に、慈悲、つまり人びとの幸福を願い、行動する強い心を培い、自らの人間性を高めていくことです。
 戦争を起こすのは人間です。だから、その人間の生命を変え、人間の心のなかに平和の砦を築かければならない。それが人間革命であり、その源泉が題目です。
 この人間革命の思想と実践の道を世界に伝えていくことこそ、人類の平和を建設する根本なんです」
 (第14巻「大河」の章、327~328ページ)


【聖教ニュース】

◆【告知】10・2「世界平和の日」60周年記念 世界青年部総会  2020年7月24日
 9月27日(日)13時30分(日本時間)本編開始(オンライン)
「世界最大の青年の連帯」を!

 師匠・池田大作先生はつづられた。
 「学会創立90周年から100周年へ向かう十年は、人類にとって重大な分岐点となる十年」
 「地球の平和と繁栄を開く大事な十年を見つめつつ、偉大な広布と人生の勝利の因を、いざ共に勇敢に刻みゆこう!」
  
 広布と人生の勝利を開く10年へと出発した今、創価学会青年部は、9月27日の午後1時半(日本時間)からオンラインで「世界青年部総会」を開催する。
 「世界最大の青年の連帯」を築き、広布の新たな道を切り開く証しを、師匠に、そして全同志に示しゆく場である。
 総会を目指し、自身の限界突破の対話拡大で、わが地域に史上最高の青年の陣列を築こう。
 私の「一人立つ」戦いで!
 私の「一人を大切に」する対話と行動で!
 60年前の1960年10月2日、師との誓いを果たすために一人立ち、目の前の一人を大切に、世界広布の旅を始めた池田先生のように。
 立正安国の旗を掲げ、折伏精神に燃えて、「私の挑戦」から世界広布の波動を起こす時は今だ!

1960年10月2日、初の海外平和旅へ出発する池田先生(羽田の東京国際空港で)

1960年10月2日、初の海外平和旅へ出発する池田先生(羽田の東京国際空港で)


◆志賀青年部長のオンライン講義から  2020年7月24日

 「青年部オンライン講義」が、動画投稿サイト「YouTube」(限定公開)を活用して配信されている(7月31日まで視聴可能。こちらから見ることができます)。講義では、志賀青年部長が、10・2「世界平和の日」60周年を記念した「世界青年部総会」の意義について語った。ここでは要旨を紹介する。

 このたびの豪雨被害に、心からお見舞い申し上げます。 
 また、新型コロナの影響が続き、社会全体が不安に覆われている中で、職場・家庭・学校など、それぞれの舞台で、皆さんが懸命に奮闘されています。この上半期は学会活動が制限される中にあっても、一人一人が知恵を発揮しながら、今できることに全力で取り組んできました。 
 これまで進めてきたように「オンライン」を活用して、さらには、上半期の一人一人の努力と挑戦の結晶として、世界中の池田門下の「誓い」を結集できないか、と議論を重ねてきました。
 そして、このほど、世界をリアルタイムでつなぐ「世界青年部総会」を、オンラインで、盛大に開催することになりました!

誓いを祈りに そして行動に
 池田先生の世界広布への歩みは、戸田先生との峻厳なる「師弟の誓い」から始まりました。 
 「世界が相手だ。君の本当の舞台は世界だよ」
 これは、戸田先生が逝去される直前の、有名な「師弟の語らい」の中の言葉です。
 池田先生は29歳の日記に、こうつづられています。
 「一日も早く、大海を渡り、大空を飛び、海外の広布に、征きたくなる衝動に、かられる時あり」
 当時は、日本の学会組織も、いわば黎明期です。ましてや、海外渡航が自由にできる時代ではなく、誰もが、世界広布は夢物語だと思っていた。そんな時代にあって、先生は、ただ一人、世界広布の構想を練られていました。
 1960年5月3日、先生が会長に就任されるや、その構想は一段と加速し、同年7月1日付の聖教新聞では、アメリカ訪問が発表されました。この頃、先生は“狭い日本だけにとらわれず、全世界に雄飛する有為の人材に成長していってほしい”(男子部幹部会<同年5月10日>)、“日本、世界の幸福と繁栄のために貢献するのが学会の根本使命である”(沖縄支部結成大会<同年7月17日>)など、幾度も「世界広布」の使命を訴えてこられました。
 しかし、当時、聖教新聞紙上に「世界広布」の大見出しが躍ることはなかった。それだけ、「世界」への実感が、乏しかった時代です。
 恩師の逝去から2年半後の命日に当たる10月2日、先生は羽田の東京国際空港から、初の海外指導へ出発されました。 先生の上着の内ポケットには「恩師の写真」。まさに師弟一体で、世界広布の道を切り開かれたのです。この時、聖教新聞には、初めて「世界広布」の大見出しが躍りました。広布史が、大きく動いた瞬間です。
 「10・2」が「世界平和の日」に制定されたのは1976年のことです。先生は、同年10月2日に行われた記念勤行会の席上、その意義を語られました。
 “平和を願う自身の不動の信念は、全て恩師・戸田先生の遺言に帰結するものである”“仏法における師弟の道は、生命対生命の結合そのものであり、たとえ一言の指導にも観念的な領域はない”
 この60年間で、先生の平和旅は、54カ国・地域、70回の渡航、海外で激闘を重ねた日数は1198日に及びます。

師弟誓願の会座
 創価学会の永遠の魂とは、どこまでも、この「師弟」です。
 「在在諸仏土 常与師俱生」――法華経には、いつの時代も、弟子は常に「師と共に」生まれ、仏法を行ずると説かれています。牧口先生には、戸田先生がおられた。戸田先生には池田先生がおられた。
 そして今、全世界に池田門下の青年がいます。
 戸田先生のお心を知り、ただ一人、命懸けで「世界広布」の道を切り開かれた池田先生。今度は、私たち青年が、「池田先生と共に」広宣流布を断行する「誓い」を打ち立て、さらに、その「誓い」を「祈り」そして「行動」に変え、新たな出発を切る――「世界青年部総会」は、その「師弟誓願の会座」であります。
 私たちは改めて、世界広布を現実のものとされた先生に最大の感謝をささげるとともに、先生の戦いを範としながら、「立正安国の旗」を全世界に高らかに掲げてまいりたい。
 「我ら青年は、池田先生と共に断じて広宣流布を成し遂げる!」――この誓願のもと、新たな前進を開始してまいりたいと思います。

立正安国の対話を
 今、社会には、人々を、諦めや無力感に引きずり込む「負のエネルギー」が蔓延しています。
 先生は、「大白蓮華」7月号の巻頭言で、こうした現実の苦悩をどう打開するかという「憂いの共有」から始まり、「四表の静謐」を祈り行動する「誓いの共有」へと導く、立正安国の対話の意義を教えてくださいました。
 大きな視野に立てば、この世界そのものが、一つの仏国土といえます。その意味で、今この時に生まれ合わせた世界の同志は、「同じ仏国土で戦う」共戦の地涌の菩薩です。
 この世界の同志が一つにつながる「世界青年部総会」は、全人類にとって「希望の祭典」になると確信します。
 一閻浮提広宣流布――その実践が、そのまま世界の平和と安穏に通じていくというのが、立正安国の教えです。
 学会にとっても意義深き2020年は、必ずや後世の教科書に記される1年になる。
 今こそ、私たちは「創立90周年の青年部の戦いを見よ!」との心意気で、立正安国の対話を、日本中、世界中に広げてまいりたい。そして、池田門下の熱と力で、新たな世界広布の地平を開く「世界青年部総会」を荘厳してまいりましょう!


【特集記事・信仰体験など】

◆〈小説「新・人間革命」とともに〉 神奈川凱旋総県男子部長 小笠原祐哉さん(40)

“正義の言葉”で次代開く
 人間は、たった一言の言葉で、悩むこともあれば、傷つくこともある。また安らぎも感じれば、勇気を奮い起こしもする。ゆえに、言葉が大事になる。言葉への気遣いは、人間としての配慮の深さにほかならない。友に“希望の言葉”“勇気の言葉”“励ましの言葉”“正義の言葉”を発し続け、深き信仰へと導く人こそ、まことの仏の使いの姿といえよう。(第4巻「春しゅん嵐らん」の章)
                           ◇
 青森・八戸支部の初代婦人部長が、山本伸一から直接、激励を受けた場面の一節です。
 男子部で部長になった2005年、師のように、目の前の一人へ“励ましの言葉”を送り抜こうと決意。この指針を胸に訪問・激励に走る中、一人また一人と友が立ち上がり、共戦の陣列を築くことができました。また、仕事で関わっていた方には、“正義の言葉”で真心の対話を重ね、入会に導くことも。以来、どんな苦労も目を細めて語る青森出身の祖母のように、自身も「師弟の道」を貫こうと前進。地域で、社会で“言葉への気遣い”を大切に、信頼を広げる挑戦を重ねています。
 難局が続きますが、だからこそ“希望”と“勇気”の声を発し、皆で次代を勝ち開いていく決意です。


◆〈2020 学会史メモリアル〉8月  2020年7月24日

 ◎8・6 小説『新・人間革命』の起稿・脱稿の日
 8月6日は、池田大作先生が小説『新・人間革命』を起稿(1993年)し、脱稿(2018年)した日。
 同小説は海外13言語、23カ国・地域で出版されている。
 起稿・脱稿とも長野研修道場で行われ、8月6日は「信越師弟誓願の日」に定められている。 

 ◎8・12「教育原点の日」
 1975年(昭和50年)8月12日、池田先生が「教育部」の夏季講習会に出席。
 教育部が「教育本部」へ拡充された2002年(平成14年)に「教育原点の日」となった。
 ※参考資料=小説『新・人間革命』第24巻「人間教育」
  
 ◎8・14「関東の日」
 戸田城聖先生と池田先生の“師弟の出会いの日”である8月14日が、2000年(平成12年)8月、「関東の日」に。
  
 ◎8・24「池田先生入信記念日」
 1947年(昭和22年)8月14日、当時19歳の池田先生が、東京・蒲田での座談会に出席。
 生涯の師となる戸田先生と出会い、10日後の8月24日に入信した。
 ※参考資料=『人間革命』第2巻「地涌」
  
 ◎8・24「聖教新聞創刊原点の日」
 戸田先生の事業が行き詰まる中、1950年(昭和25年)8月24日、「聖教新聞」創刊の構想を戸田先生と池田先生が初めて語り合った。
 語らいから本年で70年。    

東京・信濃町の総本部に立つ「創価学会 世界聖教会館」。危機の今こそ、日本へ世界へ、勇気と希望の論調を発信する<br>
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東京・信濃町の総本部に立つ「創価学会 世界聖教会館」。危機の今こそ、日本へ世界へ、勇気と希望の論調を発信する      

 ◎8・24「壮年部の日」
 1976年(昭和51年)、池田先生が出席した副会長室会議で、先生の入信記念日である「8・24」が「壮年部の日」に。
  
 ◎8・26 学生部「飛翔会」結成45周年
 1975年(昭和50年)8月26日、働き学ぶ2部学生の集いである学生部「飛翔会」が結成。
 本年で45周年。
 ※参考資料=『新・人間革命』第23巻「勇気」
  
 ◎8・26「北陸の日」
 1984年(昭和59年)8月26日、池田先生は「第1回北陸平和文化祭」に出席。
 この日が「北陸の日」に。
  
 ◎8・29「国際部の日」
 1968年(昭和43年)8月29日、池田先生が通訳や翻訳に携わる友を激励。
 その後、「国際部」が発足し、2002年(平成14年)に「国際本部」へと拡充。
  
 ◎8・31「学生部の日」
 1962年(昭和37年)8月31日、池田先生が学生部の代表に対し、「御義口伝」の講義を開始。
 講義は約5年間続き、多くの人材が輩出された。
 ※参考資料=『新・人間革命』第6巻「若鷲」


◆〈信仰体験〉 特別養護老人ホームの施設長  亡き父が巡り合わせてくれた信心

 【北海道・比布町】コロナ禍にあっても、さまざまなエッセンシャルワーカー(社会の維持に不可欠な仕事の従事者)の奮闘が、日常の生活を支えてくれている。
 河島志津子さん(54)=支部婦人部長=もその一人。旭川市内の特別養護老人ホームで施設長として、感染防止へ細心の注意を払いながら、万全の対策に余念が無い。
 長年、介護の現場に携わり、利用者と家族に尽くす河島さんの胸中には、信仰を通して培った“一人を大切に”の心が息づいている。
 末期がんの父を看病するため、実家の比布町へ戻ったのは2000年(平成12年)11月。季節は晩秋から初冬へ移ろうとしていた。
 胃がんの手術から2年。肝臓、脳への転移が見られ、手の施しようのない状態だった。
 「奥さんや娘さんのことも、もう分からなくなります。この1週間が峠です。覚悟してください」
 医師の説明に、母・渡邊テル子さん(77)=副白ゆり長=と河島さんは、がくぜんとするしかなかった。
 やせ細り、ベッドに横たわる父が、振り絞るように思いがけない言葉を口にした。
 「一緒に題目を唱えてほしい……」
 父は長年、厚生労働省の指定難病「バージャー病」を患っていた。これまで、創価学会員である伯母おばから信心の話を何度も聞いてきた。
 伯母がさまざまな苦難を乗り越え、幸福な家庭を築けているのは、信心のおかげかもしれないと感じていたという。
 「父は母や私のことが心配で、信心で幸せになってほしいと望んでいたのです」
 ――河島さんは都会に憧れ、19歳で札幌へ。飲食店や洋服店で働き23歳で結婚したが、程なく離婚する。人生の浮き沈みに翻弄ほんろうされる日々。
 父の余命を知ったのは、病院で看護助手をしていた頃。心配をかけてきた両親へ親孝行し、自分の人生も再出発させたい――そんな思いから、河島さんが看病に戻った翌01年2月、父母と3人で入会した。
 一度は昏睡状態に陥った父だったが、意識を取り戻すと食事も取ることができ、見舞いに訪れた友人を気遣うこともあった。
 そして1カ月後、題目を唱えながら、安らかに旅立った。
 父の最期の姿とともに、多くの同志の題目や温かい励ましが、河島さんの心に響いていた。
 「人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし」(御書1598ページ)と御聖訓に仰せの通り、人のために尽くす学会員の生き方。
 会合で聞いた「一人を大切に」との池田先生のスピーチに、“私も一人のために祈り、行動できる自分になっていきたい”と心に決めた。
 その後、パートで旭川市内の訪問介護事業所に勤めることにしたが、今後の生活を考えると不安が募る。
 転職先を探していると、パート先から職員として採用の話が。ちょうど友人へ弘教を実らせた直後で、初信の功徳を実感した。
 河島さんは介護の最前線に身を置いた。キャリアアップを目指そうと、介護福祉士、ケアマネジャーの二つの資格に挑戦する。帰宅後も寝る間を惜しんで勉強。そして、真剣に祈りを重ねた。それぞれ合格を勝ち取ると、責任ある仕事を任されるように。
 介護保険制度や各種法令の解釈に苦労し、不慣れなパソコン操作にも悪戦苦闘。どんな仕事にも真摯に向き合う中で、実績を積み上げていった。
 やがて係長、課長へと昇進を果たす。だが仕事が多忙になるにつれ、それを理由に学会活動からは遠ざかっていった。
 河島さんには、どんな仕事もやり遂げてきた自負があった。部下にも同様の結果を求めた。そのあまり、厳しい口調や態度になり、部下との間に溝が生じていった。そうした雰囲気を察した上司からも注意を受け、河島さんは困惑した。
 その頃、縁あって再婚。妊娠するが2カ月で流産。追い打ちをかけるように、甲状腺の病気である橋本病も発症した。
 “こんなに頑張っているのに、私が何か悪いことをしたとでもいうの!?”
 自問自答を繰り返す日々が続いた。
 ある日、河島さんの隣家に学会員の夫婦が転居してきた。その後、夫婦は支部長、地区婦人部長に就き、広布の会場も提供した。
 地区婦人部長は会合や活動の連絡を小まめに入れてくれた。今まで仕事を理由に欠席していた河島さんだったが、何度も誘われると断り切れず、ある日、久しぶりに地区の集いへ顔を出した。
 「よく来てくれたね!」「元気だった?」
 同志の温かい声。皆、以前と変わらぬ笑顔で迎えてくれた。
 人の優しさ、真心に触れ、河島さんはハッとした。“私は地区の皆さんのように、一人を大切にする生き方を望んでいたのに、いつの間にか、それを忘れてしまっていた……”
 御本尊に題目を唱えると、さまざまなことが見えてきた。自分本位で仕事を進め、周囲を苦しめてしまったこと。入会当初、同志の励ましに“私も人の幸せを祈れるようになりたい”と誓ったこと。
 この日を境に河島さんは変わっていく。どんなに忙しくても学会活動に真剣に取り組んでいった。
 15年に地区婦人部長になると、同志の幸せを祈り、励ましに徹し抜いた。病に苦しむ叔父おじへ弘教も実らせた。
 職場では部下の成長を祈り、一人一人の話に耳を傾け、心を通わせるように努めた。問題があれば一緒に考え、解決するまで関わった。
 17年4月、河島さんは特別養護老人ホームの施設長に就いた。利用者とその家族はもちろん、関連施設も含めると100人を超す職員に対して責任を負う立場に。
 胸中には、池田先生の指針が輝いている。
 「わが心を変革すれば環境は劇的に変わる。逆風を飛翔の力に! 悩みを躍進のバネに! “今いる場所”で勝て!」
 亡き父が最後の力を振り絞り、巡り合わせてくれた信心。時々、心の中で話し掛ける。
 “信心したおかげで変われたよ。今、とても幸せです。ありがとう お父さん!”

 

2020年7月23日 (木)

2020年7月23日(木)の聖教

2020年7月23日(木)の聖教

◆わが友に贈る

 夏は友好を深める好機。
 心通う多様なつながりが
 安心・安全の社会を築く。
 電話や手紙等も活用し
 朗らかに絆を結ぼう!


◆名字の言 どう生きるか。「海の日」に思う  2020年7月23日

 〽海は広いな 大きいな……この歌い出しの童謡といえば、ご存じ「海」である▼この歌が小学校の音楽の教科書に載ったのは、1941年の春。同年12月、日本は太平洋戦争に突入した。〽海にお舟を浮かばせて 行ってみたいな よその国……(JASRAC出2006445―001)。日本は“軍国主義の帆”を揚げて“よその国”を侵攻した。同歌が戦意高揚に利用されたとする向きもある。それでも「海」は、子どもたちの憧れとともに歌い継がれてきた▼若き日の池田先生にとって海は、“いかに生きるべきか”を思索する場所だった。東京・大田区の森ケ崎海岸を親友と歩きながら、人生や哲学を語り合った。戸田城聖先生から世界広布を託されたのも、北海道・厚田の海を共に望んだ時である▼「この海の向こうには、大陸が広がっている」「世界へ行くんだ」――この恩師との約束を果たすため、池田先生は1960年10月2日、海を渡った。本年は60周年。後継の青年たちは今、オンラインでの世界青年部総会へと向かう。「広宣流布とは、民衆の幸福のため、世界の平和のための正義の大航海である」との師の信念のままに▼きょうは「海の日」。信仰と師匠という確かな羅針盤を持ち、使命の人生航路を進む幸福をかみ締めたい。(之)


◆寸鉄

道を開け! 道を創れ! 
一切を勝利の劇に―恩師
青年の使命は先駆の開拓
     ◇
三重蘇生の日。師弟共戦
の「この道」を未来まで。
太陽の励ましを友の心に
     ◇
WHO、日本提唱の「3密
回避」を世界に呼び掛け。
感染防止策さらに徹底を
     ◇
ながら運転の厳罰化後、
半年で人身事故が半減。
“少しだけ”の油断大敵
     ◇
赤ちゃん用フェースシー
ルドに熱中症リスクと。
窒息の危険あり。要注意


◆社説 2020・7・23 スポーツ界にぎわい戻る  不屈の心で「希望の明日」つくる

 スポーツ界にも、にぎわいが戻ってきた。先月のプロ野球開幕を皮切りに、Jリーグが再開し、大相撲も7月場所が幕を開けた。心待ちにしていたファンも多いことだろう。心身を鍛え上げたアスリートたちによる熱戦は、活力に溢れ、見る者の心を揺さぶらずにはおかない。  
 今、コロナ禍にあって、自らも苦闘しながらアスリートたちが社会に発信してきた励ましにも注目が集まる。休校の子どもたちに向け、自宅でできるトレーニングを披露するなど、SNSや動画の配信が反響を呼んでいる。  
 フィギュアスケート男子の羽生結弦選手は、自身が被災した経験から「3・11の時の夜空のように、真っ暗だからこそ見える光があると信じています」と医療従事者をはじめとする世界で苦しむ人々へメッセージを送り、話題となった。  
 東日本大震災の年、甚大な被害に沈む国民を、女子サッカー「なでしこジャパン」の活躍が力強く鼓舞したことは記憶に新しい。震災直後に開催されたW杯での快進撃には列島が熱狂した。  
 決勝の米国戦は、得点を奪われては取り返す両者一歩も譲らぬ攻防戦となった。ハイライトは延長戦後半の終了間際、キャプテンの澤穂希選手が劇的な同点ゴールを挙げたシーンは圧巻だった。PK戦の末、日本が一度も勝利したことがない米国を破り、初優勝を果たした。  
 米紙ニューヨーク・タイムズは「復興への希望の上に築かれた勝利で、(大震災で)打撃を受けた国を盛り上げた」と賛辞を惜しまなかった。また、被災地の人々は「勇気を与えてくれた。私たちの夢と希望です」「粘り強いプレーは被災地に(復興を)『絶対にあきらめてはいけない』と教えてくれた」と語った。  
 勝負の世界は厳しい。それは、相手との真剣勝負であると同時に、常に己との熾烈な戦いでもある。だからこそスポーツには、人間の不屈の魂が輝き、見る人に勇気や希望を与え、生きる上での力強いメッセージを送ることができるのだ。  
 1年後には、東京五輪の開幕日を迎える。古代オリンピックには、祭典の前後数カ月間、たとえ紛争があっても全ての都市国家が停戦して集い合う“平和の祭典”としての伝統があったという。スポーツには人々を結び、世界を一つにする力があることの象徴ともいえよう。  
 日本をはじめ世界の人々は今、未聞の危機の渦中にいる。しかし、人間には、苦難に負けない底力があり、皆で困難に挑み、乗り越える喜びがある。スポーツもまた、人間の強靱なチャレンジ精神を鼓舞してやまない。この不屈の心で、今再び「希望の明日」「平和の世界」を目指して進みた
い。


◆きょうの発心 〈きょうの発心〉御義口伝 北海道青年部長 平井康治2020年7月23日

御文
 一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり(御義口伝、790ページ・編1636ページ)
通解
 一念に億劫の辛労を尽くして、自行化他にわたる実践に励んでいくなら、本来わが身に具わっている仏の生命が瞬間瞬間に現れてくる。いわゆる南
無妙法蓮華経は精進行である。

報恩感謝の思いで真剣な祈りを
 広宣流布に徹すれば、自身に具わる仏の境涯が自然に薫発されると仰せです。
 札幌の大学を卒業後、金融機関に就職。人間関係や仕事など、多くの悩みを抱え、自暴自棄に。そんな時、創価班大学校(当時)に入校。折伏や、『人間革命』、『新・人間革命』の読了に挑戦しました。
 負けそうになるたび、先輩や地域の同志が、わが身を惜しまず激励してくれたことは、今も忘れることができません。
 池田先生の“社会で勝ち抜く力を付けよ”との指導に奮起。信心根本に懸命に働く中、取引先や職場で信頼を勝ち取り、実証を打ち立てることができました。
 そして、2世帯の弘教を実らせ、師匠に勝利の報告をすることができたのです。
 本年は「小樽問答」、「札幌夏の陣」から65周年。報恩感謝の思いを胸に、誰よりも真剣に祈り、社会に希望の光を届けてまいります。


【聖教ニュース】

◆日本原水爆被害者団体協議会・田中代表委員に青年部の代表がインタビュー

核兵器廃絶を青年の意志と連帯で

青年部の代表と語り合う田中代表委員㊨。「若い世代の皆さんが知恵を出し合い、世界平和のために行動してほしい」と述べた(新宿区内で)
青年部の代表と語り合う田中代表委員㊨。「若い世代の皆さんが知恵を出し合い、世界平和のために行動してほしい」と述べた(新宿区内で)

 間もなく、被爆75年の8月を迎える。核兵器のない世界の実現に向けて、さらなる行動が求められている。青年部の代表が、長崎の被爆者である、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の田中熙巳(てるみ)代表委員に話を聞いた。

 青年平和会議・南事務局長 核兵器廃絶を目指す市民社会の運動として、2016年4月、田中さんが「呼びかけ人被爆者代表」となって「ヒバクシャ国際署名」が始まりました。創価学会平和委員会も参加しています。

青年平和会議・南事務局長
 田中代表委員 世界の全ての国に、核兵器を廃絶する条約を結んでほしいというのが、私たち被爆者の長年の願いでした。その思いを被爆者の訴えとして発表し、その訴えに応える形で署名運動がスタートしました。
 なぜ16年に始まったかというと、その前年の15年、国連でNPT(核不拡散条約)再検討会議が開かれましたが、核保有国と非保有国が対立し、最終文書が採択されませんでした。10年以降から核兵器の非人道性が議論され、国際会議なども開かれていただけに、15年のNPT再検討会議で、何らかの前進を大いに期待していたわけです。
 結果を聞いた私たち被爆者は、核兵器に固執する人たちの心を動かす、大きな取り組みが必要だと改めて強く感じました。そうして生まれたのがこの署名運動です。
 ある国が核兵器を保有する、またはその存在を認めているということは、ある意味で、その国民が認めているということになる。そうであるならば、その国民の声、世論を変えなければなりません。核兵器を捨てるのは一人一人の選択でもあるのです。
 ヒバクシャ国際署名は、広島、長崎の被爆者による初の署名活動として注目いただいていますが、ただ多くの署名を集めるのではなく、訴えに賛同する人を増やし、その人たちがまた次の人に署名を推進する、といった行動を促すことが本当の目的です。

女性平和文化会議・小松議長 
 女性平和文化会議・小松議長 署名がスタートした翌年、核兵器禁止条約が国連で採択されました。市民社会、とりわけ被爆者の声が、条約成立の大きな後押しになりました。

 田中 市民社会の運動の中心となったのはICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)ですが、条約の交渉が始まってわずか1年足らずで採択を見たことに驚きました。
 条約の内容も具体的です。批准(ひじゅん)した国(締約国)は核兵器を使ってはいけない、保有してもいけない、実験もしてはいけないわけです。条約を批准していない国は拘束を受けませんが、こうした高い理念をもつ条約の存在自体に、核兵器の使用をためらわせる役割があると感じます。
 今後は核兵器を廃絶する条約ができることを願っていますが、私が生きているうちは難しいかもしれません。だからこそ、この禁止条約をしっかり固めるために、全ての国が締約国になることを求めていきたい。そして将来、核兵器の完全廃絶を実現させたい。この旨は署名にも明記しています。

 南 核抑止論をはじめ、核兵器が必要であるとの考えを支持する人たちもいます。
  
 田中 国際司法裁判所は1996年に勧告的意見というものを発表しています。これは核兵器の使用や威嚇が、人道法の原則と規則に一般的に違反するとしつつも、国の存亡に関わる状況などで、核兵器の使用が例外的に認められるかどうかについては明言していません。核兵器を正当化する側は、この点を突いてきます。
 しかし、被爆者が受けた苦しみを思えば、私からすれば、「使う」という選択肢があること自体が間違っています。攻撃されたら反撃するという前提自体が、本当に国民の安全を考えているとはいえません。国民を核の苦しみから守る“抑止力”など存在しないと思います。

核兵器を“自分事”と捉え 平和な未来のために行動を
  
 小松 今、被爆者の平均年齢は83歳を超え、被爆体験の継承が急務です。田中さんご自身も、中学1年生の時に長崎で被爆された体験を世界中で語ってこられました。
  
 田中 継承といっても、被爆者が話したいから話す、というものではありません。若い皆さんの、“継承したい”“しなくては”という思いの発露(はつろ)であってほしい。被爆者がいなくなった時に、どういう形で核廃絶を訴えていくかを、今からじっくりと考えてほしいです。
 今はまだ、現実に被爆した人がいます。直接、接することで、被爆の様子や彼ら彼女らが目の当たりにしたものを、微に入り細に入り、聞くことができます。そうすることで、核兵器の使用は“本当にあったこと”であり、“許されないこと”であるとの実感が湧いてくると思います。
 体験を聞く機会を、“想像”し、“行動”するチャンスとして捉えてほしいですね。
 新型コロナ禍では、オンラインの証言会も開催されており、私ども被団協としても協力しています。皆の顔を見ながら話せるのは、素晴らしいことです。
 直接集まるより、オンラインのほうが、よく質問が出ます。大勢の前で質問したくない、画面の前のほうが気軽というのは、日本人の気質でしょうか。
  
 南 多くの青年と交流してこられました。若い世代に望むことは何でしょう。
  
 田中 「核兵器廃絶のために、私たちはどうしたらいいですか」と質問されることがあります。厳しい言い方をすれば、それは本気で取り組もうと思っていないからです。教えてもらってからやろう、ではなく、どうしたら核兵器をなくせるかを、若い世代に考えてほしいのです。未来を生きるのは皆さんですから。
 現存する世界の核兵器の数は1万3千以上(本年1月時点)。何かの弾みで、今この瞬間に発射される可能性もあります。
 どうしたらその悲劇を防げるのか。どうしたら核兵器をなくせるのか。
 核兵器をほかならぬ“自分事”として捉(とら)え、平和を祈り、願うとともに、祈りや願いを実現させるとの強い意志に変え、行動していってください。

中国方面の学生部は毎年のように平和意識調査を実施し、核兵器廃絶への意識啓発を行ってきた(昨年7月、広島市内で)
平和建設の誓いを深め合う長崎平和学講座(昨年7月、長崎平和会館で)

 小松 私たち創価学会青年部も、池田先生の平和思想を根本に、被爆体験の聞き取りや証言集の作成など、核兵器のない世界の実現に向けて行動を続けてきました。ヒバクシャ国際署名を推進しているほか、今月と来月には、被爆者を講師に招いて、オンラインでの証言会も開催します。
  
 田中 ぜひ頑張ってください。10年後はどんな世界であってほしいかなどについて議論するといいでしょう。素晴らしい意見が出てくると思いますよ。
 私も今年中に、何としても核兵器禁止条約を発効させたいと思っております。現在、批准国は40カ国(7月22日現在)で、発効要件である50カ国まで残り10カ国です。
 ヒバクシャ国際署名は本年が最終年で、9月18日まで集め、国連に提出する予定です。市民の意志がはっきりと目に見える形となり、核兵器廃絶への流れを推進できるよう、最後まで取り組んでまいります。

 【プロフィル】
 たなか・てるみ 1932年、中国東北部(旧満州)生まれ。5歳から長崎に住み、中学1年生の時に被爆。被爆体験を長年にわたって語り継いできた。日本被団協の事務局長をのべ20年間務めた後、2017年に代表委員に就任。

昨年10月、1千万筆を超える「ヒバクシャ国際署名」の目録が、日本被団協の代表から、国連軍縮担当上級代表の中満事務次長(左から2人目)に提出された(国連本部で=時事)

ヒバクシャ国際署名を推進 9月18日まで
 ヒバクシャ国際署名のサイトはこちらから
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◆台湾が新出発の区長会 師弟の誓願胸に 「11・18」へ前進 2020年7月23日

 台湾SGI(創価学会インタナショナル)の区長会が12日午後、桃園市の桃園文化会館で開催され、400人が集った。
 学会創立90周年の「11・18」へ、新出発する意義を込めたもの。入場時の検温や全参加者のマスクの着用、フィジカルディスタンス(身体的距離)の確保など、新型コロナウイルスの感染防止に万全の対策を取りながら行われた。

 台湾で新型コロナの感染が初めて確認されたのは、1月下旬の春節(旧正月)連休前。同SGIは林釗理事長のもと、対策本部をいち早く設置。2月1日から全会館を閉館し、会合や訪問による激励等も自粛した。
 この間、①1日1時間の唱題②1日1人以上、電話で同志を激励③1日20分以上、小説『新・人間革命』を研さん――の実践に励む「信心の錬磨・励まし運動」を推進。また、オンラインでの座談会や『新・人間革命』学習会などを、各地で活発に開いてきた。

 約半年ぶりに、友が集い合って開催された区長会では、5月3日に完成した青年の歌「未来の地図~Step Forward~」の中国語版が発表。黄治綱男子部長、黄家鈴女子部長があいさつした。
 次に、張勝利副理事長が、幾多の宿命の嵐を、師弟誓願の祈りと行動で乗り越えた信仰体験を語った。
 林釗理事長は、下半期の取り組みを確認。教学運動とともに、機関紙「創価新聞」の購読推進に総力を挙げようと訴えた。
 そして、同SGIの法人化から30周年の節目となる本年を勝利と栄光で飾るべく、「11・18」を目指して、使命の天地に希望の連帯を広げようと望んだ。

【特集記事・信仰体験など】

◆〈「新・人間革命」と私〉島根総県婦人部長 矢壁妙子さん

心に刻む珠玉の言葉

 “出雲いずもをはじめ山陰地方は、その伝説のうえからも、景観のうえからも、光り輝く太陽の国といえる”(中略)伸一は、そう考えるならば、島根、鳥取は、本来、「山陰」というよりも、「山光」というべき天地ではないかと、ふと思った。〈第18巻「師恩」の章〉

時代背景
 「広布第2章」の本格的な開幕となる1973年(昭和48年)、山本伸一は仏法を基調とした社会建設の時と捉え、広宣流布の大闘争を誓う。9月には島根・鳥取の同志による「山陰郷土まつり」に出席するため島根を訪問。友は前年の「昭和47年7月豪雨」によって被災した苦難をものともせず、舞台では不死鳥のごとき不屈の闘魂が躍動した。

「山陰」を「山光」にとの歴史的提言
 1984年(昭和59年)5月21日、池田先生は、旧・島根文化会館で“山陰を、光り輝く地の意義から「山光」と申し上げたい”と呼び掛けてくださいました。
 その深い真心に、目の前が一気に開けたような歓喜が全身を包みました。
 歴史的な「山光提言」発表の日は「山光島根女性の日」の淵源にもなっています。
 本章では73年(同48年)9月、島根を訪れた山本伸一が“「山陰」を「山光」に”と思索する場面があります。島根・鳥取を希望の天地とするためには、「太陽の仏法たる日蓮仏法を広宣流布し、諸天善神が威光勢力を増して人びとを加護する、福光に満ちた楽土にしていくことだ」との師のご期待に、地域広布への決意を一層、強くしました。
 また、本章で描かれた「山陰郷土まつり」には、私にとっても特別な思い出があります。
 小学2年の時に父を病で亡くした私は、母と島根へ転居。引っ越した家が火事で全焼するなど、当時は一家の宿命の真っただ中にありました。そんな時に母と“郷土まつり”に参加し、初めて池田先生にお会いすることができたのです。
 78年(同53年)には、「島根未来会」の一員として結成式に参加。師との原点の誓いを貫き、経済苦などの困難を乗り越えることができました。

永遠に輝く人材山脈を構築
 本章に「師への報恩の道」とは、“弟子が師匠以上に成長し、法のため、社会のために尽くし抜くこと”と。
 「山光魂」がみなぎり、誇りに満ちあふれる島根には、師の心をわが心とし、地域に根を張り、率先して貢献の汗を流し続ける同志が大勢います。
 今月の大雨により島根も甚大じんだいな被害に見舞われる中、勇んで友を励まし、人々の幸福を祈り抜く同志の姿は、地域を照らす希望の太陽そのものです。その胸中には、池田先生への報恩感謝の心が燃え続けています。
 試練を迎える時代には、新しい価値創造の人材が求められていると思います。
 ヤング白ゆり世代や青年部、未来部の友へ「山光」に込められた師の思いを今こそ伝え抜き、永遠に輝く人材山脈を築いてまいります。


◆〈座談会〉親交を深める有意義な友好期間に 新しい発想で励ましの連帯2020年7月23日

〈出席者〉原田会長、長谷川理事長、永石婦人部長、志賀青年部長、大串女子部長

 長谷川 新型コロナウイルスの感染者の増加が日々、報道されています。「身体的距離の確保」「マスク着用」「手洗い」「手指の消毒」等、基本的なことを励行し、感染予防に努めていきたいと思います。
 
 原田 池田先生は17日付の「新時代を築く」で「異体を同心とする桜梅桃李のチームワークで、地球社会の明日へ平和と安穏を!」と、つづられています。特に、この7月、青年が、新しい発想で希望と励ましの連帯を拡大しています。
 
 志賀 男子部では各地のオンラインの集いで参加者が増加しています。たとえば北陸では、1月に行われた会合の約2倍のメンバーが参加。仕事の関係等で参加できなかったメンバー、10代、20代の若いメンバーなど、多くの新しい人が参加しています。その中で、仏法対話に挑戦する人が倍増した本部もありました。
 
 大串 女子部ではオンラインでの「池田華陽会御書30編」学習会も活発に行われており、研さんに取り組むメンバーが6倍になった地域もあります。聖教電子版でも配信されている「7・19結成記念 特別映像」も大好評で、2人の女子部員の信仰体験に感動が広がっています。
 
 永石 婦人部でも、幅広い世代の方がオンラインの活用に挑戦しています。「グループ」での活動にもオンラインを取り入れ、積極的に活動する人が増えた地域も多いです。子育てや仕事に奮闘するヤング白ゆり世代からも「自宅にいながら会合に参加できるので助かります」との声も伺いました。また、女子部の方に婦人部のリーダーがオンラインの使い方を教えてもらい“婦女会議”を開催している地域もあります。
 
 長谷川 支部や地区での励ましや、日々の連絡なども、正役職の方と副役職の方、担当しているリーダーが分担して行うなど、皆で、力を合わせて新しい活動様式に取り組んでいるところが多くありますね。まさしく異体同心と知恵の前進です。
 
 原田 日蓮大聖人は「真実一切衆生・色心の留難を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり」(御書1170ページ)と仰せです。どんなに大変な状況でも、題目を唱え抜く人に、打開できない試練などありません。今こそ、信心と団結で自身の新たな広布の歴史を残していきたい。


宝の未来部を育成

 永石 間もなく夏季友好期間を迎えます。「友人」「家族・親戚」にも積極的に声を掛け、励まし合い、親交を深めていく契機にしていきたいと思います。
 
 長谷川 各地で聖教新聞の拡大にも挑戦していただいています。8月2日(日)付には、対話に活用できる特集紙面が掲載されます。これまでのPR版に代わって、毎月第1日曜の5~8面が同様の紙面となりますのでご活用ください。
 
 原田 コロナ禍においても毎朝、聖教新聞を配達してくださる「無冠の友」の皆さまに心から感謝いたします。この夏、一人でも多くの友に聖教を通じて励ましの心を届けていきたい。
 
 志賀 未来部育成にも力を入れたいと思います。ファミリー座談会や、オンラインの活用などで、わが地域の「宝の未来部」を育んでいきましょう。
 
 原田 「健康」「無事故」に留意し、創立90周年の「11・18」を勝ち開くための、有意義な友好期間にしていきたいと思います。コロナ対策 公明ワクチン確保へ緊急提言

 大串 コロナウイルス感染症への経済対策としての1人「10万円」の特別定額給付金について、受け取った世帯が7月15日までに総世帯数の90%を超えました。
 
 永石 公明党の山口代表が安倍首相に直談判して実現した、この給付金について「公明党のおかげで家計が本当に助かった」との喜びの声を各地で聞きます。
 
 原田 京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥所長も「まさにパンデミックの状況に求められるリーダーシップの表れ」と高く評価していましたね。
 
 大串 社会活動家で東京大学特任教授の湯浅誠氏も、「国民の声をくみ取る公明党の本領が発揮された」と述べていました。
 
 志賀 コロナウイルス対策に関して、公明党はこれまでに25本を超える提言を行い、多くが実現しています。公明党の、与党としての存在感はますます大きくなってきました。
 
 長谷川 業績が悪化した中小企業などの法人に最大200万円、個人事業主に最大100万円を支援する持続化給付金や、学生を支援する20万円もしくは10万円の緊急給付金、医療や介護・福祉サービスの従事者等への最大20万円の慰労金の支給などもそうです。
 
 永石 治療薬やワクチンについても、公明党は早期開発・使用を目指し、党内にプロジェクトチームを立ち上げ、推進しています。
 
 志賀 国内で初の新型コロナウイルス感染症の治療薬として承認され、重症患者に投与されているのが「レムデシビル」です。実は、この治療薬の活用をいち早く提案したのが公明党です。国の研究機関の文書などであまり取り上げられていない段階から、公明議員が治療薬の候補とするよう国会で主張(3月9日)し、早期承認へとつながりました。
 
 大串 この薬は米バイオ医薬品企業ギリアド・サイエンシズが、同薬を使用しない標準的な治療に比べ、感染者の死亡リスクを減らすことができると分析結果を公表していましたね。
 
 志賀 また、ワクチンに関しては、実用化へ最も先行しているとされているのがオックスフォード大学と英製薬大手の共同開発品です。公明党はこの製薬会社の日本法人役員から課題を聞き、20日、厚労相に対してワクチンの確保に向けた緊急提言を申し入れ、NHKでも報道されていました。さらに、国内での開発支援も訴えました。
 
 原田 今、政治に求められるのは、国民の声を聞き、国民と一緒に乗り越えていこうという姿勢です。“大衆とともに”との永遠の原点を持つ公明党は、命と暮らしを守る政治をさらに進めてもらいたい。


◆開学35周年の創価女子短期大学 現役学生にオンラインで聞いてみよう!㊤2020年7月23日

創価女子短期大学の創立者・池田先生が香峯子夫人と共に短大キャンパスを訪れ、「学問と人生と幸福」について特別講義を。「一人も残らず、幸福になっていただきたい。それが私の心からの願いです。そのための短大の2年間です」と呼び掛けた(2002年10月1日、東京・八王子市で)

 開学35周年を迎えた「創価女子短期大学」の現役学生が、受験生応援企画として高校3年の女子未来部員を招き、オンライン懇談会を行いました(創大の懇談会は9日付、20日付に掲載)。その模様を上下2回にわたり掲載します。また、創立者・池田大作先生が2016年2月に短大生に贈った特別寄稿「幸福の未来へ 共に舞いゆけ」の抜粋も掲載します(全文は創価女子短大編『創立の精神を学ぶ』〈非売品〉に所収)。

姉妹の絆
 関根 ようこそ! ビデオ会議用の壁紙も、創価女子短大のウエルカムボードに替えて(笑い)、お待ちしていました。
  
 兒島 女子短大では、先輩と後輩の関係を「短大姉妹」って言うんだけど、“姉妹がおしゃべりする”みたいな感じで気軽に何でも聞いてくださいね。
  
 ちほ じゃあ早速! 短大の魅力ってどんなところですか。
  
 兒島 たくさんあるなあ。一つは「2年間で4年制大学以上の実力をつけられる」ところ! 毎日が本当に濃密で、充実していて……みんなが「2年間で4年分の学びを!」っていう思いで真剣に関わり、励まし合っているんだ。学力だけじゃなくて「人間力」の部分でも、成長を感じられる場所だよ。
  
 関根 もちろん、その分、忙しいんだけどね(笑い)。短大のシンボルは「白鳥」なんだけど、湖を泳ぐ白鳥って優雅に見えても、水面下では懸命に水をかいているでしょう? それと同じで、短大生は誰も見ていないところで一生懸命勉強してるし、悩んだり、もがいたりしながらも、笑顔で前へ前へ進んでいく感じなの。その上でお互いに“見えない部分の努力や挑戦”を分かち合っているから、深い部分でつながってるし、一緒にいて楽しい! この絆の強さはどこにも負けないと思う。
  
 まみ 私、高校1年の時に女子短大のオープンキャンパスに行ったんです。皆さんの笑顔や和気あいあいとした雰囲気がとてもステキで、感動しました。
  
 関根 私が「女子短大を受けてみよう」って思ったきっかけも、高校3年の時に参加したオープンキャンパスだったの。そこで聞いた「21世紀の女性リーダーを育てます」っていう言葉が印象的でね。創立者が掲げる女性教育の考え方にも触れて、「ここしかない!」って確信したんだ。今は「WEBオープンキャンパス」もやっているから、ぜひ見てみてね!(上の画像を読み込むとアクセスできます)
  
 兒島 実は私、受験校の第1志望は別の大学だったんだけれど、結果は不合格。浪人するか第2志望の女子短大に行くかで迷ったんだ。その時、姉が女子短大時代に鹿児島の実家に帰省するたび、キラキラ輝いていた姿を思い出してね。短大の魅力を改めて姉に聞いてみたの。英語に強い

 まみ どうでした?
  
 兒島 「英語に強い」「先輩・後輩の仲がいい」――どれも魅力的だったけど、「世界平和のための『女性教育』を学べる場所は、創価教育の学びやの中でも短大だけ」っていう点が一番、胸に響いたの。実際に入学してみて“お姉ちゃんの言った通り”だった。今は、短大を選んで本当に良かっ
たと思ってる!
  
