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2020年5月31日 (日)

2020年5月31日(日)の聖教

2020年5月31日(日)の聖教

◆わが友に贈る

 きょうも懸命に
 「生活」を守り支える
 尊き方々がいる。
 その奮闘と献身に
 皆で心から感謝しよう!


◆名字の言 「配達日記」につづられていたこと  2020年5月31日

 本紙配達員を務める千葉の壮年から、ご自身の日記を見せていただいた。題名は「配達日記」。彼は、海辺あり山間部ありの自然豊かな地域を担当する。日記には、輝く星や昇りゆく太陽、道端に咲く花、空を飛ぶ鳥、虫の声など、配達中に出あった四季折々の光景が、生き生きとつづられている▼天気に関する記述も多い。特に毎年6月の前後には、「雨」や「霧」などが頻繁に登場する。雨上がりの新聞受けにいたアマガエルをユーモアたっぷりに紹介する一方、自身の足を滑らせないよう戒める言葉も幾度となく記される▼今月上旬に梅雨入りした沖縄に続き、本州でも徐々に梅雨入りを迎える。俳聖・松尾芭蕉が「降る音や耳も酸うなる梅の雨」と詠んだ空模様が続くことを思うと、常にも増して「無冠の友」の健康と無事故を祈らずにいられない▼重ねて、今回のコロナ禍の中でも、配達員の皆さまは日々、太陽の運行のごとく、読者に本紙を届け続けてくださっている。その尊き労苦に、あらためて感謝申し上げたい▼鮮やかな虹が出るのは、雨の後。梅雨の中を、そしてウイルスとの闘いの中を走る無冠の友の皆さまが、やがて虹のようにきらめく福徳に包まれゆくことを、強く確信する。「虹立ちて忽ち君の在る如し」(高浜虚子)。(道)


◆寸鉄

天晴れぬれば地明かなり
―御書。我らには太陽の
仏法あり!断じて信強く
     ◇
青年部がプロジェクト。
感染防止と生活の両立へ
―有益な情報発信を益々
     ◇
「汝自身に力をつけよ」
戸田先生。一日一日、目標
明確に挑戦。幹部率先で
     ◇
交通事故に注意。交差点
での左右確認等、基本を
徹底。運転者も安全運転
     ◇
2週間運動しないと高齢
者の筋力は23%低下と。
家でラジオ体操等工夫を


◆社説 世界禁煙デー・禁煙週間  「マナー」から「ルール」へ

 本年2月、鉄道車両から「喫煙席」が姿を消した。近畿日本鉄道が座席でたばこが吸える特急列車の運行を終了したためだ。一部の利用者からは「なくなるのは困る」との声が上がる一方、「廃止は当たり前で当然の流れ」と評価する人も。同社によると、4月の改正健康増進法の全面施行を踏まえ、座席禁煙化の導入を決めたという。喫煙の「マナー」が法に基づく「ルール」へと変化する今、全国各地で受動喫煙対策や禁煙を勧める動きが活発化している。
 日本たばこ産業株式会社の調査によると、成人男性の平均喫煙率は2018年(平成30年)には27・8%で(成人女性は8・7%)、年々減少傾向にある。喫煙可能な場所が減る中、スマートフォンなどを使ったオンライン禁煙治療で「卒煙」に取り組む人も増えつつあるそうだ。喫煙環境の変化に「肩身が狭い」と感じる愛煙家も多いことだろう。
 同法施行により、「望まない受動喫煙」を更に防止するため、鉄道のほか飲食店やホテル、オフィスなどの屋内が原則禁煙となった。昨年7月からは先行して「学校・病院・児童福祉施設等・行政機関の庁舎等」では、敷地内が全面禁煙になった。
 受動喫煙は心筋梗塞や脳卒中、肺がんに加え、子どものぜんそくや乳幼児突然死症候群等のリスクを高めるなど、人体にさまざまな影響を及ぼす。受動喫煙が原因による死者は日本で毎年1万5000人に上るとの推計もある。また、世界保健機関(WHO)などによると、たばこを吸う人は、新型コロナウイルスによる肺炎が重症化しやすいという。喫煙をする際には、自身の健康も含め、家族や周囲の人への配慮が重要だ。
 一方、来年に延期となった東京五輪・パラリンピックでは、大会期間中、競技会場の敷地内が加熱式たばこを含め、全面禁煙の予定となっている。夏季五輪では、屋外も含めた敷地内の全面禁煙は初めてのこと。中国やブラジル、ロシアも五輪・パラリンピック開催を契機に屋内禁煙が主流となった。五輪を通し、禁煙への大きな潮流が生まれている中、たばこを吸う人も吸わない人も互いに尊重し合い、気持ちよく過ごせる環境をつくっていきたい。
 池田先生は友に呼びかけている。「広宣流布という遠征のために、“健康”でなければなりません。健康を守るのは、基本的には自分自身です」(小説『新・人間革命』第29巻)
 世界禁煙デーのきょう31日から6月6日まで禁煙週間。一人一人が、たばこによる影響をより一層認識し、健康的なライフスタイルを目指したい。


◆きょうの発心 開目抄 関東女子部教学部長 栗和田瞳2020年5月31日

御文 我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ(開目抄、234ページ・編464ページ)
通解 私と私の弟子は、多くの難があろうとも、疑う心を起こさなければ、自然に仏界に至るであろう。諸天の加護がないからと、疑ってはならない。現世が安穏でないことを嘆いてはならない。

御書根本に幸福勝利の人生開く
 いかなる難があっても疑うことなく信心を貫けば、成仏の境涯を得られると仰せです。
 高校から東京・創価学園へ進学。自分に自信が持てずにいましたが、池田先生との出会いを通し、自らの使命を自覚することができました。
 報恩の誓いを胸に、女子部では埼玉の地で自身の壁を破る活動に勇んで挑んできました。
 2011年(平成23年)、父に病魔が。先生から励ましの伝言をいただき、“私は弟子ではないか。必ず宿命転換をしてみせる”と奮起。この御文を胸に、広布に走る中で、初めての弘教を実らせることができました。現在、父の病状は安定し、元気に学会活動に励んでいます。御本尊を信じ、師弟に生きる時、どんな苦難も乗り越えられることを深く実感しました。
 関東女子部の皆さんと共に、御書根本に師弟誓願の祈りで、幸福勝利の人生を開いていきます。


【先生のメッセージ】

◆女性が社会を輝かせる 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」2020年5月31日

 ピンク色のじゅうたんを敷き詰めたように、一面に咲くレンゲソウ。初夏の陽光に照らされ、いっそう輝いていた――。1980年(昭和55年)5月、池田大作先生が岐阜市内でカメラに収めた。
 中国では、古くから生薬として使われてきたレンゲソウ。花言葉の一つ「あなたと一緒なら苦痛が和らぐ」も、その薬効が由来とされる。
 6月は、創価の女性の月である。4日は女子部の「世界池田華陽会の日」、そして10日は「婦人部の日」。あす6月1日から“婦女一体”の「希望の絆 女性月間」がスタートする(同30日まで)。
 悩みや不安を抱える友に温かく寄り添い、励ましの力で“自他共の幸福の花園”を広げていこう。  

