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2020年4月

2020年4月30日 (木)

2020年4月30日(木)の聖教

2020年4月30日(木)の聖教

◆わが友に贈る

「広宣流布のため!」
 この大願の祈りが
 最善の智慧を生む。
 今こそ生命の底力を
 厳然と示しゆこう!


◆名字の言 随筆家・白洲正子さんが語る“良い文章とは?”

 随筆家・白洲正子さんが、文才にも優れた装丁家の青山二郎氏に文章を添削してもらった時のこと。“こんな説明は不要”“形容詞が多すぎる”と容赦なく削られ、揚げ句は「これがあんたの一番いいたいことだろう」と言いつつ、その部分まで消された▼そんな厳しい鍛錬を重ねて、白洲さんの文章は研ぎ澄まされていった。「文章はね、伝えたいことだけを書けばいいの、装飾はいらない」と白洲さん。“言葉の力”を信じる人ならではの発言だろう(志村ふくみ『ちよう、はたり』ちくま文庫)▼今、生き抜く力を呼び覚ます“本当の言葉”が求められている。それは安易な常套句や借り物の文章ではなく、書き手の命の底から湧き上がる思いを自分の言葉で、読者のために紡いでこそ生まれる▼本紙配達員の「無冠の友」である婦人部員に、友人読者から先日、こんな声が届いたという。「毎日の聖教新聞を心待ちにしている。世界が不安な中で、今や私の“ライフライン(=生命線、命綱)”になっている」と▼無冠の友の日々の尊い奮闘に、感謝は尽きない。本紙創刊70年目に入った今、「試練に屈しない勇気」「未来を諦めない希望」など、生き抜く力を宿した“本当の言葉”“本物の言葉”を届ける紙面作りを、と一層の決意を込める。(白)


◆寸鉄

月月・日日につより給へ
―御書。今日も課題を明
確に師子吼の題目で出発
     ◇
褒める言葉が家庭学習の
やる気引き出す―専門家
励ましが「万の力」と銘記
     ◇
感染拡大、楽観視できる
状況ではないと。店舗等、
3密避け「接触8割減」
     ◇
ネット上での悪質なデマ
投稿に罰金刑。必ず情報
源を確認。鋭く?見破れ
     ◇
消毒液の誤飲などの事故
急増。注意ラベル貼った
容器に保存する等工夫を


◆社説 刷新された「創価新報」が好評  民衆を護り抜く正義の言論を

 正義と真実の言論には、民衆の意識を変え、新たな時代を開く力がある。
 18世紀のアメリカ独立戦争の際、人々の勇気を鼓舞したのは、トマス・ペインが著した小冊子『コモン・センス』だった。イギリスの民主主義の実態を暴き、自立できることを訴えた主張が、独立をためらう植民地の人々に自信を与え、社会を動かす力となった。
 民衆の幸福と社会の繁栄を目指す広宣流布の前進もまた、正義を叫び抜く言論が同志の勇気を奮い起こし、人道のスクラムを築いてきた歴史である。
 「創価新報」が、破邪顕正の言論をはじめ、教学や世界宗教としての思想を学習する月刊の機関紙(第3水曜日発行)として紙面を刷新してから4カ月。多くの読者から好評だ。1面は、新聞の顔である題字を新しくするとともに、紙の新聞の特長を生かした大胆なレイアウトに。
 2面には、学会の正義の闘争史を振り返るインタビュー企画「世界広布の旭日――創価の誉れの大道」を連載。悪しき宗教権力の鉄鎖を断ち切った「第2次宗門事件」、一部政治家やマスコミによる学会弾圧の歴史について詳述されている。
 この紙面について読者からは、「第2次宗門事件から私たちは何を学び、その精神をどのように次代に伝えていくか。歴史的事実を通して培った『師弟不二』の精神と、『異体同心』の信心なくして、世界広布は実現できないと、改めて痛感しました」「宗門と決別し、学会の正しさが満天下に示されている今、改めて、極悪宗門について語り残す意義は大きい」「政治やマスコミなどの権力が結託した学会攻撃の歴史は、絶対に忘れてはいけない。特に若い人に読んでほしい」などの声が寄せられている。
 さらに3面は、2面の企画と連動し、小説『人間革命』『新・人間革命』を通し、悪の本質を見抜き、障魔と戦う精神を学べる内容となっている。
 池田先生の第3代会長就任60周年の佳節を迎える今、学会は大聖人仏法の正統教団として世界宗教へと飛翔する。しかし、この間の道程は「三類の敵人を顕さずんば法華経の行者に非ず之を顕すは法華経の行者なり」(御書441ページ)との御金言のままの闘争の歴史だった。
 これからも広布の団体である学会には、その前進を阻む魔が姿や形を変えて競い起こることは間違いない。そこに言論の力で真っ向から立ち向かい、同志を護り抜くことが青年部の使命である。そのためにも、学会の破邪顕正の闘争史から「師弟勝利の方程式」を学び、深く命に刻んでいくことが肝要となる。今後も広布推進の力となる正義の言論を発信するため、さらなる紙面の充実に
努めていく。


◆きょうの発心  四条金吾殿御返事 富山正義県副婦人部長 長越美智子2020年4月30日

御文 譬えば大薬師の能く毒を変じて薬と為すが如し(四条金吾殿御返事1184ページ・編1160ページ)
通解 (竜樹菩薩が釈して語ったことには)譬えば大薬師が能く毒を変じて薬と為すようなものである。

広布への一念で必ず道は開ける
 苦しいことも、信心で自身の成長の因に変えていけるとの一節です。肺結核を患った母と共に、10歳の時に入会。体が弱かった母でしたが、洋裁の仕事をしながら、私を東京の専門学校に行かせてくれました。東京では良き創価家族に恵まれ、行学の実践を通して信心の原点を築くことができました。
 宿命の嵐が襲ったのは、10年前の学会創立80周年の時。母の呼吸器不全が悪化し、さらに夫や長男、次男にも仕事などでさまざまな壁が立ちはだかりました。負けそうな時も、「変毒為薬」の妙法を抱き締め、同志の励ましを受けながら真剣に祈りを重ねました。
 一命を取り留めた母は、未入会だった父を入会に導き、更賜寿命の実証を示すように、昨年94歳で霊山へ。夫の仕事も軌道に乗り、3人の子どもたちは一家和楽の家庭を築き、元気に学会活動しています。
 何があろうとも、“一切を広宣流布への追い風にしてみせる”との一念があれば、必ず道は開けていくと確信しています。富山支部結成60周年の本年、広布の使命に走り抜いていきます。


【先生のメッセージ】

◆マイ・ヒューマン・レボリューション――小説「新・人間革命」学習のために 「白樺の友」編
 看護者の皆さん ありがとうございます!

 今回の「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」は、「白樺の友」編として、第14巻「使命」の章につづられた看護に携わる友への励ましを掲載する。次回は「ドクター部」編を、5月8日付2面に予定。※第8巻の掲載は、5月15日付の予定です。挿絵は内田健一郎。

白樺会の愛唱歌

毅然とした優しさが希望に
 白樺は「パイオニアツリー(先駆樹)」と呼ばれる樹木の一種で、伐採後の荒れ地や山火事のあとなどでも、真っ先に育つ、生命力の強い木であるといわれている。また、あとに生えてくる木々を守る、「ナースツリー(保護樹)」としても知られている。
 彼(山本伸一=編集部注)は、人びとの生命を守りゆく看護婦グループに、最もふさわしい名前であると考え、「白樺グループ」と命名したのである。
 “看護婦さん”というと、伸一には忘れられない、青春時代の思い出があった。
 それは、国民学校を卒業し、鉄工所に勤めていた時のことである。戦時下の軍需工場での労働は、かなり過酷なものがあった。
 伸一の胸は、結核に侵されていた。(中略)
 そんなある日、高熱に加え、血痰を吐き、医務室に行った。憔悴しきった伸一の姿を見ると、医務室の“看護婦さん”は、素早く脈をとり、体温を測った。四十代半ばの小柄な女性であった。
 彼女は、心配そうな顔で言った。
 「これじゃあ、苦しいでしょう。ここには満足に薬もないし、レントゲンも撮れないから、すぐに病院へ行きましょう」(中略)
 道すがら、彼女は転地療法を勧めたあと、屈託のない顔で語った。
 「戦争って、いやね。早く終わればいいのに……。こんな時世だけど、あなたは若いんだから、病気になんか負けないで頑張ってね」
 診察を終えると、伸一は、何度も頭を下げ、丁重にお礼を述べた。“看護婦さん”は、さらりと言った。
 「気にしなくていいのよ。当たり前のことなんだから」
 社会も人の心も、殺伐とした暗い時代である。親切を「当たり前」と言える、毅然とした優しさに、力と希望をもらった気がした。それは、伸一にとって、最高の良薬となった。
 彼女の優しさは、「戦争はいや」と、戦時下にあって堂々と言い切る勇気と表裏一体のものであったにちがいない。一人の生命を守り、慈しむ心は、そのまま、強き“平和の心”となる。 (99~102ページ)
   
宗教的な信念こそ献身の力
 医療に人間の血を通わせるうえで、看護婦の果たす役割は、極めて大きいといえよう。看護婦は、人間と直接向き合い、生命と素手でかかわる仕事である。その対応が、いかに多大な影響を患者に与えることか。
 体温を測るにせよ、注射一本打つにせよ、そこには看護婦の人間性や心が投影される。患者はそれを、最も鋭敏に感じ取っていく。
 そして、看護婦の人間性や患者への接し方は、どのような生命観、人間観、いわば、いかなる信仰をもっているかということと、密接に関係している。
 ナイチンゲールは「ともかくもその人の行動の動機となる力、それが信仰なのです」と述べている。真に献身的な看護には、宗教的な信念ともいうべき、強い目的意識が不可欠であろう。
 仏法は、慈悲、すなわち、抜苦与楽(苦を抜き楽を与える)を説き、その実践の道を示した教えである。
 さらに、仏法は、生命は三世永遠であり、万人が等しく「仏」の生命を具えた尊厳無比なる存在であることを説く、生命尊厳の法理である。
 まさに、仏法のなかにこそ、看護の精神を支える哲学がある。
 その仏法を持ったメンバーが、自身を磨き、職場の第一人者となっていくならば、人間主義に立脚した、患者中心の看護を実現しゆく最強の原動力となることを、伸一は、強く確信していたのである。 (105~106ページ)

 “白樺”は菩薩の心輝く集い
 <1969年(昭和44年)6月6日、「白樺グループ」の結成式が行われた。その模様を聞くと、山本伸一は万感の思いを語った>
 「この会合はささやかだが、やがて歳月とともに、その意義の大きさがわかってくるよ。メンバーは皆、本当に大変ななかで懸命に信心に励んでいる。(中略)
 三交代という不規則な勤務のうえに、常に人間の生死と直面している。疲労も激しいだろうし、緊張感もストレスも、相当なものがあるだろう。
 会合に出席するのも必死であるにちがいない。急患があったりすれば、参加できなくなることもあるだろう。
 しかし、そのなかで、広宣流布の使命の炎を赤々と燃やして、頑張り通してこそ、真実の仏道修行がある。それによって、自らの人間性も磨かれ、人の苦しみ、悲しみが共有できる。菩薩の心、慈悲の心を培うことができる。
 『極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず』(御書329ページ)と仰せの通りだ。
 冬を経ずして春は来ない。花には忍耐という大地がある。労苦なくしては勝利もないし、人生の幸福もない。
 皆がともに勝ちゆくために、同じ看護婦として互いに励まし合い、支え合い、使命に生きる心を触発し合っていくことが大事になる」
 それから伸一は、未来を仰ぎ見るように顔を上げ、目を細めた。
 「これで、苗は植えられた。二十年、三十年とたてば、このグループは、必ず大樹に育つよ。
 もともと、病に苦しんでいる人のために尽くそうと、看護婦の仕事を選んだこと自体、菩薩の心の人たちなんだ。みんなが、自身の使命を自覚し、自身に挑み勝っていくならば、『白樺グループ』は、最も清らかで、最も強く、一番、信頼と尊敬を集める、功徳と福運にあふれた女性の集まりになるよ。楽しみだ、楽しみだね……」 (111~113ページ)

命を守ろうとの一念は感応
 「白樺グループ」では、看護の基本は、生命の法則を知ることであるとの考えのうえから、教学の研鑽に力を注ぐことにした。(中略)
 仏法の研鑽は、皆に自身の使命の深い自覚を促し、人間主義の看護の実現をめざす原動力となっていった。
 「一念三千」や「色心不二」「依正不二」「九識論」等の法理を学び、生命と生命は互いに相通じ合うという「感応妙」の原理を知ると、メンバーの患者への接し方は大きく変わっていった。
 ある人は、交通事故にあい、ほとんど意識がなくなった八歳の女の子の健康回復を、懸命に祈りながら、日々、手を握っては、励ましの言葉をかけ続けた。
 「必ず治るから、頑張ろうね」「早く元気になって、また学校に行きましょうね」
 だが、反応はなく、一週間、二週間とたっても変化は見られなかった。しかし、三週間目から、容体は好転し始め、やがて、視線が反応するようになった。
 ある日、少女の体を拭いていると、突然、少女が言葉を発した。
 「お姉ちゃん、ありがとう。私、学校に行けるようになるからね」
 彼女は、跳び上がらんばかりに驚いた。本当に、生命は感応し合っていたのだ。
 こうした体験は、彼女一人ではなかった。皆が同様の体験をもち、看護する人の一念の大切さを痛感していった。だからメンバーは、患者のことを必死で祈った。
 “このまま死なせるものか!”
 “この命を必ず守らせてください!”
 その心で、看護にあたった。 (115~116ページ) 

【おことわり】小説では、当時の時代状況を反映するため、「看護師」を「看護婦」と表記しています。

碑の起工式

池田先生が見守る中、代表がくわ入れを行った「白樺の碑」「華冠の碑」の起工式(1978年6月23日、函館研修道場で)

 1978年(昭和53年)6月23日、池田先生は、「白樺の碑」「華冠の碑」の起工式で、白樺の友に和歌を贈った。
  
 白樺の
  真白き生命を
   つつみたる
  天使の胸に
    幸ぞ光れと

喜びの結成

創価学会新館(当時)で行われた白樺会の勤行会。池田先生が代表のメンバーと握手を交わす(1986年3月21日)
 
1986年(昭和61年)3月21日、「白樺会」が結成。池田先生は、この日を記念して詠んだ。
  
 生命を
  こよなく愛し
    慈しむ
  あゝ白樺の
    悲母に幸あれ


【教学】

◆〈教学講座 日蓮大聖人の御生涯に迫る〉 第3回 竜の口法難と佐渡流罪 2020年4月30日
 迫害に負けてしまえば民衆の幸福はない!苦難に屈してしまったら社会の平和・安穏はない!

ついに命に及ぶ王難
 ――前回(24日付)、日蓮大聖人が立正安国のための行動を起こし、相次ぐ迫害に遭われたことを学びました。その中でも最大の難である「竜の口の法難」が、文永8年(1271年)9月12日に起こります。
  
 この日、平左衛門尉頼綱が、武装した兵士を引き連れ、松葉ケ谷の草庵を襲いました。大聖人は、謀反人のような扱いを受けて捕らえられます。
 この時、大聖人は平左衛門尉に向かって、「日蓮を迫害して倒すことは、“日本の柱”を倒すことである。必ず自界叛逆(内乱)・他国侵逼(他国からの侵略)の二難が起こる」と強く諫められました。
 するとその日の夜半、突然、大聖人を連れ出し、鎌倉のはずれにある竜の口に連行します。平左衛門尉らは、内々で大聖人を斬首することを謀っていたのです。
  
 ――覚悟されていたとはいえ、迫害は、ついに幕府権力が直接動いて、命を奪おうとするところにまで至ったのですね。
  
 まさに命に及ぶ王難です。大聖人は、駆け付けた四条金吾に、「今夜、頸を斬られに行く。この数年の間、願ってきたことは、これである」(御書913ページ、通解)と堂々と語られました。大聖人の胸中には“法華経を説き弘めれば、経文通りの迫害に遭うのは必定である”との不屈の覚悟があったのでしょう。

流罪地でも戦い抜く

 ――それにしても、斬首を目前にしながら微動だにしないお姿に、驚くばかりです。
  
 殉教の覚悟でお供した四条金吾は、大聖人がいよいよ頸の座に臨むという時に、「只今なり(今が最期です)」と言って嗚咽しました。すると大聖人は、厳然として叱責されたのです。「なんという不覚の人か。これほどの喜びを笑いなさい」(同ページ、通解)と。“民衆救済のために、経文通りに、正しい実践を貫いている”との揺るがぬ確信に満ちあふれています。
 “断固、障魔と戦い抜き、必ず勝利して、万民の成仏の道を開く”との、すさまじいまでの気迫が胸に迫ってきます。
  
 ――そして、まさに首を斬られようとした時、突然、江ノ島の方から“まり”のような大きな光りものが現れたのですね。劇的な場面です。兵士たちは恐れおののき、斬首は不可能となりました。
  
 この法難は、大聖人御自身にとって、「発迹顕本」という極めて重要な意義をもつ出来事でした。これ以降、末法の御本仏としてのお振る舞いを示されます。そして、万人が根本として尊敬し、帰依していくべき御本尊を御図顕されていくのです。
 大聖人は、約1カ月間、相模国の依智(神奈川県厚木市北部)にある本間六郎左衛門重連(佐渡国の守護代)の館に留め置かれた後、佐渡流罪と決まります。
 10月10日に依智を出発した大聖人は、11月1日に佐渡の塚原の墓地にある荒れ果てた三昧堂(葬送用の堂)に到着します。
  
 ――当時、佐渡への流刑は、生きて帰ることは望めない、死罪に等しいものであったそうですね。
  
 その通りです。事実、厳しい冬の寒さに加え、衣食にも事欠き、さらに念仏者などから命を狙われるという困難な状況に置かれました。そうした中にあっても、大聖人の闘争がやむことはありませんでした。
 翌・文永9年1月16日、17日、諸宗の僧ら数百人と法論で対決し、各宗の邪義を明快に論破されました(塚原問答)。
 2月には北条一門の内乱がありました(二月騒動)。大聖人が予言された自界叛逆難が、現実のものとなったのです。
 この流罪中、大聖人の身の回りのお世話をし、苦難を共にされたのが、日興上人です。大聖人の慈愛あふれる人格に触れて、阿仏房・千日尼夫妻をはじめ、大聖人に帰依する人々も現れました。

人間は、かくも偉大
 ――弾圧は、鎌倉の門下にも及びます。
  
 土牢に入れられたり、追放や所領没収などの処分を受けたりします。この迫害の中、多くの門下が、大聖人の仏法に疑いを起こして、退転してしまいました。
 大聖人は、かねがね「この仏法を実践していけば、必ず三類の強敵が競い起こる」と教えてこられましたが、いざ、苦難に直面すると、“こんなはずではなかった”と思う者さえいたのです。
 しかし、大聖人は、激しい迫害に遭う門下を励まし、“今こそ、私と共に戦おう!”と流罪の地で次々と重要な御書を著し、送られます。門下の信心を破壊しようとする魔の勢力との壮絶な戦いを繰り広げられたのです。とりわけ重要な著作が、「開目抄」と「観心本尊抄」です。
 文永9年2月に著された「開目抄」は、大聖人こそが法華経の予言通りに実践された末法の「法華経の行者」であり、末法の衆生を救う主師親の三徳を具えられた末法の御本仏であることを明かされています。
 文永10年4月に著された「観心本尊抄」では、末法の衆生が成仏のために受持すべき南無妙法蓮華経の本尊について説き明かされています。
  
 ――御自身も命の危険にさらされているにもかかわらず、どこまでも民衆を救うために戦い抜かれた大聖人。大感動です。
  
 “迫害に負けてしまえば、民衆の幸福はない!”“苦難に屈してしまったら、社会の平和・安穏はない!”――大聖人は、尊き誓願のままに大難と戦い、「難即成仏」の大道を万人に示されたのです。
 池田先生は、「幾多の難を勝ちぬかれたお姿は、『人間とはかくも偉大なり』との証明にほかならない」と語られています。
 大聖人は、文永11年2月に流罪を赦免されます。3月に佐渡を発って「鎌倉へ打ち入りぬ」(同921ページ)と、堂々と鎌倉に凱旋されるのです。
 (次回は5月8日付に掲載の予定)

【ここに注目!】発迹顕本の意義

 「発迹顕本」は「迹を発いて本を顕す」と読み下します。
 日蓮大聖人は、竜の口の法難を機に、凡夫という仮の姿(迹)を開(発)き、凡夫の身のままで、慈悲と智慧にあふれる仏(久遠元初の自受用報身如来)という、妙法と一体の本来の境地(本地)を顕されました。
 本連載で学んできたとおり、大聖人は、民衆救済の誓願を貫き、大難を乗り越え、障魔を打ち破ってこられました。一人の人間の姿の中に、発迹顕本を示されたのです。大聖人の発迹顕本は、凡夫の姿のままで仏界の生命を現す「即身成仏の道」が万人に開かれたことを意味します。
 池田先生は、「私たちも、いかなる障魔も恐れず、勇気ある信心を貫けば、何があっても無明を破り、法性を顕す自分自身を確立することができる。それが、私たちの発迹顕本です」と指導されています。
 不退の信心に励む人は、凡夫の身のままで、大聖人と同じ仏の生命を涌現することができるのです。

江ノ島(左奥)を眼下に望む竜口山に立つ鎌倉国際教学会館(右手前)。創価学会が世界広宣流布を実現し、竜の口の法難ゆかりの地に海外からも求道の同志が集う時代に


江ノ島(左奥)を眼下に望む竜口山に立つ鎌倉国際教学会館(右手前)。創価学会が世界広宣流布を実現し、竜の口の法難ゆかりの地に海外からも求道の同志が集う時代に


【聖教ニュース】

◆第3代会長就任60周年記念「師弟凱歌の記憶」 特別編「1960年5月3日」への道2020年4月30日
 永遠なれ! 我らの五月三日

「一歩前進への指揮を執らせていただきます!」――第3代会長就任のあいさつに立つ池田先生

「一歩前進への指揮を執らせていただきます!」――第3代会長就任のあいさつに立つ池田先生

 「我らの五月三日」よ、永遠なれ!――池田大作先生の第3代会長就任から、5月3日で60周年を迎える。「師弟凱歌の記憶」特別編として、1960年(昭和35年)5月3日の会長就任式に参加した友の手記や証言等を交え、「5月3日への道」をたどる。
 1960年(昭和35年)の「5月3日」は日本晴れだった。
 夜来の雨は上がり、青く広い空に新緑が映える。東京・両国の日大講堂が、ひときわ輝いて見えた。
 新会長の池田先生がタクシーから降りると同志の歓声が上がる。
 香峯子夫人が、「會長」と書かれた菊花の胸章を胸に挿した。
 第3代会長就任式となる第22回春季総会は、正午に開会した。
 音楽隊による学会歌の演奏が轟く中、池田先生が入場。恩師・戸田城聖先生の形見のモーニングをまとっている。
 途中、先生は歩みを止め、前方に高く掲げられた、師の遺影を見上げた。
 壇上に立った池田先生は、力強く就任の第一声を放った。
 「若輩ではございますが、本日より、戸田門下生を代表して、化儀の広宣流布を目指し、一歩前進への指揮を執らせていただきます!」
 会場を埋め尽くした同志が、?を紅潮させ、雷鳴のような拍手で応える。
 世界広宣流布の使命を帯びて出現した不思議なる教団は、この日、この瞬間から、青年会長のもと、怒濤のごとき、本門の前進を開始したのである。

1960年5月3日への道
 第3代会長の誕生を、同志がどれほど待ち望み、どれほど喜んだか。
 参加者は振り返る。
 「両国駅から会場までの役員は、どの顔も、今日の喜びが満面にあふれて『おはようございます。ご苦労さまです』と元気いっぱい。言葉を掛けられただけで、ただ感激で、もう涙でした」(婦人部員=当時)
 「ろくな着物も持っていなかったので、私は長男の入学式でやっと作った黒のスーツ、主人は色あせたグレーの上下別々の背広を着て参加しました。でも心の中は金襴緞子(きんらんどんす)の錦(にしき)を着飾っているようでした」(同)
 「池田先生が真ん中の通路より入場されました。今までの興奮がいっぺんに爆発し、拍手と歓声で鉄傘(鉄骨の丸屋根)が吹き飛ぶようなすごいものでした」(壮年部員=当時)
                                                                          ◇◆◇
 第2代会長・戸田城聖先生の逝去から2年。「ゆらぐ創価学会の屋台骨」「壊滅寸前の創価学会」等と一部マスコミが書き立てる中、学会を支え、前進の推進力となってきたのは若き池田先生だった。
 1958年(昭和33年)5月3日、戸田先生亡き後、初めての春季総会で先生は“七つの鐘”の構想を示した。当時は学会創立から28年。7年を一つの節として前進してきた学会が「第四の鐘」を経て、「第五の鐘となる、新たな七年」へ出発するとの宣言である。
 6月には、ただ一人の総務に就任。学会の運営の、実質的責任を担うことになった。翌59年(同34年)を「黎明の年」とすることを提案したのも先生である。今日まで続く年間テーマの始まりである。
 同年には、戸田先生の御書講義などの音声をレコードにして残すことを決定。
 夏の参院選では、主戦場の東京を激励に駆け巡り、前回は苦杯をなめた東京地方区をトップ当選、全国区5人を全員当選に導(みちび)いた。
                                         ◇◆◇ 
 当時、先生は大田区小林町の自宅から国電(現JR)で信濃町の学会本部に通っていた。
 「先生が到着されるや、本部は偉大なモーターが動き始めるように、回転を始める」――会長就任直前の本部の模様を、当時の女子職員が証言している。
 先生は午前中、机上に積まれた手紙や書類の山に向かい、どんどん処理した。午後は、訪れる同志の激励に当たるのが常だった。
 「先生は1階の応接などで、一人一人、懇切丁寧(こんせつていねに)に指導されていました。部屋に入り切れず、廊下まであふれた方々が、必死で先生の言葉に耳を傾けている情景が毎日のように見られました。夕方には必ず、座談会や御書講義に、青年部の会合にと出掛けられ、まさに休む間もない、戦いの毎日であられました」
 とりわけ先生は、青年を大切にした。
 以下は、当時の一男子部員の述懐である。
 59年秋のある日。父から継いだ事業の借財に悩んでいた彼は、先輩に“池田総務に相談しては”と勧められ、本部に向かった。
 いつも指導を受ける人でいっぱいと聞いていたが、応接の扉を勢い込んで開けると、2、3人しかいない。
 あわてて出ようとすると「やあ、どうした、いいんだよ」の声。池田先生だった。
 先生は、経済の苦境、仕事と活動の両立の悩みに耳を傾けると、師のもとで苦闘した体験を語り、こう激励してくれたという。
 「若いうちに苦労することは、それがそのまま、人生の財産になるのだよ。負けちゃいけない。歯を食いしばって頑張るんだ」「ところで、友達はいるかい。信心を貫き通すには良い友達を持つことだ」
 指導を受けたいと、小林町の自宅を夜遅く訪ねる同志もいた。先生は、仕事に個人指導に会合に精魂を使い果たし、疲労困ぱいのはずだが、「どうしたんだい」と温かく迎え入れてくれた。団らんの場であるはずの自宅もまた、広布の“戦場”となったのである。
                                                                               ◇◆◇
 先生は戸田先生の膝下で、誰よりも厳しい薫陶を受けてきた。
 蒲田の二月闘争、札幌夏の陣、大阪の戦い、山口開拓指導と、ひとたび広布の戦の庭に立てば、必ず師匠の期待に応え、勝利の歓喜の渦を巻き起こした。
 そして師匠亡き後も、命を削って同志に希望を送り続けてきた。事実の上から、戸田先生を継ぐ指導者は、先生以外にあり得ないと誰もが思った。
 60年を迎える頃には、青年部を中心に、第3代会長推戴(すいたい)の声が澎湃(ほうはい)とわき起こってきた。何より同志は、「信心の師匠」を求めていたのである。
 4月の戸田先生の三回忌を機に、当時の首脳は会長推戴で一致。3月末から繰り返し就任が要請された。  先生はその都度、固辞(こじ)した。当時の真情が随筆につづられている。
 「せめて、戸田先生の七回忌までは、との思いであった。また、当時、私は、大阪の事件の被告の身であった。会長になって、万が一にも、有罪判決となれば、学会に傷をつけてしまう。断じて無罪を勝ち取るまでは、お受けできないと、私は決めていた」
 それでも首脳は引かなかった。
 4月13日に重ねての要請。先生は一晩、回答を保留したが、14日午前、本部の応接室でさらに就任を懇請(こんせい)されると、ついに受諾(じゅだく)した。
 午前10時10分。壁にある牧口先生と戸田先生の写真が、じっと見守っていた。
 この日の日記に、先生はつづった。「万事休す。この日――わが人生の大転換の日となれり。やむをえず。やむをえざるなり。戸田先生のことを、ひとり偲ぶ。ひとり決意す」
 15日にはこう記した。「戸田会長に、直弟子として育てられたわれだ。訓練に訓練をされてきたわれだ。なんで戦いが恐ろしかろう――ご恩を返す時が来たのだ。日本の歴史、世界の歴史を創りゆく戦いなのだ」
 19日、学会本部で全国代表幹部会が開かれ、第3代会長就任が発表。週刊だった本紙は4月22日付で報じている。
 喜びは大波となって、全国へ広がっていった。

長編詩「輝き光れ! 我らの五月三日」
 我ら創価の友はいかなる試練に直面しても 常に原点の五月三日から元初の太陽を心に燃やして 勝利へ出発するのだ。
                                                                      ◇◆◇
 当時、年2回開かれていた本部総会は、各支部の持ち回りで運営され、この年の春季総会は、川崎支部が担当することになっていた。2月から準備を進めていた同支部の友にとって、総会が会長就任式になることは予想外の出来事であった。
 “一つの支部に任せて大丈夫か”と懸念の声も上がったが、池田先生の「今まで、一生懸命やってきているのだから」との一声で、そのまま運営を託されることになった。
 “とんでもない使命だ! 一生に一度あるかないかだ!”――準備に一段と力が注がれていった。
 支部拠点で、講堂正面に掲げる総会の大看板、戸田先生の和歌を大書した垂れ幕、新会長が上る特設階段などが次々と出来上がる。
 女子部員は先生の胸章にするため、季節外れの菊花を探し求め、婦人部と青年部は、日大講堂の柱や床を懸命に磨き上げた。
                                                ◇◆◇ 
 5月3日は、美しい五月晴れとなった。多くの人が、はやる気持ちを抑え切れない。始発電車で吉祥寺駅(きちじょうじえき)を出た人は、両国(りょうこく)の日大講堂に着くと、既に長い列ができていたと話す。
 午前7時15分に入場開始。整理役員の証言によれば、“8時にはもう整理もほぼ終わり、開会を待つばかり”だった。開会は正午だが、午前9時頃に到着した人はもう、場外から耳を傾けるしかなかった。
 同志は全国から集い、日本返還前の沖縄からも、59人が船で駆け付けた。鼓笛隊や音楽隊の演奏などの晴れがましい光景に、旅の疲れも吹き飛んだという。
 正午。学会歌のトランペットが高らかに鳴った。
 正面には戸田先生の遺影と共に、2首の和歌が掲げられた。
 「いざ往かん 月氏の果てまで 妙法を 拡むる旅に 心勇みて」
 「一度は 死する命ぞ 恐れずに 佛の敵を 一人あますな」
 力強い手拍子と歌声に包まれて、就任式が始まった。
 池田先生は、就任の第一声に続き、戸田先生の七回忌までに、恩師から託された会員300万世帯を達成する決意を語った。新しき時代の黎明を告げる大師子吼であった。
 感動と決意のうちに就任式の幕は閉じ、続いて行われた祝賀会も終わって、先生が退場しようとした時のことである。
 青年たちがワーッと歓声を上げながら駆け寄った。
 「万歳! 万歳!」
 胴上げが始まった。池田先生の体は、高窓から注ぐ光を浴びて、何度も宙に躍った。小説『人間革命』第12巻「新・黎明」の章の最後を飾る名場面である。
                                                                                       ◇◆◇
 ――その夜。「大阪の戦い」を共に勝ち抜いた白木義一郎・文夫妻が、ひと言だけでもお祝いをと、小林町の先生宅を訪れた。日中の興奮と打って変わって、留守かと思うほど静かだったという。玄関先だけで辞去しようとする夫妻を、先生が招き入れた。
 「いいじゃないか。誰か来ないかなあと思っていたんだよ。よく来たね。本当によく来たね」
 「今日は、家ではお赤飯も炊いてくれないのだよ。(香峯子夫人を指して)この人がね。今日は池田家のお葬式の日だといって……」
 白木夫人が語っている。「いつどんな時でも笑顔をくずされない奥さまが、この日に限って笑顔をお見せになりませんでした。その奥さまの姿と、先生の言葉に、何か胸をつかれる想いでした」
                                                       ◇◆◇ 
 あの歴史的な一日から60年。池田先生は、戸田先生に託された構想を全て実現し、創価の連帯は192カ国・地域に広がった。創価学会は世界宗教として、全地球の平和と民衆の幸福に貢献(こうけん)する時代に入った。
 今、池田門下の我々は、いかなる決意で「2020年5月3日」を迎えるのか。
 先生は呼び掛けている。
 「おお/我らの五月三日!/永遠に忘れ得ぬ/五月の三日よ!」
 「我ら創価の友は/いかなる試練に直面しても/常に原点の五月三日から/元初の太陽を心に燃やして/勝利へ出発するのだ。/目標と定めた/新たな五月の三日へ/完勝の旗を打ち立てゆくのだ」(長編詩「輝き光れ! 我らの五月三日」)

池田先生と歩んだ60年
 池田先生は、学会が1959年(昭和34年)から「年間テーマ」を掲げて前進することを提案。学会の同志は、この年間テーマと共に、人間革命と師弟共戦の歴史を刻んできた。本年までの全ての年間テーマは以下の通り。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈オンライン座談会〉 たとえ会えなくても心は通い合う―― 希望の連帯をさらに広く強く2020年4月30日

〈出席者〉 原田会長、長谷川理事長、永石婦人部長、志賀青年部長、大串女子部長

 長谷川 新型コロナウイルスの感染が拡大する中、個人もあらゆる団体も、この難局を乗り越えようと知恵を出し、懸命の努力をしています。
 
 志賀 この4月に50期生を迎えた創価大学、36期生を迎えた創価女子短期大学でも、オンラインで授業を行っています。
 
 原田 創立者である池田先生は、新入生はじめ全学生に祝福の言葉を贈られました。その中で、イタリア・ルネサンスが14世紀の感染症ペストの大流行という悲劇を乗り越えての「蘇生」であり「再生」であったことに触れ、こう言われました。「今、新型コロナウイルスの感染拡大に立ち向かう只中で学究に挑む皆さんには、これから新たな地球文明のルネサンスを創出しゆく偉大な使命があると、私は確信してやまないのであります」
 
 永石 不安定な社会情勢の中、先生の言葉が学生の皆さんにとって、どれほど大きな希望と勇気の光となったことでしょうか。
 
 原田 先生の言葉には、危機の時代を乗り越える“立正安国の哲学”“不動の哲学”が脈打っています。私たちも日々、先生の慧眼に学び、先生と心を合わせ前進してまいりたい。

大切な人に声掛け
 長谷川 28日付の聖教新聞でも発表がありましたが、「会合の中止」「訪問による激励の自粛」などが5月末まで継続となりました。その上で、こういう時だからこそ、5月7日から31日までを「励まし月間」として、会員同士のみならず、家族・親族、友人・知人にも励ましの声を届けていきたいと思います。
 
 大串 たとえ会えなくても、電話や手紙、メール、SNS、オンラインなどを使って、声を掛け合うことはできます。私も今、各地のリーダーと連携を取り合っていますが、創価の同志の温かさ、絆の強さを改めて実感しています。
 
 原田 小説『人間革命』第8巻「多事」の章には「真の団結は、鉄の規律などで維持されるはずはない。遙かな遠征の旅路を、仲よく共々に励まし合いながら、一人の落後者をも出さずに征き、元気に目的地に達することこそ肝要であるはずだ」とつづられています。私たちも“誰も置き去りにしない”“一人ももれなく幸福に”との思いで祈り、行動していきたい。
 
 志賀 今こそ青年部は、これまで培ってきた信心の団結を発揮して互いに声を掛け合い、さらに安心と希望を広げていく決意です。「stayhome(ステイホーム)プロジェクト」も大きく広がっています。
 
 永石 同志に励ましを送るとともに、皆が試練の時だからこそ、周囲の大切な方々にも励ましの連帯を広げたいと思います。温かな「声掛け」がますます求められていることを感じます。
 
 志賀 新型コロナウイルスの感染拡大に伴って、暗いニュースが増えています。日本赤十字社は、これらから、人々の心の中に「恐怖」が生まれることを指摘し、打ち破るために必要なことは「笑顔と日常」であり、「家族や友人と電話して、笑おう」と強調。「励ましあおう。応援しあおう」「人は、団結すれば、恐怖よりも強く、賢い」と訴えています。
 
 永石 婦人部には、お子さんやお孫さんに教えてもらい、スマホでメールの返信ができるようになったという方もいます。初めてビデオ通話を使った方は「意外と簡単にできました!」と語っていました。画面を通して、友人と“再会”し、話が弾んだそうです。新しい挑戦をしながら、喜びと笑顔を広げています。
 
 長谷川 一方で、ネット上に拡散するデマも後を絶ちません。同志社大学の渡辺武達名誉教授は、このような時にあって「創価学会のように、信頼できる仲間や多様な専門家のいる団体・組織が重要です」(本紙27日付)と述べています。
 
 大串 社会起業家の駒崎弘樹氏はインタビュー(同24日付)でこう語っています。「創価学会は、国家でも個人でもない中間団体として機能している日本でも稀有なコミュニティーといえます。ぜひ、歴史上まれにみる有事である今こそ、その力をいかんなく発揮してほしい」
 
 原田 まさに、学会の力が今、社会に必要とされていることを強く感じます。どんな苦難にも、励まし合い、苦労を分かち合い、はつらつと前進する私たちの連帯は、社会を照らす光明となっています。先生が世界中に広げてくださった希望と善のネットワークをさらに大きく、強く、わが地域に広げていきたい。

いかなる試練の嵐にも師弟の誓いは揺るがない。「5・3」から決意新たに希望の船出を(東京・信濃町の広宣流布大誓堂、4月4日)

弟子が一人立つ誓願の「5・3」
 大串 間もなく「創価学会の日」「創価学会母の日」である5月3日を迎えます。本年は、池田先生の第3代会長ご就任60周年という佳節を刻みます。
 
 志賀 この60年間、あらゆる法難を一身に受けられての広布の大遠征は、どれほど壮絶な日々であったか。
 
 長谷川 私たちが支え合い、信仰に励むことができるのも、全て先生の不惜のご闘争あってのことです。
 
 原田 今、世界中の同志が「5・3」を目指して、わが地域の立正安国を強盛に祈りながら、社会貢献にも挑戦しています。毎日のように、世界各国から決意と、創意工夫が光る取り組みの報告が届きます。
 
 永石 聖教新聞に掲載されている「世界の友は今」にも毎回、感動しています。各国の同志の皆さんが、不安な日々の中で励まし合い、広布の歩みを進める姿に勇気をもらっています。
 
 原田 5月3日とは、弟子が一人立ち、師匠との誓願の成就へ戦いを開始する日です。世界の平和安穏、自他共の幸福こそ私たちの願いです。「ちかいし願やぶるべからず」(御書232ページ)との御聖訓を胸に刻み、一日も早い感染の終息を祈るとともに、師弟の「5・3」から新たな決意で出発していきましょう。

2020年4月29日 (水)

2020年4月29日(水)の聖教

2020年4月29日(水)の聖教

◆わが友に贈る

 教養・人格を磨く
 自己研鑽は人生の宝。
 語学や資格の勉強・
 読書・趣味の探求など
 挑める分野は無限だ。

◆名字の言 原爆の後遺症に負けずに生きてきた壮年。その陰には母の姿があった

 江戸時代の俳人・与謝蕪村が詠んでいる。「むかしむかししきりにおもふ慈母の恩/慈母の懐袍別に春あり」(春風馬堤曲)。遠い昔に抱かれた母の懐には、春のぬくもりがあった。その記憶は薄れることがない、と。子を思う母の心、母を慕う子の心。親子の絆の麗しさに、今も昔もない▼75年前、生後7カ月の時に広島で被爆し、「語り部」の活動をしてきた壮年がいる。重い後遺症に負けず、生き抜いてきた陰には、優しい母の支えがあった▼幼少期、原爆病院に入院した。同じ病室の人が次々と亡くなっていく。怖くて泣いていると、母が抱き締めてくれた。「大丈夫、母ちゃんが原爆病を退治しちゃる」「お前は母ちゃんの宝物なんじゃけえね」。不思議だった。母に抱かれると、うそのように不安が消えた▼「学会活動は一番の平和の道」が口癖で、101歳で亡くなる直前まで友を励まし続けた母。あの笑顔、あの声のぬくもりが忘れられない。壮年は語る。「わしはあの母ちゃんの息子。原爆にも負けんかった。どんな試練も乗り越えて、平和に尽くし抜いてみせます」▼母の恩を思えば不屈の闘志が湧く。強くなれる。巡り来る5月3日は「創価学会母の日」。全ての広布の母に感謝をささげつつ、平和創造への決意を新たにしたい。(誠)


◆寸鉄

妙法を唱える人は全て変
毒為薬される―戸田先生
唱題こそが勝利の原動力
     ◇
東京・大田の日。師弟原点
の地に新しき広布の波を
今日も友に励ましの声を
     ◇
ジョギングで飛沫拡散。
十分な距離確保、マスク
等の着用必須。感染防げ
     ◇
大型連休、家族で掃除や
家事に挑戦する人多し。
絆強め気分転換する好機
     ◇
高血圧と肥満が寿命を縮
める最大の要因―研究。
自宅待機の時も賢く運動


◆きょうの発心 乙御前御消息 埼玉・浦和大勝区長 平野滝雄2020年4月29日

御文 妙楽大師のたまはく「必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し」等云云、人の心かたければ神のまほり必ずつよしとこそ候へ(乙御前御消息、1220ページ・編789ページ)
通解 妙楽大師は「必ず心が固いことによって神(諸天善神)の守りは強い」と言われている。心の堅固な者には神の守りが必ず強いというのである。

徹した祈りで試練を使命に
 信心の強さにより、諸天善神の守護も必ず強くなる、と教えられた一節です。
 36歳で直腸がんを患った時、先輩がこの一節を拝して激励してくれました。
 池田先生への手紙に決意をつづり、闘病を開始。後日、先生から真心の伝言をいただき、腹が決まりました。家族一丸となって猛然と祈り抜き、手術は大成功。同志の皆さまの温かな励ましにも助けられ、5年後には寛解を勝ち取りました。難しいと言われていた子どもも2人授かることができ、今では自身の闘病経験を通じて、同志の励ましに徹しています。
 信心は一切の試練を使命に変えると心から実感。夫婦で報恩の戦いを決意し、この3年で2世帯の弘教も実りました。
 池田先生が浦和の地で正義の言論戦を展開されてより、今年で65周年。愛する同志と共に、埼玉に断じて勝利の旗を打ち立てていく決意です。


【先生のメッセージ】

◆〈心に御書を〉38 時代の闇照らす青年の光を2020年4月29日
〈御文〉
 心の師とは・なるとも心を師とせざれとは六波羅蜜経の文なり(兄弟抄、108
8ページ)
〈通解〉
 わが心に対して師とはなっても、わが心を師としてはならない、とは六波羅
蜜経の文である。
〈池田先生が贈る指針〉
 心は「一日の中に八億四千念あり」といわれるほど揺れ動く。厳しい社会情
勢で、不安や動揺はなおさらだ。
 その中で、妙法という「心の師」を持つ創価の青年たちは立正安国の祈りと
貢献を貫いている。若き励ましの連帯こそ、時代の闇を破る力だ。
 地球を照らす勇気と英知の光を! 希望の歌声で心を結んで!


【聖教ニュース】

◆SOKAnetに特設ページ「映像で見る池田先生の行動と軌跡」を開設 2020年4月29日
 第3代会長就任60周年を記念



    • パソコン版の特設ページの画面

パソコン版の特設ページの画面
 創価学会公式ホームページ「SOKAnet」に、池田大作先生の第3代会長就任60周年を記念する特設ページが開設された。
 タイトルは「映像で見る池田先生の行動と軌跡」。
 1960年5月3日に第3代会長に就任した先生は、同年10月、恩師・戸田城聖先生の思いを胸に世界への平和旅を開始。60年間で訪れた先は、54カ国・地域に及ぶ。
 特設ページでは、SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)で配信されている、先生と世界の識者との語らいを巡る番組を特別に編集。先生が文明や宗教を超えて対話と友情を広げてきた当時の様子を視聴することができる。
 開設に合わせて、まず、ソ連のゴルバチョフ大統領(当時)、アメリカ公民権運動の母ローザ・パークス氏、南アフリカの人権の闘士であるネルソン・マンデラ氏との交流を描いた映像作品が、それぞれ公開された。
 今後も、イギリスの歴史学者トインビー博士をはじめ、世界の知性との対談を紹介する動画が毎週1本、順次、追加される予定である。

特設ページでは、先生の文化交流や海外学術講演なども映像で視聴できる
 また特設ページでは、「SOKAnetムービー」で公開している、文化交流や海外学術講演などの特集動画も視聴できる。
 「5・3」を、先生のたゆみない平和闘争を学びゆく機会としたい。
 ※SOKAnet特設ページはこちら。池田先生と世界の知性との語らいなどを視聴できます。

◆「男子部」「学生部」 ライブ講義行う   2020年4月29日

 男子部と学生部のライブ講義がそれぞれ、動画投稿サイト「YouTube」(限定公開)を活用し、オンラインで配信された。
〈男子部〉
 男子部の第7回講義は25日に行われ、金田副男子部長が担当。

 「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり」(御書790ページ)を拝し、どこまでも純粋に、強盛に祈り抜きながら、未曽有の苦難に挑もうと呼び掛けた。
〈学生部〉
 「学生部スタディーチャンネル」(「Gakuスタ」)の第4回では坂本指導部長が講義した(26日)。

 池田先生が第3代会長就任時に胸に刻んだ「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(同232ページ)を拝読。広布の誓いを燃やし、励ましの拡大に先駆をと訴えた。
 また学生の代表2人と、電話を通し、弱い心に打ち勝つ工夫や成長の決意などを語り合った。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈未来の宝と共に 池田先生の書籍に学ぶ〉中等部長 利倉弘さん

〈池田先生の言葉〉
 一番、大切なことは、「考える力」を養っていくことです。それは、「言葉にする力」と言ってよい。情報に翻弄されるのではなく、逆に情報を生かしながら、自分の気持ちや考えを、自分の言葉にして練り上げていくことです。
 戸田先生は常々、「青年よ、心に読書と思索の暇をつくれ」と語っておられました。
 名著は人類の共通の財産です。それを心に刻んでおくことは、どんな人とも自在に語り合える力になります。
(『未来対話』183ページ)

読書で豊かな心を育もう
 「読書に挑戦しましょう」――未来部の皆さんは、家族や学校の先生から、一度は言われたことがあるのではないでしょうか。私も未来部時代、そう言われた一人です。
 しかし、本を読むのが苦手で、“読書の時間があるのなら、友だちと遊びに行く方が楽しい”と思っていました。
 転機は関西創価高校に進学後、池田先生のスピーチを学んでいた時でした。そこで先生は、作家・吉川英治の小説『宮本武蔵』の一節を紹介。「あれになろう、これに成ろうと焦心るより、富士のように、黙って、自分を動かないものに作りあげろ」との言葉を通し、励ましを送られていたのです。
 この部分に触れた時、自宅に同じ本があることを、ふと思い出しました。どんな内容か気になった私は、帰宅するとすぐに本を手に取り、読み始めました。
 いつもなら途中で諦めてしまうのが、臨場感あふれるストーリーに引き込まれ、その日のうちに1巻を読み終えました。次の話も気になり、どんどん読み進めていくと、1カ月もしないで全巻を読了できたのです。生まれて初めて“本を読むことが楽しい”と感じました。
 それからは、“池田先生が紹介された本を読んでみよう”と決意。片道2時間以上かかる通学時間は、有意義な読書時間へと変わり、『モンテ・クリスト伯』『レ・ミゼラブル』などの名著にも挑戦していきました。さまざまな世界に思いをはせ、心を養える読書は、私にとって、かけがえのない“宝のひととき”になっていきました。

「本は知識と感動と勇気をくれる」
 池田先生は「『本の発明』は、人類の歴史の中で、最大の発明の一つです。この発明品の『使い方』『楽しみ方』を覚えたら、もう人生は、最大の武器を手に入れたようなものだ。本は知識をくれる。本は感動をくれる。本は勇気をくれる。本は思いやりをくれる。本を読む習慣さえ身につけておけば、その人の道に『希望』が消えることはないのです」と教えてくださっています。
 今、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、友だちとも思うように会えず、一人で過ごす時間が増えているメンバーも多いと思います。
 このような時だからこそ、読書を通して新しい世界へ一歩踏み出してみてはいかがでしょうか。まずは家にある本を開いてみてください。身近な本が自分の人生を変えてくれる、かけがえのない一書になるかもしれません。私も皆さんと一緒に読書に励み、豊かな心を育んでいきます!


◆〈危機の時代を生きる〉公益財団法人「日本国際交流センター」 毛受敏浩執行理事に聞く
「情報不足」と「仕事」――在留外国人が直面する悩み

 新型コロナウイルスの感染拡大は、日本で暮らす外国人にも特有の困難をもたらし、顕著な影響を及ぼしている。そうした現状に目を向けることは、新型コロナに立ち向かう社会を考える上で不可欠ではないか――民間の立場で国際協力を推進する公益財団法人「日本国際交流センター」で執行理事を務める毛受敏浩(めんじゅとしひろ)氏に、そうした観点から電話で話を聞いた。(聞き手=金田陽介)?

 ――新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、緊急事態宣言が全国に拡大(今月16日)しています。日本の在留外国人数は、過去最高の283万人(※注)で、人口の2%以上。そうした人の仕事や生活には今、どんな課題が生じていますか?

 大きくは2点、「情報不足」と「仕事」の課題があります。

まず「情報不足」について。
 例えば、これは熊本市の知人から聞いている話ですが、行政や関連機関に、「外国人はどこでPCR検査が受けられるのか」といった相談が増えています。先月は「トイレットペーパーがなくなるというのは本当か」「マスクや消毒用品はどこで買えるのか」などの相談も多く寄せられていました。外国語での、信頼できる情報が少ないのです。
 次に、「仕事」についてです。
 在留外国人の方は、派遣など非正規労働の方が非常に多い。社会の経済状況が悪化すると、こうした人が真っ先に雇(やと)い止めや解雇などに遭(あ)い、生活が不安定になります。外国人が「雇用の調整弁」のような形で雇われているケースもまだまだ多く、そこに、最初に経済混乱のしわ寄せがいくのです。
 ほかにも、留学生から「内定が取り消しになった」という声もあります。

 ――1点目の「情報不足」については、「言葉の壁」が大きいですね。
 近年の望ましい変化として、政府や地方自治体で、多言語や「やさしい日本語」による情報発信が増えているという点があります。ただ、状況は自治体によって相当ばらつきがあるようです。また、日本人は日々オンタイムで最新の情報を得られますが、翻訳(ほんやく)された情報となると、手元に届く頃には1~2週間が過ぎている、という場合もあります。
 もう一つの課題は、多言語での対応が、なかなか「問題解決」までは行きつかないということです。
 例えば、多言語対応の窓口に寄せられた「PCR検査を受けたい」という相談に対して、「ここに電話してください」という対応はできる。でも、指定された先に電話してみると、そこでは日本語での対応しかなく、らちが明かないということもある。困りごとに対して「困りましたね」というところで終わってしまい、本当の問題解決になりにくいのです。

 ――ウイルス感染拡大という状況ならではの難しさもあります。
 例えば、地震などの災害は、過去の知見の積み重ねもあり、有事に起こることが、ある程度は事前に想定できます。避難所の場所、その中での対応手順や掲示物など、すでに多言語化された情報がネットでも共有されており、いざという時にダウンロードして活用できます。
 ところが、今回のように、これから何が起こるか分からない、いつ収束(しゅうそく)するかも分からないという状況だと、事前に構えが取れない面もあります。

 ――2点目の「仕事」についても、さまざまな対応が取られています。
 出入国在留管理庁は先日、新型コロナの影響で働く先を失った外国人技能実習生などに対し、1年間、別の職種への転職も認めることを発表しました。
 厚生労働省は、「新型コロナウイルスにより会社の経営が悪くなっているときでも、外国人であることを理由として、外国人の労働者を、日本人より不利に扱うことは許されません」と明示しています。休業手当や年次有給休暇についても同様です。
 こうしたことは非常に大事だと考えます。日本が外国人のことをきちんと待遇する国だという国際的なメッセージにもなり、日本で暮らす外国人も安心できます。
 いずれにせよ、世の中の皆が同じ不安の中で、目の前の情報を追うのに精いっぱいになり、他者に思いを寄せる心を持ちにくくなる。そうした中で外国人の支援をするということは、非常に困難を伴うことを感じています。
 考えねばならないのは、外国人には特有の不安もあるということです。日本に残るか母国に帰るかの板挟(いたばさ)み、また、帰りたくても今の状況では帰れない、などの不安や悩みがあります。
 加えて、社会の緊張が高まるにつれて差別や排斥の空気が深刻になるのでは、という不安を持つ人もいます。

困難の中で他者を思う 今は「想像力」を鍛える時
 ――確かに今は、他者に意識を向けにくい社会状況といえるのかもしれません。
 日本社会の、包摂(ほうせつ)の力が試されていると感じます。宗教の役割もそうかもしれませんが、「危機の中でも他者の苦しみを思う力」という意味での、想像力が試されています。それができるかが社会の成熟度、ということにもなるのでしょう。
 もちろん自分も大変だけれども、社会には立場の厳しいさまざまな人がいる。その一つの大きなカテゴリーが外国人であり、そうした方々への想像力が求められています。
 宗教団体には、弱者に寄り添うという本来的な役割を、今の社会状況の中で果たしていただけることを望みたいです。

勇気づけ合う発信を
 また、直接的な接触(せっしょく)を控(ひか)えねばならない状況の中、それでも一人一人が誰かとつながっているのだというメッセージ、苦しいけれど負けずに現実に立ち向かう姿などを、メディアが発信していくことも非常に効果的だと考えます。
 誰もが不安だからこそ、皆で力を合わせて頑張りましょうというメッセージを届け、勇気づけ合う――今まさに貴紙が取り組んでいるような発信が、特にこういう社会状況の中では重要だと思うのです。

 ――個人としてできることは。
 できれば、周囲の人に声を掛けること。困っていませんか、お子さんはどうですか、と。もし自分が外国でこの危機に遭(あ)ったらどうか、と考えてみるといいでしょう。一言、声を掛けられるだけでうれしく、安心できると思います。
 もちろん、なかなか難しい面もありますが、私も外国人の方に声を掛けてみると、さまざま不安な思いを抱いていたり、情報を捉(とら)え違っていたりということがあります。

「本音で語る」社会へ
 ――感染拡大が終息に向かっていったときは、社会のさまざまな在り方や感覚が、大きく変わるのではないかと感じています。
 日本の「コロナ終息後」は、諸外国と違う形になるのではないかと思います。日本は高齢化、人口減少が急激に進んでいるからです。中小企業の多くは後継者不足で、2025年には団塊(だんき)の世代が75歳以上になります。働いていた高齢者が、コロナ終息後は一気に退職に向かう、ということも考えられます。
 今の日本は毎年、人口が50万人ずつ減って、外国人が20万人ずつ入ってくる状況になってきています。日本で頑張りたいという若い外国人材を増やしていく制度設計など、これまでにない大胆な発想での施策を行っていけるかが“終息後”の日本を考えるカギになるでしょう。具体的には、別の職種への転職を認めた技能実習制度を、19年にできた「特定技能」に吸収し、定住への道を開くことなどです。

 ――その意味でも、多様な他者と共に生きていくための「想像力」を、今のうちから鍛えておく必要がありますね。
 同調を求めるのではなく、多様な他者の可能性を引き出し合っていくという発想が必要になるかもしれません。そのためには「深いコミュニケーション」が必要です。つまりは、本音で語り合うこと。目の前の課題に対して一番いい解決策は何なのかを、きちんと突き詰めることです。
 それは、いわば“面倒くさい”ことです。でも、そこから逃げずに議論を重ね、きちんと最善の道を見いだしていくという作業が不可欠になります。仏教の言葉でいえば、慈悲をもって人と接し続けていく、ということになるでしょうか。
 従来と違う価値観や、他者にない背景や経験を持つ人は、物事に違う光を当てられる人、ともいえます。そうした人たちと丁寧(ていねい)に議論を重ねる中で、今までは見えなかったものが見えてくる。コロナ終息後の日本は、いよいよ、それを逃げずにやらねばならない社会になっていくのではないかと思います。
 (注)昨年6月時点。出入国在留管理庁の発表に基づく。「在留外国人」とは、3カ月以下の短期滞在者を含まず、永住者や中長期在留者、技能実習生、留学生等を指す。

プロフィル
 めんじゅ・としひろ 1954年生まれ。徳島県出身。慶應義塾大学法学部卒、米エバグリーン州立大学大学院修了、桜美林大学大学院博士課程単位取得退学。兵庫県庁を経て、日本国際交流センターに勤務。慶應義塾大学等で非常勤講師を歴任し、現在は新宿区多文化共生まちづくり会議会長。『自治体がひらく日本の移民政策』(明石書店、2016年)、『限界国家 人口減少で日本が迫られる最終選択』(朝日新書、2017年)など著書多数。

   ●ご感想をお寄せください  kansou@seikyo-np.jp  ファクス 03-5360-9613

◆紙上「家庭教育懇談会」 STAYHOMEで家族の絆を一段と 2020年4月29日
stay homeで家族の絆を一段と
全てを「成長」の機会に 価値の「創造」を楽しく

 親子が自宅で過ごす時間が増えた今、子育てに不安を抱いたり、悩んだりする親御さんたちは少なくありません。
教育本部のリーダーが子育て世代のパパ・ママたちから寄せられた声をもとに、ビデオ電話を通じて紙上「家庭教育懇談会」を行いました。
(高梨教育本部長 川原教育本部女性部長 近藤女性教育者委員長 辻男子青年教育者委員長)

STAYHOMEで家族の絆を一段と

高梨教育本部長 新型コロナウイルス感染拡大防止のため、各地の小・中学、高校などで休校措置が取られています。「親子で一緒に過ごせる時間が増えた」という点においては、前向きに捉えている保護者もおられますが、決してそればかりではないのも事実です。

 川原教育本部女性部長 そうなんです。幼稚園や学校などが開いていた時は、日中にお子さんを預かってくれる人たちがいました。その間に、お母さんやお父さんたちは外で働けたり、家事をしたり、自分一人の時間をつくったりすることもできたわけです。それが、今や四六時中、親子が一緒にいる状況になったことで、不安やストレスを募らせている親御さんたちもおられますね。
  
 近藤女性教育者委員長 私もいろんな相談を受けています。きょうは大変な中にあっても、一生懸命頑張っておられるママ・パパたちをお招きして家庭コン(家庭教育懇談会)を開くような雰囲気で、一緒に考えながらエールを送り合う思いで、話を進めていきましょう!
  
学習の遅れが…

 辻男子青年教育者委員長 では早速、多くの親御さんから寄せられている声の中から、代表的なものを紹介します。まずは「休校期間が長引くと、学習の遅れが心配」というものです。
 高梨 先行きが見えない状況の中では、不安を覚えるのも無理からぬことです。学校によっては、オンラインによる授業を検討・実施しているほか、さまざまな組織や団体が学習支援サービスを提供するなど、創意工夫を凝らしていますね。文部科学省も3月初旬に「子供の学び応援サイト」をホームページ上に開設して以来、随時、内容を更新しながら、スマートフォンやタブレット端末による家庭学習を促しています。

 川原 子育て・教育応援誌「灯台」のyoutubeチャンネル「灯台オンライン」も、充実していますよ。“日本一のプロ家庭教師”が子どもたちの「自ら学ぶ力」を引き出す工夫や視点を伝える動画をはじめ、おうちでできる「ファミリーダンス」や、マジシャンのマギー審司さんによる「誰でも簡単! ビックリ手品」など、親子で一緒に楽しく学べるコンテンツを紹介していますね。

 近藤 その上で私が今、親御さんたちに伝えていることがあります。「学習の遅れなんて、後からいくらでも取り返せますからご安心ください。私自身、これまで多くの不登校のお子さんの“蘇生のドラマ”を見てきた経験から、確信をもって言えます」と。
 それに「学習」と聞くと、つい、国語や英語、算数や理科といった科目を思い浮かべがちですけれど、この機会に、もっと心豊かに「学び」というものを捉え直してみるのは、いかがでしょうか。例えば親子で一緒に料理をつくる時間は「家庭科」になりますし、健康維持のために自宅近くを散歩しながらお花を観察すれば「自然学習」。在宅勤務をされている親御さんがその姿を見てもらいながら、お仕事の苦労や醍醐味、将来の夢についてお子さんと一緒に語り合うことだって、「キャリア教育」に通じるでしょう。何より、新型コロナウイルス感染拡大を防ぐためのSTAYHOMEの取り組みを通じて、“いのち”の大切さを学び合うことこそが大切だと思います。

 辻 学習を「させよう」とするのではなく「一緒にしよう」という点が大事ですね。わが家も小学3年と1年の息子がいる中での在宅勤務ですが、「子どもたちと少しだけ一緒に散歩に出よう」「一緒に部屋の片付けをしてみよう」と心掛けて動くことで、子どもの笑顔がとても増えるんです。私自身にもいろんな学びや発見が生まれます。子育て中の男子部員の中にも、「子どもが洗濯物をたためるようになった」「補助輪なしで自転車に乗れるようになった」等々、わが子の成長を目の当たりにできることがうれしいと語る人が少なくありません。
  
時間の使い方

 川原 かつては想像もできなかったような「時間」が与えられた今、その時間をどう豊かに使うか――私たち大人が試されていると、言えるかもしれません。この点について悩んでいる親御さんたちからも、相談が寄せられています。
  
 高梨 「大人」「時間」という二つの言葉で思い出すのが、ドイツの児童文学作家ミヒャエル・エンデの小説『モモ』です。物語の中に出てくる大人たちは「時間がない」と、せわしなく生きている人ばかり。灰色の男たち(時間どろぼう)の策略によって知らず知らずのうちに心の余裕を奪われ、ますます時間に追われていきます。やがて、子どもと話したり、遊んだりする時間すら、惜しむようになるのです。
 作中で、ある子が嘆いて言った言葉が忘れられません。「ぼくの親はぼくをだいじに思ってるよ。でも、いそがしいんだ、どうしようもないじゃないか」と。やがて子どもたちは「たのしいと思うこと、むちゅうになること、夢見ること」さえ忘れてしまいます(大島かおり訳)。

 辻 そんな大人たちと対照的に描かれているのが、不思議な能力を持った少女モモですね。彼女は「話を聴く名人」。ただ座って、大きな目で相手をじっと見つめながら真剣に耳を傾けます。すると――話している方は自分でも驚くような良い考えが浮かんでくる。迷っていた人は自分の気持ちがハッキリしてくる。内気でいつも尻込みしてしまう人は、勇気が出てくる。悩みで心が真っ暗な人は希望と明るさが湧いてくる――。?

モモになろう!

