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2020年5月11日 (月)

2020年5月11日(月)の聖教

2020年5月11日(月)の聖教

◆今週のことば

 「友の喜び友の歎き
 一つなり」
 学会家族の絆こそ
 全てを乗り越える力だ。
 共々に励ましの薫風を!
 御書P934


◆名字の言 経営コンサルタント・吉岡憲章さん。愚痴を一瞬で消す方法  2020年5月11日

 負債の返済や闘病を経て、70歳で大学院へ。猛勉強を重ね、77歳で博士号を取得した経営コンサルタントの吉岡憲章さんが、第二の人生を充実させる秘訣を語っている(「潮」6月号)▼人は年齢を重ねると、つい過去の“手柄話”が多くなりがち。吉岡さんは友人と話す時には「昔話はやめよう。未来の話をしよう」と呼び掛ける。自分が未来を見据えた話をすれば「同じように前向きな話ができる良い仲間ができてくる」と▼さらに、愚痴っぽい話になりそうな時には、こう問い掛けてみる。「その話、孫にどう話す?」。すると皆、「おっ、これではいかん」と、背筋がシャンとするという。「心がけ一つで、どんな形でも周囲に付加価値を生む人生を送ることはできます」――あらゆる世代に通じる、自他共に高め合うヒントといえよう▼いたずらに不安をあおるような情報が氾濫する昨今。それに埋没すれば、かつての日常への憧憬が浮かぶばかりで、心は満たされまい。今の悩みを分かち合う友の存在や、明日への希望を語る「声」が求められている▼5月は「励まし月間」。「声掛け」に大切なのは、まず「心掛け」である。電話でもオンラインでもメールでも、一緒に新たな一歩を踏み出せるような気配りと、真心の声を届けたい。(値)


◆寸鉄

「法華経の一字は大地の
如し万物を出生す」御書。
強き祈りで新しい発想を
     ◇
学会HPの会長就任60周
年特設ページが大好評。
無上の師弟道を歩む誉れ
     ◇
偉大な仕事は未来に必ず
証明される―文豪。創立
100周年へ異体同心の前進
     ◇
「滋賀婦人部の日」。地域
に勇気と希望を!美しき
湖国に光る幸福の太陽よ
     ◇
自転車運転中に6割以上
がヒヤリ経験。出合い頭
等に注意。安全確認徹底


◆社説 あすナイチンゲール生誕200年  今こそ「抜苦与楽」の行動を

 あす12日、近代看護の創始者と称されるフローレンス・ナイチンゲールが生誕して200年の節目を迎える。
 この日は「看護の日」とされ、毎年、さまざまな取り組みが行われてきた(主催=日本看護協会)。今年は新型コロナウイルスの感染拡大が世界中に暗い影を落とす中、看護職の従事者への応援メッセージをツイートするキャンペーンを推進している。医療現場で懸命に働く皆さまに改めて感謝の言葉を申し上げたい。
 「本来の看護は病気に苦しむ病人に生きる手助けをすることなのである。これは、健康な人への看護が、健康な子供や人々の体質を病気のない状態に保っておこうとすることと同じである」(現代社刊『ナイチンゲール言葉集』)と述べているように、ナイチンゲールの考える看護や治療には“心の健康”も含まれていたようだ。当時は19世紀。彼女がいかに優れた洞察力を持っていたかが、うかがい知れる。だが実は、看護師として活躍したのは3年にも満たない。
 クリミア戦争中、戦地の病院に赴任したナイチンゲールは昼夜を問わず働いた。しかし、劣悪な環境だったこともあり、熱病を発症。生死の境をさまよった末、奇跡的に回復するが、以前のような健康な体を取り戻すことはなかった。
 最前線での看護がかなわず、自室で過ごすことも多くなったナイチンゲールだが、より良い看護を探求する心は以前にも増して燃えていた。そして、執筆活動や手紙を通じて、看護師の育成など、後世に残る仕事の数々を成し遂げていったのである。彼女が生涯で書いた手紙は1万2000通にも上るといわれる。その中には、たくさんの“励ましの言葉”があった。彼女との触れ合いの中で数多
くの看護師が奮起し、成長し、やがて世界の看護の水準を高めていったのである。
 池田先生はかつて、ナイチンゲールを巡る座談会の中で語った。「『平和』という『人類社会の健康』を、どう実現していくか――これが二十一世紀の課題であり、創価学会の挑戦です。仏法の目的も、『民衆の苦をとりさる』ことにあります。そして、仏とは、民衆のあらゆる苦悩に対して『抜苦与楽(苦を抜き、楽を与える)』の行動に徹する人のことです。私たち一人一人が、この
行動に生きぬくことが広宣流布であり、『平和即健康』の社会を実現する道なのです」と。
 今この瞬間も、医療・看護の最前線で奮闘する方々がおられる。全ての関係者にエールを送るとともに、一人一人が「人類社会の健康」を担う主体者として行動していきたい。特別な技術はなくとも、励ましを拡大することが未曽有の危機を乗り越える道を開くと確信して。


◆きょうの発心 祈祷抄 栃木王者総県婦人部長 畑以津美2020年5月11日

御文 大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず(祈祷抄、1351ページ・編519ページ)
通解 大地をさして外れることがあっても、大空をつなぐ者があっても、潮の満ち干がなくなっても、日が西から出ることがあっても、法華経の行者の祈りのかなわないことは絶対にない。

苦難を乗り越える懸命な祈り
 法華経の行者の祈りは必ずかなうと仰せです。
 進路と家族のことで悩んでいた時、女子部の先輩がこの一節を拝して激励してくれました。
 1980年(昭和55年)、役員として参加した、音楽隊・鼓笛隊総会で、メンバーを温かく励まされる池田先生の姿に感動。「生涯、師匠と共に」と誓いました。懸命に祈り、学会活動に励む中で、念願の小学校教諭になることができました。
 その後、信心に消極的だった父も、病気を機に唱題に挑戦するように。すると、家族の問題が解決し、一家和楽が実現しました。
 結婚後も家族の病気等、さまざまな苦難に直面しましたが、夫と共に祈り抜き、一つ一つ乗り越えることができました。広布源流の天地・栃木で活動できる喜びを胸に、同志の皆さまと励ましの絆を強め、全てに勝利していきます。


