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2020年3月

2020年3月31日 (火)

2019年3月31日(火)の聖教

2019年3月31日(火)の聖教

◆わが友に贈る

 一人一人が聡明に
 為すべき事を成そう!
 皆で心を合わせれば
 その力は何倍にもなる。
 共に助け合う社会を!


◆名字の言 ふさぎ込みがちな少年に笑顔が戻った。その訳は?

 今春、中学へ進む少年に、ある婦人が一冊の絵本を贈った。「きょうも あしたも あなたは たくさんの ドアを あけていく」との書き出しが印象的な『たくさんのドア』(主婦の友社)▼少年の母親が絵本を手に取り、読み聞かせを始めた。卒業や入学など、新しい“ドア”を開けていく息子に、母の声で温かな言葉の数々が送られていく。「あなたは まだ しらない じぶんが どれほど つよいかを」「はるばるとした おおきなものに あなたは まもられている なにがあろうと」▼少年が通っていた小学校では、新型コロナウイルスの影響で卒業式が中止に。以来、ふさぎ込みがちになっていた彼は、絵本の言葉や絵からあふれる励ましに包まれ、笑顔を取り戻した。それは読み聞かせた母親も同じだった▼「優れた作品は読み手が大人であるか、子どもであるかを問わない」とは、「絵本ナビ」代表取締役社長の金柿秀幸氏。良質な絵本は年齢を問わず、人間の成長に必要な滋養を与え、人生にとって不可欠なものに気付かせてくれる▼4月9日まで絵本週間。一冊の絵本が、何げない毎日に意外な潤いを与えてくれることがある。子どもたちの“心田”に夢や希望、勇気の種をまき、親子で「心の宝」を育む契機にしたい。(叶)


◆寸鉄

「いよいよ道心堅固に」
御書。苦難に直面する程、
われらは祈りと決意強く
     ◇
教育本部の日。未来の宝
育む聖業に献身する友。
創価三代の思想は脈々と
     ◇
4月は新聞閲読月間。信
心の息吹届ける無冠の友
に感謝。呉々も無事故を
     ◇
肺炎、50歳未満の15%が
中・重症化。全世代が要警
戒。一人一人が当事者だ
     ◇
改正健康増進法があす施
行。望まない受動喫煙を
防止。配慮深き社会皆で


【教学】

◆池田先生の指導に学ぶ  「誓願」こそ日蓮仏法の真髄
 広宣流布の誓いを貫く時仏の勇気、智慧、慈悲が湧く

 「大願とは法華弘通なり」(御書736ページ)――日蓮大聖人は、すべての人々に仏の境涯を開かせたいとの誓願のままに、法華経の肝要の法である「南無妙法蓮華経」の題目を唱え、弘められました。この精神を受け継ぎ、世界広宣流布を現実のものにしたのが、創価学会にほかなりません。ここでは、池田先生の指導を引用し、日蓮仏法の真髄ともいえる「誓願」について学びます。

全民衆を変革していくための原理
御文
 これを一言も申し出すならば父母・兄弟・師匠に国主の王難必ず来るべし(中略)今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願じぬ(開目抄、御書200ページ)

 日蓮大聖人は、建長5年(1253年)4月28日、安房国(現在の千葉県南部)の清澄寺で「立宗宣言」をされました。ここで深く心に留めたいことは、法華経の経文に照らして、“妙法を弘めれば大難が起こる”ことを覚悟の上で、大いなる第一歩を踏み出された、という点です。当時の大聖人の思索について、池田先生は「開目抄」の「このこと(仏教の諸宗が謗法の教えを説いており、人々を悪道に堕とす悪縁となっていること)を一言でも言い出すならば、父母・兄弟・師匠からの難、さらには国主による難が必ず襲ってくるであろう。(中略)私は、今度こそ、強い求道心をおこして、断じて退転するまい、と誓願したのである」(御書200ページ、通解)との御金言を拝して、次のように教えられています。

池田先生の指導
 「菩提心」とは、菩提(仏の悟り)を求める心です。したがって「強盛の菩提心」とは、何があっても成仏を求めていく心です。
 これは菩薩の誓願です。
 (中略)
 仏教において「誓願」は、宿業の鉄鎖を切り、過去に縛られた自分を解放して、新しい未来に向かう自分をつくる力と言えます。仏の教えで自分を磨きつつ、確立した心によって、未来の自分を方向付け、それを実現していく努力を持続していけるのが「誓願の力」です。
 誓願とは、いわば「変革の原理」です。それは、自分自身の変革はもちろんのこと、薬草喩品の仏の誓願(法華経薬草喩品第5に「全ての人々を救っていこう」<趣旨>と説かれた仏の誓いのこと=編集部注)に見られるように、全民衆を変革していくための原理であると言えます。
 特に末法における万人成仏という誓願を成就するにあたって、大聖人が強調されたのは「信の力」です。
 いわば、妙法の当体としての人間の無限の可能性を信ずることが、法華経の真髄です。それは、妙法への深い「信」であるとともに、人間への透徹した「信頼」でもあると言えます。
 (中略)
 「万人が皆、仏である」ことへの「信」を破ろうとするのが魔の本質にほかなりません。
 自分が救済しようと思ったその相手自身から、憎まれ、迫害される。理不尽といえば理不尽ですが、“「それでも」私は、あなたを礼拝する”と叫び続けた不軽菩薩のごとく、深き「信念」を貫くことこそ、末法の仏法者の振る舞いです。
 ある意味では、人間の善の本性に対する突き抜けた「信頼感」と、それに基づく深い「楽観主義」を支えるのが「誓願」の力です。
 日蓮大聖人は深き誓願によって、一人、法華経の行者として厳然と立ち上がられました。謗法の悪縁に迷うすべての人を救おうと、断固たる行動を貫いていかれた。その結果は、大聖人が予見された通り、日本中の人から憎まれ、嵐のような大弾圧を受けることになりました。
 しかし大聖人は、「悦んで云く本より存知の旨なり」(御書910ページ)との御心で、「然どもいまだこりず候」(同1056ページ)、「日蓮一度もしりぞく心なし」(同1224ページ)、「今に至るまで軍やむ事なし」(同502ページ)との決然たる御心境で戦い続けられたのです。
 大聖人の生涯の壮絶な闘争を支えた原動力は、ひとえに誓願の力であったと拝することができる。誓願を貫くことによって仏の心と一体化し、生命の奥底から仏界の無限の力を涌現することができることを示し、教えてくださったのである。
 濁世にあって、人間不信を助長させる魔の策謀を打ち破ることができるのは、万人救済を誓う「誓願」の力以外にありません。(『池田大作全集』第34巻所収「開目抄」講義)

創価学会こそが仏意仏勅の教団
御文
 詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん(中略)大願を立てん(中略)我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず(開目抄、御書232ページ)

 創価学会は、創価三代の会長の指導のもと、日蓮大聖人の御遺命である広宣流布の実現にまい進してきました。なかんずく、1960年(昭和35年)5月3日に、「開目抄」の「結局のところは、天も私を捨てるがよい。いかなる難にも遭おう」(御書232ページ、通解)との一節を心に深く刻んで第3代会長に就任した池田先生のもと、妙法は海外にも広がりました。2013年(平成25年)には「広宣流布大誓堂」が完成。池田先生は、落慶記念勤行会に贈られたメッセージの中でもこの箇所を引用されています。

池田先生の指導
 大聖人は、命にも及ぶ佐渡流罪の大難の中で、「大願を立てん」(御書232ページ)と宣言なされました。
 一切衆生を救う「柱」「眼目」「大船」になるとの誓いに立たれて、ただただ、広宣流布の実現を願われたのです。
 「大願」とは「法華弘通」つまり「広宣流布の大願」にほかなりません。
 大聖人の立宗より七百年。闘諍言訟の末法が極まった現代にあって、この御本仏のお心のままに、「広宣流布」の大願を成就することを誓って立ち上がった仏意仏勅の教団が、創価学会であります。
 「広宣流布の大願」と「仏界の生命」とは一体です。だからこそ――この誓いに生き抜く時、人は最も尊く、最も強く、最も大きくなれる。
 この誓いを貫く時、仏の勇気、仏の智慧、仏の慈悲が限りなく湧き出でてくる。
 この誓いに徹し切る時、どんな悩みも変毒為薬し、宿命をも使命へと転じていける。
 これが、創価の最極の同志であります。
 これが、学会の無敵の陣列であります。
 そして、我ら誓願の学会が奉ずる「法華弘通のはたじるし」(同1243ページ)こそ、この(=広宣流布大誓堂)大礼拝室に御安置奉った「大法弘通慈折広宣流布大願成就」と、お認めの常住御本尊であられるのです。
 (中略)
 大聖人は「ちかいし願やぶるべからず」(同232ページ)と仰せになられました。
 我ら創価の家族は、この広宣流布大誓堂とともに、「ちかいし願」をいよいよ燃え上がらせて、いかなる試練も断固と乗り越え、金剛不壊にして所願満足の大勝利の人生を、仲良く朗らかに飾りゆくことを約束し合い、私の記念のメッセージといたします。(「広宣流布大誓堂」落慶記念勤行会へのメッセージ)


【聖教ニュース】

◆きょう31日は教育本部の日 実践記録が14万事例に 2020年3月31日

教育本部の友がまとめた2019年度の教育実践記録集

教育本部の友がまとめた2019年度の教育実践記録集

 きょう31日は「教育本部の日」。同本部は2002年同日、前身の「教育部」が学校教育、幼児・家庭教育、社会教育の分野を担う3部体制へと拡充されたことに伴い、発足した。教育部が誕生した1961年から数えると、約60年の歴史を持つ人間教育者の集いである。
 このほど同本部の友がつづった2019年度の「実践記録」がまとまった。子どもたちと共に歩んだ成長のドラマが収められている。
 実践記録運動のスタートは1984年。池田大作先生の提案によるものである。累計は14万5000事例を突破した。

昨年10月に富山市で行われた第41回「全国人間教育実践報告大会」。富山県知事や教育長があいさつし、アメリカ、スペイン、カナダから来日した教育者も賛辞を寄せた

昨年10月に富山市で行われた第41回「全国人間教育実践報告大会」。富山県知事や教育長があいさつし、アメリカ、スペイン、カナダから来日した教育者も賛辞を寄せた

 実践記録の執筆者が自らの取り組みを報告する「人間教育実践報告大会」も毎年、列島各地で行われ、感動と共感を広げている。昨年10月に富山で行われた全国大会には海外の教育者も来賓として参加。「人間主義を中心とした教育が、ここにある」(スペイン・アルカラ大学「池田大作『教育と発達』共同研究所」のイボラ所長)と高い評価を寄せた。
 また「実践報告大会の内容に世界中の人が触れられるようにしていただきたい」(カナダ・オタワ大学教育学部のイブラヒム教授)等の要望が高まっていることを受け、現在、実践記録の英訳も進められている。
 本年は、初代会長・牧口常三郞先生が第2代会長・戸田城聖先生の支えを得て完成させた『創価教育学体系』第1巻の発刊から、90周年の佳節を迎える。池田先生は「教育本部の皆様こそが、『創価教育学体系』の“続編”を綴りゆく創価教育の後継者であり、『実践編』を体現されゆく人間教育の真正の勇者である」と期待する。
 創価教育100周年となる2030年へ、実践記録運動の進展とともに、人間教育者の連帯も一段と広がっていくに違いない。
 
実践記録の代表事例から(要旨)
秋田 成田恵子さん(小学校教諭) 行動の奥にある心を知る

 4度目の挑戦でやっと教員採用試験に合格した私は、期待に胸をふくらませて小学校教員としての生活を開始。担任として受け持つことになった1年生のクラスに、Aくんはいました。
 彼は急に暴れたり、友達にいたずらをしたりと、問題行動を起こしてばかり。「笑顔にあふれた学級運営」という私の理想は、打ち砕かれました。Aくんを感情的に叱ってしまう毎日。彼も聞く耳を持ちません。顔を合わせるたび、まるで「先生のことなんて信じられない」とでも言わんばかりの目つきを、私に向けてきます。私は自分があまりに情けなくて、帰宅後に涙を流す日もありました。
 ある日、創価学会の教育部の先輩から受けたアドバイスが、胸に響きました。「子どもを変えたいなら、まず自分が変わることだよ」と。Aくんの言動ばかりにとらわれて、その行動の奥にある、彼の心に目を向けていなかった自分を反省しました。
 Aくんのことをもっと知ろうと、私は、彼のお母さんと懇談。Aくんが保育園の頃から問題行動を起こして怒られてばかりいた事実に加え、今も自宅で叱られてばかりいることを知りました。

 Aくんの自己肯定感を高めていこう――そう決めた私は、教室移動の時に手をつないだり、お手伝いをしてくれた時は笑顔で「ありがとう」を伝えたりするなど、彼と心のつながりが結べるよう心掛けました。Aくんがトラブルを起こした時も、「なぜ、そうしたのか」という理由に耳を傾け、思いを受け止めることに専念したのです。
 Aくんのお母さんにも、小まめに電話をかけ、彼が頑張っている様子を伝えました。とても喜んでくださり、家庭内でAくんを褒める機会が増えていったそうです。
 自分を大切にされた経験のない人が、誰かを大切にできるはずがありません。反対に、「自分の気持ちを分かってもらえてうれしい」との経験を数多く持つことができれば、人の気持ちを理解しようという思いも強くなっていくはずです。
 ある日の休み時間、私は、Aくんが友だちと一つのボールを譲り合って遊ぶ姿を目にしました。ささいなことかもしれません。しかしそこに私は、彼の確かな成長を見て取り、なんとも言えない温かさが胸いっぱいに広がったのです。
 Aくんのお母さんが教えてくれました。「息子はね、どんなつらいことがあっても、先生と会うと笑顔になれるんですよ」
 私にとっても、笑顔の思い出をたくさんつくることができたのは、ほかでもない、Aくんのおかげです。
 
香川 山本泰司さん(小学校教諭) 人とのつながりこそ“力”

 私は東京で6年間、小学校の教員を務めた際、障がいのある児童と関わりました。通常学級と特別支援学級の子が互いに尊重し合える教育をしたいと思うようになり、働きながら勉強を重ねて特別支援学校の教員免許を取得したのです。
 地元・香川に帰郷後、小学校の特別支援学級の担任に。そこで出会った2年生のYくんは、手足に障がいがありました。
 特別支援教育は、その子の特性に合った関わりをすることに加え、保護者との協力関係が欠かせません。私はYくんの保護者と面談を重ね、学校に対する要望を率直に伺いました。
 親御さんが望んでいたのは、Yくんのコミュニケーション力を養うために、「本人にできることは積極的に挑戦させたい」ということ。Yくんとの関わりを通し、ほかの児童にも障がいへの理解を深めてほしいということでした。
 Yくんは、軽い言語障がいもあり、発話が少し苦手ですが、書くことについては発達の遅れは見られません。私はYくんに文章で自分の思いを表現する力を磨いてほしいと思い、本人やご家族の了承を得て、宿題として簡単な日記を書いてもらうことにしました。その内容がとてもユーモアに富んでいて、面白いのです。私はYくんに日記を他の人にも読んでもらうのはどうかと提案したところ、快諾してくれました。

 授業の一環として始めたのが「日記帳を携えた歩行練習」です。Yくんが歩行器を使って校内の先生方を訪ね、自分の日記を読んでもらい、感想をもらうという取り組みです。
 Yくんは、どちらかといえば歩行練習が苦手でした。しかし、日記を読んだ先生に「面白いね!」と言ってもらえる喜びや、さまざまな人と話すことの楽しさを感じて、歩行練習への意欲も高まっていったのです。
 また、休み時間に、Yくんが所属する特別支援学級の教室に通常学級の子たちを招き、一緒に遊んでもらうよう呼び掛けました。子どもたちは、Yくんの得意なこと、苦手なこと、何より彼の人柄に触れる中で、障がいへの理解を深めていきました。ある子は自ら進んで、掃除の時間にYくんと一緒に清掃に取り組むようにもなりました。Yくんの周りは、いつも、たくさんの笑顔であふれるようになったのです。
 池田先生の言葉に「子ども自身が『自分の人生を切り開く力』を養うとともに、『人とのつながり』『心の結びつき』を大事にできる感性を育んでいくことが、不可欠であります」と。人間にとっての幸せとは何か。Yくんがその答えを教えてくれたと思います。
 
茨城 江幡友子さん(高校教諭) 学ぶ楽しさを共に見つけ

 私の勤務先は水産海洋系の高校で、生徒たちは主に航海や漁業の技術・知識を学びます。私の担当は初任時から今日まで「食品科」。水産食品の製品作りや販売・流通に関して教えています。
 私が高校1年の担任に就いた時のことです。クラスにTさんという生徒がいました。彼女は友達からの人望はあるものの、教員には反抗的で、授業を抜け出すことも、しばしば。具体的な目標や夢を持って入学したわけではなく、「学校に来る意味が分からない」というのです。
 やがて高校を辞める意思を固めた彼女は、学校にも来なくなりました。
 どうしたものか……。悩んだ私は、池田先生の書籍を開きました。そして“子どもの心を動かすのは、こちらの真剣で必死な「心」です”との言葉に触れたのです。
 反省しました。“自分はTさんの悩みに対して、どこまで真剣に向き合ってきただろうか”と。そして祈りました。“彼女の心が分かる自分にさせてください”と。時間をこじ開けるようにして彼女の自宅を訪ね、声に耳を傾け、手紙を送り続けました。
 そして3学期が終わろうとしていたある日、彼女は「学校を辞めてもやりたいことがあるわけじゃない。これからどうすればいいか分からない」と、胸の内を打ち明けてくれたのです。

 私は込み上げるものを抑えながら、Tさんと一緒に「学ぶ楽しさ」を見つけ、卒業の日を共に迎えたいという思いを、精いっぱい伝えました。彼女は目に涙を浮かべながら、「私のことをこんなに思ってくれる江幡先生が担任でよかった」と話してくれたのです。
 進級したTさんと共に、新たな挑戦が始まりました。もともと手先が器用なTさんは、包丁の使い方を教えると、すぐに理解してくれます。私は彼女にカツオの解体といった難しい作業に挑戦させるなど、「活躍の場」をつくりました。
 手応えを感じたのでしょうか。彼女は授業でも積極的に発言したり、勉強が苦手な子に教えたりするようになりました。企業実習にも、はつらつと取り組んでくれました。彼女が「先生! 食品科の勉強って楽しいね」と言ってくれた時の感動は忘れられません。
 Tさんは学びを生かせる職場を目指し、第1希望の食品系企業から内定を獲得。笑顔の卒業式を迎えることができました。
 どんな状況にあっても、「学ぶ楽しさ」を感じられた時、子どもは見違えるように成長していく。教育者として絶対に忘れてはならないことを、Tさんは、私に教えてくれたのです。


◆未来部機関紙がリニューアル 2020年3月31日

リニューアルされた未来部機関紙。左側が、「未来ジャーナル」の表紙と、池田先生の励ましの言葉が掲載された紙面。右側が「少年少女きぼう新聞」の表紙と、同じく先生の言葉を紹介する紙面

リニューアルされた未来部機関紙。左側が、「未来ジャーナル」の表紙と、池田先生の励ましの言葉が掲載された紙面。右側が「少年少女きぼう新聞」の表紙と、同じく先生の言葉を紹介する紙面

未来部機関紙が4月号からリニューアル!
 小学生向けの「少年少女きぼう新聞」のデザインが刷新され、より明るく、読みやすくなった。中学・高校生向けの「未来ジャーナル」も、楽しくてすぐ使える新企画が盛りだくさんとなっている。
2030年の主役へ 池田先生が励ましの言葉を贈る
 さらに、池田先生が“学会創立100周年の主役たち”に贈る励ましの言葉も、先生撮影の写真と共に掲載されている。タイトルは「2030年へ 後継の正義の走者に贈る」(未来ジャーナル)、「2030年へ 希望の王子・王女に贈る」(少年少女きぼう新聞)である。
未来ジャーナル 本音に迫る体験談

同世代の仲間は信心をどう捉えているんだろう?――「未来ジャーナル」の信仰体験紙面を読む
 「未来ジャーナル」では親子の信仰体験を紹介する企画「ホンネ」がスタート。未来部員がどのように悩みを乗り越えたか。親は、わが子をどんな思いで支えてきたのか。それぞれの本音が語られる。読者からは早速、「楽しくて家族とのコミュニケーションも取れてよかったです」(福岡・高校1年女子)等の声が寄せられている。
少年少女きぼう新聞 ロゴが「ぬり絵」に

どんな色にしようかな?――姉妹が「少年少女きぼう新聞」のタイトルロゴのぬり絵に挑戦
 「少年少女きぼう新聞」ではタイトルロゴが「ぬり絵」になった。子どもたちのぬり絵を募集中だ。5月号から代表の作品が表紙を飾る。また、少年少女部のリーダーが登場する動画「ししの子チャンネル」もスタート! 今回は、自宅で家族と一緒に楽しめる「ジェスチャーゲーム」を紹介している。
 動画の視聴はコチラから→https://youtu.be/nKz4CzZ_RQE

【特集記事・信仰体験など】

◆〈負けじ魂ここにあり わが生命の学園生〉27=完 東京校・関西校 2009年度~2020年3月31日
 勇気の旗を掲げ、断固として “学園桜”を咲かせゆけ! 皆の 勝利を私は祈り信じています。

「私の最高の誇りも学園生です。君たちが勝利するためならば、私は、いかなる労苦も惜しみません」――卒業式でスピーチする池田先生(2010年3月16日、東京・小平市の創価学園で)

「私の最高の誇りも学園生です。君たちが勝利するためならば、私は、いかなる労苦も惜しみません」――卒業式でスピーチする池田先生(2010年3月16日、東京・小平市の創価学園で)

 牧口先生の『創価教育学体系』の発刊から80周年の節を刻む2010年。
 この年は、創立者・池田先生が、東京・小平市の創価学園の建設用地を視察してから50周年でもあり、キャンパスでは、新たなシンボルとなる「総合教育棟」の工事が、翌年の完成に向けて着々と進められていた。
                             ◇ 
 未来への希望に包まれた2010年3月16日。40回目となる創価学園の卒業式が、関西創価学園と中継で結んで、晴れやかに行われた。
 池田先生は、スピーチの中で“勇気で進みゆけ!”と強く呼び掛けた。
 「私も、どんなに迫害されようとも、師匠である戸田先生から託された『勇気の旗』を高らかに掲げて、一切を勝ち抜いてきました」
 「この勇気の三色旗を、私はきょう、学園生の一人一人に託し、差し上げたいのです」
 創立者の限りない期待に、凜々しく瞳を輝かせる学園生たち。先生はさらに、全員の勝利を願ってエールを送った。
 「皆さんの時代です。桜も厳しい冬を耐え、時を待って咲き薫る。青春時代も同じです。勉強し、苦労し、時を待って偉くなる。幸福になる。君たちも『今に見よ!』と一日また一日、成長し、自分自身を革命しながら、勝利の“学園桜”を断固として咲かせていってください。皆さんの勝利を、私は祈り信じています」
 最前列で式典に参加していた遠矢明子さん(東京高40期)は卒業後、アメリカ創価大学(SUA)に進学した。
 現地での生活に慣れてきた頃、東日本大震災が発生した。現実と思えないような惨状が、次から次に報じられる。
 「日本にいない自分には、何もできない……」と、心を痛める日々が続いた。
 その後も、世界の各地で相次ぎ自然災害が。そのたびに遠矢さんは、もっと力を付けて、苦しむ人々の助けになりたいと、勉学に打ち込んだ。
 そんなある日、レジリエンス(困難を乗り越える力)の強化を訴える池田先生の提言に出あい、防災のエキスパートになろうと決意。SUAから米コーネル大学大学院に進み、公共政策学の修士号を取得した。
 アメリカでの就職活動は、想像以上に厳しかった。
 周りには、自分と比べて語学力も専門性も優れた人ばかり。面接を受けるたび、不採用の通知が届く。やっと試験を突破しても、ビザの手続きを理由に、内定を取り消されたこともあった。
 それでも遠矢さんは諦めなかった。自分らしい“使命の花”を咲かせたいと挑戦し抜いた結果、防災の専門家として世界銀行からの採用を勝ち取る。
 学園を卒業して10年。今では、持ち前の朗らかさと粘り強さを買われ、プロジェクトのリーダーを任されるまでに。今年、チームの皆で書き上げた本が出版された。
 「自分がいる所で勝利する。それが応援してくれる家族や学園・大学時代の同級生、何より創立者に応える道だと思っています」
 報恩の志が、勝利の“学園桜”を咲かせゆく原動力になっている。

未来は盤石
 2010年の卒業式以降も、池田先生は常に学園生を見守り、温かなエールを送り続けてきた。
 折々の行事には、真心のメッセージや伝言を寄せた。ある時は、修学旅行などで都内を訪れた児童を激励。また、小説『新・人間革命』では、東京創価小学校の歴史などを「若芽」の章につづっている。
 学園生は、この慈愛の励ましを胸に“今こそ、自分たちの力で世界一の学園を築こう”と語り合い、創立者のスピーチなどを学び深めていった。
 「君に託さん この大城を」――先生から贈られた愛唱歌「負けじ魂ここにあり」の5番の歌詞をかみ締めながら、勉強・読書・クラブ活動に、懸命に取り組んだ。
 時は流れ、2015年3月16日の卒業式は、3年前の創立45周年に入学した友の旅立ちの場となった。
 東京と関西の学園を中継で結んだ式典が終盤に差し掛かった頃である。
 突然、場内のスピーカーから“音”が聞こえた。
 耳を澄ます学園生。次の瞬間、優しく力強い声が場内に響いた。
 「みんな、おめでとう! 卒業おめでとう! うれしいよ」
 聞こえてきたのは、卒業式の様子を中継で見守っていた池田先生の声。音声をつないだ“参加”に、会場中から歓声が起こり、拍手が湧き上がる。
 続いて、先生の呼び掛けで「負けじ魂ここにあり」の大合唱が始まった。
  
 〽正義の誇りに 胸を張れ
  君に託さん この大城を
  学べ勝ち抜け 世界まで
  負けじ魂 朗らかに
  
 “東西”が一体となり、皆、声の限りに歌った。感謝を込めて。決意を込めて。
 歌が終わると、再び、池田先生の声が。
 「一緒に歌ったよ。上手だったよ。おめでとう! おめでとう! よかったよ」
 感動の渦が会場を包んだ。
 中学から関西学園に学んだ東野彩香さん(関西高40期)は、涙して歌いながら6年間の月日を思い出していた。
 毎日早くに登校し、通学路でゴミ拾いや他の生徒の整理誘導を行ったこと。真冬の朝、冷水に手を震わせながら、校内にある学園のモットーの碑を雑巾で磨いたこと。両足を手術し、一時、車いす生活になる中で、勉強やクラブ活動に挑戦し抜いたこと――。
 泣き虫だった自分が弱音を吐かなくなった。皆のために尽くす“貢献の喜び”を教えてもらった。卒業式では、その感謝を歌に込めた。
 東野さんは、創価女子短期大学を経て、現在は大阪の病院で医療事務に従事。電話対応や受付窓口業務などを通じて、患者やその家族の不安に寄り添うよう心掛けている。“じっくり話を聞いてくれてありがとう”とお礼の手紙が届いたことも。
 一方で、救急の場合は、スピードと正確さが求められる。学園時代に率先して陰で役員を担ってきた経験を生かし、有事の際は医師や看護師のサポートをスムーズにできるよう、日頃の準備を怠らない。
 「後輩たちの道を開きたい」と奮闘する中、病院では、東野さんの入職以来、4年連続で創価女子短大からの採用・内定が続いている。
                           ◇ 
 2015年の卒業式の翌月、池田先生は学園生と共に「負けじ魂ここにあり」を歌ったことを振り返り、随筆につづった。
 「それは、命に轟きわたる歌声であった。皆の瞳に、勇気凜々と誓いが輝き光っていた。わが学園生は断じて負けない。未来は盤石だ――心からそう感じた」(「随筆 民衆凱歌の大行進」〈負けじ魂 朗らかに〉)
 創価学園の開校から50年余り――。
 「勇気の三色旗」を掲げる同窓の友は、日本中、世界中で乱舞している。
ご感想をお寄せください
news-kikaku@seikyo-np.jp

◆〈未来部育成のページ〉 わが家の座談会 子どもと向き合い 思いを語る
 広布の情熱は4世代に

師匠との思い出を誇りに広布に励む小野寺さん家族(左から父・斎藤勝喜さん、母・斎藤美智子さん、長男・翔太さん、長女・智子さん、小野寺さん、夫・誠さん)

 今回の「未来部育成のページ」では、子どもたちに信心を伝えようと家庭内でファミリー座談会を開催する二つの家族を紹介。併せて「心に希望の語らいを」と未来部機関紙4月号の内容を紹介する。

長野 長野第5総県・塩尻圏 小野寺ファミリー
 小野寺尚子さん(広丘本部、婦人部本部長)の家は2世帯住宅。1階に両親の斎藤勝喜さん(副本部長)、美智子さん(支部副婦人部長)が住み、2階で夫・誠さん(地区部長)、長男・翔太さん(4月から高校3年)、長女・智子さん(4月から中学2年)の4人が暮らす。
 小野寺さんは学会3世。戦後、母方の祖母・山田喜美子さん(故人)が先に入会し、その後、昭和29年(1954年)に高校2年だった母も入会した。
 祖母や母が直接触れた戸田先生、池田先生の指導と師弟の心を、小野寺さんは幼い頃から何度も聞き、活動に励む中で自らの糧にしてきた。その後継の魂を今、母として2人の子に伝えている。

パッとやる
 小野寺さんは子どもたちと家で一緒にいる時、短時間であってもファミリー座談会を開く。それは「じゃ、やろうかー」と、自然に始まる。紙にさらっと式次第を書いて「勤行からしようね。司会はお兄ちゃん」と。その後、小野寺さんが「大白蓮華」にある御書の解説をしたり、池田先生の指導を紹介したりする。
 「子どもとは座談会もしますが、一緒に体験の記事を読んだり、『STBの新番組が出たんだって』と言って、見たりするだけの時もあります。開催頻度は特に決めてはいませんが、いつも思いついたらその場でパッとやっています」
 創価の庭でわが子を育てようと、子どもたちが赤ちゃんの頃から一緒に会合に参加し、大きくなれば未来部コーナーなどで何かしらに携われるように心掛けた。
 文字が読めない小さい頃は題目を一緒にあげ、ひらがなに興味を持ち始めたら勤行を教えた。池田先生の指導や、家族の広布史と信仰体験なども、日常の会話の折に丁寧に語っている。
 「一度、二度言っても時間がたつと忘れられてしまうので、あえて何度も言うようにしています」
 信心継承の環境づくりに迷いはない。

師との思い出
 小野寺さん自身、未来部時代に家族から信心を学んだ。
 本紙の運送に従事していた父は昼夜逆転の仕事だったため、信心についてよく話をしてくれたのは母だった。文字が読めるようになってからは勤行を教わり、会合にも共に参加した。
 当時は東京の板橋区内で両親が地区部長、地区婦人部長をしており、家にはよく地域の学会員が相談に来ていた。自宅は狭いアパートだったため、隣の部屋から聞こえてくる、両親の広布への思いや入会動機などを耳にし、一家の歩みを知った。
 また、母はアルバムを開いては師匠との出会いを聞かせてくれた。「3・16」の式典の際は、その数日前に開催の連絡が入り、急いで母のスーツを祖父が買いに行った。池田先生の会長就任式では、会場の詰まりやすいトイレの係をしており、清掃道具を持ったまま、師匠から激励を受けたこともあったという。
 そんな母はよく「どんな小さな悩みも祈りに変えていくんだよ」と優しく声を掛けてくれた。
 中学2年になる春に父の転勤で松本市内に転校したが、学校になじめず不登校になった小野寺さん。それから母の言葉に背中を押され、100万遍の題目に挑戦するようになった。
 “東京で使命を果たしたい”――中学卒業後はそんな思いから、以前いた地区内で1人暮らしを始め、仕出しの弁当屋で働きながら定時制高校に通った。
 心配した母は、長野から家によく来ては部屋の片付けや料理をしてくれた。その折、小野寺さんは母と2人で、埼玉にいた祖父母の家に泊まりに行き、夜遅くまで祖母と母と3人で“女子会”をしたことも。
 昔の思い出話になるたびに、祖母は本紙の配達を担当していた頃に神田にあった学会本部の建物に、よく行ったことや、会合で戸田先生から“生命力のあふれる祈りの大切さ”を聞いたことなども懐かしそうに話していた。
 当時は何げなく聞いていた小野寺さんだったが、女子部や婦人部で活動に励めば励むほど、それまで伝え聞いた一家の師匠との原点が自分事になり、誇りを持って広布に進もうと思うようになった。

後継の道を
 小野寺さんの関わりによって翔太さんも智子さんも、小さい頃から会合には進んで参加し、毎日の勤行・唱題も欠かさない。
 智子さんは小学2年の時にアレルギー性紫斑病に。腎臓病になるリスクもある病。歩くことも困難な中、小野寺さんと2週間、毎日2時間の唱題に挑戦し、病魔を退けた。その後、未入会家族だった親友を入会に導いた。
 翔太さんも保育園に通っていた時に小野寺さんと祈って、悩みを乗り越えることができた。高校受験に際しては、祈っては勉強に励み、志望校に合格することができた。
 「信心を教えてくれた母に対して、ありがたいという思いが強いです」と翔太さんは言う。
 成長の節を刻む2人に、小野寺さんからは折あるごとに「地域の同志が祈ってくれていたんだよ」と語ってきた。その恩を感じて、二人とも同志が闘病中と聞けば大人と一緒に1時間、2時間と祈ることもある。
 昨年、父の誠さんが腎臓がんになった時も2人は動じなかった。入院した父からの「心配を掛けてごめん」というメッセージに、翔太さんは「祈ってるから」と返した。
 皆の祈りに包まれて手術は成功し、誠さんは2週間後に職場復帰を果たした。現在は経過観察中だが転移は見られないという。
 誠さんも東大阪市で学会3世として生まれ育ち、中学生の時には音楽隊で薫陶を受けた“学会っ子”。自らの広布の情熱を家で話すことは少ないが、座談会では地区部長としての話の時に、子どもたちにも伝わるように心掛けている。
 「2人には池田先生のご指導のままに、信心から離れずに後継の道を歩んでいってほしいです。そのためにも宿命転換を懸けて戦う自分の姿で信心を伝えていきます」
 65年以上にわたって一家を照らし続けてきた広布のたいまつは、次の新たな世代へと受け継がれていく。
ここに注目
 〈写真〉
 小野寺家には、皆の写真アルバムが一つの本棚にしまってある。小野寺さんも、子どもたちも昔のアルバムを開いては両親の成長の歴史を目にしてきた。
 その中には祖母の美智子さんが婦人部や女子部の代表と共に池田先生と写ったモノクロ写真などがある。
 また、部屋には師匠との記念写真が掲げられている。
 この“信心のアルバム”は、一家が思い出や確信を語り合うきっかけにもなっている。
感想はこちら→ikusei@seikyo-np.jp
地域や家庭での育成の取り組みもお寄せください。

◆〈ライフウオッチ 人生100年時代の幸福論〉読者と考える“見えない障がい”

 人生100年時代を豊かに生きる知恵を探る「ライフウオッチ」。
 2月22日付1面では、高次脳機能障がいという“見えない障がい”を抱えながら生きる静岡県の吉永真也さん(41)=広宣長(ブロック長)=を紹介しました。
 度重なる失業に、もがき、苦しみながらも、前を向き続けた吉永さん。その挑戦を支えたのは、家族と創価学会の同志の励ましでした。
 ここでは、読者から寄せられた声を紹介します。いかなる困難にも負けない、「もがきがい」のある人生とは――皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

学会員ではない恋人にもシェア
 「見えない障がい」という言葉が目に焼き付きました。
 私は19年間、虐待に遭っていました。母子家庭で、母にはネグレクト(育児放棄)、兄には暴力や暴言を受けてきました。
 奨学金を借り、バイトをして、恋人の家に転がり込んだりし、なんとか4年制大学を卒業できました。
 しかし、心身が悲鳴を上げ、たまに通っていたメンタルクリニックに行き、大泣きしながら、事情を全て話しました。
 もうその頃には重度のうつ病、対人恐怖症、パニック障がい、睡眠障がい、複雑性PTSDを患っていました。「見えない障がい」です。
 病院のメンタルヘルスソーシャルワーカーさんに、卒業とともに生活保護を勧められ、実家から離れることを決めました。
 薬の調整のために2回精神病棟に入院。“合う薬”がようやく見つかり、現在も療養中です。
 小さな頃から画家になることが夢でしたが、食欲不振や一日中動けなかったり、題目も寝ながら唱えたり、自分の生活もままならない状態。「もがき続けている人生」です。
 精神疾患は他人からは見えません。一見、本当に「普通の人」です。どんな言葉で説明したとしても、経験しないと理解はできない病気です。
 しかし、どんなに落ち込んでも、私は創価学会員であるということが救いになっています。
 1人暮らしを始めた時、マンションの前に偶然、女子部の人が住んでいて、座談会や会合にできる限り一緒に参加してくれたり、今までの境遇を全て聞いてくれたりしました。
 「1人なら苦しい」。本当にそうだと思います。入院した時に、同じ薬を服用している年上の女性と友人になったり、中学生の頃からの友人はずっと励ましてくれ、病気のことを全部受け入れてくれる恋人ができたり、いろんな方が慈愛をくださっています。
 信じてくれる周りの人がいるから、どんなに落ち込んでも“死”という選択はありませんでした。その人たちの幸せを本気で祈れる自分になれています。そう祈っていると、うれしくなります。
 しかし、社会から切り離されたような疎外感、思うように動くことができない自分、何も知らない人からの視線、それは本当に苦しく、つらく、私が創価学会を知らなければ“夢も希望もない”と嘆いて自殺していると思います。
 でも常に、私には暗闇の中でも一点の光が見えます。
 私には仏法があるから“絶対治る”と思えます。違う疾患ではありますが、この記事を読んで、仏法に触れて頑張っている人がいる、一人じゃないと思えました。
 そして、人生のリアルが書かれていて、共感できました。
 「何があっても前を向ける信心」。その通りです。どんなことがあっても、この信心で前を向ける自分になれるんだと実感しています。
 25歳である私の人生は、まだまだ長いです。記事の中にあった「人から大事にされないと、心が枯れてしまう。だから君が、みんなの太陽になれ」との池田先生の言葉を大切にし、どんなに今が苦しくつらくても、感謝と思いやりを忘れない人間になります。
 この記事を読めて良かったです。学会員ではないですが、恋人にもシェアしたいと思います。
 (大阪府 匿名)

病気、障がいに負けない宝の息子
 自分と重なる点が多いように感じて、おえつしながら読みました。
 私はパニック障がいを発症して12年。今、精神障がい者手帳2級を持っています。
 パニック障がいになった背景に「自閉症スペクトラムがある」と10年のお付き合いになる主治医から診断を受けています。
 私には、先天性水頭症で生まれた次男、教師の暴力で3年半引きこもったアスペルガー症候群の長男、同じくアスペルガーの三男の宝の子どもがいます。
 それぞれに苦労はありましたが、信心で乗り越え、長男は障がい者枠で上場企業の地域限定社員になり、次男は就労継続支援B型事業所でパン製造に携わり、三男は今春、短大へ進学します。
 子育てと並行して、認知症になった、しゅうとめを自宅で介護し、家業の美容室の仕事をしている時にパニック障がいになりました。
 その後、しゅうとめをみとり、子どもたちも成長したのですが、美容室の経営が行き詰まり、今は夫が店を一人で営業し、私は治療をしながら、近くのコンビニのパートをしています。
 異業種に就いたこともありますが指示された意味の取り違え、注意欠損のミスが多く、劣等感を持たない日はありません。その都度、題目をあげ、聖教新聞を読み、なんとか前を向いています。
 学会の地区の皆さんには全てをさらけ出しているのですが、いつも支えてくれています。
 キラキラした成功体験や優秀な人の話は、私のような人間には読むのがつらい時もありました。
 今回のような体験は、もがき苦しみ、それでも進みたいと思っている私のような人間に大きな力をくれました。
 (長野県 木下さん)

自分も誰かに「光」を送りたい
 学会2世として、学生部では部長、男子部大学校と、信心に取り組んできました。
 吉永さんとは程度の差こそあれ、私も精神障がい者手帳3級を手にし、今、家族がいるなか、1年半休職中で、3月末で退職になります。
 吉永さんの記事を読み、自分の生き方を見つめ直し、自分自身を受け入れる・認める大切さを学びました。
 と同時に、僕自身がどこまでできるのかを知る良いきっかけにもなりました。
 吉永さんの人生と妻の幸代さんの支えは、僕に「光」を与えてくれました。遠くても「光」って届くんですね。
 僕も今、主夫の状態です。
 自分らしく、次は自分が「光」を送る番になることが、お世話になったいろんな方への恩返しだと思いました。
 うつ症状と発達障がいを抱えながらも、少しずつ人生を歩んでいきます。
 (山口県 山下さん)

 

2020年3月30日 (月)

2019年3月30日(月)の聖教

2019年3月30日(月)の聖教

◆今週のことば

 「朝朝・仏と共に起き
 夕夕 仏と共に臥し」
 妙法のリズムに則り
 今日も負けない一日を。
 仏の智慧と大生命力で!
 御書P737


◆名字の言 自閉症の娘と歩んだ母。“うちの子は、なんてすてきなんだろう”

 「なんてったって楽しかった」。自閉症の娘と歩んだ思い出をそう語る、快活な婦人がいる▼とはいえ、苦労がなかったわけではない。著しい多動、激しい感情の起伏、睡眠障害……。途方に暮れ、涙する日もあった。だが懸命に祈り、娘に寄り添う中で婦人は感じるようになる。“うちの子は、何てすてきな個性の持ち主なんだろう”▼振り返れば、心が癒やされる出来事がいっぱいあった。石ころを宝石と信じてピカピカに磨いた娘。電線にとまったカラスに向かって、「カァー! カァー!」と話し掛けた娘。「学校なんか、ヤダー!」と叫びながらも、後ろ向きに歩いて登校した娘。婦人は言う。「娘の“癒やしのエネルギー”で、どんなに豊かな日々を過ごせたか」「わが家こそ、世界一の幸福家族です」▼仏法に「不改本位の成仏」という法理がある。信心を貫けば、その身を改めることなく、ありのままの姿で幸福境涯を開いていける。だれもが必ず個性を輝かせていくことができる▼一人の生命に、どれほど尊い使命があるか、どれほど素晴らしい可能性があるか、計り知れない。ゆえに、どこまでも一人を信じ、一人を大切に。皆が安心し、自信をもって力を出していけるよう、知恵と工夫の励ましを重ねていきたい。(誠)


◆寸鉄

「人は善根をなせば必ず
さかう」御書。この確信で
希望と勇気の励ましを!
     ◇
会長の青年室長就任の日
―広布後継の新しき発想
と闘争が歴史に。君よ今
     ◇
中国方面「師弟正義の日」
電話一つでも心は通う。
連帯強く共に勝利へ前進
     ◇
世界の肺炎感染、1週間
で倍増と。ここが正念場。
不要不急の外出は控えて
     ◇
テレワークの導入企業、
前年比3倍超。誰もが活
躍できる社会築く契機と


◆きょうの発心 御義口伝 総東京男子部長 徳久顕2020年3月30日

御文 今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり(御義口伝、750ページ・編1596ページ)
通解 いま日蓮と門下が妙法蓮華経を修行するのに、難が襲ってくることをもって、安楽であると心得るべきである。真の安

楽は広布に生き抜く中に

 苦難が競い起こっても、いよいよ境涯を開く時と勇んで立ち向かうよう、教えられています。
 わが家を試練の嵐が襲ったのは2013年(平成25年)のこと。4月、生後半年の長女が瀕死の病に。幸い、手術が成功し、一命を取り留めました。5月には、乳児の頃から小児がんと闘ってきた4歳の長男の、がんの転移が判明。医師から
「治療の手だてがない」と言われましたが、最期の一瞬まで戦い抜き、長男は使命を果たして次の生へと旅立ちました。
 この時、心に刻んだのがこの御文です。「一切を信心で乗り越えていくのだ」と腹が決まりました。
 程なく、新立川総区男子部長に就任し、宝の同志と共に弘教に奔走。“日本一”の結果を勝ち取った時の感動は、今も鮮やかです。
 当初、必須といわれていた再手術に至らず、長女は元気に東京創価小学校に通っています。次女・次男を含め、家族5人が健康であることに感謝の日々です。
 総東京男子部は、今こそ信心で奮い立ち、大きく境涯を開く時と決めて前進しています。本陣の誇りを胸に、池田先生の会長就任60周年を勝利で飾ってまいります。


【聖教ニュース】

◆〈SDGs特集〉山本良一東京大学名誉教授に聞く  2020年3月30日

 近年、世界各地で頻発している自然災害。要因の一つとされるのが「気候変動」だ。その影響を受けない地域はなく、国連のSDGs(持続可能な開発目標)でも、具体的な対策が呼び掛けられている。池田大作先生は1月に発表した「SGIの日」記念提言で、気候変動は“人類の命運を握る根本課題”であると述べ、打開に向けた取り組みを提唱している。ここでは、東京大学の山本良一名誉教授に話を聞いた。(聞き手=南秀一)

【プロフィル】1946年生まれ。工学博士。東京大学先端科学技術研究センター教授、同国際・産学共同研究センター長などを歴任。日本エシカル推進協議会の名誉会長も務める。『気候危機』(岩波ブックレット)など著書多数。

SDGs挑戦の10年 誰も置き去りにしない
 ――気候変動がもたらす深刻な影響が叫ばれています。
 昨年11月、地球環境は“もう戻れないところ”に来てしまった可能性があるという論文が、世界的な科学誌「ネイチャー」に掲載されました。地球という大きなシステムを構成しているいくつかの部分が、後戻りできない転換点(ティッピングポイント)に近づいており、あと10~20年のうちに地球は制御できない状況になるかもしれないと。
 例えば、北極海の夏季の海氷面積は約40年で3分の2程度に減少しており、グリーンランドの氷床も30年前に比べ7倍の速度で溶けています。それらの結果、海面上昇による浸水や、大西洋の海水の循環速度が鈍化することによる干ばつなど、さまざまな現象が、止められない“ドミノ倒し”のように起こると指摘されています。
 温暖化による被害は未来の話ではなく、すでに起きているのです。昨年は熱波や豪雨、干ばつなど、世界各地で異常気象がみられました。他方で今、大雨の影響によって東アフリカで数千億匹ともいわれるバッタが発生し、中東を渡ってインドや中国にまで迫っている。これは“来るべきものが来た”と考えざるを得ないわけです。
  
 ――山本名誉教授は「気候非常事態」を宣言し、行動を起こしていくよう呼び掛けられています。
 政府が枠組みを作るだけでは、人々の行動を喚起するには至りません。一方、個々人が電力を再生可能エネルギー由来のものに替えたり、省エネの家電製品を購入することも非常に重要ですが、現状を踏まえるとそれだけでは不十分です。だからこそ、気候非常事態を宣言することを通して、社会全体で運動を起こすことが必要なのです。
 産業革命発祥の地であるイギリスでは、世界に先駆けて議会が昨年5月に気候非常事態を宣言し、これまでに450を超える自治体も宣言を行っています。さらに100を超える自治体が、温暖化の原因となる炭素の排出量を2030年までに実質ゼロにするとうたっている。そうした流れを、日本でも起こしていきたいと思っています。
  
 ――地球温暖化に対しては懐疑的な意見も根強くあります。
 もとより科学は常に反証可能な相対的真理であり、特に環境科学は、どこまでいっても“仮説”の積み重ねです。ただ、人間の活動により排出される温室効果ガスが地球温暖化をもたらしているとする仮説には、膨大な証拠があります。さらに、議論の決着を待ってからでは手遅れになる危険性もある。
 また、地球温暖化のような非常に幅広い分野にまたがる問題は、一人の人間が全てについて見識をもつのは不可能です。ですから、国連のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)など、専門家集団による共通見解を尊重していくべきだと思います。

増える人口 CO2削減 人類の壮大な取り組み
 ――SDGsの目標13でも、気候変動への具体的な対策を取ることがうたわれています。
 「持続可能な開発」という考え方自体は、30年以上前に提唱されました。当時は特に、世代間と世代内の公平性に焦点が当てられており、その意味で「人間」の存在が前提とされていた。しかしこの30年余りの最大の教訓は、そもそも人類の生存を保証する地球の生命圏が破壊されれば、経済も社会も、人間存在もないということです。
 土地や海洋、生物多様性といった人類の繁栄を支える“地球の生命維持システム”を保全しつつ、今を生きる世代の欲求を満足させる開発が求められており、SDGsには、そうした考えが反映されています。また、イギリスの経済学者ケイト・ラワースが提唱している「ドーナツ経済」という考え方も注目を集めています。
 過剰な環境負荷を減らして、格差や不平等といった社会の不足をなくす。すなわち、地球の健全性と社会の健全性の双方を維持することなくして人間活動はないのです。

2000年前、不条理を超えるため宗教・哲学が誕生
 ――昨年のCOP25(気候変動枠組条約第25回締約国会議)で国連のグテーレス事務総長は、「変化を望むなら、私たち自身が変わらなければなりません」と語りました。
 21世紀に入り、人間、情報、資源などの移動は全地球に及んでおり、消費するエネルギー資源、食料も膨大です。地球温暖化を止めるには、世界人口が一日に約20~30万人増える中で温室効果ガスの排出をゼロにしなくてはいけないわけで、これは人類始まって以来の壮大な挑戦であるといっていいでしょう。
 私は“第2次精神革命”が求められていると思います。第1次の精神革命は、およそ2000年ほど前にありました。
 農業革命が起き、都市国家が形成される過程で貧富の格差が生まれ、権力関係ができていく。その結果生じた不条理を解決するために、宗教や哲学が生まれてきたわけですが、今はそれに続く人間精神の革命が必要になっている。
 文字通り、皆が「宇宙船地球号」に乗っているという自覚であり、地球ほど生物多様性が豊かで文明が栄えている星など、科学的にも宗教的にも完全な恩恵としかいいようがない。その“かけがえのなさ”の自覚に立つことが求められていると思います。

世界の運命を決する10年 今こそ“第2次精神革命”を
 ――SDGsで2030年までの取り組みが焦点となる中、創価学会青年部としても気候変動対策の運動を進めていきます。
 私は、この10年で人類の運命が決まると思っています。その重要な鍵を握るのは、青年と科学、そして宗教でしょう。今、気候変動対策の行動を求めて若者が世界中で立ち上がっています。グレタ・トゥーンベリさんは“科学的根拠に基づいて政策を決めてほしい”と訴えている。若者の真摯な声に耳を傾けなければなりません。
 私の専門は宗教学ではありませんが、日本で広く信仰されている仏教には「草木成仏」――つまり、草や木にも仏性をみる捉え方がありますよね。これは非常に貴重な概念であり、感受性だと思う。先ほどの“地球の生命圏が大事である”という視座に連なる思想です。
 一方、キリスト教には、スチュワードシップ(管理保護責任)の思想があります。人類は神から委任統治を受けており、よりよく保全する義務があるというわけです。
 こうした理念が相補う中で、第2次精神革命を成し遂げる下地が生まれてくるのではないでしょうか。

昨年9月、各国首脳による気候行動サミットに先駆けて、アメリカ・ニューヨークの国連本部で開催されたユース気候サミット。スウェーデンの高校生グレタ・トゥーンベリさんら各国の青年と共に、SGIの代表も参加した

昨年9月、各国首脳による気候行動サミットに先駆けて、アメリカ・ニューヨークの国連本部で開催されたユース気候サミット。スウェーデンの高校生グレタ・トゥーンベリさんら各国の青年と共に、SGIの代表も参加した

包括的な視野と洞察に満ちた池田会長の提言
 ――本年のSGI提言で池田先生は気候変動問題に触れ、数値目標の追求だけでなく、問題解決を通して実現したい世界のビジョンを分かち合いながら意欲的な行動を啓発し合っていくことが大切であると指摘しました。
 池田先生の提言を拝見して、非常に包括的な内容に感銘を受けました。気候変動問題を考えるためには、気候変動のことだけを考えるのではなく、地球の限界と社会的な基盤の充実を考慮に入れながら、持続可能な社会を目指す総合的な視野が必要です。その点、提言は深い洞察にあふれていました。
 提言で紹介されていた、「気候変動と防災」に関するテーマに焦点を当てた国連の会合を日本で開催するという提案も、非常に示唆的です。
 日本は人口減少の時代に入っており、地方創生やレジリエンス(困難を乗り越える力)の強化、気候変動対策など、さまざまな課題が山積しています。だからこそ逆に、この状況を事態転換の絶好のチャンスと捉え、大きな構想をもって行動を起こしていかねばならないと思います。

熱波に襲われたフランス(昨年7月)※AFP=時事

熱波に襲われたフランス(昨年7月)※AFP=時事 


ハリケーン「ドリアン」の被害を受けた中米のバハマ(昨年9月)※AFP=時事

ハリケーン「ドリアン」の被害を受けた中米のバハマ(昨年9月)※AFP=時事

日本の約3分の1に相当する面積が焼失したとされるオーストラリアの火災(本年1月)※AFP=時事

日本の約3分の1に相当する面積が焼失したとされるオーストラリアの火災(本年1月)※AFP=時事

東アフリカで大量発生したバッタ(本年1月、ケニア)※EPA=時事

東アフリカで大量発生したバッタ(本年1月、ケニア)※EPA=時事



SDGsとは?――2030年へ 国連が掲げる17目標 
 SDGs(持続可能な開発目標)とは2015年9月に国連で採択された国際目標のこと。貧困や気候変動、防災・減災など、世界の諸課題を解決し、持続可能な社会を築くために策定された。17の目標と、169のターゲットからなる。
 
 このうち、目標13は「気候変動に具体的な対策を」。
 池田先生は1月に発表した「SGIの日」記念提言の中で、先進国か途上国かを問わず広範囲に影響が及ぶ気候変動の諸相に触れつつ、その解決と、あるべき世界の建設に向かって、意欲的な行動を共に起こすことが肝要であると強調。さらに、SDGsの達成期限である2030年へ、国連の「行動の10年」の一環として国連と市民社会が連携した“気候変動問題に立ち向かう青年行動の10年”ともいうべき活動を展開してはどうかと提起している。


◆新型コロナウイルスの感染拡大抑止へ――青年部と医学者がオンライン会議
 若者の意識と行動の変化が鍵

 新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、東京都、首都圏の各県をはじめとした都市部を中心に外出自粛要請が出された。
 こうした状況を踏まえ、青年部では、公衆衛生学を専門とする東京医科歯科大学の藤原武男教授らの監修のもと、SNSなどを活用し、若者世代に、感染症の正しい情報や的確な行動などを共有する取り組みをスタート。
 志賀青年部長、西方男子部長、大串女子部長ら青年部の代表が29日、オンライン会議システムを活用して、創価青年医学者会議の庄司議長、創価女性医学者会議の勝又議長ら医学者の代表と意見交換を行った。
今の焦点は首都圏・大阪などの大都市
①手洗い・うがいを入念に
②不要な外出は控えよう
③正しい情報を入手し大切な人に伝えよう
 その中で、監修の藤原教授は世界的な感染の事例を踏まえつつ、今、日本の感染拡大を抑止するために鍵を握るのは「若者の意識と行動の変化」であると強調。
 ①換気の悪い密閉空間②人が密集③密接する距離で会話――の3条件が重なることを避けるとともに、より具体的な行動として、「手洗い・うがいを入念にする」「不要不急な外出は控える」「正しい情報を入手し、大切な人に伝える」を挙げた。(会議の模様は後日詳報)
                       ◇ 
 このほど、創価青年医学者会議・青年平和会議によるTwitterアカウントが開設された。まずは、首都圏などの都市部を焦点に、“若者が不要不急の外出を控えること”を促す「stayhomeプロジェクト」が始まった。


◆〈季節の詩〉 愛知・輝くユキヤナギ   2020年3月30日

 青空の下、一面の純白のじゅうたんが春風と遊ぶように、にぎやかに揺れる。
 豊田市の愛知県緑化センターに咲くユキヤナギ。一つ一つは小さいが、どの花も陽光をいっぱいに受け、まばゆく輝いていた。
 1983年の4月5日、池田先生は当時の中部文化会館を訪れ、未来部の友と記念撮影。後に先生は、その際に見えたユキヤナギと後継の同志を重ね合わせてつづった。「悩みがあるから、心は育つ。うんと悩んだ日々こそ、一番不幸だと思った日こそ、あとから振り返ると、一番かけがえのない日々だったとわかるものだ」
 ユキヤナギのように、すがすがしい心で咲かせたい。わが使命の花を――。(24日=間宮康平記者、菅野弘二記者撮影)


【特集記事・信仰体験など】

◆池田先生の会長就任60周年 青年部が原田会長に聞く
 第3回 正義と励ましの言論闘争㊤

〈出席者〉西方男子部長、大串女子部長、樺澤学生部長、林女子学生部長

東奔西走の激務の中「人間革命」を連載
“ただ会員のため”の命懸けの執筆

 ◆大串 今、世界中で、青年が小説『人間革命』『新・人間革命』を学び、信心を深め、活動の糧としています。原田会長は『人間革命』の初代編集担当者として、池田先生の執筆闘争を間近で見てこられました。特に、どのような点が心に残っていますか。
  
 ◇原田 『人間革命』には、学会精神の正史、三代の師弟の魂、民衆運動の軌跡がつづられています。それは、広布に進む同志の原動力になるとともに、はるか未来の人々のために書かれたものでもあると思います。
 私は、第1巻から第3巻まで、担当させていただきました。連載開始の1965年(昭和40年)当時は、大学を卒業して、聖教新聞社の新入職員として働き始めて1年目でした。先生は、前年12月2日に沖縄の地で執筆を開始され、約2週間後には13回分の原稿をくださいました。
 当時の新聞制作は活版印刷です。今の人たちには想像もつかないかもしれませんが、原稿をもとに、職人が一つ一つ鉛の活字を拾い、版を作っていく。できるだけ早く作業をするために、原稿をはさみで切り分けて数人で分担する。つまり、元の原稿は後に残らないわけです。
 当時は、コンピューターはおろか、今のようなコピー機も普及していません。“先生の原稿を歴史に残さなければならない”との思いで、私自身が“人間コピー機”になって自分の手で書き写した原稿を工場に届け、直筆の原稿は保管していきました。
 原稿が届き、すぐさま書き写し始めたところ、1回分の書写が終わる前に、次回分、さらに次々回分と、先生からものすごい勢いで原稿が届いたことが何度もありました。その気迫、スピードのすさまじさに圧倒される日々でした。
 当初、聖教新聞は週3回発行でしたが、同年の7月15日付から日刊になり、小説の連載も週3回から倍以上になりました。先生は、東奔西走の激務の中での執筆であり、まとめて頂戴していた原稿もあっという間に少なくなっていきます。
 いよいよ、原稿がなくなってしまった日、私は「先生、今夜いっぱい、まだ時間がありますから、明日の降版分を、よろしくお願いします」と、なるべくご負担をお掛けしないように、言葉を選んで申し上げました。すると先生は「うん、分かったよ」と答えられ、一気に書き進めてくださったのです。切羽詰まった様子の私のことを心配してくださったのだと思います。
 後年、先生は、随筆に「彼(担当者?編集部注)のために、苦しませてはならぬと、しぜんに無理をして書く」と、その時の心境をつづってくださいました。
 また当時、私は独身寮で生活していました。ある時、ゲラ刷りを届けに学会本部の先生のもとへうかがい、社に戻りました。その直後、先生から「靴下」が届いたのです。私の靴下に穴があいているのを、ご覧になった先生のご配慮でした。激闘の渦中にあっても、新入職員の身だしなみにまで心を砕いてくださり、感激で胸がいっぱいになったことを、今も鮮明に思い出します。
 地方指導に行かれる際も、海外への平和旅の際も、先生はいつも原稿用紙の入ったかばんをお持ちでした。分刻みのスケジュールを終え、宿舎に戻ってからも、先生は深夜まで執筆を続けておられました。
 担当者として、先生のご執筆の様子を目の当たりにする中で、日刊紙に小説を連載するのがどれほど大変なことなのかを、肌で感じました。そして、その命懸けの執筆闘争を支えていたのは「師匠の偉業を宣揚する」との、弟子としての誓願であったのです。
 そのことを痛切に感じたのは、後に『人間革命』が映画化された際のことです。東京・江戸川区にあった撮影のロケ地を訪問された先生は、帰りの車中でこう語られました。
 「牧口先生、戸田先生を宣揚するとはいっても、また、牧口門下がいかに多しといえども、牧口先生、戸田先生を現実に宣揚しているのは、誰もいないじゃないか! だから、私は、先師、恩師の偉業を書き残さなければならない。それが弟子の道じゃないか!」と。師弟の真髄を教えていただき、命が震えました。

「世界中の人に」戸田先生の熱願
 ◆林 先生の、聖教新聞に対する思いについても、お聞かせください。
  
 ◇原田 そもそも、聖教新聞の発刊の原点は、50年8月24日、事業が行き詰まり、苦境に立たされていた時、戸田先生が池田先生に、こう語られたことにあります。
 「一つの新聞をもっているということは、実に、すごい力をもつことだ。学会も、いつか、なるべく早い時期に新聞をもたなければいけない」と。
 この師弟の語らいから出発し、翌51年4月20日に創刊されました。その直後の5月3日には戸田先生が第2代会長に就任。以来、今日に至るまで聖教新聞は広布推進の原動力となってきたのです。この間、池田先生は、自ら原稿を書かれ、見出しやレイアウト等にも細やかなアドバイスをされ、そして、誰よりも配達員の無事故を祈り抜いてくださいました。
 昨年、世界聖教会館が完成した時、私の胸に真っ先にこみ上げてきたのが、聖教新聞をここまで大きく育ててくださった先生への尽きせぬ感謝でした。
 今や、世界50カ国・地域で80以上の姉妹紙・誌が発行され、聖教電子版には、203カ国・地域からアクセスがあります。聖教新聞を「日本中、世界中の人に読ませたい」という戸田先生の熱願を、池田先生は現実のものにされたのです。

体調不良の時は録音機使い口述
 ◆樺澤 『人間革命』『新・人間革命』を、より深く研さんしていくために、大切なことはありますか。
  
 ◇原田 執筆当時の歴史を学んでいくことも大事です。時代背景を知ることで、小説を通し、同志を鼓舞しようとされている先生のお心が伝わってきます。
 たとえば、『人間革命』第6巻「七百年祭」の連載が開始されたのは70年2月です。その前年12月の関西指導の前から、先生は体調を崩され、高熱を押して指導旅を敢行されました。年が明けても体調不良が続くなか、前年8月から休載していた『人間革命』を再開されたのです。
  
