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2020年6月22日 (月)

2020年6月22日(月)の聖教

2020年6月22日(月)の聖教

◆今週のことば

 「御みやづかいを
 法華経とをぼしめせ」
 変化の社会にこそ
 新たな価値創造の力を。
 妙法の賢者と光れ!
 御書P1295


◆名字の言 自身の殻を破る「出会いパワー」 2020年6月22日

 クルミは硬い殻に覆われているが、それを割るとおいしい実が現れる。「私にとって教育とは、まさにこの『殻を破る』こと」と語るのは、明治大学の齋藤孝教授。氏は、教師志望の学生たちが“殻を破る”契機にと、工夫を凝らした授業を行う▼例えば、それぞれ学んだ専門知識をショートコントで披露する授業。歌を歌う、キャラクターに扮する……最初は恥ずかしがっていた学生も、終わると“やってよかった”と笑顔に。実際、“翌年に残したい授業”を学生に尋ねると、多くがこの授業を挙げるそうだ▼殻を破るきっかけは、自分の内側からだけでなく、外側からの刺激で生まれることも多い、と氏は語る。「言わば、『出会いパワー』『縁の力』です」と(『潜在能力を引き出す「一瞬」をつかむ力』祥伝社新書)▼コロナ禍の中、電話やSNSでの励ましを印象的に語る人が少なくない。“地区婦人部長の明るい声にホッとしました”“支部長の力強い言葉が胸に響いています”。直接、会えなくても、人の心を変える「出会いパワー」を生み出すことはできる▼御書に「万法は己心に収まりて一塵もかけず」(1473ページ)と。誰の生命にも、宇宙に等しい智慧と力が秘められている。その可能性を開く「出会いの劇」を、きょうも朗らかに。(誼)


◆寸鉄

創価の女性が記念月間を
快走。太陽が輝けば世界
は明るく。激励の光更に
     ◇
心は王者でいけ。誇り高
く生き抜け―恩師。皆が
幸福になる仏法。信強く
     ◇
奄美の日。試練の時こそ
同志と共に、地域と共に。
支え合いの絆は広布の鑑
     ◇
東西の創価学園がウェブ
見学会を開催中。英才よ
集え!人類貢献の学舎へ
     ◇
新型コロナの抗体、保有
せぬ人が大半―厚労省。
手洗い等、引き続き励行


◆社説 あす、沖縄「慰霊の日」  生命尊厳の哲理を命に刻み

 1945年、太平洋戦争末期の沖縄では、旧日本軍の組織的戦闘が終結したとされる6月までの約3カ月間、“国内最大の地上戦”により、12万人余の県民を含む、約20万人が戦禍の犠牲になった。
 あす23日は、沖縄「慰霊の日」。糸満市摩文仁の平和祈念公園では「沖縄全戦没者追悼式」が行われる。終戦から75年。沖縄戦を体験した世代は県人口の6%台となり、戦争体験の風化が懸念される。本年、長期休校の影響で平和学習の時間を削減する学校もある。だが沖縄歴史教育研究会などの調査によれば、沖縄戦の学びを「とても大切」「大切」と回答した高校生は合わせて95・5%に上り、若い世代は平和教育の機会を求めている。   
 沖縄創価学会では青年部を中心に長年にわたり、沖縄戦体験の聞き取りや反戦出版などを通して、“戦争の記憶”の保存をはじめ、平和運動を力強く推進してきた。昨年は、15人の中・高等部員が、8人の戦争体験者から聞き取りを行い、それらをまとめた体験集が年内にも発刊される予定。「今回、聞いたことは、絶対に繰り返されてはならないことだと思いました」と未来部員は語っていた。
 19日付本紙沖縄版では、石垣島で空襲・艦砲射撃に遭い、母をマラリアで、幼い弟を栄養失調で失った壮年の体験を紹介。彼は今、音楽を通して、「次代を担う子どもたちへ、戦争の残酷さと平和の尊さを伝え抜いていきます」と誓う。
 かつて沖縄青年部が収集した「沖縄戦の絵」がある。戦時中の写真はほとんど米軍が記録したもので、住民による記録はなかった。“体験者に描いてもらうしかない”と青年たちが立ち上がったが、悲惨な記憶を呼び起こして絵にすることは、体験を語る以上のつらさがあった。数カ月の間、1枚の絵も集まらなかった。しかし、青年たちの真剣な平和への訴えが、体験者の心を動かし、約700点の絵として結実した。全国での巡回展は大きな反響を呼び、一部はパネルにされ、平和教育の貴重な資料として、今年も県内の小学校で展示された。
 池田先生は60年と62年の2度、南部戦跡を訪れ、不戦の誓いを固めた。64年には、軍国主義と戦い抜いた恩師の真実を描く小説『人間革命』を沖縄の地で起稿。師の平和への思いは、後継の青年たちに脈々と受け継がれている。
 平和建設は「奪命」という人間が持つ魔性との戦いである。故に万人の生命に「尊極の宝」を見いだす哲理が必要だ。自他共の心の奥深くに生命尊厳の思想を打ち立て、人間の一念を平和の方向へと転換し続ける中でその道は開かれる。
 「命どぅ宝(命こそ宝)」の心を沖縄から世界に、発信し続けていきたい。


◆きょうの発心  兵庫・常勝播磨県総合婦人部長 安部糸美

御文  何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり(呵責謗法滅罪抄、1132ページ・編599ページ)
通解  いかなる世の乱れにも、あなた方を法華経や十羅刹女よ助け給え、と湿った木から火を出し、乾いた土から水を出すように強盛に祈っている。

