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2020年6月25日 (木)

2020年6月25日(木)の聖教

2020年6月25日(木)の聖教

◆わが友に贈る

 相手の思いを受け止め
 心を通わせよう!
 違いを認め 尊重する
 創価家族の姿こそ
 世界の共生の模範だ!


◆名字の言 団地の自治会長を務めた82歳壮年の心意気   2020年6月25日

 東京の板橋区と北区の境にある浮間公園の自然は、梅雨の季節も美しい。野鳥が憩う池の周辺ではアジサイなどが彩りを競う。隣接する都営団地で、一昨年まで自治会長を務めた82歳の壮年は、自治会のモットーに「和」を掲げ、尽力してきた▼一家で団地に入居したのは11年前。住民との心をつないだのは、ダウン症の長女だった。長女と一緒にいると、「こんにちは」と皆が声を掛けてくれるのだ。温かく迎え入れてくれた人たちのためにと、壮年は自治会で活動するように▼今年はコロナ禍で自治会行事は一切中止。現在、長女を自宅で介護する壮年は、「娘とゆっくり過ごす良い時間になりました」と。かつては信心に反対したが、長女の誕生を機に入会した▼「娘のおかげで私も妻も信心に目覚め、地域活動に頑張ることもできました。生まれてきてくれたことに感謝でいっぱいです」。自粛の中でも毎月2部以上の聖教の購読推進を。一昨年は同じ団地の若い壮年を入会に導いた▼池田先生は、団地を「小さな合衆国」と表現した。各人が自立しつつ、困難があれば共に分かち合い、支え合う。他者のために行動することで、地域も自分も豊かになる。美しい調和社会の建設に奮闘する団地部の姿は、コロナ禍の今、ますます輝いていく。(進)


◆寸鉄

「大闇をば日輪やぶる」
御書。題目で胸中に希望
の太陽を!逆境の闇破れ
     ◇
団地部の日。皆が友情と
信頼の輪広げる全権大使
励ましの声掛けを今こそ
     ◇
「人材養成の基本は自分
を養成するにある」恩師。
まず自分!これ幹部の心
     ◇
緊急事態宣言の全面解除
から1カ月。第2波警戒。
油断なく予防策の継続を
     ◇
コロナの偽情報を信じて
拡散した人35%。情報源
を必ず確認。賢明に看破


◆きょうの発心 高橋殿御返事 神奈川・泉区総合長 島倉誠2020年6月25日

御文
 其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、仏種は縁に従って起る是の故に一乗を説くなるべし(高橋殿御返事、1467ページ・編1427ページ)

通解 その国の仏法流布は、あなたにお任せする。仏種は縁によって起こる。その故に一乗(法華経)を説くのである。

地域広布に走り新たな歴史開く
 地域広布の使命と責任を教えられた一節です。
 学会活動に励みながら、夜遅くまで洋裁の内職をしていた母の背中を見て育ちました。1974年(昭和49年)、現在の泉区に移り住んだ直後、母が病に倒れ、1カ月後に急逝。見知らぬ地で真っ先に駆け付け、励ましてくれたのが、地元の同志でした。
 創価家族の温かさに触れ、「母の信心を継承しよう」と決意。創価班第1期生として薫陶を受けました。その間、2度も池田先生から激励していただき、「師匠の期待に応えたい」と折伏に挑戦。2人の友人に弘教を実らせ、原点を築くことができました。
 その後も、師弟の道をまい進。9年前には妻を乳がんで亡くしましたが、3人の子どもたちは、かつての私のように、母の信心を継ぎ、青年部のリーダーとして使命の道を歩んでいます。
 私は現在、地元に貢献しようと、数々の地域の役職を受け、汗を流しています。泉区の新たな歴史を開くため、さらなる前進をしてまいります。


