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2020年6月23日 (火)

2020年6月23日(火)の聖教

2020年6月23日(火)の聖教

◆わが友に贈る

 苦難の中だからこそ
 人の絆を一層強く!
 友の不安を取り除く
 慈愛の声を届けよう。
 抜苦与楽の実践者たれ!


◆名字の言 きょう沖縄「慰霊の日」。“声なき声”を世界へ   2020年6月23日

 75年前、沖縄は残酷な戦場と化した。軍は「ひめゆり学徒隊」など、10代後半の女子生徒を看護隊に動員。ところが6月18日に突然、壕の中にいた同学徒隊に「解散命令」が下された。少女らは砲弾の飛び交う外へ追い出され、若い命が奪われた▼先日、激戦地の一つの糸満市に立つ「梯梧之塔」を訪れた。「梯梧学徒隊」はじめ私立昭和高等女学校同窓生の慰霊碑は、「ひめゆりの塔」に近い林の中にある。脇の献歌には「一人来て 抱きしめて見ぬ わが友の 名の刻まれし 濡れし碑文」と。生き残った同窓生が戦地に散った友を思い、つづった言葉である▼沖縄戦などの犠牲者約24万人の名を刻む糸満市の「平和の礎」に、今年も新たに30人が刻銘された。戦争体験者の婦人の言葉を思い出す。「単なる名前と思わないでください」「ここに刻まれた方々の“声なき声”を、全世界の人に伝える使命があるから、私は生きているんです」▼60年前の7月、沖縄を初訪問した池田先生は「ひめゆりの塔」へ。沖縄戦で生き残った関係者から当時の模様を聞くと、平和への祈りを込めて合掌。「二度とこの悲劇を繰り返してはならない」と強く語った▼きょう23日は沖縄「慰霊の日」。“不戦の願い”を未来へつなぐのは、私たちの大きな使命である。(踊)


◆寸鉄

「根ふかきときんば枝葉
かれず」御書。信心こそ
人生勝利の力。祈り深く
     ◇
沖縄慰霊の日。心に光る
命どぅ宝の精神。不戦の
誓い新たに対話の波を!
     ◇
青年は決して、へこたれ
てはいけない―戸田先生
逆境に挑め!戦えば成長
     ◇
エコバッグ洗わない人が
51%と。食中毒につなが
る恐れ。洗濯・除菌が有効
     ◇
「あおり運転」厳罰化の
改正道交法が今月末施行
危険行為は断じて許すな


【先生のメッセージ】

◆〈池田先生と共に 新時代を築く〉 「勇気と理想」に生き抜け!2020年6月23日

 6月23日は、愛する沖縄の「慰霊の日」である。今年は戦後75年。全ての戦争犠牲者に追善の題目を捧げ、世界不戦の誓いを新たにしたい。
 筆舌に尽くせぬ戦禍に苦しめられた沖縄で、私は憤?を込め、小説『人間革命』を書き始めた。この一念を汲み、人類の宿命転換へ平和の起点となって、たゆみなく「立正安国」の金波を起こしてくれているのが、沖縄家族である。
 「命どぅ宝(命こそ宝)」という深き心が光る沖縄で、自行化他の妙法を唱え弘めてきた父母たちこそ、最極の生命の「宝塔」にほかならない。
 「世界で最初の広宣流布の地帯」へと進みゆく沖縄を、御本仏は「ここさながら宝塔の住処なり」(御書1304ページ)と、ご照覧であろう。
 『人間革命』起稿の日、私は瞳凜々しき沖縄学生部の友と固い握手を交わした。何があっても、朗らかに舞い戦う沖縄健児たちは、二陣三陣と不退の人材群を築いてくれた。
 そして今も、私は沖縄青年部・未来部の一人一人と心の握手を交わす思いで、成長を祈りゆく日々である。
                      * * * 
 1957年の6月30日、恩師・戸田城聖先生のもと、学生部は、夕張炭労事件、大阪事件という正義の人権闘争の渦中に結成された。
 私は、師弟の故郷たる北海道から祝電を送った。権力の魔性に立ち向かう共戦の同志たちが、「我らの学会に学生部が誕生した!」と誇り高く喝采した笑顔も蘇る。
 恩師は「多彩な学生が集えば校舎なき総合大学だ」と喜ばれ、「地球民族主義」の連帯の核となることを望まれた。
 今、日本はもとより世界中で、男女学生部がオンラインなどを活用して励まし合い、平等大慧の仏法を研鑽し、地涌のスクラムを広げている。
 さまざまな制約の中での学業、アルバイト、就職活動等、辛労は絶えないことだろう。
 しかし、大変な時に、歯を食いしばって学び鍛えたことが、偉大な底力となる。真心を尽くして結んだつながりが、一生涯の陣列となる。
 草創の学生部と学んだ御義口伝に、「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは生死の闇を照し晴して涅槃の智火明了なり」「煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり」(同710ページ)と仰せである。
 妙法は、人生と社会のいかなる苦悩も幸福前進の力に変えながら、人類を覆う「生死の闇」を照らし晴らしゆく「絶対勝利」の智慧の炎なのだ。
                        * * * 
 学生部結成の翌年の6月30日、私は新設の総務に就任した。恩師逝去後の全学会の指揮を不二の心で執り始めたのである。その日の日記に、「勇気と理想に生きる、純真なる信仰者で生涯を、ただただ貫きたい」と記した。

 わが創価の学徒たちよ!
 わが普賢の若人たちよ!
 