 近藤 私が教員時代に、子どもたちに薦めていた図書も『モモ』でした。今、こうした状況を踏まえて、私は誰よりも、親御さんたちに伝えたいんです。「モモになろう!」って。
 せっかく“たくさんの時間”が与えられたのに、「子どもに何かさせなきゃ!」と、あくせくして心を失ってしまったら、私たち大人は、再び“時間どろぼう”の思うつぼになってしまいます(笑い)。お子さんたちの話にじっくり耳を傾けましょう。スマホをいじりながらじゃなくて(笑い)。笑顔で、せかさず、ゆったりと――それだけで、どれほどお子さんたちの心が豊かになるか。どれほど家族の絆が強まるか。

 高梨 昨年の「読書感想文コンクール」(未来ジャーナル主催)中学生の部で、最優秀賞に輝いた女子中等部員が選んだ一書も、『モモ』でしたね。彼女はつづっていました。「時間は道具ではなく、私の心や人生そのもの」「人の心に耳を傾けること。それがどれほど大切か」と。心の豊かさについて考える上で、私たち大人こそが胸に刻んでいきたい言葉です。
  
 川原 ええ。一方で親御さんたちご自身にも、誰かに話を聞いてもらいたい時があるでしょう。そんな時はぜひ遠慮なく、学会の同志をはじめ信頼できる誰かに電話してみてください。先日、私のもとにも遠方に住むご婦人の方から、久しぶりに電話がかかってきたんです。結果的に、私の思いも聞いてもらった感じにはなったのですが(苦笑い)。「誰かの声を聞くだけで、人はこんなにも安心して、元気になれるんだなあ」と改めて実感しました。
  
 辻 その通りですね。私は、積極的に「手紙」も書いています。たとえささいなことのように見えても、今この時に小さな絆を結び、育んでいくことが、いつか大きな力となる。そう確信しています。

“空気”清浄機

 高梨 家族の時間を豊かにしようと、各地のご家庭で「ファミリー座談会」も活発に行われていますね。

 辻 全国の男子青年教育者のリーダーの話を伺っていると、それぞれのご家庭で、さまざま工夫をされている様子が伝わってきます。茨城の男子青年教育者委員長のご家庭では、小学生の2人のお子さんが張り合いを持てるよう、役割を明確にしているそうです。毎朝6時に家族全員で勤行をするそうなのですが、その導師を務めてもらったり、池田先生の日めくり指針集「未来部へ贈る 日々の指針」に記されている言葉を読み上げてもらったり。一人一言コーナーでも、子どもたちの“本音”に耳を傾けるよう、心掛けておられると伺いました。
 また、役割分担の重要性は、家事にも通じる部分があるようです。パパが料理をする機会が増える中、たとえばサンドイッチ一つ作る際にも大人だけでやらず、「パンにツナを挟む役」「パンにバターを塗る役」等、子どもたちに役割を与えることで、とても豊かな時間になると話しておられました。

 川原 素晴らしい! 今こそパパたちの出番ですね。家事や子育てを通して、これまで、どれだけママたちが家庭を支えてくれていたかを肌で感じるだけでも、これからの家族との関わり方や言葉の掛け方が、大きく変わっていくはずです。
  
 近藤 ええ。ぜひパートナーには「ありがとう!」という感謝の言葉を、お子さんたちには「すごいね!」「さすがだね!」「えらいね!」という称賛の言葉を、どんどん贈っていただきたいと思います。そうした言葉一つで、どれだけ家庭の空気が良くなるか。新型コロナウイルスの感染リスクを減らすため、「部屋の換気をしよう。空気を入れ換えよう」って、よく言われているじゃないですか。もちろんそれも大事ですが、家庭内の“空気”を良くするのも悪くするのも、実は「言葉」なんです。だから私は親御さんたちに訴えています。「目指そう! わが家の“空気”清浄機」って(笑い)。
  
 高梨 池田先生が提唱されてきた家族像に「成長家族」「創造家族」があります。いかなる状況に直面しようとも、家族が互いに心を合わせてあらゆる場面を「成長」の機会と捉え、価値を「創造」していこうと楽しく工夫を重ねる――この姿に、学会永遠の指針の第一に掲げられた「一家和楽の信心」の実体もあるのではないでしょうか。
 各ご家庭の挑戦に少しでも追い風を送れるよう、私たちも真剣に祈り、できることをやっていきたいと思います。


◆〈新型コロナに立ち向かう〉津軽三味線奏者の燃える思い 宿命転換とは強くなること

 【青森県・鶴田町】津軽三味線奏者として活躍する芸術部員の葛西頼之さん(31)=圏男子部書記長。昨年は、国内外で150を超える公演を成功させた。
 だが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、今年、10カ国以上で予定されていた海外公演は全てキャンセル。多額の損失を被った。自分のこと以上に、公演を支えてくれる多くの関係者が苦しむ現状を思うと、胸が痛んだ。
 葛西さんが企画・運営に関わっていた、県の観光の目玉である「弘前さくらまつり」(4月)や「青森ねぶた祭」(8月)も中止に。「年間の最大の稼ぎ時を失った」と嘆く人も多い。
 さらに自身が運営責任者を務める飲食店も、売り上げが前年比で9割以上、落ち込んだ。津軽三味線を聴きながら食事を楽しめると、外国人観光客にも人気だったが、先日、店の無期限休業を決めた。三味線教室も閉じた。
 仕事が激減し、時間が空いた分、依頼のあった楽曲制作などに注力する。
 「眼前だけに目を奪われていれば、不安に押しつぶされてしまう。未来を信じて“池田先生に誓った広布の人生じゃないか”と腹を決めて題目をあげれば、必ず力と知恵が湧いてくる!」

 葛西さんには、「信心の原点」と語る体験がある。
 2015年(平成27年)、津軽三味線の世界大会で3連覇を果たした直後だった。ある出来事をきっかけに、多額の負債を抱え込むことに。一時は、取り立てに追われる“地獄のような日々”を送った。
 加えて青森にいた三味線の師匠が病に倒れ、身の回りの世話が必要に。葛西さんは悩んだ末、活動の拠点を千葉県から故郷の青森県に移すことになった。
 人生最大の試練。池田先生に決意の手紙をつづったことで腹が決まった。“信心を本気でやって、何も変わらないわけがない。今の苦労を、全部ひっくり返す!”
 「必ずやる」と決めたのは10人の友人への折伏。一昨年、10世帯目となる弘教を実らせた。一心不乱に、信心根本に戦い、働き抜いた。“宿命転換とは、単に楽になることじゃない、強くなること”と戦いながら学んだ。
 やがて、負債の問題は解決。「津軽三味線一本で、世界中を堂々と回れるようになった」。その信心の確信は、今も揺らぐことはない。
 男子部員の中には、新型コロナの影響で、経済的にも窮地に立たされているメンバーがいる。葛西さんの紹介で入会した“10世帯目”の後輩も、その一人。彼は2月に、初の御本尊流布を実らせたばかりだ。
 試練を前に戸惑いはあっても、共に強くありたい。葛西さんは友に御聖訓を拝して語っている。「さくらはをもしろき物・木の中よりさきいづ」(御書1492ページ)
 「俺たち凡夫の心からだって、最極の仏の生命を必ず涌現できる。耐えよう、そして絶対に幸福の花を咲かせよう!」
 自身と友の勝利を日々、祈り抜く。

◆貧困問題を解決するための「知」同志社大学大学院教授 峯陽一さん 2020年4月29日
 アフリカとアジアが交流を深め 共に学び合う世界の構築を

 途上国での実証研究を通して貧困問題を解決するための新しいアプローチを開拓した、マサチューセッツ工科大学のアビジット・バナジー教授とエステル・デュフロ教授、ハーバード大学のマイケル・クレマー教授の3人に、昨年のノーベル経済学賞が授与された。デュフロ教授の著作『貧困と闘う知』の翻訳に携わり、近著としてアフリカとアジアの未来像を展望する『2100年の世界地図』を上梓した峯陽一さん(同志社大学大学院教授)に、開発経済学の最近の動向や、地球規模の課題に取り組むための「知」の在り方について話を聞いた。

先入観や偏見を排する

 ――3人の受賞の意義について、どのように評価されますか。
  
 これまでノーベル経済学賞は、抽象的な数学モデルを使って経済理論を刷新した白人男性に授与されることが多かったのですが、デュフロ教授は女性として二人目であり、最年少での受賞となりました。また、バナジー教授はインド出身で、アジア人として二人目の受賞です。
 このデュフロ教授とバナジー教授が、アメリカ人のクレマー教授とともに開拓してきたのが、個別の政策の改善に直結する「現場主義」の実証研究であり、その研究の意義が認められて、3人の共同受賞となりました。
 私はこれまで、アフリカ系として1979年に初めてノーベル経済学賞を受賞したアーサー・ルイスや、アジア人として98年に初めてノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センに関する研究を続けてきました。
 彼らは一般的な原理原則や抽象的な理論ではなく、途上国の現場で困っている人たちの生活改善に役立つ「経世済民」の経済学を目指していましたが、デュフロ教授らの研究もその流れを汲むものだと思います。
 ともすれば途上国の研究というと、“彼らは特殊である”とか“私たちとは異なっている”といった先入観や偏見から始まるものが少なくありません。
 しかし、デュフロ教授とバナジー教授は違います。二人は共著である『貧乏人の経済学』の中で、貧困層の人々は「ほとんどあらゆる点でわたしたちみんなと何も変わらない」と強調しています。
 “行動原理の前提となるものは同じであり、人々の振る舞いには何らかの理由がある”と、心理学などの視点から途上国の人々の行動を理解しようとする姿勢が研究の出発点にあるのです。

比較実験に基づく分析

 ――デュフロ教授らが積極的に導入してきた手法は、「ランダム化比較実験」と呼ばれるものですね。
  
 もともと「ランダム化比較実験」は、医学や薬学の分野で定着してきた手法です。
 新薬を開発する時、患者をランダムに二つのグループに分け、片方には開発中の新薬を、もう一方にはプラセボ(効果が期待される成分を含まない薬)を与え、一定期間、経過観察を行うことで、新薬の効果を見定めます。
 デュフロ教授らは、これと同じ手法を途上国の教育や医療などに関する政策評価に応用し、実証研究を重ねてきました。条件がよく似た村々を選び出し、ある村には特定の政策介入を行うが、別の村では政策を実施しない。そうした比較実験を行うことで、政策の有効性を明らかにしようとしてきたのです。
 例えば、教育の改善を目指す場合、伝統的なアプローチでは、子どもたちを学校に通わせるために親を説得することや、家計の教育費負担を軽減することが重要になると考えられてきました。
 しかし、この常識に対して、デュフロ教授らは疑問を投げかけました。
 公的な費用負担よりも、子どもに虫下し薬を飲ませて健康状態を改善するなどして、通学できるようにする方法もある。さらには、子どもたちが学校に通うだけではなく、喜んで学び続けるには、補習授業を行うなど、教育の進め方を改善する方法もある――と。
 そうしたさまざまな政策を先入観なしに比較し、どの政策が、どの程度の効果があるのかについて、費用対効果を実証的に示すことに成功してきたのです。
 一方で、課題もあります。人間の社会は複合的な因果関係で成り立っており、比較実験だけで“単純な解”を出すことは難しい側面があるからです。
 加えて、倫理的な問題もクリアする必要があります。
 デュフロ教授らが実施したものではありませんが、かつてアフリカのベナンで、選挙キャンペーンのメッセージを意図的に操作して、候補者への得票率の変化を調べる実験が行われたことがありました。こうした実験は、民主主義の原理に照らして問題が多く、政策誘導やパターナリズム(強者による弱者への介入や干渉)にもつながる恐れがあるからです。

「アフラシア」の未来像

 ――『2100年の世界地図』では、22世紀を展望して、アフリカとアジアを結び付けた「アフラシア」という地理的概念が提起されていますね。
  
 私は、南アフリカ共和国に関する地域研究にも長年携わってきましたが、そのモチベーション(動機)となってきたのは、94年に大統領に就任したマンデラ氏とその周辺の人々が抱いていた信念に対する共感でした。
 アパルトヘイト(人種隔離)政策が撤廃され、マンデラ政権が発足した当時、彼らは次のように考えていました。「白人による支配は良くなかった。しかし、私たち黒人が同じようなことをすれば、社会はまったく進歩していないことになってしまう」と。
 19世紀から20世紀にかけてヨーロッパの人たちが広げてきた植民地支配のような行為を、アフリカやアジアの人たちが繰り返してはなりません。
 過去の歴史や悲劇を反面教師としながら、22世紀の世界で多数派を占めるアフリカやアジアの人たちは、移動して出会いを重ね、対話と交流を縦横に広げていく。「アフラシア」とは、そのような相互発見の空間にこそ与えられるべき名称であり、互いに学び合う平和な世界を築いてほしい――。それが、『2100年の世界地図』を通して、私が最も伝えたかったメッセージにほかなりません。
 国連経済社会局の推計によると、2001年の時点で約62億人だった世界の人口は、2100年には約112億人に増加し、そのうちアジアが約48億人、アフリカが約45億人を占めることになると予測されています。
 人口が増加するアフリカの人々の生活を支えるためには、食糧生産を増やすことが欠かせません。その際、失業者を増やす資本集約型の農業形態ではなく、「労働吸収的なアジアの農業形態」を学びつつ、技術や制度の革新を進めていくことが必要になるのではないでしょうか。
 その一方で強調したいのは、アフリカには地球規模の課題を解決するためのヒントもあるという点です。
 ある調査によると、栄養学的に健康的な品目を多く消費する世界の国々の上位10位に、アフリカの6カ国が入っており、非健康的な品目を少なく消費する国の上位10位にも、アフリカの7カ国が入っています。
 こうしたアフリカの国々での食生活を参考にしながら、世界の人々の未来の食生活を「より健康的なもの」へと移行させる道を考えてみてはどうかと思うのです。

賢明な行動を促す基盤

 ――地球規模の問題の解決には、統計的なデータに基づく分析と合わせて、どのような知見が重要になると思いますか。
  
 大切なのは、統計的な数字や客観的な最新の科学データを、人々の行動を変え、自分たちの暮らしや世界を共に良くするための取り組みに用いていくことではないでしょうか。
 「統計」の数字自体には、「価値」が含まれていません。価値観の問題は、別のアプローチで議論しなければならないものですが、この二つを切り離してしまうと、社会はおかしな方向に向かってしまいます。 
 かつてWHO(世界保健機関)の関係者に講演をしてもらったことがありますが、「医学の世界で働く人間は、人類学者と協力していかなければならない。そのことは、WHOでは常識になっている」と語っていました。
 例えば、エボラ出血熱に感染した人々を隔離するためには、医師が防護服を着て、地域に入っていかなければなりません。
 その際、村の価値観を尊重し、事前に村の中心者と話をしておかなければ、現場は大混乱に陥ってしまいます。「こうした手順で村に入っていけば、皆が受け入れてくれる」といった文化的な背景を知らないと、医師も動けないのです。
 今、喫緊の課題となっている新型コロナウイルスの対策についても、数字は数字として開示した上で、何を重視しなければならないかについて明確にすることが欠かせないと思います。
 最悪のシナリオも隠さず、専門家と一般の人々が問題に対する認識を深め合い、共有すべき価値観や目標を明確にしながら、一人一人が賢明な行動をとることが強く求められるのではないでしょうか。
 みね・よういち 1961年、熊本県生まれ。専門はアフリカ地域研究、人間の安全保障。著書に『現代アフリカと開発経済学――市場経済の荒波のなかで』『南アフリカ――「虹の国」への歩み』『アフリカから学ぶ』(共編著)などがある。

 

2020年4月28日 (火)

2020年4月28日(火)の聖教

2020年4月28日(火)の聖教

◆わが友に贈る

 会えなくても
 集えなくても
 心と心は通い合える。
 創意工夫を重ねて
 連帯の強化を今こそ!

◆名字の言 講談師・六代目神田伯山氏が新人の頃

 本年2月、講談の真打ち昇進と同時に、44年ぶりの大名跡を襲名した六代目神田伯山氏。24歳で入門して13年目の快挙となった▼落語は一門によって覚える噺が違うが、講談はほとんどが最初に「三方ケ原軍記」を習うという。「頃は元亀三年壬申歳……」で始まるこの演目は、武田信玄と徳川家康・織田信長勢との戦いを描いた軍記物だ▼冒頭から先鋒の部隊を描写する「五色備え」までの15分間は、一句忘れても次につながらない。氏も実際、500人の聴衆を前に絶句したことが。苦い経験を教訓に、稽古に励んだと振り返る。そして、どんな名人が“三方ケ原”をやろうと「若くてキャリアもない人間が一生懸命に未来の名人を目指してやっているという美しさには勝てない」と(『講談入門』河出書房新社)▼人の心を動かすのは、技術の巧拙以上に真剣さ――万般に通じる事実だろう。新年度が始まって1カ月。例年なら新社会人が未熟ながらも、ひたむきに仕事と向き合う姿が、職場に新しい風を起こしている頃だ▼多くの企業・団体がいつもと異なる新年度を送る中、新社会人の不安や戸惑いもまた計り知れないだろう。だが、彼らの真剣さと発想力こそ新しい社会を開く力。未来を担う大切な一人一人に、皆で温かな励ましを送ろう。(巍)


◆寸鉄

立宗の日。立正安国の魂
は世界の同志に厳然と。
四表の静謐への祈り深く
     ◇
石川・富山の日。誓願の友
の絆は試練の時に輝く。
励まし進む一歩が歴史に
     ◇
「只法華経の事のみさは
くらせ給うべし」御書。信
心根本の人が最後に勝つ
     ◇
公園でのにぎわいが新た
なリスクと。人との距離
2メートル保ち感染防止
     ◇
消毒液の設置場所、火気
の近くは厳禁。引火の恐
れあり。台所等は要注意


【教学】

◆〈御書池田大学運動のために 池田華陽会御書30編に学ぶ 女子部教学室〉撰時抄㊤
  勇気の祈りで未来を開こう

 今月は、「撰時抄」の前半を学びます。池田先生は、本抄の講義の中でつづられました。
 「時代を、確固たる『大善』へ向かわせる強靭な『意志』こそ、私たちにおける『時を創る』原動力です。『時』とは、単に客観的な条件ではありません。断固たる『意志』こそその本質です。一日一日、一歩一歩、誰が見ていようといまいと、戦い勝つ『意志』が、確かな『時代』をつくります」
 仏法における「時」の意義を学び、価値創造の日々を前進していきましょう!(拝読範囲は256ページ冒頭~272ページ18行目です)

本抄について
 本抄は、建治元年(1275年)、日蓮大聖人が身延で著され、駿河国(現在の静岡県中央部)の西山由比(由井)氏に与えられたとされています。前年に蒙古が襲来し、社会が騒然とするなか認められました。
 題号の「撰時」は、「時を撰ぶ」、すなわち「広宣流布の時として末法を選び取る」との意です。
 本抄で大聖人は、末法は法華経の肝心である南無妙法蓮華経が広宣流布する時であることを示されます。
 そして、不惜身命で妙法を弘める大聖人こそ、一閻浮提第一の法華経の行者であり、智人、聖人であることを明かされます。
 最後に、弟子たちにも不惜身命の実践を勧めて、本抄を結ばれます。

御文
 闘諍堅固の仏語地に堕ちず、あたかもこれ大海のしをの時をたがへざるがごとし、是をもって案ずるに大集経の白法隠没の時に次いで法華経の大白法の日本国並びに一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか (御書264ページ18行目~265ページ2行目)

通解
 闘諍堅固と記されている仏語は、地に堕ちることがない。これは、あたかも、大海の潮が、時を違えることなく満ち干するようなものである。このような事実から考えてみれば、大集経の白法隠没の時に次いで、法華経の大白法が、日本の国をはじめ一閻浮提に広宣流布することも疑ってはならないことであろう。

[解説]末法は世界広布の時
 本抄の冒頭、日蓮大聖人は「仏法を修学しようと思うならば、必ずまず『時』を習わなければならない」(御書256ページ、通解)と述べられ、仏法で大事なことは、時を正しく知り、時に適った実践をすることであると示されます。
 続いて、釈尊が、機根(仏法を理解する能力)が優れた大菩薩たちを前にしても、成仏の法を説かない時があった一方で、法華経を、機根が劣るとされる、悪人や女人、二乗の人々を前に説いたことを挙げられます。
 仏は真実の成仏の法である法華経を、衆生の「機根」ではなく、今が説くべき「時」であるかどうかを見極めて説いたのです。
 「時」の重要性を示した上で大聖人は、「時」を知るには、経文を根本とすべきであると述べて、大集経に説かれる「五箇の五百歳」を示されます。
 これは、釈尊滅後の仏法の推移を、500年ごとに区切って論じたものです。
 その中で、五番目の時代に当たるのが、闘諍言訟・白法隠没(仏教の争いが絶えず、正しい教えが見失われる時代)の、末法とされます。
 大聖人は本抄で、この大集経の説に込められた仏意を明らかにするため、法華経薬王品第23の「我が滅度の後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無かれ」(法華経601ページ、趣意)との経文を示されます。
 すなわち、闘諍言訟・白法隠没という法滅の危機を迎える「第五の五百歳」こそ、「世界広宣流布の時」であり、いかなる魔性にも打ち勝って妙法を弘め、一切衆生を幸福にすべきことを仏は命じられているのです。
 ゆえに掲げた御文で“仏の言葉は真実であり、今こそ、法華経の肝心である南無妙法蓮華経が、世界中に広宣流布する時である”と力強く宣言されているのです。
 現実に、法滅の末法を、世界広宣流布の時へ転ずるため、大聖人はあらゆる魔性に戦い勝ち、不惜身命で妙法を弘め抜かれました。
 そして今、大聖人直結の創価学会によって、仏法は全世界に広がっています。
 最高の仏法を学び行じているとの確信を深め、勇気の題目で希望の未来を切り開いていきましょう!

東京・信濃町の創価女子会館。暖かな陽光が降り注ぐ
池田先生の講義から
 大聖人が末法の時に適った法として弘められた南無妙法蓮華経は、仏を仏たらしめている仏種にほかならない。妙法を信ずる「信の利剣」で生命を覆っている無明の暗雲を打ち払えば、生命は妙法の光に照らされて、直ちに「本有の尊形」をあらわしていくことができる。すなわち、妙法の無限の力が生命のうえに開花し、仏の生命が顕現する。この本因本果の一念が、南無妙法蓮華経にほかなりません。(2010年4月号「大白蓮華」掲載の「勝利の経典『御書』に学ぶ」)
                       ◇ ◆ ◇ 
 「万人は本来菩薩である」「万人に成仏の可能性がある」と説く法華経であればこそ、末法に充満している悪機・劣機の人々をも救える。この妙法に基づくことによって「真の民衆勝利」「人間讃歌」の時代として、末法の「時」の意義を確立できます。
 したがって、法華経が説く末法とは、「絶望の末世」ではなく「希望の変革期」なのです。(2010年6月号「大白蓮華」掲載の「勝利の経典『御書』に学ぶ」)

研さんのために
 ○…2010年4・6・7・8月号「大白蓮華」掲載の「勝利の経典『御書』に学ぶ」(聖教新聞社)


【聖教ニュース】

◆原田会長、永石婦人部長が出席 全国方面長会議  2020年4月28日
5月7日から「励まし月間」 同志・親族・友人らと電話・メール・SNSなどで
5月31日まで「会合中止」「会館閉館」「訪問自粛」
小説「新・人間革命」「大白蓮華」5月号など研鑽



    • 原田会長を中心に、各地とテレビ中継で結んで行われた全国方面長会議(学会本部別館で)

原田会長を中心に、各地とテレビ中継で結んで行われた全国方面長会議(学会本部別館で)

 全国方面長会議が27日午後、原田会長、長谷川理事長、永石婦人部長らが出席し、全国の方面長・方面婦人部長らとテレビ中継で結んで、東京・信濃町の学会本部別館で行われた。
 席上、会長は、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い全国に緊急事態宣言が発令され、いまだ収束が見通せない現状を踏まえ、ゴールデンウイーク以降の活動について発表した。
 ①5月31日まで「会合の中止」「会館の閉館」「訪問による激励の自粛」を継続する。
 
 ②5月7日から31日までを「励まし月間」とし、同志、家族・親族、友人・知人に、電話や手紙、メール、SNS、オンラインなどで励ましを送る。
 
 ③小説『新・人間革命』を学ぶとともに、「大白蓮華」5月号や聖教新聞、SOKAnetを活用し、一段と研さんに取り組む。
 
 永石婦人部長は、婦人部指導集『幸福の花束Ⅲ』発刊に寄せられた喜びの声を紹介。師の限りない励ましに最大に感謝し、「共に乗り越える力」を人々に送りたいと訴えた。
 西方男子部長は、青年部の「stayhome(ステイホーム)プロジェクト」、「うたつく」(歌をつくろう)プロジェクトへの反響を伝え、社会に貢献しゆく決意を述べた。
 最後に会長は、池田先生の第3代会長就任60周年の「5・3」を迎えることに言及。
 5月3日には全会員が各家庭で、死身弘法の60年に対する報恩感謝と、世界の安穏・幸福への祈りをささげたいと強調。世界が危機に直面する今こそ、創価の励ましを広げ、師弟の力を発揮する時であると呼び掛けた。

◆全国方面長会議での原田会長の指導(要旨) 2020年4月28日
 「5・3」に全同志が世界の安穏と幸福を祈念
 「5・5」にファミリー座談会
 聖教・SOKAnetで学ぶ

 一、「緊急事態宣言」が全国に広がる大変な中を、工夫しながら「励まし」に当たっていただき、本当にありがとうございます。
 私からは、まず今後の組織活動についてお伝えします。

励ましの工夫を

 一、はじめに、「ゴールデンウイーク以降の活動」について、現状は、5月6日まで全国的に「各地の会合は中止」「会館は閉館」「訪問による激励は自粛」としていますが、これを5月31日まで継続します。
 総本部の各施設につきましても、引き続き、当面の間、閉館となります。
 その上で、5月7日から31日までを「励まし月間」とします。
 電話や手紙、またメール、SNS、オンラインなどで、会員同士で励まし合うとともに、大切な「家族・親族」に、そして「友人・知人」にと、励ましを送ってまいりたい。
 今、医療従事者の皆さまをはじめ、崇高な使命を果たそうと多くの方が奮闘されています。また、仕事や生活に影響が出ている方も多くいらっしゃいます。何より、先行きが見えない不安を、皆が抱えています。
 だからこそ、創価の哲学、温かな声掛けや励ましが、希望の光となることは間違いありません。
 日々の「聖教新聞」や「SOKAnet」「学会公式インスタグラム」などには、有益な情報が満載です。これらに学びながら、日本中が困難に直面する今こそ、私たちは、大切な人への励ましの輪を広げていきたい。
 今後、「励まし」の工夫例なども「聖教新聞」で紹介していく予定です。
 ただし「訪問による激励の自粛」は、引き続いていますので、よろしくお願いいたします。
 一、多くの方が今、教学や小説『新・人間革命』の研さんに、真剣に取り組んでくださっています。
 「聖教新聞」も新たな連載など、さらなる紙面の充実を図っており、加えて、5月号の「大白蓮華」は「会長就任60周年記念号」です。
 「巻頭言」「世界を照らす太陽の仏法」「座談会拝読御書」「研修教材」、さらに「5・3」の軌跡を10年ごとにたどる特集「栄光の勝ち鬨」などを、しっかり学んでまいりたい。
 「SOKAnet」の「座談会御書e講義」なども活用しながら、5月は「励まし」とともに、「研さん」についても、一層、力を入れていきたい。

60周年の佳節
 一、改めまして、大変な日々の中、聖教新聞を配達してくださる「無冠の友」の皆さまに、心より感謝申し上げます。
 いよいよ5月3日「創価学会の日」「創価学会母の日」を迎えます。
 本年の5月3日は、「池田先生の会長就任60周年」という意義深き佳節であります。
 先生の死身弘法の戦いがあってこそ、今の世界広布があります。先生の温かな励ましがあってこそ、今の私たちがいます。そして「5・3」は師匠の魂を受け継ぎ、弟子が立ち上がる日であります。
 本年の「5月3日」当日、全会員が各家庭において、池田先生への最大の報恩感謝を胸に、「新型コロナウイルスの早期終息」「世界の安穏と幸福」を真剣に祈り、世界広布への新たな誓願を立て、新たな出発を切ってまいりたい。
 また、5月5日の「創価学会後継者の日」には、未来部メンバーのいるご家庭では「ファミリー座談会」を開くなど、家族で創価の心を学び、信心継承の語らいを行っていきたいと思います。
 「会長就任60周年記念」として、「聖教新聞」と「SOKAnet」では、さまざま特集企画を準備しております。
 まず、「聖教新聞」紙上では、4月30日から特集紙面を掲載します。
 30日付では貴重な証言や記録をもとに、あの「日大講堂」での会長就任式に至るドラマをつづります。
 5月1日付からは5日間にわたって、2・3面見開きで、「人間革命の証明の劇」と題し、先生の足跡を、五つの角度から、たどっていきます。
 また、「SOKAnet」では、4月29日から「特設ページ」が開設されます。平和行動、文化交流、大学講演など、世界を舞台にした池田先生の行動と軌跡を幅広く紹介します。
 そして、先生と世界の識者との交流を描いた動画コンテンツを、特別に公開します。
 第1弾として、ゴルバチョフ氏、ローザ・パークス氏、ネルソン・マンデラ氏の3作品が紹介され、今後は毎週1作品ずつ追加されていく予定です。
 私たちは、「聖教新聞」「SOKAnet」での特集を学び、活用してまいりたいと思います。

今こそ師弟の力を
 池田先生は、先日の随筆に「緊急事態宣言のもと、たとえ会えなくても、集えなくても、聖教新聞を通し、創価家族の心と心は結ばれているのだ」とつづってくださるとともに、「広布の前途に、いかなる試練の山が立ちはだかろうとも、創価の師弟は慈悲と哲理の翼を広げ、勇敢に飛翔しゆくのだ」と呼び掛けてくださいました。
 まさに、世界が大きな危機に直面する今こそ、創価の励ましを広げる時。そして、創価の師弟の力を発揮する時です。
 早期終息をしっかり祈りながら、栄光の5月3日から、決意も新たに前進を開始していきましょう。


◆〈季節の詩〉 千葉・犬吠埼の日の出 2020年4月28日

 千葉・犬吠埼から望む太平洋。闇を破って悠然と旭日が昇った。
 きょうは日蓮大聖人の「立宗の日」。人類を照らす「太陽の仏法」は今、あらゆる大難を勝ち越え、192カ国・地域に広がった。
 池田先生はうたう。
 「暗い嵐の彼方に/高貴な心と/高貴な生命で/誇り高き銀色の道を/花々が無限に咲き薫る/その道を」「前途の太陽の輝きも満ちて/我らは/巨大な幸福の大空に/讃歎されながら/快活に歩み進むのだ」
 「君よ/絶対に負けるな!/断じて勝つのだ!」(「『自由』と『正義』の人生 君よ 人間主義の勝利者たれ!」から)
 嵐の日々にも、妙法という太陽を心に抱く我らは、明るく晴れ晴れと、希望と勇気の大道を進みたい。(15日=伊野光・石川大樹記者撮影)


◆オンラインでの核兵器廃絶の世界大会に学会代表が出席   2020年4月28日

 核兵器廃絶を訴える世界大会(市民社会会議)が日本時間の25日夜、オンラインで行われた。
 同大会は、今月下旬から予定されていた核不拡散条約(NPT)再検討会議に合わせ、ニューヨークでの開催が計画されていたが、新型コロナウイルスの感染拡大によって中止となり、インターネット上で開かれた。NGO関係者や平和運動家ら約1000人が参加。創価学会平和委員会、SGI国連事務所の代表も参加した。
 核兵器を巡る現状をテーマにしたパネルで、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の和田征子氏が被爆体験を語り、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)のカルロス・ウマーニャ博士らが登壇した。
 続く「行動と優先課題」と題するパネルでは、「中東条約機構」のイマド・キヤエイ所長らが発言。核廃絶を目指した世界規模の協力と行動を訴えた。
 大会には国連の中満事務次長(軍縮担当上級代表)も参加。創価学会平和委員会も参画する「ヒバクシャ国際署名」の1050万筆を超える署名運動についての報告を受け、中満次長は、署名をはじめとする核軍縮への努力をたたえた。

◆新型コロナウイルスと宗教組織の役割を巡るオンライン意見交換会にSGIが参加  2020年4月28日

 新型コロナウイルスへの対応におけるFBO(信仰を基盤とした団体)の役割をテーマにしたオンライン意見交換会が日本時間の21日、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の主催で行われた。
 これには、招へいを受けた世界のFBO12団体から代表が参加。SGIからは浅井SGI開発・人道部長とSGI国連事務所のエリザ・ガゾッティ氏が出席した。
 冒頭、フィリッポ・グランディ高等弁務官が新型コロナウイルスの感染拡大で難民に対する差別や排斥が起きている現状に懸念を述べ、難民をはじめ少数者のコミュニティーとの連携において独自の強さを持つFBOへの期待を語った。
 浅井部長はFBOの役割の一つは、難民への感染リスクといった世界の問題に対する人々の関心を高めることにあると言及。学会が行っているUNHCRへの継続的な支援や、感染拡大防止に向けてイタリアはじめ各国のSGIが実施している取り組みを紹介した。


【特集記事・信仰体験など】


◆<世界の友は今> 韓国SGI 金仁洙 理事長 2020年4月28日
 難局を新たな発展への転換点に

 新型コロナウイルスの感染が世界に広がる中、各国の友は、どのように励まし合い、困難に立ち向かっているのか。韓国SGI(創価学会インタナショナル)の金仁洙理事長に、現在の状況や取り組みを聞いた。

 ――韓国のこれまでの感染者数は1万人を超えていますが、2月末の爆発的な増加を約1週間で抑え込み、その後は新たな感染者数が比較的少ない点が、世界的に評価されています。今の社会の様子を教えてください。
 
 韓国では、2月に大邱広域市で大規模な集団感染が発生しましたが、政府や保健機関は感染者とその濃厚接触者に対し、検査や隔離などの強力な防疫措置を取りました。また、各地で大規模なPCR検査を進めるなど、感染の抑え込みに力を注いできました。
 さらに3月からは、多くの人が集まる行事や外出の自粛、在宅勤務の推奨など、感染防止のための「ソーシャル・ディスタンス(社会的距離)」の確保を推進してきました。
 こうした努力によって、多い時は1日で900人を超えた感染者数が、最近では一桁になる日もあるなど、大きく減少しています。
  
 ――韓国SGIとしては、感染拡大の防止のために、どのような対応を取ってきたのでしょうか。
 
 2月21日、国内の宗教団体としては最も早く、感染拡大抑止のために会合など全ての行事を中止し、全国の会館を閉館することを決めました。また、会員一人一人が地域社会で模範の存在となれるよう、政府などが推奨する感染防止の対策に従っています。
 こうした判断や行動は、私たちが池田大作先生から学んできた、仏法の「生命尊厳の思想」と「一人を大切にする精神」に基づくものです。
  
 ――感染拡大の状況は落ち着いてきましたが、会合や訪問の自粛は続いていると伺っています。こうした中で行っている取り組みはありますか。
 
 はい。韓国SGIでは現在、「前進1・2・3励まし運動」を実践しています。
 「1」は、一人一人が日々の唱題の中で、世界の安穏と全ての友の「健康」「幸福」を祈ること。「2」は、小説『新・人間革命』の着実な研さん。「3」は、地域の友人や青年部員を電話や手紙で激励することです。

“冬は必ず春に”との大確信で

桜花に彩(いろど)られた韓国SGIの本部棟(右の建物)と池田記念講堂(中央)。首都ソウルに立つ

桜花に彩(いろど)られた韓国SGIの本部棟(右の建物)と池田記念講堂(中央)。首都ソウルに立つ

 これまで多くの同志から「かつてないほど多くの題目をあげることができた」「研さんをしながら一日一日、前向きに頑張っています」等の声が寄せられており、限られた活動の中でも、広布の道を歩める喜びが広がっています。
 また、池田先生の指導を、各自がスマートフォンや手紙で同志に伝え励ます取り組みも、活発に行われています。
 さらに、壮年部は日曜日、婦人部は月曜日と木曜日に、青年部は週末に、“同盟唱題”に挑戦しています。
 オンラインによる会合にも力を入れており、今月8日には「全国代表者オンライン会議」を開催。先生の指導を通し、困難を乗り越える「師弟の精神」と、「一人立つ信心」の重要性を確認し合いました。
 また、御書講義や体験発表を行ったり、学会歌を歌ったりなどの「オンライン部員会」を、各部で開催しています。パソコンやスマートフォンを通して、同志の顔を見ながら近況を語り合い、決意を深め合うことができ、「とても元気になった」など、大きな反響を呼んでいます。
  
 ――さまざま工夫をしながら活動を進めているのですね。週刊の機関紙「和光新聞」が、同志の希望の光になっているとも聞きました。

 「和光新聞」には、池田先生が撮影された写真や先生の揮毫が掲載され、皆の喜びと前進の力になっています。また、各家庭で開かれている「ファミリー座談会」や、「前進1・2・3励まし運動」等の様子も紹介しています。
 その他、家庭教育に役立つ記事なども好評を博しています。
   
 ――メンバーの中には、医療現場で奮闘している方もいらっしゃるそうですね。

 現在、医師、看護師、薬剤師等、多くのメンバーが医療の最前線で患者の治療のために尽力しています。
 韓国で最多の感染者が出た大邱広域市に住む女子部員は、看護師として地域医療に従事しています。彼女には、患者が次々と運び込まれてくる病院が、まるで「戦場」のように感じられたそうです。仕事で自宅に帰れない困難な状況が続き、涙があふれ、何度も逃げ出したいと思ったと聞きました。
 ようやく帰宅できた時、真剣に御本尊に祈りました。その中で、看護師の仕事は自らが選んだ道であることを思い起こし、「今こそ、池田先生の弟子として使命を果たそう」と誓いを新たにしました。そして、勇気を振り絞って全力で看護に取り組んだそうです。
 先日、彼女を含む病院の医療スタッフに、亡くなられた患者の娘さんから、最後まで諦めず、父親のために力を尽くしてくれたことへの感謝の手紙が届きました。彼女は手紙を通して、自身の使命の深さを改めて感じたといいます。
 今も師匠の心をわが心として、患者に寄り添いながら、慈悲の看護に挑んでいます。
  
 ――この女子部の方をはじめ、多くの医療従事者の方々の壮絶な戦いによって、私たちの生命が守られていることを強く感じます。

 韓国SGIとしても、医療に携わる方々や社会への支援を、何かの形でできないかと考えました。
 そうした観点から、全国のマスコミや社会団体が協力する救援団体「希望ブリッジ全国災害救護協会」に、医療関係者や新型コロナウイルスの被害に遭った方々への応援のメッセージを伝えるとともに、1億ウォン(約870万円)の寄付を行いました。
  
 ――まもなく、池田先生の第3代会長就任60周年となる「5・3」を迎えます。

 韓国では、この佳節を目指し、昨年から「青年部10万の育成」に各部一体で挑戦してきました。5月には、青年部の拡大と育成の決勝点として「青年誓願フェスティバル」を開催する予定でしたが、延期となりました。
 しかし、韓国の同志は「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)との御聖訓、そして「波浪は障害にあうごとに、その頑固の度を増す」との先生の座右の銘に込められた「負けじ魂」を胸に、この難局をむしろ広布実現への転換点にしようと、勇気と希望を燃やしています。
 今は、2030年を目標に、継続的な青年の育成と同志の幸福のために、広布発展の展望を練り、多角的な計画を立案するなど、新たな勝利への準備を行っています。
 これまで私たちは、池田先生のご指導のもと、幾多の宿命転換と人間革命のドラマをつづりながら前進してくることができました。
 これからの10年は、一人一人が先生の弟子として、一段と社会に貢献する立派な市民として成長していきたいと思います。そして、韓国の同志が一丸となって、広布後継の若き人材を育みながら、世界の模範となる前進をしていく決意です。


◆企画連載 私がつくる平和の文化Ⅱ
インタビュー SDGs市民社会ネットワーク理事 大久保勝仁さん(銭湯4代目店主)――人々をつなぐ青年力

 今回は「SDGs(持続可能な開発目標)市民社会ネットワーク」理事の大久保勝仁さん、26歳です。別の肩書は東京・墨田区にある老舗銭湯の4代目店主。“世界”と“下町”で活動してきた経験を踏まえ、「今いる場所でつくる平和の文化」について語ってもらいました。(聞き手=木﨑哲郎、大宮将之)

「国連」と「銭湯」を舞台に
 <メールでいただいたプロフィル写真を拝見したのですが、“SDGsに取り組む人”というよりは……>

 銭湯の店主のイメージの方が強く出ていますよね(笑い)。ただ僕にとっては、国内123団体が加盟する「SDGs市民社会ネットワーク」(創価学会平和委員会も加盟)の理事や、国内の幅広い若者の意見を政府や国際的な枠組みに反映させることを目的とした「持続可能な社会に向けたジャパンユースプラットフォーム(JYPS)」の事務局長としてやってきたことと、銭湯の経営とは、そのスケール(規模)が違うだけで、「誰も置き去りにしない」というSDGsの理念を実践する点においては“同じ”なんです。
 前者の立場では、国連本部で行われる「持続可能な開発のためのハイレベル政治フォーラム(HLPF)」をはじめ、国内外の会議に参加。G7やG20の国々の若者を対象としたユースサミットも主催してきました。子どもや若者の声を、国連レベルでの議論や成果文書に反映させる政策提言を行ったり、若者団体などを通じて幅広い人々が意思決定に関与できるよう取り組んだりしてきました。若者に限らず、社会的に弱い立場の人たちが隅に追いやられてしまう状況を何とかして変えたい――との思いからです。
 では、後者の「銭湯」はどうかと言いますと、大げさに聞こえるかもしれませんが、地域における「社会的包摂の場所」だと、僕は思っています。 

東京・墨田区の銭湯「電気湯」で店主を
 <社会的包摂とは、どんな立場の人も排除せず、社会の一員として支え合う考え方ですね。銭湯においては、どのような場面で実感されますか>

 僕が経営する銭湯の利用者の年齢層は、小さなお子さんから80代まで幅広く、性格も千差万別。自分が体を洗っている最中に、隣からやたら話し掛けてくるような、ちょっと「めんどくさいな」と周りから思われてしまうおじさんもいらっしゃいます(苦笑い)。
 見ず知らずの他人同士が社会的な肩書や立場など関係なく“裸の付き合い”を始めたり、近所の大人たちが子どもたちと遊んであげたり、さらに互いの生活にとって有益な情報を、おしゃべりの中で自然と交換できたり……高齢の方々の中には、独り身の方や、自宅にお風呂のない方、インターネットが使えない方などが少なくありません。そうした方々をつなぎ、支えるセーフティーネット(安全網)にもなっていると思いますね。
 今は新型コロナウイルスの感染防止のため、銭湯をはじめ“居場所”となっているような店舗の営業自粛が広がっていますが、一方で「誰も置き去りにしない」というSDGsの理念を思うとき、地域のつながりが遮断されていく状況に、仕方がないとはいえ、もどかしさを覚える部分もあります。

誰も置き去りにしない
 <社会的に弱い立場の方々が、災害時などにおいて最も苦しい状況に陥る実態は、これまで国連においても何度も指摘されているところです>

 そんな現実への「いら立ち」のようなものが、僕の活動の原動力になっていると思います。最初に大きな「いら立ち」を覚えたのは、スリランカを旅した大学生の時です。貧しい漁村で出会った現地の方々の笑顔や優しさに触れ、本当の豊かさとは何かを教えていただいた感動は忘れられません。
 帰国後、村が台風で壊滅的な被害を受けたとニュースで知り、居ても立ってもいられず再び現地へ。そこで目にしたのは、復旧作業も被災者へのケアも不十分な実態でした。弱者の声が届かない社会制度に問題があるのでは――そう強く思い、NGOに加入するなど具体的な行動を起こしたのです。

2017年7月、アメリカ・ニューヨークの国連本部で開かれた「ハイレベル政治フォーラム」に参加した大久保さん(右から2人目)。※写真はJYPSのサイトから引用

2017年7月、アメリカ・ニューヨークの国連本部で開かれた「ハイレベル政治フォーラム」に参加した大久保さん(右から2人目)。※写真はJYPSのサイトから引用

 <SDGs市民社会ネットワークは先月末、新型コロナの感染症対策に関する声明文を発表しました>
 
 行政の対応が、住む場所の違い、疾病や障がいの有無、ジェンダー、人種、年齢などに基づく分断と排除につながることがあってはならないとの思いから、声明文を皆で考えました。ここでも強調されている言葉は「包摂」です。実は身近なところに、「置き去りにされてしまう人がいる」現実があることを知ってほしいと思います。
 例えば、各大学がオンライン授業を始める流れがありますが、アパートで1人暮らしをする大学生たちの中には「WiFi環境がない」という人も少なくありません。休校中の小・中学生、高校生のお子さんを持つご家庭にも、同様のことがいえるでしょう。これを機に、インターネットへの接続を基本的権利とする社会になってほしい。

「共に在る」ことを認め合う
 <SDGsといっても、身近なところに課題を見つけることから始まるのですね>

 僕が銭湯の経営を始めたきっかけも、大正7年から続く銭湯「電気湯」の3代目だった祖母が、後継者の不在を理由に廃業を口にしたことでした。地域には、「自分の居場所」がなくなることを寂しがる方もいました。これはいけないと思い、僕が本格的に引き継いだのは昨年秋。同じ志を共有できる協力者を募ったり、イベントを考えたり……国連を相手にやってきた経験が生きる場面もたくさんありました。地域の方々にもとても喜んでもらえて、率直にうれしかったですね。
 「平和の文化」をつくる場所は、どこか遠い世界にあるのではなく、自分が今いる地域にあるのではないでしょうか。「多様性社会」や「共生社会」というと、何だか、互いの違いを理解して、みんな仲が良い状態を思い浮かべると思うのですが、そうではなくてもいいと思うんです。
 たとえ気が合わなくても、たまにはケンカをしても、「まあ、いいか」と思って互いを排除せず、「共に在る」ことを認め合える――そんな空間を自分の周りにつくることができれば、それは一つの「平和の文化」のように思います。それが世界と銭湯、両方を舞台に活動してきて抱いた実感です。

ニューヨークの国連本部で
<プロフィル> おおくぼ・かつひと 1993年10月生まれ。日本大学卒。政府のSDGs推進本部「次世代のSDGs推進プラットフォーム」の運営なども務める。
※「持続可能な社会に向けたジャパンユースプラットフォーム(JYPS)」のサイトは下記のリンクから
https://japanyouthplatform.wixsite.com/website

※ご感想はこちらまで
heiwanobunka@seikyo-np.jp

【池田先生の写真と言葉】

1983年6月、ルーマニアの首都ブカレストで

1983年6月、ルーマニアの首都ブカレストで

 青年は、常に、「皆が、困っている問題は何か」「地域発展のために何が必要か」を考え、柔軟な発想で打開策を探っていくんです。
 不可能だと思ってしまえば、何も変えることはできない。
 “必ず、なんとかしてみせる”と決めて、思索に思索を重ね、何度も何度も挑戦し、粘り強く試行錯誤を重ねていく情熱があってこそ、時代を変えることができる。
 これが青年の使命です。
 (小説『新・人間革命』第30巻<下>「勝ち鬨」の章から)

【3月9日付への読者の声】
 大阪市西淀川区 西光光枝さん(主婦 60歳)
 ヒューマン・ライツ・ウォッチ日本代表の土井香苗さんの記事を読んで、子どもたちを取り巻く現実に心が痛み、自分にできることは何かを考えました。
 そこで早速、若いママさんたちに「『子どもの権利条約』って知ってる?」と質問すると、「知りません」と返事が。私が「子どもにも大人と同じように権利があるのよ」と語ると、「もっと詳しく教えてください」と会話が弾みました。
 土井さんの言葉に、「幸せは自分の家庭から」とあります。今は新型コロナの影響で会えませんが、「平和の文化」は「家庭から」との思いで、身近なママさんに寄り添っていきます。

 東京都墨田区 橋井広美さん(パート 55歳)
 平和と人権のためにできることは、「人に話したりして『声に出すこと』」――土井さんの言葉が心に残りました。
 かつて息子に、困難な状況で暮らす世界の人々について、どう伝えるか悩みました。小学生になると、学校に通えない子どものニュースを一緒に見て語り合うように。息子は恵まれた環境に生まれたことを実感し、食事を残さない、困っている人を助けるなど、小さな心掛けを実践するようになりました。
 今春、息子は、子どもの力になりたいと教育関連の企業に就職。私は昨年、小学校の支援員になりました。親子で共に、子どもたちのために尽くします。


◆〈信仰体験〉助産師として48年。苦労は笑顔の種になる  2020年4月28日

     母子の健康増進に貢献     健やか親子大会で全国表彰

 【北九州市】看護師兼助産師として48年、“命の現場”に立ち会ってきた落水仁子さん(70)=支部副婦人部長。産前産後の母親たちへ、生活や子育てのアドバイスをする無料相談室なども開設し、子どもを育む事業を推進してきた。相談件数は3万件超。命を守り、慈愛の心で周囲を照らす“白樺”の笑顔を輝かせ、来談者に寄り添い続ける。

 子育てをする母親たちは、毎日がストレスとの戦い。時に「育児ノイローゼ」になることも。
 落水さんのもとには、幼子を抱えた母親から多くの相談が寄せられる。
 「夫が忙しく、帰りが遅くて頼れない」
 「赤ちゃんが朝も夜も泣きやまない」
 「自分の時間が欲しい。もう育児に疲れました」
 そんな声にじっくりと耳を傾ける。相手に寄り添い、何度も何度もうなずく。そして、優しく声を掛ける。
 「大丈夫よ。大丈夫。心配でしょうけど、よく頑張ってますね。一人で抱え込まないで。あなたは今のままで十分よ。自分を褒めましょう」
 ある相談者の瞳から涙がこぼれ落ちた。しばらくして、落ち着きを取り戻すと、「落水さんに話せて楽になりました。ああ、泣いてスッキリ。やっと前に一歩踏み出せそうです」。そう言って、相談室を後にした。
 「晴れ晴れとしたママたちの笑顔を見るたび、“抜苦与楽”の使命を実感します」と落水さん。
 初対面であっても、相談者は落水さんに心を開き、抱え込んだ悩みを打ち明け、自然と涙するという。保健師や関係者らは、安心を与える落水さんの振る舞いに感心する。
 自身も4人の子を育ててきた。さまざまな苦悩を乗り越えてきた。だからこそ、「相談者の悩みが痛いほど分かる」と。
 落水さんが看護の道を志したのは、中学生の頃。事故で大けがを負った指の手術のために病院へ。不安でいっぱいになり涙した落水さんの?を、ハンカチで拭い、温かく励ましてくれた看護師の姿に胸が熱くなった。
 人の心を癒やせるような仕事がしたい。そんな思いを抱き、高校卒業後に看護学校へ。そこで助産師を勧められた。生命誕生の瞬間に立ち会う職場。“責任は重い。だけど、やりがいがある”と、東北大学付属の助産師学校でも学んだ。
 1975年(昭和50年)、福岡の病院に勤め、程なく結婚。2年後、長女を授かった。その頃、同僚の看護師から創価学会の話を聞いた。
 当初は全く興味がなかった。座談会に誘われても、理由をつけては断った。
 ある日、「何度も来てくれるうちに根負けし、ちょっとだけなら」と参加してみた。それまで宗教は自己本位なものと、ずっと思っていた。しかし座談会に集う老若男女は皆、他人の幸福を真剣に祈り、行動していた。見方が、がらりと変わった。
 2年間、会友として教学を研さん。“この仏法には人生を勝利させゆく力がある”と確信が深まり、79年7月に入会する。翌々月には長男が生まれ、この上ない幸せを感じた。
 82年、双子の次男・三男が生まれると、勝手が違った。
 子どもの扱いには慣れていたつもりだったが、授乳、寝かしつけ、部屋の片付け、食事の支度……何をやるにも2人分、4人分の子育て。
 一息つく暇もなかった。満足に睡眠もとれない。ささいなことでもイライラした。夫の優しい気遣いにも“違う! なんで分かってくれないの?”と嫌悪感が募った。次第に家事や育児に、気持ちが入らなくなった。
 「自分が自分じゃないみたいでした。かわいくて仕方がないはずのわが子たちへの愛情が、どんどん失われていく……そんな不安が襲ってきたのです。“母”としての責任に押しつぶされそうで」
 全身の力が抜け、外に出る気力もなく、学会活動から遠ざかった。心配した婦人部の友が駆け付けてくれた。
 「あなたには信心がある。御本尊に悩みを全部ぶつけていいのよ。私たちも一緒よ」と。その言葉に、心がスッと軽くなった。
 親身になって話を聞き、同苦してくれる人がいる。それが、どれほど心の支えになっただろう。感謝の気持ちで祈るたびに、少しずつ気分が晴れ、家族にこれまで以上の愛情が芽生えていった。
 助産師の仕事にも、“新しい生命を宿した母親たちは、出産がゴールではない。産後も、十分なケアが必要なんだ”と思うように。自らの使命の大きさを改めて学んだ。
 18年前、北九州市で新生児訪問員の募集があった。落水さんは進んで手を挙げた。
 生まれながらに病を抱えた子どもを持つ育児者、経済的苦難にあえぐシングルマザーなど、ケースは千差万別だった。
 それでも一件一件、地道ながら、誠実に苦悩の糸を解きほぐしていった。解決策が見つかり、互いに抱き合ってうれし泣きしたことも。
 さらに、市の委嘱を受け、「母親教室」など育児相談をいくつも掛け持ちするようになった。
 看護師として、助産師として、4人の子の母としての自身の経験が、全て生かされていった。「徹底して一人に寄り添う姿勢は、学会活動で培ったものです」とほほ笑む。
 4年前、長年にわたる母子保健の向上などに尽力してきた功績が認められ、県知事表彰を受けた。昨年11月には、厚労省による「健やか親子21全国大会(母子保健家族計画全国大会)」で、母子保健推進会議会長表彰も。
 現在は、後進の育成に取り組むとともに、自治会の婦人責任者を担い「地域で支える子育て支援」の拡充に全力を注ぐ。
 池田先生は語っている。「相手の気持ちに敏感に反応し動いていける。悩んでいる人がいれば、思わず心と体が動いていく。そうした鋭敏な感受性のアンテナをもっている人こそ、『美しき人』である。美の根本は心の美しさである」と。
 “創価の母”は家庭に、地域に希望の光をともしていく。慈愛をたたえたまなざしで落水さんは語る。「勝つことよりも負けないこと。悲哀に負けない。苦労はきっと、全て“笑顔の種”になりますから」

 

2020年4月27日 (月)

2020年4月27日(月)の聖教

2020年4月27日(月)の聖教

◆今週のことば

 御本仏に直結の創価だ。
 「南無妙法蓮華経は
 師子吼の如し」
 いかなる病にも負けぬ
 題目の響きを凜々と!
 御書P1124


◆名字の言 107歳の美術家・篠田桃紅氏「誰とも比べない」

 「日々、新しいものをつくっている実感がある」とは、107歳の美術家・篠田桃紅氏の言葉。氏の作品は、大英博物館やメトロポリタン美術館などにも収蔵されている▼「老いてわかることがまだある」と語る氏も、いわゆる“スランプ”に陥ったことがある。それでも「落ち込んだり、焦ってやけを起こしたりしない」という▼なぜなら“自分を優れているとは思っていないが、劣っているとも思わない”から。氏は語る。「誰とも比べない。標準以上とか標準以下とか、比較をしない。誰でも、同じ人はこの世に二人といない」(『一〇三歳、ひとりで生きる作法』幻冬舎文庫)▼人はどうあれ、自分は自分――簡潔な言葉に、芸術家の誇りがみなぎっている。周囲と比べ、一喜一憂してしまうのが人の常。だが、移ろい続ける周囲を“基準”にする限り、不安は消えないだろう。自分も他人も皆、かけがえのない存在――この事実を思い起こすことで、人は深く励まされ、安心と自信が生まれてくる▼変化の激しい時代であるほど、自分自身に生き抜く。池田先生は「自分が尊敬できる自分をつくっていくことだ」と。周囲と比べるのではなく、“これまでの自分”と比べる。自ら決めた目標へ、自分らしく、日々、新しい挑戦を始めたい。(誼)


◆寸鉄

どんな時代になろうとも
学会は庶民の味方―戸田
先生。励ましの声を強く
     ◇
電子版で劇画『人間革命』
の配信開始。読者に活力
送る為。紙面充実も益々
     ◇
歌声は人々を忽ち一つに
―中国文豪。皆で歌作る
青年部の参加企画は希望
     ◇
読書は脳からのストレス
信号を抑制する効果が―
脳科学者。挑戦の好機と
     ◇
3月の連休は外出自粛の
緩み鮮明―データ。大型
連休へ接触8割減を皆で


◆きょうの発心 経王殿御返事 山形最上県婦人部長 本間美代子2020年4月27日

御文 南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや(経王殿御返事、1124ページ・編569ページ)
通解 南無妙法蓮華経は師子吼のようなものである。どのような病が、障りをなすことができようか。

真剣な唱題で病魔に打ち勝つ
 唱題によって、どんな病にも負けない境涯を築けるとの慈愛の励ましです。
 信心強盛な義父の姿に感銘し、入会。当初、信心に反対していた父が脳梗塞になり、「この信心で宿命転換してほしい」と真剣に祈り、対話を重ねた結果、実家の家族全員が入会しました。その直後に私たち夫婦に池田先生が揮毫をくださり、「勝利の結果をもって師匠の期待に応えよう」と決意したことが、信心の原点です。
 その後も、次男と夫に難病が見つかるなど、次々に襲ってくる宿命に心が折れそうに。この御文を拝しては祈り、学会活動に励む中で、医師も驚くほど回復し、現在、共に広布に駆けています。
 「病苦が深ければ深いほど、それを克服すれば、仏法の偉大なる功力を証明することができ、広宣流布の大きな力となる」との先生の指導を胸に、今こそ宿命転換の時と決意しています。
 池田先生の会長就任60周年となる本年、山形最上県の皆さまと共に幸福勝利の歴史を開きます。


【先生のメッセージ】

◆忘れ得ぬ旅 太陽の心で  池田先生の連載エッセーから  ロンドン

ロンドンを滔々と流れるテムズ川と、イギリスの国会議事堂であるウェストミンスター宮殿(1989年5月、池田先生撮影)


ロンドンを滔々と流れるテムズ川と、イギリスの国会議事堂であるウェストミンスター宮殿(1989年5月、池田先生撮影)

 世界が新型コロナウイルスの猛威と闘っている。イギリスも感染拡大は深刻だ。池田先生は、これまで同国を7度訪れ、20世紀最大の歴史家トインビー博士と対談を行うとともに、現地の人々と深い交友を結んできた。未曽有の事態に直面している現在もメッセージなどを寄せ、同志を激励し続けている。月刊誌「パンプキン」誌上の先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「ロンドン――歴史を輝かせる不屈の息吹」を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。侵略者の脅威、経済の停滞……。国難ともいえる危機と苦難を敢然と乗り越えてきたイギリスに脈打つ「不屈の精神」に光を当てたこのエッセーを、今、家族を守り、友を励まし、社会を支えるために奮闘する方々に贈りたい。
 
 大空へ
  嵐にめげず
    みどり樹の
   伸びゆく姿
     われは待ち見む
  
 ロンドンは北緯五十一度。北海道よりも、さらに高い緯度に位置します。
 冬は日の暮れるのも早く、冬至の頃には午後四時前に日没を迎えるといいます。春本番の訪れも五月になります。
 長く厳しい冬を越えた分、陽光はまばゆく、緑は冴え、生きとし生けるものが躍動します。世界でも、最も輝きわたる季節の一つではないでしょうか。
 「三月の風と/四月の雨が/五月の花を/連れてくる」――これは、イギリスの伝承童謡「マザー・グース」の有名な一節です。
 この「五月の花」すなわち「メイフラワー」として皆に親しまれているのが、サンザシです。
 イギリスを代表する花であり、花言葉は「希望」です。
 逆境を朗らかに耐え、試練の風雨さえ、はつらつと魂の糧にし、時を待ち、時を創り、やがて「希望」の花を咲き薫らせていく。イギリスには、そうした不屈にして快活な友がたくさんいます。

挑戦への応戦
 〈池田先生を5月のロンドンに招いたのは、トインビー博士である。語らいは1972年と73年の5月、ロンドンの博士の自宅で行われた。先生は博士とベロニカ夫人の足跡に言及するとともに、対談を陰で支えた友の勝利劇を紹介。女性たちの「太陽の心」には、悲哀を希望に転じゆく力があると訴えた〉
  
 共々に
  いざや此の世の
       華の旅
  
 大著『歴史の研究』をはじめ、独創的な文明史観の地平を開拓し、平和と人道の信念の言論を貫いたトインビー博士は、幾多の圧迫に晒されました。最愛のご子息を不慮の死で失われてもいます。
 しかし、さまざまな困難からの「挑戦」に対する「応戦」にこそ、人間の前進があるという歴史観に立つ博士は、自ら“苦悩からも、必ず何かをつかみとってみせる”という信条で生き抜いてこられました。
 その博士を、夫人も同じ心で厳然と支え抜きました。だからこそ、博士は「かくも親しき伴侶を持てる者にとって、追放も追放とはならない。妻の愛情があるところ、いたるところが祖国である」と言い切ることができたのでしょう。
 新たな道を開きゆく人生には、それだけ大きな苦難も待ち構えています。その一つ一つを、共に励まし、共々に越えゆくなかで、家族の愛情と信頼は、最も深く強く尊く、生きる喜びの花また華を咲かせてくれるのではないでしょうか。

 トインビー博士との対談を、毎日、真剣に支えてくれた友人たちがいます。対話が終わると、その日のうちにテープを再生し、タイプライターで打って、まとめてくれたのです。この陰の労作業なくして、博士との語らいが対談集に仕上がることはありませんでした。
 演劇の仕事に携わっていた一人の女性は、全力でタイプを打ち上げると、それから仕事場である劇場に駆けつけていきました。この一日一日を青春の宝の歴史として、喜び勇んで若い力を発揮してくれたのです。
 彼女は、その後、当時はまだ男性中心で仕切られていた演劇界でステージマネジャーの一人となりました。
  
 イギリスが誇るシェークスピア劇の一節には、「これからはどんな苦しみも耐え抜こう、苦しみのほうで『もうまいった』と悲鳴をあげて息絶えるまで」とあります。
 彼女は、シングルマザーとして、必死に仕事と子育てに励み、地域貢献にも積極果敢に取り組みました。それは、経済問題など言い知れぬ不安との戦いでもありました。
 しかし、「困難を人のせいにしない」「愚痴を言わない」「自信を持つ」と心に決め、すべてを自らの「人間革命」の劇としてきたのです。最高峰の音楽演劇学校の運営役員、大学の演劇学部の理事も歴任し、多くの青年たちを育成していきました。
  
 陰の大功労者であった一人の女性の勝利劇が、私も妻も、何より嬉しく、感謝と敬愛の大喝采を送っています。
 すでに十八世紀に、イギリスの女性人権運動の先覚者メアリ・ウルストンクラフトは、女性は太陽であると訴えました。女性たちの「太陽の心」は、人生劇場にあっても、現実社会という劇場にあっても、暗を明に変え、苦しみを楽しみに変え、悲哀を希望に、そして分断を和楽に転じゆく力に満ちています。

今日より明日へ
 〈池田先生は最後に、世界の歴史を動かし、時代の流れを見つめてきたロンドンの歩みなどに触れつつ、慈悲と勇気の心で悔いなき人生をと呼び掛けた〉
  
 歴史上、征服や大火など数知れぬ苦難を乗り越えながら、独立心を燃え上がらせ、人間の権利と尊厳を強く求めてきたのが、ロンドンの人々です。
  
 第二次世界大戦下、ナチスの猛爆撃にも断じて怯みませんでした。あのテムズ川が、いつも静かに豊かに水を湛えて、悠然と流れるように、ロンドンの街と人々は、いかなる艱難にも絶対に負けずに、前へ前へ進み抜いていくのです。

 私が多くのイギリスの友と出会いを結んだタプロー・コート総合文化センターは、もともとロンドンでの最初のオリンピック(一九〇八年)の成功に尽くしたデスボロー卿の館でした。数多の文化人が訪れたことでも知られています。
 その一人の劇作家オスカー・ワイルドは綴っていました。「人生というものは慈悲の心なしには理解できない、深い慈悲の心なしには生きていけない」
 昨日よりは今日、今日よりは明日と、一歩一歩、自分らしく、人のため、後輩たちのために行動する。その努力の足跡が、悔いなき人生を輝かせます。
 だからこそ「今」を戦い、「今日」を全力で生きたいものです。慈悲の心、勇気の心を燃え立たせて!
  
 負けるなと
  天の声あり
     君の旅
  
(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第1巻所収)


【聖教ニュース】

◆〈危機の時代を生きる〉新型コロナウイルスの克服へ 同志社大学 渡辺武達名誉教授に聞く

 新型コロナウイルスの感染拡大が続く中、ネット上でデマやうわさが広がり、商品の買い占めや差別など2次被害が生じた。交流サイト(SNS)の登場でデータの拡散力が飛躍的に高まった結果、「情報パンデミック(世界的大爆発)」という新たな現象が世界を翻弄(ほんろう)している。情報パンデミックの特徴や情報を正しく読み解くためのメディア・リテラシーの重要性について、メディア論が専門の渡辺武達・同志社大学名誉教授に語ってもらった。(聞き手=光澤昭義記者)

新型コロナウイルス感染拡大の2次被害――世界を翻弄する情報パンデミック(大爆発)

 ――2月下旬、「トイレットペーパーが不足する」とのうわさが広がり、買い占め騒動が起きました。世界各地でも同じ現象が起きています。うわさや誤情報が事実と信じられる背景には、どのような要因があるのでしょうか。

 大別して、二つの要因が考えられます。一つは、マスメディアが真偽を確認する前に広がっていくこと。もう一つは、自身で確認する手法がないことから、不安になり、誰かに伝えたくなることです。とりわけ、人は情報の内容を吟味(ぎんみ)する際、自分のメリットになるかどうかに判断基準を置く傾向が強い。
 新型コロナウイルスの感染拡大について、SNSでは、例えば「ニューヨークの医療関係者によると……」「中国・武漢の研究者によると……」との“まことしやかな”情報が広がりましたが、危ういといえます。結論的には鵜?(うのみ)みにしないことですが、簡単ではありません。間接的な情報を友人から得ると、「友人だからこそ、公式な発表ではない貴重な情報を教えてくれた」と信じ、転送してしまうからです。
 ――「新型コロナウイルス対策で有効なのは……」という情報もよく見ました。SNSを通じ、デマ情報が一気に広がる現象について「情報パンデミック」という新語が生まれています。
 「パンデミック」は、感染症・伝染病の世界的な大流行を意味します。
 狭い地域に限定された疫病である「エンデミック」、これまで感染が見られなかった地域・集団に遺伝子の一部を変えながら広がる「エピデミック」に対し、パンデミックは世界中にほぼ同時的に発生します。
 ネット上では、情報がかつてないスピードで国境を越えています。その状況を感染症の拡大に重ねて造られた言葉が、情報パンデミックでしょう。
 情報パンデミックの現象に善悪の価値はありません。悪い印象が先行しているのは、情報が急に拡散することで、信頼できる情報へのアクセスを困難にする状況が生まれるからです。
 この現象は、世界規模の“井戸端会議”に例えると、分かり易いのではないでしょうか。思うことをしゃべって、意見交換するのが井戸端会議です。情報の真偽は、毎日会う人と話しながら確認していく。しかし、SNS上では、情報がいったん流れると、それを発信した人に会って真偽を確かめることができません。井戸端会議の負の側面が最も強く表れているのが、情報パンデミックといえます。
 問題は、誰かが知り得た情報を正しいかどうかに関係なく、直感的に信じて流してしまうこと。それがSNSを通じ、急激に広がっているのが現在です。

中国人や医療関係者に広がる不当な差別

 ――差別の被害が深刻です。全国的な人気を誇ったコメディアン・志村けんさんが新型コロナウイルスに感染し、先月29日、亡くなりました。その時、「中国人に殺された」などと、憎悪(ぞうお)を煽(あお)るツイートがネット上にあふれました。
 中国の武漢(ぶかん)で最初の感染爆発が起きたことは事実ですが、だからといって、中国人を差別することは本来、あってはなりません。
 合理的ではない判断をする人が社会にいるということです。とりわけ、ネット上には日常生活で接触したことのない人からの極端な考えや言説に出合う機会が多く、十分に注意したい。
 米国では、中国人への暴行事件さえ起きています。多民族・多言語で、貧富の格差が大きい米国では暴力事件が起きやすいといえます。それに比べると、日本では、公の場でのヘイトクライム(憎悪犯罪)は起きにくいと考えられますが、差別はどこにも潜在的に存在します。社会の暗部です。匿名(とくめい)の憎悪表現がネット上に見られるのは、その表れといえます。

デマに惑わされず、冷静な対処を
 ――医療従事者が感染したり、院内感染が相次いでいることに対し、ネット上で医療従事者への心ない書き込み、誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)が見受けられます。不条理な被害は家族に及び、近隣の住民から遠ざけられたり、保育所から子どもの預(あず)かりを拒否される実態があります。
 私たちの命を守るために、今、最も大変な医療現場の最前線で戦っている方々やその家族を差別するのは、もってのほかです。不確かな情報や誤解(ごかい)に基づく差別、偏見(へんけん)、いじめなどは人権侵害そのものです。
 「なぜ、差別が起きるのか」「社会はどんな差別を抱えているのか」という意味や実態を理解しようと心掛け、デマに惑わされず、冷静に対処しなければなりません。正しい知識に基づいて行動することが大切です。
 その上で、医療現場で感染が広がらないために、どうすればいいかについて、社会全体で考えていく必要があります。

 ――欧米の社会では、医療従事者に感謝を伝える取り組みが広がっています。
 一般の人々が決まった時間に、アパートのベランダなどに出て拍手しています。日本各地でも同様の動きが見られ始めました。拍手によって状況が好転するわけではありませんが、素晴らしいことだと思います。

 ――新型コロナウイルス関連の報道を通じて、新聞やテレビなど既存のメディアには、どのような印象をもちますか。

 既存のメディアは、多くの読者・視聴者を獲得しようと、派手な手法で、センセーショナルに訴える面があります。意図的に虚偽の情報を流すことはないのですが、曖昧な情報を断定的に伝えることは、よくあります。
 新型コロナウイルスの関連報道では“奇妙な、不可解な感染症が流行している”と、恐怖感や不安を煽(あお)りました。
 もちろん、感染拡大に対して警戒し、きちんと備えなければなりませんが、個々人が冷静な判断力で対処できるよう、正確な情報、医学・科学的な解説、情報の事実確認などを読者・視聴者に提供するべきです。
 現在、市民の暮らしや家計、中小企業の経営が危機に直面しています。経済問題について「社会や生活を、どう立て直すか」という視点から情報が交換されるように、既存のメディアが貢献してほしいと願っています。

メディア・リテラシー(情報を読み解く能力)の向上へ――信頼できる仲間との対話が重要 
 ――SNSが広がった情報社会において、一人一人が正しい情報を得るには、どうすればいいのでしょうか。
 SNSには批判が多い一方、SNSは既に世界中の大多数の人々に使われています。個人間の情報のやりとりだけでなく、専門家の調査にも役立っている。今では、ネットやSNSなしに、グローバルなネットワークも、個人間のコミュニケーションも成立しえません。グローバルな経済活動にアクセスするにも、ネット利用なしには考えられないのです。
 しかし、一般の人々が情報を読み解く能力、すなわちメディア・リテラシーは、それに追い付いていないという現状です。
 正しい情報を得るには、日常生活の中で、情報の信用度について話し合う、信頼できる友人や仲間がいるかどうか――。今一度、情報のつくり方を「人対人」の関係から捉え直していく必要があるでしょう。そうした仲間を増やしていくこと、あるいは創価学会のように、信頼できる仲間や多様な専門家のいる団体・組織が重要です。

 ――社会として、どう取り組むことができますか。

 利益やビジネスにつながる情報が極端に重視される情報社会の構造を変えていかなければなりません。長期的には、メディア・リテラシーの教育を一層充実させるべきです。メディアの専門家だけでなく、社会の団体・組織がグローバルな課題として向き合うことが求められます。?