【教学】

◆〈日蓮大聖人の慈愛の眼差し〉 四条金吾   師の指針を実直に実践した鎌倉の門下
 主君の不興・同僚の嫉妬を乗り越える
 「仏法の真髄は人の振る舞い」

四条金吾の領地があったと考えられる長野・飯田市の田園に、柔らかな陽光が降り注ぐ

四条金吾の領地があったと考えられる長野・飯田市の田園に、柔らかな陽光が降り注ぐ

 日蓮大聖人の励ましの言葉には、強き絆で結ばれた門下への、限りない慈愛があふれている。
 それは、断じて人生を勝ち飾ってもらいたいからこそ、具体的な指針となる。
 心から信頼しているからこそ、温かくも厳しい、率直な指導となる。
 中でも鎌倉の中心的門下であった四条金吾へのお手紙では、“短気を起こしてはならない”“お酒に気を付けなさい”“女性を叱ってはいけない”“陰の人を大切に”等、日常生活に関する具体的な指針を送られた。
 金吾は、困難な状況の中で、どこまでも師の仰せ通りに、強盛な信心を貫き、社会に信頼と勝利の旗を打ち立てていく。

最大の危機にも純真な信心貫く
 四条金吾は、鎌倉幕府の執権・北条家の支流である江間家に仕えた武士で、武術に優れているだけでなく医術にも通達していた。
 大聖人が鎌倉で弘教を始められた早い時期に弟子になったと伝えられており、文永8年(1271年)の「竜の口の法難」の折には自身も命をなげうつ覚悟で大聖人の元に駆け付けた。
 信心あつき金吾は、その後、主君の江間氏を折伏。しかし、江間氏は大聖人に敵対する極楽寺良観の信奉者であったこともあり、不興を買い、遠ざけられてしまう。
 さらに建治3年(77年)6月には、最大の危機に直面する。讒言(事実無根の訴え)を信じた主君から“法華経を捨てなければ、所領を取り上げ、追放する”と迫られたのである。
 それでも、金吾は迷うことなく信仰を選び取り、大聖人の仰せ通りに信心に励んだ。
 すると事態は大きく動く。折からの疫病にかかった主君の治療・看病を通して、信頼を回復したのである。
 しかし、主君から重用される一方で、金吾を追い落とそうとする者たちは、表面では平静を装いながら、内心は嫉妬の炎を燃やしていた。
 金吾の命が脅かされる状況が変わらないことを案じられた大聖人は、同年9月に執筆された「崇峻天皇御書」で「何人もの人が、あなた(金吾)を陥れようとしたのに陥れられず、すでに勝利した身である」(御書1172ページ、通解)と述べられながらも、数々の指導を認められる。
 “敵の襲撃に十分に用心しなさい”“以前にもまして主君の一族を敬いなさい”“謙虚な態度を貫きなさい”“髪型や服装は目立たないように”――まるで金吾の状況を眼前でご覧になられているかのように、微に入り細をうがって生活上の注意をされる。金吾の勝利を揺るぎないものとするためであったと拝される。
 そして次のように仰せになられる。
  
 「教主釈尊の出世の本懐は、人の振る舞いを示すことにあった」(同1174ページ、通解)
  
 仏法の真髄は、「人の振る舞い」にあるとの御金言である。
 池田先生は、大聖人が金吾に対して、「人の振る舞い」を詳細に教えられた意義について、こうつづられている。
 「皆、凡夫であるから、愚痴をこぼす時もある。感情に流されたり、つい調子に乗って失敗したりする場合もある。だからこそ、御本仏は何としても愛弟子を最後まで勝ち切らせたいと、油断や慢心を厳しく細やかに戒めておられる。『人の振舞』を大事にし、いやまして『心の財』を積むよう御指南してくださっているのだ」

誠実の「陰徳」に勝利の「陽報」が
 金吾は一つ一つの試練に対して、大聖人の姿を思い浮かべながら、時には耳の痛いご指摘にも真剣に向き合い、自身を律していったことだろう。
 金吾は主君から重用されるようになり、所領の面でも目覚ましい待遇の変化があった。従来の領地である殿岡(現在の長野県飯田市)の3倍の広さにも当たる新たな領地を賜ったことが、弘安元年(78年)10月のお手紙から分かる。
 この翌年の弘安2年(79年)4月に認められたとされているお手紙で大聖人は、この所領加増はまだまだ始まりであり、後に大果報が来ると思いなさいと励まされている。
 同年9月に執筆されたとされるお手紙によると、さらなる領地が加増されたようだ。大聖人はこの現証について、次のように仰せである。
  
 「これほど不思議なことはない。まったく陰徳あれば陽報ありとは、このことである」(同1180ページ、通解)
  
 信心根本に誠実に主君に仕えてきた金吾の「陰徳」に、勝利の「陽報」が輝いたことを最大にたたえられた。

心の財こそ第一
 金吾は主君に重用され、新たな所領まで賜った。しかし、大聖人が金吾に示された人生の最終的な勝利とは、そうした立身出世ではない。
 金吾が主君の看病によって信頼を取り戻し、さまざまな問題に決着を付けなければならない時に送られた、先の「崇峻天皇御書」で大聖人は、生活上の具体的な注意のほかに、次のようにつづられた。
  
 「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」(同1173ページ)
  
 「蔵の財」「身の財」にもまして、「心の財」を積むこと、つまり「信心」を磨き、「仏性の輝き」を積み重ねることが一切の勝利の根本であることを教えられたのである。
 この具体的な姿を金吾が思い描けるように、大聖人は「主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心ねもよかりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ」(同ページ)と示された。
 この師の言葉のままに、実直に実践したからこそ、金吾は「振る舞い」で勝ち、「人間性の光」で周囲を照らした。その結果が、主君からの重用であり、所領の加増であった。
 建治4年(78年)に執筆されたお手紙には、大聖人が弟子から伝え聞いたという、金吾の鎌倉の市中でのエピソードが記されている。
 ――主君のお供の一行を見た鎌倉の子どもたちが、こう言い合っていた。“一行の中で、背丈といい、顔つきといい、乗っている馬や従えている従者までも、四条金吾が第一である。ああ、彼こそ男だ、男だ”と(同1175ページ参照)。
 こうした金吾の凜々しき雄姿こそ、苦難の冬を乗り越え、勝利の春をつかみゆく、信心の実証の模範といえよう。


