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2020年2月

2020年2月29日 (土)

2020年2月29日(土)の聖教

2020年2月29日(土)の聖教

◆わが友に贈る

「声仏事を為す」――
 慈愛と希望の言葉を
 皆が待ち望んでいる。
 電話・手紙・メール等で
 励ましの声を届けよう!


◆名字の言 きょうは「うるう日」。2月にこの日があるのはなぜ?

 太陽の周りを地球が1周する時間は、およそ365・2422日。1年を365日とする現行の太陽暦では1年ごとに約6時間の差が生じる。天体の運行と暦の差を小さくするため4年に1度、2月にうるう日が設けられた▼なぜ1日加わるのが2月なのか。古代ローマでは暦の始まりが農作業を開始する3月とされていたため、“年末”に当たる2月に1年の長さを調整したという。うるう日は英語で「leap day(跳躍の日)」。冬を越えて春へ向かう出発の日ともいえよう▼学会の歴史において、“広布跳躍”の分水嶺となった「二月闘争」。池田先生が指揮した蒲田支部が、限界を破る201世帯の弘教を達成したと発表されたのは68年前の2月29日だった。その波動は学会全体に広がり、恩師の願業実現への突破口が開かれた▼その要因について池田先生は“目の前の一人を徹底して誠実に励ましてきたことに尽きる”と。先生自ら動き、語り抜く中で、一人一人の諦めや先入観の壁を破り、新たな決意の連鎖を巻き起こした▼明日から弥生三月。「弥生」とは、“草木がいよいよ生い茂る”との意味である。「いよいよ強盛に」(御書1192ページ)との心で祈り、語り、困難を跳躍へのバネとして、共に希望の春を勝ち開こう。(叶)


◆寸鉄

小説『人間革命』『新・人
間革命』は人類の遺産―
元大臣。平和建設の指標
     ◇
兵庫・長田区、池田先生の
訪問20年。不屈の歩みが
「妙とは蘇生の義」を証明
     ◇
完璧な仕事は労苦を要す
る―戸田先生。青年よ力
尽くし職場で信頼の旗を
     ◇
流水で15秒手洗い―ウイ
ルスは1%に。咳エチケ
ット含め基本を再度徹底
     ◇
あすから春の全国火災予
防運動。火の元始末、可燃
物整理など心の守り固く


◆〈心に御書を〉23 今日も聡明に使命の一日を

御文
 人には必ず二つの天・影の如くにそひて候、所謂一をば同生天と云い二をば同名天と申す左右の肩にそひて人を守護すれば、失なき者をば天もあやまつ事なし・況や善人におひてをや(乙御前御消息、1220ページ)

通解
 人には必ず二つの天が、影のように付き添っている。一つを同生天といい、もう一つを同名天という。左右の肩に付き添ってその人を守護するので、罪のない者を天が誤って罰することはない。まして善人においては、なおさらである。

池田先生が贈る指針
 誰が褒めなくとも諸天は一切を見ている。生命に刻まれる因果律ほど、厳正なる法則はない。
 地道に広布に生きる大誠実の学会員を、十方の仏菩薩は護りに護る。
 人知れぬ祈りも行動も不思議と証言する人が現れ、感謝と賞讃に包まれるものだ。これが妙法の大功力である。
 誇りある地涌の使命の一日を、今日も聡明に!


【教学】

◆紙上講義 「諸法実相抄」㊤ 森中教学部長 
 我こそ地涌の菩薩である―― 自覚した時に境涯は広がる!

■はじめに
 今回研さんする「諸法実相抄」の範囲は、日蓮大聖人が「地涌の義」について仰せになっている箇所になります。
 創価学会こそ、仏意仏勅の、地涌の菩薩の陣列であることを、ともどもに確認したいと思います。
 池田先生は、「大白蓮華」2月号に掲載の「世界を照らす太陽の仏法」の中で、次のように語られています。
 「折伏・弘教は、日蓮大聖人から末法広布を託された仏意仏勅の教団にして、地涌の菩薩の陣列である創価学会の誇り高き使命です。ここにこそ、自他共の幸福を実現する日蓮仏法の真髄があり、宗教の生命線があります」
 まさに、「創価学会こそ、大聖人から広宣流布を託された地涌の陣列の教団である」という自覚が根本であり、このことが、今回の講義の主題です。
 「地涌の菩薩」は、法華経において、釈尊が滅後悪世の末法における弘教を託した偉大な菩薩です。
 日蓮大聖人は、末法に「地涌の菩薩」が出現し、この「地涌の菩薩」が、南無妙法蓮華経を弘通して、一切衆生を救うことを明らかにされています。
 この地涌の系譜を受け継いだ団体が、創価学会です。今や、1日24時間、1年365日、地球上のいずこかで南無妙法蓮華経の題目が響き、広布推進の対話が繰り広げられる「世界広布新時代」を迎えました。その学会員一人一人の胸中に赤々と燃えているのが、「地涌の誓願」にほかなりません。
 ここでは、「諸法実相抄」の一節を拝して、地涌の菩薩の意義と精神を研さんします。

■背景と大意
 本抄は、文永10年(1273年)5月、日蓮大聖人が流罪地の佐渡・一谷で著され、最蓮房に与えられたお手紙とされています。
 大聖人は本抄で、法華経方便品にある「諸法実相」の法理について論及されていきます。
 「諸法実相」とは、私たちが毎日、読誦している方便品第2の経文です。これは、法華経にしか説かれていない「万人成仏」の裏付けとなる法理です。
 続いて大聖人は、法華経の「虚空会の儀式」について示されます。
 法華経では、見宝塔品第11にいたって、突然、巨大な宝塔が現れ、空中に浮かび、その中に釈尊と多宝如来の二仏が並んで座り、虚空会の儀式が始まります。その儀式のハイライトが、大地から涌現した無数の地涌の菩薩に対し、滅後の悪世に、あらゆる仏を成仏させた根源の大法を広宣流布する使命が託される場面です(従地涌出品第15、如来神力品第21など)。
 これを受けて大聖人は、末法に地涌の菩薩のリーダーである上行菩薩が弘めるべき妙法を、自ら弘めるとともに、虚空会の儀式を用いて、人々が根本とすべき御本尊を顕されました。ゆえに本抄で大聖人は、御自身のことを「地涌の菩薩のさきがけ」(御書1359ページ)と仰せになられています。
 さらに、大聖人お一人だけでなく、大聖人の門下となり、大聖人と同じ心で戦う人もまた地涌の菩薩であると宣言されます。
 そして大聖人が、ただ一人、唱え始められた南無妙法蓮華経は、一人から一人、そしてまた次の一人へと唱え伝えられていくと述べられ、これが「地涌の義」であると仰せになります。
 ここでは、この「地涌の義」について学び深めていきます。

御文1
 いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや、経に云く「我久遠より来かた是等の衆を教化す」とは是なり(御書1360ページ6行目~8行目)
                    ◆ ◇ ◆
 
 冒頭の「いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし」との御文は、信心を最後まで貫いていくことの大切さを教えられています。
 「なりとをし給うべし」との一節からは、弟子たちに対して“師弟共に大難を受ける中で、せっかく信心をしたのだから、いかなる難が競い起ころうとも、最後の最後まで信心を貫くのですよ”と励まされる、大聖人の深き慈愛が感じられてなりません。
 そして、この御文には、最後まで信心を貫く「不退の信仰」の本質は、どこまでも師匠を求め、弟子の道を歩み抜いていく「師弟不二」の信心にあることが示されています。

■不思議なる縁
 その上で大聖人は、「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」と仰せです。
 「私たちは地涌の菩薩である」との使命の自覚こそ、日蓮仏法の根幹です。
 自分はどこから来て、何のために生きるのか――人類の根源の疑問に答えゆく甚深の哲学がここにあります。
 仏法の眼から見れば、私たちは久遠の昔に妙法流布を誓い、三世にわたって師匠と共に妙法を広げていく、不思議なる縁で結ばれた師弟である。このように確信していくのだ――この大聖人の大確信の仰せが、続いての「地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや」の御文になります。また、それを裏付ける法華経涌出品の経文が、続いての箇所で引かれている「我久遠より来かた是等の衆を教化す」になります。
 「我こそ地涌の菩薩である」と真に自覚した時、私たちの境涯は、大きく広がっていきます。

■宿命を使命に
 法華経以外の経では、偉大な菩薩は、清浄な世界に生まれます。悪世末法には生まれません。
 しかし、民衆救済の願いを立てる菩薩は「誓願」によって、自ら願った宿業を背負って悪世末法に出現することが法華経に説かれます。
 その誓願とは、あえて背負った宿業を、妙法によって転換し、その現実の姿を見せることによって、妙法の偉大さを示していくという誓いです。この「願兼於業」の誓願に生き抜く人こそ、地涌の菩薩にほかならないのです。
 したがって私たちの宿業は、自分で誓ったものです。だから、乗り越えられないはずはありません。
 この「地涌の使命の自覚」に、「宿命を使命に変える」という日蓮仏法の真髄があります。

■苦難に負けない
 苦難に直面した時に、その宿業の重さにうちひしがれ、諦めてしまうのか。“この苦難こそ、自らが乗り越えて信心の偉大さを示すと誓ったものだ”と捉えて立ち向かっていくのか。
 同じ苦難にあっても、地涌の使命を自覚した人と、そうでない人とでは、その意味合いが全く違ってきます。
 使命に生き抜くならば、いかなる苦難にも負けない、絶対的幸福の境涯を開いていくことができます。
 こうした地涌の菩薩の集いこそが、創価学会なのです。

■学会と共に歩み抜く
 学会の原点は、「我、地涌の菩薩なり」との大確信を示された戸田先生の「獄中の悟達」です。
 池田先生は、戸田先生に初めてお会いし、その確信と誠実な人格に触れた感動を、「われ 地より湧き出でんとするか」と即興詩として詠まれました。
 この地涌の師弟の絆によって、世界広宣流布の道が開かれました。この偉大な師弟と共に、学会と共に異体同心のスクラムで広宣流布に歩み抜いていくことが、地涌の菩薩の自覚に立つことになるのです。

御文2 
 末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり(御書1360ページ8行目~9行目)
                      ◆ ◇ ◆
 
 大聖人は「男女はきらふべからず」と仰せです。地涌の菩薩であることに、性別や立場などは関係ありません。
 
 1月度の座談会で拝読した「阿仏房御書(宝塔御書)」の中にも「法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり」「貴賤上下をえらばず」(同1304ページ)とあります。
 また別の門下(椎地四郎)への御書でも、男性であろうと女性であろうと、法華経の「一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり」(同1448ページ)と仰せになっています。
 続く「諸法実相抄」の御文では「皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」と仰せです。
 “今、南無妙法蓮華経の題目を唱えることができている、そのこと自体が、地涌の菩薩であることの揺るぎない証拠である”との仰せと拝されます。この大聖人直結の題目を唱えているのが創価学会であることは、いうまでもありません。(㊦に続く)

◆〈ONE GOSHO この一節とともに!〉男子部教学室編  御義口伝
 誠実に語れば信頼広がる

 戸田先生は、「折伏すれば信用が残る」と語られた。どういうことだろうか。今回の「ONE GOSHO この一節とともに!」では、不軽菩薩を通して、仏法の対話の姿勢を学ぶ。

御文
 不軽菩薩の四衆を礼拝すれば上慢の四衆所具の仏性又不軽菩薩を礼拝するなり、鏡に向って礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり(御書769ページ)

通解
 不軽菩薩が四衆(出家・在家の男女)を礼拝すれば、増上慢の四衆の仏性もまた同時に不軽菩薩を礼拝するのである。これは、ちょうど、鏡に向かって礼拝をする時、そこに映っている自分の影もまた、自分を礼拝するのと同じ原理である。

背景
 「御義口伝」は、日蓮大聖人が身延の地で法華経の要文を講義された内容を、日興上人が筆録し、大聖人の許可を得て完成したものと伝えられている。
 各項目では、法華経の一節を挙げ、天台大師等の釈を引用した上で、「御義口伝に云く」と、末法の御本仏のお立場から法華経解釈を展開されている。
 今回の拝読御文は、「常不軽品三十箇の大事」の「第廿九 法界礼拝住処の事」の中の一節である。
 不軽菩薩は、法華経常不軽菩薩品第20に説かれる釈尊の過去世の姿であり、威音王仏の像法時代の末に、万人を礼拝する菩薩行を実践した。
 慢心の人々から迫害を受けたが、礼拝行を貫き通し、この修行が因となって成仏した。

解説
 不軽菩薩は、縁した全ての人に対し、礼拝・賛嘆して、「私はあなたたちを敬う。なぜなら、あなたたちは菩薩の修行をすれば、仏になるからです」と語り掛けていった。
 ところが、人々は不軽菩薩に対して“余計なお世話だ”とばかりに反発し、悪口罵詈や暴力による迫害を加えてきた。
 しかし、不軽菩薩は決して怯まなかった。「私は、あなた方を軽んじません。皆さんは必ず仏になる人なのです」と礼拝し続けた。そして不軽菩薩は「六根清浄」(目、耳などの感覚・認識器官が清らかになること)の功徳を得る。
 一方、不軽菩薩を迫害した人々は長い年月を経た後で、不軽菩薩に信伏随従した。
 御書に「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る行者は末法の不軽菩薩なり」(765ページ)と仰せのように、日蓮大聖人もまた、いかなる迫害に遭おうとも不軽の実践を貫かれた。
 拝読御文は、不軽菩薩が迫害してくる人々に礼拝すると、その相手の仏性が不軽を礼拝し、敬うことを述べられている。それは“鏡に向かっておじぎをした時、その鏡に映る自分も、こちらに向かっておじぎするようなものである”と示されている。
 仏法を語れば、さまざまな反応があろう。たとえ、「興味がない」「自分には必要ない」と反発されたとしても、友の仏性を信じて祈り、対話を続けていけば、真心は必ず通じる。人として信頼される。最後には、共に幸福の道を開いていくことができるのである。
 戸田先生の「折伏すれば信用が残る」との言葉は、相手の仏性を信じ抜く誠実な振る舞いは、必ず相手の心に通じていく、という不軽菩薩の“対話の実践”を表しているといえよう。
 とはいえ、何度、対話に挑戦しても、なかなか相手に思いが届かず、悩むこともある。
 小説『新・人間革命』第25巻「共戦」の章には、延べ22日間で世帯数を約10倍に拡大した山口開拓指導の場面が描かれている。
 なかなか弘教が実らないと落胆する同志たちに対し、山本伸一青年は使命の自覚を促した。
 「私たちの下種活動は、現代において、不軽菩薩の行を実践しているんです。すごいことではないですか!」
 「皆さんは、現代の不軽菩薩であり、また、地涌の菩薩です。そして、日蓮大聖人と同じ仏道修行の大道を歩んでいるんです」
 その指導に接した同志たちは皆、新たな決意で折伏に飛び出していった。その熱意や真心が、批判的だった相手の心を動かし、弘教が次々に結実していったのである。
 「伝統の2月」から広布後継の「3・16」へ、私たち男子部は地涌の使命に燃え、どこまでも一対一の誠実な対話を貫いていきたい。

〈大学校生とナットクTALK〉  テーマ:仏法対話
Q折伏しないとだめですか

A信心の確信をつかむ挑戦を
 北原ニュー・リーダー 中村さん、折伏って、しないとダメですか?
 中村区男子部大学校団長 お! その言い方だと、苦手意識があるのかな?
 北原 苦手ですし、正直、ちょっと嫌なんです。大学校に入って、会合に参加したり、みんなで唱題したりするのは“いいもんだな”って思えてきました。でも折伏は、相手に何て言われるか不安だし、そもそも人に会うのも疲れちゃう……。
 中村 そうだよね。僕も入会から少したった頃、先輩から「次は君が、友達に仏法を語ろう」って言われて、“絶対に無理”って思ったよ。
 北原 同じですね。それでも挑戦したんですか?
 中村 うん。何がきっかけだったかっていうと、先輩から「信心して良かったと感じているなら、自分の大切な人にも伝えてあげたいよね」と言われてさ。“確かに”と思って。でも、すぐに語れるかというと全然違う。だから、「大切な人に語れる自分になれるように」と、まず祈ったんだ。“御本尊様、勇気くださいー”って。
 北原 勇気、出たんですか?
 中村 うん、出た。引っ込み思案で、友達も少なかったけど、何とか「創価学会やってる」「会合見てほしい」ってね。友達はちゃんと話を聞いてくれて、今でも感謝しているよ。誠実な思いは、どんな形であれ通じていくから、安心してほしい。何より、仏法対話をして、人の人生や心に深く飛び込んでいく中で、自分自身が磨かれ、大きく変われる。功徳も大きいんだ。
 北原 どんな功徳があったんですか?
 中村 僕の場合は、折伏に挑戦する中で、会社で希望の部署に異動が決まった。さらに、異動先で苦手な同僚がいたんだけど、同僚の“見え方”も変わったんだ。何でもズケズケ物を言う人なんだけど、むしろ「ウソの無い人だ」って思うようになった。結局は、自分が変わったんだと思う。「人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし」(御書1598ページ)とある通り、自分も友人も幸せになっていけるのが信心だし、折伏なんだ。
 北原 すごいですね。でも、自分にはまだできないなとも思ってしまいます。
 中村 大丈夫。一緒に題目をあげよう。池田先生は「信仰の確信と歓喜をありのままに語って、友の生命に幸福の種を蒔くのだ。『幸せになってほしい』との真剣な祈りが届かないわけがない」と応援してくれているからね。
 北原 そうですね。まずは、祈ってみないと!
 中村 真剣に祈ったら、胸を張って、明るくいこう!


【聖教ニュース】

◆南米・パラグアイで池田先生の訪問27周年を祝う集い  2020年2月29日

フェルナンド・デラモラ・ノルテ支部の友が仲良く。池田先生がパラグアイに送った指針を、参加者が朗読した(フェルナンド・デラモラ市内で)

フェルナンド・デラモラ・ノルテ支部の友が仲良く。池田先生がパラグアイに送った指針を、参加者が朗読した(フェルナンド・デラモラ市内で)

 南米の桃源郷――パラグアイを訪れた人々は同国をそう評する。
 国の中央を流れるパラグアイ川をはじめ、大小の河川や湖、深い森や平原が広がる大自然の天地に、数々の野生動物が生息。この国に、陽気で明るい人々がいる。
 同国を池田大作先生が初訪問してから、今月で27周年。記念の集いが22、23日(現地時間)を中心に各地で開催されている。
 青年を先頭に幸福拡大に前進する友を紹介する。

パラグアイ文化会館を訪問した池田先生は、真っ先に子どもたちのもとへ。手品を披露し、励ましの言葉を掛けた(1993年2月)

パラグアイ文化会館を訪問した池田先生は、真っ先に子どもたちのもとへ。手品を披露し、励ましの言葉を掛けた(1993年2月)

美しき創価家族のスクラム
 友が待ち望んだ瞬間だった。1993年2月20日、池田先生が初めてパラグアイへ。海外49カ国・地域目の訪問となった。
 空港では首都アスンシオンのカルロス・フィリソラ市長ら要人が歓迎。また、郵政局では先生の滞在期間中、全ての郵便物に「SGI」の消印を押すことが決まっていた。
 “良き市民たれ”との先生の指針を胸に、社会貢献に汗を流すパラグアイの同志に対する信頼の証しだった。
 4日間の滞在中、先生はアンドレス・ロドリゲス大統領との会見や「国家功労大十字勲章」の授章式など数多くの行事に出席。さらに未来部をはじめ、友に心温まる激励を送った。カタオカ理事長、ナガサワ婦人部長ら現在のSGIの中心者の多くが当時、励ましを受けた人たちである。
 池田先生は出席した第1回パラグアイSGI総会で呼び掛けた。
 「この世界で最も美しい創価家族のスクラムを大切に守りぬいていただきたい」
 この原点から27周年を祝賀する集いには、先生の言葉を体現するかのように、美しい笑顔が輝いた。
 フェルナンド・デラモラ・ノルテ支部の集いは23日、フェルナンド・デラモラ市内で。新来者12人を含む80人が参加した。
 青年部7人の力強い指揮で、学会歌「今日も元気で」を合唱。
 壮年部のホルヘ・クリタさん、ラモン・ドミンゲスさんが、27年前、共に男子部員として先生を歓迎し、激励を受けた様子を述懐。報恩感謝の決意を語ると、大きな拍手が送られた。
 マティルデ・ソリス支部婦人部長、ベニテス北方面長は、今こそ地涌の菩薩の使命を胸に妙法の平和の種をまこうと呼び掛けた。最後に全員で記念撮影。未来部、男女青年部、壮年・婦人部が心一つに、新たな師弟の共戦譜をつづりゆくことを誓い合った。

フラメント支部の集いでは、カタオカ理事長が周囲を明るく照らす存在にと望んだ(首都アスンシオンで)

フラメント支部の集いでは、カタオカ理事長が周囲を明るく照らす存在にと望んだ(首都アスンシオンで) 




グアラニー支部の友がイパカライ湖の前で。集いは、有志が歌を披露するなどにぎやかに(アレグア市で)

グアラニー支部の友がイパカライ湖の前で。集いは、有志が歌を披露するなどにぎやかに(アレグア市で)


◆獅子の国・ブルガリアで座談会――桜梅桃李の花は爛漫と 2020年2月29日

ブルガリアの首都ソフィアで行われた座談会。明年の池田先生の同国訪問40周年へ、広布の誓いを新たにした

ブルガリアの首都ソフィアで行われた座談会。明年の池田先生の同国訪問40周年へ、広布の誓いを新たにした

 獅子の国・ブルガリアSGIの座談会が22日、首都ソフィアで朗らかに開催された。
 同SGIは1981年5月の池田先生の訪問を原点として、一人を大切にする広布の歩みを着実に進めてきた。2001年には支部が結成。現在、ソフィアや黒海沿岸の港湾都市ブルガスなどを中心に、地涌の同志が陸続と躍り出る。
 個人を尊重する考えが強いブルガリア。「メンバーの個性や長所が、思う存分に発揮されるような活動を心掛けています」とヨネオカ=ゴレメホヴァ婦人部長は語る。仲良き前進の中で、桜梅桃李の花が爛漫と咲き薫る。
 集いでは、アヂチ支部長があいさつ。参加者は車座になって懇談し、「宿命を乗り越える信心」「前向きに生きるには」などを巡り、信仰体験や御書を通して語り合った。
 タカハシ欧州総合女性部長、シミズ同副女性部長が激励した。


【特集記事・信仰体験など】

◆<ルポ>南米一の青年大国・パラグアイ。同国SGI青年部の発展のカギとは 2020年2月29日
 連載<青年SGI 世界の若きスクラム>





    • パラグアイSGIの青年部は“家族”のように仲良く進む(昨年8月)

パラグアイSGIの青年部は“家族”のように仲良く進む(昨年8月)

 パラグアイは南米一の青年大国。総人口に対して、34歳未満の若年層の割合が73%を占めている。パラグアイSGIもまた、青年部を中心に発展を続けている。そのカギに迫った。

温かな創価家族
 パラグアイSGIの学会活動は、小単位の集いである「班」が中心だ。原則として毎週、班の座談会が開かれている。
 同国の入会5年以内のメンバー十数人に「入会理由」を聞くと、共通していたのは「座談会に参加し、創価家族の温かさに触れたこと」。とりわけ、青年世代の新入会者が相次いでいるという。
 毎回の座談会の内容は、青年部が中心になって協議している。
 「座談会は同じメンバーで実施するので、マンネリ化しやすいもの。だからこそ、常に“どうすれば充実できるか”を青年部が考え、意見を出し合っています」(サムエル・メディナ青年部長)
 どの会場でも「勤行・唱題」「御書の研鑽」「池田先生の指針の学習」は欠かさない。
 その上で、勝利支部・幸福班の座談会で恒例になっているのは、青年部の提案で始まった「アイスブレイク」だ。
 誰もができる簡単なゲームを実施。所要時間は10分程度だが、あっという間に笑い声が広がった。
 「集まった人を和ませ、コミュニケーションをとりやすい雰囲気をつくることができます。新来者も、すぐになじめます。社会全体のつながりが希薄化し、寂しい思いをしている青年も多いと実感しています。だから“皆で笑う”ことも大切です」(ユウイチ・ハナノ副男子部長)

 また、青年部のメンバーの役割を明確にすることも、座談会の充実につながっている。
 グアラニー支部・挑戦班の座談会で勤行の導師を担当したのは女子部のマリア・ビクトリア・ベロさん(地区リーダー)だった。
 「当初は緊張しましたが、壮年・婦人部の皆さんが“青年が中心だから”と背中を押してくれたので、今では、導師として、皆さんの幸福を真剣に祈念しています」
 こうした青年たちの熱があるところに活気が生まれ、活気があるところに人は集まる。
「一人」を大切に

 パラグアイの青年部が座談会と共に、力を入れているのが励ましである。
 「座談会と励ましは、活動の両輪ですね。なかなか会合に参加できないメンバーを大事にしています。どこまでも一人一人の成長を祈り、地道に励ましの輪を広げています」(アキコ・ヤマモト女子部長)
 ヤマモト女子部長が心掛けているのは、相手が納得いくまで「話を聞くこと」。“姉妹”のような「仲の良い女子部」をつくるために、地道に語らいを重ねている。
 一方で、男子部のリーダーたちは「同世代の悩みが見えにくくなっている」と口をそろえる。メンバーの中には、夫婦共働きのため、家事や育児をこなす友、親の介護に従事する友、仕事と学業を両立する友もいる。
 「皆、多忙を極める中、家庭と職場以外の場で、なかなか、つながりを持ちづらくなっています。それぞれの悩みは尽きないのですが、相談できる相手がいないという人が多いと感じています」(マヌエル・セスペデス男子部長)

 だからこそ、セスペデス男子部長は、励ましの重要性をかみ締めている。「困ったら、いつでも相談できる“身近な人”の存在が大切です。私も、同志のおかげで、今があります。励ましを待っている人は、たくさんいると思います」
 青年部のリーダーが心に刻むのは「一人を大切に」との池田先生の言葉。師の心をわが心として、励ましに徹している。

牙城会は人材育成の柱

 牙城会が厳護するパラグアイ文化会館。1993年2月、池田先生が訪問し、同国広布の礎を築いた
 パラグアイでは、牙城会や白蓮グループ、音楽隊や鼓笛隊など、各種グループが活発に活動している。
 中でも、男子部の人材育成の柱になっているのが、牙城会である。
 「新会員は牙城会に入り、信心の基本を学びます。牙城会が、鍛錬の場になっています。皆、大きく成長しています」(セスペデス男子部長)
 
 同国の牙城会は、首都アスンシオンのパラグアイ文化会館の警備とともに、会合運営も担っている。
 着任時間は次の通りだ。
 平日は<午後7時~同9時半>。土曜日は<午後1時~同7時、同7時~同9時半>の2回。日曜日は<午前7時~午後1時、同1時~同7時、同7時~同9時半>の3回である。
 任務表は翌1カ月分を作成。一人当たり、主任は月3回、メンバーは月1回の任務に就いている。
 会館から200キロ離れた町のメンバーも、車で2時間かけて、警備に当たる。
 苦労しているのは「時間厳守の意識を高めること」だという。
 「もともと、“時間を守る文化”があまりありません(笑い)。でも、牙城会の使命は会館厳護です。その精神を学びながら、時間通りに任務に当たれるよう、意識しています。日本と同様、“無遅刻記録”にも挑戦しています。管理ではなく、“たたえ合う”指標になっています」(ハナノ副男子部長)
 着任者は任務前日、牙城会メンバーで共有する、通信アプリ「ワッツアップ」で唱題時間を報告。主任は1時間、メンバーは30分の唱題に挑戦している。

 牙城会メンバーの一人、ホセ・リケルメさん(班長)は2016年、叔母から折伏を受け、入会した。
 当時、大学の建築学部の学生だったが、人間関係がうまくいかず、将来の道も定まらない。それを環境のせいにしては、周囲に怒りをぶつける日々だった。そんな時、「依正不二」という仏法哲理を知り、ハッとした。御本尊に祈る中で、“自分がどうあるべきか”と考えるようになり、“今できること”を真剣に取り組んだ。入会後は、すぐに牙城会の一員になった。
 「最初は、厳護の意味が分からず、任務に遅刻することもありました。でも、先輩や同志の姿を見て、心が変わりました。今では“皆勤賞”です。先生の指針を毎日、学んでいます」
 現在、リケルメさんは、班長として激励に奔走するとともに、建築デザイナーの夢に向かって、懸命に努力を重ねている。

 「座談会」「励まし」「人材の鍛錬」――パラグアイの青年部は、特別なことではなく、学会伝統の取り組みを地道に実践していた。その“日常”から新しい価値を見いだし続けているからこそ、発展の道が開かれているのだろう。

◆〈信仰体験〉幻想 四万十のシラスウナギ漁 川と生きる使命の光 心に灯す
2020年2月29日


 【高知県四万十市】漆黒の帳が辺りを包む。冷たく澄んだ夜空に星々がきらめく。静けさの中、四万十川の水面に緑、黄、青などの集魚灯の光が幻想的に浮かび上がった。海から潮の流れに乗って川を遡上するウナギの稚魚を光で誘い込み、網で捕るシラスウナギ漁である。船上には小野隆利さん(62)=地区部長=の姿があった。(記事=木村正一、写真=菅野弘二)
  
 「ほんま不思議よ。海の中で生まれちゅうが、この川に帰ってくる。誰に教わったわけでもないのに。生命の神秘を感じるがよ」
 じっと川を見つめながら、川漁師の小野さんがつぶやいた。
 不入山の中腹近くにある四万十川の源流点。湧き出る水の流れが、全長196キロの大河になる。まさに「源遠ければ流ながし」(御書329ページ等)。
 春夏秋冬。四万十川は多様な命を育み、人々に恵みを与えてきた。アユ、川エビ、青海苔、ウナギ……。獲物が違えば漁法も違う。ここで暮らす厳しさも喜びも知っている。
  
 「飲んだくれの親父と働き者の母」だった。酒を飲み、ごろ寝する父をよそ目に、母は米や野菜作りに汗を流し、川では青海苔やシラスウナギ漁に精を出した。米を作っても、米が口に入らぬほど貧しかった。手元に残るわずかな金は酒代に消えた。それでも愚痴をこぼさない母だった。「母ありて今がある。やけん、母を幸せにしたかったが」
 とはいえ、小野さん自身が深い悩みの淵にいた。多額の借金を背負い、妻とは離婚。子どもを引き取り、29歳でシングルファーザーになった。憂さ晴らしに酒をあおってみても現実は変わらない。信心の話を聞いたのは、そんな頃だった。
 
 「気休めの慰めなんかじゃない。心が動くほどの励ましやけん。“環境でも人でもない。自分が変われば周囲が変わる。信心で幸せになろう”。その言葉にうそはない思うたがよ」。1988年(昭和63年)、創価学会に入会した。
 だが、父は信心に大反対。母がいつもかばってくれた。悔しさを力に変えて、信心の先輩について活動に励んできた。やがて、老いた母と暮らす自宅を、地区の会場に提供するように。長年、多くの学会員との素晴らしい出会いを刻んだ母・陽子さん(88)は入会。喜ぶ母の笑顔に「やっと親孝行ができた」と思った。
  
 「教えてください」。名人と呼ばれる川漁師に頭を下げた。しかし漁師は黙したまま。小野さんは諦めなかった。来る日も来る日も足を運び、四万十への愛着や思いを伝えた。口数少ない名人が「明日から来い」と言った。柴漬け漁の習得に2年、投網漁に1年かかった。
 「伝統の技っちゅうもんは、師匠が教えてくれるんが当たり前やない。師匠にぶつかって弟子が教わるもんや。本当の師弟関係は損得じゃないがよ。師匠は弟子の心意気を見ちゅうが。弟子の成長を待っちゅうがよ」
 
 技術だけでなく、人としての振る舞いも教わった。「信心と同じやと思った」。だから素直に聞けた。
 一人立ちして20年になる。手間を掛けてこしらえた仕掛けや船が豪雨や台風で壊され、流されることは度々。人生に行き詰まり、苦しい時ほど池田先生の指導をひもといた。祈った。
 「負けるな。負けるなって励ましてくださる。胸が熱うなる。こんなに弟子を思う師匠がどこにおるがよ」

 四万十川を取り巻く環境は時代と共に変わりゆく。気候変動の影響もあるだろう。漁獲量は減り、漁師を辞めざるをえない人も多い。しかし「指をくわえて見ちょっても何も変わらんがよ」。どうすれば地域のためになるか、祈った。どうすれば四万十の魅力を伝えられるか、知恵を湧かせた。
 13年前、川漁師体験を始めた。四万十の伝統漁法を手ほどきする。マスコミで取り上げられ、夏休みには各地から親子連れが訪れるようになった。
 後継の息子と一緒に漁に出る。それが何よりうれしい。
 「池田先生に教わった報恩の人生、それしかないがよ。後世に伝えていくんが自分の使命。師匠への恩返しやと思うがよ」


◆〈スタートライン〉 福島県双葉町出身の箏奏者 箏男kotomen 大川義秋さん
つらい経験をしたからこそ誰かを励ましたい

 箏奏者の大川義秋さんは自らを「箏男kotomen」と名乗り、SNSでJ―POPのカバー曲を投稿するなど、従来の邦楽の枠組みにとらわれない形で箏の魅力を発信している。

 

2020年2月28日 (金)

2020年2月28日(金)の聖教

2020年2月28日(金)の聖教

◆わが友に贈る

   状況や環境がどうあれ
 自分に負けないことだ。
 何があっても明るく
 前を向いて歩み抜く人に
 福徳の春は訪れる。


◆名字の言 試練は幸福という花を咲かせるための……。

 生花店を営む友が語っていた。「花を育てるようになって、雨の日が好きになったという人は多いんですよ」。なるほど。試練や苦労もまた、幸福の花を咲かせるための“雨”と思えば、捉え方も変わってくる▼ある女子部員が体験を話してくれた。脳性まひで生まれ、右半身に障がいが残った。それを理由に、どれほどいじめられたか。一番つらかったのは、最初の就職先から突然、解雇された時。「あなたは足が悪いから仕事を頼みにくい」と言われた▼でも負けなかった。10社、20社と不採用になっても、再就職の活動に挑み続けた。そして、ついに64倍の競争率を勝ち越え、法律支援を行う事務所の職員に採用された。今、職場の弁護士や同僚から寄せられる信頼は絶大だ▼「人生は、きれいな道より、でこぼこ道の方がおもしろいですよ」「だって、つらいと思う時は成長している証しですもの」。人知れず流した悔し涙、一人もらした落胆のため息……。その全てを“成長の雨”にして咲かせた、花のような笑顔である。話を聞き、胸に温かいものが広がった▼仏法では、人それぞれにある尊い使命を「桜梅桃李」と譬える。一つ一つ、色や形は違う。けれど、どれも厳しい冬を越えて咲く“春の花”。人生の庭に咲き薫る美しい花々である。(誠)


◆寸鉄

一日一日、進歩する人が
青年である―牧口先生。
今日も価値創造の一歩を
     ◇
他者との「つながり」が生
きる力に―識者。心と心
結ぶ創価哲学は希望の光
     ◇
福島県沖の魚介類、出荷
制限が全て解除。風評被
害の払拭へ後押しさらに
     ◇
環境に配慮しラベルない
飲料が通販で増。ごみ減、
廃棄も楽。皆で知恵重ね
     ◇
肺炎めぐるデマや中傷が
拡散。情報は政府や自治
体等の信頼できる所から


◆社説 1日から「未来部希望月間」 一人に光を当てる励ましを

 「同世代が活躍しているのを見ると、自分と比べてしまう」――ある未来部員が語っていた。確かに、ネット環境が整い、スマートフォンが普及したことで、若い世代が活躍する情報を目にする機会は、以前よりも多くなった。
 内閣府の調査(2018年度)によれば、日本の若者は、諸外国の若者と比べて、自分自身に満足している人の割合が低いという。日本人の回答者の半数以上が満足していないと答えた。現状に満足することなく向上心を持つことは望ましいが、人と比べて自信をなくしてしまっては成長の妨げとなる。
 心理学者のマズローは、「欲求5段階説」を提唱している。それによれば、「自分のことを認めてもらいたい」という欲求が満たされることで、「自分のやりたいことに挑戦したい」という欲求へとつながっていくとされる。
 自分のことをきちんと認めてくれる人がいることは、若い世代にとって大きなエネルギーになるともいえる。
 ある女子高等部員は、声も小さく、控えめな性格だった。彼女のもとを訪れた未来部の担当者は、E―1グランプリへの挑戦を促した。彼女は幼い頃から英語を学んでいたこともあり、E―1への取り組みを通して少しずつ自信をつけ、高等部の副部長としても活動するまでに成長した。
 ところが昨年、夢だった看護学部の推薦入試が不合格という結果に。報告を受けた担当者は、どう励ましていいか悩みながらも高等部員のもとへ駆け付けた。その後も会えないときはLINEなどで励ましの言葉を送った。
 すると高等部員から“新たな夢が見つかった”とのメッセージが届いた。そして彼女は、題目をあげながら勉強に励み、志望大学に合格し、この春、進学する。
 池田先生は「どう励まし、伸ばしていくか。まず祈り、子どもたちの笑顔を思い浮かべて題目送っていくことから、すべては始まる」「『ここまでしてくれるのか』と言われるくらい心を砕く――その真心に応えて、人は育つ。学会精神は受け継がれる」と語っている。
 直接会うことができなくても、電話や手紙、SNSなど、真心を伝える手段はある。顔や名前だけでなく、趣味や将来の夢、何を頑張っているのかなどを知ってくれている人が身近にいることは、未来部員が自身を認め、目標に挑戦する意欲へとつながるのではないだろうか。
 3月1日から「未来部希望月間」が始まる(31日まで)。無限の可能性を持った若き生命を信じ、一人一人の笑顔を思い浮かべながら、宝の未来部の成長を祈り、励ましていこう。


◆きょうの発心 御義口伝 大阪学園総県副総県長 甲斐邦彦2020年2月28日

御文 此の信の字元品の無明を切る利剣なり其の故は信は無疑曰信とて疑惑を断破する利剣なり(御義口伝、725ページ・編1571ページ)
通解 この信は元品の無明(根本の迷い)を切る鋭利な剣である。その理由は「疑い無きを信と曰う」ということで、信は疑惑を断ち切る利剣である。

強き「信」で宿命を使命に変える
 “信”こそ、無明という迷いの根本を打ち破る利剣であると、教えられています。
 信心強盛な両親の元に生まれ育った私は、未来部、学生部、男子部とまじめに学会活動に励んできました。順調だった人生に試練が訪れたのは、結婚後の1989年(平成元年)。3人目の子どもが、重い心臓病のため、生後8日目に亡くなったのです。大きなショックでしたが、同志の激励によって立ち直ることができました。
 それから7年後、今度は、生まれてきた子どもに障がいの疑いがあるとの診断が。心が押しつぶされそうになりましたが、先輩から「御本尊を信じ切ろう」「広布のための行動は、全部、福徳になって返ってくる。宿命を使命に変える戦いを」と励まされ、何があろうが子どもを守る、信心で宿命転換すると夫婦で固く決意。検査の結果、障がいの疑いも晴れ、いかなる試練にも揺るがぬ信心の確信をつかみました。
 「前進・人材の年」の本年、師との縁深き大阪学園総県の壮年部として、報恩感謝の思いを胸に、一人でも多くの人を幸せにするために前進します。


【聖教ニュース】

◆3月1日から「未来部希望月間」 2020年2月28日

全員が勝利者に! 親孝行の道を!――池田先生が、高等部の代表に温かなまなざしを注ぐ(2010年3月、東京・信濃町の旧・聖教新聞本社で)

全員が勝利者に! 親孝行の道を!――池田先生が、高等部の代表に温かなまなざしを注ぐ(2010年3月、東京・信濃町の旧・聖教新聞本社で)