【聖教ニュース】

◆未来部ドリームチャレンジ期間 7月1日から8月31日まで 2020年6月25日

 “負けじ魂”を燃やして、夢への一歩を踏み出そう!――7月1日から「未来部ドリームチャレンジ期間」が始まる(8月31日まで)。

 期間中、未来部員が「勉強第一」「健康第一」で、自らの夢に向かって挑戦を続けられるよう、創価家族でエールを送る。

期間中に英語スピーチコンテスト「イングリッシュチャレンジ」
 また、本年は「未来部E―1グランプリ」に代わり、英語スピーチコンテスト「未来部イングリッシュチャレンジ」を行う。
 対象は、少年少女部、中等部、高等部の全世代となる。テーマを「Toward the Dream!――未来へ希望の虹をかけよう!」と掲げて取り組む。
 併せて、6月1日から募集が開始されている「読書感想文コンクール」(中・高等部)、「きぼう作文コンクール」(少年少女部)、「少年少女希望絵画展」(同)についても、8月31日まで作品を募る。
 今後、各種コンクールを応援する紙面を本紙で随時掲載するほか、未来部機関紙「未来ジャーナル」「少年少女きぼう新聞」の7月号・8月号でも特集を予定している。
 これらは、“自分発”“家庭発”の取り組みとし、未来部担当者をはじめとした創価家族が温かく見守り、励ましていきたい。
 未来部イングリッシュチャレンジの少年少女部、中等部、高等部それぞれの「課題文」は、“池田先生の未来部書籍”からの引用である。先生は宝の子どもたちに対し、それぞれ次のように呼び掛けている。
 「これまでがどうあれ、くよくよせず、『よし、今から、がんばろう!』と決意して挑戦すれば、いいんです。すべては『今から』『これから』『きょうから』はじまるのです」(少年少女部の課題文)
 「こんな時だからこそ、若い皆さんには明るい夢を広げて、世界を変えていってほしい」(中等部の課題文)
 「未来を見つめれば、視界が広がる。希望の未来を見つめれば、今やるべきことも見えてくるのです」(高等部の課題文)
 コロナ禍によって大きな生活の変化を余儀なくされる夏となるが、未来部員一人一人が前を向いていけるよう、励ましの風を送っていきたい。

◆第3代会長就任60周年記念「師弟凱歌の記憶」第10回  「『総務』として奮闘」

恩師の肉声を残そうと、池田先生が主導して制作したレコードの一つ。戸田先生と識者の対談が収録されている

恩師の肉声を残そうと、池田先生が主導して制作したレコードの一つ。戸田先生と識者の対談が収録されている

 第2代会長・戸田城聖先生の逝去から3カ月になろうとする1958年(昭和33年)6月30日。池田先生は、新設された役職で、学会の運営を統括する「総務」に就任した。以来、学会の実質的な指揮を執ることになる。  

 先生は当時、戸田先生の精神を正しく継承することに全力を注いでいた。この頃の日記には「生死不二なれば、先生、今ここにあり」「私は戦います。先生、見ていてください」との誓いの言葉が連なる。  
 59年(同34年)の元日には、池田先生の提案で戸田先生の講義の録音テープを聴いた。「歳月
は、精神を風化させる。学会にあっては、それは、広宣流布の破綻(はたん)を意味する。彼は、戸田の叫びが、薄らいでいくことを憂
えたのだ」(小説『新・人間革命』第23巻「敢闘」の章)  
 池田先生は恩師の講義や質問会での指導などを収録したレコードの制作を推進。1枚目は「可延定業書」の御書講義で、同年の7月に完成した。ジャケットを飾る「創価学会々長 戸田城聖先生の教え」との力強い金文字は、池田先生の筆によるものである。

   総務としての先生の激励行は、全国に及んだ。御書講義で、質問会で、一人一人を奮起させていった。恩師亡き後、“学会は空中分解する”と世間がうわさする中で、同志の不安を晴らし、新たな前進への勇気を送った。  
 59年(同34年)1月には、炭労事件の舞台であった北海道・夕張へ赴いている。出迎えた同志に「戸田先生のお約束を果たすために、ここ夕張へ、まいりました!」と語った。
  前年の3月、夕張から静岡に駆け付けた女子部に戸田先生は言った。「学会員をいじめる権力は、許さない! 戸田が、夕張に行ってあげる。夕張は青年が立ちなさい。青年が立て! 青年が立て!」。その脇で恩師に寄り添っていた池田先生が、亡き師に代わって“約束”を果たしたのである。
  池田先生は後に戸田先生への感謝をつづった。「現在の私は、あの約十年にわたる師匠・戸田先生の訓練なくして存在しない」「私は、師匠に育てていただいたこの生命を、師の悲願であった『広宣流布』――民衆の幸福勝利のために捧げるのだ!」  
 不二の弟子の戦いによって、師の構想は現実となる。若き日から広布の一切の責任を担った先生の闘争が、それを証明している。


◆きょう「団地部の日」――奮闘する同志の活躍 2020年6月25日
友情輝く「人間共和の都」を!

