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2020年6月

2020年6月30日 (火)

2020年6月30日(火)の聖教

2020年6月30日(火)の聖教

◆わが友に贈る

 「話すと元気になる」
 「あの人がいるから
 心強い」と慕われる
 安心と信頼の存在に!
 励ましの光を幾重にも!


◆名字の言 クラシック音楽は「変わらないから面白い」 2020年6月30日

 作曲家・ピアニストの山中惇史さんが、本紙の文化欄で語っていた。クラシック音楽は、楽譜に沿った忠実な演奏が求められる。その奏法は何百年も変わらない。「変わらないから面白いのです」と▼クラシックの名曲には、偉大な音楽家たちの“魂”が息づいている。魂の力は、時を経ても衰えない。そこに迫ろうとする限り、楽器や演奏者が変わっても人々を魅了し続けるだろう▼変化変化の社会。近年は、インターネット等が普及し、新しい情報、新しい製品が容易に手に入るようになった。が、どんな新情報や新製品もすぐに古くなる。しかも、そのサイクルはますます短くなるようだ。心したいのは、いかに技術が進歩しても、人間の本質に関わる「生老病死」という根本的な苦悩はなくならないということだ▼仏法は「生老病死」という四苦を「常楽我浄」の四徳に転じる哲理と実践を説く。すなわち、「生」を喜びと充実で満たし、「老」や「病」さえ大きな境涯を開く糧にし、「死」を永遠の幸福への晴れやかな出発にしていく。この仏法の叡智は、古くなることがない▼混迷を深める時代に、「生きた哲学」を共に学び、共に実践し、支え励まし合いながら希望を広げる創価の世界。この陣列の尊さを、改めて思う。(実)


◆寸鉄

「一切の法は皆是れ仏法」
御書。智慧の太陽が輝く
信心即生活の賢者たれ!
     ◇
学生部結成記念日。俊英
の使命は先駆!学び語り
新時代の扉を堂々と開け
     ◇
牧口先生は70歳でも「わ
れわれ青年は」が口癖と。
生涯青春の多宝会、尊し
     ◇
あすからレジ袋有料化。
地球守る鍵は一人一人の
意識変革と具体的行動に
     ◇
7月は「熱中症予防強化
月間」。絶対に油断せず。
健康こそ人生勝利の基盤


【先生のメッセージ】

◆〈忘れ得ぬ旅 太陽の心で――池田先生の連載エッセーから〉フィレンツェ 2020年6月30日

フィレンツェ最古の橋「ヴェッキオ橋」。14世紀に再建された(1992年6月、池田先生撮影)

フィレンツェ最古の橋「ヴェッキオ橋」。14世紀に再建された(1992年6月、池田先生撮影)

 月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「フィレンツェ――人間を見つめる花の都」を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。イタリアのフィレンツェは、絢爛たる「人間復興」の文化が花開いたルネサンスの中心地。新しい生活様式が求められる今、この街に薫るルネサンスの精神に学び、人間の絆を強く結びながら、一人一人が絶えず再生し偉大な価値を創造しゆく「負けない生命」の力を湧き立たせていきたい。
  
 世界まで
  つつむ 旭日の
    イタリアは
   ルネッサンスの
      満開 香りぬ
  
 わが街は「花の都」なり――。
 同じ暮らすのであれば、人それぞれに、自らが生きる地域を「花の都」と誇りにして、「花の人生」を飾っていきたいものです。
 たとえ、少々地味な街並みで、一見平凡な生活であったとしても、誰もが心一つで、明るい対話の花も、楽しい友情の花も、豊かな文化の花も、生き生きと咲かせていけるはずです。その香り高い手本が、文字通り「花の都」という名を持ったイタリアのフィレンツェです。
  
 ルネサンスの哲学者ピコ・デラ・ミランドラが、共感を込めて記した一節に、こうあります。
 「世界というこの舞台において、最も感嘆すべきものと見られるものは何か」「人間ほど素晴しいと見られるものはない」
 私たち人間自身のなかにこそ、何よりも素晴らしい宝があります。その宝を発見し、磨いていくならば、人間は一人一人が、わが生命の花を、もっともっと自分らしく色とりどりに咲き薫らせていくことができます――。
 フィレンツェは、そう語りかけ、人生のルネサンス(再生)を促してくれる、人間の花すなわち「人華」の都でもあるのです。

人間の絆を強く
 〈池田先生は、フィレンツェを初訪問した折に青年たちと語り合った思い出を述懐し、人間の絆にこそ、創造の花を育む力があると訴える。また、忘れ得ぬイタリアの一婦人の姿を紹介。病に負けず医師として使命を果たし、青年を励ましてきた不屈の歩みをつづった〉
  
 「いかなる距離も我らの友情を引き離すことはなく、いかなる忘却の力も我らの記憶を消し去ることはない」
 これは、フィレンツェの指導者で、ルネサンスの思想家であったブルーニの言葉です。
 街自体が「屋根のない美術館」とも称されるフィレンツェを、私が初めて訪れたのは、一九八一年の五月のことです。
 時に友人宅におじゃまし、時に陽光降り注ぐ芝生の上に座って、時にアルノ川に架かるヴェッキオ橋を渡り、時にミケランジェロ広場からフィレンツェの街を一望しながら、私は、とりわけ青年たちと徹して語り合いました。当時のイタリアでは、麻薬が蔓延するなど、青少年を取り巻く状況は厳しいものがありました。そうした風潮のなかで奮闘する健気な青年たちを、何とか励まし、力づけたかったのです。
 ――現実から逃避してはならない。希望の哲学を持って正面を向こう! 親に心配をかけぬよう、青年らしく、大いに学び、大いに働こう! 友と仲良く信頼し合って、共に前進するのだ、と。
 「秀でた人物が出現するとき、多くの場合たった一人だけでない」と語ったのは、ルネサンスの画家・建築家のヴァザーリです。
 どんなに才能に恵まれた人でも、一人で孤立していては、成長を続けられません。
 レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめ、きら星の如く優れた芸術家を生み出したルネサンスに、師弟の薫陶があり、先輩・後輩の継承があり、友と友との切磋琢磨があったことは、よく知られるところです。
 人間の絆にこそ、創造の花を育て、開花させゆく光線があり、水分があり、滋養があるのではないでしょうか。

イタリア広布20周年を祝う友好文化総会の会場で、池田先生が未来っ子の小さな手を握り、励ましを送る(81年5月、フィレンツェ郊外で)

 妻が近しいイタリアの婦人も、常に友や青年の話に耳を傾けて、励ましを贈り、多くの人材を育ててこられました。忘れ得ぬ方です。
 彼女は十五歳の時に、突然、ポリオ(小児まひ)を患い、両足が不自由になりました。しかし断じて負けませんでした。悲嘆に打ちひしがれるより、学びに学び抜いて医師になったのです。自分が病気に苦しんできたからこそ、病気に苦しむ人を助けようという心からです。
 慈愛の医師としての使命を果たして退職したあとに、仏法の生命哲学と出あいました。そして、かつて残酷な戦火に覆われたヨーロッパに、生命尊厳の哲学を伝え、人々の連帯を広げて、平和に貢献していくことを、人生の総仕上げとしていきます。
 お子さんのいない彼女は、杖で体を支えながら歩きに歩いて、縁する青年を、息子のように、娘のように、激励してきたのです。
 さらに日本語にも精通していた彼女の名翻訳が東洋の英知を紹介し、大きく道を開いて、今、イタリアでは幾万もの青年が続いて、生命ルネサンスの道を学んでいます。
 この婦人が聡明な笑顔で語られていた言葉が、思い起こされます。
 「どんな困難な状況があろうとも、一人一人とじっくり心の対話を重ねていけば、前進は可能です」
 「異なる個性を持つ人がしっかりとスクラムを組んでいくことが大切です。それなくして世界平和の実現はありません」

負けない生命
 〈先生は、歴史に名を刻んだ芸術家のごとく、今いる場所でベストを尽くし、偉大な価値を創造しゆく中に、「花の人生」が広がり、「花の都」が輝くとエールを送る〉
 世界的なロベルト・ロンギ美術史研究財団のミーナ・グレゴリー会長は、若き美の探究者たちを育成されてきた芸術の母です。会長は私に語られました。「『芸術』は、生活を潤し、人生を豊かにする不可欠の宝です」と。
 そして、「モノ」や「計算」や「利害」が中心となった殺伐たる時代を打ち破るために、芸術がもっと多くの人生に深く入っていくべきだと言われるのです。

アルノ川のほとりに広がる美しいフィレンツェの町並み(94年5月、池田先生撮影)

 フィレンツェのシンボルの一つであるヴェッキオ宮殿は、天井や壁、柱まで絵画や彫刻が配される美の殿堂であり、しかも中世から政治の中枢となってきました。
 現在も市庁舎として使われています。
 その広間の一角にさりげなく飾られているのが、大芸術家ミケランジェロの「勝利」の像です。
 数々の迫害と苦難に勝って、不滅の名作を創り上げてきた彼は、毅然と断言しました。
 「わたしは自分の今あるもろもろの条件の下で最善をつくすだけだ」
 今いる場所で、いかなる苦難もはね返して偉大な価値の創造をしていく「負けない生命」こそ、最高の人間芸術でしょう。それは、フィレンツェの紋章の百合の花の如く、何にも汚されない清らかな花です。
 この「花の心」から、「花の人生」が広がり、「花の都」が輝いていくのではないでしょうか。
  
 花の人
  花の心の
    花の旅
  
 (『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第2巻所収)
  
 ※ピコ・デラ・ミランドラの一節は『ルネサンスの人間論――原典翻訳集』佐藤三夫訳編(有信堂高文社)、ブルーニの言葉は『原典 イタリア・ルネサンス人文主義』池上俊一監修・髙田康成訳(名古屋大学出版会)、ヴァザーリは『ルネサンス画人伝《新装版》』小谷年司訳(白水社)、ミケランジェロは『ミケランジェロの手紙』杉浦明平訳(岩波書店)。


【教学】

◆〈教学随想 日蓮仏法の視座〉 学生部教学室長 三國秀夫
世界を結ぶ地涌の絆
激動の時代――“先駆”の実践で社会を照らす

 パソコンやスマートフォンの画面上に、就職活動の悩みを打ち明けるメンバーや、友への激励に奮闘するメンバーの顔が映し出される。身ぶり手ぶりを交えて近況を語る、友の明るい表情に、こちらも元気をもらう。
 オンライン上で喜びを分かち合い、励まし合う――今、全国各地の学生部で見られる光景だ。
 コロナ禍により、社会の“当たり前”も大きく変わった。感染拡大防止のための「新しい生活様式」に移行しつつある中、これまでの“常識”が問い直され、社会のさまざまな分野で思いもよらない変化が次々と起きていることを、日々、感じている。

知勇兼備の闘将の集い
 きょう6月30日は「学生部結成記念日」。1957年(昭和32年)のこの日、男女学生の代表約500人が集い、結成大会が開催された。
 その直前には、北海道・夕張で炭鉱労働組合が学会員を不当に弾圧した「夕張炭労事件」が起こった。直後の7月3日には、池田先生が不当逮捕される。「大阪事件」である。
 学生部は、権力の魔性との熾烈な闘争の渦中で産声を上げたのである。
 かつて先生は、「学生部こそ、無名の民衆を守り抜くことを使命として誕生した、知勇兼備の闘将の集いである」とつづられた。
 学生部の使命――それは、いかなる激動の時代にあろうとも、常に広宣流布に先駆し、英知の光で社会を照らしゆくことにほかならない。
 この誇りを胸に、私たち学生部は、社会が揺れ動く中でも、常に前を向く。
 ウイルスの感染が広がり、緊急事態宣言が発令された4月は、ちょうど入学・進級のシーズンだった。学生部でも、例年であれば新入生など、新たな友とつながる時期だったが、直接会えない、集まれない、という状況が続いていた。
 しかし、各地のメンバーは知恵を湧かせ、工夫を凝らしながら、電話やSNSなどを活用して“つながる”挑戦を重ねてきた。
 こうした状況の中で、私自身、あらためて気付かされたのは、「同志との“心の絆”は、試練の時ほど強靱さを増す」という紛れもない事実だ。

 “心の絆”で思い起こすのは、日蓮大聖人が身延の地から、遠く離れた佐渡の門下・千日尼に送られたお手紙である。
 「譬えば天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮び雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾に聞ゆ」(御書1316ページ)
 千日尼は、身延にいる大聖人に御供養を届けるため、夫の阿仏房を送り出し、佐渡の地で留守を預かっていた。
 その千日尼に対して、大聖人は、天空の月が瞬時に池に影を浮かべるように、また、古代中国の「雷門の鼓」の音が遠い距離を越えて直ちに伝わったとされるように、千日尼の身は佐渡にあっても、その心は、私(大聖人)のいる身延にまで届いていると励まされた。
 物理的な距離は離れていても、心は瞬時につながっている――この慈愛の励ましに、千日尼は深く勇気づけられたに違いない。
 心の絆に、距離や時間は関係ない。相手を思う心は“いつか”ではなく、“今この瞬間”に必ず伝わるのだ。
 さらに大聖人は、「我等は穢土に候へども心は霊山に住べし、御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ」(同ページ)――私たちは、けがれた国土におりますが、心は霊山浄土に住んでいるのです。お会いしたからといって、どうなりましょう。心こそ大切なのです――と仰せである。
 仏法の眼から見れば、私たちの絆は、“会う・会わない”の次元を超え、生命の次元で深い宿縁によって結ばれた、久遠からの“地涌の絆”なのである。
 また、「御義口伝」には、「霊山一会儼然未散」(霊山一会儼然として未だ散らず=同757ページ)との一節がある。
 これは、法華経が説かれた霊鷲山の会座は、いまなお厳然として散らず、永遠に常住しているとの意味である。「会座」とは、仏の説法を聞くために仏弟子達が集まった場所・儀式のことだ。
 このことについて池田先生は、「広く言えば、日蓮大聖人の門下として、異体同心で広宣流布に向かって進んでいる創価学会の姿そのものが、『霊山一会儼然未散』と言えます」と述べられた。
 深い縁で結ばれた創価の同志の心は、どんなに離れていても、いずこの地にいたとしても、一つである。目には見えなくても、心の絆は厳然としてあるのだ。
 私たちは今、“何としてもあのメンバーを励まそう”“あの友人に希望を送りたい”と、オンラインを活用して、一人また一人と心を通わせ、絆を結び広げている。ウイルスとの闘いで物理的な距離は離れようと、心の距離は絶対に離れない――この思いが脈打つ創価の絆の真価は、あらゆる分野で“分断”が広がる混迷の世界にあって、今後ますます光っていくだろう。
 思えば、自然災害や疫病などが打ち続いた鎌倉時代、苦悩にあえぐ民衆に蘇生の励ましを送られたのが、大聖人である。たとえ直接会えずとも、手紙をしたため、会われたのと同じように心を込めて、多くの門下を激励された。
 手紙を受け取った門下もまた、文字を通して大聖人のお心を感じ、師の心をわが心として、苦難に立ち向かっていった。
 善なる人と人とによって織り成される心の絆は、未曽有の災禍に遭っても変わらない。いやむしろ、世界中、同じ状況にある今こそ、さらに強く輝く希望となるに違いない。

「誓い」の共有
 ではなぜ、これほど強固な心の絆が、日本中、世界中で強く結ばれてきたのだろうか。
 私自身、信心に目覚めたのは、学生部の先輩の励ましがあったからだ。
 大学に進学すると、学生部の先輩が私のもとへ頻繁に訪れるようになり、私もやがて、学生部の集まりに参加した。
 そこで、池田先生の偉大さを語り合う同志の生き生きとした姿に触発を受け、「自分も、学生部の仲間たちと一緒に、広宣流布のために戦おう!」と決意したことを覚えている。
 特別なことは何もない。
 ただ、「師と共に広布に生き抜く」との誓いに燃え立つ一人から一人へ、いわば「誓い」が共有されていく中で、私たちの絆は結ばれてきたのだ。
 この方程式は、世界のどの地でも、また、いかなる時代になろうと、変わらないことだろう。
 妙法が、地涌の使命を自覚した一人から、「二人・三人・百人」(御書1360ページ)と唱え伝えられ、未来にまで続いていく――これが「地涌の義」であると大聖人が示された通りである。

学生部の使命とは
 今、学生は大きな不安と向き合う。授業や就職活動などの先行きは見通せず、すぐ近くで励まし合える仲間にも会えない。しかしそれでも、自宅の机で、パソコンの画面に向かって、自身の未来を開こうと、学業に励む。
 日本だけでなく、世界の学生もまた、同じだろう。
 状況は異なるが、2011年(平成23年)を思い出す。東日本大震災が日本を襲った、あの日だ。
 当時、創価高校の3年生で卒業を控えていた私は、震災を報じるテレビを前に、「これから先、どうなるのか」と大きな不安に襲われた。
 その5日後の3月16日。池田先生が、創価学園の卒業式に寄せられたメッセージは、今も私の心に刻まれている。
 「これから、どこにいようとも、私の心は常に、皆さんと一緒です。いつも成長を見守っています」
 その後も、困難に直面するたび、先生の励ましを思い起こし、自らを鼓舞して、挑み抜いてくることができた。
 1962年(昭和37年)、学生部への本格的な薫陶のため、先生は「大白蓮華」4月号の巻頭言で「学生部に与う」をつづり、呼び掛けられた。
 「青年のなかにあって、とくに学生部は、その先駆をきるべき責任と自覚をもつべきである」
 この“先駆”の誇りを胸に、私たち学生部は、広布を誓う絆を結びながら、希望の哲学を社会へ大きく広げゆく実践に、ともどもに挑んでいきたい。


【聖教ニュース】

◆きょう「学生部結成記念日」 希望の哲学で新たな歴史を開け  2020年6月30日


 きょう6月30日は「学生部結成記念日」である。1957年のこの日、第2代会長・戸田城聖先生のもとに男女学生の代表約500人が集って、学生部は結成。池田大作先生が祝電を送った。男女学生部の友は、今月を「希望の哲学を胸に! 先駆励まし月間」として、御書の研さんと希望の拡大に走ってきた。また結成記念日に寄せて、各国学生部のリーダーからメッセージが届けられた。

男子学生部の「6・30」記念の“全国オンライン総会”で、司会の呼び掛けに応える北海道の友。岐阜の大野優人さん、千葉の本間義弘さんが活動報告した

男子学生部の「6・30」記念の“全国オンライン総会”で、司会の呼び掛けに応える北海道の友。岐阜の大野優人さん、千葉の本間義弘さんが活動報告した

男子学生部は全国オンライン総会を開催
 新型コロナウイルスの世界的流行は、学生たちの生活に大きな影響をもたらしている。
 大学等の授業の多くはオンラインとなり、友人と直接会う機会は激減。不況による経済的困難に直面する学生も多く、就職活動でも不安な状況が続く。

 だからこそ、互いの「心の距離」を近づけ、「希望」を広げていこう!――男女学生部はインターネットを駆使して、多彩な取り組みを進めてきた。そうした中、共に唱題や仏法対話、研さんに励む友は例年よりも増加している。
 男子学生部は、ライブ講義「学生部スタディーチャンネル」を3月末から、ほぼ毎週配信。学生部のリーダーが、基礎教学や御書の講義を行ってきた。6月は「佐渡御書」を学び、「困難に負けずに頑張ります!」などの声が多数寄せられた。
 また、全国で8万人を超える友人に励ましの対話を広げてきた。28日には全学生部員を対象とした“オンライン総会”を動画配信で実施。さらなる成長を皆で誓い合った。

京都の女子学生部の集い(28日)に、上野関西女子学生部長が参加。有志が学生部結成の歴史をスライドで紹介し、柳井彩喜さんが決意を語った

京都の女子学生部の集い(28日)に、上野関西女子学生部長が参加。有志が学生部結成の歴史をス
ライドで紹介し、柳井彩喜さんが決意を語った

女子学生部は各地でオンラインの集い
 女子学生部は「開目抄」をはじめ「池田華陽会御書30編」の研さんに取り組んできた。

 同世代の友と勉強や信心について気軽に語り合える会合をオンラインで開く地域も。会合では、新入生から先輩への質問コーナーや広布史を学ぶクイズ、御書講義、信仰体験などを通し、福智のスクラムを拡大。「この集いが、自分が頑張れる原動力です!」など喜びの声が聞かれる。
 池田先生は、学生部の友に万感の期待を寄せている。
 「新たな地球文明の創造へ、創価の世界宗教の真価を、いよいよ発揮する本舞台が、わが不二の学生部を待っているのだ」
 さあ、共に希望の歴史の建設を!――師弟の誓いを胸に、若き友は前進を続ける。

活躍する友の話題を紹介
 富山の山谷祐貴さん(大学3年)は医学部で学ぶとともに、5月からは大学生への生活支援として、総菜を届けるボランティア活動に参加している。
 組織ではグループ長として「皆の成長の原動力になれば」と、オンラインの集いを毎週開催。自ら御書講義などを行う。
 集いには大学の友人も毎週のように参加しており、「ここに来ると、1週間頑張ろうと思えるんです」と感想を。その姿を見て、他の部員が自身の友人を集いに招くなど、決意の波が広がる。
 山谷さんは「周囲を安心させられる力と人格をもった医師となり、地域医療の発展に貢献したい」と誓う。
 神奈川の岩﨑優里花さん(大学6年)は、明年の歯科医師国家試験の合格を目指し全力を尽くす。昨年は勉強や人間関係の問題で悩んだこともあったが、同志と御書を学ぶ中で、自分を信じて進むことができた。
 その確信のままに、今月、新入生とオンライン御書学習会を開き、「諸法実相抄」を共に研さん。また、仏法対話にも挑戦し、先日は友人に『ワールド セイキョウ』を渡すことができた。
 岩﨑さんは力強く語る。「今まで支えてくれた家族、同志、そして池田先生への感謝を忘れず、勝利の実証を示してまいります」

各国のリーダーからメッセージ
フィリピン アンダヤ学生部長
 フィリピンの大学生は、通信環境が十分でない場合もある中、オンライン授業と、個人のレベルに合わせた課題に取り組むなどして学業に励んでいます。
 こうした状況下で、学生部は、各人がどのように自身の困難を乗り越えているかを共有する「Breakthrough(突破口を開こう)」運動を開始。早速、唱題根本に奨学生として大学入学を果たした体験や、御書の一節を胸に、自己への挑戦を重ねる様子が報告されています。
 今こそ信心への確信を胸に、物理的に離れていようとも、SNS等を駆使して部員へ、友人へ、励ましの輪を大きく広げる時と実感します。
 「逆境に打ち勝つ」との哲学に満ちた池田先生の指導などを、オンラインの学習会を通して深めながら、強固な心の団結を築き、民衆を守る学生部の使命を果たしていきます!

イタリア ヴァレンテ女子学生部長
 イタリア学生部はコロナ禍でも、友人を招いての集いをオンラインで継続。小説『新・人間革命』で学生部に触れられている箇所や「開目抄」「観心本尊抄」の研さんなどを通し、池田先生との絆を強め、学生部の使命を確認し合っています。
 さらに、人権の闘士・エスキベル博士と池田先生の共同声明をもとに、持続可能な社会への展望と提案をまとめた「イタリア学生部宣言」の実現へ、実践を続けています。
 きょう30日には、オンライン会議を開催します。学生部の代表が先生の平和提言や創価の社会活動などを紹介し、大学教授らがSDGs(持続可能な開発目標)について多様なテーマで講演する予定です。
 学生部員の成長こそ社会の希望と確信し、民衆のために学び行動できる一人一人に成長していく決意です。

◆音楽隊に世界記録のギネス認定証   2020年6月30日

国立競技場の完成イベントで“ボルト・ポーズ”

 音楽隊の創価ルネサンスバンガード・ジュニア(立澤孝亮楽団長)に、「ギネス認定証」が贈られた。
 東京・国立競技場の完成を祝賀する地域イベントの一環で行われた「ギネス世界記録」チャレンジ(昨年12月21日、明治神宮外苑)で、男子陸上の世界記録保持者ウサイン・ボルト氏がレース後などに披露する「ライトニング・ボルト・ポーズ」を同時に行った最多人数の記録を認定したもの。
 創価ルネサンスバンガード・ジュニアは、総本部近隣の商店会などの呼び掛けで参加。ボルト氏もゲストとして招かれ、団体や地域住民を含めた2682人がポーズを決め、世界記録を樹立した。
 同イベントで、創価ルネサンスバンガード・ジュニアは演奏も披露。同日の国立競技場オープニングイベントでも、音楽隊の創価ルネサンスバンガードと鼓笛隊がパレードを先導した。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈「新・人間革命」と私」〉北海道男子部長 平井祐嗣さん  2020年6月30日

〈心に刻む珠玉の言葉〉
 師弟の絆の強さは、物理的な距離によって決まるのではない。己心に師が常住していてこそ、最強の絆で結ばれた弟子であり、そこに師弟不二の大道があるのだ。<第27巻「求道」の章>

〈時代背景〉
 1978年(昭和53年)6月11日、北海道を訪れていた山本伸一は、厚田での北海道青年部の第6回総会に出席した。13日には、別海の北海道研修道場を初訪問し、役員の友を激励。14日、標津町にも足を運び、個人指導に力を注ぐ。16日には、上春別で雑貨店とドライブインを営む壮年と、77歳の求道心旺盛な母親をたたえ、真心の句を贈る。

師の激闘を書き写した日々
 本章では、1978年(昭和53年)6月の山本伸一の北海道指導の様子が描かれています。
 伸一は“草の根を分けるように同志を探し、たたえよう”との思いで道内を駆け巡り、16日間で約5000人の友と一緒に記念撮影し、延べ2万人を超える会員と会い、激励しました。
 冒頭の引用は、これまで伸一と一度も会ったことがなかった上春別の谷沢千秋・徳敬親子と出会いを刻んだ場面を通し、池田先生がつづられた言葉です。千秋はこの日まで、“師の心をもっと知りたい”と真剣に祈り、“今日も弟子らしく戦い抜きました”と、心の師に胸を張って報告できる自分であろうと純真に信心に励んでいました。
 この信心の姿勢は師弟不二の模範であると思います。この部分を読み、学生時代、初めて師匠の心を知ろうとした時のことを思い出しました。
 きっかけは、創価大学1年の時、“池田先生にお応えしよう”と奮闘する先輩や学友の姿に触発を受けたことです。そこで私は、“先生のことを学びたい”と、当時、聖教新聞に連載されていた小説『新・人間革命』を毎日、ノートに書き写すことにしたのです。
 そこで、心から感じました。先生があらゆる場所で絶え間なく、人を励ましていること。激務の中で『新・人間革命』を執筆されていることを。そして、書き写した一字一句から伝わる先生の闘争に、畏敬の念を抱きました。師匠の心を求めたこの日々は、“先生にお応えしゆく生涯を”と誓った原点となりました。
 後に、山本伸一の北海道での激闘がつづられた「厚田」の章、そして「求道」の章が聖教新聞に連載されました。この二つの章もノートに書き写し、伸一の激励行を心に刻みました。このノートは、今でもかばんに入れ、メンバーへの激励の際に使用しています。
 
 「求道」の章に「求道心を失った時、信心の向上は止まり、慢心に侵され始める」とあります。厳しい社会状況の中ですが、北海道男子部は求道の炎を絶やさず、「三代城」の弟子の底力を示していきます。


◆「学生部結成記念日」特集  信仰体験 一家和楽は僕の手で!

諦めない強さを胸に広布に走る
 きょう30日は「学生部結成記念日」。学会家族の温かさに触れ、励ましの尊さを実感しながら、英知と福智のスクラムを広げる学生部の友。ここでは、それぞれの使命の舞台で、「諦めない強さ」と「一歩踏み出す勇気」を胸に成長するメンバーの活躍を紹介します。

 【群馬県高崎市】大学進学を目前に控えた2017年(平成29年)3月。地元の兵庫を離れて、群馬で1人暮らしを始める矢先のことだった。
 「学会に入会してみない?」。近所の創価学会員の婦人に切り出され、塚本大介さん(21)=学生部部長=は「今は別にいいです」と断った。婦人は「今こそ信心する時だと思うの。また来るね」と言って帰っていった。
 ――父・克巳さん(55)=壮年部員=が、家族で唯一の学会員だった。小学生の頃、何度か座談会に参加したことはあったが、中学生になると、それもなくなった。
 “とっさに断ったけど……”。真剣に語る婦人の顔が忘れられない。
 婦人は、塚本さん家族をいつも気に掛けてくれた。道で会えば「大ちゃーん。最近元気にしてる?」と、いつも大きな声で話し掛けてくれる“優しい近所のおばちゃん”だった。一言二言、交わすだけの短いやりとりでも、向けられる笑顔がうれしかった。思えば、座談会で会う人たちは、みんな心からの笑顔で歓迎してくれた。
 “信仰のことは分からない。でも、あの笑顔が創価学会の世界なんだ”
 1週間後、今度は「やります」と即答した。
 親元を初めて離れての新生活。すぐに地域の学生部の先輩や、地区部長、地区婦人部長夫妻が訪ねて来てくれた。おかげで不安は消えていった。
 大学2年になると、学生部の人材グループ「誓城会」の一員に。東京の総本部に通い、同世代のメンバーと信心を学び合う時間は新鮮で、充実していた。
 任務に就いていると、そろって学会本部を訪れる家族をよく見掛けた。そのたびに“僕も家族みんなで信心してみたい”という気持ちが募っていく。
 先輩に相談すると、「挑戦してみようよ。みんなで祈るよ!」と背中を押してくれた。“一人じゃない”と思うと勇気が湧いた。
 果たして家族への折伏は簡単ではなかった。決意して帰省するも、話すタイミングを何度も逃した。意を決して弟を呼び出したのに、沈黙ばかりが二人の間で流れていったことも。
 それでも弟の気持ちは、塚本さんの成長した姿や近所の学会員の真心に触れる中で、確実に変わっていった。2018年に弟・涼さん(20)=男子部員=が入会した。
 母や妹は、「自分で決めたことなら」と認めてくれた。だが、「私たちはいいよ」と笑ってくぎを刺されると、それ以上は踏み込めなかった。
 それから2年――。今年の初めに学生部で「二月闘争」の歴史を学んだ。戸田先生の誕生月を、勝利の報告で祝福しようと戦う池田先生の姿に胸が熱くなった。その勢いのまま、大切にしていた、学生部指導集『先駆の誇り』を読み返す。
 「世界のどこかに、君にしかできない使命が、君の来る日を待っている。指折り数えて待っている。待たれている君は、あなたは生きなければ! めぐりあう、その日のために!」
 自分にしかできない使命。“絶対に家族全員で信心するんだ!”。心のベクトルが定まった時、迷いも臆病の心も消えていた。
 母と妹にもう一度、真剣な思いで語り抜いた。父も「みんなで一緒にやろう」と言ってくれた。
 今年の2月11日、母・有紀さん(51)=婦人部員=と妹・奈々さん(18)=女子部員=がそろって入会。家族で初めて会館で勤行・唱題をした時、込み上げる思いが、涙となってあふれた。横を見ると、母も泣いていた。

 それからは、題目を唱え聖教新聞を読むという何気ない日常が、何倍もうれしいものになった。
 地元学生部では部長として、決して人数の多い地域ではないが、「創価家族としてつながっていきたいんです。みんなが僕にそうしてくれたように」と、日々励ましを送る。
 現在、就職活動中。コロナ禍で思うようにいかないことも多いが、「信心して、家族と本気で向き合えました。かけがえのない仲間もできた。学生部での日々が、僕に諦めない強さをくれました」と前を向く。
 家族で歩み始めた新たな道。その一歩一歩を踏みしめながら広布に走る。?


◆「学生部結成記念日」特集 信仰体験 題目でキラキラをチャージ!

勇気の一歩から初の弘教
「オーストラリアではいろんな国の友人ができました」と内藤さん。その影響もあって今は華流(中国)ドラマにはまっている

【横浜市】県内の大学で国際分野について学ぶ内藤歩さん=女子地区リーダー=は、祖父の代からの“学会3世”。進学してすぐ、女子部の活動に参加するようになった。
 話を聞いて驚いた。いつも気に掛けてくれる先輩たちは、友人にも平気で学会のことを話している。
 “みんな、すごいな……”
 気が向いたら題目くらいの意識なら、なんとなくある。小・中学校で人間関係に悩んだ時、唱題してから学校に行くと、ギクシャクしていた相手とうまく話せるようになったことが何回もあった。
 でも胸を張って人に信心の話をする自分の姿なんて、想像できない。
 「“自分なりに祈っていこう”が、学会活動に参加し始めた時の“モットー”でした」
 1年の終わりの春休み。視野を広げたくて、大学の海外研修プログラムに参加した。
 オーストラリアで、5週間のホームステイ。自分の片言の英語では通じないだろうとは覚悟していたものの、予想以上にコミュニケーションがとれないことに、すっかり萎縮してしまう。
 英語の講座が始まっても、普段通りの自分が出せない。不安と緊張で息苦しい。部屋で一人、悶々としていると、思い出したようにスーツケースに手を伸ばした。

愛用の学会活動ノート
 取り出したのは女子部指導集『華陽の誓い』。出発の直前に買ったものだった。夢中でページをめくっていくと、池田先生のある言葉が目に飛び込んできた。
 「希望も、喜びも、人から与えられるのを、待つものではない。自分でつくり出し、皆に広げていくものだ」
 なんだか胸が熱くなった。“絶対、この研修を充実させたい!”
 次の日から、クラスメートに声を掛けるようにした。自身に課したルールは必ず違う人とも話をすること。すると友人がどんどん増えていった。自信がついた。
 そのうれしさを、部屋に戻ると祈りに変えた。
 「唱題すると、なんだか視界がキラキラして見えて、“明日も頑張ろう”って思えるんですよね!」
  帰国すると高校の同級生から、「なんか変わったね」と。
 新たに始めたアルバイト先で、話の合う友人ができた。お互いの将来像や、悩みを気兼ねなく言い合える仲になっていた。
 次第に自分でも驚きの感情が芽生えていた。
 “一緒に信心できたらいいな……”
 でも、うまく話せる自信なんてない。胸の内を母に相談した。
 「歩の思ったままを話せばいいんだよ」
 やり方があるのかと構えていただけに、少し肩の力が抜けた。

女子学生部の同志とオンラインで会合を
 友人に会う日。
 「あの……」
 内容は、「すごいんですよ!」とか、「前向きになるんですよ!」とか。文章という文章には、なっていなかったかも。その後も手紙を送って、自分なりに思いを伝えていくと、<自分も一緒にやってみたい>とのメールが。驚きと喜びで胸がいっぱいになった。
 今年の1月2日、友人は入会。初めての弘教が実った。
 どうして信心をしようと思ったのか尋ねてみると、「内藤さんが、なんだかキラキラしてたから」。
 ただただ、うれしかった。それは自分の実感でもあったから。
 「『南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり』(御書788ページ)って、本当にそうなんだなって思いました!」
 学会員に生まれてよかった。今は心からそう思う。「入学した頃の私に言ってあげたい。“学会活動って、折伏って元気になれるよ!”」。将来は模索中。不安もあるけど、以前より自信をもって向き合えている気がする。
 信心をつないでくれた家族、同志、そして池田先生への感謝を胸に、きょうの一歩を踏み出す。

 

2020年6月29日 (月)

2020年6月29日(月)の聖教

2020年6月29日(月)の聖教

◆今週のことば

 新時代の「青年の月」だ。
 地涌の誓願の若き命に
 越えられぬ試練はない。
 舞を舞うがごとく
 歓喜踊躍の前進を!


◆名字の言 新たな栄光の共戦譜を    2020年6月29日

 日に1度は必ず御書を手にし、年頭から全編拝読に挑む青年部員。彼は、充実の日々をこう表現する。「毎日、日蓮大聖人から個人指導を受けている気持ちになります」と▼「立正安国論」など法門についての論文に、教義の深遠さを知り、世界が開ける。門下を激励する御消息文に、自身も励まされ、勇気が湧く――時代を超え、大聖人から信心の薫陶を受けていると思うと、研さんにも真剣さが増す▼御聖訓に「(法華経の文字は)肉眼の者は文字と見る。(中略)仏は一字一字を金色の釈尊、つまり仏の生命そのものと見る」(御書1025ページ、通解)とある。同じ御文でも、拝する人の境涯や一念によって、理解の深さはいかようにも変わる▼現在、池田先生の会長就任60周年記念年譜『栄光の共戦譜』が友に贈呈されている。収録された年表に先生の死身弘法の軌跡を学びつつ、その行間から、当時の自身が宿命と戦いながらも師と紡いだ“わが栄光の共戦譜”がよみがえる友も多いことだろう▼同書は“あの時の誓いと奮闘を忘れてはならない”“これからも共に人生を開いていこう”との思いがこもる、先生から私たち一人一人への励ましともいえる。学会創立100周年へ、新たな師弟凱歌の歴史を築いていこう。(城)


◆寸鉄

「他人なれどもかたらひ
ぬれば命にも替る」御書。
一本の電話も真心込めて
     ◇
全てを価値創造に転じて
いけるのが創価の智慧―
恩師。勇敢に困難に挑め
     ◇
人は大きな目的があって
こそ大きくなる―詩人。
我らは立正安国のために
     ◇
感染の誤った情報に触れ
ていた人は7割―総務省
正確な情報が不安除く要
     ◇
警察等装い訪問する詐欺
多し。銀行カードは他人
に絶対渡すな。厳重管理


◆社説 2020・6・29 あす「学生部結成記念日」 歴史の転換点に立つ使命

 あす30日は「学生部結成記念日」。
 1957年(昭和32年)6月30日、第2代会長・戸田城聖先生のもとに500人の男女学生の代表が集い、学生部は誕生した。池田先生は、北海道・夕張の地から祝福の電報を送り、次代を担う俊英たちの成長に深い期待を寄せた。
 コロナ禍の中、男女学生部は、「結成の月」である6月を「希望の哲学を胸に! 先駆励まし月間」として、オンラインを中心とした励ましの拡大と、教学の研さんに取り組んできた。
 男子学生部のあるグループ長は、自身が主催したオンラインの集いに3人の友人を招待。自作のスライドを画面に映しながら、仏法の哲理を語った。3人とも熱心に聞いてくれ、学会への理解を広げることができたという。
 今、新型コロナウイルスの大流行で、人類は大きな試練の渦中にある。多数の人命が奪われるとともに、都市や国境の封鎖で人や経済の動きが止まったことにより、世界的な不況も危惧されている。
 日本の大学生らも、思うように進まない就職活動や授業の遅れ、経済的な苦境など、さまざまな困難に直面する。
 こうした「危機の時代」だからこそ、未来を開くためのビジョンや哲学、強き信念、希望の連帯が求められている。
 ノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・スティグリッツ氏らは、「ウィズコロナ」の時代に求められる力は「レジリエンス」だと語る(NHK NEWS WEBから)。レジリエンスとは「困難を乗り越える力」。心理学でも研究が進んでおり、レジリエンスを発揮する要素の一つとして、「信仰に基づく利他の行為」が挙げられている。
 自分だけの成功や幸福を願うのではなく、友の幸福を祈り、社会の繁栄、世界の平和のために行動していく――そうした生き方をしている人は、苦難に対して強い。人間の中には「他者のため」に行動するときに発揮される、「潜在的な力」があるのであろう。
 これは仏法の視点でいえば「菩薩界」の生命であり、私たち学会員が日々、実践している生き方である。
 池田先生は学生部に対して、「生命尊厳、人間尊重の大仏法を真摯に探究し、勇敢に実践する学生部こそ、父母をはじめ、恩ある衆生に誠実に尽くしながら、『同じ地球で共に生きる』平和と人道の大連帯を広げゆく先駆のリーダー群なのである」と万感の思いを寄せている。
 歴史の転換点に立つ今だからこそ、仏法の人間主義を学び、実践する学生部の使命は大きい。一人一人が英知と人格を磨き抜き、新たな時代を開く人材として羽ばたくことを祈りたい。


◆きょうの発心 御義口伝 福井総県副総県長 石橋壮一郎 2020年6月29日

御文 始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり(御義口伝、788ページ・編1634ページ)
通解 初めて自分の心が本来の仏であると知ることを、すなわち大歓喜と名づける。
いわゆる南無妙法蓮華経は、歓喜の中の大歓喜である。

日々、決意新たに誓願の人生を
 自身の中に仏の生命があると知り、唱題することこそ、最高の歓喜である、との仰せです。
 “何のために生きるのか”と、漠然とした迷いを抱えていた学生時代。友人から仏法の話を聞き、入会しました。
 題目を唱えると生命力が湧き、御書に説かれる仏法の深い生命哲理に、目が覚める思いでした。
 小説『人間革命』を読み、創価三代の師弟の精神に感動。さらに“師と共に広布に生き抜こう”と、使命を知った喜びを胸に、4人の友人に弘教を実らせることができました。
 その後、家業を継ぐため郷里の福井へ。無理解の両親のもと、妻と共に地域広布に励みました。周囲に共感が広がっていく姿を見て、母も入会。3人の娘たちも、創価の学びやで育んでいただき、使命の道を歩んでいます。
 日々、小説『新・人間革命』に学び、師への報恩を胸に、新たな決意で誓願の人生を歩んでまいります。


【先生のメッセージ】

◆〈心に御書を〉56題目の功力は絶大

〈御文〉
 法華経の題目をつねは・となへさせ給へば此の妙の文じ御つかひに変ぜさせ給い・或は文殊師利菩薩或は普賢菩薩或は上行菩薩或は不軽菩薩等とならせ給うなり
(妙心尼御前御返事、1484ページ)

〈通解〉
 (あなた<妙心尼>は)法華経の題目を常に唱えられているのだから、この「妙」の文字が(冥途の故入道殿への)御使いに変じられ、あるいは文殊師利菩薩、普賢菩薩、上行菩薩、不軽菩薩となられるのである。

〈池田先生が贈る指針〉
 最愛の家族を亡くした方への励ましである。
 妙法は、地球を動かし、太陽を輝かせ、大宇宙を運行させる究極のリズムである。十方の仏菩薩を味方にし、わが眷属も生死を超えて護り抜ける。
 題目の人に行き詰まりはない。最極の智慧も勇気も忍耐力も涌現する。必ず“一番、良かった”と言い切れる人生の軌道となるのだ。

【教学】

◆〈日蓮大聖人の慈愛の眼差し〉 大田乗明
 壮年こそ安心と確信の柱
 下総地域で富木常忍、曾谷教信らと共に奮闘 大聖人から重要な御抄を頂くなど信頼厚き門下

千葉・銚子市の犬吠埼の海岸から旭日を望む。今や日蓮仏法の人間主義の哲理は、混迷の闇を打ち破る光として、世界を照らす

千葉・銚子市の犬吠埼の海岸から旭日を望む。今や日蓮仏法の人間主義の哲理は、混迷の闇を打ち破る光として、世界を照らす


 壮年には、社会の荒波をくぐり抜けてきた経験がある。度胸がある。風格がある。

 一家も職場も地域も、重鎮たる壮年世代に覇気があれば、活気があふれ、隆々と発展していく。
 日蓮大聖人の御在世当時、多くの男性門下が信心の歩みを重ね、「広布の黄金柱」の壮年として活躍した。その一人が大田乗明である。
 大聖人の励ましを胸に、自らの苦難と立ち向かいながら、妙法流布に生き抜いた。大聖人のお手紙からは、その求道の姿勢に対する信頼や期待の大きさをうかがうことができる。

妻と共に真心の供養を行う
 大田乗明は、下総国葛飾郡八幡荘中山(現在の千葉県市川市中山)に住んでいた門下である。生年は大聖人と同じ貞応元年(1222年)と考えられている。早い時期から大聖人に帰依したとされ、下総方面(現在の千葉県などの一部)の中心的門下だった富木常忍や曾谷教信らと支え合いながら、純真な信心に励んだ。
 大聖人が乗明、教信ら3人の門下に宛てられた「転重軽受法門」の内容から、文永8年(1271年)の竜の口の法難の直後、相模国の依智(現在の神奈川県厚木市)に留め置かれた大聖人のもとに、お見舞いを申し上げていることが分かる。この時、3人一緒に大聖人を訪ねたのかどうかは定かではないが、師匠の最大の難にあっても信心を貫いたのである。
 また、大聖人が身延に入山された翌年の同12年(1275年)3月、乗明は教信との連名でお手紙を頂いている(御執筆年を、これ以前とする説もある)。当時、あらゆる難との闘争の中で、大聖人が所持されていた聖教(経釈などの書籍)の多くが失われていた。大聖人は、こうした経典類の収集を二人に依頼された。
 大聖人はその際、「両人共に大檀那為り」(御書1038ページ)と記されている。「檀那」とは、在家の有力な信仰者との意味で、仏教教団を経済的に支える人を指す。「大檀那」との仰せに、いかに大聖人が、この二人の門下を重んじられていたかを拝することができる。
 そんな乗明に試練が襲い掛かったのは、同じ年の建治元年(1275年)11月頃。病気に悩まされていることを、大聖人に御報告している。これに対する御返事の中で大聖人は、乗明の病気は、今までの真言の信仰を悔い改める心を起こしたゆえに、未来世に受ける重い苦しみを今、軽く受けているのであり、病を治して長寿とならないことがあるだろうか(同1011ページ、趣旨)と、万感の励ましを送られている。
 また、大聖人の身延入山後も、乗明は夫人と共に、米や銭、衣服などの御供養を続けている。大聖人は、そのたびに心からの感謝の念を表されるとともに、供養の功徳は、計り知れないほど偉大であることを教えられている。
 例えば、建治3年(1277年)11月に、乗明の夫人が小袖(袖丈の短い衣服)を御供養した際には、その功徳により、後生(未来世)において極寒に責められるという苦しみを免れるだけでなく、今生には種々の大きな難を払い、男女の子どもたちにまでその功徳が及ぶ(同1013ページ、趣旨)と仰せになっている。
 
 頂いたお手紙の内容から、乗明の夫人が、信心や法門の理解の上でも優れた女性であったことがうかがえる。真心の御供養をはじめ、師匠のために尽くし抜き、懸命に信心に励む功徳は、自らを包み守ることはもちろんのこと、子どもたちにまでも及んでいく――大聖人の確信の言葉に、夫人は夫と共に、偉大な師匠と最極の妙法を持つ人生の喜びを実感したに違いない。

師匠の精神を後世に伝える
 大聖人は、求道心にあふれた乗明の信心の姿勢を、最大に称賛されている。弘安元年(1278年)4月に送られたお手紙で、次のように述べられている。
 「あなた(乗明)が、私(大聖人)の教えを聞いてからは、それまで信仰していた真言宗への執着をきっぱり捨てて法華経に帰依し、ついには自己の身命よりも法華経を大事に思うほど、強盛な信心を確立するまでになった。これはまことに不思議なことである」(同1015ページ、趣旨)
 このような仰せからも、乗明が確固たる信仰の基盤を築いていたことが分かる。他の御抄では、「聖人」や「上人」とまでたたえられている。
 ところで、このお手紙を頂く前に、乗明は「自分は厄年に当たっており、そのためか、心身共に苦悩が多くなりました」(同1014ページ、趣旨)と、大聖人に報告したようだ。
 これに対して大聖人は、「法華経を受持する者は教主釈尊の御子であるので、どうして梵天・帝釈・日月・星々も、昼夜に、朝夕に守らないことがあろうか。厄の年の災難を払う秘法として法華経に過ぎるものはない。まことに頼もしいことである」(同1017ページ、通解)と仰せになっている。
 法華経を持つ者は、諸天善神に必ず守られる。いかなる難も法華経の信仰で免れることができる――師の励ましに、大きな勇気を得た乗明は、一層、信心を深めていっただろう。
 その後、乗明は「三大秘法禀承事(三大秘法抄)」を与えられている。三大秘法とは、大聖人が明かされた前代未聞の三つの重要な法理であり、大聖人の仏法における根幹である。この重書を後世へと託されたこと自体が、乗明に対する大聖人の深い信頼の表れであるといえよう。
 乗明は、大聖人が弘安5年(1282年)10月13日に御入滅になられた後、その翌年の同6年(1283年)4月26日に亡くなったとされている(他の説もある)。師匠から重要な御抄を頂くとともに、最期まで、それを後世に伝えゆく、使命の生涯を送ったのである。
 池田先生は、下総地域で奮闘した三人の男性門下について、次のようにつづっている。
 「下総方面の中心であった、富木常忍、大田乗明、曾谷教信も壮年である。(中略)この壮年たちが、今こそ立ち上がろうと、勇猛果敢に戦い、同志を励ましていったからこそ、大法難のなかでも確信の柱を得て、多くの人びとが、信仰を貫き通せたにちがいない。壮年がいれば、皆が安心する。壮年が立てば、皆が勇気を燃え上がらせる。壮年の存在は重い。その力はあまりにも大きい」
 一人の壮年が揺るぎなき信心で立ち上がり、師匠のため、広布のために尽くす実践は、全てが福徳となり、自身のみならず、一家の勝利を開いていく。そして、周囲の人々にも励ましの輪を幾重にも広げていけるのである。


【聖教ニュース】

◆〈SDGs特集〉京都産業大学 伊藤公雄教授に聞く 2020年6月29日
 生産性最優先から脱し、多様な“生”が輝く社会へ

 貧困や差別をなくし、誰も置き去りにしない社会を目指す国連のSDGs(持続可能な開発目標)。17ある目標の全てと深く関わるテーマが、女性に対する差別の克服と男女の平等だ。目標5「ジェンダー平等を実現しよう」の達成に向けて、現在の課題や今後の社会の在り方などについて京都産業大学の伊藤公雄教授に聞いた。(聞き手=南秀一)

 【プロフィル】1951年生まれ。京都大学名誉教授・大阪大学名誉教授。専門は文化社会学、メディア研究、ジェンダー論。内閣府男女共同参画会議専門調査会委員、同男女共同参画の将来像検討会座長代理、国連人口基金東京事務所アドバイザリーコミッティ委員、日本ジェンダー学会会長などを経て現職。日本学術会議会員、国立女性教育会館監事などを務める。
性の気質や役割は文化や時代によってつくられる

 ――「ジェンダー」という言葉は、「社会や文化によって(後から)形成される男女の性差」といった説明がされます。
 
 男性の役割、女性の役割といった性別に基づく枠付けは、ほとんどの社会に存在してきました。ヨーロッパの多くの言語には、男性名詞・女性名詞のように、男女区分が存在しています。男性と女性(の領域)という二分法は分かりやすいこともあり、人間が世界を把握するためのベースにあったのでしょう。 
 しかし、いわゆる“男らしさ”“女らしさ”が象徴するものは文化や時代によって異なります。つまり、男性・女性の気質や役割は、その文化や時代によってつくられたものだといえます。 
 思想家のイバン・イリイチは近代以前の人間社会を洞察し、地域や時代ごとに特殊な男女の役割があり、互いに助け合って社会が成立していたと論じました。前近代社会では、男女の役割は厳しく固定されていましたが、当時はそれが差別的だと意識されることはあまりなかったのです。

近代産業社会で男性優位が顕在化
 ――近代以降は、どのように変化してきたのでしょうか。
 
 工業化が進んだ近代産業社会においては、とかく生産性や効率が追求され、計算しやすい労働力の確保が重要になります。すると、妊娠・出産の期間がある女性は労働力として計算しにくくなる。
 結果、女性は結婚すると生産活動から排除され、労働力である男性、次世代の労働力となる子ども、かつての労働力だったお年寄りをケアする役割が割り振られるようになっていきました。
 そこでは生産労働である男性の労働が“公的なもの”とされ、女性は無償で“私的な労働”に従事することになる。前近代社会では見えていなかった男性優位の仕組みが、顕在化したのが近代産業社会の特徴といえるでしょう。この仕組みは経済的には非常にうまく機能したため、工業化が始まると世界中がほぼ同じ道をたどっていったのです。
 しかし、1970年代ごろから、社会は生産労働から情報やサービスを軸とする産業へと転換し始めました。そこで必要とされるのは主に企画力や調整能力であり、性別は関係ありません。こうした産業構造の変化もあって70年代以降、世界で女性の社会参画が進んできたのです。

日本には男女平等の先進的な制度が存在
 ――日本社会はどのような変遷をたどってきたのでしょうか。
 
 ヨーロッパと対比して“遅れた日本”と評されることがありますが、歴史的に見れば、必ずしもそうではありません。
 『万葉集』には7、8世紀の庶民の女性の歌も収録されており、10世紀には紫式部や清少納言、和泉式部らが活躍しています。これは古代の日本で女子教育が一定程度、存在していた証しでしょう。同時代のヨーロッパの女性作家がほとんどいないのと対照的です。
 また、1960年代後半以降の欧米を中心とするフェミニズム運動の二大テーマは、離婚と中絶の合法化でした。日本ではいずれも第2次世界大戦後に法的に認められており、当時、少なくとも法律上は、先進的な男女平等の制度が整っていたといえます。

アメリカ・ニューヨークの国連本部で開催された「女性の地位委員会」(昨年3月)。SGIの代表も出席し、公式関連行事を主催した

アメリカ・ニューヨークの国連本部で開催された「女性の地位委員会」(昨年3月)。SGIの代表も出席し、公式関連行事を主催した

成功体験から抜け出せない日本社会
 ――一方で、世界経済フォーラムが発表している「ジェンダー・ギャップ指数」(男女平等の度合いを示す指数)で日本は昨年、121位。SDGsにおいてもジェンダー平等の取り組みが課題だと指摘されています。
 
 世界が70年代にジェンダーの分野で大きな変化を遂げる中で、日本は変わらなかった。要因の一つに、団塊の世代が、巨大な労働力として社会に出た時期と重なったことがあります。
 いわゆる人口ボーナスで、人口の編成が経済成長に非常に有利に作用した。加えて、地方から都市への人口移動が起きました。都市に出た若い男女が結婚して、子どもが生まれる。すると祖父母や地域の支えがない都会では、どちらかが仕事を辞めなくてはならず、賃金格差を考えて女性が家に入る

――こうした仕組みが60年代から70年代に確立していったのです。
 
 一方、男性は長時間労働で所得が急激に上昇していく。そこに家族基盤充実政策の一環として、いわゆる税金の“103万円の壁”(編集部注=一般に、配偶者の年収が103万円を超えると控除の対象者とならなくなること)などができる。低い給料で抑えられる女性の労働力と長時間働く男性の労働力という組み合わせで、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の仕組みができあがったわけです。
 日本社会の安定には女性の社会参画が不可欠であることは、長く主張されてきました。しかし、70~80年代の成功体験からいまだ抜けきることができていないのです。

SDGsは共生と多様性の鍵
 ――SDGsの目標5は「ジェンダー平等を実現しよう」とうたっています。そのためには、どのような努力が必要でしょうか。
 
 繰り返しになりますが、男性主導の産業社会においては、生産性や効率、利益に価値が置かれていました。その追求のためには他者との関係や自然を破壊することもいとわず、人間関係はお金で換算されるようになり、自然を破壊して生産性を確保する社会になってしまったわけです。
 そうした価値観を転換しなければ、ジェンダー平等はもとより、自然との共生も、性的少数者や障がい者を含む多様な人が生を全うできる社会の構築は難しいでしょう。SDGsは、そうした転換の鍵を握ると思います。
 特に日本は、すでに高齢社会を迎えています。生産性優先の焦り過ぎ、急ぎ過ぎの仕組みとは違う社会の再設計を、少子高齢社会を見据えながら進める。そこに、日本ができる人類への貢献もあるのではないでしょうか。

女性平和文化会議が主催し、ジェンダー平等について学んだ講演会(昨年12月、東京・新宿区の戸田記念国際会館で)

女性平和文化会議が主催し、ジェンダー平等について学んだ講演会(昨年12月、東京・新宿区の戸田記念国際会館で)

異に配慮をしながら差別や排除のない仕組みを
 ――創価学会女性平和文化会議では昨年、10代から30代の女性を対象に、SDGsに関するアンケートを実施しました。ジェンダー平等への関心を高めるために、学校教育の重要性を指摘する声も多く寄せられました。
 
 学校教育は重要でしょう。アンケートの回答者の約7割が、ジェンダー問題について知っているという事実にも驚きました。
 日本で今後必要なのは、ジェンダー平等について男女で話し合っていくことだと思います。家庭や地域、職場等で、もう少し自由に語り合える仕組みが必要でしょう。
 男女平等といっても、男女の状況を機械的に「同じ」にすればよいということではありません。例えば男女のトイレの面積を「同じ」にしたら、女性の方がはるかに時間がかかるわけです。性差に対してきめの細かい配慮をしながら、性別が差別や排除につながらない仕組みをつくっていくことが男女平等の基本的な方向です。
 アンケート結果にもありましたが、ジェンダーの問題は女性の問題だと思っている人も多い。実際は男性の問題も大きいわけですから、互いの思いを伝える中で変化が起きていけばと願っています。


【特集記事・信仰体験など】

◆池田先生の会長就任60周年 青年部が原田会長に聞く Ⅱ部
 第11回 未来を照らす人間教育の光⑤

〈出席者〉西方男子部長、大串女子部長、樺澤学生部長、林女子学生部長

「人生最後の事業」と定め、発展に全力 
世界に広がる創価の学びや

香港創価幼稚園を初訪問する池田先生。園児たちに「香港幼稚園は 私の生命なり」との言葉を色紙にしたため、贈った(1993年5月15日)

香港創価幼稚園を初訪問する池田先生。園児たちに「香港幼稚園は 私の生命なり」との言葉を色紙にしたため、贈った(1993年5月15日)

 ◆西方 東西の創価学園、創価大学に続いて、1976年(昭和51年)には、札幌創価幼稚園が開園しました。なぜ、北海道だったのでしょうか。
  
 ◇原田 幼稚園設立も明確に戸田先生のお考えにありました。1955年1月、池田先生は、戸田先生と共に高知を訪問しました。その際の質問会で「学会は学校をつくらないのですか」との問いに対し、戸田先生は「今につくります。幼稚園から大学まで。一貫教育の学校をつくる。必ず、日本一の学校にするよ!」と答えられたのです。この時の、幼稚園から始まる創価一貫教育という戸田先生の構想を、池田先生はしっかりと受け止められていたのです。
 どこに幼稚園を開設されるか、先生は思案されていました。北海道は牧口先生、戸田先生の故郷です。そして、札幌は牧口先生が教師として初めて教壇に立った地です。池田先生が北海道の地を選ばれたことに、牧口、戸田両先生への深い敬意を感じずにはいられません。
  
 ◆大串 池田先生は開園の前日にも札幌創価幼稚園を訪問され、教職員と懇談してくださいました。そこで、「創価教育の最初の『教育の門』が完成しました」と語られています。
  
 ◇原田 そうです。入園式当日、先生は自ら園児を出迎えようと、幼稚園の玄関に立ち、一人一人に「よく来たね」「仲良くするんだよ」と優しく声を掛けられていました。また「一緒に記念撮影をしようね」と次から次へと、園児を招き寄せ、ひざの上に抱っこして、記念のカメラに納まっていました。
 入園式にも出席された先生は、式が終わってからも、ロビーで園児たちに童話を語ったり、皆にクレヨンやノートなどをプレゼントしたりと、励ましを送り続けました。
 入園式の日、当初は予定になかったのですが、先生は帰宅のバスの運行を提案し、ご自身も園児らと共に同乗されました。思い出をつくってあげたい、とのお気持ちと同時に、通園の状況、特に安全面も確認されたかったのだと思います。
 車内は、園児が先生を囲むように席に座り、歌をうたったり、なぞなぞをしたりと、和やかな雰囲気に包まれました。乗降場所で園児がバスから降りるたび、先生は、「さようなら。また明日ね」と、手を振って見送りました。子どもたちも「先生、ありがとう! さようなら」と元気いっぱい挨拶をし、心温まる交流を続けられたのです。
 成長を願い、全力で園児と関わる先生の姿に接した教職員や保護者も、深い感動に包まれたことは言うまでもありません。

各国の幼稚園も高い信頼と評価
 ◆大串 現在、創価幼稚園のネットワークは香港、シンガポール、マレーシア、ブラジル、韓国に広がりました。先生も海外指導のたびに足を運ばれ、園児たちと交流されています。
  
 ◇原田 92年9月、海外で初めてとなる創価幼稚園が香港の地に誕生しました。翌年5月には先生が初訪問されています。
 今、世界中が新型コロナウイルスの感染拡大と戦っていますが、2003年には新型肺炎(SARS)の猛威が香港を襲い、教育機関の休園・休校が広がりました。創立者である池田先生は即座に子ども用のマスクを多数用意し、香港創価幼稚園に贈られたのです。
 先生の真心に触れ、香港創価幼稚園では教職員が、自分たちも子どもたちのために、何かできることはないか、真剣に知恵を出し合いました。そして、各家庭で学習を進められるように、授業の内容を録画したビデオCDを作成し郵送しました。内容も素晴らしく、園児からも大好評だったそうです。
 こうした対応が評価され、約2カ月後、授業が再開した際には、香港の教育長官が同園を訪れました。衛生面での対策が万全であることから、香港創価幼稚園は衛生教育の「モデル校」として選ばれたのです。
 海外の創価幼稚園が現地で信頼され、実績を重ねている様子は、創価教育の持つ普遍的な力を社会に広く証明していることにほかならないと思います。 

2001年5月3日――待望のアメリカ創大が開学
師の構想を実現した弟子の闘争
 ◆林 2001年、アメリカ創価大学オレンジ郡キャンパスが開学しました。先生は、アメリカ創価大学の設立構想を、いつごろから練られていたのでしょうか。
  
 ◇原田 先生は創価大学が開学した当初から、アメリカにも大学をつくる構想を周囲に語られていました。その上で、本格的に着想されたのは1975年1月、SGI発足へ向かう戦いの中にあった時だと思います。この頃、先生は繰り返し繰り返し、「アメリカにも創価大学をつくりたいな」との思いを語られていました。先生の壮大な世界平和への構想のひとつに、アメリカ創価大学があったことは間違いありません。
 先生は80年10月、さらに翌81年前半には3度訪米されています。また、同年1月には、用地取得に向けた最初の視察団がアメリカを訪れるなど、具体的な動きが始まりました。
  
 ◆西方 この時期は第3代会長辞任から、反転攻勢の戦いを起こされていた時です。壮絶な闘争の中でも、創価教育のさらなる発展を願い、行動されていたことに感動を禁じえません。
  
 ◇原田 84年3月10日には、先生が出席され、カリフォルニア州サンディエゴ市の郊外で、創価大学サンディエゴ校の起工式が行われました。
 先生はあいさつの中で「人間の人間たる一つの証しは、学問をすること、真理の探究にあるといってよい。平和と文化の発展といっても、学問つまり教育の向上がその基本となる」と訴えられ、人類社会に貢献する人材を輩出したいと語られました。そして「もし私の代に完成しない場合には、私の遺志を継いで何十年かかろうとも、その実現をお願いしたい」と語られたのです。
 私も参加しておりましたが、先生が語られた遠大な創価教育の未来像に会場から深い感動の拍手が送られました。
 その後、市当局の方針が変わり、同地での建設は見送られましたが、関係者らが尽力する中、87年2月3日にロサンゼルス市近郊のカラバサスに、創価大学ロサンゼルス分校が開所。先生は同キャンパスを幾度も訪問され、学生を激励されるとともに、識者との会見を重ねられました。
 ノーマン・カズンズ氏、ライナス・ポーリング博士、ローザ・パークス氏――いずれも、平和と人道のために生涯をささげられた方たちです。
  
 ◆樺澤 95年にはカリフォルニア州オレンジ郡に、待望のアメリカ創価大学の建設が決定しました。
 
 ◇原田 95年3月に開かれた、大学建設の認可を決定する郡の公聴会では、ローザ・パークス氏の代理人から開学を支援する書簡が朗読されました。
 「池田博士は、平和と未来への展望の人であります」「創価大学は、“世界の平和”と“人類の繁栄”という私の信念を共有する大学です。そして、この大学の教育プログラムが、次の世紀にとって極めて重要なものであると、私は考えます」
 公民権運動の闘士として戦ったパークス氏は、アメリカでは誰もが知っている“人権の母”といわれる女性です。そのパークス氏が、アメリカ創価大学の設立に、自ら尽力してくださったのです。
 公聴会では満場一致で開発が許可されました。先生が結んだ識者との信頼の絆が、大学建設への扉を開いていったのです。
  
 ◆林 そして、ついに2001年5月3日、アメリカ創価大学オレンジ郡キャンパスが開学の日を迎えました。
  
 ◇原田 世界中の全同志は、長年にわたって「2001年5月3日」を目指し、師弟の心で全ての活動に取り組んできました。その、あまりにも意義深き佳節に、世界に平和と文化の光を送りゆく「人間教育の最高学府」が誕生したのです。
  
 ◆樺澤 創価三代の会長が築かれた創価教育の真価は、卒業生一人一人がその理念を胸に、今いる場所で活躍することにあると自覚しています。
  
 ◇原田 先生は教育を「人生最後の事業」と定めて、創価教育の発展に尽くし抜いてこられました。そして、第3代会長就任以来、死身弘法の戦いの中、わずか60年で世界各地に教育機関を設立されたのです。その根本は、牧口先生、戸田先生の構想を実現しようとする、池田先生の弟子としての誓願にあったことは言うまでもありません。
 先生は「人間は等しく幸福になる権利をもっている。それを実現するための価値創造の教育、人間主義の教育が創価教育である。ゆえに、一人ひとりが、その実現に生涯を傾けていってこそ、創価教育の結実がある」とつづられています。この思いを胸に、創価同窓の皆さんが世界の平和のため、人々の幸福のために尽くす人生を歩まれることを、期待してやみません。


◆世界の体験プラザ  経済苦、母への怒りを乗り越えた米不動産会社の副社長
 アメリカSGI エリン・ダヤナンさん
 ねたみ、劣等感が募った10代

 私はフィリピン系アメリカ人として、ハワイで生まれ育ちました。祖父母が生活を改善しようと、ハワイ・オアフ島に移住し、サトウキビ栽培の仕事を始めたのです。
 重労働と自己犠牲の暮らしは私の両親に引き継がれましたが、彼らは経済苦に直面しながらも、わが子には良質な教育を受けさせたいと思い、私を私立の学校に通わせました。
 父はスポーツ競技場の管理人を務め、母は長時間労働の用務サービスに従事していました。私は母に会えずに就寝することも、よくありました。夜、父と一緒に、彼女の仕事を手伝ったことも。寝室を片付けたり、ゴミを拾ったり、掃除機やモップをかけたり……。
 経済的苦境はずっと続き、一時期、私たち家族は生活保護を受けていました。自宅からの立ち退きを強制されないよう懇願するため、母は大家に手紙を書き送っていました。私が18歳になるまでに、少なくとも10回の転居を繰り返したのです。
 一家の置かれた状況に恥ずかしさと怒りを覚えていた私は他の子どもたちに嫉妬し、劣等感を抱いていました。
 また、いつも近くにいた父と違い、母には不満が募っていきました。自身を彼女から遠ざけようと、できることは何でもしました。
 2002年、私は高校卒業後、大学に進学するため、米西部オレゴン州のポートランドに一人で住み始めました。両親は大変誇りにしていましたが、過去の人生と決別することばかりを考えていた私は学業に真剣に取り組むことができず、2年後には退学。実家に戻ることになったのです。

正規で働きながら学業に挑戦
 私は学業を途中で諦めたことを後悔しました。運よく就職することができましたが、自身の状況を変えられず、苦しんでいました。人生の未来が見えず、絶望感に覆われていた時、友人が日蓮仏法を紹介してくれたのです。
 何度も会合に誘われては断り続けましたが、ある日、しぶしぶ承諾し、地区座談会に出席しました。
 SGIメンバーとの対話と研さんの内容は、私がそれまで経験したことがないものでした。SGIメンバーは希望や幸福、南無妙法蓮華経の題目を唱えれば、どのように生命が躍動するかについて語ってくれ、陰鬱だった気分は一新しました。その後も、私は会合に参加。この仏法は間違いなく自身を変革することができると確信しました。
 そして05年4月、御本尊を受持したのです。
 私の人生が変わり始めました。両親が教育を重視していたことも、ようやく理解し、私は地元の大学に再び通うことに。正社員として働きながら学ぶことは大変でしたが、大学を卒業することができたのです。
 自身の状況は少しずつ改善されていきましたが、現状に満足するようになると、今度は信仰への情熱が薄れていきました。祈ることをやめ、SGIの活動に参加しなくなってしまったのです。
 10年、私は人生を見直す機会に迫られました。その年の8月、父が心不全で他界。母との関係は断絶してしまいました。
 また、交際中の男性と、その数年前に家を購入しましたが、彼が会社から解雇され、住宅ローンを支払えない状況に追い込まれたのです。
 私たちは互いを責め合うようになり、結局、別々に暮らすことに。その後、家を売却したものの、多額の負債を抱えることになりました。
 経済苦の宿命から逃れ、人生を立て直したい一心で、私は再び仏道修行に励むように。これまでにない真剣な祈りを重ね、池田先生の指導を学びました。
 数カ月がたった頃、銀行の担当者から連絡が入り、“保険の支払いによって負債がなくなった”と伝えられたのです。あの時の驚きと安堵感ははっきり覚えています。

世界広布の原点の地を駆ける
 2011年から大学院に通っていた私は、仕事と学業、SGIの活動に一段と真剣に取り組むようになりました。その頃には、SGIと両親の恩に報いたいと強く願う自分へと変わっていました。
 その当時、私は駐車場の運営会社に勤めていましたが、仕事の手応えを得られず、社会で実証を示したいと祈り続けていました。翌12年、商業不動産の会社から誘われ、転職。未経験の職種で不安でしたが、勤め始めると、やりがいのある、素晴らしい仕事であることが分かりました。
 大学院での研究にも多大な協力を得て、13年11月、私は金融学の修士号を取得することができたのです。
 「職場でなくてはならない存在になろう」と決意し、仕事を通じて自身の使命を実現したいと祈りました。どんな仕事も商業不動産について学ぶ機会と捉え、一つ一つの業務に誠実に取り組みました。
 苦労も多々ありましたが、地道な努力は実り、17年4月、不動産管理担当の副社長に昇格することができたのです。現在は、賃貸事業、財産の管理など、さまざまな業務を担当しています。
 過去を振り返ると、母は自身の姿を通して、困難な時期を粘り強く耐えることを教えてくれました。彼女は私に夢をかなえる機会を提供しようと、自らを犠牲にしました。私は仏道修行を通じ、そのことに感謝できるようになったのです。今では母への怒りはなく、彼女と良好な関係を築いています。
 SGIの組織では、女子部のリーダーとしてメンバーを激励する中、池田先生やハワイの草創期の同志への感謝の念をもつことができました。
 今は地区婦人部長として、広布の最前線で同志を励ましています。
 1960年10月、先生の世界広布の旅はハワイの地から始まりました。その誇りを胸に、太平洋に平和を築こうとされた先生のメッセージを、ハワイの地に広げ、永遠に刻みたいと決意しています。
 これからも報恩感謝の心を忘れず、自身の境涯革命に挑戦し続け、勝利の人生を歩んでいきます。

 

2020年6月28日 (日)

2020年6月28日(日)の聖教

2020年6月28日(日)の聖教

◆わが友に贈る

 いつも笑顔を忘れずに!
 心に不屈の太陽を!
 負けないことそれ自体が
 全ての勝利につながる。
 焦らず弛まず一歩ずつ!