 さあ芽吹きの春3月へ――未来部員の成長を祈り、励ましを届ける「未来部希望月間」が、3月1日から始まる(同31日まで)。
 3月は進級や進学、就職などに備え、自身の可能性を見つめながら将来の夢を描く大切な時期。期待に胸を膨らませる一方、新生活を前に不安を抱く子どもたちも多い。月間では、そうしたことに細かく配慮しつつ、今の社会的状況を踏まえ、新たな使命の舞台へ飛翔する未来部員を見守り、エールを送る。
 
青春の日々を刻む成長のドラマ
 各地では今、勉学やスポーツ、読書など、青春の日々を刻む友の成長のドラマが、数多く生まれている。
 山形県に住む女子高等部員(3年)の原点は、高校受験の時に地域の同志から温かな激励を受けたこと。第1志望の高校には進学できなかったが、進んだ高校では“同志の真心に応えたい”と新体操に汗を流し、2年生の時には全国大会に出場することができた。
 「ずっと応援しているから」との同志の期待を胸に、受験勉強にも全力。成績が伸び悩んだ時期もあったが、諦めずに挑戦を重ねる中で見事、第1志望の大学に合格した。
 「私を信じてくれる皆さんのためにも、世界で活躍できる人材に成長します」と誓う。
 
同志の励ましを飛翔の力に
 佐賀県在住の少年部員(6年)の夢は、体操選手になること。小学1年から体操競技に励み、4年生の時には全国大会に出場した。しかし、6種目競技の一つである「跳馬」で失敗し、右足を骨折してしまう。落ち込む彼を奮い立たせたのは、地区の同志や未来部担当者の励ましだった。
 題目に挑戦するようになった彼は、4カ月間のリハビリの末、練習に復帰。6年生で出場した12歳以下の体操競技大会では、雪辱を果たし、跳馬で全国12位の結果を残した。
 
躍動の春へ力を蓄える時は今! 
 池田大作先生は、鳳雛たちに限りない期待を寄せる。「冬の試練の間の成長は、目には見えないかもしれません。でも、皆さんの生命の奥深くでは、前へ前へと、絶え間ない成長のリズムが刻まれています。冬の間にこそ、どう力を蓄えるか。どう心を磨き、夢と理想の翼を広げるか。ここに青春を勝ちゆく鍵があります」
 躍動の春に向かって重要な時は「今」!
 松野未来部長、先﨑女子未来部長は語る。
 「未来部員は、一人ももれなく使命の人であり、学会の宝です。一人一人が師匠の心を受け継ぎ、学会創立100周年の主役と育っていくよう、励ましを送っていきます」
 
 未来部機関紙の3月号が完成した。
 中学・高校生向けの「未来ジャーナル」(写真左)では、池田先生の連載「誓いの明日へ――日蓮門下を語る」を掲載。第24回(最終回)は「妙一尼」をテーマに、「人類の春を呼ぶ偉大な青春の大道を、朗らかに歩みゆこう!」と呼び掛ける。
 小学生向けの「少年少女きぼう新聞」(同右)の連載「春夏秋冬ほがらかに」の第24回(最終回)のテーマは、「学びの旅へ」。「一緒に、世界へ羽ばたこう!」と真心のエールを送る。
 両紙とも月刊、オールカラー12ページ。55円(税込み)。「聖教電子版」の有料会員サービスとしても閲覧できます。


◆女性平和文化会議がSDGsアンケート  2020年2月28日

集計結果を発表 1363人が回答
 女子部の女性平和文化会議(小松議長)が実施したSDGs(持続可能な開発目標)に関するアンケートの集計結果が、このほど発表された。
 同アンケートは、昨年9月1日から11月30日にかけて、全国の10代(中学生以上)から30代の女性を対象に実施したもの。対面式とネット入力式で行い、1363人から回答を得た。
 
認知度は20・30代が半数、貧困対策に関心
 SDGsの認知を問う設問では、「知っている」「言葉を聞いたことはある」と回答したのが20、30代で半数近く、10代では6割を超え、他の調査による年長世代の数字を上回った。
 また、17あるSDGsの目標のうちで関心があるテーマは、目標1「貧困をなくそう」が最も多く(59%)、次いで目標16「平和と公正をすべての人に」(54%)、目標4「質の高い教育をみんなに」(50%)の順になった。

ジェンダー平等について学んだ女性平和文化会議の講演会(昨年12月、東京・新宿区の戸田記念国際会館で)

ジェンダー平等について学んだ女性平和文化会議の講演会(昨年12月、東京・新宿区の戸田記念国際会館で)
 さらに、日本の男女格差是正が国際的に遅れているとの研究がなされている現状を踏まえ、SDGsの目標5にもあるジェンダーに関する問いを設置。特に政治や経済分野における女性の社会進出を遅らせている原因として、男性の意識や社会整備の遅れを指摘する意見が寄せられた。
 その上で、ジェンダー平等を達成するために必要なことを問う質問では、学校や企業内での教育を推進する必要性が最も多い回答となった。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈「新・人間革命」と私〉 奈良総県婦人部長 博多智子さん
心に刻む珠玉の言葉
 「根がある人は、何があっても必ず栄える。根とは信心です。その根をより太く、強くしていくことによって、福運を吸い上げ、自分のみならず、一家一族をも、永遠に繁栄させていくことができる」 <第26巻「勇将」の章>

時代背景
 1978年(昭和53年)1月、山本伸一は奈良を訪問。前年暮れに完成したばかりの明日香文化会館を訪れ、太陽の仏法が大興隆していく象徴とたたえる。また、奈良支部結成17周年を記念する幹部会に出席。県として「支部制」の出発の集いとなったこの幹部会で、伸一は草創の功労者をはじめ、新リーダーに真心の激励を送っていく。

師の指針を学び人生を勝利
 これまで池田先生は17回、奈良を訪問されていますが、この「勇将」の章の連載が聖教新聞で始まった2013年当時、“先生の18回目の奈良指導”との思いで同志と喜びながら学び合ったことを今も思い起こします。
 関西の婦人部・女子部は現在、小説『新・人間革命』を毎日読むことを目標に、研さん運動を進めています。これは“先生の指針を日々、心に刻むことで人生を勝利しよう”との思いからです。「毎日読んで元気をもらっています」などの報告をいただくたび、うれしい気持ちになります。
 
壁をつくらず地域に信頼を
 奈良は神社仏閣も多く、旧習が残る地域もあります。
 本章には「奈良県創価学会には、この地に真実の仏法の力をもって新しい人間文化を創造し、社会の融和と繁栄を築き上げる使命がある」とありますが、そうした期待を胸に、奈良の同志は“いかに地域に信頼を広げていくか”を真剣に考え行動してきました。中でも、先生が奈良訪問を通して教えてくださった“周りの人に自分から壁をつくらない”という心を大切にしています。
 近年では、地域の活性化になればと、青年を中心に地域行事に積極的に参加するメンバーも増えてきています。さらに、そうした学会員の真心の献身に対して、地域の方々から寄せられる共感の声も、よく耳にするようになりました。やはり、自分から壁をつくらず、勇んで希望広げる行動を起こしていくことが重要であると感じます。
 
根をより太く張る信心
 この心構えは同志に対しても変わらないと思います。私自身、訪問・激励の際には、どこまでも相手の話に耳を傾け、相手に寄り添おうとの姿勢で臨んでいます。また、そうした語らいを通し、早めに帰宅して地域に尽くしたり、家族との絆を強めたりする中で、隣人をはじめとした多くの人に模範を示していこうと呼び掛けています。
 一人一人が“根をより太く張る信心”を確立しながら、先生が“大好きな天地”と語ってくださった奈良で、地域に揺るぎない信頼を広げていけるよう、徹底して励ましを送ってまいります。


◆〈SGIの輝き〉 EXPERIENCES(体験編) チェコ2020年2月28日

チェコの首都プラハの街を、高台から望む。日本では、チェコの国民的作曲家スメタナの「モルダウ」の名で知られるヴルタヴァ川の流れも見える

 世界192カ国・地域に広がるSGIの連帯。ここでは、さまざまな分野で活躍する東欧チェコのメンバーから聞いた人間革命のドラマを紹介する。

ハンナ・チバースさん
●青年と共に幸福の連帯を築く
 チェコでは現在、プラハ以外の地にも、SGIメンバーが次々と誕生している。
 同国第2の都市ブルノを中心とした東部のモラビア地方を活動の舞台とするインスピレーショングループ。そこで、メンバーの連帯の要となっているのが、ハンナ・チバースさん
(婦人部グループ長)。「ここ数年、青年部が増えてきています。さらに、ブルノにある国立マサリク大学には、昨年秋、初めて創価大学からの留学生が来てくれました」
 チバースさんは1990年、イギリスで入会した。その後、人間関係がうまくいかず、自身の生き方に悩んだ時、入団したのが、同国SGIのライラックグループ(白蓮グループ)だった。
 チバースさんは、月1回の任務をリズムに信行学に励むうち、他者に献身する生き方の中にこそ真の充実があると実感した。「あの頃から何かが変わったんだと思います。ある日、真剣に祈る私の姿を見た家族が、『まるで世界の平和を守る戦士のようになったね』と言ったんです(笑い)」
 職場では信頼の実証を示して昇進。また、願っていた結婚もすることができた。
 その後、生活の拠点をブルノへと移したチバースさん。現在、子どもの通うインターナショナルスクールの司書の仕事と家事、そして学会活動に奮闘。さらに、環境保護のボランティア活動もするなど、ますます忙しい日々を送っている。
 「青年と共に、朗らかに自他共の幸福の哲学を語り広げます!」

ヨンミ・キムさん
●航空会社で信頼を広げる
 民主化を実現した「ビロード革命」の立役者バーツラフ・ハベル元大統領の名を冠した首都プラハの玄関口バーツラフ・ハベル・プラハ国際空港。
 そこでヨンミ・キムさん(地区婦人部長)は韓国の航空会社の地上業務に就く。「あらゆる人々と接するなど、刻一刻と変化する職場です。仏性を信じ抜く信仰の実践が生かされていると感じています」
 韓国中西部の都市テジョンで生まれた。母親は信心強盛だったが、キムさん自身は長い間、仏法の実践はしなかった。
 発心したのは30代半ば過ぎ。ある資格試験に挑んだ折、猛勉強に励みながら、学会の同志の言葉を信じ、題目を唱えるようになった。
 全てをやり切り、試験の合格を勝ち取った時、自身の弱さに打ち勝った充実感を得た。
 その直後、観光業を営む夫と共に、プラハへと渡ったキムさん。
 当初は異国の地での寂しさもあったが、唱題根本に、何事も前向きに挑戦していった。
 英語もチェコ語も、ほとんど話せなかったものの、就職活動では、思い切って航空会社に応募。すると、結果は採用。
 入社後は、さらなるスキルアップを図ろうと、語学の習得だけでなく、大学院にも進学。昨年、国際関係学の修士号を取得した。
 多忙な日々の中、キムさんは学会活動にも全力投球してきた。
 常に挑戦し、向上し続けるキムさんに同志からの信頼は厚い。広布の会場を提供するキムさんの自宅には、座談会ともなれば、多くのメンバーや友人が集い、いつまでも幸の語らいが続く。

ユキコ・キンジョウさん
●声楽家として音楽の都で活躍
 音楽の都として知られるプラハ。街の中心にある国立劇場で、専属のオペラソリストとして活躍するのが、沖縄生まれのユキコ・キンジョウさん(婦人部員)だ。
 幼い頃から歌うのが好きだった。日本の大学の教育学部で声楽を専攻。音楽の教員免許を取得し、卒業後しばらく非常勤講師を務めた。だが、“声楽の道を究めたい”という抑えがたい心の声があった。
 仏法の話を聞いたのは、そんな時だった。
 キンジョウさんは、この時に教えられた御書の一節「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり」(790ページ)に深く感動し、人生の夢を懸けて2002年に入会した。
 その後、一流のソリストを志し、奨学金を勝ち取って海外へ。イタリアのミラノとパルマを経て、05年、プラハにやって来た。この間、キンジョウさんは池田先生の指導を胸に、働きながら語学と声楽を学び抜いた。
 08年、声楽家としての人生が開ける。
 「ドヴォルザーク国際音楽コンクール」で3位に輝くとともに、最優秀ドヴォルザーク賞、最優秀モーツァルト賞も受賞したのである。
 以来、チェコ国内はもとより、ドイツやイタリア、日本などでコンサートに出演。浮き沈みの激しい音楽芸術の世界で、高い評価を受け続けている。
 キンジョウさんは誓っている。「厳しい環境を嘆くのではなく、自身を変革する人間革命の思想を胸に、これからも努力し続けていきます」

タケシ・オザキさん
●師との原点を胸に職場で実証
 「赴任した当時の5倍の売り上げを達成できたんです」
 声を弾ませるのは、2012年以来、日本の貿易会社の海外営業マンとして、プラハで活躍するタケシ・オザキさん(青年部責任者)。今年度、現地法人の過去最高の売り上げに貢献した。
 オザキさんは“学会3世”として、東京・東大和市で生まれた。
 幼い頃から、異文化の中での暮らしを夢見てきた。04年に、創価大学に進学し、語学を学んだものの、海外で活躍できるレベルまでには至らなかった。
 そんなオザキさんの転機となったのは08年の卒業式。出席した創立者・池田先生が寄せた創大生への期待に、世界平和に貢献する人間になると決意を新たにした。
 その後、単身オーストラリアへ渡り、働きながら、英会話のスキルを向上。11年の年頭に帰国して就職活動を始めた。
 しかし、試練が襲い掛かる。直後に発生した東日本大震災の影響で、多くの企業が採用活動を取り止めてしまったのだ。
 それでも、創大卒業式での誓いを胸に、奮闘すること約9カ月。ようやく現在勤める会社から内定を得た。
 入社して数カ月、世界広布を祈る中、会社から辞令を受けた赴任先がチェコだった。
 以来、同国青年部の責任者として、チェコを使命の舞台と決め、仕事にも学会活動にも一歩も引かずに前進している。来月には、オザキさんの職場での実証に感銘を受けたチェコ人の友人が、御本尊を受持する予定だ。
 オザキさんは青春の誓いのままに、東欧の天地に人間主義の連帯を築きゆく。

●ご感想をお寄せください
 news-kikaku@seikyo-np.jp


◆〈信仰体験〉生きるよろこび  悪性リンパ腫と闘う夫、寄り添い支える妻

 【福岡県・志免町】川口透さん(65)=副圏長=は6年前、「悪性リンパ腫」と診断された。2度再発し、その間、脳梗塞にも襲われる。妻・節子さん(63)=圏副婦人部長=と共に病と向き合う中で見えてきたものとは――。
 2013年(平成25年)、川口さんは喉に違和感を覚えていた。病院に通い、処方された薬を飲んでも消えず、徐々に強くなっていく。
 11月、東京に住む子どもたち3人に会うため夫婦で上京した。3人とも創価大学を卒業し、それぞれの使命の道で奮闘していることがうれしかった。
 長男の妻の幸子さん(36)=白ゆり長=に、体調不良を漏らすと、「近所にいい病院があります」と。通院できないと思ったが、念のためにと病院へ。「腫瘍の可能性があります。紹介状を書きますので、地元の総合病院へ行ってください」とまさかの言葉。
 翌年3月、福岡の病院での検査結果が出た。ステージ2の「悪性リンパ腫」だった。
 ホジキン腫というがんで国内では約10%と少ない。「治療すれば治る」との医師の言葉に“守られた”と思った。8回の抗がん剤治療と18回の放射線治療を行い、7月には寛解と。
 だが――翌年5月、定期検診で、再発を告げられる。非ホジキン腫の末梢性T細胞リンパ腫で「再発が早い。たちの悪いがんです」と。
 “治ったと言われたばかりなのに、なぜ……”。崖から一気に突き落とされた気がした。
 医師から提案された造血幹細胞の自家移植を受けることに。血液細胞のもととなる造血幹細胞を採取しておき、がん細胞を根絶する治療の後に戻し、正常な造血機能を回復させる治療法。
 6月から4カ月間、移植の前処置として、大量の抗がん剤が投与された。髪が抜け、激しい倦怠感、下痢に襲われる。眠ることもままならず、そのまま朝を迎えることも。幻覚にもさいなまれた。
 耐えに耐えたが、8月ごろ、体に力が入らなくなる。題目も唱えられない。ふと“もう十分生きたじゃないか……”。諦めそうになる。
 そんな川口さんを妻の節子さんは懸命に支えた。
 毎日、病室まで聖教新聞や池田先生の書籍を届け、学会活動の様子を聞かせてくれた。
 「妻の話を聞くうちに、学会活動をしたい、仕事をしたいとの思いが募った。当たり前と思える日常の中に、かけがえのない幸せがあることに気付けた。先生の弟子として、病魔に負けてはならないと自分に言い聞かせました」
 10月、移植が開始。次第に造血機能も回復し、2カ月後には退院を果たす。夫婦で喜びを分かち合った。
 当たり前が当たり前ではない――妻の節子さんも同じことを思っていた。
 節子さんは、大阪出身の創価大学5期生。在学中、創立者から幾度も励ましを受けてきた。卒業後は就職で大阪へ。そこで、勤め先の広島支店で働く川口さんと出会い、結婚した。
 広島、福岡では、夫婦二人三脚で、学会活動に地道に励み、夫のうつ病や会社の倒産など、幾多の苦難を乗り越えてきた。
 夫が入院してからは、一人の日が多くなる。ふと寂しくなることも。そんな時は“二人分”と決めて活動に励んだ。夫が再発を越え、学会活動に励むようになった。“二人で”歩めることに感謝しかなかった。
 だが16年4月、仕事から帰宅した夫の表情がおかしい。左の頬が垂れている。病院へ連れて行くと、脳梗塞を起こしていた。さらに、11月に「脳梗塞の一歩手前」と医師に言われ、手術を行った。
 夫は左半身にまひが残った。指先に力が入らない。ネクタイやボタンがままならない。そんな時は、そっと手を差し伸べる。ボタンを留め、ネクタイをキュッと締め、ぽんとひとたたき。階段を上る時は体を支える。夫の「ありがとう」は、闘病後、よく聞くようになった言葉だ。
 「ネクタイを締めてあげるなんて、新婚の時さえしなかったことです。でも、夫婦って支えたり、支えられたりするもの。この病を二人で乗り越えることが“夫婦”の使命だと思えたんです。夫は体が不自由になっても、信心への情熱は変わりません。学会活動に一生懸命です。ただ“生きる”のではなく、“何のために生きるのか”が大切だということを、教えてくれました」
 18年1月、川口さんは、悪性リンパ腫の再々発を告げられた。今度は、ドナーによる「同種造血幹細胞移植」を行うことに。幸い、ドナーはすぐに見つかった。
 治療前に入った無菌室に、本などは持ち込めない。ならばと、節子さんは聖教新聞などを読み聞かせてくれた。うんうんと、うなずくばかりの川口さんに「どう? 王様になった気分は(笑い)」と笑顔で。
 かつて夫婦で学んだ小説『新・人間革命』の一節を何度も読み返した。
 「何か困難にぶつかったならば、行き詰まりとの“闘争”だ、障魔との“闘争”だ、今が勝負であると決めて、自己の宿命と戦い、勇敢に人生行路を開いていっていただきたいのであります」
 5月、移植を行った。生着したドナーの細胞が患者の身体を攻撃する移植片対宿主病(GVHD)もなく、7月には退院。19年3月から職場復帰し、学会活動も再開できた。
 現在まで、さらなる再発・転移はない。医師が驚くほどの回復を見せている。日々、病と闘う友のもとを訪ね、自身の体験を語っている。
 「病気になる前は、相談されても、知らず知らず、上から『題目ですよ』って言ってしまっていた。でも今はまず、闘病の苦しさに寄り添いたくて、話をじっくり聞きます。それから、『一緒に祈って乗り越えましょう』と励ますようになりました。同苦できるようになったことが、病気になった一番の功徳です」
 もう一つ分かったことがある。
 故郷の長崎を離れ、福岡の大学で学んでいた18歳の時のこと。下宿先まで何度も通ってくれた男子部の先輩がいた。片方が義眼。強面で近寄りがたいが、話してみると、優しくて、温かくて、熱い人だった。
 ある時、入会した当時のことを話してくれた。病気で両目を失明しかけた時に信心と出あったこと。懸命に祈り、折伏に励む中、片方の目を残すことができたこと。そして、「川口君、この信心は、苦しんで、苦しんで、それでも御本尊を信じ抜いた時、初めて、本当のすごさが分かるんだよ」と――。
 「47年たって、あの先輩の言葉が改めて胸に刺さります。やっと信心のスタート地点に立った思い。“ここまでやったから”というのは信心にはありません。今からがどうか。私たち夫婦の真価を見せる時だと決めて、体験を語り抜いていきます」

 

2020年2月27日 (木)

2020年2月27日(木)の聖教

2020年2月27日(木)の聖教

◆わが友に贈る

   火災を絶対に起こすな!
 暖房器具の消し忘れや
 たこ足配線は禁物だ。
 皆で声を掛け合い
 百千万億倍の用心を!


◆名字の言 日蓮大聖人の御在世当時もたびたび疫病が流行した

 日蓮大聖人の御在世当時には、たびたび疫病が流行した。そうした中、佐渡の門下・阿仏房が身延にいる大聖人のもとを訪れたことがある。大聖人は阿仏房の顔を見るや、“あの人は大丈夫か”“この人はどうしているか”と真っ先に門下らの安否を尋ねたという▼大事な門下の身を案じ、現実の幸福を祈る大聖人の振る舞いを通し、池田先生は語った。「『現実』を離れて仏法はない。ただの理屈でもない。観念でもない。『人間性』を離れて仏法はない」▼先生の同志への励ましも同様であった。会長に就任した翌年の1961年は自然災害が相次ぎ、ポリオ(小児まひ)が猛威を振るった。先生は大阪事件の公判に臨むため、関西を訪問した際、出廷前後の間隙を縫って第2室戸台風の被災者と、小児まひと闘う少女とその母親の激励に走っている▼新型コロナウイルスの感染拡大を警戒する日々が続く。先が見えない不安や不測の事態への恐怖が生まれる場合もある。正しい情報をもとに、適切な判断や行動を心掛けたい▼友、家族、そして自身のために、賢明にして現実的な用心を怠らず、強盛な祈りをともどもに貫いていこう。環境は変わっても、いな、変わっていくからこそ、生命力を湧きいだす不変の励ましがどこまでも大切である。(代)


◆寸鉄

「大風吹けば求羅は倍増
するなり」御書。試練の
時こそ勇気の信心で進め
     ◇
各地で「女性の日」。麗し
き“婦女”の連帯はわが
地域の太陽。希望の春へ
     ◇
「溌剌な人の元では全て
が活気に溢れる」箴言。
皆に勇気を灯す幹部たれ
     ◇
気候変動は全ての子ども
に差し迫った脅威―国連
未来の宝守るため行動を
     ◇
高齢女性の1人暮らしが
増加。20年後は4人に1
人。共助の絆を更に強く


◆きょうの発心 聖人御難事 東京・町田総区総合婦人部長 知念妙子2020年2月27日

御文 各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし(聖人御難事、1190ページ・編1209ページ)
通解 あなたがた一人一人が師子王の心を奮い起こして、どのように人が脅そうとも、決して恐れてはならない。師子王は百獣を恐れない。師子の子もまた同じである。

師子王の心で苦難を乗り越える
 恐れなく覚悟の信心を貫き、胸中の「師子王の心」を取り出していくよう、教えられています。
 わが家は父の目の病を治したいと一家で入会。病魔を克服し、宿命転換することができました。
 創価大学1年の時、寮生の会食会で創立者・池田先生の温かな激励に触れたことが自身の原点です。その後、壁にぶつかったこともありましたが、この御文を拝しながら唱題し、仏法対話に挑戦。弘教を実らせることができました。
 結婚を機に東京・町田へ。3人の子育ての悩み、義理の両親の病、母の病などさまざまな課題に直面しましたが、そのたびに先輩に指導を受け、乗り越えてきました。現在、長女は創大を経て小学校教員に。長男は就職活動に奮闘、次女は今春から創価女子短大への進学を予定しています。
 町田が広宣流布の「特区(特別区)」として新出発して25周年、2・27「町田女性の日」から17周年の本年、ヤング白ゆり世代の皆さんと共に励ましに徹し、広布の新たな歴史を開いてまいります。


【先生のメッセージ】

◆〈心に御書を〉22 たゆまぬ「不退の信心」を2020年2月27日

御文 聴聞する時は・もへたつばかりをもへども・とをざかりぬれば・すつる心あり、水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり(上野殿御返事、1544ページ)
通解 (火のように信ずるとは)教えを聴いた時は燃え立つばかりに思うが、遠ざかると、信心を捨てる心が生じることをいう。水のように信ずるとは、常に後退することなく信ずることをいう。

池田先生が贈る指針
 持続こそ力なり。青年への励ましの御文だ。
 いかなる道も、地道な努力を貫いた人が勝つ。その勝利の流れをつくる究極の源が「不退の信心」である。壁に突き当たったら、題目を唱えて不屈の挑戦だ。
 「誓願」の祈りから迸る生命の勢いで、たゆまず前進を!
 福徳の大河となって民衆の大地を潤すのだ。


【聖教ニュース】

◆きょう創価女子短期大学の日 ビジネス文書技能検定で日本一 2020年2月27日

 きょう2月27日は「創価女子短期大学の日」。
 「女性教育の殿堂」として輝く同短期大学(東京・八王子市)はこのほど、今年度の「ビジネス文書技能検定」(主催?公益財団法人実務技能検定協会)で、“日本一”に当たる「文部科学大臣賞」の受賞が決まった。
 同検定は、ビジネスで使用される文書の作成の技能を判定するもの。同短大の文部科学大臣賞は6度目の快挙となる。
 個人では、2級で髙橋詩織さん(2年)が「優秀賞」に、吉田桃香さん(同)が「日本秘書クラブ会長賞」に選ばれた。
 また、ビジネス文書技能検定と秘書技能検定(主催?同協会)で、それぞれ同短大に「感謝状」が贈られる。
今春、開学35周年 女性教育の殿堂

春を待つ創価女子短期大学の学舎。学びの“青春二歳(ふたとせ)”を送り、使命の空へ人材が羽ばたく

春を待つ創価女子短期大学の学舎。学びの“青春二歳(ふたとせ)”を送り、使命の空へ人材が羽ばたく

 創価女子短期大学は本年4月、開学35周年を迎える。
 第1回入学式で創立者・池田大作先生は、“2年間で教授と学生が一体となって、4年制大学以上の実力を”と述べ、「理想」「鍛え」「教養」の人にと限りない期待を寄せた。
 “2年間で4年分の学びを”――これが、1期生から脈々と受け継がれてきた“短大スピリット”である。その向学の魂は、キャンパスに息づいている。
 短大生は、「資格は社会への自信のパスポート」との言葉を胸に、これまで果敢に資格取得に挑戦。そうした学生たちを支えるために、資格取得のサポート体制も充実している。
 無料の課外講座である「資格試験対策講座」(土曜講座)を、専門の講師を招いて実施。試験直前には、創価大学に編入した資格取得者の卒業生が勉強会を開催している。
 昨年度からは、ハイレベルな資格に挑戦する学生を対象とした正課授業の「ビジネス特設クラス」が設置されるなど、より充実した支援体制が整備されてきた。
 女性の社会進出が目覚ましい現代にあって、求められる人材像は多種多様である。その中で女子短大は一貫して、一人一人が持つ特性を伸ばし、社会性と国際性豊かな人材を育成してきた。昨年度に「国際ビジネス学科」の1学科体制がスタート。本年度、新学科2期生の入学とともに全学年がそろった。
 “社会へ有為の女性リーダーの輩出を”との創立者の設立構想から半世紀――短大新時代を担う“姉妹”の使命はますます大きい。


◆池田先生の「1・26」記念提言に寄せて 青年学術者の声 2020年2月27日

 池田先生が1月26日に発表した「SGIの日」記念提言「人類共生の時代へ 建設の鼓動」に寄せて、学術・研究者のグループ「青年学術者会議」(中田伸生議長)が論集をまとめた。代表3人の内容を紹介する。
 
愛知・大学講師 成瀬翔さん
地球規模の課題解決への挑戦

 池田先生は、提言の中で、1960年の国連デー(10月24日)において、当時のダグ・ハマーショルド事務総長の提案によって、ユージン・オーマンディ指揮のフィラデルフィア管弦楽団が、ベートーベンの交響曲第九番の全楽章を国連本部で演奏したエピソードを紹介されています。
 ベートーベンの交響曲第九番の最終楽章では、ドイツの詩人シラーの「歓喜に寄す」に基づいた人類愛の賛歌が奏でられるため、国連においても、各国の平和のための象徴として、演奏されることはありました。
 しかし、池田先生はハマーショルド事務総長が、最終楽章だけの抜粋ではなく、全曲の演奏にこだわったことに着目し、ここに意義を見いだされています。
 ベートーベンの交響曲第九番は、四つの楽章から構成され、第1楽章は激しく闘争的な性格をもつソナタ楽章、第2楽章は諧謔的かつ虚無的な性格のスケルツォ楽章、第3楽章は瞑想的で安らぎに満ちた緩徐楽章です。しかし、ベートーベンは第4楽章の冒頭において、先行する楽章を回想し、なおかつこれらを統合し、乗り越えることを意図したとされています。
 池田先生は、ハマーショルド事務総長の“第九”を全曲演奏するという提案を、闘争や対立を乗り越え、従来の競争のあり方を転換させるアプローチとして評価されています。
 ここには、軍事的競争や政治的競争から人道的競争へというパラダイムシフト(基本軸の転換)の重要性を訴えた牧口先生の『人生地理学』における主張との共鳴を指摘することができます。
 しかし、ここで注目すべき点は、「困難な状況に陥った人々を誰も置き去りにしない」という挑戦が、音楽を土台として支える「通奏低音」のようなものではなく、高らかに歌われる「主旋律」になるという池田先生の指摘です。
 そして、この主旋律に基づいて地球規模の気候変動などの問題にも取り組むべきという池田先生の指摘は、ベートーベンの人類愛の賛歌の精神を、現代の課題に対するアプローチとして再構築する試みであると、思えてなりません。
 
千葉・管理栄養士 鈴木佳織さん
日頃の親交が共生の力に

 今回の提言で池田先生は、気候変動の問題を取り上げ、核兵器の問題と同様に“人類の命運を握る根本課題”と主張されています。
 そして、その問題解決のための挑戦が、これまでにないグローバルな行動の連帯を生み出す触媒となり得ると述べました。また、先生が紹介されたグテーレス国連事務総長の、気候変動の問題は「私たちの時代を決定づける問題」との言葉に、私は危機感を強めました。
 昨年、私が住む地域も台風被害に見舞われ、ライフラインの停止や洪水の恐怖を身近に感じました。まだ暑い時期であったため、停電は熱中症の危険と隣り合わせで、大人はともあれ子どもや高齢者にとっては過酷な環境でした。
 また、自治体からの情報の多くはメールやホームページで配信されるなど、オンラインで得られるものが頼りとなっていたため、端末のバッテリーが切れてしまったら、情報を入手することが困難となってしまいました。
 その中で感じたことは、電源の供給やインターネット環境のない人々は情報難民となってしまい、それは高齢者などにとっては命取りとなり得るということです。事実、携帯電話を持たない独居のご婦人に避難所への移動を呼び掛けた際、避難所が開設されていたことを知らなかったのです。
 池田先生が述べられている「(異常気象による被害の)影響が、貧困に苦しむ人々や社会的に弱い立場にある人々をはじめ、女性や子どもと高齢者に強く出ていることです」との指摘は、地域レベルでも現実的なものであったと感じています。
 そして、この災害での体験で私が感じたことは、困難な状況に陥ったときこそ、日頃の人間関係が生かされ、互いの存在が力になるということでした。普段から近所と親交があるからこそ、情報難民となってしまっていた独居婦人の方と命を守る行動を共に起こすことができたのです。
 先生は、困難な状況に陥った人々を誰も置き去りにしないとの思いをあらゆる場所で力強く響かせていく中でこそ、気候変動という危機も、時代の潮流を転換させるチャンスに変えていけると述べられています。
 普段から学会員として培ってきた、一人を大事にする精神や同苦の精神を自らの振る舞いで示し、“今、生きる場所”でその精神を広げていくことで、問題解決への力になりたいと思います。
 
広島・エンジニア 今井慎一さん
核廃絶に向けた行動強め

 池田先生は提言の中で「核関連システムに対するサイバー攻撃」や「核兵器の運用におけるAI(人工知能)導入」について警鐘を鳴らされました。
 サイバー攻撃の禁止について、核拡散防止条約(NPT)の枠組みを通して早急に確立すべきだと、先見の明のある素晴らしい提案をされています。
 この枠組みとともに、いかにして核関連システムをサイバーテロから守るかを核保有国が検討し合うために、技術者と研究者の相互連携を行うことが大切になると、私は感じました。
 その連携の中で、核関連システムをサイバーテロから守れないリスクや、その場合に何が発生しうるのかを検討していく。そして、核保有国が、その検討結果を受けて、そのリスクを背負って核関連システムを維持し続けることの是非について議論するべきだと思います。
 また核兵器の運用におけるAI導入について、池田先生が提言の中で言及された「AIが主要な役割を担うようになれば、状況判断の過程がブラックボックス化」するとの警鐘は、とても的を射ていると思います。
 AIは通常のコンピュータープログラムとは異なり、その解を導き出す過程をプログラムの元となるソースコード等を追って解析することが実質的にできません。なぜならAIが“学習するプログラム”だからです。
 そして、その学習の元となるのは膨大なデータです。膨大なデータを与えて学習したAIは、ある状況に対しどのような解を出すかをシミュレーションすることはできます。しかし、なぜAIがその解を出したのかを読み解くことはできません。つまり、実質的にAIは、その作成者を含めて人間が、解を制御できない装置と言えます。
 このことから、核兵器の運用に一部であろうとAIを導入することは、相手国だけでなく自国の判断プロセスを不透明化させ、人間以外にその判断を依存するような、非常に危険で無責任なものになると危惧します。
 いずれにせよ、先生の提言にある、核兵器禁止条約の発効や核廃絶に関する取り組みを加速させる以外に、核兵器と新技術を巡る問題の、根本的な解決はありえないでしょう。
 被爆地、ヒロシマで暮らす一人の技術者として、健全な議論を経て多くの国同士が核問題の解決に向けた行動を強めていくことを願ってやみません。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈世界広布と新入会の友〉 イタリア 「勇気」は自分の中にある

イタリアでは、あらゆる世代で信心を実践する友が増えている(昨年10月、ナポリ近郊にあるポンペイの遺跡で)

 なぜ信心を始めたのか。創価学会の魅力とは何か――。海外の新会員を紹介する「世界広布と新入会の友」。今回は、イタリアのメンバーに話を聞いた。

ミケーラ・イエラーピさん(女子部) 2016年入会
将来の夢が見つかった
 16歳の時、初めて信心の話を聞きました。その頃の私は、“自分は誰なのか”“どこへ向かうのか”と、ずっと迷っていました。
 誘われて参加した座談会で、最も心に響いたのがメンバーの体験発表です。
 自分のためだけでなく、周囲の人々の幸福に尽くしながら、宿命転換を果たしたドラマに感動し、私も題目を唱えてみたいと思いました。
 信心を実践するようになって気付いたのは“苦悩の中に歓喜がある”ということです。
 それまでは、悩みや困難は幸福と別の所にあると思っていました。しかし仏法では、全てが成長の力になると教えます。まさに探し求めていたものでした。
 両親に入会の意思を伝えると、最初は心配して反対されました。わが家は別の宗教を信仰しており、創価学会の存在自体を知らなかったからです。
 私を守りたいという強い思いを感じ、感謝の気持ちが湧きましたが、「学会は平和と幸福を目指す団体なんだよ」と真剣に語ると、入会を認めてくれ、2016年6月に御本尊を受持することができました。
 まず、かなえたかったのが、一家和楽と母の入会です。特に母とは折り合いが悪く、当初は不可能な目標にも思えました。それでも真心の祈りが通じ、翌年9月に母を入会に導くことができたのです。
 母は自身が掲げた願いが全て実現し、充実した日々を過ごしています。父と共に営むピザ店の売り上げも順調です。
 かつての私は、人と比べてばかりで、自分には価値がないと思い込んでいました。でも今は違います。
 将来の夢も見つかりました。昨年9月、ローマ・ラ・サピエンツァ大学に入学し、国際協力・開発の分野を学んでいます。卒業後は世界平和に貢献できる仕事をと考えています。
 学会は、私たち一人一人が無限の可能性を秘めていること、決意したその瞬間から全てを変えられることを教えてくれました。何より、私の勝利を祈り信じてくださる師匠・池田先生がいます。
 現在、4人の親友と一緒に唱題を続けています。高校時代のクラスメート全員とも仏法対話をしました。これからも、縁する人たちに師弟不二の信心の喜びを伝えていきたいです。

クリスティーナ・ファルチネッリさん(婦人部) 2016年入会
ここが人間革命の舞台
 私はかつて、深刻な皮膚がんを患っていました。
 病と向き合う中で“人生で最も大事なことは何か”と考えるようになり、どうせなら、誰かのために生きる日々でありたいと思い始めました。
 そこで頭に浮かんだのが、学会員である学生時代の友人でした。その友人は、ご主人や家族が相次ぎ亡くなるという悲しみに直面していましたが、いつも明るく、周囲に希望を与えてくれる存在でした。信心について話してくれた時から、関心を抱いていたのです。
 アメリカに住む彼女からローマの学会員を紹介してもらい、連絡を取りました。時同じくして、娘も学会の方から仏法の話を聞くという偶然が重なり、“これはもう信心するしかない!”と確信したのです(笑い)。
 そこから勤行・唱題に取り組み、座談会などにも参加しました。私生活では離婚問題も抱えており、苦しい時期でしたが、この信心のおかげで、自分の中にある「勇気」を取り出すことができました。御書や池田先生の指導が私を強くしてくれたのです。
 先生は“勇気のある人は全てを実現していける”と言われています。師匠の言葉通り、勇気の力で眼前の課題を一つ一つ乗り越え、目標をかなえることができたと感謝しています。
 最も大きな実証は仕事です。私には、大好きなオリーブオイルに関する仕事がしたいという夢がありました。そこで思い切って転職し、オリーブオイル鑑定の専門資格を取得しました。成功は難しいとみられていましたが、資格を生かした現在の仕事は順調そのものです。皮膚がんも治療を経て、寛解を勝ち取ることができました。
 学会活動で大好きなのは「折伏」です。これまで、2人の友人が御本尊を受持しました。3人の子どもたちは入会こそしていないものの、題目の功力を実感しているようです。別れた夫も良き理解者となり、信心を始めた娘の友人もいます。
 2年前、ある大きな会合で体験発表する機会がありました。そこに参加していた同志の夫人が、私の体験を聞いて、後日入会したという報告を受けた時は、本当にうれしかったです。
 池田先生は“今いる場所が人間革命の舞台である”と教えてくださいました。どんなに忙しくても、仕事と学会活動を両立し、人生を充実させていきます。

カルロ・トゥオートさん(男子部) 2015年入会
支えてくれる人がいる
 10年ほど前、父と祖父母が相次いで亡くなり、生きる意味を考えるようになりました。答えを見つけようと、さまざまな本を読んでみたものの、解決には至りませんでした。
 2014年、学会の友人から折伏を受けました。私が感動したのは、その友人がこちらの話をじっくりと聞いてくれたことです。
 それまでは、誰かに相談しても、その場限りの“人ごと”で終わるのが常でした。しかし、学会の友人は違いました。私の気持ちを理解してくれ、仏法の視点から生きる意味について語ってくれたのです。それが信心する一番のきっかけになりました。
 翌年入会し、まず教えてもらったのは「目標の設定」です。
 当時の私は、母との関係に苦しんでいました。学会の「永遠の五指針」の第一が「一家和楽の信心」であると学び、母を大切にできる自分になることを目標に掲げました。
 祈ると心が変わっていきました。今では親友のように互いを思いやれる関係になっています。座談会にも参加したことがあり、学会活動に励む私を応援してくれるまでになりました。父の代わりに家族を支えていこうと決意しています。
 以前、組織で方面の未来部担当者を務めたことがあります。かつてはバーテンダーとして働いていましたが、未来部に向けた池田先生の指導を読み、子どもの幸福に尽くす仕事がしたいと思うようになりました。
 現在は、聴覚障がいのある子をサポートする力をつけるため、専門学校で手話を勉強しています。将来的には手話通訳者になりたいと考えています。
 信心するまでは、自分のこと以上に周囲のために行動する人たちと出会ったことはありませんでした。私たちが弘教に挑戦することで、その輪がさらに広がっていくのだと思うと、深い意義を感じます。
 学会の中にいて感動するのは、誰もが人生の困難を抱えながら、信心根本に壁を乗り越えようとしている点です。
 それを支えているのは、池田先生の励ましです。私自身も祈り、小説『新・人間革命』などを読んで先生と対話しながら、悩みや課題に立ち向かっています。
 今後も先生と学会への感謝を胸に、自らが定めた使命の道を歩んでいきます。