 時代は、

 女性のもつ
 しなやかな創造力、
 優しさ、温かさ、
 人間味などが
 社会に反映されることを
 求めている。
 物や効率ばかりを
 追うような社会から、
 心の通う人間らしい
 社会に戻していくには、
 女性の力が
 不可欠なのである。
  
 女性の聡明な笑顔、
 生き生きとした
 声の響きこそ、
 皆に勝ち進む活力を
 みなぎらせていく
 源泉である。
  
 女性こそ
 平和の担い手であり、
 生命尊厳の世界を築きゆく
 偉大な使命をもっている。
 女性を大切にし、
 女性の意見を尊重する――
 そうすれば、
 世界は、
 より良い方向へと
 変わっていく。
  
 女性は、
 いくつになっても、
 自分らしく花を
 開かせることができる。
 心にしっかりとした芯を
 もっている人は、
 時とともに輝いていく。
 そのためにも、
 何か、自分を進歩させる
 目標をもつこと、
 さらに人のため、
 社会のために
 尽くしていくことが
 大切である。
  
 女性には命を育む
 「慈悲」がある。
 生活に根差した
 「智慧」が光り、
 堅実に生きる
 「忍耐」があり、
 一歩も退かぬ
 「信念」が燃えている。
 世界一、宇宙一の妙法を
 持ち弘めゆく女性は、
 この社会で
 最高に尊貴なる
 宝の方々だ。
 「法華経の師子王」を
 持った女性こそ、
 時代・社会の最先端をいく
 一人一人なのである。

【聖教ニュース】

◆〈寄稿〉コロナ後の目指すべき社会  社会学者 大澤真幸
 国民国家を相対化する
 自発的な連合の重層化を

 現在、世界は新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)によって大きな転換点、岐路に立たされている。かつての日常が失われるなか、私たちの社会はどのような世界へと向かえばよいのだろうか。社会学者の大澤真幸氏にコロナ後の社会と世界をテーマに寄稿してもらった。

 おおさわ・まさち 1958年、長野県生まれ。千葉大学助教授、京都大学教授を歴任。社会学博士。著書に『夢よりも深い覚醒へ――3・11後の哲学』『自由という牢獄』『三島由紀夫 ふたつの謎』『社会学史』などがある。

地球社会貫く原理の限界
 人類の共同体は、国民国家の集合である。政治的主権は、最終的には国民国家に帰属しており、それよりも大きな組織(例えば国連)も、またより小さな共同体(例えば自治体)も、国民国家の主権を超える権限をもたない。そして何より、私たちのアイデンティティーが、国民国家への所属をベースにしている。標準的な日本人にとって、「私は日本人だ」という意識は非常に重要だ。しかし例えば「アジア人である」と意識することはほとんどなく、「○○県民である」ということを自尊心のよりどころとする人は少ない。
 従って、地球社会の全体を貫いている原理は、国民国家の間の競争の論理である。もちろん、国民国家は絶えず闘っているわけではなく、多くの協力的な関係が結ばれてきたが、そのような協力も、それぞれの国益に合致する限りでしか成り立たない。
 しかし、二十世紀の末期以降、私たちは、国民国家間の競争という論理には限界がある、いやこの論理は危険である、ということを繰り返し確認してきた。人類の存続にも関わるような大きな問題は、国民国家のレベルでは解決できない。それどころか、国民国家間の競争こそが、問題を深刻なものにしてきた原因だ。例えば環境問題。アメリカの「パリ協定からの離脱」が示すように、それぞれの国の利益の追求こそが、二酸化炭素排出量の削減という目標への到達を阻む最大の障害である。
 国際社会の基本的な枠組みが、「国民国家間の競争」である限り、個人が倫理の点でいくら成熟しても、絶対に重要な社会問題は解決できない。このとき、最も高潔な行為と最も野蛮な行為とが、完全に合致してしまうからだ。国民国家の観点からは、最も高潔な行為とは、自国民のために命をも懸ける覚悟でなされることだ。しかし、その同じ行為は、国家間で見れば、野蛮さむき出しの闘争として表れる。
 例えばある国の科学者が、その国の防衛方針に従い、自己犠牲的な努力によって核ミサイルを開発したとする。この業績は、その国の内側から見ると英雄的だが、国家間で見れば、ケンカを売っているに等しい。

一国だけの解決はない
 さて、現在の新型コロナウイルスのパンデミックは、「国民国家間の競争」という前提の下では絶対に解決できないということを示す究極のケースとなっている。述べたように、現在の重要な問題はいずれも、国民国家がそれぞれ国益を求めて競争しあっている限りは解決困難なわけだが、その問題から生ずる破局はまだ少し先のことであるため、人々は、何とか従来の枠組みの中でことを収めようと、「悪あがき」してきた。しかし、目下の新型コロナの場合は違う。破局的な混乱はすでに来ているのであって、私たちは今その渦中にいる。
 もちろん、現在、コロナ対策は国ごとに行っている。各国政府は、外国からの渡航を制限し、都市をロックダウンしたり、人々の外出を制限したりしてきた。そうしながら、世界中の人が理解したことがある。感染症の流行は、一国だけでは解決できない、と。いや、そもそも、「一国だけの解決」ということ自体がナンセンスだということを人々は学んだはずだ。
 仮に自国の感染者の数が減少し、ゼロに近づいても、他国で流行が止まっていなければ、自国にとってさえも解決ではない。地球上のどこかに、感染者がいれば、ウイルスがいつ自国に再び入ってくるか分からないからだ。そもそも、他国に感染者がいる間は、十分な経済活動も交流も不可能で、私たちは本来の生活を取り戻すことはできない。要するに、「一国だけ」であれば、それはいまだ解決ではないのだ。
 従って、各国政府が奮闘する中で明らかになったことは、「国民国家の主権」の不十分さ、無力さである。ここから導かれる教訓は次のようなことだ。すなわち、今後もまだ何年か続くパンデミックへの対応を通じて、あるいはコロナ後の来るべき社会においては、国民国家の主権は相対化され、やがて乗り越えられなくてはならない、と。
 国民国家の主権は、二つの方向へと――つまり、より包括的な上位と、よりローカルな下位へと――向けて相対化される必要がある。