プロフィル
 わたなべ・たけさと
 1944年、愛知県生まれ。同志社大学教授、同大学メディア・コミュニケーション研究センター代表、ハーバード大学客員研究員などを歴任。著書に『メディア・リテラシー――情報を正しく読み解くための知恵』『メディアと情報は誰のものか』『市民社会と情報変革』、編著に『メディア用語基本事典』など。
   ●ご感想をお寄せください  kansou@seikyo-np.jp  ファクス 03-5360-9613


◆第3代会長就任60周年記念「師弟凱歌の記憶」 第3回「大阪の戦い」の金字塔



池田先生が1983年3月18日にしたためた「勇戦」の書


池田先生が1983年3月18日にしたためた「勇戦」の書

 威風堂々たる「勇戦」の書。縦1・7メートル。日付は「3月18日」。1983年(昭和58年)のこの日、関西文化会館で揮毫された。
 この年から27年前の「大阪の戦い」で、先生は、「勇戦」の書を同志に書き贈っていた。それを長らく保管していた同志が真心を込め、“お返ししたい”と申し出た。“その代わりに”と、池田先生が改めて筆を振るったのが、この「勇戦」の書である。
 “これからも、共に勇気を奮い起こして戦い勝とう”――師弟の闘魂が脈打つこの二字に触れると、どんな嵐をも、必ず勝ち越えようとの決意が燃え上がる。

戸田先生も出席した大阪・堺2支部連合総会で登壇する池田先生。2万人の同志は雨が降りしきる中、拍手し、歌い、涙し、決意した。「大阪の戦い」は常勝関西の原点である(1956年4月8日、当時の大阪球場で)

戸田先生も出席した大阪・堺2支部連合総会で登壇する池田先生。2万人の同志は雨が降りしきる中、拍手し、歌い、涙し、決意した。「大阪の戦い」は常勝関西の原点である(1956年4月8日、当時の大阪球場で)

 「大阪の戦い」――それは、56年(同31年)の年頭、池田先生が大阪を訪れ、勢いよく始まった。
 学会はこの頃、約30万世帯。恩師の悲願であった75万世帯の弘教を成就するには、関西に民衆の大連帯を築かねばならなかった。
 青年部の室長だった池田先生は前年10月、戸田先生から大阪派遣を命じられた。師の心を誰よりも知る弟子は、広布開拓の活路を開こうと、覚悟を決めた。「私の使命はただ一つ。この関西に、難攻不落の錦州城を築くことであった。そのために、私は全生命をなげうって、断じて勝ってみせるとの決心であった」
 大車輪の戦いが始まった。
 焦点は、強盛な祈りを根本に、徹底して信心の闘士を育てることだった。
 毎朝、関西本部で御書講義を行い、仏法の確信を烈々と語った。夜まで1軒1軒、駆け巡った。「行く先々で『まだ、時間がある』『まだ、励ませる』と動くうち、日に25、6会場を回ったこともある」と池田先生は述懐。
 誰もが口々に、“あんなに楽しかった戦いはない”と振り返った。

力強く「勇戦」と大書する池田先生(1983年3月18日、大阪市の関西文化会館で)

力強く「勇戦」と大書する池田先生(1983年3月18日、大阪市の関西文化会館で)

 池田先生は時間を惜しんで、はがきや手紙にペンを走らせた。「一念に億劫の辛労」を尽くして祈り、会えない友とも心を結んだ。
 「立ち止まることもできず、手を振り、目で挨拶を交わしながら、心で題目を送った時もある。
 たとえ一瞬でも、心が触れ合えば、『仏縁』を結ぶことができる。ただ通り過ぎてしまえば、何も価値は生まれない」
 大阪支部は3月、広布の歴史で初となる“一支部で5000世帯以上”の弘教を達成する。
 魔も蠢動した。新聞が「暴力宗教」等と書き立てた。
 池田先生は、いよいよ勇み立った。“「三障四魔紛然として競い起る」だ。学会が正しい証明だ”
 迎えた5月、圧巻の金字塔となる1万1111世帯の弘教を成就したのである。
 そして、師弟の無限の力を証明し、「“まさか”が実現」と世間をあっと言わせた、参院選の大阪での大勝利。偉大なる歴史を今、世界中の同志が、小説『人間革命』第10巻を通して学ぶ。
 常勝の「カンサイ・スピリット(関西魂)」は、世界のあの地この地で、試練に立ち向かう友の心に「勇戦」の炎をともしている。?


【特集記事・信仰体験など】

◆〈オンライン座談会 皆が前進!皆が人材!〉21 「今、自分にできること」を全力で――師子吼の題目が仏の智慧と力に 10万円一律給付に絡む 悪質な詐欺に注意
〈出席者〉
原田会長
長谷川理事長
永石婦人部長
西方男子部長
大串女子部長

 原田 新型コロナウイルス感染症の世界的流行(パンデミック)という危機に直面する中、池田先生は「大白蓮華」5月号の講義「世界を照らす太陽の仏法」の中で、たとえ一時的に直接会ったり、集い合うことが困難でも、「異体同心の励ましと和合のスクラムは、断ち切られません。祈りで結ばれた結合は、金剛不壊です。『題目を唱え奉る音は十方世界にとずかずと云う所なし』(御書8
08ページ)です」と呼び掛けてくださっています。この指導の通り、日本中、世界中の同志が感染の一日も早い終息を祈り、「自分にできること」に全力を挙げて取り組んでいます。

 永石 ある方は今、先生の対談集を懸命に学んでいます。勤行・唱題をした後、御書と小説『新・人間革命』を1時間かけて読み、一日を出発される方もいます。「御書を拝していると、勇気と決意が湧いてきます。『新・人間革命』を読むと、広宣流布に戦う池田先生と、いつも一緒にいる自分を感じます」と語られていました。心から感動しました。

 長谷川 自宅でファミリー座談会を開催している方も大勢います。学会のホームページ「SOKAnet」で、5月6日まで配信されている「御書講義」を家族で視聴し、ファミリー御書学習会を開いている方もいます。

 永石 先生の会長ご就任60周年の「5・3」を目指し、電話やメールを活用して、「夫婦で6部の聖教拡大を達成しました」と元気に報告をしてくださった70代のご夫妻もいます。

 原田 先生は20日付の「随筆」で、生命尊厳の哲理を掲げ、「立正安国」の挑戦を続ける学会の使命を訴えられ、「自他共の生命から、限りなく仏の智慧と力を呼び出しながら、何としても眼前の色心の留難を止めていきたい」とつづられました。私たちは、師子吼の題目を唱えながら、勇気をもって、この難局を乗り越えていきましょう。

人との接触減らす
 永石 大型連休に当たり、感染拡大を防ぐために「人との接触を8割減らす」ことが重ねて強調されています。政府の専門家会議は先日、そのための「10のポイント」を発表しました。

 大串 確認しますと、「①実家などへの帰省を避け、ビデオ通話等による“オンライン”で帰省をする」「②スーパーでの買い物は、1人または少人数で、すいている時間に行う」「③ジョギングは少人数で行い、公園はすいた時間・場所を選ぶ」です。

 西方 さらに、「④急ぎでない買い物は、通信販売で行う」「⑤飲み会はオンラインで行う」「⑥診療はオンライン等による遠隔診療で受ける」「⑦筋トレやヨガは自宅で動画を活用して行う」と続きます。

 大串 そして、「⑧飲食は持ち帰りや宅配も利用する」「⑨仕事は在宅勤務で行い、通勤は医療・インフラ・物流など社会機能維持のための業種に限る」「⑩会話はマスクを着けて行う」と訴えられています。

公明の生活支援策
 長谷川 一層厳しい感染拡大の状況を踏まえ、公明党は生活支援のため、一人当たり10万円の一律給付を強く主張し、政府は20日に閣議決定しました。これについて、朝日新聞の世論調査によれば、「大いに」の18%と「ある程度」の59%を合わせた77%の人が「評価する」と答えています。窮地を乗り越えるため、公明党には「希望の灯台」となって、さらに頑張ってもらいたい。

 西方 一律給付の「手続き」は、「郵送」で届けられた書類に振込口座等を記入して送り返すか、「インターネット」で入力して、市区町村に申請する形となります。5月のできる限り早い時期のスタートを目指しています。
 長谷川 緊急経済対策では、自粛などの影響で、売り上げが半減した中小企業に200万円、個人事業主に100万円(いずれも上限)の給付を行うことになってもいます。これも、公明党の提言を踏まえ、盛り込まれたものです。

 大串 さらに、子育て世帯の支援として、「児童手当」についても、子ども一人当たり1万円が増額される予定です。

 西方 また、公明党の提案により、厚労省は「(感染した人の)宿泊施設に適切な数のパルスオキシメーターを備えつけ」ることを示しました。同メーターは、指先に挟むように装着することで、採血せずに動脈に含まれる酸素の量を測定するものです。今回のウイルスは、感染早期の段階で比較的に症状が軽くても、突然、病状が急変する傾向があります。同メーターによって、その兆候を素早く察知できるのです。

 大串 今、テレビ等でも報道されていますね。東京では都議会公明党が知事に配備を訴え、2020年度の補正予算案に必要経費が計上されました。
 西方 こうした中、10万円の一律給付に絡む「詐欺」が発生しています。給付金の手続きをかたった不審なメールが送り付けられ、メールの指示に従うと、口座番号や暗証番号を聞き出されてしまう危険があります。

 原田 総務省は明確に、「国や市区町村が、個人のパソコンや携帯電話にメールを送ることはなく、電話で口座番号や暗証番号を問い合わせることもない」と述べています。どうか厳重に注意してください。

 永石 詐欺電話も相次いでいて、警視庁も注意を呼び掛けています。見知らぬ人の訪問や電話は「相手にしない」「一人で話を聞いたり、その場ですぐに対応せず、家族らと一緒に話を聞く」――こうした予防策を改めて確認しておきたいと思います。

 長谷川 緊急事態宣言に伴い、聖教新聞社では現在、購読料の支払いについて、「クレジットカード決済」や「口座振替」を推奨していますが、これを悪用して、不審者が「銀行引き落としに変更するため、口座番号を教えてください」と言って訪問するという事例も発生しています。組織や聖教新聞社の人間が、口座番号等を聞き回ることはありません。くれぐれも、だまされないでください。

 原田 外出を自粛し、多くの人が家にいる中、特に狙われているのが、ご高齢の方々です。皆で声を掛け合い、無事故を期していきましょう。

◆〈戸田記念国際平和研究所の取り組み〉④先端技術と平和及び安全保障  河合主任研究員               
 「先端技術と平和及び安全保障」研究プログラムは、河合公明主任研究員が担当しています。
 
 新型コロナウイルス感染症の問題は、「安全保障」とは何かについて深く考える機会を提供しています。そこで浮き彫りになっているのは、国家や国民にとって必要なのは、生命を守ることであり、安心であり幸福ということです。つまり、安全保障の問題を軍事や兵器の問題と同一視する思考そのものが問われなければいけません。新たな軍事技術について考える場合にも、この視点が必要です。
 歴史を振り返れば、科学技術の発展は、人々の生活を変え社会を変えてきました。軍事の分野においても、それは、兵器の破壊能力(例えば核兵器)、投射能力(例えばミサイル)、運搬能力(例えば航空機や艦船)の飛躍的な拡大につながり、軍事戦略に多大な変化をもたらしました。
 今日では、特に先端技術の一つである人工知能(AI)の急速な発展により、情報収集と分析の能力が著しく向上することで、兵器の運用能力は劇的な拡大を遂げつつあります。この点に関連して国際社会では、「殺人ロボット」とも呼ばれる自律型致死兵器システム(LAWS)やその他の自動化兵器の脅威を巡る議論が起きています。電脳空間(サイバースペース)も新たな紛争の領域となっています。
 先端技術を用いた新たな兵器を巡っては、法的には、その開発や使用と、国際人道法や国際人権法との関係が問われます。軍事的には、攻撃精度の向上が武力行使の閾値(武力行使を判断する境界線)を下げるのではないか、新たな軍拡競争につながるのではないか等の懸念も生じるでしょう。さらに倫理的には、例えばLAWSにおける議論に見られるように、敵を判別する演算手順(アルゴリズム)に基づき、人間の介在なしに機械が標的を選択し、攻撃することの当否等が問題となっています。
 
科学技術、軍事、人間社会を踏まえ考察
 一方で、先端技術は、しばしば軍事と民生の両側面(デュアル・ユース)を有します。そのため、技術の平和利用と軍事利用の関係をどのように考え、区別するのかという難しい問題もあります。
 以上のような論点は、国の安全保障やそれを確保するための政策形成に大きな影響を与えます。加えて、先端技術と安全保障の間の相互作用は複雑で不確実です。こうした相互作用を考える際には、科学技術、軍事、そして人々が生きる社会という三つの要素を考慮する必要があります。こうした視点に立った一層の議論が重要です。
 日本国内でも昨年7月、「安全保障と先端技術プラットフォーム」(PSET)が設立されました(ウェブサイト=https://www.pset.jp)。これには、日本パグウォッシュ会議「ロボット兵器問題研究会」、長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)の「先端技術と核リスク」研究グループ、明治大学「市民社会と科学技術政策研究所」(POLARIS)の「軍民両用・融合技術研究ユニット」と並び、戸田記念国際平和研究所も創設メンバーとして参加しています。
 このプラットフォームは、共通課題について自由に情報や意見の交換を行い、建設的な政策対話を通じて、責任あるイノベーションと政策立案に貢献するとともに、信頼性のある情報源たることを目的としています。PSETは特定の先端技術について特定の立場をとることはなく、安全保障と先端技術に関して、「自由で立場や対立を超えた対話」の場の提供を目指すものです。
 こうした研究ネットワークにおいても議論を重ねながら、本研究プログラムを通じて、21世紀における新しい安全保障の概念を生み出し、証拠に基づく政策形成に貢献できるよう努めてまいります。(戸田記念国際平和研究所常務理事 本多正紀)

◆〈歴史紀行――ドイツの過去と今〉下 ナチ党大会の都市 ニュルンベルク

ナチ党大会のために造られた大会議堂。現在は資料センター「ドク・ツェントルム」として負の歴史を伝えている

ナチ党大会のために造られた大会議堂。現在は資料センター「ドク・ツェントルム」として負の歴史を伝えている

 戦後75周年特集「歴史紀行――ドイツの過去と今」〈下〉では、ナチスが党大会を開き、戦後、戦争犯罪を裁く国際軍事裁判が行われた都市ニュルンベルク、また反ナチスの「白バラ抵抗運動」について取材した内容をもとに、戦間期の教訓について考えます。

第三帝国の“聖地”として
 かつて神聖ローマ帝国の皇帝が城を構えた、ドイツを代表する古都ニュルンベルク。ナチスは1933年から38年の5年間、ここで党大会を開き、プロパガンダ(政治的宣伝)のための集会や軍事パレードを催した。
 党大会のために造られた大会議堂は今、資料センター「ドク・ツェントルム」になっている。常設展「魅惑と恐怖」では、ナチスがどのように権力を掌握し、大衆を扇動していったのか、そして党大会の模様とその後の惨劇について、詳細に説明されていた。
 ヒトラーは自らの支配体制を、神聖ローマ帝国(962~1806年)、ドイツ帝国(1871~1918年)に続く、「第三帝国」と称した。神聖ローマ帝国の帝国議会が開かれていたニュルンベルクを、ヒトラーは「帝国党大会の都市」と宣言した。
 ユダヤ人から市民権を奪った、あの悪名高い「ニュルンベルク法」も、35年の党大会期間中に、ニュルンベルクに特別召集された国会で制定された。
 常設展は、党大会から第2次世界大戦、ホロコーストへと続くナチスの蛮行について説明した後、平和と人道に対する罪が裁かれた「ニュルンベルク裁判」に関する展示・映像で幕を閉じる。
 映像には、裁判の様子とともに強制収容所での記録も映されていた。いずれガス室で殺される、いたいけな少年たちの姿に、胸がえぐられた。
 アウシュビッツ強制収容所では、同時に2000人を殺害するガス室が四つあったという。働けない高齢者、母と子も、次々と入れられた。阿鼻叫喚は10分から20分で静まり、同じ囚人の手で死体焼却所へ運ばれる。ユダヤ人を計画的に、いかに効率よく絶滅させるかを目指したホロコーストは、600万もの尊い命をあまりにも残酷に奪った。人類が犯した最大の罪の一つであり、人間生命の魔性の極致であることは間違いない。
 資料センターを後にし、ニュルンベルク・フュルト裁判所に向かった。通常の裁判がない日は、あの国際軍事裁判が行われた「600号陪審法廷」に入れる。
 1945年11月に始まり、ナチ党のナンバー2だったヘルマン・ゲーリングをはじ22人の戦犯がここで裁かれた。ナチスの罪と徹底して対決してきた戦後ドイツはここから始まったのだろうか。
 「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」――統一ドイツのヴァイツゼッカー初代大統領が敗戦40周年の演説で述べた言葉を、法廷を見学し思い起こした。
 SGI会長の池田大作先生は同大統領と91年6月に会見した際、長編詩を贈ってたたえている。
 「己が民族の古傷をあえて直視し/切々と訴える平和への固い決意」
 「その共感の波動は万波とうねり/国の内から外へと/民衆の心を浸していった」

反ユダヤ主義との戦い

 今年の1月23日、アウシュビッツ強制収容所の解放75周年を前にエルサレムのホロコースト記念館で行われた追悼式典で、シュタインマイヤー独大統領はこう述べた。
 「邪悪な精神は、人々を欺く新たな装いで出現しています。反ユダヤ主義、人種差別、権威主義といった思想が、未来への答え、現代の諸問題への新たな解決策であると提示しているのです。私たちドイツ人が歴史からきっちり学んだと言いたいですが、憎しみが広がる中で、そう言うことはできません」
 続いて、ユダヤ人の子どもたちが校庭でつばをはきかけられた事件や、ユダヤ人礼拝所の襲撃未遂事件について触れ、断固たる決意を世界に披歴した。
 「歴史的責任を果たさなければ、ドイツはドイツであることができません。私たちは反ユダヤ主義と戦います! 国家主義という害毒に抵抗します!」
 在独30年のジャーナリスト・熊谷徹氏は、「この演説は、民主主義を守るには過去を記憶するだけではなく、積極的に悪と戦う必要があるという『戦闘宣言』である」と、著書『欧州分裂クライシス』(NHK出版新書)で説明する。
 熊谷氏はドイツでの極右思想の広がりが、ソーシャルメディアの普及によって国粋的なメッセージが氾濫し、これまでは排外主義を心に秘めていた少数派の市民の、精神的な歯止めが利かなくなってきていることによると分析する。
 右派ポピュリズム政党「ドイツのための選択肢(AfD)」は、極右団体には指定されていないが、ナチスの罪を矮小化する党幹部もいるため警戒されている。同党は2015年の難民危機をきっかけに反政権票をとりまとめ、連邦議会で第3党に躍進した。
 ミュンヘン大学のホルスト・メラー名誉教授は取材に対して、「(裏を返せば)85%の人がAfDを支持しなかったということになります。1932年と33年の総選挙において、ナチ党と共産党という極右・極左政党が5割以上を得票した戦間期の状況とは全く違います」としながら、次のように述べた。
 「現在と戦間期のポピュリズム政党に共通するのは、自分たちこそ人民の味方であり、既存の政党が国民を代表していないと訴え、政治・経済・社会の全ての問題の責任を押し付け、スケープゴート(いけにえ)として激しく攻撃する点です。そうした批判は決して建設的ではなく、むしろ破壊的です。敵か味方かを単純に分ける『友/敵』思考は、戦間期に極端化しましたが、現在の世界でも、その傾向が強まっています。ドイツにおいてもそうです」

戦間期の教訓を今こそ
 ミュンヘン大学に赴いた際、同大学の学生が中心となった反ナチスの「白バラ抵抗運動」の記念館を訪れた。正門に入ると真正面に記念の展示室がある。犠牲となった学生たちの慰霊碑には、白いバラがたむけられていた。
 学生たちは命を懸けてナチスの悪を糾弾するビラを配った。抵抗運動の中心者として処刑されたハンス・ショルとゾフィー・ショルの兄妹の生涯は、数々の書籍や映画となり、ドイツの良心として語り継がれている。多くの学校が「ショル兄妹」の名を冠しているという。
 創価大学創立者の池田先生はかつて学生へのスピーチの中で、この「白バラ抵抗運動」について語った。
 「学生たちは権力の魔性に殺された。しかし、歴史は今、彼らの凱歌を高らかに奏でている。最後には必ず正義が勝つ」
 そして、軍国主義と戦い獄死した創価教育の父・牧口常三郎先生の言葉を贈っている。
 「物事にまちがっていなければ頭を下げてはいけない。悪に対して負けてはいけない」
 21歳の女学生だったゾフィーは、処刑の前日、自らの起訴状の裏側に一言、こう記した。
 「Freiheit」――自由、と。
 自由と民主主義は、決して所与のものではない。権力の魔性との間断なき戦いを通して、勝ち取らなければならない。「ごく少数」の悲劇への無関心が、人間生命の魔性を跋扈させ、知らぬ間に自らの自由を?奪する。
 戦後75年を経て、世界は再び、分断の時代を迎えようとしている。「友/敵」思考に陥りやすい人間精神の脆弱性を直視し、「連帯は善」「分断は悪」との生命の連関性に根ざした合意形成への努力が、いやまして求められているのではないか。
 未曽有の危機に直面する今こそ、戦間期の教訓は生かされねばならない。

ミュンヘン大学内にある「白バラ抵抗運動」記念館に、犠牲になった学生たちの慰霊碑が


ミュンヘン大学内にある「白バラ抵抗運動」記念館に、犠牲になった学生たちの慰霊碑が

 

2020年4月26日 (日)

2020年4月26日(日)の聖教

2020年4月26日(日)の聖教

◆わが友に贈る

 家で過ごす大型連休。
 親戚や旧友らと連絡を。
 直接会えなくても
 声を掛け合うことが
 互いの活力の源泉だ。


◆名字の言 『アンネの日記』を読んだ少女が、日記を付け始めた

 ユダヤ人の少女アンネ・フランクには「キティー」という名前の友がいた。といっても実在した人物ではない。彼女の日記帳の愛称である▼ナチスから逃れるための隠れ家で、アンネは“親愛なるキティー”に宛ててペンを執った。学校に行けず、外でも遊べない。命の危険さえ感じる生活。それでも彼女は日々の小さな出来事を報告し、宝の思い出を重ねる。「良くなるのも悪くなるのも、人の心の持ちようしだいなんです」と、決して明るさを失わなかった(深町眞理子訳)▼夏休みの宿題でしか縁のなかった日記を、都内の少女部員が付け始めた。休校期間中に『アンネの日記』を読んだことがきっかけだという。タイトルは「ありがとう発見記」▼自宅近くで咲いた花に「元気をくれて、ありがとう」。慣れない料理を頑張るパパに、「ありがとう」。家の中で楽しく遊べる工夫をするママに「ありがとう」――少女は“将来の私”に宛てている。「大変な中でも笑顔を忘れなかったよね」と、いつか振り返るために▼希望は与えられるものではなく、自ら創り出すもの。行動の自由は妨げられても、心の翼は自在だ。その力を鍛えるための信仰である。今こそ価値創造の行動を開始して、わが「未来までの物語」をつづりゆこう。(之)


◆寸鉄

「始中終すてずして大難
を・とをす人・如来の使」
御書。弥弥の祈りで前へ
     ◇
長野の日。“負けじ魂”に
燃える不屈の連帯。師弟
有縁の人材山脈は堂々と
     ◇
唱題1時間、研鑽20分、
3人激励―1・2・3運動
に反響。今できる挑戦を
     ◇
外出自粛等で心の相談が
増加―厚労省。地域の絆
更に強く。電話等を使い
     ◇
10万円給付に絡む詐欺に
注意。不審な相手に対し
口座等は絶対に教えるな


◆社説 28日は「立宗の日」  大聖人直結で不屈の前進を

 明後4月28日は「立宗の日」。建長5年(1253年)のこの日、日蓮大聖人は「南無妙法蓮華経」こそが末法の全民衆を救う根本法であることを高らかに宣言された。
 「開目抄」には、立宗を決意される直前の御心境が記されている。
 ――諸宗は、人々を悪道に堕とす正法誹謗の教えを説いており、このことを知っているのは、ただ日蓮一人である。もし、このことを言い出すならば、種々の難が襲ってくるだろう。
 言わなければ、慈悲がないのに等しい。しかし、両者の中では「言う」方をとろう(御書200ページ、趣旨)。
 当時は、打ち続く戦乱や天変地異、疫病の流行などによって、民衆は塗炭の苦しみにあえいでいた。これに対して、既成の仏教諸宗は誤った教えによって、人々を現実から逃避させ、一人の生命に内在する打開の活力を奪ってしまっていた。
 「立宗宣言」とは、いわば民衆の幸福を妨げる魔性との、命懸けの「闘争宣言」でもあったのである。事実、立宗以来、大聖人の御生涯は命に及ぶ迫害の連続であった。
 しかし、大聖人は一歩も退くことなく死身弘法を貫かれた。
 壮絶な精神闘争。それを支えていたのは、「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」(同758ページ)と仰せの通り、“不幸の民衆を断じて救わずにはいられない!”との大慈悲の使命感にほかならない。
 そして大聖人は、弟子に対しても「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(同1360ページ)など、御書の随所で、御自身と同じ決意に立って生き抜くように呼び掛けられている。
 大聖人の民衆救済の大精神は、創価の師弟の不惜身命の闘争によって受け継がれ、その連帯は世界192カ国・地域にまで広がっている。
 大聖人と「同意」の誓願に立つ地涌の同志が、仏法の生命尊厳の思想を自らの行動理念とし、各国・地域に根差して、平和・文化・教育の価値を創造しゆく時代が到来している。
 今、人類は大きな危機に直面している。感染症という“目に見えない敵”との戦いに、不安を感じている人も少なくないだろう。人々が、かつてない難局に立ち向かっていくこの時ほど、民衆に「生きる力」をわき立たせる希望の哲理が求められる時はない。
 私たちは今一度、人類の幸福のために戦い抜かれた大聖人に直結する使命を自覚し、自他共の幸福を実現する誉れの大道を歩んでいきたい。
 そして、未曽有の危難に断じて屈しないとの「闘争宣言」を心に刻み、友の前進の活力となる励ましの薫風を、大きく広げていきたい。


◆きょうの発心 開目抄 愛知・三河本陣県副県長 尾関一弘2020年4月26日

御文 過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ(開目抄、231ページ・編461ページ)
通解 過去の因を知りたいと思うなら、その現在の果を見なさい。未来の果を知りたいと思うなら、その現在の因を見なさい。

誓いを胸に地域に根を張る
 生命の厳しき「因果の理法」を記された一節です。
 私が生まれて間もなく、母は大病を患いました。病苦と経済苦のなか、信心強盛な祖父母に導かれ、母と共に入会しました。
 1974年(昭和49年)、愛知県体育館で第37回本部総会が開催される日、音楽隊として、名古屋市内でパレードを行う予定でした。ところが雨で中止に。池田先生は総会前の時間を割いて、私たち隊員の待機場所へ。演奏を聞き、激励してくださいました。この時「今という時に全力を尽くし、必ず先生にお応えする」と生涯の原点を築くことができました。
 その後、結婚して5人の子宝に恵まれました。地域貢献をしようと決意。町内会長、PTA会長として力を尽くし、子どもたちが通った小学校では、読み聞かせの運動を20年間続けています。
 6年前、ステージ3の前立腺がんに。病に負けじと祈り抜き、寛解。更賜寿命を実感しています。これからも感謝の思いを胸に、師弟不二の信心を貫いていきます。


【先生のメッセージ】


◆「四季の励まし」  「命こそ宝」の思想を世界へ 池田大作  2020年4月26日

 新緑の中、ツツジの花が鮮やかに咲いている。2009年(平成21年)5月、池田大作先生が八王子市の東京牧口記念会館でカメラに収めた。
 開花の陰には、しっかりした枝や幹などがあり、嵐にも揺るがぬ根がある。私たちの生活もまた、陰の人々の不断の努力に支えられている。
 今、新型コロナウイルスの感染が拡大する中、昼夜を分かたず生命を守る現場で闘う医療関係者をはじめ、社会のあらゆる分野で、欠くことのできない尊い使命を担う方々がいる。その一人一人の奮闘と献身に、心からの感謝をささげたい。
 「ツツジ」の語源の一つに「続き咲き木」と。私たちを支え続けてくれる周囲の全てへの感謝を忘れず、健やかな日々を送っていこう。
 
 健康は
 全ての価値創造の礎と
 いってよい。
 肉体的にも精神的にも
 健康であってこそ、
 最高に価値ある人生を
 送っていける。
  
 生老病死は
 人生の根本課題である。
 誰人も、病気との闘いは
 避けられない。
 恐れなく
 病魔に立ち向かう中で、
 わが生命が
 どれほど尊厳であるかに
 目覚めることができる。
 どこまでも妙法と共に
 生き抜かんとする心に、
 永遠の仏の生命を
 感得できるのだ。
  
 自分が“医師”となり、
 “看護師”となって
 賢く健康を守ることだ。
 健康は智慧である。
 賢明な智慧があれば、
 病気を未然に
 防ぐこともできる。
 健康即勝利の
 賢者の一日一日を、
 晴れ晴れと
 送っていきたい。
  
 現実に、
 治療が困難な場合でも、
 限りある「生」を、
 題目を唱え抜き、
 他の人々にも勇気を送り、
 尊き使命の人生を
 生き抜いていく人もいる。
 そうした人生は、
 病気の意味を
 転換することができる。
 これが
 変毒為薬の信心であり、
 真の健康の智慧である。
  
 「健康」「生命」に
 勝る宝はない。
 「命こそ宝」との思想を
 広げていく――
 「健康な地球」も、
 この一点から出発する。
 その意味で、
 医師や看護師の皆さんが
 果たす役割は
 極めて大きい。
 健康も平和も目的は一つ
 ――民衆の苦を
 取り去ることだ。
 人類は、この目的のもとに、
 人種や民族、
 思想や利害を超えて
 団結しなければならない。


【聖教ニュース】

◆「エッセンシャルワーカーの今」――青年部と医学者による第5回オンライン会議から
2020年4月26日

 新型コロナウイルスの感染拡大の状況を踏まえ、青年部と公衆衛生等に詳しい医学者の代表が「エッセンシャルワーカーの今」をテーマに第5回オンライン会議を行った。


大型連休は感染抑止の鍵――賢明に「接触8割減」を
 志賀青年部長 大型連休は、感染拡大を抑止できるか否かの鍵を握っているとされています。
 そこで、現在の感染の状況を正しく認識するとともに、改めて、私たちに求められる行動について確認したいと思います。
 
 菖蒲川新潟大学特任教授 感染者が減っていく兆しが見えない、一進一退の状況といえます。感染から発症、医療機関での受診、患者数の確定までに、平均で2週間のタイムラグがあるとされています。ゆえに“きょうの行動が2週間後の結果を生む”との思いで、行動していくことが大切です。
 3月の3連休(20~22日)を思い出してください。各地で「人の移動」が増え、潜伏期間を経て4月上旬には全国の1日当たりの新規感染者数が3・5倍以上に急増してしまいました。このウイルスは「人の移動」「人との接触」が増加した分だけ蔓延します。ですから「外出自粛」「接触8割減」が強調されているわけです。
 大型連休は、まさに「正念場」といえます。必要最低限の買い物や、気分転換の外出をされる時は、密閉・密集・密接――いわゆる「3密」をとにかく避けてください。一つの「密」でも当てはまれば、感染リスクは高まります。
 政府の専門家会議は22日、この大型連休に向けて、「人との接触を8割減らす、10のポイント」(図を参照)を訴えました。このポイントに基づき、賢明に行動していくことが、自分や大切な人の命を守ることにつながります。

 



出典=厚生労働省ホームページ


出典=厚生労働省ホームページ

体調が悪ければ休む――自分を守る=他者を守る
 西方男子部長 行動自粛が求められる中で、医療従事者や保育、宅配、介護、食料品店の従業員など、人々の健康や生活を守るために「自宅外」で働かざるを得ない方々がいます。英語の「不可欠な」を意味するエッセンシャルと「労働者」を意味するワーカーを組み合わせて「エッセンシャルワーカー」とも呼ばれています。
 聖教電子版で配信中の企画「青年部員と仕事」には「“集団感染を起こすわけにはいかない”と努力を続ける現場のストレスは限界を超えている」と言う障がい者福祉施設に勤めるメンバーや、「感染防止を徹底した状態で出動しますが、感染リスクという見えない恐怖と毎日、闘っています」と言う救急隊員の声が寄せられていました。
 多くの方が「感染への不安」を抱えながらも「使命感」をもって懸命に自宅外で働いてくださっています。
 こうした職業に携わる当事者が感染リスクを減らすために心掛ける点や、周囲がその当事者のためにできることは何でしょうか。
 
 藤原東京医科歯科大学教授 まず「エッセンシャルワーカー」という言葉は、食料、医療、福祉、物流、電気・ガス等のエネルギー、銀行などの職種が挙げられることが多いですが、警備員、ごみ収集や葬儀の業者なども欠かせません。また、文化・芸術も人間らしい生活を送るために不可欠です。状況に応じて範囲が変わる言葉であることを認識しておいたほうがよいでしょう。
 ニュースキャスターの感染によって話題になりましたが、体調を崩した状態で働くことを「プレゼンティーイズム(疾病就業)」といいます。新型コロナウイルスは、熱が上がったり下がったりする事例が報告されており、職場環境が「アプセンティーイズム(病欠)」しづらい場合、感染した状態で出勤するということが起きています。
 一般的に「病欠」よりも「疾病就業」のほうが経済的損失が大きいことが注目されていましたが、エッセンシャルワーカーが「疾病就業」したことで新型コロナウイルスの感染拡大が起きた場合、その損失はとても大きなものとなります。
 日本は長らく、熱があっても休まず働くことが美徳とされる風潮がありましたが、これは最も感染リスクを高める悪習です。
 少しでも熱が出たり体調が悪くなったりしたら、「すぐに職場に相談する」「疑わしきは休む」という価値観の転換が社会全体に求められています。
  
 勝又創価女性医学者会議議長 私自身も医療従事者として、毎朝の検温は欠かしていません。体調管理には特に気を使っています。マスクの着用、「3密」を避ける、部屋の換気、食事前の手洗い・うがい、エレベーターなどのボタンは指の腹では押さず、ひじや指の第2関節を使うなど、基礎的なウイルス対策を徹底しています。またよく寝て、しっかり食べて免疫力を高めることも心掛けています。
  
 庄司創価青年医学者会議議長 「誰もが無症状感染者である」と考えて行動していくことが求められています。特にエッセンシャルワーカーの一人一人が危機意識を持ち、同僚や上司、また周囲にもこの「危機意識」と「正しい情報」と「正しい対処法」を共有していくことが重要だと思います。

「正しい情報」を語ることが「不安・恐れ」を打ち破る
 大串女子部長 改めて、エッセンシャルワーカーの方々への感謝は尽きません。私たちの「ステイホーム(家にいる)」の行動が、そうした方々の感染リスクを減らし、私たちの生活を守ることにも直結していくと確信します。
 一方で、ニュースでは、“医師の子どもというだけで保育所の登園を拒否された”といった偏見や差別が起こっていると報じられています。なぜ偏見や差別が生まれてしまうのか。私たちはどのように、こうした状況を克服していくべきでしょうか。
  
 藤原 人から人に感染するのはウイルスだけではないということです。日本赤十字社が、新型コロナウイルスには「三つの感染症」があると指摘しています。第一の感染症は「病気」。第二の感染症は「不安と恐れ」。そして第三の感染症が「嫌悪・偏見・差別」です(「新型コロナウイルスの3つの顔を知ろう!~負のスパイラルを断ち切るために~」日本赤十字社)。
 感染症の不安の原因は「目に見えない」ことです。ゆえに、人は不安にかられると、まずは特定の対象を「見える敵」とみなして嫌悪の対象とします。そして嫌悪の対象を偏見・差別して遠ざけることで、つかの間の安心感を得ようとするのです。
 特定の人や地域、職業に「危険」というレッテルを貼るから「登園拒否」や「ばい菌扱い」が起こります。この偏見・差別が進むと人々は分断され、自身が差別されることを避けるため感染を隠します。そうすると、もはや誰が感染しているか分からなくなり、第一の感染症である「病気」が拡大するという「負のスパイラル」に陥ります。
 病気は「身」を侵します。そして、不安・恐怖が「心」を侵し、偏見・差別が「思想」までも侵してしまう危険性があります。
 病気自体に立ち向かうためにも、「不安」と向き合うためにも、予防策を徹底して講じることが不可欠です。また、感染の検査体制を整備するなどして、「当面、接触を避けるべき対象」を可視化していくことも急務でしょう。
 思考にはシステム1(直感的思考)と、システム2(論理的思考)の二通りがある――これは行動経済学者のダニエル・カーネマンによって広く知られるようになった理論です。
 この概念に即せば、「感染症は危険だ」という直感によって危機を回避してきたのも、まぎれもない人類の歴史です。しかし、根拠なき直感は、時に偏見や差別を生み出してきました。情報社会を生きる私たちは、「論理的思考」をもって、目に見えない感染症に対峙するべきです。すなわち「正しく恐れる」ことが必要です。
  



新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために奮闘する医療従事者へ感謝の拍手を送るイギリスの人々(AFP=時事)


新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために奮闘する医療従事者へ感謝の拍手を送るイギリスの人々(AFP=時事)

庄司 世間には国民の不安をあおるような、直感的な論調があふれています。こうした根拠なき発言に、知らず知らず惑わされて、偏見・差別の風潮を生んでしまってはなりません。
 不安や恐れは「無知」から生まれます。「病気」には「正しい手洗い・うがい」、「不安」には「正しい知識」、そして「偏見」には「正しい思想」で立ち向かっていきたいと思います。
  
 志賀 社会に不安や恐れが増大し、至る所で「分断」が懸念される今、人と人を結び付ける宗教の役割は、いやまして大きいと感じてなりません。
 改めて、人々に行動変容を促せるのは、「正しい情報」「正しい思想」から生まれる「声の力」であると確信します。
 こういう時だからこそ、私たち青年部は、どこまでも相手の立場を理解する「想像力」を発揮してまいりたい。直接、会えなくても、電話やSNSを駆使して、家族や友人に、「不安の声」ではなく「安心の声」を届け、未曽有の危機に立ち向かう「善の連帯」を広げていこうではありませんか。
【stayhomeプロジェクト】
 創価学会青年部サイトに開設された特設ページはコチラ。
 創価青年医学者会議・青年平和会議のTwitterはコチラ。
 中高生など10代向けに開設されたインスタグラムはコチラ。

【特集記事・信仰体験など】

◆〈未来に輝く知性の宝冠〉 アメリカ モアハウス大学2020年4月26日
 「非暴力の精神」を継承
 師匠の歩んだ道を生き抜き、平和と自由の松明をともす

非暴力の精神を伝えるアメリカ・モアハウス大学から、池田先生に「最高学識者」称号が授与された。キング国際チャペルのカーター所長㊨は「あなたは『師弟の道』に一身をささげながら、私たちを教育し、地球規模の民主主義を強めておられます」と(2000年9月、東京牧口記念会館で)

非暴力の精神を伝えるアメリカ・モアハウス大学から、池田先生に「最高学識者」称号が授与された。キング国際チャペルのカーター所長㊨は「あなたは『師弟の道』に一身をささげながら、私たちを教育し、地球規模の民主主義を強めておられます」と(2000年9月、東京牧口記念会館で)

 モアハウス大学は、アメリカ公民権運動の指導者マーチン・ルーサー・キング博士の母校である。
 「正義の目標にすすむ一歩一歩は、犠牲と苦痛と闘いを――この事業に一身をささげる一人一人の疲れをしらぬ努力と情熱的な関心をもとめている」(雪山慶正訳『自由への大いなる歩み』岩波新書)
 自らの言葉を自らの行動で貫いた博士が銃弾に倒れてから、今月で52年となる。
 同大学は1867年に創立。アフリカ系アメリカ人を中心とする学びやとして発展してきた。博士の遺志を継ぎ、平和と民衆に尽くす人材を輩出し続ける。
 池田先生に、同大学から日本人初の「名誉人文学博士号」が授与されたのは、2002年4月7日。かつて名誉博士号が贈られた中には、キング博士もいる。
 大学内の「キング国際チャペル」での授与式の席上、メイシー学長は教育、文化交流など多分野での先生の功績をたたえ、語った。
 「(池田博士は)この世界を、確実に、そして永続的に変えていける源泉と可能性は、私たち人間一人一人の生命の中にこそ見いだすべきであると訴え、その理解を広めるために人生をささげてこられました」
 「過去135年間にわたり、指導者の育成を第一の使命として追求してきたモアハウス大学と精神を共有しているのであります」
                           ◇ 
 キング博士がモアハウス大学に入学したのは、1944年、15歳の時。“飛び級”での進学だった。
 アメリカでは当時、奴隷制度の崩壊から数十年がたってもなお、公共施設での差別を容認する法律が制定されるなど、人種差別が公然と続いていた。
 白人と黒人の抗争が最も激しかった地域の一つが、博士の故郷であり、同大学が立つジョージア州アトランタであった。
 差別や暴力を目の当たりにした博士。キリスト教徒として、「愛」は、個人と個人の間では有効であっても、人種や民族の対立を解決するには無力であり、より現実的な対抗手段が必要であると考えていた。
 その考えを根底から変えたのが、インド独立の父・ガンジーの闘争を知ったことである。「塩の行進」や「断食」について学んだ博士は、非暴力こそが、自由のために戦う武器であると確信する。
 ガンジーの哲学を徹底的に深めたのはモアハウス大学卒業後だが、そのきっかけは学生時代にあった。博士が「人生に大きな影響を与えてくれた」と語る、ベンジャミン・メイズ第6代学長との交流である。
 メイズ学長は、ガンジーに学んだ最初のアフリカ系アメリカ人の一人。大きな啓発を受けた経験をキャンパスで語り、ガンジーと直接会ったことのない多くの人たちに、非暴力の心を伝えていった。

 学長を務めたのは1940年から67年。キング博士が学び、公民権運動が活発化した激動の時代にあって“人々に知性と精神性を与え、社会に人権と平和を打ち立てる”という大学の使命を、一段と強固にした。
 大学の非暴力の精神が脈打つキング国際チャペルは78年に完成。初代所長に就いたのが、ローレンス・カーター氏である。
 若き日にキング博士と出会いを結び、師と仰いだ所長。暗殺の報に触れた時、“キング博士のために、自分が生きている間に偉大な何かを成し遂げる”と誓ったという。同チャペルで博士とガンジーの理念を未来に継承させゆくことは、その実践の一つにほかならなかった。
 1999年、アメリカSGIの婦人部員を通して、池田先生と日蓮仏法を知る。手渡された先生とトインビー博士の対談集を一気に読み、その後も、先生の著作や平和提言などを学び深めていった。
 先生の社会問題に対する考察が、ガンジーとキング博士の精神に連なるものであり、さらに、二人の哲学を洞察力豊かに進化させたものであることに、所長は感銘を受けた。
 そして、先生をたたえることが、ガンジーとキング博士という“二人の師匠”を宣揚することにもなるとの思いを強くする。
 2000年9月、所長が来日し、モアハウス大学の「最高学識者」称号を先生に授与(八王子市の東京牧口記念会館)。この折、先生と所長はキング博士やメイズ学長の功績などを巡り語り合った。
 さらに01年、所長の尽力のもと、「ガンジー・キング・イケダ――平和建設の遺産」展がキング国際チャペルで開幕した。
 それからも非暴力の魂は共鳴し、さらに輝きを増していった。
                        ◇ 
 01年9月11日、アメリカ同時多発テロが勃発した。名誉人文学博士号の授与式はその7カ月後だった。
 新しい世紀の行く末は、再び戦争と暴力に染まっていくのか――。
 不安に覆われた人々の心に、先生の謝辞の一言一言が響く。代理の池田博正SGI副会長が読み上げた。
 「自己の中に他者の痛み・苦しみへの意識を培うこと――『他者性への自覚』こそが、昨年の『9・11』に象徴される『問答無用のテロリズム』をこの世から駆逐する方途である」「キング博士を、人種間対立を超えた『精神性の高み』へと導いたのは、実に人間の全人格性を開花させる『教育』の力でありました」
 人の痛みを、自分のものとして同苦し、思いをはせていく――先生は、この生命尊厳の思想に裏打ちされた平和と文化と教育の行動を、さらに世界へ広げていった。
 05年、キング国際チャペルは先生を、初の「名誉所長」に迎える。
 3人の非暴力の闘士の思想と行動を紹介する“ガンジー・キング・イケダ展”は、01年以降、キング国際チャペルの主催のもと、アメリカ国内のみならず、世界各地を巡回。ニュージーランドなど各国の国会議事堂でも開催され、大きな反響を呼んできた。
 またカーター所長は、先生から受けた啓発についてつづった著作を、18年に発刊。本年には、その日本語版『牧師が語る仏法の師』が刊行された。
 キング博士の「夢」は、モアハウス大学をはじめ、理想を同じくする人々によって生き続けた。
 創価の人権闘争もまた、三代会長が掲げた「民衆の幸福」と「平和」への松明を受け継ぎ、世界へ未来へ、ともしゆく戦いだ。
 カーター所長の著書が、私たちに呼び掛ける。
 「師匠の理念を根幹とした人生、師匠の歩んだ道を自身も生き抜くということです。それは、自身の人生を意義あるものにするためには何をすべきか、自らつかみ取る挑戦でもあるのです」

キング博士の母校 民衆奉仕のリーダー育む
 1867年に創立された、アフリカ系アメリカ人を中心とするリベラルアーツ(教養)の大学。ジョージア州アトランタのキャンパスで現在、約2200人が学ぶ。
 知性と精神性を人々に与え、差別の根強い社会に「人権」と「平和」を打ち立てることを使命に掲げる。各分野に、アメリカの大学で最多となる黒人の博士号取得者を輩出している。
 卒業生には、キング博士をはじめとする人権活動家のほか、各国大使や大学学長、オリンピックの金メダリストらがいる。

キング国際チャペル カーター所長
 世界中の学術機関がこのように(池田)先生を顕彰しているのは、何よりも先生が一心に恒久平和の構築に献身しておられるからであると私は確信します。そして、著名な学識者はもとより、世界中の「庶民」と会ってこられたそのご尽力が形になったものであります。(中略)
 モアハウス大学は、師弟を重視する伝統をもちます。本学に学んだキング博士にも、高潔さと卓越性の模範であるベンジャミン・E・メイズ学長という優れた師匠がいました。
 若きマーチン・ルーサー・キングは、メイズ博士に導かれ、やがてマハトマ・ガンジーの哲学に、たどり着きました。そのキング博士は人々を指導し、今日においても、非暴力と愛による平和構築の模範として、我々を導き続けているのです。
 この伝統があるゆえに、私たちには、「池田先生が師匠として、理想の模範の姿を示しながら、若い人々を平和の指導者へと育成されている」ことの偉大さが分かるのです。そして私たちは、その先生のご功績をたたえ、2002年にモアハウス大学の「名誉人文学博士号」を授与したのです。先生を顕彰してきた他の著名な学術機関も、その理由は、恐らく私たちと同様であると確信します。


◆〈信仰体験〉3・11 ファインダー 自慢の母ちゃんでいたい  2020年4月26日

 【岩手県釜石市】みんなが自分のそばにいる。そう感じることが、生きる力になった。今年の2月9日、小山チヤ子さん(87)=婦人部員=は座談会に参加した。「よく来たねえ」と温かく迎えてくれた。信心をしてきて本当に良かったと思った。 
 「必ず幸せになる」と言われて、1959年(昭和34年)に信心を始めた。夫の理解は得られず、「出はって行け!(出て行け)」とすごまれた。
 それでも唱題の姿を崩さず、3人の子を育てた。自分はどうあれ、子どもが幸せになればいい。夫が海に投げた御書を取りに行き、大事に使った。
 母の笑顔に何かを感じたのだろう。長女の詩穂子さんが、信心をすると言った。小山さんは、うれしくて仕方なかった。
 それなのに詩穂子さんは、9年前の津波で帰らぬ人となった。当時52歳。孫に「ばあちゃんだけでも生きててよかった」と慰められた。「でも母ちゃんの代わりはできねえよ」と孫の胸に顔をうずめた。
 あの日、詩穂子さんは足の悪い母を案じて仕事場から駆け付けてくれたことを、小山さんは後で知った。
 強く生きると誓ったのに、年月を重ねても涙が止まらない。同志がそばにいてくれた。娘のためにも前を向こう、と頭を上げた。
 懐かしい日がよみがえってきた。
 詩穂子さんが小学2年生の時だった。小山さんが唱題を終えると、背中越しに声がした。
 「母さんは何があっても題目あげてるね」
 大きな瞳が輝いていた。学校に提出した作文でも自慢してくれた。
 小山さんはつらいときほど、題目の人となった。
 「ただの一遍でも唱えれば、勇気出るのが題目だもんね」
 頑張る姿を娘が見てくれている。自慢の母ちゃんでいたかった。
 腹を決めた日にもらった「必ず幸せになる」という言葉。生まれ変わった娘に、題目は必ず届く。娘が必ず幸せになれるんだ。そう信じると、唱題が楽しくなった。
 晴れた日には戸外で聖教新聞を読む。
 小山さんは池田先生と会ったことがない。故郷の水沢を池田先生が訪問した時も、夫の反対で行けなかった。
 「でも今までで一番近くに池田先生を感じられる。お父さんのようだと思ってます」
 本紙の一字一字に感じる、日だまりのような温かさ。「ちりしはな・をちしこのみも・さきむすぶ」(御書1482ページ)。梅の花が、春の訪れを知らせる。
 「悲しみに教えられたことがいっぱいある」
 近くに住む次女夫婦への感謝、よく遊びに来る小さいひ孫のいとおしさ。
 難のない「無難」より、難のある「有り難い」人生を歩いていこう。それもまた、題目を通じて詩穂子さんが教えてくれたこと――。

 

2020年4月25日 (土)

2020年4月25日(土)の聖教

2020年4月25日(土)の聖教

◆わが友に贈る

 困った時には
 一人で抱え込まず
 周囲に助けを求めよう。
 「つよきすけを
 かひぬれば・たうれず」
 御書P1468

◆名字の言 本紙創刊号を飾った師弟共戦のドラマ

 1951年(昭和26年)4月20日、本紙創刊号に神奈川・鶴見での弘教が大きく進む様子が報じられた。「聖火鶴見に炎上」との見出しは有名だ。その陰には若き池田先生の奮闘があった▼月刊誌「潮」5月号の連載「民衆こそ王者」が伝えている。病に臥せる壮年を、生活苦にあえぐ婦人を、先生は、家族のように励ました。バケツを手にした婦人と出会えば、「重たいでしょう」と気さくに運んでくれた▼前年の50年(同25年)、戸田先生の事業は最大の苦境にあった。その再建のための主戦場の一つが鶴見だった。若き池田先生は、ここに毎日のように通った。病む体で、冬にオーバーもない中で▼「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)、「苦楽ともに思い合せて」(同1143ページ)。寸暇を縫って共に拝した一節一節が、友の希望となった。最も苦しい時、共に戦った鶴見の友が、創刊号を飾ったのである▼「戸田先生を守り、学会を守り、折伏、折伏で戦い抜いた」「こういう人に最大に報いてあげたい」と先生。仏法の師弟という最も美しい人間の絆によって、今日の学会は築かれてきた。この絆こそ力だ。明年の“聖火炎上”をわが希望として、師と共に、世界の同志と共に、忍耐強く励ましの輪を広げていきたい。(進)


◆寸鉄

試練の時こそ前進の炎を
燃え上がらせよ―牧口先
生。「5・3」へ決意新た
     ◇
江戸川「師弟勝利の日」。
誉れの東京広布の心臓部
日々、価値創造の勇者に
     ◇
自宅でも「励まし」は送れ
る。電話・メール・手紙等
で友人の心温める春風を     ◇
感染対策へ一層の努力を
―専門家会議。接触の8
割減へ今は「家にいよう」
     ◇
帰宅時は必ず手洗い・嗽
を。小まめな換気も励行。
予防の基本を家族で徹底


【教学】

◆〈ONE GOSHO~この一節とともに!~〉 男子部教学室編
 華果成就御書 創価三代の魂を受け継げ

 恩師・戸田城聖先生の構想実現へ、池田大作先生が第3代会長と立たれて、60周年の「5・3」を間もなく迎える。今回は、師匠への報恩の心がつづられた御書から、弟子としての日蓮大聖人の姿勢を学ぶ。

御文
 よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず(御書900ページ)

通解
 よい弟子をもつならば師弟はともに成仏し、悪い弟子を養うならば師弟はともに地獄に堕ちるといわれている。師匠と弟子の心が違えば何事も成就することはできない。

背景
 本抄は弘安元年(1278年)4月、日蓮大聖人の故郷・安房国(現在の千葉県南部)の清澄寺で活動する若き日の兄弟子・浄顕房と義浄房に送られたお手紙である。この2年前、大聖人が仏門に入られた際の師匠であった道善房が死去。三回忌に当たり認められたと考えられる。
 道善房は、大聖人の折伏を受け、一時は、法華経の信仰を持つように見えたものの、結局は、念仏への執着を断ち切れなかった。そうした師に対しても、大慈悲の心で報恩感謝の念を示されているのが本抄である。

解説
 今回の拝読御文の前の部分では、稲が実る譬えが説かれており、それが題号の「華果成就」の意義である。
 本抄で大聖人は、稲が「二度華果成就するなり」(御書900ページ)と仰せである。最初の華果成就とは、稲が成長し、花を咲かせ、穂が垂れるほど豊かに実ること。2度目は、実った稲は刈り取られるが、米の精(大本の生命力)は消えず、大地に収まるゆえに、残った株から新たな芽が伸び、再び稲が実ることである。
 師弟の関係について、師匠の存在を大地、草木を弟子とした場合、師匠という大地から弟子という草木が成長し、花が咲き、実がなる(成仏する)ことが、最初の華果成就となる。米の精が大地にかえるのと同じく、その弟子の功徳が師匠に還り、師匠をも成仏させゆくことが、2度目の華果成就となる。
 大聖人は本抄の冒頭で、「草木は大地がなくしては生長することができない」(同ページ、趣意)等の比喩を使い、弟子を大きく育んでくれる存在への理解と感謝を示されている。こうしたことから、御自身を育んでくれた旧師・道善房に対する、尽きせぬ報恩の心が伝わってくる。
 道善房は最後まで念仏への執着を捨て切ることができなかった。たとえそのような師匠であっても、大聖人は弟子としての報恩を示され、御自身の妙法弘通の大功徳を回向していかれたのである。一切衆生を救済しゆく根本法を確立された大功徳を回らし向ける――これ以上の報恩はない。
 続く拝読箇所では、「華果成就」の原理から、“よき弟子”をもてば師弟共に成仏することができ、一方で邪道に迷う“悪しき弟子”であれば、自身が成仏できないゆえに、師弟共に地獄に堕ちてしまうと説かれている。そして、「師弟相違せばなに事も成べからず」とあるように、「師弟不二」こそが、あらゆる勝利の鉄則であると示される。
 大事なことは、師弟の真価の一切は「弟子」によって決まる、ということである。
 人類の幸福と世界の平和を目指す広宣流布の未聞の運動は、未来まで続く間断なき闘争である。ゆえに、師に続く弟子の実践に全て懸かっている。
 真の「師弟の道」を示された大聖人に直結し、広宣流布の道なき道を切り開いてきたのが、創価三代の会長である。なかんずく、牧口先生、戸田先生の心をわが心として、先師・恩師の構想をことごとく実現し、創価学会を世界宗教へと飛翔させたのが池田先生である。その偉大な功績は仏法史に燦然と輝き続ける壮挙であろう。私たち男子部にとって、先生の闘争は、まさに「よき弟子」の模範である。
 先生は小説『新・人間革命』第22巻「新世紀」の章につづられている。「師匠が、先人たちが、築き上げてきた敢闘の歴史は、その心を受け継ぎ、新しき戦いを起こそうとする後継の弟子によって、今に燦然たる輝きを放つのだ」
 まもなく先生の第3代会長就任60周年の5月3日を迎える。私たちは今一度、世界広布の道を大きく開かれた師匠への深い感謝を胸に刻んでいきたい。そして、新型コロナウイルスの一日も早い感染終息と世界の安穏を強く祈り抜きながら、智慧を発揮し、広布伸展の新たな歴史を開きたい。
 苦難に直面したときこそ、“弟子の真価”が問われるときである。一人一人が、師から学んだ不屈の学会精神を体現し、前進していこう。

〈大学校生とナットクTALK〉
テーマ:師弟の精神
Q 師匠と弟子の関係とは?
A 信心で結ばれた心の絆
 中村区男子部大学校団長 聞こえる? 初めてビデオ通話を使ってみたよ。意外と、きれいに映るね!
 山川ニュー・リーダー お疲れさまです。ちゃんと見えてますよ!
 中村 この間、電話した時に「会合で集まれない期間だからこそ、一緒にじっくり小説『新・人間革命』を学んでいこう」って話したから、感想を聞きたいと思って。
 山川 はい。家にいる時間が長いので、毎日、読んでいます。いつも思うことがあるんですけど、小説に出てくる学会員さんたちは、師匠から直接励まされて、うらやましいなって感じます。僕にとって“師弟”ってどういうことだろうって考えるようになりました。
 中村 深いね! 僕も入会してから思索したけど、仏法の師弟って“会う、会わない”は関係ないと思う。例えば、鎌倉時代の日蓮大聖人の門下の中には、一度も大聖人にお会いしたことがなくても、命懸けで信心を貫いた弟子もいたんだ。
 山川 すごい求道心ですね。僕にできるかな……。
 中村 僕は入会当初、男子部の仲間が「師匠にお応えしよう」って頑張ってる姿を見ても、それがどういうことなのか、正直、分からなかった。でも悩んで苦しかった時とか、折伏に全力で挑戦した時とか、池田先生の言葉がじんと心に響いて、闘志が湧いてきたことがあってね。その言葉は今も自分の支えになってる。“これが師匠の存在か!”って気付いたんだ。
 山川 僕も、仕事で悩んだ時に読んだ指導の一節が、ずっと心に残っています。
 中村 信心では、師匠は弟子に一生成仏、人間革命の道を教えてくださる存在なんだ。逆から見れば、弟子が“学ぼう”“実践しよう”と決意することで、師弟が成り立つ。ということは、時間も空間も超えて、信心でつながるのが師弟だと思うんだ。
 山川 確かに、聖教新聞を見るとアフリカとか南米の人たちも弟子として決意している話があって、距離は関係ないんだと感じます。
 中村 すごいよね。池田先生は、「(戸田)先生ならば、どうされるか。今の自分をご覧になったら、なんと言われるか――常に自身にそう問い続けています」と述べられている。先生は、常に師匠と心で対話されているんだ。
 山川 僕も、新たな決意で『新・人間革命』を研さんしていこうと思います。
 中村 そうだね。例えば毎朝、聖教新聞を読んで、何か一つの指導を胸に刻んで、仕事や生活に臨む。そうした姿勢からも“師匠と生きる一日”が生まれると思うよ。
 山川 はい。また今日から頑張ります!


【聖教ニュース】

◆アメリカ・池田センターでオンライン行事を開催 「危機と世界市民」巡り 2020年4月25日

 池田国際対話センター(米マサチューセッツ州ケンブリッジ市)が主催する対話行事が16日、オンラインで行われ、16カ国から133人が参加した。
 同センターではこれまで、若手研究者らを招き、社会的テーマについて論じ合う集いを続けてきた。
 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、今回、初めてオンラインでディスカッションを開催。池田先生と対談した、エマソン協会元会長のサーラ・ワイダー博士も自宅から参加した。
 4人の若手専門家が現在の危機について考察を述べた後、小グループに分かれて討論。先生が示した、世界市民の要件としての「智慧」「勇気」「慈悲」の観点から、より良い未来を創出するための方途について意見を交わした。


◆連載〈危機の時代を生きる〉コロナショックの今――原発避難者の思い 2020年4月25日

 新型コロナウイルスの感染が広がる中、試練と戦う視点を考える企画「危機の時代を生きる」。
 今回は、「千年に一度」と形容された東日本大震災、福島第一原発事故と向き合う福島の友を紹介する。
 地震や津波の直接的な被害に加え、放射能という“見えないもの”との格闘、避難生活や風評被害等で生まれた人々の心の分断……。
 「3・11」からの9年、“想定外の危機”を生きてきた2組の夫妻の歩みを見つめたい。(福島支局発)

福島・富岡町のシンボル「夜ノ森の桜並木」
“分断”越え、「心の財」は積み重なる。
 全長2・2キロの道路に沿って、約400本のソメイヨシノが続く、福島・富岡町の「夜ノ森の桜並木」。
 先月14日、JR常磐線が9年ぶりに全線開通し、最寄りの「夜ノ森駅」も営業を再開。今年の桜まつりには多くの観光客が訪れ、復興の起爆剤となるはずだった。
 しかし、新型コロナウイルスの影響で中止に――。
 「今年も二人だけで見ることになったな」と宗像誠政さん=富岡町、副本部長=は妻・アキ子さん=支部副婦人部長=につぶやいた。
 夫婦にとって「夜ノ森の桜」は人生そのものだ。
 結婚後、神奈川で暮らしていたが、アキ子さんが自律神経失調症になり、「故郷に戻れば元気になるかも」と1976年(昭和51年)、桜並木の近くに移り住んだ。
 創価学会の同志に温かく迎えられ、夫婦で信仰に励み、地域にも貢献。
 アキ子さんは、住民らでつくる「桜の案内人」を務め、桜まつりの運営、桜の保全活動にも携わった。
 94年(平成6年)、自宅近くに学会の双葉会館が完成すると、宗像さんは近隣との連絡役を。桜まつりの期間中は会館の敷地を開放し、地域から喜ばれた。

 富岡の宝である桜と会館を守ってきた誇り――だからこそ夫妻は2017年、自宅区域の避難指示が解除された4日後に帰還した。
 だが、住民の大半が戻らない寂しい生活。手入れされず、やせ細った桜。“俺たちは、少し早く戻りすぎたのか……”
 昨夏、アキ子さんが脳出血で倒れる。一命は取り留めたものの、入院は長期に及んだ。
 妻の介護と慣れない家事。「このざまは何だって、自分に憤ってばかりで」。そんな宗像さんを多くの学会員が励ました。
 全国に散った「うつくしまフェニックスグループ(県内外に避難した友の集い)」のメンバー、避難生活で身を寄せた栃木で出会った同志も富岡まで来てくれた。
 「仏縁に偶然はないんです。私たちは、ずっと家族同然です」との言葉に涙した。
 本年1月、アキ子さんは元気に退院。今年の桜は、違って見えた。
 「どこにいようが、自分たちには学会の同志がいる。こんなにありがたいことはない」
 
 唐木義則さん=いわき市、副総県長、妻・幸恵さん=総県副婦人部長=は25年前、桜並木の近くに家を建てた。
 ログハウス調のこだわりの「終の住み処」。前庭に植えた山桜を植え、子どもたちの成長に合わせるように育つ木を愛でる春は、「3・11」を境に途切れた。
 原発事故後、身重の次女と高齢の義父母がいた一家は、唐木さんの故郷である長野県へ避難。いわき市内の私立中高一貫校の校長職にあった唐木さんだけが福島にとどまり、震災後の対応に当たった。
 津波で自宅を失い、肉親を亡くした生徒もいた。「一緒に悩んで悲しむ。できたのはそれだけです」
 学校運営にめどがついた2年後、校長を辞し、唐木さんも長野県に移った。
 教育相談員となり、故郷に貢献する余生を思い描いたが、福島のことが頭から離れなかった。
  
 長年、双葉郡内の中学校で教壇に立ってきた。かつての生徒や保護者の多くが原発避難を強いられるなど、被害を受けていた。
 亡くなった教え子や、バラバラにされてしまった家庭を思うと、涙があふれた。
 喪失の悲しみは、その人、その一家に固有のもの。時間が過ぎれば埋まるものでも、こちらで“もう大丈夫”と言えるものでもない。
 “どこまでも子どもたちに同苦できる自分に”と強く祈る中、18年4月、震災時の勤務校から要請があり、再び校長に復帰することになった。
 教育現場に戻り、改めて思った。「どんなにつらくても、皆が今を生きている事実が、私の人生にとっても、教師としても励みになっている」と。
 生命に刻んだ池田先生の指導がある。
 「『心の財』だけは絶対に壊されません。いかなる苦難も、永遠に幸福になるための試練であります。すべてを断固と『変毒為薬』できるのが、この仏法であり、信心であります」

 「帰還困難区域」にある唐木さんの自宅の解体がスタートした今月6日は、学校の新年度の開始日。
 それは、新型コロナウイルスという新たに訪れた危機との格闘の始まりとも重なった。
 感染拡大を予防するため、生徒全員の毎朝の検温や体調のチェック、校舎内の消毒などの対策を講じた。
 さらに16日の緊急事態宣言を受け、5月6日までの臨時休校を決めるなど、目まぐるしい変化に日々、対応を迫られている。
 「池田先生と同志、そして教え子たちと歩んできた道そのものが、私にとっての『心の財』。それは、試練があるからこそ積み重ねていけるものだと確信しています」
 越えても、越えても、なおも試練は訪れる。それでも立ち向かう。
 なぜか――。それは“師弟の約束”だから。
 春が巡り来れば、桜は咲く。何があっても咲く。唐木さんは桜を見つめ、自らの生きざまを問い直す。
 
 ●ご感想をお寄せください
 kansou@seikyo-np.jp
 ファクス 03―5360―9613
 
【特集記事・信仰体験など】

◆〈「人類の議会」と歩む SGI国連事務所リポート〉③  2020年4月25日
 進捗遅れるジェンダー平等  ニューヨーク アイビー・クック氏

「北京行動綱領」採択25周年を前に開かれた市民社会フォーラム(昨年10月、ジュネーブで)




「北京行動綱領」採択25周年を前に開かれた市民社会フォーラム(昨年10月、ジュネーブで)

 国連創設75周年の本年は、女性にとって多くの重要な節目を刻む年でもあります。
 誰もが性別にかかわらず、平等に機会を与えられる「ジェンダー平等」の指針を打ち出した「北京行動綱領」の採択から25周年。平和構築に女性の参画を求めた「国連安保理決議1325」の採択から20周年。さらに、UNウィメン(国連女性機関)の設立10周年でもあります。
 先月には、第64回「女性の地位委員会(CSW)」がニューヨークの国連本部で2週間にわたって行われる予定でしたが、新型コロナウイルスの感染拡大によって会期が半日に短縮され、政治宣言の採択のみで終了しました。
 歴史上、女性たちは弱い立場に置かれてきました。「ジェンダー平等」は、国連が創設以来、優先して取り組んできた理念の一つです。そして今、国際社会が2030年を目指して取り組むSDGs(持続可能な開発目標)の一つでもあります。
「北京行動綱領」採択25周年を前に開かれた市民社会フォーラム(昨年10月、ジュネーブで)
 最近の10年間を見れば、女性に対する差別や抑圧、ジェンダーに基づく暴力の実情が、具体的なデータとともに明らかになってきており、この問題に対する市民の認識は深まってきています。
 それでも世界各国の議会で女性が占める割合は、1995年の11・3%に対して、本年1月時点でまだ24・9%です。女性が国家元首や首相に就いている国は、国連に加盟している193カ国のうち20カ国にとどまっています。
 グテーレス国連事務総長が「(ジェンダー平等は)未だ成し遂げていない仕事であると同時に、私たちの世界で最大の人権課題」と述べたように、その進捗はとても遅れているのが現実です。

女性こそ社会変革の主体者

 私は現在、150以上の団体からなる「女性の地位NGO委員会」の副議長を務めています。池田先生は常々、国連は全ての民衆の声を聞かなくてはならないと言われていますが、私の役割もまた、国連にあらゆる女性の声を届けることです。
 とりわけ若い女性には、社会変革の主体者となり、リーダーとなる素質が備わっているにもかかわらず、それらは見落とされがちです。
 SGI国連事務所では今、「若い女性のリーダーシップ」プロジェクトで、各分野で活躍する世界の女性を紹介しています。登場するのは、自己肯定感の欠如などさまざまな壁を乗り越え、誰かの励ましになるならと、体験を分かち合ってくれた人たちです。彼女たちが示す他者への慈愛に満ちたリーダーシップこそ、21世紀に最も求められる資質であることを、一つ一つの体験は教えてくれます。
 ジェンダー平等の実現は、女性たちがその可能性を十全に発揮できる社会の建設であると、私は思います。池田先生がその建設の先頭に立ち、私たち女性が自分らしく生きられるよう、励ましを送り続けてくださっていることに、感謝は尽きません。
 人類が直面している現在の危機を変化の好機と捉え、女性が輝く社会の建設へ、行動を起こしてまいります。


◆〈ブラジルイケダヒューマニズム交響楽団 特集㊦〉 世界的音楽家 アマラウ・ビエイラ氏2020年4月25日
 芸術や人生に終着点はない  永遠にイノベーション(革新)を!