 ちほ 女性教育について考えたことがなかったので、興味が湧きます。あと、私は留学したいと思っているんですが、どんなプログラムがありますか。
  
 関根 まずはニュージーランドのオタゴ大学への春季語学研修。1年次の春に約3週間、世界中から集った学生と一緒に学べるの。もう一つは、アメリカ創価大学(SUA)への短期留学。2年次の前期に2カ月間、SUAで集中的に“生きた英語”を学べるよ。これは、短大ならではのプログラムなんだ。あと来年度から、フィリピンのミリアム・カレッジでの夏季語学研修も開始される予定だよ!
   
 ちほ 留学以外にも、何かあるんでしょうか。
  
 関根 「英語を重点的に学びたい」っていう学生のために、「E―Swans」っていうプログラムもあるよ。私も受講しているんだけど、英語を「話す」「読む」「聞く」「書く」ための力が、集中的に身に付くの。入学後1年でTOEIC(国際コミュニケーション英語能力試験)のスコアを、280点伸ばした人もいるんだ。授業はほぼ英語で行われるんだけど、少人数だから教員に何でも相談できるのもポイントかな。とにかく“英語漬け”の毎日!
 友達と学食で食べながら話している時にも思わず英語が出てきちゃって、「あれ? 日本語ってどうしゃべったっけ?」ってなることもあるくらい(笑い)。
  
 兒島 日常的なサポート体制もすっごく充実してるから安心してね! 短大の学習支援センターっていうところでは、英語学習や授業に関する相談会を週に何回か実施してくれるの。このコロナ禍でも「オンライン学習相談室」を開いて、創価大学に編入した短大卒業生が進路や人間関係のことまで、何でも相談に乗ってくれているんだ。
  
 まみ みんなが支えてくれるんですね。あと短大は「資格にも強い」って聞いたんですが、その点も教えてもらえますか?
 (㊦は30日付に掲載予定)

創立者・池田先生の特別寄稿抜粋 幸福の未来へ共に舞いゆけ

 二十一世紀は「女性の世紀」――。これは、私の人生を貫いてきた信念です。
 世界には紛争や暴力、差別、貧困など、さまざまな課題が山積しています。その多くは、残念ながら、これまでの男性中心の社会から生まれた問題であるといっても過言ではないでしょう。
 ゆえに今こそ、女性の持つ豊かな力が求められると確信します。
 女性には生命を慈しみ、育む、妙なる母性があります。平和を愛し、調和を求める本然の智慧があります。偉大な女性リーダーが陸続と育つならば、人類社会はもっと人間性にあふれた平和と調和の社会、生命尊厳の精神が輝く社会へと発展していくに違いありません。
 そして、この「女性の世紀」を照らす人間教育の光の城こそ、私たちの創価女子短期大学なりと、声高らかに宣言したいのであります。
                        ◆◇◆ 
 創価女子短大の創立に当たり、私は三つの「建学の指針」を贈りました。
 第一は「知性と福徳ゆたかな女性」です。
 学び続ける人は強い。学問との格闘の中で、不断の挑戦の中で、自身の持つ可能性は大きく開かれていきます。知性と同時に、大切なのは、福徳です。豊かな人間性です。人々を包み込む、何ともいえない生命の輝き。温かさ。その人格と教養をともに磨き、心を磨くのが、この短大の白亜の学舎です。
 第二は「自己の信条をもち人間共和をめざす女性」です。
 固き信念、深き哲学は、厳しき社会を勝ち抜いていく力です。強き芯のある女性は、毀誉褒貶の嵐に負けません。
 とともに、職場や地域にあって、人間の調和と共和を築く存在がどれほど大切か。いかに科学や通信技術が発達したとしても、根本は人間自身であり、さまざまな違いを超えて人の心と心を結ぶ英知が重要です。
 「あの人がいると安心だ」「あの人がいれば、皆がまとまっていける。楽しく前進していける」。そうした女性力、人間力が、これまで以上に求められています。
 第三は、「社会性と国際性に富む女性」です。
 二十一世紀、女性の社会進出はいやまして進んでおり、女性が果たすべき役割、期待される役割はますます大きくなっています。また、グローバル化が進展する中で、国際性の涵養が不可欠です。短大では、当初から資格の取得や語学の習得に力を注いできました。
 新たな三十年へ、豊かな社会性を備えた国際人の育成に、さらに取り組んでまいりたい。
 日本の社会も、そして世界も、大きな変化を遂げつつあります。その中で、世界市民教育の花園、女性教育の殿堂としての短大が持つ使命は、ますます大きくなっているものと確信します。

8月9日、10日創価大学・創価女子短期大学 オンラインオープンキャンパス 7月27日から予約開始

 この夏はスマホやパソコンを使って、自宅から東京・八王子市の創価大学・創価女子短期大学に行こう!――両大学の「オンラインオープンキャンパス」が8月9(日)、10(月・祝)の両日に開催されます。
 創大では、例年のオープンキャンパスで好評のプログラムをウェブ上で実施します。各学科のガイダンスや体験授業、入試ガイダンス、現役学生による合格体験発表のライブ中継など、大学の魅力を感じられる企画がめじろ押し! 現役学生や創大アドミッションズセンター職員による個別相談も行います。
 また、ベストセラーとなった『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』の著者として知られる坪田信貴氏の特別講演「誰でも成績を急上昇させるテクニック」も、受験生必聴です。
 創価女子短大では、体験授業や学科説明のライブ中継、現役学生との個別相談等が用意されます。
 開催時間は両日ともに午前10時から午後4時。参加するには事前の予約が必要です。創大・女子短大ともに予約の受付開始は7月27日(月)から。概要については、創大のホームページ(https://www.soka.ac.jp/)、短大のホームページ(https://www.soka.ac.jp/swc/)を参照してください。
 皆さんの“来学”をお待ちしています。


◆信仰体験 自閉症と生きる画家と母  息子は廃材に命を吹き込むアーティスト

 【東京都八王子市】阿山京子さん(72)=支部副婦人部長=は、自閉症の長男・隆之さん(47)=壮年部員=を支え続けてきた。
 工場から出る木の廃材をカンバスに、色鉛筆で絵を描くアーティストの隆之さん。木板いっぱいに牛や猫、虫や草花などの写真や実際に目にした景色を力強く刻んでいく。

 「毎日がドラマでした」と、それを見守りほほ笑む母の目尻には、重ねてきた苦労と再起の日々が刻まれているようだった。

 ――隆之さんが自閉症と分かったのは3歳の頃。声を掛けても視線が合わず、反応がなかったり、落ち着きなく走り回ったり。
 社会的にも発達障がいについて理解があまり進んでいなかった当時。昼夜関係なく目が離せない状況と将来への不安に、京子さんは打ちひしがれた。

 “いっそのこと、このまま一緒に死んでしまおうか”
 そうよぎったこともあった。

 ある日、公園で隆之さんを遊ばせていると、同年代の女性に声を掛けられた。子育てをしているというその女性は、創価学会員だった。自分の苦労を理解し包んでくれるような温かさにあふれていた。母という同じ立場から、共感してくれたことがうれしかった。

 “この人がいる創価学会って、どんなところなんだろう?”
 座談会に参加した。温かく迎えてくれた参加者の「一番苦労した人が、一番、幸せになれる信心です」という言葉に心が動いた。
 1977年(昭和52年)2月に入会。

 「それまでは、自分が苦しいことを誰かのせいにしようとしてたんだと思います。母として、しっかりしなきゃと御本尊に向かっていきました」。強い心をもちたいと祈りに祈った。

 3カ月ほどたったある日。
 「お母さん!」
 一緒に歩いていた隆之さんが、真っすぐ京子さんを見つめていた。驚きとともに、涙がとめどなくあふれた。

 “この子にも必ず使命がある。ゆっくりでいいから、親子で一緒に成長するんだ”

 それからの日々も、一進一退。隆之さんを膝に抱えながら御本尊に祈った。不思議と、題目を唱えている間はおとなしかった。
 中学の特別支援学級を卒業すると、隆之さんは地域の作業所に入所。ガラス細工や工作に取り組む中で、思わぬ才能が開花する。施設の所長が「隆之くんの絵はすごいんですよ!」と教えてくれた。

 15年前、夢中になって描いた絵を市内の絵画展に応募すると入選した。この時、隆之さんの作品を知った芸術大学の教授から、「他の人には、まねのできない独特の強さと繊細さがある」と。アドバイスを受けながら、木板に金属のこてで輪郭を引き、色鉛筆で彩色する現在のスタイルを築いていった。

 2009年(平成21年)までに、2度の個展を開催。その後も、東日本大震災の支援プロジェクトや、千代田区の「新丸の内ビル」内にある有名なコーヒーショップの店内デザインに作品が採用されるなど、大きく活躍の場を広げてきた。

 これまで描き上げてきた作数は数百点に及ぶ。作品を囲み、京子さんは夫・勉さん(68)や、次男・達也さん(45)=壮年部員=と、思い出話に花を咲かせる。

 「多くの出会いに支えられました。隆之も大変な思いをしてきたと思います。それでも自分らしく生きる強さを、私自身が彼から教わりました」と京子さん。家族で笑い合える感謝を胸に今、池田先生の言葉を実感する日々だ。

 「どんな苦しみがあっても、どんな試練があっても、『わが子よ、生まれてきてくれて、ありがとう』――こう、心から言えるようになった時、親子は共に、幸福の方向へ進んでいけるのではないでしょうか」​​

 

◆信仰体験 勉強が嫌いだった僕

<前田曙さん(24)=熊本県菊池市、総県学生部長=は、熊本大学大学院で学んでいる>
  
 風呂やサウナを活用した、腎臓への温熱療法を研究しています。腎臓って普段あんまり気に掛けない臓器ですが、実は人の寿命を左右する“陰の功労者”なんですよ。これを追究すれば、QOL(生活の質)を向上させられる……腎臓についてなら一日中だって話せますよ(笑い)。
  
 <2014年(平成26年)から18年までは熊本保健科学大学で学んだ。4年間、首席を通した。だが中学・高校時代は勉強が苦手だったという>
  
 テストの大半は30点未満の、いわゆる赤点。やる気がなかったわけじゃないんです。むしろ、授業を真剣に聞き、宿題もしっかり提出する、いい生徒だったと思いますよ(笑い)。でも、いくら頑張っても点数が伸びなくて。“成績が悪くても生きていける”って開き直って、部活に逃げていました。

 ただ、大学受験の時は“さすがにこのままじゃヤバイ”と思って、丸暗記する勢いで勉強しました。今思えば、危機感と気合だけで合格を勝ち取ったようなもんです。

<大学入学後、学生部の活動に参加。同世代の仲間から受けた影響は大きかった>
  
 生き生きと夢や目標を語る姿がまぶしかった。一方で僕はといえば、入学早々“授業の理解力も低いし、卒業できんかもしれん”っていう不安でいっぱい。

 ある日、学生部の先輩にその悩みを相談したんです。先輩は「信心は自分の諦()めの心に打ち勝たせてくれる力なんよ。だから一生懸命、学会活動したら、思ってもみなかった自分になれるよ」って。

 確信あふれる先輩の言葉にはっとしました。“勉強ができんって、実は僕が決め付けてただけなのかも。変えられるんなら、変えたい”。そう思って、勤行・唱題と仏法対話に挑戦するようになりました。

<大学1年の夏、学内で目にした腎臓の研究会に参加。学会活動と勉学に全力投球する中、徐々に自身の変化に気付いていく>
  
 朝晩の祈りで自分の生命を見つめる。そして、友人に仏法を語る。このリズムの中で、自分の弱い心に向き合いました。正直、最初は自分に負ける日の方が多かった(笑い)。でも、学生部の仲間に力をもらいながら、挑戦を続けて、少しずつ自分の変化を実感できるようになりました。

 先輩が言ってくれた通り、以前の僕からは信じられないくらい、自分に自信が持てるようになったんです。ハードルが高い問題に出くわした時、それまでだったら“どうせできんやろ”って思っていたのが、“絶対できる”って捉えられるようになって。

 池田先生の書籍を読むと、自分の中で“何のために学ぶのか”との目的意識がはっきりします。すると、難しい問題も根気強く取り組め、解けるようになった。

 “いけるやん!”と感じ始めてからは、嫌いだった勉強が好きになっていきました。

 その歓喜を友にも味わってほしいと、ますます折伏に挑戦するように。2人の友人への弘教が実った時は、今まで感じたことのないほど、最高の喜びでした。

学生部の仲間と。前田さん(右端)は、今月の豪雨災害で「かたし隊」として奮闘した(本年2月撮影、本人提供)


 <昨年、念願だったスイスでの国際学会に参加した>

 人生初の英語での研究発表だったので、腎臓、いえ心臓が飛び出るほど緊張しました(笑い)。

 一番の成果は、宗教も民族も違う人たちが、同じ人類の幸せを願って日夜、努力しているんだと理解したこと。

 僕の研究も“将来、人々の健康増進に役立たせてみせる”とさらに決意できました。妙法の学術者として、使命の道を一直線に歩んでいきます。(九州支社編集部発)

 

2020年7月22日 (水)

2020年7月22日(水)の聖教

2020年7月22日(水)の聖教

◆わが友に贈る

 人生は「桜梅桃李」。
 誰かと比べるよりも
 昨日の自分に勝とう!
 日々 決意新たに
 勇猛精進の歴史を!


◆名字の言 英国の作家・スティーブンソン「生きる力をくれる日本の英雄」 2020年7月22日

 「彼のような魂の持ち主は、不遇によって打ち砕かれたりはしない」――今から140年前、英国の作家・スティーブンソンが、文学雑誌に日本人の伝記を書いた。タイトルは「ヨシダ・トラジロウ」。すなわち幕末の思想家・吉田松陰である▼スティーブンソンが松陰を知ったのは、英国に留学していた松陰の門下生・正木退蔵と出会ったことに始まる。正木が語る松陰の人生に、彼は深い感銘を受けた。伝記を書いた後、友人への手紙に「生きる力を与えてくれる日本の英雄の話」と記している▼正木が松下村塾に入門したのは十代前半。在籍した期間は、わずか数カ月という。だが、松陰という人格に触れた感動は、時を経て色あせるどころか、言葉も風習も違う異国の作家の心をも動かした(よしだみどり『知られざる「吉田松陰伝」』祥伝社)▼精神的な触発に、出会う回数は関係ないのかもしれない。たった一度の出会いでも、短時間の語らいでも、人生を変えることがある。その歓喜と感動は、時間や空間を超えて広がっていく▼学会には、池田先生の励ましを、生涯の宝とする多くの友がいる。師弟の原点に常に立ち返り、挑戦を重ねる――求道の心が燃えている限り、いかなる不遇や逆境にも、決して負けることはない。(嶺)


◆寸鉄

人間革命の挑戦こそ真の
民主主義を築く力―博士
民衆が主役の時代を創出
     ◇
鼓笛隊の日。試練の時も
希望の連帯広げる平和の
天使。健康と勝利あれ!
     ◇
一言の励ましで何という
結果がもたらされるか―
詩人。一瞬一瞬に心込め
     ◇
外出自粛で親子関係円満
になった―4割。有意義
な語らいで和楽の土台に
     ◇
ストレスをバネにできる
人は幸福度も高い―研究
負けじ魂を燃やして前へ

◆社説 2020・7・22 きょう「鼓笛隊の日」 社会に希望弾むメロディーを

 生命が躍動するメロディーとリズム。清新かつ華麗な舞――。
 きょうから7・22「鼓笛隊の日」を記念する演奏動画が聖教電子版で視聴できる。これは、全国の隊員が各人の自宅等で学会歌メドレーを演奏し、その模様を収めた動画を合わせて一つに編集されたもの。またメンバーは、配信された動画に合わせて自宅で演奏・演技することで、“鼓笛隊総会”の意義をとどめる。
 現在、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、練習や会合は中止に。一人一人が個人練習に励みながら、今できることに挑戦している。あるメンバーは友人へ、心に刻んだ聖教新聞の記事などをSNSで送っている。またある友は、かつてないほど真剣な祈りに挑戦し、転職を勝ち取った。“鼓
笛姉妹”は、縁する一人一人に希望を届けようと奮闘する。
 そんな彼女たちは、小説『新・人間革命』を何度も読み返してきたという。
 1956年(昭和31年)9月、鼓笛隊の初出動の模様を聞いた山本伸一は期待を寄せた。「いつか、世界一になればいいんだ。鼓笛隊は、必ずそうなる。私は確信しているよ。(中略)世界一になるには、なんのためかという、崇高な目的が必要だ。目的があいまいであれば、自分の本当の力を出し切ることはできない」(第14巻「使命」の章)
 さらに79年(同54年)、第3回鼓笛隊総会に出席した伸一は呼び掛ける。「皆さんの美しい演技の裏には、どれほど厳しい修業があり、根性と忍耐をもって技術を磨き、挫けずに前進してきたことか。人生もまた、美しい開花の裏には苦闘がある」(第30巻<上>「雌伏」の章)
 師の心に触れた友は、「読むほどに、鼓笛隊の使命の大きさ、池田先生の真心が響き、何度も胸が熱くなりました。今は、演奏に込めるべき心を確かめ、磨く大切な時間です」と前を向く。
 メンバーと同世代で、白血病と闘う競泳女子の池江璃花子選手。今月、病の公表後初めて練習を公開した。「もしかしたらもう元には戻れないという気持ちもある」との不安とともに、「病気の人たちにも、ここまでまた強くなれるんだよということを知ってもらいたいし、中途半端なまま水泳を終わらせたくない」と(「毎日新聞」7月3日付)。その負けない心に胸を打たれる。
 なぜ、鼓笛隊の演奏が人々の心に響くのか――。それは、さまざまな悩みに直面しながらも、広布のため、前へ、前へと進もうとする不屈の心が燃えているからではないだろうか。目の前の“一人を励ましたい”という慈悲の心を胸に尊き青春を歩む友たちが奏でる妙音は、社会に希望のファンファーレを轟かせる。


◆きょうの発心 開目抄 宮崎創価県婦人部長 福田裕美子2020年7月22日

御文
 我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ(開目抄、234ページ・編464ページ)
通解
 私と私の弟子は、多くの難があろうとも、疑う心を起こさなければ、自然に仏界に至るであろう。諸天の加護がないからと、疑ってはならない。現世が安穏でないことを嘆いてはならない。

“負けじの母の祈り”で前進!
 いかなる難があっても疑うことなく信心を貫けば、成仏の境涯を得られると仰せです。
 小学3年の時から、勤行の後に暗唱してきた一節です。今では家族全員の指針となっています。
 20歳の時に本部職員に。何度も九州を訪れ、一人一人を温かく激励される池田先生の姿を目の当たりにし、師弟の原点を築くことができました。
 広布にひた走る中、結婚10年目にして、男女の双子を授かることができました。その喜びもつかの間、夫が胃がんを患いました。
 師匠からの激励と、同志の皆さまの唱題のおかげで、手術は成功。再発することなく、元気に仕事と活動に励んでいます。子どもたちも、広布後継の道を元気に歩んでいます。
 “太陽の宝土・宮崎”の誇りを胸に、創価県の皆さまと、「11・18」を目指し、“負けじの母の祈り”で前進していきます。


【先生のメッセージ】

◆連載〈世界広布の大道〉小説「新・人間革命」に学ぶ 第21巻 解説編 池田主任副会長の紙上講座2020年7月22日

イラスト・間瀬健治

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第21巻の「解説編」。池田博正主任副会長の紙上講座とともに、同巻につづられた珠玉の名言を紹介する。

ポイント
①「SGI」結成の精神
②「師弟不二」の道を貫く
③“励まし社会”の創出へ

 「SGI」の章では、SGI(創価学会インタナショナル)結成の淵源、その精神について、詳しく記されています。SGIが発足したのは、1975年(昭和50年)1月26日、米グアムでの「世界平和会議」の席上でした。
 当初、同会議では、国際平和団体である「IBL」(国際仏教者連盟)のみが発足する予定でした。IBLは、創価学会が世界に広がる中で、各国のメンバー同士が連携を取り、支え合うための国際機構で、運営を中心とした法人・団体等の互助組織でした。
 設立の準備に当たる中で、各国のリーダーたちは、大切なことに気付き始めます。それは、世界広布の伸展の上で、「誤りのない信心の指導が受けられる機構」(22ページ)が必要であり、「運営的な問題は、皆で話し合って進めていけばよいが、信心を学ぶには師匠が必要」(26ページ)ということです。
 各国のリーダーたちは、“学会精神を学ぶ機構の指揮を、山本会長に執ってほしい”との思いを強く抱くようになっていきます。伸一は熟慮を重ねた上で、SGI会長に就任する意思を固めました。
 まさに、SGIは、「人類の平和と幸福を担い立つ真の人材を育てようとする伸一の、ほとばしる思い。そして、仏法の師匠を求め抜く、世界の同志の一途な思い――その師弟の心の結合」(31ページ)によって誕生したのです。
 今、世界には“危機の嵐”が吹いています。困難な状況だからこそ、SGIの原点に立ち返り、師弟の心の結合をますます強める時です。「SGI――それは、世界を結ぶ異体同心の絆である。それは、世界平和の赫々たる光源である」(100ページ)との通り、世界の友とスクラム固く、前進してまいりたいと思います。

英ロンドンのテムズ川に架かるタワー・ブリッジ(1989年5月、池田先生撮影)。第21巻では、イギリスの友が「“大変な時こそ頑張る”をモットーに、勇んで困難に挑み、勝利を築いていく」との誓いを述べる場面が描かれている

連載当時の状況
 SGI発足直後の同年2月1日から一般紙で連載され、春に発刊されたのが『私の履歴書』です。池田先生の自伝がつづられ、「体験をもとにした平和への叫び」(121ページ)である同著は、大きな反響を呼びました。
 先生の歩みは、人類一人一人の人間革命を機軸とした恒久平和建設の歴史でした。  
 SGIの出発となった「世界平和会議」で伸一は語っています。
 「ともかく地平線の彼方に、大聖人の仏法の太陽が、昇り始めました。
 皆さん方は、どうか、自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」(43ページ)  
 当時、「世界平和会議」に集ったのは51カ国・地域でした。池田先生は自ら先頭に立ち、一貫して世界に友情を紡いでいかれました。  
 その後、世界広布は大きく伸展し、第21巻の連載がスタートした2008年(平成20年)、一つの節を迎えます。SGIが世界190カ国・地域に広がる中で、池田先生が80歳を迎えられたのです。  
 先生はかつて、「八十歳まで……世界広布の基盤完成なる哉」と随筆に書かれました。その通り、まさに世界広布の基盤完成をもって、80歳の佳節を刻まれました。  
 前年9月から、「広布第2幕」の全国青年部幹部会が開催され、2008年の「3・16」には女子部の「池田華陽会」が結成されました。この時に連載された第21巻は、世界広布の基盤が完成した広布第2幕以降における重要な指針が示されています。 
 それは、「われらの団結とは、縦には広宣流布の師匠と弟子との不二の結合である」(98ページ)、「常に求道心を燃やして、師匠を求めていくことが大事」(246ページ)とあるように、「師弟不二」の道を貫くことにほかなりません。 
 小説『人間革命』第10巻では、「師弟不二」の峻厳なる道について、弟子が師匠の意図を五体に巡らせ、「自発能動の実践の姿をとる時、初めて師弟不二の道を、かろうじて全うすることができる」(130ページ)と記されています。  
 師弟といっても、弟子の姿勢によって全てが決まります。池田門下が自発能動で進んでいく時、師が開かれた世界広布の足跡が光り輝くのです。

“善の連帯”築く対話
 鄧小平副総理、シアヌーク殿下、ペッチェイ博士、世界初の女性宇宙飛行士・テレシコワ氏、コスイギン首相、佐藤栄作元総理――多忙な中にあって、どうして伸一は、世界のリーダーと有意義な語らいを進めることができたのか。  
 その姿勢について、「人間外交」の章で、「対話には勇気と決断が大切である。まず、断じて語り合おうと心を定めて、懸命に時間をつくり出すのである」(136ページ)と強調されています。  
 時間があるから、意義ある対話ができるというわけではありません。対話は自分の決意次第であり、「勇気」と「決断」こそが、その第一歩なのです。  
 印象的なのは、伸一が「一人」と向き合った時の“励まし抜こう”との真心です。  
 同章では、中国人留学生を創価大学に初めて受け入れた際、創立者として、身元保証人となる感動的なシーンが描かれます。“一人たりとも落胆させまい”と、留学生に対し、まるで家族のごとく接していきます。その姿に、教職員や学生は襟を正しました。  
 「共鳴音」の章に、「励ましの対話によって、その心を開き、勇気と希望の光を送り、人間と人間の善の連帯をつくりあげていく」(253ページ)とつづられています。ここに、私たちの対話運動の目的もあります。  
 現在、コロナ禍の「新しい日常」の中で、以前のように、積極的に会って励ましを送ることが難しい局面にあります。「創価学会のめざす広宣流布とは一次元から言えば、“励まし社会”の創出である」(同ページ)とある通り、こうした状況下で大切にしたいのは、直接会うという“方法”“手段”よりも、励まし社会を創り出そうとの一人一人の“強い決意”です。  
 青年部は、オンラインの集いや激励を定着化させています。さらに、多宝会の友をはじめ、多くの同志が、“電話・手紙でも激励できる”と、「新しい激励」に挑戦してくださっております。過日の随筆(本紙7月7日付)で、池田先生は「我らの価値の創造に限界はない」と、励ましに徹する同
志を最大にたたえられました。  
 「暗から明へ、絶望から希望へ、敗北から勝利へ、いかにして一念を転換させるか――」(295ページ)。絶望を希望へと変えていくのが、私たちの励ましなのです。

1975年5月、池田先生はモスクワ大学を訪問。ホフロフ総長(手前右端)と学内を歩きながら語らいの花を咲かせる

名言集
●時をつくる
 今はどんなに大変で困難な状況であっても、黙々と広宣流布の種を蒔き続けていくならば、必ずいつか花は開く。いな、必ず、そうしていくのだと決意することだ。祈りに祈り、粘り強く時を待ち、時をつくるのだ。(「SGI」の章、53ページ)
●勝利の姿
 仲良く団結しているということは、それ自体、一人ひとりが自身に打ち勝った勝利の姿であるといえる。わがままで自分中心であれば、団結などできないからだ。(「SGI」の章、99ページ)
●友情の苗
 友情の苗は、その場限りの出会いでは育たない。水や肥料をやり、丹精して苗が育つように、誠実を尽くしてこそ、友情は育つのだ。(「人間外交」の章、156ページ)
●祈りの根本
 祈りの根本は、どこまでも広宣流布であり、広布のためにという一念から発する唱題に、無量無辺の功徳があるんです。(「共鳴音」の章、290ページ)
●人間主義
 人間的であることとは、人への感謝の心をもち、率直に、その気持ちを伝えることである。感謝なき人間主義もなければ、自身の思いを表現せぬ無表情の人間主義もない。(「宝冠」の章、372ページ)


【聖教ニュース】

◆第3代会長就任60周年記念 師弟凱歌の記憶 第12回「妙音奏でる平和の天使」2020年7月22日

きょう「7・22」鼓笛隊結成記念日
 法華経に登場する妙音菩薩は、苦悩渦巻く世界に妙なる調べとともに現れ、人々を幸せへと導く。
 さながら“現代の妙音菩薩”として、華麗なメロディーと舞で、見る人の心に感動と勇気を送ってきたのが創価の鼓笛隊だ。
 結成は1956年7月22日。その数カ月前、女子部の代表が、青年部の室長だった池田大作先生のもとへ。広布の展望を語り合う中で、鼓笛隊の結成が話題に上った。
 だが、皆、貧しく、すぐに楽器をそろえる余裕などない。それでも先生は「どうにかして、楽器を買ってあげるから、少々、時間をくれないか」と語った。その後、自ら費用を工面して、ファイフとドラムを贈ったのである。

鼓笛隊結成に当たり、池田先生が自ら工面して贈った楽器
 33人で出発した、手づくりの鼓笛隊。先生は「私は、この新しき『平和と文化の旗手』の誕生が、ことのほか嬉しかった」と真情をつづっている。
 しかし、誕生した当初はファイフもドラムスティックも初めて手にする人ばかり。決意とは裏腹にまともに音が出せず、“スースー隊”と笑う人もいた。
 悔しさをにじませるメンバーに先生は、「最初は、何を言われてもいいじゃないか。いつか、世界一になればいいんだ」と。さらに、“学会の鼓笛隊は「戦争の世紀」に終止符を打つために歴史の舞台に颯爽と登場した、尊き「平和の天使」なのである”と、その深き使命を示し、励まし続けてきた。

「上手だったよ。満点です!」――創立記念日を祝賀する音楽隊・鼓笛隊の演奏会で、熱演を終えた出演者を激励する池田先生(2002年11月、創価大学池田記念講堂で)

「上手だったよ。満点です!」――創立記念日を祝賀する音楽隊・鼓笛隊の演奏会で、熱演を終えた出演者を激励する池田先生(2002年11月、創価大学池田記念講堂で)

 師の期待を抱き締めて、鼓笛隊は結成以来、国内各地でパレードに出演し、69年には全米総会を記念してアメリカで日米鼓笛隊がパレード。81年には、2月にアメリカ、5月にソ連へ。モスクワでは先生と共に、戦争犠牲者を追悼する「無名戦士の碑」を訪ね、鎮魂の曲を演奏するなど、文化の力で人々を結ぶ“無冠の外交使節”として活躍した。

結成20周年の1976年、「鼓笛隊の日」を記念して先生が贈った和歌。「平和への天使と はばたき二十年 銀の翼は 世界に ひらきぬ」と


結成20周年の1976年、「鼓笛隊の日」を記念して先生が贈った和歌。「平和への天使と はばたき二十年 銀の翼は 世界に ひらきぬ」と


 明年に結成65周年を迎える今、鼓笛姉妹の連帯は世界に広がり、「太陽のように明るく 月光の如く清らかな鼓笛隊たれ」の指針のまま、世界中に妙音を響かせる。

 コロナ禍にあっても一人でも多くの人に勇気を送ろうと、メンバーはオンラインでの演奏を実施。たゆみなく技術を磨く。
 鼓笛隊の友に贈った随筆に、先生は、こうつづる。
 「何があっても、常に大いなる目標へ、さらに次なる目標へと、力強く前進し続ける。これが『創価の心』だ。この強き金剛の心こそ、鼓笛隊の誉れの伝統だ」
 逆境を力に変える妙音を今こそ!――鼓笛姉妹は、地球を包む音色で今日も希望を届ける。


◆「如説修行」で平和の宝土を 原田会長を中心に各部代表者会議2020年7月22日

 世界広布新時代第76回の各部代表者会議が21日、原田会長を中心に、東京・信濃町の広宣会館(学会本部別館内)で行われた。
 池田先生はメッセージを贈り、冒頭、世界全体が大きな困難と変動に立ち向かう中、異体同心の団結で進む同志の奮闘に感謝。とりわけ今春、社会に躍り出た友に「今の苦労は、全部、未来に偉大な使命を果たす滋養となり、福運となる」「若き同世代の友の勇気の旗頭となって、一緒に新時代を創造していこう!」と呼び掛けた。
 次いで、目に見えない不安に覆われた世界にあって、人間自身を「強く」「善く」「賢く」する太陽の大仏法がいよいよ渇仰されていると強調。御聖訓「此の法華経には我等が身をば法身如来・我等が心をば報身如来・我等がふるまひをば応身如来と説かれて候へば、此の経の一句一偈を持ち信ずる人は皆此の功徳をそなへ候」(御書1402ページ)を拝し、ありのままの無作三身の生命で、仏の力と智慧と慈悲の振る舞いを発揮しゆく創価の大連帯こそ、人類の希望の光であると訴えた。そして、その先頭に立つ地涌の自覚も深く、桜梅桃李の多彩な同志を一人一人、こまやかに大切にしながら、いやまして勇猛精進をと望んだ。
 続いて、九州をはじめ各地の豪雨被災者に改めてお見舞いを述べ、支援に尽くす友の献身をねぎらいつつ、戸田城聖先生と共に心肝に染め抜いてきた「如説修行抄」の一節「妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず」(同502ページ)を拝読。いかなる災難も「変毒為薬」し、民衆の幸福と安穏と和楽、平和と共生と繁栄の宝土を築きゆく「立正安国」の勝利へ、共々に「忍辱の鎧を著て」(同ページ)、今一重の「如説修行」を決意し合おうと述べ、メッセージを結んだ。
 原田会長は、1970年(昭和45年)4月2日の戸田先生の十三回忌法要で、池田先生が障魔との攻防の矢面に立ち、同志を守りに守りながら、亡き師匠に広宣流布の勝利を報告した歴史に言及。
 池田先生の師弟不二の大闘争によって、学会はあらゆる三障四魔を勝ち越え、世界宗教へと飛翔を遂げたと述べ、後継の池田門下の我々は、未聞の災難が覆う今こそ、“師の構想を必ず実現する”と決め、勇気凜々と智慧を湧かせて、「弟子の勝利」の実証を示しゆこうと呼び掛けた。
 また長谷川理事長、谷川主任副会長があいさつした。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈未来の宝と共に 池田先生の書籍に学ぶ〉第2総東京少女部長 浅見有菜ゆなさん
テーマ「友達を励ますには?」

〈池田先生の言葉〉
 少年少女部のみなさんも、いつまでも、「人のためにという心」「人を思いやる心」を持ち続けてください。

 その心には、「勝利の太陽」がのぼります。心に「勝利の太陽」がかがやけば、自分自身はもちろん、お父さんやお母さん、おじいさんやおばあさん、周りの友だち、さらには世界の人たちまで、明るく照らしていくことができます。
 (『希望の虹』41ページ)

“友のために”と家を訪ねる日々
 幼い頃から運動が好きだった私は、中学校に入学するとバレーボール部に所属し、友達と一緒に汗を流していました。

 中学2年の春休み、それは前触れもなく突然やってきました。チームメートが練習を休むようになったのです。春休みが明け、中学3年に進級してからは学校にも来なくなってしまいました。普段は明るかった彼女が不登校になってしまったことを寂しく思い、家を訪ねました。すると、彼女が心の病気になり、卒業まで学校に通えないかもしれないことを、彼女のお母さんが教えてくれたのです。

 以来、私は“元気になってほしい”と、彼女に題目を送るようになりました。それまでは、勉強や大会で結果が出るように祈っていましたが、初めて友達のことを真剣に祈り始めたのです。

 祈る中で、“一緒に学校に行きたい”との思いを伝えるために、クラスの様子や翌日の持ち物などをメモに書いて届けることにしました。学校がある日は毎日、彼女の家に通いました。

 そして約1カ月後の日、彼女のお母さんが「娘があなたに会いたいと言ってるの」と、自宅に入れてくれたのです。彼女は今まで見たことがない疲れた表情をしていましたが、私は「会ってくれてありがとう」と笑顔で伝えました。すると涙を流すのです。別れ際、次の登校日に一緒に学校に行く約束をしました。

幸せを祈り続ければ思いは届く

 迎えた登校日。彼女は約束の場所に来ました。以来、徐々に元気を取り戻し、無事に高校に進学。大人になった現在、幸せな家庭を築いています。最近も「有菜ちゃんがあの時してくれたことは絶対に忘れないし、感謝してるよ」と話してくれ、祈り、行動したことで深い友情が結べたのだと実感しました。

 池田先生は「大切なことは、相手に同情する――あわれむ――ということではなくて、『わかってあげる』ということです。『理解』することです。人間は、自分のことを『わかってくれている人がいる』、それだけで生きる力がわいてくるものです」と、おっしゃっています。

 未来部の皆さんも、友達と過ごす中で、関係に悩んだり、落ち込む友達にどう声を掛けていいか分からない時があるかもしれません。ですが、友達のことを思い、題目を唱えていけば、必ず思いは届いていきます。

 友の幸福を願い、朗らかな青春の道を歩めるよう、一緒に勤行・唱題に励んでいきましょう!


◆〈世界青年部総会へ前進〉コロナ禍の中で奮闘する友 2020年7月22日

 10・2「世界平和の日」60周年を記念するオンラインでの「世界青年部総会」へ――男女青年部が心一つに前進を開始した。16日付に続き、コロナ禍の中で奮闘する各地の友を紹介する。

東京・港常勝区 田中宣行さん
誠実な振る舞いで実証示す
 枕を製造・販売する会社の代表取締役を務める田中宣行さん(男子部副本部長)。テレビの通販番組や大手百貨店で取り扱われ、人気商品として話題を呼んでいる。
 
 田中さんは23歳でIT会社を起業。同年に結婚し、子どもも生まれ、順風満帆の生活が送れると思い描いていた。
 しかし、会社の業績は伸び悩み、赤字に転落。2年後には負債が数千万円に膨らみ、仕事仲間も田中さんのもとを去った。やむなく、現在勤める会社の親会社に転職。IT事業に携わるも、苦闘の日々は続いた。
 そんな時に仕事で縁した壮年から仏法の話を聞いた。当初は宗教に対する漠然とした不安があったが、壮年の人柄や信心に対する確信の姿に触れ、“やってみなければ分からない”と決意。2013年に入会した。
 入会から1カ月。毎朝、壮年の家で勤行を実践していく中で、状況が変化し始める。親会社が枕の事業拡大のために工場を新設することになり、田中さんに工場長として白羽の矢が立った。全くの畑違いの仕事に戸惑いはあったが、与えられた使命の場で結果を残そうと決めた。
 平日は千葉の九十九里浜の工場に泊まり込んで働き、週末は学会活動のために地元に戻る日々。この間、妻子を入会に導いた。牙城会新世紀大学校15期生として薫陶を受け、以前の職場の同僚への弘教も実らせた。
 仕事に対しても一歩も引かなかった。枕に関する知識や生産管理を一から学び、従業員に声を掛け、励ましを送り続けた。その振る舞いによって、徐々に工場全体に団結が生まれた。高品質を維持しつつ、生産量は当初の5倍に拡大した。田中さんは「学会活動と仕事の両立は大変でしたが、唱題根本に行動したおかげで事態が好転していきました」と語る。
 田中さんの奮闘を本社は高く評価。工場長就任から2年後の15年には、現在のグループ子会社の代表取締役に就いた。その後は営業担当者と力を合わせ、販路の拡大に尽力。業績は順調に伸び続けている。
 そんな中、新型コロナが流行し始めた。田中さんは、いち早く対策を取った。従業員が安心して生産に当たれるよう消毒液やマスクを確保し、感染予防のガイドラインを作成。素早い対応や“従業員の安全確保が一番”との田中さんの思いが届き、大きな混乱もなく工場を稼働し続けることができた。また、通販の開拓を持続したおかげで、緊急事態宣言で百貨店が休業した期間も販売のペースを落とすことなく、業績を下げずに済んだ。
 田中さんはコロナ禍の中でも仏法対話に挑んだ。4月下旬、義母が病気になったことをきっかけに「毎日、お義母さんのことを祈っているから、一緒に題目を唱えよう」と伝えると、題目三唱をするように。その後も対話を続ける中で、義母は「宣行に言ってもらった言葉が今でも励ましになっているよ。創価学会に入会したい」と決意してくれた。
 「全て信心根本に“池田先生の期待にお応えする”と心を決めて行動してきました」と語る田中さん。「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(御書1174ページ)との一節を心に刻み、さらなる実証を示そうと挑戦を続けている。

長野・更埴圏 上原瑞季さん
“華陽の絆”が成長の原動力
 上原瑞季さん(華陽リーダー)には、信仰で培った信念がある。それは“人のために尽くす心”。消防士、救急救命士として、命を守る最前線の職場で奮闘している。
 小さい頃から「人を助ける仕事」に就くのが夢だった。高校生の時、偶然、居合わせた交通事故の現場。ショックを受ける一方、駆け付けた女性の救急救命士の凜とした姿に憧れを抱いた。
 夢をかなえるため、専門学校へ進学。アルバイトをしながら、資格試験に向け猛勉強を重ねた。
 親元を離れての慣れない暮らし。池田先生の言葉が心に染みた。
 「悩みや苦しみが大きければ大きいほど、幸せも大きい」「“大変だな。苦しいな”と思うことが多いでしょうが、あなたは、既に幸せの大道を歩き始めているんですよ」――足しげく上原さんのもとに通う女子部の先輩が教えてくれた、小説『新・人間革命』の一節である。
 くじけそうになるたびに、何度も読み返し、成長の糧にしてきた。
 努力を重ね、念願の救急救命士として働き始めたのは、昨年の10月。その後、新型コロナウイルスの感染が広がった。
 感染防止のため、出動要請があるたびに、新しい防護服を着て、救急車に乗り込む。防護服を着ての出動は暑く、体力も奪われる。3人のチームで、救急救命士は上原さんただ一人。張り詰めた空気の中で、心身をすり減らしながら、懸命に傷病者一人一人と向き合う日が続いた。
 「傷病者の方が安心できるように、少しでも症状が良くなるように、常に胸中でお題目を唱えていました」
 任務を終えて帰宅すると、一日に関わった全ての人のことを思い浮かべ御本尊に向かうのが、日課になった。
 夢をかなえ、使命の一歩を踏み出した矢先のコロナ危機。駆け出しの救急救命士として、毎日が緊張の連続だったが、「命の大切さ、目の前の一人に誠実に接する姿勢を、深く心に刻みました」と語る。
 そんな彼女の強さの秘訣は、何でも話せる華陽姉妹の存在だ。何かあったら女子部の先輩や、仲間に相談することが、学生の頃からの習慣になっている。
 コロナ禍にあっても、メンバーとオンラインでつながり、ありのままに近況や悩みを共有。
 画面上でも、顔を見ると、ほっとする。言葉を交わせば、自然と笑みがこぼれる。仕事で疲れ果て、時には落ち込んでいた心も軽くなる。
 「どんなに悩んだり、つらいことがあったりしても、最後はみんなで“一緒にがんばろう”“祈っているよ”って言い合えるんです。不思議と元気が湧いてきます」
 多くの人に、この“創価家族”の温かさに触れてもらいたいと、仏法対話に挑戦中。専門学校時代の友人をはじめ、友の悩みに寄り添い、幸福を祈る日々だ。
 「忍耐強く地道に力を付け、皆に希望を送る救急救命士に成長します。そして、信心を教えてくれた両親に必ず親孝行します!」――清新な息吹にあふれ、誓いの道を真っすぐに歩む。


◆〈信仰体験〉 次男が不登校、引きこもりから自立へ
「お帰り」と言える幸せ

 【横浜市港南区】当たり前だと思っていたことが、いかに“ありがたい”かを気付かされることがある。千葉智子さん(53)=白ゆり長=にとってのそれは、わが子から聞く「行ってきます」「ただいま」の声だった。6年にわたって続いた次男・清司きよしさん(23)=男子部員=の不登校、引きこもり。就職して自立した今、「行ってらっしゃい」「お帰り」と言える喜びをかみ締めている。

 中学に入って間もなく、次男の清司さんは登校時間が近づくと、腹痛で布団から出られなくなった。よくよく聞いても、原因らしきものは出てこない。仲の良い友人もいる。“すぐに元に戻れるはず”。そんな期待は、もろくも崩れ去った。

 人の視線にさらされるのを嫌がり、行き渋った。午後から登校したり、野球部の部活動だけ参加したり。家にいる時間はゲームばかりで、勉強も進まない。“怠けているだけ”と感情的に叱っても、状況は変わらなかった。

 千葉さんは毎朝、弁当を用意して清司さんを起こした。“学校は行くべき”という考えが強く、それが清司さんを追い詰めていることに気付けなかった。

 ある朝、清司さんの腕が傷だらけに。千葉さんは血の気が引く思いで、理由を聞いた。「痛みで嫌な自分を忘れられるから」。絞り出した声に、抱える苦しみの深さを思い知らされた。

 夫・雅司さん(55)=地区部長=と相談し、病院や施設をあちこち訪ね歩いたが、回復の兆しは見られなかった。

 母として自己嫌悪に陥る日々。出口のないトンネルから、誰かに救い出してほしかった。

 ある時、清司さんを連れて児童精神科へ。医師から説明された。「足を骨折した人に走れと言うようなものですよ」。適応障がいとの診断を受けた。

 食事を出しても、清司さんの皿だけがいつも手つかず。いつ寝て、何を食べているのかさえ分からなくなっていた。

 「長い道のりです」。医師から励まされながら、診察を受け続けた。

 ずっと家にいても、気持ちの浮き沈みはあった。一緒に夕食作りができた日もあれば、3カ月間、顔を合わせなくなることも。

 きっかけは大抵、ささいな一言だった。「清司は、こうだよね」。決め付けが引き金になり、心のシャッターが閉ざされる。清司さんにとって、唯一のプライベート空間は2段ベッドの下。シーツで隙間なく覆い、全ての情報を遮断した。

 “また間違っちゃったんだ、私……”。その繰り返しだった。
 中学を卒業後、進学した通信制高校もすぐに中退。バイトも試みたが、続けられなかった。

 “この暮らしは、もう変わらない”。自分たちが元気なうちは、面倒を見る――そんなふうに考えることもしばしばだった。

 転機は、地区の同志だった。2016年(平成28年)、大学生だった長女の悩みをきっかけに、夫から婦人部の先輩に相談することを勧められた。

 千葉さんは学会2世だったが、「学会活動は夫だけでいい」と思ってきた。雅司さんは多忙な仕事の中、一家和楽の信心を祈り、学会活動に励んできた。

 娘を守るために疲弊していた千葉さんを、先輩は励ました。「『絶対に解決する!』という祈りですよ」。その確信に押され、一緒に唱題を重ねるように。

 「悩みがないことが幸福ではない。どんな悩みにも負けないことが幸福なのである」との池田先生の指針を胸に刻みながら、解決にこぎ着けた時、信心の歓喜と確信が湧いた。

 千葉さんはそれまで、家庭内の事情を他人に話すことはなかった。清司さんのことを周囲に聞かれても、はぐらかした。だが気遣ってくれる婦人部の先輩の真心に、これまでの経緯を語るように。

 ある時、清司さん宛ての手紙を、その先輩から預かった。引っ越す予定があり、片付けを手伝ってほしいという。仕事の内容などが具体的に記してあり、「いつでも連絡ください」と連絡先が添えられていた。

 千葉さんは、清司さんのベッドにそっと手紙を置いた。“きっかけになれば”との思いを託して

 しばらくして、一緒にいた婦人部の先輩が携帯電話を見せてくれた。<ぜひ手伝わせてください>

 清司さんから届いたメールだった。手紙から2カ月後。やっとの思いで紡ぎ、送ったであろう返信だった。
 ボロボロと涙が頰を伝い、胸がいっぱいになった。“この子は懸命に変わろうとしている”

 片付けの日。夕方、千葉さんは帰りを待った。玄関から、テンポのいい足音が聞こえた。

 「法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし」(御書1492ページ)。真剣な祈りは、全てを味方にした。聞けば、片付けの作業中、婦人部の先輩と会話が弾み、信心の話にもなったという。

 その日を境に、清司さんの心は開けていく。ベッドのシーツは取り払われ、母の後ろに座って一緒に御本尊に祈るように。

 ハローワークで求人票を探し、就職も決めた。自宅から2時間近くかかる農業法人。1人暮らしをしながら、働くことになった。

 17年1月、不安と期待が入り交じった出発の日。きっかけをつくってくれた婦人へ、清司さんはメールを送った。

 <20年しか生きていませんが、人生の中で一番思い出に残る日になりました><ここまで前進できたのは、家族や応援してくれた人のおかげです。これから先は長いですが、頑張れそうです>

 それから2年半。休みになると、清司さんは自宅に戻る。

 「(ペットの愛犬に)会いたくて」と言うが、お土産に収穫のお裾分けを抱える。肌は焼け、たくましくなった。親子のLINEの文面には感謝の言葉が増えた。

 学会活動に励む中、千葉さんは指針にする“悩みに負けないことが幸福”の指導に、続きがあることを知った。

 「自分だけの幸福ではない。人を幸福にできる人が、本当の幸福者なのである」

 背伸びせず、ありのままを精いっぱい生きる。その姿にこそ、人を幸せにする力があると、息子が教えてくれた。

 今年1月、千葉さんは白ゆり長に。一番うれしそうに見守っていたのは、夫の雅司さんだった。

 「ただいまー」の声に「お帰り」と返す。そこに幸せな一家の実像がある――。

 

2020年7月21日 (火)

2020年2月21日(火)の聖教

2020年2月21日(火)の聖教

◆わが友に贈る

 小さな挑戦の積み重ねが
 不動の自己を築く。
 日々の目標を明確に
 祈り 行動しよう!
 そこに無限の成長が!