◆名字の言 コロナ禍で実感する「歌の力」 2020年6月28日

 「歌は祈り」。オペラ歌手・佐藤しのぶさんが生前、自らの民音コンサートに掲げたタイトルである▼「私にとって歌うことと祈ることは、同じ」と、佐藤さんは本紙で語っていた。祈りも歌も、目には見えない。だが確かに人の心に届く。「今まで出会ったすべての方々への感謝の気持ちが、歌という形で伝えられたら」との願いを込めて、毎回のステージに全力で臨んでいたという▼“コロナ禍で歌の力を実感した”という人は少なくない。青年部の参加型プロジェクト「うたつく」(歌をつくろう)をはじめ、婦人部・白ゆり合唱団や未来部の代表、海外の友が作成した合唱動画を本紙電子版で視聴した読者も、多くおられるだろう▼信心に消極的だった青年が、同志の歌声を聞いた感想を寄せてくれた。一家を襲う宿命の嵐と戦っているさなかという彼。「“負けないで!”という祈りにも似た皆さんの思いが、僕の背中を押してくれました」。彼は友人にも合唱動画を送り、電話で仏法対話にも挑戦。“勇気の一歩”を踏み出した▼「歌は『訴う』こと」だと、池田先生は言う。「天に向かえば祈りとなり、人に向かえば心を伝えます」と。友の幸福を願う歌声は距離を超え、互いの心と心を結ぶ。そこから希望は生まれる。(之)


◆寸鉄

「青年の強みは燃ゆるが
如き熱情」戸田先生。さあ
若人の声の力で希望拡大
     ◇
悩みを知らぬ者は幸福を
知ることもない―文学者
祈り強く変毒為薬の劇を
     ◇
今後の社会で助け合いが
必要と思う―9割。激励
で心結ぶ我らの使命は大
     ◇
大気が不安定な時期。気
象情報を常に意識。無冠
の皆様も無事故最優先で
     ◇
空調の誤った洗浄方法で
火災事故多発。説明書を
必ず確認。自己流は禁物


◆〈きょうの発心〉三三蔵祈雨事 京都・伏見西区婦人部長 岡田真由美 2020年6月28日

御文 されば仏になるみちは善知識にはすぎず、わが智慧なににかせん、ただあつきつめたきばかりの智慧だにも候ならば善知識たいせちなり(三三蔵祈雨事、1468ページ)


【先生のメッセージ】

◆池田大作先生の写真と言葉 「四季の励まし」 青年の心で価値ある人生を

 みずみずしい緑。右手に、大相撲で知られる両国国技館(東京・墨田区)が見える。2017年(平成29年)6月、池田大作先生が撮影した。
 この付近には、かつて日大講堂があった。32歳の池田先生が第3代会長に就任した地であり、1万数千人の青年たちの前で「日中国交正常化提言」を発表した場でもある。先生は「ここから、広布の使命を自覚した、いかに多くの青年たちが、世界へ羽ばたいていったことか」と。
 一人の青年が立ち上がれば、勇気の炎は燃え広がり、時代が動く。来る6月30日は学生部の結成記念日。そして7月11日は男子部、同19日は女子部の結成記念日である。
 さあ、青年を先頭に、青年の心で励ましの光を広げよう!

 青年とは先駆者である。
 挑戦者である。
 開拓者である。
 すでに、
 でき上がった土台の上に、
 自分が
 花を咲かせるのではない。
 人のため、社会のため、
 あとに続く
 後輩たちのために、
 自分が礎
 いしずえ
 となる――。
 この青年の
 誇り高き闘魂によって、
 道なき道が開かれる。
  
 価値ある人生、なかんずく
 「価値ある青春」を
 開くもの――。
 それは「今まで、
 どうであったか」ではない。
 「これから、
 どう生きるか」。
 この力強い
 前向きの一念である。
 そこに勝利の道がある。
 今の自分を超える労作業に
 絶えず挑戦していく。
 その「向上する心」にこそ、
 青年の魂がある。
  
 青年の力は無限である。
 たとえ
 逆境に突き落とされても、
 ピンチを
 チャンスに変える。
 最後に勝つ
 ドラマをつくる。
 それが青年の強さである。
 偉大な使命に生き抜けば、
 偉大な自分を
 築いていける。
  
 青年の証しとは何か。
 それは年齢ではない。
 年老いても
 「心は青年」の人がいる。
 心が生きているか
 死んでいるか。
 わが胸に
 「戦う心」が燃えているか
 どうかである。
  
 さあ、いよいよ、
 太陽輝く7月へ!
 躍動する「青年の月」へ!
 偉大なる創価の師弟は、
 断固と全てに
 勝ちまくっていくのだ。
 人類の幸福と平和という、
 世界広宣流布の
 大願を高く掲げ、
 さらに壮大なる
 創価の「師弟の物語」を、
 来る日も来る日も、
 綴り築こうではないか!


【聖教ニュース】

◆寄稿「牧口先生の生誕の月に寄せて――世界が希求する“内なる変革”の教育」 創価大学・高橋強教授

 本年は、創価教育の父・牧口常三郎先生の生誕(6月6日)149周年であり、牧口先生の大著『創価教育学体系』の発刊(11月18日)から90周年を迎える。
 今や創価教育は、牧口先生から戸田城聖先生、そして池田大作先生へと受け継がれ、創価の学びやは世界7カ国・地域に設立。中国、アメリカ、スペインの大学等に創価教育を研究する機関も誕生している。
 ここでは、創価大学文学部の高橋強教授の「牧口先生の生誕の月に寄せて――世界が希求する“内なる変革”の教育」と題した寄稿を紹介する。

「子どもの幸福」に尽くす創価の人間教育を未来へ
 新型コロナウイルスの感染が広がる中、創価大学では、いち早くオンラインシステムを活用した授業を取り入れ、4月から新学期がスタートしました。
 大学のみならず小・中学・高校の学校現場など、さまざまな場面で、オンライン授業の導入をはじめとした教育環境の劇的な変化が起きています。今後も、教育の形は必要に応じて変わっていくでしょう。
 ゆえに今こそ、“いかなる変化の中でも「変わらない・変えてはいけない」教育の価値とは何か”を追求すべき時であると実感しています。
 私は長年にわたり、創立者・池田先生の思想を研究する中国の学者らと交流してきました。本稿では、教育に携わる方々の思索の一助となればとの思いで、私なりの「創価教育」の考察や中国の研究者の視点を紹介させていただければと思います。
海外の学識者が池田思想を研究
 「創価教育」とは何か?――創価大学で教壇に立つ中で常に自身に問い続けてきました。しかし、「自身に問い掛ける」だけでなく、「世界へ発信する」使命を自覚した大きな転換点が訪れました。それは、2001年12月に「池田大作研究会」を北京大学に設立した賈蕙萱教授との出会いでした。
 賈教授が交換教員として創大に滞在された当時、私は創大国際部の副部長として賈教授とよく語り合いました。池田先生のことについて、それはそれは多くのことを聞かれました。
 ある時、賈教授から「池田先生が一番よく使う言葉は何だと思いますか?」と尋ねられました。そして、「それは『勝つ』『勝利』ですよ」と言うのです。
 賈教授は日中友好に尽くす池田先生の功績を、よく知られていました。その上で、先生の思想は、幸福の人生を勝ち取るための実践の哲学であることを見いだし、深めていかれたのです。
 賈教授によって北京大学の池田大作研究会が設立されると、中国各地の大学に池田先生の思想を研究する機関や学生団体が次々と誕生。そして、各地の研究者が池田思想の研究成果を発表し合う国際学術シンポジウムが開催されるようになったのです。創大が共催し、中国全土の研究者が集まるシンポジウムは2005年に始まり、現在までに10回を数えています。
 私も創大の一教員として、創立者の人間教育について発表する機会を得ました。これが、創価教育について本格的に整理・思索するきっかけとなりました。

三代に継承され発展した理念
 賈教授をはじめ中国の交換教員から、創価教育や池田先生の教育思想について問われた時には、私は次のように答えています。
 牧口先生と池田先生の教育の目的は同じであり、池田先生の教育思想は、牧口先生の価値論、戸田先生の生命論を受け継ぎ、自身の人間革命論を通して発展させたものである、と。
 つまり、①人間の内なる無限の可能性を開き鍛え(生命論)、②そのエネルギーを価値の創造へと導き(価値論)、③社会を築き、時代を決する根源の力を引き出す(人間革命論)――これこそが創価教育であると捉えています。
 その要諦は、人間を基軸とし、人間の“内なる変革”を促す教育です。
北京大学の「池田大作研究会」と創価大学の共催で行われた、池田思想を巡る第1回の国際学術シンポジウム(2005年10月、北京大学で)
 池田先生は、中国教育学会の顧明遠名誉会長との対談集『平和の架け橋――人間教育を語る』でこう述べられています。
 “創価教育の目的は、美・利・善の価値を実生活のなかで創造しゆく人格を育むことである。創価教育を人間教育と表現するのは、こうした人格を育てていく作業を重視しているからである”と。
 池田先生の教育理念の大きな特徴は、創価教育学の理論を教育現場や日常生活の上で実践できるように展開されたことにあります。
 そして、自身の振る舞いでその理念を体現される「知行合一(知識と行動の一致)」の姿に皆、納得と共感を示すのです。

多彩な分野に展開される哲学
 研究が進むにつれ、改めて実感することは、池田先生の思想が、いかに遠大で深遠であるかということです。それぞれの学者が自身の専攻する学問を通して池田先生の思想を深め、現代社会に新たな価値を展開しているのです。
 ここで中国の研究者による視点の一端を紹介したいと思います。
 牧口先生は「教育の目的は子どもの幸福」と厳然と叫ばれました。「人格を育む教育」とは、どこまでも「目の前の一人の子どもの幸福」に尽くすということにほかなりません。
 中山大学「池田大作とアジア教育研究センター」副所長の王麗栄教授は「人格を育む」との観点から、「道徳教育」の側面に注目しました。
 「子どもを育む上では、単に知識を与えるだけでなく、人格的な成長を促し、健全に発育していくことが大事です。そのために何が美しく、人として価値があることなのかを教える『美育』が有効です」「(言葉や振る舞い、表情などを通して聴衆や対話の相手の善性を引き出す)池田先生の焦点は、常に『人間』です。自身の全人格を通して目の前の一人を励まし、育てる。この先生が実践してこられた人間主義の教育は、まさに美育のお手本なのです」と語っています。

中国の名門・復旦大学で開かれた第10回「池田大作思想国際学術シンポジウム」は、「人類運命共同体のビジョンと実践」をテーマに(2018年10月)

中国の名門・復旦大学で開かれた第10回「池田大作思想国際学術シンポジウム」は、「人類運命共同体のビジョンと実践」をテーマに(2018年10月)

 一方、佛山科学技術学院「池田大作思想研究所」副所長の李鋒講師は、池田先生の「世界市民教育」に大きな共感を示しています。
 牧口先生は著書『人生地理学』で、郷土こそ「自己の立脚地点」であることに着目しました。そして、一人の人間は地域に根差す「郷土民」であると同時に、国家に属する「国民」であり、世界を舞台とする「世界民」であり、この三つの自覚を併せ持つことで、人生の可能性を豊かに開花できると訴えました。ここに世界市民教育の魂があります。
 池田先生はコロンビア大学ティーチャーズカレッジでの講演(1996年6月)で、世界市民の三つの要件として、①生命の相関性を認識する「智慧」②差異を尊重し、成長の糧とする「勇気」③苦しむ人に同苦し、連帯する「慈悲」――を示しています。
 異文化コミュニケーションを研究する李講師は、“池田先生の世界市民教育は、異文化理解の教育に大きな示唆を与え、地域や民族等に対する偏見や差別を取り除き、世界の平和促進に有益である”と考察しています。
 また、陝西師範大学「池田大作・池田香峯子研究センター」副センター長の曹?副教授は、“善性の開発を目標とする人間主義の教育は、民族やイデオロギーの壁を克服し、智慧を引き出し、真の文化を創出することができる”と述べています。

1930年11月18日に第1巻が発刊された『創価教育学体系』。牧口先生の経験と理論を集大成した同書は、英語、スペイン語、中国語などで翻訳・出版されている


1930年11月18日に第1巻が発刊された『創価教育学体系』。牧口先生の経験と理論を集大成した同書は、英語、スペイン語、中国語などで翻訳・出版されている

 さらに、「子どもたちにとって、最大の教育環境は教師自身である」とは池田先生が示された指針です。
 肇慶学院「池田大作研究所」副所長である蒋菊副教授は、この指針から「教師論」を展開します。
 「教師と子どもの生命と生命の触発こそが教育の原点である」とし、教師自身の人生観、教育観、人間観の確立をはじめとした“人間的成長”が大切であると結論付けました。
変化の時代に挑む教育実践を
 今、中国をはじめ海外の研究者が注目しているのが、池田先生の提案によって創価学会の教育本部が推進している、人間教育の「実践記録」です。
 膨大な教育実践の記録が残っているという事実は驚嘆をもって受け止められています。
 教育本部の皆さまの使命は本当に大きいと思います。
 私自身も常に、小説『新・人間革命』第15巻「創価大学」の章に描かれる山本伸一の姿を模範として、自分なりに実践してきました。
 オンライン授業という新しい環境の中でも、池田先生の一人を大切にする理念を実践に移そうと、自宅などで受講する学生たちが孤独を感じていないか、一人で悩んでいないかに気を配りながら、グループディスカッションを多く取り入れたり、なるべく学生の名前を直接呼び掛けたりするなど知恵を絞り、工夫をこらす毎日です。
 三代にわたって受け継がれてきた創価教育は、今度は私たちの実践によって未来へと受け継がれていきます。未曽有のコロナ禍の中での教育実践は、正解の見えない、逡巡と決断の連続かもしれません。しかし「子どもの幸福」を追求してきた創価三代の人間教育も、激動の時代に挑み抜いた激闘によって現在の発展があります。
 その意味で、私たち教育者の日々の実践は、“私の小説『新・人間革命』”の新たな「人間教育」の章をつづりゆく挑戦である、とも言えるのではないでしょうか。
 10年後の創価教育100周年に向けて、共々に歩みを進めていこうではありませんか。


【特集記事・信仰体験など】

◆未来に輝く知性の宝冠――池田先生の名誉学術称号45周年  キューバ ハバナ大学
 何よりも美しきは「人間」

1996年6月、キューバ最古のハバナ大学から、日本人初となる「名誉人文学博士号」が池田先生に授与された。“芸術の粋(すい)”を集めた同大学のアウラ・マグナ(大講堂)での授与に続き、先生は「新世紀へ 大いなる精神の架橋を」と題して記念講演を行った

1996年6月、キューバ最古のハバナ大学から、日本人初となる「名誉人文学博士号」が池田先生に授与された。“芸術の粋(すい)”を集めた同大学のアウラ・マグナ(大講堂)での授与に続き、先生は「新世紀へ 大いなる精神の架橋を」と題して記念講演を行った

 「カリブ海の真珠」とうたわれる中米・キューバ。  ??
 その海の青さにも、街の壮麗さにもまして、何より美しいのは「人間」であった――池田先生はつづっている。  
 先生は1996年6月に同国を訪問し、幾多の困難に遭いながらも、心豊かに生きる人々の、誇りと力強さを感じ取った。  
 同月24日午後に到着し、26日午後には、次なる訪問地であるコスタリカへ。実質2日間に満たないキューバ滞在中、先生には、ハバナ市「最高賓客」称号、国家勲章である「フェリックス・バレラ勲章勲一等」、そして、ハバナ大学の「名誉人文学博士号」が相次ぎ授与された。  
 先生は、キューバと日本の間に友情の橋を架けるべく奔走してきた。民主音楽協会(民音)の招へいで、キューバの音楽・芸術団体による日本公演がスタートしたのは81年。駐日大使らと文化交流を巡る会見を重ね、キューバ訪問の要請も受けていた。  
 96年の訪問は、同国文化省の招へいによるもの。キューバ社会からの顕彰は、文化の力を通して、平和に尽くす先生への高い評価の表れにほかならなかった。  
 中でも、同国最古の歴史を誇るハバナ大学がたたえたのは、先生の長年の執筆活動であった。  
 6月25日、同大学のアウラ・マグナ(大講堂)で行われた「名誉人文学博士号」の授与式で、ヴァルデス総長(当時)は語った。  
 池田氏は、作家、詩人、哲学者であり、その著作活動は「民衆の興隆」と「平和への貢献」を基軸にしたものである――と。  
 「ペンの力」で民衆を鼓舞し、平和を開く。こうした先生の行動は、“キューバ独立の父”ホセ・マルティが、生涯貫いた闘争とも重なるものであった。

「ペンの力」で民衆を鼓舞し 「万人のため」の平和を開く
 1492年、コロンブスが“新大陸”への航海で到達した島の一つがキューバである。スペインの統治は約400年にわたり続き、人々は忍従を強いられた。  
 1868年、第1次独立戦争が勃発。10年間の長い戦いの末、独立革命は未遂に終わる。16歳で運動に身を投じたマルティは、政治犯として投獄された。  
 以降も何度となく追放され、その生涯を、祖国よりも長く海外で過ごした。  
 命の危機と隣り合わせの日々の中で、若き革命児は言論闘争に立ち上がった。16歳にして新聞を創刊。植民地政府の非道を告発する本を出版し、さらにラテンアメリカ各地の新聞に寄稿した。亡命先でも炎のペンを走らせ、「独立の心」を鼓舞していったのである。  
 革命党を創立し、95年に始まる第2次独立戦争ではその先頭に。そして同年5月、戦闘中に被弾し、独立の夜明けを見ることなく、42歳の生涯を閉じた。  
 革命のために武器を取りながらもマルティは、壮絶な精神闘争を繰り広げ、敵も味方も、全ての人の自由を願う、透徹した人間観を確立していったのである。  
 マルティは言った。  
 「祖国を代表し祖国をまえにしてその持っている一切のにくしみを捨てることを宣言する」(神代修訳『キューバ革命思想の基礎』理論社)

ハバナ市内の革命広場にある“キューバ独立の父”ホセ・マルティ像に献花する池田先生(1996年6月)

 憎悪に対する戦争こそ、「唯一の戦争」であると考えたマルティは、あくまでも「平和革命」を志向していた。  
 そして、人間の上に人間を置くことに警鐘を鳴らし、他の人々を利用しようとする野蛮性を、取り除く道を探っていった。 
 これは、先生とマルティ研究で著名なヴィティエール博士が、対談の中で語り合った点でもある。
 揺るがぬ人間への信頼と民衆奉仕の精神は、マルティの死後も、キューバ発展の道しるべとなっていく。  
 1902年にスペインから独立した同国は、その後もアメリカの事実上の支配下に置かれ、親米政権による独裁が始まった。  
 「キューバ革命」で独裁政権を打倒したのは59年。後に国家評議会議長に就くカストロ氏が、その中心的存在だった。  
 96年6月のキューバ訪問の折、池田先生は、ハバナ市内の革命宮殿にカストロ議長(当時)を表敬訪問。約1時間半にわたって会見している。
  議長は、革命の道徳的基盤はマルティにあり、公平と平等を掲げる「モラル革命」、「教育革命」であると位置付けていた。事実、キューバは、教育、医療の無料化や、ほぼ100%の識字率を実現。賃金格差を解消し、食糧や物資の配給制を敷いた。  
 ハバナ大学は、その推進力となった。  
 字が読めない国民のため、集まった“志願教師”の中核が同大学の学生や卒業生だった。都会の青年たちが、農村へ。昼は農作業を手伝い、夜は明かりの下で文字を教えた。  
 「万人とともに、万人のために」。このマルティの精神を携えてきたのが、同大学なのである。

池田先生がカストロ国家評議会議長(当時)を表敬訪問。議長はいつもの軍服ではなく、スーツに着替えて先生を迎えた(1996年6月、ハバナ市内の革命宮殿で)
 同じ社会主義国だったソ連の崩壊。アメリカとの関係の悪化。96年6月当時、キューバを取り巻く国際情勢は厳しかった。  
 それでも、“人間と会い、友情を結ぶ。全ての道は、そこから始まる”と、訪問を決めた先生。
 その後もマルティを通して、キューバの美しくも気高い精神を、世界に発信し続けてきた。  
 「皆さまのキューバ訪問は、平和に貢献する人間主義を主張する上で、重要なことと思っています」
  そう語ったカストロ議長をはじめ、歴代の文化大臣、ハバナ大学の関係者らキューバ各界の多くの識者が、先生への敬愛と信頼を深めていった。  
 名誉人文学博士号の授与式の3カ月後、ハバナ大学と創価大学は学術交流協定を締結した。以来、交換留学生が毎年のように往来している。2017年には、スアレス前総長も創大を訪問した。  
 また、歴代の駐日大使も創大を訪れ、学生や教職員と交流を重ねてきたほか、民音の招へいによる、キューバの音楽団体の日本公演も活発に行われてきた。  
 2007年に法人認可されたキューバ創価学会の同志も、“良き市民”となって社会貢献の道を歩む。
 「生きるということは世の中のために善を行うということである」(青木康征・柳沼孝一郎訳『ホセ・マルティ選集第2巻』日本経済評論社)  
 マルティの言葉を抱き締めて、先生が築いた平和と教育と文化の橋を、多くの若人たちが渡っている。

ガルシア教授の声
 (池田)博士は、人道主義を重んじ、民衆の中で寛容性と理解をもって「人間の尊厳」を守り、調和の未来へと昇華させる努力をされています。  
 よって当大学の義務は、これを認識し、池田大作氏に称号を授与することであります。なぜなら高潔な教えを語る人への感謝は、すべての人間の義務だからです。(中略)  
 池田氏は、精神的価値の興隆には、文化や社会の向上に向けての個人の参加が不可欠である、と考えておられます。理想を目指すたゆまぬ努力の人であり、同時に、当面の現実に対しても、たゆまぬ努力の人であります。この見地から、池田氏の思想の要素を、うかがうことができます。  
 すなわち、各個人が責任を有し、精神的に成長し、ドグマとエゴイズムを克服するところに、人間と人間、人間と自然が共生できる可能性を見いだしうる、とするものです。つまり、受け身的な消極性とか無益な神秘主義でもなく、我々の環境にとって真に必要である課題を呼び起こす思想なのです。(中略)  
 本日の式典は、ただ単に世界的な人物を、たたえているだけではありません。私どもが、「責任を果たす」という決意を表明することによって、氏に真の敬意を表す式典でもあるのです。すなわち、我々の知識を幅広い精神性へと高め、ハバナ大学に、独創的かつ完全なる良識と調和した場所を創出しゆくことをもって、私どもは、この「責任」を果たしたいと思うのであります。(名誉人文学博士号の授与式<1996年6月25日>から)

キューバ最古の大学 教育立国の発展リード
キューバ最古の歴史を誇るハバナ大学
 キューバの首都ハバナに立つ、ラテンアメリカ屈指の名門学府。1728年に設立され、同国最古の歴史を誇る。  
 小学校から大学までの教育費の無料化、100%に迫る識字率など「教育立国」として名高いキューバの発展をリード。カストロ国家評議会元議長ら国家元首をはじめ、各界に有為の人材を輩出している。  
 文学、生物学などの学部と研究所に、1万4000人の学部生や大学院生らが在籍。50以上の国際機関に所属し、海外の大学と400以上の学術協定を結ぶ。


◆信仰体験 イワシのみりん干しに懸けた46年 “おふくろの味”は多くのメディアで紹介

【福岡県・芦屋町】北九州市に隣接し、清流・遠賀川の河口にある芦屋町は、かつて石炭の積み出し港として栄えた港町。
 響灘に臨む海岸は「白砂青松」とうたわれる景観を見せる。この地で特産品のみりん干し「あしやみりん」を手作りしてきたのが、中西節子さん(72)=白ゆり長。
 昔ながらの味に染み込んだ“漁師町の名物お母ちゃん”の人生劇を追った。

脂の乗った新鮮なイワシを丁寧(いぇいねい)に手さばきし、特製のタレに2日間漬け込んで、仕上げは丸1日天日干し。手間暇かけた「みりん干し」は、弱火で両面をじっくり焼くと、脂がジュワジュワッと滴る。

 香ばしいにおいが食欲を誘い、柔らかい食感と、口に広がる甘辛さがやみつきになると評判だ。
 中西さんが水産加工品の製造販売などを手掛けて46年。町民が愛してやまない伝統の味を守り続けている。1日300匹のイワシを、来る日も来る日も、手さばきしてきた。
 「アホの一つ覚えですわ(笑い)。けど極上の魚と秘伝のタレ、そして、乾きの判断がポイントやねん。うちが作る“せっちゃんのみりん干し”は、そう簡単にはできひんよ」
 生まれは大阪。常勝関西の地で女子部時代を過ごした。
 「結婚前は、福岡に縁もゆかりもなくて。海はほとんど見たことない。魚は嫌い。そんな私が、漁師町に嫁ぐなんて夢にも思いませんでしたよ」
 ――1973年(昭和48年)、夫(正明さん)の故郷である芦屋町に、大阪から移り住んだ。
 当時から釣り人でにぎわう地域。夫婦で釣具店を始めた。
 「虫も触れんかった私にとって、魚の餌になるゴカイは気持ち悪うてたまらんでした」
 明るく気立てのいい性格。それでも店の経営だけでは、生活は困窮した。夫の両親と妹、息子と2人のおいっ子まで養い、8人が一つ屋根の下で暮らした。吹きさらしのような一軒家。冬は寒風が肌を突き刺し、雪が舞い込む。
 周りの視線も冷たかった。「あの人、今に耐えきれんで、逃げて帰るやろう……」
 “私はよそ者扱いされとる。けど絶対に負けへん”
 込み上げる悔しさを闘志に変えていった。また、この地で草創から信心を貫く、婦人部の先輩が中西さんを励まし続けた。
 「大変な場所に来たね。けど、学会の旗を掲げて頑張らんとね。崩れん信心があれば、絶対に大丈夫」
 中西さんは前を向いた。“この信心で幸せをつかむんや!”
 芦屋町で迎えた2度目の冬――。毎年、この季節は不漁となり、釣り具の売り上げも激減する。“このままじゃ家族は共倒れに……”
 窮地に立たされ、御本尊に向かった。祈ることで、それまで何の気なしに見ていた、町民の「みりん干し」を作る光景が、違ったものに見えてきた。
 “そうだ! 私もやってみよう。これをやるしかない”
 地元の人に頭を下げ、教えを請うた。冬場の作業に体は冷え込んだ。しかし、心には希望が燃えていた。「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)との一節を抱き締めて、一日一日を生き抜いた。
 作り上げた「みりん干し」を載せて、古びたリヤカーを押した。
 売れてもほんのわずかな数。「今のままではダメだ。もっともっと、広げなあかん」
 程なく車の運転免許を取得し郊外へ。移動の車中では題目を唱えて、勇気を奮い立たせる。“ここに行こう”“あっちはどうだ”と、次から次へと営業先に飛び込んでいった。
 その中でようやく、大量の卸先が見つかった。一人では賄えない数。“町の人にも知らせれば、全体が潤うに違いない”と、近隣に協力を持ち掛けた。だが、反応はいまひとつ。「だったら家族総出で、夜なべしてでもやってやる!」と、負けん気に火がついた。
 繁盛ぶりに誰もが目を見張った。驚いた住民からは「私の分も売ってほしい」と頼み込まれるまでになった。
 1980年代には、空前の釣りブームが到来。釣り具が飛ぶように売れ、家を新築。イカ釣り用の遊漁船も大当たり。家族で喜びに沸いた。
 90年代に入ると一転、一家を宿命が襲う。45歳の夫に異変が現れた。不可解な言動に加え、針への餌付けも、てこずるように。「若年性アルツハイマー病」だった。
 症状は次第に悪化。中西さんは仕事、家事、育児に加え、夫の介護も担いながら家族を支え続けた。
 多忙を極めた生活が続いて17年――「俺の分まで幸せになれよ」との言葉を残し、夫は霊山へ旅立った。
 ぽっかりと穴があいた。途方に暮れる中で、女子部時代の信心の原点を思い返した。
 66年9月の阪神甲子園球場。“雨の文化祭”にリズムダンスで出演した。泥だらけの熱演に応えて、渾身の激励を送る池田先生の姿を目に焼き付けた。
 先生はつづっている。「“常勝”とは、逆境に打ち勝ち続ける者に与えられる栄冠だ」と。
 胸に深く刻まれた“常勝の魂”――。“お父ちゃんの分まで頑張ろう。負けたらあかん”と自らに言い聞かせ、「みりん干し」に丹精を込めていった。
 中西さんが作る「みりん干し」は、NHKなど各種メディアでも取り上げられた。「なんだか“おふくろの味”を思い出す」とは周囲の評。
 広布の旗を掲げ、今や地域でなくてはならない存在に。2年前には「みりん干し」を教わった恩人の親子に、弘教を実らせることもできた。
 干物は潮風にさらされ、太陽の恵みを得ることで、得も言われぬ味を醸(かも)し出す。
 中西さんは語る。「信心に守られて、今の自分がある。人生の味は、甘辛くって深い“みりん干し”そのものや(笑い)。けど、ほんまの勝負は今からやで」
 名物お母ちゃんの朗らかな笑顔は、きょうも輝いている。

 

2020年6月27日 (土)

2020年6月27日(土)の聖教

2020年6月27日(土)の聖教

◆わが友に贈る

 「励まされる側」から
 「励ます側」へ!
 目の前の「一人」を
 徹して大切に!
 そこに広布の直道が。


◆名字の言 子どもたちの生命を守ったもの――映画「未来への伝言」 2020年6月27日

 「未来への伝言」という映画がある。大流行したポリオ(小児まひ)から子どもたちの生命を救うため、ソ連(当時)の生ワクチンを入手しようと運動した日本の母親たちと、大量のワクチンを製造したソ連の医学者たちの奮闘を描く▼日本で大流行したのは、東西冷戦下の1960年。北海道を中心に感染は瞬く間に拡大し、年間報告患者数は5000人を超えた。300人以上が犠牲になっている。当時、有効とされた生ワクチンは国内使用が認められておらず、研究が進んでいたソ連からのワクチン寄贈の申し出もストップがかかった▼翌61年も流行は続き、「ポリオ患者発生数即日集計」が毎日、報道された。生ワクチンを求める声は国民運動となり、国は1300万人分の緊急輸入を決定。ソ連からは1000万人分が届けられた。ワクチン投与後、流行は急速に収束した▼「私も克服を真剣に祈った」。池田先生は第3代会長就任直後でもあった状況を振り返り、こう強く語っている。「『わが子を救いたい!』という母親たちの一念と、『日本の子どもを救いたい!』というソ連の医師の一念が、国家のコンクリートの壁を壊した」▼尊き生命を守るためには国境を超えた「人間としての連帯」が不可欠――これが未来への伝言だろう。(側)


◆寸鉄

「法華経は宝の山なり人
は富人なり」御書。妙法の
力は偉大。確信の題目で
     ◇
天を晴らすような信心で
生活照らせ―牧口先生。
今いる場所で輝く実証を
     ◇
結成50周年の未来会の日
誓い貫く人生こそ崇高。
生涯、共戦の道を進め!
     ◇
「勝利は最も根気のある
者にもたらされる」英雄。
苦闘の先に歓喜は厳然と
     ◇
7~9月は平年より暑さ
厳しく。熱中症に注意を。
水分・塩分補給、小まめに


【教学】

◆〈みんなで学ぶ教学〉8  難を乗り越える信心  試練に打ち勝ち境涯を開こう

 カツヤ ユタカ支部長! 仏法対話に挑戦しようと決意していたのに、なぜこんなことに……。
 
 ユタカ カツヤくん。それはショックだよね。気持ちは分かるよ。でも、そんなことでせっかくの決意を失ってはいけないよ。
 私も“もっと広宣流布のために頑張ろう”と決意した直後、突然病気で入院することになって、同じように思ったことがあったなあ。
 
 カツヤ ユタカ支部長でも「信心しているのに、なぜ」と思ったことがあるんですね。
 
 ユタカ もちろんあるさ。でも、先輩や同志の励ましで、“絶対に負けられない”と毎日真剣な唱題に挑戦するようになったんだ。今は治って前よりも元気だし、病気のおかげで信心の確信が深まったと感じているよ。
 
 カツヤ そんなことがあったんですね。でも、どうして頑張ろうと思った時に邪魔されるんですか?
 
 ユタカ それを仏法では「魔」というんだ。信心を実践し、自身の生命を変革しようとしている人には、それを阻もうと「魔」が競い起こるんだ。
 御書に「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る」(御書1087ページ)とあるように、信心が深まると「三障四魔」というさまざまな障害が必ず現れる。
 試練に直面したということは、カツヤくんが前進しているということなんだ。
 
 カツヤ そうなんですか? 三障四魔は、3と4で7種類あったりするんですか?
 
 ユタカ 鋭いね! 「三障」とは「煩悩障」「業障」「報障」のことで、「障」とは、障り、妨げということなんだ。
 「四魔」には「陰魔」「煩悩魔」「死魔」「天子魔」があるんだ。「魔」とは、仏道修行者の生命から、輝きを奪うはたらきのことだよ。
 
 カツヤ なんか全部、強そうですね……。
 
 ユタカ 例えば、インターネットの動画に夢中になって勤行を忘れたり、上司や家族に信心を反対されて不安になったり、さまざまな形で現れるんだよ。
 
 カツヤ えー。なんか負けそうです。

 ユタカ 大事なことは、魔を魔と見破ることだよ。日蓮大聖人は「難来るを以て安楽と意得可きなり」(同750ページ)と仰せなんだ。
 信心に励んでいる時に起こる難は、例えるなら、自転車に乗っていて、長くて急な坂道に遭遇するようなものだよ。でも、その坂を登り切った時に、見晴らしの良い景色が広がる。心がぱっと明るくなるだろ。苦難の坂を登り切ることで、境涯を大きく開いていけるんだ。
 やがては、どんな坂でも登っていける力が付く。何があっても人生を楽しんでいくことができるんだ。
 
 カツヤ 最近、自転車で通勤しているので、実感があります。「難」が起きたとしても、乗り越えればいいんですね。
 
 ユタカ そうだね! “勤行しようかな”“学会活動をがんばろうかな”という時に、それを妨げることが起きたら、まずは「三障四魔だ!」と見破っていくことだよ。そして「成長している証し」と、負けずに信心に挑戦していこう。
 池田先生は「正しいからこそ、苦難がある。戦うからこそ、悩みも大きい。その試練を乗り越える中で、一段と境涯が開かれる」と指導されているよ。
 
 カツヤ 「対話は諦めよう」と思った今が、成長のチャンスなんですね! さっそく決意の唱題をしようと思います。
 
 ユタカ すばらしいね。じゃあ“同盟唱題”しようか!

質問BOX〉   家族や周囲から信心を反対されます。
質問
家族や周囲から信心を反対されます。

回答
 親しい人から反対されるのはつらいものです。しかし、反対されるということは、“自分のことを真剣に思ってくれている”と考えることもできます。親しい人からの批判や反対のほとんどは、創価学会に対する無認識から生じた、誤解によるものです。
 大事なことは、自分自身が信心によって成長することです。その中で“消極的な自分が積極的に変わった”“思いやりをもって行動できるようになった”という「人間革命」の姿が、必ず周囲の誤解を解いていきます。それこそが本当の意味で、家族や友人を大切にすることになります。
 池田先生は「決して焦ることはない。まず、自分が立派に成長する姿を見せて、安心してもらうことだ」と語っています。
 真心が家族や友人に伝わるよう、焦らず日々の学会活動に挑戦していきましょう。


【聖教ニュース】

◆東京富士美術館でフラワー展 7月3日にオープン  2020年6月27日
 「花」をテーマとした絵画や工芸品

    • ラウル・デュフィ 「アネモネ」 1942年 水彩・グァッシュ、紙 東京富士美術館蔵

ラウル・デュフィ 「アネモネ」 1942年 水彩・グァッシュ、紙 東京富士美術館蔵

 現在臨時休館中の東京富士美術館(八王子市)が7月3日から開館し、「Flower×Flower展」がオープンする。
 同展では、「花」をテーマにした古今東西の絵画や版画、ガラス工芸、陶器、写真などの名品が共演。全て同美術館の所蔵品から厳選されたものである。
 時代や国を超えて人々に愛されてきた花。その魅力をさまざまな芸術家の着想や構図、色彩表現を通して再発見する機会となろう。
 【案内】会期は7月3日(金)から8月23日(日)まで。月曜休館(ただし、8月10日は開館し、翌11日は休館)。開館時間は午前10時から午後5時(入館は同4時半まで)。入場料などの詳細は東京富士美術館のホームページを参照。
 ※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、来館の際は、マスク着用、健康チェックシートの提出をお願いします。入場制限等を行うことがあります。


◆独りにはさせない!――コロナ禍の在日外国人 連載〈危機の時代を生きる〉 2020年6月27日

 世界保健機関(WHO)は、世界の新型コロナウイルス感染者が急増し、近く1000万人に達すると警戒している。
 首都圏在住で英語を話す海外メンバーの集い「東京インタナショナル・グループ(TIG)」。今回、その青年たちを取材した。
 彼らの多くは母国に大切な家族がいる。
 困難に立ち向かう原動力は“師匠・池田先生と共に戦おう”という、弟子としての決意だった。(記事=橋本良太、野田栄一)
 
 エイジ・ナガイさん(32)=東京都北区、男子部員=は、東京大学大学院の特任助教。遺伝子解析の研究に尽力する。
 母国・ブラジルから海を渡ってはや6年。昨年結婚し、妻が来日準備を進めていたさなか、コロナ危機が起こった。
 妻はうつ病の経験もあり、気持ちが深く落ち込んでいた。妻を入会に導いてきたエイジさん。ハグして“大丈夫だよ”と安心させてあげたかった。
 しかし、各国が入国制限を設ける中、じかに会えるのは、いつになるか分からない。
 オンラインのビデオ通話が、夫妻にとってコミュニケーションの生命線となった。
 「見方を変えれば、地球の反対側でも、飛行機が飛ばなくても、顔を見て、心をつなぐことができる。池田先生が言われる“楽観主義”でいこうと思いました」
 

ブラジルにいる妻のアキコさんとオンライン上で会う
 毎日、3時間ほど画面上の妻を見つめ、元気づけようと言葉を掛けた。その中で、あることに気付く。
 「それは、妻の話を聞くことの大切さでした。不安を受け止めることから安心が生まれるし、元気になろうとする妻の力を信じようと」
 エイジさん自身、この信心で、可能性を開花させてきた青年だ。
 「シャイな性格」だった少年時代。SGI(創価学会インタナショナル)の活動に励む両親のもと、14歳からブラジルSGIの“ジュニア創価班”で信心を学んだ。
 「誰もが秘めている無限の可能性と、人のために尽くす人生の意義。そして志を持つ大切さ」を知った。
 
 エイジさんは科学者になると決め、猛勉強を。修士課程をブラジルの大学院で修め、キャンパスで妻と出会った。
 日本へ来て、博士号を取得する間も、遠距離恋愛を続け、絆を育んだ。
 3月から、時差に合わせ、エイジさんは毎朝5時30分から妻と同時に勤行・唱題を始めた。「今こうして離れていることにも、きっと意味があるね」
 やがて、妻の口から前向きな言葉が聞かれるようになった。
 先日、自分と妻の母校である大学院の同窓生らと、7年ぶりにオンライン上で集まった。
 周囲からは「コロナ禍でも、エイジは冷静さを失っていないな」と。
 「題目の力だよ」と答え、日本で最先端の研究に取り組める喜びを語った。
 一方、TIGの仲間へは、きめ細かく電話・SNSで声掛けを。互いの趣味の話に始まり、コロナ禍の影響や、ブラジルにいる妻を心配する胸中も話す。
 悩みをシェアすることで、決意の一歩も共に踏み出せる。
 「忙しいけれど、うれしい。仲間を励ました分だけ、自分も元気になれますから」

励ましの連鎖を私たちから
 「一本の電話で、命が守られることを実感しました」。そう語るのは、インド出身のアナンディタ・アウージャさん=東京都八王子市、女子部員。
 創価大学大学院への留学のため2年前に来日。今年9月の卒業に向け論文を執筆中だ。
 予定していた姉の一時来日は、コロナ禍で中止に。この状況下で“自分も何かできないか”と考えたが、自粛生活のストレスが重なり、過呼吸の症状が出るようになった。
 そんな時、電話をくれたのがTIGの女子部の先輩だ。アナンディタさんの生活の不安に、じっと耳を傾けてくれた。「仲間の存在が、私の心が孤立するのを、防いでくれたんです」
 
 2010年、17歳で母と共にインド創価学会に入会したアナンディタさん。当時は高校での成績不振に悩み、家族や周囲の過度な期待に反発していた。
 この時も学会の先輩が語ってくれた。「池田先生は病に負けず、夜間大学で学び、全世界の人たちを励ましてこられた。それが私たちの師匠なのよ」
 唱題を重ねる中、親への反発心が、教育を受けさせてくれることへの感謝に変わった。
 インドの名門大学を卒業し、ITコンサルタント会社に勤務。その後、経済学を学ぶため、創大大学院へやって来た。
 先月、父が網膜?離を起こした。新型コロナウイルスの感染リスクと隣り合わせの中、20日間ほどの通院と手術が必要に。糖尿病を患う母の血糖値も、良好でない時期が続いた。
 “私を愛し、守ってきてくれた両親を、今度は私の題目で守りたい”。懸命に祈る中、父の手術は成功し、母の健康状態も安定。インドは世界で4番目に感染者数の多い状況だが、家族の絆は一段と強くなった。
 
 アナンディタさんがTIGの女子部の先輩から教えてもらい「本当に助けられた」と感じているものがある。
 それは、学会青年部の公式サイト「SOKA YOUTH WEB」内に掲載されている、「青年部と医学者によるオンライン会議」の英訳情報だ。
 今回、母国や日本でも、さまざまな情報が流れ、TIGのメンバーは何が正しいのか困惑したという。
 エイジ・ナガイさんも語る。
 「信頼できる情報源からの発信が、異国での生活の安全を守ると言っても過言ではありません。オンライン会議で語られる医学情報、日本社会の考察や課題も、異文化理解の上で、不可欠な内容でした」
 TIGでは、リーダーによる電話やSNSを駆使した激励で、メンバーが多くの苦境に直面していることが分かった。ストレスに由来する心身の不調やリストラ等々。
 メンバーの数だけ状況は違うが、“つながる”ことが孤立を防ぎ、命を守ることにもなった。

東京インタナショナル・グループ(TIG)のメンバー(2019年5月撮影)

東京インタナショナル・グループ(TIG)のメンバー(2019年5月撮影)

 そして一人一人が立ち上がろうとした時、「“師弟に生きれば無限の力が出る。自身の壁を打ち破り、必ず勝利できる”という真実が、私たちを勇気づけた」とエイジさん。
 池田先生は、人類が試練に立ち向かう今、つづっている。
 「友の辛労に同苦し、無事安穏を祈る。周囲に心を向け、相手を気遣う。明るく賢く、大らかに、声を掛け合い、共に笑う――それ自体が、社会の中の分断を埋め、心と心を結び、希望の橋、信頼の橋を架けているのだ」
 アナンディタさんは“大学院卒業後はインドで就職活動を”と考えている。
 母国の経済状況も激変する中だが、「あらゆる貧困をなくし、全ての人に質の高い教育を提供できるよう、力を尽くしたい」。エンパワーメント(励まし)の連鎖は、そうして世界へ広がっていく。

 

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 kansou@seikyo-np.jp


【特集記事・信仰体験など】



◆〈「人類の議会」と歩む SGI国連事務所リポート〉⑤ 2020年6月27日
 気候変動に立ち向かう
 ジュネーブ アレクサンドラ・ゴセンス=イシイ氏

 昨年12月、私はスペイン・マドリードで開かれた、国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議に参加しました。
 同会議は、本年から運用が始まった「パリ協定」の実施ルールについて交渉するための会議でしたが、参加国間の対立によって、最終合意は次回に持ち越されました。
 気候変動は、21世紀の人類が直面する最大の課題の一つです。ここ数年間で、前例のない気温の上昇、海水の酸性化、生物種の絶滅、土壌劣化が記録されたほか、異常気象の頻発によって、世界各地で食糧や水が不足し、人々の命や安全が脅かされています。
 これらの問題に向き合うべく、温室効果ガス排出量を削減し、世界の平均気温の上昇を抑えることなどを定めたのがパリ協定です。15年の採択以降、実施のためのルール作りが行われてきましたが、交渉は困難の連続でした。
 その理由の一つに、主に先進国と開発途上国による対立が挙げられます。相手が約束を果たさなければ、自分たちも協力しないといった“信頼の欠如”こそ、私がマドリードで見た現実でした。
 会議では、温室効果ガスの削減目標を引き上げる案についても合意に至らず、グテーレス国連事務総長は“気候変動に立ち向かうための重要な機会を逃した”と落胆の思いを語りました。

マドリードで開かれた「国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議」の関連行事(昨年12月)

マドリードで開かれた「国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議」の関連行事(昨年12月)

 SGI国連事務所ではこれまで、他のFBO(信仰を基盤とする団体)や市民社会組織と協力しながら、倫理や人権の観点からの議論の醸成に尽力してきました。また、気候変動について「知る権利」「行動する権利」「意思決定に影響を与える能力」に焦点を当てた、教育啓発の運動にも参画しています。
 明年、イギリスのグラスゴーで開催される予定の第26回締約国会議に向けては、一人一人の行動を促すべく、気候変動の影響を大きく受ける地域で、社会変革に立ち上がる人々の体験を分かち合うプロジェクトの推進も検討しています。
 気候変動の問題に取り組む人たちの多くが、相手を尊重し、思いやることを大切にする創価の理念に、感謝と共感を寄せてくれています。
 
社会変革の行動は足元から
 気候問題を引き起こす社会・政治・経済のシステムを変革するための行動は、足元から始まります。だからこそ、パリ協定といっても、家庭や学校、地域社会における行動の連帯を生み出すことにその真価があります。
 そうした意識変革の大切さを一人一人と共有していくことが、私たちの使命であると実感します。
 池田先生は本年の「SGIの日」記念提言で、気候変動についての数値目標を追求するだけでなく、実現したいビジョンを分かち合い、その建設に向かって行動を共に起こす中に、課題の困難さに圧倒され、諦めてしまう“悲観主義”を超克する道があると教えてくださいました。
 この指針を胸に刻み、私も何があっても諦めず、行動してまいります。身近な家族や友人、地域の人たちにも対話を広げていく決意です。


◆〈扉をひらく 池田先生の対話録Ⅲ〉第11回 日本を代表する実業家 松下幸之助氏2020年6月27日

 「この目で見届けたい。池田先生の教えを中心に世界が回る21世紀を」

松下氏㊧と池田先生が和やかに会見(1983年11月、旧・聖教新聞本社で)。氏と先生の語らいは30回以上に及ぶ。氏は折々に語っていた。「池田先生にお会いできたことが、自分の人生で最高の出来事であった。最高の喜びであった」

松下氏㊧と池田先生が和やかに会見(1983年11月、旧・聖教新聞本社で)。氏と先生の語らいは30回以上に及ぶ。氏は折々に語っていた。「池田先生にお会いできたことが、自分の人生で最高の出来事であった。最高の喜びであった」

 1967年11月、紅に染まる京都の「真々庵」を、イギリスの歴史学者トインビー博士が訪れた。
 パナソニックの創業者・松下幸之助氏が思索の場としていた別邸である。
 「これからの日本にとって一番大切な人は誰か?」
 博士の問いに、氏の口から「池田大作」との名が挙がった。
 1カ月ほど前、松下氏は学会の東京文化祭に来賓として参加していた。氏には、甲子園球場で従業員の運動会を開いた経験がある。この日、千変万化の人文字やダンスにも驚嘆したが、とりわけ心に染みたのは、池田先生の気遣いだったという。大行事のさなか、担当者を通して何度も「不都合はありませんか」と挨拶があった。
 「この若さで、このまま成長されれば、将来、国の発展、人心の開発に非常に貢献し、日本の柱ともなる人だと思った」と松下氏は追想している。
                          ◇ 
 「池田先生に、どうしてもお会いしたい」――71年2月のある日、松下氏から人を介して連絡があった。
 当時、氏は76歳。病院で療養中にもかかわらず、「いつでもどこでも行かせていただく」との意気込みである。
 春4月、静岡で対談が実現。氏は、志なき日本社会への憂慮を語った。
 「これでは、日本はよくなりまへん」
 “経営の神様”と仰がれる氏には、創業の志こそが万事を決する基である――との強い確信があった。
 1918年、妻と義弟の3人で松下電気器具製作所を創立。技術特許も取り、経営は軌道に乗ったかに見えた。だが恐慌による不況のあおりも受け、製品は山のように売れ残ってしまう。
 猛省の末、氏は悟る。“自分は金儲けだけを考えていた。「創業の志」がなかったことに、失敗の本質はあった”と。その後、立て直しに奔走し、「人生に幸福をもたらし、この世に楽土を建設すること」を企業使命に定める。この32年を「創業の年」とした。
 戦後、人間の繁栄による平和と幸福を目指したPHP研究所を発足。氏の問題意識は、やがて日本の「国家の理念」へと鋭く向かっていく。
 先生との会見に至るまでの間、首相との会談や国際会議などで、正しい人間観の確立をと訴え抜いてきた。
 ――氏の心中を察し、先生は語った。
 「全く同感です。人びとの多くが欲望の奴隷のようになってしまい、自分のことしか考えていないのが現状といえます。社会をよくしていくには、人間自身を変革していくことが根本です。私どもは、それを人間革命と呼んでおります。そのためには、一人ひとりが、生死観、人間観、幸福観、宇宙観など、確かなる生命の哲学を確立するとともに、自身の生命を磨いていかなくてはなりません。実は、仏法というのは、その生命の哲学であり、人間革命の道を説いております」
 松下氏はピンと背筋を伸ばし、いっときも姿勢を崩そうとしない。
 「おっしゃる通りです。根本は人間です。人間をつくらなあきまへん。それが一番大事なことやと思います」
 散策も含め、6時間に及ぶ対談。帰路、「お疲れでしょう」と気遣う同行者に、氏は満面の笑みを返した。「いや、むしろ元気になった。ほんまに楽しかった。先生からは、日本と世界、人類に対する慈愛が感じられるんや」
                           ◇ 
 「松下電器は何をお作りに?」との質問に、「人を創っています。あわせて製品も作っています」と松下氏が答えたのは有名な逸話である。
 国家経営の根本も、同じく「人づくり」にある――氏は有為の人材を育む「松下政経塾」の構想を温めていた。71年初冬、真々庵で池田先生に相談を持ち掛けている。
 「今こそ、国家の経営哲学をもった、いい政治家をつくらなければいけません。それには、いい人を育てることです。そこで、そのための塾を、つくろうと計画しています」
 先生は松下氏の健康を心配したが、その決心は固かった。賛意を示すと、「先生には、ぜひ塾の総裁に」と嘆願される一幕もあった。
 その後も、政経塾の理念をはじめ、二人はたびたび意見を交換。75年には往復書簡をまとめた『人生問答』が発刊され、ベストセラーとなった。
 同書は双方、150ずつの質問からなる。人生論に始まり、生命論から文明論、さらには政治経済、社会観、世界観へ。縦横無尽の問答となった。
 当時、先生は中国、ソ連、北中南米などを駆け巡る激務の日々。イギリスではトインビー博士とも対談した。
 74年の初訪中では、空港に見送りにきた関係者が「松下相談役からです」と、質問をまとめた分厚い封筒を持参している。
 松下氏も真剣勝負で往復書簡に向き合っていた。PHPの研究員が質問を整理し、氏に伝え、回答を受ける。この作業が半年間、続いたという。
 この問答の一部は「週刊朝日」で連載されている。同誌のインタビューに氏は答えた。「池田先生とね、このえらい仕事をするようになってから、体がすっかり丈夫になりましてん」
                             ◇ 
 池田先生と松下氏が語らいを重ねた70年代、創価大学、関西創価学園が開学している。いずれにも氏は足を運び、創価教育の未来に期待を託した。
 先生が大阪から中国へ飛ぶ際は、必ず空港へ見送りに。松下政経塾の設立直後(79年)には、氏自身、初めて中国を訪れ、両国の経済交流を開いた。
 30回を超える両氏の語らいは、4時間、5時間と長時間に及ぶのが常だった。仕事以外でこれほど親交を結んだ人物はいなかったと、関係者は言う。
 ある歓談の折、姿勢を正した松下氏が毅然として言った。
 「これから私は、先生を、『お父さま』とお呼びしたい」 
 突然のことに、池田先生も驚く。氏の方が30歳以上も年輩なのである。
 「年は先生の方がお若いが、仏法のこともいろいろとお教えいただいた。私には『お父さま』のように感じられてなりません」
 「何をおっしゃいますか。とんでもないことです。あってはいけないことです。私の方こそ、『お父さま』と呼ばせてください」
 話はまとまらず、結局、互いに「お父さま」と呼ぶことで落ち着いた。
                                 ◇ 
 88年1月、還暦を迎えた池田先生に、松下氏は祝詞を贈っている。
 「もうひとつ『創価学会』をお作りになられる位の心意気で」と。
 翌年、94歳で亡くなる直前まで、世界に寄与する後進の育成を願い、命の炎を燃やし続けた。
 氏が生涯の指針としたのは、「素直な心」。私心無く、良いものは良いと、ありのままに心を開いて生き抜くことだ――その確信は、尽きせぬ挑戦とともに、限りなく深まっていた。
 生前、氏は何度も強調したという。
 「21世紀になると、池田先生の教えが中心になって、世界が回るようになる。それまで生きて生きて、何としてもこの目で見届けたい。そのためには21世紀まで生きねばならぬ」
 激動の世紀を駆けた氏の慧眼は、世界の未来を、私心無く、真っすぐに見つめている。
 松下幸之助 1894年、和歌山県生まれ。パナソニックの創業者、社会活動家。小学校を4年でやめ、火鉢店などで丁稚奉公した後、関西商工学校夜間部に学んだ。1918年、松下電気器具製作所を創立。卓越した経営手腕で、世界的家電メーカー(現・パナソニック株式会社)へと成長させた。社会の平和と繁栄のための思想研究、人材育成にも尽力。46年には「Peace and Happiness through Prosperity(繁栄によって平和と幸福を)」を理念とする「PHP研究所」を、79年には松下政経塾を創設した。数多くの著作を残し、池田先生とは往復書簡集『人生問答』を発刊。89年、94歳で死去。
 〈引用・参考文献〉 松下幸之助/池田大作著『人生問答』(『池田大作全集』第8巻所収)、池田大作著『新・人間革命』第22巻、同著『心に残る人びと』角川書店(『池田大作全集』第21巻所収)、同著『新たなる世紀を拓く』読売新聞社、松下幸之助著『人間を考える――新しい人間観の提唱』PHP研究所、同著『私の夢・日本の夢――21世紀の日本』同、木野親之著「創立者池田大作先生と松下幸之助創業者」(『創価経営論集』第42巻第1号所収)、水元昇著「創立者と人間・松下幸之助――人を育て、人を創るリーダーの語らい」(『創価教育研究』第4号所収)ほか。
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◆〈婦人部のページ〉
エッセンシャルワーカーとして活躍する友――?健康・生活を支える奮闘に心から感謝

 不要不急の外出自粛が求められた期間も、医療従事者や保育、宅配、介護、食料品店の従業員など、人々の健康・生活を支える方たちの奮闘で、私たちの社会生活は守られ、維持されました。ここでは、エッセンシャルワーカー(社会生活の維持に不可欠な仕事に就く人)として暮らしを支えてきた方々に深い感謝をささげるとともに、代表の友を紹介します。  
     
看護〉 山本 恵美さん(東京)
 多摩地域の病院に看護師として勤務しています。夫も介護職に従事しているため、2人の娘の学校が休校だった期間は、夜の勤務を増やして仕事に。私の仕事を理解し、応援してくれた娘や、日頃から支えてくださる地域の皆さまに感謝でいっぱいです。
 これからも白樺の使命と自覚を深め、前進していきます。

〈金融〉 大髙 紘子さん(東京)
 都内の金融機関で働いています。コロナ禍では、職場の同僚でもある夫と協力しながら子育てと業務の両立に取り組みました。外出自粛期間も受け入れていただいた保育園をはじめ、いろんな方々に支えられて今の生活があることを実感しました。
 これからも創価大学出身という誇りを胸に、職場の第一人者を目指して頑張ります。
     
〈ガソリンスタンド〉 佐藤 惠美子さん(神奈川)
 川崎区内のガソリンスタンドに勤めて30年。主に事務作業を担い、お客さまに寄り添う接客も常に心掛けています。お顔を見れば、車のことまで分かるように。
 今は、感染予防の観点から接触機会を減らすことが求められていますが、寄り添う心と笑顔を忘れず、お客さま第一の心で尽くしていきます。   
   
〈輸送〉 吉岡 美枝子さん(埼玉)
 タクシー会社で配車オペレーターを担当しています。通院や買い物での利用者も多く、コロナ禍でも通常通りの業務を継続し、これまでにない緊張感で臨んできました。   
 今も消毒等の安全対策には余念がありません。日々、無事故を真剣に祈り、お客さまが安心して乗車できるよう、元気に丁寧な対応をしていきます。

〈行政〉 遠藤 邦代さん(和歌山)
 町役場に勤務し、今は新型コロナウイルスの影響を受けている子育て世帯への臨時特別給付金の受け付け等を担当しています。不安や悩みを抱える町民の皆さまに安心していただけるよう努力しています。   「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」(御書1295ページ)との思いで、誠実に町民へのサービスに尽くしていきます。  
    
〈介護〉 高橋 良子さん(北海道)
 有料老人ホームでヘルパーとして働いています。現在、施設では入居者と家族の面会や、入居者同士の交流が制限。それにより、不安やストレスを感じている利用者も少なくありません。“少しでも幸せを感じてほしい”と、笑顔第一を心掛けています。  地域でも幸せを届けられるよう、真心の励ましを送り続けます。
      
〈清掃〉 髙橋 真奈美さん(福島)
 地元の病院で清掃を担当しています。普段の仕事に加え、今は特に、消毒作業を丁寧に行っています。  家族に心配をかけてしまいますが、誰かがやらないといけない仕事。だからこそ“皆を守り抜く”との祈りを強くし、罹患しない、させないことに細心の注意を払いながら仕事に従事していきます。

〈医療〉 上野 真也子さん(愛知)
 私は、話す・聞く・食べるといった機能に不自由がある方の治療に携わる言語聴覚士です。コロナ禍に伴い、臨床業務に今まで以上の緊張感がある分、心が通うコミュニケーションの大切さを実感しています。  苦境の今こそ、“誰も置き去りにしない”との信念のままに、使命の職場で師弟の道を歩み続けていきます。  
     
〈保育〉 水口 恵子さん(新潟)
 保育園で園長を務めて3年目。保育へのやりがいと深い責任を感じています。保護者の皆さんから安心してお子さんを託してもらえるようにと、衛生面の対策など、できることは全てやろうと決め、保育を続けてきました。  地域の同志と励まし合いながら、苦難や悩みに立ち向かっていきます。  
     
〈スーパーマーケット〉 元女 弘美さん(石川)
 スーパーマーケットとホームセンターを併設した大型店で働いています。4月末からは買い物かごの消毒を担当。毎日1000個以上の除菌を行っていました。  6月上旬から鮮魚コーナーに復帰。マスク着用で表情が見えないため、今まで以上に心を込めて対応しています。生活を支える責任を胸に、これからも頑張ります。   
   
〈水道・電気・ガス〉 山城 洋子さん(山口)
 水道の検針員を、24年間続けています。防府市内を、1カ月で約2500軒回ります。コロナ禍の中でも、通常通りの業務に徹してきましたが、市民の生活を支えるという仕事の使命を、改めて認識しました。  これからの時期は、熱中症にも細心の注意を払いながら、信心根本で社会や地域に貢献していきます。


〈教育・福祉〉 伊勢 智子さん(愛媛)
 特別支援学校の教諭です。一人一人が小さな“できた”を実感できるように工夫を重ねています。休校期間は、他の教員と協力して手足を動かす音遊びの映像教材を作成。保護者からも喜びの連絡を頂くなど、改めて誇りとやりがいを感じました。  どこまでも子どもの幸福を祈り、行動する教師であり続けます。

〈配送〉 江上 敦子さん(福岡)
 私は空港内の宅配カウンターで働いています。荷物の受け付け業務や電話応対、空港内の店舗への配送や集荷を行います。  
 コロナ禍の影響で客足は減りましたが、人と人が直接会えない分、荷物に託す思いの深さを改めて感じることも。“心と心を結べるように”と日々祈り、より丁寧な仕事をと心掛ける毎日です。   
  
〈コンビニエンスストア〉 安座間 多恵子さん(沖縄)
 3人の子を育てるため、コンビニエンスストアに勤務して20年。今は外国人留学生の業務育成なども担っています。
 コロナ禍では、衛生面、レジ前の距離確保など、お客さまの安全確保を徹底。現在も情報収集し、対策を続けています。困難の今こそコロナ終息を祈りながら、地域のために尽力していきます。

◆信仰体験 地域に愛される皮膚科専門医

 人体の中で、最も大きな器官ともいえる皮膚。季節を問わず、年齢の別なく、多くの人にトラブルが生じやすい。
 東京都板橋区内の「さめしま皮フ科」で院長を務める鮫島俊朗さん(65)=副区長、東京副ドクター部長(総区ドクター部長兼任)=は、患部をよく診て、患者の話に慎重に耳を傾ける。
 心掛けるのは、治療だけでなく、患者の心の不安を取り除くこと。
 こうした一歩深い診察をするまでに、多くの苦難を信心で乗り越えてきた。

 患者の腕にできたイボ。治療には、マイナス196度にもなる液体窒素に浸した綿棒を使うが、いきなり患部に当てたりはしない。
 まず鮫島さん自身の手に付けてみせる。それだけで患者の心に、治療を受ける準備が整う。   ?
 幼児に多いとびひ、若者のニキビなども、薬のパンフレットや医学書を見せたり、時には自ら絵を描いたり。薬の塗り方、量、期間など、丁寧な説明を心掛ける。
 患部が治るまでの経過も伝え、最後に、「ちゃんと治りますから、大丈夫ですよ」と付け加える。
 皮膚科学会認定の「皮膚科専門医」として鮫島さんは、定期的に勉強会に参加。進展著しい専門分野の最新の知識を得ることに努めている。
 「最も心掛けていることは、“納得と安心の診察”です」

 鹿児島県の出身。父は内科医。母は医師の娘という家柄。だが、家庭不和に悩んだ。
 医学部への進学を機に上京した後も、都会の空気になじめない。
 “一人で生きていこう。誰にも迷惑をかけずに……”。そう思い詰めるほど、人間関係に苦悩した。
 転機は、皮膚科の研修医の時。多忙な職場で、はつらつと働く先輩ドクターがいた。
 聞けば、創価学会員だという。誘われた座談会で驚いた。
 難しそうな古文(御書)をそらんじる壮年。堂々と世界平和を語る婦人の姿。  鮫島さんは、思わず質問した。
 「この信心をやれば、私の人生は良くなりますか」
 「必ず、良くなりますよ」  温かで前向きな言葉が、心の暗闇に光となって差した。
 思えば、鹿児島の実家のすぐ隣に創価学会員が住んでいた。時折、見掛けるその人の目の輝きが印象的だったことを、子ども心に覚えていた。
 1984年(昭和59年)、29歳で入会。唱題に励むと、全身に活力がみなぎってくるのが分かった。半年後には、師匠・池田先生との出会いを刻んだ。
 信心根本に社会で奮闘するドクター部の先輩からは、「しっかり勉強して、医学博士を取るんだよ」との励まし。
 男子部でも組織の最前線を走り、牙城会として会館運営の任務にも就いた。日々の祈りの中に、明確な目標があった。
「40歳で開業する」
 時間をつくっては机に向かい、92年(平成4年)、がんの一つであるメラノーマ(悪性黒色腫)の研究で、医学博士号を取得。
 3年後、祈った通りに40歳で「さめしま皮フ科」を開業することができた。
 閑静な住宅街の一角で、立地も、間取りも理想的な地。
 感謝の思いで、日々の診察に励んだ。アトピー性皮膚炎やイボなど、さまざまな皮膚の症状。内科と異なり、患者自身も症状の改善具合を目で見て判断できる。
 医師としての実力が厳しく問われる仕事。その分、やりがいも大きかった。

 開業から10年。壮年部では支部長、本部長として奮闘した。ドクター部としても家庭訪問に走った。地域では、板橋区医師会の理事も務めるように。
 知らず知らずのうちに無理を重ねていたのだろう。
 ある日の明け方、異常な胸の痛みに目が覚めた。激しい動悸。救急外来に駆け込んだ。
 検査結果は、狭心症。心臓の冠動脈が細くなり、狭窄を起こしていた。血管を広げるステントを入れるカテーテル手術を受けた。
 当時、51歳。10日間の入院中、題目を唱えながら、自身の姿を振り返った。
 普段、患者には、食生活と睡眠の重要さを伝えてきた。
 だが、多忙を理由に“自分は大丈夫”という油断が心のどこかになかったか。深く反省した。同時に、多くの同志からの励ましが胸に迫った。
 さらに2年後。今度は、妻・明子さん(66)=婦人部副本部長=が病に倒れた。
 患者を診察中に、妻から「右半身がしびれて、動けない」との電話。
 大学病院での検査の結果、左脳動脈に血栓が流れた痕が見つかった。さらに精密検査をすると、心臓の腫瘍である心房粘液腫と診断された。主治医から、「すぐに手術をします」と。
 当時、中学3年の長女・裕美さん=女子部部長=と共に「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」(御書1124ページ)を拝し、題目を唱え抜いた。手術は、無事成功。
 自身と妻の大病という経験を通して、鮫島さんは改めて、医師としての使命感を深くした。患者はもちろん、その家族にも思いをはせるようになった。
 介護を受ける人と介護をする家族。乳幼児とその保護者。
 「もちろん全ての人に、平等にゆっくり時間をかけられるわけではありません。が、私は、患者さんの心の奥にある不安を取り除きたい。それには自身の生命を磨くしかない、と思っています」
 肌の状態は、ストレスなど精神的要因が大きい。だからこそ、安心感を与えられるよう医師の側の人間的成長が欠かせないという。

 両親の闘病と地域に尽くす姿を間近に見てきた裕美さんは現在、公認心理師として、困っている人、悩んでいる人のために働く道を歩む。
 かつて、“一人で生きていこう……”と思い悩んだ青年が、信心に巡り合い、医師として多くの人に、抜苦与楽(苦を抜き楽を与える)の医療を実践するまでになった。  
「人間の価値は、“人のために何ができるか”に尽きると思います。これからも、地域に根差した生き方を貫いていきます」

 

2020年6月26日 (金)

2020年6月26日(金)の聖教

2020年6月26日(金)の聖教

◆わが友に贈る

 集中豪雨や地震など
 突然の災害に警戒!
 「備えあれば憂いなし」
 避難経路の確認や
 備蓄品の準備を入念に!