 この「勇気と理想」を、しかと受け継いでくれ給え。


【教学】

◆〈森中教学部長「SOKAnet」の講義から〉 6月度「座談会拝読御書」 曾谷殿御返事(輪陀王御書)
 強盛な祈りで安穏な社会を

 現在、創価学会公式ホームページ「SOKAnet」で、森中教学部長による、6月度拝読御書(座談会・研修教材)講義の動画が配信されています。ここでは、「座談会拝読御書」の講義の抜粋を掲載します。「大白蓮華」6月号と共にご活用ください。
 ※講義の動画は約20分。字幕あり。SOKAnetで6月30日まで視聴可能。

はじめに
 本抄は、別名に「輪陀王御書」とあるように、輪陀王と白馬の有名な故事が描かれている御書として知られています。
 ――昔、輪陀王という王がいました。この王は、白馬のいななきを聞くことで生命力を高め、その力で国も栄えていました。
 この白馬は、白鳥を見て、いなないていたのですが、ある日、白鳥が突然いなくなってしまい、白馬は鳴かなくなります。すると、王の生命力が弱まり、国は衰え、外国からの侵略も始まりました。
 さまざまな人が祈りましたが白鳥は戻りません。そこに馬鳴菩薩が現れて、祈ったところ、たちまち白鳥が現れ、白馬は喜び、いななきます。王は以前の百千万倍の力に満ち、人々も活気を取り戻し、国に安穏が戻った――というお話です。
 日蓮大聖人が、この故事を通して、何を仰せられているのかを、念頭に置いて学んでいきましょう。
 
背景と大意
 本抄は、弘安2年(1279年)8月、日蓮大聖人が、曾谷教信の子息である曾谷道宗に送られたとされているお手紙です。
 この当時、“蒙古が再び攻めてくるのではないか”と懸念されており、人々は、恐怖におびえていました。
 1度目の蒙古襲来の後、その恐ろしさを知り、日本中が騒然としている中で、戦乱の危機に加えて、飢饉や疫病が日本中に広がり、天候不順も続いていました。誰もが、「死」という現実を目の当たりにしている状況だったのです。
 反対にいえば、武士から庶民に至るまで、誰もが「生きる意味」について、何らかの問い掛けをしていた時代であったとも考えられます。
 本抄を頂いた曾谷道宗について、詳細は分かりません。しかし、父・教信は、富木常忍や大田乗明と並んで、下総国(現在の千葉県北部など)で活躍した門下です。
 この御書を頂いた2年後の弘安4年(1281年)7月には、教信は、蒙古との戦闘に備えて筑紫(現在の九州北部)に行くことになります。まさに、こうした時代の動乱の中で、大聖人は、曾谷殿親子に信仰の本質を教え、希望を送られます。

拝読御文
 白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり、此の声をきかせ給う梵天・帝釈・日月・四天等いかでか色をましひかりをさかんになし給はざるべき、いかでか我等を守護し給はざるべきと・つよづよと・をぼしめすべし(御書全集1065ページ3行目~5行目、編年体御書1204ページ15行目~17行目)

諸天を動かす
 日蓮大聖人は、「白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり」と仰せです。“白馬のいななき”を、大聖人門下の「南無妙法蓮華経の声」に例えられています。
 続いて、題目の声によって、梵天・帝釈をはじめとする一切の諸天善神の色つやが増し、威光が強くなると仰せです。
 諸天善神とは、法華経の行者や国土を守る、あらゆる善の働きです。
 そして、大聖人は門下に「いかでか我等を守護し給はざるべきと・つよづよと・をぼしめすべし」と呼び掛けられます。
 この御文を拝して、曾谷氏が、“全ては信心が根本だ”“強く強く信心を深めていこう”と、一切の不安や困難に力強く立ち向かい、立正安国の闘争を誓ったことは間違いないでしょう。

