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2020年5月

2020年5月31日 (日)

2020年5月31日(日)の聖教

2020年5月31日(日)の聖教

◆わが友に贈る

 きょうも懸命に
 「生活」を守り支える
 尊き方々がいる。
 その奮闘と献身に
 皆で心から感謝しよう!


◆名字の言 「配達日記」につづられていたこと  2020年5月31日

 本紙配達員を務める千葉の壮年から、ご自身の日記を見せていただいた。題名は「配達日記」。彼は、海辺あり山間部ありの自然豊かな地域を担当する。日記には、輝く星や昇りゆく太陽、道端に咲く花、空を飛ぶ鳥、虫の声など、配達中に出あった四季折々の光景が、生き生きとつづられている▼天気に関する記述も多い。特に毎年6月の前後には、「雨」や「霧」などが頻繁に登場する。雨上がりの新聞受けにいたアマガエルをユーモアたっぷりに紹介する一方、自身の足を滑らせないよう戒める言葉も幾度となく記される▼今月上旬に梅雨入りした沖縄に続き、本州でも徐々に梅雨入りを迎える。俳聖・松尾芭蕉が「降る音や耳も酸うなる梅の雨」と詠んだ空模様が続くことを思うと、常にも増して「無冠の友」の健康と無事故を祈らずにいられない▼重ねて、今回のコロナ禍の中でも、配達員の皆さまは日々、太陽の運行のごとく、読者に本紙を届け続けてくださっている。その尊き労苦に、あらためて感謝申し上げたい▼鮮やかな虹が出るのは、雨の後。梅雨の中を、そしてウイルスとの闘いの中を走る無冠の友の皆さまが、やがて虹のようにきらめく福徳に包まれゆくことを、強く確信する。「虹立ちて忽ち君の在る如し」(高浜虚子)。(道)


◆寸鉄

天晴れぬれば地明かなり
―御書。我らには太陽の
仏法あり!断じて信強く
     ◇
青年部がプロジェクト。
感染防止と生活の両立へ
―有益な情報発信を益々
     ◇
「汝自身に力をつけよ」
戸田先生。一日一日、目標
明確に挑戦。幹部率先で
     ◇
交通事故に注意。交差点
での左右確認等、基本を
徹底。運転者も安全運転
     ◇
2週間運動しないと高齢
者の筋力は23%低下と。
家でラジオ体操等工夫を


◆社説 世界禁煙デー・禁煙週間  「マナー」から「ルール」へ

 本年2月、鉄道車両から「喫煙席」が姿を消した。近畿日本鉄道が座席でたばこが吸える特急列車の運行を終了したためだ。一部の利用者からは「なくなるのは困る」との声が上がる一方、「廃止は当たり前で当然の流れ」と評価する人も。同社によると、4月の改正健康増進法の全面施行を踏まえ、座席禁煙化の導入を決めたという。喫煙の「マナー」が法に基づく「ルール」へと変化する今、全国各地で受動喫煙対策や禁煙を勧める動きが活発化している。
 日本たばこ産業株式会社の調査によると、成人男性の平均喫煙率は2018年(平成30年)には27・8%で(成人女性は8・7%)、年々減少傾向にある。喫煙可能な場所が減る中、スマートフォンなどを使ったオンライン禁煙治療で「卒煙」に取り組む人も増えつつあるそうだ。喫煙環境の変化に「肩身が狭い」と感じる愛煙家も多いことだろう。
 同法施行により、「望まない受動喫煙」を更に防止するため、鉄道のほか飲食店やホテル、オフィスなどの屋内が原則禁煙となった。昨年7月からは先行して「学校・病院・児童福祉施設等・行政機関の庁舎等」では、敷地内が全面禁煙になった。
 受動喫煙は心筋梗塞や脳卒中、肺がんに加え、子どものぜんそくや乳幼児突然死症候群等のリスクを高めるなど、人体にさまざまな影響を及ぼす。受動喫煙が原因による死者は日本で毎年1万5000人に上るとの推計もある。また、世界保健機関(WHO)などによると、たばこを吸う人は、新型コロナウイルスによる肺炎が重症化しやすいという。喫煙をする際には、自身の健康も含め、家族や周囲の人への配慮が重要だ。
 一方、来年に延期となった東京五輪・パラリンピックでは、大会期間中、競技会場の敷地内が加熱式たばこを含め、全面禁煙の予定となっている。夏季五輪では、屋外も含めた敷地内の全面禁煙は初めてのこと。中国やブラジル、ロシアも五輪・パラリンピック開催を契機に屋内禁煙が主流となった。五輪を通し、禁煙への大きな潮流が生まれている中、たばこを吸う人も吸わない人も互いに尊重し合い、気持ちよく過ごせる環境をつくっていきたい。
 池田先生は友に呼びかけている。「広宣流布という遠征のために、“健康”でなければなりません。健康を守るのは、基本的には自分自身です」(小説『新・人間革命』第29巻)
 世界禁煙デーのきょう31日から6月6日まで禁煙週間。一人一人が、たばこによる影響をより一層認識し、健康的なライフスタイルを目指したい。


◆きょうの発心 開目抄 関東女子部教学部長 栗和田瞳2020年5月31日

御文 我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ(開目抄、234ページ・編464ページ)
通解 私と私の弟子は、多くの難があろうとも、疑う心を起こさなければ、自然に仏界に至るであろう。諸天の加護がないからと、疑ってはならない。現世が安穏でないことを嘆いてはならない。

御書根本に幸福勝利の人生開く
 いかなる難があっても疑うことなく信心を貫けば、成仏の境涯を得られると仰せです。
 高校から東京・創価学園へ進学。自分に自信が持てずにいましたが、池田先生との出会いを通し、自らの使命を自覚することができました。
 報恩の誓いを胸に、女子部では埼玉の地で自身の壁を破る活動に勇んで挑んできました。
 2011年(平成23年)、父に病魔が。先生から励ましの伝言をいただき、“私は弟子ではないか。必ず宿命転換をしてみせる”と奮起。この御文を胸に、広布に走る中で、初めての弘教を実らせることができました。現在、父の病状は安定し、元気に学会活動に励んでいます。御本尊を信じ、師弟に生きる時、どんな苦難も乗り越えられることを深く実感しました。
 関東女子部の皆さんと共に、御書根本に師弟誓願の祈りで、幸福勝利の人生を開いていきます。


【先生のメッセージ】

◆女性が社会を輝かせる 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」2020年5月31日

 ピンク色のじゅうたんを敷き詰めたように、一面に咲くレンゲソウ。初夏の陽光に照らされ、いっそう輝いていた――。1980年(昭和55年)5月、池田大作先生が岐阜市内でカメラに収めた。
 中国では、古くから生薬として使われてきたレンゲソウ。花言葉の一つ「あなたと一緒なら苦痛が和らぐ」も、その薬効が由来とされる。
 6月は、創価の女性の月である。4日は女子部の「世界池田華陽会の日」、そして10日は「婦人部の日」。あす6月1日から“婦女一体”の「希望の絆 女性月間」がスタートする(同30日まで)。
 悩みや不安を抱える友に温かく寄り添い、励ましの力で“自他共の幸福の花園”を広げていこう。  

 時代は、

 女性のもつ
 しなやかな創造力、
 優しさ、温かさ、
 人間味などが
 社会に反映されることを
 求めている。
 物や効率ばかりを
 追うような社会から、
 心の通う人間らしい
 社会に戻していくには、
 女性の力が
 不可欠なのである。
  
 女性の聡明な笑顔、
 生き生きとした
 声の響きこそ、
 皆に勝ち進む活力を
 みなぎらせていく
 源泉である。
  
 女性こそ
 平和の担い手であり、
 生命尊厳の世界を築きゆく
 偉大な使命をもっている。
 女性を大切にし、
 女性の意見を尊重する――
 そうすれば、
 世界は、
 より良い方向へと
 変わっていく。
  
 女性は、
 いくつになっても、
 自分らしく花を
 開かせることができる。
 心にしっかりとした芯を
 もっている人は、
 時とともに輝いていく。
 そのためにも、
 何か、自分を進歩させる
 目標をもつこと、
 さらに人のため、
 社会のために
 尽くしていくことが
 大切である。
  
 女性には命を育む
 「慈悲」がある。
 生活に根差した
 「智慧」が光り、
 堅実に生きる
 「忍耐」があり、
 一歩も退かぬ
 「信念」が燃えている。
 世界一、宇宙一の妙法を
 持ち弘めゆく女性は、
 この社会で
 最高に尊貴なる
 宝の方々だ。
 「法華経の師子王」を
 持った女性こそ、
 時代・社会の最先端をいく
 一人一人なのである。

【聖教ニュース】

◆〈寄稿〉コロナ後の目指すべき社会  社会学者 大澤真幸
 国民国家を相対化する
 自発的な連合の重層化を

 現在、世界は新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)によって大きな転換点、岐路に立たされている。かつての日常が失われるなか、私たちの社会はどのような世界へと向かえばよいのだろうか。社会学者の大澤真幸氏にコロナ後の社会と世界をテーマに寄稿してもらった。

 おおさわ・まさち 1958年、長野県生まれ。千葉大学助教授、京都大学教授を歴任。社会学博士。著書に『夢よりも深い覚醒へ――3・11後の哲学』『自由という牢獄』『三島由紀夫 ふたつの謎』『社会学史』などがある。

地球社会貫く原理の限界
 人類の共同体は、国民国家の集合である。政治的主権は、最終的には国民国家に帰属しており、それよりも大きな組織(例えば国連)も、またより小さな共同体(例えば自治体)も、国民国家の主権を超える権限をもたない。そして何より、私たちのアイデンティティーが、国民国家への所属をベースにしている。標準的な日本人にとって、「私は日本人だ」という意識は非常に重要だ。しかし例えば「アジア人である」と意識することはほとんどなく、「○○県民である」ということを自尊心のよりどころとする人は少ない。
 従って、地球社会の全体を貫いている原理は、国民国家の間の競争の論理である。もちろん、国民国家は絶えず闘っているわけではなく、多くの協力的な関係が結ばれてきたが、そのような協力も、それぞれの国益に合致する限りでしか成り立たない。
 しかし、二十世紀の末期以降、私たちは、国民国家間の競争という論理には限界がある、いやこの論理は危険である、ということを繰り返し確認してきた。人類の存続にも関わるような大きな問題は、国民国家のレベルでは解決できない。それどころか、国民国家間の競争こそが、問題を深刻なものにしてきた原因だ。例えば環境問題。アメリカの「パリ協定からの離脱」が示すように、それぞれの国の利益の追求こそが、二酸化炭素排出量の削減という目標への到達を阻む最大の障害である。
 国際社会の基本的な枠組みが、「国民国家間の競争」である限り、個人が倫理の点でいくら成熟しても、絶対に重要な社会問題は解決できない。このとき、最も高潔な行為と最も野蛮な行為とが、完全に合致してしまうからだ。国民国家の観点からは、最も高潔な行為とは、自国民のために命をも懸ける覚悟でなされることだ。しかし、その同じ行為は、国家間で見れば、野蛮さむき出しの闘争として表れる。
 例えばある国の科学者が、その国の防衛方針に従い、自己犠牲的な努力によって核ミサイルを開発したとする。この業績は、その国の内側から見ると英雄的だが、国家間で見れば、ケンカを売っているに等しい。

一国だけの解決はない
 さて、現在の新型コロナウイルスのパンデミックは、「国民国家間の競争」という前提の下では絶対に解決できないということを示す究極のケースとなっている。述べたように、現在の重要な問題はいずれも、国民国家がそれぞれ国益を求めて競争しあっている限りは解決困難なわけだが、その問題から生ずる破局はまだ少し先のことであるため、人々は、何とか従来の枠組みの中でことを収めようと、「悪あがき」してきた。しかし、目下の新型コロナの場合は違う。破局的な混乱はすでに来ているのであって、私たちは今その渦中にいる。
 もちろん、現在、コロナ対策は国ごとに行っている。各国政府は、外国からの渡航を制限し、都市をロックダウンしたり、人々の外出を制限したりしてきた。そうしながら、世界中の人が理解したことがある。感染症の流行は、一国だけでは解決できない、と。いや、そもそも、「一国だけの解決」ということ自体がナンセンスだということを人々は学んだはずだ。
 仮に自国の感染者の数が減少し、ゼロに近づいても、他国で流行が止まっていなければ、自国にとってさえも解決ではない。地球上のどこかに、感染者がいれば、ウイルスがいつ自国に再び入ってくるか分からないからだ。そもそも、他国に感染者がいる間は、十分な経済活動も交流も不可能で、私たちは本来の生活を取り戻すことはできない。要するに、「一国だけ」であれば、それはいまだ解決ではないのだ。
 従って、各国政府が奮闘する中で明らかになったことは、「国民国家の主権」の不十分さ、無力さである。ここから導かれる教訓は次のようなことだ。すなわち、今後もまだ何年か続くパンデミックへの対応を通じて、あるいはコロナ後の来るべき社会においては、国民国家の主権は相対化され、やがて乗り越えられなくてはならない、と。
 国民国家の主権は、二つの方向へと――つまり、より包括的な上位と、よりローカルな下位へと――向けて相対化される必要がある。

人々にも変化の必要が
 一方で、国民国家は最終的には主権を放棄し、代わって主権は、国民国家を横断するグローバルな共同体に、要するに「人類」そのものであるような共同体に担われるべきである。現在でも、WHO(世界保健機関)や国連など、国民国家をつなぐ機関や制度はあるが、それらは、国民国家の主権を超えるものではないので、いざというときに役立たない。WHOや国連が、国民国家の争いの場となってしまうからだ。将来は、WHOや国連を改組し、「人類」を代表するそれらの機関に、国民国家レベルの行動を抑制し得る権威が与えられなくてはならない。
 この目標はしかし、非常に高い。人類を代表するとされる機関が民主的に支持され、実際に機能するためには、少なくとも、私たちのアイデンティティーの在り方が変容しなくてはならない。国民国家への所属からくるアイデンティティーより、人類という共同体への所属に基づくアイデンティティーが優越する必要がある。「日本人」や「アメリカ人」であるより前に世界市民である、と。
 例えば、グローバルな機関は、パンデミックのとき、医療資源やスタッフを「わが国」ではなく、別のもっと感染者が多い地域に優先的に配分すべきだと決定するかもしれない。「国益」には反するこうした決定を受け入れられるためには、人は世界市民である必要がある。他方で、(大枠の方針ではなく)具体的な個々の判断や施策に関しては、権限は逆に、国民国家よりも小さいローカルなコミュニティーのレベルへと移されなくてはならない。現在のコロナ対策において、日本でも、また他国でも、一国の政府よりも、地方自治体の首長や地方政府の活躍が目立っているが、それには理由がある。医療に関しては、地域の実情を熟知し、それに即した対応ができる行政機関が必要だからだ。人が、地方政府の判断を信頼できるのは、もちろん、ローカルなコミュニティーに対して、強い参加意識をもっているときに限られる。
 従って、整理すれば、国民国家は、将来的には、その上位と下位の二つのレベルの「連帯」によって相対化される必要がある。ローカルなコミュニティーのレベルの連帯とグローバルな人類のレベルの連帯である。この二つのレベルを合体させると、私たちが最終的に目指すべき社会の在り方として、次のような理念的な像を得ることができる。
 コミュニティーの理想を、自由な個人の間の自発的な連合という意味で「アソシエーション」と呼ぶとしよう。これをグローバルな連帯と接続するということは、結局、アソシエーションを重層化していくということである。アソシエーションの集まり自体が、アソシエーションの原理で結び付く。アソシエーションをこうしてより包括的なものへと何段階も積み上げ、最終的には人類の普遍性へと至る。これは単純化したモデルだが、しかし、コロナ後に目指すべき社会の骨格を表現している。

世界市民として考える
 とはいえ、悲観的にもなる。私たちが現在目にしているのは、むしろ国民国家レベルの極端な利己主義でもあるからだ。トランプ大統領がドイツの製薬会社に米国人向けのワクチンを開発させようとしたり、中国がコロナ後の覇権を視野に入れて戦略的に他国を援助したり、米中が互いを非難しあったり……と。パンデミックの前からあった「自国ファースト」の方針が、強化されようとしている。
 要するに、人類は、現下のパンデミックの中で、大きな分かれ道に差し掛かっているのだ。国民国家の利己主義を極限まで推し進めるのか、それとも国民国家を相対化する新たな連帯へと向かうのか。二十一世紀の末にも人類が繁栄しているとすれば、私たちが今、後者の道を選んだときである。
 二百年以上も前にカントが書いていたことが、今このときほど当てはまるときはない。カントによれば、思考の自由とは、理性を公的に使用することだ。普通私たちが「公的」と見なすこと、例えば公務員が自国のためにあれこれ考えることは、カントの考えでは、理性の私的使用である。それは国家の利己的利害に縛られているからだ。理性の公的使用とは、世界市民として考えることである。
 カントはこうも書いている。思考の自由を維持しつつ、とりあえずは国家のルールに従いなさい、と。私たちも今は安全のために必要な要請に従いながら考え抜こう。理性を公的に使用する術を得たならば、私たちは正しい道の方へと進みつつあることになる。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈未来に輝く知性の宝冠〉 カナダ ラバル大学2020年5月31日
 個性が光る多文化主義
 対話を重視する人間教育に世界市民育成の模範を見た

350年の伝統が光るラバル大学からの「名誉教育学博士号」の授与式。ブリエール学長(当時)㊨から池田先生に学位記が手渡された(2010年5月、東京・八王子市の創価大学で)

350年の伝統が光るラバル大学からの「名誉教育学博士号」の授与式。ブリエール学長(当時)㊨から池田先生に学位記が手渡された(2010年5月、東京・八王子市の創価大学で)

 「私の大好きなカナダの天地に、お元気で、まもなく99歳になられる偉大なお母さまがおられます」
 カナダ・ラバル大学からの「名誉教育学博士号」に対する池田先生の謝辞は、こんな言葉で始まった。
 2010年5月4日、創価大学での授与式。
 先生が語った“カナダのお母さん”とは、ブリエール学長(当時)の母・ガブリエルさんである。
 「自立」と「自発」の心を育んでくれた母は、学長にとって生涯、感謝してもしきれない存在であった。そんな母子の絆を通して、先生は呼び掛けた。
 「大きく深い『母の恩』を知り、それに報いていく心から、確かな『平和』の心が生まれるのです」と。
 その後も先生は、集った友に訴えた。「親孝行の前進を!」「勇気と忍耐で勝て! 断じて負けるな!」
 そのたびに、参加者からは「ハイ!」と元気な返事が。そんな“父子”の交流を、ブリエール学長は目を細めながら見つめた。
 学長に、先生への名誉教育学博士号の推薦状が届けられたのは、08年のこと。当時の教育学部長による推薦だった。
 先生の教育哲学と平和への実践が、同大学が掲げる価値観と一致するものであることを、学長は知った。その後、学長の正式な推薦が大学理事会で評決され、授与に至ったのである。
 ブリエール学長が特に感銘を受けたのは、対話を通して交流と相互理解を促進するとの、先生の教育観であった。「世界市民としての人間の育成」を目指すラバル大学にとって、その模範を示すのが創価教育であると確信した。
 大学の歴史上、異例ともいえる学外での授与を、自ら来日して挙行したゆえんも、ここにあった。
 そして授与式は、学長にとって、先生の人間教育の一端を垣間見る式典ともなった。
                          ◇ 
 ラバル大学は、北米最古のフランス語系の大学である。その歴史は、世界へと扉を開いた国家の歩みとともにある。
 16世紀以降、カナダには多くのフランス人が移り住み、「ニューフランス」と呼ばれた。1663年には初の司教であるフランソワ・ド・ラバル卿によって、神学校が創立。これがラバル大学の前身である。
 18世紀、植民地を巡る戦いで、イギリスがフランスを破る。イギリス領となったカナダは、英語とフランス語の二言語政策、さらに「多文化主義」への舵取りを開始した。
 世界有数の移民、難民の受け入れ国であるカナダ。その数は、毎年20万人以上を数える。“世界中のあらゆる民族が住んでいる”といわれる、多民族国家として発展を遂げた。
 多民族国家といっても、カナダのそれは、特定の生活や行動様式に統合されていく「るつぼ」のような同化主義ではない。それぞれの民族が、独自の伝統や文化、生活習慣を守りながら暮らす国家のあり方であり、「モザイク」に例えられる多様性である。
 列強による支配を乗り越え、外交にあっては、大国間の「橋渡し」「仲介役」として国際社会で確かな地位を確立し、内政においては、民族間の平等を常に模索しつつ、平和と共存のグローバル時代の先頭に立ってきた。
 1960年以降、同国を3回訪れた池田先生は、カナダは「思いやりの文化」の国であるとたたえる。
 87年には、同国SGIのメンバーが永遠の指針とする長編詩「ナイアガラにかかる虹」を贈り、こうつづった。「多種多様な相違のなかにあって/一人ひとりの色彩を生かしつつ/美しき調和の虹をかけゆく/包容と忍耐のリーダーであってくれ給え」と。
 個性が輝く“思いやりの国”カナダにあって、ひときわ独自性を保ってきた地域が、ラバル大学が立つケベック州である。カナダがイギリス領となった後も、同州では「ケベック法」などにより、フランス独自の文化や慣習が残されてきた。現在も人口の7割をフランス系が占め、唯一の公用語はフランス語である。
 そんなケベック州で発展したのが、「間文化主義」といわれる理念である。異文化との交流を重視し、その交流で生じる摩擦を乗り越えるために、「対話」に重点を置くことを指す。
 ラバル大学にもまた、対話を重視した人間交流の文化が息づく。池田先生と創価教育に着目したのは、必然であったといえる。
 同大学のジャルベ教育学部長は述べている。
 対話においては、偏見や決め付けを取り除き、相手を自分と同じ「価値のある存在」と見ることが大切です。創価教育は、自分と相手を結ぶ対話の空間をつくる特色があります――と。
                           ◇ 
 名誉教育学博士号の授与式の後、創大にほど近い牧口記念庭園で、ブリエール学長の母をたたえる「ガブリエル・ブリエール桜」の植樹が行われた。
 ガブリエルさんが99歳で天寿を全うしたのは、その4カ月後であった。
 「人生の最終章に、桜の植樹という永遠の思い出を刻むことができた母は、本当に幸せな人でした」
 感涙をにじませて語った学長。母との絆を心の滋養として、さらなる大学発展へと力を注いだ学長が、その実践の原動力にしたのが創価教育であった。
 先生の教育の精神に啓発を受け、ラバル大学での奨学金プログラムの人選基準を、従来の学業成績から、学生の持つ人間的な指導力や人道的な行動に移したという。
 また学長は、2014年にも来日し、創価学園、創大を訪問。生徒、学生らと触れ合うたびに、人間教育の精神がキャンパスに流れていることを確信し、先生への信頼と敬愛を深めた。
 ラバル大学との友情は、大きく広がる。18年には、先生の対談集や学術講演集など150冊の書籍が、大学の図書館内の特設コーナーに設置された。
 また、ジャルベ教育学部長らを中心に、アメリカ・シカゴのデポール大学「池田大作教育研究所」と連携し、先生の教育思想の研究が進んでいる。
 「名誉教育学博士号」の授与式で、先生は語った。
 「創価教育は、日本の軍国主義と対決した初代・牧口先生と、2代・戸田先生を源流として、三代の師弟の大河となりました。教育の連帯を世界に広げ、正義と英知の人材を続々と育てる。ここにこそ平和の創造があります。これが教育の根本です」
 本年は、『創価教育学体系』発刊から90周年。創価の人間教育の“苗木”は、平和と友情の大樹へと育った。多様性の国・カナダをはじめ、世界各国で人材の大輪の花を咲かせている。
 その人華の彩りこそ、“創価教育の勝利”の何よりの証左である。北米初のフランス語系大学 国家の知の伝統をリード
 1663年、ケベック州に誕生したケベック神学校に淵源を持つ、北米最古のフランス語系大学。1852年、正式に現在の大学として設立された。
 法学、医学、哲学など17学部に約4万3000人が在籍。最先端の設備を誇る研究センターなども充実。世界77カ国の約600の大学などと協力協定を結ぶ。
 卒業生は31万人を超え、カナダの歴代首相、最高裁判事、大使、オリンピック選手、ケベック州首相など各界で活躍。多文化主義を進めるカナダの、知の伝統を力強くリードする。

ブリエール前学長
 私自身、深く感動したのは、(創価の学びやの)学生や生徒たちがいかに世界に開かれた眼を持ち、自身を取り巻く環境や社会に開かれた意識を持って学んでいるか、ということです。
 彼らは自身のため、そして社会のための教育の意義を深く理解していました。学ぶことの目的を何よりも大切にしていました。ゆえに、心からの喜びと感謝をもって学んでいました。
 その教育の精神と伝統が、小学校から大学まで一貫している――ここにこそ、創価教育の最大の強みがあると思ったのです。(中略)
 私たちが何かに感謝するのは、その価値に対して深い「信」を置いているからに他なりません。
 また感謝するということは、自らがその価値に献身することを意味します。その献身を通して、価値は自身の中で肉化され、新たな創造をもたらすのです。さらに感謝するということは、既成の価値に、より深い意味を与えていく力となると言ってもよいでしょう。そこにこそ、SGI会長が強調される感謝の真価があるのではないでしょうか。(中略)
 私がここで明確にしておきたいのは、わが大学がSGI会長に名誉博士号を授与したのは、人生のあるべき価値を体現し、それを通して社会への貢献を果たした偉大な人物をたたえてのものであるということです。そして、その称号は学長である私個人の意志ではなく、大学の総意として贈られたものなのです。
 この栄誉をカナダからSGI会長に授与することができ、私たちは、大きな誇りと喜びを覚えているのです。(本紙2011年11月7日付)


◆自分と周囲の人々の健康を守る鍵は励まし励まされる“人のつながり”――青年部と医学者による第7回オンライン会議から㊤
〈危機の時代を生きる〉 感染症という「挑戦」に「応戦」するために

 新型コロナウイルスの感染状況を踏まえ、青年部の代表と医学者らが3月末からオンライン会議を行っている。第7回の会議は28日に開かれ、ウイルス学を専門とする東海大学の山本典生教授、公衆衛生等に詳しい東京医科歯科大学の藤原武男教授、新潟大学の菖蒲川由郷特任教授らと「感染症という『挑戦』に『応戦』するために」をテーマに語り合った。同会議の内容を上下2回にわたり紹介する。㊤では、免疫力を向上させるポイント、ワクチン開発の見通しなどに迫る。

感染予防と生活を両立させる「新しい日常」の定着化を

 志賀青年部長 今月25日に全国で緊急事態宣言が解除されたことを受けて、あたかもコロナ以前の状態に戻ったかのような「気の緩み」が懸念されています。宣言の解除は決して「ゴール」ではなく、新たな日常の「スタート」です。
 学会としても、6月中旬から順次、訪問による激励の一環として、年譜『栄光の共戦譜』の贈呈が始まります。
 まずは、感染予防と生活を両立させるために、私たちが意識すべきことを、改めて確認できればと思います。
 
 菖蒲川新潟大学特任教授 緊急事態宣言が解除され、大きな波は過ぎ去ったようにみえますが、決して楽観できる状況ではありません。
 実際に北九州市では、23日連続で感染者が出ていませんでしたが、ここ数日間で複数のクラスター(感染者集団)が発生しました。感染経路が不明な人もおり、同市では多くの公共施設を臨時休館するなどの感染予防策を講じています。
 このように、地域によって感染状況が異なるため、今後は、医療体制や検査体制の状況を考慮して、地域ごとに柔軟に対応していく必要があります。依然として、いつどこで感染が広がってもおかしくない状況ですから、感染予防と社会経済活動を両立させていくための「新しい生活様式」を定着させていくことが重要です。
 これからは、人と対面する機会も徐々に増えます。その際、密閉・密集・密接の「3密」を避けるとともに、身体的距離の確保、マスクの着用、手洗いの励行が基本になります。
 さらに、屋内であれば、小まめに換気をする。体調が優れないときや風邪等の症状が出たときは職場や学校を休む。多人数での会食を避ける――といったことも大切です。政府や行政が発信する方針に基づきながら、賢明に行動していくことで、感染するリスクを減らせます。
 ここで注意したいのは、地域ごとに感染状況が異なり、とるべき対策の度合いも違うことから、情報が錯綜することです。一部のマスコミの大げさな報道や、うわさ話に惑わされず、自分の住む地域の情報を正確に捉えて、行動していく意識が大切です。
 
 勝又創価女性医学者会議議長 診療に訪れる患者さんの中には、“感染しないため”と、普段は一歩も外に出ないという方も多いです。
 直接の対面に抵抗がある方もいらっしゃるでしょう。知識の違いもありますし、同じ知識があっても、その捉え方は人それぞれです。人と会う際は、相手と事前によく相談しながら、互いに安心できる、きめこまかな配慮をしていきたいですね。

ストレスの軽減が免疫力を向上

〈ポイント〉
①質の高い睡眠
②バランスのとれた食事
③適度な運動

 西方男子部長 感染拡大防止の取り組みが長期化する中、ウイルスなどの病原体から体を守る「免疫の働き」が注目されています。免疫の仕組みや、どのような意識と行動が自己免疫を高めるのか、教えていただければと思います。
 
 山本東海大学教授 「免疫」とは、簡潔に言うと、体に侵入してきた病原体を体から追い出したり、攻撃を加えたりする働きのことで、人間の生命維持に欠かせない機能です。
 
 この仕組みは、主に二つに大別されます。
 一つは、病原体への接触がなくても、生まれながらに体に備わっている「自然免疫」です。病原体を自らに取り込んで排除してくれます。もう一つは、特定の病原体に感染することで、後天的に得られる「獲得免疫」です。標的の病原体や、その病原体に感染した細胞を攻撃します。
 こうした免疫の活性化には、「心の状態」が密接に関連していることが、広く認識されています。
 この自粛期間、人と直接、会えないことによるコミュニケーション不足や孤立感の増幅、行動制限による経済活動の停滞など、多くの方がストレスを募らせているのではないでしょうか。こうしたストレスがたまると、交感神経が優位になりすぎ、免疫の働きを抑制してしまいます。さらに「コルチゾール」という副腎皮質ホルモンが過剰に分泌されて、免疫の活性化を抑えてしまうのです。新型コロナウイルスに限らず、ほかの病気にもかかりやすくなってしまうので注意が必要です。
 免疫学の観点からも、ストレスに対して適切に向き合い、対処することが求められます。
 そこでポイントになるのは、基本的な生活習慣を整えることです。
 まずは「質の高い睡眠をとる」ことです。
 日々の起床と就寝のリズムを一定にし、年齢に合った十分な睡眠時間を確保することが質の高い睡眠をとる基本です。つい夜更かしをしてリズムが狂うと睡眠の質が低下します。質の低い睡眠を続けると、風邪等のウイルスへの感染率が高まるとの報告もあります。
 次に「バランスのとれた食事」です。
 ストレスがたまると、食事が偏りがちです。決めた時間に食事をすることや豊富な栄養をとるよう意識することが大事です。
 さらに、健康維持のために「適度な運動」も欠かせません。感染予防に十分に努めた上で、散歩やジョギングを行うと、気分転換にもなります。
 その上で、誰もが不安を抱える今、免疫を高める力になるのが、「人と人とのつながり」です。
 皆さんも実感されたことがあると思いますが、誰かを励ましていると、自分が励まされます。不安や悩みを人に語ると、心が軽くなります。「声を出して笑う」ことも、免疫を活性化させるといわれています。
 創価学会の皆さんは、日常的に“励まし、励まされる”つながりを大切にされています。こうした行動が、自分のみならず、周囲の人々の健康をも守ることにつながると確信していただきたいと思います。

ワクチンだけに頼らない長期的対策に取り組む

 庄司創価青年医学者会議議長 世界中の医薬品メーカーや研究機関の研究者が、新型コロナの発症や重症化を防ぐ「ワクチン」開発に取り組んでいます。しかし、実用化には、まだ時間がかかるといわれています。実用化の見通しは立っているのでしょうか。
 
 山本 早期終息の鍵として「ワクチン」への期待が大きく、メディアでも連日、報道されています。ただし、実用化の時期については、安全性と有効性の観点から、慎重に見ていく必要があります。
 感染症に対するワクチンは、健康な人に対して、予防の目的で投与されます。ですから、通常の医薬品以上に高い安全性が求められます。そのため、ワクチンの臨床試験には、厳しい基準が設けられており、手続きも複雑です。
 まず、人や動物に投与可能な、一定基準を満たした試薬をつくり、動物実験で安全性、有効性を確認します。次に、少人数を対象とした試験で、人での安全性を確認し、続いて有効性の確認と適切な投与量を決めるための試験を行います。そして、多数の人を対象とした試験で安全性、有効性、投与量の適切性が確認されてから、ようやく承認の手続きへと進みます。
 各段階の試験は、種類にもよるので一概には言えませんが、8週間程度かかります。1回目のワクチン投与後、4週間おいて2回目の投与を行い、さらにその4週間後に抗体量などを調べるという具合です。
 世界規模で広がる感染症には、あらゆる人々が利用できるワクチンが必要です。また、いくら有効性が高くても、副作用のリスクが大きければ、実用化は望めません。これまでの感染症で、ワクチンを投与したことが原因で重症化した事例もありました。
 こうした安全性と有効性を確保した上で、実用化するためには、膨大な数の生産体制を整える必要もあります。仮に完成したとしても、多くの人に公平に行き渡るためには、さらに時間を要するわけです。
 新型コロナウイルスのワクチン開発の現状は、まだ多数の人への試験まで至っていないと推測されます。個人的な印象を率直に言えば、ワクチンの承認は、順調に進んだとしても、早くて2021年以降ではないかと思っています。
 さらに言えば、季節性インフルエンザは毎年、流行する型が変わるので、ワクチンを毎年、変えるなどして対応していますが、新型コロナウイルスの場合、どのように変異するかなどは現時点で、まだ全容が解明できていません。ですから、一つのワクチンが開発されても、即座に全てが解決するということにはならないのです。
 その中で、世界中の研究者が今、たくさんの命を守るために、昼夜を分かたず、この難題に挑んでいます。私たちもまた、基本的な感染予防対策を怠らず、身近なところから、自分と周囲の命を守る行動を起こしていきたいと思います。
 
 <㊦に続く>
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◆「人生地理学」からの出発 自己を知り、豊かな世界像を築くために  2020年5月31日
 東京学芸大学 名誉教授 斎藤毅
 第2回 「人生地理学」の概要

『人生地理学』は、今では電子書籍で読むことができる

『人生地理学』は、今では電子書籍で読むことができる

 『人生地理学』の刊行は明治36年(1903年)。その後、版を重ね、手元にある聖教文庫は第5版(明治38年〈05年〉)によっています。
 まず、巻頭の「例言」では本書の刊行目的や推薦を受けた志賀重昂(『日本風景論』を著した高名な地理学者)への謝辞などが、次いで「緒論」では人間と自然の関わりの多様性が述べられ、その実際の姿を知る手掛かりとして、郷土観察の重要性が強調されます。

精神的交渉に力点置く
 緒論では、人間と自然との関わりを大切に考える立場から、最初に吉田松陰の「地を離れて人無く、人を離れて事無し。人事を論ぜんと欲せば、まず地理を審らかにせざるべからず」の名言を引用し、「地人はいかに交渉するか」が論じられます。
 牧口常三郎師は、人間と自然の広範かつ多種多様な関係を、「肉体的交渉」と「精神的交渉」に分かりやすく分類しました。
 一見、ドキッとする表現ですが、前者は大地に生を受けた生物の一種としての観点から人類を見た、人間と自然の関係です。後者は人間の精神世界に与える自然の影響といえます。
 特に「精神的交渉」に力点が置かれますが、ここでいう自然とは自然地理的な大地ばかりでなく、いわば風景としての自然です。
 そのため、全く同じ風景でも、例えば農民と詩人や画家では見方や感じ方が同じはずはないとし、「ひとり自然界の事物においてのみならず、人事界の現象においても、またそれに対する人々によりて、その交渉の方面を異にするを観る」と書いています。
 そして、この精神的交渉の形態を、①知覚的②利用的③科学的④審美的⑤道徳的⑥同情的⑦公共的⑧宗教的――の八つに分類。
 結論として人間と自然の交渉は、ある程度までは同じでも「各方面の交渉の程度は、その地方の性質と、これに対する人民の性質とによりて異なるものなり」と断じます。
 当然のことともいえますが、私が後に回を改めてお話しする世界観や世界像とも関わることなので紹介させていただきました。

日本人と太陽の関係
 本文は全34章から成り、第1章から第13章までが第1編「人類の生活処としての地」で、「日月および星」から始まります。地球、島嶼、山岳、平原、海洋、海岸などが個々に扱われ、それらの人間生活との関わりが述べられます。
 例えば、太陽は単に天体としてではなく、あくまでも人生との関わりで論じられ、特に「日本人と太陽」の節を設け、「国号を『日本』となし『日の丸』を国旗となし(中略)日本国民は、太陽と一種独特の交渉を表するものと謂うべし」の一節が目を引きます。

楽しく読める地理学書
 第14章から第19章までが第2編です。「地人相関の媒介としての自然」が、それぞれ個別に論じられていきます。牧口師の言われる「媒介」、すなわち、私たちの地球を構成する諸要素――地質、大気、気候から始まり、さらに植物や動物とともに、自然人類学的な扱いによる人間が取り上げられています。
 なお、「地人相関」とは当時、地理学的によく用いられた言葉で、その地域の大地と人間生活との相互関係といった考え方です。
 第16章「気候」では、自然地理学的な説明の後で、例えば「雪と人生」などの節があって、「雪景」が取り上げられ、紀貫之の「雪ふれば 冬ごもりせる 草も木も 春にしられぬ 花ぞ咲きける」の和歌まで登場します。
 第17章「植物」や第18章「動物」についても、その個々の有用性を具体的に述べた後で、「植物の人生に対する精神的方面」の節を設け、牡丹や桃、桜など、私たちがよく目にする植物について、それぞれにちなむ古歌を添えています。
 蓮のところでは、「はちす葉の 濁りにしまぬ 心もて なにかは露を 玉とあざむく」と、古今和歌集にある僧正遍昭の有名な夏歌も。そのため、とかく堅いイメージの地理学の書物とは思えぬほど、楽しく読むことができます。
 これまでも、人々の生活と関わりの深い動植物を個々に取り上げた地理学の書物として、カント(ドイツの哲学者)の『自然地理学』があります。今では和訳でも読めますが、一般の読者はもちろん、日本のほとんどの哲学者は、この部分を読み飛ばすでしょう。

世界的視野の国家論
 第20章から第29章は第3編「地球を舞台としての人類生活現象」で、社会や諸産業の立地論に及び、さらに、国家や都市、人情、風俗、文明などにも筆が進められています。
 前半は主に社会や産業、交通などを地理学的な視点で言及した内容ですが、後半は「国家地論」(第25章)や「人情風俗地論」(第27章)など、ややユニークなものです。
 「国家地論」は、国家の機能や目的などから入りますが、単なる「国家論」ではありません。世界的視野から、日本をはじめ諸国家の特性を比較しつつ論じたものです。
 考えてみれば、私たちは20世紀、実に多くの国家の興亡を見てきました。
 第1次世界大戦後のハプスブルク帝国の解体と民族国家の独立に始まり、第2次世界大戦後のアフリカからオセアニアやカリブ海の島々に至る百カ国を超える国々の誕生。一方で、ソ連やユーゴスラビアなどが、信じ難いほど、あっけなく解体したのも驚きでした。
 日本も戦後、大きく変貌しましたが、その割には世界的視野に立った憲法論や比較国家論の研究が、政治地理学を含め、あまり活発とはいえません。幾つかの領土問題をはじめ、多くの自然災害や、解決を迫られている社会的諸問題は少なくないとしても、日本が国家として極めて安定してきたことも一因でしょうか。
 確かに、国家の総合的指標ともいえる通貨「円」が国際的に一定の信用を得ているのを見ても、このことはうなずけます。とはいえ、『人生地理学』に触発され、国際関係論や国際政治地理学研究の新たな発展が期待されるところです。

地理教育の現場を嘆く
 第4編が「地理学総論」(第30章から第34章)となり、地理学の概念やその発達史、研究法、そして『人生地理学』の科学的な位置づけなどとなります。
 ここでは、特に第33章の「地理学の研究法」で、地理が教育現場で単なる暗記科目となっているのを嘆くとともに、その研究法も他の諸科学と同様、記載から比較、統合へと発展すべきとしています。
 地理教育についての具体策は、後に刊行された『教授の統合中心としての郷土科研究』(1912年刊)へ続きます。

今に通じるメッセージ
 全編は格調高い文語体ですが、文庫版や電子書籍では適宜、脚注が施され、読者の便が図られています。
 いずれにしても百年前の著作なので、現代の世界と大きく異なるのは当然ですが、牧口師が本書に込められたメッセージは、今も大変に貴重なものといえましょう。それでは一体、牧口師の地理学思想のうち、現代の私たちは何を、どのように継承し、発展させていけばよいのでしょうか。
 そして、何よりも思想としての地理学の可能性について、さらに、できることなら私の発生的地理教育論のささやかな研究も含め、牧口師が地理学や地理教育の研究から、どのようにして創価教育論に到達されたかについて、回を改めて皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

◆「人生地理学」からの出発――自己を知り、豊かな世界像を築くために 東京学芸大学名誉教授 斎藤毅
第1回 牧口常三郎と「人生地理学」

 今月から、東京学芸大学名誉教授の斎藤毅さんの新連載「『人生地理学』からの出発――自己を知り、豊かな世界像を築くために」をスタートします。日本地理教育学会元会長の斎藤さんと一緒に、地理教育の実践者でもあった牧口常三郎先生の大著『人生地理学』をひもときながら、私たちの生活と地理学との関係などについて考えていきたいと思います。(原則、月1回掲載。この間、「切手で築こう現代の世界像」の連載はお休みします)?

座談会風にくつろいで
 これからお話しすることは、「自然観」や「世界像」など、あまり普段、耳慣れない言葉がいろいろ出てくるので、何か哲学的で面倒な話ではないかと気遣われる方がおられるかもしれません。しかし、ご安心ください。「確かに、これまで全く気付かなかった」ということは、あれこれあるかと思います。また、「そう言われれば、その通り」と納得されることも多いでしょう。哲学とは本来、そういうものです。どうぞ、座談会に臨まれる気持ちで、お互いに気軽にくつろいでいきましょう。

大学教員時代に出合う
 私が牧口常三郎師を書物で初めて知ったのは、大学院を出て最初に教壇に立った鹿児島大学でのこと。当時、地域研究や郷土研究の方法論に関心があって、柳田國男の日本民俗学について研究している時でした。
 牧口師が『人生地理学』という大著を著し、柳田とも親交があったばかりでなく、五千円札の肖像ともなった新渡戸稲造の「郷土会」にも名を連ねていたのを知ったからです。牧口師については創価学会の創立者として名前だけは知っていましたが、何とも意外な感じでした。ただ、その時は同じ地理学の研究者として、ある種の親しみを感じるにとどまりました。
 それにしても、これはいささか不勉強のそしりを免れませんが、少なくともそれまで牧口師やその著作について、大学や大学院の講義やゼミで耳にしたことはなかったのです。
 ずっと後になりますが、私の畏友の一人、故・竹内啓一氏(日本地理学会元会長)は、『近代日本地理学史』を海外向けに英文で刊行。その中で「牧口常三郎と仏教」のテーマで、「創価学会の創始者:知られざる地理学者」としつつ、11ページにわたってかなり詳しく紹介しています。
 ところで、読者の皆さまは逆に地理学者としての牧口師はあまりご存じないかもしれません。また、地理学そのものについて、特にその方法論的な問題や、地理学と人生との関わりなどについて関心をお持ちの方が多くないとしたら、とても残念なことです。

牧口師と地理学の関係
 牧口師は評伝によると、明治26年(1893年)に北海道尋常師範学校を卒業され、直ちに付属小学校の訓導、すなわち現在の教諭に就任。明治29年(96年)には、あの難関の文部省中等学校教員検定試験の「地理地誌科」に合格。翌年には母校の地理科担当の助教諭に任命されています。しかし、付属小学校の訓導は併任していました。
 その後、『人生地理学』をはじめ、郷土研究法など地理教育論に関する多くの著作の発表が続きます。
 日蓮仏法に帰依されたのは昭和3年(1928年)。『創価教育学体系』第1巻の刊行は昭和5年(30年)です。このように牧口師は地理学の研究や地理教育の実践者として、その人生の多くを過ごし、特に地理学を通しての教育への関心は極めて高かったようです。創価学会も、創立当初は「創価教育学会」だったのをご存じでしょう。

人間生活の視点から
 さて、『人生地理学』を今では電子書籍(本社刊)で容易に手にすることができますが、原著は濃い緑の表紙のある分厚いものでした。その具体的な内容は後ほど紹介しますが、明治後期の地理学書としては珍しく、「系統地理学」的な手法が取られています。
 すなわち、世界の自然とそれに関わる人間の営みを農業や工業など、いわばテーマ別に取り上げ、それぞれを「人生」(=人間生活)の視点から記したものです。一般に地理の書物は、例えば福沢諭吉の『世界国尽』をはじめ、国や地域を総合的にまとめた「地誌」が多く、その集大成が「世界地理」と呼ばれてきました。
 従って、この『人生地理学』は、「世界地理」が頭の中にある人たち、つまりは後述する世界像がそれなりにできている人たちにとっては、その相互の結び付きが理解でき、国際的な動きもよく認識できたと思われます。

志賀重昂の推薦を得る
 北海道の小学校で多くの地理教育の実践を積みながらも、上京当時の牧口師は世間一般に認められていたわけではありません。
 幸い、『人生地理学』の出版に際し、志賀重昂(しがしげたか)の知遇を得て、推薦の辞をもらっています。
 札幌農学校出身の志賀は在野の地理学者でしたが、世界各地を遊学。新しい地理学を修め、地理書『日本風景論』を出版。これが大ベストセラーとなり、当代きっての著名な地理学者となっていました。実際、牧口師もこの書物に少なからず影響を受け、後に「環境決定論」と呼ばれる当時の地理学の思想を踏まえており、『人生地理学』の中でも直接、志賀の説を随所に引用しているほどです。

「日本風景論」の中身
 『日本風景論』が地理学の研究者ばかりでなく、当時、国民的に迎えられたのには、その時代的背景が大いに影響していました。なお、この本は今では岩波文庫の一冊となり、容易に読むことができます。  明治維新後の日本の近代化の中で、日清戦争を経た日本人に、『日本風景論』は風景観の転換を迫り、ナショナリズムのよりどころを与えたためでした。それまで多くの日本人は、世界で最も美しい国は清国(中国)と思ってきました。床の間の掛け軸には、桂林付近の竹の子型の絵が飾られています。一種のカルスト地形ですが、日本の石灰岩地域で見ることはできません。また、大名や豪商、文人たちは、湖南省の景勝地を描いた「瀟湘図」を求め、それへの憧れから、いつしか相模湾岸地方の一部に「湘南」の地名さえ与えたほどでした。
 志賀が新しい地理学を学んだのは、実はヨーロッパでも風景観の転換が行われた後でした。
 少々余談ですが、今、私たちはアルプスの山々を大変美しいと感じ、スイスは憧れの観光地の一つです。しかし、かつてアルプスはヨーロッパを南北に分断する、いわば魔の山。人々は恐る恐るその幾つかの峠を越えました。主要な峠にサン・ベルナールのように聖者の名前が付けられているのも、そ表れでしょう。そのうえ、アルプスの山麓は氷河に削られた岩がゴロゴロする痩せた土地。作物も十分に育たず、住民の多くは草をヤギや牛に与え、牧畜で暮らしを立てていました。
 ヨハンナ・シュピリの小説『ハイジ』には、夏の山小屋の生活が描かれていますが、雪の消えた森林限界上の草原の草もヤギの飼料として大切なものでした。なお、この草原が、本来の「アルプ」です。 
 こうした貧しいイメージのアルプスを美しい観光地に転換させたのは、産業革命で豊かになった英国の貴族の子弟たち。彼らは人生経験を深める修行の一環として、主にイタリアへ向かいました。いわゆる「グランドツアー」です。途中のアルプス越えの際、氷河に輝く山々や山人の素朴な人情に魅惑されます。あえて雪山に挑戦する若者も現れ、アルピニズムが興隆。アルプスに対する風景観の大転換が起きたのです。

 さて、志賀は自ら中部山地などの高山でスポーツ登山を奨励するとともに、本場のアルプス山脈に劣らぬ、日本列島の背骨を成す山々の風景美をたたえます。同時に、日本の各地にある富士山のようなコニーデ型の火山の美しさを愛で、日本がいかに風景の美しい国であるかを新しい地理学的知識を援用しつつ展開したのが、『日本風景論』です。彼は、当時の日本人に風景観の大転換をもたらし、結果的にナショナリズムの形成を促して人々に迎えられたのでした。
 閑話休題。このような著名人の推薦もあって、『人生地理学』もまた高く評価され、名著として受け入れられたのです。
 次回は、『人生地理学』の内容を少し具体的に見ていきましょう。

 さいとう・たけし 1934年、東京生まれ。理学博士。東京学芸大学名誉教授。専攻は地理学、地理教育論。日本地理教育学会元会長、日本地理学会名誉会員。著書に『漁業地理学の新展開』『発生的地理教育論――ピアジェ理論の地理教育論的展開』など。


◆〈信仰体験〉きずな 一人じゃない。一人にさせない。不登校を経験した二人 2020年5月31日

 後輩が使命を教えてくれた

 【東京都品川区】山口緑さん=区女子部主任部長=には、大切にしている池田先生の言葉がある。「皆をグイグイと引っ張るリーダーもいれば、陰で皆を支える『縁の下の力持ち』のリーダーもいる。青年らしく、自分らしくで、いいんです。全部が勉強になります」
 山口さんは中学時代から不登校に苦しみ、自分に自信が持てなかった。学会活動に励む中で変わっていく。そして、堀あかねさん=女子部本部長=と出会う。彼女にも同じ経験があった。互いの苦しみを共有することで過去を乗り越え、共に成長してきた二人。
 それぞれの言葉には、あふれ出る感謝の思いがあった。「あかねちゃんがいたから――」「緑ちゃんがいたから――」と。

◆山口さんの発見
 一人でいるって思われないように何かしているふりをする。それが中学での私(山口さん)の日常だった。声を掛けるのも思いを伝えるのも苦手。孤独でネガティブになって。中学1年の夏から学校に行けなくなった。
 高校は定時制に入ったけど、なじめなくて。すぐに辞めた。私は、ずっとこのまま。私が存在する意味が分からなかった。家にいる現実は重くて、19歳でバイトを始めた。でもウソをついて、休んだりした。
 24歳の時、女子部の会合に行きだした。学会では人前でしゃべる機会が多い。嫌になる私を先輩が助けてくれた。参加しやすいように「こう話せばいいよ」って、会合前に話す言葉まで考えてくれて。そんな優しさのおかげで少しずつ変わっていった。
 白蓮グループに挑戦できたのも先輩たちがいたから。最初は抵抗があったけど、2年後、次は私がまとめ役の班長になるお話をいただいた。後輩との接し方が分からない。そんな私に使命なんてあるの? 
 悩む私に、先輩が池田先生の言葉を教えてくれた。
 「それは、遠くにあるのではない。目の前の課題に全力で挑戦していけば、いつか、自分にしかない使命が、必ず見つかる」
 班員の一人が、あかねちゃんだった。元気で明るい子。昔の私なら避けていた人気者タイプ。“私は話すのが苦手。だったら話を聞く側になって、いっぱい聞けばいい”。そう決めて接すると、発見があった。“私と似てる”って。

●堀さんの挑戦
 19歳の時、私(堀さん)は女子部の先輩に「学会やめたいです」って言った。なじめないし、やる意味が分からなくて。本幹(中継行事)だけは、親と参加した。会館で白蓮グループとして就いていたのが、緑ちゃんだった。
 お互いの親が婦人部だから、なんとなく知っていた。会館で見る姿は明るくて。あいさつをするたび、すごいなと感じていた。もともとこういう人なんだと思って。後から、本当は違うって知った。
 私は人より思い出が少ないと思う。人が苦手で、友達と呼べる人はほとんどいなかった。学校には淡々と通った。でも、中学3年の時に孤立して。一人でいるのは超恥ずかしい。“あ、無理かも”。そう思った日から不登校になった。
 定時制高校に入っても、“また一人じゃん”って。写真を撮るのが好きだけど、写っているのは都会のビルや道路。人は撮る気になれなかった。卒業後は、やりたいことを探そうと職業訓練校に。でも、畑違いだなって思った。
 “また、いけねー”と思っちゃって。辞めて、むなしくなった。それからはバイトを転々。そんな私のことを緑ちゃんに話したのは、白蓮グループ時代。入りたくなかったけど、緑ちゃんがいたから挑戦できた。
 緑ちゃんとの距離感は、ちょうどよくて。悩んだ時には聞いてくれて、かといって、常にべったりって感じじゃない。離れていても一番考えてくれてるし、一番祈ってくれてるのが分かる。ありがたかった。

◆山口さんの実感
 一対一で話すうち、隠したかった自分の経験を自然に語っていた。過去に戻ってやり直したい。そんな気持ちは不思議となかった。“あの時があったから”って思えた。私にも使命がある。そんな気持ちになれたのも、あかねちゃんのおかげ。
 自分がいる意味も見つけられず、私なんかが人を励ませないって思っていた。けど、私自身が私を諦めていたことを、あかねちゃんが気付かせてくれた。勉強に苦手意識があって、ずっと嫌なことから逃げてきた。
 スーパーでの仕事でも同じ。当時“あの人が合わない”とか“仕事内容がイヤだ”とかで辞めたいと思っていた。でも、このままじゃダメって思い直した。だから、班長の時、一つの挑戦として、信頼を勝ち取っての「転職」を決めた。
 白蓮のみんなの希望になりたいっていう気持ちが力になって。昔から料理が好きだった私は、パン屋さんに転職ができた。去年、私の次の本部長に、あかねちゃんが就いた。
 いつも私が会合に誘っていたあかねちゃんが今、部員さんのために励ましを送ってる。何でも任せられるリーダーになった。私の部屋には、班長を交代する時にもらった色紙が飾ってある。あかねちゃんがみんなの似顔絵を描いて贈ってくれたもの。
 昔、先輩に「あなたがいるから頑張れるよ」って言われて、心の中で「ほんとかな」って思ってた。今、本当だって実感できる。あかねちゃんや部員さんたちのおかげで頑張れたから。

●堀さんの決意
 転職できたって聞いて、びっくりした。緑ちゃんの姿から、信心や池田先生のすごさを学んだ。私も白蓮を卒業してすぐに放課後デイサービスで働くように。今は、小学校で学習の介助に携わって、自分の場所を見つけた。
 去年の青年部教学2級試験に、妹のあおい(華陽リーダー)が受験して。あおいはダウン症で教材を読むのに時間がかかる。緑ちゃんが仕事終わりに通ってくれて。障がいのことに変に気を使わず、フランクな緑ちゃんはやっぱりすごい。
 声に出して毎日一緒に勉強。私だったら“ここまでできるかな”って思った。不合格だったあおいに、緑ちゃんは手作りの賞状を贈ってくれて。あおいは本当にうれしそうだった。
 本部長にとの話をいただいた時、浮かんだのは緑ちゃんの姿。成長を待っていてくれる人が、学会にはたくさんいることを、私も伝えていきたい。一人じゃないし、一人にさせない。
 会合が中止で、御本尊様の前に座るのも、励ましを送るのも、集まる機会がないから誰も見てない。だからこそ、家にいながら挑戦したい。引きこもっていた時期もあったし、実は今の状況、私の得意分野にいるって感じ(笑い)。
 人と比べることをしなくなって、楽しい思い出が増えた。悩みはあっても、私には相談できる強い味方がいる。私もそうなりたい。この前、部長さんから「あかねちゃんがいてくれてよかった」って。こんな言葉を聞くと、めちゃめちゃうれしい。

2020年5月30日 (土)

2020年5月30日(土)の聖教

2020年5月30日(土)の聖教

◆わが友に贈る

 誰も置き去りにしない!
 支え合う地域づくりは
 仏法者の使命なり!
 自分の身近なところから
 つながりを築く工夫を!


◆名字の言 天然痘の予防に尽くした2人の医学者  2020年5月30日

 紀元前の昔から、天然痘は人類を苦しめてきた。英国の医学者・ジェンナーは、この病を予防する「種痘」を開発したことで知られる。だが、彼より6年早く種痘開発に成功した日本の医師がいた。緒方春朔である▼その方法は、天然痘の患者のかさぶたを取り、健康な人の身体に入れ込むというもの。最初の治験で効果が認められたものの、多くの人が怖がり、敬遠した。しかし、緒方は諦めず、さまざまな場で、安全性を力説。種痘は少しずつ広がり始めた▼緒方は治療法を伝えるため、仮名交じりの文章で、分かりやすい解説書を作成した。彼の業績を知り、医学を志す入門者には、種痘を金もうけや売名に利用しないこと、貧富や貴賤で患者を差別しないことを誓わせた▼一方のジェンナーも、自身が発見した種痘法の特許を申請しなかったという。特許を取れば、種痘が高価になり、全ての人に行き渡らないからだ。緒方もジェンナーも、その献身は“患者のため”との一点に貫かれていた▼天然痘は、40年前の5月に根絶された。人間の歴史とは一面、感染症との闘いの歴史である。その長い闘いの中で積み上げられた労苦の果実が、コロナとの闘いにも生きている。感謝とともに、その知見に基づく「新たな日常」を築く努力を進めたい。(燦)


◆寸鉄

民衆が主役の社会創る為
に学会は立ち上がった―
恩師。決意新たに前進!
     ◇
「此を去って彼に行くに
は非ざるなり」御書。試練
の時こそ人間革命の劇を
     ◇
暑い屋外は身体的距離確
保できればマスク外して
―厚労省。熱中症も注意
     ◇
今年は全国的に「暑い夏」
―3カ月予報。小まめな
水分・塩分補給を心掛け
     ◇
ごみゼロの日。鍵は一人
一人の意識改革。地球規
模で考え足元から行動!


【先生のメッセージ】

◆〈心に御書を〉47 世界の華陽姉妹に幸光れ2020年5月30日

〈御文〉
 闇なれども灯入りぬれば明かなり濁水にも月入りぬればすめり(四条金吾女房御書、1109ページ)
〈通解〉
 闇であっても灯をともせば明るくなり、濁った水でも月が映れば澄んで見えるものである。

〈池田先生が贈る指針〉
 妙法の乙女は一人ももれなく「幸福の太陽」だ。清く明るい元初の生命を輝かせ、どんな逆境の闇にも負けない。
 「苦楽ともに思い合せて」題目を唱え、励まし合う華陽姉妹こそ、世界の希望ではないか。
 深い「祈り」が、深い「幸と平和の土台」を築く。試練を越えゆく福智の光は、必ずや未来を照らすに違いない。


【教学】

◆ONE GOSHO    ~この一節とともに!~ 男子部教学室編
 椎地四郎殿御書  信心根本こそ幸福の直道

 教学の研さんは、単なる知識の習得ではない。日蓮大聖人が社会で奮闘する門下に送られた御文を通し、妙法を根本とした生き方を学ぶ。?