【聖教ニュース】

◆〈危機の時代を生きる〉 寄稿 音楽ジャーナリスト 三光洋氏
 新型コロナ禍”と闘う欧州のクラシック界

パリ国立オペラが先月17日から22日まで無料配信した、ジュール・マスネ作曲「マノン」の舞台©Opéra national de Paris/ Julien Benhamou

パリ国立オペラが先月17日から22日まで無料配信した、ジュール・マスネ作曲「マノン」の舞台©Opéra national de Paris/ Julien Benhamou

 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、世界各国でコンサートホールの閉鎖が続く中、クラシック音楽界では、オペラや演奏の無料配信が実施されている。欧州の歌劇場や楽団、奏者は“新型コロナ禍”の試練に、どう立ち向かっているのか――。フランス在住の音楽ジャーナリスト・三光洋氏に、都市封鎖、舞台芸術の現況と併せて綴ってもらった。
新型コロナウイルスの蔓延で、3月初旬以降、欧州各国で演奏会やオペラ公演が中止され、現在に至っている。
 フランスでは3月8日から1000人以上、13日からは100人以上の集会(演奏会、オペラ、演劇、映画)が禁止された。17日からは外出禁止令により、市民は必要最小限の食料や薬の買い出しと、自宅の周囲1キロ以内での一日1時間以内の運動以外は、家から出られなくなった。
 夕方、内務省書式の許可証を準備して散歩に出ると、レストランやカフェ、ホテルが閉まり、普段なら観光客や市民でにぎわうモンマルトルの丘も静けさに包まれている。
 欧州の都市では一日の仕事を終えた人々が、いったん家に戻り、着替えてから演奏会やオペラハウスへと足を運ぶ。劇場前には開演前や休憩時間に談笑する人々があふれ、終演後には周囲のカフェやレストランで友人や家族とひと時を過ごす。
 こうした日常は疫病によって、またたく間に消えてしまい、扉の閉まった劇場の前には人影もなくなった。

収入減で窮地に立つ歌劇場、歌手ら
 舞台芸術に携わる奏者や俳優たちにとって、公演中止は失業を意味する。オーケストラの正規団員は給与所得者だが、オペラ歌手やソロのピアニストはフリーランス(自由業)だ。舞台がなくなれば、その日から生活の手段を断たれてしまう。
 3月15日には人気テノール、ロベルト・アラーニャを筆頭にフランスやベルギーのオペラ歌手が連名で声明を発表し、「クラシック音楽の演奏会場、歌劇場が閉鎖され、公演が全て中止された。この結果、主催者からの一方的な契約破棄が相次いでいる」と窮状を訴えた。
 フランス国内の楽団、地方歌劇場、オペラ音楽祭の43団体の連合協議会のロイック・ラシュナル代表(ルーアン歌劇場総監督)も「文化産業でも特にクラシック音楽界が打撃を受け、皆がパニック状態に陥っている。チケット代金の返却や正規職員の給与、演奏家への報酬を払わなければならないが、歌劇場の通常予算内では無理だ」と国の支援を求めた。
 こうした中、バリトン歌手ルドヴィック・テジエは公開書簡をエマニュエル・マクロン仏大統領に寄せた(4月12日付「ル・モンド」紙)。
 「今、早急に手を打たなければ音楽、中でもオペラは消滅してしまう。太陽王ルイ14世時代からフランスを偉大たらしめてきた芸術を援助してもらいたい」と緊急性を訴えた。
 テジエの簡潔にして明快な文章には音楽に対する真率な思いと将来への深い危惧が込められており、読者に感銘を与えた。

各国・州政府が経済支援
 こうした音楽家たちの懸念に、いち早く応えたのは独政府だった。モニカ・グリュッタース文化大臣は3月11日に「私たちは音楽家を見捨てない」と声明を出し、25日には500億ユーロの支援を発表した。この緊急特別措置によりドイツ在住であればフリーの音楽家も簡単な申請書類を提出するだけで、3日後には銀行口座に5000ユーロ(約60万円)が入金された。
 また、ミュンヘンを州都とするバイエルン州は国の援助に加え、音楽会が再開されるまでの期間、州内の演奏家に月額1000ユーロ(約12万円)の支給を決めた。
 仏政府は3月18日に総額2200万ユーロの緊急支援策を発表したが、これは音楽だけではなく、メディア、映画も含めた金額で演奏家個人にどの程度の援助がいきわたるかは不明だ。
 その一方、国に頼るのではなく、独自に音楽家救済に乗り出した地方歌劇場もある。
 仏政府の禁止令により全土のオペラハウスが活動を停止した時、南部トゥールーズのカピトル歌劇場では3月28日に初日が予定されていたジャン=フィリップ・ラモー作曲「プラテ」(新演出公演)のリハーサルの最中だった。歌劇場監督は「不可抗力による公演中止」を理由に出演音楽家への報酬支払いを停止せずに、個々人のケースに応じて補償金が支払われるように対処した(4月6日付キリスト教系日刊紙「ラ・クロワ」)。

オペラや演奏を無料配信――観客との絆保つ
 これはお金の話ではないが、歌劇場やオーケストラは家に閉じ込められた観客たちとの絆を休演中、どうやって保持していくかにも心を砕いている。
 日本でも滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールがリヒャルト・ワーグナー作曲「神々の黄昏」を無料配信して話題を呼んだが、欧州の歌劇場も競って配信に取り組んでいる。
 パリ国立オペラでは観客なしで上演された3月10日のジュール・マスネ作曲「マノン」が無料で配信され、公式サイトだけで1週間で視聴の数は36万9000に達した。「居間にいてオペラをたのしむ」という新しい観劇スタイルが生まれるかもしれない。