◆名字の言 本当の自由とは?――車いすの青年に出会い感じたこと  2020年6月26日

 車いす生活を送りながら、書家として活動している青年がいる。小学校6年の時、交通事故で重い障がいを負った。何度も絶望のふちに立たされた。しかし家族や同志の支えもあり、見事に“復活の劇”を演じてきた▼「二度と動かないでしょう」と医師から告げられた手。“絶対に動かしてみせる”と祈り、つらい治療に耐えた。そして動いた! 「立つことは無理」と言われた足。だが、介助があれば歩けるまでに回復した▼もともとリハビリのために始めた書道だったが、その才能が開花する。躍動感あふれる書の数々。彼の作品展はメディアでも大きく紹介され、反響を呼んだ。「ぼくが頑張れば、周りも元気になってくれる。だから努力は怠れませんよ」。そう語り、筆を走らせる姿が凜々しかった▼自由とは何か――。自分のことだけ考えて楽をする。それは自由ではなく、わがまま。つらいこと、嫌なことはしない。それは逃避。そうした生き方を続けていると自分の可能性はどんどん狭まり、逆に不自由になる▼困難の壁にぶつかっても希望を捨てない。自分らしく1歩でも1ミリでも挑戦を続け、可能性を開いていく。その生き方にこそ、真の自由と満足がある。そして真の幸福がある。伸び伸びと活躍する青年を見て、そう感じた。(誠)


◆寸鉄

「一日・片時も・たゆむ
事なく」御書。信行学の
実践で一歩前進の日々を
     ◇
良き友に守られた人生は
絶対負けない―戸田先生
創価城は希望の安全地帯
     ◇
国連憲章の調印記念日。
不戦の誓いを共に、強く。
民衆の声こそ“変革の力”
     ◇
マスク着用による皮膚炎
が増加。汗の除去・保湿
などが有効と。賢く対策
     ◇
「国際麻薬乱用撲滅デー」
人間破壊の魔物を社会か
ら根絶。監視の目厳しく


◆きょうの発心 環境に負けず信心根本の挑戦を 岡山旭日総県長 寄尾健二郎 

御文 但し御信心によるべし、つるぎなんども・すすまざる人のためには用る事なし、法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼に・かなぼうたるべし(経王殿御返事、1124ページ・編569ページ)
通解 ただし、あなた方の信心によるのである。剣なども、進まない人のためには何の役にも立たない。法華経(御本尊)の剣は、信心の強い人が用いてこそ、役に立つ。まさに鬼に金棒である。

 潔い、勇気ある信心にこそ御本尊の功力は現れる、と仰せです。
 大学を卒業後、「社会で実証を」との決意で就職。必死に働くも、どこかむなしさを感じるように。何かを変えようと、創価班大学校(当時)に入校するも、思うように仏法対話ができないでいました。仕事の忙しさを言い訳にした時、先輩はこの御文を拝し、“広布のために、との戦う一念で信心に励もう。時間を作り出すんだ”と、厳しくも温かい激励を。
 「環境に負けず、信心根本に挑戦しよう」と奮起。懸命に祈り、仕事と学会活動に全力で挑み続け、大きく宿命転換することができました。今も、「師匠にお応えしよう」と、一日一日を完全燃焼し、広布に走る日々です。
 学会創立90周年の「11・18」を目指し、岡山旭日総県の皆さまと共に、功徳の体験を語り合い、元気に前進していきます。


【先生のメッセージ】

◆<心に御書を>55 未来を開く真の知性と光れ2020年6月26日

<御文>
 智者と申すは国のあやうきを・いさめ人の邪見を申しとどむるこそ智者にては候なれ(頼基陳状、1156ページ)
<通解>
 智者というのは、国の危機を諫め、人の邪見をとどめることこそ、智者ではないでしょうか。
<池田先生が贈る指針>
 讒言で陥れられた門下の冤罪を晴らすために執筆された御書である。
 激動の乱世だからこそ、正義と真実を語り、勇気と希望を贈るのが、真の知性だ。その原動力が、仏法の人間主義の大哲学である。
 虚偽や悪意が渦巻く社会に、創価の普賢たる男女学生部の言論は、凜と輝き光る。未来を開く「善の絆」を強固に!

◆マイ・ヒューマン・レボリューション――小説「新・人間革命」学習のために 「学生部」編2020年6月26日
 
先駆の同志よ 広布に走れ

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを、巻ごとに紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は「学生部」編を掲載する。次回の第14巻は7月3日付2面の予定。挿絵は内田健一郎。

情熱たぎらせ、学びに学べ!

 <第3代会長に就任した山本伸一は、1960年(昭和35年)6月、第3回学生部総会に出席し、学生部に期待を寄せた>
 
 彼(伸一)は、政治も、経済も、科学も、その根底には偉大なる哲学、偉大なる宗教が必要であることを述べ、色心不二の生命哲理である日蓮大聖人の仏法こそ、真実の人間文化を創造する源泉であると訴えた。そして、偉大なる文化を建設する担い手には、偉大なる信仰、偉大なる情熱がなければならないと語り、青年の生き方に言及していった。
 「今、皆さんが成すべきことは、大情熱をたぎらせ、人の何倍も勉強し、信仰の実践に取り組むことです。
 鍛えを忘れた青春の果てには、砂上の楼閣の人生しかない。
 決して、焦ることなく、未来の大成のために、黙々と学びに学び、自らを磨き抜いていっていただきたいのであります」(中略)
 真実の平和と民主主義の社会の建設は、急進的で、破壊的な革命によってなされるものではない。
 それは、人間一人ひとりの生命の大地を耕す人間革命を基調とし、どこまでも現実に根差した、広宣流布という漸進的な“希望の革命”によって実現されるのである。伸一は、最後に、祈るような思いで、こう話を結んだ。
 「私は、皆さん自身が幸福になるとともに、人びとを幸福にしていく社会のリーダーになっていただきたいんです。それが、最大の私の願いです。皆さんに、私の後を継いでいただく以外に、広宣流布の道はないからです。頼みますよ」
 彼は、学生部の未来に限りない期待を寄せていた。
 彼らこそ、新しき哲学の旗を掲げ、人間主義の文化を建設する使命をもった先駆者にほかならないからだ。  (第2巻「先駆」の章、47~48ページ)
 
「友情」の広がりが世界を結ぶ

 <61年(同36年)6月、第4回学生部総会で伸一は、語学を磨き、世界にたくさんの友人を作ってほしいと述べる。そうして、築いた友情が、人間同士の信頼となり、世界平和の構築へとつながると語る>
 
 「平和といっても、人間と人間の心の結びつきを抜きにしては成り立ちません。皆さんが世界の人びとと、深い友情で結ばれ、そのなかで、友人の方が、皆さんの生き方に感心し、共感していくなら、自然と仏法への理解も深まっていくものです。  
 この課題を担うのは、語学をしっかり学んでいる人でなければ難しいので、特に、学生部の皆さんにお願いしたいんです。世界の方は、一つよろしくお願いいたします」(中略)  
 世界を友情で結べ――さりげない言葉ではあるが、そこには、仏法者の生き方の本義がある。  
 仏法は、人間の善性を開発し、人への思いやりと同苦の心を育む。それゆえに仏法者の行くところには、友情の香しき花が咲くのである。  
 そして、布教も、その友情の、自然な発露にほかならない。  
 この総会に集った学生部員の多くは、口角泡を飛ばして宗教を論ずることのみが、仏法者の姿であると思っていた。  
 もちろん、教えの正邪を決するうえでは、それも必要なことではあるが、一面にすぎない。
 伸一は、次代を担う若き俊英たちが、宗教のために人間があるかのように錯覚し、偏狭な考えに陥ることを心配していた。
 柔軟にして、大海のような広い心をもってこそ、まことの仏法者であるからだ。
 彼は、学生部という若木を、おおらかに、すくすくと育てたかった。 (第4巻「青葉」の章、211~213ページ)
 
仏法と他思想の比較研究を

 <62年(同37年)7月、第5回学生部総会が行われた。伸一は講演の中で、世界の思想・哲学と仏法を比較する探究の心こそ大事であると述べる>
 
 「私は、学生部の皆さんには、日蓮大聖人の仏法と、実存主義やマルクス主義といった思想・哲学と、どちらが偉大であるのかを、徹底的に究明していってほしいのです。
 どちらが人間の生命の全体像を正しく把握しているのか、人間の苦悩を根本から解決し得るのか、現実生活のうえではどうなのか、現証の面からはどうなのかなど、大胆に、冷静に、独断に走ることなく、比較研究していってもらいたいのです。
 そして、“人類を救い得る世界最高の哲学は、確かにこれしかない”と確信したならば、その信念にしたがって、仏法の大哲理を胸に、民衆の味方となり、不幸な人びとを救うために、生涯、生き抜いていただきたい」
 伸一には、仏法への絶対の確信があった。学生部員が、本腰を入れて、日蓮仏法と他の思想・哲学との比較研究に取り組むならば、早晩、その高低浅深は明らかになることを、彼は十分に知悉していた。しかし、当時、学生部員のなかには、その確信をもてないメンバーが少なくなかったのである。(中略)
 学生部員の多くは、マルクス主義も、仏法も、徹底して掘り下げることをしなかったために、確信をもって語りきることができないでいた。
 伸一は、学生ならば、強い探究心をもってほしかった。
 探究なくしては、仏法の大哲理の真実の価値も、わからないからだ。さまざまな思想・哲学と比較相対すればするほど、その真価が明らかになるのが仏法である。  (第6巻「若鷲」の章、327~329ページ)
 
苦難への挑戦に人生の醍醐味

 <78年(同53年)6月30日、学生部結成記念幹部会が行われ、学生部歌「広布に走れ」が発表。伸一は学生部に託す思いを訴えた>
 
 「諸君のなかには、さまざまな苦悩を抱えて悶々としている人もいると思う。そして、いつか、苦悩など何もない、今とは全く異なる、きらびやかな人生が開けることを、欲している人もいるかもしれない。
 しかし、人生は、永遠に苦悩との戦いなんです。悩みは常にあります。要は、それに勝つか、負けるかなんです。何があっても負けない自分自身になる以外に、幸福はない。どんなに激しい苦難が襲い続けたとしても、唱題しながら突き進み、乗り越えていく――そこに、真実の人生の充実と醍醐味があり、幸福もあるんです。それが、本当の信仰の力なんです。
 その試練に立ち向かう、堅固な生命の骨格をつくり上げるのが、青年時代の今です。学会の世界にあって、進んで訓練を受け、自らの生命を磨き鍛えていく以外にないんです。二十一世紀の大指導者となる使命を担った諸君は、苦悩する友人一人ひとりと相対し、徹して励まし、仏法対話し、友を触発する指導力、人間力を、仏法への大確信を培っていってください。
 戸田先生は、青年たちに、常々、『次の学会を頼む』と、最大の期待を込めて言われていた。私は、そのお言葉通りに歩んできたつもりであります。
 同様に、今度は、諸君の番です。私は、万感の思いを込めて、『二十一世紀を頼む!』と申し上げておきたい。妙法の世界一の学徒集団として、人間味あふれる創価家族の、期待の後継者として、どこまでも仲良く、民衆のため、庶民の幸福のために生き抜き、新しき世紀を築いていっていただきたい」 (第28巻「広宣譜」の章、29~30ページ)
 
学生部の使命

第5回学生部総会で学生部旗を託す(1962年7月、東京・日比谷公会堂で)
 1973年(昭和48年)、学生部との記念撮影で伸一は、学生部の使命を示す。
 大学という最高学府に学ぶ意義は、庶民の上に君臨するためではない。
 民衆に仕え、民衆を守り、民衆を幸福にしていくためです。


【聖教ニュース】

◆東京・城北池田記念講堂 2022年春の完成目指し着工   2020年6月26日
 原田会長が出席 北区の建設地で起工式

            • 学会の会館は地域を照らす“希望の灯台”――城北池田記念講堂の完成予想図
              学会の会館は地域を照らす“希望の灯台”――城北池田記念講堂の完成予

 東京・北区に建設される「城北池田記念講堂」の起工式が24日、建設予定地で晴れやかに挙行された。
 これには原田会長、谷川主任副会長をはじめ、各部の代表、工事に携わる設計・施工各社の代表らが出席した。
 2022年春の完成を目指す同講堂は、地上3階建て。外壁に壮麗なタイルを使用し、気品と風格を兼ね備えた外観デザインとなっている。
 広さ550畳相当の講堂をはじめ、大小の礼拝室、会議室、事務室、応接室等を設置。北総区(柏原総区長、田口同婦人部長)の中心会館、東京・北部地域の友が利用する一大拠点となる。
 東京は、池田大作先生が若き日から広布の指揮を執り、不滅の金字塔を打ち立ててきた創価の本陣である。
 池田先生はかつて随筆でつづった。「見栄や格好などかなぐり捨てて、広宣流布のために、ひたぶるに戦い抜いてこそ、大東京は、未来永遠にわたる、師弟勝利の本陣となる」「師弟不二の東京、異体同心の東京は、一丸となれば無敵である。歴史が変わる」――と。
 本陣の“北の砦”と輝く新宝城が誕生するとあって、「区の日」の淵源である池田先生との記念撮影から本年で45周年を迎える北総区の友をはじめ、東京の友に大きな喜びが広がっている。
 起工式では、谷川主任副会長が経過報告した後、設計・施工各社の代表があいさつ。
 原田会長は、新型コロナウイルスが流行する中、新講堂の建設は東京をはじめ全国の同志にとって、希望の新時代の開幕を告げる暁鐘となると強調。関係各社の労苦に感謝の言葉を述べ、一切無事故の工事を皆で祈っていきたいと語った。
 その後、鍬入れを執り行った。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈虹を懸ける〉池田先生とポルトガル ② =完
 逆境は英雄をつくる――ポルトガル広布の発展に尽くした友の歩み

異体同心の団結が光るポルトガルSGIの友が、首都リスボン南西部にあるアジュダ宮殿の前で。同国を代表する博物館で、池田先生が創立した東京富士美術館とも縁が深い(昨年10月)

異体同心の団結が光るポルトガルSGIの友が、首都リスボン南西部にあるアジュダ宮殿の前で。同国を代表する博物館で、池田先生が創立した東京富士美術館とも縁が深い(昨年10月)

 ポルトガル広布史に黄金の一ページを刻んだ、2006年6月の本部幹部会。第1回ポルトガル研修会の参加者は皆、喜びで胸がいっぱいだった。
 1965年、池田先生の初訪問当時、学会員が皆無だったポルトガルは、メンバーの6割が「青年」という、勢いあふれる組織に発展していた。  

広布こそ使命
 「ポルトガルは勝ちました!」――本部幹部会でスピーチした池田先生の呼び掛けに、最高の笑顔で応える友また友。ヒロコ・アゼベドさん(総合婦人部長)は、婦人部長として、夫のジョゼ・アゼベドさん(総合壮年部長)と共に、師匠と感激の再会を果たした。

第1回ポルトガル研修会の参加者が出席した本部幹部会でスピーチする池田先生(2006年6月、八王子市の東京牧口記念会館で)

 入会は75年9月。人生の壁にぶつかり、心機一転を期して渡航したフランスで、知り合った語学学校の友人が学会員だった。
 この年の5月、先生がフランスへ。未入会だったヒロコさんは、会合に参加するメンバーから送迎を頼まれ、会場の外で、一人、待機していた。
 すると、そこに先生を乗せた車が。降りた先生は、ヒロコさんの方に近づき、じっと視線を注いだ。  そのあまりにも深いまなざしに、強く心を揺り動かされたヒロコさん。“池田先生とはどんな方なのだろう”と、片っ端から著作をひもといた。
 読めば読むほどに感動と尊敬の念が湧き上がる。“私も先生の弟子になりたい”と御本尊を受持し、使命の職場で働きながら、女子部の一員として信心の基礎を磨いていった。
 81年、同国を再訪した先生と懇談する機会が。6年前の出会いを覚えていた先生は再会を喜び、「みんなから愛される人になるんだよ」と、包み込むように激励。以来、先生が訪れた際は、役員として諸行事の運営を陰で支えてきた。  良縁に恵まれ、ポルトガル人のジョゼさんと結婚。婦人部となり、子育てに活動にと、慌ただしい日々を送っていた。

 そんな彼女を試練が襲う。子どもたちが大きくなるにつれ、生活が困窮。3人目の出産を機に仕事を辞めていたが、働かざるを得なくなったのだ。
 就職活動に臨むが、届くのは不採用通知ばかり。毎日、泣きながら御本尊に向かった。
 何とか見つけた販売業は、自分には苦手な職種に思えた。それでも、懸命に働き続けて5年がたったある日、仕事で親しくなった知人を介し、世界的なブランドメーカーから面接の話が舞い込む。
 婦人部の先輩に相談すると、「今こそ題目よ」と力強く。真剣な祈りを重ねた結果、転職を勝ち取ることができた。
 込み上げる感謝の思い。それはやがて広布に生き抜く誓願に変わる。時を同じくして、ジョゼさんにポルトガルで就職の話が。新しい職場で実証を示し始めていたヒロコさんだったが、98年、一家で同国北部の町・ポルトに移住した。
 それから半年後、期せずして初代のポルトガル婦人部長の任命を受けることに。ポルトにも地区が結成され、ジョゼさんが地区部長に就いた。
 当時のポルトガルSGIは、信心して数年という友が大半を占める“草創期”。ヒロコさんはポルトガル語ができなかったものの、“皆から愛される人に”との指針を胸に、一人一人を温かく励まし、新しい人材の登場をひたぶるに祈り、待った。
 その中で日本から仕事で赴任したエツコ・モトキさん(書記長)が青年部のリーダーに。各部の体制が整い、2000年9月、新出発の集いを開催。それ以降も、ヒロコさんは同志と共に、支部から本部への編成(05年)、法人認可(09年)、ポルトガル文化会館の開館(11年)と、一貫して同国広布の発展に尽くしてきた。
 3人の子は創価大学に学んだ長男・長女をはじめ、全員が後継の道を真っすぐに進む。
 師匠と出会い、入会して今年で45年。
 青年を育み、後輩を支えながら、夫婦二人三脚で、世界広布という壮大なロマンに生涯をささげる決意だ。  

自らが太陽に!
 クレア・ホニグスバウムさんは2015年5月、ヒロコさんの後を受け、ポルトガル婦人部長に就任した。  池田先生の友人で、20世紀最高峰のバイオリニスト、ユーディー・メニューイン氏が創設した財団で講師を務めるなど、社会での活躍が光るリーダーだ。

 ポルトガルに住んで30年。1992年1月の支部結成式に集ったパイオニアの一人でもある。
 イギリス・ロンドンの出身。正しい生き方を模索していた大学時代、日本人の友人から仏法の話を聞いた。
 題目を唱えると、心の奥底から生命力がみなぎるのを感じた。SGIの会合に参加し、創価家族の温かさに感動。世界平和の建設という理念にも深く共感し、入会を決めた。
 信心に出あう前は将来を悲観し、学業にも身が入らなかったが、大学院まで進学。音楽と芸術教育の分野で社会に貢献するという人生の目的が定まった。
 89年5月、池田先生が14年ぶりにイギリスへ。滞在中、ホニグスバウムさんは運営役員を担った。タプロー・コート総合文化センターで共にラジオ体操を行うなど、先生と過ごした思い出は、今も色あせない。

 翌年、さらなる飛躍を目指し、ポルトガルに移住。学会の中で培った、何ものにも負けない楽観主義で、音楽家としての経験を積んでいった。
 師の初訪問30周年となる95年10月には、日本で開かれたSGIの諸行事に出席。世界中から駆け付けた友に、先生は語った。  
「私どもは『無限の希望』の源泉である題目を楽しく唱えきって、堂々と、行き詰まりなき、この人生をともに生きぬいてまいりたい」
 女子部時代、CDの発売や有名音楽家との共演など、立てた目標を全て実現させてきたホニグスバウムさん。
 現在は2人の子を持つ母親に。仕事と家事がどんなに多忙でも、唱題を欠かさず、婦人部の第一線で同志の激励と友人との対話に率先してきた。  
「自らが太陽となって輝こう」をモットーに掲げるポルトガル婦人部。「ポルトガル広布の主役は女性です。婦人部・女子部のスクラムを一段と強くし、『無限の希望』である信心の光で、ポルトガル中を明るく照らしていきます!」

 「ここに地果て、海始まる」――リスボン近郊、ユーラシア大陸最西端のロカ岬には、ポルトガルの大詩人カモンイスの詩を刻んだ記念碑が立っている。 ?
 かつて池田先生は、この一節に触れ、陸から海へ目を転じ、大航海時代の主役となった同国の歴史を通して訴えた。
 「困難な状況に屈するのでなく、あえて未知の世界に飛び込んでいった」「ポルトガルのことわざに『逆境は英雄をつくる』とある通りで、逆境に挑戦してこそ、大きな事業を成し遂げることができる」と。
 先生の初訪問から55年。開拓魂みなぎるポルトガルの友は、いかなる嵐にもひるまず、師と共に“希望の新航路”を勝ち開く。  

(①は18日付に掲載)
 <取材に協力してくださった方々>エツコ・モトキさん、アントニオ・サライバさん

◆信仰体験 ?夢へと続く道 知的障がいと歩む? 「逃げる心」に勝った時 新たな自分に出会えた

 東龍也が、違和感を覚えるようになったのは、小学校に入ってから。
 教員が黒板に書く漢字が「暗号みたいに見える」。クラスメートは教科書をすらすら読めるのに、龍也はつっかえつっかえ。
 小学3年から、特別支援学級で授業を受けることになった。
 教員から検査を勧められ、両親と児童相談所へ。診断は「軽度の知的障がい」。障がい者手帳を受け取った。
 泣きながら、龍也を抱き締めた母。父が「大丈夫だよ」と手を握ってくれた。
 この時、龍也の胸には二つの思いが巡っていた。
 字が読めない原因が分かってホッとした気持ちと、“やっぱり、僕は人と違うんだ”という失望感。健常者との間に“見えない壁”を感じた。
  
 龍也は、笑うことが少なくなった。 ??
 学校で他の児童からバカにされるたび悔し涙を流し、自分の頭を何度もたたいた。
 できない自分を責め、母の前で「死にたい」と口にした。   
 母はどこまでも龍也の可能性を信じた。  
「桜梅桃李(おうばいとうり)。龍也にしかできない使命があるんだよ」
 そう言いながら、池田先生の本を読み聞かせてくれた。
 「使命なんて、僕には分からない!」
 感情をぶつけてしまうこともあったが、母の言葉が支えだった。   
 “もう、仲間はずれにはされたくない……”  偏見の目を恐れ、中学・高校は普通学級を選んだ。障がいがあることは、胸の奥にしまった。
 授業中、級友から「そんな簡単な字も読めないの?」と言われても、「俺、バカだから」と笑ってごまかせば、楽しい学校生活が送れた。
 龍也は、それで満足だった。

 高校卒業から5年後、23歳のある日、男子部の先輩が訪ねて来た。
 「龍也、牙城会大学校(当時)に入らないか?」
 「やらせてください!」と即答した。
 ――実は、大きな悩みがあった。
 “字が読めないから”と、就職活動はせず、父の働く建設会社の世話になった。だが、どんな仕事にも楽しさと厳しさがある。 
 防水工の見習として現場に入るも、「しっかりやれ!」「早くしろ!」との先輩の怒号に、打ちひしがれた。
 転職する勇気はない。焦りを感じるようになっていった。
 “このままじゃ、僕は生きがいを感じず、ずっと苦しいままだ”――
 大学校に入ってすぐ、龍也は自身の障がいのことを話した。
 男子部の先輩は、龍也の言葉を真正面から受け止めてくれた。
 「俺が全力で支えるから、一緒に頑張ろうな」と。
 それからというもの、会合で龍也が活動報告する時や御書を読む時、先輩は「できるか?」と優しく聞いてくれた。
 龍也が後ろ向きになった時は、「ここで逃げたら、前の龍也に戻るだけだぞ!」と涙ながらに叱ってくれた。真剣なまなざしに愛を感じた。
 地区座談会で御書講義を担(にな)うようにもなった。
 何度も練習し、緊張で声を震わせながらも懸命に語る。
 龍也を幼い頃から知る地区の人たちが「たっちゃん、よかったよ! 勉強になりました」と喝采を送ってくれた。
 学会の人たちと触れ合う中で、龍也は気付いた。
 「僕の進む道をふさいでいた“本当の障がい”は、あらゆることから逃げてきた『臆病な心』だったんだ」
  
 以来、龍也にとって学会活動は、自分の心を鍛える「道場」となった。
 ありのままの言葉で、いとこに語ると、弘教が実った。男子部部長、大学校の勝利長として、後輩の育成にも力を注いだ。
 悩みを聞き、誰かを励ますたび、支えてくれた先輩たちの顔が浮かんだ。
 「逃げない姿勢」は職場でも発揮された。
 職人としての腕を磨く中で上司から信頼され、一人で現場を任されるように。依頼主からの指名も増え、研修生の育成担当も務めるようになった。
 “父と会社を立ち上げたい”との夢を抱き、8年間勤めた会社を退職。昨秋、個人事業主として独立を果たした。
 その直後、コロナ危機に直面したが、題目を唱えながら一つ一つの仕事に感謝し、誠意をもって取り組んだ。受注は途切れずに続いている。
 龍也は今、大好きな池田先生の言葉を胸に刻む。
 「妙法を持った人材が使命の舞台で輝くことが広宣流布の実像だ。現実は厳しい。逆境も苦闘もある。だからこそ、信心の生命力と智慧が光る。唱題根本の人は必ず勝利する」
 龍也の挑戦は、まだ始まったばかり。夢への道は、平たんではないだろう。
 だが、龍也の胸は希望にあふれている。
 “学会活動から逃げなければ、どんな困難も成長のバネに変えていける”――そう強く信じているから。
 あずま・たつや 1993年(平成5年)生まれ、同年入会。横浜市泉区在住。
 小学4年の時、軽度の知的障がいと診断される。同級生からの心ない悪口に苦しむも、両親や同志の励ましを胸に高校を卒業。
 建設会社に就職し、8年間、防水工として腕を磨いた。昨年11月、個人事業主として独立を果たす。
 今年から総本部牙城会の一員になり、学会活動にも励む。男子部部長。
  
 ご意見、ご感想をお寄せください
 turning@seikyo-np.jp

2020年6月25日 (木)

2020年6月25日(木)の聖教

2020年6月25日(木)の聖教

◆わが友に贈る

 相手の思いを受け止め
 心を通わせよう!
 違いを認め 尊重する
 創価家族の姿こそ
 世界の共生の模範だ!


◆名字の言 団地の自治会長を務めた82歳壮年の心意気   2020年6月25日

 東京の板橋区と北区の境にある浮間公園の自然は、梅雨の季節も美しい。野鳥が憩う池の周辺ではアジサイなどが彩りを競う。隣接する都営団地で、一昨年まで自治会長を務めた82歳の壮年は、自治会のモットーに「和」を掲げ、尽力してきた▼一家で団地に入居したのは11年前。住民との心をつないだのは、ダウン症の長女だった。長女と一緒にいると、「こんにちは」と皆が声を掛けてくれるのだ。温かく迎え入れてくれた人たちのためにと、壮年は自治会で活動するように▼今年はコロナ禍で自治会行事は一切中止。現在、長女を自宅で介護する壮年は、「娘とゆっくり過ごす良い時間になりました」と。かつては信心に反対したが、長女の誕生を機に入会した▼「娘のおかげで私も妻も信心に目覚め、地域活動に頑張ることもできました。生まれてきてくれたことに感謝でいっぱいです」。自粛の中でも毎月2部以上の聖教の購読推進を。一昨年は同じ団地の若い壮年を入会に導いた▼池田先生は、団地を「小さな合衆国」と表現した。各人が自立しつつ、困難があれば共に分かち合い、支え合う。他者のために行動することで、地域も自分も豊かになる。美しい調和社会の建設に奮闘する団地部の姿は、コロナ禍の今、ますます輝いていく。(進)


◆寸鉄

「大闇をば日輪やぶる」
御書。題目で胸中に希望
の太陽を!逆境の闇破れ
     ◇
団地部の日。皆が友情と
信頼の輪広げる全権大使
励ましの声掛けを今こそ
     ◇
「人材養成の基本は自分
を養成するにある」恩師。
まず自分!これ幹部の心
     ◇
緊急事態宣言の全面解除
から1カ月。第2波警戒。
油断なく予防策の継続を
     ◇
コロナの偽情報を信じて
拡散した人35%。情報源
を必ず確認。賢明に看破


◆きょうの発心 高橋殿御返事 神奈川・泉区総合長 島倉誠2020年6月25日

御文
 其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、仏種は縁に従って起る是の故に一乗を説くなるべし(高橋殿御返事、1467ページ・編1427ページ)

通解 その国の仏法流布は、あなたにお任せする。仏種は縁によって起こる。その故に一乗(法華経)を説くのである。

地域広布に走り新たな歴史開く
 地域広布の使命と責任を教えられた一節です。
 学会活動に励みながら、夜遅くまで洋裁の内職をしていた母の背中を見て育ちました。1974年(昭和49年)、現在の泉区に移り住んだ直後、母が病に倒れ、1カ月後に急逝。見知らぬ地で真っ先に駆け付け、励ましてくれたのが、地元の同志でした。
 創価家族の温かさに触れ、「母の信心を継承しよう」と決意。創価班第1期生として薫陶を受けました。その間、2度も池田先生から激励していただき、「師匠の期待に応えたい」と折伏に挑戦。2人の友人に弘教を実らせ、原点を築くことができました。
 その後も、師弟の道をまい進。9年前には妻を乳がんで亡くしましたが、3人の子どもたちは、かつての私のように、母の信心を継ぎ、青年部のリーダーとして使命の道を歩んでいます。
 私は現在、地元に貢献しようと、数々の地域の役職を受け、汗を流しています。泉区の新たな歴史を開くため、さらなる前進をしてまいります。


【聖教ニュース】

◆未来部ドリームチャレンジ期間 7月1日から8月31日まで 2020年6月25日

 “負けじ魂”を燃やして、夢への一歩を踏み出そう!――7月1日から「未来部ドリームチャレンジ期間」が始まる(8月31日まで)。

 期間中、未来部員が「勉強第一」「健康第一」で、自らの夢に向かって挑戦を続けられるよう、創価家族でエールを送る。

期間中に英語スピーチコンテスト「イングリッシュチャレンジ」
 また、本年は「未来部E―1グランプリ」に代わり、英語スピーチコンテスト「未来部イングリッシュチャレンジ」を行う。
 対象は、少年少女部、中等部、高等部の全世代となる。テーマを「Toward the Dream!――未来へ希望の虹をかけよう!」と掲げて取り組む。
 併せて、6月1日から募集が開始されている「読書感想文コンクール」(中・高等部)、「きぼう作文コンクール」(少年少女部)、「少年少女希望絵画展」(同)についても、8月31日まで作品を募る。
 今後、各種コンクールを応援する紙面を本紙で随時掲載するほか、未来部機関紙「未来ジャーナル」「少年少女きぼう新聞」の7月号・8月号でも特集を予定している。
 これらは、“自分発”“家庭発”の取り組みとし、未来部担当者をはじめとした創価家族が温かく見守り、励ましていきたい。
 未来部イングリッシュチャレンジの少年少女部、中等部、高等部それぞれの「課題文」は、“池田先生の未来部書籍”からの引用である。先生は宝の子どもたちに対し、それぞれ次のように呼び掛けている。
 「これまでがどうあれ、くよくよせず、『よし、今から、がんばろう!』と決意して挑戦すれば、いいんです。すべては『今から』『これから』『きょうから』はじまるのです」(少年少女部の課題文)
 「こんな時だからこそ、若い皆さんには明るい夢を広げて、世界を変えていってほしい」(中等部の課題文)
 「未来を見つめれば、視界が広がる。希望の未来を見つめれば、今やるべきことも見えてくるのです」(高等部の課題文)
 コロナ禍によって大きな生活の変化を余儀なくされる夏となるが、未来部員一人一人が前を向いていけるよう、励ましの風を送っていきたい。

◆第3代会長就任60周年記念「師弟凱歌の記憶」第10回  「『総務』として奮闘」

恩師の肉声を残そうと、池田先生が主導して制作したレコードの一つ。戸田先生と識者の対談が収録されている

恩師の肉声を残そうと、池田先生が主導して制作したレコードの一つ。戸田先生と識者の対談が収録されている

 第2代会長・戸田城聖先生の逝去から3カ月になろうとする1958年(昭和33年)6月30日。池田先生は、新設された役職で、学会の運営を統括する「総務」に就任した。以来、学会の実質的な指揮を執ることになる。  

 先生は当時、戸田先生の精神を正しく継承することに全力を注いでいた。この頃の日記には「生死不二なれば、先生、今ここにあり」「私は戦います。先生、見ていてください」との誓いの言葉が連なる。  
 59年(同34年)の元日には、池田先生の提案で戸田先生の講義の録音テープを聴いた。「歳月
は、精神を風化させる。学会にあっては、それは、広宣流布の破綻(はたん)を意味する。彼は、戸田の叫びが、薄らいでいくことを憂
えたのだ」(小説『新・人間革命』第23巻「敢闘」の章)  
 池田先生は恩師の講義や質問会での指導などを収録したレコードの制作を推進。1枚目は「可延定業書」の御書講義で、同年の7月に完成した。ジャケットを飾る「創価学会々長 戸田城聖先生の教え」との力強い金文字は、池田先生の筆によるものである。

   総務としての先生の激励行は、全国に及んだ。御書講義で、質問会で、一人一人を奮起させていった。恩師亡き後、“学会は空中分解する”と世間がうわさする中で、同志の不安を晴らし、新たな前進への勇気を送った。  
 59年(同34年)1月には、炭労事件の舞台であった北海道・夕張へ赴いている。出迎えた同志に「戸田先生のお約束を果たすために、ここ夕張へ、まいりました!」と語った。
  前年の3月、夕張から静岡に駆け付けた女子部に戸田先生は言った。「学会員をいじめる権力は、許さない! 戸田が、夕張に行ってあげる。夕張は青年が立ちなさい。青年が立て! 青年が立て!」。その脇で恩師に寄り添っていた池田先生が、亡き師に代わって“約束”を果たしたのである。
  池田先生は後に戸田先生への感謝をつづった。「現在の私は、あの約十年にわたる師匠・戸田先生の訓練なくして存在しない」「私は、師匠に育てていただいたこの生命を、師の悲願であった『広宣流布』――民衆の幸福勝利のために捧げるのだ!」  
 不二の弟子の戦いによって、師の構想は現実となる。若き日から広布の一切の責任を担った先生の闘争が、それを証明している。


◆きょう「団地部の日」――奮闘する同志の活躍 2020年6月25日
友情輝く「人間共和の都」を!

 きょう25日は「団地部の日」。42年前の1978年6月25日に開かれた部結成5周年記念の第1回大会が淵源である。ここでは、“愛する団地を人間共和の都に”との誓いを胸に奮闘する同志の活躍を紹介する。

住民に寄り添う町内会長 北海道・苫小牧市 若草町市営住宅 橋本春季さん

 北海道苫小牧市の中心部にある若草町に、6年前に新築された1棟120戸からなる若草町市営住宅がある。橋本春季さん(副本部長)は、完成した当初からここに住んでいる。
 入居の際、市から「行政の補助が出る町内会をつくってはどうか」との提案を受け、入居者の代表9人で役員会を発足。話し合いの末、橋本さんが初代の町内会長に就任した。以来、周囲への声掛けを欠かさずに行い、居住者のために日々奮闘する。
 同団地の約3割に当たる40人が65歳以上の高齢者で、1人暮らしの世帯も少なくない。ある時、橋本さんのもとに「お腹が痛くて動けない」と、1人暮らしの高齢者から連絡が入った。駆け付けると、救急車を呼ぶなど迅速な対応を行い、大事に至らずに済んだ。
 また、団地内で、ぼやが起きた時には「高齢者でもすぐに消火活動ができるようにしたい」と、市に相談。全世帯にスプレー式の消火器を設置することができた。
 さらに市と連携し、地震などの災害対策として全世帯に防災グッズを配布。同町内会の女性部長を務める妻・久美子さん(地区副婦人部長)と共に、一人一人に寄り添うように、住民のための行動に徹している。
橋本さんの尽力で、防災グッズやスプレー式消火器が全世帯に配られた
 現在、コロナ禍のため町内会活動は制限されているが、市や住民との電話などでの連携は欠かさない。
 “地域貢献活動には率先垂範で”との、池田先生の団地部への指針を胸に行動する橋本さんは、意気軒高に語る。
 「この40年、毎日1万遍の唱題を目標に挑戦しています。好きな言葉は“持続は力なり”。これからも、どんな状況にも負けず、皆さんのために尽くし抜いていきます!」

手作りマスクが信頼広げる 愛知・安城市 市営門原住宅 近藤明子さん

 「品薄になると予想し、マスクを手作りしようと思ったんです」
 こう語るのは、愛知県安城市の桜井町にある市営門原住宅に住む近藤明子さん(婦人部副本部長)。
 1月下旬、新型コロナウイルスの感染拡大の影響が話題になり始めた頃、直感的にマスク不足を予想した。持ち前の行動力を生かし、素材となる布などを購入。スマートフォンで手作りマスクの動画を見ながら製作した。試行錯誤の末に完成したマスクは住民に配布。「本当に助かります」と笑顔で感謝された。
 また、町内会の福祉委員を務める近藤さんは、マスク不足が深刻化する中で“多くの人にこのマスクを届けたい”と、地域の福祉センターにこれまで100枚程度を寄付。さらに子ども用のマスクを製作し、児童施設にも贈呈した。これらの取り組みは反響を呼び、市の広報紙にも取り上げられた。
 市営門原住宅が完成した約30年前から住む近藤さんは、長年、地域に根差した貢献を続ける。老人会でも相談役として重責を担う。
 コロナ禍で直接の交流は減ってしまったが、今も電話を通じて、住民からさまざまな相談が寄せられるという。丁寧に話を聞き、“住民のため”“地域のため”にと行動する姿に多くの共感が集まる。
 まさに池田先生が団地部に示した「近隣を大切に、広く、大きな心で、皆と仲良く」との指針通りの模範の振る舞いだ。
 「マスクを寄付した時に『何があろうが、太陽は毎日昇る』という池田先生の言葉を添えて、私のメッセージと共に贈りました。先生の指針を胸に、今後も“人のために”との思いで励ましの行動を続け、地域に信頼の輪を広げます」と、近藤さんは笑顔で語った。

「互近所」の精神で防災を推進 東京・昭島市 つつじが丘ハイツ北住宅団地 宮田次朗さん

 災害時は、「ご近所」の絆が重要だといわれる。東京・昭島市の宮田次朗さん(副区長)は語る。「大切なのは『互いに近くで助け合う』との『互近助』の精神です」
 宮田さんが暮らす「昭島つつじが丘ハイツ北住宅団地」は、約1400世帯が在住する都内屈指の大規模団地だ。宮田さんは現在、同団地管理組合の理事長を務める傍ら、市の自治会連合会の相談役や地域の防災協議会の会長などを兼務している。
 防災システム研究所所長の山村武彦氏が提唱する「互近助」の精神で、長年にわたり地域の防災意識の向上に努めてきた。
 同団地の全世帯に災害時用のステッカーやネームプレートを配ったり、地域の中学校の全生徒と7年連続で合同防災訓練などを実施したりしてきた。また、被災地へ何度も足を運び、地域防災を肌身で学んだ。
団地の全世帯に配布されている災害時用のステッカーとネームプレート
 宮田さんが地域の防災に携わり28年。当初、防災と聞いても理解を示す人は少なかったが、慣れないパソコンで資料を作り、一人一人に防災の重要性を訴えていった。
 地域のために走り続けてきた宮田さんを支えたもの――それは、「地域貢献の大切さを教えてくださった池田先生にお応えしたいとの一心です」
 2000年5月、昭島に足を運んでいた池田先生から激励を受けた。その先生の真心に、苦労も悲哀も全て誓いに変わった。“わが地域を多摩で一番安全にする。その先頭に立とう”
 同団地の防災活動に対し、17年に「防災まちづくり大賞」の総務大臣賞などが贈られた。本年には防災関係の雑誌に宮田さんの活動が取り上げられた。
 宮田さんはこれからも、“ごきんじょ”の防災の先頭を行く。

「団地部の日」に寄せて 識者の声を紹介 福岡・九州産業大学地域共創学部 小池高史准教授

 高齢社会の日本において、私たちが幸せを感じる暮らしを実現するためには、人間関係や心身の健康、介護の在り方など、さまざまな側面からのアプローチが欠かせません。
 私は、大学で教壇に立つ一方、高齢期の人々のQOL(生活の質)の向上や“幸福な老い”とは何かを追究する「社会老年学」を研究しています。
 大学院時代から団地に住む1人暮らしのお年寄りの生活問題をはじめ、高齢者を支援する団体などについて調査を行ってきました。
 日本で団地の建設が本格化したのは、第2次世界大戦後のことです。戦後の復興需要や高度経済成長期を支えるため、1955年に日本住宅公団(現・都市再生機構)が設立され、以来、都市部を中心に団地建設が行われました。
 当時の居住者は、結婚間もない若い夫婦や子育て世代など20代、30代の若者が多く、「団地族」という流行語が誕生したほど注目を集めました。
 しかし、半世紀以上がたった現在、入居者も同じように年齢を重ね、高齢化が進む日本社会においても特に高齢者の割合が高い場所となっています。老老介護や孤独死などの社会課題が団地で目立つ点も、そこに起因します。
 また近年では、外国人の居住者が増え、生活文化の違いから起きる住民間のトラブルなども取りざたされています。
 しかし、国籍や経済的な理由などから、民間の住宅に住むことがかなわなかった人々にとっての公的なセーフティーネットとしての側面があることも事実です。
同じ信念持つ絆が課題に挑む力に
 こうした団地を取り巻く環境を調査する中、私が今、特に危惧していることがあります。それは、高齢化による自治会運営の継続が困難になっているという点です。“幸福な老い”を追求していく上で、団地内でのコミュニティーは欠かすことができません。
 私自身、調査でお話を伺う自治会の方は80代、90代の方がほとんどという現状にあって、そのネットワークを継続する担い手として、比較的若い60代、70代への世代交代が求められていると考えています。
 その点において、創価学会団地部の方が、自治会活動などに率先しておられることは非常に重要なことであると思います。
 昨年、九州団地部の方から、小説『新・人間革命』「灯台」の章を紹介してもらい、読ませていただきました。小説には、私も知識として知っていたエピソードがつづられており、その背景に“地域のために”と献身する団地部員の姿があったことを知りました。
 池田大作名誉会長が贈った「団地部への指針」も教えてもらい、同じ信念を持つ団地部の人々のネットワークの強さを実感しています。私自身、一人の研究者として皆さんが行ってきた地域貢献を学んでいきたいと思っています。
 現在、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、団地が抱える課題はより一層、深刻なものになっています。今は団地に足を運んでの調査を自粛しているため断定はできませんが、集会所などの閉鎖によって、取り残されている高齢者は必ずいるでしょう。
 そうした人々を支えるコミュニティーの構築・継続を含め、世代を超えて同じ信念でつながる創価学会団地部の方々であればこそ、直面するさまざまな課題に立ち向かっていく力があるのではないかと、期待しています。

 【プロフィル】こいけ・たかし 1983年生まれ。社会学研究者。人間総合科学大学保健医療学部非常勤講師、九州産業大学国際文化学部日本文化学科講師などを経て、現在、九州産業大学地域共創学部地域づくり学科准教授を務める。専門は老年社会学、社会老年学など。2015年、日本老年社会科学会奨励賞・論文賞・優秀演題賞を受賞。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈池田先生の会長就任60周年 青年部が原田会長に聞く Ⅱ部〉第10回 未来を照らす人間教育の光④2020年6月25日

〈出席者〉西方男子部長、大串女子部長、樺澤学生部長、林女子学生部長

創立者との師弟の絆強き関西校 宝の学園生と生命の触れ合い
 ◆大串 1973年(昭和48年)には、大阪・交野市に創価女子学園(現在の関西創価中学・高校)が開校します。小説『新・人間革命』第17巻「希望」の章には、この時のことが詳しくつづられています。
  
 ◇原田 池田先生が初めて交野を訪れたのは、57年4月16日です。この日、先生は友の激励のため、大阪中を駆け巡っていました。
 後に「関西の共戦の友は、三世永遠の家族である。そのお子さんやお孫さんが胸を張って学びゆく理想の学園を、この佳き地につくりたいと、私は遠大な夢を、人知れず広げていたのである」と述懐されています。
 この2カ月半後、学会という民衆勢力の台頭を妬む権力により、池田先生が不当逮捕される「大阪事件」が勃発します。先生は迫り来る権力の魔性との激闘の中、教育運動の未来を展望されていたのです。
 先生は、「21世紀は女性の世紀である」との視点から、東京に男子校として創価学園の開校が決まった頃から、次は、創価女子学園を関西の地につくることを心に決めておられました。
 69年5月には女子学園の候補地となっていた交野の用地を視察されています。周囲に自然が残り、野鳥の鳴き声が響く、素晴らしい場所でした。
 先生は、女子学園の構想として、緑と水が豊かで風光明媚な所、という考えをお持ちでした。その構想に、交野はぴったりだったのです。未来の学園生のため、自ら足を運び、自らの目と耳で確かめて、建設の地を決めていかれたのです。
  
 ◆林 73年4月11日に行われた入学式には先生が出席され、原点となる指針を示してくださいました。
  
 ◇原田 あいさつの冒頭、「今朝、妻に『うちは男の子しかいないから、全員、娘にしたいな』って言ったら、妻も『そうしたいですね』って言うんですよ」と語られ、会場からは歓声が上がりました。先生と学園生の心の距離の近さを実感いたしました。
 参加者の中には、このような光景に「心の交流というよりも、生命の触れ合いを見た感じです」と目頭を押さえながら語る人もいました。
 さらに、この時、先生は「他人の不幸のうえに自分の幸福を築くことはしない」という信条を培うよう訴えられました。そして、「この心をもち、実践していったならば、まれにみる麗しい平和な学園が実現するでありましょう」と語られています。この言葉は、学園全体にとって永遠の指針となりました。
  
 ◆大串 開校から30年を経た2003年には、この指針を刻んだ「平和教育原点の碑」が設置されました。
  
 ◇原田 その通りです。第1回入学式の後には「卓球場開き」が行われました。先生は、式服から運動着に着替え、一緒に汗を流されました。生徒たちの「先生がんばって!」「ドンマイ、ドンマイ!」との掛け声にも全力で応えておられました。
 「テニスコート開き」でも先生はラケットを握られ、ダブルスでは、私も先生のパートナーを務めさせていただきました。まさに体当たりで学園生と接する先生の姿、そして先生を求め抜く学園生の姿に深く感動したことを覚えています。終了後も先生はグラウンドの片隅に腰をおろし、生徒たちの状況に耳を傾けながら懇談されました。
 同年5月にトインビー博士との対談などのためにヨーロッパに行かれた際も、女子学園のことを気に掛けていた先生は、訪れたパリでフランス人形を買い求め、帰国後、「園子」と名付けて、女子学園に贈られました。園子の名は女子学園生の愛称にもなりました。

関西創価学園の「金星寮」を訪問後、学園生との懇親会でピアノ演奏をされる池田先生。師弟の曲“大楠公”をはじめ、皆の健康と成長へ祈りを込めて(1995年10月10日)

関西創価学園の「金星寮」を訪問後、学園生との懇親会でピアノ演奏をされる池田先生。師弟の曲“大楠公”をはじめ、皆の健康と成長へ祈りを込めて(1995年10月10日)

海外訪問の予定を変更して来校
 ◆西方 その後も先生は激務の中、関西学園を何度も訪れ、生徒たちを直接、激励してくださいました。その一回、一回が学園生にとって宝の歴史です。
  
 ◇原田 1975年4月のことです。この年、女子学園では中学1年から高校3年までがそろい、関西創価小学校の起工式も行われる予定でした。先生は、第3次訪中の直前でしたが、「何としても関西の学園生を励ましてあげたい」と日程を調整し、出発を当初の予定の羽田から大阪に変更されたのです。
 4月12、13日と学園を訪問し、翌14日には訪中に出発されるという過密な日程でした。半年ぶりの学園訪問です。先生は、「大きくなったね」と一人一人を激励されていました。
 9日に入学式は終わっていましたが、式が行われた体育館にも立ち寄られました。そこには、入学式当日の飾り付けが残されていて、大きな幕には3羽の白鳥と共に「良識・健康・希望」とのモットー等が描かれていました。ご覧になった先生は、すぐにこの幕を制作したメンバーを招き、激励してくださったのです。先生は常に“陰の人の苦労”に光を当て、たたえられます。この時も、どこまでも一人を大切にする人間教育の真髄を見る思いでした。
  
 ◆西方 82年、東西の学園は男女共学になります。
 2000年2月28日、先生は卒業予定の関西創価高校・中学・小学生と記念撮影、懇談もしてくださいました。私も当時、中学3年生でその場にいました。
 ある女子生徒の「池田先生の夢は何ですか?」との質問に、先生は「夢を考える暇がないぐらい忙しいんだよ。世界中のことを考えているから」とユーモアを交えながらも、「私の夢は、戸田先生の夢を実現することです。戸田先生は、私の絶対の師匠です」と断言されました。真剣なまなざしで「師弟」を語られる先生のお姿は今も鮮明に覚えています。
  
 ◇原田 前日、先生はアルゼンチンの国立ノルデステ大学から名誉博士号を受けられました。このことに触れながら、「私への栄誉については、私自身は『創価大学生、学園生が世界で活躍しているおかげである』と思っている」「皆さんが将来、名実ともに立派な博士となり、指導者になってもらいたい。それが最大の私の夢である」とも語られています。
 また、1974年12月、中国で周恩来総理との会見後、宿舎に戻られた先生が「私には創大生、学園生がいる。20世紀後半には、必ず人材が陸続と出てくるんだ」と、誇らしげに語られていたことが、私は忘れられません。
 先生の万感の期待を胸に人生を歩む創価同窓の皆さんは、どれだけ幸せでしょうか。

諸君の成長の姿を見るとき、未来へ私の胸は躍ります――先生の後継者育成の舞台・関西校(1987年4月、池田先生撮影)

私の最大の夢は――「将来、皆が立派な博士、指導者に」
 ◆樺澤 今の学生部にも、修学旅行での先生との出会いを生涯の原点としている関西創価小学校の出身者が多くいます。
  
 ◇原田 05年9月16日には、創価大学の本部棟前で、修学旅行中の関西創価小学校6年生と出会いを刻んでくださいました。先生は児童たちの方へと歩み寄られ、「よく来たね!」「会えて、うれしい」「みんな優秀だ」と温かく声を掛けられ、その場にいた6年生110人全員と握手をされました。小柄な子には、「私もね、6年生の時は、小さかったんだ。同じだよ」と声を掛けられる一幕もありました。まさに一人一人を抱きかかえるように励ましてくださったのです。
 また、07年には、先生は東京・信濃町で関西小の児童を迎えられました。
 全員に言葉を掛けたあと、マイクをとり「みんな、どうもありがとう! この中から、ノーベル賞をとる人も出ます。必ず出ます。そうなるように、先生も祈るからね」と、呼び掛けられました。子どもたちも「池田先生、6年間ありがとうございます!」「立派な人材になります!」と感謝や決意の言葉を精いっぱい、先生に伝えました。子どもたちの心には一生の思い出が刻まれたことと思います。
  
 ◆樺澤 15年度には関西創価高校、16年度には東京・創価高校が、文部科学省が国際的なリーダーの育成を支援する教育事業「スーパーグローバルハイスクール」の指定を受けました(関西校は昨年度で期間満了)。
  
 ◇原田 両校共に“創造性豊かな世界市民の育成”との理念のもと、国際性豊かな人材の輩出に取り組んできました。今、その先見性ある教育方針と、確かな成果は教育関係者はじめ、各界から注目を集めています。
  
 ◆林 昨年11月に関西校を訪問したイギリス・ケント大学名誉教授のヒュー・マイアル博士は「平和の心を世界に広げたいと学び、行動を起こす学園生の姿に、感銘を受けました」と語っていました。
  
 ◇原田 ハーバード大学名誉教授のヌール・ヤーマン博士も「創価の学舎には、対話の気風があふれていました。対話が平和建設に不可欠であることは、歴史を見ても明らかです」と鋭く述べています。相次ぐ高い評価も、すべて、創立以来、池田先生が誰よりも学園の発展を願い、学園生のために尽くし抜いてくださったからなのです。

「平和教育原点の碑」には開校時に示された指針が刻まれている


◆〈2020 学会史メモリアル〉 7月   2020年6月25日

 ◎7・3「戸田先生出獄の日、池田先生入獄の日」
 1945年(昭和20年)7月3日は、軍部政府により不敬罪、治安維持法違反の罪に問われ、投獄されていた戸田城聖先生(当時・理事長)が出獄した日。戸田先生は、獄死した初代会長・牧口常三郎先生の遺志を継ぎ、学会の再建に立ち上がった。本年は出獄から75年。
 57年(同32年)7月3日、大阪府警が、参議院大阪地方区の補欠選挙で支援の責任者であった池田大作先生(当時・青年部の室長)を、選挙違反の容疑で不当逮捕(大阪事件)。同月12日、蔵前の国技館(当時)で大阪事件に抗議する「東京大会」が行われた。
 池田先生は、17日に釈放され、同日、中之島の大阪市中央公会堂で「大阪大会」が開かれた。62年(同37年)1月25日に無罪判決が出された。※参考資料=小説『人間革命』第1巻「黎明」、第11巻「大阪」、『新・人間革命』第4巻「立正安国」、第5巻「獅子」、『池田大作全集』第22巻、『法華経の智慧』普及版〈下〉

大阪・中之島の大阪市中央公会堂

大阪・中之島の大阪市中央公会堂
 
 ◎7・3「東北の日」
 87年(昭和62年)7月3日、池田先生は東北・仙台を訪問。“仏法は勝負であり、信心は絶えざる魔との戦いである”と語り、東北広布のさらなる発展に期待した。
  
 ◎7・11「男子部結成記念日」
 51年(昭和26年)7月11日、東京・西神田の旧学会本部で、戸田先生のもと、百数十人が集い、男子部が結成された。75万世帯達成に向け、男子部は弘教に奮闘。若き池田先生は蒲田、関西などで折伏・弘教の金字塔を打ち立てた。※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」

東京・西神田の旧・創価学会本部

東京・西神田の旧・創価学会本部
   
 ◎7・15 聖教新聞「日刊化」55周年
 聖教新聞は65年(昭和40年)7月15日付から日刊化がスタートし、本年で55周年となる。※参考資料=『新・人間革命』第10巻「言論城」
  
 ◎7・16「沖縄初訪問」60周年
 日蓮大聖人の「立正安国論」提出から700年となる60年(昭和35年)7月16日、池田先生は沖縄を初訪問。本年で60周年。沖縄は当時、米国の施政権下にあった。※参考資料=『新・人間革命』第2巻「先駆」
  
 ◎7・19「女子部結成記念日」
 女子部の結成式は51年(昭和26年)7月19日、西神田の旧学会本部で行われた。戸田先生は、集った74人に、「女子部員は、一人残らず幸福に」と激励した。※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」
  
 ◎7・27「中部の日」
 76年(昭和51年)7月27日、池田先生は名古屋での中部記念幹部会に出席し、“異体同心こそ広布実現の要諦である”とスピーチ。「中部旗」を授与した。


◆〈さわやか寸景〉信仰体験 3家族でオンライン勉強会膵臓がん・サルコイドーシスと闘う父の願い

 【群馬県桐生市】瀧澤孝さん(60)=副総群馬長=が月に1度、子どもたちと小説『新・人間革命』の勉強会を始めて1年になる。?
 参加者は、瀧澤さんと妻・裕美子さん(58)=婦人部本部長、昨年結婚した長女夫婦、本年5月に結婚した次女夫婦の6人。毎月1巻ずつ読んで、感想などを語り合う。
 長女・中嶋美香さん(30)=副白ゆり長=の夫・勇允さん(34)=男子部員=は結婚を機に入会した。仏法用語に初めて触れた。瀧澤さんは感謝の思いで、用語を解説した資料を作成し、少しでも理解が進むよう入念に準備を行う。  
「でも、教えるというより、一緒に池田先生のことを学んでいくという感じです。『新・人間革命』は読み返すたび、新しい発見があり感動する箇所が違います。その時その時の境涯なんですかね」
 4年前、ステージ2bの「膵臓がん」と診断された。リンパにも複数の転移があり、切除手術と抗がん剤治療が行われた。「3年生存率15%」の壁は越えたが、医師から渡された資料には「5年生存率5%」とあった。  
「生かされた命。だから『臨終只今(りんじゅうただいま)』の思いで、時間の許す限り池田先生のことを語っておきたい」。その思いが、勉強会を始めたきっかけだと教えてくれた。

 2018年(平成30年)末、がんに続き、肉芽腫がさまざまな臓器にできる厚生労働省の指定難病「サルコイドーシス」を発症。翌年には「肺MAC症」を患い入院した。
 これでもかと襲い来る病魔。“もうダメかも……”。折れそうな心に、ふと一つの後悔が押し寄せた。  “仕事では、大手自動車部品メーカーで工場長など重責を担ってきた。広布の活動でも青年部のリーダーを務めさせていただいた。けど忙しさを理由に、子育ては全て妻任せ。父親として、子どもたちに信心を伝えていないのでは……”  そう思うと、“このまま死ぬわけにはいかない。池田先生のことを語り抜かなくては”と。不思議に生きる力が湧いてきた。唱題にも力がこもった。
 早速、病室から子どもたちへメールを送った。<退院したら家族で勉強会をやりたい>。教材は小説『新・人間革命』に決めた。
 19年7月から勉強会が始まった。
 病に負けず、池田先生を語る父の姿に、次女の永山光子さん(27)=婦人部員=は何度も胸を熱くしたという。
 「それまでの私は信心に消極的なところがあり、父ともあまり話をしませんでした。でも父は、病気になってから驚くほど変わりました。人の痛みに敏感になり、感謝をよく口にするようになって」
 光子さんは当時、化粧品メーカーに勤務。仕事を終え帰宅すると、クタクタだった。それでも、眠い目をこすりながら『新・人間革命』を開いた。女子部の白蓮グループの一員として、学会活動にも励むようになった。
 父が教えてくれた池田先生の言葉がある。「自分は何のために生きるか。使命とは、その自覚の異名である」
 光子さんは「池田先生が何をしてきたのか、どういう人かを学ぶと、先生を身近に感じられるようになって。姉とも約束したんです。父から教わった池田先生のこと、信心のことを、私たちの子どもの世代にも伝えていこうね、と。それが使命なのかなって」

 瀧澤さんは現在も、三つの病と闘っている。がんの転移・再発こそないが、新型コロナウイルスの感染拡大により、細心の注意が必要だ。
 今年4月、家族で集まることが難しくなり沈む父に、長女・美香さんがオンラインでの開催を提案した。勉強会は先月も行われ、互いに決意を固め合った。
 瀧澤さんは、感謝を祈りに込める。  
「青年部時代から、一対一の膝詰めの対話をしてきたから、オンラインで、信心の熱まで伝わるかは半信半疑。でも案外、分かってくれているようで。コロナ禍の一日であろうと、二度とない一日です。きょう一日を悔いなく、信心と師弟のすごさを伝えていきます」


◆信仰体験 根張るPHOTO 一貫に心込め

【札幌市】この5月、すすきのの飲食店は新型コロナウイルスの影響で売上高が前年同月比、9割落ち込んだ。休業要請や移動自粛が解除されても、まだ客足の戻りは鈍い。
 「鮨処桐」を営む小野寺晃彦さん(45)=地区幹事。店を開けても薄利だが「仕入れ先の魚屋も少しは助かる」と踏ん張っている。持ち帰りを増やし、定休日でも予約が入れば営業した。たった1組のお客でも、米はいつも通り1升炊いた。「量を変えると味が変わる」。妥協(だきょう)はしなかった。
 中学を出て、この道に入った頃から煮え切らないものがあった。
 正しい人生とは何なのか――。
 いろんな宗教をかじり、哲学書を求めた。6年前、創価学会にたどり着く。仕事の姿勢が変わり、若くして店長に起用された。自分の店もすすきのの一等地に構えてみせた。
 疎遠になっていた実家に向かった。がんを患った母が横になっていた。「絶対に守ってみせる」。息子の揺るぎない姿に、母も父も信心を始めた。
 両親は息子の頑張りがうれしそうだった。親が喜ぶ道が正しい人生だよ。池田先生から言われた気がした。
 コロナ禍で経営の厳しさは増しても、店の壁には「心こそ大切なれ」(御書1192ページ)という言葉が掲げてある。すしの形を整える一瞬、小野寺さんは静かに目をつぶる。お客の前に、職人の心をそっと置く。

 

2020年6月24日 (水)

2020年6月24日(水)の聖教

2020年6月24日(水)の聖教

◆わが友に贈る

 就職活動に挑む友を
 皆で励まし応援しよう!
 新たな時代を切り開く
 社会の宝となる存在だ。
 使命の航路へ追い風を!