御文
 貴辺すでに俗なり善男子の人なるべし、此の経を一文一句なりとも聴聞して神(たましい)にそめん人は生死の大海を渡るべき船なるべし(御書1448ページ)

通解
 (法華経法師品第10には、僧も俗も尼も女も、法華経の一句をも人に語る人は如来の使いであると説かれている)あなたは、すでに俗であり、この善男子に当たる人なのである。この経を一文一句であっても聴聞して心に染める人は、生死の大海を渡ることのできる船のようなものである。

背景
 本抄は日蓮大聖人が椎地四郎に与えられたお手紙であり、弘長元年(1261年)4月の御執筆と伝えられているが、諸説ある。四郎に送られた御書は本抄のみで、どのような人物であったのか詳しくは分かっていないが、地道に信仰を貫いた門下であったと推察されている。 
 また、四条金吾や富木常忍に宛てた御書にその名が見られることから、各地の門下と大聖人のもとを行き来して、門下の様子を大聖人に報告し、大聖人のお心を門下に伝える役割を担っていたことがうかがえる。
 本抄冒頭で大聖人は、四郎からの何らかの報告に対して、私心なくありのまま正確に伝えたことを称賛され、いよいよ信心に励んで法華経の功徳を得ていくよう励まされている。

解説
 大聖人は、法華経を一文一句でも聞いて心肝に染める人は、出家・在家の立場や性別を問わず、等しく「如来の使い」であり、大海を渡る船のように、あらゆる苦悩を乗り越えていけると教えられている。
 仏法では、苦悩が渦巻く現実社会を「大海」に譬える。この大海を渡りきるには、妙法が顕された御本尊に対する信を鍛え、強めていく以外にない。
 「聴聞して神にそめん」――つまり、正法を聞くだけでなく、心肝に染めて生きる根本とし、行・学を実践していく中で、生命は磨かれ、鍛えられていく。
 大聖人は、在家として混迷する時代の真っただ中にいた椎地四郎に、妙法を根幹にした生き方を期待されたのである。
 仏法は、何ものにも揺るがぬ幸福境涯を開く方途を教えている。ゆえに教えを学ぶだけでなく、「如来の使い」として仏法を語り広げる“実践”は、世間のいかなる善行よりも、人間として尊い行為なのである。そして在家の椎地四郎に呼び掛けられたように、誰もがそれを実践することで、「生死の大海」を渡ることができるのだ。
 もとより、仕事の苦境や人間関係の悩み、病魔との闘いなど、人生は順調な時ばかりではない。
 しかし、順風の時も逆風の時も、学会活動を通して仏法を実践し、広宣流布に生き抜く人は、最も尊貴な「如来の使い」であり、成仏の軌道を進んでいけることは絶対に間違いないのである。
 池田先生は語っている。
 「自分より社会的に偉そうな人や、幸福そうに見える人が、いるかもしれない。しかし、妙法を信じ、弘める人は、すでに世界第一の幸福者であり、指導者なのである」
 「現在の境遇がどうあれ、妙法を唱え、弘めゆく人は、すべて仏の使いである。はかりしれないほどの大福徳を積み、永遠の幸福への直道を歩んでいることを誇りにしていただきたい」
 その上で、大聖人が繰り返し述べられているように、法華経は仏の真実の言葉であり、それを一言でも語る意義は計り知れない。相手の反応どうこうではなく、「語る」という行為自体が最高に尊いのである。
 私たちの日常の実践に当てはめてみれば、唱題や研さんに励む中でつかんだ信仰体験や歓喜、確信を、飾らずありのまま伝えていくことである。
 現在、新型コロナウイルスの感染拡大により、社会に大きな不安が広がり、日常生活にもさまざまな制約がある。
 仏法者として一日も早い終息と家族や友人の幸福を真剣に祈るとともに、そうした中だからこそ、仏法の希望の哲学を学び、心肝に染め、友人や同志に励ましを大きく広げていきたい。


【聖教ニュース】

◆青空に描くエール――医療従事者への感謝込め   2020年5月30日

 昼下がりの青空に描くエールの軌跡――。
 航空自衛隊の「ブルーインパルス」が29日午後、東京都心を飛行した。

 新型コロナウイルス感染症の対応に当たる医療従事者らへの敬意と感謝を示すためのもの。
 信濃町の総本部からも、天かける雄姿が見られた。

◆47年間の入院生活――筋ジストロフィーと向き合う 連載〈危機の時代を生きる〉 2020年5月30日
 
 肢帯型筋ジストロフィーと診断された丸井美津子さん(73)=青森市、婦人部員=は、27歳で療養所(現在は国立病院機構)に入所した。
 病院での生活は、今年で47年になる。体は少しずつ確実に動かなくなっている。それでも「心は自由自在」と、病棟の自治会役員を務め、患者仲間を励ます。
 世界が「まさかの事態」に直面する今、彼女は“生きることの意味”を教えてくれる。(記事=掛川俊明、野田栄一)

“できない”を嘆くより、“できる”を楽しみたい

 2月上旬、青森県内の病院を訪ねた。電動車いすに乗って迎えてくれた丸井さんの笑顔は、少女のように輝いていた――。
 廊下を進むと、壁には四季折々の写真と、患者たちの木工品や手芸品が。掲示された俳句に目をやると、<病院は 残暑知らずで 快適だ>。 
 「あら、恥ずかしい! 去年、詠んだんです。病院暮らしって大変と思うかもしれないけど、意外と楽しんでいるんですよ」
 肢帯型筋ジストロフィーは、骨格筋が侵され、運動機能が失われていく疾患。呼吸や消化機能など、多臓器に影響が生じることもある。
 年々、できていたことが、できなくなる。「みんな同じ不安を抱えています。だから、励まし合わないと」 
 入所以来、自治会役員を務め、患者仲間たちと一緒にカラオケやビンゴ大会、映画観賞会なども開催してきた。「いつもはテレビとにらめっこしている人たちも、集まると楽しそうなのよ」
 患者たちの旅行も企画する。車いすに乗れない人も、ストレッチャーで参加。旅行会社とのやりとり、介助ボランティアの手配まで、丸井さんの仕事だ。これまでに日本全国、さらにハワイやグアムにも行き、車いすで海に入ったことも。
 「“できない”ことを嘆くより、“できる”ことを楽しまなくちゃ。だって、心は自由自在ですよ。私には、その力の源の題目がありますから」
 
 小学生の頃には、つま先立ちでしか歩けなくなり、中学校は同級生の助けも借りて登校した。
 姉に続き、創価学会に入会したのは、家業を手伝いながら、定時制高校に通っていた時。治療は受けていたが、当時はまだ病名も分からなかった。
 「自分が病気なのか、何なのかを知りたくて」学会活動に励んだ。
 20歳の時、大学病院でようやく病名が判明する。「あと何年、生きられますか?」と医師に尋ねた。だが、病気の研究はまだ発展途上だった。医師は「10年くらい」と告げた。
 やがて、生活全般で介助が必要になるかもしれない。“それなら、今すぐ死んだって同じじゃないの……”

人のために動けば、明るくなれる
 生きる意味を見失い、ぼうぜんと部屋でふさぎ込んだ。そんなある日、ふと池田先生の書籍が目に留まる。
 「われには われのみの使命がある/君にも/君でなければ 出来ない使命がある」
 
 自然と涙があふれた。「素直に“生きたい”と思った。“私にも使命がある”んだって」。真剣に御本尊に祈り、学会活動にも懸命に歩いた。
 1973年(昭和48年)、27歳の時に療養所に入所した。父と姉をすでに亡くし、脳卒中で倒れた母はずっと入院生活。いつまでも、おいっ子夫婦の世話になるわけにもいかなかった。
 病院でも“信心を続ける”と固く決意し、病棟スタッフや同室の患者に理解を得て、病室に御本尊を安置した。
 丸井さんは、トイレや洗面にも介助が必要で一人では出歩けない。47年間、学会の会合には、ほとんど参加できなかった。
 それでも毎日1時間以上の唱題を続け、毎朝、聖教新聞をしっかりと読む。「先生の指導、同志の皆さんのドラマに励まされて、ずっと信心してきました」
 記事の切り抜きノートは49冊目。病室から電話し、本紙の購読推進にも励む。ベッドの横の壁には、池田先生の「世界が暗ければ 自分が太陽と輝くのだ」との言葉が張られている。
 「時折、婦人部の人が来てくれて、おしゃべりするのが楽しくて」。2017年(平成29年)には、看護師の婦人部員が同行し、広宣流布大誓堂での誓願勤行会に参加した。
  
 写真の撮影を予定していた2月末、新型コロナウイルスの影響で、病院では家族を含めて面会ができなくなった。しばらく掲載を見合わせ、丸井さんには電話やメールで取材を重ねた。
 未知の感染症の拡大は、ともすれば“自分さえよければ”というエゴを生み、人々を分断しかねない。病気の苦痛は治療や薬で和らげることができても、生きる勇気や希望は、励ましでしか生み出せない。
 池田先生は語っている。
 「御本尊を拝するということは、全宇宙を見わたし、見おろしていくようなものです。自分自身の苦しんでいる生命をも見おろしていける」
 「信心があれば、何があろうと、生命の根底が歓喜になる。希望になる。確信になる。そして、勇んで、悩める人のもとへ飛び込んでいって、自他ともに『随喜』の当体となっていけるのです」
 今月に入り、丸井さんから「入所者の友人が亡くなった」と連絡が届いた。
 40年以上、一緒に暮らしてきた友の死は「言葉になりません」。悲しみは深い。けれど「生前、彼女が『教えてもらった題目を唱えたよ』と言ってくれたんです」。
 
 丸井さんの病状もゆっくりだが、確実に進行している。「だんだんできないことが増えていく。それでも、人のために動けば、気持ちが明るくなるんです」
 今は、出会った人との縁を大切にしたいと、伝統手芸の「津軽こぎん刺し」で、友人・知人の子や孫への贈り物を作っている。

 病棟を訪れた時、あちこちで「もうすぐ、ご飯だね」「トイレは大丈夫?」と入所者に声を掛ける丸井さんの姿を見た。
 リハビリで通院する外来患者とも手紙でやりとりを。「この前、リハビリ外来が再開したんです」と自分のことのように喜ぶ。
 取材の最後に、丸井さんは語った。
 「生まれ変わって自由に動ける体になったら……そうね、今度はもっと、みんなのためにお世話できる人生を生きたいな。だって、これが学会員の生き方だから」
 
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【特集記事・信仰体験など】

◆〈「新・人間革命」と私〉中国男子部長 升田美樹雄さん

 人を強くするものは、自らが心に定めた信義である。(中略)己心に師をいだき、師との誓いを果たそうとするなかに、信念の“芯”がつくられるといってよい。
<第28巻「広宣譜」の章>

〈時代背景〉
 1978年(昭和53年)7月19日、山本伸一は中国方面の指導へ。この頃、伸一は宗門の理不尽な攻撃に苦しめられている学会員に“希望の歌”を贈っていく。移動の車中や懇談の合間も作詞や推敲
すいこう
に取り組み、鳥取県米子で中国方面歌「地涌の讃歌」を発表。さらに岡山では、新高等部歌「正義の走者」(現在の未来部歌)などを完成させる。

新たな広布のうねりを
 第1次宗門事件の折、悪辣な坊主らにより繰り返される学会・師匠への誹謗中傷に、中国の同志は悔し涙を流しながら、じっと耐えていました。「広宣譜」の章には、そうした状況で伸一が中国方面を訪問し、同志を励まし、歌をつくっていく場面が描かれています。
 「広宣流布の情熱がほとばしる力強いものに」との思いを込め、列車の中でも推敲を重ねていく伸一。中国方面歌「地涌の讃歌」は、弟子を思う師の間断なき闘争から誕生したのです。
 満月が皓々と輝き、ホタル舞う鳥取・米子文化会館の前庭でテープに耳を傾けた伸一は、「これで決定だ!」と。原稿には「決」の赤い文字が躍りました。
 そして、完成した歌の合唱を聴きながら、同志一人一人に思いをはせるのです。“この歌とともに、中国の同志が、はつらつと前進を開始してほしい。幸せの花を咲かせてほしい。人生の勝利を飾ってほしい”と。
 こうした師の深い思いを胸に、中国の同志は、その後も続いた広布の厳しい試練の冬にも微動だにせず、「地涌の讃歌」を高らかに歌いながら前進し続けてきました。
 今月7日、「中国青年部の日」の淵源である第1回中国青年平和総会から25周年を迎えました。
 中国青年部は当時、東京牧口記念会館に方面として“一番乗り”を果たし、池田先生に出席いただくことができました。“自身の戦いに勝利し、師匠との誓いを果たす”――先輩方が示してくれたこの共戦の伝統こそ、永遠に変わらぬ中国男子部の魂だと確信します。
 中国男子部は今、この「5・7」から男子部結成記念日の「7・11」までを励まし期間として、前進中です。池田先生が一人一人と心の絆を結び続けてこられたように、電話や手紙、オンライン等を活用しながら、目の前の友への励ましに全力で取り組んでいます。
 さらに、小説『新・人間革命』の研さんや自身が掲げる唱題目標の実践に勇んで挑戦してまいります。そして、“人材の中国”の底力で、新たな広布のうねりを巻き起こしていく決意です。


◆〈みんなで学ぶ創価の心〉2020年5月30日

 皆で「未来部レインボーチャレンジ」(6月30日まで)を応援! 全国各地の未来っ子たち、そして未来部担当者の方々が「さあ今から、ここから、一歩前進の挑戦を!」と励まし合いながら進んでいます。今回は、挑戦項目の三つ目である「勉学・読書」について、池田先生の指針を学びます。また、各地から寄せられた「わたしの実践」のほか、富士少年希望少女合唱団が作成した少年少女部歌の動画を紹介します。

池田先生の指針 勉学・読書  人生の“土台”を作ろう
 建物を建てる時、土台だけを見ても、上にどのような建物が建つのかは分からないものだ。また土台は、その上に建物が建てば、見えなくなるものです。
 それでも、建物を何十年、何百年にわたって支えていくのは、その見えない土台です。
 勉強も同じでしょう。君の目の前にある課題の一つ一つが、強固な土台になっていくのです。
 そもそも、勉強に挑むこと自体が、偉大な人格を磨きゆく訓練の一つです。考える力を養い、頭脳を鍛え、強い心を育んでいく。今、みんなは、その“土台作り”をしているんだよ。

 長い人生を大きく左右していくのは、目先の成績よりも、「学び続けようとする姿勢」です。どんな状況にあっても「さあ、勉強するぞ!」という勢いのある人は、そこから人生を開いていける。
 だから、勉強に「もう間に合わない」も「手遅れだ」も絶対にない。「自分はだめだ」と思わない限り、たとえ今がビリでも大丈夫。そこから上がっていくのは、痛快じゃないか。(『未来対話』) 

 本も、読み慣れるまでは、そのおもしろさがわからない。スポーツだって、芸術だって、練習しないと、そのおもしろさはわからない。
 だから、まず、自分が気の向く本から始めて、何か「一冊、読み通した」本をつくることがいいんじゃないだろうか。

 「ちょっとだけがんばって読んでいく」くせをつけていけば、だんだん想像力や理解力が鍛えられて、読むのが楽しくなってくるはずです。
 人間が人間らしく生きるために、何が大切か。私は、「想像力が絶対に大切だ」と思う。
 マンガだって、テレビだって、もとは人間の「想像力」から生まれたのです。だから、一流の本を読まないと、一流のマンガだって、テレビだって、映画だって生まれてこない。
 コンピューターだって、「こんなものがほしい!」と思った人の頭と心の中から生まれたのです。想像力こそが、人間を進歩させてきた。想像力は、創造力です。
 
 「希望」は、目の前の現実に負けない「想像力」から生まれる。
 また、想像力の豊かな人は、人の心の痛みがわかるようになる。こんなことをしたら、相手はイヤだろうな。苦しむだろうな――そう想像をめぐらせる「心の力」がある。

 ともかく、みなさんは若い。頭と心の柔らかな今こそ、思うぞんぶんに、本を読んでもらいたい。本の世界は「第二の宇宙」です。その広大な世界を、自由自在に旅行できる人になってください!(『希望対話』)

わたしの実践
今こそ親子で成長を
愛知県刈谷市鈴木諒さん(小学5年)裕子さん(主婦)
 僕は今、「未来部レインボーチャレンジ」に挑戦しています。学校が休校になってからは、朝晩の勤行を欠かさずやってきました。
 僕は早寝早起きが得意です。早起きをすると、午前中の勉強がはかどります。読書にも挑戦しています。一番好きな本は、池田先生の少年時代の思い出をもとにつくられた『ざくろの詩』です。
 この本を読んで、今の自分は幸せだと感じました。そして昔の人たちの苦しみを知りました。先生のように、自分に正直で、諦めない努力の人になりたいです。
 僕は「創価の翼合唱団」にも入っています。今は練習ができないので、早くメンバーに会いたいです。今週から学校も始まりました。コロナに負けず、みんなでこの危機を乗り越えていきたいです。
                         ◇ 
 息子が自分らしくレインボーチャレンジに取り組む姿に、とても勇気をもらっています。
 息子のお気に入りの『ざくろの詩』は、以前に私の父が、子どもたちに信心を継承させたいと買ってくれた本の一つです。
 わが家には、特別支援学校に通う小学3年生の娘もいます。娘は会話が難しく、常に付き添いが必要なため、一日一日が戦いです。
 この休校期間は、一緒に勤行を練習してきました。少しずつですが、前より上手になっています。
 すくすくと成長するわが子の姿こそ、信心の功徳であり、人生の宝物です。夫をはじめ、いつも支えてくれる同居の両親にも、感謝の思いは尽きません。
 “大成長する時は今だ”と決めて、一家で元気に進んでいきます。

「お薦めの本」を紹介
神奈川・港南正義区 芹が谷本部長野充 未来本部長直井孝子 
女性未来本部長
 このコロナ禍にあって、どうすれば未来部メンバーの一人一人が、将来への夢や目標を広げていけるのか、ずっと考えていました。
 担当者で話し合う中、池田先生が常々、「読書」の大切さを語られていることを思い起こしました。
 そこで、図書館司書をされている婦人部の方と相談し、小中高の世代別に推薦図書のリストを作成。時を同じくして「未来部レインボーチャレンジ」が発表され、項目の一つに「読書」とありました。
 早速、挑戦項目の一覧と図書リストを、未来部メンバーのいる家庭にメールやLINEで共有したり、印刷して届けたりしました。
 ご家族からは「ぜひ読ませてもらいます」と喜ばれました。近況をうかがい、励まし合うこともできました。
 現在、わが本部では、各家庭でさまざまな未来部育成の工夫が光っています。
 子どもたちが司会や企画を担い、ファミリー座談会を開催するご一家も多く、親子で朝晩の勤行に挑戦したり、御書を一緒に学んだりしているご家族もいます。
 私たち担当者も、どんどん新しいことに挑戦していこうと決意しています。
 宝の未来部員たちと、価値ある日々を過ごしていきます。

富士少年希望少女合唱団から勇気の歌声
 首都圏少年少女部の人材グループ「富士少年希望少女合唱団」から、少年少女部歌「Be Brave! 獅子の心で」の合唱動画(写真)が届きました。
 動画作成に参加したのは、合唱団52期生(小学6年)と53期生(同5年)、そしてこの春に小学校を卒業した51期のメンバーたちです。新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、3月に予定していた入卒団式が中止となり、練習も自粛となる中、一人一人が“負けない心を燃やして”合唱に挑戦。それぞれの自宅で撮影した映像を編集しました。
 「新型コロナウイルスと闘う世界中の方々に、そして、未来部レインボーチャレンジを実践する全国の皆さんに勇気を贈りたい」との思いを込め、冒頭に世界各国の言語でメッセージを伝えた後、全員で元気いっぱい歌や踊りを披露しています。

「わたしの実践」を大募集
 氏名、年齢、職業(学年)、住所、電話番号(※任意で携帯電話番号)を明記してください。当社のウェブサイトに掲載される場合があることも、ご了承ください。
 【ファクス】03(5360)9613
 【メール】kansou@seikyo-np.jp
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◆信仰体験 創業60年 11店舗のそば店経営者

 【愛媛県松山市】創業60年の「そば吉」。削りたてのかつお節をふんだんに使った「だし」と、その日に使う分だけ石臼で挽いた「そば粉」にこだわる。 ?
 吉田英雄さん(51)=地区幹事=が2代目として奮闘する。愛媛と広島にある11店舗への来客数は、年間130万人を超え、四国で随一を誇る。
 とはいえ、幾多の試練を越えて今がある。父が一代で築いた人気店を38歳の若さで継いだ。力はない。経験も浅い。従業員との信頼関係もない。その上、傲慢(ごうまん)になっていく。判断ミスによる経営不振を人や環境のせいにした。加えてリーマン・ショックによる不況、主力店舗の閉鎖。自分の力ではどうしようもなくなった時に、信心の先輩から「今こそ信心です。福運がなければ、何をやってもうまくいきません」と。
 祈る中で全てが変わっていく。業績は右肩上がりに転じ、職場の人間関係などの悩みも乗り越えていった。
 たどり着いた「そば」へのこだわり。それは、食べる人を思い、それに関わる一人を大切にする吉田さんの心から生まれていた。(2018年11月20日、「信仰体験」掲載)

 新型コロナウイルスによる全国の緊急事態宣言が解除されたとはいえ、企業や団体も町の商店等も、難しいかじ取りが続く。「そば吉」も例外ではない。
 宣言後の営業自粛で客足は遠のき、5月の大型連休など稼ぎ時の売り上げが、例年に比べて大幅に落ち込んだ。店舗の整備拡張に乗り出していた時でもあったが、全てストップせざるを得なかった。
 それまで店は、家族連れやカップルなど老若男女でにぎわった。おいしそうに、そばをすする客の横顔に、吉田さんはやりがいと喜びを感じていた――。  
「正直、どうなったのかと思いましたね。初めは、ちょっとの辛抱だろうと思ってましたが、想像以上。長引くほど、じわじわ効いてくる。何が悔しいって、お客さまから笑顔を奪ってることです」
 社員70人をはじめ、その家族や200人ものパート従業員たちの生活を守る責任がある。すぐに税理士や銀行と話し合い、資金繰りにも奔走した。
 ただ電話越しに聞こえてくる吉田さんの声に全く悲壮感はない。むしろ力強い。
 「これまでも苦しい時が何度もありました。その渦中にいる時は分からないんですよね。今回もありがたいことに、よく題目があがります。でも『法華経の行者』ですから。大事なのは行動です。“広布のために”って誓願の祈りで行動してます。だから守られてると思う。一番いい方向に行く。行くに決まってる」
 祈る中で、何度も自分と向き合ってきた。「何のためか」と。そのたびに一家の原点を思い出す。
 池田先生が愛媛を訪れた1985年(昭和60年)2月。この時、先生は店を訪れ、吉田さん一家を励ました。  
「ちょうど35年前になります。節目ですね。あの日があったから今がある。わが家の信心の原点です。だから、この店を失うわけにはいかんのです。どんな苦難が襲おうとも負けられません。池田先生の期待にお応えしたいっていう思いが背中を押してくれる」

 そば吉の各店舗では、アルコール消毒を必須とし、フィジカルディスタンス(身体的距離)を保つ。本格的な夏の到来を前に、今後スタッフにはマスク着用時の暑さ対策にも力を入れていく。新しい接客スタイルへの変革を進める。
 「お客さまに安心して、ご来店いただきたいですから。そのために私ができることは何でもやらないと。どんなことも信頼・信用が一番。築くのは時間も労力もかかる。けど失うのは一瞬ですから」
 胸にとどめる池田先生の指導がある。「人のため、青年のため、未来のために生きてこそ、自分の本当の力が湧く」――学会活動から一歩も引かないわけが、ここにある。
 昨秋、吉田さんは地区部長になった。その直後から家庭訪問に歩きに歩き、迎えた座談会には以前にも増して多くの人が集うようになった。「にぎやかなのが好きなんで、うれしかった。また座談会が開けるようになりたい。皆さんのはじけるような笑顔が見たいから」
 今は地区の同志を電話や手紙で励ます。一言に思いを込める。
 「高齢者も多いから、疎遠にならないように、絆を分断されないようにね。もちろん時代とともに変わっていかないといけない部分もある。けど変わってはいけないものもありますよね。それを次につないでいく使命があると思いますから」
 その声に、言葉の端々に、変わらぬ信念と真心があふれていた。

◆〈新型コロナに立ち向かう〉商店街を応援 クラウドファンディング設立
 春を待つのではなく 自ら開く

【北海道砂川市】新型コロナウイルスの感染拡大で、多くの飲食店が大きな打撃を受け続けている。  「何か行動を起こさなければ」との思いを当初から抱いていた久保敬介さん(37)=男子地区副リーダー。市内でスポーツバー「くぼっち」を経営しながら、砂川社交飲食協会の会長を務める。
 3月に入ると、予約のキャンセルが相次ぎ、売り上げが激減。周囲の店からも「うちはもう限界……」と落胆の声が聞こえ、閉店する店が出始めた。?
 “俺にできることって何だろう……”
 懸命に祈るも、なかなか妙案が浮かばない。“ならば、まずは動こう!”  
市役所でさまざまなアドバイスを受け、北海道観光社交事業協会とタッグを組み、各飲食店の常連や地元を応援する人たちと、クラウドファンディングを設立した。それが「砂川市飲食業界応援プロジェクト」だ。
 クラウドファンディングとは、インターネット上で企画内容と必要な金額を提示し、広く支援を呼び掛けるもの。市から「協会内だけでなく、市全体を盛り上げてほしい」との要望もあり、市内の全飲食店に呼び掛けた。結果、8割がプロジェクトに参加した。
 支援してくれた人たちには、6月から8月の期間に使用できる「食事券」を渡し、自粛解除後の、地域の活性化を目指す。
 「先行きの見えない不安な時こそ、互いに支え合ったり、誰かの後押しが欲しかったりしますよね。“あの時”の自分もそうでした」

開店に向けての準備を行う
 ――もともとは保険会社の営業マンだった。ある時、仕事上のトラブルで退職を余儀なくされた。“人生終わった”。全てを投げ出し、どこかに消えてしまいたいと思った。
 そんな時、男子部の先輩が「会合に参加してみませんか?」と声を掛けてくれた。結婚を機に創価学会に入会していたものの、活動らしい活動はしたことがない。
 「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)――会合で耳にしたのは、聞き覚えのある一節。
 そして「僕たち青年は、春を待つのではなく、春を自ら開く信心をしていこうよ!」と語る先輩の言葉が久保さんの胸を熱くした。
 ふと心に湧いてきたのが、かつて夢見た飲食店の経営。
 2012年(平成24年)、スポーツバーを開業。店はスポーツ観戦をしながら食事と会話を楽しむお客でにぎわった。新型コロナで休業するまでは――。
 「あの時、先輩が背中を押してくれなかったら、どうなっていたか分からない。だから今度は、仕事でも男子部の活動でも、挑戦の後押しができるような人間になりたいと思っています」
 現在、消防団や青年会議所、PTAなど10以上の地域役職を担っている。
 「どん底の自分を救ってくれた同志、そして池田先生への恩返しのつもりです。今の自分にできることを精いっぱいやって、活気ある街づくりに全力で貢献していきたい」  久保さんは、輝く地域の未来を見据えている。 (北海道支社編集部発)

◆日蓮大聖人と美術 法華衆の芸術作品を巡って     2020年5月30日

〈檜図屏風〉 狩野永徳 安土桃山時代・天正18年(1590) 国宝 紙本金地着色 4曲1双 各170センチ×230・4センチ

〈檜図屏風〉 狩野永徳 安土桃山時代・天正18年(1590) 国宝 紙本金地着色 4曲1双 各170センチ×230・4センチ

 明年は、日蓮大聖人の御聖誕から数えで800年。ここでは、大聖人を信奉した芸術家たちを巡って、美術ライターの高橋伸城氏に論考を寄せてもらいました。
 作品の写真は、〈松島図屏風〉以外は東京国立博物館所蔵、ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)から。
 たかはし・のぶしろ 1982年、東京生まれ。創価大学を卒業後、英国エディンバラ大学大学院で芸術理論、ロンドン大学大学院で美術史学の修士号を取得。帰国後、立命館大学大学院で本阿弥光悦について研究し、博士課程満期退学。
 大切な人の無事を祈らずにはいられない。信仰の有無、宗派の違いにかかわらず、そうした経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。絵であれ彫像であれ建物であれ、ものをつくるという行為もまた、広い意味での信仰と無縁ではありませんでした。
 
 特に15世紀以降の日本美術をたどっていくと、日蓮を信奉していた人たちの手が重要な役割を担っていることに気付かされます。法華経の説くところを生活の根本にしていることから、彼らは一般に「法華衆」と世間では呼ばれていました。
 日蓮に傾倒する絵師や職人たちが残したのはどのような作品だったのか――。
 「日蓮と美術」を巡る探求は、今の時代にも通ずる、いくつかの問題について考える足がかりになるはずです。
 新型コロナウイルス感染症の影響で、以前のように自由な行動は取れなくなり、新しい生活様式が求められています。紙面上で、美術館や博物館を訪れるような気持ちで読んでいただけると幸いです。

狩野派と長谷川等伯

 金色の雲があたりを覆う。その光を節々に映しながら、手前の大樹が上方へと身をくねらせています。少し奥では、やや細身の木が右に傾いてそのまま画面の外へ。土と触れる根元も、空を指す頂も見えません。筆の動きを生々しく残す幹は、いったいどこから来て、どこへ向かおうとしているのでしょうか。
 狩野永徳(1543~90)の作とされるこの〈檜図屏風〉は、豊臣秀吉が造営を命じたある御殿の襖絵だったといわれています。完成は天正18年(1590年)の12月ごろ。その年の9月に永徳は世を去っているので、本人が制作にどこまで関わっていたのかは議論の分かれるところです。
 いずれにしても、「狩野永徳」という制作者の名前も、堂々たる檜の図様も、当時の最高権力者たる秀吉と結び付くのにふさわしいものでした。
 狩野家と為政者の付き合いは、永徳の曽祖父の代にはすでに始まっていたようです。足利将軍、織田信長、秀吉と、仕える主人が変わるごとに巨大になっていったこの画派は、江戸期から正式に幕府の御用絵師を務めています。
 皇室とのつながりも、看過できません。実際に御所の障壁画などを担当したことに加えて、狩野一門による作品の多くが天皇や宮家に伝来しています。〈檜図屏風〉もその一つでした。
 得意とした画題や様式からは容易に想像できないかもしれませんが、室町から江戸後期にかけて活躍した狩野派は、一部を除いて皆、法華衆でした。寺院に残る寄進の記録や涅槃図などの実作を見る限り、画業と信仰が不可分であったのは明らかでしょう。
 業界の最大手である狩野派と競合するように登場したのが長谷川等伯(1539~1610)です。
 生まれは能登の七尾。絵師としての立場からすれば、狩野派とは比ぶべくもありません。片やすでに数代にわたって権力の中枢で絵を描いてきた由緒ある一団。他方、等伯は染物屋の養子に過ぎませんでした。
 富山県や石川県の寺院に、「長谷川信春」という絵師の手になる仏画が数多く残っています。「信春」とおそらく同一人物だと思われる等伯は、生家も養家も法華衆だったのです。
 遅くとも元亀2年(1571年)には上洛。拠点としたのは、地元の菩提寺とゆかりのある本法寺でした。
 少し時間はかかりましたが、等伯はやがて永徳をおびやかすような存在になっていきます。京都に来て約20年後、ついに大きな仕事が舞い込んできました。秀吉が建立した祥雲寺の障壁画を任されたのです。現在、その一部は智積院に受け継がれています。
 仏画から花鳥画まで幅広くこなす等伯には、水墨画の作品もたくさん残っています。〈松林図屏風〉の大部分は余白のまま。チグハグな紙継ぎの跡さえ確認できます。同じ常緑針葉樹でも、永徳の「檜」とは少し趣が異なるようです。墨の濃淡に目を凝らしていると、何もないはずの空所が段々と質量を帯びてくる。描くことと描かないことが、ここでは表裏一体になっています。
 等伯はしばしば自らの作品に「自雪舟五代」、つまり室町時代の画僧である雪舟から数えて5代目に当たると書き記しました。狩野家のような実績も後ろ盾もない「長谷川派」を、このように位置付けたのです。

光悦と樂家、その周辺

 ちょうど等伯が京都で活躍していた頃、同じ本法寺によく出入りしている人物がいました。本阿弥光悦(1558~1637)です。
 刀剣のメンテナンスや鑑定を生業としてきた本阿弥家。法華信仰の痕跡は、15世紀半ばまでさかのぼります。本法寺の開山である日親との出会いが始まりでした。
 本阿弥家の分家に属していた光悦の名を今に伝えるのは、家業における功績ではありません。もっとも普及しているのは、書家としてのイメージではないでしょうか。中でも、下絵のほどこされた料紙に和歌をしたためた作品は、贋作と思われる作品の多さから、当時の人気がしのばれます。
 能書家として知られる光悦には、日蓮の著作を書写する機会もありました。本法寺のすぐ向かいにある妙蓮寺の住持(住職)に頼まれて、「立正安国論」と「始聞仏乗義」を自分なりの字形で書き写しています。それぞれの日付が両親の命日と符合していることから、供養の意図もあったのでしょう。
 光悦自筆の書状から、茶碗づくりを嗜んでいたことも分かっています。この時、土や釉薬を提供したのが樂家です。洛中にある本阿弥家の屋敷から歩いて5分ほどのところに住む彼らもまた、法華衆でした。
 千利休のために茶碗をつくっていたのが初代の長次郎。そのそばで作陶を支えていたと思われる田中宗慶が法華衆だったのです。樂家は長次郎ではなく、宗慶の血筋で継がれていきます。
 禅宗とのつながりが強調されがちな茶の湯にも、法華衆が少なからず関わっていました。
 光悦の周辺にいたのは陶芸の専門家だけではありません。刀剣の金具を彫っていた後藤家、蒔絵師の五十嵐家など、さまざまな分野の職人たちが住んでいました。時には姻戚関係さえ結びながら、彼らが仕事をともにし、互いを支え合ったのはなぜなのか。
 樂家の15代吉左衞門(直入)氏は、自らの著作『光悦考』(淡交社)の中でこう述べています。「おそらくその根底にあるものは法華信徒の強い絆、同胞意識ではないか」と。創作活動をすること、もっと広く言えば働くことは、信仰の実践と別の営みではなかったのです。
 後年、光悦は洛北の鷹峯に土地を得ます。徳川家康から下賜されたとする後代の資料もありますが、学術的には証明されていません。
 鷹峯には信仰を同じくする人たちが住み始め、正保2年(1645年)ごろには1キロ四方に満たない区画に三つの寺院が建立されていたそうです。
 信仰者のコミュニティーといっても、世間から隔離された“楽土”のようなものではなかったと思われます。光悦が居を構えたあたりは「長坂口」と呼ばれ、丹波へと続く街道の出発点でした。人や物の往来が常にあるような場所だったのです。
 光悦自身も、鷹峯に四六時中こもっていたわけではありません。60歳を超えてもなお、洛中の屋敷との間を往復していた様子が書状からうかがえます。

 

2020年5月29日 (金)

2020年5月29日(金)の聖教

2020年5月29日(金)の聖教

◆わが友に贈る

 「言をもおしまず」
 確信と希望の声を
 あの友 この友へ!
 勇気を出した分だけ
 幸の仏縁が結ばれる。
 御書P356


◆名字の言 「新たな日常」を前向きな心で  2020年5月29日

 「水の千流万派は、一源に始まる」とは、中国・明代の哲人指導者である呂新吾の言葉。たくさんの支流からなる大河も、元はたった一つの源から発している、という意味だ▼さらに呂新吾は続ける。「人の千酬万応は、一心に発す」。すなわち、人は社会の中でさまざまな対応を迫られるが、その全てはたった一つの心から出てくる、との意(守屋洋編訳『呻吟語』徳間書店)。心の在り方によって、その人の行動の全てが変わる、とも言い換えられよう▼緊急事態宣言が解除された今、「新しい生活様式」が求められている。十分な身体的距離を保つとともに、マスクの着用、手洗い・うがいの励行といった、基本的な感染防止対策の「習慣化」が必要だろう▼一方で、“飲食店での望ましい行動など、気を付けなければいけないことが多くて息が詰まりそう”という声もある。先日の学会青年部と医学者による第6回オンライン会議では、一人一人の“心掛け”に注目。“できないこと”を嘆くのではなく、“できること”を見つけ、「新たな日常」を模索することが大切と強調していた▼池田先生は「幸福の源泉は『心』だ。聡明な心は希望を創り、連帯を広げる」と。何があっても前向きな心で。そこから価値創造が始まる。(銘)


◆寸鉄

「日蓮が一門は師子の吼
るなり」御書。苦難を吹き
飛ばす大確信で勝ち進め
     ◇
策でなく信心で解決した
時宿命転換できる―恩師
何があっても題目根本で
     ◇
外出制限の解除で第2波
生じる可能性が―WHO
「新しい生活様式」を皆で
     ◇
言葉巧みに銀行カード騙
し取る手口横行と。絶対
他人に渡すな。厳重警戒
     ◇
外出自粛の影響で体重増
加の人多し。適度な運動
を心掛け賢く健康づくり


◆社説 あすは5・30「ごみゼロの日」 捨てればごみ、生かせば資源

 外出自粛が続く中、普段と違うことに取り組んだ人は多いのではないだろうか。ある調査によると、在宅勤務を機に個人的に行ったことのトップは「部屋の片付け」だった(MMD研究所×スマートアンサー調べ)。
 実際、片付けてみると、似た服が何着も出てきたり、同じ筆記用具があちこちに散らかっていたり、使わなくなった家電製品が眠っていたり……。どれだけ無駄な買い物をしていたか、改めて気付かされる。身の回りの物を大切にできたら、生活がもっと豊かに感じられるに違いない。部屋がすっきりして心も軽やかになった上、物との向き合い方を見直すきっかけにもなったという声も聞かれる。
 5月30日は「ごみゼロの日」。あすから「ごみ減量・リサイクル推進週間」が始まるが、今年はコロナ禍で、キャンペーンが相次ぎ中止となっている。例年、「リデュース(発生抑制)、リユース(再利用する)、リサイクル(再生利用)」の3R推進が呼び掛けられ、リフューズ(不要な物は買わない)、リペア(修理して使う)を加えて5Rを掲げる自治体も多い。ごみの回収や処理に携
わる方々への感謝も忘れてはいけない。
 リサイクルショップの利用が例年を上回るとの報道もあった。普及した手作りマスクは、3Rの実践ともいえる。読者の投稿にも、ごみを減らす庶民の知恵が多く寄せられている。「使用済みのファクスやコピー用紙の余白を切ってシールを貼り一筆箋にする」「通販などを利用する際、簡単な包装にしてもらう」「食品ロスを防ぐため、野菜の切れ端などを再利用して野菜のだしを取る」など。
 「他のためにし、他を益しつつ自己も益する方法を選ぶにあり。共同生活を意識的に行うにあり」(『人生地理学』、現代表記に改めた)。初代会長・牧口常三郎先生のこの英知は私たちの生活にも当てはまる。わが家の不要品もリユースに回せば、誰かの必要な物に変わる。5Rの努力は“自他共の有益”に通じよう。
 国連広報センターの根本かおる所長は、3Rとも深く関連するSDGs(持続可能な開発目標)を達成しゆくヒントとして「我慢するだけでは長続きできません。同じ思いの仲間と一緒に楽しく実践するのが、とても大事なことです」と語る。周囲とアイデアを共有し合いながら、自分にできることを生活の一部にして細く長く続けていきたいものだ。
 大河の流れも一滴の水から始まるように、何事も一人一人の一歩の積み重ねの中でこそ成し遂げられる。自治体ごとに決められた「ごみの分別の仕方」を確認するところからでもいい。捨てればごみだが、生かせば資源になる。


◆きょうの発心 崇峻天皇御書 北海道・札幌南総区婦人部長 江川雅代2020年5月29日

御文 蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり(崇峻天皇御書、1173ページ・編1038ページ)
通解 蔵に蓄える財宝よりも、身の財がすぐれ、身の財よりも、心に積んだ財が第一である。

苦労の日々が「心の財」と実感
 財産や名誉、地位より、信心という心の財を積むことこそ大切であると仰せです。
 1983年(昭和58年)8月、札幌市南区内で開催された世界平和文化祭に母と共に出演。炎天下で友を励ます池田先生の姿に感動し、師弟共戦を誓ったことが原点です。
 結婚後、経済苦に遭いました。さらに、近くに住むことになった義父母と、習慣の違いや、信心への無理解などから言い争いが絶えず、何度も心が折れかけました。
 そんな時、多くの先輩に励まされ、“今こそ心の財を積む時”と奮起。悲しみや苦しみを祈りに変え、義父母の幸せを願える自分に、と活動に励みました。
 2002年(平成14年)2月に義父母は入会し、その後、任用試験にも合格。わが家の経済苦も好転していきました。苦労の日々は「心の財」を積む一日一日だと実感しています。
 札幌南総区婦人部は、誓願の祈りを根本に師を求め、今いる場所から幸福の連帯を広げていきます。


【先生のメッセージ】

◆マイ・ヒューマン・レボリューション――小説『新・人間革命』学習のために 第10巻

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを、巻ごとに紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第10巻を掲載する。次回の第11巻は6月5日付2面の予定。挿絵は内田健一郎。

信心に励む人は成仏の軌道に

 <1965年(昭和40年)1月、山本伸一は大阪から急きょ、鳥取の米子へ向かう。若き支部長の事故死によって多くの同志の胸に生じた、信心への疑いと迷いを晴らすためであった>

 真の信仰者として広宣流布に邁進している人は、いかなるかたちで命を終えようとも、成仏は間違いない。  初期の仏典には、次のような話がある。
 ――摩訶男(マハーナーマ)という、在家の信者がいた。彼は、もし、街の雑踏のなかで、三宝への念を忘れている時に、災難に遭って命を失うならば、自分はどこで、いかなる生を受けるのかと、仏陀に尋ねる。
 すると、仏陀は言う。
 「摩訶男よ、たとえば、一本の樹木があるとする。その樹は、東を向き、東に傾き、東に伸びているとする。もしも、その根を断つならば、樹木は、いずれの方向に、倒れるであろうか」
 摩訶男は答えた。
 「その樹木が傾き、伸びている方向です」
 仏陀は、仏法に帰依し、修行に励んでいるものは、たとえ、事故等で不慮の死を遂げたとしても、法の流れに預かり、善処に生まれることを教えたのである。
 また、日蓮大聖人は、南条時光に、弟の死に際して与えられたお手紙で、「釈迦仏・法華経に身を入れて候いしかば臨終・目出たく候いけり」(御書1568ページ)と仰せになっている。信心に励んだ人の、成仏は間違いないとの御指南である。(中略)
 彼は、十八日、空路、大阪から米子に向かった。最も大変なところへ、自ら足を運ぶ――それが伸一の、指導者としての哲学であった。
 (「言論城」の章、20~22ページ)

学会活動は生命を鍛錬する場

 <伸一は8月15日、アメリカのロサンゼルスで行われた海外初の野外文化祭に出席。翌日の懇談会で、自身の幸福を築くための学会活動であることを確認する>

 「今回の文化祭は、(中略)極めて大変な条件のなかでの文化祭であったと思う。
 途中で、やめてしまおうかと思った人もいるかもしれない。だが、そんな自分と戦い、懸命に唱題し、それぞれの分野で、真剣に努力されてきた。
 まず、広宣流布の大きな布石となる文化祭のための唱題が、努力が、献身が、そのまま、大功徳、大福運となりゆくことは、絶対に間違いありません。これが妙法の因果の力用です。
 また、皆さんは、文化祭を大成功させるために、不可能と思われた限界の壁、困難の壁を、一つ一つ破ってこられた。そして、この文化祭を通して、自信と、信心への揺るぎない確信をつかまれたことと思う。
 実は、それが何よりも、大事なことなんです。
 人生には、さまざまな試練がある。病に倒れることもあれば、仕事で行き詰まることもある。
 その時に、悠々と乗り越えていくためには、生命の鍛錬が必要です。精神の骨格となる、信心への大確信が必要なんです。
 この文化祭に全力で取り組み、唱題を根本に、あらゆる困難を克服してこられた皆さんは、“仏法に行き詰まりはない”との体験をつかまれたと思います。
 こうした体験を、どれだけ積んできたかによって、仏法への揺るぎない大確信が育まれ、何があっても負けることのない、強い自身の生命が鍛え上げられていきます。
 そのための『場』となるのが、学会活動です。また、文化祭でもあります。つまり、自分の幸福の礎を築いていくための活動なんです」
 (「幸風」の章、133~134ページ)

民衆による民衆のための宗教

 <10月、フランスのパリを訪れた伸一は、ヨーロッパの拠点となる事務所の開所式に参加。世界広布の先駆を切る女性たちを励ましながら、民衆こそが広宣流布の主役であることを思う>

 アメリカでも、東南アジアでも、日蓮仏法を弘めてきたのは、キリスト教のような宣教師ではなかった。
 世界広布を担ってきたのは、“衣の権威”に身を包んだ僧侶たちではなく、在家である創価学会の、名もなき会員たちであった。しかも、その多くは女性たちである。
 なんの後ろ盾もない、不慣れな土地で、日々の生活と格闘しながら、言葉や風俗、習慣の違いを超えて、人びとの信頼と友情を育み、法を伝えてきたのだ。誤解や偏見による、非難もあったにちがいない。まさに、忍耐の労作業といっ
てよい。
 宗教の歴史には、武力や権力、財力などを背景にした布教も少なくなかった。しかし、それでは、どこまでも対話主義を貫き、触発と共感をもって布教してきた、日蓮大聖人の御精神を踏みにじることになる。「力」に頼ることなく、民衆が主役となって布教を推進してきたところに、日蓮仏法の最大の特徴があるといってよい。
 また、それ自体が、「民衆のための宗教」であることを裏付けている。
 伸一は、遠く異国の地にあって、広宣流布に生き抜こうとする、健気なる同志に、仏を見る思いがしてならなかった。
 (「新航路」の章、224~225ページ)

広布誓願の祈りが病魔を克服

 <伸一は11月、関西本部新館で奈良本部の同志と記念撮影に臨む。そこで、“病気の宿業は乗り越えられるのか”との質問に答える>
 「どんなに深い宿業だろうが、必ず断ち切っていけるのが、日蓮大聖人の大仏法です。(中略)
 本来、その宿業は少しずつしか出ないために、何世にもわたって、長い間、苦しまなければならない。
 しかし、信心に励むことによって、これまでの宿業が、一気に出てくる。そして、もっと重い苦しみを受けるところを、軽く受け、それで宿業を転換できる。『転重軽受』です。(中略)
 御本尊への、深い感謝の一念が、大歓喜の心を呼び覚まします。そして、この大歓喜が大生命力となっていくんです。
 唱題するにしても、ただ漫然と祈っていたり、御本尊への疑いを心にいだいて祈っていたのでは、いつまでたっても、病魔を克服することはできません。
 大事なことは、必ず、病魔に打ち勝つぞという、強い強い決意の祈りです。そして、懺悔滅罪の祈りであり、罪障を消滅してくださる御本尊への、深い深い感謝の祈りです。
 胃が癌に侵されているというのなら、唱題の集中砲火を浴びせるような思いで、題目を唱えきっていくんです。
 さらに、重要なことは、自分は広宣流布のために生き抜くのだと、心を定めることです。そして、“広布のために、自在に働くことのできる体にしてください”と、祈り抜いていくんです。広宣流布に生き抜く人こそが、地涌の菩薩です。法華経の行者です。広布に生きる時には、地涌の菩薩の大生命が全身に脈動します。その燦然たる生命が、病を制圧していくんです」
 (「桂冠」の章、300~302ページ)

創価教育の誓い

 <1965年11月、創価大学設立審議会が発足。牧口常三郎初代会長と戸田城聖第2代会長の悲願の実現へ、本格的な準備が始まる。「桂冠」の章には、山本伸一が両会長の構想実現を誓う場面が描かれている>

 伸一は、師の戸田から大学設立の構想を聞かされた折のことが、一日として頭から離れなかった。

 ――それは、戸田が経営していた東光建設信用組合が、経営不振から業務停止となり、再起を期して設立した新会社の大東商工が、細々と回転し始めようとしていた、一九五〇年(昭和二十五年)の十一月十六日のことであった。
 戸田のもとにいた社員たちも、給料の遅配が続くと、一人、また、一人と、恨み言を残して去っていった。伸一も、オーバーなしで冬を迎えねばならぬ、秋霜の季節であった。
 この日、伸一は、西神田の会社の近くにある、日本大学の学生食堂で、師の戸田と昼食をともにした。安価な学生食堂にしか行けぬほど、戸田城聖の財政は逼迫していた。
 彼にとっては、生きるか死ぬかの、戦後の最も厳しい“激浪の時代”である。
 しかし、戸田は泰然自若としていた。彼は、学生食堂へ向かう道々、伸一に、壮大な広宣流布の展望を語るのであった。
 食堂には、若々しい談笑の声が響いていた。
 戸田は、学生たちに視線を注ぎながら、微笑みを浮かべて言った。
 「伸一、大学をつくろうな。創価大学だ」
 伸一が黙って頷くと、戸田は、彼方を仰ぐように目を細めて、懐かしそうに語り始めた。
 「間もなく、牧口先生の七回忌だが、よく先生は、こう言われていた。
 『将来、私が研究している創価教育学の学校を必ずつくろう。もし、私の代に創立できない時は、戸田君の代でつくるのだ。小学校から大学まで、私の構想する創価教育の学校をつくりたいな』と……」
 ここまで語ると、戸田は険しい顔になった。
 「しかし、牧口先生は、牢獄のなかで生涯を閉じられた。さぞ、ご無念であったにちがいない。私は、構想の実現を託された弟子として、先生に代わって学校をつくろうと、心に誓ってきた。牧口先生の偉大な教育思想を、このまま埋もれさせるようなことがあっては、絶対にならない。そんなことになったら、人類の最高最大の精神遺産をなくしてしまうようなものだ。
 人類の未来のために、必ず、創価大学をつくらねばならない。しかし、私の健在なうちにできればいいが、だめかもしれない。伸一、その時は頼むよ。世界第一の大学にしようじゃないか!」
 この時の戸田の言葉を、伸一は、決して、忘れることはなかったのである。
 だが、既に、その戸田も世を去っていた。創価教育の学校の設立は、牧口から戸田へ、戸田から伸一へと託され、今、すべては、彼の双肩にかかっていたのである。
 伸一は、先師・牧口の、そして、恩師・戸田の構想の実現に向かい、いよいよ第一歩を踏み出せたことが嬉しかった。(中略)
 師匠が描いた構想を現実のものとし、結実させてこそ、まことの弟子である。その不断の行動と勝利のなかにのみ、仏法の師弟の、尊き不二の大道がある。金色に輝く、共戦の光の道がある。
 (293~296ページ)
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
 聖教電子版の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」第10巻「解説編」の池田博正主任副会長の紙上講座と動画を閲覧できます。


【聖教ニュース】

◆さあ“婦女一体”で朗らかに前進――6月「希望の絆 女性月間」 2020年5月29日

創価の女性は「希望の太陽」「平和の太陽」!――友の健康・幸福・勝利を祈り続ける池田先生ご夫妻(2010年3月、八王子市の東京牧口記念会館で)

創価の女性は「希望の太陽」「平和の太陽」!――友の健康・幸福・勝利を祈り続ける池田先生ご夫妻(2010年3月、八王子市の東京牧口記念会館で)

 6・4「世界池田華陽会の日」
 6・10「婦人部の日」を皆で祝賀
  “婦女一体”の創価の女性の連帯こそ、社会を照らす希望!
 
 6・4「世界池田華陽会の日」、6・10「婦人部の日」を寿ぐ「希望の絆 女性月間」が、6月1日に開幕する(同30日まで)。
 月間中、“自他共の幸福へ 自分発! マイチャレンジ運動”と題し、次の3点に総力を挙げる。
 ①家族、親戚、同志、友人の健康と幸福、世界の平和と安穏を祈り続ける。
 ②内外の友と声を掛け合い、希望の絆を結ぶ。
 ③日々学び、先生と共に、同志と共に前進する。<小説『新・人間革命』や「大白蓮華」、『華陽の誓い』(女子部指導集)や『幸福の花束Ⅲ』(婦人部指導集)、聖教新聞などを活用し、一段と研さんに取り組む>
 なお、予定されていた「婦人部総会」は実施せず、「女性月間」の取り組みの中で、友との絆を一層強く結んでいく。
 
“太陽の女性”として
 かつて池田大作先生は随筆で、日蓮大聖人が「日女御前」という女性門下に、「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり」(御書1244ページ)との御聖訓を送られたことに言及。
 「日女」にはまさに“太陽の女性”という意義があり、その生命の光彩は、明るく周囲を照らす婦人部・女子部に受け継がれていると強調し、「御本尊の無量無辺なる大功力を涌現するのは、創価の女性の最も強盛な信心である」と訴えた。
 世界が未曽有の危機に見舞われる今、「太陽の心」で、一家に、地域に励ましを送る創価の女性の連帯は、いやまして輝きを放つ。
 永石婦人部長、大串女子部長は、声をそろえて語る。
 「一人一人が先生への誓いと報恩を胸に、多くの友と“希望の絆”を結び、朗らかに幸福のスクラムを広げていきます!」


◆青年部と医学者が第7回オンライン会議  2020年5月29日

 青年部と医学者の代表らによる第7回オンライン会議が28日、開催された。これには、志賀青年部長、西方男子部長、大串女子部長ら青年部の代表と、東海大学の山本典生教授、東京医科歯科大学の藤原武男教授、新潟大学の菖蒲川由郷特任教授、創価青年医学者会議の庄司議長、創価女性医学者会議の勝又議長が参加した。
「savelife(命を守る)プロジェクト」がスタート
 テーマは「感染症という『挑戦』に『応戦』するために」。
 今月25日、全国で緊急事態宣言が解除されたことを受け、これまで学会青年部が推進してきた「stayhomeプロジェクト」が、「savelife(命を守る)プロジェクト」の名称で新たにスタート。専門家による監修のもと、命と生活を守るための正しい情報を発信していく。
 
感染予防と生活を両立させるために
 今回のオンライン会議では、こうした活動や社会状況の変化を踏まえながら、一人一人が感染予防と生活を両立させるために取り組むべきことなどを確認した。
 また、新型コロナウイルスの感染防止の取り組みが長期化する中で、ウイルスなどから体を守る「免疫の働き」が改めて注目されていることが話題に。自己免疫を高めるための具体的な意識と行動について概説された。
  
正しい情報の共有と支え合いを
 さらに、“感染症に負けない社会”を構築していくためには、行政による支援などとともに、地域における「人と人の交流」や「つながり」が重要であると指摘。「正しい情報」の共有や支え合いが互いの健康を増進し、感染症に立ち向かう社会の「土台」となるとの言及があった。
 そして、ウイルスからの「挑戦」に、巧みな技術と知恵で「応戦」してきた人類の歴史に触れつつ、個人にとっては、基礎的な感染予防対策を実践する身近な取り組みが「応戦」であり、社会においては、これまで学会が培ってきたような“励ましの連帯”の構築が感染症への最大の「応戦」になることなどが語り合われた。(会議の模様は後日詳報)


◆第3代会長就任60周年記念「SOKAnet」特設ページに映像が追加  2020年5月29日
 ユイグ氏との対話

    • ユイグ氏㊨との再会を喜び合って。両者の出会いは10度を超え、語らいは対談集『闇は暁を求めて』に結実している(1987年5月、フランスで)

ユイグ氏㊨との再会を喜び合って。両者の出会いは10度を超え、語らいは対談集『闇は暁を求めて』に結実している(1987年5月、フランスで)

 学会公式ホームページ「SOKAnet」に開設された、池田先生の第3代会長就任60周年を記念する特設ページ「映像で見る池田先生の行動と軌跡」に、新たな映像が追加された。
 今回、追加されたのは、フランスの美術史家ルネ・ユイグ氏との語らい。
 氏はかつて、30歳の若さでルーブル美術館の絵画部長に就任。第2次世界大戦でフランスを占領したナチスから、貴重な絵画や美術品を守り抜いた。
 芸術と文化による新しい時代の夜明けを目指したユイグ氏と池田先生の“精神の交流”を学ぶことができる。
 なお、次回の映像追加は6月12日を予定している。


【特集記事・信仰体験など】

◆ 〈第3代会長就任60周年記念 広布史アルバム〉3 昭和35年5月2020年5月29日
 私は進む! 私は戦う!

「この旗は、折伏の旗印です」「しっかり戦ってください!」――関西総支部幹部会の席上、真剣なまなざしで支部旗を授与する池田先生(1960年〈昭和35年〉5月8日、大阪府立体育会館で)。会長就任後、初の地方指導は、同志と苦楽を共にした関西からスタートした。教学の研鑽などに力を入れ、幸福の連帯で人材の大城を築いていこうと訴えた

 全生命
  賭して 指揮執る
   時 来り
  広宣流布の
   陣頭 我なり
  
 1960年(昭和35年)5月3日、第3代会長就任のその日、池田先生は詠んだ。
 この歌の決意のままに、先生は就任5日後の5月8日に関西総支部幹部会に出席したのをはじめ、旭日の勢いで各地を回り、同年末までに全方面を訪れている。
 先生は行く先々で、メンバーの輪の中に飛び込んだ。
 どこまでも会員を大切に――その行動は、就任当初から一貫して変わらない。
 池田先生は、会長就任50年となる2010年のスピーチでこう振り返った。
  
 50年前の昭和35年5月6日。第3代会長に就任して、初めて関西へ向かう前、私は日記に書いた。
 「一人ひとりに、親しく接しよう。一人ひとりと語り、論じ、そして、生涯、苦楽を共にしてもらおう。これが私の信条だ。
 私は進む。私は戦う。私は苦しむ。
 如来の使い、大衆の味方の誉れ高き、無冠の勇者として」
 愛する同志を仏のごとく大切にし、自分が犠牲となって苦しんでいく。この一念で戦い続けたゆえに、この50年の、奇跡の大発展がある。
  
 学会は、庶民の王者の集まりだ。
 広布へ戦う人こそが最も偉大である。
 その人を「軽んじてはならない」「蔑んではならない」と、大聖人は厳命された(御書342ページ、趣意)。
 誰に対しても、恐れる必要などない。皆、同じ人間である。我らは胸を張って正義を叫び、新しい時代を開きたい。


◆〈新型コロナウイルスとの闘い〉不安をうまくコントロールするには 新潟青陵大学 碓井真史教授(「第三文明」から)  2020年5月29日

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が拡大するなか、どうすれば冷静さを保つことができるのか。心理学の知見を碓井真史氏に話を聞いた。(「第三文明」2020年6月号から)

1959年、東京都生まれ。日本大学大学院文学研究科博士後期課程心理学専攻修了。博士(心理学)。専門は社会心理学。道都大学教授、新潟青陵女子短期大学教授などを経て、2006年から現職。新潟市のスクールカウンセラーとしても活動している。著書に『あなたが死んだら私は悲しい――心理学者からのいのちのメッセージ』(いのちのことば社)『人間関係がうまくいく 図解 嘘の正しい使い方ーーホンネとタテマエを自在にあやつる! 心理法則』(大和出版)ほか多数。ホームページ「心理学総合案内 こころの散歩道」は、アクセスが3000万件を超えている。
安心を求めすぎないこと

 新型コロナウイルス感染症の拡大によって、健康面や経済面などで、多くの方々が不安を抱いているはずです。
 実は、危機的状況下で自身の身を守るためには、ある程度の不安はむしろ必要なものです。しかし、不安が大きくなりすぎると、極端な行動を起こしてしまい、かえって自身の身を危険にさらしてしまいかねません。では、不安をコントロールするためにはどうすればいいのでしょうか。まずは、人はどうして不安を抱いてしまうかについて知ることです。
 心理学では、そもそも不安は、対象がはっきりしていない場合に抱くものとされています。人は、対象がはっきりしているものには、不安ではなく恐れを抱くのです。
 ウイルスは肉眼では見ることができません。人々は特に目に見えないものには大きな不安を抱くようです。例えば、東日本大震災に伴う原発事故後、目に見えない放射線に対してどういう反応があったかを考えると、想像がつくかと思います。また、今般のウイルスは新型というだけあって、まだまだ医学的にも明らかになっていないことが多い。そのため、感染症の専門家でも、異なる見解を示している場合があります。
 感染症において、個人が最も恐れるべきものは「死」だと思います。それははっきりしている。しかし、その手前の部分では多くのことが見通せない。対象がはっきりとしていないために、具体的な恐れではなく、漠然とした不安がどんどん膨らんでしまうのです。
 人間には、安全だけでは満足できず、同時に安心を求める習性があります。普段であれば医師などの専門家や政治家が、可能な限りの安心を供給してくれます。それが、非常時には供給側に余裕がなくなります。その時に、普段どおりに安心を求めてしまうと、かえって不安が募ってしまうのです。
 行きすぎた不安は、感染者への差別や、個人情報の特定、買い占めなどの極端な行動を引き起こします。平時に一人の人間がそうした行動を起こす分には大きな影響はないかもしれませんが、非常時には多くの人がそうした行動を取ります。そうなると、社会的な混乱が起き、結果的に極端な行動を取った人も危険にさらされてしまいます。
 例えば、マスクを大量に買い占めたとします。それで自分自身は安心かもしれませんが、そうした行動を自分と同じ考えの多くの人が取ることで、医療機関に行き渡らなくなる。となると、仮に自らが感染した時に困るのは自分自身ということになるわけです。
 自分では合理的な行為だと思っているものが、かえって非合理的な結果を招いてしまう。これを心理学の用語で「社会的ジレンマ」と言います。

情報との向き合い方
 どうすれば不安をコントロールできるのか。情報を発する側と受け取る側の双方の視点からポイントを述べたいと思います。
 情報を発する側は、何よりもリスクコミュニケーションの質を高めることです。科学的知識やデータは大切ですが、それだけでは、人々の不安は解消されません。コミュニケーションである以上、そこには心が介在するからです。情報を受け取る側がどんな気持ちでいるのか、どれくらいの知識を持っているかを見定め、ただ単に正しい言葉ではなく、伝わる言葉を発していくべきでしょう。
 私の大学がある新潟市では、二月末に卓球スクールで、新型コロナウイルス感染症のクラスターが確認されました。その際、県の担当者と専門家は、同じスクールに通っているだけでは感染の確率は低い旨を、明確に発表しました。これは実に冷静な対応だったと思います。
 政治家の場合は、アメリカのトランプ大統領や、東京都の小池知事がそうしているように、専門家を後ろや脇に控えさせて会見を行うというのも有効だと思います。つまり、発表している情報が専門家の了解済みであることを、視覚的に示す。いわば一種の演出ですが、コミュニケーションの面ではとても大切なことなのです。
 次に、情報を受け取る側のポイントです。非常時には、とりわけインターネット上にデマや陰謀論が蔓延します。それらは多くの場合、人々の不安に付け込んだ内容となっています。
 実は、人間は第三者からの情報を信じやすい傾向があります。また、自分が見たい情報しか見ない傾向もある。それらの傾向によって、デマや陰謀論が拡散されてしまうのです。
 明らかなデマや陰謀論とまで言えなくとも、例えば非常時のテレビは、扇情的な報道をしがちです。トイレットペーパーの買い占めが起きた際、テレビでは何度もスーパーマーケットやドラッグストアの空っぽの棚が映し出されました。
 そうなると、いくら公的機関や専門家が豊富な在庫をアピールし、冷静な消費行動を呼びかけたところで、空っぽの棚のインパクトには負けてしまいます。それがかえって買い占めを助長することにつながってしまいます。
 他にも、おどろおどろしいBGMを流したり、過激なテロップを出したり、悲観的な街頭インタビューばかりを報道したりと、非常時のテレビは非日常を映し出そうとします。情報を受け取る側は、メディアはしばしば煽るものだと認識したほうがいいでしょう。
 その上で、自分自身がデマや陰謀論の片棒を担がないためにも、他者にそれを拡散する前に、調べてみることです。特に、自分の心理状態や意見にぴったりと合う情報には要注意です。先述のとおり、人は自分が見たい情報しか見ない習性があるからです。
 もしもテレビの報道によって、不安が大きくなっていると感じる場合には、テレビを消して、最低限の情報をラジオから得るのも一つの方法です。真面目な人ほど、ちゃんと情報を得なければと思い、テレビを消すことに罪悪感を抱いてしまいがちですが、刺激が強いテレビの報道と距離を置くことは、不安をコントロールするためにも有効です。


余裕がない人を責めない

 リスクコミュニケーションの質を上げるためには、情報を発する側と受け止める側の相互信頼関係が重要です。特に今回のように、新しいウイルスによる感染症が拡大し、何が正しい対応なのかがわからない状況下で最善を尽くすためには、政府と国民の相互信頼が土台になるはずです。
 その意味では、政治が信頼されていないことが、今般の大きな混乱を招いた一つの要因なのかもしれません。ただし、個人的には、非常時には国民の側がもう少し、政治を信頼したほうがいいと思っています。
 危機的な状況に陥ると、普段から抱えている不安がグンと大きくなるものです。裏を返せば、家族や友人、地域社会や宗教団体などの中間団体によるソーシャルサポートがあるかどうか、すなわち日常的な安心感があるかどうかが、非常時に不安をコントロールできるかどうかに大きく影響してくるのです。
 また、日常的な安心感という点では、日ごろから水や食料、トイレットペーパーなどを買い置きしている人は、非常時に買い占めに走ったりはしないはずです。結局のところは“備えあれば憂いなし”なのです。
 自然災害や感染症は世の中全体を揺さぶります。その時に、普段からいい関係を築いていた家族・団体・社会は一致団結しますが、ギリギリ保っていた家族・団体・社会は仲たがいをしたり、乱暴になったりするものです。
 集団パニックが起きる際には、必ずきっかけをつくる人がいます。学校などの避難訓練で、「静かに」と徹底されるのは、非常時に口を開くと不安な話ばかりをしてしまい、皆が浮足立ってしまうからです。そこで泣き出す人などが出てくれば、一気に集団パニックに陥るのです。
 非常時に余裕がなくなってしまう人はいるものです。感染者への差別や、個人情報の特定、買い占めに走ってしまう人は、多くの場合は不安が大きくなりすぎて、余裕がなくなってしまっています。もちろん、それらはもはや社会的迷惑行為に他ならないものの、余裕がない人を責めたり、問い詰めたりしても何も解決しません。むしろ、褒めてあげるなど、穏やかなまなざしで肯定してあげたほうが、その人は安心できるのです。
 もしかすると、買い占めに走ったそのお年寄りの家族には、基礎疾患を抱えている人がいるのかもしれません。そもそも高齢者は重症化する確率が高いために不安が大きくなりがちです。非常時には、安心を求めすぎないこと。その上で、余裕がある人は、余裕がない人に目くじらを立てるのではなく、安心を与えていくことが大切です。


◆20歳で天涯孤独の身に 入会後に得た心の財〈信仰体験〉

“今いる場所で実証を”と奮闘する青木さん。職場からの信頼も厚い

 【大阪府東大阪市】20歳で肉親をすべて亡くした。利き手の指も失った。それでも青木信男さん(42)=副支部長(地区部長兼任)=は今、確信を込めて言える。
「より深い人生の生き方を知った」。そのことを、広布の師匠が、創価の家族が気付かせてくれた。

逃げていた自分
 母親と弟、祖母とのつつましい4人暮らしをしていた。
 小学校に入学してまもなく、自分に父親がいないことに疑問を持った。仕事中の事故死と、母親が教えてくれた。
 高校1年の秋、2歳年下の弟が海の事故で、この世を去ってしまう。あまりのショックで数日間、ふさぎ込んだ。
 青木さんは高校を卒業し、沖縄から大阪へ働きに出た。1年ほどたったある日、母親に近況を報告しようと電話を入れた。だが何度鳴らしても出ない。
 “ばあちゃんの介護をしてるはずなのに……”。友人に実家を訪ねてもらうと、家の中で2人が倒れているのが発見された。
 祖母は死後数日たっており、母親は意識不明になっていた。
 半年後、母親は目を覚ますことなく、息を引き取った。
 青木さんは20歳で家族全員を失った。
 遺品に囲まれた実家で一人、酒に明け暮れた。飲んでも飲んでも、残された寂しさが癒えることはなかった。
                    *
 再び大阪に移り住んだ。乱れた生活で借金は膨らむ一方。水道・ガス・電気が止まる。この状況を仕事上で親しくなった婦人に相談してみた。 
 「借金を繰り返す、染みついた“生命の癖”を直(なお)さん限り、いつまでたっても環境は変わらへんで」と、きっぱり言われた。その人は創価学会員だった。
 27歳のこの時、学会に入会。その後、好条件でプレス加工業の会社に就職できた。新しい住まいも見つかった。
 だが生活が安定すると、今度は信仰の方がおろそかになった。やがて職場内の人間関係で頭を抱えるように。再び酒に走った。
                    *
 ビール缶や一升瓶が散乱した部屋に、男子部の先輩が、険しい表情で座っていた。
「青木君は今のこの生活を見て、情けなくないんか。一体、何のために信心したんや!」
 “赤の他人やのに、なんやねん”と内心、腹が立った。が、翌日、冷静になって考えてみた。
 “俺はずっと、自分が傷つくことを恐れ、諦めてしまっていた。先輩は、そんな心根を正そうと真剣に叱ってくれた。もう俺は一人じゃないんや……”
 朝晩の勤行・唱題から再び開始。真面目に仕事に取り組み始めると、職場内の環境が変わり、やがて人間関係の悩みは解消された。借金も完済できた。

立ち直れた一言
 37歳になったある日、仕事中に事故が起きた。
 「ドン!」という音とともに機械がプレスしたのは、金属ではなく、自分の指だった。
 自らの不注意で機械操作を誤ってしまったのだ。
 つぶれた3本の指は皮膚だけでつながっていた。救急搬送されたが、すぐに切断。残った親指は動いたものの、小指は動かなかった。
 さっきまであった指がない。“もう利き手で字を書けない。箸も持てない……”。人目を避け、家に閉じこもるようになった。
 ある日、自宅のインターホンが鳴った。
 「病院に行くの大変でしょ。僕の車で、一緒に行きませんか?」  男子部のメンバーだった。
 車中は無言。診察前後も特に会話はなかった。自宅に着く直前、彼が口を開いた。
 「気持ちの整理に時間はかかるかもしれませんが、また青木さんと一緒に、広布のために活動ができるよう祈っています」
 家に戻り、御本尊の前に座った。こらえていた涙があふれ出す。  
「あの一言がなかったら、立ち直れなかったかもしれません」

苦難に負けない祈り、学会指導の研さんが前進の糧に
                    *
 右手は当時、十分に機能しない状況だったため、リハビリ施設から補助器具の装着を勧められた。
 だが青木さんは、自宅にあったスポンジを握り始める。つぶせるようになると、今度は洗濯ばさみに代えた。次第に動かなかった小指が動くようになった。はさみが使えるようになり、字も書けるようになった。
 実際にその様子を見た施設関係者は驚きの声を上げる。青木さんはリハビリの成功例として取り上げられた。
 職場にも復帰。出勤当日、工場内に響く機械音を聞くと、当時の惨劇がよみがえり、全身が震えてきた。
 しかし“お世話になった会社のため”との思いで懸命に仕事に励んだ。

                    * 
 その後、学会活動に徹し抜き、青年部時代は圏男子部長まで務めた。広布の道を歩んできた青木さんには、心に強く息づく池田先生の指導がある。  
「恩を知る人は、謙虚である。まじめである。真剣である。恩を知る人は、成長がある。向上がある。勇気がある。恩を知る人は、人を敬うことができる。人に尽くし、人を育てることができる」
 亡き家族が、信心に巡り合わせてくれた。師匠と同志が、報恩に生きる大切さを教えてくれた。
 今では、つらかった経験が全て“心の財”と輝いている。 (関西支社編集部発)

 

2020年5月28日 (木)

2020年5月28日(木)の聖教

2020年5月28日(木)の聖教

◆わが友に贈る

 子どもの環境が
 大きく変わる時。
 小さな変化に
 気付けるよう
 アンテナを鋭敏に!


◆名字の言 名将・野村克也さんが語る。「グチ」と「ぼやき」の違いとは?

 球界の名将・野村克也さんは「ぼやきのノムさん」とも称された。この「ぼやき」を、野村さんは名将らしい言葉で、こう紹介している。「グチは、『不満』を表現するものである/ぼやきは、『理想と現実の差』を表現するものである」(『凡人を達人に変える77の心得』)▼ぼやくことは、理想を目指す途上にある自身の「現在の立ち位置を確認する行為」なのかもしれない。志をもち、努力を重ねるならば、ぼやきは、わが情熱の炎をいや増す“薪”にもなろう▼皆で集っての会合が開催できない中、オンライン画面を通して顔を合わせることが多くなった。ある友は、会えないもどかしさを感じつつ、実際にやってみると、思わぬ効果があったという。「高齢や家族の介護などで、以前は会館に来るのが難しかった方々が、これならと多数参加してくれたんです」▼直接会って、じっくり語り合うのが一番いいに決まっている。それができない現実にぼやきたくもなるが、少しでも励ましを送りたいと知恵を働かせれば、手段は無限にあることに気付く▼池田先生は、信仰者のあるべき姿を「現実を妥協なく見つめ、その現実に唱題根本で敢然と立ち向かう」ことだと語る。より良き未来へ、新たな価値を創造する学会活動の在り方が求められる。(代)


◆寸鉄

「月月・日日につより給
へ」御書。心新たに朝を
勝つ!清々しい勤行から
     ◇
沖縄市の友、頑張れ。反転
攻勢へ全国から大声援!
民衆パワーで断固勝利を
     ◇
宮城県婦人部の日。青葉
の誓い忘れまじ。試練の
時こそ希望の励まし拡大
     ◇
空気清浄機に漂白剤投入
は厳禁。やけど、失明の
恐れも。使用方法を守り
     ◇
2歳未満はマスク不要、
窒息や熱中症の危険が―
日本小児科医会。要注意


◆社説 劇画「人間革命」に大きな反響  今こそ自身の原点に立ち返る時

 4月下旬から聖教電子版で、劇画『人間革命』第2版の配信が始まっている。
 本紙上での劇画の連載が終了したのは2002年(平成14年)。それから18年、創価学会は世界宗教へと飛躍した。また、池田先生は小説『人間革命』について、「若い読者が読んでもよくわかるように」と、推敲を重ね、全12巻の第2版が刊行された。今回、配信されている劇画は、小説第2版に基づき、再編集されたものである。
 配信開始のニュースに対して、読者から多くの声が寄せられた。印象的なのは、男女青年部から届いた感想が多く、父母や祖父母と共に読んでいるといった10代の未来部員が、少なくないことだ。
 改めて感じるのは、“劇画”という表現形式が持つ力である。劇画では、戦中戦後の詳細な情景の中を、戸田先生や山本伸一青年が、広布の戦いに奔走する様子が描かれる。視覚に訴える劇画には、一瞬で読者を物語の世界へと導く長所がある。それは世代の隔たりや活字媒体への苦手意識、さらには国や地域、文化の差異を超える潜在力を持つといえよう。
 ある女性読者は、かつて劇画(初版)の単行本を手に取ったことが、発心のきっかけだった。牧口先生、戸田先生が命を懸けて守り、築いた学会を受け継ぐ山本伸一――この戦いの延長線上に自分がいると気付き、それまで参加しなかった学会活動に、積極的に取り組むようになった。青春の日々を関西で過ごし、今は圏婦人部長として活躍している。
 『人間革命』の物語に触れた経験が、信心や学会活動を始めた原点と語る同志は数多い。また、困難に直面するたびに、私たちは創価三代の闘争を振り返り、自身を奮い立たせてきた。『人間革命』のドラマが躍動する劇画は、多くの同志に、自らの信心の、そして師弟共戦の原点を思い起こさせるに違いない。
 かつて池田先生は「自分が拠って立つ大地を持つ人は強い。負けない人生を歩める。試練をも前進の力へと転じゆけるのだ」と語った。
 新型コロナウイルスによる感染症が、世界中で猛威を振るっている。激動の時代の中で、多くの人が揺るがぬ信念や思想を模索しているのではないだろうか。
 そのような状況にあって、私たちには、創価三代、なかんずく池田先生が指し示す希望の哲学という“拠って立つ大地”がある。日蓮仏法への確かな信仰と、その喜びを分かち合える同志がいる。それを思うだけで、どんな苦難にも立ち向かう勇気が湧いてくる。
 今こそ、自身の原点へと立ち返りながら、日々変化する「新しい日常」を、価値創造の出発点としていきたい。


◆きょうの発心 立正安国論 第2総東京男子部長 海沼隼人2020年5月28日

御文 汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を?らん者か(立正安国論、31ページ・編169ページ)
通解 あなたは、自身の安泰を願うなら、まず世の静穏、平和を祈るべきである。

潔い信心貫き平和の連帯広げる
 社会の繁栄、平和の実現が仏法者の使命である、との仰せです。
 初めて参加した学生部の会合で拝した一節です。先輩たちの広布への熱き思いに触れて発心。一つ一つの学会活動に真剣に取り組む中で、師弟不二の信心を学びました。
 男子部に進出後、未入会だった父が病に。“回復に向けて、一緒に祈ろう”と真心を込めて対話し、入会に導くことができました。
 2016年(平成28年)には、母が転倒し、脳挫傷を負いました。一家の宿命転換を懸けて、一歩も引かずに戦おうと決意。翌17年には、調布総区の男子部長として“池田先生に断じて勝利のご報告を”と活動に走りました。母は後遺症もなく回復し、同志の皆さまと共に、新たな広布の歴史を築くことができました。
 昨年、方面男子部長の任命を受けてからも、妻の手術など宿命の嵐が。家族で真剣に唱題し、手術は成功。弘教を実らせることもできました。
 今、第2総東京男子部ではオンラインの集いを通して、励ましの輪を拡大しています。潔い信心の姿勢を貫き、平和の連帯を広げる戦いに挑んでまいります。


【聖教ニュース】

◆未来部各種コンクール 6月から作品募集   2020年5月28日
 挑戦と成長の時は今!

