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2020年6月27日 (土)

2020年6月27日(土)の聖教

2020年6月27日(土)の聖教

◆わが友に贈る

 「励まされる側」から
 「励ます側」へ!
 目の前の「一人」を
 徹して大切に!
 そこに広布の直道が。


◆名字の言 子どもたちの生命を守ったもの――映画「未来への伝言」 2020年6月27日

 「未来への伝言」という映画がある。大流行したポリオ(小児まひ)から子どもたちの生命を救うため、ソ連(当時)の生ワクチンを入手しようと運動した日本の母親たちと、大量のワクチンを製造したソ連の医学者たちの奮闘を描く▼日本で大流行したのは、東西冷戦下の1960年。北海道を中心に感染は瞬く間に拡大し、年間報告患者数は5000人を超えた。300人以上が犠牲になっている。当時、有効とされた生ワクチンは国内使用が認められておらず、研究が進んでいたソ連からのワクチン寄贈の申し出もストップがかかった▼翌61年も流行は続き、「ポリオ患者発生数即日集計」が毎日、報道された。生ワクチンを求める声は国民運動となり、国は1300万人分の緊急輸入を決定。ソ連からは1000万人分が届けられた。ワクチン投与後、流行は急速に収束した▼「私も克服を真剣に祈った」。池田先生は第3代会長就任直後でもあった状況を振り返り、こう強く語っている。「『わが子を救いたい!』という母親たちの一念と、『日本の子どもを救いたい!』というソ連の医師の一念が、国家のコンクリートの壁を壊した」▼尊き生命を守るためには国境を超えた「人間としての連帯」が不可欠――これが未来への伝言だろう。(側)


◆寸鉄

「法華経は宝の山なり人
は富人なり」御書。妙法の
力は偉大。確信の題目で
     ◇
天を晴らすような信心で
生活照らせ―牧口先生。
今いる場所で輝く実証を
     ◇
結成50周年の未来会の日
誓い貫く人生こそ崇高。
生涯、共戦の道を進め!
     ◇
「勝利は最も根気のある
者にもたらされる」英雄。
苦闘の先に歓喜は厳然と
     ◇
7~9月は平年より暑さ
厳しく。熱中症に注意を。
水分・塩分補給、小まめに


【教学】

◆〈みんなで学ぶ教学〉8  難を乗り越える信心  試練に打ち勝ち境涯を開こう

 カツヤ ユタカ支部長! 仏法対話に挑戦しようと決意していたのに、なぜこんなことに……。
 
 ユタカ カツヤくん。それはショックだよね。気持ちは分かるよ。でも、そんなことでせっかくの決意を失ってはいけないよ。
 私も“もっと広宣流布のために頑張ろう”と決意した直後、突然病気で入院することになって、同じように思ったことがあったなあ。
 
 カツヤ ユタカ支部長でも「信心しているのに、なぜ」と思ったことがあるんですね。
 
 ユタカ もちろんあるさ。でも、先輩や同志の励ましで、“絶対に負けられない”と毎日真剣な唱題に挑戦するようになったんだ。今は治って前よりも元気だし、病気のおかげで信心の確信が深まったと感じているよ。
 
 カツヤ そんなことがあったんですね。でも、どうして頑張ろうと思った時に邪魔されるんですか?
 
 ユタカ それを仏法では「魔」というんだ。信心を実践し、自身の生命を変革しようとしている人には、それを阻もうと「魔」が競い起こるんだ。
 御書に「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る」(御書1087ページ)とあるように、信心が深まると「三障四魔」というさまざまな障害が必ず現れる。
 試練に直面したということは、カツヤくんが前進しているということなんだ。
 
 カツヤ そうなんですか? 三障四魔は、3と4で7種類あったりするんですか?
 
 ユタカ 鋭いね! 「三障」とは「煩悩障」「業障」「報障」のことで、「障」とは、障り、妨げということなんだ。
 「四魔」には「陰魔」「煩悩魔」「死魔」「天子魔」があるんだ。「魔」とは、仏道修行者の生命から、輝きを奪うはたらきのことだよ。
 
 カツヤ なんか全部、強そうですね……。
 
 ユタカ 例えば、インターネットの動画に夢中になって勤行を忘れたり、上司や家族に信心を反対されて不安になったり、さまざまな形で現れるんだよ。
 
 カツヤ えー。なんか負けそうです。

 ユタカ 大事なことは、魔を魔と見破ることだよ。日蓮大聖人は「難来るを以て安楽と意得可きなり」(同750ページ)と仰せなんだ。
 信心に励んでいる時に起こる難は、例えるなら、自転車に乗っていて、長くて急な坂道に遭遇するようなものだよ。でも、その坂を登り切った時に、見晴らしの良い景色が広がる。心がぱっと明るくなるだろ。苦難の坂を登り切ることで、境涯を大きく開いていけるんだ。
 やがては、どんな坂でも登っていける力が付く。何があっても人生を楽しんでいくことができるんだ。
 