◆名字の言 生活に根差した戸田先生の『推理式指導算術』 2020年6月24日

 梅雨の風物詩にちなんだクイズを一つ。「カタツムリがいる。昼間に木を3メートル登るが、夜間には2メートル下がってしまう。高さ9メートルの頂上に達するには、何日かかるか」▼“1日に1メートルずつ登る”と決めてかかると、正解にならない。答えは「7日」。7日目の昼に3メートル登れば頂上に着く。戸田先生の『推理式指導算術』に出てくる問いだ。発刊は1930年6月25日で、当時のベストセラーに。カタツムリ算の他にも「旅人算」「年齢算」など内容は多彩である▼哲学者の鶴見俊輔氏も少年時代に同書で学び、難関の中学受験を突破したという。「受験勉強の書であるにもかかわらず、人生経験から勉強に入るように仕組まれていた」と(『鶴見俊輔著作集』筑摩書房)▼どうすれば子どもたちが幸せな人生を送れるか。創価教育を提唱した牧口、戸田両先生の主眼はそこにあった。受験勉強すらも「人生」や「正しさ」について自ら考える機会にと促したのである▼「たゆまざる 歩みおそろし かたつむり」(北村西望)。かつて池田先生はこの句を創価学園生に紹介し、「努力の歩みを決して止めてはならない」と訴えた。環境が大きく変化する中で、一歩を重ねる受験生へのエールにも通じよう。学び続ける人は必ず、青春勝利という頂にたどり着ける。(之)


◆寸鉄

「現世安穏・後生善処」
の妙法。不退の信心を今。
乗り越えられぬ試練なし
     ◇
東京・世田谷女性の日。
婦女の仲良き模範の前進
希望の対話拡大に先駆!
     ◇
体内時計の乱れは心身の
健康悪化に。生活リズム
正しく。朝の祈り根本に
     ◇
小学1年生の交通事故が
多い時期。運転は歩行者
優先で。思いやり持って
     ◇
コロナ関連詐欺が横行。
個人情報は教えず。銀行
カードも渡さず。要警戒


◆社説   あすは「団地部の日」  “幸福責任者”の誇りで進む友

 あす25日は「団地部の日」。1978年(昭和53年)のこの日、第1回「団地部全国大会」が東西で開催され、池田先生が立川文化会館での東日本の大会に出席。「団地それ自体が連帯の象徴であり、そこで信心していることは、家族以上の強い絆で結ばれた社会であると確信していただきたい」と語った。
 三世の生命を説く仏法の眼で捉えれば、同じ団地に住んだことは、決して偶然ではない。家族以上の深い縁をもった間柄なのだ――その思いで、わが団地の発展に尽くし、信頼と友好の絆を広げてきたのが、団地部の友である。
 感染症拡大という未曽有の試練の中でも、友は、粘り強く人々の心を結んできた。
 大阪市住之江区の南港ポートタウン。有名なユニバーサル・スタジオ・ジャパンや海遊館など多くの観光スポットに囲まれ、観光業に従事する方も多い。
 コロナ禍で仕事が激減するなど厳しい状況の中、南港花支部の婦人部では週1回、30分間の“同盟唱題”を実践し、団地全員の安穏と幸福を祈る。唱題後は、ビデオ通話で近況を語り合ってきた
 支部婦人部長と4人の地区婦人部長から始まった“励ましの集い”は現在、音声通話に切り替わり、25人が参加するまでに。
 オンラインの集いには、家族への配慮が必要だ。通信料等の負担が増えないよう、集いを20分にするなどルールも決めた。
 ヤング白ゆり世代のグループ長は、未入会の夫に丁寧に話をし、理解を得て参加。
 また、特筆すべきは、70歳以上の錦宝会(多宝会)のメンバーが、常時6人参加していること。「コロナに負けたらあかん」と家族の手を借りたり、同志にスマホの操作を教わったりと、試行錯誤して挑戦した結果だ。
 その一人、78歳の白ゆり長は「地域の皆さんのお役に立ちたい」と奮起。ホテルの調理場の仕事が休業になった時間、洋裁の腕を生かしてマスクを作り、近所に配って喜ばれた。
 他の地域でも、本紙の切り抜きと共に励ましの手紙を送る友、感染防止や給付金等の情報をまとめ、地域に届ける友、老人会の友人と約300枚のマスクを手作りして配布した友、事前に連絡してベランダ越しに笑顔を交わし合う友など、真心と知恵にあふれている。
 産業社会学等を専門とする流通科学大学専任講師の新雅史氏は、「第三文明」5月号で、創価学会の団地部が「住民と住民、住民と公共(自治体など)をつなぐ『懸け橋』となっている」と語る。
 “人と人とのつながり”を最も大切にする団地部の実践は、コロナ後の社会を考える上でも、先駆の光を放つ。
 「皆が地域の幸福責任者たれ!」との誇りで進む友の奮闘に心から敬意を表したい。


◆きょうの発心 祈祷抄 京都・宇治大城県長 永澤伸一2020年6月24日
御文 大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず(祈?抄、1351ページ・編519ページ)
通解 大地をさして外れることがあっても、大空をつなぐ者があっても、潮の満ち干がなくなっても、日が西から出ることがあっても、法華経の行者の祈りのかなわないことは絶対にない。

何があっても“生涯求道”貫く
 法華経の行者の祈りは必ずかなうと仰せです。
 1971年(昭和46年)2月6日、中学2年の時に京都未来会の結成式に参加。池田先生の指導に、「何があっても“生涯求道”の精神で実証を」と誓いました。
 その時、私の決意を聞いた中等部の担当者の方が、この一節を拝して励ましてくれました。
 以来、広布の道を唱題根本にまい進する中、生後半年の長男に大病が見つかったり、両親が病を患ったりするなど多くの苦難に直面。それでも、“生涯求道”との原点を胸に、家族一丸となって祈り抜き、勝ち越えてきました。昨年には、長年の経済苦も好転しました。
 「威風堂々の歌」が京都の地で誕生してから65周年となる本年。一人ももれなく勝利できるよう、同志の皆さまと、異体同心の団結で大前進をしていきます。


【先生のメッセージ】

◆〈心に御書を〉54 創価の若師子が対話に勇進2020年6月24日

〈御文〉
 経に云く「若し法を聞くこと有らん者は一として成仏せざること無し」云云、文の心は此の経をつ人は百人は百人ながら・千人は千人ながら・一人もかけ
ず仏に成ると申す文なり(上野尼御前御返事、1580ページ)
〈通解〉
 法華経方便品に「もし法を聞いた者は、一人として成仏しない者はいない」と説かれている。経文の心は、この経を持つ人は、百人は百人すべて、千人は千人すべて、一人も欠けずに仏に成るという文である。

〈池田先生が贈る指針〉
 妙法の世界は大きい。どんな差異も超えて、平等に「一人も欠けず仏になる」法理である。
 創価の若師子たる男子部が、同世代を包み、地涌の対話を広げている。誠実と確信の声は、不安や悲嘆を払い、友を蘇生させずにはおかない。
 分断の世相にも勇気の師子吼を響かせ、希望と信頼の連帯を築いてくれ給
え!

◆連載〈世界広布の大道〉小説「新・人間革命」に学ぶ 第20巻 解説編 池田主任副会長の紙上講座

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第20巻の「解説編」。池田博正主任副会長の紙上講座とともに、同巻につづられた珠玉の名言を紹介する。

ポイント
①中ソ和平への覚悟
②「懸け橋」の対話
③信念が花を開かせる

 池田先生の初の訪中・訪ソ、そして、第2次訪中は、1974年(昭和49年)のわずか半年の間に行われました。その激闘が第20巻で描かれます。

 同巻のテーマの一つが、宗教否定のマルクス・レーニン主義を基調とする中国、ソ連と、日蓮仏法を基調とする創価学会の対話が、なぜ実現できたかということです。
 当時の世界情勢は、複雑な様相を呈していました。第2次世界大戦後の米ソの冷戦構造が続く中で、社会主義国同士である中ソも、路線の違いから対立していたのです。
 その中で、68年(同43年)、山本伸一はいち早く、「日中国交正常化提言」を発表します。日中の友好が「アジアのなかにある東西の対立を緩和することになる」(11ページ)、「それは、やがては東西対立そのものを解消するにいたる」(12ページ)との強い思いからでした。
 彼は、提言を発表したことで非難を浴び、宗教者がなぜ“赤いネクタイ”をするのか、との批判もありました。
 しかし、伸一は覚悟していました。「命を捨てる覚悟なくしては、平和のための、本当の戦いなど起こせない」(同ページ)――日中友好への行動は、まさに命懸けの“戦い”であったのです。
 中ソの指導者は、そうした伸一の“本気”の平和行動と、創価学会の存在に着目していました。中ソへの訪問が具体化したのは、どちらも73年(同48年)12月です。そして、翌年、伸一の訪中・訪ソが実現します。
 「分断され、敵対し合う世界を、融合へ、平和へと向かわせる、第一歩にしよう」(156ページ)――伸一の訪問の目的は、社会主義の国で布教することでも、政治交渉のためでもありません。仏法者として、国益やイデオロギーで分断する世界を、連帯へと導くことが第一義でした。
 「社会の制度やイデオロギーは異なっていようが、そこにいるのは同じ人間である」(64ページ)、「人間に会いに私は行くのです」(167ページ)、「人間の心と心に橋を架け、結ぶために行く」(168ページ)との伸一の信念が、中ソ和平の対話へと突き動かしたのです。

水面の向こう側に、中国の伝統的な建造物と柳の木が調和した光景が広がる――北京の釣魚台国賓館で池田先生が撮影した(1992年10月)

壁の向こう側
 74年(同49年)5月、初訪中に出発する際、伸一は「対立する中ソの懸け橋となるのだ!」(166ページ)と自身に言い聞かせました。その決意は、実際に中ソの人々と触れ合う中で、強固なものになっていきます。
 北京の中学校を訪れた折、彼は、ソ連からの攻撃に備え、生徒たちが地下教室を造る光景を目の当たりにします。第2次世界大戦下の日本で、あちこちで防空壕が掘られたことと重ね合わせ、こうした現実を変えねばならないと深く心に誓います。   
 9月の初訪ソの時には、レニングラード(現・サンクトペテルブルク)の墓地を訪れ、戦争への怒りを強い口調で語ります。   
 伸一が寄り添ったのは、民衆の苦しみでした。民衆と同苦しながら、周恩来総理をはじめとする中ソの指導者や、教育者、文化人、青少年など、あらゆる立場の人々と語り合いました。社会体制の壁を超え、「共鳴の和音」(64ページ)が、中国・ソ連の大地に奏でられたのです。
 第1次訪中の折、伸一は、「中国が他国を侵略することは、絶対にありません」(59ページ)との発言を聞きます。
 ソ連のコスイギン首相との会見では、中国訪問の実感を率直に伝え、首相から「中国を攻撃するつもりはありません」「(中国の首脳に)伝えてくださって結構です」(278ページ)との言葉を引き出しました。
 12月の第2次訪中では、鄧小平副総理など中国の首脳に直接、ソ連の意向を伝えます。伸一は、まさに中ソの“懸け橋”となりました。
 「懸け橋」の章には、「勇気をもって真実を語ってこそ、心の扉は開かれ、魂の光が差し込む。それが、信頼の苗を育んでいくのだ」(211ページ)と記されています。伸一の、率直にして誠実な対話が、心の扉を開き、信頼を結んだのです。
 佐藤優氏は、週刊誌「AERA」(6月22日号)で連載されている「池田大作研究」で、先生の対話行動に言及しています。
 「壁に突き当たった場合、政治革命家はその壁を壊そうとする。これに対して池田は、壁の向こう側の人に対話を呼びかける。対話によって、壁の向こう側にいる立場が異なる者の中に理解者を作ろうとする」
 どんなに立場が異なろうと、「人間主義」「平和主義」の連帯を築いてきたのが、池田先生です。対話には、「壁」も「限界」もないのです。

忍耐強い作業
 伸一の願いに反して、初訪中・訪ソの後、中ソ対立は悪化の一途をたどってしまいます。彼の対話は、すぐに花開いたわけではありません。
 しかし、伸一は決して諦めませんでした。20世紀を代表するイギリスの歴史学者トインビー博士から、次のように託されていたのです。
 「米ソも、中ソも対立していますが、あなたが、ロシア人とも、アメリカ人とも、中国人とも対話を重ねていけば、それが契機になって、やがてはロシア人とアメリカ人、ロシア人と中国人などの対話へと、発展していくでしょう」(第16巻「対話」の章、216ページ)
  
 伸一は、初訪中・訪ソの後も、中ソ両国の指導者と対話を重ねました。中国側から、ソ連を訪問することで中日の友情に支障をきたすと、苦言を呈されたこともありました。
 それでも、「私は中国を愛してます。中国は大事です。同時に人間を愛します。人類全体が大事なんです」(351ページ)と訴え、「あらゆる人の『仏性』を信じて、人類の平和を願う心を確信して語りかけ続けた」(352ページ)のです。
 ようやく春が訪れたのは、伸一が、中ソの“懸け橋”として対話を開始してから15年後のことでした。
 89年(平成元年)5月、ソ連のゴルバチョフ書記長が、鄧小平氏と会談し、遂に中ソ関係が正常化されたのです。伸一は、誰よりも喜びました。
 花はすぐ開くとは限りません。しかし、鉄のごとき強い信念を持ち続けながら、諦めずに行動すれば、必ず開花します。「大業とは、目立たぬ、忍耐強い作業の繰り返しによって、成就されるもの」(357ページ)なのです。
 「信義の絆」の章に、「人類の幸福と世界の平和の実現が、広宣流布だ。私は仏法者として、そのために走り抜く」(354ページ)とあります。私たちも、仏法者の使命に燃え、「平和の道」を広げていこうではありませんか。

初訪ソの際、モスクワ市内で子どもたちと交流する池田先生(1974年9月)

言集
●仏法者の在り方
 人民のため、社会のために身を挺して戦う――それが菩薩であり、仏です。仏法者の在り方です。その行動のない仏教は、まやかしです。(「友誼の道」の章、74ページ)
●普遍の鉄則
 人間の生命を大切にし、人間を守るということ――それは、人類が生きていくうえの普遍の鉄則です。(「友誼の道」の章、120ページ)
●幅広い交流
 国家による政治や経済次元の交流は、利害の対立によって分断されてしまうことが少なくない。だからこそ、平和と友好のためには、民間による、文化、教育、学術などの幅広い交流が不可欠である。(「懸け橋」の章、157ページ)
●民衆こそ王
 万人に「仏」の生命をみる仏法は、本来、民衆を王ととらえる思想でもある。民衆が本当の主権者となり、幸福を享受できる社会の建設が、われらの広宣流布なのだ。(「懸け橋」の章、204ページ)
●歴史の必然
 地球は一つである。人類も一つである。人間同士、手を取り合うことは歴史の必然である。(「懸け橋」の章、238ページ)
●人間を結ぶ絆
 「誠実」への共感に国境はない。「誠実」こそが、人間を結ぶ心の絆となるのである。(「信義の絆」の章、318ページ)


【聖教ニュース】

◆6・23「沖縄慰霊の日」 沖縄青年部が「平和の礎」に献花 2020年6月24日
 「沖縄青年部平和宣言」を発表

    • 沖縄青年部の代表が「平和の礎」に献花し、世界平和を祈念した(糸満市の平和祈念公園で)

沖縄青年部の代表が「平和の礎」に献花し、世界平和を祈念した(糸満市の平和祈念公園で)

 沖縄青年部の代表が戦後75年の「慰霊の日」を迎えた23日、糸満市の平和祈念公園にある記念碑「平和の礎」を訪れ、献花した。
 沖縄青年平和委員会の砂川委員長、沖縄女性平和文化会議の嘉手納議長を中心に、沖縄戦犠牲者の冥福と世界の平和・安穏を祈念した。
 その後、前島沖縄青年部長が「沖縄青年部平和宣言」を発表。学会創立100周年でもある、戦後85年の2030年を目指し、沖縄戦の記憶の継承の取り組みをさらに発展させるとともに、人間革命の哲学を語り広げ、沖縄から恒久平和の潮流を世界に広げていくことを誓った。


◆〈危機の時代を生きる〉コロナ禍で見落とせない「多様なリスク」への視点 立命館大学開沼博准教授   

 「ウィズコロナ」という言葉が表すように、当分の間、私たちの生活は、新型コロナウイルスとの“共存”が想定される。こうした状況下で、私たちが向き合うべき課題は何か――。東日本大震災の被災地復興に携わり続ける、立命館大学の開沼博准教授に話を聞いた。(聞き手=志村清志・村上進)

 ――コロナ禍が長期化する現状を、どのように考えていますか。
  
 日本においては、ウイルス感染による「直接的なリスク」は、抑えられつつあるといえます。むしろ今後は、コロナ禍の影響で起こる「間接的なリスク」を一層、考慮していくべきでしょう。
 具体例の一つは「健康リスク」です。外出や人との交流が減っていることで、心身に不調をきたす恐れがあります。社会的孤立から、自死に至る場合も想定されます。また「経済的リスク」も深刻です。今は飲食業や観光業などが影響を受けていますが、今後、他の業種へも広がっていくでしょう。
 他にも、高齢者の認知機能の低下や児童虐待・DV(家庭内暴力)の増加など、挙げればキリがありません。
 今日の状況は、2011年の東日本大震災後の状況とよく似ています。福島県において、地震や津波で亡くなった方は、1605人を数えます。一方、避難生活の中で心身の体調を崩して亡くなった「震災関連死」の数は、2308人に上ります(本年6月16日現在)。「直接的リスク」もさることながら、「間接的リスク」も、私たちの社会に深刻な影響を与えるのです。
 かつての日本社会は「貧・病・争」(貧乏・病気・争いなど)が、人々にとっての主要なリスクでした。ある意味では、分かりやすかった。その後、経済発展に伴い、国民全体の生活水準が高まると、人々の生活が多様になり、立ち現れるリスクも多様化・細分化されました。そのため、一般には“見えづらい”リスクが増えていったのです。
 社会全体が、こうした細かなリスクを見落としてしまえば、東日本大震災の後に「震災関連死」が問題になったように、「コロナ関連死」と呼ばれる問題が顕在化するのではないかと危惧しています。
  
 ――今後、コロナ禍と向き合う上で必要な視点は?
  
 小さなリスクにも目を配る「多元的なリスク観」が求められます。
 そうした視点に立つことで、全体の被害逓減に大きく貢献する場合もあります。1853年に起きたクリミア戦争の際、ナイチンゲールは、戦死者の死因が、戦闘で受けた傷自体よりも、治療現場の不衛生によるものの方が多かったことを、統計を用いて解明しています。その後、衛生管理を改善し、死者数を大きく減少させました。こうした彼女の姿勢は「多元的なリスク観」に立ったものといえるでしょう。
 しかし現状を見ると、「感染リスクの抑制か、経済危機からの復興か」という二項対立の議論ばかりが目立ちます。3・11の後、「原発か、脱原発か」との論争が多く取り上げられた構図と同じです。
 こうした問題は早々に解決できるわけではありません。それにもかかわらず、延々と二項対立の議論が続けば、課題解決に向けた本質的な議論は一向に深まらず、多くの人が抱える「多様なリスク」が抜け落ちてしまう恐れがあります。
  
オンラインなどの活用を通して 新たな「顔の見える関係」をつくる
 ――危機的な状況に直面した場合、多様なリスクがこぼれ落ちてしまう理由は何だと考えますか。
  
 さまざまな理由がありますが、一つは、日本社会の“特殊性”といえるでしょう。
 社会学には「社会統制」と「社会化」という概念があります。「社会統制」とは、秩序の維持のために、個人の行動を規制するメカニズムのことで、法や制度などを指します。一方で「社会化」とは、人々が、集団や社会の行動様式を取り入れる過程を意味します。ここでは“暗黙のルール”と考えてもよいでしょう。
 4月に発令された「緊急事態宣言」は「社会統制」に分類されます。ただし、この宣言には、法的な強制力はほとんどありません。それにもかかわらず、国民の多くは宣言に従い、外出や店舗の営業などを自発的に控えるようになり、5月25日には「緊急事態宣言」が全面解除になりました。これは、政府の提示した行動様式を取り入れる「社会化」が、強く働いたことを意味します。
 しかし、その一方、“自粛警察”と呼ばれる、一般市民による私的な取り締まりや攻撃、感染者のあぶり出し、医療従事者やその家族への差別行為など、「社会化」の“負の側面”も多く見られました。
 人々のライフスタイルや生活環境は多種多様です。中には、止むに止まれぬ事情から、緊急事態宣言下であっても店舗の営業を続けた人もいたでしょう。
 それにもかかわらず、日本社会には、そうした人たちへの想像力に欠ける部分があり、全体から逸脱する人を「悪」と捉えてしまう傾向がある。言ってしまえば「社会化」の行き過ぎが、多様なリスクを“見えづらい”ものにしている原因といえます。
  
 ――多様なリスクを見逃さないためには、何が必要でしょうか。
  
 地域のつながりが豊かになることが大切だと考えています。そうすれば、ある人がリスクを抱えたとしても、皆で助け合うことができるからです。そのためにも、人とのつながりを形成する、「サードプレイス」(第3の場所)のコミュニティーが求められます。
 これは、社会学者オルデンバーグの提唱した概念で、家庭(第1の場所)や会社・学校(第2の場所)とは異なる「場」のことです。地元の喫茶店や居酒屋、身近な集会での交流などを指します。こうした場では、ゆるやかな「顔の見える関係」の中で、豊かな教養やつながりがつくられやすい。そこで生まれる信頼や安心感は、「共助」(助け合い)の輪を育む上で大変に有効です。
 しかし、「個人化」の進展した現代社会にあっては、そもそも「サードプレイス」の存在が減少している。さらに追い打ちをかけるように、新型コロナウイルスの感染拡大によって、そうした「場」に集まりづらい状況が生まれています。
 こうした苦境の中で、どのように「顔の見える関係」を構築できるか――つまり、“新たな日常”における新たなコミュニティーのあり方、「共助」のあり方が、今後、求められます。

今、青年部を中心に、“オンラインによる集い”の取り組みが各地で推進されている
個人間の情報格差をなくし 社会の中に共助の流れを
 ――ここ最近、オンライン上での交流が活発に行われるようになってきています。
  
 直接会っての交流がしづらい状況は、しばらくの間、続くでしょう。そうした中で、オンラインを活用して交流し、支え合う流れをつくることは、有効だと考えています。
 しかし、その裏で、見逃してはいけないのは、「デジタルディバイド」(情報格差)の問題です。インターネットを使えなければ、即座にこうした「共助」の流れから脱落してしまいます。加えて、オンラインによる教育や医療、公的サービスの申請などからも取り残されれば、大きな格差につながりかねません。
 日本におけるインターネット利用率は79・8%です(総務省・令和元年版「情報通信白書」)。単純に考えて、人口の約2割が、インターネットへのアクセス手段を持っていないことになります。この2割にあてはまる層は、高齢者や経済的に恵まれない人が想定されます。つまり、もともと多くのリスクを抱えている層です。
 東日本大震災の時もそうでしたが、もともとリスクを抱えていた人ほど、災害などの非常事態が起こった際、さらなるリスクに見舞われます。今回のコロナ禍にあって、「デジタルディバイド」の問題は、その象徴的な例といえます。
 単に技術的な問題と捉えられがちな「デジタルディバイド」ですが、この状況下では、人の命・生活に関わる重要な問題です。そうした人々へのサポートは、ますます希求されるでしょう。
  
 ――“コロナ以前”のように、直接会っての交流がしづらい状況の中で、この問題を乗り越えるためには?
  
 個人間の情報格差をなくすには、行政による「公助」が必要になってきます。社会の中で「共助」の流れが生まれるような基盤をつくってほしいと思います。
 その上で留意してほしいのは、この問題は今に始まったわけではないということです。個人化された社会では、人と人とのつながりは希薄になり、そもそも「共助」の流れがつくられづらい。長らく棚上げされてきた課題が、今回のコロナ禍で可視化されただけといえます。
 だからこそ、私たちは、この課題に真摯に向き合い、新しい「共助」のあり方を構築していかなければいけません。そうした意味で、創価学会をはじめ、個人と社会を結ぶ「中間集団」の果たす役割は大きいでしょう。「共助」には、人と人のつながりが欠かせません。東日本大震災の時も、学会の励ましのネットワークが、多くの人を勇気づけたように、今回のコロナ禍でも、「共助」の流れを生み出す起点として、その力を発揮してほしいと思います。
  
〈プロフィル〉
 かいぬま・ひろし 1984年生まれ。福島県出身。東京大学卒。専攻は社会学。福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)ワーキンググループメンバー、復興庁東日本大震災生活復興プロジェクト委員などを歴任。2016年から、立命館大学准教授を務めている。主な著書として、『はじめての福島学』『漂白される社会』『フクシマの正義』などがある。 


【特集記事・信仰体験など】

◆〈未来の宝と共に 池田先生の書籍に学ぶ〉 総千葉少女部長 鯉渕佳代さん
 テーマ「私の“いいところ”が分からない」

〈池田先生の言葉〉
 がんばっても、がんばっても、なかなか、うまくいかない。自分の「いいところ」なんてわからない――そんな時は、題目を唱えてみてください。題目を唱えれば、元気が出てきます。自信がつきます。そして、よし、がんばってみようという勇気がわいてきます。   ?
 「ありのまま」になやみ、祈り、また胸をはって挑戦していく――そうすることで、自分の心がみがかれる。心の中の宝物が光っていく。きみの、あなたの「いいところ」が、必ず見えてくるのです。(『希望の虹』68ページ)
 
少しでも挑戦したこと褒(ほ)める
 少女部時代の私は口べたで恥ずかしがり屋。人と比べては「自分はあの子よりできていない」と、マイナスに考えてしまうことがよくありました。
 また、「毎朝7時に起きよう」と目標を立てて挑戦しても、寝坊してしまうと、「目標を達成できなくて、私はダメな子だ……」と落ち込むことが多かったのです。
 そんな私が前向きな考えに変わるきっかけを与えてくれたのは、「千葉王子王女合唱団」でした。小学5年の時に入団し、練習に取り組む中で、担当者のお姉さんや合唱団のメンバーと励まし合うように。  
 さらに当時、連載中だった池田先生の「希望対話」を学び、「『3日』坊主も、『10回』やれば、『1カ月』やったことになる」「1日でも2日でも、やった分だけ、自分が得をする。自分が『実力』をつけているかどうかです。人と比べて一喜一憂(いっきいちゆう)しても、しようがない」「人の3倍やれば必ずできる」との指針に感動しました。
 できない自分に対して気落ちするのではなく、少しでも挑戦した自分を褒めようとの考え方に変わったのです。  

自分にしかできない使命がある
 中学校に進学後、テニス部で汗を流し、学級委員にも挑戦。前向きにさまざまなことに挑む中で、忘れられない出来事が起きました。  
 ある日、友人が「佳代ちゃんは自分らしさがなくて、つまらないよね」と話している姿を見てしまったのです。まるで自分を否定されているような悲しい気持ちになり、ショックを受けました。帰宅し、泣きながら家族に相談すると、一緒に題目をあげてくれ、池田先生の『青春対話』の一節を教えてくれました。  
「たとえ諸君が、自分なんかダメだと思っても、私はそう思わない。私は信じている。私は諸君を尊敬している。必ず、あなたにしかできない使命をもった人だと信じている」  
 自分のことを信じられない状態の時でも、先生は私のことを信じ抜いてくださっている――この真心に気付いた時、人からの陰口や見られ方を気にするのではなく、自らのやるべきことに取り組む中で、自分の良さを磨いていけばいいのだと思えたのです。  
 未来部の皆さんには、それぞれにしか果たせない使命が必ずあります。題目をあげ、先生の指針を学び、目の前のことに挑戦していけば、果たすべき使命の道が少しずつ見えてくるでしょう。
 皆さんが自信を持って前進できるよう祈り、これからも励ましの風を送り続けていきます。

◆信仰体験 不屈の努力で脳科学の博士に 亡き母から信心を継承

師に誓った“この道”貫く
 【愛知県日進市】脳の視覚情報処理を研究する満倉英一さん(36)=圏男子部書記長。愛知県内の大学で助教として研究に取り組んでいる。   
 人間が奥行きや色、形状などの視覚情報をどのように知覚しているのかを、数学やコンピューターシミュレーション、心理実験などで明らかにする。
 研究や論文執筆で、行き詰まることはたびたび。その時、必ず思い起こすのは、幼いころの師との原点――。  
  1992年(平成4年)4月3日、生まれ育った東京・調布市の調布文化会館前の河川敷で、家族らと遊んでいた。
 すると、青年部の役員が駆け寄ってきて「急いで来てください」と呼ばれ、そのまま会館の中へ。会館を訪れていた池田先生と一緒に勤行・唱題を。その時の励ましは家族の宝となり、苦難に挑む時の大きな支えになっている。   
 大学入試では、受験した全てが不合格に。学生部の先輩に勧められ、創価大学通信教育部に入学した。
 通教で学ぶ中、創立者・池田先生の「私の最後の事業は教育である」との言葉に胸を打たれた。いつしか“大学の教員になりたい”と夢が膨らんだ。
 翌年、創大工学部に合格。誰よりも喜んでくれたのは母・訓子(のりこ)さんだった。  
  在学中の2006年10月、先生の200番目の名誉学術称号授与式に参加する機会が。先生は呼び掛けた。
 「学生の皆さんは、自分を支えてくれる人への感謝を忘れないでください」「お父さんを大切に! お母さんを、もっと大切に!」「環境がよくないとか、生活が大変だとか、いろいろなことがあるかもしれませんが、困難の中で勝利してこそ、『価値創造』です。創価教育で学んだ人の根本の生き方なのです」   
 式典を終えると、満倉さんの心に新たな誓いが芽生えた。“必ず博士号を取得する!”  ところが、卒業論文を執筆しているさなか、一家に宿命の嵐が襲う。母が重度のC型肝炎と診断されたのだ。  
 “なぜ、母が”と動揺する気持ちを抑えつつ、母のためにも、必ず博士になろうと決めた。そして都内の大学院へと進む。
 修士論文に向かっていた大学院2年の時、母の回復を懸命に祈り続ける中で、友人への弘教が実った。このことを一番喜んでくれたのも母だった。  
  経済的な負担に悩みながらも、博士課程へと進んだ。“人間の脳を数学で解明して役に立ちたい”と専門を数学から脳科学に変えた。
 学位取得の道は険しかった。論文を提出したが、なかなか認められず、何度も悔しい思いをした。
 奨学金が途絶え、途方に暮れる中、2015年からは、非常勤講師として創価学園で数学と情報の教員を務めることに。日々、奮闘を続けた。   

 翌年、母の容体が悪化し、集中治療室へ運ばれた。“今しかない。安心させてあげたい”――満倉さんは思わず「博士号が決まったよ」と伝えていた。実際はまだ論文も提出できていない。  
 母は泣きながら喜んでくれた。「池田先生のために奮戦できる子どもを育てるのが夢だった。あなたが生まれる前から、ずっと祈っていたんだよ」   
 2月20日、最愛の母は霊山へと旅立った。信心の先輩から「お母さんの使命は、君たち家族に、本当の信心を教えることだったんだよ」と励まされ、“悲しんでばかりではいけない”と前を向いた。
  その後、長男として家族を支えながら、講師としての授業、論文の執筆、学会活動と、一歩も引かずに取り組んだ。そして、再投稿した論文が認められ、18年3月、工学博士号の取得を改めて母に報告した。
 “先生、勝ちました!”“母さん、やったよ!”  
  昨年春、愛知へ。大学では講義を担当しているが、今はオンラインでも学生に課題を送り、連絡を取る日々だ。  
  時折、胸の中で母に呼び掛ける。  “母さん、僕は今、新天地で、大学の教員として日々、学生たちと切磋琢磨(せっさたくま)しています。少しは、親孝行できていますか”  
  一人前の研究者に、次代を育てる教育者に――満倉さんは師に誓った使命の“この道”を貫くと決めている。 (中部支社編集部発)


◆信仰体験 150カ所の福祉施設に1万食を提供 度重なる経営危機を越え

行き詰まった時が勝負!
 【大阪府堺市】委託給食の世界では、現地で一から仕込みを行うことが多い。だが、直田勝彦(なおたかつひこ)さん(69)=副支部長(常勝長<ブロック長>兼任)=が代表を務める「マルフクメディカルフーズ」では、自社工場で煮炊(にた)きや味付けをした後、それぞれの施設に配送し再加熱・盛り付けを行う方式を採っている。 ?
 「その方が衛生管理に万全を期せますし、味も安定します。施設の厨房設備も最小限で済みますので」  
  創業40年を迎え、従業員は800人。老人ホームやデイサービスセンターなど大阪府内150カ所の福祉施設に、毎日1万食以上を提供している。
 「鶏肉が苦手」「卵アレルギーがある」など個々の要望にも対応するほか、「47都道府県グルメ献立」「花見弁当」等のイベント食も実施。栄養士監修のメニューが「安心」「安全」「おいしい」と評判だ。  
  営業は直田さん一人。それでも売り上げは右肩上がり。3年前には新しい事務所も完成した。   
 鹿児島県の離島・中之島で育った。電気も水道も整備されていない島で、石油ランプをともして勉学に励んだ。
 高校卒業後は働くつもりだったが、高等部の会合で“全員、大学へ”との池田先生の呼び掛けが胸に響き、大阪工業大学の工学部に進んだ。  
  製造業に就職した後、29歳で脱サラ。“食を通して、お客さんを喜ばせたい”と10坪の店舗で一日50食の宅配弁当を始めた。体を酷使する日々でも、「おいしかったよ」の一言にやりがいを感じ、事業を拡大していった。   
 1997年(平成9年)、46歳の時には一日2000食を達成。新工場も完成。だが、この年から“平成不況”に巻き込まれる。
 赤字に転落し、銀行に返済条件を変更してもらう「リスケ(リスケジュール)」を余儀(よぎ)なくされた。   
 「一度傾いた事業を立て直すのは容易ではありませんでした」  2008年のリーマン・ショックで2度目のリスケ。“今月支払う給料が、ない……”と何度も頭を抱えた。
 それでも“従業員の生活は絶対に守り抜く”と、懸命に経営のかじを取った。   
 14年、盛り付け担当者の中からノロウイルスの陽性者が出た。この事態を重く受け止めた直田さんは外部企業と業務提携。社内の衛生管理の体制強化に取り組んだ。
 さらに、食品への殺菌効果がある微酸性次亜塩素酸水の生成装置を共同開発し、法人を設立。
 そして高齢者食に特化した委託給食と衛生の2本柱で事業を立て直そうと、宅配弁当業からの撤退を決断する。
 “どんなに行き詰まっても信心から離れたらあかん!”と自身に言い聞かせた。広布の活動から一歩も引かず、弘教も実らせる。   
 事態が動いたのは翌15年。別の金融機関から思ってもみなかった額の融資を受けることに。再建した事業の業績が高く評価された結果だった。“救われた”。長き苦境から抜け出すことができた。  
  4年前の熊本地震の際、直田さんは「避難所の衛生管理に役立ててほしい」と、除菌対策の装置と300本のスプレーボトルを御船町(みふねまち)に寄贈。かつての経験からだった。  
  食品事業家となってからは苦難続きだった。そのたびに、池田先生の「行き詰まりを感じた時に、大信力、大行力を奮い起こして、それを乗り越えていくことだ。これが、私たちの『発迹顕本(はっしゃくけんぽん)』となる」との指導を胸に刻んできた。   
 自身の一念の変革から、現実の変革が始まる。“厳しい苦難も境涯を開くチャンス”と心する直田さんに、停滞はない。 (関西支社編集部発)

 

2020年6月23日 (火)

2020年6月23日(火)の聖教

2020年6月23日(火)の聖教

◆わが友に贈る

 苦難の中だからこそ
 人の絆を一層強く!
 友の不安を取り除く
 慈愛の声を届けよう。
 抜苦与楽の実践者たれ!


◆名字の言 きょう沖縄「慰霊の日」。“声なき声”を世界へ   2020年6月23日

 75年前、沖縄は残酷な戦場と化した。軍は「ひめゆり学徒隊」など、10代後半の女子生徒を看護隊に動員。ところが6月18日に突然、壕の中にいた同学徒隊に「解散命令」が下された。少女らは砲弾の飛び交う外へ追い出され、若い命が奪われた▼先日、激戦地の一つの糸満市に立つ「梯梧之塔」を訪れた。「梯梧学徒隊」はじめ私立昭和高等女学校同窓生の慰霊碑は、「ひめゆりの塔」に近い林の中にある。脇の献歌には「一人来て 抱きしめて見ぬ わが友の 名の刻まれし 濡れし碑文」と。生き残った同窓生が戦地に散った友を思い、つづった言葉である▼沖縄戦などの犠牲者約24万人の名を刻む糸満市の「平和の礎」に、今年も新たに30人が刻銘された。戦争体験者の婦人の言葉を思い出す。「単なる名前と思わないでください」「ここに刻まれた方々の“声なき声”を、全世界の人に伝える使命があるから、私は生きているんです」▼60年前の7月、沖縄を初訪問した池田先生は「ひめゆりの塔」へ。沖縄戦で生き残った関係者から当時の模様を聞くと、平和への祈りを込めて合掌。「二度とこの悲劇を繰り返してはならない」と強く語った▼きょう23日は沖縄「慰霊の日」。“不戦の願い”を未来へつなぐのは、私たちの大きな使命である。(踊)


◆寸鉄

「根ふかきときんば枝葉
かれず」御書。信心こそ
人生勝利の力。祈り深く
     ◇
沖縄慰霊の日。心に光る
命どぅ宝の精神。不戦の
誓い新たに対話の波を!
     ◇
青年は決して、へこたれ
てはいけない―戸田先生
逆境に挑め!戦えば成長
     ◇
エコバッグ洗わない人が
51%と。食中毒につなが
る恐れ。洗濯・除菌が有効
     ◇
「あおり運転」厳罰化の
改正道交法が今月末施行
危険行為は断じて許すな


【先生のメッセージ】

◆〈池田先生と共に 新時代を築く〉 「勇気と理想」に生き抜け!2020年6月23日

 6月23日は、愛する沖縄の「慰霊の日」である。今年は戦後75年。全ての戦争犠牲者に追善の題目を捧げ、世界不戦の誓いを新たにしたい。
 筆舌に尽くせぬ戦禍に苦しめられた沖縄で、私は憤?を込め、小説『人間革命』を書き始めた。この一念を汲み、人類の宿命転換へ平和の起点となって、たゆみなく「立正安国」の金波を起こしてくれているのが、沖縄家族である。
 「命どぅ宝(命こそ宝)」という深き心が光る沖縄で、自行化他の妙法を唱え弘めてきた父母たちこそ、最極の生命の「宝塔」にほかならない。
 「世界で最初の広宣流布の地帯」へと進みゆく沖縄を、御本仏は「ここさながら宝塔の住処なり」(御書1304ページ)と、ご照覧であろう。
 『人間革命』起稿の日、私は瞳凜々しき沖縄学生部の友と固い握手を交わした。何があっても、朗らかに舞い戦う沖縄健児たちは、二陣三陣と不退の人材群を築いてくれた。
 そして今も、私は沖縄青年部・未来部の一人一人と心の握手を交わす思いで、成長を祈りゆく日々である。
                      * * * 
 1957年の6月30日、恩師・戸田城聖先生のもと、学生部は、夕張炭労事件、大阪事件という正義の人権闘争の渦中に結成された。
 私は、師弟の故郷たる北海道から祝電を送った。権力の魔性に立ち向かう共戦の同志たちが、「我らの学会に学生部が誕生した!」と誇り高く喝采した笑顔も蘇る。
 恩師は「多彩な学生が集えば校舎なき総合大学だ」と喜ばれ、「地球民族主義」の連帯の核となることを望まれた。
 今、日本はもとより世界中で、男女学生部がオンラインなどを活用して励まし合い、平等大慧の仏法を研鑽し、地涌のスクラムを広げている。
 さまざまな制約の中での学業、アルバイト、就職活動等、辛労は絶えないことだろう。
 しかし、大変な時に、歯を食いしばって学び鍛えたことが、偉大な底力となる。真心を尽くして結んだつながりが、一生涯の陣列となる。
 草創の学生部と学んだ御義口伝に、「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは生死の闇を照し晴して涅槃の智火明了なり」「煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり」(同710ページ)と仰せである。
 妙法は、人生と社会のいかなる苦悩も幸福前進の力に変えながら、人類を覆う「生死の闇」を照らし晴らしゆく「絶対勝利」の智慧の炎なのだ。
                        * * * 
 学生部結成の翌年の6月30日、私は新設の総務に就任した。恩師逝去後の全学会の指揮を不二の心で執り始めたのである。その日の日記に、「勇気と理想に生きる、純真なる信仰者で生涯を、ただただ貫きたい」と記した。

 わが創価の学徒たちよ!
 わが普賢の若人たちよ!
 
 この「勇気と理想」を、しかと受け継いでくれ給え。


【教学】

◆〈森中教学部長「SOKAnet」の講義から〉 6月度「座談会拝読御書」 曾谷殿御返事(輪陀王御書)
 強盛な祈りで安穏な社会を

 現在、創価学会公式ホームページ「SOKAnet」で、森中教学部長による、6月度拝読御書(座談会・研修教材)講義の動画が配信されています。ここでは、「座談会拝読御書」の講義の抜粋を掲載します。「大白蓮華」6月号と共にご活用ください。
 ※講義の動画は約20分。字幕あり。SOKAnetで6月30日まで視聴可能。

はじめに
 本抄は、別名に「輪陀王御書」とあるように、輪陀王と白馬の有名な故事が描かれている御書として知られています。
 ――昔、輪陀王という王がいました。この王は、白馬のいななきを聞くことで生命力を高め、その力で国も栄えていました。
 この白馬は、白鳥を見て、いなないていたのですが、ある日、白鳥が突然いなくなってしまい、白馬は鳴かなくなります。すると、王の生命力が弱まり、国は衰え、外国からの侵略も始まりました。
 さまざまな人が祈りましたが白鳥は戻りません。そこに馬鳴菩薩が現れて、祈ったところ、たちまち白鳥が現れ、白馬は喜び、いななきます。王は以前の百千万倍の力に満ち、人々も活気を取り戻し、国に安穏が戻った――というお話です。
 日蓮大聖人が、この故事を通して、何を仰せられているのかを、念頭に置いて学んでいきましょう。
 
背景と大意
 本抄は、弘安2年(1279年)8月、日蓮大聖人が、曾谷教信の子息である曾谷道宗に送られたとされているお手紙です。
 この当時、“蒙古が再び攻めてくるのではないか”と懸念されており、人々は、恐怖におびえていました。
 1度目の蒙古襲来の後、その恐ろしさを知り、日本中が騒然としている中で、戦乱の危機に加えて、飢饉や疫病が日本中に広がり、天候不順も続いていました。誰もが、「死」という現実を目の当たりにしている状況だったのです。
 反対にいえば、武士から庶民に至るまで、誰もが「生きる意味」について、何らかの問い掛けをしていた時代であったとも考えられます。
 本抄を頂いた曾谷道宗について、詳細は分かりません。しかし、父・教信は、富木常忍や大田乗明と並んで、下総国(現在の千葉県北部など)で活躍した門下です。
 この御書を頂いた2年後の弘安4年(1281年)7月には、教信は、蒙古との戦闘に備えて筑紫(現在の九州北部)に行くことになります。まさに、こうした時代の動乱の中で、大聖人は、曾谷殿親子に信仰の本質を教え、希望を送られます。

拝読御文
 白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり、此の声をきかせ給う梵天・帝釈・日月・四天等いかでか色をましひかりをさかんになし給はざるべき、いかでか我等を守護し給はざるべきと・つよづよと・をぼしめすべし(御書全集1065ページ3行目~5行目、編年体御書1204ページ15行目~17行目)

諸天を動かす
 日蓮大聖人は、「白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり」と仰せです。“白馬のいななき”を、大聖人門下の「南無妙法蓮華経の声」に例えられています。
 続いて、題目の声によって、梵天・帝釈をはじめとする一切の諸天善神の色つやが増し、威光が強くなると仰せです。
 諸天善神とは、法華経の行者や国土を守る、あらゆる善の働きです。
 そして、大聖人は門下に「いかでか我等を守護し給はざるべきと・つよづよと・をぼしめすべし」と呼び掛けられます。
 この御文を拝して、曾谷氏が、“全ては信心が根本だ”“強く強く信心を深めていこう”と、一切の不安や困難に力強く立ち向かい、立正安国の闘争を誓ったことは間違いないでしょう。

題目の意義
 池田先生は、本抄を講義した『勝利の経典「御書」に学ぶ』で、私たちが唱える題目の意義を三点にわたって講義しています(別掲)。
 ①「題目は、『宿命転換の根源力』です。いかに強固なる宿命の鉄鎖も、わが生命の根源の力を呼び現す題目の妙用で断ち切っていけるのです」
 ②「題目は、『人間革命の源泉』です。わが生命に本来具わる仏の命を題目で呼び現し、その自由で晴れ晴れとした生命力を満喫するとき、『歓喜の中の大歓喜』と言うべき大境涯を開くことができるのです」
 ③「題目は、『立正安国の原動力』です。題目でわが生命に開かれた歓喜の波動は、全宇宙へと瞬時に広がっていきます。それゆえ、必ず、一切衆生の歓喜の波動を呼び起こし、わが家庭、わが地域、わが国土が歓喜で包まれていくのです」

難を乗り越える
 さらに、先生は「師弟誓願の題目」を訴えています。
 本抄で大聖人が曾谷殿に教えられているのは、“師弟が共に誓願に立つこと”です。
 拝読御文の直前に、「白馬は日蓮なり・白鳥は我らが一門なり」(御書1065ページ)とあります。
 弟子である白鳥の声で、白馬が元気になる――白鳥と白馬の声が国を変えるのです。
 つまり、師匠と弟子が心を合わせた「師弟誓願の題目」が原動力となって、一人一人が悩みや苦難を乗り越え、一国、そして人類の宿命をも転換することができるのです。
 あらためて、師弟の宿縁がどれほど強い絆であることか。本抄には、「しかるに日蓮が一るいいかなる過去の宿じうにや法華経の題目のだんなとなり給うらん」(同ページ)と仰せです。
 私たちで言えば、創価学会の師弟に連なることが、どれほど意義深いことか。
 池田先生は、「大白蓮華」6月号の巻頭言で述べています。
 「御本仏とご一緒に、牧口先生が命を賭して示し遺してくださった、何ものにも負けない『師子王の心』こそ、我ら師弟の不滅の原点といってよい。
 広布と人生の途上において、いかに先の見えない苦境に追い込まれても、殉教の先師の忍難弘通の姿を思えば、何を嘆くことがあろうか。何を惑うことがあろうか」
 「人類が一丸となって試練に立ち向かう今、『生命尊厳』の信念と『変毒為薬』の英知輝く、若き創価の世界市民の連帯は何と頼もしいことか」
 私たちは、ますます「生命尊厳」の旗を掲げ、世界に地涌の連帯を強め、人類の境涯を高めていく――師弟誓願の唱題で、一切の困難をたくましく乗り越えていきましょう。

 

【聖教ニュース】

◆〈季節の詩〉 沖縄・慰霊75年の世界平和の碑  2020年6月23日

恩納村の沖縄研修道場に立つ「世界平和の碑」。池田先生が記した碑文には「沖縄は永遠平和の砦にして まさに世界不戦の象徴なり」と

恩納村の沖縄研修道場に立つ「世界平和の碑」。池田先生が記した碑文には「沖縄は永遠平和の砦にして まさに世界不戦の象徴なり」と

 きょう23日は沖縄「慰霊の日」。75年前、20万人以上が犠牲となった沖縄戦で、日本軍の組織的戦闘が終結したとされる日である。
 沖縄研修道場は1977年、かつて米軍の中距離弾道ミサイル「メースB」の発射基地があった場所に建設された。
 池田先生は83年3月、恩納村の同研修道場を初訪問。取り壊そうとしていた道場内の基地跡を視察し、“あえて残す”ことを提案した。翌84年、6体のブロンズ像が立つ「世界平和の碑」が誕生。“核ミサイルの基地”は“平和の発信基地”へと生まれ変わった。
 池田先生はつづった。「核も、戦争も、人の心から生まれた。ならば、まず人の一念の『発射の向き』を変えよ! その逆転の作業を! 『碑』は、その象徴である」
 先生は同研修道場を舞台に、世界の平和の指導者らと語らいを重ね、生命尊厳と不戦のメッセージを発信してきた。研修道場には毎年、国内外から多くの人々が訪れ、平和の心を学ぶ。
 沖縄に脈打つ「命どぅ宝(命こそ宝)」の精神は今、世界の光と輝いている。(15日=仲地健一記者撮影)

同研修道場の「平和大歓喜の像」。平和のたいまつを掲げた女性像には不戦の願いが込められている

同研修道場の「平和大歓喜の像」。平和のたいまつを掲げた女性像には不戦の願いが込められている


◆〈民音公式SNSで公開 各国アーティストからエール〉2 オーストリア・ウィーン「ヤーノシュカ・アンサンブル」  2020年6月23日

 日本で本年1月に開催された公演ツアーのことを、今も思い出しております。多くのインスピレーションとエネルギーをくださいました日本の観客の皆さまに、心より御礼を申し上げます。
 時のリズムを鈍化させるコロナウイルスによって、私たちの生活が、このように劇的に変化するとは思ってもいませんでした。
 実際、私たち「ヤーノシュカ・アンサンブル」の公演活動も削減され、近々予定されていた公演は、すべて中止となりました。
 しかしそうした状況下で、最も大切なことは私たち自身の“健康”であると思います。皆さまが最善を尽くされ、健康を保ち、忍耐強く生活される中で、コロナウイルスのない平常の生活が一日も早く訪れることを願っております。
 一日も早く皆さまと会場でお目にかかれることを、楽しみにしております。私たちは「ヤーノシュカ・スタイル」を携えて、必ずステージに戻ってまいります!
 

◆「世界の友は今」 第10回 タイ創価学会・ウサニー婦人部長  2020年6月23日
「希望の声」響かせ前へ

 タイでは新型コロナウイルスの感染者が3151人(22日時点)にとどまっており、現在は新たな感染も抑えられている。経済の回復と“新たな日常”構築への模索が続く中で、創価の友も着実に広布の歩みを進めている。タイ創価学会のウサニー婦人部長に、現在の状況や取り組みを聞いた。


段階的に進む規制の緩和
 ――タイでは経済活動再開の動きが強まっており、外国人の入国規制の緩和も検討されています。
 
 タイでは新型コロナウイルスの拡大を防ぐために、3月下旬に非常事態宣言が発令され、夜間の外出禁止、飲食店や商業施設、学校の閉鎖などの措置が決まりました。
 今も宣言は続いていますが、段階的に規制の緩和が進んでおり、今月15日には夜間の外出禁止が完全に解除されました。レストランやデパートをはじめ、劇場や映画館なども再開しています。
 5月下旬以降、海外から帰国した人の感染は確認されていますが、国内での感染者は出ていません。
 感染拡大の封じ込めに成功したタイの公衆衛生機関の対応には、高い評価が寄せられていますし、国民の団結があっての成果であると思っています。

首都バンコク近郊に立つタイ創価学会本部。「アジアの灯台」との誇りに燃え、メンバーは地域・社会で活躍する

首都バンコク近郊に立つタイ創価学会本部。「アジアの灯台」との誇りに燃え、メンバーは地域・社会で活躍する

 ――ウサニー婦人部長は大学で教育に携わっていると伺いました。教育機関の状況はいかがでしょうか。
 
 大学では、教員が自宅で講義を配信するオンライン授業を積極的に取り入れています。
 私たち教職員は、今月から交代で出勤できるようになり、身体的距離を保っての会議も開催できるようになりました。
 小中学校に関しては、政府が原則7月からの授業再開を認めていますが、生徒たちのマスク着用やアルコール消毒など、感染リスクを減らすための措置を求めています。

「地域・社会のために」と行動
 ――タイでも、経済の落ち込みが激しくなっています。
 
 深刻なのは、コロナによって、800万人以上が職を失うともいわれていることです。会社の人員整理や倒産などで、卒業したばかりの学生が仕事を見つけることができない状況に私自身、胸を痛めています。
 特に観光産業への影響は甚大で、製造業等も需要の低下で大きな被害が出ています。
 政府は失業者や農業従事者などを対象とした経済支援も行っていますが、まだまだ大勢の人が困窮している状態です。
 そんな状況にあって、民間による困窮者への支援プロジェクトが多数立ち上がるなど、麗しいニュースも報じられています。
 その中には、タイ創価学会のメンバーもいます。縫製の仕事を生かし、布製のマスクを作って無料で配布している人もいますし、食品販売会社を営んでいることから、食品やお菓子、ミルクなどを無償で提供している人もいます。
 実は、こうした方々も、自らが不況の影響を受けて厳しい状況にあります。しかし“地域や社会のために”と行動できるのは、池田大作先生の「良き市民たれ」との指針を、心に刻んできたからだと思います。

各部で活発な取り組みを行う
 ――今、タイ創価学会では、どのような取り組みを行っていますか。
 
 タイでは現在、①1日2時間の唱題②1日1人への励まし③1日30分の御書・池田先生の指導の研さん――に取り組んでいます。
 青年部ではこれを元に、「5WEs」というキャンペーンに挑戦中です。「私たち(WE)が行う5項目の実践」という意味です。
 具体的には「1日2時間の唱題」「1日1人に励ましのメッセージを送る」「月1回のオンラインの小グループ会合の開催」「1日1人への電話での励まし」「月1回のオンライン教学勉強会開催」を目標にしています。
 婦人部では、日本の聖教新聞に掲載された「わが友に贈る」を毎日、タイ語に翻訳し、文字とともに、録音した音声データをSNSを通じてメンバーと共有しています。
 音声で送るのは、読むのが苦手な年配の方のためです。録音は20代、30代の若いメンバーを中心に行っており、皆、「声仏事を為す」(御書708ページ)との御聖訓を胸に、全国の同志を励ますとの使命に燃えて取り組んでいます。携わった婦人部員は、100人を超えました。
 また4月には、タイ創価学会の公式YouTubeチャンネルを開設。池田先生の童話アニメ、『新・人間革命』や先生の指導を紹介するコンテンツ、音楽隊や鼓笛隊の演奏動画なども配信しています。

タイ創価学会の公式YouTubeチャンネルでは、婦人部の合唱団の歌声を配信。このほか、さまざまな動画を視聴することができる

タイ創価学会の公式YouTubeチャンネルでは、婦人部の合唱団の歌声を配信。このほか、さまざまな動画を視聴することができる

オンラインで婦人部結成の集いを開催
 ――オンラインの会合が、各地で行われているんですね。
 
 はい。座談会をはじめ、御書学習会や各部の集いを活発に行っています。
 当初は、年配者などパソコンやスマホの操作に抵抗がある人もいましたが、青年部が使い方の手引きを作ってくれたり、家族が
サポートもあり、今では多くの人が積極的にオンラインを活用しています。
 女子部は5月に「池田華陽会」の集いをオンラインで開催。各地での少人数の会合を「青年の誓願の集い」と名付け、御書や池田先生の指導を学んだり、信仰体験を語り合ったりしています。
 6月10日に結成記念日を迎えた婦人部は「皆が前進、皆が人材、皆が主役」をスローガンに、記念のオンラインの集いを各地でにぎやかに開催。信心根本に苦境を乗り越えていこうと、決意を深め合っています。

苦境を越えた体験が次々と
 ――素晴らしいですね。励まし合って進む中で、困難を打開した体験が数多く生まれていると聞きました。
 
 ホテルや旅行会社などを経営する婦人部のメンバーは、この2月から収入がほとんどなくなり、事業の閉鎖や休業を余儀なくされ、従業員との紛争も発生しました。
 しかし、“今こそ題目しかない!”と徹底して祈り、さまざまな手を尽くしました。そうした中で銀行から融資が受けられるようになり、従業員との紛争も解決したのです。
 また、海外から帰国したタイ人を2週間滞在させる宿泊施設として、自身が経営するホテルが選ばれました。800室以上の部屋が使用され、国の対策に貢献するとともに経済的にも守られました。
 また飲食店を営む婦人部員は、新たに弁当の宅配サービスを始めるなど知恵を発揮して活路を開いています。

「大悪をこれば大善きたる」の御聖訓を胸に
 ――最後に、現在の思いや決意を聞かせてください。
 
 コロナ禍は人類全体に起きた大きな災難であり、多くの人が希望を失っています。
 今、私が改めて深く心に刻むのは「大悪を(起)これば大善きたる」(御書1300ページ)との一節です。
 これは“悪いことの後には、自動的に良いことが起こる”といったことを教えられたものではありません。
 “どんな苦難も必ず意味あるもの、大善へと転換できる”ことを示された御文であり、強き信心によって、全てを変毒為薬していけることを教えてくださった御文なのだと思います。
 大切なのは、私たちが強盛な信心、師弟不二の精神で立ち上がることです。大変な中だからこそ同志と励まし合い、「希望の声」「勇気の声」を響かせて、全てに勝利していきます。


【特集記事・信仰体験など】

◆私がつくる平和の文化 Ⅱ
 インタビュー ジャーナリスト 国谷裕子さん――情報と正しく向き合う





「私がつくる平和の文化Ⅱ」の第6回に登場していただくのは、ジャーナリストの国谷裕子さんです。長年、報道番組のキャスターを務めてこられた視点から、コロナ禍における情報発信とコミュニケーションのあり方、そして、危機の時代を乗り越える意識変革の大切さについて語ってもらいました。(聞き手=木﨑哲郎、歌橋智也)?