応募期間6月1日(月)~8月31日(月)
 中・高等部――読書感想文コンクール
 少年少女部――きぼう作文コンクール 少年少女希望絵画展

 挑戦と成長の時は今! 希望を胸に一歩前進の夏へ――未来部の各種コンクールが例年より早く、6月1日から募集が開始される(8月31日まで)。
 これは、新型コロナウイルスの感染拡大による休校の長期化に伴い、夏休みの期間短縮が見込まれる中、未来部員がゆとりをもって取り組めるよう、考慮したもの。締め切り日は例年と同じとなる。
 少年少女部は「きぼう作文コンクール」「少年少女希望絵画展」、中・高等部は「読書感想文コンクール」に挑戦する。
 
 <未来部機関紙「未来ジャーナル」「少年少女きぼう新聞」の7月号(6月下旬完成)でも、子どもたちの“自分発”の取り組みをサポートする企画を予定>
 
 なお、全未来部員が対象の「E―1グランプリ」については後日、改めて方針が発表される。
 池田大作先生はかつて、各種コンクールに取り組む友を、次のように励ました。
 「(読書感想文コンクールなどに寄せられた)皆さんの力作を拝見すると、希望が広がります。美しい心、新鮮な発想、あふれんばかりの創造力、豊かな表現力……。いつも感心しています。何より『応募してみよう』『やってみよう』との心自体が尊い。チャレンジする一人一人の頭に、私は“青春勝利の月桂冠”をかぶせてあげたい」
 「世界中の名画を集めた展らん会よりも、私が楽しみにしている絵画展があります。
 そうです! みなさんの『少年少女希望絵画展』です。一つ一つの絵に、どんなけっ作にも負けないあざやかな色があり、明るい光があります。心おどる発見があり、未来に広がる希望があります」
 緊急事態宣言が全国で解除され、登校再開の動きがこれから本格化する。未来部の友の生活は変化の連続であり、不安を抱いたり、悩んだりしているメンバーも少なくない。
 そうした状況に最大限に配慮しながら、宝の子どもたち全員が心も軽く希望の未来へ前進できるよう、家庭や地域で、創価家族からのエールを送っていきたい。
 松野未来部長、先﨑女子未来部長は語る。
 「絵を描くことや文章を書くことが苦手でも、“挑戦する”という小さな一歩を踏み出すこと自体が勝利の証しであり、自身の大きな成長へとつながっていきます。
 自身の躍進のステップとして、楽しく、はつらつと取り組んでいきましょう!」

絵画展の展示会は中止 電子版で受賞作品を公開
 新型コロナウイルスを巡る社会状況を踏まえて、東京・新宿区の創価文化センターで開催予定だった、2019年度の作品を紹介する第34回「少年少女希望絵画展」は中止となりました。
 展示予定だった「金賞」「銀賞」「銅賞」をはじめ作品の代表は、聖教電子版で見ることができます。
 

◆第3代会長就任60周年記念「師弟凱歌の記憶」 第7回「永遠なれ 友好の『金の橋』」 2020年5月28日

“新しい時代の扉は、待っていては開きはしない”――英国領だった香港の羅湖駅から徒歩で中国へ(1974年5月) 

“新しい時代の扉は、待っていては開きはしない”――英国領だった香港の羅湖駅から徒歩で中国へ(1974年5月)

 池田先生の初訪中は1974年5月30日。まだ中国への直行便がない時代だった。
 なぜ中国へ行くのか。小説『新・人間革命』「友誼の道」の章には、中国への第一歩に当たり、アジアの平和と民衆の幸福を願い続けた戸田先生の真情を、山本伸一が述懐する場面が描かれる。不二の弟子として、何をなすべきか――「思索を重ねた結果、中国と友好を結び、確かなる交流の道を開かねばならぬと、心に深く決意したのである」と。
 初訪問に先立つこと6年、池田先生は68年9月8日に「日中国交正常化提言」を発表。「アジアの繁栄と世界の平和のため、その最も重要なかなめ」として、日本と中国の関係改善を訴えた。
 提言発表後、学会本部には嫌がらせや脅迫の電話、手紙が相次いだ。中国との友好を口にすれば、身の危険も覚悟しなければならない時代だった。しかしその後も先生は、新聞連載中の小説『人間革命』で日中平和友好条約の締結を提唱。歴史と未来への大局観に基づく信念は揺るがなかった。

周恩来総理が愛用したペーパーナイフ㊧と鄧穎超夫人が愛用した筆立て。ともに鄧夫人から贈られた
周恩来総理が愛用したペーパーナイフ㊧と鄧穎超夫人が愛用した筆立て。ともに鄧夫人から贈られた

 それらの行動を、じっと見つめていたのが周恩来総理であった。74年12月5日、先生の2度目の訪中の折に「池田会長には、どんなことがあっても会わねばならない」と、病身を押して一期一会の会見。共に繁栄するアジアの未来を展望した総理の思いは、池田先生に託された。
 以来、約半世紀。池田先生の訪中は10度に及ぶ。山あり谷ありの日中関係にあって、先生は平和・文化・教育の交流をたゆみなく推進し、青年部や婦人部などの派遣団交流をはじめ、幾重にも民間交流を進めてきた。

池田先生が1981年に揮毫した書「金乃橋」

池田先生が1981年に揮毫した書「金乃橋」

 先生は語る。――民衆は海であり、民衆交流の海原が開かれてこそ、あらゆる交流の船も行き交うことができる。――いかなる風雪があろうと、“海”さえあれば、船は前進し、往来は続いていく。ゆえに民衆交流こそ、揺るがぬ平和を築く王道である――と。
 
 原点を忘れず、先人の労苦に学ぶ。次世代にその志があれば、友好の「金の橋」は万代に続く。


◆中国・仲愷農業工程学院 池田思想の研究者・学生が「5・3」を祝福  2020年5月28日

 中国・仲愷農業工程学院の「廖承志・池田大作研究センター」(高岳侖主任)と学生団体「廖承志・池田大作研究会」から、「5・3」に寄せて祝福の便りが届けられた。要旨を紹介する。
池田先生は60年にわたり世界平和に貢献
 今月3日、池田先生は創価学会第3代会長ご就任60周年を迎えられました。
 私たちが特に敬服しているのは、この60年間、先生が世界平和のために労苦を惜しまず全世界を駆け巡ってこられたことです。中日関係が最も困難な時に国交正常化を提言(1968年)され、75年にはSGIを発足。SGIは瞬く間に国際社会で重要な平和勢力となり、世界の平和・文化・教育の発展に力を発揮しています。
 私たちにとって最も忘れがたい出来事は、2009年に先生と香峯子夫人が快く本学の名誉教授称号を受けてくださったことです。
 その後も、折あるごとに励ましてくださいました。哲学と知恵があふれる先生のメッセージに啓発と励ましをいただくたびに、中日友好、世界平和のために試練や困難を乗り越え、前進しようと決意を固くしてきました。
 新型コロナウイルスが中日両国民、全世界に甚大な被害をもたらしています。先生と創価学会は早い段階から中国の状況を気にかけてくださり、中国国民の奮闘を応援してくださいました。先生と学会のご支援に、心から感謝申し上げます。
 また新型コロナウイルスにより亡くなられた方々、被害に遭われた日本の方々に、心からのお見舞いを申し上げます。私たちは日本の皆さまと共にウイルスとの闘いに打ち勝って、引き続き中日友好と世界平和に貢献したいと願っています。
 創価学会のますますのご発展と、尊敬する池田先生・奥様のご健勝とご長寿を、お祈り申し上げます。


【特集記事・信仰体験など】


◆〈現代と仏法 学術者はこう見る〉第22回 人工知能の未来に思う

 立命館大学教授 平林晃さん
 技術の活用には哲学が重要

“AI兵器”の開発や使用の禁止を求める「キラーロボット反対キャンペーン」の会議。SGIの代表も参加した(本年2月、アルゼンチンで)

“AI兵器”の開発や使用の禁止を求める「キラーロボット反対キャンペーン」の会議。SGIの代表も参加した(本年2月、アルゼンチンで)

 私が研究する信号処理は、スマートフォンやデジタルカメラなどで使われている身近な技術です。この分野でも近年、AI(人工知能)に基づく手法が頻繁に用いられるようになってきました。
 例えば、エレキギターの演奏音の信号処理。AIにプロミュージシャンが奏でるさまざまな音を聞かせると、それを学習し、アマチュアミュージシャンの音をプロのような音に変換することができます。
 また、不鮮明な顔と鮮明な顔のペアを大量に提示すると、AIがそれらの特徴を読み取り、不鮮明な顔を鮮明な顔に変換する超解像という技術もあります。
 こうした処理を支えているのは、深層学習(ディープラーニング)と呼ばれる技術です。「深層」との名の通り、音や画像などを処理する何層かの層が設けられ、その間で情報処理を繰り返すことによって“思考”を可能にしています。
 50年以上前は3層程度の浅い構造でしたが、現在は10層や100層という深い構造のものが用いられるようになり、AIの能力が飛躍的に進歩しました。
 一方、このような技術の革新は、さまざまな問題も引き起こしています。
 一つは、AIがどのように情報を判断したのか分からないという「ブラックボックス」の問題です。医療分野では、健康な人や病気の人の画像を学ぶことで、撮影した画像から、どこに病気があり、何の病気であるのかをいち早く発見・判断してくれるのですが、AIの処理はブラックボックスなので、得られた結果をどこまで信頼していいのか判然としません。
 また、読み込ませる情報に偏りがあると、AIは偏りのある判断をする可能性があることも指摘されています。
 こうした問題を抱えながらも、既にAIは世界で活用され始めました。
 最近は新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、感染者がどこにいるのかなどの情報をAIを使って監視し、人々に知らせている国もあります。それで命が守られるという安心感につながっているのかもしれませんが、もしAIが判断を間違えていれば、それによって不利益を被る人々も出てくるでしょう。
 日蓮大聖人は、「500匹の猿が山から出てきて水に映っている月を見て、入って取ろうとしたが、実際にはない水の月なので、月を取れずに水に落ち入って、猿は死んでしまった」(御書1211ページ、通解)と仰せになられています。これはAIが抱える問題に目を背け、その技術を過信してしまった社会の未来を物語っているように思えてなりません。
 AIは将棋や囲碁の対戦などからも明らかなように、ある面では人間を超える能力を発揮する技術であり、その技術が人々の幸福に寄与することは間違いありません。だからこそ、AIに情報を学ばせる際の価値基準となる倫理観、また人類はAIを活用してどこへ向かうのかという社会観などを問い直さなければならないと感じます。
 AIに関する倫理規定は欧米や国内で、既に策定されつつあり、それらを順守するかどうかは研究者やユーザーにかかっています。とりわけ、研究者の責任は大きい。例えば、AIが得意とする画像認識は“人間の目”の役割をする技術であり、これと従来の兵器を組み合わせれば自律型致死兵器システム(LAWS)を開発できるわけです。
 20世紀を代表する歴史家のトインビー博士は、池田先生との対談の中で「われわれの技術と倫理の格差は、かつてなかったほど大きく開いています。これは屈辱的であるだけでなく、致命的ともいえるほど危険なことです」と警鐘を鳴らし、慈悲と愛を基調とした倫理の必要性を訴えました。
 今後、AIはますます社会に浸透し、世の中に大きな影響を与えていくでしょう。そうした中だからこそ、自他共の幸福を教える仏法の哲学や慈悲の精神を社会に広げる学会の役割が、重要な鍵になると思うのです。
    (関西学術部員)


◆〈池田先生の会長就任60周年 青年部が原田会長に聞くⅡ部〉第6回 人間讃歌の時代開く大文化運動㊦2020年5月28日

 海外の国宝などの招来を実現した
 創立者・池田先生の信義と誠実
 東京富士美世界を語る美術館

ユイグ氏が館長を務めるパリの美術館で。氏から池田先生に、東京富士美術館の開館記念展に出展される作品の目録が(1983年6月)

 ◆西方 開館37年となる東京富士美術館(八王子市)は、「世界を語る美術館」として、各国の美の名品を招来した展覧会を、これまで48回開催してきました。この美術館設立の構想が示されたのも、池田先生が第3代会長に就任されて間もなくのことだと伺いました。
  
 ◇原田 1961年(昭和36年)6月、京都での関西第4総支部結成大会の席上、先生は“将来、大きな美術館をつくる”と展望されました。そこには、広宣流布は「仏法を基調とした平和・文化の開花でなくてはならない」と思索された戸田先生の構想実現への決意が込められていたと思います。
 京都は、国宝級の文化財で彩られている古都です。国宝の多くは、寺院建築をはじめ、宗教性のあるものです。“広宣流布の伸展に伴い、それらの文化財をどう捉えるべきか”――先生は、会員の方々の素朴な疑問を受け止め、人類共通の貴重な遺産である文化財を大切にし、精神性を高める糧としていく、世界宗教としてのあり方を明確にされたのだと思います。
 初の欧州指導に赴かれた同年10月には、各国の主要都市を回り、点在する同志を全力で励ます間に、パリのルーブル美術館、ロンドンの大英博物館、ローマの遺跡やバチカン宮殿、優れた芸術性を誇るオーストリアの楽都ウィーンにも足を運ばれました。
 行く先々で文化の宝を目に焼き付けながら、先生は美術館の設立構想を同行の友に語られました。“新たな人間主義の芸術の創造のためにも、世界の民衆を結ぶ文化交流のためにも、美術館をつくりたい。いつか全同志が誇れるような、世界中の美の宝を展示していこう”と――。
  
 ◆大串 「地味な作業かもしれないけれど、文化交流が一番の平和の近道なんだ」とも先生は言われています。
  
 ◇原田 72年5月8日には、イギリスでトインビー博士と対談される中、先生は国立の「テート・ギャラリー」(当時)を訪問され、館長の案内のもと、絵の修復作業などの視察をされています。
 12日には、パリのルーブル美術館を再び訪れ、当時のフランス国立美術館の局長と、美術館のあり方などを巡って懇談されています。翌日には、印象派美術館(当時)も見学されました。さらに15日、米ワシントンDCでは、フリーア美術館を視察されています。
 実は、この1カ月前、関西指導で奈良の平城会館を訪れた折には、平城宮跡や正倉院も見学されました。そのほか、国内にあっては、根津美術館(東京)や大原美術館(岡山)などにも足を運ばれています。
 美術館設立は、民衆文化の向上とともに、次代を担う青年のためでもありました。池田先生は若き日、戸田先生から、青年は「一流に触れ、自身を高めよ!」と徹底して薫陶を受けられていたのです。

“精神”のための闘争を共々に!
 ◆樺澤 83年11月には、東京富士美術館がオープンします。開館を飾ったのは、「近世フランス絵画展」でした。
  
 ◇原田 開館を力強く支えてくださったのが、フランスが誇る世界的な美術史家のルネ・ユイグ氏です。ナチスと戦ったレジスタンス(抵抗)運動の闘士でもある氏は、先生の平和運動に心からの期待を寄せ、「私たちの出会いは、ゲーテの言う“選ばれた友情”」と語っていました。それに対して先生は、「私は(氏から)常に学ぼうと思い続けてきました」と応じられたこともあります。
 ユイグ氏と先生の初の出会いは74年4月。空前の鑑賞者数を生んだ、ダ・ビンチの名作「モナ・リザ展」のために、氏が来日された時です。当時のことをリディ・ユイグ夫人は「初めて会った瞬間、夫は直感的に友情の共鳴を感じていました。池田会長は精神性の光を放ち、行動力がある。夫の哲学を最もよく理解された方です」と語っています。以来10度を超える会見を重ね、対談集『闇は暁を求めて』も発刊されています。
  
 ◆林 第2次大戦中、ルーブル美術館の絵画部長だったユイグ氏は、ナチスの侵略から「モナ・リザ」をはじめとしたルーブルの美術品を守るため、身を挺して戦われたと聞きました。
  
 ◇原田 ユイグ氏は先生と語り合われた際、「国家の暴力」「近代の限界」を話題にされました。そして、「精神の闘争なき文明は滅びる。今こそ精神のための闘いを始めましょう」「結局、私が最も要請しているのは『人間革命』です。私はこの人間革命の夜明けへ、一人の『ヨーロッパの義勇兵』として戦います」と訴えられました。
 そのユイグ氏の強力な後押しがあり、「近世フランス絵画展」は開催されたのです。そこには、ルーブルやベルサイユなど、フランスを代表する八つの美術館からの出品がありました。駐日フランス大使は出品作品の一覧を見て、「フランスでも滅多に見ることができません」と驚いていました。
 〈ユイグ氏との交流については、学会公式ホームページ「SOKAnet」の第3代会長就任60周年記念「映像で見る池田先生の行動と軌跡」で明29日から公開の予定です〉
  
 ◆林 昨年秋から本年1月、東京富士美術館では「ルネ・ユイグのまなざし フランス絵画の精華」展が開かれました。
  
 ◇原田 ユイグ氏へのオマージュ(敬意)を込めて、氏が人生をささげて“魂の対話”を重ねたフランス絵画への愛をうたい上げる展覧会です。
 実は昨年、ご子息のフランソワ=ベルナール・ユイグ氏から「父の遺品の原稿類を寄贈したい」との申し出があり、膨大な遺稿等が届きました。それらも踏まえて開かれたのです。
 ご子息は、「父が母と共に、東京富士美術館の展覧会やコレクションの形成に力を尽くしたのは、いうまでもなく、美術館の創立者である池田大作SGI会長と一生涯にわたる友情を育んだからでしょう」「東京富士美術館の発展に貢献することは、父にとっても幸せなことだったはずです」と語っていました。
 オープン以来、同美術館の企画展示は、国内の多くの美術館や博物館でも開催され、延べ2790万人が鑑賞し、芸術運動の活性化に貢献してきました。

「館蔵品」による展覧会が大好評
 ◆西方 東京富士美術館が収蔵する西洋絵画は、ルネサンスから20世紀までの500年の歴史を俯瞰できる、国内屈指のラインアップといわれます。90年9月には、韓国の首都ソウル市の中央日報社ビルの湖巌ギャラリーで、東京富士美術館所蔵の「西洋絵画名品展」が行われました。この時、先生は、韓国を初めて訪問されています。
  
 ◇原田 台風の影響で滞在が縮小され、1泊2日の極めて限られたスケジュールの訪問でした。しかし、ここから文化交流の扉が開かれていくのです。
 先生は開幕式で、「貴国は日本の文化の大恩人であります」と言われ、「私ども所蔵の西洋絵画を海外で初公開させていただくことも、せめてものご恩返しの一分となればとの思いからです」と語られました。同展は連日、長蛇の列ができ、韓国の美術館における「一日の入場者数の最高記録」まで樹立し、大成功で終わりました。
 2年後の92年には、湖巌美術館所蔵の「高麗 朝鮮陶磁名品展」が東京富士美術館で開かれました。その出展リストには、国宝や重要文化財など152点が記され、どれも国外初公開でした。中には、韓国で未公開の作品まで含まれていました。美術品の中でも最も壊れやすい部類の陶磁器――しかも、国宝を惜しみなく貸し出すことは、異例中の異例でした。韓国の方々は、先生の信義に、信義をもって応えてくださったのです。

 ◆樺澤 93年2月、東京富士美術館所蔵の「日本美術の名宝展」がコロンビアで行われました。この時、首都ボゴタでは、麻薬組織によるテロ事件が起きていました。しかし先生は約束通り、開幕式に出席されました。
  
 ◇原田 コロンビアへ出発する直前、先生は米マイアミの研修道場に滞在されていました。
 実はコロンビア国内には非常事態宣言が出され、予定されていた、ある国際会議も中止され、出国する報道関係者も多くいました。大統領府からは、「池田会長は、わが国に本当に来てくださいますか?」と緊急の連絡が届いていました。
 しかし先生は、「私のことなら、心配はいりません。予定通り、貴国を訪問させていただきます。私は、最も勇敢なるコロンビア国民の一人として行動してまいります」と言下に答えられたのです。
 研修道場の仏間で勤行をされた後、先生からコロンビア訪問の真情を伺いました。友人が一番大変な時に応えてこそ、真の友情である――これが先生の生き方であることを改めて感じた瞬間でした。
 コロンビアでは空港からずっと、麻薬探知犬を伴った軍人が、小銃を持って警備に当たってくれていました。そうした緊迫した中でも、先生は威風堂々と行動され、ガビリア大統領夫妻をはじめ、コロンビアの方々は深く感銘していました。
 90年、東京富士美術館では「コロンビア大黄金展」が開催されました。この時、コロンビア側からは、至高の輝きをもった黄金細工や、世界最大級のエメラルドの結晶原石など、国の宝が貸し出されました。また89年、来日中のバルコ大統領(当時)から、同国の「功労大十字勲章」が贈られた折、先生は「私どもも“同国民”との思いで、貴国のために貢献していきたいと念願しています」
と述べられています。
 そこには、「芸術というのは、民族や国境、宗教や習慣の違いを超えて、人間の心と心を結びつける」との変わることのない信念に裏打ちされた、先生の誠実一路の行動があったのです。
  
 ◆大串 東京富士美術館の館蔵品による海外展は、これまで20カ国・地域で30回以上にわたり開催されています。
  
 ◇原田 先生は94年5月、500年の歴史を誇る、イタリア・フィレンツェのメディチ・リッカルディ宮殿で開かれた、東京富士美術館の「日本美術の名宝展」のオープニングに出席されました。その後、ボローニャ大学で講演をされ、世界青年平和文化祭に出席されるため、ミラノへ向かいました。その折、スフォルツァ城を訪れ、ダ・ビンチが描いた天井画と壁画をご覧になったのです。
 部屋一面に、枝を茂らせ伸びゆく樹木が、すさまじい迫力で描写されていました。そこにダ・ビンチは、脈々たる力をたたえた「根っこ」まで描いたのです。先生は、「『根っこ』は、本来は見えない。また、ふつうは、だれも見ようとしないかもしれない。見えない『土台』というものを大切にするダ・ビンチの心眼に、私は感動した」と述べておられました。
 思えば先生も、未来のため、地中深くに、創価の平和・文化運動の「根っこ」を張ってくださいました。先生が築いてくださった、この大文化運動の道を、さらに大きく広げていく弟子でありたいと決意しています。


◆信仰体験〈20代のリアル ボクらのイマ。〉総集編

連載「20代のリアル ボクらのイマ。」では、現代を生きる若者たちの“リアルな声”にフォーカスし、取材をしてきました。今回は過去に掲載した6人を、総集編として紹介します。
 
★「学会のことじゃなくて、自分のことを信じてなかった」
 <名嘉秀夫(なかひでお)さん(24)=東京都荒川区、学生部部長=は、3年間、会合参加を断り続けた>

 3年間も毎週通ってくれたんで、最後は根負けしました。会合に行ったら、みんな夢とか、悩みとかに本気になって向き合ってて、この人たち本当に同世代か?って。
 自分は今まで、現状に、ただ流されてきただけだった。自分を変えようなんて考えたこともなかった。結局、学会のことを信じてなかったんじゃなくて、自分自身のことを信じてなかったんだなって。
 僕も、みんなの姿を見て、本気で自分の人生を考えるようになって。最近、友達から「なんか変わったね」って言われるんです。信心して、人の好き嫌いがなくなって、生き方そのものに興味が湧いてきました!

「人に喜んでもらうことが、自分の喜び」
 <下前美夢(しもまえみゆ)さん=北九州市、女子部部長。自身の性格は、人に合わせる“他人志向型”という>

 基本的に相手が喜んでくれたらいいなって思う方。“人類みんな友達”みたいな(笑い)。“コミュ(ニケーション)力”は、割と自信ある方かな。
 “自分らしく”って何だろうって振り返ってみると、私、サプライズをするの好きだなとか。人に喜んでもらうことが、自分の喜びなんだなって。
 学会活動するようになって、自分の中に責任感がついてきたなって思います。
 「皆、それぞれの職場や環境がある。性格も境遇(きょうぐう)も違う。だから、自分らしくいきなさい。窮屈(きゅうくつ)にならないでください。最も身近なところに幸せがあるのです」っていう池田先生の言葉にすごく励まされて。
 福祉関係の仕事をしてるんですけど、患者さんへの“神対応”を目指してます(笑い)。

「後悔を目標に変えていけるのが信心のすごいところ」
 <塩入翼(いおいりつばさ)さん(23)=神奈川県・愛川町、県学生部副書記長=は大学2年の時、友人に誘われ創価学会に入会した>

 初めて勤行した時は楽しかった。先輩が教えるのがうまかったのか、意味は分からないけど、リズムに乗せてもらって(笑い)。
 何を祈ってもいいよって言われたんで“授業でテストに出そうなところを聞き逃しませんように”って祈ったら、「成績向上賞」を2回も受賞しちゃいました。
 これまでは全部が中途半端。気の小さい性格とか、人と本気で関われない自分とか、しょうがないって思ってた。でも今は、諦めてきたことを変えたいって祈ってる。後悔(こうかい)を目標に変えていけるのが信心のすごいところかなって。

「御本尊に本音をぶつけたら“スン――”って軽くなった」
 <小河原直美さん=山梨県笛吹市、女子地区リーダー=は、子どもの頃から人と接することが苦手でしょうがなかった>

 知らない人が目の前に現れると、極度に緊張して、何も話せなくなってしまう。家で母にくっついてると、台所と仏壇を行ったり来たり。“何でこんなに祈ってるんだろう?”って、気になりだしました。
 ある時、つらい気持ちをそのまま、お題目で御本尊様にぶつけてみた。そしたら、なんか“スン――”って心が軽くなったんですよね。
 白蓮グループの一員にもなりました。初めて任務に就いた日、ずっとドキドキだったけど、終わった時は“自分にもできるんだ”って、自信になりました。
 今でも、人と会うのは緊張します。けど、だから“お題目はすごい”ってまた思えるのかな。

「人生変わるレベルで、すごいですよ!」
 <田畑宏史郎さん(21)=東京都世田谷区、学生部部長=は、小学生になった頃から、母と姉の3人で暮らしてきた>

 僕が中学の時に両親が離婚したんで、ほとんどお父さんとの記憶はないですね。
 大学受験に失敗した時、壮年部の地区部長だった人が相談に乗ってくれたんです。家族でもないのに、本気で接してくれたのが、正直うれしかった。お父さんがいたら、こんな感じなのかなって。
 去年、20歳になった節目に8年ぶりに、お父さんに会いに行ったんです。学会永遠の五指針に「一家和楽」ってあるので。お父さんは未入会なので、少しずつ信心の話もしてます。
 お母さんと地域の学会の人には感謝しかないです。みんながいたからこそ、今の自分があるって思います。創価家族って、ホントその通りですよね。学会って、人生変わるレベルで、すごいですよ!

「朝祈ると、一日の景色が全然違う」
 <瀬尾桃香(せおももか)さん=横浜市、女子地区リーダー=は、夢だったネイリストとして挑戦の日々を送る>

 中学の時からネイルに興味があって。ネイルキットを買って、YouTube(動画投稿サイト)を見ながら覚えました。
 仕事では、お客さんとの話題づくりにニュースを見るようにしたり、立ち居振る舞いも意識したりしてます。でも、やっぱり朝にお題目をあげることが一番。朝あげると一日の景色が全然違うんです。
 そりゃ祈ってても失敗するときはあります。人生いいことだらけだったら祈らないじゃないですか。だから、かなったら感謝。かなわなくても感謝です。
 昔の自分があるから、今の自分があるって思えます。信心が私の一部を変えました!

2020年5月27日 (水)

2020年5月27日(水)の聖教

2020年5月27日(水)の聖教

◆わが友に贈る

 身体的距離の確保や
 手洗い・マスクなど
 感染防止対策の徹底を。
 身近な行動の変容が
 社会の変革をもたらす。


◆名字の言 支え合う大切さ   2020年5月27日

 インドの格言に「ソーハム」という言葉がある。「ソー」は「彼」、「ハム」は「私」。つまり「彼がいるから、私がいる」。南アフリカにも「ウブンツ」という言葉があり、「みんながあってこその私」を意味するという▼世界各地には、それぞれの文化に根差した「支え合う大切さ」を示す言葉がある。コロナ禍を乗り越えるためにも、どんな社会であれ、見直されるべき精神だろう▼2009年に著書『危機とサバイバル』(邦題)で、いち早くパンデミックの危険に言及したフランスの経済学者ジャック・アタリ氏は、今回の危機に当たり、「利他主義という理想への転換」こそ、「人類のサバイバル(生き残り)の鍵」と強調していた。「利他主義であることは、ひいては自分の利益になる」(NHK番組)と▼日本では緊急事態宣言が全て解除され、パンデミックの最初の波を乗り越えつつある。医療従事者の奮闘はじめ、他者を思い、自身の経済的、精神的な痛みに耐えながら、自粛を貫いた全ての人々の行動のたまものであり、私たちは、ひとまずはそのことを誇りたい▼同時に、これからも続くコロナとの闘いは、社会の在り方を再構築する好機でもある。「自他共の幸福」こそ、その基盤を成す価値観であると信ずる。(嶺)


◆寸鉄

会長の思想こそ壁に立ち
向かう人類に希望与える
―博士。偉大な師と共に
     ◇
神奈川婦人部の日。?剌
と地域に励ましの声を!
正義の太陽は常に朗らか
     ◇
「頭を上げよ、胸を張れ」
恩師。これ創価の魂。我ら
の祈りで試練を好機に!
     ◇
親しい人との交流は不安
解消に効果的と。SNS
や電話等で心結ぶ工夫を
     ◇
混乱に乗じサイバー攻撃
が増加。暗証番号の使い
回しは厳禁。対策怠らず


◆社説 5G時代の可能性  人間を結ぶ視座から活用を

 「高速大容量」「超低遅延」「多数同時接続」が可能な第5世代(5G)移動通信システムの商用サービスが始まって2カ月が経過した。日本では、電波を発する基地局がいまだ少ないために、その利用は限定的だが、増設されれば、一気に普及していくだろう。
 5Gによって、数多くの分野でIoT(アイオーティー、身の回りのモノがインターネットにつながること)が急速に発展することが予測される。その代表として車の自動運転などに大きな注目が集まっているが、一般利用者に身近なところで言えば、映像をさらに手軽に視聴できることであろうか。従来の4Gよりも10倍以上の速度でデータを送受信できるため、映画などの長編動画や8K高
解像度の動画さえも数秒でダウンロード可能となる。さらには同時にネットワークに接続できる機器が大幅に増えるため、スポーツ中継や音楽ライブなども何十台ものカメラから自由な視点で楽しむことができる。いずれは、学会の各種イベントが、さまざまな角度から映し出され、まるで参加しているような臨場感を味わえるかもしれない。
 さて、新型コロナウイルス感染拡大によって外出自粛を余儀なくされた中で、LINE(ライン)などのSNSや、ZOOM(ズーム)などのオンラインビデオ通話アプリを使用してのコミュニケーションが頻繁に行われるようになった。学会青年部としても、これを活用した“オンライン対話運動”を展開している。
 こうした動きにも、5Gの特徴が大きく生かされよう。依然音声が途切れたり、時間差が生まれたりしやすい通信環境が安定化することで、よりスムーズに会話でき、多様なデータのやり取りも瞬時に行うことができるからだ。またこれは、単身で病院に足を運べない高齢者の遠隔医療をも可能にすることになり、働く世代にとっても、テレワークが浸透し、一層働き方を変えていく可能性もある。
 ともあれ、少子高齢化で労働力不足が課題となる日本では、先端技術のインフラ整備は急務だ。また、同時に知識と技術習得の機会を、あらゆる世代に幅広く設けることも必要であろう。とりわけ高齢者にはスマホ等に不慣れな人が多く、ハードルが高く感じられがちだ。デジタル格差を放置すれば、結果的に社会に深刻な「分断」を招いてしまう。
 さらなるデジタル化の波が避けられない以上、人と人を「結合」させゆく人間主義の視座はいや増して求められよう。あらゆるテクノロジーは人間の幸福のために――その本義を改めて確認しつつ、活用の知恵を絞りたい。


◆きょうの発心 開目抄 東京・台東区婦人部総主事 山田冨美江2020年5月27日

御文 つくりたくなき罪なれども父母等の地獄に堕ちて大苦を・うくるを見てかたのごとく其の業を造って願って地獄に堕ちて苦に同じ苦に代れるを悦びとするがごとし(開目抄、203ページ・編431ページ)
通解 (願兼於業といって、菩薩が)作りたくない罪であるが、父母等が地獄に堕ちて大苦を受けているのを見て、型通りの罪業を作り、願って地獄に堕ちて、同じ苦しみを代わって受けることを喜びとするようなものである。

「願兼於業」胸に全て勝ち越える
 願って業をつくり、人々を救う菩薩の生き方を教えられています。20歳の時に学んだ御文です。母が幼い弟たちを残して、脳梗塞で他界。宿命転換を懸けて祈り、弘教にまい進してきました。
 女子部時代には、本紙取次店(現在の販売店)の事務員に。池田先生と共に、本紙の発展に走った日々が人生の宝です。
 13年前、孫が重度の「筋ジストロフィー」に。師匠からの度重なる激励に奮起し、家族一丸で病に立ち向かっています。今、新薬の研究・開発に、孫の提供した細胞からできたiPS細胞が役立っているそうです。孫に「願兼於業」の意味を教わった思いです。
 私自身、13年前に心筋梗塞を克服。昨年11月には、心臓の血管に狭窄が見つかりましたが、手術し元気に。これからも宝の孫と共に全てを勝ち越えてまいります。


【先生のメッセージ】

◆〈心に御書を〉46 多宝の輝きは永遠に不滅2020年5月27日

〈御文〉
 阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房・此れより外の才覚無益なり(阿仏房御書、1304ページ)
〈通解〉
 阿仏房はそのまま宝塔であり、宝塔はそのまま阿仏房である。こう信じる以外の才能や知恵は、何の役にも立たないのである。

〈池田先生が贈る指針〉
 多宝会(全国)、宝寿会(東京)、錦宝会(関西)の皆さまは、創価の阿仏房であり、千日尼である。風雪に耐え広布に生き抜いてきた、福徳無量の宝塔なのだ。
 この尊き父母と共に「冬は必ず春となる」と希望の光を広げよう! 「一生成仏」という永遠の幸福の軌道を、人類に示すのだ。何ものにも負けない学会精神で!


◆連載〈世界広布の大道〉小説「新・人間革命」に学ぶ 第19巻 解説編 池田主任副会長の紙上講座 2020年5月27日

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第19巻の「解説編」。池田博正主任副会長の紙上講座とともに、同巻につづられた珠玉の名言を紹介する。

ポイント
①心に“虹”をいだく
②「戸田大学」の誇り
③人間主義の思想の確立
 「虹の舞」の章の舞台は、本土復帰後の沖縄です。沖縄の友は根深い偏見や無理解を乗り越え、地域広布を大きく進めてきました。山本伸一は「メンバー一人ひとりの胸中に、大飛躍を期す発心の火をともそう」(8ページ)と離島にも足を運びます。   
 伸一と沖縄の同志の強い絆を彩ったのは「虹」でした。石垣で、宮古で、そして名護で、虹がかかる「一幅の名画」のような場面が描かれます。そして、伸一は「虹」を通し、沖縄の同志に、こう励ましを送ります。   
 「どんなに闇が深かろうが、嵐が吹き荒れようが、心に虹をいだいて、晴れやかに、威風堂々と前進していっていただきたい。虹とは、『希望』であり、『理想』であり、『大志』です。その源泉が『信心』なんです」(103ページ)   
 大変な時こそ、自身の心に虹をいだき、“希望の虹”を友の心にかけていく||それこそが沖縄の心であり、創価の魂です。   
 この5月、暗い社会を照らす創価の“励ましの虹”が、いよいよ鮮やかに光彩を放ち始めました。
 5月3日を目指して進められてきた青年部の参加型プロジェクト「うたつく」(歌をつくろう)。コロナ禍で“自分たちにできることを”と考え、国境や世代を超え、オンラインを通じて新しい歌が誕生しました。
 完成した「未来の地図~Step Forward~」の歌詞に、「雨が降ろうと/あしたは咲く/心の虹をかけよう」とあります。青年部発の歌は、人々の心に虹をかける思いも込められているのです。
 5日からは「2030年へ希望の虹をかけよう! 未来部レインボーチャレンジ」がスタートしました(6月30日まで)。自宅で過ごす時間が増えた未来部員が“七つの項目”に挑戦し、成長のチャンスとしていくものです。その一つに、「わが家の信心の歴史を聞いてみよう」という項目があります。親にとっては、師弟の原点や一家の広布史を語り継ぐ貴重な機会となります。
 「虹の舞」の章で、「子どもと真正面から向き合い、手塩にかけて、教えるべきことを教え、心血を注いでいってこそ人間は育つ」(46ページ)と強調されています。わが家に“創価後継の虹”をかけていくことから、広布の未来は築かれていくのです。

アメリカ・サンフランシスコの街並み(1993年3月、池田先生撮影)。第19巻
では同地とともに、ロサンゼルス、ハワイなど、アメリカ訪問の模様が描かれる

21世紀は「生命の世紀」
 第19巻では、パナマ大学、ペルー・サンマルコス大学、米UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)など、伸一が各地の大学を訪問し、教育交流を結ぶ様子が記されています。交流を率先して進めたのは、大学は国の基盤であり、「大学との交流こそが、平和・文化の悠久の大河になる」(122ページ)との信念からでした。
 1974年(昭和49年)4月1日、伸一は初めて、世界の大学での講演をUCLAで行います。歴史的な「21世紀への提言」です。そこで伸一は、21世紀を「人間が生命に眼を向ける『生命の世紀』としなければなりません」(220ページ)と強く訴えます。
 仏法という生命の視座から、欲望や煩悩に支配された現代文明の本質を浮き彫りにした同講演は、21世紀の今、多くの課題に直面する人類に対し、大きな指針を与えるものです。
 池田門下として深く心に刻みたいのは、伸一の教育交流の原動力に、戸田先生が万般の学問を授けた「戸田大学」の卒業生としての誇りがあったということです。
 「陽光」の章で、伸一は「戸田大学は世界一の、最高の大学であると確信しています。私は、その戸田大学の優等生として、それを世界に証明する義務がある」(276ページ)と、アメリカの青年たちに言います。
 UCLAでの講演に際しては、心の中で戸田先生に、「これから先生に代わって、(中略)世界に向かって、創価思想の叫びを放ちます。弟子の戦いをご覧ください」(214ページ)と語り掛けました。
 伸一は、校舎さえなかった「戸田大学」を“世界一”たらしめようと走り抜きました。32回に及ぶ世界の大学・学術機関等での講演や、授与された396の名誉学術称号は、“師を宣揚せん”との真心の結実ともいえます。
 本年は「戸田大学」の講義の開始から70周年。今月は、初の名誉学術称号であるモスクワ大学の「名誉博士号」が池田先生に贈られてから45周年を刻みます。
 池田先生は、「弟子として師を語る時、最も誇りに燃え、歓喜があふれた」(126ページ)とつづっています。“師匠の偉業を伝え抜こう”との行動に、最高の勇気と喜びが備わっていくのです。
  
「反戦出版」の意義
 72年(同47年)11月の本部総会で、伸一は、すべての国の民衆は「生きる権利」をもっており、「その生存の権利に目覚めた民衆の運動が、今ほど必要な時はない」「私は、その運動を青年部に期待したい」(305ページ)と呼び掛けます。このスピーチが、青年部が「反戦出版」に取り組む起点となりました。
 沖縄青年部はいち早く、73年(同48年)5月の県青年部総会で「沖縄決議」を採択し、“戦争体験記”の発刊を盛り込みます。
 伸一は、翌年2月、沖縄を訪問した際、沖縄の反戦出版委員長にアドバイスを送りました。仏法の思想が「世界の指導者に、全人類の胸中に打ち立てられるならば、戦争など起こるはずがない。また、貧困や飢餓、疾病、人権の抑圧などが、放置されるわけがない」(336ページ)。「生存の権利」といっても、それを裏付ける哲学が不可欠であり、仏法こそが生命尊厳の大原理である、と。
 そして同年6月、沖縄青年部の手によって、青年部反戦出版第1弾となる『打ち砕かれしうるま島』が発刊されます。その後、広島、長崎をはじめとして、反戦出版は全国に広がっていきました。
 「原水爆禁止宣言」以来、人間主義の思想を根幹に、師匠の構想を実現する“新しい運動の潮流”を広げてきたのが青年部です。米ペンシルベニア州の郡議会はかつて、青年部の社会貢献に共感し、SGIの青年が「池田SGI会長とともに、社会全体に人間主義の思想を確立する、その使命と責任を担う」と期待を寄せました。
 深き使命を担う青年部を大切にし、青年を旗頭に励ましの輪を広げていく|
|そこに師が示された「若い世代が立ち上がってこそ、平和という偉業はなる。崩れざる平和を築くために、青年を、若い力を育むのだ」(339ページ)との実践があるのです。

この美しい沖縄を、真の理想郷に――「八重山祭」の踊りの輪の中に飛び込み、同志を激励する池田先生(1974年2月、石垣島で)

名言集
●「民の声」
 政治も経済も、その実像は民衆の暮らしに端的に現れる。真実は評論家の言葉にではなく、生活者の声にある。「民の声」こそが、「天の声」なのだ。(「虹の舞」の章、10ページ)
●新しい挑戦
 状況や事態は、刻々と移り変わっているし、時代も人びとの感性も変化している。したがって、広宣流布を進めるうえでも、常に新しい挑戦を忘れてはならない。(「虹の舞」の章、12ページ)
●価値の創造
 時間の浪費は、生命の浪費につながる。価値の創造は、有効な時間の活用から始まる。(「凱歌」の章、117ページ)
●一人を大切に
 一人を大切にし、一人の人に、勇気と使命の火をともす。胸中に幸福の花を咲かせる――そこにしか、広宣流布の大道はない。(「凱歌」の章、163ページ)
●恒久平和の異名
 広宣流布とは恒久平和の異名でもある。断じて戦争をなくそうという戸田城聖の誓いから、戦後の創価学会は始まった。ゆえに、平和を祈り、平和のために戦うことが、学会の精神なのだ。(「陽光」の章、288ページ)
●想像力の結晶
 一つの事柄から、何を感じ取るか。人の苦悩に対して想像力を広げることから、「同苦」は始まるのである。配慮とは、人を思いやる想像力の結晶といえよう。(「宝塔」の章、376ページ)


【聖教ニュース】

◆〈危機の時代を生きる〉?北海道大学人獣共通感染症リサーチセンター・髙田礼人教授に聞く

 猛威を振るう新型コロナウイルスは、なぜ出現したのか――。世界各地を飛び回り、動物から人にうつるウイルスの感染メカニズムを解き明かしてきた北海道大学人獣共通感染症リサーチセンターの髙田礼人(たかだあやと)教授に、電話で取材した。(聞き手=本田拓視)

新型コロナのパンデミック 乗り越える鍵は皆が地球規模で考えること
 ――新型コロナウイルスの出現について、どう思われていますか。

 正月明けくらいに、中国で原因不明の肺炎が流行していると報道され、これが他の地域に広がったら、どのくらいの影響を及ぼすかと心配していました。
 今回の新型コロナウイルスは、感染しても症状の出ない「不顕性感染(ふけんせいかんせん)」も多いことが対策を難しくさせています。感染者が感染に気付かず、他の人と接触してウイルスを撒(ま)き散(ち)らしてしまう可能性があるからです。SARS(重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)に比べて致死率は高くないものの、今は警戒が必要だと思います。

 ――教授はこれまで、エボラウイルスやインフルエンザウイルスの研究をされてきましたが、今回のウイルスもエボラウイルスと同じく、コウモリの持っていたウイルスと考えられています。

 新型コロナウイルスに非常によく似ているウイルスがコウモリから見付かっているので、自然宿主(もともとウイルスと共存している動物)はコウモリと考えられます。その上で、どうしてコウモリに、そんなに多くのウイルスがいるのかとよく聞かれます。あくまで推測(すいそく)ですが、コウモリは洞窟(どうくつ)等の密閉した空間で密集・密接して生活しているものが多いのです。いわゆる「3密」です。そういった環境は、ウイルスが維持されやすいのだと思います。
 ただ実際は、コウモリとともにげっ歯類(ネズミの仲間)もまた、多くのウイルスを持っていることが分かっています。そうしたウイルスがたまたま人や他の動物に入った時に、感染症を引き起こすのです。

 ――エボラ出血熱で臨床試験が行われていた「レムデシビル」が、新型コロナウイルス感染症の治療薬として国内で承認されました。

 新型コロナウイルスは感染した細胞の中に入り込み、自らの遺伝情報(RNA)を複製させていきますが、この複製の際に必要なのは、ウイルスが持っている「RNAポリメラーゼ」という酵素です。「レムデシビル」には、この酵素の働きに作用する性質があり、結果としてウイルス遺伝子の複製を阻害することができます。日本で注目されている抗インフルエンザ薬「アビガン」も似たような機能を持っており、2014年に西アフリカで流行したエボラ出血熱の治療にも使用されました。ともに副作用があることも指摘されていますが、有効な薬の候補であることに間違いはありません。

ウイルスは無生物だが生物的 自然界で生き物と静かに共生
――RNAを持つウイルスは、変異しやすいといわれます。さらに凶暴化することはあるのでしょうか。

 それは分かりませんが、そもそも重症化しやすいウイルスは、生き残りにくい。感染者に依存して自らの子孫を増やすウイルスにとって、生き残るためには“一人の感染者から一人以上に感染させること”が求められますが、感染者が重症化して寝込んでしまうと、他の人にうつすことができず、途絶えてしまう確率が高くなるからです。なので、毒性が強すぎるウイルスは、生存戦略としても望ましくないのです。また新型コロナウイルスは、普通の風邪を引き起こしているウイルスと同じ「コロナウイルス科」に属します。断定はできませんが、このまま人類に定着するならば、長い年月をかけて弱毒化していくだろうと思っています。

 ――ウイルスを、まるで生き物のように語られますね。

 生命活動に必要なエネルギーを生み出す「代謝」を行わず、自ら分裂して「増殖」することができないウイルスは、生物学的には「生物」ではありません。ですから、ウイルスは“ただの物質”と考えることもできますが、ひとたび生物に感染すると、生物の細胞の代謝能力などを利用して、自らの遺伝情報を複製させるのと同時に、ウイルス固有のタンパク質を合成させ、子孫をつくっていきます。まさに“極めて生物的な物質”といえます。
 また、そう考えるようになったのは、私が長年、人と動物に共通して感染する「人獣共通感染症(じんじゅうきょうつうかんせんしょう)」を研究対象としてきたからかもしれません。人と動物の接触によって起こりうる事態を予測し、先回りで予防策を立てるために、これまで各地でフィールドワーク(現地調査)を続けてきましたが、その中で動物を生かし、時には支えながら自分も生き続け、自然界で静かに存続するウイルスの姿を見てきました。そのあり方から、ウイルスも地球上に存在する生命体の一部であると感じるのです。

 ――そうしたウイルスがなぜ、人間にとって致命的な病気を引き起こすものに変わってしまうのでしょうか。

 長い時間をかけて築き上げられたウイルスと自然宿主動物との蜜月(みつげつ)な関係に、人間が踏み込んでしまったからでしょう。
 人獣共通感染症の多くは、野生動物との接触から始まります。自然破壊などを通して人間の活動領域が広がったことや、地球温暖化による動物や昆虫の生息域の変化で、ウイルスと共生していた動物との接触が増える。すると当然、今まで人との接触がなかったウイルスと出くわす可能性も高くなります。野生動物からまずは家畜に感染し、それが人に伝播(でんぱ)するという経路もあります。そのウイルスが人への感染に成功し、爆発的に増殖できる条件を備えたものであれば、高い病原性を示すこともあるのです。
 また、人類の食糧問題とも深く関係しています。先進国では野生動物を珍味(ちんみ)として食べているかもしれませんが、途上国では生きていくために食べざるを得ない状況もあります。その動物の血液、粘液(ねんえき)、尿(にょう)あるいは糞(ふん)等に触れることで感染する恐れがあるのです。一方、こうした感染の恐れのある動物を食べないようにするため、農業や畜産業を発展させようと思っても、農地などを広げるためには、やはり自然に踏み込まざるを得ない。こうした環境破壊や食糧問題とどう向き合うかも、人類に問われていると思います。
世界で進む森林破壊。ここから新たな感染症のパンデミック(世界的流行)が始まると警鐘を鳴らす専門家もいる(ポーランド、AFP=時事)

コロナ後に求められる新たな哲学は「ワンヘルス」(人と動物と環境の健康)
 ――仏法には、環境(依報(えほう))と人間(正報(しょうほう))は密接に関わっていると説く「依正不二(えしょうふに)」という法理があり、自然破壊は人間の命を脅(おびや)かすものとなり、逆に自然を守ることが人間を守ることにつながると考えています。

 興味深い視座(しざ)です。私たちの大学院では今、人の健康、動物の健康、環境の健康は互いにつながっていると捉える「ワンヘルス」という考えをもとに教育・研究を進めています。「依正不二」とも共鳴するのではないでしょうか。
 ともあれ私たちが研究を続けているのは、今の脅威(きょうい)はもちろん、新たに遭遇(そうぐう)するかもしれないウイルスにも備えるためです。近年は遺伝子の配列を高速で調べることができる「次世代シーケンサー」と呼ばれる装置も生まれ、今まで発見できなかったウイルスも検出できるようになりました。こうした科学技術の力も使いながら、獣医学、医学、環境学という分野の垣根を越えて、感染症対策に当たっていきたいと思っています。

 ――最後に、新型コロナウイルス対策で私たち市民が心掛けるべき点を教えてください。

 世界がこういう事態になっても、悲観も楽観もせず、なるべく平常心でいてほしいと思います。
 その上で、たとえ緊急事態宣言が解除されても、「自分の地域は大丈夫」と人々が一気に動きだせば、当然、再び感染は広がります。感染が世界に広がっている以上、日本だけが乗り越えればよいという問題でもありません。
 私自身、「シンク・グローバリー、アクト・ローカリー」という言葉、つまり“地球規模で考え、足元から行動する”ことを大切にしていますが、一人一人が世界全体のことを考え、今できることを地域や個人レベルでやっていく。この心掛けが大事だと思います。

【プロフィル】
 たかだ・あやと 1968年、東京都生まれ。獣医学博士。専門は獣医学、ウイルス学。北海道大学獣医学研究科助手、東京大学医科学研究所助手などを経て現職。エボラウイルス研究の第一人者として知られる。著書に『ウイルスは悪者か』(亜紀書房)など。

 ご感想をお寄せください。
 kansou@seikyo-np.jp  ファクス 03―5360―9613


【特集記事・信仰体験など】

◆ 〈未来の宝と共に 池田先生の書籍に学ぶ〉総埼玉少女部長 原伸代さん
 テーマ「勉強への不安があります」

池田先生の言葉〉
 勉強は、いつでも、どこでも始められます。だれからでも、何からでも学ぶことができます。学んだことは、すべていかしていくことができます。
 「学」は、栄光と勝利の道です。
 さあ、きょうから、今から、偉大な学びの道を歩み始めよう! 
 一歩また一歩、一日また一日、ほがらかな負けじ魂で!
 (『希望の虹』31ページ)

合唱団に入り、前向きに成長
 小学生の時、地元・埼玉の朝霞圏と和光圏の少年少女部員で結成されている「ダイヤモンド合唱団」に所属していました。当時の私は勉強が好きではなく、夏休みの最終日に宿題をまとめてやるようなタイプでした。
 しかし、合唱団に入団し、周囲の友達と池田先生の書籍を学び、勤行・唱題に挑戦する中で、前向きに勉強できる自分に成長しました。また、合唱団の担当者から創価学園の素晴らしさを聞き、創価中学校の受験を決意。さらに唱題とたくさんの勉強を重ね、受験に挑みましたが、結果は不合格でした。
 「こんなに祈って勉強したのにどうして……」と、落ち込みましたが、母や担当者の励ましを受け、「次は創価高校を目指そう!」と前を向くことができました。
 地元の中学校に進学後は吹奏楽部に入部。“部活と勉強を両立させ、必ず創価高校に合格する”との目標を掲げ、毎日の練習と勉強に励みました。宿題の提出は期限を守り、勉強で分からない範囲については先生に質問するように。部活も毎日休まず練習に参加し、努力を重ねました。その効果は着実に表れ、中学3年間を通し、成績は毎回一桁の順位を獲得。部活では部長を務めるまでになったのです。
 創価高校の受験も、“自分の力を出し切る”と祈り、挑んだ結果、無事に合格。晴れて学園に入学し、最高の青春時代を送ることができました。

自分らしく目標を掲げて挑戦
 現在、緊急事態宣言が全国で解除され、学校が再開されたところも出てきました。
 しかし、未来部員の皆さんにとって、休校期間による勉強の遅れなど、学習面に対する不安は少なくないと思います。
 大切なことは、困難な時だからこそ「よし、やろう!」と決意し、自分らしく勉強の目標を掲げて、題目にも挑戦することです。唱題は自分の弱い心を打ち破る勇気を、勉強は広々とした世界へ踏み出す知恵を授け、将来を明るくしてくれます。教科書を読む、英単語の読み書きの練習をするなど、今できることを見つけ、一つずつ挑戦すれば、次第に不安も晴れていくでしょう。
 池田先生は「『学ぶ習慣』ができれば、やる気が自然に湧く。勉強が面白くなり、努力の大切さが分かる。そこまで、あきらめないで、頑張ってほしいんです」と、おっしゃっています。
 
 私も皆さんと一緒に決意し、希望あふれる未来を開いていけるように題目をあげていきます!


◆〈青年想 Essay from Youth〉2「自分ごと」を広げる 男子部教学部長 大津健一
 分断超える共感のつながり

距離を取る社会
 わが家のインターホンが鳴ると、やんちゃ盛りの子どもたちは、われ先にと駆けていく。まるでプレゼントでも届いたかのように瞳をキラキラさせて(そんなケースはまずないのだが)。
  
 新型コロナウイルス感染症がまだ流行していなかった数カ月前。親が家事でインターホンに出られない間に、未就学の息子が応答してしまった。宅配便だと分かり、「したに、おいといてくださーい!」と言ったらしい。妻がドアを開けると、ちょこんと小包。子どもたちに勝手に応答しないよう注意しつつ、在宅でもサインなしで置いてくれるのかと不思議がっていた。だがもっと驚くべきは、1カ月も経たないうちに、それが通常のサービスの一つになったことであろう。
  
 ウイルスが社会にもたらした影響は、「分断」の一言に尽きる。
  
 ソーシャルディスタンス(社会的距離)の名のもと他人と距離を取り、密閉・密集・密接の「3密」を避けることが求められる。ステイホーム(家にいる)が即、大切な人のいのちを守ることになる現実。知らない誰かが知らない誰かの生活や仕事を支えるという、複雑に関係し合った現代社会の急所を、見えないウイルスが冷酷に突いてきた。いのちでいのちを守る医療従事者や介護関係の方々はもちろん、社会を維持するために奮闘される方々は全て、“分断に立ち向かう勇者”であると思う。どれだけ感謝してもしきれない。
  
 緊急事態宣言は解除されたが、引き続き、正確な情報に基づいて落ち着いた行動をとっていきたい。
 
無知や不安から
 中国で感染者が拡大した頃、欧米でアジア人差別が顕在化したものの、またたく間に流行は世界へ広がった。ヒトもモノも五大陸を動き回る時代。他者に投げた鋭い視線は、たやすく跳ね返ってくる。それでも、いや、それゆえに差別は強いと聞く。
  
 国内では、さまざまな自粛が呼び掛けられてきたが、人々の振る舞いは一様でない。家にいることの大切さに取り合うことなく、気ままに外出を重ねる人たちがいる。一見して社会に同調していないような人に、脅迫的な言動を向ける人たちもいる。
  
 社会を顧みない消極性も、義憤に駆られた攻撃性も、“自分たち”と“それ以外”とを線引きし、向こう側の置かれた状況に深く思いをはせないという点で、実は同根であろう。感染症対策による物理的な隔離とは異なる分断――無知や不安などを背景として“自分の意に添うように”物事を見てしまうことで起こる精神的な分断が、多様な姿をまとってうごめいていると感じる。
  
 ただ、それは誰でも陥り得ることでもある。ひと呼吸を置いて“私があの立場だったら”と想像できればいいのだが、「他人ごと」を「自分ごと」として捉えることは、なかなか難しい。
 
迎え入れる智慧
 法華経の中心思想の一つに「開会」がある。最勝の経典である法華経により、爾前経の仮の教えを生かし、真実の意味を明らかにすることであり、万人成仏の教えを示していく。
  
 とはいえ、それまで教えを聞いてきた聴衆にとって、法華経の説は信じ難い。法華経の前半迹門で仏になる記別が次々と与えられていき、提婆達多品で、悪人である提婆達多のほか、女性で畜身である竜女の成仏が明らかにされたことに、納得できない。
  
 私とは違う存在だから――こうした見方に凝り固まっているのだろうか。悪人や女性・畜生の生命も自身にそなわるのが十界互具である以上、他者の成仏を否定すれば、自らの成仏も閉ざすことになるのだが。
  
 日蓮大聖人は、提婆達多と竜女の成仏を、こう表現された。
  
 「今法華経の時こそ女人成仏の時・悲母の成仏も顕われ・達多の悪人成仏の時・慈父の成仏も顕わるれ、此の経は内典の孝経なり」(開目抄、御書223ページ)
  
 あらゆる人々を成仏させる法華経は、父母を救う孝行の経典である、と。一切衆生は父や母であるという古来の仏教思想に基づき、儒教等と対比させて真の孝の教えを述べる文脈であるが、自分とは違うと思ってしまう二人の成仏を近しい存在で表したところに、他者のことを自身の中に迎え入れる智慧がある。
  
 思わず遠ざけてしまう「他人ごと」は、身近に感じられれば、「自分ごと」へと寄ってくるのではないだろうか。
 
善縁結ぶ菩薩行
 ある経典に、幼子を亡くした母親の物語が描かれている。
  
 母親は亡き子を抱いて、生き返る薬を探し回った。そして釈尊と出会う。「今まで死者を出したことのない家からケシをもらってくれば生き返らせることができる」と釈尊は告げた。母親はすがる思いで家々を訪ねるも、死者を出したことがない家などない。世の定めに気付いた母親は、仏の教えを求め、新たな人生を歩んでいく――。
  
 物語で印象的なのは、他者と向き合うことで心の扉が開かれたことである。
  
 母親はこれまでも、誰かの死を聞いたであろうが、「自分ごと」ではない。
  
 愛情をかけた子を失う母親の悲嘆は筆舌に尽くし難い。深い愛情ゆえ、母にとって死は「自分ごと」になった。
  
 そんな母に釈尊は、説法をせず、人と向き合うことを勧めたのである。誰もが最愛の人を失った悲しみと生きている。そうした身近な人々に耳を傾け、自分の思いを聞いてもらえれば、慰めとも安らぎともなるであろう。それによって母親は「自分ごと」の世界に他者を迎え、心が広がったのではないだろうか。
  
 「みんな苦しいんだから我慢しなさい」という“同調圧力”などでないことは、前を向いた母のまなざしに表れている。
  
 身近な関わりに、より共感を抱くことで「他人ごと」は「自分ごと」に入り、心は豊かになる。そんな一人一人が集まる社会を開く主役が、利他の精神をもつ菩薩であり、私たち学会員であろう。それは、自他共の「自分ごと」を広げる生き方にほかならない。
  
 池田先生は、こう述べられている。
  
 「我らが掲げる平和の大道である『人間革命』もまた、一人との誠実な対話から始まる。それは、対話によって、自分自身も、縁する人も、変えていく戦いである。小さな殻を打ち破り、無慈悲なエゴの壁を乗り越えながら、善縁を結び、広げていく行動である」(『随筆 栄光の朝』「対話こそ わが人生」)
  
 幸いにも現代は、たとえ直接会えなくても、電話やSNSなどで「分断」を超え、真心を交わすことができる。「最近どう?」「大変だと思うけど祈ってるからね」――同苦や共感という、つながりの輪がいくつも重なれば、たくさんの人々の「自分ごと」が広がり、精神的な分断をも乗り越えていけると信じたい。

 

◆エスキベル博士 「人類の平和を守る60年の業績」たたえ

 南米・アルゼンチンの各界の識者・著名人から、池田先生の第3代会長就任60周年の「5・3」を祝賀する声が寄せられた。 
声を寄せたのは、ノーベル平和賞受賞者で、2018年にイタリア・ローマで池田先生と連名の共同声明を発表したアドルフォ・ペレス=エスキベル博士をはじめ、国立ビジャマリア大学総長でアルゼンチン・池田大作国際平和研究センター所長のルイス・アルベルト・ネグレティ博士、国立ティエラ・デル・フエゴ大学のファン・ホセ・カステルシ総長、東部(エステ)大学のマリア・デ・ラス・メルセデス・レイターノ総長、国立フフイ大学のロドルフォ・アレハンドロ・テキ総長ら10人。
 
 エスキベル博士は、「最愛の友、池田大作。人類の平和、民衆の団結、生命の尊厳を守るための60年間の業績を、妻のアマンダと共に心からお祝い申し上げます」とメッセージを送った。

2020年5月26日 (火)

2020年5月26日(火)の聖教

2020年5月26日(火)の聖教

◆わが友に贈る

 共感と同苦の精神で
 友の“声なき声”に
 耳を傾けていこう。
 互いの心が少しでも
 軽くなるように。


◆名字の言 話を聞く側の3つの工夫   2020年5月26日

 お笑い芸人で大学講師のパトリック・ハーラン氏は、子どもを持つようになって“自分の変化”に気付いた。それは子どもに関わる周囲の音が、聞こえるようになったこと▼例えば、ベビーカーを押す音や、子どもを乗せて走る自転車の音。それまでも音はあったはずだが、耳に入ってこなかった。無意識に“自分には関係ない”と聞き流していた▼同じことが対話にも言える、と氏は言う。すなわち“相手の声は聞こえていても、話を聞いていない”。わが事として心から相手と向き合いつつ、さらに①相手の言葉を「繰り返す」②相手の話を「要約する」③相手の気持ちに「共感する」――工夫によって、自分にも、また「相手も聴いてもらった実感があり、話しやすくなります」(『ハーバード流「聞く」技術』角川新書)▼友人と会えない分、電話の機会が増えた。相手が見えないだけに、相づちの打ち方ひとつにも気を配りたい。思いを込めた「大変だったね」「頑張ってるね」の“共感の一言”が大切だろう▼御書に「一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦と申すべし」(587ページ)と。悩める「一人」に寄り添い、真心の励ましを送る努力こそ、仏法者の振る舞い。時間帯や相手の状況に配慮しつつ、誠実な語らいを広げよう。(誼)


◆寸鉄

難を越えられない地涌の
菩薩はいない―戸田先生
日々、誓願の祈りで出発
     ◇
広島県女性の日。新時代
開く麗しき婦女の前進!
平和と希望の連帯を拡大
     ◇
緊急事態宣言が全面解除
新しい生活様式厳守し第
2波阻止、皆で。油断せず
     ◇
エアコンは室内外の空気
を入れ替えず。使用時は
小まめな換気を忘れずに
     ◇
通販の悪質詐欺に注意。
不自然な安さや高額な送
料など電話相談188へ


【先生のメッセージ】

◆SUA卒業生への池田先生のメッセージ  2020年5月26日
  人類の生存と共生の未来へ 民衆奉仕の先駆者たれ

日差しを浴びて輝くアメリカ創価大学内のピースレイク(平和の池)

日差しを浴びて輝くアメリカ創価大学内のピースレイク(平和の池)

 一、人類の「希望の光」と輝く16期生、ならびに大学院新教育プログラム5期生の皆さん、晴れのご卒業、誠におめでとうございます。  
 大切な俊英たちを温かく励まし支え続けてくださった、ご家族、ご友人方、さらに教職員はじめ全ての関係者の方々に、創立者として厚く御礼とお祝いを申し上げます。  

 一、新型コロナウイルスの感染拡大という世界の苦難の渦中に、愛する卒業生を送り出すこととなり、私はひとたびは、皆さん一人一人が直面する苦労を案じ、胸が痛んでなりません。しかし、再びは、皆さんの雄飛こそが、混迷の闇に必ずや新時代の旭日を輝かせてくれることを確信し、心が高鳴るのであります。  
 なぜならば、このアリソビエホのキャンパスに脈打つ創価の哲学は、いかなる難局にあっても活路を切り開いていく不屈なる価値創造の力だからであります。そしてまた、いかなる差異をも超え連帯を織り成していく、平和の価値創造の智慧だからであります。  
 古来、人類の歴史は、災害や疾病などの試練の「挑戦」に、力と智慧を合わせて「応戦」を重ね、新たな前進を勝ち取ってきました。  
 古代ローマの「五賢帝」の一人と名高いマルクス・アウレリウスは、疫病などの災禍に立ち向かい、悩み戦い抜く日々に、後世へ読み継がれる『自省録』を記し残しました。  
 1900年の歳月を超えて、この哲人指導者の呼び掛けが、私たちの魂に響いてきます。  
 「自分の内を見よ。内にこそ善の泉があり、この泉は君がたえず掘り下げさえすれば、たえず湧き出るであろう」「もっとも高貴な人生を生きるに必要な力は魂の中にそなわっている」(『自省録』神谷美恵子訳、岩波文庫)  
 今、目に見えないウイルスの脅威に、手を携えて挑む中で、人類は内なる生命の大地に立ち返る転機を迎えているとは言えないでしょうか。  
 まさに、地球民族に等しく具わる「善の泉」から、困難を乗り越え、自他共の幸福と平和を勝ち開く力を解き放つ時が到来しております。その覚醒の暁鐘を打ち鳴らす世界市民のリーダーこそ、わがアメリカ創価大学の若き創立者たる皆さんなのであります。
 
 一、思えば、このマルクス・アウレリウスを“人生の恩人”とされたのは、私が対談を重ねたイギリスの大歴史学者トインビー博士であります。博士の大著『歴史の研究』では、200に及ぶ人や書籍に「感謝の言葉」を記された筆頭に挙げられています。
 一流の知性は一流の人格が光り、報恩感謝の道を貫いているのです。
 

「使命」即「栄光」
 一、トインビー博士は、強く訴えられました。
 「苦難に打ち勝った人間は、開拓者の役目を果す」「他の人びとに進むべき道を指し示すことによって仲間の人間に奉仕するのである」(『トインビー著作集1』所収「歴史の研究Ⅰ」長谷川松治訳、社会思想社)と――。  
 皆さんは、人類の生存と、高貴なる共生の未来の開拓者です。平和を希求する世界の友の悲願が結集した大学に学んだ民衆奉仕の先駆者です。  
 尊き父母をはじめ、世界の民衆の大いなる期待に応えゆく、人類貢献の「使命」即「栄光」、「労苦」即「勝利」の青春を歩み通していってください。
 
 一、アメリカ創価大学の発展を心から喜ばれた、アフリカの環境の母ワンガ
リ・マータイ博士は語られました。  
 「私たちは、一人一人が変化をもたらすことのできる存在であり、皆で力を合わせれば、不可能と思われることも成し遂げることができるのです」  
 どうか、不思議な縁で結ばれた学友たち、同窓生たちと、何があっても励まし合い、助け合いながら、何度でも立ち上がり、「私は負けない!」「我らは断じて勝つ!」と朗らかに、前へ前へ進み抜いていただきたいのであります。  
 私は、人類のかけがえのない「希望」であり「宝」である、わが愛する卒業生の健康とご活躍、そして凱歌の人生を、永遠に祈り、見守っております。  
 どうか、いつまでもお元気で!  
 賢く仲良く大らかに、笑顔のスクラムを地球社会に広げゆけ!