 きょう25日は「団地部の日」。42年前の1978年6月25日に開かれた部結成5周年記念の第1回大会が淵源である。ここでは、“愛する団地を人間共和の都に”との誓いを胸に奮闘する同志の活躍を紹介する。

住民に寄り添う町内会長 北海道・苫小牧市 若草町市営住宅 橋本春季さん

 北海道苫小牧市の中心部にある若草町に、6年前に新築された1棟120戸からなる若草町市営住宅がある。橋本春季さん(副本部長)は、完成した当初からここに住んでいる。
 入居の際、市から「行政の補助が出る町内会をつくってはどうか」との提案を受け、入居者の代表9人で役員会を発足。話し合いの末、橋本さんが初代の町内会長に就任した。以来、周囲への声掛けを欠かさずに行い、居住者のために日々奮闘する。
 同団地の約3割に当たる40人が65歳以上の高齢者で、1人暮らしの世帯も少なくない。ある時、橋本さんのもとに「お腹が痛くて動けない」と、1人暮らしの高齢者から連絡が入った。駆け付けると、救急車を呼ぶなど迅速な対応を行い、大事に至らずに済んだ。
 また、団地内で、ぼやが起きた時には「高齢者でもすぐに消火活動ができるようにしたい」と、市に相談。全世帯にスプレー式の消火器を設置することができた。
 さらに市と連携し、地震などの災害対策として全世帯に防災グッズを配布。同町内会の女性部長を務める妻・久美子さん(地区副婦人部長)と共に、一人一人に寄り添うように、住民のための行動に徹している。
橋本さんの尽力で、防災グッズやスプレー式消火器が全世帯に配られた
 現在、コロナ禍のため町内会活動は制限されているが、市や住民との電話などでの連携は欠かさない。
 “地域貢献活動には率先垂範で”との、池田先生の団地部への指針を胸に行動する橋本さんは、意気軒高に語る。
 「この40年、毎日1万遍の唱題を目標に挑戦しています。好きな言葉は“持続は力なり”。これからも、どんな状況にも負けず、皆さんのために尽くし抜いていきます!」

手作りマスクが信頼広げる 愛知・安城市 市営門原住宅 近藤明子さん

 「品薄になると予想し、マスクを手作りしようと思ったんです」
 こう語るのは、愛知県安城市の桜井町にある市営門原住宅に住む近藤明子さん(婦人部副本部長)。
 1月下旬、新型コロナウイルスの感染拡大の影響が話題になり始めた頃、直感的にマスク不足を予想した。持ち前の行動力を生かし、素材となる布などを購入。スマートフォンで手作りマスクの動画を見ながら製作した。試行錯誤の末に完成したマスクは住民に配布。「本当に助かります」と笑顔で感謝された。
 また、町内会の福祉委員を務める近藤さんは、マスク不足が深刻化する中で“多くの人にこのマスクを届けたい”と、地域の福祉センターにこれまで100枚程度を寄付。さらに子ども用のマスクを製作し、児童施設にも贈呈した。これらの取り組みは反響を呼び、市の広報紙にも取り上げられた。
 市営門原住宅が完成した約30年前から住む近藤さんは、長年、地域に根差した貢献を続ける。老人会でも相談役として重責を担う。
 コロナ禍で直接の交流は減ってしまったが、今も電話を通じて、住民からさまざまな相談が寄せられるという。丁寧に話を聞き、“住民のため”“地域のため”にと行動する姿に多くの共感が集まる。
 まさに池田先生が団地部に示した「近隣を大切に、広く、大きな心で、皆と仲良く」との指針通りの模範の振る舞いだ。
 「マスクを寄付した時に『何があろうが、太陽は毎日昇る』という池田先生の言葉を添えて、私のメッセージと共に贈りました。先生の指針を胸に、今後も“人のために”との思いで励ましの行動を続け、地域に信頼の輪を広げます」と、近藤さんは笑顔で語った。