 個人の演奏家もネット配信により「コンサートの出前」に乗り出した。パリ在住のピアニスト、児玉桃さんが仏国営放送フランス・ミュージックとピアノ製造会社スタンウェイから依頼を受け、自宅でロベルト・シューマン、細川俊夫、モーリス・ラヴェルの作品を演奏したのは、その一例だ。
 仏中部のポワチエでは音楽院の生徒たちが毎日、曲を演奏したビデオを市内4カ所の老人保健施設に配信して、肉親の訪問さえ受けることができなくなっている300人の高齢者たちに、ひと時の安らぎを届けている。
 歌劇場には奏者、歌手だけでなく、照明や大道具といったオペラ公演に欠かせない裏方がいる。パリ国立オペラとマルセイユ歌劇場の衣装係は、オペラ歌手やバレエダンサーの衣装作りが本来の仕事だが、フランスでは品薄のマスクをオペラ衣装用の綿素材を使って自宅で縫っている。完成したマスクは病院や赤十字社に届けられ、医療関係者が使用している。?
一日も早い終息と公演の再開を待望
 4月に入ってから、ドイツ、オーストリアといった医療崩壊を免れた国々が段階的に社会活動を再開し始めているが、いったん陰性になっても再度陽性となるケースさえある新型コロナウイルスが、いつ終息するかは誰にも分からない。多くの人が集まる音楽会が再開されるのには、まだまだ時間がかかりそうだ。バイロイト音楽祭(ドイツ)やエクサン・プロヴァンス音楽祭(フランス)といった夏の音楽祭も中止を相次いで発表している。
 それでも、家から出られず友人や家族との交流がかなわない環境にあって、音楽がどれほどの救いになるかを、誰もが実感したのではないだろうか。演奏会やオペラ公演という“人間にとって最高の場所”が一日も早くよみがえってほしいと祈るばかりである。

【プロフィル】
 さんこう・ひろし 1961年、兵庫県生まれ。東京大学文学部仏文学科卒。86年、国際ロータリー財団奨学生として渡仏。パリ第8大学、パリ国立高等音楽院=高等師範=トゥール大学合同音楽学課程で、音楽史と音楽美学を学ぶ。現在、欧州の音楽、演劇について雑誌「音楽の友」、チャコットウェブマガジン「ダンス・キューブ」などに寄稿している。フランス演劇・音楽・ダンス批評家協会会員。


◆〈池田先生の会長就任60周年 青年部が原田会長に聞くⅡ部〉第1回 地球を照らす創価の平和運動㊤2020年5月11日

〈出席者〉西方男子部長、大串女子部長、樺澤学生部長、林女子学生部長

思想・信教の自由を守る人権闘争
創価の正義と勝利の魂を継承

 池田先生の会長就任以来60年にわたる闘争について、青年部各部の部長が原田会長に聞く連載の第Ⅱ部がスタートします。

先師・恩師の死身弘法が学会の原点
 ◆西方 今年はSGI(創価学会インタナショナル)の発足から45周年です。今回からは創価学会とSGIの平和運動について伺います。その源流は、第2次世界大戦中、軍部政府の弾圧に抗して、身命を賭して戦われた牧口先生、そして戸田先生の獄中闘争にあると思います。
  
 ◇原田 日蓮大聖人の仏法が、「絶対平和」主義の思想であることは言うまでもありません。立正安国論の「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」(御書31ページ)との御聖訓には、恒久平和、社会の安穏という日蓮仏法の根本目的が明確に示されていると思います。その大聖人の御精神を実践してきたのが創価学会です。
 戦時中の国家神道による思想統制下にあって、宗門は軍部政府の弾圧を恐れ、「学会も一応、神札を受けるようにしてはどうか」と言い出しました。しかし、牧口先生はそれを断固として拒否されました。
 宗門が保身のために神札を受け、大聖人の御精神に違背する一方、牧口・戸田両先生は正法正義を守り抜き、1943年(昭和18年)7月6日、治安維持法違反と不敬罪の容疑で逮捕・投獄されます。そして牧口先生は厳しい取り調べの中でも、最後まで仏法の正義を訴え抜かれ、翌年の11月18日に獄死されたのです。
 ◆樺澤 尋問調書には、牧口先生が獄中にあっても、大聖人の正義を堂々と叫ばれていたことが、厳然と残されています。
  
 ◇原田 この死身弘法の闘争こそが学会の原点であり、平和運動の源流にほかなりません。
 国家権力による学会への弾圧という歴史を踏まえ、小説『新・人間革命』第3
0巻<下>「誓願」の章には、「思想・信教の自由は、本来、人間に等しく与えられた権利であり、この人権を守り貫くことこそ、平和の基である」とつづられています。
 昨年11月で、牧口先生の殉教から満75年となりました。
 池田先生はかつて、「(牧口)先生に呼び出された『地涌の菩薩』の陣列である我らは、この創価の正義と勝利の誇り高き魂の襷を、永久に受け継いでいくことを、ここに固く誓い合おうではありませんか!」と呼び掛けられています。
 今再び私たちは、その決意も新たに前進してまいりたい。

横浜・三ツ沢の競技場で行われた青年部の東日本体育大会「若人の祭典」に出席する戸田先生と池田先生(当時、青年部の室長)。この閉会式で戸田先生が、青年への「遺訓の第一」として「原水爆禁止宣言」を発表した(1957年9月8日)

横浜・三ツ沢の競技場で行われた青年部の東日本体育大会「若人の祭典」に出席する戸田先生と池田先生(当時、青年部の室長)。この閉会式で戸田先生が、青年への「遺訓の第一」として「原水爆禁止宣言」を発表した(1957年9月8日)

「二度と同じ愚を繰り返すな」
 ◆樺澤 生きて牢獄を出られた戸田先生は、戦後の荒野に一人立ち、「平和」と「民衆の幸福」のために広布の戦いを開始されました。1952年2月には、「地球民族主義」を提唱。そして横浜・三ツ沢の競技場での「原水爆禁止宣言」は、生命尊厳の仏法の精神を世界に広げゆく青年への「遺訓の第一」となりました。
  