題目の意義
 池田先生は、本抄を講義した『勝利の経典「御書」に学ぶ』で、私たちが唱える題目の意義を三点にわたって講義しています(別掲)。
 ①「題目は、『宿命転換の根源力』です。いかに強固なる宿命の鉄鎖も、わが生命の根源の力を呼び現す題目の妙用で断ち切っていけるのです」
 ②「題目は、『人間革命の源泉』です。わが生命に本来具わる仏の命を題目で呼び現し、その自由で晴れ晴れとした生命力を満喫するとき、『歓喜の中の大歓喜』と言うべき大境涯を開くことができるのです」
 ③「題目は、『立正安国の原動力』です。題目でわが生命に開かれた歓喜の波動は、全宇宙へと瞬時に広がっていきます。それゆえ、必ず、一切衆生の歓喜の波動を呼び起こし、わが家庭、わが地域、わが国土が歓喜で包まれていくのです」

難を乗り越える
 さらに、先生は「師弟誓願の題目」を訴えています。
 本抄で大聖人が曾谷殿に教えられているのは、“師弟が共に誓願に立つこと”です。
 拝読御文の直前に、「白馬は日蓮なり・白鳥は我らが一門なり」(御書1065ページ)とあります。
 弟子である白鳥の声で、白馬が元気になる――白鳥と白馬の声が国を変えるのです。
 つまり、師匠と弟子が心を合わせた「師弟誓願の題目」が原動力となって、一人一人が悩みや苦難を乗り越え、一国、そして人類の宿命をも転換することができるのです。
 あらためて、師弟の宿縁がどれほど強い絆であることか。本抄には、「しかるに日蓮が一るいいかなる過去の宿じうにや法華経の題目のだんなとなり給うらん」(同ページ)と仰せです。
 私たちで言えば、創価学会の師弟に連なることが、どれほど意義深いことか。
 池田先生は、「大白蓮華」6月号の巻頭言で述べています。
 「御本仏とご一緒に、牧口先生が命を賭して示し遺してくださった、何ものにも負けない『師子王の心』こそ、我ら師弟の不滅の原点といってよい。
 広布と人生の途上において、いかに先の見えない苦境に追い込まれても、殉教の先師の忍難弘通の姿を思えば、何を嘆くことがあろうか。何を惑うことがあろうか」
 「人類が一丸となって試練に立ち向かう今、『生命尊厳』の信念と『変毒為薬』の英知輝く、若き創価の世界市民の連帯は何と頼もしいことか」
 私たちは、ますます「生命尊厳」の旗を掲げ、世界に地涌の連帯を強め、人類の境涯を高めていく――師弟誓願の唱題で、一切の困難をたくましく乗り越えていきましょう。

 

【聖教ニュース】

◆〈季節の詩〉 沖縄・慰霊75年の世界平和の碑  2020年6月23日

恩納村の沖縄研修道場に立つ「世界平和の碑」。池田先生が記した碑文には「沖縄は永遠平和の砦にして まさに世界不戦の象徴なり」と

恩納村の沖縄研修道場に立つ「世界平和の碑」。池田先生が記した碑文には「沖縄は永遠平和の砦にして まさに世界不戦の象徴なり」と

 きょう23日は沖縄「慰霊の日」。75年前、20万人以上が犠牲となった沖縄戦で、日本軍の組織的戦闘が終結したとされる日である。
 沖縄研修道場は1977年、かつて米軍の中距離弾道ミサイル「メースB」の発射基地があった場所に建設された。
 池田先生は83年3月、恩納村の同研修道場を初訪問。取り壊そうとしていた道場内の基地跡を視察し、“あえて残す”ことを提案した。翌84年、6体のブロンズ像が立つ「世界平和の碑」が誕生。“核ミサイルの基地”は“平和の発信基地”へと生まれ変わった。
 池田先生はつづった。「核も、戦争も、人の心から生まれた。ならば、まず人の一念の『発射の向き』を変えよ! その逆転の作業を! 『碑』は、その象徴である」
 先生は同研修道場を舞台に、世界の平和の指導者らと語らいを重ね、生命尊厳と不戦のメッセージを発信してきた。研修道場には毎年、国内外から多くの人々が訪れ、平和の心を学ぶ。
 沖縄に脈打つ「命どぅ宝(命こそ宝)」の精神は今、世界の光と輝いている。(15日=仲地健一記者撮影)

同研修道場の「平和大歓喜の像」。平和のたいまつを掲げた女性像には不戦の願いが込められている

同研修道場の「平和大歓喜の像」。平和のたいまつを掲げた女性像には不戦の願いが込められている


◆〈民音公式SNSで公開 各国アーティストからエール〉2 オーストリア・ウィーン「ヤーノシュカ・アンサンブル」  2020年6月23日

 日本で本年1月に開催された公演ツアーのことを、今も思い出しております。多くのインスピレーションとエネルギーをくださいました日本の観客の皆さまに、心より御礼を申し上げます。
 時のリズムを鈍化させるコロナウイルスによって、私たちの生活が、このように劇的に変化するとは思ってもいませんでした。
 実際、私たち「ヤーノシュカ・アンサンブル」の公演活動も削減され、近々予定されていた公演は、すべて中止となりました。
 しかしそうした状況下で、最も大切なことは私たち自身の“健康”であると思います。皆さまが最善を尽くされ、健康を保ち、忍耐強く生活される中で、コロナウイルスのない平常の生活が一日も早く訪れることを願っております。
 一日も早く皆さまと会場でお目にかかれることを、楽しみにしております。私たちは「ヤーノシュカ・スタイル」を携えて、必ずステージに戻ってまいります!
 

