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2020年6月26日 (金)

2020年6月26日(金)の聖教

2020年6月26日(金)の聖教

◆わが友に贈る

 集中豪雨や地震など
 突然の災害に警戒!
 「備えあれば憂いなし」
 避難経路の確認や
 備蓄品の準備を入念に!


◆名字の言 本当の自由とは?――車いすの青年に出会い感じたこと  2020年6月26日

 車いす生活を送りながら、書家として活動している青年がいる。小学校6年の時、交通事故で重い障がいを負った。何度も絶望のふちに立たされた。しかし家族や同志の支えもあり、見事に“復活の劇”を演じてきた▼「二度と動かないでしょう」と医師から告げられた手。“絶対に動かしてみせる”と祈り、つらい治療に耐えた。そして動いた! 「立つことは無理」と言われた足。だが、介助があれば歩けるまでに回復した▼もともとリハビリのために始めた書道だったが、その才能が開花する。躍動感あふれる書の数々。彼の作品展はメディアでも大きく紹介され、反響を呼んだ。「ぼくが頑張れば、周りも元気になってくれる。だから努力は怠れませんよ」。そう語り、筆を走らせる姿が凜々しかった▼自由とは何か――。自分のことだけ考えて楽をする。それは自由ではなく、わがまま。つらいこと、嫌なことはしない。それは逃避。そうした生き方を続けていると自分の可能性はどんどん狭まり、逆に不自由になる▼困難の壁にぶつかっても希望を捨てない。自分らしく1歩でも1ミリでも挑戦を続け、可能性を開いていく。その生き方にこそ、真の自由と満足がある。そして真の幸福がある。伸び伸びと活躍する青年を見て、そう感じた。(誠)


◆寸鉄

「一日・片時も・たゆむ
事なく」御書。信行学の
実践で一歩前進の日々を
     ◇
良き友に守られた人生は
絶対負けない―戸田先生
創価城は希望の安全地帯
     ◇
国連憲章の調印記念日。
不戦の誓いを共に、強く。
民衆の声こそ“変革の力”
     ◇
マスク着用による皮膚炎
が増加。汗の除去・保湿
などが有効と。賢く対策
     ◇
「国際麻薬乱用撲滅デー」
人間破壊の魔物を社会か
ら根絶。監視の目厳しく


◆きょうの発心 環境に負けず信心根本の挑戦を 岡山旭日総県長 寄尾健二郎 

御文 但し御信心によるべし、つるぎなんども・すすまざる人のためには用る事なし、法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼に・かなぼうたるべし(経王殿御返事、1124ページ・編569ページ)
通解 ただし、あなた方の信心によるのである。剣なども、進まない人のためには何の役にも立たない。法華経(御本尊)の剣は、信心の強い人が用いてこそ、役に立つ。まさに鬼に金棒である。

 潔い、勇気ある信心にこそ御本尊の功力は現れる、と仰せです。
 大学を卒業後、「社会で実証を」との決意で就職。必死に働くも、どこかむなしさを感じるように。何かを変えようと、創価班大学校(当時)に入校するも、思うように仏法対話ができないでいました。仕事の忙しさを言い訳にした時、先輩はこの御文を拝し、“広布のために、との戦う一念で信心に励もう。時間を作り出すんだ”と、厳しくも温かい激励を。
 「環境に負けず、信心根本に挑戦しよう」と奮起。懸命に祈り、仕事と学会活動に全力で挑み続け、大きく宿命転換することができました。今も、「師匠にお応えしよう」と、一日一日を完全燃焼し、広布に走る日々です。
 学会創立90周年の「11・18」を目指し、岡山旭日総県の皆さまと共に、功徳の体験を語り合い、元気に前進していきます。


【先生のメッセージ】

◆<心に御書を>55 未来を開く真の知性と光れ2020年6月26日

<御文>
 智者と申すは国のあやうきを・いさめ人の邪見を申しとどむるこそ智者にては候なれ(頼基陳状、1156ページ)
<通解>
 智者というのは、国の危機を諫め、人の邪見をとどめることこそ、智者ではないでしょうか。
<池田先生が贈る指針>
 讒言で陥れられた門下の冤罪を晴らすために執筆された御書である。
 激動の乱世だからこそ、正義と真実を語り、勇気と希望を贈るのが、真の知性だ。その原動力が、仏法の人間主義の大哲学である。
 虚偽や悪意が渦巻く社会に、創価の普賢たる男女学生部の言論は、凜と輝き光る。未来を開く「善の絆」を強固に!