 ◇原田 「原水爆禁止宣言」が発表された57年9月8日、当時、高校生だった私も、その場に参加させていただきました。戸田先生の“師子吼”は、今も胸に刻まれています。
 この宣言については、池田先生が小説『人間革命』第12巻「宣言」の章の中で、詳しくつづられています。
 実は、「原水爆禁止宣言」に至るまで、戸田先生は世界の核軍拡競争を強く憂慮され、入念に思索を重ねられていました。
 48年の東京裁判で、A級戦犯のうち東条英機ら7人が絞首刑の判決を受けた時には、「死刑は絶対によくない。無期が妥当だろう。もう一つは、原子爆弾を落とした者も、同罪であるべきだ」と述べられています。
 55年秋には、第1回の大阪・堺支部総会で「核兵器全廃を訴えていくことが、唯一の被爆国たる日本の使命」と主張。翌56年には、週刊誌のインタビューで“怖いのは原子爆弾だ。ロシアにもアメリカにも、これを絶対、落とさせないというのが私の考え”と語られています。
 さらに同年6月には、九州の会合に出席され、八幡市(現・北九州市)では「原爆などを使う人間は最大の悪人だ!」、福岡市では「二度と同じ愚を繰り返すな!」と叫ばれました。
 そして、宣言の2カ月前となる7月には、雑誌での対談で「原子爆弾だけは許せん」と、重ねて強い憤りを表されていたのです。
 その背景には、当時の米ソを中心とする核軍拡競争の激化があり、核保有を正当化する核抑止論が、それを支えていました。核抑止論というのは、核兵器を使用すれば、相手国も核兵器によって報復し、壊滅的な被害をもたらすので、使用を思いとどまる――つまり、恐怖によって平和が維持されるという“悪魔的思考”です。
 また、イデオロギーに偏して、アメリカの原水爆は悪いが、ソ連の原水爆は良いとする主張もありました。
 戸田先生は、そうした考え方を根本から打ち破り、“人間は等しく尊厳無比なる存在である”という仏法哲理に基づいたメッセージを表明しなければならないと、お考えになっていたのでしょう。それが、「原水爆禁止宣言」に結実し、核廃絶への道のりを、次代を担う青年に託されたのです。

宣言の草案が記された戸田先生のメモ。「原水爆を戦争の目的をもってこれを使用し
たものはその国の勝はいを問はずことごとく死けいに」と 

 ◆大串 「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」――「原水爆禁止宣言」の中で、仏法の生命尊厳の哲理をもとに発せられた戸田先生の力強い叫びは、63年の時を経た今も、私たちの生命に深く響きます。
  
 ◇原田 戸田先生は宣言の中で「もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきである」と断言されました。
 無論、ここでいう「死刑」とは、制度としての「死刑」を肯定したことではありません。核兵器がそれほどまでに“絶対悪”であることを明確にし、強く警鐘を鳴らす意味で言われているのです。
 そして宣言の結びには、“願わくは、きょうの私の第1回の声明を、全世界に広めてもらいたいことを切望する”と訴えられました。
 戸田先生の宣言は、核兵器を生んだ「生命の魔性」という“見えざる敵”との妥協なき闘争宣言であったのです。
 この時の池田先生の真情は、「宣言」の章の中でつづられています。
 「彼は、この師の遺訓を、必ず果たさなければならないと、自らに言い聞かせた。そして、戸田の思想を、いかにして全世界に浸透させていくかを、彼は、この時から、真剣に模索し始めたのである」と。
 戸田先生が、全人類の平和と幸福の実現を願い、訴えられた遺訓を、誰よりも真正面から受け止め、行動してこられたのが池田先生なのです。
  
 ◆西方 宣言の後、戸田先生のお体は目に見えて衰弱されていきました。それでも、宣言から2カ月後となる11月には、敢然と被爆地・広島への指導を断行しようとされます。
  
 ◇原田 出発前日、恩師のお体が衰弱されていたのをご存じの池田先生は、学会本部の応接間のソファに横たわっていた戸田先生に、必死に広島行きの中止を進言されます。戸田先生はゆっくり体を起こし、力を振り絞って語られました。
 「御本尊様のお使いとして、一度、決めたことをやめられるか! 男子として、死んでも行く。これが、大作、真実の信心ではないか!」と。
 しかし翌日、戸田先生の病状は歩行もできないほど悪化し、広島指導は断念せざるをえなくなりました。
 池田先生は随筆につづられています。「生命を賭して、広島行きを望まれた、あの師の気迫は、生涯、わが胸から消えることはない。いな、それが、私の行動の原点になった」と。
 この時から1カ月後、戸田先生の生涯の願業であった「75万世帯」の弘教が成就。翌年3月16日に、広宣流布の記念式典が行われ、恩師は池田先生に後事の一切を託され、4月2日に逝去されます。
 そして、恩師の遺訓を受けた池田先生は、早くも会長就任5カ月後の60年10月2日から「世界広宣流布」即「世界平和」への旅を開始されるのです。

1973年から翌年夏にかけて集められた「核廃絶一千万署名簿」。75年1月、池田先生の手によって国連に提出された

求心力の中心が師弟不二の精神
 ◆林 今日の192カ国・地域に広がる創価の平和の連帯が、そこから始まったことを思うと、池田先生の不屈の闘争に感謝の思いは尽きません。
  
 ◇原田 先生は、72年11月の第35回本部総会の折、「人類の生存の権利を守る運動」を青年部に期待されました。翌73年の元日には、先生が各部の部長会に出席され、青年部の活動について協議をされます。
 そこで、当時の男子部長が先生に、「『広布第二章』を迎えて、学会は社会に開かれた多角的な運動を展開していくことになりますが、その際、心すべきことはなんでしょうか」と質問します。すると先生は「師弟の道を歩めということです」と答えられ、次のように指導されました。
 「仏法を社会に大きく開いた運動を展開するというのは、これは円運動でいえば遠心力だ。その遠心力が強くなればなるほど、仏法への強い求心力が必要になる。この求心力の中心こそが、師弟不二の精神だ」
 先生は社会運動に取り組むといっても、その底流に脈打つ、牧口初代会長から始まる峻厳なる“広布の精神”“創価の魂”を断じて忘れてはいけないと、信心の基本を打ち込んでくださったのです。
 その重要な指針を胸に、青年部は翌2月に「生存の権利を守る青年部アピール」を採択。その中の一つが、「核兵器および一切の軍備を地球上から消滅させ、一切の戦争を廃絶する」ことでした。そのための運動の一つとして青年部が自発的に始めたのが、核廃絶のための署名運動です。