◆名字の言 「思い込み」が人に与える影響とは?  2020年7月21日

 効果のない薬も“よく効く”と伝えると、実際に効く。この思い込みの影響をプラセボ効果という。同様に「老いに対する思い込みが記憶に及ぼす影響も馬鹿にはできません」と語るのは、神戸大学大学院の増本康平准教授▼若年者から高齢者までを2グループに分け、記憶に関する同じ課題に取り組む実験。一方には“記憶の調査”、もう一方には“学習機能の調査”と伝えた。すると前者では若年者が好成績を収め、後者では年齢差は認められなかった▼高齢者の記憶力を低下させた要因に、“老いると記憶力が衰える”との否定的な思い込みがあると氏は言う。「(加齢による)さまざまな変化を受け入れ、自分を肯定的に評価することが、思い込みによる記憶力の低下を防ぐ」と(『老いと記憶』中公新書)▼“できない”と思えば、力はあっても出なくなる。池田先生は語る。「一念が変われば、一切が、その方向に動き始める。『よし!』と決めた瞬間、全神経が、ぱーっと、その方向に向く。『だめだ』と思えば、その瞬間に、全神経が萎縮し、本当に『だめ』な方向に向かっていく」▼どんなに選択肢が限られた状況でも、できることは必ずある。自分を信じ、前向きに行動を開始すれば、新しい世界が開けていく。(銘)


◆寸鉄

「日蓮によりて日本国の
有無はあるべし」御書。
立正安国の対話を今こそ
     ◇
関西が記念月間。現場の
知恵光る励まし拡大運動
師弟不二の勝利の道進め
     ◇
中高生の英語力が向上―
調査。地球化時代を担う
世代の成長が未来の希望
     ◇
気温の変化大、熱中症に
注意。室内でも多く。冷房
など活用し賢く健康維持
     ◇
公明党は最も困難な人に
寄り添う事で一貫―識者
死力尽くし期待に応えよ


◆社説 2020・7・22 きょう「鼓笛隊の日」  社会に希望弾むメロディーを

 生命が躍動するメロディーとリズム。清新かつ華麗な舞――。
 きょうから7・22「鼓笛隊の日」を記念する演奏動画が聖教電子版で視聴できる。これは、全国の隊員が各人の自宅等で学会歌メドレーを演奏し、その模様を収めた動画を合わせて一つに編集されたもの。またメンバーは、配信された動画に合わせて自宅で演奏・演技することで、“鼓笛隊総会”の意義をとどめる。
 現在、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、練習や会合は中止に。一人一人が個人練習に励みながら、今できることに挑戦している。あるメンバーは友人へ、心に刻んだ聖教新聞の記事などをSNSで送っている。またある友は、かつてないほど真剣な祈りに挑戦し、転職を勝ち取った。“鼓
笛姉妹”は、縁する一人一人に希望を届けようと奮闘する。
 そんな彼女たちは、小説『新・人間革命』を何度も読み返してきたという。
 1956年(昭和31年)9月、鼓笛隊の初出動の模様を聞いた山本伸一は期待を寄せた。「いつか、世界一になればいいんだ。鼓笛隊は、必ずそうなる。私は確信しているよ。(中略)世界一になるには、なんのためかという、崇高な目的が必要だ。目的があいまいであれば、自分の本当の力を出し切ることはできない」(第14巻「使命」の章)
 さらに79年(同54年)、第3回鼓笛隊総会に出席した伸一は呼び掛ける。「皆さんの美しい演技の裏には、どれほど厳しい修業があり、根性と忍耐をもって技術を磨き、挫けずに前進してきたことか。人生もまた、美しい開花の裏には苦闘がある」(第30巻<上>「雌伏」の章)
 師の心に触れた友は、「読むほどに、鼓笛隊の使命の大きさ、池田先生の真心が響き、何度も胸が熱くなりました。今は、演奏に込めるべき心を確かめ、磨く大切な時間です」と前を向く。
 メンバーと同世代で、白血病と闘う競泳女子の池江璃花子選手。今月、病の公表後初めて練習を公開した。「もしかしたらもう元には戻れないという気持ちもある」との不安とともに、「病気の人たちにも、ここまでまた強くなれるんだよということを知ってもらいたいし、中途半端なまま水泳を終わらせたくない」と(「毎日新聞」7月3日付)。その負けない心に胸を打たれる。
 なぜ、鼓笛隊の演奏が人々の心に響くのか――。それは、さまざまな悩みに直面しながらも、広布のため、前へ、前へと進もうとする不屈の心が燃えているからではないだろうか。目の前の“一人を励ましたい”という慈悲の心を胸に尊き青春を歩む友たちが奏でる妙音は、社会に希望のファンフ
ァーレを轟かせる。


◆きょうの発心 開目抄 宮崎創価県婦人部長 福田裕美子2020年7月22日

御文
 我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ(開目抄、234ページ・編464ページ)
通解
 私と私の弟子は、多くの難があろうとも、疑う心を起こさなければ、自然に仏界に至るであろう。諸天の加護がないからと、疑ってはならない。現世が安穏でないことを嘆いてはならない。

“負けじの母の祈り”で前進!
 いかなる難があっても疑うことなく信心を貫けば、成仏の境涯を得られると仰せです。
 小学3年の時から、勤行の後に暗唱してきた一節です。今では家族全員の指針となっています。
 20歳の時に本部職員に。何度も九州を訪れ、一人一人を温かく激励される池田先生の姿を目の当たりにし、師弟の原点を築くことができました。
 広布にひた走る中、結婚10年目にして、男女の双子を授かることができました。その喜びもつかの間、夫が胃がんを患いました。
 師匠からの激励と、同志の皆さまの唱題のおかげで、手術は成功。再発することなく、元気に仕事と活動に励んでいます。子どもたちも、広布後継の道を元気に歩んでいます。
 “太陽の宝土・宮崎”の誇りを胸に、創価県の皆さまと、「11・18」を目指し、“負けじの母の祈り”で前進していきます。

【先生のメッセージ】

◆〈心に御書を〉61 強き信心こそ安心の「柱」2020年7月21日



〈御文〉

 法華経は三世の諸仏・発心のつえにて候ぞかし、但し日蓮をつえはしらとも・たのみ給うべし、けはしき山・あしき道・つえを・つきぬれば・たをれず、殊に手を・ひかれぬれば・まろぶ事なし(弥源太殿御返事、1227ページ)
〈通解〉
 法華経は三世の諸仏の発心の杖である。ただし(あなたにとっては、この)日蓮を杖・柱とも頼まれるがよい。険しい山、悪い道では杖をつくならば倒れない。ことに手を引かれるならば転ぶことはない。

〈池田先生が贈る指針〉
 御本仏は、生老病死の険難の山坂も悪路も、杖となり柱となって支え守ってくださる。
 ゆえに妙法と進む我らの生命の旅路は、何があっても絶対に安心である。永遠に常楽我浄の幸の軌道なのだ。
 私たちの唱える題目も、生死を超えて家族と眷属の杖・柱となる。創価家族の命の絆ほど強いものはない。


◆〈忘れ得ぬ旅 太陽の心で――池田先生の連載エッセーから〉 高知 身近な「一人」を大切に


江戸時代から人々の暮らしを見守り続ける高知城。国の重要文化財に指定されている(1990年11月、池田先生撮影)

江戸時代から人々の暮らしを見守り続ける高知城。国の重要文化財に指定されている
(1990年11月、池田先生撮影)

 月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「高知――おもてなしの心の清き流れ」を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。近代日本の夜明けを開いた人材が、志高く立ち上がった高知。その「志」には、思いやりの心があり、人情味があふれる。試練の時代の今、人と人、心と心のつながりが一段と求められている。この時こそ、南国土佐に息づく、温かな「ホスピタリティー(心こもるおもてなし)」の精神に学びたい。
 太陽は
  昇り照らして
    つくりゆく
   いのち輝く
     黄金の世界を
  
 平安の歌人・紀貫之は、有名な『土佐日記』で「この人々ぞ、志ある人なりける。この人々の深き志はこの海にも劣らざるべし」と、心通う人たちのことを感嘆しておりました。
 海よりも深い志に生きる人々の「志の国」すなわち「志国」こそ、四国であり、高知です。高知には、「いごっそう」の丈夫たち、そして「はちきん」の母たち、女性たちの強き志が輝いています。
 佐川町が生んだ「日本植物学の父」牧野富太郎博士は、夫人と共に、苦難の連続のなか、「私は決して負けまい」という決心と、いのちへの「思い遣りの心」で、大きな志を果たしていきました。
 南国土佐には、「ひとりで泣かんでえい」「一緒に笑おうや」と、苦楽を分かち合う“ぬくい”絆があります。
 江戸っ子とも相通ずる、人情味あふれる高知の友が、私は大好きです。

不屈の巌のごとく
 本年は、池田先生の高知初訪問から65周年。先生は信頼する高知の同志と共々に、民衆運動のスクラムを広げてきた思い出を述懐しつつ、地域に根を張り、人々から慕われる宝友の姿をつづった。 雄大な太平洋に臨む高知の広い天地を、南国の陽光を浴びながら、黒潮の香りのする風に吹かれながら、車と列車を乗り継ぎ、駆け巡ったことは、今も忘れられません。
 そうしたなかで語り合ってきたことは、家族を愛し、友を愛し、地域を愛して、自分らしく貢献していく人生を! ということでした。
 真実の幸福は、どこか遠くにあるのではない。外から与えられるものでもない。身近な一人一人を大切にするところにあるからです。
 高知の各地に、長い歳月、地域に根を張って皆に尽くし、皆から慕われる、元気で知恵ある宝の存在がおられます。
 「この方あればこそ、この地の幸あり」と讃えられる父たち、母たちです。
 幡多郡で、「地域の友の幸せのために、体当たりで尽くしていこう」と奔走した夫妻がいます。
 「まず動く」ことを心がけ、悩める友がいれば、険しい山道もいとわず、海風すさぶ断崖の道も恐れず、激励に駆けつけました。
 つらい時には、太平洋の彼方に赫々と太陽が昇り、大海原を金色に染めゆく光景を励みにして、「断じて負けない! あの雄々しい波のごとく、あの不屈の巌のごとく生きちゃる!」と立ち上がってきたのです。
 私の妻がよく知る高知市の母に、保育園の園長先生がいます。
 もともとの出発は、市から“農地を使って保育園を設立してもらえないか”と依頼されたことでした。農家に嫁いで、ようやく農作業にも慣れた頃のことです。
 困惑したものの、「地域の皆さんに喜んでもらえるなら」とお受けしました。そして、血のにじむような努力を重ねて、娘さんと一緒に、“子どもの希望の城”の保育園を築いてこられたのです。
 「一人一人の成長を願い、地道にかかわっていくならば、必ず子どもは大きく育つ」と。
 保育園の体育館を地域に開放したり、高齢者福祉施設とのほほえましい世代間交流なども行ってきました。
 亡くなった最愛のご主人と息子さんの分までもと、故郷の喜びを誉れとし、地域に寄り添って生き抜いてきたのです。
 今では卒園生が父母となり、二世代目の子どもたちも入園して、明るい笑い声が地域に響いています。
 「地域のお役に立てることに感謝、感謝です」と、婦人は笑顔で語っていました。

勝利の幸あれ
 高知には、何ものにも代え難い自然の美が備わり、「おもてなし」という心の美が光っている。そこに流れる親切や誠実といった伝統を輝かせながら、高知がさらに発展しゆくことを念願し、池田先生はエッセーを結んだ。
 高知には、「おもてなし」という心の美が光っています。全国の県庁で唯一「おもてなし課」があるように、訪れた人々を真心で迎えるホスピタリティーの精神が、高知に満ちているのです。
 「おもてなし」には、目に見える「モノ」と、心を表す「コト」があり、とくに心のこもった「コト」のサービスが重要であると言われます。心は目には見えません。しかし相手を思う心は、必ず相手の心に通じていくものです。
 「おもてなし」の語源の一つは「裏表なし」とされます。そこに、親切や誠実という「志」が、高知の伝統の心として清らかに流れているように感じるのは、私一人ではないでしょう。
 高知には、自然と人間、人間と人間が共生し育んできた、豊かな農があり、食があり、文化があります。
 高知育ちの近代日本の科学者・寺田寅彦博士は、大好きだった祖母の姿で最も懐かしく思い起こすのは、糸車を廻している姿だと綴っています。
 婦人たちは糸車を廻し手織機で織物を織るのを誇りと楽しみとしていました。そこには、どんな娯楽も敵わない「物を作り出すことの喜び」があったからです。
 地味であってもよい、愛する人のため、愛する郷土のために、何か価値あるものを作り出そうと努める女性の働きに、どれほど皆が支えられてきたことか。それが、どれほど尊く気高い振る舞いであることか。
 今、そうした祖父母や父母たちの志を受け継いで、高知のさらなる繁栄を志す若い世代が、仲良くスクラムを組んで、立ち上がっています。
 「ああ紅の 朝明けて」「ああ暁鐘を 打て 鳴らせ」と高らかに歌い、新しい志国の夜明けを目指しながら!
 高知の県民歌には、未来に進む土佐の凜とした心意気が表れています。
  「築き興さん 弥栄の土佐
   光はもゆる 光はみつる」
 「高知」――その名も「高き知恵」の大地は、希望の光輝く大地「光地」でもあります。そしてまた、幸福の心薫る大地「幸地」でもあるのです。
 この憧れの南国高知の天地に、平和の光あれ、勝利の幸あれと、私も妻も祈る毎日です。
  
 晴れ晴れと
  幸福の太陽
    我が胸に
  
 (『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第1巻所収)
 ※『土佐日記』の引用は『土佐日記 蜻蛉日記 新編日本古典文学全集13』菊地靖彦校注・訳(小学館)、牧野富太郎は『牧野富太郎自叙伝』(講談社)参照、寺田寅彦は『寺田寅彦全随筆 五』(岩波書店)参照。また、「ひとりで泣かんでえい」「一緒に笑おうや」は「高知家の唄~ちゃぶ台と家族写真~」カツオ人間と高知家作詞(NexTone PB000050494号)、県民歌の歌詞は「高知県民の歌」西村貞夫作詞。


【教学】

◆〈いのちの賛歌 心に刻む一節〉病と向き合う 強き心で幸福をつかむ​

 長い人生の途上では誰しも、予期せぬ試練(しれん)に直面することがある。悩みや葛藤(かっとう)の中にあって、困難に挑む勇気の源泉となるのが、日蓮大聖人の仏法である。新企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、自らの宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験をルポ形式で紹介。池田先生の指導選集『幸福と平和を創る智慧』(以下、『指導選集』)から指導を掲載する。今回は「病と向き合う」をテーマに、愛知県の婦人に話を聞いた。​

御文
 ​​​​妙楽大師のたまはく「必ず心の固(かた)きに仮(よ)りて神(かみ)の守り則(すなわ)ち強し」等云云、人の心かたければ神のまほり必ずつよしとこそ候へ​​​​(乙御前御消息、1220ページ)​

通解
 妙楽大師は「必ず心が固いことによって神(諸天善神)の守りは強い」と言われている。心の堅固な者には神の守りが必ず強いというのである。

2度の苦難。その時――
 医師から突然の宣告を受けた時、人は何を思うだろう。胸に去来するものは、さまざまだ。
  
                  ◇
 栗橋哲子さん(72)=愛知・豊橋総県副婦人部長=は、幼少期に一家で入会。27歳の時、縁あって男子部だった夫・幸男さん(76)=地区幹事=と結ばれ、幸せをかみ締めていた。
 結婚から1年が過ぎたある日、不正出血に気付いた。病院で検査すると、医師から思いもよらないことを告げられた。
 「残念ですが、この状態では子どもはできません。諦めてください」
 その瞬間、栗橋さんは、頭の中が真っ白になったという。 

「『なぜですか?』と聞くのが精いっぱいで。そこからどうやって家に帰ったのかも分かりません。ただ“御本尊様、なんでですか?”“池田先生、なんでですか?”と、何度も心でさけびました。もう、心がどうにかなりそうでした」

 青春時代から広布に駆け、自分なりに信心の確信もあると思っていたが、現実は「受け止めきれませんでした」。題目をあげていても、涙が止まらない毎日だった。
 ある時、婦人部の先輩が、御書の「人の心かたければ神のまほり必ずつよしとこそ候へ」(1220ページ)との一節を引いて、こう励ましてくれた。 
 「絶対に大丈夫。医師がなんと言っても、私たちには御本尊様があるじゃない! あなた自身が強くなることよ」
 自分が強くなる――栗橋さんは、目の前がぱっと開けたように感じたという。
 「“そうだ! これまで池田先生と一緒に戦ってきた自分が、負けるはずがない”って思えたんです。自分が強くなって、なにがあっても『幸せになりました』と先生に報告できる人生を歩もうって。この時から、祈りが真っすぐに定まりました」
 前を向けるようになった栗橋さんは、ひたぶるに祈りを重ねながら、広布の最前線に身を置いた。
 そんなある日、驚いたことに、妊娠が判明した。その後、無事に長男・映志(えいじ)さん(43)=地区幹事=を授かることができた。御本尊の功力を、かみ締めずにはいられなかった。
 以来、栗橋さんは報恩感謝を胸に、家族で力を合わせて広布に励んできた。
 ところが10年前、病が見つかる。検査の結果は、子宮体がんだった。 

「もちろん不安はありました。けれど、不思議と動揺はなかったです。医師の言葉を聞いた瞬間、“よし! この信心で受けて立とう”って思えたんです。夫も『題目しかないね』って」

 この時、脳裏に浮かんだのは、かつて婦人部の先輩から教えてもらった御書の一節だったそうだ。
 「その御文の続きに、こうあります。『あなたの昔からの信心の深さは言い尽くせない。だが、それよりもなお一層、強盛に信心をされるべきである』(同ページ、通解)と。信心に『これでいい』ということはない。『終わり』はないんです。“そうだ! これでまた題目をあげられる!”って、感謝の気持ちがわき上がりました」
 自身の細胞の一つ一つを奮い立たせるように、家族一丸となって猛然と題目をあげた。師匠と同志の温かな励ましが、心の隅にあった不安までも吹き飛ばしてくれた。
 2010年(平成22年)8月、臨んだ長時間の手術は成功し、腫瘍のあった子宮と卵巣を全て摘出した。その後も定期的に検査を続け、2年前に「完治」を告げられた。 

「宿命を乗り越えられたのは、そこから逃げずに立ち向かったから。結局、人生は試練の連続なんだと思います。苦難に直面するたび、題目をあげて心を奮い立たせ、挑み抜く。これ以外に道はありません。偉大な師匠、そして同志と共に、使命の『この道』を歩み続ける日々が、私にとって最高の幸せです」

 栗橋さんには原点がある。
 1973年(昭和48年)1月13日、豊田市体育館(現・スカイホール豊田)で行われた池田先生との記念撮影に、女子部として参加。先生は、栗橋さんたち女子部に、「絶対に幸せになりなさい」と慈愛のまなざしを向けた。 
「幸せになる」ことが、生涯の「誓い」となった。
 取材時、「厳しい現実を突き付けられて、心が折れそうになりませんでしたか?」と聞くと、栗橋さんは、「やはり“弟子として絶対に負けるわけにはいかない!”っていう気持ちがありました」と明かした。
 “必ず師との誓いを果たしてみせる!”――この力強い信心の一念が、諸天をも揺り動かし、難しい現実も変える。そのことを、栗橋さんの生きざまを通して、あらためて確信せずにはいられなかった。
 池田先生は指導している。
 「大事なことは、病気になった時にこそ、いよいよ強盛の大信力を奮い起こしていくことです。今こそ、信心の偉大な力を発揮するのだ! 人間として大きく飛躍するのだ!と腹を決めて、題目を唱えていくのです」 

「今、受けている治療が最高の効果を発揮していくよう、全身に仏の大生命力を現して病魔を打ち破っていくよう、祈り抜き、祈り切ることです。信心を根本に戦っていくならば、必ず一切を変毒為薬できます」 

「自他共の病気との闘いの中で、人間として本当に輝く健康体を勝ち取っていくことができる。ゆえに、一切を御本尊に任せて祈るのです。臆さず、粘り強く、戦うのです。断じて負けてはいけない。一歩も退いてはいけない。最後は必ず勝利するのだから!」(『指導選集』第2部中巻) 

病との闘い――その要諦は、難しい現実から絶対に退かない「勇気」を生命の根底から奮い起こす、透徹した強き祈りなのではないだろうか。

[教学コンパス]
 「人生100年時代」が到来し、平均寿命が延びる中、自立して生活できる「健康寿命」をどう延ばすか、ということへの関心も高まっている。とりわけ、コロナ禍に直面する今、「健康」の重要さを意識しない人はいないだろう。
 しかし、人類は、病気を治すことはできても、病気そのものをなくすことはできない。豊かな人生を送るために、「病といかに向き合うか」という価値観の確立が、ますます求められる。
 仏法には「健病不二」の思想がある。健康と病気は、本来、一体であり、互いに関連し合っているがゆえに、信心に励み、病苦と闘うことによって、心身ともに真実の健康が確立されると教える。いわば、病をただちに悪い状態と捉(とら)えるのではなく、それと闘う前向きな生命を、広く「健康」と捉えるのだ。
 法華経には、仏も「少病少悩」と説かれている。あえて病や悩みを引き受け、勝ち越えることで、皆を勇気づける――そうした深い生き方に「健康」の本義があることを、仏法の英知は示している。(優)


​​◆〈日蓮大聖人の慈愛の眼差し〉光日尼 仏法は生死を超えた希望の道
息子を失った悲哀を乗り越え、一途に信心を貫いた安房の門下


日蓮大聖人の「立宗宣言」の地である千葉・安房の清澄山。かなたに太平洋を望む(鴨川市内で)
日蓮大聖人の「立宗宣言」の地である千葉・安房の清澄山。かなたに太平洋を望む(鴨川市内で)

 日蓮大聖人の御生涯は、門下への励ましに次ぐ励ましであられた。 ​​
 まして、息子を失い、悲しみに沈む母・光日尼(こうにちあま)への励ましは、凍(い)てつく大地を解かす、春の陽光のようであった。 
 大聖人の深き慈愛に包まれ、光日尼は生きる希望を見いだし、絶望の淵から蘇生していったのである。 
 光日尼は、安房国東条郡天津(千葉県鴨川市天津)在住の門下で、夫に先立たれた女性である。息子の弥四郎は武士であり、「容貌も立派で、素直な感じ」(御書928ページ、趣意)であった。 
 光日尼が大聖人に帰依したきっかけや時期は、はっきりしないが、弥四郎は幼い頃から母・光日尼と共に大聖人のことを尊敬申し上げていた。

息子・弥四郎の苦悩と願い
 弥四郎は、仕えている主君から、何らかの戦に参加するよう命じられていたようである。ある時、苦悩した彼は、大聖人に御指導を受けようと思い立つ。
 弥四郎は大聖人の法華経の講義に出席した。大聖人の佐渡流罪以前のことと思われる。その場には知らない人も多くいたため、弥四郎は大聖人に声を掛けることはせず、後に使いの者に手紙を持たせて御指導を申し込んだ。
 弥四郎は、大聖人からすぐに招かれた。大聖人と直接ご対面したのはこれが初めてだったかもしれない。これまでの経緯を詳しく述べた後、必死に訴える。

 「世間は無常です。自分はいつ死ぬのか分かりません。しかも私は、武士として主君にお仕えしている身です。その上、言い渡されたことは逃れることができません。それにつけても後生を思えば恐ろしくて仕方ありません。どうかお助けください」(同929ページ、通解)と。
 生命の尊厳を説く仏教を信仰していながら、生業として武器を手に取らざるを得ない。人を殺(あや)めれば地獄に堕(お)ちてしまう――こうした葛藤は、鎌倉時代の武士が抱え込まざるを得なかった不条理であったろう。 
 全てを聞かれた後、大聖人は経文を引いて激励される。その御指導を受けた弥四郎は申し上げた。
「夫のいない母を差し置いて自分が先に死んでしまえば、これほどの親不孝はありません。自分にもしやのことがあったならば、母のことをよろしくとお弟子にお伝えください」(同ページ、通解) 
 弥四郎が孝行息子で、信心も堅固であったことがうかがえる。そして、弥四郎は、この問題を無事に乗り越えることができた。

訃報伝える手紙 師の渾身の激励
 それから時は過ぎ、建治2年(1276年)、光日尼からの手紙が、身延の大聖人のもとへ届く。息子・弥四郎の訃報だった。 
 そこには、大聖人が身延に入山されて間もない文永11年(1274年)6月8日、弥四郎が若くして亡くなったと書かれていた。
 この時、光日尼が深い悲しみに沈んでいたことは想像に難くない。しかも、何らかの事情があったのか、光日尼はわが子の死を大聖人に2年間、報告できないでいたのである。その間の母の苦悩はいかばかりであっただろうか。
 息子の訃報を記した手紙の中で、光日尼は大聖人に質問した。
 「弥四郎の後生はどのようなところに生まれるでしょうか。教えを頂きたい」(同930ページ、趣意) 
 生前に弥四郎が述べていた不安と重なるものがある。大聖人は返書(「光日房御書」)をしたためられる。
 「届いたお手紙を開かないでいたうちはうれしかったが、今この訃報を読んだ後には、どうしてこのように急いで開いてしまったのだろうか、まるで浦島太郎の玉手箱のようであった。開けたことを悔いたものである」(同928ページ、通解) 
 母の苦しみに分け入り、希望の灯をともしていく。その同苦の息遣いは、まるで目の前で語り掛けているようである。

 先に述べた生前の弥四郎と大聖人とのやりとりも、この返書に記されていることである。 
 お手紙を手にした光日尼は、息子がいかに日頃から親思いであったかを知り、胸が熱くなったに違いない。この中で、大聖人は次のように教えられている。 

「たとえ大きな罪であっても、悔い改めて妙法を行ずるなら、その罪は消える」(同930ページ、通解)

 「故・弥四郎殿が『悪人』と呼ばれてしまう人であったとしても、生みの母が釈迦仏の御宝前で昼夜に嘆き、追善を行えば、どうして弥四郎殿が成仏できないことがあるでしょうか。ましてや、法華経を信じていたのですから、親を導く身となられているでしょう」(同931ページ、趣意)
 大聖人がどこまでも、亡き息子の確固たる信心を大切にされていることがうかがえる。そして、亡くなった弥四郎こそが、生死を超え、善知識となって、母を成仏に導いてくれるというのである。
 その上でお手紙の結びで、悪知識にくれぐれも用心していくよう忠告される。また、地域の責任者である弟子と連携を取り、彼らと会うたびに、このお手紙を読んでもらうよう指示されている。

慈悲と勇気こそ「励まし」の根底
 大聖人の大確信に触れ、光日尼の心には生きる希望が湧(わ)いてきたことだろう。光日尼は一途に信心を貫いた。数年後には、悲哀を乗り越えていった自らの信仰体験を大聖人に報告申し上げている。 
 大聖人はご返事を送られ、母の信心を最大限にたたえられた。「心の月くもりなく身のあかきへはてぬ、即身の仏なり」(同934ページ)と。 
 光日尼が信心で得た晴れやかな境涯である。それは、生死を超えて、わが子から生きる力をもらったという確かな実感でもあったろう。 大聖人の渾身の励ましによって、一人の“嘆きの母”が蘇生し、宿命転換していったのである。
 後に送られたお手紙で、大聖人は、こう約束されている。   
 「今、光日上人は、わが子を思うあまり法華経の行者となられました。母と子は必ず共に霊山浄土に参ることができるでしょう。その時のご対面はどんなにかうれしいことでしょう」(同ページ、通解)
 大聖人は「光日上人」とまで仰せである。「上人」とは当時の高僧に対する尊称だが、大聖人はそれを無名の一女性門下に贈られたのである。 
 生死の苦悩からの解放という仏教の根本目的から見ても、光日尼にこそ、ふさわしい呼び名であると拝される。 
 池田先生は、「光日房御書」の講義で述べている。
 「指導は策や方法では生まれません。その人の幸福を願って徹して祈る。その心自体が自身の『仏性』を強く深く涌現させます。仏法の励ましは、その仏の智慧から生ずる励ましであり、根底は慈悲です。そして、勇気です。共に『勝利を創る』――その日まで、励まし抜くしかありません」
 「励まし」の本質は、相手への同苦である。友の苦しみをわが苦しみとして、勝利の日まで共に歩み抜いていくことである。 
 あまりに絶望する友に、掛ける言葉が見つからなくても、すぐに悲しみを吐露してくれなくても、私たちは祈っていくことができる。静かに、力強く寄り添っていくことができる。
 そして、こうした励まし合いの中で、私たちは必ずや宿命転換を成し遂げ、蘇生することができる。
 いかなる状況にあっても希望を失わない、仏法者の確固たる生き方を、御本仏は示されている。


【聖教ニュース】

◆8月で終戦・被爆75年 平和の新時代へ広島・長崎・沖縄で行事
体験を聞く会を開催 今秋、証言集を発刊



池田先生の提案で、広島・長崎・沖縄の青年部を中心に毎年、サミットが開催されている。長崎原爆資料館を見学する参加者(2018年8月)


池田先生の提案で、広島・長崎・沖縄の青年部を中心に毎年、サミットが開催されている。長崎原爆資料館を見学する参加者(2018年8月)

 この夏、終戦・被爆から75年の節目を迎える。広島・長崎・沖縄の友は、不戦の誓いを込めて平和建設への取り組みを推進する。
 広島では第9回「福山空襲・被爆体験を聞く会」(8月2日、福山文化会館)、オンラインで第17回「被爆体験を聞く会」(同6日)を開催。長崎では平和を希求する心を育む「ピース・フォーラム2020」(同8日)をオンラインで実施する。沖縄では、沖縄戦体験者からの聞き取りをもとに、「沖縄戦の絵の紙芝居」を作成する。
 また、3県の友は今秋、戦争・被爆証言集をそれぞれ発刊する。これは、昨年から今年にかけて、未来部や青年部が戦争・被爆体験者に行った聞き取りをまとめたもの。記憶の風化が懸念される今、戦争を知らない世代が悲惨な過去を学ぶことこそ、平和な未来を創る確かな礎となる。

青年部は「不戦の誓い継承月間」(9月8日まで)
 創価学会の平和運動の原点は、第2代会長・戸田城聖先生が1957年9月8日に発表した「原水爆禁止宣言」である。戸田先生は核兵器を“絶対悪”と糾弾し、その廃絶を後継の青年に託した。
 恩師の遺訓を胸に、世界的な平和運動を展開してきたのが池田大作先生である。その精神と行動は今、青年部へと受け継がれる。

オンライン証言会で沖縄戦の体験を語る仲程シゲさん。証言会では沖縄青年部の代表が研究発表した(19日)

 青年部では「不戦の誓い継承月間」(9月8日まで)と銘打ち、今夏、各種の取り組みを行う。日本原水爆被害者団体協議会から講師を迎え、被爆証言を聞く会をオンラインで開催するほか、広島と長崎の被爆者が中心となって推進する「ヒバクシャ国際署名」に協力していく。
 また、SOKAチャンネルVODで配信されている「原水爆禁止宣言60周年記念 立正安国の師子吼は永遠」が、学会公式ホームページ「SOKAnet」上に今後、期間限定で公開の予定。各家庭や個人で視聴し、学会の平和運動の原点と、池田先生の世界平和建設への精神と行動を学ぶ。
 さらに9月には、原水爆禁止宣言発表の意義をとどめ、「青年不戦サミット」をオンラインで実施する予定となっている。

男女の青年平和会議が方面議長会
 月間初日の17日には、青年平和会議(山口議長)、女性平和文化会議(小松議長)の方面議長会がオンラインで行われた。
 会議では沖縄の代表が活動報告。平和のためにできることを一人一人が考え、行動に移していくことを約し合った。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈「新・人間革命」と私〉和歌山総県婦人部長 山下千明さん

〈心に刻む珠玉の言葉〉
 「もしも、広宣流布の戦いのなかで倒れるならば、仏法者として本望じゃないか。私は、力の限り走り抜くぞ。出発だ!」<第14巻「烈風」の章>

〈時代背景〉
 1969年(昭和44年)5月の本部総会で、山本伸一は明年5月3日までの目標として会員750万世帯の達成を発表。同志の激励で全国を飛び回っていたが、疲労は激しく、12月に体調を崩してしまう。その中でも、広布の新たな流れを開くために、関西行きを決断。同月21日には、和歌山県立体育館での幹部会に出席し、友を鼓舞する。

“烈風魂”胸に新たな50年を
 昨年は和歌山の同志にとって、忘れ得ぬ師弟の原点から50周年でした。1969年(昭和44年)12月21日、和歌山県立体育館で行われた和歌山県幹部会に、高熱を押して出席された池田先生は、文字通り命懸けで、渾身こんしんの励ましを送ってくださいました。
 力強いシュプレヒコール、「武田節」の勇壮な舞……。「烈風」の章を開き、山本伸一の戦う魂に触れるたびに感動が込み上げ、力が湧きます。
 和歌山は昨年、「みなぎる烈風魂! 今再び 連戦連勝の勝ち鬨どきを!!」とのスローガンのもと、次の50年に向けて出発。昨年12月の50周年を記念した和歌山大会の勢いのままに、年頭から後継の友が陸続と誕生するなど、弘教のドラマが生まれました。新型コロナウイルスの感染拡大で学会活動が自粛される中でも、励ましの声掛けや小説『新・人間革命』の読了等、皆が今できることに全力で挑戦しています。
 “烈風魂”が刻まれた県幹部会の会場は、私にとっても弟子の誓願を立てた原点の場所です。
 85年(同60年)4月29日、4000人の青年が集って開催された和歌山青年平和文化祭。女子部の出演者として参加し、池田先生との出会いを結ぶことができました。
 「私は和歌山が大好きです」「きょうの文化祭を祝福し、『城良し 人良し 青年良し』との言葉を贈りたい」との先生の激励に、“生涯、師と共に和歌山広布に生き抜こう”と誓いました。
 その後、婦人部に進出して活動に挑む中、当時1歳だった長女が病に。学会家族の温かな励ましに支えられ、確信の題目を唱え抜きながら広布拡大に歩きました。その中で健康を取り戻し、病を乗り越えた娘は今、創価大学で学んでいます。
 同章につづられた「なんでもやります。私は、皆さんの会長だもの!」との伸一の心に、一歩でも二歩でも近づくことが、尽きせぬ師恩に報いる道だと決意しています。
 和歌山の同志の皆さんの宿命転換と幸福勝利を強く祈りながら、不屈の“烈風魂”を胸に、広布伸展の新たな歴史を築いてまいります。


◆ 亡き夫の誓い継ぐ郷土料理店〈信仰体験〉 一杯に込める 二人分の真心  2020年7月21日

 【岐阜県高山市】真っ黒な鉄鍋がフツフツと音を立て始めた。三島美智子さん(68)=婦人部副本部長=が作る郷土料理「どぶ汁」。1998年(平成10年)から夫婦で営んできた「喜之助 式部の庵」の名物。お客がおいしそうに頰張る姿を見ると、亡き夫のぬくもりに包まれる。
 旧・荘川村のどぶ汁の名は、酒のどぶろくに由来する。すりつぶした大豆をそのまま沸騰したお湯に入れて煮ていく。沸騰し過ぎないよう7度、水を加える。豆の香ばしい匂いが漂い始めたら、だしや塩で味付けをする。
 「地域のおばあちゃんが手間暇掛けて作る伝統料理です。その分、濃厚な味わいと芳醇な香りが楽しめます。それが真心の“おもてなし”だと思って」
 以前の看板メニューは、夫の繁さんが打つ十割そばだった。開店以来、太打ち麺を求めて連日大盛況。観光客は舌鼓を打ち、「うまい」とうなった。

旧・荘川村の「どぶ汁」
 5年前、繁さんは60歳を機に、店内の装飾を趣味のカントリー・ミュージック調に。楽器などを飾り、「生ライブを聴きながら、地域の方が食事を楽しむ店にしたい」と夢を語っていた。
 悲劇が襲ったのは翌年4月。深夜、病院から連絡が入る。「ご主人が事故に遭いました」。頭の中が真っ白になった。
 急いで病院へ駆け付けたが、繁さんは帰らぬ人に。「何で、こんなに早く逝ってしまうの。まだやりたいことがあるのに……」。人目もはばからず泣き叫んだ。
 “何があっても、信心だけは疑ってはいけない”
 前を向こうとした。みんなの前では気丈に振る舞った。でも一人になると、心にぽっかり穴があいたように力が入らない。題目を唱えても声にならない。夫と交わした言葉、笑顔ばかりが思い浮かんだ。
 ――繁さんは、500年以上の歴史がある旧家の18代目。結婚当初は周囲に学会への理解がなく、親から勘当もされた。それでも強盛に信心を貫き、両親を入会に導く。二人三脚で地域に貢献しながら、信心の灯を大切にともし続けてきた。
 繁さんは、人のため、村のために何でもやった。気さくで面倒見が良くて、友人も多かった。40歳を過ぎてから、そばの産地である地元・荘川を盛り上げようと、県外の人気そば店に弟子入り。地域初のそば店を開いた。
 テレビや雑誌でも取り上げられ、連日、観光客でにぎわい、地域の活性化の一因ともなった。

三島さんは40年以上、本紙の配達を続けている
 その間、4度の流産、三島さんの絨毛がん……苦難の連続だった。一つ一つを、二人で乗り越えてきた。
 “繁さんと一緒だったから、どんなことにも負けなかった。また繁さんと一緒に戦いたい……”。寂しくて、むなしくて、夫の名を呼んでは、涙がポロポロこぼれた。
 ある時、夫が大切にしていた池田先生の著書『生命と仏法を語る』を手に取った。ふと開いたページにくぎ付けになった。
 「『南無妙法蓮華経』という、宇宙の根本法則に生きぬいた人々の、不慮の死というものをよく見ると、必ずといっていいくらい『大きく宿命の転換がなされている』と、まわりの人々が言っております」
 目頭が熱くなり、文字がかすむ。先生はさらに呼び掛ける。
 「そうした人々の『死』の姿というものは、さわやかな夢のようであり、そのさわやかな夢が、縁ある人々をさらに勇気づけ、希望へと志向させながら、力強い波動の輪となっているようです」

 “負けるな! 俺も一緒に戦うから”。夫が隣で背中を押してくれている気がした。“そうだ。夫は、私の中で生き続けているんだ”
 御本尊の前に座った。題目を唱えると、湧き上がる思いがあった。“二人の店をもう一度やりたい!”
 半年間の休業を経て、店を再開した。夫が残したレシピをもとに準備を整えたが、そばを出すのはやめた。
「休業中、そばを楽しみに来てくれた方がたくさんいました。でも、夫のそばを完璧には再現できなかったんです。それなら、そばの味もまた、お客さまの心の中で生き続けてほしかった」
 そばを食べに来た人は残念がったが、三島さんの真心の料理に「また来るよ」と笑顔で。
 また、繁さんの一周忌には、バンド仲間が店で追悼コンサートを企画してくれた。当日は、地域の人が集まり、夫が大好きだった曲をみんなで口ずさんだ。
 その後、繁さんが夢見たように、店では音楽イベントが行われ、地域の人に喜んでもらえるようになった。
 “繁さん、聞いてる? みんなが一緒に夢をかなえてくれたよ”


 夫婦で抱き締めてきた池田先生の言葉がある。
 「悪戦苦闘は、われらにとって、避けがたき宿命的なものです。しかし、決められた決勝点、すなわち、われらの目的である広宣流布、また、一生成仏、人間完成、福運に満ちた勝利の実証を示すという、人生の決勝点は取り消すことはできない」
 今年は、新型コロナウイルスの影響で観光客が激減。6月、1カ月半ぶりに店を再開したが、7月に入って、市内が豪雨に襲われた。先の見えない不安は続いている。
 ただ一心に、訪れてくれた一人一人をもてなす。客のホッとした顔を見るたび、三島さんは思う。
 「よく笑う夫でした。笑顔に囲まれていた夫でした。今も悲しみは変わりません。でも、寂しくはないんです。お客さまの笑顔を見ていると、夫がそばで笑ってくれている気がするから」
 今日も“二人分”の真心で、店に立ち続ける。

 

2020年7月20日 (月)

2020年7月20日(月)の聖教

2020年7月20日(月)の聖教

◆今週のことば
 「陰徳あれば陽報あり」
 「無冠の友」をはじめ
 たゆまぬ陰徳の同志に
 感謝の題目と労いを。
 尊き宝友に陽報燦たれ!
 御書P1180


◆名字の言 ナチス収容所で生きる希望となったもの2020年7月20日

 精神科医のフランクルは、ナチス収容所の中で、絶望して自ら命を絶とうとした男性を救った。『夜と霧』(みすず書房)につづられている▼男性には、彼の帰りを外国で待ち続けている子どもがいた。その存在に気付かせると、男性は思いとどまったという。生きる希望を見いだしたからだ。
“自分は一人ではない”という実感が、どれほど強く人を支えるか。示唆に富む話である▼「ぼくは、あの震災で大切なものを失いました。でも、もっと大切なものを学会で得ました」と語る青年がいる。9年前、東日本大震災で家も仕事も失った。単身で九州に移り、懸命に働く日々。疲れがたまった。徐々に孤独にさいなまれるように▼そんな彼を、同じ職場の学会員が懸命に励ました。「寂しい思いなんか、させんけんね」「君のこと、毎日毎日、祈っとるんよ」。その真心に打たれ、彼は入会した。男子地区リーダーとなった今、“次は自分が”と友の励ましに奔走する▼災害、病気、経済の苦境……。大きな試練に直面した時、大切なものを失った時、不安や心配事を自分だけで抱え込まなくていい。あなたにも私にも、幸福を祈ってくれている存在が必ずいる。決して一人ではない。強い強い創価家族の絆で結ばれているのだから。(実)


◆寸鉄

何のための人生かを会長
の著作から学んだ―博士
平和と幸福への前進共に
     ◇
鳥取県婦人部の日。地域
に希望の虹必ず!励まし
の連帯広げる山光の太陽
     ◇
学会と生きてごらん。悩
みは全部功徳に変わる―
恩師。不退の信心を貫け
     ◇
感染が増加傾向。マスク、
リスク高い所は避ける、
間隔を空ける等の励行を
     ◇
身近な人と語らうと感染
の不安も和らぐと。電話
一本も力。支え合う心で


◆社説 2020・7・20 「月面着陸の日」に思う  価値創造の挑戦に限界なし

 人類が初めて月に降り立って、きょう20日で51年(日本時間では21日)。今月10日には、文部科学省が米航空宇宙局(NASA)と「日米月探査協力に関する共同宣言」に署名した。日本人初の月面着陸にも、大きく可能性が開かれたといえよう。
 月探査といえば、昨年公開された映画「アポロ11 完全版」(トッド・ダグラス・ミラー監督)の圧倒的な映像美を思い出す。これまで一般公開されていなかったアポロ計画の貴重な映像素材を、最新技術で鮮烈によみがえらせた作品だ。
 緊張走る管制センターの様子、圧巻の月着陸・離陸、アクロバットを思わせる着陸船と司令船のドッキング、大気圏突入と司令船回収後の大喝采……。世界33カ国でテレビ中継され、数億人が見守ったという歴史的な数日間の模様が、インタビューやナレーションなどを一切介さず、臨場感をもって迫ってくる。  
 映像から強く感じるのは、どれほど多くの人たちがこの事業に情熱を注ぎ、使命を燃やしたか、という事実である。  
 アポロ11号の月面着陸後、アームストロング船長が放った言葉、「これは1人の人間にとっては小さな1歩だが…人類にとっては偉大な飛躍だ」(駐日アメリカ大使館公式マガジン訳)は有名だが、それに続く場面はより印象的である。今も月に残る銘板の文面を、彼が読み上げるのだ。「地球より来たる人類、月面に降り立つ」「全人類の平和のうちに」(字幕翻訳・池田彩加)  
 アポロ11号打ち上げの翌日17日、創価学園では、創立者・池田大作先生が第2回「栄光祭」に出席。学園生は創立者と共に、世界また宇宙に思いをはせ、心広々と未来に一歩を踏み出した。  
 当時、東西両陣営の対立は激しく、世界各地で紛争も絶えなかった。その中で池田先生は、アポロ11号の壮挙は、宇宙から見れば、人類は皆、同じ地球民族だ、という共通感情をもたらしたと指摘していた。分断や反目を超え、人類を結びゆく確かな価値観がどれほど大切か。  
 今、ウイルスと闘う未曽有の事態に、警戒心を保ちつつ臨む日々が続く。ある面で、当時と似た世相かもしれない。  
 池田先生は今月7日付の「随筆『人間革命』光あれ」で、こう呼び掛けた。  
 「我らは変化を厭うのではなく、若人を先頭に、現在の変化の中に、『人間の幸福と平和のために』という立正安国の精神性を打ち込んでいきたい。仏法の人間主義が一段と輝きを増す好機であり、我らの価値の創造に限界はない」  
 私たちは、全人類のための価値創造の戦いで、一歩も退かない。その使命を刻み直す、きょうの日としたい。


◆きょうの発心 一生成仏抄 大阪・淀川総区婦人部長 中内節子2020年7月20日

御文
 深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり(一生成仏抄、84ページ・編22ページ)
通解
 深く信心を起こし、日夜朝暮に怠らずわが心を磨くべきである。どのように磨くべきか。ただ南無妙法蓮華経と唱えることが磨くことになる。

ほほ笑みのスクラムを広げゆく
 信心の実践で心を磨いていくようにと教えられています。
 高校卒業後、就職のため郷里の山口から大阪へ。20歳の時、職場の先輩の勧めで入会しました。
 その直後、父が末期がんに。真心で祈り、対話を重ねた末、父は入会し、更賜寿命して霊山へ旅立ちました。病に立ち向かう父の姿を見た母と姉も、入会に導くことができました。
 女子部の活動に励む中、関西を訪問された池田先生ご夫妻と一緒に勤行する機会にも恵まれ、生涯の原点を刻みました。
 結婚後、夫の休職や勤務先の倒産、さらに娘の不登校など宿命の嵐に襲われました。同志の激励を支えに家族一丸で唱題に励み、全て乗り越えることができました。
 夫は再就職し、昨年、新居を購入。3人の娘たちも後継の道を元気に歩んでいます。
 淀川総区婦人部は、友の幸福を祈り、ほほ笑みのスクラムを広げていきます。


【先生のメッセージ】

◆女子部結成記念大会への池田先生のメッセージ2020年7月20日

 7・19「女子部結成記念日」を祝賀して、東京・信濃町の創価女子会館と各地を中継で結び、オンラインで晴れやかに開かれた全国女子部結成記念大会(17日)。
 
 同大会を記念して全国の華陽姉妹に贈られた池田先生の祝福のメッセージを紹介する。
 
祈り励まし、試練を創造の知恵に
朗らかに勝利と幸福の花を!
 明るく、爽やかに心を結び合う女子部結成記念の大会、誠におめでとう!
 今、世界の試練の時に、花の女子部の皆さんが、凜として祈り、学び、励まし合うスクラムが、どれほど大いなる希望の光を放っていることでしうか!
 私も妻も、言い知れぬ、不安や労苦に立ち向かっている一人一人に届けと題目を送っております。
 日蓮大聖人は女性の門下に、「妙の文字は月なり日なり星なりかがみなり衣なり食なり花なり大地なり大海なり、一切の功徳を合せて妙の文字とならせ給う」(御書1484ページ)と断言なされました。
 何があろうと、この妙法を唱え抜いていくならば、どんな悩みも新しい前進のエネルギーに変え、どんな苦難も新しい創造の知恵に変えることができます。
 仕事でも生活でも地域でも、断じて勝利の花、幸福の花を咲かせていけるのです。 
 皆さんには、この世界一の幸福の哲学があります。そして、共に実践する最高の同志がいます。創価家族がいます。
 どこまでも、学会の良き先輩や仲間と支え合い、大地のように、大海のように、心広々と、希望と平和のスクラムを輝かせていってください。
 どうか、親孝行の笑顔を忘れず、健康第一、無事故第一で、朗らかに、粘り強い、青春の前進であれ!