◆マイ・ヒューマン・レボリューション――小説「新・人間革命」学習のために 「学生部」編2020年6月26日
 
先駆の同志よ 広布に走れ

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを、巻ごとに紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は「学生部」編を掲載する。次回の第14巻は7月3日付2面の予定。挿絵は内田健一郎。

情熱たぎらせ、学びに学べ!

 <第3代会長に就任した山本伸一は、1960年(昭和35年)6月、第3回学生部総会に出席し、学生部に期待を寄せた>
 
 彼(伸一)は、政治も、経済も、科学も、その根底には偉大なる哲学、偉大なる宗教が必要であることを述べ、色心不二の生命哲理である日蓮大聖人の仏法こそ、真実の人間文化を創造する源泉であると訴えた。そして、偉大なる文化を建設する担い手には、偉大なる信仰、偉大なる情熱がなければならないと語り、青年の生き方に言及していった。
 「今、皆さんが成すべきことは、大情熱をたぎらせ、人の何倍も勉強し、信仰の実践に取り組むことです。
 鍛えを忘れた青春の果てには、砂上の楼閣の人生しかない。
 決して、焦ることなく、未来の大成のために、黙々と学びに学び、自らを磨き抜いていっていただきたいのであります」(中略)
 真実の平和と民主主義の社会の建設は、急進的で、破壊的な革命によってなされるものではない。
 それは、人間一人ひとりの生命の大地を耕す人間革命を基調とし、どこまでも現実に根差した、広宣流布という漸進的な“希望の革命”によって実現されるのである。伸一は、最後に、祈るような思いで、こう話を結んだ。
 「私は、皆さん自身が幸福になるとともに、人びとを幸福にしていく社会のリーダーになっていただきたいんです。それが、最大の私の願いです。皆さんに、私の後を継いでいただく以外に、広宣流布の道はないからです。頼みますよ」
 彼は、学生部の未来に限りない期待を寄せていた。
 彼らこそ、新しき哲学の旗を掲げ、人間主義の文化を建設する使命をもった先駆者にほかならないからだ。  (第2巻「先駆」の章、47~48ページ)
 
「友情」の広がりが世界を結ぶ

 <61年(同36年)6月、第4回学生部総会で伸一は、語学を磨き、世界にたくさんの友人を作ってほしいと述べる。そうして、築いた友情が、人間同士の信頼となり、世界平和の構築へとつながると語る>
 
 「平和といっても、人間と人間の心の結びつきを抜きにしては成り立ちません。皆さんが世界の人びとと、深い友情で結ばれ、そのなかで、友人の方が、皆さんの生き方に感心し、共感していくなら、自然と仏法への理解も深まっていくものです。  
 この課題を担うのは、語学をしっかり学んでいる人でなければ難しいので、特に、学生部の皆さんにお願いしたいんです。世界の方は、一つよろしくお願いいたします」(中略)  
 世界を友情で結べ――さりげない言葉ではあるが、そこには、仏法者の生き方の本義がある。  
 仏法は、人間の善性を開発し、人への思いやりと同苦の心を育む。それゆえに仏法者の行くところには、友情の香しき花が咲くのである。  
 そして、布教も、その友情の、自然な発露にほかならない。  
 この総会に集った学生部員の多くは、口角泡を飛ばして宗教を論ずることのみが、仏法者の姿であると思っていた。  
 もちろん、教えの正邪を決するうえでは、それも必要なことではあるが、一面にすぎない。
 伸一は、次代を担う若き俊英たちが、宗教のために人間があるかのように錯覚し、偏狭な考えに陥ることを心配していた。
 柔軟にして、大海のような広い心をもってこそ、まことの仏法者であるからだ。
 彼は、学生部という若木を、おおらかに、すくすくと育てたかった。 (第4巻「青葉」の章、211~213ページ)
 