 カツヤ 最近、自転車で通勤しているので、実感があります。「難」が起きたとしても、乗り越えればいいんですね。
 
 ユタカ そうだね! “勤行しようかな”“学会活動をがんばろうかな”という時に、それを妨げることが起きたら、まずは「三障四魔だ!」と見破っていくことだよ。そして「成長している証し」と、負けずに信心に挑戦していこう。
 池田先生は「正しいからこそ、苦難がある。戦うからこそ、悩みも大きい。その試練を乗り越える中で、一段と境涯が開かれる」と指導されているよ。
 
 カツヤ 「対話は諦めよう」と思った今が、成長のチャンスなんですね! さっそく決意の唱題をしようと思います。
 
 ユタカ すばらしいね。じゃあ“同盟唱題”しようか!

質問BOX〉   家族や周囲から信心を反対されます。
質問
家族や周囲から信心を反対されます。

回答
 親しい人から反対されるのはつらいものです。しかし、反対されるということは、“自分のことを真剣に思ってくれている”と考えることもできます。親しい人からの批判や反対のほとんどは、創価学会に対する無認識から生じた、誤解によるものです。
 大事なことは、自分自身が信心によって成長することです。その中で“消極的な自分が積極的に変わった”“思いやりをもって行動できるようになった”という「人間革命」の姿が、必ず周囲の誤解を解いていきます。それこそが本当の意味で、家族や友人を大切にすることになります。
 池田先生は「決して焦ることはない。まず、自分が立派に成長する姿を見せて、安心してもらうことだ」と語っています。
 真心が家族や友人に伝わるよう、焦らず日々の学会活動に挑戦していきましょう。


【聖教ニュース】

◆東京富士美術館でフラワー展 7月3日にオープン  2020年6月27日
 「花」をテーマとした絵画や工芸品

    • ラウル・デュフィ 「アネモネ」 1942年 水彩・グァッシュ、紙 東京富士美術館蔵

ラウル・デュフィ 「アネモネ」 1942年 水彩・グァッシュ、紙 東京富士美術館蔵

 現在臨時休館中の東京富士美術館(八王子市)が7月3日から開館し、「Flower×Flower展」がオープンする。
 同展では、「花」をテーマにした古今東西の絵画や版画、ガラス工芸、陶器、写真などの名品が共演。全て同美術館の所蔵品から厳選されたものである。
 時代や国を超えて人々に愛されてきた花。その魅力をさまざまな芸術家の着想や構図、色彩表現を通して再発見する機会となろう。
 【案内】会期は7月3日(金)から8月23日(日)まで。月曜休館(ただし、8月10日は開館し、翌11日は休館)。開館時間は午前10時から午後5時(入館は同4時半まで)。入場料などの詳細は東京富士美術館のホームページを参照。
 ※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、来館の際は、マスク着用、健康チェックシートの提出をお願いします。入場制限等を行うことがあります。


◆独りにはさせない!――コロナ禍の在日外国人 連載〈危機の時代を生きる〉 2020年6月27日

 世界保健機関(WHO)は、世界の新型コロナウイルス感染者が急増し、近く1000万人に達すると警戒している。
 首都圏在住で英語を話す海外メンバーの集い「東京インタナショナル・グループ(TIG)」。今回、その青年たちを取材した。
 彼らの多くは母国に大切な家族がいる。
 困難に立ち向かう原動力は“師匠・池田先生と共に戦おう”という、弟子としての決意だった。(記事=橋本良太、野田栄一)
 
 エイジ・ナガイさん(32)=東京都北区、男子部員=は、東京大学大学院の特任助教。遺伝子解析の研究に尽力する。
 母国・ブラジルから海を渡ってはや6年。昨年結婚し、妻が来日準備を進めていたさなか、コロナ危機が起こった。
 妻はうつ病の経験もあり、気持ちが深く落ち込んでいた。妻を入会に導いてきたエイジさん。ハグして“大丈夫だよ”と安心させてあげたかった。
 しかし、各国が入国制限を設ける中、じかに会えるのは、いつになるか分からない。
 オンラインのビデオ通話が、夫妻にとってコミュニケーションの生命線となった。
 「見方を変えれば、地球の反対側でも、飛行機が飛ばなくても、顔を見て、心をつなぐことができる。池田先生が言われる“楽観主義”でいこうと思いました」
 

ブラジルにいる妻のアキコさんとオンライン上で会う
 毎日、3時間ほど画面上の妻を見つめ、元気づけようと言葉を掛けた。その中で、あることに気付く。
 「それは、妻の話を聞くことの大切さでした。不安を受け止めることから安心が生まれるし、元気になろうとする妻の力を信じようと」
 エイジさん自身、この信心で、可能性を開花させてきた青年だ。
 「シャイな性格」だった少年時代。SGI(創価学会インタナショナル)の活動に励む両親のもと、14歳からブラジルSGIの“ジュニア創価班”で信心を学んだ。
 「誰もが秘めている無限の可能性と、人のために尽くす人生の意義。そして志を持つ大切さ」を知った。
 