【聖教ニュース】

◆2021年の開学20周年へ アメリカ創価大学が新出発2020年7月20日
フィーゼル新学長 副学長に3氏

 米カリフォルニア州オレンジ郡アリソビエホ市のアメリカ創価大学(SUA)が明年、開学20周年を迎える。
 21世紀の幕開けの年である2001年の5月3日、SUAはリベラルアーツ(一般教養)大学として開学。創立者・池田大作先生の示した「『文化主義』の地域の指導者育成」「『人間主義』の社会の指導者育成」「『平和主義』の世界の指導者育成」「自然と人間の共生の指導者育成」を永遠の指針として、多彩な分野に民衆奉仕の人材を輩出してきた。

今秋「生命科学」コース始まる
 本年秋には、3年次から履修するコンセントレーション(集中コース)に、新コース「生命科学」が設置されるなど、明年の開学20周年に向けて、一段と充実した学習環境が提供される。

明年夏入学の21期生を募集 8月1日から
 8月1日からは、明21年度の夏に入学する学士課程21期生の募集が開始される(詳細は2面に掲載)
 新章節を迎えるに当たり、同大学の新任人事が、このほど発表され、新学長にエド・フィーゼル氏が就任した。SUA理事会の厳正な審理を経て決定したもの。これまで学長を務めたダニエル・ハブキ氏は名誉学長として、大学建設を支えていく。
 また、現職の3人の副学長に加えて、新たにマイケル・ウィーナー氏、ブライアン・ペンプレース氏、ケビン・モンクリーフ氏が副学長に就いた。
 フィーゼル新学長はこれまで、SUAの学生部長、教務部長、副学長を歴任。開学以来、「学生第一」の精神で、大学の発展に尽力してきた。
 フィーゼル新学長は語る。
 「かつて池田先生がSUAに示してくださった『貢献的人生を生きゆく世界市民の確固たる潮流を築く』との使命を胸に刻み、全教職員と心一つに、次代を担う平和の使者であるSUA生を大切に育んでまいります」


◆九州 励ましの絆拡大季間(10月2日まで)2020年7月20日

 不撓不屈の九州家族の絆を一段と強く! 九州の友は今、「先駆九州・励ましの絆拡大季間」を前進している(10月2日まで)。
 甚大な大雨被害から懸命な復旧作業が続く今こそ、同志・友情・地域の絆をさらに強めるため、電話やオンラインなども活用し、希望の励ましを広げる。
 九州各県にとって、この季間は幾重にも師弟の歴史を刻む。中でも7月は池田先生から「常に先駆の九州たれ」との指針が贈られた月。友は“先駆とは一番弟子の異名”とたたえる師の激励を胸に、いかなる障魔も勝ち越えてきた。

“不滅の縦断指導”30周年
 また本年は、不滅の原点と輝く“九州縦断指導”から30周年。1990年9月22日、韓国初訪問の帰途、先生は空路で九州入りした。福岡、佐賀、熊本で同志を激励。さらに、鹿児島・霧島の九州研修道場(当時)では全国男子青年部幹部会が開催される予定になっていた。この時、九州に台風が接近していた。だが先生は「行こう! 青年が待っているから」と、鹿児島行きを断行。到着したその日、嵐は過ぎ去り、美しい夕焼けが広がった。
 先生は幹部会で厳然と語った。「『仏法は勝負』であり、広布を妨げようとするものに、断じて負けてはならない」
 折しも第2次宗門事件が顕在化する直前。11日間の九州縦断指導は、激務の合間を縫って、一人一人に勇気の炎をともす励ましの連続闘争であった。
 以来、九州の友は師弟直結の誇りを胸に、師への誓いを果たさんと、連続勝利の金字塔を打ち立ててきた。
 平井九州長、川上婦人部長は語る。「異体同心の団結で全てを変毒為薬し、新たな広布前進を開始します!」


【特集記事・信仰体験など】

◆〈池田先生の会長就任60周年 青年部が原田会長に聞く Ⅱ部〉第14回 
「御書根本」を貫く民衆仏法の学会教学③2020年7月20日

〈出席者〉 西方男子部長、大串女子部長、樺澤学生部長、林女子学生部長

“皆が大指導者に!全員が広布の大闘将に!”  青年の育成が未来を創る
明年11月18日に新版御書を発刊


翻訳家のバートン・ワトソン博士㊨、リチャード・ゲージ氏㊥と語り合う池田先生。ゲージ氏は小説『人間革命』や、トインビー博士ら多くの識者との対談集を英訳してきた(2005年5月、創価大学で)

 ◆西方 顕仏未来記に「伝持の人」(御書508ページ)とあります。池田先生は、「『伝持の人』とは『後継の人』ともいってよい」「未来部の前進が、広布の前進だ」と、未来を担う各部の育成に全力で取り組まれてきました。
  
 ◇原田 先生が高等部を結成されたのは、1964年(昭和39年)6月です。第3代会長就任後、最初につくられた部となり、その翌年に中等部、少年少女部(当初は少年部)の結成へと続いていきます。
 当時の学会の幹部には、そうした発想は全くなく、「未来のための布石は大切ですが、優先すべきことが、たくさんあるように思います」と言う幹部もいました。
 しかし、先生は断言されたのです。「三十年後、四十年後の学会をどうするのか。その時、学会の中核になっているのが、今の高校生です。苗を植えなければ、木は育たない。大樹が必要な時になって苗を植えても、手遅れだ」と。
 先生は常に、広宣流布の未来を見据えておられました。また当時、社会では少年の非行が深刻化し、青年の目的観の欠如が叫ばれていた時代でした。
 高等部の誕生は、こうした時代の状況に希望の灯をともすものでもあったのです。

 ◆樺澤 66年1月からは、先生が毎月、高等部の代表に直接、御書講義をされています。

  
 ◇原田 その前年に先生は「大白蓮華」11月号に巻頭言「鳳雛よ未来に羽ばたけ」を発表され、高等部に「勉学第一」の指針を贈られました。
 そして翌66年、「黎明の年」とともに「高等部の年」と銘打たれたこの年の1月から、男女高等部の代表への御書講義を開始してくださったのです。
 教材は「諸法実相抄」「生死一大事血脈抄」「佐渡御書」などの重書でした。難解な御文もありましたが、受講生は皆、懸命に予習を重ね、司会が拝読を求めると、先を争うように全員の手が挙がったといいます。先生は、当時の真情を随筆にこうつづられています。
 「寸暇を惜しんで重ねた一回一回の講義は、『今しかない、今しかない』と必死だった。『皆が大指導者に! 全員が広布の大闘将に!』と祈り、叫ぶ思いであった。だから私は、“まだ子どもだから”と、甘やかすことはしなかった。真の弟子を育てようと本気になれば、自ずと指導にも力が入っ
た」と。
  
 ◆林 先生の未来部への万感の思いが伝わってきます。同年6月の1期生の講義修了時には、受講メンバーで「鳳雛会」(男子)、「鳳雛グループ」(女子)が結成されました。
  
 ◇原田 私は先生の高等部員に対する信頼を、まざまざと目にした思い出があります。
 それは66年7月16日、当時の箱根研修所で「鳳雛会」「鳳雛グループ」1期生が、先生のもとに集って行われた第1回野外研修でのことです。私は聖教新聞の記者として、取材でその場に同席していました。
 衝撃でした。先生は高校生に対して、一個の人格として接しておられたのです。
 自身の宿命に悩み、涙ながらに相談したメンバーに、「信心は感傷ではない。泣いたからといって、何も解決しないではないか!」と厳しく言われ、勝つための人生を開く正しい信心の在り方を、厳愛をもってご指導される場面もありました。
 私は正直、子どもたちに“受け止められるだろうか”と思うこともありました。しかし、それは、いらぬ心配でした。
 先生はメンバーに語られました。「私は、今日集まった諸君を、頼りにしてまいります。諸君が成長してくれれば、私も、年ごとに安心することができる」「諸君は、私と師弟の絆で結ばれた人であると思っているが、そう信じていいですね」
 「はい!」――その響きには真実がありました。ここに「師弟」がある。ゆえに「信頼」があり「訓練」がある。私は高等部の皆さんから教えていただいた思いでした。
 鳳雛会は、その後も期を重ねるとともに、北は北海道から南は沖縄まで、各方面に結成され、68年10月には、定時制にも鳳雛会がつくられました。
 鳳雛会のメンバーは、やがて、学会の最前線で、また社会の中核で活躍していくことになります。

一日に30分でも5ページでも拝読を
 ◆大串 先生は女子部に対しても、幾度となく教学の大切さや、御書根本の生き方を教えてくださっています。
  
 ◇原田 かつてある女子部幹部が、先生に女子部の人材グループ「青春会」の人選基準について尋ねた際、こうご指導されました。
 「教学の力のある人を選ぼう。戸田先生は『女子部は教学で立て』と言われたが、それは人生の哲学を確立しなさいということだ。教学という生き方の哲学がなければ、仏法のうえからの重要な指導を、受け止めていくことはできないからね」
 そうして結成された「青春会」のメンバーにも先生は、「人生の確かな哲学の骨格をつくる意味から、まず、御書を読破していくようにしたい。難解な箇所もあるかもしれないが、御書をすべて拝しておけば、それが一つの自信にもなる。したがって、一日に三十分でも、あるいは、五ページぐらいでもいいから、着実に学んでいっていただきたい」と具体的に示されたことがありました。
  
 ◆林 女子部は今、その伝統を受け継ぎ、「池田華陽会御書30編」の読了運動に取り組んでいます。また、世界の多くの国々でも、女子部員が御書30編を同時進行で学んでいます。
  
 ◇原田 とても素晴らしいことです。御書30編には、五大部をはじめ、女性門下に宛てられた御消息文などもあります。青春時代に何度も繰り返し拝して、その一節一節を行動に移していくことが大事です。
 女子部の皆さんが、御書根本に「実践の教学」に励む姿は、「女子は門をひらく」(同1566ページ)との日蓮大聖人の仰せ通り、広宣流布の未来を開くことにつながるのです。

「翻訳事業」は万年に残る大聖業
 ◆樺澤 先生は66年から、未来への布石として御書の英訳を推進されます。また68年8月には、学生部の代表で翻訳・通訳メンバーの「近代羅什グループ」(男子)、「近代語学グループ」(女子)を結成されました。
  
 ◇原田 大聖人の御精神を世界へ広げていく上で、御書の各国語への翻訳は不可欠です。また先生ご自身が世界の超一級の識者と対談される中、人一倍、世界に通用する語学力と人間力を身に付けた人材を必要とし、求められていたのです。
 71年には国際部が結成され、語学力を兼ね備えた人材の裾野は、さらに広がっていきました。そして、御書の英訳作業は着実に進み、99年(平成11年)に世界の同志が待望した『英訳御書』上巻が発刊されました。
  
 ◆西方 その翻訳の監修を務めたのが、中国語・日本語の高名な翻訳家である米コロンビア大学のバートン・ワトソン博士です。
  
 ◇原田 博士は、司馬遷の『史記』を初めて英訳した中国文学研究の第一人者であり、これまで全米翻訳賞や世界ペンクラブ翻訳賞、文学アカデミー賞などを受賞しています。
 池田先生と博士は、73年12月以来、6度会見をされました。これまで、鳩摩羅什訳『法華経』、『英文御書選集』『御義口伝』をはじめ、先生の著作なども英訳され、仏教の真髄を世界に伝える労作業に力を注いでこられました。
  
 ◆大串 2006年には、『英訳御書』下巻が発刊され、御書全集のほぼ全編が翻訳・出版されています。
  
 ◇原田 英訳の完結によって、欧州各国語や南米諸言語への御書翻訳が大きく前進し、世界への広宣流布は一段と加速することになりました。
 本年5月3日には、池田先生の50言語目の著作となるスペインのガリシア語、バスク語版の『一生成仏抄講義』が発刊されています。御書の翻訳事業は、万年の未来に残る不滅の大聖業として、仏法史に燦然と輝き渡っているのです。
  
 ◆西方 振り返ると、英語版機関誌「セイキョウ・タイムズ」に初めて英文の御書が掲載されたのが、半世紀以上前の1966年です。当時は、誰も今日のことを想像もできなかったと思います。
  
 ◇原田 先生がただお一人、世界広布のために手を打ち、語学ができる人材を育成され、道を開いてこられたからこそ、今日の世界宗教としての大発展があります。
 明2021年11月18日には、日蓮大聖人御聖誕800年を慶祝して、新版の御書全集が発刊されます。
 池田先生の監修のもと、文字を大きくし、会話文には、かぎかっこを加えるなど、より読みやすくなるよう工夫を凝らすとともに、現在の御書全集が発刊された後などに発見された真筆の御書も収録する予定です。
 民衆に開かれた人間主義の仏法を、共々に学び深め、行学錬磨の仏道修行に、一層、まい進していきたいと思います。


◆信仰体験 ​サンパウロ大学・大学院教授として活躍​ブラジルSGI マルシオ・イサオ・ナカネさん
​人間主義の研究者を目指す

人生に不可欠な「お金」の教育
 私の両親の家族は、昭和の初め、1930年代に、移民として日本からブラジルにやって来ました。私は65年にサンパウロ州郊外のインダイアトゥーバ市で生まれました。
 その3年後の68年、やはり日本からの移民の先輩に父母が折伏を受け、わが家はブラジルSGIの信仰を始めます。
 高校3年になって、私は将来の進路について考えました。数学は好きでしたが、どちらかというと文系に興味があって、工学や生物学といった分野に向いていないということは自覚していました。
 それで、経済学部を第1志望にして、ブラジルはもちろんラテンアメリカ随一の名門校であるサンパウロ大学を受験したのです。
 合格発表の朝、近くの新聞スタンドに走って新聞を買い、合格者名の中から私の名前を見つけ出しました。母と一緒に御本尊の前に座り、感謝の題目をあげたことは今も忘れません。
 金融教育というのは、実は人生のあらゆる段階で重要なものです。ところがブラジルの若者の約半数は、収入はあっても自分の財務状況をコントロールできていないのが実情です。
 幸か不幸か、わが家は裕福ではなかったので、私は子どもの頃から節約することの大切さを学んでいました。物を大切にし、何か買いたい場合は貯金をする。そのことが自然に身に付いていたのです。
 学生時代は「お金」について学ぶ時期であると同時に、経済的自立に向けて準備をする時期だと思います。

出版されたナカネさんの修士論文
思いがけない試練を乗り越えて
 大学卒業を目前にした86年の暮れ、思いがけない試練に見舞われました。父が交通事故で帰らぬ人となったのです。悲しみに打ちひしがれる中、母は私に「家計のことは心配せず、やりたいことをやりなさい」と言ってくれました。

 それで私は腹を決めて次の年を猛勉強に費やし、88年にサンパウロ大学大学院に進学することができたのです。
 まだ修士号も取得していなかった90年6月、サンパウロ大学が教員を募集していることを知りました。不思議にもこの年は、例年のように博士号を持っていなくても応募できました。そして、大勢の応募者の中、5人の合格者に私が入ったのです。あとの4人は博士号を持った人たちでした。
 こうして期せずして90年11月から、サンパウロ大学の助教として働きながら、自らも大学院で学ぶという生活になりました。
 93年に修士号を取得すると、ポルトガル語の修士論文を全て英訳してイギリスのオックスフォード大学に出願。94年の夏に渡英し、同大学院の経済学研究博士課程に進学しました。なお、この修士論文はブラジル国立経済社会開発銀行(BNDES)で一冊の本となって出版されました。
 99年にブラジルに帰国してからも研究を続け、2004年、晴れてオックスフォード大学で博士号を取得することができたのです。
 現在は、母校サンパウロ大学の経済学部と大学院で教授を務めています。マクロ経済学、金融経済学などの分野で、主に金融政策や信用力と競争力の均衡をテーマに研究しています。

家族と共に(右から長男マテウスさん、妻ミズホさん、ナカネさん、次男マルチンさん)
父母から受け継いだ“信心の種”
 未来部の頃まで学会の庭で育った私でしたが、実は大学進学と同時に親戚の家に下宿したこともあり、次第に活動から離れてしまっていました。両親は真剣に私のことを祈っていたようです。
 07年、母は持病のぜんそくが悪化して入院しました。病状が進行し、見舞いに行くと、思った以上に衰弱していました。それでも母は、私の手を握りしめて「お題目を送ってね」と言いました。これが私への最期の言葉となって、母は霊山へ旅立ったのです。
 それは、父母の積年の祈りが成就した瞬間でもありました。父母が植えてくれた“信心の種”は、いつしか私の中で大きく育っていたのです。この信仰を受け継ごうと自分から決心し、実家の御本尊をわが家に安置しました。
 私のことを祈っていた妹たちも、心から喜んでくれ、私を地元のSGI組織につないでくれました。やがて妻も座談会に参加するようになり、09年に子どもたち2人と一緒に入会しました。今、妻は地区副婦人部長、私は地区部長として広布の道を歩んでいます。
 池田先生は『新・人間革命』第1巻の「開拓者」の章に、こうつづられています。 
「ブラジルは、海外広布の先駆けになりました。ここには無限の未来性があります。皆さんは、平和と幸福の開拓者として、どうか、私に代わって、ブラジルの広布の道を開いてください。お願いします」
 私はこの一節を読むたびに、先生が自分に語り掛けてくれているように感じます。
 池田先生は「世界市民」の条件として、生命の相関性を認識する「智慧」、他者との差異を尊重して成長の糧とする「勇気」、人々と同苦し連帯していく「慈悲」を教えてくださっています。
 人間主義の哲学を持った研究者として、先生が示された「世界市民」を目指し、どこまでも水の流れるような信心を貫いていく決心です。

2020年7月19日 (日)

2020年7月19日(日)の聖教

2020年7月19日(日)の聖教

◆わが友に贈る

 試練が人を強くする。
 苦労が大きいほど
 境涯は大きく広がる。
 変毒為薬の妙法で
 全てを人間革命の劇に!


◆名字の言 「百獣の王」と「百花の王」   2020年7月19日

 「百獣の王」といえばライオンである。では「百花の王」は?▼答えは「牡丹」。その由来や歴史が、東京富士美術館で好評開催中の「Flower×Flower展」で紹介されている。日本では古来、?風や陶器、武具などに「師子と牡丹」の組み合わせが描かれてきた。牡丹の夜露が、師子の唯一の弱点である「師子身中の虫」を退治する力を持っている――との言い伝えからだ。「師子に牡丹が加わることで、無敵の強さを持つ」とされてきたのである▼牡丹の花言葉の一つは「誠実」。辞書で意味を調べると、「私利私欲をまじえず、真心をもって人や物事に対すること」とある。なるほど、忘恩や不義不正の「師子身中の虫」を退けて、師子と共に進む“気高き花”として牡丹が描かれるのも、合点がいく。牡丹は別名「富貴花」ともいう▼かつて池田先生ご夫妻は、女子部に美しい友禅画「牡丹」を贈った。その折、先生は「皆が友 皆が幸福 花盛り」との一句を添えた。「学会は師子の団体です」「女子部の皆さんが、一生懸命やってくださっているから、学会は勝ってきた」と語ったこともある▼?今 師とともに 正義の心で 世界の女性に 平和の世紀を……(池田華陽会歌「華陽の誓い」)。女子部は皆が使命の華である。(之)


◆寸鉄

「いよいよ強盛に大信力
をいだし給へ」御書。これ
学会精神。題目また題目
     ◇
女子部結成の日。広布の
花の前進は創価の希望。
華陽姉妹のスクラム固く
     ◇
記念映像上映に感動の声
続々。立正安国こそ使命。
師と共に進む誉れを胸に
     ◇
己をつくる努力は己にし
かできぬ―宇宙飛行士。
今だからできる挑戦を!
     ◇
浸水被害は防災地図の想
定エリアで発生と。続く
長雨。避難経路等、再確認


◆社説2020・7・19 きょう女子部結成記念日  教学が幸福の“芯”を築く

 きょう女子部は、結成記念日を迎えた。1951年(昭和26年)7月19日。第2代会長・戸田城聖先生のもと、当時の学会本部に74人の女性が集った。
 「女子部は一人も残らず幸福に」――戸田先生は、いかなる試練にも負けない自己を築き、崩れざる幸福を打ち立てるため、「女子部は教学で立とう!」と訴えたのである。
 池田先生も、若い女性たちが仏法の最高峰を学び、自身の「芯」を確立する生き方を願い、励ましを送ってきた。その心を受け継ぐ華陽の友は、御書を繙き、励まし合い、幸福の拡大に努めてきた。
 コロナ禍の影響で、行動が制限される今、生活や社会のあり方に変化が求められている。その中でも、多くの女子部員が“教学第一”の永遠の指針を胸に、「女子部オンライン講義」をはじめ、工夫を凝らしながら活動を展開している。
 その柱となっているのが、「池田華陽会御書30編」の読了運動である。
 長崎総県女子部は、“一人でも多くの友が御書に親しんでほしい”と、オンラインを活用し、ペアを組んでの研さんに励む。
 「一対一だと、質問しやすいし、気軽に感想が語り合える」「互いの悩みを共有でき、絆が強まった」などの喜びの声が寄せられ、研さんに取り組むメンバーは以前と比べ6倍にも増えた。
 福岡のあるメンバーは自粛の期間に、じっくりと御書に触れる時間を持てたという。オンラインの集いでは、「御書って、どこを拝しても、常に前向きでプラス思考なのがすごい! 私も友を励ませる人に成長したい」と奮起。多忙な仕事の合間にも御書を拝し、実践に移す求道の姿に触発を受け、一人また一人と研さんの輪が広がっている。
 「観心本尊抄」には、「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」(御書254ページ)と。
 社会的な制約の中で、活路を見いだそうと始めたオンラインでの研さん。だが、実際に進めると、真心が結ぶ絆は試練に負けないという“発見”があった。
 教学を根本に現実社会を切り開こうとする努力により、女子部一人一人が尊い使命に目覚め、可能性の扉を開く喜びが広がった。まさに変毒為薬の実践といえよう。
 池田先生は、「一人の女性が、使命の大地で勇気に燃えて立ち上がる時、地域も社会も変わり始める。時代は確実に動くのだ」(女子部指導集『華陽の誓い』)と、大きな期待を寄せる。
 変化の時代だからこそ、「哲学」と「新鮮な感性」を併せ持つ女性の力が一段と求められている。世界一の生命哲学を持った華陽のスクラムから、希望の新時代を朗らかに築いていきたい。


◆きょうの発心 開目抄 京都・中京王城区副総合長 松井隆一2020年7月19日

御文 詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん(開目抄、232ページ・編462ページ)
通解 つまるところ、諸天善神も日蓮を見捨てるなら見捨てよ。諸難に遭うなら遭おう。身命をなげうっていくだけである。

御書を心肝に染め宿命を転換
 日蓮大聖人が流罪地の佐渡で、妙法弘通への御覚悟を述べられた御文です。
 1990年(平成2年)、創価学会創立60周年を記念する関西大文化祭に出演。池田先生の「広布と人生の偉大なる名優として、また名芸術家として、思う存分、最高の青春を」とのスピーチに、“生涯、師と共に”と決意したことが原点です。
 その後、勤務先が2度にわたって倒産するという苦難に。その渦中、父が不慮の事故で霊山へ。実家の経済苦も重なり、心が折れそうになった時、この一節を心に刻みました。
 先輩・同志の励ましを受け、“広宣流布の誓いを固め、一歩も引くことなく試練に立ち向かおう”と一念が定まった時、希望と勇気がみなぎってきました。
 以来、広布に走り抜く中ですべてを乗り越え、宿命を転換することができました。
 “京都の本陣”との誇りに燃え、「感謝ある人は常に幸なり」との指針を胸に、中京王城区の皆さまと共に、新たな勝利の歴史を開いていきます。


【先生のメッセージ】

◆きょう「女子部結成記念日」――全員が幸福の人生を 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」2020年7月19日

   赤、白、黄色……。ハイビスカスの花が、鮮やかに咲き誇る。先月27日、池田大作先生が都内でシャッターを切った。
 アメリカのハワイ州では州花、マレーシアでは国花に指定され、“偉大な花”とたたえられるハイビスカス。見る人に希望と安らぎを与える。
 きょう7月19日は、“創価の花”である女子部の結成記念日。池田先生はつづった。「広宣流布に生きゆく創価の乙女の命それ自体が、最も明るい『太陽』であり、最も浄らかな『蓮華』である。すなわち『華陽』そのものの生命なのである」
 ハイビスカスの花言葉に「常に新しい美」と。さあ華陽姉妹と共に、新たな人間革命のドラマをつづり、信頼と友情の花を咲かせていこう。
 
池田先生の言葉
 女性の声が朗らかに響き、
 女性の智慧が
 伸びやかに発揮される。
 そこにこそ、
 人類の文明の光はある。
 今、私と妻の
 何より心弾む喜びは、
 日本中、世界中で、
 花の女子部が
 ?剌と躍動して、
 平和と幸福の連帯を
 広げてくれていることだ。
  
 勇気ある信心の乙女が
 一人立ち上がれば、
 そこから
 希望が生まれ、
 喜びが生まれる。
 家庭でも、
 職場でも、
 地域でも、
 聡明な
 福徳の女性がいれば、
 未来へ
 確かな繁栄の陽光が
 輝いていくのだ。
  
 幸福は遠くに
 求めるものではない。
 自分自身の
 生命のなかにあることを
 知らなければならない。
 青春時代に、
 この一点を深く深く
 確信できるかどうかで、
 人生の幸・不幸、
 そして
 勝敗は決まるのだ。
  
 どうしたら、
 女子部が
 自信をもって力を発揮し、
 伸び伸びと
 進んでいけるか――
 皆が心を尽くし、
 智慧を出すのだ。
 女子部を守り、
 皆で応援していきたい。
 広布の門を
 開いてくれるのは、
 この方々しかいない。
  
 わが女子部の一人一人が、
 今を生き抜き、
 現在「この時」に
 勝利することが、
 一生を決定し、
 未来永遠の勝利を
 決定づけていくのだ。
 幸福の博士!
 日本一の女子部、万歳!
 悔いなき青春を!
 一人ももれなく
 幸福の人生を!


【教学】

◆連載〈励まし御書―人間革命の光で〉【女子部必読】周囲と力を合わせる〈1〉 学会は最高の「善知識」の連帯

 身近なテーマに即して、御書の一節と池田先生のご指導を学ぶ「励まし御書」。今回のテーマは「周囲と力を合わせる」です。困難に挑もうとする時や、新しい道を開こうとする時、一人では行き詰まってしまっても、周りの人と力を合わせれば、乗り越えていけることがたくさんあります。ここでは、「善知識」である創価の同志と歩む、苦難に負けない生き方を築くことを研さんしていきます。(創価新報2020年7月15日付から)

御 文
 ​​夫(そ)れ木をうえ候には大風吹き候へどもつよきすけをかひぬれば・たうれず、本より生いて候木なれども根の弱きは・たうれぬ​​(三三蔵祈雨事、1468ページ)

通 解
 そもそも、木を植える場合、大風が吹いたとしても、強い支えがあれば倒れない。もともと生えていた木であっても、根の弱いものは倒れてしまう。

解 説
 「三三蔵祈雨事」は、建治元年(1275年)、あるいはその翌年に、日蓮大聖人が身延(みのぶ)で著され、駿河国(静岡県中央部)富士郡西山郷の門下・西山殿に与えられたとされています。
 今回学ぶのは、「善知識」という強い支えがあれば、必ず苦難や試練を乗り越えていけることを教えられた、本抄の冒頭の一節です。
 植えたばかりで、まだしっかりと根を張っていない木でも、頑丈(じょうぶ)な“支え”があれば、強く吹き付ける風を耐え忍ぶことができます。一方、もともと生えている木でも、根が弱ければ風に倒れてしまいます。
 このことを通して大聖人は、続く御文で、人間も「弱く不甲斐ない者であっても、助ける者が強ければ倒れない。少し壮健な者でも、独りであれば悪い道では倒れてしまう」(御書1468ページ、通解)と仰せです。
 仏道修行に励む中では、さまざまな形で、それを妨げる障魔の働きが起こります。ゆえに、仏法の正しい実践を貫けるよう、励まし、導いてくれる「善知識」の存在は、何よりも重要なのです。
 釈尊は“善き友と一緒に進むということは、仏道の半ばではなく、仏道の全てなのである”と述べました。
 善き友と語り合い、力を合わせて進んでいく。大変な時こそ、一人で抱え込まず、皆で支え合い、共に壁を乗り越えていく。その中で、私たちは正しい信心を全うし、真実の勝利の道を歩み抜いていくことができます。
 互いを「善知識」として尊敬し合い、どんな苦難にも負けない創価のスクラムを光らせながら、希望の未来を開いていきましょう。

小説『新・人間革命』より
 (県幹部会の席上、山本伸一が語ります)
 私たちが信心に励むのは、人生のあらゆる試練や苦難に打ち勝って、幸せになるためです。それには、何ものにも負けない強さが必要です。
 では、強さとは何か――。
 よく、「人生の確かな目的をもった人は強い。信念のある人は強い。まことの友人をもった人は強い」と言われますが、その三つの条件は、すべて私たちに、創価学会のなかにそなわっています。
 私たちには、一生成仏、広宣流布という高邁(こうまい)なる目的がある。そして、日蓮大聖人の仏法を持つなかに、自他共(じたとも)の崩(くず)れざる幸福があるとの、不動の信念があります。また、心から信じ合える同志がおり、仏法兄弟として励まし合っていける友情のスクラムがある。
 いわば、私どもは、自分を強くしていける最高の条件をそなえており、それを事実のうえに示し、幸せになるための信心なんです。(第26巻「法旗」の章)

◎感想をお寄せください→ youth@seikyo-np.jp​​​


◆連載〈励まし御書―人間革命の光で〉【女子部必読】周囲と力を合わせる〈2〉 “自己中心”の心を乗り越えて

 身近なテーマに即して、御書の一節と池田先生のご指導を学ぶ「励まし御書」。今回のテーマは「周囲と力を合わせる」です。困難に挑もうとする時や、新しい道を開こうとする時、一人では行き詰まってしまっても、周りの人と力を合わせれば、乗り越えていけることがたくさんあります。ここでは、信心根本に団結して進む大切さを学んでいきます。(創価新報2020年7月15日付から)

御 文
 ​​​​​​​​​​​総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり​​​​​​​​​​​(生死一大事血脈抄、1337ページ)
 
通 解
 総じて日蓮の弟子檀那らが、自分と他人、彼と此という分け隔ての心をもたず、水と魚のように親密な思いを抱き、異体同心で南無妙法蓮華経と唱えたてまつるところを生死一大事の血脈というのである。
 
解 説
 「生死一大事血脈抄」は、文永9年(1272年)2月、日蓮大聖人が流罪地の佐渡で認められ、門下の最蓮房に与えられたとされています。もとは天台宗の学僧だった最蓮房が、「生死一大事の血脈」について、大聖人に質問をしたことに対する御返事です。
 「生死一大事」とは、生死の苦悩を解決するための、根本の大事の法という意味です。また、「血脈」とは、仏から衆生へ、師から弟子へと法門が伝えられるさまを表しています。
 大聖人は本抄の冒頭、この、成仏のための根本の重要な法とは、「妙法蓮華経」にほかならないと仰せです。
 そして、衆生がその血脈を受け継ぐために重要な“信心の姿勢”の一つが、「異体同心」であることを教えられ、広宣流布を目指す大聖人門下のあり方を示されたのが、今回学ぶ一節です。
 「自他彼此の心なく」とは、自分と他人を切り離して考える差別や対立の心を持たないこと、つまり“自己中心”の心を乗り越えていくことです。
 次に「水魚の思を成して」とは、切り離すことのできない水と魚の関係のように、互いをかけがえのない存在として、信頼し、支え合っていくことです。
 そして「異体同心」とは、個性や特質、立場が違う一人一人(異体)が、目的や価値観を共にしていること(同心)をいいます。
 皆が自分らしく輝きながら、広宣流布の大願に向かって、心一つに祈り、前進する中に、生死一大事の血脈は正しく流れ通うのです。
 師弟不二の信心を根本に、同志と仲良く励まし合い、異体同心の団結を築きながら、朗らかに前進していきましょう。

小説『新・人間革命』より
 「自他彼此の心」とは自分は自分、他人は他人というように、自分と他人とを差別する、断絶した心である。
(中略)
 皆の心がバラバラに分断された、そんな集団に仏法の血脈が通うことはない。ゆえに大聖人は、そうした生き方を厳しく戒められたのである。
 また、「水魚の思」とは、切っても切れない同志相互の、密接不可分な関係を、深く自覚することである。互いに、広布の使命に生きる同志を、なくてはならない尊い存在として支え合い、敬い合っていくことが、「水魚の思」の姿といえよう。
(中略)
 一般的に、団結というのは、目標を成就するための一つの手段と考えられている。しかし、正法をもって万人を幸福にするための「異体同心」の姿は、それ自体が人間共和の縮図であり、広宣流布の実像である。いわば目的ともいえよう。そして、「異体同心」で進んでいくならば「広宣流布の大願も叶うべき者か」(御書1337ページ)と仰せになっているのである。(第17巻「緑野」の章)

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【特集記事・信仰体験など】

◆〈未来に輝く知性の宝冠〉 ブラジル リオデジャネイロ連邦大学2020年7月19日
全ての人に教育の機会を 言葉を武器に戦いましょう
私たちの献身が明日を開く

ブラジルの名門リオデジャネイロ連邦大学から、池田先生への名誉博士号授与式。マクラン総長(左から2人目)から学位記が手渡された。総長は「(先生を)わが大学の一員として迎えられたことは最高の喜びであり、大学の栄光とするものであります」と(1993年2月、同大学で)


ブラジルの名門リオデジャネイロ連邦大学から、池田先生への名誉博士号授与式。マクラン総長(左から2人目)から学位記が手渡された。総長は「(先生を)わが大学の一員として迎えられたことは最高の喜びであり、大学の栄光とするものであります」と(1993年2月、同大学で)

 ブラジルのリオデジャネイロ連邦大学から、池田大作先生に「名誉博士号」が授与されたのは、1993年の2月11日。
 恩師・戸田城聖先生の、生誕93周年の日だった。
 謝辞に立った先生は語った。「民衆と共に進みゆかれる貴大学からいただいた尊き称号を、私は最大の誉れとし、わが恩師にささげたい」
 先生の平和・教育・文化への行動と、日本とブラジルの学術・友好交流への貢献をたたえて贈られた名誉博士号だった。同大学のマクラン総長(当時)による推挙の後、コミュニケーション学部の公式な申請・審議を経て、大学評議会で決議されたものである。
 歴史あるリオ連邦大学の中でも、新聞やテレビ、ラジオなど、言論界に一流の人材を送り出すコミュニケーション学部から申請された名誉博士号は、特に権威ある学位であった。
 この“言論の府”からの栄誉とともに、先生には、恩師にささげるもう一つの“栄冠”があった。28年の歳月を費やし、恩師の生涯を書きとどめた小説『人間革命』の「あとがき」を、この日、リオの地で記したのである。
 先生はつづった。
 「私のなすべきことは、恩師に代わって、『世界の平和』と『人類の幸福』のために戦い、生き抜き、この世の使命を果たしゆくことと思っている」
 「私の胸のなかに、先生は今も生き続けている。とともに、同志の心のなかにも、先生が永遠に生き続けることを念じてやまない」
                          ◇ 
 ブラジルでは16世紀前半の植民地化以降、一部の指導者階級らを対象とする、宗教教育や知的エリートの養成に重きが置かれ、国民が教育を受ける機会は限られていた。人口の大半が集中する農村部では、読み書きを学ぶことすら、ままならなかった。
 同国で長年、国民の識字率が低迷したゆえんは、こうした歴史にあると指摘されている。
 だが一方で、先住民、植民者、奴隷として連れてこられたアフリカ系住民ら、多様な民族が共に暮らす中で育まれた、差別や偏見のない「人種デモクラシー」とたたえられる風土も、ブラジルが誇る精神史にほかならない。
 名誉博士号の授与式で、池田先生はこの点に触れ、現代世界が志向する
「共生の道」に先駆けるのが同国であると述べている。
 全ての人に教育の機会を――ブラジルは、この人類の挑戦の先頭に、雄々しく立ってきた。
 高等教育の本格的な発展は、近代に入ってから。
 医学や農学、法学など、専門性を身に付ける教育環境が整備される中、1920年、医学校、総合技術学校、法律学校を一つにした総合大学としての「リオデジャネイロ大学」が誕生した。これがリオ連邦大学の前身である。
 本年で創立100周年。大学のモットーは“開かれた大学”“壁のない大学”である。「大学は、大学に行けなかった人のためにある」との先生の信条とも、深く響き合う。
 南米最高の知性の殿堂である「ブラジル文学アカデミー」のアタイデ総裁は、同大学の卒業生の一人。
 若くして新聞記者となり、30、40年代、独裁政権を真っ向から批判する正義のペンを振るった。3度の投獄、3年間の国外追放にも耐え、言論闘争を貫いた人権の獅子である。48年にはブラジル代表として、国連での「世界人権宣言」の起草にも尽力した。
 59年、ブラジル文学アカデミーの総裁に就任。文豪トルストイらが名を連ねる同アカデミーの「在外会員」の選考は、現会員の推薦によって行われる。就任以来、総裁が初めて推薦したのが池田先生だった。
 93年2月9日、総裁は94歳の身を押して、リオの空港で先生を歓迎した。11日には、母校から先生への「名誉博士号」の授与式にも出席。そして翌12日、東洋人初となるブラジル文学アカデミーの「在外会員」に先生を迎えたのである。
 12日の会見で、総裁は言った。「崇高なる『言葉』を最大の武器として、戦いましょう」と。
 ここから始まる二人の語らいは、対談集『21世紀の人権を語る』に結実している。テーマの一つとなったのは「教育」だった。
 “次代の人材を育成する教育なくして、国の発展はない”と語った総裁。70年以上にわたって、民衆の教育のために書き続けた。発表したコラムは5万本。先生のリオ滞在中も、先生を紹介する記事を連日、新聞に寄稿した。
 対談集の「はしがき」は、93年9月に逝去したアタイデ総裁が生前、久しく使っていなかったタイプライターを取り出し、全精魂を込めて残したものである。
 その一文に、こうある。
 「信じ合える、また忘れ得ぬ“戦う同志”として私が希望することは、私たちのこの“熱烈なる献身”が、明日という日を開き、来るべきその日を、すべての老若男女の“平等のための行進”の決定的な“救世の日”とすることであります」
                            ◇ 
 一方の先生は、対談集の冒頭につづった。
 「私は一人の仏教者として、人類の幸福のために生涯を捧げた、戸田会長の弟子としての使命の道を、アタイデ総裁とともに歩んでいきたいと願ってきた」
 『人間革命』の続編となる小説『新・人間革命』の執筆を開始したのは、93年の8月6日。名誉博士号の授与式に臨み、総裁と出会った半年後である。
 93年のブラジル訪問は、先生の哲学と創価教育への共感が、同国に大きく浸透する契機となった。
 94年、「子どもの幸福」を第一とする牧口先生の創価教育学説を応用したプロジェクトが、各地の学校でスタート。今も全土で推進され、高い評価を得ている。
 2001年には、サンパウロ市内にブラジル創価幼稚園が開園した。その後、小・中学、高校を併設する創価一貫教育の学びやへと発展。社会に尽くす世界市民を輩出する。
 また、リオ連邦大学を端緒として、これまでにブラジルの28大学等から先生に名誉学術称号が贈られた。
 『人間革命』『新・人間革命』に描かれる物語――それは、名もなき庶民たちが、自己の無限の可能性を開いていく人間教育のドラマであり、民衆勝利の叙事詩であろう。
 今、ブラジルの大地に、この「人間革命」の哲学を実践し、実証する人材の陣列が陸続と生まれている。その唱道者である創価の師弟をたたえる声は、澎湃と広がっている。