◆「世界の友は今」 第10回 タイ創価学会・ウサニー婦人部長  2020年6月23日
「希望の声」響かせ前へ

 タイでは新型コロナウイルスの感染者が3151人(22日時点)にとどまっており、現在は新たな感染も抑えられている。経済の回復と“新たな日常”構築への模索が続く中で、創価の友も着実に広布の歩みを進めている。タイ創価学会のウサニー婦人部長に、現在の状況や取り組みを聞いた。


段階的に進む規制の緩和
 ――タイでは経済活動再開の動きが強まっており、外国人の入国規制の緩和も検討されています。
 
 タイでは新型コロナウイルスの拡大を防ぐために、3月下旬に非常事態宣言が発令され、夜間の外出禁止、飲食店や商業施設、学校の閉鎖などの措置が決まりました。
 今も宣言は続いていますが、段階的に規制の緩和が進んでおり、今月15日には夜間の外出禁止が完全に解除されました。レストランやデパートをはじめ、劇場や映画館なども再開しています。
 5月下旬以降、海外から帰国した人の感染は確認されていますが、国内での感染者は出ていません。
 感染拡大の封じ込めに成功したタイの公衆衛生機関の対応には、高い評価が寄せられていますし、国民の団結があっての成果であると思っています。

首都バンコク近郊に立つタイ創価学会本部。「アジアの灯台」との誇りに燃え、メンバーは地域・社会で活躍する

首都バンコク近郊に立つタイ創価学会本部。「アジアの灯台」との誇りに燃え、メンバーは地域・社会で活躍する

 ――ウサニー婦人部長は大学で教育に携わっていると伺いました。教育機関の状況はいかがでしょうか。
 
 大学では、教員が自宅で講義を配信するオンライン授業を積極的に取り入れています。
 私たち教職員は、今月から交代で出勤できるようになり、身体的距離を保っての会議も開催できるようになりました。
 小中学校に関しては、政府が原則7月からの授業再開を認めていますが、生徒たちのマスク着用やアルコール消毒など、感染リスクを減らすための措置を求めています。

「地域・社会のために」と行動
 ――タイでも、経済の落ち込みが激しくなっています。
 
 深刻なのは、コロナによって、800万人以上が職を失うともいわれていることです。会社の人員整理や倒産などで、卒業したばかりの学生が仕事を見つけることができない状況に私自身、胸を痛めています。
 特に観光産業への影響は甚大で、製造業等も需要の低下で大きな被害が出ています。
 政府は失業者や農業従事者などを対象とした経済支援も行っていますが、まだまだ大勢の人が困窮している状態です。
 そんな状況にあって、民間による困窮者への支援プロジェクトが多数立ち上がるなど、麗しいニュースも報じられています。
 その中には、タイ創価学会のメンバーもいます。縫製の仕事を生かし、布製のマスクを作って無料で配布している人もいますし、食品販売会社を営んでいることから、食品やお菓子、ミルクなどを無償で提供している人もいます。
 実は、こうした方々も、自らが不況の影響を受けて厳しい状況にあります。しかし“地域や社会のために”と行動できるのは、池田大作先生の「良き市民たれ」との指針を、心に刻んできたからだと思います。

各部で活発な取り組みを行う
 ――今、タイ創価学会では、どのような取り組みを行っていますか。
 
 タイでは現在、①1日2時間の唱題②1日1人への励まし③1日30分の御書・池田先生の指導の研さん――に取り組んでいます。
 青年部ではこれを元に、「5WEs」というキャンペーンに挑戦中です。「私たち(WE)が行う5項目の実践」という意味です。
 具体的には「1日2時間の唱題」「1日1人に励ましのメッセージを送る」「月1回のオンラインの小グループ会合の開催」「1日1人への電話での励まし」「月1回のオンライン教学勉強会開催」を目標にしています。
 婦人部では、日本の聖教新聞に掲載された「わが友に贈る」を毎日、タイ語に翻訳し、文字とともに、録音した音声データをSNSを通じてメンバーと共有しています。
 音声で送るのは、読むのが苦手な年配の方のためです。録音は20代、30代の若いメンバーを中心に行っており、皆、「声仏事を為す」(御書708ページ)との御聖訓を胸に、全国の同志を励ますとの使命に燃えて取り組んでいます。携わった婦人部員は、100人を超えました。
 また4月には、タイ創価学会の公式YouTubeチャンネルを開設。池田先生の童話アニメ、『新・人間革命』や先生の指導を紹介するコンテンツ、音楽隊や鼓笛隊の演奏動画なども配信しています。