 エイジさんは科学者になると決め、猛勉強を。修士課程をブラジルの大学院で修め、キャンパスで妻と出会った。
 日本へ来て、博士号を取得する間も、遠距離恋愛を続け、絆を育んだ。
 3月から、時差に合わせ、エイジさんは毎朝5時30分から妻と同時に勤行・唱題を始めた。「今こうして離れていることにも、きっと意味があるね」
 やがて、妻の口から前向きな言葉が聞かれるようになった。
 先日、自分と妻の母校である大学院の同窓生らと、7年ぶりにオンライン上で集まった。
 周囲からは「コロナ禍でも、エイジは冷静さを失っていないな」と。
 「題目の力だよ」と答え、日本で最先端の研究に取り組める喜びを語った。
 一方、TIGの仲間へは、きめ細かく電話・SNSで声掛けを。互いの趣味の話に始まり、コロナ禍の影響や、ブラジルにいる妻を心配する胸中も話す。
 悩みをシェアすることで、決意の一歩も共に踏み出せる。
 「忙しいけれど、うれしい。仲間を励ました分だけ、自分も元気になれますから」

励ましの連鎖を私たちから
 「一本の電話で、命が守られることを実感しました」。そう語るのは、インド出身のアナンディタ・アウージャさん=東京都八王子市、女子部員。
 創価大学大学院への留学のため2年前に来日。今年9月の卒業に向け論文を執筆中だ。
 予定していた姉の一時来日は、コロナ禍で中止に。この状況下で“自分も何かできないか”と考えたが、自粛生活のストレスが重なり、過呼吸の症状が出るようになった。
 そんな時、電話をくれたのがTIGの女子部の先輩だ。アナンディタさんの生活の不安に、じっと耳を傾けてくれた。「仲間の存在が、私の心が孤立するのを、防いでくれたんです」
 
 2010年、17歳で母と共にインド創価学会に入会したアナンディタさん。当時は高校での成績不振に悩み、家族や周囲の過度な期待に反発していた。
 この時も学会の先輩が語ってくれた。「池田先生は病に負けず、夜間大学で学び、全世界の人たちを励ましてこられた。それが私たちの師匠なのよ」
 唱題を重ねる中、親への反発心が、教育を受けさせてくれることへの感謝に変わった。
 インドの名門大学を卒業し、ITコンサルタント会社に勤務。その後、経済学を学ぶため、創大大学院へやって来た。
 先月、父が網膜?離を起こした。新型コロナウイルスの感染リスクと隣り合わせの中、20日間ほどの通院と手術が必要に。糖尿病を患う母の血糖値も、良好でない時期が続いた。
 “私を愛し、守ってきてくれた両親を、今度は私の題目で守りたい”。懸命に祈る中、父の手術は成功し、母の健康状態も安定。インドは世界で4番目に感染者数の多い状況だが、家族の絆は一段と強くなった。
 
 アナンディタさんがTIGの女子部の先輩から教えてもらい「本当に助けられた」と感じているものがある。
 それは、学会青年部の公式サイト「SOKA YOUTH WEB」内に掲載されている、「青年部と医学者によるオンライン会議」の英訳情報だ。
 今回、母国や日本でも、さまざまな情報が流れ、TIGのメンバーは何が正しいのか困惑したという。
 エイジ・ナガイさんも語る。
 「信頼できる情報源からの発信が、異国での生活の安全を守ると言っても過言ではありません。オンライン会議で語られる医学情報、日本社会の考察や課題も、異文化理解の上で、不可欠な内容でした」
 TIGでは、リーダーによる電話やSNSを駆使した激励で、メンバーが多くの苦境に直面していることが分かった。ストレスに由来する心身の不調やリストラ等々。
 メンバーの数だけ状況は違うが、“つながる”ことが孤立を防ぎ、命を守ることにもなった。

東京インタナショナル・グループ(TIG)のメンバー(2019年5月撮影)

東京インタナショナル・グループ(TIG)のメンバー(2019年5月撮影)

 そして一人一人が立ち上がろうとした時、「“師弟に生きれば無限の力が出る。自身の壁を打ち破り、必ず勝利できる”という真実が、私たちを勇気づけた」とエイジさん。
 池田先生は、人類が試練に立ち向かう今、つづっている。
 「友の辛労に同苦し、無事安穏を祈る。周囲に心を向け、相手を気遣う。明るく賢く、大らかに、声を掛け合い、共に笑う――それ自体が、社会の中の分断を埋め、心と心を結び、希望の橋、信頼の橋を架けているのだ」
 アナンディタさんは“大学院卒業後はインドで就職活動を”と考えている。
 母国の経済状況も激変する中だが、「あらゆる貧困をなくし、全ての人に質の高い教育を提供できるよう、力を尽くしたい」。エンパワーメント(励まし)の連鎖は、そうして世界へ広がっていく。