「互近所」の精神で防災を推進 東京・昭島市 つつじが丘ハイツ北住宅団地 宮田次朗さん

 災害時は、「ご近所」の絆が重要だといわれる。東京・昭島市の宮田次朗さん(副区長)は語る。「大切なのは『互いに近くで助け合う』との『互近助』の精神です」
 宮田さんが暮らす「昭島つつじが丘ハイツ北住宅団地」は、約1400世帯が在住する都内屈指の大規模団地だ。宮田さんは現在、同団地管理組合の理事長を務める傍ら、市の自治会連合会の相談役や地域の防災協議会の会長などを兼務している。
 防災システム研究所所長の山村武彦氏が提唱する「互近助」の精神で、長年にわたり地域の防災意識の向上に努めてきた。
 同団地の全世帯に災害時用のステッカーやネームプレートを配ったり、地域の中学校の全生徒と7年連続で合同防災訓練などを実施したりしてきた。また、被災地へ何度も足を運び、地域防災を肌身で学んだ。
団地の全世帯に配布されている災害時用のステッカーとネームプレート
 宮田さんが地域の防災に携わり28年。当初、防災と聞いても理解を示す人は少なかったが、慣れないパソコンで資料を作り、一人一人に防災の重要性を訴えていった。
 地域のために走り続けてきた宮田さんを支えたもの――それは、「地域貢献の大切さを教えてくださった池田先生にお応えしたいとの一心です」
 2000年5月、昭島に足を運んでいた池田先生から激励を受けた。その先生の真心に、苦労も悲哀も全て誓いに変わった。“わが地域を多摩で一番安全にする。その先頭に立とう”
 同団地の防災活動に対し、17年に「防災まちづくり大賞」の総務大臣賞などが贈られた。本年には防災関係の雑誌に宮田さんの活動が取り上げられた。
 宮田さんはこれからも、“ごきんじょ”の防災の先頭を行く。

「団地部の日」に寄せて 識者の声を紹介 福岡・九州産業大学地域共創学部 小池高史准教授

 高齢社会の日本において、私たちが幸せを感じる暮らしを実現するためには、人間関係や心身の健康、介護の在り方など、さまざまな側面からのアプローチが欠かせません。
 私は、大学で教壇に立つ一方、高齢期の人々のQOL(生活の質)の向上や“幸福な老い”とは何かを追究する「社会老年学」を研究しています。
 大学院時代から団地に住む1人暮らしのお年寄りの生活問題をはじめ、高齢者を支援する団体などについて調査を行ってきました。
 日本で団地の建設が本格化したのは、第2次世界大戦後のことです。戦後の復興需要や高度経済成長期を支えるため、1955年に日本住宅公団(現・都市再生機構)が設立され、以来、都市部を中心に団地建設が行われました。
 当時の居住者は、結婚間もない若い夫婦や子育て世代など20代、30代の若者が多く、「団地族」という流行語が誕生したほど注目を集めました。
 しかし、半世紀以上がたった現在、入居者も同じように年齢を重ね、高齢化が進む日本社会においても特に高齢者の割合が高い場所となっています。老老介護や孤独死などの社会課題が団地で目立つ点も、そこに起因します。
 また近年では、外国人の居住者が増え、生活文化の違いから起きる住民間のトラブルなども取りざたされています。
 しかし、国籍や経済的な理由などから、民間の住宅に住むことがかなわなかった人々にとっての公的なセーフティーネットとしての側面があることも事実です。
同じ信念持つ絆が課題に挑む力に
 こうした団地を取り巻く環境を調査する中、私が今、特に危惧していることがあります。それは、高齢化による自治会運営の継続が困難になっているという点です。“幸福な老い”を追求していく上で、団地内でのコミュニティーは欠かすことができません。
 私自身、調査でお話を伺う自治会の方は80代、90代の方がほとんどという現状にあって、そのネットワークを継続する担い手として、比較的若い60代、70代への世代交代が求められていると考えています。
 その点において、創価学会団地部の方が、自治会活動などに率先しておられることは非常に重要なことであると思います。
 昨年、九州団地部の方から、小説『新・人間革命』「灯台」の章を紹介してもらい、読ませていただきました。小説には、私も知識として知っていたエピソードがつづられており、その背景に“地域のために”と献身する団地部員の姿があったことを知りました。
 池田大作名誉会長が贈った「団地部への指針」も教えてもらい、同じ信念を持つ団地部の人々のネットワークの強さを実感しています。私自身、一人の研究者として皆さんが行ってきた地域貢献を学んでいきたいと思っています。
 現在、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、団地が抱える課題はより一層、深刻なものになっています。今は団地に足を運んでの調査を自粛しているため断定はできませんが、集会所などの閉鎖によって、取り残されている高齢者は必ずいるでしょう。
 そうした人々を支えるコミュニティーの構築・継続を含め、世代を超えて同じ信念でつながる創価学会団地部の方々であればこそ、直面するさまざまな課題に立ち向かっていく力があるのではないかと、期待しています。

 【プロフィル】こいけ・たかし 1983年生まれ。社会学研究者。人間総合科学大学保健医療学部非常勤講師、九州産業大学国際文化学部日本文化学科講師などを経て、現在、九州産業大学地域共創学部地域づくり学科准教授を務める。専門は老年社会学、社会老年学など。2015年、日本老年社会科学会奨励賞・論文賞・優秀演題賞を受賞。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈池田先生の会長就任60周年 青年部が原田会長に聞く Ⅱ部〉第10回 未来を照らす人間教育の光④2020年6月25日