 ◆西方 69年末から70年初めといえば、あの言論問題が起こり、誹謗・中傷の嵐が学会を襲っていた時です。
  
 ◇原田 そうです。当時、池田先生の執務室にオープンリール式のテープレコーダーが運び込まれました。大きく、重い機械です。体調が優れぬ先生は、その機械を使って口述されました。実際に、先生が吹き込んだテープには、口述しながら咳き込む声、水を飲む音、荒くなった呼吸などが、そのまま録音されています。
 なぜ、先生はそこまでして執筆されたのか。言論問題は、先生の会長就任以来、学会が直面した最大の試練でした。
 実は、この背景には、64年に結党された公明党が平和と福祉の党として発展を遂げ、69年末の衆院選では改選前の約2倍に当たる47議席を獲得。第3党に躍り出たということがありました。公明党の躍進に危機感をもった一部の政党は、70年に入ると、学会が言論弾圧したとして、国会の場で狂ったように攻撃を開始しました。一部のマスコミも、それに同調する報道をしていました。
 学会の対応に未熟な部分があったことは事実ですが、事の本質は、新たな民衆勢力の台頭を阻もうとした既成の勢力による宗教弾圧でした。
 この時も、先生は一人、屋根となって、辛労を尽くされ、学会を守り、会員を守りながら、新しい広布の道を切り開いてくださったのです。今、当時のことを思い起こすたびに、報恩の心を新たにいたします。
 こんなこともありました。ある時、先生は箱根の研修所(現・神奈川研修道場)で、夜遅くまで会員の指導を続けられていましたが、いくつかの卑劣な学会攻撃の報告を聞かれると、直ちに「本部に戻る」と決断されたのです。
 発熱など、連日の体調不良に苦しまれていた時期です。冬場でもあり、先生のお体を気遣って、止める声もありました。しかし、先生は深夜、同所を出発、未明に本部に戻られ、そのまま、首脳の皆さんと、いかに同志を守り、事態を開いていくか、協議を重ねられたのです。
 そして、先生は、こう叫ばれました。「私は戸田先生の弟子である。何を言われようと、何があっても平気だ。恐れるものなど何もない!」
 まさに師子吼でした。
 その一方で、一人一人の会員のことを深く憂慮してくださり、「多くの純真な学会員に、悲しい思いをさせるのは可哀想だ」「ご主人が未入会の婦人が、どんなに辛い思いをするか」と、それはそれは心を砕いておられました。
 このような状況の中で、『人間革命』第6巻「七百年祭」の連載が、2月9日から始まったのです。当初、連載開始は「2月11日」を予定していました。当時の聖教には、「一日も早く再開してほしいとの全国の読者の強い要望等もあり」掲載が早まったとあります。さらに、土、日曜日は休載の予定だったのが、読者からの要望に応えて、日曜のみの休載になったことも報じられています。
 この章には、戦後、戸田先生のもとで池田先生をはじめとした当時の青年部が、宗門の邪悪と戦った歴史がつづられています。理不尽な迫害とは断じて戦うとの正義の闘争が描かれている章でした。
 先生は、ご自身が最も大変な中にあっても、ただただ会員のために、まさに命懸けで執筆を続けてこられました。池田先生の言論闘争とは「会員を守り抜く」「会員を励まし抜く」という信念に基づくものであったのです。
 こうした大激闘の中、この70年の9月28日に聖教新聞の本社ビル(旧本社)が落成しました。昨年、先生が世界聖教会館を初訪問してくださったのは、それから49年後の同じ日です。
 先生の真心に、感謝の念は尽きません。私たちは、師匠の大恩に応えるために、友を幸福へ、世界を平和へ導く正義の言論戦を貫いてまいりたい。


◆「わが家の実践」投稿特集 創価の心を学ぼう!   2020年3月30日

未来部の友が創価家族のエールに包まれて(昨年3月、アルゼンチンの池田青年文化センターで)

未来部の友が創価家族のエールに包まれて(昨年3月、アルゼンチンの池田青年文化センターで)

 この3月は、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、多くの学校が休校になり、子どもたちが自宅で過ごす時間が増えました。


◆〈世界の体験プラザ〉米国で環境問題に取り組む非営利団体のマネジャー
 アメリカSGI メリッサ・マイルズさん
 親への怒り、経済苦、うつを乗り越えて

自信喪失に陥った10代
 1980年代、私は幼少期をアメリカ・ニューヨークのブロンクスで過ごしました。
 裕福な家庭ではありませんでしたが、私たちに必要なものは足りていました。母はいつも一緒にいてくれ、早くから家庭内で学習に取り組み始めた私は、小学校に入学すると、優秀な成績を上げることができました。近隣の人々は素晴らしく、とても幸せな日々でした。
 しかし、母がアルコール依存症の父と離婚したことで、生活は大きく変わりました。
 母と、私を含む3人のきょうだいは、サウスブロンクスに転居。叔母家族と一緒に、寝室が二つのアパートで暮らすことになったのです。
 衣食住をなんとか整える暮らしぶりでしたが、私は愛する家族によって守られ、学校で良い成績を上げ、最優秀の生徒になろうと努力していました。
 再び変化が訪れたのは、マンハッタン地区の私立学校に奨学生として入学するチャンスを得た時でした。進学推進のプログラムに参加した私は、学力には問題ありませんでしたが、周囲の環境になじめず、精神的に追い込まれていきました。豊かな家庭の、新しい友人たちに溶け込むことができなかったのです。
 私は次第に自信がもてなくなり、母と、彼女と再婚した継父に逆らうように。心は暗い闇に覆われていきました。高校進学の前には、非行の道に入り親を心配させました。高校に入学すると、新たな環境のもと、友人たちと気ままに時間を過ごすことをやめ、大学進学に向けて学業を立て直そうと決意しましたが、親を責める姿勢はますます強まっていきました。
 17歳の時、私は親元を離れることに。そして、苦悩に沈んでいた大学在学中の1998年、友人に日蓮仏法を紹介され、入会したのです。
 しかし、私はSGIの活動に積極的に参加せず、SGIの組織から遠ざかっていきました。2001年に大学を卒業したものの、20代半ばには、うつ状態に陥り、生きる価値にさえ疑問を抱くように。「死んだ方がまし」と思うまでに深刻化したのです。

人間革命の信仰を実践
 私は、貧困が逃れることのできない運命だと諦めていました。女性、黒人であることも“失敗の要因”だと思い込んでいました。
 仕事に打ち込めず、あまり努力を要さない仕事ばかりに就きましたが、それすら1年以内に辞めていました。当然、生活費すら満足にまかなえず、経済面の不安から眠れない夜が続きました。
 現状を打開しようと、私は一念発起し、大学院に進学。06年に文化人類学の修士号を取得し、生活の拠点をニュージャージー州ニューアークに移しましたが、それでも自身の心の闇を払えませんでした。
 そうした行き詰まりの状況が続き、12年前、夢や目標、将来への希望もない中、一人の女性と偶然知り合いました。彼女はアメリカSGIのメンバーであり、私を座談会に誘い、勤行の仕方を一から教えてくれたのです。
 ずっと怒りや後悔ばかりにとらわれ、自身をほとんど見限っていましたが、一縷の望みを託し、SGIの活動に真剣に取り組みました。
 ある日、池田先生の御書講義を学んでいた時、私は不幸の責任を全て両親に帰していたことが誤りだと反省しました。彼らは、私に“命の贈り物”を授け、私のために最善の努力を傾けてくれたことに気付き、感謝の思いが湧いてきました。そして、彼らが誇りに思える娘になろうと決意したのです。
 同時に、私は全ての人々を尊重することも学びました。いつもハードワークを避けたり、支払いを先送りしようと考えている自分が恥ずかしくなり、「自他ともに尊重する生き方を貫き、信頼を広げていこう」と心に定めました。
 そして信仰活動を地道に実践する中、次第に自信を回復していったのです。

報恩の道を歩み続ける
 2012年、私は仕事面で大きな転機を迎えます。
 「使命の舞台に進みたい」と真剣な祈りを重ねる中、友人から、地域の非営利団体に就職し、環境問題に取り組むことを勧められたのです。
 それまで環境問題への関心が薄かったことから「きっと難しいだろう」と諦めかけましたが、一方で、社会や地域に貢献したいという気持ちが募るようになり、「まず挑戦してみよう」と決意。面接試験を受けたところ、意外にも採用されたのです。
 勤め始めた頃は慣れないことばかりでしたが、どんな仕事にも手を抜かず、職場での信頼を勝ち取っていきました。
 努力は実り、18年3月にマネジャー職に昇進。現在、コミュニティーの住民、企業の担当者をはじめ、議員や行政府のスタッフ、メディア関係者などと対話を重ね、空気や水、土壌等の環境改善から気候変動の施策まで、さまざまな社会変革の推進に取り組んでいます。仕事に誇りを抱くことができ、うれしい限りです。
 その間に結婚し、8年前に長男アカニを出産。14年には次男のキルアンを授かることができました。今では、父母とも素晴らしい関係を築いています。
 池田先生は、小説『新・人間革命』第26巻「奮迅」の章で「学会活動に励み、喜々として『法供養』を実践していくなかで、目には見えないが次第に福運が積まれ、やがて大利益を顕現していきます」と綴られています。
 人生を振り返ると、信仰活動を通して、あらゆる疑念や不安が「人間革命」への機会となることを経験しました。わが使命の道を開くことができ、池田先生、アメリカSGIの同志に感謝の思いは尽きません。
 現在、アメリカSGIでは支部婦人部長として同志の激励に奔走しています。
 報恩の心で人生を力強く歩み続けることが、まさに功徳であり、大きな喜びの源泉だと実感しています。これからも、自身の無限の可能性を開き続け、アメリカ広布の発展に貢献しゆく決意です。

 

2020年3月29日 (日)

2019年3月29日(日)の聖教

2019年3月29日(日)の聖教

◆わが友に贈る

“一身の安堵を思わば
四表の静謐を?らん”
これが立正安国の精神。
自他共の幸福へ
唱題第一に徹しゆこう!
御書P31


◆名字の言 ガンジーとネルー。2人が獄中で取り組んだこと

 独立運動に身を投じたインドの初代首相ネルーは、生涯に9度、投獄されている。最初の投獄の際、運動に参加できない焦りやいら立ちをガンジーに訴えた▼それを知ったガンジーは手紙を送り「もっぱらなにか大きな研究や手仕事をするように」と助言した。以来、ネルーは獄中で執筆活動などに打ち込む。彼の主著『父が子に語る世界歴史』『インドの発見』は、そうして獄中で書かれたものである▼一方、ガンジーは自らが投獄された刑務所を「マンディル(ヒンドゥー教の寺院)」と呼んだ。ガンジーには刑務所でさえ、信仰を深め、自身を磨く道場であった。身は獄につながれていても、心は自在だった▼ガンジーは刑務所から毎週、弟子たちに手紙を送った。その中に「誓願の重要性」を訴えた一通がある。「せっかくの決意も不便さの前に屈するというなら、なんの価値もありません」「わたしたちは、自己浄化や自己実現のために、誓願の必要をゆめゆめ疑ってはなりません」(森本達雄訳『獄中からの手紙』岩波文庫)▼新型コロナウイルスの感染拡大で、日々の生活にさまざまな制約があるが、気持ちまで窮屈になる必要はない。どこにいようと、人生は心一つで変わる。広布への誓いを胸に、わが境涯を大きく開こう。(芯)


◆寸鉄

強盛な信心なくば時代の
波に足を取られる―戸田
先生。日々、生命力満々と
     ◇
東京・目黒の日。どんな
戦いも勝つ!師弟有縁の
地に巻き起こる題目の渦
     ◇
暗い報道が多い中で人々
結ぶ聖教新聞の役割は大
―識者。紙面充実を益々
     ◇
三寒四温の今こそ健康に
留意。空調調節、重ね着等
工夫を。手洗いも忘れず
     ◇
五輪延期でも燃え続ける
聖火。我らも広布の灯を
赤々と。希望世紀を共に


◆社説 新学習指導要領が全面実施へ  激動の時代を越える「生きる力」

 平易な言葉で哲学を語り、多くの著作を残した池田晶子氏は、子どもたちに繰り返し「考える」大切さを説いた。
 「ものを考えないということは、不幸なこと」「考えるほどに、人生は味わい深い、面白いものになってくる」(『14歳の君へ』毎日新聞社刊)
 氏によると、自分が思うだけでは、それが正しいか間違えているかは分からない。考えることが、世界を計る正しい定規になる。家族や友人関係、またどう生きればよいかという
悩みも、悩むだけではなく「考えるべき」と。
 池田氏が訴えて20年近くたつが、子どもたちの考える機会は、当時より減っているようだ。スマートフォン一つあれば動画にゲームにと時間を忘れるほど熱中できる。刺激的な映像に気を取られ、じっくりと考える時間はなかなか持てない。宿題もネットで調べて答えだけ書き写す、という子も。そうした環境を心配する人は少なくないだろう。
 本来、子どもは「なぜ?」と人生へのたくさんの問いを持っている。問いに向き合い、自ら考え、答えを導き出す。その繰り返しの中で考えが深まり、自分なりの生き方が見えてくる。子どもたちが自ら考えを深められる環境を与えることは、大人の大切な役割でもあろう。
 小学校では、来月から新学習指導要領が全面実施される。学習指導要領はおよそ10年に1度改訂され、教育現場の指導方針に大きな影響を持つものだ。代表的な学習内容の変更としては、プログラミング教育の導入、中学年からの外国語活動などがある。グローバル化やテクノロジーの発達に伴う激動の時代の中、「生きる力」を総合的に培うように意図された。社会では、自然災害や人間関係のトラブルなど、予測の難しい問題は次々と起きる。その解決には知識を持っているだけでなく、状況に合わせて知識を生かす力が問われる。その実社会で通用する「生きる力」を育むために、「主体的・対話的で深い学び」を目指し、子どもたちの考える環境をいっそう整える方針だ。具体的には、教員の話を聞く学習だけでなく、児童同士が意見を交換しながら課題の解決を考える授業形態もいっそう増えると予想される。
 「生きる力」は学校だけでなく、家庭でも育むことが可能だ。早稲田大学教職大学院の田中博之教授は例として、親子でスーパーに行った際、「同じ肉でも産地によって値段に差があるのはなぜ?」などと問い掛けることを挙げた。問い掛け一つが子どもの興味・関心を引き出し、深く考えるきっかけになると。子どもと接する時間が増える今、問い掛けを大切にし、可能性を大いに開く時にしたい。


◆きょうの発心 経王殿御返事 大分総県総合女子部長 久保田さやか2020年3月29日

御文 此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや(経王殿御返事、1124ページ・編569ページ)
通解 この曼荼羅(御本尊)をよくよく信じなさい。南無妙法蓮華経は師子吼のようなものである。どのような病が、障りをなすことができようか。

師子吼の題目で病魔に打ち勝つ
 唱題によって、どんな病にも負けない境涯を築けるとの慈愛の励ましです。
 どんな時でも唱題根本に奮闘する母から“信心の姿勢”を学びながら育ちました。
 2014年(平成26年)夏、最愛の母に乳がんが見つかりました。宣告を受けた翌日の本紙の「わが友に贈る」にこの御文が掲載されていました。池田先生からも励ましの伝言をいただき、病魔に負けないと深く決意。「いかなる病も、いかなる悩みも乗り越えるためにある。仏になるためにある。断固と勝ち切って、大勢の苦悩の友を励まし、救っていくための試練である」との先生の指導を抱き締め、一歩も引かずに祈り抜きました。
 女子部の先輩や同志から温かな励ましをいただく中、翌年3月の手術は成功。病魔に打ち勝っただけでなく、一家和楽を祈り続けて10年の節目に、両親が再婚し、一つの家族に戻ることができました。
 一昨年に発表された「大分青年部 永遠の誇り」の誓願を胸に、縁する一人一人に師匠と同じ心で励ましを送ってまいります。


【先生のメッセージ】

◆池田大作先生 四季の励まし 
「師弟」は無限の向上の道

 いかなる分野であれ、
 一流の人には、
 何らかの形で、
 その人の規範となった
 師匠がいるものである。
 必ず弟子としての軌道を
 歩み抜いているものだ。
 師弟とは、
 最高に麗しい
 心の世界であり、
 崇高な精神の絆なのだ。
  
 師弟の道こそ、
 自らの人生を
 無限に高めていく
 向上の道である。
 なかんずく、
 広宣流布の大願に生きゆく
 仏法の師弟ほど、
 深く尊い絆はない。
 この仏法の師弟という
 最上の
 人間の道を教えるのが、
 創価学会なのである。
  
 人生の万般において、
 慢心は向上を止める。
 油断は大敵だ。
 個人も団体も、
 傲りから衰退が始まる。
 これは歴史の教訓だ。
 師弟とは、
 永遠に増上慢の命を
 打ち破って前進し、
 勝利する力である。
  
 揺るぎなき
 「心の師」をもつことが
 大切である。
 私の心には、
 常に戸田先生がおられる。
 今でも、
 毎日、対話している。
 先生なら、どうされるか、
 どうすれば、先生に
 喜んでいただけるか──。
 心に、
 この原点があるから
 何も迷わない。
 何も怖くない。
  
 師の師子吼のままに、
 弟子の私は行動し、
 一年また一年、
 勝利の証しをもって、
 恩師の命日を
 荘厳してきた。
 「4・2」から
 「5・3」へ──
 それは、弟子の勝利を
 師に捧げる時である。
 そして、新たな大勝利を、
 師に誓って
 出発する時なのである。

 爽やかな青空のもと、桜花が爛漫と咲き誇っていた──。
今月24日、東京・信濃町の総本部にほど近い神宮外苑で、池田大作先生が車中から撮影した。
 間もなく、第2代会長・戸田城聖先生の祥月命日である「4月2日」を迎える。戸田先生は桜を、こよなく愛した。自らの人生の終幕を「桜の花の咲くころに」と望んだ。その言葉
通り、願業だった75万世帯の弘教を果たし、不二の愛弟子に一切を託して、尊き58年の生涯を閉じた。
 池田先生は戸田先生亡き後、5月3日を目前にし、日記に書き記した。「戦おう。師の偉大さを、世界に証明するために」
 巡り来る「4・2」。師弟の精神を胸に、悔いなき日々を送ろう。


【聖教ニュース】

◆学生部ライブ講義 樺澤部長と共に「一生成仏抄」学ぶ  2020年3月29日

友がスマートフォンで講義を視聴。「講義の内容を早速、後輩と共有します」などの声が寄せられた

友がスマートフォンで講義を視聴。「講義の内容を早速、後輩と共有します」などの声が寄せられた

 学生部のライブ講義「学生部スタディーチャンネル」(「Gakuスタ」)が28日、動画投稿サイト「YouTube」(限定公開)を活用してオンラインで配信された。
 新型コロナウイルスの感染拡大で会合、訪問しての激励等を見合わせている今、全国のリーダーを対象に信心を深める機会として行われたもの。講義は樺澤学生部長が担当し、4月に新入生を迎えるに当たって、信心の一層の理解をと「一生成仏抄」を学び合った。
 学生部長は、「妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず?法なり」(御書383ページ)を拝読。いかなる環境にあっても、周囲ではなく自らの中に変革の鍵を見いだしていくのが仏法の生き方であると述べた。さらに、「只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり」(同384ページ)等を通し、真剣な唱題に挑み続けることこそ人生を勝利しゆく道と力説した。
 最後にSNSや電話等を用いての激励、唱題、小説『新・人間革命』の研さんで、価値創造の前進の日々をと訴えた。


◆南米・パラグアイの黄金柱の集い   2020年3月29日

パラグアイ壮年部が記念のカメラに(8日、パラグアイ文化会館で)

パラグアイ壮年部が記念のカメラに(8日、パラグアイ文化会館で)

 3・5「壮年部結成記念日」を記念する南米パラグアイSGI(創価学会インタナショナル)の壮年部の集いが8日、首都アスンシオンのパラグアイ文化会館で開催された。<同国では現在、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、会合などを中止している>
 代表75人が元気に参加した集いでは、壮年部の使命と実践などについてディスカッション。池田先生の講義「世界を照らす太陽の仏法」を学び、御本尊への絶対の確信と揺るぎなき広布への覚悟を持って進むことを約し合った。
 ポール壮年部長は「生涯求道の壮年部」「職場で勝利する壮年部」「地域貢献の壮年部」の3モットーを胸に、池田先生の第3代会長就任60周年、学会創立90周年という意義深き本年の勝利を我ら広布の黄金柱の力で開こうと訴えた。


【特集記事・信仰体験など】

◆連載〈扉をひらく 池田先生の対話録Ⅲ〉第8回
 “世界一寒い国”で池田先生が慕われる理由――サハ共和国初代大統領との語らいに迫る

    • 極寒の国・サハにあるダイヤの採掘場©Aflo 

極寒の国・サハにあるダイヤの採掘場cAflo 

 あまりの寒さに天空の神すらも手を震わせ、宝を落としたという――。
 世界最酷寒の国であり、かつダイヤモンドの埋蔵量世界一を誇る、ロシア連邦サハ共和国の伝承である。
 インドとほぼ同じ大きさの国土は、その大半が永久凍土。最低気温がマイナス70度を下回ったこともある。サハの格言に“厳寒は、勇者にとっては友”とある通り、人々は、厳しい自然の中で、気高い精神性を育んできた。

 サハは、ダイヤをはじめ石油や石炭などの天然資源にも恵まれる。だが一方、長年にわたり経済的自立が失われていた。この地から、どれほど膨大なダイヤが採掘され、いくらで売られているのかさえ人々は知らなかった。
 「このまま永久に貧しいままでありつづけ、寒さに凍えながら施しを待ち、ばかにされる運命にあるのだろうか」(『新生サハ(ヤクート)共和国 自由と人間の選択』。以下、同書参照)
 新たな時代を待ち望む民衆の期待を背負い、立ち上がった人物がいた。
 ミハイル・ニコラエフ――サハ共和国の初代大統領である。

池田先生とニコラエフ初代大統領(1998年10月)

池田先生とニコラエフ初代大統領(1998年10月)

政治の出発点は「人間」

 「わざわざ、お越しくださり最大の名誉です」
 1998年10月20日、池田先生がニコラエフ氏を東京・信濃町の旧・聖教新聞本社に迎えた。
 90年に「主権宣言」が採択され、翌年のソ連崩壊後、氏が大統領に就任。国の民主化と自立への道を切り開いてきた。
 厳寒の地に暮らすサハの民は、実直でおとなしいといわれる。氏も、寡黙で多くを語らなかった。
 “どなたの影響で、政治の道を選ばれたのですか?”
 先生の質問に、氏は即答した。
 「母親です」
 ――5歳になる前に父親を亡くし、困窮に陥った幼少時代。母は農業消費組合の清掃員として家計を支え、粗末な小部屋で4人の子を育て上げた。
 ニコラエフ氏は中学進学とともに親元を離れ、やがて獣医大学へ。その後、38歳という若さでヤクート自治共和国(当時)の副首相に就任した。
 後年、大統領選に挑んだ決定的な理由も、「自分の中にわが同胞、わが共和国に生涯を捧げたいという願望があることに気づいた」からだった。
 氏にとって、「政治活動の出発点は人間」だった。貧しい母子を、民衆を守ることが「政治」だった。

夏の首都ヤクーツク


夏の首都ヤクーツク

国の運命、歴史の変転
 「貴国には“未来”が輝いています」
 会見の折、池田先生は力を込めた。
 当時の日本人にとって、サハ共和国は、なじみのない“遠く貧しい国”。だが先生の視点は違った。
 「いかなる国家も流転します。『永遠の栄え』もなければ、『永遠に小国』ともかぎらない。歴史上、大変な栄華を誇った国もあります。しかし今は衰えている。今、どんなに栄えていても、傲り高ぶった国は、いつか必ず堕ちていく。衰退していく」
 先生は言葉を継いだ。
 「反対に、今、謙虚に、まじめに苦闘し、建設に向かう国は、将来、必ず栄えていく。それが国の運命です。歴史の変転であり、どうしようもない法則ともいえましょう。
 貴国が、このままいけば、何十年か先、21世紀の中ごろには、どれほど偉大な国となっておられるか。そのとき、大統領は、祖国の発展をもたらした『象徴』と輝くことでしょう」
 穏やかにうなずくニコラエフ氏。
 会見後も、帰国間際まで、この日の感動を周囲に語っていた。

 サハの未来にとって不可欠なこと。それは自らの歴史と文化に「誇り」を取り戻す挑戦だった。
 池田先生は、サハの発展を心から願い、具体的な行動を重ねていく。
 2001年には、先生が創立した民主音楽協会の招きで、国立民族舞踊団「ホトゥグ・スルス(北極星)」が来日。「ホムス(口琴)」が奏でる豊かな調べと鮮やかな舞が、全国23都市で3万人の喝采を浴びた。

 さらに池田先生は、折々のスピーチ等で、サハに伝わる叙事詩や文学者の至言を紹介。2004年には、先生の「自然との対話」写真展が首都ヤクーツクで開かれている。
 先生は、一度もサハの地を訪れたことはない。だが、日本との文化・教育交流促進への功績などが評価され、国の記念章をはじめ、五つの大学から名誉学術称号も授与されている。
「自分の力を信じよ」
 「サハ(sakha)とソウカ(soka)は似ていますね」
 池田先生との初会見の折、ニコラエフ氏は語った。ユーモアあふれる発言に場の空気が和む。
 日本とサハの交流や類似点、シベリアの展望、教育論や指導者論など、語らいは多岐に及んだ。先生は、氏のリーダーとしての献身を深くたたえた。

創価大学の学生らがニコラエフ氏を歓迎(1998年10月)

創価大学の学生らがニコラエフ氏を歓迎(1998年10月)

 ニコラエフ氏はつづっている。

 「人びとが喜び、笑う顔をぜひ見たいものである。(中略)子供たちが自分の暮らす土地に誇りを持てる時、その時こそ、私の希望はかなったと言える。最後に休暇をとったのがいつだったか、私は忘れかけている」
 そんな氏が、自ら範を示し、訴え続けてきたのは、“自信を持て!”ということだった。「自分たちの力を、あらゆることをなし遂げうる能力を信じなければならない」と――。
 大統領退任後も、氏はサハの国家顧問として尽力。今なお国内の教育、医療、産業の現場に足を運び、人々の声に耳を傾け、献身の活動を続ける。
二人の変わらぬ友情
 2014年9月、SGI派遣団がサハを訪問。公務でモスクワに向かう途次にあったニコラエフ氏と、ヤクーツク空港の一室で会見が行われた。
 「池田会長のご多幸を心からお祈りします。ぜひ、わが共和国を訪問していただきたいとお伝えください」
 池田先生との会見の思い出や創価大学の近況など、話は尽きない。ニコラエフ氏と先生の変わらぬ友情に、派遣団が胸を熱くする。

 最後に、氏から「池田先生へ」と、書籍が託された。
 サハの建国の歴史を収めた写真集。タイトルには『創造の道』とある。
 ロシア語と英語でつづられた献辞には、いかなる時も民衆のために人生を捧げゆく信念があふれていた。
 “私たちの価値観や思想は同じものを志向しています。共に、善のために奉仕し、人々の幸福のために社会を変えようと願っています。善の光が、平和と幸福の大いなる達成へと導きゆくことを祈ります!”

 【プロフィル】
 ミハイル・ニコラエフ 1937年、ソ連ヤクート自治共和国(現・サハ共和国)オルジョニキーゼ地区に生まれる。オムスク獣医大学を卒業後、獣医として勤務。その後、ヤクート自治共和国の共産党書記(農業担当)、最高会議議長などを歴任。90年、「主権宣言」を採択したヤクート・サハ共和国の最高会議議長、ソ連邦人民代議に選出。ソ連崩壊後、91年にサハ共和国の初代大統領に就任し、2001年まで務めた。ロシア連邦連邦院(上院)副議長(02~10年)、ロシア連邦国家院(下院)議員(11~16年)を経て、現在、同共和国の国家顧問。
 <引用・参考文献> 池田大作著『地球市民の讃歌――世界の指導者と語るⅡ』潮出版社、ミハエル・ニコラエフ著『新生サハ(ヤクート)共和国 自由と人間の選択』佐藤哲雄訳(創現社出版)、米原万里著『マイナス50℃の世界』角川ソフィア文庫、下斗米伸夫編著『ロシアの歴史を知るための50章』明石書店。
 ※ご感想をお寄せください。
 news-kikaku@seikyo-np.jp

2020年3月28日 (土)

2019年3月28日(土)の聖教

2019年3月28日(土)の聖教

◆わが友に贈る

 「学は光」「知は力」。
 教学研鑽や読書に励み
 思索の時間を作ろう。
 今は力を蓄える時だ。
 向学の志を絶やさずに!


◆名字の言 にょき、にょき、にょき…ツクシの花言葉は?

 近所の土手からツクシが顔を出した。婦人が1本2本と摘みながら、歌を口ずさんでいる。「ずーくぼんじょ ずくぼんじょ ずっきん かぶって でてこらさい……」▼話を聞けば佐賀の「わらべうた」だという。「ずくぼんじょ」は「ツクシ」を意味する方言で、“頭巾をかぶって出ておいで”と呼び掛けている。確かにそんな風貌だ。歌詞は「にょき にょき」と続く。「空に向かって伸びていくツクシの姿を見ると、私も頑張らなきゃと思いますね」と、婦人はほほ笑んだ▼ツクシは別名をツクヅクシといい、食用としても親しまれてきた春野菜の一つ。鎌倉時代、日蓮大聖人に届けた門下もいたようだ。御書には、「土筆給い候い畢んぬ」(1377ページ)等と、御礼から始まるお手紙もある▼その中で紹介されているのが、中国の有名な故事「竜門の滝」。「滝を登り切った鯉は竜になる」との伝説だ。滝を登ろうとする鯉には数々の困難が襲い掛かる。大聖人は、仏の境涯を開く難しさを「是を以て知りぬべし」(同ページ)と仰せになりつつ、信念をもって信仰を貫くよう門下を励まされている▼いかなる状況にあっても、自身の境涯の高みを目指して上へ、また上へ。信心とは無限の成長の道にほかならない。ツクシの花言葉は「向上心」である。(之)


◆寸鉄

災害に遭っても「心を壊
る能わず」と御書。試練の
この時、大確信の祈りで
     ◇
沖縄女性の日。幸福島を
照らしゆく勇気の太陽。
励ましの声掛けを今こそ
     ◇
読み聞かせは子の想像力
高めると。親子で良書に
触れる好機に。絵本週間
     ◇
コロナ対策、皆で三つの
「密」を回避。①密閉空間
②密集場所③密接場面。
     ◇
免疫力強化が鍵。入浴で
体を温め、適度な運動・睡
眠、バランス良い食事を


【教学】

◆〈ONE GOSHO この一節とともに!〉男子部教学室編
 四条金吾殿御返事(煩悩即菩提御書) 困難を勝利への飛躍台に

御文
 法華経の信心を・とをし給へ・火をきるに・やすみぬれば火をえず、強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ
(御書1117ページ)

通解
 法華経の信心を貫き通しなさい。火を起こすのに、途中で休んでしまったなら火を得ることはできない。強盛の大信力を出して、法華宗の四条金吾、四条金吾と、鎌倉中の上下万人をはじめとして、日本国の一切衆生の口にうたわれていきなさい。

背景
 「四条金吾殿御返事」は、日蓮大聖人が佐渡流罪中に、鎌倉の門下の中心者である四条金吾に送られたお手紙で、別名を「煩悩即菩提御書」という。御執筆の時期は、文永9年(1272年)5月と伝えられてきたが、翌文永10年(1273年)5月とも考えられる。
 本抄の冒頭で「日蓮が諸難について御とぶらひ今に・はじめざる志ありがたく候」(御書1116ページ)と認められていることから、遠路はるばる佐渡まで大聖人を訪ねてきた金吾が鎌倉に帰った後、訪問のお礼の意を込めてつづられたと推察される。
 本抄では、「南無妙法蓮華経」はわずか七字であっても、天台・伝教等の法門より一重立ち入った深い法門であり、あらゆる仏を成仏させた究極の法であり、一切衆生の仏性を開く根源の法であることを教えられている。

解説
 本抄を送られた当時、日蓮大聖人とその門下は、まさに窮地といえる状況にあった。
 文永8年(1271年)9月12日、大聖人は幕府権力からの弾圧である「竜の口の法難」に遭われ、その後、死罪に匹敵するような佐渡への流刑(佐渡流罪)に処された。
 行き着いた佐渡・塚原の地で、大聖人に与えられた住居は荒れ果てた三昧堂(葬送用の堂)。厳寒にさらされ、衣類・食料の欠乏など、厳しい環境下に置かれた。「竜の口の法難」と「佐渡流罪」は、命にも及ぶ最大の迫害であった。
 さらに弾圧は門下にも及び、追放や所領没収などの処分を受けた弟子たちの多くが、仏法に疑いを起こして退転していく。
 日本社会も混沌としていた。同5年(1268年)、蒙古(当時のモンゴル帝国)への服属を求める国書が幕府に届く。同9年(1272年)には、北条一門の内乱が起こり、鎌倉と京都で戦闘が行われる(二月騒動)など、国中で不安と緊張が増していた。
 その中で、不退転の信心を貫いたのが四条金吾だった。竜の口の法難では、自身の命を顧みず、刑場に向かう大聖人にお供し、その後も大聖人の流罪地・佐渡を訪ねるなど、師を徹して支え、守り抜いたのである。
 弟子たちが置かれた状況を踏まえ、大聖人は拝読御文で、「法華経の信心を・とをし給へ」と仰せになっている。何があっても、御本尊への信と祈りを貫き通す、「持続の信心」の大切さを示されたのである。“摩擦熱で火を起こすためには、休みなく作業しなければならない”という例を挙げ、信心もまた、途上で手を抜くことなく、地道に実践を貫くことが大切であると述べられている。
 さらに、「強盛の大信力」を奮い起こして、弾圧が続く鎌倉で、そして国中で、「法華宗の四条金吾・四条金吾」と称賛される存在になりなさいと呼び掛けられている。
 社会の厳しい現実から逃げるのではなく、戦い、勝つのだ!――信心根本に苦境を打開し、仏法の力を証明するよう、真心の励ましを送られた箇所である。
 現代の私たちに当てはめれば、混迷する社会の荒海の中で、「創価学会の○○さん」として、周囲から信頼され、希望と安心を広げる人間に成長する生き方を教えられた、大切な指標である。
 妙法を持ち、実践する人には必ず障魔が競い起こる。苦境の中でこそ強盛な信心を燃え上がらせ、創価の誇りに胸張り挑戦を続ける姿は、日蓮仏法が教える「勇気」「負けじ魂」の何よりの証明だ。その弟子の奮闘と幸福・勝利を、師匠は祈り、見守り続けている。
 池田先生は小説『新・人間革命』の中で「常に困難はある。それを飛躍台に転じてこそ、勝利の栄冠は輝く。障害を前にした時、自分自身が試される」とつづっている。
 就職や進学など、新出発を切る春4月。師弟直結の信心で、あらゆる苦難をバネにして人間革命の実証を示していきたい。

〈大学校生とナットクTALK〉  テーマ  :学会の記念日

Q なぜ節目が大事なの?
A 目標地点があれば力を引き出せる

 村上ニュー・リーダー (プルルルル)もしもし、村上です! 中村団長、どうしたんですか?

 中村区男子部大学校団長 元気にしてるかなと思って、今一人一人に電話してるんだ。村上君は最近、どう?

 村上 すこぶる元気です! でも最近、なかなか小説の執筆が進まないんです。

 中村 そういえば、「年内に小説を1本書く」って目標だったね。まずは、「5・3」に向けて“ここまで書くぞ”って決めてみたらどうかな?

 村上 あの……。最近、よく聞くんですけど、その「ゴーテンサン」って何ですか?

 中村 「5月3日」のことだよ。1960年に池田先生が学会の第3代会長に就任された日で、今年は60周年なんだ。

 村上 大きな節目の日なんですね!

 中村 そう! 学会には他にもたくさんの記念日があって、そこを目指して一人一人が前進してきたんだ。試験があるから、勉強をする。試合があるから、練習をする。人は誰しも、定められた決勝点があると気合が入るよね。

 村上 確かに。「いつでもできる」と思っていると、「いつまでたってもできていない」なんてことが、よくあります。

 中村 法華経には「化城宝処の譬え」が説かれているよ。危険だらけの荒野を旅する一団が、はるか遠くにある宝を求めて進むんだけど、途中、皆が疲れ果てて諦めようとする。そこで、何とか励まそうと思ったリーダーが神通力で“幻の城”を出現させ、その城を指して“ひとまずあそこまで行こう”と呼び掛けるんだ。鼓舞された一団は城に向かって力を振り絞り、その“幻の城”を中継点・通過点として、再び希望をもって出発することができたんだ。

 村上 途中の目標のおかげで、限界を突破できたんですね! 確かに遠い目標だけだと、身が入らないです。

 中村 そう。僕たちも広宣流布という大きな理想に向かっている最中。一つ一つの学会の記念日も、“力を引き出す目標地点”なんだ。池田先生は記念日について「これまでの歴史も、記念日も、すべて現在の力へと変えていってこそ、意味をもつんです」と言われているよ。実は、僕も5年前、仕事で悩んでいた時に、「5・3」を目指して折伏に励んだんだ。小説『新・人間革命』を読んで先生の戦いを学びながら頑張った結果、友人に弘教を実らせ、転職も勝ち取れたんだ。僕にとって「5・3」は、“先生との共戦の歴史”が刻まれた、かけがえのない原点の日なんだよ。

 村上 僕も「5・3」へ、目標を決めて頑張ります!


【聖教ニュース】

◆難民・避難民の子どもたちから 学会の学習用具支援に喜びの便り  2020年3月28日

学会が文具などを贈呈したアジアの子どもたちが、感謝を伝える横断幕とともに

学会が文具などを贈呈したアジアの子どもたちが、感謝を伝える横断幕とともに
 
   難民・避難民の子どもたちに対して学会が実施してきた学習用具の寄贈に、現地から感謝を伝えるフォトメールが寄せられている。
 紛争などの理由によって居場所を追われた難民・避難民の子どもたちは、学校等で教育を受ける機会を失いがちであり、近年、その期間が長期化していることへの懸念が高まっている。
 池田先生は「SGI(創価学会インタナショナル)の日」記念提言などで、こうした難民・避難民の子どもたちの教育機会の確保が急務であるとし、具体的な提案を重ねてきた。各地に送られている支援品は、学会の展示会等に合わせて寄贈を受けたもの。支援団体を通じて現地に届けられている。
 ※なお、現在、文具の受け付けは行っておりません


◆学術部から寄稿 新型ウイルスの拡大に思う㊦ 麻布大学名誉教授 鈴木潤さん
 祈りと励ましが免疫力高める

電話のかけ方を練習する親子。たった一本の電話でも、真心の励ましで周囲を笑顔にできる

電話のかけ方を練習する親子。たった一本の電話でも、真心の励ましで周囲を笑顔にできる

 現在は、新型コロナウイルスの感染拡大によって、一人一人の行動は制限されている。
 しかし、その中でも学会の同志は、皆が「今できること」を懸命に考えながら、一日も早い終息を祈り、周囲に励ましを送っている。そうした活動は、「共助」「利他」の心を世界に広げる行為にほかならない。そして私たちの地道な活動は、免疫学の観点からも、免疫力を自他共に高めるものだと感じている。
笑みを絶やさず 前向きに生きる
 その一つが「笑い」の効能である。
 「がん」を例に挙げれば、笑いによる脳への刺激が免疫機能を活性化するホルモンの分泌を促し、通称「殺し屋」の異名を持つ「NK(ナチュラルキラー)細胞」が活性化する。NK細胞は、常に体内をパトロールし、がん細胞を見つけると殺す役割を担う。つまり、「笑う」ことは「がんになりにくくする」ことにつながるのである。
 周囲を笑顔にする私たちの励まし、また困難に直面しても“笑みを絶やさず前向きに生きよう”とする私たちの生き方にも、免疫力を高める同様の効果があると考える。
 実は、細胞に含まれる遺伝子解読に関して、こんな話題がある。
 これまで「有用」(トレジャーDNA)とされていたのは、たったの2%。残りの98%は、何の働きもしない「ゴミ」(ジャンクDNA)とされていた。ところが急速な技術の進歩で未知の領域の解読が進んだ結果、「ゴミ」といわれていた中に“病気から身体を守る特殊なDNA”や“私たちの個性や体質を決める情報”があることが、次々と明らかになってきたのだ。ここには、健康長寿を実現したり、誰もが潜在的な能力を発揮したりするヒントもちりばめられている。
 日蓮大聖人は「法華経題目抄」で、南無妙法蓮華経の「妙」の字に込められた功力を「開の義」「具足・円満の義」「蘇生の義」の三義として説かれている。
 この「妙の三義」に、現代の免疫学の知見を重ね合わせると、次のように展開できると考える。
 第一の「開の義」について、大聖人は「妙と申す事は開と云う事なり」(御書943ページ)と仰せである。これは、法華経こそ諸経の蔵を開く鍵であることを明かされたものであり、ひいては妙法には人間をはじめ、あらゆる生命の持つ可能性を開いていく力があることを示された御文である。
 生命には、本質的に「開」という特性がある。
 私たちの身体を構成する何十兆個もの細胞は、その一つ一つの間で、例えば“落ち着いて”と伝える制御性T細胞など、さまざまなメッセージ物質を頻繁にやりとりしていることが知られている。そのメッセージに応じて、必要な合成や変化を起こすからこそ、私たちの身体の調和は保たれているのである。
 ここで大事なことは、そうしたメッセージをやりとりするために、一つ一つの細胞の膜では、いつでもメッセージを受け取れるように、ほかの細胞に対して“常に開かれた状態”にあるということである。
 この「開」という本質は、細胞核にあるDNAにとっても変わらない。なぜなら、細胞の中にメッセージ物質が取り込まれた時、必要に応じて“眠っていたDNA”が発現するからである。
 また、第二の「具足・円満の義」とは、妙法に一切の功徳が欠けることなく具わっていることを指す。細胞レベルで考えると、全身の細胞一つ一つには、病気を治す力など、あらゆる可能性を秘めた遺伝情報が潜在的に具わっていることを指し示している。
 さらに、第三の「蘇生の義」とは、妙法には万人に生きる活力を与え、みずみずしく蘇らせる力があること。これは、一つ一つの細胞の中にある遺伝子の働きによって、細胞の代謝が始まっていくことを意味している。
 その上で、重要なのは“眠っていたDNA”のスイッチを入れていくことであるが、興味深いのは、それぞれの分野で最先端の研究を重ねる学術部員と語り合う中、“私たちの励ましや祈りは、遺伝子に働き掛ける力を持つ”等と指摘する人がいるということである。
 現代は交通手段などの発達によって、新型コロナウイルスの広がりは、従来の感染症に比べて格段に速くなった。
 しかし一方で、インターネットの普及に伴い、メールやSNSなどを使って、瞬時に励ましを送れるようになり、動画などを見て語り合うこともできる時代になった。どこにいても、距離の壁を越えて希望を送れる時代となったのだ。
 感染症と戦ってきた人類の歴史を踏まえれば、これからも、新種のウイルスが人類に脅威を与えるかもしれない。だからこそ励ましを通して共助や利他の心を広げ、祈りによって自らの生命を強くする私たちの信仰が、社会の希望の光となっていかなければならないとの思いを強くしている。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈信仰体験〉ライフウオッチ 人生100年時代の幸福論
 車いす劇団の主宰  「嘆くよりも、輝く」

 障がいがある人と健常者が一体となって、“バリアー(障壁)のない舞台”を創り上げる「まゆみ劇団」。
 主宰者である中谷まゆみさん(69)=大阪市平野区、地区副婦人部長=は「たまたま障がい者になって、嘆いているより、少しでも生きるって素晴らしいことやと感じてほしい」と語る。
 底抜けに明るい彼女の強さに、人生100年時代を生きるヒントがある。

 劇団を主宰して21年になる。自主公演にイベント出演、施設への慰問など活動は幅広い。
 もともとは、ウィルチェア(車いす)ダンス中心のミュージカルを行っていたが、今では詩吟
しぎん
、琴・三味線などの邦楽演奏、影絵の劇まで演じる。
 「21年もやってると、みんな高齢化して、激しいのは無理。動かんでいい演技が増えてんよ」
 それもそうだが、15人も劇団員がいれば、障がいもさまざま。「手が使えれば、楽器。車いすに乗れない子にもできる演目を、と考えていって。全部、覚えて教えなあかん、こっちは大変やで」
 脚本から作詞作曲、ダンス、詩吟、楽器の演奏指導も中谷さんが担当する。しかも、そのほとんどが、50歳を過ぎてから始めたというから驚きだ。

 2歳の時、ポリオ(小児まひ)にかかった。娘の将来を案じた両親が1954年(昭和29年)、創価学会に入会。
 常勝関西の草創期、両親に連れられ、親戚中を折伏に歩いた。物心つく頃には、勤行・唱題を実践し、小学2年で任用試験にも合格した。
 外出も小学校の登校もずっと母に背負われての生活。“歩けるようになりたい”と祈り、訓練に励み、小学5年の春、初めて杖をつき、一人で登校することができた。
 しかし、校門の前で同級生に石を投げられた。その日から壮絶ないじめが続いた。それでも、くじけなかった。「家に帰って、何くそって題目あげて」
 中学2年の夏、近畿地方の障がい児が集まる合宿に参加した。その夜、同じポリオの女子生徒に言われた。
 「私らは一生、この体のままや。結婚もできへん」
 それまで母から「祈れば、いつか治る」と聞かされていた。愕然とした。「それからは反抗期まっしぐら!」
 心配した女子部の先輩が訪ねてきても、取り合わない。ある日、母に諭された。
 「あの子はな、複雑な家庭環境で苦労しながら、一人で信心してんねん」
 “それなのに私のために……”。先輩の思いが心に響き、素直に話を聞くように。
 「仏法では『願兼於業』と説かれてるんよ。今は分からへんかもしれんけど、私らには使命があるねん」
 感動し、再び、信心に目覚めた。

 高校進学は断念し、手に職をと和裁を学ぶ。ひたぶるに祈る中、18歳で結婚。子宝にも恵まれた。だが、すれ違いが重なり、29歳で離婚する。
 シングルマザーとなり、幼い娘を育てるため、内職して生活費を賄った。
 その頃までは杖で生活していたが、徐々に体が動かなくなり、車いすに。
 持病の肺気腫も悪化し、毎晩、せきで寝付けなくなった。
 失われていく体の自由。“私の使命って何なん……”。御本尊に泣きながら祈った。
 そして、ある思いが湧く。「障がいがある私やからこそ、社会に飛び出さな!」
 障がい者の施設や作業所を回って、何をすべきか模索した。暗い顔をした人たちが気になった。化粧もせず、服にも無頓着――。
 「障がい者が輝く姿を、いろんな人に見せたい。そんな舞台があったらいいなあと思って」

 1999年(平成11年)に劇団を結成する。ウィルチェアダンスを始めるも、活動は低迷したまま。
 そんな頃、民音公演のアルゼンチンタンゴに魅了された。
 「傷ついた気持ちを素直に表現するタンゴは、私にぴったりやった」
 来日したプロの舞踊家に指導を仰ぎ、レッスンに励む。車いすで踊るアルゼンチンタンゴは一躍、話題を呼んだ。
 劇団員も増え、テレビでも特集され、さまざまなイベントに引っ張りだこに。
 しかし、活躍すればするほど、周囲の嫉妬にさらされた。足を引っ張られ、諦めた事業もある。
 壁にぶつかるたび、「強くあれ」との池田先生の言葉を思い返した。
 「先生は、できないことは言われへん。“私も強くなる”って題目あげてあげて。そしたら、ちょっと強くなりすぎました(笑い)」
 46歳で一緒になった夫・政夫さん(80)=副常勝長(副ブロック長)=とは再婚同士。
 子どもも3人ずついて、一族は大所帯に。集まればいつも、にぎやかだ。
 中谷さんは諦めていた進学にも挑戦。59歳で夜間高校を卒業した。
 「私の人生は限界ばっかり。けど、へこたれへん。悩んだら、聖教新聞。先生が背中を押してくれる。そして、何回でもやり直す。結婚も3回したしね(爆笑)」
  
 池田先生は語っている。
 「あらゆる差異を突き抜け、人間としての根源の力で人々を救うのが地涌の力です。“裸一貫”の、ありのままの凡夫、『人間丸出し』の勇者。それが地涌の誇りなのです」
 「まゆみ劇団」は12年前、NPO法人「フレンド」に。地元・大阪市平野区内で、健常者と障がい者が一緒にボランティア活動を行ったり、小・中学校の人権の授業に招かれたり、地域密着の活動を続けている。
 しかし、現在は、新型コロナウイルスの影響で、劇団は慰問
いもん
や公演を見送っている。学校の授業も自粛になった。
 介護施設の職員から「利用者さんが会いたがってます」と言われると、心が痛む。
 だが、嘆くより、輝く。今は力を蓄える時だと、琴や詩吟の稽古にいそしむ。
 「ようやく障がい者もおしゃれして、街へ出ていく時代になった。だけど、バリアーは残ってる。私らの輝きで社会を変えていかな。使命は大きいねん」

◆〈信仰体験〉SOUL 雄魂 完  93歳の志 ガード下に咲く

【大阪市阿倍野区】どことなく哀愁漂う美章園駅のガード下に、古びた店がある。紳士服や子ども服が所狭しと並べてある。
 あるじは久野勇さん(93)=総区主事。景気の波に慌てず、来る日も来る日も店の明かりをともす。遠のく客足に焦るふうもない。老練なまなざしは何を見つめているのか。
 この人の出発点には「死」がある。
 先の大戦で特攻隊に志願した。いかに散るか。人間魚雷「回天」の搭乗員だった。同期の多くが海に散った。久野さんに出番はなかった。
 敗戦の焦土に立つ。衣食住が大変だった当時、誰もが生きるのに必死だった。桂子さん(86)=婦人部副本部長=と結婚し、駅のガード下で衣服店を始めた。
 戦争で生き残ってしまった罪悪感が、仏法と出合い、生き抜くという使命感に変わる。
 ある朝、信心の先輩から電話があった。
 「池田室長(当時)を迎えにいこう」
 1957年(昭和32年)7月17日、この日の記憶を、久野さんは人生に反映させることになる。
 炎天下、大阪拘置所の周りにはたくさんの同志がいた。
 1時間が過ぎ、2時間が過ぎ、ついに鉄の扉が開いた。安堵の声と熱い拍手が沸き上がる。池田青年が真っ白な開襟シャツで現れた。胸を張っていた。
 不当な権力に勝利した若武者の足取りは、強烈な映像として久野さんの命に残った。取り調べは過酷だったに違いない。しかし疲れた色がひとつもなく、「堂々と行進する風格があった。凱旋将軍のようでした」。
 自分も胸を張っていくんだという変化。この瞬間、二つの感情が腹からうねり出す。
 「この人についていけば間違いない」という確信と、「きょうからは、どんな戦いも、この悔しさをバネに勝ち続ける以外はない」という覚悟。久野勇という男の核ができた。
 79年5月、池田先生が会長を辞任した直後、神奈川文化会館に駆け付けてもいる。この日も師匠は、胸を張っていた。
 心の高みを仰ぎ続け、戦争で生き残った者として恥じぬ生き方を貫く。
 題目、折伏、学会活動。全てを粗末にせず、ガード下の仲間とたくましく生きてきた。電車のごう音と唱題の響きを聞かせながら、4人の子を心豊かに育てた。創価の学びやにも送った。
 やがて髪が白くなり、「生」に円熟味が増す。
 たどる道にも明暗があったはずだ。
 しかし「全てが順調だった」と白い歯を見せる。試練に直面しないことが順調なのではなく、試練に直面した時の構えが順調だったと。真実の師弟に生き抜く人の辞書に「敗北」の二字はない。
 薄くなった胸板の奥に刻まれていた。
 日々 不撓
 日々 勝負
 池田先生からもらった気迫の筆致だ。
 言うまでもなく、小売店を取り巻く環境は厳しい。大手量販店の台頭、価格競争の激化……。しかも昨年、久野さんは転んで肋骨を5本折った。これを潮に4人の子から引退を持ちかけられた。
 かたくなに拒んだ。「生きがいのため」だった。
 いかに散るか――。
 若き日の問いに、いや応なく向き合う老境に入った。久野さんが信心していることを、近所の誰もが知る。
 店は城。喝采を浴びずとも、老兵は広布の旗を黙って掲げる。それこそが「生きがい」なのだと。
 胸に秘める一節がある。
 「特別のことがなくても、人は一度は死ぬことが定まっている。したがって、卑劣な態度をとって、人に笑われてはなりません」(御書1084ページ、通解)
 「死」は一定。いかにして常勝関西の土に返るか。己
おのれ
の中で「死」を解決した。
 命の限り、重ねるつもりだ。出獄の日に胸を張った師と、今の自分を。そこに久野翁の本当の誇りがある。
 不撓の志を深い根に、己の一輪をガード下で咲かせている。93歳、人生の旬を迎えた。

2020年3月27日 (金)

2019年3月27日(金)の聖教

2019年3月27日(金)の聖教

◆わが友に贈る

 大切なのは免疫力。
 風呂等で体を温めたり
 適度な運動・睡眠
 バランスの良い食事を。
 手洗い・嗽も入念に。


◆名字の言 文筆家の外山滋比古さん。届いた郵便物で最も心引かれるのは?

 「うちにいる日は郵便の来るのがたのしみ」と語るのは文筆家の外山滋比古氏。「もうそろそろその頃合いだと思うころになると、玄関脇の郵便受けあたりに神経を向ける」と▼ダイレクトメール、雑誌や書籍類、仕事の連絡など、届いた郵便物を眺めながら分類するのも面白いという。中でも「表に平信、とことわってあるのは、とりたてて用件はありませんが、ということであって、もっとも心ひかれる」(『老いの練習帳』朝日新書)▼直接、訪ねるのがはばかられる昨今、「平信」をつづる機会が増えた。平信とは“無事のたより”の意味。催しの案内などと違って定型の書き方はないので、何を書こうか難儀することもある。必要に駆られてではなく、わざわざ自分のために心を砕いてくれた――その気持ちが伝わるから、受け取る人は平信を喜んでくれるのだろう▼古代ローマの哲人キケロは言った。「友情は数限りない大きな美点を持っているが、疑いもなく最大の美点は、良き希望で未来を照らし、魂が力を失い挫けることのないようにする、ということだ」(中務哲郎訳)▼終息の見えない新型コロナウイルスの感染拡大で気が滅入っている人も多い。だからこそ励まし合いたい。普段より時間がある今は、平信を記す好機でもある。(誼)


◆寸鉄

「心あさからん事は後悔
あるべし」御聖訓。いざ
という時に強き勇者たれ
     ◇
新社会人に求める資質、
積極性がトップ―調査。
臆さず自分らしく挑め!
     ◇
就寝前のスマホ使用で睡
眠の質が低下。生活スタ
イル整え生命力を満々と
     ◇
SNS利用者は「正しさ」
より「面白さ」等優先と。
?に荷担せぬよう賢明に
     ◇
中学教科書のページ数が
明年から7%増。教員の
環境改善など対策も急務


◆社説 「アースアワー」が明日実施  連帯と行動で地球環境を守る

 明28日は、地球の未来に思いをはせる日だ。「アースアワー」といって、毎年3月の最終土曜日の午後8時30分(現地時間)からの1時間、世界中で多くの人々が照明を消すことで、地球温暖化防止と環境保全への意志を示している。
 野生動物の保護等に尽力する世界自然保護基金(WWF)が中心となって、2007年から毎年進めてきた取り組みで、昨年は188カ国・地域からの参加があったという。
 地球温暖化を背景とした台風などの気象災害は、各地に大きな爪痕を残している。さらなる被害を防ぐため、国際的に温室効果ガスの排出量削減の目標が掲げられているが、実現は極めて困難だ。
 そうした中で、一人一人が部屋の照明を1時間消したとしても、効果はほんのわずかかもしれない。だが昨今は、気候変動に立ち向かおうとする若者たち一人一人の小さな声が、国境を越えて連帯し、国際社会の動きに大きな影響を与えつつある。“身近な一歩”は、“未来を開く一歩”となると銘記したい。
 「アースアワー」では、個人や事業所ごとの参加だけではない。昨年は、東京タワー、パリのエッフェル塔など、世界の1万8000の名所でも消灯を実施した。日付変更線に近い南太平洋諸国から始まる消灯のリレーが、今年も地球上を駆け巡る。世界が新型コロナウイルスという大きな困難と戦う中、環境を守る強い連帯の意志を示すものとなろう。
 アフリカの環境の母ワンガリ・マータイ博士が提唱した「グリーンベルト運動」は、わずか7本の苗木の植樹から始まった。やがて国際的な植樹運動と連携し、世界で150億本の植樹を成し遂げるまでに広がっていったという。彼女は語る。「私たちは、自らの小さな行いが、物事を良い方向に変えていることを知っています。もし、この行いを、何百万倍にもすることができたなら、間違いなく世界を変えることができるのです」(映画「静かなる革命」から)
 学会青年部は、本年から平和キャンペーン「SOKAグローバルアクション2030――青年の行動と連帯の10年」を開始した。その一環で、気候変動への対策として、個人が挑戦できる取り組みを啓発する「マイ・チャレンジ10」を今春、オンラインで展開。100万人を目標に草の根レベルで行動を喚起していく。
 池田先生は、本年の「SGIの日」記念提言で、「誰もが今いる場所で、持続可能な地球社会の“建設者”となることができる」と述べた。地球社会の“建設者”――。今は新型肺炎の一日も早い終息を祈りつつ、身の回りから環境を守るための一歩を踏み出そう。


◆きょうの発心 種種御振舞御書 第6千葉総県副総県長 長峰敏幸2020年3月27日

御文 妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり、わたうども二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし(種種御振舞御書、910ページ・編947ページ)
通解 妙法蓮華経の五字が、末法の初めに全世界に広まる瑞相として、日蓮が先駆けしたのである。わが一門の者たちは、二陣、三陣と続いて、迦葉・阿難にも勝れ、天台・伝教にも超えていくのだ。

「富士のごとく」揺るがぬ人生を
 弟子たちに妙法蓮華経の大法を弘め、広宣流布していくことを教えられた一節です。
 学生時代、唱題に励みながら、3カ月間で30人以上に仏法対話。初の弘教を実らせたことが、信心の原点になっています。
 社会人になり、職場で責任を担う立場になった頃、人間関係で日々、一喜一憂するように。そんな時に、池田先生の「何があろうが、この一生を富士のごとく、悠然と微動だにせず、戦い、生き抜いていくことだ」との指導に出あい、一念が定まりました。家族の支えもあり、7年間、職務を全うすることができたのです。4年前には、夜中に胸の痛みに襲われ、狭心症の緊急手術を受けました。大事に至らず、「守られた」との報恩感謝の思いを胸に、妻と共に職場の後輩に対話。任用試験に合格した後輩はその後、御本尊を受持しました。池田先生の会長就任60周年の「5・3」へ、同志の皆さまと共に前進してまいります。


【先生のメッセージ】

◆〈My Human Revolution〉 小説「新・人間革命」学習のために 第3巻2020年3月27日

【挿絵】内田健一郎

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを、巻ごとに紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第3巻を掲載する。次回の第4巻は4月3日付2面の予定。

仏法との出あいは千載一遇!
 〈1961年(昭和36年)、山本伸一は、香港の座談会で質問を受け、仏法に出あえたことがいかに類いまれなことであるかを説いていく〉
 「私たちは今、人間として生まれてきた。しかも、大宇宙の根本法を知り、学会員として、広宣流布のために働くことができる。これは大変なことです。
 たとえば、森に足を踏み入れると、その足の下には、数万から数十万の、ダニなどの小さな生物がいるといわれています。
 さらに、細菌まで含め、全地球上の生命の数を合わせれば、気の遠くなるような数字になります。
 そのなかで、人間として生まれ、信心することができた。それは、何回も宝くじの一等が当たることより、遥かに難しいはずです。
 まさに、大福運、大使命のゆえに、幸いにも、一生成仏の最高のチャンスに巡りあったのです。
 ところが、宝くじで一回でも一等が当たれば大喜びするのに、人間と生まれて信心ができたすばらしさがなかなかわからないで、退転していく人もいます。残念極まりないことです。
 私たちにとっては、この生涯が、一生成仏の千載一遇のチャンスなのです。どうか、この最高の機会を、決して無駄にしないでいただきたい。
 永遠の生命といっても、いっさいは『今』にあります。過去も未来も『今』に収まっている。ゆえに、この一瞬を、今日一日を、この生涯を、感謝と歓喜をもって、広宣流布のために、力の限り生き抜いていってください」(「仏法西還」の章、69~70ページ)

広布は宿命からの解放闘争
 〈インドで伸一は、ガンジーを荼毘に付したラージ・ガートに立ち寄り、「すべての人びとの目から涙をぬぐい去りたい」と行動した、ガンジーの崇高な精神を語る〉
 「ガンジーは『私の宗教には地理的な境界はない』と語っている。彼のその慈愛は、インドの国境を超えて、世界の宝となった。
 戸田先生も、『地球上から“悲惨”の二字をなくしたい』と言われ、そのために戦われた。先生の慈愛にも国境はない。私は、そこに二人に共通した崇高な精神を感じる。そして、大事なことは、誰がその精神を受け継いで実践し、理想を実現していくかです。
 ガンジーが行った民衆運動は、それまで、だれもやったことのない闘争であった。だから『出来るわけがない』『不可能だ』との批判も少なくなかった。それも当然かもしれない。
 しかし、彼は厳然と言い切っている。『歴史上、いまだ起こったことがないから不可能だというのは、人間の尊厳に対する不信の表れである』と……。
 断固たる大確信です。どこまでも人間を、民衆を信じ抜いた言葉です。
 そして、ガンジーは、この信念の通り、インドを独立に導き、民衆の勝利の旗を高らかに掲げた。
 広宣流布の遠征も、未曾有の民衆凱歌の戦いだ。まさに非暴力で、宿命の鉄鎖から民衆を解放する戦いであり、魂の自由と独立を勝ち取る闘争です。歴史上、だれもやったことがない。やろうともしなかった。
 その広宣流布の道を行くことは、ガンジーの精神を継承することにもなるはずです」(「月氏」の章、121~122ページ)

魔と戦い続ける人こそ仏
 〈釈尊は菩提樹の下で「生命の法」を覚知したが、悟った法を説くことをためらう〉
 彼(=釈尊)は考えた。
 “誰も法を理解できなければ、無駄な努力に終わってしまうだけでなく、人びとは、かえって悪口するかもしれない。さらに、わからぬがゆえに、迫害しようとする人もいるであろう。
 もともと私が出家したのは、何よりも、自身の老・病・死という問題を解決するためであった。
 それに、自分が悟りを得たことは、誰も知らないのだ。ただ、黙ってさえいれば、人から非難されることはない。そうだ。人には語らず、自分の心にとどめ、法悦のなかに、日々を生きていけばよいのだ……”(中略)
 釈尊は布教に突き進むことに、なぜか、逡巡と戸惑いが込み上げてきてならなかった。彼は悩み、迷った。
 魔は、仏陀となった釈尊に対しても、心の間隙を突くようにして競い起こり、さいなみ続けたのである。
 「仏」だからといって、決して、特別な存在になるわけではない。
 悩みもあれば、苦しみもある。病にもかかる。そして、魔の誘惑もあるのだ。
 ゆえに、この魔と間断なく戦い、行動し続ける勇者が「仏」である。反対に、いかなる境涯になっても、精進を忘れれば、一瞬にして信仰は破られてしまうことを知らねばならない。
(中略)
 彼は、遂に決断する。
 “私は行こう! 教えを求める者は聞くだろう。汚れ少なき者は、理解するだろう。迷える衆生のなかへ、行こう!”
 釈尊は、そう決めると、新しき生命の力が込み上げてくるのを感じた。
 一人の偉大な師子が、人類のために立ち上がった瞬間であった。(「仏陀」の章、184~186ページ)

未来を開く“一人”の育成を
 〈初のアジア歴訪の折、伸一は組織建設の要諦を、同行した幹部に示す〉
 秋月英介が発言した。
 「今回、訪問した地域には、カンボジアを除いて、一応、メンバーがいることは確認されましたが、実際に組織をつくるとなると、かなり難しいのではないかと思います」
 すると、森川が頷きながら言った。
 「そうですね。各国に地区をつくるにしても、地区部長となるべき人物がいません。まだ、あまりにも弱いというのが、私の実感です。任命しても、責任を全うできるかどうか……」
 理事たちは、皆、深刻な顔をして、黙り込んでしまった。
 すると、伸一が、断固とした口調で語り始めた。
 「森川さん、まだ弱いと思ったら、それを強くしていくのが幹部の戦いだよ。ましてや、あなたは、東南アジアの総支部長になるのだから、ただ困っていたのではしょうがない。森川さんは、三十年後には、それぞれの国の広宣流布を、どこまで進めようと思っているのかい」
 「三十年後ですか……」
 森川は答えに窮した。
 「私は、たとえば、この香港には、数万人の同志を誕生させたいと思う。また、香港はもとより、タイやインドにも、今の学会本部以上の会館が建つぐらいにしたいと考えている。そうでなければ、戸田先生が念願された東洋広布など、永遠にできません。時は来ているんです。
 ともあれ、今回、訪問したほとんどの国に、わずかでもメンバーがいたというのは、大変なことです。『0』には、何を掛けても『0』だが、『1』であれば、何を掛けるかによって、無限に広がっていく。
 だから、その『1』を、その一人を、大切に育てあげ、強くすることです。そのために何が必要かを考えなくてはならない」(「平和の光」の章、332~334ページ)