【教学】

◆〈ロータスラウンジ――法華経への旅〉第14回 法師品第十〈下〉
 自らの喜びを他者にも――歓喜の連鎖の中に滅後の「成仏の道」がある

 法華経について、皆で学び、深めよう――「ロータスラウンジ――法華経への旅」の第14回は、「法師品(ほっしほん)第十」㊦です。前回(2月18日付)に続き、「法師品」に説かれている内容を追っていきます(原則、月1回掲載)。

一切衆生のために
 日蓮大聖人は、「方便品より人記品に至るまで八品は正(しょう)には二乗作仏を明し傍(ぼう)には菩薩凡夫の作仏を明かす、法師・宝塔・提婆・勧持・安楽の五品は上の八品を末代の凡夫の修行す可き様を説くなり」(御書1499ページ)と仰せです。 
 つまり、「法師品第十」から「安楽行品第十四」まで、濁世末法の衆生にとって、どうすることが修行となり、どう生きることが仏になる道なのかが示されています。
 とくに、「如来滅度するの後に」(法華経355ページ)と法師品にあるように、ここから、釈尊が亡き後(滅後)のことについて説かれていきます。
 また、「在家・出家の法華経を読誦する者」(同358ページ)等の表現に示されるように、在家と出家、男性と女性といった差別はなく、あらゆる差異を超えて、一切衆生のために語られています。
 さらに、「若し人有って妙法華経の乃至一偈一句を聞いて、一念も随喜せば、我は亦与に阿耨多羅三藐三菩提の記を授く」(同355ページ)と、誰であっても、法華経に少しでも触れて歓喜するならば、覚りを得ることができると約束されているのです。法華経は、末法の万人成仏の道を明らかにしているのです。

五種の妙行
 滅後の修行とは、どういったものなのでしょうか。
 法師品では、「妙法華経の乃至一偈を受持・読・誦・解説・書写」(同355ページ)と、受持・読(経文を見ながら読む)・誦(経文を暗唱する)・解説(人に法を説く)・書写の五つを挙げています。これを「五種の妙行」といい、この修行に励む人を「五種法師」といいます。 
 これらの修行は、正法・像法時代におけるもので、煩悩のけがれを払い落として、眼・耳・鼻・舌・身・意の六根を清らかにするものとされていました。
 日蓮大聖人は、「五種の妙行」について、「法華経を受け持ちて南無妙法蓮華経と唱うる即五種の修行を具足するなり」(御書1245ページ)と仰せです。
 末法の今日にあっては、御本尊を「受持」することに尽きます。つまり、御本尊を強く信じ、自行化他にわたって唱題行に励んでいくことが、最高最善の仏道修行になるのです。

衣座室の三軌
 釈尊滅後の弘通は難が大きいと説かれています ゆえに、それらの苦難に負けず法華経を弘めるための心得として、「衣座室の三軌」が教えられています。
●大慈悲心
 一つ目は、「如来の室」です。
 「如来の室とは、一切衆生の中の大慈悲心是れなり」(法華経367ページ)とあるように、室(部屋)が大慈悲心に譬えられています。
 池田先生は「慈悲は、上に立って見おろすようなものではない。タテではなくヨコです。水平です。平等の人間としての共感である。相手への尊敬が基本になっている。だから『慈悲の部屋』なのです。
 慈悲の生命空間の中に友をまねき入れ、つつみ、同じ部屋にともに座って人生を語っていくのです」(『法華経の智慧』普及版<上>=以下※)と、教えています。
 相手がどんな態度を取ったとしても、慈しみ、同苦し、共に幸福に、共に成長しようとの真心で、温かく包み込んでいくことです。

●柔和忍辱の心 
 二つ目は「如来の衣」です。
 「如来の衣とは、柔和忍辱の心是れなり」(法華経367ページ)とあるように、暑さ、寒さから身を守る衣のように、いかなる迫害にも屈しない強さを教えられています。
 池田先生は「滅後の弘教においては、難は必然です。そこで『忍辱の心』が必要になる。
 耐え忍ぶ心です。耐えるといっても、退くことでも、負けることでもない。耐えて勝つのです。心は何があってもへこたれないのです。広宣流布は精神の闘争です。
 心が負けていては『忍辱の心』にはなりません」(※)と、語っています。
 不撓不屈の精神が、末法の弘通には必要です。
 また、その強靱な力も、弘教の実践の中で、着実に培われていくのです。

●一切法空
 最後は「如来の座(ざ)」です。
 「如来の座とは、一切法空是れなり」(法華経367ページ)とあるように、ここでは、固定的な偏見や先入観なしに、変化する世界の実相をありのままに見て、何ものにもとらわれることのない境涯といえます。
 池田先生は語っています。
 「大聖人は『座とは不惜身命の修行なれば空座に居(こ)するなり』(御書737ページ)と言われている。不惜身命の行動こそが、一切法空の座に居ることになるというのです。
 人間の常として、何かに執着し、とらわれがちなものです。
 たとえば名声や地位などにとらわれ、それを手放したくないと惜しんでしまう。それは人間として、ある意味では自然かもしれないが、その執着をあえて乗り越え、身命をも惜しまず戦っていくということが『空座に居する』ことです。
 『我が人生を広宣流布のために捧げていこう』というのが信心です。その信心に『空』の極意がある。
 もちろん、それは命を粗末にするということではない。自分の尊い生命を、仏法のために惜しまず使っていくということです」(※)
 世間のさまざまなことに振り回されずに、ひたぶるに信心に励んでいくことが大切なのです。
 大聖人は、「衣座室とは法報応の三身なり空仮中の三諦身口意の三業なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は此の三軌を一念に成就するなり」(御書737ページ)と仰せです。
 自行化他にわたる題目を唱え抜く人は、この「衣座室の三軌」を実践している人なのです。

【『法華経の智慧』から】 「仏の心」を伝え弘める
 法華経は、釈尊を含めて、あらゆる仏を仏たらしめた「根源の法」を説く経典です。その「本因」の法を説くのが末法の法師なのです。
                   ◇  
 「況んや滅度の後をや」――なぜ、仏の「在世」よりも「滅後」のほうが難が大きいのか。
 「滅後」とは、仏の精神が忘れられ、宗教的、思想的に混迷する時代のことです。仮に仏を崇めているようでも、肝心の「仏の精神」は忘れ去られている。仏教の「宗派」はあっても、「仏の心」は生きていない。「宗教のための宗教」はあっても「人間のための宗教」はない。法華経は、とくにそういう時代のために説かれた経典です。
 「仏の心」を忘れ去った時代に、「仏の心」を伝える法華経を弘めるからこそ、怨嫉が多いのです。人間性を失った時代に、人間性の回復を唱えきっていくのは大変なのです。
                   ◇ 
 法師自身が、法華経を聞いて歓喜の心を起こした人です。その法師が説いた法華経を他の人が聞いて、歓喜の心を起こす。その「歓喜」と「歓喜」の連鎖の中に、滅後の「成仏の道」があるのです。(普及版<上>「法師品」)

【コラム】 願兼於業――宿命を使命に変える
 法師品には、本来、菩薩として大きな福運を積んだ人が、苦悩の衆生を救いたいとの願いによって、あえて悪世に出現し、妙法を弘通する姿が説かれています。このことを妙楽大師は、『法華文句記』で「願兼於業(願、業を兼ぬ)」と呼びました。
 今、自分が直面している苦難も、“それを乗り越えて、妙法の偉大さを証明し、弘通していくために、自らが願って受けている”のです。私たちにとっての宿命は、法華経に照らせば使命なのです。
 戸田先生は「時には、“貧乏菩薩”や“病気菩薩”のように見えるかもしれない。しかし、それは人生の劇を演じているんだよ。正真正銘の地涌の菩薩なんだ」と語られています。
 大変な状況だからこそ、「願兼於業」の哲理を胸に、断じて勝つと決め、自身の人間革命に喜び勇む姿で、地域や社会を希望で照らしていきましょう。


【聖教ニュース】

◆アメリカ創価大学16期生・大学院5期生が卒業 創立者が祝福のメッセージ贈る
 人類貢献の「使命」即「栄光」の道を

 米カリフォルニア州オレンジ郡アリソビエホ市に立つ「世界市民の揺籃」――アメリカ創価大学(SUA)の16期生、同大学院修士課程プログラム「リーダーシップと社会変革のための教育基礎学」の5期生が今月、晴れの卒業を迎える。創立者の池田大作先生はメッセージ(2面に別掲)を贈り、若き英才たちの旅立ちを祝福。皆が「共生の未来の開拓者」「民衆奉仕の先駆者」として、人類貢献の「使命」即「栄光」、「労苦」即「勝利」の青春をと望んだ。

旭日が輝くアメリカ創価大学のキャンパス。平和貢献のリーダーを育む世界市民の大城は明年、開学20周年を迎える

旭日が輝くアメリカ創価大学のキャンパス。平和貢献のリーダーを育む世界市民の大城は明年、開学20周年を迎える

 SUAでは、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大に伴い、今年度の卒業式が中止となった。 
 池田先生は、卒業生たちに贈ったメッセージの中で、万感の思いを込めて語り掛けた。 
 「世界の苦難の渦中に、愛する卒業生を送り出すこととなり、私はひとたびは、皆さん一人一人が直面する苦労を案じ、胸が痛んでなりません。しかし、再びは、皆さんの雄飛こそが、混迷の闇に必ずや新時代の旭日を輝かせてくれることを確信し、心が高鳴るのであります」と。
 アリソビエホの丘に広がる美しきキャンパスで、貢献的人生を歩む世界市民に成長すべく、知の探究に挑み抜いた英才たち。その不断の努力と忍耐の軌跡は不滅である。
 SUAに脈打つ価値創造の哲学と、人類の新たな地平を開く誓いを胸に、本年、エチオピア、インド、オランダ、メキシコ、ウズベキスタンなど、20カ国・地域出身の学部生95人と、オーストリア、ブラジル、日本、アメリカ、シンガポール出身の大学院5期生6人、合わせて101人が、創価の学びやを巣立つ。

SUAの池田図書館と、スイレンが咲き誇る「友情の池」

 卒業生はコロナ禍の中にあっても、平和と民衆の幸福を担う世界市民のリーダーへと成長するために、挑戦を重ね、多彩な進路を勝ち開いた。
 ある友は、世界最大の奨学制度であり、高競争率で知られるフルブライト奨学生に選出された。そのほか、アメリカのコロンビア大学、デューク大学、タフツ大学など、国内外の名門大学院に進学し、さらなる学究の道を歩む友もいる。
 池田先生はメッセージでつづった。
 「同窓生たちと、何があっても励まし合い、助け合いながら、何度でも立ち上がり、『私は負けない!』『我らは断じて勝つ!』と朗らかに、前へ前へ進み抜いていただきたい」
 「人類のかけがえのない『希望』であり『宝』である、わが愛する卒業生の健康とご活躍、そして凱歌の人生を、永遠に祈り、見守っております」
 創立者をはじめ、世界の人々の期待に応えゆく新たな舞台へ、創価の俊英たちが凜々しく船出する。


【特集記事・信仰体験など】

◆インタビュー 気象予報士・お天気キャスター 森田正光さん――地球という一つの命

企画連載 私がつくる平和の文化Ⅱ

 「私がつくる平和の文化Ⅱ」の第5回は、お天気キャスターとしておなじみの気象予報士・森田正光さんです。近年の異常気象や地球温暖化に象徴される気候変動について、私たちはどう捉えて暮らしていけばいいか。今の社会状況を踏まえ、語ってもらいました。(聞き手=小野顕一、歌橋智也)
 
天気予報なんかいらない?
 ――森田さんは、50年以上にわたって気象予報に携わってこられました。
   
 昔、「天気予報なんかいらない」と言われたことがあります。「雨を止められないから」と(笑)。
 そうじゃなくて、天気を予報することで、行動を変えられる。明日が雨だと分かったら、きょう中に洗濯しようと思うわけです。予測は、行動を変えるためにあるんです。行動を変えようとしない人にとっては意味がないかもしれないが、対応しようとする人は、自分をより幸せな方向に導き、人にも教えてあげることができるのです。
   
 ――最近、「気候変動」という言葉をよく耳にします。長年のご経験の上からも、最近の気象は尋常ではないと感じられますか?
   
 近年は特に、これまでとは次元の違う量の雨が降っています。日本全国で観測された全ての雨を集めても、かつては3万ミリや5万ミリが一番多かった。ところが2015年(平成27年)の鬼怒川水害では13万3000ミリ、18年(同30年)の西日本豪雨では観測史上最大となる20万8000ミリ、昨年の台風19号は12万5000ミリでした。
 昔は、防波堤や防潮堤が整備されていないことで大勢の人が亡くなりましたが、今はそうしたインフラが整っていても、それを凌駕する大きな災害に見舞われている。想定外のことが起きています。
 オーストラリアでは昨年、乾燥状態が続き、山火事が収まらなかった。ところが半年も続いていた火事が、1回の大雨で鎮火しました。つまり人間が対処できないほど、気象が“極端”になっているのです。

昨年9月から続いたオーストラリアの大規模な森林火災でコアラを救い出す(今年1月 AAP Image/アフロ)

昨年9月から続いたオーストラリアの大規模な森林火災でコアラを救い出す(今年1月 AAP Image/アフロ)

温暖化と人間の活動

 ――こうした気候変動には人間の活動が影響しているのでしょうか? あらためて考えると恐ろしいことです。
   
 本当にその通りです。しかも、その結果、起きている変動の速度が速過ぎる。今回のコロナの感染拡大もそうですが、スピードが速いからついていけない。ゆっくりだったら、その分、対応ができる。ゆえに私たちは、変動を少しでもゆっくりにさせて、その間に準備をしなければならないのです。
 自然は本来、バランスを求め、常に“中間”“真ん中”へ向かおうとします。アンバランスを嫌いますから、変動・反動が起こるわけです。
 例えば、太陽が出ると、どんどん地面が熱くなる。すると地面から水蒸気が立ち上り、雷雲が生まれ、その雨が地面を冷やす。そうして均衡が保たれます。
 季節もそうですよね。冬、冷たい空気がどっと入ってきても、だんだん太陽の位置が変わり、南風が吹き、大陸が暖まる。
 今、夏が極端に暑くなったり、反対に冷夏になったりするということは、人間の活動によって崩された自然のバランスを、元に戻そうとする働きといえるのです。近代以降、自然が嫌う極端なことをやってきたのは、人間の側です。私たちは、今こそ自然や環境に対して、「正しく恐れる」謙虚さを持つべきだと思います。

 ――気象解説をする中で、新型コロナウイルスの影響を感じることはありますか。
   
 空を見上げてみてください。皮肉なことですが、空気がきれいになっています。
 大気中のオゾンやPM2・5などの数値を分析した「大気汚染の少なさを表す指数」(ウェザーニュース)によると、その指数が、昨年と比べて明らかに高くなっています。今年の方が、鮮やかな青空なんです。
 衛星画像を見ても、これまでガスなどで覆われていた都市部の空気が澄んでいるのが分かります。移動や生産活動が制限され、自動車や航空機の排気ガス、工場の排煙などによる有害ガス(二酸化窒素等)の濃度が低下したことが大きな要因でしょう。
 

有害ガスである二酸化窒素の濃度を比較した衛星画像。左が今年1月で、右が2月。大気汚染が激減していることが分かる(AFP PHOTO /NASA/Earth Observatory / Joshua STEVENS)

有害ガスである二酸化窒素の濃度を比較した衛星画像。左が今年1月で、右が2月。大気汚染が激減していることが分かる(AFP PHOTO /NASA/Earth Observatory / Joshua STEVENS)

 経済活動が縮小しているということは、CO2(二酸化炭素)の排出量も減少しているということです。それは、化石燃料である原油の(需要が減り、)価格が下落していることにも端的に表れています。

 CO2の増加と地球温暖化の傾向は見事に一致しています。IPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)が指摘する通り、現在の温暖化は人間によってもたらされた可能性が非常に高い。温暖化に異議を唱える人もいますが、長期的に見れば、温暖化は疑いようのない事実です。人類が今までのような経済活動を続けるならば、CO2は増え、温暖化は続くこととなるでしょう。
 もちろん、新型コロナウイルスの感染拡大で仕事ができなくなり、生活が困窮している方々のことを考えると心が痛みます。緊急事態宣言の解除によって、一日も早く生活の安心を取り戻してほしいです。
 その上で、新たな社会状況のもと、経済活動と自然環境への配慮のバランスをいかに保っていくか。持続可能な開発をいかに進めていくかが大事だと思います。それが、地球温暖化を防ぐ道になるのです。
 
ちょっと見方を変えてみる
 ――おっしゃる通り、持続可能な開発は「平和の文化」の大事な柱です。その上で、現実の自分自身の生活に結び付けるには、どのような視点が必要でしょうか。
   
 この感染拡大への対応が、いみじくも解答を示しています。
 例えば、マスク一つをとってもそうです。私もなかなか手に入らないので、実は、何回か洗って使っていました(笑い)。捨てればなくなってしまうけど、使い回すことができた。近頃は手作りマスクをしている人も増えていますよね。まさに「もったいない精神」です。
 そのように、一人一人が意識を変え、行動に移していくことが、自然環境への負荷の低減につながります。
 また例えば、水を見てどう思うか。人が蛇口からバーッと水を出していると、もったいないと感じますよね。水ってエネルギーの塊です。日本の水道水はとても上質で、本当によくできている。水を、自然の恵みであると同時に、人々の英知と努力の結晶だと考えると、感謝が湧きます。
 目の前の現象だけを見るのではなく、ちょっと見方を変えることで、違う世界が見えてくる。ものごとをどう捉えるかが大切です。
 
意識と行動を変えるのは「今」

 エネルギーについても同じです。これからは新しい蓄電技術をはじめ、さらに効率のいいものが増えていくでしょう。私は、温暖化への対処は、コロナという危機をきっかけに、むしろ加速することを願います。今のピンチをピンチのままで終わらせず、“ピンチはチャンス”と発想を変える。そうすれば新しい道が開けてくる。歴史とは、こうして進んでいくのではないでしょうか。
 今、ものすごい勢いで世の中が変わっていて、私たち自身がどう変わっていくかが問われています。とにかく変化についていくこと。そして、できるだけ変化に対応しながらも、ぎすぎすした社会はつくらない。咳をしただけで厳しい視線にさらされることのないように、仲良くありたい。
 今回の新型コロナウイルスの流行が収まったとしても、また数年後、十数年後には、新しい感染症が現れるわけですよね。目に見えない相手に向き合う中で、人間の真価が問われるのだと思います。
 

もりた・まさみつ 1950年、愛知県名古屋市生まれ。気象予報士。日本気象協会を経て、92年、日本初のフリーランスのお天気キャスターに。独自の視点とユニークな解説で人気を集め、テレビやラジオに多数出演。自ら設立した民間気象会社ウェザーマップで会長を務める。

森田さん監修の新著『空の手帳』(東京書籍)
ご感想はこちらまで
heiwanobunka@seikyo-np.jp
 
池田先生の写真と言葉

刻々と姿を変える雲のように、変化を恐れず、飛躍の好機へ(池田先生撮影。2000年11月、シンガポールからマレーシアへ向かう機中から)
 自然は、「生命」が輪のように連なっている。たがいに無関係なものは、何ひとつありません。どこを破壊しても、他のところに必ず影響する。
 「母なる大地」「母なる海」「母なる地球」……自然は、人類の母親なのです。
 
                               ◆◇◆
 気候変動を巡る複雑で困難な状況も、受け止め方次第で、チャンスへと変えることができるのではないでしょうか。
 対応すべき分野や場所が多岐にわたるという状況は、一方で、一人一人に具わる限りない力を発揮できる舞台が、それだけ多種多様な形で広がっていることでもあるからです。
(上は『青春対話』、下は「第45回『SGIの日』記念提言」から)
 
<4月28日付への読者の声>
 東京都荒川区 名嘉 典子さん(主婦 59歳)
 SDGs市民社会ネットワーク理事で、銭湯店主の大久保勝仁さんは記事の中で、「共に在る」ことを認め合える空間をつくれば、それは一つの「平和の文化」だと語られました。
 かつて実家の近くに銭湯がありました。小さい時からお世話になり、住み込みのお姉さんに服を着せてもらったり、近所のおばさんに連れて来てもらったりしました。家に風呂ができてからも時々通うなど、まさに社会的包摂の場所です。
 ご近所付き合いは大切ですね。先日も近隣の方と短時間ですが少し距離をとって親しく話し、手作りマスクの出来映えや、お孫さんの就職の話で盛り上がりました。今後も青年の活躍を祈り、地域の“お節介おばさん”として頑張ります。
 
 神戸市兵庫区 原田 文奈さん(パート 47歳)
 私は記事を読み、家族や身近な周りの人たちの中にあっても、考え方が違う相手とも、きちんと意見を語り合えるようになりたいと思いました。
 相手を否定するのではなく、「共に在る」ことを認め合いながら、自分の意見も伝えていく。そのためには、まず自分の意見をしっかり持つこと。そして、自分のことに精いっぱいで余裕がなくても、周りの人の気持ちに思いをはせる努力をしていくこと。合わないから嫌いという感情ありきではなく、関わり合いを避けるのでもなく、自分なりに、結び付くことを大事にしていきたいです。
 
(4月28日付 SDGs市民社会ネットワーク理事の大久保勝仁さんのインタビューはこちらから)

◆〈「人類の議会」と歩む SGI国連事務所リポート〉④
2020年5月26日
世界の悲願 核兵器廃絶
ニューヨーク アナ・イケダ氏

 核軍縮を目指す取り組みの現場はとても専門的で、国と国が厳しくせめぎ合うリアリズム(現実主義)やパワーポリティクス(権力政治)の枠組みで議論されることが多くあります。だからこそSGIの運動が、生命の尊厳観に根差した「内面の変革」の哲学に基づくものであることに、深く誇りを持っています。
 SGIの平和運動の根底に、“魔性の爪をもぎ取る”との戸田先生の原水爆禁止宣言の精神があることは、言うまでもありません。核兵器に対するこの倫理的なアプローチや、生命尊厳の心を人々の内面に築くことが核兵器廃絶への最も確かな道であるとの理念こそ、SGIが果たしうる貢献であると確信します。
 
禁止条約の発効へ前進を加速
 SGIは国連を舞台に、軍縮教育の重要性を訴える活動に取り組んできました。また諸団体等と「核兵器を憂慮する宗教コミュニティー」を発足させ、さまざまな会議で共同声明を発表してきました。 
 2017年の核兵器禁止条約採択への道を開いたのも、議論の中心が国家の安全保障や核抑止などのテーマから、人に与える苦しみや取り返しのつかない環境への影響といった“核兵器の非人道性”にシフトしたことにあります。 
 これまで37カ国が条約に批准しており、条約発効に必要な50カ国の批准を目指して、市民社会として、その支持拡大に力を入れています。
 昨年6月にはガイアナ共和国で、同国外務省とICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が条約の発効促進のための地域別会合を開催。SGIもICANのパートナーとして企画・運営の中心を担いました。会合以降、カリブ海地域の国々による署名・批准が飛躍的に増加しています。

ガイアナ共和国で開かれた核兵器禁止条約の発効促進のための会合(昨年6月)

ガイアナ共和国で開かれた核兵器禁止条約の発効促進のための会合(昨年6月)

 そうした核軍縮の取り組みに説得力かつ実体性を与えるのが、学会員が広げている意識啓発のための草の根の運動です。私自身、女性平和委員会の映写会をはじめとする皆さんの活動に勇気をもらっています。学会員の姿は、誰もが日常の中で核兵器廃絶を実現する主体者になれるとの具体例であり、私の国連での活動の原動力になっています。

 広島、長崎への原爆投下から75年の本年、新型コロナウイルスの感染拡大により、4、5月に予定していたNPT(核不拡散条約)再検討会議を含む多くの国連行事が影響を受けました。 
 しかし、核軍縮への機運は停滞していません。今月2日には、核兵器廃絶や気候問題などを議論する青年集会がオンラインで開かれ、私も実行委員会に入り、行事運営に関わりました。また11日には、SGIを含む80以上の団体が、核兵器廃絶への前進を求める共同声明をNPT締約国に提出しました。 
 今回のパンデミックは、人はつながり合って生きる存在であることを再確認させるとともに、核兵器に象徴される安全保障が、現実に私たちを守ってくれるものであるかどうかを問い掛けています。
 核なき世界への運動を一段と加速させ、被爆者そして私たちの師匠の悲願に応えゆく決意を新たにしています。


◆信仰体験 困難乗り越えた暁へ

【神奈川県川崎市】会議通訳者・寳閣綾子(ほうかくあやこ)さん=副白ゆり長=の仕事は、多種多様だ。
 大企業トップの海外視察同行に、閣僚出席の国際会議、企業の取締役会……。 
 その中身も、幅広い。医療、エネルギー、文化・芸術、経済、法律など、さまざまな業界を担う。
 本番前の準備は過酷を極める。夜を徹して資料を読み込み、自作の単語帳と想定問答で本番をイメージする。
 準備に余念がないのは、苦労の先に大きなやりがいがあるからだ。異なる言語を持つ人同士が笑顔で抱き合い、心通わせる瞬間が何よりうれしい時だという。  (2018年5月、連載企画「登攀者」掲載)

 <ここ一か月間の仕事の状況を教えてください>
 ほぼ開店休業状態で、仕事が入っても状況が流動的でキャンセルも多く、結果的に担当したのは4件ほど。以前は、通訳の仕事と通訳学校の講師などで月に30件ほどの案件がありました。3月の収入は、前年比の50%を下回り、持続化給付金を申請しました。
 それでも、生活は不思議と守られていると感謝しています。

 <新型コロナウイルス感染症の拡大をどう捉え、どう立ち向かっていますか>
 全世界を覆う未曽有の事態だからこそ、「大悪を(起)これば大善きたる」(御書1300ページ)と、題目をあげ、変毒為薬していくんだ、と決意しています。
 また、一緒に仕事をしてきた方の中には、医療従事者も多くいます。皆さんがどれほど過酷な状況で、生命を救う戦いをしておられるか。全世界の医療従事者とそのご家族の皆さまの健康、幸福、安穏、勝利も合わせて毎日ご祈念しています。
 先日、小説『新・人間革命』第30巻の<上>と<下>を読みました。
 母と共に入会した1980年(昭和55年)当時の様子や、入会直後に引っ越した大阪が池田先生の関西訪問の数カ月後だったこと、91年(平成3年)はイギリスで、92年、94年はドイツで、先生をお迎えできたことなど。
 自分がどういう時に入会し、これまで信心してきたのか、新聞連載当時には、感じ取ることのできなかった壮大な絵巻を、通しで学び、先生から長い個人指導を受けているような気持ちでした。
 友人・知人には、オンラインで合いそうな聖教新聞の記事を送るなどしながら交流しています。青年部のステイホームプロジェクトのツイッター(SNS)にも多くの友人が登録してくれました。

 今は規則正しい生活を心掛けています。東向きの部屋で毎朝強烈な朝日で目が覚め、ストレッチと筋力トレーニングをします。聖教新聞を読み、勤行・唱題を家族で行った後、『新・人間革命』の音声配信ファイルを一つずつ聞いています。
 個人の英語の勉強としては、2カ国語放送の番組を活用しています。字幕モードをオンにして、英語を聞きながら日本語の字幕を見て、“こんな表現をこんなふうに訳すんだな”と思いながら、興味のある分野の番組を録画しては見ています。
 また外務大臣の会見は、動画配信とスクリプト(発言要旨)が日本語と英語で提供されているので、見て聞きながら勉強しています。
 アメリカ・モアハウス大学キング国際チャペルのローレンス・カーター所長の『牧師が語る仏法の師』(第三文明社)は、日本語と英語で読んでいます。
 昨年、仕事でイタリアのミラノへ行った際、イタリア創価学会の会館も訪問しました。
 館内を案内してくださったメンバーに、イタリア国内で感染が拡大する様子を心配してメールを送ると、「大丈夫よ、私たちにはお題目があり、池田先生がいる。今はずっと外に出られず牢獄(ろうごく)みたいで不自由だけど、(獄中にいらした)戸田先生のことを思えば、なんてことないわ」との返事をくれて、すごい信心だな、と感動しました。
 今は、とにかく唱題の日々。唱題をしていると“生命の旅”のように感じます。
 変毒為薬の結果が出るその時まで唱題し抜いて、未聞の困難があけた暁(あかつき)に、どんな世界が待っているのか楽しみです。

◆信仰体験連載〈20代のリアル ボクらのイマ。〉 人との距離感に悩んでた大学生

不可能なんかない。自分も他人も信じられる

<吉村裕一さん(22)=東京都国分寺市、学生部部長=は私立大学に通う4年生。吉村さんには、人知れぬ悩みがあった>
  
 僕って、自分で言うのもなんですけど、人生順調にいってた方だと思うんです(笑い)。高校も都内でトップクラスの進学校に通ってましたし、周りからも「優秀だね」って言われて育ちました。生死に関わるような悩みもなかったし、人からは順風満帆に見えてたと思う。
 だから自然と、かっこつけちゃう癖があったし、プライドも高い。そういうのが邪魔してか、純粋な友情関係が築けなかった気がするんです。高校生の時は“友達とは何か”みたいなことを本気で考えてました(笑い)。
 自分の弱いところがバレたくないから、一定の距離を保っちゃう。仲のいい友達はいたけど、本当の友情ってよく分からなかったんです。

<大学2年の冬、吉村さんに転機が>

 1年の時から、バスケットボールを使って、いろいろな技を披露するフリースタイルバスケのサークルに所属していました。ゴールもルールもない、まさにフリースタイル。かっこいいなって思って、毎日毎日、練習。
 そしたら2年の終わり頃に、サークルの代表に選ばれたんです。40人くらい所属する結構大きなサークルだったんで、うれしかったんですけど、思った以上に大変でした。
 今までは、自分が楽しくプレーしてればよかったけど、これからは、みんなにも楽しんでもらわなきゃいけないって責任を自覚したんです。
 かっこつけて、人と一定の距離を保ってる場合じゃなくなっちゃったんですよね(笑い)。

 <学生部の活動に積極的に参加するようになったのもこの頃>
 
 最初のうちは、同世代なのに確信もって頑張っててすごいな、僕も頑張ろうって思うんですけど、家に帰ると忘れてるって感じでした(笑い)。
 それでも根気強く励ましてくれる先輩の存在もあって、題目あげたりとか、小説『新・人間革命』を学んだりとか、挑戦するようになりました。
 題目って、あげてると目的感が深まるんです。その感覚がすごくて。最初は題目をあげながら、何であげるのか考えてました。勇気が湧いてきて、絶対大丈夫だなって気持ちになってくるし、全部が意味あるものになって、気持ちが決意にまで至るんです。
 池田先生のこまやかな励ましの姿に学びながら折伏にも挑戦して、2カ月間で30人くらいやりました。折伏しようって思うと、自然に題目もあがるし。
 気が付くと、自分のことより、友人のことを祈ってる時間の方が増えました。悩みを打ち明けてくれる友人も出てきて、入会に導くこともできました。

 <信心によって、自分が変わり始めたことを自覚した吉村さん。「可能性が広がった」と、希望に胸を膨らませる>
  
 サークルメンバーとは、とにかく一対一の対話に挑戦しました。相手の話をよく聞いて、自分の思いも率直に伝える。大事なのは信じ抜くこと。少しでも相手の可能性を疑うと、それが伝わっちゃう。
 すぐに現状は変わらないけど、確実にみんなの意識がいい方向にいきました。
 去年、サークルを引退したんですけど、「代表のおかげで楽しくやれました」って言ってもらった時は、めちゃくちゃうれしかった。
 今までは、自分のことをどう見てるんだろうって思いながら人のことを見てた。でも今は、その人が悩んでないかとか、いいところを見つけようって思いながら見てる。人との関わり方が変わったからだと思います。
 信心があれば、不可能なんかない。自分のことを信じられるから、人のことも信じられる。だから相手も信じてくれるんだと思うんです。以前の自分と比べると、人間革命してきたなって感じてます!

 

2020年5月25日 (月)

2020年5月25日(月)の聖教

2020年5月25日(月)の聖教

◆今週のことば  2020年5月25日

 信心に行き詰まりなし。
 「忍辱の大力」と
 「智慧の宝蔵」で
 新時代の道を開こう!
 広布の歩調を賢く強く。


◆名字の言 「山の手大空襲」から75年。平和の誓いを新たに  2020年5月25日

 東京・港区の表参道交差点前に、一基の石碑がある。碑銘は「和をのぞむ」。昭和20年5月25~26日にあった「山の手大空襲」の犠牲者を追悼するものだ▼碑文には「青山通りの交差点付近は、火と熱風により逃げ場を失った多くの人々が亡くなりました」と。投下された焼夷弾の量は3月10日の東京大空襲の約2倍で、一連の東京空襲の“とどめ”のような爆撃。火の手は赤坂や中野など広範囲に及んだ▼小説『人間革命』第1巻の冒頭で、豊多摩刑務所から出獄した戸田先生が見た焼け野原は、まさにこの戦火によるものだった。中野駅から乗った電車の中で、罹災した乗客と語り合う場面もある。戸田先生は思った。“庶民は雑草のようである。しかし、雑草も生えない野原に、草木が生い茂り、果実が実るはずもない”と▼学会の再建は、庶民に「地涌の菩薩」としての使命の自覚を促すことから始まった。以来75星霜。民衆という大地に根を張った創価の連帯は今、192カ国・地域に広がっている▼マハトマ・ガンジーの令孫で、池田先生とも親交を結んだエラ・ガンジー博士は語った。「平和を望む師匠の弟子が多いほど、平和を望む人の輪が広がります」。終戦から75年の本年、師弟の道を貫き、平和を築く誓いを新たにしたい。(之)


◆寸鉄

SGIの皆様の励ましに
限りない愛情を感じる―
議員。皆が主体者の心で
     ◇
学会HPの特設ページが
続々と更新。師の闘争に
学び、希望の未来必ず!
     ◇
困難と戦うことで内奥の
力が育つ―画家。危機を
成長の糧と。祈り根本に
     ◇
乳児の予防接種率低下―
外出自粛影響と。医師に
早く相談。自己判断せず
     ◇
マスク着用は喉の渇きに
気付きにくいと。まめに
水分補給。熱中症防ごう


◆きょうの発心 祈祷抄 北海道・札幌栄光総県総合長 田川清志2020年5月25日

御文 大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず(祈?抄、1351ページ・編519ページ)
通解 大地をさして外れることがあっても、大空をつなぐ者があっても、潮の満ち干がなくなっても、日が西から出ることがあっても、法華経の行者の祈りのかなわないことは絶対にない。

“三代城”広布に徹し報恩の道を
 法華経の行者の祈りは必ずかなうと仰せです。
 1983年(昭和58年)、北海道で開催された第3回世界平和文化祭に運営役員として参加。当時、仕事と学会活動の両立に悩んでいましたが、先輩からの勧めもあり挑戦しました。
 開催までに多くの困難もありましたが、不思議と全て解決。同志の祈りの力を実感しました。池田先生が、文化祭の開会前に会場内を1周し、出演者を激励される温かな姿に感動し、信心の原点を築くことができました。
 大勝利した文化祭の翌年には、望んでいた職場へ異動。「仕事で実証を」と、懸命に働くことで学会理解の輪も広がりました。本年3月には無事に定年退職。支えてくださった全ての方々に感謝の思いでいっぱいです。
 第三の人生を、“三代城”北海道広布に徹し、師恩に報いる道を歩んでまいります。


【先生のメッセージ】

◆【みんなで学ぶ創価の心】 「未来部レインボーチャレンジ」を応援!
 早寝早起きを心がけよう

皆で仲良く一歩前進!――ポルトガルの友が笑顔で(昨年10月)

【池田先生の指針】
早寝早起き――朝を元気に出発しよう!
 太陽は一日も休むことなくのぼります。
 たとえ、くもりの日でも、雨がふっても、太陽は雲の向こうで、休むことなくのぼります。太陽が顔を出すと、明るくなり、あたたかくなって、花や木も、動物や虫たちも、元気になります。
 私たちも、朝の太陽とともに、一日一日を、元気いっぱいにスタートしよう!
                       ☆☆☆
 みなさんは、『赤毛のアン』という本を読んだことはありますか。悲しいできごとがあったり、失敗をしたりしても、朝になったら元気になって、太陽のように明るく生きた少女の物語です。カナダの女性ルーシー・モード・モンゴメリが書いたお話で、世界中で読まれ続けています。
                      ☆☆☆
 モンゴメリは、19歳の時、学校の先生になりました。作家になる夢を忘れられず、家に帰ると机に向かい、作品を書き続けましたが、なかなか進みません。
 そこで、朝1時間早く起きて、文を書くようにしました。冬はこごえるほど寒い部屋でコートを着て、ペンをにぎりました。やがて、少しずつ自分の作品が新聞や雑誌にのるようになります。そして33歳で『赤毛のアン』を出版することができたのです。
                       ☆☆☆
 みなさんにも、毎日毎日、新しい朝が来ます。たとえ、きのうまで失敗続きでも、悲しいことがあっても、新しい朝が来て、新しい一日が始まるのです。
 「きょう」という一日は、まだ何も決まっていません。それどころか、自分でどうするか決めることができる、希望にみちた一日なのです。「きょうは、がんばるぞ」と心に決めれば、少し大変なことがあっても、その通りにしていくことができます。
 だから、まず朝を元気いっぱい出発しよう! 私たちには、その最高の元気を引き出せる勤行・唱題があります。
 勤行ができない時は、題目三唱でもいい。題目には、全宇宙に向かって、「おはよう」のあいさつをおくるような、すごい力があります。はつらつと、題目をとなえれば、エネルギーが満タンです。
 さあ、朝だ! 光だ! 希望だ!
 きょうも元気に飛び出そう!
                            (『希望の虹』)


【教学】

◆〈日蓮大聖人の慈愛の眼差し〉 千日尼  「心こそ大切なのです」
 夫・阿仏房と共に大聖人を支えた女性門下
 距離を超えて師を求め抜いた誉れの生涯

 師を求める心に、物理的な距離は関係ない。
 師を求める心に、勇気と歓喜が湧き上がる。
 師を求める心に、無限の向上と幸福が輝き光る。
 流罪地の佐渡で夫と共に日蓮大聖人に帰依し、大聖人が赦免され、遠く身延に入山されてからも、夫を師のもとへ送り、変わらぬ求道を貫いた女性門下がいた。千日尼である。
 御書を拝すると、当初、「阿仏房尼」と呼ばれていたが、ある時から「千日尼」と変わったことから、大聖人から「千日尼」との法号を与えられたと推定される。一説には、この「千日」とは、大聖人が佐渡に滞在された日数に基づいたともいわれている。
 寒さ厳しい塚原の三昧堂におられた大聖人の身を案じた千日尼は、食料を用意し、夫・阿仏房に櫃を背負わせてお届けするなど、真心を込めて支えた。
 それは大聖人の庵室を監視する地頭や念仏者らの目をかいくぐってのことで、わが身の危険もあった。実際、このことで阿仏房・千日尼夫妻は住まいを追われ、罰金を科せられ、屋敷まで取り上げられている。それほどの難を受けながらも信心を貫いたのである。
 大聖人が流罪を赦免となって鎌倉に戻られ、身延に入山されてからも、千日尼の師を求める心は、いやまして燃え上がっていった。
 千日尼は阿仏房にお手紙と御供養を託し、文永11年(1274年)から約5年間に3度、大聖人のおられる身延に夫を送り出している。当時は、佐渡から身延まで20日余り。海を越え、いくつもの山を越える険難の道であった。高齢の阿仏房はもちろん、夫を送り出す千日尼も、よほどの信心と勇気がなければできないことであろう。
 さらに、千日尼は、折に触れて、多額の銭や身延山中では手に入らないノリやワカメなどの品々を大聖人に送っている。大聖人の経済的な面を支えるだけでなく、食生活も気遣う女性らしい心配りが、大聖人のお手紙から読み取れる。
 大聖人は、深い慈愛を込めて、千日尼の信心を称賛されている。
 「人は、目の前にいる間は志があっても、離れてしまえば、心では忘れていなくとも遠くなってしまうものです。ところが、あなたは、この5年間、佐渡の国より3度も夫をこの身延の山中に遣わされました。何というお志でしょう。大地より厚く、大海よりも深いお志でありましょう」(御書1314ページ、趣意)
 弘安元年(78年)閏10月のお手紙では、千日尼から送られた御供養に対し、大聖人は、仏に土の餅を供養した徳勝童子が、その功徳でアショーカ大王として生まれた話を引かれ、「法華経を供養する人は十方の仏菩薩を供養する功徳と同じきなり」(同1316ページ)と仰せである。
 物資が乏しいうえに、遠隔地の佐渡から、尊い御供養をする門下の純粋な信心と広宣流布の師匠を守ろうとする心が、どれほど偉大で崇高であるかを教えられたのである。

女人成仏の法門について尋ねる
 千日尼は、謗法の罪の軽重や女人成仏の法門について大聖人に伺うなど仏法への造詣があり、求道心も旺盛であったことが分かる。
 佐渡の女性門下の中心的な存在として、地元の門下たちとよく連携を取っていた千日尼は、自分だけでなく、佐渡の同志の気持ちを代表して大聖人にお尋ねしたのではないだろうか。
 そうした千日尼の姿を、大聖人は「実に希有な女性であられる」(同1308ページ、通解)と称賛され、女人成仏の道を開いた竜女に劣らないだろうと言われ、大きな信頼を寄せられている。
 また大聖人は、女性は罪深い存在であるとの偏見が広まっていた時代にあって、女人成仏こそ法華経の第一の肝心であり、女人成仏の実現こそが御自身の誓願の根本であることを示される。
 千日尼が、こうした指針を胸に佐渡の女性門下たちに、喜び勇んで希望の法門を語り伝えていったことは間違いないだろう。

身は佐渡でも心はこの地に
 師と同じ心で広布の道を歩む一方で、大聖人と離れた月日がたつにつれて、千日尼は生きて大聖人とお目にかかることはできない現実に向き合わざるを得なくなる。一目、大聖人にお会いしたいという思いを抑えがたくなったことだろう。大聖人は、千日尼の心中を深く思いやり、語り掛けるようにつづられる。
 「あなたの身は佐渡の国にいらっしゃいますが、あなたの心はこの国に来ています。成仏の道も、これと同様です。私たちは、けがれた世界におりますが、心は霊山浄土に住んでいるのです。お会いしたからといってどうなりましょう。心こそ大切なのです。いつか必ず釈尊がいらっしゃる霊山浄土でお会いしましょう」(同1316ページ、通解)
 “場所は離れていても、師弟の心はいつも一緒です”――大聖人の励ましに、千日尼は胸がいっぱいになったことだろう。
 弘安2年(79年)3月に夫の阿仏房が亡くなる。その翌年、大聖人が千日尼に宛てたお手紙には、「故・阿仏房一人を寂光の浄土に入れることができなければ、諸仏は大苦に堕ちるに違いありません」(同1320ページ、通解)と、阿仏房の成仏が疑いないことを示され、悲しみに寄り添われている。
 このお手紙には、阿仏房が亡くなった年、その遺骨を携えた子息の藤九郎が身延にやって来たことが記されている。おそらくは、百箇日の法要と埋葬のためと思われる。その翌年も、藤九郎は墓参のために身延へ。父親の信心のあとを継いだ藤九郎の姿を見た大聖人は「阿仏房の志を継いで立派な法華経の行者になりました」(同1322ページ、通解)と、千日尼の子息が立派な信心の後継者に成長したことを賛嘆され、「子に過ぎた財はない。子に過ぎた財はない」(同ページ、通解)と喜ばれている。
 伝承によると、千日尼は乾元元年(1302年)に亡くなったとされている。大聖人が御入滅されてから20年後。多くの佐渡の門下に見守られた、見事な成仏の姿だったことだろう。
 千日尼の生涯は、信心とは、師に会えるか会えないかで決まるものではないことを教えてくれる。「心こそ大切に候へ」(同1316ページ)である。
 池田先生は講義の中で、阿仏房・千日尼夫妻と一族を「大聖人御在世の師弟不二の信心の模範」とし、こう述べている。
 「私は、いついかなる時も、どこにいても、常に戸田先生と対話しながら戦っています。『不二』は自分の中にあるのです。不二の師弟は、距離を超え、時間を超えます。『師弟の心』は、永遠に共戦の歴史を綴っていきます。この『心こそ大切』の大哲学を掲げて、広宣流布の連続闘争に前進していきましょう」


【聖教ニュース】

◆〈第3代会長就任60周年記念 師弟凱歌の記憶〉第6回 民衆に捧げる栄冠 2020年5月25日

モスクワ大学の総長室で行われた名誉博士号授与式(1975年5月)。池田先生は、ホフロフ、ログノフ、サドーヴニチィの歴代総長と深い親交を。創価大学とモスクワ大学の学生の往来は、これまで500人を超える

モスクワ大学の総長室で行われた名誉博士号授与式(1975年5月)。池田先生は、ホフロフ、ログノフ、サドーヴニチィの歴代総長と深い親交を。創価大学とモスクワ大学の学生の往来は、これまで500人を超える

 大学や学術機関が優れた人物に対して授与する名誉学術称号は、その機関が“この人に学べ”という模範と認め、威信をかけて贈る「知性の宝冠」である。
 池田先生が受けた最初の名誉学術称号は、M・V・ロモノーソフ記念モスクワ国立大学の「名誉博士号」。本年で創立265年を迎えた、ロシア最古の知の殿堂からの栄誉である。受章者には、ゲーテ、シラー、ダーウィンら、人類史に輝く偉人が名を連ねる。
 市街の中心部からも見える同大学の本館は、高さ240メートル、32階建て。最高峰にふさわしい威厳をたたえるが、開学当初の大学は、薬局だった建物を改装した小さな校舎だったという。“あらゆる階層の人に開かれた大学に”との創立者・ロモノーソフの理想が灯る学舎は、時を経てゴルバチョフ元ソ連大統領らノーベル賞受賞者をはじめ幾多の英才を育んできた。
 先生への名誉博士号授与は、同大学哲学部から発議があり、教授会の決定をみたもの。1975年5月27日、ホフロフ総長(当時)ら大学首脳、教授や学生の代表が見守る中、本館9階にある総長室で厳粛に行われた。
 贈られた学位記には「文化と教育の分野における実り多い活動、並びに諸国民の平和と友好の深まりをめざす積極的な活動を讃え」と。折りしもこの年は、SGIが発足した年。かつて“貧乏人と病人の集まり”と揶揄された創価学会が、池田先生のリーダーシップのもと、人類を結ぶ平和・文化・教育の一大民衆運動を世界に本格的に広げゆく暁鐘の年であった。
 先生は授与式を振り返り、つづった。草創のころより、地位も栄誉も求めず、世のため、人のためにひたむきに汗を流してきた人々の、身を惜しまぬ敢闘があって今日のSGIの発展がある――と。「尊い労作業を、陰の労苦を、誰が忘れよう。私がいただいた称号や勲章は、すべて、それらの人々のものである。私は、ただ、営々黙々とこの運動を担い、支えてこられた無位無冠の人々のために、今後も働きゆくのみである」
 モスクワ大学からは2002年6月、重ねて「名誉教授」の称号も贈られた。池田先生の人間主義の行動に贈られた「知性の宝冠」は現在、396に及んでいる。


◆〈世界の友は今〉婦人部の合言葉は「もっと題目を(ムイト・マイス・ダイモク)!」 ブラジルSGI ヒラノ婦人部長
「機関紙」「励まし」を力に苦境と戦う

一番苦しんでいる人の味方に
 南米で新型コロナウイルスの感染が拡大しており、ブラジルでは感染者が約35万人になった(日本時間24日現在)。創価の友はどのように支え合い、危機に立ち向かっているのか。ブラジルSGI(創価学会インタナショナル)のメイリ・ヒラノ婦人部長に話を聞いた。

ピークはまだ先とも
 ――ブラジルで感染者が急速に増えている様子は、日本でも報道されており、私たちも皆さんの無事を祈っています。現在の社会の状況について教えてください。
 
 ブラジルでは、各州政府などが商業施設の閉鎖や外出自粛を要請するなど、さまざまな規制を実施しています。しかし、それでも感染拡大は収まらず、感染のピークはまだ先との見方もあります。
 感染の拡大は経済に大きな打撃を与え、会社の倒産やリストラが相次ぎ、多くの人々が職を失っています。自営業の人々の収入も減り、困窮しています。
 そうした背景から、精神的に不安定になる人も出てきました。また、家庭内暴力や児童虐待が増加しているとの報告もあります。


サンパウロに立つブラジル池田文化会館

サンパウロに立つブラジル池田文化会館

「1・2・3運動」
 ――深刻な状況に胸が痛みます。SGIのメンバーは、どのように励まし合っているのでしょうか。
 
 感染爆発の危機を示す国内の保健機関の発表を受け、ブラジルSGIでは3月16日から全ての会合・活動を中止し、訪問しての激励も自粛しました。
 そして、この大きな試練を乗り越えるために、メンバーの絆を強め、互いに勇気と希望を送り合おうと、ブラジルの「1・2・3運動」を開始しました。
 「1」は、1日1時間以上の唱題に励み、皆の健康と感染拡大の終息を祈ること。「2」は、1日20分以上の御書の拝読や、機関紙の電子版「ブラジル・セイキョウ+」を活用して、池田大作先生の指導を研さんすること。「3」は、電話やSNS等で、1日3人以上の友に励ましを送ることです。
 現在、「ブラジル・セイキョウ」などの機関紙誌は、外出規制などの状況下で、印刷・出版を一時中止せざるを得なくなりました。そこで電子版の「ブラジル・セイキョウ+」を全ての人々が閲覧できるように公開したのです。誰もが、いつでもどこでも池田先生の指導や信仰体験を読むことができるため、大きな反響を呼んでいます。現在の社会状況を踏まえたドクター部による健康維持のアドバイスや、経済専門家の意見をまとめた記事なども好評です。

機関紙電子版が力に
 ――機関紙や同志からの励ましが、苦境と戦う力になっているのですね。
 
 はい。「1・2・3運動」を進める中、逆境を跳ね返した体験が次々と生まれています。ある支部長は家族で衣類ゴムの工場を経営するとともに、15年間にわたって会社勤めをしてきました。しかし、感染拡大の影響で工場への注文は全てキャンセルとなり、会社も解雇になりました。
 家族が一丸となって祈る中、マスクの不足が問題となっていたことから、自身の工場でマスクの製造を開始しました。すると各地から注文が相次ぎ、今では新たに3人を雇用するまでに。地域や社会に貢献することもでき、感謝の思いを胸に、同志の励ましに尽くしています。
 また婦人部をはじめ多くのメンバーが、創価の生命尊厳の哲学を胸に、医師や看護師として医療現場で感染者の治療などに力を尽くしています。私たちは、こうした方々の健康と無事を毎日、真剣に祈っています。

フェースシールド1万個を寄贈
 ――医療現場では逼迫した状況が続いていると伺っています。
 
 とりわけ、医療従事者のための感染防護具の不足が問題となっています。こうした状況を踏まえ、私たちはブラジルSGIのドクター部のメンバーとも協議し、大都市の医療機関にフェースシールド1万個を寄贈することを決定。これまでにサンパウロの病院に5000個、リオデジャネイロの病院に2000個、首都ブラジリアの病院に1000個を届けたのをはじめ、マナウスなどの病院にも寄贈しました。
 サンパウロのある病院の主任看護師からは「こうした皆さんの真心が、私たちにとって最大の励みと勇気になります」との言葉をいただきました。
 多くの同志からも“SGIの対応に誇りを感じる”との声が寄せられています。
 明年で発表20周年を迎える池田先生の長編詩「世界の王者たれ! ブラジル」には、次のようにつづられています。「一番苦しんでいる人の/味方になって戦う/勇敢なる人間主義者であれ!/行動だ!/『今』という/現在に生ききることだ。/現在のこの瞬間にこそ/永遠が脈動しているからだ」と。
 この呼び掛けに応える時は、今であると思えてなりません。大変な時だからこそ、創価の人間主義の光で社会を照らしていきたいと決意しています。
  
 ――ブラジルでも、ビデオ会議システムなどによる集いを開催しているのでしょうか。

 ええ! 池田先生の会長就任60周年となった「5・3」記念の各地区でのオンライン会合は大変な盛り上がりを見せました。全土3000地区で開催され、9万人の同志と3000人の友人が参加したのです。
 もちろん、皆がオンラインに慣れている訳ではありません。接続がうまくできない、といったこともあります。それでも“一人一人を大切に”“全員で立ち上がる”との思いから、青年部が中心となって、操作に慣れない方々を支えるなど、少しでも多くの人が参加できるように工夫しています。
 また、電話による激励も行っています。
  
 ――すごいですね。婦人部の皆さんが、特に力を入れていることはありますか。

 私たちは外出制限が開始されてすぐに、感染の終息と世界の安穏の実現のために、「題目で勝つ」ことを決意しました。
 ブラジル婦人部の合言葉である「ムイト・マイス・ダイモク(もっと題目を)!」を今一重深く心に刻み、全土で祈りの渦を巻き起こしています。
 池田先生は「剣なんどは大火に入るれども暫くはとけず是きたへる故なり」(御書1169ページ)の御文を拝して、「信心が深まるのを待って、それから難に向かうのではありません。難に向かっていく中で生命が磨かれ、金剛の信心が鍛え上げられるのです」と教えてくださっています。
 将来、この危機を通して、より強い連帯と人間主義の社会を築くことができたと言えるよう、ブラジルSGIは皆が誓願の唱題に励み、自身の人間革命に挑んでいきます。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈2020 学会史メモリアル〉 6月   2020年5月25日

 ◎6・6「初代会長・牧口常三郎先生誕生日」
  
 1871年(明治4年)6月6日、初代会長の牧口常三郎先生が、現在の新潟県柏崎市荒浜に生まれた。
 1928年(昭和3年)に日蓮大聖人の仏法に帰依。
 30年(同5年)11月18日、『創価教育学体系』第1巻を発刊。この日が創価学会(当時は創価教育学会)の創立記念日となった。
 戦時下、軍部政府による弾圧に抗して信仰を貫き、44年(同19年)11月18日、獄中で73歳の生涯を閉じた。
 ※参考資料=小説『新・人間革命』第2巻「勇舞」、第15巻「開花」
  

新潟県柏崎市荒浜

新潟県柏崎市荒浜

 ◎6・7「高等部結成記念日」

  
 64年(昭和39年)6月7日、東京の各本部(当時)で高等部の結成式が行われた。東京第2本部での男子高等部結成式には池田大作先生が出席し、参加者と共に勤行を。
 先生が第3代会長に就任後、最初に結成した未来部が高等部である。
 ※参考資料=『新・人間革命』第9巻「鳳雛」
  
  
 ◎6・10「婦人部の日」
  
 51年(昭和26年)6月10日、第2代会長に就任したばかりの戸田城聖先生のもとに、婦人の代表52人が集い、出発した日が淵源。
 戸田先生は席上、「白ゆりの/香りも高き/集いかな/心の清き/友どちなれば」との和歌を詠み贈った。
 ※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」
  
  
 ◎6・11、12 戸田先生の最後の「水滸会」野外研修から65周年
  
 55年(昭和30年)6月11、12の両日、戸田先生にとって最後となった「水滸会」の第2回野外研修が、若き池田先生が中心となり、山梨県の河口湖畔と山中湖畔で行われた。本年で65周年。
 ※参考資料=『人間革命』第9巻「上げ潮」
  

河口湖畔から望む雄大な富士山


河口湖畔から望む雄大な富士山

 ◎6・25「団地部の日」

  
 78年(昭和53年)6月25日、団地部の第1回全国大会が開催。これを記念して、部の日に定められた。
 ※参考資料=『新・人間革命』第24巻「灯台」
  
  
 ◎6・27 「未来会」結成50周年
  
 70年(昭和45年)6月27日、現・神奈川研修道場に高等部・中等部・少年少女部の代表が集い、全国に先駆けて、東京未来会第1期が結成。池田先生は“いかなる試練にも負けない獅子に”と念願した。
 2003年(平成15年)の6月27日には、池田先生が「未来会/広布と創価を/展望し/山の如くに/人材育ちぬ」と詠み贈った。本年で結成50周年。
 ※参考資料=『新・人間革命』第14巻「大河」
  

 ◎6・30「学生部結成記念日」
  
 57年(昭和32年)6月30日、戸田先生のもと、東京で学生部結成大会が行われた。北海道で人権闘争の指揮を執っていた池田先生が祝電を寄せた。
 ※参考資料=『人間革命』第8巻「学徒」、第11巻「夕張」


◆ 〈池田先生の会長就任60周年 青年部が原田会長に聞くⅡ部〉第5回 人間讃歌の時代開く大文化運動㊥  相互理解と平和の懸け橋「民音」 音楽で世界の民衆の心結ぶ

 110カ国・地域の演奏家らと交流

アルゼンチン・タンゴの巨匠モーレス氏夫妻と和やかに語らう池田先生(1988年4月、旧・聖教新聞本社で)

 ◆西方 1963年(昭和38年)10月18日、池田先生は民主音楽協会(民音)を創立されました。以来、半世紀を超え、昨年もおよそ50人の駐日大使が民音文化センターに来館されるなど、文化・芸術交流の一大拠点となっています。
  
 ◇原田 小説『新・人間革命』第8巻「清流」の章に書かれている通り、先生が民音設立の構想を練られたのは、61年2月にインド、ビルマ(ミャンマー)、タイ、カンボジアへ平和旅に向かわれていた時です。
 特にビルマは、先生の長兄が戦死された地でもありました。先生は、人類が悲惨な戦争と決別し、平和を築き上げていくには、何が必要なのかを考え続けておられました。
 そして、民衆と民衆の相互理解を図ることが不可欠であると思索を深め、そのためにも、音楽などの芸術、文化の交流が大切になると結論されます。この時、先生は、学会が母体となって、音楽、芸術の交流などを目的とした団体をつくろうと決意されたのです。
 音楽で、世界の民衆の心と心を結び、平和社会の建設を――この遠大な目的を掲げ、民音は産声を上げたのです。
  
 ◆大串 50年先、100年先を遠望しての布石だったわけですね。民音はこれまで、110カ国・地域の団体や演奏家らと交流を結んできました。日中関係が困難な時であった、2014年(平成26年)10月には、舞劇「朱鷺」がプレビュー上演されました。
  
 ◇原田 これは、民音と中国の文化交流が40周年となることを記念して、中国人民対外友好協会、上海歌舞団などと民音が共同制作したものです。
 ご存じの通り、12年から、日中関係は厳冬ともいえるほど冷え込んでいたのですが、プレビュー公演は安倍首相も観覧し、直後の11月の日中首脳会談では、そのことが話題になり、雰囲気が和らいだと聞きました。
 私は、この話を聞くにつけても、文化のもつ偉大な力を感じます。
 民音は、国交正常化3年後の1975年以降、中国から40を超える文化団体を招へいし、2100回以上の公演を行っています。こうした「文化交流」は、日中友好において大きな役割を果たしてきたと、中国の方々が語っています。
 先生は74年の初訪中の折から、中国側の要人に対して、「文化の交流」を力強く訴えられました。そこには、「文化交流とは、まさに相互理解の懸け橋であり、平和の先駆けである」との一貫した信念がありました。
 実際、先生は、世界中に、その文化交流、民衆交流の道を切り開かれてきました。

先生が築かれた友情の絆の強さ
 ◆大串 民音は、これまで、ミラノ・スカラ座、ハンブルク・バレエ、モスクワ児童音楽劇場、シルクロード音楽の旅、南アフリカのドラケンスバーグ少年合唱団、ヨルダン国立芸術団をはじめ、世界中の著名な団体の公演を実現してきました。
  
 ◇原田 民音の文化交流の歴史には、池田先生が各国の芸術家と結ばれた強い友情と信頼の絆があってこそ築かれてきたものが多くあります。
 昨年、民音のタンゴ・シリーズが、50回の節目となる公演を行いました。アルゼンチン共和国の公共メディア・コンテンツ庁からは、民音創立者である池田先生に「芸術と平和の青の賞」が贈られています。同国の「芸術・文化の普及」と「世界に友情と平和を広げた功績」がたたえられたものです。
 アルゼンチンでは、40、50年代がタンゴの黄金時代でした。しかし70年代、偉大なマエストロ(巨匠)たちが亡くなったことで、国内での演奏の機会が減り、多くの楽団が解散の危機に陥ります。その70年に、民音の公演が始まったのです。多くの楽団が、日本に行くために再結成されました。アーティストたちは日本で演奏することが楽しみでした。それは今も変わりません。“アルゼンチン・タンゴの再興は、池田先生と民音によって成し遂げられた”と断言する専門家もいるのです。
  
 ◆林 『新・人間革命』第30巻〈下〉には、タンゴの巨匠といわれる方たちとの感動的な交流もつづられています。
  
 ◇原田 私が特に印象深いのは、84年に民音の招へいで初来日した巨匠マリアーノ・モーレス氏です。この日本公演では、最愛の息子であるニト・モーレス氏も、父と共にステージに立つ予定でした。しかし来日直前に、息子さんに悪性のがんが見つかり、急きょ取りやめになったのです。日本公演が始まって1カ月後、息子さんは30代の若さで帰らぬ人となりました。
 先生は88年にモーレス氏と出会いを結ばれました。氏を皆で歓迎したロビーには、氏と亡くなった息子さんが共演した名曲「さらば草原よ」が流されていました。モーレス氏は「そうです。この曲です!」と感動の面持ちで語られました。
 先生はモーレス氏ご夫妻を、全魂を込めて励まされました。「息子さんは今も、お父さん、お母さんのそばにおられますよ。ご家族を見守り、支えておられます。生命は永遠です。永遠の父子です。寂しいようであっても、生命の次元では決して寂しくないのです」
 さらに一枚の色紙をモーレス氏に贈られました。そこには、先生の言葉とともに、自らの筆で富士山を描かれ、一つの点が打たれていました。
 そばにいた私たちも、“どのような意味なのだろうか”と思っていたところ、先生はモーレス氏に力強く言われました。「これはご子息です」と。
 モーレス氏は深い眼差しで、色紙を見つめておられました。“厳然と見守る息子さんのために、いかなる風雪にも微動だにしない富士のごとき境涯に”との思いが込められていたのだと思います。立場や肩書を超え、目の前の一人を励まさずにおかない先生の真心に、皆が深く感動しました。
  
 ◆西方 現在、モーレス氏のお孫さんが歌手として活躍しており、当時を振り返り、「池田先生の真心と配慮を、祖父がどれほど喜んだことか。先生の励ましがなければ、祖父の人生は全く違うものになっていたでしょう」と語られています。
  
 ◇原田 93年2月には、先生が出席され、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで第11回「世界青年平和文化祭」が行われました。会場は、市内の由緒ある劇場の一つであるコリセオ劇場です。ここでは、地元メンバーの強い要請で、マリアーノ・モーレス氏と、もう一人の巨匠オスバルド・プグリエーセ氏が共演しました。
 プグリエーセ氏は文化祭の4年前の89年に民音公演のために来日されています。引退公演という位置付けでした。夫妻で来日された氏を、先生は真心から歓待されました。
 先生の飾らない人柄と平和への信念に、すっかり魅了されたプグリエーセ氏は後に、「トーキョー・ルミノーソ(輝く東京)」との題名が付けられた献呈曲を作り、先生に贈られます。氏の夫人は、“プグリエーセが特定の誰かのために曲を作って贈ったというのは、後にも先にも、先生お一人だけだった”と語っていました。
 この89年の引退公演を大成功で終え、“もう舞台に上がることはないだろう”といわれていた氏が4年後、87歳にして、再びスポットライトの中に姿を現したのです。
 どちらか一方が、舞台に立つだけでも大変な出来事なのに、二人が同じ舞台でコラボすることなど奇跡だと、参加者も大変に驚いていました。立場や感情などの一切をかなぐり捨て、ただ池田先生との友情のために――この思いで、お二人は文化祭に出演を果たしてくださったのです。

庶民が“下駄”で行ける場を作る
 ◆樺澤 先生は、「民音を設立した目的は、あくまでも、民衆の手に音楽を取り戻すことにある」ともつづられています。
  
 ◇原田 発足当初から、「庶民が“下駄履き”で行けるコンサートをつくろうよ!」と、先生は何度も言われました。その願いを実現させ、「民衆の喜びの讃歌」である音楽が、日本の津々浦々で花開いている時代を、先生は作られたのです。
 世界一流のバレエにしろ、オペラにしろ、まるで“高嶺の花”のような存在であったものを、先生が創立された民音の招へいによって、私たちは親しむことができました。それは、日本の文化交流においても、大変に意義のあるものであったと思います。
 たとえば、世界最高峰の大歌劇団ミラノ・スカラ座の日本公演は、16年という長い歳月にわたる交渉の末、81年9月に実現しました。ある専門家からは、「完璧な舞台です。よくぞ、これだけの舞台を招へいしてくださった」と感謝の声が寄せられました。“民衆が最高の芸術に触れる機会を提供したい!”との先生の巌のごとき信念が、不可能と思われていたスカラ座の日本公演を実現させたのです。
  
 ◆林 近年は、テレビの人気番組で、「民音音楽博物館」が相次いで紹介されています。また、世界聖教会館と民音の間にある信号機の地名板は「民音音楽博物館」となっています。
  
 ◇原田 博物館には、古典ピアノや民族楽器など各国の貴重な楽器をはじめ、著名な音楽家の楽譜等が収蔵されています。
 30万点に及ぶ音楽資料が所蔵され、“民間では国内最大級の規模”と評される「音楽ライブラリー」も併設されています。
 東京都の登録博物館に認可されており、世界でも数少ない音楽博物館の一つです。
 中学・高校の総合学習や修学旅行などでも見学に訪れ、全国の学校に親しまれています。学芸員実習の受け入れ先として、学生たちの支援も行い、福祉施設や地域の老人会の見学先としても多くの人が訪れています。
 東日本大震災では、「歌を絆に」をテーマに、被災3県の小中学校で東北希望コンサートを開催。一回一回が本当に感動的で、その数も昨年までで116校81回に及びます。
  
 ◆樺澤 人々に希望と勇気を送り、心の絆を結ぶ音楽の役割は、本当に偉大です。
  
 ◇原田 法華経寿量品に「諸天撃天鼓 常作衆妓楽」(諸天は天鼓を撃って 常に衆の妓楽を作し)とあります。天人(歓喜に満ちた人々)が、「天の鼓」を打って、常に、さまざまな音楽を奏でる姿――それは、幸福の時、うれしい時、心の底から音楽があふれてくることを示しているともいえます。先生は、この経文を通し、「民衆のにぎやかな歌声のあるところ、自由があり、躍動が
ある。音楽には強制はない。文化に暴力はない。すべて人間性の開花につながる」と言われています。
 音楽、芸術を通し、「平和・文化・世界の道」を開く民音の使命は、ますます大きいのです。


◆〈世界の体験プラザ〉 患者に寄り添う医療を実践する米国の医師
 アメリカSGI スーザン・ロビンズさん
 離婚、経済苦を乗り越えて

仏法に出合い、挑戦の心燃やす
 1980年代、私は大学を卒業し、社会人になりましたが、その後、職を失い、苦難に直面していました。人生の行方を案じる日々を過ごしていた時、日蓮仏法に出合ったのです。SGIの同志は、南無妙法蓮華経を唱え、人生の使命を見つけようと、力強く励ましてくれました。
 89年、私はメディカルスクール(医科大学院)への進学を決意。いくつかの大学院に出願したものの、経済的な余裕もなかったことから、不安は募るばかり。真剣な唱題を重ねる中、全てがうまくいき、米東部ペンシルベニア州フィラデルフィアの大学院に合格できたのです。喜びでいっぱいでしたが、これが長い“人間革命の旅”の始まりだったとは、当時は夢にも思いませんでした。
 大学院の説明会で、私はある男性に出会いました。後に夫となる人でした。大学院に在学中、私たちは結婚。2人の子どもを授かりました。学業と子育てを両立することに苦労の連続でしたが、93年、2人そろって大学院を修了。研修医生活がスタートしましたが、この頃から私たち夫婦の関係は次第に悪化していきました。
 夫は、乱暴で支配的になっていきました。また、彼の仕事の関係で、私たちは転居を繰り返しました。その都度、私は友人や知人からのサポートを失い、SGIの組織からも疎遠になっていきました。
 とりわけつらかったのは、夫が私の信仰活動を侮辱し始めたことです。周囲に誰も頼れる人がおらず、何度も心が折れそうになりましたが、唱題を実践し続けました。
 2002年、私たち家族は東部バージニア州の過疎地に引っ越しました。近隣には友人も知人もおらず、頼るべきところもなく、私は孤独と絶望にさいなまれましたが、真剣な祈りを重ね、SGIの活動に今まで以上に参加していこうと決意したのです。
 それまで心の弱さに打ち勝つことができず、自身の置かれた厳しい状況に立ち向かうことができませんでした。しかし、家庭崩壊の中で子どもたちを育てたくありませんでした。私は自身の人生を尊重するべきだと思うようになり、04年、勇気を振り絞り、離婚を決めたのです。