〈出席者〉西方男子部長、大串女子部長、樺澤学生部長、林女子学生部長

創立者との師弟の絆強き関西校 宝の学園生と生命の触れ合い
 ◆大串 1973年(昭和48年)には、大阪・交野市に創価女子学園(現在の関西創価中学・高校)が開校します。小説『新・人間革命』第17巻「希望」の章には、この時のことが詳しくつづられています。
  
 ◇原田 池田先生が初めて交野を訪れたのは、57年4月16日です。この日、先生は友の激励のため、大阪中を駆け巡っていました。
 後に「関西の共戦の友は、三世永遠の家族である。そのお子さんやお孫さんが胸を張って学びゆく理想の学園を、この佳き地につくりたいと、私は遠大な夢を、人知れず広げていたのである」と述懐されています。
 この2カ月半後、学会という民衆勢力の台頭を妬む権力により、池田先生が不当逮捕される「大阪事件」が勃発します。先生は迫り来る権力の魔性との激闘の中、教育運動の未来を展望されていたのです。
 先生は、「21世紀は女性の世紀である」との視点から、東京に男子校として創価学園の開校が決まった頃から、次は、創価女子学園を関西の地につくることを心に決めておられました。
 69年5月には女子学園の候補地となっていた交野の用地を視察されています。周囲に自然が残り、野鳥の鳴き声が響く、素晴らしい場所でした。
 先生は、女子学園の構想として、緑と水が豊かで風光明媚な所、という考えをお持ちでした。その構想に、交野はぴったりだったのです。未来の学園生のため、自ら足を運び、自らの目と耳で確かめて、建設の地を決めていかれたのです。
  
 ◆林 73年4月11日に行われた入学式には先生が出席され、原点となる指針を示してくださいました。
  
 ◇原田 あいさつの冒頭、「今朝、妻に『うちは男の子しかいないから、全員、娘にしたいな』って言ったら、妻も『そうしたいですね』って言うんですよ」と語られ、会場からは歓声が上がりました。先生と学園生の心の距離の近さを実感いたしました。
 参加者の中には、このような光景に「心の交流というよりも、生命の触れ合いを見た感じです」と目頭を押さえながら語る人もいました。
 さらに、この時、先生は「他人の不幸のうえに自分の幸福を築くことはしない」という信条を培うよう訴えられました。そして、「この心をもち、実践していったならば、まれにみる麗しい平和な学園が実現するでありましょう」と語られています。この言葉は、学園全体にとって永遠の指針となりました。
  
 ◆大串 開校から30年を経た2003年には、この指針を刻んだ「平和教育原点の碑」が設置されました。
  
 ◇原田 その通りです。第1回入学式の後には「卓球場開き」が行われました。先生は、式服から運動着に着替え、一緒に汗を流されました。生徒たちの「先生がんばって!」「ドンマイ、ドンマイ!」との掛け声にも全力で応えておられました。
 「テニスコート開き」でも先生はラケットを握られ、ダブルスでは、私も先生のパートナーを務めさせていただきました。まさに体当たりで学園生と接する先生の姿、そして先生を求め抜く学園生の姿に深く感動したことを覚えています。終了後も先生はグラウンドの片隅に腰をおろし、生徒たちの状況に耳を傾けながら懇談されました。
 同年5月にトインビー博士との対談などのためにヨーロッパに行かれた際も、女子学園のことを気に掛けていた先生は、訪れたパリでフランス人形を買い求め、帰国後、「園子」と名付けて、女子学園に贈られました。園子の名は女子学園生の愛称にもなりました。

関西創価学園の「金星寮」を訪問後、学園生との懇親会でピアノ演奏をされる池田先生。師弟の曲“大楠公”をはじめ、皆の健康と成長へ祈りを込めて(1995年10月10日)

関西創価学園の「金星寮」を訪問後、学園生との懇親会でピアノ演奏をされる池田先生。師弟の曲“大楠公”をはじめ、皆の健康と成長へ祈りを込めて(1995年10月10日)

海外訪問の予定を変更して来校
 ◆西方 その後も先生は激務の中、関西学園を何度も訪れ、生徒たちを直接、激励してくださいました。その一回、一回が学園生にとって宝の歴史です。
  