強盛な祈りで弟子の誓い果たす
 強盛な祈りが、不可能を可能に転じると教えられています。
 支部婦人部長として、広布にまい進していた時、夫が右腕に大けがを負い緊急手術することに。後遺症が残り、働き続けることができるか、不安がよぎりました。
 当時は自宅を購入し、長女は短期大学に進学したばかり。この御文を拝し、家族一丸となって唱題に励みました。すると、夫の職場環境が大きく変わり、願った通りの条件で、働き続けられるように。その後も苦難は続きましたが、3年前には念願だった実父への弘教が実るなど、題目を根本に一つ一つ乗り越えることができました。
 2010年(平成22年)6月の本部幹部会に参加。池田先生の「弟子たちが、本気になり、一丸となって、不惜身命の祈りと行動を」とのメッセージに“必ず師匠にお応えする”と決意しました。誓願の一念と報恩の祈りを根本に、励ましの拡大に徹してまいります。


【教学】

◆日蓮大聖人の慈愛の眼差し 「日蓮の弟子と名乗りなさい」 
南条兵衛七郎 一族で最初に大聖人に帰依した広布の父 最期まで信心を貫き後継の道を開いた

秀麗な富士を望む静岡・富士宮市。この天地で、南条兵衛七郎は富士の如き不動の信心を貫いた

秀麗な富士を望む静岡・富士宮市。この天地で、南条兵衛七郎は富士の如き不動の信心を貫いた

 「広宣流布は、『一人立つ』ことから始まる。そして一人ひとりが、自分のいる場所をば、使命を果たすべき『広布の天地』として立ち上がるところに、『人間革命』があることを、絶対に忘れてはならない」   ?
 かつて池田先生は、こうつづった。  
 日蓮大聖人の御在世当時、駿河の天地を舞台に、南条家の人々は強盛な信心に励み、広布史に名を刻んだ。その一家の信心の起点となった人物がいる。その人こそ、南条時光の父・南条兵衛七郎である。  
 一族で最初に大聖人に帰依し、病魔と闘(たたか)いつつ、最期まで信心を貫いた。  
 広布に一人立つ勇者によって、いかなる未来が築かれていくのか――その答えは、兵衛七郎の人生が克明に物語る。

真心あふれる一通のお手紙
 南条兵衛七郎は、駿河国富士上方上野郷(静岡県富士宮市下条)に住んでいた武士で、「上野殿」とも呼ばれた。先祖が伊豆国田方郡南条郷(静岡県伊豆の国市南條周辺)を本拠地とする一族であったことから、「南条」の名字を名乗った。  
 もとは一族で念仏を信仰していたが、兵衛七郎はおそらく鎌倉にいた時に大聖人に帰依し、法華経の信仰に励むようになったと考えられる。  
 駿河国は、北条得宗家が守護として支配した地域であり、特に上野郷がある富士方面は、念仏の強信者である北条重時の娘で、北条時頼の妻の後家尼御前らの影響が強い地域であった。  
 兵衛七郎が法華経を持ったことに対し、身内はおろか地域住民からも、驚きや反対が起こったことは容易に想像ができる。
 そうした中、信心に励んでいた兵衛七郎だが、文永元年(1264年)12月、重い病に伏していた。
 まだ働き盛りで、これからという年齢だったことだろう。親類からは“これを機に、念仏に再び帰依せよ”と勧められたかもしれない。  

 大聖人は、兵衛七郎が病に伏したことを聞かれるやいなや、お手紙(「南条兵衛七郎殿御書」)を送られた。  
 兵衛七郎に宛てられたお手紙は、この一通しか伝わっていないものの、この一通こそが、兵衛七郎の心に渦巻く恐れや迷いを打ち払い、揺るぎない信心の一念を確立させた。また、妻の上野尼御前や息子の時光ら家族が正法弘通に献身していく道を開いていったのである。  
 このお手紙が送られる1カ月前、大聖人は「小松原の法難」に遭われ、額に傷を被り、左手を打ち折られている。傷も癒えぬ中で認められたお手紙は、御書全集で6ページ、400字詰め原稿用紙にして約15枚に相当する長文であり、病床の門下を全力で激励されようとする大聖人の大慈大悲が感じられてならない。  
 お手紙には小松原の法難についても克明に記され、命懸けで広宣流布を進める「日本第一の法華経の行者」(御書1498ページ)の御確信がつづられている。
 また大聖人は、念仏信仰を破折し、法華経こそが釈尊の真意を説いた教えであることを明かされ、破邪顕正の精神を打ち込まれる。   
 「どのような大善を作り、法華経を千万部読み、書写し、一念三千の観法の道を得た人であっても、法華経の敵を責めなければ仏の道を得ることは難しいのである」(同1494ページ、通解)   
 この御文は、初代会長・牧口常三郎先生の御書にも強く赤い線が引かれていた一節である。
 大聖人は特に法然の念仏を破折されるが、現代で言えば、「法華経の敵」とは、浅い教えに執着し、万人成仏を説く法華経に敵対する者のことである。  
 法華誹謗という根源の悪と戦い、不幸の流転の根元を断ち切る――兵衛七郎は病床で、一生成仏の急所を師から教わり、周囲の反対に屈せず、師が呼び掛けた「大信心」(同1497ページ)を奮い起こすことを心に誓ったであろう。

「師弟」こそ仏法の根幹
 兵衛七郎の病状は大変に重かったようで、大聖人は、このお手紙の終わりに次のようにつづられた。 「もし日蓮より先に旅立たれるなら、梵天・帝釈天・四大天王・閻魔大王らに申し上げなさい。『日本第一の法華経の行者・日蓮房の弟子である』とお名乗りなさい。よもや粗雑な扱いはされないだろう」(同1498ページ、通解)  この力強い大聖人の励ましを受け、“今世も、そして来世も、師匠と一緒に生き抜くのだ!”との思いが兵衛七郎の心を満たしたであろう。  