ミケーレ・ロマナッツィさん(壮年部) 2015年入会
誰かの力になれる喜び
 毎日、「聖教電子版」が更新されるのを、楽しみにしています。掲載された写真を見るだけで元気が湧きます。この信心を世界中に広げてくださった池田先生への感謝は尽きませ
ん。
 学会との出あいは、2002年にさかのぼります。友人から折伏を受けましたが、当時は信仰に興味がありませんでした。
 その2年後、現在の妻(シルビア・ファンチュッリさん)と巡り合いました。信心歴の長い彼女から折々に仏法の話を聞き、学会の素晴らしさは理解できたものの、入会には踏み切れませんでした。
 転機となったのは2014年です。イタリア創価学会の核兵器廃絶運動「センツァトミカ(核兵器はいらない)」キャンペーンに共感するとともに、肩の痛みを治したいとの思いから、少しずつ題目をあげるようになりました。
 祈ると、すがすがしい気持ちになる一方、肩の状態は日増しにひどくなっていきました。しかし、それがきっかけで検査を受けることになり、結果的に重い心臓の病であることが分かったのです。
 翌年、シルビアが運営役員を務めたセンツァトミカの展示会の成功を見届け、無事に入会と入籍を済ませることができました。
 直後に心臓の手術を控えていましたが、不安は全然ありませんでした。妻や同志の祈りに支えられていたからです。18時間にも及ぶ手術が大成功で終わったことは、信心の揺るぎない確信になっています。
 手術後、1カ月間のリハビリ中は、病院内で自分よりも大変な状況にある人を支え励ますことに徹しました。他者に尽くす中に、仏法が教える「自他共の幸福」があるからです。これが、創価の世界の最も大事な根本だと思います。
 職業は弁護士です。働き始めて20年になりますが、学会活動を通して“一人を大切にする”心を培い、仕事の質も変わっていきました。以前にも増して、“苦しんでいる人の力になりたい”と思えるようになったことが、自身の一番の功徳です。
 私は学会の同志との触れ合いの中で、幸せをつかむことができました。この喜びを一人でも多くの人に実感してもらいたいです。

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◆〈座談会〉小説「新・人間革命」――ワイド文庫でも完結 「研さん・熟読」が師弟共戦の力に
〈出席者〉原田会長、長谷川理事長、永石婦人部長、志賀青年部長、大串女子部長

 大串 小説『新・人間革命』第30巻<下>のワイド文庫が、先日発売されました。これで、『新・人間革命』は、ワイド文庫としても完結しました。
 
 志賀 同巻には、「暁鐘(後半)」「勝ち鬨」「誓願」の3章が収録され、創価学会が権威権力の宗門の鉄鎖を断ち切り、「魂の独立」を果たし、世界宗教へと飛翔していく歴史が記されています。
 
 長谷川 学会の精神の正史がつづられた、小説『人間革命』『新・人間革命』の「研さん・熟読」こそ、師弟共戦の力であり、永遠にわたる広布前進の要諦にほかなりません。
 
 永石 「あとがき」の中で先生は、「小説『新・人間革命』の完結を新しい出発として、創価の同志が『山本伸一』として立ち、友の幸福のために走り、間断なき不屈の行動をもって、自身の輝ける『人間革命』の歴史を綴られんことを、心から念願している」と記されました。
 
 原田 株式会社トーハン代表取締役副社長の川上浩明氏は、「『新・人間革命』は堂々のフィナーレを迎えられましたが、物語は読者の胸に刻まれ、続きは読者自身の人生の中で紡がれてゆくでしょう。それぞれに彩り豊かな続編が読者の人生を飾り、また新たな対話につながりゆくことを確信しております」と語っていました。全くその通りだと思います。
 
 永石 ウズベキスタンの元文化・スポーツ大臣であるトゥルスナリ・クジーエフ氏は、「池田先生が半世紀にわたって執筆された『人間革命』『新・人間革命』は、他に類を見ない人類の遺産です」と述べていましたね。
 
 長谷川 インド・創価池田女子大学議長のセトゥ・クマナン氏は、「小説『新・人間革命』には、世界中の若者たちを啓発する力が凝結している」「人間主義の心にあふれた“池田先生の世界”を学ぶ『テキスト』でもあります」との感動を寄せています。
 
 永石 先日の「声」の欄には、会合のないこの時に、御書や小説『新・人間革命』をしっかりと研さんしていきたいとの決意が掲載されていましたね。
 
 原田 「聖教電子版」や「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」などを活用している人も多くいます。思う存分に唱題し、大いに研さんに励みながら、価値ある一日一日を送っていきましょう。
 
 長谷川 御書に「わざはひも転じて幸となるべし、あひかまへて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給へ、何事か成就せざるべき」(1124ページ)と仰せです。先生は、この御文を通し、「妙法には無量無辺の大功力があります。いかなる災難も信心という心の大城を侵すことはできない。全ては永遠の幸福を開くための試練です。一番大変な時に、一番不屈の勇気で民衆と社会を照らす。この地涌の創価の光を共に、共々に!」と指導されたことがあります。
 
 原田 第30巻<下>の中でも、「災いも幸いに転じていけるのが信心です。風があってこそ、凧が空高く舞い上がるように、苦難、試練を受けることによって、境涯を大きく開き、幸福の大空に乱舞していくことができるんです」とつづられています。大変な時だからこそ、私たちは社会の安穏を祈り、ともどもに励まし合って進んでいきたい。

3月は希望月間 宝の未来部を応援
 志賀 3月は「未来部希望月間」です。入学・卒業、進学・進級を控える大事な時期です。こういう状況ですので、細かい配慮をしながら、宝の未来部を応援していきたいと思います。
 
 大串 「少年少女きぼう新聞」の連載「春夏秋冬ほがらかに」の3月号の中で先生は、「学会の『人間革命』の運動は、平和を願う人々から、かけがえのない世界市民の連帯として注目され、期待されています。その後を継ぐみなさんこそ、21世紀の大舞台で活躍し、22世紀まで照らしていく宝の人です」と呼び掛けられています。
 
 原田 学会創立100周年のその先を開くのは、今の少年少女部員です。未来部員を励まし、育むことがどれほど大切か。
 
 志賀 「未来ジャーナル」の連載「誓いの明日へ――日蓮門下を語る」では、「日蓮大聖人が立宗宣言された時も、また創価学会が創立された時も、自然災害や争いなど、民衆は不安と苦悩の渦中にありました。最も大変な“冬の時代”にこそ、人々の“新たな春”を断固と勝ち開く! ここに、創価の誉れの原点があり、使命があります」と訴えられています。
 
 原田 「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)です。人々の“新たな春”を開くため、私たちは友に励ましの声を届け、不屈の創価の道を歩んでいきたい。

火災を起こさない

 大串 3月1日から7日までは、春の「全国火災予防運動」の期間です。
 
 長谷川 火災が発生しやすい時季を迎えるに当たり、火災予防の取り組みを学び、発生を防ぐことを目的にしたものです。
 
 永石 住宅火災を防ぐためには、「3つの習慣・4つの対策」が大切だと言われますね。
 
 志賀 ええ。「寝たばこをしない」「ストーブは燃えやすいものから離れた位置で使用」「ガスこんろなどのそばを離れる時は必ず火を消す」――これが「3つの習慣」です。
 
 原田 「住宅用火災警報器の設置」「寝具、衣類、カーテンからの火災を防ぐために防炎品を使用」「住宅用消火器等の設置」「お年寄りや身体の不自由な人を守るための隣近所の協力体制」――これが「4つの対策」です。無事故で充実した日々を送るためにも、一切の油断を排し、万全の備えをしていきましょう。

 

2020年2月26日 (水)

2020年2月26日(水)の聖教

2020年2月26日(水)の聖教

◆わが友に贈る

   朗々たる題目から
 一日を出発しよう!
 満々たる生命力こそ
 健康長寿の源泉だ。
 信心即生活の実証を!


◆名字の言 プロ野球歴代3位の本塁打記録――門田博光氏の「背番号」の話

 プロ野球選手にとって、背番号は「もう一つの顔」ともいえるものだろう。しかし、節目ごとに自ら進んで背番号を変えた選手もいる。歴代3位の通算本塁打記録を持つ門田博光氏だ▼プロ10年目でアキレス腱を断裂した氏は、再起を懸けて背番号を「44」にした。40本以上の本塁打と、44歳で亡くなった母親への思いを込めたという。けがを乗り越え、翌々年には見事、44本の本塁打を放ち、自身初の本塁打王に輝いた▼その後、“前人未到の本塁打記録”を目指し、背番号を「60」に。強い決意が実を結び、40歳にして本塁打王、打点王の二冠獲得という壮挙を成し遂げた。氏は語る。「目標を高いところに設定して、それを超えたらさらに上をいこうという気持ちをもち続けるのがプロ」(『門田博光の本塁打一閃』ベースボール・マガジン社)▼明確な目標は、苦境を脱するための原動力となる。具体的な行動を生み、さらなる高みへ到達することができる。日々の生活、仕事上の目標だけでなく、広布の目標もまた、自らの境涯革命への飛躍台となろう▼伝統の2月を走り切り、広布後継の「3・16」へ。節目ごとに、自身の目標を明確にし、リズムを刻んでいきたい。努力を重ねる日々の中で、人生勝利の栄冠が輝く。(値)


◆寸鉄

学会の発展の因は信仰に
よる不屈の精神―博士。
三代の不惜の闘争が光源
     ◇
励ましは相手の話を聴く
ことから。幹部は心の機
微知り同志に「万の力」を
     ◇
SDGsを全く知らない
―社会人の74%。希望の
未来創る青年部の使命大
     ◇
受験生が最も親に掛けて
ほしい言葉「お疲れさま」
大奮闘称え最後まで共に
     ◇
肺炎の便乗詐欺が発生。
マスク販売や厚労省騙る
メールなど。断固と撃退

 

◆きょうの発心 富木殿御書 神奈川・相模原総県婦人部長 上田仁美2020年2月26日

御文 我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ(富木殿御書、970ページ・編797ページ)
通解 わが一門の者は夜は眠りを断ち、昼は暇なくこのことを思案しなさい。一生空しく過ごして万歳に悔いることがあってはならない。

師と共に最高に価値ある人生を
 寸暇を惜しんで仏法を学び、邪法を破折するなど、悔いない一生を送るよう教えられています。
 1979年(昭和54年)前後、大分に師弟の絆を分断しようとする障魔の嵐が吹き荒れました。私は小学生でしたが「絶対に池田先生と学会から離れてはいけない」と戦っていた両親の姿が脳裏に焼き付いています。
 その後、大きく境涯革命をしていく両親を見て、師と共に生きることこそが、最高に価値ある人生なのだと確信しました。
 創価大学を卒業後、本部職員に。1992年(平成4年)に大分平和会館に先生をお迎えできたことが、私の原点です。
 結婚を機に、先生が文京支部の支部長代理として戦われた舞台の一つ、神奈川・相模原へ。夫の会社の倒産危機や流産などの苦悩も、婦人部の先輩の励ましにより乗り越えることができました。
 相模原総県婦人部は、小説『新・人間革命』を学び合っています。「三代会長有縁の地」である相模原広布のため、先生と心を合わせ、朗らかに前進してまいります。


【先生のメッセージ】

◆世界広布の大道 小説「新・人間革命」に学ぶ 第16巻 解説編 池田主任副会長の紙上講座

ポイント
①大衆のために尽くす
②「師匠」という規範
③広宣流布大誓堂の意義

 今月の11日、恩師・戸田城聖先生の生誕120周年を迎えました。
 「恩師の生誕百二十周年」と題する池田先生の随筆(本紙7日付)に、「恩師と同世代の巨人たちが最晩年、揃って未来への希望を託してくださったのが、わが創価学会であり、SGIなのである」とあります。
 池田先生は、恩師と同世代の知性と、幾つもの対談集を編んでいます。ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁との『21世紀の人権を語る』、フランスの美術史家ユイグ氏との『闇は暁を求めて』、ノーベル化学賞と平和賞を受賞したポーリング博士との『「生命の世紀」への探求』などです。
 池田先生の壮大な対話旅の先駆けとなったのが、「20世紀最大の歴史家」といわれるトインビー博士との対談でした。対談集『21世紀への対話』が発刊されて、来月で45周年の佳節です。
 「対話」の章では、博士と山本伸一との対談の模様が描かれています。博士は戸田先生よりも10歳ほど年上であり、伸一とは親子ほどの年の開きがありました。伸一は、「あえて博士が、二十一世紀への精神的な遺産を残すために、若い自分を対談相手として選んだ」(140ページ)と感じ、博士からの対談の要請に応えました。
 伸一には、20世紀の残された約30年のうちに、確かな平和への道標を示すためには、「さまざまな英知を結集する必要」(139ページ)があり、「優れた知性との語らい、触発が不可欠」(同ページ)との思いがあったのです。
 対談のテーマは多岐にわたり、宗教の役割についても論じられました。博士は、「人類の生存に対する現代の脅威は、人間一人ひとりの心のなかの革命的な変革によってのみ、取り除くことができる」(196ページ)と、学会の人間革命運動に大きな期待を託します。
 また、博士は著書『一歴史家の宗教観』で、キリスト教が広く流布されるに至った要因として、「誰よりも大衆のために尽くした」(198ページ)ことを挙げ、「草創の時代に、こうした堅固な基盤をつくり上げたがゆえに、やがてキリスト教は、一気に広まった」(同ページ)と述べています。
 今日の学会の世界的な広がりも、草創期に、“貧乏人と病人の集まり”と揶揄されてきた中で、無数の蘇生のドラマをつづってきたことを、何よりの誉れとしてきた歴史が基盤となっています。
 「民衆に尽くす」ことは、学会を貫く不動の信念です。いかに時代が変わろうとも、その原点を決して忘れてはなりません。
 
常に同志を思う
 1972年(昭和47年)という年は、「広宣流布の未来への壮大な流れを決することになる、極めて重要な一年」(8ページ)でした。ゆえに、伸一は励ましに全力を注ぎます。「入魂」の章には、数々の激励の場面が綴られています。

 1月2日の大学会総会では、参加者の多くが21世紀を50代で迎えることに思いを巡らせ、「二十一世紀を頼むよ。その時こそ、勝負だよ」(32ページ)と広布の未来を託します。
 また、新宿の同志との記念撮影会では、13回にわたって撮影が行われ、その合間に、婦人・壮年・青年部に励ましを送ります。新成人のメンバーには、「何があっても学会から、信心から、決して離れないことです。そこにしか、本当の幸福の道はないからです」(48ページ)と訴えます。
 彼は常に、「どうすれば、皆が、元気になるのか。信頼の柱となる力あるリーダーに成長できるのか。何があっても退転することなく、幸福への道を歩み抜けるのか」(108ページ)と考えていました。
 その根本の精神こそ、「伸一の胸には、常に戸田の声が響いていた」(13ページ)という「師弟不二」です。「心に『師匠』という規範をもつ人は、自身の弱さに打ち勝つことができる」(同ページ)のです。
 1月の沖縄訪問の折、伸一は「広宣流布の師弟の道を行く人には、行き詰まりがありません。師匠と心が一つにとけ合った時、無限の力が湧くというのが、私の人生の結論なんです」(57ページ)と語っています。
 彼が全精魂を注いで、一人一人の魂に刻もうとしたのは、「師弟」の精神にほかなりません。私たちは、師匠と心を合わせ、「日々、己心の先生と対話しながら」(56ページ)前進していきたいと思います。
 
無量無辺の功徳
 「羽ばたき」の章には、72年10月に建立した正本堂の歴史が記されています。その完成をもって、学会は「広布第2章」の開幕を迎えました。
 正本堂建立発願式の折、伸一は「発誓願文」を、「日々、月々、年々に、更に折伏行に断固邁進せんことを堅く誓うのみ」(296ページ)との広布への誓願で結んでいます。
 また、完工式では、正本堂について、「民衆のための施設であり、宗教的権威を象徴する建物ではない」(311ページ)と訴え、「人類の生命の尊厳を祈る民衆の宗教殿堂である」(312ページ)と語っています。つまり、正本堂は「民衆のために」存在し、建立の根本目的は、どこまでも「広宣流布」にあります。
 正本堂はたった26年で、日顕によって解体されました。それは、800万信徒の赤誠を踏みにじる暴挙以外の何物でもありません。
 正本堂という建物はなくなりました。しかし、その建立のために真心を尽くした、学会員の「功徳、福運は無量無辺であり、永遠に消えることはない」(356ページ)のです。世界宗教として飛翔する今日の学会発展の姿こそが、その証明にほかなりません。
 2013年11月、広宣流布大誓堂が完成しました。池田先生がしたためた大誓堂の碑文には、「我ら民衆が世界の立正安国を深く祈念し、いかなる三障四魔も恐るることなく、自他共の人間革命の勝利へ出発せる師弟誓願の大殿堂なり」とあります。
 大誓堂の建立の目的は、世界の平和と自他共の幸福と安穏を祈り、広宣流布を誓うことです。ここに、誓願勤行会の意義もあります。
 大誓堂の落慶記念勤行会のメッセージで、池田先生は「『広宣流布の大願』と『仏界の生命』とは一体です。だからこそ――この誓いに生き抜く時、人は最も尊く、最も強く、最も大きくなれる」と述べられました。
 いかなる時代になろうとも、師と共に、学会と共に、同志と共に――この誓いに生きることほど、歓喜と誉れに満ちた人生はないのです。
 
名言集
●功徳を受ける人
 一人の友が立ち上がる時、最も歓喜し、大きな功徳を受けるのは、その人を思い、その人のために祈り、何度も足を運んでは、励まし続けた人である。(「入魂」の章、21ページ)

●必ず意味がある
 いっさいをよい方向に考え、さらに前へ、前へと、進んでいくことが大事です。時には、祈っても、思い通りにならない場合もあるかもしれない。でも、それは、必ず何か意味があるんです。最終的には、それでよかったのだと、心の底から、納得できるものなんです。(「入魂」の章、38ページ)

●創価学会の宝
 創価学会が世界に誇る最高の宝は何か。婦人部です。これほど、清らかで強く、民衆の幸福のために働く、正義の集いはありません。(「入魂」の章、69ページ)

●人の振る舞い
 教義は、人格、行動をもって表現される。日蓮仏法の、国境を超えた、世界宗教としての今日の広がりは、「人の振る舞い」によるところが大きいといえよう。(「対話」の章、155ページ)

●小事の集積
 大事業とは、どんな小さな事柄も疎かにせずに、一つ一つ検証し、確認することによって初めてなされる、完璧な小事の集積である。(「羽ばたき」の章、301ページ)


◆女子部・白蓮グループ入卒への池田先生ご夫妻のメッセージ  2020年2月26日

東京・八王子市の牧口記念庭園に立つ「白蓮之歌碑」。池田先生の碑文と共に、グループ歌「星は光りて」の歌詞が刻まれている

東京・八王子市の牧口記念庭園に立つ「白蓮之歌碑」。池田先生の碑文と共に、グループ歌「星は光りて」の歌詞が刻まれている

 女子部・白蓮グループの友が入卒の時を迎えている。1年間の薫陶を受けた「新時代1期生」と、希望あふれる出発を切る「2期生」は今、清新な決意で仏縁の拡大と自らの人間革命に挑んでいる。ここでは、晴れの門出に際して贈られた池田先生ご夫妻のメッセージを紹介する。

使命の舞台で人間革命の舞を
 希望の虹を広げゆく白蓮グループの入卒、誠におめでとう!
 誇り高き新時代1期生の皆さん、本当によく頑張ってくれました。すべてが広布と青春の「未来までの・ものがたり」(御書1086ページ)と光っていくことは間違いありません。
  
みんな、ありがとう!
 尊き求道の2期生の皆さんも、最高の使命と友情と福運の晴れ舞台で、「人間革命」の歓喜の舞を伸び伸びと勝ち飾っていってください。
 日蓮大聖人は、女性の門下に仰せになられました。
 「秋や冬の草木のような九界の衆生は、法華経の妙の一字という春や夏の太陽にめぐりあえば、菩提心の華が咲き、成仏往生の実がなるのである」(同944ページ、趣意)と。
 妙法を唱え、行じ、弘めゆく白蓮の皆さん方こそ、暗く、さびしく凍てついた友の心も明るく照らし温めて、希望へ、幸福へ導きゆく「福智の太陽」です。

 思えば、昭和35年の5月3日、私の第3代会長就任式の折にも、皆さん方“白蓮”の先輩たちが、胸章の準備も受付も清掃も、陰の労苦を担い立って、清々しく献身してくれました。
 この60年間、創価の師弟の前進は、いつもいつも、白蓮の真心と共にあります。日本中、世界中、白蓮で薫陶を受けた友が皆、大活躍されています。
 この宝の白蓮姉妹に断じて不幸などありません。
 どうか、つらく苦しいことがあっても、最良の同志と励まし合い、明るい歌声で笑い飛ばしていってください。「苦楽ともに思い合せて」(同1143ページ)題目を唱え抜いて、一切合切を賢く朗らかに「心の財」に変えていってください。
 そして、広宣流布の新たな「人材の門」「友情の門」「勝利の門」を大きく開いていっていただきたいのであります。
 どうか、健康第一、無事故第一、団結第一で!
 皆さん一人一人に題目を送ります。世界が見つめる白蓮グループに、青春の栄冠よ輝き光れ!


【聖教ニュース】

◆チョウドリ国連元事務次長と池田先生の対談集 待望の英語版が発刊  2020年2月26日

チョウドリ博士と池田先生の対談集の英語版

チョウドリ博士と池田先生の対談集の英語版

英語版タイトル「平和の文化の創造」

 元国連事務次長のアンワルル・チョウドリ博士と池田大作先生の対談集『新しき地球社会の創造へ――平和の文化と国連を語る』の英語版が、イギリスの出版社I・B・トーリス社から出版された。英語版のタイトルは『平和の文化の創造――個人と集団の変革への呼び掛け』。日本語版、中国語版(繁体字)に続き、3言語目の発刊となる。
“人類の議会”と人間の変革を
 チョウドリ博士はバングラデシュ生まれ。同国の政府国連常駐代表をはじめ、安全保障理事会議長、国連児童基金(ユニセフ)執行理事会議長など要職を歴任。女性や子ども、発展途上国の支援に取り組むなど、世界平和と民衆の幸福の実現に尽力してきた。
 チョウドリ博士と池田先生との初の会見は2003年に東京で。“人類の議会”である国連のビジョンなどについて真剣に語り合った。06年にも、東京で再び出会いを結んでいる。
 対談集では、博士の生い立ちや体験、バングラデシュにもゆかりのある詩聖タゴールなどを通して、博士の精神的基盤を探る。さらに「開発と人権」「女性と平和と安全保障」「教育と青年の使命」など、多彩なテーマで語り合う。

池田大作名誉会長 八王子の東京牧口記念会館でアンワルル・カリム・チョウドリ国連事務次長と会談

池田大作名誉会長 八王子の東京牧口記念会館でアンワルル・カリム・チョウドリ国連事務次長と会談

 青年による「平和の文化」の構築がテーマになった際、平和創出のために現実の上で行動する若者を増やしていく方途が話題に。
 池田先生は、若者が国連の活動に主体的に参加し活躍する機会を与えるべきであると強調。さらに、人類貢献への信念と情熱の炎をともす人間教育が必要と述べ、「『青年の熱』が『世界の未来』を決めます。青年の無限の可能性を引き出していく教育の発展と環境づくりに、全力で取り組んでいくべきです」と訴える。
 チョウドリ博士はこの意見に賛同しつつ、青年が世界の多様性を理解する重要性が増していると指摘。現代の世界が複雑さを増し、さまざまな問題が生み出される中で「互いに折り合えるように、他の人々との攻撃的ではない接し方を見つけ出すために、子どもや若者たちを教育していくことが一番大事」と述べ、あらゆる教育機関で「平和の文化」の促進を根幹とすべきと提起する。
 2011年に日本語版が出版されてから、9年。人間一人一人の変革を促す教育などによる不断の国連改革を展望した対談の価値は、ますます輝く。特に、青年の行動の道しるべを与える一書となろう。


◆新型コロナウイルスの被害受け、中国に義援金 原田会長から孔大使に目録  2020年2月26日

原田会長㊧が義援金の目録を孔鉉佑大使に手渡す(駐日中国大使館で)

原田会長㊧が義援金の目録を孔鉉佑大使に手渡す(駐日中国大使館で)

 新型コロナウイルスによる深刻な被害が広がっている状況を受けて、学会本部から中国政府に義援金3000万円が贈られた。原田会長が25日、東京都内の駐日中国大使館を訪れ、孔鉉佑駐日大使に目録を手渡した。
 これまで学会では、中国国営通信の新華社や中華全国青年連合会から要請を受け、応援のメッセージを映像にして届けてきた。
 原田会長は、池田名誉会長のお見舞いの言葉を伝えるとともに、対応に当たっている中国政府はじめ関係者の労をねぎらい、状況は予断を許さないが、困難の克服に向けて学会としても惜しみない支援を重ねていきたいと語った。
 孔大使は学会の支援に「大変心強い」と謝意を表し、習近平国家主席のリーダーシップのもと、中国は国民一丸となって対応に総力を挙げていると強調。現在、最も重要な時期に差し掛かっているが感染の拡大は徐々に鈍化しているとの認識を示し、必ず困難に打ち勝てると信じていると応じた。
 さらに孔大使は、今回の危機への対応の中で、創価学会はじめ日本から寄せられた真心の支援は連日のように中国のメディアで報じられ、多くの国民が勇気づけられていると紹介。日本でも感染が拡大している状況を踏まえ、犠牲者への哀悼の意を伝えるとともに、これ以上の犠牲が出ないよう、共に手を携えて立ち向かっていきたいと述べた。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈現代と仏法〉第19回 「SDGs時代の経営管理」    早稲田大学特任教授 光國光七郎さん
   調和のかなめは「全人生」の視点

 企業経営は、仏法の英知に通じているのではないかと感じてから、もう40年になるでしょうか。
 例えば、仏法には「五陰仮和合」という概念があります。人間は物質的要素である「色」と、精神的な要素である「受」「想」「行」「識」という「五陰」が仮に結合して構成されているという意味です。企業も、創業の理念という精神的要素と、商品や従業員といった物理的要素で構成されており、「五陰仮和合」のような存在ではないかと思うのです。

 また何十兆個もの細胞で構成される人間は、細胞間や臓器間で情報をやり取りしながら、さまざまな環境に対応し、命を支えています。企業も同様に、一人一人の従業員や部門間で連携を取り合いながら、社会の中で役割を果たしています。その意味では、人間の生き方を説いた仏法の哲学は、企業経営にも通じていると考えてきました。
分業は全体益を損ねる分断の因
 私は、かつて勤めていた総合電機メーカーA社で経営改革を担当する機会がありました。年商約8兆円という企業でしたが、1998年度決算で3300億円という赤字を計上したのです。
 経営効率を高めるには複雑な業務を分業し、権限も分権することが経営学の定石で、多くの学者も賛同しています。A社も分業と分権が進み、経営効率を上げています。しかし、それが問題の引き金になったのです。
 例えば、営業部門は北海道から九州まで地域別になっており、それぞれが顧客等の情報を管理しているため、全体戦略を練ることができない。製品をつくる工場部門も、それぞれで資材を調達しており、仕入れの値段に差がある。また分権した各部門で目標を掲げるため、競争意識で部門間の連携も生まれない。
 つまり、分業と分権が部分益に走らせ、全体益を損ねる“分断の原因”だったのです。
「全人性」の視点が統合の力に
 では、どうすれば全体益へ導く経営ができるかと思索していた時、池田先生が1993年にクレアモント・マッケナ大学で行った「新しき統合原理を求めて」と題する講演を学びます。その中で先生は、分断の根源は、“人間の全体性、全人性が著しく損なわれている点にある”と訴えられていました。
 業績などの数字が悪いと、経営管理の仕組みの良しあしは問題にせず、従業員の働きが悪いと評価する。まさに、先生の指摘通りと感じました。そこで私は、徹底したヒアリングをもとに従業員の心根を分析し、そこから経営管理の方向性を探ることにしました。
 例えば、従業員に疑いを感じる心があれば、信頼性や正確性が疑われるような経営管理の仕組みになっているのではないか――と。
 中には、管理者の指示で担当者が部門に不利益なデータを書き換えたり、その管理者も業績を伸ばしきれずに経営層から分析の報告を求められて多忙になったりし、そうしたことが経営層、管理者、担当者の間に“心の分断”を生んでいることも分かりました。
関係性を重んじる「縁起」の思想
 そうした点も踏まえ、各部門のありのままの情報を集計できるシステムを導入し、これまで“機能”によって細分化されてきた各部門が、互いに連携を取りながら業務を遂行できるよう、部門の“関係性”を重視した再編を試みます。仏法には「縁起」という思想があり、互いの関係性を重んじているからです。
 これらの努力でA社は黒字に転じ、今も平時から経営管理の改革を継続しています。私は、こうした経験から仏法の哲学は経営管理に役立つとの確信を深めたのです。
 
 グローバル化が進む現代では、国連のSDGs(持続可能な開発目標)の取り組みが本格化し、企業もさまざまな団体とのつながりが求められています。いわば多様性を調和させて統合に向かう時代だからこそ、人々を結ぶ人間主義の仏法思想や先生が示された“統合の原理”という視点が、ますます企業にも求められていくと思うのです。
 (総神奈川学術部員)

 

 

 

2020年2月25日 (火)

2019年2月25日(火)の聖教

2019年2月25日(火)の聖教

◆わが友に贈る

   逆境は人間革命の好機!
 乗り越えられない
 苦難は絶対にない。
 この強き信心の一念で
 今を真剣に生き抜こう!


◆名字の言 会合と個人指導の比率はどう変わる?

 訪問・激励をすると、必ず新しい発見がある。信仰体験、発心動機、師との原点、同志との思い出等、こちらが学ぶことばかりだ。共通の趣味や、思いがけない特技などが分かり、心の距離が縮まることもある▼そもそも一人一人の本当の「悩み」は、懇談の中でしか出てこないもの。大勢で集まった時の元気な様子しか知らずにいたことに、反省することも少なくない。やはり時間を取って、話を聞いてみなければ分からない▼さらに「励まし」で大切なのは、気の利いた言葉だけではなく、相手を思う真心と、信心への確信を伝えることだろう。じっくりと語り合うこと自体に、大きな意義がある▼池田先生は語っている。「一対一の『草の根の語らい』――それは まことに地味である。しかし『人と人のつながり』をつくっている」「一人ひとりの思いを包み込み、同苦しながら、きめ細かに激励していくことである。これを私は、ただひたすら実行してきた。そして勝った」と▼会合と個人指導の比率が「2対8」となるよう心掛ければ、着実に人材が育ち、自身も大きく成長していく。今は、さらに踏み込んで「0対10」で訪問・激励に取り組める好機。相手の状況に配慮しつつ、希望あふれる声掛けをいや増して進めていこう。(道)


◆寸鉄

妙法の生活とは変毒為薬
―牧口先生。題目の師子
吼で智慧発揮し一歩前進
     ◇
賢者とは人生の使命を知
る者の謂―文豪。広布に
生きる日々こそ最高の宝
     ◇
大麻所持の高校生、逮捕
相次ぐ。「簡単に入手でき
る」教育長。対策強化急げ
     ◇
昨年の世界の軍事費、過
去10年で伸び率最大と。
不信の時代を断じて転換
     ◇
70歳超えても働きたい―
60代の半数以上。公明よ
豊かな経験生かす社会を


【教学】

◆〈心大歓喜――紙上講義で学ぼう〉関東教学部長 坂上孝和  「敢闘精神」光る関東


御文 いはずば今生は事なくとも後生は必ず無間地獄に堕べし、いうならば三障四魔必ず競い起るべしと・しりぬ、二辺の中には・いうべし(開目抄、200ページ12行目~13行目)
 
通解 (仏教の諸宗が謗法の教えを説いており、人々を悪道に堕とす悪縁となっていることを)言わないでおけば、今世では何ごともなくても、来世には必ず無間地獄に堕ちてしまう。
 もし、言うなら、三障四魔が必ず競い起こってくるということが分かった。
 この二つの中では「言う」ほうを選ぶべきである。
 
自ら誓い、敢えて闘う 師弟直結の開拓闘争を
 池田大作先生は、かつて関東の同志に長編詩を贈ってくださいました。
 
 関八州を制する者は
 天下を制する。
 これは日本史の
 確固たる方程式である。
 
 埼玉、千葉、茨城、群馬、栃木の5県は、それぞれが“天下一”を目指し、持ち味を最大限に発揮しながら、団結も固く、楽土建設にまい進しています。
 かつて先生は、関東に「敢闘精神」の魂を打ち込んでくださいました。
 「『師弟直結』で戦う精神」「開拓の精神」「何ものをも恐れぬ師子王の心」こそ「敢闘精神」であるとつづられ、「『敢闘』とは、『敢えて闘う』と書く。『敢えて』挑戦するのだ。『敢えて』一歩を踏み出すのだ。そこに豁然として、大平野の如く自分の境涯が広がっていくことを忘れまい」と訴えられました。
 わが関東は、日蓮大聖人が御聖誕され、「立宗宣言」された誇り高き天地です。大聖人は関東から、あらゆる迫害を覚悟の上で、末法万年尽未来際の一切衆生の幸福の道を開く戦いを、敢えて起こされたのです。
 この事実に目を向けた時、今回拝する「開目抄」が思い起こされます。
 文永9年(1272年)2月、極寒の流罪地・佐渡で著され、門下一同に与えられた本抄には、いかなる大難があろうとも、民衆救済のために、不惜身命の精神で戦い抜くとの大誓願がつづられています。
 掲げた御文は、「立宗宣言」に向かって深く悩み、思索された御心境をつづられた箇所になります。
 法華経・涅槃経に照らして、真実を語れば、父母や兄弟、そして国主から責められることが明白であるが、法華経宝塔品の六難九易に照らして、「今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願じぬ」(御書200ページ)と誓願を立てられたのです。迫害を覚悟の上で、敢えて戦いを起こされたのです。
 関東の誇る「敢闘精神」は、まさに大聖人の御闘争の精神そのものです。日蓮仏法の真髄ともいえます。
 そして絶対に忘れてはならないことは、池田先生が、第1次宗門事件から反転攻勢の戦いを起こされた歴史です。自身にあらゆる誹謗中傷の嵐が吹き荒れることは覚悟の上で、けなげな同志のために激闘を開始されたのです。
 1982年(昭和57年)2月、先生は体調を崩されていたにもかかわらず、「何があっても、私は行くよ」と、6日間の茨城指導を敢行され、1万7000人に及ぶ同志を抱きかかえるように励ましてくださいました。その行動に、私は敢闘精神の真髄を教えていただきました。今も感謝とともに、報恩の誓いを新たにする日々です。
 中でも11日、第1回「茨城県青年部総会」の参加者3500人と記念撮影をしてくださり、先生は「社会、職場、人生で、見事な勝利を飾っていただきたい!」と呼び掛けられました。
 この総会を記念し、先生は句を詠み、贈ってくださいました。
 
 あゝ総会
  天晴れ
   地晴れ
    誕生日
 
 総会のその日は、戸田先生の誕生日でした。恩師との誓いを果たされた池田先生の、弟子としての晴れ渡るような心境が胸に迫ってきました。“常に師匠に勝利を”と生き抜く師弟不二の道を教えてくださったのです。
 弟子が自ら目標を定め、どれほど困難で、大変なことであっても、敢えて挑戦していく――これこそ、「『師弟直結』で戦う精神」です。「開拓の精神」です。そして、一度決めたことは貫き通す――これこそ「何ものをも恐れぬ師子王の心」です。
 また「二辺の中には・いうべし」とは、自身の揺れ動く感情ではなく、“先生ならどうされるのか”と、創価の師弟を根本に自らが選び取り、自らが誓いを立てることではないでしょうか。一切を自分自身と師匠との共戦にまで高めていってこそ、師弟直結になっていくことができるのです。
 敢闘精神を燃え上がらせ、日本、否、世界に輝く圧倒的な勝利の歴史で、先生の会長就任60周年を荘厳してまいりましょう。
 
池田先生の指針から――
 「敢闘精神」とは何か。
 第一に、「師弟直結」で戦う精神である。
 関東本部長会は、私が会長を辞任する前年まで続いた。私と第一線の会員の心の絆を断ち切ろうとする、あの宗門の卑劣な離間工作の嵐が吹き荒れていった時期である。(中略)
 烈風が強まるにつれ、私の決意も深まっていった。“私は断じて戦い、勝ってみせる。勝つことが正義である。いかなる嵐があろうとも、絶対に崩れぬ、関東の光り輝く師弟城を築いてみせる!”
 私は、断固として行動を開始した。
 行動のなかにしか、真実の信仰は起こりえないのだ。
                  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
 第二に「敢闘精神」とは、開拓の精神である。(中略)
 関東人には「都人よ何するものぞ!」という誇りが、強く高くあった。彼らの無骨さをあざ笑う者など歯牙にもかけず、決然と現実の大地を切り開いていく、屈強なる開拓魂があった。
                  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
 我らの「敢闘精神」とは、何ものをも恐れぬ師子王の心である。
 人間は、誰しも未知の領域に足を踏み入れることに躊躇するものだ。「もう限界だ」「もうこれでいい」と感じる地点がある。
 だが、そこで逡巡しては何も生まれない。
 恐れるな! 臆病の壁を破れ! 限界かと思う壁に突き当たった時が、本当の勝負だ。そこに、赫々たる勝利が待っている。
 師子王の生命には、さらに創価の師弟には、絶対に行き詰まりはないのだ。また、あってはならないのだ。
 (2003年11月2日付本紙、「随筆 新・人間革命」<創価の永遠の都>)


【聖教ニュース】

◆南米で「師弟の記念日」祝う集い 2020年2月25日

 1993年1月下旬から57日間に及んだ、池田大作先生の北南米指導。
 池田先生は、この時、南米のコロンビア、アルゼンチン、パラグアイ、チリを初訪問し、訪れたチリで記念すべき海外歴訪の50カ国・地域目を刻んだ。
 本年は、この師弟の原点から27周年。南米各国では、師弟の記念日を祝う集いがにぎやかに行われている。
 
コロンビア

幹部研修会に集ったコロンビアSGIのメンバー。研修会ではブラジルのハルトフ女子部長らの担当で「地涌の菩薩の使命」について学んだ(首都ボゴタ市内で)

幹部研修会に集ったコロンビアSGIのメンバー。研修会ではブラジルのハルトフ女子部長らの担当で「地涌の菩薩の使命」について学んだ(首都ボゴタ市内で)

 コロンビアの幹部研修会は8、9の両日、首都ボゴタ市内で開かれた。 
 ――池田先生がコロンビアを初めて訪れたのは93年2月6日。当時、同国ではテロが相次ぎ、先生の訪問直前にも爆破事件が勃発。訪問を危ぶむ声もあがった。それでも、先生は同国を訪れ、ガビリア大統領(当時)との会見などに臨んだ。後に大統領は「一番、困難な時期に、あえて来訪し、連帯感を示してくださった。忘れません」と述懐している。
 また、この時、同国初の支部が結成。同志は先生と記念のカメラに納まった。
 この時の誓いのままに、友はそれぞれの地域で一人立ち、地道に信頼を築いてきた。

 今再び師弟の誓いを固め合う幹部研修会では、冒頭にコウサカ中南米指導会議議長が新任人事を紹介。男子部長にジョン・リベラさん、女子部長にアレハンドラ・プラダさんが就任した。

 リベラ男子部長、プラダ女子部長は「先生のコロンビア初訪問30周年となる2023年を目指し、幹部率先の弘教拡大で青年のスクラムを大きく広げていきましょう」と清新な決意を披歴。場内は大きな拍手に包まれた。
 シエンフエゴス支部長は青年部の新出発を祝福し、「異体同心の団結固く大前進の日々を」と呼び掛けた。
 
アルゼンチン

輝く希望の連帯を!――池田先生の訪問27周年を祝賀するアルゼンチンSGIの友。人間革命の前進を約し合い、皆で記念撮影した(アルゼンチン平和講堂で)

輝く希望の連帯を!――池田先生の訪問27周年を祝賀するアルゼンチンSGIの友。人間革命の前進を約し合い、皆で記念撮影した(アルゼンチン平和講堂で)

 一方、アルゼンチンの祝賀の集いは14日、首都ブエノスアイレスをはじめ全国90会場で盛大に開催された。
 ――93年2月14日、池田先生はアルゼンチンの空港に第一歩を刻んだ。2月14日は「アルゼンチン広布の日」として、毎年、同志が前進を誓い合う日になっている。
 7日間の滞在中、先生はカルロス・サウル・メネム大統領(当時)と会見したほか、国立ローマス・デ・サモーラ大学からの「名誉博士号」と法学部の「名誉教授」称号の授与式に出席。
 間隙を縫うように、ブエノスアイレスでの世界青年平和文化祭やアルゼンチンSGIの第1回総会などに参加し、友に真心の励ましを送り続けた。

 この原点から27星霜。全土で開かれた記念の集いでは、地涌の菩薩の自覚を深め、一人でも多くの人材が広布の使命に立ち上がれるようにと、男女青年部のリーダーが心一つに勤行・唱題した。
 また各会場では参加者の代表が、社会で実証を示す様子や信心根本に苦難を乗り越えた信仰体験を披露した。
 オスピタレチェ男子部長、ロペス女子部長は固く誓う。「池田先生の精神を私たちが受け継ぎ、アルゼンチンに新たな人間革命の潮流を生み出します!」


◆原爆投下75年 広島の青年部・未来部が被爆体験の聞き取りを実施  2020年2月25日

 本年は原爆投下から75年。広島では1、2月、青年部と未来部の代表による被爆・戦争体験の聞き取りを実施した。その模様の一部を紹介する。

 1945年8月6日、人類史上初の原子爆弾が広島に投下された。“75年は草木も生えない”といわれた街は奇跡の復興を遂げ、平和を発信する電源地へと生まれ変わった。
 被爆者や戦争体験者が歩んできた75年の重みを改めて学ぼうと、今回の聞き取り運動は始まった。
 池谷将志さん(高校1年)は今月2日、岡部夫佐子さんの証言に耳を傾けた。
 当時、学徒動員で爆心地から約7キロの繊維工場で働いていた岡部さん。原爆が投下された後、実家に戻るため市内を歩いた。すれ違うのは皮膚のぶら下がった重傷者ばかり。黒い雨が体を濡らした。
 「16歳で被爆して、人生が変わった。今まで誰にも話せんかった。でも、未来を生きるあなたに伝えられてよかった」と語った。
 「自分も16歳です」と池谷さん。祖母が生後2カ月で被爆したが深く話を聞いたことはない。
 「岡部さんの話は、人ごとじゃない。僕にも被爆者の心を伝える責任があると思った」と感想を語った。
 被爆者健康手帳を持つ人は15万人を割り、平均年齢は82歳を超える(昨年3月時点)。記憶の風化も叫ばれて久しい。
 だからこそ、戦争を知らない世代が被爆者らの記憶に耳を傾け、記録する“対話のキャッチボール”を通して悲惨な「過去」を学び知る――その営みが、平和な「未来」を創り広げる確かな礎となろう。
 聞き取りに携わった未来部員は語る。
 「今の生活や街並みは、75年前からつながっている。だから私も過去の戦争を“自分ごと”として捉え、今の平和を次の世代に残したい」(松井彩花さん、高校1年)
 「テレビや本で知る“14万人”という死者数だけでは原爆の悲惨さは分からない。“もし自分だったら”と想像し、被爆者の心を感じる努力をすることが大切だと思う」(嵩大志さん、同)


【特集記事・信仰体験など】

◆〈負けじ魂ここにあり わが生命の学園生〉26 東京校・関西校 2006~08年度2020年2月25日
 学べ勝ち抜け 世界まで!  君たちには正義の勝利の旗を  打ち立てる「栄光の使命」が!