伸一の平和構想
 「平和の光」の章には、山本伸一が思索を重ねながら、平和実現のための具体的な構想を語るシーンが描かれている。
 長兄が戦死したビルマの地を訪れた伸一は、日本人墓地に立ち、亡き兄も眺めたであろう夕日を仰ぎながら、平和のために一歩踏み出すことを深く決意する。
 続いて伸一たち一行は、ラングーン市内を見学。伸一の胸には、長兄との思い出が次々と浮かんでは消えていく。
 兄のことを思うたびに、彼の胸には、ビルマ戦線に送られた一兵士を描いた竹山道雄の小説『ビルマの竪琴』の一場面が去来した。
 ――終戦を迎えながら、それを知らずに敗走する日本軍の一隊。この隊は隊長の影響で、よく歌を合唱した。周囲をイギリス軍に包囲された時も、合唱の最中だった。
 日本軍が突撃しようとした時、イギリス軍から、日本軍が歌っていた「埴生の宿」「庭の千草」の英語の歌が聞こえてきた。実は、これらの歌は、イギリスで古くから歌われていた歌であった。
 結局、戦闘は始まらず、日本兵は戦争がすでに終わったことを、そこで知ったのだった――。
 同章では、歌が人間の心と心をつないだこのシーンを通して、「音楽や芸術には、国家の壁はない」(310ページ)とつづられている。
 その後、一行はタイへ。伸一はそこで、アジア平和旅の間、思索を重ねてきた構想を同行の幹部に語る。
 「法華経を中心に研究を重ね、仏法の人間主義、平和主義を世界に展開していける人材を育む必要がある。それらをふまえ、東洋の哲学、文化、民族の研究機関を設立していきたい」(315~316ページ)
 「もう一つ構想がある。真実の世界平和の基盤となるのは、民族や国家、イデオロギーを超えた、人間と人間の交流による相互理解です。
 そのために必要なのは、芸術、文化の交流ではないだろうか。音楽や舞踊、絵画などには国境はない。
 民族の固有性をもちながら、同時に、普遍的な共感性をもっている。そこで、音楽など、芸術の交流の推進を考えていきたい」(316~317ページ)
 長兄への深い思いは、平和を希求する揺るがない信念となり、伸一の構想は後に「東洋哲学研究所」「民主音楽協会」として結実していったのである。
 ※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。


【聖教ニュース】

◆ミクロネシア連邦 ポンペイ首長最高評議会 池田先生に文化遺産貢献賞  2020年3月27日

 太平洋・ミクロネシア連邦の「ポンペイ首長最高評議会」から池田大作先生に、同評議会の「平和のための文化遺産貢献賞」が贈られた。池田先生のたゆみない世界平和への尽力をたたえたもの。証書は12日、同国のポンペイ島で、同評議会のイソナニケン・イリアルテ執行議長から同国SGI(創価学会インタナショナル)の代表に託された。

 西太平洋に浮かぶミクロネシア連邦は、人口約11万人。約600の島々が、東西2500キロに広がる。
 透明度の高い海には、250種を超える色とりどりの魚や生物が生息。“地上の楽園”とうたわれる。
 同国は4州からなり、各州や地域がそれぞれ独自の文化を守り、尊重している。このうちポンペイ州には、伝統的な首長制度があり、五つの王国が存在する。各王国の首長、副首長などの地位は極めて高く、大統領や州知事も、首長らの意向を踏まえて政策を実行している。

豊かな自然に恵まれたミクロネシア連邦のポンペイ島。同国では主に英語のほか8言語が使用され、多様な文化を持つ人々が共生する ©Michael Runkel/ゲッティイメージズ

豊かな自然に恵まれたミクロネシア連邦のポンペイ島。同国では主に英語のほか8言語が使用され、多様な文化を持つ人々が共生する cMichael Runkel/ゲッティイメージズ

 今回、池田先生を顕彰したポンペイ首長最高評議会のイソナニケン執行議長は、ポンペイ王族ナット王国の「イソナニケン(首長同格の副首長)」を継承している。
 議長は2001年7月、東京で池田先生と出会いを結んだ。「(池田先生は)平和創出のために生命を懸けて戦ってこられました」――その時、議長は先生の尽力を心から称賛した。
 ミクロネシアの人々の、平和への思いは人一倍強い。太平洋戦争で、日本海軍の連合艦隊が、ポンペイ島に近い「トラック諸島(現・チューク諸島)」に司令部を設置。この地は日米両軍の激戦地となり、ポンペイ島の青年の中にも犠牲になった人がいた。同国には今も、旧日本軍の軍艦等の残骸があり、戦争の惨劇を伝えている。
 「平和のための文化遺産貢献賞」の授与に際して、イソナニケン執行議長は次のように語った。「池田先生はこれまで、平和・文化・教育の行動で世界をリードされました。私たちはその尊い精神を受け継ぐ存在になる使命があるのです」
 この顕彰は平和の重みを最も深く知るミクロネシアの人々が、先生の行動に深い共感を示す証左といえよう。

池田先生に贈られた「平和のための文化遺産貢献賞」

池田先生に贈られた「平和のための文化遺産貢献賞」


◆〈第45回「SGIの日」記念提言に寄せて〉 作新学院大学 渡邊弘学長 2020年3月27日
 持続可能な社会建設へ 重要な人間観

 提言ではまず、困難な状況に陥った人々を誰も置き去りにしないという視座に言及されています。
 近年、温暖化などによって世界的規模で自然災害が発生しており、対応が喫緊の課題となっています。そこで重要な視点は、人類だけでなく地球全体が生き残っていくための対応策を議論し、知恵を絞り、問題を解決していかなければならないということです。
 しかし残念ながら、自国中心的な発想により、現実の世界では軍事、政治、経済などの競争を優先し、人間や生命の視点が欠落してしまっています。
 人間は一人では生きられず、多くの人やモノなどとのつながり(連関)を通して生存しています。「平凡な一人の乳児も、その命は生まれた時から世界につながっていたのだ」との実感や「他のためにし、他を益しつつ自己も益する」といった『人生地理学』や『創価教育学体系』に見る牧口初代会長の思想が、今こそ広く世界に認識されなければならないと考えます。
 また池田SGI会長は、危機感の共有だけでなく建設的な行動を共に起こす重要性と、多くの人々が行動していく上での「結集軸」を掲げる必要性を提起されています。この点について、私は二つの「結集軸」が大切になると考えます。
 一つは思想としての「結集軸」であり、もう一つは行動としての「結集軸」です。前者は先に述べましたが、現在、人類に蔓延している利己主義や悲観主義からの意識改革であり、後者は持続可能な社会を具体的に構築していく方策です。
 利己主義や悲観主義を利他主義や楽観主義に変えていくことは、そう簡単ではないでしょう。しかし、世界中のさまざまな分野の人間が生命という視点から危機感を共有し、一つの「運動」として広げていくことにより、可能性が見えてくると考えます。すでに持続可能な社会の構築については、SDGs(持続可能な開発目標)の活動が世界中で実施され、日本でも行われてきています。

「小さな行い」が大きな動きに

 池田会長はケニアの環境運動家のワンガリ・マータイ博士の言葉を引用されていますが、まさに一人一人の身近で「小さな行い」によって、それらがやがて大きなムーブメント(運動)となるということです。
 私たち大学関係者も、グローバルな課題に対する学生への積極的な啓発をはじめ、行動していかなければならないと考えています。これからは、未来を切り開いていく若い世代が中心となって活動していくことが肝要です。
 さらに提言では、教育の機会を失った子どもたちの支援についても言及されています。
 教育は、未来を担っていく子どもたちを育成していく、国の根幹に関わる仕事です。デューイが『民主主義と教育』で“教育はそれ自体、目的である”と指摘したように、教育の目的は子どもの連続的成長を支援・援助していくことです。
 しかし現実には、教育は長らく軍事、政治、経済などの手段と化して、時代に合った「人材」を生産していくことに終始してきた面がありました。特に、経済的に困窮している子どもや、災害や病気で苦しむ子どもなどはその犠牲となっています。その負の循環を、どこかで断ち切っていかなければなりません。
 一つの手掛かりとして、池田会長が提案されている「教育のための国際連帯税」をはじめ、教育支援のための基盤を強化するための方策を検討することは大変、素晴らしいと思います。
 かねて池田会長が提唱されてきた「教育のための社会」を建設していくために、今こそ牧口会長、戸田会長、池田会長の一貫した“価値創造の豊かなる存在としての人間”という人間観、原水爆禁止等の平和主義、対話重視の共生的精神が広がっていくことを期待しています。
 わたなべ・ひろし 教育学博士。専門は教育学、道徳教育、日本教育史。宇都宮大学教育学部附属小学校校長、作新学院大学人間文化学部長などを歴任し、2017年から現職。


【特集記事・信仰体験など】

◆ 〈福島発〉JR常磐線物語 富岡-浪江駅間が運行再開し、9年ぶりに全線開通

 東京、千葉、茨城、福島、宮城の太平洋沿岸を結ぶJR常磐線は、東日本大震災で被災し、福島第一原発事故の影響を受けた。今月14日、最後の不通区間だった福島県の富岡―浪江駅間(20・8キロ)が運行再開。9年ぶりに全線開通した。これまでも、これからも――福島の同志は常磐線と共に“福光の物語”をつづる。(取材=中村広宣、佐藤絢輝)

ここまで来たんだな……
 「おかえり 常磐線」――3月14日は、あいにくの小雨。寒さで手がかじかむ。それでも浪江駅は、下りの一番列車を待つ人々の熱気で満ちていた。横断幕を掲げた住民もいれば、仮装した若者らの姿も。全員が“今か、今か”と、その到着を待っていた。
 「来た!」。東京・上野駅を午前8時に出発した特急「ひたち3号」が入線すると歓声が上がった。その光景を感激の面持ちで見つめるのは佐藤晴夫さん=福島北圏・北福島支部、副支部長。「感無量です。ここまで来たんだなって……」と声を詰まらせた。
 昨年4月の退職まで県内の常磐線の各駅に勤務した佐藤さん。この日は、自身のふるさとであり、駅員として思い出を刻んだ浪江駅で一番列車を迎え、その後、普通列車に乗って浪江―富岡駅間を往復した。
 車窓からの町並みは震災前と一変した。海が見えた場所には、かさ上げされた防潮堤が。朽ちかけた家々や草が伸び放題になった田畑も。着実に進む復興と手付かずの現実。その両面が見える。
 佐藤さんは新たに居を構えた福島市内で、昨年12月から民生委員に。町民の安否確認に歩く。「それが今、私が故郷のためにできることです」
 
常磐線は私の人生の一部です
 「駅に着くたびに歓迎してくれる方々がいて、胸が熱くなりました」。特急の一番列車に乗った山田哲夫さん=福島旭日県・原町勇者支部、副支部長(地区部長兼任)。7年前まで常磐線の車掌だった。
 退職後も、不通区間の解消を報じる新聞記事が出るたびに切り抜きを集めた。「常磐線は私の人生の一部です」
 国鉄時代から数えて勤続38年。無事故への真剣な唱題で一日を出発してきた。
 安全を期す姿勢が評価され、会社からは何度も表彰を。この間、妻が病で早世。さらに父を交通事故で、震災後の避難生活の最中、母も亡くした。命の重みを痛感したからこそ、車掌としての責任を断固、全うしてきた。
 若き日から、毎年100万遍を目標に記してきた唱題表は26枚目に。広布最前線のリーダーとして、同志の幸福と地域の安穏を強く祈る。
 
駅から見える日の出は最高
 原発事故により、福島県外で避難生活をする人は、今なお3万914人(2020年2月10日現在)。故郷につながる路線の再開は、そうした友の喜びにもなっている。
 「駅から見える太平洋の景色が素晴らしくてね。特に日の出は最高なんですよ」
 長年、富岡駅の周辺に住み、震災後は千葉県富津市で暮らす木幡正子さん=君津県・天羽支部、地区副婦人部長=は、しみじみと振り返る。
 海沿いに位置する同駅は、あの日、強烈な波浪にのみ込まれ、水が引くと駅舎は土台以外、跡形もなくなった。
 駅はその後、100メートルほど北に移築され、17年10月から利用が開始。今回の開通によって折り返し点でなく南北を結ぶ駅に戻ることができた。
 木幡さんは、富岡で本紙配達員を務めるとともに、大好きな花を通して友好対話を広げてきた。富津の地でも配達を担い、持ち前の明るさで地域に信頼を結ぶ。同郷の友人の誕生日には必ず電話を掛け、旧交を温めている。
 「どこにいても人にやさしい地域づくりに貢献したい」

“弾む”線路の音
 常磐線の復旧を待ちわびていたのは乗員、乗客だけではない。
 遠藤徳行さん=福島旭日県・原町勇者支部、地区幹事=は、妻・ミチ子さん=支部副婦人部長=と原ノ町駅前でお食事処「みなとや」を営む。
 来月で創業60周年。一番の得意先は原ノ町駅だ。乗降客や駅員の昼食、国鉄時代は毎日のように宿直の出前もあったという。それだけに、「久しぶりに特急列車が走った時、線路の音が弾んで聞こえました」(ミチ子さん)。
 震災後は地域でいち早く営業を再開。長年、地元の旬の魚の定食が売りだったが、漁業の試験操業が続き、メインを肉料理に切り替えた。だが「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」(御書1295ページ)との御聖訓を胸に料理の腕を磨き、客足が絶えることはない。夫婦は誓う。「信心を持った人間の底力を証明するのは、これからです!」
 
夢を乗せて走る
 復興の大きな目標であった常磐線の再開通は、新たなまちづくりを支える大切な“日常の足”となる。
 今春、山形県の短大を卒業し、生まれ育った広野町に戻った松本彩華さん=新世紀圏・広野支部、女子学生部員。就職先は避難指示が解除された南相馬市小高区で開店したブックカフェだ。初出勤日がまさに常磐線の開通日。帰還困難区域をまたぐ片道50分の距離を電車に揺られて通う。
 中学校の3年間は、いわき市内の仮設住宅から登校。ストレスからか学校に通えなくなった時期が。母が連れていってくれた書店で本に触れた時、心がほっと満たされた。
 大好きな本は池田先生の少年時代の思い出をもとに創作された『ざくろの詩』。こんな一節がある。「りっぱな人間になるためには、よい師にまなんで、恩をわすれず、よい友だちを持つことだ」
 広野町内に新設された県立ふたば未来学園高校に進学。学校生活の中で大きな目標を見つけた。この町内で書店を開くことだ。
 「夢を実現することが、支えてくれる全ての人と故郷への恩返しになるから」。常磐線は、そんな松本さんの未来も乗せている。
 
みんな、きょうまで頑張ってきたんです
 踏切の音が鳴り、遮断棒が下り、線路の上を電車が走る――当たり前の毎日がよみがえった。
 土壌や農作物などの放射能測定の仕事に従事する清水三郎さん=いわき太陽圏・江名支部、副県長(新世紀圏長兼任)。富岡町の職場からは警笛音を鳴らしながら電車が通過する風景が見える。“ああ、いよいよだな”
 発災以来、双葉郡を広布の舞台とする新世紀圏の責任者として激励に駆けてきた。「帰還した方も、新天地で奮闘する方も皆、きょうまで本当に頑張ってきたんです」
 これからも共に――その祈りを込め、今も、県内外にいる同志へ、励ましのメールを送り続けている。
 今年の「3・11」の本紙で掲載された随筆「『人間革命』光あれ」。池田先生が常磐線に乗り、福島の浜通り(沿岸地域)で結んだ同志との出会いのドラマを、清水さんは食い入るように読んだ。
 「“あの海も、この山も池田先生が見られたかも”と思うと、胸がいっぱいです。どこまでも池田先生と共に! 今いる地域を常寂光土に! それが私たちの覚悟であり、誓いです」
 池田先生はかつて、試練と戦う福島の友に呼び掛けた。
 「皆さん方の一日また一日の不撓不屈の体験こそ、人類史に輝きわたる、かけがえのない『未来までの物語』です」と。
 常磐線とともに同志が紡ぐ物語――それは、自身と地域の明日をつくる師弟共戦の開拓史である。

特急「ひたち」

◆私の大好きな大崎上島 魅力 アオハル 無限大〈信仰体験〉 2020年3月27日

瀬戸内海と島々を望む、大崎上島の最高峰・神峰山にたたずむ川本麻美さん

瀬戸内海と島々を望む、大崎上島の最高峰・神峰山にたたずむ川本麻美さん

 【広島県・大崎上島町】「私のアオハル(青春)は――」。視線の先に、きらめく海、いくつもの島。少し考えて、川本麻美さん(18)=高校3年=が言葉を紡いだ。


◆〈ライフスタイル〉 日本酒造りを体験できる「酒蔵ホテル」開業へ 2020年3月27日

 この春、日本酒造りの職人・蔵人の体験ができる日本初の「酒蔵ホテル」が、長野県佐久市にオープンします。場所は、創業300有余年の歴史を誇る橘倉酒造の敷地内。「ひたすらに自分を見つめて、学校や島の魅力を届けられた、かな」
 地域連携型授業「大崎上島学」など、教育で注目を集める大崎上島。川本さんは、この瀬戸内海に浮かぶ離島から来月、創価大学に進学する。
 卒業した大崎海星高校は、かつて、生徒数が減り、廃校の危機にあった。
 そこで誕生したのが、クラブ活動の「みりょくゆうびん局」。
 3年前、彼女のアオハルが走り出した。

ゆうびん局員になる                      ◇◆◇
 “こがな高校、来るんじゃなかった”
 それが入学した時の私の思いでした。1学年1クラス。少し前は、全校生徒が63人にまで減り、廃校の危機もあったらしくて。
 私が生まれた大崎上島は人口約7400人。高齢化が進み、約半分は65歳以上です。
 小・中学校も統廃合が進み、お姉ちゃんが通っていた中学校も廃校になりました。
 空き家は壊され、景色がどんどん変わっています。
 1年生の夏。「みりょくゆうびん局」ができました。
 島の発展のため、高校を無くさないために魅力を届けよう――教員から誘われた時、私にはムリだと思いました。
 プレゼンやディスカッションなんて大の苦手。自分の意見を言えないし、高校や島のPRなんてできない。
 でも、島のことは好きだから、挑戦すると決めました。
 けど、ゆうびん局員になっても、苦手なことはなかなか変わりませんでした。

全国の未来部はすごい
 ミーティングが盛り上がっても聞くだけしかできなくて。私がやってても意味ない。辞めようかなと考えたこともありました。
 そんな自分を変えたいと思っていた高校2年の夏、全国未来部夏季研修会に参加しました。
 同世代のみんなのすがすがしい笑顔、ハキハキとした姿。もうほんとに感動。
 そこで気付いたのは、臆病な自分。心の中が“変わりたい”から、本気の“変わろう”になったんです。
 それから、少しずつ発言するように。秋には、中国総会(本部幹部会)での合唱メンバーに選ばれて。
 お父さんの運転する車でフェリーに乗って練習に通いました。歌は緊張したけど、前よりも成長できた気がします。
 私は、地区で一人だけの未来部員。
 座談会では自分が何かをすると、みんな喜んでくれる。会合で悩みを抱えている人の話を聞くと、自分と重なることもあって。島のいろんな人を知ることができて、生き方を吸収できるのがうれしい。
 悩んでいる時には、朝の読書時間に池田先生の『未来対話』を開きました。強くなった気分になれるんです。
  
カラオケ好きな家族
 お母さん<民恵さん(49)=支部婦人部長>は、何でも言える存在で、話も面白い。
 お父さん<一穂さん(59)=支部長>は、会合で話すのが得意じゃない。いっつもお母さんに怒られながら、頑張ってます。
 でも、お父さんはすごくまじめ。朝早くから聖教新聞を配達していて、すごい。
 おじいちゃん<岡本久さん(77)=副本部長>とおばあちゃん<昭子さん(78)=婦人部副本部長>は、全国に友達がいて尊敬します。
 「孫がかわいいんじゃ」って言うけど、私からすると二人の方が、ずっとかわいい。
 みんな仲良くて、よくカラオケに行くんです。
 美空ひばりや北島三郎の歌を聞いて、私は、あいみょんとかを歌います。
 お母さんは、荻野目洋子のダンシング・ヒーローをダンス付きで。すごいんです……。
 こんな家族に支えられて、いろんな挑戦ができました。
 大阪まで行って学校紹介のイベントに参加したり、学校見学ツアーの企画・運営をしたり。広島大学や県の教育委員会でのプレゼンも。
 私が企画した廃校を使ったイベントも、役場の人と相談しながら実現できたんです。

創価大学50期生に
 この3年間、いっぱい学びました。
 魅力は見つけるものではなくて、つくるもの。主体的になると、行動が生まれます。
 魅力が分からなかったら、つくるのが一番です!
 進路は、創価大学に決めました。未来部研修会の時、現役生の人たちが輝いて見えて。
 学校で合格を知った時、最初におばあちゃんに電話しました。
 その場にお母さんもいて、「おばあちゃん、小躍りしながら泣いて喜んどったよ」と言ってました。
 池田先生に会ったことはないけれど、会合や受験の時に激励があって。未来部をすごく大事にしてくれているのを感じます。
 
 先生は『未来対話』の中で、性格の悩みについて書かれていました。心に残った言葉があります。
 「答えは、君の、あなたの中にある。悩みながら、もまれながら、君だけが持つ素晴らしさを、自分の心の大地から遠慮なく掘り出してほしい」
 たくさんの人のおかげで、入学した時には想像できなかったくらい、成長できたって思っています。
 まだまだ無限に成長できる。
 私のアオハルは続きます。
 島を離れるのは寂しい。新型コロナウイルスの影響で入学する時期がずれた分、島中の写真を撮っておこうと思います。
 日本や世界から集まる新入生に見てもらいたいから――。
  

●祖母の念願
 「さびれた家じゃけど、孫が作ったものを飾ると、ここは展示会場じゃ」
 そう言って、祖母の岡本昭子さんはにっこり笑った。
 「8人の孫のうち1人は、創価教育を受けさせたかった」と、涙をにじませる。
 島の発展、青年部の成長を祈り抜いた年月。入会3年後の1972年(昭和47年)から、聖教新聞の配達を。
 自転車の前後に2人の娘を乗せ、坂の多い島を回った。生活が貧しく、建設作業員として汗を流した日々も。
  
 生きる指針を得たのは、78年の第1回「離島本部総会」。
 「池田先生は、離島の私たちを大切にしてくださり、何度も励ましてくださる。心が明るくなったんじゃ」
 飾らず陽気な人柄で多くの島民から慕われる母に育てられた民恵さん。
 かつての母と同じ支部婦人部長として島を駆ける。母に劣らぬ明るい人柄だ。
 川本さんが「ダンス、すごいよね」と言えば、「あんなのはまだまだ。もっと激しいダンスが踊れるんよ」と、にやり。
 一家の魅力も、母のアオハルも、無限大。

2020年3月26日 (木)

2019年3月26日(木)の聖教

2019年3月26日(木)の聖教

◆わが友に贈る

 我らの信心は――
 苦難に勝つためにある。
 幸福になるためにある。
 ゆえに今日という一日を
 大切に生き抜こう!


◆名字の言 現代の技術でも再現が難しい製鉄法「たたら」。その職人技の極意とは?

 島根県の山間部には「たたら」と呼ばれる日本古来の製鉄法が今も残る。燃え盛る炉で三日三晩、砂鉄を溶かし、「玉鋼」という鉄を造る。その質の高さは現代の技術でも再現は難しいとされる▼一度、作業が始まれば、炉の中にある鉄の様子は分からない。だが、たたら師には、それを“見る”技があった。その日の砂鉄の手触り、炎の色、空気の流れ……。五感を研ぎ澄ませ、鉄に向き合うことから「誠実が美鋼を生む」といわれた▼心を鍛錬する中で一流の技は磨かれる。同県のドクター部の壮年は山間地域で診療所を開いて28年。「たった一人で診察するのに大切なこと」を問うと「多くの医療技術を持つ以上に、謙虚であることです」との答えが。孤独、惰性、慢心――祈りを根本に自身の心と戦うからこそ、患者の何げない一言や表情から病状に気付けるという▼人の見えない心を見抜く仏の力を「眼根清浄」という。神秘的な超能力などではない。衆生を救おうとする慈悲の一念が「智慧の眼」を開き、人々の悩みを見抜くことを可能にすると説く▼御書に「鉄は炎打てば剣となる」(958ページ)と。鉄は高温の炎で熱し、何度も打つことで不純物が除かれる。人間も同様に、たゆまぬ精神闘争の中で、宝剣のごとき人格が輝き始める。(子)


◆寸鉄

トインビー・池田対談に
平和への普遍的指針が―
総長。青年が率先し学べ
     ◇
「一切法華経に其の身を
任せて」御書。どんな時も
題目!勝利の兵法ここに
     ◇
スマホの「ながら運転」
による死亡事故に実刑。
一瞬の油断が人生を破壊
     ◇
世界保健機関装う詐欺発
生。メールで偽サイトに
誘導し情報盗む。警戒を
     ◇
家庭排出のCO2が10%
減―環境省。行動の積み
重ねで持続可能な社会へ


◆きょうの発心 四条金吾殿御返事 熊本池田県総合婦人部長 井本留保子2020年3月26日

御文 苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ(四条金吾殿御返事、1143ページ・編880ページ)
通解 苦を苦と覚り、楽を楽と開き、苦しくても楽しくても南無妙法蓮華経と唱えきっていきなさい。

師の度重なる激励に感謝し前進
 題目を唱えられること自体が幸福であると教えられています。
 わが家の広布史は、大病を患った母が、父の猛反対を押し切って、2歳の私と共に入会した日から始まりました。4歳の時に大やけどを負った私は、母の懸命な祈りで、蘇生し、その後、父も入会。この一節を拝して祈り抜き、宿命を乗り越え、一家和楽を勝ち取った母の姿から、信心を学びました。1981年(昭和56年)12月、邪宗門の悪侶や反逆者らの攻撃に耐え抜いた熊本の同志のもとを池田先生が訪問。熊本文化会館(当時)近くの壱町畑公園で、先生と一緒に「田原坂」を大合唱し、「生涯、師と共に! 必ずや広布の人材に成長しよう」と誓いました。
 4年前の熊本地震では、恐怖と不安の毎日の中、先生の「断じて、負けるな! 今こそ不撓不屈たれ!」との激励が希望の指標となりました。2018年(平成30年)に、“復興のシンボル”として新「熊本文化会館」が開館し、報恩感謝の思いで前進しています。熊本池田県は、青年部を先頭に、「自行化他」の題目に挑戦し、全てに大勝利していきます。


【先生のメッセージ】

◆〈心に御書を〉29 「ありのまま」に祈り抜け2020年3月26日

〈御文〉
 此の文は煩悩即菩提生死即涅槃を説かれたり、法華の行者は貪欲は貪欲のまま瞋恚は瞋恚のまま愚癡は愚癡のまま普賢菩薩の行法なりと心得可きなり(御義口伝、785ページ)
〈通解〉
 この文(法華経の結経である普賢経の「不断煩悩不離五欲」)は「煩悩即菩提」「生死即涅槃」を説かれたものである。法華経の行者は、貪欲は貪欲のまま、瞋恚は瞋恚のまま、愚癡は愚癡のままで、「普賢菩薩の行法」となると自覚していくべきである。

〈池田先生が贈る指針〉
 「煩悩即菩提」の仏法である。見栄や体裁などにとらわれず、ありのまま、御本尊に祈りをぶつけていけばよいのだ。
 なかんずく「広宣流布」の悩みは、尊き仏の悩みである。法のため、人のため苦労した分、境涯を開き、人間革命できる。
 どんな苦悩にも負けずに、自在の振る舞いで、社会へ価値を創造していくのだ。


◆池田先生の指針とともに  わが家で創価の心を学ぼう!
 元気な一日は「朝に勝つ」ことから

一人一人が“師子の子”に――ペルーSGIの未来部の集い(昨年2月)

一人一人が“師子の子”に――ペルーSGIの未来部の集い(昨年2月)

【池田先生の指針】
 私たちの一日は、みんな平等に24時間あります。それは、朝、太陽が昇り、夜になると沈み、そしてまた朝になって昇るまで、すなわち、私たちの地球が一回りするのに、ちょうど24時間かかるからです。
 私たちの生活は、太陽のリズムに合わせて、朝はじまり、夜に終わります。
 この太陽のリズム(地球の自転)に合わせた生命の「時計」が、私たちの体のなかにあります。
 私たちの体のなかの「時計」は、朝の太陽の光を浴びることで、正しいリズムがきざまれるようになっているのです。
                    ☆☆☆ 
 元気な朝から、元気な一日をつくる。そのリズムで一日一日を積み重ねれば、元気な一年、元気な青春、元気な一生につながります。
 若いとき、「朝に勝つ」リズムをつくれば、とても「得」なのです。
 私の人生の師匠・戸田先生も、朝を大切にされました。早朝に、さえた頭で、鋭く思索されていました。それが、天才的な発想を生み、「20世紀の奇跡」とまで呼ばれた創価学会の大発展の力となったのです。
 私たちの朝夕の勤行・唱題も、自分で正しい生活のリズムをつくり、健康で幸福な、勝利の人生を歩むための原動力です。
 私の一番の願い――。
 それは、みなさんがいつも元気で笑顔であることです。みなさんが健康で成長してくれることです。
 そのために、朝が勝負です。夜は早く寝て、朝は早起きして題目をはつらつと唱え、元気に出発してください。
                     ☆☆☆ 
 私が対談したモンゴルの大作家のツェデブ博士も、「早起きすると新しい発見があり、何かが自分のために開かれ、その発見によって勇気がわいてくる」と言われていました。
 さあ、きょうも元気に、笑顔で、勇気の一歩をふみ出そう!
 (『希望の大空へ わが愛する王子王女に贈る』)


【聖教ニュース】

◆創価大学 法学部・法曹コースを新設 看護師試験で全員合格  2020年3月26日

「学生第一」の教育環境の整備が一段と進む創価大学のキャンパス。今春も次代を担いゆく英才たちが、“人間教育の大城”から巣立った

「学生第一」の教育環境の整備が一段と進む創価大学のキャンパス。今春も次代を担いゆく英才たちが、“人間教育の大城”から巣立った

 創価大学(東京・八王子市)は、明2021年に開学50周年を迎える。
 この佳節に向け、創大では、「人間教育の最高学府たれ」「新しき大文化建設の揺籃たれ」「人類の平和を守るフォートレス(要塞)たれ」の「建学の精神」のもと、社会貢献の新たな価値を生み出す「創造的人間」を育成する取り組みを加速させている。

司法試験に最短5年で挑戦できる「法曹コース」

 このたび、文部科学省の認定を受け、創大法学部に、「法曹コース(連携法曹基礎課程)」が設置されることになった(19年度入学者から対象)。
 創大法科大学院と連携することにより、体系的な教育課程を編成し、法曹志望者や法律の学修に関心のある学生に対して、学部段階から、より効果的な教育を行うもの。
 これにより、大学を3年で早期卒業し、法科大学院(2年コース)に在学しながら、司法試験に臨むことができるようになる。最短の場合は、従来より2年早く、大学入学から5年目で司法試験の受験が可能となる。
 法学部にはこれまで、法科大学院の既修者コース(2年間)への進学を目指す「GLP(グローバル・ロイヤーズ・プログラム)」が設置され、法理論と実務の懸け橋となる授業や、きめこまかな個人指導等が行われてきた。
 今後はGLPが「法曹コース」として位置づけられ、より法科大学院との連携を強化した法曹教育を推進していくことになる。
 民衆を守る法曹を社会に陸続と!――創立者・池田大作先生の精神を高く掲げ、法曹界に知性と人格光る人材を輩出していく。
 「法曹コース」の詳細は創大法学部のウェブページ(https://www.soka.ac.jp/law/course/legal/glp/)を参照。

看護師国家試験の受験者が全員合格
 一方、創大看護学部では、第109回看護師国家試験(19日発表)の受験者が「全員合格」を果たした。
 同学部は、2013年4月に、創大初の保健看護学系学部として開設。今春、人間教育の城を巣立った4期生は、“草創の学部建設”に汗を流すとともに、後輩の道を開こうと、勉学や実習に全力で取り組んできた。
 一人一人が心の支えとしたのは、同学部の開設時に贈られた、「生命の尊厳を探究する生涯学びの看護」「生きる力を引き出す励ましの心光る看護」「共に勝利の人生を開く智慧と慈悲の看護」との池田先生の指針だった。
 4期生たちは、この指針を体現する看護師を目指し、臨床現場の最前線に、新たな一歩を踏み出す。

社会福祉士国家試験でも健闘
 また、第32回社会福祉士国家試験(13日発表)では、文学部の6人(既卒者1人含む)が合格した。同学部では、11年に社会福祉専修が設置されて以来、多数の合格者が誕生。豊かな人間性と高い専門性を備え、人々の暮らしに貢献しゆく“福祉のエキスパート”を育成する潮流が着実に広がっている。


◆大白蓮華4月号が完成 2020年3月26日

 「大白蓮華」4月号が完成した。
 池田先生の巻頭言は「学ぶ誇り 人間革命の喜び」。「仏法を少しでも学ぼうという求道の心自体が大善根であり、そこから無量の希望の光が生まれる」と強調。「真実一切衆生・色心の留難を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり」(御書1170ページ)との御聖訓を拝し、「『色心の留難』が渦巻く世界だからこそ、御書根本に、いやまして勇敢に誠実に妙法を語り抜いていくのだ」と呼び掛ける。
 講義「世界を照らす太陽の仏法」のテーマは、「誰もが輝く『人間主義の世紀』へ!④」。「一生成仏抄」等を拝して、自身の内面を変革していくことによって、自分を取り巻く環境をも変えることができる日蓮仏法の法理を学ぶ。
 また今号では、「教学部任用試験」の出題範囲の解説を掲載する。
 209円(税込み)。地域によって配達日が異なります。電子書籍は、希望小売価格188円(税込み)。価格や配信日は各電子書店によります。  


◆池田先生が監修した「現代語訳 観心本尊抄」の電子書籍が発刊 2020年3月26日

 池田先生監修、創価学会教学部編の『現代語訳 観心本尊抄』が電子書籍で発刊された。
 本書では、「観心本尊抄」(御書238ページ~255ページ)とともに、参考として、「観心本尊抄送状」(同255ページ)の現代語訳も収録されている。巻末には、同抄の御文を全文掲載。さらに解説も付記しており、同抄の御執筆の背景や構成、題号について、簡潔にまとめられている。
 「受持即観心」や「本門の本尊」等、日蓮仏法の根幹をなす重要な法理を研さんし、一切衆生の成仏を実現する民衆仏法の真髄を学ぶ一助となろう。
 希望小売価格は、917円(税込み)。「Kindleストア」「楽天Kobo電子書籍ストア」「honto」「Apple Books」「BookLive!」「Reader Store」「紀伊國屋書店ウェブストア」「COCORO BOOKS」「セブンネットショッピング」で購入可能です。 

◆フィリピン・イースト大学「池田シンポジウム」から㊦  2020年3月26日
 基調講演 シドニー大学名誉教授 スチュアート・リース博士

 フィリピンのイースト大学カロオカン校で行われた第2回「池田シンポジウム」(2月29日)から、今回はオーストラリア・シドニー大学名誉教授のスチュアート・リース博士の基調講演の要旨を掲載する。

SDGs実現に必要な池田会長の五つの理念
 国連のSDGs(持続可能な開発目標)の17項目は、貧困や不平等、気候変動、環境劣化、平和と公正などに向けて、世界が取り組むことを呼び掛けています。目標は相互に関連しており、それぞれを立て分けて考えてはいけません。例えば「平和と公正」は、貧困撲滅と関連し、「低炭素化」は人権尊重と関連しています。
 人権や環境保護、一人一人の生活の質の向上を掲げた国連による世界的規模の目標を前に萎縮しないために、これらの課題を要約して話したいと思います。
 そのためには、池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長が宣揚する五つの理念を理解する必要があります。

運命を諦めない
 一つ目は「運命の回避」です。人権の侵害、地球温暖化の脅威、平和に逆行する戦争に対し、青年には変革を起こす力があります。「何もしない」という選択肢は存在しません。
 たった一人であっても社会的正義に貢献できます。しかし、同じ目的を持つ他者とも力を合わせるべきです。共通のニーズと関心事を共有する対話を通して、他者との連帯を築くことができます。また環境保護に向けた行動は、交流と対話によって実現可能です。
 各人で気候変動に取り組もうとしても無力感にとらわれてしまいますが、他者と対話することで自身のライフスタイルにおける変革を見いだし、社会・経済的政策を訴える方途を見つけることができるのです。

世界の相互関連性
 二つ目に「世界の相互関連性」です。これは、「他者から孤立して生きることはできない。他者と接し、互いに対話せねばならない」という仏教の考え方と関係しています。
 伝染病や戦争に国境はありません。新型コロナウイルスの大流行は、私たちが「地球村」に住んでいることを示唆しています。遠方に住む人たちが即、隣人となるのです。
 イギリスの詩人ジョン・ダンは、こう警告しています。「人は誰も孤島ではない/一人っきりで完結してはいない/誰もが大陸のひとかけらであり/おおきな全体の一部なのだ」「人の死もこれと同じで/自らが欠けてゆく/なぜなら私もまた人類の一部だから/ゆえに問うなかれ/誰がために鐘は鳴るやと/それは君のために鳴るなれば」
 この著名な詩人の言葉は、決して偶然ではありません。池田会長と私の対談集『平和の哲学と詩心を語る』では、平和と正義が一体化した未来を実現するためには、「詩心」が、その手段となり得ることを論じています。 

正義に基づく平和
 三つ目は「正義に基づく平和」です。
 平和とは争いに終止符を打つことですが、この「正義に基づく平和」は、それよりもはるかに包括的なもので、紛争終結後の人権闘争を指します。
 「正義に基づく平和」の目的とは、貧困やホームレスに終止符を打つことであり、ジェンダーや人種や民族による差別をなくすことであり、核軍縮を実現することです。核軍縮は、池田会長の毎年の平和提言でも常に訴えられています。
 これらの目標は、人類の平和、動物に対する人道的な扱い、地球を大切にするという、さまざまな課題を結び付けてくれます。
 環境を大切にする心は、あらゆる人権を守ることと一体です。この点について、オーストラリアの先住民族アボリジニから教えてもらった教訓を思い出します。彼らは私に「人間の健康は、その土地の健康状態と関連している」ことを教えてくれました。川を汚染し、森林を伐採し、魚を乱獲し、環境を破壊することは、人々の健康に害を及ぼします。先住民族にとって、「土地の権利」と「人権」は表裏一体なのです。
 環境や不可欠な自然資源を養い、保護し、収穫するために、「正義に基づく平和」に向けた話し合いにおいては、将来を見据え、私たちの価値観や互いへの配慮を見直すことが求められます。
 また、「正義に基づく平和」実現のためには、「労働・仕事」の有効性や有用性の前提を考え直す必要もあります。「労働や仕事を通して収入を得る」以外の生き方が、生まれるのではないでしょうか。
 このような考え方や生き方を実現するためには、個人志向の資本主義経済から、より強い社会の連帯感や相互依存性を構築するための転換が求められます。

シンポジウムを記念した文化祭では、イースト大学の合唱団が「母」を日本語で歌い上げた(2月29日、同大学カロオカン校で) 


シンポジウムを記念した文化祭では、イースト大学の合唱団が「母」を日本語で歌い上げた(2月29日、同大学カロオカン校で) 


非暴力の推進

 四つ目は、「非暴力の推進」です。マハトマ・ガンジーは、非暴力は単なる生活様式ではなく生活法である、と述べています。池田会長は、「暴力の文化」から「平和の文化」への転換に言及しています。
 「非暴力」とは哲学であり、言語であり、実践です。人間主義者や歴史家が「非暴力」を語る際、慈悲と勇気にも言及します。慈悲と勇気は、健全な心身に資するものです。慈悲の欠乏や臆病な手段は、個人、家族、団体、地域、社会の弱体化につながりかねません。
 アメリカの「銃社会」は、人間生命の軽視を助長しています。富裕層を称賛し、貧困層を非難する自由市場経済政策もまた「暴力」であり、「非暴力」を全く理解していません。
 さまざまな問題を解決する薬があるとすれば、それは「非暴力の言語化」です。ただしこれは単に、言葉に依存するものではありません。
 私たちは自らのアイデンティティー(自己同一性)を多種多様な形で非暴力的に表現できます。服装や室内装飾、好きな音楽、芸術、詩歌などを通して非暴力的に表現できるのです。見知らぬ人や友人に対する感謝やもてなしによって表現する「信頼と愛情のこもった人間関係」も、非暴力の言語化の重要な要素です。
 人権に激しく対抗する社会にあって、連帯を通して育まれる「勇気」は、非暴力を強固なものにします。絶望の淵に沈んでいても、勇気ある共同行動は、「不正」に対抗する原動力となります。歴史を見ても、かつての奴隷の解放、奪われた女性の権利や虐げられた少数派の自由は、非暴力の抵抗によって獲得されてきました。 

エゴイズムでなく
 最後の五つ目は「エゴイズムではなく利他主義を」です。どのような立場であれ政策であれ、人権を尊重するのであれば、貪欲や利己主義、暴力を「利他主義」と取り替えなければなりません。
 「エゴイズム」は、金銭やその他の利益を得るために他者を搾取するような行為を露呈します。「利他主義」とは、あらゆる政策にあっても、各人のあらゆる営みにおいても、公正で平等な機会を提供するために努力することです。
 資源を分かち合い、社会的・経済的な平等を実現する意欲を持ってこそ、社会の公正と非暴力な世界を実現し得るのです。
 環境保護とは未来の世代が生存可能で人生を楽しめるよう、地球を健全な状態であるよう慎重に管理することです。環境に対する今日の搾取的な行為は、未来の世代に対する虐待です。
 国民皆保険制度は、「エゴイズム」の代わりに「利他主義」を優先した一例です。国民皆保険制度は、治療費や医療費を懸念する国民に安心を与えます。病気になることで“罰金”を科されることのない市民社会の基盤となります。
 このような制度は、「贈与関係」の具体化です。「贈与関係」とは、見返りを求めずに見知らぬ人の幸福に寄与することです。
 「利他主義」の価値観や理念と「贈与関係」が興隆していけば、世界の青年に対する励ましとなり、国連のSDGsの達成に向かうことになります。
 以上、五つの理念を挙げましたが、その一つ一つの価値観を人類共通の「言語」を通して表現し、理解する必要があります。「正義に基づく平和」を促進し、人権のために戦い、大切な環境の保護を主張するためには、その「言語」を話すことに確信を持ち、スキルを身に付け、情熱を持たねばならないのです。


【特集記事・信仰体験など】

◆池田先生の会長就任60周年 青年部が原田会長に聞く
 第2回 未曽有の世界広宣流布㊦

〈出席者〉西方男子部長、大串女子部長、樺澤学生部長、林女子学生部長
“この人と会えるのは今しかない”――
「一人」への信義が 崩れぬ友情に

 ◆大串 池田先生はこれまで10度訪中され、日中に友好の「金の橋」を築いてこられました。原田会長も同行された初訪中(1974年<昭和49年>5、6月)では、北京、西安、鄭州、上海、杭州、広州と移動し、大変なハードスケジュールでした。そうした中、北京で小さな女の子に、「おじさんは、どこから来たのですか」と問われた先生が、「日本から来ました。あなたに会うために来ました」と答えられた話は、強く印象に残っています。
  
 ◇原田 初訪中の際、先生は要人はもとより、道行く少年であれ、労働者の壮年であれ、一人の人間として真心で激励され、友情を結んでおられました。
 私は思わず、「先生は、いつ、どこにあっても、相手の心を的確に捉えた、励ましの言葉を掛けられますが、その秘訣はなんなのでしょうか」と、お伺いせずにはいられませんでした。
 これに対し、「秘訣などあるわけがない。私は真剣なんだ。この人と会えるのは今しかない。その中で、どうすれば心を結び合えるかを考え、神経を研ぎ澄まし、生命を削っているのだ。その真剣さこそが、智慧となり、力となるんだよ!」と教えてくださいました。実践の中で学んだ指導は私にとって、大事な教訓になっています。
  
 ◆西方 先生はまた、周恩来総理、鄧小平副総理、江沢民国家主席、胡錦濤国家主席と4世代にわたる中国の指導者と交流を深めてこられました。原田会長が特に印象に残っているシーンはありますか。
  
 ◇原田 1985年3月、胡錦濤氏が中国青年代表団を率いて、初めて日本に来られた時のことです。胡錦濤氏が団長で、李克強・現首相が副団長でした。
 先生はこの時、2月末から九州指導を行っていました。しかし、大事な未来の指導者が来日されると聞き、予定を変更して東京に戻り、会見されたのです。
 そのことを聞かれた胡錦濤氏らは非常に感動されていました。その後、胡錦濤氏が国家副主席になったばかりの98年(平成10年)や国家主席として来日した2008年の会見の際も、その話が話題になりました。18年、来日中の李克強首相とお会いした際、先生からの漢詩をお渡ししました。大変に喜ばれた首相から「金の橋は永遠に堅固にして(池田先生の)風格は永久に不滅である」(大意)との返書が届けられました。
 国交正常化後、中国から初の国費留学生を、日本の大学の中で最初に創大に受け入れた際(1975年)も、先生は自らが身元保証人になりました。
 中国が天安門事件等で国際的孤立を深めていた頃には、あえて約300人の大交流団を結成し、訪中されました(90年)。
 初訪中の際、先生は中日友好協会の廖承志会長に「もし、お国が大変な時は、遠慮なく創価学会にSOSを発信してください。たとえ1000年先、1万年先でも応援に来ます」と語られました。先生は、その約束を果たし続けてこられたのです。
 この1990年の訪問の際、周総理夫人の鄧穎超氏は、周総理の形見の象牙のペーパーナイフと、鄧氏が愛用された玉製の筆立てを「どうしても受け取ってほしい」と先生に贈られました。どれほど、深く先生を信頼されていたかがうかがえます。
 先生は一貫して、「一人」への誠実な行動に徹してこられました。何があっても、信義の道を貫かれました。そして、未来のため、青年との交流を大切にされたのです。だからこそ、崩れざる友情が築かれたのです。学会に対する中国の信頼は、池田先生に対する信頼そのものであると強く実感しています。
  
 ◆林 キューバのフィデル・カストロ議長と先生が会談された時の話も、深く心に残っています。
  
 ◇原田 あの時、カストロ議長は、普段の軍服ではなく、スーツ姿で池田先生を迎えてくれました(96年6月)。「国内の公式行事で軍服をぬいだのは、革命以来、初めて」(当時のロイター電)と報じられるほどで、皆が大変に驚きました。
 会見は大いに盛り上がり、30分程度の予定が1時間半程に延びたのです。話は「後継者論」などにおよび、先生は「大事なのは第2代であり、なかんずく第3代です。3代まで固めれば、恒久性ができます。後は、ずっと続いていきます」と言われていました。
 また、「周囲に苦言を呈する人がいた方がよい」などの「指導者論」も展開されました。
 実は会談の後、食事が用意されたレセプション会場に移ったのですが、ここでもお二人は、片隅に椅子を持ち込んで会談を続け、非常に打ち解けて語り合われていました。
 先生が帰国された後、キューバで行われた「日本美術の名宝展」(東京富士美術館所蔵)へ8月に赴いた議長は、先生宛てにメッセージを託されました。それは「私は“革命家”であります。息を引き取る最後の瞬間まで、キューバ人民の尊厳と、キューバ共和国の主権のために戦い続けます」「池田会長も“革命家”であり、日々、民衆の尊厳のために戦っておられます。そのために、どのような目に遭おうとも戦っておられます」という内容のものでした。
 あれから二十数年。キューバでは今、メンバーがはつらつと平和と文化と教育の運動を進め、活躍しています。

戸田先生のこと 語らぬ日はない
 ◆西方 ブラジルについても伺います。74年3月、先生の訪問が直前で中止になるなどの苦難の歴史もありましたが、その後、84年に訪問が実現し、ブラジルは大発展を遂げています。
  
 ◇原田 ブラジルの事情について、簡単に確認しますと、第1次(60年10月)を経た第2次(66年3月)の際は、厳しい官憲の監視のもとで、訪問を進めざるを得ない状況でした。
 この時、メンバーは約8000世帯に躍進していましたが、64年に発足した軍事政権のもと、政治警察が強権を振るっていました。偏見に満ちたマスコミや、学会に敵意を抱く日系人の他宗有力者が、“宗教を偽装した政治団体”“共産主義者とつながっている危険な団体”等と吹聴し、当局がずっと監視していたのです。
 74年の際も、その状況は変わらず、ビザの申請をしても日本のブラジル総領事館から許可されることはありませんでした。
 日本をたつ時、「必ず取れます」と申し上げ、訪問先のアメリカでも、ぎりぎりまで努力しましたが却下されました。そうした中で、最終的にブラジル訪問を断念せざるを得なくなってしまったのです。
 小説『新・人間革命』第11巻「暁光」の章でも描かれていますが、滞在先のアメリカからブラジルに電話をして、サイトウ理事長(当時)に訪問中止を伝えたのは私でした。用件を伝え終えると、先生はすぐさま受話器を受け取り、こう言われます。
 「辛いだろう。悲しいだろう。悔しいだろう……。しかし、これも、すべて御仏意だ。きっと、何か大きな意味があるはずだよ。勝った時に、成功した時に、未来の敗北と失敗の因をつくることもある。負けた、失敗したという時に、未来の永遠の大勝利の因をつくることもある」「ブラジルは、今こそ立ち上がり、これを大発展、大飛躍の因にして、大前進を開始していくことだ。また、そうしていけるのが信心の一念なんだ」「長い目で見れば、苦労したところ、呻吟したところは、必ず強くなる。それが仏法の原理だよ。今回は、だめでも、いつか、必ず、私は激励に行くからね」と。
 この出来事については、先生とブラジルの同志に残念な思いをさせてしまい、私としては慚愧に堪えない思いでした。
 メンバーはそれ以降、断じて先生のブラジル訪問を実現しようと奮闘しました。先生の指導通り、「よき市民」「よき国民」として、地域のため、社会のために献身してきたのです。そして、10年後の84年2月、フィゲイレド大統領の招聘で18年ぶり3度目の訪問が実現します。
 今年2月には、ブラジルSGIのイケダヒューマニズム交響楽団が、ブラジルの日系5団体が開催する「天皇陛下誕生日祝賀会」に要請され、記念コンサートを行いました。その様子を収めた動画を聖教ムービーで見ましたが、心から感動しました。
 この会場は、軍事政権の監視の中で行われた南米文化祭(66年)で、先生がブラジルの同志を大激励した場所と同じでした。
 あれから五十余年。今やブラジルSGIは、各界から絶大な信頼を勝ち得て、社会でなくてはならない存在として輝いています。
  
 ◆樺澤 4度目となった93年2月の訪問の折には、「世界人権宣言」の起草に尽力した、ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁との歴史的な出会いもありましたね。
  
 ◇原田 戸田先生に対する池田先生の「師弟不二」のあり方を、あらゆる時に教わってきましたが、ブラジル訪問でも、池田先生は、「私は、体のどこを押しても、戸田先生の指導が出てくるんだ。一年365日、奥さんと一緒に、戸田先生のことを語らない日はないんだ。映写機のように、当時の情景が浮かんでくるんだ」と言われていました。
 リオデジャネイロの空港でのアタイデ総裁との出会いの直後には、「不思議な方だ。戸田先生が迎えてくださったような気がした」と述べておられました。実際、総裁と戸田先生は、1歳程しか年齢は変わりません。
 その総裁は、94歳の老躯を顧みず、何と到着の2時間前から先生を待ち続けておられました。「別室で休んでは」という出迎えメンバーの勧めに、「私は、94年間も池田会長を待っていたのです。1時間や2時間は何ともありません」と答えられました。先発隊として、空港で先生を待っていた私も、その言葉を直接聞きました。
 総裁は当時も、ブラジルの有名な日刊紙のコラムに健筆を振るい続け、先生のリオ滞在中も連日、掲載されていました。
 「我々は人類の運命の行方を決める一人、池田大作氏を迎えることができた」
 「氏は、『武力』を『対話』に変え、相互理解と連帯の力が、すべての悪の脅威に打ち勝つことを教えたのだ」と。
 そして、先生との対談集『21世紀の人権を語る』の発刊にも全力を注がれたのです。
 リオでの滞在2日目には、池田先生は「私は、このリオの地に、戸田先生とご一緒に来ていると思っている」とも語っておられました。
 戸田先生の生誕の日である2月11日に行われた、リオデジャネイロ連邦大学からの名誉博士号授与式の謝辞では、「貴大学からいただいた尊き称号を、私は最大の誉れとし、わが恩師に捧げたい」と宣言されました。
 この日、戸田先生の出獄後の半生をつづる、小説『人間革命』全12巻の新聞連載が完結し、先生は「あとがき」を書かれます。そこに、「先生の偉業を世界に宣揚することは、弟子としての、私の使命である」「創価桜の大道を行く私の胸のなかに、先生は今も生き続けている」と記されました。
 池田先生は常に、どんな時も、戸田先生のことを考えておられました。私たちも、常に師を思い、師と共に歩む人生でありたいと思います。


◆学術部から寄稿 新型ウイルスの拡大に思う㊤  麻布大学名誉教授 鈴木潤さん

 新型コロナウイルスの感染拡大で世界に不安が広がる中で、私たちには何ができるのか――。細菌感染症が専門で、麻布大学名誉教授の鈴木潤さん(副学術部長)からの寄稿を紹介する。(㊦は28日付に掲載予定)

人類の歴史は感染症との戦い
 新型コロナウイルスの感染拡大はパンデミック(世界的流行)と認められると、WHO(世界保健機関)が発表した。一日も早い終息を祈るばかりである。
 歴史を振り返れば、感染症は“人、モノの拡大”に伴って広がってきたことが分かる。インドが起源と見られる天然痘は5~8世紀にシルクロードをたどって東西に波及し、奈良の都では藤原一族ら、多くの死者が出た。この天然痘は、16世紀にはアメリカ大陸に持ち込まれ、メキシコにあったアステカ王国とペルーにあったインカ帝国が滅亡。さらに19世紀から20世紀にかけ、インドを起源とするコレラは中東、アフリカ、そして日本を含むアジア諸国などに広がった。
 また、生物学的には、さまざまな発生説があるが、感染症が発生する背景には「戦争」や「人心の荒廃」があることは否めない。
 中央アジアで発生したと考えられるペストが猛威を振るい、欧州での死者が人口の3分の1にも達したと推定される14世紀頃には、イギリスとフランスの間で百年戦争があった。世界の6億人が感染し、2000万人以上の死者(日本でも38万人以上が死亡)が出たスペイン風邪は、第1次世界大戦中に起こった。
 そして現代に見られるグローバリゼーション、環境破壊による地球温暖化……。そうした中、今世紀に入ってからは、2002年にSARS(重症急性呼吸器症候群)、そして今回の新型コロナウイルスのパンデミックが起こっている。
 しかし、これまで、人類はそうした局面でも、たくましい知恵で感染症に立ち向かい、乗り越えてきた。
 例えば、人類最大の感染症といわれたスペイン風邪では、猛威を免れた村もあった。この村の教師が“わが村からは一人も罹患者を出さない”との心で立ち上がり、持てる知識を使って拡大を防ぐ方法を全住民に強く訴え、村独自の検疫体制を敷いたからである。

共助や利他の心が脈打つ社会築く学会の使命は大

 そもそも、感染症の拡大を防ぐには、次の三つの視点が重要である。
 一つ目は、体内にウイルスを入れないこと。それには、入念な手洗いや消毒などが必要となる。
 二つ目は、ウイルスが身体の中に侵入しても体内の免疫力で排除すること。そのための方法として風呂に入って体を温めたり、適度な運動や睡眠、バランスの良い食事などを心掛けたりすることが大切である。これらは免疫細胞をつくる上で重要だと知られている。
 そして三つ目は、免疫抗体を獲得すること。これはウイルスを排除する上で、最も大事である。だからこそ現在、ワクチンの開発や抗ウイルス剤の開発研究に、世界中の研究者が取り組んでいる。
 そう考えれば、私たちにとって重要なのは一つ目と二つ目の観点なのである。
 ここで、病原体の特徴である生育速度について考えてみたい。
 病原体が細菌である場合、1個が分裂を起こして2個になる時間は15分から30分である。この間隔を「世代」と言うが、この速度で分裂を繰り返すと、時間の経過とともに2、4、8、16と増えていき、一晩で1個が数十億個にもなる。病原体の生育は、対数増殖だからである。
 ゆえに、感染症拡大においては、いかに「1個の病原体を抑え込むか」「一人に抑え込むか」という視点が大切になる。
 自分だけ助かっても、誰かが感染してしまえば、そこから病原体は増えていく。その意味では、対策の中に「一人だけ助かれば良い」ではなく、手洗いなどの予防の基本を人々に伝える、必要な人にマスクを届けるといった、「皆で助け合おう」との「共助」や「利他」の哲学が必要なのではないだろうか。
 日蓮大聖人が「立正安国論」を執筆された時も「天変地夭・飢饉疫癘・遍く天下に満ち」(御書17ページ)と仰せの通り、疫病が蔓延していた。当時の状況は鎌倉時代の記録『吾妻鏡』などに記載があり、疫病は天然痘や赤痢、そして三日病などといわれているが、この「三日病」について、日本医史に詳しい中村昭氏は、3日間熱が下がらないという症状から“インフルエンザではないか”と指摘する。

 そうした中にあって、大聖人が「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祈らん者か」(同31ページ)と記された意味の重要性を、私は感じてならない。
 スペイン風邪を防いだ村のように、「共助」や「利他」の心が脈打つ社会を築く。ここに、創価学会の使命もあるのではないだろうか。


◆20代のリアル ボクらのイマ。 社会人になって思う――“他人志向型”は強みだった

 <下前美夢さん=北九州市、女子部部長。自身の性格は、人に合わせる“他人志向型”という>
  
  
 ケンカとか、シビアな空気は苦手。基本的に相手が喜んでくれたらいいなって思う方。みんな笑ってた方が、楽しいと思うんですよね。
 人と話すの好きです。“人類みんな友達”みたいな(笑い)。だから年齢問わず、けっこう誰とでも仲良くなっちゃいます。“コミュ(ニケーション)力”は、割と自信ある方かな。職場でも、上司にだってバンバン話し掛けちゃいますね。
 これ、子どもの頃から座談会に行ってたおかげだと思うんです。いろんな年代の人が、一緒になって集まるじゃないですか。

 <2018年(平成30年)、市内の病院職員として社会人デビュー。慣れない環境に戸惑った>
  

 父が早くに亡くなって、地域の福祉制度に助けられた経験から、医療か福祉の仕事がしたいと思ってました。創価大学に入って社会福祉士の資格を取ったんですけど、最初の配属は人事課。未経験なことばっかりで、毎日、仕事をこなすのに精いっぱい。人間関係にも悩んで、“大学と全然ちがう~”って感じで。休日は疲れてずっと家にこもってました。
 気持ちは大丈夫なつもりだったんですけど、最初の1年が終わる直前に体調を崩して、2週間くらい入院したこともありました。

 <退院した頃、一緒に住む母が家庭訪問に行こうと誘ってくれた>

 強制されたことはなかったけど、昔から勤行するとか会合に参加するのは当たり前なことでした。当たり前すぎて、学会員さんのお宅を回って励ますなんて、考えたことなかった。
 家の人が出てきて、母とあれやこれや話してると、だんだん相手のかたも元気になってきて。見てると楽しそうだなって。純粋にすごいとも思いました。
 それからは私も、未来部の合唱団の担当になったり、昨年は白蓮グループにも入ったり。学会活動するようになって、自分の中に責任感がついてきたなって思います。
 時々、自分には意見がなさすぎるのかなって思うこともありました。
 でも、「皆、それぞれの職場や環境がある。性格も境遇も違う。だから、自分らしくいきなさい。窮屈にならないでください。最も身近なところに幸せがあるのです」っていう池田先生の言葉にすごく励まされて。
 “自分らしく”って何だろうって振り返ってみると、私、サプライズをするの好きだなとか。人に喜んでもらうことが、自分の喜びなんだなって。

 <今の状況を変えたいと、素直に御本尊に祈った>
  
 やりたくて入った仕事を辞めるのは悔しいと思ったので、“どうにか今の状況がプラスにつながるように!”って祈りました。
 思いついたのが、真っ先に電話をとること。他の部署の人とも人間関係ができて、だんだん楽しくなっていきました。

 <現在は、院内の事務・受付を担当している>
  

 職場の人だけじゃなくて、患者さんとも接する機会が増えました。窓口応対とかで、患者さんへの“神対応”を目指してます(笑い)。
 上司に頼まれたこととか、患者さんからの相談とか、「わたくしがっ!」って対応して喜んでもらえると、やっぱり、やりがい感じますよね。
 「下前がこの部署に来て職場が明るくなったよね」って、この前、上司に言ってもらえたのがうれしかったな。
 “ソーシャル(社会福祉士)”の資格を生かしたい思いもあるけど、いつかつながると思って、今は今の仕事で頑張っていきたいなって思います。

 

2020年3月25日 (水)

2019年3月25日(水)の聖教

2019年3月25日(水)の聖教

◆わが友に贈る

 もうすぐ新年度。
 生活習慣を改善する
 絶好の機会としよう!
 自分史の新たな章を
 つづり始める気概で!