 池田先生は、本抄の講義で呼び掛けている。
 「いざという時に、胸を張って『日蓮の弟子』と言い切ることができるかどうか。日蓮仏法の根幹は、どこまでも師弟です。
 三世にわたって師弟に生き抜く誓願と実践が、一切を勝ち開きます。私たちの日々の実践に即するなら、『我、創価学会員なり!』と喜びの唱題を重ね、広布の活動に励むことです。その信心があれば、三世十方の仏・菩薩・諸天善神が動きます。そして、その人自身が、未来永遠に『仏』と輝くのです」  

 日蓮仏法の根幹を教えられた兵衛七郎は、病床にあって、大聖人のお手紙を幾度となく拝したであろう。そして最期まで師弟の道を歩み抜いたに違いない。
 お手紙を頂いてから3カ月後の文永2年(1265年)3月8日、兵衛七郎は霊山へ旅立った。  
 兵衛七郎が「臨終正念」(同1508ページ)の姿を厳然と示したことを、大聖人は伝え聞かれている。この時、時光は7歳、末っ子の五郎は上野尼御前のおなかの中にいた。  
 しばらくして大聖人は、鎌倉からはるばる上野郷に出向かれ、墓参される。この時、幼い時光は大聖人と初めての出会いを結んだ。時光は父の願い、母の祈り、そして師匠の期待を一身に受け、立派に成長を遂げる。さらに、時光だけでなく、他のきょうだいも続き、兵衛七郎の強盛な信心は多くの子が受け継いだ。  
 広布大願に立つ「一人」がいれば、仏法は必ずや二人、三人、百人と唱え伝わっていく――大聖人が示された「地涌の義」を、南条兵衛七郎はその人生を通して示しきったのである。


【聖教ニュース】

◆世界市民教育の拠点に――創価大学の馬場学長に聞く 2020年6月22日

 新型コロナウイルスの世界的流行は、オンライン学習へのシフトなど、これまでの教育環境を一変させた。人類全体が、かつてない試練に立ち向かう今、ポスト・コロナ(コロナ後)の時代を見据え、創価大学(東京・八王子市)では、どのような人材の養成を目指しているのか。開学50周年となる明2021年へ、創大の使命と今後の取り組み、新たに策定された中長期計画「創価大学グランドデザイン2021―2030」などについて、馬場学長に話を聞いた。

新たなグランドデザインを策定 価値創造の実践者を養成
 ――感染症の拡大で、多くの学生が先行きの見えない不安を抱える中、創価大学ではいち早く、オンラインシステムを活用した授業や進路相談の実施に踏み切りました。

 世界的な感染爆発の兆しが見え始めた本年3月上旬には、従来の対面授業ができない可能性が浮上しました。以来、学生と教職員の安全を最優先にしつつ、教育・研究活動の質を担保しながらも継続するためには、どのような対策を講じるべきか、学内で検討を重ね、4月13日には、ほぼ全ての授業をオンラインで開始することができました。
 新しい局面を迎えるに当たって、関係者の多大な努力があったことは言うまでもありません。
 本学では長年、FD(教員の教育力開発支援)に重きを置いてきましたが、非常勤講師を含めたほぼ全員の教員が、新たな試みに迅速に対応しようと、積極的にオンラインの研修を受け、学生が不安なく勉学に励める環境づくりを模索してくれました。
 また、学生自身が知恵を絞り、課題の洗い出しや教員のサポートに尽力してくれたほか、献身的に対応する職員の奮闘によって、就職支援をはじめとする学生へのサポート体制をオンラインで整えることができました。
 当初は、オンラインの対応が軌道に乗るか心配でしたが、先ごろ実施したアンケート調査では、約80%の学生が「集中して授業に取り組めている」と答えています。現在では“教員一人対学生多数”の授業と比べて、教員・学生の双方から「一人一人の理解度を深く知ることができる」「不明な点を教員に質問しやすい」などの声が寄せられています。
 場所を選ばずに情報や知識を伝達し、活発な意見交換ができるオンライン教育の可能性は、ますます広がっていくでしょう。今後は、このオンライン授業と並行しながら、国や都の指標に基づき、万全の感染症対策を講じた上で、実習や実験科目などの対面活動も再開していく予定です。

社会貢献の人材を育む創価大学のキャンパス(東京・八王子市)


社会貢献の人材を育む創価大学のキャンパス(東京・八王子市)


――創大では、2010年に長期計画「グランドデザイン」を発表して以来、開学50周年の節目に向けて、先進的な取り組みを展開してきました。

 
 この10年間で、本学は、中央教育棟の建設や、看護学部、国際教養学部の開設などの環境整備とともに、語学力向上への取り組みや留学制度の充実など、“キャンパスのグローバル化”に一段と力を入れてきました。
 また、14年に採択された文部科学省の「スーパーグローバル大学創成支援」事業において、18年に発表された中間評価では、最高評価の「S」の認定を受けるなど、国際戦略に関しても一定の成果を得ることができたと感じています。
 これらのことを踏まえて、とりわけ大きな変化を感じる点は、学生の活躍です。日本を代表して、世界中の国際会議や交流プログラムに出場する創大生の人数が、これまでと比べて圧倒的に増えました。
 その陰には、“若き創立者”との自覚に立った学生たちの努力と奮闘がありました。学生一人一人が、日々、創立者・池田先生の精神を求め、実践し抜いた勝利の証しであると確信します。

「建学の精神」を堅持し創価大学はさらに発展
 ――新たに策定したグランドデザインには、「価値創造を実践する『世界市民』を育む大学」とあります。創大としては、今後、どんなことに力を注いでいくのでしょうか。
 