心の内を聴く直接の対話を
 ――NHK「クローズアップ現代」のキャスターとして、長年にわたり、多くの方にインタビューをしてこられました。
 現在、テレビ報道では、直接対面して取材することが困難となり、オンラインでのインタビューが行われています。オンラインでは、距離を超えて、わざわざ会いに行かなくても話ができ、情報を得たり、相手の考え・意見を聞いたりできるというメリットがあります。
 一方で、会ってこそできる真の意味での「対話」も、やはり求められてきます。相手が本当に言いたいことは何なのかを汲み取ろうとすれば、対面のインタビューで、相手が全身から発するメッセージを、こちらも全身で受け止める必要があります。
 そばにいて、ちょっとした仕草や表情、言葉の選び方などに触れることで、何かを感じ取ったり、気付いたりすることができる。「本当はもう少し話してもいい」と思っていることを感じて、もう一歩、深めて心の底のところを引き出すこともできます。
 特にこのコロナの時代、心の内を聴いたり、琴線に触れたりする深い対話が、とても大事だと思うんです。その意味では、インタビューに限らず、一対一で直接会って語り合うことの意義や重みといったことが、改めて認識されたと思います。

 ――今回の事態ではテレビ報道をはじめメディアも困難に直面しました。
 かつてテレビ報道に関わった一人として、制作側の焦り、悩みを感じました。安全上、今まで当たり前のようにできていた取材ができなくなり、感染拡大がもたらす医療や経済への影響など、伝えなければならないことが多くあるにもかかわらず、思うように伝えられないからです。
 そうした状況もあるためか、「PCR検査がなぜ増えないのだろう」といった、一般の人々が持ち続けている疑問にどこまで答え切れたか、背景が十分に届いていなかったのではないかとも感じます。
 ただ制作側も、取材を放棄してはならないという強い思いで工夫して取り組まれている。まさにジャーナリズムの使命感が試されていると思います。
 ジャーナリズムは、政府や自治体が政策決定の際に、どのような科学的な根拠をもとに、どんな議論がなされたのか、透明性を追求しなければならない。それが、私たちが納得し、結束して行動を変えていく上で、大事なベースになるからです。

立ち止まって、考える
 ――私たちは情報の受け手であると同時に、「情報の発信者」にもなれます。心すべきことは何でしょうか? 
 私たちは自分の取り巻く状況に不安を覚え、何らかの確かな情報がほしくなると、一生懸命、いろんな情報にアクセスします。その際、知らず知らずのうちに、信じたい情報、共感できる情報ばかりを入手してしまう傾向があります。友人や知人からも自分の考えと似通った情報が手元に集まってくる。  それを見て、「やっぱりそうなんだ」と、自分の考えをさらに補強し、強固にして、偏(かたよ)った情報に取り囲まれてしまう。そうなれば真に多様な考えを知る機会を失ってしまいます。
 結果として、自分たちとは異なる意見を排除することにつながっていく。さらに、許せないと思える情報が入ってくると、強いリアクションを取ってしまい、攻撃的・差別的な言葉を発信しがちになり、それが感情の対立や分断を生み出すことにつながります。
 自分の考えが正しいかどうか、正しい状況判断ができているかどうかを確認するには、あえて自分と異なった意見や見方に接し、一度立ち止まって、深く考えてみることが大切です。それは楽なことではないですが、自分の感情に訴え掛ける情報だけを取り込んでいては、先入観や偏見から逃れることはできないでしょう。
 今はSNSなどで誰もが情報を発信することができますが、発信する前には、自分と反対の立場の人や違った考えを持っている人がいるかもしれない、この発信で傷つく人がいるかもしれないと想像し、一呼吸おく冷静さを持ってほしい。一人一人が情報と正しく向き合うことで、「対話の文化」ひいては「平和の文化」が築かれていくと思います。

市民の称賛に応えるニューヨークの医療従事者(4月、Noam Galai/Getty Images) 

市民の称賛に応えるニューヨークの医療従事者(4月、Noam Galai/Getty Images)

 ――今回のステイホームでは、いわゆる「ネット弱者」の課題も浮き彫りになりました。

 お子さんがいるご家庭だと、両親も家でネットで仕事をしなければいけないのに、子どももオンライン学習があったりします。家に何台のパソコンが必要だろうってなりますよね。
 それ以上に、ネットで買い物ができない人たちは、リスクを冒して買い物に行かなければならない。ネット環境がないゆえに仕事が受けられない人もいます。高齢者の方々の中にも環境がなかったり、操作ができなかったりする人もいます。私の母もスマホを持っていませんので安否確認は電話でしています。
 そう考えると、誰もがネット弱者になり得るし、あらゆる面でネット弱者が被る不利益は大きい。課題は非常に重いと感じます。政治や行政が動かなければなりませんが、地域としても、あらゆる知恵を絞って、支え合っていくしかないですよね。
 大阪のある社会福祉協議会では、高齢者の安否確認やつながりを保つために、往復はがきを使っていました。「お元気ですか?」ってお手紙を出して、向こうからも「元気です」ってお返事が来たりする。そうしたやり取りで心の交流を図っていました。また食事の提供ができなくなったので、お弁当を取りに来てもらいますが、手渡しする際、声を掛けて、お顔や様子を確認して帰ってもらう。苦心しながらも、できることを精いっぱいされていました。
 こういう時こそ、心の絆を強く結び直し、つながり続けなければならないと思いますし、誰ひとり取り残さないという「持続可能な開発目標(SDGs)」の理念が、まさに現実の中で発揮されなければならないと痛感します。

警鐘は鳴らされていた
 ――今回のコロナが問い掛けたことは何でしょうか?
 このパンデミックは、私たちに多くの貴重な教訓を与えました。
 感染拡大に驚き、不意を突かれたように感じますが、実は、感染症の発生と急速かつ広範囲な蔓延は、すでに何年も前から科学者等から警鐘が鳴らされていました。それに対しての準備を怠っていたのです。
 いったん起きてしまうと、医療体制や社会のセーフティーネットなどの脆弱性を露呈させ、一番弱いところに被害や痛みをもたらした。危機に備えるための体制の整備や投資は、決して怠ってはならないと改めて思います。
 それと同時に、自分たちさえ良ければいいという一国主義的な考えは、もはや通用しないということです。他が良くならなければ、結局、自分のところに返ってくる。社会全体が結束し、そして、グローバルに協調して戦わないと打ち勝つことはできません。そのためには、他者への意識と行動こそが大切になってくると思うのです。
 さらに今、世界で警鐘が鳴らされている最大のリスクが気候危機です。これまでのように二酸化炭素などの温室効果ガスの排出を続ければ、地球温暖化によって生じるさまざまな気象災害、海面上昇、生物多様性の喪失、食料生産への打撃などにより、地球上の生命が安全に生きられる持続可能な環境を維持することはできなくなります。
 今回の危機をきっかけに、電力をはじめとする産業や消費生活において、二酸化炭素の排出を最大限に減らす脱炭素化を進めるために、ビジネスや生活、社会のあり方を徹底的に考え直し、システムチェンジをしなければならないのです。そのためには若い人たちのアイデア、発想が大事です。どんどん出してほしい。それが社会を変える力になります。
 これからの時代を創造し、社会を構築していく主役は若者です。大人世代は若者を対等のパートナーとし、持っている技術力や経済力、ノウハウを提供する。それぞれが蛸壺から出て、若者と共に縦横無尽に連携しながら、新しく変えていく議論をしなければなりません。今、始めなければ、本当に手遅れになってしまうのです。

くにや・ひろこ 大阪府生まれ。米国ブラウン大学卒。1981年、NHK総合「7時のニュース」英語放送の翻訳・アナウンスを担当。87年からキャスターとしてNHK・BS「ワールドニュース」「世界を読む」などの番組に出演。93年から2016年までNHK総合「クローズアップ現代」のキャスターを務める。1998年「放送ウーマン賞’97」、2002年「菊池寛賞」(国谷さんと「クローズアップ現代」のスタッフ)、11年「日本記者クラブ賞」、16年「ギャラクシー賞特別賞」を受賞。

※ご感想はこちらまで heiwanobunka@seikyo-np.jp

池田先生の写真と言葉

1991年6月、ロンドン郊外のテムズ川のほとりで



1991年6月、ロンドン郊外のテムズ川のほとりで

 「聞くこと」「耳を傾けること」――それは、「心を開く」ことであり、「相手の生命を敬うこと」です。そこに、互いの触発が生まれ、新しい創造が始まります。  
                                                                     ◆◇◆    
「国家中心」から「人間中心」へ、そして、「世界は一つ」と考えていくべき時が既に来ているはずだ。  そのために必要なのは、人間の多様性を尊重し、調和と融合を図り、人類を結び合う生命の哲学だ。(中略)
 一人ひとりがエゴイズムの殻を破り、蔑視や偏見を克服して、人間性の尊き輝きを放つことだ。  
 (上は『母への讃歌』、下は小説『新・人間革命』第3巻「平和の光」から)


◆脳性まひの次女と歩む幸せになる道〈信仰体験〉 2020年6月23日
 明日になれば、空も必ず晴れる!
  
 【大阪府松原市】「人よりは、ゆっくりかもしれない。それでも、私らしく、強く生きていこうと決めています」。尾﨑真弓さん(58)=地区副婦人部長=の人生は、はたから見れば、“苦労の連続”と映るかもしれない。
 生まれてきたわが子の重い障がいが、その後の生活を大きく変えた。自身の病や、長女の不登校にも悩んだ。
 しかし悲哀の涙を越えて今、尾﨑さんの言葉には、揺るぎがない。

予想を覆す発育
 1993年(平成5年)5月29日。次女・志野さん=女子部員=が体重3020グラムで無事に生まれた時、尾﨑さんは安堵を覚えた。
 すぐ保育器に入れられはしたが、小さなわが子のしぐさは愛らしかった。
 長女、長男に加えて5人家族となり、一層、にぎやかな毎日が始まると思っていた。
 ところが何日たっても、赤ちゃんは退院できなかった。夫・直士さん(58)=常勝長(ブロック長)=は、娘の体に障がいがあり、「長く生きられないかもしれない」との医師の診断を、妻に伝えられずにいた。
 脳の形成障害のため左半身にまひがあり、心臓には3カ所の穴が開いていた。
 赤ちゃんを連れて自宅へ戻ったのは、1カ月以上も後のこと。
 退院前に、医師から説明を受けた。
 「泣きすぎたり、風邪をひいたりすると、命取りになることがあります」
 神経をすり減らす育児に、疲れ果てる毎日が始まった。なかなか御本尊にも向かえなかった。
 婦人部の先輩が何度も励ましてくれた。
 「私たちには、医学の常識さえ覆すほどの素晴らしい御本尊があるじゃない」
 尾﨑さんは、動きが少ない娘の左手足をさすりながら、一遍一遍の題目を染み込ませるように祈りを重ねていった。
 ある日、会館での中継行事に参加した時のこと。発育の遅れていた志野さんが、初めてコロンと寝返りを打った。
 その後も、固く握られていた左手が開くようになり、無理だと言われていたハイハイができるようになり……。
 少しずつ成長を重ねる娘の姿は、尾﨑さんの信心を燃え上がらせた。生後11カ月の頃には、心臓の穴が全て自然にふさがっていた。
 1歳を過ぎると、てんかん発作が起こるなど尾﨑さんの心労は絶えなかったが、池田先生の指導を支えに前を向いた。
 「お母さんが楽天的で、くよくよしないこと」「何があっても『明日になれば、空も晴れるよ!』と、楽観主義で生き抜いていただきたい」

容赦のない試練
 志野さんの成長を夫婦で喜び合う一方、日ごと尾﨑さんを苦しめたのは、“世間の目”だった。
 障がいに対する理解が、今ほど進んでいなかった当時。
 買い物に志野さんを連れて歩くだけで、容赦ない視線や言葉を投げつけられた。
 「志野ちゃんの顔、怖い」。悪気はなくても、近所の子どもたちの言葉はストレートで、胸をえぐられた。
 試練は、容赦なく襲ってくる。中学生だった長女・あすかさん(36)=婦人部員=が、学校に通えなくなったのだ。
 尾﨑さんは、これまでの自身の接し方を省みた。
 志野さんが生まれてからは、ずっとかかりきり。あすかさんに、我慢や寂しい思いをさせてきたのではないか。やむを得ない転居で、友達と離れ離れになる経験もさせてしまった。
 反抗的な態度を取る娘と、夜が明けるまでリビングで語り合った日も数知れない。わが子の“心の空”が晴れわたる日を祈り抜いた。
  
 あすかさんは、その後、21歳で定時制高校へ。一度、通えなくなったこともあったが、教員らの励ましに支えられ卒業を果たし、短大に進学。
 そして、女子部の活動に励み、やがて介護福祉士として働くように。献身的な介護実践が評価されて、母校の短大で講演を行ったこともある。
 この間、尾﨑さん自身も緑内障を患った。視野の一部は現在も欠けたまま。病と闘いながら、苦境を乗り越えた日々は、祈りの姿勢を変えたと尾﨑さんは言う。
 「それまでは、娘の障がいが“治るように”とばかり祈っていました。かなわないことを嘆く日もありました。今は、障がいがあっても幸せになる道はあると、確信できます」
 志野さんは、出生時の医師の言葉を覆すように、成長を続けた。
 兄で長男の駿行さん(30)=千葉県松戸市、男子部員=に支えられながら、地元の小学校にも登校した。
 特別支援学校を卒業した後は、地域の作業所に通っている。人前ではあまり話さないが、作業所では、人一倍おしゃべりになるという。

ずっと見ていたよ
 尾﨑さんは30代の頃、本紙の配達員を務めていたが、緑内障を発症して辞めていた。
 病の進行が落ち着き、日常生活にも支障がなくなってきたことから2013年、再び、“無冠の友”に復帰した。
 ある日のこと。配達先の家の人から「あなたと娘さんの姿を、ずっと見ていましたよ」と声を掛けられた。
 毎朝、作業所に通う志野さんを、尾﨑さんはバス乗り場まで送っていた。その2人のけなげな様子を、感心して見ていたという。
 かつて、他人からの視線や言葉に、深く傷ついた日があった。外出が怖くて、ふさぎ込んだ日もあった。
 それを思うと、“ずっと見ていたよ”との言葉は、苦悩に負けなかった自分への、最大の称賛の言葉と思えた。
  
 夫の直士さんも、前向きに歩む妻の姿に接して、学会活動に励むようになった。
 仕事上の困難にぶつかった時、夫婦で真剣に祈り、勝ち越えたことも、信心の確信へとつながっている。
 あすかさんは現在、3児の子育てで多忙な毎日を送る。
 駿行さんは千葉に住んでおり、家族5人が集まれる機会は多くない。
 それでも家族の絆は、かつてないほど強いと、尾﨑さんは感じている。
 天気の日には、尾﨑さん、直士さん、志野さんの3人で、近所を散歩する。
 ドライブに出掛けるのも、ささやかな楽しみだ。目的地があるわけではなく、最近は車から降りることもあまりないが、志野さんは気にしていない様子。
 大好きなお父さんの隣に座って、お気に入りのCDを聞いている。その上機嫌な表情を見ていると、尾﨑さんは自分の心にまで、喜びが広がっていくのを感じる。
(関西支社編集部発)

 

2020年6月22日 (月)

2020年6月22日(月)の聖教

2020年6月22日(月)の聖教

◆今週のことば

 「御みやづかいを
 法華経とをぼしめせ」
 変化の社会にこそ
 新たな価値創造の力を。
 妙法の賢者と光れ!
 御書P1295


◆名字の言 自身の殻を破る「出会いパワー」 2020年6月22日

 クルミは硬い殻に覆われているが、それを割るとおいしい実が現れる。「私にとって教育とは、まさにこの『殻を破る』こと」と語るのは、明治大学の齋藤孝教授。氏は、教師志望の学生たちが“殻を破る”契機にと、工夫を凝らした授業を行う▼例えば、それぞれ学んだ専門知識をショートコントで披露する授業。歌を歌う、キャラクターに扮する……最初は恥ずかしがっていた学生も、終わると“やってよかった”と笑顔に。実際、“翌年に残したい授業”を学生に尋ねると、多くがこの授業を挙げるそうだ▼殻を破るきっかけは、自分の内側からだけでなく、外側からの刺激で生まれることも多い、と氏は語る。「言わば、『出会いパワー』『縁の力』です」と(『潜在能力を引き出す「一瞬」をつかむ力』祥伝社新書)▼コロナ禍の中、電話やSNSでの励ましを印象的に語る人が少なくない。“地区婦人部長の明るい声にホッとしました”“支部長の力強い言葉が胸に響いています”。直接、会えなくても、人の心を変える「出会いパワー」を生み出すことはできる▼御書に「万法は己心に収まりて一塵もかけず」(1473ページ)と。誰の生命にも、宇宙に等しい智慧と力が秘められている。その可能性を開く「出会いの劇」を、きょうも朗らかに。(誼)


◆寸鉄

創価の女性が記念月間を
快走。太陽が輝けば世界
は明るく。激励の光更に
     ◇
心は王者でいけ。誇り高
く生き抜け―恩師。皆が
幸福になる仏法。信強く
     ◇
奄美の日。試練の時こそ
同志と共に、地域と共に。
支え合いの絆は広布の鑑
     ◇
東西の創価学園がウェブ
見学会を開催中。英才よ
集え!人類貢献の学舎へ
     ◇
新型コロナの抗体、保有
せぬ人が大半―厚労省。
手洗い等、引き続き励行


◆社説 あす、沖縄「慰霊の日」  生命尊厳の哲理を命に刻み

 1945年、太平洋戦争末期の沖縄では、旧日本軍の組織的戦闘が終結したとされる6月までの約3カ月間、“国内最大の地上戦”により、12万人余の県民を含む、約20万人が戦禍の犠牲になった。
 あす23日は、沖縄「慰霊の日」。糸満市摩文仁の平和祈念公園では「沖縄全戦没者追悼式」が行われる。終戦から75年。沖縄戦を体験した世代は県人口の6%台となり、戦争体験の風化が懸念される。本年、長期休校の影響で平和学習の時間を削減する学校もある。だが沖縄歴史教育研究会などの調査によれば、沖縄戦の学びを「とても大切」「大切」と回答した高校生は合わせて95・5%に上り、若い世代は平和教育の機会を求めている。   
 沖縄創価学会では青年部を中心に長年にわたり、沖縄戦体験の聞き取りや反戦出版などを通して、“戦争の記憶”の保存をはじめ、平和運動を力強く推進してきた。昨年は、15人の中・高等部員が、8人の戦争体験者から聞き取りを行い、それらをまとめた体験集が年内にも発刊される予定。「今回、聞いたことは、絶対に繰り返されてはならないことだと思いました」と未来部員は語っていた。
 19日付本紙沖縄版では、石垣島で空襲・艦砲射撃に遭い、母をマラリアで、幼い弟を栄養失調で失った壮年の体験を紹介。彼は今、音楽を通して、「次代を担う子どもたちへ、戦争の残酷さと平和の尊さを伝え抜いていきます」と誓う。
 かつて沖縄青年部が収集した「沖縄戦の絵」がある。戦時中の写真はほとんど米軍が記録したもので、住民による記録はなかった。“体験者に描いてもらうしかない”と青年たちが立ち上がったが、悲惨な記憶を呼び起こして絵にすることは、体験を語る以上のつらさがあった。数カ月の間、1枚の絵も集まらなかった。しかし、青年たちの真剣な平和への訴えが、体験者の心を動かし、約700点の絵として結実した。全国での巡回展は大きな反響を呼び、一部はパネルにされ、平和教育の貴重な資料として、今年も県内の小学校で展示された。
 池田先生は60年と62年の2度、南部戦跡を訪れ、不戦の誓いを固めた。64年には、軍国主義と戦い抜いた恩師の真実を描く小説『人間革命』を沖縄の地で起稿。師の平和への思いは、後継の青年たちに脈々と受け継がれている。
 平和建設は「奪命」という人間が持つ魔性との戦いである。故に万人の生命に「尊極の宝」を見いだす哲理が必要だ。自他共の心の奥深くに生命尊厳の思想を打ち立て、人間の一念を平和の方向へと転換し続ける中でその道は開かれる。
 「命どぅ宝(命こそ宝)」の心を沖縄から世界に、発信し続けていきたい。


◆きょうの発心  兵庫・常勝播磨県総合婦人部長 安部糸美

御文  何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり(呵責謗法滅罪抄、1132ページ・編599ページ)
通解  いかなる世の乱れにも、あなた方を法華経や十羅刹女よ助け給え、と湿った木から火を出し、乾いた土から水を出すように強盛に祈っている。

強盛な祈りで弟子の誓い果たす
 強盛な祈りが、不可能を可能に転じると教えられています。
 支部婦人部長として、広布にまい進していた時、夫が右腕に大けがを負い緊急手術することに。後遺症が残り、働き続けることができるか、不安がよぎりました。
 当時は自宅を購入し、長女は短期大学に進学したばかり。この御文を拝し、家族一丸となって唱題に励みました。すると、夫の職場環境が大きく変わり、願った通りの条件で、働き続けられるように。その後も苦難は続きましたが、3年前には念願だった実父への弘教が実るなど、題目を根本に一つ一つ乗り越えることができました。
 2010年(平成22年)6月の本部幹部会に参加。池田先生の「弟子たちが、本気になり、一丸となって、不惜身命の祈りと行動を」とのメッセージに“必ず師匠にお応えする”と決意しました。誓願の一念と報恩の祈りを根本に、励ましの拡大に徹してまいります。


【教学】

◆日蓮大聖人の慈愛の眼差し 「日蓮の弟子と名乗りなさい」 
南条兵衛七郎 一族で最初に大聖人に帰依した広布の父 最期まで信心を貫き後継の道を開いた

秀麗な富士を望む静岡・富士宮市。この天地で、南条兵衛七郎は富士の如き不動の信心を貫いた

秀麗な富士を望む静岡・富士宮市。この天地で、南条兵衛七郎は富士の如き不動の信心を貫いた

 「広宣流布は、『一人立つ』ことから始まる。そして一人ひとりが、自分のいる場所をば、使命を果たすべき『広布の天地』として立ち上がるところに、『人間革命』があることを、絶対に忘れてはならない」   ?
 かつて池田先生は、こうつづった。  
 日蓮大聖人の御在世当時、駿河の天地を舞台に、南条家の人々は強盛な信心に励み、広布史に名を刻んだ。その一家の信心の起点となった人物がいる。その人こそ、南条時光の父・南条兵衛七郎である。  
 一族で最初に大聖人に帰依し、病魔と闘(たたか)いつつ、最期まで信心を貫いた。  
 広布に一人立つ勇者によって、いかなる未来が築かれていくのか――その答えは、兵衛七郎の人生が克明に物語る。

真心あふれる一通のお手紙
 南条兵衛七郎は、駿河国富士上方上野郷(静岡県富士宮市下条)に住んでいた武士で、「上野殿」とも呼ばれた。先祖が伊豆国田方郡南条郷(静岡県伊豆の国市南條周辺)を本拠地とする一族であったことから、「南条」の名字を名乗った。  
 もとは一族で念仏を信仰していたが、兵衛七郎はおそらく鎌倉にいた時に大聖人に帰依し、法華経の信仰に励むようになったと考えられる。  
 駿河国は、北条得宗家が守護として支配した地域であり、特に上野郷がある富士方面は、念仏の強信者である北条重時の娘で、北条時頼の妻の後家尼御前らの影響が強い地域であった。  
 兵衛七郎が法華経を持ったことに対し、身内はおろか地域住民からも、驚きや反対が起こったことは容易に想像ができる。
 そうした中、信心に励んでいた兵衛七郎だが、文永元年(1264年)12月、重い病に伏していた。
 まだ働き盛りで、これからという年齢だったことだろう。親類からは“これを機に、念仏に再び帰依せよ”と勧められたかもしれない。  

 大聖人は、兵衛七郎が病に伏したことを聞かれるやいなや、お手紙(「南条兵衛七郎殿御書」)を送られた。  
 兵衛七郎に宛てられたお手紙は、この一通しか伝わっていないものの、この一通こそが、兵衛七郎の心に渦巻く恐れや迷いを打ち払い、揺るぎない信心の一念を確立させた。また、妻の上野尼御前や息子の時光ら家族が正法弘通に献身していく道を開いていったのである。  
 このお手紙が送られる1カ月前、大聖人は「小松原の法難」に遭われ、額に傷を被り、左手を打ち折られている。傷も癒えぬ中で認められたお手紙は、御書全集で6ページ、400字詰め原稿用紙にして約15枚に相当する長文であり、病床の門下を全力で激励されようとする大聖人の大慈大悲が感じられてならない。  
 お手紙には小松原の法難についても克明に記され、命懸けで広宣流布を進める「日本第一の法華経の行者」(御書1498ページ)の御確信がつづられている。
 また大聖人は、念仏信仰を破折し、法華経こそが釈尊の真意を説いた教えであることを明かされ、破邪顕正の精神を打ち込まれる。   
 「どのような大善を作り、法華経を千万部読み、書写し、一念三千の観法の道を得た人であっても、法華経の敵を責めなければ仏の道を得ることは難しいのである」(同1494ページ、通解)   
 この御文は、初代会長・牧口常三郎先生の御書にも強く赤い線が引かれていた一節である。
 大聖人は特に法然の念仏を破折されるが、現代で言えば、「法華経の敵」とは、浅い教えに執着し、万人成仏を説く法華経に敵対する者のことである。  
 法華誹謗という根源の悪と戦い、不幸の流転の根元を断ち切る――兵衛七郎は病床で、一生成仏の急所を師から教わり、周囲の反対に屈せず、師が呼び掛けた「大信心」(同1497ページ)を奮い起こすことを心に誓ったであろう。

「師弟」こそ仏法の根幹
 兵衛七郎の病状は大変に重かったようで、大聖人は、このお手紙の終わりに次のようにつづられた。 「もし日蓮より先に旅立たれるなら、梵天・帝釈天・四大天王・閻魔大王らに申し上げなさい。『日本第一の法華経の行者・日蓮房の弟子である』とお名乗りなさい。よもや粗雑な扱いはされないだろう」(同1498ページ、通解)  この力強い大聖人の励ましを受け、“今世も、そして来世も、師匠と一緒に生き抜くのだ!”との思いが兵衛七郎の心を満たしたであろう。  

 池田先生は、本抄の講義で呼び掛けている。
 「いざという時に、胸を張って『日蓮の弟子』と言い切ることができるかどうか。日蓮仏法の根幹は、どこまでも師弟です。
 三世にわたって師弟に生き抜く誓願と実践が、一切を勝ち開きます。私たちの日々の実践に即するなら、『我、創価学会員なり!』と喜びの唱題を重ね、広布の活動に励むことです。その信心があれば、三世十方の仏・菩薩・諸天善神が動きます。そして、その人自身が、未来永遠に『仏』と輝くのです」  

 日蓮仏法の根幹を教えられた兵衛七郎は、病床にあって、大聖人のお手紙を幾度となく拝したであろう。そして最期まで師弟の道を歩み抜いたに違いない。
 お手紙を頂いてから3カ月後の文永2年(1265年)3月8日、兵衛七郎は霊山へ旅立った。  
 兵衛七郎が「臨終正念」(同1508ページ)の姿を厳然と示したことを、大聖人は伝え聞かれている。この時、時光は7歳、末っ子の五郎は上野尼御前のおなかの中にいた。  
 しばらくして大聖人は、鎌倉からはるばる上野郷に出向かれ、墓参される。この時、幼い時光は大聖人と初めての出会いを結んだ。時光は父の願い、母の祈り、そして師匠の期待を一身に受け、立派に成長を遂げる。さらに、時光だけでなく、他のきょうだいも続き、兵衛七郎の強盛な信心は多くの子が受け継いだ。  
 広布大願に立つ「一人」がいれば、仏法は必ずや二人、三人、百人と唱え伝わっていく――大聖人が示された「地涌の義」を、南条兵衛七郎はその人生を通して示しきったのである。


【聖教ニュース】

◆世界市民教育の拠点に――創価大学の馬場学長に聞く 2020年6月22日

 新型コロナウイルスの世界的流行は、オンライン学習へのシフトなど、これまでの教育環境を一変させた。人類全体が、かつてない試練に立ち向かう今、ポスト・コロナ(コロナ後)の時代を見据え、創価大学(東京・八王子市)では、どのような人材の養成を目指しているのか。開学50周年となる明2021年へ、創大の使命と今後の取り組み、新たに策定された中長期計画「創価大学グランドデザイン2021―2030」などについて、馬場学長に話を聞いた。

新たなグランドデザインを策定 価値創造の実践者を養成
 ――感染症の拡大で、多くの学生が先行きの見えない不安を抱える中、創価大学ではいち早く、オンラインシステムを活用した授業や進路相談の実施に踏み切りました。

 世界的な感染爆発の兆しが見え始めた本年3月上旬には、従来の対面授業ができない可能性が浮上しました。以来、学生と教職員の安全を最優先にしつつ、教育・研究活動の質を担保しながらも継続するためには、どのような対策を講じるべきか、学内で検討を重ね、4月13日には、ほぼ全ての授業をオンラインで開始することができました。
 新しい局面を迎えるに当たって、関係者の多大な努力があったことは言うまでもありません。
 本学では長年、FD(教員の教育力開発支援)に重きを置いてきましたが、非常勤講師を含めたほぼ全員の教員が、新たな試みに迅速に対応しようと、積極的にオンラインの研修を受け、学生が不安なく勉学に励める環境づくりを模索してくれました。
 また、学生自身が知恵を絞り、課題の洗い出しや教員のサポートに尽力してくれたほか、献身的に対応する職員の奮闘によって、就職支援をはじめとする学生へのサポート体制をオンラインで整えることができました。
 当初は、オンラインの対応が軌道に乗るか心配でしたが、先ごろ実施したアンケート調査では、約80%の学生が「集中して授業に取り組めている」と答えています。現在では“教員一人対学生多数”の授業と比べて、教員・学生の双方から「一人一人の理解度を深く知ることができる」「不明な点を教員に質問しやすい」などの声が寄せられています。
 場所を選ばずに情報や知識を伝達し、活発な意見交換ができるオンライン教育の可能性は、ますます広がっていくでしょう。今後は、このオンライン授業と並行しながら、国や都の指標に基づき、万全の感染症対策を講じた上で、実習や実験科目などの対面活動も再開していく予定です。

社会貢献の人材を育む創価大学のキャンパス(東京・八王子市)


社会貢献の人材を育む創価大学のキャンパス(東京・八王子市)


――創大では、2010年に長期計画「グランドデザイン」を発表して以来、開学50周年の節目に向けて、先進的な取り組みを展開してきました。

 
 この10年間で、本学は、中央教育棟の建設や、看護学部、国際教養学部の開設などの環境整備とともに、語学力向上への取り組みや留学制度の充実など、“キャンパスのグローバル化”に一段と力を入れてきました。
 また、14年に採択された文部科学省の「スーパーグローバル大学創成支援」事業において、18年に発表された中間評価では、最高評価の「S」の認定を受けるなど、国際戦略に関しても一定の成果を得ることができたと感じています。
 これらのことを踏まえて、とりわけ大きな変化を感じる点は、学生の活躍です。日本を代表して、世界中の国際会議や交流プログラムに出場する創大生の人数が、これまでと比べて圧倒的に増えました。
 その陰には、“若き創立者”との自覚に立った学生たちの努力と奮闘がありました。学生一人一人が、日々、創立者・池田先生の精神を求め、実践し抜いた勝利の証しであると確信します。

「建学の精神」を堅持し創価大学はさらに発展
 ――新たに策定したグランドデザインには、「価値創造を実践する『世界市民』を育む大学」とあります。創大としては、今後、どんなことに力を注いでいくのでしょうか。
 
 一切の焦点は、世界市民教育の拠点を構築することにあります。開学以来、創立者は一貫して、平和のために価値を創造する世界市民の育成こそ、本学の使命であると訴えてこられました。
 1996年、米コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジでの講演では、「『価値創造』とは、端的にいうならば、いかなる環境にあっても、そこに意味を見いだし、自分自身を強め、そして他者の幸福へ貢献しゆく力のことであります」と、分かりやすく教えてくださっています。
 本学が目指すのは、この理念を“議論する場”であるとともに、“実践する人材を育む場”であることです。
 そのために、具体的には、①平和・環境・開発・人権の分野を中心とした「世界市民教育」に関するプログラムの高度化をはじめ、持続可能な社会を構築するための能力を育む教育・研究環境を整える②全学を挙げて「平和」の実現に貢献する研究を推進するとともに、大学・諸機関および研究者とのネットワークを形成し、SDGs(持続可能な開発目標)の達成へ先導的役割を担う③海外からの留学生や社会人など、多様な価値観や背景をもつ人々が共存し、共生するキャンパスを実現する――などに取り組んでいきます。
 他者の幸福に貢献する人材育成の流れを一段と強めながら、10年後には、「世界市民教育の拠点は創価大学である」といわれるリーダーシップを執っていきたい。
 創立者の思想に基づいた教育・研究活動のモデルケースを、本学が発信していく――これが、新たなグランドデザインの中で最も強調したい点です。
  
 ――感染症との闘いに直面する今、「価値創造」の理念を掲げる創大の使命は、ますます大きいと感じます。
 
 本学は「民衆立の大学」です。国際性豊かな人材を育成することはもとより、一人一人の苦悩に寄り添う民衆のリーダーを輩出する使命があります。
 「大学は大学に行けなかった人のためにある」との創立者の言葉を深く胸に刻んで進まなければなりません。
 大学は、社会の変化や情勢に無関心ではなく、世界の潮流に変化を生み、より良い方向へ導く存在であるべきだと思います。近年、紛争や感染症、自国第一主義の台頭による国際問題など、世界には課題が山積しています。
 これからも平和への志を共にする機関と手を携えながら、生命尊厳が民衆の考え方の支柱になるよう、貢献していきたいと考えます。

創価教育の父・牧口常三郎先生の筆による「創價大學」の文字が刻まれた石碑。大学の正門で英才たちを迎える(東京・八王子市)


創価教育の父・牧口常三郎先生の筆による「創價大學」の文字が刻まれた石碑。大学の正門で英才たちを迎える(東京・八王子市)

 ――馬場学長は栄光の1期生として、この50年、大学建設に奔走されてきました。
 
 学生時代、また教員になってからも、創立者の真心を肌で感じてきました。学生一人一人を尊重し、対話する創立者の姿を心に焼き付けてきました。感謝の思いが尽きることはありません。
 創立者はかつて、発展する大学の特質について、「いかなる時代の波浪に遭おうとも『建学の精神』を堅持し、実現させることを最大の誇りとし、責務としていること」と教えてくださいました。
 本学には、全ての教育・研究活動の根本となる指針として「人間教育の最高学府たれ」「新しき大文化建設の揺籃たれ」「人類の平和を守るフォートレス(要塞)たれ」との「建学の精神」があります。
 教育環境の整備は大切ですが、学生や教職員が、この「建学の精神」を心に刻み、体現していくことが、何よりも重要です。
 この点において本学では、在学生のみならず、卒業生の奮闘も光るものがあります。
 先日、オンラインで就活生にアドバイスをする機会をと、イベントを行いましたが、日本国内のみならず海外からも多くの卒業生が参加してくれました。また、国家試験をはじめとする各種試験に挑む学生を、卒業した先輩が温かくサポートする伝統も続いています。
 “後輩を自分以上の人材に”との創立者の思いが、本学の文化となり伝統となって受け継がれています。
  
 ――最後に、創大を志す方々にメッセージをお願いします。
 
 先行きが不透明なコロナ禍の中、本学を志していただいていることに、心から感謝申し上げます。
 来春、進学される方、とりわけ、地方から上京する方は、多くの不安を抱えておられると思います。
 今後も「学生第一」の精神のもと、皆さんの健康と安全を第一に考え、感染症対策に万全を期してまいります。
 本学には、人間として互いに尊重しながら、自らの可能性を最大限に引き出していく「人間教育」の伝統があります。キャンパスには、その伝統に自分らしい光を当てながら、成長できる最高の環境が整っています。
 これまでの50年、本学は創立者の命を削る尽力によって、想像もできないような発展を遂げました。さらなる発展を目指し、開学100周年に向かっての次なる50年の第一歩を、使命深き皆さんと共に踏み出せる日を心待ちにしています。


◆女子部がオンライン講義 大串女子部長の担当で「一生成仏抄」学ぶ  2020年6月22日
 26日まで視聴可能

 「女子部オンライン講義」が動画投稿サイト「YouTube」(限定公開)を活用して配信され、大きな反響を呼んでいる(事前収録による映像を20日から公開。26日まで視聴可能)。
 大串女子部長の担当で「一生成仏抄」を研さん。女子部と共に「希望の絆 女性月間」(30日まで)を進む婦人部を代表して、杉本総合婦人部長が激励した。
 講義では、大串女子部長が「深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり」(御書384ページ)を拝読。強き確信と持続の祈りこそが、生命変革の基盤となると訴えた。
 さらに、2009年6月4日、創価女子会館(東京・信濃町)を初訪問した池田大作先生が、「自分自身が妙法の当体なのだから、諸天善神が守らないわけがないと確信して、題目をあげた時に、必ずそうなるんだよ」との戸田城聖先生の言葉等を通しながら、華陽の友に、祈りの功力について語ったことに言及。
 女子部長は「絶対勝利の力」である題目をたゆまず唱え、7・19「女子部結成記念日」へ、いかなる逆境も乗り越えゆく希望の前進をと呼び掛けた。
 杉本総合婦人部長は、“女子部は一人も残らず幸福に”と願い続ける池田先生の折々の指導を紹介。
 次に、師の励ましを抱き締め、行動し、一家和楽を築いた自身の信仰体験を披露。「女子は門をひらく」(同1566ページ)を拝しつつ、「女子部の祈りと福徳は、父母はじめ全ての眷属を包んでいける」と強調した。そして、女性の世紀の主役は女子部であると述べ、華陽姉妹に万感のエールを送った。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈池田先生の会長就任60周年 青年部が原田会長に聞く Ⅱ部〉第9回 未来を照らす人間教育の光③ 2020年6月22日

〈出席者〉西方男子部長、大串女子部長、樺澤学生部長、林女子学生部長

先生の心にはいつも創価学園生が! 慈愛と期待で真心の励まし
 ◆西方 今回から、創価学園について、伺いたいと思います。1968年(昭和43年)、創価中学・高校が東京・小平市に開校しました。これが、「創価一貫教育」の第一歩となりました。
  
 ◇原田 池田先生は奥さまと共に、第3代会長に就任される1カ月前の60年4月5日に小平市を訪れ、創価学園の建設用地を視察されています。
 前月末から、先生は繰り返し、会長就任の要請を受けていました。そして、視察の9日後の4月14日、ついに就任を受諾されます。その後、一切の広布の指揮を執られながら、学園設立への準備を着々と進めていかれたのです。
 創価学園の歴史とは、広宣流布即世界平和のために一人立ち上がり、戦い抜かれた池田先生の、この60年間と、軌を一にしているといえるでしょう。
  
 ◆西方 東京の学園は今年3月、中学・高校50期生が卒業しました。草創期の様子は、小説『新・人間革命』第12巻「栄光」の章でも触れられています。先生は何度も学園を訪問され、生徒との数え切れない金の思い出をつくってくださっています。
  
 ◇原田 こんなこともありました。開校翌年の第2回入学式の日にも先生は学園を訪れ、「この大事な1年間の歩みを記録に残してはどうか」と、校史の発刊を提案されました。すぐに中学、高校の代表メンバーが選抜され、5月11日に行われた第1回の編集会議にも出席してくださったのです。
 先生は、若き日に戸田先生の出版社で少年雑誌の編集長をされた経験から、編集の方法や醍醐味を学園生に伝えたかったのでしょう。何度も「分からないことがあれば何でも聞きなさい」と声を掛けてくださいました。まさに実践を通しての人材育成です。
  
 ◆樺澤 7月には、『創価学園 建設の一年』という校史が見事に出来上がりました。
  
 ◇原田 先生は発刊に際し「この『建設の一年』は、単に学園の記録であるばかりではない。諸君ら一人一人の、人生の記録でもあるのだ。そして、未来への無限の可能性を秘めた宝箱なのだ」と寄稿されました。このように、先生は、“手づくり”で学園生一人一人の心に、生涯崩れぬ原点を刻んでいかれたのです。
 今年4月の入学式は、コロナ禍による未聞の試練の中、オンラインで行われました。先生は「わが創価学園は、『人類の幸福の鐘』『世界の平和の鐘』を響かせゆく英知の大城です」と学園生に万感の期待を寄せられました。先生の心には、「いつも学園生がいる」のです。

卒業式で愛唱歌「負けじ魂ここにあり」を歌う池田先生。東西の学園生の歌声に応え、「5番」
に入ると右手を高くあげた(2009年3月16日、東京・小平市の創価学園で)

草創から海外の指導者らが来訪

 ◆林 草創期以来、学園には多くの世界の指導者、識者が来訪しています。
  
 ◇原田 そうした伝統を築かれたのも池田先生です。 70年10月17日には、「ヨーロッパ統合の父」であるクーデンホーフ・カレルギー伯爵を学園に迎えました。開校から、3年目のことです。
 伯爵は全生徒を前に「私の人生」と題して講演されました。世界的な識者の講演です。学園生にとって、どれほど大きな触発となったことでしょうか。
 今、社会や学会の中核として活躍している草創の学園出身者の中にも、この講演を聴いたことが自身の跳躍台になっていると語る方が多くいます。先生は中学生、高校生という若い時から、国際的な視野を持った人材の育成を考えて、具体的な手を打ってこられたのです。
  
 ◆大串 これまでに、5000人を超える海外の識者が東西の学園に来校されました。
  
 ◇原田 フランスの美術史家ルネ・ユイグ氏、ゴルバチョフ元ソ連大統領ご夫妻、モスクワ大学のホフロフ総長、平和学の創始者ガルトゥング博士など、そうそうたる方々です。
 先生は学園の創立に際し、ご自身が「学園生の先頭に立って、世界の知性と対話しよう!」と固く誓っておられました。そこには、“私の後に続いて「平和の道」を歩んでいってほしい”との、先生の学園生への熱い思いがあったのだと思います。
  
 ◆林 学園生に対する先生の慈愛と期待に、私も卒業生の一人として、改めて決意を深くします。
  
 ◇原田 先生は、学園のさまざまな式典や行事などに出席し、生徒たちに励ましを送り、期待を寄せてこられました。
 高校1期生が卒業する際には、先生は「お祝いに、日本で一番おいしい中華料理をごちそうしてあげよう」と、卒業生の代表を有名なホテルのレストランに招待し、会食されたこともありました。私も同席させていただきましたが、先生は将来、必要なことだからと、テーブルマナーを丁寧に教えてくださいました。会食中も、質問に耳を傾けられるなど、生徒一人一人の人格を尊重し、大切に育んでいることが伝わってきました。
 この高校1期生には、現在の創価大学の田代理事長、馬場学長、アメリカ創価大学の羽吹学長もいます。未来を見据えての先生の真心の励ましが、こうして実を結んでいるのです。

2017年4月5日、池田先生が東京・創価学園を視察。創立50周年を迎えたキャンパスでシャッターを切った

 ◆樺澤 学園には多くの愛唱歌があります。中でも「負けじ魂ここにあり」は東西の学園生が特に大切にする歌です。
  
 ◇原田 この歌は78年に東京校の生徒が「3番」まで作った歌詞を池田先生が推敲されたものです。さらに、作曲にも携わってくださった先生は「4番」の歌詞を加えられました。以来、学園で歌い継がれてきました。
 2009年2月、卒業を目前に控えた東京校の高校3年生が、この歌の合唱を録音し、先生にお届けしました。すると、先生は、3月11日、この歌の「5番」の歌詞を作詞し、贈られたのです。5日後、東西の学園を中継で結んだ卒業式では、出席された先生の前で東西の学園生が大合唱しました。
  
    正義の誇りに 胸を張れ
  君に託さん この大城を
  学べ勝ち抜け 世界まで
  負けじ魂 朗らかに
  
 「5番」に入ると先生は右手を高くあげ、節をとりながら、共に歌ってくださいました。東西の学園生が一体となり、偉大なる創立者のもと、誓いを新たにした歴史的な瞬間でした。
  
 ◆樺澤 私も当日、東京・創価高校の1年生としてその場に参加し、先生と共に歌わせていただきました。先生の真心に触れ、胸がいっぱいになったことは一生の原点です。
  
 ◇原田 15年の卒業式でも感動的な出来事がありました。東西の学園を中継でつないで行われた式の終盤にスピーカーから、「みんな、おめでとう! 卒業おめでとう!
 うれしいよ」との池田先生の声が響きました。先生は、卒業式の様子を見守ってくださっていたのです。そして、先生の呼び掛けで、「負けじ魂ここにあり」の大合唱が始まりました。
 歌い終えると、「一緒に歌ったよ。上手だったよ。おめでとう! おめでとう! よかったよ」との先生の声が再び聞こえました。場内は、深い深い感動に包まれました。
 先生は、かつて学園生に「私には、毎日欠かさない心弾む日課があります。それは大好きな創価学園の歌を聴くことです。私の生命から、君たち、あなたたち、学園生の歌声が離れることは、一日としてありません」との言葉を贈られています。
  
 ◆大串 17年4月5日、先生は奥さまと共に創価学園を訪問され、50期生の入学を目前に控えるキャンパスを視察し、時計塔や体育館などをカメラに納めてくださいました。
  
 ◇原田 奇しくも、この日は先生がかつて建設用地視察のために訪れてから、ちょうど57年に当たる日でした。
 先生はこの時の真情をつづられています。「かつての雑木林には、仰ぎ見る英知の大城が聳え立っている。今や世界の教育界も注目する大発展を、学園首脳と喜び合った。始業式の前日だったが、クラブ活動や新入生の歓迎の準備等に当たる学園生が、はつらつと躍動する息吹がうれしかった」「『教育の勝利』こそが、『人類の永遠の勝利』と叫ばれた牧口先生、戸田先生の会心の笑顔が浮かぶ」
 先生がどれほど学園を愛し、学園生の成長を願われているか――とても計り知ることはできません。学園生の皆さんはこの誇りを胸に、人生を歩んでいっていただきたいと思います。

創価教育の実践に世界の識者が注目する。東京・創価学園を訪問するウズベキスタン国立大学の一行(2019年10月30日)


◆オンライン家庭教育懇談会 全国の受験生にエール㊦ 懇談会2020年6月22日
 柳沢幸雄・北鎌倉女子学園学園長と高等部員を招いて
 学ぼう! 未来のために

柳沢幸雄 1947年生まれ。東京大学名誉教授。アメリカ・ハーバード大学公衆衛生大学院
准教授などを経て、2011年から本年3月まで私立開成中学校・高等学校校長を務めた。4
月から北鎌倉女子学園学園長に就任。著書に『男の子の「自己肯定感」を高める育て方』
(実務教育出版)などがある

 北鎌倉女子学園の柳沢幸雄学園長(開成中学校・高等学校前校長、東京大学名誉教授)を招いて行われた、「オンライン家庭教育懇談会」。最終回となる㊦では、今後の学校の役割や学ぶ意味について語らいました。(㊤は5日付、㊥は11日付に掲載)

つながりこそ
 サトル 高校のオンライン授業が2カ月間続く中で思ったことがあるんです。「学校って、勉強するだけの場所じゃなかったんだ」って。友達と一緒に過ごす時間の大切さを感じたというか。オンライン授業も最初は「便利!」って思ったんですけど、かなり疲れるんですよね。最近、肩凝りもしてきたし(苦笑い)。友達と話したり刺激し合ったりする場のない生活が、こんなに物足りないものとは思いませんでした。
  
 柳沢 学校に行くことが「当たり前」じゃなくなったからこそ、気付けたことだね。オンラインで「知識」を得られているはずなのに、何かが欠けていると感じてしまう。それはサトル君が“人間”だからだよ。
  
 サトル 人間だから?
  
 柳沢 うん。人は「知力」だけでは生きていけない。「つながり」の中でこそ豊かに生きていける存在だ。そのために、人としての振る舞いやコミュニケーションの仕方などを学ぶ必要があるんだね。でも、それは“人とつながる経験”を通してでしか得られないものでもある。コロナ禍の今だからこそ、学校教育の本質的な役割を考えていく必要があると思う。
 ICT(情報通信技術)教育の発達とともに、学校の将来的な役割は「集まる」「つながる」ことになっていくんじゃないかな。一方で、日本の教育現場に根強く残る「同調圧力」(集団と歩調を合わせるように強いる空気)からも、子どもたちを解放していかなきゃならない。これが若者の力を削いでいる要因だから。
  
 飛田 それは子どもたち自身も望んでいることかもしれません。未来部機関紙「未来ジャーナル」6月号で、全国の中学・高校生に行ったアンケートの結果が掲載されていたんですが、その中に「学校のあり方は変わると思う?」との質問があったんです。「変わると思う」「変えた方がいい」と答えた子が約6割に上りました。「いろんな学び方を認めてほしい」「“窮屈な空気”を変えてほしい」との声があったようです。
  
 柳沢 アメリカと日本の大学――それぞれの教壇に立って感じたことがある。日本の高校生のレベルは、世界一だよ。それなのに大学に行ってから伸びなくなってしまうケースが多い。アメリカの大学生は自主的にどんどん質問してくる。でも日本では「何か質問ある?」と聞くと、学生たちは自分の隣の人が手を挙げているかどうかを確認してしまう(苦笑い)。
  
 マナミ なぜでしょう?
  
 柳沢 周りの人と違う意見を述べることで、褒められた経験が少ないからかもしれないね。アメリカではとにかく子どもを褒めて育てる。周囲の子と違っていても、まず「個性」と捉えて長所を探すんだ。アメリカ人がしゃべっている姿をテレビで見て、「なぜ、あんなに自分の意見を自信満々と話せるんだろう」と感じたことは、ないかな? あれもきっと「褒められてきた」ことで育まれた自信なんだろうね。それに対して日本では、人の意見に対して「肯定」よりも「否定」する傾向がある。批判や否定のスタンスを取れば、相手より上の立場に立てると思うからかな。

自分に負けず

 中里 褒めることの大切さは、家庭教師の経験からも実感しています。親御さんには「子どもに10の言葉を掛けるなら、8は褒め言葉、残りの2をアドバイスにするくらいが、ちょうどいいですよ」と伝えているんです。人は褒められることで“自信”が高まる。何か一つでも大きな自信を持てた時に、成長のスピードも飛躍的に上がるんです。
 これは私自身、自閉症スペクトラム障害と診断された長男と関わる中で、感じている点でもあります。親は「この年齢なら、これができて当たり前」と思いがちですが、当たり前を当たり前と思わない心、つまり感謝できる心を親が持つことで、褒め言葉も笑顔も、自然と増えていきます。その意味で受験生のお子さんを持つ親御さんたちには、わが子の“褒めポイント”を一つでも多く見つけて、笑顔で伝えてあげてほしいですね。そもそも、コロナ禍で受験に臨むこと自体、「当たり前」のことじゃないんですから。
  
 柳沢 うん。それと受験生には、大学進学後も向上し続けられる自分自身でいられるよう、「何のために学ぶのか」という一点を忘れないでほしい。僕が小学校時代の恩師から頂戴した「座右の銘」がある。それは「学問とはそれ自体が尊いものではない。学べ、学べ。学んだ全てのものを世の人のために尽くしてこそ価値がある」。この言葉を皆さんに贈りたい。
  
 高梨 創価大学の指針にも「英知を磨くは何のため 君よそれを忘るるな」とあります。創立者の池田先生は「人間は意味に生きる動物である。人は“なんのため”かが明らかにならなければ、そこに、本気になって力を注ぎ込むことはできない」とも強調していました。大学の合格のためだけに勉強するのか。それとも、大学を卒業したその先にある夢や理想を実現するために学ぶのか。同じ受験勉強でも、捉え方一つで、得られる知識の豊かさも、人間的な成長の大きさも、全く違ってくるでしょう。
  
 飛田 ええ。コロナ禍で先行きが見通せない社会状況だからこそ、受験生の皆さんには「学ぶ意味」を追求してほしいと思います。私が創価女子高校(現・関西創価高校)に通っていた時に、創立者・池田先生が全校集会で教えてくださったことが忘れられません。
 それは慶應義塾を創立した福沢諭吉の話でした。激動の幕末期にあって、さまざまな縁に紛動されがちな青年たちを、福沢が「ひたすら勉強しよう。これが次の時代を建設する根本源泉だ」と言って励ましたというエピソードです。池田先生はまた、詩人・宮沢賢治の有名な言葉を引用しながら「雨にも負けず、風にも負けず、自分自身にも負けず」という決心で、日々の学問に挑戦をと呼び掛けてくださったんです。
  
 柳沢 「学べ、学べ」だ。頑張ろうよ! 自分が望む人生をつかむために。世のため、人のために。


◆信仰体験 通信事業会社ドイツテレコムのIT監査シニアエキスパート
 ドイツSGI ディートマー・フォーフェルトさん
 俳優から転身 業界最大手のIT専門家に
 生涯成長の信心の実証を

欧州最大の通信事業会社「ドイツテレコム」でIT監査のシニアエキスパートとして勤務するフォーフェルトさん

演劇学校の“落第生”
 ドイツ西部のボンに本社を置く通信事業会社「ドイツテレコム」。ドイツSGIのディートマー・フォーフェルトさんは、本社の内部監査部門で、IT監査のシニアエキスパートとして勤務する。 ??
 欧州最大のソフトウエア会社のシステムの専門家として経験を積んだ後、50歳で現在の企業に転職。これまでの知識を生かして、データ保護などITセキュリティーの調査を中心に、数多くのプロジェクト、関連企業の内部監査を担当する。  
「インタビューと調査のほかに、データ分析や監査対象の部門・企業との協議もあります。ITに関する最新知識を常に習得する必要があり、やりがいのある仕事です」
 業界最大手のIT専門家として活躍するフォーフェルトさん。実は、若い頃は俳優だった。30代で人生をやり直し、幾たびも転職を重ね、今日までキャリアアップしてきた。  
「この職務を任されている人の中で、大学を卒業していないのは、おそらく私だけです。俳優として芽が出ず、人生に迷っていた私が、社会で実証を示せるようになったのは、全て日蓮仏法の実践のおかげです」  
 1959年、ドイツ西部・ミュンスターラント地方の小さな街で生まれたフォーフェルトさん。21歳でケルンにある演劇学校に入学。だが、中間試験に2度失敗し、卒業資格を得られず、俳優業の公認資格を得る最後のチャンスだった国家試験にも不合格だった。  
 演技の技術だけではない、自分の中にある“何か”を変えるしかない――。  完全に行き詰まった時に思い浮かんだのは、以前、南無妙法蓮華経について教えてくれた、演劇学校の友人だった。

弟子らしく新たな挑戦
 初めて参加した会合の思い出は忘れられない。まるで昔からの仲間のように温かく迎え入れてくれた。それから毎朝、信心の先輩が一緒に勤行・唱題をしてくれ、教学も教えてくれた。
 もともと宗教に対して疑いが強かった。が、「十界論」や「九識論」など、仏法の説く生命哲理に、共感を覚えていった。先輩に付き添われ、男子部の活動にも参加するように。
 正式に入会を決めた直後、俳優として初めての仕事を得ることができ、初信の功徳も感じた。唱題と教学の研さんを進めるにつれ、確信が深まっていった。  
「幼い頃から教会に通っていた私は、“他の信仰をすれば神が自分に何と言うか”と自らに問いました。私はずっと、死に対して恐怖心を抱いていました。しかし、『生死不二』を説く日蓮仏法を学び、漠然とした不安は消え去りました」  
 87年、御本尊を受持。以来、勤行・唱題は欠かさず取り組んできた。朝の勤行の前に必ず、池田先生の指針を学んで、一日を出発した。
「人生の意義について、これほど明確に示してくださる人が存在したのかと、日々、深い感銘を受けました」。池田先生の指導を研さんすることが、師との“出会い”になった。  
 88年11月18日、研修会で来日し、池田先生が出席した勤行会に参加。2日後、先生はフォーフェルトさんら海外メンバーと握手し、一緒に写真に納まるなど、真心の励ましを送った。  
 91年、池田先生のドイツ訪問の際には、人材グループ・創価班の一員として、行事の運営を陰で支えた。目の前の一人を徹して大切にする師の姿に間近で接した。
 フォーフェルトさんは師の励ましを胸に、ケルン男子部の地区幹部として、メンバーのために尽くし、弘教にまい進。一方、俳優としては飛躍できなかった。
 新しい道で、先生の弟子らしく社会に貢献できる人材になりたい――。男子部の間にこの目標を達成すると決め、職業安定所の就職支援プログラムに参加。情報処理アシスタントの資格を約2年で取得した。
 そして、壮年部に移行し、ケルンの地区部長に任命されたのとほぼ同時に、人材コンサルティングの職を得ることができた。

50代でさらなる高みへ
 やがて欧州最大のソフトウエア会社のシステムを専門とするようになり、州中央銀行のIT部門に就職。数年後、キャリアアップを期した転職先では、マネジャーとしてチームをまとめ、国際的な大企業のサポートにも携わった。  
 それと並行するように、ドイツSGIで支部長、本部長、全国統監部責任者と役職を担っていった。
 リストラの危機に何度も直面したが、そのたびに信心を奮い起こし、仕事もSGI活動も、それまで以上に努力を重ね、全て乗り切ってきた。  50歳を目前に控えた2009年、フォーフェルトさんは再び決意した。    
「IT業界では、50代で活躍するのは、なかなか難しいのが実情です。勤めていた会社における自分の立場が、下り坂にあることをひしひしと感じていました。さらなる高みに挑戦して、信心の偉大さを証明したい、池田先生に勝利の実証を報告したいとの一心で、現在の会社に転職しました」  
 採用試験では、全ての分野で基準をはるかに上回る好成績を残し、即採用。51歳で監査人、56歳で情報セキュリティーマネジャーの資格を取得。所属部門で5割の人員削減があったが、無事に乗り越えることができた。
 最初は信心に反対だった両親のためにマンションを共同購入。今は良き理解者となり、親孝行することもできた。  
 ドイツSGIでは15年、デュッセルドルフやケルンを擁するノルトライン=ヴェストファーレン州の方面長に就任。ケルンやミュンスターで「核兵器なき世界への連帯」展を開催するなど、同志と共に社会貢献の活動も推進してきた。  
 フォーフェルトさんは、池田先生の次の言葉を座右の銘にしている。
 「この世に生まれて、いったい、何人の人を幸福にしたか。何人の人に『あなたのおかげで私は救われた』と言われる貢献ができたか。人生、最後に残るのは、最後の生命を飾るのは、それではないだろうか」(『法華経の智慧』普及版<下>)  
 目の前の一人の幸福のために尽くし、社会で信頼と共感を広げるフォーフェルトさん。若き日の師との誓いのままに、ドイツ広布の理想に生き抜く。
 「池田先生と同志のおかげで、自身の使命の人生を開くことができました。私にとって一番大切なのは、決して師匠と同志を裏切らないということです。そのために生ある限り力を尽くし、一人でも多くの人に、この仏法の素晴らしさを語っていきたい。生涯前進、生涯成長の信心の実証を示していきます」

 

2020年6月21日 (日)

2020年6月21日(日)の聖教

2020年6月21日(日)の聖教

◆わが友に贈る

 御書をひもとけば
 勇気がみなぎる。
 仏の智慧が湧く。
 「師子王の心」で
 挑戦の歴史を刻もう!


◆名字の言 きょう夕方、全国各地で「部分日食」 2020年6月21日

 きょうの午後4時ごろから6時ごろまで、国内各地で「部分日食」を見ることができるという。月が太陽の一部を隠す“天体ショー”。梅雨の時季なので、晴れるかどうか気掛かりではあるが、期待が高まる▼ただ、観察する際には「絶対に肉眼では見ない」「専用の道具を用いる」など、目を傷めないための注意が必要だ。よく確認して、安全に空を見上げていただきたい▼この次に、日本で日食が起きるのは2023年4月20日で、国内の一部地域で見ることができるそうだ。この日は、3年後の本紙創刊記念日であり、さらなる充実・発展への指標を得たようにも思える▼さらに、その次に日本全国で部分日食が観測できるのは、学会創立100周年となる2030年。大宇宙の壮大なリズムとともに、“大いなる佳節を目指して、平和への歩みを強く、大きく!”との決意を深めたい▼こうした時の一致を“偶然”と片付けるのは簡単だが、そこに積極的な意味を見いだし、新たな前進の力としていくことは、“知恵の戦い”ともいえる。その意味において、きょうが「父の日」であることもまた、偶然ではないだろう。「広布のロマンを語り、平和への一歩をリードするのは、われら」と、創価の父たちが立ち上がる日としたい。(道)


◆寸鉄

梵音声と申すは仏の第一
の相なり―御書。声は力。
一瞬の出会いも心込めて
     ◇
「足立女性の日」35周年。
東京の王者の誇り胸に!
婦女一体で励ましを拡大
     ◇
予防の基本は①身体的距
離を取る②取れないなら
マスク、と。新しい習慣に
     ◇
社会を支え、家族を守る
黄金柱に「ありがとう」
の笑顔を。きょう父の日
     ◇
夕方から部分日食―夏至
では372年ぶり。肉眼での
観測厳禁。親子で楽しく


◆社説 2020・6・21 きょう「父の日」心から感謝 苦難の時こそ黄金の生命が輝く

 今月6日の満月。父子で一緒に夜空を見上げ、月天子のほほ笑みにひとときの安らぎを感じた人も多かったのではないだろうか。
 世界的ベストセラー『はらぺこあおむし』の作者として有名なエリック・カールが著した『パパ、お月さまとって!』。娘のモニカが部屋の窓から満月を見上げて言ったセリフが題名になっている。娘の願いに応えようと、父は長い長いはしごを持ってきて……。子ども心をくすぐる仕掛けと鮮やかな色彩が各ページからあふれ出る。
 どんな時も、どこにいても、父はわが子の思いに応えたいと思うもの。その心が子どもにとって、励ましとなるのではないだろうか。新型コロナウイルスの世界的流行で、影響が多方面に及ぶ中でも、負けじと奮闘する父がいる。
 ものづくりの集積地と呼ばれる東京都大田区内で町工場を営む壮年は、「あの時の経験があったから、今回も誓願の題目で乗り越えていくと決めています」と語る。あの時とは、2000年前後の平成金融危機。大手銀行や証券会社が相次ぎ破綻。周囲の仲間も次々と工場を畳んでいく絶体絶命の窮地に直面した。
 「工場だけは倒産させない」とひたぶるな祈りを重ねていたある日、希少金属であるレアメタル加工の注文が入った。
 それまで扱ったことのない素材。懸命に祈り、知恵を振り絞る中で、高精細に削り出す技術を身に付けた。苦境を脱するまでの姿を見てきた息子は現在、後継の道を歩み、気象観測衛星などに用いられる特注部品を作り出している。
 文京区内で老舗天ぷら店の看板を守る男子部の友は、コロナ禍により営業の自粛を余儀なくされた。しかし、そこで実感したことは、父が真心で積み重ねてきた客との信頼関係だったと語る。店の留守番電話に残る常連客からの励ましのメッセージ。日頃から、父が示してきた「目の前の一人と全身全霊で向き合う振る舞い」が苦境の時に、目に見える形で表れてきたのだという。現在は、換気や除菌など衛生環境に細心の注意を払いながら、営業を再開。真剣な題目で自身の心を磨き、“一人に尽くす”天ぷら職人としての腕を振るう日々だ。
 苦難と試練の時代にこそ、唱題を重ねた黄金の生命が光を放つ。日蓮大聖人は「(法華経を)深く信ずる者は満月の闇夜を照すが如し」(御書1501ページ)と仰せである。その姿こそが、信心の実証を雄弁に物語る。
 きょう21日は「父の日」。現実社会で“今こそ宿命転換の時!”と歯を食いしばり、前進する創価の父に心からの感謝を送りたい。


◆きょうの発心 富木入道殿御返事 北海道・札幌東総区総合長 阿部亘2020年6月21日

御文 命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也(富木入道殿御返事、955ページ・編387ページ)
通解 命は限りあるものである。これを惜しんではならない。ついに願うべきは仏国土である。

“師弟有縁の地”に勝利の実証を
 不惜身命で「広布大願」に生き抜くことを教えられた御文です。
 第2次宗門事件の渦中、先輩がこの御文を拝して、師匠と同じ心で広宣流布の人生を歩む姿勢を教えてくれました。
 当時、池田先生が来道された折、諸行事の役員であった私は、障魔を打ち破るように、渾身の激励をされる先生の姿を目の当たりに。“弟子として、同じ心で地域の同志を守り抜こう”と決意しました。
 その後、不況の影響を受け、自身が経営する会社が多額の負債を抱えました。“必ず乗り越えます”と師匠に誓いを立て、唱題を重ねながら、仕事にも学会活動にも全力で挑戦。すべて返済することができました。
 2017年(平成29年)には、総区長として、同志の皆さまとかつてない拡大の歴史を築くことができました。
 札幌市東区は、戸田先生と池田先生をお迎えして第1回北海道体育大会「若人の祭典」を開催した“師弟有縁の地”です。その誇りを胸に、これからも勝利の実証を打ち立ててまいります。


【先生のメッセージ】

◆きょう「父の日」――信頼広げる人間王者に 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」

 北海道の大沼湖畔。白波が次々と打ち寄せる。そのかなたには、駒ケ岳の英姿があった。1982年(昭和57年)6月、池田大作先生がカメラに収めた。
 駒ケ岳の別名は「渡島富士」。その悠然とした姿は、毀誉褒貶の風にも揺るがず、わが信念に生き抜く創価の父たちと重なる。
 かつて池田先生は述べた。「大変なときに、変わらずに頑張れば、あとで尊敬される。状況が厳しかろうが、人が変わろうが、自分は自分の決めた道を貫く。その人が『人間として』の王者です」と
 きょうは「父の日」。社会や地域で一歩一歩、信頼を広げる“人間王者”に、皆で心からの感謝の拍手を送ろう。
 
 家庭や地域にあっても、
 厳しい経済闘争に
 あっても、
 宿命転換の激戦に
 あっても、
 一家の柱、
 広布の要として、
 辛抱強く
 頑張ってくれている
 創価の父に、
 感謝と労いの笑顔を
 贈っていただきたい。
  
 波瀾万丈の苦労をしてこそ
 「人間」はできる。
 苦労もせず、
 思い通りにいけば、
 よいように思える
 かもしれないが、
 結局は、
 傲慢で小さな人間に
 なってしまうものだ。
 やりづらくとも、
 耐えて、努力し、
 乗り越えていく。
 その積み重ねのなかで
 「人格」はできる。
  
 偉い人の仕事は、
 「自分のため」の
 次元ではない。
 「人のため」
 「社会のため」である。 
 後輩のため、そして
 後継の友のために戦い、
 道を残していく――
 ここに偉大な
 「父」の心がある。
  
 人生は長い。
 勝つ時もあれば、
 負ける時もある。
 行き詰まり、
 七転八倒する時も
 あるだろう。
 だが、人生の勝敗は
 途中で決まらない。
 栄光は、粘り抜いた
 逆転劇によって
 勝ち取るものだ。
 だからこそ
 心は負けてはならない。
 あきらめてはならない。
  
 父が厳然としていれば、
 どれほど
 安心と喜びが広がるか。
 一騎当千である。
 その「一人」を
 大切にする。
 粘り強く通い、
 信頼を育み、
 励まし続ける。
 熱い男の友情と連帯を、
 私は最大に讃えたい。

 

【聖教ニュース】

◆青年部と医学者による第8回オンライン会議から
〈危機の時代を生きる〉 新型コロナに立ち向かう   感染症と「共存」するために
 互いの価値観を理解し、多様性を尊重する社会を――青年部と医学者による第8回オンライン会議から

 新型コロナウイルスの感染状況を踏まえ、青年部の代表と公衆衛生等に詳しい医学者らが「感染症と『共存』するために」をテーマに、第8回オンライン会議を行った(18日)。

私たちが目指すのは「感染者ゼロ」ではなく「大流行させない」こと
 志賀青年部長 今月19日から、都道府県をまたいだ移動が可能となり、イベントの人数上限も1000人に緩和されるなど、社会経済活動の再開が本格化していきます。学会としても、感染予防対策を万全に講じながら、年譜『栄光の共戦譜』の贈呈を開始し、7月10日以降、各地の会館で「記念映像上映会」を開催します。
 改めて、現在の新型コロナウイルスの感染状況と、「新たな日常」を築く上でのポイントを確認できればと思います。

 菖蒲川新潟大学特任教授 世界保健機関(WHO)は先月、新型コロナウイルスは消滅しない可能性があり、長期間にわたって「共存」する覚悟が必要であるとの見方を示しました。
 日本では、5月25日に全国の緊急事態宣言が解除されて以降、国内の新型コロナウイルスの新規感染者は毎日数十人程度で、下げ止まっている状況です。
 ただし、新型コロナウイルスは、無症状でも感染する可能性があるウイルスであることが分かってきました。このため、いつ流行の「第2波」が起きてもおかしくない状況は続いています。
 「新たな日常」とは、感染症と共存していくことであり、私たちが目指すべきは「感染者ゼロ」ではなく、「感染を大流行させない」「感染爆発を起こさせない」ことであるとの意識をもつことが重要です。  私たちは、正しい情報を基に、過度に恐れることなく、これまで通り、身体的距離の確保、マスクの着用、手洗いの励行という基本的な感染予防対策を実践しながら、前向きに、日常生活を再開していきたいと思います。

熱中症等のリスクも避け状況に応じた日常を築く
 西方男子部長 ウイルスは目に見えないだけに、その捉え方や具体的な対応には、人それぞれ、差があると思います。私たちが、感染症と「共存」しながら、自他共に充実した日々を送るために、どのような視点が必要でしょうか。    ?