 

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【特集記事・信仰体験など】



◆〈「人類の議会」と歩む SGI国連事務所リポート〉⑤ 2020年6月27日
 気候変動に立ち向かう
 ジュネーブ アレクサンドラ・ゴセンス=イシイ氏

 昨年12月、私はスペイン・マドリードで開かれた、国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議に参加しました。
 同会議は、本年から運用が始まった「パリ協定」の実施ルールについて交渉するための会議でしたが、参加国間の対立によって、最終合意は次回に持ち越されました。
 気候変動は、21世紀の人類が直面する最大の課題の一つです。ここ数年間で、前例のない気温の上昇、海水の酸性化、生物種の絶滅、土壌劣化が記録されたほか、異常気象の頻発によって、世界各地で食糧や水が不足し、人々の命や安全が脅かされています。
 これらの問題に向き合うべく、温室効果ガス排出量を削減し、世界の平均気温の上昇を抑えることなどを定めたのがパリ協定です。15年の採択以降、実施のためのルール作りが行われてきましたが、交渉は困難の連続でした。
 その理由の一つに、主に先進国と開発途上国による対立が挙げられます。相手が約束を果たさなければ、自分たちも協力しないといった“信頼の欠如”こそ、私がマドリードで見た現実でした。
 会議では、温室効果ガスの削減目標を引き上げる案についても合意に至らず、グテーレス国連事務総長は“気候変動に立ち向かうための重要な機会を逃した”と落胆の思いを語りました。

マドリードで開かれた「国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議」の関連行事(昨年12月)

マドリードで開かれた「国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議」の関連行事(昨年12月)

 SGI国連事務所ではこれまで、他のFBO(信仰を基盤とする団体)や市民社会組織と協力しながら、倫理や人権の観点からの議論の醸成に尽力してきました。また、気候変動について「知る権利」「行動する権利」「意思決定に影響を与える能力」に焦点を当てた、教育啓発の運動にも参画しています。
 明年、イギリスのグラスゴーで開催される予定の第26回締約国会議に向けては、一人一人の行動を促すべく、気候変動の影響を大きく受ける地域で、社会変革に立ち上がる人々の体験を分かち合うプロジェクトの推進も検討しています。
 気候変動の問題に取り組む人たちの多くが、相手を尊重し、思いやることを大切にする創価の理念に、感謝と共感を寄せてくれています。
 
社会変革の行動は足元から
 気候問題を引き起こす社会・政治・経済のシステムを変革するための行動は、足元から始まります。だからこそ、パリ協定といっても、家庭や学校、地域社会における行動の連帯を生み出すことにその真価があります。
 そうした意識変革の大切さを一人一人と共有していくことが、私たちの使命であると実感します。
 池田先生は本年の「SGIの日」記念提言で、気候変動についての数値目標を追求するだけでなく、実現したいビジョンを分かち合い、その建設に向かって行動を共に起こす中に、課題の困難さに圧倒され、諦めてしまう“悲観主義”を超克する道があると教えてくださいました。
 この指針を胸に刻み、私も何があっても諦めず、行動してまいります。身近な家族や友人、地域の人たちにも対話を広げていく決意です。


◆〈扉をひらく 池田先生の対話録Ⅲ〉第11回 日本を代表する実業家 松下幸之助氏2020年6月27日

 「この目で見届けたい。池田先生の教えを中心に世界が回る21世紀を」

松下氏㊧と池田先生が和やかに会見(1983年11月、旧・聖教新聞本社で)。氏と先生の語らいは30回以上に及ぶ。氏は折々に語っていた。「池田先生にお会いできたことが、自分の人生で最高の出来事であった。最高の喜びであった」

松下氏㊧と池田先生が和やかに会見(1983年11月、旧・聖教新聞本社で)。氏と先生の語らいは30回以上に及ぶ。氏は折々に語っていた。「池田先生にお会いできたことが、自分の人生で最高の出来事であった。最高の喜びであった」