 一切の焦点は、世界市民教育の拠点を構築することにあります。開学以来、創立者は一貫して、平和のために価値を創造する世界市民の育成こそ、本学の使命であると訴えてこられました。
 1996年、米コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジでの講演では、「『価値創造』とは、端的にいうならば、いかなる環境にあっても、そこに意味を見いだし、自分自身を強め、そして他者の幸福へ貢献しゆく力のことであります」と、分かりやすく教えてくださっています。
 本学が目指すのは、この理念を“議論する場”であるとともに、“実践する人材を育む場”であることです。
 そのために、具体的には、①平和・環境・開発・人権の分野を中心とした「世界市民教育」に関するプログラムの高度化をはじめ、持続可能な社会を構築するための能力を育む教育・研究環境を整える②全学を挙げて「平和」の実現に貢献する研究を推進するとともに、大学・諸機関および研究者とのネットワークを形成し、SDGs(持続可能な開発目標)の達成へ先導的役割を担う③海外からの留学生や社会人など、多様な価値観や背景をもつ人々が共存し、共生するキャンパスを実現する――などに取り組んでいきます。
 他者の幸福に貢献する人材育成の流れを一段と強めながら、10年後には、「世界市民教育の拠点は創価大学である」といわれるリーダーシップを執っていきたい。
 創立者の思想に基づいた教育・研究活動のモデルケースを、本学が発信していく――これが、新たなグランドデザインの中で最も強調したい点です。
  
 ――感染症との闘いに直面する今、「価値創造」の理念を掲げる創大の使命は、ますます大きいと感じます。
 
 本学は「民衆立の大学」です。国際性豊かな人材を育成することはもとより、一人一人の苦悩に寄り添う民衆のリーダーを輩出する使命があります。
 「大学は大学に行けなかった人のためにある」との創立者の言葉を深く胸に刻んで進まなければなりません。
 大学は、社会の変化や情勢に無関心ではなく、世界の潮流に変化を生み、より良い方向へ導く存在であるべきだと思います。近年、紛争や感染症、自国第一主義の台頭による国際問題など、世界には課題が山積しています。
 これからも平和への志を共にする機関と手を携えながら、生命尊厳が民衆の考え方の支柱になるよう、貢献していきたいと考えます。

創価教育の父・牧口常三郎先生の筆による「創價大學」の文字が刻まれた石碑。大学の正門で英才たちを迎える(東京・八王子市)


創価教育の父・牧口常三郎先生の筆による「創價大學」の文字が刻まれた石碑。大学の正門で英才たちを迎える(東京・八王子市)

 ――馬場学長は栄光の1期生として、この50年、大学建設に奔走されてきました。
 
 学生時代、また教員になってからも、創立者の真心を肌で感じてきました。学生一人一人を尊重し、対話する創立者の姿を心に焼き付けてきました。感謝の思いが尽きることはありません。
 創立者はかつて、発展する大学の特質について、「いかなる時代の波浪に遭おうとも『建学の精神』を堅持し、実現させることを最大の誇りとし、責務としていること」と教えてくださいました。
 本学には、全ての教育・研究活動の根本となる指針として「人間教育の最高学府たれ」「新しき大文化建設の揺籃たれ」「人類の平和を守るフォートレス(要塞)たれ」との「建学の精神」があります。
 教育環境の整備は大切ですが、学生や教職員が、この「建学の精神」を心に刻み、体現していくことが、何よりも重要です。
 この点において本学では、在学生のみならず、卒業生の奮闘も光るものがあります。
 先日、オンラインで就活生にアドバイスをする機会をと、イベントを行いましたが、日本国内のみならず海外からも多くの卒業生が参加してくれました。また、国家試験をはじめとする各種試験に挑む学生を、卒業した先輩が温かくサポートする伝統も続いています。
 “後輩を自分以上の人材に”との創立者の思いが、本学の文化となり伝統となって受け継がれています。
  
 ――最後に、創大を志す方々にメッセージをお願いします。
 
 先行きが不透明なコロナ禍の中、本学を志していただいていることに、心から感謝申し上げます。
 来春、進学される方、とりわけ、地方から上京する方は、多くの不安を抱えておられると思います。
 今後も「学生第一」の精神のもと、皆さんの健康と安全を第一に考え、感染症対策に万全を期してまいります。
 本学には、人間として互いに尊重しながら、自らの可能性を最大限に引き出していく「人間教育」の伝統があります。キャンパスには、その伝統に自分らしい光を当てながら、成長できる最高の環境が整っています。
 これまでの50年、本学は創立者の命を削る尽力によって、想像もできないような発展を遂げました。さらなる発展を目指し、開学100周年に向かっての次なる50年の第一歩を、使命深き皆さんと共に踏み出せる日を心待ちにしています。