◆名字の言 本紙の購読期間が終わった知人からの手紙。「勧められたから読んでいたが……」

 先月、東京・板橋の壮年部員に1通の手紙が届いた。差出人は名古屋に住む取引先の方で、壮年の勧めで本紙を長年購読している。その購読期間が1月で終わったが、壮年は忙しさにかまけ、ついそのままにしていた▼手紙の用件は“聖教新聞をぜひまた入れてほしい”という依頼。勧められたから読んでいるつもりだったが、新聞に目を通さなくなって初めて、聖教に日々、励まされていたことに気付いたという▼再び新聞が配達された今月、2通目の手紙が来た。そこには感謝の言葉と共に「朝、郵便受けに聖教新聞が入っていると、ほっとした気分になります」と▼普段は特に気に留めなくても、無くなるとその価値が分かることがある。最近では、演奏会や演劇の公演もその一つ。音楽評論家の林田直樹氏は本紙の連載で、生の舞台の美しさ、豊かさをかみ締めつつ、再開されたときには「ライブな舞台というものを、もっと大切にできるようになっていたい」と述べた▼世界の各地で、人々の“当たり前”が様変わりしている。だが、それは“かけがえのないもの”を深く知る機会にもなろう。今、ここで生きていること。支えてくれる家族、友人、同志がいること。その一つ一つに感謝しつつ、励まし合って日々を歩みたい。(起)


◆寸鉄

『新・人間革命』こそ時を
超えて読み継がれる名作
―学長。今日も心に刻み
     ◇
東京・江東が「師弟勝利の
原点の日」40周年。共戦
の魂漲る人材城は堂々と
     ◇
「根深ければ則ち条茂く」
御書。信心の根しっかり。
張りのある勤行から出発
     ◇
精神を前向きにするのは
良き人間関係―心理学。
学会の励ましの絆こそ宝
     ◇
中高生4割超、SNSに
顔や制服姿を投稿。危機
意識を。これ犯罪の火種


◆きょうの発心 経王殿御返事 九州男子部大学校事務局長 川﨑隆生2020年3月25日

御文 わざはひも転じて幸となるべし、あひかまへて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給へ、何事か成就せざるべき(経王殿御返事、1124ページ・編569ページ)
通解 災いも転じて幸いとなるであろう。心して信心を奮い起こし、この御本尊に祈念していきなさい。何事か成就しないことがあろうか。

広布のための祈りは必ず成就
 御本尊を信じ唱題し抜いた人は、必ず願いを成就できると教えられています。
 2014年(平成26年)、当時4歳の長男の右目が極度の弱視で、失明の危機にあることが判明。医師からは、「矯正治療を施しますが、治る保証はありません」と告げられ、“代われるものなら代わりたい”と夫婦で泣きながら祈りました。
 後ろ向きだった気持ちを一変させてくれたのは、男子部の先輩からの励ましでした。「子どものことで悩む人の気持ちが分かるようになれる。家族、仲間のためにも絶対に治そう」と。
 以来、全ての広布の活動に身を投じ、翌15年に弘教を成就。上がらないといわれていた長男の視力は毎年、少しずつ回復し、現在は元気に日常を過ごせるまでに。題目を送ってくださった同志の皆さまには感謝しかありません。
 九州男子部大学校は、今こそ大学校生と心の絆を結ぼうと、手紙や同盟唱題などで渾身の激励を重ねています。“広布のための祈りは絶対にかなう”との大確信で、ますます勢いよく語り抜きます。


【先生のメッセージ】

◆小説「新・人間革命」に学ぶ 第17巻 解説編 池田主任副会長の紙上講座2020年3月25日


連載〈世界広布の大道〉

イラスト・間瀬健治
 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第17巻の「解説編」。池田博正主任副会長の紙上講座とともに、同巻につづられた珠玉の名言を紹介する。
 
紙上講座 池田主任副会長

ポイント
①「広布第2章」の展開
②「師弟の道」を歩む
③21世紀は女性の世紀

 東日本大震災から9年がたった今月11日、池田先生は随筆「冬は必ず春となる」を発表されました。
 その締めくくりで、今再び心肝に染めたい御金言として、「開目抄」の「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ」(御書234ページ)を拝されています。
 「民衆城」の章にも、この一節が出てきます。1973年(昭和48年)4月に行われた本部幹部会の場面です。
 山本伸一は、前月の本部幹部会でも、この御文を拝読し、「ここには、信心の極意が示されております。この一節を、生涯にわたって、生命の奥底に刻み込んでください」(266ページ)と呼び掛けます。
 世界が大きな困難に直面している今、私たちは大聖人の御確信を生命に刻み、社会の安穏と人々の幸福を真剣に祈りつつ、「知恵と慈悲の自分発の挑戦」に取り組みたいと思います。
                          ◆◇◆ 
 「広布第2章」の本格的な開幕を迎えた1973年は、「教学の年」であり、別名「青年の年」とされました。「新しき発展のためには、教学の研鑽に励み、仏法の理念を究めていくことが不可欠」(10ページ)であり、「青年が広布の前面に躍り出て」(26ページ)いくことが、広宣流布の方程式だからです。
 伸一は男子部に対して、「自発の決意と能動の実践なき人は、もはや第二章の戦いを担う勇士ではない」(101ページ)と訴えます。広布の活動は、“誰かに言われたから”という義務や受け身ではなく、自らが誓いを立てて挑むものです。「自発能動」だからこそ、成長があり、歓喜があるのです。
 73年、伸一はまず本陣・東京の激励に奔走します。その後、各方面・県の強化に全力を注いだことが、「緑野」の章につづられています。
 彼は以前から、「それぞれの方面、県で、地域に即した広宣流布の構想と運動を練り上げ、自主的に活動を推進していく必要がある」(342ページ)と考え、県長制の導入を提案。この年の9月に全国的に布陣が整い、「各県がそれぞれの特色を生かしながら、独自の広宣流布の歩みを開始」(382ページ)していきました。
 また、「『世界広布第二章』の暁鐘」(316ページ)となる「ヨーロッパ会議」が5月に設立され、「パン・アメリカン連盟」(8月)、「東南アジア仏教者文化会議」(12月)の結成へと続き、2年後の75年(同50年)1月26日、SGI(創価学会インタナショナル)が誕生しました。
 「広布第2章」に入り、「地域広布」「世界広布」の展開を見据え、伸一は次々と手を打ちました。彼が「『今年こそ』の一念」(9ページ)で蒔いた種子は、見事に花開いていったのです。
 

見渡す限りの緑が広がるフランス・ロワール(1973年5月、池田先生撮影)。「希望」の章には、山本伸一が自ら撮影したロワールの写真を、創価女子学園(当時)に贈ったことがつづられている

遠心力と求心力
 「広布第2章」を迎え、青年部は核兵器廃絶のための署名運動などに取り組みます。社会に開かれた運動を展開するにあたって、「心すべきことはなんでしょうか」(15ページ)との青年部のリーダーの問いに、伸一は「師弟の道を歩め」(16ページ)と答えます。
 彼は、「仏法を社会に開いた運動」を円運動の遠心力に、「師弟不二の精神」を求心力に例え、「遠心力が強くなればなるほど、仏法への強い求心力が必要になる」(同ページ)と強調します。
 そして、初代会長・牧口常三郎先生と第2代会長・戸田城聖先生の師弟の関係を通して、「私も、徹底して戸田先生に仕え、守り、弟子の道を全うしてきた」(25ページ)と語ります。
 小説『人間革命』第10巻にも、「師弟不二の道を貫くこと」(73ページ)の大切さが書きとどめられています。その道を歩むとは、「師の意図が、脈動となって弟子の五体をめぐり、それが自発能動の実践の姿をとる」(130ページ)ことであり、「困難にして強盛な信仰の深化を必要とする」(同
ページ)と結論しています。
 学会は今、青年部の「SOKAグローバルアクション2030」をはじめ、数多くの平和・文化・教育の運動を展開しています。多角的な取り組みを推進するからこそ、私たちは「師弟」という根本軌道を、決して忘れてはなりません。
 『新・人間革命』第17巻「本陣」の章に、「『師弟の道』は峻厳である」(24ページ)と記されています。「峻厳」であるがゆえに、どこまでも「自行化他の実践」に徹し抜くことが肝要です。
 伸一は、戸田先生と心で対話してきました。「先生ならば、どうされるか。今の自分をご覧になったら、なんと言われるか――常に自身にそう問い続けています」(25ページ)。日々、師匠と胸中で対話しながら前進していく中に、自身の人間革命があるのです。
 
深い宿縁の学園生
 73年元日に行われた各部部長会で、伸一は女子部のリーダーに、「二十一世紀は『女性の世紀』」(27ページ)と万感の思いを語ります。
 彼は、これからの目指すべき女性像について、「豊かな個性をもち、文化や政治などの社会的な問題に対しても積極的に関わり、創造的な才能を発揮」(113ページ)していくことのできる“全体人間”であると考えます。
 そして、「女性が平和主義という本然の特質を発揮し、社会、国家、さらには世界を舞台に活躍していくための教育を行う学園」(111ページ)が、関西の地に開校したのです。
 「希望」の章には、創価女子学園(現・関西創価学園)の歩みが記されています。
 高校1期生は、伸一が事実無根の選挙違反の容疑で不当逮捕された「大阪事件」の年に生まれた世代であり、中学1期生は、第3代会長に就任した年に生まれた世代です。そこに、彼は深い宿縁を感じます。
 創立者の伸一は入学式で、「理想を秘めた“日常の行動”のうえに、見事な伝統が生まれ、それが花咲き、次の世代へと伝えられていく」(131ページ)と語ります。この言葉を胸に、彼女たちは努力を重ね、学園の美しい伝統を築きます。それは、後輩にも受け継がれていきました。
 21世紀の開幕を目前にした2000年(平成12年)12月、関西女性総会の意義を込めた本部幹部会が開催されました。席上、伸一はこう語ります。
 「今、時代は、音をたてて変わっている。社会でも、団体でも、これからは女性を尊重し、女性を大切にしたところが栄えていく」(第30巻<下>「誓願」の章、431ページ)
 平和を愛し、命を慈しむ「女性の力」こそ、21世紀を「生命の世紀」へと導く源泉です。
 
第4回健康祭で、池田先生が合図のピストルを鳴らす(1985年10月10日、大阪・交野市の関西創価学園で)

名言集
●君が太陽であれ
 どんなに深い闇でも、太陽が昇れば、すべては光に包まれる。太陽は常に燃えているからです。状況がどうあれ、君が太陽であればいいんだ。(「本陣」の章、69ページ)
●人間革命の大舞台
 苦闘するということは、自身の人間革命の大舞台に立ったということなんです。それを乗り越え、勝利した時の喜び、爽快感は、何よりも、誰よりも大きい。(「本陣」の章、95ページ)
●自他共の幸福
 人間の偉大さは、自分のためだけに生きるのか、自他共の幸福のために生きようとするのかによって決まるといえる。(「希望」の章、170ページ)
●地涌の菩薩の大生命
 広布の使命を自覚し、戦いを起こしていく時、地涌の菩薩の大生命が、わが胸中に脈動します。それが何ものにも負けない強靱な生命力をもたらし、自らの境涯を高め、広げていくんです。(「民衆城」の章、323ページ)
●題目第一
 不信というのは、生命の根本的な迷いであり、元品の無明です。それは不安を呼び、絶望へと自身を追い込んでいきます。その自分の心との戦いが信心です。その迷いの心に打ち勝つ力が題目なんです。ゆえに、題目第一の人こそが、真の勇者なんです。(「緑野」の章、328ページ)


【聖教ニュース】

◆アマゾン創価研究所が地元財団と協力 ブラジル・マナウス市で「校庭緑化プロジェクト」を開始 2020年3月25日
市の教育局などが支援 調印式行う

    • 「校庭緑化プロジェクト」の調印式の後、子どもたちが笑顔で。「緑色の風船」は、それぞれ「一本の木」を象徴。風船を各家庭に持ち帰り、家族にも“環境の大切さ”を伝える狙いがある(マナウス市内で)

「校庭緑化プロジェクト」の調印式の後、子どもたちが笑顔で。「緑色の風船」は、それぞれ「一本の木」を象徴。風船を各家庭に持ち帰り、家族にも“環境の大切さ”を伝える狙いがある(マナウス市内で)

 ブラジルSGI(創価学会インタナショナル)の「創価研究所――アマゾン環境研究センター」(アマゾン創価研究所)と、アマゾニカネットワーク財団が推進する「校庭緑化プロジェクト」が、このほどスタート。その調印式が16日午前(現地時間)、アマゾナス州の州都マナウス市に立つフリースクール「マザー・マルガリーダの家」で行われた。これには、同プロジェクトの実施団体であるアマゾン創価研究所と同財団、また後援団体である同市教育局とパナソニックブラジルの代表が出席した。今後、市内にある306の小・中学校などで、計3000本のアマゾン原産の苗木が植樹されることになった。

306の小・中学校に苗木を植樹

 “大自然の妙”といえようか。
 南米の大地を潤しながら滔々と流れるアマゾン川――その雄大な姿は、訪れる人の心を捉えて離さない。
 黒褐色のネグロ川と白い濁流のソリモンエス川が合流し、「大アマゾン川」となる起点に面するマナウス市。かつてアマゾン地域は天然ゴムの産出地などとして注目されたが、その一方で、道路建設等による森林伐採が進んでいった。
 こうした環境破壊が深刻化する中、“アマゾンを守ることで人類の生存を守る”との池田大作先生の構想のもと、1992年、アマゾン創価研究所(当時は「アマゾン自然環境研究センター」)が同市郊外に開設。折しも同年、ブラジルで国連環境開発会議(地球サミット)が開かれ、「地球の持続可能性」が人類共通の課題として注目された時だった。

マナウス市郊外に立つアマゾン創価研究所。大アマゾン川の起点に面し、一帯には多様な動植物が生息する

マナウス市郊外に立つアマゾン創価研究所。大アマゾン川の起点に面し、一帯には多様な動植物が生息する

 同研究所は設立以来、特に「環境教育」「研究支援」「アマゾンの種子の保存」の3分野に力を注いでいる。

 アマゾナス州裁判所と協力し「生命の種子プロジェクト」(市内の産科病院で子どもが一人生まれるごとに、苗木を植樹)を進めたり、パナソニックブラジルなどと連携し「植樹プロジェクト」(同社社員らが苗木を植樹)を推進したりと、諸団体と手を取り合いながら多岐にわたる活動を実施。
 こうした取り組みを通して、子どもから大人まで幅広い層への環境意識の啓発にも尽力してきた。

アマゾン原産の苗木を植樹する子どもたち(同)
 しかし依然として、“マナウス市はブラジル全土の中では、最も植樹率が低い州都の一つ”といわれることや、昨年来、アマゾンの大規模火災で森林が減少していること等が、今回新たに始動した「校庭緑化プロジェクト」の背景にある。
 同プロジェクトは、市内にある小・中学校などの24万人の児童・生徒が対象となる。
 さらにアマゾン創価研究所と、国内最大手の放送局「グローボ」系列のアマゾニカネットワークの財団が提携することで、この取り組みをブラジル中、世界中に配信することが可能になる。
 また同プロジェクトは、国連が定めた「SDGs(持続可能な開発目標)」の推進に大きく貢献。目標4「質の高い教育をみんなに」や、目標11「住み続けられるまちづくりを」、そして、目標13「気候変動に具体的な対策を」、目標15「陸の豊かさも守ろう」、目標17「パートナーシップで目標を達成しよう」の実現に寄与することになる。
「木を育てることは人を育てること」
                                   ◆◇◆
 「ボン・ジーア!(おはよう!)」――子どもたちの元気いっぱいの声で幕を開けた調印式。
 生徒らが見守る中、アマゾン創価研究所のエジソン・アキラ・サトウ所長、アマゾニカネットワーク財団のクラウジア・ダオウ最高顧問、また、マナウス市教育局の環境教育コーディネーターであるジーナ・ガマ氏、パナソニックブラジルのマウリシオ・ブザグロ事務局長が登壇。「校庭緑化プロジェクト」に調印した。
 次に、同研究所のジェアン・ジネリ・レオン氏が、池田先生の「アマゾンは地球の宝」との言葉を紹介。“人間と環境の調和の重要性”を訴え続ける先生の理念のもとで実施してきた、同研究所の取り組みを概説した。
 ダオウ最高顧問が、同研究所との提携に深謝。ブザグロ事務局長は環境問題への意識を各人が高めつつ、周囲の人に広げていくことが大切であると訴えた。
 次いで、ガマ氏が子どもたちと手を携えて、より良い町づくりに総力を挙げたいと強調。サトウ所長はプロジェクトの概要を語り、「苗木を植えること」は一人一人の環境意識を向上させるのみならず、「人を育てること」にも通じていくと述べた。
 最後に、生徒の代表が華麗なダンスを披露し、晴れの式典に彩りを添えた。
 調印式の後、校庭に場所を移し、子どもたちの手によって、8本の苗木が植えられた。
 植樹後、次のような声が寄せられた。
 「子どもたちにとって大きな触発となりました。素晴らしいプロジェクトが発足したことに深く感謝します」(「マザー・マルガリーダの家」の社会福祉指導員ロゼランジ・デ・ソウザ・ビエイラ氏)
 「とてもいい経験だった! これからもっと、自然のことについて学んでいきたい」(6歳、女子)
 なお、調印式などの模様は、アマゾニカネットワークのニュース番組で報道された。

アマゾン創価研究所がウェブサイトを刷新
 アマゾン創価研究所のウェブサイトが、このほどリニューアルされた(https://institutosoka-amazonia.org.br/en/home-en/)。英語とポルトガル語で閲覧できる。
 同研究所の歴史や活動の概要、これまでの実績などをコンパクトに紹介している。


◆アルゼンチンで学術セミナー ノーベル平和賞のエスキベル博士らが講演  2020年3月25日

国立コルドバ大学と、池田大作国際平和研究センターが主催した、アルゼンチンの学術セミナー。ノーベル平和賞受賞者のエスキベル博士(最前列左端)ら来賓が講演した(同大学で)

国立コルドバ大学と、池田大作国際平和研究センターが主催した、アルゼンチンの学術セミナー。ノーベル平和賞受賞者のエスキベル博士(最前列左端)ら来賓が講演した(同大学で)
コルドバ大学と池田研究センターが主催

 アルゼンチンSGIでは先月下旬から今月上旬にかけて、全国各地で「青年平和サミット」を開催した。<新型コロナウイルスの感染拡大を受け、現在は会合等を中止>
 セミナーの掉尾を飾る行事として今月7日(現地時間)、国立コルドバ大学と同国の「池田大作国際平和研究センター」が主催する学術セミナーが、同大学内で行われた。
 未来部の合唱や鼓笛隊、音楽隊、池田バンガード・オーケストラの演技・演奏などに続き、来賓の学識者らが登壇した。
 同大学「哲学・人文学部」のフラビア・デスット学部長は、「法華経の現代的意義と、池田博士・SGIの行動」をテーマに講演。法華経は人生の根本目的を示す教えであると力説し、世界の困難な問題に立ち向かうため、この希望の哲学を広げたいと述べた。

学術セミナーの会場となったコルドバ大学

学術セミナーの会場となったコルドバ大学

 池田研究センターの所長で、国立ビジャマリア大学総長のルイス・アルベルト・ネグレティ博士は、池田先生の人間教育について研究発表。一人の人間に光を当て、対話を通じてその無限の可能性を引き出す、先生の教育論への感銘を語った。
 また来賓として、コルドバ大学のラケル・クラウチック総長、国立サルタ大学のグラシエラ・モラレス副総長、サルバドル大学「東洋学学院」のカルロス・マヌエル・ルア院長や、ビジャマリア市「教育・文化・科学振興局」のラファエル・サチェット局長らが参加した。
 最後に、同国出身のノーベル平和賞受賞者で、池田先生と長年、親交のあるエスキベル博士が講演に立った。
 博士は、日々のたゆみない努力の先にのみ平和があると強調し、一人の偉大な人間革命が世界を変えるとの、池田先生の思想への共感を表明。温暖化など地球的な危機を前に、人類がどんな未来へ向かっていくのかを、真に問い掛ける時が来ていると語った。
 さらに、生命の尊さを深く知り、暴力に訴えるのではなく、非暴力で行動するのが女性であると力説。女性こそが、平和建設の“主体者”となる存在であると期待を寄せた。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈「人類の議会」と歩む SGI国連事務所リポート〉② 2020年3月25日
〈人間の本質問うAI(人工知能)兵器〉ジュネーブ ヘイリー・ラムゼイ=ジョーンズ氏

 昨年1月、SGIは国際ネットワーク「キラーロボット反対キャンペーン」の一員となりました。
 キラーロボットは、人工知能(AI)を搭載することから「AI兵器」や「完全自律型兵器」とも呼ばれ、ひとたび配備されれば、人間の有意な関与なく標的を識別し、殺傷する能力を持ちます。
 これは、人間の生と死が、機械によって決定されることを意味します。
 こうした兵器はまだ存在していませんが、六つの国で開発段階にあり、法や倫理、人権上の観点から、国際社会が問題性を指摘しています。
 SGIもまた、生命尊厳の価値観を広げる団体として、生命の価値を認識することのできない機械が、生死の決定権を握りかねないこの事態を重く受け止め、キャンペーンに参画しました。
 
国際キャンペーンで重要な役割
 争いや暴力の“根”には、不平等や差別、支配欲が存在し、それらは、兵器を増やして他者を支配したいという願望とも深く関係しています。SGIの平和運動は、こうした問題の本質を明らかにしてきました。
 キャンペーンの主催者もまた、キラーロボットは安全保障上の問題にとどまらず、いかに他者を思い、大切にできるかという人間の本質に関わる問題であることを、多くの人々に気付かせたいと考えていました。SGIの参画を強く望んでいた理由も、ここにあります。
 彼らは、SGIの地球規模のネットワークや、核兵器のない世界のために地域や国際社会で果たしてきた貢献をよく知っています。平和と生命尊厳のために尽くしてきた団体であるからこそ、キャンペーンで重要な役割を果たすと確信していたのです。
 キャンペーンに名を連ねて以降、SGIは国連やキャンペーンの会議等に、政府やNGOと共に参加してきました。また、新しい情報技術や差別的アルゴリズム(計算手順)が兵器化される危険性について警鐘を鳴らしてきたほか、キラーロボットは社会の不平等や不公平を悪化させるとの分析を行ってきました。 アルゼンチンで開かれた「キラーロボット反対キャンペーン」の会議(先月)

アルゼンチンで開かれた「キラーロボット反対キャンペーン」の会議(先月)

 そうした中、昨年10月にアメリカで開かれた、人種差別に関する国連の特別報告者主催の専門家会議にSGIが招待され、私が代表で参加しました。特別報告者とは、国連人権理事会から任命され、世界の人権状況などについて調査・監視・公表を行う専門家のことで、情報提供や意見交換のための会議を定期的に開催しています。
 私も講演者として登壇し、その内容は、本年、人権理事会や国連総会に提出される特別報告者のリポートに含まれる予定です。
 また、キラーロボットの問題点をまとめたキャンペーンの出版物でも、「交差性と人種差別」をテーマにした章を執筆しました。
 SGIの長年の平和貢献が今、大きく信頼を広げていることを実感します。国連事務所の仲間と心を合わせて、キラーロボットの法的規制の実現に向けて、全力で取り組んでいきます。


◆〈信仰体験〉奮闘する太陽熱エネルギー会社の会長
 叶わない祈りは絶対にない!

 【鹿児島市】桜島が眼前に広がる市の中心部に「富士エネルギー株式会社」はある。設立35年目。会長の亘元明さん(74)=地区幹事=は、代表取締役の長男・大樹さん(42)先駆長買(ブロック長)や16人の従業員とともに、会社を発展させてきた。競争の激しい新エネルギー業界。次々と襲い来る荒波を乗り越えてきた亘さんの信念とは――。
 クリーンなエネルギーとして注目を集める太陽熱エネルギーの利用。亘さんの会社では、その太陽熱を利用した独自のソーラーシステムの開発・製造を行っている。
 「太陽エネルギーは半永久的で、常に安定供給が可能な特徴があります。それを提供できたときのお客さまの笑顔が、何よりのやりがいです」
 一般的な太陽光発電は、エネルギー変換効率が10~20%程度。しかし、亘さんの会社で開発した太陽集熱器「FujiヒートP・SOLAR」は、集熱部を円筒形にすることで、太陽光を効率よくキャッチできるようになった。
 重ねて、円筒内に真空層を設けることで取り込んだ熱が逃げにくくなり、瞬時エネルギー変換効率は最大で75%と、高い値を実現。無駄の少ない、環境に優しいエネルギーとして注目を集めている。

 より利用者目線に立ったこのソーラーシステムは、平成21年度「新エネ大賞」を受賞。全国の病院や福祉・宿泊施設などに設置されている。
 その他、ゼロエミッション(ごみゼロ)事業の一環として、廃食油を清浄・燃料化する装置や、包装食材ゴミ分別機など、多くの環境関連機器を生み出してきた。
 「“地球に優しく”がモットーです。微力ながら、環境保全に貢献しているんだと思ったら、うれしくて」。環境のことを語りだすと、亘さんの瞳はひときわ輝きを増す。
 だが、新しいシステムを生み出すのは、試行錯誤の連続だった。その中でも信念を貫いてこられたのは、不動の原点があったからだ。
 鹿児島・徳之島で生まれた。母・モシさん(故人)と共に、14歳の時、創価学会に入会する。
 自宅の庭にあるガジュマルの木の下で、灯油ランプをともし、意気揚々と学会歌を歌った座談会が忘れられない。
 高校卒業後、大学進学で大阪へ。学生部の部長として参加した全国学生部大会の席上、池田先生の雄大な学会歌の指揮に心を打たれた。“師子のごとく堂々と”とのエールに思えてならなかった。
 その後、商社に勤め、29歳の時に独立。だが、友人の保証人になっていた亘さんに、多額の負債がのしかかった。突然の苦しみの中で脳裏に浮かんだのは、池田先生の言葉だった。
 「叶わぬ祈りは絶対にない」
 “そうだ! 必ず、この苦境を打開してみせる”。祈りが深まる。亘さんの胸に、ある光景が浮かんだ。生い茂る草木、清く流れる河川……。郷里の風景だった。
 “豊かな自然を守る仕事がしたい”と鹿児島へ帰郷を決めた。
 どんな時も温かく励ましてくれたのは、27歳の時、結婚した妻の三枝子さん(71)=地区副婦人部長=だった。
 「妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり」(御書947ページ)の御文を命に刻み、家族一丸で祈り抜いた。
 帰郷後、太陽熱温水器の営業職に。新エネルギーは、競争が激しい分野。新しい知識を吸収することを怠らなかった。
 1986年(昭和61年)、41歳で現在の会社の前身となる「富士ソーラーシステム株式会社」を設立し独立。その後15年間、メーカーの代理店として経験を積みながら、あらゆるノウハウを身に付けていった。
 “顧客が喜ぶ製品を”と祈り、製作に取り組む中、真空管ソーラーシステムを完成させた。自社ビルも構えることができた。
 「真面目にコツコツと努力を積めば、必ず夢は実現できる。信心根本に歩んだ結果です!」
 1998年(平成10年)、亘さんを小脳梗塞が襲う。2008年には、右足膝に骨腫瘍が。11年には、膀胱がん……。
 そのたびに「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」(御書1124ページ)の御聖訓を自身に言い聞かせた。
 同志の温かな励ましも胸に染みた。
 「創価家族の励ましがなければ、今の私はありません。病に直面するたびに、“私にはまだまだ広布のために戦う使命がある”との自覚が深まりました。必ず恩返しの人生を歩もうと」
 翌年には、県内の工業団地に自社工場を構えることができた。報恩感謝の思いで、自宅を広布の会場に提供。地区の同志が喜々として集う場になっている。
 17年に再び、脳梗塞を発症したが、病魔を打ち砕く唱題で、はね返した。
 18年、同社の取り組みが認められ、第7回「ものづくり日本大賞」の九州経済産業局長賞に輝いた。「高いエネルギー効率とメンテナンス性で、ユーザー目線に立った製品開発」と高く評価された。
 「社員だけでなく、縁する全ての人とつかんだ栄冠です。師匠・池田先生に報恩感謝の思いでいっぱいです」
 亘さんは、師の言葉「破壊は一瞬 建設は死闘」を受けて、自らの思いを社訓にまとめた。
 「和は力なり 信は強さなり 行は幸を作る 人生は敗者復活の連続 チャンスは必ずある」と――。
 毎朝、そらんじる亘さんの声が社内に響く。
(鹿児島支局発)

 <長男・大樹さんの決意>
 信心一筋に、会社のかじ取りをしてきた父の後ろ姿をずっと見てきました。その陰には母の信心があったからと、ひしひしと感じています。
 昨年、代表取締役に就いてからは、その責任の重さに押しつぶされそうになることも。そのたびに父が背中を押してくれ、“絶対に大丈夫!”との力強い声と、OKサインに勇気をもらってます。
 学会の先輩も、父も語ってくれた“叶わない祈りは絶対にない”との言葉を胸に、社会の黄金柱として奮闘します!


◆〈幸齢社会〉 「学び直し」は魅力がいっぱい!   2020年3月25日

「シニアカレッジ新潟」の取り組みから

 近年、高齢者の「学び直し」が盛んです。どのような点に魅力を感じ、充実感を覚えているのか、新潟県社会福祉協議会が運営する「シニアカレッジ新潟」の取り組みを取材しました。

皆で笑い、学ぶ楽しさを味わう
 高齢者が、毎日をより充実させて暮らす方法の一つとして注目されているのが「学び直し」。文部科学省の調査によると、学び直しをしたいと考える理由について、60代は男女ともに「今後の人生を有意義にするため」が最も多くなっています。
 新潟県で学び直しの機会として広範な広がりを見せているのが「シニアカレッジ新潟」です。
 1989年度に設立。「新潟県高齢者大学」として設立され、2018年度に「シニアカレッジ新潟」に改称されて現在に至ります。
 「2年間の基礎応用課程のほか、地域防災や食育などの実践講座も設けています。卒業生はこれまでに9000人を超えました。高齢者に学習の機会を提供することに加え、仲間づくりや、地域活動の担い手として活躍されることを目的としています」と、新潟県社会福祉協議会の地域福祉課の目﨑幹生課長代理は語っています。
 同カレッジは新潟県内3カ所(新潟市、長岡市、上越市)で開講。県内に住む概ね60歳以上を対象にしています。
 「カレッジを通し、皆で笑い、学ぶ楽しさを味わって、健康に、快活に過ごしていただく中で、地域活動へとつながれば、最高の喜びです」(目﨑課長代理)とも。
 現在、高齢者を対象にした学び直し(リカレント教育とも)は、新潟県のほか全国各地でもスタート。埼玉県では「彩の国いきがい大学」を県内各地で開講しています(本年4月から「埼玉未来大学」に改称予定)。
 滋賀県栗東市では「100歳大学」を開校し、卒業生の希望者は「健康生きがいづくりアドバイザー」に認定されるなど、高齢者の“やる気”を応援しています。

充実感は介護予防にも役立つ
 シニアカレッジ新潟が開校した1989年は、高齢化社会の急速な進展を踏まえて、「高齢者保健福祉推進10か年戦略」が策定された年でした。
 加齢とともに、健康への不安や、退職など変化する人間関係に直面するケースも出てきます。こうした変化をうまく乗り切ることができず、心身の健康を損ねてしまうと充実した生活が送れなくなるほか、社会全体で見ても医療費が増加することになってしまいます。
 これらの課題を解決するポイントの一つとして注目されたのが“高齢者大学”でした。
 「それまでも『生涯学習』という言葉はありましたが、シニアに特化した勉強の場はあまり多くありませんでした。平均寿命が伸び続ける中、健康寿命も伸びなければ、生きがいがそがれてしまいます。生きがいの持続は介護予防や重症化防止にも一定の力を持つ、との思いを持って開校に臨みました」と目﨑課長代理は語っています。
 カリキュラムは、高齢者自身の関心が高いものなど、高齢者へのアンケートを踏まえ、運営委員会で検討していきました。
 「中でも関心が高かったテーマは『薬と健康』や『シニアのための医学・健康入門』など健康や医療の分野でした。社会のグローバル化に合わせて、『他国の文化にふれる』なども人気を集めています」(地域福祉課・齋藤厚子氏)
 また、「新潟県の歴史」や、佐渡の金鉱山の歴史を学ぶ講座など、郷土の誇りを育む講座も開設し、新潟ならではのカレッジを行ってきました。

地域に積極的に出て行く力に
 2年間を通じて幅広い教養を身に付けることを目標にするシニアカレッジ新潟。しかし、高齢者にとってより重要なのは、共に学ぶ中で育まれる同窓の人間関係です。
 一緒に体を動かす健康体操などの実習や救急救命の基礎などは学生同士のコミュニケーションが必要なことから会話が弾み、卒業後も互いの健康や健闘を確認し合う関係が続いています。
 シニアカレッジ新潟を卒業したメンバーからは、学び直しに関する喜びの声が寄せられています。
 「今までは会社の関係や町内の関係だけでしたが、いろいろな地域の人や経験を持つ人たちと知り合えてよかったと思います」
 「(カレッジで学んだことを通し)、今までも自分にできることで少しでも社会に役立つ活動をしたいと思っていましたが、改めて被災地住人との交流を15年間続けています。また自分の住む地域にも積極的に出て行き、人と接していきたいと思っています」
 「講義を受講しているうちに、自分でできることで社会貢献したいと思い、今年1月からアジアの教育を受けられない子どもたちに絵本を届けるボランティア活動に参加しています」
 ――学ぶことで心が耕され、鍛えられ、大きな幸福感をも得ることができる学び直し。学び続けることで、「人生100年時代」を迎えた現代にあって、心身の健康をもたらす大きな力になると期待されています。
 関心のある方は、各地の社会福祉協議会などに問い合わせをされてはいかがでしょうか。

 

2020年3月24日 (火)

2019年3月24日(火)の聖教

2019年3月24日(火)の聖教

◆わが友に贈る

 価値創造の信心だ。
 制限がある中でこそ
 新たな発想や工夫を!
 どんな状況であれ
 心は無限に広げられる。


◆名字の言 カミュの『ペスト』から見えてくるもの

 フランスの作家・カミュの代表作『ペスト』(宮崎嶺雄訳)。「黒死病」と恐れられた伝染病の脅威に立ち向かう市民の姿が描かれている。最近、新型コロナウイルスの感染が拡大する中で、同書の売り上げが伸びている▼物語の舞台はアルジェリアの都市オラン。そこでペストがまん延していく。犠牲者は増え続け、やがて街は封鎖される。民衆は不安におびえ、団結することができない。そんな彼らの様子を「みんな自分のことを考えていた」と、作者は言う▼その時、タルーという青年と医師のリウーが立ち上がり、有志で「保健隊」を結成。“見えない敵”ペストとの闘いを開始した。彼らは“自分さえ良ければ”という利己主義を捨て、懸命に行動した。リウーは語る。「ペストと闘う唯一の方法は、誠実さということです」▼池田先生はかつて、この小説を紹介しつつ、「保健隊」の行動は仏法の「同苦」の精神に通じると指摘し、こう語った。「真の誠実とは、人々のために、なし得る限りのことをなすことである。自らの使命に生ききることだ」▼状況は日々変わるが、直接会うことが難しい日々が続く。それでも、友のためにできることはあるはずだ。祈りを根本に「誠実」の二字を貫き、温かな励ましを送り続けたい。(糸)


◆寸鉄

人材、人材の学会でいけ
―恩師。後輩を自分以上
の闘士に!激励絶やさず
     ◇
福井師弟原点の日。常勝
関西の“北の砦”は難攻
不落。祈りを一つに前へ
     ◇
「無上道とは南無妙法蓮
華経是なり」御書。題目の
人に恐れなし。必ず勝利
     ◇
感染防止へ日・中・韓で、
ワクチン開発等でも連携
と。今こそ協力の強化を
     ◇
詐欺の被害者9割、「自分
は被害に遭わないと思っ
ていた」。心の隙排し撃退


【先生のメッセージ】

◆〈心に御書を〉28 広布の祈りが不可能を可能に
御文
 日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし(経王殿御返事、1124ページ)

通解
 この御本尊は日蓮の魂を墨に染めながして書き認めたものである。信じていきなさい。釈尊の本意は法華経である。日蓮の魂は南無妙法蓮華経以外のなにものでもない。

池田先生が贈る指針
 御本尊は御本仏の生命そのものである。御本尊を信じ、広布の祈りを貫くとき、我らの生命も「根本尊敬(そんぎょう)」たる宝塔と輝く。師子王の勇気と無限の智慧を涌現させ、いかなる宿命をも転換できるのだ。
 妙法への大確信は一切を諸天善神の働きに変えゆく力がある。人類社会へ最極の生命尊厳の哲理の光を、大聖人と共に!


【教学】

◆〈明日を照らす〉 テーマ:本因妙の仏法


 今回の「明日を照らす」は、「本因妙の仏法」がテーマ。本因妙とは、本因(仏になる根本の因=修行)が、妙(思議することができない境涯)であるとの意です。日蓮大聖人の仏法では、仏が覚って得た果報である「本果」よりも、仏が成道できた「本因」の法を表にします。よって、現実の結果に一喜一憂するのではなく、いかなる状況にあっても常に本因の根本法に立ち返り、未来へ開くことを重視するのです。“希望は自らつくり出せる”との哲理を学んでいきましょう。


撰時抄
 王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず(御書287ページ)

心は何ものにも縛られない
【通解】王の権力が支配する地に生まれたのであるから、身は従えられているようであっても、心まで従えられているのではない。
                         ◇
 本抄は、建治元年(1275年)、身延で認められ、駿河国(現在の静岡県中央部)の西山由比(由井)氏に与えられたとされています。
 死罪にも等しい佐渡流罪に処された日蓮大聖人は、一転して流罪から赦免。佐渡から鎌倉へ帰還された後、3度目の国主諫暁に挑まれます。この時、平左衛門尉に対して師子吼されたのが、この一節です。
 たとえ、この身が従えられようとも、わが精神は断じて従えられることはない――命を賭

して末法広宣流布に立ち上がられた大聖人の熱情は、いかなる権力をもってしても、押さえつけることはできませんでした。権力の横暴に、敢然と立ち向かわれた姿は、まさしく“精神界の王者”そのものであったと拝されます。
 この御文は、ユネスコ(国連教育科学文化機関)が古今東西の英知の言葉を網羅して編さんした『語録 人間の権利』にも収録されました。精神の自由、信教の自由をうたった、この御文は、人類史に輝く“人権の名言”にほかならないのです。
 不自由を感じ、嘆きたくなるような不遇に直面した時こそ、信心の真価が試されます。私たちの心は何ものにも縛られません。
 故に、“どんな状況でも妙法を根本に生き抜く!”との、清新な決意に立ち返る挑戦が、困難を切り開く原動力になるのです。

乙御前御消息
 いよいよ強盛の御志あるべし、冰は水より出でたれども水よりもすさまじ、青き事は藍より出でたれども・かさぬれば藍よりも色まさる(御書1221ページ)

常に“いよいよの信心”で
【通解】いよいよ強盛な信心を、起こしていきなさい。氷は水からできるが、水よりも冷たい。青い色は、藍という草から生まれるが、重ねて染めれば、藍よりも色が鮮やかになる。
                            ◇
 本抄は建治元年(1275年)8月、日蓮大聖人が身延で著され、乙御前の母に送られたお手紙です。本抄御執筆の前年には蒙古の襲来があり、さらに御執筆の年の4月にも蒙古の使者が再び訪れるなど、世情は騒然としていました。
 鎌倉の門下であった乙御前の母は、夫と離別し、幼い娘を育てていました。そうした中でも、大聖人を求め、流罪地・佐渡まで足を運ぶなど、純粋な信心を貫きました。その乙御前の母に、大聖人はあえて“いよいよ強盛な信心”を奮い起こしていくよう訴えられます。
 氷は水からできますが、水よりも冷たくなります。植物の藍から採った染料で、布や糸を重ねて染めれば、もとの藍の色よりも、はるかに鮮やかな青色になります。
 つまり、同じ法華経を持っていても、修行を重ねていくほど、利益がはっきりと現れることを譬えています。
 池田先生は本抄を拝して、「“さあ、ここからだ”と祈りを深め、挑みゆく一念が壁を破る。本因妙の仏法である。新たな一日を、新たな勇気で、いよいよ強盛に前進していくのだ」と語っています。
 信心の実践には、“ここまでやれば十分”といったゴールはありません。成長の軌道を進みゆく、「持続の信心」こそ、崩れざる幸福境涯を築くための要諦なのです。

対話のツボ

【問い】信仰は“弱い人”がやるものだ

 “宗教を信じる人は、現実の困難から逃げたり、努力を放棄したりしている”――こうした意見を耳にすることがあります。事実、「困った時の神頼み」との言葉にも、宗教といえば、神仏や教祖に“すがるもの”“頼るもの”といった、日本人特有の宗教観がうかがえます。そもそも宗教に対して、初詣や葬式、墓参りといった慣習的な役割しか見いだしていないのかもしれません。
 しかし創価学会では、“信心していれば何とかなる”という安易な姿勢は、日蓮大聖人の仏法の本義から外れていると考えます。仏法は現実の生活に向き合い、課題に挑んでいく根源の力を発揮するためのものだからです。人生を豊かに生きる上で大切な要件である、信念や努力がむしろ生かされ、一人一人が“自立する信仰”を志向しています。
 神秘性や奇跡を売り物にしたり、聖職者の権威に従わせたりする“おすがり信仰”とは一線を画しているのです。
 人生は苦悩の連続であり、ともすれば逆境に屈し、不幸を感じることもあります。創価学会には、そうした境遇にあっても、仏法の実践を通して忍耐強く苦難と向き合い、乗り越えた体験が無数にあります。
 さらに、信仰で人格を磨き、悩める人を勇気づけようと、苦楽を共にする絆が育まれています。こうした実践に励む人を“弱い人”と言えるのでしょうか? むしろ“人を強くする”事実に目を向ければ、自ずと誤解は氷解するでしょう。

【聖教ニュース】

◆今春のオープンへ建設進む「創価宝光会館」  2020年3月24日
 三代会長ゆかりの石など納めた定礎箱を埋納



    • 接遇センターに代わる施設として、全世界の同志を迎える「創価宝光会館」。今春のオープンに向けて着々と工事が進む

接遇センターに代わる施設として、全世界の同志を迎える「創価宝光会館」。今春のオープンに向けて着々と工事が進む

 今春のオープンを目指して建設が進む「創価宝光会館」。東京・信濃町の建設現場で23日、原田会長、長谷川理事長らが出席し、定礎箱が埋納された。
 “全世界から創価の宝友が集い、福徳の光に包まれた所願満足の人生に向けて出発する会館”との意義を込めて「宝光」の名を冠した同会館は、総本部周辺の学会創立90周年記念事業の一環として2018年9月に着工した。完成後は、現在の接遇センターに代わる施設となる。
 「来館者の皆さまを歓迎・賛嘆するデザイン」をコンセプトに、建物の外形は階段状として、壮麗にそびえ立つ印象となるよう設計された同会館。
 地上3階、地下1階建てで、受付コーナーや休憩エリアなどが設けられ、3階に礼拝室が設置される。
 今回、礼拝室の須弥壇の基底部に埋納された定礎箱には、三代会長ゆかりの石や47都道府県・世界五大陸の石が納められている。

 かつて池田大作先生は、総本部の整備について語った。
 「皆さんが堂々と、友人を創価学会へ招けるように。『創価学会を見よ!』と胸を張って歩んでいけるように――これが私の思いである」
 「生まれ変わったような、世界一の『創価城』『広宣城』をつくっていく。海外から来られた方々も、悠々と、ゆっくりできるような『本陣』を、一段と整備していく」
 昨年秋にオープンした「創価学会 世界聖教会館」「創価学会 総合案内センター」に続き、学会創立90周年記念事業も、いよいよ総仕上げ。「創価宝光会館」の建設の槌音とともに、強盛な祈りと真心の励ましで、“あの時があったから今がある”と言える「信心の礎」、創立100周年の栄光を開く堂々たる「勝利の礎」を、世界の同志と共々に築いていきたい。


◆ニュージーランドに輝く創価の哲学  2020年3月24日

今月5日に首都ウェリントン市内で行われたニュージーランドSGIの研修会。友は“多様性の国”で、誰もが輝ける共生の哲学を語り広げている

今月5日に首都ウェリントン市内で行われたニュージーランドSGIの研修会。友は“多様性の国”で、誰もが輝ける共生の哲学を語り広げている

 先月、“1万人の地涌の連帯”を達成したオセアニアの友。この取り組みをけん引したのが、ニュージーランドSGIの同志である。ここでは、ゴードン理事長へのインタビューと、シルバ男子部長の声を紹介する。

 ――“オセアニア1万人の連帯”達成に向けて、ニュージーランドSGIでは、どのようなことを大切にしながら、活動に挑戦してきたのでしょうか?
 私たちは「誓願」とのテーマを掲げて、オセアニアとしての目標達成に向けて戦いをスタートしました。
 御聖訓には「ちかいし願やぶるべからず」(御書232ページ)と仰せです。池田先生の弟子として、皆が自身の人間革命に挑み、広布を実現しゆく誓いを立て、一人ももれなく、地涌の菩薩としての使命を果たせる運動にしていこうと約し合ったのです。
 この中で、「訪問・激励」「一対一の対話」「会合革命」「青年の育成」の四つの活動を中心に据え、展開しました。
 とりわけ訪問・激励には各部一体で挑戦。「一人も残らず、広布の取り組みに糾合しよう」との思いで、メンバーのもとを訪れ、「一緒に心の財を積んでいきましょう」と誠実に語っていきました。
 玄関先での簡単なあいさつなども含め、一回一回の語らいを大切にしていく中で、仏法対話を決意する友が一人、また一人と増え、拡大の波が大きく広がっていきました。
 2018年6月には3000人の陣列を達成。この勢いは衰えることなく、その後も続々と新入会者が誕生していったのです。

ニュージーランド婦人部・女子部の「カメリア・グループ」総会に集った友が、「平和の世紀」を開く誓いを胸に(5日、首都ウェリントンの国会議事堂で)

ニュージーランド婦人部・女子部の「カメリア・グループ」総会に集った友が、「平和の世紀」を開く誓いを胸に(5日、首都ウェリントンの国会議事堂で)

 ――弘教の取り組みとともに、ニュージーランドでは地域社会への貢献活動も、盛んに行われてきましたね。
 はい。地域の人々と共に信頼と調和の社会を築こうと、これまでに環境保護のための植樹運動や海岸のゴミ清掃、先住民マオリの人々との交流、宗教間対話集会への参加など、地道に活動を推進してきました。
 00年11月に結成された吹奏楽団「ビクトリアス・マーチ」は、定期コンサートや老人ホームの慰問演奏を実施するなど、地域の人々から愛される楽団として成長を遂げ、昨年8月の全国大会では、初の金賞を受賞。名実ともに“勝利の楽団”に発展しました。

 また、日本の広島・長崎への原爆投下から70年となった2015年から、ニュージーランド各地の自治体などと協力して、「トゥマナコ――平和な世界への子ども絵画展」を開催してきました。
 同展はこれまで、延べ14会場で開かれ、約4万6000人の市民が鑑賞。子どもたちの平和への願いに満ちた、温かな時間を提供することができました。
 毎年夏に行っていた同展ですが、本年は3月5日に首都ウェリントンの国会議事堂で開幕式を行い、地元の小学生ら約400人が鑑賞しました。
 これは昨年3月に南部の都市クライストチャーチで起こったモスク(イスラム礼拝所)での銃乱射事件から、1年の節目を迎えるに当たって、分断を超えて、平和の連帯を築く一助としたかったからです。
 鑑賞者からは、「子どもたちが芸術の活動を通して、自分自身の気持ちを表現することができる、大切なイベント」「多様な文化や宗教を背景に持つ人々が一堂に会し、互いの差異を尊重し合える心温まる展示」など、多くの反響が寄せられました。

 ――本年は池田先生の第3代会長就任60周年、学会創立90周年を迎えます。幾重にも意義深い年に懸ける思いを聞かせてください。
 ニュージーランドは、初代会長の牧口常三郎先生が大著『人生地理学』の中で、地球を「陸半球」と「水半球」に分けた時、「水半球」の中心にあると言及された国です。
 牧口先生は、海を国と国を隔てる「壁」ではなく、国々の間をつなぐ「道」として捉え、世界に平和の道、調和の道を開いていく気風を育むことが重要になることを力説されています。多様な人種を尊重し、自然と共生する人々が暮らす、この美しき使命の天地で、私たちは創価の人間主義の哲学を基調とした、世界平和の波を起こす使命と責任があると自覚しています。
 現在、新型コロナウイルスの感染拡大により、思うように活動ができない状態にありますが、世界の同志と心を合わせ、一日も早い終息を祈ってまいります。
 そして一人一人が師弟の誓願を胸に、本年の記念すべき「11・18」を、人間革命の勝利の歴史で飾っていきます。

「平和な世界への子ども絵画展」の開幕式が行われた国会議事堂。首都ウェリントンに立つ

「平和な世界への子ども絵画展」の開幕式が行われた国会議事堂。首都ウェリントンに立つ

一人への励ましから人間革命の劇が

 私たちニュージーランド青年部は、壮年・婦人部の皆さんと異体同心の団結固く、“オセアニア1万人の連帯”達成に向けて、二つの取り組みを軸にして、活動してまいりました。
 1点目に、徹底した「訪問・激励」の推進です。
 若き日の池田先生が次から次へと友のもとに足を運び、励ましのうねりを巻き起こした「大阪の戦い」。私たちはこの師の戦いに学び、一対一の対話から拡大の波動を起こそうと、リーダーが総立ちとなって訪問・激励に挑戦しました。
 取り組みに当たっては、SNSのグループ機能を活用して、全国各地の青年部リーダーがそれぞれの訪問・激励の成功談や課題などを共有。機関誌上でも、訪問・激励を通して生まれたエピソードを紹介するページを作成するなど、創意工夫を重ねました。

首都ウェリントンで、市街地と急斜面の住宅地を結ぶケーブルカーは完成から約120年の歴史があり、人々の“足”となっている

首都ウェリントンで、市街地と急斜面の住宅地を結ぶケーブルカーは完成から約120年の歴史があり、人々の“足”となっている

 2点目は、「『新・人間革命』に学ぶ」と題した研さん運動です。これはリーダー一人一人が、小説『新・人間革命』の中で心に残った箇所や自身の感想などを文章にまとめ、皆で共有するものです。同書の研さんのうねりが多くのメンバーに波及し、師弟の絆を強める好機となりました。
 運動が進む中で、多くのメンバーが人間革命の実証をつかむことができました。実は私も、その一人です。
 私はブラジル出身で、12年前に仕事を求めてニュージーランドに移住しました。当初は英語が苦手で、経済的にも厳しい状況でしたが、池田先生が初の海外指導で友に贈られた「市民権を取得し、良き市民に」「自動車の運転免許を取ること」「英語のマスター」との三つの指針を、私自身が頂いたものと定め、信行学の実践に挑んできました。
 そして今月、ついにニュージーランド国籍を取得することができたのです。

国家の首都として、世界最南端に位置するウェリントンは港湾都市。海外貿易の中心としても発展を遂げてきた

国家の首都として、世界最南端に位置するウェリントンは港湾都市。海外貿易の中心としても発展を遂げてきた

 今、世界各地で新型コロナウイルスの感染が拡大し、私たちの国でも、訪問・激励などが制限されている状況です。
 しかし、こうした状況だからこそ、メンバーに一人ももれなく池田先生との絆を感じてもらえるような、“新しい励ましの道”を創造しゆく使命が、私たちリーダーにはあるのだと自覚しています。
 心のつながりを大切にし、社会に世界に励ましの光を送る存在に成長していきます。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈忘れ得ぬ瞬間〉2005年4月入学式  創大生・短大生に創立者が贈った言葉
 未来のために今を勝て

創価大学(第35回)、創価女子短期大学(第21回)の入学式で学生たちを励ます池田先生(2005年4月、創価大学池田記念講堂で)


創価大学(第35回)、創価女子短期大学(第21回)の入学式で学生たちを励ます池田先生(2005年4月、創価大学池田記念講堂で)


 春は新出発の季節。今年も多くの友が新たな門出を迎える。2005年4月1日、創価大学は第35回、創価女子短期大学は第21回となる入学式が行われた(東京・八王子市の創大池田記念講堂で)。創立者の池田先生は新入生を心から歓迎し、学問と親孝行の青春をと訴えた。

  

 新入生の皆さんのことは、よくうかがっています。皆さん一人一人のお名前を、いつも側に置いて、健康と成長と勝利の人生を深く祈らせていただいています。
 きょうから、新たなる「学問の挑戦」が始まります。皆さんは、自分なりに立派に学びぬいて、必ず全員が「卒業」を勝ち取ってください。
 このなかから、学問に徹して打ち込んで、博士号を取る人も出るでしょう。一流の企業で活躍する人も出るでしょう。またすばらしい人格を磨いて、大きく友情を広げていく人もいると思う。
 大事なのは、この大学時代に、「自分はこれをやった!」という何かをつかんでいくことです。
 そして、苦労して、君たちを大学に送り出してくださった、お父さん、お母さんに、心から喜んでいただける、そういう学生生活を送っていただきたい。約束です。
 お世話になった方々に恩返しをする力をつけるために、皆さんは、大学で学ぶのです。また、その「心」がある人は強い。みずからの壁を破り、必ずや勝利の栄冠を勝ち取ることができるのです。
 親元から離れて暮らす人は、たまには実家に電話をして、元気な声を聞かせてあげてほしい。
 口には出さないかもしれないが、ご両親以上に、皆さんのことを心配してくれている人はいないのです。お父さん、お母さんに、断じて、心配をかけてはいけない。
 何もむずかしく考える必要はありません。
 「元気でやっていますから心配しないでください」等々――素直に今の思いを伝えていけばいいのです。
 そして、ご両親から、「わが子を創価大学、創価女子短期大学に行かせて本当によかった」「これほど誇り高いことはない」と言っていただける皆さんになってください。創立者にとって、これほど、うれしいことはないのです。
 ともあれ、最初は、あまり窮屈に考えないで、色とりどりの美しき花咲くキャンパスで、自由に伸び伸びと生活してください。
 視野を大きく広げ、自分自身の限りない可能性を追求していってください。

若い時に力を
 席上、中国・上海財経大学から池田先生に「名誉教授」称号が授与された。先生は、中国の周恩来夫妻の言葉を通し、若き日に徹底して学び、力をつけることが重要であると強調した。
  
 私が敬愛してやまない中国の周恩来総理の言葉に、こうあります。
 「人生には限りがあるが、知識には限りがない」(中共中央文献編集委員会編『周恩来選集<1949年―1975年>』中共中央ML著作編訳局訳、外文出版社)
 青年よ、学問に挑戦せよ! 自身の限界に挑め!――こう周総理は呼びかけていかれました。
 総理は若き日、日本に留学しました。そのとき、日記にこう記しました。
 「勉強だ、勉強だ、時間はもはや私を待ってくれはしないのだ」(矢吹晋編『周恩来「十九歳の東京日記」』鈴木博訳、小学館)
 有名な言葉です。青春は時間との闘いです。
 また総理は、こうも言っています。
 「いま前進しなければ、将来はいっそう困難となり、いま前進すれば将来はきわめて順調にすすむであろう」(前掲『周恩来選集<1949年―1975年>』)
 未来のために、自分の夢の実現のために、今が大事です。今を勝つことです。
 そしてまた、総理は訴えました。
 「なによりもまず自分の力を拡大、強化しなければならない」(中共中央文献編集委員会編『周恩来選集<1926年―1949年>』日本語版《周恩来選集》翻訳室訳、外文出版社)と。
 まず自分が力をつけることです。努力することです。それが人間革命です。
 偉大な青春を勝ち取りましょう!
 さらに、周総理夫人である鄧穎超氏が19歳の時の言葉です。
 「時代を開く、勇敢なる創造的精神は、決して天賦の才能でもなければ、運命によって与えられるものでもない。それは自ら努力し、求め、開拓してこそ、磨き鍛えられていくものです」(金鳳『鄧穎超伝』上、人民出版社<中国語版>)
 皆さんは多くが18歳か19歳――本当に若い。
 若いということは、それだけですばらしい力です。なんだってできる。
 努力しだいで、あらゆる道を開いていけることを忘れないでください。
  
五倍努力の人に
 式典には、中国思想研究の第一人者である、アメリカ・ハーバード大学教授のドゥ・ウェイミン博士が出席。池田先生は、博士が全青連(中華全国青年連合会)に対して訴えた指針を紹介し、新入生たちの飛躍に期待を寄せた。
  
 博士は、全青連による意義深き会議の席上、現代の青年が持つべき重要な五つの点を強調されました。
 それは――
 第一に、揺るぎない「主体性」を確立せよ!
 第二に、世界に貢献しゆく「社会性」を磨け!
 第三に確固たる「歴史観」を持て!
 第四に、自然や宇宙の法則に思いを致し、深き「哲学」に生きよ!
 そして第五に、つねに「未来」に目を向けよ!
 ――との五つでありました。非常に大切な視点であり、私もまったく正しいと思います。
 未来を見つめ、深き哲学に生きゆく皆さまは、すでに、人生の勝利のカギを持っているのである。
 今、世界の激しい変化に取り残され、衰亡しているところもある。反対に、時代の激流を乗り越えて、勝ち栄えていくところもある。
 すべてが勝負です。永遠に勝負です。
 その勝敗の分かれ目は、どこにあるのか。博士は、それは「学び続けているかどうか」の一点にあると、厳然と喝破されている。
 遊ぶことばかり考えている――それでは敗北です。読むべき本を読み、学ぶべき人から学ばなければならない。
 厳しい現代社会にあっては、学習する組織でなければ、生き残っていけない。
 人間であれ、国家であれ、文明であれ、学び続けることによってのみ、自身を「開かれた存在」として発展させ、存続させていくことができる。勝利していけると、博士は論じておられます。

 イギリスの大詩人ハーディは叫びました。
 「俺たちの心の奥で俺たちは信じているのさ 正義のある者が勝利するとね ほら吹きたちは きっと必ず 負けて やがては地の塵にまみれるとね」(「行進し 戦場に去る俺たち」森松健介訳、『トマス・ハーディ全詩集』2所収、中央大学出版部)
 悪人たちが敗れ、正義が勝つ――そういう時代を築くために、皆さんは、学びに学んで、実力をつけていただきたい。
 終わりに、心から愛する新入生の皆さん方に、「皆、努力博士たれ 親孝行博士たれ!」「秀才とは、人の五倍の勉強家なり」と申し上げたい。


◆〈婦人部のページ〉 希望の人生を歩む喜び

 今、不屈の誓願の祈りと、電話、メール、手紙なごで友に励ましを送る婦人部。ここでは、これまでに家族・親戚や幼なじみなど、身近な人に弘教し、共に幸福の大道を歩むメンバーを紹介。併せて、池田先生の言葉を掲載します。

師とつづる幸福の劇(ドラマ)
小説「新・人間革命」と共に

 大切なのは個人指導だよ。座談会に来た人を最大限に励ますのは当然だが、私は、むしろ、来られなかった人のことを考えてしまう。だから私は、よく、そうしたメンバーを励ましに行った。(中略)一人ひとりに光を当てる個人指導が、最も重要な活動になる。(第6卷「遠路」の章、98ページ)

苦難は全て励ます力に
鳥取 鳥取圏・久松支部  圏総合婦人部長 岸本祐子さん

 鳥取総県婦人部では、圏や本部単位で小説『新・人間革命』を学び合う「さくらカレッジ」を行っています。
 わが圏は、若い婦人部の "共感力"を引ぎ出すことに焦点を置いて勉強会を開催。 毎回、グループを変えてディスカッシヨンを行い、同世代の奮闘する姿や言葉など、ありのままを共有。メンバーからも「同じ年代の人たちの飾らない声が一番の”励まし”です」と好評です。
 訪問の自粛や会合の今は、『新・人間革命』を学ぶチャンスと捉え、電話やメール、手紙などで声を掛けながら前進しています。

広島出身の私は病気を患い、大学受験を断念。私大の通信教育部で学んでいた頃、女子部の先輩の激励がきっかけで、信心に励むようになり ました。
 女子部時代を悔いなく走り、結婚を機に鳥取へ。申し訳ないくらい頻繁に婦人部の先輩方が通ってくれました。 こうした励ましの一つ一つが、今の私を築いています。 信心の転機は1997年 (平成9年)のことです。次男(当時3歳)の体重減少が気になり病院へ。検査の結果、脳に5センチ大の腫瘍が見つかったのです。
 医師から「この子は今、歩けますか。話せますか」と矢継ぎ早に質問がありましたが、私の頭の中は真っ白でした。
 ”私が負けてはいけない" ??その後、家族や同志の祈りに支えられ、手術は無事に成功。次男は幼稚園に入園できるまでに回復し、皆で喜びをかみ締めていました。
しかし、その生活も長くは続きません。恐れていた再発が分かり、次男は4歳という短い人生を終えました。
 絶望の淵に突き落とされた時、上の子は6歳、下はまだ2歳。家事や育児に追われ、休む暇もありませんでした。 苦しくて仕方がない時には、常に婦人部の先輩が寄り添ってくれました。
 何よりの励ましは、池田先生の指導でした。次男が亡くなった直後、「?厳な夕日が、再び、はつらつたる旭日になるように、大いなる『永 遠の生命』は、死をも超えて活動し続ける」とのスピーチが掲載。まるで先生が直接、私たち夫婦に教えてくださっているようでした。
 その後は"次男の分まで"と、夫婦で広布の最前線を走りました。この『新・人間革命』の一文も常々、心に問い掛けている指導です。今振り返ると、人生における苦難は全て、同じように悩み苦しむ友に対し、寄り添う力となっているように感じます。
 これからも、感謝の心を忘れることなく、次代を担う婦人部員と共に、地域に希望のスクラムを広げていきます。

身近な人に弘教した友

群馬 太田希望県・竜舞支部  原澤 薫さん (地区婦人部長)
親友だから、一緒に幸せになりたい。

「入会してくれた友と、ヤング白ゆり世代の一員として共に前進できることが本当にうれしい」と、原澤薫さんは笑顔で語る。
 原澤さんの親友・柳田千恵さんが入会したのは、2017年 (平成4年)3月のこと。「入会した後、こつこつと真面目に頑張る (柳田)ちゃん の姿に、信心の偉大さと素晴らしさを実感する日々です」 (原澤さん)
 原澤さんと柳田さんの出会いは幼稚園。小・中学校も同じで、軟式テニス部ではダブルスのペアを組んだ。進学した高校は違うが、アルバイト先は一精だった。
 お互いが結婚した後も、子どもが同級生。ずっと近隣に住んでいたこともあり、原澤さんは 柳田さんに事あるごとに学会の話をし、聖教新聞の購読推進もしてきた。しかし。”あなたと一緒に信心をしたい"という言葉が言えなかった。
「ずっとそばにいた親友だからこそ、勇気が出なくて……。 人間関係が崩れてしまうとは思いませんでしたが、一歩を踏み出せなかったんです」と原澤さんは振り返る。
 転機なったのは、同世代の同志の奮闘だった。総群馬婦人部の「白ゆり大学校」の一員になった原澤さんは、師匠の闘争の歴史を改めて学び直す。また、喜々として対話拡大に挑戦する皆の姿に触れる中で、原澤さんの心に勇気がともった。 「(柳田)重ちゃんと、この信心を通して一緒に幸せになりたい」
 真剣な唱題を重ね、16年(同28年)11月には柳田さんが教学部任用試験(仏法入門)を受験。座談会、本の中継行事の参加など、一歩ずつ理解を深めた。
原澤さんは語る。「最後は恥ずかしさもあって、うまく語れませんでした。"とにかく私が祈る姿を見ていてほしい"と、お願いしたんです(笑い)」
 原澤さんは夫を折伏し、信心をしていない大家族に嫁いだ。 どんな時も、笑顔を絶やさず前向きに生きてきた原澤さんの姿を見てきた柳田さんは、「私も学会の中で、一緒に変わっていきたい」と入会を決めたという。
 柳田さんは入会後、小説『新・人間革命』を学ぶ「創価はるな大学校」に入校し、師弟の精神を刻んだ。今は、原澤さんと共に、地域広布にまい進する日々を送る。
 一人の人間革命のドラマは始ったばかり。「これからも、切磋琢磨しながら成長していきます」と原澤さん。きょうも励ましの声を掛け合い、前進する。


滋賀 大津創価圏・志賀支部  中村公子さん (地区婦人部長)
お義母さんと活動できることに感謝。

 日本一の笑な琵琶湖が眼前に広がる地で、地域広布の拡大に駆ける中村公子さん。「当初、信心に反対していた、お義母さん(方江さん)と共に、信心ができる感謝でいっぱいです」と目を細める。
 中村さんは幼い頃に父を亡くし、信心強盛な母に育てられた。京都で働いていた時、夫・和春さんと出会い、入会に導く。その後、結婚して、夫の実家である現在の地へと移り住んだ。
 御本尊の安置を願い出た時、認めてはくれたものの、義母・方江さんは良い顔をしなかった。
 子どもも生まれ、慣れない育兒や家事との両立に奮闘する中村さん。”良い嫁であろう" と、方江さんが仕事から帰ってくるまでに家事を終わらせようと努めた。その一方で、激しい目まいに襲われる日が増えた。 若い頃から悩むメニエール病によるものだった。
「お義母さんは、仕事から帰ってきた後、畑仕事もしていて……。寝込むたびに、申し訳ない気持ちでいっぱいでした」と当時を振り返る。
 学会活動にも思うように参加できない中、婦人部の先輩から "お義母さんに、心から感謝できる自分になれるように祈っていきましょう"との励ましが。 また、子どもの不登校で悩んでいたこともあり、"一番身近なお義母さんと一緒に信心したい、仏法の話をしたい"という気持ちが次第に強くなっていった。
 勇気をして地区総会に誘うと、方江さんは「参加する」と快諾。地域の学会員には方江さんの知人も多く、総会に参加して信仰に対するィメージがガラッと変わったという。
 "もっと学会のことを知りたい"???その後、方江さんは本部幹部会の中継行事や座談会にも積極的に参加。信仰への理解と共感を深め、2011年(平成23年)11月に入会した。
 現在は婦人部でグループ長としても活躍する方江さん。17年 (同29年)には、実の姉・西村弘子さんに弘教を実らせた。姉妹は今、競うように対話拡大の花を咲かせる。
 一昨年には、中村さんの後押しもあって、長女・麻理さん華陽リーダーが親戚に弘教を実らせた。中村さんから始まった信心の炎は、中村家に着実に広がっている。
 中村さんが悩み続けてきたメ一エール病による目まい。人のためにと広布の活動に励む中で、いつしか発作はなくなった。「今が一番元気です。報恩感謝の思いで、地域広布の使命を果たしていきます」

池田先生の言葉から
 根本は祈りだ。
 大聖人は「法華経の行者の祈りのかな(叶)はぬ事はあるべからず」(御書1352ページ)と御断言である。
 祈りは淡い夢ではない。漠然とした願望でもない。「必ずこうしてみせる!」「絶対に勝つ!」という誓いである。
 その深き誓願の祈りは、因果?時なるゆえに、磁石に鉄が吸い寄せられる如く、明確に結果が出るのだ。
 御聖訓には、「只南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪やあるべき来らぬ福(さいわい)や有るべき」(同497ページ)とも記されている。
 わが婦人部は、絶対勝利の「法華経の兵法」を持った究極の幸福博士である。
 (「随筆 人間世紀の光」〈桜花の誓い〉)
                        ◆ ◇ ◆
 ご家族が未入会の場合でも、少しも心配することはない。焦ることもない。
 一人の母、一人の娘が立ち上がる。それは、一本の希望の灯台が、光を放ち始めたということだ。
 暗夜の海をゆく無数の船を導いていくように、一家眷属を、必ず永遠の勝利と幸福の航路へ導いていけるのである。
 御義口伝には、「依正福智共に無量なり所謂
いわゆる
南無妙法蓮華経福智の二法なり」(御書792ページ)と仰せである。
 自分の周囲の環境も、縁する人々も、皆、無量無辺の福徳と智慧で包むことができる。これが妙法である。
 (2008年2月、「婦人部最高協議会」でのスピーチ)

◆〈信仰体験 with〉 #在日コリアン(総集編)

 連載「with」では、昨年末から「在日コリアン」をテーマに取材してきました。繰り返される政治の対立。そのたびに日韓関係は揺れ動いてきました。今回は総集編として、両者の“はざまで生きる”3人の体験を、ダイジェスト手だ紹介。

◆金子みすゞのまなざしの世紀㊦  金子みすゞ記念館 館長 矢崎節夫さん
 心の中のみすゞに会う 


12万枚の顔写真を使った、金子みすゞのモザイクアート(金子みすゞ記念館で)

12万枚の顔写真を使った、金子みすゞのモザイクアート(金子みすゞ記念館で)

 21世紀は、金子みすゞのまなざしの世紀――金子みすゞ記念館館長の矢崎節夫さん(童謡詩人)の話を、17日付12面に続き、掲載します。
「あなた」と「私」の関係
 みすゞさんのまなざしは「私とあなた」ではなく、「あなたと私」です。どうして「あなた」が「私」よりも“前”なのでしょうか。
 「私とあなた」のまなざしで生きるとは、自分を中心に考えて生きることです。「私」のほうが「あなた」よりも大事ですから、どうしても自分の位置が相手より上になってしまいます。さらに「私」が忙しかったり、急いでいたりすると、「あなた」の存在すら忘れてしまう。これでは、相手を理解することはできません。
 相手を理解するためには、自分中心で上になってしまった「私」の位置を、「あなた」の位置まで下げなければなりません。だから「理解する」とは、英語で「understand」――「下(under)」に「立つ(stand)」と書くのです。
 大事な「私」を“後”にすると、とても大切なことが見えてきます。僕は、小学生に次のように伝えています。
 「みなさんは自分を人間だと知っていますか?」。もちろん、みんな知っています。
 「どうして知っているの?」。誰も考えたことがないようです。
 不思議ですが、誰一人として「君は人間だよ」と教えてもらっていないのに、自分は人間であることを知っています。子どもたちは一生懸命に考えます。ある児童が「人間のお母さんから生まれたから」と言いました。
 「そうだね。人間のお母さんから生まれないと、人間にはなれないよね」。僕は続けます。「じゃあ、みんなが生まれてすぐ、犬くんの群れの中にポンと置かれ続けたら、自分は何だと思う?」
 子どもたちは声を上げます。「あっ、犬だ!」
 「なぜ?」「周りが犬だから!」
 自分が人間であると認識できるのは、両親や家族、友達、地域の人たちを含めて、自分の周りが人間だからです。つまり、私が私であるためには、私以外の人がいないと成り立たないのです。だから「私とあなた」ではなく、「あなたと私」。「親と子」「教師と生徒」「医者と患者」も、みんな同じです。子どもがいるから親なのですから「子と親」。生徒がいるから教師なのです。患者がいるから医者なのです。
 みすゞさんの代表作のようになっている作品「私と小鳥と鈴と」(別掲)。このタイトルは「私とあなた」ですが、そこから始まって、それぞれの素晴らしさに気付いて、最後にまなざしがひっくり返ります。
 「鈴と、小鳥と、それから私」――「あなたと私」になる。言葉のリズムと言ってしまえばそれまでですが、「それから私」と厳しく書いてあります。
 つまり、「みんなちがって、みんないい」は、「あなたはあなたでいい」が“前”であり、「私は私でいい」は“後”なのです。
 「私は私でいい」が“前”になると、何でも好き放題、何をやってもいいということになる。「私とあなた」から「あなたと私」のまなざしに変わらない限り、「みんなちがって、みんないい」という、こんなすてきな言葉が、「私の勝手でしょ」と自分を正当化する言葉になってしまうのです
                    ◆ ◆ ◆
私と小鳥と鈴と
 私が両手をひろげても、
 お空はちっとも飛べないが、
 飛べる小鳥は私のように、
 地面を速くは走れない。
  
 私がからだをゆすっても、
 きれいな音は出ないけど、
 あの鳴る鈴は私のように、
 たくさんな唄は知らないよ。
  
 鈴と、小鳥と、それから私、
 みんなちがって、みんないい。
                     ◆ ◆ ◆
 面白いことに、「私と小鳥と鈴と」には、できないことと知らないことしか書かれていません。
 空を飛べない、地面を速くは走れない、きれいな音は出ない、たくさんの唄は知らない――それでも、「みんなちがって、みんないい」とうたうのです。
 今の社会は「できること」「知っていること」が求められますが、できないことがあってもいいのです。知らないことがあってもいいのです。なぜなら、あなたには「あなたにしかできないこと」があるからです。
 みすゞさんのまなざしは本来、私たち一人一人が持っているものです。だから作品を読むと、「ああ、そうだったのか」と気付かされ、カサカサになっていた心がきれいな水にじわっと潤され、清められたような気持ちになるのでしょう。
 半世紀以上、「みすゞ探しの旅」を続けている僕ですが、この旅路の中で一番うれしかったことは、自分が変われたこと。みすゞさんと出会わなければ、今の僕は存在しません。
 人を変えることができるのは、言葉だけです。暴力や権力を使えば、一見、人は変わったように見えるかもしれませんが、内面は変わりません。変わることを強いられた被害者だからです。しかし、言葉は人の心深くまで届きます。言葉は心であり、相手を思う心が届いた時、その人を幸せにするエネルギーに変わるのです。
 もう一つ、うれしかったことがあります。みすゞさんの作品から受けた最初の感覚は間違っていなかったということ。54年前、「大漁」という作品に出合った時の感動は、「みんなの感動」だったのです。だから、たくさんの人に広がり、「みんなの心の中の共有財産」になったのだと思います。
 イランの詩人が言っていました。――みすゞさんの詩は「人間の詩」。だから国境を超える。「民族の詩」「宗教の詩」「イデオロギーの詩」は国境をつくる、と。
 「人間の詩」というよりも、地球上の全ての「いのちの輝き」をうたう「いのちの詩」です。いのちには、国境も差別も存在しません。全て平等で尊いからです。
 みすゞさんの作品は現在、世界13言語に翻訳され、中国では教科書にも紹介されています。
 日本の童謡を研究する中東シリア出身の留学生は、博士論文のテーマにみすゞさんを選びました。日本人だけでなく、海外の人たちも、みすゞさんのまなざしに注目する時代なのです。
 みすゞさんが残した512編の作品は日々、新しい輝きを放ってくれます。僕自身、いまだに初めて出合ったような作品に遭遇し、驚きに打たれます。そして、作品を読んだ瞬間、自分の中のみすゞさんがこだまするのです。自分を取り巻く全ての命の輝きと、誰もが本来、自分の中に持っている命の輝きが沸々とこだまし合い、私たちが生きる上で大切なことに気付かせてくれ、大好きな自分に出会わせてくれるのです。
 みすゞさんの故郷・山口県長門市仙崎にある「金子みすゞ記念館」には、次の言葉を掲げました。
 「だれの心のなかにもみすゞさんはいます。あなたの心のなかのみすゞさんに出会ってくださるとうれしいです」
 あなたの心の中のみすゞさんを一人でも多くの方が見つけてくださることを願っています。
 【金子みすゞ記念館の案内】
所在地は山口県長門市仙崎1308番地。
開館時間は午前9時~午後5時(入館は同4時半まで)。入館料は一般350円、小・中・高校生150円。
休館日は12月29日~1月1日。
新型コロナウイルス感染拡大防止のため、3月31日まで臨時休館中。
電話0837(26)5155。
 ※作品は『金子みすゞ童謡全集』(JULA出版局)から

 

2020年3月23日 (月)

2019年3月23日(月)の聖教

2019年3月23日(月)の聖教

◆今週のことば

 進学・就職・転居など
 新出発の友に励ましを!
 「さいわいは心より
 いでて我をかざる」
 胸張り使命の桜道へ!
 御書P1492


◆名字の言 大岡越前守の名裁き。こんな見方もあるのでは?