「みんな、いい顔をしているね」「親孝行するんだよ」「世界一の人になるんだよ」――修学旅行で東京を訪れていた関西創価小学校の6年生を激励(2007年9月13日、新宿区内で)

「みんな、いい顔をしているね」「親孝行するんだよ」「世界一の人になるんだよ」――修学旅行で東京を訪れていた関西創価小学校の6年生を激励(2007年9月13日、新宿区内で)

 「師弟の出会いがあるところ、豊かな『詩』が生まれます。師弟の闘争があるところ、魂の旋律ともいうべき偉大な『歌』が生まれます」
 創立40周年を前に、創価学園では、創立者・池田先生が作詞した新たな“父子の歌”が次々と誕生していた。
 2005年11月には、関西創価学園歌「関西創価 わが誇り」が。
 翌06年2月には、女子学園生歌「幸福の乙女」。
 そして、40周年を翌月に控えた07年10月、関西創価学園寮歌「我らの城」が発表された。
                       ◇ 
 “寮歌を作ろう!”
 関西校の男子寮である金星寮では、これまで何度も「寮歌作成」の挑戦が繰り広げられてきた。本格化したのは1999年頃。“新世紀に向かう歌を”との創立者の言葉を受けて火がついた。
 学園の歴史や創立の精神を学び深め、歌詞を練る。いくつか候補となる歌が出来上がったものの、全員が心から納得のいくものではなかった。以来、先輩から後輩へ、決意のバトンが託されてきた。
 寮生たちは良き伝統を築こうと、勉強、クラブ活動、読書、対話にも励んだ。寮歌作成の熱意は、学園建設の新たな息吹を巻き起こしながら、作成委員会の枠を超え、次第に寮全体へと波及していったのである。
 “よし! これなら!”。ようやく、心一つに歌を完成させることができたのは、池田先生の金星寮訪問10周年となる2005年10月のことだった。
 「おめでとう!」
 ずっと、彼らの挑戦を見守り続けてきた先生も、心からの祝福の言葉を送った。
 その後、金星寮生は折々に、決意を込めて歌声を録音し、先生に届けていった。
 2年後の07年10月、金星寮の日(10月10日)を記念して届けられた歌を聞いた先生は、その心意気に応えるように作詞のペンを執った。何度も推敲を重ねて作られた歌が、関西学園寮歌「我らの城」である。
 発表されたのは10月12日。その翌日、朝早くから寮内に、力強い歌声が響いた。
  
 〽ああ関西の 秀才城
  君も 勝利の博士なり
  師弟の生命の 天空に
  一番星よ 光り舞え
  
 後に、関西学園の卒業生に向け、先生は次のようなメッセージを贈った。
 「君たちは、学園時代、私と会えなくとも、私の心をわが心として、関西創価学園の新たな黄金時代を築いてくれた」
 「どうして、私の生命から離れることがあるだろうか」
 「後輩たちが誇らかに歌っている、『関西創価 わが誇り』や『幸福の乙女』、『我らの城』の愛唱歌も、私と君たちで、一緒に創り、一緒に歌い上げた、『魂の共鳴の曲』です」

“一番星”の誇り
 2007年10月24日、夕暮れ迫る東京・八王子市の創価大学キャンパスに、関西校の高校2年生の姿があった。伝統の創大研修である。
 記念撮影のために池田記念講堂の前庭に集まっている時、誰かが叫んだ。
 「池田先生や!」
 整列した生徒たちの元へ、創立者を乗せた車がゆっくりと近づいて来る。
 「先生!」。思いがあふれて言葉にならない学園生。
 先生は窓を全開にし、白い帽子を振って真心の励ましを。
 「ありがとう、ありがとう」「ご苦労さま」「お父さん、お母さんに、くれぐれも、よろしく」
 そして「みんなに会えて本当によかった」「関西校は盤石だな」と語り、別れ際、クラクションが何度も何度も鳴らされた。
 感動の余韻が残る講堂前で、学園生は創立者に届けと、あかね色の空に向かって、「我らの城」「関西創価 わが誇り」を力いっぱい歌い上げた。
 「あの日のことを思い出すたびに、“もっと頑張らなあかんな”と、やる気が込み上げてきます」と語るのは、長沢賢一さん(関西高34期)。先生の励ましを受けて自身の限界に挑み、無理だと諦めかけていた英検1級に合格。卒業時には、創立者賞に輝いた。
 アメリカ創価大学(SUA)を出た後、ミシガン大学の経済学博士課程に進学。そこで苦難の壁にぶつかった。
 指導教官から与えられた研究課題に取り組むも、なかなか結果が出ない。教官との関係も悪化し、“博士課程を続けられないのでは”との焦りが募った。
 それでも、学園で培った粘り強さで、さまざまな研究手法を調査。片っ端から試していった。
 そんな長沢さんに、教官は“最後のチャンス”として別の課題を指示。これが転機となった。それまで試した研究手法を駆使し、教官の予想を上回る見事な研究結果を導き出したのである。
 昨年、念願の博士号を取得。現在はイギリスのウォーリック大学で研究に励む。
 学園時代は、金星寮で人格を磨いた長沢さん。「いつか、社会に大きく貢献できる経済学者に」と、胸には“一番星”の誇りが輝いている。

創立者の講座
 創立50周年に向けた“新たな10年”は、池田先生からの“うれしい知らせ”で幕を開けた。
 2008年4月9日に開催された東京校の第41回、関西校の第36回入学式の席上、創立者が特別文化講座「大詩人ダンテを語る」を準備していることが発表されたのだ。
 待望の紙上講座は、同月23日から5回にわたって本紙に掲載された。その中で先生は、ダンテの生涯や『神曲』を通して、「正義の人生」を歩む誉れや、「師弟の絆」の重要性などを訴えた。
 「大難に遭い、大難に勝つ正義の人生は、不滅の歴史を刻み、人類から永遠の喝采を受ける」「わが学園生には、正義の『勝利の旗』を未来永遠に打ち立てゆく、『栄光の使命』があると申し上げたい」
 「『師弟』がなければ、破れない壁があります。『師弟』でなければ、進めない道があります」「師弟の絆ほど、美しく、強いものはない」「師弟あればこそ、弟子は困難に飛び込んでいける」
 紙面に掲載される講座を、学園生たちは、創立者から直接、講義を受ける思いで真剣に学び深めた。今も人生の指針にしている人は多い。

負けない人生を
 2009年3月11日、東京校の講堂に歓声が上がった。
 「創立者が『負けじ魂ここにあり』に、新たに5番の歌詞を付けてくださいました!」
 「負けじ魂ここにあり」は、1978年に東京校の生徒が作り、池田先生が加筆して、さらに4番の歌詞を贈った愛唱歌である。長年、多くの学園生に歌われてきた。
 「あの日、講堂のスクリーンに5番の歌詞が映し出され、涙しながら歌ったことを、今でも鮮明に覚えています」と、川田加奈子さん(東京高39期)は語る。
 当時は高校3年生。SUAを目指すも、英語のスコアが出願基準にあと一歩届かず、悔しい思いをした。世界への道を開くため、卒業後は、創価大学に進学。3年次にアフリカのケニアに渡った。現地では、NGOのインターンシップに参加し、子どもたちの健康を守る事業に携わった。
 4カ月がたった頃、川田さんを試練が襲う。体調を崩して緊急入院。医師から告げられた病名は「白血病」だった。
 すぐに帰国し、抗がん剤治療が始まった。髪が段々と抜け落ち、副作用に悩まされた。
 “なんで自分が……”
 弱気な心に覆われていく川田さんを支えたのは、創立者からの励ましと、これまで何度も口ずさんできた「負けじ魂ここにあり」だった。
 “ここで、負けるわけにはいかない!”
 川田さんの強い気持ちに呼応するように、治療は順調に進んだ。抗がん剤治療は1回で終了。幸いにも、白血球の型が姉と一致することが分かり、すぐに造血幹細胞移植を受けることができた。医師も驚く“理想的な最短コース”で、完全寛解になった。
 川田さんはその後、“人々の健康向上に尽くしたい”と、東京大学大学院で国際保健学修士号を取得。現在は、国際的な医療機関で広報に携わる。
                          ◇ 
 5番の歌詞発表から、5日後の3月16日。
 東京校と関西校を中継で結んで行われた卒業式で、東西の学園生が心一つに「負けじ魂ここにあり」を合唱した。
  
 〽正義の誇りに 胸を張れ
  君に託さん この大城を
  学べ勝ち抜け 世界まで
  負けじ魂 朗らかに
  
 池田先生は右手を上げて節をとりながら、歌声を重ねた。
 “全員が幸福に!”
 “負けない人生を!”
 学園生一人一人にエールを送るように――。
  
 (月1回の掲載予定)
ご感想をお寄せください news-kikaku@seikyo-np.jp


◆〈男子部のページ〉青年栄光の誓い  小説「新・人間革命」に学ぶ
 名古屋牧口総県男子部長 小柳勇さん

 信心とは、一言すれば、確信であるといえます。確信は、自身の確固不動な信念となり、それが生き方の骨格をなしていきます。
(小説『新・人間革命』第27巻「正義」の章)

感謝の心で弘教拡大に邁進
 折伏の戦いを起こす時は、必ず読み返してきた一節です。池田先生はこの後、確信を持つためには、体験を積み重ねることが重要であるとつづられています。体験を語って折伏し、折伏を通して新たな体験を積むことができる。この確信で、これまで私自身も戦ってきました。

◎母の病気
 私は、中華料理店を営む両親のもと、6人きょうだいの5番目として生まれました。生活は苦しく、両親共に店以外にもアルバイトをして、生計を立ててくれていました。私が小学校にいく頃、母が全身の「重症筋無力症」を発症し、一家の生計は父一人で担うことになりました。信心強盛な母は、落ち込むそぶりも見せず、ろうそくが何本も尽きるほど、唱題し続けました。すると、店を手伝えるまでに回復し、医師からは「治療に10年かかる」と言われていたのが、8年で寛解を告げられました。子どもながらに、“祈りはかなう”ということを肌で感じました。

◎本気でやる
 それならば、私も学会活動に最初から真剣に取り組んだのかというと、そうではありませんでした。
 高校卒業後、家計を支えるために警備会社に就職した私は、なじめずに3カ月で辞めてしまいました。それからアルバイトを三つ掛け持ちしながら、時間を見つけては友人たちと遊ぶ毎日を送っていました。何もかもがうまくいかず、悶々としていた頃、男子部の先輩が実家の店に通ってくるようになりました。
 次第に、世間話を交わすようになり、ある時、自分が今の状況に満足していないことを話しました。すると、その先輩から「一度、本気で信心をやってみなよ」と言われました。何となく悔しかったので「3カ月やって変わらなかったらやめます」と言い切り、先輩の言う通り、本気で実践する決意をしました。

◎信心の確信
 まずは、祈りが大切だと教えてもらい、「変わりたい」との一念で、かつてない唱題に挑戦しました。そして次は、「祈って、動くんだ」と教えてもらい、毎日のように先輩と一緒に友人への仏法対話に歩きました。すると「お前を信じてやってみる」と、3カ月間で13人を入会に導くことができました。入会した友人たちが明らかに変わっていく姿を目の当たりにした私は、折伏が実るたびに確信を深め、“一生、この信心をやっていく”と誓いました。
 その後、学会で成長させてもらう中で転職したタイヤ・ホイール販売会社では、営業成績日本一を獲得し、最年少で店長になることもできました。
 もちろん順調な時ばかりではありませんでした。自身の力不足を痛感したことや、周囲の嫉妬による嫌がらせを受けたこともありました。しかし、苦しい時ほど、信心の確信をつかんだ原点を思い出しては、“必ず乗り越えてみせる”と決意し、折伏に挑戦してきました。これまで、45世帯の弘教を実らせてきましたが、折伏で培った確信は、まさに「自身の確固不動な信念」であり、「生き方の骨格」となると、強く実感しています。
 地域では小学校のPTA会長を務め、仕事では4年前に独立。自動車販売会社を立ち上げ、新たな実証を目指して挑戦を開始しています。
 これからも自身の人間革命の直道である折伏精神を忘れずに、信心の確信を一人でも多くのメンバーと共につかんでいけるように、激励に走り抜いていきます。

大学校2期生の奮闘とそれを支えた先輩の声
 池田先生はつづられています。「友の可能性を信じ、大確信で向き合えば、時間はかかろうとも、必ず成長の姿で応えてくれる」と。この1年間、先輩の励ましによって立ち上がり、各地で卒業を目指して、弘教・拡大に挑む男子部大学校2期生の友。今回の男子部のページは、大学校2期生の活躍を先輩の声と共に掲載します。

自身の体験を自然体で語る
大阪・南大阪新世紀圏 大木祐介さん(ニュー・リーダー)
●環境のせいに
 幼い頃に両親が離婚し、母親の元で育った大木祐介さん(黄金本部藤の里部、ニュー・リーダー)は、中学を卒業して、母が勤めていた運送会社に就職した。働き始めて10年が過ぎた頃、職場の人間関係がうまくいかず、性格に合わない営業の仕事にも嫌気が差して、退職。その後、転職した会社でも上司と折り合いが悪くなり、再び退職を考え始めていた時、交際中だった妻・夏子さん(副白ゆり長)から、思いがけない言葉を聞いた。「環境を変えても、自分自身が変わらなければ、何も変わらない」。それで退職を踏みとどまった。
 その後、夏子さんが創価学会員であることを知り、彼女の父親から信心の話を聞いて、教学部任用試験に挑戦することに。合格を勝ち取り、2016年に入会。翌年に結婚した。
 結婚すると、父親のいなかった大木さんに対して義父は、「これからたくさん父親の思い出をつくったる」と温かく接してくれた。また、しょっちゅう「うちに来い」と、大木さんを呼んでは、「題目あげよう」と一緒に祈ってくれた。

●成長のチャンス
 結婚して間もなく、義理の両親に、がんが見つかり、闘病生活が始まった。しかし、17年の青年部教学試験3級を受ける際には、義父は率先して大木さんの勉強に付き添ってくれた。そして合格を勝ち取ることができた。信心への理解を深める中、昨年、大木さんは、義理の兄である大木伸一さん(藤井寺部、部長)から男子部大学校への入校を勧められた。
 当時、転職先の仕事は多忙を極め、しかも長女が生まれたばかり。会合に参加すること自体が難しく、やりきれるかどうか不安だと語る大木さんだったが、「楽な時にやればできるってものじゃない。一番大変な時だからこそ、今が成長する一番のチャンスですよ」と、伸一さんから確信あふれる言葉が。心を動かされ、入校を決意した。しかし、入卒式は仕事の調整がつかずに欠席。午前2時から3時には出勤し、帰宅すると子どもを寝かせながら、自分も寝てしまう生活が続き、大学校や男子部の会合にもなかなか参加できずにいた。
 転機となったのは、昨年の青年部教学試験2級だった。がんの進行が進み、体調がすぐれない義父が講義を買って出てくれ、合格することができた。教学の研さんを通して義父の信心の確信に触れた大木さんは、気付くと教わった内容を、職場の上司や同僚、取引先など、縁する人たちに話すようになっていた。

●一緒にやろう
 昨年末に義母が、そして本年1月1日に義父が霊山へ旅立った。大木さんは語る。「亡くなる間際、私の手を握り、『ほんまに頼むぞ。南無妙法蓮華経やで』と言われました。命を懸けて信心を教えてくれた義父に、恩返しをすると強く決意しました」
 見舞いなどで、毎日のように伸一さんと顔を合わせる中で、信心の話をする機会も増えていた。そこで大木さんは、いろんな人に自然と学会のことを話していると伝えると、伸一さんから「それは立派な折伏ですよ。相手の幸せを一緒に祈りましょう」と。
 そう言われて大木さんは、これまで学会で学んだことを“紹介”はするものの、信心の実践を“勧めた”ことはないと気付いた。自分が創価学会に入会して感じた幸せを、周りの友人にも感じてほしい。そう思った時、職場のある後輩のことが頭に浮かんだ。仕事上の人間関係の悩みを聞くうちに、かつて自分が抱えていた悩みと似ていると感じ、この信心で乗り越えてほしいと思った。
 その頃、大木さんは伸一さんから、大学校を卒業するに際して、池田先生に決意文を書こうという話を聞いた。その時、後輩の折伏を本気で決意し、対話を続けていった。初めて「一緒に信心やろう」と語ると、後輩は「悩みを乗り越えたい」と入会を決意。今月9日、入会へ導くことができた。
 入会後、日に日に変わっていく後輩の姿を見て、大木さんは「もっと早く信心を勧めておけばよかった」と語る。
 現在、職場では入社4年ながら、二つの営業所を統括する所長として活躍している大木さん。
 「これまでは、仕事や育児と会合が重なると、すぐに参加を諦めていました。しかし、大学校での活動を通して、“どうしたら会合への参加を勝ち取れるか”を祈り、挑戦する大切さを学びました。今後も信心根本に時間革命をして、社会で実証を示していきたいと思います」

★先輩の声 大木伸一さん(男子部部長)
 祐介さんは、中学校、高校の一つ上の先輩なんです。気付いたら妹と一緒にうちに来るようになり、結婚して私の義弟になりました。昔からいつも優しく、頼りがいがある“兄貴”のような存在ですが、祐介さんは大学校への入校当初、仕事と家庭のことでなかなか会合に参加できない状況が続きました。本当に忙しいことを知っていたので、勝利長としてどうつながっていけばいいのか、先輩に指導を受けながら進んできました。
 しかし、話をよく聞いてみると、職場ではすごく信頼をされていることや、いろんな人に学会員であることを自然に話していることを知り、驚きました。最近では、会合にも参加できるようになってきました。祐介さんとは最近よく、「池田先生が喜んでくださることをすることが、亡き両親に対する最高の親孝行になる」と話しているんです。
 祐介さんに負けないように、私も今月、友人の入会決意を勝ち取ることができました。これからも祐介さんとお互いの成長を競いながら、亡き両親に、そして何より池田先生に、勝利の報告ができるよう戦っていきます。

基本を大事に先輩と共に挑戦
長野・浅間圏 土屋雄人さん(ニュー・リーダー)
●息子には無理
 生まれた時、ダウン症候群と診断された土屋雄人さん(小諸東本部浅間部、ニュー・リーダー)は、幼い頃から読み書きや人と話すことが苦手だった。そのため小学校、中学校時代は、なかなか友人がつくれず、休日は一人でDVDを見るか、両親と過ごしていた。
 しかし、学会の未来部の会合は、皆が温かく迎えてくれるので大好きだった。当時、男子部の部長だった依田隆志さん(圏男子部長)とは、その頃から顔見知りになっていた。
 2017年に特別支援学校を卒業し、作業所で働くようになった土屋さんは、男子部として活動にも参加するようになっていった。18年から新たに「男子部大学校」が発足することを受けて、依田さんは土屋さんに大学校の話をした。本人は興味を示したが、彼の両親に相談したところ、「息子にはまだ無理かな」ということで、入校は見送ることになった。
 この時、依田さんは、両親に信頼してもらえるほど、自分自身が土屋さんと関わり切れていなかったことを反省した。それからは、両親に安心してもらった上で入校できるよう、さらに寄り添い、土屋さんの活動の様子を丁寧に両親へ伝えることも心掛けた。男子部の会合で大学校生とつながり、触発を受けてきた土屋さんは、昨年、自ら両親に「僕も男子部大学校に入りたい」と。「そこまで言うなら」と、両親も承諾し、男子部大学校2期生としてスタートした。

●勇気は出すもの
 土屋さんは、大学校に入校後、毎週開催される本部の活動者会に加え、大学校の定例会にも欠かさず参加。毎回、元気に「折伏します!」と決意発表していた。会合ではいつも笑顔で元気な土屋さんだったが、ある日、会合終わりに依田さんが車で家まで送っていると、「依田さん、いつも同じ決意を発表するの嫌です」と打ち明けてくれた。話を聞くと、決意発表はするものの、いざ行動を起こそうとすると勇気が出ず次の会合で、また決意だけを言うのがつらかったという。そして、「僕には勇気がないんですか?」と真剣に聞いてきた。
 依田さんは「勇気はあるかないかじゃなく、出すか出さないかだよ」と優しく励ました。土屋さんは、帰宅すると依田さんの言葉を忘れないよう、すぐ紙に書きとどめ、その日から「勇気が出せるように」と真剣に祈り始めた。自宅で依田さんと一緒に勤行をすることも増えた。その中で、知り合いに聖教新聞のPR版を渡そうと決意。作業所の所長に勇気を出して「僕が読んでいる新聞です。読んでください」と話すと、「ありがとう」と感謝され、受け取ってもらうことができた。勇気を出して「殻を破れた」ことが何よりうれしく、依田さんも自分のことのように喜んでくれた。
 実は土屋さんは、作業所でもなかなか周りに話し掛ける勇気が出ず、昼食はいつも一人で食べていた。しかし毎朝、「皆が仲の良い職場に」と祈り、「勇気は出すか出さないか」と自分に言い聞かせ、出社すると自分からあいさつをするように心掛けた。すると土屋さんは、少しずつ周囲とも話せるようになり、今では、皆で一緒に食べる昼食の時間が何より楽しみになっているという。

●励ませる人に
 他の大学校生が次々と折伏に挑戦する中、土屋さんはまた、依田さんに本音をもらした。「折伏は“いつかやる”じゃだめなんですか?」と。すると依田さんは、目標を立てることの大切さを優しく話しながら、「“いつか”じゃなくて、“五日”までにやると決めて挑戦してみよう!」と提案してくれた。そして、依田さんと一緒に祈る中で、土屋さんの心に家族ぐるみで親しくしてきた知人のことが浮かんだ。早速、圏で開催されたセミナーに誘い、一緒に参加することができた。土屋さんの祈りが伝わり、終了後、知人は「やってみる」と。昨年11月4日、決意した通り“五日”を前にして、入会に導くことができた。その日は、土屋さんの21歳の誕生日でもあった。
 土屋さんの父・正信さん(浅間支部、副支部長)と母・まゆみさん(同支部、支部婦人部長)は、「全てのことに時間がかかる雄人のために、資料には振り仮名を付けてくれるなど、根気強く付き合ってくれ、ありのままの息子を受け入れて接してくださる男子部の皆さんには感謝しかありません」と大学校での取り組みを振り返っていた。
 土屋さんは誓う。
 「大学校を通して信心の原点を築くことができました。これからも唱題根本に、自分に縁する人に励ましを送れるよう、成長していきます」

★先輩の声 依田隆志さん(圏男子部長)
 雄人さんのことは未来部時代から知っていました。男子部の会合に雄人さんがいると、その場の雰囲気が本当に明るくなるんです。ただ、大学校に入った当初は、なかなか本音が聞けませんでした。会合だけではだめだと思い、自宅や会館で共に勤行・唱題を行う「家勤運動」に力を入れるようにしました。すると、職場で同僚とうまく話せないこと、折伏に挑戦する勇気が出ないことなど、本音を話してくれるようになりました。雄人さんの本音に自分も本音で応えようと、会う前はいつも真剣に雄人さんの成長を祈り切って、会うようにしてきました。
 「勇気は出すか出さないか」「朝は決意の題目、夜は感謝の題目」など、雄人さんと確認し合ってきたおかげで、自分自身も一つ一つ、基本を大事にしながら活動に取り組むことができたと思っています。
 また、折伏や聖教新聞の購読推進に関しては、自分が挑戦してうまくいかなかったことも、ありのままに語るように心掛け、雄人さんの対話にも一緒に動くようにしました。雄人さんと一緒に戦うことで、自分も何度も勇気を出すことができました。これからも、雄人さんと一緒に、成長していきたいと思います。

◆〈信仰体験〉連載企画〈登攀者2020〉希少金属を精細に削り出す職人

 ものづくりの集積地と呼ばれる東京都大田区。東急多摩川線の矢口渡駅から延びる商店街を抜けると、多くの町工場が立ち並ぶ。その一角、多摩川の土手から一本脇道に入った所に㈲吉田製作所はある。「吹けば飛ぶような零細企業ですよ」。そう言って笑う吉田晃さん(73)=大田区、副本部長。しかし、わずか10坪ほどの小さな町工場から生まれた奇跡のような技術が、世界へ、宇宙へ飛び立っている。

 濃密な空気が流れていた。いったん機械に向き合うと、柔和な表情は一変。10秒……20秒……。息をひそめて繊細な切削音に耳を澄ませる。手掛けるのはレアメタル(希少金属)だ。
 耐熱、耐食、耐酸などの極端な性質から、ハイブリッド自動車、携帯電話、パソコンなどの部品として現代社会に不可欠とされる。だが、吉田製作所に依頼される注文は、それら汎用品とは一線を画す。
 ロケットのエンジンノズルや気象観測衛星、医療機器の重要部品など、いずれも吉田さんにしかできない高精細の特注品なのだ。
 硬度が高いレアメタルは、過酷な宇宙環境にも耐えられるが、その加工には極めて精密な技術が求められる。希少性から原価が高く、失敗した場合のリスクが大きいため、実際に加工できる職人は限られる。
 この日手掛けていたのは、小さなネジ1200個。NC旋盤で一つずつ削っては整然と並べていく。マイクロメーターで外径を測定すると、デジタル表示板は「5・973ミリ」を示す。次の部品も、その次も「5・973ミリ」。
 難削材であるレアメタルを1000分の1ミリ(1ミクロン)という単位で削り出す技術が吉田さんの真骨頂だ。
 「ここまでピタッと正確に出るのは、理屈じゃ説明できないんですよね。その日の気温・湿度が違えば、機械の調子も違います。職人としての経験と勘でしょうか。たかがネジ一本かもしれません。でも、この部品がなかったら、宇宙空間で正常に動作しない。そう考えると私の仕事も結構大事なんです(笑い)」

 「ウチももうダメか……」。日本列島全体に、かつてない金融危機の暗雲が垂れ込めていた2000年代はじめ。大手銀行や証券会社が相次ぎ破綻。周囲の仲間も次々と工場を畳んでいく。
 汗と油にまみれながら、父の代から自動車部品の製造を担ってきた。だが、それも中国などの労働力の安い地域に生産拠点が移っていた。幾度も経営危機を乗り越えてきたが、今度ばかりは、電気代やガス代の支払いにも困るほど。
 「今こそ題目で乗り越えましょう」。妻・忍さん(71)=総区婦人部主事=の言葉にハッとした。御本尊に向かって真剣に題目を唱えるうち、胸の奥から熱いものが込み上げる。
 吉田さんは、1968年(昭和43年)2月、知人の紹介で創価学会に入会。以来、真面目に学会活動に励んできた。
 「工場だけは倒産させない」と真剣な祈りを重ねていたある日、一本の電話が入った。
 「吉田さんの所で、レアメタルはできますか?」

 やるしかない。断る選択肢はなかった。しかし、求められる高度な技術に応えられるか。
 知人の工場長のアドバイスを受けながら、乾いたタオルをさらに絞るような思いで頭を働かせた。昼か夜かも分からないほど試行錯誤を重ねた。結果、どうにか作り上げたレアメタルの加工品を納品することができた。
 しかし、本当の勝負はそれからだった。レアメタル加工をモノにしたいと祈っては、作業に戻るの繰り返し。
 「3年……いや5年かかったかな」
 レアメタルを削る切削油も、最適な物を探し求めた。レアメタルの一つタングステンを加工し、超硬工具を自作したのもこの頃のこと。これにより、量産化が可能になり、受注の幅が一気に広がった。
 「“俺がやらないと、誰がやるんだ”っていう使命感しかないですよ。誰もやったことがないことをやるには、題目しかない。次第に夢の中でも仕事するようになって。翌朝、その通りやったら、うまくいった、なんてこともありましたね」
 2009年(平成21年)には、「大田の工匠100人」の表彰制度がスタート。その初年度、吉田さんが選出された。
 「ようやくここまで来たかって、ホッとした途端、今度は胃がんになっちゃって」
 検査結果は、ステージ2。胃の3分の2を切除した。入院期間中は、長男・伸明さん(43)=壮年部員=が工場を守り抜いた。
 病を経験した吉田さんは、後継育成の思いをさらに深くした。
 経営が苦しい時も、常に支えてくれたのは、妻・忍さん。
 「町工場だから、本当は私も機械を回した方が経営の足しになるんだろうけど、夫はそんなこと一言も言わず、いつも快く会合に送り出してくれました。私も、広宣流布の一念を定めて、“自転車で地域を回った分、工場の機械も回るんだ”と思ってきました」

 吉田さんの五体には、若き日に師匠から学んだ負けじ魂が脈打っている。
 一つは、入会後しばらくして池田先生から贈られた書籍。表紙を開くと「人生を逞しく」とつづられていた。
 もう一つは、1970年(昭和45年)の言論問題の渦中。金属加工の仕事を早く切り上げて学会本部の役員に就いていた時。優しく声を掛けられ激励を受けた。そこで目の当たりにした先生の腫れ上がった手。
 “どれほどの激務の連続なのか”。どんなに経営が苦しくても、思うように金属を削れなくても、「師匠の手」を思えば、力が込み上げ、乗り越えることができた。
 「勝負はこれからですよ。報恩の人生です」。静かに語る吉田さんの目に誓いの炎が燃えている。

 

2020年2月24日 (月)

2020年2月24日(月)の聖教

2020年2月24日(月)の聖教

◆わが友に贈る

 「題目」がある。
 「御書」がある。
 「団結」がある。
 “時”に適った価値創造を
 妙法の無限の智慧で!


◆名字の言 コミュニケーションについて考えさせられた2つの出来事

 先日、ある一家のお宅を訪問した。家族で耳に障がいがないのは母一人。父と2人の子は難聴で、補聴器をつけて生活している▼玄関に入ると、子どもたちが手話で「こんにちは」「ようこそ」と歓迎してくれた。手話が分からない記者にも、思いは十分伝わってくる。仏間に上がり、一緒に唱題した。皆の呼吸はぴったり。思いやりにあふれた一家との懇談は、笑顔と温かい雰囲気に包まれた幸せなひとときだった▼その帰途、飲食店に入った。すると別のテーブルにいた中年の男性がスマートフォンを取り出し、部下らしき相手と何やら通話し始めた。店内に響きわたる声は、耳障りなことこの上ない。急ぎの用でもなさそうだ。横柄な口調で話し終えると、そそくさと代金を払い、店を出て行った▼コミュニケーション能力とは何か――。優れた機器を持っていても、相手や周囲を気遣えない人がいる。一方で、音声による「聞く」「話す」ことが困難でも、笑顔で思いを伝え合い、皆を温かく包む人がいる。改めて「心こそ大切なれ」(御書1192ページ)と強く思った▼時代とともに技術は進歩し続ける。だからこそ、より誠実に、より真剣に、真心の対話を。心を通わせ、心を結ぶ語らいを。そう決意した一日の出来事だった。(実)


◆寸鉄

励ましで人々を立ち上が
らせる学会の行動は理想
―博士。真心の声、今こそ
     ◇
「真の友情とは、誠実さに
満ちている」格言。仏法は
振舞。電話一つも大切に
     ◇
幹部は「これならできる」
と皆が膝を打つ指揮を!
一人一人の成長に心砕き
     ◇
特殊詐欺、金融機関装い
銀行カード盗む手口増加
と。絶対渡すな信じるな
     ◇
4月に実施の新学習指導
要領、防災教育が充実。
親子で意識高める契機と


◆きょうの発心 上野殿御返事 徳島総県書記長 大西栄一2020年2月24日

御文 日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり(上野殿御返事、1558ページ・編1182ページ)
通解 日蓮は、生まれた時から今にいたるまで、一日片時も心の休まることはなかった。ただ、この法華経の題目を弘めようと思うばかりであった。

信心の喜びと確信を語り抜く!
 あらゆる民衆を幸福にさせずにはおかない、との御本仏の大慈大悲の一念が記された一節です。
 学生時代、信心根本に病を克服した私に対し、先輩が「この喜びと確信を友人にも伝えていこう」と励ましてくれました。中学の同級生への、人生初の仏法対話に挑戦。この友は、10年を経て晴れて御本尊を頂くことができました。
 その後も、出会った多くの方々に勇気と感謝の対話をし、20人に弘教が実りました。
 先日は、父と親子一体で、友人夫妻を入会に導き、学会創立90周年の開幕を勝ち飾ることができました。わが家の4人の子どもたちも学会の庭で育んでいただき、後継の道を歩んでいます。
 本年12月は、池田先生が第3代会長就任後、徳島を初訪問されてから60周年の節目です。新「徳島平和会館」の建設も決定し、同志に歓喜の輪が広がっています。
 師弟求道の「志国」の魂を燃え上がらせて、新たな歴史の渦を“愛する徳島”から巻き起こしてまいります。


【先生のメッセージ】

◆2・17「農漁光部の日」に寄せて 池田先生のメッセージ2020年2月24日

 2・17「農漁光部の日」を記念する「第23回農漁村ルネサンス体験主張大会」(11日収録)に寄せた、池田先生のメッセージを紹介する。

太陽の仏法が放つ生命の光が「生きる力」「地域繁栄の力」に

 始めに、昨年の台風や豪雨などで被災された方々に、改めて心からお見舞いを申し上げます。一日も早い復興を、強く強く祈念しております。
 昨年10月の「世界食料デー」に寄せて、国連のグテーレス事務総長が、地球の気候変動が「食料の安定確保にとって、ますます大きな脅威となっています」と警鐘を鳴らされました。
 近年、異常気象や自然災害が相次ぎ、農漁業を取り巻く環境は、いっそう厳しさを増しています
 加えて、国際情勢も揺れ動くなか、わが誉れの農漁光部の皆さん方は、それぞれが不撓不屈の負けじ魂と創意工夫の智慧を発揮し、また熟練の技と若い情熱、さらに男女の協働の力を活かし合って、たゆまぬ挑戦と努力を貫いてこられました。
 そして、素晴らしい価値創造の実証を示し、希望みなぎる信頼のスクラムを地域に築いておられます。
 きょう(11日)の三家族の素晴らしい体験主張は、まさにその模範であります。
 私は、宝の友の尊き奮闘を仰ぎ見る思いで、全国、いな全世界の同志と共に、万雷の賞讃の大拍手をお送りしたいのであります。
 私たちが信奉する日蓮大聖人は「海人が子なり」(御書370ページ)と宣言され、漁村に生まれ育ったことを誇りとされました。農漁村に生きゆく人々の言い知れぬ苦労を常に労われ、その実りを最大に大切にし、讃嘆されました。
 「白米は白米にはあらず・すなはち命なり」(同1597ページ)とも述べられております。
 さらに、「人に食物を施すのに三つの功徳がある。一つには生命を継ぎ、二つには色つやを増し、三つには力を与えることである」(同1237ページ、通解)と仰せです。
 まさしく、わが農漁光部の友が、太陽の仏法を掲げて放ちゆかれる生命の光が、一人一人の生きる力となり、地域の多彩な繁栄の力となり、そして、いかなる試練にも負けない社会の「レジリエンス(困難を乗り越える力)」となっていくことは、断じて間違いありません。
 世界的な農業科学者のスワミナサン博士と私は、農漁村の幸せな笑顔こそが、その国の幸福を決め、人類の幸福を決めると一致しました。
 何やかやと多事多難な時代だからこそ、この体験主張大会に満ちあふれる歓喜と勇気と連帯の笑顔を共々に、いよいよ明るく大きく朗らかに、世界へ未来へ広げていこうではありませんか!
 終わりに、ご列席の方々とご家族の益々の健康長寿、また、この一年の豊作・豊漁、そして愛する郷土の安穏と発展を、深く深くお祈り申し上げ、私のメッセージとさせていただきます。 
 どうか、お元気で! いついつまでも、お達者で!