◆女子部がオンライン講義 大串女子部長の担当で「一生成仏抄」学ぶ  2020年6月22日
 26日まで視聴可能

 「女子部オンライン講義」が動画投稿サイト「YouTube」(限定公開)を活用して配信され、大きな反響を呼んでいる(事前収録による映像を20日から公開。26日まで視聴可能)。
 大串女子部長の担当で「一生成仏抄」を研さん。女子部と共に「希望の絆 女性月間」(30日まで)を進む婦人部を代表して、杉本総合婦人部長が激励した。
 講義では、大串女子部長が「深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり」(御書384ページ)を拝読。強き確信と持続の祈りこそが、生命変革の基盤となると訴えた。
 さらに、2009年6月4日、創価女子会館(東京・信濃町)を初訪問した池田大作先生が、「自分自身が妙法の当体なのだから、諸天善神が守らないわけがないと確信して、題目をあげた時に、必ずそうなるんだよ」との戸田城聖先生の言葉等を通しながら、華陽の友に、祈りの功力について語ったことに言及。
 女子部長は「絶対勝利の力」である題目をたゆまず唱え、7・19「女子部結成記念日」へ、いかなる逆境も乗り越えゆく希望の前進をと呼び掛けた。
 杉本総合婦人部長は、“女子部は一人も残らず幸福に”と願い続ける池田先生の折々の指導を紹介。
 次に、師の励ましを抱き締め、行動し、一家和楽を築いた自身の信仰体験を披露。「女子は門をひらく」(同1566ページ)を拝しつつ、「女子部の祈りと福徳は、父母はじめ全ての眷属を包んでいける」と強調した。そして、女性の世紀の主役は女子部であると述べ、華陽姉妹に万感のエールを送った。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈池田先生の会長就任60周年 青年部が原田会長に聞く Ⅱ部〉第9回 未来を照らす人間教育の光③ 2020年6月22日

〈出席者〉西方男子部長、大串女子部長、樺澤学生部長、林女子学生部長

先生の心にはいつも創価学園生が! 慈愛と期待で真心の励まし
 ◆西方 今回から、創価学園について、伺いたいと思います。1968年(昭和43年)、創価中学・高校が東京・小平市に開校しました。これが、「創価一貫教育」の第一歩となりました。
  
 ◇原田 池田先生は奥さまと共に、第3代会長に就任される1カ月前の60年4月5日に小平市を訪れ、創価学園の建設用地を視察されています。
 前月末から、先生は繰り返し、会長就任の要請を受けていました。そして、視察の9日後の4月14日、ついに就任を受諾されます。その後、一切の広布の指揮を執られながら、学園設立への準備を着々と進めていかれたのです。
 創価学園の歴史とは、広宣流布即世界平和のために一人立ち上がり、戦い抜かれた池田先生の、この60年間と、軌を一にしているといえるでしょう。
  
 ◆西方 東京の学園は今年3月、中学・高校50期生が卒業しました。草創期の様子は、小説『新・人間革命』第12巻「栄光」の章でも触れられています。先生は何度も学園を訪問され、生徒との数え切れない金の思い出をつくってくださっています。
  
 ◇原田 こんなこともありました。開校翌年の第2回入学式の日にも先生は学園を訪れ、「この大事な1年間の歩みを記録に残してはどうか」と、校史の発刊を提案されました。すぐに中学、高校の代表メンバーが選抜され、5月11日に行われた第1回の編集会議にも出席してくださったのです。
 先生は、若き日に戸田先生の出版社で少年雑誌の編集長をされた経験から、編集の方法や醍醐味を学園生に伝えたかったのでしょう。何度も「分からないことがあれば何でも聞きなさい」と声を掛けてくださいました。まさに実践を通しての人材育成です。
  
 ◆樺澤 7月には、『創価学園 建設の一年』という校史が見事に出来上がりました。
  
 ◇原田 先生は発刊に際し「この『建設の一年』は、単に学園の記録であるばかりではない。諸君ら一人一人の、人生の記録でもあるのだ。そして、未来への無限の可能性を秘めた宝箱なのだ」と寄稿されました。このように、先生は、“手づくり”で学園生一人一人の心に、生涯崩れぬ原点を刻んでいかれたのです。
 今年4月の入学式は、コロナ禍による未聞の試練の中、オンラインで行われました。先生は「わが創価学園は、『人類の幸福の鐘』『世界の平和の鐘』を響かせゆく英知の大城です」と学園生に万感の期待を寄せられました。先生の心には、「いつも学園生がいる」のです。

卒業式で愛唱歌「負けじ魂ここにあり」を歌う池田先生。東西の学園生の歌声に応え、「5番」
に入ると右手を高くあげた(2009年3月16日、東京・小平市の創価学園で)

草創から海外の指導者らが来訪

 ◆林 草創期以来、学園には多くの世界の指導者、識者が来訪しています。
  
 ◇原田 そうした伝統を築かれたのも池田先生です。 70年10月17日には、「ヨーロッパ統合の父」であるクーデンホーフ・カレルギー伯爵を学園に迎えました。開校から、3年目のことです。
 伯爵は全生徒を前に「私の人生」と題して講演されました。世界的な識者の講演です。学園生にとって、どれほど大きな触発となったことでしょうか。
 今、社会や学会の中核として活躍している草創の学園出身者の中にも、この講演を聴いたことが自身の跳躍台になっていると語る方が多くいます。先生は中学生、高校生という若い時から、国際的な視野を持った人材の育成を考えて、具体的な手を打ってこられたのです。
  
 ◆大串 これまでに、5000人を超える海外の識者が東西の学園に来校されました。
  
 ◇原田 フランスの美術史家ルネ・ユイグ氏、ゴルバチョフ元ソ連大統領ご夫妻、モスクワ大学のホフロフ総長、平和学の創始者ガルトゥング博士など、そうそうたる方々です。
 先生は学園の創立に際し、ご自身が「学園生の先頭に立って、世界の知性と対話しよう!」と固く誓っておられました。そこには、“私の後に続いて「平和の道」を歩んでいってほしい”との、先生の学園生への熱い思いがあったのだと思います。
  
 ◆林 学園生に対する先生の慈愛と期待に、私も卒業生の一人として、改めて決意を深くします。
  
 ◇原田 先生は、学園のさまざまな式典や行事などに出席し、生徒たちに励ましを送り、期待を寄せてこられました。
 高校1期生が卒業する際には、先生は「お祝いに、日本で一番おいしい中華料理をごちそうしてあげよう」と、卒業生の代表を有名なホテルのレストランに招待し、会食されたこともありました。私も同席させていただきましたが、先生は将来、必要なことだからと、テーブルマナーを丁寧に教えてくださいました。会食中も、質問に耳を傾けられるなど、生徒一人一人の人格を尊重し、大切に育んでいることが伝わってきました。
 この高校1期生には、現在の創価大学の田代理事長、馬場学長、アメリカ創価大学の羽吹学長もいます。未来を見据えての先生の真心の励ましが、こうして実を結んでいるのです。