 1967年11月、紅に染まる京都の「真々庵」を、イギリスの歴史学者トインビー博士が訪れた。
 パナソニックの創業者・松下幸之助氏が思索の場としていた別邸である。
 「これからの日本にとって一番大切な人は誰か?」
 博士の問いに、氏の口から「池田大作」との名が挙がった。
 1カ月ほど前、松下氏は学会の東京文化祭に来賓として参加していた。氏には、甲子園球場で従業員の運動会を開いた経験がある。この日、千変万化の人文字やダンスにも驚嘆したが、とりわけ心に染みたのは、池田先生の気遣いだったという。大行事のさなか、担当者を通して何度も「不都合はありませんか」と挨拶があった。
 「この若さで、このまま成長されれば、将来、国の発展、人心の開発に非常に貢献し、日本の柱ともなる人だと思った」と松下氏は追想している。
                          ◇ 
 「池田先生に、どうしてもお会いしたい」――71年2月のある日、松下氏から人を介して連絡があった。
 当時、氏は76歳。病院で療養中にもかかわらず、「いつでもどこでも行かせていただく」との意気込みである。
 春4月、静岡で対談が実現。氏は、志なき日本社会への憂慮を語った。
 「これでは、日本はよくなりまへん」
 “経営の神様”と仰がれる氏には、創業の志こそが万事を決する基である――との強い確信があった。
 1918年、妻と義弟の3人で松下電気器具製作所を創立。技術特許も取り、経営は軌道に乗ったかに見えた。だが恐慌による不況のあおりも受け、製品は山のように売れ残ってしまう。
 猛省の末、氏は悟る。“自分は金儲けだけを考えていた。「創業の志」がなかったことに、失敗の本質はあった”と。その後、立て直しに奔走し、「人生に幸福をもたらし、この世に楽土を建設すること」を企業使命に定める。この32年を「創業の年」とした。
 戦後、人間の繁栄による平和と幸福を目指したPHP研究所を発足。氏の問題意識は、やがて日本の「国家の理念」へと鋭く向かっていく。
 先生との会見に至るまでの間、首相との会談や国際会議などで、正しい人間観の確立をと訴え抜いてきた。
 ――氏の心中を察し、先生は語った。
 「全く同感です。人びとの多くが欲望の奴隷のようになってしまい、自分のことしか考えていないのが現状といえます。社会をよくしていくには、人間自身を変革していくことが根本です。私どもは、それを人間革命と呼んでおります。そのためには、一人ひとりが、生死観、人間観、幸福観、宇宙観など、確かなる生命の哲学を確立するとともに、自身の生命を磨いていかなくてはなりません。実は、仏法というのは、その生命の哲学であり、人間革命の道を説いております」
 松下氏はピンと背筋を伸ばし、いっときも姿勢を崩そうとしない。
 「おっしゃる通りです。根本は人間です。人間をつくらなあきまへん。それが一番大事なことやと思います」
 散策も含め、6時間に及ぶ対談。帰路、「お疲れでしょう」と気遣う同行者に、氏は満面の笑みを返した。「いや、むしろ元気になった。ほんまに楽しかった。先生からは、日本と世界、人類に対する慈愛が感じられるんや」
                           ◇ 
 「松下電器は何をお作りに?」との質問に、「人を創っています。あわせて製品も作っています」と松下氏が答えたのは有名な逸話である。
 国家経営の根本も、同じく「人づくり」にある――氏は有為の人材を育む「松下政経塾」の構想を温めていた。71年初冬、真々庵で池田先生に相談を持ち掛けている。
 「今こそ、国家の経営哲学をもった、いい政治家をつくらなければいけません。それには、いい人を育てることです。そこで、そのための塾を、つくろうと計画しています」
 先生は松下氏の健康を心配したが、その決心は固かった。賛意を示すと、「先生には、ぜひ塾の総裁に」と嘆願される一幕もあった。
 その後も、政経塾の理念をはじめ、二人はたびたび意見を交換。75年には往復書簡をまとめた『人生問答』が発刊され、ベストセラーとなった。
 同書は双方、150ずつの質問からなる。人生論に始まり、生命論から文明論、さらには政治経済、社会観、世界観へ。縦横無尽の問答となった。
 当時、先生は中国、ソ連、北中南米などを駆け巡る激務の日々。イギリスではトインビー博士とも対談した。
 74年の初訪中では、空港に見送りにきた関係者が「松下相談役からです」と、質問をまとめた分厚い封筒を持参している。
 松下氏も真剣勝負で往復書簡に向き合っていた。PHPの研究員が質問を整理し、氏に伝え、回答を受ける。この作業が半年間、続いたという。
 この問答の一部は「週刊朝日」で連載されている。同誌のインタビューに氏は答えた。「池田先生とね、このえらい仕事をするようになってから、体がすっかり丈夫になりましてん」
                             ◇ 
 池田先生と松下氏が語らいを重ねた70年代、創価大学、関西創価学園が開学している。いずれにも氏は足を運び、創価教育の未来に期待を託した。
 先生が大阪から中国へ飛ぶ際は、必ず空港へ見送りに。松下政経塾の設立直後(79年)には、氏自身、初めて中国を訪れ、両国の経済交流を開いた。
 30回を超える両氏の語らいは、4時間、5時間と長時間に及ぶのが常だった。仕事以外でこれほど親交を結んだ人物はいなかったと、関係者は言う。
 ある歓談の折、姿勢を正した松下氏が毅然として言った。
 「これから私は、先生を、『お父さま』とお呼びしたい」 
 突然のことに、池田先生も驚く。氏の方が30歳以上も年輩なのである。
 「年は先生の方がお若いが、仏法のこともいろいろとお教えいただいた。私には『お父さま』のように感じられてなりません」
 「何をおっしゃいますか。とんでもないことです。あってはいけないことです。私の方こそ、『お父さま』と呼ばせてください」
 話はまとまらず、結局、互いに「お父さま」と呼ぶことで落ち着いた。
                                 ◇ 
 88年1月、還暦を迎えた池田先生に、松下氏は祝詞を贈っている。
 「もうひとつ『創価学会』をお作りになられる位の心意気で」と。
 翌年、94歳で亡くなる直前まで、世界に寄与する後進の育成を願い、命の炎を燃やし続けた。
 氏が生涯の指針としたのは、「素直な心」。私心無く、良いものは良いと、ありのままに心を開いて生き抜くことだ――その確信は、尽きせぬ挑戦とともに、限りなく深まっていた。
 生前、氏は何度も強調したという。
 「21世紀になると、池田先生の教えが中心になって、世界が回るようになる。それまで生きて生きて、何としてもこの目で見届けたい。そのためには21世紀まで生きねばならぬ」
 激動の世紀を駆けた氏の慧眼は、世界の未来を、私心無く、真っすぐに見つめている。
 松下幸之助 1894年、和歌山県生まれ。パナソニックの創業者、社会活動家。小学校を4年でやめ、火鉢店などで丁稚奉公した後、関西商工学校夜間部に学んだ。1918年、松下電気器具製作所を創立。卓越した経営手腕で、世界的家電メーカー(現・パナソニック株式会社)へと成長させた。社会の平和と繁栄のための思想研究、人材育成にも尽力。46年には「Peace and Happiness through Prosperity(繁栄によって平和と幸福を)」を理念とする「PHP研究所」を、79年には松下政経塾を創設した。数多くの著作を残し、池田先生とは往復書簡集『人生問答』を発刊。89年、94歳で死去。
 〈引用・参考文献〉 松下幸之助/池田大作著『人生問答』(『池田大作全集』第8巻所収)、池田大作著『新・人間革命』第22巻、同著『心に残る人びと』角川書店(『池田大作全集』第21巻所収)、同著『新たなる世紀を拓く』読売新聞社、松下幸之助著『人間を考える――新しい人間観の提唱』PHP研究所、同著『私の夢・日本の夢――21世紀の日本』同、木野親之著「創立者池田大作先生と松下幸之助創業者」(『創価経営論集』第42巻第1号所収)、水元昇著「創立者と人間・松下幸之助――人を育て、人を創るリーダーの語らい」(『創価教育研究』第4号所収)ほか。
●ご感想をお寄せください
 news-kikaku@seikyo-np.jp