アマラウ教授
 我々(西洋人)の中にも現状のままで良いと考えている人もいます。また、誰かが新たな行動をとるのを待っている人、まだ新しい道を歩き出すことができると信じている人がいます。そして、この最後の人々が、本日の池田先生との出会いを喜んでいる人々です。(中略)
 (牧口先生と戸田先生の)歩みを受け継がれたのが、池田先生であります。そして、先生が、それを私どもと分かち合ってくださることは、私どもにとって大変に栄誉なことであります。
 先生に、知性の象徴である称号、すなわち博士の称号を授与いたします。先生が守り、広げてこられた伝統を分かち合うことができることは、わが大学にとり本当に栄誉なことであります。そして、先生との出会いによって、わが大学がこれほど「生命の脈動」に接したことはまれなことです。
(中略)
 池田先生は、異文化間の橋渡しをするために、多くの対話を続けてこられました。(中略)これらの対談は文化の違いの中に、アイデンティティーを求めるものであり、我々の時代を豊かにするものでした。そして、先生が写される写真は、強く、永続するもの、すなわち、そびえ立つ山や氷河から、もっと、もろいもの、すなわち飛ぶ鳥や太陽の下に咲く花などを写し出します。
 我々西洋人にとって、先生の仏法の思想や生命の尊厳についての多くの書物、例えば、『生命を語る』から、先生の思想や行動の精神的インスピレーションが感じられることは非常に印象深いことです。(名誉博士号の授与式〈1993年2月11日〉から)

本年で創立100周年 南米屈指の名門総合大学
 1920年、医学校や法律学校などが一つになり、総合大学として誕生。中南米屈指の伝統を誇る。
 リオデジャネイロ州内に複数のキャンパスがある。学士・修士・博士課程を合わせて約400の学位プログラムを提供しているほか、専門コースや研究プロジェクトも充実。国立博物館を含む七つの博物館、大学病院、研究施設、40以上の図書館なども大学に所属し、ブラジルで最大規模の教育環境を整備する。
 卒業生には、同国を代表する作家ジョルジェ・アマードや、医療の発展に尽くした医師オズワルド・クルスらがいる。


◆〈危機の時代を生きる〉読者から寄せられた質問を中心に意見交換――青年部と医学者による第9回オンライン会議から

 新型コロナウイルスの感染状況を踏まえ、青年部の代表と公衆衛生等に詳しい医学者らが第9回オンライン会議を行った(16日)。今回は、読者から寄せられた質問などを元に意見交換した。

あふれる情報の中で「正しく恐れる」ポイント
 志賀青年部長 7月に入って、東京をはじめとする首都圏や大阪を中心に、感染者数の増加傾向が顕著になっています。
 感染防止と社会経済活動を両立していく上で、読者からも、このオンライン会議に対する感想や質問が多く寄せられています。今回の会議は、そうした声を元に意見交換できればと思います。
 まずは、「どのような情報を元に『正しく恐れる』ようにすればよいか分からない」との声を取り上げます。新型コロナウイルスに関連する膨大な情報の中で何が正しい情報なのかを見極めることは容易ではありません。直近の感染状況を踏まえながら、「正しく恐れる」意義について、ご意見を伺えればと思います。
 
 菖蒲川新潟大学特任教授 現在の感染者数の増加は、4、5月の状況と比べて、無症状や軽症状で検査を受ける人数が増えていることが一つの要因と考えられます。一方で、特に都市部では検査の陽性率が高まってきていることから、感染が拡大していることも事実です。
 感染リスクが高い都市部で注意を払うのはもちろんですが、地方に感染が広がる可能性は常にあります。医療資源が限られている地方では、急激な感染者の増加によって医療崩壊が起こらないよう、警戒を緩めてはいけません。
 メディアからうわさ話まで、新型コロナウイルスに関する情報があふれています。そこで重要なのは、それを受け取る私たちの姿勢であると思います。どんなに状況が変わっても、変わらないのは、私たちの日常の感染予防の基本です。身体的距離の確保やマスクの着用、手洗いの励行、「3密」の回避など、改めて基本的な対策を徹底していくことが、「正しく恐れる」行動と言えます。
 
 庄司創価青年医学者会議議長 情報に惑わされず、冷静な行動を取っていくためのポイントは、「全ての情報は日々、変化していくものだ」との視点を忘れないことです。今日、正しいと思われている情報も、明日には変わっているかもしれません。
 「ウィズコロナ」との言葉に象徴されるように、当分の間、ウイルスとの共存が想定される今後の社会において、刻々と移り変わる状況を注視しながら、基本的な感染予防の対策を、変わらずに、確実に行っていきたいと思います。 

感染者が差別される風潮を打ち破るには
 西方男子部長 勤め先に新型コロナウイルスの陽性者が出た経験を持つ、ある男子部員から次のような声が寄せられました。「“もし自分が感染したら”と本気で考えるきっかけになった一方で、感染者が非難される社会の風潮に改めて、違和感を覚えました。たとえ感染しても、受け入れてもらえる社会になってほしいと願っています」と。非常に大事な視点だと思います。
 
 藤原東京医科歯科大学教授 まず大前提として、「感染者への差別は許さない」「誰もが感染する可能性がある」ことを、社会全体で、もっと認識する必要があります。
 日本は、感染者数の割合が、他国より比較的低いことも、感染者への理解を妨げる要因になっていると思います。これまでも、陽性反応の出た著名人が非難されることがありましたが、感染者に対して、どうしても「対策を怠った人」という厳しい目が向けられています。
 感染者に対する中傷行為は、誰のためにもならないばかりか、新たな分断や差別を生み出しかねません。「感染したら中傷される」社会状況では、感染したことを言い出せず、さらなる感染を広げてしまう恐れがあります。
 新型コロナウイルスに関しては、まだまだ不明な点が多く、感染を絶対に防げる方法はありません。どれだけ万全な予防策を講じていても、感染することはあるのです。
 “もし自分が感染したら”“もし大切な人が感染したら”と想像してみてください。誰もが、非難されたくないはずです。
 であるならば、私たちの身の回りから、感染者を受け入れていける土壌をつくっていく必要があると思います。

自然災害への備えと感染防止対策について
 大串女子部長 九州をはじめ日本各地で豪雨災害が発生し、多くの方が避難を余儀なくされています。今後も、いつどこで自然災害が発生するか分かりません。避難所における感染防止対策や事前の備えについて教えていただければと思います。
 
 菖蒲川 まずは、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
 避難所では可能な限り密集を避け、換気するように心掛けてください。またマスクの着用はもとより、食事やトイレの前後、共有のドアノブなどに触れた際の手洗いや消毒が重要です。
 定期的に体温を測るなど体調のチェックも怠らないようにしてください。集団では感染症が蔓延しやすく、新型コロナウイルスだけでなく、夏風邪や食中毒にも注意が必要です。
 自治体によっては避難所の密集を避けるために「分散避難」を呼び掛けているところもあります。
 別の安全な地域の親戚や知人宅への避難、マンション等の高い階に住んでいる人は「在宅避難」、また、安全な場所での「車中泊」も選択肢の一つです。車中泊の場合は、長時間、同じ姿勢でいると、血栓ができて血管が詰まる「エコノミークラス症候群」になりやすいので注意してください。
 自然災害への備えとしては、避難する場所、方法、経路を事前に家族で相談しておくこと、また感染症対策として「マスク」「アルコール消毒液」と、できれば「体温計」を、すぐに持ち出せるように用意しておくとよいでしょう。
 なお、どんな状況であれ、最優先すべきは“命を守ること”です。感染が怖いからといって避難所へ行くことを躊躇しては本末転倒です。危険を感じたら、迷わず避難することが大前提です。

新しい行動様式を検討する上で大切な視点は「多様性の尊重」と「柔軟な対応」
 志賀 前回のオンライン会議では、「マスクの着用」について、感染症のリスクと熱中症のリスクの両面を考えて丁寧に判断していくことが話題になりました。
 そして、そのためには、単に「マスクを着用しましょう」と呼び掛けるだけでは足らず、「マスクを着用する理由」を丁寧に説明することが大切であるとの観点に、読者から大きな反響が寄せられました。
 今、感染防止と社会経済活動の両立に向け、あらゆる企業・団体などが、地域性や職種等の特性に応じて、方針を模索しています。新たな方針を検討する上で、心掛けるべきポイントは何でしょうか。
  
 
 藤原 公衆衛生上の重大な危機に直面した際に重要なのは、行政や地域、職場、家庭など、それぞれのコミュニティーにおける「リーダーシップ」です。
 そのリーダーは、自身が責任を持つ人々に対して、新たな方針を検討する上で採用した情報とその根拠を提示し、どのようなリスクを避け、どこまでのリスクを受け入れるのかを明確にしていく必要があります。
 そして、その理由や意味を、的確に説明することが大切です。
 そうすることで、コミュニティー内に安心感が生まれ、それぞれの役割に集中することができます。
 その上で、コロナ禍にあって重要になるのは、画一的にならず、リスクに対する多様な考え方を尊重することです。
 大きなリスクを負っても物事を進めるべきだと考える人もいれば、リスクは一切、負いたくないという人もいる。その中間の人もいます。
 こうした、さまざまな考え方を、一度、受け入れて、誠実に対応する姿勢が大事になってきます。
 私自身、大学での講義は“実際に顔を合わせなければ学習効果が低い内容がある”と思っています。しかし、感染リスクを避けたい学生のために、オンライン会議システムも活用し、さらに時間が合わせられない学生のために、授業の模様を録画して配信もしています。オンライン用と録画用のマイク2本を持っての講義は大変ですが、学生の満足度は高まっていると感じています。
 
 勝又創価女性医学者会議議長 それぞれの人が、どのような状況に置かれているのか、想像力を発揮していく時だと実感します。
 家族が高齢者だったり、既往症があったり、医療関係者だったりすると、当然、感染リスクの考え方は厳格にならざるを得ません。
 そうした個々のリスクを理解し、皆が気兼ねなく語り合い、一緒に成長していけるよう、心を砕いていきたいですね。
 
 志賀 リーダーが、「何のため」という目的を明確にしながら、一つ一つのリスクを検討し、柔軟性ある方針を立てる。その方針を、相手の立場に立って、丁寧に説明することが重要ですね。
 学会青年部としても、「広布のため」という目的を共有しながら、あらゆる多様性を尊重し、皆で前進していきたいと思います。
 

3月末から行われている「青年部と医学者の代表によるオンライン会議」のバックナンバーはコチラ。
【savelifeプロジェクト】
学会青年部が推進する「savelife(命を守る)プロジェクト」のTwitterアカウントはコチラ。

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◆〈スタートライン〉 環境保全の専門家・久保田潤一さん
​“池の水を抜く”テレビ番組で活躍   一人一人が“自然の守り人”に

 水を抜いて池の環境をリセットする伝統的手法「かいぼり」。それを実際に行う民放のテレビ番組が人気だ。番組の中で、出演者と一緒に腰まで水につかり、在来種や外来種の生物などを解説しているのが、環境保全・生物調査の専門家である久保田潤一さんだ。かけがえのない自然環境を守ろうと情熱を注ぐ久保田さんに、今の思いを聞いた。​

 <普段は池や森のある公園などの管理をするNPO法人で働く久保田さん。その胸には大きな「夢」がある>
 仕事では、外来生物の駆除や絶滅危惧種の繁殖、環境調査の他に、市民への環境意識の普及・啓発活動もしています。
 環境保全には専門知識が必要です。その場所にすむ生物の名前を特定し、どういう生息環境が適しているか、何を食べているかといった生態も、分かっていないといけません。生き物がすめる環境を取り戻すための技術的な知識も必要です。

「かいぼり」を行う番組では、事前にいただいた池の情報から、こういう生物がいそうだとか、在来種に悪影響を与えないよう水を抜き過ぎないようにしようといったアドバイスもしています。
 自然と人間社会は深い結び付きがあるので、法律や行政との関わりも知っていなければなりません。
 私がこうした活動をしている目的は、ちょっと大げさな言い方ですが、生物の多様性を守ることが人類のためになるからなんです。
 例えば今は、すごい数の薬が、生物が持つ成分や遺伝子から創り出されています。人間から“嫌われ者”とされているハエや蚊が、実は貴重な遺伝子を持っている資源かもしれないのです。

 日本にも固有の生物がいます。それらが、外来種や自然破壊によって種の存続を脅かされている。そうした絶滅危惧種を普通種に戻し、生態系のバランスを元に戻すことが私の夢です。そのためにも、1平方メートルでも多くの自然地を、1匹でも多くの在来生物を残そうと、粘り強く活動しています。

市民と触れ合える仕事
 <その原動力には、小学生の時に感じた「怒り」がある> 

 当時は福島県の郡山市内に住んでいました。家の周辺は一面の緑。毎日、その中を走り回って、友達と虫捕りをして遊んでいました。また近所の建物の壁や街灯にクワガタムシなどが飛んできたり、通学路にゲンゴロウが出てきたりして、よく捕 

ですが、中学に上がる頃までに森が開発され、大好きだった昆虫たちが、だんだんといなくなっていったのです。目の前で自分の好きな生き物や場所が失われていったことに、子ども心に強い怒りを覚えました。「僕は絶対に自然を守る人になる」――小学生の私は、そう固く決心したのです。

 <その後、大学で昆虫や植物、生物調査などを学び、卒業後に環境NGOに就職。厳しい現実と向き合いながらも、目指すものが見えてきたという>

 最初の勤め先では、公共事業が予定されている自然地の生物調査を何度も担当しました。希少種を見つけた時は建設を止めなければと努力しますが、工事は予定通り行われてしまうことが多いです。
 地元の方々は、地域の発展に開発は必要だとおっしゃいますから、こちらが科学的にその自然の重要性を訴えても、なかなか折り合えません。私が提案をして採用されたことといえば、希少種を近くの自然地に移すことや、彼らを逃がすために工事を少しずつ進めるといったことぐらいでした。
 その後、企業活動の自然への影響に関心を抱き、環境コンサルタントの会社に転職しました。熱帯雨林を破壊せずに作られた原材料を使用するようアドバイスしたり、その企業の所有地の自然度を高める提案をしたりする仕事でした。
 仕事相手が環境意識の高い企業の方々ばかりだったので、とても有意義でしたが、そうした企業以外に目を移すと、自然のために何かを心掛けている人は、ごく一部だと感じました。
 それまで、国の公共事業や企業活動など、“上から”の“大きな”ものばかりに目が向いていましたが、市民一人一人の意識が変わらなければ、環境は変わっていかないことに気付いたのです。それで、「かいぼり」のような市民と直接、触れ合える仕事をする今の職場で働こうと思ったのです。

決めた道を一歩ずつ
 <テレビ番組のロケを重ねるごとに、集まってくる子どもたちの水生生物の知識レベルが上がっていることを実感する久保田さん。期待に心を弾ませつつ、新たな課題に目を向ける> 

 将来は私のような仕事がしたいと、手紙をくれた子がいたり、修学旅行中の高校生が会いに来てくれたりもしました。時代は、自然にとって良い方向へと動き始めているように思います。絶滅危惧種を普通種にするという私の夢を継いでくれる若い人たちが増えてくれたら、うれしいですね。
 ただ現段階において、目に見えて自然が守られるようになったわけではありません。そのため、まずは多くの人に、生き物のことを好きになってほしい。そして、それらが“知らないところでいなくなっている”という事実を知ってほしいのです。
 自然保護という活動は、穴を掘ったり、草を抜いたり、草に埋もれながら生き物を探したりと地味なものです。一方で、水を抜き、いろんな生き物を捕獲する「かいぼり」は人目を引くので、環境のことを皆に考えてもらう絶好の機会です。今後は「かいぼり」のノウハウを全国に普及していきたい。

 近年は、豪雨によって大きな被害が出ることが増えていますが、野生生物もその悪影響を受けています。災害に強く、自然と共生できる地域づくりも、今後の課題だと思っています。

<若者へのメッセージを聞いた> 

 私も一歩ずつですが、小学生の時に決めた道を歩んでいます。今でもあの頃、ともった“心の灯”は消えていません。若い読者の皆さんも、本当に好きなものがあれば、それを手放さないでほしいと思います。今は思い描いていた場所から遠くにいたとしても、必ずそこに近づいていけますから。

 くぼた・じゅんいち 1978年生まれ。福島県出身。特定非営利活動法人「NPO birth」自然環境マネジメント部部長。技術士。東京農業大学短期大学部卒。茨城大学卒。環境保全団体や環境コンサルティング会社を経て現職。テレビ東京「緊急SOS 池の水ぜんぶ抜く大作戦」などメディアに出演中。

 【記事】忠津秀伸
 【写真】外山慶介
 【レイアウト】斉藤幸一
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メール→wakamono@seikyo-np.jp
 ファクス→03(3353)0087


◆信仰体験 海なし県の水族館で願う――私らしく、好きを貫け!

 10歳の鈴木奏は、水族館のミニシアターで同じ映像を見続けている。タイトルは“ダイオウイカVSマッコウクジラ”。映像はすでに6回目に突入した。
 一緒に来た、子ども会の友達の姿はすでにない。大人気のイルカショーめがけて行ってしまった。
 ペンギンでもイルカでもない、真っ暗な深海での壮絶なバトルを、奏は、食い入るように見つめていた。

 “地球には、私が見たこともない世界がたくさんある!”
 生き物が好きになったのは、父の影響かもしれない。よく一緒に雑木林へ行き、昆虫採集をした。育てたカブトムシやクワガタの数は、30匹はくだらない。動物園や水族館にもよく連れて行ってもらった。

 天真爛漫で、野球、ピアノ、ダンス……何にでも挑戦したし、器用にこなした。小学生の奏を魚に例えれば「ダツ」。好奇心旺盛で、キラキラ光るものに突っ込んでいった。
 元気いっぱいの「ダツ」は中学に進むと、擬態して存在感を消す「オコゼ」になった。
 中学2年でいじめにあった。仲が良かった友人から突然、無視された。1年半続いた。
 教室の隅にそっと身を潜めて、空気のようになった。魚のことも話さない。好きなものまで否定されたらと考えると、耐えられなかった。
 唯一の楽しみは、家で魚の図鑑を開くこと。ある日、「ビワアンコウ」と出あった。小さなオスは、メスを見付けると嚙み付き、やがて同化する。後は子孫を残すだけの存在に。深海の高圧・低温・暗黒という過酷な環境で生き残るための「進化」だった。
 “厳しい状況でも、変身して乗り越えていく……。いつか私も!”
 そう願いながら、思うようにはいかない。ストレスで、朝、起き上がることができず、学校を休みがちになった。“私も魚だったら良かった”
「題目を唱えると元気が出るよ」。母に言われて、御本尊に向かってみた。最初は“こんなことして、何が変わるの?”。けど続けていくうちに、“元気になってるかも”と思えてきた。
 池田先生の『青春対話』も読んだ。
 「個性は、耕せば耕すほど豊かになる。使えば使うほど豊かになる。減りもしなければ、無くなりもしない。そういう何かが、必ず一つは自分の中にある。その『宝』を光らせていく戦いが人生です」
池田先生のつくった学校に行ってみたい。そう思って、創価高校に進んだ。
 休み時間の教室で、『深海魚 暗黒街のモンスターたち』を読んでいると、背後に人の気配を感じた。
 「深海魚好きなの? 私は虫が好き!」。大人っぽい、凜とした女の子。少し近寄りがたい存在だった。
 思わず顔を伏せた。彼女は気にも留めず、「生き物の生命力って尊敬!」「私は毎日、幼虫に癒やされてる」と無邪気な少女そのもの。ギャップに驚いた。相手の“虫愛”に、奏の“魚愛”も反応する。「深海魚って目に特徴があって、意外とかわいいんだよ」――。
 それまで「自分らしさ」は、息を潜めて、ふっと一息つく時に出せればいいと思っていた。でも違った。お互いのことを知り、信じ合える友人といる時に、ありのままの自分でいられる気がした。
 “私の人生は、小さな水槽の中に閉じ込められているんだと思ってきた。けど一歩踏み出してみれば、広くて大きな海につながっているのかも”
 大きな発見だった。
 高校卒業後、専門学校で勉強し、栃木県で唯一の水族館に就職した。学生時代からの“推し”水族館だ。
 那珂川から“世界の海へ”をコンセプトに、アマゾン川の大自然も再現。淡水魚を中心に、約300種2万匹が暮らす。
 奏の仕事は総務。事務から広報まで、あらゆる仕事を担う。飼育員の道も考えたけれど、たくさんいる生き物の、命の数だけ輝いている魅力を、来た人に伝えたいと思った。
 「10歳の時、ダイオウイカとマッコウクジラに引き込まれたように。14歳でビワアンコウに励まされたように。そんな出会いが、きっとある」
 生き物のことを知ってもらうための、企画展の準備やラジオ番組の原稿作成など、全力の日々は充実でいっぱいだ。

5月、コロナ禍の影響から、1カ月ぶりに水族館が再開した。

 水族館も個性を出そうと競争が激しい。360度のパノラマ水槽や字を書くアシカ……。
 奏が働く水族館はインパクトでいえば、おとなしいかもしれない。それでも、奏が“推す”理由は、魚たちが楽しそうにしているから。
 これからも、“好き”を貫きたい。自分の宝を輝かせる“進化”の道だと信じて。
 すずき・かな 埼玉県出身、栃木県在住。中学2年の時に深海魚にハマり、高校時代、友人からは名前の「奏(かな)」とかけて、「さかなちゃん」と呼ばれた。専門学校卒業後、栃木県で唯一の水族館「なかがわ水遊園」で働き始める。来館者との触れ合いを何よりの楽しみとしている。女子部部長。

2020年7月18日 (土)

2020年7月18日(土)の聖教

2020年7月18日(土)の聖教

◆わが友に贈る

 仕事で苦闘する友よ!
 「なにの兵法よりも
 法華経の兵法」だ。
 広布誓願の祈りから
 智慧と勇気と生命力を!
 御書P1192


◆名字の言 藤井新棋聖は「闘争心の塊」2020年7月18日

 将棋の八大タイトルの一つである棋聖戦で、藤井聡太七段が、「現役最強」といわれる渡辺明棋聖に勝利した。17歳11カ月でのタイトル獲得によって、従来の史上最年少記録が30年ぶりに更新された▼プロ棋士としてデビューしてから29連勝を飾るなど、数々の記録を樹立してきた。師匠の杉本昌隆八段は、弟子の藤井新棋聖について「闘争心の塊」と述べている。「負けた悔しさを次の対局にぶつけて成長した」▼棋士の羽生善治九段は、将棋の勝負を決するのは、「『負けたくない』と思う気合い」「努力しても勝ちに恵まれないときにも持ちこたえる根性」など、今の時代には評価されない「泥臭い能力」が大きい、と指摘する(『羽生善治 闘う頭脳』文春文庫)▼「負けたくない」という心の強さ――その重要性は、盤上だけに限らない。御聖訓には「然どもいまだこりず候」(御書1056ページ)と。いかなる試練に遭遇しようとも、そこから立ち上がる「不屈」の強さが、私たちの信仰の真髄だ▼将棋の駒の「歩」は1マスずつ前に進み、敵陣に入ると「金」と同じ働きをする。日々の生活においても、一歩また一歩と、自らが掲げた目標へ向かって、挑戦を重ねていきたい。その「負けじ魂」の苦闘が、わが黄金の歴史に変わっていく。(燦)


◆寸鉄

青年は真剣勝負で自分を
鍛えよ―恩師。世界青年
部総会へ錬磨の日々を!
     ◇
東西の学園で「栄光の日」
学びの青春に勝利あれ!
負けじ魂で朗らかに進め
     ◇
「一筋に信じ給ふならば・
現世安穏」御書。地道に
純真に。これ幸福の直道
     ◇
首都圏中心に感染者が増
加傾向。新しい生活様式
皆で実践し強力に定着を
     ◇
迷惑メール、在宅増えた
5月以降に急増と。不審
な内容は開かずに即削除


【先生のメッセージ】

◆創価学園「栄光の日」への池田先生のメッセージ2020年7月18日
「師子の信念」「負けじ魂」で王者の山を登りゆけ!

創立者・池田先生は、“世界最古の総合大学”といわれるイタリアのボローニャ大学で「レオナルドの眼と人類の議会――国連の未来についての考察」と題して記念講演(1994年6月)


創立者・池田先生は、“世界最古の総合大学”といわれるイタリアのボローニャ大学で「レオナルドの眼と人類の議会――国連の未来についての考察」と題して記念講演(1994年6月)

 苦しい試練の日々を越えて、晴れ晴れと「栄光の日」、誠におめでとう!
 みんな、本当によく頑張り抜きました。
 「負けない心」「負けじ魂」のわが学園生こそ、私の最大の誇りです。私は一人一人と固い固い心の握手を交わし、その頭に「勝利の栄冠」をかぶせて差し上げたい思いでいっぱいです。
 歴史を学ぶと、古今東西、苦難の時に偉大な魂の人材が躍り出ています。14世紀初め、イタリアに誕生した桂冠詩人のペトラルカも、その一人です。
 皆さん方と七百年の歳月を隔てた青年ペトラルカは、私が講演したボローニャ大学で勉学に励みました。ペスト(黒死病)という恐ろしい感染症が蔓延する危機の時代を生き抜いて、ルネサンスという文化の黄金時代を切り開いていったのです。
 私の師匠・戸田城聖先生も私も好きな、この大詩人の言葉があります。
 「運命はわたしを苦しめ、叩くことはできても、打ちのめすことはできません」(近藤恒一編訳『ペトラルカ=ボッカッチョ往復書簡』岩波文庫)というのであります。
 そして、ペトラルカは「勇敢さ」と「辛抱強さ」を力とし、さらに絶対の信頼で結ばれた「友情」を宝として「友と朗らかに」、苦難の運命さえも不屈の創造のバネとしたのです。
 思えば、戸田先生と私が学園・大学という創価教育の学びやの建設を構想したのも、70年前、先生の事業が最も苦しい時でした。学園は、まさに
「師子の信念」から生まれたのです。
 さまざまな制約があり、思うようにいかないことや悔しいこともあるでしょう。しかし、わが学園生は、だからこそ、大地のように、たくましく鍛錬を!
 大海のように、大きな心で勉学を! 読書を!
 太陽のように、明るい笑顔で友情を! 親孝行を! と申し上げ、私のメッセージといたします。
 みんな健康第一で、「王者の山」を一歩一歩、登りゆく夏にしてください(大拍手)。

◆マイ・ヒューマン・レボリューション――小説「新・人間革命」学習のために 「女子部」編
正義の心で 今、師とともに 華と舞え!

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は、あす7・19「結成の日」を記念して「女子部」編を掲載する。次回は「未来部」編を24日付2面に掲載の予定。挿絵は内田健一郎。苦労をも楽しむ人が人生の達人

 <1961年(昭和36年)7月、山本伸一は長野で行われた「華陽会」の野外研修で人生の在り方について指導する>
 
 「今日は、心身ともに鍛えて帰ってください。また、存分に遊び、楽しんで、大いに英気を養ってください。
 人生を最高に楽しむということも、仏法に通じます。
 大聖人は、あの佐渡の地にあっても、『流人なれども喜悦はかりなし』
(御書1360ページ)と仰せです。
 御本仏の大境涯、大確信から発せられた御言葉ですが、大聖人は、流罪という大苦難のなかでも、大歓喜を感じておられた。
 どんな環境にあっても、人生を楽しみきっていけるのが信心です。戸田先生は、成仏というのは、生きていること自体が、楽しくて、楽しくてしょうがないという境涯であると、よく語っておられた。
 人間の人生には、苦労はつきものです。学生のうちは、勉強しなければならないし、会社に入れば、働かなければならない。
 (中略)しかし、そのなかに、意義を見いだし、生きがいをつくり、目標を定め、はつらつと挑戦し、苦労をも楽しみながら、瞬間、瞬間を最高に有意義に、楽しみきって生きていける人が、人生の達人なのです。
 結局、幸福とは、外にあるのではない。私たちの心のなかにある。それを教えているのが仏法です」(中略)
 「女子部は学会の花なんだから、いつも、このように楽しく、そして、常識豊かに、活動を進めていくことです。
 誰が見ても、明るく、さわやかでいいなと思えることが、信心のすばらしさの証明になるからだよ」
 (第4巻「立正安国」の章、257~258、263ページ)
 
唱題こそ絶対的幸福境涯の源泉

 <61年(同36年)11月、第9回女子部総会で伸一は、女子部幹部が思索し、議論を重ねてきた絶対的幸福境涯を確立する方途について語る>
 
 「相対的幸福」とは、経済的な豊かさや社会的な地位など、自分の外の世界から得られる幸福である。そんな幸福は、ひとたび環境条件が変われば、いともたやすく崩れ去ってしまうものだ。
 これに対して、「絶対的幸福」とは、いかなる困難や試練にも負けることなく、生きていること自体が楽しくてしようがないという境涯の確立である。
 彼女たちは、戸田城聖が、山本伸一が、常に訴えてきた“幸せ”とは、この「絶対的幸福」にあったことを知ったのである。
 そして、具体的には、日々、力強く唱題に励みながら、“妙法”という確かな生命の軌道に乗り、自身の人間革命をめざして、生き生きと生活に、学会活動に取り組んでいくなかに幸福があるとの、結論となっていった。
 一人ひとりのメンバーは、皆、それぞれ、深刻な悩みを抱えていた。しかし、彼女たちは、真剣に信心に励み、広宣流布の使命に生きようとしている時には、生き抜く喜びを実感していた。
 それは「絶対的幸福」に至る、確かなる生命の手応えといってよい。(中略)
 伸一は、信仰の目的について語っていった。(中略)
 「どうすれば、その絶対的幸福境涯を確立することができるか。その方途を示されたのが日蓮大聖人であり、それは、御本尊への唱題以外にありません。簡単といえば、これほど簡単なことはないし、万人に幸福の道を開いた、これほど偉大なる仏法、大哲理はありません」
 (第5巻「勝利」の章、230~231、241~242ページ)
 
“豊かな心”育む生き方の哲学を

 <77年(同52年)5月、熊本文化会館の屋上にある庭園で伸一は、女子部の職員らと懇談する>
 
 「戸田先生は、常に、『女子部は教学で立ちなさい』と言われていた。それは、幸福になっていくためには、生命の法理に立脚した人生の哲学が不可欠だからなんです。また、本当の意味で、女性が人間として自立していく道が、そこにあるからなんです」
 かつて、女性は、幼い時は父母に従い、結婚してからは夫に従い、老いてからは子に従うべきであるとされていた。
 近代の女性たちは、そうした服従の綱を断ち、自立の道を歩もうとしてきた。「女性の世紀」を展望するうえで大事なことは、その自立の道が、真の幸福の道へ直結していくことであろう。
 本当に一つ一つの物事を自分で考え、判断しているだろうか。周囲の意見や、流行、大勢などに従ってはいないか。それが、何をめざし、どこに向かっていくかを深く考えることもなく、ただ、みんなから遅れないように、外れないようにと、必死になって追いかけて、生きてはいないだろうか。
 本当の幸福は、自分で創り上げていくものだ。誰かから与えられるものではない。自分の外に求めた幸福は、時とともに、いつか崩れ去ってしまう、束の間の幸福である。幸福になるには、「幸せとは何か」を明らかにした「哲学」が必要になる。「哲学」というのは、生き方の根本となる考え方である。日蓮大聖人は、教えてくださっている。
 「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」(御書1173ページ)と。
 お金も必要であろう。健康や技能も大事である。しかし、最も大切なのは、心の財、つまり、強く、豊かな心だ。
 (第25巻「人材城」の章、316~317ページ)
 
試練に打ち勝つ「強さ」培う信心

 <78年(同53年)3月、伸一は東京・立川文化会館で行われた女子部のブロック長会に出席し、信心の意味について訴える>
 人生は、決して平坦ではない。若い時代の幸せが、永遠に続くとは限らない。
 結婚してから、夫の仕事の問題や病、家庭不和、あるいは、子育てなどで、悩み苦しむこともある。それに打ち勝つ強さを培い、未来にわたる福運を積んでいくための信心である。(中略)
 「皆さんが担当しているブロックの部員さんのなかには、仏法はすごいと感じていても、“人に信心していると言うのが恥ずかしい”と思っている方もいるかもしれない。しかし、勇気をもって、その弱さを打ち破っていくことが大事なんです。
 幸福の王女という主役を演じるのに、恥ずかしがって舞台の袖にいたのでは何も始まりません。強く生き抜いていくうえで必要なのは勇気です。人生のあらゆる局面を左右するのは、勇気があるかどうかであると言っても過言ではありません。
 その勇気の心を磨いていくのが、信仰なんです。学会活動なんです。
 御書に『随力弘通』『随力演説』とありますが、各人の力に随って、仏
法への率直な思いを、自分らしく、自分の言葉で、周囲の人に語っていけ
ばいいんです。自身の崩れざる幸福のために、女子部の皆さんは勇気を奮
い起こしてください。
 
 広宣流布の未来は、皆さんたち青年部に託す以外にない。女子部がいるだけで、組織は花園になります。希望の光に包まれます。女子部、頼むよ。皆さんを見守っていきます」
 父の祈りにも似た言葉であった。
 (第26巻「奮迅」の章、419~420ページ)
 
女子部への指針
 自分を大切に!
 聡明な人生を!
 価値ある青春を!
 皆さんが幸福になるための信仰であり、学会なのである。
 (指導集『青春の光彩Ⅱ』)

創価女子会館開館3周年記念協議会に出席し、ピアノを演奏(2009年、東京・信濃町で)


【教学】

◆7月度「座談会拝読御書」上野殿後家尼御返事(地獄即寂光御書)〈森中教学部長「SOKAnet」の講義から〉いかなる逆境も打ち返す力

 現在、創価学会公式ホームページ「SOKAnet」で、森中教学部長による、7月度拝読御書(座談会・研修教材)講義の動画が配信されています。ここでは、「座談会拝読御書」の講義の抜粋を掲載します。「大白蓮華」7月号とともにご活用ください。 ​

はじめに
 今回は、南条時光のお母さんである、上野尼御前に与えられた御書を学びます。
 尼御前は、夫を病気で亡くしますが、子どもたちを立派に育て、喜びと悲しみの人生の中で宿命転換を成し遂げた女性門下です。
 亡くなったご主人は、南条兵衛七郎。一族で最初に日蓮大聖人の門下となり、尼御前に信心を勧めてくれた夫でした。当時、南条時光は7歳。この時に送られたお手紙と推察できるのが、今月の座談会の拝読御書である「上野殿後家尼御返事」です。
 そして、尼御前は夫が亡くなった時、後を追って死のうとまで思い詰めましたが、おなかの中に子どもがいて、踏みとどまりました。この子が末っ子の五郎です。しかし、今度は、この五郎が16歳の若さで亡くなります。その3カ月前に、兄の時光と共に大聖人にお会いして、たくましく成長した姿を褒められた直後のことでした。

 悲しみの尼御前のもとへ、大聖人から幾通もお手紙が届きます。こうしたつらい悲しみの中で、尼御前は、南条時光をはじめ、子どもたちを広布の人材に育てます。尼御前の娘たちは結婚して、その夫たちも大聖人の門下として活躍するなど、尼御前はまさに一家の太陽として、一族の信心の基盤を築いた女性でした。

拝読御文
​​​​​ 法華経の法門をきくにつけて・なをなを信心をはげむを・まことの道心者とは申すなり、天台云く「従藍而青」云云、此の釈の心はあいは葉のときよりも・なをそむれば・いよいよあをし、法華経はあいのごとし修行のふかきは・いよいよあをきがごとし​​​​​(御書全集1505ページ8行目~10行目、編年体御書616ページ8行目~10行目)​

いよいよの心
 日蓮大聖人は“この法華経の法門を聞くにつけて、ますます信心に励む人こそ、仏道を求める心を持つ、真の人である”と仰せです。
 この御書の全体では、亡くなった兵衛七郎の成仏は絶対に間違いない、ということを強調されています。
 そして、この拝読範囲の直前に、「いよいよ信心をいたさせ給へ」(御書1505ページ)と示されています。
 このことは、“亡くなった兵衛七郎は、師匠と共に戦った法華経の行者だから成仏は間違いない。だからこそ、今度は尼御前の信心にかかっているのだ”という激励の意味があると拝されます。
 その上で、尼御前に対して、信心とは、絶えず深めていくものであるということを教えられています。

「従藍而青」
 「天台云く『従藍而青』云云」とあります。もともとは、中国の紀元前3世紀ごろの思想家である荀子(じゅんし)の本にある言葉です。染め物の青色というのは、藍という葉を絞って染めたものです。この染色液に何度も重ねて染めることで、色が濃く鮮やかになります。
 このことを荀子は「青はこれを藍より取りて、しかも藍より青し」と述べました。荀子の意味は、教えを受けた人が、教えた人よりも優れること、つまり、弟子が師匠よりも優れた人物になることを譬えた表現です。
 天台大師の著作の中で、この言葉が引用されているので、大聖人は「天台云く……云云」と述べているということです。

 そして、この従藍而青の言葉を受けて、大聖人は、「法華経はあいのごとし修行のふかきは・いよいよあをきがごとし」と仰せです。
 法華経は、すべての人の成仏を説く偉大な経典です。しかし、この経典の真価を発揮できるかどうかは、私たちの信心にかかっている。それが「修行のふかき」です。
 私たちが信仰を深めて、実践を重ねることで、ますます、その法華経の功徳力を十二分に発揮し、自分を輝かせていくことができる、ということです。

究極の希望
 私たちで言えば、御本尊の力は偉大であることは言うまでもありませんが、この御本尊の功力は、私たちの信心によってこそ、ますますはっきりと現れてくる、ということです。
 働き盛りの夫を亡くし、たくさんの育ち盛りの子どもをかかえ、困難な環境にいる尼御前に対して、幸福になれるかどうかは、あなたの信心にかかっていますよ、という最大の激励だと思います。
 言い換えれば、信心によって、いくらでも妙法の力を引き出していくことができる。それだけの信心が、尼御前、あなたの中にすでにあるのだ、という信頼と尊敬の励ましの言葉だと思えてなりません。
 日蓮仏法の実践は、「いよいよの信心」が大事です。「いよいよ」「ますます」、「昨日より今日、今日より明日」へと、信心を深めることによって、「従藍而青」のままに、妙法の力を一層、発揮しながら、絶対に幸福になれるという原理を教えられている、ということです。

   池田先生は、『希望の経典「御書」に学ぶ』第1巻で、こう言われています。

 「仏法は、言葉や観念の遊戯ではない。
 本抄で説かれている極理はすべて、私たちの生命の中に仏界という究極の希望があることを教えるものです。
 それを、自らの命において信じていけば、その信によって、仏界の生命を覆い隠している無明を打ち破り、我が生命に仏界が涌現するのです。
 ゆえに『信』が大事なのです。信心を深めれば深めるほど、私たちの生命は仏界の色彩に染め上げられていくからです」

強さの源泉
 なぜ「信心」が大事なのか。それは、自分の無明という根本的な迷いの生命を変革するためには、妙法という根本の法則を確信し、自分を苦しめる悪の本質を知り、自分の本来の可能性を信ずることが大事になるからです。まさに自分の仏性を信じて引き出すことです。そのために、日々、自身の生命を仏界で固めていく。その源泉が信心ということです。
 本抄で大聖人は「此の法華経をたもちたてまつる人は此れをうちかへし」(同1505ページ)と仰せですが、私はこの「うちかへし」という言葉が好きです。「此れ」というのは困難な環境です。いかなる逆境をも打ち返して、幸福を築いていくのが日蓮仏法です。
 そして、その引き出す信心の力を本当の意味で教えてくれたのが創価学会です。
 創価学会の信心には、人間の持つ強さと明るさ、希望と勇気の力が込められています。それは、学会員の生き生きとした姿、社会貢献の生き方の中に現れています。
 まさしく、成仏とは、自身の仏界を強くして、わが生命を仏界で染め上げていくことにほかなりません。


◆紙上教学研さん 「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第4回 ​幸福をつかむ信心 ​ <下> 杉本総合婦人部長

「紙上教学研さん『世界を照らす太陽の仏法』に学ぶ」の第4回は、前回(4日付)に続いて「幸福をつかむ信心」について、杉本総合婦人部長と共に学びます。(第5回は8月1日付に掲載の予定。池田先生の講義は『創価学会 永遠の五指針』から引用)​​

池田先生の指導

 喜とは自他共に喜ぶ事なり」と。 自分も、他者も共に喜ぶ。
 そこに真の歓喜(かんき)と幸福があるのです。​​​​​​

1 世界第一の「富める者」の誇り
 それでは、前回に続いて「幸福をつかむ信心」について学んでいきましょう。
 池田先生は、講義の中で“世界第一の富める者”との日蓮大聖人の宣言の意義について、教えてくださっています。

【御文】
​​​​​​​​​​​​​​​​
 日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富る者なり、是(こ)れ時の然らしむる故なりと思へば喜び身にあまり感涙押へ難く教主釈尊の御恩報じ奉り難し​​​​​​​​​​​​​​​(四菩薩造立抄、御書988ページ14行目~16行目) ​

【現代語訳】
 日蓮は世間的に見れば日本第一の貧しい者であるけれども、仏法の上から論ずるなら、一閻浮提(世界)第一の富める者である。これは(末法という)時がそうさせる故であると思うと、喜びは身にあまり、感涙は抑えがたく、教主釈尊の御恩は報じ奉りがたい。  

池田先生の講義

 大聖人は迫害によって、何度も命を狙われ、流罪も二度に及び、さらに日本中から悪口罵詈されました。「四菩薩造立抄」で仰せのように、世間的に見れば「日本第一の貧しき者」かもしれません。しかし、仏法の明鏡に映してみれば、「一閻浮提第一の富る者なり」――“世界第一の富める者”であると宣言されています。
「喜びは身にあまり、感涙は抑えがたく」と、大聖人は仰せです。いかなる権力の魔性にも侵されない、金剛不壊の幸福境涯の実像が、ここに拝されます。 
                   ―◆― 
 人間としての最高の「喜び」と「幸福」は何か――。それは、人生における自身の本然の「使命」を知ることだと思います。
 私は今、小説『新・人間革命』を生命に刻む思いで精読しています。第5巻の「歓喜」の章で、戸田先生が「われ地涌の菩薩なり」と覚知した戦時中の獄中闘争を振り返って、こう語られる部分があります。
「使命を知るとは、自分の生涯を捧げて悔いない道を見つけたということだ。そうなれば人間は強いぞ。恐れも、不安もなくなる」と。
​ 私たちもまた「地涌の菩薩」として、妙法を弘め、人々の幸福と平和を実現するために、この世に生まれてきました。この「使命」を深く自覚した時、命の底から喜びと力が湧いてきます。そしてどんな逆境にも、決して負けない希望が、わが胸中に広がっていくことを実感します。

海外の婦人部の代表を励ます池田先生ご夫妻。偉大なる婦人部の奮闘ありて、世界広布は拡大。さあ、きょうも朗らかに希望の前進を!(2002年3月、八王子市の東京牧口記念会館で)

2「師弟不二」で嵐に打ち勝つ
 池田先生は、幾多の嵐を乗り越えた、戸田先生との「師弟不二」の闘争について、講義の中で記されています。 ​

池田先生の講義

 戸田先生は、戦時中に獄中から家族へ送った手紙に、こう記されていました。 ――今どんなに苦しくても、貧しくても、私の生きている限り「富める者」との自信を失わずにいてください――と。
 不惜身命の戦いを貫いた先生は、牢獄にあっても魂の王者でした。「富める者」との大確信の上から、自身に連なる一家眷属もまた「富める者」なりと叫ばれたのです。
 この偉大な師匠の不二の弟子である私も、嵐の中を、広宣流布一筋に突き進んできました。妙法のため、師匠のため、同志のために捧げきった命です。大難はもとより覚悟の上でした。「嵐は誉れ」と、一切を乗り越え、尊き草創の父母たちと共に世界広宣流布の道なき道を切り開いてきま 今度は、わが同志が、わが後継の青年諸君が、われ世界一の幸福者なりと、この誉れの大道を勝ち進んでいただきたいのです。
                   ―◆―    
 池田先生が、私たち弟子のために、未来のために、どれほどの大難に耐え、勝利の道を切り開いてくださったか。
 1979年(昭和54年)4月24日、第1次宗門事件の嵐の中、池田先生は会長を辞任されました。本部職員になったばかりの私は、大きな衝撃を受けました。悔しさでいっぱいでした。
 翌日、重い気持ちで信濃町に出勤すると、偶然、先生とお会いしたのです。先生は烈風のただ中におられたにもかかわらず、未入会だった私の父の状況などを聞き、温かく激励してくださいました。
 そして、厳然と言われました。「先生は強いよ」と。その師子王のごときお姿は、今も胸に深く刻まれています。
 81年、正義の反転攻勢を開始された先生は、大分を訪問されました。私も同行させていただきました。会館の庭で先生の姿を見るなり、駆け寄ってきた年配の婦人部がいました。宗門の非道な仕打ちに耐え、同志を守り抜いてきた草創の母だったのでしょう。先生は言われました。「おばあちゃんは勝ったんだよ。心配ないよ。勝ったんだよ!」と。
 師匠が命を懸けて守り、築いてくださった学会です。その学会、そして大切な同志を断じて守り抜いていくのが、青年の使命、そして私たち弟子の責任です。

色鮮やかに咲き誇るヒマワリの花々。小さな太陽のごとき姿は、見る人の心に勇気の光を送る(2011年4月、池田先生撮影)


3「自他共に」が真の幸福
 先生はまた、「御義口伝」の一節を通して、「歓喜」「幸福」の真の意味について、講義をしてくださっています。

【御文】

​​​​​​​​​​​​​​​​ 喜とは自他共に喜ぶ事なり(中略)然るに自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時必ず無作三身の仏に成るを喜とは云うなり​​​​​​​​​​​​​​​(御義口伝、御書761ページ14行目~17行目) 

【現代語訳】 

(随喜の)「喜」とは、自他共に喜ぶことである。(中略) すなわち、自他共に智慧と慈悲があることを「喜」というのである。所詮、今末法において日蓮大聖人とその門下が、南無妙法蓮華経と唱えたてまつる時、必ず無作三身の仏と成ることを「喜」というのである。

池田先生の講義

「喜とは自他共に喜ぶ事なり」と。自分も、他者も共に喜ぶ。そこに真の歓喜が、幸福があると言われるのです。 幸福とは、各人が自らつかむものであり、自身の生命で感得するものです。しかし同時に、自分一人だけの幸福もありえません。自分さえ幸せなら後は関係ない――それでは、利己主義です。だからといって“自分はいいから、他の人が幸せに”というのも、仏法の理想とは異なります。そうではなく、“自分も人も一緒に!”“自他共の幸福を目指す”というのが、本当の幸福でしょう。  
                   ―◆―
 他の人の幸福を願い、友の幸福のために行動する――その地道にして偉大な実践を、私たちは、日々の学会活動の中で行っています。
「あの人が悩みを乗り越えられるように」と祈る。「あの人は元気かしら」と電話をかけ、手紙を書く。日々、他者を思いやり、「人のため」にと行動することが、人間として、どれほど尊いことであるか――。
 今、さまざまな分断が広がる世界の中で、このような学会員の生き方は大きな輝きを放ち、人間と人間を結ぶ偉大な力になっています。
 池田先生は「『心の財』は、分かち合えば合うほど、増えるのです」と言われました。本当にその通りだと実感します。
 友の悩みに同苦し、その友の蘇生のドラマに涙し、歓喜する――私たちの友を思う行動によって「自他共の幸福」は社会に広がっていきます。
​ そして「一人の人間の幸福」を全ての原点とする、人間主義の思想が人々の心に浸透していく時、世界の「立正安国」の道は開かれると、先生は教えてくださっています。

4 世界に歓喜の花園を広げる

 最後に先生は、学会は「価値創造の団体」であることを強調されています。 ​

池田先生の講義

 創価学会は、「価値創造の団体」です。
 美・利・善の価値の創造は、「自他共の幸福」の内実です。私たちは、一人一人の信心の勝鬨の発露として、この幸の花を豊かに多彩に咲かせながら、地域に、社会に、そして全世界に、幸福と勝利と平和の歓喜の花園を広げていくのです。

 大聖人は、「随喜する声を聞いて随喜し」(御書1199ページ)と仰せになりました。

 今、「幸福をつかむ信心」の歓喜の波動が、国境を越え、民族や言語などの差異を越えて、グローバルに拡大しゆく世界広布新時代を迎えました。それは、全人類が共に幸福をつかむ、民衆凱歌の世紀を開く挑戦です。
                   ―◆―  
 池田先生は、“広宣流布は、妙法の大地に展開する大文化運動である”と言われています。仏法の光に照らされた私たちの力強い生命は、生活を潤し、豊かな文化を育み、地球を喜びで包むことを教えてくださっているのです。
 先月10日付の聖教新聞で、77年に池田先生が各地の婦人部総会へ贈られた真心のピアノ演奏を動画で聴くことができ、全国の婦人部に大きな感動と喜びが広がりました。また、先生は自ら、音楽隊・鼓笛隊の結成をはじめ、文化祭の開催などを推進してこられました。
 文化は人間性の発露であり、苦難を乗り越える力となるからです。
 コロナ禍の中にあっても、各国の創価の友は、音楽を通して「師弟の心」「負けない心」を世界に発信してくれています。ブラジルイケダヒューマニズム交響楽団は、「母」の曲や学会歌「今日も元気で」をオンラインで“合奏”しました。インドでは外出規制の中、新愛唱歌を作成し、同志を鼓舞しています。
 生命の共鳴に国境はありません。この麗しい姿自体が、学会が世界宗教であることの一つの証(あか)しであると思います。
 これからも先生と共に、世界の同志と共に、幸福の連帯をさらに大きく広げていきたいと決意を新たにしています。

池田先生の講義

 幸福とは、日々の着実な積み重ねです。
 そして、私たちが幸福を目指す人生の根幹には、日々の最高の「祈り」があります。
 私は今日も真剣に祈り抜き、そして、いつまでも祈り続けます。
 大切な皆様が健康・長寿であるように!
​​ 所願満足で、現世安穏であるように!​​
 使命を成就し、後生善処であるように!
 一人も残らず、幸福であるように!
 大勝利の人生を勝ち飾れるように!