新たな職場で再出発を切る
 仕事面でも、私は苦境に直面していました。感情が安定しなかったため、患者のケアに集中することができず、満足に働けなかったのです。
 母として4人の子を育てなければなりませんでしたが、経済的な困難が続きました。子どもたちを学校に車で送迎するのに、ガソリン代すら払う余裕がない状況でした。自宅さえも失いかねない中、私は再び職を得ようと決意。毎朝、必死の祈りを重ね、職探しに奔走しました。
 数カ月間、不採用の結果が続き、幾度もくじけそうになりましたが、そのたびに信心根本の姿勢を貫き、自己を奮い立たせました。そして05年、米南東部サウスカロライナ州の医療サービスが不十分な地域で、内科医として働くことになったのです。
 新たな仕事を得て、私たちの暮らしは安定に向かいました。それだけでなく、多くの患者に関わる中で“良医の要件とは何か”について考える機会となったのです。
 SGIのメンバーとは積極的に連絡を取るようにしました。地域のリーダーは車で1時間以上かけて、わが家を訪問し、私の話を聞いてくれたり、座談会に誘ってくれたりと、温かく包み込んでくれました。
 医師としてキャリアを積み、ようやく仕事が充実していったものの、その後、12年にわたり、私は職場で不遇をかこつことに。より責任のある役職への昇進は見送られ続け、しかもその理由を告げられることはなかったのです。私には、どうすることもできませんでした。

自己を信じ、使命の人生ひらく
 2017年、私は仕事面で大きな転機を迎えます。地域の医療センターから、新たな仕事を依頼されたのです。それは、個人や家庭、地域の健康問題全般に継続して関わる家庭医療について、研修医に教育する指導医でした。
 私は内科医として、患者に寄り添う医師となるには、どうすればいいかと、追求し続けてきました。新しい仕事は「それまで学んだことを若い医師たちに伝えるチャンスになる」「医療サービスの乏しい地域で、医療に従事しようという動機を与えられる」と思い、職場を移ることに決めたのです。
 しかし、程なくして心の不調に再び直面。研修医に対し、正しい評価や意見を与えることが難しくなっていきました。上司から「研修医を指導する際、あなたは自信がないように見える」と言われ、ショックを受けました。
 唱題を重ねる中、不安が押し寄せる要因が、はっきり分かりました。私が直面した全ての苦難は「自信と勇気が欠けていることに関係している」と。私は若い頃からハキハキ話すことが苦手でした。大学院の頃、結婚生活、離婚を巡る過程、そして子育て……いずれにおいても、私は人生と自身を信じることができなかったのです。
 自信にあふれる、強い医師になろうと、ますます真剣な祈りに挑戦。心のバランスを失うと、いつも手のひらに汗をかき、胸がドキドキしていましたが、何でもはっきり言い切る自分へと変わっていったのです。
 職務においても、次第に研修医を評価する力量を高め、彼らと心を通わせ合い、適切なアドバイスを送ることができるようになりました。
 その後、医療センターの医長に昇進。現在、将来のために、患者に寄り添う医師を育成しようと全力を尽くしています。
 何につけ、前向きになれなかった弱さを変革することができたのは、全て仏法の実践のおかげであり、感謝の思いは尽きません。
 「本当の幸福感と人生の深い充足は、内面の変革にのみ見いだすことができる」と確信しています。
 他者とつながり、目の前の人を大切にする――わが人生の使命を果たしゆくために、これからも境涯革命に挑戦しゆく決意です。

 

2020年5月24日 (日)

2020年5月24日(日)の聖教

2020年5月24日(日)の聖教

◆わが友に贈る

 御書を心肝に染め
 弛まぬ自己研鑽を!
 苦難の中での学びこそ
 鋼の自身を築く
 勇気と智慧の源となる。


◆名字の言 NBAで活躍する渡邊雄太選手の信条 2020年5月24日

 「現時点でできることに集中する」――米プロバスケットボールNBAで2人目の日本人プレーヤーとなった、渡邊雄太選手の信条だ▼膝の“成長痛”に悩まされた中学時代のこと。思うように練習できない自分に比べ、他の選手はどんどん上達していく。そこで、膝に負担を掛けない練習方法を考え抜いた。その一つが、高くジャンプせず、素早く正確なシュートを打つ練習。父に買ってもらった練習用のリングを使い、ひたすらシュートを打ち続けた▼今、バスケットボールの本場アメリカで、自分よりはるかに背の高い選手と渡り合えるのは、この中学時代のシュート練習があったから、と渡邊選手。「現時点でできることに集中して取り組んでいれば、それは必ず将来生きてくる」と断言する(『「好き」を力にする』KADOKAWA)▼夏の甲子園やインターハイ、各種コンクールなど、小・中学生、高校生の多くの大会が中止や延期となっている。練習の成果を発揮できない悔しさはあろうが、積み重ねた努力は決して消えない。一つ一つが人生の糧となる▼池田先生は未来部の友に語った。「苦しんだ分だけ、将来、必ず大きな花が咲く」。奮闘する“未来の主役”たちに、真心のエールを送るのは大人の責任である。(巍)


◆寸鉄

創価の青年こそ世界に大
きな貢献をなすと確信―
博士。今いる場所で輝け
     ◇
「愛知広布原点の日」35周
年。堅塁の柱は意気軒高。
さあ励ましの声を地域へ
     ◇
「苦をば苦とさとり楽を
ば楽とひらき」御書。何が
あろうと題目。幸の直道
     ◇
手を洗わないとダメより
洗えば大丈夫―感染対策
も言葉一つ。不安煽らず
     ◇
ごみ収集車の出火事故が
相次ぐ。スプレー缶等が
原因と。皆で分別を順守


◆社説 未来部の「レインボーチャレンジ」 一人ひとりにあたたかな励ましを

 「師子王御書を学んでお題目をがんばろうと思いました」。小学生向けの「少年少女きぼう新聞」には、こうした決意の便りが、好評の「ぬり絵」の応募作品とともに多数寄せられている。同紙では「ぶいんかい@ホーム」「広布史たんけんたい」など、家族座談会で楽しく活用できるページが盛りだくさんだ。
 中高生向けの「未来ジャーナル」6月号では「コロナに負けない! ミンナのコトバ」と題した中高生へのウェブアンケートの回答を掲載。「苦手な教科を、時間を気にせず勉強する」といった学習の様子や、「部活の大会がどうなるのか不安」などの声も含めて、中高生の今の気持ちが紙面で共有されている。
 現在、未来部では、自宅で過ごす時間の多い子どもたちが挑戦する「レインボーチャレンジ」(来月30日まで)を推進。「勤行・唱題」や「早寝早起き」「勉学・読書」など、七つの項目で成長への節を刻む。その取り組みを、両機関紙も紙面でサポートしている。
 愛知のある少女部員(6年)は、朝が苦手な自分を変えたいと、新学期から、地域の「通学班」の班長に立候補した。休校によって生活リズムが乱れがちな時期だが、彼女は家族と共に勤行に挑戦して就寝時間を守り、早起きの習慣を身に付けることができた。今は、妹や弟と一緒に勉強しながら、学校再開の日を楽しみに待っているという。
 教育現場においては、緊急事態宣言が解除された地域でも、学校の再開状況は一様ではない。分散登校や短縮授業など、休校期間の長かった子どもたちが徐々に学校生活に慣れていけるよう対策が取られている。学校行事の中止や学習の遅れ、受験への影響など、子どもたちは、さまざまな不安を抱えているだろう。
 ゆえに、家庭での励ましとともに、未来部担当者も、電話や手紙、メール、SNSを通して、子どもたちに真心の声を掛けていきたい。
 さらに地域の同志は、子育てに奮闘する保護者に寄り添い、温かな励ましを送りたい。コロナ禍という非常時に、子育てのイライラやストレスは並大抵ではない。その声にじっくり耳を傾け、心から励ましていくことが大切だろう。
 池田先生は、かつて未来部の友にこう呼び掛けた。「君たちこそ、一家にあっても、地域社会にあっても、世界にあっても、希望と輝く太陽である。どんな深い暗闇に覆われても、君たちの笑顔があれば、一切は明るく変わる」と。
 未来部員の成長こそが、これからの世界の「希望」であり「太陽」だ。今こそ、創価家族が一丸となって、宝の未来っ子たちを心から守り、育んでいこう。一人一人に温かな励ましを


◆きょうの発心 御義口伝 東京・新宿総区副婦人部長 押金みち代2020年5月24日

御文 始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり(御義口伝、788ページ・編1634ページ)
通解 初めて自分の心が本来の仏であると知ることを、すなわち大歓喜と名づける。いわゆる南無妙法蓮華経は、歓喜の中の大歓喜である。

師匠と歩む道が「大歓喜」と確信
 自身の中に仏の生命があると知り、唱題することこそ、最高の歓喜である、との仰せです。
 1971年(昭和46年)、小学5年の時に、創価大学で池田先生と記念撮影をする機会がありました。先生の、私たちに未来を託そうとされる渾身の激励に感動したことが師弟の原点です。
 学生部時代には、先輩と共に連日、仏法対話に挑戦。唱題を重ね、戦い切った時、“偉大な師匠に巡り合い、人間革命の道を歩めることが「大歓喜」なのだ”と確信。先生の広布の闘争を目の当たりにし、師と共に広宣流布一筋に生きられる功徳を実感。報恩の人生を誓いました。
 その後、婦人部となり、さまざまな課題や困難にぶつかる時もありましたが、唱題を根本に、同志の皆さまにも支えられ、乗り越えてくることができました。
 2人の娘たちも、新宿の地で広布後継の道を歩んでいることが、何よりの喜びです。“世界広布の本陣”との使命を果たすべく、強き祈りで前進してまいります。


【先生のメッセージ】

◆心の結び付きが地域を潤す 池田大作先生の「四季の励まし」2020年5月24日

 緑に包まれた小道が、真っすぐに延びている――。1973年(昭和48年)5月、池田大作先生がフランス中西部のロワール地方で撮影した。
 詩人の高村光太郎は「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」(『高村光太郎詩集』岩波文庫)と。友情の道もまた、自分から声を掛け、真心の言葉を届けることから広がっていく。
 池田先生は国家や民族、イデオロギーの違いを超え、各国の指導者や民衆と友情を結び、世界平和への大道を切り開いてきた。私たちも師の行動に続き、悩める友に寄り添い、励ましの光を送っていきたい。あの友、この友の幸福を祈りつつ――。
 
 人間が
 人間らしくあること、
 本当の意味での
 充足感、幸福感は、
 “結び付き”を通してしか
 得られない。
  
 一度結んだ友情は
 絶対に裏切らない。
 その人が
 大変になればなるほど
 守り抜いていく。
 これが私の生き方である。
 真の人間として、
 人格と人格で結ばれていく――
 その友情は
 人生の宝である。
  
 友人の影響は、
 ある時には、
 親よりもだれよりも強い。
 いい友達、
 向上しようとしている人と
 付き合えば、自分も向上する。
 「いい友人をつくる」には、
 「自分がいい友人になる」
 以外にない。
  
 大切なことは、
 相手に同情する――あわれむ――
 ということではなく、
 「わかってあげる」
 ということである。
 「理解」することだ。
 人間は、
 自分のことを
 「わかってくれる人がいる」、
 それだけで生きる力が
 湧いてくるものだ。
  
 自分さえよければという
 エゴが渦巻けば、
 地域も社会も壊れてしまう。
 この“分断の魔力”を
 はね返して、
 人と人の麗しい
 励まし合いの世界を
 蘇生させてきたのが、
 わが創価の同志だ。
  
 大山も
 一つの塵から成る。
 大海も
 一滴の露から始まる。
 一人から始まる。
 一人を大切にすることが、
 社会を変え、
 やがて世界を変えていく。
 そして世代を超え、
 永遠の平和を実現する道が、
 広宣流布である。


【教学】

◆各国でのSGI教学研修会から  中南米御書講義(昨年8月)
 「秋元殿御返事」から「師弟不二」の心を学ぶ

 世界各国で行われてきたSGI教学研修会。今回は、昨年8月にペルーとブラジルで行われた中南米教学研修会の講義を紹介する。合わせて10カ国の求道の友が、原田SGI副教学部長の担当で「秋元殿御返事」を研さんした。

 稀有の師匠を持つ人生が、どれほど偉大なことか。そして師匠と共に歩むことが、いかに素晴らしい人生であるか――。今回は「師弟不二」「師弟共戦」という仏法の根幹中の根幹のテーマについて、「秋元殿御返事」から学んでまいりたいと思います。

題目を唱えて福徳の人生を
 本抄は、日蓮大聖人が下総国印旛郡(現在の千葉・白井市)の秋元太郎兵衛尉に送られたお手紙です。
 
 冒頭では、秋元殿が大聖人に宛てた書状の中に「正しい師匠」と「正しい法」に巡りあえた喜びがつづられていたことが触れられており、その上で、秋元殿から五節供(正月をはじめとする一年のうちの五つの節目のこと。健康長寿を願い、特定の日を祝って食物を供えた)の意義に関する質問があったことに答えて、全てが妙法蓮華経の五字に由来していると教えられています。
 それを踏まえ、次の一節を学んでまいりましょう。
  
 <「秋元殿御返事」の一節>
 このように心得て南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。現世は安穏であり、後生は善処に生まれることは疑いないことである。法華経の行者を一切の諸天が不退に守護することは経文に明らかである。法華経の第五の巻に「諸天は昼夜に常に法のためのゆえに法華経の行者を衛護する」と説かれている。また「天の諸々の童子が給仕をし、刀杖も加えることができず、毒をもってしても害することはできない」と説かれている。(御書1070ページ7行目~10行目、現代語訳)
  
 ここで大聖人は、法華経安楽行品の二つの文を引用しています。
 一つ目の文では、法華経の会座に集まった梵天・帝釈をはじめとする諸天善神が、昼夜にわたって法華経の行者を守護すると誓ったことを示しています。これは大聖人の御在世当時、大難と戦う大聖人御自身が、また苦境に挑む門下たちが、厳然たる実証として示された事実です。
 二つ目は、法華経の行者に対して、いかに苦しめ、迫害を加えたとしても、必ず諸天が守るという文証です。いついかなる時でも、南無妙法蓮華経の題目を唱えるならば、その人を諸天善神が守護し、「現世安穏・後生善処」という福徳に満ちた人生を必ず生き抜いていけるということです。

ブラジルでの中南米教学研修会。講義は全国470会場に中継された(昨年8月、クリチバ文化会館で)
ブラジルでの中南米教学研修会。講義は全国470会場に中継された(昨年8月、クリチバ文化会館で)


三世にわたる師と弟子の縁

 続いて、重要な御文を拝読しましょう。これは「大聖人の法門を聞いて、弟子になることを決意した」と述べる秋元殿に対し、大聖人が仏法の師弟の絆は永遠であることを教えられたものです。
  
 <「秋元殿御返事」の一節>
 次に、法華経は末法の始めの五百年に弘まることになっていると聴聞して御弟子となったとおっしゃっていることについていえば、師となり檀那となることは、三世にわたる約束である。(法華経に説かれる)種熟脱の三益の法理も別の人に求めてはならない。(法華経化城喩品の)「いたるところの諸仏の土に常に師とともに生まれる」、また(法華経法師品の)「もし法の師に親しむなら、速やかに菩薩の道を得ることができる。この師に随順して学ぶなら、ガンジス川の砂の数ほどの仏にお会いすることができる」との金言が違うはずはない。(同1070ページ14行目~1071ページ1行目、現代語訳)
 今世で初めて弟子となったのではなく、三世にわたる約束である――そう聞いた門下の感動と歓喜は、いかばかりだったでしょう。
 ここで、大聖人は仏法の深い縁について「種熟脱の三益」を通して教えられています。釈尊は、弟子の声聞たちのために今世だけでなく、果てしない過去から説いてきた「因縁」を伝えます。すなわち、弟子たちは、遠い過去に成仏の教えを下種(種)され、長期間にわたってさまざまに導かれ、成熟させられ(熟)、法華経に至って仏と等しい覚りに到達し、苦悩から根源的に脱出できる(脱)ということです。これは法華経のみで明かされる成仏のための肝要です。
 そして「種熟脱の三益の法理も別の人に求めてはならない」と仰せです。仏種である法華経を説いて下種してくれた、自分にとって最も縁深い師匠を離れて成仏は成り立たないと、師弟の深い縁について示されているのだと思います。
 続いて師弟の三世の絆についての文証として、「在在諸仏土常与師生」という化城喩品と、“正しい法を説く師に親近するなら、正しい菩薩道に入ることができ、その師に随順して学ぶなら、多くの仏に会って学ぶことができ、成仏への軌道を進み続けることができる”との意味の法師品の経文を引かれています。
 その上で、池田先生は、この御文に脈打つ師弟の精神について、次のように指導されています。
  
 <池田先生の指導から>
 仏教は「師弟の宗教」です。師弟がなければ、民衆を幸福にする広宣流布の実践は成り立ちません。師匠は、民衆のために戦う仏の境涯を、なんとしても弟子に伝えたい。弟子は、その師匠の生き方を、わが生き方として貫き通すなかで、不二の境涯を自身の人生に厳然と確立していく。師と一体となって戦う民衆が出現することが、人間の境涯を高め、人類の宿命を転換する大道となるのです。(「大白蓮華」2015年8月号所収「世界を照らす太陽の仏法」)
 師弟が共に戦うことが、「師弟共戦」であり、「師弟不二」の本義です。池田先生は、いかなる時も、どの国の人々であっても、仏の境涯への道を教え、成長させたいと激励を送られています。私たちが、どこまでも師匠の生き方に学び、師匠と同じ行動に徹していくことこそ、「師弟共戦」「師弟不二」なのです。

偉大な使命の道を共に前進
 また池田先生は、「在在諸仏土 常与師?生」という経文について、とても大事なご指導をしてくださっています。
  
 <池田先生の指導から>
 師匠とは、有縁の弟子を三世にわたって化導していくのです。弟子は師匠を求め抜き、師匠は弟子を守り導く。仏法の師弟とは、最高に麗しき「人間の絆」といえるでしょう。これは、弟子の側から見れば、単に「師匠と共にいた」という次元の話ではありません。師と共に菩薩行をしてきたという「共戦」の目覚めです。“師匠によって救われる存在”から“師匠と同じ側に立って民衆を救う存在”へと、自身の本源の生き方を確立していく。それは、菩薩の誓願に徹することにほかならないのです。(同)
 過去世から師匠との縁があり、末法という悪世において妙法を弘めることを誓うという、あえて苦労を買って出て生まれてきたのが私たちです。誓願の人生とは、今世はもとより、未来世にわたって続くということなのだと思います。
 その上で先生は、ただ単に「師と共に存在する」だけではなくて、「師と共に菩薩行をする」という、偉大なる使命を教えてくださっています。これは日蓮仏法の師弟の魂が、初代会長・牧口常三郎先生から、第2代会長・戸田城聖先生へ、そして池田先生へと脈々と受け継がれてきた師弟のドラマが教えています。
 師弟とは、弟子の自覚で決まります。師弟は物理的距離ではありません。これは中南米の皆さまこそが身をもって実感されていることではないでしょうか。直接、お会いしたことがなかったとしても、弟子が自覚し使命の道を歩めば、立派な師弟関係で、師弟不二にほかならないのです。
 どこまでも永遠の師匠・池田先生と共に、自身の人間革命に、立正安国に、世界広宣流布に、威風も堂々と前進していこうではありませんか。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈未来に輝く知性の宝冠〉 中国 北京大学2020年5月24日
 友好の「金の橋」は永遠
 揺るがぬ「人間」へのまなざし 民衆の大地に平和は開かれる

中国教育界をリードする北京大学から「名誉教授」称号が池田先生に。丁石孫学長㊥は「今日から池田先生は北京大学の一員です。今後、機会あるごとに北京大学へお戻りください」と。この言葉の通りに先生は、同大学を7回訪問した(1984年6月、同大学で)

中国教育界をリードする北京大学から「名誉教授」称号が池田先生に。丁石孫学長㊥は「今日から池田先生は北京大学の一員です。今後、機会あるごとに北京大学へお戻りください」と。この言葉の通りに先生は、同大学を7回訪問した(1984年6月、同大学で)

 中国の知の伝統をリードする北京大学の誕生は、清朝末期の1898年にさかのぼる。
 当時の名称は「京師大学堂」。近代化を目指す、同国の改革措置の一環として創立された。現在の「北京大学」に改名されたのは、中華民国成立後の1912年5月である。
 19世紀末は、国家の激動期であった。清仏戦争、日清戦争の相次ぐ敗北などで打ちひしがれた中国。自国の富強のためには、軍事力の強化よりも「民智」の向上が不可欠であるとの認識が広まっていった。
 同大学が創立され、中国の近代教育の最高峰としてその草創が築かれたのは、まさにこの頃であった。
 民衆に智慧を与え、民衆が社会変革へと立ち上がる起点となった北京大学。
 創立記念日は5月4日。1919年の「五・四運動」にちなんで定められたものである。民衆革命の発火点といえる同運動の中心となったのが、北京大学の学生たちであった。
 北京大学から、池田先生に対する「名誉教授」称号が贈られたのは84年6月5日。同大学の図書館で授与式が挙行され、丁石孫学長(当時)から先生に名誉教授の証書が授与された。
 同大学からの名誉教授称号が、日本人に贈られたのは初めてであった。
 参加した同大学の王学珍元校務委員会主任は、授与の理由をこう語っている。
 “池田先生は、最も早い時期に中日国交正常化を提言され、中日友好を成し遂げた一人です。だからこそ私たちは、名誉教授称号を授与すべきであると考えたのです”
                        ◇ 
 歴史を画する先生の「日中国交正常化提言」は、1968年9月8日の学生部総会で発表された。
 東西冷戦下、日本でも中国敵視の感情が高まる中、“日本と中国の友好が、世界平和の実現に不可欠である”との、命懸けの師子吼であった。
 日中友好の「金の橋」は、先師・牧口先生、恩師・戸田先生から受け継いだ悲願であった。その実現のために先生は、国交正常化の2年後の74年5月、中国への第一歩を刻んだ。
 この訪問で北京大学にも足を運び、図書5000冊の目録を贈ったほか、学生との交流のひとときを持った。
 同年12月には、同大学からの招へいで再び中国へ。周恩来総理との一期一会の会見に臨み、日中友好への努力を強く約し合った。
 先生の中国訪問は、これまで10度。そのまなざしの先には常に、「人間」がいた。訪れるたび、国家のリーダーとも、民間人とも、誠心誠意、語らった。民衆と民衆の心を結ぶことが、国家の友好の礎であるとの信条からであった。
 そんな信条の一つの表れが、北京大学との友情にほかならなかった。
 初訪中以降、先生は同大学を7度訪れた。「私が往来する、友好の『金の橋』は、いつも北京大学と結ばれていた」と先生はつづっている。
 80年4月の第5次訪中では、北京大学で「新たな民衆像を求めて――中国に関する私の一考察」と題して講演。この折、先生の日中友好への尽力をたたえて、名誉教授称号を授与することが伝えられた。その授与式が挙行されたのが、続く84年6月の訪中であった。
 名誉教授称号の授与に続き、先生は、「平和への王道――私の一考察」と題して、北京大学で2度目の講演を行っている。
 先生は、中国三千年の歴史を動かしてきた力は、文化や文明を尊ぶ“尚文”の気風であり、そうした歴史と伝統が、武力を抑制してきたと洞察した。
 さらに、中国の人々の視点や考え方の原点には人間が据えられていると述べ、禍福の織り成す大河のごとき歴史において、「人間という座標軸」が揺らいだことはなかったと強調。近代の争いはこの“人間”という機軸が欠落した帰結であり、信頼と愛と友情を築く心の触発こそ、平和への王道であると訴えた。
 「この重要な講演は、北京大学の歴史に書きとどめられることでしょう」。そう語った丁学長をはじめ、講演は、参加者の大喝采をもって迎えられた。
 そして人間という視座に立った講演は、北京大学に脈打つ民衆奉仕の精神と響き合うものだった。
 同大学で6年間、教壇に立った革命作家の魯迅。代表作の『阿Q正伝』『狂人日記』等で、民衆の魂の変革なくして、中国の前途はないと鋭く喝破した。先生の講演時にも設置された、「北大」と記された同大学の校章は、魯迅がデザインしたものである。
 また北京大学には、周総理が6度訪れ、講演した歴史もある。人民奉仕の総理が常々語っていた、“生ある限り、学び続けよう”との向学の精神は、今もキャンパスに息づく。
 90年5月、同大学での3度目の講演に立った先生。大学のモットーの一つである「創新(新しきものの創造)」に触れ、語った。
 “「創価」の理想とも相通ずる、この「創新」の光輝く貴大学の未来を心に描きながら、私もさらに力を尽くしてまいります”と。
                           ◇ 
 7度の訪問と、3度の講演。北京大学は、「友情は、貫いてこそ“真の友情”」と語る先生の、平和行動の舞台そのものだった。
 先生の姿を目の当たりにした多くの人たちが、先生をたたえ、その行動に連なっていった。
 北京大学の名誉教授称号は、中国の大学・学術機関から先生に贈られた140を超える名誉学術称号の、第1号となった。
 北京大学が最初に交流協定を結んだ日本の大学は、創価大学である。本年で交流開始から40周年となる両大学の間では、これまで100人を超える交換留学生や教員が往来。創大と中国の大学との学術交流は、66大学に広がる。
 2001年に発足した、北京大学日本研究センターの「池田大作研究会」は、中国で最初の池田思想研究の拠点に。02年には、同大学副学長を歴任した季羨林博士、中国社会科学院の蒋忠新博士と池田先生のてい談集『東洋の智慧を語る』が発刊された。
 さらに06年には、北京大学に隣接する地に創大の北京事務所がオープン。王学珍元校務委員会主任が名誉所長に就任した。
 北京大学を起点に結ばれた平和と友好の「金の橋」を、崩してはならない。
 かつてない危機の時代の今こそ、「創新」の哲学、「民衆」という大地に根差した行動が求められている。

近代中国初の総合大学 魯迅、デューイらが教壇に
 1898年に「京師大学堂」として創立された、近代中国初の総合大学。1912年に、現在の「北京大学」に改称された。清華大学と共に中国の重点大学のトップに位置する同国随一の学府。革命作家の魯迅やアメリカの教育哲学者デューイらも教壇に立った。
 メインキャンパスは首都・北京にあり、約5万人の学生が在籍。また、アメリカ、イギリス、オーストラリアなど各国の大学と交流協定を締結し、約7000人の留学生を受け入れるなど、国際交流も盛ん。
 卒業生には李克強首相をはじめ、経済界、政界、法曹界など、各界のリーダーがいる。

王学珍 元校務委員会主任
 池田先生は、第1次から第7次訪中まで、中国を訪問するたびに、毎回、わが北京大学のキャンパスを訪れるなど、特別な関心を寄せてくださいました。
 1984年、先生の6度目の北京大学訪問の際、私は、ちょうど校務委員会の主任になったばかりで、大学を代表して先生と会見しました。
 池田先生は当時、中国では既に大変に有名な人物で、多くの指導者が先生にお会いしたいと願っていました。特に、私たちが敬愛する周恩来総理が、病を押して会われたほどの人物です。ですから私は、先生を歓迎できたことをとてもうれしく思いました。(中略)
 私たちにとっては、名誉教授を受けてくださったことこそ、大変な栄誉でした。わが国のトップの学府である北京大学が、日本人として初の名誉教授の称号を授与したのが、池田先生なのです。そして、北京大学が初めて交流協定を結んだ日本の大学が、先生の創立された創価大学です。ここに中国教育界、学術界の池田先生への尊敬の念を知っていただきたい。
 今、長期的な歴史の大河から考え、そして未来に目を向けていかなければなりません。つまり、後継の人材の育成によって、はじめて両国は、いわゆる世代から世代へと友好を継続していけるのです。また、学術的にも、各分野の相互交流の促進ができるのです。
 そのためにも私たちは、今こそ池田先生の実践に、学んでいかなければならないと思います。(本紙2012年9月29日付)


◆〈信仰体験〉母ありて  田植えの季節 よっこいしょ  2020年5月24日
  
 田んぼに張った水の鏡に、桜の花びらと青空が浮かぶ。5月も半ばを過ぎた頃、日本最北の稲作地帯で、田植えが始まった。金山章子さん(71)=県婦人部主事=は、ハウスで育てたもち米の苗を大地に移す。
  
 宮城県の米農家に生まれた。両親が炎天下で汗する姿を、あぜ道から見て育った。
 牛馬で土を耕す当時のこと、腰をかがめて一つ一つ苗を手で植えていた。
 日暮れになると母は、かすりのはんてんで、かまどから離れず火の加減を見た。真っ白なご飯が炊けていた。
 板の間にゴザを敷き、家族8人が肩を寄せ合うように座って食卓を囲む。豆腐のみそ汁と漬物、自家製の納豆が並んだ。
 金山さんきょうだい5人は、茶わんで顔が隠れるようにご飯をかき込んだ。「おかわり」の大きな声が飛び交うと、母は愛情を込めておひつから盛ってくれた。
 北海道の米農家に嫁いだのは24歳。夫婦で営農に体を張った。
 収穫が伸びない粘土地で、もち米作りを始めた。金色の稲穂がたわわに実る景色は、豊かな題目の象徴だった。
 田んぼを広げて、さあこれからという1987年(昭和62年)、夫が病で急逝する。金山さんは中学1年の長女と小学2年の長男の震える肩を抱き寄せた。
 己が肩には暮らしがのしかかる。男親がいれば、と何度思ったことだろう。それでも「一生懸命に生きることには変わりがない」と下を向くことはなかった。
 田んぼに立つたび、繰り返した。
「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」(御書1253ページ)
 春を迎えた喜びにひたるのではなく、戦い続けるからこそ次の春が来る。そう捉えて、農機具メーカーから教えを請うた。魚かすを肥料に組み込む工夫で、土と向き合った。
 人生の岐路にも節目にも、金山さんは小説『人間革命』をそばに置いた。頑張った人には幸せが必ず来るんだよ。山本伸一からそう言われた気がして踏ん張れた。
  
 秋には毎年、無言の励ましが届いた。段ボール箱には20キロほどの白米が入っていた。送り元の懐かしい文字に、両親の笑顔が浮かんだ。
 立ち込める湯気と香り。弾力のある一粒一粒が輝き、かめばかむほど、うまみが広がる。昔からのおいしい味だった。
 故郷からの米を大事に使った。やがて米袋の底が見えた。金山さんはこんなことを思った。
 「題目は米袋の米のよう」
 米が一粒無くなっても気付かない。だが毎日続くと、目減りは明らかになる。「題目のおかげで、今まで全部守られてきたと思いました」
 金山さんは米一粒の努力を怠らず、年月を重ねた。収穫したもち米は高品質で、食味も豊かなものになっていた。
 米は命をつなぐもの。幼い頃、「米一粒には農家の1年が詰まってるんだよ」と母に教わった。
 米作りで節くれだった母の手。冬にはあかぎれができた。
 母は布団に入る前、小さな明かりでワセリンを塗った。金山さんがのぞき込むと、優しい顔で幼い手を取り、塗ってくれた。
 母が大切にしてくれたその手で、金山さんは人生を切り開き、この春もみずみずしい苗を育てた。

 

2020年5月23日 (土)

2020年5月23日(土)の聖教

2020年5月23日(土)の聖教

◆わが友に贈る

 「わざはひも転じて
 幸となるべし」御聖訓。
 変毒為薬の信心だ。
 労苦は全て幸福の糧に。
 確信の言葉を友へ!
 御書P1124


◆名字の言 難病の妻は“励ましの女神”  2020年5月23日

 外出自粛の生活で、植物をじっくり観賞する時間がもてた。一つの花を見続け、改めて感じたことがある。枝につぼみができ、花が開き、それが散ると緑の葉が輝く。花というのは咲いている時だけが美しいわけではない、と▼ある壮年から体験を伺った。長年連れ添った妻が4年前、進行性の難病を患った。全身の筋力が弱まり、動くことも、話すこともできなくなった。ベッドの上で身動き一つできない姿を見ると、ふびんに思えてならなかった。だが懸命に祈り、介護に寄り添う中で、その考え方は違うことに気付く▼妻は、耳元で題目を唱えると、まばたきで喜びを表現した。子どもたちのこと、池田先生のことを話すと、こぼれる涙で感動を伝えてくれた。言葉は交わせなくても、心は通っていた。「妻はふびんな存在なんかじゃない。私を元気づけてくれる“励ましの女神”なんです」▼病気や障がい、人生の困難のただ中にある人は、守られ、支えられるだけの存在などではない。生き抜く姿そのもので、人を励まし、勇気づける尊い存在だ▼「一日の命は宇宙の全ての財宝よりも優れている」(御書986ページ、通解)。それを頭ではなく、心の底から実感させてくれる友が、広布の庭にはたくさんいる。かけがえのない宝の皆さまである。(誠)


◆寸鉄

崇高な目的に生きる事で
大きな力を得る―恩師。
立正安国へ不屈の魂で!
     ◇
逆境を共にする人々の心
は自然と通い合う―文豪
今こそ希望の連帯を拡大
     ◇
緊急事態宣言、関西は解
除。首都圏・北海道は継続
と。感染防止怠らず前へ
     ◇
外出自粛中の高齢者狙う
詐欺電話が急増。皆で警
戒と励ましの声掛け更に
     ◇
寒暖差激しく体調管理に
留意。睡眠・食事・運動等
賢く工夫し免疫力を向上


【教学】

◆〈明日を照らす〉 テーマ:価値ある生き方  2020年5月23日

 今回の「明日を照らす」は、「価値ある生き方」をテーマに学びます。創価学会の根本目的は、人類の幸福と世界平和の実現という究極の“価値を創造”しゆくことです。そのためには、生命尊厳の哲理である日蓮大聖人の仏法が説き示す、人生の指針を実践することが大切です。信心によって知恵と生命力を引き出し、混迷する時代を力強く歩んでいきましょう。

顕仏未来記
 浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり(御書509ページ)

「丈夫の心」を輝かせ
【通解】浅い教えは信じやすく理解しやすいが、深い教えは信じ難く理解し難い、とは釈尊の教判である。浅きを去って深きに就くのが仏の心である。
                           ◇
 本抄は文永10年(1273年)閏5月、日蓮大聖人が流罪先の佐渡・一谷で著されました。
 この御文は、法華経見宝塔品に説かれる「六難九易」を通して、深い教えである法華経の弘通を呼び掛けた、伝教大師の言葉です。
 六難九易は、六つの難しいことと九つの易しいことを挙げて、仏の滅後の妙法弘通が難しいことを示しています。
 悪世に妙法を持ち弘めることに比べれば、常識では到底できないと思われることさえも、まだ易しいと釈尊は言います。
 つまり、末法広宣流布が難事であると示すことで、菩薩たちに民衆救済の不退の誓願を起こさせようとされたと拝されます。
 池田先生は本抄を拝して語っています。
「いかなる分野にも、“浅深”がある。人生にあっても同じである。自分一人のために生きるのか、より大きな価値のために生きるのか。もとより、自分のことのみを考えて生きることはたやすい。大いなる理想のために生きるには、強靱なる決意と勇気が必要である。その決意と勇気に立てるか否か。そこに人間としての真価が問われるといえよう」
 人生の途上では、経済的な試練をはじめ、仕事や家庭や病気など悩みは尽きません。それでも、自らの誓いを果たしゆくため、あえて苦難に挑む人に「丈夫の心」が輝くのです。



紺碧の空に映える灯台(沖縄・石垣島)。心豊かに、広々とした境涯で人生を歩んでいきたいⒸPIXTA


紺碧の空に映える灯台(沖縄・石垣島)。心豊かに、広々とした境涯で人生を歩んでいきたい?PIXTA


崇峻天皇御書

 百二十まで持ちて名を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ(御書1173ページ)

日々、地道に誠実に
【通解】120歳まで長生きしても悪い評判を残して終わるよりは、生きて一日でも名をあげることこそ大切である。
                        ◇
 本抄は建治3年(1277年)9月11日、日蓮大聖人が身延から鎌倉の四条金吾に与えられたお手紙です。
 金吾は、大聖人の仏法を信仰していることを理由に、主君から疎まれ、同僚から迫害されていました。そうした状況を心配された大聖人は、金吾に“どう生きるべきか”を教えられています。
 「人生100年時代」ともいわれる昨今、余生の過ごし方や就労年齢の延長など、ライフスタイルが大きく変わり始めています。しかし、生きた時間の長さだけが人生の価値を決めるのでしょうか――。真の価値とは、「どのように生きるか」「何を目標に生きるのか」との指標にこそあります。
 大聖人は、“120歳まで生きて名を汚す”のではなく、“生きて一日でも名をあげる”生き方を尊ばれています。名をあげるとは、単なる世間的な名声を求める生き方ではなく、周囲から自ずと信頼と称賛が寄せられるような、人格を磨き抜く生き方のことです。
 家庭や職場、学校、そして広布の庭など、生活のあらゆる場面が人間性を育む道場です。一日一日を地道に、誠実に振る舞う人は、必ず周囲にさわやかな信頼を広げます。
 信心根本に自己を無限に向上させゆく努力こそ、人生の勝利者となるための要諦なのです。


【聖教ニュース】

◆原田会長を中心に今後の活動を協議 全国方面長会議  2020年5月23日

 記念年譜「栄光の共戦譜」 6月中旬から順次、贈呈開始
・6月末まで「会合中止」「会館閉館」
・励ましには電話・SNS等を活用
・教学、小説「新・人間革命」等を研さん

 全国方面長会議が22日午後、原田会長、長谷川理事長、永石婦人部長らが出席し、方面長・方面婦人部長らとテレビ中継で結んで、東京・信濃町の学会本部別館で行われた。
 席上、会長は、緊急事態宣言が42府県で解除されたものの、引き続き新型コロナウイルスの感染防止を社会全体で徹底する必要性を踏まえ、今後の活動について次のように発表した。

 ①全国的に6月いっぱい、原則として「会合は中止」「会館は閉館」を続ける。また電話・手紙・メール・SNS・オンラインなどを活用しての励ましを継続。教学、小説『新・人間革命』等の研さんに一段と力を注いでいく。
 ※その一助として、「大白蓮華」に掲載された池田先生の講義を「『世界を照らす太陽の仏法』に学ぶ」と題して、聖教新聞で6月6日付から連載。
 ※6月度拝読御書(座談会拝読御書・研修教材)について、森中教学部長による講義の動画を6月6日から「SOKAnet」で配信。
 ※「SOKAnet」の第3代会長就任60周年の特設ページに、新たな映像を毎週金曜日に追加。

 ②池田先生の会長就任60周年を記念して発刊され、世界広布を開く激闘の軌跡を収めた年譜『栄光の共戦譜』の贈呈を、訪問による激励の一環として、緊急事態宣言が解除された地域から順次、開始する。
 ※各世帯に1冊。今月14日に宣言が解除された39県は6月14日から。大阪・京都・兵庫は同21日から。宣言発令中の首都圏4都県と北海道は、5月中の宣言解除を条件に6月21日から。

 永石婦人部長、大串女子部長は6月1日から30日が、6・4「世界池田華陽会の日」、6・10「婦人部の日」を記念する「希望の絆 女性月間」となることを発表(詳細は後日掲載)。
 最後に原田会長は、新型コロナとの闘いが新局面を迎えた今こそ、人類の宿命転換をいやまして強盛に祈り、「師子王の心」で、異体同心の前進を開始しようと訴えた。


◆〈危機の時代を生きる〉 創価大学オンラインで講義・就職支援  2020年5月23日
 多様な「学び」かなえる好機 「人間教育」の理念が光る
 「学生主体」で授業をサポート 


望月教授(画面左上)が担当するオンライン授業

望月教授(画面左上)が担当するオンライン授業

 「新しい日常」という言葉を耳にするようになった。新型コロナウイルスの感染拡大をふまえ、社会は、どうあり方を変えていくのか――。今回は、創価大学における授業とキャリアサポート(進路相談)のオンライン対応への取り組みを紹介する。そこには“ピンチをチャンスに”との発想と、“一人の学生のために”という透徹した信念があった。(記事=橋本良太、野田栄一)

 文部科学省によれば、全国の大学・高等専門学校のうち、感染拡大を防ぐため、これまでの対面授業を延期している割合は86・9%。オンライン授業などを実施する学校は、66・2%にとどまる(5月12日現在)。
 コロナ禍で、教育機関の真価が問われる中、創価大学は4月13日からオンライン授業を開始。原則、春学期は継続する予定だ。いち早く実施できた経緯を、「教育・学習支援センター(CETL)」の望月雅光教授(センター長)は振り返る。
 「学生の“学び”を確保するためには、早急な対応が不可欠であるとの認識のもと、できるかできないかではなく、“まず、やってみよう!”と教員が団結できた。それが大きな要因です」
 3月下旬から、教員を対象に、オンライン授業の研修会を、オンラインで開始。ウェブ会議ツールの詳細や具体的な講義の進め方など、時に一部の教員が“学生役”を担い、シミュレーションも。その中で、画面上に学生の顔と氏名が同時に表示されることの是非など、プライバシーに関する検討も重ねた。
 実際に春学期が始まると、当初こそ学生側の接続トラブルなどが見られたが、回を追うごとにスムーズに。何より、オンライン授業は「創大が目指す『アクティブ・ラーニング』とも親和性が高い」と望月教授は実感する。
 学生の能動的な学びを引き出す「アクティブ・ラーニング」。教員が話したことを覚え、その後、テストのために復習するといった従来型の授業ではなく、学生が事前に予習し、授業ではグループワークで、学んだ知識の活用や定着を図る。
 「例えば私が担当する100人規模のオンライン講義では、まず概略を説明し、その後、数人単位のグループに振り分け、学生だけのディスカッションをします。学生の質問などは、チャット(文字での伝言板)に書き込んでもらうことで、コミュニケーションもとれます」
 一方で、実験・実習・実地調査を、どうオンライン授業で担保するかなど課題も残る。「大切なのは、学生の意見をふまえ、いかにオンラインに最適化した授業へと質を高めていくか」だと望月教授は語る。
 創価大学では長年、FD(教員の教育力開発支援)に力を入れてきた。大きな役割を果たしているのが、学生による授業の改善提案だ。今回のオンライン化でも、初動から主体的に学生が協議に加わり、課題の洗い出しや、パソコンに不得手な教員のサポートも買って出た。
 「近年、学生によるFDが各地の大学で盛んになってきましたが、本学は開学前から、創立者・池田先生が一貫して“学生自治”を訴えてこられました。学生が主体となって、教員・職員が協力し、大学を運営する伝統がある。コロナ危機の今、学生が先頭に立って、“ピンチはチャンス”と捉えてくれています」

オンラインで進路相談 強みは「グローバルな創価同窓の連帯」
 
 コロナ禍で、本年度の就職戦線は激変している。大手就活サイトが主催する合同企業説明会の多くは2月以降、中止に。先が見通せない経済状況に、企業側の採用現場も手探り状態が続く。
 創価大学キャリアセンターは4月9日から、進路相談のウェブ予約・オンライン面談を開始した。
 同センターは、学生一人一人との面談を大事にし、昨年度は延べ7500件の進路全般の相談に応じた。
 職員の馬渡桂子さんは「今、学生自身が一番、不安を抱えています。例年以上に、きめこまかなアドバイス・サポートを心掛けています」と語る。
 企業の多くがオンラインでの面接に踏み切る中で、「接続が途中で切れてしまった」「部屋が暗く、表情が分かりにくいと指摘された」といった学生の相談や、「会社の雰囲気を感じることが難しい」「面接官の反応・空気が分かりにくい」との悩みも。

 同センターでは、学生が実際に、オンライン面接に対応できるよう支援している。
 「慣れるまで練習することが大切」と、就活生が望んだ分だけ、オンライン面接の練習ができるよう、大学職員や学生スタッフ、卒業生まで含めて、面接官役を担う体制も整えた。
 オンライン化が、就活生にもたらす利点もある。例えば、卒業生訪問だ。
 馬渡さんは「地方の実家にいても、全国の卒業生と会えます。ありがたいことに、厳しい今こそ、“後輩のために何か力になりたい”と申し出てくださる卒業生がたくさんいます。グローバルに広がる創価同窓のネットワークが、私たちの何よりの財産だと思います」と。
 5月末には、全国・世界各地の卒業生約60人を招き、オンラインでの就職相談会を開催する予定だ。
 また、合同説明会が中止になり、学生との出会いが狭められてしまった企業に働き掛け、同センターが主催する創大生対象の「オンライン企業説明会」も行う。
 「企業と学生のこのようなマッチングの場を創出できるのも、これまで卒業生が社会で培ってきてくれた信頼のおかげです」
 
 教育のオンライン化には、「格差」を指摘する声も聞かれる。経済格差が招くICT(情報通信技術)格差だ。
 創価大学は、オンライン授業の受講環境整備を含む経済支援として、全学生に一律5万円の「緊急支援給付金」を決定した。
 前述の望月教授の授業には、海外からの受講生もいる。感染拡大の影響で出国できなかった留学生だ。
 望月教授は「今回、地理的な制約を乗り越えるモデルが示されたとも感じます」と強調する。
 地方から、海外から、働きながらなど、オンラインツールは、多様な「学び」を実現できる大きな可能性を秘めている。
 一方で、運用によっては「格差の拡大」にも行き着く。ゆえに、オンラインを活用した「新しい日常」が、人々の幸福に寄与する未来となるためには、それを支える「理念」が重要だ。

 小説『新・人間革命』第15巻「創価大学」の章には、大学建設の歴史が描かれている。 
 設立のための寄付金の公募には、折り畳んだ皺だらけの千円札を握り締めて、駆け付けた婦人もいた。“その真心を絶対に忘れないでほしい”と、創立者・池田先生はつづっている。
 「学問や学歴は、本来、立身出世のための道具ではない。人びとの幸福に寄与するためであり、むしろ、大学で学ぶのは、大学に行けなかった人たちに奉仕し、貢献するためであるといってもよい」
 また開学の翌72年、池田先生は学生たちに語った。
 「創価大学には、既存の大学では、なすことのできない、人間教育という一点がある。何十年、何百年先のために、その人間教育をみんなでつくり上げ、後世に残し、伝えていこうというのが、本学の精神であります。それは、人類の未来のために最も大切な、世界第一の偉業です。皆さんは、この尊き使命を誇りとし、名誉として、先駆者となって、道を切り開いていただきたいのであります」
 教育のオンライン化は、新たな可能性をもたらすが、それをどう使うかは“人間”にかかっている。
 何のための大学か、何のために学ぶのか――。
 創価大学には、池田先生の「人間教育」の理念が脈打つ。
 今、創価大学はオンラインを活用しながら、教員・職員・学生、さらに卒業生が一体となって、新たな人間のネットワークの力を発揮しようとしている。
 
 ●ご感想をお寄せください
kansou@seikyo-np.jp
ファクス 03―5360―9613
 

【特集記事・信仰体験など】

◆〈世界の識者の眼〉ブラジル・アマゾナス連邦大学 アウミル・オリベイラ・デ・メネゼス教授
 池田博士の人間主義のビジョンに共感
 難解で複雑な世界の問題をシンプルな言葉で解き示す

アマゾナス連邦大学で挙行された池田先生への「名誉博士号」授与式。フェヘイラ総長(中央左)から、代理である創価大学の馬場学長に学位記が手渡された。総長は「人間主義者であり、平和主義者である池田大作氏の思想と行動は、わが大学の理念・目標・使命と完全に一致している」と(昨年8月、アマゾナス州マナウス市で)

アマゾナス連邦大学で挙行された池田先生への「名誉博士号」授与式。フェヘイラ総長(中央左)から、代理である創価大学の馬場学長に学位記が手渡された。総長は「人間主義者であり、平和主義者である池田大作氏の思想と行動は、わが大学の理念・目標・使命と完全に一致している」と(昨年8月、アマゾナス州マナウス市で)

 創立111年の歴史を誇るブラジル北部の名門学府・アマゾナス連邦大学。昨年8月、同大学から池田先生に「名誉博士号」が贈られ、さらに、創価大学との間に学術交流協定が締結された。長年、先生の著作を愛読するアウミル・オリベイラ・デ・メネゼス教授に、その魅力などについて聞いた。

創価の哲理を地球社会が希求
 ――メネゼス教授は大学時代、哲学、社会学、経済学など幅広い分野を専攻されました。その後、弁護士を志した経緯を教えてください。
 全てを語ると非常に長くなるので(笑い)、要点を絞ります。
 今から10年以上前のこと。私は社会学者として、アマゾンの開発と保護を進める連邦政府機関と共に、さまざまなプロジェクトを推進していました。その折に、「6000組の家族が不法居住する集落がある」「行く当てもなくさまようことがないように、何か良い施策を考えてほしい」との依頼がありました。
 私は環境社会学の知見を生かして、具体的な対策を提案。その措置を講じた結果、全ての家族を他の地域へ、安全に移住させることができたのです。
 この時、裁判官をはじめ、法律に携わる職種の方たちと多く接しました。
 不法に住まざるを得なくなった要因や是非等は割愛しますが、その経験から、法的な専門知識を有することで、社会的に弱い立場に置かれた人々を守っていける――そう考えるに至りました。そして猛勉強を重ねた末に、40代前半で弁護士資格を取得しました。

 ――かつて池田先生は、「民衆が権力の横暴に泣いてきた歴史を転換するために、正義の法律家が必要である」と語りました。また、先生が創立した創価大学は「人類の平和を守るフォートレス(要塞)たれ」などの建学の精神のもと、民衆に尽くす人材を育成するための“正義の学府”として発展を遂げています。
 牧口会長、戸田会長が、平和・文化・教育の卓越した理念と礎を築かれ、両会長の思想を受け継いだ池田博士が、世界規模で運動を展開された――この比類なき偉業に、尊敬の念を抱かずにはいられません。
 一例を挙げれば、韓国やシンガポール、アメリカや香港、マレーシア、そしてここブラジルにも、創価の学びやがあります。

持続可能な地球社会の構築へ、
「創価教育」が世界中で求められている証左ではないでしょうか。
 私が初めて博士のことを知ったのは、1999年、マナウス市内で開催された「アマゾン国際環境会議」(主催=SGI、ブラジルSGIのアマゾン自然環境研究センター〈現・アマゾン創価研究所〉、アマゾナス連邦大学、国立アマゾン研究所〈INPA〉など)の時です。
 会議は「第三の千年のアマゾン――望まれる共生」をテーマに3日間行われ、北南米各国から、多数の著名な研究者らが参加。アマゾン地域が抱える固有の問題の議論を深めることができ、その後、さまざまな研究成果へとつながっていきました。
 この会議の提唱者こそ、池田博士にほかなりません。以来、私はブラジルSGIの方々と強い友情を育むようになり、著作などを通して、博士の平和哲学への共感を深めていったのです。

アマゾンを守る活動をさらに
 ――池田先生の著作を読まれる中で、特に心に残ったことは何でしょうか。
 池田博士は、一流の識者らと、環境や芸術、平和や文化等々、人類が関心を寄せる多岐にわたるテーマで対話を重ねています。
 私はこれまで“トインビー対談”をはじめとする対談集や「教育提言」「環境提言」などを読みました。いずれも示唆に富み、極めて価値の高いものです。
 中でも、「SGIの日」記念提言は毎年、熟読しています。国や民族、宗教やイデオロギー、その他、全ての差異を超えて、全人類に連帯と行動を呼び掛ける力強いメッセージです。
 世界が抱える難解で複雑な諸問題を、池田博士は誰にでも分かるシンプルな言葉で表現します。その点に、私は最も感動するのです。
 博士に直接、お目にかかったことはありません。
 しかし、著作を読み“心で対話”をする中で、時空を超えて“強い絆”が結ばれていると感じます。
 着目すべきは、博士が詩や写真、文学や随筆など、多種多様な表現方法を用いて、人間主義のビジョンを広く社会に発信していることでしょう。だからこそ、日本の国内外を問わず多くの人の心に、地球の反対側にいる私の心にまで、博士の言葉や人間的魅力が伝わるのだと思います。

 ――本年から、アマゾン創価研究所が地元財団などと協力して、「校庭緑化プロジェクト」を開始しました。今後、マナウス市内にある306の小・中学校などで、計3000本のアマゾン原産の苗木を植樹。国連が定めたSDGs(持続可能な開発目標)の推進にも貢献するものです。
 非常に意義深い取り組みです。同プロジェクトは、環境保護を促進するという枠組みにとどまりません。児童・生徒が苗木を植える中で“私は大自然の一員である”との自覚が芽生え、環境教育の場となります。
 これまで、“アマゾンを守ることで人類の生存を守る”との池田博士の構想のもと開設された、アマゾン創価研究所などの取り組みによって、かつて森林破壊が進んだ地域に、緑豊かな光景が広がるまでになりました。〈編集部注=INPAによると、同研究所やアマゾナス連邦大学等の諸機関の連携や尽力により、アマゾナス州における森林の98%を保護することができているという〉
 創価研究所をはじめSGIの皆さまが、生命尊厳の思想に基づく取り組みをさらに推進されゆくことを、心から期待しています。私もこれから、より一層手を携えて歩んでまいります。
 Almir Oliveira de Menezes 社会学者、弁護士。首都ブラジリア出身。ブラジリア大学、パウリスタ大学などを卒業。現在、アマゾナス連邦大学社会科学部で教授を務め、人権や現代社会論等の専門家として多方面で活躍する。


◆〈婦人部のページ〉指導集「幸福の花束Ⅲ」より――創春の光を 友の心に

 池田先生の第3代会長就任60周年を記念して発刊された婦人部の指導集『幸福の花束Ⅲ――平和を創る女性の世紀へ』。勇気と希望あふれる指針に共感が広がっています。ここでは書籍に収録されている池田先生の言葉とともに、代表の喜びの声を紹介します。

 
第3代会長就任から60星霜。全国、全世界の婦人部の友に励ましを送り続けてきた池田先生と香峯子夫人(1992年6月、ドイツ)

第3代会長就任から60星霜。全国、全世界の婦人部の友に励ましを送り続けてきた池田先生と香峯子夫人(1992年6月、ドイツ)

 ヤング白ゆり世代の20代、30代、40代という年代は、人生の花盛りであり、働き盛りであります。と同時に、目まぐるしいまでの変化の連続でしょう。
 そのなかで、たとえ、どんな試練(しれん)の冬が打ち続いたとしても、自行化他の題目を唱えながら、幸福の春を創り広げていけるのが、創価の女性たちです。
 その意味において、このヤング白ゆりの年代を、私は「青春」に続く「創春」の時代と意義づけたいと思うのであります。(13ページ)

 気取らず飾らず、ありのままの笑顔で皆を励まし続ける創価の母たちの振る舞いは、まぎれもなく「仏の振る舞い」ではないか。
 婦人部あればこそ、学会家族は明るく温かい。
 婦人部あればこそ、広宣流布は限りなく進む。
 婦人部あればこそ、令法久住は行き詰(づ)まらない。(55~56ページ)

 母の祈りには、限界がない。
 行き詰まりもない。
 臆病も弱々しい迷いもない。
 ひたぶるな祈りの底には、
 絶望やあきらめを追い払う
 勇気が燃えている。
 妙法の祈りは、
 断じて勝つという誓願だ。
 祈ったその時に、
 すでに未来の勝利を
 深く決するのである。(63~64ページ)

 親から子へと、信心のバトンが確実に手渡されていってこそ、広宣流布の流れは、永遠のものとなる。  なかには、子どもが信心に励んでいないケースもあろう。しかし、焦る必要はないし、肩身の狭い思いをする必要もない。勝負は一生である。日々、子どもを思い、その成長と幸せを祈り、対話を重ねていくことだ。
 また、学会の青年や未来部員を、わが子と思い、真心を尽くして、温かく励ましていくことである。その育成の流れが、広宣流布の未来の大河を形成していくのである。(125~126ページ)
 信心の話をしても、すぐに入会するとは限りません。それでも、粘り強く、交流を深めながら、相手の幸福を日々祈り、対話を重ねていくことです。種を蒔き、それを大切に育て続けていけば、いつか、必ず花が咲き、果実が実ります。焦る必要はない。
 さらに、入会しなくとも、ともに会合に参加して教学を勉強したり、一緒に勤行したりすることもよいでしょう。自然な広がりが大事です。
 ともあれ、苦労して弘教に励んだ分は、全部、自分の福運になります。相手が信心しようが、しまいが、成仏の因を積んでいるんです。(139ページ)
 いかなる立場になろうが、組織の中心者と心を合わせ、広宣流布のために、自分のなすべきことを見つけ、創造し、そして行動していくのだ。「さあ、これからが本番だ!」と、“いよいよ”の決意で、新しき挑戦を重ねていくのだ。それが“創価の心”である。
 年齢とともに時間的なゆとりも生じよう。個人指導や仏法対話、地域友好・貢献にも、より多くの時間を費やすことができる。
 また、失敗も含め、積み重ねてきた豊かな人生経験は、人びとを励ますうえでも、仏法を語るうえでも、大きな力となる。人生のすべてが生かせるのが信心なのである。(171ページ)

佐賀 國部 理恵さん
 本年1月、指定難病の「IgA腎症」を発症しました。かつてない唱題に挑戦する中、治療も功を奏し、2月末には職場復帰を果たすことができました。現在、投薬治療を行いながら、看護師として医療の最前線で働いています。
 職場では緊張の毎日が続いていますが、『幸福の花束Ⅲ』を読んでいると、不思議と安心に包まれ、再び力が湧いてくるのです。
 特に「先行きの見えぬ社会であり、人びとの不安は広がり、何が起こるかわからない時代の様相を呈しています。しかし、強盛な祈りがあれば、何があっても、必ず変毒為薬していくことができる」(152ページ)との指導を読み、決意を新たにしました。
 全世界が直面している難局にも、皆さんと力を合わせて立ち向かっていきます。そして、抜苦与楽(ばっくよらく)の看護を目指し、池田先生の弟子としての使命を果たしてまいります。

高知 野地 光恵さん
 わが家は、未入会の夫と小学5年と2年の男の子の4人家族です。
 子どもの入会を祈り、これまで幾度となく夫と対話。“子どもたちの意思を尊重したいので、今でなくても”という夫の気持ちも理解できたので、“やはり無理かな”と思うこともありました。
 今回、『幸福の花束Ⅲ』を手にした時、池田先生から直接、励ましを頂いた思いになりました。そして、“今こそ一家の太陽になろう”と、深く決意。同時に、一家の大黒柱として家族を支え、学会のことを理解し、私の活動を応援してくれる夫に感謝の気持ちが込み上げてきました。
 その後、「子どもたちの心に信心の種を植えて、幸福の土台を築かせたい」と、夫に今の思いを誠心誠意、伝えました。夫は首を縦に振ってくれ、息子たちの入会を快諾してくれたのです。
 先生の会長就任60周年という意義深い5月3日に、新しい出発を切ることができました。これからも、感謝の思いを忘れず、地域に幸のスクラムを拡大していきます。

千葉 砂塚 浩子さん
 1960年(昭和35年)5月3日、第3代会長の就任式に臨む池田先生に奥さまが胸章を着けられる写真(6ページ)を拝見し、60年の大闘争に心からの感謝の気持ちでいっぱいになりました。
 今、新型コロナウイルスとの闘いの中で、仏法を持った創価の女性の祈り、忍耐力、包容力、そして笑顔が、どれほど大切かを日々、痛感しています。
 わが家には3人の娘がいます。2人はヤング白ゆり世代、1人は女子部です。完成した『幸福の花束Ⅲ』をひもとき、家庭でも、そして地域でも、私自身が人間革命、境涯革命の姿を示していくことが最も重要であると実感しました。
 自粛が続く中ですが、5月3日を目指して、報恩感謝の戦いを決意。手紙や電話を使い、聖教新聞の購読を5人の友に推進し、『ワールド セイキョウ』を50人の友に読んでもらうなど、多くの友人と、心の交流ができたように思います。
 昨年から始めた御書の全編研さんも先日、終えることができました。
 先生が船橋文化会館に来館された「7・13」に向かって、励ましの対話に挑戦してまいります。


◆〈信仰体験〉六甲山を望むイチゴ園 “この地で勝利”と20年 2020年5月23日

「感謝の心で丹精を込めて作っています」――前中さん㊧と妻・光代さんが手掛ける“二郞イチゴ”には、真心がたっぷり詰まっている
  
 【神戸市北区】前中信一さん(70)=副支部長=は、妻の光代さん(64)=地区副婦人部長=と、イチゴ狩りの人気観光地で、「二郎 前中農園」を営む。
これまで多くの困難を乗り越えてきた。今年は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、農園も打撃を受けている。しかし、下を向くことはない。“必ず信心の実証を示す”との師への誓いがあるからだ。
販売を手伝ってくれる娘家族と和やかなひととき(左から妻・光代さん、前中さん、孫の白木結彩さん、長女・白木和代さん、長女の夫・白木馨さん)  

新たな挑戦
 神戸から六甲山を越えた北側に、緑豊かな住宅地が点在する。
 この地、二郞地区で栽培されるイチゴは、“知る人ぞ知る神戸の名産品”だ。あまりに柔らかくて、市場に出回ることが、ほとんどない。この地域では「章姫」という品種を栽培する農家が多く、みずみずしい甘さが人気という。
 例年、2万人以上がイチゴ狩りに訪れる。1月から5月のシーズンは、どこのビニールハウスも、団体客や家族連れであふれ、農家は大忙し。?
 だが今年は、新型コロナウイルスの影響で、来訪客が激減。市場への出荷も行っていないため、農家は大きな痛手を負った。やむなく大量廃棄した生産者もいる。  前中さんは、“丹精込めたイチゴを無駄にしたくない”と、夫婦で真剣に祈る中、直売所での販売に望みを託す。農園は“有馬街道”と呼ばれる県道沿い。
 「周りは、朝一番の午前中に販売している所が多いけど、うちは午後2時から。“販売中”を知らせるランプを点灯させると、どんどん車が止まって、完売することも多いんですよ。感謝しかありません」
 近隣の保育園も、「楽しみにしている園児たちのために」と購入してくれた。
 光代さんは「積み上げてきた信頼があってこそです。ありがたいと実感します」。
 来月には、シーズンを終えて、土壌の殺菌処理など、次の準備に取り掛かる。
 開園して、明年で20年。周囲の農家と協力し、苗や肥料の研究努力を重ね、納得の味を作れるようになった。  
「それでも毎年、一粒目を味見する時は手がふるえます。だから、真剣に祈るんです」

娘のために
 「人生は戦いです。幸福になるための戦いです。しかし、何も困難がないことが幸福ではない」
 この池田先生の指導を思うたび、あることが胸に迫ってくるという。
 ――中学生の時、両親に続き創価学会に入会。高校を卒業後、有馬温泉にある旅館に調理師として就職した。8人部屋に住み込み、朝は午前4時に起き、夜は午後10時まで働いた。
 非番の日は、男子部の先輩に連れられ、神戸中を広布に駆け、深夜まで同志と語り合った。“師匠にお応えできる料理人になろう”と懸命に腕を磨いた。  
 1976年(昭和51年)、光代さんを入会に導き結婚。3人の子に恵まれた。順風満帆)に見えた84年12月、大きな試練に襲われる。
 義父の一周忌で、妻の実家に家族でいた時のこと。法要の際、皆がちょっと目を離した隙に、3歳だった次女が庭の池に転落した。救出されはしたが、息を吹き返すことはなかった。
 悔やんでも悔やみきれない。光代さんの落ち込みは激しかった。同志が、すぐに駆け付け、涙を流しながら寄り添ってくれた。
 だが、日ごろ学会に無理解だった周囲の人は、“変な宗教をしているからだ”と偏見の目を向けた。
 前中さんは、光代さんを励ました。「このままでは、娘に申し訳ない。僕たちが、必ず幸せの実証を示そうや」。それは自分に固く言い聞かせた誓いでもあった。
 夫婦は真剣に祈り抜く。そして聖教新聞を手に、地域を一軒一軒、対話に歩いた。“必ず宿命転換してみせる!”と。
 その後、前中さんは、職場で「向板(むこういた)」という立場に登用され、刺し身の引きを任されるなど、料理の世界で実績を積んでいく。
 そうした中、転機が訪れた。1989年、娘が亡くなった神戸市北区の実家に移ることに。
 2000年(平成12年)2月には、池田先生が神戸を訪問。この時、前中さん夫妻は、一大決心をする。“この地域で盛んな二郎イチゴ。これで実証を示そう。それが娘のためでもあるし、先生に応える道じゃないか”  義母の家庭農園を引き継いだ夫妻は、01年から本格的にイチゴ農園をスタートさせた。

誓いを胸に
 開園してからは、度重なる病魔が前中さんを襲った。
 03年、軽度の脳梗塞に。15年には不整脈で、心臓大動脈弁の置換手術を。その半年後には大動脈解離を発症。入院が続いた。
 昨年夏には、大動脈瘤が見つかった。危険な状態だったが、12時間の手術を無事終えた。
 術後、目を覚ますと、光代さんから、地域の同志が祈ってくれていたことを聞いた。
 術後の痛み以上に、妻や同志に心配をかけ続けていることを申し訳なく思った。“一日も早く退院して、また、みんなのために頑張りたい”と、胸中で題目を唱え、自らを奮い立たせた。
 退院後、医師の了承を得て、畑仕事に復帰。週2回、市の老人健康保険施設で利用者に料理も振る舞う。
 「かつて旅館で磨いた腕が、役に立てて良かった。本当にうれしい」
 2棟から始めたイチゴ園のビニールハウスは、現在6棟にまで拡大。農園内の自宅を広布の会場として提供し、同志が喜々として集う場所になっている。また近隣住民を招いての友好の集いも、たびたび開催してきた。
 「娘への約束、同志への感謝、そして池田先生への誓いがあったから、ここまで来ることができました!」
 初夏の薫風が心地よく吹き抜ける。
 六甲山の山並みを見つめて、前中さんは誓いを新たにする。 (関西支社編集部発)

2020年5月22日 (金)

2020年5月22日(金)の聖教

2020年5月22日(金)の聖教

◆わが友に贈る

 感染予防の基本的な
 対策を習慣化しよう。
 “自分は大丈夫”との
 油断こそ最大の敵だ。
 心に深き用心あれ!