 ブラジルイケダヒューマニズム交響楽団の特集㊦では、同国を代表する世界的音楽家のアマラウ・ビエイラ氏のインタビューを掲載する。同楽団の特別顧問を務める氏に、楽団結成の思い出や、使命などについて聞いた。なお現在、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、各地でコンサート等のイベントが自粛されている。そうした中、氏から届いた励ましのメッセージが、民主音楽協会(民音)公式の「インスタグラム」「フェイスブック」に日本語で紹介され、反響を呼んでいる。マークを読み取り、氏の美しいピアノの音色と共にご覧ください。

 ――日系5団体が主催した「天皇陛下誕生日祝賀会」(2月28日、サンパウロ市立劇場)で、ブラジルイケダヒューマニズム交響楽団が記念演奏を披露。圧巻のステージに、1200人の聴衆がスタンディングオベーション(総立ちの拍手)で応えました。
 
 ビエイラ氏 40年、50年前に、ブラジルSGIの団体が日系コミュニティーから招待される日が来ることを、一体、誰が想像したでしょうか?
 荘厳な式典で祝賀演奏を行い、さらに多くの方から反響の声が寄せられ、特別顧問として心からうれしく思います。楽団員の奏でる一音一音を通して、聴衆に“ヒューマニズム(人間主義)の心”が届いたことを確信します。
  
 ――1993年2月28日、サンパウロ州のブラジルSGI自然文化センターで、青年部のオーケストラが池田先生の前で熱演。ビエイラさんが先生にささげた交響曲「革新の響」を演奏しました。この場をもって、同楽団は正式に結成されました。
 
 ビエイラ氏 光栄にも私も居合わせましたが、あの時の光景は、今なおまぶたに焼き付いています。
 奏者のほとんどが、小・中学生、高校生。精いっぱいのステージでしたが、正直、「オーケストラ」と名乗るには程遠かった。
 しかし、池田先生の寛大な心と鋭い眼は、全てを見抜いていたのです。“この楽団にはポテンシャル(可能性)がある。力がある”と――。だからこそ先生は「世界第一を目指そう! 世界各国で演奏して、いつの日か、日本へ凱旋の公演を!」と言われ、厳しくも温かく、「口で約束することは簡単だけれど、実行できる人は手を上げて!」と呼び掛けられたのだと感じます。
 27年の歳月を経て、その場で演奏した全員が、一歩も退くことなく師弟の道を歩んでいることは、楽団の誇りといえるでしょう。

誉れのライフワーク
 ――この時から、ビエイラさんは特別顧問として、楽団の発展を見守り続けてきたのですね。
 
 ビエイラ氏 その通りです。私はこの時、池田先生から二つのタスク(任務)を賜りました。
 一つは“楽団に名前を付ける”こと。もう一つは“楽団を指導する”ことです。重責に身の引き締まる思いでいっぱいでした。
 その日、家に帰り、楽団名を熟考しました。名は体を表します。そして、「楽団の使命は何か」を自問した末に、「音楽を通して、池田先生のヒューマニズムの精神を届けることだ」との考えに至りました。
 また、当時はサンパウロに住むメンバーしかいませんでしたが、やがては、国を代表する楽団に成長する使命を帯びていることは、自明の理でした。そこで一都市の名前ではなく、国名を入れ、「ブラジルイケダヒューマニズム交響楽団」と命名したのです。
 “楽団に指導を”とのタスクは、私の誉れのライフワーク(生涯の仕事)です。
  
 ――その後、同楽団は、アルゼンチンやパラグアイなど国外でもコンサートを開催し、2008年1月、池田先生との誓いである“日本への凱旋公演”を果たします。
 
 ビエイラ氏 師匠からの期待と信頼を、弟子は絶対に裏切ってはならない。ここに、崇高なる師弟の道があるのではないでしょうか。
 結成の場面を思い起こすと、今日までの楽団の飛躍は目覚ましいものがあります。しかし、人間の一生に例えるなら、生まれたばかりの赤ん坊が、成長し、成人を迎えたばかりにすぎないと、私は感じます。
 ですから楽団員に対し、「あなたたちは、これまで素晴らしい実績を重ねてきました。と同時に、本当の力を発揮するのは、まだまだこれからですよ」と伝えています。芸術においても、人生においても、終着点などありませんから。

文化を全人類の手に
 ――ビエイラさんはこれまでに、17に上る献呈曲を池田先生に贈っています。
 
 ビエイラ氏 “音楽の真髄は、音楽を学んだ人にしか理解できない”というのが通説でした。
 しかし、池田先生の哲学は違います。「芸術は一部の人間の独占物ではない」「文化を庶民の手に取り戻したい」との信念で、民音や東京富士美術館を設立されました。
 聖教新聞も、広い意味では同じですよね。その使命は、邪悪や不正を糾弾し、「民衆」を守り抜くことにあると認識しています。
 ともあれ、文化や音楽は、芸術家たちだけが享受するものではない。全人類のものである――この先生の思想が、いかに革命的であったか。そこに、ひときわ深い共感を覚えるのです。
 民衆のため、社会のため、人類のために、励ましの音色を奏で続けることが、ブラジルイケダヒューマニズム交響楽団の不変の魂であると断言します。
  
 ――楽団員に対し、最も望まれることは何ですか。
 
 ビエイラ氏 「音楽の力」で、聴く人の生命に満々たる希望の光を送ること――言うなれば、コンサート会場に足を運んだ人が、“人間革命した姿”で帰宅の途に就けるようなハーモニーを響かせることです。
 例えば、家にピアノがあるとします。鍵盤をたたいた時に不協和音が鳴ったら、どうしますか? 調律師を呼び、再び美しい音色が出るように修理してもらいますよね。
 人間誰しもが、心に何かしらの“音ずれ”を抱えているものです。仕事でトラブルが起きた、満員電車に乗ってクタクタだ、夫婦げんかをした……などと例を挙げれば、想像がつくでしょう(笑い)。人々の“心の音ずれを調律する”のが、楽団の重要な役割なのです。
 そして、ヒューマニズムの精神を根底にした旋律でなければ、それを果たすことはできません。
 さらに、こうした「音楽の力」を引き出すには、楽団員一人一人が苦難や限界の壁を乗り越え、“人間革命した姿”でステージに立つことが必要だと、申し添えておきます。
  
 ――最後に楽団へのメッセージをお願いします。
 
 ビエイラ氏 全員が現状に満足することなく、常に一歩前進を目指し、永遠にイノベーション(革新)し続けることを願います。
 ブラジルイケダヒューマニズム交響楽団の勝利は、師匠・池田先生の勝利であることを、片時も忘れずに。

 Amaral Vieira 作曲家、ピアニスト。1952年、ブラジル・サンパウロ生まれ。これまで数多くの楽曲を手掛け、その膨大な作品群は、多種多様なジャンルに及ぶ。ハンガリー政府から贈られた「リスト賞」をはじめ国内外からの受賞多数。

信仰体験 20代のリアル ボクらのイマ。 一番の変化は“考える”ようになったこと

 <大栗健太郎さん(20)=東京都東久留米市、学生部グループ長=は今、友達に会いたくてウズウズしている>

 僕、一人っ子ってこともあって、すごく寂しがり屋なんですよ。今は新型コロナで、友達とか学生部のメンバーとかと会いにくいじゃないですか。もう誰かに会いた過ぎて、どうにかなっちゃいそうなんですよね(笑い)。
 だから毎日のように友達に電話して、スマホのオンライン通話機能を使ってやるデジタル会合が楽しくて、しょうがないんです。

 <とにかく明るい大栗さん。自分の意思で題目をあげるようになったきっかけは――>

 中学の時、部活でやっていたサッカーで足にけがをして、「もう競技ができないかもしれない」と医師から言われたことでした。
 “治したい!”って必死に祈って、リハビリも頑張っていく中で、だんだん動かせるようになって、サッカーに復帰することができました。題目ってすごいんだなって、純粋に思いました。

 <教員免許取得を目指して、創価大学教育学部に入学。アルバイトや二つの部活を掛け持ちしながら、学生部でも活動するように>

 自分で決めてやってるんですが、やっぱ続けるのは大変です(笑い)。けど、楽しいんですよね、全部。これも題目のおかげだと思うんです。
 朝は5時起きで眠いし、夜、家に帰っても疲れて眠いんですけど(笑い)、祈るとなんか、“頑張ろう!”って気持ちが高まるんですよね。
 「朗々と題目を唱える時、わが胸中に太陽が昇る。力があふれる。慈愛がわく。歓喜が燃える。智慧が輝く。諸仏・諸天が一斉に動き始める。人生が楽しくなる」って池田先生の言葉があるんですけど、ホントにそうだなって。
 サッカーもそうですけど、題目を唱え始めて一番の変化って、“考える”ようになったことだと思う。
 今までは、何事も勢いで何とかなるって思ってたほうなんです。けど、“自分は何のために生まれてきたんだろう”とか、“どんな教育者になりたいんだろう”とか。
 それを、大学の友達や学生部の仲間と語り合ってると、より夢に真剣になれるんです。

 <自分の頑張りを届けたい人が一人いる>

 亡くなった祖母です。いつも自分を応援してくれて、創大入学が決まった時も、とても喜んでくれました。
 地域の学会員の方々が、「私たちにいつも勇気をくれる人だったよ」って。自分もそう言ってもらえる人になることが、目標になりました。

 <ある月には、40人以上の友人と対話をしたことも。地域の後輩にもリーダーとして日々、励ましを送る>

 昨年、初めて友人に弘教を実らせることができました。仏法対話を通して、相手に“幸せになってほしい”って気持ちが、より強くなっていったと思います。今は、なかなか会えなくても気持ちは同じです。
 ホントに、学会活動できることって、当たり前じゃないんだなって思います。また、みんなに会える日を楽しみに、今できることを全力でやっていきたいと思います。?

◆〈トーク2020〉人生は“強気”でいこう! チャンスは必ずやってくる
 日本プロボクシング協会会長 花形進さん   若さは最大の武器。継続こそ力
 東海道青年部長 米澤卓哉さん 夢は大きく! 目標は具体的に

 今回の「トーク2020」は、昨年、日本プロボクシング協会の会長に就任した花形進さんです。日本で最初の“師弟共に世界チャンピオン”に輝いた経験を通し、東海道青年部長の米澤卓哉さんと、ファイティング・スピリッツを分かち合いました。

ワン・ツー――花形さん㊨からの手ほどきで、米澤青年部長がミット打ちに初挑戦
5度目の挑戦で世界王者に
 米澤 今、ボクシングが熱いですね。昨年秋、井上尚弥選手が世界一を決めるトーナメントWBSSで優勝したことは、大きな話題になりました。
 花形 日本プロボクシング協会としても、彼のようなヒーローを次々と輩出したいと思います。
 米澤 私たちの世代でボクシングと言えば、漫画の「はじめの一歩」ですね。今でも、若者の心をつかんでいます。
 花形 私の時代は「あしたのジョー」でした。昔からボクシングを題材にした漫画は多く、特に男子に人気が高いスポーツと言えます。
 米澤 花形会長は1974年にWBA世界フライ級チャンピオンになられていますね。
 花形 ええ。天才的なセンスを持つ井上選手は、プロ6戦目で世界王者の座に就き、日本最速の記録を塗り替えました。それに対して、私は歴代“最遅”のチャンピオンでした。何度負けたか分かりません。でも、多くの試合をこなすと、負けない方法が身に付きます。プロデビューから11年目、キャリア62戦、5度目の挑戦でようやく世界王者になりました。普通なら、3回ほどで諦めますね。
 米澤 池田先生が“勝った時に負ける原因をつくる。負けた時に勝つ原因をつくることができる”と言われたことを思い出します。なぜ、そこまで粘り強く続けられたのですか。
 花形 ボクシングが大好きだったからです。目の前のことから逃げずに、練習に励みました。相手よりも、むしろ自分自身との戦いでした。
 米澤 花形ジムの看板に「継続は力なり」と掲げられている通りですね。何でも一つのことをやり抜くことが大切です。
 花形 若い頃は、思うようにいかない時、他に何か新しいことを試そうとするかもしれません。挑戦の心は大切だけれど、諦めないで続けることも大事。諦めない限り、チャンスは訪れます。負け続けても、勝つまでやればいいんです。
 米澤 世界を目指されたのは、いつですか。
 花形 中学卒業後にボクシングを始めたばかりの時です。ジムでは「絶対に世界チャンピオンになる!」と言い切りました。全員が耳を疑ったと思います。当時、日本人の世界王者は2人しかいませんでしたから。
 米澤 戸田第2代会長は「青年は夢が大きすぎるくらいでいい」と言われていました。私も今、後輩たちにこの言葉を贈りたいと思っています。
 花形 人は夢を描いた以上にはならない。日本王者が目標だったら、達成した時にやめていました。そこで満足していたら、世界は取れなかったでしょう。

プロボクシング日本フライ級王者のベルトを懸けたタイトルマッチ。花形さんの右フックが対戦相手のボディーに決まり、勝利!(1969年4月7日、東京・後楽園ホールで。写真:読売新聞/アフロ)

牛乳2本でジムを開設
 米澤 世界王者になった後の目標はありましたか。
 花形 生涯、ボクシング一筋で生きていきたい。でも、家族を養うには、夢を追い続けるだけではいけない。だったら、ジムを開こうと、目標が決まりました。解説者も務めましたが、資金を得るため、焼き鳥店やスナックでも働きました。
 米澤 上り詰めても苦労されたのですね。
 花形 この時もチャンスが訪れました。ある時、人混みの中で誰かが手を振っているのです。近づくと、20年ほど前にジムで共に汗を流した先輩でした。思い出話に花が咲き、意気投合。ジムの話をすると、援助を申し出てくれたのです。開設まで実に10年ほどかかりました。
 米澤 人との出会いが大事ですね。でも、それを生かせるかどうかは、自分次第なんだと感じています。
 花形 後に分かったことですが、お互い練習生だった時、私が牛乳を2本おごったことがあったようです。私は全く覚えていないのですが、先輩はハッキリと覚えていて。2本でわずか30円程度ですが、その借りがあると。まさに「情けは人のためならず」でした。
 米澤 たった2本の牛乳ですか!
 花形 その先輩の他にも大勢の方々に支えられて、今の自分があります。全ては信頼関係です。出会う方々に感謝し、誰とでも誠実一路に接するよう、常に心掛けています。
 米澤 そう言えば、井上選手を育てた大橋秀行さん(大橋ボクシングジム会長)が著書(『最強モンスター井上尚弥はこうして作った』祥伝社)の中で、花形会長への恩義をつづられていました。大橋さんは当初、花形ジムへの入門が予定されていたそうですね。
 花形 当時、花形ジムは立ち上げる直前でした。大橋さんの将来を考えると、実績豊富な名門ジムへの入門を勧めました。
 米澤 普通なら、優秀なボクサーを抱えたいはずですが、選手のことを第一に考える会長らしいエピソードですね。大橋さんは「あの言葉がなければ、井上尚弥もいなかった」とも言われています。
 花形 恐縮です。大橋さんと力を合わせ、ボクシング界を、そして日本を盛り上げていきたいと思っています。
乗り越えられない壁はない
 米澤 1985年にジム開設後も、チャレンジ精神は燃え続けたわけですね。
 花形 開設したからには、世界王者を輩出しようと、新しい目標を立てました。
 米澤 実際、2000年に星野敬太郎選手がWBA世界ミニマム級の王者になり、日本で最初の“師弟世界チャンピオン”を達成されました。18年には、花形冴美選手がIBF世界女子アトム級チャンピオンになり、男女共に世界タイトルをつかんでいます。
 花形 共に何度も挫折したボクサーです。その2人が世界タイトルを手にしたのは、自分のこと以上にうれしかった。選手たちの個性を伸ばしてあげるのが、指導者の役目だと感じています。その上で、ボクサーにとって、何よりもハートが重要。こちらが疲れている時は、対戦相手だって疲れている。だから、「人生は強気でいけ!」「負けの数は忘れろ! 勝ちの数だけを数えろ! 最後に勝てばいい」と励まし続けています。
 米澤 確かにジムを見渡すと、選手を鼓舞する言葉が数多く掲げられています。「チャンピオンへの道」――「俺達はスターだ。リングは舞台だ。……若さは最大の武器である」と。この「努力」の二文字を前にすると、誰しも闘志がみなぎります。???
 若い世代の中には悩みが多く、思うように決意できない人々もいます。ぜひ、青年へエールを送っていただけますか。
 花形 「絶対にこうなろう」と道を決めることです。たとえ決められなくても、何でもいいから、まず目の前のことに全力で取り組むといい。その中で見えてくるものがある。続けていれば好きになってくる。
 先行きが見えないような状況でも、苦難が永遠に続くわけではない。諦めずにこつこつと努力を積み重ねる中で、必ず道は開けます。乗り越えられない壁はない! みんなで乗り越えよう! 若さは最大の武器なんだから。

 はながた・すすむ
 1947年、神奈川県横浜市生まれ。日本プロボクシング協会会長。花形ボクシングジム会長。74年、WBA世界フライ級王者に。2000年、教え子の星野敬太郎選手が世界タイトルを手にし、日本で最初の“師弟世界王者”に輝いた。
 よねざわ・たくや
 1979年、神奈川県横浜市生まれ。創価高校・創価大学卒。東海道青年部長(総神奈川兼任)。同学生部長・男子部長を歴任。率先の拡大で人材を輩出。“戦いは楽しく!”をモットーに最前線の友と苦楽を分かつリーダー。学会本部に勤務。

 

 

 

 

 

2020年4月24日 (金)

2020年4月24日(金)の聖教

2020年4月24日(金)の聖教

◆わが友に贈る

 交通機関・物流・販売など
 日々の生活を支える
 皆さま、ありがとう!
 尊き献身に最敬礼。
 健康・無事故を祈ります。


◆名字の言 人生を豊かにするものは?――詩人・吉野弘さんの場合

 事故で神経まひを負った男性が、言語感覚を取り戻すリハビリを受けた。2枚のカードに書かれた言葉を組み合わせ、意味の通る文章にするもの。男性は「豊かにする」というカードを手にした。対応する正解は「くらしを」。だが男性は別の言葉を選んだ。「苦労を」だった▼詩人・吉野弘さんが、自身の詩集につづった話だ。「苦労を豊かにする」――楽な道だけでは生き方が貧弱になる。人生を充実させる“苦労”の捉え方を教わる至言といえよう▼今春、小学校の卒業式を終えた、ある未来部員が1本の赤いひもを手に帰宅した。担任教諭から卒業生一人一人に手渡されたという。“ひもの長さはこの6年間で伸びた身長の分”と聞いた両親は、胸が熱くなった▼在学中、病で長期入院した時は、勉強に遅れまいと母子で教科書をめくった。退院後は体力づくりに毎朝、父と走った。身も心もたくましく成長した、わが子の姿に「全てに意味があったね」とたたえ合った。現在は本格的な中学校生活を待ちつつ、家族で勤行・唱題にも挑戦する▼試練の中にいる時は、目に見えての前進を感じられないかもしれない。苦難に耐え抜き、振り返った時、負けなかった日々の偉大さが分かるもの。苦労を豊かにする鍵は前向きな「忍耐」である。(城)


◆寸鉄

幸福な人生を営む源泉は
我々の生命力―戸田先生
どんな時も祈り根本に!
     ◇
「未来の果」は「現在の因」
にあり。今日もできる事
に全力。挑戦の心燃やし
     ◇
常勝大阪・師弟誓願の日。
不二の同志に勇気あり。
連帯固く励ましの拡大を
     ◇
店舗や商店街の混雑解消
急務と。“買い物は1人で
短時間”徹底で感染防止
     ◇
SNSで知り合った人に
会いたい―未成年4割。
犯罪の火種だ。甘く見ず


◆きょうの発心 聖人御難事 香川池田正義県長 草薙尚希2020年4月24日

御文 月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし(聖人御難事、1190ページ・編1209ページ)
通解 月々日々に信心を強めていきなさい。少しでもたゆむ心があれば、魔がそのすきにつけこんで襲ってくるであろう。

強盛な祈りで苦難を乗り越える
 月々日々に、たゆまず信心を強めていくことの大切さを教えられています。
 私は、若い頃、困難にぶつかるとすぐに避けてしまいがちな人間でした。大学受験を諦め、就職したものの、25歳で退職。以来、定職に就くこともなく3年がすぎ、“自分を変えたい”と悩んでいた時、信心の話を聞きました。
 男子部の方の「信心すれば、驚くほど成長できる」との確信あふれる言葉に入会を決意。その後定職に就くことができました。
 それからも苦難は重なり、3度の転職を余儀なくされました。特に50歳の時は苦労しましたが、“使命の場所が必ずある”と一念を定め、唱題と学会活動に挑戦。現在の職場に巡り合い、正社員としての入社を勝ち取ることができました。
 本年2月には、病魔と闘う兄を入会に導き、兄の病の克服を共に祈っています。
 明年は「紅の歌」発表40周年。その誕生の舞台となった四国研修道場がある香川池田正義県から広布の波動を起こしていきます。


【先生のメッセージ】

◆マイ・ヒューマン・レボリューション 小説「新・人間革命」学習のために 第7巻

仏法は不信を信頼に転じる力
 <1962年(昭和37年)10月、指導会で山本伸一は核戦争の根源的解決の道を示す>
 
 「どうすれば、核戦争をなくしていくことができるのか。その本当の解決の道は、仏法による以外にありません。仏法は、一切衆生が皆、仏であると教えている。万人に仏性があり、自分も相手も、仏の生命を具えていると説く、仏法の生命哲学こそ、人間の尊厳を裏付ける大思想です。その教えが流布されるならば、必ずや、戦争を防ぐ最大の力となります。
 また、誰でも信仰に励み、実際に、仏の生命を涌現していくならば、破壊や殺戮
さつりく
に走ろうとする、自身の魔性の生命を打ち破ることができる。
 悲惨な核戦争の根本原因は、“元品の無明”という生命の根源的な迷いにある。この無明の闇から、不信や憎悪、嫉妬、あるいは、支配欲、殺戮の衝動など、魔性の心が生じる。
 この“元品の無明”を断ち切り、“元品の法性”という、真実の智慧の光をもって、生命を照らし、憎悪を慈悲に、破壊を創造に、不信を信頼に転じゆく力こそが、南無妙法蓮華経であります。また、それが人間革命ということです。ユネスコ憲章の前文には『戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない』とあります。大事な着眼です。
 では、どうすれば、本当に崩れることのない“平和のとりで”が築けるのか。
 それを可能にするのが仏法であり、現実に、行ってきたのが創価学会です。(中略)
 私たちがめざす広宣流布の道は、遠く、はるかな道のように思えるかもしれませんが、その道こそが、世界に永遠の平和を築く直道なのです。今こそ、仏法という“慈悲”と“平和”の大思想を、友から友へと伝え、私たちの力で、絶対に核戦争を回避していこうではありませんか。それが、われわれの使命です」(「文化の華」の章、79~80ページ)
 

互いの尊敬が生む鉄の団結
 <63年(同38年)1月、アメリカで伸一は団結の要諦を語る>
 
 「大聖人は『法に依って人に依らざれ』との経文を通して、信心の在り方を指導されています。
 私どもの信心は、どこまでも『法』が根本です。広宣流布という崇高な大目的を成就するために、みんなが心を合わせ、団結して活動を進めていく必要があるのです。
 もし、中心者が嫌いだからとか、自分の方が信心が古いからといって、あの人のもとでは活動できないという人がいたならば、その人は『法』が根本ではなく、『人』に対する自分の感情が根本になっているんです。
 また、それは、わがままです。わがままは、自分の心に負け、信心の軌道を踏み外した姿です。結局は、その人自身が不幸になります。反対に、中心者を守れば、自分が守られる。これが因果の理法です。
 一方、幹部になった人は、絶対に威張ったりせずに、よく後輩の面倒をみていただきたい。皆に奉仕するために幹部はいるんです。広宣流布に戦う人は、皆、地涌の菩薩であり、仏です。
 その方々を励まし、尽くした分だけ、自身も偉大な福運を、積んでいける。
 ともかく、皆が同志として尊敬し、信頼し合って、また、足りない点は補い、守り合えれば、鉄の団結が生まれます。その団結が、最大の力になる。御書には『異体同心なれば万事を成じ同体異心なれば諸事叶う事なし』(1463ページ)と仰せです。広宣流布に向かって、心を一つにすれば、すべてに大勝利できる」(「萌芽」の章、126~127ページ)
 
学会員こそ世界市民の模範
 <“創価学会が人間と人間を結ぶ宗教であることを実感した”と語るメンバーに伸一は、真の国際人としての要件とは何かを訴える>

 「戸田先生が『地球民族主義』と言われた通り、創価学会は、やがて、国家や民族、人種の違いも超えた、世界市民、地球市民の模範の集まりになっていくだろう。
 仏法の哲理が、それを教えているからだ。
 また、学会員は、本来、本当の意味での国際人であると思う。
 国際人として最も大事なポイントは、利己主義に陥ることなく、人びとを幸福にする哲学をもち、実践し、人間として尊敬されているかどうかである。
 仏法を持ち、日々、世界の平和と友の幸福を祈り、行動し、自らの人間革命に挑む学会員は、まさに、その条件を満たしている。
 語学ができる、できないということより、まず、これが根本条件だ。
 ともかく、友を幸福にしようというメンバーの心が友情を織り成し、世界に広がっていくならば、それは人類を結ぶ、草の根の力となることは間違いない」(「早春」の章、238~239ページ)
 
真の女性解放の先駆者
 <63年2月、伸一が示した指針「婦人部に与う」が婦人部幹部会で発表された>
 
 婦人部の幹部の朗読が始まると、参加者は瞳を輝かせて、聞き入っていた。
 最後の「創価学会婦人部こそ、妙法をだきしめた、真の女性解放の先駆者である」との一節では、誰もが電撃に打たれたような思いにかられた。彼女たちの多くは、経済苦や病苦にあえぎながら、自身の、わが家の宿命転換を願い、ただ幸福になりたいとの一心で、懸命に信心に励んできた。
 しかし、信心の目的は、それだけではなく、「女性解放」という、もっと大きく崇高な使命を果たすためであることを自覚したのである。
 「女性解放」とは、単に制度などの社会的な差別からの解放にとどまるものではない。いっさいの不幸からの解放でなければならない。彼女たちは、自らの体験を通して、その唯一の道が日蓮仏法にあることを確信することができた。
 生活という大地に根を張った婦人たちが、時代の建設に立ち上がってこそ、初めて、社会を蘇生させることができる。自分たちの生きゆく社会を、楽しい、平和なものにしていくことが、広宣流布である。この「婦人部に与う」を受けて、清原かつは、この日、次のようにあいさつした。(中略)
 「山本先生は、この『婦人部に与う』のなかで、私たちこそ『真の女性解放の先駆者』であると述べられております。つまり、自分や一家の幸福を築いていくことはもとより、広く社会に目を開き、すべての女性を、宿業の鉄鎖から解放していくことが、創価学会婦人部の使命なのであります。
 要するに、私たちには、学会員である人も、ない人も、その地域中の人びとを幸福にしていく責任があるということです。
 そう考えるならば、地域にあって、自分の受けもっている組織は、小さな単位であるブロックという組織でも、私たちの使命は、限りなく大きいと思います」(「操舵」の章、340~341ページ)
 
創価教育の思想と精神
〈「文化の華」の章には、教育部の結成の様子とともに、創価教育の思想と精神が記されている。〉
 
 本来、教育の根本の目的は、どこに定められるべきであろうか。
 牧口常三郎は「教育は児童に幸福なる生活をなさしめるのを目的とする」と断言している。“国家の利益”ではなく、“児童の幸福”こそ根本だというのである。
 牧口は、この信念から、創価教育の眼目は、一人ひとりが“幸福になる力を開発する”こととした。そして、この幸福の内容が「価値の追求」であり、人生のうえに創造すべき価値とは、「美・利・善」であると主張した。
 つまり、牧口は、価値創造こそ人生の幸福であり、さらに、社会に価値を創造し、自他ともの幸福を実現する人材を輩出することが、教育の使命であると考えていたのである。彼は『創価教育学体系』の緒言で、「創価教育学」を世に問う熱烈な真情を、こう記している。
 「入学難、試験地獄、就職難等で一千万の児童や生徒が修羅の巷に喘いで居る現代の悩みを、次代に持越させたくないと思ふと、心は狂せんばかりで、区々たる毀誉褒貶の如きは余の眼中にはない」
 そこには、子どもへの、人間への、深い慈愛の心が熱く脈打っている。この心こそ教育の原点といえる。
 そして、その教育を実現していくには、教育法や教育学の改革はもとより、教育者自身の人間革命がなければならない。
 子どもたちにとって、最大の教育環境は教師自身である。それゆえに、教師自身がたゆまず自己を教育していくことが不可欠となるからだ。
 教師は「教育技師」であると主張する牧口は、「教育は最優最良の人材にあらざれば成功することの出来ぬ人生最高至難の技術であり芸術である。是は世上の何物にも替へ難き生命といふ無上宝珠を対象とするに基づく」と述べている。
 さらに、教師たるものの姿を、こう論じる。
 「悪人の敵になり得る勇者でなければ善人の友とはなり得ぬ。利害の打算に目が暗んで、善悪の識別の出来ないものに教育者の資格はない。その識別が出来て居ながら、其の実現力のないものは教育者の価値はない」
 牧口が提唱した、創価教育の精神を、現実に、縦横無尽に実践したのが、若き戸田城聖であった。彼の私塾・時習学館からは、人間性豊かな、実に多彩な人材が育っている。山本伸一は、教育部員に、この先師・牧口常三郎、恩師・戸田城聖の志を受け継いでほしかった。
 彼は、混迷の度を深める社会の動向に、鋭い目を注ぎながら、教育部の使命の重大さを痛感していた。(「文化の華」の章、15~17ページ)

【教学】

◆教学講座 日蓮大聖人の御生涯に迫る 第2回 「立正安国論」の提出

鎌倉と三浦半島を結ぶ要路である名越切通(なごえきりどおし)。鎌倉に出られた大聖人は、名越周辺(松葉ケ谷と伝承)に草庵を構え、本格的な弘教を開始された鎌倉と三浦半島を結ぶ要路である名越切通(なごえきりどおし)。鎌倉に出られた大聖人は、名越周辺(松葉ケ谷と伝承)に草庵を構え、
本格的な弘教を開始された


いかなる迫害があろうとも

正義の師子吼を放たん
苦しむ民衆を救うために!
社会を楽土にするために!

災難の原因はどこに
 ――前回(17日付)、日蓮大聖人が“民衆の幸福のため”という一点から行動を開始されたことを学びました。
  
 “民衆を不幸にする災難の原因はどこにあるのか”――大聖人は、人々の苦しみを解決する方法を、一切経に基づいて思索されました。その結論をまとめられたのが、「立正安国論」です。
 民衆の幸福のためには、一人一人が正しい生命哲学を持ち、実践していくことが大切です。とともに、民衆の幸・不幸に大きな影響をもたらすのが為政者です。社会の安穏と世界の平和のため、そして、人々が幸福に暮らしていくために、民衆の声を聞き、どのように国家を運営していくかが重要なのです。
 だからこそ、文応元年(1260年)7月16日、時の実質的な最高権力者であった北条時頼に「立正安国論」を提出されたのです。客(北条時頼を想定)と主人(大聖人を想定)との問答形式で展開されています。
  
 ――ただ自身の幸せを願って信仰するのではなく、積極的に社会の課題に関わっていくべきことを、身をもって教えてくださっているように感じます。
  
 その通りです。特に、この頃の惨状を見ていくと、一人一人の庶民の力では、どうしようもない状況でした。鎌倉では異常気象、飢饉、火災、伝染病などの災害が多発。特に正嘉元年(1257年)に起きた大地震は、大きな苦悩をもたらしました。

大難にも覚悟を貫く
 ――地震や異常気象、伝染病など、現代も同じような苦難に直面しています。当時、大聖人はどのような思いで行動されたのでしょうか。
  
 「立正安国論」の冒頭には、悲しみを通り越して憤りが収まらない御心情が記されています。
 また当時、仏教の諸宗がさまざまな祈?を行っていましたが、何の効果もありませんでした。大聖人は、「やむにやまれず勘文(意見書=立正安国論)をしたためた」(御書33ページ、趣旨)と後に仰せです。
  
 ――“何としても民衆を救いゆく!”“社会を楽土にしてみせる!”とのお心が伝わってきます。「立正安国」とは具体的にどういう意味なのですか。
  
 「立正」とは、人々が人生のよりどころとして正法を信受することであり、仏法の生命尊厳の理念が、社会を動かす基本の原理として確立されることです。「安国」とは、社会の平和・繁栄と人々の生活の安穏を実現することです。
 大聖人は「あなたは、一身の安泰を願うなら、まず世の静穏、平和を祈るべきである」(同31ページ、通解)と強く平和を求めておられました。一人一人が、生命境涯を変革し、自身の幸福境涯を開いていくとともに、社会全体の変革をも成し遂げ、安穏と平和を築いていくことを目指しているのです。
 池田先生は、「一人ひとりの人間が、この妙法に則って、胸中の仏の生命を開いていく時、その人の住む場所も、仏国土と輝いていく」とつづられています。
  
 ――大聖人の大闘争は、「立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」といわれます。民衆の幸福、世界の平和と安穏のため、断固、正義の師子吼を放たれましたが、一方で、この提出以降、激しい難が競い起こってくるのですね。
  
 その通りです。大聖人の訴えを幕府要人は、聞き入れませんでした。それどころか、次々と迫害を加えるのです。
 「立正安国論」の提出から間もないある夜、念仏の信者たちが、大聖人の鎌倉の草庵を襲います(松葉ケ谷の法難)。幸い、大聖人は難を逃れましたが、翌・弘長元年(1261年)5月12日には、幕府は、大聖人を捕らえ、伊豆の伊東へ流罪にします(伊豆流罪)。
 2年後、流罪を許され、伊豆から戻られた大聖人は、安房方面へ行かれますが、文永元年(1264年)11月11日、東条景信の軍勢に襲われます。大聖人は額に傷を負い、左の手を骨折。門下が討ち死にする激しい襲撃でした(小松原の法難)。
  
 ――それにしても激しい苦難です。
  
 大聖人が、立宗宣言の時から大難に遭うことを覚悟されていたことは学びましたが、想像を絶する大難です。しかし、大聖人は、その覚悟を貫き通されるのです。

予言が現実のものに
 ――大聖人は「立正安国論」で、経文に照らして、このまま悪法への帰依を続けるなら、自界叛逆難(内乱)と他国侵逼難(他国からの侵略)が起こるだろうと警告されています。
  
 文永5年、中国を支配していた蒙古からの国書(外交文書)が届きます。そこには、蒙古の求めに応じなければ、兵力を用いるとの意が示されており、他国からの侵略が現実味を帯びてきました。
 そこで大聖人は、幕府要人や鎌倉の諸大寺の僧たちに書状(十一通御書)を送り、予言の的中を明示するとともに、公の場での法論を迫られました。
  
 ――しかし、幕府や諸宗は反応を示さないどころか、迫害を強めていくのですね。
  
 この時期、幕府と結び付き、世間で“聖人”“生き仏”と崇められて大きな影響力をもっていたのが、真言律宗の僧・極楽寺良観です。文永8年、祈雨の対決で大聖人に敗れた良観は、怨みを募らせ幕府要人やその夫人たちに働き掛けて弾圧を企てます。
 そして同年9月10日、大聖人は幕府の侍所(軍事・警察機関)の所司(次官)である平左衛門尉頼綱から尋問を受けることになります。幕府権力と宗教的権威が結託して大聖人に牙をむいたのです。この2日後、大聖人に処刑の危機が迫ります。

【ここに注目!】理想の為政者像
 「立正安国論」の御真筆で使われている「国」の字は、約8割が「?」です。「民衆が生活する場」としての国を意味します。大聖人の国家像が「民衆の幸福を根本とする国家」であると拝察されます。
 さらに、為政者と民衆の関係について「王は民を親とし」(御書1554ページ)と仰せです。民衆の支持があるからこそ、為政者は、その政権を維持することができます。ゆえに、民衆は為政者を生み出し、育てる「親」ともいえる存在なのだと明かされているのです。
 また、平左衛門尉に対して、「万民の手足」(同171ページ)と仰せになり、“民衆の手足となって奉仕するべき存在”としての為政者像を示されています。
 主従や支配・被支配の関係に基づく封建制度下において、「一切衆生の為」(同172ページ等)との御自身の姿勢を、為政者に対しても敢然と求めたのが、大聖人の御闘争だったともいえるでしょう。


【聖教ニュース】

◆アメリカ・ミネアポリス市が池田先生を名誉市民に  2020年4月24日
 平和・文化・教育への貢献たたえ

ミネソタ州南東部に位置するミネアポリス市の街並みと、市内を流れるミシシッピ川(写真:アフロ)
ミネソタ州南東部に位置するミネアポリス市の街並みと、市内を流れるミシシッピ川(写真:アフロ)

 アメリカ・ミネソタ州ミネアポリス市(ジェイコブ・フレイ市長)から、池田大作先生に「名誉市民」の称号が贈られた。平和・文化・教育への多大な貢献をたたえたものである。
 約42万5000人が居住するミネアポリス市は、米中西部に位置するミネソタ州最大の都市。
 「ミネアポリス」は先住民の言葉とギリシャ語を組み合わせた“水の都市”の意。市内には、北米最大のミシシッピ川が悠々と流れ、20を超える湖が存在し、多くの人々の心を潤している。
 また同市は、古くから製粉業が栄え、世界最大の穀物取引所があるほか、同国中西部を管轄する連邦準備銀行も市内に設置されるなど、地域経済の中心地としても発展を遂げてきた。

贈られた「名誉市民」の証書
市長「池田博士の献身は、市民に良き影響与える」
 この地を舞台にして、同市のSGI(創価学会インタナショナル)メンバーは、“良き市民たれ”との池田先生の指針を胸に、地域に信頼の連帯を築こうと、草の根の対話を推進しながら、各種市民行事などにも、積極的に参加してきた。
 2003年には、同市に立つ名門ミネソタ大学で、「ガンジー・キング・イケダ――平和建設の遺産」展が開催され、多くの市民が観賞。池田先生の平和哲学に対する理解と共感が大きく広がった。
 今回の「名誉市民」称号の証書(3月18日付)には、フレイ市長による署名とともに「(池田博士の)貢献と献身は、ミネアポリス市の住民に対し、永続的な影響を与えるもの」であり、その尽力により、「ミネアポリスはより良き都市となっています」とつづられている。
 池田先生を名誉市民に迎えた同市に、仏法を基調とした生命尊厳の哲学が、一段とまばゆい光彩を放つにちがいない。

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◆劇画「人間革命」第2版が聖教電子版で配信スタート   2020年4月24日
 第3代会長就任60周年を記念

劇画『人間革命』では、戸田先生と山本伸一青年の師弟のドラマが描かれている
劇画『人間革命』では、戸田先生と山本伸一青年の師弟のドラマが描かれている

 池田先生の会長就任60周年を記念し、劇画『人間革命』第2版(原作・池田大作、劇画・石井いさみ)の配信・連載が、このたび聖教電子版で始まった。
 迫真の筆致で描かれた師弟の劇は、1988年(昭和63年)から、2002年(平成14年)まで、本紙で掲載された。
 連載終了から18年――障魔の嵐を勝ち越えた学会は、世界宗教へと大きく発展。この間、池田先生は「50年後の、若い読者が読んでもよくわかるように、表現や表記等も、一部改めたい」と小説『人間革命』の推敲を重ね、全12巻の第2版が聖教ワイド文庫で刊行された。
 本紙ではこのほど、創価三代の師弟のドラマを、若い世代へ、世界へと広げるべく、小説第2版に基づいて劇画『人間革命』を再編集し、聖教電子版で配信することを企画。原作者の池田先生と作画者の石井いさみ氏から快諾を頂いたものである。
 かつて池田先生は、同劇画について、「私のライフワークの一つである小説『人間革命』に、また一つ、新しい彩りを与えてくれている」との言葉を寄せた。「人間革命」が映し出す師弟と民衆の蘇生のドラマは、いつの時代も、人類の未来を開く希望の灯台であり続ける。
 第2回の配信は29日(水・祝)。以降は毎週水・日曜日に配信し、約2年間、続く予定。また、配信内容の概要などを、あす25日(土)付で紹介する。

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 ※劇画『人間革命』第2版は、聖教電子版アプリなどから閲覧できます。なお、電子版有料会員向けの配信となりますが、本年5月末までの配信分は、どなたでも無料で読むことができます。
 劇画『人間革命』第2版はこちら。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈危機の時代を生きる〉?新型コロナウイルスの克服へ 駒崎弘樹さんに聞く 
 家庭内の困難は抱え込まず「助けて!」とヘルプシーキング(援助希求)を

 新型コロナウイルスの感染拡大の中、試練と戦う視点を考える企画「危機の時代を生きる」。今回は、子育て世代に寄り添い続ける認定NPO法人「フローレンス」代表理事の駒崎弘樹さんに、外出自粛下での親子のコミュニケーションのヒントや支援策などを通話アプリで取材した。(聞き手=宮本勇介・村上進)

   ――子育て世代を取り巻く環境で今、何が起きているのでしょうか。
 フローレンスでは、一斉休校が始まった際、子育て世代にアンケートをとりました。休校とその延長によって、特に社会的に脆弱な「経済的に余裕のない世帯」や「ひとり親世帯」などの負担が増えていることが分かりました。
 給食がなくなったことで、給食を主な栄養源としていた家庭の子どもたちが困窮しています。また学習面でも、各所からオンライン教材が提供されていますが、全ての家庭が十分に活用できる環境にあるわけではなく、学びの格差が開いている状況です。これらは社会的に脆弱な家庭で元々存在していた問題が、悪化して浮き彫りになったともいえます。
 一方で、一見、問題がないように見える家庭もリスクは高まっています。外に出られないと誰でも気持ちがしんどくなってくるものです。加えて親は「自分が感染したら子は誰が見ればいいの?」という強い不安や恐怖とも戦っています。
 「頑張らなきゃ」だけでは心が折れてしまいますが、責任感の強い親御さんほど、「家族を守るのは自分だ」と、この危機を一人で抱え込んでしまいがちです。
 しかし、無理をすれば確実に家庭内のストレスは増し、DV(家庭内暴力)や児童虐待などに発展してしまいます。
 ――未然に防ぐには?
 まずは、このような状況下で奮闘する自分自身をしっかりと褒めてあげてください。そして、苦しいときに人に頼ることは悪いことじゃない。むしろ「良いこと」だと認識してもらいたいと思います。
 助けを求めることを「ヘルプシーキング(援助希求)」といいますが、この能力は、気持ちが追い詰められると低下します。つまり、当事者は次第に「助けて」と言えなくなってしまうのです。
 傷が浅いうちに手当て(介入)できれば回復は早いですが、進行し過ぎると取り返しがつかなくなります。ですから早いうちに助けを求めた方がいいと言えるのです。
 ――現在の状況下で、親は子に対して、どのように接していけばいいでしょうか。
 親は必ずしも格好良くあろうとする必要はありません。格好悪くてもいいんです。「お父さんも不安なんだ、この先どうすればいいか分からないよ」と子どもに素直に言っていいと思います。
 「子どもが不安にならないか」と疑問を抱く方もいるかもしれませんが、大人が思うよりも子どもは、そんなに「子ども」ではないと思うんです。事情もよく把握しています。
 今、私たちに必要なのは、子どもを一人の人間として認め、目線を合わせていくことではないでしょうか。「この先どうしたらいいか一緒に考えていこう!」というスタンスの方が、長期化するこの戦いには向いています。
 ――子どもたちの成長を後押しする上で、家族や周囲ができることは?
 このコロナ危機は悲劇ではあるけれども変革の機会をもたらすという意味で、まさに“ピンチはチャンス”という側面があると思っています。
 苦しい状況に変わりはないですが、家族の自由な時間が増えたのもまた事実です。この機会を利用して、子どもの主体性を引き出すための経験を積んでみてはどうでしょうか。
 一般的に、子どもに「ああしなさい、こうしなさい」と命令するよりも、「どうしたらいいと思う?」と問いを投げ掛けていく方が主体性を育む教育には良いとされています。
 多忙である平時は「早く宿題をしなさい」「寝なさい」と、親はスピード重視の行動を子に要求しがちです。でも今は「待てる時間」がある。「勉強しろ」ではなく、「今は何の時間かな?」と問い掛けて、子どもが自分で考え、意思決定できる機会にできます。
 いつもは「せき立てコミュニケーション」ともいえるのですが、今は「問い掛けコミュニケーション」がもっと増えてもいいのかもしれません。
 
アウトリーチ(現場に出向く支援)とオンラインの双方向で
 ――行政や社会に求められる子育て世帯への支援策には何があるでしょうか。
 1つは「アウトリーチ型」の支援で、困っている人のもとに支援員が出向き、アプローチしていくことが重要です。フローレンスでも「こども宅食」(注)の支援を推進してきましたが、これまで行政や社会では、アウトリーチ型の支援の動きがほとんどありませんでした。一刻も早く検討してもらい、各地で困難を抱えている人にアプローチしていく支援を強化していく必要があると思います。
 2つ目は、「学校教育のオンライン化」をできるだけ速やかに進めることです。パソコンや通信環境が整っていない家庭もあります。そういった場合は、パソコンとモバイルルーターを通信料込みで貸し出すという方法もあるかもしれません。
 3つ目は、DV(家庭内暴力)や児童虐待が増加していますので、「オンラインによる相談窓口」の充実が急務です。「このままだと虐待してしまいそうだ」と少しでも感じたり、わずかでもDVの可能性を感じたりした人が、兆候の段階でも遠慮なく相談できるように整備していくことが望まれます。
 ――オンライン技術の活用が、目下の課題解決には欠かせないのですね。
 例えば、今回のコロナ危機による医療資源不足を背景に、オンライン診療が期間限定で解禁されました。これがもし恒久化されたならば、医療資源が少ない医療過疎の村と都市を結び、医療を提供することが可能になります。
 また、オンライン教育も同じです。教師とのやり取りがオンラインでできるようになれば、過重労働が指摘されてきた教師の負担も軽減でき、教育の生産性も向上させていけるでしょう。さらには、これまで教育から遮断されていた、病院でずっと入院している子どもや、医療的ケア児のような在宅が必要な子どもが教育の恩恵にあずかれるようになります。
 コロナショックを機に、今後さまざまなアップデート(更新)がなされていくでしょう。それはコロナで開いた穴を埋めつつも、これからのコロナ後の時代、あるいはコロナと生きる時代において価値を生じる方向につなげていけるものです。

青年部のstayhome運動に期待
 ――最後に、創価学会に期待することは何でしょうか?
 セーフティーネット(安全網)から誰一人こぼれ落ちないように、友人や知人にも「つらいよね」「分かるよ」と気持ちを共有し、「依存し合いながら自立していく」方向に進んでいきたいと私自身は考えています。
 創価学会は、国家でも個人でもない中間団体として機能している日本でも稀有なコミュニティーといえます。ぜひ、歴史上まれにみる有事である今こそ、その力をいかんなく発揮してほしいと願います。
 人々のつながりを強めるには、オンラインツールが鍵となりますが、当然、そういったツールに不慣れな年齢層の方々もいると思います。しかしそこは、多様な年代の方々がいるという組織の強みを生かして、デジタルに強い世代の方たちが高齢世代に活用方法を伝えながら、うまく巻き込んでいってほしいと思います。
 学会青年部がツイッター上で「stayhome(ステイホーム)プロジェクト」を行っていると伺いました。青年部の皆さんが社会全体で行われているstayhome運動を先導していってください。
 今後、これまで顔と顔をつき合わせ、直接会って励ましてこられた「アナログの手法」に、「デジタルの手法」も吟味しつつ加えていただき、新しい形の創価学会のコミュニティーづくりにも挑戦していかれることを期待します。

【語句の解説】
「こども宅食」  子どもの貧困をなくす取り組みの一つ。食品の宅配をきっかけに安心できるつながりをつくり、さまざまな支援につないでいく。2017年、フローレンスは東京都文京区と6つの団体でモデルをつくり、翌年、こども宅食を全国に広げる取り組みを佐賀県でスタート。現在、緊急支援として、フローレンスと沖縄県那覇市の「おきなわこどもの未来ランチサポート」が協働し、沖縄でこども宅食モデルの支援を開始した。

 こまざき・ひろき 1979年生まれ。大学卒業後、NPO法人「フローレンス」を立ち上げ、2005年、日本初の「共済型・訪問型」の病児保育を開始。10年からは待機児童問題解決のため「おうち保育園」、14年には「障害児保育園ヘレン」を始めた。厚生労働省「イクメンプロジェクト」座長などいくつもの公務を歴任。著書は『「社会を変える」を仕事にする』『働き方革命』『世界一子どもを育てやすい国にしよう』(出口治明氏との共著)など多数。

   ●ご感想をお寄せください  kansou@seikyo-np.jp  ファクス 03-5360-9613


◆〈ライフスタイル〉人間が本来持っている力を信じて
 特定非営利活動法人 エイズ孤児支援NGO・PLAS 代表理事 門田瑠衣子さん

 UNAIDS(国連合同エイズ計画)によると、エイズ孤児※は、世界に約1220万人いるとされています。今回は、日本で初めてエイズ孤児支援団体として設立された非政府組織(NGO)「PLAS」の代表理事・門田瑠衣子さんに、自立を促す支援活動とリーダーとしての思いを聞きました。

 ※エイズによって、両親のいずれか、または両方を失った18歳未満の子ども

いじめられた経験とリンク
■2005年、門田さんが仲間とPLASを立ち上げたのは大学院生の時。結婚し、3児の母となった今も活動を続けるモチベーションはどこから?
 中学時代の体験が大きいと思います。2年生の時、いじめに遭い、無視されたり、ひどい時はゴミを投げられたりしました。でも家に帰れば優しい両親がいました。
 一方で、校則に疑問を持ち、校則改正運動を始め、生徒会に立候補しました。落選後も個人的に校長室に何度も通い交渉を。結果何も変わらなかったけど、その時に、おかしいと思ったら行動し続けよう、おかしいことに流されない人生を生きようと思いました。
 そんな私が大学生になり、衝撃を受けたのが平和学の授業。フィリピンのバナナが安いのは、低賃金労働者や学校に行けない子どもがバナナ農園で働いているからでした。「外国のことは関係ない」ではなく、自分の生活とつながっていたことを知り、早速ボランティアとしてフィリピンへ行きました。その次に行ったケニアで出会ったのがエイズ孤児です。
 当時はエイズへの偏見がひどく、学校から入学を断られることも。私が出会った8歳のデリック君は両親をエイズで亡くし、「悪魔の子」といじめられていました。親戚に引き取られ、いとこと一緒に暮らすものの、自分だけ学校に行かせてもらえず、洗濯や水くみなどずっと手伝いをする毎日。
 食事も1人で、いとこや叔父さんたちの食べ残しをかき集めて食べていました。家庭の中でも差別されていたんです。
 彼らの姿と、いじめられていた時の自分の姿が重なりました。私には安心できる家があったけど、彼らには本当に安心できる場所がない。強烈に「何とかしたい!」という思いが溢れ、PLASを立ち上げました。

単に“与える”支援ではなく
■現在のプロジェクトの主な内容は?
 ケニアとウガンダで、エイズ孤児とエイズウイルス(HIV)に感染したシングルマザーの支援を行っています。父子家庭も支援対象ですが、女性に決定権が無い文化的背景から、感染した妻は家を追い出されたり、妻を亡くした男性は自分の母親や姉妹に子どもを預けたりするなど、女性への支援が必要なケースがほとんどです。
 今は「ライフプランニング支援」から「生計向上支援」を受ける流れをつくっています。貯金の仕方や進学、子育てについてカウンセリングします。例えば学校に行けなかった母親は宿題の存在を知りません。知れば「宿題やった?」と声掛けができ、子どもの手伝いの時間を短くして勉強の時間をつくってあげられる。そういう変化の積み重ねで、子どもにも「進学できるかも」と希望が生まれます。
 そこに、子どもの将来に必要な教育費を貯金することなど、自分で考えられるよう「生計向上支援」を提供します。農業、養鶏、カフェなどの研修プログラムと開業のための初期投資を行い、自立まで支援します。 ???
 また最近、新型コロナウイルス対策のアフリカ緊急支援を開始しました。
■約15年の活動の中で、最も心に残っているのは?
 最初の支援です。スラムの小学校を改築しようとした時、「エイズ孤児には通ってほしくない」と、村の反対派から脅迫や嫌がらせを受けました。現地の大工さんは法外な給料を要求してきたり、来ると言って来なかったり……。年上の男性相手に、一生懸命、粘り強く対話を重ねました。
 すると、私たちが無報酬で泥んこになって作業を進める姿を見て、大人も子どもも手伝ってくれるようになり、最後は棟梁が「自分もボランティアでやる」と。人って変わるんですよね。どんな言葉より行動を見てもらうことが一番の説得だったのかなと思います。
それが活動のポリシーに。
 子どもの前に、まず大人が変化しないと。小学校を造っても、大人が通わせようと思わない限り行かせてもらえない。現地の人たちが自分で考え、自分で選択するには、単に“与える”支援ではなく一緒に行動し変化することが大切です。
 きっかけがあれば、彼ら自身の力でどんどん生活や社会を良くしていけるはず。本来、人にはそういう力が備わっていると私は信じています。でも過酷な状況で「生活なんて変えられない」と思い込んでいる母子に「あなたには価値があるんだよ」と言っても全然響きません。一つ一つ道筋を示す中で本人に気付いてほしい。そのプロセスとしてカウンセリングは重要です。
?
自分が幸せでこそ活動できる
■ご自身も育児中ですが「遊びも仕事も全部やる!」を心掛けているとか。
 わが家には2歳、4歳、6歳の男の子がいます。出張の時には、先に1日1通の手紙を書き、中にお菓子やクイズを入れて用意しておきます。「今日は○○で、こんなことをするよ」とか。そうすると、夫が毎日子どもに読んでくれます。
 もちろん支援活動も全力で取り組みますが、私は家族がとても大切。「自身が幸せじゃないと他人の幸せのために活動するのは難しい」と思っています。家族の幸せという土台があってこそ頑張れる。
 リーダーが自己犠牲的に行うと、皆にも自分を犠牲にしろと感じさせてしまいます。PLASでも私が頑張り過ぎていた時代は、そんな雰囲気をつくっていたかもしれません。なので、今働いているスタッフや支援を受けるお母さんたちには、幸せな状態の中でもっと良くしていくには――という形で活動してほしいです。?

■困難な出来事への対処法は?
 大切にしてるのは、できるだけ自分の感情を知ることです。今悲しいのか、うれしいのか。もし怒りを感じるなら、理由は何なのか。そこには分かってもらえない悲しさとか、違う感情が眠ってることが多い。それを掘り起こして解消できるようにしています。

■10代、20代へメッセージを。
 例えば国際協力したいと思った時。よくあるのは「英語ができるようになってからやろう。まずは英会話だ」という思考回路。でも考え過ぎずに、ちょっとでも行動することが大切だと思います。やってみないと、本当にやりたかったことか分からない。意外に違ったなと思うこともあります。
 最初から限界を決めずに、まず試してみる。歩く時も、一歩踏み出すと自然に次の一歩も出ますよね。動いてみると仲間ができたり、応援してくれる人と出会えたりします。今の自分でできることを、まずやってみましょう!

 もんだ・るいこ
 熊本県生まれ。武蔵野女子大学人間関係学部卒。明治学院大学大学院国際学修士課程修了。2005年、大学院在学中にケニア現地NGOでのボランティアをきっかけに、同年エイズ孤児支援NGO・PLAS設立に参加。以来ケニアとウガンダで活動。現在、代表理事。エイズ孤児を抱えるシングルマザーの生計向上、母子へのキャリアカウンセリングなど約3万人を支援。15年から特定非営利活動法人・国際協力NGOセンター(JANIC)理事。16年、人間力大賞で準グランプリ・外務大臣奨励賞、NGO組織強化大賞受賞。

2020年4月23日 (木)

2020年4月23日(木)の聖教

2020年4月23日(木)の聖教

◆わが友に贈る

 大変な時だからこそ
 自分を褒めよう!
 その前向きな心が
 周囲を照らし
 他者をも励ます力に!


◆名字の言 女優・高峰秀子さんの“若さの秘けつ”

 昭和の大女優・高峰秀子さんが養女を迎えたのは、80代半ばの時だった。「かあちゃんは、自分が年をとったと思ったのは、いつ?」と娘から尋ねられ、「今日できることを明日に延ばした時」と、即答したという▼「それは何歳の時?」との質問には「74歳」と。料理や読書に励み、規則正しい生活をおろそかにしない。より良い人生について、生涯、問い続けた。そんな母・高峰さんには「己を律する心が、微動だにせず存在し続けていた」と、娘は振り返っている(『類型的なものは好きじゃないんですよ』河出書房新社)▼中国のことわざに「身体の老いは恐れないが、心の老いが恐ろしい」と。心の老いとは、意欲や気力を失うことともいえよう。社会や生活状況の変化に直面した時こそ、“自分はこう生きる”という哲学があるか否かが問われてくる▼池田先生と親交を結んだ高峰さんは、学会の集いにも参加したことがある。先生は高峰さんを前に語った。「人間はこの地球上に楽しむために生まれてきました。『衆生所遊楽』の人生こそ、真実の人生です」▼遊楽とは、うわべの楽しみではない。豊かな生命力と知恵で逆境も成長の舞台に変え、生涯青年の心で“今できること”に挑戦していく。それが真の「遊楽」の生き方である。(之)


◆寸鉄

御書「強敵が人をば・よく
なしけるなり」。試練を
変革の因に。強盛に祈り
     ◇
三重県婦人部の日。地域
と家庭照らす幸福の太陽
希望の声を今日も元気に
     ◇
子ども読書の日。良書と
触れ合えば心が豊かに。
今こそ親子で繙く習慣を
     ◇
3月下旬から50代以下の
感染者急増。気の緩み排
し接触8割減へもう一重
     ◇
信号ない横断歩道、渡る
人いても8割の車が停車
せず。「歩行者優先」守れ


【先生のメッセージ】


◆〈心に御書を〉37 地涌の誓願に断じて生き抜け2020年4月23日

〈御文〉
 今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願じぬ。既に二十余年が間・此の法門を申すに日日・月月・年年に難かさなる、少少の難は・かずしらず大事の難・四度なり(開目抄、200ページ)
〈通解〉
 このたびこそ、仏の覚りを得ようとの強盛な求道心を起こして、決して退転しない、との誓願を立てたのである。(立宗宣言以来)すでに20年余りの間、この法華経の法門を申してきたが、日々、月々、年々に難が重なっている。少々の難は数知らず、大きな難が4度あった。

〈池田先生が贈る指針〉
 日蓮大聖人が唱え始められた題目は、一切衆生を成仏へ導く大良薬である。立宗以来、命に及ぶ大難の連続も耐え忍ばれ、末法万年までの大道を開いてくださった。
 地涌の誓願に立つ我らには、全てを勝ち越える御本仏の大生命が湧き上がる。人類の仏性を呼び出す妙法の題目を響かせ、世界の友と立正安国へ不退転の挑戦を!