人々にも変化の必要が
 一方で、国民国家は最終的には主権を放棄し、代わって主権は、国民国家を横断するグローバルな共同体に、要するに「人類」そのものであるような共同体に担われるべきである。現在でも、WHO(世界保健機関)や国連など、国民国家をつなぐ機関や制度はあるが、それらは、国民国家の主権を超えるものではないので、いざというときに役立たない。WHOや国連が、国民国家の争いの場となってしまうからだ。将来は、WHOや国連を改組し、「人類」を代表するそれらの機関に、国民国家レベルの行動を抑制し得る権威が与えられなくてはならない。
 この目標はしかし、非常に高い。人類を代表するとされる機関が民主的に支持され、実際に機能するためには、少なくとも、私たちのアイデンティティーの在り方が変容しなくてはならない。国民国家への所属からくるアイデンティティーより、人類という共同体への所属に基づくアイデンティティーが優越する必要がある。「日本人」や「アメリカ人」であるより前に世界市民である、と。
 例えば、グローバルな機関は、パンデミックのとき、医療資源やスタッフを「わが国」ではなく、別のもっと感染者が多い地域に優先的に配分すべきだと決定するかもしれない。「国益」には反するこうした決定を受け入れられるためには、人は世界市民である必要がある。他方で、(大枠の方針ではなく)具体的な個々の判断や施策に関しては、権限は逆に、国民国家よりも小さいローカルなコミュニティーのレベルへと移されなくてはならない。現在のコロナ対策において、日本でも、また他国でも、一国の政府よりも、地方自治体の首長や地方政府の活躍が目立っているが、それには理由がある。医療に関しては、地域の実情を熟知し、それに即した対応ができる行政機関が必要だからだ。人が、地方政府の判断を信頼できるのは、もちろん、ローカルなコミュニティーに対して、強い参加意識をもっているときに限られる。
 従って、整理すれば、国民国家は、将来的には、その上位と下位の二つのレベルの「連帯」によって相対化される必要がある。ローカルなコミュニティーのレベルの連帯とグローバルな人類のレベルの連帯である。この二つのレベルを合体させると、私たちが最終的に目指すべき社会の在り方として、次のような理念的な像を得ることができる。
 コミュニティーの理想を、自由な個人の間の自発的な連合という意味で「アソシエーション」と呼ぶとしよう。これをグローバルな連帯と接続するということは、結局、アソシエーションを重層化していくということである。アソシエーションの集まり自体が、アソシエーションの原理で結び付く。アソシエーションをこうしてより包括的なものへと何段階も積み上げ、最終的には人類の普遍性へと至る。これは単純化したモデルだが、しかし、コロナ後に目指すべき社会の骨格を表現している。

世界市民として考える
 とはいえ、悲観的にもなる。私たちが現在目にしているのは、むしろ国民国家レベルの極端な利己主義でもあるからだ。トランプ大統領がドイツの製薬会社に米国人向けのワクチンを開発させようとしたり、中国がコロナ後の覇権を視野に入れて戦略的に他国を援助したり、米中が互いを非難しあったり……と。パンデミックの前からあった「自国ファースト」の方針が、強化されようとしている。
 要するに、人類は、現下のパンデミックの中で、大きな分かれ道に差し掛かっているのだ。国民国家の利己主義を極限まで推し進めるのか、それとも国民国家を相対化する新たな連帯へと向かうのか。二十一世紀の末にも人類が繁栄しているとすれば、私たちが今、後者の道を選んだときである。
 二百年以上も前にカントが書いていたことが、今このときほど当てはまるときはない。カントによれば、思考の自由とは、理性を公的に使用することだ。普通私たちが「公的」と見なすこと、例えば公務員が自国のためにあれこれ考えることは、カントの考えでは、理性の私的使用である。それは国家の利己的利害に縛られているからだ。理性の公的使用とは、世界市民として考えることである。
 カントはこうも書いている。思考の自由を維持しつつ、とりあえずは国家のルールに従いなさい、と。私たちも今は安全のために必要な要請に従いながら考え抜こう。理性を公的に使用する術を得たならば、私たちは正しい道の方へと進みつつあることになる。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈未来に輝く知性の宝冠〉 カナダ ラバル大学2020年5月31日
 個性が光る多文化主義
 対話を重視する人間教育に世界市民育成の模範を見た

350年の伝統が光るラバル大学からの「名誉教育学博士号」の授与式。ブリエール学長(当時)㊨から池田先生に学位記が手渡された(2010年5月、東京・八王子市の創価大学で)

350年の伝統が光るラバル大学からの「名誉教育学博士号」の授与式。ブリエール学長(当時)㊨から池田先生に学位記が手渡された(2010年5月、東京・八王子市の創価大学で)

 「私の大好きなカナダの天地に、お元気で、まもなく99歳になられる偉大なお母さまがおられます」
 カナダ・ラバル大学からの「名誉教育学博士号」に対する池田先生の謝辞は、こんな言葉で始まった。
 2010年5月4日、創価大学での授与式。
 先生が語った“カナダのお母さん”とは、ブリエール学長(当時)の母・ガブリエルさんである。
 「自立」と「自発」の心を育んでくれた母は、学長にとって生涯、感謝してもしきれない存在であった。そんな母子の絆を通して、先生は呼び掛けた。
 「大きく深い『母の恩』を知り、それに報いていく心から、確かな『平和』の心が生まれるのです」と。
 その後も先生は、集った友に訴えた。「親孝行の前進を!」「勇気と忍耐で勝て! 断じて負けるな!」
 そのたびに、参加者からは「ハイ!」と元気な返事が。そんな“父子”の交流を、ブリエール学長は目を細めながら見つめた。
 学長に、先生への名誉教育学博士号の推薦状が届けられたのは、08年のこと。当時の教育学部長による推薦だった。
 先生の教育哲学と平和への実践が、同大学が掲げる価値観と一致するものであることを、学長は知った。その後、学長の正式な推薦が大学理事会で評決され、授与に至ったのである。
 ブリエール学長が特に感銘を受けたのは、対話を通して交流と相互理解を促進するとの、先生の教育観であった。「世界市民としての人間の育成」を目指すラバル大学にとって、その模範を示すのが創価教育であると確信した。
 大学の歴史上、異例ともいえる学外での授与を、自ら来日して挙行したゆえんも、ここにあった。
 そして授与式は、学長にとって、先生の人間教育の一端を垣間見る式典ともなった。
                          ◇ 
 ラバル大学は、北米最古のフランス語系の大学である。その歴史は、世界へと扉を開いた国家の歩みとともにある。
 16世紀以降、カナダには多くのフランス人が移り住み、「ニューフランス」と呼ばれた。1663年には初の司教であるフランソワ・ド・ラバル卿によって、神学校が創立。これがラバル大学の前身である。
 18世紀、植民地を巡る戦いで、イギリスがフランスを破る。イギリス領となったカナダは、英語とフランス語の二言語政策、さらに「多文化主義」への舵取りを開始した。
 世界有数の移民、難民の受け入れ国であるカナダ。その数は、毎年20万人以上を数える。“世界中のあらゆる民族が住んでいる”といわれる、多民族国家として発展を遂げた。
 多民族国家といっても、カナダのそれは、特定の生活や行動様式に統合されていく「るつぼ」のような同化主義ではない。それぞれの民族が、独自の伝統や文化、生活習慣を守りながら暮らす国家のあり方であり、「モザイク」に例えられる多様性である。
 列強による支配を乗り越え、外交にあっては、大国間の「橋渡し」「仲介役」として国際社会で確かな地位を確立し、内政においては、民族間の平等を常に模索しつつ、平和と共存のグローバル時代の先頭に立ってきた。
 1960年以降、同国を3回訪れた池田先生は、カナダは「思いやりの文化」の国であるとたたえる。
 87年には、同国SGIのメンバーが永遠の指針とする長編詩「ナイアガラにかかる虹」を贈り、こうつづった。「多種多様な相違のなかにあって/一人ひとりの色彩を生かしつつ/美しき調和の虹をかけゆく/包容と忍耐のリーダーであってくれ給え」と。
 個性が輝く“思いやりの国”カナダにあって、ひときわ独自性を保ってきた地域が、ラバル大学が立つケベック州である。カナダがイギリス領となった後も、同州では「ケベック法」などにより、フランス独自の文化や慣習が残されてきた。現在も人口の7割をフランス系が占め、唯一の公用語はフランス語である。
 そんなケベック州で発展したのが、「間文化主義」といわれる理念である。異文化との交流を重視し、その交流で生じる摩擦を乗り越えるために、「対話」に重点を置くことを指す。
 ラバル大学にもまた、対話を重視した人間交流の文化が息づく。池田先生と創価教育に着目したのは、必然であったといえる。
 同大学のジャルベ教育学部長は述べている。
 対話においては、偏見や決め付けを取り除き、相手を自分と同じ「価値のある存在」と見ることが大切です。創価教育は、自分と相手を結ぶ対話の空間をつくる特色があります――と。
                           ◇ 
 名誉教育学博士号の授与式の後、創大にほど近い牧口記念庭園で、ブリエール学長の母をたたえる「ガブリエル・ブリエール桜」の植樹が行われた。
 ガブリエルさんが99歳で天寿を全うしたのは、その4カ月後であった。
 「人生の最終章に、桜の植樹という永遠の思い出を刻むことができた母は、本当に幸せな人でした」
 感涙をにじませて語った学長。母との絆を心の滋養として、さらなる大学発展へと力を注いだ学長が、その実践の原動力にしたのが創価教育であった。
 先生の教育の精神に啓発を受け、ラバル大学での奨学金プログラムの人選基準を、従来の学業成績から、学生の持つ人間的な指導力や人道的な行動に移したという。
 また学長は、2014年にも来日し、創価学園、創大を訪問。生徒、学生らと触れ合うたびに、人間教育の精神がキャンパスに流れていることを確信し、先生への信頼と敬愛を深めた。
 ラバル大学との友情は、大きく広がる。18年には、先生の対談集や学術講演集など150冊の書籍が、大学の図書館内の特設コーナーに設置された。
 また、ジャルベ教育学部長らを中心に、アメリカ・シカゴのデポール大学「池田大作教育研究所」と連携し、先生の教育思想の研究が進んでいる。
 「名誉教育学博士号」の授与式で、先生は語った。
 「創価教育は、日本の軍国主義と対決した初代・牧口先生と、2代・戸田先生を源流として、三代の師弟の大河となりました。教育の連帯を世界に広げ、正義と英知の人材を続々と育てる。ここにこそ平和の創造があります。これが教育の根本です」
 本年は、『創価教育学体系』発刊から90周年。創価の人間教育の“苗木”は、平和と友情の大樹へと育った。多様性の国・カナダをはじめ、世界各国で人材の大輪の花を咲かせている。
 その人華の彩りこそ、“創価教育の勝利”の何よりの証左である。北米初のフランス語系大学 国家の知の伝統をリード
 1663年、ケベック州に誕生したケベック神学校に淵源を持つ、北米最古のフランス語系大学。1852年、正式に現在の大学として設立された。
 法学、医学、哲学など17学部に約4万3000人が在籍。最先端の設備を誇る研究センターなども充実。世界77カ国の約600の大学などと協力協定を結ぶ。
 卒業生は31万人を超え、カナダの歴代首相、最高裁判事、大使、オリンピック選手、ケベック州首相など各界で活躍。多文化主義を進めるカナダの、知の伝統を力強くリードする。