 藤原東京医科歯科大学教授 まず大前提として、互いの価値観を理解し、多様性を尊重する姿勢が重要です。
 ここでの多様性とは、「早く友達と集まりたい」と思う人もいれば、「人が集まる場所には行きたくない」と思う人もいるなど、感染症に対するリスクの考え方が人それぞれであるということです。  たとえ自分と考え方が違っても、“そう思う人もいる”ことを想像し、受け入れて、尊重することが大切ではないでしょうか。
 これからの「新たな日常」は、どちらか一方に偏るのではなく、いろいろな考え方の人がいるという多様性を尊重しながら、互いに価値を見いだしていく挑戦であると言えます。  私たちは、こうした前提に立ち、正しい知識に基づいた、分かりやすい説明を心掛けていくことが大事だと思います。
 例えば、「マスクを着用しましょう」との呼び掛けだけでは言葉が足らず、伝わりにくいことがあります。それは、感染症のリスクと熱中症のリスクの両面があるということです。その人の年齢、気温、湿度、屋内か屋外か、周りにどれくらい人がいるかなどによって、感染症のリスクと、熱中症になって体調を崩すリスクのどちらを回避すべきなのか、丁寧に考えないといけないと思います。
 マスクを着用する理由の一つは、唾液にウイルスが潜んでいる可能性があるので、その飛沫によって人にうつさないためです。したがって、人と接触する屋内では、マスクの着用は必須です。
 しかし、炎天下の屋外で、人との身体的距離がとれている場合は、感染のリスクよりも熱中症のリスクのほうが高いと考えられます。子どもであればなおさらです。その場合は、マスクを外すことも、身を守ることです。  私たちは今、「リスク対リスク」という考え方で、危険性を正しく比較し、それぞれの個別の状況に応じた生活様式を生み出す段階に入っていると言えます。
 これに関連して懸念されるのは、「感染=悪」「感染者=対策を怠った批判されるべき人」という一面的な捉え方です。
 どうしても人には、リスクを「0」か「100」かで考えてしまう心理があります。知らず知らずのうちに、自身の不安や恐怖心があおられ、結果的に、自分とは異なる他者への排除・批判の方向に傾いてしまいます。
 新型コロナウイルスの正体は不明点が多く、誰もが感染する可能性があります。重要なのは、感染しないことではなく、一人一人の命を守ることです。しかし、「感染=悪」という捉え方が蔓延すると、批判を避けるために感染や発症を隠し、その結果、見えないところでの流行を招きかねません。  
 また、同僚や友人とのコミュニケーションの中で、「私たちの周囲から感染者を出さないようにしよう」と呼び掛けることがあると思います。
 当然、感染しないに越したことはありませんが、こうした呼び掛けが半面、感染したことを言い出せない雰囲気を生んでしまう恐れがあることも認識しておく必要があります。  
 ともあれ、「かからない・うつさない」ための感染予防策を講じながらも、周囲に感染者が出た場合は、「大丈夫だよ」「一緒に乗り越えようね」と、皆で励まし合っていける社会が求められていると思います。

人とのつながりの中で幸福感は強まり広がる
 大串女子部長 想定外の非日常の事態の中で、うまく対応して「幸福を感じる人」と、「幸福を感じられない人」の格差が大きく広がっているとの指摘があります。
 女子部では今、オンラインを活用して、励ましを送り合っています。「皆の顔を見ながら話せて、元気をもらいました」など喜びの声が寄せられています。どのような状況でも、人とつながり続けることによって、幸福感は増していくと実感しています。   

 藤原 非常に大事な視点です。「孤独」は健康に悪影響を及ぼします。一方で、豊かなつながりの中に身を置くことで幸福を感じることができると、多くの研究結果が示しています。
 ある研究調査では、対面とオンラインの二つの形式で患者に心理療法を実施したところ、メンタルサポートの効果は、ほぼ同等でした。対面であれ、オンラインであれ、人と「つながり続けること」が、幸せの格差を防ぐ方途であると思います。   

 庄司創価青年医学者会議議長 その上で、私たちは自粛生活の中で、「直接、会って語る」価値を再認識しました。と同時に、オンラインによる交流によって、同じ空間に居合わせなくても、心の絆を結べることも経験しました。
 一方で、徹底して人との接触を避け、一歩も外出しないような自粛生活が長期にわたり、感染への恐れや不安から抜け出せない方もいます。今の「思い」は人それぞれです。そうした全ての方の「思い」をくみとっていくことが重要ですね。  

  勝又創価女性医学者会議議長 私も各地の創価女性医学者会議の皆さんとオンラインでつながっています。人と人とのつながりこそ、ピンチをチャンスに変える力であり、たった一言でも勇気の源泉となると実感しています。
 多くの人が先の見えない不安を抱えている今こそ、“誰も置き去りにしない”創価の励ましのネットワークが、いや増して求められていると確信します。  

  藤原 ハーバード大学医学部の教授などを務めたニコラス・A・クリスタキス博士の研究によると、「幸福は人に伝わる」ことが分かっています。ある人が幸福であると、その人が直接知っているかどうかに左右されず、「友人」の「友人」の「友人」にまで幸福感が伝わるのです(藤原武男著『医学からみた「幸福は人に伝わる」』潮出版社)。
 今の状況を前向きに捉え、幸福を感じる人が、つながりを広げていくことによって、社会全体に幸福感が広がっていきます。
 今後は、つながろうとする相手が、どのようなつながりを求めているのかを丁寧に想像していくことが大切です。その人が求めるやり方に応じて対面とオンラインをうまく使い分けることで、より多くのつながりを築いていく可能性が開かれている、とも言えるのではないでしょうか。
 自分にとっての「つながり」をどのように構築するかに、その人の人生観が表れます。創価学会の皆さんは「人に励ましを送る」という使命感に燃えて、地域や友人とのつながりを築かれています。こうした目的意識が高い人ほど幸福感が強まると言われています。  
 
 志賀 多様性の尊重という観点は、多岐にわたって通底します。職業、年齢、家族構成、地域、既往症の有無といった客観的な違いはもとより、感染リスクへの考え方をはじめ目に見えない意識の違いなども尊重していくことであると改めて確認できました。
 相手がどのような悩みを抱え、何を求めているか――それをつかむために必要なのは「想像力」と、「同苦」と「利他」の精神です。まさに学会活動の中で培ってきた、個々人の状況に合わせた声掛けや、励ましの手を差し伸べていくことが生かされる時だと思います。

【savelifeプロジェクト】
 学会青年部が推進する「savelife(命を守る)プロジェクト」のTwitterアカウントは?コチラ?

●「取り上げてほしいテーマ」を募集します
 ご感想をお寄せください。感染予防のポイントや「新たな日常」を築く上での疑問など、「今後のオンライン会議で取り上げてほしいテーマ」も募集します。
 kansou@seikyo-np.jp  ファクス 03―5360―9613


【特集記事・信仰体験など】

◆池田先生の名誉学術称号45周年 未来に輝く知性の宝冠――アメリカ ジョージ・メイソン大学
「平和の種」まく教育

ジョージ・メイソン大学「名誉人文学博士号」の学位記が、同大学首席副学長のスターンズ博士(右から4人目)から託される。授与の推薦者となったバルトリ博士(同2人目)、視覚・舞台芸術学部のリーダー学部長(同3人目)も共に(2010年6月、東京・八王子市の創価大学で)

ジョージ・メイソン大学「名誉人文学博士号」の学位記が、同大学首席副学長のスターンズ博士(右から4人目)から託される。授与の推薦者となったバルトリ博士(同2人目)、視覚・舞台芸術学部のリーダー学部長(同3人目)も共に(2010年6月、東京・八王子市の創価大学で)

 人はなぜ、争うのか。どうすれば平和を築けるのか――古今東西、人類はこの問いに、向き合い続けてきた。
 無数の知見と努力が積み重ねられ、戦後、学問分野としての平和学が発展。次第にその領域が環境問題や貧困、差別など広範囲に及ぶにつれ、元来の研究対象であった武力紛争に照準を定めた学問が誕生した。それが「紛争解決学」である。
 専門領域としての歴史は浅く、加えて、各地で頻発する紛争を前に、いまだ多くの課題も山積する。
 アメリカのジョージ・メイソン大学「紛争分析・解決研究所」は、世界で初めて紛争解決学の修士課程、博士課程を設置。以来、平和構築の専門家を世界各地に送り出している。
 同大学は、ほかにもさまざまな分野で、世界初となる学位の提供や教育環境の設備等を実現してきた。
 その進取の気風の“源”をたどると、大学の名に冠されるアメリカ建国の指導者ジョージ・メイソンに行き着く。彼が起草し、1776年に制定された「バージニア権利章典」は基本的人権を世界で初めて成文化し、同年のアメリカ独立宣言や、後のフランス人権宣言にも影響を与えた。
 同大学から池田先生への「名誉人文学博士号」の授与式は、2010年6月28日に東京・八王子市の創価大学で行われ、首席副学長(当時)のスターンズ博士や、紛争分析・解決研究所所長(同)のバルトリ博士が列席した。
 「授与の辞」で、スターンズ博士は力を込めた。
 「池田博士は、本学の名誉学位のみならず、これまで博士に贈られた全ての栄誉と称賛に最もふさわしい人物です」

1996年7月、池田先生はジョージ・メイソン大学紛争分析・解決研究所所長のクレメンツ博士、戸田記念国際平和研究所所長のテヘラニアン博士と会見(東京・千駄ケ谷の創価国際友好会館で)。クレメンツ博士は2009年に戸田平和研究所の総合所長に就任。17年からは所長を務める

 現代の紛争の特徴の一つとして、一国内での政府対反政府、各種勢力間での武力紛争が、国家間の戦争に取って代わったことが挙げられる。
 紛争解決学では、こうした内戦の要因を解明し、仲裁の理論や技術を深めるとともに、実際に紛争地に足を運び、当事者間での交渉や調停にも携わる。
 「理論」と「実践」。どちらか一つでも欠ければ、平和も、紛争解決も、絵空事にすぎない。
 池田先生の平和闘争の原点には、恩師・戸田城聖先生の叫びがある。
 「人類の平和と進歩のためには、具体的な提案と行動が大切である」「空理空論はどこまでもむなしいが、具体的な提案は、実現への“柱”となり、人類を守る“屋根”ともなっていく」
 この言葉を胸に先生は、1996年、戸田記念国際平和研究所を創立した。クレメンツ現所長は、かつてジョージ・メイソン大学「紛争分析・解決研究所」の所長も歴任した第一級の平和学者である。
相手を思いやり共感する 生命尊厳の思想を世界に
 先生との対談で、博士は語った。“争いの深刻化を防ぐには、自らの行為が相手の気持ちや行動に及ぼす影響に思いをはせ、共感することが大切です”と。
 先生もまた、利他主義や共感を育むためには、社会の基底部に「生命の尊厳」の思想を据えることが必要であると訴えた。
 武力紛争から抜け出した国の半数が、再び戦争状態に逆戻りするとの報告があるように、たとえ和平協定が結ばれても、相手を敵視する“心の武装解除”が広がらなければ、紛争は再燃しかねない――。
 二人が語り合ったように、紛争解決といっても、その主体は「人間」である。紛争を生み出すのが人間ならば、平和をつくるのもまた人間であるからだ。
 先生は、毎年の「SGIの日」記念提言等で地球の諸問題解決への具体的方途を提唱しつつ、教育の力で、また一対一の励ましを通して、人々の生命に「平和の種子」をまいてきた。その人間の連帯で、社会に「平和の文化」を打ち立ててきた。
 理論も実践も、ともに深める行動にほかならなかった。
 バルトリ博士は、世界の紛争地域を訪れ、大量殺りくの防止や和平プロセスに携わった行動家である。著作などを通して、先生の平和貢献を知った。
 博士がアメリカ・コロンビア大学で教えていた96年6月、先生は同大学で記念講演を行っている。
 世界市民の要件として、「智慧」「勇気」「慈悲」を挙げた先生の講演を、博士は深い感動をもって聴講した。そして、“この三つの要件は、紛争解決の条件として置き換えることができる”と感じたという。
 先生をたたえることは、大学をさらなる学問の高みへと導くことになる――博士をはじめとする大学関係者の確信が、大学理事会の全会一致による、名誉人文学博士号の授与へとつながったのである。

 授与式の折、ジョージ・メイソン大学と創価大学は学術交流協定を締結。以来、両大学間の学生の往来は、80人以上に及ぶ。
 「わが大学は、国際的な視野をもつ学生を育成しています。それは、創価教育と一体の信念です」。授与式で、そう語っていたスターンズ博士。
 創大や創価学園で学生、生徒と交流し、博士自らも長年の研究テーマとしてきた世界市民の教育が、生き生きと実践されている様子を目の当たりにした。
 博士は135以上の編著書をもつ世界史の大家である。“人類の歴史とは、戦争の歴史”であることを、知り尽くしていた。
 だが先生の哲学に触れたことで、博士は、平和貢献は誰にでも可能であるとの確信を深め、そうした思想を広めることが、教育者としての責務であるとの思いを強くする。
 そして、“平和とは戦争と戦争の間の一時的なものである”との通説を離れ、“平和こそが「標準」である”との新たな歴史観を探究していく。その内容を、ジョージ・メイソン大学の授業でも取り入れた。
 14年には、研究成果をまとめた『世界史における平和』を出版。授業や著作の中では、学会の平和運動にも言及している。
 また、同大学出版局と池田国際対話センター(マサチューセッツ州ケンブリッジ市)は18年、『対話を通じた平和構築』を共同出版した。バルトリ博士ら学識者が対話の可能性と応用性を巡り、執筆した13本の論考を収めた研究書である。
 編集を担ったスターンズ博士は、序論でつづった。“本書の論文の一つ一つが、一人の変革が人類の宿命を変えるとの、池田博士の信念を裏付けするものである”と。
 21世紀を「平和の世紀」に――人類の挑戦の前途には、幾多の難題が待ち受ける。だがジョージ・メイソン大学との交流は、自分自身から始まる生命尊厳の思想の広がりこそが、未来を開きゆく鍵であることを教えている。

スターンズ名誉首席副学長の声
 これまでわが大学は、比較的少数の人物にのみ、名誉博士号を授与してきました。なぜ名誉博士号を贈るのかといえば、授与される人の人生が、学生たち、教職員、そして大学にとって大きな啓発となり、また授与式それ自体が、皆の大切な思い出となり、さらなる向上への指標になるという意義があります。
 加えて、わが大学は、世界的に貢献する人物への顕彰を通して、国際的視野を広げることを試みており、池田博士への授与は、その最も顕著な例であると思います。わが大学がたたえるのは、池田博士の非常に素晴らしい平和への貢献であり、特に博士の行動の目指すところが、わが大学の紛争解決プログラムと深くつながり、共通する点であります。(中略)
 名誉博士号の授与は、わが大学をあげて池田博士の偉業に共同参画するという決意と感謝の表現であり、博士が人生をかけて発信されているメッセージを我々が受理し、行動をもって広く伝えていく決意の表明であります。(中略)
 私は、池田博士の人生そのものが“偉大な叙事詩”であり、“人間がいかに生きるべきかを示す物語”であると思います。創価学園の生徒たち、創価大学の学生たち、そしてお会いした一人一人の方が、池田博士の思想・哲学を、自分のものとして実践しようとし、その価値を他者と分かち合おうと努力していました。その一人一人の行動が、“池田思想”の凝縮であると感じました。(本紙2012年2月28日付)

建国の父の名を冠した学府 世界初となる紛争解決の大学院課程を提供
 1957年、州立バージニア大学の分校として誕生。72年、アメリカ建国の指導者であり、「バージニア権利章典」の起草者ジョージ・メイソンの名を冠した現在の大学に発展した。
 首都ワシントンDC近郊のバージニア州フェアファックスのメインキャンパスや、2014年にオープンした韓国・仁川の分校など四つの学びやがある。200を超える学位プログラムに、130カ国以上から集った学生ら3万7千人が学ぶ。
 教授陣にはノーベル賞やピュリツァー賞受賞者をはじめ、多彩な顔ぶれが並ぶ。??


◆信仰体験 「福井梅」栽培65年 若狭の母 〈縁Joy×農Life〉


【福井県・若狭町】梅雨の晴れ間。鮮やかな緑の葉。生い茂るその隙間から、柔らかい陽光が差し込む。
 梅園で額の汗も拭わず、宇野智代子さん=地区副婦人部長=が青梅の収穫にいそしんでいた。御年90歳。梅栽培65年の大ベテランは「そうや、私が梅売りの親方です」。
 
 福井県西部の三方方面は、江戸時代から栽培が続くと伝えられる梅の里。「福井梅」の青梅・梅干し直売所が、いくつも沿道に並ぶ。その中で、ひときわ大きな笑い声が響く店がある。ここで一番古くから構える「宇野梅園」直売所。人懐っこい笑顔とおしゃべりで、宇野さんが店を切り盛りする。
 店内にあふれる梅の甘い香り。客が「わあ、いい香り」と言えば、宇野さんは「ええ匂いやろ。私の匂いやさけえ、忘れんといてやあ」と大笑いになる。毎年この時期、宇野さんの青梅を求めて多くの客が訪れる。
 「『ばあちゃん、生きとるかー』って来てくれる。うれしいわ。皆さん、自分で梅干しやら、梅酒やらつくりなさる。もう50年来の人もおるさけ。ファンが全国に100人はおる。梅にほれて、畑にほれて、私にほれてよ(笑い)。ほんま、ありがたいことです」
 話の合間合間に、くすっと笑える小ネタを入れてくる。人を笑顔にするのが大好きな“智代子ばあちゃん”。「皆さんのな、喜ぶ顔が見たいでえ。ほいで梅づくりも頑張れる」。それは父からの教えだった。

うんと苦労せえ
 8人きょうだいの3番目。学校から帰ると幼い妹を背負っては、風呂の竈(かまど)に薪をくべ、兄や姉らと家事を手伝った。父母は朝から晩まで農作業。「家を守るのが、私らの役目やったな」
 父は子らによく言って聞かせた。「人には尽くさなならん。尽くした分だけ自分に返ってくる。借りたら倍にして返さなならん。それが人の道や」「若い時はうんと苦労せえ。全部、自分のためや」
 折あるごとに、繰り返し聞いた父の言葉。それが宇野さんの五体に染み込んでいる。
 空襲をくぐり抜け、終戦を迎えた宇野さんは、大阪の金物問屋で働いた。
 しばらくして郷里に戻り、前妻を病で亡くした夫と縁あって結ばれた。真面目で仕事熱心な人。だが、胃腸の病を長年患っていた。10歳と3歳の娘もいた。
 結婚した夜、娘たちが寝床に入ってきた。「母ちゃん、母ちゃん……」と言って寝間着の端をぎゅっとつかんでくる。母を亡くし、どれだけ悲しい思いをしただろう。2人を抱き締め、そう思った。娘たちのために生きると決めた。
 ある日、農作業をしていたはずの夫が帰ってくるなり「学会に入る」と言った。大阪から来た婦人に、畑で仏法の話を聞いた。
 “幸せになりたい”と1958年(昭和33年)、一家は入会した。「信心の功徳でえ、(夫の)病気が治ったで」。確信をつかんだ夫婦は真面目に地道に信心に励んだ。

おいしなってよ
「あそこは創価学会に入ったでえ。学会にほおけてえ、あの家も終わりや」。仏法対話に歩くほど、陰口をたたかれた。正しく理解されていないことが、何より悔しい。歯を食いしばり踏ん張った。
 忘れられない思い出がある。72年3月、敦賀を訪れた池田先生と記念撮影会に参加した。「先生のお顔を見たら、胸がいっぱいになってえ。うれしくてえ。泣けたよお」
 師との出会いで宇野さんは頑張れた。「おいしい梅を作ってえ、恩返ししよう思うて」
 夫婦は一層、梅づくりに精を出した。気付けば、地域で有名な梅園になっていた。毎年のようにテレビや新聞のメディア取材を受けている。「ここらで一番、私が年配やからな、珍しいて来るんやで」
 夫が亡くなった後も、その遺志を継ぎ、梅に愛情を注ぐ。「梅ちゃん、梅ちゃん、今年もおいしなってよお」と肥料や水をあげながら声を掛ける。「梅は子や孫みたいなもんや。かわいらしいて、しゃあない」
 寝る前に本紙を読むのが日課。御書の拝読も。「読むとな、信心の話をしたくなってしゃあない。これしかないもん、幸せになるには」。友の幸せを祈り、仏法対話に励む。好きな言葉は“桜梅桃李”とほほ笑んだ。
 「あれ大好きや。梅の字が入ってるさけえ。桜は桜、梅は梅。いくら羨(うらや)んでみても他のもんにはなれん。自分にしか咲かせられん花を咲かせんとな」
 完熟梅干しづくりは7月から。“智代子ばあちゃんの夏”がもうすぐ始まる。
 
■毎日感謝の題目
 信心を始めて数年後、宇野さんは大きな悩みに直面した。長女が精神的な病を患った。日増しに、娘の症状はひどくなった。
 「この子のために生きると決めたさけえ、娘がふびんでならんかった。ほいで祈りに祈ったで」。あまりにも苦しくてつらくて、信心の先輩に指導を受けた。「祈り抜くんや。きっと意味がある。大丈夫やから」
 懸命に祈った。やがて娘は入院して専門的な治療を受けることに。農作業を終えては、宇野さんは病院へ通った。娘は院内生活を50年送った。母は50年見舞った。
 
 7年前のある日、「母ちゃん、ありがとう。母ちゃん、ありがとう」と娘が泣いて母の手を握った。「また、明日来るで」と別れたが、それが最後の会話となった。
 「あの子が大切なもんを教えてくれたんや。ほいで信心頑張れた。あの子が幸せにしてくれたんやな。毎日御本尊様に祈りながら、娘にありがとうって。感謝のお題目です」?

 

◆〈スタートライン〉 作家 岸田奈美さん  私の中にある感情をおすそわけ

 彼女の文体には、言うに言われぬ味がある。軽妙で、前向きで、温かくて、深みがある。何より、笑えて仕方がない。作家の岸田奈美さんは、独特の言い回しや不思議な擬音をブレンドし、日常の出来事をユーモラスに彩っていく。そんな彼女の世界観を「落語」と形容する人もいる。昨年、ダウン症の弟と車いすユーザーの母との生活をつづった作品投稿サイト「note」の記事が話題となり、作家へと転身した。読む人の心をつかんで離さない文章の秘訣を聞いてみた。  

膨らむ2000字
 ――笑って、泣けて、読後に温かさが残る。そんな岸田さんの文章は、どうやって生まれているのですか?  
 今のように自分の感情を前面に押し出して書くようになったのは、昨年の夏ごろからです。前職はベンチャー企業で広報を担当していたのですが、そこで書くのはビジネス文書で、当然ながら自我を出すことはNG。たまに我慢できず、自社メディアで自分の色を出すと、お灸をすえられました(笑い)。  
 そのうち、会社では出せないような「おもしろいものを書きたい」という欲がどんどん膨らんでいき、仕事とは別で、日常の出来事を思うがままに書いた内容を、Facebookで限定公開するようになりました。すると、多くの友人から「おもしろいから公開したほうがいいよ」と言われて、作品投稿サイト「note」で書き始めるようになったんです。  
 私としては「笑わせたい」と思って書いているわけではなく、自分の中にある「好き」とか「つらい」とか「めっちゃ良かった」っていう思いを伝えたくて、感情のおすそわけをしている感じです。  
 でも、自分の感情って人に伝えると3割くらい減ると思っていて、それなら130%で伝えれば、最初の熱量のまま届くんじゃないかなって。だから、ついつい100文字で済む内容にいろいろ詰め込んじゃって、2000文字まで膨らませてしまうんですよね。  

書くことは癒やすこと
 ――岸田さんにとって「書くこと」には、どんな意味があるのでしょうか?  
 私が書くものって、わりと自分に向けたものが多いんです。人生の中でつらかったことや失敗したことって、そのまま終わったら、もう最悪じゃないですか。だから、その時にちょっとでもおもしろいと感じたこと、学んだことを見いだして、ポジティブな読み物に変換している。そうすることで最終的に救われているのは私なんですよね。私にとって書くことは「自分を癒やす」ことなんです。  
 13歳の時に父が亡くなったこととか、16歳の時に母が車いす生活になり「死にたい」って言ったこととか、弟がダウン症であることとか、当時は心の整理ができなくて結構きつかったんです。  
 時間がたってから記憶をひもといて、私なりに書くことで意味を与え、悲しみの色に少しずつ明るい色を足しながら、つらかった出来事を肯定的に捉え直していきました。  
 おかげさまで母は今、全国からバリアフリーの講演に呼ばれるなど、「歩けていた時よりも幸せ」と言えるほど充実した毎日を送っています。そりゃ、もちろん歩けるに越したことはなかっただろうし、父も元気でいてほしかったという思いもあります。  
 でも、つらい経験があったから気付くことのできた優しさや、見ることのできた景色があったのも事実で、私は自分なりに言葉にすることで、暗がりの中から希望を拾い上げてきたように思います。  

自分だけの価値
 ――誹謗中傷の言葉が飛び交う昨今、岸田さんがつづる読み物は、それとは対極の世界にあるように感じます。  
 私自身、苦手なことが多くて、社会人になって苦労しました。みんなができる「当たり前」ができず、しょっちゅう物を紛失したり、200回以上も遅刻したり……。どんなに仕事で結果を出しても信用がリセットされる。叱られるたびに自尊心が削られて、かなり傷ついたんですよね。  
 そうした中で、今、私が所属している(クリエイターエージェント会社の)コルク代表の佐渡島庸平さんが、こんなふうに声を掛けてくれたんです。「人を傷つけて笑いを取るほうが簡単な今、岸田さんの文章は人を傷つけずに笑いを取れる。なんでそれができるかっていうと、岸田さんが自分ができないことや苦手なことで傷ついた経験があるからだと思う」って。  
 それを言われた時に、私の欠点とか人に馴染めずに苦しんだことって、活躍の場をスライドさせれば、私だけの価値になるんだと思って、目の前が開けたんですよね。  
 世の中には、私と同じように能力の凸凹で苦悩している人がいるはずです。私が文章を書くみたいに、自分なりの表現の形を見つけることができれば、仲間もできるし、自尊心も上がるし、きっと自分のことも好きになれると思います。  

「居心地の悪さ」を知る
 ――多様性が求められる時代。「自分らしさ」が分からず悩んでいる人もいます。  
 自分らしさを無理に見つけるより、まずは自分にとっての「居心地の悪さ」の正体を知ることが必要だと思います。  
 私自身は、自分の強みを見てもらえず、欠点ばかりを突かれると居心地が悪くなります。今は、その正体をつかんだからこそ、苦手な分野をカバーしてくれ、作家としての才能に光を当ててくれる「コルク」を所属先に選びました。  
 どういう時に傷つき、何が嫌だったのか、一つ一つ丁寧に解像度を上げていくことで、自分をさらけ出せる場所が少しずつ見えてくるはずです。  
 最近、私は「村」を作るようなイメージで、執筆活動をしています。私の伝えたいことを分かってくれて、好きになってくれる人たちが集まり、コミュニケーションが生まれる「岸田村」です。最近は笑える書き物だけじゃなくて、しっとりとした内容を書く機会も増えてきました。いろんな角度から“岸田の世界”を楽しめる村になればいいなと。
  そういった空間は別にリアルな場所だけじゃなく、ブログやSNSなどオンラインの世界でもいいと思います。自分のことを分かってくれ、好きになってくれる居心地のいい村と仲間がいれば、人生はもっと楽しく輝いていくはずです。  ?

きしだ・なみ 1991年生まれ、神戸市出身。ユニバーサルデザインの株式会社ミライロの創業メンバー。2020年3月に作家として独立(コルク所属)。「小説現代」「ほぼ日刊イトイ新聞」などでエッセーを連載中。代表作は、note「弟が万引きを疑われ、そして母は赤べこになった」「一時間かけてブラジャーを試着したら、黄泉の国から戦士たちが戻ってきた」など。WEBサイト「キナリ」主宰。

 

2020年6月20日 (土)

2020年6月20日(土)の聖教

2020年6月20日(土)の聖教

◆わが友に贈る

 短時間の語らいでも
 一本の電話でも
 真心は必ず伝わる。
 一人一人を大切に
 安心の輪を広げよう!


◆名字の言 一枚の家族写真に込められた思い   2020年6月20日

 商店を営むその同志は、店内の隅に一枚の写真を置いている。既に成人した娘さんと息子さんが幼かった頃に撮ったものだという。皆で楽しく遊ぶ様子を収めた、よくある家族写真だった▼そのきょうだいの母である婦人部員が教えてくれた。「あの頃は商売も家計も一番大変な時で……。“必ず実証を示します!”と池田先生に誓った思いを忘れないための写真なんです」。一家にとって、この一枚は、過去の大切な思い出であり、未来への決意を新たにする起点でもある▼プロカメラマンである別の壮年部員は、学校の卒業・入学式の季節は例年、多忙を極めていた。式典が次々と中止になった今春、連絡を取ると「毎日忙しい」との返事。“コロナ禍の中で、懸命に生きる「今の自分」を撮ってもらいたい”と来る客が多いそうだ▼壮年は、客が歩んできた来し方を事前に電話で取材する。大変ながらも何とか今日まで頑張ってきた自分、優しい家族と過ごせる幸せ……話をする客のほとんどが、撮影時には人生の年輪とこれからの決意を感じさせる素晴らしい顔になるという▼“負けまい”と今を戦う自身は、将来の自分を励ます力にもなる。「今」という時は二度と来ない。そのかけがえのない瞬間瞬間を自分らしく刻みゆこう。(代)


◆寸鉄

「青年のために、学会は
あるのだ」戸田先生。未来
の建設が若人の責務なり
     ◇
高知の日。地域を照らす
魁の同志。弛まぬ“水の信
心”と団結で新時代開け
     ◇
習慣はあらゆるものの最
も力強き師―学者。睡眠・
食事・運動等、聡明に工夫
     ◇
エアコンでの飛沫拡散に
要注意。1時間に5分程、
窓を開け換気を―専門家
     ◇
川や水路で小学生の水難
多発。一瞬の油断で悲劇
が。家族・近隣で注意喚起


【先生のメッセージ】

◆〈池田先生が贈る指針〉心に御書を〈53〉 人間教育の太陽を赫々と!?

〈御文〉
 妙と申す事は開と云う事なり世間に財(たから)を積める蔵に鑰(かぎ)なければ開く事かたし開かざれば蔵の内(うち)の財を見ず????(法華経題目抄、943ページ)

〈通解〉
 「妙」とは、「開く」ということである。世間の例えで言えば、財宝を積んである蔵も、鍵がなければ開くことはできない。開かなければ蔵の中の財宝を見ることはできないのである。

〈池田先生が贈る指針〉
 どの子も最極の生命の宝を持っている。その宝を信じ開く教育の真髄を牧口先生は示された。
 日々、後継の教育本部の友が、使命の現場で尊い実践を貫いてくれている。
多難な時代だからこそ、「子どもの幸福」を皆で祈り、一人一人を温かく励ますのだ。
 人間教育の太陽を赫々(かっかく)と輝かせ、若き価値創造の生命を照らしゆこう!


【教学】

◆〈紙上教学研さん 「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ〉
 第2回 一家和楽の信心 <下> 長谷川理事長

創価学会 永遠の五指針
一、一家和楽の信心
一、幸福をつかむ信心
一、難を乗り越える信心
一、健康長寿の信心
一、絶対勝利の信心

「紙上教学研さん『世界を照らす太陽の仏法』に学ぶ」の第2回は、前回(6日付)に続いて、「一家和楽の信心」について、長谷川理事長と共に学びます。(第3回は7月4日付に掲載の予定。池田先生の講義は『創価学会 永遠の五指針』から引用)

「未来の使者」を温かな慈愛で包む池田先生ご夫妻。「目の前の一人」を大切にしてきたゆえに、学会は世界宗教に(1996年6月、アメリカのフロリダ自然文化センターで)「未来の使者」を温かな慈愛で包む池田先生ご夫妻。「目の前の一人」を大切にしてきたゆえに、
学会は世界宗教に(1996年6月、アメリカのフロリダ自然文化センターで)

 池田先生が講義で示された  一家和楽を築く要諦
 一、自らが「家庭の太陽」となって
     慈悲の陽光で皆を包もう
 二、親子、夫婦の絆は三世の宿縁
     互いに尊敬し、励まし合おう
 三、社会に貢献していくとともに  
    未来を創る人材を送り出そう

1 子を亡くした母に寄り添う
 それでは、前回に続いて「一家和楽の信心」について学びましょう。  池田先生は、講義の中で、愛する息子を亡くした女性門下に送られた御書を拝して、次のように教えられています。     
【御文】
 光日上人は子を思うあまりに法華経の行者と成り給ふ、母と子と俱に霊土へ参り給うべし、其の時御対面
いかにうれしかるべき・いかにうれしかるべき (光日上人御返事、御書934ページ7行目~8行目) 
    
【現代語訳】
 光日上人は、わが子を思うあまり、法華経の行者となられた。母と子がともに霊山浄土に参ることができよう。その時の御対面は、どんなにかうれしいことであろう。どんなにかうれしいことであろう。     

■ 池田先生の講義
 仏法は「人間のための宗教」です。いかなる生死の悲しみをも乗り越え、家族が永遠に幸福の軌道を進みゆく希望の哲学です。
 誰しも死を迎えるゆえに、大切な家族を失う悲しみは避けられません。
 とりわけ、子どもを亡くし悲嘆にくれる門下に対し、大聖人は、長年にわたって、その心に寄り添われ、大激励を続けられました。
 その一人が、光日尼という安房国(千葉県南部)の女性です。光日尼には弥四郎という息子がいました。真摯に師匠を求めた弟子であり、また母親思いの孝行息子でした。     
                     ―◆―  
 なんという日蓮大聖人のお心でしょう。大聖人は“無常の現実”に悲しむ母に、どこまでも寄り添われました。
 池田先生は、御聖訓を拝しつつ、一人一人を包むように励まし続けてこられました。お子さんを亡くした両親に「おつらい気持ちは痛いほどわかります。ご家族の方が幸福になることが、息子さんの厳然たる成仏の証しです」と、「親子一体」「生死不二」の成仏の法理の上から激励されたこともあります。先生の真心に、誰もが心に希望の太陽を昇らせます。  創価学会は、どこまでも一人の人間のために尽くし切る宗教です。

2 妙法の絆は三世永遠
■ 池田先生の講義
 大切な家族を失うことは、あまりにもつらく悲しい出来事です。頭ではわかっていても、感情や心の次元で肉親の死を受け入れるまでには、時間がかかるでしょう。
 心が落ち着くまでの時間は、人それぞれです。心が及ぶまで追善の題目を唱えなさい、という御文もあります。
 病気で亡くなる場合もある。災害や事故で突然、命を失う場合もある。しかし、「心の財」は壊れることはありません。広宣流布の途上で亡くなった場合は、断じて今世の宿命転換を果たし、悠然(ゆうぜんたる境涯で霊山へと旅立っているのです。自らは信心していなくとも、家族の題目に包まれた方も同じです。  
「生死不二」の仏法です。
 大聖人は、妙法の絆で結ばれた家族は、死してなお、再び巡り合えると仰せです。親子、夫婦は三世の宿縁です。ゆえに、どこまでも信頼し、互いに成長していこうと励まし合うことで、妙法の絆はますます深くなっていきます。これが「和楽」の第二の要諦です。
 「生も歓喜、死も歓喜」の仏法の眼から見るならば、「生も和楽、死も和楽」の大境涯を必ず開いていけるのです。   
                     ―◆―    
 東日本大震災の後、先生の激励を伝えるため、各部のリーダーが被災地を訪ねました。私も、大切なご家族を亡くされた方々と何人もお会いしました。
 先生は、「悲しみに負ければ、故人が悲しみます。『生も仏』『死も仏』なのです。いつも、一緒なのです。一体なのです」と励まされました。この先生のお心を伝えるとともに自分自身の体験を話し、相手の方と同苦し、共に涙しました。
 私は、4歳の時に東京大空襲に遭いました。火の海の中、母が私を布団にくるんで逃げたこと。布団の隙間から入ってくる火の粉の熱かったこと。母はさぞ熱かっただろうと思います。全てを失い、私はその後、親戚、知人の家に6年間預けられました。寂しいこと、つらいことがたくさんありました。おかげで、人の苦労がわかる自分になれました。やがて学会に巡り合うことができました。全て苦労のおかげ、と思います。
 東北の方々は、一日一日、一年一年と歯を食いしばり、“負げでたまっか”と前に向かって生き抜きました。
 先生は、何度も教えてくださいました。“悩みがあるから不幸、悩みがないから幸せ、そうじゃないよ。大事なことは悩みに負けないこと。信心根本に負けなければ、必ず幸せになるよ”と。
 苦難から立ち上がれば、「生も歓喜、死も歓喜」「生も和楽、死も和楽」の大境涯になれる。亡くなられた家族ともども、「一家和楽」という勝利の姿を示すことができる。妙法の絆は三世永遠なのです。

3 後継の人材を育てよう
 わが子を立派な後継の人材に。それは、皆が願っていることでしょう。しかし、現実は違う場合も多い。子どもがなかなか信心をしないと悩んでいる人も多いと思います。後継を育てゆく大切さについても、先生は教えてくださっています。        
【御文】
 こうへのどのをこそ・いろ(色)あるをと(男)こと人は申せしに・其の御子(みこ)なればくれないのこきよしをつたへ給えるか(上野殿御返事、御書1554ページ9行目~10行目)        
【現代語訳】
 亡くなられた上野殿(南条兵衛七郎)こそ、情けに厚い人と言われていたが、(南条時光は)そのご子息であるから、父のすぐれた素質を受け継がれたのであろう。        

■ 池田先生の講義
 「和楽」の第三の要諦は、“開かれた家庭”として、社会へ貢献し、未来を創る人材を送り出すことです。
                     ◇ 
 兵衛七郎が亡くなった時に時光は7歳でした。その後、時光は家督を相続して地頭となり、父母からの信仰も受け継ぎました。
 大聖人が身延に入山された文永11年(1274年)、16歳の凜々しい青年に成長した時光は大聖人のもとへ訪ねていきます。
 大聖人はこの再会の折、立派に育った後継者に、「(父の兵衛七郎に)姿も違わないばかりか、お心まで似ていることは言いようもありません」(御書1507ページ、通解)と愛でられています。   
                     ―◆―  
  信心する以前は、誰もが自分のことだけで精いっぱい。人を思いやる心の余裕などなかった。学会に入って、いつの間にか、人の幸せを祈り、人に尽くす自分になっていました。“励まされていた自分”が、“励ます自分”に成長していました。私もその一人です。一人一人の「人間革命」です。
 先生は語られました。
 「この世に生まれて、いったい、何人の人を幸福にしたか。何人の人に『あなたのおかげで私は救われた』と言われる貢献ができたか。人生、最後に残るのは、最後の生命を飾るのは、それではないだろうか」
 学会員は、自分がどんなに悩んでいても、どんな状況であっても、人の幸せのために、社会の安穏と平和のために、祈り、励まし、行動し続けている。「心の王者」です。「人間王者」です。
 その皆さんの姿を、必ず子どもは見ています。必ず子どもの心に響いています。「わが子を、わが未来部を、広布と社会に貢献する人材に育てたい」との尊い心自体が素晴らしいと思います。

4 私たちは、皆、創価家族
 今は、多様な価値観の時代です。家庭の在り方も大きく変わりました。しかし、「一家和楽」の価値は不変です。それを最後に学びましょう。        

■ 池田先生の講義
 互いに和楽の信心を築く中に、慈悲の生命が強く育まれます。青年が親を愛する中に、他者を思う心もこみ上げてきます。
 一人暮らしの方、結婚されていない方もいます。お子さんのいない夫妻もおられます。ひとり親のご家庭もあります。家族の在り方は千差万別です。
 しかし、私たちは、皆、創価家族です。久遠元初からの誓願という最も深く、最も麗しい生命の絆で結ばれています。
 苦労を分かち合い、困難を克服し、互いの成長をたたえ合い、感謝し合う。愚痴を祈りに変え、非難を励ましに変え、苦楽を共にする価値創造の家族から、地域や共同体を変革する希望が生まれます。和楽の家庭が築かれてこそ、真の平和社会が創出されていきます。  
                     ―◆―  
 「これからは、私をお父さんと思っていきなさい。負けては、いけません。強くなるんです。ご両親の分まで幸せになっていくんです」――先生は、両親を亡くした女子部員に激励をされたこともあります。  先生が手作りで一人一人の同志を抱きかかえるように励まし、築いてきたのが、創価学会です。創価家族です。一人暮らしであっても、お子さんがいなくても、学会の庭には、温かい父母や仲間、たくましい青年や未来っ子がいます。皆が励まし合い、互いの幸福を祈り合いながら前進しています。信心で結ばれた創価家族ほど温かい世界は、ほかにありません。
 今、コロナとの闘いの中で、人々が「大悪をこれば大善きたる」(御書1300ページ)と立ち上がっています。会えない場合があっても、電話やSNS等を使って友を勇気づけています。
 多様性の社会の中で、あらゆる人を、友を大切にしていく。一人一人が地域・社会に貢献していく。この人間性の振る舞いにこそ、私たちの目指す「和楽の信心」「価値創造の家族」の真髄があるのではないでしょうか。        

■ 池田先生の講義
 今、世界中で妙法の和楽の家族が陸続と輝き、そこから、友情と調和と平和の連帯が幾百万、幾千万にも広がっています。家庭革命こそ、人類の宿命転換に直結するのです。
 社会に安心を与える生命のオアシス――それが、私たちの「一家和楽」の実証によって、この地球のいたるところに誕生しています。  まさに、創価の「和楽」の家庭こそ、人類宗教の希望の太陽なのです。

さらなる研さんのために
 本連載で学ぶ講義「世界を照らす太陽の仏法」は、『創価学会 永遠の五指針』に収められています。本社刊。713円(税込み)。全国の書店で発売中。コンビニ通販サイト「セブンネットショッピング」「HMV&BOOKS online」での注文、受け取りも可能。電子書籍でも好評発売中。


◆ONE GOSHO ~この一節とともに!~男子部教学室編  
 観心本尊抄 仏法の眼を磨き抜け!

 めまぐるしく変化する社会の中で、いかに生きるべきか――今回は、「信心即生活」の真髄を示された一節から、仏法者として、社会で勝ち抜くための要諦を学ぶ。

御文
 天晴れぬれば地明 かなり法華を識る者は世法を得可きか(御書254ページ)

通解
 天が晴れるならば、地はおのずから明らかとなる。同様に、法華経を知る者は世間の法をも、おのずから得るであろう。

背景
 本抄は文永10年(1273年)4月25日、日蓮大聖人が52歳の時、流罪の地・佐渡の一谷(いちのさわ) で御述作になり、下総国(現在の千葉県北部などの地域)の中心的な門下・富木常忍に宛てて送られた。「観心本尊抄」は略称であり、正式な題号は「如来滅後五五百歳始観心本尊抄 」で、「如来滅後五五百歳に始む観心の本尊抄」と読み下す。 ??
 大聖人は、佐渡到着後から執筆に取り組まれていた「開目抄」を文永9年(1272年)2月に四条金吾に託して、迫害に耐えながら信仰を続ける門下一同に与え、励まされた。その翌年に執筆されたのが本抄である。両抄は、佐渡で認められた御書の中でも最重要の書である。
 本抄では、末法の凡夫が行うべき成仏のための修行を明かした「受持即観心 」の法門を示され、南無妙法蓮華経の御本尊を信によって受持することで観心の修行を成就し、成仏することができると明かされている。

解説
 今回の御文は、本抄の結論部分の一節である。
 この直前では、御在世当時に相次いで起こった二つの災難(「正嘉の大地震」と「文永の大彗星」)に触れられている。甚大な被害を及ぼしたり、人々の心を動揺させたりする、こうした現象について、大聖人は、地涌の菩薩が出現する「先兆(前触れ、兆し)」であると述べられ、今こそ、民衆のための大仏法が広宣流布する時にほかならないと説かれている。
 続いて、今回の拝読御文を認められた。
 太陽の光が降り注げば大地が照らされ、さまざまな物ごとが明らかになることを例えとして、「法華を識る」――妙法を信じ、行ずることによって、「世法を得可き」――現実社会の事象の本質を見極められるようになるとの仰せである。
 私たちの日常に即して拝するなら、信仰を実践することで、仕事や生活などのあらゆる営みで知恵を発揮し、勝利の実証を示していくことができると教えられている。

 仏法は、人生をより良い方向へと導く哲学であり、現実の社会や生活を離れては存在しない。この「信心即生活」「仏法即社会」の哲理に即せば、個人の生活や人生だけでなく、政治、経済、文化、教育など社会のあらゆる次元が、仏法の反映にほかならない。
 だからこそ、日々、信心に励む創価の同志は、社会や家庭を舞台に、自身を錬磨しゆく生涯を歩んでいくことができるのである。

 小説『新・人間革命』第30巻<下>「誓願」の章では、1993年2月、山本伸一がブラジルの同志に、仏法と社会生活について言及する場面が描かれている。
 戸田先生が本抄を通して、「ご利益があるんだというような読み方は、断じて間違いであることを、知らなくてはならない」「自分の商売に対して、絶えざる研究と、努力とが必要である。吾人の願いとしては、会員諸君は、一日も早く、自分の事業のなかに、“世法を識る”ことができて、安定した生活をしていただきたい」と指導されたことを紹介した上で、伸一はこう語る。  
「今、世界的に不況の風は厳しい。しかし、私たちは、それを嘆くだけであってはならない。『信心』によって、偉大な智慧と生命力を発揮して、見事に苦境を乗り切ってこそ、『世法を識る者』といえます」「信心しているからこそ、当面する課題をどう解決していこうかと、真剣に祈り、努力する――その『真剣』『挑戦』の一念から最高の智慧が生まれる」と。

 新型コロナウイルスの感染拡大により、今、全ての人が何らかの形で、コロナ禍の影響を受けている。この“危機の時代”にあって、いかなる環境の変化にも動じず、深い次元から一つ一つの事象を見抜く仏法の眼(まなこ) を磨き、信心根本に生き抜くことこそ、あらゆる困難を乗り越えるための要諦である。
 男子部結成記念日の「7・11」へ、私たちは師弟誓願の祈りと真心の励ましに挑み抜き、創価の青年として、勝利の実証を示していきたい。


【聖教ニュース】

◆35日ぶりに営業再開――温泉施設の総責任者 連載〈危機の時代を生きる〉 2020年6月20日
 
 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、全国の観光・娯楽施設は大きな打撃を受けた。
 熊本空港から南へ約70キロ、森に囲まれた露天風呂が人気の「さかもと温泉センター球麗温」も、その一つ。
 1カ月もの間、休業を余儀なくされ、今月1日、ようやく営業再開にこぎ着けた。
 施設の総責任者を務める西和明さん(55)=熊本県八代市、本部長=の顔に、少し笑みが戻った。(記事=古瀬秀雄)
 
 浴場から眺める、森の緑が美しい。木々の間からは、球磨川の澄んだ流れと観光列車「SL人吉」号が走る姿も楽しめる。
 「さかもと温泉センター球麗温」は、八代市が出資する第三セクター。近くにある「道の駅」や天文台など系列施設と連携し、地域活性化に努めている。
 自慢は、高齢者や子どもの肌にも優しいアルカリ性の天然温泉。
 館内でジビエ料理も食べられるとあって、観光客など年間約5万3000人が利用する。バスで訪れる老人クラブなどの団体客も多い。
 温泉のセンター長と系列施設の総責任者を兼務する西さん。今月1日ほど、胃が痛む日はなかったという。35日ぶりに営業を再開したのだ。
 開店の午前10時が近づくと、入り口ドアの前に常連の男性客の姿が。しばらくすると、なじみの顔が次々と現れた。
 「待っとったばい!」「あなたも大変だろうけど、頑張ってね」。お客に声を掛けられるたび、笑みがこぼれた。順調な滑り出しだ。
 以前は事務所でパソコンに向かう業務が多かったが、再開後は“新様式”に。
 2時間おきに館内の窓を開け、手すりや衣類かごなど、隅々まで消毒液を付けた布で拭く。広い館内では常時、従業員の誰かが、どこかを清掃している状態だ。人手が足りず、西さんも消毒に加わる。
 初日の営業後、館内の長いすに間隔を空ける真っ赤なテープを貼っていた時、ふと考えた。
 “お客さまが見たら緊張してしまうのでは。くつろぐために来られているのに……”
 利用者の安全を守るためとはいえ、申し訳なさが募る。
 西さんが“せめて”と手にしたのは園芸用のはさみ。
 敷地内に自生するアジサイを玄関やロビーに飾った。館内の雰囲気が少し明るくなったように感じる。まだできることがあるはず。暗中模索が続く。
 
 西さんは18歳の時、熊本から大阪の専門学校へ進学。兵庫県尼崎市内の同じアパートの住人から仏法の話を聞いた。
 「“人間革命”って知ってるか?」。自身を内面から変えていく哲理に共感し、1983年(昭和58年)、創価学会に入会した。
 25歳の時、熊本市内の広告デザイン会社に就職。営業成績を伸ばしながら、男子部のリーダーとしても奔走。
 留美さん(53)=地区婦人部長=と結婚し、2人の娘を授かった。
 49歳となった2014年(平成26年)、父が他界。続いて母も福祉施設へ。“そばにいてあげたい”と会社を辞め、郷里の八代市に戻ることに。
 転職活動を始めた直後に偶然、募集がかかったのが「道の駅 坂本」。
 採用され、仕事に打ち込んでいくと、高校卒業以来、顧みることのなかった故郷の良さが見えてきた。
 推されて住民自治協議会の役員に就き、恩返しの思いで地域住民と交流を深めていく。
 誠実な人柄が買われ、就職して1年で「道の駅」の駅長に抜てきされた。
 そんな16年、熊本地震が襲う。幸い、施設は軽微な被害にとどまったが、とても商売できるような雰囲気ではない。客足も減った。
 地震から2週間が過ぎた頃、地元客ではない人の姿が目立つように。服装が、観光とも仕事とも違う。聞くと、宮崎や鹿児島からボランティアに来たという。ありがたくて胸が熱くなった。
 “受け取ったこの真心。俺も困っている誰かを応援したい”
 真っ先に思い浮かんだのが、転職前に住んでいた熊本市内の同志の顔。居ても立ってもいられず、飲料水を確保すると、避難所へと車を走らせた。
 “傍観者になるな。人のために動くから、人は強くなれる。どんな困難も必ず乗り越えられる”――それが熊本地震から学んだことだった。
 
 新型コロナウイルスの影響がこれほど大きくなるとは、想像もしていなかった。
 徐々に予約が減り始め、3月下旬、県内の別の温泉施設で感染者が相次いだのが決定的だった。予約はゼロに。
 感染者が出てしまったらという不安。「働かないと生活できない」との従業員の声。膨らむ赤字。葛藤の連続で夜中に飛び起きることもあった。
 4月、県から休業要請が出され、慌ただしく土産物や食材の卸業者と、納期や支払いについて話し合った。
 何をするにも前例のない事態に、何が正解なのか分からない。それでも常に判断を迫られた。
 「迷いがあるのは仕方がない。でも、覚悟をもって決断しなければ。常に祈って生命力を湧かせ、最後は自分を信じ、不退の誓いで進みました」
 従業員の前では明るく努めていたが、一人になると不安が募る。
 支えは学会の同志の存在。本部長として毎日、メンバーと電話やメールで連絡を取るたびに、西さん自身が励まされた。
 5月に入ると、県内外から再開を待ち望む声が。電話は連日、20本を超えた。
 必要とされていると思うと、勇気が湧いた。休業期間中、万全の感染防止対策を練り上げた。
 
 営業再開から2週間がたち、客足は日ごとに伸びている。
 風呂上がりに、自然と笑顔になった年配客が「美人になったばい」と笑うのを見て、たまらなくうれしくなる。ずっと家に閉じこもり、地域とのつながりが断たれていた客もいるだろう。
 「温泉センターは“くつろぎの場”であるとともに、市民の“交流広場”なんだと、改めて気付かされました」
 池田先生は、つづっている。
 「学会員が中心になって、地域社会に、人間と人間の、強い連帯のネットワークをつくり上げなければならないと考えていた。それが、現代の社会が抱える、人間の孤立化という問題を乗り越え、社会が人間の温もりを取り戻す要諦である」
 西さんは思う。「困難に見舞われるたびに、経験を積み、人は強くなれる。私は地域の絆を大切に、ここから無数の励ましを広げていきたい」
 
 ●ご感想をお寄せください
 kansou@seikyo-np.jp
 ファクス 03―5360―9613 
 

【特集記事・信仰体験など】

◆〈第3代会長就任60周年記念 広布史 アルバム〉5 昭和54年6月2020年6月20日
 一人を味方に友の幸福に尽くせ

「久しぶりだね。会いたかったよ」――横浜市南区の会員宅を訪問(1979年6月22日)。そこに数人の同志が駆け付けた。池田先生は「皆さんは、学会の宝です」と語り、広布への献身を最大限にたたえた。家主の夫妻は、草創の文京支部に所属し、拡大に奔走。後日、先生は夫妻に「王桜」との揮毫をしたため、重ねて励ましを送った「久しぶりだね。会いたかったよ」――横浜市南区の会員宅を訪問(1979年6月22日)。そこに数人の同志が駆け付けた。池田先生は「皆さんは、学会の宝です」と語り、広布への献身を最大限にたたえた。家主の夫妻は、草創の文京支部に所属し、拡大に奔走。後日、先生は夫妻に「王桜」との揮毫をしたため、重ねて励ましを送った

 あの友、この友の幸福を祈り、心を通わせる。胸襟を開いて、耳を傾け、日々の挑戦をたたえ合う。ここにこそ、創価学会の真実がある。
 1979年(昭和54年)4月24日、池田先生は第3代会長を辞任。“会合で指導してはならない”など、宗門僧らによる師弟分断の謀略の嵐が吹き荒れる中、先生は功労者への訪問・激励を開始する。
 「御聖訓通りの、ありとあらゆる中傷非難、そして迫害のなか、わが同志は、決して広宣流布の旗を下ろさなかった。この方々を護らずして、誰を護るのか!
 この方々を讃えずして、誰を讃えるのか! 本当ならば、尊い仏子である全学会員のお宅を、私は一軒一軒、訪問したかった」
 先生は、一人、また一人と励ましを重ね、その数は600軒を超えた。

 私の功労者宅への訪問は続いた。
 その家の後継者や、小さいお孫さんとも親しく語り合った。一家一族を永遠に幸福の軌道に乗せることが、私の願いであり、祈りであったからだ。
 母親の信心が立派な家庭は、どこも後継者がしっかりと育ち、栄えていた。全国を転戦しながら、移動の途中に、会員の家や店があれば、寄らせていただいた。
 山口県では、離島にも足を運んだ。
 兵庫県の中堅幹部のお宅では、関西の幹部に「3・16」の意義を後世に留める話をした。
 大分空港に降り、坊主たちの苛めと戦い、苦しんできた方がいると知って、直ちにその場に向かったこともある。
 二百軒目は、文京支部で共に戦った草創の支部長のお宅であった。
 三百軒目は、神奈川の功労者で、ご一家のお母さんが病に伏したことを知り、お見舞いに伺った。
 五百軒目は、坊主の迫害に耐え抜いた愛媛の勇者の家であった。一九八五年(昭和六十年)の寒い二月のことである。
  
 一軒また一軒と数が増えるにつれ、自分の家族も増えるような思いであった。
 苦労して個人指導、家庭指導に歩けば、その分だけ、人間としての厚みがまし、豊かな境涯になれるものだ。
  
 きめ細かい生活指導こそ、不屈の信心の確立につながることを痛感する一日一日であった。会長辞任の直後、地道な家庭訪問から闘争を開始し、今や学会の民衆のスクラムは、世界をも結ぶまでになった。
 一人を味方にできない人は、世界を味方にできない。
 一つの家庭の幸福に尽くせない人は、人類の幸福に貢献できない。
  
 一対一の対話――これこそ最も確かで崩れぬ、平和と幸福の人間の連帯を築く方途であるからだ。ここに、学会が永遠に栄え伸びゆく生命線があることを決して忘れてはならない。

◆連載企画〈きずな〉〈信仰体験〉Treasuring My Life 自分の命を宝として見る

 読み進める小説『新・人間革命』に、モナ・サドワニさん=地区副婦人部長=は、インド土産のしおりを挟んでいる。裏側には英語で感謝の言葉が。
 関西在住の外国人メンバー(英語)の集い「関西インタナショナル・グループ(KIG)」で一緒に活動する後輩、スワティ・ラージさん=華陽リーダー=からのプレゼント。ラージさんも、サドワニさんから贈られた女子部の指導集を大切に読んでいる。
 サドワニさんはインド人の両親のもと神戸で、ラージさんはインド北部の町で、それぞれ生まれ育った。共に10代で創価学会の信仰を始めた2人は、今から6年前に知り合う。

◆サドワニさんの思い
 17歳の時に私(サドワニさん)は創価学会を知った。信心を始めた先輩が、変わったなと思って。試しに題目を唱えた日、いつの間にか5時間も祈っていた。悩みを抱えた友達を思いながら。幸せを願う気持ちが増して、信心の力を感じた。
 1947年、両親が住んでいた当時の英領インドは、インド(ヒンドゥー多住地域)と、パキスタン(ムスリム多住地域)の二つに分離独立した。パキスタンになる地域に住んでいたヒンドゥー教徒の両親は、家を捨て、移住することに。
 その後、日本で暮らし、兵庫で私が生まれる。平和な世界を見たい。その親の心を継ぎ、私は仏法者として生きると決めた。

 高校生の頃、肌の色を理由に差別を受けた。アメリカやイギリスの大学で学んだ時は、黒人に対してなど多くの差別を目にした。私は黒人や白人でもない。インド人だけど、日本で生まれた私って何なんだろう。そう悩んだこともあった。
 83年、関西創価学園の英語講師に採用していただいた。創立者の池田先生には、人を分け隔てする心なんて全くない。最初は壁にぶつかってばかりでも、先生の温かさに支えられ、全部乗り越えてこられた。
 人生について深く勉強し、先生の哲学と学園生に触れる中で、次の世代に尽くそうという思いが深まって。スワティと出会った時、彼女は創価大学の大学院生だった。
 学生時代、私はたくさんの人に守られた。だから、自分も後輩を守って励ましたかった。

●ラージさんの挑戦
 昔からの友達みたい。それが、私(ラージさん)がモナと初めて話した実感。優しくて、おもしろくて。仏法や師弟のことを語り合う仲になった。入会前、10代の私には夢も希望もなかった。
 勉強も苦手で、学校で暴力を受けたりもした。自信なんて持てない。自分の命にさえ価値を見いだせなかった。インドの小さな町で育った私にとって、祈りは静かに心の中でするもの。そのイメージが、18歳の時に参加した会合で一変した。
 大勢の人の唱題の声が、本当に力強く響いて。池田先生の言葉は、私という存在を受け止めてくれる。ここには、安心できる哲学がある。そう心から感じて入会した。

 先輩に借りた小説『人間革命』を読んでは、ノートに書き写した。「師弟」という関係を理解するのは難しかった。でも、池田先生が戸田先生に応えようとする姿、創価教育の実現や常勝関西の歴史に素直に感動した。
 私も先生についていけば未来が開けると思えた。インドの大学と大学院を卒業後、専門学校で講師として勤めた。でも、子どもの心に寄り添う人間教育がしたくて。2013年、決断した私は、日本に渡り、創価大学の大学院生になった。
 そして、夢ができた。関西創価学園で教育に携わること。モナには本当に勇気をもらった。同じインドということはもちろんだけど、一番うれしかったのは、彼女が池田先生の心を胸に生きている人だったから。

◆サドワニさんの経験
 まさか、ここまで頑張るなんて。根性にびっくり。スワティは夢をかなえて、私が退職するまでの間、一緒に働いた。あんなに題目を唱える人を知らない。
 彼女が悩んでいる時は、私の経験や池田先生との出会い、信心のこと、たくさん話をした。昔、文化や習慣の違いで自分も悩んだ。周りに合わせないといけないかなとか、自分自身の文化をどう伝えたらいいかとか。
 先輩から教えられたのは「Don’t lose yourself」っていうこと。自分自身を無くす必要はないし、別の人間にならなくていい。同じようにスワティに伝えた。人と比べて、卑下することなんてないからねって。

 今の私があるのは、池田先生の励ましがあったから。自信を失っていた時、握手をしていただいたり、「よく頑張っているよ」って声を掛けていただいたり。行き詰まることは当然あります。
 そんな時は、教室の後ろで池田先生が見ているって考えるの。そうして授業をすると大満足の結果になる。学園での毎日は、本当にやりがいがあった。これまで、世界中のどこに行っても卒業生と交流してきた。
 平和のために頑張っている姿に触れると、本当にうれしくて。退職した今でも、学園の夢を見ます。子どもたちの顔とか。創価教育は、創価の師弟の結晶だから。場所は変わっても、ずっと、お手伝いしていきたい。

●ラージさんの変化
 日本で暮らして、戸惑うことは何度もあった。でも、自分を貫いて、大切に生きる強さをモナから教わった。生活や仕事になじめず落ち込むと、「まず自分を変えること」ってアドバイスされて。私は、祈れば大丈夫っていう気持ちがどこかにあった。
 でもちょっと違う。祈り、自分の心を見つめて、行動することが最も大切なんだと思う。入会から9年後に、お母さん、そして、お父さんと妹も信心を始めた。去年、インドで家族そろって座談会に参加できて。題目の力を心から感じた。
 信心をして、過去の意味が変わった。つらい経験は、私を苦しませるためのものじゃない。私が慈悲の精神にあふれた人間になって、仏法の偉大さを証明するためのものになった。

 師匠という存在は、本当にありがたい。師匠がいれば、弱い自分を越えていける。一生の指針にしたい池田先生の言葉がある。
 「揺るぎなき『心の師』をもつことが大切である。私の心には、常に戸田先生がおられる。今でも、毎日、対話している。先生なら、どうされるか、どうすれば、先生に喜んでいただけるか――。心に、この原点があるから何も迷わない。何も怖くない」
 学会で学んだ本当に大切なこと。それは「Treasuring My Life」。自分の命を宝として見ること。池田先生が無条件に私たちを肯定し、信じ続けてくれたから、私は自分を愛せるようになった――。

◆モナ・サドワニさん 兵庫県神戸市在住。1974年に入会後、日本やインドでも池田先生から励ましを受ける。関西創価学園で英語講師となり、小学生から高校生まで教え、2017年に退職。女子部時代から関西国際部で活躍し、多くの友に弘教を実らせている。 
●スワティ・ラージさん 大阪府交野市在住。インドでMBA(経営学修士)を取得後、教育の志を抱き、創価大学大学院へ。現在、関西創価高校で英語を教える。関西インタナショナル・グループの女子部の人材グループ「関西ダイヤモンドハートグループ」の責任者として活躍する。

2020年6月19日 (金)

2020年6月19日(金)の聖教

2020年6月19日(金)の聖教

◆わが友に贈る

 いかなる労苦も困難も  
 全てプラスの力に!
 その原動力が信心だ。
 たくましき楽観主義で
 生き生きと前へ前へ!