さらなる研さんのために
 本連載で学ぶ講義「世界を照らす太陽の仏法」は、『創価学会 永遠の五指針』に収められています。本社刊。713円(税込み)。全国の書店で発売中。コンビニ通販サイト「セブンネットショッピング」「HMV&BOOKS online」での注文、受け取りも可能。電子書籍でも好評発売中。


◆【女子部必読】〈Lotus Time ― 華陽姉妹のための法華経入門〉 従地涌出品第十五

「創価新報」で2015~17年に連載した「Lotus Time ― 華陽姉妹のための法華経入門」。好評につき、電子版で再度、配信します。女子部の華ちゃん、陽ちゃん、蓮ちゃんと共に、法華経の各品について学んでいきましょう。

地涌の菩薩
 蓮ちゃん  いよいよ、「従地涌出品」から本門に入るんだね! 釈尊滅後の弘教が誰に託されるかが明らかになるところだね。

 華ちゃん  そう! まず冒頭で、他方の国土からやってきた菩薩たちが、釈尊滅後に娑婆世界(しゃばせかい)で妙法を弘めることを誓う。彼らは、全宇宙から集まってきた最高峰の菩薩。誰もが「釈尊はこの菩薩たちに付嘱するだろうな」と思っていたの。 

 蓮ちゃん  ところが釈尊はその菩薩たちを制止する。

 陽ちゃん  えー! せっかく誓ったのに止めるなんて、どうしたの?

 華ちゃん  なんと、釈尊はこう言ったの。「この娑婆世界にいる六万恒河沙の菩薩たちが弘めてくれるからだ」と。すると、全ての大地が震動して裂け、そこから数え切れないほどの「地涌の菩薩」が、同時に出現したの!

 陽ちゃん  まさに全宇宙を震撼させるようなドラマチックな展開! 大地から涌き出てきたから「地涌」の菩薩なんだね。

 蓮ちゃん  菩薩の身体は金色に輝き、仏に具わるべき32の理想的特徴(三十二相)を具えていて、無量の光明を放っているの。

 華ちゃん  さらに、一人一人の菩薩は皆、たくさんの眷属(仲間)を引き連れている。 

 陽ちゃん  地涌の菩薩は、滅後の広宣流布のリーダーなんだね! 

 華ちゃん  そうだね。そうして出現した地涌の菩薩たちは、まず宝塔の中にいる釈尊と多宝如来(たほうりょらい)にあいさつをする。次に全世界から集ってきた無数の仏たちの所へ行って、礼を尽くして賛嘆するの。

 それが終わると、地涌の菩薩の代表である4人のリーダーと釈尊の対話が始まる。

 蓮ちゃん  上行・無辺行・浄行・安立行の四菩薩ね。

 華ちゃん  四菩薩が釈尊の身を案じながら、民衆救済をテーマに、互いにたたえ合い、心通う対話を繰り広げるの。

 蓮ちゃん  この一連の流れを見ていた他方の菩薩たちの驚きと複雑な思いを、弥勒菩薩が代表して釈尊に質問するんだよ。

 陽ちゃん  他方の国土の菩薩がついに発言したのね。

 華ちゃん  そう。弥勒菩薩は、「地から涌き出た、この菩薩たちは、一体どこから来たのでしょうか? 何の因縁によって集まったのでしょうか?」って聞いたの。

 蓮ちゃん  この問いは、「弥勒の疑請」というんだ。

 華ちゃん  この弥勒の問いこそが、真実の教えを開く鍵になっている。だから釈尊は質問したことを褒めているわ。 そして釈尊は、「私は久遠の昔から、この地涌の菩薩たちを教化してきたのである」と明かすの。 

 陽ちゃん  「久遠の昔から」⁉ 釈尊は、遠い過去世から菩薩たちを教化し続けていたの? でもこの時、会座にいた人々は皆、釈尊が今世で初めて悟りを開いた(始成正覚)と信じているよね。

 蓮ちゃん  うん。とはいえ、今世で釈尊が成仏してからまだ40余年しかたっていないから、これほどのおびただしい数の地涌の菩薩を教化することはできない。“矛盾が生じている”といえるね。

 華ちゃん  ここは、真実の法が語られていく大事なところなの。それまで信じていたものが揺らぎ、打ち砕かれるような驚き。これを「動執生疑(どうしゅうしょうぎ)」というのよ。 

 蓮ちゃん  「執(しゅう)を動じ、疑を生ず」と読む。小法に執着している心を動揺させて、疑いを生じさせるという意味だよ。疑いを生じさせた後に、真実の法を説いて悟りを開かせるんだ。 

 陽ちゃん  真実を教えるために、あえて動揺させたということ?

 華ちゃん  執着している心を揺り動かし、より大きな価値観に目覚めさせる化導の方法のことなの。釈尊はここで、それまでの世界観を根底から壊すことで、真実の境涯を明かしたのよ。

 蓮ちゃん  遠い昔から地涌の菩薩を教化してきたと告白したことで、仏の三世の生命が明かされたんだね。

 華ちゃん  まさに劇的な展開を迎えるのが従地涌出品よ。そしてこの章の最後は、弥勒が「詳しく解説して、私たちの疑いを除いてください」という問いかけで終わっているの。 

 陽ちゃん  弥勒が動揺している様子が伝わってくるね。 

使命に目覚める
 陽ちゃん  でも、どうして地涌の菩薩が出てきたの? 他方の菩薩たちも妙法を弘める決意をしていたのにね。

 華ちゃん  地涌の菩薩は、はるか昔から、ひたすら妙法を修行してきたの。だから末法において大難に耐えて弘教していける。娑婆世界での弘教によって大難に遭うことは、経文に説かれている通り、必然だよね。あくまで自分の成仏を目指している他方の菩薩には、とても耐えられるものではないのよ。

 蓮ちゃん  つまり地涌の菩薩は、末法の弘教のスペシャリストだね!

 陽ちゃん  なるほど! 地涌の菩薩は、満を持して使命を果たそうと出現したんだね!


 華ちゃん  そう。日蓮大聖人は「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(御書1360ページ)と仰せだよ。大聖人と同じ心で題目を唱え、広布に生きる人こそが地涌の菩薩であることを示されているの。大聖人に連なる創価学会・SGIは、まさに地涌の菩薩の連帯だね。 

 陽ちゃん  私にも地涌の菩薩としての使命がある……。そう思うと、なんだか自信が湧いてきた。

 華ちゃん  現実は悩みも多いし、自分が立派な菩薩だと思えないこともある。でも、さまざまな苦難と戦いながら、友の幸福を祈って弘教に挑戦し、学会活動に駆ける私たちの使命が、どれほど崇高か。その功徳が、どれほど大きいか。それが計り知れないものであることを確信していこうよ。 

 蓮ちゃん  大聖人は、「二人・三人・百人と次第(しだい)に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是(これ)あに地涌の義に非(あら)ずや」(同1360ページ)とも仰せだよ。地涌の使命と誇りへの目覚(めざ)めは、どこまでも「一対一の対話」によって広がっていくということだね。

 陽ちゃん  そっか。確かに、友の幸福を祈っている時、勇気の対話に挑戦している時、生命が最も歓喜していると感じるよ。これって、地涌の使命を呼び覚(さ)ましている歓喜なんだ!

 華ちゃん  その実感が、とても大事。地涌の生命が発揮されれば、どんな悩みにも負けず、どんなことも楽しめる境涯になっていける。
 目の前の一人に励ましを送り、共に幸福になっていくこと。その挑戦が、末法の弘教を託された私たちの偉大な使命ね!


【聖教ニュース】

◆あす7・19「女子部結成記念日」  

 このほど「7・19」を祝賀して、「特別映像」が完成した。池田大作先生の女子部への期待や、各地で奮闘する華陽姉妹の模様などに迫る。
 さあ、11・12「部の日」、学会創立90周年の「11・18」へ!――女子部の友は「池田華陽会御書30編」の読了運動を軸に、人材と励ましの対話拡大に力を注ぐ。

女子部の成長と幸福を祈り、万感のエールを送り続ける池田先生ご夫妻(2009年6月4日、東京・信濃町の創価女子会館で)

 時は1951年(昭和26年)7月19日夜――東京・西神田の旧学会本部に、74人の若き女性が集い合った。
 戸田城聖先生の第2代会長就任から2カ月余。この日、この場所で、創価の華・女子部は結成された。
 日本には敗戦の傷痕が色濃く残り、世界を見れば、朝鮮戦争(韓国戦争)をはじめ動乱と混乱が続いていた。「女性の解放」が進み始めたとはいえ、時代の流転に翻弄され、宿命の悲哀に泣いた女性史を転換するには程遠い世情であった。
 そうした背景を念頭に、戸田先生は結成式の席上、「皆さんは、若くして妙法を持った女性です。もはや宿命に泣く必要はない」と断言。「一人も残らず幸福に」と呼び掛けた。
 以来69星霜。女子部の人材の流れは渓流から大河の流れへと、飛躍的な発展を遂げた。
 「創価学会の未来は、女子部とともに無限に明るい」と常々語り、深い期待を寄せた戸田先生。恩師の心をわが心として、全女子部員の健康・幸福・勝利を祈り続けてきた池田先生。限りない師の慈愛のもと、華陽姉妹は「女子は門をひらく」(御書1566ページ)の御文のままに、師弟の歩みを進めてきた。

輝け! 世界一の希望のスクラム
 17日に行われたオンラインでの全国女子部結成記念大会に、池田先生は万感のメッセージを寄せた。
 “皆さんには、世界一の幸福の哲学があります”“心広々と、希望と平和のスクラムを輝かせていってください”――と(全文は後日掲載)。
 11・12「部の日」、そして、結成70周年の佳節を刻む明年に向かって! 華陽の姉妹とスクラム楽しく、新たな広布の一ページを!
 大串女子部長、横井書記長は誓う。
 「未曽有の危機に見舞われる今、私たち女子部の祈りと勇気の行動で、地域社会に希望の連帯を広げていきます!」

オンラインで祝賀の全国大会
 「7・19」を祝賀する全国女子部結成記念大会が17日夜、東京・信濃町の創価女子会館と各地を中継で結び、オンラインで開催。大串女子部長、各方面・都道府県の女子部長らが出席した。
 鹿児島総県の三嶋女子部長が、華陽姉妹の連帯を広げる模様を報告。
 大串女子部長は今いる使命の天地で、師弟共戦の歴史をと強調。信行学の実践に励み、悔いなき鍛えの青春を送ろうと訴えた。


【特集記事・信仰体験など】

◆信仰体験 スペイン サルディバル市 ルシラ・ロドリゲス・カンレさん
ドキュメンタリー映画のプロデューサー・脚本家

 最近、アルゼンチンで暮らす母とオンラインで話ができ安心した。多発性硬化症で車いす生活の体。病気の症状が出ているにもかかわらず、「毎日1時間の唱題と教学の勉強に挑戦しているよ」と元気そう。以前は、あまり心の通わない家族だった。「こんなに仲が良くなる日が来るなんて」と思う。
 ――誕生日会などのイベントでは、幼い頃からビデオカメラを回した。いつしか映画作りが夢になる。大学でメディア論などを学び、教授の仕事を手伝った。2010年(平成22年)、映画祭への出品でフランスへ。祖父母の生まれたスペインでも過ごし、そのまま生活することを決めた。
帰りたくなかった。母は元気がなく、重苦しい空気が漂う家庭だった。思春期に同性愛者だと自覚したロドリゲスさんは、誰にも言えず心を閉ざす。「自分探しのため、新しい場所で生きたかった」。飲食店のアルバイトを掛け持ちし、自前で映像を作って夢を追った。
 でも、家族のことが気掛かりで後ろめたさに苦しんだ。2年が過ぎた頃、友人から創価学会の話を聞き、座談会へ。「人をさまざまな差異で立て分けず、皆が平等で尊い。そんな哲学が実践されていて感動した」。池田先生の映像を見ると語り掛けられているように感じ、師匠を持つ喜びを知った。
 数カ月後、アルゼンチンへ一時帰国。今までにない気持ちが胸にあった。“私がずっと不幸ではいけない。まず私が幸福になって、家族も幸せにしよう”。実家での唱題。母も誘って声を合わせた。スペインに戻る時には、何年も感じなかった気持ちに包まれた。
 「家族でいる時間が和やかで、楽しかった」。女子部の先輩がとても喜んでくれた。「自分が変われば、周りも変えていけるんだよ」。翌13年春に入会。それから夢が近づいた。映画製作のコンクールに合格。国の助成金で脚本執筆に専念できた。
「アサアール(白蓮グループ)では、学会やメンバーを守り、大切にするために、まず自分自身を大切にする姿勢を学びました」
 かつては、昔の生活に戻るようで苦痛しかなかった帰国が、楽しみになっていく。生まれ育ったブエノスアイレスの街並みが好きになった。家族の仲はどんどん良くなった。
 過去の自分を肯定できるようになると、目に映る世界が変わった。そんな姿に触れ、18年、母が入会した。メンバーに支えられ、車いすで会合に参加するように。ある日の座談会。終了後、母と話すと、びっくりするほど弾んだ声で「私、最高に幸せ」と。初めて聞いた言葉だった。
 昨年、転職のオファーが舞い込んだ。マイノリティーや社会問題など多様な題材をドキュメンタリーで描く映画制作会社。使命を感じ、受けることに。「信心をしたから、人生の一こま一こまが価値あるものになりました」。現在進めるプロジェクトの一つでは、障がいを負った女性が車いすバスケットボールで活躍する姿を追う。
 コロナ禍は映画業界にも大きな影響をもたらしている。だが、落胆はない。「新しい世界の始まりは、新しい生き方の幕を上げる時」。理想の環境は“与えられるのを待つ”のではなく、“つくるもの”だから――。

 ●ルシラ・ロドリゲス・カンレさん アルゼンチン生まれ、2013年にスペインで入会。信心を通して、自分の幸福を築くのは自分自身だと強く思えるように。「祈ることで、直面した出来事から何を学ぶべきかを落ち着いた視点から分析して、成長の糧にできるようになりました」と。女子部本部長。 


◆信仰体験 笑顔を咲かせる太陽に  岐阜県各務原市 加藤友紀さん
 不登校の経験を宝に、児童発達支援の道へ

   今年5月のある夜、スマホに打った。<指導を読み返したら、感謝の心忘れてた!って思い出すことができたので。シェアしようと思いました!>。メッセージの送り先は、訪問介護の仕事に励む女子部メンバー。“毎日、大変だよね”。思い浮かべて送信した。
 小学校の休校要請が出て2カ月。授業がない分、放課後等デイサービスの職場には朝から子どもが集まる。新型コロナウイルスへの対策。疲弊する体と心。不安でつらい毎日でも、人の悩みに思いをはせ、励ましを送りたい。“そんな自分、本当に変わったな”と感じている。
 ――小学4年から不登校になった。下校時間、小学生が通り過ぎる様子を家の2階からのぞいた。“一緒に勉強したり、笑ったり。なんで私は普通のことができないの?”。ぽろぽろと涙がこぼれた。勇気を振り絞って登校した日、「休んでたから、もう遊んであげない」と言われた。
 朝になると、トイレや押し入れに閉じこもるように。中学生になって決心した。入学式を経て1日、2日……ダメだった。「廊下と教室の間に、見えない大きな壁があった」。怖くて足が止まる。教員から「……頑張って」と言われた時、心の中で何かが吹っ切れた。
“学校には、私を分かってくれる人がいない。じゃあ、私が先生になったらいいのか。でも、私なんかが……”。前へと進む背中を優しく押してくれたのが池田先生の『希望対話』。読むと涙が止まらなかった。“今の私は、何も悪くないんだ。未来はまだまだこれから”
 先生の言葉で、新しい青春が始まった。創価大学を目指して定時制高校へ。努力を重ねた一日一日。弱気になると、家に帰って、いつも先生の書籍を開いた――。

 創価女子短期大学を卒業後、小学校の特別支援教育アシスタントに。
 岐阜のある小学校。一人の児童が教室に入れず、廊下でうつむいていた。加藤さんが声を掛けて話し相手に。「私もさ、学校行ってなかったんだよね」。その瞬間、児童が目を見開いた。「なのに、学校で働けるの?」「そう、全然大丈夫だよ!」
 学校に行きづらい児童に寄り添う毎日。接するほど、その気持ちが痛いほどよく分かった。自分の可能性に気付き、自分を信じてほしい。そのために「これまでの経験は宝物になった」。3年勤めた後、知的障がいのある子のために児童発達支援の道へ。
 非日常が続く今。親や子どものストレスを肌で感じる。「だからこそ、楽しい時間をたくさんつくってあげたいんです。といっても、私が子どもたちから笑わせてもらっていて。この前は、昆虫が大好きな子から『クワガタみたいでかわいい』って褒めてもらいました(笑い)」
 心から笑い、周りにも笑顔を広げていきたいと思う。友人から子育ての悩みを相談された時。いろんな話をして池田先生の言葉もシェア。後日、喜ぶ彼女から「涙があふれて、子どもにも伝えた」と。その言葉は加藤さんが自分に言い聞かせてきたものだった。
 
 <誰よりも苦しんだ人は、誰よりも人の心がわかる人になる。その人こそが、偉大な使命を果たせるのだ>​​

●加藤友紀さん 好きな言葉は「価値創造」。「無駄な経験は何もなくなるから。そのために、悩んだ時のおきまりは池田先生の本を読むこと」と。現在、放課後等デイサービスに携わる。教育者として自分にできる役割を模索しながら、教員免許取得のために大学の通信教育で学ぶ。女子部本部長。 

2020年7月17日 (金)

2020年7月17日(金)の聖教

2020年7月17日(金)の聖教

◆わが友に贈る

 孤独にならない。
 孤独にさせない。
 互いを思いやる心が
 不安を乗り越える力に!
 安心と希望を送ろう!

◆名字の言 各地で甲子園の代替大会。頑張ることはつながる2020年7月17日

 中止となった夏の甲子園の代替大会が1日、全国に先駆けて岩手で開幕した。この週末も各地で大会が始まる▼「野球ができる感謝を胸に、全ての高校3年生の代表として悔いのないプレーをします」。そう語るのは大阪大会に臨む高等部員。コロナ禍で多くの同級生アスリートが“集大成の場”を奪われた。その悔しさが分かるからこそ皆の気持ちを背負って戦う大会にしたい、と▼夏の甲子園の大会歌「栄冠は君に輝く」。この歌の作曲を手掛けた古関裕而氏がモデルのNHKの連続テレビ小説「エール」が好評を博している。同歌をはじめ数々のスポーツ応援歌を残してきた氏。最初の代表作は、早稲田大学の「紺碧の空」だった▼ドラマには早稲田の応援団長が、主人公に作曲を依頼した理由を告げる場面がある。共に甲子園を目指した親友が自分のせいで大けがを負い、野球ができなくなったこと。早慶戦をラジオで聞くのが楽しみだという彼のために、必死で野球部を応援してきたこと。「野球を頑張る人のおかげで頑張れる人がいる。頑張ることはつながる」。その思いを受けて誕生した「紺碧の空」を歌い、早稲田は慶応に勝利する▼自分の頑張りは必ず誰かの励みになる。“最後の夏”に挑む球児たちに心からの声援を送りたい。(仁)


◆寸鉄

「弥はげませ給うべし懈
ることなかれ」御書。常に
今ここから!闘魂赤々と
     ◇
正義の「大阪大会」記念日
“正しい仏法が必ず勝つ”
この師子の確信で勇躍!
     ◇
中部の友が「一番星月間」
を大驀進。師と共に歩む
「この道」は三世に輝く
     ◇
災害時は“空振りも覚悟”
で早めの避難が大切と。
家族や地域でも声掛けを
     ◇
店でのカード支払い時、
番号盗用の被害が急増。
毎月の利用明細を要確認

◆社説 2020・7・17 きょう、「大阪大会」から63年  逆境で光る永遠の“学会魂”

 創価三代の師弟は、庶民のため、正義のために命を懸けて権力と戦ってきた。三代の大闘争ありて、今、創価学会は人類を照らす「人間主義の世界宗教」と輝く。
 中でも池田先生が、恩師・戸田城聖先生と学会を守るため、一身に難を受け、正義を貫かれたのが大阪事件である。
 1957年(昭和32年)7月3日、池田先生は、事実無根の選挙違反容疑で不当逮捕された。そして15日間の獄中闘争の後、17日に出獄。その日の夕刻、雷鳴轟く豪雨の中、権力の横暴を糾弾する「大阪大会」が行われた。会場となった中之島の大阪市中央公会堂には、約2万人の同志が集い、建物の外まで人があふれた。
 “最後は、信心しきったものが必ず勝つ”との先生の師子吼を聞いた同志は、怒濤の拍手で応え、「いかなる障魔にも権力にも負けたらあかん」「ひとたび起こした戦いは断じて勝つ」と固く誓い、「7・17」は常勝不敗の原点となった。
 池田先生はつづった。「この師子の確信を、今、二十一世紀の後継の直弟子が、厳然と受け継いでくれている。いかに困難が立ち塞がろうが、最後は勝つ。断じて勝つ! これが我ら創価の信念であり、誓願であり、本懐なのだ」
 63年を経た今も、大阪大会で同志に宿った“負けじ魂”は、全関西に変わらず脈動している。どんな苦難に遭おうとも、師弟共戦を貫けば、“最後は勝つ”と。
 56年(同31年)に入会した大阪・城東区の婦人は、家族が反対する中、大阪大会に駆け付けた。その時、背負われていた生後3カ月の娘は、後に創価女子高校(現・関西創価高校)の1期生に。娘の子は、結婚を機に夫を入会に導き、功徳の実証を示す。その夫の両親も、若い夫婦の姿に触れ、3年前に入会。「学会に入れていただき、人生が大きく変わりました」と義母は感謝を語る。
 大阪・福島区の男子部のリーダーは、学会3世の美容師。開業10年目となる本年、コロナ禍の影響で順調な日々が一変。小説『新・人間革命』で師の闘争に学び、奮い立った彼は、最高の拡大で「7・17」を荘厳しようと決意する。電話やSNSで同志を励まし続け、区男子部のオンライン大会を目指す中で、活動者を拡大。さらに、自営業で苦闘する友人を励まし、入会に導いた。
 「7・17」には、全世界の同志が模範とする永遠の“学会魂”が光る。コロナ禍による未曽有の苦難に、世界が同時に直面している中、逆境を新たな価値へと転換していく生き方が、今ほど求められている時はない。
 “信心しきったものが必ず勝つ”――この大確信で全世界の宿命転換を祈り、今再びの前進を開始していきたい。


◆きょうの発心 経王殿御返事 香川池田王者県婦人部長 落合優子2020年7月17日

御文
 此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや(経王殿御返事、1124ページ・編569ページ)
通解
 この曼荼羅(御本尊)をよくよく信じなさい。南無妙法蓮華経は師子吼のようなものである。どのような病が、障りをなすことができようか。

師弟の祈りで宿命に立ち向かう
 唱題によって、どんな病にも負けない境涯を築くことができるとの慈愛の励ましです。
 創価大学に入学後、一人一人をどこまでも大切にする、池田先生の振る舞いに感動し、報恩の人生を誓いました。
 2004年(平成16年)、生まれた次女の背骨に異常が見つかりました。その時、先輩はこの一節を拝し、「今こそ強盛な唱題に挑戦し、宿命転換を」と励ましてくれました。“この子を必ず広布後継の人材に”と祈り、仏法対話にも挑戦。高校時代の友人を入会に導くことができました。
 入退院を繰り返していた次女は、創価家族の温かさに包まれ明るく成長。今春、長女と共に創価の学びやへ進学することができました。“師弟不二の祈りに徹すれば、病気などの宿命を前にしても、希望をもって立ち向かえる”と、信心の功徳を実感しています。
 香川池田王者県の同志と前進する喜びを胸に、師恩に報いる実践を貫いていきます。


【先生のメッセージ】

◆〈池田先生と共に 新時代を築く〉 常勝の連帯の光を世界へ2020年7月17日

 7月17日は「大阪の日」。苦楽を分かち合ってきた関西家族は、生死を超えて、私の胸奥から離れることはない。
 大阪大会の当時、戸田先生が深く偲ばれたことがある。
 それは、文応元年(1260年)7月16日、日蓮大聖人が「立正安国論」で国主諫暁し、その後、松葉ケ谷の法難に遭われ、翌年には伊豆へ流罪された歴史である。
 先生は「立正安国」の大精神を貫くからこそ難が競い起こることを示し、大聖人の仰せのまま一歩も退かない創価の師弟の覚悟を語られたのだ。 「この世の悲惨をなくし、不幸をなくし、人権を、人間の尊厳を守り、
平和な社会を築いていくなかにこそ仏法の実践がある」と。
 そして先生は、私と一緒に戦い抜いた関西の同志を最大に讃嘆され、何ものも恐れぬ「立正安国」の民衆の陣列が築き上げられたことを、何よりの誇りとされたのである。
 昭和32年のあの日あの時、中之島の大阪市中央公会堂で、私は関西の誓いの友と“最後は、信心しきったものが、また、正しい仏法が、必ず勝つ”と宣言した。今や、この「負けたらあかん」の常勝の連帯は、若き地涌の世界市民に継承されている。
                        * * * 
  
 愛する九州をはじめ各地の甚大な豪雨被害に、重ねて心からお見舞い申し上げます。被災された方々の健康と無事安穏、一日も早い復旧・復興を懸命に祈っております。
 「わざはひも転じて幸となるべし」(御書1124ページ)
 「しばらくの苦こそ候とも・ついには・たのしかるべし」(同1565ページ)  
 御本仏の約束通り、絶対に変毒為薬できる信心です。必ず宿命転換できる仏法です。頼もしき青年部の「かたし隊」はじめ不撓不屈の創価の絆で、断じて苦難の坂を越えていかれるよう、ひたぶるに題目を送っていきます。
                        * * * 
 信心しているのに、なぜ、さまざまな重苦に遭うのか。
 大聖人は、竜の口の法難の直後、「転重軽受(重きを転じて軽く受く)」という法門を明かされた(同1000ページ)。「地獄の苦み」さえも、今生で「ぱっと」消し去ることができる。全ては、未来永遠に崩れざる成仏の幸福境涯を開きゆくためなのだ。
 この御書を連名で頂いた3人の門下は、兄弟一体の仏弟子「修利槃特」のごとく、不二の団結で怯まず進んでいくように激励された。
 厳しいコロナ禍にあっても、全世界の宝友たちは、まさに「自他彼此の心なく」励まし合い、社会へ希望と勇気と友情の光を送っている。
 今、大きく変容する世界で「四表の静謐」への祈りこそ、人類を結び、高める力となる。
 笑顔を湛えて皆を包容しゆく「立正安国」の対話こそ、いかなる試練も前進の活力に転じ、あらゆる存在を味方に変えるのだ。
 異体を同心とする桜梅桃李のチームワークで、地球社会の明日へ平和と安穏を!


【聖教ニュース】

◆アメリカ青年部が歩むニューノーマル(新常態) 連載〈危機の時代を生きる〉2020年7月17日
リサ・ヤマダさん(サンフランシスコで、本人提供

リサさんはアメリカ・ジョージア州の出身。東京、中国・上海で働き、昨年、アメリカに戻った(サンフランシスコで撮影、本人提供)
リサさんはアメリカ・ジョージア州の出身。東京、中国・上海で働き、昨年、アメリカに戻った(サンフランシスコで撮影、本人提供)

 新型コロナウイルスの影響が、世界で最も深刻なアメリカ。
 7月に入り、1日の新規感染者が6万人を超え、再びロックダウン(都市封鎖)に近い対策を取る州もある。
 危機の中で、SGI(創価学会インタナショナル)のメンバーはどのように行動しているのか――。
 カリフォルニア州のリサ・ヤマダさんとウィリアム・ストレイリーさんを取材し、私たちが歩むべき「ニューノーマル(新常態)」を探った。(記事=掛川俊明、野田栄一)

今、求められる“ハート・トゥ・ハート・ダイアローグ(心と心の対話)”

 サンフランシスコ在住のリサ・ヤマダさん=女子地区副リーダー=は、世界有数の巨大IT企業の旗艦店でシニアマネジャーを務める。
 80人のスタッフをまとめ、西海岸のIT企業向けの販売を担う。これまでは店舗へ出勤し、対面での商談を数多く行っていたが、コロナ禍で生活は一変。打ち合わせから300人の社内会議まで、全ての仕事がテレワーク(在宅勤務など)に。
 信心強盛な両親のもと、アメリカに生まれ、日本でも働いた。ずっと学会活動に打ち込んできたリサさんは、「環境の変化にも、楽観主義で対応していますよ」と。
 
 コロナ禍以前は仕事が多忙で、SGIの活動に参加できないことが悩みだった。けれど、外出制限で会合が全部オンラインに切り替わった現在は、全ての活動に参加している。
 会合では、メンバーと赤裸々に悩みを語り合い、池田先生の指導を学びながら、今、何が大事なのかを考えている。
 IT企業という業種柄、テレワークには、さほど支障はなかった。女性のスタッフからは「仕事と“ママ”を両立しやすい」との声もあった。一方で、オンラインでは業務上のやり取りしかできない。
 そこで、リサさんは週に1度、80人のスタッフ全員と一対一で話す場をつくった。
 「朝から晩まで会議でいっぱいだけど、時間をこじ開けて取り組みました」
 
 “上司と部下”というポジションを取り払って、一人の人間として「ハート・トゥ・ハート・ダイアローグ(心と心の対話)をしようって語っています」。
 家にこもり、孤独を感じているスタッフが多かった。家族が失業し、住む家を失った人もいた。「リサはなぜ、そんなに明るいの?」とも聞かれた。
 「私もつらい時だってある。だから毎朝、祈るの」と自然と打ち明けた。
 スタッフから「話を聞いてもらえただけで、すごくすっきりした」と言われるたびに、リサさんは感じた。
 「でも、これってSGIの活動で、当たり前にやっていること。本当に学会での実践は社会で生かされる」
 
 オレンジ郡アリソビエホ市のウィリアム・ストレイリーさん(34)=男子部部長=は2年前まで、北海道で男子部本部長を務めていた。
 昨年末、転職を機に母国に戻ったが、妻・英美さん(37)=副白ゆり長=と長女・華蓮ちゃん(1)はビザを申請中で、今も日本で暮らす。
 それでも「妻と娘は毎回、アメリカのオンライン会合に参加してるから、こっちのメンバーとも顔見知りだよ」。
 2010年に日本へ渡ったウィリアムさんにとって、アメリカでの活動は約10年ぶり。今回のコロナ禍で驚いたのは、アメリカSGIの発展の様子だ。
 ロックダウン(都市封鎖)という制限の中でも、座談会、小説『新・人間革命』の勉強会、さらに一対一の激励まで全てがオンラインで行われ、「広宣流布が止まることはない」。
 
 アメリカ社会はITインフラが整備されているとはいえ、デジタル機器になじみのない高齢のメンバーもいる。
 「やり続ける中で、皆さんも慣れてきて」。ウェブ会議アプリには、パソコンがない人などが電話で参加できる機能もある。
 アメリカSGIのウェブサイトからは、会合で使う研さん用の資料をダウンロードできる。オンライン座談会では、最初に資料を画面に映し出し、皆で学習。その後、アプリの機能を使って、参加者を少人数に分け、ディスカッションも行う。そこで、悩みや体験を思う存分、語り合う。
 5月末、アフリカ系アメリカ人の男性が警官に拘束され、亡くなるという事件が起きた。その後、全米に「Black Lives Matter(ブラック・ライブズ・マター、BLM)」と呼ばれる人種差別への抗議運動が広がり、各地でデモや衝突が頻発。アメリカ社会は大きく揺れた。


分断も悲観も超え、“憂いの共有”から“誓いの共有”へ

 ウィリアムさんは、アメリカ人の父と日本人の母を持つ。差別を受けた経験もあるが、根深い黒人差別の問題とは次元が異なる。“そんな自分に何ができるんだ……”

 思い悩んだウィリアムさんは男子部のメンバーと、社会の分断を食い止め、平和と共生を実現する道を求めて、小説『新・人間革命』第4巻を学び合った。
 ヨーロッパ訪問を前に山本伸一は、冷戦対立の縮図ともいえる東西に分かれたドイツの人々に思いをはせ、一人誓う。「今こそ、人間と人間を結ぶヒューマニズムの哲学を、広く人びとの心に、浸透させていかなくてはならない。世界の立正安国の道を開くのだ」
 ウィリアムさんは胸が熱くなり、メンバーに語った。「今こそ、信心で立ち上がろう!」

日本では創価班の県委員長も務めた
 
 普段は陽気で、笑顔の絶えないリサさんも連日、報道されるニュースを見ると、「涙が込み上げて……」。そんな彼女を奮い立たせたのは、アメリカSGIの公式インスタグラム(写真共有アプリ)だ。
 アフリカ系アメリカ人の婦人部員が、思いを語る約3分の動画。今回の事件で亡くなった男性とその家族のことを、彼女は「ずっと祈っています」と。そして、最後にこう語る。「私たちの人間革命、私たちの内なる変革が、この国の宿命を変えることができると信じています」
 リサさんは、自分にできる行動を開始した。職場で提案し、午前8時からのミーティングで「BLM」について取り上げ、時には2時間近く語り合った日も。「あるスタッフは、差別された経験を、涙ながらにシェア(共有)してくれました」。ミーティングは今も週1回続く。

アメリカSGIの公式インスタグラムから
 
 現在、アメリカの多くの企業では“管理職に白人と男性が多い”など、多様性への配慮に欠けていたという事実を見つめ、原因と改善のアプローチを模索する動きがある。
 池田先生は「大白蓮華」7月号の巻頭言で、御書の「立正安国論」が主人と客人の“対話”であることに触れ、「それは民衆の現実の苦悩をどう打開するかという“憂いの共有”から始まる」として、次のようにつづっている。
 「怒りや偏見に引き裂かれるのでもなく、諦めや無力感に引きずられるのでもない。分断も悲観も超え、生命尊厳の法理を共に探究して、『四表の静謐』を祈り行動する“誓いの共有”へと導くのだ」
 危機の時代に、社会は進むべき道を探している。不安の中で希望の灯をともせるのは、自立した個人にほかならない。その希望の形こそ、SGIが実践する“ハート・トゥ・ハート・ダイアローグ”だ。
 
●ご感想をお寄せください
 kansou@seikyo-np.jp
 ファクス 03―5360―9613
  


【特集記事・信仰体験など】

◆〈小説「新・人間革命」とともに〉 湘南総県男子部長 布施真宏さん(40)

 「職場にあって、第一人者になるためには、まず、信心をしているからなんとかなるだろうという考えを、徹底して排していくことです。そうした考えは、『仕事を信心ととらえて頑張りなさい』という大聖人の御指導に反する我見であり、慢心の表れです。正しい信心とは、最高の良識であることを銘記していただきたい」 (第24巻「灯台」の章)
                        ◇
 自動車販売会社に勤めています。営業職に従事していた2011年、土日曜日、祝日はもちろん、平日も遅くまで多忙を極めていましたが、学会活動に心が向くあまり、途中で仕事を切り上げ、早い時間に退社していました。
 “信心していれば守られる”と思い込み、それが甘えや油断となって、いつしか業績が上がらなくなってしまいました。
 悶々とする中、拝したのが、この一節です。「仏法は生活法」との学会指導に触れ、自身の姿勢を猛省。“使命の舞台で実証を”と一念をあらためました。
 その後、同僚への弘教を実らせ、同年の売り上げでは過去最高を達成。「信心根本」の原点を築きました。
 今、多くの同志が難局にありますが、全員が「第一人者」と輝けるよう、励まし、勝ち越えていきます!