◆名字の言 「まめ」の意味をご存じですか?  2020年5月22日

 「まめ粒」「まめ電球」等、「まめ」という言葉が頭に付くと「小さい」という意味を表すのは、ご存じの通り。この場合の「まめ」を漢字で書くと、言うまでもなく「豆」である▼一方で、「労苦をいとわずよく勤め働くこと」(広辞苑)との意味で用いられることもある。この時は「忠実」と書く。コロナ禍で人に会うことがためらわれる昨今、「普段はなかなか書けない手紙を書いて、“筆まめ”な自分を目指しています」と語る友がいたが、この「まめ」は、後者になる▼「毎日、電話で励まし合っています!」と言う友は“TELまめ”とも呼べるだろう。“メールまめ”“SNSまめ”など、“オンラインでの連携は得意”という友も多い。誰もが、先の見えない状況の中での行動であり、頭が下がる▼また「まめ」には、「まごころがあること。まじめ。誠実。本気」という意味も。そこから、周囲に真心の言葉を送る全ての人に敬意を込め、「まめな方」と呼ばせてもらいたい▼さらに、「まめ」には「身体の丈夫なこと。たっしゃ。息災」との意もある。その意味では、世界規模の困難に共に立ち向かう全ての人々が「まめ」でいることを、今日も強く祈る。本紙がその追い風となれるよう、日々、力を尽くすことを誓う。(道)


◆寸鉄

「法華の題目は獅子の吼
ゆるが如く」御書。今一重
強盛に祈り、大生命力で
     ◇
奈良広布誓願の日。苦難
にも揺るがぬ大関西の柱
創価家族の絆強く前進!
     ◇
多様なつながり持つ人は
幸福―識者。電話やメー
ルも生かし日常を豊かに
     ◇
運動不足も熱中症の原因
の一つに。室内でも意識
して体動かし健康を維持
     ◇
整備不良の自転車での事
故で重傷化しやすいと。
点検整備忘れず無事故を


◆社説 きょう「国際生物多様性の日」  生命尊厳の意識が環境守る

 きょうは国連が定めた「国際生物多様性の日」。例年、世界各地で午前10時(現地時間)を中心に、植樹や森林保全、環境意識啓発活動などが行われている。地球上を東から西へ植林が進む姿は、グリーンウエーブ(緑の波)と呼ばれる。
 本年は、2010年に国連で決議された、国際社会が協力して生態系の保全に取り組む、「国連生物多様性の10年」の最終年である。
 しかし、評価、提言を行う国際的な科学者集団が昨年発表した声明では、環境破壊は加速しており、生物多様性の減少は止まらないという。
 800万種の動植物のうち100万種が絶滅する恐れがあり、大量の食料とエネルギーが自然から供給されている一方で、自然の持つ能力は損なわれ続けているという厳しい警告だ。
 声明では、本年を目指してきた目標の達成は困難だが、人間の行動変容により、30年以降の目標は達成できる可能性があるとされた。
 現在、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、社会活動は大きく停滞している。都市の封鎖や工場の停止、人の移動の減少で、世界経済は大きな打撃を受けている。
 一方で、国際エネルギー機関(IEA)によると二酸化炭素の排出量は前年比で過去最大となる削減が見込まれるという。
 世界では大気汚染の減少が報道され、一時的にではあるが地球環境は改善の兆候を示しているという声が上がっている。
 社会活動の再開に伴い、この状況は変わっていくが、人々の行動変容で地球環境を守ることができる証左といえるだろう。
 IEAは、これを機会に、よりクリーンなエネルギーの利用へ社会が移行することを提案している。
 池田先生は、12年の環境提言「持続可能な地球社会への大道」の中で、持続可能な開発の核心について、あらゆる人々の尊厳と、地球の生態系のかけがえのなさを受け止め、「生命の尊厳」を何よりも大切にしていく社会を築くために、皆で共に行動することだと訴えた。
 元来、ウイルスも地球の生態系の中におり、自然破壊によって生態系が乱れた結果、人間の前に出現したとの指摘もある。
 経済と環境のバランスを調整するだけでなく、一人一人が「生命の尊厳」に思いをはせ、皆で力を合わせて守るべきものを見つめ直す時だ。
 その中で感染症対策を含めた大きな社会的課題を、生活に根差したテーマとして考え、行動していくべきではないか。
 生物多様性は、一つ一つの生命の違いに価値を認める言葉だ。複雑に見えても、そのスタートは一個の生命に対する尊敬から始まる。
 生命に備わる無限の可能性を信じ、気付きを決意に変えて、まずは身近なところから歩みを進めよう。


◆きょうの発心 三三蔵祈雨事 青森戸田県副県長 熊谷円2020年5月22日

御文 道理証文よりも現証にはすぎず(三三蔵祈雨事、1468ページ・編759ページ)
通解 (日蓮が仏法の優劣を判断するのに)道理・証文よりも現証に勝るものはない。

未来担う人材と成長の日々を
 現証こそ仏法の優劣を決める最も大事な基準であると仰せです。
 学会2世として育った私の発心のきっかけは、大学3年の3月。“教師になりたい”と県の教員採用試験合格を目指し、真剣に勉強と信心に挑戦。試験には合格しましたが、正採用とはなりませんでした。悔しさはありましたが、諦めずに祈り、学会活動にも全力で走りました。
 そうした中、翌年3月初旬に、現在も勤めている学校から話があり、念願の教員になることができました。また、良縁にも恵まれ、大学卒業と同時に結婚できるなど、そのほかにも、多くの現証を目の当たりにし、信心への確信を深めました。
 大きな壁にぶつかることもありましたが、そのたびに一歩も引かずに対話拡大に励み、一つ一つ乗り越えて青春時代の確信を深めてきました。
 現在、青森総県の教育部長と、未来本部長も兼務。未来を担いゆく大切な子どもたちが、社会に貢献し、池田先生の期待に応えられる人材に成長することが、何よりの望みです。これからも、未来部員に励ましを送ってまいります。


【先生のメッセージ】

◆〈My Human Revolution〉 小説「新・人間革命」学習のために 第9巻

【挿絵】内田健一郎

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを、巻ごとに紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第9巻を掲載する。次回の第10巻は29日付2面の予定。

「君が一人立てばいい!」
 〈1964年(昭和39年)5月、山本伸一はオーストラリアなどの歴訪に出発。その経由地であるフィリピン・マニラの空港で、マニラ支部の支部長夫妻と、支部長を支えながら奮闘してきた柴山昭男という青年を激励する〉
 伸一は、柴山に仕事のことなどを尋ねたあと、彼に言った。
 「ところで、君をフィリピンの男子部の責任者に任命しようと思うが……」
 「責任者といわれましても、男子部はほとんどいないんです」
 「いいんだよ。君が一人立てばいいんだ。そうすれば、必ず人は出てくる。一人が大切なんだ。
 大聖人も、お一人で立たれた。戸田先生も、戦時中の弾圧で、みんなが退転してしまったなかで一人立たれた。
 そこから戦後の学会は始まった。一人立つ人がいれば、必ず広がっていく。それが広宣流布の原理だよ。
 来年の五月三日には、日本にいらっしゃい。そこで男子部の旗を授与しよう」
 「はい!」
 決意のこもった、柴山の声が響いた。
 伸一は頷きながら、話を続けた。
 「大聖人は『よ(善)からんは不思議わる(悪)からんは一定とをもへ』(御書1190ページ)と仰せになっている。広宣流布の道が険しいのは当然です。困難ばかりであると、覚悟を決めることです。弾圧下にある国もある。
 そのなかでも同志は、必死になって命がけで頑張っている」(中略)
 伸一は、フィリピンのメンバーに言った。
 「何ごとにも平坦な道はない。しかし、苦労があるから強くなれる。
 苦難がまことの信仰を育む。労苦が魂を鍛える。
 嵐に向かい、怒濤に向かって進んでいくのが、広宣流布の開拓者だ。
 この三人が立ち上がり、真剣になれば、フィリピンの基礎は築ける。未来は安泰だ。私と同じ心で、同じ決意で前進しよう。
 私は、マニラに親戚ができたと思っているからね」
 ほどなく、出発の時間になった。
 「握手をしよう」
 こう言って伸一は、柴山に手を差し出した。
 「青年が頑張るんだよ。時代、社会を変えていくのは、青年の力しかない。今度、会う時には、一段と成長した姿で会おう。待っているよ」
 伸一の手に、力がこもった。柴山も、その手をしっかりと握り締めた。(「新時代」の章、67~70ページ)

真剣な一念が智慧の源泉
 〈65年(同40年)1月、伸一は高等部の第一期生が、決意をとどめる署名をするようにしてはどうかと提案。青年部長の秋月英介は、泉が湧くような伸一の相次ぐ提案に驚嘆し、尋ねる〉
 「先生の次々と打たれる手には、今更ながら驚き、感服するのみです。そうしたお考えは、どうすれば出てくるのでしょうか」
 「すべては真剣さだよ。私は、二十一世紀のことを真剣に考えている。
 その時に、誰が広宣流布を、世界の平和を、担っていくのか。誰が二十一世紀に、本当の学会の精神を伝えていくのか。それは、今の高等部、中等部のメンバーに頼むしかないじゃないか。
 だから、一人ひとりに、しっかりと成長していってもらうしかない。大人材、大指導者に育ってもらうしかない。
 では、どうすればよいのか。何もしなければ、人は育たない。
 大切なのは触発だ。その触発をもたらすには、日々、命を削る思いで、成長を祈ることだ。
 そして、“どうすれば、みんなの励みになるのか”“どうすれば、希望がもてるのか”“どうすれば、勇気が出せるのか”を、瞬間瞬間、懸命に考え続けていくことだ。
 強き祈りの一念が智慧となり、それが、さまざまな発想となる。
 責任感とは、その一念の強さのことだ」(「鳳雛」の章、134~136ページ)

団結の力は境涯開く祈り
 〈64年(同39年)12月、伸一は沖縄の地区部長会で、団結の大切さを訴える〉
 「皆が仲良く、互いに尊敬し合って、団結していくことが、広宣流布を前進させていく力になる。反対に同志を恨んだり、憎んだり、軽んじたり、嫉妬するようなことは、絶対にあってはならない。それは大謗法になる。自分も罰を受けるし、組織を歪んだものにし、広宣流布を破壊していくことになります。
 では、どうすれば、同志の団結が図れるのか。
 根本は祈りです。題目を唱え抜いていくことです。いやだな、苦手だなと思う人がいたら、その人のことを、真剣に祈っていくんです。
 いがみ合ったり、争い合うということは、互いの境涯が低いからです。
 相手の幸福を祈っていくことが、自分の境涯を大きく開いていくことになる。
 また、誤解から、感情の行き違いを生むことも多いから、心を開いて、よく話し合うことです。勇気をもって、対話することです。互いの根本の目的が、本当に、広宣流布のためであるならば、信心をしている人同士が、共鳴できないはずはありません」
 一人ひとりは、どんなに力があっても、仲が悪ければ、全体として力を発揮することはできない。
 逆に仲の良い組織というのは、それぞれが、もてる力の、二倍、三倍の力を発揮しているものである。(「衆望」の章、382~383ページ)

小説「人間革命」の起稿
 「衆望」の章には、小説『人間革命』を起稿するに至った伸一の真情とその経緯が記されている。
                       ◇ 
 窓から差し込む、南国の朝の日差しがまばゆかった。机には、四百字詰めの原稿用紙が置かれていた。
 彼は、この日、この朝、小説『人間革命』の筆を起こそうと心に決め、この沖縄にやって来たのである。
 思えば、伸一が、戸田の生涯を書き残そうとの発想をもったのは、十九歳の時であり、入会して三カ月が過ぎたころであった。
 軍部政府の弾圧と戦い、投獄されても、なお信念を貫き、人民の救済に立ち上がった戸田城聖という、傑出した指導者を知った伸一の感動は、あまりにも大きかった。
 伸一は、“わが生涯の師と定めた戸田先生のことを、広く社会に、後世に、伝え抜いていかなくてはならない”と、深く深く決意していた。
 その時の、炎のごとき思いは、生命の限りを尽くして、師弟の尊き共戦の歴史を織り成していくなかで、不動の誓いとなっていくのである。
 一九五一年(昭和二十六年)の春であった。
 彼は、戸田が妙悟空のペンネームで、聖教新聞に連載することになった、小説『人間革命』の原稿を見せられた時、“いつの日か、この続編ともいうべき戸田先生の伝記を、私が書かねばならない”と直感したのであった。
 さらに、三年余りが過ぎた一九五四年(昭和二十九年)の夏、戸田と一緒に、師の故郷の北海道・厚田村を訪ねた折のことである。
 伸一は、厚田港の防波堤に立って、断崖が屏風のごとく迫る、厚田の浜辺を見ながら、戸田の人生の旅立ちをうたった、「厚田村」と題する詩をつくった。
 その時、自分が“戸田先生の伝記を、必ず書き残すのだ”と、改めて心に誓ったのである。
 それから三年後の八月、伸一は、戸田とともに、軽井沢で思い出のひとときを過ごした。
 師の逝去の八カ月前のことである。そこで、単行本として発刊されて間もない、戸田の小説『人間革命』が話題になった。
 戸田は、照れたように笑いを浮かべて言った。
 「牧口先生のことは書けても、自分のことを一から十まで書き表すことなど、恥ずかしさが先にたってできないということだよ」
 その師の言葉は、深く、強く、伸一の胸に突き刺さった。
 戸田の『人間革命』は、彼の分身ともいうべき主人公の“巌さん”が、獄中にあって、広宣流布のために生涯を捧げようと決意するところで終わっている。
 それからあとの実践については、戸田は、何も書こうとはしなかった。
 伸一は、この軽井沢での語らいのなかで、広宣流布に一人立った、その後の戸田の歩みを、続『人間革命』として書きつづることこそ、師の期待であると確信したのである。
                          ◇ 
 伸一は、ここでペンを置いた。原稿は、連載二回分になっていた。
 二、三度、推敲したが、直すところは、ほとんどなかった。
 “よし、これでいい!”
 伸一は、満ち足りた思いで、立ち上がった。
 “それにしても、大変な道に足を踏み込んでしまったものだな”
 彼は、机の上の原稿に目を向けながら、しみじみと思った。
 ひとたび連載小説の執筆を開始したならば、一つの区切りを迎えるまでは、途中で休むわけにはいかないからだ。
 しかも、戸田城聖の出獄から逝去までをつづるとなれば、どう考えても、十巻を超える大作にならざるを得ない。
 『人間革命』の執筆を発表した時から、覚悟してきたことではあったが、この連載が、相当、自分を苦しめるであろうことは、目に見えていた。
 しかし、伸一の心は燃えていた。
 それによって、どんなに苦しむことになったとしても、偉大なる師の思想と真実を、自分が書き残していく以外にないという使命感と喜びが、彼の胸にたぎっていたのである。(「衆望」の章、383~386ページ、392~393ページ)
 ※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。


【聖教ニュース】

◆「世界広布新時代の指針」発刊 池田先生の御書講義をテーマ別に収録  2020年5月22日

 池田大作先生の御書講義を収めた『世界広布新時代の指針』が、第3代会長就任60周年となる本年の「5・3」を記念して発刊された。
 日蓮大聖人の「一閻浮提広宣流布」の誓願を受け継ぎ、死身弘法の精神で広布の道を切り開いた初代会長・牧口常三郎先生と第2代会長・戸田城聖先生。
 先師、恩師の遺志を継いだ第3代会長の池田先生は、“「平和の世紀」を実現し、民衆が幸福に暮らせる世界を”との決意を胸に、広布の大海原を駆け巡り、192カ国・地域へと広がる人間主義の連帯を創価の宝友と共に築き上げてきた。
 本書は、地球上のあらゆる地域に、地涌の使命を自覚した友が誕生し、本格的な世界広布新時代が到来した今、心に刻むべき信仰の指標をテーマ別に示したもので、「誓願」「地涌」「幸福」「師弟」「本因妙」の全5章で構成。それぞれ、大白蓮華の「世界を照らす太陽の仏法」に掲載されたもので、日蓮大聖人の御書の御文と現代語訳とともに、池田先生の講義を収録している。
 「幸福――生命の羅針盤持つ大歓喜と大満足の人生」では、「法華経の法門をきくにつけて・なをなを信心をはげむを・まことの道心者とは申すなり」(御書1505ページ)等を拝読。
 即身成仏の姿を示した竜女が一切衆生の救済のために戦い、その行動を目の当たりにした衆生が「心は大いに歓喜」(法華経410ページ)したことを通し、次のようにつづる。
 「一人の生命の輝きが、周りの人を歓喜させていく。暗闇の中に、一つの明かりがともり、それに感応して、周りがいっせいに輝き出すような希望の連動です」「仏界から九界へ、そして皆と一緒に九界から仏界へ。この歓喜の往復の連続こそが、我らの広宣流布の行動なのです」
 いまだかつてない危機の時代を迎えている今、生命尊厳と共生の哲学を分かりやすく紹介した本書は、読者の心に希望の灯をともすものとなろう。
 本社刊。730円(税込み)。全国の書店で発売(※新型コロナウイルスの感染拡大の影響により、休業している書店では、店舗での書籍の受け取りができない場合があります)。コンビニ通販サイト「セブンネットショッピング」「HMV&BOOKS online」での注文、受け取りも可能です。


◆モスクワ大学主催の国際会議 池田先生がメッセージを寄せる 2020年5月22日


 ロシアのモスクワ大学が主催し、ユネスコやローマクラブが協力する国際学術会議「グローバリスティクス2020」が18日(現地時間)からオンラインで開かれている(きょう22日まで)。会議には池田先生がメッセージを寄せ、学会の代表が参加した。

「グローバリスティクス2020」を主催したモスクワ大学。同大学で池田先生が記念講演し、「名誉博士号」を授与されてから本年5月27日で45周年を迎える

「グローバリスティクス2020」を主催したモスクワ大学。同大学で池田先生が記念講演し、「名誉博士号」を授与されてから本年5月27日で45周年を迎える
 同会議は科学と教育の分野で学際的な対話を促進するとともに、世界中の科学者の連帯を強めるために2009年から開催され、これまで70カ国・地域から延べ1万人以上が参加した。今回は6回目。今月の会期は会議の第1段階と位置付けられ、今年中に第2、第3段階と議論が深められていく。
 今年のテーマは「グローバルな問題と人類の未来」。環境問題や国際関係など、多彩なテーマを扱った分科会に、50カ国・地域の1000人以上の研究者らが参加している。

教育の連帯で危機を進歩へ

 配信された開会式では、モスクワ大学のサドーヴニチィ総長が、今後の世界や教育の未来に光を見いだす会議にと強調。続いて、ロシアのラブロフ外務大臣やローマクラブのヴァイツゼッカー名誉共同会長らと共に、池田先生のメッセージが紹介された。
 その中で先生は、サドーヴニチィ総長との30年近くにわたる交流の中で、「人間生命の可能性」「教育の連帯の力」への信頼が重要との意見で一致したことに言及。新しい時代を切り開く鍵は、人間の内なる可能性を開き、鍛えることにあり、教育と学術の連帯で危機を進歩へと転じゆく偉大な価値創造をと訴えた。
 なお、サドーヴニチィ総長は先生からのメッセージに対し、「池田博士に御礼申し上げます。博士との出会いは素晴らしい思い出として、いつも私の胸にあります」との謝意を寄せた。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈扉をひらく 池田先生の対話録Ⅲ〉 第9回 自信」と「慢心」の違いは?――米ジャズシンガーのアーネスティン・アンダーソン氏と池田先生の語らい
「もっといいものを」

その美声は、人呼んで“夕暮れ時のハニー”(2007年2月撮影)©Hiroyuki Ito

その美声は、人呼んで“夕暮れ時のハニー”(2007年2月撮影)©Hiroyuki Ito
 「自信と慢心は、どう違うのでしょうか?」
 凜(りん)としたまなざしで池田先生に問い掛けたのは、ジャズシンガーのアーネスティン・アンダーソン氏。 ?
 1985年5月14日、旧・聖教新聞本社での再会の折だった。
 先生が簡潔(かんけつ)に応じる。
 「常に『もっといいものを』と試行錯誤(しこうさくご)し、努力、努力、また努力している人の胸に育つのが、自信でしょう。反対に、苦しまないで、『これくらいでいいだろう』『何とかなるだろう』と全力投球をしなくなったら、それは慢心と言わざるをえません」
 あえて簡潔に答えたのには、理由があった。氏の半生が、そのまま質問の解答となっていたからだ。
 深くうなずくアンダーソン氏。  
「今回の日本公演も、私にとって、さらなる成長への一里塚にします」
 当時、氏は56歳。挫折(ざせつ)から劇的な再起を遂げ、約10年が経っていた。
 「巨匠マイルス・デイビスに娘がいたなら、彼女のように歌っただろう」――再び世界を駆け巡る氏に、人々は賛辞を惜しまなかった

成功と挫折
 氏は1928年、テキサス州ヒューストン生まれ。多くの黒人たちが暮らした米国南部の出身である。
 ゴスペルを愛する父、教会のコーラス隊だった祖母のもと、豊かな音楽に囲まれ、歌手を夢見て育った。
 12歳の時、地元のタレント・コンテストに応募した。バンドメンバーから歌いやすい「キー(音の高さ)」を聞かれたが、その意味が分からず、いい加減な返事をしてしまう。
 演奏が始まり、間違いに気付く。頭が真っ白になった。即興でメロディーを付け、精いっぱい歌い通した。
 “もうダメね……”と思った矢先、バンドのリーダーがニコニコしながら歩み寄ってきた。
 「君こそ、ジャズシンガーだよ!」  結果は優勝。夢のようだった。

1985年6月の民音公演。日本にも多くのファンが
 あの時、なぜ歌い続けられたのか――それは祖母のおかげだという。
 「いつも言われていたんです。“プロになりたければね、一度歌い始めたら、何があろうと、歌いきらなきゃいけないよ”って。だから、私をジャズシンガーにしてくれたのは、実はおばあちゃんなんです」
 10代後半から、ジョニー・オーティス、ライオネル・ハンプトンといった有名音楽家率いる楽団の専属歌手に。56年に録音したアルバム「ホット・カーゴ」が大ヒットし、一躍、「ベストシンガー」として名声を得る。
 だが、成功は長続きしなかった。
 60年代、ロックンロールが音楽シーンを席巻し、ジャズの人気は低迷。氏の歌も売れなくなった。
 子どもたちをアメリカに残し、活路を求めてロンドンへ。夜のクラブで歌ったが、仕事は乏しかった。やむなく帰国するも、すでに居場所はない。
 いつしか夢を捨て、歌も捨てた。
 宿屋のメイドになり、電話番で食いつないだ。うつ状態になり、人混みが怖くて買い物にも行けなくなった。

ブルースを“生きて”
 “結局、歌手としての成功のために私は家族を犠牲にしてきたのだ……”  自分を責め続ける中で、アンダーソン氏は仏法と出あう。
 初めて参加した座談会。不思議な安心感を覚えた。祈りを重ねるうちに、“もう一度、歌おう”との思いが自然と込み上げる。「信仰で、自分自身への自信を取り戻したんです」
 75年に転機が訪れる。かつてのバンド仲間から声を掛けられ、「コンコード・ジャズフェスティバル」に出演。47歳で奇跡の復活を果たした。
 歌声に深みが増し、音楽への姿勢も変わった。家族が愛したブルースを、前面に出すようになった。

人生そのものが歌の響きに(86年11月、東京都内で)
 ブルースは黒人音楽の精神的支柱である。南北戦争の終結に伴い、奴隷制が廃止されたものの、白人社会に投げ込まれた黒人は、過酷な差別や暴力を受け続けてきた。その中で、神に祈りをささげるゴスペルと、哀しみをうたうブルースが生まれた。
 ブルースには、大きな特徴がある。集団で歌うことが主流だった黒人文化にあって、黒人が初めてソロで歌う“個人表現”の芸術だった。
 アンダーソン氏は、「初めはブルースが嫌いだった」と打ち明ける。
 「ですが、何年も経つうちに、ブルースに心地良さを感じるようになったんです。きっとそれは、私自身がブルースを“生きて”きたから」
 84年には、アルバム全曲がブルースという意欲的な作品を発表。かつてない試みであった。
 民音公演で来日し、池田先生と会見した翌85年――それは、まさに氏が、魂の“原点”に回帰しつつ、新境地を開いていたさなかだった。

「幸せ」は私の中に
 約1時間に及んだ会見では、互いの人生論や音楽論が響き合い、芸術談義に花が咲いた。
 池田先生は語っている。
 「歌は偉大です。太陽も歌っています。月も歌っています。宇宙の森羅万象(しんらばんしょう)が歌っています。すべて、妙法という根源の法のリズムを宿して、歌っています。夕陽の光彩は空を真っ赤に染めながら、疲れた人にも限りない安らぎを与えてくれます。朝のしじまに昇りゆく旭日は、一日を生きゆくエネルギーを与えてくれます」
 「同じ力が音楽にあります。どうか生涯、歌い続けてください。癒やしを与える夕焼けの調べを、希望を与える旭日の調べを、心から心へ届けてください。その声で!」
 北海道・稚内(わっかない)を皮切りに始まった全国46回の民音公演は、いずこも大喝采(だいかっさい)に包まれた。その翌年も、来日公演を成功させている。

池田先生がアンダーソン氏と会見。全国46公演を終えた氏を心からねぎらう(85年7月、東京・信濃町の旧・聖教新聞本社で)

 氏はその後、80歳を超えるまでステージに立ち続けた。生涯で30以上のアルバムを残し、4度もグラミー賞にノミネートされている。両親、子ども、孫、そして障がいをもつ双子の姉を支えながら、医療・教育支援のチャリティーコンサートにも力を注いだ。
 かつてアンダーソン氏は、『新しい世界を夢見て』という本で、「アメリカを変えた75人の黒人女性」の一人に選ばれたことがある。
 同書で、氏はこう語り残した。
 「昔、私は幸せを外にばかり求めていました。曲がヒットすれば、結婚すれば、新車があれば、幸せだと。それらは、でも、私に幸せをくれませんでした。今、私は幸せです。幸せは、自分の内面から来るものです。その幸せこそ、自分から決して離れることのない幸せなのです」
 生きて生きて生き抜く中で紡(つむ)がれた、人間革命の旋律である。

【引用・参考文献】  Brian Lanker著『I Dream a World:Portraits of Black Women who Changed America』Harry N. Abrams、Will Friedwald著『A Biographical Guide to the Great Jazz and Pop Singers』Knopf Doubleday Publishing Group、丸山繁雄著『ジャズ・マンとその時代――アフリカン・アメリカンの苦難の歴史と音楽』弘文堂、ウェルズ恵子著『魂をゆさぶる歌に出会う――アメリカ黒人文化のルーツへ』岩波ジュニア新書、『世界ジャズ人名辞典』スイング・ジャーナル社、『20世紀ジャズ名盤のすべて』同。

【プロフィル】  アーネスティン・アンダーソン 1928年11月、アメリカ・テキサス州ヒューストン生まれ。エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン、カーメン・マクレエらと並び称される世界的ジャズシンガー。10代でプロの道へ。60年代半ばから約10年に及ぶ休止期間を経て復活し、80歳を超えるまで舞台に立ち続けた。発表したレコード・CDは30枚以上。グラミー賞に4度ノミネート。2016年3月、87歳で死去。
 ※ご感想をお寄せください。  news-kikaku@seikyo-np.jp


◆新型コロナに立ち向かう 地域の笑顔を守る唐揚げ協会会長
“前に戻る”ではなく“変わる”

 【栃木県佐野市】新型コロナウイルスの感染拡大は生活を一変させ、自粛等により、飲食店の売り上げは激減した。それでも、懸命に活路を開こうと模索を重ねる店も多い。そんな店主たちを応援したいと手を挙げた人がいる。
 自身も「唐揚げ専門店なるねこ」を営む玉井成美さん(43)=白ゆり長=は仲間と協力し、SNSでの情報発信を続ける。佐野・栃木・足利の3市で、新しくテークアウトを始めた飲食店などを紹介する取り組みだ。
 これまで「佐野から揚げ協会」会長として、イベント等を通して、地域を盛り上げてきた。それだけに、同業者の「一日の売り上げが0円」など悲痛な声を聞くと、いたたまれない。市を越えて連携を図りながら、手を差し伸べたかった。
 玉井さんの店も売り上げが半減。3月は休業し、その間、ワンコイン(500円)メニューを考案。4月からはテークアウトのみで営業を再開し、デリバリーも始めた。?
 「何とか対応できる店もあります。けど、そうはいかない店も。それでも前に進もうとしているお店があることを知ってほしい」
 自分のことで精いっぱいになりがちな中、困っている人たちの力になりたいと思うのには理由がある。

 ――玉井さんが「居酒屋なるねこ」をオープンしたのは、2011年(平成23年)のこと。縁もゆかりもない土地。それでも近所の人が支えてくれた。
 3度の流産を越え、子どもを授かった時、地域の人は、わが事のように喜んでくれた。
 19年1月、唐揚げ専門店をオープンさせたが、同年10月、台風19号が襲う。居酒屋と自宅、実家が床上浸水。泥だらけの店内に言葉を失った。すぐに駆け付け、清掃などを手伝ってくれたのが学会の同志だった。常連客も「この味が忘れられなくて」と通ってくれた。
 “信じ、支えてくれる人がいるから、何度でも立ち上がることができる。今度は、私が恩返しをする番だ!”
?
 以前にも増して、地域に尽くそうと、開発に携(たずさ)わったソース味の「佐野黒から揚げ」で地域活性化に尽力。黒くて、ゴツゴツで“いかつい”が、一口?張(ほおば)れば、一転、香ばしいソースのにおいとジューシーな肉の甘みが口中に広がる逸品。イベントに出せば、大人気だった。
 本年2月、地域イベントを主催した。市内外から約5000人が参加し、台風被害からの復興の手応えを実感できた。
 だが、これからという時、新型コロナウイルスの影響で、3月以降のイベントは全て白紙に。4月には居酒屋を休業。苦渋の決断をした。栃木県では緊急事態宣言が解除されたものの、「先の見えない“トンネル”が続いています」。
 それでも、玉井さんたちが手掛けたSNSを「ランチの参考にしました!」という利用者の声に励まされる。インスタグラムのフォロワーも2000を越えた(5月21日現在)。

 苦難に直面するたび、支えになっているのは「すべてを断固と『変毒為薬(へんどくいやく)』できるのが、この仏法であり、信心であります」との池田先生の言葉。
 「このコロナ禍を、“以前に戻る”のを待つのではなく、“新しく変わる”チャンスにしていきたい。苦難を乗り越えた時、前より良くなるのが信心なんだから!」


◆新型コロナに立ち向かう 夢に挑む 創大卒の整体師 揺るがぬ信心 富士のごとく

 【埼玉県桶川市】新型コロナウイルスの感染が広がり、「フィジカル・ディスタンシング(身体的距離の確保)」が求められるようになった。 ?
 だが、どうしても対応が難しい職業もある。感染のリスクを減らしつつ、どう仕事を続けるか。各現場で試行錯誤が重ねられている。
 整体師の関口明光さん(39)=圏男子部長(男子部本部長兼任)=もそうした一人。上尾市内で「カラダドクター整体院」を営む。
 店の特長は「頭から足先まで全身の骨格調整ができること」。
 骨盤だけでなく全身の調整を行うことで、血流の循環や自律神経の伝達が促され、体の機能が回復していく。ストレッチやオイルトリートメントなども併用しながら、こりや痛みを和(やわ)らげる。
 開業4年ながら確かな技術が評判を呼び、月に400人超が来店することも。
 その中で、降りかかったコロナ危機。
 県からの休業要請はなく、踏ん張って営業してきたが、4月の収益は前年比の7割減に。それでも「従業員の生活を守りたい」と、給与は満額支給してきた。
 家に帰れば、3人の娘の父親。長女と次女は小学生。昨年、三女が生まれたばかり。
 収益が落ちれば、生活は苦しくなる一方だ。
 いつ収束するか分からない長期戦。勝ち抜くには持久力がいる。
 不安に負けないよう御本尊に祈り、生命力を奮い起こした。揺るがぬ信心の源には、池田先生との絆がある。
 関口さんは、小学6年の時、父を病で亡くした。家業を継ぎ、女手一つで育ててくれた母。親孝行を誓い、弟・妹と手を取り合って生きてきた。
 ラグビーに没頭した青春時代。高校3年時には、主将として県大会で準優勝。県代表にも選ばれた。  人生を変える出会いもあった。ケガが多く、何度も整体院に通った。真心込めて施術をしてくれた整体師。驚くほど痛みが軽くなる。
 「僕も、誰かのつらさを取ってあげられる人に」。将来の夢を抱いた。


 その後、創価大学へ進学。弟も続き、妹は創価女子短期大学に進んだ。
 在学中、家業が傾くも、きょうだいで支え合いながら、アルバイトを掛け持ちし、学費を工面した。
 迎えた卒業式。関口さんのもとに励ましの句が届く。
 「負けるなと 指さし見つめむ 富士の山」
 創立者からだった。胸に熱いものが込み上げ、誓いを立てた。“整体師として実証を示し、自分の店を構えます”と。
 大手サロンで6年間店長を務め、技術を磨き、海外で事業立ち上げの経験も積んだ。

 2016年(平成28年)、ついに念願の独立を果たす。
 開業5年目の今年、新型コロナという最大の壁が立ちはだかった。
 「今、先生から頂いた句の意味を深くかみ締めています。“不動の信心”で勝つ。店の看板を守り、発展させ、創立者の偉大さを宣揚したい」
 祈り、知恵を湧(わ)かせ、今できることに全力を注いできた。
 店のアルコール消毒を徹底し、施術中は、マスクを着用。常時、換気も行った。
 飛沫を防ぐため、お客との会話も最低限に。「これまでは、お客さまと会話しながら、こりや痛みのもとを探ってきました。今、それができない分、胸の中で題目をあげながら施術をしています」
 徹底したリスク管理に、お客からも信頼が寄せられ、少しずつ客足が戻ってきている。

 最近、お客の顔にも疲れやストレスが色濃くにじむ。「楽になった」と笑顔で家路に就くお客を見るたび、喜びが込み上げる。
 仕事を終えて帰宅すると、圏男子部長として、「同志と苦楽を分かち合いたい」と、電話で近況を語り合ったり、オンライン通話で会合を開いたりしている。
 家族で勤行・唱題する時間も増えた。支えてくれる家族や同志への感謝を胸に、関口さんはきょうも、希望を抱いて前を向く。

 

2020年5月21日 (木)

2020年5月21日(木)の聖教

2020年5月21日(木)の聖教

◆わが友に贈る

 天候・気温の変化に
 気を付けよう!
 一枚多く羽織るなど
 体調管理を賢明に。
 健康第一の毎日を!


◆名字の言 本質を見抜く仏法の眼   2020年5月21日

 母から「花に水をあげて」と頼まれた幼い娘が、文字通り、花びらに水滴を落とし始めた。その姿に母がほほ笑み、根元にも水を掛けながら、優しく教えた▼養分や水分は根から吸収され、茎や枝などに送り届けられること。地中に張った根が、地上に伸びた植物全体を支えていること……。娘は「根っこが大事なんだね」と納得した▼植物に限らず、目に見える事象の根本の大事は、実は目には見えない奥の部分に宿っていることが多い。50年前の1970年、池田先生は多くの会合で、当時、深刻だった公害問題に言及している。政治、経済、医療などの分野で具体的解決を図る必要性に触れつつ、“人類の生存を脅かすものは魔である”と、仏法の眼で本質を見抜く重要性を強調した▼生きていく以上、問題や困難は起こるもの。その時、仏法では人間の生命の内奥に光を当てて“根本”からの解決を探る。一人の偉大な人間革命が、ついには人類の宿命転換を成し遂げるとの思考も、ここを原点としている▼魔とは「奪命者」ともいい、生命力を奪う。では生命力とは何か。池田先生は「未来を信じる力、そして希望を日々新たにし続ける力の異名」と語る。一人一人が生き抜く力を発揮し、結合する中に人類の未来はある。(白)


◆寸鉄

「水は昼夜不退に流るる」
御書。信心だけは弛まず。
試練の時こそ成長の好機
     ◇
池田先生の山光提言の日
鳥取・島根の友よ太陽の
心で励ましの光、地域に
     ◇
第2波必ず来る―専門家
気の緩み警戒。引き続き
「3密」避け拡大を防止
     ◇
マスク着用で感染リスク
2割以下の可能性―研究
手洗いとともに励行徹底
     ◇
空調は早めの試運転を。
夏は修理依頼多く業者の
対応遅れも。万全に準備


◆きょうの発心 上野殿御返事 神奈川・戸塚総区婦人部長 鹿島里美2020年5月21日

御文 聴聞する時は・もへたつばかりをもへども・とをざかりぬれば・すつる心あり、水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり(上野殿御返事、1544ページ・編1083ページ)
通解 (火のように信ずるとは)教えを聴いた時は燃え立つばかりに思うが、遠ざかると、信心を捨てる心が生じることをいう。水のように信ずるとは、常に後退することなく信ずることをいう。

報恩の心で“持続”の前進を
 何があっても、水の流れるような信心を持続していくことが大切である、と仰せです。
 どんな時にも一歩も引かず、喜々として学会活動に励む両親の背中を見て育ちました。少女部員の時、担当者の方とこの一節を拝してから、日々、心肝に染めてきました。
 1978年(昭和53年)に開催された埼玉文化合唱祭に、中等部員として参加。池田先生の前で“大楠公”を合唱し、「師匠にお応えできる人材に」と誓いました。
 職場の同僚だった夫を折伏し、結婚を機に戸塚の地に。夫婦で広布に走る日々です。
 池田先生は戸塚文化会館を訪問された際、近隣へも信頼を広げてくださいました。42年を経た今でも、地域の皆さまとの友好の絆は、固く結ばれています。
 師弟の縁深き戸塚の地で戦う使命を胸に、報恩の心で大前進してまいります。


【先生のメッセージ】

◆〈心に御書を〉45 「一日の命」は宇宙の至宝2020年5月21日

〈御文〉
 命と申す物は一身第一の珍宝なり一日なりとも・これを延るならば千万両の金にもすぎたり(可延定業書、986ページ)
〈通解〉
 命というものは、わが身にとって一番貴重な宝である。たとえ一日であっても寿命を延ばすならば、千万両の莫大な金にも勝るのである。

〈池田先生が贈る指針〉
 家族を介護しつつ自らも病と闘ってきた門下の平癒を、大聖人は懇ろにご祈念くださった。
 信心で病魔に挑むと同時に、善医の治療を受けるよう指導されている。
 医療・看護・介護も闘病も、最も尊い命に尽くす聖業だ。妙法と生き抜く生命は、一日一日、全宇宙の財宝にも勝る大功徳を積める。共々に更賜寿命の実証を!


【聖教ニュース】

◆〈世界の友は今〉 インド創価学会 グプタ議長  2020年5月21日
 我らの合言葉は「私は決して負けない」

 13億を超える人口を抱えるインドでは、3月下旬から、交通や経済活動などを制限するロックダウン(都市封鎖)が全土で続く。現在の社会状況やメンバーの様子などについて、インド創価学会(BSG)のビシェーシュ・グプタ議長に聞いた。

 ――先日(17日)、制限を一部緩和した上で、ロックダウンが今月31日まで延長されることが発表されました。現在のインド社会の状況について教えていただけますか。

 インド全体の新型コロナウイルスの感染者は現在、アジアで最多の10万人超に上っています。2カ月ほど続いているロックダウンにより、現時点では、感染が爆発的に広がることは一定程度、抑えられていると受け止められています。
 しかし、経済面への打撃は深刻で、全労働者の4分の1以上ともいわれる人々が職を失い、4月から給料が支払われていない人も大勢います。また、大半の小規模事業者は閉店・休業を余儀なくされ、航空産業やサービス業、多くの出稼ぎ労働者を受け入れていた建設業等は、壊滅的な被害を受けています。
 さらに、長期にわたる自宅待機や失業の増加、先行きが見通せない不安によって、家庭内暴力などの増加も問題となっています。
 これはインド特有の事情かもしれませんが、中流以上の家庭は一般的に、お手伝いさんを雇っています。しかし、ロックダウンによって、お手伝いさんを家に呼ぶこともできなくなり、家事などを家族が行わねばならない状況が生まれています。そうした慣れない負担の増加も、家庭不和の要因の一つとなっています。
 社会がこうした状況だからこそ、BSGでは「アイ アム インビンシブル(私は決して負けない)」を合言葉に、さまざまな取り組みを通して励ましを広げてきました。

 ――そうした活動とともに、政府への支援も行ってきたと聞いています。

 はい。モディ首相が緊急基金の創設を発表したのを受け、BSGとしても理事会を開催し、新型コロナウイルス対策支援の一環として、同基金に義援金を寄付することを決定しました。
 同基金からは、今回の義援金が人工呼吸器の購入や出稼ぎ労働者への食料供給、ワクチン開発に充てられたと伺っています。
 また、社会への貢献という観点でいえば、BSGには医師や看護師など、自らの危険を顧みずに、新型コロナウイルス患者の治療のために尽くしているメンバーが大勢います。
 さらには困窮する出稼ぎ労働者のサポートに当たったり、生活必需品を配布するNGO(非政府組織)で作業に携わったりと、さまざまな分野で同志が奮闘しています。

2カ月に及ぶロックダウン深刻な経済への打撃
祈りと励ましが不屈の生命を開く力共に苦難に勝つ日々を
11万人がオンラインの集いに参加 新たな愛唱歌と前進

創価菩提樹園には、池田先生の筆文字を刻んだ「世界平和の碑」が立つ

創価菩提樹園には、池田先生の筆文字を刻んだ「世界平和の碑」が立つ

 ――会合や訪問などの自粛が続いていますが、BSGでは5・3「創価学会の日」を目指して、かつてない唱題に挑戦したそうですね。

 ええ! 新たな前進を誓うとともに、新型コロナウイルス感染拡大の一日も早い終息を祈ってきました。4月からの1カ月で、合計70億遍を超える題目を皆であげ抜くことができました。
 こうした中で迎えた「5・3」当日には、各地区でオンラインの集いを開催。全土で11万人を超えるメンバーが喜々として参加し、多くの素晴らしい体験が発表されました。
 また、BSGでは「5・3」を記念して新愛唱歌「インビンシブル フォーエバー(決して負けない 永遠に)」を制作しました。
 この歌は、第3代会長就任以来、60年にわたって世界広宣流布の指揮を執り続けてくださっている、池田先生への感謝を込めてつくったものです。
 皆で集えない中での歌の制作は困難を伴うものでしたが、芸術部員が中心となり、互いに連携を取りながら進められました。そして出来上がった歌詞と曲に、BSGメンバーの映像などを加えて動画が完成したのです。
 私たちはロックダウンという苦しい状況にいます。しかし、そうした環境にあっても、唱題によって、励ましの力によって、断じて仏界という不屈の生命を開いていくのだ――これが歌に込めた私たちの誓願です。
  
 ――素晴らしいですね。現在は、どのようなことに取り組んでいますか。

 「5・3」を勝利で飾り、今は、創価の人権闘争の原点の日である「7・3」を目指して、新たな運動を進めています。
 その焦点は、一人一人への徹底した励ましです。先ほど申し上げたように、インドの社会・経済は大きなダメージを受けています。この影響は今後、さらに激しいものになっていくと思います。
 だからこそ、同志に対しても、また友人に対しても、御書や先生のご指導をもとに、真心と慈悲の精神で励ましを送っていくことが重要です。
 また、これまでBSGの各種行事に参加された来賓や識者の方々にも、電話やメールを通じて安否や近況を伺っています。ウイルスという共通の脅威に立ち向かうため、インド社会全体に励ましと善の連帯を広げていきたいと願っています。
  
 ――最後に、現在の困難な状況について、グプタ議長は信心の観点から、どのように捉えていますか。

 私が深く感じるのは、今こそ「本当の信心」が試されている時であり、これまで学んできた御書や池田先生のご指導を実践し、実証を示していく時だ、ということです。
 御書を研さんしたり、先生のご指導を学んだりすることは、もちろん素晴らしいことです。しかし、大切なのは、それを真の意味で実践に移すことです。現実の苦難に挑んでいくことです。
 経王殿御返事には、「わざはひも転じて幸となるべし、あひかまへて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給へ、何事か成就せざるべき」(御書1124ページ)と仰せです。
 池田先生は、この御聖訓を通して、私たちは強き信心によって、全てを変毒為薬していくことができるのだ、と教えてくださっています。
 私たちが乗り越えられない苦難などありません。「今こそ、御書をわが身で実践しよう! 妙法の偉大な力を実感しよう!」――そのように私は同志を励ましています。
 信心への深き確信を胸に、日々の困難に打ち勝ち、さらには新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)に打ち勝っていきたい。これが私の決意であり、インドの全同志の決意です。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈「新・人間革命」と私〉 世界を照らす人材の天地と総千葉長 髙木義介さん

 (山本伸一は「水滸会」の野外研修の場所を考え)太平洋の旭日を仰ぐ、千葉県・犬吠埼としたのである。そこには、伸一がこの年の秋に、世界平和への第一歩を印す、アメリカにつながる海がある。広宣流布の大海に船出する、気宇壮大な丈夫の集いにふさわしい景勝の地といえた。〈第2巻「練磨」の章〉

〈時代背景〉
 1960年(昭和35年)7月30日、31日にかけて、男子部の「水滸会」の野外研修が千葉県・犬吠埼で行われた。山本伸一は、駆け付けた地元・銚子の同志と即席の“野外座談会”を開催。誠実に、真剣に、時にユーモアを交えながら、友に励ましを送った。また31日には、千葉の富津へ。女子部の「華陽会」の研修に参加し、激励を重ねる。

世界を照らす人材の天地と
 「錬磨」の章に描かれる銚子と富津での山本伸一の激励行は、千葉の黄金の歴史として輝いています。
 この章を改めて読み、思うのは、千葉の持つ使命です。第3代会長に就いたばかりの伸一が初の海外訪問を目前に、世界広布の未来を見据え、次代を担う青年育成の場として千葉を選んだ。そこに深い意義を感じます。池田先生の会長就任60周年、さらに銚子・富津訪問から60周年の今、千葉から世界の未来を照らす人材を輩出することを深く誓っています。
 また、銚子での“野外座談会”で伸一が同志のために自ら摘んだ花を贈る場面では、一瞬の出会いを逃さず、一人一人と原点を築こうとする真心が胸に迫ってきました。
 私自身、先生のそうした慈愛を感じた思い出が幾度もあります。中でも男子部書記長として本部幹部会等の運営に携わらせていただき、同志の喜びになればと、次から次に励ましを送る先生の姿を間近に学んだ日々は、人生の宝です。この師の魂を一人でも多くの友に伝え、師弟の大道を歩んでいきたいとの一心で、小説『新・人間革命』を学び深めながら、同志と共に千葉広布に走り抜いてきました。
 小説には、千葉の友との歴史が数多く描かれていますが、特に心に刻むのは、千葉の県歌「旭日遙かに」の制作の背景が書かれた「広宣譜」の章です。同章で先生は、日蓮大聖人有縁の千葉を舞台に戦う同志は「最も功徳を身に受け、幸せの実証を示してほしい」と記されました。
 この心に応えようと、千葉で開催された2年前の関東総会では、ブロック1を超える拡大を達成しました。そして、総会直後の6月6日、牧口先生の生誕日に池田先生が千葉に来県。浦安平和会館を写真に収め、先師の千葉での足跡をしのんだ思いを後日の随筆でもつづってくださり、新たな歴史を刻んでくださいました。
 我らが掲げる「旭日の千葉」とは、師弟の“誓いの合言葉”。師への尽きせぬ感謝を胸に、一人一人が地域の太陽として輝いていきます。

◆〈池田先生の会長就任60周年 青年部が原田会長に聞く Ⅱ部〉第4回 人間讃歌の時代開く大文化運動㊤2020年5月21日

〈出席者〉西方男子部長、大串女子部長、樺澤学生部長、林女子学生部長

信仰による生命の歓喜と躍動――仏法の哲理を社会に昇華!

 ◆大串 創価学会は、仏法を基調とした平和と文化と教育の運動を多角的に展開しています。日本から始まった、この民衆運動は今、世界中に広がっています。そこで今回からは、学会の文化運動について伺いたいと思います。
  
 ◇原田 はじめに、新型コロナウイルスの感染拡大で、文化・芸術に携わる方々も、いまだかつてない苦境にあることを思うと、本当に心が痛みます。一日も早い終息を祈るばかりです。人々を結び、希望の光源にもなる、文化・芸術は人類にとって不可欠なものです。人々に“生きる力”を与えてくれるのも、文化・芸術の価値であると思います。
 いつの時代も、優れた文化の根底には、宗教がありました。まだ学会の草創期、はるか未来を見据え、戸田先生は「大白蓮華」の巻頭言(1956年<昭和31年>)で、「最高の文化国家の建設」「広宣流布と文化活動」について論じられました。
 この恩師の理念と構想を、民音や東京富士美術館の設立をはじめ、広範な規模で、一つ一つ実現されたのが池田先生です。
  
 ◆樺澤 先生は70年5月3日の本部総会で、「広宣流布とはまさしく“妙法の大地に展開する大文化運動”である!」と宣言されています。
  
 ◇原田 小説『新・人間革命』第15巻「蘇生」の章には、「妙法の大地に展開する大文化運動――それは、仏法の人間主義を根底とした社会の建設である。肥沃な土壌には、豊かなる草木が繁茂する。同様に、仏法の大生命哲学をもって、人間の精神を耕していくならば、そこには、偉大なる文化の花が咲き薫り、人間讃歌の時代が築かれることは間違いない。いな、断じて、そうしなければならない。そこにこそ、仏法者の社会的使命があるのだ」と記されています。
 忘れ得ぬシーンがあります。74年5月の初訪中の際、中国側のスタッフから「創価学会とは、どのような団体ですか」と問われた時、先生は「広宣流布を推進する団体です。広宣流布とは、仏法を基調にして、平和と文化と教育に貢献することです」と述べられたのです。
 約3カ月後の初訪ソの折にも、コスイギン首相との会談の中で、「あなたの根本的なイデオロギーはなんですか」との問いに対し、「平和主義であり、文化主義であり、教育主義です。その根底は人間主義です」と答えられています。首相も「その思想を、私たちソ連も、実現すべきであると思います」と応じられました。
  
 ◆林 この基本的な考え方が、今日の各国のメンバーの活動の指針になっていますね。
  
 ◇原田 ソ連から帰国された直後の74年9月27日に宮城県仙台市で行われた本部幹部会で、先生は9項目にわたる「広布への指針」を発表されました。
 その第2で、「学会は広宣流布の団体である。さらに、大仏法を基調とした平和と文化の推進の団体である。理由は、信仰それ自体は一個人の内面的問題にとどまってしまう。それでは『立正安国論』の原理に反する。したがって、日蓮大聖人の仏法が広宣流布を志向する上から、過去の仏法昇華の歴史の上からみても、文化・平和を推進し建設するのは、当然の法理であるからである」と述べられています。
 学会が、世界へ未来へ向かって進むべき道を明確に示されたのです。

世界57カ国・地域からも友が集い、空前の規模の10万人の参加者となった、第4回「世界平和文化祭」(1984年9月、阪神甲子園球場で)

池田先生の手作りで船出 日本一の音楽隊、鼓笛隊
 ◆西方 「妙法の大地に展開する大文化運動」の“先駆け”となってきたのが、各地で行われた文化祭です。文化祭といえば、67年10月15日、当時の国立競技場で行われた、世紀の大祭典「東京文化祭」には、政・財界人や言論人、学者、各国の駐日大使など5000人の来賓が参加したと聞いています。
  
 ◇原田 その模様は、『新・人間革命』第12巻「天舞」の章に詳しく描かれていますが、来賓の一人であった松下幸之助氏の言葉が、この文化祭のスケールを表していると思います。
 「一歩、会場に足を踏み入れた瞬間から興奮を覚え、荘厳華麗な人絵や演技が進行していくにつれて、会場全体が一つの芸術作品のるつぼと化し、躍動の芸術とでもいうか、筆舌し難い美の極致という感に打たれた。これも信仰から自然にわき出る信念により、観覧者をして陶酔境に浸らしめ、自分としても得るところ大なるものがあり、感銘を深くした」
 こうした文化運動の中で、学会の力は社会に大きく示され、また多くの人材が錬磨されていくのです。
  
 ◆西方 各地の文化祭では、音楽隊、鼓笛隊も活躍しました。54年5月6日、青年部の室長であった池田先生が音楽隊を結成してくださったことは、何よりの誇りです。
  
 ◇原田 ご存じのように、この時、先輩幹部や理事たちは、先生の考えに全く関心を示さず、反対する人も少なくありませんでした。結局、先生が一人で費用を工面し楽器を贈るなどして、今日の世界に誇る大音楽隊が船出したのです。
 3日後の9日、全国から集った青年5000人の前で、音楽隊は初めての演奏を披露しました。当時、中学1年生の私もその場に居合わせ、演奏を聴きました。雨中で真剣に演奏する雄姿、気迫に、「すごい」と感動したことを覚えています。
 何より、音楽隊の演奏の指揮を、池田先生が雄渾に執られる姿は、広布の一ページとして刻まれています。
 鼓笛隊も56年に先生が結成してくださいました。先生自ら、楽器を買いそろえてくださり、「世界一の鼓笛隊に」との期待を胸に出発したのです。
  
 ◆西方 音楽隊は今、世界各地に広がり、学会の文化運動の担い手として活躍しています。16度の“日本一”に輝いている「創価ルネサンスバンガード」の演奏は“模範楽曲”として、全国で参考にされています。日本のマーチング団体の“教科書”のような存在になっているのです。バンガードに入りたいために、学会への入会を希望する青年もいます。
 ほかにも、創価グロリア吹奏楽団、関西吹奏楽団、しなの合唱団などが“日本一”に輝いています。
  
 ◆大串 鼓笛隊も“日本一”の創価グランエスペランサ、創価中部ブリリアンス・オブ・ピースをはじめ皆が、全国、全世界で、地域の行事に張り切って出演しています。
  
 ◇原田 学会は、青年が生き生きと躍動している団体です。文化祭の淵源は54年11月7日、広宣流布への青年の熱と力を表現する新たな試みとして、池田先生が体育大会を企画し、開催されたことにあります。
 私は東京・世田谷の日大グラウンドで行われた、この第1回体育大会「世紀の祭典」にも参加し、競技の応援をしました。「学会魂」という棒倒しや1万メートル競走など、若人の熱気に満ちあふれ、新しい時代を建設しようとの意気込みを感じました。また、応援合戦も楽しく、“宗教”という殻に閉じこもるのではなく、学会の幅広い開かれた世界に魅力を感じたことをよく覚えています。
  
 ◆樺澤 戸田先生が、「原水爆禁止宣言」を発表されたのも、神奈川での体育大会でした(57年9月8日)。
  
 ◇原田 学会が行ってきた体育大会にせよ、文化祭にせよ、人間の生の躍動と歓喜を表現するものです。平和といっても、単に戦争がない状態ではなく、人々の生きる喜びがなければなりません。学会の運動は、民衆一人一人の内なる生命の躍動と歓喜を呼び覚まし、人類をつなぎ、人間性の勝利を打ち立てるものです。文化祭等の催しは、その一つの象徴といえます。
 81年6月には第1回の世界平和文化祭がアメリカのシカゴで、82年9月には埼玉の所沢で第2回が開催され、東西冷戦下の80年代、平和文化祭の流れが作られていきます。これらは世界広布新章節の開幕を告げる祭典であり、世界宗教としての創価学会の、新たな船出の催しでした。さらに平和文化祭は、各国、各地に広がっていきます。

約6万人の観衆が見つめる中、要請を受け、新「国立競技場」のオープニングイベントで熱演する、音楽隊と鼓笛隊(昨年12月)

学会は歌と共に進み、歌で勝つ
 ◆大串 先生は常々、「学会は、歌とともに進んできた。歌で勝ってきた」と言われます。青年部は、“歌の力”で現在の困難を乗り越えようと、「うたつく」(歌をつくろう)運動を行い、制作参加者が1万人に及ぶ中で「5・3」に完成しました。「勇気の心が春を呼ぶ」と確信し、「笑顔」で新たな「未来」を開いていく決意です。
  
 ◇原田 新しい青年の歌「未来の地図~Step Forward~」の完成、本当におめでとうございます。
 歌といえば、私は先生が「人間革命の歌」を作られた時のことを思い起こします。76年、大阪事件の出獄から20年目を迎える年のことです。
 先生は、「いかなる大難にも負けない、魂の歌を作りたいんだ。希望を湧かせ、勇気を鼓舞する、人間讃歌を作りたいんだ」と言われながら、この歌に取り掛かられました。
 72年から75年は、世界を舞台にした先生の平和外交、人間外交が活発に展開された時でもあります。しかし実は、この頃から、第1次宗門事件の嵐が吹き始めていました。それは、創価の師弟を分断し、衣の権威で信徒を隷属させようとする、広布破壊の大謀略でした。
 先生は「必ず魔出来すべし魔競はずは正法と知るべからず」(御書1087ページ)との御聖訓を命に刻まれていました。ゆえに、“吹雪に胸はり いざや征け”という、障魔に負けない、大難に打ち勝つための歌を作られたのです。
 当時、先生から、「本来ならば、こうした歌は弟子が作るべきである。皆が作らないから、私が作ったんだ」と厳しく指導されたことがあります。未来の広布を見据え、これから先、どんな大難があっても、断じて揺るがず、心を一つにして師弟の信心で進めば、必ず勝ち越えていける――「人間革命の歌」に込められた師の慈愛を思う時、その深さに心が震えます。
  
 ◆林 先生は、ピアノの演奏を通し、同志に励ましを送ってくださることもあります。
  
 ◇原田 全ては、会員の皆さまに、勇気と希望を届けるためです。第3代会長を辞任された直後、宗門らの謀略により、会合でスピーチをすることができなくなる中、静岡研修道場で“大楠公”の歌のピアノ演奏をテープに収め、代表に贈ってくださったこともありました。
 初めに「わが愛し、信ずる君のために、また、二十一世紀への大活躍を、私は祈りながら、この一曲を贈ります」との言葉を録音し、ピアノに向かわれたのです。烈々たる気迫の演奏でした。
 当時の真情が『新・人間革命』第30巻<上>「大山」の章に描かれています。
 「ひたすら弟子の成長を願い、一心に、時に力強く、魂を込めた演奏が続いた。“立てよ! わが弟子よ、わが同志よ。勇み進め! 君たちこそが伸一なれば!”」――先生は、そうした思いを込めて、ピアノの演奏をされているのです。

東京・信濃町の広宣流布大誓堂の北側広場に立つ、池田先生が作詞・作曲した「人間革命の歌」の碑

◆信仰体験 大腸がんを越えて郷土の潮騒を守る
苦労が人生を豊かにする

 【愛媛県松山市】愛媛県の中部を流れる1級河川・重信川(しげのぶかわ)。河口付近の今出ケ浜(いまづがはま)では、多くの渡り鳥が越冬(えっとう)する。仙波隆(せんばたかし)さん(68)=圏本部長=は、浜の環境保全に努める「今出ケ浜潮騒を守る会」の会長。ほかにも五つの地域役職を担う。病魔に打ち勝ち、いよいよ元気に地域貢献の使命に燃えている。

継続こそが重要
 河川敷から見えるシギやチドリなどの渡り鳥の群れ。潮が引いた砂浜には、貴重な生き物たちが。白く大きなハサミを扇子のように振る姿が愛らしいカニ「ハクセンシオマネキ」に、葉の形が匙に似て海岸に生える植物「ハマサジ」。
 環境省レッドリストで絶滅危惧種と準絶滅危惧種に指定されている。仙波さんは「浜では生息域が広がり、多くの生物を見掛けるようになりました」と。
 かつての今出ケ浜は荒れ果てていた。100本以上のアカシアの木が群生し、砂浜に入ることさえかなわない。そこに不審者も住み着いた。地域住民の不安の声を受けた行政が、撤去作業と整地を実施。

 “美しくなった浜を保全しよう”と有志が立ち上がり、2001年(平成13年)5月、「今出ケ浜潮騒を守る会」が設立された。
 当初からのメンバーである仙波さんは07年、2代目の会長に就任。2カ月に1度、会員が集まり浜の清掃活動を行ってきた。
 海からの漂流物や川上から流れてきたペットボトルやプラスチック。拾い集めた浜のゴミは、毎回90リットルのゴミ袋で20袋ほどにもなる。
 また、年に2回、地域の小・中学校とも連携して、児童・生徒と浜を清掃。地域20団体の支援と8つの企業からも協賛を受ける。
 「継続こそが重要です。今では、約600人もの方が参加し、交流しながら自然の大切さを学ぶ機会にもなっています」と笑顔の仙波さん。だが5年前、地域活動ができなくなる危機に襲われた。

子から孫へと後継のバトンをつなぐ仙波さん(右から仙波さん、孫の上田英一君と和幸君、妻・美恵さん、長女・上田久美さん)

がむしゃらに祈る
 15年4月、病院で大腸の内視鏡検査を受けた。目の前のモニターには、明らかな異物が見えた。  “これは、がん……”
 前年の11月、定期健診で便に潜血反応があった。再検査すべきだったが、経営する印刷会社が多忙を極めていた時期。“もっと早く診てもらえばよかった”。後悔(こうかい)しても始まらない。
 後日、医師から「大腸低分化腺がん」と告げられた。「進行の早い“やんちゃながん”で、ステージ3bから4a」とも。ストーマ(人工肛門)を造設する必要があり、転移の恐れを考え、周辺のリンパも切除することになった。
 仙波さんは、自身に言い聞かせた。“これまで病気らしい病気をしてこなかった。いよいよ、俺の信心が試されている!”

 仙波さんの信心の原点は1985年(昭和60年)。大阪で就職していたが、父と病の兄を支えるために帰郷。不遇(ふぐう)な二人を幸せにしたい一心で、84年、創価学会に入会した。妻・美恵さん(68)=支部副婦人部長=も3カ月後に信心を始める。
 父と兄の印刷会社を継いだ。会社といっても、社員は夫婦二人だけ。
「畑違いの仕事に慣れず、今なら10分でできる作業も一晩がかり。寝る間も惜しむ日々でした」
 翌85年、美恵さんの妊娠が分かった。喜びと不安。夫婦は悩んだ。
 実は、以前に授かった2人目は子宮外妊娠だった。その際、美恵さんは1500㏄以上も出血し、生死の境をさまよった。子宮の一部を切除したため、医師から「今後の出産は難しい」と言われていた。
 危険もあるが、「授かった命を産みたい」と懸命に唱題する妻。仙波さんも、3時間睡眠で働く中、御本尊の前に端座する時間は少なくとも、「所を構わず、時間を見つけては、がむしゃらに祈りました」。
 同年2月と4月、池田先生が愛媛を訪問した。4月の「愛媛青年平和文化祭」への出演は、どうしてもかなわなかった。その分“出産の無事”と“仕事で実証”をと祈りを強めた。
 そして12月、長男・拓也さん(34)=男子部副部長=が誕生。母子ともに健康な出産だった。夫婦は信心の確信をつかんだ――。

環境活動で大賞
 不可能を可能に――その確信で臨んだ大腸がんの手術は、9時間に及んだ。術後、100人を超える同志が成功を祈ってくれていたと聞いた。「学会は、本当に温かいところだと涙があふれて」
 転移も無く、抗がん剤の副作用もほとんど無かった。立て直した会社は畳むことにした。
 「人を大切にすることは、地域を大切にすることだ」と、恩返しの思いで、学会活動と地域活動に復帰した。
 今月、手術から満5年を迎えた。ストーマの装具の取り換えも手慣れたもの。
 町内会長を務め、今年で30年。垣生地区まちづくり協議会の事務局長や自主防災会、青色防犯パトロール、地域の広報委員会の副会長などでも奮闘(ふんとう)する。
 「地域活動をして30年。『学会の悪口を言う人がいなくなったね』と地域の方々が言ってくれました。そのことが本当にうれしくてね」と、ほほ笑む。

 90年、池田先生との出会いが実現した。青年部の代表で参加した静岡の文化祭だ。
 青年部時代の集大成として、戦い抜いた姿で池田先生のもとに集うことができた。「自分はこれから何をするべきか。祈りを根本にもう一度、地域広布に生きようと腹を決めました」
 長女の上田久美さん(43)=地区婦人部長=と拓也さんは、共に創価大学を卒業。妻・美恵さんも、民生・児童委員を22年間務めるほかに五つの役職を担い、夫婦で地域の発展に尽力する。

 「今出ケ浜潮騒を守る会」は、地道な活動が評価され、2013年に「環境大臣表彰」を受賞。今年2月には県内で優れた環境保護活動を行っているとして、第16回「三浦保環境賞」の大賞が贈られた。
 他者への思いやり、誠実な振る舞い――師の姿を模範に信仰の大道を歩む。 ?
 「池田先生は、『わが地域の躍進を! 信頼と友好の太陽たれ!!』と示してくださいました。これからも、信心根本により良い街づくりに力を尽くしていきたい」。誓いを胸に、地域の中に飛び込む。 (愛媛支局発)

 

◆【青年部のページ】電子版YOUTHコーナーおすすめコンテンツ 「島根・隠岐本部男子部のオンラインの集い」他   2020年5月21日

 聖教電子版「YOUTH」コーナーで配信している、「青年部向けコンテンツ」を紹介します。今回のトップは、島根・隠岐本部男子部の“オンラインの集い”。島を越えて一人一人に励ましを送るにはどうすればいいのか――試行錯誤する中で生まれた先駆の取り組みを紹介しています。(このコンテンツは5月18日に配信。紙幅の関係で、一部修正を加えています)

島根・隠岐の島町(PIXTA)

島根・隠岐の島町(PIXTA)
 5月14日の夜、島根県の隠岐諸島からなる隠岐本部では、男子部がウェブ会議のアプリを使って、オンラインの集いを開催した。

準備して皆を待つ
 午後8時25分。男子部本部長の安井裕彦さんは、自宅でノートパソコンを開くと、アプリを立ち上げ、接続を開始した。

 「こっちの声、聞こえてますか?」「こんばんは」「おつかれさまー」と、皆が画面の中で笑顔を見せる。

 安井さんは主催者として、毎回、5分前にはアプリを立ち上げて待機するという。「そうすることで、開始時間がずれにくくなりますし、双方の声が聞こえるかをチェックすることもできます」
初めての参加者を歓迎
 午後8時半に「本部の集い」を開始。この日は、7人の笑顔が画面上にあった。いつも皆で、聖教新聞の読み合わせ、一人一人の近況報告などを行う。

 この日の集いには、出張先の他県から参加したメンバーのほかに、初めて参加するメンバーもいた。画面越しでも自分の印象が伝わるよう、初参加のメンバーに向かって皆が一生懸命、自己紹介を行った。笑いは絶えなかったが、安井さんは、午後9時をめどに終了を告げた。

 「オンラインは便利ですが、長くなるとストレスに感じる人も出てくると思うんです。だから、時間は30分をめどにし、集いの事前連絡をする時に、開始時刻だけでなく終了時刻も伝えています」と安井さんは語る。

島を越える笑顔
 隠岐諸島は、本州から北方へ約80キロ、大小180を超える島で構成される群島だ。

 同じ本部の中にも、安井さんと異なる島に住むメンバーがいる。船で別の島に渡って会合に参加するとなると、宿泊が必要になる。そのため、男子部のメンバーは、電話やメールで連絡を取り合い、安井さんたちリーダーが島から島へ訪問・激励をしながら、信心を深め合ってきた。

 「そうした中で、なかなか会えない一人一人に、もっと励ましを送るにはどうすればいいかと考えました。そして、昨年11月ごろから、別の島に住むメンバーとウェブ会議アプリを使って一対一で語り合うようになったんです。たとえ映像でも、相手の顔を見ながら頻繁に話せることがうれしくて」(安井さん)

 その後、試しに、本部の集いをオンラインで開催すると、メンバーからも好評だった。以来、こうした集いも積極的に行うようになったという。

 だから、新型コロナウイルスの感染防止のため、学会の会合等が自粛になっても、隠岐本部男子部の“励まし運動”は、勢いを失うことはなかった。この諸島で環境に負けずに挑戦してきたことが、図らずも、急激な変化の時代を先駆する活動になっていたのだ。

価値創造で勝つ

 「こうした場によって『心のつながり』を再確認できています。互いの話に、声は出さずとも相づちを打ったり、ジェスチャーで感情を示したりしながら、励まし合えるので」と安井さん。

 池田先生はかつて「変化の激しい現代社会は、“智慧の戦い”の場である。すばやく学び、価値を創造できる智慧のある者が勝つ。青年時代は、その基盤をつくる大切な時期である」と語っている。

 “どの一人にも励ましを送りたい”という思いから始まった、隠岐本部のオンラインの集い。環境や社会がいかに変化しようとも、この真心がある限り、前進の知恵は無限に湧いてくる――彼らの挑戦は、それを雄弁に物語っていた。

 




2020年5月20日 (水)

2020年5月20日(水)の聖教

2020年5月20日(水)の聖教

◆わが友に贈る

 仏法に無駄はない。
 前向きに挑戦した
 全ての経験は
 必ず後に生きてくる。
 弛まず一歩ずつ前へ!