ブリエール前学長
 私自身、深く感動したのは、(創価の学びやの)学生や生徒たちがいかに世界に開かれた眼を持ち、自身を取り巻く環境や社会に開かれた意識を持って学んでいるか、ということです。
 彼らは自身のため、そして社会のための教育の意義を深く理解していました。学ぶことの目的を何よりも大切にしていました。ゆえに、心からの喜びと感謝をもって学んでいました。
 その教育の精神と伝統が、小学校から大学まで一貫している――ここにこそ、創価教育の最大の強みがあると思ったのです。(中略)
 私たちが何かに感謝するのは、その価値に対して深い「信」を置いているからに他なりません。
 また感謝するということは、自らがその価値に献身することを意味します。その献身を通して、価値は自身の中で肉化され、新たな創造をもたらすのです。さらに感謝するということは、既成の価値に、より深い意味を与えていく力となると言ってもよいでしょう。そこにこそ、SGI会長が強調される感謝の真価があるのではないでしょうか。(中略)
 私がここで明確にしておきたいのは、わが大学がSGI会長に名誉博士号を授与したのは、人生のあるべき価値を体現し、それを通して社会への貢献を果たした偉大な人物をたたえてのものであるということです。そして、その称号は学長である私個人の意志ではなく、大学の総意として贈られたものなのです。
 この栄誉をカナダからSGI会長に授与することができ、私たちは、大きな誇りと喜びを覚えているのです。(本紙2011年11月7日付)


◆自分と周囲の人々の健康を守る鍵は励まし励まされる“人のつながり”――青年部と医学者による第7回オンライン会議から㊤
〈危機の時代を生きる〉 感染症という「挑戦」に「応戦」するために

 新型コロナウイルスの感染状況を踏まえ、青年部の代表と医学者らが3月末からオンライン会議を行っている。第7回の会議は28日に開かれ、ウイルス学を専門とする東海大学の山本典生教授、公衆衛生等に詳しい東京医科歯科大学の藤原武男教授、新潟大学の菖蒲川由郷特任教授らと「感染症という『挑戦』に『応戦』するために」をテーマに語り合った。同会議の内容を上下2回にわたり紹介する。㊤では、免疫力を向上させるポイント、ワクチン開発の見通しなどに迫る。

感染予防と生活を両立させる「新しい日常」の定着化を

 志賀青年部長 今月25日に全国で緊急事態宣言が解除されたことを受けて、あたかもコロナ以前の状態に戻ったかのような「気の緩み」が懸念されています。宣言の解除は決して「ゴール」ではなく、新たな日常の「スタート」です。
 学会としても、6月中旬から順次、訪問による激励の一環として、年譜『栄光の共戦譜』の贈呈が始まります。
 まずは、感染予防と生活を両立させるために、私たちが意識すべきことを、改めて確認できればと思います。
 
 菖蒲川新潟大学特任教授 緊急事態宣言が解除され、大きな波は過ぎ去ったようにみえますが、決して楽観できる状況ではありません。
 実際に北九州市では、23日連続で感染者が出ていませんでしたが、ここ数日間で複数のクラスター(感染者集団)が発生しました。感染経路が不明な人もおり、同市では多くの公共施設を臨時休館するなどの感染予防策を講じています。
 このように、地域によって感染状況が異なるため、今後は、医療体制や検査体制の状況を考慮して、地域ごとに柔軟に対応していく必要があります。依然として、いつどこで感染が広がってもおかしくない状況ですから、感染予防と社会経済活動を両立させていくための「新しい生活様式」を定着させていくことが重要です。
 これからは、人と対面する機会も徐々に増えます。その際、密閉・密集・密接の「3密」を避けるとともに、身体的距離の確保、マスクの着用、手洗いの励行が基本になります。
 さらに、屋内であれば、小まめに換気をする。体調が優れないときや風邪等の症状が出たときは職場や学校を休む。多人数での会食を避ける――といったことも大切です。政府や行政が発信する方針に基づきながら、賢明に行動していくことで、感染するリスクを減らせます。
 ここで注意したいのは、地域ごとに感染状況が異なり、とるべき対策の度合いも違うことから、情報が錯綜することです。一部のマスコミの大げさな報道や、うわさ話に惑わされず、自分の住む地域の情報を正確に捉えて、行動していく意識が大切です。
 