2017年4月5日、池田先生が東京・創価学園を視察。創立50周年を迎えたキャンパスでシャッターを切った

 ◆樺澤 学園には多くの愛唱歌があります。中でも「負けじ魂ここにあり」は東西の学園生が特に大切にする歌です。
  
 ◇原田 この歌は78年に東京校の生徒が「3番」まで作った歌詞を池田先生が推敲されたものです。さらに、作曲にも携わってくださった先生は「4番」の歌詞を加えられました。以来、学園で歌い継がれてきました。
 2009年2月、卒業を目前に控えた東京校の高校3年生が、この歌の合唱を録音し、先生にお届けしました。すると、先生は、3月11日、この歌の「5番」の歌詞を作詞し、贈られたのです。5日後、東西の学園を中継で結んだ卒業式では、出席された先生の前で東西の学園生が大合唱しました。
  
    正義の誇りに 胸を張れ
  君に託さん この大城を
  学べ勝ち抜け 世界まで
  負けじ魂 朗らかに
  
 「5番」に入ると先生は右手を高くあげ、節をとりながら、共に歌ってくださいました。東西の学園生が一体となり、偉大なる創立者のもと、誓いを新たにした歴史的な瞬間でした。
  
 ◆樺澤 私も当日、東京・創価高校の1年生としてその場に参加し、先生と共に歌わせていただきました。先生の真心に触れ、胸がいっぱいになったことは一生の原点です。
  
 ◇原田 15年の卒業式でも感動的な出来事がありました。東西の学園を中継でつないで行われた式の終盤にスピーカーから、「みんな、おめでとう! 卒業おめでとう!
 うれしいよ」との池田先生の声が響きました。先生は、卒業式の様子を見守ってくださっていたのです。そして、先生の呼び掛けで、「負けじ魂ここにあり」の大合唱が始まりました。
 歌い終えると、「一緒に歌ったよ。上手だったよ。おめでとう! おめでとう! よかったよ」との先生の声が再び聞こえました。場内は、深い深い感動に包まれました。
 先生は、かつて学園生に「私には、毎日欠かさない心弾む日課があります。それは大好きな創価学園の歌を聴くことです。私の生命から、君たち、あなたたち、学園生の歌声が離れることは、一日としてありません」との言葉を贈られています。
  
 ◆大串 17年4月5日、先生は奥さまと共に創価学園を訪問され、50期生の入学を目前に控えるキャンパスを視察し、時計塔や体育館などをカメラに納めてくださいました。
  
 ◇原田 奇しくも、この日は先生がかつて建設用地視察のために訪れてから、ちょうど57年に当たる日でした。
 先生はこの時の真情をつづられています。「かつての雑木林には、仰ぎ見る英知の大城が聳え立っている。今や世界の教育界も注目する大発展を、学園首脳と喜び合った。始業式の前日だったが、クラブ活動や新入生の歓迎の準備等に当たる学園生が、はつらつと躍動する息吹がうれしかった」「『教育の勝利』こそが、『人類の永遠の勝利』と叫ばれた牧口先生、戸田先生の会心の笑顔が浮かぶ」
 先生がどれほど学園を愛し、学園生の成長を願われているか――とても計り知ることはできません。学園生の皆さんはこの誇りを胸に、人生を歩んでいっていただきたいと思います。

創価教育の実践に世界の識者が注目する。東京・創価学園を訪問するウズベキスタン国立大学の一行(2019年10月30日)


◆オンライン家庭教育懇談会 全国の受験生にエール㊦ 懇談会2020年6月22日
 柳沢幸雄・北鎌倉女子学園学園長と高等部員を招いて
 学ぼう! 未来のために

柳沢幸雄 1947年生まれ。東京大学名誉教授。アメリカ・ハーバード大学公衆衛生大学院
准教授などを経て、2011年から本年3月まで私立開成中学校・高等学校校長を務めた。4
月から北鎌倉女子学園学園長に就任。著書に『男の子の「自己肯定感」を高める育て方』
(実務教育出版)などがある

 北鎌倉女子学園の柳沢幸雄学園長(開成中学校・高等学校前校長、東京大学名誉教授)を招いて行われた、「オンライン家庭教育懇談会」。最終回となる㊦では、今後の学校の役割や学ぶ意味について語らいました。(㊤は5日付、㊥は11日付に掲載)

つながりこそ
 サトル 高校のオンライン授業が2カ月間続く中で思ったことがあるんです。「学校って、勉強するだけの場所じゃなかったんだ」って。友達と一緒に過ごす時間の大切さを感じたというか。オンライン授業も最初は「便利!」って思ったんですけど、かなり疲れるんですよね。最近、肩凝りもしてきたし(苦笑い)。友達と話したり刺激し合ったりする場のない生活が、こんなに物足りないものとは思いませんでした。
  
 柳沢 学校に行くことが「当たり前」じゃなくなったからこそ、気付けたことだね。オンラインで「知識」を得られているはずなのに、何かが欠けていると感じてしまう。それはサトル君が“人間”だからだよ。
  
 サトル 人間だから?
  