一面に広がるジャガイモ畑。後ろには秀峰・羊蹄山がそびえる(北海道・倶知安町で)


【聖教ニュース】

◆アジア各国で教学研修会――インド・タイ・インドネシアで求道の心燃やし 2020年2月24日

インドネシア本部での研修会で、資料を手に真剣に学ぶ参加者

インドネシア本部での研修会で、資料を手に真剣に学ぶ参加者

 人類の希望である「太陽の仏法」をアジアへ、全世界へ!
 かつて第2代会長・戸田城聖先生は、アジアの民衆の幸福を祈りつつ、詠んだ。
 「雲の井に 月こそ見んと 願いてし アジアの民に 日をぞ送らん」
 恩師が熱願した東洋広布は今、池田大作先生の死身弘法の闘争によって現実のものに。各国・地域で幾万、幾十万の地涌の同志が躍動している。
 戸田先生の生誕から120周年を迎えた今月、アジアの各国でSGI(創価学会インタナショナル)教学研修会が開催された。

池田先生がメッセージ贈る
 これには池田先生がメッセージを贈り、「燃え上がる求道の心で参加された大誠実の行動は、御本仏・日蓮大聖人が全て御照覧です」と尊き友の集いを称賛。日蓮仏法は「希望の宗教」であり「蘇生の宗教」であり「変革の宗教」であると述べ、たゆまぬ実践を通し、家族や地域、社会から信頼され、尊敬される一人一人へと成長していただきたいと望んだ。
 昨年、22万人の陣列へと拡大した仏法源流の国・インドでは7、9の両日にわたり教学研修会を実施。ニューデリーのインド創価学会(BSG)本部をメイン会場に、福田SGI副教学部長の担当で、人間主義の哲理を研さんした。
 主な教材は池田先生の講義「世界を照らす太陽の仏法」と「勝利の経典『御書』に学ぶ」。上野殿御返事(須達長者御書)等を通し、「人材育成の要諦」などを学んだ。

 また今回、初めて未来部を対象とした講義を実施。中等部・高等部の代表が集い、「上野殿御返事(竜門御書)」を通して「誓願」の重要性を心に刻んだ。
 参加者は「生涯の原点となる会合でした。これからは何があっても、唱題根本に乗り越えていきます。勉強も頑張り、世界広布の先駆者になっていきます!」と語っていた。
 研修の模様は、全国の約270会場のほかネパール、スリランカで放映された。

 また本年、「青年部7万5000人」の連帯構築へ進むタイでは11、12の両日、バンコクのトンブリ会館をメイン会場として教学研修会を実施。カンボジアとラオスの代表も勇んで集った。
 福田SGI副教学部長の担当で、「世界を照らす太陽の仏法」から「創価学会永遠の五指針」の「絶対勝利の信心」を学んだほか、青年部のリーダーを対象とした講義なども行われた。
「前進・人材の年」を朗らかに進むインドのメンバー。「人間主義の哲学」を学ぶ喜びが光る(ニューデリーのBSG本部で)
 参加者は次のように決意を述べた。
 「質問会を通し、他の宗教を信じる人とどう対話し、友情を結んでいけばいいのか、深く理解することができました。日蓮大聖人の仏法への確信を胸に、対話拡大に取り組んでいきます」
 研修会の模様は、全国の多数の会場で放映された。

 インドネシアの教学研修会は8、9の両日、首都ジャカルタのインドネシア本部で開かれ、高野SGI副教学部長が講義を担当した。
 国民の9割がムスリム(イスラム教徒)のインドネシアでは昨年、法華経展に約2万4000人が来場するなど、仏法の平和哲学への理解が大きく広がっている。
 8日に開催された幹部対象の講義では「生死一大事血脈抄」を研さん。
 9日の一般講義では池田先生の講義「世界を照らす太陽の仏法」を学び、「師弟不二」「異体同心」の重要性を確認し合った。
 参加者は「今回の教学研修会で学んだことを、多くのメンバーに伝えていきたい」「池田先生の弟子として、もっと成長していきたい」と決意を語っていた。


◆マーチングステージ全国大会 2年連続で鼓笛隊が特別賞 2020年2月24日

2年連続で「特別賞」を受賞した創価シャイニングスピリッツ・創価ジャスティスウィングスの合同チーム(神奈川県民ホールで)

2年連続で「特別賞」を受賞した創価シャイニングスピリッツ・創価ジャスティスウィングスの合同チーム(神奈川県民ホールで)

 第19回「マーチングステージ全国大会」(主催=日本マーチングバンド協会)が22、23の両日、神奈川県民ホールで開催された。
 大会2日目に鼓笛隊の創価シャイニングスピリッツ・創価ジャスティスウィングスの合同チームが出場し、講評者が選ぶ「特別賞」を2年連続で受賞。音楽隊の創価鹿児島サザンブレイズも同日、演技を披露し、「優秀賞」と健闘した。

創価シャイニングスピリッツ・ジャスティスウィングスが躍動
 鼓笛隊の合同チームのテーマは、「Beyond the skies(空を越えて)」。どんな困難にも負けず、一人一人が希望の大空へ羽ばたくイメージを表現した。
 当初、2つのチームが心を合わせるのは容易ではなかったという。だが、多忙な中で週4回の練習に集い、ディスカッションなどを通して互いのことを知り、同じ目的に向かって進む中で少しずつ絆が生まれた。
 音楽の技術だけでなく、友情と団結の心を培い、自身を鍛え輝かせて迎えた当日。
 流麗な旋律に乗せてバトンやフラッグが宙を舞い、隊形変化が鮮やかに決まる――。
 全員の心が一つとなった“団結の美”が、観衆を魅了した。
 千葉井智美ユニット長は語った。
 「皆で師匠を求め抜く中で勝利をつかむことができ、本当にうれしいです。一人一人が社会で希望の存在と輝いていきます!」

音楽隊・鹿児島サザンブレイズも健闘
 一方、鹿児島サザンブレイズは「Challenge(挑戦)」をテーマに、苦難に直面しても、挑戦を重ねる青年の姿を表現。力強い演技・演奏に会場から大きな拍手が送られた。
 古岡史理楽団長は、「さらなる高みを目指して、努力を重ねていきます」と述べた。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈勇気の旗高く〉 池田先生と茨城2020年2月24日
 「強い心」の人は幸福

「大海原のごとき心で」――池田先生は“厳寒の茨城指導”で日立を訪問。太平洋と白亜の灯台をカメラに収めた(1982年2月10日)

「大海原のごとき心で」――池田先生は“厳寒の茨城指導”で日立を訪問。太平洋と白亜の灯台をカメラに収めた(1982年2月10日)

 池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は茨城県を掲載する。

“直通”の信心
 茨城の同志の合言葉は「直通」。愚直なまでに師匠を求め抜き、広布にまい進する心意気を表している。1988年(昭和63年)2月27日の茨城県記念総会で、池田先生は、その意義について語った。
  
 茨城の旧国名は「常陸」と呼ばれた。この「常陸」の由来には諸説があるが、一説には「直通」からきているといわれる(『常陸国風土記』)。すなわち“道が直通に続いている”との意味である。
 現代も茨城県は、交通網の整備も進み、東京中心部との連携を密にしながら“自立都市圏”として発展している。また、科学万博、筑波学園都市をはじめ、国際交流、学術振興の“道”も開いている。
 次元は異なるが、信心の世界にあっても、「常陸」の由来のごとく、茨城の皆さまは、どこまでも御本尊にまっすぐ通じる純粋な信心を貫いていただきたい。
  
 今年は水戸支部結成60周年。先生は2002年(平成14年)の随筆で、それまでの茨城訪問を振り返りつつ、初代会長・牧口常三郎先生と茨城との深き縁をつづっている。
  
 それは、晩秋の十一月二十六日のことであった。
 第三代会長に就任して半年余り――一九六〇年(昭和三十五年)のその日、私は、茨城の水戸へ走った。県営の体育館に約八千人が集った、水戸支部の結成大会に出席したのである。
 前日の雨はあがり、青空が見えていた。
 新出発の同志に、私は「自分自身との闘争を!」と強く訴えた。全員が偉大な「人間革命」の歴史を綴り残してほしかったのである。
 それから十年目となる一九六九年(昭和四十四年)の十一月二十九日、私は、発展する茨城総合本部の指導会をもった。
 その日は快晴だった。沈黙の空を見上げる、青年たちのにぎやかさは壮観であった。会場の水戸会館には、壮年、婦人も共に、四百人の代表が集い合い、どの顔も、晴れ晴れとして輝いていた。
  
 私は戦時中、あの霞ケ浦に臨む、土浦の少年航空隊の基地にいた友人を訪ねた。それ以来、幾度となく茨城の大地を踏みしめた。
  
 茨城は、牧口先生も何度も来られている。
 『万葉集』に歌われる関東の名山・筑波山にも、足を運ばれた。一九三六年(昭和十一年)の一月のことである。土浦から筑波鉄道(当時)で麓の町に行き、この端麗な山を仰がれたのであろう。
  
 牧口先生は、翌日には下妻を訪れ、青年教育者を交えて座談会を開くとともに、茨城県支部を発足された。
 手元の資料を見る限り、これは、牧口先生が自ら出席して結成された「最初の地方支部」であったようである。

反転攻勢の勝鬨
 このほど、2月11日が「茨城青年部の日」に制定された。その淵源は、1982年(昭和57年)、邪宗門の謀略に苦しんだ友のもとへ池田先生が駆け付け、渾身の激励を重ねた“厳寒の茨城指導”にある。
 99年(平成11年)の随筆に、その反転攻勢の広布史が記されている。
  
 水戸の偕楽園の梅が満開に咲き香る季節は近づいていたが、まだまだ寒かった。
 一九八二年(昭和五十七年)の二月七日、私は、牧口先生と同じ決心で、寒風のなか、茨城の同志のもとへ走った。
 少々、風邪気味の体は熱っぽかったが、一夜明けると、すっかり楽になり、同志の題目を感じてならなかった。
 私は、完成間もない、水戸の茨城文化会館に本陣を置いて、北は日立、東は鹿島、南は土浦へと、広宣流布の大波を起こす決意で、正義の軍艦のごとく動きに動いた。
 その日立も、鹿島も、また、土浦方面の竜ケ崎、谷田部などでも、邪僧が正義面して、仏意仏勅の学会に泥をかぶせ、唾を吐いていた。
 可憐な花のごとく、清らかな魂の同志は、こんな悪逆非道はない、これが正しき仏法を守る坊主であるはずがないと、悔し涙をのんで、耐えに耐えてきたのだ。
 仏法の世界にあるまじき、この悔しさは、当時の同志たちの心からは、永遠に消え去ることは絶対にない。
 いかなる嫉妬と中傷の矢も、太陽を射ることはできない。威風堂々、太平洋に昇りゆく太陽のごとく、正義の旭日が昇れば、邪悪の闇は破れる。
 私は、あの地でも、この地でも、雄々しき戦闘を勝ち取っていく、わが広布の同志の頭上に、勝者の月桂冠を載せながら、戦い抜いた。
 その間、わが師である戸田先生のご生誕の日(二月十一日)も、茨城で迎えた。先生の年齢と同じ、八十二個の鉢植えの梅が、寿ぐように香っていた。
 この日、二十一世紀を託しゆく男女青年部、三千五百名による、「茨城二〇〇〇年会」が結成された。
 若き勝鬨の声は、今でもこだまして聞こえるようだ。

凱歌の人生を

 90年(平成2年)6月、茨城文化会館で行われた本部幹部会。池田先生は、邪悪との闘争を勝ち越えた同志をたたえ、勝利の人生を生き抜く要諦を示した。
  
 大聖人は「仏法は勝負」と教えてくださっている。人生もまた“勝負”である。
  
 絶対に強くならねばならない。悪世末法といわれる現代の社会にあって、力がなく、弱ければ負けてしまう。こちらが勇気を出し、力をつけていけば、おごった敵も必ず打ち破っていけるのである。
  
 御本尊を持ち、広布にまい進する皆さまは、全てが尊い仏子である。仏の子を、三世十方の仏・菩薩、諸天善神が守らないはずがない。
  
 妙法の大道を歩む私どもには、何も恐れるものはない。御本尊の無量無辺の功徳に包まれた皆さまほど、強く素晴らしい存在はない。どうか、そのことに深き確信を持って、堂々と勝利の人生を生き抜いていただきたい。
  
 ところで、私たちは、何のために生まれてきたのか。この人生の大問題について、戸田先生は次のように明快に述べられている。
  
 「なぜ人間に生まれてきたか。簡単なようで、しっくりとしない問題でありますが、あなた方はこの世に遊びにきたのです」と――。
 “われわれは、この世に遊びに来た”――。もとより、「遊び」といっても単なる娯楽などとは根本的に異なる。人生を自在に楽しみ、幸福を満喫しきっていける“境涯”を示されているのである。
  
 人生、生活の一切が楽しく、常に「喜び」と「希望」を見いだして悠々と生き抜いていく。ここに、私どもの信仰の目的がある。また人生の究極の目的、理想がある。
  
 たとえば、職場で上司に叱られることがあっても、その指摘を誠実に受け止めればよいのである。変にしょげかえってしまう必要はない。「ああ、自分を励ましてくれて、ありがたいな」とか、「うちの課長も本当に元気だな」(笑い)と、いい意味でたくましく捉えて、奮起していけばよいのである。
 要するに、“グチ”や“不平”に流されず、常に現状を“いい方へ、いい方へ”、“希望へ、喜びへ”と、捉えていける「強い心」を持つことである。ここに、人生の勝利をもたらす「知恵」がある。また、それを実現していけるのが信心である。
  
 池田先生は“茨城は日本の縮図、広布の縮図”と、深い使命を強調し、さらなる発展に期待を寄せる。師の心に応え、茨城の友は、一人一人が堂々と凱歌の人生を飾りゆく。


◆〈座談会〉 希望の春呼ぶ励ましの実践を 自他共の幸福開く真心の対話2020年2月24日

〈出席者〉 原田会長、長谷川理事長、永石婦人部長、西方男子部長、大串女子部長

 永石 「二月闘争」から「3・16」へ、一日一日が勝利のリズムを刻む大切な時です。
 
 長谷川 強盛な祈りを根本に学会活動の基本である、「一人」に真心を尽くす励ましに徹していきたい。
 
 原田 私も同志のお宅を訪問させていただいています。日頃の功労に、心からの感謝をお伝えするとともに、ますます健康で、ご活躍をと、お話ししています。お会いした方は「私たちも、私たちの立場で地域に励ましを送っていきます」と決意されていました。
 
 永石 婦人部の方々とお会いすると、純真な信心にこちらが感動し、学ばせていただくことが多いです。
 
 西方 私がお会いした男子部員も、皆が何としても弘教の結果で先生にお応えすると決意していました。
 
 大串 女子部のメンバーも、職場で実証を示しながら、友人に弘教が実った人など、生き生きと活動しています。
 
 西方 小説『新・人間革命』には山本会長が過密なスケジュールの合間を縫って個人指導に徹する姿が幾度も描かれています。
 
 原田 第27巻「正義」の章では、三重を訪問した際、地域のリーダーのもとへ足を運ぶシーンがつづられています。その中で、同行した幹部に次のように語ります。「寸暇を惜しんで、皆の激励に回ることです」「それが、幸せの花を咲かせ、組織を強化し、盤石な創価城を築くことになります。ほかに何か、特別な方法があるのではないかと考えるのは間違いです」と。
 
 長谷川 “会合と個人指導の比率を2対8に”との指針もあります。今がそれを実践する機会とも考えられます。
 
 永石 訪問・激励を実践する上では相手の方へのこまやかな配慮が必要です。
 
 原田 事前に連絡を入れて、先方の状況、特に健康状態を確認した上で訪問することが大切です。今は手洗い、うがい、アルコール消毒、せきエチケットなど、ウイルス感染予防の対策をしっかりとっておかねばなりません。
 
 長谷川 その通りですね。先生は「訪問する際には、事前に連絡をして伺うなどのマナーも、当然、心掛けなければならないし、玄関先で会話をすませるなどの配慮も大切である」(同23巻「勇気」の章)とつづられています。
 
 永石 また、電話などを使って、励ますこともできます。こういう時こそ、知恵を出して工夫していきたいですね。
 
 原田 大変な時であればあるほど、地に足を着けて、一人一人をいかに励まし、希望と勇気を送っていくか。その基本に徹することが大事です。

寄り添い同苦する
 長谷川 御書には「一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦と申すべし」(587ページ)とあります。日蓮仏法の実践の根幹は、目の前の一人に同苦し、真心からの励ましを送ることではないでしょうか。
 
 大串 仏法対話にも当てはまると思います。今、友人の方々が共感するのは、多くの学会員が、友の抱える不安、仕事や人間関係の悩みなどに耳を傾け、自分のことのように寄り添っているからだと思います。
 
 西方 私も友人との対話では、まず相手の話をよく聞き、その上で、自身の体験や仏法の法理を語り、勇気を送ることを心掛けています。
 
 原田 友の幸福と成長を祈り、寄り添い、語り抜く中で私たち自身の境涯も大きく開けていくのです。自他共の幸福を築く折伏の実践に、朗らかに挑戦していきたい。

世界が求める創価の人間主義
 大串 去る1月26日、SGIは発足から45周年を迎えました。
 
 原田 この間、池田先生の死身弘法の闘争により、SGIの連帯は世界192カ国・地域に広がりました。今、世界中の同志が仏法の実践を通して自身の可能性を開き、地域や社会の柱として活躍しています。
 
 大串 聖教電子版にも世界203カ国・地域からアクセスがあるそうですね。時代が、世界が、創価の人間主義の哲学を求めていることを強く感じます。
 
 原田 世界宗教として発展する創価学会への共感と期待は、いっそう高まっています。私がお会いする一級の識者の方々も一段と池田先生の平和思想に理解を深め、学会が日本の柱として大きな存在感をもっていることに注目しています。
 
 西方 同志社大学大学院神学研究科で学んだ作家の佐藤優氏は近著『世界宗教の条件とは何か』で、こう語っています。「五○年後、一○○年後の遠い未来を考えるなら、創価学会が現在の既成仏教各派を凌駕するほど世界に広がって、新たな世界宗教になる」
 
 長谷川 佐藤氏は、確固たる宗教観、歴史観の上で、創価学会の運動を高く評価しています。非常に、説得力のある論説です。
 
 永石 米・モアハウス大学キング国際チャペルのカーター所長が著した『牧師が語る仏法の師』という書籍があります。カーター所長は、池田先生との出会いを重ね、その学識、高潔な人格に深く感動。対談集や平和提言などを、さらに読み深めていったそうです。
 
 西方 カーター所長はつづっています。「私は、半世紀以上前にキング牧師を、三十年以上前にガンジーを、わが師と定めました。しかし池田会長の偉業を知った時、三番目の世界的な師匠に出会ったと叫びたい気持ちになりました」「池田会長のお手伝いをしたいと願っています」と。
 
 原田 分断や対立が深刻化する現代世界において、創価の人間主義の哲学は、宗教や思想を超えて人々を結び、共生の社会を築く希望の光源となっています。こうした時代を開いてくださった先生と共に前進できる誇りと喜びを胸に、平和と幸福の連帯をさらに広げてまいりたい。


◆韓国の大手事務所で公認会計士として活躍 〈世界の体験プラザ〉
 社会に貢献できるM&Aを  韓国SGI 金 仁哲 さん

「経済」の一剣で実証を
 企業のM&A(合併・買収)と聞くと、何を連想しますか?
 
 アメリカのソフトウエア大手マイクロソフトが、2014年にフィンランドの通信会社ノキアを買収したことですか? 日本に関係する買収では一昨年、武田薬品工業がアイルランドの製薬大手シャイアーを買収しましたね。
 
 このような大企業同士のM&Aは、大きなニュースとして注目されますが、実は、多くの合併・買収は、むしろ中小企業に関連した、いわゆる“スモールM&A”です。私は、このようなM&Aを大手会計法人で担当し、社会に活力を生み出そうと奮闘しています。
 例えば、業績は好調なのに、事業主が高齢で後継者がいない場合、また後継者はいるけれど事業継承の税負担などに耐えられない場合など、これまでは廃業せざるえないことが多くありました。こういう時、“スモールM&A”は力を発揮します。
 同業の大手など、経営基盤が安定した企業に譲渡されれば事業は継続され、さらなる発展も望めます。また、従業員雇用の安定も図れ、長年培ったノウハウや社名、勤務地も維持されます。廃業すればかかる、さまざまな処分費や従業員への手当、事務手続きや専門家への報酬も不要です。
 買い手側にも、新規参入に比べて、事業の成長に必要な時間が節約できるというメリットがあります。
 もちろん注意も必要です。譲渡後に発覚するような簿外債務を防ぐため、事前の買収監査(デューデリジェンス)がとても重要です。そのために、M&Aに専門的に携わる公認会計士として、常にスキルアップ(技能向上)を心掛けています。
 池田先生が若き日に、恩師による「戸田大学」で受けた最初の講義が「経済」であると知った時、本当に誇らしく思いました。私も自分らしく、「経済」の一剣で仏法の実証を示していきたいです。

どん底が人生を開く好機
 私は、祖父母が韓国SGIに入会した“SGI3世”ですが、未来部時代までは、信仰は“自分のためだけにするもの”という消極的な姿勢でした。
 大学は、ソウル市立大学経済学部に進学。兵役を終えた2009年から、公認会計士を目指して受験勉強を開始しました。11年は運良く1次試験に合格。翌年の2次試験に進みましたが、不合格でした。13年も自信を持って臨みましたが、まさかの1次試験不合格。大きなショックを受けました。
 当時、SGIの活動は、座談会に参加する程度だったにもかかわらず、“信心をしているのになぜ”と不満を抱き、約2カ月間、酒浸りの生活に。同時期に勉強を始めた同級生らが合格したことを知り、“自分だけがダメなんだ”“このままずっと敗北の人生なのか”と絶望しました。
 そのどん底の13年、わが家を訪問してくれたSGI男子部の先輩が、じっくり話を聴いてくれた上で、“こういう時だからこそ、人生を大きく開くチャンスだよ”と激励。男子部の地域のリーダーの役職に就くよう促されました。“自分にできるだろうか”と不安でしたが、“やれることは全てやろう”と思い直し、初めてSGIの活動に本気で取り組みました。
 猛暑の日は汗だくになり、突然の豪雨には、ずぶぬれになりながらメンバーを訪問・激励。1日10時間の勉強と、目標の唱題時間に挑戦すると、少しずつ自分の心に変化が生じました。
 「『何のため』という、確かな原点がある人は強い。この一点が定まっていれば、人生に迷わない」との池田先生の指導に触れ、自分は「何のため」に勉強しているのかを問い直したのです。

師の励ましの伝言に奮起
 私は、祖父母が韓国SGIに入会した“SGI3世”ですが、未来部時代までは、信仰は“自分のためだけにするもの”という消極的な姿勢でした。
 大学は、ソウル市立大学経済学部に進学。兵役を終えた2009年から、公認会計士を目指して受験勉強を開始しました。11年は運良く1次試験に合格。翌年の2次試験に進みましたが、不合格でした。13年も自信を持って臨みましたが、まさかの1次試験不合格。大きなショックを受けました。
 当時、SGIの活動は、座談会に参加する程度だったにもかかわらず、“信心をしているのになぜ”と不満を抱き、約2カ月間、酒浸りの生活に。同時期に勉強を始めた同級生らが合格したことを知り、“自分だけがダメなんだ”“このままずっと敗北の人生なのか”と絶望しました。
 そのどん底の13年、わが家を訪問してくれたSGI男子部の先輩が、じっくり話を聴いてくれた上で、“こういう時だからこそ、人生を大きく開くチャンスだよ”と激励。男子部の地域のリーダーの役職に就くよう促されました。“自分にできるだろうか”と不安でしたが、“やれることは全てやろう”と思い直し、初めてSGIの活動に本気で取り組みました。
 猛暑の日は汗だくになり、突然の豪雨には、ずぶぬれになりながらメンバーを訪問・激励。1日10時間の勉強と、目標の唱題時間に挑戦すると、少しずつ自分の心に変化が生じました。
 「『何のため』という、確かな原点がある人は強い。この一点が定まっていれば、人生に迷わない」との池田先生の指導に触れ、自分は「何のため」に勉強しているのかを問い直したのです。
 “今までは自分のためだったかもしれない……。でも今は違う。困っている人のため、社会の発展のため、そして何よりも仏法の実証を示すために、必ず妙法の公認会計士になろう”。そう決めてから、一切の迷いはなくなりました。
 14年の1次試験は約1万人の受験者のうち、600番代で合格。池田先生に報告したところ、思いがけずにご伝言を頂き、さらに奮起。翌年の2次試験で、ついに最終合格を勝ち取ることができました。
 世界4大会計事務所の一つ「デロイトトーマツ」が韓国で業務提携するアンジン会計法人に就職し、しっかりと基礎を確立。ここでの業務は監査だったため、私はさらに社会に貢献したいと、M&Aに携われるよう祈りました。
 18年5月、同じく4大会計事務所の「アーンスト&ヤング」が業務提携するハンヨン会計法人に転職。現在は、自分が希望した通り、財務諮問本部・企業構造調停チームでM&Aに取り組んでいます。
 仕事も活動も充実していましたが、同年の夏、思いもよらない宿命が私たち家族を襲いました。
 それまで頑健だった父の体調が悪化し、体重が激減。医師の「胆道がん」の宣告に一瞬ひるみましたが、“今こそ一家で団結し、乗り越える時だ”と腹を決め、唱題に挑戦しました。
 「肝移植の次に難しい」という8時間に及ぶ手術も、同志の皆さんの強き祈りに支えられ、無事に成功。その後は医師が驚くほどの回復を見せ、術後1カ月で退院できました。
 何よりうれしかったのは、信心反対だった父が入会し、現在はブロック長として、婦人部総合本部長の母、男子部本部長の私と共に活動に励んでいることです。
 「人生は自分次第である。環境に決められるのではない。自分が環境をつくることだ。自分が道を切り開くのだ」――。この池田先生の指導を胸に、これからも「何のため」という原点を忘れず、何があってもくじけることなく、一流の公認会計士を目指して報恩感謝の人生を歩んでいく決意です。

 

2020年2月23日 (日)

2019年2月23日(日)の聖教

2019年2月23日(日)の聖教

◆わが友に贈る

   揺るがぬ信心こそ
 幸福を築く力だ!
 歓喜と確信の体験は
 百万言の理論に勝る。
 納得と共感の対話を!


◆名字の言 Jリーグ現役最年長・カズの信念

 サッカーのJリーグ1部(J1)が開幕し、28年目のシーズンを迎えた。注目を集めているのが、13年ぶりにJ1昇格を決めた横浜FCの“カズ”こと、三浦知良選手だ▼今月26日で53歳。ブラジルでキャリアをスタートさせ、今年で35年目のプロ生活となる。昭和、平成、令和と目まぐるしい変化を続けるサッカー界で走り続けてきた▼Jリーグ現役最年長の三浦選手は今、親子ほど年齢差がある若手選手たちと共に、さらなる高みを目指す。プロの信念として、昨日までの実績は「過去」のものであり、重要なのは、今日からまた「新しい自分をつくる」ために「新しい現実と戦い続ける」ことである、と強調する(『カズのまま死にたい』)。自分自身が“変わり続けている”からこそ、どの舞台でも輝いていけるのだろう▼社会の変化のスピードはすさまじく、たじろいでしまうこともあろう。だが、変化を恐れてばかりでは進めない。むしろ、あらゆる変化を自身の飛躍の好機と捉えて、人生を充実させる“追い風”としていきたい▼池田先生は、変化の時代に重要なことは「自分自身をつくり変え続けていくこと」と。広布に生きる人生も毎日が変化の連続だ。常に“今できることは何か”を考え、みずみずしい決意で新たな挑戦を開始しよう。(差)


◆寸鉄

問題解決しながら発展さ
せるのが価値創造―恩師
今しかできぬ事を着実に
     ◇
九州婦人部の日。混迷の
時こそ同志に励ましを!
先駆の太陽は明るく強し
     ◇
山光男子部の日。広布に
一人立つ若人は陸続と。
君らの挑戦こそ郷土の光
     ◇
免疫力を高めるのも有効
な感染症対策。バランス
良く食事。十分な睡眠も
     ◇
核戦争の脅威深刻で終末
時計は残り100秒と。民衆
の結束益々。平和の砦を


◆社説 新たな歴史学の潮流に思う  求められるグローバルな視点

 現代の特質を「VUCA(ブーカ)な時代」と表現することがある。
 変動性(Volatility)、不確実性(Uncertainty)、複雑性(Complexity)、曖昧性(Ambiguity)の頭文字からなるビジネス用語で、将来の予測が困難な状態を意味している。
 グローバル化やネット社会の拡大、気候変動などにより今日起こる不測の変化の多くは世界規模だ。
 今年に入ってようやく沈静化したオーストラリアの森林火災が大規模化した原因は、地球温暖化にあるといわれる。
 中国・武漢市で発生した新型コロナウイルスは、日本でも感染拡大が続いている。
 環境問題も感染症の拡大も、一つの国だけでは対応できない。国境を超えた視野に立っての行動が求められている。
 2022年度から高校では、近現代の日本史と世界史を融合した「歴史総合」の授業がスタートする。明治の学制発布以来、常に日本史と世界(外国)史に分かれていた歴史教育の一つの転換点ともいえる。
 学習指導要領では「世界とその中の日本を広く相互的な視野から捉え」ることが目標と示された
 こうした変革の背景の一つに、「グローバルヒストリー」や「ビッグヒストリー」などと呼ばれる新たな歴史学の潮流がある。
 歴史学は、歴史教育を通じて国民の統合を進めた「近代国家」とともに発展してきたため、一国史の枠内での研究が進んだ。
 だが地球規模の諸問題が注目される現在、歴史学のテーマも広がっている。研究範囲は国境を超えて有史以前や、時には宇宙の成り立ちまで視野に入れる。歴史を巨視的に捉えることで、私たちに世界を見つめる新たな視点を提供する。
 一方で欧米の歴史学会をけん引してきた歴史学者リン・ハントは近著で、「グローバルな視点は、依然として形成の途上にある」(『なぜ歴史を学ぶのか』長谷川貴彦訳、岩波書店)とも指摘する
 創価の哲学には、全人類の生命に等しく内在する「仏性」に、無限の可能性を見るという視座がある。
 初代会長の牧口先生は「世界民」の自覚の重要性を訴え、第2代会長の戸田先生は「地球民族主義」を提唱した。
 池田先生は、先師と恩師の精神を留めるため、SGI発足の際、署名簿の国籍欄に「世界」と記した。
 世界宗教としての発展を思う時、国家や人種の枠を超えた私たちの思想と信念には、21世紀世界が求めるグローバルな視点が具わっているといえよう。
 池田先生は「これからの『地球時代』に、まったく新しい『人類一体の歴史』をつづっていかなければならない」(『池田大作全集』第64巻)と語った。
 希望の人類史を開く「世界市民」との誇りで、眼前の課題に忍耐強く挑みたい。


◆きょうの発心 御義口伝 東京・世田谷総区婦人部長 小林章子2020年2月23日

御文 始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり(御義口伝、788ページ・編1634ページ)
通解 初めて自分の心が本来の仏であると知ることを、すなわち大歓喜と名づける。いわゆる南無妙法蓮華経は、歓喜の中の大歓喜である。

唱題こそ「歓喜の中の大歓喜」
 自身の中に仏の生命があると知り、唱題することこそ、最高の歓喜である、との仰せです。
 父の仕事の都合で、7年間ブラジルで過ごし、その間、現地の高校に進学しました。猛勉強するも、語学の厚い壁にぶつかり、自信を失っていた時に、池田先生の指導を学び「困難があるからこそ、挑戦することも向上することもできる」と一念を定め、唱題に挑戦。すると生命力が湧き上がり、新鮮な決意で一日のスタートを切れるようになりました。
 この時につかんだ“大歓喜の生命をみなぎらせていけるのが題目である”との確信を友人に語り、弘教を実らせることもできました。
 1984年(昭和59年)2月の「ブラジル大文化祭」の公開リハーサルで目の当たりにした、慈愛にあふれた池田先生の姿に“生涯、師匠と共に”と誓い、帰国。現在、東京・世田谷の地で、夫と3人の子どもたちと共に報恩の道を歩んでいます。
 幸のスクラムの拡大で3・4「世田谷の日」、3・9「世田谷幸福女性の日」を晴れやかにお祝いしてまいります。


【先生のメッセージ】

◆青年とは「誓願に立つ人」 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」2020年2月23日

 まばゆい太陽の光が、雲海に降り注ぐ。そのかなたに富士山のシルエットが浮かび上がった――。2000年(平成12年)11月、池田大作先生が東京から福岡に向かう機中、カメラに収めた。
 今年も巡りくる3・16「広宣流布記念の日」。
 生涯の願業である75万世帯の弘教を達成した第2代会長・戸田城聖先生は1958年(昭和33年)のこの日、富士を仰ぎつつ、池田先生をはじめとする6000人の青年たちに、「創価学会は宗教界の王者である」と宣言し、広布の一切を託した。
 さあ、希望の太陽を胸中に輝かせ、広布と人生の最高峰を目指しゆこう。青年と共に、青年の心で――。
  
 青年には未来がある。
 青年には、
 無限の力がある。
 ゆえに、青年を育成し、
 青年を大事にし、
 青年に
 バトンタッチしていく
 流れを
 着実につくったところは、
 会社も、社会も、国も、
 全部、成功する。
 あらゆる世界で、
 未来を決定づけるのは、
 すべて後継者である。
  
 青年には
 進取の気性がある。
 活力が溢れ、
 柔軟性に富んでいる。
 新しい歴史を開くのは、
 断じて青年だ。
 戸田先生、
 そして私の思いは、
 この青年を愛し、
 信ずる一心である。
  
 先輩は、
 伸びゆく後輩を
 大切にすることだ。
 後輩は、
 先輩のよいところを
 見習って、
 大いに
 力をつけていくことだ。
 全員が
 尊き使命を持った
 地涌の菩薩である。
 全員が偉大なる
 広宣流布の同志である。
 我々には何一つ、
 差別はないのである。
  
 若さは、
 いかなる苦難も
 悩みも失敗も、
 前進の力に変えていける。
 若さには、
 人生の至宝の
 勇気と情熱がある。
 誠実と真剣さがある。
 ゆえに、
 勇敢なる信心で
 偉大な誓願に立つ人は皆、
 青年といってよい。
  
 いよいよ、これからだ。
 心まで老けてはいけない。
 たとえ、年をとっても、
 皆が青年らしく進めば、
 未来は盤石だ。
 日本中、世界中に、
 青年が躍り出ている。
 青年を増やすことが
 広宣流布である。


【聖教ニュース】

◆各地で訪問・激励 原田会長は千葉へ   2020年2月23日
 共に人間革命の前進を

 人間革命の前進を共に誓い合う訪問・激励が、各地で活発に行われている。
 原田会長は22日、千葉の同志の元へ。千葉市花見川区で材木店を営む髙橋敏夫さん(副区長)・八重子さん(区婦人部主事)夫妻宅を訪れた。
 
 祖父、父と2代続けて倒産を経験しながらも、父と共に強盛な信心で事業を立て直してきた敏夫さん。男子部時代に参加した研修会で、池田先生から示された、“持続こそ力なり”を生涯の指針として胸に刻み、仕事と学会活動の両立にも挑み抜いてきた。
 時代の変化のあおりを受けて店をたたむ同業者が多い中、店舗は今も盛況が続く。感謝の思いで提供してきた個人会館も、本年で40年目を迎えるまでに。
 会長は、健康第一を貫き、家族皆でさらなる活躍をと励ました。
 また会長は同日、船橋市の土渕裕さん(総県副総合長)・孝子さん(県副婦人部長)夫妻を激励。青春時代の誓いのまま抜く夫妻の歩みをたたえ、何があっても負けない信心をと望んだ。

息子夫妻、娘夫妻と共に一家で広布に励む髙橋敏夫さん㊥、八重子さん㊨を原田会長が激励(千葉市花見川区で)

息子夫妻、娘夫妻と共に一家で広布に励む髙橋敏夫さん㊥、八重子さん㊨を原田会長が激励(千葉市花見川区で)

 高柳婦人部総合長は21日、川崎市宮前区の砂川善子さん(区副婦人部長)宅を訪れた。
 砂川さんは自宅を改築し、1996年4月から一室を個人会館として提供。夫・徹夫さん(副区長)が営む会社の倒産、自身と家族の病など、相次ぐ障魔に襲われるたびに、“今こそ宿命転換の時”と捉え、家族一丸の祈りで乗り越え、地域の宝城を守り抜いてきた。
 信心に徹する両親の背中を見て育った3人の子どもは全員が、広布後継のリーダーとして活躍している。
 高柳婦人部総合長は、砂川さんの変毒為薬の実証を心から称賛しつつ、「どんな苦境も、全て幸福へと転じていけるのが信心ですね」と述べた。

 平井九州長は同日、今月24日に池田先生の訪問35周年を迎える福岡・筑豊総県へ。
 小竹町では林哲郎さん(副支部長)・かよ子さん(支部副婦人部長)夫妻宅へ。哲郎さんは昨年、喉頭がんを患った。放射線治療を行い、今は抗がん剤投与をしながら唱題根本の日々を送り、仏法対話にも励んでいる。
 九州長は「病魔に負けない姿が同志に勇気を送ります」と語った。
 その後、九州長は鞍手町の山下住人さん(副圏長)・照子さん(総県副婦人部長)夫妻宅を訪問。後継の人材を育成してきた功労に感謝し、共に誓いを貫く人生をと励ました。

 松波中部婦人部長は20日、愛知・西尾市に住む樋口良子さん(支部婦人部長)の元へ。
 樋口さんは看護師として白樺の道を歩む。最愛の娘との死別、夫の狭心症、自身の腎臓がんなどの宿命を、家族の信心で乗り越え、使命へと変えてきた。報恩の心で生き生きと対話に駆け、本年1月には、亡くなった娘の友人一家6人を入会に導いた。
 松波中部婦人部長は樋口さんの不屈の信心をたたえ、「一つ一つの労苦が『心の財』になりましたね。これからも友好の語らいを広げ、地域に福徳の花を咲かせていきましょう」と励ました。

【特集記事・信仰体験など】

◆〈「人類の議会」と歩む SGI国連事務所リポート〉①  <万人の尊厳のための人権教育>

 本年は国連創設75周年。人類の議会・国連の強化こそ平和創出の道との池田先生の思想と行動のもと、SGIは幅広い平和運動を展開している。本連載では、ニューヨークとジュネーブにあるSGI国連事務所からのリポートを通して、最前線の取り組みを紹介する。第1回は人権教育。
ジュネーブ エリザ・ガゾッティ氏

 世界では、人種や国籍による差別、ヘイトスピーチなど人権問題が後を絶ちません。
 私は現在、国連NGO会議の下部組織である「人権教育学習NGO作業部会」の議長を務めています。この部会は55以上の団体からなり、市民社会が人権教育に関する政策決定に関われるよう、2006年に発足しました。国連での議論参加や、ワークショップなどを通じた人権教育の普及を行っています。
 投票で選出される議長は、作業部会を代表して、国連人権理事会をはじめとするさまざまな会議や行事に参加し、声明の発表、参加国政府や国連機関の代表との意見交換などを行います。
 万人の尊厳を認め、人権のための行動を促す価値観と姿勢を育むことが、今こそ求められています。その方途となるのが「人権教育」です。