◆〈第3代会長就任60周年記念 師弟凱歌の記憶〉第11回 不敗の原点大阪大会

1991年(平成3年)の7・17「大阪の日」記念幹部会を祝し、池田先生が贈った和歌。「七月の おお十七日の 炎をば 君の胸にも あなたの胸にも 合掌」と万感の思いを込めて
1991年(平成3年)の7・17「大阪の日」記念幹部会を祝し、池田先生が贈った和歌。「七月の おお十七日の 炎をば 君の胸にも あなたの胸にも 合掌」と万感の思いを込めて

 1957年(昭和32年)7月17日、大阪・中之島の大阪市中央公会堂で歴史的な集いが行われた。池田大作先生の不当逮捕に抗議する「大阪大会」である。場内は満員となり、場外に1万数千人の同志があふれた。
 同年4月、参院大阪地方区補欠選挙の支援活動において、熱心さのあまり、選挙違反をした会員が出た。それを学会の組織的犯行と一方的に見なした大阪府警が、支援の責任者であった池田先生を逮捕。7月3日のことだった。
 15日間の勾留の末に、7月17日正午すぎ、先生は釈放され、大阪拘置所を出た。東京から駆け付けた戸田城聖先生をただちに伊丹空港で迎え、午後6時からの大阪大会に臨んだ。開会からまもなく、猛烈な雨が降り、雷鳴が轟いた。会場を取り囲んだ同志は、特設スピーカーから流れる登壇者の声を、身じろぎもせずに聞いていた。
 いよいよ池田先生が登壇。第一声が終わると大拍手の中、戸田先生が立ち上がり、自ら愛弟子のためにコップに水を注ぐ。
 「最後は、信心しきったものが、また、正しい仏法が、必ず勝つという信念でやろうではありませんか!」
 池田先生の師子吼に、会場を揺るがす大拍手が再び鳴り響いた。
 雨と涙の中で参加者は誓った。“そうや! 戦いは負けたらあかん!”“これからは全ての戦いに信心で勝つ!”
 終了後、先生は会場の外に出て、雨に打たれて聴いていた同志のために、音楽隊の演奏に合わせて何度も学会歌の指揮を執った。
 以来、約4年半続いた裁判闘争を経て、1962年(同37年)1月25日、大阪地裁の無罪判決を勝ち取る。そして2月8日、エジプトのカイロで「控訴なし」の報を聞くのである。
 ――池田先生は1991年(平成3年)7月17日に行われた大阪幹部会に和歌を寄せた。
 「七月の おお十七日の
   炎をば 君の胸にも
    あなたの胸にも 合掌」
 「7・17」が巡り来るたびに、関西の友は常勝不敗の闘魂をたぎらせ、世界の同志が立正安国の誓いを新たにする。先生が証明した“信心しきったものが最後に必ず勝つ”との信念こそ、永遠に光る学会魂である。

「常勝の空」特別映像
 「大阪大会」から21年となる1978年(昭和53年)7月17日、関西の歌「常勝の空」(山本伸一作詞)が発表されました。このたび「7・17」を記念し、関西吹奏楽団・関西男声合唱団が「常勝の空」を演奏・合唱した特別映像を制作。画像からご覧いただけます。

◆池田先生の第3代会長就任60周年記念「SOKAnet」特設ページが好評2020年7月17日

南アフリカの反アパルトヘイト闘争で、28年に及ぶ牢獄生活を耐え抜いたネルソン・マンデラ氏。この「人権の闘士」マンデラ氏と池田先生との絆を描く(約9分)

 創価学会公式ホームページ「SOKAnet」に開設された、池田先生の第3代会長就任60周年を記念する特設ページ「映像で見る池田SGI会長の行動と軌跡」。多彩な映像が配信され、いつでもどこでも楽しめると好評です。ここでは、その内容の一部を紹介します。

世界のリーダーとの交流を描いた「文明間対話の軌跡」
 特設ページでは、「文明間対話の軌跡」「識者が語る池田大作」「文化・芸術」「海外学術講演」など、テーマ別に映像がまとめられています。
 「文明間対話の軌跡」のコーナーでは、池田先生と世界の識者との交流を描いた番組が視聴できます。
 「闘いこそわが人生」と題した動画では、南アフリカ元大統領のネルソン・マンデラ氏の人権闘争とともに、先生との2度にわたる会談を紹介。2人の友情を浮き彫りにしています。
 このほか、イギリスの歴史学者トインビー博士、アメリカ公民権運動の母ローザ・パークス氏、ソ連のゴルバチョフ元大統領、日本の実業家・松下幸之助氏らとの語らいを収録。民族や宗教、文化といった差異を超えて、信頼を結んできた先生の行動を、分かりやすく学ぶことができます。
 視聴者からは「外出自粛期間を活用し、夫婦でマンデラ氏やローザ・パークス氏の動画を見ました。未入会の妻は、池田先生との絆の強さに感銘を受けていました」(30代・男性)、「先生の誠実一路の人間外交と心温まる交流に、胸が熱くなりました」(60代・女性)等の声が寄せられています。

「識者が語る池田大作」「文化・芸術」「海外学術講演」も
 なぜ、“世界の知性”が池田先生をたたえるのか。「識者が語る池田大作」のコーナーにある映像を見れば、その答えの一端が見つかります。米ハーバード大学名誉教授のヌール・ヤーマン博士やアメリカ実践哲学協会会長のルー・マリノフ博士など、4人の学識者のインタビューを収録。先生との
出会いやSGIへの期待が語られています。
 「文化・芸術」では、先生の写真文化への貢献を描いた番組「自然との対話――池田大作写真展」をはじめ、東京富士美術館や民主音楽協会の歩みなどを紹介。このほか、先生の世界の大学・学術機関等での講演をまとめた「海外学術講演」などもあります。
 先生の平和・文化・教育への功績を、さまざまな角度から知ることができる特設ページ。ぜひ一度、閲覧してみてください。

閲覧方法
 SOKAnet特設ページ「映像で見る池田SGI会長の行動と軌跡」(https://www.sokanet.jp/recommend/daisakuikeda-movies/)は、パソコンやタブレット、スマートフォンなどで閲覧できます。別掲の画像を読み取り、アクセスすることも可能です。
 スマートフォンやタブレットを利用する際は、ご契約の通信プランによって、別途、通信料金がかかる場合があります。ご注意ください。


◆信仰体験 1957年生まれという使命感

 常勝不敗の原点というべき1957年(昭和32年)7月17日の「大阪大会」。池田先生の師子吼に、関西の友は炎の団結をもって応えた。「いよいよ・はりあげてせむべし」(御書1090ページ)のままに父と母は攻めの姿勢を貫いた。
 その“負けたらあかん”の関西魂は、いかにして子に継がれたのか。大阪大会の年に生まれた人を取材した。
  
 【大阪市北区】聞き逃してはならない声を命に刻んだのは、胎児の時だった。2017年(平成29年)7月、中之島の大阪市中央公会堂で関西勝利大会が開かれた。登壇した治田聖子さん(62)=総区副総合婦人部長=の声が、マイクを通して場内に響いた。​
「大阪大会に、私は母のおなかの中で参加しました」 
 池田先生を真っすぐ見つめる両親のもとに生まれた。小さな畳店の長女。い草のにおいと埃の中で治田さんは大きくなった。
 ある時、母は狭い台所に立ち、池田先生からもらった1個のリンゴを包丁で小さく切り、白い皿に盛った。4人の子どもにただ食べさせるというよりも、池田先生の心を平等に分けた切り方だった。
 母はよく池田先生の話をした。顔から喜びがにじみ出る話し方で、「母を見ているだけで幸せでした」。  
 晩年の母は折々に、信心の歩みを便箋に記した。池田先生に喫茶店でミックスジュースをご馳走(ごちそう)になったこと。乳飲み子だった背中の治田さんに、裁判の公判で来阪した池田先生が声を掛けてくれたこと……。文字の止めや払いの美しさに、背筋正しくペンを握る母の姿が浮かんだ。池田先生への思いの清らかさを感じた。 
 同時に、両親の反骨の面影も思い出す。
 池田先生の不当逮捕の報に憤怒した父は、事情聴取を受けるために警察へ出頭した。母は拘置所に何度も足を運んでは「絶対に負けへん」と高い塀(ほり)を見上げたという。
 「中之島の公会堂を有し、拘置所があった北区で生まれ育ちました。池田先生に手錠をかけて晒し者にした権力の魔性に屈服してはいけないという思いは常にあります」
 あの日、雷鳴がとどろく中で、身重の母は池田先生の師子吼を聞き逃さなかった。
 “最後は信心しきった者が必ず勝つ”
 電流に打たれたようだったと娘に語った。その言葉は治田さんの胸で炎となった。
 公会堂の壇上。体験発表に立つ治田さんは、広布の戦いの中で目にした、数知れない同志がつないできた炎の叫びを代弁した。 
「どんな戦いであれ、絶対に勝つのが関西魂や!」
 会場は万雷の拍手に包まれた。
 治田さんは公会堂を出てすぐ家に電話をした。成功の知らせを受けた母の声も弾んでいた。その時間、母はずっと娘に題目を送っていた。――――――

 【大阪市西成区】池田先生の母の名を冠した「一桜(いちざくら)」という、しだれ桜が西成文化会館にある。咲いても散っても美しいこの名木は、同志の奮闘をじっと見つめてきた。 川端銀三さん(62)=副総県長=が信心に立ち上がった陰には、電気工事の仕事着のまま通い詰めてくれた男子部の先輩がいる。
 会えない時は、いつもポストに短い手紙が入っていた。
 「仕事どうや」 「体大丈夫か」
 よれた一枚の紙に、ぎこちない字を懸命に並べる先輩の姿が浮かんだ。  
 川端さんは学会活動に励むようになり、ある壮年の話を聞いた。池田先生が投獄された後、東京の戸田先生から再三電話で状況を聞かれた人だった。返答にもたつくと、叱られた。
 「わしは弟子がかわいいんだ。できれば、わしが代わって入ってやりたい。あそこは、入った者でないと分からないんだ」
 受話器の向こうは涙声だったという。
 川端さんは燃えた。大阪事件、そして大阪大会の年に生まれた宿縁の深さに、万感胸に迫る思いがした。
 一人また一人と革命の炎を点火していく。挑戦の心意気はまさに「音(こえ)も惜まずよばはり給いて諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ」(御書504ページ)だった。
 ただ御文は「三類の強敵来らん事疑い無し」と続く。川端さんは57歳で胃がん、60歳で前立腺がんを告知された。死魔の足音を聞いた。 
   
 人にはあれだけ「仏法は勝負だ」と励ましてきたのに、いざ自分が崖っぷちに立たされると、題目が声にならず、御書をひもとくことさえできない。生と死のはざまで揺れる自分が情けなかった。
 つないだ“手”があった。
 たとえ弟子が生きる力を緩(ゆる)めても、絶対に諦(あきら)めてなるものかという意志のある手。師匠の手だ。
 「池田先生の写真を見ると、負けたらあかんいう命が理屈抜きにぐんぐん湧いてきた」
 負けることが、師匠をどれほど悲しませることになるか。川端さんは、つないだ手を強く握り返した。題目であぶり出した宿業は、題目でそそぐ。負けたらあかん。関西スピリットが燃え上がる。
 直近の検査結果に医師から「良好」の言葉があった。
 崖っぷちを背にした人の眼光を、つないだ手と手の真実を、一桜はじっと見ている。――――――

 【大阪市淀川区】トタン屋根の家に暮らしていた。山西美江さん(62)=区総合婦人部長=は私学の高校へ進むつもりはなかったが、母が熱心だった。
 「この時に生まれ合わせたんは不思議やから、池田先生のもとに行ってほしい」
 創価女子学園(現・関西創価学園)を受験した。
 春、少し大きめのセーラー服を着た山西さんは玄関を背に、中腰でカメラを構える父の前ではにかんだ。足りない学費は長兄が出してくれた。
  
 片道2時間の通学路。山西さんは駅員にいつもおじぎした。
 毎朝、「良識・健康・希望」の碑の前で“大楠公”を歌った。創立者にあいさつする意味を込めた。
 学園生は創立者が大好きで「お父さん、お帰りなさい」と迎えた。創立者が学園生に向けたまなざしも優しく、欧州訪問のお土産でフランス人形を贈った。「園子ちゃん」と名付けられた人形を、学園生は大切にした。
 山西さんは創価大学に進む。4年生の春、黒い影を見た。学生食堂のテレビで池田先生が会長を辞任したことを知った。
 衝撃だった。山西さんにとって、池田先生は師であり、創立者であり、慈父である。「許し難いものがあった」
 社会で実証を示すと誓ったのに、簡単ではなかった。仕事と家庭と学会活動。何度も心がしおれかけた。
「園子よ
 いかなる厳しい生活と
 社会の中にあっても
 蓮華の花の如く
 美しき心だけは
 絶対に勝ち取れ」
 学園の卒業生に創立者が贈った言葉だ。泥の中から花咲く「創価女子学園1期生」という一輪を胸にかざし続け、山西さんは婦人部のリーダーになった。“美江ちゃん頑張れ。頼むよ”という池田先生の声援が聞こえるような一日一日は、人生の宝だった。
 7月が巡り来るたび、生まれた年の意味を問う。中学3年の三者面談が忘れられない。
 担任教師は創価女子学園を知らなかった。母は机を挟んで懸命に説明し、「娘をどうしても行かせたい」と頭を下げた。
 なぜそこまで、と当時は思った。母の根っこには、大阪事件の、はらわたが煮えくり返るほどの炎があったに違いない。今ならそう思える。


◆〈ライフスタイル〉 生活を見直してハリツヤUP 「美腸活」のススメ
小林メディカルクリニック東京 小林暁子 院長

 体のあらゆる臓器と関わりがあり、「第二の脳」といわれる腸が正常に働いていると、心も体も元気に過ごせます。今回は、腸を美しくする「美腸活」について、小林メディカルクリニック東京の小林暁子院長に話を聞きました。 ​

 私たちの腸内には、約100兆個の腸内細菌がすんでいるといわれ、これらの菌は、体のあらゆる臓器の健康状態に深く関わっています。肌の美しさや若々しさにも、菌の存在が欠かせません。
 食事などで取り入れた栄養は、腸でくまなく吸収され、体の細胞の隅々に活用されていきます。そして有害な物質はお通じとして排出されますが、そういった腸の働きがスムーズに行われるには、善玉菌がたくさん生息している腸内細菌のバランスを良くすることが重要です。腸内のバランスは、偏りのない食事や適度な運動、十分な睡眠など良い生活習慣を心掛け、腸内細菌がすみやすい環境をつくることで保たれます。
 “美腸”の人は、きれいな血液が体内を循環するので、全身の新陳代謝がアップします。年を重ねても代謝が高くなると、肌の潤いや体形が維持される他、むくみ、冷えなど、体のあらゆる悩みが解消され、うれしいことばかり。腸内環境を整えることは健康と美容の要です。どの世代の方も手遅れではありません。今からでも“美腸活”を始めてみませんか。

食物繊維を積極的に
 腸をキレイにする決め手になるのが食物繊維。腸のぜん動運動を活発にして排便を促す「不溶性食物繊維」と、善玉菌の餌になり便を軟らかくする「水溶性食物繊維」があります。不溶性はインゲン豆や小豆などの豆類、サツマイモやゴボウなどの根菜類、玄米などの穀類に、水溶性はワカメなどの海藻類やバナナ、シイタケやエノキなど、水っぽくぬるぬるした食材に多く含まれます。これらを食事の中でバランス良く食べましょう。

発酵食品は腸内細菌を応援
 腸内細菌たちを応援してくれる発酵食品を取り入れましょう。納豆やみそ、チーズやヨーグルトなどの発酵食品には善玉菌がたくさん含まれており、美腸の活性化に役立ちます。

水分をしっかり取ろう
 水分をしっかり取ることも美腸活には欠かせません。摂取量は、運動する人としない人など、それぞれの生活習慣によって違います。1日1.5~2リットルを心掛けるとよいでしょう。

朝食は必ず食べる
 朝食を抜いたら、起きている腸が“朝から働かなければいけない”という大切なメッセージをキャッチすることができません。いくら昼食や夕飯に気を使っても、朝食を抜くと意味がなくなってしまいます。

同じ物ばかり、早食いはNG
 品数が少ない食事や、テレビで「これは体にいい!」と取り上げられた食材ばかり食べるのは避けましょう。品目を増やすことで、さまざまな栄養が取れます。1日3食の中でなるべくいろいろな食材を取り入れてください。また、そしゃくをきちんとすることは消化酵素の分泌量を増やし、腸内環境の改善につながります。

適度な運動を
 軽めの運動は、血液循環を良くし、腸のぜん動運動を促します。普段、体を動かしていない方は、最初はウオーキングを30分程度からでも始めることをオススメします。外に出ない時も、室内で適度に体を動かしましょう。

腸の健康度をチェック
二つ以上当てはまったら今すぐ美腸活を!

□ 肌荒れや吹き出物が悩みの種

□ 下腹がぽっこりと出ている


□ 朝食を抜くことが多い


□ 週4回以上、外食する

□ おならが臭い

□ この頃あまり運動していない

□ 細い便や、コロコロした便が出る

□ いきまないと便が出ないことがある


□ トイレを我慢することがある

 こばやし・あきこ 医療法人社団順幸会小林メディカルクリニック東京院長。順天堂大学医学部を卒業後、同大学の内科・皮膚科に勤務。女性専門外来の開設にも立ち会う。2006年、同学部教授の小林弘幸氏とともにクリニックを開院。便秘の改善治療とともに、食事をはじめとする生活習慣を改善する指導を行い、不調の原因の根本的改善を目指す。「ビビット」(TBSテレビ)、「ごごナマ」(NHK)、「人生が変わる1分間の深イイ話」(日本テレビ)などメディア出演多数。

 【編集】谷井宏子
 【プロフィル写真】本人提供
 
【イラスト】ノダマキコ(『腸が変われば、人生変わる 美腸の教科書』主婦の友社より)
ご感想をお寄せください  life@seikyo-np.jp

 

2020年7月16日 (木)

2020年7月16日(木)の聖教

2020年7月16日(木)の聖教

◆わが友に贈る

 全人類の安穏を目指し
 「四表の静謐」を祈る。
 これが仏法者の使命だ。
 利己主義を打ち破る
 利他の連帯を広げよう!
 御書P31

◆名字の言 エールの送り方はさまざま――ブラインドサッカーを観戦して2020年7月16日

 数年前、ブラインドサッカーの試合を観戦した。出場する視覚障がい者の選手と視覚に障がいのない選手が、共にアイマスクを着けてプレーする。選手たちは、転がるボールから鳴る金属音、他の選手や監督などの声を聞き分け、周囲の気配や息遣いを察知しながらゲームを進める▼そのため、応援する人は無言で観戦するのがマナー。ただ、ゴールが決まった瞬間は、皆で声を上げ、歓喜を爆発させる。エールの送り方はいろいろあると思った▼ある婦人部員は病と闘う夫を支え続けた。夫は病魔に負けず、更賜寿命の実証を示し、今世の使命を全うして霊山へ。信心の偉大さをわが身で教えてくれたことに、家族は心から感謝した▼葬儀の一切を済ませた夜、婦人は成人した息子と久しぶりにを並べた。気丈に振る舞った数日間の緊張が解けたせいか、息子の寝息を聞いた婦人の目から涙が。すると眠っていたはずの息子が、婦人の背中を優しくトントンとたたいた。“僕がしっかりするから、母さん、安心して”と励まされたように思え、胸がいっぱいになった▼慣用句の「琴線に触れる」の「琴線」とは、物事に感動して共鳴する胸奥の心情を意味する。その“琴”を鳴らすのに特別な技
巧はいらない。精いっぱい思いを形にすればいい。(城)


◆寸鉄

「立正安国論」提出の日。
我らが広げゆく妙法こそ
苦悩の闇照らす大光なり
     ◇
「沖縄原点の日」60周年。
平和の砦たる大民衆城。
「命どぅ宝」の心を世界へ
     ◇
大聖人門下は若き学徒で
固められていた―恩師。
青年よ本流の誇りで戦え
     ◇
スマホ活用した無料防災
サービスが増加。災害情
報に敏感に。自助が基本
     ◇
コロナ禍で自転車通勤が
拡大。保険義務化の自治
体も多く。安全運転更に


◆社説 2020・7・16 「立正安国論」の提出760年  エゴを超え自他共の幸福へ

 わずか半年余りのうちに世界で57万人以上の尊い生命が失われた(15日現在)。新型コロナウイルスの地球規模の感染拡大で、人類は未曽有の危機の中にある。社会的、経済的なダメージも深刻だ。
 また今月、記録的な大雨が九州や東海地方などに甚大な被害をもたらした。復旧へ懸命の戦いが続いている。
 この度のコロナ禍、および豪雨災害による犠牲者の方々のご冥福をお祈りするとともに、大変な困難の中、忍耐と苦闘の日々を送られている全ての方々に心よりお見舞いを申し上げたい。
 今日、あらゆる人々の安穏と国土の安全――すなわち「安国」は、誰もが切実に願うところではあるまいか。
 13世紀の鎌倉時代、「立正安国論」を著された日蓮大聖人が直視されたのは、「天変地夭・飢饉疫癘」(御書17ページ)という大災難に喘ぎ苦しむ民衆の姿であった。この悲惨な現実をわが事とし、「胸臆に憤?す」(同ページ)と同苦し、何としても民を救いたいと立ち上がられたのだ。
 「立正安国論」の終盤に、主人が客人に呼び掛けた重要な言葉がある。
 「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を?らん者か」(同31ページ)
 苦悩に満ちた現実を生きる上で、「一身の安堵」を願わない人はいない。しかし、それが他者の存在を忘れてエゴにとらわれたものであれば、結局、自分の安心さえ得ることはできない。一人一人がエゴを克服して「自他共の幸福」を祈り、支え合っていく行動が基盤となってこそ、本当の意味で「安国」――“世界を静穏ならしめる”ことができるのだ。
 創価学会は、この「立正安国」の精神を受け継ぐゆえに、これまで幾多の災難の中でも、復興支援のボランティアへの取り組みや、“誰も置き去りにしない”との励ましを推進してきたのである。
 20世紀を代表する大歴史家トインビー博士は、池田先生との対談で、「人間一人一人が、それぞれの自己中心性を克服していかなければなりません」と指摘し、そのために宗教の使命を強調した。
 「宗教のみが、人間本性の働きのなかにあって、個人的にも集団的にも、自己を克服するよう人間の心に働きかけてくれるものなのです」と。
 自己の超克とは、個人における「人間革命」といってよい。と同時に、それは集団的レベル、つまり人類社会の変革をも促すものなのである。私たちが日々、「自他共の幸福」を祈り、広宣流布へ進む実践には大きな意義と使命がある。
 きょう7月16日は、大聖人が「立正安国論」を提出されて760年の節目。自分のいる場所から、勇んで「立正安国」への祈りと行動に踏み出したい。


◆きょうの発心 開目抄 名古屋牧口総県婦人部長 青木淑子2020年7月16日

御文 我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず(開目抄、232ページ・編462ページ)
通解 我は日本の柱となろう、我は日本の眼目となろう、我は日本の大船となろう等との誓願は絶対に破ることはない。

青春の原点胸に誓い果たし抜く
 日蓮大聖人が流罪地の佐渡で、妙法弘通への御覚悟を述べられた御文です。
 女子部時代に初めて池田先生とお会いする機会が。“みんな幸せに”との慈愛の励ましに感動し、「生涯、師と共に広布に生き抜こう」と誓ったことが原点です。
 結婚後、順風満帆な生活を送っていたところ、夫の家族が営んでいた会社が倒産。当時、1歳の娘を抱えながら、“この先、どうすれば……”と悲嘆に暮れました。
 懸命に祈る中、師との原点を思い起こし、「ここで負けてなるものか」と奮起。経済苦や自身の病など、度重なる苦難を信心根本に全て乗り越えることができました。先生への報恩感謝を胸に広布の誓いを果たし抜こうと、この御文を抱き締めながら学会活動に奔走。親交を深めてきた友人たちを入会に導くことができました。
 「一人を大切に」との学会精神で希望の励ましを広げながら、名古屋牧口総県の皆さまと共に、先生に喜んでいただける勝利の歴史を築いていきます。


【先生のメッセージ】

◆オンライン男子部幹部会への池田先生のメッセージ友情・信頼の拡大で「立正安国」の鐘を

 若き心と心を結び合う、結成記念の大会、おめでとう!
 大きな時代の試練に雄々しく立ち向かう、君たちの尊き奮闘を、私は胸を熱くして見守っています。
 それぞれに今、言い知れぬ苦労があるだろうけれども、全てが自分自身の生命の財宝となる。
 私も、戸田先生の事業が最悪の苦境にあった時、自らの病気にも苦しみながら、題目を唱えに唱えて、阿修羅の如く戦い抜いた。それが、何ものにも負けない力となっています。
 日蓮大聖人は、厳然と仰せになられました。「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」(御書1192ページ)、「ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候」(同1193ページ)と。
 我らには、一切を勝ち開く「法華経の兵法」がある。
 我らには、いかなる壁も打ち破る「師子王の勇気」がある。
 我らには、何があっても励まし合う「異体同心の団結」がある。
 どうか、大宇宙の究極の法則である妙法とともに、偉大なる生命力を発揮して、人生と社会の新たな価値創造の道を切り開いていってください。
 そして、一人また一人、友情と信頼のすそ野を大きく広げながら、世界広布と立正安国の前進の鐘を、高らかに打ち鳴らしてくれ給え!
 親孝行を忘れずに、家族を、職場を大切にしてください。
 わが愛弟子に、健康あれ! 忍耐あれ! 絶対勝利あれ!


【聖教ニュース】

◆〈第3代会長就任60周年記念 師弟凱歌の記憶〉 特別編 世界が憧れる幸福の宝島2020年7月16日
きょう池田先生の――沖縄初訪問60周年

美しい海を望む恩納村の沖縄研修道場。池田先生の提案で、かつての核ミサイル発射台が「世界平和の碑」に生まれ変わった


美しい海を望む恩納村の沖縄研修道場。池田先生の提案で、かつての核ミサイル発射台が「世界平和の碑」に生まれ変わった

 「私は 沖縄を詩う/私は 沖縄を愛する/私は 沖縄に涙する/そして 私は 沖縄に/民衆の幸の凱歌の潮騒を聞く」(長編詩「永遠たれ“平和の要塞”」)――きょう7月16日で、池田大作先生が沖縄を初訪問して60年となる。海も大空も大地も、人も美しい沖縄には、「命どぅ宝」(命こそ宝)の心が輝く。先生が「3日間で3年分は働く」との決意で臨んだ沖縄初訪問の歴史を、「師弟凱歌の記憶」特別編としてつづる。
 “池田先生が初めて沖縄へ!”――南国の友が待ちに待った朗報は、1960年(昭和35年)6月10日付の本紙1面で伝えられた。
 先生は5月3日の会長就任以来、関西に始まり北海道、九州、東北、中部、中国の幹部会に出席。就任式で亡き恩師・戸田城聖先生の七回忌までの目標として掲げた会員300万世帯の達成へ、怒濤のごとき拡大の波動を起こしていった。
 戦後15年。沖縄はまだ、アメリカの施政権下にあった。本土との往来にはパスポートがいる。本紙の記事は「なかでも特筆すべきことは、会長池田先生が初めて海外に出発され、沖縄において指導されること」と強調している。沖縄初訪問は、世界広布への助走ともいうべき意義を含んでいたのである。
 沖縄の友は沸き立った。
 沖縄広布の一粒種として折伏の火ぶたを切った故・安見福寿さんの喜びは、とりわけ大きかった。長男の宏志さん(副圏長)が述懐する。「この時、私は14歳です。父は買ったばかりの車を毎日のように走らせ、島中を折伏や個人指導に回っていました。道があまり整備されていない時代で、よく山の中で立ち往生したことを語ってくれました」
 仏法の話をすると、たいてい「ヤマトゥ(本土)から来た宗教」と揶揄された。それでも同志は、「必ず幸せになれる信心です」と歯を食いしばった。
 先生の訪問を拡大の実証で飾ろうと、折伏の勢いは加速。約7000世帯の陣容を整え、先生の初来島を迎えたのである。
 〈案内〉沖縄広布の歴史を紹介する番組「一番苦しんだ人が一番幸せに~池田先生と沖縄~」(15分)、「世界で最初の広宣流布の天地に!――沖縄の誉れの使命」(15分)が、モバイルSTBで視聴できます。

“3日間で3年分”の決意で励まし抜いた初訪問
永遠の指針「沖縄の同志よ団結せよ」
「南部戦跡」で祈りをささげる 「皆さんの犠牲は無駄にしません。必ず仏国土に変えてみせます」

沖縄で小説『人間革命』を起稿したことを記念して、池田先生が後年、?風に揮毫した。「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」――小説『人間革命』の冒頭の一節に続き、「昭和三十九年 十二月二日 沖縄本部二階 第一和室にて 留め記す也」と

「立正安国論」上呈700年の佳節に
 7月16日午後2時過ぎに羽田をノースウエスト機でたった池田先生は、約3時間半のフライトを経て、夕刻、那覇国際空港に降り立った。
 ターミナルには歓迎の同志約200人が詰め掛けていた。入国審査を受け、ロビーに姿を現した先生を、地区部長の安見福寿さんらが迎えた。
 「先生、ようこそ」――そう言ったきり、胸がいっぱいになった安見さん。
 先生は「働くよ。3日間で3年分は働くからね」と温かく包み込んだ。
 宿舎に移り、沖縄の実情を丹念に聞いた。
 日本の敗戦から15年――「鉄の暴風」と形容され、県民の4分の1が犠牲になった地上戦を経験した沖縄は、戦後も基地建設に伴う土地の強制収用など、筆舌に尽くせぬ苦渋の道を歩んできた。祖国復帰は、当時、沖縄の人々の痛切な願いであった。
 夕食後には、同行幹部が担当して、各部ごとの指導会を開催。続いて、池田先生が出席し、班長・班担当員以上が参加して幹部会が行われた。そこで先生は、翌日の大会で沖縄支部を結成したいと提案した。
 「太陽が東から昇り、西を照らしていくように、この沖縄に始まり、やがて、台湾、香港、インドなど東洋の各地に、支部が誕生していくことでしょう。その先駆けの使命を、沖縄の皆さんに担っていただきたいのですが、いかがでしょうか」
 万雷の拍手が起こった。
 沖縄に第一歩をしるした7月16日は、日蓮大聖人が「立正安国論」を上呈して700年。一番苦しんだ人が一番幸せに――この“世界広布即世界平和”の新たな一歩を、沖縄から踏み出したのである。

「前進」の決意で船出
 翌7月17日。支部結成大会の会場前には、朝から長蛇の列ができた。沖縄本島はもとより、宮古や八重山の島々からも、喜々として友が集って来た。
 空は青く、太陽の光は刺すようにまぶしい。
 新垣昇さん(沖縄方面参事)は、場外で整理誘導役員に就いていた。高校3年生で、入会2年目だった。「先生を沖縄にお迎えできたことが誇らしく、汗をびっしょりかきながら、学生服で任務に就きました。また、沖縄らしい夏の暑い時に来てくださったことに、感激したことを思い出します」
 訪問に際し、周囲から“もっと涼しい時期に”との意見もあったという。だが先生は「同志の労苦は、最も大変な時に現地へ行かなくては分からない」と、盛夏の訪問を決めたのである。
 会場は満員。外にはゴザが敷かれ、場内外で1万2000人を超える友が集った。場内の正面には、「前進」の大文字が掲げられ、求道の熱気に満ちていた。
 登壇した先生は、軍部政府に抵抗し、獄死した牧口常三郎先生と、生きて出獄した戸田城聖先生の闘争に触れつつ、未来のために、世界の平和に貢献しゆく学会の使命の深さを語った。
 さらに、「文証」「理証」「現証」の明快な基準に照らしてこそ宗教の浅深、高低が明らかになることを強調。中でも、最も大切な功徳の「現証」を積み上げ、その確信と体験を語りながら折伏を進めてほしいと訴えた。
 「ユタ」の言葉によって物事を決める慣習などが色濃く残り、学会への無理解による非難中傷を浴びてきた友の心に、先生の明解な指導が勇気の炎をともした。
 この日、沖縄の女子部の中心者となった本山多津子さん(総県婦人部主事)は語る。「会合に先立って、先生は“最も大事なことは福運だよ”等と、女性の生き方を諄々と説いてくださいました。あの結成大会でのお姿、決意を生涯忘れることはありません」
 会合を終えた先生は、支部結成を祝う寄せ書きに力強い筆でつづった。

「沖縄の同志よ団結せよ」
沖縄戦の激戦地で厳粛に題目三唱を
 初訪問の最終日となった18日午前。池田先生一行は沖縄戦の激戦地である南部戦跡を訪れた。
 太平洋戦争で悲惨な地上戦が展開された沖縄では、“一木一草といえどもこれを戦力化すべし”の号令のもと、全島が要塞化された。本土決戦までの時間を稼ぐ「捨て石」にされ、米軍による激しい攻撃が続いた。日本の守備隊が潜んでいそうな所は火炎放射器で焼かれ、激しい砲爆撃で丘は削られた。日本軍によって“自決”を強要される悲劇もあった。マラリアや飢えで命を落とした人なども含め、県民の4人に1人が犠牲になったとされる。
 一切の掃討戦などが終わるのは、8月15日の終戦から20余日が過ぎた9月7日のことだった。
 池田先生の一行は最初に、看護要員として動員され亡くなった学徒隊らを慰霊する「ひめゆりの塔」へ向かった。塔のそばには、ガス弾によって乙女たちが命を落とした自然壕が口をあけている。関係者の説明を聞き終えた先生は、つぶやくように「残酷だな……あまりにも残酷だ」と。厳粛に題目を三唱した。
 さらに一行は摩文仁へ。
 先生は、従軍した学徒を合祀する「沖縄師範健児之塔」や、人々が身を隠した洞窟を視察しながら、ゆっくりと踏みしめるように歩みを運んだ。
 カメラを持参して同行した久保田淑子さん(県婦人部主事)は、健児之塔の前で祈りをささげる先生の様子を、鮮明に記憶している。
 「先生は、『皆さんの犠牲は無駄にしません。必ず沖縄を仏国土に変えてみせます』と強くおっしゃったんです。その深いお心を感じながら、必死でシャッターを切りました」
 先生は後に、南部戦跡を訪れた真情をうたった。
 「世界不戦への誓いを固めつつ思った/いつの日か書かねばならぬ/小説『人間革命』の筆を/もっとも戦争の辛酸をなめた/この沖縄の地で起こそうと」
 敗戦間近の焼け野原から広布の戦いを開始した戸田先生の生涯を通して、世界平和を開く指導原理と、それを実践する学会の使命を、ここ沖縄から書きつづる――この池田先生の決意を知る人は、この時、まだいなかった。

「人間革命」の執筆そして平和の天地に
 池田先生は61年(同36年)の沖縄総支部結成大会、62年(同37年)の沖縄本部落成式に出席。
 4度目の訪問となった64年(同39年)12月2日、沖縄本部で小説『人間革命』のペンを執った。
 「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」――。
 前述の久保田さんは、翌65年(同40年)1月1日付の本紙で連載を開始した『人間革命』の第1回を読み、思わず「あっ」と息をのんだという。沖縄で書かれたことは知らない。だが自分が沖縄戦で痛感したことが、そのまま書かれていると思えたからだ。
 以後も池田先生は、沖縄訪問を重ね、その歴史は17回を数える。
 沖縄支部の初代婦人部長を務めた仲間玉枝さん(総県婦人部総主事)は「先生は沖縄にいらっしゃるたびに、私たちに『三変土田』の法理を教えてくださったと思います」と振り返る。
 その象徴が、恩納村の沖縄研修道場にある「世界平和の碑」。
 碑はかつて米軍の核ミサイル・メースBの発射台だった。
 「永遠に残そう! 『人類は、かつて戦争という愚かなことをした』との一つの証しとして」。この先生の提案によって、84年(同59年)、平和への誓いのシンボルに生まれ変わった。
 本部町の沖縄平和記念墓地公園には、「永遠平和の碑」がある。99年(平成11年)2月、同墓園を初訪問した折、先生は沖縄の代表と共に、碑の前で厳粛に祈りを捧げた。
 「もう二度と、沖縄に戦争はない。できない!」
 深い決意を込めた鋭い声を、沖縄の同志は忘れない。

 沖縄戦終結から75年。
 先生の初訪問から60年。
 沖縄の父母たちは、師の限りない励ましを抱き締めて、世界が憧れる幸福の宝島を築いた。「命どぅ宝」の精神を語り継ぐ青年たちの躍動も頼もしい。
 限りない先生の励ましを胸に、「世界最初の広宣流布の地帯」を目指す沖縄健児の意気は高い。


◆〈世界青年部総会へ前進〉コロナ禍の中で奮闘する友

 10・2「世界平和の日」60周年を記念する「オンライン世界青年部総会」へ――男女青年部が心一つに前進を開始した。ここでは、コロナ禍の中で奮闘する各地の友を紹介する。
 

沖縄・那覇王者県 渡邉秀樹さん ​
苦難の時こそ成長できる

 イベント会社の音響スタッフとして働く渡邉秀樹さん(男子部部長)。
「人を笑顔にする仕事がしたい」との志を抱き、この世界に飛び込んだのは8年前のことだった。
 慣れない仕事に必死で食らいついていた頃、元気だった母が突然、「うつ病」と診断された。その直後に、男子部の先輩から創価班大学校(当時)の話を聞き、“現状を変えたい”との一心で入校を決意する。
 しかし、追い打ちをかけるように、母を支えてきた父までもがうつ病に。にぎやかだった家から笑い声が消え、耐え難い現実が重くのしかかるようになった。 
 悩みで心が折れそうな時、いつも渡邉さんに寄り添ってくれたのは、男子部の先輩だった。
 「今こそ、信心で富士山のように微動だにしない自分を築く時だよ」
 先輩の力強い言葉に触れ、今までにない題目と折伏を誓った。 
 折伏が思うように進まない時は、大学校の仲間や勝利長の先輩が何時間も一緒に祈ってくれた。そうした支えもあり、高校時代の先輩に粘り強く対話を続けた結果、6年前に人生初の弘教を実らせることができた。
 「くじけそうな自分を支えてくれた同志、そして何より、私たちの幸福と成長を祈り、いつも真心の励ましを送ってくださる池田先生への恩返しの思いで日々、戦ってきました」と渡邉さん。 
 “仕事でも実証を”と奮闘する中、今回の新型コロナウイルスの流行が襲った。会社の売り上げは激減し、3月以降に予定していたイベントは、全てキャンセルに。目の前が真っ暗になった。 
 しかし、男子部の友と連絡を取ると、皆も同じようにコロナ禍の苦境と戦っていたことを知る。
 “あの時、自分を奮い立たせてくれた先輩のように、今こそ同志を守り支える時だ”――腹が決まると、心の暗雲が一気に晴れた。そして「一緒に宿命を乗り越えよう」と懸命にエールを送り続ける中、2人のメンバーが男子部大学校への入校を決意してくれた。 
 現在は、慣れない営業活動にも奔走。その中でインドと沖縄を中継で結ぶ式典の撮影依頼が舞い込
むなど、以前までは決して感じられなかった“世界を舞台”にした新たな仕事に、喜びをかみしめる。
 渡邉さんが何より信心の功徳を実感するのは、この苦難の中で父と母が共に対話拡大に取り組むようになったこと。その中で、すっかり元気を取り戻し、笑顔が絶えない一家和楽の家庭を築くことができた。
 現在、オンラインで対話を重ねている友人と、毎朝の“同盟唱題”を実践する渡邉さん。その瞳には、新たな挑戦の気概がみなぎる。
 「池田先生の沖縄初訪問から60周年。『世界で最初の広宣流布の地帯に』との先生の指針を胸に、縁する一人一人に、この信心と学会の素晴らしさを語り広げてまいります!」


東京・文京区 山下絵梨佳さん
命守る聖業に携わる喜び

 「患者さん、そして支える家族の心に寄り添う人に。それが私の信念です!」――母と同じ看護師の道を歩む山下絵梨佳さん(女子部副部長)の言葉には、凜とした強さがある。 
 自身が学生時代、父の腎臓と肺にがんが見つかった。壮絶な闘病生活。家族にとっても試練の日々は続いた。その後、度重なる手術と抗がん剤治療が功を奏し、快方へ向かった。「看護師の声掛け、振る舞いが、病と闘う人をどれほど勇気づけるか。父を励ます姿を通して強く感じたんです」
 苦学を重ねた末、大学卒業後に国立大学の付属病院に就職。現在、職場のチームリーダー、さらに看護学生の指導員としても汗を流す。 
 常に生死と向き合う医療現場。命を預かる責任の重さに、押しつぶされそうになることもある。

 山下さんは「白樺グループ(女子部の看護者の集い)の先輩・同志の励ましが、現実に立ち向かう活力となっています」と確信を込めて語る。
 本年2月、血液内科に異動。その直後のことだった。国内で新型コロナウイルスが大流行。政府が緊急事態宣言を発出した4月、勤務する病院に感染症患者を受け入れることになったのである。 
 各病棟の看護師の代表が一人ずつ、コロナ患者専用の病床を担当することに。山下さんも、その一員に選ばれた。 
 初めは不安で涙した。しかし、真剣に唱題を重ねる中で、“何か意味があるはず”と心を奮い立たせた。 
 職場から「6週間担当を」との話があり、山下さんは「この期間中に信行学の実践をやり抜き、信心の利剣を磨こう」と決意。「1日1時間の唱題」「SNS等を活用した励ましの対話に日々挑戦」「『池田華陽会御書30編』の読了」の目標を自らに課した。 
 ある日、「立正安国論」の「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」(御書31ページ)の一節が目に飛び込んできた。 
 自身の安らぎのみを願うのではない。社会の安穏、平和の実現こそ仏法者の使命である――大聖人の魂を継ぐ学会の使命に触れ、五体に電撃が走った。「私はなんて偉大な聖業に携わらせていただいているんだろう」。深い感謝の念が込み上げてきてならなかった。 
 防護服を着用しながらの仕事。日勤、準夜勤、深夜勤の三交代での勤務シフト。精神的にも肉体的にも過酷を極めたが、その中でも掲げた広布の目標を全てやり遂げた。また、入会決意をする3人の友人とは今、電話でつながり、励ましの絆を強めている。職場にあっては、積み上げてきた幅広い専門知識を存分に発揮。“患者目線”の看護の姿勢に、多くの感謝の声が寄せられた。
 「この6週間の経験が心も技術も、私を大きく成長させてくれました」と笑顔で語る山下さん。“妙法の看護師”としての挑戦と成長のドラマは、これからも続く。

 
【特集記事・信仰体験など】

◆〈座談会〉創立90周年の11・18へ決意新たに 一人一人が「私の広布前進」を

〈出席者〉原田会長、長谷川理事長、永石婦人部長、西方男子部長、大串女子部長

 長谷川 大雨の影響による甚大な被害が九州をはじめ各地に広がっています。被災された方々に、心からお見舞いを申し上げます。
 
 原田 犠牲になられた方々を追善するとともに、被災地の皆さまの健康と無事安穏、被災地の一日も早い復旧・復興をいっそう真剣に祈念してまいります。
 
 大串 池田先生の会長就任60周年記念映像の上映会が各地で開始されました。私自身も、先生の不惜身命の闘争の歴史を改めて学び、決意を深めました。
 
 永石 ヤング白ゆり世代のメンバーは「師の教えを実践し、誓いを果たし抜き、勝利を報告してこられた池田先生の戦いに一歩でも近づいていきます」と決意を新たにされていました。先生の会長就任式に参加された方は「先生と共に広布に走ってきた喜びと感謝があふれ、感動でいっぱいになりました。師弟不二の精神で、まだまだ頑張ります」と語られていました。
 
 原田 今、この時、偉大な師匠のもとで戦える感謝と報恩の心で、師弟共戦の誓いも固く、ともどもに前進してまいりましょう。
 
 長谷川 なお、この記念映像は間もなく、モバイルSTBでも配信されますので、これも活用しながら多くの方々に視聴していただきたいと思います。
 
 西方 新入会者への御本尊授与も再開され、各地で喜びの声が相次いでいます。東京・八王子の男子部員が入会に導いた友人は、これまでオンラインの集いへの参加を重ねてきました。5月に私が参加した会合にも生き生きと集っていました。彼は「コロナ禍でも励まし合いながら進む皆さんの姿を見て、自分も早く一員になりたいと祈っていました!」と語り、壮年・婦人の方々もオンラインを通して入会を祝福してくれたそうです。
 
 大串 9月下旬、「世界青年部総会」をオンラインで実施することが発表されました。「10・2」の「世界平和の日」60周年を、世界の池田門下と共に祝賀してまいります。
 
 西方 広宣流布は世界同時進行であることを実感します。新型コロナウイルスの感染拡大が深刻なブラジルでは今月、10万人の青年がオンラインで集います。アメリカでも、オンラインなどを通じて励ましの対話を広げ、現在、2800人もの未入会の青年が唱題に挑戦しているとの報告もありました。
 
 原田 先生は、仏法対話・折伏の根本は、相手の人への「“何としても幸福に”という仏の願いです。その心をわが心とすることが、末法広宣流布に戦う本物の弟子、地涌の菩薩の誓願です」と言われています。これまで以上に「一人」を大切にして、対話運動を進めていきましょう。

立正安国の精神で
 永石 先日の全国最高協議会では、創立90周年の記念日を目指す、下半期の活動が協議されました。
 
 原田 大切なことは「私の広布前進」「わが家の広布前進」です。各人、各家庭が、「折伏」「聖教新聞の拡大」「親族との交流」など、前進の目標を明確にして、その達成で「11・18」を迎えてまいりたい。
 
 長谷川 訪問、手紙、電話に加え、SNS、オンラインも活用しながら「一対一」「少人数」の励ましを広げるチャンスです。新しい生活様式における活動の確立に挑戦していきたいと思います。
 
 永石 先生は、先日の随筆に「世界広布の流れは間違いなく進んでいる。それも急速に! ならば、我らは変化を厭うのではなく、若人を先頭に、現在の変化の中に、『人間の幸福と平和のために』という立正安国の精神性を打ち込んでいきたい。仏法の人間主義が一段と輝きを増す好機」であるとつづられています。
 
 原田 困難の中だからこそ、強い祈りで、大生命力を湧かせていきたい。「心の固きに仮りて神の守り則ち強し」(御書1220ページ)とあるように、大切なのは一人一人の強盛な信心です。自身の人間革命の時と定め、「私の広布前進」に挑戦していきましょう。

新型コロナ 専門家会議は公明が提言
 大串 今、新たな感染の広がりが懸念され、改めてリスクの高い場所を避けることや、人との間隔を空けること、マスク使用、手洗い、手指の消毒、小まめな換気の徹底などの「新しい生活様式」に基づく行動が求められています。
 
 長谷川 こうした実践例を具体的に示したのが政府の専門家会議です。実は、この専門家会議は、今年2月14日、公明党が政府に設置を提案したものです。
 
 西方 それまで、各種メディア等でいろいろな意見が出て、ややもすると混乱しかねない状況もありました。そこで、専門家の提言を踏まえた情報を発信することが、国民の信用や理解を得る上で必須だと考えたからです。
 
 永石 感染状況の分析や対策の取りまとめを科学的知見に基づいて行う組織が設置されたことで、多くの国民が信頼して政府の外出自粛要請などにも対応できたのだと思います。
 
 長谷川 同会議はその後、発展的に移行し、7月から新型インフルエンザ等対策有識者会議の分科会として重要な役割を担っています。分科会への移行に際して西村担当相が、公明党が専門家会議設置を「最初に提言された」と、語ったことも話題になりました。
 
 西方 このことがきっかけで、専門家会議の設置が、公明党の提言によるものだったことを初めて知った人も多かったようです。ネット上で、支持者ではない人たちからも公明党への評価の声が相次ぎました。
 
 大串 4月に山口代表が安倍首相に強く申し入れ、10万円の特別給付金が決まった時もそうでしたね。
 
 原田 国民の公明党への期待の声は大きくなっています。この国難の時にあってこそ、ますます公明党が本領を発揮し、国民の命と暮らしを守り抜くために全力を尽くしてもらいたい。


◆〈青年想 Essay from Youth〉6 「負けない」という哲学2020年7月16日
女子部教学部長 栗原幸子
「尊極な自身」との確信が勇気に

 新型コロナウイルスの感染拡大により、社会が未曽有の困難に直面する中、青年部の代表が仏法の視点から価値創造の使命を考える「青年想」。今回は、栗原女子部教学部長が「『負けない』という哲学」をテーマにつづる。

今の私への一節
 今月、感染予防と安全に配慮しながら、池田先生の第3代会長就任60周年の「記念映像上映会」が開催されています。
  
 数カ月ぶりとなる同志との再会。フィジカルディスタンス(身体的距離)を保ち、マスクで顔はあまり見えなくても、目と目が合えば笑みがこぼれます。それは、この期間もそれぞれの立場で奮闘してきた、互いをねぎらい合う瞬間とも感じられました。
  
 職業も年代も違う人々が、信仰から湧き出る希望や勇気をもって、現実を生き抜いている学会。その学会員の生き方を支えるのが「御書根本」の伝統です。
  
 第2代会長・戸田先生は「女子部は教学で立て」との指針を示し、特に女子部に対して、人生の幸福勝利を開くには、確固たる生命の哲学を持つことが重要であると教えられました。
  
 私自身、初めて御書の拝読に挑戦したのは女子部になってからです。先輩の励ましをきっかけに、朝夕の勤行・唱題の後、御書を開いて少しずつ、声に出して拝読するようになりました。
  
 初めは御文の意味もよく分からず、ただ文字を追うばかりでしたが、ある日、いつものように読み進める中で、次の一節に出あいました。
  
 「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし」(御書329ページ)
  
 その時、“ここに記されている通り、自分は今、題目を唱えている。これはすごいことなのではないか”と感じ、しばらく御文から目が離せず、心の中で何度も読み返しました。
  
 万年先の未来を見つめ、その時を生きる“一人”の人を思い、“妙法で必ず幸せにする”という、御文からにじみ出る深い決意の心。日蓮大聖人のこの心は“今の私に向けられているものだ”――そう思えた時、胸いっぱいに感動が広がり、この感動が、自分も御書を学び実践していこうという決意に変わったのです。

自分の中の宝塔
 日蓮大聖人が門下に書き送られたお手紙が数多く収められた御書には、仏法の実践によって、現実に一人一人が人間革命し、最高の幸福境涯を築くための励ましが溢れています。
  
 女子部は「池田華陽会御書30編」を掲げ、皆で学んでいます。その中で多くの華陽姉妹から「一番好きな御書」と聞く御書の一つが「阿仏房御書」です。
  
 佐渡の門下である阿仏房は、ある時、法華経に出てくる「宝塔」について、大聖人に質問をしました。
  
 法華経見宝塔品第11に、突然、大地から巨大な宝塔が出現し、空中に浮かび上がる場面が描かれています。この宝塔は高さが、現代的に言えば、少なくとも地球の直径の3分の1もあり、金・銀・瑠璃などの七宝で飾られ、まばゆい輝きを放っています。
  
 想像を絶する、壮麗な姿をした宝塔。“これは一体、何を表しているのでしょうか”――阿仏房の問いに、大聖人は答えられます。“この宝塔は、阿仏房、あなたのことなのです”と。
  
 法華経全体から見れば、宝塔は、釈尊の弟子である声聞が、師の説法を聞いて未来の成仏を約束された後に出現します。自分の“外”に現れた偉大な何かを仰ぎ見ることではなく、衆生が法華経という真実の教えを聞いて、自分の“中”に偉大な宝塔が涌現するのを見たことを示しているのです。
  
 大聖人は「末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり」(同1304ページ)と述べ、性別や身分にかかわらず、信心に励む一人の現実の「姿」そのものが、偉大な宝塔であると教えられました。
  
 「宝塔」とは自分自身。この荘厳な真実を知り、阿仏房は驚きながらも大きな感動と喜びに包まれたに違いありません。
 
女子部は現在、電話やSNSなどを活用して、列島各地で励ましの輪を広げている

行動が輝き生む

 ありのままの自分が、どれほど尊く偉大な存在かを自覚すること。それは、いかなる苦境にあっても、自らの可能性を信じ抜ける強さにつながるのではないでしょうか。そして、その強さは、“自分にはできない”という「諦め」や、“自分はこの程度だ”という「決めつけ」を打ちはらい、目の前の現実に立ち向かい続ける「負けない」勇気を、自分の中から限りなく引き出す力となるのではないでしょうか。
  
 一人の人に偉大な宝塔の輝きを見る、仏法の「生命尊厳」の哲理。それを持つことは、自らの人生を、何があっても「負けない」という哲学を光らせ、歩むことにほかならないのだと思います。
  
 法華経に説かれる宝塔は、周りを美しい七宝で飾られています。宝塔をわが生命と捉えた時、この身を荘厳する七宝とは、「心」であり「実践」です。
  
 池田先生は女子部に「本来、自分ほど素晴らしいものはないのである。これが仏法である。自分という最高の宝を輝かせるのだ。これが真実の哲学である」(指導集『華陽の誓い』)と語られました。
  
 尊極の存在である自分。“だからこそ、その無限の可能性を開いていこう”との、挑戦の「心」と「行動」が、自らを最も輝かせ、荘厳していきます。
  
 そして、偉大な「宝塔」である自分の生命を決して卑下しない。他者の生命にも、同じ偉大な「宝塔」を見て、心から尊び大切にする――こうした私たちの日々の振る舞いは、誰もが自らを力強く輝かせる“宝塔が林立する世界”を築くことにもつながっていくのです。
 
教学で立つ
 新型コロナウイルスとの闘いが続き、一日も早い終息を心から願う日々です。同時に、これから先、時を待たずして打ち続くさまざまな困難に対しても、決して負けない生命の力を発揮していくことが、希望の未来を開くための鍵であると感じてなりません。
  
 東北のある女子部リーダーは、病の家族を支える女子部員から「一人で抱えていることがつらい」と打ち明けられ、共に御書を拝しました。いかなる苦難も乗り越える力が、自分の中にあると学ぶ中、“負けない心で、必ず一家の幸福を開こう”と、共に前を向くことができました。
  
 たとえ、壁に直面し、心が折れそうなことがあっても、そのたびに、御書を拝して大聖人の精神に立ち返り、何度でも希望の一歩を踏み出していくのが「教学で立つ」華陽の青春です。
  
 東京・八王子市の牧口記念庭園には、「世界池田華陽会の木」と名付けられた「杏」が植樹されています。厳冬を越え、春に美しい花を咲かせ、初夏に見事な実りを迎える杏の木。池田先生はかつて、杏の花言葉が「不屈の精神」であると教えてくださいました。
  
 何があっても、自身の無限の可能性を信じ、挑戦し続ける“不屈の人生”。そこに創価の生き方があると心に刻み、華陽姉妹と「世界一の生命哲学」を学びながら、「負けない」前進をしていきます。
 

2020年7月15日 (水)

2020年7月15日(水)の聖教

2020年7月15日(水)の聖教

◆わが友に贈る

 仏道修行に励み
 題目を唱える実践が
 最高の追善回向となる。
 生命の絆は永遠だ。
 共に常楽我浄の旅路を!