仏法と他思想の比較研究を

 <62年(同37年)7月、第5回学生部総会が行われた。伸一は講演の中で、世界の思想・哲学と仏法を比較する探究の心こそ大事であると述べる>
 
 「私は、学生部の皆さんには、日蓮大聖人の仏法と、実存主義やマルクス主義といった思想・哲学と、どちらが偉大であるのかを、徹底的に究明していってほしいのです。
 どちらが人間の生命の全体像を正しく把握しているのか、人間の苦悩を根本から解決し得るのか、現実生活のうえではどうなのか、現証の面からはどうなのかなど、大胆に、冷静に、独断に走ることなく、比較研究していってもらいたいのです。
 そして、“人類を救い得る世界最高の哲学は、確かにこれしかない”と確信したならば、その信念にしたがって、仏法の大哲理を胸に、民衆の味方となり、不幸な人びとを救うために、生涯、生き抜いていただきたい」
 伸一には、仏法への絶対の確信があった。学生部員が、本腰を入れて、日蓮仏法と他の思想・哲学との比較研究に取り組むならば、早晩、その高低浅深は明らかになることを、彼は十分に知悉していた。しかし、当時、学生部員のなかには、その確信をもてないメンバーが少なくなかったのである。(中略)
 学生部員の多くは、マルクス主義も、仏法も、徹底して掘り下げることをしなかったために、確信をもって語りきることができないでいた。
 伸一は、学生ならば、強い探究心をもってほしかった。
 探究なくしては、仏法の大哲理の真実の価値も、わからないからだ。さまざまな思想・哲学と比較相対すればするほど、その真価が明らかになるのが仏法である。  (第6巻「若鷲」の章、327~329ページ)
 
苦難への挑戦に人生の醍醐味

 <78年(同53年)6月30日、学生部結成記念幹部会が行われ、学生部歌「広布に走れ」が発表。伸一は学生部に託す思いを訴えた>
 
 「諸君のなかには、さまざまな苦悩を抱えて悶々としている人もいると思う。そして、いつか、苦悩など何もない、今とは全く異なる、きらびやかな人生が開けることを、欲している人もいるかもしれない。
 しかし、人生は、永遠に苦悩との戦いなんです。悩みは常にあります。要は、それに勝つか、負けるかなんです。何があっても負けない自分自身になる以外に、幸福はない。どんなに激しい苦難が襲い続けたとしても、唱題しながら突き進み、乗り越えていく――そこに、真実の人生の充実と醍醐味があり、幸福もあるんです。それが、本当の信仰の力なんです。
 その試練に立ち向かう、堅固な生命の骨格をつくり上げるのが、青年時代の今です。学会の世界にあって、進んで訓練を受け、自らの生命を磨き鍛えていく以外にないんです。二十一世紀の大指導者となる使命を担った諸君は、苦悩する友人一人ひとりと相対し、徹して励まし、仏法対話し、友を触発する指導力、人間力を、仏法への大確信を培っていってください。
 戸田先生は、青年たちに、常々、『次の学会を頼む』と、最大の期待を込めて言われていた。私は、そのお言葉通りに歩んできたつもりであります。
 同様に、今度は、諸君の番です。私は、万感の思いを込めて、『二十一世紀を頼む!』と申し上げておきたい。妙法の世界一の学徒集団として、人間味あふれる創価家族の、期待の後継者として、どこまでも仲良く、民衆のため、庶民の幸福のために生き抜き、新しき世紀を築いていっていただきたい」 (第28巻「広宣譜」の章、29~30ページ)
 