 ◇原田 1975年4月のことです。この年、女子学園では中学1年から高校3年までがそろい、関西創価小学校の起工式も行われる予定でした。先生は、第3次訪中の直前でしたが、「何としても関西の学園生を励ましてあげたい」と日程を調整し、出発を当初の予定の羽田から大阪に変更されたのです。
 4月12、13日と学園を訪問し、翌14日には訪中に出発されるという過密な日程でした。半年ぶりの学園訪問です。先生は、「大きくなったね」と一人一人を激励されていました。
 9日に入学式は終わっていましたが、式が行われた体育館にも立ち寄られました。そこには、入学式当日の飾り付けが残されていて、大きな幕には3羽の白鳥と共に「良識・健康・希望」とのモットー等が描かれていました。ご覧になった先生は、すぐにこの幕を制作したメンバーを招き、激励してくださったのです。先生は常に“陰の人の苦労”に光を当て、たたえられます。この時も、どこまでも一人を大切にする人間教育の真髄を見る思いでした。
  
 ◆西方 82年、東西の学園は男女共学になります。
 2000年2月28日、先生は卒業予定の関西創価高校・中学・小学生と記念撮影、懇談もしてくださいました。私も当時、中学3年生でその場にいました。
 ある女子生徒の「池田先生の夢は何ですか?」との質問に、先生は「夢を考える暇がないぐらい忙しいんだよ。世界中のことを考えているから」とユーモアを交えながらも、「私の夢は、戸田先生の夢を実現することです。戸田先生は、私の絶対の師匠です」と断言されました。真剣なまなざしで「師弟」を語られる先生のお姿は今も鮮明に覚えています。
  
 ◇原田 前日、先生はアルゼンチンの国立ノルデステ大学から名誉博士号を受けられました。このことに触れながら、「私への栄誉については、私自身は『創価大学生、学園生が世界で活躍しているおかげである』と思っている」「皆さんが将来、名実ともに立派な博士となり、指導者になってもらいたい。それが最大の私の夢である」とも語られています。
 また、1974年12月、中国で周恩来総理との会見後、宿舎に戻られた先生が「私には創大生、学園生がいる。20世紀後半には、必ず人材が陸続と出てくるんだ」と、誇らしげに語られていたことが、私は忘れられません。
 先生の万感の期待を胸に人生を歩む創価同窓の皆さんは、どれだけ幸せでしょうか。

諸君の成長の姿を見るとき、未来へ私の胸は躍ります――先生の後継者育成の舞台・関西校(1987年4月、池田先生撮影)

私の最大の夢は――「将来、皆が立派な博士、指導者に」
 ◆樺澤 今の学生部にも、修学旅行での先生との出会いを生涯の原点としている関西創価小学校の出身者が多くいます。
  
 ◇原田 05年9月16日には、創価大学の本部棟前で、修学旅行中の関西創価小学校6年生と出会いを刻んでくださいました。先生は児童たちの方へと歩み寄られ、「よく来たね!」「会えて、うれしい」「みんな優秀だ」と温かく声を掛けられ、その場にいた6年生110人全員と握手をされました。小柄な子には、「私もね、6年生の時は、小さかったんだ。同じだよ」と声を掛けられる一幕もありました。まさに一人一人を抱きかかえるように励ましてくださったのです。
 また、07年には、先生は東京・信濃町で関西小の児童を迎えられました。
 全員に言葉を掛けたあと、マイクをとり「みんな、どうもありがとう! この中から、ノーベル賞をとる人も出ます。必ず出ます。そうなるように、先生も祈るからね」と、呼び掛けられました。子どもたちも「池田先生、6年間ありがとうございます!」「立派な人材になります!」と感謝や決意の言葉を精いっぱい、先生に伝えました。子どもたちの心には一生の思い出が刻まれたことと思います。
  
 ◆樺澤 15年度には関西創価高校、16年度には東京・創価高校が、文部科学省が国際的なリーダーの育成を支援する教育事業「スーパーグローバルハイスクール」の指定を受けました(関西校は昨年度で期間満了)。
  
 ◇原田 両校共に“創造性豊かな世界市民の育成”との理念のもと、国際性豊かな人材の輩出に取り組んできました。今、その先見性ある教育方針と、確かな成果は教育関係者はじめ、各界から注目を集めています。
  
 ◆林 昨年11月に関西校を訪問したイギリス・ケント大学名誉教授のヒュー・マイアル博士は「平和の心を世界に広げたいと学び、行動を起こす学園生の姿に、感銘を受けました」と語っていました。
  