核兵器なき世界を青年の力で
 ◆西方 この頃から、世界の核開発競争は、ますます過熱化しようとしていました。74年には、インドが地下核実験に成功し、パキスタンも核開発中と伝えられていました。
  
 ◇原田 米ソの核の能力も年々増大し、地球そのものが“火薬庫化”しつつありました。
 そうした中で、この署名運動が大きなうねりとなり、最終的に1000万以上もの賛同を得る、学会の平和運動としても時代を画した歴史的取り組みとなりました。
 とはいえ、集まった署名をどうやって国連に届けるか、当時の青年部は頭を悩ませていました。すると、青年たちの運動を見守っていた先生が、その総仕上げとして、署名簿を国連訪問の折に提出してくださることになったのです。
 当時、先生がその真情を語ってくださいました。
 「弟子のやってきたことに、画竜に点睛を入れてあげたい。それが師匠の戦いである。署名簿の一部だけでも、私が直接、国連に届けてあげたい」と。
 75年1月の国連訪問の際には私も同行させていただきましたが、先生は直接、国連事務総長に署名簿を手渡されました(10日)。それは、SGIが発足する直前のことです。師匠の弟子を思う慈愛に、当時の青年部の喜びは大きく、ただただ感動と感謝でいっぱいでした。
 その後も、新時代の「平和社会」の構築へ、青年の挑戦は続いていくのです。


【特集記事・信仰体験など】

◆未来部レインボーチャレンジ」を応援! 
「わたしの実践」大募集 【みんなで学ぶ創価の心】

笑顔が光る成長の日々を――ボリビア未来部の友(昨年12月)
 「2030年へ希望の虹をかけよう! 未来部レインボーチャレンジ」が始まりました(6月30日まで)。今回から、「みんなで学ぶ創価の心」との新しいタイトルで、7つの挑戦項目に関する池田先生の指針を心に刻むとともに、未来部メンバーをはじめ、家族や未来部担当者の奮闘を紹介していきます。ここではまず、「高等部結成の月」6月を前に、未来部に対する先生の思いを学び合いましょう。

【池田先生の指針】
「未来」は「今」にあり――高等部結成の月・6月へ
 <1964年6月7日に誕生した高等部は、池田先生が会長に就任後、初めて結成した部です。翌65年に中等部(1月15日)、少年少女部(9月23日)が発足しました>

 日蓮大聖人は、「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(御書231ページ)と教えてくださいました。?
 これまでがどうであっても、「今」から変えられる。「今」から未来へ、いくらでも新しい波を起こしていくことができる。
                  ☆☆☆ 
 後ろを振り向いてクヨクヨしたり、人と比べて焦ったり、できないことばかり考えて悲観したりすることはないんです。
 後ろではなく「前」を向き、人をうらやまずに「自分らしく」、できないことではなく「今できること」から始めればいい。
                  ☆☆☆
 1964年と言えば、東京オリンピックが開催された年です。この年の12月、私は沖縄の地で小説『人間革命』の執筆を開始しました。
 高等部を結成する際には、さまざまな意見があった。「未来のための布石も大切ですが、もっと優先すべきことがたくさんあるのではないか」と言う幹部もいた。
 しかし、私は断言しました。  
「30年後、40年後の学会をどうするのか。その時、学会の中核になっているのが、今の高校生です」
 未来部メンバーを育てない限り、広宣流布の未来はない――これは、ずっと変わらない私の信念です。
                  ☆☆☆ 
 担当者の皆さんには、本当に、いつもいつも、お世話になっています。感謝してもしきれません。皆さんの心の中に燃えている「師弟の魂」が、そのまま未来部の友に自然と伝わっていきます。
                  ☆☆☆
 創価学会の未来を、私と共に、常に私と同じ心で見つめてくれているのが、未来部の担当者の皆様方です。
                  ☆☆☆ 
 創立の“魂のバトン”を受け継ぐのは、他の誰でもない。私が最も期待する、「世界広布の新時代」の主役である、わが未来部の皆さんです。  皆さん一人ひとりが、創価の明るい未来そのものなのです。  (『未来対話』)

「わたしの実践」を大募集!
 「レインボーチャレンジ」がスタートして1週間――。今、未来部員のいる各家庭で新たな挑戦が開始され、未来部担当者も電話や手紙、メール、SNSを通した激励に取り組んでいます。
 家にいる時間が増えた今は、頭脳を鍛え、心を磨くチャンスです。今回の挑戦項目の中には「勉学・読書」などに加え、「池田先生の未来部書籍を学ぶ」「未来部機関紙を読む」も含まれています。一つずつ、できることから始めましょう(機関紙については、14日付の「未来部育成のページ」で特集予定)。
 とはいえ、互いに会えない中で、孤軍奮闘しているメンバーや家族、担当者も多いはず。そこで、「レインボーチャレンジ」に取り組む未来部員の声をはじめ、メンバーを支える家族や担当者の実践を大募集します。創価家族の知恵と工夫を共有しましょう!