学生部の使命

第5回学生部総会で学生部旗を託す(1962年7月、東京・日比谷公会堂で)
 1973年(昭和48年)、学生部との記念撮影で伸一は、学生部の使命を示す。
 大学という最高学府に学ぶ意義は、庶民の上に君臨するためではない。
 民衆に仕え、民衆を守り、民衆を幸福にしていくためです。


【聖教ニュース】

◆東京・城北池田記念講堂 2022年春の完成目指し着工   2020年6月26日
 原田会長が出席 北区の建設地で起工式

            • 学会の会館は地域を照らす“希望の灯台”――城北池田記念講堂の完成予想図
              学会の会館は地域を照らす“希望の灯台”――城北池田記念講堂の完成予

 東京・北区に建設される「城北池田記念講堂」の起工式が24日、建設予定地で晴れやかに挙行された。
 これには原田会長、谷川主任副会長をはじめ、各部の代表、工事に携わる設計・施工各社の代表らが出席した。
 2022年春の完成を目指す同講堂は、地上3階建て。外壁に壮麗なタイルを使用し、気品と風格を兼ね備えた外観デザインとなっている。
 広さ550畳相当の講堂をはじめ、大小の礼拝室、会議室、事務室、応接室等を設置。北総区(柏原総区長、田口同婦人部長)の中心会館、東京・北部地域の友が利用する一大拠点となる。
 東京は、池田大作先生が若き日から広布の指揮を執り、不滅の金字塔を打ち立ててきた創価の本陣である。
 池田先生はかつて随筆でつづった。「見栄や格好などかなぐり捨てて、広宣流布のために、ひたぶるに戦い抜いてこそ、大東京は、未来永遠にわたる、師弟勝利の本陣となる」「師弟不二の東京、異体同心の東京は、一丸となれば無敵である。歴史が変わる」――と。
 本陣の“北の砦”と輝く新宝城が誕生するとあって、「区の日」の淵源である池田先生との記念撮影から本年で45周年を迎える北総区の友をはじめ、東京の友に大きな喜びが広がっている。
 起工式では、谷川主任副会長が経過報告した後、設計・施工各社の代表があいさつ。
 原田会長は、新型コロナウイルスが流行する中、新講堂の建設は東京をはじめ全国の同志にとって、希望の新時代の開幕を告げる暁鐘となると強調。関係各社の労苦に感謝の言葉を述べ、一切無事故の工事を皆で祈っていきたいと語った。
 その後、鍬入れを執り行った。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈虹を懸ける〉池田先生とポルトガル ② =完
 逆境は英雄をつくる――ポルトガル広布の発展に尽くした友の歩み

異体同心の団結が光るポルトガルSGIの友が、首都リスボン南西部にあるアジュダ宮殿の前で。同国を代表する博物館で、池田先生が創立した東京富士美術館とも縁が深い(昨年10月)

異体同心の団結が光るポルトガルSGIの友が、首都リスボン南西部にあるアジュダ宮殿の前で。同国を代表する博物館で、池田先生が創立した東京富士美術館とも縁が深い(昨年10月)

 ポルトガル広布史に黄金の一ページを刻んだ、2006年6月の本部幹部会。第1回ポルトガル研修会の参加者は皆、喜びで胸がいっぱいだった。
 1965年、池田先生の初訪問当時、学会員が皆無だったポルトガルは、メンバーの6割が「青年」という、勢いあふれる組織に発展していた。  

広布こそ使命
 「ポルトガルは勝ちました!」――本部幹部会でスピーチした池田先生の呼び掛けに、最高の笑顔で応える友また友。ヒロコ・アゼベドさん(総合婦人部長)は、婦人部長として、夫のジョゼ・アゼベドさん(総合壮年部長)と共に、師匠と感激の再会を果たした。

第1回ポルトガル研修会の参加者が出席した本部幹部会でスピーチする池田先生(2006年6月、八王子市の東京牧口記念会館で)