タイ創価学会の公式YouTubeチャンネルでは、婦人部の合唱団の歌声を配信。このほか、さまざまな動画を視聴することができる

タイ創価学会の公式YouTubeチャンネルでは、婦人部の合唱団の歌声を配信。このほか、さまざまな動画を視聴することができる

オンラインで婦人部結成の集いを開催
 ――オンラインの会合が、各地で行われているんですね。
 
 はい。座談会をはじめ、御書学習会や各部の集いを活発に行っています。
 当初は、年配者などパソコンやスマホの操作に抵抗がある人もいましたが、青年部が使い方の手引きを作ってくれたり、家族が
サポートもあり、今では多くの人が積極的にオンラインを活用しています。
 女子部は5月に「池田華陽会」の集いをオンラインで開催。各地での少人数の会合を「青年の誓願の集い」と名付け、御書や池田先生の指導を学んだり、信仰体験を語り合ったりしています。
 6月10日に結成記念日を迎えた婦人部は「皆が前進、皆が人材、皆が主役」をスローガンに、記念のオンラインの集いを各地でにぎやかに開催。信心根本に苦境を乗り越えていこうと、決意を深め合っています。

苦境を越えた体験が次々と
 ――素晴らしいですね。励まし合って進む中で、困難を打開した体験が数多く生まれていると聞きました。
 
 ホテルや旅行会社などを経営する婦人部のメンバーは、この2月から収入がほとんどなくなり、事業の閉鎖や休業を余儀なくされ、従業員との紛争も発生しました。
 しかし、“今こそ題目しかない!”と徹底して祈り、さまざまな手を尽くしました。そうした中で銀行から融資が受けられるようになり、従業員との紛争も解決したのです。
 また、海外から帰国したタイ人を2週間滞在させる宿泊施設として、自身が経営するホテルが選ばれました。800室以上の部屋が使用され、国の対策に貢献するとともに経済的にも守られました。
 また飲食店を営む婦人部員は、新たに弁当の宅配サービスを始めるなど知恵を発揮して活路を開いています。

「大悪をこれば大善きたる」の御聖訓を胸に
 ――最後に、現在の思いや決意を聞かせてください。
 
 コロナ禍は人類全体に起きた大きな災難であり、多くの人が希望を失っています。
 今、私が改めて深く心に刻むのは「大悪を(起)これば大善きたる」(御書1300ページ)との一節です。
 これは“悪いことの後には、自動的に良いことが起こる”といったことを教えられたものではありません。
 “どんな苦難も必ず意味あるもの、大善へと転換できる”ことを示された御文であり、強き信心によって、全てを変毒為薬していけることを教えてくださった御文なのだと思います。
 大切なのは、私たちが強盛な信心、師弟不二の精神で立ち上がることです。大変な中だからこそ同志と励まし合い、「希望の声」「勇気の声」を響かせて、全てに勝利していきます。


【特集記事・信仰体験など】

◆私がつくる平和の文化 Ⅱ
 インタビュー ジャーナリスト 国谷裕子さん――情報と正しく向き合う





「私がつくる平和の文化Ⅱ」の第6回に登場していただくのは、ジャーナリストの国谷裕子さんです。長年、報道番組のキャスターを務めてこられた視点から、コロナ禍における情報発信とコミュニケーションのあり方、そして、危機の時代を乗り越える意識変革の大切さについて語ってもらいました。(聞き手=木﨑哲郎、歌橋智也)?

心の内を聴く直接の対話を
 ――NHK「クローズアップ現代」のキャスターとして、長年にわたり、多くの方にインタビューをしてこられました。
 現在、テレビ報道では、直接対面して取材することが困難となり、オンラインでのインタビューが行われています。オンラインでは、距離を超えて、わざわざ会いに行かなくても話ができ、情報を得たり、相手の考え・意見を聞いたりできるというメリットがあります。
 一方で、会ってこそできる真の意味での「対話」も、やはり求められてきます。相手が本当に言いたいことは何なのかを汲み取ろうとすれば、対面のインタビューで、相手が全身から発するメッセージを、こちらも全身で受け止める必要があります。
 そばにいて、ちょっとした仕草や表情、言葉の選び方などに触れることで、何かを感じ取ったり、気付いたりすることができる。「本当はもう少し話してもいい」と思っていることを感じて、もう一歩、深めて心の底のところを引き出すこともできます。
 特にこのコロナの時代、心の内を聴いたり、琴線に触れたりする深い対話が、とても大事だと思うんです。その意味では、インタビューに限らず、一対一で直接会って語り合うことの意義や重みといったことが、改めて認識されたと思います。