◆〈婦人部のページ〉
エッセンシャルワーカーとして活躍する友――?健康・生活を支える奮闘に心から感謝

 不要不急の外出自粛が求められた期間も、医療従事者や保育、宅配、介護、食料品店の従業員など、人々の健康・生活を支える方たちの奮闘で、私たちの社会生活は守られ、維持されました。ここでは、エッセンシャルワーカー(社会生活の維持に不可欠な仕事に就く人)として暮らしを支えてきた方々に深い感謝をささげるとともに、代表の友を紹介します。  
     
看護〉 山本 恵美さん(東京)
 多摩地域の病院に看護師として勤務しています。夫も介護職に従事しているため、2人の娘の学校が休校だった期間は、夜の勤務を増やして仕事に。私の仕事を理解し、応援してくれた娘や、日頃から支えてくださる地域の皆さまに感謝でいっぱいです。
 これからも白樺の使命と自覚を深め、前進していきます。

〈金融〉 大髙 紘子さん(東京)
 都内の金融機関で働いています。コロナ禍では、職場の同僚でもある夫と協力しながら子育てと業務の両立に取り組みました。外出自粛期間も受け入れていただいた保育園をはじめ、いろんな方々に支えられて今の生活があることを実感しました。
 これからも創価大学出身という誇りを胸に、職場の第一人者を目指して頑張ります。
     
〈ガソリンスタンド〉 佐藤 惠美子さん(神奈川)
 川崎区内のガソリンスタンドに勤めて30年。主に事務作業を担い、お客さまに寄り添う接客も常に心掛けています。お顔を見れば、車のことまで分かるように。
 今は、感染予防の観点から接触機会を減らすことが求められていますが、寄り添う心と笑顔を忘れず、お客さま第一の心で尽くしていきます。   
   
〈輸送〉 吉岡 美枝子さん(埼玉)
 タクシー会社で配車オペレーターを担当しています。通院や買い物での利用者も多く、コロナ禍でも通常通りの業務を継続し、これまでにない緊張感で臨んできました。   
 今も消毒等の安全対策には余念がありません。日々、無事故を真剣に祈り、お客さまが安心して乗車できるよう、元気に丁寧な対応をしていきます。