 入会は75年9月。人生の壁にぶつかり、心機一転を期して渡航したフランスで、知り合った語学学校の友人が学会員だった。
 この年の5月、先生がフランスへ。未入会だったヒロコさんは、会合に参加するメンバーから送迎を頼まれ、会場の外で、一人、待機していた。
 すると、そこに先生を乗せた車が。降りた先生は、ヒロコさんの方に近づき、じっと視線を注いだ。  そのあまりにも深いまなざしに、強く心を揺り動かされたヒロコさん。“池田先生とはどんな方なのだろう”と、片っ端から著作をひもといた。
 読めば読むほどに感動と尊敬の念が湧き上がる。“私も先生の弟子になりたい”と御本尊を受持し、使命の職場で働きながら、女子部の一員として信心の基礎を磨いていった。
 81年、同国を再訪した先生と懇談する機会が。6年前の出会いを覚えていた先生は再会を喜び、「みんなから愛される人になるんだよ」と、包み込むように激励。以来、先生が訪れた際は、役員として諸行事の運営を陰で支えてきた。  良縁に恵まれ、ポルトガル人のジョゼさんと結婚。婦人部となり、子育てに活動にと、慌ただしい日々を送っていた。

 そんな彼女を試練が襲う。子どもたちが大きくなるにつれ、生活が困窮。3人目の出産を機に仕事を辞めていたが、働かざるを得なくなったのだ。
 就職活動に臨むが、届くのは不採用通知ばかり。毎日、泣きながら御本尊に向かった。
 何とか見つけた販売業は、自分には苦手な職種に思えた。それでも、懸命に働き続けて5年がたったある日、仕事で親しくなった知人を介し、世界的なブランドメーカーから面接の話が舞い込む。
 婦人部の先輩に相談すると、「今こそ題目よ」と力強く。真剣な祈りを重ねた結果、転職を勝ち取ることができた。
 込み上げる感謝の思い。それはやがて広布に生き抜く誓願に変わる。時を同じくして、ジョゼさんにポルトガルで就職の話が。新しい職場で実証を示し始めていたヒロコさんだったが、98年、一家で同国北部の町・ポルトに移住した。
 それから半年後、期せずして初代のポルトガル婦人部長の任命を受けることに。ポルトにも地区が結成され、ジョゼさんが地区部長に就いた。
 当時のポルトガルSGIは、信心して数年という友が大半を占める“草創期”。ヒロコさんはポルトガル語ができなかったものの、“皆から愛される人に”との指針を胸に、一人一人を温かく励まし、新しい人材の登場をひたぶるに祈り、待った。
 その中で日本から仕事で赴任したエツコ・モトキさん(書記長)が青年部のリーダーに。各部の体制が整い、2000年9月、新出発の集いを開催。それ以降も、ヒロコさんは同志と共に、支部から本部への編成(05年)、法人認可(09年)、ポルトガル文化会館の開館(11年)と、一貫して同国広布の発展に尽くしてきた。
 3人の子は創価大学に学んだ長男・長女をはじめ、全員が後継の道を真っすぐに進む。
 師匠と出会い、入会して今年で45年。
 青年を育み、後輩を支えながら、夫婦二人三脚で、世界広布という壮大なロマンに生涯をささげる決意だ。  

自らが太陽に!
 クレア・ホニグスバウムさんは2015年5月、ヒロコさんの後を受け、ポルトガル婦人部長に就任した。  池田先生の友人で、20世紀最高峰のバイオリニスト、ユーディー・メニューイン氏が創設した財団で講師を務めるなど、社会での活躍が光るリーダーだ。