 柳沢 うん。人は「知力」だけでは生きていけない。「つながり」の中でこそ豊かに生きていける存在だ。そのために、人としての振る舞いやコミュニケーションの仕方などを学ぶ必要があるんだね。でも、それは“人とつながる経験”を通してでしか得られないものでもある。コロナ禍の今だからこそ、学校教育の本質的な役割を考えていく必要があると思う。
 ICT(情報通信技術)教育の発達とともに、学校の将来的な役割は「集まる」「つながる」ことになっていくんじゃないかな。一方で、日本の教育現場に根強く残る「同調圧力」(集団と歩調を合わせるように強いる空気)からも、子どもたちを解放していかなきゃならない。これが若者の力を削いでいる要因だから。
  
 飛田 それは子どもたち自身も望んでいることかもしれません。未来部機関紙「未来ジャーナル」6月号で、全国の中学・高校生に行ったアンケートの結果が掲載されていたんですが、その中に「学校のあり方は変わると思う?」との質問があったんです。「変わると思う」「変えた方がいい」と答えた子が約6割に上りました。「いろんな学び方を認めてほしい」「“窮屈な空気”を変えてほしい」との声があったようです。
  
 柳沢 アメリカと日本の大学――それぞれの教壇に立って感じたことがある。日本の高校生のレベルは、世界一だよ。それなのに大学に行ってから伸びなくなってしまうケースが多い。アメリカの大学生は自主的にどんどん質問してくる。でも日本では「何か質問ある?」と聞くと、学生たちは自分の隣の人が手を挙げているかどうかを確認してしまう(苦笑い)。
  
 マナミ なぜでしょう?
  
 柳沢 周りの人と違う意見を述べることで、褒められた経験が少ないからかもしれないね。アメリカではとにかく子どもを褒めて育てる。周囲の子と違っていても、まず「個性」と捉えて長所を探すんだ。アメリカ人がしゃべっている姿をテレビで見て、「なぜ、あんなに自分の意見を自信満々と話せるんだろう」と感じたことは、ないかな? あれもきっと「褒められてきた」ことで育まれた自信なんだろうね。それに対して日本では、人の意見に対して「肯定」よりも「否定」する傾向がある。批判や否定のスタンスを取れば、相手より上の立場に立てると思うからかな。

自分に負けず

 中里 褒めることの大切さは、家庭教師の経験からも実感しています。親御さんには「子どもに10の言葉を掛けるなら、8は褒め言葉、残りの2をアドバイスにするくらいが、ちょうどいいですよ」と伝えているんです。人は褒められることで“自信”が高まる。何か一つでも大きな自信を持てた時に、成長のスピードも飛躍的に上がるんです。
 これは私自身、自閉症スペクトラム障害と診断された長男と関わる中で、感じている点でもあります。親は「この年齢なら、これができて当たり前」と思いがちですが、当たり前を当たり前と思わない心、つまり感謝できる心を親が持つことで、褒め言葉も笑顔も、自然と増えていきます。その意味で受験生のお子さんを持つ親御さんたちには、わが子の“褒めポイント”を一つでも多く見つけて、笑顔で伝えてあげてほしいですね。そもそも、コロナ禍で受験に臨むこと自体、「当たり前」のことじゃないんですから。
  
 柳沢 うん。それと受験生には、大学進学後も向上し続けられる自分自身でいられるよう、「何のために学ぶのか」という一点を忘れないでほしい。僕が小学校時代の恩師から頂戴した「座右の銘」がある。それは「学問とはそれ自体が尊いものではない。学べ、学べ。学んだ全てのものを世の人のために尽くしてこそ価値がある」。この言葉を皆さんに贈りたい。
  
 高梨 創価大学の指針にも「英知を磨くは何のため 君よそれを忘るるな」とあります。創立者の池田先生は「人間は意味に生きる動物である。人は“なんのため”かが明らかにならなければ、そこに、本気になって力を注ぎ込むことはできない」とも強調していました。大学の合格のためだけに勉強するのか。それとも、大学を卒業したその先にある夢や理想を実現するために学ぶのか。同じ受験勉強でも、捉え方一つで、得られる知識の豊かさも、人間的な成長の大きさも、全く違ってくるでしょう。
  
 飛田 ええ。コロナ禍で先行きが見通せない社会状況だからこそ、受験生の皆さんには「学ぶ意味」を追求してほしいと思います。私が創価女子高校(現・関西創価高校)に通っていた時に、創立者・池田先生が全校集会で教えてくださったことが忘れられません。
 それは慶應義塾を創立した福沢諭吉の話でした。激動の幕末期にあって、さまざまな縁に紛動されがちな青年たちを、福沢が「ひたすら勉強しよう。これが次の時代を建設する根本源泉だ」と言って励ましたというエピソードです。池田先生はまた、詩人・宮沢賢治の有名な言葉を引用しながら「雨にも負けず、風にも負けず、自分自身にも負けず」という決心で、日々の学問に挑戦をと呼び掛けてくださったんです。
  
 柳沢 「学べ、学べ」だ。頑張ろうよ! 自分が望む人生をつかむために。世のため、人のために。


◆信仰体験 通信事業会社ドイツテレコムのIT監査シニアエキスパート
 ドイツSGI ディートマー・フォーフェルトさん
 俳優から転身 業界最大手のIT専門家に
 生涯成長の信心の実証を