 「大岡政談」に二人の女性が子を取り合う話がある。“私がこの子の実母”と譲らない二人に大岡越前守は、両者で挟んだ子の手を引っ張り合うように命じた▼痛さに子が泣きだすと、一人の女性が手を離した。大岡裁きは、痛がるわが子を哀れんでこそ実母と判断した、という内容である。だが“一時の痛みに子が泣こうが、手を離さない親の愛情もあるのでは”という考え方もあるはず。そう思ったのは、ある母娘が脳裏に浮かんだからだ▼娘である婦人部員は20年前、緑内障で左目の視力を失った。直後、母が病に倒れ、「余命1週間」と告げられた。その後、奇跡的に回復した母は娘を毎日、病院へ見舞いに来させた。娘はかろうじて見える右目を頼りに、往復2時間ほどの道を歩いて通った。母は半年も寿命を延ばし、霊山に旅立った▼婦人は語る。「これから先、私が一人でも強く生きていける力を、母は命懸けで鍛えてくれました」と。そして「それまで右目の視力が落ちないことを願っていましたが、あれ以来、私の祈りは“広布に生き抜く体になる”という誓願に変わりました」とも▼その後、婦人の左目はわずかに視力が戻り、現在、拡大鏡で本紙を熟読しては信心に励む日々だという。あの時の母の“真の愛情”に感謝しながら。(城)


◆寸鉄

パラオ共和国大統領から
会長夫妻に顕彰。平和に
尽くす思想と行動に共鳴
     ◇
中部女性の日。さあ満々
たる生命力で前進!希望
の一番星は明るく朗らか
     ◇
「陰徳あれば陽報あり」
御書。電話・手紙で地道に
激励重ねる友に福徳必ず
     ◇
普段できぬ事に挑む時!
まずリストアップ。書き
出せば祈りも動きも明確
     ◇
新聞に触れる子は成績も
高い―調査。親から良き
習慣を。本紙も充実益々


◆きょうの発心 御義口伝 総合鼓笛部長 鈴木史織2020年3月23日

御文 妙音とは今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る事は末法当今の不思議の音声なり(御義口伝、774ページ・編1620ページ)
通解 (妙音菩薩の「妙音」について)いま末法において、日蓮大聖人の弟子として、南無妙法蓮華経と唱えるのが、末法今時における不思議の音声、すなわち、真実の妙音である。

音楽の力で心と心を結びゆく!
 南無妙法蓮華経と唱えていく真実の妙音によって、一切の苦悩を幸福へと転じていくことができると教えられています。
 2002年(平成14年)、「音楽隊・鼓笛隊合同演奏会」にジュニア隊として出場。池田先生に握手をしていただき「生涯、広布に生きよう」と誓いました。
 鼓笛部長の使命をいただいた15年、先天性の障がいのある妹が心肺停止の重篤な状態に。病状は一進一退を繰り返しましたが、学会創立85周年の「11・18」に、かすかに「南無妙法蓮華経」と口を動かすことができたのです。
 その後、在宅で生活できるまでに回復。視力と声を失いながらも、耳根得道の信心で、逆境をバネに力強く生きる妹の姿に、題目の確信をつかみました。
 池田先生の手作りで、33人から始まった鼓笛隊は、明年で結成65周年を迎えます。今こそ「音楽の力で、心と心を結びたい」との大情熱を燃やし、「我らには題目という究極の妙音がある」との指導を胸に、「平和の世紀の勝利」を鼓笛隊から開いてまいります。 す。


【先生のメッセージ】

◆題目は世界共通の言葉  池田先生の指針とともに
 わが家で創価の心を学ぼう!

使命の大空へ、力強く羽ばたこう!(昨年8月、パラグアイ文化会館で)

使命の大空へ、力強く羽ばたこう!(昨年8月、パラグアイ文化会館で)


 1日24時間、1年365日、地球のどこかで、題目の声が響いている世界広布の新時代を迎えました。今回は「題目は世界共通の言葉」をテーマに、池田先生の指針を学び合いたいと思います。また「わが家の実践」では“春の列車”で旅するように、親子で楽しく唱題に挑戦するエピソードを紹介します。


【池田先生の指針】
 なかなか自分の思うようにいかず、勇気が出なかったり、悩みにくじけそうになることもあるかもしれない。
 その心を、仏法では「みがいていない鏡」にたとえています。
 どんなにすばらしい鏡も、くもったままでは何もうつりません。しかし、みがけば、どんどん輝きます。
 心も同じです。題目を唱えることは、心を最高にみがいていくことなのです。
 題目を唱えれば、生命が光ります。やる気も元気もみなぎり、頭もさえてきます。
 この題目は、今や、世界192カ国・地域に広がっています。
 みなさんと同じ年ごろの少年少女も、たくさんいます。
 英語やポルトガル語、スペイン語、韓国語など、話す言葉は違っても、みんな、「ナンミョウホウレンゲキョウ」と唱えています。
 題目は、世界共通、人類共通の言葉です。
今、この瞬間も、地球のどこかで、題目の声が、ひびき渡っているのです。
 テレビの電波は、目には見えないけれど、つながっているように、題目を唱えることで、心と心も、いつでも、どこでも、つながることができます。
 私は、みなさんの成長と幸せを祈りに祈っています。だから私の生命と、みなさんの生命は、題目でつながっています。
 いつも、いっしょに生きているのです。
 どうか、きょうも朗らかに題目を唱え、ししの子らしく、自分の夢に向かって、胸を張って前進していってください。
 愛するみなさんが、しし王に育って、夢をかなえながら、世界のために堂々と活躍してくれることが、私の最大の夢です。
 (『希望の大空へ わが愛する王子王女に贈る』)


【聖教ニュース】

◆パラオ共和国 レメンゲサウ大統領が池田先生ご夫妻を顕彰 環境と教育への貢献をたたえて
2020年3月23日

パラオ共和国のレメンゲサウ大統領㊨から同国SGIの代表に、池田先生ご夫妻への顕彰が託された(3日)

パラオ共和国のレメンゲサウ大統領㊨から同国SGIの代表に、池田先生ご夫妻への顕彰が託された(3日)

 パラオ共和国のトミー・レメンゲサウ大統領から、池田大作先生に「世界人道賞」が、香峯子夫人に「太平洋女性平和賞」がそれぞれ贈られた。池田先生ご夫妻の長年にわたる環境保護への尽力と、教育への貢献をたたえたものである。
 ――日本から南に約3000キロ。西太平洋に位置するパラオ共和国は大小約200の島々からなり、1万8000人が暮らす。
 透き通るようなエメラルドグリーンの海には、鮮やかなサンゴ礁が広がり、その美観は“手つかずの楽園”“太平洋の宝石”とうたわれる。また世界有数のダイビングの名所として、年間約10万人の観光客でにぎわう、憧れの天地である。
 2001年に同国の大統領に就任したレメンゲサウ大統領は、翌02年6月、東京・信濃町の旧・聖教新聞本社で池田先生と出会いを結ぶ。パラオの自然・文化・歴史や環境問題などを巡って、語らいが交わされた。「共生の哲学」を育む教育を通じて、未来に、世界に貢献しゆくことを約し合ったのである。
 今回、池田先生に贈られた「世界人道賞」には、「環境保護の運動と促進への尽力をたたえて」と記されている。

池田先生に贈られた「世界人道賞」
 美しい自然と共生する同国の人々は、“環境に敬意を払う”ことを伝統的信条としている。太平洋諸国の生物多様性を保全し、持続可能な自然資源の利用を図る国際公約「ミクロネシア・チャレンジ」への参画など、環境保護のためのさまざまな運動において、世界をリードしてきた。
 
 先生は、「SGIの日」記念提言や環境提言「持続可能な地球社会への大道」などを通して、生命尊厳の行動と連帯を広げゆく重要性を訴えてきた。
 こうした先生の呼び掛けに対し、大統領は“(池田先生の)深い英知は、私たちの生き方の核心と強く共鳴する”“パラオのみならず、世界の環境保護の第一人者になるべく奮起した”と、一貫して共感を示している。

香峯子夫人に贈られた「太平洋女性平和賞」
 一人一人が変革の主体者となり、「平和の世紀」「環境の世紀」を!――今回の顕彰は長年にわたって世界平和と環境保護のために奮闘してきた先生と、その激闘を陰で支え続けてきた香峯子夫人に対する、同国からの最大の称賛といえよう。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈2020 学会史メモリアル〉4月  2020年3月23日

 ◎4・2「第2代会長・戸田城聖先生命日」
  
 1958年(昭和33年)4月2日、第2代会長の戸田城聖先生が広布の一切の願業を成就し、58年の尊い生涯を閉じた。
 戦後の焦土に一人立ち、初代会長の牧口常三郎先生の遺志を継いで、学会の再建と75万世帯の折伏を達成した戸田先生。その偉大な足跡は、広布史に不滅の光彩を放っている。
 ※参考資料=小説『人間革命』第12巻「寂光」「新・黎明」、『新・人間革命』第4巻「春嵐」
  
 ◎4・2「創価大学開学の日」
  
 50年11月、戸田先生は自らの会社が経営不振に陥るなどの窮地にあったが、池田先生に、創価大学の設立の希望を語り、その実現を託した。
 池田先生は師の構想の実現に全生命を注ぎ、71年4月2日、創価大学は開学した。
 ※参考資料=『新・人間革命』第15巻「創価大学」

東京・八王子市の創価大学キャンパス  

東京・八王子市の創価大学キャンパス  

 ◎4・2 創価女子短期大学開学35周年

  
 85年4月2日、人間主義の哲学を根底にした社会に有為な女性リーダーの育成を目指して、創価女子短期大学が開学した。本年で35周年。
  
 ◎4・2「第2総東京の日」
  
 幾重にも意義を刻む4月2日は、「第2総東京の日」に定められている。
  
 ◎4・8「関西の日」
 
 56年4月8日に行われた大阪・堺2支部連合総会が淵源。
 池田先生の指揮のもと、1万1111世帯の弘教と、「まさかが実現」の勝利史を刻む「大阪の戦い」は、この日が発火点となった。
 ※参考資料=『人間革命』第10巻「跳躍」
  
 ◎4・14 池田先生が第3代会長就任の要請を受諾した日から60周年
  
 60年4月14日、池田先生は再三にわたる会長就任の要請を受諾。
 当時の思いを「ご恩を返す時が来た。日本の歴史、世界の歴史を創りゆく戦いを、同志と貫くのだ」とつづった。本年で60周年。
 ※参考資料=『人間革命』第12巻「新・黎明」
  
 ◎4・20「聖教新聞創刊記念日」
  
 51年4月20日、聖教新聞が発行部数5000部、旬刊(10日に一度の発行)、2ページ建てで創刊。65年7月に日刊化し、71年1月から現在の日刊12ページ建てに。
 聖教電子版には世界203カ国・地域からアクセスがあるなど大きく発展した。
 ※参考資料=『新・人間革命』第10巻「言論城」、第14巻「大河」

東京・信濃町の「創価学会 世界聖教会館」  

東京・信濃町の「創価学会 世界聖教会館」  

◎4・28「立宗の日」

  
 1253年(建長5年)4月28日、日蓮大聖人が32歳の時、末法の全民衆を救う根本の法である「南無妙法蓮華経」を唱え、立宗宣言した。
 ※参考資料=『人間革命』第6巻「七百年祭」

◆池田先生の会長就任60周年  青年部が原田会長に聞く
 第1回 未曽有の世界広宣流布㊤ 初代・二代の構想を「わが使命」と誓願
 日蓮仏法が地球を照らす時代に

1960年(昭和35年)5月3日、池田先生の創価学会第3代会長就任式。壇上には、戸田先生の和歌が墨痕鮮やかに。“先生! 先生の後を継いで、私は世界広布の旅路を征きます”と(内田健一郎作の油彩画)

 1960年(昭和35年)5月3日、池田大作先生が創価学会第3代会長に就任されてから、本年で60年の佳節を迎える。この60年、学会は先生の死身弘法の闘争により、世界宗教へと大きく飛躍を遂げた。目前に控えた「5・3」へ、長年にわたり、先生のもとで行動してきた原田会長に、青年部各部の部長が聞いた。

宗祖の御遺命を現実に
 ◆西方男子部長 第1回の今回は「世界広宣流布」について伺います。
 1954年夏、故郷である北海道の厚田を訪れた戸田先生は池田先生に語られます。
 「ぼくは、日本の広宣流布の盤石な 礎をつくる。君は、世界の広宣流布の道を開くんだ」
 ご逝去直前には、「メキシコに行った夢を見たよ。みな待っていてくれた」と言われます。池田先生にとって世界広布は、師匠の構想を現実のものにする闘争であったと思います。
  
 ◇原田会長 「世界広宣流布」は日蓮大聖人の御遺命であり、大聖人正統の教団である創価学会の使命です。そして創価三代の会長、なかんずく池田先生の身命を賭した戦いがあったからこそ、仏教史上初めて現実のものとなったのです。
 戸田先生は第2代会長に就任した翌52年の正月、「いざ往かん 月氏の果まで 妙法を 拡むる旅に 心勇みて」と詠まれました。1カ月後の男女合同青年部研究発表会では初めて、「地球民族主義」との理念を発表されています。日本国内にわずかな学会員しかいない時代から、戸田先生は明確に世界広布、世界平和の実現を考えられていたのです。
 それは、牧口先生の教えによるものでもありました。軍部政府下において牧口先生は、機関紙「価値創造」で“妙法こそ、世界の人類が等しく渇望する「無上最大の生活法」であり、「成仏の法」である。この偉大な力を、我々同志の実験によって証明し、誰にもたやすく分かるようにするのだ。そして、その功徳を普く施して、一切衆生を無上最高の幸福へ至らしめるまで、前進していこうではないか”と訴えられています。
 1953年11月18日、牧口先生の十回忌に際し、『価値論』が再版されます。「牧口常三郎著 遺弟
戸田城聖補訂」と記されたこの本を、戸田先生は“世界の大学・研究機関に送ろう”と言われ、池田先生を中心に準備が進められました。そして、約50カ国422の大学・研究機関へと送られたのです。
 こうした戸田先生の世界広布の構想を誰よりも真剣に受け止め、実現を誓われたのが池田先生です。だからこそ、会長就任式の壇上には、「いざ往かん――」との戸田先生の和歌が掲げられたのです。
 宗祖の御遺命であり、初代、第2代会長の熱願であった世界広宣流布を「わが使命」と決めた「誓い」から、池田先生の60年はスタートしました。
  
 ◆樺澤学生部長 小説『新・人間革命』第1巻「旭日」の章には、「伸一は、戸田城聖に、世界の広宣流布を使命として託された日から、やがて、海外で直面するであろう諸問題について思いをめぐらし、その一つ一つについて、熟慮に熟慮を重ねてきたのである。(中略)彼の胸中には、既に世界広布の壮大にして精緻な未来図が、鮮やかに描かれていた」と記されています。
  
 ◇原田 先生は第3代会長に就任された年の10月から、7年間で計13度も海外を訪問されています。それは、アメリカから始まり、北・南米、アジア、欧州、オセアニアと各地にわたります。
 この時期は、世界宗教への第一歩をしるされ、助走を始めた期間と位置づけられると思います。小説『新・人間革命』にも記されている通り、最初の訪問地となったハワイをはじめ、行く先々で先生は、大地に染み込ませるように題目を唱えていきます。61年のイタリア訪問の折には、古代ローマの遺跡を見ながら、「ローマの 廃墟に立ちて 吾思う 妙法の国 とわにくずれじ」と詠まれました。“繁栄を誇ったローマ帝国は滅びたが、私たちは永遠に崩れない妙法の国を建設するのだ”――そう決意を深めながらの闘争であったと拝察されます。
  
 ◆樺澤 原田会長が初めて、池田先生の海外訪問に同行したのはいつでしょうか。その際、先生からは、どのような指導がありましたか。
  
 ◇原田 72年4月です。先生から「具体的な計画は全面的に任せるから」とのお話をいただき、緊張しながら、必死でスケジュールづくりなどの準備に当たったことは忘れられません。
 当時、先生は67年半ばからの5年で、「七つの鐘」のうち、第六の鐘が鳴り終わる72年に向かって、日本の広宣流布の基盤を完成させようと全国を駆け巡られていました。そして72年、イギリスでのトインビー博士との対談をはじめ、フランス、アメリカへと渡られるのです。
 羽田空港から経由地のソ連(当時)のシェレメチェボ空港を目指した機中でのことです。先生は「私が最初、海外指導に出掛けた時は、胸のポケットに、戸田先生の遺影をしのばせていたんだ」と話してくださいました。“いつ、どこにあっても、池田先生は戸田先生と共にあるんだ”と強く心に刻みました。

勇気と希望送る 新たな闘争開始
 ◆林女子学生部長 その72年4月から75年7月まで続く計12回の海外訪問では、SGI(創価学会インタナショナル)の発足という、今も燦然と輝く世界平和への大絵巻が繰り広げられます。当時のことを教えていただけますか。
  
 ◇原田 70年、言論問題で学会は無理解の非難にさらされていました。そうした中にあって、“新たな広布の歩みを開始していこう。海外から日本の会員に勇気と希望を送っていこう!”――先生は、こう決意されていたのだと思います。
 72年5月には、トインビー博士との1度目の対談に臨まれます。これは69年に博士から、対談を希望する書簡が寄せられて実現したものです。
 先生は対談の1年以上前から、準備を始められていました。博士の著作を読み深めながら、質問や構成を考え抜かれていたのです。車での移動中や、そばにいる時など、「原田君はどういう質問がいいと思うか」とたびたび問われました。全魂を傾けての真剣勝負の気迫でした。それが今や世界29言語で出版され、多くの識者が“座右の書”“人類の教科書”と称賛する対談集へ結実したのです。
  
 ◆林 そして、池田先生は72年秋、「広布第2章」に入ったことを宣言されます。その後、トインビー博士との2度目の対談(73年5月)などを経て、74年5月の初訪中、9月の初訪ソ、12月の周恩来総理との会見へと続きます。
  
 ◇原田 75年の1月にはキッシンジャー博士との会見やSGIの発足式が行われ、同年4月には3度目の中国訪問、さらに5月にはフランスでローマクラブ創立者のペッチェイ博士や、作家のマルロー氏、美術史家のユイグ氏らとも会見されます。
 まさに、この3年間は、本格的な『世界広布の幕開け』の時代であり、先生の人間外交が見事なまでにダイナミックに展開された時でもありました。
 池田先生は日中関係が非常に厳しかった68年、学生部総会で「日中国交正常化提言」を発表されます(4年後に「国交正常化」が実現)。この提言と学会の民衆運動に着目し、評価していたのが周総理です。だからこそ、病身を押して、先生と会見されたのだと思います。
 当時は中ソの対立も激しく、一触即発の危機が憂慮されていました。74年、先生の初訪中に同行した際、中学校の教員、生徒らが、“隣国の超大国に備えています”と、地下に防空壕を掘っている現場も見ました。
 こうした状況を見聞きして先生の胸中には、“絶対に戦争を起こさせない”との強い強い決意が深まったのだと思います。
 約3カ月後、ソ連のコスイギン首相に会った際、先生は問い掛けます。「率直に伺いますが、ソ連は中国を攻めますか」
 すると首相は、「いいえ、攻撃するつもりはありません」と言われ、「それをそのまま、中国の首脳部に伝えてもいいですか」と先生が返されると、「伝えてくださって結構です」との返答がありました。
 それから約3カ月後の2度目の訪中の折、先生は中国首脳にその話を伝えました。
 この第2次訪中の最後に、病床にあった周総理は、周囲の反対を押し切って、入院先の病院で、池田先生、奥さまと会見されるわけです。それは、日中友好の万代にわたる契りを結ぶ語らいとなりました。
  
 ◆西方 こうした先生の行動について、南開大学周恩来研究センターの所長を務めた孔繁豊氏は、「周総理はこの情報を知り、非常に重視したと私は分析している。当時、国内の激動の政治状況の中、周総理は『四つの現代化』に取り組んでいた。この計画の実現には正確な国際情勢の判断が不可欠だった。その時、(池田)名誉会長を通じてソ連の態度を知り、周総理は『中ソ開戦はありえない』との確信を深め、国家の再建計画を大胆に実行することができたのだ」と語っています。
  
 ◇原田 実際、中国首脳の一人である鄧小平副首相(当時)の年譜を見ると、先生と会見した直後の12月中旬に病院へ見舞いに行き、周総理と懇談を重ねています。翌75年1月の全人代には、その周総理が病を押して出席し、「四つの現代化」の推進を提起しています。これが78年の鄧小平氏の「改革・開放」路線につながっていくのです。
 孔氏の分析にあったように、先生があの時、コスイギン首相の言葉を中国側に伝えられたことが、どれほど重要であったか。「四つの現代化」から「改革・開放」路線、その後の現代中国の大発展にいたる流れを見るときに、あの先生の中ソの“橋渡し”は、歴史の歯車を動かした「人間外交の真価」であるといっても過言ではないと思うのです。

自分こそが弟子 師弟の道を歩む
 ◆大串女子部長 私は昨年9月、原田会長と一緒に、青年部の訪印団に参加しました。インド創価学会の、青年を先頭にした勢いある拡大の様子は、とても感動的で大きな示唆を受けました。また、創価菩提樹園や新本部のスケールの大きさは、日本の私たちには想像がつかないものでした。
  
 ◇原田 インドの大発展には目を見張るものがあります。
 今は23万人を超えるインド創価学会ですが、池田先生の初訪問(61年1月)の際、メンバーは一人もいませんでした。それでも先生は、東洋広布を熱願された戸田先生との誓いを胸に、「仏法西還」の決意をとどめようと訪印されました。そして、自分と同じ決意に生きる弟子よ「出でよ!」と心で叫ばれています。
 私は、池田先生の3度目のインド訪問(79年2月)に同行させてもらいましたが、この時、集まったメンバーは40人ほどでした。先生は、そのメンバーを「雄大にして悠久なるガンジス川の流れも、一滴の水から始まる。同じように皆さんは、インド広布の大河をつくる、源流の一滴、一滴となる方々です。洋々たる未来を信じて前進していっていただきたい」と大激励されます。
 この一人一人が、先生の指導をしっかりと受け止め、使命を自覚し、大河の流れをつくるべく奮闘して、今の礎を築くのです。その精神が、後継の青年たちに受け継がれます。
 つまり、“自分こそが先生の弟子として、広布を実現する!”との決意が、インド大発展の要因です。41年前、“ガンジスの一滴に”と励まされた草創の先輩と同じく、インドの青年部の一人一人が、「アイ アム シンイチ・ヤマモト!(私は山本伸一だ!)」、「アイ アム ザット ワン ディサイプル(私がその一人の弟子だ!)」の合言葉で前進しています。
 どこまでも、「師弟」です。師弟なくして、信心も広布もありません。インドの大発展が、それを証明しています。私たちも、“自分こそが先生の弟子である!”との決意で、生涯「師弟の道」を貫き通していきましょう。


◆〈世界の体験プラザ〉英国の国民的な連続ホームドラマに出演
 イギリスSGI パティ・クラークさん
 英国連続ホームドラマ賞「最優秀コメディー演技」を3度受賞

親子3世代が見る作品
 半世紀を超えてイギリスのお茶の間で愛され続けてきた人気テレビ番組「コロネーション・ストリート」。1960年12月から放送が開始され、最長寿のソープオペラ(連続ホームドラマ)としてギネス世界記録に登録されている。
 イギリスSGIのパティ・クラークさんは、この誰もが知る番組にキャスト(配役)の一人として、2008年から出演している。
 「私が演じるのは、マリー・テーラーという人物です。イギリス人にとって、“おばあちゃんも、お母さんも、私も見ている”国民的な番組にレギュラーとして出演させていただくのは、とても光栄なことです」
 「マリー・テーラー」はコメディー要素の強い役柄。クラークさんは抜群の演技力で視聴者を楽しませ続け、2011年、13年、16年の3度、英国ソープオペラ賞の「最優秀コメディー演技」に輝いている。
 「一人でも多くの人に笑顔を届けたいとの思いで女優を続けてきました。私の演技で大勢の方に喜んでいただけるようになったのは、どんな時でも唱題を根本に、新しい自分に挑戦し続けてきた結果だと確信します」
 クラークさんが日蓮仏法に出合ったのは、1989年のこと。舞台関係の仕事を目指して、グラスゴー大学を卒業したばかりの頃だった。若手のアマチュア女優としてグラスゴーの市民劇場でアルバイトをしていた時、主役の一人が楽屋で仏法について語ってくれた。
 折しもクラークさんは、舞台を支える技術面の仕事に進むか、それとも女優を目指すべきか、進路を決めかねて悩んでいた。先輩女優が語る仏法の希望の哲理は、まさにその通りだと思うことばかりだった。
 彼女の自宅で唱題することに。「次第に心が解き放たれていく感覚に包まれました。私の人生にとって絶対に正しいことだと感じました」
 「まずは1カ月間、唱題を続けてみましょう」と言われた通りに実践した。そのわずか1カ月間で、クラークさんの人生は180度変わった。

ライラックで薫陶受ける

 女優の道はほぼ諦めかけていたが、題目を唱えるうちに、「私は女優になりたい」という思いがどんどん強くなっていった。思い切って、ロンドンの芸術家育成学校に進学。1年で修了し、早速、9カ月間の舞台の仕事を得ることができた。
 イギリスSGIへの入会には慎重だったクラークさん。唱題の功徳を実感した後、地元の地区とつながり、晴れてメンバーに。
 「地区婦人部長が信心強盛な方で、入会してまもない私に、青年部としてさまざまな役割を担わせてくれました。教学に詳しい婦人部の方もいて、勤行や御書について丁寧に教えてくれ、小説『人間革命』も一緒に研さんしてくれました」
 女子部の人材グループであるライラックグループ(白蓮グループ)でも積極的に活動するように。91年には、タプロー・コート総合文化センターを訪れた池田先生と初めての出会いを結んだ。
 「池田先生はとてもユーモアにあふれ、私たちを温かく包み込んでくださいました。勤行の際に、先生が何度も鈴を打たれた後、“打ちたい時に打ちたいだけ打てばいい。形式にとらわれる必要はないんだよ”と言われたことが今も忘れられません」
 94年、池田先生の3度目のタプロー・コート総合文化センター訪問の際には、ライラックグループの一員として、行事の運営を支えた。池田先生は、陰の労苦に徹する青年たちと一緒にラジオ体操をするなど真心の交流を。徹して一人を大切にする師の姿に、クラークさんは弟子として生き抜こうと誓った。
 「以来、ことあるごとに池田先生に手紙を書き、その時の決意と仕事での実証を報告してきました。師とは、“弱い自分を乗り越えて、もっと前へ! もっと人間革命を!”と、常に弟子の背中を押してくださる存在だと思います」
 欧州SGIの研修会の実行委員会や、ライラックグループでの活動も、全て“師からの薫陶”だと捉え、自ら志願して全力で取り組んでいった。

境涯を開く師弟の祈り
 舞台の仕事で全国各地を回り、やがて実力が認められるように。グラスゴーの市民劇場にプロの女優として返り咲くことができた。
 「ライラックグループで教わった、“目の前の人を仏のように敬う振る舞い”を心掛けてきました。どの舞台でも信頼を得ることができ、長期契約が多くなり、経済的にも安定するようになっていきました」
 2008年、イギリス婦人部のリーダーが、師と心の距離を縮められるよう祈る中で苦境を乗り越えた体験を聞き、クラークさんも奮起。毎日、「師弟の絆を強くさせてください」と御本尊に祈念し続けた。
 その中で、これまで経験したことのないテレビ業界に挑戦したいと思うように。しかし、他の仕事をしたいのなら市民劇場での契約を断らなければならない、とディレクターからくぎを刺されていた。
 クラークさんは、「師に新しい勝利の実証を報告したい」との一心で、舞台の契約を三つ断った。
 長期間、無収入の日々が続いた。一度は断念して劇場と再契約した直後、「コロネーション・ストリート」の話が舞い込んできたのだ。
 契約した五つのエピソードを撮り終え、クラークさんは感謝の手紙を番組プロデューサーに送った。だが実は、さらに12のエピソードが収録されることが決まっていた。そして、09年からはレギュラーとして採用されることになった。
 「テレビの仕事を得ることが一番の祈りではありませんでした。“ただ師にお応えしたい”との祈りと行動が、予想もしなかった新しい境涯を開く結果につながりました」
 現在、南西ロンドン方面の副婦人部長を務めるクラークさん。これまで6人に弘教を実らせてきた。昨年、ずっと応援してくれたタレント代理人も晴れてSGIに入会。誓いの人生を生きる希望の女優は、さらなる高みを目指す。
 「もっと師弟の精神を深め、後継の青年部のために尽くしていきたい。そして、さらに楽しく自分自身の人間革命に挑戦し、女優としてたくさんの人に笑顔を届け、社会で実証を示していきたいです」

2020年3月22日 (日)

2019年3月22日(日)の聖教

2019年3月22日(日)の聖教

◆わが友に贈る

 「一日に二三度
 えみて向へとなり」
 父母に笑顔の花束を!
 報恩こそ仏法の魂。
 親孝行第一であれ!
 御書P1527


◆名字の言 娘からの質問。「なんでパパは学会活動してるの?」

 歌人・俵万智さんの歌集『サラダ記念日』に、こんな歌がある。「やさしさをうまく表現できぬこと許されており父の世代は」▼出版は1987年。当時はまだ、“背中で語る”父親が時流に抗して頑張っていたらしい。日本では「以心伝心」が美徳とされてきたが、実際は、どんな思いも言葉にしなければ伝わらない。気心知れた家族でも同じだろう▼ある男子部員は今月、ファミリー座談会を毎週開催している。そのたび、小学4年の娘からの質問にハッとさせられるという。「なんでパパは学会活動してるの?」「なんで池田先生を尊敬してるの?」▼どれも日頃の言動を通して、分かってもらえていると思っていたことばかり。忙しさにかまけ、伝える努力をおろそかにしていた自分を反省した。「パパにとってはね……」。できるだけ表現をかみ砕きながら、精いっぱい答え続けたからだろうか。娘は朝晩、自ら進んで御本尊の前に座り、勤行をするようになった▼「表現」という言葉は英語で「express」。語源には「外に押し出す」という意味がある。信仰の喜びや信念といった自身の内なる思いを、言葉にして表し、宝の子どもたちに伝えたい。31日まで「未来部希望月間」。親子の語らいを深める絶好の機会である。(之)


◆寸鉄

「題目の光無間に至りて
即身成仏せしむ」御書。春
の彼岸。故人の冥福祈念
     ◇
関西男子部の日。常勝の
バトン受け継ぐ師子よ!
信心の実証を今いる所で
     ◇
苦難越えた時に以前より
良くなるのが妙法―牧口
先生。この大確信で前進
     ◇
社会人の半数が全く読書
せずと。活字離れは深刻。
良書の喜びを知る契機と
     ◇
世界水の日。節水等、皆の
努力が“水の惑星”守る。
依正不二の視座を基軸に


◆社説 オセアニアが1万人の連帯を達成  「自他共の幸福」の哲学を社会へ

 今月5日、「オセアニア1万人の連帯」達成を記念するニュージーランドSGIの大勝利大会が開催された。参加者の表情は、歓喜と誇りに輝いていた。
 オーストラリアのほか、ミクロネシア連邦やフィジー共和国など太平洋の島しょ国から成るオセアニアが「1万人の連帯」を達成したのは、先月のこと。世界広布の歴史に輝く金字塔となった。
 一口に「オセアニア」といっても、各国の大きさや成り立ち、民族構成等はさまざまだ。言語も英語、フランス語のほか、多様な言語が用いられている。
 島しょ国が多いだけに、「各国代表が1カ所に集まる」ことも容易ではない。「具体的な弘教の目標を掲げる」こともオセアニア全体としては初の試みだったという。困難を挙げればきりがないが、メンバーは「弟子の誓願」の実現を目指し、かつてない対話に挑んだ。
 なぜ、1万人の連帯を達成することができたのか――。オセアニアのリーダーは、次の3点を挙げていた。
 第一は、「長の一念」である。「弘教の結果で、断じて師匠・池田先生にお応えするのだとの強い思いを、リーダーたちが持っていました」
 太平洋の国々には、独自の伝おらかで、「目標の達成」に対する意識も日本とは違う。各地の環境や実情を深く理解し、粘り強く、真心の励ましを送っていくことが重要だった。それはリーダー自身の「意識変革」の戦いであり、「境涯革命」の挑戦でもあったという。
 第二は「異体同心の団結」。なかなか集まれないからこそ、時間を決めて皆で同盟唱題を行った。また、各国をインターネットで結んだテレビ会議を毎月、開催。互いの状況を報告し、励まし合う中で強固な団結が築かれていった。
 第三は、「教学の研さん」である。オーストラリアなどで開催される教学研修会に、各国の代表が参加。テレビ会議による勉強会も定期的に行った。仏法への深き理解と確信が、弘教拡大への原動力となったのである。
 今、オセアニアでは、オーストラリアの大規模な森林火災や、海面上昇による島々の水没の危険性など、気候変動が原因とされる危機が深刻化している。だからこそ、「人間革命を通した世界の変革」「自他共の幸福」を訴える創価の哲学を社会に広げ、時代精神へと高めていくことが重要だとメンバーは語る。
 池田先生の「第3代会長就任60周年」「学会創立90周年」を迎える本年に、見事な勝利の歴史を打ち立てたオセアニア。その偉大な前進をたたえるとともに、尊き同志の奮闘に学びたい。


◆きょうの発心 佐渡御書 大阪・豊中総県長 藤田成男 2020年3月22日

御文 世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事難し故に仏になる人もなかるべし(佐渡御書、956ページ・編471ページ)
通解 世間の浅いことには、命を失うことはあっても、大事な仏法のために命を捨てることは難しい。それ故に仏になる人もいないのである。

「不惜身命」で広布に生き抜く!
 尊い生命を仏法のため、広宣流布のために使っていきなさいと教えられています。
 高校生の時、「対人恐怖症を克服したい」と家族でただ一人、信心を始めた私は、題目を唱えることで、自分の内面が変わっていくことを実感。信心の確信をつかみました。
 学生部に入ってこの御文を研さんした時の衝撃は、忘れられません。「“世間の浅きこと”に惑わされず、不惜身命で信心に励もう」と心を定め、広布拡大に挑んできました。
 外資系の大手企業に転職して30年。仕事と学会活動で多忙を極める中、一つ一つの課題を乗り越えてきました。
 わが家の3人の息子たちの、信心を根本に成長した姿に、両親も学会への理解を深め、5年前に入会。息子たちは広布後継の道を歩んでいます。
 池田先生の会長就任60周年の本年、何度も先生が来館された関西戸田記念講堂がある豊中総県は、「豊かな中道の大地」との指針を胸に前進し、師恩に報いる決意です。


【先生のメッセージ】

◆「四季の励まし」 学び続ける人は「聡明な人」 池田大作先生の写真と言葉2020年3月22日

 青々と葉を茂らせて伸びる木々。1983年(昭和58年)6月、ルーマニアの首都ブカレストの市内で、池田大作先生がカメラに収めた。
 先生は同国に滞在中、名門ブカレスト大学で「文明の十字路に立って」と題し記念講演を。ロシア・モスクワ大学、フランス学士院など、これまで先生が行ってきた海外の大学・学術機関等での講演は32回に及ぶ。アメリカのコロンビア大学では「今の私の98%は、すべて、恩師より学んだものであります」と語った。
 私たちもまた、池田先生の精神闘争に連なる思いで、「学びの道」を朗らかに歩みゆこう。
 
 学びゆく人は、強い。
 学び続ける人は、
 何ものも恐れない。
 だれびとにも臆さない。
 「学ぶ」というのは、
 人間がもてる一つの力である。
 ゆえに「学問は権利」だ。
 義務ではない。
 「学問は人生の光」である。
 そして
 「学問は、人生勝利の法則」だ。
  
 精神の大地を耕して、
 豊かな感情を培うには
 どうすればいいか。
 いろいろな方法があると思うが、
 私はその重要な一つとして、
 読書ということを提案したい。
 多くの書を読み、
 そこから思索を深めていく。
 読書と思索は、
 不可欠の精神の養分であり、
 偉大な自己を確立するための
 重要な柱である。
  
 何があろうが、太陽は毎日昇る。
 それと同じく、あせらず、休まず、
 堂々と、「努力」し抜いてほしい。
 努力また努力――そのなかに、
 創造力が、人格が、忍耐力が、
 挑戦が、生きゆく力がある。
  
 信念に生き抜く人に、後悔はない。
 いわんや、
 偉大な仏法を持った皆さんには、
 後悔なんて必要がない。
 仏法は、常に「さあ今から!」
 「これからだ!」と、
 前へ前へ進んでいく
 希望の哲学だからである。
  
 聡明な人間とは、
 生涯、学び続ける人である。
 旺盛な向上心、
 求道心をもった人である。
 日々、妙法を学び、
 実践する私たちは、
 最高に聡明な人生を生きていける。
 宇宙と生命を貫く法則を
 知っているからだ。
 「聡明」でいきましょう!


【聖教ニュース】

◆各国でのSGI教学研修会から――インド未来部講義 2020年3月22日
 上野殿御返事(竜門御書)に学ぶ

 世界各国で毎年、SGI教学研修会が活発に開催されている。ここでは、先月上旬にインドで行われた、未来部への講義の内容を紹介する。福田SGI副教学部長の担当で「上野殿御返事(竜門御書)」を研さん。中等部・高等部の代表が意気高く集った。

若き日の誓いに生き抜いたに南条時光
池田先生 皆が青春のチャンピョンに

福田SGI副教学部長
激流を越える力
 きょう皆さんと一緒に学ぶのは、日蓮大聖人が若き弟子の南条時光に送られた「上野殿御返事(竜門御書)」という御書です。
 皆さんは、南条時光がどういう人だったか知っていますか?
 時光は幼い頃、両親と一緒に大聖人の弟子になったと伝えられています。
 7歳の時に父親を病気で亡くしますが、母親らと共に純粋な信心を貫きました。16歳の時には険しい山を越え、身延の地におられた大聖人のもとを訪ねています。
 その後、多くの門下が迫害に遭う「熱原の法難」が起きました。時光は同志を守るために行動し、そのために自らも権力から圧迫を受けました。「上野殿御返事(竜門御書)」は、この法難の際に、大聖人が時光に送られたお手紙です。

はつらつと「未来部講義」に集った中等部・高等部の友(2月7日、ニューデリーのインド創価学会本部で)。インドの未来部員は全国で約5万人。講義の模様は270会場で放映された

はつらつと「未来部講義」に集った中等部・高等部の友(2月7日、ニューデリーのインド創価学会本部で)。インドの未来部員は全国で約5万人。講義の模様は270会場で放映された

 では、冒頭の御文を一緒に拝しましょう。
    
 中国に竜門という滝があります。滝の高さは10丈(約30メートル)もあり、水の落ちる速さは、強い兵士が矢を射落とすよりも速いのです。
 この滝に多くの鮒が集まって登ろうとします。鮒という魚がこの滝を登りきれば竜になるのです。しかし、百に一つ、千に一つ、万に一つ、10年・20年に一つも登りきることはありません。
 その理由は、あるいは、急流に押し返され、あるいは鷲・鷹・鴟・梟に食べられ、あるいは長さ10丁(約1090メートル)の滝の左右に漁師たちが並んでいて、ある者は網をかけ、ある者はすくいとり、あるいは射て捕る者もいるからです。(御書1560ページ1行目~4行目、現代語訳)

 「竜門」とは、中国にあるとされる伝説の滝です。これを小さな魚が登り切ると、偉大な力を持つ竜になれるとされました。
 しかし、それは簡単ではありません。滝の流れは速いし、周りでは鳥や漁師たちが狙っているからです。
 池田先生は、この速く強い川の流れというのは、濁り、乱れた時代の状況を例えたものだと言われています。
 「時代」というのは、一つの大きな流れを持っています。社会が悪い方向に流れていれば、そこに住む人間もまた、悪い方向に流されてしまうものです。
 こうした中にあって、確固たる正義の哲学、勝利の哲学である大聖人の仏法を持っていることが、どれほど尊いことか。
 信心とは、船の強力なエンジンのようなものです。これがあれば、どんな激流も乗り越えていけます。
 池田先生はまた、魚を捕ろうと狙う鳥や漁師は、成仏を妨げる「三障四魔」「三類の強敵」の働きである、と言われています。
 私たちが信心を一生懸命やり、成長していくと、それを妨げようとする働きが、さまざまに起きてきます。
 大事なことは、こうした障魔に負けないことです。では、そのために大事なことは、何でしょうか。それは「唱題」です。
 池田先生は、次のように言われています。

 自ら決めた道を貫こうとすれば、滝を登る魚が激しい水の流れに押し返されるように、必ずそうさせまいという力が働くものです。けれど、その逆境さえも、「負けないぞ!」と不屈の前進のエネルギーに変えていけるのが、題目です。唱題根本に、わが信念を貫いた人こそが、真の勝利者なのです。
 人間としての最極の信念――それは、世界に平和と幸福を広げる「広宣流布」の大運動です。この大信念を持つ皆さんこそ、何ものにも負けない青春の不屈のチャンピオンなのです。(「未来ジャーナル」2018年8月号「池田大作先生 誓いの明日へ――南条時光を語る」第5回)

 「南無妙法蓮華経」とは仏の生命の名前です。皆さんが名前を呼ばれれば返事をするように、「南無妙法蓮華経」と唱えれば、胸中に仏界の生命が涌現します。
 そして、この仏界の生命とは「不屈の勇気」「豊かな知恵」「無限の希望」のことです。仏界の生命で、乗り越えられないことは一つもありません。
 朝晩の勤行を実践し、何か壁にぶつかったら題目をあげていく――その繰り返しの中で、ヒマラヤのように偉大な自分自身を築くことができるのです。
代表が合唱を披露。司会も未来部のメンバーが務めた
代表が合唱を披露。司会も未来部のメンバーが務めた

「公転」と「自転」
 それでは、次の御文を拝しましょう。

 願わくは、我が弟子たちよ、大願を起こしなさい。(中略)
 同じく死ぬのであるならば、かりにも法華経のために命を捨てなさい。露を大海に入れ、塵を大地に埋めるようなものと思いなさい。(御書1561ページ1行目~4行目、現代語訳)

 少し難しいかもしれませんが、とても重要な御文です。
 当時、蒙古の侵略や疫病の流行があり、多くの人にとって死は日常のものでした。
 また、時光らは熱原の法難の渦中にありました。こうした中で大聖人は、「大願を起こしなさい」と呼び掛けられています。
 この「大願」とは何でしょうか。それは、広宣流布の誓願です。
 小さなしずくは、すぐに蒸発して消えてしまう、取るに足らないものです。しかし大海に入れば、「生命の母」である偉大な海と一体になれます。
 また、吹けば飛ぶような小さなチリも、地面に埋まれば、木々や作物を育む偉大な大地と一体になれます。「広宣流布のために生きる」「創価学会とともに生きる」とは、そういうことです。
 偉大な理想に生き抜けば、偉大な人生を生きることができます。自分の人生を人々のため、社会のために使っていくならば、想像もできないような素晴らしい人生、勝利の人生を開いていくことができます。
 皆さんも、勤行の時に、さまざまな願いをすると思います。「希望する学校に入学できるように」「スポーツの試合で勝てるように」――こう祈っている人もいるでしょう。
 もちろん、何を祈っても自由です。真剣に祈り、努力を重ねれば、必ず願いは叶っていきます。
 その上で「誓願の祈り」というのは、「広宣流布のために」という祈りです。「広宣流布の役に立つ人材になりたい。だから望む大学に入って力を付けたい」――こういう祈りです。 
 広宣流布のために!――こう誓い、祈っていった時に、私たちは無限の力を出すことができます。諸天善神が動き、自分の個人的な祈りも、不思議と全て叶っていくのです。

「未来部講義」のメイン会場となった、インド創価学会の本部


「未来部講義」のメイン会場となった、インド創価学会の本部


 池田先生は、次のように言われています。

 広布の大願に生きると、なぜ自分の願いも叶うのか。それは、妙法のリズムに則った大宇宙の運行に例えることができます。
 私たちの地球に朝昼夜という一日の変化があり、春夏秋冬の四季が織りなされるのは、地球が太陽の周りを大きく「公転」しながら、一定の傾きを保って「自転」しているからです。
 同じように、「世界広宣流布」という大願を目指す運動は「公転」といえます。そして、自らの悩みや課題を克服していく「人間革命」への挑戦は「自転」です。
 大宇宙を貫く妙なる法則である題目を唱え、広宣流布のリズムに心を合わせる時、自分自身の生命の大回転が始まり、希望の価値創造ができるのです。(「未来ジャーナル」2018年11月号「池田大作先生 誓いの明日へ――南条時光を語る」第8回)
 私自身の体験、そして多くの人の姿を通して実感するのは、未来部時代の「誓い」が、極めて重要であるということです。
 どうか皆さんは、学会創立100周年の2030年を一つの目標として、大いに学び、自らを鍛えていってください。
 全員が池田先生の後継者として、未来を担う大人材へと成長することを誓い合って、講義を終わります。

参加者の声
 この講義は私にとって、生涯忘れられないものとなりました。
 今、父が失業中で、経済的に大変な状況です。落ち込むこともありますが、御書や池田先生のご指導を通し、苦難を乗り越えてこそ、私たちは大きく成長し、境涯を開けるのだと学びました。
 題目を真剣にあげ、家族の団結で必ず勝利していきます!(女子高等部員)
                         ☆ 
 未来部対象の講義ということで、楽しみにしてきました。
 御書の御文は少し難しい部分もありましたが、分かりやすく解説してくださったので、よく理解できました。
 講義を通して、信心を深めていく決意を新たにすることができました。これからもっと題目をあげ、学校でいい成績が取れるように、勉強もさらに頑張っていきます!(男子高等部員)


【特集記事・信仰体験など】

◆春の彼岸 各地の墓園・納骨堂  三世に輝く福徳の園 2020年3月22日


 春の彼岸を迎え、“三世永遠の福徳の園”である全国の墓地公園・納骨堂では、墓参者が故人への追善回向の祈りをささげ、自他共の幸福の人生を歩む誓いを新たにしている。ここでは、自然あふれる各地の墓地公園・納骨堂の様子を紹介する。


◆〈信仰体験〉連載企画〈登攀者2020〉美の極致 一本の線を追い求めて 2020年3月22日

 まばゆいばかりの生の美しさがそこにあった。雲間から差し込む朝日が、たわわに実ったブドウをそっと照らす。山梨のブドウ畑で目の当たりにした感動に突き動かされるまま、絵筆に魂を注ぐ。
 今月25日から日本橋三越本店で、第75回「春の院展」が開催される(4月6日まで。その後、全国巡回)。主催する「日本美術院」は、岡倉天心を中心に1898年(明治31年)に創設された日本画の研究団体。所属する画家は、研究会員、院友、特待、招待と区分があり、その最高峰が「同人」。
 その一人である清水由朗さん(58)=東京都八王子市、支部長=は、極めて細い面相筆で仕上げを終えると、ホッとした表情を見せた。

 無から有を生み出す創作は、間断なき自己との闘争。
 「対象物にとことんほれ込む。いでたちはどうか。匂いはどうか。味は。柔らかさは。まるで疑似恋愛のように、対象物にのめり込んでこそ、いい作品が生まれます」
 無心の美学――。
 「自分に正直か、情熱があるかを常に問うています。永遠の課題であり、闘争です」

 青い闇。清水さんの青春時代はそんな色に例えられるかもしれない。和歌山で生まれ育った。幼少期から文章を読むのも、人の話を聞くのも極端に苦手だった。運動もまるでダメ。高校3年次の成績は偏差値28。進学は望むべくもなかった。
 それでも「あんたは“世界の清水さん”になれる」と励ましてくれた人がいた。以来、真剣に題目を唱え始めた。
 「本当にやりたいものは何か」。担任の教師からの問い掛けに、「絵をやりたいです」との言葉が突いて出た。
 唱題しては絵の猛勉強に励むこと2年。東京藝術大学の日本画専攻へ進む。しかし、画廊業界が注視するのは、そこから大学院へ進む学生のみ、とされる。
 清水さんは日本画の研究室に不合格。みじめだった。華やかなグループ展(選抜展)に出品する同級生たちの活躍を見て見ぬふりしながら、町の印刷工として働き始めた。失意の底に沈む自分を励ましてくれたのは、学会の同志。湧き上がる思い。画家の夢を諦めたくない。
 当時、藝大の教授だった平山郁夫に手紙を書く。「一度、保存修復研究室に遊びに行かれるとよいでしょう」と返信が来た。
 失うものは何もないと創作に没頭し、院展に初出品した「遠日」が初入選。翌1987年、藝大の大学院に合格する。
 「徹底して考えなさい」
 大学院では、絵の描き方を教わることはない。見て、感じたものをいかに表現するか。悩み抜き、考え抜いたものしか絵に表れてこない。
 「いいか悪いか」「強いか弱いか」の一瞬の勝負。創作の厳しさ。孤独の道。ともすると、己心の森の奥深くに迷い込むことも。もう描けない。そんな窮地は何度もあった。
 そんな時、ふっと引き上げてくれる存在が学会の同志であり、池田先生の言葉だった。
 「人格を磨き、一流の芸術家になりなさい」
 多忙な創作の合間を縫って、一人の友人と語り合い、一軒の家庭訪問にも挑んだ。地道な学会活動にともない、いつしか創造の翼が羽を広げていった。あんなに悩んだことも、色や形に置きかわり、一筆に確信という名の生命力が宿った。
 息をのむような自然界の神秘。清水さんはそれらを題材に多くの作品を手掛けてきた。

 ヘリコプターからのぞき込んだキラウエア火山の火口。崖にぶつかる波しぶきの輝き。北極圏の氷の大地を走る犬ぞり。
 一方で、伝統的な日本画の枠にとらわれない挑戦的な題材も多い。天文時計。世界初の自動車。超音速旅客機。スペースシャトル。「人類の英智の結晶がもつ美しさにも心が躍ります」
 それら全てに共通するのは、実際に足を運び、現地で心動かされた瞬間を表現していること。
 2000年、日本美術院賞(大観賞)。11年、文部科学大臣賞。14年、内閣総理大臣賞。一見、院展での受賞歴は華々しい。それは、たゆまざる歩みの証し。


再興第99回院展で内閣総理大臣賞に輝いた「原生」(171×364センチ)再興第99回院展で内閣総理大臣賞に輝いた「原生」(171×364センチ)
 過去の自分を超えようと、もがき苦しむ中で、生み出す一本の線。技術の巧拙を超えた美の極致が、見る者の心を揺さぶる。
 創作に励む姿を間近で見てきたのは、妻・はる恵さん(58)=支部婦人部長。
 「ただただ池田先生にお応えしたいという思いだけで、ここまで来たんだと思います」

 かつて池田先生から贈られた言葉が行く道を照らしてくれた。
 
 勝つことも大切であるが
 決して負けない自分を
 作ることだ
 仏の異名は「能忍」とある
 故に人生にあって この深き
 基底部を作りゆく事を
 若人は忘れてはならない
 
 大学院が不合格となった25歳から、毎回の院展に出品を続けてきた。唱題に励みながらの厳しい創作人生が、生命の土台を固めてくれた。

 「自分の立場がどうとか、人からどう見られるかではない。ある意味、どこまでも素人でありたいと思っています。今も描くたびに新たな発見と次なる課題があるんです」
 それは、創価大学教育学部の教授として学生たちに語ることでもある。ロシア大使館や米・コロンビア大学ティーチャーズカレッジで、日本画の伝統技法を惜しみなく伝える。
 日本画の裾野を、世界に大きく広げながら、目前にそびえる高い山を一歩一歩、登り続ける。

 

2020年3月21日 (土)

2019年3月21日(土)の聖教

2019年3月21日(土)の聖教

◆わが友に贈る

 いかなる悩みや課題も
 解決の鍵は御書にある。
 徹底して学び抜き
 信心即生活の実証を!
 ここに勝利の道がある。


◆名字の言 読書で「不安を乗り越える力」を養う

 「出会えたね。とびっきりの一冊に。」――来月23日から始まる「こどもの読書週間」の標語だ。主催する読書推進運動協議会が先日、「子どもと本をつなぐみなさんへ」との一文をホームページに公開した▼臨時休校や外出の自粛など、閉塞感が広がる中で「こんなときこそ、子どもたちに読書をすすめ、不安を乗り越える力、生きる力を身につけてほしい」として、「子どもたちに読んでほしい本、子どもたちが笑顔になれる本の情報を届けてください」と訴えている▼「読書は自分と異なる視点を手に入れるのに役立ちます」と語るのは、明治大学教授の齋藤孝氏。円すいは上から見ると丸だが、横から見れば三角に見えるように、視点が変われば、物事の見え方も大きく変わる。氏は、読書によって「厚みや深み、広がりのある視点を持つことができる」と(『読書する人だけがたどり着ける場所』SB新書)▼休校や図書館などの休館が続く。子どもたちの心身に少なからぬ負担が掛かる今こそ、良書に触れ、心の視野を広げることが大切だ▼池田先生は「一人の人間が、実際に体験できる人生は一つしかないが、読書は、あらゆる人生を教えてくれる」と。親子で語り合いつつ、わが家の“とびっきりの一冊”を見つける春に。(誼)


◆寸鉄

「強敵重なるとも・ゆめゆ
め退する心なかれ」御書。
いかなる時も勇気の祈り
     ◇
先駆・九州の日。同志の胸
に脈打つ誓願の魂。乗り
越えられない壁はない!
     ◇
東北青年部の日。君達の
成長こそ福光の象徴と。
使命の場所で希望と輝け
     ◇
なすべき事を着々と実践
せよ―戸田先生。今でき
る事をやり抜く人が勝者
     ◇
生命尊厳の視座を今こそ
世界の大潮流に。きょう
国際人種差別撤廃デー。