 ポルトガルに住んで30年。1992年1月の支部結成式に集ったパイオニアの一人でもある。
 イギリス・ロンドンの出身。正しい生き方を模索していた大学時代、日本人の友人から仏法の話を聞いた。
 題目を唱えると、心の奥底から生命力がみなぎるのを感じた。SGIの会合に参加し、創価家族の温かさに感動。世界平和の建設という理念にも深く共感し、入会を決めた。
 信心に出あう前は将来を悲観し、学業にも身が入らなかったが、大学院まで進学。音楽と芸術教育の分野で社会に貢献するという人生の目的が定まった。
 89年5月、池田先生が14年ぶりにイギリスへ。滞在中、ホニグスバウムさんは運営役員を担った。タプロー・コート総合文化センターで共にラジオ体操を行うなど、先生と過ごした思い出は、今も色あせない。

 翌年、さらなる飛躍を目指し、ポルトガルに移住。学会の中で培った、何ものにも負けない楽観主義で、音楽家としての経験を積んでいった。
 師の初訪問30周年となる95年10月には、日本で開かれたSGIの諸行事に出席。世界中から駆け付けた友に、先生は語った。  
「私どもは『無限の希望』の源泉である題目を楽しく唱えきって、堂々と、行き詰まりなき、この人生をともに生きぬいてまいりたい」
 女子部時代、CDの発売や有名音楽家との共演など、立てた目標を全て実現させてきたホニグスバウムさん。
 現在は2人の子を持つ母親に。仕事と家事がどんなに多忙でも、唱題を欠かさず、婦人部の第一線で同志の激励と友人との対話に率先してきた。  
「自らが太陽となって輝こう」をモットーに掲げるポルトガル婦人部。「ポルトガル広布の主役は女性です。婦人部・女子部のスクラムを一段と強くし、『無限の希望』である信心の光で、ポルトガル中を明るく照らしていきます!」

 「ここに地果て、海始まる」――リスボン近郊、ユーラシア大陸最西端のロカ岬には、ポルトガルの大詩人カモンイスの詩を刻んだ記念碑が立っている。 ?
 かつて池田先生は、この一節に触れ、陸から海へ目を転じ、大航海時代の主役となった同国の歴史を通して訴えた。
 「困難な状況に屈するのでなく、あえて未知の世界に飛び込んでいった」「ポルトガルのことわざに『逆境は英雄をつくる』とある通りで、逆境に挑戦してこそ、大きな事業を成し遂げることができる」と。
 先生の初訪問から55年。開拓魂みなぎるポルトガルの友は、いかなる嵐にもひるまず、師と共に“希望の新航路”を勝ち開く。  

(①は18日付に掲載)
 <取材に協力してくださった方々>エツコ・モトキさん、アントニオ・サライバさん

◆信仰体験 ?夢へと続く道 知的障がいと歩む? 「逃げる心」に勝った時 新たな自分に出会えた

 東龍也が、違和感を覚えるようになったのは、小学校に入ってから。
 教員が黒板に書く漢字が「暗号みたいに見える」。クラスメートは教科書をすらすら読めるのに、龍也はつっかえつっかえ。
 小学3年から、特別支援学級で授業を受けることになった。
 教員から検査を勧められ、両親と児童相談所へ。診断は「軽度の知的障がい」。障がい者手帳を受け取った。
 泣きながら、龍也を抱き締めた母。父が「大丈夫だよ」と手を握ってくれた。
 この時、龍也の胸には二つの思いが巡っていた。
 字が読めない原因が分かってホッとした気持ちと、“やっぱり、僕は人と違うんだ”という失望感。健常者との間に“見えない壁”を感じた。
  
 龍也は、笑うことが少なくなった。 ??
 学校で他の児童からバカにされるたび悔し涙を流し、自分の頭を何度もたたいた。
 できない自分を責め、母の前で「死にたい」と口にした。   
 母はどこまでも龍也の可能性を信じた。  
「桜梅桃李(おうばいとうり)。龍也にしかできない使命があるんだよ」
 そう言いながら、池田先生の本を読み聞かせてくれた。
 「使命なんて、僕には分からない!」
 感情をぶつけてしまうこともあったが、母の言葉が支えだった。   
 “もう、仲間はずれにはされたくない……”  偏見の目を恐れ、中学・高校は普通学級を選んだ。障がいがあることは、胸の奥にしまった。
 授業中、級友から「そんな簡単な字も読めないの?」と言われても、「俺、バカだから」と笑ってごまかせば、楽しい学校生活が送れた。
 龍也は、それで満足だった。