 ◇原田 ハーバード大学名誉教授のヌール・ヤーマン博士も「創価の学舎には、対話の気風があふれていました。対話が平和建設に不可欠であることは、歴史を見ても明らかです」と鋭く述べています。相次ぐ高い評価も、すべて、創立以来、池田先生が誰よりも学園の発展を願い、学園生のために尽くし抜いてくださったからなのです。

「平和教育原点の碑」には開校時に示された指針が刻まれている


◆〈2020 学会史メモリアル〉 7月   2020年6月25日

 ◎7・3「戸田先生出獄の日、池田先生入獄の日」
 1945年(昭和20年)7月3日は、軍部政府により不敬罪、治安維持法違反の罪に問われ、投獄されていた戸田城聖先生(当時・理事長)が出獄した日。戸田先生は、獄死した初代会長・牧口常三郎先生の遺志を継ぎ、学会の再建に立ち上がった。本年は出獄から75年。
 57年(同32年)7月3日、大阪府警が、参議院大阪地方区の補欠選挙で支援の責任者であった池田大作先生(当時・青年部の室長)を、選挙違反の容疑で不当逮捕(大阪事件)。同月12日、蔵前の国技館(当時)で大阪事件に抗議する「東京大会」が行われた。
 池田先生は、17日に釈放され、同日、中之島の大阪市中央公会堂で「大阪大会」が開かれた。62年(同37年)1月25日に無罪判決が出された。※参考資料=小説『人間革命』第1巻「黎明」、第11巻「大阪」、『新・人間革命』第4巻「立正安国」、第5巻「獅子」、『池田大作全集』第22巻、『法華経の智慧』普及版〈下〉

大阪・中之島の大阪市中央公会堂

大阪・中之島の大阪市中央公会堂
 
 ◎7・3「東北の日」
 87年(昭和62年)7月3日、池田先生は東北・仙台を訪問。“仏法は勝負であり、信心は絶えざる魔との戦いである”と語り、東北広布のさらなる発展に期待した。
  
 ◎7・11「男子部結成記念日」
 51年(昭和26年)7月11日、東京・西神田の旧学会本部で、戸田先生のもと、百数十人が集い、男子部が結成された。75万世帯達成に向け、男子部は弘教に奮闘。若き池田先生は蒲田、関西などで折伏・弘教の金字塔を打ち立てた。※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」

東京・西神田の旧・創価学会本部

東京・西神田の旧・創価学会本部
   
 ◎7・15 聖教新聞「日刊化」55周年
 聖教新聞は65年(昭和40年)7月15日付から日刊化がスタートし、本年で55周年となる。※参考資料=『新・人間革命』第10巻「言論城」
  
 ◎7・16「沖縄初訪問」60周年
 日蓮大聖人の「立正安国論」提出から700年となる60年(昭和35年)7月16日、池田先生は沖縄を初訪問。本年で60周年。沖縄は当時、米国の施政権下にあった。※参考資料=『新・人間革命』第2巻「先駆」
  
 ◎7・19「女子部結成記念日」
 女子部の結成式は51年(昭和26年)7月19日、西神田の旧学会本部で行われた。戸田先生は、集った74人に、「女子部員は、一人残らず幸福に」と激励した。※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」
  
 ◎7・27「中部の日」
 76年(昭和51年)7月27日、池田先生は名古屋での中部記念幹部会に出席し、“異体同心こそ広布実現の要諦である”とスピーチ。「中部旗」を授与した。


◆〈さわやか寸景〉信仰体験 3家族でオンライン勉強会膵臓がん・サルコイドーシスと闘う父の願い

 【群馬県桐生市】瀧澤孝さん(60)=副総群馬長=が月に1度、子どもたちと小説『新・人間革命』の勉強会を始めて1年になる。?
 参加者は、瀧澤さんと妻・裕美子さん(58)=婦人部本部長、昨年結婚した長女夫婦、本年5月に結婚した次女夫婦の6人。毎月1巻ずつ読んで、感想などを語り合う。
 長女・中嶋美香さん(30)=副白ゆり長=の夫・勇允さん(34)=男子部員=は結婚を機に入会した。仏法用語に初めて触れた。瀧澤さんは感謝の思いで、用語を解説した資料を作成し、少しでも理解が進むよう入念に準備を行う。  
「でも、教えるというより、一緒に池田先生のことを学んでいくという感じです。『新・人間革命』は読み返すたび、新しい発見があり感動する箇所が違います。その時その時の境涯なんですかね」
 4年前、ステージ2bの「膵臓がん」と診断された。リンパにも複数の転移があり、切除手術と抗がん剤治療が行われた。「3年生存率15%」の壁は越えたが、医師から渡された資料には「5年生存率5%」とあった。  
「生かされた命。だから『臨終只今(りんじゅうただいま)』の思いで、時間の許す限り池田先生のことを語っておきたい」。その思いが、勉強会を始めたきっかけだと教えてくれた。