世界プログラムを一貫して支持
 人権教育は、1948年の世界人権宣言の中で既に言及されています。「教育は、人格の完全な発展並びに人権及び基本的自由の尊重の強化を目的としなければならない」とうたった第26条です。
 国連も長らく、人権教育の促進に力を入れてきました。95年からの「人権教育のための国連10年」に続く形で、2004年12月には「人権教育のための世界プログラム」を採択。プログラムは5年ごとに段階を分け、それぞれにテーマを設定しています。
 本年、スタートした第4段階は「青年」が焦点です。
 SGIは、国連での議論や意識啓発の運動を通して、世界プログラムを一貫して支持してきました。国連欧州本部があるスイス・ジュネーブを中心に精力的に活動し、第4段階の行動計画の作成にも携わりました。
 第4段階の焦点が青年に決まったのは、18年9月。池田先生とノーベル平和賞受賞者のエスキベル博士による、世界の青年に向けた共同声明がローマで発表されてから、3カ月後のことでした。
 またSGIは、他の団体や国連機関とも協力し、人権教育の重要性を訴えるために、映画「尊厳への道」(12年)や展示「変革の一歩――人権教育の力」(17年)などを制作しました。昨年12月には、「変革の一歩」展を、フランス創価文化協会などの協力も得て、パリのユネスコ本部ビルで開催。とても意義深く、うれしい出来事でした。

人権教育展示「変革の一歩」がジュネーブの国連難民高等弁務官事務所本部で開催(1月)

人権教育展示「変革の一歩」がジュネーブの国連難民高等弁務官事務所本部で開催(1月)

 私は自身の役割を全うすべく、「SGIの日」記念提言や小説『新・人間革命』の研さん、SGIの活動などで学んだことを、実践に移すよう心掛けています。
 研さんと活動を通して自身の境涯を広げ、どんな相手に対しても柔軟に、その可能性を信じ抜きながら、具体的にどうサポートできるかを学んでいます。こうした経験が、信頼や協力関係の構築に生かされていると実感します。
 2020年は、人権教育の新たな地平を開く重要な1年となります。池田先生が私たち青年に託された、全ての人の尊厳が輝く社会の建設を目指して、平和運動に取り組んでいきます。〈「人類の議会」と歩む SGI国連事務所リポート〉①  2020年2月23日


◆〈世界の識者の眼〉 パラグアイ・ニホンガッコウ大学 ディオニシオ・オルテガ総長2020年2月23日
 “思いやりの教育”が希望の未来をつくる

パラグアイのニホンガッコウ大学から池田先生への「名誉教育学博士号」授与式。オルテガ総長(前列左から3人目)から代理のパラグアイSGI・カタオカ理事長(同4人目)に証書が手渡された(2017年10月、同大学で)

パラグアイのニホンガッコウ大学から池田先生への「名誉教育学博士号」授与式。オルテガ総長(前列左から3人目)から代理のパラグアイSGI・カタオカ理事長(同4人目)に証書が手渡された(2017年10月、同大学で)

 2017年10月、南米パラグアイのニホンガッコウ大学から池田先生に「名誉教育学博士号」が贈られた。平和・文化・教育の世界的な促進、および公正で寛容な社会構築への尽力をたたえたものである。同大学のディオニシオ・オルテガ総長に、名誉博士号に込めた思いなどについて話を聞いた。(聞き手=佐口博之)

社会が注目する日系人の勤勉さ
 ――オルテガ総長は、幼稚園から大学までの一貫教育機関を設立されました。学校名の由来を教えてください。
  
 パラグアイでは、戦後に移住した日系人が、あらゆる分野で活躍しています。日本人の勤勉さは有名で、わが国の経済発展にも、大きく寄与しています。
 そのルーツともいえる日本の教育システムに関心を持ち、1991年、横浜国立大学に留学しました。比較教育学を専攻しながら、道徳や伝統、礼儀も学びました。
 その中で、日本人特有の「思いやりの心」に深く感銘を受けました。
 現代は“自分さえ良ければいい”という風潮が強く見受けられます。
 利己主義が進めば、社会の至る所にひずみが生じていくことは言うまでもありません。
 だからこそ、相手を尊重し、相手の立場で考える教育が重要です。
 日本で生活する中で“思いやりの教育”を、母国でも取り入れていけないかと考えるようになりました。
 私の夢は、学校をつくることでした。
 その構想を具体的に練る中で、学校名は、“日本から学ぶ”意義を込めて、「ニホンガッコウ」に決めました。
 93年に幼稚園と小学校を開設し、その後、中学・高校も拡充しました。
 ここでは、パラグアイ人としてのアイデンティティーを育みながら、茶道や華道、舞踊、空手などの日本文化を教育カリキュラムに導入しています。さらに、ひな祭りや端午の節句、七夕など、日本の折々の伝統行事を実施しています。
 2008年には、大学を設立し、念願だった一貫教育システムが完成しました。
 人文教育や科学技術、経営などの5学部を設置し、このうち、人文教育学部は、パラグアイの私立大学の中で唯一、国家大学評定機関から認定を受けるなど高い評価を得ています。
  
 ――総長は「平和教育」に力を入れています。どのような人材を育成していきたいと考えておられますか。
  
 ニホンガッコウは、パラグアイと日本、そして世界の友好と平和に貢献する人材育成を目標としています。
 パラグアイの若者は、どちらかというと、“内向き”です。大きな目標を前にすると、“自分にはできない”と、挑戦する前から諦めてしまう人が少なくありません。
 どうすれば、若者の可能性を開いていけるか、若者が未来に希望を持って生きていけるか――これが、私自身の一貫した問題意識でした。
 ある時、SGIの知人を通して、池田博士の存在を知りました。
 博士の著作を読み進める中で、平和・文化・教育の世界的な運動に関心を抱きました。SGIの行事にも参加しました。青年が生き生きと活動していた姿が、印象に残っています。
 教職員や学生たちにもSGIの運動を知ってもらいたいと思う中、私たちのキャンパスで「核兵器廃絶への挑戦」展が開催されました。
 世の中には、戦争という“悪”が存在します。どうすれば、人類が、平和という“善”の方向に進んでいけるかを、真剣に考えていかなければなりません。
 この展示を観賞し、改めて、平和教育の重要性をかみ締めました。
 平和という大きな目的を自覚した時、子どもたちの視野は大きく広がります。平和への道を歩む中で、本当の希望が生まれてくると思います。
 SGIの青年たちは、こうした目的観を持っているからこそ、人間的な輝きを放っているのでしょう。
 ともあれ、平和教育を受けた子どもたちが、互いの差異を尊重できる人材に育っていく。そしてそのスクラムが世界中に広がれば、平和への道は、必ずや開かれていくと確信しています。

どうすれば平和の道を開けるか
 ――総長はかねてSGIの運動に注目してこられました。特に共鳴した点を教えてください。
  
 SGIは「対話」を重視しています。平和を観念で捉えるのでなく、現実の生活の中で、“どうすれば平和な社会を築いていけるか”を、常に語り合っています。
 こうした長年の献身的な取り組みに、敬意を表します。
 その対話運動をリードしてこられた池田博士は“平和の大使”といえます。博士は“真の友情こそ平和の連帯の要である”との信念のもと、対話の力で、世界中に友情を広げてこられました。
 博士の対話の目的は、平和創出にあります。
 常に相手の立場に立ち、互いの差異をよく理解しながら、心と心を通わせていきます。対話の場で、私たちが目指す“思いやりの教育”を、体現されているのです。
 博士の信念と実践を学ぶことは、私たちにとって、大きな触発となります。
 また今後は、大学として、海外交流に一段と力を入れていきます。
 教職員や学生たちには世界を自分の目で見て、肌で感じてほしい。世界中に友情が広がれば、国籍や習慣の違いなど全く気にならなくなるはずです。地球が想像以上に狭いことにも気付くでしょう。地球の反対側にある日本でさえ、1日半で行くことができるのです。
 私たちは、池田博士を模範とし、世界市民教育を推し進めます。目指すは「平和のために価値創造し続ける大学」です。


◆with あなたと一緒 #在日コリアン 昭和、平成、令和を生き抜いて  
 何より私は学会員。 

 連載「with」では、日韓のはざまで生きる在日コリアンの方を取材し、相互理解の意味を考えます。在日2世の崔星子さん(84)は、戦前の日本で生まれました。昭和、平成、令和と三つの時代を生き抜いた歩みを振り返ります。
私は、自分が在日韓国人であることを知らずに育ったのよ。幼い頃に父が亡くなって、戦後は長男の兄が生計を支えてくれた。
 厳格な兄でね。私は日本の教育を受けて育ち、「美代子」という日本名で生活していた。高校を卒業する時、兄から突然、「美代子は韓国人なんだよ。だから韓国人と結婚しないといけないよ」と言われて。はあ?と思って家出した。元々、私は遊んでばかりだったから。自由に飛び出していった感じよ。
 当時、好きな人がいたの。「私、韓国人なの」と打ち明けたら、彼はびっくりして、「美代子さんは、うちの敷居をまたぐことはできない」と言った。私はその瞬間から涙があふれ、家に帰って、涙が枯れるまで枕をぬらしてさ。その時が、人生で一番泣いたね。

 姉夫婦のクリーニング店が神奈川の大和市にあって、そこの従業員と結婚したの。戦後に韓国から日本に渡ってきた人で、「ポク(僕)トケッコンシテクダサイ」と言われた。悪い人じゃなさそうだし“まあいいか”って。ところが、この夫がギャンブル、女……遊び歩いて帰ってきやしない。身長180センチ、90キロの大男で、誰とでもけんかして勝っちゃうんだからさ。私が家族を支えるためにスナックを始めてね。危ない時だけは頼りになるけど、それ以外は“大概にしなさいよ”って感じ。
 そういう時に、創価学会の人たちが訪ねてきてくれた。姉が先に学会に入ってて、言われるままに25歳で入会した。夫が何かやらかすたび、誰かが一緒にお題目をあげてくれたわよ。

 あの頃は、“朝から翌朝まで”働きながら、合間に「大白蓮華」を開いて勉強してさ。
 「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(御書1174ページ)とか、「花は開いて果となり・月は出でて必ずみち・燈は油をさせば光を増し・草木は雨ふればさかう・人は善根をなせば必ずさかう」(同1562ページ)とか。
 私、勉強はからきしダメだったけど、感動した。心がほのぼのとして。それから、頑張ろうと思った。人生は、これでいくんだ!って。
 逆境なんて、挙げればキリが無いのよ。店の経営が大変でも、銀行は在日韓国人にお金を貸してくれない。健康保険も年金も、私の若い頃は加入できなかった。子どもたちは子どもたちで、学校でいじめられるしさ。でも、息子2人に言ったよ。「韓国人であることを、恥じる必要はない!」って。
 題目あげれば勇気が出てくる。諦めない。戦える。いつだって笑顔で前に、前に! 池田先生の指導を聖教新聞で読んで、自分を励ますのよ。最盛期は、スナック、カラオケ、喫茶店……6店舗まで増やして、従業員も200人はいた。
 夫は後から信心してね。直腸がん、すい臓がん、前立腺がんを患っても頑張った。私も夫の介護を46年間、共に歩んで最期もみとったわ。うれしかったのは、地域の人が「なぜ、いつも元気なの?」と聞いてくるようになったこと。「南無妙法蓮華経と唱えているからよ」。これで折伏が、63人に実ったわ。

 40歳になる少し前から、韓国を知りたくなってね。延世大学韓国語学堂に留学したの。向こうに行けば、みんな私を日本人だと思うらしい。50年前当時の韓国人は、大概、日本人が大嫌いだった。私が街で買い物をしている時、「日本人だからぼったくれよ」という声が聞こえたことがあった。こっちが言葉を分からないと思って言ったのね。
 頭にきてさ。「私は日本から来た在日韓国人だ!」と言ってやった。謝る人、黙る人、さまざまよ。
 不思議なもんね。見た目は日本人で、血は韓国人で。まあ、そんなのどうでもいいわ。何より私は、学会員なんだから。
 学会の青年は、いい顔してる。これまで会った日韓の青年も、どうしたら友好が結べるかと真剣に考えてる。生き方は顔に出るもんよ。人生の最後に、宝石なんかぎらぎらさせたって、来世には持っていけないんだから。
 今は、題目を命の底からあげているよ。これまで生きることに必死で、人生を顧みることもなかった。今回、振り返れて良かったわ。私にとって、信心とは何か? 生きること、そのものです。

2020年2月22日 (土)

2020年2月22日(土)の聖教

2020年2月22日(土)の聖教

◆わが友に贈る

 「法妙なるが故に
 人貴し」御聖訓。
 妙法を持つ皆様は
 世界第一に尊貴なり。
 共々に大福徳の道を!


◆名字の言 桜が開花の力にするものは?

 俳句で「花」といえば「桜」を指す。「花を待つ」と詠めば「桜の開花を待つ」ことを意味するという▼「待つ花や藤三郎が吉野山」と松尾芭蕉が詠んだのは、奈良の桜の名所のことだった。紀行文『奥の細道』で知られる俳聖の足跡は、東北だけでなく京都や奈良、滋賀から兵庫まで関西各地にも及ぶ。春を待ち、開花を喜ぶ歌が少なくない。京都は特に“桜の都”ともいうべき様相だったようで、芭蕉もその光景を愛でる俳諧を残している▼吹きさらしの裸木を眺めると、春をただ待っているだけのように見えるが、そうではない。桜の花芽は冬の寒さにさらされることで、眠っている状態から目覚める。よく知られた「休眠打破」である。ある桜守が言っていた。「桜は、敢えて寒さを受け入れて開花の力に変える。冬は耐えるというより、一人戦う季節なんです」▼日蓮大聖人はある年の冬、門下への手紙に「さくら(桜)はをもしろき物・木の中よりさきいづ」(御書1492ページ)と記された。苦難が打ち続く中にあって、“あのゴツゴツした木からも、やがて美しい花が咲くではないか”と励まされたのである▼「花を待つ」は春の季語。喜びの季節を確信し、自らができる挑戦を重ねる人の心には、すでに勝利の春が訪れている。(之)


◆寸鉄

「四表の静謐を?らん者
か」御書。社会の安穏こそ
仏法者の誓い。祈り深く
     ◇
「学会の組織は安全地帯」
戸田先生。真心の励まし
で希望と勇気を同志へ!
     ◇
鳥取広布原点の日。師の
初訪問から60周年。民衆
勝利の大城は山光に厳然
     ◇
世界のプラごみ年3億トン
1兆円超の損害と。身近
な事から皆で着実に削減
     ◇
地域の避難所、市区町村
95%が改善必要。災害は
忘れた頃に。取組加速を


【教学】

◆〈教学随想 日蓮仏法の視座〉 気候変動に立ち向かう  山口雅明 青年平和会議議長
 自身の変革を基軸に「持続可能な社会」を構築


 青年部は本年、「SOKAグローバルアクション2030――青年の行動と連帯の10年」と銘打ち、平和キャンペーンを開始した。その運動の柱に掲げた「SDGs(持続可能な開発目標)の普及・推進」に取り組むに当たり、今春から「気候変動」をテーマに各種活動を進めていく。地球規模の課題に直面している今、仏法を持つ私たち青年部に何ができるかを考えていきたい。


【ロゴコンセプト】世界平和という壮大な理想も、一人から一人への心の交流から始まる。平和の心が地球全体に広がることを願って
 昨年10月12日午後、スマートフォンから突如、警告音が鳴り響いた。画面には「避難勧告」の文字――。地域周辺を流れる河川に氾濫の恐れがあることを知った瞬間だった。東日本を中心に甚大な被害をもたらした、台風19号が上陸する数時間前の出来事だ。
 近くを流れる荒川は氾濫危険水位に達しながらも、寸前のところで決壊を免れた。後日、水位が堤防ぎりぎりまで迫っていた跡を確認し、これまでとは次元の違う気象の異常事態を実感した。
 また、神奈川の被災地で、清掃ボランティア「かたし隊」に尽力した男子部員の体験を直接聞き、さらに各地の報告も目にして、“私たちは今、気候変動の渦中を生きている”ことを確信した。

環境問題にとどまらない

 現在、世界に影響を与える二大リスクとして「(核兵器を含む)大量破壊兵器」「気候変動の緩和や適応への失敗」を挙げる報告がある。(「グローバルリスク報告書2019」世界経済フォーラム)
 もはや地球環境への認識を、大きく改めなければならない段階に入っている。
 今日の気候変動について、“これまでの環境問題と同じ”という理解にとどまっていては、危機的な事態への対処は至難と言わざるをえない。ここに、私たちの平和運動が「気候変動」を大きなテーマとする理由もある。
 そこで、気候変動の実相に迫る上で、一つの言葉を紹介したい。
 「Climate Justice(気候正義)」――昨今、各地で叫ばれている言葉だ。これは、「気候変動問題は(因果関係を踏まえた加害者と被害者が存在する)国際的な人権問題であって、この不正義を正して温暖化を止めなければならない」との考え方である。(地球環境研究センター)
 実際、個人消費による温室効果ガスの半分を排出しているのは、世界人口のわずか10%に当たる(裕福な)人々とされる。(「Extreme Carbon Inequality, 2015」Oxfam International)
 一方で、農業や漁業のウエートが相対的に大きい途上国にとって、気候変動による異常気象や自然災害は特に深刻な脅威となる。インフラ等の整備も不十分なため、気候変動に適応する資金や技術が追い付いていないのが実情だ。さらに、貧困層をはじめ、女性や高齢者、子どもといった社会的に弱い人々が困難に直面する傾向が顕著である。
 具体的には、海面上昇や干ばつ、水不足、食糧不足などが引き起こされる。自然災害による被害額は、世界で年間数十兆円。難民の発生にも大きな影響を与えている。今のまま気候変動が進めば最悪の場合、2100年までに10億人が移住しなければならないとの試算もある。
 それらの事象は人々の衝突や紛争をも引き起こしており、さらなる悪化が懸念されることから、近年、安全保障に関する国際会議においても気候変動が焦点とされているのだ。
 つまり、気候変動は環境問題を入り口としつつも、人権問題や安全保障問題にも直結していることが広く知らされなければならない。
 ところが、気候変動の“害を引き起こしている人”は、被害者との時間的・地理的ギャップを背景に、当事者意識に立つことが難しいというのが大きな課題である。
 そうした中、日本は2018年、気候変動による関連死者数や損失額の大きさから、“世界で最も影響を受けた国”になってしまった。(「GLOBAL CLIMATE RISK INDEX 2020」GERMANWATCH)
 日本の私たちは世界の人々にもまして、この“当事者性”を真摯に受け止めなければならない。

世界全体の食品ロスによって排出される温室効果ガスは、排出量全体の約8%ⒸPIXTA


世界全体の食品ロスによって排出される温室効果ガスは、排出量全体の約8%?PIXTA

現実を変革する宗教

 未来にわたって個人の幸福と社会の繁栄を築くため、その双方の関係性を論じた「立正安国」の法理を確認したい。
 日蓮大聖人の御在世においては、飢饉・疫病・大地震等が相次ぎ、庶民は苦悩に喘いでいた。民衆の幸福を実現するために、法華経に説かれる万人の成仏の哲理を一人一人の胸中に確立しようと、大聖人は「立正安国論」(御書17ページ)を執筆された。次の一節には、大聖人の社会観・幸福観が拝される。
 「国を失い家を滅せば何れの所にか世を遁れん汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を?らん者か」(同31ページ)
 「一身の安堵」は、個人の幸福を意味する。また、「四表の静謐」は、世界の平和、地域社会の安穏の意だ。
 つまり、各人の幸せといっても、社会の平和や安穏と切り離してはありえないとの視座である。どこまでも、主体者である信仰者が妙法の実践で自らの人間性を開発し、自身を取り巻く状況さえも変えていく“現実変革”を志向した宗教である。
 換言すれば、“現実逃避”“現実追従”の思想を超克しゆく社会的使命を自ら担い、実践してこそ“立正安国の体現者”であろう。まさに、各人の人間革命を基軸としながら、皆で広宣流布を目指す、創価学会員一人一人の振る舞いから現実の変革が始まるのだ。
 
非人道性の超克を
 それでは、いま立ち向かう地球的課題の根にあるものは何なのだろうか。私は、かつて池田先生が青年部に贈った言葉を思い起こす。
 「持続可能な地球社会を展望する時、その前進を阻む“一凶”とは何か――。それは、核兵器に象徴される、多くの人々の生命を犠牲にし、かけがえのない生態系を破壊してまでも、自らの欲望を満たそうという非人道性に他なりません」
 仏法の眼で見れば、この「非人道性」は、誰でも自身の生命に具わる。ゆえに、この内なる一凶を見つめ、乗り越えずして、社会の安穏は勝ち取れない――との警句は、あらゆる平和運動に通底すべき倫理観であると確信する。
 なぜなら私たち人間の存在そのものは、生を営む上で地球環境に何らかの負荷を不可避的に与え続けるからだ。この難しい現実を自覚しながら、解決の方途を模索する姿勢こそ肝要といえよう。
 この姿勢を放棄し、他者へ変化を強いるだけではエゴの衝突を生むことは想像に難くない。そこで、利害の対立や分断をどう乗り越えていくかを仏典の智慧から学んでいきたい。

行動と連帯を開始
 ――干ばつのため、ある二つの部族が、その間を流れる川の水を巡って、争いを始めた。釈尊は、武器を手にした部族たちに対して、“武器を持つからこそ、恐怖が生ずる”と諭す。
 やがて釈尊は、目先の“いさかい”よりも、さらに根源的な恐怖である「生死」について語り始めた。
 誰人も避けられない「死」という最大の脅威を、いかに打開し、安穏の人生を送るか――釈尊は諄々と訴えていったという。
 ただ危機感をあおるだけではなく、対話を用いて課題を超えゆく智慧を導き出した説話だ。
 池田先生は、本年の「『SGIの日』記念提言」で、気候変動の危機感を共有するだけでなく、建設的な行動を共に起こす重要性を示している。
 青年部は師の期待に応え、「多くの人々の積極的な行動を鼓舞するような、連帯の結集軸」を構築してまいりたい。今後、意識啓発運動「マイ・チャレンジ10」をオンラインで展開し100万人に広げ、自らのライフスタイルを変えることで気候変動に立ち向かう第一歩をしるす。また、“地球で生きていくとはどういうことか”を見つめる学習の場も積極的に設ける予定だ。
 私たち青年には次代を担う責任がある。持続可能な社会を築くべく、あらゆる人々と連帯し、行動を開始することを宣言して本稿を結びたい。
 ※本紙2月18日(火)付3面で、「SDGs」を解説しています。ぜひご覧ください。

【特集記事・信仰体験など】

◆〈忘れ得ぬ瞬間〉創大生・短大生に創立者が贈った言葉 2010年3月卒業式
親孝行こそ人生勝利の道

創価大学(第36回)、創価女子短期大学(第24回)の卒業式でスピーチする池田先生(2010年3月、創価大学池田記念講堂で)

 <2010年3月21日に挙行された創価大学(第36回)、創価女子短期大学(第24回)の卒業式(八王子市の創大池田記念講堂で)。創立者の池田先生はスピーチの中で「親孝行」の大切さを強調した>
  
 皆さんは、まず、ご両親に丁寧におじぎをして、心から感謝の言葉を伝えていただきたい。
 親元から離れて生活している人は、電話でもいいから、真心を込めて、「お父さん、お母さんのおかげで、卒業することができました」と連絡を入れてほしい。
 なかには、お父さんがいらっしゃらない人、お母さんがいらっしゃらない人もいると思います。その人も、わが胸中の父母に、「立派に卒業しました」と誇り高く報告していただきたい。
  
 創価大学、創価女子短期大学で学び育った人は、必ず幸福になっていく。強い人、正義の人、偉い人、勝利の人になっていく。
 私は、そう祈っています。皆さんを見守っています。
 これからも努力して、必ず立派になり、社会で成功して、一家の繁栄の力となってください。お世話になった両親や祖父母の皆さん方に、心から喜んでいただける親孝行の人になってください。
  
 成績が優秀なことは、もちろん大事である。
 そのうえで、皆さんは、どこまでも楽しく、愉快に、そして強く生きてもらいたい。どんなに優秀でも、人と衝突して、相手を困らせたり、自分や親をも苦しめてしまう生き方は、愚かである。
 上手に家族や友人と調和して、仲良く楽しく、成長の道を歩んでいく。その人が勝利の人である。

 <席上、中国・西安交通大学から池田先生に「名誉教授」称号が贈られている。先生は、この最高の栄誉を先師・牧口先生、恩師・戸田先生に捧げたいと謝意を述べつつ、西安交通大学にある記念碑に刻まれた「4文字の言葉」を紹介した>
  
 それは「飲水思源」。すなわち「水を飲む時には、その源を思い、感謝を忘れない」との戒めであります。
 常に「源」を思い、「原点」に立ち返る。そして、「恩ある人」に報いようと、さらに努力し、前進する。この最も深く強い心が流れ通う人材の大河こそ、偉大なる貴大学なのであります。
 私が瞬時も忘れず、常に思いを馳せる「源」は、創価教育の父である牧口先生であり、人生の師匠である戸田先生です。

 師匠に報恩の報告ができる喜びが、どれほど大きいか。皆さんもお父さん、お母さんに感謝し、恩返しできるような人生を、青春時代を生き抜いてください。
 とともに、日本にとって、絶対に忘れてはならぬ、文化大恩の「源」こそ、中国であることを深く知っていただきたい。
 かつて日本は、この大恩ある国を侵略した。愚かな軍国主義の日本でした。
 牧口先生、戸田先生は、教育によってこの日本を改革しようとした。牧口先生は逮捕され、獄死された。戸田先生も投獄された。
 私も冤罪で牢獄に行きました。悪逆の国家権力は、必ず善人を嫌い、弾圧しようとする。
 それではいけない。本当の人間主義、本当の勝利は庶民の連帯にある。
 真の学問を身につけた人間にある。こういう社会をつくりたい。それが牧口先生、戸田先生、そして私の思いです。

感謝を言葉で!
 <続いて先生は、親孝行の具体例を示しながら、創立者としての真情を語った>
  
 ともかく、お父さん、お母さんを明るくしてあげる。ホッとさせてあげることだ。例えば、たまにはお母さんに、「お掃除とご飯の支度は私がやりますので、あとはゆっくりしてください」と言う。感謝の気持ちを伝える。そうすれば、お母さんが、どれほど喜ぶか。親を悲しませてはいけない。嘆かせるようなことがあってはいけない。
  
 皆さん方のお父さんや、お母さんは、厳しい経済不況の中、大切な大切な宝のわが子を、私の創立した大学に送り出してくださいました。親にとって、自分の子どもは宝です。どんな小さなことだって心配する。私はよく知っています。特に母親はそうです。
 しかし、子どもは親の気持ちがなかなかわからない。親の心がわかる人が、本当の教育を受けた人です。私は、皆さんのお父さん、お母さんのご健康、一家のご繁栄、そして栄光の人生を、妻と一緒に毎朝、毎晩、祈っています。創立者として、当然のことだと思っています。
 どうか、この最高の父母の慈愛に、皆さんは最高の真心の親孝行で応えてください!
  
 それができれば、自分にとって、家族にとって、こんなにうれしい、幸せな、安心の人生はない。
 反対に、親を苦しませれば、不幸をつくりだしてしまう。それではいけない。
 本当の人間を育てるのが創価大学です。
  
 価値ある人生だ。一度しかない人生だ。
 「本当によかった」「楽しかった」「私は成し遂げた」と言える一人一人であってください。
 お父さん、お母さんを頼みます。そして、「社会をよくしよう」「不幸の人を幸せにしよう」――こう思って戦ってください。生き抜いてください。
 一人だけ満足し、あとは皆、不満ばかり。それでは不幸だ。自分だけでなく、皆の境涯も開き、幸福の道を開く。これが本当の「創価」です。

勇気ある人に
 <さらに、池田先生は、西安交通大学の足跡に学ぶべき精神として「勇気」を挙げた。そして「親孝行」も、「人間としての正義」であり、「勇気」が必要であると訴えた>
  
 貴・西安交通大学は1956年(昭和31年)、西安へ移られました。
 それは、厳しい環境のなか、西部地域の開発を推進するという、重大な挑戦でした。その貴大学を励ましたのが、周恩来総理でありました。
 「あまりに快適すぎては、青年を鍛え育てることはできません。風雪に耐えられるよう、鍛えあげねばならないのです。苦難を乗り越えるよう青年を導くには、(西安交通大学の立つ中国西北部は)願ってもない場所です」
 周総理は確信を持ち、希望に燃えながら、語っておられた。青年を信じ、青年を心から愛し、期待しておられた。
 私も周総理と語り合いました。たくさんの思い出があります。
 この崇高なる貴大学の足跡に学ぶべき精神は、あまりにも多い。なかでも学ぶべきは、人々の幸福のため、一番大変な最前線へ飛び込む「勇気」であります。要領がいい。頭もいい。策も上手。しかし、“正義を貫く勇気”が欠落していれば、それは根本的な欠陥となってしまう。
  
 「学ぶ」こと自体、正しい道である。だからこそ、学び抜くためには勇気がいる。親孝行も、人間としての正義です。だから勇気がいるのです。
  
 「勇気」は「正義」につながる。「勇気ある人」「正義の人」として、人生を歩んでいかなければならない。
  
 「自分自身に勝ってみせる!」という心意気です。
 これこそ、大事な人生の一点であると思います。
  
 父も母も、自分自身も、晴れやかに楽しく「私は勝った」「親孝行ができた」と言える人になってください! 人生において勇気を忘れてはいけない。小手先のずるさで生きてはいけない。何度でも申し上げておきます。


◆〈信仰体験〉〈ライフウオッチ 人生100年時代の幸福論〉 見えない障がい
 「生きるとは、もがくこと」

 頑張っても報われない。体当たりしても壁が破れない。それでも前へ、何度倒れても、前へ――。
  
 静岡県焼津市の吉永真也さん(41)=広宣長(ブロック長)=は、高校2年の時に交通事故に遭い、体の自由を失った。夢は、ことごとくついえた。それでも明日を捨てなかった。
 地味でいい。泥まみれでもいい。もがき続けてみせる。
 「その先にはきっと、僕にしかない人生があるはずだ」
 17歳の秋、部活の帰り道、時速70キロの車にはねられた。
 頭を強打し、脳挫傷、頭蓋骨を複雑骨折……。一命を取り留めたが、右目の光を失った。
 体にまひが残り、声も出せない。自分が誰なのかさえ、分からなかった。
 地をはうようなリハビリ。足を引きずりながらも、歩けるようになった。
 記憶が少しずつ戻り、ゆっくり会話もできるように。だが、知能は……。「1+1」から学び直した。
 2カ月のリハビリを終え、高校に戻った。
 まともに歩けず、話せなくなり、クラスメートからバカにされた。
 もともと運動神経が良く、学力も優秀だった。それだけに悔しくてたまらなかった。歯を食いしばり、短大まで卒業した。

 1998年(平成10年)当時、就職氷河期が始まっていた。
 履歴書を手に歩いたが、面接でまともに話せず、不採用が続く。
 知り合いの建設会社に拾ってもらった。掃除、道具運び。愚直に汗を流した。だが、くぎを打つにも、はしごを上るにも、左目だけでは距離がつかめない。
 体に残ったまひのため、動作がにぶる。「早くしろ!」と怒鳴られ、いつしか相手にもされなくなった。
 仕事を変えた。グループホームで介護の仕事を。ヘルパー2級(介護職員初任者研修)を取り、「今度こそ」と腹を据えた。
 利用者のリハビリに励む姿が、かつての自分と重なった。
 “この人たちの支えになりたい”
 理学療法士の資格を取るため職場を辞め、一浪して専門学校に入った。
 朝から晩まで机にかじりつく。教材を読んでいると、ある言葉に目が留まった。
  
 <高次脳機能障害>
  
 事故による脳のダメージで、記憶障がいや注意障がいなどを引き起こす。何度も同じことを聞き返したり、同時に二つのことができなかったり、うまく言葉が話せなかったり……。
 周りからは、“見えない障がい”。その症状が、驚くほど、自分に当てはまっていた。
 “けど、僕は違う”。現実を認めたくなかった。
 専門学校の卒業を間近に控えたある日、学校長に呼ばれた。
 「君はよく頑張った。筆記は合格だよ。でも実技が……。残念だが卒業はさせられない」
 理学療法士への道がついえた。4年間、一途に追い求めてきた夢。拳を握り締め、涙をこらえた。
 ハローワークで見つけた訪問介護の仕事に就いた。
 そこで、運命的な出会いがあった。看護師の幸代さん(35)=副白ゆり長。
 仕事が覚えられず、何度同じことを聞いても、根気強く教えてくれる。笑顔の素敵な人だった。
 その後、幸代さんの笑顔の源に、創価学会の信仰があることを知った。
 初めて手にした「大白蓮華」。穴が開くほど読み込んだ。
 難しい仏法用語は分からなかったが、心から離れない言葉があった。  
                     <冬は必ず春となる>
  
 2011年、学会に入会し、幸代さんと夫婦になった。
 守るべき人ができ、仕事にも力を注いだ。介護福祉士の資格も取った。だが頑張っても、同僚たちのスピードに付いていけない。言われたこともすぐに忘れてしまう。
 そのたびに、「僕の努力が足りないんだ」と自分を責めた。
 ある日、上司に呼ばれた。「君に正規の仕事は無理だと思う。パートになってくれ」
 自主退職に追い込まれ、退職金は1円も出なかった。
 その後も転職を繰り返した。
 「必要とされる人になりたい」と、ケアマネジャーの試験に挑んだ。一発合格したものの、実戦になると、うまくいかない。電話の対応ができない。プラン立てに時間がかかる。まともに働けず、また仕事を失った……。
 そのうち、体が悲鳴を上げた。腰椎ヘルニアで手術を受けた後、感染し、化膿性脊椎炎も併発した。
 入院は5カ月に及んだ。看護師として家計を支える妻。家事や育児も任せきり。胸がかきむしられた。
 退院後、腰に負担のかからない仕事を求め、ハローワークへ。だが、受け入れてくれる会社が見つからない。
 これまで何度も立ち上がり、挑み続けてきた。だが、もう疲れ果ててしまった。
 そんな時、妻が肩を抱いてくれた。
 「真也さんは、真也さんらしく生きる方法があると思うよ。障がい者手帳、取らない?」
 妻は分かっていた。夫が健常者と同じ職場で競い合い、無理を重ねてきたことを。
 「真也さんは、もう十分頑張ったよ。家族のために、頑張ってくれた。これ以上、無理しなくていいんじゃない?」
  これまで、自分が「障がい者」であるということを認めたくなかった。「今の自分」を否定し続けてきた。「元気だった頃の自分に戻りたい」と。
 「僕にもできる」と強がり、泥沼の中で、もがいてきた。
 だが、ようやく気付いた。
 自分さえ受け入れられなかった「今」を、認め続けてくれた人がいることを。
 見えない「明日」を一緒に探そうと、手をつないでくれた人がいたことを。
 来る日も来る日も、妻は一緒に祈ってくれた。
 消えては現れる試練の壁。そのたびに、夫婦で祈り、体当たりしてきた。「今度こそ、今度こそ」と。
 男子部の仲間が、何度も悩みを聞いてくれた。その場限りの励ましではなく、ずっと気に掛け、寄り添ってくれた。
 社会では、何度もバカにされ、笑われてきた。「頑張れ」「負けるな」と、上から物を言う人は大勢いた。
 だが学会の人たちは違った。真剣な人を笑わない。
 「一緒に頑張ろう」と手を握ってくれた。「一緒に祈ろう」と隣に座ってくれた。
 どんなに時間がかかっても、「ゆっくりでいいんだよ」と言ってくれた。
 「自分のため」だけに祈っても、なかなか道は開けなかった。
 だが、「支えてくれる人たち」の顔を思いながら祈ると、命の底から力が湧いてきた。
 “何度倒れても、立ち上がってみせる”
 自分らしく、無理なく。“障がい者として生きる”。心は決まった。
 医師から正式に「高次脳機能障害」と告げられた。精神障がい者手帳3級を手にした日、幸代さんに言った。
 「これから、僕の第三の人生が始まるよ」
 健常者だった17年。障がい者である自分を認められなかった20年。そして、障がい者として生きると決めた「これから」――。
 初めて、「今の自分」と向き合い、受け入れることができた。
 職業訓練を受け、就職が決まるまで3年かかった。
 その間、看護師として働く妻を支えようと、主夫となり、家事も担った。
 2時間以上かかって、家族の食事をこしらえた。料理、洗濯、娘の世話……その合間での就職活動。
 想像以上に大変な毎日だったが、妻への感謝があるから耐えられた。
 病院に<障がい者枠>で採用された。
 痛めた腰をいたわりながら、誰とも競わず、無理なく働いている。
 とはいえ、職場の悩みが消えたわけではない。今も、もがき続けている。だが、「信心を始めて『もがきがい』ができた」と思う。
 もがき続ける人生。一人なら苦しい。だが、周りには今、挑戦をたたえ、喜んでくれる人がたくさんいる。
 今月9日、地元の学会の地区総会が行われた。
 新たに広宣長(ブロック長)となった。幸代さんと登壇し、自身の来し方を話した。
 「今の自分があるのは、支えてくれた皆さんのおかげです。これからは、皆さんに元気を送れる人間になっていきたいと思います」
  
 池田先生は、つづっている。
 「人間だって、花と同じように、光がいる。人も、人から大事にされないと、心が枯れてしまう。だから君が、みんなの太陽になれ」
 幸代さんに出会い、かけがえのない宝物を得た。
 何があっても前を向ける信心を。どんな時も信じてくれる友を。だからこそ、何度倒れても大地をつかみ、立ち上がることができた。
 ただ実直に、誠実に。壁に向かって体当たりしていく。もがき続けていく。“今度は僕が「光」を送る番”。それが、支えてくれた人への恩返し――。

◆〈信仰体験〉〈SOUL雄魂〉「最後の砦に」いのちと向き合う在宅医

 【兵庫県西宮市】この人の前では患者たちが力を抜く。白髪交じりの頭は少しボサボサ。肩をすくめて笑う。白衣は「身構えられてしまうから」着ない。
 在宅医・久保雅弘さん(58)=副支部長。専門用語を嫌い、誰もが分かる言葉を選ぶ。その気さくな人柄が、安心して話せる環境をつくりだす。
 大阪の生まれ。兵庫医大では泌尿器科の医師だった。救急や腎臓移植も手掛けていた。関連病院を回りながら、視野を広げたくて内科医になった。
 18年前、病院で在宅医療を立ち上げる時、久保さんに白羽の矢が立った。やりたい仕事ではなかったが、考えはすぐに変わった。住み慣れた家で、かけがえのない家族に囲まれて人生の最期を迎える。なんて素晴らしいことなんや。
 6年後、川西市内に訪問診療「さくらホームケアクリニック」を46歳で設立した。
 病院の医療を家でも提供してみせる。自分ならできるとも思った。
 だが在宅医療には、医学だけでは片付かないことがある。家族の状況、金銭面の負担……。じっくり話を聴いてみた。不安をぶつけてくれた。「そしたら不思議と、患者さんや家族さんが自分で進むべき道をだんだん決めていかれます」
 聴く力を問われた苦い経験がある。
 終末期の男性患者がいた。毎日往診していた。いつも夜中の1時に電話が鳴った。仕事から帰宅した患者の息子からだった。
 がんの進行に伴う体調の変化を丁寧に説明したが、家族の不安は拭えなかった。間もなく患者は息を引き取った。
 久保さんは線香を上げに行った。玄関先で息子に言われた。
 「何しに来たんや。帰ってくれ」
   帰宅して御本尊の前で自問した。題目を声に出すのがつらかった。涙ならいくらでも出た。苦しい題目になっていた。
 それでも御書の一節を実践した。「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ」(1143ページ)
 心に刻んだ言葉を思い返した。
 1989年(平成元年)4月、医大生だった頃、滋賀研修道場で池田先生と懇談する機会があった。
 「裏方の仕事で頑張っていくことだよ」
 その時はぴんとこなかったが、24時間365日、いのちの現場に立つことで腹に落ちた。
 患者が主役。自分は陰――。
 そこに徹しながら、終末期の患者がその人らしく過ごせる道を、一緒に探した。逃げなかった。
 もちろん対応に苦慮する時もある。患者と家族が同じ方向を向けなかったり、介護の手が届かなかったり……。そんな家庭にも、学会員の足跡があった。
 「聖教新聞が置いてあったりするんですよ。だから究極のセーフティーネットは創価学会だ、と私は思います」
 話を聴いて、心をもみほぐす往診を12年。病気の苦しみはもちろん、自分らしさを失う苦しみも分かち合おうとした。
 一人の老婦人がいた。がんが全身に広がっていた。一つの願いを打ち明けられた。
 「孫の結婚式に出たい」
 久保さんはカレンダーを見た。厳しい病状だと思った。
  久保さんは無理のない範囲で、あらゆる手を打った。患者もおかゆを口にして、生きようとした。
 1カ月後、婦人は光の中にいる孫を穏やかに見つめていた。枯れ木のような手で、拍手を小さく送った。車いすのそばには久保さんが控えていた。陰になっていた。
 3日後、婦人は何度も「ありがとう」の言葉を久保さんに遺した。
 「誠実」の言葉の上に「大」をつけて、いのちの現場に身を置く。どんなに重い病の患者も断らない。
 久保さんは言った。
 「最後の砦になりたい」
 その揺るぎない言葉は、患者と家族にとって、どれほど大きな希望となるだろう。

2020年2月21日 (金)

2020年2月21日(金)の聖教

2020年2月21日(金)の聖教

◆わが友に贈る

 「以信代慧」の信心だ。
 題目の師子吼を轟かせ
 深き智慧を湧き出そう。
 豊かな創意工夫で
 確かな前進の一歩を!