◆きょうの発心 法華経題目抄 長野第5総県長 清住利男2020年3月21日

御文 法華経の題目は八万聖教の肝心一切諸仏の眼目なり(法華経題目抄、940ページ・編295ページ)
通解 法華経の題目は八万聖教の肝心・一切諸仏の眼目である。

確信の祈りで苦難を乗り越える
 法華経の題目こそが、一切の仏の説法の根幹であり、題目は、あらゆる衆生を成仏させる一法であると仰せです。学会2世として育った私が、池田先生との出会いを刻んだのは学生部時代。“親孝行を”との師の渾身の励ましに、“両親と同じように師弟の大道を歩もう”と決意し、以来、広布の庭で奮闘してきました。
 地区部長を務めていた42歳の時、不動産の表示に関する登記について必要な、土地や家屋の調査、測量、申請手続きを行う「土地家屋調査士」として個人事務所を開設しましたが、なかなか軌道に乗らず、経済的に苦しい状況が続きました。苦難の渦中にこの御文を拝し「必ず題目で乗り越えられる」との確信が湧いてきました。
 地区の皆さんと共に、唱題を重ね、広布拡大に走り抜いた結果、地区として2年連続で「ブロック1」の弘教を達成。その中で、仕事の依頼も増え、今では、長野県土地家屋調査士会松本支部の支部長を任されるようになりました。
 長野第5総県内には、霧ケ峰の長野青年研修道場があります。この師弟有縁の天地で、青年部・未来部の育成に尽力し、どこまでも唱題根本に師弟勝利の歴史を築いていきます。


【先生のメッセージ】

◆マイ・ヒューマン・レボリューション 小説「新・人間革命」学習のために 第2巻

師との絆が学会の強さ
 <1960年(昭和35年)5月の女子部幹部会で、山本伸一は恩師・戸田城聖について語る>

 「(戸田)先生が、一人ひとりを励ますために、陰でどれほど心を砕いていたか計り知れない。生涯を通じて、連日、個人指導に何時間も時間を費やし、また、手紙で、電話で、あるいは人を介して、さまざまな指導、激励の手を差し伸べられた。先生に、直接、指導を受け、幸せになっていった人は、何万人にものぼります。
 つまり、一人ひとりが先生につながり、人間として、師匠として、敬愛していたから、皆が自主的に、喜び勇んで、広宣流布に挺身
ていしん
してきた。だからこそ、学会は、花のような明るい笑顔に包まれ、ここまで発展を遂げたんです。それが学会の強さの秘密です。学会は、信心を根本に、戸田先生との人間の絆で結ばれた、自立と調和の共同体であるといえましょう。
 その学会の真実を見極めようとせず、戸田先生のことを、命令一つで組織を動かすカリスマのように思っている。なかには、敢えてそのように喧伝し、学会の悪印象を植えつけようとするマスコミも一部にありました。
 戸田先生は、そうしたなかで、自分は凡夫であると言い切られた。それは、宗教の神秘主義、権威主義への挑戦です。また、大聖人の人間仏法の本義もそこにあります。
 戸田先生が、ご自身を“立派な凡夫”と言われた意味は、仏法のうえでも、深いものがあります。
 現実の振る舞いに即して“立派な凡夫”ということを論じれば、それは自己の人間完成に向かって、常に学び、磨き高めていく、向上、求道の生き方といえます」
 (「先駆」の章、27~28ページ)

悩みは幸福へのステップ
 <7月の婦人部大会で婦人部長の清原かつは、婦人の信心の在り方を訴える>

 「女子部の幹部の方たちに、どういう動機で信心をしたのかを尋ねてみました。すると、七人いた女子部員全員が、生活も大変ななかで、グチも文句も言わずに、いつも笑顔で頑張っている母親の姿を見て、信心をしてみようという気になったと言うのです。
 つまり、お母さんの強さや優しさ、また、すばらしさの源泉が、信心にあることに気づき、若い娘さんが信心を始めているのです。(中略)
 もう一つ申し上げておきたいことは、皆、それぞれに悩みを抱えていますが、その克服を自分の課題として、学会活動に励んでいこうということであります。たとえば、夫の仕事がうまくいかずに悩んでいるなら、今月は、それを願って一人の友人に信心を教えよう、何遍の唱題に挑戦しようというように、悩みを広宣流布の活動のバネにしていくことが大事ではないかと思います。
 広宣流布のために働き、祈るならば、必ず功徳があります。したがって、一つ一つの活動に自分の悩みをかけて、幸福へのステップとしていくことです。個人としての活動の意味が明確になれば、張り合いも生まれ、力も出ます。私たちは、全員が幸福という確かな道を、堂々と歩んでまいりましょう」
 (「錬磨」の章、93~94ページ)

新入会の友を広布の人材に
 <10月の本部幹部会で、伸一は折伏の目的と個人指導の重要性を確認>
 
 「折伏の目的は相手を幸せにすることであり、それには、入会後の個人指導が何よりも大切になります。皆さんが担当した地区、班、組のなかで、何人の人が信心に奮い立ち、御本尊の功徳に浴したか。それこそ、常に心しなければならない最重要のテーマです。
 本年は十二月まで折伏に励み、明年一月は『個人指導の月』とし、人材の育成に力を注いでいくことを発表して、私の本日の話といたします」
 弘教が広がれば広がるほど、新たに入会した友にも、信心指導の手が差し伸べられなければならない。
 信心をした友が、一人の自立した信仰者として、仏道修行に励めるようになってこそ、初めて弘教は完結するといってよい。
 三百万世帯に向かう“怒濤の前進”のなかで、その基本が見失われ、砂上の楼閣のような組織となってしまうことを、伸一は最も心配していたのである。
 また、世界広布といっても、今はその第一歩を踏み出したばかりであり、広漠たる大草原に、豆粒ほどの火がともされた状態にすぎない。それが燎原の火となって燃え広がるか、あるいは、雨に打たれて一夜にして消えてしまうかは、ひとえに今後の展開にかかっている。そのためにも、今なすべきことは、一人ひとりに信心指導の手を差し伸べ、世界広布を担う真金の人材に育て上げることにほかならなかった。
 (「勇舞」の章、176~177ページ)

布教は最極の友情の証
 <伸一は11月の女子部総会で、弘教に挑戦する友へ励ましを送る>
 
 「大聖人が、折伏をすれば宿命を転換し、成仏できると、お約束なさっている。ですから、自分の宿命の転換のため、幸福のためにやろうというのです。
 しかも、それが友を救い、社会の繁栄と平和を築く源泉となっていく。これほどの“聖業”はありません。
 なかには、一生懸命に弘教に励んでいても、なかなか実らないこともあるかもしれない。(中略)
 皆さんは、まだ若いのですから、決して、結果を焦る必要はありません。
 布教していくということは、自身を高める、人間としての最高の慈愛の修行であるとともに、人びとを幸福と平和へと導きゆく、最極の友情の証なんです。
 大切なことは、“あの人がかわいそうだ。幸福になってほしい”という心で、周囲の人に、折に触れ、仏法を語り抜いていくことです。今は信心しなくとも、こちらの強い一念と友情があれば、やがて、必ず仏法に目覚める時が来ます。
 また、幹部は、弘教が実らずに悩んでいる人を(中略)優しく包み、仏の使いとして、懸命に生きようとしている姿勢を讃え、励ましてあげていただきたい。
 さらに、いろいろな境遇や立場で、思うように活動に参加できない人もいるでしょう。そのメンバーに対しても、『必ず春が来るように、時間的にも余裕がもてる時が来るから、その時はいつでもいらっしゃい』と言って、温かく励ましてほしいのです」
 (「民衆の旗」の章、270~271ページ)

歓喜の体験談に創価の実像
 <12月に開催された大分支部結成大会では、感動的な体験発表が行われた>

 最後に辻堂糸子は、しみじみとした口調で語った。
 「私は学問もないし、誇れるもんはなんもありません。ただ信心だけは素直にやってきました。それで、自分でも信じられんぐらい、幸せになっちょります。御本尊様に不可能はないちゅうことです。その信心を教えてもろうた学会に、心から感謝しちょります」(中略)
 辻堂は、壇上で万雷の拍手に包まれながら、山本伸一の方を見た。目と目が合うと、伸一は大きく頷きながら、祝福の拍手を送り続けた。
 体験発表とは、見方によっては、自分の過去の恥を暴露することともいえる。しかし、その体験談が学会の随所で、喜々として語られているのは、それに勝る苦悩を克服した喜びがあるからだ。そして、同じように苦悩を抱えている人びとに対して、早く幸せになってほしいという、慈愛の発露にほかならない。さらに、どんなに自分の過去をさらけ出しても、それによって、蔑まれたり、差別されることはないという信頼の絆があってこそ、成り立つものといえよう。
 ともあれ、無名の民衆が織り成す人生の凱歌の姿のなかにこそ、日蓮仏法の偉大なる法理の証明があり、創価学会の実像がある。
 (「民衆の旗」の章、307~308ページ)

父・山本伸一
 <「民衆の旗」の章には、わが子の成長を願い、行動する父・山本伸一の姿が描かれている>

 会長になる前は、わずかな時間だが、子どもたちと接する時間をつくることもできた。三人の子どもを連れて、銭湯に行ったこともあった。
 物語などを話してやったこともあった。豊かな情操を培い、夢と勇気と正義の心を育みたいとの気持ちからである。もっとも、彼の健気な努力にもかかわらず、「ママの方がうまいよ!」と、正直だが、手厳しい感想を聞かされることもあったが……。
 長男の正弘には、一緒に武蔵野の美しい自然を眺めながら、自ら詩をつくり、詩の書き方を教えたこともあった。
 (326~327ページ)
                           ◇
 会長として活動を開始した彼は、多忙に多忙を極めたが、子どもとの心の交流は怠らなかった。全国を駆け巡りながらも、行く先々で子どもたちに絵葉書を送った。文面は今日はどこに来ていて、明日はどこへ行くという簡単なものであったが、宛名は連名にせず、必ず一人ひとりに出した。
 また、土産を買うことも忘れなかった。それは、決して高価なものではなかったが、そこには彼の、子どもたちへの親愛の情が託されていた。
 (329ページ)
                            ◇
 彼は、?をついてはならないということだけは、厳しく言ってきた。あとはまことに鷹揚であった。父親が叱ってばかりいれば、どうしても子どもは、萎縮してしまうからである。
 彼は、親の責任として、子どもたちを、生涯、広宣流布の使命に生き抜く“正義の人”に育て上げねばならないと誓っていた。
 (333~334ページ)


【聖教ニュース】

◆フィリピン・イースト大学での第2回「池田シンポジウム」から(要旨) 2020年3月21日

平和・人権・環境保護への青年参画の主流化を巡り

 フィリピンのイースト大学が創価大学との共催で、第2回「池田シンポジウム」を2月29日、イースト大学カロオカン校で行った(5日付に既報)。大学首脳のあいさつと各氏の講演の要旨、来賓の声を紹介する。

〈歓迎の辞〉 イースト大学カロオカン校 ゾシモ・バタッド学長 未来へ続く後継のために
 本日は、イースト大学カロオカン校キャンパスに皆さまをお迎えでき、心から光栄に思います。また本学の全教職員を代表して、深く御礼申し上げます。
 「池田シンポジウム」は、偉大な人物であるSGI会長の池田大作博士から啓発を受け、開催に至りました。
 第2回となる本シンポジウムのテーマは、池田博士の提言などに呼応して、「平和・人権・環境保護における青年の参画の主流化」としました。
 現在から未来に至るまで全ての人々に影響を及ぼす三つの重大な課題である「平和」「人権」「環境保護」について、私たちはそれぞれの垣根を越えて、話し合わねばなりません。
 これらの課題に取り組む中で私たちは、希望と生命力にあふれ、楽観的でかつ、活力に満ちた未来を創造していきたい。
 そして、本シンポジウムを通して、新しい考えを学び、それぞれが自身の場でその考えを共有し、この場にいる皆さまから、より多くの人に触発の輪を広げていくことを念願してやみません。
 また今、私たちは新型コロナウイルスの感染拡大によって、重大な世界的危機に直面しています。この危機だけでなく、さまざまな地球的課題が山積し、私たちの時代は試練の度を増すばかりです。
 しかし、警戒心、慎重さ、そして知恵をもって、これらと真正面から向き合い、前進を続けていこうではありませんか。
 これから何代も続く後継の世代である青年が、「平和」「人権」「環境保護」の三つの重要な課題を、縁遠いものではなく、身近な課題と捉えていけるように、自身の責任を果たすべく、立ち止まらず、研究を続け、一歩一歩、進んでいきましょう。

〈あいさつ〉 イースト大学 エスター・ガルシア総長 池田博士と共に力強く発展
 「平和・人権・環境保護における青年の参画の主流化」とのテーマのもと、第2回「池田シンポジウム」を、わがイースト大学カロオカン校において開催できることは、大変な名誉であります。
 世界各国で課題となっているさまざまな事例を見ても、青年の参画は大変に重要です。複雑化を極める世界を私たち大人だけで担うことは到底、困難な状況にあります。
 世界を継承するのは、若い世代である青年たちです。従って彼らの参画こそが、人類や地球上の生命の存続には必要不可欠なのです。
 さらに若者には、“かつての若者”である私たちにはない純粋さや直感力、行動力があります。それは、年配である私たちの知恵や経験と共に、大きな課題に立ち向かうために必要な素養なのです。
 平和、人権、環境保護は、大変に懸念されている課題であり、これらの無数の問題を本シンポジウムだけで解決するには、十分ではありません。しかし、青年が明日への期待と希望に満ちあふれているように、本シンポジウムが素晴らしい思想や偉大な理念、未来への新たな革新を生む“果実の種子”になりうるのです。
 ここで、創価大学ならびにフィリピンSGIの皆さまに心から御礼を申し上げるとともに、平和への貢献に尽くし続け、人権や環境保護への青年の参画を提唱される池田博士へ、わが大学より心から感謝の意を表します。
 個人のみならず、地域や国家、さらには危機に陥っている世界にあっても、尊敬する池田博士と共に、前へ進み、力強く発展を遂げゆこうではありませんか。
 第2回「池田シンポジウム」を、このように若々しく活気に満ちて開催できましたことに改めて感謝を申し上げます。

〈講演(インターネット中継)〉 創価大学 富岡比呂子准教授 創価教育から世界市民を育成
 創価教育は、「価値創造」の哲学に基づき、人間教育を実践した日本の教育者であり、哲学者である牧口常三郎によって生み出されました。
 彼の理論によれば、教育の目的は、子どもたちの幸福と学問の充実感を促進することにあります。そして価値創造は幸福と同義であり、教育も人生の目的も「幸福の追求」にあるとしています。彼の思想は、戸田城聖と戸田の後継者・池田博士によって世界中に広がりました。
 創価(価値創造)教育は、生命尊厳と人類の発展を重視し、人間こそが全ての出発点であるとしています。さらに、社会に貢献しゆく自立した人間を育てることを目指しています。牧口、戸田そして池田博士に共通するのは、平和を希求する強い思いです。
 池田博士は、「社会のための教育」ではなく「教育のための社会」を提唱しました。それは平和のためには、人間をつくる教育が最も重要であり、良質な教育には、成熟した社会を構築する必要があることを意味します。
 博士は、幼稚園から大学院まで創価一貫教育のネットワークを築くという構想を実現しました。1968年、東京の創価中学校・高校が、創価教育初の学校として開校し、これまでに、アメリカ、香港、シンガポール、マレーシア、ブラジル、韓国へと発展を遂げました。
 創価教育の特徴を探るため、東京の創価小学校・中学校で教員や児童・生徒らに半構造化面接(ある程度、目的に沿ったインタビュー)を実施しました。
 その結果、創価教育は、調和と共存、異文化への寛容に根差した、世界市民教育であるということが考えられます。
 また、創立者である池田博士と在校生や卒業生が、強い絆で結ばれていることも、創価教育における一つの特徴だと思われます。

〈講演〉 アテネオ・デ・マニラ大学 エマ・ポリオ教授 レジリエンス(困難を乗り越える力)の共創を
 アジア太平洋地域の沿岸都市は、気候変動および災害の発生への備えが非常に脆弱です。
 そこで、地域社会にレジリエンス(困難を乗り越える力)を構築するため、学際的な行動研究を通じて気候変動と災害リスクの複雑性と力学を考察し、都市の機能を高めるプロジェクト「CCARPH(フィリピンの危険にさらされている沿岸都市)――気候変動と災害におけるレジリエンスへの投資」が行われています。
 こうして学術・科学機関が、科学技術などを活用するために民間や地方・中央の行政府および市民社会組織と共同することで、気候変動への適応戦略を、より効果的かつ効率的に実施することが可能となるのです。
 レジリエンスのための官民パートナーシップの作成における三つの原則には、①利害関係者との知識の共同創出(共創)②レジリエンスのための科学者と実践者の能力の共創③パートナー機関と地域社会による共同所有や利益の共有が挙げられます。
 CCARPHの学際的研究とパートナーシップは、「仙台防災枠組」「SDGs(持続可能な開発目標)」「パリ協定」「ニュー・アーバン・アジェンダ」を参考にして、マニラ首都圏の都市や地方の行政府、国家レジリエンス評議会と、科学に基づいたレジリエンスの計画と開発の共創を行っています。
 これらの戦略は、気候変動に強い都市づくりや、アジア太平洋地域における持続可能な地域社会の構築を支援する、学術界の幅広い目標の一部となっています。

〈講演〉 フィリピン人権委員会 元コミッショナー ウィルヘルム・ソリアーノ氏 人権は世界中で公正な権利

 人類史の変遷によって、国民と国家の関係性や、国家から国民の権利を守ることなどの問題が、司法と政治の課題として浮き彫りになってきました。この課題に向き合う時、今回の本題である人権が主題となってきます。
 世界人権宣言は、国家に対して法的拘束力を持つものではありませんが、加盟国とその人民の行動を導く道義的な力を持つものです。同宣言に含まれている権利を組み込む形で、各種国際協定や条約が起草・採択・批准、そして発効されました。
 これらの条約は批准または同意した国に対して法的拘束力があります。国際人権法が、人権に関する各国の法的義務の基礎となり、それによって、あらゆる人権侵害の事例について、司法判断の根拠ともなっているのです。
 人権は全ての場所の全ての人のためにあるという点において、普遍的であるといえます。そのため、全ての政府が、国際的に認知された人権基準を最低限度として順守し、施行すべきなのです。政府には、“この権利は順守し、あの権利は順守しない”などと判断する裁量権はありません。
 要するに、表現・信教・結社の自由のような市民的、政治的権利は、雇用機会・教育・十分な生活水準への権利等のような経済的、社会的、そして文化的権利と同時に保証されることが求められるのです。全ての人権は普遍的、不可分的、相互関連的、相互依存的なのです。国際社会は、人権について、世界中で公正・公平、かつ、同じ足場に立ち、同じ重点で対応していかなければなりません。

〈来賓の声〉 国立フィリピン大学元総長 ホセ・アブエバ博士
 第2回となる「池田シンポジウム」に参加することができ、大変うれしく思います。
 登壇者が講演した内容は、青年の教育の重要性、環境保護、世界平和など、全てが時宜にかなったものでした。また創価大学の准教授が、インターネットを通じてシンポジウムに登壇するのを拝見し、隔世の感を覚えました。
フィリピン師範大学 地域協力・学外教育課 テクニカル・アシスタント キム・カタキアン氏
 シンポジウムは、「平和」というさまざまな観点から語ることのできる目標を勝ち取るために、青年世代が社会に対して変化を起こす、格好の場であったと思います。
 環境持続性や公正さを育むには、まず自身の心に「平和」を築かねばならないこと、そして、その心が社会に対して投影されるということを気付かせてくれる契機となりました。


【特集記事・信仰体験など】

◆<座談会> 信心の炎燃やし、強く賢く朗らかに 有意義で価値的な日々を!2020年3月21日

<出席者>原田会長、長谷川理事長、永石婦人部長、西方男子部長、大串女子部長

 長谷川 新型コロナウイルスの感染拡大が続いています。学会としても、20日付の聖教新聞で伝えられた通り、4月19日まで「会合中止」「会館閉館」及び「訪問・激励自粛」を、延長することになりました。
 
 西方 4月5・6日に予定されていた「教学の日」の部別御書講義については、今回のみ森中教学部長の講義をSOKAnetで視聴できるようになります。12日の「未来部の日」を中心に予定されていた「創価ファミリー勤行会」も中止となります。
 
 長谷川 広宣流布大誓堂での「誓願勤行会」も、5月6日まで中止となります。5月に予定されていた「婦人部総会」は延期となります。なお、すでにお伝えしていますが、4月の本部幹部会についても開催を見送り、中継も行いません。ご理解とご協力を何とぞよろしくお願いします。
 
 西方 感染拡大の終息へ今、専門家や医療従事者の方々をはじめ、皆が力を合わせて対応しています。公明党も政府に先駆けて1月27日に対策本部を設置。各種団体からのヒアリングも実施し、それらを踏まえて3回の緊急提言を政府に申し入れました。
 
 原田 政府の「専門家会議」は、専門家の知見と根拠に基づいた政策判断や情報発信を推進する観点から公明党が政府側に設置を求め、実現したものです。
 
 西方 今月10日発表の緊急対応策第2弾などの政府の施策にも公明党の提案が大きく反映されました。例えば1・6兆円規模の手厚い資金繰り支援策です。これは、経営への影響を受けている中小企業・小規模事業者を支援する措置です。
 
 永石 臨時休校で、子どもの世話のために仕事を休んだ保護者に向け、休業補償の申請受け付けも3月18日に始まりました。これについて、公明党はフリーランスや非正規労働者の方も支援できるよう、政府に提言し、実現させています。
 
 長谷川 新たな経済政策についても山口代表は「さまざまな意見を聞き、今一番、傷んでいるところ、困っているところに、しっかり手が行き届くような対策を公明党として考えていきたい」「インパクトのある効果的な対策をまとめ上げたい」と力説しています。
 
 原田 公明党には人々の健康、暮らしを守るため、大きく手を打ち、どんどん政策を実現してほしい。こんな時だからこそ、ネットワーク政党の本領発揮がいっそう求められています。

「無冠の友」に心から感謝
動画サイトが好評  
 永石 こうした大変な状況にあっても、日々、聖教新聞を届けてくださる「無冠の友」の皆さまに、感謝の思いは尽きません。
 
 原田 池田先生は3日付の「新時代を築く」で「何があろうと決然と昇る旭日の如く、日々たゆまず聖教新聞を配達してくださっている尊き貴き『無冠の友』へ、心より感謝を込めて、健康と無事故をひたぶるに妻と祈念しております」と大激励してくださいました。私たちも配達員の方々の健康と無事故をいっそう真剣に祈っていきたい。
 
 長谷川 先生は苦境に立つ友に相次いで、真心から励ましを送られています。
 
 原田 11日付の随筆では「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ」(御書234ページ)との御文を通し、「創価の師弟は、諸難の連続の中にあって、この仰せを『まことの時』に断じて忘れず貫き通してきた。だからこそ、一人ひとりが『自然に仏界』を勝ち開いてきたのだ」と大確信で進むよう、エールを寄せてくださいました。
 
 大串 また、「若き地涌の勇者たちが世界の友と手を携えて、強く賢く朗らかに『黄金の時代』を開いていくことを、私は信じている」ともつづられました。
 
 西方 青年部は師匠の限りない期待を胸に、工夫して信心錬磨の日々を送っています。男子部では「YouTube」(限定公開)を活用した「LIVE講義」が好評です。
 
 大串 女子部では「池田華陽会御書30編」の研さんに挑戦し、読了を果たした喜びの声も届いています。また、1月を中心に行われたロマン総会に参加した友人などに、電話やLINEを通じて、励ましを送っています。入会を希望する方も多く生まれています。
 
 永石 自宅で過ごす時間が増えています。ファミリー座談会を開いて、信心継承の語らいをしているご家庭もあります。
 
 原田 このような時に合わせて、学会として、公式YouTubeチャンネルを充実させ、いつでも、どこでも楽しめる番組を配信しています。
 
 永石 親子で楽しめるよう、VODに収録されている「げんきのスイッチ」「仏教ものがたり」も公開されています。とても好評です。

正確な情報で行動
 長谷川 一方で、新型ウイルスへの不安に便乗した新手の詐欺も横行しています。マスクの入手が困難な状況に乗じ「マスクを無料で送付する」などとメールを送りつけ、URLをクリックさせようとするものなど、手口は巧妙です。
 
 大串 さまざまな情報がインターネット等に飛び交っていますが、中には、特定の生活必需品が品薄になっている、などの不正確な情報もあります。
 
 原田 政府の発信など正確な情報に基づいた行動を心掛けることが大切です。
 
 西方 学会の組織においても注意が必要です。作成した人が分からない動画等が、人づてに送られてきても、転送しないでください。また、個人や組織で作成した動画等を、LINEなどで拡散しないよう、お願いいたします。それらを不特定多数の人が閲覧できるブログやツイッター、フェイスブック等に投稿しないことも改めて確認しておきたいと思います。
 
 原田 まだ先行きが不透明ですが、だからこそ、信心の炎を燃やし、有意義で価値的な日々を送ってまいりましょう。

◆<信仰体験>ライフウオッチ 人生100年時代の幸福論
 認知症と看取り。   「夫の最終章。私は主演女優賞」

 人生100年時代は、「認知症と向き合う時代」ともいわれる。
 厚生労働省によると、「高齢者の約4人に1人が認知症の人又はその予備群」と。5年後は患者数が700万人になると推定され、介護を担う人も増える。
 岐阜県各務原市の南城千恵さん(65)=地区副婦人部長(白ゆり長兼任)=は、「レビー小体型認知症」を患った夫・健一さんを、2年4カ月前に看取った。
 認知症の夫を支え、看取る中で、南城さんが抱いた思いとは――。

 大工の夫を折伏し、27歳で結婚した。
 おしゃべり好きな自分とは対照的に、夫は寡黙で、穏やかな人。二人とも、子どもが大好きだった。
 だが結婚の翌年、子宮筋腫を患う。
 治療するも、子宮を全摘することに。「離婚してもいいよ」と涙ながらに語ると、夫は「そんなこと考えるより、体を治すこと考えよ」と。
 この頃から、夫は創価学会の会合に参加するようになった。
 以来、夫婦水入らずの暮らし。いつしか夫を「お父さん」と呼ぶように。
 温泉や演歌歌手のコンサート、学会活動もいつも一緒。冬の朝、聖教新聞を配る道には、雪かきに汗する夫の姿が。リストラなどの試練も、夫婦で祈り、乗り越えた。
 夫の様子が変わり始めたのは、2008年(平成20年)ごろ。
 目の病気で入院中なのに「(大工の)道具を持ってこい」と言ったり、病室のロッカーを巻き尺で測ったり。
 医師に言われた。「若年性の認知症かもしれません」

 夫は当時、58歳。通院を重ね、「レビー小体型認知症」と診断された。
 少しずつ「できないこと」が増えていく。服を渡しても、「どうやって着たらいいんだよ?」と。
 幻覚を見る時も。「なあ、姉さん」。ある日、夫にそう呼ばれた。“お父さん、とうとう私のことまで分からなくなっちゃったの……”
 目を離すと家を抜け出し、町を徘徊。たびたび行方不明に。学会の同志や近隣の人たちも捜してくれた。
 寒い冬の夜。“お父さん、凍えていないだろうか……”
 明け方、自宅から20キロ以上離れた所で見つかったことも。それでも、“体力が続く限り”と、在宅介護を選んだ。
 夫はトイレの場所も分からなくなり、外出から帰ると、家のあちこちに排せつ物が。
 入浴の介助をしていた時、夫が急に怖い顔をして、「俺はもう必要ないんだろ!」と叫んだ。裸のまま家を飛び出そうとする夫を、小さい体で押さえ込んだ。
 「疲れすら感じる余裕もなかった」
 それでも、夫と向き合えたのは、「お題目のおかげ」。
 祈る中で、元気だった頃の夫を思い出す。リストラされても、ハローワークに通い、懸命に働いてくれた。定年を迎える直前の認知症。“一番悔しいのは、お父さんだよね”

 認知症になって6年後、南城さんは腰を疲労骨折。夫を介護施設に預けることにした。
 入所を見届けて帰ろうとした時、夫が「俺も一緒に行く」と。涙をこらえ、背中を向けた。
  夫とは意思の疎通ができなくなっていたが、毎日のように施設に足を運んだ。
 「きょうも、お父さんの分まで学会活動してきたよ」。そう呼び掛けながら、何度も何度も、夫の顔をさすった。
 夫が好きだった学会歌も耳元で歌った。「でも、私の方が泣けて泣けて……」
 大工道具を見せて、「お父さん、懐かしいでしょ?」。笑ってくれることもあった。「元気な頃と変わらない、お父さんの優しい笑顔でした」
 振り返ると、施設を利用して「良かった」と思う。心身ともに余裕が生まれ、「亡くなるまで、お父さんと心を通わせることができたから」。
 4年半にわたる施設での生活の末、夫は旅立った。
 安らかな顔に声を掛けた。「お父さん、よく頑張ったね。お疲れさんだったね」
 夫の人生の最終章に最後まで寄り添えた。「頑張った自分に、主演女優賞をあげちゃおうかね(笑い)」
 南城さんは63歳で、人生の伴侶を亡くした。だが、寂しさを感じることは少なかった。
 かつて夫と通った喫茶店。「南城さん、一緒にコーヒー飲みに行こうよ」と、今は婦人部の人たちが、デートしてくれる。
 町の人は「南城さんに会うと、子どもたちがホッとするんです」と声を掛けてくれる。
 夫を看取り、強くなった思いがある。「夫の介護を支えてくれた人たちに恩返しがしたい」
 聖教新聞の配達を始めて24年目。週6日、バイクを走らせる。
 町の体育指導員など、地域活動にも関わってきた。少子化が進む町で、来期から青少年育成委員長を担う。
 仏壇の前の経机に置いた「お父さんの写真」。祈っている南城さんを、いつもニッコリ見つめている。
 池田先生は語った。「亡くなられたご家族の使命も、福運も、全部、皆さんの胸の中に受け継がれていきます」
 元気だった頃の夫も、認知症と闘った夫も、世界に二人といない最愛の人――。
 「私は欲張りだから、まだまだ人生の舞台で輝いちゃうよ! お父さん、見守っていてね」

 

2020年3月20日 (金)

2019年3月20日(金)の聖教

2019年3月20日(金)の聖教

◆わが友に贈る

 継続は偉大な力だ。
 小さな事からでいい。
 日々の課題を定め
 黙々と取り組む中に
 不屈の境涯が築かれる。


◆名字の言 「万有引力の法則」を発見したニュートンの「創造的休暇」

 大科学者ニュートンが「万有引力の法則」の着想を得たのは24歳の頃。力学、微分積分学、光学における彼の重要な発見のほとんどは、この1665年からの約20カ月間に集中しているという▼この時期、英国ではペストが流行していた。大学を卒業したばかりのニュートンは母校で研究を続けていたが、ペストの影響で大学が閉鎖され、故郷への避難を余儀なくされた▼不遇の時にも思えるが、彼にとっては“願ってもない好機”になった。大学のさまざまな校務から解放され、自身の研究に心ゆくまで没頭することができたからだ。彼の偉業の大半が生まれたこの期間は「驚異の年」とも「創造的休暇」とも呼ばれる(『天才の時間』NTT出版)▼どんな環境の中でも新たな創造の機会は必ずある。時間は皆に等しく与えられている。そして本来、使い方は自分で決めるもの。“何にどう時間を使うか”という判断の積み重ねが、人生を形づくるともいえる▼ローマの哲人セネカは言った。「時間だけなのだよ、これぞ自分のものと言えるのは」「これこそ、どんなに感謝してもし足りないほど値打ちのある唯一つのもの」(中野孝次『セネカ 現代人への手紙』岩波書店)。自身の向上のために、自他共の幸福のために時を無駄にすまい。(踊)


◆寸鉄

大聖人の確信に触れれば
信心の火が燃える―戸田
先生。教学を深める好機
     ◇
長崎の日。“平和の世紀”
建設の主役は我らなり。
青年を先頭に共々に成長
     ◇
北陸婦人部の日。皆で綴
る冬は必ず春の共戦譜!
励ましの花束を友の心に
     ◇
「わざはひも転じて幸と」
御書。題目第一!広宣の
闘士は一切を飛躍の糧と
     ◇
肺炎に便乗した詐欺や不
審電話相次ぐ。不安につ
け込む魔物だ。賢く撃退


◆社説 “トインビー対談”発刊45周年  人間革命の宗教を時代は要請

 「人類の教科書とも言える一書」――中国の作家・編集者として著名な孫立川博士をして、こう言わしめた対談集がある。
 池田先生と20世紀を代表する歴史学者アーノルド・J・トインビー博士との対談集『21世紀への対話』(邦題)である。現在29言語で出版されている同書の“世界第1号”の日本語版が発刊されて、きょうで45周年を迎えた。
 平和、環境、人権、科学等々、人類の直面する諸問題について解決の糸口を探ろうと、1972年、73年と2年越し、40時間にわたって、ロンドン郊外の博士の自宅で、対談は行われた。同書は、キリスト教文化の中で生まれ育ったトインビー博士と、仏法者である池田先生による、西洋と東洋の文明間対話、宗教間対話であり、世界の多くの識者、指導者から高い評価を得てきた。
 注目すべきは、この対談集が、核兵器や環境汚染など、人類を脅かす諸課題を乗り越える方途を、「人間とは何か」という根源的な視座から探求した語らいであるということだ。

 例えば、博士は、人類の生存に対する脅威はエゴイズムによるとの見方を示し、欲望の超克が対談のテーマとなる。先生は、大乗仏教の視点から、欲望を滅するのではなく、生かす道を明らかにする。
 つまり、民衆救済、社会変革を目指して慈悲の実践を貫いていく時、欲望は自然と昇華され、コントロールが可能になると訴え、博士の賛同を得る。
 また、対談で先生は、「十界論」「依正不二」などの仏法の法理を紹介し、論じている。博士は、それに強い関心と理解を示し、議論は深まりを見せる。
 博士は語っている。
 「人類の生存に対する現代の脅威は、人間一人一人の心の中の革命的な変革によってのみ、取り除くことができるものです。そして、この心の変革も、困難な新しい理想を実践に移すに必要な意志の力を生み出すためには、どうしても宗教によって啓発されたものでなければならないのです」
 人間革命の宗教によってこそ、人類の危機を回避できる――そこに、両者の共通した主張がある。
 21世紀の今日、環境破壊や核戦争など、脅威は、ますます深刻化しつつある。この対談集は、それを乗り越える、不滅の叡智の光彩を放っている。
 語らいの最後に博士は先生に、「人類全体を結束させていくために、若いあなたは、このような対話をさらに広げていってください」と託した。私たちもまた、同書に学び、対話の輪を一段と広げ、時代転換の新しき道を開いていきたい。


◆きょうの発心 法華経題目抄 東京・千代田区総合婦人部長 髙井昭恵2020年3月20日

御文 妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり(法華経題目抄、947ページ・編302ページ)
通解 妙とは蘇生の意味である。蘇生とはよみがえるということである。

師との共戦で「蘇生の義」を確信
 宇宙と生命の法・妙法は、一切をよみがえらせると仰せです。
 中学2年生の時、心臓病の発作に苦しむ母、弟妹と一緒に入会。回復していく母の姿や同志の真心に触れ、信心反対だった父も、その年の暮れに自ら信心を始めました。私自身も心臓病でしたが、真剣に祈り抜く中、症状が好転。その姿を見て、親友とその父が入会しました。
 進学した創価大学では軟式テニス部の副将になり、リーグ優勝・昇格することができました。創立者・池田先生から「今は苦労しているかもしれないけど、しっかり勉強しなさい。お母さんを大切にね」と励まされたことが人生の原点です。
 結婚後も、流産や切迫早産の危機に直面しましたが、夫と共に真剣に祈り、広布の活動に励みながら乗り越えてきました。現在、2人の娘は、創価の学びやで青春の日々を送っています。
 「妙とは蘇生の義」との御金言のとおり、師匠と共に広布に生き抜く中で宿命転換させていただき、感謝の思いでいっぱいです。創価三代の会長の魂魄がとどめられた千代田の地。報恩の心と「千代田760人会」の誇りを胸に、同志の皆さまと励まし合い、幸福の桜花を爛漫と咲かせてまいります。


【先生のメッセージ】

◆〈心に御書を〉27 強盛な信心こそ最高の回向2020年3月20日

〈御文〉
 いよいよ強盛なるべし、さるほどならば聖霊・仏になり給うべし、成り給うならば来りてまほり給うべし、其の時一切は心にまかせんずるなり(上野殿御返事、1512ページ)

〈通解〉
 いよいよ強盛に信心していきなさい。そうすれば(父上の)聖霊は仏になられるであろう。(父上が仏に)なられたならば、(あなた方のもとに)来て、(あなた方を必ず)守られるであろう。そのとき、一切は心のままである。

〈池田先生が贈る指針〉
 御本仏は、苦難の中で勇敢に信心を貫く青年門下に、亡き父は必ず成仏され、厳然と家族を守られるとお約束である。
 広布に尽くす誓願の題目こそ、故人への最極の供養となる。その福徳は、一家眷属も大きく明るく包む。
 「生も歓喜、死も歓喜」という常楽我浄の大境涯を開く、最も力強く自在なる追善回向なのだ。


【聖教ニュース】

◆トインビー対談が発刊45周年 2020年3月20日

池田先生がトインビー博士とロンドンの博士の自宅で対談(1973年5月)

池田先生がトインビー博士とロンドンの博士の自宅で対談(1973年5月)

 20世紀を代表する歴史家であるイギリスのアーノルド・J・トインビー博士と池田大作先生の対談集『21世紀への対話』(日本語版)が発刊されて、きょうで45周年を迎えた。同書はこれまでに、世界29言語で出版。各界の識者をはじめ、世界中で広く読み継がれ、限りない希望と示唆を与えてきた。
 このほど創価学会公式ホームページ「SOKAnet」に発刊45周年を記念する特設ページが開設された。

会公式サイトに特設ページ

学会公式ホームページ「SOKAnet」に設置された『21世紀への対話』の特集画面。池田先生とトインビー博士との語らいで取り上げられたテーマの一覧や、各国語版に掲載された序文、対談集に寄せられた識者のコメントを掲載している。また、両者の対話がどのように始まったのかなどを紹介する特集映像のほか、関連書籍の案内、さらに、博士の思いを胸に先生が広げてきた世界の識者との交友録や主な対談集も紹介している

学会公式ホームページ「SOKAnet」に設置された『21世紀への対話』の特集画面。池田先生とトインビー博士との語らいで取り上げられたテーマの一覧や、各国語版に掲載された序文、対談集に寄せられた識者のコメントを掲載している。また、両者の対話がどのように始まったのかなどを紹介する特集映像のほか、関連書籍の案内、さらに、博士の思いを胸に先生が広げてきた世界の識者との交友録や主な対談集も紹介している

 ロンドンにあるトインビー博士の自宅で、博士と池田先生との語らいが始まったのは、1972年5月5日のこと。きっかけは、大著『歴史の研究』などで世界的に知られる博士から、書簡が寄せられたことであった。
 当時、博士は83歳。先生は44歳。“人間とはいかなる存在か”といったテーマをはじめ宗教や科学、政治、軍縮など、人類が直面する課題の解決を探る二人の語らいは、翌73年5月にも行われ、のべ40時間に及んだ。
 そして、この内容がまとめられ、対談集の日本語版として出版されたのは、75年の3月20日。以後、英語、フランス語、スペイン語、中国語等で出版され、世界中の人々に読み継がれてきた。

29言語で出版 世界で読まれる不朽の書

 オックスフォード大学のウィルソン名誉教授は、世界が進むべき方向性を示す一書であり、「まるで現代の百科事典のようだ」と評価。モスクワ大学のサドーヴニチィ総長は同対談集が「すでに(高い評価の定まった)『古典』の中に入った」と評するなど、各界の識者から反響の声が寄せられている。
 対談集の発刊から45年。語らいの本質は時を経ても色あせない。
 例えば、環境問題に話が及んだ際、池田先生は「自分たちの日常的な行為が積もりつもって、人類の子孫の生存権を奪っていることを、深刻な事実として銘記しなければなりません」と語り、主体的に自らの生き方を変革する大切さを訴えた。
 トインビー博士は、産業革命以降、人間の貪欲性が肥大化してきた事実を述べ、人間の尊厳を保ち、未来の世代を環境汚染の危険から守るためにも、「われわれは貪欲性を刺激しないことはもちろん、逆に貪欲を抑制しなければなりません」と指摘している。

ここから各界の知性との対話へ
 対談が終了した折、トインビー博士は「人類の道を開くのは、対話しかありません。あなたはまだ若い。これからも、世界の知性との対話を続けてほしい」と語り、後に一枚の紙片を40代の池田先生に託した。そこには、先生に対話することを勧める何人かの知己の名前が記されていた。
 池田先生はその後、国家や民族、宗教、イデオロギーを超え、各界の世界の知性と対話を重ね、これまでに発刊された対談集は80点に及ぶ。
 生命を削るようにして対談に臨み、人類の未来を託したトインビー博士。そして、その思いを心に刻み、平和への潮流を起こしてきた池田先生――。
 東洋と西洋の文明を代表する二人の語らいが収められた同書は、世紀を超えて英知の光を送り続けている。


◆原田会長を中心に全国方面長会議   2020年3月20日
 4月19日まで「各地の会合は中止」「会館は閉館」「訪問・激励は自粛」
 5月6日まで誓願勤行会を中止

 全国方面長会議が19日午後7時から、原田会長、長谷川理事長、永石婦人部長ら各部の代表が出席し、全国の方面長・方面婦人部長らとテレビ中継で結び、東京・信濃町の学会本部別館で行われた。
 席上、会長から、新型コロナウイルスの感染拡大に関する現下の情勢を受けて、学会本部として決定した、今後の組織活動の方針が次の通り発表された。
 ①4月19日(日)まで「各地の会合は中止」「会館は閉館」「訪問・激励は自粛」を継続する。
 ※これに伴い、4月5日(日)、6日(月)に予定されていた「教学の日」の部別御書講義は、今回のみ、森中教学部長の御書講義をSOKAnetで視聴できるようにする。視聴者は御書講義への参加とみなす(詳細は後日、本紙に掲載)。
 ※4月12日(日)の「未来部の日」を中心に予定されていた「創価ファミリー勤行会」は中止する。
 ②広宣流布大誓堂での誓願勤行会は、ゴールデンウイークの5月6日(水)まで中止し、大誓堂は休館とする。
 ③5月に予定されていた婦人部総会は延期とする。
 原田会長は、全国の同志、とりわけ本紙を配達する「無冠の友」の労苦に深謝。師と共に、世界の同志と共に感染の一日も早い終息を祈り、賢明に無事故第一を期しながら、一日一日を価値的に進みたいと呼び掛けた。


◆〈季節の詩〉 三重・早咲きの桜の道  2020年3月20日


 早咲きの河津桜が薫る三重・桑名市のなばなの里。歩む道に花びらが舞う。草木が萌える3月。中部の友には、幾重にも思い出がある。

 1983年3月8日、池田先生は愛知・渥美半島の伊良湖岬から三重の鳥羽港へ向かい、フェリーから神島の同志に手を振った。そして、港に着くや直ちに激励行へ――。
 春の光のような師の激励を胸に、我らも進みたい。来る3月23日は「中部女性の日」。ともどもに希望の花咲くこの道を!(3日=伊野光記者撮影)


【特集記事・信仰体験など】

◆〈未来の宝と共に 池田先生の書籍に学ぶ〉 女子未来部長 先﨑和美さん

池田先生の言葉
 うれしい悲しい、楽しいつらい……心は常に揺れ動きます。青春時代は、なおさらだ。
 御書に「心の師とはなっても、自分の心を師としてはならない」(1088ページ、通解)とあります。
 自分の心を中心に、わがまま放題に生きれば楽しいかもしれない。しかし、結局、心がいつも揺れ動いて迷走してしまう。
 だから、揺るぎなき「心の師」をもつことが大切です。私の心には、常に戸田先生がおられます。今でも、毎日、対話しています。
(『未来対話』278ページ)

師匠と心で“対話”して
 「自分の性格が嫌い」「私には取りえがない」「あの子は、すごいな」「あの人みたいに、なれたらな……」
 そんなことを考えて苦しんだり、悩んだりした経験は、未来部の皆さんなら誰もが持っているのではないでしょうか。
 私も中学・高校時代、他人と自分を比べては、一喜一憂してばかり。何かに挑戦したとしても、思うような結果が出せない現実に直面するたび、「劣等感」がグサグサと胸に突き刺さるような痛みを覚えていました。
 当時、池田先生の言葉にどれほど支えられたか分かりません。聖教新聞や未来部機関紙に掲載された先生の指導をノートに切り貼りして、何度も読み返しました。「心は常に揺れ動きます。青春時代は、なおさらだ」との言葉に触れた時、“これは私のことだ!”と思ったものです。
 池田先生は、ただただ師匠・戸田先生のために生きてこられた真情を、教えてくださいました。「先生なら、どうされるか、どうすれば、先生に喜んでいただけるか――。心に、この原点があるから何も迷わない。何も怖くありません」と。
 自分が周りにどう見られたいかという“自分中心”の生き方ではなく、師匠に喜んでいただける生き方が大事だと、私は気付いたのです。
 「先生の励ましに応えたい!」。そう決めて御本尊に真剣に祈ると、勇気と力が湧いてくるのを感じました。勉強においても、吹奏楽部の練習においても、毎日、心の中で池田先生に自分の決意を伝え、目標を立て、挑戦を“報告”しました。やがて、小さなことで悩んでいた自分がうそのように、笑顔で、胸を張って毎日を過ごせるようになっていったのです。
 今、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で不安な毎日を過ごしているメンバーは少なくありません。特に卒業生の中には、何ともいえない寂しさを覚えている人もいるのではないでしょうか。
 私が中学を卒業したのは2011年3月。東日本大震災の直後でした。両親が東北の出身でもあり、私は悲しみでいっぱいでした。その中で先生の数々の励ましに触れ、「大変な時こそ未来部が皆の希望に!」との師の期待を、心から実感することもできたのです。
 先生は『未来対話』で「私も毎日、皆さんと心で語り合っています。皆さんのことを思い浮かべて題目を送っています。未来部は私の命だもの。離れていても、会わなくても、生命と生命は、強く固く、結ばれています」と語られています。
 かけがえのない青春時代です。師匠を自分の心に置いて、一日また一日と、成長の思い出を刻んでいきましょう。

◆〈トインビー対談への識者の声〉ペルー・リカルド・パルマ大学 イバン・ロドリゲス・チャベス総長
 差異を超えた行動を促す

 私は友人やメディアの情報を通して、人類の平和を希求する池田博士を知り、強い関心を寄せるようになりました。
 そして1998年6月、人道的な世界の創出への意識啓発のため、池田博士の提言から企画された「核兵器――人類への脅威」展を、SGIやペルー教育省と共催し、わがリカルド・パルマ大学で開催することができたのです。
 同年7月、リカルド・パルマ大学の名誉博士号を授与するため日本を訪問し、大学総長として博士とお会いしました。
 博士の人格に感銘を受け、博士の人生、思想、知的・社会的貢献について、より理解を深めたいと思い、日本からの帰路に読み進めたのが『生への選択』(“トインビー対談”のスペイン語版)でした。
 躍動感にあふれた対談に、ページをめくる手が止まらなかったことをよく覚えています。
 さらに、東洋と西洋の二つの思想の流れが交差する中で、池田博士の深い精神性と人間性が光っているように感じました。以後、トインビー対談は、私の“愛読書”になっています。
哲学・倫理等の優良文献として揺るぎなき地位
 ペルーでは多くの有識者がこの本を読んでおり、大学の推薦図書にも選ばれています。
 哲学、政治、歴史に関心のある方を中心に、よく読まれています。
 今やトインビー対談はペルーにおいて、現代哲学、倫理、人間の価値観、環境との共存を学ぶに当たって読むべき優良文献として、揺るぎない地位を獲得していると思います。
 このように関心が広がっているのは、池田博士の世界観、生命観、人間観、倫理観、宗教観、社会観の特徴が、新しい人間主義の実現に向けた価値観の実践を基軸としているところにあると感じています。

国際ブックフェアの公式行事としてトインビー対談を巡るシンポジウムが(2016年7月、リマで)
国際ブックフェアの公式行事としてトインビー対談を巡るシンポジウムが(2016年7月、リマで)

 ペルーの首都リマで行われた「国際ブックフェア」でのトインビー対談に関するシンポジウム(2016年7月)では、パネリストとして登壇しました。
 私は、トインビー対談には、世界平和の普遍的なメッセージが込められており、その実践に不可欠なのは、人類を高める「教育」と「宗教」であると強調されていることを紹介しました。
 極めて重要なこの二つの道を歩んでこそ、我々は人間性を高め、調和のとれた知恵と他者への尊重の念にあふれる人間になることができるのです。
 こうした洞察こそが、『生への選択』が高く評価される理由なのではないでしょうか。
 トインビー博士と池田博士の信念が込められたこの本は、人種や宗教の差異を超えて、人々が力を合わせ、平和のための行動をとるよう促してくれる最大のきっかけとなるに違いありません。


◆〈トインビー対談への識者の声〉中国・南開大学 紀亜光教授
 現代にますます輝きを放つ

 “トインビー対談”との出合いは、1988年に南開大学の歴史学科に入学した時のことでした。
 ある先輩が「『中国は必ず発展する』と語っている2人の偉大な思想家がいる」と話してくれたのです。
 同対談集の中国語・繁体字版は『展望二十一世紀』とのタイトルで85年に発刊。当時の中国は改革・開放政策の開始から数年がたち、各国との交流が始まった時期です。
 私たち学生は、発展する西洋諸国との差を思い知り、周恩来総理が描いた“中国が世界へ羽ばたく”時が、いつ到来するのだろうと考えていました。
 そうした時にあって、この対談集の“21世紀は中国の世紀になる”との洞察は、青年たちに大きな衝撃と勇気を与えるものでした。
 私もむさぼるように読む中で、中国が世界から受け入れられ、人類の未来にどのような貢献ができるのだろうかと真剣に思索を深めたのです。
 トインビー博士と池田先生は、生命尊厳を至高の価値として置き、それを起点とした文明間の対話を促進することで、人類社会を平和へと導くことが重要であることを示しています。
 これは習近平国家主席が提唱した「人類運命共同体」の発想とも響き合う点です。

トインビー対談の中国語・簡体字版の完成発表会。紀亜光教授が登壇した(2017年9月、北京で)

トインビー対談の中国語・簡体字版の完成発表会。紀亜光教授が登壇した(2017年9月、北京で)

 偏見や差別、憎しみ、戦争からは、災難しか生まれません。社会を、相互尊重、平和発展の正しい道に導いていかなければなりません。
 人類の針路が問われる今こそ、この対談集の真価が現れてくるのではないでしょうか。
 対談集の内容は、現代社会が直面している問題と密接不可分で、専門家がこれらの問題を討論する時に、よく引用されています。
 お二人が語り合われてから約半世紀。しかし、その内容は、むしろ社会が複雑に変化する中で、ますます輝きを見せています。
 お二人が心血を注いだ対談集の目次を見るだけでも、「人間はいかなる存在か」「事象と本質」など、今の私たちが思索すべき事項が体系立って並んでいることが分かります。
 繰り返し読むことで、偉大な思想家の精神世界に浸りつつ、自身の人生観、世界観、未来への態度が、人類共生を目指すものへと正されていくと思います。

青年にお勧めしたい章

 目まぐるしく移り変わる社会と自身の関係を理解することは、青年にとって非常に大事なことです。
 そのために、まず第1部「人生と社会」の第5章「社会的動物としての人間」を読むことをお勧めしたい。
 独立心と社会性の関係性を探究し、社会的視野に立ちながら、自身の存在価値を高めていくことができます。

未来の在り方が示された章
 より深く21世紀の国際関係を理解するためには、第2部「政治と世界」の第4章「一つの世界へ」を読むと良いでしょう。
 人類的な視点に立って、平等や協力、互いに恩恵を受けるという未来の在り方が示されています。
 これらの精神は、先生が74年に会見した周恩来総理の精神とも同じです。
 文化的背景や住んでいる国、職業も違う3人は、20世紀の悲惨な戦争を体験したからこそ、21世紀は全人類が平等に、共に発展の道を歩んでいくべきとの認識で一致したのだと思います。
 世代を超えた友好と世界平和のためにも、中日両国の「金の橋」を固く築いていく必要があります。
 これまで、それを支えてきたのは民衆交流でした。対談集に脈打つ人類共生の思想を体現する好例が、ここにあると思います。

人間の尊厳にあふれた世界を築く方途を学ぶ要の章

 第3部の「哲学と宗教」はこの本の要です。
 現実を分析し、未来への展望に基づいたお二人の深き哲学的思考に触れることができるからです。
 それによって、人間の尊厳にあふれた世界を構築する方途を学ぶことができるでしょう。
 お二人が提唱しておられる生命尊厳の精神は、これからも多くの人々の賛同を得て、永遠に色あせない権威ある一書になると確信しています。


◆春を呼ぶ南房総の菜の花〈信仰体験〉
 
 【千葉県鴨川市】青い海と黄色い菜の花が、南房総をカラフルに彩る。心地よい風が、春の匂いを優しく運んでくる。


◆〈ライフスタイル Colorful〉 相手を選ぶ決め手は何? 2020年3月20日
 未婚も既婚も関係ない! この世はもっと楽しく生きられる
「結婚してもしなくてもうるわしきかな人生」の著者 小林久乃さん

 30年前、女性の50歳時未婚率は4.33%でしたが、2015年に14.06%まで増加しました(国立社会保障・人口問題研究所調べ)。その後も右肩上がりになっています。結婚が“絶対”ではなくなりつつある今、婚活中の女性へのエールと、独身で楽しく暮らしていくためのヒントを『結婚してもしなくてもうるわしきかな人生』の著者でライターの小林久乃さんに教えてもらいました。

 私はこれまで、さまざまな媒体で恋愛・結婚に関する記事を書き、読者の皆さんともお会いしてきた。
 そこで聞こえてきたのは……。社内や実家など周囲からのプレッシャーがある。友人同士でも、結婚するのか、出産するのかでザワザワする。そして、未婚の自分が惨めである、だった。私自身も「既婚」という身分証明を持ち合わせていない窮屈さを感じてきた。
 だから今、“婚活”を頑張っている皆さんの気持ちがよく分かる。世界中の誰よりも理解する自信がある。
 居酒屋で意気投合する女子も、仕事で会う会社員の方も、それぞれの美しさを持っている。結婚に振り回されて自分を卑下していたら、それはもったいない。
 40歳になるまであらゆる婚活に手を出してきた私だが、今は婚活をしていない。かといって、結婚を放棄したわけではない。常に臨戦態勢ではあるが、結婚してもしなくても、この世は楽しく生きられることが見えてきた。
 それに3組に1組が離婚する現代、既婚の人も、いつまた未婚に返り咲くか分からない。
 未婚も既婚も関係なく、私たち女性がますますたくましく、凜とした姿勢で生きていく。そうすれば、この世はもっと面白く、楽しいものになるはずだ。

独身を楽しむ10のヒント
 いくつになっても、心をときめかせながら楽しく生きていきたい。ここでは、私が編み出した「独身を楽しむ10のヒント」を紹介する。

①他人に誇れる仕事を持つ
 24時間のうち、一番多く時間を費やす仕事なのに、義務と惰性で出勤するのはもったいない。自分の仕事に胸を張ろう。周りがどんなふうに思うかなんて気にせずに。
②自分の体を自分で守る
 ひとりで生きていくなら、メディカルチェックの重要度はかなり高め。医療費は未来への投資と捉えて。今週の自分ではなく、30年後の自分のために。
③実家女子からの卒業
 家族と住んでいると、寂しさが減少する。友情、恋愛を育むにはこの寂しさが大きな意味を持つのにもったいない。もちろん、親の介護などの理由がある人は別ですよ。
④ネオン浴をしよう
 ひとり暮らしをするなら都市部、地方都市なら駅前を選ぶといい。日光浴はどこでもできるけど、ネオンを浴びることはなかなかできない。
 週末はオシャレをして出掛けよう。かの有名なシンデレラだって、夜遊びをして王子さまに巡り合えたのだ。
⑤コミュ力を鍛える
 訓練の一環として、行きつけの店を持つことを勧める。飲み屋、喫茶店、本屋、花屋、なんでもいい。まずは顔と名前を認識してもらうところから。あとは天気や時事ネタが話せれば十分だ。
⑥多少のたくわえがあれば憂いなし
 年を取ると葬式や病気など、突然の出費が増える。緊急事態に備えて多少のたくわえがあれば憂いなし、である。
⑦質感の良い女でいる
 オシャレを楽しみ、肌のお手入れも忘れずに。体臭、口臭、髪の毛など、他人の五感に飛び込んでくるものには敏感になって。大声は出さず、適度な声量で話そう。
⑧年齢は忘却のかなたに
 “今日の私が一番若い”のである。自分の年齢を忘れている、いや、間違えるぐらいがちょうどいい。物忘れや言い間違いは気を付けたいけど、年齢は忘却のかなたに、である。
⑨オタクであれ
 ずっと現実ばかり続く生活では心が疲弊してくる。それを癒やしてくれるのが「非日常空間」。アイドル、アーティスト、宝塚歌劇団、カメラ、茶道、何でもいい。心をときめかせよう。
⑩勝ちにいこうとしない
 仕事でも恋愛でも、若い人と競り合って勝ちにいこうとしない。これは妥協ではなく、年を重ねてきて、ハードルが高くなることが多くなってきた自分への優しさである。

婚活に疲れました
 婚活で大事なのは、参加をしたこと。それが数週間だったとしても、結婚しようと奮闘したことに意義がある。
 「本当に頑張ったよね」と自分を褒めてほしい。これは独り善がりな思いじゃなくて、周囲も認める功績だ。
 もし仮に、婚活中に出会った人と結婚しておけばよかったかも……と思ったとしても、あなたは「やらずに後悔」したわけではない。「やって後悔」をした勇者なのだ。

出産のことを考えると焦ります
 私たちは出産は早い方がいいこと、嫌というほど分かってるからね。
 だからこそ結婚、出産に対してもっと楽観的になろう。今は医療も進んでるし、簡単ではないけど養子縁組もある。日々、体にいいものを食べて、いずれ訪れる日に備えておこう。
 大丈夫。母になりたいと思った時点で、あなたは人を慈しむスペシャルな愛情を持ち合わせている。

相手を選ぶ決め手は何
 私は顔が好みかどうか。経済力があればなお良し。でも一番大事なのは「あと5分、一緒にいたい」と思えるかどうか。
 結婚する、しない――その選択権は全て自分の手中にある。こんな自由な時代になったのだから、好きかどうかも分からない人と無理して焦って結婚する必要なんて全くない。

未婚の自分に引け目を感じた時 どう心を持ち上げる?
 徹底的に自分にわがままになろう。知らず知らずのうちに、いろいろ我慢してるから。
 例えば、旅行に行く。食べたいものを食べる。ドラマを見まくる。何でもいい。それができたら、やるじゃん、私!って、自分を愛でてあげて。心が解き放たれて、また頑張れる。
 そして一番大切なことは、今までも、これからも自分の生き方を責めないこと。

 こばやし・ひさの エッセイスト、編集者、クリエーティブディレクター、撮影コーディネーター。WEBや雑誌媒体で連載記事を多数持つ。手掛けた単行本は100冊を超え、15万部を超えるベストセラーも。酒場の出会いは仕事も友情も愛情も運んでくれると信じている、愛酒家。静岡県浜松市出身。正々堂々の独身(2020年3月現在)。

●ご感想や取り上げてほしいテーマをお寄せください
 [メール] life@seikyo-np.jp
 [聖教新聞 ONE MINUTE LINEアカウント]
  投稿文の末尾に#カラフルとお入れください。
 【編集】Colorful編集チーム
 【写真】小林久乃さん提供
 【レイアウト】齊藤功輝

 

2020年3月19日 (木)

2019年3月19日(木)の聖教

2019年3月19日(木)の聖教

◆わが友に贈る

   育児・介護・看病に
 奮闘する友にエールを!
 一家の健康を守りゆく
 尊き献身に心から感謝!
 家庭こそ幸福の拠点だ。


◆名字の言 人とのつながりは大事。でも、つながりに縛られてしまう時ってない?