◆名字の言 きょうプロ野球開幕――表舞台を支える人々   2020年6月19日

 プロ野球2020年の公式戦が、きょう開幕する。一時は、コロナ禍によってシーズン自体が危ぶまれていただけに、選手や関係者、ファンの喜びもひとしお。好ゲームが繰り広げられることを期待したい▼以前、ある球団の練習を見学した。多くの選手を育ててきたコーチが話してくれた。「彼らのおかげで選手が活躍できる。本当に大事な存在」と指さしたのは打撃投手たち。現役を退いた投手が務めることが多いという。50歳を過ぎたベテランも、選手のために黙々と投げていた。高い制球力。鋭い変化球。技術は卓越している。が、彼らが脚光を浴びることはない▼表舞台に立つ人がいれば、それを陰で支える人が必ずいる。野球チーム一つとっても、打撃投手の他に用具係、トレーナー、スコアラー等々、裏方を担う面々が選手を支えていた▼本紙を配達してくださる無冠の友、励ましの対話に汗する人、会場提供者、会合の役員……。池田先生は、そうした縁の下の力持ちの方々に光を当て、心から励まし、尊ぶ文化を築き上げてきた。だから学会は発展した▼人が見ていようがいまいが、誠実に友のため、社会のために尽くす人生を歩みたい。そして、目立たぬところで奮闘する陰の人を見つけ、たたえる眼を常に持ちたいと思う。(誠)


◆寸鉄

「法華経と申す御経は身
心の諸病の良薬」御書。
朝晩の勤行でリズム刻み
     ◇
愛知女性勝利の日。堅塁
の婦女は明るく朗らか。
師弟勝利の「この道」を!
     ◇
信仰は「無限の向上」の異
名―戸田先生。昨日より
今日。挑戦の人は皆、青年
     ◇
きょう「朗読の日」。良書
に触れれば心が豊かに。
読み聞かせ、親子で実践
     ◇
高温多湿で食中毒多発。
入念な手洗いや加熱調理
で賢く対策。油断は禁物


◆社説 プロ野球きょう開幕  スポーツの不屈の挑戦にエール

 3カ月遅れの“球春到来”――足踏みを続けるスポーツ界の先陣を切り、きょうプロ野球が開幕する。
 当初、3月20日を予定していたシーズン開幕は、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、延期が繰り返された。多くのファンがこの日を待ちわびていたが、当面は無観客で開催。選手同士の握手やハイタッチも避けるなど、感染への予防策が徹底される。
 その一方、夏の全国高校総体(インターハイ)や全国高校野球選手権大会(夏の甲子園大会)は中止が発表された。“集大成の夏”を目指し、仲間と共に汗を流してきた高校生アスリートたちの衝撃は、いかばかりか。その中で、既に中止された“春の選抜高校野球”の代替大会が8月に甲子園で行われることが発表された。試練の渦中に光る、明るい話題となった。
 高校球児のために「仲間と積み上げた日々を証明する舞台を用意してもらいたい」といち早く声を上げたのは、プロ野球・西武の松坂大輔だった。右肩痛による長期低迷から復活し、2018年には「カムバック賞」を受賞。かつて“平成の怪物”と呼ばれた甲子園のスターは「本当の苦しさは当事者にしか分からない」と、高校生の心情を思いやった。
 また、日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長は「スポーツの経験を通して、世界に貢献できる人に」と、選手たちの未来に期待を寄せる。「腐らず、諦めず、もう1回、自分自身を奮い立たせてほしい。すべてを前向きに、チャレンジを!」。山下会長は、1980年モスクワ五輪の“幻の”柔道日本代表。夢舞台が目の前で消えるという挫折から奮起し、4年後の五輪で死闘を繰り広げ、金メダルを獲得する。
 池田先生は『未来対話』の中で、困難な壁を打ち破るスポーツ選手を「不屈の挑戦者」と呼んだ。鍛え抜いた体力や技術のみならず、負けじ魂や挑戦の心、団結や励ましの声……。すべての経験が、その後の人生で“光”となって輝く。これから「新たな日常」をつくり上げていく一人一人にとっても、決して忘れてはいけない“人生勝利のドラマ”だ。
 プロ野球に続き、サッカーのJ1リーグも来月4日に再開する。選手の移動リスク払拭や日程調整など、船出に当たって検討すべき課題も多い。
 「夏草やベースボールの人遠し」――。病床の正岡子規も、遠くで野球を楽しむ声に耳をすませた。いかに環境が変化しても、アスリートの全力プレーは変わらない。競技場には行けなくても、テレビなどの画面越しで、選手たちに力強い声援を送りたい。


◆きょうの発心 御義口伝 総神奈川総合女子部長 新井優子2020年6月19日

御文 自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり(御義口伝、761ページ・編1607ページ)
通解 自他共に智慧と慈悲があることを「喜」というのである。

「自他共に」幸福勝利の道開く
 自分にも他人にも智慧と慈悲という仏性の特質が体現されることが真実の喜びであると仰せです。
 2006年(平成18年)、創価大学で行われた、池田先生への200番目となる名誉学術称号の授与式で、学生の代表として合唱を披露。一人一人を温かく激励される先生の姿に「生涯、師と共に広布の道を」と誓いました。
 社会人となって、家族の病気や、自身の宿命に直面し、心が押しつぶされそうに。
 その時、先輩がこの一節を拝して、「同じように悩む人を励ます使命があるんだよ」と教えてくれました。
 “師と同じ心で友に希望を送れる自分になろう”と奮起し、一歩も引かずに学会活動にまい進。師匠からの激励と、同志の支えもあり、一つ一つ乗り越えることができました。
 悩みを通して他者を励ます自分に成長できたと実感し、感謝と喜びの思いでいっぱいです。
 池田先生の「一人一人が、これ以上ないという幸せを、自他共に勝ち広げていくために生まれてきたのです」との指導を胸に、総神奈川女子部の皆さまと、幸福勝利の道を開いていきます。


【先生のメッセージ】


◆マイ・ヒューマン・レボリューション――小説『人間革命』学習のために 第13巻

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを、巻ごとに紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第13巻を掲載する。次回は「学生部編」を26日付2面に予定。※第14巻の掲載は、7月3日付の予定です。挿絵は内田健一郎。

相手を知ることが渉外の基本

 <日中関係に暗雲が垂れこめる中、1966年(昭和41年)7月、青年部の幹部が中国の関係者と会談する。終了後、報告を受けた伸一は語る>
 
 「やはり最初は硬い雰囲気だったんだね。初対面の時は、互いに緊張するだけに、その硬さを解きほぐしていくことが大事なんだ。
 それは笑顔だよ。
 そして、最初に何を言うかだ。
 包み込むような温かさがあり、相手をほっとさせるようなユーモアや、ウイットに富んだ言葉をかけることだよ」(中略)
 「それから、人と会う時には、相手がどういう経歴をもち、どういう家族構成かなども、知っておく努力をしなければならない。それは礼儀でもあるし、渉外の基本といってよいだろう。
 たとえば、君たちだって、自己紹介した時に、『あなたのことは、よく存じております。こういう実績もおもちですね』と言って、自分の業績を先方が語ってくれたら、どう感じるかい。この人は、自分のことを“ここまで知ってくれているのか”と感心もするだろうし、心もとけ合うだろう。
 それが、胸襟を開いた対話をするための第一歩となるんだ。だから私も、常にそうするように、懸命に努力している。お会いする方の著書があれば、できる限り目を通すようにしているし、その方について書かれた本なども読んで、頭に入れているんだよ」
 (「金の橋」の章、36~37ページ)

「異体同心」は個性開花の団結

 <68年(同43年)秋、各方面で芸術部員による芸術祭が開催。一人一人の個性を尊重しつつ、団結するにはどうすればよいかと尋ねる芸術部の幹部に伸一は、指針を示す>
 
 「実は、その原理が『異体同心』ということなんです。
 世間では、団結というと、よく『一心同体』と言われる。これは、心も体も一体ということであり、心を同じくするだけでなく、行動や形式も同じことを求める。
 つまり、全体主義となり、どうしても、個性は抑圧されることになる。
 それに対して、大聖人は『一心同体』ではなく、『異体同心』と言われた。
 これは“異体”である個人、また、それぞれの個性や特性の尊重が大前提になっています。
 その一人ひとりが“同心”すなわち、広宣流布という同じ目的、同じ決意に立つことから生まれる、協力、団結の姿が異体同心です。
 つまり、それは、外側からの強制によるものではなく、個人の内発的な意志による団結です。だから強いんです。
 また、自主性が基本にあるから、各人が個性、特質をいかんなく発揮できるし、それによって、さらに全体が強くなる。たとえば、城の石垣というのは、同じ形の石ではなく、さまざまな形の石を組み合わせ、積み上げていくから、堅固であるといわれている。
 野球をするにも、優秀なピッチャーばかり集めたからといって、勝てるものではない。『異体』すなわち、いろいろな人材が必要なんです。芸術部員は、一人ひとりが力もあり、強い個性をもっているだけに、皆が心を一つにして団結すれば、すごいパワーが発揮できます。
 学会の強さは、この『異体同心』の団結にありました。その力によって、常に不可能の壁を破り、新しい歴史を開いてきた」
 (「光城」の章、272~273ページ)
 
青年時代の苦闘は生涯の財産

 <69年(同44年)2月、沖縄で大学会の結成式に出席した伸一は、夜間に学ぶ二部学生に励ましを送る>
 
 「全部やると決めて、挑戦していくことです。
 逃げたり、卑屈になったりしてはいけない。また、焦ってはならない。今は将来に向かって、着実に人生の土台をつくる時です。
 人生はある意味で死闘といえる。血を吐くような思いで、無我夢中で戦っていくしかありません。悩んで悩んで、悩み抜いていくところに成長がある。人間形成がある。それこそが、生涯の財産になります。
 私も夜学に通っていたから、皆さんの苦しさ、辛さはよくわかります。
 私は、三十歳まで生きられないといわれていた病弱な体でした。また、長兄は戦争で死に、家も焼かれ、暮らしは貧しく、いつも、腹を空かせていました。本を買うには、食費を削るしかなかったからです。
 しかし、それでも私は、知恵を絞って時間を捻出し、徹底して学んできました。電車のなかも、勉強部屋でした。
 そして、働きに働きました。朝も三十分前には出勤し、清掃をしてみんなを待ちました。
 職場での信頼も厚く、戸田先生の会社に移る時には、上司も、同僚も、本当に惜しんでくれました。
 さらに、猛然と学会活動に取り組み、信心ですべてを切り開いてきたんです。
 家族が用意してくれた整った環境での勉学よりも、大変ななかで、泣く思いをして学んだことの方が、何倍も自分の血肉となり、身につくものなんです。
 鍛えのない青年は、軟弱になり、人生を滅ぼしかねない。ゆえに、二部学生は、最高の修行の場を得ているということなんです。頑張りなさい」
 (「楽土」の章、347~348ページ)
 
広布の使命自覚した人が人材

 <沖縄の高等部の集いで伸一は、人材の要件を示す>
 
 「人材の要件とは何か――。
 広宣流布の使命を自覚することです。
 人は、なんのための人生なのかという、根本目的が定まっていなければ、本当の力は発揮できないものです。
 また、力をつけ、立派な地位や立場を手にしたとしても、自分の立身出世のみが目的になっていれば、社会への真の貢献はできません。
 才能の開花も、知恵の発揮も、忍耐も、すべて広宣流布の使命を自覚するところから生まれるものであることを、知ってください。さらに、人材とは、人格の人であるということです。人への思いやり、包容力、自分を律する精神の力、正義への信念と意志等々、人格の輝きこそ、人間として最も大事です。
 それには、精神闘争が必要です。
 自分の弱さに挑み、苦労に苦労を重ねて、自己の精神を磨き上げていくことです。
 そして、人材には、力がなくてはならない。
 心根は、清く、美しくとも、力がないというのでは、民衆の幸福、平和を築くことはできない。だから、何か一つでよい。これだけは誰にも負けないというものをもつことが必要です。
 わが弟子ならば、全員が大人材であると、私は確信しております。皆さんこそ、私の宝です。沖縄の誇りです」
 高等部員は、頷きながら、伸一の指導を聞いていた。
 その目には、誓いの涙が光っていた。
 人材を育むには、先輩幹部が一人でも多くの人と会うことである。
 草木も、豊富な養分を吸収し、燦々たる太陽の光を浴びてこそ生長する。人
材もまた、さまざまな励ましがあり、触発があってこそ、育ちゆくものである。
 (「楽土」の章、349~350ページ)
 
折伏精神とその要諦

 <1968年(昭和43年)10月、伸一は、静岡・富士宮市内の地区座談会に出席。そこで参加者の悩みに答え、折伏の精神と、弘教の要諦を語る様子が、「北斗」の章で描かれている>
 
 「私は、仕事が忙しくて休日も取れません。でも、なんとか折伏をしたいと思っています。ところが、なかなかできないもので悩んでおります」
 「人を救おうとして悩むなんて、すごいことではないですか。尊く誇り高い、最高の悩みです。本当の慈悲の姿です。それ自体、地涌の菩薩の悩みであり、仏の悩みです」
 集った同志は、弘教を実らせようと、日々、懸命に戦っていた。
 それだけに、折伏についての話に、皆、目を輝かせ、真剣な顔で聴き入っていた。
 「折伏を成し遂げる要諦は何か。
 それは決意です。一念が定まれば、必ず状況を開くことができる。
 折伏は、どこでもできるんです。
 戸田先生は、牢獄のなかでも法華経の極理を悟り、看守を折伏しています。
 まず、折伏をさせてくださいと、御本尊に懸命に祈り抜くことです。すると、そういう人が出てきます。
 また、ともかく、あらゆる人と仏法の対話をしていくんです。
 もちろん、信心の話をしても、すぐに入会するとは限りません。それでも、粘り強く、交流を深めながら、相手の幸福を日々祈り、対話を重ねていくことです。
 種を蒔き、それを大切に育て続けていけば、いつか、必ず花が咲き、果実が実ります。
 焦る必要はない。
 さらに、入会しなくとも、ともに会合に参加して教学を勉強したり、一緒に勤行したりすることもよいでしょう。自然な広がりが大事です。
 ともあれ、苦労して弘教に励んだ分は、全部、自分の福運になります。
 相手が信心しようが、しまいが、成仏の因を積んでいるんです」
 皆が笑顔で頷いていた。伸一の話を聞くうちに、安心感と勇気が湧いてくるのである。
 彼は、言葉をついだ。
 「また、対話してきた人を入会させることができれば、何ものにもかえがたい、最高最大の喜びではないですか。折伏は、一人ひとりの人間を根本から救い、未来永遠の幸福を約束する、極善の実践です」
 (「北斗」の章、183~184ページ)
                  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
 
 聖教電子版の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」第13巻「解説編」の池田博正主任副会長の紙上講座と動画を閲覧できます。
 第13巻「解説編」はこちら。


聖教ニュース】

◆「日蓮門下の人間群像」上巻が発刊  「大白蓮華」の好評連載を書籍化 2020年6月19日


発刊された『日蓮門下の人間群像――師弟の絆、広布の旅路』上巻。当時の時代背景などのコラムも収録

発刊された『日蓮門下の人間群像――師弟の絆、広布の旅路』上巻。当時の時代背景などのコラムも収録

 『日蓮門下の人間群像――師弟の絆、広布の旅路』上巻が、発刊された。
 これは、「大白蓮華」の2017年4月号から19年6月号までに掲載された連載企画を収録したもの。最新の教学研究の成果を踏まえた内容となっており、南条時光や富木常忍ら、師の励ましを胸に苦難に挑んだ門下の奮闘に光を当てながら、“愛弟子に勝利の人生を歩ませたい”との日蓮大聖人の慈愛に迫る。また、関連する池田大作先生の講義も掲載する。
 立宗宣言以来、大聖人の御生涯は大難に次ぐ大難であられた。しかし、「日蓮一度もしりぞく心なし」(御書1224ページ)と、妙法流布を貫かれた。その崇高な御振る舞いは、災害や飢饉・疫病等の苦悩にあえぐ民衆への、大慈悲の表れと拝せよう。
 その慈愛の眼差しは、共に民衆救済の道を歩む門下一人一人にも向けられた。その御心が、御書の一節一節からあふれ出てくる。

人生の試練をも成長の糧に!――波浪が岩を削るように、粘り強く苦難に立ち向かう挑戦が、偉大な境涯を開く(新潟・佐渡市)


人生の試練をも成長の糧に!――波浪が岩を削るように、粘り強く苦難に立ち向かう挑戦が、偉大な境涯を開く(新潟・佐渡市)

苦難を勝ち開いた師弟共戦のドラマ
 求道心を燃やし続けた鎌倉の門下の一人に妙一尼がいる。その人生は宿命の嵐の連続であった。
 大聖人への弾圧が熾烈を極める中、迫害の矛先は鎌倉の弟子に及び、妙一尼の夫は所領を没収された。さらに、頼りにしていた最愛の夫に先立たれた。
 だが、病気の幼子を抱え、絶望的な環境にあっても、妙一尼の信心は揺るがなかった。大聖人に衣1枚を御供養するなど、献身の行動を貫いたのである。
 大聖人は、この純真な女性門下に、万感の励ましを送られた。
 「法華経を信じる人は、冬のようです。冬は必ず春となります。昔から今まで、聞いたことも見たこともありません。冬が秋に戻るということを」(同1253ページ、通解)
 池田先生は、この御金言について、「冬の間にこそ、どう戦い、どれほど充実した時を過ごすか。必ず来る春を確信し、どう深く生きるか――そこに勝利の要諦がある」とつづっている。
 暗く寒い厳冬のような苦難の日々にも、信心に徹すれば、必ず暖かな勝利の春を迎えることができる――師匠の確信あふれる言々句々ほど、弟子を奮い立たせるものはない。妙一尼は、苦悩の闇に一筋の希望の光を見る思いだったに違いない。
 師匠の仰せ通りに実践すれば、破れぬ壁は断じてない――日蓮大聖人と門下がつづった共戦のドラマの数々は、人生を勝ち開くための指針を、後世の私たちに教えてくれる。
 本社刊。1100円(税込み)。全国の書店で発売。コンビニ通販サイト「セブンネットショッピング」「HMV&BOOKS online」での注文、受け取りも可能です。


◆青年部と医学者が第8回オンライン会議   2020年6月19日

 新型コロナウイルスの感染状況を踏まえ、青年部の代表と公衆衛生等に詳しい医学者らが、3月末からオンライン会議システムを活用して、意見交換を行っている。
 
 第8回のオンライン会議は18日に開催され、志賀青年部長、西方男子部長、大串女子部長ら青年部の代表と、東京医科歯科大学の藤原武男教授、新潟大学の菖蒲川由郷特任教授、創価青年医学者会議の庄司議長、創価女性医学者会議の勝又議長が参加した。

感染症との「共存」へ 新たな価値の創造を

 今回のテーマは、「感染症と『共存』するために」。
 5月25日に全国の緊急事態宣言が解除されて以降、国内では毎日数十人程度の新型コロナウイルス感染者が出る中、流行の「第2波」に備え、引き続き日常の感染防止対策が呼び掛けられている。
 会議では、感染予防と社会経済活動を両立させる「新たな日常」を築くためのポイントを確認。私たちが目指すべきは「感染者ゼロ」ではなく、「大流行させない」ことであるとの視点について言及があった。
 熱中症対策や梅雨の時季の換気など、日常生活の注意点も話題になった。
 また、社会経済活動が活発になるほど、「経済を優先したい人」と「感染予防を徹底したい人」等の考え方の違いによる、意見の対立が生まれることが懸念されている。会議では、社会が二極化しないよう、どちらか一方の考えに偏るのではなく、多様性を尊重しながら、新しい道を価値創造していく重要性が指摘された。
 その上で、公衆衛生学の観点から、「人とのつながり」が多い人ほど病気になりにくく、幸福感を得やすいことなどを紹介。一人一人の「思い」を尊重する“創価の励まし”は、地域・社会の「つながり」や「絆」を強め、自他共の幸福を築いていく要因となることなどが語り合われた。(会議の模様は後日詳報)


【特集記事・信仰体験など】

◆〈青年想 Essay from Youth〉4 デジタルネーティブ世代  学生部長 樺澤光一
 真の分かち合い生む人間力を

 新型コロナウイルスの感染拡大により、社会が未曽有の困難に直面する中、青年部の代表が仏法の視点から価値創造の使命を考える「青年想」。今回は、樺澤学生部長が「デジタルネーティブ世代」をテーマにつづる。  ?

オンラインの壁
 教室で机に向かい、講義から知的な刺激を受ける。学生同士のグループワークで、諸課題を掘り下げる。全国や海外から集まった仲間と語り合い、友情を築いていく。
 こうした当たり前の日常が、新型コロナウイルスの感染拡大により、キャンパスから消えてしまった。  ?
  今、多くの大学では、講義が“オンライン化”されている。学生たちは、幼い頃からデジタル機器に囲まれて育った世代、いわゆるデジタルネーティブ世代のど真ん中にいる。だからこそ、感染症による不測の事態にあっても、オンライン化に何とか対応できているのであろう。一昔前だったら、ウイルスの脅威を前に、学問の場はなす術もなく閉ざされていたかもしれない。   
 ただし、オンラインの試行錯誤(しこうさくご)の中で、受講環境の整備の問題、いわゆる「通信格差」の問題が浮き彫りとなっている。全ての講義がオンライン化されると、経済格差にもとづく通信の格差が、そのまま教育の格差に直結してしまう。
 さらに、学生部員たちと話す中で、通信格差とは別の、大きな壁に直面していることに気付いた。それは、「学びへのモチベーションの維持」という課題だ。   
 キャンパスの講義では、他の学生の姿勢や、講師との“生”のやり取りも刺激となる。そうした“学びの空気”を、オンライン講義では感じにくい。“学びの場”としての空気感や臨場感の喪失が、思った以上に影響しているようだ。
 これは、教室ならばうまく行われている“知のコミュニケーション”が、オンラインでは難しいことを示している。  

伝わりづらい心
 デジタルネーティブ世代は、物理的距離を超えて情報を入手したり、他人と接したりすることを当たり前と感じる世代といわれる。「インターネットと現実の世界を対立するものとしては区別しない」「インターネット上の対等な関係になじんでいるため相手の地位や年齢、所属などにこだわらない」などの特徴が挙げられるという。  
  裏を返せば、他の人との“心の距離感”を測ることが難しい環境に育った世代ということもできる。  
 例えば同じ言葉を発するにも、対面では、表情や身ぶりなど言語以外の部分も補って意図を伝えやすいが、デジタルでは、言葉以外は通じにくい。「熱量」や「思い」といった心に関する部分は、なおさらである。
 そもそもコミュニケーションとは、「互いに意思や感情、思考を伝達し合うこと」などと説明されるが、もともと「分かち合う」「共有する」という意味が含まれるとされる。特に“知のコミュニケーション”では、学びの場を「分かち合う」ことが大切な要素であることは間違いない。
 総じて、デジタルはどうしても、思いを分かち合いにくいという点でコミュニケーションが十分でないのであろう。
新入生歓迎の意義を込めたオンラインによる集いに参加する樺澤学生部長(先月10日)

巡ってくる重み
 そうしたデジタルが抱える問題は、コミュニケーションの一つである「シェア」(共有すること、分かち合うこと)という行為にも見られる。   
 今は「シェア」の時代である。ウェブ上のさまざまなサイトやニュース、SNSには「シェア」機能があ
り、気になった情報を簡単に他の人に伝えられる。  しかし、シェアの手軽さは、責任の軽さをも生みかねない。特にSNS上のシェアは、人を鋭く痛めつける誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)さえ“1タップ”で拡散できてしまう。
 なぜそうなってしまうのか。デジタル世界でのシェアは、「分かち合う」ことの本義から離れてしまっているからであろう。  
  本来のシェアは、複数の人による相互性で成り立つ。例えば、目の前の人と、何か好きなものや良いことを分かち合えば、喜びや感謝などの気持ちが返ってくる。だからこそ、目の前にいる見知らぬ人を突然、誹謗中傷することはしない。  
  しかしデジタル上のシェアは、発信によっては、不特定多数の人が目にすることになる。また他者からの反応を無視することさえできる。そうなると、受け取る側との対等なコミュニケーションが成立しないという“一方的なシェア”であるため、相手を思いやる想像力に欠けてしまい、真の「分かち合い」にならないのである。
 「相手の側に立つ」ことが問われているデジタル社会の課題に対して、仏法は次のような視点を提示している。  
  日蓮大聖人は、「人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし」(御書1598ページ)と仰せである。  
  ここに、一段高い「シェア」への洞察がある。他者に差し出した光は、同じく自身の前もともす、つまり、一方的なものではなく、本当の意味での分かち合いをもたらすことを表している。相手への振る舞いが自分にも巡ってくる重みがある。  私たちが善の価値を共有すれば、それは何倍にも社会へ広がる。これこそ自他共の幸福をもたらす哲学といえないだろうか。  

思いを響かせて
 この哲学をもとに、デジタル時代を生きていく武器は、「人間力」であると思う。言い換えれば、自分自身の“人格”を懸けて、熱量や思いを伝えていく力であるといえよう。相手があってのコミュニケーションであり、シェアである。匿名性の高いSNSであろうと、他者に及ぼす影響に無責任であっていいはずはない。   

 大聖人は「言(ことば)と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」(同563ページ)と示されている。心を伝えるのが難しいデジタル時代だからこそ、あえて伝えようという情熱によって言葉をつむぎだすことで、あたたかな温度とともに相手へ届く。
 そのためには、他者へと、世界へと、自身の境涯を大きく開きながら、思いを伝えていける力を鍛えていく挑戦が必要である。こうした「人間力」こそが、コミュニケーションにおいて最重要であろう。  
  今、世界の学生――デジタルネーティブ世代は、同じく困難な状況に立つ。この世代が“コロナ後”の新たな世界をつくっていく。その中にあって、創価の哲学は、新時代の希望になると確信する。  

 師匠・池田先生は示されている。   
 「一人一人が生老病死の苦悩を打開しゆく『人間革命』の哲学がいやまして渇仰されているといってよい。今、創価の若き哲人たちが、自行化他の題目を朗々と唱え抜きながら、身近な自身の課題にも、友の悩みにも、社会の改革にも、励まし合いながら挑みゆく一日一日の積み重ねによって、どれほど偉大な知性と人格が錬磨されていくことであろうか」(学生部指導集『先駆の誇り』「発刊に寄せて」)   
 師匠の学生部への期待を胸に、デジタル時代を生きるための哲学を社会へ広げるべく、私たち学生部は、学問とともに人格を鍛えて人間力を磨き、次代を築きゆくリーダーへと成長していきたい。


◆【みんなで学ぶ創価の心】「未来部レインボーチャレンジ」を応援! 
わが家の信心の歴史を聞いてみよう 

希望の未来へ舞いゆけ――「世界平和ペルー文化祭」に出席した池田先生が、宝の未来部員たちを激励(1974年3月、リマ市内で)

希望の未来へ舞いゆけ――「世界平和ペルー文化祭」に出席した池田先生が、宝の未来部員たちを激励(1974年3月、リマ市内で)

皆で「未来部レインボーチャレンジ」(6月30日まで)を応援!
 今回は、挑戦項目の五つ目である「わが家の信心の歴史を聞いてみよう」について、池田先生の指針を学びます。「わたしの実践」では、各地の未来部育成の取り組みや、成長の日々を歩むメンバーの声を掲載します。??

【池田先生の指針】
   わが家の信心の歴史を聞いてみよう――“生命の宝”を継ぐ人に
 (偉大な科学者である)アインシュタイン博士が、世界を平和にするために、一番大事だと語っていたことがあります。 ?
 それは、「われわれの考えを変え、人の心を変えること」です。
 本当に、その通りだと思います。心が心を動かしていく。心が心を変えていきます。私たちにとって、その一番の力のみなもとが、信心です。
 みなさんのお父さん、お母さん、おじいさん、おばあさん、学会の同志の方々は、真心から人を励まし、人を笑顔にしてきました。今も、毎日、行動しています。
 みんなの笑顔があるところに、希望が生まれる。幸福が広がる。平和が光る。
 たとえ、つらく悲しいことがあっても、人を励ませば、自分も元気になる。励まされた人も、明るく笑顔になる。
 こうして、励まし合って、人々の心を明るくし、笑顔を増やして、世界に平和の心を広げてきたのが、創価学会の歴史です。
                         ☆☆☆ 
  人の何倍もいそがしくて、苦労も多かった。でも、その分、福運という「生命の宝」「心の宝」を山のように積み上げてきたのです。
 この宝は、一家に“信念のバトン”を受けつぐ人がいれば、どんどん増えていきます。みなさんも題目を唱えて、「がんばろう」と心を決めれば、そのまま宝を、すべて受け取ることができる。そして、自分の努力で、いくらでも増やしていけるのです。
 この宝があれば、どんなことがあっても負けません。「生命の宝」を「生命の力」として、みなさんは、自分の夢を大きく広げ、実現していけるのです。
                   ☆☆☆
 みなさんは、お父さん、お母さんがいて、この世に生まれてきました。そのお父さん、お母さんが生まれてきたのは、おじいさん、おばあさんがいたからです。
 こう考えていくと、みなさんが生まれてくるまで、限りない“いのちのリレー”が、ずっと続いてきたことがわかります。
                     ☆☆☆
 かけがえのない“いのちのリレー”のなかで、私といっしょに、今このときを走り、そして未来にバトンを託す栄光のランナーが、君であり、あなたです。
 その君がいて、あなたがいて、ご一家も、学会も、人類の歴史も、永遠に続いていく。大切な大切な使命あるみなさん方に、私は最敬礼して、題目を送ります。  (『希望の大空へ』)

 ※アインシュタイン博士の言葉は、ウィリアム・ヘルマンス著『アインシュタイン、神を語る』雑賀紀彦訳(工作舎)を参照。

【わたしの実践】
いつか弟とも挑戦を
 <東京都葛飾区 鈴木蓮さん(小学5年)>  お母さんから「こんなのが新聞に載っているよ」と言われ、僕の「レインボーチャレンジ」がスタートしました。  
 毎朝、早起きして勤行をしています。休校中は、朝ご飯の前に家の床を掃除し、0歳の弟の凛が起きたら着替えさせ、家の洗濯の手伝いもしてきました。なんだか主婦になった気持ちです(笑い)。
 勉強面は、学校や塾の宿題、さらにお母さんが作った宿題プリントもあったので、充実した毎日でした。1日1冊、本を読み、感想を「読書カード」に書くチャレンジも続けています。
 僕は「アンデルセン合唱団」や、地域の消防少年団にも入っています。今は自分で歌の練習をしたり、消防団の規律の本を読んだりしています。  
 レインボーチャレンジに挑戦すると、とても元気になります。最初は大変そうでしたが、「この中の一つでもいいから、やってみたら?」とお母さんがアドバイスしてくれました。目標を達成するたびに、「やった!」とうれしくなります。  
 未来部の担当者の方も、「池田先生が未来部を応援してくれているよ。蓮くんも頑張れ!」と電話をくださり、さらにやる気になりました。気が付けば、全ての項目をチェックできるようになりました。  
 今の目標は、この挑戦を続けて、弟が小学生になった時に、レインボーチャレンジの素晴らしさを教えてあげることです。お母さんが僕を応援してくれたように、次は僕が、弟と一緒にチャレンジします。

“二人三脚”で成長
 <総新潟 今成幸一未来部長>  総新潟の男子未来部では、総県・圏の担当者を中心に皆で団結し、メンバー一人一人を激励しています。
 電話、メール、SNSを駆使して連絡を取り合い、レインボーチャレンジの中から、それぞれ挑戦したい項目を決め、“二人三脚”の思いで、共に一歩を踏み出しました。
 その中で、特に新任の高等部部長のメンバー(高校2年)の成長が光っています。
 第1新潟総県南圏の鈴木英治さんは「親孝行」を決意。家族を支えてくれているお母さんに感謝を伝えようと、毎日一食、料理をしたり支度を手伝ったりしたそうです。「難しいのは献立。大変でした。あらためて母に感謝しています」と語っていました。
 勤行・唱題への挑戦を開始したメンバーもたくさんいます。第2新潟総県中越圏の栁澤優人さんは、総県未来部長と毎朝、一緒に“同盟唱題”を継続中。「早起きに慣れました! 良い生活リズムです」と、さらに学力アップも決意しています。
 第3新潟総県燕圏の諏佐心さんは、担当者から電話で激励され、一日の唱題の目標時間を決めました。10分、20分と祈りを重ねる中、「希望の進路を勝ち取りたい」と深く決心。信心根本に勉強に挑む姿が、周囲に感動を広げています。
 担当者の皆さんも、さまざま大変な状況の中で、未来部員の成長を最大の励みとして奮闘しています。メンバーとのオンライン御書学習会をスタートした方もいます。これからも、一人一人を全力で励まし続けます。

好評の“スマホ通信”
 <第2総東京 内田貴子女子未来部長>
 第2総東京未来部はレインボーチャレンジの推進に当たり、新たな取り組みを始めました。
 その名も「未来部通信スマホ版」。これまで未来部通信を紙媒体で130号以上発行してきましたが、コロナ禍で会合が自粛となり、“休刊状態”に。その中で検討を重ね、完成したのが“スマホ版”です。
 PDFデータにまとめられた未来部通信が、地元組織を通じて、“子どもたちや親御さんのスマホ”へと届くようになりました。PDFの画面をタップすれば、自分たちの挑戦の模様を投稿できる仕組みにもなっていて、好評を博しています。
 「コロナの薬が早くできるように勤行に挑戦し始めました」(町田市、小学4年女子)  
 「学校では行われないチャレンジ目標なので、とても達成感を感じています」(立川市、中学3年女子)  「今回初めて、わが家の信心の歴史を詳しく知ることができました」(小平市、高校1年女子)
 他にも「世界中の人々の幸福を祈っています」と報告してくれた男子未来部員もいました。
 挑戦項目のどれか一つでも達成できたメンバーには、“レインボーチャレンジャー”の証しとしてオンラインで表彰状を送っています。
 私たち担当者も、宝の子どもたちと共に挑戦の日々を刻んでいきます。

「わたしの実践」を大募集
 氏名、年齢、職業(学年)、住所、電話番号(※任意で携帯電話番号)を明記してください。当社のウェブサイトに掲載される場合があることも、ご了承ください。
【ファクス】  03(5360)9613  
【メール】  kansou@seikyo-np.jp  
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◆「人生地理学」からの出発 第3回 継承・発展させたい研究課題?
 自己を知り、豊かな世界像を築くために   東京学芸大学 名誉教授 斎藤毅

評価の紆余曲折を経て

『人生地理学』の初版本
 (1903年発刊)

『人生地理学』の初版本
 (1903年発刊)

 前回(第2回=5月31日付8面掲載)お話ししたように、『人生地理学』は極めてユニークで示唆に富んだ地理書です。そのためもあって、この百年間の地理学界の動向を反映し、その評価にはさまざまな曲折がありました。 
 今回は、その流れを踏まえながら、特に現代に求められている地理学や地理教育論の視点を含め、今後さらに発展させたい研究課題を中心に、『人生地理学』の新たな意義を述べたいと思います。
 手元の文庫版には、当時、京都帝国大学地理学教授の小川琢治氏(ノーベル賞物理学者、湯川秀樹の父)の好意的ながら“『人生地理学』の書名にはなじみにくい”との書評が収録され、これに対する牧口常三郎師のコメントも見られます。〈『人生地理学5』に「人生に及ぼす地理学的影響」とのタイトルで所収〉
 刊行当初から他にも多くの好意的な書評が寄せられました。昭和初期には日本民俗学の研究者にも注目されます。この名著に関する人々の関心は高く、版が重ねられ、論評も多く見られたものです。
 しかし、第2次世界大戦後はほとんど忘れ去られ、私が偶然、『人生地理学』を知ったのは1960年代のことです。そのささやかな成果を、76年の鹿児島大学の公開講座で、牧口師を柳田國男と共に「教育の革新的実践者」として紹介。他の講演者の記録と一緒に『地域と教育』として出版したのを思い出します。
 その後、78年には茨城大学や専修大学などで地理学の教授を歴任した國松久彌氏が、『「人生地理学」概論』なる書物を第三文明社から刊行しました。ただ、この本には、「『人生地理学』のうちに前提されていると思われる哲学的、教育学的な思想や、見解については全く触れるところがない」と、「はしがき」で断っています。
 確かに、前回、紹介した「太陽」についての記述をはじめ、いわば伝統的思想や文化を通して見た自然の意味付けを随所で取り上げているのが『人生地理学』の大きな特色です。そのため、こうした特色を取り去ると、いわば“骸論”(=魂の抜けたもの)になってしまいますが、これが当時の地理学界の一般的な風潮でした。 

「地域と教育」研究会編『地域と教育』。この中で、斎藤さんは「柳田(國男)とともに『郷土会』のメンバーであった牧口常三郎もまた教育者であり、教育の革新には並々ならぬ関心をもっていた。とくに、彼の『郷土教育論』には今なお傾聴すべきところが少なくない」と書いている

志賀重昂の理論深める
 当時の地理学界でも、一般に自然環境の人間への関わりは重視しますが、その自然とは、いわば物理的な存在としての自然です。
 『日本風景論』を著した志賀重昂(しがしげたか)は、特に山岳などの自然環境を「風景」として捉え、西欧の新しい「風景観」で日本列島を見直しました。彼に私淑していた牧口師は、その考え方をさらに一歩進め、真正面から徹底的に深めたといえそうです。
 しかし、自然環境に感情移入することは、戦後しばらくの日本の地理学界ではあまり肯定的には見られなかったのです。
 こうした中にあって、70年代にアメリカの中国系地理学者、イーフー・トゥアンが提起した「トポフィリア」の概念が日本でも紹介され、地理学の思想が大きく変わりました。

トポフィリアの先駆者
 「トポフィリア」とは、一種の合成語です。「トポス(topos)」はギリシャ語で「場所」を意味します。「フィリア(philia)」は、ここでは「偏愛」でしょうか。誰でも故郷や長く住んでいた街には、何か特別な愛着があるはずです。これは、母国にまで拡大するでしょう。
 一方、何か忌まわしい言い伝えのある山や森なども、ネガティブな「トポフィリア」に当たります。要は、ある土地に対する人々の情緒的なつながり、あるいは思い入れにほかなりません。
 日本地理学会元会長の竹内啓一氏(一橋大学名誉教授)が2003年、東洋哲学研究所主催の『人生地理学』発刊100周年記念の講演で指摘したのは、このことです。
 すなわち、牧口師は百年前に、すでにトポフィリアの思想を大胆に展開していたというのです。
 実は、これは「世界像」の形成と関わる、とても大事な問題なので、後ほど再度述べたいと思います。  『人生地理学』とともに、これは牧口師の思想を継承・発展させるための重要な課題の一つなのです。
人間と自然の交渉の結晶が「風景」にほかならない(切手は筆者提供)

地理教育の経験を反映
 もう一つ、『人生地理学』から継承・発展させたい大きな課題は、何と言っても地理教育論に関する問題です。地理学的な知見や手法は行政や外交ばかりでなく、身近な災害対策や防災・減災など、その応用面は広がります。
 同時に、地理教育は人間形成とも関わる、初等・中等教育にも欠かせない応用分野です。
 長年にわたる教育現場で得られた、多様な地理教育の経験を反映した教育諸説――これこそが『人生地理学』とともに、その後に続く牧口師の諸著作の最も貴重な部分かと思われます。

斎藤さんは、地理学的知見や手法は「身近な災害対策や防災・減災」などに応用できると訴える(切手は筆者提供)

郷土研究への強い関心
 『人生地理学』では地理教育の効用やその改革が述べられていますが、その後、『教授の統合中心としての郷土科研究』の刊行に見られるように、牧口師の郷土研究への関心は非常に強いものがありました。郷土を全ての分野にわたって調査・研究すれば、世の中がおのずと分かってくるとの主張です。
 確かに、これには一理あると思われます。
 しかし、人口移動が激しく、都市化が急速に進んだ現在、都市機能は複雑で、少なくとも大都市の子どもたちにとっては手に負えないものです。
 一方、過疎化の進む農山漁村も、明治・大正期とは大きく異なり、仮に教材化しても、皮相的な理解にとどまるでしょう。

机上から野外の学習へ
 このような郷土研究を、野外調査に置き換えて考えると、大きな可能性が見えてきます。机上の研究や学習から実際の現場、あるいは野外への転換です。
 実は、地質学や考古学はもちろんですが、現代の地理学も、生態学や文化人類学と同様、研究に不可欠なのが、通常、フィールドワークと呼ばれる、この野外調査です。
 分かりやすい例を、次に示しましょう。
フィールドワーク(野外調査)をもっと取り入れることで、人間形成にも関わる地理教育の大きな可能性が見えてくる、と斎藤さん(写真は、2004年の東京創価小学校のサマーセミナーから)

人気番組のブラタモリ
 NHKの人気番組「ブラタモリ」は、このフィールドワークの意義や手法を楽しく伝えてくれます。
 番組では全国の諸地域、時には海外に出掛け、地元の各分野の研究者の協力を得ながら進めます。
 その際、あらかじめ結論を“なぜ?”と示し、具体的な資料をもとに解き明かしていくもの。地形や地質の観察をはじめ、普段、人々があまり気付かずにいるわずかな土地の高まりや道路の変化なども見逃しません。こうして久しく埋もれていた事実を掘り起こし、その地域に対する新たな視点なり、特色なりを浮き上がらせていくものです。
 これは、まさに仮説を検証するためのフィールドワークにほかなりません。
 番組では、その土地の多数の研究者が前もって資料を準備していますが、もちろん、実際の研究では個人やグループが自ら手掛かりとなる資料を掘り出し、観察・分析していくことになります。
 確かに学校教育でのフィールドワークでは、児童・生徒の発達段階に応じた多様な指導技術が必要です。
 その具体的な手法などについては、日本地理教育学会等で多くの提言や研究成果が報告されていますが、小・中学校の「社会科」の枠の中ではその実践が制約され、期待通りに運べないのが残念です。

 

2020年6月18日 (木)

2020年6月18日(木)の聖教

2020年6月18日(木)の聖教

◆わが友に贈る

   他者を敬う行動が
 自身を磨き高める。
 「一切衆生に仏性あり」
 この仏法の人間観こそ
 平和と共生の基盤だ!
             御書P1382


◆名字の言 社会現象となった小説『ルーツ』 2020年6月18日

 アメリカの作家ヘイリーの小説『ルーツ』は、アフリカ系アメリカ人一家の歴史を描いたもの。黒人の奴隷問題を扱った物語で、1970年代のアメリカ社会に、最も影響を与えた作品の一つといわれる▼小説はテレビドラマ化され、日本でも放映された。多くの人々が自身の「ルーツ探し」を始め、社会現象にもなった。「ルーツ」には「根」という意味もある。「自分のルーツ」を追い求めることは、“魂のよりどころ”を探すことでもあろう▼小説『新・人間革命』第1巻「錦秋」の章に、山本伸一がアメリカ・シカゴの座談会で質問に答える場面がある。肌の色の違いなど、「ルーツ」にこだわっていた青年に対して、“私たちの究極のルーツとは、「地涌の菩薩」である”と訴えた▼法華経には「地涌の菩薩」について「其の心に畏るる所無し」と説かれる。「畏るる」とは、自分と他者との間に「壁」をつくる心の働き。人種や民族など、あらゆる差異を超え、自他共の幸福と世界平和の実現へ行動するのが「地涌の菩薩」といえよう▼仏法の思想から見れば、誰もが尊い使命を持った同じ「人間」だ。だからこそ、一切の差別、一切の暴力を否定する――それは、「地涌の菩薩」をルーツとする、私たちの変わらぬ信念である。(澪)


◆寸鉄

我らは願兼於業の人生を
勇み前進。試練を使命に
変える人間革命の劇を!
     ◇
北海道婦人部の日。心の
財積みゆく三代城の母。
地域に福徳の花を爛漫と
     ◇
他人まで幸福にしていく
事が信心の根底に―恩師
自他共に輝く地涌の大道
     ◇
屋内でも熱中症に注意。
早めの水分補給、空調利
用を。高齢者は特に警戒
     ◇
偽通販サイトに誘導する
詐欺メール急増と。安易
に個人情報は打ち込むな


◆きょうの発心 聖人御難事 茨城・土浦県総合長 石澤正広2020年6月18日

御文 月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし(聖人御難事、1190ページ・編1209ページ)
通解 月々日々に信心を強めていきなさい。少しでもたゆむ心があれば、魔がそのすきにつけこんで襲ってくるであろう。

誓いを胸に“一人への励まし”を
 月々日々に、たゆまず信心を強めていくことの大切さを教えられています。
 青年部を卒業後、地区部長の任命を受けた際、“必ず毎日一人を励まそう”と誓い、この一節を心に刻みました。地区内を一軒一軒、家庭訪問。時間の許す限り同志の話に耳を傾け、心と心を通わせていくと、座談会に驚くほど多くの友が集いました。
 その後、さらなる決意でまい進していた時、急なめまい等に襲われ倒れました。医師から“脳動脈瘤です。たとえ手術が成功しても後遺症が残るでしょう”と宣告されました。
 師匠との誓いを胸に、「断じて負けない」と決意。地区の皆さまとも心を合わせ、徹底して祈り抜くと、医師も驚くほど回復。手術することなく乗り越えることができました。この体験を通して、わが家の4人の子どもたちにも、信心の確信を伝えることができました。
 今、電話等で工夫しながら、一日一人への励ましを送っています。師と共に歩む人生の喜びを、多くの方々に語り広げてまいります。


【聖教ニュース】

◆スペインでオンラインによる教育シンポジウム アルカラ大学・池田研究所のイボラ所長が講演
2020年6月18日

教育シンポジウムでは、アルカラ大学・池田研究所のイボラ所長が、牧口先生の価値論とポジティブ心理学を比較し、考察を述べた


教育シンポジウムでは、アルカラ大学・池田研究所のイボラ所長が、牧口先生の価値論とポジティブ心理学を比較し、考察を述べた

 スペイン創価学会の第8回「教育シンポジウム」が5日から7日まで、オンラインで開催され、国内90都市から約180人のメンバーや友人が集った。
 「危機の時代こそ価値創造を」とのテーマのもと、出席者が意見を交換。困難な社会状況における教育者の使命と行動について確認し合った。
 6日には、今月に開所1周年を迎えたアルカラ大学「池田大作『教育と発達』共同研究所」のアレハンドロ・イボラ所長が記念講演。所長は、新型コロナウイルスの感染拡大による人々の生活の変化や、心理的影響などを概説し、この状況を通して“何を学んだのか”を自らに問うことの大切さを訴えた。
 そして、環境問題や経済不況に加えて感染症の危機に直面する現代は、“危機の中の危機の時代”であると強調。「だからこそ、池田博士が“不安や悩みを決意と行動に変えた時、困難を乗り越える力は発揮される”と述べているように、価値創造の哲学を持って、今をより良い時代にしていきたい」と語った。
 アナ・ベレン・ガルシア・バレラ副所長が、今月に創刊予定の同研究所の定期刊行物「池田研究所ジャーナル」を紹介。その後、質疑応答が活発に行われた。

創立500年の歴史と伝統を誇るスペインの名門・アルカラ大学のメインキャンパス(アルカラ・デ・エナーレス市)

創立500年の歴史と伝統を誇るスペインの名門・アルカラ大学のメインキャンパス(アルカラ・デ・エナーレス市)

 アルカラ大学教育学部の授業「幸福のための教育」の今年度のコースが、5月6日に終了した。
 「幸福のための教育」は、創価教育の理念を取り入れた選択科目として2016年に開講。今年度はオンラインなどで実施され、教育学部をはじめ、看護学部、工学部等から39人の学生が受講した。
 受講生からは「授業を通し、教員になりたいと心の底から思うことができました」等の声が寄せられた。


◆「世界の友は今」 第9回 フランスSGI・レスクシエ長老会議会長
 励ましを通して「心の絆」は一層強固に

 新型コロナウイルスの感染者数が15万人を超えたフランスでは、経済活動などの再開が進むものの、感染拡大への警戒が続いている。こうした中、創価の友は、どのように励ましの輪を広げているのか。フランスSGI(創価学会インタナショナル)のロベール・レスクシエ長老会議会長に話を聞いた。

段階的に進む制限の解除
 ――フランスでは、先月11日から段階的にロックダウン(都市封鎖)の解除が行われています。今の国内の状況について教えてください。 
 外出制限の段階的解除に伴(ともな)い、徐々に商業施設や教育・文化施設が再開されています。世界的に有名なパリ近郊のベルサイユ宮殿も今月6日、約3カ月ぶりに来場者の受け入れを開始しました。
 外出制限の緩和(かんわ)は、長い期間、限られた空間での生活を余儀(よぎ)なくされた人々にとっては、まさに“解放”といえると思います。しかし、いまだに油断できない状況が続いています。
 また、他の国々と同じように、休校に伴う教育の遅れなどの問題が生じており、経済への影響も深刻です。

今月6日に再開したベルサイユ宮殿を訪れた人々(パリ近郊、AFP=時事)。フランスでは文化施設の再開など、さまざまな制限の緩和が進む

今月6日に再開したベルサイユ宮殿を訪れた人々(パリ近郊、AFP=時事)。フランスでは文化施設の再開など、さまざまな制限の緩和が進む

オンラインで毎月、全国幹部会を開催
 ――困難な環境の中で、どのように励ましの輪を広げてきたのでしょうか。
 フランスSGIでは、政府が2月末に新型コロナの感染拡大防止に関する勧告を発表したのを受けて、3月2日から協議を行い、活動のガイドラインを決定しました。
 座談会や研修会など、一切の会合を中止するとともに、各家庭への訪問による激励の自粛を開始。今も全国の会館・研修道場は閉館しています。
 同志との対面交流が難しい状況ではありますが、苦しむ友に励ましを送ろうと、知恵と工夫を凝らした活動を展開しています。
 さまざまな単位によるオンライン会合は既に組織内に定着しており、毎月、全国幹部会も開催しています。  また、池田大作先生が貫かれてきた“一対一の励まし”こそが学会前進の要諦であると考え、電話による個人指導にも力を注いでいます。
 このような取り組みの中で、しばらく学会活動から離れていたメンバーと連絡が取れるようになったなど、うれしい報告もありました。近況を報告し合い、温かな励ましを送り合う中で、皆が元気になり、同志の心の絆が一段と強まっていることを感じます。
 さらには、ウェブサイトを通して池田先生の指針を発信したり、「法華経題目抄」の講義を動画で配信したりと、信心を深めるための機会を提供しています。

パリ郊外に立つシャルトレット創価仏教センター。白亜の外観が澄んだ青空に映える

パリ郊外に立つシャルトレット創価仏教センター。白亜の外観が澄んだ青空に映える

婦人部の友「この苦難を断じて勝ち越えます」
 ――オンラインの幹部会では、活動報告なども行われているそうですね。
 ええ。5月の幹部会では、パリ北西方面の婦人部長が、2人の婦人部員の様子を紹介してくれました。
 一人の方は、3月中旬以降、2軒のレストランを休業せざるをえませんでした。しかし、どこまでも唱題を根本に、周囲の人々に励ましを送っています。彼女は、「この苦難を断じて勝ち越えます」と決意を語っていたとのことでした。
 もう一人のメンバーも店舗の休業を余儀なくされましたが、慢性的な疲労に悩んでいた彼女は、むしろ体調を整える機会と捉えました。経済的な問題が心配でしたが、国からの援助も全て受けることができました。営業の再開に向けて全力を尽くしていきたい、と元気に語っていたそうです。
 小説『新・人間革命』第28巻「勝利島」の章には、大火に見舞われた日本の伊豆大島の同志に対して、山本伸一会長が励ましを送る場面が描かれています。
 “皆さんが、決してめげることなく、強く、明るく、はつらつとしていれば、地域は活気を取り戻していきます。どうか、周囲の方々を支え、励まし、勇気づけ、復興の担い手となってください。皆さんは、妙法を持った師子ではありませんか!”と。
 休業などによって困難に直面した多くの同志が、この指針を逆境と戦う糧にしてきました。

フランスSGIの機関誌。池田先生の指導や御書講義の抜粋、同志の信仰体験等が掲載されている

フランスSGIの機関誌。池田先生の指導や御書講義の抜粋、同志の信仰体験等が掲載されている

機関誌で信仰体験などを発信
 ――フランスSGIの機関誌もまた、同志の希望の源泉となってきたと伺いました。
 主なものとして、月刊誌「バルー・ユメーン(人間の価値)」があります。
 編集スタッフは少人数ですが、皆が“同志に勇気を届けよう”との気概に燃えて、日々、尽力してくれています。外出制限中も、テレワークで頑張ってくれました。  
「バルー・ユメーン」の冒頭には、池田先生の指導が掲載され、会員の喜びとなっています。また、病院などの医療現場で働くメンバーの信仰体験や、外出制限の期間中でも、同志に励ましを送り続けてきたリーダーの活動報告も紹介されました。
 試練の時だからこそ信心を深め、変毒為薬(へんどくいやく)の実証を示したメンバーの体験は、多くの友に勇気と希望を送るものになりました。
 また、私たちは「キャップ・シュー・ラ・ペ(平和への指針)」という青年部向けの機関誌も発行しており、こちらにも体験談や小説『新・人間革命』の抜粋などが掲載されています。

豊かな緑と花々に彩(いろど)られたソー創価仏教センター(パリ近郊で)

豊かな緑と花々に彩(いろど)られたソー創価仏教センター(パリ近郊で)

今こそ求められる「自他共の幸福」の哲学
 ――難局にある時だからこそ、創価の哲学が強く求められていると感じます。
 感染症が世界に広がった原因の一つは、経済的発展を追い求めた人間自身の活動にあるともいえます。今こそ「生命」の価値を最高のものとする思想が必要です。
 また感染症との闘いにおいては、誰一人として無関係な人はいません。一刻も早い拡大の終息に向けて、人類全体が手を携えて対処していかねばなりません。
 その上で、重要な指標となるのが、「自他共の幸福」の実現を目指す創価の哲学だと確信します。すなわち、自己の幸せのみを追求するのではなく、生命の変革――人間革命によって自他共の幸福、社会全体の平和と繁栄を築いていくということです。
 日蓮大聖人の御在世当時、大地震や洪水などの自然災害に加え、疫病(えきびょう)や飢饉(ききん)が相次ぐなど、人々は苦悩にあえいでいました。そのような中で、大聖人が示された指針こそ、「立正安国論」の「汝(なんじ)須(すべから)く一身の安堵(あんど)を思わば・先ず四表(しひょう)の静謐(せいひつ)を?(いの)らん者か」(御書31ページ)との一節です。
 仏法の生命尊厳の思想が、いよいよ重要になっていることを実感します。
 フランスでは今、青年部が池田先生の思想を一段と深く学んでいます。
 若い世代の活躍こそ大きな希望です。頼もしき後継の友をはじめ、フランスの全同志と力を合わせて前進していきます。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈「新・人間革命」と私〉大分総県長 千布明宣さん  2020年6月18日

 「今まで苦しんできた同志のことを考えると、私は、それこそ一軒一軒、皆のお宅を訪ね、励まして歩きたい気持ちです。しかし、日程的にも、それは難しい。


◆〈虹を懸ける〉 池田先生とポルトガル① 祈り励まし、一人を大切に 2020年6月1










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現地で出会った少年たちとカメラに納まる池田先生(1965年10月、ポルトガルの首都リスボンで)












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現地で出会った少年たちとカメラに納まる池田先生(1965年10月、ポルトガルの首都リスボンで)

 いかなる試練が立ちはだかろうとも、我らには「信心」という無限の希望がある。「師弟」という不滅の原点がある。池田先生と世界の同志の絆を描く連載「虹を懸ける」。今回は、先生の初訪問55周年となるポルトガルに刻まれた共戦のドラマを紹介する。
 池田先生を乗せた飛行機が、東京国際空港の滑走路を走りだす。1965年10月19日。時計の針は午後10時半を指していた。
 平和旅の目的地はフランス、西ドイツ(当時)、イタリア、ポルトガルの欧州4カ国。中でもポルトガルは、これが初訪問である。
 10月27日、先生はスペインのバルセロナ経由でポルトガルの首都リスボンへ。到着するや、市内の視察へと向かった。
 この時の様子は、小説『新・人間革命』第10巻「新航路」の章に詳しい。
 先生は、街中で出会った少年たちと記念のカメラに。リスボンの一大パノラマが広がるサン・ジョルジェ城跡や、大航海時代の突破口を開いたエンリケ航海王子をたたえる記念碑(発見のモニュメント)などを見学した。
 当時、現地に学会員は一人もいなかった。だが先生は、地涌の菩薩の出現を確信し、行く先々で大地に染み込ませるように題目を唱えた。そして、新しき海の道を開拓したエンリケ王子の事績などを通し、同行のメンバーに語っている。
 「ポルトガルの歴史は、臆病では、前進も勝利もないことを教えている。
 大聖人が『日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず』(御書1282ページ)と仰せのように、広宣流布も臆病では絶対にできない。
 広布の新航路を開くのは勇気だ。自身の心の“臆病の岬”を越えることだ」
 この言葉は、同国SGIの永遠の指針となり、現在のポルトガル文化会館内の壁に大きく掲げられている。

源流は女性
 ポルトガルに本格的な妙法流布のうねりが起こったのは、80年代に入ってからである。
 源流は、一人の日本人女性だった。夫の転勤でポルトガルに渡った今西澄子さん(北海道・函館総県婦人部主事)である。
 それまでメキシコ、アメリカ、ニカラグア、パナマに滞在し、各地で広布の礎を築いてきた今西さん。5カ国目となるポルトガルに移った翌87年、パリで池田先生との出会いが。先生は、開拓の労をねぎらいながら、渾身の励ましを送った。
 「題目をあげて、一人一人を大切に育てていけば、必ずいつの日か、多くの同志が生まれてきますよ」
 そして、まだ見ぬ未来の宝友のためにと、20ほどの念珠を彼女に託したのである。
 ポルトガルは、国民の9割がカトリック。仏法になじみはなかった。それでも、真剣な唱題と地道な実践が実を結び、やがてポルトガル人や外国人移住者が、一人また一人と信心に目覚めていく。
 自分が変われば、環境が変わり、世界が変わる――創価の「人間革命」の哲学に共感が広がっていった。
 5年余りの歳月が過ぎ、今西さんは日本に帰国。この直後の92年1月、待望の「ポルトガル支部」が発足したのである。
 支部結成式に集ったメンバーは、喜びと決意を込めた詩に署名。そこには、こううたわれていた。
 「あの500年前 荒れ狂う波を見つめながら 我らの祖先は あの水平線の果ての 海の巨人に勝利せんと深く心に期し そして実現した」
 「我らはその子孫として 恥じるところなく 今よりは 大苦難の荒波にも挑み 希望の大地を人々にもたらさん その時が来たのだ」
 新航路発見から500年――。新たな“平和と友情の大航海”が始まったのである。

広宣流布の信心
 支部結成式に参加した一人に、ジョゼ・テイシェイラさん(支部参与)がいる。
 大西洋に浮かぶマデイラ諸島の出身。80年代後半、当時住んでいたイタリアで、学会員の友人から大病を克服した信仰体験を聞き、仏法に関心を抱いた。
 会友として、題目を唱えるようになって1年がたったころ、商船の船長だったテイシェイラさんは、航海中に死をも覚悟するほどの嵐に見舞われる。
 何もかもが海に投げ出される中、わらにもすがる思いで唱題。嵐が過ぎ去るまでの約20時間、必死に祈り続けた結果、奇跡的に生還することができた。
 この九死に一生を得た体験が確信となり、航海から帰国した93年に御本尊を受持。すぐに自宅を広布の会場として提供し、数少ない同志と共に仏法対話に励んだ。
 2年後には、池田先生が足を運んだ「発見のモニュメント」の近くに新たな家を購入。「いつの日かポルトガルに会館ができることを信じて、地涌の連帯を拡大しよう。それまでは、わが家を使ってもらおう――これが私の決意でした」
 99年6月、テイシェイラさんは忘れ得ぬ原点を刻む。広布拡大に駆ける中、SGI研修会で訪日。先生との初めての出会いが実現したのだ。
 信心懇談会の席上、先生は「年は・わかうなり」(御書1135ページ)の御文を拝し、参加者に呼び掛けた。
 「皆さまは全員が若々しく、全世界で『広宣流布の信心』を貫き、永遠の大功徳を積みきっていく人生であっていただきたい」
 帰国後、たび重なる病苦にも負けず、信心根本に多くの福徳を積んできたテイシェイラさん。“生きている限り仏法を語り抜く”との師への誓願を胸に、これまで20人以上に弘教を実らせてきた。
 ポルトガル文化会館が開館するまでの十数年間、テイシェイラさん宅で信行学を磨いた人材たちは今、同国をはじめ海外各地で使命の道を歩んでいる。

仏法に無駄なし
 ポルトガル支部が誕生した92年、一人の青年が日本から海を渡った。現在、同国SGIの理事長を務めるスエジ・ナオハラさんだ。
 鹿児島・奄美大島で生まれ、信心強盛な母に女手一つで育てられた。
 発心したのは社会人になってから。就職で訪れた鹿児島市の同志に触発を受け、学会活動に参加するように。男子部時代に折伏や創価班の任務を通し、信心の土台を築いた。
 その中で“世界広布の人材に”との思いが強まり、34歳の時にポルトガルへ。広布の建設と事業の開拓へ情熱を燃やしていた。
 しかし現実は厳しかった。4年たってもポルトガル語は満足に話せず、仕事は全く軌道に乗らない。資金も底をついた。
 諦めて日本に戻ろうかと考えながら、一時帰国した際、思いがけず“ポルトガルの青年部長に”との話が。「本当の意味で腹が決まった瞬間でした。“池田先生の弟子として、この国の土になる”と、固く心に誓ったのです」
 仕事の姿勢も変わった。新たに始めた旅行業が成功を収め、生活の基盤が安定。学会活動にも一段と熱がこもり、組織も着実に拡大していった。
 私生活では、縁あってポルトガルで入会したトモミさん(支部婦人部長)と結婚。3人の子宝にも恵まれた。
 池田先生の初訪問から40周年となる2005年10月、ポルトガル支部は、1本部4支部の体制に。支部長だったナオハラさんは本部長に就いた。
 翌2006年6月、日本で第1回のポルトガル研修会が開催される。代表16人が参加し、本部幹部会で池田先生と感動の出会いを結んだ。
 席上、先生は北海道から駆け付けた今西さんの世界広布への貢献を称賛し、以前に贈った句「君ありて ポルトガルにも 春 来る」を紹介。また、ナオハラさんらリーダーの名を読み上げ、青年を先頭に模範の発展を遂げた同国の歩みに触れ、次のように語った。
 「まさしく、希望の春が到来した。本当に素晴らしいことである。かつて、ポルトガルにこれほど多くの学会員が生まれ、広宣流布の旗が翻ると思っていた人は、一人もいなかった。しかし私は、深く深く祈り、確固たる手を打った」
 「広宣流布のために苦労した『陰徳』は、必ず『陽報』となって現れる。絶対に仏法には無駄がない」
 ――豊かな実りの陰には、大地を耕し、種を蒔いた人の苦闘がある。一昨年11月の総会では、長年の目標であった1000人の結集を達成。ポルトガルの友は、師の深き祈りと先駆者たちの汗と労苦によって開かれた同国広布の“永遠の春”を目指し、後継の人材育成に力を注ぐ。
 ナオハラさんは決意する。
 「何があっても、私たちポルトガルは負けません。これまで以上に一人一人を大切にしながら、リーダー率先の励ましで、“青年の国”の伝統を未来へつないでいきます!」
 ご感想をお寄せください
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◆〈座談会 皆が前進!皆が人材!〉26 7月10日から会長就任60周年「記念映像上映会」開催  希望と蘇生の連帯を広く  2020年6月18日

会館使用の徹底事項

〈出席者〉
原田会長
長谷川理事長
永石婦人部長
志賀青年部長
大串女子部長

会館使用の徹底事項
 大串 今月14日から、年譜『栄光の共戦譜』の贈呈が、5月14日に「緊急事態宣言」が解除された39県で始まりました。その他の地域も21日から始まります。

 長谷川 年譜を手にし、「この時に先生との共戦の原点を築くことができた」「この年に病気を乗り越え、宿命転換することができた」など、自身の信心の歴史や、先生との“共戦譜”を確認することができ、「新たな決意をすることができました」と語る方が多くいます。

 永石 ある看護師の方に年譜を届けに行った際には、病院に泊まり込みになって家に帰れなかった日々など、いろいろな感情が込み上げ、涙でいっぱいだったそうです。年譜を開き、先生への感謝と同志のありがたさを実感し、今度は決意と感動の涙を流されていたと聞きました。

 長谷川 久しぶりに顔を合わせ、話に花が咲くけれども、「玄関先で短時間」を実践していますとの声も届いています。

 永石 多宝会の方にお会いした際、今月10日付の聖教新聞に掲載された、先生のピアノ演奏のQRコードを読み取って聞かせてあげることができ、「涙を流して喜ばれていました」との報告も寄せられています。

 原田 「励まし」こそ、私たちの活動の生命線です。さまざまな分野で懸命に奮闘されている方、仕事や生活で大きな影響を受けている方など、これからも、一人一人に、希望と勇気と安心の励ましを送っていきたいと思います。  

「訪問による激励」
 志賀 新型コロナウイルスの感染防止に努めながら、社会経済活動も徐々に再開されています。

 大串 全国のほぼ全ての学校が、短縮授業や分散登校などによって再開されました。コンサートや展示会などのイベントも、今月19日から、参加人数を上限1000人として開催することを政府は認めています。また、野球などのプロスポーツも無観客で試合が行われるようになります。

 志賀 さらに7月10日からは、イベントの参加人数は5000人にまで拡大され、プロスポーツも同じく5000人まで観客が入る予定です。

 長谷川 このような社会経済活動の再開の動きを踏まえ、学会としても7月10日以降、感染防止に細心の注意を払いながら、新たな方法で、活動を徐々に再開していくことになります。