◆名字の言 香港SGIがSARSの経験に学んだこと

 「あの経験があったからこそ私たちの絆は強くなり、創価の“負けじ魂”をより深く心に刻むことができました」。香港SGIの友が語っていた言葉を思い出す。“あの経験”とは、2003年に香港などで猛威を振るったSARS(重症急性呼吸器症候群)である▼当時、香港では2カ月間、全く会合を開けない日が続いた。そこでメンバーが考えたのが日々、各自で行う「1・2・3運動」。1日「1時間」の唱題、「20分」の御書や池田先生の指導の研さん、「3人」の友への励ましである▼会合がなくなり、個人の時間が多くなったことで、普段会えない同志や友人とも、じっくり話す機会を増やせた。これまで以上に心が通い合い、苦難に立ち向かう力が湧いたという▼新型コロナウイルスの感染が国内外で拡大している。大切なのは基本的な予防対策に努めつつ、正しい情報に基づき、適切な行動を取ることだ。学会活動の在り方も同じである。自他共の健康を祈ることを根本に、状況に応じて、できることは必ずある▼いつ何が起きるか分からない時代。だからこそ、支え励まし合う“心のつながり”を強めていきたい。電話やメール、SNSも活用できる。何ものにも負けない「希望」を広げること――そこに我らの使命がある。(仁)

 

◆寸鉄

「妙法蓮華経の五字を唱
うる功徳莫大」御書。確信
の祈りで自他の幸福開け
     ◇
友情は魂の中の魂である
―劇作家。友の心に安心
送る励まし対話、今こそ
     ◇
定年後のイメージ「明る
い」24%―調査。価値創造
の道進む多宝会こそ希望
     ◇
確定申告の時期は還付金
詐欺が頻発。甘い話は罠
だ。寄せ付けぬ声掛けを
     ◇
スマホ等による安易な借
り入れなどで自己破産が
増加傾向と。堅実第一で


◆社説 本紙の連載「ライフウオッチ」 人間革命の生き方に広がる共感

 現在、本紙で連載中の「ライフウオッチ」。“就職氷河期”世代やセクシュアル・マイノリティーなど、さまざまな立場にある学会員のエピソード、識者へのインタビューを軸に、「人生100年時代」の幸福論を探る企画である。
 平均寿命が延びることは本来、喜ばしいはずだが、どの世代からも聞こえてくるのは、増大する経済や健康面のリスクに対する、漠然とした不安の声だ。
 「人生100年時代」における生き方の転換を説いたベストセラー『ライフ・シフト』(リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著、東洋経済新報社)は、「人生の道筋に関する常識は、すでに変わりはじめている」と指摘する。社会がこれまで提示してきた成功物語や幸福像は、もはや通用しなくなりつつあるのではないか。
 そうした時代をより良く生きるためのヒントを示す「ライフウオッチ」には、毎回、多くの共感の声が寄せられる。
 “就職氷河期”に直面した友がつづる人間革命のドラマには、「同世代の奮闘に胸が熱くなった」「私もめげずに立ち向かっていこうと思った」との感想が。
 また、度重なる苦難と向き合い続ける「がんサバイバー」の婦人部員を取り上げた信仰体験(今月8日付1面)には、特に自身や家族らが同じ立場にあるという読者から、「他人事ではない」「闘病中の友人に記事を見せたい」などの声が続々と。紙面では語り尽くせなかった長編体験を電子版で読めるようにした構成にも、大きな反響があった。
 さらに今月15日付では、長期化・高齢化する「ひきこもり」の背景について、精神科医である斎藤環・筑波大学教授のインタビューを掲載。「辛抱強く、柔らかに関わり続ける大切さを知りました」「こうした社会問題をどんどん扱ってもらいたい」等の感想があったほか、地域の学会員の励ましによって、ひきこもりから蘇生できたことへの感謝の言葉も届いた。
 「人生100年時代」は、誰もが何かしらの困難を抱えながら生きていく時代ともいえる。だからこそ、何度くじけても、“今、ここから”立ち上がり、自らの手で幸福をつかんでいけるという、創価の「人間革命」の生き方が、一段と求められるのではないだろうか。
 「戦う現実を伝える内容が、一層多くの人に勇気を呼び覚ますと思う」「失敗談もありのまま掲載されており、興味深く読めました」――こうした感想も、それを物語っているように思える。
 これからも本紙では、社会を取り巻く諸問題に目を向け、希望となる生き方、価値観を広く発信していきたい。


◆きょうの発心 種種御振舞御書 愛知・春日井正義県副県長 南部潔2020年2月21日

御文
 一丈のほりを・こへぬもの十丈・二十丈のほりを・こうべきか(種種御振舞御書、912ページ・編949ページ)
通解
 一丈の堀を越えられない者が、どうして十丈・二十丈もの堀を越えることができるだろうか。

祈りと執念で“勝利の一番星”に
 祈雨の勝負に敗れた極楽寺良観に対して、“目先のことすらできないのに、成仏往生など遂げられようか”と破折された一節です。
 大学に進学した1968年(昭和43年)、先輩から「折伏こそ学生部の使命」と激励され、仏法対話に挑戦。何人もの友人に語ったものの、なかなか入会に至らず、悶々と悩む日が続きました。
 そうした中、同年9月8日に行われた「第11回学生部総会」に参加しました。池田先生が講演の中で示してくださった「妙法を実践する学徒は、今、どれほどの困難にあろうとも、断じてひるんではならない。恐れてはならない」との指針に感動し、“今の苦労は未来のための訓練である”と決意。師子王のごとく戦おうと誓う、信心の原点となりました。
 そして、総会に参加して約1カ月後、52人目に対話した友人に初の弘教が実ったのです。「広布の戦いにおいては、祈りと執念と忍耐こそが、勝利の原動力である」との確信をつかむことができました。
 “私が勝利の一番星”との気概で折伏に挑戦し、「堅塁大中部の年」である本年を飾ってまいります。


【先生のメッセージ】


◆男子部大学校生入卒への  池田先生のメッセージ

 このほど、全国各地の男子部大学校「2期生」が1年間の薫陶を経て卒業し、新たに「3期生」が入校する。晴れの門出に当たり、池田先生がメッセージを寄せた。

広布の大願を立てて新たな挑戦の歴史を

 凜々しき男子部大学校の入卒、誠におめでとう!
 卒業する2期生の諸君は、皆、勇敢に戦い、新時代の大学校の素晴らしい金の歴史を創ってくれた。
 私は一人一人の人間革命の劇を最大にたたえつつ、大拍手を送っています。本当にありがとう!
 使命深き3期生の諸君は、勇んで、尊き誓願の青春に挑みゆく自分自身を誇りとし、胸を張ってもらいたい。そして、よき先輩、よき同志と励まし合いながら、勢いよく、新たな挑戦と開拓の前進を開始してくれたまえ!
 大聖人は「かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」(御書903ページ)と仰せになられました。
 日蓮仏法は世界第一の生命尊厳の大哲理であり、青春勝利の大哲学です。この太陽の仏法を実践し弘めているのは、創価学会だけです。なかんずく、その若き旗手こそ諸君です。諸君は、一人も残らず、世界の希望と輝く偉大な哲人なのです。
 ゆえに、勇気を出して、一人また一人と語り、仏縁を広げていくことです。語った分だけ、相手の生命の奥深くに不滅の幸福の種となって植えられます。たとえ、すぐに信心をしなくとも、未来に必ず花開いていきます。
 そして、自身の生命にも、ますます大いなる福運が積まれ、歓喜と生命力が湧き、自分に勝ち、社会で勝ちゆく境涯を開いていけるのです。広宣流布のための努力に、一切、無駄はありません。
 どうか、広布と人生の大願を立て、眼前の試練を、一つまた一つ、忍耐強く乗り越えながら、一人ももれなく、生活でも職場でも社会でも、断固として勝利者となっていってください。
 そして、「前進・人材の年」に、地域の同志からも、世界中の同志からも、「君の戦いに勇気と希望をもらった」と仰がれ、波動を起こしていくような、若き師子王の前進を頼みます。
 聡明に無事故、健康第一で、家族を大切に、価値創造の日々であってください。愛する大学校生、全員の栄光勝利を、私は祈り抜いていきます。


【聖教ニュース】

◆民音タンゴ・シリーズ 東京公演行う  2020年2月21日

民音タンゴ・シリーズ<51>の東京公演。アルゼンチン・タンゴの魅力あふれるステージが繰り広げられた(中野サンプラザホールで)

民音タンゴ・シリーズ<51>の東京公演。アルゼンチン・タンゴの魅力あふれるステージが繰り広げられた(中野サンプラザホールで)
 
 第51回となる「民音タンゴ・シリーズ」の東京公演が20日の昼と夜、中野サンプラザホールで行われた。
 昨年、50回の節目を刻んだ同シリーズ。“新たな歴史を開く第一歩”との意義が込められた今公演では、新進気鋭の五重奏団「キンテート・グランデ」が初来日した。
 
新進気鋭の五重奏団「キンテート・グランデ」が熱演

 開幕と同時に奏でる“魂のセッション”が、静寂に包まれたホールを一瞬にしてタンゴの世界にいざなう。
 伝統を重んじながらも、“新たなタンゴの魅力を発信する”との決意を込めて練り上げたプログラム。
 「ラ・クンパルシータ」等のタンゴの名曲をはじめ、同楽団のオリジナル曲「サーカス」などを奏でる。

演奏、歌、ダンスが一体となった情熱のパフォーマンスに、感嘆の声がもれた(中野サンプラザホールで)

演奏、歌、ダンスが一体となった情熱のパフォーマンスに、感嘆の声がもれた(中野サンプラザホールで)

 最後には、同楽団が民音創立者・池田大作先生に献呈した「カプリチョ・アヌンシアード」を披露。
 タンゴへの情熱、歴史を築いてきた巨匠たちへの敬意、そして、次代を担う誓願――全てを込めた熱演に、惜しみない拍手が送られた。


◆友に真心と慈愛の声を――原田会長は横浜の同志宅へ 2020年2月21日

「さらに一家和楽の前進を」――小森澄八さん・二三代さん夫妻と語る原田会長(横浜市旭区内で)

「さらに一家和楽の前進を」――小森澄八さん・二三代さん夫妻と語る原田会長(横浜市旭区内で)

 真心と慈愛の声を届けゆく訪問・激励が20日、各地で行われた。

 原田会長は、神奈川・横浜市へ。旭区の小森澄八さん(副区長)・二三代さん(支部婦人部長)夫妻宅を訪れた。
 澄八さんは家屋のリフォーム等を行う工務店を営み、不況の中でも信用第一で業績を伸ばす。地域では、かつてPTA会長を務めるなど、誠実な人柄に信頼は厚い。
 会長は、澄八さんの父・澄雄さん(地区幹事)から澄八さん夫妻の3人の子と4人の孫まで4代にわたって続く、信心継承の歴史に耳を傾け、「健康第一で励ましの対話に徹し、全員が使命の舞台で二月闘争の総仕上げを」と激励した。

 原田会長は次いで、同市保土ケ谷区の鈴木秀吉さん(総区主事)・友子さん(同婦人部主事)夫妻宅へ。
 会長は、次女の小松原明子さん(総区婦人部長)、その夫・勝さん(本部長)と共に、信心一筋で広布を進める一家の歩みをたたえ、「愛する地域にますます信頼の輪を」と語った。
関西の京都・大阪に励ましの輪

 本年は、京都の地で「威風堂々の歌」が誕生してから65周年。
 山内関西長は、京都市伏見区の村岸文男さん(地区幹事)・清美さん(地区副婦人部長)夫妻宅を訪問。
 亡き父母の時代から長年、自宅を広布の会場に提供。一家で京都広布に駆け、事業の苦境なども、強き祈りで勝ち越えてきた。また親子4世代にわたり、信心を継承してきた。
 関西長は「これからも和楽の家庭を築いてください」と語った。

 続いて関西長は、同市下京区の岩口一房さん(地区部長)・真由美さん(婦人部副本部長)夫妻宅を訪れた。
 幾多の苦難を信心根本に打ち破ってきた夫妻の話をじっくりと聞き、「信心のお手本ですね」と、心からたたえた。

 直里関西婦人部長は、大阪・吹田市に住むヤング白ゆり世代である海田恵さん(地区婦人部長)の元へ。
 3年前、夫・唯法さん(地区部長)が心臓の病を患い、入院。2人の息子と共に真剣に唱題に挑む中、夫の手術は成功し、一家で信心の確信をつかんだ。
 その体験を励ましの力に変え、長男・凛聖さん(中学1年)の同級生の母で、小学校時代からの友人の悩みに寄り添い続けた。“なんとしても、幸せになってほしい”と祈り、語り抜き、今月、母子ともに入会へ導いた。
 直里関西婦人部長は海田さんの話に耳を傾けながら、「一家和楽の模範の姿ですね」とたたえ、「地域に根差した友好の語らいを重ねていきましょう」と語った。


◆〈季節の詩〉鳥取 白雪の砂丘と大山 2020年2月21日

   鳥取・弓ケ浜の海岸に朝日が昇る。
 そびえ立つ伯耆富士・大山の雄姿。
 米子水鳥公園では越冬するコハクチョウがにぎやかに飛び交う。
 美しき鳥取を池田先生が初めて訪れたのは1960年2月22日。第3代会長に就任する2カ月ほど前だった。それは、「山光」への初訪問ともなった。
 翌23日には、晴天に残雪が光る鳥取砂丘へ。友と「月の沙漠」を歌い、和歌を披露し合った。
 池田先生は詠んだ。
 「東洋の/広宣流布に/断固征け/日本海の/波は荒くも」
 世界の平和を願い、鳥取の友は師弟の春へ進む。いかなる怒濤も乗り越えて、皆が壮大な人生のドラマを!

 (砂丘=19日。水鳥公園=15日。岸本博司記者、笹山泰弘記者撮影)

◆創価大学・西浦ゼミが日本一   2020年2月21日
 「社会人基礎力育成グランプリ」で大賞に輝く

「人生100年時代の社会人基礎力育成グランプリ」で発表した創価大学・西浦ゼミのメンバー。左から内藤さん、原田さん、杉本さん

 2019年度「人生100年時代の社会人基礎力育成グランプリ」(主催=一般社団法人社会人基礎力協議会)の全国決勝大会が18日、東京・文京区の拓殖大学で行われ、創価大学経済学部・西浦昭雄ゼミのチームが出場。見事、日本一に当たる大賞に輝いた。
 「社会人基礎力」とは、「前に踏み出す力」「考え抜く力」「チームで働く力」の三つで構成される。
 同大会は、その力を高めるために“どのような活動に取り組み、どう成長できたか”を発表し、競う。全国大会には、各地の予選を勝ち抜いた6チームが出場した。

在宅介護者のストレス軽減図るWEBサービスを開発
 創大・西浦ゼミのチームは「在宅介護者」のストレス軽減を可能にする新たなWEBサービスを開発。その成果と過程を発表した。
 同ゼミは昨年4月、活動のテーマを決定するため、留学中のメンバーも含め、スカイプ(テレビ電話)で世界10カ国・地域をつなぎミーティング。当初のテーマは「外国人技能実習生問題」だった。
 新聞などでは実習生の失踪や労災などが報道されていた。しかし徹底的に調査し、“生きた情報”を求めてベトナムまで赴く中、帰国した実習生は予想以上に「満足している」という事実を知る。
 テーマを変更すべきか――チーム内に葛藤が生まれていた時、義母の介護に苦闘する母の姿を目にしていたメンバーが、在宅介護の問題を取り上げてはどうかと声を上げた。

応援に駆けつけたメンバーと共に記念のカメラに

応援に駆けつけたメンバーと共に記念のカメラに

 皆で悩んだ末、同7月に“身近な人を救う力になりたい”との思いでチームの意見はまとまった。

 短期間での挑戦であったが、在宅介護者、行政、企業などにアンケートなどの調査を進めた。
 そして「感情を書き出すことがストレス軽減につながる」という研究を基に、それらを応用したWEBサービスを考案する。
 介護者の元へ足を運んでは思索を重ね、企業と協力して改善を重ねた。その中で、投稿内容の「公開の有無」を選択可能にし、介護者間で情報共有ができるようにした。
 そして試験運用にまでこぎつけ、利用者からは「気持ちが軽くなった」などの声が寄せられた。
 大会ではチームを代表して内藤帆南さん、原田千尋さん、杉本美幸さんの3人が発表。審査員からは「言われたこと以上のものを求める姿勢」などが高く評価された。
 リーダーを務めた内藤さんは語った。
 「支えてくださった方への感謝を忘れず、これからも前進していきます」


【特集記事・信仰体験など】

◆ 〈世界のザダンカイ〉 韓国“第2の首都”世宗2020年2月21日
 昼休みの時間を活用して開催   “負けない自分”に出会える

2012年に発足した世宗特別自治市の街並み。山並みに沿って高層住宅が立つ。座談会は、中央に位置する政府庁舎の一角で。SGIメンバーの社会貢献をたたえ、13年には同市から池田先生に特別顕彰牌が贈られている

2012年に発足した世宗特別自治市の街並み。山並みに沿って高層住宅が立つ。座談会は、中央に位置する政府庁舎の一角で。SGIメンバーの社会貢献をたたえ、13年には同市から池田先生に特別顕彰牌が贈られている

 「アンニョンハセヨ!(こんにちは!)」――オフィスの一角に、明るいあいさつが響く。時計の針は正午。皆の手元には、サンドイッチとジュースが。ここは韓国“第2の首都”と呼ばれる世宗特別自治市。住民の多くが公務員である。同地では、多忙な同志のために、地域での座談会とは別に、昼食の時間を活用して座談会を開催している。今月5日の集いを取材した。(記事=小野顕一、写真=井﨑伸明) 

 2012年、韓国の首都機能を分散するため、同国最大規模のプロジェクトとして発足したのが世宗特別自治市である。
 都市名は朝鮮王朝(李朝)第4代国王の世宗(1397~1450年)に由来する。世宗は、誰でも読み書きができる「ハングル」を創出、普及させたことでも知られ、肖像は紙幣にも使用されている。
 国土の中心にある世宗からは、国内の主要都市へ、それぞれ2時間以内でのアクセスが可能。その世宗の中央部に位置するのが「行政中心複合都市」である。
 国務総理室をはじめとする中央行政機関の移転が完了し、現在は高層住宅の建設ラッシュが続く。2011年には1000人に満たなかった人口が、今は約30万人を数える。住民の平均年齢は30代前半。韓国で“最も若い都市”ともいわれる。
 近未来的な街並みには、最新のIT技術と環境への配慮が行き届く。ゴミの集積一つとっても、廃棄物自動輸送システムが整い、地下空間を経由してエネルギーに転換される。いち早く5G(次世代の高速通信規格)が導入されたIT大国・韓国にあって、世宗は“未来性の象徴”である。
 都市の中央に立つ政府庁舎は、各オフィスが屋上の通路や渡り廊下などで機能的に結ばれ、“世界で最も長い屋上庭園”としてギネスブックにも掲載された。
 座談会場となった会議室の窓からは、明るい日差しが入り、緑豊かな景観が。韓国SGIをはじめ、他の教育団体や宗教団体の交流の場としても活用されている。
 「新しいプロジェクトが、なかなか軌道に乗らなくて……」
 会場に駆け付けてきた男子部員がそう漏らすと、婦人部の友が「私も忙しくて、最近、心に余裕がないの。でも大丈夫。この座談会から変わるわよ!」と包み込む。
 近況を語り合う「幸福対話」のコーナーでは、婦人部の南宇珍さんが、一緒に参加した職場の友人を紹介。「この信心は、自分が成長することで困難を乗り越えられるの」と、簡潔に自身の体験を語った。
 南さんの入会は8年前。何かにつけて同僚と比べ、自分を卑下してばかりいた時、職場の先輩が信心を勧めてくれた。唱題に励む中、「“桜梅桃李”だから、皆が使命ある人なんだ」と実感。「誰かに認められたい」という気持ちが、「皆と喜びを分かち合いたい」という祈りに変わっていった。職場で重責を担いながらも、一つ一つ苦境を打開しゆく同志の姿に、いつも勇気をもらった。
 3年間のフランス留学を経て、昨年末に帰国。先月、夫を入会に導いた。
 今、韓国SGIでは、新たな人材を「一対一」で育む“MY青年”の取り組みが加速している。「夫が、私の“MY青年”第1号です。一緒に成長します!」――南さんの決意に、温かな拍手が湧いた。
 「多忙な同志だからこそ、座談会で触発し合うことが大切です」と、支部長の朴琮勲さんが目を細める。行政の要職を勤め上げ、先月、定年退職を迎えた。
 同地で働く人々は、競争を勝ち抜いてきた高学歴の人ばかり。朴さん自身、博士号を取得し、熾烈な試験を乗り越えてきた。
 しかしある時、上長の指示を待つばかりで、仕事に喜びを見いだせない自分に気付いた。座談会で悩みを共有する中で、自発的に行動を重ね、職場に新鮮な息吹が生まれるようになったという。
 近年、転勤などで世宗に転入する同志も多い。朴さんは「この地で信心の実証を示せるのが喜び」と感謝をにじませる。
 座談会では、池田先生の指導選集『幸福と平和を創る智慧』を巡って語らいも。
 参加者が一様にうなずいていたのが“絶対的幸福境涯”についてのくだりである。
 経済的な豊かさや社会的地位といった相対的幸福ではなく、困難に負けない、生きていること自体が楽しい絶対的幸福を目指す。その中で、どんな困難も自身の成長の姿で乗り越えられる――。参加者は、その実感を異口同音に述べていた。
 男子部の河俊洪さんも、その一人。大学入試を機に、「池田先生の弟子として恥ずかしくない生き方を」と誓った。就職では、150人中、1人だけという狭き門を突破することができた。
 「それで幸せになれるかと思ったら、そうじゃなかった」と河さん。激務の連続で瞬く間に10キロ痩せた。だが、どんな時も笑顔を絶やさない人柄に、周囲からは厚い信頼が。同期でいち早く留学経験を積むこともできた。「自分に負けない。その先に最善の結果と新しい自分があるんです」
 激しい競争で知られる韓国にあって、絶対的次元での幸福観に立つ学会員の生き方に、ひときわ深い共感が生まれている。
 「さあ、午後も頑張りましょう!」――笑顔を輝かせ、さっそうと職場に飛び出していく一人一人が、世宗の目覚ましい発展の姿と重なった。

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◆〈信仰体験〉左遷、闘病、失業…相次ぐ試練から立ち上がる!
 苦しい時こそ前を向く

「経験したこと全てが財産に」

 【滋賀県高島市】何度も“挫折”を味わっては、這うようにして、前へ前へと進んできた。冨田秀幸さん(53)=圏長=にとって、それは苦い過去だったが、信心への確信を深める得難い経験でもあった。今、胸を張って言える。“苦しい時こそ、前のめりや”と――。
 初めての大きなつまずきは、1994年(平成6年)、27歳の時のことだ。
 高島市内に本社を置く食品メーカーに勤め、20代にして大阪営業所の責任者を任される。社内では“出世コース”と目されていた。
 初めのうちは景気も良く、商品は思うように売れた。
 だがバブル経済の崩壊後、売り上げは大きく落ち込み、役職を解かれて本社に戻った。
 プライドは傷つき、会社を辞めることばかり考えたが、職場の先輩に説得されて、渋々ながら働いた。
 同じ頃、男子部の先輩が頻繁に訪ねてくるようになった。同年10月に開催される「関西栄光大文化祭」に出演しないか、との誘い。
 「何度も断りましたが、断っても断っても、訪ねてくるんです(笑い)。根負けしました」
 練習会に参加し始めた。だが、練習内容の厳しさに“ついていけない”。しばしば注意もされ、意欲も失う。
 しばらくして気付いたことがあった。練習会に参加するメンバーの目の色が変わってきている。
 その上、仕事で結果を出したり、友人に弘教を実らせたりする人が次々と現れた。
 皆の話を聞くうち、“おれも、頑張らなあかんのちゃうか”。遅刻気味だった練習会に、開始時刻から参加したいと思うようになった。
 そのためには、仕事を早く終えなければならない。従事していた出荷業務は、比較的、終業が遅かった。
 “だったら、自分が何とかすればいい”。同僚と密にコミュニケーションを取りながら、仕事の効率化に努めた。
 文化祭当日、池田先生の前で渾身の演技をした。
 冨田さんが得られたのは、歓喜や達成感だけではなかった。職場での働きぶりは一変し、同僚からも信頼を勝ち取っていた。
 以来、学会活動に励むようになり、やがて男子部のリーダーとして活躍するようになっていく。
 壮年になってからの試練は、青年時代のそれとは、比較にならないほど大きかった。
 2010年ごろ、冨田さんは、営業部長として全国各地を飛び回っていた。
 いくら奮闘しても売り上げは伸び悩み、毎月、目標を下回った。増す一方のプレッシャーと、重ねた暴飲暴食が、冨田さんの体をむしばんでいく。
 冷や汗や強い喉の渇きなどの症状が出始め、気付けば体重が20キロも落ちていた。
 妻・あゆみさん(53)=婦人部員=に懇願され病院で検査を受けると、重度の糖尿病と診断された。
 「放置すれば、死に至る危険があります」。医師の言葉で、ようやく事の重大さに気付かされた。
 同年5月に入院し、3週間で退院したものの、厳しい現実が待っていた。
 冨田さんが会社を離れている間、業績の落ち込みは、いっそう深刻なものに。
 責任を問われ営業部長を交代し、給与は激減。ストレスから適応障がいとなり、休職せざるを得なくなった。
 その後、数カ月で体調は回復し復職できたが、程なく会社は倒産――。
 2人の子どもはまだ専門学校生と小学生で、冨田さんの頭は、いかに家族を養うかでいっぱいになった。
 学会活動はほとんどできず、勤行するのが精いっぱい。自分でも情けなかった。
 そうした時、壮年部の先輩から話があった。「男子部時代、リーダーとして奮闘してきた冨田さんに、期待しているよ」。地区部長の打診だった。
 “こんな苦しい時に……”という思いもあった。しかし同時に、今こそ信心で立ち上がれ、という先輩の熱い思いも感じた。
 力いっぱい広布に駆けた青年部時代を思い返しつつ、意を決して「頑張ってみます」と頭を下げた。
 いつも心に置いている池田先生の指導がある。
 「真剣勝負の人には、常に研究と工夫がある。それを怠れば成功はない」「信心の強盛さは、人一倍、研究し、工夫し、努力する姿となって表れなければなりません」
 家族を守るため、多い時でアルバイトを四つ掛け持ちした。
 零下20度の冷凍庫内で食材の搬出入をしたり、鯖寿司を販売する店頭に立ったりもした。どれも誠心誠意で取り組んだ。
 多忙な毎日は、体力的にも苦しかったが、地区部長として家庭訪問に励んだ。
 目標としたのは、座談会の充実。壮年部員が主体的に参加できるよう、運営の一端を担ってもらったり、開催時間を柔軟に変えたりと、工夫を重ねた。
 やがて壮年部の座談会参加者は倍増し、新来者も増えて、地区は盛り上がりを見せていく。
 正社員としての仕事が決まったのは、そうした中でのことだ。
 アルバイト先の一つだった新聞の販売店舗から、店舗の運営を任されることになった。倒産・失業から、3年の月日がたっていた。
 新聞店舗の仕事は主に深夜。日中もチラシを折る作業や集金などがあり、多忙を極めた。
 しかし、学会活動には以前にも増して励めるようになった。昨年の11月から、圏長として奮闘する。
 悩みを抱えている同志に寄り添う時、「失業、病気、経済苦など、これまで経験したこと全てが、私の財産になっています」と語っている。
 先日、かつて地区部長の話を持ち掛けてくれた壮年部の先輩と、顔を合わせた。話題は当時のことに。
 「最初は正直、ちょっと心配もあったんや。よう信心で立ち上がったな」。懐かしげに語る先輩の笑顔に、冨田さんは、感謝の念が込み上げて仕方なかった。

 

2020年2月20日 (木)

2020年2月20日(木)の聖教

2020年2月20日(木)の聖教

◆わが友に贈る

 若き後継の青年よ
 十年一剣を磨きゆけ!
 真の“自分らしさ”は
 限界まで挑んだ先に
 初めて輝いてくる。


◆名字の言 環境への意識を啓発する大学祭での企画

 三重県内の大学祭を訪れた時のこと。ある教室の中央には、海を模したブルーシートの上に、ボール紙で作られた魚が泳ぐ。それを来場者が囲み、針の代わりに磁石の付いたさおで釣っては、歓声を上げていた。だが、よく見ると人々が狙っているのは魚ではない。その周りに浮かぶ“ごみ”だ▼この大学に学ぶ学生部の有志が、国連の定めた「持続可能な開発目標(SDGs)」をテーマに実施した展示の一つ。実際、大学近くの浜辺には時折、さまざまなごみが打ち上げられる。環境への意識を啓発する企画は、身近な現実を見つめる中で生まれたものだった▼地球的問題群の解決へ、一人一人が足元から行動を起こす必要性が叫ばれている。その取り組みの鍵は、周囲の問題を“人ごと”ではなく、いかに“自分のこと”として捉えられるかだろう▼昨年行われた気候変動枠組み条約の第25回締約国会議(COP25)で、国連のグテーレス事務総長は地球温暖化に警鐘を鳴らし、「変化を望むなら、私たち自身が変わらなければなりません」と力説した▼御書に「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を?らん者か」(31ページ)と。地球環境と関係のない人など一人もいない。未来のために、自分にできる“挑戦”を見つけ、一歩を踏み出そう。(当)


◆寸鉄

人一倍後輩を育てなさい
―戸田先生。一対一の励
ましで自分以上の人材に
     ◇
東京「荒川の日」。皆が
仰ぎ見る不滅の民衆城。
師弟共戦の闘魂は脈々と
     ◇
幅広い分野の読書をする
児童ほど学力向上―調査
親子で挑戦!まず“1冊”
     ◇
国連「世界社会正義の日」
今こそ人類共生の道を。
地球民族主義の旗を掲げ
     ◇
死亡事故の歩行者6割が
無理な横断等、法令違反。
私は大丈夫の油断排して


◆きょうの発心 生死一大事血脈抄 和歌山総県総合女子部長 中林扶美子2020年2月20日

御文
 総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり(生死一大事血脈抄、1337ページ・編402ページ)
通解
 総じて日蓮の弟子檀那等が、自他彼此の隔ての心なく、水魚の思いで、異体同心に南無妙法蓮華経と唱えるところを生死一大事の血脈というのである。

異体同心の団結で「次の50年」へ
 広宣流布を目指して異体同心の信心を貫く中に、日蓮大聖人の仏法の血脈は流れ通うと仰せです。
 創価大学生の時、運営役員として、創立者・池田先生と共に来賓をお迎えする準備に全力を注ぐ中で、“陰の戦い”の大切さを学びました。
 卒業後、民間企業を経て本部職員に。尊敬する華陽姉妹と共に、師弟誓願の祈りを根本に広布に励む中で、自分自身もさまざまな悩みを乗り越えることができました。
 昨秋、和歌山女子部は「心一つに 笑顔の誓春! 希望と勇気輝く 和歌山池田華陽会」との新スローガンを胸に、新体制でスタート。その歓喜のままに、12月21日に開催された“「烈風魂」の原点から50周年を記念する和歌山大会”を勝利で飾り、勇躍「次の50年」へ、出発することができました。
 2・27「和歌山女子部の日」の制定から15周年を迎える本年、師匠への感謝を胸に、異体同心の団結で、勇気の拡大に走り抜きます。


【聖教ニュース】

◆二月闘争の総仕上げへ リーダー率先で訪問・激励 2020年2月20日
 原田会長が東京・世田谷区、永石婦人部長は大田区に

    • 原田会長が大石巖さん㊥・スミ子さん夫妻と和やかに語り合う(東京・世田谷区内で)

原田会長が大石巖さん㊥・スミ子さん夫妻と和やかに語り合う(東京・世田谷区内で)

 さあ、強き信心を根本に「令和の二月闘争」の総仕上げへ前進! 今こそリーダー率先で友に太陽の励ましを!
 原田会長、永石婦人部長が19日、東京各地の同志の元を訪問し、激励した。
 原田会長は、世田谷区の大石巖さん(副支部長)・スミ子さん(支部副婦人部長)夫妻宅へ。
 信心一筋、50余年。スミ子さんを襲った失明の危機や度重なるがん……幾多の苦難の嵐を夫婦して懸命に祈り、広布の闘争に挑み続ける中で乗り越えてきた。原田会長は、「どうか、くれぐれも健康に留意してください」と語りつつ、個人会館を30年以上にわたり提供する夫妻に、深い感謝を述べた。
 長男・靖雄さん(壮年部員)と次男・賢さん(地区部長)は共に創価の学びやを巣立ち、2人の妻・美和さん、時江さんは、共に地区婦人部長として奮闘。
 会長は、巖さん夫妻の入会動機や家族の近況などにじっくりと耳を傾け、「一家和楽の模範の家庭ですね。さらなるご活躍を祈ります」と励ました。
 この後、会長は同区で個人会館を提供する石川光治さん(副区長)・弘子さん(婦人部副本部長)夫妻宅を訪問。長男と次男は共に支部長、三男は総区男子部副書記長として、創価の庭で奮闘。家族皆が広布の道を真っすぐに歩む模様に、会長は「立派なご一家です。団結固くますますの前進を」と語った。

永石婦人部長は、東京・大田区の島田雅子さん(右端)、娘の華さん(右から2人目)、息子の蒼君と懇談

 永石婦人部長は、東京・大田区のヤング白ゆり世代である島田雅子さんの元へ。
 島田さんは保育士として働く中、先月、地区婦人部長に就任。今月には率先の弘教を実らせた。地区部長の夫・英明さんと共に広布の最前線を走る。
 信心の原点は、長女・華さん(中学2年)の障がいを共に乗り越えてきた日々にある。華さんが0歳の時、脳に障がいがあることが判明。娘のリハビリと職場の往復が1年を過ぎた頃、退職せざるを得ないほど、疲労が限界に達していた。
 その島田さんに希望の光をともしたのは、婦人部の先輩だった。“今こそ娘のために学会活動に挑戦しよう”――先輩の激励に奮い立った島田さんは、祈り、対話に駆けた。
 娘のことだけを考え、きゅうきゅうとしていた自分が、学会活動に挑む中で友の幸せも祈っていることに気付いた。時を同じくして、自力では歩けなかった華さんが歩けるように。現在は元気に普通学級に通い、合唱部で活躍する。今、島田さんは広布に生き抜く人生にこそ、真の幸福があると確信する。
 永石婦人部長は、島田さんの話にうなずきながら「純真な信心を貫く模範の姿です」と心からたたえた。


◆きょう発売 聖教ワイド文庫の小説「新・人間革命」第30巻〈下〉 2020年2月20日

 聖教ワイド文庫の小説『新・人間革命』第30巻<下>が、きょう発売される。これで『新・人間革命』は、同文庫としても完結となった。
 同巻には「暁鐘(後半)」「勝ち鬨」「誓願」の3章を収録。創価学会が宗門の権威の鉄鎖を断ち切り「魂の独立」を果たして、世界宗教へと飛躍していく歴史がつづられる。
 【暁鐘】1981年6月16日、山本伸一の平和旅は、フランスからアメリカへ。ニューヨークでは、アメリカの青年たちに詩を贈る。21年ぶりとなったカナダ訪問の後、米シカゴでの第1回世界平和文化祭に出席する。
 【勝ち鬨】11月、伸一は四国へ。香川で、もう一度広布の指揮を執ることを宣言。男子部の要請に応え、「紅の歌」を完成させる。
 12月、大分を訪問。「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」を発表。また、同県竹田の岡城址で、熊本で、さらに、翌82年1月、雪の秋田で、同志と共に記念のカメラに納まり、勝利の歌を熱唱する。
 【誓願】伸一は、人類の平和のために、ソ連(当時)のゴルバチョフ大統領ら世界の指導者と会談を重ねていく。
 90年、日顕ら宗門は、創価の師弟を分断し、会員を宗門に隷属させようと、学会破壊の陰謀を実行。学会は、日蓮大聖人の精神から逸脱し、教条主義化、権威・権力化した宗門をいさめ、宗教改革を進める。すると宗門は、91年11月28日付で学会に破門通告書を送付。その日は“日顕宗”と化した宗門からの、学会の魂の“独立記念日”となった。
 2001年11月、創立記念の本部幹部会で伸一は、青年たちに後継のバトンを託す思いで、「創価の三代の師弟の魂」を受け継いでもらいたいと訴える。学会は第2の「七つの鐘」へ、地涌の大前進を開始していく。
 本社刊。838円(税込み)。全国の書店で発売。コンビニ通販サイト「セブンネットショッピング」「HMV&BOOKS online」での注文、受け取りも可能です。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈「新・人間革命」と私〉 中部青年部長 近藤正樹さん

 創価学会は、その淵源(『創価教育学体系』の発刊)から、師弟をもって始まったのである。ゆえに、師弟の道を、永遠に伝え残していくなかに、創価の魂の脈動があるのだ。そして、この師弟の道は、弟子が師匠の精神と実践を学ぶことから始まる。 <第23巻「敢闘の章>

時代背景
 山本伸一は、男女青年部が結成25周年を迎えた1976年(昭和51年)夏、後継の青年たちと会い、青年たちに創価の師弟の精神を深く刻み抜こうと決意していた。7月23日には、名古屋で女子部の人材グループ「青春会」の友を激励。その後、三重で人材育成に全精魂を注ぎ、同26日には、中部学生部の代表で「学生部厚田会」を結成する。

原点を忘れず、広布に生き抜く
 師弟の原点を忘れず、広布に生き抜き、師匠の偉大さを宣揚する。この「師弟の道」の重要性が示された「敢闘」の章を読み返し、自分自身の忘れられない師匠との原点を思い起こしました。
 それは、創価大学男子寮の全寮代表を務めていた大学3年の時のこと。その年の4月、創立者・池田先生が寮を訪問してくださり、寮生を激励してくださったのです。
 当時、父の精神疾患や姉の原因不明の病など、家族を試練が襲い、苦しい時期でしたが、その時に目に焼き付けた“一人をどこまでも大切にされる先生の姿”を支えに、学業と学会活動に励み、後年には全てを乗り越えることができました。この感謝を胸に、どこまでも師弟の道を歩み抜こうと決意しています。