 勝又創価女性医学者会議議長 診療に訪れる患者さんの中には、“感染しないため”と、普段は一歩も外に出ないという方も多いです。
 直接の対面に抵抗がある方もいらっしゃるでしょう。知識の違いもありますし、同じ知識があっても、その捉え方は人それぞれです。人と会う際は、相手と事前によく相談しながら、互いに安心できる、きめこまかな配慮をしていきたいですね。

ストレスの軽減が免疫力を向上

〈ポイント〉
①質の高い睡眠
②バランスのとれた食事
③適度な運動

 西方男子部長 感染拡大防止の取り組みが長期化する中、ウイルスなどの病原体から体を守る「免疫の働き」が注目されています。免疫の仕組みや、どのような意識と行動が自己免疫を高めるのか、教えていただければと思います。
 
 山本東海大学教授 「免疫」とは、簡潔に言うと、体に侵入してきた病原体を体から追い出したり、攻撃を加えたりする働きのことで、人間の生命維持に欠かせない機能です。
 
 この仕組みは、主に二つに大別されます。
 一つは、病原体への接触がなくても、生まれながらに体に備わっている「自然免疫」です。病原体を自らに取り込んで排除してくれます。もう一つは、特定の病原体に感染することで、後天的に得られる「獲得免疫」です。標的の病原体や、その病原体に感染した細胞を攻撃します。
 こうした免疫の活性化には、「心の状態」が密接に関連していることが、広く認識されています。
 この自粛期間、人と直接、会えないことによるコミュニケーション不足や孤立感の増幅、行動制限による経済活動の停滞など、多くの方がストレスを募らせているのではないでしょうか。こうしたストレスがたまると、交感神経が優位になりすぎ、免疫の働きを抑制してしまいます。さらに「コルチゾール」という副腎皮質ホルモンが過剰に分泌されて、免疫の活性化を抑えてしまうのです。新型コロナウイルスに限らず、ほかの病気にもかかりやすくなってしまうので注意が必要です。
 免疫学の観点からも、ストレスに対して適切に向き合い、対処することが求められます。
 そこでポイントになるのは、基本的な生活習慣を整えることです。
 まずは「質の高い睡眠をとる」ことです。
 日々の起床と就寝のリズムを一定にし、年齢に合った十分な睡眠時間を確保することが質の高い睡眠をとる基本です。つい夜更かしをしてリズムが狂うと睡眠の質が低下します。質の低い睡眠を続けると、風邪等のウイルスへの感染率が高まるとの報告もあります。
 次に「バランスのとれた食事」です。
 ストレスがたまると、食事が偏りがちです。決めた時間に食事をすることや豊富な栄養をとるよう意識することが大事です。
 さらに、健康維持のために「適度な運動」も欠かせません。感染予防に十分に努めた上で、散歩やジョギングを行うと、気分転換にもなります。
 その上で、誰もが不安を抱える今、免疫を高める力になるのが、「人と人とのつながり」です。
 皆さんも実感されたことがあると思いますが、誰かを励ましていると、自分が励まされます。不安や悩みを人に語ると、心が軽くなります。「声を出して笑う」ことも、免疫を活性化させるといわれています。
 創価学会の皆さんは、日常的に“励まし、励まされる”つながりを大切にされています。こうした行動が、自分のみならず、周囲の人々の健康をも守ることにつながると確信していただきたいと思います。

ワクチンだけに頼らない長期的対策に取り組む

 庄司創価青年医学者会議議長 世界中の医薬品メーカーや研究機関の研究者が、新型コロナの発症や重症化を防ぐ「ワクチン」開発に取り組んでいます。しかし、実用化には、まだ時間がかかるといわれています。実用化の見通しは立っているのでしょうか。
 
 山本 早期終息の鍵として「ワクチン」への期待が大きく、メディアでも連日、報道されています。ただし、実用化の時期については、安全性と有効性の観点から、慎重に見ていく必要があります。
 感染症に対するワクチンは、健康な人に対して、予防の目的で投与されます。ですから、通常の医薬品以上に高い安全性が求められます。そのため、ワクチンの臨床試験には、厳しい基準が設けられており、手続きも複雑です。
 まず、人や動物に投与可能な、一定基準を満たした試薬をつくり、動物実験で安全性、有効性を確認します。次に、少人数を対象とした試験で、人での安全性を確認し、続いて有効性の確認と適切な投与量を決めるための試験を行います。そして、多数の人を対象とした試験で安全性、有効性、投与量の適切性が確認されてから、ようやく承認の手続きへと進みます。
 各段階の試験は、種類にもよるので一概には言えませんが、8週間程度かかります。1回目のワクチン投与後、4週間おいて2回目の投与を行い、さらにその4週間後に抗体量などを調べるという具合です。
 世界規模で広がる感染症には、あらゆる人々が利用できるワクチンが必要です。また、いくら有効性が高くても、副作用のリスクが大きければ、実用化は望めません。これまでの感染症で、ワクチンを投与したことが原因で重症化した事例もありました。
 こうした安全性と有効性を確保した上で、実用化するためには、膨大な数の生産体制を整える必要もあります。仮に完成したとしても、多くの人に公平に行き渡るためには、さらに時間を要するわけです。
 新型コロナウイルスのワクチン開発の現状は、まだ多数の人への試験まで至っていないと推測されます。個人的な印象を率直に言えば、ワクチンの承認は、順調に進んだとしても、早くて2021年以降ではないかと思っています。
 さらに言えば、季節性インフルエンザは毎年、流行する型が変わるので、ワクチンを毎年、変えるなどして対応していますが、新型コロナウイルスの場合、どのように変異するかなどは現時点で、まだ全容が解明できていません。ですから、一つのワクチンが開発されても、即座に全てが解決するということにはならないのです。
 その中で、世界中の研究者が今、たくさんの命を守るために、昼夜を分かたず、この難題に挑んでいます。私たちもまた、基本的な感染予防対策を怠らず、身近なところから、自分と周囲の命を守る行動を起こしていきたいと思います。
 
 <㊦に続く>
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◆「人生地理学」からの出発 自己を知り、豊かな世界像を築くために  2020年5月31日
 東京学芸大学 名誉教授 斎藤毅
 第2回 「人生地理学」の概要

『人生地理学』は、今では電子書籍で読むことができる

『人生地理学』は、今では電子書籍で読むことができる

 『人生地理学』の刊行は明治36年(1903年)。その後、版を重ね、手元にある聖教文庫は第5版(明治38年〈05年〉)によっています。
 まず、巻頭の「例言」では本書の刊行目的や推薦を受けた志賀重昂(『日本風景論』を著した高名な地理学者)への謝辞などが、次いで「緒論」では人間と自然の関わりの多様性が述べられ、その実際の姿を知る手掛かりとして、郷土観察の重要性が強調されます。