〈行政〉 遠藤 邦代さん(和歌山)
 町役場に勤務し、今は新型コロナウイルスの影響を受けている子育て世帯への臨時特別給付金の受け付け等を担当しています。不安や悩みを抱える町民の皆さまに安心していただけるよう努力しています。   「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」(御書1295ページ)との思いで、誠実に町民へのサービスに尽くしていきます。  
    
〈介護〉 高橋 良子さん(北海道)
 有料老人ホームでヘルパーとして働いています。現在、施設では入居者と家族の面会や、入居者同士の交流が制限。それにより、不安やストレスを感じている利用者も少なくありません。“少しでも幸せを感じてほしい”と、笑顔第一を心掛けています。  地域でも幸せを届けられるよう、真心の励ましを送り続けます。
      
〈清掃〉 髙橋 真奈美さん(福島)
 地元の病院で清掃を担当しています。普段の仕事に加え、今は特に、消毒作業を丁寧に行っています。  家族に心配をかけてしまいますが、誰かがやらないといけない仕事。だからこそ“皆を守り抜く”との祈りを強くし、罹患しない、させないことに細心の注意を払いながら仕事に従事していきます。

〈医療〉 上野 真也子さん(愛知)
 私は、話す・聞く・食べるといった機能に不自由がある方の治療に携わる言語聴覚士です。コロナ禍に伴い、臨床業務に今まで以上の緊張感がある分、心が通うコミュニケーションの大切さを実感しています。  苦境の今こそ、“誰も置き去りにしない”との信念のままに、使命の職場で師弟の道を歩み続けていきます。  
     
〈保育〉 水口 恵子さん(新潟)
 保育園で園長を務めて3年目。保育へのやりがいと深い責任を感じています。保護者の皆さんから安心してお子さんを託してもらえるようにと、衛生面の対策など、できることは全てやろうと決め、保育を続けてきました。  地域の同志と励まし合いながら、苦難や悩みに立ち向かっていきます。  
     
〈スーパーマーケット〉 元女 弘美さん(石川)
 スーパーマーケットとホームセンターを併設した大型店で働いています。4月末からは買い物かごの消毒を担当。毎日1000個以上の除菌を行っていました。  6月上旬から鮮魚コーナーに復帰。マスク着用で表情が見えないため、今まで以上に心を込めて対応しています。生活を支える責任を胸に、これからも頑張ります。   
   
〈水道・電気・ガス〉 山城 洋子さん(山口)
 水道の検針員を、24年間続けています。防府市内を、1カ月で約2500軒回ります。コロナ禍の中でも、通常通りの業務に徹してきましたが、市民の生活を支えるという仕事の使命を、改めて認識しました。  これからの時期は、熱中症にも細心の注意を払いながら、信心根本で社会や地域に貢献していきます。


〈教育・福祉〉 伊勢 智子さん(愛媛)
 特別支援学校の教諭です。一人一人が小さな“できた”を実感できるように工夫を重ねています。休校期間は、他の教員と協力して手足を動かす音遊びの映像教材を作成。保護者からも喜びの連絡を頂くなど、改めて誇りとやりがいを感じました。  どこまでも子どもの幸福を祈り、行動する教師であり続けます。

〈配送〉 江上 敦子さん(福岡)
 私は空港内の宅配カウンターで働いています。荷物の受け付け業務や電話応対、空港内の店舗への配送や集荷を行います。  
 コロナ禍の影響で客足は減りましたが、人と人が直接会えない分、荷物に託す思いの深さを改めて感じることも。“心と心を結べるように”と日々祈り、より丁寧な仕事をと心掛ける毎日です。   
  
〈コンビニエンスストア〉 安座間 多恵子さん(沖縄)
 3人の子を育てるため、コンビニエンスストアに勤務して20年。今は外国人留学生の業務育成なども担っています。
 コロナ禍では、衛生面、レジ前の距離確保など、お客さまの安全確保を徹底。現在も情報収集し、対策を続けています。困難の今こそコロナ終息を祈りながら、地域のために尽力していきます。

◆信仰体験 地域に愛される皮膚科専門医

 人体の中で、最も大きな器官ともいえる皮膚。季節を問わず、年齢の別なく、多くの人にトラブルが生じやすい。
 東京都板橋区内の「さめしま皮フ科」で院長を務める鮫島俊朗さん(65)=副区長、東京副ドクター部長(総区ドクター部長兼任)=は、患部をよく診て、患者の話に慎重に耳を傾ける。
 心掛けるのは、治療だけでなく、患者の心の不安を取り除くこと。
 こうした一歩深い診察をするまでに、多くの苦難を信心で乗り越えてきた。