池田先生が執筆した未来部書籍。左上から時計回りに、中・高等部向けの『青春対話』『希望対話』『未来対話』『未来の翼』、少年少女部向けの『希望の虹』『希望の大空へ』『希望の翼』

 <投稿方法>  封書・はがき、ファクス、メール、LINEで受け付けます。氏名、年齢、職業(学年)、住所、電話(ファクス)番号(※任意で携帯電話番号)を明記してください。
 当社のウェブサイトに掲載される場合があることも、ご了承ください。

 【郵送】  〒160-8070  聖教新聞「みんなで学ぶ創価の心」係
 【ファクス】  03(5360)9613
 【メール】  kansou@seikyo-np.jp
 【LINE】  以下のリンクから「?聖教新聞 ONE MINUTE LINEアカウント?」にアクセスし、
      「#みんなで学ぶ創価の心」と入れて送ってください。
        http://line.me/R/ti/p/%40wwl1214s






各地に広がる挑戦の息吹 

 <神奈川太陽総県の取り組み>
 「未来部レインボーチャレンジ」の取り組みが聖教新聞で発表された5月5日――神奈川太陽総県の女性未来本部長である吉岡マリコさんのスマートフォンには、現場の未来部担当者の方々から情熱こもるメッセージとともに、画像データが次々と送られてきたそうです。
 それは、厚木県と秦野旭日県、それぞれの支部・本部・圏の子どもたちが楽しく、のびのびとレインボーチャレンジに取り組めるよう、創意工夫を凝らした手作りの“チャレンジシート”の数々でした。
 「組織として具体的に何かを打ち出したわけではありません。お一人お一人が、“今こそわが地域の未来っ子たちにエールを送ろう!”と自発的に作ってくださったものだったんです」(吉岡さん)
 担当者の方々は、“チャレンジシート”を未来部員のいるご家庭のポストに投函した後も、電話やメール、SNSなどを使って子どもたちとつながり、エールを送り続けています。
 また、これ以外にも、「5・3」「5・5」を中心に各家庭で行われたファミリー座談会の写真を収集・編集して特別動画を作成し、喜びと感動を共有した地域もありました。
 「レインボーチャレンジは、子どもたちと一緒に、私たち大人も成長するための“挑戦”ですね」――神奈川太陽総県の創価家族は、そう語り合っているそうです。


◆〈ライフスタイル〉colorful
妊娠している皆さんを応援したい!
大切な命を守るための「Q&A」

 新型コロナウイルス感染症の終息が見通せない今、おなかに新たな命を宿している妊婦さんの心配は2人分です。ましてや、今回が初めての妊娠・出産であれば、その不安はより大きなものでしょう。そこで今回は、厚生労働省などが発表している情報をもとに、新型コロナウイルスに関するQ&Aを掲載します。正しい知識と行動が、自身のみならず、生まれてくる命をも救うことになります。愛する夫・パートナー、家族や親しい友人・知人の方々も、皆さんの味方です。私たちも、不安を抱えておられる妊婦さんたちに心からのエールを送ります。

①妊婦は感染しやすいの?
 いいえ。たとえ妊娠中だったとしても、新型コロナウイルス感染症にかかる率は一般の人と同じとされています。また、重症化率も同じか、むしろ低い値が報告されています。??
 お母さんが感染したことで、おなかの赤ちゃんもウイルスに感染したという症例が報告されていますが、赤ちゃんの異常や死産、流産を起こしやすいという報告はありません。
 ですから、妊娠中でも過度な心配はいりません。

②妊婦検診で外出するのが不安です
 緊急事態宣言が出され、外出を自粛することが多くなりました。
 ですが、妊婦検診は不要不急ではありません。ですから、自身の体調に変化がなければ、きちんとマスクを着用するなど、十分な感染予防策をして、通常通り、妊婦検診を受けてください。
 不安があり、もしも受診を延期する場合には、可能であれば自宅で市販の血圧計を使って血圧測定をして、記録しておいてください。
 また、不正出血やおなかの痛み、あるいは破水感や血圧上昇などの症状がある場合には、かかりつけの産科医療機関に電話で相談してください。

③感染の可能性がある場合は?
 ご自身が感染しているのではないかと思ったら、妊婦検診は控えてください。そして、可能であれば自宅で血圧測定をして、記録しておいてください。
 同様に、ご家族に感染の可能性がある場合でも妊婦検診の受診日をずらすことは可能です。主治医に電話で相談してみてください。
 感染の可能性がある場合は、受診も他の患者さんと分けて対応されることになるでしょう。
 強いだるさ(倦怠感)や息苦しさ(呼吸困難)がある場合などは、帰国者・接触者相談センターに相談してください。

④帰省分娩はできないの?
 緊急事態宣言後には、地域外からの分娩を断っている施設もあるようです。また、帰省による移動そのものが感染のリスクにもなりかねません。
 そうしたことも踏まえ、日本産婦人科医会などは、状況によっては、今、住んでいる地域での出産を考えてもらいたいとしています。
 その場合、ご自身で代替の出産施設を探さないで、現在検診を受けている担当の医師と相談して、施設を決定してください。
 担当の医師は、妊娠中の経過や合併症の有無などを踏まえて、医師のネットワークを使って考えてくれるでしょう。

⑤出産前後の面会ができない?
 今、感染リスクを軽減するために、産婦人科だけでなく多くの医療機関では、面会や診療以外の外来者の立ち入りが制限されています。
 同様に、出産前後の面会だけでなく、立ち会い分娩などが制限されることがありますので、それぞれの施設の方針に従ってください。
 また、万が一、感染症にかかっていた場合、専門の医療機関で治療・分娩が行われることもあります。きちんと医師と相談して分娩方法などを決定してください。

⑥抵抗力を維持するには?
 一般的に、妊婦の方が肺炎にかかった場合には、重症化する可能性があるとされています。人混みを避ける、小まめに手を洗うなど日頃の健康管理を徹底してください。
 治療や予防に効果のあるサプリメントや特定の食品はありません。ですから、十分な睡眠とバランスの良い食事で栄養を取ることが大切です。家にいると運動不足になりがちですので、適度な運動も心掛けてください。
 また、家族も含めて禁煙を励行してください。

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 【編集】Colorful編集チーム  【写真・イラスト】PIXTA


◆〈世界の体験プラザ〉台湾で“人情味が魅力”のパン屋を経営
 「食は財」が私たちの誇り  台湾SGI 常 淑芳(チャン シュフャン)さん?