欧州最大の通信事業会社「ドイツテレコム」でIT監査のシニアエキスパートとして勤務するフォーフェルトさん

演劇学校の“落第生”
 ドイツ西部のボンに本社を置く通信事業会社「ドイツテレコム」。ドイツSGIのディートマー・フォーフェルトさんは、本社の内部監査部門で、IT監査のシニアエキスパートとして勤務する。 ??
 欧州最大のソフトウエア会社のシステムの専門家として経験を積んだ後、50歳で現在の企業に転職。これまでの知識を生かして、データ保護などITセキュリティーの調査を中心に、数多くのプロジェクト、関連企業の内部監査を担当する。  
「インタビューと調査のほかに、データ分析や監査対象の部門・企業との協議もあります。ITに関する最新知識を常に習得する必要があり、やりがいのある仕事です」
 業界最大手のIT専門家として活躍するフォーフェルトさん。実は、若い頃は俳優だった。30代で人生をやり直し、幾たびも転職を重ね、今日までキャリアアップしてきた。  
「この職務を任されている人の中で、大学を卒業していないのは、おそらく私だけです。俳優として芽が出ず、人生に迷っていた私が、社会で実証を示せるようになったのは、全て日蓮仏法の実践のおかげです」  
 1959年、ドイツ西部・ミュンスターラント地方の小さな街で生まれたフォーフェルトさん。21歳でケルンにある演劇学校に入学。だが、中間試験に2度失敗し、卒業資格を得られず、俳優業の公認資格を得る最後のチャンスだった国家試験にも不合格だった。  
 演技の技術だけではない、自分の中にある“何か”を変えるしかない――。  完全に行き詰まった時に思い浮かんだのは、以前、南無妙法蓮華経について教えてくれた、演劇学校の友人だった。

弟子らしく新たな挑戦
 初めて参加した会合の思い出は忘れられない。まるで昔からの仲間のように温かく迎え入れてくれた。それから毎朝、信心の先輩が一緒に勤行・唱題をしてくれ、教学も教えてくれた。
 もともと宗教に対して疑いが強かった。が、「十界論」や「九識論」など、仏法の説く生命哲理に、共感を覚えていった。先輩に付き添われ、男子部の活動にも参加するように。
 正式に入会を決めた直後、俳優として初めての仕事を得ることができ、初信の功徳も感じた。唱題と教学の研さんを進めるにつれ、確信が深まっていった。  
「幼い頃から教会に通っていた私は、“他の信仰をすれば神が自分に何と言うか”と自らに問いました。私はずっと、死に対して恐怖心を抱いていました。しかし、『生死不二』を説く日蓮仏法を学び、漠然とした不安は消え去りました」  
 87年、御本尊を受持。以来、勤行・唱題は欠かさず取り組んできた。朝の勤行の前に必ず、池田先生の指針を学んで、一日を出発した。
「人生の意義について、これほど明確に示してくださる人が存在したのかと、日々、深い感銘を受けました」。池田先生の指導を研さんすることが、師との“出会い”になった。  
 88年11月18日、研修会で来日し、池田先生が出席した勤行会に参加。2日後、先生はフォーフェルトさんら海外メンバーと握手し、一緒に写真に納まるなど、真心の励ましを送った。  
 91年、池田先生のドイツ訪問の際には、人材グループ・創価班の一員として、行事の運営を陰で支えた。目の前の一人を徹して大切にする師の姿に間近で接した。
 フォーフェルトさんは師の励ましを胸に、ケルン男子部の地区幹部として、メンバーのために尽くし、弘教にまい進。一方、俳優としては飛躍できなかった。
 新しい道で、先生の弟子らしく社会に貢献できる人材になりたい――。男子部の間にこの目標を達成すると決め、職業安定所の就職支援プログラムに参加。情報処理アシスタントの資格を約2年で取得した。
 そして、壮年部に移行し、ケルンの地区部長に任命されたのとほぼ同時に、人材コンサルティングの職を得ることができた。

50代でさらなる高みへ
 やがて欧州最大のソフトウエア会社のシステムを専門とするようになり、州中央銀行のIT部門に就職。数年後、キャリアアップを期した転職先では、マネジャーとしてチームをまとめ、国際的な大企業のサポートにも携わった。  
 それと並行するように、ドイツSGIで支部長、本部長、全国統監部責任者と役職を担っていった。
 リストラの危機に何度も直面したが、そのたびに信心を奮い起こし、仕事もSGI活動も、それまで以上に努力を重ね、全て乗り切ってきた。  50歳を目前に控えた2009年、フォーフェルトさんは再び決意した。    
「IT業界では、50代で活躍するのは、なかなか難しいのが実情です。勤めていた会社における自分の立場が、下り坂にあることをひしひしと感じていました。さらなる高みに挑戦して、信心の偉大さを証明したい、池田先生に勝利の実証を報告したいとの一心で、現在の会社に転職しました」  
 採用試験では、全ての分野で基準をはるかに上回る好成績を残し、即採用。51歳で監査人、56歳で情報セキュリティーマネジャーの資格を取得。所属部門で5割の人員削減があったが、無事に乗り越えることができた。
 最初は信心に反対だった両親のためにマンションを共同購入。今は良き理解者となり、親孝行することもできた。  
 ドイツSGIでは15年、デュッセルドルフやケルンを擁するノルトライン=ヴェストファーレン州の方面長に就任。ケルンやミュンスターで「核兵器なき世界への連帯」展を開催するなど、同志と共に社会貢献の活動も推進してきた。  
 フォーフェルトさんは、池田先生の次の言葉を座右の銘にしている。
 「この世に生まれて、いったい、何人の人を幸福にしたか。何人の人に『あなたのおかげで私は救われた』と言われる貢献ができたか。人生、最後に残るのは、最後の生命を飾るのは、それではないだろうか」(『法華経の智慧』普及版<下>)  
 目の前の一人の幸福のために尽くし、社会で信頼と共感を広げるフォーフェルトさん。若き日の師との誓いのままに、ドイツ広布の理想に生き抜く。
 「池田先生と同志のおかげで、自身の使命の人生を開くことができました。私にとって一番大切なのは、決して師匠と同志を裏切らないということです。そのために生ある限り力を尽くし、一人でも多くの人に、この仏法の素晴らしさを語っていきたい。生涯前進、生涯成長の信心の実証を示していきます」

 

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