◆名字の言 哲学者・ショーペンハウアーの「ヤマアラシのジレンマ」  2020年5月20日

 ヤマアラシが寒さを防ぐため、互いの体を近づける。ところが、自分のハリで相手を傷つけてしまう。仕方なく離れると、今度は体が凍えてしまう。ドイツの哲学者・ショーペンハウアーが考えた「ヤマアラシのジレンマ」という話である▼悩んでいる人に直接会って励ますことができないなど、新型コロナウイルスの感染拡大によって、私たちは経験したことのないジレンマに遭遇している。言葉も、その一つ。人によって捉え方が大きく異なる▼「ステイホーム」を促す記事を書いていても、そのマイナスの影響を受ける飲食業や観光業に携わる同志の顔が思い浮かぶ。「希望」とつづって、血が通った言葉かどうか、何度も自問する▼岩手日報社の代表取締役社長・東根千万億氏は、「人の痛みを知り、人の有り難みを知ると、人を思う想像力が深まります。それが価値を生む創造力を培う糧になると思います」(本紙2019年2月9日付)と述べている。他者の痛みを知ろうとの姿勢なくして、人の心に届く言葉は生まれまい▼冒頭の「ヤマアラシのジレンマ」は、試行錯誤を繰り返しながら、最終的に痛くも寒くもない適度な距離を見つけ出す。諦めず、弛まず――そこから、明日への「希望」が輝き始めると信じる。(澪)


◆寸鉄

学会は組織の根底に苦楽
を分かち合う絆がある―
学長。今こそ連携を密に
     ◇
岩手「女性の日」「青年部
の日」。今日も励ましの声
掛け。福光の歩みを益々
     ◇
若人の人間革命で世界は
変わる―博士。発想力と
行動力で希望の時代開け
     ◇
感染症対策、気の緩みが
出る時。「身体的距離」の
確保を。絶対に油断せず
     ◇
持ち帰り弁当等の食中毒
に注意。放置すれば菌は
増殖。早めの消費を徹底


◆きょうの発心 諸法実相抄 鳥取・倉吉栄光県長 駒井晃2020年5月20日

御文 行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし(諸法実相抄、1361ページ・編550ページ)
通解 行学の二道を励んでいきなさい。行学が絶えてしまえば仏法はない。自分も行い、人をも教化していきなさい。行学は信心から起こる。力があるならば一文一句であっても人に語っていきなさい。

「大山のごとく」勝利の歴史を
 信心根本に「行学の二道」にまい進することが、仏道修行の根幹であるとの仰せです。
 1984年(昭和59年)の鳥取青年平和文化祭に、入会間もなかった私も組み体操のメンバーとして参加。池田先生の「厳然とそびえる大山のごとく、信念の人間として生き抜いてほしい」との指導が原点です。以来、同志の皆さまと共に、地域広布に走りました。
 仕事では、インドネシアに駐在員として3年半滞在。SGIメンバーの純粋な信心に触れ、世界広布の広がりを肌で感じました。
 きょう5月20日は、36年前、池田先生が「倉吉は勝ったね!」と宣言された「倉吉勝利宣言の日」です。この日、先生は倉吉会館を初訪問し、第1次宗門事件の嵐を勝ち越えた同志を激励されました。悪と戦う信心を継承し、勝利の歴史を築いてまいります。


【先生のメッセージ】

◆連載〈世界広布の大道〉小説「新・人間革命」に学ぶ 第19巻 御書編2020年5月20日

絵・間瀬健治

絵・間瀬健治

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第19巻の「御書編」。小説で引用された御書、コラム「ここにフォーカス」と併せて、識者の声を紹介する。挿絵は内田健一郎。

御本尊は生命映す「明鏡」
【御文】
 此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり(御書1244ページ、日女御前御返事)
  
【通解】
 この御本尊を決して別の所に求めてはならない。ただ、私たち衆生が法華経を持って南無妙法蓮華経と唱える、その胸中の肉団にいらっしゃるのである。
  
【小説の場面から】
 〈1974年(昭和49年)の「立宗宣言の日」にあたる4月28日、山本伸一は、北陸の同志に、御本尊の意義について語る〉
  
 仏は、遠い彼方の世界にいるのではない。また、人間は神の僕ではない。わが生命が本来、尊極無上の仏であり、南無妙法蓮華経の当体なのである。ゆえに、自身の生命こそ、根本尊敬、すなわち本尊となるのである。   
 そして、その自身の南無妙法蓮華経の生命を映し出し、涌現させるための「明鏡」こそが、大聖人が曼荼羅として顕された御本尊なのである。(中略)
 人間の生命を根本尊敬する日蓮仏法こそ、まさに人間尊重の宗教の究極といってよい。そして、ここにこそ、新しきヒューマニズムの源泉があるのだ。
 誰もが、平和を叫ぶ。誰もが、生命の尊厳を口にする。
 しかし、その尊いはずの生命が、国家の名において、イデオロギーによって、民族・宗教の違いによって、そして、人間の憎悪や嫉妬、侮蔑の心によって、いともたやすく踏みにじられ、犠牲にされてきた。
 いかに生命が尊いといっても、「根本尊敬」という考えに至らなければ、生命も手段化されてしまう。(中略)
 人間の生命に「仏」が具わり、“本尊”であると説く、この仏法の哲理こそ、生命尊厳の確固不動の基盤であり、平和思想、人間主義の根源といってよい。(「宝塔」の章、300~301ページ)
  
皆が使命深き地涌の菩薩
【御文】
 末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり(御書1360ページ、諸法実相抄)
  
【通解】
 末法において妙法蓮華経の五字を弘める者は、男女は問わない。皆、地涌の菩薩の出現でなければ、唱えることのできない題目なのである。
  

【小説の場面から】
 〈1974年(昭和49年)2月、山本伸一は、沖縄の友に広布の使命への自覚について訴える〉
 「末法にあって、題目を唱え、広宣流布の戦いを起こせるのは、地涌の菩薩です。(中略)私たちは、どんな宿業に悩んでいようが、本来、地涌の菩薩なんです。
 宿業も、末法に出現して広宣流布するために、自ら願って背負ってきたものなんです。でも、誰を見ても、経済苦や病苦など、苦しみばかりが目立ち、地涌の菩薩のようには見えないかもしれない。事実、みんな、日々悩み、悶々としている。
 しかし、広宣流布の使命を自覚し、その戦いを起こす時、自らの胸中に、地涌の菩薩の生命が、仏の大生命が厳然と涌現するんです。
 不幸や悩みに負けている仏などいません。苦悩は必ず歓喜に変わり、境涯は大きく開かれ、人間革命がなされていく。そして、そこに宿命の転換があるんです」(中略)
 法華経の会座において、末法の広宣流布を託されたのが地涌の菩薩である。そして、その上首・上行菩薩の姿を現じられたのが御本仏である日蓮大聖人である。
 したがって、私たちは広宣流布の使命に生きる時、地涌の菩薩であるその本来の生命が現れ、大聖人の御生命が、四菩薩の四徳、四大が顕現されるのである。それによって、境涯革命、人間革命、宿命の転換がなされていくのだ。(「宝塔」の章、333~335ページ)
  
ここにフォーカス 「利他」の一念
 「虹の舞」の章で、山本伸一が「利他」の精神を語る場面が描かれています。
 彼は、「創価学会の運動の根本をなすもの」は、どこまでも相手のことを思いやる「利他」の一念であり、「この利他の心を人びとの胸中に打ち立てることこそ、平和建設のポイント」と訴えます。
 そして、「自分の利益ばかり考える生き方」は、「世の中をかき乱してしまうことになる」と指摘します。
 近年、さまざまな分野で、「レジリエンス」という概念が用いられています。「回復力」「抵抗力」のことで、「困難を乗り越える力」を意味します。
 心理学でも研究が進んでおり、「レジリエンス」を発揮する要素の一つとして、「信仰に基づく利他の行為」が挙げられています。「利他」の実践は、人生の苦境を勝ち越える要諦でもあるのです。
 コロナ禍によって今、人間観や人生観が見つめ直されています。
 仏法の哲理は、他者の生きる力を引き出すことによって、自身の小さな殻が破られ、生きる力が増していくことを教えています。“自分さえよければ”という「利己主義」から、自他共の幸福をめざす生き方への転換を促しているのです。


【聖教ニュース】

◆第3代会長就任60周年記念「師弟凱歌の記憶」 第5回 「世界に広がる音楽隊」

池田先生が香港の音楽隊員を激励する(1991年1月)。“創価文化の旗手”である音楽隊は、世界各地で同志の心を鼓舞する

池田先生が香港の音楽隊員を激励する(1991年1月)。“創価文化の旗手”である音楽隊は、世界各地で同志の心を鼓舞する

 若き日の池田先生が音楽隊の結成を提案した折、先輩幹部は、こぞって反対した。ただ戸田先生だけが「大作がやるんだったら、やりたまえ」と理解し、励ました。1954年(昭和29年)5月6日、正式に音楽隊が発足。初の出動は、その3日後となった。
 メンバーは16人。楽器は方々から借り集めた。当日は屋外での演奏だったにもかかわらず、雨。それでも隊員たちは“悪条件だからこそ絶対に負けられない”と闘志を燃やし、勇気の調べを奏でた。この日、池田先生も音楽隊の演奏に合わせて、雄渾(ゆうこん)の指揮を執った。その姿を戸田先生が見守った。この5月9日が、永遠の原点たる「音楽隊の日」となったのである。


池田先生が墨痕鮮やかに揮毫し、音楽隊に贈った書

 池田先生はまもなく、費用を工面して楽器を購入し、音楽隊に贈っている。その後も折あるごとに励まし、広布の“楽雄”たちを、たゆみなく育んでいった。
 隊員は、心と技を徹底して磨いた。そして、学会の会合で、地域の友好の集いで、人々の心を揺り動かす妙音を響かせながら、平和と文化の大行進を続けてきた。
 全ての音楽隊員が心に刻む言葉が音楽隊訓。結成10周年の64年(同39年)に、池田先生が示した不滅の指針である。先生は叫んだ。「幾千万の、地涌の菩薩の士気を鼓舞し、苦しい同志に、悩める同志に、希望を与え、勇気を与える、音楽隊の使命を、全うしていただきたい」
 師の“手作り”の音楽隊は今や日本のみならず世界30カ国・地域で活躍する。各地でパレードやコンサートに出演。大会に出場し、栄冠に輝く団体も多い。
 従来の練習ができない現在、隊員はオンラインで励まし合い、合奏・合唱練習を行う。さらに“あらゆる人に希望を”と、動画投稿サイトに演奏を公開した。
 音楽隊訓には、こうある。「新しき時代、新しき民衆は、必ずや新しき音楽を、新しき人を待望していることは、必然である」。前進の息吹を生み出す楽雄がいる限り、師弟の凱歌は轟(とどろ)き続ける。

池田先生が初代音楽隊長に贈った指揮棒

◆国連が民衆フォーラム 学会代表が参加  2020年5月20日

 国連創設75周年を記念する民衆フォーラムが14、15の両日、オンラインで行われ、SGI(創価学会インタナショナル)国連事務所と学会本部平和運動局の代表が参加した。
 これは地球的な課題の解決へ、国連や政府と市民社会の協力の強化を目指し、多様な意見を交換するために開催されたもの。自国中心主義などへの懸念が深まっていることを受け、「人間を中心にした多国間主義」などをテーマに行われた。
 ティジャニ・ムハンマド=バンデ第74回国連総会議長は、市民社会と国連の協力深化を一段と加速させ、新型コロナウイルスの感染拡大という未曽有の危機を乗り越えていきたいと語った。
 その後、テーマごとの討議がオンラインで行われ、SGI国連事務所と平和運動局の代表も参加した。
 また、フォーラムでは、これまでの議論を踏まえた宣言と行動計画が総会議長に提出された。


◆〈危機の時代を生きる〉 東海大学医学部・山本典生教授に聞く 2020年5月20日

 新型コロナウイルスの正体を知ることが、私たちの身を守るための第一歩――そう主張するのは、ウイルス学を専門とする東海大学医学部の山本典生教授。現在の研究で分かっていることや、一人一人ができる感染防止法などを電話で聞いた。(聞き手=加藤伸樹)

新型コロナウイルスの感染メカニズム
 ――新型コロナウイルスについて、研究が進む中で分かってきたことを教えてください。
 
 ウイルス感染は、ウイルスが体内の細胞と結合し、自らの遺伝情報(RNAやDNA)を複製させていくことで広がります。新型コロナウイルス(SARS―CoV―2)の感染は、まだ謎が多いものの、人間の細胞膜にある「ACE2」というタンパク質と結合することから始まると判明しています。私自身、これまでSARS(重症急性呼吸器症候群)の研究をしてきましたが、そのきっかけとなるタンパク質と同じです。
 ACE2の量は臓器によって違いますが、肺の奥にある細胞で多く発現しています。そこでウイルスが増殖するため、気道の比較的浅いところで増殖するインフルエンザウイルスと比べて、重症肺炎が起きやすいのでしょう。またACE2は、心臓や腎臓などの細胞表面にもあることから、感染が多臓器不全にもつながると考えられています。
 
 ――これまでも重症化のリスクが高いといわれてきた心不全、呼吸器疾患などの基礎疾患のある方は、やはり注意が必要ですね。
 
 一般的に、高齢者や基礎疾患のある方は、ウイルスに対する炎症反応が起こりやすいことが分かっていますが、新型コロナウイルスの感染メカニズムから考えても、こうした方々を感染から守らなければなりません。またACE2は血圧を調節する役割を担うタンパク質なので、感染による血圧の乱れが人体に悪影響を及ぼしてしまう高血圧の方も注意が必要です。
 ACE2は最近、舌の細胞にも発現しているとの報告がありました。そうしたことが背景で「何を食べても味がしない」という味覚障害につながっている可能性も指摘されています。

既存の薬の転用で人命を守る
 ――世界で今、研究者がウイルスの解明に当たりながらワクチンや新薬を開発しています。実用化の見通しを教えてください。
 
 ワクチンは急ピッチで開発が進んでいます。安全性や有効性を調べるため、通常は実用化までに数年を要しますが、1年半程度で実用化されるものも出てくると思います。ワクチンは体の免疫系に働き掛け、体内でウイルスへの抗体(抵抗力)をつくらせるものですが、今回のウイルスは、その抗体が、かえって症状を悪化させる可能性も指摘されています。開発されたワクチンの安全性などは、慎重に見る必要があります。
 また治療薬の研究も精力的に行われています。新薬をゼロから開発するには、一般的に10年以上かかるともいわれますが、10年後に特効薬が開発されても、目の前で起きている感染症の治療には使えません。そこで、別の病気に対して既に開発された薬を、今回の治療に転用するという研究が進められています。現時点で治療薬候補として挙げられている薬剤は、ほとんどがこの枠に入るものです。


 ――「アビガン」や「レムデシビル」など、有効といわれる薬が次々と出てきていますね。
 
 薬には、さまざまな形でウイルスの動きを制限する働きがあります。「ファビピラビル(アビガン)」と「レムデシビル」は、どちらもウイルスのRNA複製を抑える薬です。アビガンは抗インフルエンザウイルス薬、レムデシビルは抗エボラウイルス薬として開発されましたが、作用メカニズムとしては、これらのウイルスに限定されないと考えられます。そのため、今回のウイルスへの転用が早くから検討されました。
 私たちの研究グループでは、エイズの薬として既に実用化されている「ネルフィナビル」が、今回のウイルスの増殖を抑制することを見いだしました。このほか、喘息薬の「シクレソニド(オルベスコ)」、抗寄生虫薬の「クロロキン」や「イベルメクチン」、リウマチの治療薬「トシリズマブ(アクテムラ)」なども有効と期待されています。
 現状、どの薬が最もよいかという結論は出ていませんが、例えばアビガンは副作用の面で妊娠中の方には使用できないなど、特定の薬だけでは対応できない方も出てきてしまいます。また将来、そうした薬に耐性を持つウイルスが現れる恐れもあることから、薬の選択肢を増やすことが、多くの人の命を守ることにつながると考えます。

「石けん・アルコールに弱い」「自己増殖できない」
 ――“目に見えない敵”ということもあって、不安を感じている人もいます。
 
 ウイルスは、電子顕微鏡を通さなければ見えない大きさです。まさに目には見えない敵ですが、人類にはウイルスからの「挑戦」に対し、巧みな技術と知恵で「応戦」してきた蓄積があります。その中で、これまで不治の病と恐れられたエイズも、今では効果的な薬が見つかりました。今回も、絶対に希望はあると考えています。
 また新型コロナウイルスは、未知の部分が多いものの、分かっていることはあり、全く弱点がないわけではありません。ウイルスの正体を知り、その弱点を踏まえて行動すれば、一人一人も身を守る「応戦」ができると思います。
 
 ――ウイルスの挑戦に応戦する中で、人類は希望を見いだしてきたのですね。今回のウイルスの弱点と、私たちにできる応戦の方法を教えてください。
 
 一つは、新型コロナウイルスの膜(エンベロープ)は、石けんやアルコールに弱いことが分かっています。ですので、小まめに石けんを使って手洗いしたり、アルコール消毒したりすることで、感染リスクを減らすことができます。
 またウイルスは体内の細胞と結合しない限り、自己増殖できないことも弱点の一つでしょう。それを防ぐためにも、接触感染と飛沫感染への注意が大切です。
 接触感染は、ウイルスが付着した手で自分の口や鼻を触ったり、その手で食べ物などを食べたりすることで起こります。飛沫感染は、くしゃみや咳でまかれたウイルスを含む飛沫を、自分の体内に取り込んでしまうことで起こります。
 こうしたウイルスの弱点や感染の特徴を踏まえた上で、むやみに自分の顔を触らないよう心掛けたり、密集、密接、密閉という「3密」を避けたりすることが重要です。また、マスクは“ウイルスがマスクの繊維を通過してしまうので効果がない”と言う人もいますが、手に付いたウイルスが口に入ることを防ぐ効果があることから、感染予防にも有効と考えます。

ウイルスからの挑戦に人類の絆で応戦
 ――ウイルスの正体を知ると、どこに気を付けるべきかが明確になります。
 
 人との間隔を空ける、対面ではなく横並びで食事をするなど、政府の専門家会議が提言する「新しい生活様式」も、こうしたウイルスの弱点を踏まえて行動することを意味します。大事なことは、正しい知識をもとに、何が感染につながるのかを一人一人が考えて生活することです。
 また感染症には、人と人の接触を避けなければならない面があることから、地域や社会を分断してしまう側面があります。その点、現代は電話やメールなどで周囲の人々と連絡を取り合うことができ、その中で正しい知識を共有したり、不安に思う人々を支えたりすることもできます。そうした励ましの絆も、立派な感染症への「応戦」につながるのではないでしょうか。
 今後も、新たなウイルスのパンデミック(世界的流行)が起こらないとも限りません。私は、そうした時代が来たとしても、人類が乗り越えていける「応戦」の土台を今、創価学会の皆さんと手を携え、築いていきたいと思っています。

【プロフィル】
 やまもと・のりお 1969年、千葉県生まれ。医師、医学博士。東京医科歯科大学大学院ウイルス制御学講座助教、国立感染症研究所インフルエンザウイルス研究センター第5室室長、順天堂大学大学院感染制御科学講座准教授などを経て現職(基礎医学系・生体防御学)。
 ご感想をお寄せください。
 kansou@seikyo-np.jp
 ファクス 03―5360―9613


【特集記事・信仰体験など】

◆〈未来の宝と共に 池田先生の書籍に学ぶ〉 北海道未来部長 北堀雄二さん
 テーマ「大会が中止になり悔しい」

 人生は「心」の置きどころひとつで、大きく開けてもいくし、逆に閉ざされてしまう場合もある。
 順調ばかりの人生などありえない。
 たとえ不本意な環境に置かれたとしても、強き「心」で、一切を“満足”の方向へと回転させながら、自分自身の「幸福の花園」を、咲き薫らせていただきたい。
 (『希望の翼』220ページ)

“絶対にかなえる”との誓い
 私は小学校4年から野球を始め、高校まで部活を続けました。しかし、なかなか活躍できず、ボール拾いやグラウンド整備をこなす毎日でした。
 高校2年が終わるころ、状況を知っていた男子部の未来部担当者が、「レギュラーを取れなくて悔しくない?」と尋ねてきました。私は「今の実力では無理です」と答えましたが、担当者は「祈れば必ず取れるよ!」と、力強く激励してくれたのです。確信の言葉に心を打たれ、それから毎日、勤行・唱題を実践するようになりました。
 ところが“春の大会でレギュラーに”との祈りはかなわず、さらに手をけがしてしまったのです。祈ったのに状況が悪くなったことを未来部担当者に伝えると「御本尊を信じて、“絶対にかなえる”と誓うことが大切なんだ」と、祈る心構えを教えてくれました。
 決意新たに、“絶対にレギュラーを取る”と決めて、真剣に唱題しました。すると練習に臨む姿勢が変わり、きつい練習をこなすだけだったのが、細かなことに注意を払えるように。体力がつき、周囲の仲間より練習量を増やせるようになりました。次第に技術も向上し、練習試合でも結果を出していくと、チーム内で実力が認められ、最後の大会でレギュラーの座を獲得できたのです。
 この体験を通し、環境ではなく自分が前向きに変わることの大切さを実感。どんな逆境でも、諦めずに信心根本に行動すれば、壁を乗り越えられることを確信しました。
 
困難に負けない青春を歩もう
 新型コロナウイルスの影響で、部活の大会やコンクールなどが中止になり、やり場のない悔しい思いをしている人も少なくないでしょう。未来部の皆さんは、このまま終わるのではなく、ありのままの思いを御本尊にぶつけ、次なる挑戦の決意に変わるまで祈ってほしいです。現在の結果は変えられなくても、唱題に励み実践すれば、歩むべき“希望の道”を必ず開いていけます。
 まずは「部活の仲間と連絡を取り、新たな目標を決める」「部活への情熱を勉強や読書に注ぐ」など、自分にできることを見つけ、一つずつ行動に移し、目の前の壁を越えていきましょう。
 池田先生は「あきらめないかぎり必ず道は開けます。自分らしい、自分にしか演じられない『最高の青春』の晴れ舞台が待っています」と呼び掛けられています。
 私も皆さんと共に“困難に負けない青春”を歩めるよう、祈り続けていきます!


◆信仰体験 尽くした真心が生きる

 若き後継者である雅章さんが、家庭で簡単にできる天丼の作り方を動画で撮影してくれました。老舗天ぷら店の味をご家庭で堪能してください。
 家庭で簡単に!おいしく! 天丼の作り方 

 【東京都文京区】黄金色に輝く衣から湯気が立ち上り、光の粒が幾つもはぜる。ほのかに赤く色づくエビ、ふっくらとした穴子、歯応えあるイカ……。
 江戸前天ぷらの老舗「天庄(てんしょう)」は、創業100年を超す。上野広小路店は、多くの飲食店が立ち並ぶ目抜き通りの一角に立つ。
 店主を務める山本長治さん(63)=副支部長=は、すっと腰を落とし、鍋の様子にじっと目を凝らす。“江戸前天ぷらは、食の芸術”とばかりに、絶妙な温度調節で、旬の味わいを存分に引き出す。
 ずしりとのしかかる老舗看板の重圧を妻・智恵子さん(61)=婦人部副本部長=が共に背負ってくれた。
 「何千回、何万回と揚げても、毎回最高の天ぷらをお出しする。これが職人として当たり前の仕事です」
 お客を分け隔てせず、“一人のために尽くす”という一貫した姿勢は、カウンター席にそっと差し出す丁寧な所作に表れる。(2017年7月19日、連載企画「登攀者」掲載)

 あれから3年弱――。多くの観光客が訪れていた上野公園やアメ横商店街から人が消えた。本年3月の売上げは前年の10分の1に。
 “それでも店をやりたい”。時間を短縮して、営業を続ける選択肢もあった。
 だが、親族で会議を開き、先月9日からの休業を決断。「お客さまの命を第一に考えた末のことでした」
 創業以来初めての長期休業に至って、長男・雅章さん(30)=男子地区副リーダー=は、改めて襟を正す出来事があったという。
 「この間、店の留守番電話に多くの常連さんから励ましを頂きました。本来であれば、こちらから連絡をしなければいけないのですが……」
 父や祖父が積み重ねてきた真心が、苦境の時にこそ、形になって返ってくることを実感した。
 修業期間を経て、ようやく「天庄の味になってきた」と喜ばれるようになった矢先の新型コロナウイルスの感染拡大。当初は、悔しさもあった。
 だがこのことで、目指すべき理想像がはっきりした。

 調理中の父は、10席のカウンターはじめ、テーブル席にいる一人一人のお客が箸を進める様子に心を配っていた。
 揚場(あげば)から店全体を俯瞰(ふかん)して最高の状態で一品を提供する。それはまるで、天庄という伝統の楽団で幸せの交響曲を奏でる指揮者のよう。
 「全身全霊で一人に尽くす。その先に、自分だけの味が見つかる」とは、父が常々、息子に語る言葉だ。
 バブル景気の崩壊にリーマンショック、そして「再発性多発軟骨炎」という指定難病との闘い。
 幾度も訪れる人生の苦難に題目で立ち向かった末に勝ち取った料理人の魂。
 父のように誠実を尽くすためには、自身の心を磨くしかない。“今がその時!”と、男子部の仲間と行うオンラインミーティングで切磋琢磨(せっさたくま)する。
 皆と心を合わせて祈りを深める中、師匠との出会いを思い起こす。
 少年部時代、富士少年希望少女合唱団の一員として、幾度も海外からの賓客を迎えた。2001年(平成13年)5月には、池田先生の前で童謡「紅葉」を合唱した。
 その時の師匠の温かなまなざし。一人一人に礼を尽くす振る舞い。小学5年生だった雅章さんの心に深く刻まれた||。
 1カ月の休業を経て今月11日から、時間を短縮して営業を再開。消毒、換気を徹底し、テークアウトを中心にしている。常連客をはじめ、地域の人が、足を運んでくれた。込み上げる感謝の思い。
 これからが本当の戦いだ。父は息子に言う。「どんなに厳しい時代も乗り越えなくちゃいけない。基本を大切に。謙虚な気持ちを持ち続けること」。それが伝統ののれんを受け渡す心意気だ。

◆信仰体験 55歳で脱サラ 尺八作りに燃やす情熱
“匠”の一本に祈りを込めて ?プロお墨付き 海外から注文も

【山口県周南市】「竹に命を授ける」――岡寺勇さん(82)=地区幹事=は、自分の仕事を、そう表現した。 
 「竹勇銘(ちくゆうめい)尺八工房」では、年間100本以上の尺八の製作・修理を手掛ける。
 材料のマダケは、乾燥だけで数年を要する。油抜き、ゆがみの直し、指孔の開通、唄口の加工などの工程を経て、音色を決める内部の地塗りへ。
 塗っては削り、試し吹きを繰り返す。一本の製作に数カ月。尺八作りは、根気が試される。
 そんな“匠”が、本格的に職人の道を歩み始めたのは、55歳の時。サラリーマンからの転身だった。
      ◇  ◇ 
 尺八との出あいは、大学時代。友人の奏でる音色に、思わず足が止まった。  
「親しみやすい、人の声みたいな音に魅了されて」。学内でサークルを立ち上げ、友人たちと夢中で練習に励んだ。尺八の師匠にも、ついて習った。
 卒業後、大手建設会社に就職。トンネル工事の現場管理に携わるようになると、尺八への情熱は次第に薄れていった。
 戦後復興から高度経済成長に向かっていた頃。建設の仕事は、やりがいが大きかったが、現場の責任者として、日々、案じていることがあった。
 “事故を無くしたい”と、事あるごとに作業員に注意を促すも、なかなか減らない。
 そんな思いで青函トンネルの建設に携わっていたある日、妻・明子さん(75)=地区副婦人部長=の母が、東京からはるばる訪ねてきて仏法の話を。その生命力に圧倒された。  
「何を言い返しても無駄じゃったわ」  
 背中を押され、1972年(昭和47年)、入会。地元の同志の熱心な励まし、丁寧な指導もあり、信心に魅力を感じ、日々の勤行・唱題に励むように。
 その後、思わぬ出来事に見舞われる。仕事をしている最中、あわや大惨事という直前で、事故を回避することができた。
 “これが、御本尊の力なのか”。確信を深め、祈りを根本に生きていこうと心に深く刻む。
 実践するなかで、現場の事故も減っていった。

岡寺さんが製作した尺八。他にも、1尺1寸から3尺3寸まで18種類を取り扱う
  
 41歳の時、管理職に昇進し現場を離れた。昼も夜もないような勤務態勢が一転し、時間にゆとりができた。  手持ちぶさたに、再び尺八に手を伸ばす。
 学生時代に師事していた師匠は、演奏だけでなく、尺八の製作も手掛けていた。
 “自分も挑戦したい”と東京へ行き、作り方を教わる。作れば作るほど“もっと良い物を”との情熱が、どんどん湧き上がる。
 著名な演奏家である田嶋直士氏にも、作った尺八を鑑定してもらった。
 最初は「大したことないな」と、けんもほろろだったが、次第に「これなら売り物になる」と認められるように。
 家族は反対だったが、“若いうちに、どれだけ良い物を世に出せるか勝負だ”と定年まで残り5年あった93年(平成5年)、55歳で工房を建て、製管師となった。
 持続力と集中力が求められる尺八作り。岡寺さんは、毎日、朝の唱題で心を研ぎ澄まして仕事に取り掛かる。
 出来上がった尺八は、全て田嶋氏の鑑定済み。
 また、修理や鳴り改造も丁寧で、“音が生き返った”と、顧客からも喜ばれている。近年は、海外からの注文も入るように。
 衰退が進む尺八の世界で、岡寺さんの工房はますます元気。
 その功績が認められ、周南市が卓越した技術や技能を持つ職人に与える「しゅうなんマイスター」の認定を受けた。
 また、尺八講座を開いたり、小学校でも尺八を教えたりするなど、地域にも貢献する。
 16年ほど前からは、長男の政幸さん(53)=壮年部員=が加わり、工房はさらに充実。
 岡寺さんは「日本の文化、優れた技術を伝え残していければ」と、祈りを根本に、物作りの情熱を燃やし続ける。 (山口支局発)

 

2020年5月19日 (火)

2020年5月19日(火)の聖教

2020年5月19日(火)の聖教

◆わが友に贈る

 社会のために
 できることは何か――
 賢明に勇敢に考える時。
 自分らしい実践で
 新しい日常を築こう!


◆名字の言 友のために何ができるか――二人の壮年に学んだこと   2020年5月19日

 先日、ある壮年から連絡をいただいた。筆まめの78歳。最近は知人や友人へ電話をしたり、激励の手紙を書いたりしている▼今月1日、壮年がラジオを聞いていた時のこと。元教員という、Nさんの便りが紹介された。「コロナ禍で人と接触できない今、励ましの手紙を書いています。2月下旬から始めました」との趣旨。「あの方では……」と思った壮年は翌日、確認の電話をかけた▼まさに当人だった。聞けば日に5、6枚は出すという。地域の友だけでなく、教員時代の教え子や保護者にも書いており、「きょうまでに480枚ぐらいは出したでしょうか」。膵臓がんのステージ4も乗り越えた75歳のNさんは、耳が少し遠くなったものの、第三の人生を力強く生きていた▼壮年はしみじみと言った。「Nさんに最敬礼です。広宣流布に一直線に進む人には誰もかないません。何歳になっても人生は勉強ですね」。話を聞くうちに、自分が恥ずかしくなった。すぐに御本尊に向かい、二人の壮年と同じ行動はできなくても、その精神は継承しようと、深く心に期した▼「励まし月間」の今、自分は「一人」のために何ができるか。マニュアルはないが、模範は無数にある。広布の父母に学び、自分にできることを見つけ、自分発の行動を重ねたい。(側)


◆寸鉄

創価学会常住御本尊の記
念日。不二の同志と共に
広布即平和の誓願決然と
     ◇
熊本の日。苦難の坂を乗
り越え必ず最後に勝つ。
信心強き勇者は朗らか!
     ◇
「微塵つもりて須弥山と
なれり」御書。青年よ今日
も研さんと成長の一歩を
     ◇
室内での幼児の事故増。
誤飲、窒息、落下など。
わが家の危険箇所を点検
     ◇
オンライン会議や対話は
事前に終了時間決めスッ
キリ。価値的な新様式を


【先生のメッセージ】

◆〈池田先生と共に 新時代を築く〉 青年よ! 妙法の智慧者たれ2020年5月19日

 5月19日は「創価学会常住御本尊」の記念日である。
 日蓮大聖人は、御本尊を「法華弘通のはたじるしとして」顕された(御書1243ページ)。
 このお心に寸分たがわず、「大法弘通慈折広宣流布大願成就」とお認めの御本尊を奉じ、全世界に妙法を唱え弘めてきたのが、創価学会である。
 大聖人は、「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」(同1244ページ)と仰せである。
 私たち一人一人の生命こそ「本尊」すなわち「根本として尊敬すべき当体」なりと、明かしてくださったのだ。
 今、世界が大きな試練に立ち向かう中で、最も大切にすべき原点とは何か。それは、「人間生命」にほかならない。この生命を、誰もが現実の上で尊厳ならしめていける哲理を、私たちは実践している。いよいよ人類の共有財産として示し、伝えていきたい。
 「此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば諸王は国を扶け万民は難をのがれん」(同906ページ)とも仰せである。
 まさに今、“地涌の諸王”たる創価の人材群が、医療・福祉、生活・経済、教育・学術、文化・芸術など、社会のあらゆる分野で大いに献身し、国土の安穏と民衆の幸福に尽くしている。
 御本仏の御賞讃も、諸天の加護も絶大であると、確信してやまない。
                    * * * 
 使命深き“世界市民の平和の機関紙”を、毎日、配達してくださっている無冠の友の皆さま方に、重ねて心からの感謝を捧げたい。
 日本中、世界中の友が創意工夫して励まし合い、前進している英姿は、聖教新聞に日々、躍動している。
 地球を結ぶ聖教電子版も、アクセスする国・地域数に、カリブ海の島が新たに加わり、204となったと聞いた。
 いずこでも、頼もしい青年が力を合わせ、新しい挑戦を開始している。青年こそ一切の推進力と信頼された戸田先生の励ましを贈りたい。
 ――勉強だよ。勉強だ。
 妙法の智慧者となれ! 
 社会万般はもとより、全世界の運命の中に自分を置いて、そこから全ての発想をしていき給え!――と。
                        * * * 
 
 御本尊ましますわが家は、たとえ悩みや課題があっても、「常寂光の都」である。
 不安の渦巻く世相なればこそ、学会の永遠の五指針――
 一、一家和楽の信心
 一、幸福をつかむ信心
 一、難を乗り越える信心
 一、健康長寿の信心
 一、絶対勝利の信心
 という希望の光を、たくましく聡明に放っていこうではないか!


【教学】

◆〈みんなで学ぶ教学〉7 御書根本   学ぼう、開こうとの一念が大事



    • マンガ・イラスト 逸見チエコ

マンガ・イラスト 逸見チエコ

 今回の「みんなで学ぶ教学」は「御書根本」をテーマに学びます。日々の生活の中で御書を拝し、信心を深めていきましょう。御書の研さんに挑戦しようとしている新会員のリホさんに、地区婦人部長のユリコさんがアドバイスしています。
 ユリコ 御書を学ぼうということ自体がすばらしいことよ。私だって、難しいと思うこともあるけど、御書を研さんすると元気になるわ!
 
 リホ 具体的には、どんなことが書いてあるんですか?
 
 ユリコ そうよね。そこからよね。御書には、日蓮大聖人が書かれた論文や、弟子に送られたお手紙が収められているのよ。
 
 リホ へー。こんなに厚くて、ずっしりとしているけど、お手紙とか、論文なんですね。
 
 ユリコ そうなの。大聖人の時代に、こんなに文章を残された人はいないといわれているわ。“人々を幸福にしたい”という大聖人の願いがいっぱい詰まっている“希望の経典”。それが「御書」なの。
 

 リホ “希望の経典”ですか、なんか読みたくなってきました。でも難しそう……。
 
 ユリコ 安心して! 大丈夫よ。お手紙には、病と闘う弟子や家族・親族を亡くした門下への激励から、職場でトラブルに遭っている時の振る舞い方など、生活に根差したアドバイスもあるのよ。もちろん、大切な法門も書かれているから、私たちの信仰の根本となるわ。
 
 リホ すごく身近なことも書かれているんですね。
 
 ユリコ そうなの。それだけでなく、大聖人は仮名交じり文にしたり、さまざまな譬喩や故事を用いたりして、庶民にも分かりやすく仏法を説いたのよ。どこまでも民衆の幸福を願われていたの。

 リホ 多くの人たちのことを考えられていたんですね。でも、現代の私たちにも当てはまるんですか?
 
 ユリコ もちろんよ。確かに鎌倉時代に書かれたものだけど、御書にある仏法の思想は時代に関係なく、私たちの希望となっているわ。
 
 リホ そうなんですね。
 
 ユリコ そうよ。学会が第2代会長の戸田先生の発願で、1952年(昭和27年)4月28日に『日蓮大聖人御書全集』を発刊したのも、全民衆が大聖人の御精神を学べるように、との思いからだったの。その通りに今、御書は各国語にも翻訳されて、世界の人たちが学んでいるの。それってすごいことよね!
 
 リホ 世界中で拝読されてるって驚きですね! 難しそうだけど、私もがんばって御書を学んでみます。
 
 ユリコ そうね。御書を学ぶのに大切なことは、信心で拝していくことなの。それは“全部、その通り”と、難しくても、大聖人の御精神に触れていこうとすることなのよ。池田先生は「『御書を学ぼう』『御書を開こう』との一念が大切である。内容を忘れてもいい。生命の奥底では何かが残っている」と指導されているわ。
 
 リホ 安心しました。学んでいて分からないことがあったら教えてください。
 
 ユリコ もちろんよ! 日々、生活の中で、一行でもいいから、御書を拝していくことが、私たちにとっての「御書根本」の生き方になるのよ。一緒に学んでいきましょう!
 
 リホ はい! でも、明日からでもいいですか?(笑)


【聖教ニュース】

◆きょう「学会常住御本尊記念日」 広布の大誓願を胸に前へ  2020年5月19日

 きょう5月19日は、「創価学会常住御本尊記念日」である。
 初代会長・牧口常三郎先生の殉教から7年――1951年(昭和26年)5月3日、戸田城聖先生が第2代会長に就任した。
 “妙法流布の組織である以上、組織の中心軸は、言うまでもなく純粋無垢な信心しかない”
 この思いに立って戸田先生は、会長就任式の席上、広布前進の「金剛不壊の大車軸」として常住御本尊を発願したのである。
 同月19日にあらわされた常住御本尊には、向かって右に「大法弘通慈折広宣流布大願成就」、左に「創価学会常住」と認められ、日蓮大聖人の御遺命である世界広布を実現しゆく学会の永遠の使命が厳然と刻印されている。この御本尊を「法華弘通のはたじるし」(御書1243ページ)として、学会は広布拡大にまい進してきた。
 6年後の57年(同32年)には、戸田先生の願業だった75万世帯の弘教を成就。そして第3代会長・池田大作先生の指揮のもと、仏法史上未聞の壮挙と輝く192カ国・地域への妙法流布を果たした。
 創価学会常住御本尊は現在、東京・信濃町の総本部に立つ広宣流布大誓堂に御安置されている。



5月3日の旭日と、東京・信濃町の広宣流布大誓堂。今、人間主義の「太陽の仏法」は全世界を照らす


5月3日の旭日と、東京・信濃町の広宣流布大誓堂。今、人間主義の「太陽の仏法」は全世界を照らす


 池田先生は、大誓堂の落慶記念勤行会に、こうメッセージを寄せた。“我ら創価の家族は、この広宣流布大誓堂とともに、「ちかいし願」(同232ページ)をいよいよ燃え上がらせて、いかなる試練も断固と乗り越え、金剛不壊にして所願満足の大勝利の人生を、仲良く朗らかに飾りゆこう”――と。

 新型コロナウイルスの世界的大流行(パンデミック)という未曽有の危機に見舞われる今、生命尊厳、人間主義の仏法哲理は、いやまして光り輝く。
 「題目を唱え奉る音は十方世界にとずかずと云う所なし」(同808ページ)と仰せのままに、全世界の平和安穏、自他共の幸福を開きゆく誓願の祈りを、一層深めていきたい。そして、心と心の絆を強める“励ましと和合のスクラム”を十重二十重に広げていこう。


◆<新型コロナと今後の社会> Gaviワクチンアライアンス オコンジョ=イウェアラ理事長に聞く 自国優先ではなく人類益へ連帯を   2020年5月19日

 新型コロナウイルスがもたらした危機を受けて、社会の在り方が改めて問われている。開発途上国の子どもたちへの予防接種支援を行う国際団体「Gaviワクチンアライアンス」のンゴジ・オコンジョ=イウェアラ理事長に話を聞いた。(聞き手=南秀一)

――Gaviが設立された経緯を教えてください。
 
 まず、このたびの新型コロナウイルス感染症で亡くなられた全ての日本の方々に、心からの哀悼の意を表したいと思います。また、医療従事者をはじめ、感染症との闘いの最前線で尽力されている皆さんに、この場をお借りして、世界中が感謝し、応援していることをお伝えしたいと思います。
 Gaviは発展途上国の子どもたちにワクチンを提供するため、2000年に世界経済フォーラムの年次総会で発足しました。ユニセフ(国連児童基金)やWHO(世界保健機関)、ビル&メリンダ・ゲイツ財団などと連携しながら、これまで7億6000万人の子どもたちにマラリアをはじめとする感染症の予防接種を提供し、1300万人以上の命を守ることができました。
 治療する方法が存在するにもかかわらず、国に経済力がないために子どもたちが命を落とすことなど、あってはなりません。私たちは今後5年間で、さらに3億人の子どもたちに予防接種を提供することを目指しています。

命を守り経済を守るために
 ――ワクチン開発への投資は、持続可能な社会を築いていく上でどのような意義を持つのでしょうか。
  
 今回の世界的な感染拡大は、ワクチンの本質的な重要性を明らかにしました。殺傷力、感染力ともに強力なウイルスから身を守るためには、ワクチンが唯一、継続性ある解決策なのです。
 新型コロナウイルスがもたらした損失は、経済の側面でも計り知れません。IMF(国際通貨基金)の発表によれば、本年の世界全体の実質成長率はマイナス3・0%に落ち込むと予測されており、世界中で多くの人々が職を失うことになります。西アフリカで起きた“エボラ危機”の際も、同地域では収入が激減し、多くの失業者が生まれました。
 その教訓から学ぶべきは、効果的な治療法の発見に注力しなければ、世界経済は大きな損失をこうむるということです。その意味でワクチンへの投資は、命を守るためにも経済を守るためにも重要なのです。

ワクチンは世界の「公共財」
 ――新型コロナウイルスのワクチンは、世界中で熱望されています。開発された場合、先進国にも途上国にも平等に行き渡る仕組みをつくることはできるのでしょうか。
 
 まさにそれこそ、私がWHOからCOVID―19ワクチン開発のグローバル特使に任命された理由の一つであると思っています。
 新型コロナウイルスのワクチンは、世界中で研究・開発が進められています。いつ開発されるかは、まだ分かりませんが、一部の国や企業がその利益を独占してしまう危険性があります。そうならないために、世界の民衆の声が大切なのです。
 つまり、経済学の用語になりますが、開発されたワクチンは世界の「公共財」であるという認識に皆が立つことです。万人に提供可能なワクチンが開発されたとして、いかなる団体、個人も、その知的所有権にしがみついてはなりません。誰人も、ワクチンを必要としている人に十分提供できるようにすることを妨げてはならないのです。そのためには、ワクチンが世界の公共財であると宣言することです。
 莫大な資金を投じたワクチンの権益を省みないことには、葛藤もあるでしょう。まして現下の経済状況では、そうした思いは強くなるのかもしれません。
 だからこそ今、世界が一つになって人的資源、物的資源を出し合い、貧しい人も豊かな人も誰もが平等に扱われるようにすることが重要です。自己の利益を超えて、人類の利益という視点に立てるかどうか――ここに、今回の危機を通して人類が直面している課題があります。
 全ての生命には等しく価値があります。お金がないことが、医療を受ける順番が後回しにされ、ワクチンを手にする前に死ななければならない理由になってはならないのです。

保健制度の強化が急務
 ――保健衛生分野における対応として、今後、各国にどのような変化を期待しますか。
 
 今回の危機を経て、世界が以前と同じ状態に戻ることはないでしょう。とりわけ二つの点で、大きな変化があります。
 一つは、世界の連関性のさらなる深まりです。新型コロナウイルスの感染拡大は、旅行や貿易、物流などを通して、いかに私たちが分かちがたくつながっているかを、世界に改めて思い知らせました。
 世界のどこかで起きたことは、即座に他の場所に影響する。それはつまり、これまでのような自国優先の内向きの態度では、かえって人々を危険にさらすことを教えています。もちろん、自国を優先すること自体を否定するものではありませんが、パンデミック(世界的大流行)のような事態に対しては、団結し、協力しなければなりません。私たちは態度を改めなければならないのです。
 もう一つは、保健制度の脆弱さです。先進国でさえ、検査キットやマスク、病床が不足するという事態が起きました。低所得国の状況はさらに悲惨です。次のパンデミックに備えて、世界的に保健制度の強化が急務です。
 今後、薬品や医療器具等のサプライチェーン(部品の調達・供給網)の在り方も変化していくでしょう。この期間、医療品や設備を海外から買い占めるという事態がありました。どの国も国内の需要を満たせるだけの体制を整えていくことになるでしょう。それは保健体制の強化にもつながるものです。

フランスで新型コロナウイルスの研究に取り組む科学者。今、世界各地でワクチンの開発が進められている(AFP=時事)

フランスで新型コロナウイルスの研究に取り組む科学者。今、世界各地でワクチンの開発が進められている(AFP=時事)

一人では解決できない
 ――創価学会青年部も、SNSやウェブサイトを通し、あらゆる感染症のワクチン量産に向けてGaviが進める署名キャンペーン「Sign For Life」への協力を呼び掛けています。次代を担う青年に、改めて今回の危機から学ぶべき教訓を教えてください。
 
 青年の皆さんに心に刻んでほしいのは、人類が直面している課題は、誰も一人では解決できないということです。だから連帯し、協働することが不可欠なのです。
 今回のようなパンデミックは、残念ながらこれが最後ではないでしょう。多くの科学者が、新型コロナウイルスは北半球で秋ごろに再び勢力を強めると予想しています。いずれにしても今後、世界的な感染拡大がないとは言えません。
 大切なのは、今、準備をすることです。ワクチンを世界の公共財と宣言することをはじめ、持続可能な社会へ動きだすべきは今であるということです。
 皆が問題解決に協力できる社会の構築に向けて、共に頑張りましょう。
 
【プロフィル】ンゴジ・オコンジョ=イウェアラ 経済学者。アジアやアフリカ、ラテンアメリカ等で30年以上にわたり開発に携わる。ハーバード大学で修士号、マサチューセッツ工科大学で博士号を取得。ナイジェリアの財務大臣、外務大臣、世界銀行副総裁などを歴任し、2016年より現職。


◆〈正しく知ろう 新型コロナ〉17 熱中症にも注意を  2020年5月19日

 新型コロナウイルスへの対策が続く中、各地で夏日を観測する日が増え、熱中症にかかりやすい時期を迎えました。
 マスクの着用や運動不足で熱中症のリスクが例年以上に高まっているとして、医師らでつくる団体「教えて!『かくれ脱水』委員会」が、予防のポイントをまとめました。
 暑さに体を慣らすために室内でも軽い運動をすることや、少ない量でも効率的に水分補給ができる「経口補水液」の準備などを推奨。「新型コロナウイルスへの対応でキャパシティを超えつつある医療機関に例年通りの熱中症患者が搬送されたら、日本の医療機関の多くが機能しなくなるリスクがある」として、熱中症対策の徹底を強く呼び掛けています(NHKニュース)。

7つのポイント
 ①3食きちんと食べる
 ②喉が渇いたなと感じ始めたら水分摂取(多量のカフェイン摂取を控える)
 ③経口補水液(※)を家族1人2本×3日分常備(1本500ミリリットル)
 ④クーラーをすぐつけられるように調整。暑いと感じる場所にいないようにする
 ⑤換気を小まめにし、湿度も高くならないように注意(環境省ウェブサイトで毎日発表される「暑さ指数」もチェック)
 ⑥快適な環境でよく睡眠をとる(疲労も熱中症リスクになる)
 ⑦人混みを避けた散歩や室内での軽い運動を行う
 ※経口補水液はドラッグストアなどで購入できます。入手できない場合の家庭での作り方が、同委員会のホームページで紹介されています。
 
 急なときのための自家製経口補水液。おう吐や下痢の場合は、できるだけ市販のものを摂る
経口補水液は、ドラッグストアや病院内の売店などでWHO のガイドラインと照らし合わせても良質なものが廉価で購入できます。

 簡単に買えて、水分と塩分を素早く補給でき、初期の脱水状態からの回復に役立つ便利な飲料です。
 ただ、どこの家庭にでもある材料を使って、簡単な経口補水液を作ることも可能です。旅先やキャンプなどで便利な知識ですから覚えておくといいでしょう。
 味覚は保証できませんが、沸騰させて冷ました清潔な水と食塩と砂糖、それにレモン適宜で味を調整して作ります。清潔な保存も怠らないでください。
 ただし、自分でつくる場合は、夏場に大量の汗などからナトリウムを多く失う場合に限ること。
 冬場などに、ウイルス性の感染性胃腸炎が発症し,おう吐や下痢などの症状がでた場合は、カリウムなど下痢などで失われる電解質を適正に含んでいる市販の経口補水液を摂るほうがよいでしょう。
   
■家庭で出来る経口補水液の材料
・砂糖(上白糖)20?40g(大さじ2と小さじ1?大さじ4と1/2)
・塩3g(小さじ1/2)
・水1?
・レモンなど適宜
①上記の「家庭での簡易型経口補水液の作り方」は、あくまで手元に経口補水液がない場合の緊急的な対処として作る方法をご案内するものです。
 この方法で作った簡易型経口補水液では、脱水時に不足するカリウム(K) をほとんど摂取することができませんし、炭水化物の含量が高くなっています。
②分量を間違えず、できるだけ正確に計って作ってください。
塩と砂糖の分量を取り違えると、うまく脱水を改善することが出来ない場合があります。またすばやく吸収させるためには、ナトリウム(Na) イオンとブドウ糖の適切なバランスが重要ですので、分量を守ることは大切です。
③作った簡易経口補水液は、遅くともその日のうちに飲みきってください。
家庭で経口補水液を作る場合、雑菌の混入をどうしても防ぎきれません。これらの雑菌が繁殖すると健康に影響を及ぼすことがあるため、それまでに飲みきる必要があります。

【特集記事・信仰体験など】

◆〈第3代会長就任60周年記念 広布史 アルバム〉2 昭和55年5月の激励
 信心修行の労苦を忘れるな!

〈岐阜〉 岐阜・各務原文化会館で約1000人の友を激励。「一人残らず、栄冠の幸せの人生を勝ち取ってもらいたい」と語り、ピアノで「荒城の月」「夕焼け小焼け」「人生の並木路」など5曲を演奏した(1980年〈昭和55年〉5月11日)。名古屋から始まった5日間の中部指導で、110回の記念撮影を行った

 一人の胸中に信心の灯をともす。
 青年を育て、希望の未来を開く。
 いついかなる時も、池田先生の行動は、「励まし」という一点に貫かれている。
 会長就任20周年となる1980年(昭和55年)5月もそうだった。
 第5次訪中を終えた池田先生は、4月30日に長崎から福岡へ向かい、大阪、愛知、岐阜、静岡、神奈川を駆け巡った。
 宗門の悪侶と退転・反逆者らによる、師弟の絆を分断しようとする謀略の嵐が吹き荒れていた。行動を制限されていた中で、それでも先生は一人一人に励ましを送っていった。
 ある時は、ピアノを奏で、友の勇気を鼓舞した。電車での移動中、通過する駅のホームに駆け付けた同志へ、窓ごしに懸命に手を振った。行事の役員を務める青年に声を掛け、未来部の子どもたちを温かく包み込んだ。また、功労者宅を訪ね、懇談を重ねた――。
 静岡では、会館の大広間で、正義の青年たちと語り合った。先生は当時の思いを、随筆に記している。
  
 聖教新聞の記者が、ぜひ写真を掲載したいと言ってきた。当時は、それさえも戦いであった。聖教に載った私の写真が大きすぎる等々、宗門から、幼稚な、陰険な苦情があったからである。
 私は、凜々しき青年たちと一緒に写真に納まった。この一枚の写真で、わが同志を元気づけるのだ!
 それは、激しき権威の宗門との攻防戦のなかでの知恵であった。
 私は、記念撮影に続いて、青年たちと勤行したあと、強く語った。
 「今こそ、信心修行の労苦を忘れるな!」
 「広宣流布に生き抜く『身軽法重』の精神を忘れるな!」
 そして、「社会と職場で勝利者たれ!」と。
 二百畳を超える大広間で、五十人ほどの青年との、ごく短時間の、小さな懇談会であった。真剣な語らいのなかから、たった一人でもよい、身命を惜しまず、獅子となって立ち上がる丈夫をつくることを願った。
 一人立つ勇者さえあれば、必ず二陣、三陣と続くことは間違いないからだ。
  
 あれから40星霜――。苦難の時に結ばれた絆は、今も同志の心の中で、勇気と希望の光彩を放ち続けている。


◆〈信仰体験〉 今年1月にオープンしたビストロ店主 2020年5月19日
 心を温める料理を届けたい

 【仙台市】繁華街から少し離れたビジネス街の一角に、「ビストロやえがし」がオープンしたのは、本年1月のこと。有名ホテル出身のシェフが作るオムライスが絶品と、地元テレビや雑誌で紹介され、連日の大にぎわい。八重樫守さん(54)=支部長=がフライパンを振り、妻・真由美さん(54)=区婦人部長=が笑顔でもてなす。実現したばかりの夢の舞台に、新型コロナウイルスの影が差し始めたのは、3月中旬だった。
 オープンキッチンの店内に陽光が差し込む。ゆったりとくつろげる雰囲気は、夫婦の理想そのものだった。3年がかりの物件探し。カフェだった空き店舗に出合った瞬間は、夫婦で顔を見合わせた。全ての要件を満たしていた。
 二人は小学校からの幼なじみ。テレビを見た同級生らが駆け付け、店は“プチ同窓会”の場にもなった。春に向け、新メニューの開発に取り掛かろうとした矢先、新型コロナウイルスの影響が、“杜の都”まで押し寄せた。
 常連客の少ない新参店は、客足の減りも早かった。店を開けるべきか毎日、自問した。喜んでもらうための料理が歓迎されない。初めての経験だった。
 中高生の頃、残った食材で料理を創作するのが好きだった。料理番組は夢中になって見た。純白のテーブルクロスに、銀のナイフやフォークが並ぶ。ブランデーでフランベされた炎がステーキを焼き上げる。そんなフレンチの世界に憧れた。高校卒業後、大阪の調理師専門学校に進学した。
 地元に戻り、二つの有名ホテルで腕を磨いた。間もなく真由美さんと結婚し、長女が誕生。朝から夜まで働きづめだったが、“いつか家族で小さな店を開きたい”と、ささやかな夢を抱くようになった。
 “花のように”と、長女には「フルル」と名前を付けた。だが生後6カ月で、心臓に先天性の疾患があると判明する。肺呼吸に伴って閉じるはずの血管が、開いたままになっていた。手術をすれば治ると言われたものの、不安は残った。
 2歳になるのを待って手術することに。真由美さんが意を決したように、「創価学会に入会したい」と打ち明けてきた。学会員の友人と親交を深め、娘のために真剣に題目を唱えてきたという。
 学会への偏見があった八重樫さんは、受け止められなかった。題目の声を「俺は聞きたくもないし、娘にも聞かせるな!」とかたくなだった。
 その後も、真由美さんが祈る姿、幼い娘が歌でも歌うように題目を口ずさんでいるのを何度も聞いた。
 臨んだ手術は予想以上に難航した。2週間で3度の手術を余儀なくされる中、八重樫さんは真由美さんと唱題に励むようになった。
 その後、肺炎を併発した末に長女は息を引き取った。抜け殻のように過ごした1カ月。真由美さんは、前に進むためにも夫婦で心を合わせ、一緒に信心をしたいと言ってきた。
 だが八重樫さんには“あんなに祈ったのに、どうして助からなかったのか”との思いがあった。閉ざした心を解かしていったのは、同志の祈りと励ましだった。
 真由美さんの願いもあり、学会の同志と追善法要を行うことに。参列した皆の題目に包まれた時、「ずっと祈ってくださっていたと、全身で分かったんです」。わだかまりが消えた瞬間だった。
 1996年(平成8年)、入会。その経緯をつづり、初めて出した池田先生への手紙。後日、花にちなんだ伝言が、夫婦の元に届けられた。娘を悼む師の心を感じた。
 「この経験が、誰かのためになる時が来ます」。先輩の言葉を受け止めた。以来、夫婦は進んで学会活動にまい進していった。

2019年、長男・虎之介さんの創価大学入学式で
 3年後、長男・虎之介さん(20)=学生部員=が生まれた。3人で歩む“創価の庭”は、いつもぬくもりにあふれていた。  
 だから自ら作る料理も、食べる人の心を温めるものでありたい。料理人としての目標が定まっていく。自分の店を持つことが、夫婦共通の祈りになった。
 2011年、東日本大震災を経験した。八重樫さんは、酒屋が運営する高級焼き鳥店の店長を任されていた。
 大きな被害はなかったものの、ガスは止まったまま。しばらくの間、繁華街は自粛ムードが漂っていた。  
 それでも震災2日後には、炭火をおこし、街ゆく人に甘酒を振る舞い、暖を取ってもらった。ワンコインランチを日替わりで考案。やれることは何でもした。復興へ向けて、皆が一丸となって立ち向かう気概があった――。
 だが今回は違う。料理が、必要とされていないと感じることもあった。もてあました時間を埋めるのは、先の見えない不安ばかり。創業したての店に、支援の手は限定的だ。それでも周囲の店と手を取り合う。
 支えになっているのは、開店まで応援してくれた人や、同志からの励ましの数々。そこに、自身の足跡の確かさを思う。“亡き娘のおかげで今がある”と。
 ある友は、事業存続へ必要な情報を教えてくれた。また、津波で店を流され、再建した店も台風被害に遭った友は、「絶対に大丈夫だ! 明けない夜はない」と不屈の言葉をくれた。
 ランチとテークアウトでの営業を続けてきたが、ゴールデンウイーク期間中は長期休業した。創価大学2年になった息子の虎之介さんは、実家に戻らないまま、1人で暮らす。電話し、久しぶりに近況を聞いた。
 宮城県では休業要請が解除され、街を歩く人は増えた。長期戦に備えて、これからも試行錯誤(しこうさくご)の日々は続く。
 “心を温める料理を届けていく。この覚悟だけは手放さないでいこう”――そう決めている。

2020年5月18日 (月)

2020年5月18日(月)の聖教

2020年5月18日(月)の聖教

◆今週のことば

 宝の未来部に光を!
 負けじ魂の挑戦から
 明るい希望の虹が。
 多彩な個性を褒めて
 伸び伸びと輝かせよう!


◆名字の言 南アフリカのマンデラ氏を支えた詩   2020年5月18日

 「私は我が運命の支配者 我が魂の指揮官なのだ」。これは19世紀イギリスの詩人ヘンリーの詩の一節。題名の「インビクタス」は、ラテン語で「不屈」を意味する▼ヘンリーは十代で結核に感染して、カリエスになり、片足を切断。そんな自分を励ますために作った詩だ。さらに彼の姿がモチーフとなって誕生したのが、小説『宝島』に登場する片足の海賊シルバー。友人であるスティーブンソンが創作したものという▼後年、南アフリカのマンデラ氏が人種差別と闘い、27年半もの間、牢獄にいた時、心の支えとしたのも、この詩だった。感染症との闘いから生まれた魂の継承劇として、ウイルス学者の加藤茂孝氏が自著『人類と感染症の歴史』でつづっている▼コロナ禍と闘う気高き友から連日、本紙に「声」が届く。ある配達員の方は「活動自粛の中でも、聖教新聞を配達できることに感謝しています」。医療に従事する方からは「全ての患者の皆さんの生命力を引き出せますようにと毎日、真剣に題目に挑戦しています」と▼「5歳の長男が『コロナの薬ができますように』と祈ってくれています」とのお母さんの声も。きょうは「こ(5)と(10)ば(8)の日」。「不屈の人」の胸には、いつも希望の言葉が生まれてくる。(進)


◆寸鉄

有事の今こそ人々と絆を
強める学会に期待―日本
の識者。励ましの声益々
     ◇
「秋田の日」55周年。何が
あろうと師と共に!この
信心が日本海の雄の強さ
     ◇
感染防止の基本は①身体
的距離の確保②マスクの
着用③手洗い。皆で実践
     ◇
前向きな感情が幸福人生
の力―心理学者。自粛の
中でも聡明に成長の一歩
     ◇
テレビやスマホは過度に
見ると認知機能が低下―
研究。生活にメリハリを


◆きょうの発心 四条金吾殿御返事 大阪・河内総県婦人部長 土屋千草2020年5月18日

御文 なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし(四条金吾殿御返事、1192ページ・編1219ページ)
通解 どのような兵法よりも法華経の兵法を用いていきなさい。

誓願の祈りで宿命乗り越える
 法華経の兵法こそ、勝利への最高の要諦である、と仰せです。
 1978年(昭和53年)、邪宗門による迫害の渦中、池田先生は兵庫の加古川文化会館を訪問。この御文を拝して“確信の信心で、全てに打ち勝っていける”と指導してくださいました。
 当時、高校3年の私は、酒乱の父のことや、弟の難病のことで悩んでいました。先生の指導を胸に「何があっても祈り抜き、必ず広布の人材に」と誓い、懸命に唱題を重ねました。
 その後、弟は奇跡的に後遺症もなく病を克服。父に対しても、女子部で信心に励む中で、少しずつ感謝できるようになり、和楽の家庭を築くこともできました。
 結婚後も、経済苦や夫のがん、自身の病と、思いもよらない宿命の嵐に、何度も押しつぶされそうになりました。そのたびに、先輩・同志の励ましもあり、この御文を拝して信心を奮い立たせ、一つ一つ乗り越えることができました。感謝の思いでいっぱいです。
 報恩の心で、“世界一師弟の絆強き河内総県”を目指し、誓願の祈りを根本に、ほほ笑みのスクラムで勝利していきます。


【先生のメッセージ】

◆〈心に御書を〉44 世界の友と深き祈りを2020年5月18日

〈御文〉
 国中の諸人・一人・二人・乃至千万億の人・題目を唱うるならば存外に功徳身にあつまらせ給うべし、其の功徳は大海の露をあつめ須弥山の微塵をつむが如し(妙密上人御消息、1241ページ)
〈通解〉
 国中の人々が、一人、二人、そして千万億の人が題目を唱えるならば、思いがけなくもその功徳があなたの身に集まることであろう。その功徳は、大海が露を集め、須弥山が塵を積むようなものである。

〈池田先生が贈る指針〉
 題目の功徳は無量無辺である。この音声を唱え弘めてきた創価家族の福運は、まさに大海や須弥山の如く積まれている。
 妙法は人類の仏性を呼び顕し、結び合わせる。一人一人の生命を蘇生させ、国土の宿命まで転換する力がある。 
 全世界の異体同心の友と、民衆の安穏を祈り抜く題目で、地球を包みゆこう!