 「皆さんの語りの中に『つながり』という言葉が何回も出てきました」。2月、宮城県気仙沼市で行われた「女性の復興カフェ」の中心者が教えてくれた▼復興カフェでは、阪神・淡路大震災と東日本大震災の被災者が自身の体験や課題、将来などを自由に語り合う。2011年から継続して開かれ、各自を丸ごと受け入れてくれる場として、共感を呼んでいるようだ▼人間は一人では生きていけないから、つながりは大事。「ただ、その『つながり』に縛られているようにも感じたのです」と冒頭の中心者。“このつながりしかない”という思い込みが、潜在的な不安となって人を息苦しくさせているのではないか、と。「でも、心を開いている限り、新しい『つながり』は、どこにでも生まれるのです」▼つながりは、自身の存在を実感できる人間関係である。だから心は軽くなり、生きる力になる。医師で作家の鎌田實さんは月刊誌「潮」4月号で震災9年を振り返り、ハード面の復興が進んだ今日、「人間と人間の関係の復興」が極めて重要と訴える。さらに被災地支援の力として、「地域に根差したネットワーク」を持つ創価学会に期待する▼家庭、地域、職場など、さまざまなつながりがある。一人一人が自分らしく輝く関係を築いていきたい。(側)


◆寸鉄

創価大学で学位記授与式
青春の鍛えと学友は不朽
の宝。さあ使命の大空へ
     ◇
福岡・筑紫総県の日。和楽
の創価家族は決して負け
ない!工夫して励ましを
     ◇
「心は工なる画師の如く」
御書。広布の勇者に尽き
ぬ希望あり。心は自在だ
     ◇
笑顔も免疫力向上に効果
と。今日も快活に前へ!
楽観主義は周囲に波及す
     ◇
18歳未満のSNS犯罪被
害最多。被害者8割、閲覧
制限なし。保護者が確認


【先生のメッセージ】

◆創大・短大学位記授与式への池田先生のメッセージ
「誓願の 誉れの生命は 朗らかに」

2009年3月、卒業する創大生・短大生に万感の励ましを送る創立者・池田大作先生(創価大学池田記念講堂で)2009年3月、卒業する創大生・短大生に万感の励ましを送る創立者・池田大作先生(創価大学池田記念講堂で)


 一、キャンパスのしだれ桜をはじめ花々も、わが愛する卒業生を寿ぐ心を宿しているかのように、いつもより早く咲き薫っています。
 創大46期生ならびに短大34期生の皆さん、通信教育部の皆さん、さらに、大学院生の皆さん、そして世界からの留学生の皆さん、栄光の門出、誠におめでとう!
 それぞれの国で今日を迎えている卒業生も、心は一つです。生命で結ばれています。
 皆、本当によく頑張ってくれました。新たな伝統を堂々と築いてくれました。
 私は、一人ひとり、奮闘を讃えながら、固い握手を交わす思いで、全てを見守っております。
 どうか、皆さんの晴れ姿を何よりの喜びとされている父上方、母上方に、勝利の学位記を、最大の感謝とともに捧げてください。そして、希望あふれるご一家の新出発の劇を、聡明な親孝行の心で思い出深く飾っていただきたいのであります。

 一、新型コロナウイルスの感染拡大の渦中に、新社会人として第一歩を踏み出す皆さんへ、私は22歳の時の一詩を謹んで贈りたい。
 70年前の当時も、日本の経済界全体が未曽有の苦境に直面していました。恩師の事業は荒波に翻弄され、私は青年らしく一心不乱に支え働きました。日々、悪戦苦闘の只中で、自らを鼓舞して綴った詩です。
 「苦闘よ、苦闘よ。
  汝は、その中より、真の人間が出来るのだ。
  汝は、その中より、鉄の意思が育つのだ。
  汝は、その中より、真実の涙を知ることができるのだ。
  汝よ、その中より、人間革命があることを知れ」と。
 この創価の青春の負けじ魂を、不二の皆さんに託したいのであります。

たくましき価値創造の走者たれ
 一、私は「平和のフォートレス」たる創価大学の創立と同時に、世界の知性と文明を結び、人類を結ぶ対話を開始しました。その忘れ得ぬ語らいを偲びつつ、今日は一点、「21世紀を照らす、たくましき価値創造の走者たれ!」と申し上げたい。
 トインビー博士のご紹介でお会いした、世界的な医学・細菌学者のルネ・デュボス博士も、創大が掲げる「人間教育の最高学府たれ」との建学の精神に深い共感を寄せてくださった一人であります。
 「シンク・グローバリー、アクト・ローカリー(地球的に考え、地域で行動する)」という有名な標語を編み出し、環境保護に心血を注がれた闘士でもありました。
 感染症をはじめ人類を苦しめる病の脅威と戦い続けてきたデュボス博士は、人間の潜在的可能性に揺るぎない信頼を持たれていました。
 ゆえに「新しい環境に遭遇したときは、いつでも新しい創造が生じうる」(野島徳吉・遠藤三喜子訳『人間であるために』紀伊國屋書店)と強調され、試練に屈しない人間生命の開花にこそ、文明の成長の希望を見いだされていたのであります。
 人生100年の時代を迎え、皆さんには21世紀を丸ごと生き抜き、けん引する使命がゆだねられています。
 「創価」の哲学を抱いた皆さんは、人生と社会の難局に遭遇すればするほど、たくましく価値創造の英知の光を放っていただきたいのであります。

21世紀から22世紀へ 平和と共生の「灯」を
 一、私との語らいでも笑みを絶やさなかったデュボス博士は、社会の最も有益な存在として「生きる喜びに最も貢献する人」を挙げ、「明朗と快活」「自然なほほえみと笑い」が、皆の幸福にとって、どれほど大切であるかを力説されていました。<参照?長野敬・中村美子訳『人間への選択』紀伊國屋書店>
 そして博士は、リレーの走者のように「生命の灯」を次々に手渡しながら、人類の未来へ尽くし続けていくことを呼び掛けてやまなかったのであります。<参照?長野敬・新村朋美訳『生命の灯』思索社>
 どうか、世界にまで感動を贈ってくれた、あの箱根駅伝のように、皆さんの勇気と連帯の力走で、今世紀を「生命尊厳の世紀」に、「平和と共生の世紀」に照らし晴らしてください。
 そして22世紀へ「価値創造の灯」をつないでいただきたいのです。
 終わりに

 誓願の
  誉れの生命は
   朗らかに
  走れ広げよ
    民衆(たみ)の笑顔を
  
 と贈り、祝福のメッセージとします。
 かけがえのない、わが命たる君たちに、幸福凱歌あれ!(大拍手)


【教学】

◆兵衛志殿御返事(三障四魔事)

研さんのために
 大きな苦難は大きく変わるチャンス――日蓮大聖人は、三障四魔を勝ち越える「賢者の信心」を教えられています。ここでは3月度座談会拝読御書である「兵衛志殿御返事(三障四魔事)」の研さんのために、池田先生の指導と解説を掲載します。(「大白蓮華」3月号も参考にしてください)

拝読御文
 しをのひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり(御書全集1091ページ15行目~16行目、編年体御書811ページ11行目~12行目)
 
[池田先生の指針から]乗り越えれば必ず仏に
 三障四魔は成仏への関門です。ここを乗り越えれば必ず仏に成れる。
 だからこそ「賢者はよろこび愚者は退くこれなり」なのです。
 反対に言えば、三障四魔が競わない信心は、本物ではありません。
 偉大な「創価学会の信心」は、初代会長の牧口先生以来、障魔を恐れずに、不惜身命、死身弘法の戦いを貫き通してきたからこそ、確立されたのです。
 このことを永遠に忘れてはなりません。
                      ◇ 
 創価の父・牧口先生が「魔が起るか起らないかで信者と行者の区別がわかる」と指導されたことは有名です。
 「自分の一個のために信仰している小善生活の人には決して魔は起らない。之に反して菩薩行という大善生活をやれば必ず魔が起る。起ることを以って行者と知るべきである」とも指導されました。
 三障四魔は自他共の無明の発動です。自他共の法性を開く菩薩行を行うゆえに、必ず障魔が競い起こる。
 牧口先生は、さらに、「進んで魔の働きを駆り出して」いくことを教えられています。
 魔を駆り出して克服することで、信仰を深め、無量の功徳を積み、変毒為薬を実現し、最高の幸福境涯を確立することができる――これが牧口先生の指導です。
 そして、その覚悟のままに大難にあわれ、魔と戦い抜く創価の信心を残されました。
 戸田先生もまた、「三類の強敵と戦い抜き、三障四魔を断破していくなかに、真の大利益・人間革命の真髄がある」ことを身をもって示されました。そして、いかなる大難に遭おうとも、「これが魔だ!」と見破れば、後は勇気百倍して乗り切れると、繰り返し指導されました。
 そして戸田先生は、三類の強敵が必ず出現することを断言されていた。
 「これがでると、私もうれしいと思うが、みなさんもうれしいと思ってもらいたい。そのときこそ、敢然と戦おうではないか」――こう、私たちに呼び掛けられたのです。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第13巻)

三障四魔と戦い幸福境涯の確立を
[キーワード1]信心を深くする
 “凡夫が仏になる時も、必ず三障四魔という妨げが出てくる”と仰せです。
 信心に純真に励んでいる最中に難が現れたならば、それは、仏に成れるかどうかの勝負どころであるということです。
 つまり、信心が間違っていたから苦難が起こったのではなく、正しい信仰に励んでいるからこそ魔が起こったのであり、仏になるチャンスが到来したと捉えていくことが大切なのです。
 得てして“難なんてない方がいい”と、思ってしまいがちです。しかし、大聖人は、難を避けたり、恐れたりするのではなく、真正面から挑み、打ち勝っていくことで、幸福境涯を確立していくことを教えられています。
 それは、魔と戦うことによって、自分自身の信心をより深く、強くしていくことができるからです。唱題根本に、苦難に挑むから、最高の勇気である「師子王の心」を取り出していくことができます。つまり、信心を根本に難と戦っている瞬間瞬間に、仏界の生命が涌現しているのです。「難即悟達」です。
 信心が強ければ、魔はかえって成仏の助けとなります。故に、大聖人は「賢者は喜び、愚者は退く」と仰せなのです。
 苦難に直面した時、“頑張ってきたのに、なぜ”と疑ったり、“もうダメだ”と諦めたりするのではなく、いよいよ“使命を果たす好機”と、立ち向かうことです。私たちは、勇気ある賢者として、信心で戦う中で仏の境涯を開いていきましょう。

[キーワード2]師弟の誓願で勝つ
 魔に勝つには、その正体を鋭く見破っていくことです。
 どうすれば、魔を見極めることができるのでしょうか。
 三障四魔は、紛らわしい形をとって法華経の行者に襲いかかってきます。それも一番、弱いところを巧妙に突いてきます。
 自分が大切にする妻子や、従わなければならない主君の身に入り替わって責めてくることもあります。また、社会での成功や評判、世間の常識という形をとって、“信心よりも一時の成功を取ることが当然であり、正しいことである”ように思わせて、信心を破壊してくるのです。
 本抄を与えられた池上兄弟の弟・宗長も、まさに当時の世間の常識に照らせば、信心を捨てることが正しいことのように思えたことでしょう。
 だからこそ、賢く、そして鋭く見破っていかなければ、知らず知らずのうちに、魔にたぶらかされてしまいます。大聖人は、大切な門下が退転しないように、渾身の指導と励ましを送られているのです。
 魔を見破るために大事なことは、根本の目的を忘れないことです。私たちにとっては広布の「誓願」にほかなりません。それを教えてくれるのが師匠です。
 師弟の誓願に生きる時、魔に打ち勝つ力が湧き、魔を見破る智慧が光り、幸福と勝利の軌道を、恐れなく勇敢に歩んでいくことができるのです。


【聖教ニュース】

◆創価大学・女子短大で学位授与式   2020年3月19日
 創大46期生 短大34期生が栄光の旅立ち

 創価大学46期生、創価女子短期大学34期生に対する「学位記授与式」が18日、東京・八王子市のキャンパスの各教室で行われた。創立者の池田大作先生は記念の和歌とメッセージを贈り、「わが命たる君たちに、幸福凱歌あれ!」と、使命深き友の栄光の門出を心から祝福した。

池田先生が卒業祝う和歌とメッセージ

 雲一つない青空から、暖かな陽光が差し込む。木々は芽吹き、鮮やかに咲き誇ったしだれ桜が、卒業生の門出を祝福している。
 この日、使命の舞台へ新たな一歩を踏み出した卒業生。その胸には、喜びや決意に交じって一抹の寂しさもあったろう。新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、例年とは違い、学部・クラス等に分かれての旅立ちとなったからだ。
 しかし、授与式の前、ある学生が語っていた。「卒業式はありませんが、皆が自身の課題に挑戦し、勝利した姿で本日を迎えたと思います。堂々と胸を張って卒業します!」

鮮やかな桜色が、澄み渡る青空に映える。創大中央教育棟前の「出発の庭」で爛漫と咲き誇るしだれ桜。その姿は夢と希望にあふれる卒業生の姿にも似て

鮮やかな桜色が、澄み渡る青空に映える。創大中央教育棟前の「出発の庭」で爛漫と咲き誇るしだれ桜。その姿は夢と希望にあふれる卒業生の姿にも似て

 ――2016年4月2日。創大46期生の入学式に贈ったメッセージの中で池田先生は、2020年が創価教育の創始から90周年、創大開学から50年目に当たることに触れ、「新たな創価教育の黄金の歴史を築いていくのが、皆さんです」と万感の期待を寄せた。
 この限りない創立者の期待に応えようと、創大生は果敢に向学に挑み、人間錬磨の日々を送ってきた。
 昨年、イギリスの教育専門誌「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)」が発表した「THE大学インパクトランキング2019」で、創大は世界「101~200位」に選出された。
 文武両道の活躍も光った。第96回箱根駅伝で総合9位に入り、初のシード権を獲得した駅伝部の快走は記憶に新しい。
 資格試験との格闘、ゼミでの切磋琢磨、留学への雄飛――それぞれが創大の「次の50年」を開こうと挑んだ。もがいた。支え合った。そして勝った。一つに集えなくても、心は一つ――これが卒業生の誇りである。

 各授与式では、田代理事長が、池田先生の祝福のメッセージを紹介。その中で先生は「21世紀を照らす、たくましき価値創造の走者たれ!」と呼び掛けた。
 馬場学長が「創立者の励ましを胸に、創価の『負けじ魂』を発揮して、困難に果敢に挑戦を」と祝辞。卒業生の代表に学位記、修了証書が授与された。
 さらに先生はこの日、創大・短大の卒業生全員に、はなむけの言葉を贈った。
 「青春の力走に恐れなし まず十年を目標に 使命の大道を一歩また一歩 創価の負けじ魂で進んでくれ給え! 父母と共に 宝友と共に 私と共に
 健康と希望 そして勝利の人生であれと祈りつつ」

 なおこの日、創大では、大学院博士後期課程3人に「博士」(李丹さん、土屋伸一郎さん、金子和義さん)、法科大学院の修了者13人に「法務博士(専門職)」、大学院博士前期・修士課程の103人に「修士」、教職大学院の修了者12人に「教職修士(専門職)」、学部の1628人と通信教育部の524人に「学士」、別科の33人に修了証書が贈られた。
 また、創大大学院のダブル・ディグリープログラムの修了者に、スペイン・バリャドリード大学大学院の「修士」、創大文学部のダブル・ディグリーコースの修了者に、中国・北京語言大学とイギリス・バッキンガム大学の「学士」、創大法学部のダブル・ディグリーコースの修了者に、イギリス・バッキンガム大学の「学士」が贈られた。
 さらに各賞の表彰が行われ、「創立者賞」に髙井光一さん、仁尾咲良さんが輝いた。
 また、長谷部秀孝氏、岩倉依子氏、高見一正氏、金松知幸氏、鈴井宣行氏、木村富美子氏に名誉教授称号が贈られた。

貴女に幸福凱歌あれ 短大学位記の授与式

 “青春二歳”の旅立ちの日――。創価女子短期大学の学位記授与式は、いずれも短大歌「誉れの青春」の映像で締めくくられた。
 皆が立ち上がり、じっと映像を見つめる。声には出せなくとも、心の中で口ずさみ、池田先生が贈った歌詞の一節一節を胸に焼き付けた。
 葛藤もあった。涙した日もあった。支えとなったのは“短大姉妹”の存在と、送り出してくれた家族の励まし。そして、創立者との“父娘の絆”だった。
 卒業した34期生は国際ビジネス学科のスタートと共に入学。創立者は入学式のメッセージで“桜花爛漫のグローバル1期生”と万感の期待を寄せた。
 その誇りを胸に勉学や学内活動に走り抜き、今年度、ビジネス文書技能検定で6度目の“日本一”となる「文部科学大臣賞」の団体表彰を受けるなど、開学35周年への新たな伝統を築いてきた。
 277人の知性の乙女は、報恩の誓いを胸に、それぞれの夢を目指し、不屈の希望の道を歩み始めた。

 授与式では、池田先生のメッセージが紹介され、学位記を代表に授与。水元学長が「それぞれの舞台で輝き、“1期生”の誇りを燃やして、開拓の道を」と祝福した。
 短大「創立者賞」が髙橋詩織さんに授与された。また鈴木正敏氏と楠田直樹氏に名誉教授称号が贈られた。


◆受け継がれる美 紙上で楽しむ上村三代展 2020年3月19日

    • 上村松園 「娘」 大正15年(1926年) 絹本着色・屛風装(二曲一隻) 160×187センチ 松伯美術館蔵

上村松園 「娘」
上村松園 「娘」 大正15年(1926年) 絹本着色・?風装(二曲一隻) 160×187センチ 松伯美術館蔵

 上品な2人の女性がたたずむ。周囲に蝶が舞い、着物の裾には梅や桜、藤棚が描かれ、画面全体に春の空気が漂う。
 上村松園が本作を完成させたのは1926年(大正15年)だが、江戸中期ごろを題材にしたのは、変化する時代にあっても変わらぬ“理想の美”を表現しようと試みたからではないか。
 ちなみに松園は29年(昭和4年)、高松宮家に嫁ぐ徳川喜久子から調度品として絵の依頼を受けている。その際、「すでに完成したものでもよい」と言われていたことから、パリの日本美術展覧会に出品されていた本作と、新しく描いた作品で一双の?風絵にしようと構想した。
 だが、本作が期限までに日本に戻らないと分かり、急きょ、同じ構図で左の女性の帯に鳳凰をあしらい、着物の色にも華やかさを加えた絵を描いた。こちらは「春秋」という題名で、現在は名都美術館が所蔵する。
 東京富士美術館は、23日(月)まで臨時休館。24日(火)以降の対応など、最新情報はホームページ=www.fujibi.or.jpを参照してください。

【特集記事・信仰体験など】

◆青春の力走に恐れなし! 創大・短大卒業生の輝く活躍  2020年3月19日
 負けじ魂で進め 宝友と共に 創立者と共に

        • 創価大学池田記念講堂

創価大学池田記念講堂

 英知を磨くは何のため 君よ それを忘るるな――創立者の指針を胸に、宝の友と、充実の一日一日を駆け抜けた創大・短大の卒業生たち。ここでは、創立者と共に栄光勝利の人生を開きゆく友の活躍を紹介する。

経済学部 亀井咲希さん 海外留学で視野が広がる
 「挑戦し続ければ、道は大きく開けます」と語る亀井さんは1、2年次、グローバル・シティズンシップ・プログラム(GCP)を受講した。
 大量の課題、英語漬けの毎日に心が追い付かないことも。そんな時、いつもGCPの仲間に支えられた。「優秀で高い志を持つ皆から刺激を受け、つらい時も一緒に乗り越えることができました」
 その中で“限界に挑む”“最後まで努力する”姿勢を身に付けた。GCPの一環でフィリピンを訪問。9カ月間のオーストラリア留学も経験した。海外で学ぶたびに、視野の広がりを感じた。
 世界と関わる職場への就職を目指し、大手電機メーカーの内定を得た。また、学部の首席にも選ばれた。
 創価高校時代に歌った学園愛唱歌「負けじ魂ここにあり」が今も胸に響く。
 「学べ勝ち抜け 世界まで」

経営学部 石井勇祐さん 寮で築いた学友との絆
 「4年間で出会った“人”こそ一生涯の財産です」と語る石井さん。高校卒業後、浪人生活、海外での就業経験等を経て、24歳で創大に入学した。
 大きな転機となったのは、2年次に滝山国際寮のレジデント・アシスタント(RA)を務めたこと。寮の後輩の生活・勉強面を支える中で、後輩に“全てをやり抜いて欲しい”との思いが芽生えた。
 まず自分が体現しようと、男子バレーボール部の副部長、ゼミの幹事、4年次には滝山国際寮の寮長を務めた。勉学にも妥協せず、3度、セメスター(学期)で特待生となり、学部の首席にも輝いた。「仲間と切磋琢磨し、お互いの能力も心も磨かれました」
 就職活動では、寮の仲間と励まし合いながら、大手外資系コンサルティング会社の内定を得た。4年間で築いた“財産”を糧に、職場での勝利を誓う。

法学部 吉田正樹さん 一人を支える弁護士に
 吉田さんは、高校時代に誓った弁護士を目指し、グローバル・ロイヤーズ・プログラム(GLP)で学んだ。
 一日8時間の勉強に挑戦。創価法学研究会に所属し、2年次には部長を務めた。大学建設にも携わろうと、4年間、大学行事の役員を経験した。「全てやり切ることが創立者への“誓い”でした」
 両立に悩み、葛藤していた2年生の秋、創立者が創大を訪れたことが転機に。誓いを思い起こし、不屈の心で前に進んだ。
 結果、勉学や諸活動の全てに挑んだ4年間の全セメスターで特待生となり、学部の首席にも選出。多くの舞台で、友と崩れぬ友情を結び、「感謝」と「寛容」の心を培った。
 支えてくれた方々への感謝を胸に、吉田さんは春から創大法科大学院に進む。「師弟に生き抜き、目の前の一人を支え抜く弁護士になります」

文学部 桒野勇太さん 職場で勝ち後輩の道拓く
 “後輩を自分以上の人材に”――その思いで大学生活を走り抜いてきた桒野さん。
 文学部のダブル・ディグリーコースでは、イギリスのバッキンガム大学に留学し、学位を取得。
 4年次には、滝山国際寮の寮長をはじめ、後輩の進路相談に応じるキャリアサポートスタッフ(CSS)の男子責任者として、奮闘した。
 時間に追われて悩むことも多かったが、“創価大学を世界一の大学に!”との先輩から受け継いだ熱い思いを胸に、“全てをやり抜く”と心を定め、一歩も引かずに挑戦。見事、大手電機メーカーへの就職を勝ち取り、後輩に範を示した。
 「常に励ましてくださる創立者の存在が、勇気と前進の力になりました」と桒野さん。職場で実証を示し後輩の道を拓き続ける――母校への報恩の志があふれる。

教育学部 北郷彩佳さん 教師として児童と成長
 北郷さんは、大阪、東京、愛知の小学校の教員採用試験を受験し、全ての合格を勝ち取った。
 関西創価小学校から創価一貫教育で学び、親身になって児童・生徒の心に寄り添う教員の姿に憧れ、教師の道を志すようになった。
 入学時から真剣に勉学に打ち込み、2度、セメスターで特待生に。一方、児童文化研究部と書道部のクラブ活動や学内活動にも積極的に携わり、大学建設に貢献した。
 人間関係や進路に悩み、自分を責めた時期もあった。しかし“人と比べる必要はない。昨日より今日、今日より明日へ”との創立者の言葉を胸に、学友と励まし合いながら一つ一つ乗り越えてきた。
 卒業後は地元・大阪の公立小学校で教壇に立つ。創立者の平和の心を自らの姿で子どもたちに伝え“共に成長し続ける教育者に”と心に期す。
 
国際教養学部 シンチア・キヨミ・シラトリさん 教育の力で社会を変革
 ブラジル・サンパウロ州出身のシラトリさんは、ブラジル創価学園を卒業後、“池田先生の創立した大学で学びたい”と国際教養学部に進んだ。
 多彩なバックグラウンドを持った個性あふれるクラスメートに、幅広い教養と専門性を身に付けられるプログラム――同学部で徹底して学ぶ中、グローバルな視点やクリティカル・シンキング(批判的思考力)を培い、学部の首席に輝いた。
 努力を貫くシラトリさんを支えたのは「英知を磨くは何のため」との創立者の指針だったという。この言葉を読み返すたびに、勇気が湧き、自分の壁を破ることができた。
 現在、英ケンブリッジ大学大学院から「条件付き合格」の通知を手にしている。
 「教育の力で社会を変革したい」と夢は壮大。使命の道を朗らかに歩む。

創価大学本部棟

創価大学本部棟

理工学部 髙井光一さん 一流の研究者を目指して
 「新たな創価教育の黄金の歴史を築いていくのが、皆さんです」――「創立者賞」に輝いた髙井さんは、入学式での池田先生の励ましをかみ締めて、4年間を過ごした。
 1、2年次は高度な英語力や数理能力を集中的に養うグローバル・シティズンシップ・プログラム(GCP)を受講。少人数で社会問題を調査・研究するプログラムゼミ等を通し、論理性やプレゼンテーション力を磨いた。
 3年次には、シンガポールの南洋理工大学に交換留学。
 難解な課題に心が折れそうな時も、“世界の指導者に”との創立者の期待を力に変え、懸命に勉学の汗を流した。
 より専門性を究めたいと、卒業後は創価大学大学院へ。「地球温暖化などの環境問題に対し、解決策を生み出せる一流の研究者になりたい」と向学心を燃やす。

看護学部 仁尾咲良さん “生命尊厳の看護”を探究
 祖父の死などをきっかけに看護の道を志した仁尾さん。卒業後は助産師を目指して京都大学大学院で学ぶ。
 看護学部では2年次に、研修でカリフォルニア大学サンフランシスコ校へ。「身体拘束」という観点から患者の尊厳についてのリサーチを行い、単に病の完治を目指すだけでなく、一人の人間の尊厳について考えることの大切さを学んだ。また3年次のフィリピン大学での研修では、貧困地域の状況を目の当たりにし、創立者の「大学は大学に行けなかった人のためにある」との言葉を心に刻んだ。
 病院での実習、国家試験やTOEICへの挑戦等、多忙な日々にくじけそうになったが、周囲の励ましを支えに
「創立者賞」に輝いた。その経験が「心の財」になっている。
 仁尾さんは固く誓う。「『生命の尊厳』を探究し、守る人材へと成長します!」

大学院 国際平和学研究科 モニカ・トーマスさん グローバル化の問題解決を
 “桜花爛漫のグローバル1期生”との誇りも高く、大学院の国際平和学研究科修士課程を修了したインド出身のトーマスさん。
 2016年に交換留学生として創大で学んだ際、“学生主体”の雰囲気に引かれた。そして、18年から新設された同研究科に進学した。
 世界各国から集った言語や文化の異なる仲間と共に、グローバル社会が直面する問題の解決に向けた「政策構想力」「提言力」等を磨いた。
 その中で、平和を追求することの難しさを深く実感した。不正、不平等、差別といった現実をより明確に知り、怒りを覚えた。自分がどれだけ恵まれた環境にあったかを気付かされた。
 だからこそトーマスさんは平和に貢献しゆく人材へと成長を誓う。今後はジェンダーに関する研究を重ねていく。

通信教育部 大住雅明さん 向学の道を生涯貫く
 大住さんは、「学ぶことの楽しさを知りました」と、学生生活を振り返る。
 定年退職を機に念願の通教生になったのが、5年前。68歳の本年、卒業を迎えた。
 50年前の高校卒業後、一浪の末に大学へ進学した。故郷・熊本から希望にあふれて上京したが、当時は“大学紛争”の真っただ中。学ぶ意味を見いだせずに中退し、“学びの挫折”を経験した。
 その後、妻との出会いから再び“学びの人生”が開けた。3人の息子が全員、創大へ進学。大住さんも、創立者の創大生への深い慈愛に涙した。最高の環境に触れて、「自分も創大で学びたい」と決意。再び学びの門をたたいた。
 「今後は通教で学んだ知識をさらに深め、ボランティアで高齢者への法律的な支援がしたい」と。「学は光」との指針を胸に向学の人生を誓う。

女子短期大学 髙橋詩織さん 勉学第一の“青春二歳”
 小学校から高校まで12年間、創価学園で学んだ髙橋さん。短大進学後は、国際ビジネス学科1期生の誇りに燃え、鍛えの“青春二歳”を駆け抜けた。
 短大学生会の副執行委員長をはじめ、学内活動に奔走。多忙な日々にあっても勉学第一にこだわり続け、短大が定める上級資格の基準ではビジネス文書技能検定1級、秘書技能検定準1級、MOS(マイクロソフト オフィス スペシャリスト)を取得し、TOEIC600点以上を獲得した。
 苦しい時、支えとなったのは同期の存在。友の挑戦し抜く姿に何度も鼓舞された。
 髙橋さんは、ビジネス系の科目で敬語などを徹底して学ぶ中で“日本語の魅力をもっと探究したい”と決意。卒業後は創大文学部に編入する。
 「“2年間で4年分の学びを”との短大スピリットを胸に、学びの道を進み続けます」

女子短期大学 高木さやさん 夢の客室乗務員に内定
 一人一人に可能性という光を当てる教育こそ、短大の伝統。高木さんは、そこに魅力を感じて入学した。
 きっかけは短大出身の地元の先輩との出会い。短大建設への情熱と、30歳を前に念願の客室乗務員(CA)に転職した姿に憧れた。
 高木さんは元々、英語が得意ではなかったが、地道に努力を。「遠回りのような日々でも一歩ずつ前に進みました」
 1年次にはTOEICのスコアを300点近く伸ばし、2年次に2カ月間、アメリカ創価大学に短期留学。帰国後、悩んだ末に、「夢をかなえる実力を」と、休学してエアラインスクールに通った。
 そして努力が実を結び、大手航空会社のCAに内定。同じ道を目指す後輩のサポートにも携わった。
 この春、自ら決めた“誓いの空”へ、希望にあふれて飛翔する。 


◆背伸びせず、地道に淡々と――建具職人50年〈信仰体験〉 2020年3月19日
 名工として県知事賞を受賞
  
 【熊本市東区】住宅の仕切りである「建具」は、家の“表情”をつくる重要な要素だ。
 その色合いや形状一つで、空間の美しさを際立たせる。
 建具の真髄は、日本古来の障子やふすま。繊細さと強度を併せ持つ製品を、古田三喜男さん(65)=支部長=は50年間、作り続けてきた。
 ひたむきに腕を磨いて半世紀――昨年11月、優秀技能者として県知事賞に輝いた。
   
 50年間、工具や材木を扱ってきた古田さんの指先は、意外にもきれいだった。
 「この数十年で、電動の工具も性能が良くなりましたが、最後に仕上がりを見極めるのは“手”なんです」
 障子やふすまで重要なのは、滑りのよさ。敷居の高さに比べて、わずかでも大きければ動きが重くなり、逆に緩ければガタつきの原因になる。
 図面の寸法通りに作っても、工事の過程で間仕切りなどもミリ単位の差が生じてくる。現場に持ち込んでみないと分からない。
 かたくなるか緩くなるか、その差は「髪の毛1本分」の厚みといわれる。カンナ1回分を削るか、どうか――。
 「その差をこの指先で見極める。だから、きれいなんでしょうか」   
 古田さんが工場長を務める「㈲川崎木工」は県内有数の建具メーカー。若手職人の育成も重要な仕事だ。
 「今は一つ一つ教えて伸ばす『伝承』を心掛けています」
 まず説明し、やって見せて、させてみる。助言はするが、手は貸さない。仕上げまで一度は本人に任せるのも、長年、技術を教えるなかで、つかんだ要点だ。
 「今の若い人は真面目で優秀です。けれど、途中を見ない。結果しか見ない」。完成を急ぐあまり、途中の作業が雑になる時があるという。
 勢いは青年らしさの証し。だが、焦らず、見えないところにも真心を込めていけば「必ず一級品となる」と古田さんは断言する。
  
 ――1969年(昭和44年)、古田さんは中学卒業と同時に、川﨑健二さん(87)=副支部長=に弟子入りした。進学も考えたが、“自分の手で大仕事を成し遂げられるなんて、魅力的だ”と職人の道を選んだ。
 川﨑さんは後に「現代の名工」に選ばれる業界の重鎮。15歳の古田さんに、大将(川﨑さん)は丁寧に教えてくれた。
 「どこで見ておられたのか、自分じゃ気付かない癖を、よう指摘していただきました」
 18歳の時、初めて一人で仕事を任された。大きな秋田杉から一枚戸を作り上げる作業。端材で何度も練習しては、ノコを引き、カンナをかけた。
  
 注文主である繁華街の料亭に持ち込むと、ピッタリと納まった。“店の顔”にふさわしい存在感があった。
 「ようやった」。大将の破顔を見て、喜びが込み上げた。
 次第に任される仕事が増え、21歳の時、“弟子上がり”した。
 だが、寸法や手順を間違う時もある。「どぎゃんすっとか!」と叱られながら、慣れを戒め、“もっと成長しなければ”と努力を怠らなかった。
  
 仏法の話を聞いたのは25歳の時。大工として働く男子部員からだった。
 「困難から逃げるのではなくて強くなる。その生き方を教えているのが仏法なんだ。君の大将を見てみろよ」
 川﨑さんは創価学会員だった。大将が唱題する姿をよく見掛けた。特に大仕事の前後は、ずっと仏壇に向かっていた。どんなに腕が立とうとも、謙虚に祈る。“自分も同じように自身を高めたい”と入会を決めた。
 学会活動を始めると、同世代のメンバーと過ごすのが楽しくて、没頭した。弘教も立て続けに実った。
 27歳の時、ひろ子さん(61)=支部副婦人部長=と結婚。4人の子宝に恵まれる。  
 30代は職場でも男子部でも、脂の乗った時期。信心に励み、一つ一つ仕事を仕上げるたび、家族が祝ってくれた。それが生きがいとなって、また仕事と学会活動に打ち込む。
 そして43歳の時、武者震いする大仕事が――。
 熊本城内の重要文化財「数寄屋丸」の改修工事。日本古来のひし形組子・曲組子障子を補修する作業。数百年前の木材は、威厳と懐の深さを感じさせた。
 神経を研ぎ澄まし、和紙を張り替えた。唱題にも力がこもる。時代を超えて、よみがえった障子には、高い評価が寄せられた。  
 49歳の時、初めて後輩ができた。それまでは腕利きの少人数で回していたが、業績が伸び、会社の規模を拡大したのだった。
 教える立場に最初は戸惑った。だが、自身が教わったことをそのまま伝えた。
 「片付けが大事なんだ。一日を振り返られるから」
 「失敗は財産。失敗したから、なぜ間違ったのか、気付ける」

 2016年の熊本地震では、2度の震度7によって多くの家屋が損傷。「家がひずみ、戸が開かない」などの悲鳴が相次いだ。
 寝る間も惜しむくらい仕事に明け暮れた。「これで冬の寒さも大丈夫ばい」との高齢者の言葉に、職人としての喜びをかみ締めた。  
 震災から4年――ようやく家屋の復旧工事は終息期を迎えている。その分、需要が落ち込み、建具業界は正念場。だが、真心を込めた製品が輝きを失うことはない。
 池田先生はつづっている。
 「人生の勝負は、一年や二年では決まらないものです。一生です。したがって、決して背伸びをすることもないし、見栄を張る必要もありません。平凡でいいんです。どこまでも自分らしく、“折伏精神”をたぎらせ、地道に、淡々と、わが使命を果たし、所願満足の境涯を築き上げていくことです」
 建具一筋50年――古田さんは力強く語る。「今こそ若手と一緒にもり立てたい。『建設は死闘』ですから!」
 (熊本支局発)

 

2020年3月18日 (水)

2019年3月18日(水)の聖教

2019年3月18日(水)の聖教

◆わが友に贈る

   広布誓願の題目は
 国を超えて我らを結ぶ。
 世界の同志と心一つに
 地球の平和と安穏を
 強盛に祈り抜こう!


◆名字の言 阪神タイガースひと筋の和田豊さん。語り継がれる引退時の言葉

 プロ野球の選手時代を一貫して阪神タイガースで送った和田豊さん。現役引退セレモニーでのあいさつは、今も語り草である。甲子園球場の整備を請け負う会社と社員に対し、「日本一の球場で常に良いコンディションで試合をさせていただいた」とお礼を述べた。スタンドからは、ひときわ大きな拍手が送られた▼“この人の陰の尽力のおかげで私は頑張れた”という感謝を忘れない。その豊かな人間性は多くの人に慕われたことだろう。引退後は同球団のコーチ、監督も務めた▼本紙配達員の「無冠の友」から心に残る一言を聞いた。「今朝届ける、この新聞が“読者の人生を変えるかもしれない”と思いながら配っています」。言葉には人の心を動かす力がある。その“言葉”を届ける使命感にあふれる姿勢に胸を打たれた▼新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、学会活動にあっても平時とは異なる態勢の日々が続く。だが私たち一人一人の「信心の成長」に停滞はない。ゆえに本紙は、どこまでも読者の希望の光源であり続けたい▼本紙の配達員制度は、本年で65周年を迎える。「無冠の友」の長きにわたる奮闘のおかげで、今日までの学会の発展は支えられてきたと言っても過言ではない。改めて感謝し、健康と無事故を祈る。(代)


◆寸鉄

ブラジル創価学園で高校
1期が卒業式。人類貢献
の英才は世界から陸続と
     ◇
福井婦人部の日、35周年。
師弟共戦の誉れの歩み。
嵐に揺るがぬ信仰今こそ
     ◇
東京・杉並の日。勇気とは
未来を信じ続けること!
互いに励まし合って前進
     ◇
医師に相談できるネット
窓口設置―経産省。賢く
活用。感染のリスク防げ
     ◇
“坊主が拝まねば成仏せ
ぬ”は御書になき邪義。広
布の友の唱題こそ追善に


◆社説 「彼岸」について考える 勤行・唱題に「常彼岸」の意義

 今月20日は「春分の日」。学会では、例年、彼岸の中日に当たるこの日を中心に、全国の会館等で「春季彼岸勤行法要」を行ってきた。本年は、新型コロナウイルスの感染防止のために中止し、各家庭において、広布の途上で亡くなられた同志や、家族・親族・友人・先祖の三世永遠にわたる福徳と安穏を祈念する。
 この日を迎えるに当たり、改めて、「彼岸」の意義について考えたい。
 仏教では、貪・瞋・癡の三毒の苦しみに満ちたこの現実世界を「此岸」に、そして仏道修行によって得られる成仏の覚りの境涯を「彼岸」に例える。
 法華経以前の教えでは、生まれ変わるたびに仏道修行を繰り返す「歴劫修行」によって、彼岸を目指すとされてきた。
 これに対し、日蓮大聖人の仏法では、御本尊を持ち、信心に励むことで、この一生のうちに仏の境涯を開くことができると説く。法華経の真髄であり、成仏の根源の法である南無妙法蓮華経を唱え、妙法流布に生き抜くことで、だれもが今世で彼岸に到ることができるのである。
 日本では「春分の日」「秋分の日」を中心に先祖供養や墓参などを行う「彼岸会」が定着しているが、これは仏教本来の伝統ではなく、日本独特の風習である。
 学会員は、毎日の勤行・唱題で、故人に対して追善回向を行っている。いわば、毎日が「常彼岸」であり、自らが行じゆく功徳を、先祖や故人に回らし向けている。その上で、学会は「随方毘尼」(仏法の本義にたがわない限り、地域の習俗や時代の風俗に従うべきであるという考え)の観点から、春と秋の彼岸を一つの節目に、追善法要を行ってきた。
 一方、“坊主を呼んで追善しなければ、先祖は成仏しない”“塔婆を立てないと追善回向できない”などと主張しているのが、日顕宗(日蓮正宗)である。これらは御書のどこにも書かれていない邪義にほかならない。
 「真心からの供養であっても、悪への供養であれば功徳とならず、かえって悪道に堕ちてしまう」(御書1486ページ、通解)。日顕宗への供養は、全て「謗法への布施」となり、かえって自身が悪業を積むことになることは、御聖訓に照らして明白である。
 池田先生はつづっている。
 「生命は永遠です。信心を貫いた人は、共に楽しく朗らかに三世の旅路を歩んでいくことができる。未来世も、同じところに生まれて、一緒に広宣流布の大道を歩んでいくことができる」
 私たちは、大聖人の御遺命のままに広宣流布に生き抜くことが自他共の成仏につながることを確信し、生涯、不退の信心を貫く誓いを新たにしたい。 


◆きょうの発心 乙御前御消息 高知総県総合女子部長 安部直美2020年3月18日

御文 一つ船に乗りぬれば船頭のはかり事わるければ一同に船中の諸人損じ・又身つよき人も心かひなければ多くの能も無用なり(乙御前御消息、1220ページ・編789ページ)
通解 一隻の船に乗り合わせて船頭の舵取りが悪ければ、船中の人々は皆、命を損なってしまう。また体が強い人でも心が弱ければ多くの才能も役立たない。

幸福の土台築く女子部時代に
 リーダーの存在がいかに大切であるかについて、船などの例を挙げて教えられています。
 かつて池田先生はこの御文を拝して、「リーダーは、いかなる嵐にも決して揺らいではならない。断じて皆を守り、幸と勝利の港へ導いてみせると、強盛に祈り抜くのだ」「一人一人の力を引き出しながら、一切の波濤を越えゆく名指揮を頼む!」と指導してくださいました。当時、総県女子部長を務めていましたが、苦手なことが多く、悩んだ時期も。そうした中、師の言葉に触れ、題目根本に目前の課題に挑戦しようと心が定まり、昨年は、かつてない仏縁の拡大を成し遂げました。“どんな困難にも、祈って挑戦すること自体が楽しい”と思える自分に変わりました。女子部のリーダーとしての訓練の時を頂き、その中で成長させていただけることに感謝の思いでいっぱいです。
 高知総県女子部は、一人一人が日々の学会活動を通して人間革命し、人生の幸福の土台を築いていけるよう、皆で励まし合いながら前進していきます。


【先生のメッセージ】

◆連載〈世界広布の大道〉小説「新・人間革命」に学ぶ 第17巻 御書編 2020年3月18日

イラスト・間瀬健治

イラスト・間瀬健治

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第17巻の「御書編」。小説で引用された御書、コラム「ここにフォーカス」を紹介する。挿絵は内田健一郎。

「勇気」こそ勝利の要諦
【御書】
 つるぎなんども・すすまざる人のためには用る事なし(御書1124ページ、経王殿御返事)
【通解】
 剣なども、進まない人のためには何の役にも立たない。

【小説の場面から】
 <1957年(昭和32年)8月、山本伸一は東京・荒川の同志に、弘教を進めるうえでの要諦を語る>

 「ともすれば一度ぐらい話をしただけで、“あの人はだめだ”“この人は無理だ”と思い込んでしまう。でも、人の心は刻々と変わる。いや、執念の対話で、断じて変えていくんです。
 それには自分の話し方に問題はないか、検討してみる必要もあります。たとえば、家庭不和で悩んでいる人に、病気を克服することができると訴えても、関心は示さない。病気の人に商売がうまくいくと訴えても、共感はしません。相手が納得できるように、いかに語るか――これも智慧なんです。
(中略)
 ともかく、智慧は、本来、無尽蔵なんです。その智慧が不可能を可能にするんです。そして、智慧というのは、断じて成し遂げようという懸命な一念から生まれます。必死の祈りこそが、智慧を生む母なんです」
 伸一はさらに、智慧が湧いたら、それを行動に移す「勇気」が不可欠であることを訴えた。(中略)
 「無量の智慧をもたらす法華経という剣も、臆病であっては、使いこなすことはできません。苦手だから避けようと思う心。仕方ないのだと自らの臆病や怠惰を正当化しようという心――その自分の弱さに挑み、打ち勝つ勇気をもってください。そこに自身の人間革命があり、一切の勝利の要諦があります」(「民衆城」の章、255~256ページ)

異体同心の団結で前進
【御書】
 総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり(御書1337ページ、生死一大事血脈抄)
【通解】
 総じて日蓮の弟子檀那等が、自他彼此の隔ての心なく、水魚の思いで、異体同心に南無妙法蓮華経と唱えるところを生死一大事の血脈というのである。

【小説の場面から】
 「自他彼此の心」とは自分は自分、他人は他人というように、自分と他人とを差別する、断絶した心である。
 たとえば、自分の利害ばかり考えて他者を顧みないエゴイズム、無関係を決め込む心、あるいは敵対視、また、己の感情を根本にした生き方といえよう。
 皆の心がバラバラに分断された、そんな集団に仏法の血脈が通うことはない。ゆえに大聖人は、そうした生き方を厳しく戒められたのである。
 また、「水魚の思」とは、切っても切れない同志相互の、密接不可分な関係を、深く自覚することである。互いに、広布の使命に生きる同志を、なくてはならない尊い存在として支え合い、敬い合っていくことが、「水魚の思」の姿といえよう。
 また、「異体同心」とは、それぞれの個性、特質を最大限に生かしながら、広宣流布という大目的に心を合わせて前進していくことである。
 大聖人は、総じては、御自身の生命に流れる血脈は、この「異体同心」の団結のなかに伝わり、「広宣流布」の大願に生きる、一人ひとりの生命に脈打つことを明言されているのである。(中略)
 一般的に、団結というのは、目標を成就するための一つの手段と考えられている。しかし、正法をもって万人を幸福にするための「異体同心」の姿は、それ自体が人間共和の縮図
であり、広宣流布の実像である。いわば目的ともいえよう。(「緑野」の章、349~350ページ)

ここにフォーカス/  題目に勝る力なし
 「民衆城」の章に、1973年(昭和48年)5月の山本伸一の欧州訪問がつづられています。
 この時の伸一の訪問国は、フランスとイギリスの2カ国でした。オランダでは、師の欧州での諸行事の成功を祈念しつつ、“1%でもオランダにお迎えできるチャンスがあれば”と、唱題の渦が巻き起こっていました。
 池田先生は当初、モスクワ経由で帰国する予定でしたが、急遽、オランダ・アムステルダムの空港を経由する便に変更することに。しかも、1時間の待機の予定が、機体の整備で4時間ほど出発が延びたのです。
 空港には、十数人のメンバーが駆け付けていました。伸一は語ります。「お題目の力に勝るものはありません。何があっても唱題し抜いた人は勝ちます」「題目こそが、幸福の源泉なんです。どうか、このことを強く確信して、進んでいってください」
 その後、伸一はメンバーと共に空港近くの公園に向かいます。青空の下、風車小屋がある公園の芝生の上で、座談会が行われ、彼は一人一人に励ましを送ります。“青空座談会”は、オランダの友の「不滅の原点」です。それは、師の指導を求める真剣な祈りによって実現しました。
 「題目に勝る力なし」――この確信で前進することが、広布の歴史を切り開いていくのです。


【聖教ニュース】

◆ブラジル創価学園で誉れの高校1期生が卒業  2020年3月18日
 創立者・池田先生が万感のメッセージ「時代の闇晴らす旭日たれ」

「良識・英知・希望」の3モットーを掲げ、飛翔するブラジル創価学園の「高校の部」第1回卒業式。誉れの「伝統」が、ここから始まる(サンパウロ州サンパウロ市内で)

「良識・英知・希望」の3モットーを掲げ、飛翔するブラジル創価学園の「高校の部」第1回卒業式。誉れの「伝統」が、ここから始まる(サンパウロ州サンパウロ市内で)

 【サンパウロ】ブラジル創価学園「高校の部」の第1回卒業式が15日夕(現地時間)、サンパウロ州サンパウロ市内で盛大に挙行され、卒業生23人のほか、理事や教職員、卒業生の家族、支援者らが参加した。(動画はこちら)
 創立者・池田大作先生は万感のメッセージを贈り、誉れの「高校1期生」の門出を心から祝福。時代の闇を晴らす旭日たれと呼び掛けた。(記事=巴大輔、写真=工藤正孝)

 大西洋の水平線から昇った日の光が、漆黒の闇を打ち破り、街を包み込む。
 創価教育の歴史に、新たな黄金の一ページを刻むブラジル創価学園「高校の部」の卒業式の朝。青く澄み渡った夏空のもと、時折吹く涼風に、サンパウロを彩るクワレズメイラの花が踊るように揺れていた。

 池田先生は卒業式に寄せたメッセージの中で、今や、地球の反対側にあるブラジルと日本の「創価の学びや」で、学園生が凜々しく成長する時代になったと強調。卒業生の晴れ姿を「創価教育の創始者である牧口常三郎先生は、何よりの喜びとし、見守られているでしょう」とたたえた。

卒業生の角帽が宙を舞う。栄光の門出を皆で喜び合った

卒業生の角帽が宙を舞う。栄光の門出を皆で喜び合った

 日本から、およそ1万8000キロ。このブラジルに創価幼稚園が誕生したのは、2001年6月6日のこと。牧口先生の生誕130周年の日だった。
 その後、「小学校の部」「中学校の部」が併設され、17年、待望の新校舎の完成とともに「高校の部」がスタート。ブラジル創価学園は、幼稚園から高校までの一貫教育へと発展を遂げたのである。

 「子どもの幸福」を第一に掲げた牧口先生の創価教育学説に基づく「牧口教育プロジェクト」を実践する同学園の教育内容は、高く評価されている。同学園のあるサンパウロ市の教育当局から「優秀校」として推奨され、在サンパウロ日本国総領事館から表彰も。18年には、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の理念に沿った教育を行う「ユネスコスクール」への加盟が承認された。
 また「高校の部」は、国際バカロレア(IB)機構の認定校となっており、海外の大学入学資格を得る機会が充実。昨年には、日本の創価大学と友好交流協定が調印され、同大学への推薦入試制度が整備された。

卒業生が心に刻んだ創立者の言葉
 文字通り「草創期」を駆け、“若き創立者”との気概で、学園建設への情熱を燃やした栄光の「高校1期生」23人。彼らがいつも心に刻んできたのは、3年前の入学の際に、池田先生から贈られたメッセージである。
 「『何のため』を忘れず、不屈の学びと挑戦の青春」――この創立者の言葉を抱き締めるのは、首都ブラジリア出身のナイラ・ノエミ・ウリヴェイラ・サントスさん。「高校の部」への進学を機に、サンパウロでホームステイを始めた。
 懸命に勉学に打ち込んだ結果、アメリカ創価大学の「年間ブリッジ・プログラム」(英語を母国語としない学生を対象にした語学研修)に進むことが決まった。「将来は、経済的に恵まれない地域の子どもたちの教育支援などに携わりたい」と笑顔で語る。

が、さらなる学究の歩みを誓って
 「ブラジルと世界の未来を担い、人類の平和と文化興隆に貢献する人材」――この言葉が似合うのは、「小学校の部」から学んだビトル・マトス・ゲハ・コウチニョさん。今春から、憧れだった日本の創価大学に進む。
 創立者の理念を学び実践する中、一人の人間として大成長できたことが「学園時代の何よりの財産」と胸を張る。「負けじ魂を燃やし、世界中に創価教育の哲学の素晴らしさを広げます」と誓う。

 「立ちはだかる逆境に若き大情熱で挑戦」――この言葉のままに進んできたルイーザ・セルトリオ・ガルヴォンさんは、ブラジル創価幼稚園の出身。
 その後、別の小・中学校で学んだが、“生徒第一”の学園で、もう一度、青春時代を過ごしたいと、「中学校の部」の最終学年の時に再び学園の門をくぐった。成績が伸び悩んだ時もあったが、「私が後輩の道を開く」と固く決意し、見事、南米屈指の名門・サンパウロ大学に合格した。

「3・16」から希望の出発!
 卒業式ではブラジル国歌の斉唱の後、チナ学園理事長が創立者のメッセージを紹介。卒業証書の授与に続き、卒業生全員で「誓いの言葉」を披露した。
 次いで、代表が創立者や教職員、家族らへの感謝の言葉を述べ、ヤマウチ学園長があいさつ。「人間主義の教育」「価値創造の教育」を受けた学園生が世界市民として雄飛することを、創立者は待ち望んでいると語り、全人類の幸福のために行動しゆく一人一人に成長をと望んだ。

 ――サンパウロで卒業式が開催されている頃、日本では、「3月16日」の朝を迎えた。
 第2代会長の戸田城聖先生から、池田先生に、創価の未来の一切が託された「3・16」は、“後継が立ち上がる日”であり、“永遠の出発の日”である。
 ブラジルで、日本で、この3月に創価の学びやを巣立つ学園生たちの胸には、創立者の慈愛の言葉が響き渡る。
 「学園生こそ、わが命なり。学園生が伸びゆく限り、人類の希望は無窮なり」


◆婦人部指導集「幸福の花束Ⅲ」来月23日に発売  2020年3月18日

 創価の太陽・婦人部の友に朗報! 池田先生の指導集『幸福の花束Ⅲ――平和を創る女性の世紀へ』が、来月23日に発売される。先生の会長就任60周年を記念するもの。これには、先生が「発刊に寄せて」を寄稿した。現在、注文を受け付けている。
 本書には、随筆や本紙連載「四季の励まし」、長編詩等から選んだ珠玉の指導を掲載。「一家和楽」「幸福勝利の人生」などのテーマ別に小説『新・人間革命』の抜粋も収録している。
 家庭で社会で地域で、日夜、奮闘する創価の女性の胸に、希望をともすものとなろう。
 本社刊。750円(税込み)。

永石婦人部長が談話「全婦人部員への真心の激励」
 池田先生は「発刊に寄せて」に、全婦人部員に対する真心の激励をつづられています。
 「今、日本全国はもとより世界のヤング白ゆり世代が、先輩方と手を携えて、『人間革命』即『広宣流布』の清新な大光を放ち、人生と社会の不幸の大闇を晴らしていくスクラムを、私も妻も多宝の共戦の同志たちと何よりうれしく見守る日々なのです」
 「あまりにも尊貴な婦人部ありて、創価の大城あり。わが婦人部の異体同心のスクラムがあれば、学会は末法万年尽未来際へ勝ち栄えていくことを、私は固く信じております」
 先輩は後輩を思いやり、後輩は先輩を慕いながら前進する――未来にわたって盤石な学会をつくる、婦人部の使命を示してくださったと確信します。
 本書にあふれる師の期待を前進の力に変えながら、希望と幸福の輪を広げてまいりましょう!

第1章 随筆・巻頭言
 第1章には、本紙に掲載された池田先生の「随筆『人間革命』光あれ」の2編と、「大白蓮華」の巻頭言の2編を収録。家庭や地域の太陽として歩む友を心からたたえる言葉があふれている。
第2章 「四季の励まし」より
 第2章には、本紙連載「四季の励まし」から3編が収められている。“他者の幸福を願う女性の心こそ、世界に友情を広げ、人間と人間を結びゆく力になる”等とつづられている。
第3章 輝く「ヤング白ゆり世代」のために
 第3章のタイトルは、「輝く『ヤング白ゆり世代』のために」。小説『新・人間革命』や、『21世紀への母と子を語る』『母と子の世紀』などから、地域・社会の最前線で活躍するヤング白ゆり世代と、その一人一人を励ます先輩のための指針を収録している。


◆スイス・ジュネーブで開催国連人権理事会 SGI代表が参加 青年の啓発巡り意見交換

SGIの代表が参加した国連人権理事会の第43会期(スイス・ジュネーブで)

SGIの代表が参加した国連人権理事会の第43会期(スイス・ジュネーブで)

 国連人権理事会の第43会期が2月24日、スイス・ジュネーブの国連欧州本部で開幕し、SGI(創価学会インタナショナル)国連事務所のエリザ・ガゾッティ氏らSGIの代表が参加した。
 3月6日には、ガゾッティ氏が議長を務める「人権教育学習NGO作業部会」が共同声明を発表。平和で包摂的かつ公平な社会を築くための青年への人権教育を、各国で実施する重要性を訴えた。
 またガゾッティ氏らは5日、青年の意識啓発を目的としてSGIが制作を進める人権教育ツールを巡り、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)のエレナ・イッポリティ人権教育担当官らと協議。同担当官は、「とても良い企画です。世界各地の青年団体が活用できる内容に」と期待を寄せた。
 さらにSGIの代表は、国際連合協会世界連盟(WFUNA)のアジエル=フィリッポス・グランドリス氏らと意見交換した。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈現代と仏法〉第20回「柿の研究から食を考える」 2020年3月18日
 島根大学名誉教授 板村裕之さん

 現代は、「人生100年時代」。「食」の重要性に改めて光が当たっているように感じます。
 食材にはそれぞれの特徴があります。私が研究する柿にも糖質や食物繊維のほか、温州ミカンと同程度のビタミンA、イチゴと同程度のビタミンC、また筋肉の収縮などの活動に重要な役割を担うカリウムがたくさん含まれ、健康食品として注目されています。
 私は、この柿の軟化防止や貯蔵性の向上などを調べ、一番おいしい状態で市場に回るように努めてきました。
 御書をひもとけば、日蓮大聖人に届けられた御供養の品にも、白米や野菜に加え、柿が含まれていたことが分かります。
 さて、大聖人は「食」について「一には命をつぎ・二にはいろ(色)をまし・三には力をそ(添)う」(御書1598ページ)と教えられています。つまり生命を維持し、健康を増し、心身の力を盛んにする働きがある――と。
 柿にも、生命を維持するための豊富な栄養分とともに、健康を増す働きがあります。例えば、がんの予防や高血圧を抑える効果、インフルエンザウイルスやノロウイルスへの強い抗ウイルス効果があり、感染症予防にも期待されています。これらは、主に柿に含まれるタンニンという成分の働きといわれています。また、飲酒後の血中アルコール濃度の上昇を抑え、悪酔い防止効果があることも知られています。これもタンニンの働きで、タンニンが消化管のタンパク質と結合して皮膜等を形成することで、アルコール吸収を抑えていると考えられています。
 私たちの食べる物には、消化によって体内に吸収され、力を発揮する成分もありますが、タンニンの場合は、むしろタンニンそのものが体に残り、私たちを守っていると捉えることもでき、まさに「力をそ(添)う」との仰せ通りと感じます。
「タンニン」は渋味の元?
 タンニンは渋味の原因物質で、渋いという感覚はタンニンが舌のタンパク質と結合することで起こるとされています。これは、水や唾液に溶けることから「可溶性タンニン」と呼ばれます。
 しかし、私たちが普段食べる柿は、渋味を感じません。それは、炭酸ガスやアルコールなどを使って人工的に脱渋処理をしているからです。この処理で果実内に生じたアセトアルデヒドは、可溶性タンニンをくっつけて大きな塊にし、水や唾液に溶けない「不溶性タンニン」に変化させます。すると、舌のタンパク質と結合しなくなり、私たちは渋味ではなく、隠れた甘味を柿に感じるようになるのです。

福島県北部の特産である干し柿「あんぽ柿」作りの風景(伊達市で)

福島県北部の特産である干し柿「あんぽ柿」作りの風景(伊達市で)
 興味深いのは、渋味の元であるタンニンがなくなったわけではなく、タンニンがあっても障りにならない状態となり、そのタンニンが体内で良い働きをしているという点です。
 これは、私たちに置き換えれば「煩悩即菩提」の哲理を示しているように思えます。「煩悩」とは心を煩わせ、身を悩ますものの総称です。煩悩に翻弄されてしまえば苦しみの原因になりますが、仏法では煩悩を捨てなくても、高い立場から用いて生命を潤す栄養分にしていけると教えています。そのためにも心を磨き、何ものにも揺るがない自分を築くことが重要だと説かれています。
賢明な食生活こそ健康の基本
 実は仏法では、この心を養っていくことも“食”の一部と捉えています。
 具体的には、仏典の「?舎論」にある「段食」「触食」「思食」「識食」という四つの「食」です。段食は実際に口にする食物のことですが、二つ目以降の触食(素晴らしい音楽や美術などに触れ、喜びや楽しみを得る)、思食(元気になる思想や希望を抱くこと)、識食(心に備わる生きようとする力)は、心の面から生きる力を増強していくことを意味しています。
 こうした心身両面から「食」を考える仏法の英知は、現代にあっても光るものだと思います。
 ともあれ、感染症の拡大で社会的にも一人一人の健康管理が重要になっている時だからこそ、賢明な食生活を心掛けていきたいものです。
 (関西副総合学術部長)


◆〈信仰体験〉父が開いてくれた夢への扉 負けじ魂の人が最後に必ず勝つ 020年3月18日

 【東京都八王子市】新たな門出をことほぐように、キャンパスの「出発の庭」のしだれ桜が咲き薫る創価大学。今日18日に学びやを卒業する水田湧樹さん(23)=学生部部長。師との原点、仲間との友情、家族への感謝を胸に刻み、卒業後は、日本を代表する劇団で舞台監督助手に。その目は未来への希望に燃えている。

 大学2年に上がる春休み。故郷の大阪にいる母・豊子さん(46)=支部婦人部長=から電話が入った。「お父さんがうつになった」
 突然のことで言葉が出なかったが、電話口の母は、「絶対大丈夫やから、あんたは心配せんでええよ」と、いつもの声で伝えてくれた。
 “あの明るくて、優しいお父さんが……”。胸が締め付けられた。
 父・隆治さん(49)=副本部長=は、5人家族の水田家の中で、いつも笑いの中心にいた。テレビ番組「新婚さんいらっしゃい!」に3年連続で出演したことが自慢で、その録画ビデオを何度も見せられた。画面の中の父は、会場を笑いの渦に巻き込んでいた。
 学会活動に駆ける父は、いつも人のために奮闘していた。家でくつろぐことなどあまりなかったが、たまに顔を合わせると「最近、学校はどうや」と、気に掛けてくれた。
 その父がうつ病に。“遠く離れた自分は優しい声さえ掛けてあげられない”。無力感に包まれる中、学生部や寮の仲間は「一緒に祈ろう」と励ましてくれた。それでも一人になると、どうしようもない寂しさが押し寄せる日々。
 不安をたたき出すように、父の回復を御本尊に祈り抜く。少しずつだが、気持ちが前を向くのを感じた。
 思い立ったことがある。“キャンパスの桜の写真を届けよう!”。父の喜ぶ顔を思い浮かべながらシャッターを切った。
 不意に背後からクラクションが。振り返ると、車がゆっくりと目の前を通り、開いた窓の奥に、創立者・池田先生の顔がはっきりと見えた。“負けるな”と励ましてくれているように感じた。
 “そうだ、俺には先生がいる。これまでもそうだったじゃないか”
 ――2008年(平成19年)10月。関西創価小学校6年の修学旅行で聖教新聞社を見学した時、思いがけず池田先生との出会いが。包み込むような温かいまなざしに、時が止まったように感じた。“創立者とは、師弟とは何だろう”。自分の中で何かが変わったように思えた。
 15年の3月16日に行われた関西創価高校の卒業式。「師との原点を築く」と御祈念帳に書いて、初めて自分から師を求めた。
 式典も終わりに差し掛かった時、突然「みんな、おめでとう! 卒業おめでとう! うれしいよ」と、会場に創立者の優しく力強い声が響き渡った。音声をつないでの“出会い”に、感動が全身を貫いた。
 創立者の提案で、学園愛唱歌「負けじ魂ここにあり」の大合唱が始まる。
 この日、贈られたメッセージには「大変な時こそ、負けじ魂の不屈の太陽を!」との呼び掛けが――。
 父の病を前に、“今がその時だ”と水田さんは自分に言い聞かせた。
                           ◇◆◇
 帰省した時、かつての笑いの中心に父の姿はなかった。気丈な母と「負けられへんな」と腹を決めた。
 金属加工業を営む父の手は、いつも油で汚れていた。その手で長年大事に使ってきた御書のある箇所に、付箋があった。「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」(御書1192ページ)。父が、この御聖訓を教えてくれているように感じた。
 それからは、今まで以上に真剣に祈り、学生部の活動にも全力で取り組んだ。17年12月に、初めて弘教を実らせた時、父は「おめでとう」と喜んでくれた。
 18年、水田さんはニューヨークへ留学する。アメリカSGIの青年大会「正義の師子・5万」にも、コーラスメンバーとして出場した。そこで出会ったSGIメンバーの気迫に力をもらった。「池田先生は不可能を可能にする信心を教えてくれているんだ。だから弟子の僕たちも、不可能に挑戦しなきゃいけない」と。
 この息吹を感じてほしいと、父がニューヨークを訪れた際、メンバーを紹介した。「お父さんも一緒にお題目をあげましょうよ」とのメンバーの言葉に、父と2年ぶりに御本尊に向かった。その瞬間、“大丈夫や”と勝利を確信することができた。
 やがて薄紙をはぐように回復へと向かう隆治さん。現在、通院も服薬も必要なくなるまでになった。

■日本を代表する劇団の舞台監督助手に
 父のニューヨーク滞在中、一緒にブロードウェーで鑑賞した舞台が、自らの夢を決めるきっかけとなった。
 舞台を見終え、しきりに感動を口にする父の姿に、一流の芸術の持つ力を目の当たりにした。言語も文化も、違いを超えて人を感動させられる舞台をつくりたい。「舞台監督」が夢になった。
 父がくれた夢。やるからには一流を目指そうと、日本を代表する劇団に応募する。狭き門である上に、周りは経験者ばかり。“それに比べ、自分は全くの素人。でも不可能に挑戦するのが弟子!”と、祈り挑んだ。
 結果、自分の持ち味を最大限に発揮し、舞台監督助手として内定を勝ち取ることができた。舞台監督になるには助手として10年以上の下積みが必要だという。しかし水田さんに不安はない。
 「創価の学びやで、正しい道を示してくれる師と、そこから外れないよう支えてくれる仲間に出会えた。負けじ魂を燃やして師弟の道を、自分の道を進み続けます!」
 新たな門出を迎えるに当たり、何度も読んできた池田先生の指導を改めて心に刻む。
 「困難にぶつかり、宿命が襲いかかってきたならば、『よし来たか』『今ここからだ』と、いよいよ負けじ魂を燃やす。その人が、最後に必ず勝つ」

 

 

2020年3月17日 (火)

2019年3月17日(火)の聖教

2019年3月17日(火)の聖教

◆わが友に贈る

   「はたらかさず・
 つくろわず・もとの儘」
 形式や格好ではない。
 素直な信心に
 無上の幸福が築かれる!
 御書P759


◆名字の言 藤井聡太七段の師匠も昨年50歳で昇級。その心意気とは?