精神的交渉に力点置く
 緒論では、人間と自然との関わりを大切に考える立場から、最初に吉田松陰の「地を離れて人無く、人を離れて事無し。人事を論ぜんと欲せば、まず地理を審らかにせざるべからず」の名言を引用し、「地人はいかに交渉するか」が論じられます。
 牧口常三郎師は、人間と自然の広範かつ多種多様な関係を、「肉体的交渉」と「精神的交渉」に分かりやすく分類しました。
 一見、ドキッとする表現ですが、前者は大地に生を受けた生物の一種としての観点から人類を見た、人間と自然の関係です。後者は人間の精神世界に与える自然の影響といえます。
 特に「精神的交渉」に力点が置かれますが、ここでいう自然とは自然地理的な大地ばかりでなく、いわば風景としての自然です。
 そのため、全く同じ風景でも、例えば農民と詩人や画家では見方や感じ方が同じはずはないとし、「ひとり自然界の事物においてのみならず、人事界の現象においても、またそれに対する人々によりて、その交渉の方面を異にするを観る」と書いています。
 そして、この精神的交渉の形態を、①知覚的②利用的③科学的④審美的⑤道徳的⑥同情的⑦公共的⑧宗教的――の八つに分類。
 結論として人間と自然の交渉は、ある程度までは同じでも「各方面の交渉の程度は、その地方の性質と、これに対する人民の性質とによりて異なるものなり」と断じます。
 当然のことともいえますが、私が後に回を改めてお話しする世界観や世界像とも関わることなので紹介させていただきました。

日本人と太陽の関係
 本文は全34章から成り、第1章から第13章までが第1編「人類の生活処としての地」で、「日月および星」から始まります。地球、島嶼、山岳、平原、海洋、海岸などが個々に扱われ、それらの人間生活との関わりが述べられます。
 例えば、太陽は単に天体としてではなく、あくまでも人生との関わりで論じられ、特に「日本人と太陽」の節を設け、「国号を『日本』となし『日の丸』を国旗となし(中略)日本国民は、太陽と一種独特の交渉を表するものと謂うべし」の一節が目を引きます。

楽しく読める地理学書
 第14章から第19章までが第2編です。「地人相関の媒介としての自然」が、それぞれ個別に論じられていきます。牧口師の言われる「媒介」、すなわち、私たちの地球を構成する諸要素――地質、大気、気候から始まり、さらに植物や動物とともに、自然人類学的な扱いによる人間が取り上げられています。
 なお、「地人相関」とは当時、地理学的によく用いられた言葉で、その地域の大地と人間生活との相互関係といった考え方です。
 第16章「気候」では、自然地理学的な説明の後で、例えば「雪と人生」などの節があって、「雪景」が取り上げられ、紀貫之の「雪ふれば 冬ごもりせる 草も木も 春にしられぬ 花ぞ咲きける」の和歌まで登場します。
 第17章「植物」や第18章「動物」についても、その個々の有用性を具体的に述べた後で、「植物の人生に対する精神的方面」の節を設け、牡丹や桃、桜など、私たちがよく目にする植物について、それぞれにちなむ古歌を添えています。
 蓮のところでは、「はちす葉の 濁りにしまぬ 心もて なにかは露を 玉とあざむく」と、古今和歌集にある僧正遍昭の有名な夏歌も。そのため、とかく堅いイメージの地理学の書物とは思えぬほど、楽しく読むことができます。
 これまでも、人々の生活と関わりの深い動植物を個々に取り上げた地理学の書物として、カント(ドイツの哲学者)の『自然地理学』があります。今では和訳でも読めますが、一般の読者はもちろん、日本のほとんどの哲学者は、この部分を読み飛ばすでしょう。

世界的視野の国家論
 第20章から第29章は第3編「地球を舞台としての人類生活現象」で、社会や諸産業の立地論に及び、さらに、国家や都市、人情、風俗、文明などにも筆が進められています。
 前半は主に社会や産業、交通などを地理学的な視点で言及した内容ですが、後半は「国家地論」(第25章)や「人情風俗地論」(第27章)など、ややユニークなものです。
 「国家地論」は、国家の機能や目的などから入りますが、単なる「国家論」ではありません。世界的視野から、日本をはじめ諸国家の特性を比較しつつ論じたものです。
 考えてみれば、私たちは20世紀、実に多くの国家の興亡を見てきました。
 第1次世界大戦後のハプスブルク帝国の解体と民族国家の独立に始まり、第2次世界大戦後のアフリカからオセアニアやカリブ海の島々に至る百カ国を超える国々の誕生。一方で、ソ連やユーゴスラビアなどが、信じ難いほど、あっけなく解体したのも驚きでした。
 日本も戦後、大きく変貌しましたが、その割には世界的視野に立った憲法論や比較国家論の研究が、政治地理学を含め、あまり活発とはいえません。幾つかの領土問題をはじめ、多くの自然災害や、解決を迫られている社会的諸問題は少なくないとしても、日本が国家として極めて安定してきたことも一因でしょうか。
 確かに、国家の総合的指標ともいえる通貨「円」が国際的に一定の信用を得ているのを見ても、このことはうなずけます。とはいえ、『人生地理学』に触発され、国際関係論や国際政治地理学研究の新たな発展が期待されるところです。

地理教育の現場を嘆く
 第4編が「地理学総論」(第30章から第34章)となり、地理学の概念やその発達史、研究法、そして『人生地理学』の科学的な位置づけなどとなります。
 ここでは、特に第33章の「地理学の研究法」で、地理が教育現場で単なる暗記科目となっているのを嘆くとともに、その研究法も他の諸科学と同様、記載から比較、統合へと発展すべきとしています。
 地理教育についての具体策は、後に刊行された『教授の統合中心としての郷土科研究』(1912年刊)へ続きます。

今に通じるメッセージ
 全編は格調高い文語体ですが、文庫版や電子書籍では適宜、脚注が施され、読者の便が図られています。
 いずれにしても百年前の著作なので、現代の世界と大きく異なるのは当然ですが、牧口師が本書に込められたメッセージは、今も大変に貴重なものといえましょう。それでは一体、牧口師の地理学思想のうち、現代の私たちは何を、どのように継承し、発展させていけばよいのでしょうか。
 そして、何よりも思想としての地理学の可能性について、さらに、できることなら私の発生的地理教育論のささやかな研究も含め、牧口師が地理学や地理教育の研究から、どのようにして創価教育論に到達されたかについて、回を改めて皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

◆「人生地理学」からの出発――自己を知り、豊かな世界像を築くために 東京学芸大学名誉教授 斎藤毅
第1回 牧口常三郎と「人生地理学」

 今月から、東京学芸大学名誉教授の斎藤毅さんの新連載「『人生地理学』からの出発――自己を知り、豊かな世界像を築くために」をスタートします。日本地理教育学会元会長の斎藤さんと一緒に、地理教育の実践者でもあった牧口常三郎先生の大著『人生地理学』をひもときながら、私たちの生活と地理学との関係などについて考えていきたいと思います。(原則、月1回掲載。この間、「切手で築こう現代の世界像」の連載はお休みします)?