 高校卒業から5年後、23歳のある日、男子部の先輩が訪ねて来た。
 「龍也、牙城会大学校(当時)に入らないか?」
 「やらせてください!」と即答した。
 ――実は、大きな悩みがあった。
 “字が読めないから”と、就職活動はせず、父の働く建設会社の世話になった。だが、どんな仕事にも楽しさと厳しさがある。 
 防水工の見習として現場に入るも、「しっかりやれ!」「早くしろ!」との先輩の怒号に、打ちひしがれた。
 転職する勇気はない。焦りを感じるようになっていった。
 “このままじゃ、僕は生きがいを感じず、ずっと苦しいままだ”――
 大学校に入ってすぐ、龍也は自身の障がいのことを話した。
 男子部の先輩は、龍也の言葉を真正面から受け止めてくれた。
 「俺が全力で支えるから、一緒に頑張ろうな」と。
 それからというもの、会合で龍也が活動報告する時や御書を読む時、先輩は「できるか?」と優しく聞いてくれた。
 龍也が後ろ向きになった時は、「ここで逃げたら、前の龍也に戻るだけだぞ!」と涙ながらに叱ってくれた。真剣なまなざしに愛を感じた。
 地区座談会で御書講義を担(にな)うようにもなった。
 何度も練習し、緊張で声を震わせながらも懸命に語る。
 龍也を幼い頃から知る地区の人たちが「たっちゃん、よかったよ! 勉強になりました」と喝采を送ってくれた。
 学会の人たちと触れ合う中で、龍也は気付いた。
 「僕の進む道をふさいでいた“本当の障がい”は、あらゆることから逃げてきた『臆病な心』だったんだ」
  
 以来、龍也にとって学会活動は、自分の心を鍛える「道場」となった。
 ありのままの言葉で、いとこに語ると、弘教が実った。男子部部長、大学校の勝利長として、後輩の育成にも力を注いだ。
 悩みを聞き、誰かを励ますたび、支えてくれた先輩たちの顔が浮かんだ。
 「逃げない姿勢」は職場でも発揮された。
 職人としての腕を磨く中で上司から信頼され、一人で現場を任されるように。依頼主からの指名も増え、研修生の育成担当も務めるようになった。
 “父と会社を立ち上げたい”との夢を抱き、8年間勤めた会社を退職。昨秋、個人事業主として独立を果たした。
 その直後、コロナ危機に直面したが、題目を唱えながら一つ一つの仕事に感謝し、誠意をもって取り組んだ。受注は途切れずに続いている。
 龍也は今、大好きな池田先生の言葉を胸に刻む。
 「妙法を持った人材が使命の舞台で輝くことが広宣流布の実像だ。現実は厳しい。逆境も苦闘もある。だからこそ、信心の生命力と智慧が光る。唱題根本の人は必ず勝利する」
 龍也の挑戦は、まだ始まったばかり。夢への道は、平たんではないだろう。
 だが、龍也の胸は希望にあふれている。
 “学会活動から逃げなければ、どんな困難も成長のバネに変えていける”――そう強く信じているから。
 あずま・たつや 1993年(平成5年)生まれ、同年入会。横浜市泉区在住。
 小学4年の時、軽度の知的障がいと診断される。同級生からの心ない悪口に苦しむも、両親や同志の励ましを胸に高校を卒業。
 建設会社に就職し、8年間、防水工として腕を磨いた。昨年11月、個人事業主として独立を果たす。
 今年から総本部牙城会の一員になり、学会活動にも励む。男子部部長。
  
 ご意見、ご感想をお寄せください
 turning@seikyo-np.jp

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