 将棋界では「C級に落ちたら、B級には戻れない」といわれる。昨年、勢いのある若手が多い激戦区のC級1組から、50歳の杉本昌隆八段がB級2組に昇級。史上4位の“年長記録”となった▼「強くなりたい。あきらめない。その気持ちに年齢は関係ありません」と杉本八段。弟子の藤井聡太七段の活躍に“自分も”と奮起し研究を重ねたという。氏は「成長や学びは若い人だけの特権ではない」とも▼一局の勝敗が昇級を左右する厳しい世界だが、その結果以上に杉本八段は“自分の現状をどう捉えるか”を重視する。すなわち、どんな苦境も「自分が不幸と思わなければ『負け』ではない」。「些細なことを楽しいと感じる気持ちがあれば、その人は『勝ち』を手に入れています。ならば、極論すれば『人生には勝ちしかない』」(『悔しがる力』PHP研究所)▼受験シーズンも最終盤。不本意な結果から進路に迷う人がいるかもしれない。だが重ねた努力は消えないし、培った心の強さは人生の宝と輝く。“自分自身”を諦めない限り、道は必ず開ける▼池田先生は未来部の友に呼び掛けた。「だれが諸君をばかにしようと、私は諸君を尊敬する。諸君を信じる」。この信念で“勝利の春”を進む友に真心のエールを送りたい。(誼)


◆寸鉄

逆境でも勝てる事を証明
した会長の行動は手本―
総長。師に学び、師に続け
     ◇
学会の動画チャンネルが
好評。共有すれば信心の
触発はいつでもどこでも
     ◇
SNSで連携し同盟唱題
等、各地で工夫光る取り
組み。智慧出し、団結固く
     ◇
仕事ついていけるか不安
―就職内定者67%。人生
の岐路に周囲の励ましを
     ◇
多重債務者が増加。携帯
使った借り入れや買い物
が一因と。安易に考えず


【先生のメッセージ】

◆〈心に御書を〉26 師弟こそ仏法の根幹
御文
 よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず(華果成就御書、900ページ)

通解
 よい弟子をもつならば師弟はともに成仏し、悪い弟子を養うならば師弟はともに地獄に堕ちるといわれている。師匠と弟子の心が違えば何事も成就することはできない。

〈池田先生が贈る指針〉
 仏法の根幹は師弟不二なり。師弟あればこそ広布の誓願は継承され、不二なればこそ地涌の生命は脈動する。「3・16」の魂もここにある。
 師と同じ心で唱える題目は無敵の師子吼であり、万事を勝ち開く力だ。
 師匠は大地であり、弟子は草木である。使命の花を咲かせ、勝利の実を結ぶことが、報恩の道なのだ。


【教学】

◆池田先生の指導に学ぶ  彼岸の意義 最高無上の生命の軌道を  久遠からの同志とともに

 ――かつて池田先生は、真剣な求道の息吹に燃える新入会の青年の質問に答える形で、「彼岸」の意味について、次のように語られました。

広宣流布に生き抜く学会員こそ幸福と勝利の彼岸に到達できる
 「彼岸」という言葉は知っていても、その意義については、知っているようで知らないことも多い。これまでも何度か紹介してきたが、この機会にあらためて少々、論じさせていただきたい。
                        ◇ ◇ ◇
 仏法では、迷いに満ちた現実の世界を「此岸」(こちらの岸)に譬える。
 それに対して、悟りの世界、仏道修行の完成を、「彼岸」という言葉で表すのである。
 すなわち、真の「彼岸」、成仏の完成に至るためには、現実の迷いや悩みに打ち勝つ「修行」が不可欠なのである。この点を忘れてはならない。
 ゆえに、“坊主に拝んでもらわなければ、お彼岸にならない。供養にならない”などという考えは、完全な“迷信”にすぎないのである。
 日蓮大聖人は、「生死の大海を渡らんことは妙法蓮華経の船にあらずんば・かなふべからず」(御書1448ページ)と仰せである。
 妙法を持ち、広宣流布に生きぬく創価学会員こそ、「生死の大海」に満ちる苦悩の荒波を乗り越えて、「幸福の彼岸」「勝利の彼岸」へ到達することができるのである。

 ――仏教本来の意義に立ち返り、学会員の日々の信仰にこそ「彼岸」に至る道があることを教えられました。
 その上で、先祖や亡くなられた家族や同志への追善のありかたについて語られます。

自分自身が修行で得た福徳を「廻し向ける」のが「回向」
 「回向」の本義について、大聖人は「御義口伝」で次のように述べておられる。
 「今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり」(御書712ページ)
 妙法の題目は、全宇宙を照らしゆく力を持っている。その慈悲の大光は、無間地獄にまで至るとの、大聖人の大確信である。
 いかなる権力でも、いかなる財宝でも、いかなる科学でも、成し得ないことがある。
 それが一生成仏であり、故人への追善回向である。
 回向の根本は、自分自身が御本尊を信じ、広布に励むことである。自身が仏道修行で得た功徳を「廻し向ける」ことが、「回向」の本義であり、真の追善となるのである。
 ともあれ、「彼岸」にせよ、「回向」にせよ、「自分自身の仏道修行」という一点を忘れてしまえば、本来の意義から外れてしまう。
 私たちは最高無上の生命の軌道を、久遠からの同志とともに、歓喜に燃えて歩んでまいりたい。

 ――「彼岸会」が日本独特の風習であることに触れられ、学会が彼岸法要を行うのは「随方毘尼」の考えからであることを述べられます。

広布の友と行う勤行・唱題こそ大聖人の御心に最も適った実践
 さらに「彼岸」の意義について考えたい。
 日本には、「春分の日」と「秋分の日」を中心に、先祖の供養や墓参などを行う「彼岸会」がある。
 じつはこの行事は、インドや中国から伝来したものではなく、日本独特の風習である。
 聖徳太子の時代から始まったとも言われ、『源氏物語』にも「彼岸」の言葉が見られる。
 「春分の日」「秋分の日」は、大きく見れば、昼と夜の長さが等しくなる、地球の運行の“リズムの節目”にあたる。
 また、日本人にとっては、「暑さ寒さも彼岸まで」などと言われるように、“季節の節目”である。
 この日には、古代、農耕儀礼が行われていたようであり、それが仏教と結びついて、祖先を供養する「彼岸会」になったのではないかという説がある。
 また、太陽に豊作を願った「日願」が由来ではないかとも言われる。
 ともあれ、御書には、悟りの世界を表す「彼岸」は使われているが、いわゆる年中行事としての彼岸会についてはふれられていない。
 私どもが行う彼岸法要については、「随方毘尼」(仏法の本義に違わないかぎり、各地域や時代の風習に随うべきである)の考えのうえから、意義づけるべきであろう。
 そして、春分・秋分の日という地球のリズムに則って、会館等にすがすがしく集い合い、異体同心の広布の友と行う勤行・唱題こそ、大聖人の御心に最も適った彼岸の法要であることを確認しておきたい。

 ――亡き家族への追善供養とは、日々の勤行・唱題であり、信心根本に前進していくことであると教えられます。

難と戦う勇気ある信心の功徳で亡き家族をも成仏させられる
 大聖人は、在家の門下である曾谷教信が、毎朝、亡き父のために自我偈を読誦し、追善回向していることについて、「是こそ実の孝養にては候なれ」(御書1051ページ)と讃えられた。
 この曾谷教信のことを、「法蓮上人」(同1047ページ)という尊称で呼ばれている。
 また、南条時光に、大聖人は仰せである。
 「自分にとって大事な人々から信仰を反対されたり、大きな難が来るであろう。その時こそ、諸天の加護が必ずあると信じていよいよ強盛に信心していきなさい。
 そうすれば(父上の)聖霊は仏になられるであろう。(父上が仏に)なられたならば、来られて、(あなたを必ず)守られるであろう」(同1512ページ、通解)
 難と戦い、難を打ち破る。その勇気ある信心に、計り知れない功徳がそなわっていく。
 その人は、亡くなった家族をも、皆、成仏させることができる。
 そして、すべての縁する人を救い、皆から守られていく。
 目指すべき真の「彼岸」は、どこか遠くにあるのではない。私たちが日々、勤行・唱題し、広宣流布に励みゆく実践こそ、真の彼岸の供養となる。大聖人の仏法においては、「常彼岸」なのである。

 池田先生の指導は、『普及版 池田大作全集 スピーチ』2005年[4]から


【聖教ニュース】

◆エチオピアで環境と教育を巡るシンポジウム   2020年3月17日

国際シンポジウム「持続可能な開発のための環境教育」の参加者が記念のカメラに(バハルダール市内で)

国際シンポジウム「持続可能な開発のための環境教育」の参加者が記念のカメラに(バハルダール市内で)

創価大学、バハルダール大学、インジバラ大学の「共同研究事業」が主催

 国際シンポジウム「持続可能な開発のための環境教育」が3、4の両日、エチオピアで開催され、創価大学(東京・八王子市)の鈴木将史副学長補らが出席した。
 創大が、同国のバハルダール大学、インジバラ大学と行う共同研究事業「PLANE3T Project」が主催した。
 同プロジェクトは、途上国に適した廃棄物処理と有価物生産のシステムを確立し、それらによる商品開発やビジネスモデルの提案、また現地の研究者・起業家等への環境・経済教育を進めるもの。文部科学省の「私立大学研究ブランディング事業」に採択されている。
「21世紀はアフリカの世紀」宣言から60周年
 本年は、創大創立者の池田大作先生が、“21世紀はアフリカの世紀”と宣言してから60周年の佳節を刻む。
 ――池田先生は、1960年10月、アメリカの国連本部を訪れ、独立して間もないアフリカ諸国のリーダーが活発に意見を交わす様子を見て語った。「21世紀は、必ずアフリカの世紀になるよ
 そして先生は、この言葉を現実のものとするため、対話と交流を広げてきた。人権の闘士であるネルソン・マンデラ氏や、環境運動家のワンガリ・マータイ氏らアフリカ各界の識者と会談。先生の平和・文化・教育の哲学と行動をたたえ、ケニアのナイロビ大学をはじめ、各国の大学から名誉学術称号が授与されている。
 創大は、この先生の精神を根本に、アフリカの各大学と教育交流を続けている。
 現在、9カ国13大学と学術交流協定を結び、馬場学長のリーダーシップのもと、留学や研修、研究活動を力強く推進。学生と教員が活発に往来する。
 同シンポジウムは、先生の精神を堅持し、創大とアフリカの新たな交流史を開くものとなった。

シンポジウムでは、環境教育の事例の共有や改善に向けての協議が行われた(同)

シンポジウムでは、環境教育の事例の共有や改善に向けての協議が行われた(同)

 シンポジウム初日の会議は、バハルダール市内で行われた。
 バハルダール大学のフレウ・テゲニェ学長があいさつ。研究事業を通した社会貢献に感謝の言葉を述べた。
 エチオピア科学・高等教育省のアフェウォク・カッス副大臣、ユネスコ・アフリカ地域能力開発国際研究所(IICBA)の横関祐見子所長が基調講演。
 研究代表者である創大理工学部の戸田龍樹教授が研究事業の進捗状況を報告し、同経済学部の掛川三千代准教授が、実地体験を重視する日本の環境教育について紹介した。
 その後、鈴木副学長補が国連のSDGs(持続可能な開発目標)と日本のユネスコスクール活動に関するプレゼンテーションを行った。
 また、世界的な環境学者のエルンスト・U・フォン・ヴァイツゼッカー博士と池田先生の対談集『地球革命への挑戦――人間と環境を語る』を学習教材とした、環境と教育を巡るパネルディスカッションが行われた。バハルダール大学での研究現場の見学なども実施された。
 最終日の4日には、参加者が環境教育モデル地であるインジバラ大学(インジバラ市)のキャンパスを視察し、ベルハヌ・ビレイ学長から説明を受けた。


◆北海道・札幌創価幼稚園が卒園式 創立者がメッセージを贈る  2020年3月17日

札幌創価幼稚園の晴れの卒園式。卒園生たちがガウンに身を包み、保育証書を受け取る(同園で)

札幌創価幼稚園の晴れの卒園式。卒園生たちがガウンに身を包み、保育証書を受け取る(同園で)

 北海道・札幌創価幼稚園の第44回卒園式が16日、クラスごとに同園の王子王女ホールで行われた。
 新型コロナウイルスの感染予防のため、休園が続く中、迎えた旅立ちの日。先生や友達との再会を喜びつつ、卒園生たちは元気に保育証書を受け取った。
 創立者の池田先生はメッセージを贈り、三つの約束を提案。「早ね、早起き、朝ごはん」のリズム正しい生活を大切にし、「本をよみ、たのしく学ぼう」「友だちとなかよくしよう」と呼び掛けた。
 坂本園長が“太陽の子”の一人一人の成長に期待を寄せた。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈「新・人間革命」と私〉信越青年部長 浦沢茂樹さん

心に刻む珠玉の言葉
 伸一は、“わが生涯の師と定めた戸田先生のことを、広く社会に、後世に、伝え抜いていかなくてはならない”と、深く深く決意していた。その時の、炎のごとき思いは、生命の限りを尽くして、師弟の尊き共戦の歴史を織り成していくなかで、不動の誓いとなっていくのである。〈第9巻「衆望」の章〉

時代背景
 広布に生涯を捧げた恩師・戸田城聖の伝記を書かねばならない――そう決意していた山本伸一は1964年(昭和39年)12月2日、沖縄本部で小説『人間革命』の執筆を開始。最も戦争の辛酸をなめた沖縄から、幸福と平和の波を広げようと思っていたのだ。冒頭が「戦争ほど、残酷なものはない……」と決まると、ペンは滑らかに走り始めた。

師の偉大さを証明する弟子に
 生涯を懸け、偉大な師匠の功績を宣揚する――この池田先生の“ペンの闘争”がなければ、今日を生きる私たちは、学会の歴史や師弟の精神を正しく学ぶことはできなかったと感じています。
 「衆望」の章では、全ての同志にとって、最高の“信心の教科書”である小説『人間革命』の執筆を開始した当初の真情を、教えてくださっています。特に、山本伸一が戸田先生の逝去の8カ月前、軽井沢での恩師との語らいの中で、“小説を書き残すことこそ師の期待である”と確信する場面が心に残りました。
 信越の私たちこそ、誰よりも真剣に小説『人間革命』『新・人間革命』を学び、広宣流布の新たな歴史をつづっていかなければならないと改めて決意しました。
 小説には、伸一が恩師と胸中で語らい、恩師に誓いを立てる場面が数多く描かれていますが、私たちもまた、師と心で対話し、師に誓願を立てて進むことが、自らの信心を深め、勝利を開く力になると確信します。
 忘れられない思い出となったのは、2018年5月に信越総会が行われた時のことです。当時、信越男子部長として「皆が勝利した姿で総会を迎え、池田先生に報告しよう」と呼び掛けていた私は、先生の指導を心に刻みながら率先の折伏に挑む中、自身の殻を大きく破り、友人に弘教を実らせることができました。
 これに各県、創価班、牙城会、男子部大学校のリーダーが続き、信越男子部として、限界を破る対話拡大を達成。大歓喜の中で、総会を迎えることができました。
 『新・人間革命』第30巻<下>の「あとがき」で、先生は「師の本当の偉大さは、あとに残った弟子が、いかに生き、何を成したかによって証明される」とつづられました。この言葉のままに、世界中の池田門下が『新・人間革命』を学び抜きながら自身の人間革命に挑戦し、わが生涯を懸けて、その真価を発揮する時代が到来しました。
 信越青年部は、『新・人間革命』の起稿・脱稿の地で戦う誇りも高く、広布の先頭に立って戦い抜いてまいります。


◆〈学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A〉 3
 現実の上で、妙法を弘めていくことは「難事中の難事」です。なかなか思うに任せないことが多いかもしれません。折伏を実践する当たって、どのような姿勢が大切なのでしょうか。壮年部指導集『黄金柱の誉れ』から、池田先生の指導を通してお答えします(指導集158ページから160ページまでを抜粋)。

●テーマ 弘教拡大
折伏を実践する上での心構えは?

懸命に祈り抜く
  
 まず、折伏をさせてくださいと、御本尊に懸命に祈り抜くことです。すると、そういう人が出てきます。また、ともかく、あらゆる人と仏法の対話をしていくんです。
 もちろん、信心の話をしても、すぐに入会するとは限りません。それでも、粘り強く、交流を深めながら、相手の幸福を日々祈り、対話を重ねていくことです。種を蒔き、それを大切に育て続けていけば、いつか、必ず花が咲き、果実が実ります。焦る必要はない。
 さらに、入会しなくとも、ともに会合に参加して教学を勉強したり、一緒に勤行したりすることもよいでしょう。自然な広がりが大事です。
 (小説『新・人間革命』第13巻「北斗」)
  
「慈悲」と「信念」で
  
 ある名医のところに、毒キノコと知らずに食べてしまった病人が担ぎこまれたとする。名医は、病人がどんな人であれ、当然、あらゆる手を尽くして治療し、真心の励ましを送るでしょう。これが人への寛容の姿といえる。
 そして、患者に、「もう毒キノコなんか、絶対に食べてはいけない」と、注意もするはずです。患者が、「毒キノコは美味
うま
かったから、また食べたい」と言っても、「そうですか」などと言って、賛成したり、妥協する医者はいません。それが、法に対する厳格さといえる。
 どちらも、患者の苦しみを取り除こうとする、医師としての慈悲と信念から発した行為です。仏法者の在り方もそうです。
 (小説『新・人間革命』第1巻「慈光」)
  
勇気を奮い起こして
  
 折伏は難事中の難事なりと、御書に明確に説かれている。勇気なくしては、成し遂げられない。
 恩師は常々、言われた。
 「凡夫には慈悲など、なかなか出るものではない。だから慈悲に代わるものは『勇気』です。『勇気』をもって、正しいものは正しいと語っていくことが『慈悲』に通じる。表裏一体なのです。表は勇気です」
 この指導のままに、私も不屈の勇気を奮い起こして折伏に挑戦してきた。(中略)
 たとえ相手が信心しなくても、勇気をもって語っておけば、その人の生命の大地には仏種が植えられる。それは、いつか必ず花開く時が来るのだ。
 さらに勇気の対話の波動の中で、思いがけない人が仏法に目覚めるものだ。
 (2013年9月13日付本紙「随筆 我らの勝利の大道」)


◆日本画家 上村淳之氏が語る美の世界  2020年3月17日
 東京富士美術館(23日まで臨時休館)の新展示「上村三代展」を特別監修
 画家の原点から制作への情熱、展示の魅力まで
 祖母・松園、父・松篁から受け継いだのは貫徹の志と仕事への真剣な姿勢です

上村淳之氏が鳥の剥製に囲まれたアトリエで。「日本画独自の表現の素晴らしさをもっと伝えたい」と(奈良市内で)

上村淳之氏が鳥の剥製に囲まれたアトリエで。「日本画独自の表現の素晴らしさをもっと伝えたい」と(奈良市内で)

 美人画で独自の画風を確立した上村松園から、息子の松篁、孫の淳之に続く“日本画の美の系譜”を紹介する東京富士美術館(八王子市)の新展示「上村松園・松篁・淳之三代展」(同美術館は23日まで臨時休館しています)。中でも、孫の上村淳之氏(文化功労者)は、奈良の自宅でフクロウやシギ、タカなど多くの鳥たちと共に生活しながら、親近感を覚える鳥たちの絵を手掛けている。淳之氏のアトリエを訪ね、画家の原点や鳥との触れ合い、祖母や父の思い出について聞いた。(聞き手=真鍋拓馬、写真=綿谷満久)
 
   ――画家である祖母、父をお持ちになった淳之さんですが、元々は画家になろうとは思っていなかったそうですね。

 建築の道に進もうと思ってたんですわ。高校生の時には、大学受験に失敗したんで、浪人して東京の親戚のうちに下宿して勉強してました。そしたら洋画家の小磯良平さんのデッサンが飾ってあってな。化粧もしてないし、着飾ってない女性の絵やったけど、すごく美しかったんや。“画家になったらこんな風に本物の美しさを表現できるんか”と感じて、画家になろうと一念発起し、京都の実家に帰ったんです。
 僕の話を聞いた母は大反対。祖母の松園を間近で見守り、大変さを知ってたからやろな。父の松篁も半分賛成、半分反対のような感じでな。
 でも、自分の道は貫こうと、京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)に通い始めました。だから家にも居づらくなり、「唳禽荘」と名付けられていた今の場所に引っ越しましたんや。松園も晩年を過ごし、亡くならはってからは空き家になってたんです。大学に行きながら鳥の世話をして、ごはんも炊いて、風呂も沸かしてました。もう60年以上前になりますなあ。
  
 ――淳之さんの描く花鳥画とは、どんなものですか。

 花鳥画は、草木や鳥を描いた絵です。見たものを参考にしながら、心に浮かんできた夢想の世界を表現するんです。同じ題材でも、鳥や周りの風景などを忠実に描く西洋の生態画とは違います。鳥の美しさを表現するのに、必要のないものは省いていく感じやな。
 例えば「晨」という絵には、朝もやに包まれてたたずむ3匹のケリだけを描きました。その場面に出合って「ええなあ」と思った感情を表現できる構図を模索します。余白の部分も、文章でいう行間のようなもの。何かを感じ取れる空間でないとあかんのです。
 花鳥画の道に進むと決めた時、世間では廃工場の焼け焦げた跡とか、厳しい戦後の現実を描く絵が多かった。そんな時だからこそ、“理想の世界の美”を見せる絵がいいと思って、この道に進んだんです。

 ――鳥は昔から好きだったんですね。

 僕が幼少の頃は、戦争中で遊べるものも少なかったから、父が飼っていた小鳥を育てるようになったのが始めです。箱庭をこしらえたり、水草を植えたりしたなあ……。
 ここにも、多い時には263種1600羽おりました。自分で見よう見まねでやって、ウグイスやオオルリ、シギを繁殖させました。ナベヅルの人工ふ化に日本で初めて成功したのも僕なんです。
 ともあれ、鳥と共に生き、鳥になりきる。そういった視点を持つ中で、今のスタイルが生まれてきたと思います。
 
 ――日常的に接しているからこそ、親近感のある鳥を描けるんですね。

 対象を見つめ続けて、とことん知っていく。目をつぶってでも羽の形や色が浮かんでくるまでやってこそ、本当の絵が描けるんや。デッサンを見ながら絵を描くのはいかん。それこそ生態画に近くなってしまうからね。
 今、取り掛かっているのは、秋をテーマにしたジョウビタキと赤く染まったハゼの葉を組み合わせた絵。似たような下図(鉛筆で描いた下書き)がいっぱいあるけど、これが大事なんや。
 まだ紅葉していない青い葉も残して“色のコントラストを出そう”とか、そういうところまで考えている。
 ともあれ、年齢を重ねても、描き方は、毎回が何かしらの挑戦。そうした日々の経験が積み重なって、自分の手法が固まってくる。「進歩してないな」と思うたら勝手に筆が動かなくなる。だから、描きたいって心が動くまで描けません。
 また、テーマだけでなく、内容を指定されて「こういった絵を描いてほしい」と言われるようになったらあかんと思う。人の感性に合わせて描いてしもうたら、職人の絵になってしまうからな。そのためにも、自分の美を追究できる環境をつくることが大事やろうな。
  
 ――祖母・松園や父・松篁から教わったことは何ですか。

 祖母と父も、共に画家ですけど、それぞれから技法を学んだわけではないです。受け継いだのは“こうと決めたらこうする”という頑なな血。あとは、絵に真摯に取り組む姿勢を学んだなあ。
 それぞれが互いを尊敬しつつ、仕事をやってはったと思う。
 松園が父に「これ、どうでっしゃろ」と意見を求めることもあったし、父が新鮮な見方を学ぶために、僕の鳥の絵を持ち帰ったこともあるくらいや。その中で、松園は美人画、松篁と僕は花鳥画を極めていった。自分自身が思い描く“理想の世界の美”を極めようとした絵――“上村三代”の絵は、そんな風に見てほしいですな。


◆金子みすゞのまなざしの世紀㊤  2020年3月17日

金子みすゞ(写真提供:金子みすゞ著作保存会)

金子みすゞ(写真提供:金子みすゞ著作保存会)

 この3月は、童謡詩人・金子みすゞさんの没後90年です。「21世紀は、みすゞさんのまなざしの世紀」と語る、金子みすゞ記念館館長の矢崎節夫さん(童謡詩人)に話を聞きました。(㊤㊦の2回掲載)

丸ごと受け入れること

 9年前、2万人近くの尊い命が犠牲になった東日本大震災。震災後、金子みすゞさんの作品「こだまでしょうか」(別掲)がテレビの公共広告で繰り返し流れました。本当に驚きました。
 僕は、みすゞさんの文学を「みすゞコスモス」と呼んでいますが、みすゞさんのこころの宇宙に共通するまなざしは、この作品によく表れています。
 こだまとは、「ヤッホー」と言ったら「ヤッホー」と返ってくるように、相手の存在を“丸ごと受け入れる”ことです。
 僕は今、小学生に講演する機会が多いのですが、子どもたちに「みんなが転んで痛い時、『痛いね』と言われるのと、『痛くない』『がまんしなさい』と言われるのと、どちらのほうがうれしい?」と聞きます。
 全員が「『痛いね』と言われるほうがうれしい」と答えます。
 さらに「みんなのお父さん、お母さんは、どっちかな?」と聞くと、多くの子どもたちが「『痛くない』『がまんしろ』って言う」と語るのです。
 かつて、私たちの周りにいてくれた大人たちは、こだましてくれる人たちでした。転んで「痛い」と言った時、その痛さを丸ごと受け止めてくれ、「痛いね」と返してくれました。しかし、私たちは、いつしか自分のことで精いっぱいになり、こだますることをしなくなりました。
 わが子が転んで「痛い」と言った時、「痛くない」「がまんしなさい」と言っていないでしょうか。一方的に否定し、一方的に励ますことで、「痛みは消える」「痛くなくなる」と思っていないでしょうか。
 このお父さん、お母さんなら愛してくれる――こう思って生まれてきてくれた子どもたちです。本当に残念ですが、わが子さえ“丸ごと受け入れる”ことが難しい時代になってしまった。「自分は自分」「他人は他人」と割り切って生きる時代になってしまった。
 相手が「つらい」と言う時、「つらくない」「頑張りなさい」と言うのは、言葉のいじめです。僕を含めた多くの人たちは「忙しい」ことを理由に、他者を“丸ごと受け入れる”ことを避けているのかもしれません。「忙」という字は「心」が「亡」ぶと書きますが、他者の存在が自分の心の中に存在しなくなったら、世知辛い世の中になるだけでなく、それは残酷なことではないでしょうか。
 痛い時に「痛いね」、つらい時に「つらいね」とこだまし、うなずくことが本当の優しさなのです。
 「優」という字は「人」偏に「憂」うと書きます。
 人を憂う――人の喜びを自分のことのように喜び、人の悲しみを自分のことのように悲しめる心が「優しさ」なのです。相手を丸ごと受け入れ、こだましてあげることが「優しさ」なのです。一方的な励ましなんか必要ありません。その人の側にいてあげるだけでいい。「あなたは一人じゃないよ」との心が伝わればいいのです。
                   ◆ ◆ ◆
こだまでしょうか
 「遊ぼう」っていうと
 「遊ぼう」っていう。 
  
 「馬鹿」っていうと
 「馬鹿」っていう。
  
 「もう遊ばない」っていうと
 「遊ばない」っていう。
  
 そうして、あとで
 さみしくなって、
  
 「ごめんね」っていうと
 「ごめんね」っていう。
  
 こだまでしょうか、
 いいえ、誰でも。
                    ◆ ◆ ◆
いてくれるだけでいい
 「大漁」(別掲)という作品があります。わずか10行の詩ですが、この一編で「みすゞコスモス」の全てが分かります。童謡を書くことを志していた僕が、大学1年の時(1966年)に出合った作品です。
 童謡は本来、子どもから高齢の人まで読むことができる「3世代の詩」です。僕は当時、「子どものための詩」と思っていました。みすゞさんは「3世代の詩」を作った、最初で最後の詩人といっていいでしょう。
 「大漁」は『日本童謡集』(岩波文庫)の中に入っていたのですが、他の全ての作品が一瞬にして消えてしまうほどの、激しい衝撃を受けました。
 「大漁」に出合うまで、僕はずっと「私と鰮」のまなざしでした。僕が生きるためには、鰮は僕に食べられて当たり前と思っていました。それが完全に「鰮と私」のまなざしにひっくり返され、鰮の命は、僕が生きるための命に変わってくれたと、心から感謝できたのです。魚だけではありません。お米も野菜も、そうです。石ころは他の命をもらわなくても石ころでいられますが、私たち人間は他の命をいただかないと生きていくことはできません。私たちが食事の前、「いただきます」と手を合わせる意味が心にストンと落ちました。自分は生かされている――こう実感すると、周りのものは全て、いとおしくなるはずです。
 もう一つ、「大漁」を読んで分かったことがあります。生と死、光と影、喜びと悲しみ、目に見えるものと目に見えないものというように、この世の中は全て“二つで一つ”ということです。人間の心も同じです。
 僕は、子どもの心は「灰色」で生まれてきたと思っています。「真っ白」という人もいますが、真っ白な心ではかわいそうです。少しでも汚れると、全体が汚れてしまうからです。だから灰色です。黒と白で一つなのです。灰色という状態だから、白くもなれば黒くもなる。どちらの色が支配的になるかは、周りの大人の責任です。
 私たちを含め地球上の全ての存在は、地球というお母さんから生まれました。“地球のお母さん”は、地球上に一つとして無用な存在はつくっていません。地球上の全ての存在が“地球のお母さん”の子どもとして共に生きているのです。生きているのではなく、生かされているのです。だから、存在してくれるだけで百点満点なのです。
 にもかかわらず、“地球のお母さん”の最後の子どもである人間だけが傲慢なことに、自分たちのお兄さんやお姉さんの存在価値に勝手に点数を付け、「これは役に立つ」「これは役に立たない」と自分中心に判断している。だから、地球や自然を平気で傷つけることができるのです。
 この「自分中心」「人間中心」のまなざしを変えない限り、人間は近い将来、“地球のお母さん”から置いてもらえなくなるでしょう。
 20世紀――私たち人間は「自分中心」「人間中心」で生きてきました。このまなざしを変えられるかどうか。これが21世紀の勝負です。だからこそ、みすゞさんは21世紀を前にしてよみがえったのです。
 (㊦は24日付12面の予定)
                      ◆ ◆ ◆
大漁
 朝焼小焼だ
 大漁だ
 大羽鰮の
 大漁だ。
  
 浜はまつりの
 ようだけど
 海のなかでは
 何万の
 鰮のとむらい
 するだろう。
                      ◆ ◆ ◆
 やざき・せつお 1947年、東京都生まれ。童謡詩人の佐藤義美さん、まど・みちおさんに師事。82年、童話集『ほしとそらのしたで』で第12回赤い鳥文学賞受賞。学生時代に出合った金子みすゞの作品「大漁」に衝撃を受け、「みすゞ探しの旅」を始める。16年後、遺稿にたどり着き、84年、512編の作品を『金子みすゞ全集』(JULA出版局)として出版。著書は『童謡詩人金子みすゞの生涯』『みすゞさんのうれしいまなざし』『うずまきぎんが――矢崎節夫童謡集』『きらり きーん――矢崎節夫童謡集』など。
 ※作品は『金子みすゞ童謡全集』(JULA出版局)から

◆〈信仰体験〉荒れた青春を経て、僕らの革命は励ましを広げること

 【大阪市】中学生の時に二人は出会った。徳島で中学校は別々だったが、共に荒れた青春だった。
 西康裕さん(38)=区男子部長=は高校を2カ月で中退。

 

2020年3月16日 (月)

2019年3月16日(月)の聖教

2019年3月16日(月)の聖教     新聞休刊日

大白蓮華 巻頭言 2020年3月号
霊山の一会は我らの地区にあり
                                 池田大作

 わが尊き宝友の健康長寿と無事安穏を祈念しつつ、常に拝する御聖訓がある。法難の佐渡から、幼子の病と闘う鎌倉の門下を激励なされた「経王殿御返事」である。
「経王殿御前の事・二六時中に日月天に祈り申し候」
「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」
「わざはひも転じて幸となるべし」(1124ページ)
 何と深く、何と温かく、何と強い、御本仏の励ましであろうか。この同苦の祈りと大確信を体して、広宣流布へ共々に前進しゆくスクラムこそ、創価の地区である。
 まさしく、地区は「蘇生のオアシス」といってよい。 どんな悩みを抱えた友も、同志の題目の師子吼とともに、勇気の逆転劇へ生命力を湧き出していけるからだ。
 今、創価家族が唱える妙法の音声は途切れることなく 地球を包む。日付変更線に近く、いち早く新しい一日が始まるニユージーランドのウェリントンでは、会館の地元の友が清々しく朝の自由唱題会を重ねてこられた。
 地涌の菩薩が喜び集う地区は、桜梅桃李(おうばいとうり)の平和の園(その)だ。 欧州の国際都市では、それぞれ国籍の異なる多彩な参加者たちが和気あいあいと世界市民の座談会を行っている。
「法華経」には「人に勧めて坐して経を聴かしめば 是の福の因縁もて釈(しゃく)・梵(ぼん)・転輪の座を得ん」※と説かれる。
 新来の友人を招き、仏法を語らうことは、梵天帝釈・転輪聖王)のような大指導者となる因を刻んでいるのだ。 座談会を明るく笑顔にしてくれる未来部の友らも、どれほど偉大な人材に育ちゆくことか、楽しみでならない。
 久遠から広布を誓い合った同志が、今この時この天地に共に踊り出たのだ。「御義口伝」に説かれる「霊山一会儼然未散(りょうぜんいちえげんねんみさん)」757ページ)は他のどこでもない。我らの地区にある。
 ゆえに、苦楽を分かち合って進むのだ。「あひかまへて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給へ、何事か成就せざるべき」1124ページ)と仰せの通り、一人一人の人生と、愛する地域に幸福勝利の花を爛漫と咲かせゆこう!


 不思議なる

  霊山一会の

    同志かな

  我らの地区を
 
   世界の希望に

 

◆きょう3・16 長編詩「青は藍よりも青し」(抜粋) 2020年3月16日
 広布を必然たらしめんとする熱情のありや無しやを常に問え

 1958年(昭和33年)3月16日の広宣流布の記念式典から30年がたった88年(同63年)3月、池田先生は若き友に、長編詩「青は藍よりも青し」を贈った。ここでは、その抜粋を紹介する。(全文は『池田大作全集第42巻』所収「春秋抄」を参照)

戸田先生と池田先生が、音楽隊の演奏に合わせて渾身の指揮を。周囲にいた青年の歌声が高らかに響いた(1958年3月、静岡県内で)

戸田先生と池田先生が、音楽隊の演奏に合わせて渾身の指揮を。周囲にいた青年の歌声が高らかに響いた(1958年3月、静岡県内で)
 
 新しき朝は 青年のものである
 朝霜 鮮やかに 青き麦畑にも似て
 
 弥生・三月とはいえ
 暁の富士の寒気は厳しい
 稲妻の閃光の如き
 突然の知らせに
 勇み馳せ参じたる
 若き地涌の同志六千
 
 吐く息は白く
 いまだ 目醒めぬ
 大地を踏みしめる足音が
 未明の森に谺す
 
 頬を紅潮させた乙女がいた 
 学生服のいとけなき少年もいた
 防寒具もなく
 しかし凜然と胸張る青年がいた
 
 その瞳は
 暗き冷気の中で
 夜明けとともに
 大いなる“時”を迎えんとする
 確かな鼓動に
 煌きを増していた
 ああ
 青年の純一なる生命の発露が
 清らかに力強く
 新しき燦たる太陽の上昇を告げる
 
 おお 不滅となれり
 三・一六
 
 それは
 恩師のもとに
 広宣流布の大図式を描いた日――
 そして
 未来永劫に変わらざる
 師弟共戦の誓いの日なり
 
 故に この日に甚深の意義を留めて
 「広宣流布記念の日」と名付く
 
戸田先生が、北海道・夕張の女子部員を激励。恩師の体を、池田先生が左手でそっと支える(1958年3月、静岡県内で)

戸田先生が、北海道・夕張の女子部員を激励。恩師の体を、池田先生が左手でそっと支える(1958年3月、静岡県内で)
                        ◆◇◆ 
 幾度も激しき戦の指揮を
 敢然と執り終えし先生は
 今やその身を病床に横たえ
 ある時は
 「今 何の本を読んでいるか」と
 学べ また学べとの
 厳愛の叱咤なり
 また ある時は
 「メキシコへ行った夢を見た」
 と温かき慈眼
 「君よ 世界を頼むよ」と
 
 我は その師の心を心として
 世界広布への飛翔を誓った
 大鵬の空をぞ かける姿して との
 言葉のままに
 
 そして逝去四日前
 厳格に かつ 凜冽に放たれた
 「追撃の手をゆるめるな!」
 との師子吼は
 門下の怒濤の前進の支柱となった
 
 ああ 忘れ得ぬ 四月二日
 万朶の桜に送られて
 霊山に向かわれた恩師
 そして遺された分身の生命は
 広布達成へ
 毅然たる追撃の生涯を開始せり
 
 時の日記に私は記した
 「一人の 戸田門下の青年は進む
 一人 凜然と 北風に向かって」
 
池田先生が音楽隊の先頭に立ち、自ら指揮杖を振る(1958年3月、静岡県内で)
池田先生が音楽隊の先頭に立ち、自ら指揮杖を振る(1958年3月、静岡県内で)
 
 あれから三十星霜
 一人烈風に身をさらしつつ
 一人烈日に身を焦がしつつ
 愛する我が同志を守りぬかんと
 一切の障魔との対決に
 一歩も退かぬ一日 また一日
 
 所詮 仏法は勝負なるを
 知悉したが故に
 怒り狂う波間にあって
 一瞬の停滞も逡巡もなかった
 真の丈夫の姿をば
 阿修羅の如く示し残さんと
 
 栄光の「三・一六」に集った
 あの懐かしの兄弟も
 また
 敢然と また健気にも
 歩みつづけた
 不退の長征に
 見事なる栄冠の戦譜を
 私と共に刻んだ
 
 三類の嵐は
 幾度となく
 我らの前途に立ちはだかった
 
 卑劣な怒濤の日もあった
 邪知の小才子の裏切りもあった
 
 しかし 私たちは
 晴れ晴れとして 完勝した
 希望の翼をもって
 幾多の風雪を乗り越え
 若き乙女たちは今
 幸の金風に包まれた女王として
 青年は偉大なる人間の
 尊き平和の砦の柱として
 堂々と 揺るぎなき基盤を築いた
 久遠に結んだ不思議なる同志の
 異体を同心とする団結の力
 御聖訓の理想に殉ぜんとする
 峻厳なる絆をば
 金剛不壊の中心軸として
 万年への広布の基盤は できあがった
 
「3・16」の記念式典で、車駕から山本伸一を見つめる戸田先生(小説『新・人間革命』第25巻「福光」の章から、内田健一郎画)
「3・16」の記念式典で、車駕から山本伸一を見つめる戸田先生(小説『新・人間革命』第25巻「福光」の章から、内田健一郎画)
 
 限りなく続く青年の意気が
 碧き水平線の彼方
 今日も明日も 白雲の如く湧き起こり
 再び新世紀の天空を駆ける時
 障魔の黒き雲はない
 凜々しき仏子の青年の顔輝き
 一陣の薫風に花びらが舞う
 
 青年は無限の財宝
 いかなる労苦も
 はたまた 勝利も敗北もすべて
 すばらしき躍動の飛躍台となる
 君よ 君たちよ
 新たなる第二の「七つの鐘」を頼む
 
 法理のままの東漸
 日本に仏教伝来し 七百年にして
 太陽の如く 大聖哲出ず
 それより七百年して不思議なる会生まれる
 正法の広宣の波は今ここに西漸
 アジアの そして世界の海辺を洗い始む
 今まさに 妙法という
 生命至上の大いなる光明は
 青き地球を包みゆかんとするか
 
 その広布の大河の流れが
 歴史の必然であるか否かを
 君よ問うなかれ
 
 汝自身の胸中に
 自らの汗と労苦により
 広布を必然たらしめんとする
 熱情のありや無しやを 常に問え
 
 広布とは――
 大聖人の御遺命のままに
 尊極なる仏の生命の座を
 人類の魂に打ち据えて
 爛漫たる生命ルネサンスの華を
 この地球の大地に永遠に
 開花させゆくことだ
 
白雪を頂く富士の麓に、桜が美しく(2017年4月、静岡県富士宮市の富士桜自然墓地公園)
白雪を頂く富士の麓に、桜が美しく(2017年4月、静岡県富士宮市の富士桜自然墓地公園)
 
 天台云く「従藍而青」
 青は藍より出でて藍より青し
 
 君もまた 宇宙の森羅万象を貫く
 根本の法をもち
 生命の内奥より
 無限の光彩を放ちつつ
 民衆凱歌の壮大な歴史の軌跡を
 思う存分描いてくれることを
 私はひたすら祈る
 
 いかなる約束なるか
 青年世紀の開幕に
 陸続と躍り出でたる
 使命の勇者あり
 ああ
 新たなる三十年の
 大遠征が 今始まる
 
 君たちが
 また あなたたちが
 未聞の険難の尾根を堂々と踏破し
 決意新たに 世紀の暁鐘を
 晴れがましく乱打することを
 私は信じている
 
 時は巡り来り
 ここに迎えた広宣流布記念の日
 この日こそ我が愛する門下の
 新たな空気を吸いゆく
 希望の朝だ
 
 青年よ あくまでも前へ
 今こそ
 一歩も後退しては
 ならぬ時だ
 
 青年よ
 あくまでも 日々の研鑽の労苦に
 敢然と挑みながら
 朗らかにして 逞しき
 青春の詩を
 高らかに 高らかに謳いたまえ
 
 そして生涯崩れぬ黄金のスクラムで
 ただひたすらに
 人類史の新しき朝を開きゆく
 この聖業を完遂してくれたまえ

 




2020年3月15日 (日)

2019年3月15日(日)の聖教

2019年3月15日(日)の聖教

◆今週のことば

 「願くは我が弟子等・
 大願ををこせ」
 広布誓願の題目で
 足下から希望の泉を!
 毎日が「3・16」なれば。
 御書P1561


◆名字の言   交通事故で手足の自由を失った青年の蘇生のドラマ

 星野富弘氏の詩「むぎのほ」にこうある。「ゼロはいくつ足しても/ゼロだけれど/〇・一でも残っていれば/いつか一になり/百にだってなれる」(『四季抄 風の旅』所収、学研プラス)。小さな挑戦でいい。続けさえすれば大きな幸福をつかめる。作者の温かい詩心が伝わってくる▼「ぼくの青春は事故で壊され、学会で蘇った」と語る青年がいる。18歳の時、交通事故で手足の自由を失った。食事から排せつまで、人の手を借りなければ生きていけない▼絶望して何度、生きることを諦めかけたか。そんな彼を地域の同志が懸命に励ました。「孤独になんかさせない」「不幸には絶対にさせないからね」。熱い真心が彼の生きる力を蘇らせた▼そして“自分も人を元気づけたい”とリハビリに励み、車いすで活動できるように。パソコンの音声入力で文章もつづれるようになった。「ぼくは大河のようには動けません。でも“一滴の水”の努力は続けられる」「『雨垂れ石を穿つ』の心で人生を勝ってみせます」。その笑顔、その言葉、その心に触れ、多くの友が奮起している▼「できない」ではなく、「できる」ことを見つけ、挑戦する。一歩ずつ可能性を開き続ける。その生き方に、真の幸福がある。真の自由もある。青年の姿を見て、そう実感した。(誠)


◆寸鉄

各地で『新・人間革命』の
読了運動が活発。今こそ
師弟の魂をわが心肝に!
     ◇
あす静岡青年部「後継の
日」。君らの成長が正義の
証明。鍛えの道を堂々と
     ◇
桜は「木の中よりさきい
づ」御書。開花近し。我ら
も祈り抜き、新生の春を
     ◇
米の食味ランキング、福
島が最多「特A」獲得と。
風評払拭の生産者に喝采
     ◇
調査に答えれば謝礼金―
言葉巧みに個人情報聞く
詐欺横行。甘い話は注意


◆社説 あす「広宣流布記念の日」  常に「今」が広布の本番の時

 令和に入って初めての、3・16「広宣流布記念の日」を迎える。
 62年前のこの日、戸田先生は、生涯の願業であった75万世帯の弘教を成し遂げ、式典に集結た6000人の創価の若人に師子吼した。
 「創価学会は、宗教界の王者である」――以来、この日は広宣流布の師匠に対し、弟子が大願の実現を誓う「師弟誓願の日」となっている。
 当時、戸田先生は、「将来のために、広宣流布の模擬試験、予行演習となる式典をしよう」と語った。青年部の室長だった池田先生は一人、決然と立ち上がり、師への誓いを胸に、今日まで命を懸けた大闘争を貫いた。
 戸田先生の言われた通り、創価学会は民衆を救う「宗教界の王者」として、世界へ飛躍したのである。
 池田先生は「3・16」に懸ける思いを随筆につづっている。
 「『3・16』は、弟子が決然と立つ節だ。/常に出発だ。常に挑戦だ。/常に団結だ。常に前進だ。/常に破折だ。永遠に勝利だ。/汝自身が、師と共に『広宣流布の大願』を起こすことである。/『師子奮迅の力』でいよいよ勇み立ってこそ、真の『広宣流布記念の日』となる」
 当時、戸田先生の言う「模擬試験」「予行演習」の“本番”はいつ来るのだろうかと思った人もいたかもしれない。
 だが、“本番”とは、漫然と迎えるべきものではない。常に「今」が、まさに広布の“本番”の時――そう決めて戦うことこそ、不二の弟子の姿勢であり、「3・16」の精神だといえよう。
 師への誓いに燃える弟子たちが、新たな決意で前進を開始する「きょうこの日」こそ「3・16」なのだ。
 世界の青年たちも、この思いで、一人一人が日々、友を励まし、学会理解を広げる対話に挑み、自他の成長を期して現実社会で奮闘している。
 欧州青年部は今、“一日一日、池田先生との原点を築こう”との思いで、小説『新・人間革命』の研さん運動に取り組んでいる。
 ポルトガルのある男子部員は、8年前に御本尊を受持。再就職を勝ち取った。
 日々、『新・人間革命』で師匠の行動を学び実践。あらゆる苦境を打開してきた。「師匠と共に歩めば、必ず道は開かれる」と彼は確信する。
 “今こそ広布の本番!”と決意するからこそ『新・人間革命』の研さんも、師から直接、指導を受ける思いでの研さんとなる。
 そうした中で、“広宣流布の誓願”を深めた青年たちが、新
たな世界広布の流れをつくっているのだ。

 後継の真の弟子とは、いかなる状況にあろうとも、今この時に、師の心をわが心として戦う人であり、今いる場所で希望の突破口を開く人だ。
 我らは、「毎日が3・16」の決意で出発しよう。


◆きょうの発心 富木殿御書 東京・板橋凱旋区本部長 清水勇2020年3月15日

御文 我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ(富木殿御書、970ページ・編797ページ)
通解 わが一門の者は夜は眠りを断ち、昼は暇なくこのことを思案しなさい。一生空しく過ごして万歳に悔いることがあってはならない。

信心を根本に宿命を打開

 寸暇を惜しんで仏法を学び、邪法を破折するなど、悔いない一生を送るよう教えられています。
 25歳の時、職場の上司の勧めで入会。1級建築士の試験に合格することが目標でしたが、帰宅が深夜になることが多く、勉強する時間がなかなか取れず悩みました。そんな時、先輩から「全てをやり切ると決めて挑戦するのが、本物の弟子じゃないか。『広宣流布のために合格させてください』と祈るんだよ」と厳しくも温かい激励をいただきました。腹を決めた私は、この御文を胸に題目と勉強に挑戦し、入会3年目に合格。この体験が自分の原点となり、信心の確信をつかみました。
 これまで、多くの同志と苦楽を共にしました。職場のリストラ、大腸がんの手術、工事現場での重大災害など、度重なる宿命の嵐も、全て信心で打開してきました。
 創立100周年を目指し、板橋の新スローガン「勇気の対話で『皆が前進』 励ましのスクラムで『皆が人材』 幸光る金の橋たれ! 師弟常勝の錦州城たれ!」を合言葉に、弘教拡大と人材育成に励んでまいります。


【先生のメッセージ】

◆〈池田大作先生 四季の励まし〉 祈りから希望が生まれる2020年3月15日

 春の陽光に照らされ、黄色い菜の花が一段と輝いていた。今月3日、池田大作先生が都内でシャッターを切った。
 菜の花の花言葉に「快活」「明るさ」と。冬を越えて生き生きと咲き薫る姿は、不屈の祈りを根本に、悩みを飛躍のバネにして生きる、創価の友の雄姿と重なる。
 インド独立の父マハトマ・ガンジーは言った。「祈る人間には退却というものはない」(保坂俊司ほか訳『私にとっての宗教』新評論)
 あすは、3・16「広宣流布記念の日」。広布誓願の祈りをさらに深めつつ、心豊かに向上と充実の日々を歩んでいこう。


 祈りは、
 人間の人間たる
 崇高な証しである。
  
 無宗教だという人も、
 何か祈っている。
 「苦境を脱したい」
 「よりよく生きたい」
 「家族を守りたい」などと
 強く欲するのは、
 人間として
 本然的な心である。
  
 思いやりも、
 友情も、
 祈りから始まる。
 祈りこそ、
 人間と人間を
 結びゆく力である。
  
 我らの祈りは、
 「人間革命の祈り」だ。
 人や周囲が
 変わってくれるのを
 待つのではない。
 強盛な一念で
 自分自身が変わり、
 その波動を広げるのだ。
 我らの祈りは、
 「自他共の幸福の祈り」だ。
 あの友も、この友も、
 共々に
 仏の生命を開きながら、
 絶対に幸福を
 つかんでいくための
 原動力なのだ。
 我らの祈りは、
 「誓願の祈り」である。
 広宣流布の大願へ、
 拡大と勝利を誓い、
 自ら行動を起こし、
 実現していくのだ。
  
 希望を自ら生み出す
 原動力こそ、
 「南無妙法蓮華経」の
 唱題行である。
 題目の力は無限だからだ。
 題目を唱えた瞬間から、
 自身の一念を変革し、
 希望の明日を
 創り開いていけるのだ。
  
 日々、自分のなすべき
 具体的な目標を
 明確に定めて、
 一つ一つの成就を祈り、
 挑戦していくことだ。
 その真剣な一念から、
 智慧が湧き、
 創意工夫が生まれ、
 そこに成功がある。
 つまり、「決意」と「祈り」、
 そして、「努力」と「工夫」が
 揃ってこそ、
 人生の勝利がある。


【聖教ニュース】

◆池田先生の初訪米60周年 アメリカ青年部の活躍 2020年3月15日
 不二の「一人」から希望の新時代を!

 本年、池田先生の初訪問(1960年10月)から60周年を迎えるアメリカSGIは、“新たな6000人の青年の陣列”を構築し、意義深き佳節を祝賀しようと、異体同心の団結固く前進している。サイトウ青年部長の声と、フロリダ自然文化センターでの各種研修会で発表された男女青年部の信仰体験を紹介する。

1960年10月、池田先生がアメリカ大陸への第一歩を刻んだ地に生きる誇りを胸に、前進するサンフランシスコの男子部、女子部、未来部の友(1月1日、サンフランシスコ文化会館で)

1960年10月、池田先生がアメリカ大陸への第一歩を刻んだ地に生きる誇りを胸に、前進するサンフランシスコの男子部、女子部、未来部の友(1月1日、サンフランシスコ文化会館で)
オリビア・サイトウ青年部長 世界の友と心一つに

世界の友と心一つに オリビア・サイトウ青年部長
 日蓮仏法を世界に広げゆく池田先生の平和旅――その第一歩となったアメリカ初訪問から、本年で60周年を迎えます。これまで先生は27回にわたり訪米され、人間主義の哲学を打ち込んでくださいました。
 “アメリカの変化には、30年ごとの周期がある”――先生は1990年の訪米の折、歴史家A・M・シュレシンジャー博士の説を紹介されました。
 30年代にF・ルーズベルト大統領が掲げた「ニューディール政策」や、60年代にケネディ大統領が打ち出した「ニューフロンティア政策」など、30年ごとに建国の理想への“原点回帰”を繰り返していることに触れ、「30年という年月は、世代の交代、若々しき『青年の台頭』を要求している」と、指導してくださったのです。
 このご指導から、ちょうど30年の歳月を刻んだ今、私たち青年部は新時代の歴史を築く重要な時に居合わせていると実感します。本年、アメリカ青年部として「一人の青年が、無限の希望に!」とのテーマのもと、“新たな6000人の青年の陣列”を構築し、池田先生の初訪米60周年を祝賀してまいります。
 この“ニューパワー”から、正義と平和の哲学を根本として、銃の暴力や気候変動など、人類のさまざまな諸課題に立ち向かう未来の指導者が輩出されると確信してやみません。
 池田先生は、「一人の『一身一念』は、家族にも友人にも、職場にも地域にも、さらには国土、世界にまでも波動を起こしていける」「『一人』から始まる。『一人』から変わる。『一人』から開ける」と教えてくださっています。
 一人また一人と、同じ使命を自覚した友を立ち上がらせていけば、アメリカ全土、さらには世界へと希望の波を起こしていけると信じます。師が世界広布の平和旅を開始されてから60星霜という意義深きこの時に、私たちには、友に無限の希望を送る使命があると思います。
 現在、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、アメリカでも会合や訪問・激励ができない状況が続いています。しかし、こういう時だからこそ、日本、そして世界の青年部の皆さんと心一つに終息を祈り、必ずこの状況を打破したいと思います。そして師匠にお喜びいただける、広布史に残る一年にしてまいります!

フロリダ自然文化センターでの体験談から
ニュージャージー 圏男子部長 ショウタ・オカジマさん 同志の励ましに奮起

 私は幼い頃から大学まで、アイスホッケーに生活の全てを注ぎ込んでいました。しかし大学卒業と同時に、競技を引退。そこから、とてつもない喪失感に襲われました。“基盤”とも言うべきものをなくし、人生の目的が見いだせなくなってしまったのです。仕事を探そうにも力が入らず、仕方なくアルバイトを始めましたが、目的も情熱もありませんでした。
 地元の地区部長が訪ねてくるようになったのはこの頃でした。温かい人柄に、いつしか私は自身の悩みを打ち明けていました。すると彼は、若い頃に苦労を重ねたこと、信心に取り組む中で、仕事で実証を示し、感謝の思いで同志に励ましを送るようになったことを語ってくれたのです。私は心から感動し、活動に参加するようになり、牙城会の任務にも挑戦するようになりました。その中で、再び仕事でも勝利をと決意を固め、就職活動を開始。一昨年、正社員の内定をもらうことができました。
 今度は自分が友を励まし、一人一人の無限の可能性を引き出せる人材に成長してまいります。

シカゴ 圏女子部長 ジェニファー・クックさん  創価教育の体現者に
 アメリカ創価大学を卒業後、私は特別支援学校の教員として勤務しています。
 これまで、銃の暴力や薬物依存などで、大切な教え子が命を落としてしまうという、つらく、悲しい経験をしました。
 だからこそ、いつも“一人も欠かすことなく、子どもたち全員を幸福にする”“価値を創造する教育者として、使命を果たす”との誓いを胸に、精いっぱい教壇に立ち、学会活動にも全力で励んでいます。
 ワシントンDCの特別支援学校で3年間、心に深い傷を負った生徒などを教えた後、現在は、シカゴの学校に勤務しています。常に、“価値を生み出そう”という挑戦の心を持って、教育に全力を注ぐ中で、校内でも責任ある仕事を任せてもらえるようになりました。
 今、人間革命の実践と私自身の成長が、そのまま周囲の人々の幸福につながっていくことを実感しています。
 この確信のままに、仏法の素晴らしさを友人に語り抜き、師匠である池田先生にお応えする人材へと成長してまいります。

ロサンゼルス 男子部部長 エリック・フリッケンワースさん  職場の友人に初の弘教
 私は、敬虔なクリスチャンの家庭に生まれ育ちました。2008年に友人から初めて仏法の話を聞き、09年5月、御本尊を受持しました。以来、経済苦など、さまざまな苦境を人間革命の実践で乗り越えてきました。
 現在はフリーランスで、映画制作の照明などを手掛けています。
 昨年の秋、私は転倒して指を骨折してしまいました。指を駆使する仕事であり、さらには最も多忙な時期のけが。“働けなくなるのでは”との不安に襲われました。
 しかし、こんな時こそ自分の信心が試されていると思い、メンバーの訪問・激励や仏法対話に挑戦。その中で、長年の付き合いがある職場の同僚から、“仕事で悩んでいる”との相談を受けたのです。対話を進める中で、彼は共に座談会に参加。信心への理解を深めてくれ、昨年12月、自身初の弘教を実らせることができました。
 また、指の手術も成功し、職場に復帰。これまで以上の契約を勝ち取ることもできました。入会した同僚と共に信心で成長し、求道の心を燃やし続けてまいります。


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◆〈親子で学ぶ創価の心〉池田先生の指針を一緒に読もう 2020年3月15日

未来部の友に励ましを送る池田先生ご夫妻(1996年6月、アメリカのフロリダ自然文化センターで)

未来部の友に励ましを送る池田先生ご夫妻(1996年6月、アメリカのフロリダ自然文化センターで)

 あす16日は「広宣流布記念の日」。1958年(昭和33年)の3月16日、戸田城聖先生から池田先生を中心とする青年たちに、広布のバトンが託されてから62周年です。池田先生の指針とともに、親子で「3・16」の意義を学び、語り合ってみてはいかがでしょうか。

「3・16」って何?
 (3月16日は)戸田先生のもとに、私たち青年が集まって、先生の後を受けつぎ、世界の平和と民衆の幸福のために戦っていく、決意の式典をおこなった日です。
 富士山のすそのに、全国から六千人の青年が、かけつけました。
 式典が大成功するように、すべてをまかされたのが、当時、三十歳の私です。
 戸田先生は、前の年に重い病気にかかられたこともあって、歩くことも困難な、お体でした。
 それにもかかわらず、先生は、まだ寒いなか、朝早く、遠くから集まってくる青年たちのためにと、あたたかい「とん汁」まで用意してくださったのです。
 弟子を思う師匠の心に、みなが胸を熱くしました。
  
 式典は、私の司会でスタートしました。
 戸田先生は、青年たちに「未来は君たちにまかせる。たのむぞ、広宣流布を!」と、叫ばれました。そして晴れ晴れと、「創価学会は、宗教界の王者である」と、力強く宣言されたのです。
 日本一の王者の山である富士山が、すべてを見守ってくれていました。
 私たちは、「戸田先生に続いて、富士山のように堂々と、王者の力を持つのだ! 広宣流布を進めて、世界の大指導者とも、広々と友情を結んでいくのだ!」と心から決意しました。
 今、その通りの世界的な創価学会になっていることは、みなさんも、よく知っていることでしょう。
  
 「3・16」の式典(三月十六日におこなわれたことから、こう呼ばれています)を通して、私は、戸田先生から、一番大事なものを受けつぎました。
 それは、広宣流布という、最も偉大な平和の使命のバトンです。
 陸上のリレーでは、先の走者と後の走者が二人いっしょに全力で走りながら、タイミングを合わせてバトンを手渡していきますね。
 同じように、弟子は、ただ待っているのではありません。自分から決意して走りだして、師匠からのバトンを受け取っていくのです。
 このバトンを、私は今、未来に向かって前進している、希望あふれる少年少女部のみなさんに渡します。
 「3・16」は、みなさんと私の晴れやかな「旅立ちの式典」です。
 私が、これまで命をかけて開いてきた、世界への「友情の大道」「平和の大道」は、すべて、みなさんのためにあります。
 富士のように、堂々と前進しよう!
 王者のように、今日も勝利しよう!
 そのために、私も毎日、題目をあげて、みなさんにエールを送り続けていきます。
 (『希望の大空へ わが愛する王子王女に贈る』)

わが家の実践  東京都小平市 水島友美子さん (保育士)
楽しく“時間割”を作成

 私は、10歳の娘と一緒に生活しています。主人は今、単身赴任しており、東北の地で頑張っています。
 今回、学校が休校になっただけでなく、習い事も休み。お出掛けもなかなかできない。あるのは宿題の山と時間だけになりました。当初は、自宅で勉強ができるのか、運動不足になるのではないか、と心配もありました。
 私自身、昨年から、十数年ぶりに保育の現場に復帰し、週に2日、働いています。
 娘の学校が休校になってからは、午前中のみの時短勤務を使っています。この時間帯だけは、娘が一人でお留守番をしています。
 わが家では、一日一日を価値的に過ごすために、裏紙を使って、楽しく“時間割”を作成し始めました。
 几帳面な娘は毎日、英語や皿洗い、読書など挑戦項目を決め、それが達成できた時間帯を「〇時~〇時 英語」というように記しています。
 私が仕事から戻ると、「できたよ!」と元気に報告してくれます。また、「ママは仕事、どうだったの?」と、私の話まで聞いてくれます。そして互いに「頑張ったね!」とたたえ合っています。
 親子で過ごす時間が増え、私の考え方も変わりました。
 これまでは、娘が学校に行っている間に買い物を済ませ、急いで夕飯の支度をするなど“効率”を重視していました。
 今は掃除、洗濯、買い物、料理などを、娘と一緒に楽しみながら取り組んでいます。
 いつも以上に時間はかかりますが、娘は張り切ってお手伝いをしてくれます。私にとっても新鮮な毎日です。
 わが家の日課は、朝・晩の勤行、30分間の唱題です。
 それに加えて、親子で聖教新聞をじっくり読む時間ができました。
 娘は「創価家族の種まき絵本」の熱狂的ファンですが、最近は「声」の欄や「ワカモノ+」なども熟読するようになり、同志の皆さんの挑戦に、触発を受けています。
 今後も、親子で工夫を凝らしながら、充実した日々を過ごしていきたいと思います。

京都市上京区 岩瀬雅美さん (主婦)
娘が主役の家族部員会

 わが家は、会社員の夫、6歳の長女、2歳の次女の4人暮らしです。
 先日、ファミリー部員会の開催を提案すると、夫も、長女も「やりたい!」と大賛成してくれました。
 司会は、長女にお願いしました。すると、長女は、家族もびっくりするほど、張り切っていました。
 “本番”に備え、私が用意した司会原稿を、何度も練習しているのです。
 さらに「いわせファミリーぶいんかい」という“大書き”も作ってくれました。
 これまで娘たちを連れて、座談会や会合に参加していましたが、今回は、長女なりに“私が主役!”と感じてくれたのだと思います。
 当日は、勤行の後、SOKAチャンネルVODで配信中の番組「げんきのスイッチ」の第1話「どうして、せんせいっていうの?」を視聴し、私が紙芝居を披露しました。
 続いて、一人一言コーナーでは、まず、地区部長の夫が「パパは毎日、なかなかお会いできない同志の皆さんの健康と無事故を祈っています。家族のために、仕事も一生懸命、頑張るから応援してください」と語りました。
 すると、4月から小学生になる長女が、ぴんと正座し、「私も、小学校に行って、お友達をたくさんつくって、お勉強をたくさん頑張ります」と決意を述べました。
 次女からは、私が「一緒に頑張ろうね」と語ると、「うん!」と元気な返事がありました。
 最後は、学会歌「威風堂々の歌」と少年少女部歌「Be Brave! 獅子の心で」を大合唱し、楽しく踊る娘たちに、大拍手を送りました。
 今、普段の生活では、なかなか気付けなかった娘たちの成長を実感する日々です。
 また、親子で「一緒に」「楽しく」信心を学べる幸せをかみ締めています。
 これからも、定期的に「いわせファミリーぶいんかい」を開催しながら、祖父母の代から受け継いできた“信心のバトン”をわが子につないでいきます。
「わが家の実践」のエピソードなどをお寄せください
 メール kansou@seikyo-np.jp
 ファクス 03―5360―9613
 ※LINEからも投稿できます。投稿文の末尾に「#わが家の実践」とお入れください。


◆写真家・白川義員氏が込こめる思い 自然の背景には偉大な精神の存在が
 一回一回の撮影が「地球再発見」の連続

 世界的写真家で、山岳写真家としても名高い白川義員氏。「地球再発見による人間性回復へ」を創作の理念に掲げ、1969年出版の写真集『アルプス』以来、10シリーズの作品を発表。2012年には満を持して11作目となる『永遠の日本』を発表している。
 このほど、この11シリーズを編む際に秘蔵しておいたものに加え、17~18年に撮影した中からえりすぐった196点を収録した『天地創造』を出版した。
 入域が1日わずか20人に限定されているアメリカ西部の砂漠「ザ・ウェーブ」や仙境と呼ぶにふさわしい中国の武陵源、南米のウユニ塩湖などを中心に構成されている。
 ここでは、写真家人生58年の集大成ともいうべきシリーズに込めた思いを聞いた。
人間は宗教なしではありえないと確信
 この仕事を始めた当初、あまりの自然の美しさに、私は言葉を失いました。一回一回の撮影は、まさに創作のテーマである「地球再発見」の連続だったのです。
 1969年にシリーズ1作目となる『アルプス』を発表する頃には、自然の背景に、偉大な精神の存在を考えるようになりました。刻一刻と変わりゆく自然と対峙していると、人間の知恵を超えた精神の存在を感じるのです。
 それは、人間は無宗教ではありえないとの現在の確信にもつながっています。
 近年、ビルに囲まれた大都会の人々の信仰心が薄れているのは、大自然と向き合う機会が奪われているからではないでしょうか。
 今回の『天地創造』には、大自然の神秘や起源に思いを至らせることが、人間性回復のきっかけになってほしいとの願いが込められています。
 私の駆け出しは高度経済成長期と重なります。その頃の日本は、海外製品をまねた品々であふれ、日本人に対する世界からの目は非常に厳しいものでした。そこで私は、人まねは一切しない、前人未到の仕事を成し遂げようと誓ったのです。
 当時、日本人が海外に行く際に、持ち出せる外貨の限度額は1回500ドル。数えきれないほどの苦労がありましたが、良き先輩やチャンスに恵まれていたと思います。
 今回の写真集のための北米・南米・中国での撮影は3