座談会風にくつろいで
 これからお話しすることは、「自然観」や「世界像」など、あまり普段、耳慣れない言葉がいろいろ出てくるので、何か哲学的で面倒な話ではないかと気遣われる方がおられるかもしれません。しかし、ご安心ください。「確かに、これまで全く気付かなかった」ということは、あれこれあるかと思います。また、「そう言われれば、その通り」と納得されることも多いでしょう。哲学とは本来、そういうものです。どうぞ、座談会に臨まれる気持ちで、お互いに気軽にくつろいでいきましょう。

大学教員時代に出合う
 私が牧口常三郎師を書物で初めて知ったのは、大学院を出て最初に教壇に立った鹿児島大学でのこと。当時、地域研究や郷土研究の方法論に関心があって、柳田國男の日本民俗学について研究している時でした。
 牧口師が『人生地理学』という大著を著し、柳田とも親交があったばかりでなく、五千円札の肖像ともなった新渡戸稲造の「郷土会」にも名を連ねていたのを知ったからです。牧口師については創価学会の創立者として名前だけは知っていましたが、何とも意外な感じでした。ただ、その時は同じ地理学の研究者として、ある種の親しみを感じるにとどまりました。
 それにしても、これはいささか不勉強のそしりを免れませんが、少なくともそれまで牧口師やその著作について、大学や大学院の講義やゼミで耳にしたことはなかったのです。
 ずっと後になりますが、私の畏友の一人、故・竹内啓一氏(日本地理学会元会長)は、『近代日本地理学史』を海外向けに英文で刊行。その中で「牧口常三郎と仏教」のテーマで、「創価学会の創始者:知られざる地理学者」としつつ、11ページにわたってかなり詳しく紹介しています。
 ところで、読者の皆さまは逆に地理学者としての牧口師はあまりご存じないかもしれません。また、地理学そのものについて、特にその方法論的な問題や、地理学と人生との関わりなどについて関心をお持ちの方が多くないとしたら、とても残念なことです。

牧口師と地理学の関係
 牧口師は評伝によると、明治26年(1893年)に北海道尋常師範学校を卒業され、直ちに付属小学校の訓導、すなわち現在の教諭に就任。明治29年(96年)には、あの難関の文部省中等学校教員検定試験の「地理地誌科」に合格。翌年には母校の地理科担当の助教諭に任命されています。しかし、付属小学校の訓導は併任していました。
 その後、『人生地理学』をはじめ、郷土研究法など地理教育論に関する多くの著作の発表が続きます。
 日蓮仏法に帰依されたのは昭和3年(1928年)。『創価教育学体系』第1巻の刊行は昭和5年(30年)です。このように牧口師は地理学の研究や地理教育の実践者として、その人生の多くを過ごし、特に地理学を通しての教育への関心は極めて高かったようです。創価学会も、創立当初は「創価教育学会」だったのをご存じでしょう。

人間生活の視点から
 さて、『人生地理学』を今では電子書籍(本社刊)で容易に手にすることができますが、原著は濃い緑の表紙のある分厚いものでした。その具体的な内容は後ほど紹介しますが、明治後期の地理学書としては珍しく、「系統地理学」的な手法が取られています。
 すなわち、世界の自然とそれに関わる人間の営みを農業や工業など、いわばテーマ別に取り上げ、それぞれを「人生」(=人間生活)の視点から記したものです。一般に地理の書物は、例えば福沢諭吉の『世界国尽』をはじめ、国や地域を総合的にまとめた「地誌」が多く、その集大成が「世界地理」と呼ばれてきました。
 従って、この『人生地理学』は、「世界地理」が頭の中にある人たち、つまりは後述する世界像がそれなりにできている人たちにとっては、その相互の結び付きが理解でき、国際的な動きもよく認識できたと思われます。

志賀重昂の推薦を得る
 北海道の小学校で多くの地理教育の実践を積みながらも、上京当時の牧口師は世間一般に認められていたわけではありません。
 幸い、『人生地理学』の出版に際し、志賀重昂(しがしげたか)の知遇を得て、推薦の辞をもらっています。
 札幌農学校出身の志賀は在野の地理学者でしたが、世界各地を遊学。新しい地理学を修め、地理書『日本風景論』を出版。これが大ベストセラーとなり、当代きっての著名な地理学者となっていました。実際、牧口師もこの書物に少なからず影響を受け、後に「環境決定論」と呼ばれる当時の地理学の思想を踏まえており、『人生地理学』の中でも直接、志賀の説を随所に引用しているほどです。

「日本風景論」の中身
 『日本風景論』が地理学の研究者ばかりでなく、当時、国民的に迎えられたのには、その時代的背景が大いに影響していました。なお、この本は今では岩波文庫の一冊となり、容易に読むことができます。  明治維新後の日本の近代化の中で、日清戦争を経た日本人に、『日本風景論』は風景観の転換を迫り、ナショナリズムのよりどころを与えたためでした。それまで多くの日本人は、世界で最も美しい国は清国(中国)と思ってきました。床の間の掛け軸には、桂林付近の竹の子型の絵が飾られています。一種のカルスト地形ですが、日本の石灰岩地域で見ることはできません。また、大名や豪商、文人たちは、湖南省の景勝地を描いた「瀟湘図」を求め、それへの憧れから、いつしか相模湾岸地方の一部に「湘南」の地名さえ与えたほどでした。
 志賀が新しい地理学を学んだのは、実はヨーロッパでも風景観の転換が行われた後でした。
 少々余談ですが、今、私たちはアルプスの山々を大変美しいと感じ、スイスは憧れの観光地の一つです。しかし、かつてアルプスはヨーロッパを南北に分断する、いわば魔の山。人々は恐る恐るその幾つかの峠を越えました。主要な峠にサン・ベルナールのように聖者の名前が付けられているのも、そ表れでしょう。そのうえ、アルプスの山麓は氷河に削られた岩がゴロゴロする痩せた土地。作物も十分に育たず、住民の多くは草をヤギや牛に与え、牧畜で暮らしを立てていました。
 ヨハンナ・シュピリの小説『ハイジ』には、夏の山小屋の生活が描かれていますが、雪の消えた森林限界上の草原の草もヤギの飼料として大切なものでした。なお、この草原が、本来の「アルプ」です。 
 こうした貧しいイメージのアルプスを美しい観光地に転換させたのは、産業革命で豊かになった英国の貴族の子弟たち。彼らは人生経験を深める修行の一環として、主にイタリアへ向かいました。いわゆる「グランドツアー」です。途中のアルプス越えの際、氷河に輝く山々や山人の素朴な人情に魅惑されます。あえて雪山に挑戦する若者も現れ、アルピニズムが興隆。アルプスに対する風景観の大転換が起きたのです。

 さて、志賀は自ら中部山地などの高山でスポーツ登山を奨励するとともに、本場のアルプス山脈に劣らぬ、日本列島の背骨を成す山々の風景美をたたえます。同時に、日本の各地にある富士山のようなコニーデ型の火山の美しさを愛で、日本がいかに風景の美しい国であるかを新しい地理学的知識を援用しつつ展開したのが、『日本風景論』です。彼は、当時の日本人に風景観の大転換をもたらし、結果的にナショナリズムの形成を促して人々に迎えられたのでした。
 閑話休題。このような著名人の推薦もあって、『人生地理学』もまた高く評価され、名著として受け入れられたのです。
 次回は、『人生地理学』の内容を少し具体的に見ていきましょう。