30年来の常連が通う
 パン屋の朝は早いです。夜明け前から仕込みに取り掛かり、夫が朝食用のパンを焼き始めます。
 店を開けると、焼き上がりを目指してお客さんが次々と来店。私が受け持つ接客や電話予約もひっきりなし。本当は新しいパンの開発もしたいのですが、なかなか時間がつくれません。
 それでも種類は、日替わりパンなども含めると数え切れないほど。なかでも人気は、昔ながらのメロンパンや小豆パン、そして台湾ではポピュラーなネギパンです。
 店舗兼工場の広さは41坪(約135平方メートル)。私たち夫婦のほかに10人の従業員が働く、街の小さなパン屋です。
 私たちが目指すのは、特別なごちそうではなく、毎日、食べても飽きないパン。いわば“お袋の味”です。常連のお客さんが「どこか懐かしくて、人情味が魅力」と言ってくれるのが、何よりもうれしいのです。
 仏法を学び始めて、白米一俵御書の「人にも二つの財(たから)あり・一には衣(ころも)・二には食(しょく)なり……人は食によつて生(せい)あり食を財とす」(1596ページ)との御文に触れた時、目を見開かれる思いがしました。
 心のどこかで、自分たちは“ありふれたパン屋”と思っていましたが、そうではありません。
 「食」は「財」。すなわち、地域の人々の日々の食卓を支える、とても大事な仕事。誇らしい使命だと感謝できるようになりました。だから、できるだけ安価で、値上げも抑え、昔ながらの材料と製法を守っています。
 昨年、思いがけず引っ越しを迫られましたが、この信仰のおかげで、実証を示し、今も30年来の常連さんの笑顔に囲まれています。

今こそ宿命転換の時
 1971年、台湾北東部の宜蘭(ぎらん)市に、5人きょうだいの4番目に生まれた私は、幼い頃から体が弱いのが悩みでした。
 13歳の時には、先天性心臓弁膜症(せんてんせいしんぞうべんまくしょう)の手術を受けるために、1年間休学したこともあり、なかなか自分に自信が持てず、いつも、どこかで劣等感を覚えていました。
 とにかく早く働いて自立したいと、小学校を卒業すると職業学校に通い、洋裁工場や電子機器工場、レストランのスタッフなど、たくさんアルバイトを経験。同級生から夫を紹介され、夫が共同経営するパン屋で働くようになり、24歳で結婚したのです。
 台湾SGIへの入会は92年、21歳の時です。その2年前、母が、私の兄の健康を心配して入会。深刻な不眠症に悩んでいた私も、母と一緒に題目をあげると心が穏やかになり、朝までぐっすり眠れるようになりました。この信仰は力があると実感し、今日まで信心一筋を貫き通してきました。
 夫の実家は、もともとは農家で、兄と姉の3人で共同してパン屋を経営。しかし、結婚して驚いたのは、きょうだい間の言い争いが絶えないことでした。
 私は、義姉などの手前、SGIの活動もできにくくなりましたが、婦人部の同志はいつも店に来て、励ましてくれました。
 体の不調も続きました。16歳の時の交通事故の影響で妊娠しづらい体質になり、6度も流産を経験。さらに医師から胎盤(たいばん)の絨毛(じゅんもう)がんを宣告されたのです。
 時に心が折れそうになりましたが、題目をあげると、“今こそ宿命転換の時だ、何があっても必ず乗り越える”と生命力が湧き上がります。治療も奏功し、ほどなく健康を取り戻すことができました。  1年後、再び妊娠した時も、医師は出産を勧めませんでしたが、私はさらに祈りを深め、無事に男子を出産。その後、2人の女の子にも恵まれ、皆、元気に育ってくれています。

昔ながらの懐かしい味が人気を呼ぶ
好条件の店舗に移転
 2008年、結婚以来、祈り続けた一つの願いが実現しました。夫のきょうだいとの共同経営を円満に終えることができたのです。
 3店舗のうち、義兄と義姉が1店舗ずつ選び、比較的条件が劣る、賃貸の店舗が残りましたが、それでも胸には喜びがあふれました。これで心置きなくSGIの活動ができるからです。
 ブロックの役職、会館守る会など、全てに全力で取り組みました。その功徳か、これまで山に囲まれ、アクセスが悪かった宜蘭市に、台北への「雪山トンネル」が開通し、徐々に人の往来が増えたのです。経営安定のために購入していた不動産が3倍以上に値上がりし、本当に驚いています。
 15年には自己免疫性環状紅斑(じこめんえきせいかんじょうこうはん)を乗り越え、順風満帆(じゅんぷうまんぱん)に進んでいましたが、昨年、30年近く借りていた店舗にトラブルが発生。大家が近隣住民ともめ、私たちの店も営業できなくなったのです。
 条件に合う店舗を購入しようと真剣に祈ると、2カ月後、店の近くで、大通りに面した、広さも十分な物件が見つかりました。しかし、オーナーの提示額は私たちの予算を超えていたのです。

菓子パン、総菜パン、食パンと、種類も豊富
 粘り強く交渉し、熱意を伝えると、ありがたいことにオーナー側から値下げを提示。最終的に、希望する予算内に収まった上、床の補修費まで補助してくれました。
 契約日、オーナーは「ほかに、もっと高い金額を出す人がいたのですが、なぜかあなたたちに売りたくなったのです」と言ってくれ、私たちは親しい友人に。彼は台湾SGIの地区友好総会にも参加してくれました。
 子どもたちも皆、後継の人材になっています。息子は夫のもとで修業し、パン職人に。毎月の座談会にも出席しています。
 高校、中学の2人の娘も未来部の活動に参加。美術の専門クラスに通う上の娘は、進路の悩みを通じて唱題に挑戦し、昨年、宜蘭高級商業職業高校に合格。これまで外から応援してくれた夫も、ついに入会に踏み切ってくれました。
 健康になった喜びと、一家和楽の感謝を胸に、これからも地域の人々に安くておいしいパンを届けていきたいです。

 

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あなたの知らない日本史をどうぞ。
歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索するとヒットし、小一時間で読めます。北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。 その1からラストまで無料です。夢殿と同じ八角形の北円堂を知らない人が多いですね。順に読めば歴史の扉が開き感動に包まれます。重複、 既読ならご免なさい。お仕事のリフレッシュや脳トレにも最適です。物語が観光地に絡むと興味が倍増します。平城京遷都を主導した聖武天皇の外祖父が登場します。古代の政治家の小説です。気が向いたらお読み下さいませ。(奈良のはじまりの歴史は面白いです。日本史の要ですね。)

読み通すには一頑張りが必要かも。
読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
ネット小説も面白いです。

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