 ――今回の事態ではテレビ報道をはじめメディアも困難に直面しました。
 かつてテレビ報道に関わった一人として、制作側の焦り、悩みを感じました。安全上、今まで当たり前のようにできていた取材ができなくなり、感染拡大がもたらす医療や経済への影響など、伝えなければならないことが多くあるにもかかわらず、思うように伝えられないからです。
 そうした状況もあるためか、「PCR検査がなぜ増えないのだろう」といった、一般の人々が持ち続けている疑問にどこまで答え切れたか、背景が十分に届いていなかったのではないかとも感じます。
 ただ制作側も、取材を放棄してはならないという強い思いで工夫して取り組まれている。まさにジャーナリズムの使命感が試されていると思います。
 ジャーナリズムは、政府や自治体が政策決定の際に、どのような科学的な根拠をもとに、どんな議論がなされたのか、透明性を追求しなければならない。それが、私たちが納得し、結束して行動を変えていく上で、大事なベースになるからです。

立ち止まって、考える
 ――私たちは情報の受け手であると同時に、「情報の発信者」にもなれます。心すべきことは何でしょうか? 
 私たちは自分の取り巻く状況に不安を覚え、何らかの確かな情報がほしくなると、一生懸命、いろんな情報にアクセスします。その際、知らず知らずのうちに、信じたい情報、共感できる情報ばかりを入手してしまう傾向があります。友人や知人からも自分の考えと似通った情報が手元に集まってくる。  それを見て、「やっぱりそうなんだ」と、自分の考えをさらに補強し、強固にして、偏(かたよ)った情報に取り囲まれてしまう。そうなれば真に多様な考えを知る機会を失ってしまいます。
 結果として、自分たちとは異なる意見を排除することにつながっていく。さらに、許せないと思える情報が入ってくると、強いリアクションを取ってしまい、攻撃的・差別的な言葉を発信しがちになり、それが感情の対立や分断を生み出すことにつながります。
 自分の考えが正しいかどうか、正しい状況判断ができているかどうかを確認するには、あえて自分と異なった意見や見方に接し、一度立ち止まって、深く考えてみることが大切です。それは楽なことではないですが、自分の感情に訴え掛ける情報だけを取り込んでいては、先入観や偏見から逃れることはできないでしょう。
 今はSNSなどで誰もが情報を発信することができますが、発信する前には、自分と反対の立場の人や違った考えを持っている人がいるかもしれない、この発信で傷つく人がいるかもしれないと想像し、一呼吸おく冷静さを持ってほしい。一人一人が情報と正しく向き合うことで、「対話の文化」ひいては「平和の文化」が築かれていくと思います。

市民の称賛に応えるニューヨークの医療従事者(4月、Noam Galai/Getty Images) 

市民の称賛に応えるニューヨークの医療従事者(4月、Noam Galai/Getty Images)

 ――今回のステイホームでは、いわゆる「ネット弱者」の課題も浮き彫りになりました。

 お子さんがいるご家庭だと、両親も家でネットで仕事をしなければいけないのに、子どももオンライン学習があったりします。家に何台のパソコンが必要だろうってなりますよね。
 それ以上に、ネットで買い物ができない人たちは、リスクを冒して買い物に行かなければならない。ネット環境がないゆえに仕事が受けられない人もいます。高齢者の方々の中にも環境がなかったり、操作ができなかったりする人もいます。私の母もスマホを持っていませんので安否確認は電話でしています。
 そう考えると、誰もがネット弱者になり得るし、あらゆる面でネット弱者が被る不利益は大きい。課題は非常に重いと感じます。政治や行政が動かなければなりませんが、地域としても、あらゆる知恵を絞って、支え合っていくしかないですよね。
 大阪のある社会福祉協議会では、高齢者の安否確認やつながりを保つために、往復はがきを使っていました。「お元気ですか?」ってお手紙を出して、向こうからも「元気です」ってお返事が来たりする。そうしたやり取りで心の交流を図っていました。また食事の提供ができなくなったので、お弁当を取りに来てもらいますが、手渡しする際、声を掛けて、お顔や様子を確認して帰ってもらう。苦心しながらも、できることを精いっぱいされていました。
 こういう時こそ、心の絆を強く結び直し、つながり続けなければならないと思いますし、誰ひとり取り残さないという「持続可能な開発目標(SDGs)」の理念が、まさに現実の中で発揮されなければならないと痛感します。