◆〈親子で学ぶ 創価の心〉2020年4月23日

アメリカ・ボストン会館(当時)を初訪問した池田先生ご夫妻。出迎えた未来っ子たちに感謝と励ましの言葉を(1991年9月)

アメリカ・ボストン会館(当時)を初訪問した池田先生ご夫妻。出迎えた未来っ子たちに感謝と励ましの言葉を(1991年9月)

 新型コロナウイルスの感染拡大の中、世界の同志は今、知恵を発揮しながら励ましの輪を広げています。来る5月3日は、池田先生の第3代会長就任60周年となる「創価学会の日」。今回は「学会は『励まし』の団体」をテーマに、先生の指針を学びましょう。「わが家の実践」では、工夫に富んだ親子の取り組みを紹介します。

池田先生の指針を一緒に読もう   後継の月・5月 学会は「励まし」の団体

 今、創価の連帯は百九十二カ国・地域に広がり、二十四時間三百六十五日、たえまなく地球に題目の声が響いています。戸田先生は、どれほど喜んでくださることでしょう。

 共に祈り、共に前を向き、共に立ち上がる。そうして蘇生した友が、今度は、勇んで友を励ましていく――。
 世界百九十二カ国・地域といっても、その実像は、一人から一人への“励ましの連鎖”であり、“人間革命の連続ドラマ”で成り立っています。これを「広宣流布」と言うのです。
 創価学会ほど、「一人」を大事にしている団体はありません。
 その中心になって頑張ってくださっている、仏にも等しい宝の存在が、皆さんのお母さん、そして地域の婦人部の先輩方なのです。
 友を思いやるあなたの優しい心が、学会の思想の表現になる。みんなの輝く笑顔、負けじ魂で挑戦する勇姿、友を励ます声が、周囲を太陽のように照らしていくのです。
 そこで、フランスの大文豪ロマン・ロランの次の言葉を贈ります。「たった一人の善人の善は人類を照らすのです。ですから、人類が善くなるか悪くなるかは、私たちひとりひとりにかかっている」
 この通り、善の光で人類を照らしているのが、創価学会です。
 人々の幸福を願って仏法を実践する団体――それが創価学会です。あえて一言で言うなら、世界を元気にしているのです。仏法は人の振る舞いに表れ、人と人の間に脈動します。その真髄が「励まし」です。
 悩む人、苦しむ人に寄り添い、「大丈夫! あなたならできる」と励ましを送って、共に幸福の道を歩んでいく。その振る舞いに真の人間性が光り、最高の正義の道があります。
 草創期、学会は「貧乏人と病人の集まり」とバカにされた。
 「病気が治ってから来い」「お前が貧乏でなくなったら信心してやる」などと、心ない言葉を浴びせられた。でも、何と言われようが、前進をやめなかった。
 勇敢に信心を貫く中で、病気を治し、生活を好転させ、幸福を勝ち取っていった。自分だけではない。友の幸せを祈り、地域に、社会に尽くし、勝利の境涯を開いていった。この「人間革命の歴史」が、学会の誉れです。
 学会員ほど偉大な人はいない。私は、こう断言できます。
 今や、多くの世界の識者も、社会に貢献する立派な青年を育てる学会に、最大に賞讃の声を寄せてくれています。
 世界の知性と良識が、創価学会の味方なんです。
 未来の主人公は君たちです。次の学会を創るのは、まぎれもなく未来部のみんなです。
 五月三日が学会の永遠の原点の日ならば、五月五日の「創価学会後継者の日」は永遠の希望の日です。私は、祈り信じています。君の勝利を! あなたの幸福を!(『未来対話』)
 ※ロマン・ロランの言葉は、「戦時の日記 4」山口三夫訳(『ロマン・ロラン全集 29』〈みすず書房〉所収)

〈わが家の実践〉
「小学校ごっこ」に挑戦  大阪府貝塚市 岡本妙子さん (主婦)
 先月、わが家の一人娘が幼稚園を卒園しました。
 いよいよ、待ちに待った小学校の入学――そう思っていた矢先、新学期の開始を延期するとのニュースが飛び込んできました。
 「えーっ!」と声を上げて残念がる娘。その姿を横で見ていた私は「これから毎日、どう過ごせばいいのか」と不安な気持ちになりました。
 しかし、そう迷っている時間もありません。とっさに「今しかできないこと」を考え、幾つか挑戦を決めました。
 その一つが、小学校生活をイメージした「小学校ごっこ」です。
 少しでも娘が主体的に取り組み、休みが明けたら、スムーズに小学校に通い出せるようにとの思いから、こうした名前になりました。
 字の書き方や絵本の音読に取り組む「国語」、時計の読み方を学ぶ「算数」、ラジオ体操や軽い運動をする「体育」といった具合に、時間割を作成しました。
 工夫したのは各教科だけでなく、集団生活で必要な「給食」や「掃除」といった時間も設けたことです。たまに娘が飽きた時には、ベランダでおやつを食べる「遠足」もします。
 さらに「お友達との文通」にも挑戦しています。通っていた幼稚園では、園児同士が仲良く手紙を送り合い、たくさんの良いお友達に恵まれた娘は、いつも楽しそうに取り組んでいました。
 そこで、“新学期がスタートしたら、また一緒に遊ぼうね”との思いを込め、同じ小学校に通うお友達とやりとりをすることにしました。
 手紙といっても、絵ばかりなのですが、娘は「今日はこの子」「明日はあの子」と取り組む中で、自然とお友達を思う気持ちを強くしています。
 「小学校ごっこ」以外にも、わが家では信心継承のチャレンジもしています。
 「まずは祈りから」ということで、新型コロナウイルスの感染拡大について、できるだけ丁寧に伝え、朝晩の勤行・唱題の時に、一日も早い終息を一緒に祈るようにしています。
 先日は、文通の延長で、親子で池田先生にお手紙を書くこともできました。
 夫が仕事で不在になる平日の日中は、私だけが娘と向き合うことができる唯一の大人です。
 正直しんどいと思う瞬間もありますが、それでも深呼吸をしながら娘の目線に立って話を聞き、共に挑戦を続ける中で新たな発見をすることも多いです。
 振り返った時に、「特別な宝の時間を過ごせた」と言える日々を送っていきます。

〈わが家の実践〉
親子4世代の“祈り”の絆  愛知県津島市 福田亮姫さん (主婦)
 わが家は、親子4世代の7人家族です。夫と私、婦人部の長女と2歳の孫、女子部の次女、小学4年の三女が一緒に暮らし、義理の母は入院生活を送っています。
 年齢も仕事も、生活リズムもバラバラですが、今回の感染拡大により、皆で家にいる時間が多くなりました。
 当初は、食事の支度だけで一日がドタバタと過ぎていきました。“このままではいけない。今だからこそ、できる挑戦はないか”と考える中、毎晩の勤行を家族全員で取り組もうと決意しました
 これまで、毎月の座談会には全員で参加するようにしてきましたが、自宅で一緒に祈る機会が少なかったことに気付いたのです。
 とはいえ、いきなり「私と勤行する人?」と呼び掛けても、最初は誰からも返事がありません(笑い)。
 ですが、2、3日が経つと、まず孫が反応してくれました。「じいじ、ぎょんぎょう(勤行)」と声を掛けられると、夫は“孫が言うなら”と導師を務めるように。
 すると、娘たちも加わり、ついには3匹の愛犬も仏間に集合(笑い)。今では毎晩、家族全員で勤行・唱題ができるようになりました。
 そうした中で、新たな向上心も湧いてきました。三女と私は「一日5分の読書タイム」を設定。三女は池田先生が少年少女部に贈った『希望の大空へ』を読み、私は小説『新・人間革命』を学習しています。もともと読書が苦手な2人ですが、毎日楽しく、先生の指針を学び合っています。
 ここ最近、特に心配だったのが、なかなか会えなくなってしまった入院中の義理の母でした。そこで、家族で知恵を出し合い、義母との「交換ノート」を作ることに。家族の写真を貼り、皆で応援のメッセージを書き込みました。
 義母は、糖尿病の合併症で体が不自由なため、字を書くことも容易ではありません。それでもノートには、「風邪を引かないようにね」「仕事を頑張ってね」と、娘や孫たち一人一人に向けた言葉が添えられていたのです。
 その一字一字から、ベッド上で懸命にペンを握る姿が目に浮かびました。どんなに大変な状況でも、いつも私たち家族のことを祈ってくれているのだと思うと、胸が熱くなりました。
 たとえ会えなくても、祈りは必ず通じ合う。知恵と工夫で絆を強めていける――そう実感する日々です。
 今後も、家族で信心の呼吸を合わせ、楽しく前進していきます。

「わが家の実践」のエピソードなどをお寄せください
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 ファクス 03―5360―9613

【教学】

◆〈日蓮大聖人の慈愛の眼差し〉南条時光 「父母の恩を報ぜよ」 2020年4月23日
 後継の道歩んだ“未来部・青年部”の鑑  師との原点胸に随一の青年門下に成長

富士山の湧水が集まる「白糸の滝」(静岡県富士宮市)

富士山の湧水が集まる「白糸の滝」(静岡県富士宮市)

 日蓮大聖人の弟子の中で誰が一番好きか?――こう聞かれたら、あなたはどの門下を挙げるだろう。
 かつて戸田先生が青年部との懇談で尋ねた際、若き池田先生は即座に答えた。「南条殿です」と。
 「南条殿」とは南条時光のこと。少年時代に大聖人と出会い、誓いの原点を胸に随一の青年門下へと成長し、活躍した。
 池田先生は、戸田先生がよく「南条時光を見習っていけ」と言われ、「時光を手本として親孝行せよ」とも呼び掛けられた、と述べている。
 まさに“未来部・青年部出身”ともいうべき南条時光は、創価後継の鑑といえよう。

師弟の絆を結んだ少年時代の出会い
 南条時光は駿河国富士上方上野郷(現在の静岡県富士宮市下条)に住んでいた武士で、土地の名から「上野殿」などと通称された。
 南条氏が得宗(北条氏の家督)の家臣となったことで上野郷を得たと考えられ、その所領経営を任されていたのが父・南条兵衛七郎である。
 時光には多くのきょうだいがおり、その中で「七郎次郎」と呼ばれていたことから、次男であったと考えられる。
 文永2年(1265年)3月8日、兵衛七郎が病のため亡くなってしまう。時光が7歳の時であった。
 訃報を聞かれた大聖人は墓参のために鎌倉から、わざわざ上野郷の南条家へ足を運ばれる。この折に時光は、大聖人とお会いすることができた。
 
 兵衛七郎は念仏を捨てて大聖人の弟子となり、闘病の末、信心を貫き通した。こうした生前の父の姿を知る時光は、大聖人の御振る舞いに接して、父の胸の奥にある師弟の魂を感じたに違いない。この時、少年・時光の心に“後継の灯”がともされたと思われる。
 父亡き後も、一家は母・上野尼御前のあつき信仰心に支えられ、純真な信心を続けていった。
 同11年(74年)3月、大聖人は佐渡流罪から赦免されて鎌倉に帰られ、5月に身延山に入られる。これを聞いた時光は、7月末に御供養の品々を携えて大聖人のもとを訪れた。
 9年ぶりに師と再会した16歳の時光は、立派な若武者へと成長していた。
 大聖人は、お礼のお手紙の中で、わが事のように喜ばれている。
 「父上の形見として、御身を若くして子息を遺しおかれたのでしょうか。姿も違わないばかりか、お心まで似ていらっしゃることは言いようもありません」「ああ、人はよき子どもを持つべきものであると、涙をおさえることはできませんでした」(御書1507ページ、通解)
 このお手紙を頂いた頃には、時光の兄である長男の七郎太郎が不慮の事故で亡くなっていたとも伝えられている。時光は家督を継いで一家の柱となり、また上野郷で重責を担っていく立場にあった。
 大聖人は時光を限りない真心で励まされ、万感の期待を込めて、勝利の人間学を伝授されていく。
 この年の11月に時光が頂いたお手紙では、御自身の謗法呵責の御闘争を「20年余りにわたって、声も惜しまず、叫んできている」(同1510ページ、通解)と述べられるなど、破邪顕正の精神を打ち込まれる。

親孝行こそ仏法の真髄
 建治元年(75年)の御述作といわれている「上野殿御消息(四徳四恩御書)」で大聖人は、現実社会で磨くべき人間的資質として「四徳」と「四恩」を教えられた。
 <「四徳」とは①父母への孝行②主君への忠義③友への礼儀④自分より劣る者への慈悲。「四恩」とは①父母の恩②国主の恩③一切衆生の恩④三宝の恩>
 そこで「人となりて仏教を信ずれば先づ此の父と母との恩を報ずべし」(同1527ページ)と仰せになられている。
 亡き父や兄に代わって一家の後継ぎとなり、若くして現実社会の厳しさに直面した時光は、苦労を重ねて自分を育ててくれた母の恩と、生前の父の背中の大きさを、身に染みて感じていたであろう。
 その恩に報いる真の道とは何か――大聖人は次のように記されている。
 「法華経を持つ人は、父と母との恩を報ずることができるのである。自分の心では、報じていると思っていなくても、法華経の力によって、父母に報じているのである」(同1528ページ、通解)
 諸経典の中で唯一、女人成仏を説き切っている法華経こそが、母の恩に報いることを可能にする経典である。ゆえに、法華経を持つことで、父も含めた親の恩に報いていくことができると教えられている。
 この御書で大聖人が挙げられている親孝行の実践例は、多感な10代の心を包み込むように具体的である。
 「親に良いものを差し上げようと思って、とりたてて何もない時は、一日に二度、三度、笑みを浮かべて接していきなさい」(同1527ページ、通解)
 池田先生は、この御書の講義の中で述べている。
 「『四恩』にせよ、『四徳』にせよ、大聖人が本抄で一貫して教えられているのは、『人の振る舞い』の重要性です。周囲の人々を敬い、また報恩の生き方を貫いていく。この仏法の真髄の教えを、現実の人生の生き方として、わかりやすく教えられています。最高に価値ある日々を過ごし、人生に勝利していくための指針が簡潔に示されているのです。いわば、仏法とは、万人尊敬と自他共の幸福のために生き抜く青年を創る教えなのです」
 一番身近な存在である父母を大切にする「振る舞い」こそ、仏法の慈悲の行動の第一歩にほかならない。
 この時、大聖人は54歳。お手紙を拝した時光は、大聖人が年齢や立場を超え、一個の人格として自分の成長を心から願ってくださることに、どれほど感激したであろうか。感受性が豊かな17歳の心は、大聖人のお人柄、そして大聖人が説かれた仏法の教えの確かさを、鋭く感じ取ったに違いない。
 どこまでも、「一人」の可能性を信じ育む。この心は未来部・青年部育成の心として、今日まで世界中の同志に受け継がれている。
 時光は以後も、お手紙などを通し、大聖人から数々の慈愛の励ましを受ける。熱原の法難、弟との死別などの大難にも屈せず、大聖人に至誠を尽くし、生涯、純真な信仰を貫き通した。
 報恩の人は、皆から慕われる。信頼されて所願満足の人生を飾っていける――時光の姿は、仏法者が真に歩むべき道を、私たちに教えてくれている。

【聖教ニュース】

◆婦人部指導集「幸福の花束Ⅲ」きょう発売  2020年4月23日

きょう発売の婦人部の指導集『幸福の花束Ⅲ――平和を創る女性の世紀へ』。表紙には、本年9月に開館20周年を迎える「創価世界女性会館」(東京・信濃町)の外壁と同じ黄色が使用され、ちりばめられた花びらのデザインには、“女性のスクラムで、平和な美しい世界を創る”との意味が込められている

きょう発売の婦人部の指導集『幸福の花束Ⅲ――平和を創る女性の世紀へ』。表紙には、本年9月に開館20周年を迎える「創価世界女性会館」(東京・信濃町)の外壁と同じ黄色が使用され、ちりばめられた花びらのデザインには、“女性のスクラムで、平和な美しい世界を創る”との意味が込められている

 婦人部の友が待望してきた池田大作先生の指導集『幸福の花束Ⅲ――平和を創る女性の世紀へ』が、きょう23日から発売される。これは、池田先生の第3代会長就任60周年を記念したもの。
 本書には、随筆や、本紙連載の「四季の励まし」等から選んだ珠玉の指導を収録。小説『新・人間革命』や『21世紀への母と子を語る』などの抜粋も収められている。

池田先生が「発刊に寄せて」を寄稿

 先生は「発刊に寄せて」を寄稿し、ヤング白ゆり世代をはじめ、全ての創価の女性に万感の励ましを送る。
 「六十年前の五月の三日、若き地涌の女性たちが、青年会長と一緒に誓願の信心に立ち上がって、創価家族の新たな前進が始まったのです」
 「妙法の偉大さを次の世代へ伝えゆく、令法久住の深き使命を担う太陽の女性たち一人一人に、私と妻は満腔の感謝を捧げるとともに、いやまして健康であれ! 長寿であれ! 幸福であれ! と、ひたぶるに祈り続けてまいります」
 世界を覆う未曽有の感染症の危機に対峙しながら、家庭や社会で日々、懸命に生きる友の胸に勇気と希望をともす一書である。
 永石婦人部長、沼倉書記長は語る。
 「この宝の一書は、池田先生の慈愛の励ましにあふれ、どんな困難や閉塞感に直面した時も、私たちの心に太陽を昇らせてくれます。婦人部は、いついかなるときも先生の指導を実践し、今この時こそ、自分を深め向上させる、境涯革命と成長の時にしていきましょう!」
                     ◇ 
 本社刊。750円(税込み)。全国の書店で発売(※新型コロナウイルスの感染拡大の影響により、休業している書店では、店舗での書籍の受け取りができない場合があります)。コンビニ通販サイト「セブンネットショッピング」「HMV&BOOKS online」での注文、受け取りも可能です。
『幸福の花束Ⅲ』第3章に収録された珠玉の指導から
 【幸福勝利の人生】
 「先行きの見えぬ社会であり、人びとの不安は広がり、何が起こるかわからない時代の様相を呈しています。しかし、強盛な祈りがあれば、何があっても、必ず変毒為薬していくことができる。信仰とは無限の力です。無限の希望です。仏法に行き詰まりはないことを確信して、新しい船出を開始しましょう」
 (『新・人間革命』第26巻「法旗」の章)
 
 【一家和楽】
 「一家のなかで、最も大切な宝は、婦人の微笑です。夫も、子どもも、そこから勇気を得ます。希望を知ります。人生には、どんな苦難が待ち受けているか、わかりません。その時に、朗らかに微笑むことのできる人こそが、本当に強い人なんです」
(同第25巻「福光」の章)
 
 【創価の使命】
 「信心の松明をますます燃え上がらせ、社会を照らし出していく使命が、皆さんにはあるんです。お友だちを励ましてあげてください。皆の心に希望の光を送ってください。勇気の火をともしてあげてください。人を励まし、幸せにしていくなかに、自身の幸福もあるんです」
(同第26巻「法旗」の章)


【特集記事・信仰体験など】

◆〈現代と仏法〉第21回「“倫理的消費”の重要性」 四国大学短期大学部教授 加渡かずみさん
 鍵は“自分事”と考える哲学に4

 私は現在、国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」について学ぶためのプラットホームである「とくしまSDGs未来会議」の代表を務めています。SDGsは「誰一人取り残さない」との理念のもと、地球環境などの“このままでは持続できない世界”を“持続可能な世界”にするために取り組むべき17のゴールを定めたもの。その達成には、国や企業はもとより、地域社会の担い手である私たち一人一人の役割も重要です。
 その一つがゴール12の「つくる責任 つかう責任」です。消費者教育に携わる私は、この観点から「エシカル(倫理的)消費」の重要性を訴えています。これは商品を選ぶ際、多くの人が基準とする「品質」「価格」「安全性」に加えて「倫理性・社会性」という視点を持ち、人々の権利や環境の保護、地域の活性化に貢献しようとする消費行動のことです。
 実は私たちの消費行動は、社会や未来とつながっています。例えば商品を安く提供するため、どこかの国では低賃金で重労働が強いられ、環境が破壊されているかもしれません。それは、商品を買う消費者の志向と無関係ではないのです。
 もし私たちが、そうした事実に目を向け、生産者や労働者の暮らしと環境を守って作られた商品を積極的に選択すれば、こうした問題を解決に導くこともできるのです。だからこそ、エシカル消費は、今、手にしている商品の背景を知ることを大切に考えます。
行動しなければ何も変わらない
 現在、企業も商品が持つ背景やストーリーをホームページ等で公開し、消費者が知るための情報を発信しています。またエコマークやグリーンマーク、フェアトレードマーク等の表示も商品選びの目安となります。さらに環境を守るために「必要なものを必要なだけ買う」「使い捨てのものより、長く使えるものを選ぶ」という意識も大切でしょう。地産地消を通して地域産業を応援すること、被災地支援のための寄付金付き商品を選ぶこともエシカル消費です。
 ただ、知ったとしても“自分一人の努力では社会は変わらない”と思う人もいるかもしれませんが、行動しなければ何も変わりません。一人一人の消費行動は、地域や国を超え、さらに未来にまで影響を及ぼすことを忘れてはなりません。
 さて、エシカル消費で重要な点は“単に欲求を満たすための買い物”ではなく、背景を知った上で誰かのため、未来のために「行動する」ことですが、これは仏法の十界論で見れば、欲望に翻弄される六道から「菩薩界」という四聖の境涯に入ることに通じると思います。では、どうすれば「行動する」という菩薩の心は引き出されるのでしょうか。

一人一人が社会を変える主役!――SDGsを巡る学生部主催のシンポジウムで、代表が目標達成に向けてのアイデアを提案(昨年12月、都内で)

一人一人が社会を変える主役!――SDGsを巡る学生部主催のシンポジウムで、代表が目標達成に向けてのアイデアを提案(昨年12月、都内で)
 その鍵は「無顧の悪人も猶妻子を慈愛す菩薩界の一分なり」(御書241ページ)との御文にあると感じます。悪人も妻子を愛するように、菩薩の心は、自分にとって大切なもの、広く言えば“社会課題を自分事と感じること”から引き出されるのではないかと思います。
 事実、エシカル消費に対する感度は、若い世代ほど高いと感じます。エネルギーの枯渇や環境破壊の問題は、この世代にとって、まさに自分事の問題だからでしょう。
鍵は“自分事”と捉える哲学に
 私は、こうした自分事と受け止める心を、学会員は自然に育んでいると感じてなりません。なぜなら、学会員は日常的に地域の人々と関わり合いを持っているからです。人間関係が希薄な時代にあって、こうした絆は、あらゆる物事を自分事と捉える土壌になります。
 また“一人の行動が世界を変える”との人間革命の哲学を持っていることも、強みではないでしょうか。そこには“自分一人が努力しても”といった諦めはありません。
 新型コロナウイルスの感染拡大に伴う外出自粛など、さまざまな面で一人一人の行動変容が重要な今こそ、“自分事”との心を広げる創価の運動や哲学は、ますます必要とされているのです。
 (四国副学術部長)


◆〈オンライン座談会 皆が前進!皆が人材!〉20 電話で、手紙で、メールで――今こそ「真心」の声掛けを 医療従事者の方々の健康を祈念

「病める人 苦悩の人を/優しくも強き祈りで包みゆく/地涌の貴女の微笑みは/民衆の希望と勇気の源泉なり」――北海道・函館研修道場に立つ「白樺の碑」


「病める人 苦悩の人を/優しくも強き祈りで包みゆく/地涌の貴女の微笑みは/民衆の希望と勇気の源泉なり」――北海道・函館研修道場に立つ「白樺の碑」

  
〈出席者〉原田会長、長谷川理事長、永石婦人部長、志賀青年部長、大串女子部長

 志賀 新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、「不要不急の外出を控える」「人との接触を8割削減する」「3密(密閉空間・密集場所・密接場面)を避ける」など、各地で全力の取り組みが実施されています。
 
 大串 青年部としても、医学者とのオンライン会議を開催し、「若者の意識と行動の変化」などを訴え、「stayhome(=家にいよう)プロジェクト」を推進しています。
 
 原田 そこで今回は、公衆衛生を専門とするドクター部の意見を参考にしながら、「今、私たちができること。すべきこと」を確認したいと思います。
 
 長谷川 まず、専門家が強調しているのは、「正しい情報をもとに行動する」ことです。厚労省の発表によれば、今回のウイルスの致死率は、季節性インフルエンザに比べ、相当程度高いと考えられています。一方、罹患しても約8割は軽症で経過すると報告されています。また、国内では最近、約6割の感染経路が特定できておらず、日常生活の中での感染リスクが増大しています。
 
 志賀 先日、感染者の「濃厚接触者」の定義が、「発症の2日前から1メートル以内で15分以上接触した人」などと改められました。自分は“無症状感染者かもしれない”との意識を、より強くもつことが求められています。
 
 長谷川 WHO(世界保健機関)は、若者・中年層も重症化するリスクがあるとも指摘しています。こうした事実を知り、聡明に対峙していくことが大切になります。
 
 大串 長引く外出自粛による不安を口にされる方も多くいます。
 
 原田 運動不足で、心身に不調をきたす場合もあります。難しい状況の方もいるかもしれませんが、家の中でのラジオ体操など、日々の生活において、可能な範囲で工夫をし、運動不足を解消していきましょう。

バランスよい食事
 永石 「人とのつながり」の機会が少なくなって、「精神的な疲労が増えているように感じます」と訴える方もいます。
 
 長谷川 こういう時だからこそ、不安や孤独を一人で抱えず、誰かに相談していけるといいですね。「人とのつながり」の断絶は、できるだけ避けることが望ましいと専門家も述べています。
 
 原田 私たちは、これまで培ったネットワークを生かし、電話や手紙、携帯電話の「メール」等を活用して、積極的な声掛けをさらに強く実践していきたいと思います。
 
 長谷川 特に、高齢で1人暮らしの方には、「体調に変化はないか」「困っていることはないか」など、気を配っていきたいですね。今ほど、「励まし」が求められている時はないと痛感します。
 
 永石 また、商店街やスーパーの混雑も問題視されています。買い物には、できる限り、一人で、すいている時に行くよう、心掛けたいと思います。
 
 志賀 ウイルスを防ぐため、免疫力を高めることも強調されています。
 
 原田 一般的に、「栄養バランスのよい食事」「適度な運動」「十分な睡眠」が重要だといわれます。「楽しく笑う」ことも、体内の免疫細胞を活性化させるといわれていますね。

信仰は無限の希望
 大串 医療従事者の方々は今、わが身も顧みず、人々の命を守るため、必死に働いてくださっています。その肉体的・精神的な疲労は計り知れないと思います。
 
 永石 先日、ある白樺会のメンバーから次のような声が届けられました。
 「病院では慌ただしい日々が続いていますが、聖教新聞を通じて、池田先生が励ましを送ってくださり、地域の同志からも“しっかりと食事は取れている?”などと温かい言葉をいただいています。危険と隣り合わせの恐怖はありますが、一番不安なのは、患者さんとその家族です。家族と面会もできず、患者の方々は孤独を感じています。私たち白樺の使命は、寄り添い、励ましを送ることです。先生・奥さまをはじめ、皆さまの応援と祈りを感じながら働いているので、勇気が湧いてきます。ぶれない心で、創価の看護を実践し続けます」と。
 私たちは、慈愛の看護の使命に徹する、尊き白樺の皆さまをはじめ、医療従事者の方々に題目を送っていきたいと思います。
 
 原田 先生は、“病に苦しんでいる人のために尽くそうと、看護の仕事を選んだこと自体、菩薩の心の人たちなんだ”とたたえられています。医療従事者の皆さまの献身の行動に深く感謝し、日々の健康を真剣に祈念してまいります。
 また、仕事や生活の不安を抱えているかもしれない人に対し、“連絡しても忙しいのでは”との遠慮もあるかもしれませんが、配慮をしながら、「希望の灯」をともす「励ましの声」を届けていきましょう。
 
 長谷川 ある方は、遠くに住む親戚に電話をし、近況を確認し合ったそうです。「久しぶりに声を聞けて、元気をもらった」と言われ、電話をして本当に良かったと語っていました。
 
 永石 「返事を待つのが楽しいから」と友人や知人に手紙で近況を伝えている方もいます。多くの同志が智慧を湧かせ、「自分発」の挑戦をされています。
 
 原田 先生は15日付の「心に御書を」で、「相構えて、相構えて、心を翻さず、(妙法を)一筋に信じていくならば、現世安穏・後生善処となっていくのである」(1528ページ、通解)との御文を拝し、「信仰とは無限の希望だ。どんな逆境をもはね返せる。一つ一つ祈り抜き、変毒為薬の智慧を涌現するのだ」とつづられています。
 友に会えないつらさはありますが、私たちは「今こそ正念場」との自覚で、感染予防策を順守していきたい。そして一日も早い終息を強く祈り、皆の力で必ずや、この危機を乗り越えていこうではありませんか。


◆自閉症スペクトラム障害の青年から、両親が学んだこと㊦〈信仰体験〉 2020年4月23日

 【山梨県甲斐市】3歳の時、「広汎性発達障害」と診断された小林一昭さん(23)=男子部ニュー・リーダー。中学での壮絶ないじめを乗り越え、高校は特別支援学校で青春の思い出を刻んだ。そして就労支援を行う事業所へ就職を希望する。公務員の「障害者雇用枠」等の選択肢とで迷っていた両親も、“息子の人生を決めるのは息子自身だ”と思い至った。(21日から連載)

 父・芳昭さん(54)=圏長=は言う。「一昭は、いじめた加害者さえ、呼び捨てにしないんです。○〇君とかいうふうに。人間が好きなんだと思う」
 一方で、社会の最前線で働き、家族を守ってきたがゆえに、息子の将来を案ずる気持ちも強かった。一昭さんが幼い頃から、“何かの才覚が、未来を開くことにならないか”と考えた。しかし、明確に「自立」につながるものは見当たらない。葛藤した。だが、嘆き悲しんだままでいるつもりはなかった。
 青年時代、息子の状況を池田先生に報告する機会があった。後日、先生から伝言が届けられた。
 「絶対に負けてはいけない」

 芳昭さんはその伝言を胸に刻み、伝言に込められた意味を、息子の成長とともに考え続けた。
 「ご伝言をいただいた時は、広布の戦いを含めて、逆境に負けてはいけないと考えました。しかし、息子の成長の節目節目に当たり、思ったんです。戦う相手は自分。自分の内側から起こってくる嘆きや苦しさに、負けてはいけないということなんだと」
 そうした思いに至った頃、一昭さんが学会の「男子部大学校」に入りたいと考えていることを知った。
 「僕は、男子部の皆さんが息子に関わってくれようとした時、正直、無理だって思いました。男子部の活動の“速さ”に息子はついていけないと思ったし、男子部の人たちが息子を“待つ”ことも難しいと思った。でも違ったんです」

支えているんじゃない 僕らが彼を必要としている
 男子部のリーダーたちが、男子部大学校の話を一昭さんに伝えることを決めた時、「一昭君は、やり切れるだろうか」といった不安の声はほとんど出なかった。「本人を苦しめたり、負担になることは避ける」――それが皆の一致した意見だった。
 やがて始まった一昭さんの大学校での活動。親友の智典さんへの仏法対話が進んでいくにつれ、一昭さんに関わる男子部の先輩は、多くを学んだという。
 「一昭君が智典君を思い、『幸せにしたい』という心。その強さと信頼が、弘教が実った理由でした。実証って、形あるものばかりじゃないと思うんです。誰かに“あいつすげえな、あんなふうに生きられる学会っていいな”って、思ってもらえること。
 そのドラマを目の当たりにして、男子部のみんなが“もっと一昭君と一緒にいたい”と思ってる。僕らが彼を支えているんじゃない。僕らが、彼を必要としているんです」
 ――入会から2年。今度は智典さんが男子部大学校3期生に。“知らない人もいる中、やれるかな”と不安に思っていた智典さんへ、一昭さんが「僕も一緒にやるから」と。新たなスタートを切った。
 “形あるものばかりが実証ではない”。そう語ってくれた男子部員は、県内で、大人気の飲食店を2店舗展開する。今は新型コロナウイルスの影響で夜間営業を自粛。激動の社会情勢に、「不屈の生命力を湧き立たせて、立ち向かいます」と誓う。
 多様な人々が、違いはあっても生命の平等を確信し、相手から学び合う――その視点が広く世に伝播していく時、共生社会の未来が開けると確信する。(連載おわり)

◆連載〈新型コロナに立ち向かう〉 2020年4月23日

 【東京都新宿区】国際化が進み、多文化共生のモデルとして光の当たる新大久保商店街。韓国を中心に各国の店が並ぶ。この商店街で「島村印店」の2代目店主を務める伊藤節子さん(68)=支部副婦人部長(地区婦人部長兼任)。 ?
 女性で初めての新大久保商店街振興組合の理事長でもある。
 例年4月は、来日したばかりの留学生たちが次々と来店する。
 カタカナ名のはんこを作っては、伊藤さんはカウンター横に貼った「ありがとう」の各国語一覧を確認。相手の言語で感謝を伝える。
 一日数十本を作るところが、今は留学生の姿は全く見られない。
 「うちみたいに、家賃や人件費が必要のない店はまだいい方です。商店街の他のお店からは、厳しい状況を聞きます」
 少し前までは客が3割減、次第に予約が無くなり、最近は9割減。休業している店が多い。
 「人が来ないと大変。感染が広がったらいけないから、来ても大変でしょ」
 多くの若者が訪れる商店街だけに、複雑な気持ち。それでも題目を唱え、前を向く。
 「今までも、いろんな出来事があったからね」
 店も商店街も、変化に順応してきた歴史がある。
 新大久保に日本語学校が増えたのは1980年代。外国人のための飲食店が増え始め、商店街は徐々に姿を変えた。 
 伊藤さんが父から店を継いだのは1990年(平成2年)。
 好景気の時にはよく売れた高級な印鑑は、見向きもされなくなっていく。
 その後、韓流ブームによってコリアンタウン化が進んだ。伊藤さんはハングルでの印鑑作りを考案。客足を取り戻した。
 2013年には、在日コリアンへのヘイトスピーチ(差別煽動表現)が広がり、商店街への客足は減少。韓国の店も撤退(てったい)した。
 学会活動に駆けながら、思った。“人と人の心を結び、共生の模範となる商店街にしたい”
 15年、商店街振興組合の理事長に。さまざまな国の人たちと語らう場を増やした。
 17年には、中心者の一人となってインターナショナル事業者交流会を立ち上げた。日本、韓国、ネパール、ベトナムの事業者が集まる通称「4カ国会議」。
 価値観の違いによる摩擦(まさつ)ではなく、課題を話し合い、助け合うことを大切にした。
 各国の文化に触れるイベントを企画し、昨年夏に「第1回新大久保フェス」を成功に導いた。
 最近は、給付金などを受けるための申請について、外国人の事業者から「日本語が難しい」と相談を受け、行政に通訳の必要性を訴えている。

 これから先、商店街がどうなるのか。何ができるのか。まだ分からないが、決意はぶれていない。  「大きく変わりますよ。悪い方ではなくて、必ずいい方向にね」
 そう語る伊藤さんは、かつて店を継ぐのをためらった時期がある。背中を押したのが、池田先生が新宿の友に贈った長編詩「ああ 本陣の使命の曲」だった。
 「ああ 不思議なる同志よ/久遠からの深き宿縁ゆえか/宇宙より呼びいだされた人びとか/幸の城・新宿に集い来りし/使命という究極の道を舞いゆく友よ」
 今いる場所で、縁あって新大久保に集まった人々と共に――。伊藤さんの決意は固い。
 「ただ、“乗り越える”という以上に、“この試練があったから”という結果を将来つかむ。そうしていくと決めています」

◆寄稿 「緊急事態宣言と心のケア」 日本精神衛生学会元理事長高塚 雄介
 物理的に離れても 心の距離まで広げない

 政府は16日、7都府県を対象地域としていた緊急事態宣言を全国に拡大した。ここでは日本精神衛生学会元理事長の高塚雄介氏に、「緊急事態宣言と心のケア」と題して寄稿してもらった。
物理的に離れても 心の距離まで広げない
 耳慣れない「緊急事態宣言」が国から出されたことに戸惑いを感じた人も多い。テレビが映し出す他国の様子から、軍や警察が動員されており、あたかも戒厳令が行使されているように見え、同じことが日本でも行われるのではないかと思った人もいるだろう。
 戒厳令はもとより、ロックダウン(都市封鎖)を行うものではないと安倍総理は否定したが、それではなぜ「緊急事態宣言」が出されたのだろうか。
 実は緊急事態宣言に類するものはこれまでにもある。日本では地震や津波、火山の噴火などの自然災害が突然起こる。そのことにより生命が脅かされると思われた場合、「避難勧告」「避難指示」が出される。
 国によっては、避難を強制する命令が出されることもあるが、日本では「避難命令」という制度はない。「避難指示」は命令に近いのだが、それに従わない個人に対し強制はできない。「避難勧告」になると、避難するかしないかは本人の判断に委ねられている。勧告に従わず、危機に遭遇したとしても、それは自己責任とみなされた。 新型コロナウイルス感染症対策本部で発言する安倍晋三首相(左手前から3人目)=16日夜、首相官邸

新型コロナウイルス感染症対策本部で発言する安倍晋三首相(左手前から3人目)=16日夜、首相官邸

「自粛」だけでは限界が
 今回の「緊急事態宣言」は家にとどまることで危険を回避するよう求めたわけだが、「自粛」という言葉は実は「避難勧告」に当たる。最終的な責任は当事者に委ねられている。しかし、今回のような感染症から身を守るのに、それでいいのだろうかという批判が多く出された。自粛と重なる在宅ワークに応じるように求められたが、それに応じることができた企業は限られており、日本で企業の従業者数の7割を占める中小企業にはあまり浸透していない。
 つまり、個人の判断を重んじる自粛という形で対応するのには限界があり、ある程度、強制力が働く、いわば「避難指示」的な要請を出しやすくしたのが、今回の「緊急事態宣言」になったと考えられる。
 
家という閉ざされた空間
 感染症もまた、地震などの自然災害と同じに考えてみると、それは生命の危険と関わっているものであることが分かる。しかし差し迫った生命の危険に関わるものでありながら、それを実感できないところが怖い。切迫感がなかなか生まれてこない。
 となると「避難勧告」のように自己決定=自己責任の問題として処理する問題ではないということに目を向けなければならなくなる。危機管理というものは最悪の事態を想定して講じるものである。日本人には「何とかなるさ」とか「様子を見よう」といった考え方をしやすいところがあるが、それでは手遅れになりやすい。
 今回の感染症に罹患することを防ぐには三密を避けるということが早い段階から打ち出された。密閉・密集・密接の重なるところに感染が起きやすいということであり、外出自粛にせよ、環境閉鎖にせよ、三密になる場所から遠ざかるということが重視されている。
 それはよく分かるが、実はそれに抵触するのが日本の家屋である。地方の大きな家屋は別として、都市社会のアパートや団地の場合には三密を避けろと言われても難しい。小さなトイレを共有し、小さなテーブルを囲んで食事をし、数人で寝室を共有する生活をしている以上、そこで緊密になるなと言われても無理である。
 日本では家庭が一番感染源になりやすいということもあり得る。感染が分かれば、まず家庭から離れることを考えるべきだろう。
 これまでは家庭や家族というのは人が最後に頼れる場であるとされてきた。しかし、家族もまた一人一人が異なる価値観を有する人の集まりである以上、そこにはトラブルも生まれやすいことにも目を向けておくことが必要である。
 とりわけ逃げ場がない社会というのは心を歪めやすい。そこに、DV(家庭内暴力)や虐待といった病理現象も生まれやすい。その背景としては閉ざされた空間というものがもたらすストレスが大きい。

新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言発令を受け、通勤時間帯にもかかわらず通勤客が減ったJR大阪駅前=9日午前、大阪市北区

新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言発令を受け、通勤時間帯にもかかわらず通勤客が減ったJR大阪駅前=9日午前、大阪市北区心が歪む四つのきっかけ
 こころの健康(精神衛生)の課題というのは、その人の生きざまとその背後にある文化を抜きにしては考えられないのだが、現に置かれている状況というのも大きい。家族間に起こる病理行動というのもそこから生じていることに目を向ける必要がある。
 夫婦や親子といえども、ある程度距離を持って生きてきた人間同士が、突然密着した生活を余儀なくされることにより生まれる緊張感と、それに伴う精神的ストレスが増していくことを知っておく必要がある。
 人間の心に歪みがもたらされるきっかけは大きく言って四つある。
①不安
 一つ目に不安が募った時である。これからどうなっていくのか分からないというのが一番不安を募らせる。正確な情報と対策が、できる限り早く提供されなければならない。しかし、医療崩壊であるとか、経済的破綻といったネガティブな情報はより不安を高めやすいので、そうしたネガティブな情報は、それをどう解消しようとしているのかといった情報と一緒に専門家やマスコミは流すべきだろう。
②不満
 次に不満を持て余すことである。先にも指摘したストレスからもたらされやすい。狭い空間でも可能な身体を動かす工夫をまず行うことである。できれば部分的なストレッチではなく、全身的なものが良い。また普段は有料でしか見られない映画などが無償でテレビやスマホなどに提供されるだけでも気分転換になる。
③孤独感・孤立感
 三つ目として孤独感・孤立感に陥った時である。特に1人暮らしの人は注意が必要である。高齢者向けの訪問電話のようなものを地域社会で拡充しておくことが大切である。外出の自粛勧告により、電話相談機関も多く活動を中止しているが、これはむしろ稼働させた方が良い。
④自尊心を保てず
 最後に挙げておきたいのは自尊心が保てなくなった時である。人間は唯一自尊心に支配される動物であるとされる。

 老若男女を問わず、過去の経験や培った価値観にこだわりやすい。しかし、非常事態にはそうした経験や価値観というものは周りからは尊重されなくなりやすい。むしろ、邪魔者扱いさえされる。高齢者ほどそれは悲しい。その人たちの過去の体験や価値意識というものをどのように生かしていくかを周りは考えていくべきだろう。
 
周囲の人たちの心配り
 何らかの非常事態に遭遇した時は、多くの人の心には、この四つが繰り返し起きる。それが放置され、長期化すると次第に心の歪みをもたらし、うつ的症状や神経症的症状にもつながっていく。
 物理的な距離を保つことはできても、そのことで心の距離まで広がることは避けなければならない。心の健康が阻害されることを防ぐには周囲の人たちの心配りが求められる。
【プロフィル】
 たかつか・ゆうすけ 1945年、中国・旧満州生まれ。明星大学名誉教授。臨床心理士。明星大学教授、同大学院人文学研究科長などを歴任。公益財団法人・日本精神衛生会理事。

2020年4月22日 (水)

2020年4月22日(水)の聖教

2020年4月22日(水)の聖教

◆わが友に贈る

   新型コロナに便乗した
 詐欺に注意しよう!
 個人情報を問い合わせる
 連絡には厳重警戒!
 周囲にも確認・相談を!

◆名字の言 小旅行が中止に。肩を落とす壮年の家に孫がやって来て……

 80代の壮年が、春休みに予定していた中学生の孫との小旅行は、新型コロナウイルスの影響で中止に。出掛けるはずだった日、肩を落とす壮年の家で、孫たちがスマホをテレビにつなぎ始めた▼画面に映し出されたのは、行こうとしていた場所を紹介する動画。空気がいっぺんに明るくなる。“気分だけでも”と、一緒に眺めながらの語らいが弾んだ▼「あと何度、孫と出掛けられるか……」と感じていた祖父だったが、思ってもみない形で孫のやさしさに触れ、「元気で長生きして、コロナが終息したら、どんどん一緒に出掛けたい」と、かえって意欲を湧かせていた▼埼玉のある女子部では、単に家の手伝いをと呼び掛けるのではなく、SNSで「お料理で親孝行」「そうじをして日頃の感謝を」等の項目を共有し、<この週末、誰が、どれに挑戦するか当ててみよう!>と、クイズ形式で楽しく家でできることに取り組んでいた▼外出自粛が続く日々は、ストレスもたまりやすい。そんな状況の中でも、ちょっとした心配りがあれば、皆で楽しく乗り切れることがある。池田先生は、「人情の機微をふまえた“気配り”」を、「人間関係の潤滑油」と。わが家で、地域で、職場で、私自身が“潤滑油”となり、心豊かに日々を過ごそう。(道)


◆寸鉄

難題抱える社会には学会
の利他精神が必要―識者
電話やメールで激励更に
     ◇
幸福だから笑うのではな
い。笑うから幸福なのだ
―哲人。太陽の心で前進
     ◇
週末の外出、3~85%減
と地域で大きな開きと。
「今は緊急時」の意識強く
     ◇
休校で最も困るのは運動
不足―調査。家庭でも体
動かす習慣を。賢く工夫
     ◇
地球の日。自然破壊は新
たな感染症招く恐れと。
依正不二こそ時代の光源


◆社説 きょう「アースデー」50年  「今の」「自分の」「正しい行動」を

 4月22日は「アースデー」。地球に感謝し、地球の未来について考える日だ。1970年、公害問題が表面化しつつあったアメリカで、一学生の呼び掛けに呼応し、約2000万人もの国民が主体的に環境保護の行動を起こしたのが淵源だ。
 以来、半世紀。新型コロナウイルスの脅威に直面する私たちも、地球の未来のために今、なすべきことを主体的に考え、行動することが求められている。
 新型ウイルスには、まだワクチンも確たる特効薬もない。だが、東京医科歯科大学の藤原武男教授は「正しい情報こそ、ウイルスの感染拡大を食い止める“心のワクチン”」と指摘する。“心のワクチン”をいかに広く供給し、共有していくか――ここに感染防止の鍵があり、その先頭に今、青年が立ち上がっている。
 創価学会青年部では若者に不要不急の外出を控えるよう訴える「stayhomeプロジェクト」を推進。また、医学者とのオンライン会議を開催し、本紙を通し、正しい情報発信に努めている。
 会議では、自分自身が無症状感染者であるという前提に立って①密閉②密集③密接の「3密」を避け、「手洗い・うがいを入念にする」「不要不急な外出は控える」「正しい情報を入手し、大切な人に伝える」ことが重要であると確認。人と人の接触機会「8割減」などを呼び掛け、「『今の』『自分の』『正しい行動』が、自分のみならず、多くの人の命を守ることになる」と訴えている。
 一方、ロンドン大学衛生熱帯医学大学院のクレア・バーチンガー博士は「人との接触を断つ意味で『孤立』は何より大切ですが、誰一人として『孤独』にしてはいけない」とも指摘する。電話やSNSを活用した励ましの重要性は、いや増して高まっている。これも精神的な健康を守る“心のワクチン”といえよう。
 「アースデー」誕生後の72年、ローマクラブがリポート『成長の限界』で人口爆発、環境問題などに警鐘を鳴らした。同クラブの創立者であるペッチェイ博士は「物質主義に心酔したままでは人類は破滅する」と憂い、「未来への責任感」から一人立ち上がったのである。
 「責任感」の一言に応えて、池田先生は「責任は、受け身の義務感ではない。自分が今、何をなすべきか、自分で決める。自覚の問題であり、信念と境涯の次元の問題である」と語った。
 自分には何ができるかを自らの責任と捉えて考えていくことが、いかに重要か。「誰か」ではない。「いつか」でもない。「今の」「自分の」「正しい行動」が、地球という私たちの運命共同体の未来をも決めていく。「アースデー」に際し、あらためて、その自覚を大切にしたい。


◆きょうの発心 日女御前御返事 埼玉・上尾県総合婦人部長 加島亜希子2020年4月22日

御文 此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり(日女御前御返事、1244ページ・編1024ページ)
通解 この御本尊を決して他の所に求めてはならない。ただわれら衆生が法華経(御本尊)を持って南無妙法蓮華経と唱える、胸中の肉団におられるのである。これを「九識心王真如の都」というのである。

気迫の祈りで「転重軽受」を確信
 御本尊は別のどこかにあるのではなく、南無妙法蓮華経と唱える自身の胸中にある、との仰せです。
 母子家庭で育った私は、どんな宿命の嵐にも、題目で立ち向かう母の姿に信心を教えられました。
 高校1年の夏、鹿児島・霧島で行われた未来部の研修会に参加。渾身の激励を送ってくださる池田先生の姿に触れ、“広布の使命を果たそう”と誓い、師弟の原点を築くことができました。
 その後、夫を折伏し結婚。娘2人も信心に励んでいます。昨年夏には、突然、病に襲われ、不安がよぎりましたが、誓いの原点に立ち返り、気迫の唱題で病魔に打ち勝ち、医師も驚くほどの早さで全快。以前よりも頑健な身体になり、転重軽受の功徳を確信しています。
 報恩感謝の思いで、上尾県の皆さまと、使命の天地で励ましに徹していきます。


【先生のメッセージ】


◆連載〈世界広布の大道〉小説「新・人間革命」に学ぶ 第18巻 解説編 


 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第18巻の「解説編」。池田博正主任副会長の紙上講座とともに、同巻につづられた珠玉の名言を紹介する。
  
紙上講座 池田主任副会長

ポイント

①危機に立ち向かう
②聖教の使命と役割
③「師恩」を報ずる

 「前進」の章では、「オイルショック」(石油危機)について詳しく触れられています。1973年(昭和48年)10月、第4次中東戦争が勃発し、石油価格が高騰しました。買いだめやモノ不足をはじめ、日本社会に混乱が広がり、世界は不況に陥りました。   

 山本伸一は、こうした社会の混乱の根本原因について、御書の「諫暁八幡抄」を拝しながら、「その背後には、欲望に翻弄され、便利さや快適さばかりを求める人間の生き方がある」(272ページ)と洞察します。   
 そして、「法華経の行者・日本国に有るならば其の所に栖み給うべし」(御書588ページ)との一節を拝し、諸天善神は、私たちの実践によってその働きを示すのであり、「どこまでも唱題第一に、広宣流布の使命を断じて忘れることなく、智慧を絞り、活路を開くために努力し抜いていくこと」(275ページ)を強調しました。   
 今、新型コロナウイルスの感染拡大によって、世界は大きな危機に直面しています。国連のグテーレス事務総長は、「第2次世界大戦以降で最も困難な危機」との認識を示しました。
 こうした状況の中、医療に従事するドクター部・白樺の友をはじめ、多くの同志が地域・社会のために奮闘してくださっています。   
 青年部は、新たな“活路を開く”取り組みを開始しました。不要不急の外出を控えることを訴える「stayhome(ステイホーム)プロジェクト」や、青年部と医学者による「オンライン会議」が反響を呼んでいます。さらに、“歌の力”で困難を乗り越えようと、歌づくりのプロセスを共有する参加型プロジェクト「うたつく」(歌をつくろう)の輪も広がっています。   
 「飛躍」の章は、世界経済の激動の中で幕を開けた74年(同49年)元日から始まります。
  
 当時の同志は、「“今こそ、私たちが立ち上がるのだ。試練の時代だからこそ、仏法を持った私たちが、希望を、勇気を、活力を、社会に発信していくのだ!”」(291ページ)と誓い合いました。私たちの信仰は、逆境を“前進のバネ”へ転じていく力なのです。
  
荘厳な夕日が大空を、海面を黄金に染め上げる。ハワイ・マウイ島の光景を、池田先生がカメラに収めた(1973年8月)

混迷の社会の羅針盤
 新型コロナウイルスによる活動自粛が続く局面において、聖教新聞が果たす役割は大変に大きい。
  
 池田先生は随筆「生命凱歌の言論城」(本紙20日付)で、「『変毒為薬』と『価値創造』の英知を発信する」聖教の使命を述べられ、「人間への『励まし(エンカレッジ)』と『内発的な力の開花(エンパワーメント)』を促す言葉を紡ぎ、苦難に負けない民衆の心と心をつなぐ柱とならねばならない」と強調されました。
 「師子吼」の章では、伸一が、聖教に携わる関係者に対し、時に指針を示し、時に万感の励ましを送る模様が描かれます。
  
 73年5月3日に開催された「全国通信員大会」では、聖教新聞は「読者を『彼』として扱わず、親しい『あなた』として呼びかける新聞である」(68ページ)と確認。記者に対しては、「全読者に対して、喜んでいたら共感を表明し、悲しんでいたら勇気づけ」「混乱したら整理し、弱ったら守る」(同)と具体的にアドバイスをしました。   
 第18巻につづられる通り、聖教新聞の土台と発展は、師匠の手作りで築かれたものなのです。 
 昨年9月、「創価学会 世界聖教会館」が竣工し、池田先生は足を運ばれ、聖教の歴史に新たな一ページが刻まれました。そして今月20日、聖教新聞は創刊69周年を迎えました。
 世界聖教会館の正面玄関に、「聖教新聞 師弟凱歌の碑」が設置されています。先生は「聖教の使命はあまりにも深く、重い」「此の地から、永久に師弟共戦の師子吼が放ちゆかれることを信ずる」と碑文にとどめられました。
 不安が覆う時代だからこそ、「混迷する社会の羅針盤」(204ページ)である聖教新聞は、“人間の機関紙”として、勇気と希望の大師子吼を轟かせてほしいと思います。
  
求道の心燃やし
 恩を感じ、恩に報いるというのは、人類共通の倫理です。日蓮大聖人は、「いかにいわうや仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや」(御書293ページ)と仰せです。
 人間は、“父母”と、生まれてくる“国”を選ぶことはできません。しかし、“師匠”は自ら求め、自分の中に定めることができます。
 「師恩」の章では、伸一を人生の師と決めた同志たちの奮闘が描かれます。男子部の人材育成グループ「白糸会」のメンバーは、68年(同43年)の結成以来、長きにわたり、伸一から数々の激励を受け、「一途に求道心を燃やし、仏法の師を求め抜いた」(124ページ)のです。
 また、鳥取の女子部員は、小児まひがある中で、「’73山陰郷土まつり」で、リズムダンス「梨娘」を披露。「自分の尊き使命を教えてくれた山本会長に、師恩を深く感じながら」(182ページ)練習に励むことで、見事に演じ切ることができました。
 同章では、第2代会長・戸田城聖先生の故郷である北海道・厚田村(当時)を舞台にした、伸一の「報恩」のドラマもつづられています。
 伸一は、60年(同35年)の第3代会長就任直後、厚田村を訪問。この時、恩師・戸田先生に対する伸一の“師への報恩の思い”に触れた厚田の同志たちは、「山本先生に代わって、戸田先生の故郷を守り抜こう」(137ページ)と立ち上がりました。
 そして、“山本先生ならどうされるか”を真剣に考え、師匠と心を合わせ、地域広布に走り抜きました。
  
 厚田の友の地道な行動によって、信頼が大きく広がりました。73年9月には、伸一を招いて「村民の集い」が開催され、戸田先生の思いを受け継いだ「図書贈呈」も行われました。
 厚田村の広布の伸展は、伸一の戸田先生に対する、そして厚田の友の伸一に対する報恩の証しでもありました。
 「心に師をもって戦う人は強い」「師の心をわが心とする時、弟子もまた師の大境涯に連なり、無限の力が湧く」(140ページ)のです。
 師弟不二の道こそ、学会の魂であり、広宣流布の生命線です。池田先生は、戸田先生の「師恩」に報いる行動に徹し抜かれました。
 「師恩」とは、弟子が「師匠以上に成長し、法のため、社会のために尽くし抜く」(198ページ)ことにほかなりません。創価三代の師弟の精神を胸に、弟子の道を貫く――それが、私たち池田門下の実践です。

自ら言論戦の先頭に立ち、原稿の執筆に当たる池田先生(1972年11月、東京・信濃町の旧・聖教新聞本社で)

名言集
●新たな長所
 自分のハンディや欠点を自覚し、その克服のために、懸命に挑戦を開始する時、それは新たな長所となって輝く。そこに信心の力がある。(「師子吼」の章、14ページ)
●主体者として
 自分は傍観者となり、ただ批判をしているだけでは、破壊ではないか。主体者となって立ち上がろうとしなければ、自分の成長も広宣流布の建設もない。(「師子吼」の章、98ページ)
●自身の跳躍台
 人生には必ず悩みはある。大変だな、辛いなと思うことも、題目を唱え抜いていくならば、むしろ、成長のための養分とし、自身の跳躍台にすることができる。(「師恩」の章、122ページ)
●無明を打ち破れ
 自身の宿命の転換は、人頼みではできないのだ。自らが真剣に信心に励み、無明の雲を破って、わが胸中に仏性の太陽を赫々と輝かせてこそ、可能となるのである。(「前進」の章、220ページ)
●本当の信仰
 本当の信仰は努力の原動力となるものだ。いかなる人生の試練にも屈せぬ自身の力を引き出し、人間を強くするためのものだ。(「前進」の章、228ページ)
●広布を決するもの
 広宣流布は状況のいかんが決するのではない。同志に脈打つ使命感と確信と歓喜ある限り、前進の大道は開かれるのだ。(「飛躍」の章、336ページ)


【聖教ニュース】

◆〈危機の時代を生きる〉米コロンビア大学医学部感染症内科学 辻守哉 教授 2020年4月22日
 新型コロナウイルスの克服へ 今こそ研究者が連帯を

 新型コロナウイルスの感染者数は世界全体で約248万人、死者は17万人以上となった(4月21日現在)。感染拡大の終息に向けて、世界の研究者が今、ワクチンや治療薬の実現に全力で取り組んでいる。アメリカ・ニューヨークにある名門コロンビア大学医学部の辻守哉教授(感染症内科学)も、その一人だ。ワクチン開発の第一人者である辻教授に、新型コロナウイルスの脅威や開発の展望などについて、通話アプリ「スカイプ」とメールで取材した。
 (聞き手=光澤昭義記者)

 ――アメリカの感染者、死者の数は共に世界最多です。とりわけ、ニューヨーク州は感染拡大の中心地であり、最も緊迫した地域となっています。日本の各種メディアでも連日、都市封鎖、外出禁止で人の往来がなくなったマンハッタンの中心街の様子をはじめ、ニューヨークの現況が広く報道されています。ニューヨーク在住30年以上の辻教授にとって、あまりにつらい現実だと思います。
  
 活気にあふれ、にぎやかなニューヨーク市が今や、残念ながら、ほぼゴーストタウンと化しています。一部の食料品店や薬局、病院を除き、あらゆる店が閉じられています。痛ましいことにニューヨーク州では、連日700人以上の尊い命が新型ウイルスの犠牲になってきました。一日の死者数は今も数百に及びます。しかし、州と市のイニシアチブによる徹底したソーシャル・ディスタンシング(社会的距離)の要請が奏功し始め、新型コロナウイルスの患者数はピークを過ぎつつあります。
 私が感心しているのは、自由と多様性を好むニューヨーク市民一人一人が非常時を自覚し、一致団結し、不必要な外出をしっかり控えていることです。しかも、こうした行動はニューヨークだけでなく、アメリカ全域にわたっています。アメリカの底力を目の当たりにした思いです。
  
 ――ニューヨークでの早期の終息は可能でしょうか。
  
 現段階では、どの専門家にも、感染拡大の終息を予想することは極めて難しいといえます。専門家のチームが一日の感染数などをリアルタイムで詳細に解析し、毎日、シミュレーションをつくり変えている現状です。治療薬が見つかる可能性を考慮しても、終息には半年から1年以上かかるかもしれません。
 少なくとも、市民が歯を食いしばり、一丸となってソーシャル・ディスタンシングを忠実に守り続けることが必要条件でしょう。

 つじ・もりや 1958年、東京生まれ。東京慈恵会医科大学を卒業後、東京大学大学院で博士号を取得(免疫学)。87年に渡米。ニューヨーク大学准教授、ロックフェラー大学アーロン・ダイアモンド・エイズ研究所教授を経て現職。千葉大学客員教授、東京慈恵会医科大学客員教授を併任。マラリアやエイズなどのワクチン開発で、医学界から高い評価を得ている。

 ワクチン・新薬・治療法の開発が急務  不可能を可能にする挑戦
 早期終息の鍵握る社会的距離(ソーシャル・ディスタンシング)思いやり、責任感、団結が肝要

 ――一流の研究者にとっても不明な点が多いと聞きます。
  
 その通りです。例えば、感染者全体のうち重症化は約2割。その原因には免疫系の暴走などが挙げられていますが、糖尿病や高血圧など基礎疾患のある人や高齢者だけでなく、若い人の症状も急激に悪化しており、なぜ重症化するのか、はっきり解明されていません。また、呼吸困難で亡くなる方が多い一方、心臓や腎臓が機能しなくなり、多臓器不全が死因となるケースも少なくないのです。
 分かっている点の一つとして、軽症で済む人には新型コロナウイルスに対する抗体が出ない人がいます。それに加え、本来ならばウイルスを攻撃する抗体が逆に、重症化させることがあります。つまり、軽症で終わる場合、他の免疫系が影響している可能性が考えられるのです。
  
 ――世界の研究機関や大手製薬会社が今、人類を救うワクチン、治療薬の開発を急ピッチで進めています。
  
 私の研究室は今年初め、コロンビア大学医学部に移りました。COVID―19(新型コロナウイルス感染症)の終息を目指し、大学内の一流研究者グループとチームを組み、新型コロナウイルスに関する免疫学的・ワクチン学的研究に従事しています。
 最近、BCGワクチン接種の有無と新型コロナウイルスの罹患との相関関係が統計学的に解析され、その論文が話題になりました。現在、私自身が作製した、ヒトとほぼ同じ免疫系の「ヒト化免疫マウス」に改良を重ね、この相関関係を検証できる実験系を確立したところです。ワクチンの開発に、ヒト化免疫マウスは非常に有用だと考えます。
 ワクチン開発中の大手製薬会社と組み、ワクチンの免疫を増強する補強材として、私が10年ほど前に発見したアジュバント(糖脂質)を使用することも検討中です。
 さらに、ワクチンの開発とは別に、独自の免疫治療剤の開発にも着手しています。これが実用化されれば、今までにない発想に基づく、画期的な免疫療法になると期待しています。
 何としても半年以内に成果を出そうと決意し、週末も休まず、寝る間を惜しんで研究活動に集中しています。
  
 ――「今年中のワクチン実用化」を目指す動きもあります。
  
 通常、ワクチンが市場に出るまで5~15年かかりますが、実用化には、人への臨床試験を行い、その安全性と効果を明確に示すことが必須です。それには長期のモニタリングが不可欠です。
 前例のない速さで、おそらく1年~1年半で開発されるでしょうが、その安全性と効果が曖昧のままに使われる可能性があり、かえって危険だといえます。
 一般の市民は「ワクチンがあるから、もう大丈夫だ」と安心し、外出し始めてしまう。新型コロナウイルスの蔓延を再び加速させることが強く懸念されます。
  
 ――COVID―19の治療に、抗インフルエンザ薬「ファビピラビル(アビガン)」をはじめ既存の薬を応用することにも期待が高まっています。
  
 既存の薬の中から、効果のある薬を探すことは賢明なアプローチだと考えます。人への投薬の安全性が確立されているからです。ただし、COVID―19にどれほど効果があるのかについて、信頼性のある臨床試験で実証しなければなりません。
 日本で関心が高いアビガンだけでなく、抗関節リウマチ薬「アクテムラ」、エボラ出血熱に対する新薬「レムデシビル」など複数の既存薬を徹底比較する、大規模な臨床試験が必要でしょう。しかも投薬対象となる患者の状態、つまり重症度や年齢などで薬の効果が左右される可能性があります。注意深い検証が求められますが、時間の猶予がないことも確かです。
 最終的には、患者の症状に応じて、治療薬や免疫治療剤、ワクチンなどを使い分けるのが望ましいと考えています。
 新型コロナウイルスとの闘いはマラソンに例えられますが、私にとっては時間との戦い。「不可能を可能にする」挑戦なのです。
  
 ――世界の人々が研究の進展を期待しています。
  
 人道的な見地から、私たち研究者は今こそ、「何のために研究しているのか」を自らに問う必要があるでしょう。
 研究者同士が競い合うことは、もちろん大切ですが、研究者一人では“大事”をなし得ません。
 新型コロナウイルスの克服にはアメリカ、日本、ヨーロッパ各国をはじめ世界の研究者が所属や立場を超え、それぞれの研究の特長や強みを発揮しながら、他の研究者や研究機関との共同研究に取り組むこと――すなわち、研究者間の連帯が肝要です。
  
 ――日本では感染者数が日に日に増加しており、政府は16日、「緊急事態宣言」を全国に広げました。また最近の調査によると、感染爆発が危惧される首都・東京では、20代、30代を含む若い世代の感染増加が指摘されています。
  
 医療従事者や研究者に限らず、誰もが新型コロナウイルスと闘わなければなりません。その際、最も大切なのは「思いやり」「責任感」、そして「団結」でしょう。
 ニューヨーク州のアンドリュー・クオモ知事が記者会見(4月12日)で、こう述べました。
 “この暗い日々の中、ある老人ホームの施設が自ら名乗り出て、35台の人工呼吸器を州に提供してくれたのだ……こうした苦難の時こそ、最後には人間の生まれもつ善が勝つ、と私は信じる”
 私たちがどう行動するかで、今後、ウイルスに勝てるかどうかが決まります。
 日本でも、一人一人が他者を家族のように愛し、敬うことができれば、「不要不急の外出をしない」という義務を果たし、COVID―19の拡大を早期に終息させることができると確信します。
ご感想をお寄せください
kansou@seikyo-np.jp
ファクス 03―5360―9613

◆「大白蓮華」5月号が完成   2020年4月22日

 「大白蓮華」5月号が完成した。

 巻頭言は「地球民族の揺るがぬ宝塔を」。池田先生は、人間への尊敬と信頼の絆を、未来へ遠大に広げていこうと呼び掛ける。

 講義「世界を照らす太陽の仏法」のテーマは「誰もが輝く『人間主義の世紀』へ!⑤」。また先生の会長就任60周年記念企画として、60年の軌跡を、10年ごとの「5・3」の指導とともに紹介する。
 209円(税込み)。地域によって配達日が異なります。電子書籍は、希望小売価格188円(税込み)。価格や配信日は各電子書店によります。


【特集記事・信仰体験など】

◆第3代会長就任60周年記念「師弟凱歌の記憶」 第2回「御書全集の発刊」 2020年4月22日

御書の発刊後、幸福の哲学を求める声はさらに広がり、戸田先生は1953年11月に再版を決定した。教学部の代表として校正に当たる池田先生㊨

御書の発刊後、幸福の哲学を求める声はさらに広がり、戸田先生は1953年11月に再版を決定した。教学部の代表として校正に当たる池田先生㊨

 「御書根本」こそ、難を乗り越え、勝利の道を開く、学会の永遠の魂である。
 1951年(昭和26年)5月3日に第2代会長となった戸田城聖先生は、翌6月、早くも『御書全集』の発刊を発表する。
 “戦時中の弾圧で幹部が退転したのは、教学がなかったからだ。
広布を進めるためには一人一人が御書を心肝に染め、揺るがぬ信心を築く以外にない”――これが、戸田先生の結論であった。
 池田先生は、依然厳しい状態にあった師の事業の一切の責任を担いつつ、御書発刊を黙々と支えた。連日連夜にわたる校正作業を経て、52年(同27年)4月28日、立宗700年の日に御書全集は発刊。発願から、わずか10カ月の短時日で、約1700ページに及ぶ「希望の経典」が完成し、同志の手に届くことになった。

戸田先生が池田先生に贈った御書。「山を抜く 力はみちたり 若き身に 励み闘へ 妙法の途に」との和歌が力強い筆でつづられている

戸田先生が池田先生に贈った御書。「山を抜く 力はみちたり 若き身に 励み闘へ 妙法の途に」との和歌が力強い筆でつづられている

 発刊からまもなく、師は弟子に御書を贈った。その見返しには、戸田先生が書いた一首が残る。
 「山を抜く 力はみちたり 若き身に 励み闘へ 妙法の途に」
 「山を抜く」とは、山を抜き取るほど力が強大であるとの意味。“ますます行学を深めて、広布の実現へと勇み戦え”との、最大の期待と激励だったと拝せよう。
 御書の「発刊の辞」に、戸田先生は「剣豪の修行を思わせるが如きその厳格なる鍛錬は、学会の伝統・名誉ある特徴となっている」と。その言葉通り、厳しき教学研さんの薫陶を受け切ってきたのが、若き日の池田先生だった。
 当時の日記には、「御義口伝」「立正安国論」「観心本尊抄」「生死一大事血脈抄」など、恩師から教授された御書の数々が記録されている。師の自宅や就業前の職場、また、移動中の列車の中でも日蓮仏法の深義が伝えられた。
 「ある日、先生は、横になってお休みであったにもかかわらず、『よし、やろう!』と言われて、快く教えてくださったこともある。しかし、私に少しでも真剣さが欠けた時には、先生は言下に叱咤された。『やめた! 私は機械じゃないんだ』」――池田先生は、こう回想する。「火花が散るごとく、全精魂を傾けて、師から弟子へ、生命から生命へ、日蓮仏法の真髄を伝授してくださったのである。有り難い師匠であった」
 池田先生は、師から打ち込まれた「御書根本」の精神で勇戦の指揮を執り、広布開拓を続けた。
 御書は今、英・仏・西・中など10言語以上に翻訳され、人々に希望を送る。「この貴重なる大経典が全東洋へ、全世界へ、と流布して行く事をひたすら祈念して止まぬものである」(戸田先生の「発刊の辞」)との念願は、余すことなく実現したのである。

◆連載〈新型コロナに立ち向かう〉 苦境の友へ、祈りよ届け

 【埼玉県川口市】4月は、入園・入学シーズンで自転車の需要が高まる時期。
 だが今春は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、中国での生産・部品製造が滞り、全国的に品薄状態が続く。客足が減少し、売り上げも低迷している。
 「4月というと、例年は子どもたちの声で、店がにぎやかなんですけどね」。そう語るのは、創業29年の自転車店「サイクルショップ ルック」を営む藤元勇一さん(58)=副本部長(支部長兼任)。
 地域に根付くこの店も、4月は来店者数、販売台数ともに減少した。
 物流の正常化は、いつになるのか。「終息が見えない中、不安にもなります」
 藤元さんは、自転車技士の父の背中を見て育った。
 サイクリングが好きになり、高校時代、北海道を自転車で一人旅したことも。
 26歳の時に、自分の自転車店を構えた。
 「看板を守ってきた30年。決して順風満帆ではありませんでした」
 最大の苦境は2013年(平成25年)。近所に、大型サイクルショップがオープン。藤元さんの店は、4割の顧客を失い、百万円単位の赤字が2年続いた。
 “店を畳むしかないか……”。土俵際に追いつめられた時、創価学会の支部長の任命を受けた。
 「この試練を、信心で受け止め、信心で乗り越えていくんだと、池田先生が励ましてくださっているような気がしました」