 原田 具体的には、しばらく閉館していた各地の会館について、感染対策をしっかりと行いながら使用を開始します。その最初の行事として、池田先生の第3代会長就任60周年の「記念映像上映会」を開催します。

 大串 60年前の5月3日に行われた就任式を通し、師弟の誓願に立ち上がられた先生の闘争と、広布前進の軌跡を描いた感動的な内容になっていると聞きました。本当に楽しみです。

 長谷川 記念映像は、全国の会館(SOKAチャンネルの個人会場を含む)で視聴できます。期間は、7月10日から26日までで、開催日時・単位・参加人数は各県・区で検討します。

 原田 会館の使用に当たっては、次の点を厳守していきたいと思います。①「入場整理券」制とする②原則、「椅子席」とし、席の前後左右の間を「1~2メートル」空けながら、身体的距離を確保する③会合の前後で換気を行う④参加者の入場時に検温・アルコール消毒を実施する⑤体調の悪い方、基礎疾患のある方は無理をしない⑥参加者は必ず「マスク」を着用する、などです。

 長谷川 また、「訪問による激励」についても、①相手と約束を取った上で訪問する②必ずマスクを着用する③玄関先を原則とし、会話は短時間にする、とのルールを厳守しながら、進めていきたいと思います。

 永石 併せて、電話・手紙・メール・SNS・オンラインなどでの「励まし」も継続して行っていけるといいですね。

 原田 なお、「座談会」は7月度も開催せず、拝読御書の講義動画を、7月4日から、「SOKAnet」で配信します。

未来部員にエール
 志賀 夏の未来部の取り組みについては、7月1日から8月31日までを「未来部ドリームチャレンジ期間」と銘打ち、自身の夢に向かって、各家庭で「勉強第一・健康第一」の挑戦を進めます。

 永石 未来部の担当者の皆さんは、会えない期間も、励ましの手紙をつづってくださるなど、池田先生の未来部への期待を伝えてくださっています。通学や授業のリズムが不規則になり、未来部員自身が大きな影響を受けていることを十分に理解した上で、これからも最大に励ましを送っていきたいと思います。

 大串 また、今月1日から募集を開始した各種コンクールに加え、例年の「E―1グランプリ」に代わるものとして、未来部員が“自分発”で取り組む、英語のスピーチコンテスト「未来部イングリッシュチャレンジ」も実施されます。応募要項等は、25日付の聖教新聞に掲載される予定です。

 志賀 今、親も家庭で過ごす時間が増え、ファミリー座談会や、親子での勤行・唱題を実践する方が多くいます。この夏も、創意工夫をし、未来部員が“自分発”の挑戦に意欲をもって取り組めるよう、応援していきたいと思います。

 原田 7月10日から、創立90周年の「11・18」に向けた諸活動を、新たな様式で開始します。その第一歩を、池田先生の記念映像を見て出発できる――これ以上の喜びはありません。世界広布への出陣式となった不滅の「5・3」を生命に刻み、お元気な先生と共に、報恩の一念で、スタートを切ってまいりたい。

 長谷川 「大白蓮華」6月号の「世界を照らす太陽の仏法」の冒頭、池田先生はつづられました。「混迷の時代にこそ、新しい希望の哲学が求められます。試練の世界にこそ、新しい価値創造の人材が切望されます」「暗雲に覆われた心に陽光を届け、人間を強く、賢く、善くすることができる力は、いずこにあるか」「今、あらためて世界で、宗教の真価が問われていると言っても過言ではないでしょう」と。

 原田 未聞の試練との戦いの時だからこそ、学会の使命は大きいのです。「師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし」(御書1190ページ)です。私たちは、「人類の宿命転換のために断固、広宣流布を進める」との強き一念で進んでまいりたい。ここにこそ、三代の会長に連なる創価の師弟の魂があると確信します。
 いよいよの信心で、自他共の幸福のため、地域のため、そして社会のため、新たな人材を育てながら、希望と蘇生の連帯を広げていきましょう。

◆信仰体験 足跡が課題図書に

【東京都足立区】ぺちゃんこの座布団に正座して、体の不自由な人にあわせた自転車を2600台作ってきた。堀田健一さん(76)=副支部長=の半生を追ったノンフィクション「風を切って走りたい! 夢をかなえるバリアフリー自転車」(高橋うらら著、金の星社)。第66回「青少年読書感想文全国コンクール」小学校高学年の部の課題図書に選ばれた。
 泥を這うような40年だった。いばらと知って選んだ道。大企業にないがしろにされ、特許の矛盾に泣き、家賃はおろか息子の給食費さえ払えなかった。投げ出したい日がなかったはずがない。
 それでも感謝の言葉だけを繰り返す。
 「地獄であろうとどこであろうと、人に役立つものを作っていく覚悟を、池田先生から学ばせていただきました」
 堀田さんは工場にこもった。部品が無ければ、太い指で細い特殊なネジ1本から作った。脳梗塞の妻を支え、今日一日にあらん限りの力を尽くす。カレンダーの日付は充実をもって黒く塗りつぶした。「毎日が楽しくて人生観が変わりました」というはがきが届く。それで心は足りる。
 実は堀田さんが小学6年の時、同コンクールで佳作を受けている。障がいがある子の教育施設「しいのみ学園」の誕生譚を感想文につづった。堀田少年の琴線に触れたものは、知らず知らずに志の根となったのだろう。
 日の当たらぬ場所に残した苦労人の足跡に、小学生は何を思うのか。堀田さんは伝えたい。
 「生きてるってことが、理屈抜きに幸せなんだ」
 地獄を知ってこその言葉だ。


◆信仰体験 家族の朝のルーティン  夫の入会。一緒に成長する家族に

 【東京都江戸川区】森下淳子さん(42)=地区婦人部長=一家の朝は、家族そろっての勤行から始まる。 ??
 導師の長女・裕さん(10)=小学5年=を前に、夫・裕人さん(40)=男子部員、そして次女の裕希ちゃん(5)と森下さんが並ぶ。
 “ありがとうございます”  題目を唱えながら、森下さんの胸には感謝の思いが込み上げてくる。こうやって、家族全員で信心に励むことが長年の夢だったから――。
 信心強盛な両親のもとで育った森下さんは、裕人さんと出会った当初から、創価学会の信仰を語り続けてきたが、裕人さんは「理解はできるけど僕には必要ない」の一点張り。
 裕人さんの転勤で、ルクセンブルク、京都と移るたび、慣れない土地で、いつも温かく迎えてくれたのは、学会の同志だった。裕人さんもメンバーの真心に触れ、次第に理解を示し会合に参加することもあったが、入会には踏み切れずにいた。
 京都で暮らしていた2017年(平成29年)、当時2歳の裕希ちゃんに言葉の遅れを感じて、森下さんは悩んでいた。  翌年には、幼稚園に通う年頃。入園を希望する園にも、「言葉がまったく出ないので、このままだと厳しいかもしれない」と言われた。

仲良し姉妹で工作に挑戦!
 “今こそ、一家の宿命を転換する時だ”  森下さんは気持ちを整えた。日中は家事などでまとまった時間がとれないため、午前3時に起き、一人、しんしんと御本尊に祈った。そして、少しでもきっかけをつかみたいと、裕希ちゃんの療育にも通い始めた。  そんな日々が1年ほど続いたある朝。
 「おはよう」――  
 確かに、裕希ちゃんの声だった。家にあたたかい空気が巡る。その後、受け入れてくれる幼稚園も見つかった。
 「すごいね」と一番喜んだのは裕人さんだ。しかしこの時は、森下さんは多くを語らなかった。
 この年の7月、江戸川に転居した頃から裕人さんの表情が曇り始める。職場の人間関係に行き詰まり、退職を考えるまでに思い詰めていた。森下さんは懸命に祈り、池田先生の言葉を思い起こした。
 「妙法を持ち実践し、仏性という尊極なる生命を輝かせる中で、自分にしかない使命を果たしていくことが可能となるのです」

染色の作品を手掛ける森下さん
 “どんな形でも夫の使命を果たせるように、一緒に信心で成長していきたい”。思いを伝えようと決めた次の日、仕事から戻った裕人さんから突然、「僕も信心した方がいいかな」と。

 昨年1月の入会記念勤行会には、江戸川をはじめ、京都の同志も駆け付けてくれた。裕人さんと出会ってから20年――。「皆さんの応援の題目で花開いた瞬間でした」
 裕人さんは江戸川男子部の激励に奮起。男子部大学校3期生として信心に励み、職場でも奮闘を続けている。  
 新型コロナウイルスの感染拡大に伴う自粛期間で、「家族のつながりがより強くなりました」と森下さん。これまでは、長女と2人で勤行するのが、朝のルーティン(習慣)だったが、在宅勤務の裕人さんが加わると、「わたしも!」と裕希ちゃんも挑戦するように。今は元気に成長し、発育の遅れも心配ない。
 家族との時間が増えた裕人さんは、自ら家事を手伝うように。娘たちと工作も楽しんだ。森下さんは、大学時代に専攻していた染色美術に、久々に取り組み始めた。さまざまな色の布片にこれまでの感謝や決意を重ねながら、カンバスを彩る。
 「地域に恩返しができる家族になっていきたい」と声が弾む。

 

2020年6月17日 (水)

2020年6月17日(水)の聖教

2020年6月17日(水)の聖教

◆わが友に贈る

 「仏法と申すは道理」
 何事も大事なのは
 基本に徹すること。
 「信行学」を柱に
 地道な努力を貫こう!
 御書P1169


◆名字の言 星のように輝くゲンジボタルの光   2020年6月17日

 幻想的な光の乱舞だった。先日、案内していただいたゲンジボタルの里。しばらく見ていると、蛍たちが呼吸を合わせたように、一斉に光ることに気付いた。「集団同時明滅」というらしい▼雄は周期的な発光を繰り返しながら集まり、次第に大きな集団をつくっていく。そして、集団で飛び回りながら、同調した明滅を繰り返すようになる。草むらに潜む雌を探すためのようだが、まさに「沢辺にみゆる螢の光・あまつ空なる星かと誤り」(御書492ページ)の光景だった▼星といえば、来月7日は七夕。地元の商店には短冊をつるす竹が早くも設置され、来店者が願い事を書いていた。「コロナが早く終わって学校に行けますように」「早くみんなと会いたい」「医療従事者の方が幸せでありますように」等々▼池田先生と対談した、天文学者ジャストロウ博士の持論を思い出した。「生命を進化させたのは逆境」――“もはや、これまでか”という圧迫に負けない限り、生命はそれを乗り越えるために創造的に変化する▼コロナ禍で経済活動が縮小した分、大気中の汚染物質や二酸化炭素などが大幅に減ったという。きれいな星空を見上げ、大宇宙と交流する気概で、生命の新しい可能性を開きたい。この間断なき挑戦の中に希望は輝く。(川)


◆寸鉄

学会は将来、必ずや世界
平和を担う存在となる―
恩師。広布の大理想胸に
     ◇
茨城の日。試練の時こそ
直通の信心!揺るぎなき
不屈の前進に凱歌の人生
     ◇
「一人を手本として一切
衆生平等」御書。励ましの
流れをリーダー率先で!
     ◇
各国で感染第2波の懸念
広がる。絶対に油断せず。
身体的距離確保等を意識
     ◇
困っても相談できる相手
がいない―4割と。孤立
進む現代。同志の絆は宝


◆きょうの発心 開目抄 東京・葛飾総区総合婦人部長 田島寿美恵2020年6月17日

御文 我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし(開目抄、234ページ・編464ページ)
通解 私と私の弟子は、多くの難があろうとも、疑う心を起こさなければ、自然に仏界に至るであろう。

一喜一憂せず「信じ抜く」心で
 いかなる難があっても疑うことなく信心を貫けば、成仏の境涯を得られると仰せです。
 7歳の時、母と共に愛媛の地で入会。広島の大学に進学後、学会活動を始めましたが、未入会の父は信心に無理解だったため、悩みが尽きませんでした。
 その頃、池田先生から“信心は感傷的じゃいけないよ”と激励していただきました。母と共に父の幸せを真剣に祈る中、大学4年の時に父を入会に導くことができたのです。後年、父は先生との出会いを機に積極的に信心に励むようにもなりました。
 結婚後、夫と台湾に滞在した折、SARS(重症急性呼吸器症候群)の感染拡大に直面。この御文を胸に困難を乗り越えることができました。92歳の父は今、同居しながら私を一番応援してくれています。
 先生が葛飾初代総ブロック長を務められた、使命の地で生きることが無上の喜びです。何があっても、一喜一憂せず信心を貫き、師と共に、同志の皆さまと共に全てを勝ち越えていきます。


【先生のメッセージ】

◆〈心に御書を〉52 「真金の信心」光る丈夫たれ2020年6月17日

〈御文〉
 返す返す今に忘れぬ事は頸切れんとせし時殿はともして馬の口に付きて・なきかなしみ給いしをば・いかなる世にか忘れなん(崇峻天皇御書、1173ページ)
 
〈通解〉
 返す返す今も忘れられない事は、(竜の口で日蓮が)首を切られようとした時、あなたが私の供をし、馬の口にとりつき、泣き悲しまれたことである。これはいかなる世にも忘れることはできない。  

〈池田先生が贈る指針〉

 いざという時に丈夫の真価が光る。竜の口にお供した四条金吾の「真金の信心」は、学会壮年部に継承されている。
 幾多の嵐を越えてきた、我ら師弟の誇りは高い。誰が褒めなくとも、御本仏が御照覧である。
 乱世なればこそ、創価の負けじ魂で開拓だ。揺るがぬ黄金柱として、家族と同志を守り、民衆の城を厳然と!


◆連載〈世界広布の大道〉小説「新・人間革命」に学ぶ 第20巻 御書編2020年6月17日

絵・間瀬健治

絵・間瀬健治

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第20巻の「御書編」。小説で引用された御書、コラム「ここにフォーカス」と併せて、識者の声を紹介する。挿絵は内田健一郎。

人間は皆、“幸福の鍛冶屋”
【御文】
 彼等の人人の智慧は内心には仏法の智慧をさしはさみたりしなり(御書1466ページ、減劫御書)

【通解】
 民衆を救った彼ら(仏教以外の教えを実践する人々)の智慧は、その内心においては、仏法の智慧を含み持っていたのです。

【小説の場面から】
 <1974年(昭和49年)9月16日、山本伸一は、ノーベル賞作家のショーロホフ氏と会見。「人間の運命」について語らいを交わす>
 伸一は、『人間の運命』の内容を踏まえて、ショーロホフに質問した。
 「人間の運命を変えることは、一面、環境等によっても可能であるかもしれません。しかし、運命の変革を突き詰めて考えていくならば、どうしても自己自身の変革の問題と関連してくると思います。この点はどのようにお考えでしょうか」
 ショーロホフは、大きく頷いた。(中略)
 「われわれは、皆が“幸福の鍛冶屋”です。幸福になるために、精神をどれだけ鍛え抜いていくかです」(中略)
 伸一は、身を乗り出して言った。
 「まったく同感です。たとえ、どんなに過酷な運命であっても、それに負けない最高の自己をつくる道を教えているのが仏法なんです」(中略)
 ショーロホフは、目をしばたたき、盛んに頷きながら、伸一の話に耳を傾けていた。
 彼は、社会主義国ソ連を代表する文豪である。しかし、人間が根本であり、精神革命こそが一切の最重要事であるという点では、意見は完全に一致し、強く共鳴し合ったのである。
  
 人生の達人の哲学、生き方は、根本において必ず仏法に合致している。いな、彼らは、その底流において、仏法を渇仰しているのだ。 (「懸け橋」の章、259~261ページ)
  
陰の善行は明確な善の報いに
【御文】
 陰徳あれば陽報あり(御書1178ページ、陰徳陽報御書)

【通解】

 陰徳があるならば、陽報がある。

【小説の場面から】
 <山本伸一の第1次訪ソの最終日、モスクワ大学の主催で、歓送のパーティーが開かれた。伸一は、同大学の学生たちに感謝の意を伝える>
  
 学生たちは、滞在中、ホテルで一行と寝食を共にし、荷物の運搬や道案内、車や食事の手配を行うなど、さまざまな面で支えてくれたのである。伸一は、彼らを心からねぎらい、御礼を言いたかった。(中略)
 学生たちは、将来は日ソの友好を担って立つ俊英である。伸一は彼らを、「若き友人」と思っていた。(中略)
 彼らは、伸一の訪ソの成功を、わが事のように喜び、コスイギン首相との会談のあとも、こう語っていた。
 「山本先生は、ソ日友好の歴史に残る偉大な仕事をされたと思います。そのお手伝いができたことは、私たちの誇りです」
 会食のはじめに、伸一は立ち上がると、丁重に御礼を述べた。
 「この訪問で、日ソ友好の新しい橋を架けることができました。それを陰で支えてくださった、最大の功労者は皆さんです。私は、心から御礼、感謝申し上げます。ありがとうございました。
 東洋の英知の言葉は、『陰徳あれば陽報あり』(御書一一七八ページ)と教えています。人に知られない善行であっても、明らかな善き報いとなって自らにかえってくるということです。これは人間が生きるうえでの大事な哲学です」
 皆、笑顔で頷いた。 (「懸け橋」の章、290~291ページ)
  
ここにフォーカス 地球人類という普遍の連帯
 1975年(昭和50年)1月10日、国連事務総長との会談を終えた山本伸一は、同日、日本協会の歓迎レセプションでスピーチ。新しき時代を開く哲学について語ります。
 伸一は、核兵器や公害など、現代社会が抱える問題の本質を、「欲望とエゴに突き動かされ、自己をコントロールしえない『人間』そのものの問題」と指摘します。
 そして、人類が目指す新しい方向について、①人類がもたなければならない価値観とは、全地球的な視野に立ったもの②人間は生命的存在であるという認識に立つこと――と論じます。この二つの視点に立脚して、「地球人類という普遍の連帯をもつ」ことを訴えます。
 現実は国家のエゴが渦巻き、人類の「普遍の連帯」を築くことは至難です。しかし、伸一は「あえて、このインポッシブル・ドリーム(見果てぬ夢)を、私の生ある限り追い求めていきたい」と、参加者の前で宣言します。
 池田先生は、日本と中国の間に友好の「金の橋」を架け、ソ連とも文化・教育交流の大道を切り開いてきました。あらゆる差異を超え、不信と対立を、信頼と友情による連帯へと転換してきたのです。
  
 人類が現在のコロナ禍を乗り越えるには、国家や民族を超えた協力が不可欠です。「地球人類という普遍の連帯をもつ」という視座は、さらに重要性を増しています。


【聖教ニュース】

◆〈危機の時代を生きる〉創価大学看護学部・佐々木諭教授に聞く 2020年6月17日

 世界中で猛威を振るう新型コロナウイルス。アフリカ大陸でも広がっており、累計の感染者数は5月22日に10万人を記録し、今月中旬には25万人を超えた。国際保健学が専門で、アフリカで医療支援をした経験のある創価大学看護学部の佐々木諭教授に、アフリカの現状をはじめ、日本の医療現場で奮闘する看護師の様子などを電話で取材した。(聞き手=加藤伸樹)

アフリカ大陸で広がる新型コロナウイルス
 ――WHO(世界保健機関)は、アフリカで封じ込めに失敗すれば“1年間で最大4400万人が感染し、19万人の死者が出る恐れがある”と警鐘を鳴らしています。
  
 アフリカで最初に感染が確認されたのはエジプトで、2月14日でした。アフリカ疾病予防管理センターの発表などを見る限り、ヨーロッパなどの国々と比較すると流行のスピードは抑えられており、その要因として、専門家と各国が連携し、事前に抑制の準備に取り組んできたことが指摘されています。
 ただ、国によって状況は異なるものの、5月に入ってからは徐々に流行し始めています。アフリカの国々は、人工呼吸器などの医療機器や治療に当たる専門職の人々も不足していますし、集中治療室の割合も低く、重症患者に適切な処置が行えません。都市部には貧困層の人々が暮らす未計画居住区があり、そこでは狭い家屋に大人数で生活していたり、「感染予防では手洗いが大事」といっても、安全な水にアクセスできない人もいます。こうした環境下では、すぐに感染爆発が起こることは想像に難くありません。先進国に比べ、警戒が必要です。

創大看護学部研修に参加した学生がザンビアの医療施設を見学(佐々木教授提供)

創大看護学部研修に参加した学生がザンビアの医療施設を見学(佐々木教授提供)

 ――感染者が少ない理由として、検査体制が不十分であることを指摘する専門家もいます。

  
 アフリカの人口の6割は、25歳未満の若年層です。こうした人々は免疫力も高いことから、感染を抑えられているのではないかと考えられています。しかし、ご指摘の通り、アフリカで最も人口の多いナイジェリアで1000人当たり0・46人など、検査数が低いのが実情で、実際の感染者はもっと多いことも考えられます。
 ただアフリカには、エイズやマラリア、エボラ出血熱など、さまざまな感染症と闘ってきたノウハウが蓄積されています。
 医療資源が限られている分、特にアフリカでは「地域の支え合い」で感染症に立ち向かってきました。その要が、各家庭に感染予防や健康改善に関する教育を行う「コミュニティー・ヘルス・ワーカー」と呼ばれるボランティアの存在です。こうした人々が行政や医療関係者らの指示のもと、感染しないための策を講じた上で、各家庭に正しい予防法を指導するのです。ボランティアの強みは“実際にその地域に住む人”ということです。地域のことをよく知り、地域の人々との信頼もあります。もちろん人との接触は感染のリスクを伴います。しかし、一人一人に丁寧に伝える分、皆が正確な情報をもとに判断でき、何より納得して行動できます。そこでは、さまざまな情報があふれ、何を信用していいのかといったことは起こりません。
 
【感染症を防ぐ三つの方策】
①治療薬開発で「感染源」を除去
②皆の協力で「感染経路」を遮断→手洗い・マスク、身体的距離の確保
③免疫力強化で「感受性」を低める→睡眠・食事・運動、笑顔ある生活

 ――感染対策において、私たちは何を基準に考えていけばいいのでしょうか。
  
 そもそも感染症は、「感染源」「感染経路」「感受性宿主」という要因がそろうことで広がります。病原体という「感染源」が存在し、感染が広がる「経路」があり、その病原体を「感受」、つまり“受け入れる生物がいる”ということです。一方、どれか一つでもブロックできれば感染症は広がらないことが分かっています。それを踏まえて考えれば、①感染源を除去する治療薬の開発、②感染経路を断つための一人一人の行動変容、③健康的な生活の心掛けや予防接種を受けることで免疫力を高めること――この三つが大切なのです。
 一つ目の治療薬は世界の研究者らが行っているので、私たちができることは、二つ目と三つ目になります。手洗いの励行やマスクの着用、身体的距離を取るといった行動は、病原体の体内への侵入を防ぐもので、感染経路への対策。三つ目の免疫力の強化には、ワクチンの接種も含まれますが、十分な睡眠や栄養バランスの取れた食事、そして適度な運動を心掛けることでも高めることができます。
 
 ――やはり「正しく知る」ことは大切ですね。
  
 私はザンビアでコレラの大流行の制御対策をしましたが、その際に特に力を入れたのは、行動変容を中心とした感染経路の遮断でした。コレラは、口から細菌が入ることで感染します。ですので、先ほどのボランティアグループの人々に感染予防や家屋の消毒などの講習を行い、水質調査をもとに「ここの水は飲んではいけない」とか「石けんによる手洗いが大切ですよ」などの情報を伝えました。
 その中で罹患率を下げることができたことからも、感染症対策において、地域コミュニティーの存在と、その人々が伝える正しい情報がいかに大切かを感じました。
  
最前線で命を守る医療従事者にエールを
 ――日本赤十字社は、不確かな情報に振り回され、感染症への恐怖が増してしまうと、感染者や医療関係者への差別につながっていくと警告しています。
  
 創価大学看護学部の1期生が卒業したのは、2017年のこと。以来、4年にわたって卒業生を送り出してきました。卒業生たちも今、医療現場の最前線で奮闘していますが、人とすれ違う際にあからさまな態度で避けられたことなど、差別が起きていたことは聞きました。
 医療従事者は、自分が感染してしまうかもしれないリスクと不安の中にいますが、それでも目の前の命を救うために全力を尽くしています。こうした医療従事者を守ることが、新型コロナウイルスに打ち勝つ道であると確信します。
  
 ――未知のウイルスということもあり、治療や看護の仕方も試行錯誤の連続だと思います。
  
 患者を勇気づけられるよう、真心と誠実で一人一人に寄り添ってきた看護師も、今回のウイルスが蔓延してからは、さまざまな制約の中で看護に当たっているようです。
 病室に入る時間も制約があり、患者と接する時間も当然、短くなります。またマスクやゴーグルなどを着けた状態では、笑顔といった自分の表情で相手の不安を取り除いてあげることもできません。だからこそ、「声」が大事だと、今まで以上に一言一言に思いを込めていると聞きました。
 加えて、家族も患者と会えない状況があります。そうした家族へのケアのために、まずは家族と信頼関係を深め、電話で小まめに患者の状況を伝えたり、SNSを活用して患者と家族が話せるように工夫したりしているそうです。
  
 ――航空自衛隊のブルーインパルスが5月末、医療従事者への感謝を示すために都心上空を飛行するなど、さまざまなエールが送られています。
  
 そうしたエールは、間違いなく医療従事者を勇気づけています。患者や家族からの「ありがとう」との言葉や、地域の方々の「頑張ってね」「応援しているよ」といった声が力になり、「負けずに頑張ろう」と思えると感謝していました。
 また創大看護学部の卒業生にとって、学部開設時に創立者・池田先生から贈られた三つの指針が心の支えとなっていることを改めて感じました。
 「生命の尊厳を探究する生涯学びの看護」「生きる力を引き出す励ましの心光る看護」「共に勝利の人生を開く智慧と慈悲の看護」との指針を在学中から何度も自らに問い掛けてきた卒業生は、それぞれの医療現場にあって、どうすることが患者の生きる力を引き出し、患者と共に勝利の人生を開くことになるのかと日々模索し、そして、共に探究してきた仲間たちと連携を取り合い、励まし合いながら奮闘しています。

逆境に立ち向かう力は励ましの絆に
 ――励ましの絆を広げていくことは、人類が感染症に立ち向かっていく上でも重要ではないでしょうか。

 社会に不安が漂う中、励ましは人々に生きる力を与えます。「笑い」が免疫力を高めることは知られていますが、励ましで“人々を笑顔にしていくこと”も、感染症の予防に貢献することでしょう。
 また、感染症対策で必要なのは「自分が感染しない」「人に感染させない」との思いを持ち、皆で感染を抑え込もうという協力体制です。その意味では、人々の絆が鍵を握ると思います。
 例えば、正しい情報といっても、人によって置かれた状況も納得の度合いも違います。だからこそ、一人一人に応じて話す人も必要ですし、誰一人孤立することがないよう、地域の人々を見守る存在も重要でしょう。
 新型コロナウイルスの流行によって、人と人の物理的距離を保つことが求められますが、その中でも電話などを使って社会的なつながりを強めることは可能です。支え励まし合う絆は、危機の時代にあって、ますます求められていくと感じます。
 
【プロフィル】
 ささき・さとし 医学博士。新潟大学大学院医歯学総合研究科助教、創価大学学士課程教育機構准教授などを経て現職。国際医療NGO「AMDA」の職員として、ルワンダなどでの難民支援の医療系業務に従事。国際協力機構(JICA)の専門家としてザンビアの貧困地域で子どもたちの健康改善に取り組んだ経験も持つ。創価大学ではグローバル・シティズンシップ・プログラム(GCP)ディレクターも兼任。
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【特集記事・信仰体験など】

◆〈未来の宝と共に 池田先生の書籍に学ぶ〉 信越未来部長 鈴木一茂さん
 テーマ「新たなことをやりたいが不安」

 “何事も、とにかくやってみよう”と挑戦する。たとえ夢がはっきりと見えていなくたって、かまいません。努力は絶対、無駄にはならない。ベストを尽くす一歩一歩が、必ず夢に向かって前進する栄光の道となるのです。  ?
 その道の途中では、迷うこともあるでしょう。でも、焦る必要はありません。遠回りしたとしても、新しい発見をするチャンスととらえて、周りの景色を楽しめばよい。そのうちに、もっとすばらしい道が見つかったり、新たな夢の目的地が見えたりすることもある。(『未来の翼』12ページ)

逆境に負けない心を磨く
 私は地元・新潟の中学校を卒業し、創価高校に進学しました。寮生活などに期待と不安を抱いていましたが、当初の大きな悩みの一つは、どの部活動をやるかでした。
 体を動かすのが好きだった私は、小学校では少年野球、中学校でバスケ部に所属。高校ではそれまでのものを続けるか、新しいことを始めるか決められずにいたのです。その時、サッカーに興味があった私は、サッカー部に所属する寮の先輩に相談。すると「見学に来てごらん」と声を掛けてくれました。    
翌日、サッカー部の練習を見学。足で華麗にボールを操りつつ、真剣に練習に臨む姿はとても魅力的でした。しかし“サッカー未経験の自分にできるのか”との思いが拭いきれず、入部への決心がつきません。見学後、先輩に伝えると「少しでもやりたいと思うなら、その気持ちを大事にしてやってみようよ」と励ましてくれたのです。力強い後押しを受け、“挑戦してみよう”と決意し入部しました。  
 しかし周囲は、小学校や中学校からの経験者ばかり。技術で劣る私は、状況を打開しようと時間を見つけては個人練習。そんな姿を見てくれていた先輩たちも、パス練習などに根気強く付き合ってくれました。また、唱題にも励み、毎日、後悔のないように全力で過ごしました。  
 結果、3年間で公式戦に出場は果たせませんでしたが、挑戦の日々によって逆境に負けない心を磨き、“チームのため”“友のため”に尽くせる自身に成長できました。

勇気の一歩で“可能性”を開こう
 未来部の皆さんにとって、かけがえのない青春時代です。小さな目標でも大きな夢でも、目指すべきものを掲げて前進してみましょう。“これをやろう”と決めて、一歩を踏み出せば、新たな扉が開けます。もちろん、不安な気持ちもあるかもしれません。そんな時は勇気が出るように題目に挑戦しましょう。そうすれば、どんな結果になろうとも、自身を大きく成長させる機会になり、新たな可能性に気付くことにもつながります。  
 池田先生は「勉強も、クラブ活動も、真面目にやれば、忙しいし、苦労も多い。しかし、これだけは言えます。真面目にベストを尽くして、うまくできれば自信になる。たとえ、うまくいかなくても、挑戦した分、前進できる」と、おっしゃっています。  
 私も皆さんと一緒に、どんな状況にあっても、成長と充実の毎日を歩んでいけるよう、祈り進んでいきます!


◆<信仰体験>ブラボーわが人生 こぼれ話  津軽の百歳 元気ハツラツ

 固定電話のお相手が100歳の1人暮らしの場合、何回かけてもつながらいと、はらはらしてしまう。
 やっとつながった時の安堵感といったらない。つい、恋人へのセリフになってしまう。
 「ずっと声が聞きたくて……」
 「この年寄りの声聞いてどうすんの」
 一緒に笑える幸せがある。
 ちなみに、なぜ電話がつながらなかったか。答えは「おら、忙しくしてたんだ」。
 薬をもらいに病院へ行き、畑仕事で汗を流し、手押し車で隣町の人にささ餅を届け、帰る足で鶏肉と卵を買い、道端の花に話し掛け……。
 この際だから携帯電話、買って差し上げようかな。

 【青森県五所川原市】みちのくの桜が見頃を迎えても、部屋にはストーブがたかれていた。やかんから立ち上る湯気の向こうで、三浦弘江さん(99)=地区副婦人部長=が話をしてくれた。ストーブのように心を温める言葉を持つ人だと思った。
 そこへ電話がなった。三浦さんが受話器を取った。「今、取り調べ受けてんだ」。思わずカツ丼でも頼みそうになった。(2019年5月3日付、年齢は掲載当時)
                       ◇◆◇
 津軽弁、分かりますかァ? んだか。おしゃれな言葉できないよォ。
 一人ですから、なんでもやらねばだめです。後ろは山だ。葉っぱとか飛んでくる。毎日、畑仕事に忙しい。ノコギリ持って大工仕事もやるよォ。
 おらほの地域は老人ばかり。裏山から猿が下りてきて、追い払っても逃げないし、虫もたくさん出てくる。どうせなら猿と虫、励まし合って暮らしてます。
 津軽の良さは、情けあるところだの。婦人部のみんな、仲がいいよォ。病気あれば、おかゆ持ってきたり、卵持ってきたり。優しい。いいもんだの。

 こんなすごい信心、やった方が得だ。信心は楽しいもんだよ。御本尊と親しくなると、身が軽くなる。うそでないよ。親しむためには、題目あげればいいんでねえべか。
 おう、題目だな。「いつまでもおらたちを面倒みてください」って御本尊様にしゃべってるっす。歩いてる時だの、お医者さんに見てもらってる時だの、心の中で題目あげてる。体がスウスウして気持ちいいよ。うそでねえ。信心やめることはできません。
 悩みは無えです。年取ると、何かしら病気が付いてくるものなんだ。とにかく食べることだ。パンはだめ。パンはおやつだ。三食お米。インスタントは食ってられねえ(個人的な見解です)。
 生きてりゃあ、良いこともあるし悪いこともある。人に言ったってだめでしょ。御本尊様としゃべんねば。題目大切ですよォ。いろんな苦しみを乗り越えて、おらは行くんだ。
 御本尊様にお世辞いう人、大っ嫌い。ちっとでも怠けてみろ。おじゃんになるぞ。信心から外れたら、うまくねえ。

 池田先生は、おーきな人だ。いつも優しい言葉でおらたちをを褒めてくれるもの。あんたもそう思いませんか? 
 涙が出てくる時ある。池田先生、いつもお世話になってありがとうございます。お元気でなによりです。
 昭和35年(1960年)からの信心だもの。信心は楽しいもんだ。楽しいでばさ。あんたも、ほんでねえか? (楽しいけど、ちょっと苦しい、と答えてしまう)。わいー、御本尊様に失礼だよ! 勉強が足りない。(と言われて平伏すると)あらら、ごめん!(と楽しそうにお笑いになる)
 小さい時から奉公に出て、リヤカー引いて、市場に野菜、花売りィ。信心して教員しながら、冬は腰まである雪をこぎながら聖教新聞さ配達したことが、おらを強くしてくれたんだ。苦労に無駄はねえよ。愚痴をこぼしてどうするべ。
 もう、なんも欲がねえ。何も心配ないだべすの。墓もこしらえてる。正直に暮らせばいいっきゃ。昨日は夕方まで草取りィ、今日は洗濯。暇のない人生だ。ぼちぼち、ごはん作るっきゃ。今日は卵焼きィ。

2020年6月16日 (火)

2020年6月16日(火)の聖教

2020年6月16日(火)の聖教

◆わが友に贈る

 知勇兼備の学生部よ!
 普賢の力を磨き抜き
 世界広布の先駆と光れ!
 若き情熱と発想と行動で
 新たな価値創造の道を!


◆名字の言 13度目の御書全編拝読に励む婦人が心に刻んだ御文   2020年6月16日

 入会して59年。毎朝、御書を拝し続け、現在、13度目の全編拝読に挑戦中の婦人がいる。どのページにも朱線や書き込みがいっぱい。それを繙きながら体験を話してくださった▼経済苦にあえいでいた時、心に刻んだ御文は「いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず」(御書1163ページ)。20回、30回と声に出して読むと、“池田先生の弟子として信心に傷はつけられない。負けてなるものか”と闘志が湧いた▼肺がんを宣告された時、心に刻んだ御文は「鬼神めらめ此の人をなやますは剣をさかさまに・のむか……」(同1587ページ)。愛弟子を苦しめる病魔を烈々と叱り飛ばされる御本仏の大慈悲に触れ、弱気を打ち砕くことができた。今、確信を込めて語る。「師匠と御書さえあれば怖いものなし。鬼に金棒よ!」▼近代日本を代表する思想家・内村鑑三は世界に向けて、日蓮大聖人を「代表的日本人」と宣揚した。大聖人こそ「最も偉大なる者の一人」「我等の理想的宗教家」(原文は英語、鈴木俊郎訳)と。さらに、大聖人を正当に評価するためにもっと努力するべき、とも▼一切衆生の幸福を願われた大聖人の御境涯に接すれば、自身の境涯が開かれる。「永遠の経典」御書を学ぼう。勇気が燃える。希望が湧く。決意が生まれる。(実)


◆寸鉄

他者を思う学会員の現代
の役割は大きい―日本の
教授。心結ぶ声掛け更に
     ◇
福島女性の日。笑顔輝く
婦女の連帯は福光の力。
さあ郷土に希望を拡大!
     ◇
「友情は喜びを二倍にし、
悲しみを半分に」詩人。
電話等で励まし合い前進
     ◇
コロナとの長期戦に備え
免疫力の強化を―医師。
睡眠・食事・運動しっかり
     ◇
大流行の克服には世界の
連携が不可欠―WHO。
「地球民族」の思潮今こそ


【先生のメッセージ】

◆〈忘れ得ぬ旅 太陽の心で――池田先生の連載エッセーから〉大阪2020年6月16日

夕焼け空の下、威風堂々とそびえる大阪城(2007年11月、池田先生撮影)

夕焼け空の下、威風堂々とそびえる大阪城(2007年11月、池田先生撮影)

 月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「大阪――希望を生み出す庶民の絆」を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。いかなる苦難も、強き心の絆と不屈の魂で乗り越えてきた大阪そして関西の友。コロナ禍によって、逆境をはね返す智慧が求められる今だからこそ、フィジカルディスタンス(身体的距離)を保ちつつも、苦楽を分かち合うつながりを強化し、「庶民の都」に脈打つ「負けたらあかん!」の心意気に学びたい。
  
 懐かしき
  思い出多き
     関西は
   私の故郷
    永遠の都か
  
 故郷とは、いずこにあっても、心から離れることのない宝土です。
 故郷の人々とは、いついかなる時も、心と心が通い合う宝友です。
 大阪――。その名を聞けば、青春を賭して奔走した、あの町この道が胸に蘇ります。
 関西――。その名を聞けば、苦も楽も分かち合ってきた、忘れ得ぬ友の笑顔が命に光ります。
  
 〈池田先生との師弟のドラマが無数に刻まれている関西。中でも1952年8月、先生が24歳で第一歩をしるした大阪は、行く先々で友を激励し、幾重にも心通う交流を重ねてきた天地である。先生はそうした思い出を振り返りつつ、「庶民の都」の象徴である大阪城の歴史を通し、民衆の大地に根差した「和楽」と
「幸福」の崩れざる大城の建設を託されたのが、大阪、関西であると期待を寄せる〉
  
 人情の街、笑いの街、くいだおれの街、商いの街、町工場の街、技術革新の街……。大阪を表現する言葉は尽きません。それだけ多彩な魅力に富んでいるということでしょう。その源泉は、なんといっても明るい「庶民の都」という点にあるのではないでしょうか。
 この「庶民の都」の象徴が、大阪城です。
 太閤秀吉が築いた「大坂城」は冬の陣・夏の陣で落城し、続いて徳川家が再建した「大坂城」も、一六六五年の落雷で大天守が焼失してしまいました。以来、二百六十余年もの間、天守閣なき城のままでした。
 昭和の初め、天守閣の再興が決定されると、待ち望んでいた市民から大変な勢いで寄付が集まり、三代目の天守閣が完成したといいます。
 市井の願いと力が結集された、この城は、激しい大阪大空襲にも耐え抜きました。
 特急列車「つばめ」で関西の母なる川・淀川を渡りながら目にした、夕焼け空に浮かぶ大阪城の威風堂々たる雄姿は、今も瞼に焼きついています。
 どんなに栄華を極めた権力者の楼閣も、いずれ跡形もなく消え去る歴史を、
関西の聡明な庶民はいずこにもまして鋭く見つめてきました。
 だからこそ、草の根の民衆の大地に根差して、何ものにも崩れぬ「和楽」と「幸福」の大城を築き上げる――この人類の積年の夢を託された天地こそ、大阪であり、関西であると、私には思えてなりません。

希望は人生の宝
 〈次いで池田先生は、大阪で世界的企業を育て上げた実業家・松下幸之助氏との交流を述懐するとともに、いかなる逆境も「負けたらあかん!」の関西魂で勝ち越えてきた常勝の同志をたたえた〉
 私が幾度もお会いしてきた“経営の神様”松下幸之助先生は、まさしく大阪の偉大な庶民の人間性と商才を生き生きと発揮されていました。
 ご夫妻は借家の四畳半でのソケット作りから始め、不況の波や戦後の大混乱など幾多の風雪を乗り越えました。私が、いかなる信念で困難を打開されたか尋ねると、こう答えられました。
 「その日その日を精いっぱいに努力してきたということに尽きるように思われます。そして、その過程のなかには、常に希望があって、それが苦労とか苦闘を感じさせなかったのではないかと思っております」と。
 希望は人生の宝です。いかなる苦労も充実に変え、苦しみさえも楽しみに転じながら、限りない価値を創造する希望のエネルギーが、大阪そして関西には朗らかに湧き立っています。
 私は、関西の友との語らいが、大好きです。
 関西には、気どりもなければ、裏表もない、地位や肩書も関係ない、“ありのまま”の人間と人間の交流が躍動しているからです。
 私も友も、一番大事にしている関西弁は何か――それは「負けたらあかん!」です。

池田先生が若き日に、関西の同志と勝利を誓い合った中之島の大阪市中央公会堂(2007年11月、池田先生撮影)

 妻も、家族姉妹のような関西の友人たちと、家計や子育て、闘病、地域のことなど、あらゆる悩みに耳を傾け、励まし合ってきました。
 「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ 未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」という仏典を踏まえつつ、「苦労した分だけ、先の幸せが大きいのが、因果の理法です。どんなことも、いい方に、いい方に思いをもっていきましょう」等と語り合ったこともあるようです。
 賢くたくましい関西の女性たちは、皆が頭を上げ、逆境を笑い飛ばしてきました。あの阪神・淡路大震災の苦難も、皆で支え合い、助け合いながら、復興してこられたのです。
 関西の至るところに、「こんなに幸せになりました」「私は勝ちました」と笑顔で語ってくれる友がいる。そして、その方々の子や孫の世代も立派に成長していることこそ、私と妻の無上の喜びです。

苦楽を誇りとし
 〈最後に先生は、青年の成長が未来を開く決定打になると強調。その模範こそ、理想のスクラムが広がる関西であると呼び掛ける〉
  
 日本のシェークスピアとも称される、関西が生んだ劇作家・近松門左衛門の物語に、「一粒の花の種」が「芽を吹き終には千輪の花が咲く梢となる」というくだりがあります。
 少子高齢社会にあっては、ますます、お互いを支え合う人々の絆が重要になってきます。その根幹は、「一人を大切にする」心でしょう。

池田先生ご夫妻が、関西の友の真心こもる花々を見つめて語り合う(1997年5月、
大阪・豊中市の関西戸田記念講堂で)

 なかでも、次代を担う青年を、心を込めて、自分以上の人材へと育成していくことが、地域も、社会も、未来へ勝ち栄えていくための決定打です。
 思えば、堺出身の歌人・与謝野晶子も、「善い後継者が次々に絶えないのを祝福せずにいられない」と語っていました。
 彼女は青年を励まし、青年の成長を喜び、むしろ青年の努力から新鮮な啓発を受けながら、わが人生を向上させていきました。
 「私達にはみずみずしい魂があります」
 「私達も未来を目掛けて躍り上がる自らの若々しい心を抑えることが出来ません」と。
 心の垣根を作らず、広々と心を開いて、共に笑い、共に歌い、共に汗を流し、共々に、常勝の人生を飾っていく。これが大阪です。関西です。
 この「庶民の都」そして「人間共和の都」の女性のスクラムにこそ、これからの社会が学ぶべき模範があるのではないでしょうか。
  
 関西の
  友との苦楽を
     誇りとし
    原点深く
      常勝永久にと
  
 (『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第1巻所収)
  
 ※近松門左衛門の引用は『近松門左衛門集③ 新編日本古典文学全集76』(小学館)。与謝野晶子は『與謝野晶子全集』の第十一巻、第十二巻(文泉堂出版、現代表記に改めた)。


【教学】

◆ロータスラウンジ  法華経への旅  第15回 見宝塔品第十一〈上〉
 自行化他にわたって 妙法を唱えるとき 私たちの生命が宝塔となる

 法華経について、皆で学び、深めよう――「ロータスラウンジ――法華経への旅」の第15回は、「見宝塔品(けんほうとうほん)第十一」㊤です(前回は5月26日付。原則、月1回掲載)。

■大要
 「見宝塔品第十一」では、冒頭、七宝で飾られた巨大な宝塔が大地から涌現し、空中に浮かびます。その塔の中から「多宝如来」が、釈尊の説法が真実であると証明します。さらに、会座に集った人々を、仏が神通力で虚空へ浮かび上がらせます。ここから説法の場が「虚空会」になります。そこで釈尊は、「六難九易」等を通して、滅後の法華弘通を勧めます。それでは内容を追ってみましょう。
 
 ●シーン1
 仏の前にこつぜんと、高さ500由旬、縦横250由旬もの、金・銀・瑠璃などの七宝で飾られた巨大な宝塔が、大地から涌現し、空中に浮かびます。(由旬は、インドの距離の単位。1由旬とは帝王が1日に行軍する道のりとされ、およそ10キロメートルと考えられている)
 すると、その時、宝塔の中から大音声が聞こえてきます。
 「すばらしい。すばらしい。釈尊は、よくぞ法華経を大衆のために説いてくださった。その通りです。その通りです。あなたが説かれたことは、すべて真実です」
 会座の四衆(出家・在家の男性と女性)は、宝塔が空中に浮かんでいるのを目の当たりにし、その中から響く声を聞いて喜び、また驚きつつ、宝塔に合掌します。
 
 ●シーン2
 その時、大楽説菩薩が、人々の疑念を知り、釈尊に問います。
 「どういうわけで、宝塔が大地から現れ、その中から声が発せられたのですか」
 釈尊は答えます。
 「この宝塔の中には、多宝如来という名前の仏様がおられる。
 この仏様は、かつて菩薩の道を修行していた時に、大きな誓いを立てたのです。『法華経が説かれる所があれば、私の塔はその前に現れ、証明役となって、すばらしい、すばらしいと讃嘆しよう』と。
 だから今、法華経が説かれるこの場所に、多宝如来の塔が出現して、『すばらしい。すばらしい』と、讃嘆したのです」
 
 ●シーン3
 それを聞いて、大楽説菩薩は、釈尊に要請します。
 「私たちに、多宝仏の姿を見させてください」
 釈尊は、大楽説菩薩に告げます。
 「この多宝仏には、『釈尊の分身となって十方世界(全宇宙)で法華経を説いている仏をすべて呼び戻したならば、私は姿を現そう』との深き願いがあるのだ。
 今、十方世界で説法している私の分身を集めようと思う」
 ここから、いわゆる「三変土田」が始まります。
 ――まず、釈尊は、分身の諸仏が集まってこられるように、今いる娑婆世界を清浄にし、不信の人界・天界の衆生を他の国土に移して、分身の諸仏を集めます。
 しかし、入りきれなかったため、さらに2度にわたって、八方それぞれの二百万億那由他という無数の国土を清浄にして、人界・天界の衆生を他の国土に移し、十方の世界の諸仏を集め、一つの仏国土に統一しました。
 このように、3度にわたって国土を清めたことを「三変土田」といいます。
 
 ●シーン4
 釈尊は、一堂に会した十方世界の分身の諸仏が“宝塔の扉を開いてほしい”と望んでいることを知り、空中に浮かびます。
 人々は起立し、合掌して、その模様を見つめています。釈尊は右の指で、宝塔の扉を開きます。
 全ての聴衆は、宝塔の中に多宝仏の姿を見ます。さらに、「すばらしい。すばらしい。釈尊は快く法華経を説いてくださる。私は法華経の説法を聞くために、ここに出現したのだ」と語るのを聞きます。
 
 ●シーン5
 その時、宝塔の中の多宝仏は、自分の座っていた場所の半分を釈尊に与えて語ります。
 「釈尊よ。この場所にお座りください」
 釈尊が宝塔の中に並んで座ります(二仏並坐)。
 人々は「仏は高く遠い所にいらっしゃる。どうか仏の神通力によって、私たちを空中に引き上げてください」と願います。
 釈尊はその思いに応え、神通力によって大勢の人々を空中に引き上げると、大音声で皆に告げます。
 「だれか、この娑婆世界で、広く法華経を説くものはいないか。私は、もう長くは生きていない。法華経の弘通を託したいのだ」
 ここから、「嘱累品第二十二」まで空中での説法がつづきます。これを「虚空会の儀式」と言います。
 
 ●偈文
 これまでの説法の意義を繰り返して、偈(詩句の形式)として説かれます。
 見宝塔品では、ここに「令法久住」や「六難九易」「此経難持」といった大切な法理が示されます。
 該当の箇所を追ってみます。
 
                         ◇ ◇ ◇
 
 宝塔が出現し、十方の諸仏が集まったのは何のためだったのでしょうか。それは「令法久住(法をして久しく住せしめん)」(法華経387ページ)のためであったと記されています。未来永遠にわたって妙法が伝えられるようにするためであったのです。
 さらに、仏の滅後に法華経を持ち弘めることが、他の経典の場合にくらべて、いかに難しいかを「六難九易」を挙げて説かれています。
 法華経では「諸余の経典は 数恒沙の如し 此等を説くと雖も 未だ難しと為すに足らず」(390ページ)から「我滅して後に於いて 若し能く 斯くの如き経典を奉持せば 是は即ち難しと為す」(393ページ)までの箇所に、九つの易しいことと、六つの難しいことが具体的に記されています。
 それを受けて「此経難持(此の経は持ち難し)」(同ページ)と、仏の滅後に法華経を受持することがいかに困難であるかが示されます。
 だからこそ、法華経を受持しゆく大願をおこす人こそが、無上の仏道を得ることができると教え、「自説誓言(自ら誓言を説け)」(同ページ)と、誓願を勧めているのです。(㊦に続く)

【『法華経の智慧』から】 限りなく境涯が広がる
 妙法蓮華経の説法によって、妙法蓮華経の宝塔が涌現する。私どもが自行化他にわたって妙法を唱えるとき、私たちの生命が宝塔となる。宝塔が出現する。唱えられる法も妙法蓮華経。唱える私たちも妙法蓮華経です。
                         ◇ ◇ ◇
 依正不二ですから、我が身に宝塔を開けば、我が生きる世界も宝塔の世界であり、「宝塔の中に入る」ことになる。御本仏の世界の一員として、自在に活躍しているということです。このちっぽけな自分という身が、七宝で荘厳され、大宇宙へと限りなく境涯が広がるのです。これほどすばらしいことはない。
                         ◇ ◇ ◇
 我が身に宝塔を見、我が友に宝塔を見る。そして「宝塔」また「宝塔」の林立で、我が地域を荘厳していくのです。地球を荘厳していくのです。
                         ◇ ◇ ◇
 広布への行動によって、初めて「宝塔」は立つ。観念ではない。現実との格闘であり、大難との真剣勝負です。そこに「聞・信・戒・定・進・捨・慚」の七宝で飾られた自分自身と輝くのです。(普及版<上>「見宝塔品」)

【コラム】七宝――わが身を輝かせる
 「見宝塔品」に出てくる巨大な宝塔は、金・銀・瑠璃などの七宝で飾られていました。
 それは、尊厳なる生命を表現しているといえます。
 大聖人は、この七宝について「聞・信・戒・定・進・捨・慚」であると示されています(御書1304ページ)。
 「聞」とは、正法を求め聞き学ぶことです。「信」とは、妙法を信受することです。「戒」とは、末法にあっては妙法を受持することです。「定」とは、不動の信を確立することです。「進」とは、精進のことです。「捨」とは、煩悩などを捨てることです。「慚」とは、反省し、求道心を絶やさないことです。
 つまり、この七つの修行、私たちにとっては、自行化他にわたる唱題行によって、自分自身の生命を最高に光り輝かせていくことができるのです。


【聖教ニュース】

◆韓国の国立忠北大学が池田先生に「名誉教育学博士号」授与を決定   2020年6月16日

韓国・清州市に立つ国立忠北大学のキャンパス

韓国・清州市に立つ国立忠北大学のキャンパス

 韓国・清州市にある国立忠北大学(金銖甲総長)が、池田大作先生に「名誉教育学博士号」を授与することを決定し、このほど通知書が届けられた。池田先生の平和・文化・教育への多大なる功績をたたえ、同大学の大学院委員会が全会一致で決議したものである。
 忠北大学が立つ清州市は、韓国の中央部に位置し、忠清北道の道庁所在地。現存する世界最古の金属活字本「直指心体要節」がつくられた地であり、教育文化の都市として有名である。

 同大学は1951年に開学。これまでに約16万人の人材を多彩な分野に輩出し、現在は14学部と七つの各種大学院に2万3000人の俊英が学んでいる。韓国国内の学生満足度調査では、2015年から5年連続で国立大学のトップに輝く名門校であり、海外50カ国240の大学と交流を結ぶなど発展を遂げている。
 成長する同大学でリーダーシップを発揮する金総長は、同大学の法学部の出身。18年に母校の卒業生として初の総長に就任した。
 金総長が池田先生を知るきっかけとなったのは、昨年6月、同大学でSGI(創価学会インタナショナル)が他団体と協力して制作した展示「変革の一歩――人権教育の力」が開催されたこと。平和・文化・教育運動に、比類なき貢献を重ねる池田先生に共感を抱いたという。
 その後も金総長は韓国SGI等との交流を通し、先生の思想と行動への理解を深めてきた。
 本年1月には、学術交流協定の調印式出席のため、東京・八王子市の創価大学を訪問。創大の馬場学長との懇談の折、創立者・池田先生の「学生第一」の理念と建学の精神に強い感銘を受けたことに触れ、総長として、学生のための大学建設に全力を尽くしたいと述べた。
推薦書「人間主義を掲げた民衆運動で世界平和と人権の促進に貢献」
 今回の名誉教育学博士号授与の決定について、金総長は「偉大な池田先生に学位を授与させていただくのは、忠北大学として当然のことです」と語る。
 また、池田先生への授与理由について推薦書には、「人間主義を掲げた多彩な民衆運動を展開し、世界平和と人権促進に多大な貢献を果たしてきました」「創価一貫教育を確立し、人間主義の教育に寄与してこられました。また、東洋哲学研究所、東京富士美術館などを設立し、文化、教育分野の発展に尽力されました」等とつづられている。


◆第3代会長就任60周年記念「師弟凱歌の記憶」 第9回「写真――眼で詠む詩」

北海道指導の折、激励行の合間に札幌・月寒の花菖蒲園を訪れ、咲き誇る花々にカメラを向ける池田先生。香峯子夫人が見守る(1990年7月)

北海道指導の折、激励行の合間に札幌・月寒の花菖蒲園を訪れ、咲き誇る花々にカメラを向ける池田先生。香峯子夫人が見守る(1990年7月)

 池田先生の写真は「眼で詠まれた詩」――フランス・ルーブル美術館の絵画部長を務めた美術史家ルネ・ユイグ氏は、そう評した。
 先生が写真の撮影を本格的に開始したのは、1970年ごろ。過労で体調を崩(くず)した折、カメラを贈られ、撮影した写真をそのお礼に届けるためであった。
 しかし「自由な写真旅行とか、写真行脚(あんぎゃ)とはいかない」。「そこで、会合等で、遠出をした場所を選んで、たまにファインダーをのぞくということを覚えた」
 最初に本格的にレンズを向けたのは「月」だった。71年6月、北海道・函館近郊の大沼湖畔で周囲を照らす壮麗な月を目にした先生は、“日夜、戦っている学会員の皆さまが、この月の光に照らされ、英知輝く人になってほしい。名月天子(みょうがってんし)よ、我が友を見守ってください”との願いを込めて、シャッターを切った。
 今しかない“この一瞬”を捉える。先生にとって写真とは“自然との対話”であるとともに、同志に励ましを送る、瞬間瞬間の行動の結実なのである。  
池田先生が使用したカメラ。1979年発売のキヤノン製㊧と、88年発売のニコン製の一眼レフ
 先生は71年以来、奮闘する友の励みになればと、折に触れてカメラを手にしてきた。移動の車中や海外を訪問した際など、激務の合間に出合った“瞬間の美”を捉えた作品は「自然との対話――池田大作写真展」に。82年の初開催から、これまで世界41カ国・地域、151都市で行われ、好評を博している。
 しばしば同展のポスターなどにも使用され、広く親しまれる一葉がある。95年11月に撮影された、ヒマラヤを収めた写真。海外の高名な画家も「この写真には物語があります」と賛辞を惜しまない。
 変わりやすい天候のため、なかなか目にすることはできないという夕日に染まった“世界一”の雄姿を、雲が開けた一瞬で収めた。
 この折、集まってきた子どもたちに池田先生は「仏陀は、偉大なヒマラヤを見て育ったんです。あの山々のような人間になろうと頑張ったのです。堂々とそびえる勝利の人へと自分をつくり上げたんです。みなさんも同じです」「必ず、偉い人になれるんです」と語り、励ました。
 “自然は偉大! 生命は偉大! 全ての人に希望を!”――深い願いが投影された先生の写真は、目にする人を鼓舞し続ける。


◆青年部各部 オンラインで活発に集いを開催 2020年6月16日

 祈りを込めた大誠実の励ましは必ず伝わる!――全国の青年部リーダーが、オンラインによる励ましを広げている。

7・11「男子部結成記念日」へ!――岐阜・ひだ北本部男子部の友を池戸中部男子部長が激励した

7・11「男子部結成記念日」へ!――岐阜・ひだ北本部男子部の友を池戸中部男子部長が激励した。

 池戸中部男子部長は13日、岐阜・ひだ北本部男子部(木村健吾本部長)の集いに参加した。

 同本部では、リーダーが率先して小説『新・人間革命』を研さん。心に刻んだ指針や真心の言葉を手紙に記し、一人一人に励ましを届けている。
 集いでは、参加者全員が近況を報告。
 木村本部長は、7・11「男子部結成記念日」の淵源を紙芝居で紹介し、師の偉大さを語り抜こうと述べた。
 飛騨池田県の道脇正夫男子部長が同志と励まし合いながら、成長の道を進もうと力説。
 池戸中部男子部長は、「男子部が地涌の菩薩の使命に燃えて、社会に善の連帯を広げよう」と励ました。

7・19「女子部結成記念日」へ進む京都・宇治常勝圏の南陵地区の華陽の集い。堀関西女子部長が励ました

7・19「女子部結成記念日」へ進む京都・宇治常勝圏の南陵地区の華陽の集い。堀関西女子部長が励ました

 堀関西女子部長は同日、京都・宇治常勝圏の南陵地区の集いに参加した。

 同地区では、女子部本部長の椎葉晴香さんと協力し、オンラインによる「少人数の語らい」を繰り返し実施。励ましのスクラムを着実に広げてきた。
 集いでは、皆が近況等を報告。毎日の目標を決めて唱題に挑戦しているメンバーや、歯科医師を目指して勉学に励む友も。
 西沢友実女子地区リーダーは、白樺グループ(女子部の看護者の集い)の一員として、看護の現場で奮闘する様子を語った。
 堀関西女子部長は、一人一人の状況に耳を傾け、華陽姉妹の健闘を心から称賛。「題目根本に自身の心を磨き、どんな苦難にも揺るがぬ幸福の土台を築こう」と訴えた。

樺澤学生部長が石川総県の友にエールを送る
 「希望の哲学を胸に! 先駆励まし月間」を走る男女学生部。樺澤学生部長は14日、石川総県学生部の会合に参加した。
 同総県学生部では、SNSや電話による励ましなどを通して、多くの1年生が朗らかに活動に挑戦している。
 今回の集いでも、参加者の半数近くが1年生。その中から庵真斗さん、小島光太さん、川淵康生さんが決意を披歴。「海外で活躍できる語学力と実力を付けます」「“何のために学ぶのか”を忘れずに前進します」等の清新な決意に拍手が送られた。
 続いて、「尊敬する人を持つ大切さ」などについて議論した。
 樺澤学生部長は、誰よりも勉学に励むとともに、池田先生の行動と歴史を通して、民衆の幸福に尽くし抜く振る舞いを学んでいこうと述べた。

首都圏の代表を林女子学生部長が激励。楽しい語らいに笑顔の花が咲いた
 一方、林女子学生部長は同日、首都圏女子学生部の代表の集いに出席した。
 新入生の阿部結衣さんが笑顔で抱負を発表。集いの責任者を務める田中青海さんが、今春入学した友を歓迎し、「共に成長の道を歩もう」と呼び掛けた。
 次いで、「池田華陽会御書30編」の一つでもある「開目抄」を研さん。
 林女子学生部長は、“励まし月間”の決勝点である6・30「学生部結成記念日」の淵源を確認。青春時代に御書を学ぶ意義について述べつつ、「“人生の羅針盤”である教学を深め、何があっても負けない信仰の基盤を」と望んだ。
 最後に、女子学生部歌「勝利の青春」を皆で合唱した。


【特集記事・信仰体験など】

◆<「新・人間革命」と私> ブラジル青年部長 アンデルソン・ノブオ・ヨシカワさん

心に刻む珠玉の言葉

 私は行きます。私を待っている同志がいる。みんなが待っているのに、やめることなど断じてできない。ブラジル訪問は、今回の旅の大きな目的だったではないですか。(中略)戸田先生が戦いの途中で引き返したことが一度でもありましたか! 私は戸田先生の弟子です。<第1巻「慈光」の章>

時代背景
 1960年10月13日、山本伸一ら一行はニューヨークを訪問。翌日、国連本部を視察した。伸一は首都ワシントンでの座談会などにも参加し、悲哀に沈む婦人らに渾身の励ましを送る。一方で伸一の体調は悪化。副理事長の十条潔がこの後のブラジル行きの中止を伸一に懇請するも、伸一は戸田城聖の弟子として“断じて行く”との覚悟を語る。

今こそ師弟不二の道を堂々と
 「慈光」の章には、1960年10月2日から始まった、24日間にわたる初の海外訪問の中、アメリカで体調を崩した山本伸一が、それでもなお、“必ずブラジルに行く”との並々ならぬ決意を語る様子がつづられています。
 同章には次のようにも記されています。「ブラジルは、日本とはちょうど地球の反対にあり、最も遠く離れた国である。そこで、多くの同志が待っていることを考えると、伸一は、なんとしても行かねばならないと思った。そして、皆を励まし、命ある限り戦おうと心を定めた。胸中には、戸田の弟子としての闘魂が燃え盛っていた」
 このブラジルの同志を思う心に触れ、感動を禁じ得ませんでした。そして、戸田先生の弟子として伸一が誓った“断じて広宣流布を成し遂げる”との強き一念こそ、私たち青年部が継承すべき魂だと感じました。
 現在、ブラジルでは新型コロナウイルスの感染拡大に伴って、会合・活動が中止され、訪問による激励も自粛していますが、私は“危機に直面する今こそ、池田先生の真情に迫れる時”と定め、かつてない唱題に挑戦し、小説『新・人間革命』の研さんにも励んでいます。また、直接は会えずとも、さまざまなオンラインの集いに参加して、各地の同志に自身の挑戦を語り、“共に勝利の姿を示そう”と訴え続けてきました。
 オンラインを通して同志への励ましに心を砕く今、“顔と顔を合わせ、語り合った同志の人数”は、コロナ禍以前よりも多くなりました。その中で、各地の青年部員は今まで以上に信仰に励み、教学を鍛え、希望を失わず、苦難に立ち向かっていることを実感します。「大悪をこれば大善きたる、すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげかせ給うべき」(御書1300ページ)との日蓮大聖人の御確信を心に刻む日々です。
 私たちブラジル青年部員は山本伸一のごとく、大変な時こそ師弟不二の道を堂々と歩み抜き、地域に、社会に希望の光を送っていく決意です。

◆〈信仰体験〉〈20代のリアル ボクらのイマ。〉 “自分探しの旅”では見つからなかったもの
 楽しい人生を送りたい!だから僕は信心してます

 <崔昌林さん(25)=埼玉県所沢市、学生部部長=は「自分の人生は自分で決めるから」と、親に反発してきた>
  
 僕たち家族は在日韓国人なんですけど、韓国って“学歴主義”っていうか、勉強に対する情熱が半端ないんですよ。僕のお父さんは大学教授で、勉強しなさいって圧力をいつもかけられてる気がしてました。
 僕は勉強よりも、小さい頃から絵を描くのが好きだったし、高校生の時には音楽にもハマってました。自分は芸術の分野で生きていくんだって将来を思い描いてました。
 だから学校の勉強には価値が見いだせなくて、お父さんみたいにはならないって、けんかばっかり。
 高校卒業したらアメリカに行き音楽の勉強しようと思って、英語の本も買いました。結局、読んでないけど(笑い)。

 <「みんなが行くからっていう理由で行きたくない」と、高校卒業後は大学に進学せず“自分探しの旅”に出た>

 まずは自分のルーツを知るところからと、韓国に1年間、語学留学に行きました。韓国人の勤勉さって、すごいんですよ。みんなで夜中まで遊んでても、次の日はちゃんと朝から勉強してる。僕も努力しなきゃっ