◆名字の言 師弟の思い出の歌――熊本民謡「田原坂」2020年7月15日

 〽右手に血刀 左手に手綱 馬上ゆたかな 美少年……。西南戦争の激戦地であった熊本・田原坂での激闘を歌った民謡「田原坂」の一節である▼田原坂の戦いで、官軍の兵士は、1日に32万発もの大量の弾丸を使用したとされ、そのため銃弾同士が空中でぶつかり合うことも多かったという。戦争から1世紀以上が経過した今も、現地では当時の銃弾が発見されることがある▼1968年(昭和43年)、池田先生は田原坂を訪問。西南戦争で犠牲となった人々に追善の祈りをささげ、弾痕が残る建物に足を運んだ。その史跡の持ち主に、先生は語った。「『田原坂』の歌は、実は私の恩師が大好きで、私もこの歌を通して、青年に革命の精神を教えています」▼戸田先生は「田原坂」に合わせ、自ら舞うことがあった。青年と共に歌い、感極まることもあった。ある時には、冒頭の歌詞になぞらえて、こう訴えた。「学会は『右手に慈悲、左手に哲学』で進むのだ」▼「慈悲」の行動とは、単なる「同情」とは違う。友の苦悩に思いをはせ、無事安穏を真剣に祈り、その人が立ち上がるまでエールを送り続けていくことだ。コロナ禍に加え、九州はじめ各地が豪雨被害に見舞われる今、私たちは慈悲の旗を高く掲げ、逆境の坂を共々に乗り越えていきたい。(澪)


◆寸鉄

青年ならば自分の使命に
生き切ることだ―恩師。
今いる場所で前進の一歩
     ◇
池田先生の東北初訪問の
日。共戦の人材城は盤石。
不屈の魂で希望拡大を!
     ◇
新潟婦人部の日。混迷の
時こそ勇気凜々と!地域
に励まし送る太陽の連帯
     ◇
コロナ禍で助け合おうと
の意識高まった―6割。
我らは利他の実践さらに
     ◇
感染恐れ、子の予防接種
を3割が延期と。接種も
命守る為。先延ばしせず


◆社説 本紙日刊化55周年  勇気と希望の励ましをさらに

 “言論戦は、スピードが勝負である”。池田先生が語った広宣流布の方程式は今も変わらない。その主軸を担ってきたのが聖教新聞である。
 きょう15日で本紙は日刊化から55年の佳節を刻んだ。
 戦後20年を迎える1965年。高度経済成長期の真っただ中にあって、池田先生の第3代会長就任以来、創価学会には実に400万世帯以上の新たな同志が生まれていた。
 そうした中、信心の歓喜を胸に一日を出発することが多くの学会員の願いであり、その要望を強く受け、広布の前進を加速させるために踏み切ったのが本紙の日刊化事業だった。
 週3回刊8ページ建て発行の新聞が日刊8ページ建てへと飛躍することは、大きな挑戦だった。
 週間単位の業務量は単純計算で2倍以上。それに伴う、記者の養成、広告の獲得、印刷、輸送……。問題は山積していた。
 当時の印刷会社の工場長は、“いくらなんでも無理”と言ったという。入社2年目だった記者は“息つく暇もなかった”と回想する。
 しかし、一つ一つの難局を異体同心の団結で乗り越え、日刊化はスタートしたのである。
 この一大事業の功労者は無冠の友らであった。
 悪天候の日も、またリーダーの激励の手が届きづらい遠隔地にも“師の手紙を同志のもとへ”――地涌の使命に燃えた配達員の奮闘がなければ、決して実現し得なかった。
 そして、この日刊化で、誰よりも壮絶な執筆闘争を自らに課したのが池田先生だった。
 年頭から開始した小説『人間革命』の連載もまた倍以上に。その様子を担当者として間近で見てきた原田会長は、「その気迫、スピードのすさまじさに圧倒される日々でした」と語る。
 地方指導の際も、分刻みのスケジュールを終え、深夜まで原稿用紙に向かう先生。
 そのすべてが先師・牧口常三郎先生、恩師・戸田城聖先生の偉業を宣揚するのだという、弟子の誓願によるものだった。
 以来、半世紀以上――。真実の師弟の道を学び、決意を新たにした同志の勇気の対話で聖教新聞は拡大し、広布は大きく伸展。
 聖教電子版が誕生した今日、世界203カ国・地域にまで、生命尊厳の哲理と人間主義の歓喜の波動が、瞬時に届けられるようになった。
 「世界中の人に読ませたい」と戸田先生が熱望した時代が現実のものとなったのである。
 新型コロナウイルスが猛威を振るい続ける現在、“人間の機関紙”たる本紙の使命はますます深い。
 世界に燦たる師弟のドラマを! 何ものにも負けない人間革命の生き方を!
 一人の友へ生きる「活力の源泉」を! これからも広布の情熱に燃える同志と共に、確かな速度で届けていきたい。


◆きょうの発心 観心本尊抄 石川・金沢創価県長 古賀美純2020年7月15日

御文 天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか(観心本尊抄、254ページ・編545ページ)
通解 天が晴れるならば、地はおのずから明らかとなる。同様に、法華経を知る者は世間の法をも、おのずから得るであろう。

報恩感謝の思いで勝利の実証を
 「信心即生活」の真髄を示された御文です。
 大学卒業後、神奈川の地で就職しましたが、父が創業した会社に入るため帰郷。前職とは畑違いの仕事に困惑しながらも、学会活動に全力で励みました。
 かつてない弘教拡大に挑戦していた2003年(平成15年)、池田先生への名誉博士号授与式に参加。“社会で実証を示そう”と決意しました。以来、この一節を胸に、仕事と真剣に向き合ってきました。青年部時代には県内中を対話に走ったことが金の思い出です。
 2006年(同18年)に開催された第5回北陸総会では、先生から温かな激励をいただき、「師匠にお応えしよう」とさらなる誓いを立てました。
 壮年部進出後、会社の経営を継ぐことに。大きな壁にぶつかることもありましたが、同志や地域、社員の皆さまに支えられ、乗り越えることができました。
 今も経営者としての重責や、仕事と学会活動の両立等に格闘の日々ですが、自らが人間革命し、報恩感謝の思いで、創立90周年を勝ち飾ってまいります。


【先生のメッセージ】

◆〈心に御書を〉60 「困難を乗り越える力」を社会へ  2020年7月15日


(御文)

 日蓮が去ぬる文応元年太歳庚申に勘えたりし立正安国論今すこしもたがわず符合しぬ、此の書は白楽天が楽府にも越へ仏の未来記にもをとらず末代の不思議なに事かこれにすぎん(種種御振舞御書、909ページ)

(通解)
 (蒙古から日本を攻めるとの国書が送られたことで)日蓮が去る文応元年に勘えた立正安国論の予言が少しも違うことなく符合した。この安国論は、白楽天の楽府よりも優れ、釈迦仏の未来記にも劣るものではない。(このような予言の的中は)末法の世の不思議として、これを越えるものがあろうか。

〈指針〉
 いかなる災難にも、我らは「立正安国」の旗高く立ち向かう。
 御本仏が常にご一緒である。「四表の静謐」を共に祈る、全世界の地涌の宝友も頼もしい。
 妙法の師子吼は無力感を打ち破る。大誠実の対話は不信を信頼へ、分断を連帯へ転ずるのだ。
 生命尊厳の哲理の光で「困難を乗り越える力」を社会へ! 未来へ!


◆連載〈世界広布の大道〉小説「新・人間革命」に学ぶ 第21巻 御書編   2020年7月15日

絵・間瀬健治


絵・間瀬健治

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第21巻の「御書編」。小説で引用された御書、コラム「ここにフォーカス」と併せて、識者の声を紹介する。挿絵は内田健一郎。
  
一人立つ勇者のスクラム
【御文】
 一閻浮提に広宣流布せん事一定なるべし(御書816ページ、御講聞書)
【通解】
 全世界に広宣流布することは、間違いないことである。

【小説の場面から】
 平和の太陽は昇った。
 世界広宣流布の新しき幕は上がった。
 一九七五年(昭和五十年)一月二十六日――。(中略)
 この日、世界五十一カ国・地域のメンバーの代表百五十八人がグアムの国際貿易センタービルに集い、第一回「世界平和会議」を開催。席上、世界各国のメンバーの団体からなる国際的機構として、SGI(創価学会インタナショナル)が結成されたのである。
 そして、全参加者の総意として懇請され、山本伸一がSGI会長に就任したのだ。
 「生命の世紀」へ、「平和の世紀」へ、歴史の歯車は、大きく回り始めたのである。
 世界の恒久平和を実現するには、一切衆生に尊極無上の「仏」の生命を見いだす仏法の生命尊厳の哲理を、万人万物を慈しむ慈悲の精神を、人びとの胸中に打ち立てなければならない。それが広宣流布である。(中略)
 しかし、それは、ただ待っていればできるということではない。“この御本仏の御言葉を、虚妄にしてなるものか!”という弟子たちの必死の闘争があってこそ、広宣流布の大伸展はあるのだ。(中略)
 グアムに集った代表は、いずれも各国のリーダーであり、広宣流布をわが使命として立ち上がった闘士たちであった。創価の先駆者であった。
 その一人立った勇者たちが、スクラムを組み、SGIという世界を結ぶ平和の長城の建設に立ち上がったのである。(「SGI」の章、7~9ページ)
  
今まで以上に力を尽くす
【御文】
 魔競はずは正法と知るべからず(御書1087ページ、兄弟抄)
【通解】
 魔が競い起こらなかったならば、その法が正法であると考えてはならない。

【小説の場面から】
 <1975年(昭和50年)5月3日、山本伸一は、会長就任15周年を記念する式典でスピーチする>
 「長い広宣流布の旅路にあっては、雨の日も、嵐の日もあるでしょう。戦いに勝つこともあれば、負けて悔し涙をのむこともあるでしょう。しかし、勝ったからといって、驕って、虚勢を張るようなことがあってはならないし、負けたからといって、卑屈になる必要もありません。
 何があろうが、堂々と、また、淡々と、朗らかに、共々に使命の道を進んでまいろうではありませんか!
 前進が加速すればするほど、風も強くなるのは道理であります。したがって、ますます発展しゆく創価学会に、さまざまな試練が待ち受けているのは当然であります。
 日蓮大聖人は『魔競はずは正法と知るべからず』と仰せなんです」
 未来を予見するかのような言葉であった。
 「私は、いかなる事態になろうとも、情勢がどう変わろうとも、今までの十倍、二十倍、三十倍、五十倍と力を尽くし、皆さんを、創価学会を守り抜いてまいります。それが会長です。皆さんのために会長がいるのだと、私は心を定めております。何があろうとも、どんな困難に遭遇しようと、私は皆さんを守るために、一歩でも、二歩でも、前進するのだと決めて、力の限り戦います」
(「共鳴音」の章、235~236ページ)
  
ここにフォーカス 手遅れにならないうちに
 「共鳴音」の章に、山本伸一が、ローマクラブの創立者であるアウレリオ・ペッチェイ博士と語らう場面が描かれています。
 1972年(昭和47年)、ローマクラブは、資源の有限性を警告したリポート『成長の限界』を発表。それにより、ローマクラブの名は世界で知られるようになりました。
 ペッチェイ博士は、食糧不足や資源の枯渇、環境汚染など、人類が抱える危機を乗り越えるためには、人間自身のエゴの克服が必要と指摘し、「人間性革命」を提唱しました。その博士が、伸一との対談を通して、より根源的な「人間革命」の必要性を主張するようになります。
 両者の語らいは5度に及び、往復書簡も交えた内容は、対談集『21世紀への警鐘』(邦題)に結実。その最後は、ペッチェイ博士の次の言葉で締めくくられています。
 「人間革命こそが、新しい進路の選択と、人類の幸運の回復を可能にする積極的な行動の鍵なのであり、したがって、われわれは人間革命を推進すべく、力の及ぶかぎりあらゆる手を尽くさなければなりません――手遅れにならないうちに」
 社会は感染症の流行や気候変動に伴う大規模災害など、多くの困難に直面しています。自他共の幸福の実現を祈り、自身の人間革命に挑戦するのは、「今」なのです。


【聖教ニュース】

◆「世界の友は今」 第11回 アルゼンチンSGI・フェルナンデス理事長
コロナ禍の苦闘を新たな時代開く「因」に

 新型コロナウイルスの感染拡大が進む南米。アルゼンチンの感染者数は6月から急増し、今月13日時点で10万人を超えている。感染のピークはまだ先ともいわれ、不安が広がる。創価の友は、この困難にどう立ち向かい、励ましを広げているのか。アルゼンチンSGI(創価学会インタナショナル)のフェルナンデス理事長に話を聞いた。

感染防止と経済活動再開のジレンマ
 ――アルゼンチンでは、中南米の各国に先駆けて、ロックダウン(都市封鎖)などの厳しい感染防止策が実施されました。
 
 3月20日に外出禁止令がアルゼンチン全土に発令され、当初は感染を制御できていました。しかし経済活動の再開に伴い、6月から感染が大幅に拡大。
 6月末の感染者数は、5月中旬の約5倍の水準にまで増加しました。
 全土の感染者数の90%以上が、ブエノスアイレス首都圏の住民で占められていたことから、首都圏のロックダウンの期限も、6月28日から今月17日まで延長されたのです。
 外出禁止令の延長に伴い、失業者は増加の一途をたどり、今後の生活への不安が社会全体に広がっています。
 そんな中、南米では冬を迎え、さらなる感染拡大の懸念も高まっており、私たちは感染防止と経済活動再開のジレンマに直面しています。

自治体などに保存食やマスクを寄付
 ――アルゼンチンSGIでは、コロナの感染拡大に対して、どのような対応をしてきましたか。
 
 外出禁止令が出る前の3月13日から全ての会館を閉館し、会合や訪問による激励も中止しました。
 また外出禁止令が出された直後、緊急時の会館の使用や、コロナ禍における、さまざまな問題解決への支援などを約束する書簡を大統領に提出し、各地域の自治体にも同じ申し出をしました。
 さらに、保存食や清掃用品などを7以上の自治体等に送り、池田青年文化センターが立つブエノスアイレス州カニュエラス市には、1万枚のマスクを寄付しました。池田先生が示された「良き市民たれ」との指針を胸に、“今こそ社会貢献を”と行動を起こしたのです。

アルゼンチンSGIの代表がサルミエント市の町メディア・アグアに保存食や清掃用品などを寄付

仏法セミナーに1万6千人が参加

 ――アルゼンチンでは、オンラインによる励まし合いや集いが、活発に行われていると伺いました。
 
 厳格な外出規制が敷かれたこともあり、私たちはさまざまなオンラインの媒体を利用して、「誰も置き去りにしない」との決意で、励ましを広げてきました。
 座談会や、婦人部結成記念大会など部別の催しもオンラインで実施。医療関係者・専門家によるコロナ対策の講座や、婦人・女子部を対象にしたメーキャップ講座なども行い、好評を博しています。
 また毎月、オンラインの仏法セミナーを開き、人間主義と生命尊厳の哲理を語りながら、弘教にも励んでいます。コロナ禍の中でも続けてきたセミナーには、これまで1万6000人以上が参加しました。社会が困難に直面する時だからこそ、多くの人が仏法を求めていることを実感します。
 また池田先生の会長就任60周年を記念した「5・3」の大会は、オンラインで全土に配信。2万2000人の会員が視聴しました。
 ある男子部員が「どんな状況にあっても、弟子の一念が定まれば、広布の前進は阻まれることはないと実感しました。この大会が池田先生との師弟の原点です」と語っていたことが印象的でした。
 また青年部では、この期間に何曲もの愛唱歌を作成しました。「5・3」には、「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)との御金言をテーマにした「春」という愛唱歌を発表し、希望の歌声が全土に響きました。

首都ブエノスアイレスに立つアルゼンチン平和講堂
オンライン上でも広布拡大の息吹が燃える
 ――困難の中でも、新しい時代を開こうとする青年部の勢いを感じます。
 
 青年部では、新型コロナウイルスの感染が広がり始めた時期から、自宅での待機と唱題を呼び掛ける運動を行い、皆で目標を決めて真剣な唱題に取り組んできました。外出制限が始まってからは、より多くの青年部員がこの運動に参加し、さまざまな信仰体験も生まれています。
 また青年部は、最前線の組織である「班」に重点を置き、メンバーへの励ましに力を注いできました。そうした中で多くの青年部員が立ち上がり、4月と5月のオンライン座談会には、かつてない数の友人が参加したのです。青年部の挑戦によって、オンライン上でも“広布拡大の息吹”が全組織に波及しています。
 小説『新・人間革命』第12巻「愛郷」の章には、長野で群発地震が続く中、同志が地域に希望を送ろうと仏法対話に奮闘する様子が描かれています。池田先生はこうした姿を通して、「不安や恐怖は伝染するが、勇気もまた、伝播するのである」と記されています。
 この指導を胸に刻み、青年たちは勇んで広布拡大に挑戦しています。

未来本部が作成した動画を楽しく視聴する未来部員。同本部は未来部メンバーのために、動画チャンネルも開設している
医師として奮闘する婦人部のメンバー
 ――壮年・婦人にもその「勇気」は伝播していますね。
 
 はい。壮年・婦人も青年に負けてはいられません。多くのメンバーが、地域と社会で信頼の実証を示しています。
 婦人部のアリシア・グティエレスさんは、腎臓病の専門医師として、エントレ・リオス州の病院に勤めています。国内で新型コロナの患者が増える中、この新しい病気に恐怖や不安を感じる同僚医師らを励まそうと決意。その姿勢に院内のある医師から信頼が寄せられ、彼女は専門外でしたが、市内最大の病院でコロナ治療に携わる推薦を受けました。
 その際、その医師から「専門的知識ではなく、同僚や患者に誠実に向き合うあなたの人間性が、コロナの医療現場には必要なのです」とたたえられたそうです。
 またグティエレスさんは仕事を終えた後、婦人部員への励ましの電話を続けており、多くの同志に勇気を送っています。

ブエノスアイレスから西に20キロに位置するモロン市に、支援物資を寄贈するアルゼンチンSGIの代表
専用アプリで励ましを広げる
 ――コロナ禍の中でのメンバーの活躍は、オンラインで配信しているそうですね。
 
 アルゼンチンの機関誌「ウマニスモ・ソウカ(創価の人間主義)」は、外出禁止令によって、印刷を中止せざるを得なくなりました。そこで現在は、メールで記事を配信しています。池田先生の長編詩や、信心根本にコロナ禍と闘う友の体験などに、大きな反響が寄せられています。
 また私たちは、アルゼンチンSGIのスマホ専用アプリを開発しました。このアプリでは、日々の唱題の時間を記録したり、アルゼンチンSGIが運営する全ての公式SNSにアクセスしたりできます。基礎教学なども学べることから、友人への仏法対話の際も活用されています。

アルゼンチンSGIの機関誌「ウマニスモ・ソウカ(創価の人間主義)」。現在は外出禁止令で印刷ができないため、メール等で池田先生の指導や、メンバーの奮闘の様子などを発信している
アンデスのごとき堅固な人材山脈を!
 ――最後に、現在の思いや決意を聞かせてください。
 
 池田先生は3月に発表された随筆で、「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」(御書234ページ)との御文を拝し、こう呼び掛けられました。
 「諸難を一つまた一つ、勝ち越えながら、いやまして『仏界』という最極の生命の大連帯を、地球社会へ広げていこうではないか!」と。
 私たちは、このご指導を胸に、アルゼンチンの隅々にまで、希望の励ましを広げていこうと決意しています。
 地涌の菩薩としての私たちの戦いによって、コロナがもたらした苦難を、新たな人間主義の時代を開くための「因」へと転じていくことができます。
 後継の青年たちを先頭に、アンデスのごとく堅固な人材の山脈を築き上げ、学会創立90周年の「11・18」を断じて勝利で飾ってまいります。


【特集記事・信仰体験など】

◆ 未来の宝と共に 池田先生の書籍に学ぶ
テーマ「できれば苦労したくない」​

〈池田先生の言葉〉
 長い人生でいえば、みなさんの時代は、ちょうど「土台を築くとき」です。今、悩んだり、苦しんだりしていることは、全部、みなさんの人生の土台を、強く丈夫なものにしてくれます。苦労は、幸福の土台なのです。 
 だから、どんなに大変なことがあっても、決して負けないでください。
 「創価の城」の王子王女とは、何があっても「負けない人」のことです。
(『希望の大空へ』214ページ)

新聞奨学生として苦学の日々
 信心強盛な母の姿を見て育った私は、幼心に信心の素晴らしさを感じ、時折、勤行・唱題に挑戦していました。
 高校3年の時、進路をどうするか悩んでいました。わが家は経済的に貧しく、大学進学は厳しい状況でしたが、調べていく中で「新聞奨学生」という制度を知りました。これは一般紙の販売店の寮に住み、新聞配達をする代わりに新聞社が学費を出してくれるというものです。 
 当時、見つけたのは首都圏の私立大学に通う学生への支援でした。「それなら創価大学で学んでほしい」との母の後押しを受け、創価大学の受験を決意。猛勉強を重ね合格を勝ち取り、新聞奨学生として進学しました。
 
 希望を抱き進んだものの、大学1年目はとても苦労しました。新聞配達を欠かさず行うため、毎日、夜中に起床し配達の準備。午前5時ごろに朝刊を配り終え、9時には大学へ。講義を受け終えるとすぐに夕刊の配達。そんな目まぐるしい日々に“どうしてこんなに苦労しなければいけないのか”と悩みが深くなっていきました。

悩みや障害こそ成長の糧に
 苦しんでいる時に、励ましてくださったのが創立者・池田先生でした。夏休みに入る頃、先生から「私が創った大学に来てくれてありがとう」との伝言と真心の激励をいただいたのです。
 “一学生のためにここまで心を尽くしてくださるのか”と感動し、先生のことを知ろうと小説『人間革命』などを学ぶように。その中で先生ご自身も新聞配達をされていたことを知り、大きな励みになりました。 
 また、相談に乗ってくれる先輩たちに出会い、勤行・唱題にも挑戦。すると、それまでの後ろ向きな感情から“自分が成長できる最高の環境なんだ”という前向きな心に変わり、全てに感謝できるようになりました。 
 この時の経験があったからこそ、苦労している人に寄り添い、励ましを送れる自身に成長できたと実感しています。
 池田先生は「苦労をたくさんした人は、みんなの気持ちがわかるようになります。自分が苦しんだ分だけ、友を励ましていける人になれます」とおっしゃっています。 
 今、さまざまな悩みや障害に直面し、苦労している人も少なくないかもしれません。しかし信心根本に立ち向かっていけば、それは自身を大きく成長させてくれる糧(かて)になっていきます。私も皆さんと共に、悩みに負けず挑戦し、前進していきます! 


◆信仰体験 〈20代のリアル ボクらのイマ。〉大学落ちて、人生終わったと思った
今が一番エンジョイしてる!

<2019年(平成31年)3月、大学進学を直前に控え、岡部健太さん(20)=千葉県柏市、学生部グループ長=の胸は不安でいっぱいだった>  ​​

 大学受験は国立一本に絞ってました。行きたい大学があったのもそうだけど、親の負担を少しでも軽くしたかった。
 “絶対大丈夫”って思ってたのに、結果はまさかの不合格。「あーダメだったかあ」って軽いノリでごまかしたけど、僕の人生どうなるんだろうって、一人になると泣きました
 不安でイライラしちゃって、親ともけんかして口きかなくなって、反抗期かって感じですよね(笑い)。結局、唯一受かったのは併願で受けていた私立の2部でした。

 <大学生活がスタートしても心のモヤモヤは拭えなかった。漠然とした不安が付きまとう>
 

 受かった時はうれしかったけど、ふと、われに返ってみると怖くなった。周りに夜学に通う友達もいなかったし、未知の世界っていうか。
 やっぱり社会人が多いのかなとか、女の子は少ないのかなとか、勝手なイメージばっかり膨らんじゃって。SNSで同じ大学の人を、めっちゃ探しました(笑い)。
 通い始めて実感したのは、とにかく今までの友達と時間が合わないこと。みんなが大学通ってる時に自分はバイト、みんなが大学終わったら、自分は講義が始まる。友達には「あー夜学か。仕方ないね」って、その微妙な反応は何?って感じ(笑い)。
 夜学って言うことを、ためらうようになっちゃいました。

 <学生部の先輩が訪ねてくるようになったのはこの頃>

 会合とかにも参加してみたんですけど、なんか“ノリ”が苦手でしたね(笑い)。適当な理由をつけては、会合を断ってました。
 ビックリしたことに、全然諦めてくれないんです。やる気がないことはバレてたと思うんですけど、それでもずっと信心の大切さを語ってくる。
 しかも押し付けじゃなくて、なんかこう肩に手を回す感じっていうか、寄り添う感じっていうか(笑い)。
 気が付いたら、先輩に言われるまま、友達に信心のことを語ってました。先輩があれだけ言うんだから、信心には何かあるのかもって思ったんですかね。

 飛翔会(2部学生のグループ)にも参加するようになって。みんな僕と同じようなことで悩んでた。 でも違ったのは、僕が妥協してきたことに、信心で立ち向かってたこと。「夜学」を使命と捉え、誇りに変えてた。
 そういう姿を目の当たりにして、僕も今が成長するチャンスだなって。ネガティブな自分、いざという時に挑戦できない自分を変えようって思えたんです。

 <積極的に学会活動に参加するようになると、周りの景色が変わったことを実感した>



 今では、友達にも胸張って“夜学”って言ってます。むしろ自分が何を頑張ってるのかを伝えることが大切だって気付いたんです。
 新しく入学した後輩にも積極的に声を掛けて、勉強を教えたりしてます。「先輩ってモテそうですね」とか言われて、成長を感じました(笑い)。美容関係の研究者っていう夢もできたし、そのために大学院を目指したい。
 池田先生がかつて「私も夜学に学んだ。二部学生は、皆、私の大切な後輩たちだ」って激励してくださって、僕は池田先生の後輩なんだって、胸を張ってます。社会に貢献できる人に成長したいです。
 第1志望に落ちた時は人生終わったって思ったけど、今はやりたいことがいっぱいある。
 20年間生きてきて、この1年が一番濃かった。信心と日常生活が一致してるっていうか、お互いに作用し合ってる。だから楽しいのかな。人生で今が一番エンジョイしてます!


◆信仰体験 子どもたちの「食の健康」支える栄養教諭  県の献立コンクールで知事賞

「食事に好き嫌いのある生徒が卒業を迎える頃には、見事に克服しています」と同僚教諭の評。本橋さんは、子どもたちに興味がわくよう工夫した授業を行っている ​

“愛情”という調味料注ぐ
 【宮城県岩沼市】白米に三陸産ののりを加え、鶏ガラスープと、ごま油を混ぜて炊き上げた「ノリノリごはん」。
 白石産の卵を使った「カラフル千草焼」や地場産野菜の土佐漬、岩沼市の郷土料理で具だくさんの「八平汁」がお盆に並ぶ。ミニトマトとオレンジも添えられた。
 これは、第7回「宮城県学校給食『伊達(だて)な献立』コンクール」で、最高賞の宮城県知事賞に輝いた給食のメニューだ(昨年12月)。
 受賞したのは、本橋由江さん(50)=副白ゆり長=が勤める県立支援学校岩沼高等学園。同コンクールは、栄養教諭、学校栄養職員や調理従事員が、地産地消はじめ、さらなる学校給食の充実を図るもの。
 「子どもたちが『おいしかったよ! また作ってね!』と言ってくれる姿を思い浮かべて考えたメニューです。これからも自信をもって提供できます」  
 栄養教諭の本橋さんは、学校給食を作り続けて30年。自ら調理場に立つことを信念とし、“手作り給食”に情熱を注いできた。  

 調理に妥協はしない。野菜それぞれに含まれる水分量などの違いから、ゆで時間を分刻みで調整。彩(いろど)りの鮮やかさにも余念がない。  
 また一人一人の食物アレルギーを調査し、除去食、代替食を提供。生徒が校外活動などで出掛ける際には、教職員にアレルゲンとなる食材に留意するよう伝える役割なども担う。

「こっちは大丈夫!」「そっちはどう?」と、調理員さんとのテンポの良いコミュニケーションを取る本橋さん

 そんな本橋さんには“食の原点”がある。
 小学生の頃だった。共働きだった両親の帰りを待ちながら、祖母(故・サダさん)が夕飯の準備を。 合間に祖母は俵型(たわらがた)のみそおにぎりを作ってくれた。炊きたてのお米をシワシワの手に載せ、みそを覆うように塗(ぬ)る。
 祖母の手は見る見る真っ赤に。“おばあちゃんの愛情”がこもったおにぎりは絶品だった。 

 食への関心を深めた本橋さんは、短大の食物栄養専攻へ。栄養士の資格を取得し、卒業後の1990年(平成2年)から学校栄養職員として、小学校に勤めた。献立作りのほか、食育の授業も担った。 だが当初は、栄養士が教壇に立つことを快く思わない人もいて、厳しい言葉をぶつけられたことも。
 ある学校では、本橋さんの献立に、ベテランの調理主任から細かな指摘が。  
 感情的になる本橋さんに、「題目だよ。自分が変われば周りも変わるよ」との母(故・記代さん)の一言が胸に刺さった。  
 真剣に唱題する中で、ぶつかった調理主任に“一から調理を学び直そう”と心を入れ替えた。
 翌朝から調理場に入り、現場の調理員と苦労を共にした。
 1年後、調理主任から「私ら助けっから献立を作んなさい」と。本橋さんの努力が実った瞬間だった。
 2005年、食育推進の中核となる「栄養教諭」制度が始まると、栄養教諭を目指すことを決意する。 仕事をしながら苦学し、4年後、教員採用試験に合格。
 活躍の場を広げ、給食の管理、食育の授業のほか、保護者や生徒に食事指導なども行っている。  
 池田先生は語っている。
 「『常識豊かに』『礼儀正しく』、人格の光る振る舞いこそ、信仰者の証しである」  
 本橋さんは、師の言葉を胸に笑顔を心掛け、食を守る実践を重ねてきた。

 3年前のある日、給食の時間に食堂の前で生徒を迎えていると、ある生徒が不安そうな顔をしていた。
 本橋さんが笑顔で声を掛けると、たちまち元気を取り戻し、みんなの輪の中へ加わった。
 彼は卒業文集に、その時の喜びをつづった。<本橋先生は僕の気持ちをさわやかにしてくれた――>
 本橋さんは県の栄養士会の代表を経て、昨年から全国学校栄養士協議会の理事に。災害時における学校給食用の非常食開発の研究にも携わっている。  
 子どもたちの「食」を取り巻く環境は厳しい。偏食や肥満、食物アレルギーの問題、一人で食事をする「孤食」の増加など、食生活の乱れは深刻だ。  
 そんな中、本橋さんは、食育の授業をする「ティーチャー」、地場産の食材を調達し地域との連携を図る「コーディネーター」、さらには生徒や保護者に食事のアドバイスをする「カウンセラー」の3役を担っている。
 「食育を通し、生徒や教職員の心と体の健康を支え、皆の笑顔を守っていく。それが私の使命です」と、本橋さんの奮闘は続く。 (東北支社編集部発)

2020年7月14日 (火)

2020年7月14日(火)の聖教

2020年7月14日(火)の聖教

◆わが友に贈る

 目の前の山を登ろう!
 「未来の果」は
 「現在の因」にあり。
 勝利の頂を目指して
 悔いなき今日一日を!


◆名字の言 歌舞伎囃子の九代目田中佐太  郎氏。芸の品格を高めるには?

 “もし彼女がいなかったら今の歌舞伎囃子はない”と評されるのは、歌舞伎囃子田中流の九代目田中佐太郎氏。十一世家元・傳左衛門の三女として生まれ、半世紀にわたり舞台に立つ一方、後進の育成にも力を尽くしてきた▼氏は、人間国宝の父から“陰の正直であれ”と、よく言われたという。人が見ていようがいまいが勉強し、努力を欠かさない。それが必ず舞台に生きてくる、と▼例えば舞
台に設けられた小部屋「黒御簾」での効果音の演奏。人目がないからと油断すれば、鼓を構える肘が下がったり、太鼓の撥を取る時に雑音が出たりする。そうした姿勢は、必ず演奏にも表れる。技術だけではなく「見えないところにも心を配ることで芸の品格が育つ」(『鼓に生きる』淡交社)▼日蓮大聖人は、苦難と戦う四条金吾に「仏法の中に内薫外護と申す大なる大事あり」(御書1170ページ)と仰せになった。「内薫」とは、妙法の実践によって生命に内在する仏性が内から薫り出てくること。その内薫によって外から守り助ける働きが現れることが「外護」だ▼厳しい局面こそ、自らがやるべきことに徹する。自分の外に禍福の因を求めるのではなく、自身の挑戦によって道を切り開いていく。不屈の心こそ、日蓮仏法の真髄である。(誼)


◆寸鉄

この世の悲惨をなくす中
に仏法の実践があるのだ
―恩師。立正安国の道を
     ◇
岩手の日。愛する郷土に
希望拡大!開拓魂燃える
人間王者はスクラム固く
     ◇
石川婦人部の日。誓願に
生きる創価の幸の太陽。
さあ地域に友情の光を!
     ◇
青年部、オンライン会合
で普段より参加者増。新
たな活動様式、皆で工夫
     ◇
前向きな心はアレルギー
等の症状を改善―研究。
楽観主義こそ健康の良薬


【教学】

◆明日を照らす テーマ:恩に報いる   2020年7月14日

 「世に四恩あり之を知るを人倫となづけ知らざるを畜生とす」(御書491ページ)――恩を知り、恩に報いることこそ、人としての道です。
 池田先生は「恩に報いる生き方のなかに、真実の偉大さがあり、人間としての完成がある」「最高の報恩の道を教えたのが仏法である」と教えてくださいました。
 今回の「明日を照らす」では、「恩に報いる」をテーマに学んでいきましょう。

開目抄
 仏法を学せん人・知恩報恩なかるべしや、仏弟子は必ず四恩をしって知恩報恩をいたすべし(御書192ページ)

皆への感謝が向上の力に
 【通解】仏法を修学する人が、恩を知り、恩を報ずることがなくてよいはずがない。仏弟子は、必ず四恩を知って、知恩・報恩の誠を尽くすべきである。
                         ◇ 
 日蓮大聖人は、「開目抄」「報恩抄」をはじめ、諸御抄で、恩を知り、恩に報いる大切さを教えられています。その基盤となっている考え方に“森羅万象は互いに支えあって存在している”という縁起の思想があります。
 経典における「報恩」の原語は、サンスクリット(古代インドの文語)の「クリタ・ジュニャー」と考えられています。「なされたこと」(クリタ)を「知る」(ジュニャー)という意味です。
 多くの人々のおかげで今の自分があることに感謝できる自分に成長し、今度は自分が皆のために尽くしていく――。真の「報恩」とは、人間性豊かな感情の発露としての振る舞いであるといえるでしょう。
 大聖人は「大恩に報いるためには、仏法を学び究め、真の智者となって、恩ある人々を導いていかなければならない」(御書293ページ、趣意)と、民衆救済の誓願を立てられ、妙法弘通の御生涯を貫かれました。
 この御本仏のお心を受け継ぎ、万人成仏の法を自ら実践し、友人に弘めているのが、私たち創価学会員です。全ての人の幸福を願い、世界に希望の光を送っていく――これこそ人間性輝く報恩の生き方です。
 池田先生は「報恩の人生に、行き詰まりはありません。父母や師匠をはじめ、今の自分を築かせてくれた一切の人々への感謝と報恩の決意が、自身を向上させる原動力となります」と教えられています。

壮麗な城郭から「羽州の名城」と知られる上山城(山形県上山市)。堅固な土台の上に人生の勝利は築かれるⒸPIXTA

清澄寺大衆中
 恩をしらぬ人となりて後生に悪道に堕ちさせ給はん事こそ不便に候へ(御書895ページ)

師弟の道を貫こう
 【通解】(退転した女性門下が)恩を知らない人間となって、後生に悪道に堕ちることがかわいそうでならない。
                     ◇ 
 日蓮大聖人は、知恩・報恩の大切さを説くとともに、不知恩・忘恩の輩を「不知恩の畜生」(御書204ページ)と厳しく糾弾されています。
 大聖人が佐渡流罪に処せられた時、疑いを起こして信仰を捨てただけでなく、大聖人を賢しげに批判する門下が現れました。
 そうした輩に対し「こうした愚か者たちが、念仏者よりも長く阿鼻地獄にいるであろうことは不憫としか言いようがない」(同960ページ、通解)と述べられています。
 退転者の本質について、大聖人は「臆病で、教えたこともすぐ忘れ、そのうえに欲が深く、疑いが多い者たち」であるとし、「漆の塗り物に水をかけて、空中に振って水が落ちるようなもの(教えたことが何も残っていない)である」(同1191ページ、通解)と喝破されています。
 創価学会の歴史を振り返ってみても、戸田先生の事業が最大の苦境に陥った時、それまで大変にお世話になり、口を開けば「先生、先生」と慕っていたにもかかわらず、手のひらを返したように先生を罵りながら去った者がいました。そうした中、必死に戸田先生を支え守ったのが池田先生です。
 不知恩・忘恩の輩を退け、知恩・報恩を大事にするまっとうな社会を築いていくことは、民衆の境涯を高めていくことにもなります。
 どんなことがあろうとも、感謝の心を忘れず、師弟の道を断固、貫いていく――。不退転の生き方こそ、真の報恩の道にほかならないのです。


【聖教ニュース】

◆池田先生の会長就任60周年「記念映像上映会」を各地で開催

池田先生の第3代会長就任60周年の記念映像から
池田先生の第3代会長就任60周年の記念映像から

 池田大作先生の第3代会長就任60周年の「記念映像上映会」が、10日から始まった。
 新型コロナウイルスの感染防止に万全の対策を取りながら、各地の会館等で順次、開かれる(開催日時・単位・参加人数は各県・区で決定)。
 記念映像のタイトルは「指揮は われにと――不滅の第三代会長就任式」。今回、初めて公開される貴重な写真や音声などもあり、第2代会長・戸田城聖先生の後を継ぎ、一人立たれた池田先生の真情と広布伸展の軌跡に迫る。
 創立90周年の「11・18」へ、師の闘争に連なる実践を約し合い、新たな出発を切る契機となろう。

恩師の遺言“一歩も退くな!”
 1960年(昭和35年)5月3日、東京・両国の日大講堂――。
 恩師・戸田先生が逝いて2年。全学会員が待ちに待ったその日が訪れた。
 初夏の陽気に包まれる中、全国の代表約2万人が集い、池田先生の第3代会長就任式が挙行(すいこう)されたのである。
 「若輩(じゃくはい)ではございますが、本日より、戸田門下生を代表して、化儀(けぎ)の広宣流布を目指し、一歩前進への指揮を執(と)らせていただきます!」
 青年会長による広布誓願の大師子吼(だいししく)。瞬間、大鉄傘(だいてっさん)を揺るがす雷鳴(らいめい)のような拍手が沸き上がった。
 先生は続けた。“恩師の7回忌までに、300万世帯を成し遂げたい”と。
 そして、学会歌「威風堂々の歌」が響き渡り、歴史的な式典は幕を閉じた。
 以来、池田先生は全国・全世界を駆(か)け巡(めぐ)り、折伏の大旋風を起こした。池田門下の弟子たちは「一歩前進」を合言葉に、師弟共戦の闘争で続いた。
 62年(同37年)11月、学会は目標を上回るスピードで300万世帯の弘教を成就。会長就任10周年を迎える70年(同45年)1月には、755万7777世帯に。恩師の時代の実に10倍の陣容へと発展を遂げた。
 同年4月、戸田先生の13回忌法要で、池田先生は「750万世帯の達成」を恩師に報告。“「一歩も退くな!」との戸田先生の遺言を強く胸に刻み、勇気凜々(ゆうきりんりん)、再びの前進を”と訴えた。
 本年は、池田先生の会長就任から60周年の大佳節。“恩師への誓いを果たさん”と決然と立ち上がった先生の闘争に連なり、今再び、我ら池田門下の師弟誓願の大行進を開始する時である。

 民衆の幸福と安穏のために! 世界の平和と前進のために!
 
師弟の大行進を今再び
 上映会では、記念映像に先立って、原田会長の指導の動画が流された。
 会長は、コロナ禍の中、奮闘する「無冠の友」をはじめ全同志に心から感謝。そして、学会創立90周年の「11・18」、さらに100周年の2030年へ、池田先生の心を学び、先生の心をわが心として、今再びの前進を開始しようと訴えた。

感染防止対策を徹底しなが