 患者の腕にできたイボ。治療には、マイナス196度にもなる液体窒素に浸した綿棒を使うが、いきなり患部に当てたりはしない。
 まず鮫島さん自身の手に付けてみせる。それだけで患者の心に、治療を受ける準備が整う。   ?
 幼児に多いとびひ、若者のニキビなども、薬のパンフレットや医学書を見せたり、時には自ら絵を描いたり。薬の塗り方、量、期間など、丁寧な説明を心掛ける。
 患部が治るまでの経過も伝え、最後に、「ちゃんと治りますから、大丈夫ですよ」と付け加える。
 皮膚科学会認定の「皮膚科専門医」として鮫島さんは、定期的に勉強会に参加。進展著しい専門分野の最新の知識を得ることに努めている。
 「最も心掛けていることは、“納得と安心の診察”です」

 鹿児島県の出身。父は内科医。母は医師の娘という家柄。だが、家庭不和に悩んだ。
 医学部への進学を機に上京した後も、都会の空気になじめない。
 “一人で生きていこう。誰にも迷惑をかけずに……”。そう思い詰めるほど、人間関係に苦悩した。
 転機は、皮膚科の研修医の時。多忙な職場で、はつらつと働く先輩ドクターがいた。
 聞けば、創価学会員だという。誘われた座談会で驚いた。
 難しそうな古文(御書)をそらんじる壮年。堂々と世界平和を語る婦人の姿。  鮫島さんは、思わず質問した。
 「この信心をやれば、私の人生は良くなりますか」
 「必ず、良くなりますよ」  温かで前向きな言葉が、心の暗闇に光となって差した。
 思えば、鹿児島の実家のすぐ隣に創価学会員が住んでいた。時折、見掛けるその人の目の輝きが印象的だったことを、子ども心に覚えていた。
 1984年(昭和59年)、29歳で入会。唱題に励むと、全身に活力がみなぎってくるのが分かった。半年後には、師匠・池田先生との出会いを刻んだ。
 信心根本に社会で奮闘するドクター部の先輩からは、「しっかり勉強して、医学博士を取るんだよ」との励まし。
 男子部でも組織の最前線を走り、牙城会として会館運営の任務にも就いた。日々の祈りの中に、明確な目標があった。
「40歳で開業する」
 時間をつくっては机に向かい、92年(平成4年)、がんの一つであるメラノーマ(悪性黒色腫)の研究で、医学博士号を取得。
 3年後、祈った通りに40歳で「さめしま皮フ科」を開業することができた。
 閑静な住宅街の一角で、立地も、間取りも理想的な地。
 感謝の思いで、日々の診察に励んだ。アトピー性皮膚炎やイボなど、さまざまな皮膚の症状。内科と異なり、患者自身も症状の改善具合を目で見て判断できる。
 医師としての実力が厳しく問われる仕事。その分、やりがいも大きかった。

 開業から10年。壮年部では支部長、本部長として奮闘した。ドクター部としても家庭訪問に走った。地域では、板橋区医師会の理事も務めるように。
 知らず知らずのうちに無理を重ねていたのだろう。
 ある日の明け方、異常な胸の痛みに目が覚めた。激しい動悸。救急外来に駆け込んだ。
 検査結果は、狭心症。心臓の冠動脈が細くなり、狭窄を起こしていた。血管を広げるステントを入れるカテーテル手術を受けた。
 当時、51歳。10日間の入院中、題目を唱えながら、自身の姿を振り返った。
 普段、患者には、食生活と睡眠の重要さを伝えてきた。
 だが、多忙を理由に“自分は大丈夫”という油断が心のどこかになかったか。深く反省した。同時に、多くの同志からの励ましが胸に迫った。
 さらに2年後。今度は、妻・明子さん(66)=婦人部副本部長=が病に倒れた。
 患者を診察中に、妻から「右半身がしびれて、動けない」との電話。
 大学病院での検査の結果、左脳動脈に血栓が流れた痕が見つかった。さらに精密検査をすると、心臓の腫瘍である心房粘液腫と診断された。主治医から、「すぐに手術をします」と。
 当時、中学3年の長女・裕美さん=女子部部長=と共に「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」(御書1124ページ)を拝し、題目を唱え抜いた。手術は、無事成功。
 自身と妻の大病という経験を通して、鮫島さんは改めて、医師としての使命感を深くした。患者はもちろん、その家族にも思いをはせるようになった。
 介護を受ける人と介護をする家族。乳幼児とその保護者。
 「もちろん全ての人に、平等にゆっくり時間をかけられるわけではありません。が、私は、患者さんの心の奥にある不安を取り除きたい。それには自身の生命を磨くしかない、と思っています」
 肌の状態は、ストレスなど精神的要因が大きい。だからこそ、安心感を与えられるよう医師の側の人間的成長が欠かせないという。

 両親の闘病と地域に尽くす姿を間近に見てきた裕美さんは現在、公認心理師として、困っている人、悩んでいる人のために働く道を歩む。
 かつて、“一人で生きていこう……”と思い悩んだ青年が、信心に巡り合い、医師として多くの人に、抜苦与楽(苦を抜き楽を与える)の医療を実践するまでになった。  
「人間の価値は、“人のために何ができるか”に尽きると思います。これからも、地域に根差した生き方を貫いていきます」

 

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