 どんなに忙しくても、学会活動からは一歩も引かなかった。
 20年以上、“無冠の友”として、妻・一枝さん(56)=地区婦人部長=と共に、本紙を配達してきた。
 自宅の一室を広布の会場に提供し、地道に、着実に、地域広布に駆けてきた。
 「仕事も、学会活動も、四六時中、妻と一緒でした。二人で、いろんな苦難を乗り越えてきました。“コロナ離婚”なんて言葉があるけど、うちは仲良しですよ。今も朝晩、一緒に勤行しています」
 子宝には恵まれなかったが、地域の青年部が“父母”のように慕ってくれた。
 夫婦の祈りは実り、昨年、店は念願の黒字転換に。今年に入っても売り上げを伸ばし、「いよいよ、かき入れ時」という中でのコロナ危機だった。
 今こそと、命に刻んだ御聖訓がある。
 「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」(御書234ページ)
 「うちは御本尊様に守っていただいて、まだまだ順調な方です。もっと大変な思いをしている人がいらっしゃる。毎日、ひたぶるに同志や仲間の幸せを祈っています」
 学会の支部長だけでなく、同業者の組合でも支部長を務める藤元さん。
 大好きな同志、仲間の顔を思い浮かべながら、皆の健康、無事故、福徳を、毎日祈っている。


◆〈信仰体験〉自閉症スペクトラム障害の青年から、両親が学んだこと㊥  2020年4月22日

 
 【山梨県甲斐市】息子の小林一昭さん(23)=男子部ニュー・リーダー=の先天性内反足の手術が成功し、受け入れてくれる保育園も見つけた母・佳美さん(52)=圏副婦人部長。次に直面したのは、一昭さんの「広汎性発達障害」との診断。育児の“第2ラウンド”がスタートした。4(昨日付からスタート)
   小学校は恵まれた。級友も先生も、学校全体が、息子を守ってくれた。学力も、国語・算数を中心に、テストでは80点近く取れた。
 中学になり、“地獄だ”と思うほど、環境は変わった。いじめに加え、支援学級では、一対一で数学を教えてくれるはずの教師が、プリント一枚を息子に渡したきり、スマホで遊んでいたことも。“一昭を見くびって……”。親として、人として、許せなかった。
 転校を考え、特別支援学校の見学に、息子を連れて行った。だが、大きな声を上げる生徒がいて、一昭さんは「怖い」と言った。障がいと一口に言っても、人それぞれの特徴がある。両親は思った。
 “一昭の居場所は、どこにあるのか”
 中学卒業後、一昭さんは別の特別支援学校に進学し、仲間に巡り合えた。卓球部に所属し、インターハイの県予選に出場。団体戦のダブルスで、強豪校から2セットを奪った。
 スタンドから息子を応援した佳美さん。そこには「自分の知らない一昭がいた」。足の装具を外して歩けるようになってから久しいが、フットワークの素早さは、相手と互角以上だった。
 “健常者相手に、息子は戦えている”。それが、うれしかった。
 しかし、人生のステージは、あっという間に進む。卒業を控えた頃、教員と、進路について面談した。
 「一昭君なら、公務員の『障害者雇用枠』とか、パソコンの専門学校にも行けると思います。いかがですか」
 息子に、そのままを伝えた。一昭さんはこう答えた。
 「僕は、そういうのはいいや。同じ人のいるところに行くよ」

自信と無理の境界線 
決めるのは息子自身だ
 息子が苦しむことはしない――そう決めて育ててきた。しかし、迷わなかったと言えばうそになる。
 学齢期を終えると、障がい者が働く選択肢は“一気に狭まる”といわれる。自分たち親が亡くなった後、一人で生きていけるのか。
 「自立」。その言葉が、時に重く感じられる。“頑張って自信になることと、無理して苦しめること”――その境界はどこにあるのか。徹底して祈った。
 佳美さんは、当時から今まで、毎日3時間以上の唱題を継続している。かつて、学会の先輩に激励を受けてから、祈ってきたことがあった。
 <一昭を広布の後継者に/池田先生の本物の弟子に/世界広布の役に立つ大人材に>
 息子は進路について、自分の意思を明確に語ってくれていた。ありがたいことだと思った。“一昭の人生を決めるのは、一昭自身だ”。就労支援を行う事業所で働くことを選んだ。
 そうして社会へ出た息子には、創価学会男子部という、新たな出会いが待っていた。
(つづきは明23日付に掲載予定)

2020年4月21日 (火)

2020年4月21日(火)の聖教

2020年4月21日(火)の聖教

◆わが友に贈る

「苦楽ともに思い合せて」
 題目を唱え抜こう。
 妙法は究極の希望だ!
 断じて変毒為薬を!
 全てを幸福への力に!
 御書P1143

◆名字の言 熊本地震から4年。被災した方から学んだこと

 熊本地震から4年が過ぎた。地震が起こった時、神戸市の関西国際文化センターでは、企画展「心の財は絶対に壊されない!」が行われていた。東北の被災地へメッセージを届けるコーナーには、熊本の被災者へのエールも記されるようになった▼福島の友の言葉が、今も心に残っている。「3・11のあの暗い夜は忘れることはできないけれど、焦らず、一つ一つ階段をのぼるように進んでいけば、冬は必ず春となる。私が実感したことです。負げでたまっか!!」▼兵庫でも東北でも熊本でも、震災で住む場所を、愛する家族を、奪われた人がいる。それまでの日常を一瞬で失い、明日さえ見えない中、それでも過酷な現実に立ち向かい、一歩また一歩と復興への歩みを続けてきた▼取材を通して、被災した方から学んだのは、支え合う誰かがいれば、人はどこまでも強くなれる、変えられない現実などない、ということ。社会の「レジリエンス(困難を乗り越える力)」を強くするのも、人々の自発的な連帯である▼感染症が拡大する今、人と人の物理的距離を保たねばならない。だが、心の距離が離れ、「支え合う力」まで失ってはならない。不屈の信念を胸に、無力感や不安という「分断の力」に抗する「励ましの力」を広げたい。(澪)


◆寸鉄

「信心の歩を運ぶべし」
御書。人生は一日一日が
勝負。目標掲げ行学錬磨
     ◇
言葉は人々を接近させる
―文豪。会えずとも心は
通ず。電話一本も誠実に
     ◇
新型コロナの国内感染者
が10日間で倍増。今こそ
「接触8割減」を皆で断行
     ◇
石鹸がない場合、手洗い
は流水だけでも有効と。
丁寧に指先、爪の間まで
     ◇
SNSで不安煽るデマ横
行。必ず情報源確認。鋭く
真偽見抜き拡散させるな


【先生のメッセージ】

◆〈心に御書を〉36 未来の勝利の因を今こそ2020年4月21日

〈御文〉
 過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ(開目抄、231ページ)
〈通解〉
 過去の因を知りたいと思うなら、その現在の果を見なさい。未来の果を知りたいと思うなら、その現在の因を見なさい。

〈池田先生が贈る指針〉
 わが未来部の友と一緒に拝したい。
 家での勉強が続くなど大変な中、本当にご苦労さま! 今、我慢強く頑張ることが、皆さんの人生にとっても、社会にとっても勝利の因です。
 賢い生活のリズムで、睡眠を十分に、健康第一で! ご家族に笑顔を忘れず、朗らかに前進を! 宝の一人一人に題目を送ります。


【聖教ニュース】

◆〈世界の友は今〉 スペイン創価学会 カプート理事長   2020年4月21日
 人間主義の哲理を胸に一人一人が立つ時
 1・2・3運動を欧州で実践
◇1時間の唱題
◇20分の研さん
◇3人への励まし

スペイン創価学会 カプート理事長

 新型コロナウイルスの感染拡大で甚大な被害を受けているスペイン。感染者数は約20万人となり(20日時点)、アメリカに次いで世界で2番目に多い。同国のメンバーはロックダウン(都市封鎖)や外出規制が続く中で、どのように励まし合い、支え合っているのか。スペイン創価学会のエンリケ・カプート理事長に聞いた。
 ――スペインで被害が広がっていることについて、私たちも非常に心配してきました。最近では、4週間以上に及ぶ外出規制によって感染者の増加率が鈍化してきたことが報道されていますが、状況はいかがでしょうか。

 スペインでは13日からロックダウンの一部が緩和され、製造業など特定分野の労働者の業務再開が認められました。しかし、19日に確認された全国の感染者数は4000人を超えるなど、いまだ予断を許さない状況であることに変わりはありません。
 今、感染者の増加とともに深刻化しているのは経済への大きな打撃です。特にスペインは観光立国のため、観光業が痛手を受けるとともに、飲食業など、他の分野に影響が及んでいます。多くの人が心配しているのは、失業などによって、生活の経済的基盤が失われてしまうことです。
  
 ――不安な日々が続く中でメンバーは、どのように励まし合っていますか。取り組んでいる運動などがあれば教えてください。

 スペイン創価学会では3月3日から全国の会館を閉鎖し、会合や家庭訪問などの活動を中止しています。その際に私たちが確認し合ったのは、多くの活動ができない状況にあっても、「広宣流布の前進は絶対に止めない」ということでした。
 全ての会合は現在、オンラインで開催しています。毎月、座談会をはじめ各部での小説『新・人間革命』の学習会も行っています。
 未来部員は、自宅で家族と一緒に池田大作先生の創作童話アニメを見ながら、先生の思想を学んでいます。5・5「創価学会後継者の日」を迎える5月には、未来部員が親などに“なぜ信心を始めたのか”等を聞き、信心や学会への理解を深める「家族座談会」を開く予定です。
 また、欧州青年部は「1・2・3 BE THE LIGHT(光り輝け)!」運動に取り組んでいます。「1・2・3」とは、1が「一日1時間の唱題」、2が「一日20分の御書や先生の指導の研さん」、3が「電話等で一日3人の友への激励」です。
 欧州青年部は、未曽有の困難な状況の中にあって「欧州は一つ! 先生と共に!」の心で団結し、欧州中に希望と勇気を広げるために、この運動を始めました。スペインでは、青年部だけでなく、壮年・婦人部もこの取り組みに参加しています。
 また、私はスペイン仏教連盟の会長も務めていますので、国内の仏教寺院が閉鎖されているかなど、感染拡大防止の状況を確認するために、政府とも連携を取っています。

首都マドリード近郊に立つスペイン文化会館
首都マドリード近郊に立つスペイン文化会館


 ――スペイン創価学会が発行している機関誌では、現在、どのような内容を掲載していますか。
 
 私たちの機関誌「シビリサシオン・グロバル(地球文明)」4月号では、スペインの全国幹部の代表が池田先生のご指導を通し、この状況を弟子として、どう乗り越えていくかを語り合う記事を載せました。
 
 また、病院で働く看護師のメンバーの体験を紹介したり、スペイン保健省が提示する新型コロナウイルスに関する基礎情報を収録したりしています。
 5月号では、医師や介護士、公務員など、大変な状況の中で、人々のために献身を続けるメンバーを紹介する予定です。

スペイン創価学会の機関誌「シビリサシオン・グロバル」4月号。看護師の友の体験などを紹介している
 ――スペインのアルカラ大学「池田大作『教育と発達』共同研究所」の副所長であるアナ・ベレン・ガルシア・バレラ教授が、10日に放送されたラジオ番組の中で、外出規制が人々に及ぼす心理的影響について話されたと聞きました。同大学は創立500年以上の歴史を誇り、2018年1月、池田先生に名誉教育学博士号を贈っています。
 
 ガルシア・バレラ教授は心理学を専門としています。そうした見地から、スペインのラジオ放送局「カデーナ・セール」の番組で、外出の制限がもたらす人々への影響について述べました。
 2児の母である教授は、家で家族と過ごす時間が増えたことは子どもとの絆を強める好機ともいえること、子どもの理想の大人像が「スポーツ選手」や「有名人」から、「医師」や「看護師」など、自身の危険も顧みず他者に献身する職業の人々に変わりつつあることを指摘し、新型コロナウイルスの拡大によって人々の価値観が変化していることを語りました。
 また教授は、同研究所が池田先生の「価値創造」の哲学を研究していることを紹介。先生の“人間の内なる変革が社会を変えていく”との思想を通し、「変化を続ける世界にあって、一人一人の民衆が主体者の自覚に立ち、自らの行動を変革することで、社会をより良い方向へと変えていくことができる。今こそ新たな価値を創造していく時である」と訴えました。

首都マドリード近郊に立つスペイン文化会館
 ――こうした状況の中で、ご自身があらためて心に刻んだ御書の一節や先生の指導はありますか。
 
 3月中旬、スペインで感染が爆発的に広がっていた頃、池田先生の随筆「『人間革命』光あれ」(本紙3月11日付)のスペイン語訳を読み、心を打たれました。
 随筆の中で先生は、開目抄の「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ」(御書234ページ)を拝し、「創価の師弟は、諸難の連続の中にあって、この仰せを『まことの時』に断じて忘れず貫き通してきた」と、つづられました。
 かつてない困難という「まことの時」に決然と立ち上がり、師匠の指導通りに戦えるかどうかが、広布と人生の勝利を決める鍵です。この姿勢を自分自身が貫き通す努力を行い、同志とも分かち合うようにしています。
 
 ――最後に、理事長の思いや決意を聞かせてください。
 
 直接会っての会合や家庭訪問ができない現在の状況は、決して「消極的」で「悲観的」な時ではないと思います。私たちにとって、未来に大きく飛翔する力を養う「雌伏」の時なのではないでしょうか。
 危機の時代だからこそ、個人および団体がどう振る舞い、どんなメッセージを発信しているかで、その真価が分かります。私たちスペイン創価学会は、今こそ仏法の人間主義、池田先生の人間革命の哲学を胸に、社会に「希望の連帯」「励ましの連帯」を広げていく決意です。

スペイン北部の街・ブルゴスの病院では、患者の治療に献身する医師や看護師らに、ねぎらいの花束が贈られた(AFP=時事)





◆スペイン・アルカラ大学教育学部 創価教育を取り入れた授業が地元紙で特集 2020年4月21日

アルカラ大学の授業を特集した「ラ・トリブーナ・デ・グアダラハラ」

 スペイン・グアダラハラ県にあるアルカラ大学教育学部の授業「幸福のための教育」が、同県の地元紙「ラ・トリブーナ・デ・グアダラハラ」の週末版(4月4・5日付)に特集された。
 「幸福のための教育」は創価教育の理念を取り入れた選択科目として、2016年に開講。昨年6月に開所した、同大学の池田大作「教育と発達」共同研究所の所長であるアレハンドロ・イボラ教授、副所長のアナ・ベレン・ガルシア・バレラ教授が授業を担当し、対話を重視した授業の進め方や、幸福を教育の根本目的として追究する内容が反響を呼んでいる。
 地元紙では授業の目的や理念、創価教育に感銘を受けた両教授の声などを掲載。「この授業では、価値を創造するという教育の本質を、体験を通して学ぶことができる。こうした授業は、スペイン国内で、グアダラハラ県にあるアルカラ大学でしか学べない」等と記載されている。
 また、同紙のコラムでは研究所の活動の様子も紹介された。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈未来の宝と共に 池田先生の書籍を学ぶ〉 少年部長 佐保創一郎さん 2020年4月21日

池田先生の言葉
 (みんなのお父さん、お母さんや学会員は)自分がなやみで大変であっても、それでも人のために行動します。時には、真心が理解されず、悪口を言われることもあります。でも、あきらめません。みんなで幸せになるために、ますます題目をとなえ、ますます元気になって、また行動していきます。これが、創価の生き方なのです。
 その後継者である少年少女部のみなさんも、いつまでも、「人のためにという心」「人を思いやる心」を持ち続けてください。
(『希望の虹』41ページ)

“わが家の信心”知る機会
 少年少女部、未来部のみなさんは、お父さん、お母さんに池田先生との思い出や、“わが家の信心の歴史”を聞いたことはありますか?
 私は小さい頃から、毎日、御本尊の前に座り、題目をあげる母の後ろ姿や、父が座談会で楽しそうに話している様子を見て、信心の大切さや先生の偉大さなどを子どもながらに感じていました。その中でも、わが家の信心の歴史を知り、決意を深めた、両親との忘れられないエピソードが二つあります。
 一つ目は、東京の創価高校に合格し、地元の大分から上京する時のことです。車で空港へ向かう途中、母が「あなたは生まれる前に池田先生とお会いしていたのよ」と話し始めました。
 1992年2、3月、先生は大分を訪問され、多くの人に励ましを送ってくださいました。その時の会合に参加した母のおなかの中には、数カ月後に出産予定の私がいたそうです。「あなたは貴重な機会に参加していたの。先生との原点を持った使命深い息子だと思って、大切に育ててきたのよ。今こうやって、先生のもとに送り出す時が来たんだね」と、母は感慨深く語ってくれました。この時、あらためて先生との不思議なつながりを実感し、それまで大事に育ててくれた両親に心から感謝しました。
 二つ目は、私が地元・大分の友人を学会への入会に導いた大学生の時です。入会記念勤行会の日、友人を自宅に招き、お祝いをしていました。しばらくすると父は友人に、自ら入会し、新しい世界に飛び込む決意をした時のことを話してくれました。「この信心に間違いはないよ」と、確信を込めて語る父の姿に、そばで聞いていた私は感動。父が誇りをもって歩んできた信心の道を、自分も生涯貫こうと心に決めたのを覚えています。
 現在、自宅で過ごす時間が増え、退屈さや不安感があるかもしれません。でも、ピンチはチャンスです。こんな時だからこそ、お父さんやお母さん、おじいちゃん、おばあちゃんから、普段なかなか聞けない“わが家の信心”を学び、心を磨く機会にしてみましょう。
 池田先生は書籍『希望の虹』の中で「みなさんのお父さんやお母さんも、創価学会という『学ぶ会』で、みんなを幸福にし、世界を平和にしていく生命の大哲学を学び、実践しています。世界一偉い人だと、私は誇りに思っています。みなさんは、その後継者です」と、私たち少年少女部、未来部に大きな期待を寄せてくださっています。
 親孝行をしながら、朝晩の勤行・唱題に挑戦し、創価の後継者として朗らかに前進していきましょう!


◆〈ブラジルイケダヒューマニズム交響楽団 特集㊥〉 今日までの飛躍の軌跡2020年4月21日
“いつか僕達もオーケストラを”―― 夢の蕾は今、文化の大輪に

「天皇陛下誕生日祝賀会」で華麗な演奏を披露した交響楽団。会場はスタンディングオベーションで応えた(2月28日、サンパウロ市立劇場で)

「天皇陛下誕生日祝賀会」で華麗な演奏を披露した交響楽団。会場はスタンディングオベーションで応えた(2月28日、サンパウロ市立劇場で)

 ブラジルイケダヒューマニズム交響楽団は、1993年2月28日、池田先生のもとで正式に結成され、3月3日に命名された。それに伴い、ブラジルSGIの音楽隊、鼓笛隊から独立し、同SGI文化本部所属の楽団となった。「世界第一を目指そう!」「いつの日か、日本へ凱旋の公演を!」――師の期待に応えるため、ここから新たな船出を開始した。
 「創価のヒューマニズム、池田先生の人間主義の哲学を、世界中に広げるオーケストラになろう!
 ブラジルイケダヒューマニズム交響楽団のメンバーは、信心と技術の錬磨に励んでいった。
 着実に実力を付け、結成から3年後の1996年、駐スリナムのブラジル大使館から招へい。代表2人が南米・スリナムを訪問し、大使公邸でビオラとバイオリンを奏でた。同楽団にとって、栄えある“第1号の海外公演”となった。
 さらに、97年に駐アルゼンチン、98年に駐パラグアイのブラジル大使館からそれぞれ招待され、両国での演奏会を大成功に。
 一方、国内では96年、首都ブラジリアで行われた「現代世界の人権」展(主催=ブラジル法務省、同国SGI等)の開幕式に訪れた当時の大統領の前で演奏を披露。その後、特に2000年代以降は、学会の会合や行事はもとより、一般市民に開かれたコンサートなどを活発に行い、活躍の舞台を大きく社会に広げていった。
 パラナ州マリンガ市内で開催した野外コンサート(03年)では、8000人の聴衆を魅了。著名なバイオリニストのマスッチ氏は、「ブラジルでは、庶民がこのような本格的なコンサートに触れる機会は少ないのが現状です。青年たちが真剣に音楽を学び、民衆のために音楽を広げている姿に感銘しました」と賛辞を寄せている。
 結成時には、サンパウロに住むメンバーしかいなかったが、創価の“文化大使”として技術を磨きつつ、陣容を拡大。現在、全国各地に500人の楽団員を擁するまでに発展を遂げた。

約束果たし日本へ凱旋
 結成から15周年の佳節が目前に迫る中、待ちに待ったその時は訪れた――。
 08年1月10日、八王子市の東京牧口記念会館での本部幹部会。席上、交響楽団の代表10人が、池田先生の傘寿(80歳)の誕生日を祝賀する記念演奏を披露したのである。
 楽団員全員の思いを背負い、ブラジルが生んだ名曲「モウラン」(ペイシェ作曲)を熱演。さらに、創価グロリア吹奏楽団と共に「ブラジル」(バローゾ作曲)を奏でた。
 軽快なリズムと陽気なサウンドに合わせ、池田先生が手拍子。会場の参加者も、それに続き、肩を揺らしながら手をたたいた。
 演奏が終わると、先生は呼び掛けた。
 「わがブラジルの交響楽団の皆さん、日本一の音楽隊と一緒に、世界一の名演奏、本当にありがとう!」
 「日本への凱旋が見事に実現した。師弟の約束を厳然と果たしてくれて、本当にありがとう! 私はうれしい!」
 10人は込み上げる感動を拳に託し、凜々しく突き上げて応えた。
 ビオラ奏者のマウロ・コウイチ・シマダさん(副楽団長)は振り返る。「楽団が結成された時、池田先生は“いつか日本で凱旋公演を”と言われました。師との誓願を果たすことができ、涙を抑えることができませんでした」
 アレシャンドレ・コンセイソン・ピントさんは、感慨深く語る。
 「池田先生は、慈父のまなざしで『大きくなったね。みんな、知ってるよ』『うれしい、うれしい』と声を掛けられました。結成時は、ほとんどが未来部員でしたから。15年間、私たちの成長と、幸福と、勝利を、ずっと祈ってくださったんだと、感激で胸がいっぱいになりました」

もう一つの誓いを実現
 12年6月には、ブラジルとアメリカ青年部の交流交歓会が開かれ、楽団員ら70人が渡米。ジャズ界の巨匠ハービー・ハンコック氏(SGI芸術部長)との共演を果たすなど、夢のステージが実現した。
 池田先生は、交響楽団の結成時、「まず南米を回ろう! それから、今度は北米で演奏会を開きましょう」と具体的な指針も示していた。
 アリネ・チドリ・アリガさん(副楽団長)は、「師匠との誓いを成就することができたのも、先生ご自身が世界に友情の橋を架けてくださったからです」と感謝する。
 結成から四半世紀を目前にした18年1月には、再び楽団の代表25人が来日し、本部幹部会(7日)に参加。席上、池田先生の卒寿(90歳)の誕生日を寿ぐ音色を奏でた。
 ファビオ・シンイチ・イケダさん(楽団長)は「本番前に先生から、『私も演奏中、一緒に指揮を執るからね』との伝言をいただきました。“永遠に私と一緒に歩もう。永遠に私と一緒に奏でよう”との呼び掛けだと感じました。名実共に“世界一”の交響楽団に輝くため、次なる25年への飛躍を皆で誓いました」と力を込める。
 この日、先生から「ブラジルイケダヒューマニズム交響楽団 永遠の指針」が贈られた。「師弟の原点を胸に価値創造の楽友たれ!」「創価の誓願勝利の王者たれ!」「異体同心の団結で世界を照らすヒューマニズムの大使たれ!」
 “創価文化の旗手”としての誇りを胸に、ここから新たな飛翔を開始。
 翌19年には、南米最高峰の“芸術の殿堂”である「サンパウロ美術館」や、海外の名高いオーケストラも公演するコンサートホール「サラ・サンパウロ」でも単独で演奏会を行うまでになった。

半世紀を経てあの場所で
 本年2月28日午後9時――指揮者のタクトが曲の終わりを告げた。一瞬の静寂。直後、万雷の拍手と歓声がサンパウロ市立劇場を包み込んだ。
 1200人の称賛を浴びたのは、「天皇陛下誕生日祝賀会」で記念コンサートを行ったブラジルイケダヒューマニズム交響楽団である。
 これは、ブラジル日本文化福祉協会などの日系5団体が、2月23日に還暦を迎えられた天皇陛下を祝福するために実施したもの。これまでの実績が高く評価され、主催者の要請によって同楽団が招待された。
 同劇場に足を運んだ楽団員一同、特別な思いを抱かずにはいられなかった。
 ――1966年3月13日、同劇場でSGIの南米文化祭が開催。軍事政権下で政治警察が監視する中、池田先生は同志の激励に駆け付けた。
 当時、学会に敵意を持つ一部の日系人有力者やマスコミが、“宗教を偽装した政治団体”“共産主義者とつながっている危険な団体”などと吹聴し、誤解と偏見の目が向けられていたのである。
 半世紀を経て、同じ場所で、くしくも同楽団の結成記念日に、祝賀会は挙行。交響詩「フィンランディア」(シベリウス作曲)や「青年よ広布の山を登れ」などを、約40分間にわたって熱演した。
                                ◆◇◆ 
 結成のあの時に、一体、誰が想像しただろう。
 世界で演奏する日が来ることを。何千人という聴衆からスタンディングオベーション(総立ちの拍手)で応えられる日が来ることを……。
 “いつか僕たちも、聴く人の心を揺さぶるオーケストラをつくりたい”
 7人の子どもたちが抱いた夢のつぼみは今、華麗なる文化の大輪となって、美しく咲き薫っている。

ブラジル日本文化福祉協会 石川会長、福原副会長の声
 本年2月28日、サンパウロ市立劇場で開かれた「天皇陛下誕生日祝賀会」(主催=日系5団体)で、ブラジルイケダヒューマニズム交響楽団が記念コンサートを行った。出演に至った背景などを、主催団体の一つであるブラジル日本文化福祉協会の石川レナト会長、福原カルロス憲二副会長に聞いた。

日伯友誼へ共に歩みたい/ブラジル日本文化福祉協会・石川レナト会長
 昨年10月22日、東京・皇居で行われた天皇陛下の「即位礼正殿の儀」に、私は日系団体を代表して招待される光栄に浴しました。
 時を同じくして、ブラジル国内で同儀式を祝賀する催しを開催。ここで、“来る陛下の60歳の誕生日(本年2月23日)を、日系コミュニティーで祝福しよう”との声が上がったのです。日本には“第2の人生の出発”として、「還暦」を寿ぐ文化がありますから。「壮麗な会場で、盛大に祝賀会を行う」との方針で話は進みました。
 かつて陛下は皇太子殿下の時、サンパウロ市内でビオラ演奏を披露されたことがあります。そこで私たちは、ブラジル近代芸術の潮流を生んだ南米屈指の文化の殿堂である同市立劇場で、名高いオーケストラを招待して式典を開催したいと考えるに至りました。
 全面的に協力していただいた同市、そしてブラジルイケダヒューマニズム交響楽団の皆さまに、深く感謝しています。
 なぜ、同楽団に招待演奏を依頼させていただいたのか――一つは、日本社会とのつながりが深いから。もう一つは、文化運動を通して卓越した社会貢献をされてきたからです。むろん、その実力が折り紙付きであることは、言うまでもありません。
 当日のコンサートでひときわ盛り上がりを見せたのは、「ハッピーバースデー」の曲。会場が一体となって手拍子を刻む光景は、感動的でした。
 ブラジル日系社会の中心的機関である「文協」(ブラジル日本文化福祉協会)は本年、創立65周年を迎えます。日本の文化や伝統の継承に力を注ぎ、日伯両国の相互理解を深めることに努めています。
 常に心掛けているのは、諸団体と「共に」、さまざまな取り組みを推進すること。両国の友誼の絆が永遠に続くよう、これからも同楽団、またブラジルSGIの皆さまと手を携えて歩んでいきたいと思います。

心を打つ創価の青年の姿/ブラジル日本文化福祉協会・福原カルロス憲二副会長
 「天皇陛下誕生日祝賀会」でコーディネーターを務めました。領事館関係者や市民ら1200人が参加。大盛況となりました。
 カーニバル休暇のため、ブラジルでは、今年は2月に大型連休がありました。期間中、多くの企業や学校が休みに。そうした中で、コンサートに向けて練習に励んでくださった楽団員、また関係者の皆さまに、厚く御礼を申し上げます。
 式典終了後、来賓の方々からも「圧巻の演奏でした」「あまりにも素晴らしく、あっという間に時間が過ぎました」などの感嘆の声があり、主催者として心からうれしく思います。
 2008年、「日本人移住100周年」を慶祝するサンパウロ市の記念行事で、私は演出の企画に携わりました。この時も、ブラジルイケダヒューマニズム交響楽団や音楽隊、鼓笛隊等の皆さまが出演。運営面においても、ブラジルSGIの多大な協力をいただき、感謝の言葉もありません。
 翌09年5月、文化・哲学への世界的な貢献をたたえて、同市から池田会長に「市の鍵」が贈呈されました。聖教新聞の本社ビル(旧本社)で執り行われた授与式に、カサビ市長(当時)と共に、私も出席しました。
 今でも心に強く残っていることが、2点あります。
 1点目は、時にユーモアを交えながら、周囲を温かく包み込む池田会長の振る舞い。2点目は、真心あふれる青年たちの素晴らしい歓迎です。
 池田会長が育てた青年は、歓待にしても、演奏に臨む姿勢にしても、“やらされている”という感じが全くない。見ていて本当に気持ちがいいですね。ブラジルでも日本でも、創価学会が社会で信頼される理由の一端を、こうした姿から拝察できます。
 これからも、文化活動などを通して世界の平和に寄与されることを、心から期待しています。


◆自閉症スペクトラム障害の青年から、両親が学んだこと㊤〈信仰体験〉 2020年4月21日

 【山梨県甲斐市】1年前、小林一昭さん(23)=男子部ニュー・リーダー=を紹介しました(2019年4月7日付)。3歳の時、「広汎性発達障害」(※)と診断され、成長の過程で軽度の知的障がいも認められました。掲載時の内容は、一昭さんの気持ちや奮闘、周囲の人々との出会いが中心でした。一方で、成長を見守り続けた両親も、「多くのことに気付かされ、成長させてもらえた」と言います。今回は掲載時のダイジェストとともに、新たに両親の体験を紹介します。(3回連載、写真は掲載時の撮影)

 ※広汎性発達障害 現在は、「自閉症スペクトラム障害(ASD)」と呼ばれる。人とのコミュニケーションに関して、言葉の発達の遅れが見られ、言葉の行間や“場の空気を読む”ことが苦手とされる。感覚過敏や、手先の不器用さなどが認められることも。かつては「自閉症」「広汎性発達障害」「アスペルガー症候群」等と分類されていたが、現在は、それらの境界線を明確に引くことよりも、多様な特徴を示す人たちが分布する連続的な概念(スペクトラム)として捉えられている。

再掲ダイジェスト

 多くの同級生と違うことは、自分自身、感じていた。「僕は障がいがあるから、似ている人が分かるよ」。一昭さんは母へ、そんなふうに話したことがある。だがそれ以上、“何がどう違うか”という認識は、両親も言葉で聞いたことはない。
 端から見れば、その違いは、他人に対して全く言葉が出なかったり、集団行動が取れずにその場で固まってしまったりという姿に表れた。聴覚が敏感で、幼少期には電車や楽器の音に恐怖を感じ、大泣きした。

 中学に入ると、いじめの標的に。殴られ、蹴られ、「のろま」「ばか」「死んでしまえ」と暴言も。加害者らは、一昭さんのことを“詳しいことは話せない”と思っている。だがASD(※)の人は総じて、知的障がいの有無にかかわらず、体験を、映画のシーンのように記憶する力がある。
 家では克明に、いじめの様子を話した。両親は怒りに震え、何回も抗議に行った。
 一昭さんはストレスからか、時計やノートを手当たり次第につかんでは、壁に投げた。だが翌朝には必ず出掛けていった。なぜなら、「とも君が、待っていてくれるから」。

 「とも君」とは、毎日通学路で待ち合わせをした同級生、白倉智典さんのこと。一昭さんと同じ障がいがあり、同じく、いじめられていた。
 2018年(平成30年)、一昭さんは、智典さんを創価学会の地区総会に誘う。学会の「男子部大学校」で活動するなかで決めたことだった。
 ――高校を卒業し、就労支援を行う事業所で働くことになった一昭さん。その頃から、男子部の先輩が自宅を訪ねてくるようになった。当初は全く話せなかったが、徐々に言葉が出せるようになった。
 17年末、男子部大学校に入る話を先輩から打診された時、一昭さんはすぐにうなずいた。
 学会活動に駆けてきた両親は、その話を聞いた時、“無理だ”と思った。だが息子は「やる」と言う。両親と男子部で、細かく情報を共有しながら一昭さんの思いを実現しよう、との結論になった。
 大学校では友人への弘教を目指す。先輩から「幸せにしたい人はいる?」と聞かれると、一昭さんは智典さんのことが思い浮かんだ。「智典君が幸せになれますように」と紙に書き、1日1時間の唱題をした。
 迎えた地区総会当日。智典さんも参加してくれ、20人ほどの前で、一昭さんは原稿用紙7枚にわたる体験発表をした。こんなにも長い文章を、人前で読むのは初めてだった。
 読み終えた後、智典さんが、目を大きくして声を掛けてきた。「すっげえな、一昭。かっこいい!」。その後、家族の了解も得て、智典さんは学会に入会した。
 家庭、学会。そして、一昭さんが言葉を出せる場所が、もう一つできた。職場だ。一昭さんの気持ちに寄り添ってくれる支援員に恵まれ、印鑑やトイレットペーパーなど、さまざまな製品の製作を担う。同世代の仲間に自ら声を掛け、家庭と同じように会話ができるようになった。母はかつて、一昭さんの担当医から言われたことがある。「人前で言葉が出せるのは、安心できる環境がある証拠です」
 一昭さんに、一つ一つ、居場所が増えていく。
 そして未来へ――。

両親の歩み 3歳で分かった試練
 地区総会には、もう一人、一昭さんをよく知る人が参加していた。保育園の元園長。体験発表する姿を見届けた。
 「人間の可能性に、感動しました。お父さま、お母さまは並々ならぬご苦労をされたと思います。しかし努力と深い愛情は、ここまで子どもを変えるのかと。ご両親の強さこそ、信仰によるものなのだと思いました」
 母・佳美さん(52)=圏副婦人部長=が初めて園に来た日のことを、元園長は覚えている。
 門まで出て行くと、幼い一昭さんをベビーカーに乗せて、傍らに佳美さんが立っていた。「息子は、足に障がいがありまして」
 赤ん坊の足には装具が着けられていた。「そんなこと気にせず、まずは園の中を見ていってください」
 佳美さんは「ありがとうございます」と笑顔を見せた。だが、元園長は回想する。「どこか寂しい目をされていました」――。
 実は、初めに分かったのは「広汎性発達障害」ではなかった。「先天性内反足」。クラブフット(カニの足)とも呼ばれる、足が内側に折れ曲がる疾患だった。
 生後2日目から1歳までギプスを巻かれ、その後は鉄製の装具が着けられた。ギプスを交換するたび、火がついたように泣く息子の姿が、佳美さんにはふびんでならなかった。
 アキレス腱の手術もしたが、2歳になっても歩けない。学会の先輩に相談した。
 「最高の医師に巡り合えるよう、祈るんです」
 都内にある病院を見つけ、当時、最先端の手術を受けた。3歳を目前に歩けるように。佳美さんは思った。“信心で、勝利の実証をつかんだ”
 だが、幼稚園を訪ね歩くと、装具を着けていることを理由に、受け入れを断られた。
 そして、あの保育園に行き着いた。園長は「子どもは、子どもと接する中で学び合えることが必ずある。どうぞ入園なさってください」と言ってくれた。
 間もなく園長は、一昭さんの園での生活の様子から、発達の異常を感じ取る。診察と療育手帳の取得を、こう言って佳美さんに勧めた。「手帳があれば、一昭さんを守ってあげられます。周りから“できなかったことを注意される”より、“できることを褒めてもらえる”ように。そこに、天地雲泥の差が出てきますよ」
 親子の“第2ラウンド”がスタートした。(つづく)

 

2020年4月20日 (月)

2020年4月20日(月)の聖教

2020年4月20日(月)の聖教

◆今週のことば

 「天 晴れぬれば
 地 明かなり」
 信心即生活の慧光を!
 仏法即社会の大光を!
 今日も我らの聖教と。
 御書P254

◆名字の言 学会が行っている図書贈呈の淵源

 東京・大田区森ケ崎(当時)に戦後、4人の青年が蔵書を持ち寄り、草水文庫という図書室ができた。青年たちはこの文庫を、公共の図書館にしたいという夢を持っていた。やがて文庫には、近隣の子どもたちが集まるようになった▼設置から2年8カ月後、草水文庫は小学校の図書館に。校長は朝礼で、「この町の、この学校の誇るべきものです」と語った。町の、学校の誇りである図書館は、4人の青年の尽力から始まった。その一人が池田先生であった(『評伝 戸田城聖㊤』第三文明社)▼学会の図書贈呈は、1954年(昭和29年)、戸田先生が故郷・厚田の小・中学校へ贈ったことが淵源である。この時、図書の手配を進めたのは池田先生だ。書籍を収めた本棚は「戸田文庫」と命名され、子どもたちに親しまれた▼池田先生は若き日から、本をわが子のように大切にしてきた。戦時中には、防空壕に入れ、空襲から守った。本は命であり、生きる糧だった。先生は語っている。「活字文化こそ『精神の泉』である。『社会の光』である」▼世界が不安に覆われる今、文字・活字が果たす役割は、ますます大きくなっている。冷静に正確に事実を伝えつつ、勇気の言葉、希望のメッセージを人々の心に届ける使命を、本紙は果たしていきたい。(芯)


◆寸鉄

会長の著作には読む人を
鼓舞する魅力が―博士。
人生の確固たる羅針盤と
     ◇
本紙創刊記念日。全読者、
無冠の友に感謝。真実と
希望送る紙面作りを益々
     ◇
東西創価中高で入学式。
英知こそ民衆を守る光!
この日忘れず学び鍛えよ
     ◇
どう人との接触減らすか
―一人一人の意識が鍵。
全員が拡大対策の当事者
     ◇
消毒液・マスク等の「送り
つけ商法」多発。届いても
慌てず相談電話188へ


◆きょうの発心 四条金吾殿御返事 東京・渋谷総区長 古谷秀浩2020年4月20日

御文 苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ(四条金吾殿御返事、1143ページ・編880ページ)
通解 苦を苦と覚り、楽を楽と開き、苦しくても楽しくても南無妙法蓮華経と唱えきっていきなさい。

世界の「師武城」の誇りも高く
 いかなる時も唱題し抜いていくことこそ最高の幸せである、との仰せです。
 幼少期、母に連れられ、東京・信濃町の旧・聖教新聞本社前を通った時、池田先生にお会いし、「大きくなったら創価大学にいらっしゃい」と声を掛けていただきました。
 その後、思春期を迎え、次第に目標を見失い、創大への進学を諦めかけていた時期もありましたが、「先生との約束を果たすためにも挑戦しなさい」との母の一言が胸に響き、改めて決意。創大に入学することができました。
 社会人になり、仕事が多忙を極め、思うように学会活動ができない時も、男子部の仲間と共に、この御文を支えに唱題根本に乗り越えてきました。
 池田先生は、渋谷区内にある東京国際友好会館や創価国際友好会館を舞台に、世界の識者との語らいを広げてこられました。世界の「師武城」との誇りも高く、世界広布の人材城を築いてまいります。


【先生のメッセージ】

◆随筆 「人間革命」光あれ  池田大作
 生命凱歌の言論城

試練の春にも、満開の桜は生き抜く力を歌い上げる(池田先生撮影。今月4日、都内で)

 はじめに、新型コロナウイルスの感染症により亡くなられた世界の全ての犠牲者を追悼し、心から追善回向の題目を送らせていただきます。
 とともに、昼夜を分かたず、命を守る最前線で奮闘されている医療関係の方々をはじめ、社会のありとあらゆる分野で尊き使命を遂行されている皆様方に満腔の感謝を捧げ、健康と無事安穏を強盛に祈ります。
                            ◆◇◆
 師・戸田城聖先生の事業が最も厳しい苦境の渦中、師弟二人で聖教新聞の発刊へ構想を温めていた時のことである。
 「なぜ、日蓮大聖人の一門は、あれほどの大難の連続も勝ち越えることができたのか。
 大作はどう思うか?」
 戸田先生は、そう尋ねられながら、私に御書を開いて示された。
 自然災害、食糧難、さらに疫病の流行などが打ち続くなか、遠く離れた佐渡の千日尼へ送られた御返事である。
 「心は此の国(=甲斐の国)に来れり、仏に成る道も此くの如し、我等は穢土に候へども心は霊山に住べし、御面(おんかお)を見てはなにかせん心こそ大切に候へ」(御書一三一六ページ)
 大聖人は会えない門下にも、文字の力で、まさに顔を合わせた対話と同じように激励され、心を通わせておられたのだ。
 戸田先生は力を込めて言われた。
 「大聖人は、お手紙を書いて書いて書き抜かれて、一人ひとりを励まし続けられた。だから、どんな人生と社会の試練にも、皆、負けなかった。
 この大聖人のお心を体した新聞を、大作、大きく作ろうではないか!」
 
 あれから七十星霜――聖教新聞は、毎日毎朝、「太陽の仏法」の光を、赫々と、あの地にもこの家にも届けている。
 緊急事態宣言のもと、たとえ会えなくても、集えなくても、聖教新聞を通し、創価家族の心と心は結ばれているのだ。
 共に試練に立ち向かう全世界の宝友の「異体同心」の絆も、紙面で写真で一段と強まっている。
 これも、なかんずく、雨の日も風の日も大切に配達してくださる、尊き“無冠の友”の皆様方のおかげである。
 世界聖教会館が完成してから最初に迎える創刊記念日に際し、私は最大に御礼を申し上げたい。
 本当にありがとう!

立正安国の挑戦
 学会の前進は、仏意仏勅なるゆえに、不思議なリズムに則っている。
 思えば、初代・牧口常三郎先生が新潟県に誕生された一八七一年(明治四年)は、日蓮大聖人の佐渡流罪(文永八年)から六百年であった。
 二代・戸田城聖先生が発願され、大聖人の御書が発刊された一九五二年(昭和二十七年)は、立宗宣言(建長五年)から七百年の慶祝の年である。
 後継の私が青年を代表し、第三代として前進の指揮を執り始めた一九六〇年(昭和三十五年)は「立正安国論」による諌暁(文応元年)から七百年であった。
 大聖人は「天変地夭・飢饉疫癘」に憤びされ、「立正」すなわち生命尊厳の大哲理を打ち立て、「安国」すなわち全民衆の幸福と世界平和の宝土の建設を願われた。
 その人類の宿命転換へ、いよいよの挑戦を開始したのだ。それは、何よりも正義と真実を師子吼する「言論戦」であり「思想戦」であった。
 ゆえに、第三代会長就任と時を合わせ、私は聖教新聞の躍進に全力を尽くすとともに、小説『人間革命』の執筆を深く心に期した。
 「立正安国論」では、「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を?らん者か」(御書三一ページ)と示されている。
 “自分だけの幸福や安全もなければ、他人だけの不幸や危険もない”。この生命観に立って、社会と世界全体の安穏を祈り、尽くしていく人間主義の究極の哲学を、我らは聖教新聞に掲げ、平和・文化・教育の対話と連帯を広げてきたのだ。
 
聖教は友を励まし 不屈の心をつなぐ
苦難に負けない
 創刊七十周年を明年に控えた今、聖教は自他共の幸福の大道を示し、読者に勇気と希望を贈る「生命凱歌」の言論城と聳え立っている。
 一昨年、小説『新・人間革命』全三十巻を完結した折、私は全宝友に、広宣流布という民衆勝利の大叙事詩を、未来永遠に共々に綴りゆこうと、呼び掛けた。
 聖教に躍動する日本と世界の同志の晴れ姿こそ、「人間革命」の黄金の日記文書なりと、私は妻と合掌する思いで拝見する日々である。
 とりわけ、人類が未曽有の脅威に直面している今日、わが聖教には、「変毒為薬」と「価値創造」の英知を発信する大いなる使命がある。
 人間への「励まし(エンカレッジ)」と「内発的な力の開花(エンパワーメント)」を促す言葉を紡ぎ、苦難に負けない民衆の心と心をつなぐ柱とならねばならない。
 今、毎日の紙面でも、日本国内はもとより世界の同志たちの奮闘や社会貢献の様子が伝えられ、懸命に艱難と戦う友に勇気の灯をともしている。
 どうすれば友を元気づけ、笑顔にできるか――不撓不屈の世界市民の一念が、聖教新聞には結集しているのだ。
 それは、仏が常に人びとを賢く、幸せに、平和にしたいと願う「毎自作是念の悲願」(同四六六ページ)にも通ずる。
 御聖訓には「真実一切衆生・色心の留難を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり」(同一一七〇ページ)と仰せである。
 我らは、この妙法の大功力で、地球上のいずこであれ、自他共の生命から、限りなく仏の智慧と力を呼び出しながら、何としても眼前の色心の留難を止めていきたい。

波濤を越えて! 希望の大航海
嵐と戦う「帆船」
 六十年前(一九六〇年)の五月三日、第三代会長就任式で、私は、高く掲げられた戸田先生の遺影を仰いだ。
 “断じて指揮を執れ”――恩師の声を胸に響かせ、世界広宣流布の一歩前進へ、「ちかいし願やぶるべからず」(同二三二ページ)と覚悟を定めた。
 このわが出陣の「五月三日」を記念し、旧・学会本部のあった西神田の近くで、一枚の絵を購入した。
 紺青の大海原で、逆巻く怒濤と戦う「帆船」を描いたものである。
 フーゴ・シュナース=アルクイストという海洋画を得意とするドイツ人画家の油彩画であった。
 波風は吹き荒れ、三本のマストの帆はほとんど巻かれている。船体は激しく荒海に揺れ、甲板を白い波しぶきが打つ。今にも波にのまれるのか、逆風に挑み、危難を乗り切るのか、生死を懸けた激闘だ。
 進め、波瀾万丈の海を越えて! 師と共に、同志と共に、民衆の勝利の朝を迎えるために!――これが、広布の大航海に三十二歳で船出した当時の心境であった。
 嬉しいことに、日大講堂に集った友はもちろんのこと、わが同志たちは「地涌」の誓いを分かち持ち、日本中で、さらに世界中で、創価の使命に奮い立ってくれた。
 人生の宿命の激浪にも耐えた。「悪口罵詈」「猶多怨嫉」の経文通りの烈風も受けた。だが、五月三日の誓いを思い出しては立ち上がり、私と共に「負けじ魂」で祈り抜き、戦い抜き、断固として勝ち抜いてきた。
 この地涌の師弟にみなぎる闘魂を、時代の荒波に敢然と立ち向かう頼もしき後継の青年たちに、私は託したいのだ。
 
使命を果たさん 世界一の団結で! 
最高峰を目指し
 世界一
  最高峰の
   ヒマラヤを
  鶴は飛び越え
   使命を果たせり
    
 晴れわたる就任の五月三日の朝に詠んだ和歌である。
 懐かしき「戸田大学」の講義で、恩師は「須弥山に近づく鳥は金色となるなり」(同一五三六ページ)との御文を通し言われた。“須弥山はいわばヒマラヤのことだよ、最高峰を目指し、苦難の山を越える戦いが自身を最高に輝かせるのだ”と。
 あの白雪の高嶺に近づく鳥たちはどんなに輝くだろう――私には、大きく翼を広げて舞いゆくツルの隊列の姿が思い描かれてならなかった。
 広布の前途に、いかなる試練の山が立ちはだかろうとも、創価の師弟は慈悲と哲理の翼を広げ、勇敢に飛翔しゆくのだ。
 そして世界一の麗しき団結で、一切を勝ち越えて、生命の凱歌を響かせ、金色燦たる希望の大光を人類の未来へ贈りゆこうではないか!


【聖教ニュース】

◆きょう「聖教新聞創刊記念日」  2020年4月20日
 池田先生が随筆「生命凱歌の言論城」を寄稿

    • 東京・信濃町の総本部に立つ「創価学会 世界聖教会館」。危機の今こそ、日本へ世界へ、勇気と希望の論調を発信する

東京・信濃町の総本部に立つ「創価学会 世界聖教会館」。危機の今こそ、日本へ世界へ、勇気と希望の論調を発信する

 きょう4月20日は、聖教新聞の創刊69周年。「創価学会 世界聖教会館」が開館して、初めて迎える創刊記念日である。
 池田大作先生は「随筆 『人間革命』光あれ」を「生命凱歌の言論城」とのタイトルで寄稿。不屈の価値創造を発信する本紙の使命をつづるとともに、緊急事態宣言が全国に拡大された中、日々、配達の使命を担う尊き“無冠の友”を心からたたえた。
 ――本紙が産声を上げたのは、戸田城聖先生が第2代会長に就任する直前の1951年(昭和26年)4月20日。原点は、さらにその8カ月前までさかのぼる。
 
 50年(同25年)8月24日、戸田先生は池田先生に語った。自身の事業が絶体絶命の窮地にあってなお、広宣流布の未来を鋭く展望し、不二の弟子に託した。
 「新聞は強い武器だな。これからは“文”の戦いだ」
 「一つの新聞をもっているということは、実に、すごい力をもつことだ。学会も、いつか、なるべく早い時期に新聞をもたなければいけない。大作、考えておいてくれ」
 新型コロナウイルスの世界的流行(パンデミック)により、各国・地域で会合も、訪問による激励も控えざるを得ない今、戸田先生の遠見と、師の構想を実現し、今日の「世界の聖教」を築いた池田先生の言論闘争に、改めて感嘆と感謝を禁じ得ない。広布の松明を掲げ、世界の友に危機の時代を生き抜く希望を送る本紙の責任が、今ほど重い時はない。
 撰時抄に曰く「夫れ仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし」(御書256ページ)と。仏法に偶然はない。
 世界聖教会館が誕生し、世界203カ国・地域からアクセスのある「聖教電子版」が始動して半年を経ずして起こった、第2次大戦以来ともいわれる世界的危機――。
 その中にあって本紙には、感染防止のために孤立を強いられる人々に「心の絆」を、不安をあおる不確かな情報に対しては正確な論証を、先の見えない苦悩の中にある人には勇気を、日本へ世界へ届ける使命がある。
 人類の脅威を克服する日を目指し、世界聖教会館に厳然と刻まれた“師弟凱歌の碑”の精神のままに、「立正安国と世界広布の大言論城」から「師弟共戦の師子吼」を放っていきたい。


◆東西の創価中学・高校でオンライン入学式 2020年4月20日

 創価高校・中学校(東京・小平市)と関西創価高校・中学校(大阪・交野市)の“オンライン入学式”が実施された。新型コロナウイルスの感染防止のため、各校では新入生と保護者らに、校長のあいさつや教員の紹介などが収められた録画映像をインターネットで限定配信した。

東京・創価高校の“オンライン入学式”で祝辞を述べる中川東京学園長。「人生の基盤を築く大成長の時を」と呼び掛けた

東京・創価高校の“オンライン入学式”で祝辞を述べる中川東京学園長。「人生の基盤を築く大成長の時を」と呼び掛けた

 創価高校の入学式(14日配信)では塩田校長が創立者の心をわが心として、ロマンあふれる挑戦の高校生活をと語った。創価中学校(17日配信)では江間校長が先行きが見えない今、負けじ魂を燃やし、徹底して学ぼうと呼び掛けた。

関西創価高校・中学校合同の“オンライン入学式”では、武田関西学園長が「集い合う日まで、明るく、元気に向上の日々を」と語った

関西創価高校・中学校合同の“オンライン入学式”では、武田関西学園長が「集い合う日まで、明るく、元気に向上の日々を」と語った

 また関西創価高校・中学校合同の入学式(18日配信)では、木下中学校校長が社会に貢献する“英知の宝剣”を磨き抜く青春をと期待を寄せ、杉本高校校長が創立者の期待に応え、未来を変えゆくための学びの一日一日を送ろうと述べた。
 各式典では、中川東京学園長、武田関西学園長が創立者・池田先生の祝福の言葉を紹介した。
創立者が祝福の言葉贈る 「未来へ勝利の鐘を!」
 大いなる使命の青春には、大いなる試練があります。
 皆さんは、いまだかつてない世界の試練にたくましく挑みながら今日の入学式を迎えました。私は最大に讃えつつ、一人一人の偉大な使命と栄光の前途を見つめています。
 社会情勢の厳しい中、宝のお子さまを送り出してくださっているご家族の方々、誠にありがとうございます!
 わが創価学園は、「人類の幸福の鐘」「世界の平和の鐘」を響かせゆく英知の大城です。愛する皆さんに、私は、日々、三つの鐘を打ち鳴らしていただきたい。
 
 第一に、旺盛な探究心で、発見と向上の喜びの鐘を!
 第二に、朗らかな笑顔で、親孝行の安心の鐘を!
 第三に、負けじ魂の粘りで、未来へ勝利の鐘を!です。
 今、医師や看護師をはじめ、わが学園出身者が各界で懸命に貢献を続けています。この先輩たち、また学園を愛する世界の多くの友人たちと一緒に、皆さんに贈りたいエールがあります。

緒方洪庵の適塾
 感染症と闘った日本の先駆の医学者・緒方洪庵が後継の弟子たちに繰り返し語った励ましです。すなわち――「道のため」「世のため」「人のため」、今は、力を尽くして勉強してくれ給え!<参照=『緒方洪庵のてがみ その二』『同 その五』共に菜根出版、緒方富雄著『緒方洪庵伝』岩波書店>と。
 さあ今日から、最優秀の先生方と共に、最高の学友と共に、私と共に、21世紀を照らし晴らしゆく「太陽の青春」を勝ち光らせよう! 
 みんな、明るく元気で!


【特集記事・信仰体験など】

◆4・20「本紙創刊記念日」特集 世界聖教会館の展示室から  2020年4月20日

「創価学会 世界聖教会館」の1階に設置された展示室(昨年11月)

「創価学会 世界聖教会館」の1階に設置された展示室(昨年11月)

 昨年11月に開館した東京・信濃町の「創価学会 世界聖教会館」。池田先生は、聖教新聞の使命について「民衆の中で生まれ、民衆に育まれた聖教新聞は、永久に民衆と共に進む正義の言論城であ。」と。

◆皆が前進!皆が人材! オンライン座談会 ⑲ 「無冠の友」の皆さまに心から御礼 
 強盛な祈りで価値創造の日々を 

〈出席者〉原田会長、長谷川理事長、永石婦人部長、西方男子部長、大串女子部長

 長谷川 政府は16日、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、緊急事態宣言の対象地域を全国に広げることを決めました。
 
 原田 感染された方の一日も早い回復を祈るとともに、感染によって亡くなられた方々とご遺族に、お悔やみ申し上げます。また、医療従事者の方々の献身に心から敬意を表します。
 
 西方 感染防止の観点から、この座談会もオンラインの会議システムを活用して行っていきます。
 
 長谷川 今日4月20日は聖教新聞の創刊記念日です。感染拡大が深刻化する中で、「毎朝届く聖教新聞こそが信心の希望の灯です」との声が、多く寄せられています。
 
 原田 大変な状況の中、聖教新聞の配達に携わる「無冠の友」のお一人お一人に心から御礼申し上げます。配達員の皆さまの健康と絶対無事故を真剣に祈念するとともに、支えてくださっているご家族にも深く感謝申し上げます。
 
 永石 配達員の皆さま、本当にありがとうございます。地震から4年の熊本では支部婦人部長が、配達中に毎朝会う、花を手入れされている近隣の方に、先日の日曜日(4月12日)に初めて声を掛け、思い切って聖教新聞をお渡ししたそうです。その方は「四季の励まし」を、その場で読むと、表情がぱっと明るくなり「素晴らしい内容ですね」と。次の日も、改めて「感動しました」と語り、心通う対話ができるようになったそうです。
 
 原田 自身が感動した記事を、他の人にも「伝えたい」という真心が届いたのですね。
 
 永石 会合等の自粛の中で、心が晴れない日々が続いていたそうですが、今回の出来事を通し、「無冠の友として先生の心を届ける喜びを実感しました」と生き生きと語っていました。
 
 原田 御書に「陰徳あれば陽報あり」(1178ページ)と仰せの通り、陰で広布に尽くす無冠の友の方々の福運は計り知れません。ご苦労をお掛けしますが、どうか、その大確信で尊い使命の道を歩んでいただきたいと思います。

“大切な人”を守る
 永石 今、各地では、コロナウイルス感染の一日も早い終息を、世界中の同志と共に祈り抜く日々です。“同盟唱題”をしたり、ご家族で一緒に朝晩の勤行・唱題を心掛けたり、御書や先生の著作をじっくり研さんしたりと、今までできなかったことに、工夫して取り組んでいます。また、家にいても電話などを使って励ましのネットワークを広げることができます。
 
 長谷川 ともかく今は、できる限り「家にいること」です。“人と人との接触機会を8割削減すれば2週間程度で感染抑制ができる”と言われています。
 
 西方 学会青年部としても「stayhome(ステイホーム)プロジェクト」を推進しています。ツイッターのアカウント等を活用して、“若者が不要不急の外出を控えること”を懸命に呼び掛けています。
 
 大串 正しい情報が賢明な行動を促します。それが、大切な家族、友人をはじめ周囲の人を守ることにつながっていきます。
 
 原田 池田先生は2日付の「新時代を築く」に「創価の青年たちが、目に見えないウイルスとの戦いに、鋭き知性と洞察力、深き共感力と持久力をもって挑み、スクラム固く価値創造してくれている。何と頼もしいことか」とつづられました。新たな発想で、新たな価値を生み出す青年部の戦いに期待しています。

公明の要請で1人10万円一律給付へ
 長谷川 日本経済も深刻な打撃を受け、外出自粛に伴う売り上げの急減など、多くの事業者が窮地に陥り、家計にも甚大な影響を及ぼしています。
 
 西方 公明党の山口代表は15日、安倍首相と会談し、「先が見通せずに困っている国民に励ましと連帯のメッセージを送るべきだ」「国民の苦しみや影響を政治が敏感に受け止めなければならない」と強調。早急に、所得制限なしで国民1人当たり10万円を一律給付するよう強く求めました。翌16日にも、改めて電話で要請しました。
 
 大串 山口代表の要請にはSNS上でも幅広い人々から「それでこそ公明党」「今こそ庶民の声を形にしてほしい」などの期待の声が、かつてないほど広がりました。一律給付は、かねて公明党が一貫して訴えてきた政策でもあります。
 
 西方 山口代表の要請を受け、首相は「全ての国民に一律10万円の給付を行う方向で与党で検討する」と表明。そして、17日の記者会見で「国民皆で連帯して(新型コロナウイルスを)乗り越えることにおいて、1人10万円を配ることが正しい」と述べたのです。
 
 大串 今は、国民が結束して危機に立ち向かう時です。所得制限をもうけると給付を受ける人と受けられない人が生まれ、国民を分断しかねません。その意味からも、評価する声が多くあります。
 
 永石 「国民の声が届いて、本当によかった」との喜びを多く聞きます。収入が減り、日々の生活費に困っている人も多くいます。家庭を守っている方、感染リスクを背負いながら医療、販売、物流などの現場で働く方をはじめ、全ての人の苦労と閉塞感に寄り添う給付金として、安心と連帯が広がることと思います。
 
 原田 今、世界は第2次世界大戦以来ともいうべき試練に直面しています。公明党は、国民が求める政策をスピード第一で実行してもらいたい。
 
 西方 中小企業・小規模事業者や個人事業主への支援策も、公明党が次々と提言し、政府の「緊急経済対策」にも、さまざまに盛り込まれています。
 
 原田 公明党には他党にはない「大衆とともに」との、創立者が示された永遠の指針がある。今こそ総力を挙げて、この未曽有の危機に立ち向かってほしい。

 

◆〈2020 学会史メモリアル〉 5月  2020年4月20日

 ◎5・3「創価学会の日」
 1951年(昭和26年)5月3日、生涯の願業として75万世帯の弘教を掲げ、戸田城聖先生が第2代会長に就任。60年(同35年)同日には、東京・両国の日大講堂で、池田大作先生が第3代会長に就いた。本年は池田先生の第3代会長就任から60周年。「5・3」は、世界に広がる大民衆運動の原点の日である。※参考資料=小説『人間革命』第5巻「烈日」、第12巻「新・黎明」
 
 ◎5・3「創価学会母の日」
 88年(同63年)4月27日の第1回全国婦人部幹部会の席上、“学会で最も大切な記念日である「5月3日」を「創価学会母の日」にしたい。そして、広布の母である婦人部を最大にたたえ、顕彰する日としてはどうか”との池田先生の提案を受け、同年から実施された。※参考資料=『随筆 師弟の光』

昨年5月、「創価学会母の日」を記念して開催された世界広布新時代第41回本部幹部会。あふれる勇気で未来を開く婦人部の友(巣鴨の東京戸田記念講堂で) 

昨年5月、「創価学会母の日」を記念して開催された世界広布新時代第41回本部幹部会。あふれる勇気で未来を開く婦人部の友(巣鴨の東京戸田記念講堂で) 
 
 ◎5・5「創価学会後継者の日」
 76年(同51年)5月5日、関西戸田記念講堂で行われた鳳雛会・未来部の記念勤行会の席上、「こどもの日」を「創価学会後継者の日」とすることが発表された。池田先生は「創価学会にとって『後継者の日』は、5月3日の『創価学会の日』に続く重要な日である。一切の建設は『人』で決まる。『人』といっても、若い世代に託す以外にないからである」と語っている。
 
 ◎5・5「トインビー博士との初対談」
 72年(同47年)5月5日、池田先生はイギリスの歴史学者アーノルド・J・トインビー博士とロンドンの博士の自宅で初の対談を行った。世代も文化的な背景も異なるが、人類の未来を憂える二人の心は共鳴した。翌年にも語らいを。その後、対談集『21世紀への対話』(邦題)として結実。これまでに世界29言語で出版。※参考資料=『新・人間革命』第16巻「対話」
 
 ◎5・9「音楽隊の日」
 54年(同29年)5月6日に結成された音楽隊が初出動した同月9日が淵源。

東京・新宿区の新国立競技場オープニングイベントで堂々と行進する音楽隊・創価ルネサンスバンガードと鼓笛隊の同志

東京・新宿区の新国立競技場オープニングイベントで堂々と行進する音楽隊・創価ルネサンスバンガードと鼓笛隊の同志
 
 ◎5・19「創価学会常住御本尊記念日」
 戸田先生が51年(同26年)5月3日の会長就任式の席上、創価学会常住御本尊を発願。同月19日に認められた。※参考資料=『人間革命』第5巻「烈日」「随喜」
 
 ◎5・27 モスクワ大学からの「名誉博士号」45周年
 75年(同50年)5月27日、ロシア最高峰の名門・モスクワ大学から、池田先生にとって第1号となる「名誉博士号」が授与された。本年は45周年。現在、世界の大学・学術機関から先生に贈られた名誉学術称号は「396」を数える。※参考資料=『新・人間革命』第21巻「宝冠」

◆無冠の友39年 男鹿の“とみちゃん”奮闘記〈信仰体験〉

 【秋田県男鹿市】「日本の渚百選」にも選ばれた「鵜ノ崎海岸」。遠浅の海で、晴れた日には、静かな水面に空が反射し、まるで南米ボリビアの「ウユニ塩湖」のような景色が現れる。


◆〈世界の体験プラザ〉 ブラジルで2つの会社を経営
 ブラジルSGI ラウリータ・メデイロス・バリ・デ・ソウザさん
「女性活躍賞」を受賞 必ず一番いい方向に開ける

 30年前の1990年のことです。当時の私は3人の子どもを育てながら、ピアウイ連邦大学の土木工学部で学んでいました。
 その頃、夫の女性問題が原因で、夫婦の関係は破局に向かいつつあったのです。夫との話し合いは平行線のままで、何日も眠れず、食事も喉を通らないほど、私は憔悴しきっていました。
 苦しい心の内を相談した友人から教わったのが「南無妙法蓮華経」の題目でした。その友人はブラジルSGIのメンバーだったのです。
 自宅に戻って、教わった通り題目を数十分唱えてみました。不思議と心が落ち着き、その晩は安心して眠れ、翌日から食事も取れるようになりました。この信仰には力があると感じ、同年3月SGIに入会しました。
 ところが祈れば祈るほど、なぜか夫は私から遠ざかっていくのです。SGIの友人は「自分が幸福になるための信心です。必ず一番いい方向に開けます」と確信を込めて励ましてくれました。
 92年6月に、10年がかりでようやく大学を卒業。10年もかかったのは、しばしば大学がストなどで閉校し、加えて3人の子育てとの両立が難しかったからです。家政婦を長期で雇えるようになって、なんとか学業に専念し、卒業にこぎつけました。
 しかし、今度は就職先の見つからない日々が続きました。

試練の嵐を祈りで乗り越え
 私の戦いが始まりました。毎朝、御本尊の前に座り、心行くまで題目を唱える。深く真剣な祈りから、一日をスタートさせることにしたのです。
 ともかく状況は待ったなしです。10代の子どもたち3人を育てなければなりません。勇気のいる決断でしたが、92年の8月に思い切って自分の建築事務所を起業しました。
 祈りながら2カ月間、無我夢中で営業に駆け回りました。住宅設計のほか、道路や公園などの公共事業の受注もあり、経営は軌道に乗っていきました。
 93年1月、夫との離婚を決心。私はもはや落胆することもなく、信心根本に自分の人生の歩みを進めました。
 5年後には、工場でコンクリート板を成型する「プレキャストコンクリート」の製造会社も立ち上げ、今では合わせて総勢50人の従業員が私と一緒に働いてくれています。
 幾多の試練の嵐もありました。40歳の時に子宮に腫瘍ができ、しかも両方の胸にも2センチほどの?胞が見つかったのです。
 「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」(御書1124ページ)との御文を何度も拝読し、絶対に負けないと決めて祈り抜きました。早期発見だったことも幸いし、治療は全て成功。私は健康な体を取り戻すことができました。

仏法の生命観が希望の力に
 子どもたちも全員、大学に送り出すことができました。長女はピアウイ連邦大学法学部を卒業して弁護士に。長男は陸軍の士官学校、次男は私と同じ大学の土木工学部を卒業しました。
 2009年4月のことです。前年に卒業したばかりの次男の運転で、バイア州に暮らす長男のもとを訪ねました。車が横転する大事故が起きたのは、その帰路でした。
 私はヘリコプターで設備の整った病院に転送されて助かりましたが、重傷だった次男は最初の病院で息を引き取ったのです。
 これ以上ないつらさと悲しみの中で、仏法で説く三世の生命観は、私にこの出来事に耐える力を与えてくれました。
 私自身、両足の骨が砕け、4度の手術を受けました。それでも爪先
つまさき
が動かなくなり、医師からは、もう以前のようには歩けないだろうと宣告されました。
 しかし、私は希望を失いませんでした。一日も早く学会活動に戻るのだと決め、リハビリに努めました。勇気ある信心こそが一切の鍵になるのです。御書を拝し、勝つか負けるかは自分次第なのだと心に刻みました。

 8年間、松葉杖を使いましたが、今はもう杖なしで普通に歩けるようになりました。私は再び勝ったのです。
 私と亡き次男が共にお世話になった大学の恩師の発案で、テレジナ市のある道路には、「エンジニア・アウディール・ジュニオル通り」と次男の名が冠されています。私もまたテレジナ市議会から、「女性活躍賞」を受賞しました。
 組織では地区副婦人部長として奮闘しています。自宅も広布の会場に使っていただいています。師匠である池田先生とブラジル同志の励ましのおかげで、今の私があるからです。
 何があろうと、強き一念で祈れば必ず勝っていける。このことを、多くの人に語っていきたいのです。

 

2020年4月19日 (日)

2020年4月19日(日)の聖教

2020年4月19日(日)の聖教

◆わが友に贈る

 悩みに寄り添い
 「同苦」することが
 励ましの第一歩。
 友の心を軽くする
 抜苦与楽の達人たれ!