【教学】

◆〈日蓮大聖人の慈愛の眼差し〉中興入道一族 信頼と尊敬の連帯を 2020年5月18日
 父は地域の有力者として大聖人を外護 息子夫妻は志を受け継ぎ信仰に励む





    • 雲間から陽光が降り注ぐ佐渡。大聖人は試練の荒波を越え、人々を慈愛の大光で照らした

雲間から陽光が降り注ぐ佐渡。大聖人は試練の荒波を越え、人々を慈愛の大光で照らした

 「広宣流布」とは、どこか遠くにあるのではない。
 「家庭」こそ基盤である。一家和楽を築き、後継者を育むことである。
 「地域」こそ土台である。地域を愛し、地域に尽くし抜くことである。
 家庭と地域に「信頼」と「尊敬」を広げゆく中で、自他共の幸福の連帯は着実に築かれていく。
 日蓮大聖人の御在世当時、各地域で信頼を勝ち得た門下や、大聖人の姿に感銘を受けた地域の有力者らが、大難の嵐に立ち向かう大聖人を支えた。
 それは、流罪地の佐渡でも同様であった。中興入道一族は地域に根を張り、大聖人を外護したのである。
 大聖人への悪口や誹謗が渦巻いていた佐渡において、父の中興次郎入道は、勇敢な言動によって地域の人々の認識を大きく改めさせた。
 そして流罪の赦免後、父の志を継いだ息子・中興入道は身延の大聖人の元を何度も訪れ、親子して大聖人をお守りした。
人を敬う実践が善の絆を広げる
 中興入道一族は、佐渡国中興(現在の新潟県佐渡市中興)に住んでいた。
 中興次郎入道は、地元の人々から信頼を集めていた地域の有力者であったようだ。大聖人が流罪赦免後の弘安2年(1279年)11月30日に身延の地から送られた「中興入道消息」に、その人物像がつづられている。「佐渡の島には日蓮を憎む者は多かったのだけれども、中興次郎入道という老人がいた。この人は、年配者であるうえに、心は賢く、身も裕福であり、佐渡の人々からも立派であると思われている人であった」(御書1333ページ、通解)と。
 大聖人は文永9年(72年)の夏ごろ、佐渡の塚原から一谷(佐渡市市野沢)に移られ、流罪赦免までの間、一谷入道の屋敷地内で過ごされた。
 当時、一谷で流人の管理をしていた名主(年貢の徴収などを担う階層)は、大聖人を激しく憎んでいたようである。しかし、名主が管理する地域に住んでいた一谷入道は、大聖人の人柄に触れて次第に心を寄せ、生活の便宜を図るようになった。一谷入道の妻も大聖人に帰依している。
 中興の地と一谷の地は距離的に近かったことから、大聖人は一谷におられた頃に中興入道一族と出会いを結んだと考えられる。
 当時の中興次郎入道の耳には、どのような大聖人の風評が届いていたであろうか。
 佐渡の人々の多くは念仏者にたぶらかされて大聖人を憎んでいた。監視の目をかいくぐって大聖人に食料などをお届けした阿仏房は追放されたり、罰金を科せられたりしていた。そんな中でも中興次郎入道は、大聖人の偉大な人格に触れ、“これほどの方が迫害に遭うのには何か訳があるはずだ”と直感したようだ。「日蓮という僧は、何か格別なところがある方であろう」(同ページ、通解)と述べていたという。当時の佐渡の状況を考えると、この発言がどれほど勇気あるものだったか計り知れない。
 地域からの信頼が厚かった中興次郎入道のこの認識が、大聖人を取り巻く環境を大きく変えていく。一族の者は大聖人に敬意を払うようになり、中興家に仕える人々も大聖人に危害を加えるようなことはなかった。中興次郎入道の言動は、まさに大聖人をお守りする諸天善神の働きとなったのである。
 念仏者らに常に命を狙われる状況だった大聖人が、流罪を赦免になるまで無事であった背景には、こうした中興次郎入道ら佐渡の人々の尊い外護があったことは確かであろう。
 また、中興次郎入道が大聖人をお守りするようになったことは、大聖人の深い信心から発する善の振る舞いによって、周囲の善の心が呼び起こされたことを示している。
 池田先生は本抄の講義でこう述べている。
 「末法の民衆救済には、この『善の絆』『師弟の絆』が不可欠です。『人を敬う』実践の中で、この『善の連帯』『人間性の連帯』が広がれば、各人の善性が大きく触発されていきます。この触発の連鎖が民衆全体の境涯を高め、社会を変革し、国土の安穏を実現し、究極は人類の宿命を転換していきます」
 大聖人と中興次郎入道との交流は、人格の触発が、相手の心を変え、地域をも変えていく原動力であることを物語っている。
 
 大聖人は直接会うだけでなく、多くのお手紙によって幾多の門下に励ましを送られた。現代では電話やメールなど通信手段は多彩だ。いかなる手段であろうと、「人を敬う」心、相手の善性を信じ抜く信念によって、生命を触発し、互いに高め合うことは必ずできると銘記したい。
身近な家庭こそ広布の本舞台
 中興次郎入道の志を継いだのが、息子の中興入道である。
 「中興入道消息」には「あなたは、亡き次郎入道殿の御子息であられる」(同1334ページ、通解)、「亡き父母も」(同1335ページ、通解)と記されており、中興次郎入道夫妻は弘安2年の時点で、すでに霊山に旅立っていた。父亡き後も中興入道は妻と共に信仰に励み、年ごとに身延の大聖人の元を訪れたようである。
 大聖人は中興入道夫妻の信心をたたえている。
 「非常に賢明であった方(=中興次郎入道)のご子息と嫁だからであろうか。故・入道殿の御志を継いで、国主も用いていない法華経を信仰されているだけではなく、法華経の行者である日蓮を養い、年ごとに千里の道を送り、迎えている」(同1334ページ、通解)
 大聖人の胸中には、純真に信心に励みゆく中興入道夫妻の姿が、最も大変な時に大聖人をお守りした父の姿と重なって見えたことだろう。
 同じ御書で大聖人は、幼くして亡くなった娘の十三回忌の追善を中興入道夫妻がしたことに対して、題目の功徳の大きさを教えられた。そして、その功徳によって、「亡き父母も、天の日月のように浄土を照らしているであろう」(同1335ページ、趣意)との励ましを送っている。
 さらに「孝養の人であるあなた並びに妻子は、現世には百二十年までも長生きして、後生には父母と共に霊山浄土に行かれるであろうことは、水が澄めば月が映り、鼓を打てば響きが伴うように間違いのないことだと確信しなさい」(同ページ、通解)と一家の幸福を約束されている。どこまでも家族の心に寄り添おうとされた大聖人の深き慈愛が拝される。
 このように、中興入道一族をはじめ佐渡の門下たちは、個人単位というより、家族や一族を中心に地域に着実に根付いていったことがうかがえる。
 池田先生は次のように講義している。
 「広宣流布とは、友情と信頼の絆の広がりです。人間の善の絆が拡大することが、広布の拡大です。
 私たちの実践で言えば、どこまでも真心を尽くし、誠実に身近な家族、友人、知人の一人ひとりを大切にすることです。
 『一人を徹して大切にする』――それが、万人成仏の法華経の実践であり、教主釈尊が説いた実践の肝要です。
 人と人との『信頼』と『尊敬』による連帯の広がりが、広宣流布の姿なのです」
 身近な家庭を広布の本舞台と捉え、和楽の家庭を基盤として、地域・社会に信頼の輪を広げていく――佐渡の門下たちは、大聖人の一人を大切にする御振る舞いに触れ、“私も師の大聖人のように”と、一家・一族が団結して実践に励み、地域に善の連帯を築いていったのであろう。
 中興入道親子の姿は、“誠実の道を貫く生き方”を次の世代へと継承しゆく模範にほかならない。


【聖教ニュース】

◆米ロサンゼルス郡から池田先生に顕彰状 2020年5月18日

ロサンゼルス郡サンタモニカ市に立つアメリカSGI本部。「世界広布の電源地」と光る同国の中心拠点として1993年に誕生した

ロサンゼルス郡サンタモニカ市に立つアメリカSGI本部。「世界広布の電源地」と光る同国の中心拠点として1993年に誕生した

 第3代会長就任60周年の「5・3」に寄せて、アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス郡から池田大作先生に、長年にわたる平和貢献をたたえる顕彰状が贈られた。
 同郡は、170年前の1850年に設立され、現在は約1000万人が暮らす。全米屈指の商工業都市であるロサンゼルス市などを擁し、経済、文化の一大拠点として同国をリードする。

贈られた顕彰状
 第3代会長就任から5カ月後の1960年10月、「世界へ征くんだ」との恩師・戸田城聖先生の言葉を抱き締め、池田先生は平和旅の第一歩をアメリカの地に記した。
 同月22日にはロスを訪問し、北米初の支部を結成。同国広布の礎を築き、以来、同地を訪れるたびに、共戦の友に万感の励ましを送ってきたのである。
 師弟の不滅の原点を胸に、ロサンゼルスのSGI(創価学会インタナショナル)メンバーは、「良き市民たれ」との指針を心に刻み、非暴力を啓発する運動を推進。また、地元の大学等へ図書を贈呈するなど、地域に信頼の花を咲かせる取り組みを地道に行ってきた。
 2010年には、青年育成と平和・教育への尽力をたたえて、同郡が池田先生ご夫妻を「名誉郡民」に迎えている。
ソリス行政長官 池田博士は核廃絶への行動を通し地球平和の文化を構築
 同郡のヒルダ・ソリス行政長官(第1区)の署名が入った今回の顕彰状には、「池田博士は、対話、ならびに人類と地球を守るための核兵器廃絶へのたゆみなき行動を通して、地球平和の文化を構築してきた」とつづられ、さらに「人々の多様性を尊重しつつ、友情の懸け橋となって、尽力した」と記されている。


◆青年部がオンライン講義 志賀青年部長が担当 2020年5月18日

 男女青年部を対象とした「青年部オンライン講義」が16日、動画投稿サイト「YouTube」(限定公開)を活用し、オンラインで配信された。
 大串女子部長が青年部の「stayhome(ステイホーム)プロジェクト」、3日に新たな青年の歌「未来の地図~Step Forward~」が完成した「うたつく」(歌をつくろう)プロジェクトへの参加に心からの感謝を述べた。
 続いて志賀青年部長の担当で「開目抄」を研さんした。
 青年部長は「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」(御書234ページ)等を拝読し、師匠と共に不屈の信心を貫く中で、苦難に揺るがぬ自分自身を確立できると力説。
 今こそ「まことの時」と定め、創価の青年の連帯で、社会に「励まし」と「共感」の輪を広げゆこうと呼び掛けた。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈「新・人間革命」と私〉 欧州女性部長 スザンヌ・プリチャードさん 2020年5月18日

 “現在の世界の悲劇も、結局、人間が引き起こしたものだ。ならば、人間が変えられぬはずはない”
 伸一は、地球を一身に背負う思いで、人類の融合と平和への挑戦を開始したのである。〈第5巻「開道」の章〉

〈時代背景〉
 1961年10月8日、山本伸一は東西冷戦による分断の象徴となったベルリンの壁の前に立つ。そして、その夜、東西ドイツの統一と世界平和への誓いを込め、同行の友と祈りをささげた。翌日にケルンを訪れた後、オランダ、フランスのパリ、そしてイギリスのロンドンへ。平和と文化、歴史を巡り、同志や市民と各地で語らいの花を咲かせる。

“勇気・誠実・確認の言葉が閉ざされた人間の心の扉を開く”
 生死や人間主義の哲学について、また政治、芸術、教育といった幅広い題材が取り上げられている「開道」の章は、山本伸一が、欧州分断の象徴であるベルリンの壁に立った、その日の夜の出来事から描かれています。
 分断の兆しが見られる現在の欧州にあって、“道を開くことは対話から始まる”“勇気の言葉、誠実の言葉、確信の言葉が閉ざされた人間の心の扉を開く”とのメッセージは、私たちの胸にとても強く響いてきます。
 このような時代だからこそ、『新・人間革命』を徹底して研さんし、広布と社会をリードしゆく“開道の使命”を担う後継の青年のスクラムを、欧州にさらに広げていかなければならないと強く決意しています。
 私自身、『新・人間革命』を学ぶ中で、自分自身の道が大きく開けたような思いがした経験があります。それまでの私は、個人主義を称賛する文化が色濃く残る欧州にあって、「師弟」という概念をなかなか受け止めることができなかったのです。しかし、『新・人間革命』の中の伸一の振る舞いや言葉に触れ、その心が変わりました。
 戸田先生との師弟の誓いに生き抜きながら、深き祈りで無限の智慧、勇気、慈悲を湧現させ、広布の原野を切り開いていく。しかも、どんな時も謙虚で、ユーモアと温かさがある……。師弟の中にこそ人間の道があり、ここに幸福な人生があると確信しました。

青年と共に欧州の未来開く
 欧州青年部は今、「『新・人間革命』世代よ 光り輝け!」と題して、小説の研さん運動を推進しています。私自身も触発を受け、再び『新・人間革命』読了への挑戦を開始。師の心を学び、実践する中でさらに強固な師弟の絆を結ぼうと、対話にも挑んでいます。
 本章には「伸一は、青年の育成に、真剣に取り組んできた。どこにいても、青年たちの栄光の未来に期待を寄せ、その成長を念じながら、懸命に対話したのである」と記されています。
 この言葉のままに、どこまでも青年と共に、いつまでも青年の心で、欧州の希望あふれる未来を開いていく決意です。


◆〈池田先生の会長就任60周年 青年部が原田会長に聞くⅡ部〉第3回 地球を照らす創価の平和運動㊦2020年5月18日

〈出席者〉西方男子部長、大串女子部長、樺澤学生部長、林女子学生部長

 世界の知性と1600回の語らい 32回の学術講演
 開かれた対話で分断から調和へ

 ◆樺澤 池田先生はこれまで、1600回を超える世界の識者との宗教間対話、文明間対話をされ、平和の連帯を築いてこられました。その対話の一つ一つが、私たち弟子にとって人間外交の教科書そのものです。
  
 ◇原田 池田先生は、一貫して「一民間人」、また人間主義の「仏法者」の立場で、対話を重ねてこられました。
 その発端となったのは、1967年(昭和42年)10月、「ヨーロッパ統合の父」と呼ばれたクーデンホーフ=カレルギー伯爵との語らいです。お二人の対談集は、『文明・西と東』として出版されています。
 そして69年には、20世紀最大の歴史学者トインビー博士から会談を望む手紙が寄せられ、72年に先生がロンドンの博士の自宅を訪問。対談は翌年も行われ、延べ10日間、40時間に及びました。多岐にわたった語らいは対談集『21世紀への対話』として結実。現在、29言語に翻訳・出版され、世界の大学等の教材としても使用されています。
  
 ◆西方 トインビー博士は、先生に世界の知性との対話を期待されたと伺っています。
  
 ◇原田 対談の最後に、先生が個人的な助言を求めると、博士は“私が忠告するなど差し出がましいことです。私は学問の世界の人間であり、あなたは行動の人です。あなたが主張された中道こそ、今後、歩むべき道です”と語られました。
 そして先生の同行者に、ローマクラブのペッチェイ博士ら世界最高峰の知性の名前を記したメモを渡され、こう伝言されます。「あなたが、世界に対話の旋風を巻き起こしていくことを、私は、強く念願しています」
 そこには、対話によって世界を結んでほしいとの、博士の強い思いが感じられてなりません。この博士の心に応えるように、先生は、それらの方々とも対話を重ねられていくのです。

40言語以上に翻訳されている池田先生と世界の知性との対談集。これまでに発刊された数は、約80点に及ぶ

「そこに人間がいるからです」
 ◆西方 トインビー博士は、日ソや中ソなどの間で対話が進むことも望まれていましたね。
  
 ◇原田 当時、先生もまた日ソ関係を憂慮されるとともに、中国とソ連が対立していることも大変に心配されていました。そして、74年の5月に中国を、9月にソ連を相次ぎ初訪問されます。「宗教者がなぜ宗教否定の国へ行くのか」と、冷笑する声もありました。しかし、先生は厳然と言われました。「そこに人間がいるからです」と。
 ソ連訪問は、モスクワ大学の招聘でした。当初、ソ連指導部の全てが歓迎したわけではありません。先生は68年に日中国交正常化を提言され、日中友好の実現に尽力してきたからです。
 「池田会長はソ連の敵なのか、味方なのか」――ソ連側は判断に迷っていたのでしょう。当時の対日関係の実質的な責任者であり、ソ連共産党・国際部の幹部だったコワレンコ氏が、先生の宿泊するホテルの部屋を訪れた時のことです。日中平和友好条約についての話に及ぶと、「そうは言っても池田会長!」と、氏が声を荒らげて机をたたき、さらに、「ソ連は日本を壊滅させる力がある。何なら、もう一回戦争しましょうか」と言い放ったのです。
 氏は日本側から“恫喝外交”の「強面」としても知られていました。普通の日本人なら、ここで怖じ気づくところです。しかし先生は「手は痛くありませんか?」と、すかさず笑顔で切り返され、一歩も引かずに平和への信念を語り抜かれたのです。
 まさに「立正安国論」の「主人咲み止めて曰く」(御書24ページ)の姿そのものであります。
 コワレンコ氏は、そうした先生とのやり取りを通して、“この人は本当に信頼できる”と思ったのでしょう。氏が、74年の先生とコスイギン首相との会見実現のために奔走したことは、有名な史実です。

元ソ連大統領「池田会長は民間外交の第一人者」
 ◆西方 先生は、その後もソ連の指導者との会談を重ねられました。
  
 ◇原田 81年5月、チーホノフ首相に先生は、「スイスなどよき地を選んで、アメリカ大統領、そして中国首脳、日本の首脳と徹底した話し合いを行ってくだされば、世界中の人びとが、どれほど安堵できるでしょうか」と呼び掛けられたこともありました。
 モスクワでのゴルバチョフ大統領との初会見は、90年(平成2年)7月。実はこの頃、戦後45年になるというのに、ソ連の国家元首が一度も訪日していないという異常事態が続いていました。そうした中、ゴルバチョフ大統領が先生との会見で、初訪日の意向を表明したのです。このことは即刻、日本中、世界中にビッグニュースとして伝えられました。まさに、この会見から、日ソ友好の新たな歴史が開かれたのです。約束通り、その翌年4月にゴルバチョフ大統領が訪日し、先生とも再会されました。
 モスクワ大学のサドーヴニチィ総長は、「振り返るに、歴史が、池田先生のご決断の正しさを見事に証明しています」と述懐されています。
 ゴルバチョフ大統領も、「池田会長は、民間外交の第一人者です。それゆえ、私たちも、すぐに信頼関係を築き、心を開いて対話することができました。すぐに、分かり合えることができたのです。池田会長は、開かれた対話の精神を持たれ、その貢献には、絶大なるものがあります」と。
 当時は第2次宗門事件の嵐が吹き荒れる中でした。しかし先生は、そんなものは悠然と見下ろし、広宣流布即世界平和の大道を威風堂々と切り開かれていったのです。
 <ゴルバチョフ氏との交流については、学会公式ホームページ「SOKAnet」の第3代会長就任60周年を記念する特設ページ「映像で見る池田先生の行動と軌跡」でも視聴できます>

 ◆大串 池田先生は、ノーベル化学賞と平和賞を受賞されているアメリカのポーリング博士とも対談集『「生命の世紀」への探求』を編まれています。
  
 ◇原田 ポーリング博士と先生が初会談されたのは、87年2月。まもなく86歳になる博士がサンフランシスコの自宅から約800キロの道のりを越え、当時の創価大学ロサンゼルス分校に駆け付けてくださいました。
 博士は「池田会長とお近づきになれるのは、私にとって大きな喜びなのです。特に世界平和を達成するために大変な努力をされている方とお会いできたのを喜んでおります。その努力が実るよう、私にできることは、何でも喜んで協力させていただきます」と述べられました。
 博士は、先生が93年にアメリカのクレアモント・マッケナ大学で「新しき統合原理を求めて」と題して講演された折にも、講評者として登壇されています。その際、「この講演は私の主張を代弁してくださったと申し上げてもよいほどです。とりわけ私が感銘を深くしたのはSGI会長が十界論を紹介され、他者への献身に根差した菩薩の境涯について語られた部分でありました」「菩薩の行動にこそ人間としての美しき証しがあり、分断を超えて共感を結びゆくカギもあります」と訴えられていました。
 こうして先生と博士は、平和のために、深く交流を結ばれていったのです。

世界最高峰の知性の学府・ハーバード大学で「21世紀文明と大乗仏教」と題して2度目の講演を行う池田先生。「生も歓喜、死も歓喜」との生命観は大きな反響を呼んだ(1993年9月)

 ◆林 池田先生は、海外の大学・学術機関等で32回の講演をされ、仏法の平和思想を世界に発信してこられました。91年9月には、アメリカのハーバード大学で「ソフト・パワーの時代と哲学――新たな日米関係を開くために」と題して講演。93年9月にも、同大学で2度目の講演をされています。
  
 ◇原田 2度目の講演は、同大学の文化人類学部と応用神学部の合同招聘によるもので、「21世紀文明と大乗仏教」と題して行われました。
 先生は、20世紀は科学技術を中心に発展したが、「戦争と革命の世紀」と呼ばれるほど、史上かつてない犠牲者を出してしまったと述べられ、こうした悲劇は、人間の幸不幸の決定的要因が外形のみの変革にはないという教訓を明確に残したと指摘されました。
 そして、21世紀は「生死観、生命観の内なる変革こそ第一義となってくるであろう」との観点から、「生も歓喜、死も歓喜」との大乗仏教に流れ通う生死観を紹介されます。そうした哲理が21世紀文明に貢献しうるであろうと強調され、あらゆる差異を超えて、人々を分断から調和へと導く「開かれた対話」の重要性を訴えられた感動の講演でした。
 約40分間にわたる講演が終わると同時に、会場内には深い感嘆のため息とともに、大きな拍手が、しばし鳴りやむことはありませんでした。
 聴講した各分野の教授から、「SGI会長こそ、日本に、また世界に、未来へのビジョンを示し続けている希有な存在であることを知るべきです」など、多くの賛辞が寄せられました。

師匠の行動を受け継ぐ誓い新た
 ◆大串 この年には、人類が直面する諸課題に対して、仏法の人間主義の視点から解決の方途を探求する平和研究機関「池田国際対話センター」(旧・ボストン21世紀センター)が誕生しています。
  
 ◇原田 もう一つ私が忘れられないのは、97年10月のインドでの記念講演です。
 先生がニューデリーの国際空港に到着された時、多くの要人が出迎えました。その一人、ラジブ・ガンジー現代問題研究所のフセイン副議長(当時)が先生に、こう語り掛けました。
 「ここは釈尊を生んだ地です。精神の大国であるインドにSGI会長が来られた。私たちは聖者を迎えたような気持ちです。先生のことは著作を通して、よく存じております」
 先生は副議長などの発言から、「精神の大国」「青年の大国」として発展する息吹を感じられ、日本で準備された記念講演原稿を大幅に添削、加筆されたのです。大統領や首相との会見や日印友好文化祭の出席をはじめ、息つく暇もないほどのスケジュールの合間を縫っての作業でした。
 そして迎えた「『ニュー・ヒューマニズム』の世紀へ」と題する記念講演は、深い哲学的な洞察の上から、非暴力の精神の重要性に触れつつ、「21世紀はアメリカ、中国、インドの3国が主軸となる」「2国が中心だと、どうしても対立の方向に行ってしまう。3国があってこそ、常に話し合い、連携をとりながら、平和の方向へと全体の軌道をもっていける」という、先見性にあふれたもので
した。
 講演が終わるや、雷鳴のような拍手と喝采が沸き起こり、あいさつに立ったフセイン副議長は、大感動の面持ちで宣言されました。
 「“アジアの光”である釈尊は、たしかに、このインドに生まれました。しかし、そのまばゆい光は日本に受け継がれ、池田博士が、それを一段と燦たる大光へと輝かせたのであります」と。
 いよいよ新世紀へ、「仏法西還」の大いなる遠征が開始された歴史的瞬間であると思いました。
 私は昨年9月にインドを訪問しましたが、発展を遂げている様子に22年前の先生の講演が、どれほど深い意味を持つものであったかと、感動を禁じ得ませんでした。
 私どもは池田門下生として、創価の師弟に流れ通う平和への信念と行動を受け継ぎ、人道の世紀を開きゆく誓いを新たにしていきたいと思います。

◆「未来部レインボーチャレンジ」を応援! 朝晩の勤行・唱題に挑戦しよう 
 皆で「未来部レインボーチャレンジ」を応援!

 今回は、挑戦項目の一つ目である「勤行・唱題」について、池田先生の指針を学び合いたいと思います。各地から寄せられた「わたしの実践」は、オンラインの集いの感想と、受験を控えた未来部員の決意を紹介します。

勤行・唱題――生命のエンジンを大きく
 人によって、「大きなエンジン」をもつ人と、「小さなエンジン」をもつ人がいる。
 「大きなエンジン」をもっている人は、険しい坂でも、楽しみながら前進できる。
 「小さなエンジン」しかない人は、小さな坂でも、息が切れて苦しむ。
 勤行・唱題によって、自分の生命のエンジンが大きくなるのです。  ☆☆☆ 
 それは、大宇宙という「最高最大のエンジン」と、がっちり「ギア」が、かみ合うからです。  
                 ☆☆☆
 目には見えないけれども、この地球を動かしている力がある。月を動かし、太陽を動かし、銀河を動かし、星々を誕生させ、死滅させ、また誕生させている「大いなる力」がある。
 その力が地上には花を咲かせ、大樹を育て、雲を走らせ、鳥を羽ばたかせている。人間も、この力の一部です。
 そして、人間がほかの動物と違うのは、宇宙のこういう「力」や「法則」を発見して、それを大きく利用してきたことです。
                 ☆☆☆
 仏法というのは、もっと根本の「生命の法則」を発見したのです。  そして、どんな人の生命からも、「宇宙を動かす大いなる生命力」を自由自在に引き出す“機械”を発明されたのが日蓮大聖人です。
 ☆☆☆ 
 戸田先生は、御本尊様を「もったいないことだが、“幸福製造機”にたとえられる」と言われた。
 生命力を強くして、幸福になるために、日蓮大聖人は御本尊を“発明”してくださった。その“使用法”の基本が勤行・唱題なんです。  
                 ☆☆☆
  もともと自分の中にあった無限の生命力を「引き出す」のです。
 そこが大事なのです。
 勤行は、自分の眠っている力を引き出す「宝の蔵の鍵」なんです。  (『希望対話』)

【わたしの実践】
初のオンラインの集い
 <大阪府茨木市 東法子さん(主婦)> 
 わが支部は、子育て世代が多く、未来っ子も元気いっぱいです。活動自粛となる以前は、毎回の本部幹部会の中継行事に合わせて、少年少女部員会を開催していました。
 だからこそ、どんな状況でも池田先生の心を届けていきたいと、壮年・婦人部の未来部担当者で協議する中、5月5日「創価学会後継者の日」に、支部として初のオンラインの集いを行うことに。当日は、17人の未来部員らが参加してくれ、ご家族のスマホの画面越しでしたが、久々に顔を見ることができ、とても盛り上がりました。

 参加者からは自宅学習やサッカーの自主練習に励む模様などが報告されました。いつもはシャイな子も、ハキハキと話してくれたのが印象的でした。
 その後、「少年少女きぼう新聞」に掲載された御書や池田先生の指針を学び、皆で少年少女部歌を合唱。当日の様子は「ぽっかぽか通信」としてまとめ、支部の皆さんと共有しました。
 うれしいことに、奥さまが未入会の男子部のメンバーも、初めて親子で集いに参加してくれました。
 時間は30分ほどでしたが、“会えた”喜びは想像以上でした。再会を楽しみにしながら、皆で元気に過ごしていきます。?

休校を成長の機会に
 <西東京市 松永良希さん(中学3年)>
 僕はこの4月で中学3年になりました。受験生ですが、学校は休校になり、塾にも行けず、不安な毎日を送っていました。机に向かっても、なかなか集中できず、ついゲームをしてしまうこともあります。
 今月5日、家のドアノブに手提げ袋が掛けられていました。中には、「未来部レインボーチャレンジ」の一覧が入っていました。支部の未来本部長さんからでした。
 メッセージカードも添えられていて、“今は世界中がコロナとの闘いで大変ですが、信心で乗り越えられないことは絶対にありません。お題目をあげて頑張りましょう”と書かれていました。
 ちょうど母から「学校が始まったら気持ちよくスタートできるように、毎日、勤行をしてみない?」と言われていたこともあり、“よし! 頑張ろう”と素直に思えました。
 以来、母と共に勤行・唱題に挑戦しています。やった分だけ、勉強へのやる気や集中力が高まるのを実感しています。この休校期間を成長のチャンスに変えていきたいです。

少年少女合唱団スタッフが新聞制作
 <大阪・吹田摂津総県女性未来本部長 荒本美代子さん>
 「吹田少年少女サンライズ合唱団」でスタッフを務めてくださっている男女青年部の方々の奮闘が、地域に希望を広げています。
 大阪・吹田旭日県と吹田池田県の少年少女部員の代表で構成されている同合唱団もまた、2月中旬に学会活動が自粛となって以来、練習を休止している状態でした。
 そんな中、未来部レインボーチャレンジが発表されると、スタッフの皆さん同士がビデオ通話でつながって、ミーティングを開催。「子どもたちが楽しく挑戦できるよう、サンライズ合唱団新聞をつくろう!」ということになりました。
 完成した第1号の内容は池田先生のご指導の引用をはじめ、男子スタッフの“健筆”が光る「おもしろコラム」あり、女子スタッフが手掛けた素敵なイラストあり。さらにはスタッフ一人一人が自分の幼少時代の写真を載せて、子どもたちへの励ましのメッセージをつづるコーナーも。
 この新聞が少年少女部メンバーのご自宅に投函されると、大きな感動と喜びが広がりました。本人はもちろん、保護者の方々も男女青年部の真心に触れ、「わが家でしっかりレインボーチャレンジに取り組もう!」と語り合ったそうです。
 今、合唱団では毎週日曜の朝の同盟唱題を中心に、心を合わせています。その時刻は、コロナ禍が起きる以前、合唱団がいつも練習を開始していた時間帯。子どもたちは、みんなの健康と成長を祈りつつ、早寝早起き、勉強や読書、家のお手伝いなどの親孝行に元気いっぱいチャレンジしています。サンライズ合唱団新聞の第2号、第3号を楽しみにしながら――。

一家3人で祈る和楽の日々
 <埼玉・鶴ケ島市 松田亜由美さん(看護師)>
 わが家における「未来部レインボーチャレンジ」の実践は、一家3人での「朝晩の勤行・唱題」です。
 導師を務めるのは小学5年の娘です。2年前に学会に入会した夫が脳出血の後遺症で口周りが動かしにくいため、娘は夫のペースに合わせて、ゆっくり、一文字一文字を丁寧に、そして元気に読み上げてくれます。レインボーチャレンジのおかげで、朝、起きるのが苦手だった娘も、今では早寝早起きができるようになりました。 
松田亜由美さん(前列左から3人目)が、夫(同4人目)の入会を創価家族と共に喜び合う
 私自身が現在、働きながら信心に励み、毎週日曜日に聖教新聞の代配を務められるまでに成長できたことも、また、夫を入会に導くことができたのも、そして和楽の家庭を築くことができたのも、地区や支部の創価家族の皆さんの励ましがあったればこそです。
 今は同志の方々となかなか直接お会いすることができませんが、朝晩の勤行・唱題を通して、皆さんのご健康とご多幸を祈っています。体調を崩しておられた方が元気になられたとの報告を受けて、娘も「ナンミョウしたからだね! すごいね!」と、本当にうれしそうにしていました。
 レインボーチャレンジを実践し始めてから2週間。家族全員で「お題目って、すごい!」という確信を分かち合っています。
 こうした一つ一つ、一日一日の積み重ねが、後継の人材を育てていくために大切なことなんだなあと、深くかみ締める毎日です。


◆〈世界の体験プラザ〉韓国で校正エンジニアとして活躍韓国SGI 禹漢福さん
 開発したソフトで効率が飛躍的に向上

    憧れの仕事に就くが…
 「こんなはずじゃなかった……」
 2007年、私は大きな壁に突き当たっていました。
 初めて自分で望みをかなえて実現した活躍の場、「校正エンジニア」になって約1年。しかし、そこは入社前の想像をはるかに超える厳しい環境でした――。
 産業界で使われるさまざまな計測器は、使用するうちに環境による影響から、少しずつ「誤差」が生じます。
 校正エンジニアは、より精度の高い上位標準器を用いて、各種の計測器が表示する値が、標準値と比べてどれくらい誤差があるのかを確認する仕事です。この校正を受けることで、計測器は信頼性を確保できるのです。
 それだけに、万が一にも校正にミスがあれば影響は甚大です。世界中に輸出される製品が不良品になり、大混乱を招くかもしれないからです。
 憧れの仕事に就いたにもかかわらず、私は“もっと上達しなければ”というプレッシャーから、集中力や忍耐力を発揮できず、些細なミスを起こしては、自信を失っていました。
 さらに追い打ちをかけるように、校正機関が3年に1度、実施する熟練度審査もパスできず、状況は悪化していきました。
 粘り強い努力が要求される職場は、活発な性格で、想像力や好奇心が旺盛な私には、やはり向いていなかったのではないか……。そんな弱気な心を打ち破ってくれたのが、この信心でした。師匠と同志のおかげで、今の自分があると心から感謝しています。

製造業を陰から支える
 私は1980年、慶尚北道の聞慶市に3人きょうだいの末っ子として生まれました。
 両親は、私が生まれる5年前に韓国SGIに入会。私は学会っ子として育ったものの、活動にはあまり積極的ではありませんでした。
 中学時代、亀尾市の亀尾電子工業高校に入りたいと思い、進学を目標に、勉学と朝晩の勤行・唱題に挑戦。晴れて合格できたことが、信仰でつかんだ初めての体験になりました。
 しかし、高校は寮生活で、次第に勤行がおろそかになると、再び信心から疎遠に。その後の大学受験、兵役、就職も思い通りにいかず、苦しい日々が続きました。
 そんな私の幸せを願い、母が懸命に唱題する背中を見て、私も真剣に信仰と向き合おうと決意。地域の座談会、男子部の活動にも積極的に参加するようになりました。
 2001年、スマートフォン製造会社に就職。品質管理の仕事を任されました。
 たった一つの部品を製造するにも、さまざまなテストをクリアする必要があります。そのテストで使われる計測器は、さらに厳しい基準で有効性が確保されていることを知りました。
 “韓国の製造業を陰から支える「校正」という仕事があるのか……”。私は強く興味を引かれました。
 03年、会社勤めをしながら、金烏工科大学電子工学部に入学。卒業を目前に控えた06年、偶然にも、現在働いている会社の募集を見つけました。募集枠は1人でしたが、この年は不思議にも2人が選ばれ、晴れて入社できたのです。
 しかし、現実は甘くありません。机の前に座り、長時間同じ作業を続ける忍耐力、細かなミスも決して許されない集中力は、想像を絶していたのです。

信心根本に人間革命を
 悩む私を、男子部のメンバーは懸命に励ましてくれました。“今こそ力をつける時だよ”“目の前の一歩を踏み出そうよ”と。
 大好きな御書の一節、「一丈のほりを・こへぬもの十丈・二十丈のほりを・こうべきか」(912ページ)も浮かんできました。
 そうだ。夢を抱くのは誰でもできる。大切なのは一歩一歩、前進することだ。今、諦めたら、同じことの繰り返しになってしまう。今こそ、信心根本に人間革命をしよう!
 職場の先輩のアドバイスは子細にメモし、仕事を終えても独学で校正の勉強を続けました。SGIの活動と両立させながら、睡眠時間を削ってでも努力しようと挑戦し続けました。
 その結果は次第に表れてきました。
 電気分野の校正現場でよく使われる計測器の基本構造や原理に共通点が見えてきたのです。これを、一つにまとめられるのではないかというアイデアが浮かびました。
 それを発展させて開発を続け、09年に「統合ソフト」を完成。プログラムの修正が短時間ででき、効率が飛躍的に向上し、先輩からも一目置かれるようになったのです。仕事の上で、不利だと思っていた私の想像力や好奇心が、いつしか長所として表れたことに驚きました。
 もちろん、校正にとって何よりも大事なのは信頼性、ミスの防止です。
 池田先生は小説『新・人間革命』で次のようにつづられています。
 「ミスというのは、一生懸命に防止に努めても、予期せぬかたちで起こる場合がある。ある意味で、魔との攻防戦ともいえます。だからこそ題目です。絶対にミスなど起こすものかという誓願の必死の祈りが、大事になるんです」(第18巻「師子吼」の章)
 この指導を胸に、日々の業務に取り組んでいます。
 職場では14年に課長に昇進し、男子部では18年に方面男子部長の任命を受けました。
 学会創立100周年の2030年を目標に、国際校正機関で認められる最高の技術者となり、池田先生に恩返しできる弟子を目指していきます。

2020年5月17日 (日)

2020年5月17日(日)の聖教

2020年5月17日(日)の聖教

◆わが友に贈る

 自分だけの幸福も
 他人だけの不幸もない。
 一人一人の状況に合わせ
 “つながり”を強く深く
 信頼の連帯を広げよう!


◆名字の言 机の前に座らない“勉強”   2020年5月17日

 在宅勤務になった男子部員が、始めたことがある。食材をスーパーで購入後、自宅で小学3年生の娘と一緒に行う“算数”の勉強だ▼レシートの合計額を隠した上で買い物額を計算したり、「半額」や「2割引き」の意味を学び合ったり。肉や魚、野菜の袋に記載された産地を見て地図帳を開き、生産者に思いをはせることも。学校の宿題ではない。だが「今まで家事も教育も妻に任せっぱなしだったので、この機会に、自分もわが子と一緒に成長できればと思って」と彼は言う▼「学び」とは、机の前に座る時間の長短だけで測れるものではない。第2代会長の戸田先生は優れた数学者でもあった。その才能を人知れず育んだのは、満足な教育を受けていない母親だったといわれる。母は家業が仲買商だった関係で、自分なりに工夫して、例えば小枝を折って右に並べたり左に並べたりして計算をしていたという。そんなけなげな努力を見ながら、戸田少年は“数学の勘”を磨いたのである▼このエピソードを通して、池田先生は語った。「生活の中で『知恵』を発揮していく。その姿、それ自体が、子どもにとって、かけがえのない『教育』となっている」と▼全てを豊かな「学びのチャンス」に。その人こそ「価値創造の人」である。(之)


◆寸鉄

「かかる濁世には互につ
ねに・いゐあわせて」御書
団結は力。支え合い前進
     ◇
己の弱い心に挑んで境涯
を開け―恩師。今日より
明日へ。明確な目標定め
     ◇
拡大の第2波を防ぐのは
個人の意識。3密回避等、
対策を当たり前の習慣に
     ◇
終息後にやりたい計画が
ある―6割と。希望こそ
最高の薬。輝く未来、皆で
     ◇
世界高血圧デー。睡眠・
食事・運動で自粛疲れを
ためぬ工夫を。健康第一


◆社説 5月18日「ことばの日」に寄せて  言葉の力で自他共の幸福を

 今、本紙に全国の読者からたくさんの投稿が寄せられている。自身もコロナ禍の困難に挑みながら、誰かの励ましになればと、つづってくださったお便りも数多い。
 あす5月18日は、5と18を「こ(5)と(10)ば(8)」と読む語呂合わせから、「ことばの日」とされている。本紙「声」欄から“言葉の力”を学びたい。
 ある東京の婦人部員には、都内で離れて暮らす両親と弟がいたが、病気がちな両親が心配でならなかった。そんな中、父母はもちろん、弟まで励ましてくれたのが、近くに住む当時の地区婦人部長。
 「暑いですね」「体調は大丈夫ですか」などと厚手のカレンダーの裏紙に太いペンで書かれた、地区婦人部長からの励ましのメモは、15年間で1600通にも。
 高齢者への気遣いがにじむメモを、何よりも喜んだ亡き父母の姿を思いつつ、投稿者は、「1600通の言葉の花束」に感謝をつづった(1月22日付)。
 神奈川のヤング白ゆり世代の方は、コロナ禍で夫の仕事が激減。3人の子を抱え、不安の中、自身も4月から新しい仕事に就くことに。
 偶然出会った同志に話すと、「あなたなら絶対にうまくいくよ」と確信に満ちた言葉が返ってきた。感染防止のため、短時間の会話だったが、その一言で目の前が明るくなり、現実に立ち向かう勇気を得たという(4月1日付)。
 たとえ短くても、たった一言でも、真心の励ましが、相手の生命を開き、希望と勇気を湧かせることがある。そして、言葉は時に、その人の人生をも変える。
 千葉の婦人部員は短期大学1年の時、池田先生と懇談の機会が。緊張でいっぱいの彼女に、思いがけず、先生は「君は堂々としているね」と。その後、就職活動に失敗し、両親が離婚。試練の中、彼女は気が付いた。
 「あの時の先生の言葉は“何があっても堂々と生きよ”との指針だったんだ」と。
 50代となった彼女は昨年、最愛の夫を失った。しかし、苦難のたびに、“堂々と生きよ”と語った師の慈愛のまなざしを思い浮かべ、立ち上がり、進み続けている(昨年6月21日付)。
 御書に「言葉とは心の思いを響かせて声に表したものである」(563ページ、通解)と。友の幸福を思う真剣な祈りから発する慈悲の声には、言葉には、絶望の闇を照らし、生命を救う限りない力がある。
 ウイルスとの闘いで、物理的距離は離れても、心の距離まで離れない――。そのために言葉を大切にしたい。目には見えない心を伝え、広げるのは言葉だからだ。
 「励まし月間」の中、「励ますことで自分が励まされた」との実感をつづる投稿も。一人として「孤独」にはさせないと祈りに祈り、考え、精いっぱいの言葉を届けよう。それが自身を照らす光となる。


◆きょうの発心 開目抄 埼玉・緑凱旋区総合長 渡部正毅2020年5月17日

御文 我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ(開目抄、234ページ・編464ページ)
通解 私と私の弟子は、多くの難があろうとも、疑う心を起こさなければ、自然に仏界に至るであろう。諸天の加護がないからと、疑ってはならない。現世が安穏でないことを嘆いてはならない。

苦闘への挑戦が師との原点に
 いかなる難があっても疑うことなく信心を貫けば、成仏の境涯を得られると仰せです。
 1982年(昭和57年)、高校3年の時に行われた、第2回世界平和文化祭に出演し、池田先生との原点を刻みました。
 高校卒業後に就職しましたが、「創価大学で学びたい」と、創大の通信教育部へ。仕事と学会活動を終えてからの勉強は、苦闘の連続でしたが、一歩も引かずに挑み、卒業することができました。
 創価班としても、創価大学で行われた行事運営に参加。一人一人を、温かく激励される先生の姿に、「師匠の期待にお応えできる人材に」と誓いました。
 愛する緑凱旋区で8年間、区長としてまい進。昨年11月には区総合長と、さいたま市特別区の未来本部長の任命を受けました。
 さらなる地域広布と、宝の未来部育成に、全力で挑戦していきます。


【先生のメッセージ】

◆「声の力」で新しい前進を 池田大作先  生の写真と言葉「四季の励まし」2020年5月17日

 初夏の日差しに照らされ、新緑が映える。「創価学会後継者の日」の今月5日、池田大作先生が都内でカメラに収めた。
 木々は太陽の光を浴び、天に向かって力強く伸びていく。人もまた、温かく励ましてくれる存在がいるからこそ、勇気と希望が湧き、大きく成長することができる。
 創価学会では、今月を「励まし月間」(31日まで)とし、同志、家族・親戚、友人・知人などに励ましの声を届けていく。また“未来部レインボーチャレンジ”(6月30日まで)もスタート。創価家族が一丸となって後継の友を育んでいく。
 さあ、一人一人が前を向けるよう、真心の声掛けで“励ましの光”を送っていこう。
 
 声は力である。
 声の響きこそが、
 人に勇気を送る。
 いざというときの
 「信頼の一言」
 「励ましの一言」
 「確信の一言」が、
 どれほど皆に
 力と勢いを与えることか。
  
 大事なのは、
 励ましである。
 励ましの声である。
 仏典には、
 「声仏事を為す」と
 仰せである。
 現実に生きゆく人々に、
 希望と勇気を送るのは、
 真心からの
 「励ましの声」である。
  
 自分を
 よく見せようとすると、
 しゃべるのが苦痛になる。
 ありのままの
 あなたでいい。
 背伸びせず、
 自分の短所も長所も
 正直に知ってもらえば
 いいのである。
  
 親身になって、
 話を聞くことである。
 悩みを「聞いてもらう」
 だけでも、ぐっと心が
 軽くなるものだ。
 前へ進む力になる。
 今、手を差し伸べれば、
 全ての人を
 輝かせていける。
  
 一本の電話の持つ力は
 計り知れない。
 顔が見えない分だけ、
 声や話し方が大事である。
 一本一本の電話、
 そして一回一回の対話が
 仏縁を結び、福運を広げる
 仏道修行と思い、
 深き祈りを込めて、
 声を響かせていくことだ。
  
 「声」を
 惜しんではならない。
 「声」の限りを尽くして、
 語りまくり、
 しゃべりまくって
 いくことだ。
 「新しい前進」――
 それは
 特別なことではない。
 「新しい息吹」で、
 「新しい声」を
 発するところから
 始まるのだ。


【聖教ニュース】

◆青年部と医学者による第6回オンライン会議から
「新しい日常」を考える――
<危機の時代を生きる> 一人一人が自分らしく価値を創造する時 「できないこと」より「できること」を前向きに

 新型コロナウイルスの感染状況を踏まえ、青年部の代表と医学者らが「『新しい日常』を考える」をテーマに第6回オンライン会議を行った(14日)。

感染防止対策を習慣とする
 志賀青年部長 政府は39県の緊急事態宣言の解除を発表しました。残りの8都道府県は、21日をめどに感染状況と解除基準を照らし合わせ、可能であれば31日を待つことなく、解除する考えが示されています。
 一方、厚生労働省は4日、新型コロナウイルスの感染拡大防止の取り組みが長丁場(ながちょうば)になることに備え、政府の専門家会議の提言を踏まえた「新しい生活様式」を公表しています。
 最新の感染状況を踏まえ、今後の私たちの意識と行動について、考えていきたいと思います。  ?

 菖蒲川(しょうぶがわ)新潟大学特任教授 現在、各地の新規感染者数は減少傾向にあります。これは、緊急事態宣言の下、「人との接触8割減」や「休業」など、皆さんの努力の結果であるといえます。
 しかし、行動制限を緩和(かんわ)した韓国などで再び感染が拡大しているように、日本でも、意識が一気に緩(ゆる)むと感染拡大が再燃する可能性は十分にありえます。たとえ今は感染者数が少ない地域でも、油断はできません。宣言解除は決して、何もかもが元の通りでよいとの“青信号”を示しているわけではないのです。今は、経済活動とのバランスを慎重に取りながら、感染を制御していく段階です。
 「新しい生活様式」が提示された目的は、どこまでも、自分が感染しない、感染させないこと。そして、医療崩壊を起こさせないことにあります。ただ、重く捉(とら)える必要はありません。一人一人が実践してきた、密閉・密集・密接の「3密」を避ける行動とともに、身体的距離の確保、マスクの着用、手洗いの励行といった基本的な感染防止対策を習慣化していくことが求められていると思います。
 
正しい情報を基に正しく恐れる
 西方男子部長 共同通信社が10日に発表した世論調査では「新しい生活様式を採り入れたい」との回答が86%に上りました。多くの人が、前向きに「新しい日常」に取り組もうとされています。
 その一方で懸念されているのが、感染者や医療従事者、営業している飲食店などへの中傷行動です。一見、冷静な判断を失っているような中傷行動は、どうして起こってしまうのでしょうか。
  
 藤原東京医科歯科大学教授 一概には言えませんが、次の三つの心理的要因があると思います。
 一つ目は、ストレスのかかった状況にあると攻撃性が高まってしまうということです。精神分析学者のフロイトや動物行動学者のローレンツらによれば、そもそも攻撃行動は、人間が生存するための必須(ひっす)の本能であるともいわれています。今回の長い自粛要請(じしゅくようせい)による不自由さ、感染への不安などのストレスが攻撃性を高めていることは容易に想像できると思います。その攻撃対象が他人に向かえば、激しい言動になるということです。さらに言うと、自分に向かえば過度な不安状態に陥ると考えられます。
 二つ目は「自分は自宅待機しているのに、なぜ、あなたは外出しているの?」「自分は我慢しているのに、なぜ、あなただけが得をするの?」といった心理です。日本は欧米諸国に比べ、社会・地域における人々の信頼関係(ソーシャル・キャピタル)が強いのが特徴です。この「助け合い」の精神が強ければ、人々の連帯を促進し、あらゆる困難を乗り越える力になります。一方で、この副作用についても正しく認識しておく必要があります。
 日本には「当然、皆、自粛(じじゅく)するよね?」という空気があります。これは、地域住民が相互に監視し合う「インフォーマル(公的でない)」な統制で、“ただ乗り”を許しません。このような自粛の状況で誰かだけが得をすることを許さない雰囲気になるわけです。
 それによって、外出・出勤せざるを得ない人、店を営業せざるを得ない人らが「自粛せずに自分だけ好きなことをしている“ただ乗り”の人」と一括りにされ、厳しい目が向けられます。これは、「感染した人が悪い。自業自得」という風潮も生んでしまいます。
 三つ目は、新型コロナウイルスの感染確率を“あるか、ないか”の二択で考えてしまう心理です。ネガティブ(否定的)な感情はポジティブ(肯定的)な出来事が起こる主観的確率を低めるとの研究もあります。
 例えば、政府が示した基準などに沿って営業する飲食店で食事をする場合、感染する確率は低いのですが、もちろん「0」ではありません。感染の確率を二択で考えてしまうと、少しでも可能性がある場合、あたかもリスクが「100」に近いかのように感じる心理が働きます。そうなることで自身の恐怖心があおられ、排除・攻撃の方向に傾いてしまうのです。  
 ここでは3点を挙げましたが、まずは、誰にでも、冷静な判断を失ってしまう傾向があることを認識することです。中傷行動は、誰のためにもなりません。こうした非難が繰り返されると「症状があっても伏せておこう」「行動履歴を明かさないようにしよう」と判断する人が増え、結果的に、感染経路を追えないなど、感染拡大防止を妨げます。やはり大切なのは「正しい情報」を基に「正しく恐れる」ことです。冷静に判断し、賢明な行動をとっていきたいと思います。

「一人の命の大切さ」見つめて
 大串女子部長 医療従事者とそのご家族、また人々の生活に欠かせない仕事をされている方々に、心からの敬意と感謝を述べさせていただきたいと思います。  
 「国際看護師の日」の5月12日付の聖教新聞に、看護に携わる皆さまへの感謝を込め、池田先生がかつて白樺の友に贈った長編詩の抜粋が掲載されました。これは英語などに翻訳され、世界の医療従事者をはじめ多くの人々から大きな反響が寄せられています。
 新型コロナウイルスに向き合う中で、尊敬や感謝の心を広げることは、世界の諸問題を克服する鍵(かぎ)ともなるように感じます。あらためて私たちは今、この感染症をどのように捉えていくべきでしょうか。  

 藤原 新型コロナウイルスに感染したことを「自己責任」にさせないことが重要でしょう。これは、貧困や障がい者への差別・偏見にも通底します。
 新型コロナウイルスは未知の感染症です。誤解を恐れずに言えば、誰しも感染する可能性がある。また、すでに無症状感染者である可能性もあります。感染はもはや誰の責任でもありません。ゆえに、感染してしまった人を非難するのではなく、そこから先のことに目を向け、その人の命を守る。感染を広げないために、周囲も共に努力していく。こう捉えていくべきではないでしょうか。
  抗体検査、抗原検査なども“見えない恐怖”を軽減するために有用かもしれません。しかし、抗体などの有無によって新たな差別や分断を生み出しては本末転倒です。この点も注視していく必要があります。
 また、医療崩壊を防ぐことも、経済活動を回復させることも、命を守るために欠かせません。医療と経済が対立するようなことがあってはなりません。あらゆる人が「一人の命の大切さ」に目を向け続ける日常を築く時であると思います。  

“誰も置き去りにしない”挑戦
 西方 新型コロナウイルスと「共に生きていく」という視点が注目されています。そうしたことも含め、「新しい日常」を充実させるポイントは何でしょうか。   

 藤原 「新しい生活様式」については、「こんな細かいことまで指示されたくない」などと考える人もいるかもしれませんが、感染拡大防止には不可欠なことですし、前向きに捉えていくべきだと思います。
 行動経済学の理論に即せば、人の選択は、設定された初期値(デフォルト)に強く影響を受けます。例えば、多くの人は、パソコンやスマートフォンの初期設定をほとんど変えません。それでも、十分に使いこなすことができます。一方で、その設定を変更し、より自分に合った使い方を工夫する人もいるでしょう。「新しい日常」を模索していくこともまた、“初期設定”の変更といえます
 今後、都市部と地方、また緊急事態が続く地域と解除された地域などで、方針や要請が変わってくることが予想されます。さらに言えば、医療従事者や飲食店の経営者、1人暮らしの方など、個々人の状況によって生活様式が「違う」ことは当然です。
 だからこそ「新しい生活様式」を前提としながら、それぞれの状況に合った「新しい日常」を築くことが重要ではないでしょうか。
 皆が「違う」ことが当たり前に受容され、尊重される社会は、きっと豊かな日常をもたらすはずです。  

 勝又創価女性医学者会議議長 ピンチをどうチャンスに変えていくか、変わってはいけない部分を大事にしながら今後の環境にどう適応していくかが問われていると思います。何事も前向きにチャンスと捉えて、新たな挑戦へ一歩を踏み出し、価値を見いだしていくことが重要ですね。  

  庄司創価青年医学者会議議長 私も自粛期間、医療現場に身を置きながら、仕事、家庭、生活など、自分にとって本当に大事なものは何か、どう生きるべきかを考えさせられました。  
「できないこと」が強調されてしまいがちですが、そうではなく、「これもできる」「あれもできる」と、「できること」を見つけていく中で、自分らしい「新しい日常」を模索して、日々、価値創造していきたいと思います。

  志賀 この自粛期間、「子育ての大変さや妻の苦労を知り、家族の存在のありがたさが実感できた」「仕事上の新たなアイデアや工夫が生まれた」等、今まで気付かなかった価値を発見した方は多いと思います。私もその一人です。  
 「新しい日常」を考えていくに当たって留意しなくてはならないことは、それぞれの状況が異なることです。その「違い」を排除すれば、分断が生まれる。そうではなく、「違い」を尊重しながら、「連帯の心」を広げていく。「誰も置き去りにしない」、そして「一人を大切に」という創価の思想が、ますます重要になってくると思います。
  トインビー博士は、池田先生との対談集の中で「人類の生存に対する現代の脅威(きょうい)は、人間一人一人の心の中の革命的な変革によってのみ、取り除くことができる」と述べています。そして「心の変革」を促す力こそ宗教による啓発(けいはつ)であると洞察(どうさつ)しています
 私たち学会青年部は、「新しい生活様式」を参考にしながら、引き続き、感染防止の意識を持ち、賢明な行動をとっていきたい。そして、電話やSNS、オンラインツールなどを活用しながら、どんな状況にも価値を見いだす「価値創造の哲学」を語り広げてまいりたいと思います。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈未来に輝く知性の宝冠〉 ドミニカ共和国 サントドミンゴ自治大学2020年5月17日
 心に生命の宮殿を
 正義を求める一人の声が小さな国の大きな歴史に

南北アメリカ大陸で最古の歴史を誇るドミニカ共和国のサントドミンゴ自治大学が、池田先生に「名誉博士号」を授与。レイナ総長(右から4人目)は「わが大学の使命は、『平和』『向上』『社会正義』の理念を、世界に広めることにあります。池田博士は、その最良の模範です」と(2008年1月、八王子市の東京牧口記念会館で)

南北アメリカ大陸で最古の歴史を誇るドミニカ共和国のサントドミンゴ自治大学が、池田先生に「名誉博士号」を授与。レイナ総長(右から4人目)は「わが大学の使命は、『平和』『向上』『社会正義』の理念を、世界に広めることにあります。池田博士は、その最良の模範です」と(2008年1月、八王子市の東京牧口記念会館で)

 「約5世紀に及ぶラテンアメリカの人々の声を代表して、私たちは、新しい文化の扉であるカリブ海地域から、平和と正義と人間主義の、最も高邁な声を象徴する人物を顕彰するためにやってまいりました」
 2008年1月19日、ドミニカ共和国・サントドミンゴ自治大学のレイナ総長(当時)が、池田先生への「名誉博士号」の授与式で語った。
 同大学は、1538年に創立された、南北アメリカ大陸で最初の大学。1987年2月には先生に名誉教授称号を贈っており、名誉教授、名誉博士の二つを受けるのは、東洋人初の栄誉となった。
 カリブ海に浮かぶ同国は、日本の九州と高知県を合わせたほどの面積。1492年、コロンブスがスペインから“新大陸”への第1回の航海で到着した、イスパニョーラ島にある。
 首都サントドミンゴは、新世界への開拓の拠点として、新しい文化を取り入れながら発展。大学のほか、中南米最古の教会や病院もこの地に建設された。
 創立480年を超えるサントドミンゴ自治大学の歩みは、相次ぐ支配や暴力、貧困等と戦いながら、平和を求め続けたドミニカ共和国の歴史とともにある。
 総長は言葉を継いだ。
 「人類のための貢献において最も卓越した人物を顕彰することは、サントドミンゴ自治大学の最も重要な使命の一つであります」
 「池田氏を宣揚することは、サントドミンゴ自治大学にとって、数世紀にわたり貧困と戦ってきた精神力と再会することを意味します。そしてそれはまた、平和で幸福な人生の因となり、希望となっていく機会を意味するのです」
                         ◇ 
 大学創立の淵源は、一人の修道士の叫びだった。
 スペインから移り住んだ人々の、ドミニカ先住民たちへの不当な扱いに、声を上げたのである。
 “自分を愛するのと同じように、彼らを愛する義務があるではないか!”と。
 正義と人間主義を希求する彼の叫びが発端となり、大学が創立された。小さな国の、一人の声が、南北アメリカ大陸に輝く偉大な歴史を築いたのである。
 その前身は中世の神学者の名を冠した「聖トマス・アクィナス大学」。民族を超えた「人間の平等」、「人権」と「平和」の精神が、建学の理念だった。
 他国による占領や統治、そして独裁政治など、混乱状態が続いたドミニカ共和国。嵐の大海原を進む同国にあって、教育こそが、幸福と繁栄への航路を示す“羅針盤”にほかならなかった。
 揺れ動く国情の中で、サントドミンゴ自治大学は、中断、再開、また中断を繰り返しながら、5世紀に及ぶ航海を祖国と共にした。
 一人の信念と行動が、社会を変えゆく大きな力となる。その無限の可能性を引き出し、育むのが「人間教育」である。
 これが池田先生の一貫した哲学であり、サントドミンゴ自治大学の歴代総長らが、大切にしてきた信条でもある。
 1985年、来日したサンチェス総長(当時)は先生と会見。「平和に貢献する人材を育成することこそ、大学の使命」との教育観などを語り合った。
 そして、先生のドミニカ共和国初訪問となった87年2月、同大学は先生に「名誉教授」称号を授与した。
 4日間の滞在中、先生は国家勲章である「クリストバル・コロン大十字勲章」も受章した。さらにサントドミンゴ市の名誉市民にあたる「特別賓客」の贈呈式、相次ぐ要人会見など、行程は多忙を極めた。その間隙を縫うように、SGIの記念勤行会や総会に出席。岩盤に爪を立てる思いで広布の草創を築いた友らに、真心の励ましを送った。
 レイナ元総長は、当時、すでに同大学で教壇に立っていた。後にこう述懐している。
 ――87年当時、大学内には、大学の最高栄誉である「名誉博士号」を贈る意向があった。しかし当時の規約では、最低でも3000人の学生と教職員が一堂に会して、賛否をはかる必要があり、大学内にそれだけの規模の施設がなかった。そこで、まずは審議会によって検討・決定される「名誉教授」称号を授与した。
 名誉教授もまた、当時の実質的な最高栄誉ではあったが、“いつしか会長に名誉博士号を”という思いを残すものだった――
 大学関係者の中で先生への敬愛と信頼が深まる中、2007年には同大学の図書館で、非暴力の精神を訴える“ガンジー・キング・イケダ展”を開催。そしてその年、レイナ元総長が先生への「名誉博士号」を提案したことから、翌08年の授与に至ったのである。
 元総長の母と母方の伯父は、独裁者による圧政下、正義と人道の闘争に身をささげた人物である。名誉博士号の授与式で先生は、その家族の「革命精神」をたたえた。
 そして牧口先生、戸田先生に連なる創価の人権闘争を通して、青年に呼び掛けた。“「英知と勇気の朝日のごとき光」で、人類の未来を、燦然と照らしていってほしい”と。
                          ◇ 
 二人の総長をはじめ、先生とサントドミンゴ自治大学の友情は今も続く。
 2010年には、先生の指針集のスペイン語版が同国SGIから発刊され、同大学の教授が、その監修を担当。出版発表会は、大学のペドロ・ミル図書館で盛大に行われた。
 館内には今、先生の著作を集めた「池田大作コーナー」が設置されている。
 輝く太陽、紺碧の空、エメラルドグリーンの海――“カリブの宝石”とうたわれるドミニカ共和国。87年の訪問で先生は語った。
 大国から見れば、小さな国かもしれない。しかし、人間の生命、人々の心の中に「宮殿」が輝いているかどうかに、その国の“魂”がある。光り満つ、大地と人間の美しさは、ドミニカ共和国の未来の発展の象徴である――と。
 世界の大学・学術機関が先生をたたえるのは、人々の生命の「宮殿」を輝かせてきたその行動に、人間教育の模範を見ているからにほかならない。
 サントドミンゴ自治大学の公式カラーは、白とインディゴ(藍色)である。
 青は藍よりも青し。
 カリブの空と海にも似たその青は、青年へと受け継がれゆく、気高き平和と正義の精神を映すかのようである。

南北アメリカ最古の大学 全ての人に向学の機会
 1538年に創立された南北アメリカ大陸最初の大学。教育学部、芸術学部、理学部、法学・政治学部など9学部が開設され、首都サントドミンゴのメインキャンパスをはじめ、全国各地のキャンパスに約20万人の学生が学んでいる。
 大学内に保育所を設け、子育てしながら学べる環境を整えるなど、あらゆる人々に向学の機会を提供する「社会に開かれた大学」でもある。
 卒業生には歴代大統領や、副大統領、最高裁判所長官、教育大臣らがおり、各界で同国の発展を支えている。

サンチェス元総長
 私たちは(1985年の会見で)「大学の使命」などについて語り合い、「若い世代に、人類の生存権、社会正義などを正しく教育し、平和に貢献する人材を育成することこそ、大学の使命である」との意見で一致しました。(池田)会長は、地球規模の諸課題に対して深い洞察を持ちながら、非常に分かりやすく話をしてくださいました。その慧眼に感銘を受けました。
 その後、池田会長の卓越したリーダーシップと平和への貢献をたたえるために、87年に会長がドミニカを訪問した折、わが大学の法律政治学部の名誉教授に就任していただきました。(中略)
 我々の目的は、「全人格的な教育」にあります。大学で学ぶ青年たちに、人間としての模範の生き方を示さなければなりません。
 全人格的な教育というのは、単に専門知識を与えるだけではなく、自分自身と世界との関連性を深く理解させ、社会的な問題がどこに起因しているのか見極める力を持たせることです。
 そうした意味から、世界的に最も重大な問題である核兵器の廃絶や平和問題などに対し、毎年、提言を発信し、民衆運動をリードしてこられた池田会長の行動の偉大さを、高く評価するに至ったのです。また、池田会長は、学園や大学を創立されており、国連や学術機関からの称賛が相次いでいます。会長のような、人間的に、かつ学術的に傑出した人物を顕彰できることは、わが大学に
とって、大変に光栄なことであります。


◆〈信仰体験〉〈ターニングポイント〉不登校・引きこもりを経てパティシエに

 ピカピカに手入れの行き届いた作業台。ここが、福士雅子の勝負の舞台だ。
 焼き上がったケーキのスポンジを、水平に3等分にスライスし、生クリームとイチゴを敷き詰める。クリームの凹凸をならし、フルーツを。素早く。丁寧に。精魂込めて。
 30分もしないうちに、美しいデコレーションケーキが完成した。
 「私の愛情もたっぷり入ってます」とにっこり。
 北海道旭川市内の洋菓子店「パティスリーダンデリオン」のパティシエとして11年。こんなに頑張れるとは思ってなかった。

 学校生活に、いい思い出はない。
 中学の時、友人から突然“シカト”され、絶交状態に。それでも、“新しい環境なら変われるかも”と期待した高校時代。自分から声を掛け、たくさん友達ができる――はずだった。
 「なんで、あの子とばっかり仲良くしてるの?」。突然クラスメートから詰め寄られた。人間関係のやっかみ。もう、うんざりだった。関係を全部シャットアウトして、教室の隅で「空気」になった。誰とも視線を合わさず、話さない。
 それなのに、皆からどう思われているのか考えだすと、怖かった。学校を休みがちになり、中退。高校2年の秋のことだ。
 張り詰めてきた反動か、一歩も外に出られなくなった。家族以外とは顔を合わさず、携帯電話も解約した。
 引きこもりの日々が1年、2年……。
 家だけが安心できる場所だった。「ゲームするかい?」と、母がひょっこり顔を出す。少しも責めずに、自分を見守ってくれる母。「ごめん」とか「ありがとう」とか、伝えたいのに、言葉にできなかった。
 ある日、いつものように御本尊の前で祈っている母の姿が目に留まった。
 “私のこと、祈ってるのかな”
 母の横に座り、自分も題目を唱えてみた。ふいに涙がこぼれ落ちた。ぽろぽろ、ぽろぽろ……。
 “私に自信と勇気と強さをください”

 「雅子ちゃん、いらっしゃいますか?」
 明るい声が玄関に響く。引きこもっていた頃、わざわざ自分を訪ねてくるのは、学会の女子部の先輩だけだった。
 誰とも会いたくないから、「おなかが痛い」と、仮病を使って取り合わなかった。
 けれど、そんなことが何度も続き、とうとう“腹痛”では断り切れず、2階の部屋から玄関に下りていった。
 「良かった。やっと会えた」
 そして何度目かの訪問の折、「会合に、顔出してみない?」との誘いに、「分かりました」と答えていた。
 数日後、初めて参加した女子部の会合では、「よく来たね」「会えてうれしいよ」と、皆が声を掛けてくれた。でも、キラキラとした女子部の姿は、自分とあまりにもかけ離れているように思えて、つらい。
 そんな時、紹介されたのが指導集『華陽の誓い』だ。パラパラとページをめくった。

 「本来、自分ほど素晴らしいものはないのである。これが仏法である」との、池田先生の言葉が目に飛び込んできた。
 読み進めると、“どうせ自分なんて”と卑下していた心が、パッと明るくなった。
 “何これ、特効薬みたい!”
 その日から、一番の愛読書になった。書籍がボロボロになっていくのと比例して、自信を持てるようになった。
 ある日、父が「ここなら、ケーキの切れ端がもらえるかもな」と、笑いながら指さした。それは洋菓子店が出した求人情報。
 ありったけの勇気をふり絞って、面接を受けに行った。結果は自分でも驚きの「採用」。新たな一歩を踏み出した。

 家にこもっていた自分に、仕事が務まるだろうか――考えるほど、不安になった。
 パティシエは職人の世界。頭ではなく、体に技術を覚えさせる。
 終業後も職場に残り、生クリームの絞り方といった基本から、何度も繰り返した。時には厳しい声も飛ぶ。
 “でも、気持ちだけは負けない。足りない技術を補うには努力だ!”
 朝晩の唱題で、自分を奮い立たせた。
 働き出して5年目。やっと技術が身に付いてきた矢先、母が突然、鼻血を出して倒れ、救急搬送された。腎不全と肺胞出血を併発し、医師から「難しい病状」と。2日後、家族に見守られながら、母は静かに息を引き取った。
 突然の別れ。
 雅子が地区リーダーになった時、「家庭訪問に行く前に、部員さんのこと、祈っていきなさいね」「人を励ますことで、自分も励まされるの」と教えてくれたのが母だった。
 “母のように、人に尽くせる強い自分になろう!”
 悲しみと向き合う中で、新たな目標ができた。
 本年3月、自ら志願して準社員に。県女子部長としても、友の幸せを願い、励ましを送る。
 人と会うのが怖かった自分が、「人に喜んでもらうのが一番の幸せ」と思えるようになった。
 時々、空を見上げて問いかける。
 “私、少しはお母さんに、親孝行できている? できているといいな!”


◆〈スタートライン〉アラサーを過ぎたって、自分の“武器”は手に入る 作家 額賀澪さん

 今回のスタートラインでは、さえないアラサー男が主人公の小説『できない男』(集英社)を発刊した作家・額賀澪(ぬかが みお)さんにインタビュー。先行きが見えない時代に、前向きに生きるヒントを聞きました。

採点項目を増やす
 ――これまでは青春小説を執筆してこられましたが、新刊では一転、2人のアラサー男の物語です。  
  彼らは私と同年代で、将来のことや経済的なこと、家族の健康面などで同じような悩みを抱えています。それは私の同世代の友人にも多いです。そんな30歳前後の、自分の今後にいろんな不安を感じている人に読んでもらいたい小説です。   

 ――主人公の芳野荘介は自分に自信が持てず、さえない男として描かれています。  
  実は荘介にはモデルがいます。K君という大学時代の同級生で、自己肯定感(じここうていかん)がとても低いんです。友達も多くて、学校行事では皆のまとめ役の存在なのに「いや、別に誰でもできるから」って答えるような人で(笑い)。社会人の今でも、その自己肯定感の低さが目に余るんですよね。  
 でも大人になるにつれて、そういう人は意外に多いと感じました。何かできても、「自分一人でやったわけじゃないし」とか理由をつけて、自己評価を60点ぐらいにまで下げちゃうみたいな。  

  ――自信が持てなくて、人の褒(ほ)め言葉もそのまま受け止められないタイプですね。「自己評価」について、額賀さんはどのように考えていますか。  
  私は自己評価の「採点項目」が多いんです。それこそ「朝早く起きられた」といったささいなことでも、どんどん加点するような感じです(笑い)。採点項目の多い方が人生を楽しめると思っています。   

 ――とてもポジティブな考え方ですが、行き詰まった時はどのように切り替えますか。   
 小説を書く中でうまく進まない時もありますが、パソコンの前でうんうん言っててもしょうがないんで、「後で消すかもしれないけど、とりあえず書くか」って言いながら進んでいます。そうすれば、大丈夫だと思えるタイミングが必ずくるんです。  
  先行きが見えないからといって、何も行動しないことに一番焦(あせ)りを覚えます。「これはまずいな」という時も、「何かやっておいた方が不安じゃないぞ」と思えますね。  
 
 ――私も額賀さんと同年代で「ゆとり世代」に入ります。その特徴として「現状維持」を求めて、行動を起こさない傾向があるといわれます。  
  今作のもう一人の主人公の河合裕紀は、まさにそのタイプです。「今が仕事もプライベートもちょうど良いから、何かして悪くなるのは嫌だ」というマインドがベースにあります。  
  でも世の中って基本的に、どんなに良いものでも、放っておくと、だんだんと悪くなっていきますよね。“ちょうどいい現状”を維持(いじ)したいのであれば、むしろ、ちょっとずつでも自分を変えていく必要があると思う。   
 もちろん変化しようとした結果、うまくいかない時もありますけど、何もしなければ下りエスカレーターに乗っているように、気付いたら「随分と下の方にいるぞ」ってなる気がするんですよね。  
 
結論は“後の問題”
 ――何かを変えようとすると、失敗するリスクも背負います。額賀さんの人生では、どのような“変化”がありましたか。  
  一番大きいのは、会社を辞めて専業作家になったことですね。25歳で作家デビューしてからも、収入面を考えて会社で働いていましたが、二足のわらじでとても忙しく、勤め続けるかどうか悩みました。   
 でも、続ける理由が「将来の不安」だけで、小説に悪影響が出るなら意味がないと思い、会社を辞める決心をしたのです。  

  ――安定した会社員の立場を捨てるのは、とても大きな決断ですね。   
 「作家一本の道は大変だから辞めない方がいいよ」とアドバイスしてくださった方もいましたし、両方やり切っている方もいます。でも今のところは自分の決断に後悔はありません。これからも、「いい決断だった」と言えるようにしたいと強く思っています。   

 ――今からの行動次第で、過去の決断をも意味あるものに変えていけるのですね。   
 そう考えると、結論を出すのは“後の問題”なのだから、今はあれこれ悩むより、思い切って決断することが大切ではないでしょうか。そして決断したら、がむしゃらに進んでいく。   

 私も自分の決断を失敗にしないように、せめて引き分けにはなるようにと頑張っています。先ほどの採点項目でいうと、サッカーと同じで、最終的に引き分けでも勝ち点1は入るって思えば、気持ちは楽になります。   

 ――決断したことを貫(つらぬ)くには、自分を信じることが重要だと感じます。
 そのために、心では結論が決まっていても、議論を重ねることが大事ではないでしょうか。
 会社を辞める時も、辞めたいという気持ちが一番にあったのですが、反対意見も聞くようにしました。小説のタイトルを考える時も、最初の案がいいなと感じても、「これが良かった」と確信を持つために、他に99本の案を出して決めることもあります。  
 「えいや!」と直観で決めたことと、たくさん悩んで決めたことは、そのバックボーンの重みが違いますし、後者は自分の背中を押してくれると思うんですよね。
  
 ――作品で主人公たちは、いろんな経験を重ねて成長します。
  
「自分にはこういう強みがある」という経験が自信につながります。  
 荘介は子どもの時にそうした自己肯定感を高める経験がないまま大人になりました。それがずっとコンプレックスでしたが、この物語を通して、30歳を超えた自分でも「まだ何かできる」ということに気付いていきます。
 実際、私たちのような作家の世界でも、定年を迎えてからデビューしたという方もたくさんいます。だから何歳で自分の強みに気付くのか、何歳から新しい“武器”が手に入るかは分からないなと強く思います。  
 「自己肯定感を高める経験はティーンエージャーでしか得られない」なんてことはありません。私はそう信じています。だから荘介のモデルになったK君にも、「君はまだまだやれるよ」と伝えたいですね(笑い)。

【プロフィル】  ぬかが・みお 1990年、茨城県生まれ。2015年に第22回「松本清張賞」と第16回「小学館文庫小説賞」をダブル受賞して作家デビュー。主な著書に『拝啓、本が売れません』『競歩王』『タスキメシ 箱根』など。作家業のかたわら、母校の日本大学芸術学部文芸学科で非常勤講師も務める。
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2020年5月16日 (土)

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