 2018年(平成30年)末、がんに続き、肉芽腫がさまざまな臓器にできる厚生労働省の指定難病「サルコイドーシス」を発症。翌年には「肺MAC症」を患い入院した。
 これでもかと襲い来る病魔。“もうダメかも……”。折れそうな心に、ふと一つの後悔が押し寄せた。  “仕事では、大手自動車部品メーカーで工場長など重責を担ってきた。広布の活動でも青年部のリーダーを務めさせていただいた。けど忙しさを理由に、子育ては全て妻任せ。父親として、子どもたちに信心を伝えていないのでは……”  そう思うと、“このまま死ぬわけにはいかない。池田先生のことを語り抜かなくては”と。不思議に生きる力が湧いてきた。唱題にも力がこもった。
 早速、病室から子どもたちへメールを送った。<退院したら家族で勉強会をやりたい>。教材は小説『新・人間革命』に決めた。
 19年7月から勉強会が始まった。
 病に負けず、池田先生を語る父の姿に、次女の永山光子さん(27)=婦人部員=は何度も胸を熱くしたという。
 「それまでの私は信心に消極的なところがあり、父ともあまり話をしませんでした。でも父は、病気になってから驚くほど変わりました。人の痛みに敏感になり、感謝をよく口にするようになって」
 光子さんは当時、化粧品メーカーに勤務。仕事を終え帰宅すると、クタクタだった。それでも、眠い目をこすりながら『新・人間革命』を開いた。女子部の白蓮グループの一員として、学会活動にも励むようになった。
 父が教えてくれた池田先生の言葉がある。「自分は何のために生きるか。使命とは、その自覚の異名である」
 光子さんは「池田先生が何をしてきたのか、どういう人かを学ぶと、先生を身近に感じられるようになって。姉とも約束したんです。父から教わった池田先生のこと、信心のことを、私たちの子どもの世代にも伝えていこうね、と。それが使命なのかなって」

 瀧澤さんは現在も、三つの病と闘っている。がんの転移・再発こそないが、新型コロナウイルスの感染拡大により、細心の注意が必要だ。
 今年4月、家族で集まることが難しくなり沈む父に、長女・美香さんがオンラインでの開催を提案した。勉強会は先月も行われ、互いに決意を固め合った。
 瀧澤さんは、感謝を祈りに込める。  
「青年部時代から、一対一の膝詰めの対話をしてきたから、オンラインで、信心の熱まで伝わるかは半信半疑。でも案外、分かってくれているようで。コロナ禍の一日であろうと、二度とない一日です。きょう一日を悔いなく、信心と師弟のすごさを伝えていきます」


◆信仰体験 根張るPHOTO 一貫に心込め

【札幌市】この5月、すすきのの飲食店は新型コロナウイルスの影響で売上高が前年同月比、9割落ち込んだ。休業要請や移動自粛が解除されても、まだ客足の戻りは鈍い。
 「鮨処桐」を営む小野寺晃彦さん(45)=地区幹事。店を開けても薄利だが「仕入れ先の魚屋も少しは助かる」と踏ん張っている。持ち帰りを増やし、定休日でも予約が入れば営業した。たった1組のお客でも、米はいつも通り1升炊いた。「量を変えると味が変わる」。妥協(だきょう)はしなかった。
 中学を出て、この道に入った頃から煮え切らないものがあった。
 正しい人生とは何なのか――。
 いろんな宗教をかじり、哲学書を求めた。6年前、創価学会にたどり着く。仕事の姿勢が変わり、若くして店長に起用された。自分の店もすすきのの一等地に構えてみせた。
 疎遠になっていた実家に向かった。がんを患った母が横になっていた。「絶対に守ってみせる」。息子の揺るぎない姿に、母も父も信心を始めた。
 両親は息子の頑張りがうれしそうだった。親が喜ぶ道が正しい人生だよ。池田先生から言われた気がした。
 コロナ禍で経営の厳しさは増しても、店の壁には「心こそ大切なれ」(御書1192ページ)という言葉が掲げてある。すしの形を整える一瞬、小野寺さんは静かに目をつぶる。お客の前に、職人の心をそっと置く。

 

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