 さいとう・たけし 1934年、東京生まれ。理学博士。東京学芸大学名誉教授。専攻は地理学、地理教育論。日本地理教育学会元会長、日本地理学会名誉会員。著書に『漁業地理学の新展開』『発生的地理教育論――ピアジェ理論の地理教育論的展開』など。


◆〈信仰体験〉きずな 一人じゃない。一人にさせない。不登校を経験した二人 2020年5月31日

 後輩が使命を教えてくれた

 【東京都品川区】山口緑さん=区女子部主任部長=には、大切にしている池田先生の言葉がある。「皆をグイグイと引っ張るリーダーもいれば、陰で皆を支える『縁の下の力持ち』のリーダーもいる。青年らしく、自分らしくで、いいんです。全部が勉強になります」
 山口さんは中学時代から不登校に苦しみ、自分に自信が持てなかった。学会活動に励む中で変わっていく。そして、堀あかねさん=女子部本部長=と出会う。彼女にも同じ経験があった。互いの苦しみを共有することで過去を乗り越え、共に成長してきた二人。
 それぞれの言葉には、あふれ出る感謝の思いがあった。「あかねちゃんがいたから――」「緑ちゃんがいたから――」と。

◆山口さんの発見
 一人でいるって思われないように何かしているふりをする。それが中学での私(山口さん)の日常だった。声を掛けるのも思いを伝えるのも苦手。孤独でネガティブになって。中学1年の夏から学校に行けなくなった。
 高校は定時制に入ったけど、なじめなくて。すぐに辞めた。私は、ずっとこのまま。私が存在する意味が分からなかった。家にいる現実は重くて、19歳でバイトを始めた。でもウソをついて、休んだりした。
 24歳の時、女子部の会合に行きだした。学会では人前でしゃべる機会が多い。嫌になる私を先輩が助けてくれた。参加しやすいように「こう話せばいいよ」って、会合前に話す言葉まで考えてくれて。そんな優しさのおかげで少しずつ変わっていった。
 白蓮グループに挑戦できたのも先輩たちがいたから。最初は抵抗があったけど、2年後、次は私がまとめ役の班長になるお話をいただいた。後輩との接し方が分からない。そんな私に使命なんてあるの? 
 悩む私に、先輩が池田先生の言葉を教えてくれた。
 「それは、遠くにあるのではない。目の前の課題に全力で挑戦していけば、いつか、自分にしかない使命が、必ず見つかる」
 班員の一人が、あかねちゃんだった。元気で明るい子。昔の私なら避けていた人気者タイプ。“私は話すのが苦手。だったら話を聞く側になって、いっぱい聞けばいい”。そう決めて接すると、発見があった。“私と似てる”って。

●堀さんの挑戦
 19歳の時、私(堀さん)は女子部の先輩に「学会やめたいです」って言った。なじめないし、やる意味が分からなくて。本幹(中継行事)だけは、親と参加した。会館で白蓮グループとして就いていたのが、緑ちゃんだった。
 お互いの親が婦人部だから、なんとなく知っていた。会館で見る姿は明るくて。あいさつをするたび、すごいなと感じていた。もともとこういう人なんだと思って。後から、本当は違うって知った。
 私は人より思い出が少ないと思う。人が苦手で、友達と呼べる人はほとんどいなかった。学校には淡々と通った。でも、中学3年の時に孤立して。一人でいるのは超恥ずかしい。“あ、無理かも”。そう思った日から不登校になった。
 定時制高校に入っても、“また一人じゃん”って。写真を撮るのが好きだけど、写っているのは都会のビルや道路。人は撮る気になれなかった。卒業後は、やりたいことを探そうと職業訓練校に。でも、畑違いだなって思った。
 “また、いけねー”と思っちゃって。辞めて、むなしくなった。それからはバイトを転々。そんな私のことを緑ちゃんに話したのは、白蓮グループ時代。入りたくなかったけど、緑ちゃんがいたから挑戦できた。
 緑ちゃんとの距離感は、ちょうどよくて。悩んだ時には聞いてくれて、かといって、常にべったりって感じじゃない。離れていても一番考えてくれてるし、一番祈ってくれてるのが分かる。ありがたかった。

◆山口さんの実感
 一対一で話すうち、隠したかった自分の経験を自然に語っていた。過去に戻ってやり直したい。そんな気持ちは不思議となかった。“あの時があったから”って思えた。私にも使命がある。そんな気持ちになれたのも、あかねちゃんのおかげ。
 自分がいる意味も見つけられず、私なんかが人を励ませないって思っていた。けど、私自身が私を諦めていたことを、あかねちゃんが気付かせてくれた。勉強に苦手意識があって、ずっと嫌なことから逃げてきた。
 スーパーでの仕事でも同じ。当時“あの人が合わない”とか“仕事内容がイヤだ”とかで辞めたいと思っていた。でも、このままじゃダメって思い直した。だから、班長の時、一つの挑戦として、信頼を勝ち取っての「転職」を決めた。
 白蓮のみんなの希望になりたいっていう気持ちが力になって。昔から料理が好きだった私は、パン屋さんに転職ができた。去年、私の次の本部長に、あかねちゃんが就いた。
 いつも私が会合に誘っていたあかねちゃんが今、部員さんのために励ましを送ってる。何でも任せられるリーダーになった。私の部屋には、班長を交代する時にもらった色紙が飾ってある。あかねちゃんがみんなの似顔絵を描いて贈ってくれたもの。
 昔、先輩に「あなたがいるから頑張れるよ」って言われて、心の中で「ほんとかな」って思ってた。今、本当だって実感できる。あかねちゃんや部員さんたちのおかげで頑張れたから。

●堀さんの決意
 転職できたって聞いて、びっくりした。緑ちゃんの姿から、信心や池田先生のすごさを学んだ。私も白蓮を卒業してすぐに放課後デイサービスで働くように。今は、小学校で学習の介助に携わって、自分の場所を見つけた。
 去年の青年部教学2級試験に、妹のあおい(華陽リーダー)が受験して。あおいはダウン症で教材を読むのに時間がかかる。緑ちゃんが仕事終わりに通ってくれて。障がいのことに変に気を使わず、フランクな緑ちゃんはやっぱりすごい。
 声に出して毎日一緒に勉強。私だったら“ここまでできるかな”って思った。不合格だったあおいに、緑ちゃんは手作りの賞状を贈ってくれて。あおいは本当にうれしそうだった。
 本部長にとの話をいただいた時、浮かんだのは緑ちゃんの姿。成長を待っていてくれる人が、学会にはたくさんいることを、私も伝えていきたい。一人じゃないし、一人にさせない。
 会合が中止で、御本尊様の前に座るのも、励ましを送るのも、集まる機会がないから誰も見てない。だからこそ、家にいながら挑戦したい。引きこもっていた時期もあったし、実は今の状況、私の得意分野にいるって感じ(笑い)。
 人と比べることをしなくなって、楽しい思い出が増えた。悩みはあっても、私には相談できる強い味方がいる。私もそうなりたい。この前、部長さんから「あかねちゃんがいてくれてよかった」って。こんな言葉を聞くと、めちゃめちゃうれしい。

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