警鐘は鳴らされていた
 ――今回のコロナが問い掛けたことは何でしょうか?
 このパンデミックは、私たちに多くの貴重な教訓を与えました。
 感染拡大に驚き、不意を突かれたように感じますが、実は、感染症の発生と急速かつ広範囲な蔓延は、すでに何年も前から科学者等から警鐘が鳴らされていました。それに対しての準備を怠っていたのです。
 いったん起きてしまうと、医療体制や社会のセーフティーネットなどの脆弱性を露呈させ、一番弱いところに被害や痛みをもたらした。危機に備えるための体制の整備や投資は、決して怠ってはならないと改めて思います。
 それと同時に、自分たちさえ良ければいいという一国主義的な考えは、もはや通用しないということです。他が良くならなければ、結局、自分のところに返ってくる。社会全体が結束し、そして、グローバルに協調して戦わないと打ち勝つことはできません。そのためには、他者への意識と行動こそが大切になってくると思うのです。
 さらに今、世界で警鐘が鳴らされている最大のリスクが気候危機です。これまでのように二酸化炭素などの温室効果ガスの排出を続ければ、地球温暖化によって生じるさまざまな気象災害、海面上昇、生物多様性の喪失、食料生産への打撃などにより、地球上の生命が安全に生きられる持続可能な環境を維持することはできなくなります。
 今回の危機をきっかけに、電力をはじめとする産業や消費生活において、二酸化炭素の排出を最大限に減らす脱炭素化を進めるために、ビジネスや生活、社会のあり方を徹底的に考え直し、システムチェンジをしなければならないのです。そのためには若い人たちのアイデア、発想が大事です。どんどん出してほしい。それが社会を変える力になります。
 これからの時代を創造し、社会を構築していく主役は若者です。大人世代は若者を対等のパートナーとし、持っている技術力や経済力、ノウハウを提供する。それぞれが蛸壺から出て、若者と共に縦横無尽に連携しながら、新しく変えていく議論をしなければなりません。今、始めなければ、本当に手遅れになってしまうのです。

くにや・ひろこ 大阪府生まれ。米国ブラウン大学卒。1981年、NHK総合「7時のニュース」英語放送の翻訳・アナウンスを担当。87年からキャスターとしてNHK・BS「ワールドニュース」「世界を読む」などの番組に出演。93年から2016年までNHK総合「クローズアップ現代」のキャスターを務める。1998年「放送ウーマン賞’97」、2002年「菊池寛賞」(国谷さんと「クローズアップ現代」のスタッフ)、11年「日本記者クラブ賞」、16年「ギャラクシー賞特別賞」を受賞。

※ご感想はこちらまで heiwanobunka@seikyo-np.jp

池田先生の写真と言葉

1991年6月、ロンドン郊外のテムズ川のほとりで



1991年6月、ロンドン郊外のテムズ川のほとりで

 「聞くこと」「耳を傾けること」――それは、「心を開く」ことであり、「相手の生命を敬うこと」です。そこに、互いの触発が生まれ、新しい創造が始まります。  
                                                                     ◆◇◆    
「国家中心」から「人間中心」へ、そして、「世界は一つ」と考えていくべき時が既に来ているはずだ。  そのために必要なのは、人間の多様性を尊重し、調和と融合を図り、人類を結び合う生命の哲学だ。(中略)
 一人ひとりがエゴイズムの殻を破り、蔑視や偏見を克服して、人間性の尊き輝きを放つことだ。  
 (上は『母への讃歌』、下は小説『新・人間革命』第3巻「平和の光」から)


◆脳性まひの次女と歩む幸せになる道〈信仰体験〉 2020年6月23日
 明日になれば、空も必ず晴れる!
  
 【大阪府松原市】「人よりは、ゆっくりかもしれない。それでも、私らしく、強く生きていこうと決めています」。尾﨑真弓さん(58)=地区副婦人部長=の人生は、はたから見れば、“苦労の連続”と映るかもしれない。
 生まれてきたわが子の重い障がいが、その後の生活を大きく変えた。自身の病や、長女の不登校にも悩んだ。
 しかし悲哀の涙を越えて今、尾﨑さんの言葉には、揺るぎがない。

予想を覆す発育
 1993年(平成5年)5月29日。次女・志野さん=女子部員=が体重3020グラムで無事に生まれた時、尾﨑さんは安堵を覚えた。
 すぐ保育器に入れられはしたが、小さなわが子のしぐさは愛らしかった。
 長女、長男に加えて5人家族となり、一層、にぎやかな毎日が始まると思っていた。
 ところが何日たっても、赤ちゃんは退院できなかった。夫・直士さん(58)=常勝長(ブロック長)=は、娘の体に障がいがあり、「長く生きられないかもしれない」との医師の診断を、妻に伝えられずにいた。
 脳の形成障害のため左半身にまひがあり、心臓には3カ所の穴が開いていた。
 赤ちゃんを連れて自宅へ戻ったのは、1カ月以上も後のこと。
 退院前に、医師から説明を受けた。
 「泣きすぎたり、風邪をひいたりすると、命取りになることがあります」
 神経をすり減らす育児に、疲れ果てる毎日が始まった。なかなか御本尊にも向かえなかった。
 婦人部の先輩が何度も励ましてくれた。
 「私たちには、医学の常識さえ覆すほどの素晴らしい御本尊があるじゃない」
 尾﨑さんは、動きが少ない娘の左手足をさすりながら、一遍一遍の題目を染み込ませるように祈りを重ねていった。
 ある日、会館での中継行事に参加した時のこと。発育の遅れていた志野さんが、初めてコロンと寝返りを打った。
 その後も、固く握られていた左手が開くようになり、無理だと言われていたハイハイができるようになり……。
 少しずつ成長を重ねる娘の姿は、尾﨑さんの信心を燃え上がらせた。生後11カ月の頃には、心臓の穴が全て自然にふさがっていた。
 1歳を過ぎると、てんかん発作が起こるなど尾﨑さんの心労は絶えなかったが、池田先生の指導を支えに前を向いた。
 「お母さんが楽天的で、くよくよしないこと」「何があっても『明日になれば、空も晴れるよ!』と、楽観主義で生き抜いていただきたい」