◆名字の言 「ユーモアも自分を見失わないための魂の武器だ」

 戦時中、ナチスに捕らわれた一人の精神科医が、収容所の中で仲間に提案したことがある。それは毎日、笑い話を作ること。数分間、いや数秒間でもいい。しゃれや冗談を飛ばし合い、笑って過ごそうと▼そうやって過酷な状況に耐え、生き抜いた彼には確かな信念があった。「ユーモアも自分を見失わないための魂の武器だ」(フランクル著『夜と霧』池田香代子訳、みすず書房)▼感染症拡大を防ぐため、不要不急の外出を自粛する日々が続く。“ならば”と先日、ある家族はお茶の間に集まり、川柳を詠み合った。テーマは「笑い」。特に、小学生の3人の子が素直な心を表現した川柳が愉快だった。「おばあちゃん いつもテレビと 会話する」「成績表 決死の覚悟で 親に見せ」「勉強中 時計の針が 動かない」▼久しぶりに、家族みんなで声を出して笑った。両親が語っていた。「重たい雰囲気にのまれて、心まで重くする必要なんてない。希望を見失っちゃいけない。たくましい子どもたちに教えられました」▼いくら外出自粛といっても、萎縮したり、孤独に陥ってしまうのは避けたい。電話、メール、SNSなど上手に活用しながら、明るい励ましを交わしていこう。この難局を、皆で乗り越えられるように。(誠)


◆寸鉄

自他共の幸福広げる学会
は共生の時代開く―博士
電話一つも心結ぶ契機に
     ◇
御書「大悪をこれば大善
きたる」。必ず勝つための
信心。我らは負けじ魂で
     ◇
今が拡大防ぐ重大局面!
買い物は家族とではなく
一人で等、「3密」回避を
     ◇
皆で歌を作ろう―青年部
の参加企画に投稿続々。
希望を紡ぐ頼もしき智慧
     ◇
「健康の鍵は普段の生活」
と感染回復の106歳女性。
食事・運動・睡眠など賢く


◆社説 あす本紙創刊記念日  危機に挑みゆく「希望」を発信

 今、「何を伝えるか」が改めて問われている。ウイルスという“見えない敵”との闘いにあって、一人一人の生命を守るために、科学的知見に基づく正確な情報の共有が不可欠であることは論をまたない。その上で、先が見通せない不安にどう立ち向かい、希望を持って生きていくか。そして、危機の先にいかなる時代を創っていくべきかを伝えることが、メディアの使命だろう。
 あす20日は聖教新聞創刊記念日。1951年4月20日、本紙は発行部数5000部、旬刊2ページ建てで始まった。65年7月に日刊化、71年1月から現在の日刊12ページ建てに発展した。昨年11月には「聖教電子版」がスタート。オリジナル記事や動画、音声の配信に加え、人間革命検索サービスなど多彩な情報を届けており、世界203カ国・地域からアクセスがある。
 “人間の機関紙”――池田先生は聖教新聞をそう呼び、その使命について、小説『新・人間革命』につづっている。
 「人びとが、どうすれば希望を見いだしていけるのか、歓喜をわき立たせていくことができるのかを考え、編集している新聞はない。また、人生の苦悩に対して、いかに挑み、克服していくかを教えている新聞もない。しかし、社会が最も必要としているのは、そういう新聞だ」(第1巻「慈光」の章)
 本紙創刊の原点は、50年8月24日、事業の挫折に直面する最中で交わされた、戸田先生と池田先生の語らいにある。師弟が最大の苦境に立ち向かいながら、人類の幸福を願って創刊した新聞として、民衆の人間革命のドラマを伝え続けてきたことこそ本紙の誇りである。
 新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、「危機の時代を生きる」と題する識者へのインタビューや体験談のほか、青年部と医学者によるオンライン会議、コロナ禍の中で奮闘する各国SGIの同志の姿を伝える「世界の友は今」などの新企画をスタートした。
 「新聞は毎日、また常に、民衆の光輝ある力のために、現在と未来の間に立って、歴史の行進を先取りする」とは、新聞を武器として言論戦に生涯をささげた、ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁の言葉である。
 かつてない危機だからこそ、人間の持つ偉大な力を信じ、開きゆく仏法の哲理が求められている。今こそ民衆の連帯を強め、より良き社会を築くため、人々に励ましのエールを送りたい。そして、強き祈りを根本に、危機に立ち向かう民衆の物語を一日一日、紡いでいきたい。聖教新聞は、これからも生きる「勇気」と「希望」を世界に発信していく。


◆きょうの発心 開目抄 広島創価総県副婦人部長 荻田須美恵2020年4月19日

御文 我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし(開目抄、234ページ・編464ページ)
通解 私と私の弟子は、多くの難があろうとも、疑う心を起こさなければ、自然に仏界に至るであろう。

信心を貫けば人生は必ず開ける
 いかなる難があっても疑うことなく信心を貫けば、成仏の境涯を得られると仰せです。
 19歳の時、父の会社が倒産し、一家離散に。職場の先輩に折伏され、親きょうだいから反対される中、信心を始めました。
 1975年(昭和50年)に広島県立体育館で行われた第38回本部総会に役員として参加。同志を励まされる池田先生の姿に触れ、「生涯、師弟の道を歩もう」と決意。仕事と学会活動に全力で挑戦し、3世帯の弘教が実りました。その後、母が入会し、父や弟たちも学会の理解者に。一家和楽を祈り続ける大切さを実感しました。
 結婚後も、さまざまな苦難が続きましたが、同志の励ましに支えられ、すべてを乗り越えることができました。
 現在、子どもたちは使命の地で奮闘しており、夫は元気に本紙の配達員をしています。信心を貫けば必ず人生を開いていけることを強く確信しています。
 広島への原爆投下から75年となる本年、世界平和へ師弟共戦の人生を歩み抜く決意です。


【先生のメッセージ】

◆「四季の励まし」あす本紙の創刊記念日 生命を鼓舞する言葉の力 池田大作先生の写真と言葉    2020年4月19日

 雨上がりの空に、鮮やかに輝く七彩の虹。1991年(平成3年)6月、池田大作先生がルクセンブルクで撮影した。
 あす20日は、本紙の創刊記念日。今年で69周年を迎える。大文豪ビクトル・ユゴーは言った。「活字文化は社会の光であります」「活字文化がなかったならば、漆黒の闇が続きます」(稲垣直樹訳『ヴィクトル・ユゴー文学館 第9巻』潮出版社)
 「君はユゴーとなって書きまくれ!」との戸田城聖先生の期待を胸に、池田先生は小説『人間革命』『新・人間革命』をはじめ、随筆や長編詩などを寄稿し、本紙を通して全国の同志に励ましを送り続けてきた。師の言論闘争に続き、我らも友の心に希望の虹を懸けていきたい。
 
 人間の魂から迸り出る
 言葉には偉大な力がある。
 我らの生命を
 鼓舞する勇気があり、
 希望がある。
 正義の信念があり、
 邪悪への憤怒がある。
 人間は言葉なしに
 生きられない。
 「言葉の力」を
 信ずることは
 「人間性の力」を
 信ずることである。
  
 新聞の使命――それは、
 邪悪や不正を鋭く糾弾し、
 庶民を守り抜く
 「民衆厳護」にこそある。
 庶民の中で誕生し、
 多くの庶民に支えられ、
 庶民と共に発展してきた、
 聖教新聞の誇りも
 ここにある。
  
 人生、人々の胸に、
 何を配って、
 一生を終えるのか。
 配達員の方々は、
 「希望」を配っておられる。
 「勇気」を配っておられる。
 「智慧」を配っておられる。
 「文化」を配っておられる。
 「平和」を配っておられる。
 「希望」を
 配達しておられる皆様の
 人生のポストに、
 「希望」が
 届かないはずがない。
  
 最も深い革命は、
 思想の革命である。
 いかなる人の
 生命も尊極であり、
 必ず幸福になる
 権利があるという思想!
 自分自身が変われば、
 人生も、環境も、
 世界も変えていけるという
 「人間革命」の思想!
 高らかに
 新しき「思想の喇叭」を
 吹き鳴らすのが、
 わが聖教新聞の使命だ。
  
 いかなる災害や危機にも、
 断固と立ち向かう
 希望の大城が創価であり、
 その揺るぎなき言論の柱、
 民衆厳護の言論王こそ、
 聖教新聞である。
 さあ今日も、聖教と共に、
 「生命はかくも尊厳なり。
 無窮なり」と、
 人間革命の讃歌を、
 民衆勝利の大叙事詩を、
 綴りゆこうではないか!


【聖教ニュース】

◆青年部と医学者による第4回オンライン会議から テーマ「1人暮らしの若者・大学生の「不安」に向き合う」  2020年4月19日

新型コロナウイルス感染者の推移予測

新型コロナウイルス感染者の推移予測

 新型コロナウイルスの感染拡大の状況を踏まえ、青年部と医学者の代表が「1人暮らしの若者・大学生の『不安』に向き合う」をテーマに行った第4回オンライン会議(16日) ここでは、その模様を紹介する。

「一人で悩まない」環境づくりを  医療崩壊を防ぐための接触機会「8割減」

 志賀青年部長 政府は今、人と人が接触する機会を「8割減」にする必要性を、一層強く国民に訴えています。「8割減」を目指す狙いや根拠、行動自粛のポイントなどについて、あらためて整理していただければと思います。
  
 菖蒲川新潟大学特任教授 接触機会の「8割減」を目指すことで、結果的に、私たちの日常生活にダメージを与える期間を短くすることができます。反対に、これができなければ、自粛は長引き、社会機能の維持に影響が出てしまう。感染拡大は止まらず、医療崩壊にもつながります。医療崩壊が起これば、本来、救えるはずの命が救えない状態に陥ります。この懸念は地方のほうが切実です。地方は都市部に比べて、医療資源が限られています。ここまで「8割減」が強調されているのは、命を守るためであることを、理解しなければなりません。
 この「8割」の根拠は、厚生労働省クラスター(感染者集団)対策班の西浦博・北海道大学教授が提唱する数理モデルです。
 1人の感染者が何人の人にうつすかを欧米諸国の事例から仮定して試算したものです。しかしながら、今のままでは「8割減」は到底、達成できない状況です。
 「8割減」とは例えば、一日10人と会っていたのを2人に減らす――対面で会話するのは家族だけ、というイメージです。
 とはいえ、医療従事者をはじめ物流、宿泊、小売、保育、介護など社会機能を最低限維持するために不可欠な職種は、接触機会を極端に減らすことは難しい。だからこそ、社会全体として「8割減」を目指していく必要があります。私たちは今まで以上に危機意識を持ち、自らの行動を変えていかなければなりません。
 
 大串女子部長 最低限の外出として、生活必需品の購入のためにスーパーや薬局などを訪れる場合、どのようなことに気を付ければよいでしょうか。
 
 庄司創価青年医学者会議議長 消費者庁では「買い物をするときのお願い」として、感染予防に加え、他の方に感染させない気遣いが必要であると強調しています。咳エチケットを守り、買い物前後の手洗いを徹底する。事前に買う物を決め、むやみに商品に触れない。混雑の時間を避け、レジに並ぶ際には「ソーシャルディスタンス」といわれる「2メートル以上の間隔」を空けるように心掛ける――こうした小さな行動の積み重ねによって、社会全体の感染リスクを減らすことができます。

「守られる側」から「守る側」へ――他者に尽くす行動が不安を解消し免疫力を高める
 西方男子部長 一方で、自粛の長期化によって、若者の不安が増大しているといわれています。とりわけ、1人暮らしのメンバーからは「仕事も自宅待機で、誰とも話さずに一日が終わってしまう」など孤独を訴える声も伺っています。このような若者が価値ある日々を送るためのアドバイスをお願いします。
  
 藤原東京医科歯科大学教授 もともと日本の若者の自己肯定感は国際比較でも最低水準です(令和元年版「子供・若者白書」)。「空気を読む」という言葉に象徴されるように、周囲の人の行動に気を配りながら、自らの行動を決める傾向があります。それが一転、自分一人だけで行動の選択を迫られて戸惑っている、というのが不安の背景にあるのかもしれません。
 こうした不安を解消するための一つのアドバイスですが、「守られる側」として誰かに手を差し伸べられるのを待つのではなく、誰かを「守る側」として何かの行動を起こしてみてはどうでしょうか。若者は、ネットやSNSを最も利用する世代です。特定の興味や悩みを少人数でも共有できる環境があります。こうした環境を活用すれば、誰もが“同じ悩みを抱える他者に励ましを送る存在”になり得るということです。
 多くの研究で、ボランティアに携わる人は、しない人に比べて、心身の健康度が高いと報告されています。「他者のため」と考え動くことで、抱えていた不安も解消され、免疫力の向上にもつながっていくことが証明されています。

充実した日々を送るコツ――
①生活習慣を整える
②心を切り替える工夫
③立てた目標を共有

 樺澤学生部長 1人暮らしの若者の中で特に自粛の影響を受けているのが、大学生であると思います。授業開始が延期され、アルバイト先も自粛で仕事がない。友人とも会わないので「やることがなく、だらけてしまう」等の悩みが多く寄せられています。
  
 藤原 まずは、外出を自粛して家にいるのだから、正しい行動をしていることを確信していただきたい。
 その上で、家の中にいても化粧をする女性は健康で長生きするという研究結果があります。この視点から言えば、服装や身だしなみをきちんと整えたり、「3密」を避けて近所を散歩したりするなど、心を切り替える行動が大事です。また家の中で「この壁に向かう時は勉強モード。あの壁に向かう時はリフレッシュモード」と決めるゾーニング(区分)も効果的でしょう。
 授業やアルバイトという強制力がない環境下では、自分で明確な目標を設定することが重要です。例えば、読書の冊数や語学の習得など、自分自身でやるべきことを考え、目標を定めること、できれば、それを誰かに見てもらうことが充実した日々を送る鍵です。
 
 林女子学生部長 ある女子学生は「外出自粛の要請が続く中で、友人からの遊びの誘いをどう断ればいいか」を悩んでいました。
  
 藤原 感染リスクを、きちんと認識していない友人なのでしょう。まだまだ若者の危機意識には差があります。関係性にもよるでしょうが、例えば“気兼ねなく楽しむためにも、感染の状況が落ち着いてから遊ぼう”などと延期を提案していただきたいと思います。それが自分も、友人も、守ることにつながります。正しい情報を発信する側に回ることが大切です。

親や近親者も今が正念場――励ましの声掛けを電話やメールで
 大串 1人暮らしの若者をもつ親や近親者には、どのようなサポートを心掛けていただくのがよいでしょうか。
  
 庄司 学生さんなどの親御さんは、できれば実家に戻ってもらいたいという心情を、ぐっとこらえていらっしゃるのではないでしょうか。しかし、残念ながら、都市部から帰省した大学生が感染している事例が増えています。今は「帰省させない」ことが家族を守ることになります。

困った時は躊躇せず周囲に助けを求めて!
 藤原 家族や近親者には、ぜひ電話やメールなどで「困っていることはないか」と声を掛けた上で、「何かあっても必ず守るから」と、“心配”よりも“信頼”のメッセージを伝えていただきたい。
 
 日本人は「周りが察してあげる」ことを大切にしてきたことから、個人が「助けてほしい」と声を上げることを躊躇しがちです。しかし、周囲の人との接触が極端に少ない現状では、若者が自分から、親や近親者、地域のコミュニティーに助けを求めない限り、“困っていることに気付いてもらえない”という認識が必要です。
 いずれにしても、1人暮らしの若者自身もその周囲も、双方向の努力によって「一人で悩まない」「一人で悩ませない」ようにすることが重要です。
  
 志賀 若者や大学生が一人きりで悩む状況を決して見過ごしてはなりません。皆が苦境に立たされている今こそ、同じように悩み苦しむ友に寄り添う「共感力」が、いやまして求められています。
 ハーバード大学のヌール・ヤーマン名誉教授は、池田先生との対談集の中で、「共感」とは「人々と同じ悲しみや喜びの感情を分かち合う概念」としつつ、「『共感』は真の人間らしさを示す特質であると思います。私たちが育むべきは、この『共感』です。それは、人と人との交流を通してのみ発展させることができます」と述べています。
 私たち青年部は、人と人との触発の中で、この「共感力」を磨いてきました。こういう時だからこそ、あの友、この友に思いをはせ、たとえ直接会えなくても、電話やSNSを駆使して、心のつながりを拡大していきたいと思います。

【特集記事・信仰体験など】

◆ 〈未来に輝く知性の宝冠〉 ケニア ナイロビ大学2020年4月19日
 生命への限りない讃歌
 アフリカに脈打つ人間主義が統合と調和の21世紀を開く

“一人の偉大なる哲学者に栄誉を贈りたい”――ケニア・ナイロビ大学からの「名誉文学博士号」の授与式。ギチャガ副総長㊨から池田先生に証書が手渡された(1992年12月、東京・八王子市の創価大学で)

“一人の偉大なる哲学者に栄誉を贈りたい”――ケニア・ナイロビ大学からの「名誉文学博士号」の授与式。ギチャガ副総長㊨から池田先生に証書が手渡された(1992年12月、東京・八王子市の創価大学で)

 人類発祥の母なる大地・アフリカ。そこで暮らす人々にとって、「文学」には格別な意義がある。
 文字による「書記文学」が20世紀以降に本格的に発達した一方、大部分の地域ではそれ以前から、人間の「語り」によって神話や物語、歌などを伝承する「口承文学」が栄えた。
 今日もなお、人々が集う場で即興の歌や詩が披露されるほど、口承文学は生活に深く根付いている。
 東アフリカの名門であるケニア国立のナイロビ大学から、池田先生に「名誉文学博士号」が授与されたのは1992年12月22日。場所は、東京・八王子市の創価大学であった。
 ナイロビ大学の名誉博士号は、ケニア建国の父・ケニヤッタ初代大統領に第1号が贈られて以来、各分野や社会で多大な功績を残した人物に授与されてきた。
 授与式が学外で挙行されたのは、初めてのこと。遠路はるばる来日したギチャガ副総長は語った。
 「池田博士の著作を通して、ケニアの人々が、生命尊厳の仏法の哲学、池田博士の恒久平和への献身的な戦いに対し、理解を深めることを切に望むものです」
 「博士が進めておられる活動、そして、貴殿が代表を務めておられる諸機関の運動は、平和への希望を贈るものであります。平和とは、紛争に創造的な解決を見いだし、社会に価値を創造しゆく人間生命の内在の力を意味するからです」
                        ◇ 
 歴史上、アフリカの人たちほど、虐げられ、人間性を奪われた人々はいない。
 口承文学をはじめとする伝統文化も、植民地主義者らには“野蛮で未開発なもの”と映った。抑圧され、西欧の価値観を押し付けられる時代が長く続いた。
 文学とは、人生、そして生命への限りない肯定であり、讃歌――この心で、若き日から書物に触れてきた先生にとって、人間のダイナミックさを赤裸々に描くアフリカ文学は、人類が誇る精神文化であった。
 かつて、こう心情を述べている。
 “現代において大切なのは、文化や民族、思想の垣根を越え、「人間」という次元での連帯感を創出することである。アフリカ文化には、その原点というべき精神性がある。人間への温かなまなざしや信頼、深き心の絆といった、おおらかな精神の息吹がある”
 先生が、アフリカの輝く未来に思いをはせたのは、1960年。アフリカの、実に17カ国が植民地から独立を果たした「アフリカの年」である。
 この年の10月、先生は米ニューヨークの国連本部を訪れ、アフリカ諸国のリーダーの生き生きとした姿に触れ、「21世紀はアフリカの世紀になる」との確信を深めた。
 この訪問は、今日に至る先生の国連支援の原点となり、「アフリカの世紀」の建設を目指し、平和・教育・文化の橋を架けゆく行動の出発点となった。
 「アフリカに学び、アフリカを大事にしていく時代を築いていく」。その心で先生は、アフリカの詩心をたたえ、文学をひもとき、そこに息づく生命の尊さを語っていった。
 86年、ケニア口承文学協会は、先生の平和貢献と著作活動をたたえて「ケニア口承文学賞」を授与。
 90年には、先生の著作である『生命を語る』が初のスワヒリ語版の日本人作品として、ナイロビ大学出版局から発刊。さらに91年、先生とトインビー博士の対談集『21世紀への対話』のスワヒリ語版が刊行され、大きな反響を呼んだ。
 90年代初頭、東西冷戦が終結してもなお、湾岸戦争の勃発などによって世界の分断は続いていた。その中で、「人間」という視点に立つ先生の生命観が、アフリカの人々の心を潤していった。
 ナイロビ大学でも、多くの教員らが先生の平和貢献や著作に触れ、その哲学と行動への見識を深めていった。
 同大学の名誉学位委員会が、池田先生への名誉博士号の授与について厳正な審議を重ねたのは、91年。
 会議の席上、一編の詩が配布された。委員の一人が読み上げる。
 「敵をも心服させる あなたの大きさ/万人をも包みゆく あなたの深さ/その人類愛の光彩は/すべての人間のなかに脈打つ/大いなる実在を/強く 優しく輝かせてやまない……」
 その前年の90年10月、先生が南アフリカの人権の闘士であるネルソン・マンデラ氏と初会見した折、氏に贈った長編詩「人道の旗 正義の道」であった。
 “アフリカの良心”にささげた詩は、アフリカの全ての人をたたえる生命讃歌でもあった。委員会は満場一致で、先生への名誉文学博士号の授与を決定したのである。
                         ◇ 
 授与式で、謝辞に立った池田先生は語った。
 「アフリカの天地には、『人間』と『社会』と『宇宙』を貫く“生命”への英知が、生き生きと躍動しております。ここに、現代文明の行き詰まりを超克しゆく、一つの源泉を見いだすのは、私一人ではないと思っております」
 「このアフリカ文化に脈打つ人間主義は、21世紀を、『分断』から『統合』へ、『混沌』から『調和』へと、滔々たる大河のごとく潤していくことでありましょう」
 この「統合と調和の21世紀」の建設の先頭に、先生自らが立っていった。
 ケニアだけを見ても、大統領や大臣、ノーベル平和賞を受賞したアフリカの環境の母・マータイ博士をはじめ、各界のリーダーと対談。文学界では、ケニア作家協会会長でナイロビ大学教授のインダンガシ博士らと語らってきた。
 また、先生が創立した民主音楽協会は、アフリカ各国の伝統音楽・芸術を日本に招へいしている。
 ナイロビ大学から始まった創大とアフリカの大学の学術交流は、今や9カ国・13大学に。日本有数のアフリカとの教育交流の拠点として、社会貢献の人材を送り出している。
 「先生は、アフリカの心を、アフリカ人以上に知っている人」(インダンガシ博士)。アフリカの輝く未来を見つめ、行動してきた先生を、各界の英知は称賛してやまない。
 「アフリカの世紀」の宣言から60年。今、かつてない危機を迎えたこの地球上にあって、生命を慈しみ、人間のありのままをたたえる「アフリカの精神」の再発見が、いやまして求められている。10キャンパスに8万人の学生 東アフリカ屈指の名門
 1956年、王立工科大学として創立。63年に東アフリカ大学のカレッジの一つとなり、70年に現在のナイロビ大学に発展した。
 ケニアの首都ナイロビをはじめ各地に10のキャンパスを擁する。35の学部・研究所などに8万4000人の学生が学び、これまでの卒業生は24万人を超える。
 1984年に創価大学との文化・教育交流を開始し、88年に日本の大学として初となる学術交流協定を締結。90年には、池田先生の著作『生命を語る』のスワヒリ語版を大学出版局から発刊した。

インダンガシ博士
 私が所属している文学部では、2003年から3年連続で(池田)会長の著作を学ぶ科目が開講され、反響を呼びました。私自ら講義を担当したこともあります。会長の対談集をはじめ、児童文学、詩などを通し、「会長の平和思想」「対話の精神の重要性」について学び合ったのです。(中略)
 ケニアは、独立以来、長きにわたり、平和という状況が保たれていました。しかし、2007年12月の大統領選挙への抗議行動から暴動が引き起こされ、国民に苦い教訓を残したのです。私たちは知りました。平和とは、自分たちの力で育てていかなければならないものである、と。さらに、そのために努力し、護り続けていかなければならない、とも。
 そのためにも、私たちは、池田会長の行動と哲学を、繰り返し学んでいかなければならないと思うのです。(中略)
 池田会長は、アフリカを、そしてアフリカ人を、きわめて包括的に、温かな人間主義の眼でとらえておられます。これほどアフリカに対して、人間的な心で向き合ってこられた日本人が、指導が、他にいるでしょうか。会長の言葉の通り、この21世紀がアフリカの世紀となることこそ私たちの希望です。私たちは会長と共に、平和へ進んでいきたいのです。(本紙2011年10月7日付)


◆〈信仰体験〉登攀者 高速道路延伸の現場に生コンを供給 2020年4月19日
 自営業の失敗、勝ち取った天職 魂込めた建設と創造

 大都市・東京の地下は、まるで巨大な迷路のようだ。ショッピング街、地下鉄をはじめ、通信網や電気・ガス・水道管といった社会インフラが張り巡らされている。そこからさらに奥深くの地下70メートル地帯。今、ここに新たな地図が書き加えられようとしている。「東京外かく環状道路」。現在、空白路線となっている大泉JCT(ジャンクション)から東名JCT(仮称)の南北約16キロを繋ぎ、都心の渋滞緩和や環境改善、災害に強い街づくりに生かそうという計画だ。わずかなミスも許されない一大プロジェクト。三ケ尻悟さん(63)=東京都世田谷区、副本部長=は、ここに生コンクリートを供給する現場責任者を務める。緊張の日々が続く。

 地下洞窟の暗闇をライトが照らす。ひっきりなしに行き交う作業員。
 日本が誇る地下掘削技術の要である「シールドマシン」によって掘り進められたトンネルに道路を敷設する工事。
 そのうち、三ケ尻さんは、車両が走行する床版を支える側壁と、床版と床版をつなぐ間詰にコンクリートを供給する。
 いわば、高速道路の土台を支える陰の立役者。その存在は目に見えなくても、社会を足元から支える誇りが、自身に妥協を許さない。
 生コンクリートは、砂利・砂・水・セメント・混和剤を配合し製造される。堅固な建造物に欠かせないコンクリートは、日本工業規格(JIS規格)によって厳しく基準が定められている。
 「その基準値よりさらに精度の高い生コン製造が私の挑戦です」
 例えば、生コンの硬さ、軟らかさを計測するスランプ検査。
 砂利・砂の粒の大きさやそこに含まれる水分量のデータなどを細かくチェックし、配合する水の量を調節する。さらに、生コン製造からコンクリートを打設する現場への移動時間まで計算した上で、最適な物を生み出す。夏季と冬季でも大きく差が出る。さらには、その日の気温、湿度によっても変化する繊細な性質。それを知り尽くした上で、日々の生コンを製造していく。三ケ尻さんは、「今日最高の物を出すぞ。そう心に決めて、毎朝出発しているんです」と語る。

 平成に入って始めた事業で大きな負債を抱えたことがあった。高原野菜を仕入れ、直売する仕事。
 しかし収入は、天候に左右される。台風が来れば、仕入価格は高騰し、豊作になると安値が付く。
 開業資金と家のローンに加え、多額の負債が膨れ上がった。
 進むべきか、引き返すべきか。真っ暗なトンネルの中で、悩み苦しんだ。
 「たとえ一時、仕事で負けても、人生に敗れたわけではない。信心で立ち上がれば、希望の光が見えてくる」
 窮地に追い込まれた中で、信心の先輩からの厳しくも温かい励まし。
 「ゼロからのスタートだ。信心で立ち上がろう」
 妻・由美子さん(63)=婦人部副本部長=と決意した。地域の同志の励ましが心にしみた。「うちで作ったの食べてよ」。

 三ケ尻さんは、学会活動から帰宅すると、必ず仏間に直行した。「自身の座る畳半畳を、宿命転換の舞台にする」と真剣な唱題を重ねた。そして、御書の一字一字を生命に刻み付ける。
 「妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり」(御書947ページ)
 “なんとか助けてください”。わらをもすがる思いから、次第に祈る姿勢に変化が表れる。
 「この苦難に耐え、乗り越えられる強い自分になります」
 しばらくして、自宅から程近い場所で、社員募集の話を聞いた。生コンクリートの製造会社だった。
 最終面接の際、社長にこれまでの歩みを語った。事業に失敗し、多額の負債があること。妻と幼い3人の子どもがいること。そして決意を振り絞った。
 「どん底を経験した自分だからこそ、あとは、はい上がるだけです。がむしゃらに働きます」
 社長もまた、一代で会社を築き上げた来し方を振り返り、語った。「あなたのような人材を待っていた。将来、あなたの名前で指名されて、仕事を受注できる人になりなさい」
 祈っていた以上の好待遇で、採用が決まった。

 30代後半からの再出発。工事現場で、先輩について回った。
 覚えるべきことは大量にあった。厳しく叱られても、常にメモを片手に食らいついた。
 入社から7年目、現場の所長を任されるようになり、翌年には難関のコンクリート主任技師の資格も取得した。
 2010年(平成22年)、旧民主党政権が掲げた「コンクリートから人へ」との方針で、公共事業が激減。職場から一人また一人と社員が去っていった。
 「おまえはよく頑張っているな」。入社以来、三ケ尻さんに厳しい態度を取り続けてきた役員から、初めてねぎらいの言葉を掛けられた。採用してくれた社長への報恩を片時も忘れなかった。
 「職場は人間革命の道場」との池田先生の指導を自身の指針にしてきた結果だった。
 その後も、大手企業の本社ビルをはじめ駅ビル、ダム、トンネルといった国家的プロジェクトや大型公共工事など、日本各地で質の高い生コンクリートを製造・出荷してきた。
 魂を込めた建設と創造が、実績と信頼につながり、次の仕事を呼び込んできた。
 負債も完済。長らく単身赴任の生活を続けてきたが、昨年からは妻・由美子さんも東京・世田谷の地に移った。学会活動に励み、本紙の通信員も務めている。
 三ケ尻さんは、池田先生の言葉をかみ締める。
 「青春時代、いかに安穏であっても、それで自分の鍛えを忘れれば、結局、40代、50代になってから苦しむ」「『苦労を求めよ! 自分を鍛えよ!』。そして『信用を磨き、信用を広げよ!』」
 出口のないトンネルがないように、明けない夜はない。
 今では、「三ケ尻さんに次の現場も担当してほしい」との言葉を掛けられる。それが、何よりうれしい瞬間だ。

◆〈スタートライン〉 グローバルに生きるなら「共感度」を高めよう! 2020年4月19日
 世界の人々の「暮らし」を伝え続ける

 今回のスタートラインは、世界各国の人々と生活を共にし、その暮らしを伝えている「定住旅行家」のERIKOさんが登場。これまでに50の国々を巡り、100以上の家族と、かけがえのない時間を過ごしてきた。多くの文化・価値観との出合いや人々との触れ合いを通して、多様な世界を生きるために大切なことを語ってもらった。

現地の人と生活を共に
 ――「本当は、今日から渡航予定だったんです」。取材日当日、ERIKOさんはデンマーク・グリーンランド・フェロー諸島を3カ月かけて定住旅行する予定だったと教えてくれた。新型コロナウイルス拡大の影響で延期せざるを得なくなった。
  
 以前イランで滞在した家族の息子さんからも、「姉が新型コロナウイルスに感染した」とのメールが届きました。今は回復しているそうで、ほっとしています。心配したらキリがないほど、世界中にお世話になった家族がたくさんいるので、一日でも早く終息することを願っています。
  
 ――旅行は延期となったが、デンマーク語の勉強など、準備を進めてきた。ERIKOさんは、スペイン語、ポルトガル語をはじめ6カ国語を身に付けてきたが、初めての国や地域を訪れる際も、可能な限り、現地の人と現地の言葉で交流するようにしている。
  
 ある国の文化を理解するために、いつも二つの視点で見るようにしています。一つは、私のような日本人、つまり外国人の視点で、彼らの暮らしがどのように映るか。もう一つは、現地の人の視点で見る文化・暮らしです。後者の視点を得るためには、やはり現地の言葉の勉強が欠かせません。その国の文化を色濃く反映しているのが言語だからです。
 私の定住旅行は、その人たちの暮らしに触れるのが目的なので、観光はほとんどしません。仕事場に同行したり、お子さんの学校を見学させてもらったり、炊事、洗濯、買い物などを一緒にしたりして、日常生活を共にします。ここに行きたい、あれを食べたいといった普通の海外旅行とはずいぶん違うものだと思います。
 一つの家庭で数週間、1カ国当たり1~3カ月を過ごし、各家庭の暮らしぶりから、その国の文化・価値観を学び、ウェブサイトやSNSを通して情報発信を続けています。
きっかけは1枚のコイン
 ――ERIKOさんにとって忘れられない出来事がある。2009年に語学留学で訪れたアルゼンチンでのことだ。
  
 首都・ブエノスアイレス市のバス停で見知らぬ女性から1枚のコインを頂いたことが、私の価値観を変えました。
 市内バスに乗るには1ペソコイン(当時約20円)が必要でした。2ペソから紙幣があるのですが、当時のバスの中には紙幣を入れる機械がない。この時、私の手元には1ペソコインがなく、「多めに払うから乗せてください」と運転手に頼んでも、どのバスも乗せてくれない。だんだんと日も暮れ、不安が募ってきました。
 そんな時、幼子を抱えた貧しそうな身なりの女性がバス停の前を通りました。思わず「すみません。突然ですが、1ペソ持ってますか?」と尋ねたところ、私に1ペソコインを差し出してくれたのです。かわりに5ペソ紙幣を渡そうとすると、彼女は首を横に振り「それはきっとあなたにもらわれるためにあった1ペソよ」と。彼女のおかげで、私は無事に帰ることができました。彼女のように自分に必要なものを他人に差し出すことが、私にできるだろうかと、心が震える体験でした。
  
 ――この経験が忘れられず、中南米の人々の暮らしや文化を体験したいとの思いを強くしたERIKOさんは、2012年から1年4カ月かけて、中南米を1周する。各国で生活をして見えてきたものとは。
  
 日本人との大きな違いを感じるのは、お金についての価値観です。コロンビアで、「1万ドル(約107万円)あったら、何に使う?」と私が何人かに尋ねたところ、全員が「友達や家族と、おいしいものを一緒に食べたい」と答えたんです。自分だけのために使うという人はいなかった。
 キューバとペルーでは、滞在先の家族に滞在費を渡そうとして、がっかりした表情で断られました。“一緒に過ごした思い出は、心に残る素晴らしい財産だ。それをお金になんか換えることはできないよ”と。価値の置きどころが全く違うなと感じました。それ以来、中南米では感謝の気持ちとして手紙や、折り紙を折って、プレゼントしてきました。お金よりも人を幸せにしてくれるものがあることを、彼らはよく分かっているのです。
人との“違い”を受け入れる
 ――中南米の人たちの振る舞いを、ERIKOさんは「共感度が非常に高い」と表現し、共感できるということが、コミュニケーションの基本だと語る。それはグローバル社会を生きる若者に必要なことではないか。
  
 中南米で出会った人たちには、自分の幸せだけでなく、「人が喜ぶことも自分の幸せ」という発想が常にありました。相手の気持ちに共感して、何かしてあげたいという気持ち。これは本当に大切で、相手の内面に寄り添うことで、会話も深まるし、気持ちも離れずにいられると思う。そうした「共感度」を高めるためには、いろんなことにチャレンジして、さまざまな経験をしていくことが重要です。でも、それは必ずしも「海外に出ましょう」ということではありません。
 今、グローバル社会とか、国際化などと言われますが、本当にグローバルな人って、人の気持ちを思いやれる人だと感じます。自分の狭い知識や好き嫌いで判断せず、目の前の人との“違い”を理解しようとすること。それが、グローバルな世界への第一歩です。結局は多様な人間社会のどこへ行っても、これの繰り返しだからです。
 その上で、「異なる価値観」というのは、大いに刺激を与えてくれます。海外に行けないという人たちのためにも、私は各地の暮らしを伝えて「こういう人たちが生きている」ということを伝え続けたい。それが私の使命だと思っています。

プロフィル

 えりこ 鳥取県生まれ。モデル活動と並行し、「定住旅行家」として世界のさまざまな地域の家庭に入り、生活を共にし、その暮らしや生き方を伝えている。とっとりふるさと大使。米子市観光大使。JICA(国際協力機構)「なんとかしなきゃ!プロジェクト」著名人メンバー。著書に『暮らす旅びと』(かまくら春秋社)、『たのしくて、う~んとタメになる! せかいのトイレ』(日本能率協会マネジメントセンター)。
 公式ウェブサイト http://chikyunokurashi.com/
 【編集】戸村満春 【レイアウト】杉山諒太 【写真】ERIKOさん提供 〈スタートライン〉登攀者  グローバルに生きるなら「共感度」を高めよう!

 今回のスタートラインは、世界各国の人々と生活を共にし、その暮らしを伝えている「定住旅行家」のERIKOさんが登場。これまでに50の国々を巡り、

 

2020年4月18日 (土)

2020年4月18日(土)の聖教

2020年4月18日(土)の聖教

◆わが友に贈る

   親子で一緒に挑む
 目標・課題を決めよう。
  “共にやり遂げた”との
 誇れる体験は
 人生の宝の思い出に!

◆名字の言 ネットやSNSを活用した取り組み

 人と会うことを控えるのが大切となった昨今、ネットを活用した取り組みが増えている。スポーツ選手や著名人がメッセージを込めた動画を公開したり、パソコンやスマホをつなぎ、自宅にいながら友人と画面越しで集まったりと、さまざま▼創価学会でも、参加型プロジェクト「うたつく」(歌をつくろう)や、青年部と医学者によるオンライン会議、男子部のライブ御書講義など、幅広く展開。SNSを使った各地の連携も活発だ▼今月の「御書講義」も、動画の視聴をもって参加に代える形になった。視聴した友からは、研さんの喜びに加え、「動画に合わせて、いつもより大きな声で御文を拝読しました!」等と、元気な報告が届いている▼機器の扱いが苦手な友からは「動画の視聴は諦めて(笑い)、聖教新聞に掲載された教材(4月4日付4面など)で学びました」との声もあり、動画を見た友を含めて、「あらためて広宣流布への誓いを強くした」との決意の声が多かった▼池田先生は、「人生において、何がすばらしいか。最高の哲学を知ること以上のすばらしさはない。強さはない」と。いかなる時も「信行学」という信仰の柱は変わらない。その時々に合った工夫の仕方があるだけだ。今できる挑戦を、きょうも着実に進めていこう。(道)


◆寸鉄

「かかる法門にちぎり有
る人なれば・たのもしと」
御書。世界の同志と前進
     ◇
大学会の日。人生は最後
に勝ってこそ。今いる場
所で青春の誓い果たさん
     ◇
接触を8割減らせば2週
間程で新規感染者が抑制
と。できる事、全てに挑戦
     ◇
テレワークで一日の歩数
30%減。健康に影響の恐
れ。3密避けて散歩など
     ◇
公明の要請で一人10万円
の現金給付へ。国民の為、
更に死力尽くし頑張れ!


【先生のメッセージ】

◆〈心に御書を〉35 希望の文字を日本へ世界へ  2020年4月18日

【御文】
 文字は是一切衆生の色心不二の質なり汝若し文字を立てざれば汝が色心をも立つ可からず(諸宗問答抄、380ページ)
【通解】
(色法である文字に、書き手の心法、境涯が表れるゆえに)文字は、一切衆生にとって、色心不二の姿そのものといえる。あなたが、もし文字を立てなければ、あなた自身の色法も心法も現すことはできない。
【池田先生が贈る指針】
 文字があってこそ色心ともに宝の価値を見いだしていける。民衆を救う文字には「仏の命」そのものが込められている。
 御本仏のお心を広く現代に伝え弘めゆくのが、聖教新聞である。“無冠の友”をはじめ尊き同志の真心が光っている。
 人生と社会の難題を打開しゆく英知と希望の文字を、いやまして日本と世界の友どちへ!

【教学】

◆森中教学部長4月度「御書講義」上野殿御返事(刀杖難事)㊦  2020年4月18日
 苦難を宿命転換の原動力に 世界の同志と新たな前進!

©PIXTA

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 師弟共戦の信心へ、ここでは、森中教学部長の4月度「御書講義」㊦を掲載します。(㊤は4月14日付5面に掲載)

苦難を宿命転換の原動力に世界の同志と新たな前進!
御文①
 及加刀杖の刀杖の二字の中に・もし杖の字にあう人はあるべし・刀の字にあひたる人をきかず、不軽菩薩は杖木・瓦石と見えたれば杖の字にあひぬ刀の難はきかず、天台・妙楽・伝教等は刀杖不加と見えたれば是又かけたり (御書1557ページ3行目~5行目)

「及加刀杖」を身読
 勧持品の二十行の偈の中には「及加刀杖」、すなわち、仏法に無智な人々が刀や杖をもって法華経を弘める者を迫害することが説かれています。
 この「刀杖」の二字のうち、「杖」をもって打たれた人はいるかもしれないが、「刀」をもって斬られた人のことは聞かないと仰せです。
 その具体的な例として、大聖人は不軽菩薩を挙げています。不軽菩薩は「杖木・瓦石」と経文にあるように、杖の難に遭ってはいるが、刀の難に遭ったとは記されていないとあります。実際に法華経の不軽品の箇所では、杖や瓦礫のことが述べられていても、刀の難を受けたとは書いてありません。
 さらには、大聖人以前の人たち、天台・妙楽・伝教たちも、「刀杖も加えず」とあることを示されています。「刀杖も加えず」とは、法華経に説かれている諸天善神の加護の証しです。刀や杖で危害が加えられることはない、ということです。
 いずれも大聖人は、あえて経文を確認されています。本抄にはありませんが、大聖人はこれまでも勧持品を身読したとして数数見擯出や、僭聖増上慢が具体的に誰に当たるのか、あるいは、僭聖増上慢を支える俗衆増上慢が、当時の日本で誰に当たるのかなどについても触れています。大聖人ほど、徹底して経文を身で読まれた方はいません。
 どこまでも経文を根本とするのが大聖人の態度です。学会は、この仰せの通りに「御書根本」の
姿勢を貫いてきました。

大難が境涯を豊かに
 御文の趣旨に戻れば、ここでは、経典に説かれている菩薩も、釈尊滅後から末法の時代まで法華経を持った人たちも、大聖人ほどの迫害を受けた人はいない、ということが強調されています。大難を受けていることが、そのまま一生成仏の軌道を歩んでいることの証明となるからです。
 また、信仰とは、大難の中で自身の生命を鍛え、あらゆる困難に負けない境涯を築き上げる意味を持ちます。
 宿命を使命に変える、というのが日蓮大聖人の仏法に基づく創価学会員の生き方です。
 大難に耐え抜くなかで、力強い自分を築き、境涯を豊かにして、今度は、自身の生命の変革から周囲を変え、皆の幸福を実現し、最後は自他共に、人々の無明を打ち破り、人類の境涯を高めていく。
 それが私たち創価学会の仏法実践者の生き方です。

御文②
 日蓮は刀杖の二字ともに・あひぬ、剰へ刀の難は前に申すがごとく東条の松原と竜口となり、一度も・あう人なきなり日蓮は二度あひぬ、杖の難にはすでにせうばうにつらをうたれしかども第五の巻をもってうつ、うつ杖も第五の巻うたるべしと云う経文も五の巻・不思議なる未来記の経文なり (御書1557ページ5行目~8行目)

刀と杖の難
 「日蓮は刀杖の二字ともに・あひぬ」と、前の段を受けて、大聖人御自身は、勧持品の経文にある「刀杖」の二字、すなわち「刀の難」と「杖の難」をともに身で読んだのであると仰せです。
 本抄で「東条の難」「東条の松原」との仰せは、いわゆる「小松原の法難」のことです。これは、文永元年(1264年)11月11日、大聖人が安房国東条郡天津に住む門下・工藤殿の邸宅へ向かう途中、東条の松原大路で、地頭・東条景信の軍勢に襲撃された法難です。
 竜の口の法難は、文永8年(1271年)9月12日の深夜、大聖人が斬首の危機に遭われた法難です。
 このように、大聖人は2回にわたって、「刀の難」に遭いました。
 続いて、「杖の難」について仰せです。竜の口の法難の際に、平左衛門尉一行が急襲し、武装した兵士たちが大聖人を捕縛しようと草庵に押し入りました。その時、平左衛門尉の手下の「少輔房」という男が、大聖人の懐に入れられていた巻物を奪い取り、それで大聖人のお顔を三度、打ちすえたのです。これが「杖の難」です。不思議なことに、この巻物こそが、法華経の「第五の巻」でした。

法華経の「御恩の杖」
 法華経の「第五の巻」、5巻目には、法華経28品のうち、提婆品第12から、涌出品第15までが収録されています。いずれも、末法弘通の大難が説かれている大事な部分です。
 法華経は全部で8巻あるのに、この第5巻で打たれたということです。少輔房が大聖人の顔を打った杖も、法華経の「第五の巻」。刀や杖の難が述べられて「打たれるであろう」と説かれている経典も「第五の巻」。この意義を、大聖人は、「不思議な未来予言の経典である」と総括されています。
 今回の範囲に続く部分で「日蓮仏果をえむ」と、大聖人は“この法華経の「第五の巻」によって仏の境涯を得ることができるのであるから、実は、少輔房に感謝すべきであり、杖もまた、法華経の「御恩の杖」である”として、最後は「感涙をさへがたし」とまで仰せられています。
 大聖人は門下に対して、本当の意味で、大難にどう立ち向かい、乗り越えていくのか。そして、自身の境涯をどのように開いていくのかを、自らの振る舞いを通して教えられているということです。
 苦難を宿命転換の原動力にしていく――この大聖人に連なる、仏法の精髄の生き方を私たちに教えてくれたのが創価三代の師弟であり、なかんずく池田先生です。
 私たちは、どこまでも、師弟共戦の信心で、いかなる障魔の嵐をも乗り越えて、価値創造の源泉にしていく信仰を厳然と貫いていこうではありませんか。

師弟共戦の出発を
 本抄の続く箇所で大聖人は、「とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ」(御書1557ページ)と、法華経への信仰を共に貫こうと南条時光に師弟共戦を呼び掛けられています。
 また、「一日片時も・こころやすき事はなし」(同1558ページ)と仰せのように、大聖人御自身は、こうした大難また大難の連続の御生涯であっても、心やすまることは全くなかった、全ては民衆救済のためであり、一筋も後悔はないと仰せです。
 この御本仏の大境涯を拝するとともに、この大聖人の御精神に連なった団体は、創価学会しかないことを一人一人が改めて確認して、前進していきたいと思います。
 私たちは、今こそ、池田先生と共に、世界の同志と共に、新型コロナウィルス感染拡大の一日も早い終息と安穏を、強盛に祈ってまいりたい。
 本年の「5・3」を、「私たちは、断じて負けません」と、新たな前進を、師匠に誓って、出発する時にしていきたいと思います。


【聖教ニュース】

◆青年部が専門家に聞く「stay home講座」
2020年4月18日
YouTubeで配信開始 視聴は24日まで

 創価学会青年部が公衆衛生等に詳しい医学者と協力して、新型コロナウイルス関連の正しい情報・対処法を伝える「stayhomeプロジェクト」。

 
 その一環として、青年世代が今の状況にどう対応すべきかを仏法の視点を織り交ぜながら考える「stayhome講座」が、動画投稿サイト「YouTube」で配信された(限定公開、視聴できるのは24日午後10時まで)。
 
 これは、「感染拡大のリスクを減らすには?」「自宅で心身ともに健康で過ごすには?」などの疑問や不安を、西方男子部長と大串女子部長が、東京医科歯科大学の藤原武男教授に質問し、アドバイスをもらうというもの。
 
 「他者のため」との精神を忘れず、公式な情報に基づく「正しい行動」に努めることが自分のみならず、多くの人の命を守ることにつながることを確認し合う。
 
 ※こちらから動画にアクセスすることができます。


◆〈第45回「SGIの日」記念提言に寄せて〉 2020年4月18日

 本年の「SGIの日」記念提言に寄せられた3人の識者の声を紹介する。

和歌山大学 伊東千尋学長   若い力の結集を訴える大切な視点
 今回のSGI提言にもありましたが、「誰も置き去りにしない」との精神を掲げるSDGs(持続可能な開発目標)の運動は、大学においても重要な取り組みだと捉えています。
 本学でも、2019年度から附属中学校で太陽光パネルの見学などを通して、SDGsの学習を始めています。また、和歌山市SDGs推進ネットワークにも加盟し、SDGsに取り組んでいるところです。
 私は和歌山県内の市町村を回り、地域の課題を伺う中で、若い人の視点と力が求められていることを実感してきました。
 これまでも個々の研究室が取り組んでいるケースはありましたが、地域連携・地域創生の活動を持続的に実施していくにはどうすればよいのか、大学全体として具体的な取り組みを模索している最中です。
 池田SGI会長は、2030年に向けてのSDGsの取り組みでは、国連が提唱する「行動の10年」の一環として、“青年行動の10年”を展開すべきであると呼び掛けられていますが、まさに今、大切な視点であると私も考えます。
 まずは、若い人の力を結集して、行動を起こしていく――そうした舞台を、私たちが創り出さなくてはいけません。
 本学の観光学部では学生が地域に入り、課題を一緒に考え、問題解決に向け取り組んでいくという、地域インターンシッププログラムを展開しています。
 また、教育学部では複式学級(二つの学年以上の児童・生徒を一つに編成した学級)に対応した教育実習を行っています。
 このような活動を起点として、過疎化や少子高齢化などの地域が抱える、さまざまな課題を解決したいと考えます。そして、若い新しい発想で価値を生み出し、紀伊半島を“価値共創”の舞台にしていきたいのです。

キーワードは“共に創る”
 一方で世界に目を向けると、残念なことに年々、留学を希望するなどの海外志向の学生が減っている印象を受けます。
 本学では欧米だけでなく、ベトナム、ウズベキスタンなどアジアの国々、ガボンやガーナなどのアフリカの国々からも留学生を積極的に招いています。キャンパスにさまざまな文化の人たちを招き入れ、交流することで、日本人の学生たちが世界へ目を向けるきっかけを作りたいとの思いからです。
 提言の中で、“世界は「共同生活」の舞台にほかならない”との牧口常三郎初代会長の考えが紹介されていましたが、国家主義や個人主義が幅を利かせる現在にあって、地球規模で物事を考えていく姿勢に共感を覚えました。
 これからは、「支援する側」と「される側」の関係ではなく、相互理解のもと、共に未来に向かって創り出していく「共創」というアプローチがキーワードになります。
 だからこそ、本学は、地域や世界のために行動する高いモチベーションを持った人材を育てる大学を目指しています。
 また、世界中では教育を受けられない子どもがたくさんいます。池田SGI会長が提唱される「教育のための国際連帯税」は世界的な連帯を進める新機軸であり、私も大いに賛同します。日本が世界に対して、また大学が地域に対して、どのような貢献ができるのか――これからも問い続けながら、大学運営に全力を挙げていきたいと思います。
 いとう・ちひろ 和歌山大学システム工学部長、副学長を歴任し、昨年4月から現職。専門は物性工学、光物性物理学。
 
福岡教育大学 石丸哲史教授   ESD(持続可能な開発のための教育)への貴重な道標
 創価学会初代会長である牧口常三郎氏は、自著『人生地理学』において、「地人相関論」すなわち、自然環境における諸現象と人間の諸活動の密接な関係性について論じています。
 そこでは、いわゆる環境決定論(人間活動は自然環境の影響を受け、これに規定されるという考え方)に傾斜することなく、人間は自然環境に働きかける主体と位置づけられています。
 今日の気候変動の実態を目の当たりにして、「地と人との関係や、言ふ迄もなく非常なる大問題に属せり」(『牧口常三郎全集』第1巻所収「人生地理学」、第三文明社)との一節から始まった同書の意義は大きく、この度の「SGIの日」記念提言は、この考え方も基層に据えて、展開されているように思います。
 また気候変動の問題は“誰もが無縁ではないゆえに、問題の解決を図るための挑戦が、これまでにないグローバルな行動の連帯を生み出す触媒となる可能性がある”とつづられていましたが、本来、ローカルな次元で繰り広げられる自然環境と人間の関係が、今やグローバルな状況変化に反映されていることからも、提言における指摘には大いに首肯できます。

「弱者の側に立つ」視座を

 私は、SDGsの達成に向けての「ひとづくり」である「持続可能な開発のための教育(ESD)」に携わっています。SDGsの基本理念は「誰一人取り残さない」ことです。
 提言では、困難な状況に陥った人々を誰も置き去りにしないための視座として、仏法の人間観や牧口常三郎氏の思想に触れ、「弱者の側に立つ」ことを訴えています。「誰一人取り残さない」ことは皆が承知していても、どのように取り組むべきか、行動の拠りどころを模索すべきことが多々あり、具体的な提言は、ESDの今後の展開に手助けとなるものでした。
 ESDは、持続不可能な実態を把握し、その解決方法を模索・実行するための資質・能力を育むものです。とりわけ、行動に移すという点では、「他人事ではなく、自分事として考える」――他人ができることを考えるのではなく、自分ができることを考えることが重要なのです。
 危機感の共有だけでなく、建設的な行動を共に起こすことの重要性を強調した今回の提言は、「対岸の火事的な考え方から脱却する」という私の主張とも共通するものです。
 この建設的な行動は、とりわけ若者に委ね、期待したいものです。SDGsの達成期限の2030年まであと10年しかないだけに、持続可能な社会の創り手を育む教育であるESDも、若者への啓発に傾注しなければなりません。その啓発に向けてどこから始めるかについて、提言では、気候変動問題について行動を起こす世界の青年たちに期待を寄せています。持続可能な世界に向かう「ひとづくり」を行うESDに対しても、具体的かつ貴重な道標をいただきました。 
 いしまる・てつじ 専門はESD(持続可能な開発のための教育)、人文地理学、地理教育。著書に『ESDの推進による「地理総合」の深化』(共著)や『サービス経済化と都市』などがある。
 
国際連合地域開発センター 遠藤和重所長   私たちの願いと一致する未来展望
 当センターは、開発途上国での開発計画や管理において、持続可能な地域開発が推進されるよう、調査研究、情報交流などに努めています。名古屋に本部を置き、国連経済社会局に属する中部地域で唯一の国連機関です。
 今回、池田SGI会長の平和提言を拝読し、SGIが国連支援の活動を、非常に幅広く展開されていることに感銘しました。
 また、SDGsのゴールである2030年が、創価学会の創立100周年に当たっており、SDGsの達成に向けて、諸活動を精力的に展開されていることを知り、強力なパートナーを得た思いがしました。昨年9月、アメリカ・ニューヨークの国連本部で開催された「SDGサミット2019」において、グテーレス国連事務総長が“SDGsの取り組みは進展したが、あるべき姿からは程遠く、今、取り組みを拡大しなければならない”と表明したように、SDGsの達成に向けて、今後の10年間の行動が重要だからです。
 SDGsの17の目標の一つである「住み続けられるまちづくりを」には、防災・減災が含まれます。世界で最も自然災害が多い国の一つである日本は、“防災先進国”でもあります。私はその知見とノウハウを国際社会において、大いに役立てていくべきだと考えていました。今回の提言では、気候変動とそれに伴う自然災害へ立ち向かう連帯を広げるために、必要な視座を論じておられます。どれも大切な視点であり、心から賛同します。

共に行動を起こす重要性
 SDGsの特徴として、「普遍性」「包摂性」「参画型」「統合性」「透明性」の5点が挙げられます。最初の3点を要約すると、“先進国を含め、全ての国が、人間の安全保障の理念に基づき「誰一人取り残さない」社会を目指して行動し、その役割を、全てのステークホルダー(政府、企業、NGO等)が担う”ことです。池田SGI会長が呼び掛けている通り、世界の市民が連帯し、建設的な行動を共に起こすことが重要です。
 当センターでは、子どもも含めた青少年が、SDGsについて自ら考え、取り組みの主体者となっていくことを目指し、諸活動に取り組んでいます。10年後、子どもたちは立派な青年となり、そして今の青年が社会の中核となるからです。その意味でも、2030年までを“青年行動の10年”にとの池田SGI会長の提唱は、重要な未来展望であり、私たちの願いと一致するものです。
 今後ますます、創価学会の皆さんとも協力し、中部地域から、SDGsの大きなうねりを起こしていきたいと思います。
 えんどう・かずしげ 1990年、国土交通省に入省。道路交通をはじめとする社会インフラ分野において、国内外のプロジェクトを経験。復興庁岩手復興局次長として東日本大震災の復興創生に取り組んできた。2018年8月から現職。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈危機の時代を生きる〉コロナショックの今――打撃を受ける演劇界の松明に 2020年4月18日

「今こそ、演劇を通じてみんなの心を結びたい」と福井さん

「今こそ、演劇を通じてみんなの心を結びたい」と福井さん

 新型コロナウイルスの感染が広がる中、試練に立ち向かう視点を考える企画「危機の時代を生きる」。“演劇の街”東京・下北沢で、福井学さん(38)=東京都世田谷区、男子部副本部長=は、演劇を動画配信で楽しめるサービス「観劇三昧」を運営する。今、公演は中止・延期が相次ぎ、仕事は大きな打撃を受けている。しかし、演劇に救われた自分だからこそ、「演劇界に希望の明かりをともしたい」。コロナショックに向き合う若き経営者を追った。
 演劇は、感情を揺さぶり、心を打つ芸術。古代ギリシャやローマの時代から栄えた文化であり、現代の日本でも数多くの小劇場を中心に、さまざまなストーリーが演じられてきた。
 福井さんは、2013年(平成25年)に演劇動画のオンライン配信事業を始めた。全国400以上の劇団と提携し、約1400作品を扱うなど、業績も順調だった。
 だが、新型コロナウイルスの感染拡大により、公演中止・延期が続出し、都市部では多くの小劇場が休館。ヨーロッパの劇団の来日公演ツアーのプロモーションも破談に。3月中旬からは、ほぼ全ての公演が取りやめになり、売り上げの柱だった舞台撮影の仕事がゼロになった。
 「今は何よりも、お客さまと劇団員の皆さんの感染を防ぐことが最優先です」。しかし、現実は厳しい。会社の運転資金にも限界がある。それ以上に、劇団や俳優など、演劇界への打撃は深刻だ。
 「暗い気持ちになりがちな今こそ、演劇でみんなの心を明るくしたい」。福井さんは信心の原点を思い起こした――。
                            * 
 大阪府松原市の生まれ。母は女手一つで6人の子どもたちを育ててくれた。貧乏を絵に描いたような家。小学校の入学式前日まで、ランドセルも買えず、「手提げ袋で通おうと思っていた」。
 小学3年から中学まで、いじめに遭った。靴を池に投げ込まれたこともある。そのたび、母はずっと一緒に題目をあげてくれた。
 2000年に高校を卒業後、大手家電量販店に就職。5年半後に独立し、パソコン修理業を始めたが、リーマン・ショックに襲われた。09年、取引先が相次いで倒産し、事業は苦境に。1日1食、もやしだけで食いつなぎ、「もう人生終わりやなって思った」。

競争ではなく“共創”で、幸せをつくる

 そんな時、励ましてくれたのが男子部の先輩だった。「どんなに苦しくても、人のために祈って動く。そしたら、自分の人生も開いていくんや」
 毎晩、部員の訪問・激励に歩いた。信心に励む中で、新たな事業も始め、業績は回復していった。
 初めて演劇を見たのも、その頃。心をわしづかみにされ、毎日のように劇場へ通った。気付けば10カ月間で300公演も。演劇を見ると、心がふっと軽くなり、明日への活力が湧いた。
 “演劇界に恩返しがしたい”。観劇人口の増加につながる事業を模索し、どこでも誰でも演劇を楽しめる、動画配信サービスを開発した。
                      * 
 新型コロナウイルスの影響が続き、ネット上では“自粛疲れ”をもらす声も多い。「そんな今こそ、演劇や音楽など、心を結ぶ芸術の力が大事だと思うんです」
 先月、自社の新サービスとして「Aid To Theater! 劇団応援企画」をリリースした。公演を中止・延期した劇団を応援するため、特設ページで作品動画を公開。劇団には、視聴された時間に応じて、権利使用料が支払われる仕組みだ。企画から1週間の急ピッチで立ち上げた。さらに、現在は、ユーザーが気に入った劇団に寄付できるシステムも開発中だという。
 この期間、地元の男子部でも、知恵を絞って激励の輪を広げてきた。LINEのビデオ通話で近況を語り合い、一人一人に寄り添う。仕事の苦境に向き合う部員も多く、「みんなと話して、僕の方が元気をもらっています」と。
 心に刻む御書は、「人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし」(1598ページ)。
 「“自分だけ”でなく、周りの人と“一緒に”幸せをつくるのが信心。仕事でも同じだと思ったんです」。周りの“困りごと”を解決することが、自分の幸せにも通じる。そこから、劇団応援企画の新サービスが生まれた。
 「競争じゃなくて“共創”です。スマホで演劇を見た人が、楽しくホッとした気分になれて、それが劇団の支援にもなる。コロナ危機を越えて、みんなで幸せになれるビジネスモデルをつくりたい」
 池田先生はつづっている。「芸術は/苦悩に沈む人々を/喜びに変え/孤独に悩む人々を/安穏に変え/戦い疲れた人々に/楽しみを与える。/優しく/そして力強き/人間の奥義の舞である」
 コロナショックの中で、「企業にも、希望や勇気を創り出すことが求められていると感じます」と福井さん。直面する危機は大きく、先行きも見えない。それでも、心を結ぶ芸術の力で、“希望の松明”を高く掲げてみせる。
ご感想をお寄せください
kansou@seikyo-np.jp
ファクス 03―5360―9613

◆ブラジルイケダヒューマニズム交響楽団 特集㊤――結成までの苦闘のドラマ 2020年4月18日
 “師と共に”奏でる希望の音色
 「世界第一を目指そう! 日本へ凱旋の公演を!」

 2020年2月28日午後9時――サンパウロ市立劇場は万雷の拍手と歓声に包まれた。 1200人の称賛を浴びたのは、「天皇陛下誕生日祝賀会」(主催=ブラジルの日系5団体)で記念コンサートを行ったブラジルSGIの「ブラジルイケダヒューマニズム交響楽団」。くしくも、その日は同楽団の結成から27周年の節目の日だった。
 本紙では、同楽団の発展の軌跡を、識者の評価の声とともに3回にわたって特集する。なお現在、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、ブラジルでも会合等を中止。その中にあって、各楽団員の自宅での演奏を映像でつないだ「合奏」が、同国SGIの公式インスタグラムで配信され、反響を呼んでいる。

SGI総会の席上、ブラジル青年部のオーケストラが池田先生の前で交響曲「革新の響」を披露した。その3日後、世界的ピアニストのビエイラ氏によって「ブラジルイケダヒューマニズム交響楽団」と命名。以来、27年を経て、国内外に名をはせる楽団に飛躍を遂げた(1993年2月28日、ブラジルSGI自然文化センターで)

SGI総会の席上、ブラジル青年部のオーケストラが池田先生の前で交響曲「革新の響」を披露した。その3日後、世界的ピアニストのビエイラ氏によって「ブラジルイケダヒューマニズム交響楽団」と命名。以来、27年を経て、国内外に名をはせる楽団に飛躍を遂げた(1993年2月28日、ブラジルSGI自然文化センターで)

“師と共に”奏でる希望の音色

 時は1983年。
 サンパウロで行われた、ある著名な弦楽器学校のコンサート――。
 観客の中に、ブラジルSGIの音楽隊に所属する少年たちがいた。
 “すごい……”
 圧巻の演奏に思わず息をのむ。同国の音楽隊には、吹奏楽団やマーチングバンド等しかなかった時代である。
 “いつか僕たちも、聴く人の心を揺さぶるオーケストラをつくりたい”
 この時、この瞬間の思いこそ、後に国内外に名をはせる「ブラジルイケダヒューマニズム交響楽団」誕生の原点にほかならない。
 結成から、さかのぼること10年の出来事である。
 
楽団設立準備グループを発足
 その後、音楽隊の中に、楽団の淵源となる弦楽器グループが発足。わずか7人の小・中学生、高校生からスタートした。
 85年に、「交響楽団設立準備グループ」(GTO)となり、陣容はビオラやバイオリン、オーボエなどを奏でる男子30人ほどになった。
 ファビオ・シンイチ・イケダさん(現楽団長)は、86年、5歳の時にGTOの一員に。「まだ本当に幼かった。私も含めて多くのメンバーが“楽器を弾けたらかっこいい”という単純な理由で入ったんです」とはにかむ。
 90年、サンパウロ州イタペビ市に、ブラジルSGI自然文化センターがオープン。開所式でGTOが祝賀演奏を披露した。この時を境に、“いつか池田先生の前で演奏を! そして、グループに名前を付けていただきたい”という思いが、一人一人の中で、日ごとに強くなっていく。
 92年には、鼓笛隊のメンバーも加入。GTOは発展的に解消し、「ブラジルSGI青年オーケストラ」として新出発を切った。
 「男性41人、女性4人の計45人。その大多数が未来部員。ここから、本格的な一歩を踏み出したんです」。当時を知る一人、アレシャンドレ・コンセイソン・ピントさん(現指揮者)は振り返る。
 男女混成になったのと時を同じくして、翌93年にブラジルで開かれる「SGI総会」での出演が決まった。“池田先生を総会にお迎えするんだ! そして必ず、先生に演奏を聴いていただこう”。皆の心は一つになった。

何のために演奏するのか
 青年オーケストラの友は、それぞれ音楽隊、鼓笛隊の活動を終えた後、一堂に会して交響楽の練習に励んだ。夜遅くまで及ぶこともしばしば。練習会場が確保できず、廊下の隅や倉庫の中で音を合わせる時もあった。
 恵まれた環境というには程遠かったが、“妙音菩薩の先駆者”との誇りに燃えて、皆が真剣に唱題を重ね、御書と小説『人間革命』の研さんに挑戦。さらに、中心者15人は、毎回の練習を終えた後、「“何のため”に交響楽を奏でるのか」との目的観を共有するために、何度も互いの意見をぶつけた。
 「そうした中で、師を求め、師の心に迫り、師と同じ一念に立とうと、一段と団結が深まっていきました。そして、“先生の前で”演奏したいという『願望』から、SGI総会に参加した友に希望を送る音色を“先生と共に”奏でるとの『誓願』に変わっていったのです」(ピントさん)

技巧を超えて感動の渦に
 迎えた93年――。
 池田先生は1月下旬からアメリカ、コロンビアを訪れ、2月9日にブラジルのリオデジャネイロへ。諸行事を終えた後、アルゼンチン、パラグアイ、チリを歴訪し、再びブラジルの土を踏んだ。そして、2月25日から3月8日まで12日間にわたって、自然文化センターに滞在した。
 2月28日、南半球初のSGI総会が同センターで開催。席上、世界的な音楽家のアマラウ・ビエイラ氏が池田先生にささげた交響曲「革新の響」を、ブラジルSGI青年オーケストラが熱演した。
 演奏が終わるや、総会に参加した友は総立ちに。「エ・ピケ、エ・ピケ、エ・ピケ、ピケ、ピケ!……」の大歓声が沸き起こった。
 先生も立ち上がって拍手を送り、「楽団の名前は?」と問い掛けた。すかさず指揮者(当時)のセルジオ・オガワさんが、「まだありません! ぜひ、命名をお願いします」と叫んだ。

緑豊かな木々に囲まれたブラジルSGI自然文化センター。本年2月、開所から30周年を迎えた。東京ドーム約20個分の広さを誇る敷地内には、色鮮やかな花々が咲き薫る

緑豊かな木々に囲まれたブラジルSGI自然文化センター。本年2月、開所から30周年を迎えた。東京ドーム約20個分の広さを誇る敷地内には、色鮮やかな花々が咲き薫る
池田先生「世界第一を目指そう! 日本へ凱旋の公演を!」
 先生は、総会の場に居合わせたビエイラ氏に命名を依頼。重ねて、“ぜひ楽団の指導を”と要請した。快諾した氏はこの時以来、楽団の特別顧問として発展を見守っている。
 
 さらにこの時、先生は、楽団にとって希望の指針となる励ましを送った。
 「これほどまでに見事な演奏の陰で、どれほどの練習を重ねてこられたか――。どうか、これまでの努力のうえに、さらに精進を重ね、将来は、世界中を演奏旅行して回れる実力をつけていただきたい。そして、世界に名を残しゆく、大芸術の『歴史』を刻んでいただきたい」
 「世界第一を目指そう! 世界各国で演奏して、いつの日か、日本へ凱旋の公演を!」
 そして、メンバーの目をじっと見つめて呼び掛けた。「口で約束することは簡単だけれど、実行できる人は手を上げて!」
 全員が誓いを胸に、元気いっぱい「ハイ!」と返事をし、高々と手を上げた。
 3月3日、ビエイラ氏によって「ブラジルイケダヒューマニズム交響楽団」と命名。ここに、世界で初めて池田先生の名前を冠する交響楽団へと生まれ変わったのである。
 
 ――後年、池田先生はこの時の模様を随筆につづっている。
 「当時、楽団員は45人。十代の未来部員も多く、小さな体で必死に楽器を操る姿は、凜々しくも健気であった。プロの奏者は、一人もいなかった。だが、真剣一筋の演奏は、技巧を超えて会場を感動の渦に巻き込んだのだ」

◆〈婦人部のページ〉尊き使命の力走ありがとうございます はつらつと前進する無冠の友

 あさって20日に創刊69周年を迎える聖教新聞。会合等の中止が続く中、朝早くから読者のもとに本紙を届けてくださる「無冠の友」に心から感謝します。
ここでは、地域に勇気と希望を送る配達員の代表を紹介。併せて、池田先生が配達員に贈った言葉を掲載します。

池田先生の言葉から

 御書に収められた日蓮大聖人からの一通一通にも、その御手紙を大切に携えて、遠い険しい道のりを越え、門下のもとへお届けした“使者”の存在がありました。(中略)
 使者を通じて、大聖人からの御手紙を間違いなく受け取ることのできた弟子たちは、どれほど喜んだことでしょうか。直接、お目にかかれない門下もいました。使者の完走ありてこそ、大聖人のお心を拝することができ、感動に打ち震えたにちがいありません。
 御文では、こうした使者のことを「御使」と敬称されています。たくましき健脚の力で、使命を果たす「勇者」の異名であるといってもよいでありましょう。
 大聖人と門下の生命を結んで走った「御使」の方々の足音が、私の心には、そのまま、わが「無冠の友」の皆様の足音と重なり合って、何よりも尊く、力強く響いてくるのであります。
 (池田先生の指針集『無冠の誉れ』)
                       ◆ ◇ ◆
 
 「御義口伝」には、不軽菩薩の人間尊敬の実践について、「鏡に向って礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり」(御書769ページ)と仰せであります。
 まさに、この不軽さながらに、あの友この友に幸あれ、あの家この家に福徳あれと、祈りを込めて聖教新聞を配達されゆく皆さん方の偉大な仏道修行あればこそ、仏縁は幾重にも広がり、人間主義の価値を創造する人材のスクラムが絶え間なく拡大しているのであります。
 (機関紙「無冠」<2020年>へのメッセージ)


2020年4月17日 (金)

2020年4月17日(金)の聖教

2020年4月17日(金)の聖教

◆わが友に贈る

 どんな逆境でも
 諦めなければ
 必ず「活路」はある。
 わが不屈の一念から
 希望を生みだそう!