容赦のない試練
 志野さんの成長を夫婦で喜び合う一方、日ごと尾﨑さんを苦しめたのは、“世間の目”だった。
 障がいに対する理解が、今ほど進んでいなかった当時。
 買い物に志野さんを連れて歩くだけで、容赦ない視線や言葉を投げつけられた。
 「志野ちゃんの顔、怖い」。悪気はなくても、近所の子どもたちの言葉はストレートで、胸をえぐられた。
 試練は、容赦なく襲ってくる。中学生だった長女・あすかさん(36)=婦人部員=が、学校に通えなくなったのだ。
 尾﨑さんは、これまでの自身の接し方を省みた。
 志野さんが生まれてからは、ずっとかかりきり。あすかさんに、我慢や寂しい思いをさせてきたのではないか。やむを得ない転居で、友達と離れ離れになる経験もさせてしまった。
 反抗的な態度を取る娘と、夜が明けるまでリビングで語り合った日も数知れない。わが子の“心の空”が晴れわたる日を祈り抜いた。
  
 あすかさんは、その後、21歳で定時制高校へ。一度、通えなくなったこともあったが、教員らの励ましに支えられ卒業を果たし、短大に進学。
 そして、女子部の活動に励み、やがて介護福祉士として働くように。献身的な介護実践が評価されて、母校の短大で講演を行ったこともある。
 この間、尾﨑さん自身も緑内障を患った。視野の一部は現在も欠けたまま。病と闘いながら、苦境を乗り越えた日々は、祈りの姿勢を変えたと尾﨑さんは言う。
 「それまでは、娘の障がいが“治るように”とばかり祈っていました。かなわないことを嘆く日もありました。今は、障がいがあっても幸せになる道はあると、確信できます」
 志野さんは、出生時の医師の言葉を覆すように、成長を続けた。
 兄で長男の駿行さん(30)=千葉県松戸市、男子部員=に支えられながら、地元の小学校にも登校した。
 特別支援学校を卒業した後は、地域の作業所に通っている。人前ではあまり話さないが、作業所では、人一倍おしゃべりになるという。

ずっと見ていたよ
 尾﨑さんは30代の頃、本紙の配達員を務めていたが、緑内障を発症して辞めていた。
 病の進行が落ち着き、日常生活にも支障がなくなってきたことから2013年、再び、“無冠の友”に復帰した。
 ある日のこと。配達先の家の人から「あなたと娘さんの姿を、ずっと見ていましたよ」と声を掛けられた。
 毎朝、作業所に通う志野さんを、尾﨑さんはバス乗り場まで送っていた。その2人のけなげな様子を、感心して見ていたという。
 かつて、他人からの視線や言葉に、深く傷ついた日があった。外出が怖くて、ふさぎ込んだ日もあった。
 それを思うと、“ずっと見ていたよ”との言葉は、苦悩に負けなかった自分への、最大の称賛の言葉と思えた。
  
 夫の直士さんも、前向きに歩む妻の姿に接して、学会活動に励むようになった。
 仕事上の困難にぶつかった時、夫婦で真剣に祈り、勝ち越えたことも、信心の確信へとつながっている。
 あすかさんは現在、3児の子育てで多忙な毎日を送る。
 駿行さんは千葉に住んでおり、家族5人が集まれる機会は多くない。
 それでも家族の絆は、かつてないほど強いと、尾﨑さんは感じている。
 天気の日には、尾﨑さん、直士さん、志野さんの3人で、近所を散歩する。
 ドライブに出掛けるのも、ささやかな楽しみだ。目的地があるわけではなく、最近は車から降りることもあまりないが、志野さんは気にしていない様子。
 大好きなお父さんの隣に座って、お気に入りのCDを聞いている。その上機嫌な表情を見ていると、尾﨑さんは自分の心にまで、喜びが広がっていくのを感じる。
(関西支社編集部発)

 

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