◆名字の言 「一年生になったら」の歌を、息子はこう歌った

 「歌は世につれ、世は歌につれ」。世の中の変化とともに歌は移り変わっていくが、今頃の季節になると、思い出す歌がある。作詞・まどみちおさん、作曲・山本直純さんのゴールデンコンビが生んだ「一年生になったら」である▼歌詞には一年生になったら百人の友達と、やってみたいことがつづられる。“一緒に富士山でおにぎりを食べたい”“一緒に日本中を駆け回りたい”と▼先日、ある婦人部員から電話があった。入学式もなく、長期休校の中、小学1年生になった息子を、母は“クラスメートと触れ合えず、友達と思いきり遊べず、つらいのではないか”と案じていた▼だが、息子のある行動が、婦人に勇気をくれた。息子は先の歌の、友達が“百人できるかな”の部分を、“百人できるんだ!”と受け取って、毎日、元気いっぱいに歌っている。以来、婦人も変毒為薬を誓い、力強く唱題に励んでいる▼仏教では「安心」の意味を、信仰により心が不動の境地に達することと教える。先行きの見えない不安はある。だが不動の信心こそ幸福と勇気の光源になると、強く信じて進もう。先の歌の最後は、友達百人と世界中を震わせるくらい、ワッハッハと笑いたいという内容だ。親子の笑顔が輝く時を一日も早く、と願う。(代)


◆寸鉄

「善友は日蓮等の類いな
り」御書。同志の絆こそ
宝。励ましの声弛みなく
     ◇
山形県婦人部の日。信心
は自他共に心の財積みゆ
く実践。今日も朗らかに
     ◇
「御書根本」が学会の魂。
リーダー率先で学び深め
日々新鮮な生命で出発を
     ◇
感染者7割は50代以下。
「3密」避け不急の外出
自粛を徹底。今が正念場
     ◇
温室効果ガス5年連続減
危機の克服へ“心の変革”
“行動の変革”更に広げ


◆きょうの発心 四条金吾殿御返事 福岡・筑紫牧口県副婦人部長 樅山サチ子2020年4月17日

御文 真実一切衆生・色心の留難を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり(四条金吾殿御返事、1170ページ・編1031ページ)
通解 真実、一切衆生の色心の留難をとどめる秘術は、ただ南無妙法蓮華経である。唱題こそ困難

乗り越える「秘術」
 あらゆる難を打ち破る「秘術」は一念三千の南無妙法蓮華経であると仰せです。
 1967年(昭和42年)、関節リウマチで悩んでいた高校生の時に入会。女子部の先輩から親身な励ましを受けながら信心に励む中、高校を卒業する時には普通に歩けるまでに回復しました。
 太宰府の地に嫁いで8年後、地区で脱会者が相次ぐなど第1次宗門事件の嵐が吹き荒れる最中に、大ブロック担当員(現・地区婦人部長)に。真剣な唱題を重ね、折伏に挑戦。相次ぎ転入した青年部員を先頭に戦える組織になりました。
 支部婦人部長を務めていた時に三男を妊娠。何度も切迫流産の危機に遭いましたが、懸命に祈り抜き、無事に出産。その後、夫が会社を辞めた時も、池田先生の指導を胸に、必死に祈り、再就職することができました。
 どんな時もこの御文を拝し、広布に励んできたおかげで現在の境涯があると、感謝の思いでいっぱいです。「令和」とゆかりの深い大宰府を舞台に皆が団結し、人材育成と弘教に励む決意です。


【先生のメッセージ】

◆マイ・ヒューマン・レボリューション  小説「新・人間革命」学習のために 第6巻

 現実生活の中に喜びを発見
 <1962年(昭和37年)1月、イランのテヘランを訪れた山本伸一は、現地の暮らしになじめずに悩む日本の婦人を励ます>

 「現実というものは、理想や観念の尺度に、きちんと合うことはありえない。すると、ここが悪い、あそこが悪いとなり、失望が重なって、不平や不満だらけになってしまう。それは、たとえば、桜の木を基準に梅の木を見て、これは変な桜だと言って、落胆しているようなものでしょう。むしろ、こうでなくてはならないという、頭のなかでつくり上げた基準にこだわらず、もっと自由にものを見るべきです。
 テヘランでの生活は、慣れないために、確かに大変な面もあると思います。でも、多かれ少なかれ、どこにいても、大変なことや、いやなことはあります。それは、どんな生活環境でも、どんな人間でも同じです。百パーセントすばらしい環境もなければ、そんな人間もいません。
 あなたが基準とすべきは日本での暮らしではなく、ここでの生活です。それが現実なんですから、まず、そのまま受け入れ、ありのままに見つめてみようとすることです。(中略)
 ありのままに現実を見つめて、なんらかのよい面を、楽しいことを発見し、それを生かしていこうとすることです。
 これは、自分自身に対しても同じです。自分はどこまでいっても自分なのですから、他人を羨んでも仕方ありません。人間には短所もあれば、長所もある。だから、自分を見つめ、長所を発見し、それを伸ばしていけばいいんです。そこに価値の創造もある」
 (「宝土」の章、36~37ページ)

人間の心を利己から利他へ
 <伸一は2月、エジプトを訪問。博物館でドイツ人学者に、高度な文明をもつ国々が滅びた共通の原因について、意見を求められる>

 「もちろん、そこには、国内の経済的な衰退や内乱、他国による侵略、あるいは疫病の蔓延、自然災害など、その時々の複合的な要素があったと思います。
 しかし、一言すれば、本質的な要因は、専制国家であれ、民主国家であれ、指導者をはじめ、その国の人びとの魂の腐敗、精神の退廃にあったのではないでしょうか。人間が皆、自分のことしか考えず、享楽的になっていけば、どんなに優れた文明をもっていても、国としての活力もなくなるし、まとまることはできません。(中略)
 私は、一国の滅亡の要因は、国のなかに、さらにいえば、常に人間の心のなかにあるととらえています」(中略)
 「この発想は、決して新しいものではありません。既に七百年も前に、日本の日蓮という方が述べられた見解です」(中略)
 「日蓮という方は、日本の民衆が自然災害に苦しみ、内乱や他国の侵略の脅威に怯えていた時、救済に立ち上がられた仏法者です。
 そして、国家、社会の根本となるのは人間であり、その人間の心を、破壊から建設へ、利己から利他へ、受動から能動へと転じ、民衆が社会の主体者となって、永遠の平和を確立していく哲理を示されました」
 (「遠路」の章、129~131ページ)

「真実」語り抜き「偏見」正せ
 <4月の北海道総支部幹部会で伸一は、学会に対する世間の中傷が、いかに根拠のないものであるかを語る>

 「理事長が、ある著名人と会った折に、『創価学会は仏壇を焼き、香典を持っていってしまう宗教ではないのですか』と聞かれたというのです。
 そこで、理事長は『とんでもない。無認識もはなはだしい。学会では、ただの一度も、仏壇を焼けなどと言ったり、香典を持っていったことはありません』と説明しましたところ、その方は大変に驚いて、『そうでしたか。それは無認識でございました』と言っていたそうです。
 社会の指導者といわれる人でも、学会の真実を見極めたうえで語っているわけではありません。
 しかも、これまでもそうでしたが、学会の発展を恐れる勢力が、意図的に虚偽の情報を流しているケースが数多くあります。
 学会を陥れるために、根も葉もない悪意の情報を流し、何も知らない一般の人びとに信じ込ませる。そして、悪い先入観を植えつけ、世論を操作して学会を排斥するというのが、現代の迫害の、一つの構図になっております。
 したがって、私たちの広宣流布の活動は、誤った先入観に基づく人びとの誤解と偏見を正して、本当の学会の姿、仏法の真実を知らしめていくことから始まります。つまり誤解と戦い、偏見と戦うことこそ、末法の仏道修行であり、真実を語り説いていくことが折伏なのであります」
 (「加速」の章、209~210ページ)

責任感から強靱な生命力が
 <伸一は、同行の幹部から激務の中にあって、ますます元気になっている理由を聞かれ、その要諦を語る>

 「元気になるには、自ら勇んで活動していくことが大事だ。そして、自分の具体的な目標を決めて挑戦していくことだ。目標をもって力を尽くし、それが達成できれば喜びも大きい。また、学会活動のすばらしさは、同志のため、人びとのためという、慈悲の行動であることだ。それが、自分を強くしていく。
 かつて、こんな話を聞いたことがある。終戦直後、ソ連に抑留された日本人のなかで、収容所から逃げ出した一団があった。餓死寸前のなかで逃避行を続けるが、最後まで生きのびたのは、一番体力があるはずの若い男性や女性ではなく、幼子を抱えた母親であったというのだ。
 “自分が死ねば、この子どもも死ぬことになる。この子の命を助けなければ”という、わが子への思いが母を強くし、強靱な精神力と生命力を奮い起こさせていったのであろう。
 私も、学会のこと、同志のことを考えると、倒れたり、休んだりしているわけにはいかない。その一念が、私を強くし、元気にしてくれる。
 みんなも、どんな立場であっても、学会の組織の責任をもち、使命を果たし抜いていけば、強くなるし、必ず元気になっていくよ」
 (「波浪」の章、265~266ページ)

未来を決する「今の一念」
 <伸一は8月、学生部へ「御義口伝」講義を開始。法華経の「秘妙方便」を通し、奥底の一念について指導>

 「未来にどうなるかという因は、すべて、今の一念にある。現在、いかなる一念で、何をしているかによって、未来は決定づけられてしまう。
 たとえば、信心をしているといっても、どのような一念で、頑張っているかが極めて大事になる。人の目や、先輩の目は、いくらでもごまかすことはできる。自分の奥底の一念というものは、他の人にはわからない。まさに『秘』ということになります。
 しかし、生命の厳たる因果の理法だけはごまかせません。何をどう繕おうが、自分の一念が、そして、行動が、未来の結果となって明らかになる。
 私が、みんなに厳しく指導するのは、仏法の因果の理法が厳しいからです。
 たとえば、いやいやながら、義務感で御書の講義をしているとしたら、外見は菩薩界でも、一念は地獄界です。講義をしている姿は形式であり、いやだという心、義務感で苦しいという思い――これが本当の一念になる。
 学会の活動をしている時も、御本尊に向かう場合も、大事なのは、この奥底の一念です。惰性に流され、いやいやながらの、中途半端な形式的な信心であれば、本当の歓喜も、幸福も、成仏もありません。
 本当に信心の一念があれば、学会活動にも歓喜があり、顔色だってよくなるし、仕事でも知恵が出る。また、人生の途上に障害や苦難があっても、悠々と変毒為薬し、最後は一生成仏することができる」
 (「若鷲」の章、358~359ページ)

山本伸一の「御義口伝」講義
 <1962年8月、山本伸一は、学生部を対象に「御義口伝」講義を開始する。その中で、「煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり」(御書710ページ)の御文を拝して、日蓮大聖人の仏法の特質について語る>

 「これまで、仏法では、煩悩、すなわち、人間の欲望などを否定しているかのようにとらえられてきた。しかし、ここでは、その煩悩を燃やしていくなかに、仏の悟り、智慧があらわれると言われている。ここに大聖人の仏法の特質がある。真実の仏法は、決して、欲望を否定するものではないんです。
 爾前経のなかでは、煩悩こそが、この世の不幸の原因であるとし、煩悩を断じ尽くすことを教えてきました。しかし、煩悩を、欲望を離れて人間はありません。その欲望をバネにして、崩れざる幸福を確立していく道を説いているのが、大聖人の仏法です。
 みんなが大学で立派な成績をとりたいと思うのも、よい生活をしたいというのも煩悩であり、欲望です。また、この日本の国を救いたい、世界を平和にしたいと熱願する。これも煩悩です。大煩悩です。煩悩は、信心が根底にあれば、いくらでも、燃やしていいんです。むしろ大煩悩ほど大菩提となる。それが本当の仏法です」
 (「若鷲」の章、357~358ページ)


【教学】

◆〈教学講座〉日蓮大聖人の御生涯に迫る
 第1回 誕生・遊学から「立宗宣言」へ

 人類は今、新型コロナウイルスの感染拡大という脅威に直面しています。
 誰もが大きな苦難との戦いの渦中にあるこの時、私たちは改めて、大難を越えて民衆救済の誓願に生き抜かれた日蓮大聖人の御生涯を学び、御本仏直結の弟子としての誇りと使命を確認していきたい。
 大聖人は「一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦と申すべし」(御書587ページ)と仰せです。
 宗教の使命は、人間の幸福の建設であり、その道を阻もうとする苦難を打ち破りゆく勇気と力を送っていくことです。
 草創以来、多くの同志は教学部任用試験(仏法入門)をはじめ、折々に大聖人の御生涯を学ぶ中で、その崇高な精神に迫り、「日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」(同989ページ)との御金言を全身にみなぎらせ、一歩一歩、希望の歩みを重ねてきました。
 「教学講座 日蓮大聖人の御生涯に迫る」の初回は、誕生・遊学から「立宗宣言」に至るまでの歩みを追いたいと思います。分かりやすく対話形式にまとめました。

 末法に法華経を弘めることは
 困難極まりない。
 しかし、民衆のために戦うのが
 「仏の心」である!

漁村に生まれ育つ
 ――日蓮大聖人は、どんな時代を、また、どんな願いをもって生き抜かれたのか。ここでは、初心に立ち返って、大聖人の足跡を一つ一つ、学んでいきたいと思います。
 誕生されたのは、今から約800年前の鎌倉時代ですね。
  
 この頃、民衆の間に最も広まっていたのは、“死んだ後の世界”に救いを求める念仏でした。自然災害や飢饉、疫病も相次いでおり、念仏の思想に、一種の終末観として広まっていた末法思想が重なって、人々の不安が募っていました。
  
 ――鎌倉時代の様相を聞くと、現代の状況とすごく似ていて驚きます。人々の不安が募っている様子も同じですね。
  
 大聖人の生誕は、貞応元年(1222年)2月16日。その厳しい社会状況は、年を重ねるごとにますます色濃くなっていくのです。
 安房国長狭郡東条郷の片海(現在の千葉県鴨川市)という漁村の生まれである大聖人は、御両親や地域の人々に囲まれながら成長したことでしょう。
 御書にも「辺土に生をうけ其の上下賤・其の上貧道の身なり」(御書200ページ)、「遠国の者・民が子」(同1332ページ)等、庶民の生まれであることを誇りをもってつづられています。
  
 ――「常に民衆と共に、民衆の幸福のために」という大聖人のお心の源は、庶民の中で生まれ育ったという生い立ちにあるのですね。
  
 大聖人は、12歳で安房国の清澄寺に入り、教育を受けられます。その頃、「日本第一の智者となし給へ」(同888ページ)との願いを立てられました。
 民衆を救うために、生死の根本的な苦しみを乗り越える仏法の智慧を得ようとされたのです。

万人を救う法を探究
 ――そんな思いを心に秘めて、仏法を探究されるのですね。
  
 16歳で、清澄寺の道善房を師匠として出家されます。この頃、「明星の如くなる智慧の宝珠」(同ページ)を得られたと述べられています。仏の覚りの法であり、一切の事象を明らかに見ていける「妙法の智慧」を得たということです。
 その後、鎌倉、京都、奈良など各地を遊学し、比叡山延暦寺をはじめ諸大寺を巡って、あらゆる経典を読まれ、各宗派の教義の本質を究明されます。
 その結論として、法華経こそが仏教の全ての経典の中で最も勝れた経典であること、そして、南無妙法蓮華経こそが法華経の肝要であり、万人の苦悩を根本から解決する法であることを覚知されました。
  
 ――民衆の幸福を第一に思索された上での結論であり、使命の自覚なのですね。
  
 妙法弘通の使命とその方途を確認された大聖人は、故郷から実践に踏み出されます。
 建長5年(1253年)4月28日、清澄寺で、念仏などを破折するとともに、南無妙法蓮華経こそが末法の世界中の民衆を救う唯一の法であると宣言されました(立宗宣言)。32歳の時です。この頃、自ら「日蓮」と名乗られます。

不退転の闘争を開始
 ――この「立宗宣言」から、大聖人の民衆救済の闘争が始まったのですね。
  
 「開目抄」に、その直前の思索が回想されています(同200ページ、趣旨)。
 “経文には、法華経を説き弘める者に必ず迫害のあることが説かれている。一方で、正法を弘めなければ、人々の成仏の道を閉ざし無慈悲になってしまう。どちらの道を選ぶべきか……。正法を弘めゆく道を選ぶべきだ!”と。
 思索はそこでとどまりません。“難が起きた時に退いてしまうくらいなら、思いとどまったほうがよい。末法に法華経を弘めることは困難極まりないと、はっきり経文に説かれている。しかし、いかなる困難があろうと、人々のために立ち上がるのが「仏の心」である”との結論に至ったのです。
 この大聖人の誓願について、池田先生は「御年32歳の時から佐渡流罪を経て、御入滅のその日まで、終始一貫しています。何も変わりません。誓願は貫き通してこそ、誓願です」と語られています。
  
 ――私たちの幸福のために、迫害に遭うことを承知の上で、正法を弘め始められたのですか。すごいことです。
  
 実際、「立宗宣言」と同時に難が起こりました。東条郷の地頭(警察権や税の徴収権などを行使した幕府の役人)である東条景信は、念仏の強信者でした。彼は、念仏を批判した大聖人に危害を加えようとしたのです。
 かろうじてその難を免れた大聖人は、安房の清澄寺を離れ、当時の政治の中心であった鎌倉に出られたのです。

【ここに注目!】「日蓮」の御名乗り
 日蓮大聖人の御生涯を貫いた誓願は、「日蓮」という御名乗りにも表れています。
 大聖人は「明かなる事・日月にすぎんや浄き事・蓮華にまさるべきや、法華経は日月と蓮華となり故に妙法蓮華経と名く、日蓮又日月と蓮華との如くなり」(御書1109ページ)と仰せです。
 法華経では、地涌の菩薩の上首(リーダー)である上行菩薩について、“衆生の闇(迷いと不幸の根源)を照らす日月である”と説かれています。また、地涌の菩薩が、煩悩で汚れた現実世界にあっても、それに染まらないさまを“蓮華が泥水のなかに清浄な花を咲かせること”に譬えています。
 太陽のように民衆の心を希望の法理で照らし、現実社会の真っただ中で蓮華のように清らかな花を咲かせていく――「日蓮」との御名乗り自体、大聖人御自身の誓いの結晶であり、社会への宣言であったと拝することができます。


【聖教ニュース】

◆小説「新・人間革命」の研さん資料 「世界広布の大道Ⅲ」が発刊  2020年4月17日
 第11巻から第15巻を収録 名場面編、解説編など4編で構成



    • 発刊された『世界広布の大道 小説「新・人間革命」に学ぶⅢ』

発刊された『世界広布の大道 小説「新・人間革命」に学ぶⅢ』

 研さん教材『世界広布の大道 小説「新・人間革命」に学ぶⅢ』が発刊された。
 小説『新・人間革命』研さんのための参考資料や解説をまとめた本紙の連載「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」のうち、第11巻から第15巻の内容を収める。
 「基礎資料編」では物語のあらすじ等を紹介している。
 第12巻の同編では、「創価学園 開校の軌跡」と題して、「栄光」の章の抜粋とともに、創価学園創立までの経緯が分かる年表を掲載する。
 また、「名場面編」では、各章の感動のシーンをピックアップ。
 同編の第11巻「暁光」の章からは、1974年(昭和49年)3月、山本伸一のブラジル訪問が学会に対する誤解から直前で中止となり、伸一が電話で現地のリーダーを励ます場面を収録する。
 ――「辛いだろう。悲しいだろう。悔しいだろう……。しかし、これも、すべて御仏意だ。きっと、何か大きな意味があるはずだよ」「長い目で見れば、苦労したところ、呻吟したところは、必ず強くなる。それが仏法の原理だよ」
 この伸一の渾身の励ましを掲載する。
 
コラムや名言集、識者の声も
 「御書編」では、小説で引かれた御書の御文に光を当てている。
 第15巻からは、「生死一大事血脈抄」の一節「過去の宿縁追い来って今度日蓮が弟子と成り給うか」(御書1338ページ)を紹介。
 同巻「蘇生」の章では、55年(同30年)8月、伸一が札幌での夏季指導の折に同抄を拝し、「皆さんは、それぞれが貧乏や病の宿命を断ち切り、妙法の偉大さを証明するために、この法戦に集ってこられた。その強い自覚をもつならば、力が出ないわけがありません。御本尊に行き詰まりはありません。意気揚々と痛快に戦おうではありませんか!」と力強く激励する場面が収められている。
 「解説編」では、池田博正主任副会長の紙上講座を学ぶ。
 このほか、コラム「ここにフォーカス」や、各章の至言をまとめた「名言集」、各界の識者の声や「読後感」などのコーナーも充実しており、小説研さんの大切な手引きとなろう。
 本社刊。306円(税込み)。全国の書店で発売(※新型コロナウイルスの感染拡大の影響により、休業している書店では、店舗での書籍の受け取りができない場合があります)。
 コンビニ通販サイト「セブンネットショッピング」「HMV&BOOKS online」での注文、受け取りも可能です。


【特集記事・信仰体験など】

◆ライフウオッチ ―― 人生100年時代の幸福論
 「定年後」は「第二の人生」 楠木新・神戸松蔭女子学院大学教授に聞く

 人生100年時代を豊かに生きる知恵を探る「ライフウオッチ」。今回は、「定年後」をテーマに取材や執筆を行う楠木新さんに、定年後の生き方について話を聞いた。(聞き手=志村清志)

 〈自営業などを除けば、ほぼ全員に待ち受ける「定年」。生活や環境が大きく変わる「人生の転換点」といえるだろう。コロナ禍との戦いで社会が転換点を迎える今この時、定年後の生き方も変わらざるを得ない〉

 現在、日本人の平均寿命は、女性が87・32歳、男性が81・25歳です。このことから、定年後を生きる期間は、20年から30年近くあるといえます。私の計算では、この定年後における自由時間は、8万時間以上。これは、定年までの一般的な総労働時間よりも長い。「定年後」は、余生ではなく「第二の人生」といえます。とはいえ、日本社会の長寿化は、ここ最近に始まった話ではなく、戦後から続いてきました。国民の多くが長寿化を認識する一方、自分の「生き方」が変わることまでは意識が追い付いていなかったのです。
 「定年後」の生き方が注目されるようになった契機は、2013年の「高年齢者雇用安定法」の改正だと考えています。これにより、会社は次の三つのうち、いずれかの制度の導入を義務付けられました。65歳以上への定年の引き上げ、定年の撤廃、もしくは継続雇用制度の導入です。いずれにしても、会社員の働く期間が延びたことになります。
 この制度変更は、定年を控えた世代に大きなインパクトを与えました。「今までと、生き方が変わる」と、多くの方がリアルに意識したことでしょう。
 この時、私は59歳。まさに当事者の一人でした。一つ上の先輩たちが「定年で退職するか、雇用延長を選択するか」など、熱っぽく語り合っていました。「定年後」について執筆しようと決めたきっかけになりました。  ?
「人生100年時代」と聞くと、健康や介護、年金などを連想しがちですが、とりわけ「ライフサイクルの変化」こそ、私たちが最も向き合うべき課題だと考えています。
 自由な時間が増え、本来ならば可能性にあふれている「定年後」ですが、実際には不安を抱き、立ち往生している人が少なくない。だからこそ、「生き方」の転換が必要です。

不安の原因は「お金」ではない
 〈公益財団法人「生命保険文化センター」が行った「生活保障に関する調査」(2019年)では、老後生活に対する不安の内容として、「公的年金だけでは不十分」「退職金や企業年金だけでは不十分」など、「お金」に関する項目が上位を占めた。それとは対照的に、楠木さんは、近著『定年後のお金』の中で「不安の原因はお金ではない」と述べる〉

 多くの方が「お金」に関する不安を抱いているのは事実です。定年後の生活は、会社からの給与がなくなり、収入が大きく減りますから、当然といえば当然です。自らの資産管理や収入・支出の把握などは大切でしょう。  しかし私は、定年後の不安とは、実はお金の問題ではなくて、「未来に対する不安」ではないかと思います。
 「定年後、何をすべきか分からない」「先行きが見えない」――将来に対する不安を強く抱える人たちは、何かしら「安心」を求めがちです。その象徴的な例が「お金」といえます。お金は数字に換算できるので、目に見える指標になるからです。つまり「安心」を「お金」に仮託しているのです。
 特に会社勤めの場合、個人事業主と違い、社会保障や福利厚生など、一定のリスクを会社が“担保”している側面があります。その分、リスクに対して守りに入りやすく、「安心」を「お金」に仮託する傾向が強いと感じます。
 もちろん「お金」はあるに越したことはないですが、心配し過ぎても際限がありません。どんなに気を付けていたとしても、予期せぬ事故や病気に遭う可能性はあります。リスク管理は「数字」だけでは表せません。
 取材を重ねてきた実感として、充実した「定年後」を送れるかどうかは「お金」の有無というよりは、いかに主体的に行動できるか、つまり「生き方」が定まっているかにかかっていると思います。「不安」の反対は「安心」ではなく、「行動」なのです。

「もう一人の自分」を持つ
 〈定年後の「生き方」を定めるために、心掛けるべき点は何か〉

 会社にいる間は、指示や命令に従って動く場面が多く、大多数の人は自分の意志や主体性をもって行動することに慣れていません。したがって定年を迎えてから、自分の意志でいきなり行動を起こすことが難しい。「会社員としての自分」しか行動基軸がなければ、なおさらでしょう。
 だからこそ、定年を迎える前に「会社員としての自分」の他に、「もう一人の自分」を持つことが大切です。例えば、地域活動やボランティアに関わってみる、新しい趣味や副業を始めてみるなど、自分が前向きになって取り組めるものを見つけることです。
 その上で「もう一人の自分」を探すのに、適切な時期があります。
 会社員としての人生を前半と後半に分けて考えると、前半戦は、「会社員としての自分」を磨く時期、後半戦は、「もう一人の自分」を探す時期といえます。
 前半戦は、自分自身が成長する実感も得やすいですし、コミュニケーションやビジネスマナーをはじめ、社会人としての“基礎体力”が付きます。その時期に身に付けたバイタリティーは、今後の長い人生を生きる上で力になります。そういった意味では、会社は、良質な“訓練機関”だと思います。
 40代半ば以降になると、それまでの働き方に疑問を感じる人が多くなります。過去にインタビューした方からは「誰の役に立っているのか分からない」「成長している実感が得られない」「このまま時間が過ぎてしまっていいのか?」といった声を、よく聞きました。
 この頃から、仕事との向き合い方を見直し、「もう一人の自分」を探し、育てることが必要になってくるのではないかと思います。
 とはいえ、いきなり「もう一人の自分」を見つけようとしても簡単にはいかないでしょう。大切なのは、気軽に行動してみることだと思います。40代半ばから「もう一人の自分」を探し始め、定年退職する前までに、確かな将来像をつかんでおけば良いのです。
 そのための決まった方法はありません。興味のある趣味を高める人もいれば、童心に帰って、かつて好きだったことをやってみる人もいます。身近な人の「生き方」から学ぶことも有効でしょう。さまざまな気付きや触発を得られるからです。「もう一人の自分」は、自分自身にフィットしたものであることが大切です。
 そうした中で仕事との両立に悩む時も出てくるでしょう。私自身も、50歳から仕事と並行して執筆活動を始めたのですが、両立には多少の苦労がありました。
 しかし、今振り返ると、どちらか片方を切り捨てることなく、両立させようと努力することで、それぞれの立場が充実したと実感しています。私の場合、執筆活動をする上で、会社員としての自分の実感や目線、周囲の雰囲気など“生の情報”を得られたことも、とてもプラスになりました。こうした経験は、定年後を心豊かに生きる上で支えになっていくはずです。
 また、実際に定年後の生活に入ると、仕事や家庭、趣味、親の介護など、役割を掛け持ちしながら過ごす場面が多いと思います。並行した生き方に慣れる、という意味でも、定年前から「もう一人の自分」を見つけることが大切になると考えています。

変化の中で確かな将来像をつかむ 「もう一人の自分」を持つ生き方を

不確実な事態と向き合う
 〈近年、終身雇用や年功序列制などに代表される日本の雇用体系は変わりつつある。このことは、「定年後」の生き方や仕事との向き合い方に、どのような影響を与えるのだろうか〉

 社会の流れを見ると、10年後、20年後には、仕事に対する価値観は大きく変わると思います。日本型雇用の変容に加え、女性の社会進出はさらに進むでしょうし、フリーランスで生計を立てる人も増えていきます。
 こうした状況を踏まえると、20代、30代の方々は、現代の50代より、組織に頼らない働き方を身に付ける必要があります。仕事に対する価値観が流動的な状態にある中で、従来と同じ働き方をしていては、自分を見失ってしまう恐れもあるからです。
 それに加えて、現在の新型コロナウイルスの感染拡大は、こうした社会構造の変化を、間違いなく加速させるでしょう。日本型の雇用システムは大きく刷新されていくはずです。必然的に、私たちの働き方や生き方も変わっていきます。
 「人生100年時代」は、違う角度から見ると、生きる期間が長くなった分、新型コロナウイルスの感染拡大のような「不確実な事態」や、病気や事故などの「逆境」を経験する可能性が高い時代とも捉えられます。
 そうした想定外の事態と、どのような姿勢で向き合うかは、人生100年時代を豊かに生きる上で大切な視点でしょう。
 私自身、多くの定年後の人たちを見てきて、ある共通項があることに気付きました。それは、失業や交通事故、病気といった、いわゆる「不遇」や「挫折」に直面した人は、そのことが契機となって「もう一人の自分」を見つけ、充実した定年後を送っている人が少なくなかったことです。
 「なんで自分だけ」「あんなことさえなかったら」――こうした経験を受け入れ、乗り越えることは、もちろん容易ではありません。人はそんなに強くないので、悩んだり、後悔したり、立ち上がって一歩を踏み出すまでに多くの時間を要するでしょう。
 しかし、そうした経験は、自分の人生の枠組みを見つめ直す機会になります。自分の人生は有限で、その一日一日が大切だと気付いた時、「挫折」の経験は自分の人生を豊かにする起点になっていくのです。

不安を希望に転換する
 自分のネガティブな経験でさえも、意味を見いだせる、つまり不安を希望に転換して、前向きに生きる人たちがいるというのが、私が取材を通して学んだ大切なポイントです。人生100年時代の今、そのような視座は、ますます希求されるでしょう。

 〈プロフィル〉くすのき・あらた
 1954年生まれ。兵庫県出身。京都大学卒業後、生命保険会社に入社。勤務と並行して「働く意味」をテーマに取材・講演活動に取り組んできた。現在、神戸松蔭女子学院大学教授を務める。主な著書として『定年後』『定年準備』などがある。  
   
 【おことわり】「ライフウオッチ――人生100年時代の幸福論」は、当分の間、休載させていただきます。

2020年4月16日 (木)

2020年4月16日(木)の聖教

2020年4月16日(木)の聖教

◆わが友に贈る

 新社会人よ頑張れ!
 苦難の中での挑戦こそ
 輝く未来の礎となる。
 今やるべきことを明確に
 勇猛精進の日々を!


◆名字の言 北海道から届いた真心の連絡

 先日、北海道から一日に2件の連絡をいただいた。一件は、かつて取材した夫婦からのショートメール。「コロナで大変ですがお変わりないですか。私たちは元気です」。わずか27文字だが、心の中がパッと明るくなった▼もう一件は、野菜農家から届いたジャガイモ。昨秋、収穫したものだが、厳しい冬を越えた“越冬ジャガイモ”。ジャガイモ自体が凍らないようデンプン質を糖分に変えるため、サツマイモみたいに甘い。「困難の冬を断じて乗り越えましょう」との思いが伝わってきた▼両者に共通するのは、相手を思う「心」。言葉やモノは実は心の結晶であり、心が根底にあるから生きてくる。同じ言葉やモノであっても、送る人の心の強さで力は全く違ってくる▼9年前、原発事故で古里を離れ、避難所生活を強いられた婦人の言葉を思い出した。「皆さまの支援物資から『私たち被災者を思ってくださる気持ち』が痛いほど伝わってきます。物資の背景に相手の心を感じる――自分が苦しいからこそ分かったことです」▼新型コロナウイルスの影響で先行きが見えない状況が続く。「変化、変化」の毎日で自分のことで精いっぱいになりがちだが、だからこそ、わが「心の思い」を響かせたメッセージを、友の心へ届けたい。(側)


◆寸鉄

題目は「十方世界にとず
かずと云う所なし」御書。
いよいよ強盛に祈り前進
     ◇
香川女性の日。友に笑顔
の花咲かす太陽の連帯。
励ましの声強め5・3へ
     ◇
度数高い酒で消毒可能、
しかし手洗いが確実と。
感染防止は基本徹底こそ
     ◇
「人との接触」7割減では
外出自粛長期化―試算。
8割減努力を社会全体で
     ◇
昨年の薬物密輸4割増、
過去最多と。甘い言葉で
誘う魔物を皆で断固根絶


◆社説 「科学技術週間」に思う  新世代へ英知を結ぶ哲学を

 今のこの時世ほど、世界各国の人類の英知を結びゆく「科学技術の成果」を渇望する声が高まっている時はない。
 新型コロナウイルス感染症の拡大に歯止めを掛けるべく、ワクチン開発を待つ猶予のない状況下で、既存薬品の効果を立証する試みが昼夜、続けられている。中でも抗インフルエンザ剤のアビガンや経口駆虫薬のイベルメクチンが、
治療薬の有力候補となり得ると各国から報告されたことは、ウイルス禍に立ち向かう希望の灯といえよう。これが待望の特効薬となることを願うばかりだ。
 今、世界中の人々が、ウイルスに打ち勝つための、科学的根拠の明確な情報を求めている。ウイルスが増殖したり、活動を停止したりする姿を捉え、安心材料たる根拠を与えるのが、最先端のウイルス研究の使命であることは自明である。
 二つのノーベル賞(化学賞・平和賞)を受賞したライナス・ポーリング博士は、池田大作先生との対談で、恒久平和などについて縦横に語りつつ、科学者の「特別な義務」についても言及した。
 いわく「(世界の大きな)問題の科学的側面について民間人の教育に手助けをし、かつみずからの意見を表明することによって彼らが正しい決断をくだす手助けをすること」と。博士はこれを、半世紀にわたって主張したのだという(本社刊『「生命の世紀」への探求』)。
 教育への寄与と適切な導き――どこまでも人間を見つめ、より良い世界を目指した博士の信念に触れる思いがする。
 振り返って日本では、科学技術週間を迎えている(13~19日)。狭い空間に多くの人が集まらないようにとの配慮で、残念ながら中止となった関連行事もあるが、同週間のホームページでは「一家に1枚」ポスター(16種類)を公開している。「日本列島7億年」「磁場と超伝導」「未来をつくるプラズママップ」など、家庭でテーマごとの科学技術がじっくり学べる秀逸な教材である。
 科学に興味を持つ次世代の人材を育むことは、非常に重要だ。現在のウイルス禍が収束したとしても、将来また同様の災禍に見舞われることもあり得る。その時、英知を結集させて立ち向かっていくのは、次世代の人材にほかならない。そして人類に寄与した科学者たちは例外なく、身近な家庭での「小さな気付き」を温め、才能を開花させてきたのだ。
 将来の危機に際し鍵となるのは何か。科学技術においても、それはポーリング博士も希求した、「生命の尊厳」と「平和」を基軸とした生命哲学であろう。
 私たちは、この未曽有の事態を断じて乗り越え、未来の世代へ人間のための科学と哲学を引き継いでいきたい。


◆きょうの発心 開目抄 兵庫・中央神戸総県副総県長 南敏明2020年4月16日

御文 詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん(開目抄、232ページ・編462ページ)
通解 つまるところ、諸天善神も日蓮を見捨てるなら見捨てよ。諸難に遭うなら遭おう。身命をなげうっていくだけである。

師への誓いを胸に苦境を打開
 日蓮大聖人が流罪地の佐渡で、妙法弘通への御覚悟を述べられた御文です。一家の経済苦に悩んでいた19歳の時に入会。父から猛反対されましたが、先輩がこの御文を拝して真剣に励ましてくれ、「自身の姿で信心の素晴らしさを証明しよう」と決意しました。その後、母と妹が入会。友人にも弘教が実りました。
 1979年(昭和54年)、会長を辞任されたばかりの池田先生と神奈川文化会館で初めての出会いを刻みました。大変な状況にもかかわらず、同志を励ます姿に“生涯、先生と共に”と誓ったことが、信心の原点となっています。
 その後も唱題を重ね、折伏に挑戦。82年(同57年)には、第1回関西青年平和文化祭に、入会に導いた友人らと共に参加。信心根本の生活を心掛け、長年の借金を返済することもできました。そうした姿を見てきた父は、その後、学会家族の輪に加わりました。
 聖教新聞販売店主になって26年。学会創立90周年のこの時、無冠の友、同志の皆さまと共に勝利の実証を打ち立てます。


【先生のメッセージ】

◆親子で学ぶ創価の心  池田先生の指針とともに――わが家で創価の心を学ぼう!
 身の回りを整理できる人に

笑顔がまぶしいインドネシアの未来っ子たち(2018年9月)

笑顔がまぶしいインドネシアの未来っ子たち(2018年9月)

 今回は「身の回りを整理できる人に」をテーマに、「自分のことは自分ですること」の大切さを教える池田先生の指針を学び合いたいと思います。

【池田先生の指針】
 身の回りの「かたづけ」に挑戦してみよう。
 「うーん、それは、ちょっと苦手だなあ」と思う人も多いかもしれません。
 「かたづけ」とは「自分のことは自分ですること」です。このクセをつけていくと、心のなかに「責任感」を、大きく、育んでいくことができます。
                      ☆☆☆
 身の回りを整理できる人は、頭のなかも整理できる人です。成績も必ず良くなります。図書館の本も、きちんと整理整とんされているから、読みたい本をすぐにさがすことができます。
 創価学会の出発にも、大事な「整理」の歴史がありました。
 小学校の校長であった初代会長の牧口先生は、仕事のあいまに、ご自分の教育のお考えを広告の紙や封筒のうらなどにしるされていました。その一枚一枚のメモの大切さを、ほかの人が理解できないなか、牧口先生の弟子である戸田先生は、見事に「整理」され、世界的な「教育学」の本にまとめ上げられたのです。それが『創価教育学体系』です。
 きちんと整理整とんできる人は、新しい発見ができるし、正しいことを多くの人々に教えることができるのです。
 何より整理整とんは、事故をなくします。地震のときに、頭の上から物が落ちてきたりしては、大けがをしてしまいます。
 だから私は、学会の会館を訪問したときにも、すみからすみまで回って、整理整とんができているかどうか、戸じまりや火の元など、細かく一つ一つ自分の目で確かめてきました。
 「小事(小さなこと)が大事」なのです。会員を守る――それが私の「責任感」です。
                      ☆☆☆
 どんな小さなことでも、人が見ていても見ていなくても、自分の目標にチャレンジする人が、偉い人です。
 自分のことは自分でする。その一歩をふみ出す人が、未来の大指導者へと成長していきます。
 自分の苦手なことにも挑み、やりとげていく人が、本当の勝利者です。
(『希望の大空へ わが愛する王子王女に贈る』)


【聖教ニュース】

◆創価大学・女子短期大学 2020年4月16日
 新入生はじめ全ての学生に池田先生が祝福の言葉

 この4月に入学した創価大学50期生、創価女子短期大学36期生をはじめ、新年度を迎えた全学生に創立者・池田大作先生が祝福の言葉を贈った。
 
 現在、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、学生の健康と安全を第一に考え、創大では今月13日から、短大では6日から、一部、オンラインでの授業が実施されている(20日からは、全ての授業がオンラインで行われる予定)。
 
 両大学では入学の催しは行わず、創立者の祝福の言葉は、各大学のオンライン授業の冒頭に学長や学部長などから紹介された。
 
入学おめでとう!
 試練の時に勇んで、わが「平和のフォートレス」に志願してくれた、誇り高き創大50期生の皆さん、短大36期生の皆さん、また大学院生の皆さん、さらに通信教育部の皆さん、そして留学生の皆さん! ご入学、誠におめでとう!
 いまだかつてない社会情勢の中、送り出してくださっている、ご家族の方々にも、心からの感謝とお祝いを申し上げます。
 また在学生の皆さん方も、思うにまかせぬ環境下で、新年度のスタート、本当にご苦労さまです!
 
文明も人生も試練に勝つところに偉大な価値創造がある
 20世紀を代表する大歴史学者トインビー博士と私が対談を開始したのは、創価大学の開学の1年後でありました。
 博士と語り合った一貫した哲学は、“文明も、人生も、絶え間なく襲いかかってくる試練の挑戦に応戦し、打ち勝つところに、偉大な価値の創造がある”ということであります。
 人類史に輝く「イタリア・ルネサンス」が、14世紀に猛威を振るった感染症ペストの大流行という悲劇を乗り越えての、まさに「蘇生」であり「再生」であったことも、見逃せません。
 
地球文明のルネサンスを
 今、新型コロナウイルスの感染拡大に立ち向かう只中で学究に挑む皆さんには、これから新たな地球文明のルネサンスを創出しゆく偉大な使命があると、私は確信してやまないのであります。
 青春の学びの生命には、無限の創造力があります。
 トインビー博士との対話の期間中、私は、博士の最良の伴侶であるベロニカ夫人の母校、名門ケンブリッジ大学を表敬する機会がありました。思えば、17世紀、このケンブリッジ大学に学んだ若きニュートンが「万有引力の法則」の発見など「三大業績」を成し遂げたのは、ロンドンでのペストの大流行で大学が閉鎖されていた苦境の最中であります。
 
天才とは忍耐である
 「天才とは忍耐である」とは、ニュートンの至言です。
 皆さん方も、「創価」すなわち「価値創造」の負けじ魂を発揮しながら、忍耐強く、しかも聡明にして快活に、若き生命の学才を伸ばし光らせていただきたい。どうか、私が信頼する教員の先生方と共々に真摯に学問を究め、教養を深めて、世界の民衆に勇気と希望を送りゆく青春を勝ち開いてください。
 一人ももれなく、健康で無事故で、使命と栄光の人生をと私は祈り続けていきます。

◆<世界の友は今> アメリカSGI レスリー婦人部長 2020年4月16日
絶対に一人も置き去りにしない
人間らしい“つながり”築く 「ABC運動」を皆で推進
A=満々たる唱題 B=仏法の研さん C=一対一の励まし

 新型コロナウイルスの感染拡大が続く中での、各国SGI(創価学会インタナショナル)の取り組みを伝える「世界の友は今」。第2回は、アメリカSGIのナオコ・レスリー婦人部長に聞く。

 ――多数の感染者が出ているアメリカの様子は日本でも大きく報じられています。犠牲者を悼みつつ、日本の同志はアメリカの皆さんの無事と一刻も早い終息を祈っています。

 ありがとうございます。アメリカ婦人部は元気です!
 私たちは2・27「アメリカ婦人部の日」30周年を大勝利し、池田先生の初訪米から60周年の佳節を迎える本年を、「青年6000人の陣列構築」で飾るべく、いよいよの勢いで弘教拡大・人材育成に挑戦しようと前進していました。その直後、今回の感染拡大が発生しました。
 “どこまでも人命が優先”との観点から、座談会や研修会など、一切の会合を3月10日から中止し、全米の会館を閉鎖しました。
  
 ――メンバーへの訪問による激励も自粛となるなど、全ての活動を制限せざるを得ない状況の中で、どのような取り組みを始められたのでしょうか。
 孤独や不安を抱え、苦闘する友に、勇気と希望を送るべく、次の3点を柱とした運動を開始しました。
 ①満々たる唱題(Abundant Daimoku)②仏法研さん(Buddhist Study)③生命と生命をつなぐ励まし(Connect Life to Life)――それぞれの頭文字を取って「ABC運動」と名付けました。
 この運動では、力強い勤行と唱題で、“朝に勝つ”ことを訴えるとともに、御書や小説『新・人間革命』等の研さんに励むことを推進。自宅待機によって、人間らしいつながりが途絶えがちになるからこそ、「声仏事を為す」(御書708ページ)の御金言を胸に、電話やSNS等で同志や友人とつながり、励ましを広げようと呼び掛けています。
 ほかに、機関紙「ワールド・トリビューン」で、感染予防のための注意点や、医療従事者の声をまとめて掲載したり、厳しい状況の中で周囲に希望を広げる友の動画を共有したりするなど、あらゆるメディアを駆使して情報発信を行ってきました。
  
 ――「ABC運動」を起点として、「一対一の励まし」を広げているのですね。
 最も多い感染者と犠牲者が出ているニューヨークでも、SGIメンバーは“一人も置き去りにしない”との思いで、電話等で渾身の激励を続けています。


◆危機の時代を生きる 青年部と医学者による第3回オンライン会議から㊦ 2020年4月16日

 新型コロナウイルスの感染拡大の状況を踏まえ、青年部と医学者らの代表、青年教育者と未来部のリーダーが語り合った第3回オンライン会議(9日)。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈池田先生の会長就任60周年 青年部が原田会長に聞く〉第7回 どこまでも「一人」を大切に㊦2020年4月16日

〈出席者〉西方男子部長、大串女子部長、樺澤学生部長、林女子学生部長

「できるなら全員と握手して励ましたい」
一枚の写真が無限の勇気と希望に
 ◆西方 世界は、新型コロナウイルスの感染拡大という未曽有の危機に襲われています。池田先生は4月2日付の「新時代を築く」で、「『変毒為薬』という希望と蘇生の哲理が、何ものにも負けない世界市民の不屈のネットワークを、いやまして強めゆくことを、私は願う」とつづられています。日本では9年前に東日本大震災(2011年<平成23年>3月11日)という大災害がありましたが、今もまた力を合わせて、試練に立ち向かう時だと思います。
  
 ◇原田 あの大震災の時、先生は“電光石火”で、お見舞いを伝えられました。「妙とは蘇生の義なり」(御書947ページ)との御聖訓を拝し、「今こそ不屈の信力、行力を奮い起こし、偉大なる仏力、法力を湧き出しながら、この苦難を、断じて乗り越えていこうではありませんか」と、東北をはじめ全国の同志に呼び掛けられたのです。
 直後の16日付の聖教新聞では、災害に遭っても「心を壊る能わず(=心は壊せない)」(同65ページ)と示されていることを通し、「『心の財』だけは絶対に壊されません」と最大の励ましを送ってくださいました。
 当時、東京から宮城へは、線路も道路も空路も寸断されていました。私が17日に山形経由で現地に向かう旨を報告した際にも、「いかに深い悲しみや苦しみにあっても、絶対に負けない。妙法を唱え、妙法とともに生き抜く、わが生命それ自体が、金剛にして不壊の仏だからであります」とのメッセージを託してくださいました。
 このメッセージを携え、仙台市の若林平和会館を訪れた折には、会員の方のみならず、町会長や婦人会長をはじめ近隣の町会の方も避難されていました。その中の多くの方々が、先生のメッセージや学会員の献身の行動に触れて感動し、理解を深めたという後日談もありました。
  
 ◆西方 被災地にある学会の会館は一時的な避難所として開放され、約5000人の方々を受け入れました。若林平和会館の模様は、米CNNテレビのニュースでも放映されました。自らが被災しながらも、地域の人のために尽くす学会員の姿は大きな共感を呼びました。
  
 ◇原田 25日の夜には、先生自ら韮沢東北長(当時)に直接電話をされ、「韮沢君、元気か」と声を掛けられ、「しっかり題目をあげて、東北に大勝利の歴史を残しなさい」と呼び掛けられました。先生の真心が、苦境の中で、どれほどの支えになったことか。皆が、「先生の言葉によって、『何としても乗り越えてみせる!』と前を向くことができました」と語っていました。
 先生は、「最も大きな難を受けた東北が、最も勝ち栄えていくことこそが、広宣流布の総仕上げだ」と励まされました。その通りに東北の同志は頑張り、「未来までの物語」となる歴史を残されました。私たちも今こそ、不屈の信力と行力で立ち上がっていきたいと思います。

撮影会は師弟の無言の誓いの場
 ◆大串 女子部のお宅で、ご両親やご家族と、先生が、記念撮影をされている写真を目にする機会があります。先生がどれほど大勢の同志の方々に、勇気と希望を送ってくださっているのかと、いつも感動します。
  
 ◇原田 記念撮影会の淵源は、1965年(昭和40年)1月18日にさかのぼります。鳥取・米子での地区部長会に出席された先生は、記念の写真に納まり、170人の参加者全員と握手をされました。当時、私は聖教新聞社の職員になって1年目で、先生に随行した先輩の記者から握手の話を聞き、“先生は本当にすごい戦いをされている”と深く感動したことを鮮明に覚えています。
 3月22日、宮城・仙台では600人ほどの参加者全員と握手をされました。小説『新・人間革命』(第10巻「言論城」の章)に当時のことが記されています。
 ――“皆の手は、仏の手”と確信し、握手を交わす彼の胸には、同志への尊敬と感謝の、熱い鼓動が脈打っていた。だが、伸一の手は、次第に赤く腫れ、痛み始めた。それでも彼は、毅然として、励ましの声をかけながら、握手を続けた――
 8日後の30日に行われた長野本部の地区部長会の折も、先生の手の痛みは引いていませんでした。その時は、私も記者として取材に当たっていました。そこで先生は、握手に代わる激励方法として、記念撮影をしようと考えられたのです。
  
 ◆樺澤 「随筆」には、記念撮影を始めた理由を次のようにつづられています。「できうるならば、全国の地区の柱として立つ、壮年・婦人・男子・女子・学生の中心者の方々全員と握手をして、励ましたい。しかし、それは、時間的にも次第に困難になっていった。そこで智慧を絞り、せめてもの思いで発案したのが、記念撮影会であった」
  
 ◇原田 65年は、先生の会長就任5周年の節目でもありました。そこで、皆と共に新出発を期すため、4月16日の東京第1本部の地区部長会を皮切りに、本格的な記念撮影会が行われるようになったのです。
 実は今回、これまで何人の方と先生が記念のカメラに納まったのかを、聖教新聞社のメンバーが可能な範囲で調べてくれました。
 本社に保存されていた写真と記録を数えてみたところ、記念撮影会が始まった65年から73年までの8年3カ月だけで、少なくとも延べ71万8550人に及ぶことが分かりました。「数えるだけでも大変な時間と労力を要します。池田先生が一人一人を大切にされていることを感じ、心が震えました」と、調べたメンバーも語っていました。
 この期間だけで「100万人以上に及ぶと思います」と言うかつての聖教記者もいます。
 ともあれ、先生と写真に納まった一人一人にとっては、自身の信心の原点として、生涯残るものであり、その反響はとても大きなものがありました。
 この記念撮影会について、日本写真家協会の会長を務められた三木淳氏の言葉が、『新・人間革命』(第15巻「開花」の章)につづられています。
 ――透徹した写真家の眼には、偽善か真心か、保身か献身かを、鋭く見抜く力がある。体当たりするかのように、会員のなかに入り、励ましを送り続ける伸一の姿に、三木は、慈悲という仏法の精神を見る思いがしたという。(中略)最高の宝でも披露するように、誇らしそうに笑みを浮かべ、以前に伸一と一緒に撮った写真を見せる会員もいた。困難に直面するたびに、その写真を取り出して眺め、自らを鼓舞し、苦境を乗り越えてきたという会員もいた。(中略)その彼(三木=編集部注)が、ある時、自身の思いを、率直に伸一にぶつけた。「先生! これから先も、ぜひ、会員の皆さんとの記念撮影を続けてください。その一枚の写真が、どれだけ皆に勇気を与え、希望をもたらしているか、計り知れません」――
 三木氏は当時、写真集発刊のために、先生を追って、さまざまな会合に参加し、地方指導にも同行していたのです。
 同じく当時、同行していた、ある全国紙の記者に、先生は「記念撮影は同志との無言の誓いですからね。いい加減な気持ちでは一緒に座れません」と言われ、「疲れませんか」との問いには、「後でクタクタになりますが、撮影中は真剣ですからね。疲れたなんていってられませんよ」とも答えられています。
 記念撮影会は、先生と一人一人の同志との“無言の誓い”の場であり、“師弟共戦の旅立ち”の舞台となったのです。

月天子よ、我が友を見守りゆけ
 ◆林 4月2日付の本連載に、先生が撮影された創価宝光会館の写真(3月24日撮影)が掲載されました。先生が写真を撮り始められるようになった当時のことを教えてください。
  
 ◇原田 69年の暮れ頃から70年初頭にかけて、先生が体調を崩されていたことは、先日申し上げました。そんな時、ある企業の社長の方から、“お見舞いに”ということでカメラを頂いたのです。
 71年6月に北海道の大沼に行かれ、湖畔を車で回っていた際、あまりにも月がきれいでしたので、そのカメラで写真を撮られました。そこが始まりです。
 月の撮影というのは非常に難しく、少しでも手振れしてしまうと美しく撮れません。『新・人間革命』(第15巻「開花」の章)にも描かれていますが、車のエンジンを止め、聖教のカメラマンのアドバイスを受け、車の窓枠に両肘をつけながら固定をして撮影されたのです。さらに車から降りて、三脚を使っても撮られました。
 その後、箱根研修所(現・神奈川研修道場)で嵐の翌日の月の写真を撮影されるなど、折あるごとに月を写され、その中から16枚を集めて、『写真集・月』を発刊されました。その写真集を、カメラをくださった社長に、「おかげさまで、このように元気になりました」と言いながら届けられたのです。
 先生は初めて月を撮影された時の心情を、「“日夜、戦っている学会員の皆様が、この月の光に照らされ、英知輝く人になってほしい。名月天子よ、我が友を見守ってくれ”との願いを込めて、シャッターを切りました」と述べておられます。
 また、「雲の井に 月こそ見んと 願いてし アジアの民に 日をぞ送らん」「いざ往かん 月氏の果まで 妙法を 拡むる旅に 心勇みて」と詠まれた戸田先生に思いをはせてのことだとも思います。
 池田先生は「写真は撮影者の心の投影であり、被写体を借りて写し出された、自身の生命の姿といってよい」と言われています。先生にとって、写真を撮影することは、同志への励まし以外の何ものでもないのです。
  
 ◆大串 先生は、雄大な空や、華やかに咲き競う季節の花々、さらに鉄塔の電線や石垣、道端の雑草や路面など、日常の風景も撮影されています。
  
 ◇原田 多くの人が見過ごしてしまうような路傍の花にも心をとどめ、被写体にし、その美しさや魅力を引き出そうとされています。そこには、仏法者としての先生ならではの視点があるように思います。
 著名な写真家の吉田潤氏は、先生の写真を「寸写心眼」と評されました。「一寸の動きを写す心の眼」と表現されたのです。
 フランスの美術史家のルネ・ユイグ氏は、「こんなに芸術的な写真は初めて見た」と言われ、自身が館長を務める、パリのジャックマール・アンドレ美術館で写真展を開催しました。先生の写真展が海外で開かれたのは、これが初めてでした。
 学会の会館には今、先生が撮られた写真が額装して飾られています。学会の会館は、平和と文化を発信する地でもあります。そこで皆さまからの要望もあり、先生の許可を得て、写真を飾っているのです。
 現在、聖教新聞では「四季の励まし」が連載されています。先生は今もカメラを通し、多くの人に語り掛け、勇気と希望を送ってくださっているのです。
 (第1部終了)

写真を撮影される池田先生。その体を支える香峯子夫人。先生の写真は「眼で詠まれた詩」と評される(2000年2月、香港で)

池田先生は語られている。“桜の生命は強い。だから美しい。人間もまた同じである。一番強く生きた人が、一番幸福なのである”と(3月25日、都内で池田先生が撮影)


◆〈信仰体験〉熊本地震から4年――“復興の象徴”西原村の「萌の里」を守る 2020年4月16日

「萌の里」の周辺は四季の花々が咲き誇る
 今こそ頑張らなん! 私たちに越せない坂はない
  
 【熊本県・西原村】「もう4年がたつんですね」。西本公重さん(62)=支部婦人部長=は感慨深そうに振り返った。
 一時は、出口の見えないトンネルを走っているようにも思えた。しかし、師匠や周囲の励ましが支えになった。人に尽くすと、一段と毎日が充実していった。
 熊本地震の本震から、きょうで4年――西本さんの復興への歩みを追った。
 
 地震後、最大で4万3000人に上った仮設住宅の入居者は、本年3月末時点で3122人に減少。住宅などの整備が進む一方で、一人一人の実情に合わせた生活再建が重要となっている。
 西本さんは今も、プレハブの仮設団地で暮らす。4畳半が二間。そこに両親と夫・豊さん(64)=副支部長=との4人での生活。タンスと仏壇の間に布団を敷けば、もうぎゅうぎゅうの狭さだ。
 最近、その部屋に夜遅くまで明かりがともる。大工の豊さんが、新築する自宅の間取りを確認しているのだ。
 「お父さん、もう休んだら?」と言いつつ西本さんも、「やだ、仏間は広い方がよくない? 台所ももちっと広く……」「うーん、予算が足りんばい」。
 顔を見合わせて笑う。こんな日常が、たまらなくうれしい。
  
 ――西本さん夫妻は西原村の出身。結婚後、村に戻った。だが2009年(平成21年)、豊さんの仕事の資金繰りが悪化し、持ち家を手放すことに。移り住んだのが、村内の大切畑集落だった。
 同じ村とはいえ、自分たちは「よそ者」。住民との微妙な距離を感じながらも、誠実な付き合いに徹していた16年、熊本地震が起こった。
 4月16日の本震で自宅が倒壊し、一家は下敷きに。暗闇の中、西本さんは外にはい出せたが、豊さんは頭を木材で挟まれ、身動きが取れなかった。
 “余震が来たら、もう駄目かも”。死を覚悟していた時、近所の住民が「西本が大変だぞ」と駆け付けてくれた。携帯電話の薄明かりを頼りに、ジャッキでがれきを持ち上げ、豊さんを救出する。
  危険を顧みず、命を救ってくれた住民への感謝は、自然に“皆さんの役に立ちたい”との思いに変わっていく。豊さんは地震の後3カ月間、住民と一緒に集落の壊れた屋根にブルーシートを掛けて回った。
  
 西本さんは当時、村の農産物を直売する「俵山交流館 萌の里」で総務部課長を務めていた。避難生活を送りながら、仕事の対応に追われる。
 道路が各地で寸断され、営業できる状態ではなかった。だが、野菜は待ってくれない。収穫できず、畑に残されたトマトやホウレンソウ。このままでは、被災した農家を助けることはできない。
 連日、従業員で話し合い、食材を販売するインターネット通販サイトを開設。東北の被災地からも、力になりたいと購入する客も。西本さんは「私たちは前進します」と一つ一つに手書きのカードを添えて発送した。
 半年後、プレハブの仮設店舗が完成。元とは離れた場所で、3分の1ほどの小さな店舗だったが、連日、多くの客が押し寄せた。「大変だったね」「待ってたよ」。そんな言葉に勇気をもらい、スタッフ皆で前を向いた。

 もともと西原村は食材の宝庫である。夏はブルーベリー、秋は里芋、冬は白菜。年中、地元産の新鮮な野菜が並び、農家はもとより、村民の“復興の象徴”となった。
 そんな仕事にやりがいを感じながらも、西本さんはもどかしい思いを抱えていた。業務が多忙になるほど、学会活動できる時間が少なくなる。地区婦人部長として思う存分、同志を励ましたかった。
 悩むたびに、婦人部の先輩に相談した。「あなたにしかできない使命があるのよ」。背中を押され、時間をこじ開けて激励へ走る。支部婦人部長になり、弘教も実らせた。
 18年に定年を迎えたが、「嘱託社員として支え続けてほしい」と声が掛かり、職場に残った。

仮設団地の中でも励ましを心掛けて   
 大切畑の住宅再建は、なかなか進まなかった。集落内に活断層が通っていることが判明。集団移転か、元の場所か、住民の意見が割れ、話し合いはいつも平行線。
 結局、元の集落の土地を地盤強化し、住宅を再建することになった。
 西本さんは地域への恩返しを誓っていたものの、“この年齢になって家を建てるのか”との迷いもあったという。
 やがて、地元の人たちから声が上がる。「西本は大切畑に必要な人間だけん」「西本にどげんか、大切畑の土地ば探してやんなっせ」
 ひたむきに村に尽くしてきた夫婦の姿を皆、見ていてくれた。うれしくて、涙が込み上げた。“ここが私たちの広宣流布の場所なんだな”。
 今年3月、大切畑内に住む土地が決まり、今年度中には自宅が建ち上がる予定だ。
  
 「萌の里」は昨年4月、補修を終えて、リニューアルオープン。西本さんは、人気だったバイキングレストランの再開に向け、従業員と奮闘した。
 献立づくりから食器集めまで、趣向を凝らした田舎料理が評判を呼び、客足も地震前の水準まで戻りつつあった。
 しかしここにきて、新型コロナウイルスの感染拡大――。
 観光客も徐々に減り、売り上げは落ち込む。それでも、西本さんは明るく前を向く。先月末からはバイキングを閉鎖し、弁当のテークアウトに切り替えた。
 池田先生は熊本地震直後、随筆につづった。
 「自分も負けない。決して屈しない。とともに、苦しんでいる人を絶対に置き去りにしない。手を取り合い、支え合って、断固と乗り越えてみせる――この最も強く温かな心を燃え上がらせ、進んでくれているのが、愛する九州家族です」
 西本さんは語る。
 「先生の励ましがいつも心に届いています。私たちに越えられない坂はない。明日は、今日より良い日が必ず来ますから」
 (熊本支局発)