創価三代の精神を行動に移す
 また、この章には、中部を舞台にした山本伸一の足跡がつづられています。特に、伸一が三重の中部第一総合研修所(現在の三重研修道場)を初訪問した折、研修所内に展示されていた初代会長・牧口先生、第2代会長・戸田先生ゆかりの品々を見て回るシーンが心に残りました。
 その中で「創価教育学」の名称が牧口、戸田両先生の“師弟の語らい”から生まれた経緯や、師の偉業を後世に残すために2代・3代の“不二の弟子”が力を尽くしてきた歴史について、教えてくださっています。
 後継の青年として、この崇高な師弟の道に連なっていくためにも、小説『新・人間革命』を通して師匠の精神と実践を徹底して学び抜き、それを自分自身の行動に移していくことが大切だと改めて感じました。

師弟の“この道”を真っすぐに
 中部では、座談会で『新・人間革命』コーナーを設けており、研究発表や学んだ感想などを語り合います。また、男子部では「10ミニッツ運動」と題し、あらゆる会合や会議で参加者全員の10分間の読書(黙読)を実施。その中で『新・人間革命』を通読するメンバーが増えています。
 中部青年部は『新・人間革命』を心に刻みながら、師弟の“この道”を真っすぐに歩み抜き、広布の新たな勝利を開く一番星と輝いていきます。

◆〈座談会〉新型コロナウイルスによる肺炎――具体的な対策で感染を防止2020年2月20日
 「早期終息」を真剣に祈念

〈出席者〉原田会長、永石婦人部長、酒井ドクター部長、石川女性ドクター部長、志賀青年部長

 原田 新型コロナウイルス感染症について、政府の専門家会議は16日、「感染の早期」であり、「今後は国内での感染状況がさらに進行していくことが考えられる」と発表しました。
 
 永石 病状については、非常に軽症で、ほとんど症状がない方から、重症な肺炎を起こす方まで幅広くいるといわれています。流行を防ぐためにも、一人一人が意識を高くもって臨んでいくことが大切ですね。
 
 原田 そこで、感染症対策の基本を、ドクター部の皆さん
と一緒に確認したいと思います。  
 酒井 はい。まずは「手洗い」です。外出先からの帰宅時や調理の前後、食事前など、小まめに実践していきましょう。その際、爪は短く切っておくのが望ましいです。せっけんは「①手のひら」「②手の甲」「③指先・爪の間」「④指の間」「⑤手首」などにまで伸ばし、念入りにこするようにしてください。
 
 石川 アルコール消毒も効果があります。
 
 永石 また、「咳エチケット」も重要ですね。
 
 酒井 そうです。周囲に飛び散らないよう、「口元をおさえる」のがマナーですが、手でおさえるとウイルスが手に付着し、その手で周りのものに触れると、ウイルスの感染を広げることになりかねません。マスクがない時は、ティッシュやハンカチで口や鼻を覆い、とっさの時は、袖口で覆うようにしましょう。
 
 石川 マスクについては隙間がないよう、鼻まで覆うことが大切です。もしもマスクがない場合は、ガーゼやタオル等を代用品にすることもできます。インターネット等で、その作り方を見ることもできます。

マスクをして外出する人々(都内)――新型コロナウイルスは、飛沫感染と接触感染によって広るとされる。マスクの着用は、飛沫に含まれる可能性があるウイルスを防ぐ効果がある

「4日以上」は相談
 酒井 厚労省は17日、全ての都道府県に設置されている相談センターへの相談・受診の目安を発表しました。まず、相談・受診の前に心掛けておきたいのは、発熱等の風邪症状が見られた場合、「学校や会社を休み、外出を控える」ならびに「毎日、体温を測定して記録しておく」です。
 
 石川 もしも、風邪の症状や37・5度以上の発熱が4日以上続く場合、強いだるさ(倦怠感)や息苦しさ(呼吸困難)がある場合は、相談センターに連絡してください。
 
 酒井 また、高齢者、糖尿病・心不全・呼吸器疾患などの基礎疾患がある方、透析を受けている方、免疫抑制剤や抗がん剤等を用いている方は、重症化しやすいので、前記の症状が2日以上続く場合は、連絡することが示されています。
 
 石川 妊婦の方も念のため、重症化しやすい方と同様に、早めに相談センターに連絡することが推奨されています。
 
 酒井 なお、現時点では、新型コロナウイルス感染症ではない病気の方が圧倒的に多いため、インフルエンザ等の心配がある時は、通常と同様に身近な医療機関を受診してくださ
い。ともあれ、正確な情報をもとに、冷静に行動していただければと思います。

変毒為薬の実証を
 原田 専門家会議は対策の一つとして、テレワークや時差出勤を推奨し、なるべく人混みを避けて行動するよう呼び掛けています。各社でも導入の動きが広がっています。また、不要不急な集まりを減らすことの検討も訴えています。
 
 志賀 そこで学会としても、会員の方々の安全と安心を最優先する観点から、当面、会館での会合は行わないことになりました。また、支部や地区などでの集まっての会合も行わないことになっています。
 
 永石 会合は行いませんが、各人が目標を決めて、題目をあげることはできます。事前に連絡を取り、お互いの体調を確認した上で、訪問・激励をすることもできます。電話・メール・手紙等で励ましを送ることもできます。ある婦人部の先輩は、「かねてから気に掛けていた方や、普段なかなか会えない方の所へ伺うことができます」と語っていました。
 
 志賀 悩んでいる友人との仏法対話にじっくりと励んでいくこともできます。
 
 原田 いまだかつてない状況ではありますが、御書には「大悪をこれば大善きたる」(1300ページ)と仰せです。この御文は、“大善が起こるのをただ待っていればよい”というこ
とではありません。どんな状況であっても、それを成長の好機と捉え、“新たな前進を開始しよう!”との力強い決意と勇気の実践を促されていると拝されます。
 
 志賀 御書を徹底して研さんするチャンスであり、小説『人間革命』『新・人間革命』を読み深める好機でもあると捉え、取り組んでいきたいと思います。
 
 永石 池田先生は、「すべてを前進の活力に変え、希望につなげていくのが仏法なんです」「災害に遭ったならば、“さあ、今が正念場だ。負けるものか。変毒為薬するぞ! 信心の真価を発揮するぞ!”と、へこたれずに、勇んで挑戦を開始することです」(小説『新・人間革命』第16巻「羽ばたき」の章)とつづられています。
 
 原田 「どんな時も、未来へ、未来へと、希望を燃やし、力強く前進していくならば、それ自体が人生の勝利なんです。信心の証明なんです」(同)とも記されています。私たちは毅然とした対応で、早期終息を祈っていきたい。そして、異体同心の団結で一切を乗り越え、「変毒為薬の実証」を示していきましょう。
 
 志賀 なお、新型コロナウイルスに便乗した「詐欺メール」も確認されています。「マスクの無料配布」などとうたい、不正サイトに誘導するメールや、WHO(世界保健機関)の名をかたる詐欺もあるようです。どうか、くれぐれも注意してください。


◆〈地域を歩く〉 和歌山・みなべ町 一足早く春が訪れる町   2020年2月20日

 春告草――厳冬を越え、百花に先駆けて開花する「梅」は、古来、そう呼ばれてきた。毎年2月になると、満開の梅が山あいを真っ白に染め上げ、いち早く春の到来を告げる町である。
梅の生産量日本一を誇る和歌山・みなべ町。南高梅の白い花が山一面を飾る
 梅の生産量日本一を誇る和歌山・みなべ町だ。代表品種「南高梅」の発祥の地としても有名。町内で梅農家を営む竹田和久さん(支部書記長)・圭子さん(支部婦人部長)夫妻が胸を張る。「南高梅の梅干しは果肉が大きく、皮が薄くて柔らかいのが特長です。日本中の人に食べてほしい」
 2月中旬には、日本最大級の梅林「南部梅林」が見頃を迎え、観光客でにぎわう。今でこそ、園内や駐車場が整備され、多くの人が楽しめるようになったが、かつては花見客が無断で農地に入ったり、梅の枝を折ったりすることもあった。
 そこで立ち上がったのが、和久さんの父・郁夫さん(故人)だった。梅農家の郁夫さんは“梅の木を守り、観光資源として活用しよう”と、地域住民と共に「梅の里観梅協会」を発足。初代会長に就いた。

夏の収穫期に向け、梅の木の手入れに余念がない竹田さん(右端)と、妻の圭子さん(左から2人目)。次女夫妻が見守る

 行政と連携しながら周辺一帯を整備し、観光地に。開花時には、3万人の人出が見込まれるまでになった。
 一方、和久さんは郁夫さんの後を継ぎ、梅の品質向上へ研究を重ねた。15年前からは有機肥料のみを使用し、農薬を5割以上削減した「減農薬栽培」に挑戦。“おいしくて安心できる農産物”として、県の「特別栽培農産物」に認定された。この認定を受けているのは、1000軒以上ある梅農家のうち、10軒程度だという。

収穫した梅は、塩漬けされた後、天日干しに
 竹田和久さんは仕事の傍ら、町内の消防団長として、300人の団員をまとめる。冬場には夜間パトロールを行い、地域の安全を支えてきた。みなべ町を含む日高郡内の美浜・日高・日高川・由良・印南の全6町からなる日高広域消防協議会の会長としても活躍する。
 竹田さん夫妻は「学会員の誇りを胸に、地域の無事故を祈りつつ、人に尽くす人生を歩んでいきたい」と口をそろえる。
  
町の魅力をPR
 白炭の最高傑作といわれる「紀州備長炭」。みなべ町は、日本有数の紀州備長炭の生産地でもある。また、町内にある千里の浜は、アカウミガメの産卵地として本州最大規模を誇る。
 こうした町の魅力を発信してきたのが、細川真由さん(女子部部長)だ。2014年から3年間、町の観光協会の「みなべウェルカムクルー」として活動。南高梅をはじめ、名所や名物などを県内外へPRしてきた。
 「みなべ町には海も山もあり、自然豊かな町。クルーとなり、町の素晴らしさを再認識することができました」
 現在、JAの窓口業務に従事しながら、梅商品の販売促進も行っている。
 誠実第一で仕事に取り組む細川さん。その手本は、白蓮グループの先輩の姿だった。本部幹部会の中継行事の任務に就いた時のこと。雨の日、来館者が使えるように、先輩はタオルを用意。さらに、濡れた杖を拭いてあげるなど、こまやかな心遣いに胸を打たれた。
 自分も先輩のようになりたいと懸命に祈りながら、仕事と学会活動に励んだ。その努力が花開き、16年8月、窓口業務サービスの向上のために行われた県コンクールで、最優秀賞に輝いた。「これからも信心根本に真心の接客を心掛けていきます」
  
青年の力で地域を活性化
 みなべ町で、毎年の恒例行事となっている「UME―1 フェスタ」。今月9日、町内で盛大に開催され、多くの人が訪れた。 このフェスタの一大イベントが、梅の種を飛ばして距離を競う「やにこい種とばし」である。今年は、昨年を上回る延べ1400人が参加した。
 同イベントの実行委員長を務めたのが、男子部大学校2期生の楠谷和弘さん。「『やにこい』は和歌山の方言で『ものすごい』という意味です。南高梅のおいしさを知ってもらうとともに、少しでも地域の活性化につながればうれしい」
 仕事では、祖父の代から続く運送会社の専務取締役。そのリーダーシップを買われ、みなべ町商工会青年部の部長に。また、日高郡商工会青年部連合会の会長の重責も担う。「商工会には、梅加工会社や建設会社、電器店など、さまざまな業種のメンバーがいます。皆で一つのイベントをつくり上げる中で絆が強くなっています」
 4児の父として子育てにも奮闘。楠谷さんは「愛する故郷の魅力を、子どもたちにも伝えたい」と声を弾ませる。
  
町内一のウスイエンドウ畑
 日本有数の「ウスイエンドウ」の生産地としても知られる、みなべ町。「2月は、梅の花も、エンドウマメの白い花も満開になるので、町中が花の香りに包まれます」
 そう語るのは、町内でウスイエンドウ栽培を営む熊代学さん(壮年部員)・惠美さん(地区婦人部長)夫妻だ。40年以上、梅栽培中心だったが、20年ほど前から徐々にウスイエンドウ栽培に移行していった。
 くぼ地を埋め立てて、平地にするまでに約10年。さらに畑作りにも時間がかかり、2、3年は、ほとんど思うような収穫ができなかった。土の温度や肥料の調合など、試行錯誤を重ねた結果、収穫量は増加。作付面積は町内一の7000平方メートルを誇り、約13トンのマメを出荷する。
 「でも、私たち夫婦だけで、成功したわけじゃないんです」と学さん。近隣の農家が肥料の作り方や病気の対処法など、さまざまなことを教えてくれた。
 強風が吹き、茎を支える杭がなぎ倒された時も、近隣の人たちが復旧を手伝ってくれた。惠美さんは「自分たちの畑の収穫もあって忙しいのに、力を貸してくれて……。本当にありがたかった」と述懐する。
 感謝の思いを胸に、どんな時も前向きに生きる二人の姿に触れ、一昨年、親戚と息子の妻が入会。熊代さん夫妻は地域に恩返しをしようと心に期し、励ましの輪を広げる。
  
支え合う心で新たな価値を
 みなべ町の沖合に静かに浮かぶ鹿島。「『みなべ』という地名は、一説によれば、鹿島が三つの鍋を伏せたように見える『三鍋』が由来とされているんです。鹿島は、町のシンボルとして親しまれています」
 教えてくれたのは、社会福祉協議会で常務理事を務める川口富士夫さん(支部長)。10年ほど前から、ボランティアでアルコール依存症に悩む人の支援を行ってきた。「話を聞くと、多くの方は孤独を感じていました。だから、まずは自分が友人になろうと思ったんです」
 「はあとカフェ」と銘打ち、保健師やケースワーカーなどの講師を招き、喫茶店で懇談会を実施。また依存症で悩む人と共に、折あるごとに、たこ焼きや焼き鳥などの露店を出店。「利用者さんたちの表情が明るくなってきたことがうれしい」と笑みを浮かべる。
 町のためになればと、社会福祉士や介護福祉士のほか、調理師免許や大型バスの運転免許など、これまで数々の資格を取得してきた。「最初は人助けのつもりでしたが、振り返れば、皆さんのおかげで自分の可能性を大きく開くことができました。感謝の心を忘れず、悩みを抱える方に寄り添っていきたい」
  
好評の「歌う紙芝居」
 同町では、多くの学会員が地域に尽くす。その一人が久保三千代さん(地区婦人部長)である。高校卒業後、保育士に。12年間、勤めた後、結婚を機に退職。みなべ町に転居し、3人の子宝に恵まれた。
 3年前、知人に頼まれ、小学校で絵本の読み聞かせボランティアを開始。その時、親しくなったのが芦硲宏仁さんだった。久保さんの夫の友人でもあり、意気投合。ピアノ教室を開いていた芦硲さんの発案で、デュオ「ひろみっちょ」を結成した。
 芦硲さんの作詞・作曲した歌をもとに、久保さんが紙芝居を制作。それを歌いながら披露している。「保育士時代によくイラストを描いたことが今、生きています」。これまで「うめぼしおにぎりのうた」「ぼくは びんちょうたん」など、町の魅力を伝える作品を作り、保育所や幼稚園、介護施設などで披露。今月は、南部梅林の特設ステージで野外コンサートも行った。
 芦硲さんは、久保さんについて「家族思いで、とても優しい人。まるで自分の家族のように信頼しています」と話す。
 子育て、学会活動、ボランティアと充実した毎日を送る久保さん。「地域の皆さんと協力して、未来を担う子どもたちを育んでいきたい」
  
愛する郷土に希望の春を
 みなべ町の町民憲章の一つに「交流の輪を広げ 互いに支えあうまちをつくります」とある。
 小谷芳正町長は語る。「南高梅は自家受粉ができません。そのため、他種の梅を近くに植え、その花粉で受粉させているのです。人間も梅と同じ。皆それぞれ考えや生き方も違いますが、隣近所が支え合うことで地域が栄えます。町内に住む学会員の皆さんも誠実で明るく、なくてはならない人たちです。皆さんと手を取り合いながら、町民の健康と幸せのために、力を尽くしてまいります」
                           ◇ 
 かつて、池田先生はつづった。「たとえ今、試練の冬にあろうとも、心は閉じこもりはしない。一歩、北風に踏み出す勇気に、戦う力、負けない力が湧き上がる。その心には、もう勝利の春が始まっているのだ。『冬の中に春を生む』梅花のように」
 みなべの同志もまた、梅花のように、愛する郷土に“希望の春”を爛漫と広げゆく。

◆〈信仰体験〉台風19号被害から民宿を再建 今度は私たちが恩返しする番!  2020年2月20日
 台風被害を越えて――。たくさんの励ましで強くなれた  
 
「皆さんに喜んでもらえるよう成長し続けていきたい」と昌子さん㊥。夫の孝和さん㊨、娘の博美さんと共に

 【埼玉県飯能市】“もうだめだ。宿を畳むしかない……”。
 目の前の光景に、岡田孝和さん(69)=地区部長、昌子さん(67)=地区副婦人部長=夫婦は、ただ立ちすくむしかなかった。

 

2020年2月19日 (水)

2019年2月19日(水)の聖教

2019年2月19日(水)の聖教

◆わが友に贈る

苦難の時こそ
 飛躍のチャンスだ。
 仏法に無駄はない。
 強盛に祈り抜き
 一切を変毒為薬しよう!


◆名字の言   喜びや感謝の言葉がもたらすもの

 幼い息子が口にする言葉の数が、どんどん増えていくことが楽しみで仕方がない様子の父親。先日も「発音は少し怪しいのですが、最近、『うれしい』という単語を発するようになりました」と笑顔で報告してくれた▼この家庭では夫婦そろって、ささいなことでも「うれしい」「ありがとう」と喜びや感謝の思いを口に出す。きっと息子は両親の口癖を日頃から聞いて覚えたのであろう▼親子でなくとも、心根の美しい人の喜びの声は、聞く人の心に残り、幸せな思いまで共有できるもの。そんなことを感じる出来事があった。白内障の手術を受けた婦人部員に術後の体調を尋ねると、こんな答えが返ってきた。「色鮮やかな世界が戻りました。何より御本尊に向かった時、文字がとても濃く見えて感動しました」▼「墨痕鮮やか」と形容できるほど、はっきりと御本尊の文字が見えたのは、視界が鮮明になったという理由だけではないだろう。彼女の曇りのない信心の眼によるものでもあると思えてならない▼喜びと感謝の心は、幸福の歩みを加速させる。唱題を根本として、わが生命に「歓喜の中の大歓喜」の太陽を昇らせ、自他共に輝いていく。この大歓喜の連帯を、今いる場所で自分らしく広げることが広宣流布である。(白)


◆寸鉄

何のために生きるかを得
られるのが学会の良さ―
識者。広布は人生の指標
     ◇
第2宮城総県の日。福光
の春開く励ましの連帯。
皆様の前進は地域の希望
     ◇
御書を拝して境涯をもう
一歩開くのだ―戸田先生
心肝に染める習慣今こそ
     ◇
若い世代ほど自分に活力
感じないと。真剣な題目
で命は躍動。実験証明を
     ◇
新型肺炎が拡大。「不要不
急の外出控えて」と政府。
人混み避けるなど賢明に


◆きょうの発心 〈きょうの発心〉 異体同心事 長崎池田県総主事 川﨑英明

御文
 異体同心なれば万事を成じ同体異心なれば諸事叶う事なしと申す事は外典三千余巻に定りて候(異体同心事、1463ページ・編792ページ)
通解
 異体同心であれば万事を成就し、同体異心であれば何事もかなうことはない。このことは外典三千余巻に定まっている。

「異体同心の団結」で広布の道を
 広布に心を合わせていけば必ず目的を成就できるとの仰せです。
 男子部時代に皆で御書の要文の暗唱に挑戦。その中で心に刻んだこの御文を胸に、同志と励まし合いながら折伏に励みました。当時、自分と同じアパートに住んでいた3世帯の方に弘教を実らせたことが、自身の信心の原点になっています。
 1982年(昭和57年)5月、長崎空港に降り立たれた池田先生が、諫早文化会館を訪問。役員と一緒に勤行をしてくださいました。
 創価班として場外警備を担当していた私もその場に参加し、先生と心を合わせて祈りました。全てを包み込んでくださる師の温かな慈愛に感動し、「どんなことがあっても信心を貫き通そう」と決意しました。
 その後は、大きな病気をすることもなく広布に励み、3年前に定年退職を迎えました。現在、担当している広い地域を舞台に、日々、学会活動に奔走しています。
 池田先生の会長就任60周年の本年、長崎池田県の同志と共に弘教拡大に勇んで取り組み、「異体同心の団結」で勝利します。


【先生のメッセージ】

◆世界広布の大道  小説「新・人間革命」に学ぶ  第16巻 御書編

イラスト・間瀬健治

 自分を最大限に輝かせる

御文
 桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば……(御書784ページ、御義口伝)

通解
 桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李と、おのおのの当体を改めず、そのままの姿で無作三身と開きあらわしていくのである。

小説の場面から
 <1972年(昭和47年)1月2日、第1回全国大学会総会が行われた。山本伸一は集ってきた学生部員に声を掛け、励ましを送る>
 「ところで、君は、優しそうだが、自分の気の弱さを悩んでいるんじゃないのかい」
 「はい」と、か細い声が返ってきた。
 「“優しさ”と“気の弱さ”は、一つの性分のあらわれ方の違いといえるだろうね。性分が“優しさ”として生かされれば長所となるし、“気の弱さ”となってあらわれれば短所となってしまう。そして、性分が常に短所となって作用すれば、それが不幸の原因にもなる」(中略)
 「そういう性格や性分といったものも、信心で変えられるんですか」
 「人間の性分自体は変わらないが、信心によって、自分の性分を良い方向に生かしていくことができる。(中略)桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李と、それぞれがありのままの姿で、自分を最大限に生かしながら、幸福になる道を説いているのが仏法なんです。
 すぐにカッとなる人というのは、情熱的で、正義感が強いということです。信心に励めば、つまらぬことでカッとなるのではなく、悪や不正を許さぬ正義の人になる。
 また、誰かの言いなりになってしまう人というのは、優しさや人と調和する力がある。その長所の部分が引き出されていくんです。そうなっていくことが人間革命なんです」
(「入魂」の章、16~18ページ)

命ある限り広布に戦う

御文

 譬えば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩をはこびて今一日に成りて歩をさしをきては何として都の月をば詠め候べき(御書1440ページ、新池御書)

通解
 例えば、鎌倉から京までは12日の道のりである。それを11日余り歩いて、あと1日となった時に歩くのをやめたのでは、どうして都の月を詠ずることができようか。

小説の場面から
 <1972年(昭和47年)1月、沖縄のコザ市(現・沖縄市)での記念撮影会で、伸一は高齢の婦人を激励する>

 「信心には、“卒業”もなければ“定年”もありません。生きるということは、戦うということなんです」
 彼(山本伸一=編集部注)は、高齢でありながら、健気に信心に取り組む沖縄の同志たちの姿に、自らも、ますます闘魂が燃え盛るのを感じた。
 「年齢を重ねられた方の力は大きい。人生経験を重ねられた分、生き方の根本的な知恵をお持ちです。また、人脈や人間関係も広い。その方々が広宣流布のために、本気になって頑張るならば、若い人たちの、何倍もの力が発揮できます」(中略)
 伸一は、合掌する思いで語った。(中略)
 「牧口先生は、高齢の身で、牢獄にあっても戦い続け、仏法の正義を叫び抜かれました。私も、牧口先生のように、七十になろうが、八十になろうが、命ある限り、動きに動きます。語りに語ります。書きに書き、叫びに叫びます。
 足腰が立たなくなっても、正義を書きつづる手があります。手が動かなくなっても、仏法を語る口があります。また、御本尊を見つめ、御書を拝する目があります。
 命の尽きる瞬間まで、這ってでも、戦って、戦って、戦って、戦い抜いていきます。
 私は、その決意です。見ていてください。そこに、仏道が、わが人生の完勝があるからです」
(「入魂」の章、70~72ページ)

ここにフォーカス  対話の醍醐味

 英国の歴史学者トインビー博士の著書『歴史の研究』は、世界から注目を集めました。
 その最大の特徴は、「民族」や「国家」を単位とした従来の歴史学の枠組みを超えて、「文明」という単位で歴史を捉えた点にあります。「20世紀最大の歴史家」と評されるのも、その独創的な研究のゆえです。
 「対話」の章には、博士と山本伸一の対談の模様がつづられています。2人の語らいは、2年越し40時間に及びました。1度目の対談の最後、博士は伸一にこう語ります。
 「私はあなたと対話すると、啓発されます」「この対談で、自分の学問の整理が可能になりました」
 「西洋の歴史家」と「東洋の仏法者」の交わりは、新たな“知の創造”をもたらしたのです。
 相手に触発を受け、新しい発想、発見が生まれてくる。その気付きが、自身を新たなステージへと導く――ここに、「対話の醍醐味」があります。
 博士は、究極において歴史をつくるのは、「新聞の見出しとして好個の材料となるような事柄」ではなく、「水底のゆるやかな動き」と論じています。
 一人の人間の変革を促し、社会の繁栄を目指す私たちの対話は、“新聞の見出しとなる事柄”ではないでしょう。しかし、それは平和の底流をつくる“水底の動き”なのです。

半世紀超す執筆に想う 識者が語る  スコットランド ブルース伯爵
●小説のテーマに心から賛同
 スコットランドと日本との交流が始まったのは、約400年前です。スコットランドの優れた技術や教育が日本に輸入される一方、日本の文化や伝統は、スコットランドの芸術や建築に大きな影響を与えました。長年かけて、相互の信頼関係が築かれてきました。
 両国の交流史の中で、重要な役割を果たした人物が数多くいます。グラスゴー大学から名誉博士号を授与された池田博士もその一人です。
 私が強調したいのは、そうした人物の思想や行動は、時間や空間を超えて受け継がれるということです。
 例えば、幕末の教育者・吉田松陰は生前、多くの若者を指導者として育てました。その人生は、小説『宝島』で有名なスコットランド人作家のスティーブンソンによって伝記となるなど、今なお世界中の人々を魅了してやみません。
 小説『人間革命』『新・人間革命』の“一人の人間における偉大な人間革命が、一国の、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする”とのテーマも、世界に共感を広げていくでしょう。私も心から賛同します。
 私自身、2009年に行われた創価大学での式典の席上、池田博士と初めてお会いしました。博士が、難しいことも分かりやすく、また、まるで家族のように、学生一人一人に温かく語り掛ける姿を、今も忘れることはできません。
 そこで池田博士が言及されたのが、『新・人間革命』第16巻でも触れられている“トインビー対談”でした。
 私もこれまで何度か対談を読んできました。テーマが多岐にわたる内容は、色あせるどころか、世界が混迷を深めているからこそ、ますます重要性を増しています。
 昨今、私たちは気候の不安定化や急激な高齢化など、さまざまな課題に直面しています。だからこそ、対談でも言及されている通り、こうした時代の「挑戦」に対し、人類の英知を結集し、「応戦」していくことが求められています。
 スコットランドが誇る戯曲「ピーター・パン」の作者ジェームス・M・バリーは、未来ある若者に、“他者の立場に立ち、協力し合う、道徳的で偉大な人生を”と呼び掛けました。
 私も、その思いで、スコットランドと日本の未来のために、教育交流に尽くしていきたいと思います。
 Lord Bruce スコットランド日本協会名誉会長などを務める。2009年、インドネシア大学から池田先生に「名誉哲学・平和博士号」が贈られた授与式の式典に出席し、出会いを結ぶ。

 ※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。
 【挿絵】内田健一郎 【題字のイラスト】間瀬健治


【聖教ニュース】

◆南米アルゼンチンのブエノスアイレス市第12区とラヌス市が池田先生を顕彰 2020年2月19日
 平和・文化・教育への貢献をたたえ

 南米アルゼンチンの首都・ブエノスアイレス市の第12区とラヌス市から、SGI(創価学会インタナショナル)結成45周年を記念して、池田大作先生の平和・文化・教育への貢献をたたえる顕彰状が贈られた。第12区では2月1日(現地時間)、ラヌス市では1月26日(同)に授与式が行われ、SGIの代表に証書が託された。

ブエノスアイレス市の第12区から贈られた顕彰状
 ブエノスアイレス市を構成する、15のコミューン(共同体)の一つである第12区。ラプラタ川が間近を流れ、サルミエント公園やサアベドラ公園など、市民の憩いの場も多い。
 この地にあってSGIの友は、地域貢献の活動や心通う対話を実践しながら、友情と信頼を深めてきた。
 池田先生のアルゼンチン訪問から27周年の節を刻む今月、全国各地で、青年部の平和サミットを盛大に開催。ブエノスアイレスでの集いにも、市関係者ら多くの来賓が参加し、社会変革のために行動する若人の姿に感動と共感が広がった。
 SGIとの交流を通して、第12区の関係者は、メンバー一人一人の人生に希望の灯をともし続ける池田先生への敬愛と尊敬を深め、その功績をたたえることを発案。2月1日に同区のコグラン地区で開かれる行事の席上、先生とSGIを顕彰することを決定した。
 同行事には、アルゼンチンSGIのコスモポリタン音楽隊とドゥルセ・メロディーア鼓笛隊が招待され、記念演奏を披露。第12区議会のホルヘ・ガブリエル・ボルヘス議長から、SGIの発足45周年と先生の「教育・文化・世界平和への献身と闘争」をたたえる顕彰状が贈られた。

ラヌス市から贈られた顕彰状
 一方、ブエノスアイレス市の南に位置するラヌス市は、製紙や針金、繊維、ゴム製品などの生産が盛んな工業都市。1888年、市の前身であるヘネラル・パス村が建設されて以来、130年以上の歴史を刻む。
 アルゼンチンでは先月、1・26「SGIの日」を記念する集いを各地で開催。SDGs(持続可能な開発目標)に関する展示などを通して、一人の人間革命が周囲を変えゆく力であることを学んだ。
 そのうち、ラヌス市の集いには、「ジェンダー・統合・児童課」のパトリシア・ベルトラミノ副課長ら市関係者、近隣の国立アベジャネダ大学のホルヘ・カルソーニ総長ら来賓が出席。池田先生の指針を胸に、より良い社会の建設のために尽力するSGIメンバーの献身に、感謝と称賛の言葉を述べた。
 席上、先生の平和・文化・教育における行動をたたえる顕彰状がSGIの代表に託されると、万雷の拍手が会場を包んだ。

ラヌス市で行われた1・26「SGIの日」記念の集いで、池田先生の平和・文化・教育への貢献をたたえる顕彰が授与。参加者が喜びにあふれて

ラヌス市で行われた1・26「SGIの日」記念の集いで、池田先生の平和・文化・教育への貢献をたたえる顕彰が授与。参加者が喜びにあふれて


◆池田先生の初訪問から33周年――ドミニカ共和国の各地で総会 2020年2月19日

ドミニカ共和国文化会館での集い。音楽隊、鼓笛隊、婦人部コーラスの演奏・合唱が記念の会合を彩った

ドミニカ共和国文化会館での集い。音楽隊、鼓笛隊、婦人部コーラスの演奏・合唱が記念の会合を彩った

 池田先生の初訪問33周年を記念するドミニカ共和国の総会が2日(現地時間)、首都サントドミンゴ、ラベガなど4会場で開かれ、合わせて486人が参加した。
 1987年2月8日に同国を訪れた池田先生は、大統領や大臣らと会見するなど、社会に信頼の輪を広げた。
 首都サントドミンゴのドミニカ共和国文化会館では、当時、現地で先生を迎えた壮年部の友が体験発表を。入会以来、数々の苦難を信心で乗り越えてきた確信と歓喜を語り、今いる場所で広布に生き抜く決意を述べた。
 ファミリア理事長は「本年の目標である1万人への対話拡大を通じて、一人一人が人間革命の実証を示し、師匠に勝利の報告を」と訴えた。

ラベガ市内で行われた記念の集い


◆情熱燃えるスペイン 各地でリーダー研修会  2020年2月19日

かなたに「マイグモ山」を望む、アリカンテ市での研修会に集った友が、決意のカメラに納まった(1月26日)

かなたに「マイグモ山」を望む、アリカンテ市での研修会に集った友が、決意のカメラに納まった(1月26日)

 スペイン創価学会のリーダー研修会が1、2月、全国10会場で意気高く行われた。
 池田先生の講義「世界を照らす太陽の仏法」を教材に師弟共戦などについて研さん。青年部の代表が決意を述べるなど、「5・3」「11・18」へ、人材育成と弘教にまい進しようと誓い合った。
 このうち、同国南東部のアリカンテ市での集い(1月26日)では、シルビア・プイグさんが信仰体験を発表した。
 一方、サンティアゴ・デ・コンポステーラ市での集い(2月2日)では、ルイサ・サンチェスさんが活動報告した。
 両会合にはカプート理事長が出席し、激励した。

トレモリーノス市での研修会。モニカ・ディ・マルコさん、ロデリク・ゴメスさんが信仰体験を語った(1月26日)

バルセロナ会館での集いでは、ダリオ・ベネデッティさん、レジーナ・コスタさんが活動報告した(1月25日)

サンティアゴ・デ・コンポステーラ市の求道の友。一人一人が、広布に生き抜く情熱にあふれて(2月2日)

◆イタリアのラツィオ3州がSGI発足45周年記念の大会 2020年2月19日

多くのメンバー、地域住民が参加し、にぎやかに開かれたラツィオ3州合同の集い。祝賀の演奏や歌などが披露された(ローマ文化会館で)

多くのメンバー、地域住民が参加し、にぎやかに開かれたラツィオ3州合同の集い。祝賀の演奏や歌などが披露された(ローマ文化会館で)

 イタリアのラツィオ第1・第2・第3州合同の集いが1月26日、ローマ文化会館で開かれた。
 SGI発足45周年を記念するもの。これには、800人以上が集い合い、多くの地域住民らも参加た。
 集いでは、ダニエラ・ディカプア方面副婦人部長、ピエトロ・ソラーチェ男子部部長が歓迎の言葉を述べ、創価学会の理念と運動について発表。池田先生の1・26「SGIの日」記念提言の要旨を紹介した。
 その後、メッシーナ女子未来部長が、ノーベル平和賞受賞者のペレス=エスキベル博士と池田先生が2018年6月にローマの地で発表した共同声明「世界の青年へ レジリエンス(困難を乗り越える力)と希望の存在たれ!」を読み上げた。
 また代表が、植樹運動に参加した模様を報告した。
 ジェラチターノ壮年部長があいさつした。

【特集記事・信仰体験など】

◆〈2020 学会史メモリアル〉3月  2020年2月19日

 ◎3・5「壮年部結成記念日」
 1966年(昭和41年)3月5日、池田大作先生のもと、学会本部に750人の代表が集い、壮年部が結成された。
 席上、先生は“創価の城を支えゆく黄金柱になっていただきたい”“壮年部が大きく成長し、堅固な広宣流布の構えができるならば、わが創価学会は永久に盤石です”と述べ、大きな期待を寄せた。
 ※参考資料=小説『新・人間革命』第10巻「桂冠」

総大阪壮年部の幹部会(1月、大阪市の関西池田記念会館で)  

 ◎3・6 中華全国青年連合会との「交流議定書」調印35周年
 85年3月6日、池田先生は、中国青年代表団の胡錦濤団長(前国家主席)、李克強副団長(現総理)らを信濃町の聖教新聞本社で歓迎。
 この時、学会青年部と中華全国青年連合会(全青連)は「交流議定書」を調印した。本年で35周年。

 ◎3・8「芸術部の日」
 62年3月8日、「文化の世紀」の到来を見据え、池田先生のもと、20人で発足したのが、芸術部の淵源である。
 ※参考資料=『新・人間革命』第13巻「光城」

首都圏芸術部の青年研修会(2月、東京・信濃町の広宣会館で)  

 ◎3・11「小樽問答記念日」65周年
 55年3月11日、北海道小樽市の公会堂で、創価学会と日蓮宗(身延派)の正邪を決する法論が行われた。
 青年部の室長だった池田先生が司会を務め、第一声で日蓮宗側を圧倒。学会側の完全勝利に終わった。本年で65周年。
 ※参考資料=『人間革命』第9巻「発端」「小樽問答」
  
 ◎3・16「広宣流布記念の日」
 57年12月、第2代会長・戸田城聖先生の生涯の願業である75万世帯の弘教が達成された。
 翌58年3月上旬、戸田先生は、若き池田先生に「将来のために、広宣流布の模擬試験、予行演習となる式典をやろう」と提案した。
 同月16日、男女青年部の精鋭6000人が戸田先生のもとに集い、“広宣流布の記念式典”が開かれた。戸田先生は席上、「創価学会は、宗教界の王者である」と師子吼。広布のバトンを後継の青年に託した。
 ※参考資料=『人間革命』第12巻「後継」
  
 ◎3・20 対談集「21世紀への対話」発刊45周年
 75年3月20日、20世紀を代表する歴史家アーノルド・J・トインビー博士と池田先生との対談集『21世紀への対話』が発刊。本年で45周年。
 同書は世界29言語で出版されている。
 ※参考資料=『新・人間革命』第16巻「対話」

世界29言語で出版されている『21世紀への対話』  

世界29言語で出版されている『21世紀への対話』  
 
 ◎3・21「九州の日」
 73年3月21日、池田先生は第1回九州青年部総会に出席し、“生涯、誠実を貫き、立派に大成して輝かしい人生勝利を”とスピーチ。
 同総会を記念し、「九州が/ありて二章の/船出かな」との句を詠み贈った。


◆〈信仰体験〉 きずな  不登校、ひきこもりを越え、自分の愛し方を知った

 【和歌山県田辺市】「こんなに笑える日がくるなんてね」と、あかねさん(60)=地区副婦人部長(白ゆり長兼任)=が長女・紫乃さん=華陽リーダー=と、ほほ笑み合った。
 紫乃さんは小学3年から学校に行けなくなった。中学校も1年の秋から不登校に。高校は通信制。成人後も家にひきこもった。
 幼い頃から、強い光や大きな音が苦手。病院で過敏な感受性を指摘され、生きづらさを抱えた。
 苦しんだ歳月、ノートに胸の内を記し続けた。何十冊ものノートを見返して、文章にまとめるようになったのは最近のこと。会合でも語るように。
 紫乃さんの言葉と、娘を信じた母の歩みを伝えたい。

〈娘の思い〉
 小さい時からイラストが好き。でも、私が描く女の子は、みんな目を閉じたまま。実在の人を絵にもできなくて。
 人が信じられず、自分の存在も消したい。あの絵は、私の心そのものだった。
 小学生の頃、周りの言動に敏感で、人との関わりが怖くなった。家から出ず、布団の中にもぐった。周囲とは違う世界で生きている感じ。
 私は“異物”だった。
 心が追い詰められ、全てが申し訳なくなった。声を出すこと。息をすること。そして、生きることも。
 強烈な自己否定と絶望は、カウンセリングに通っても晴れることはなかった。
 ため込んだ負の感情は、爆発した。苦しむ家族を見るのがつらくて、また自分を責めた。何もかも私が悪いと感じ、体も傷つけた。
 そんな私の絶対的な味方でいてくれたのが母だった。家で一人だけ信心をしていた。
 当時、父は信心に大反対。母は壁に向かって題目を唱えていた。父に必死にお願いして、高校生の時、家に御本尊様を安置できた。私も入会した。
 いつも、布団の中で母の唱題を聞いた。よく眠れたから。なぜ、自分も唱えるようになったのかは覚えていない。“生きたい”という思いが、心の奥にあったからだと思う。
 それでも心の闇は深くて、簡単に抜け出せない。閉じこもる日々は続いた。
 人が集まる所に行くのは、すさまじい勇気がいる。それでも母に誘われ、震えるような思いで会合に行った。そこで、初めて池田先生の姿を見た。
 
「一人一人が宝の人材」
 画面に映った優しい目。耳に残った温かい声。私に呼び掛けてくれた気がして。ここは安心できる場所。そう感じた。
 調子は一進一退で、高校卒業の頃、心療内科で病名が付いた。欲しいのは、病名なんかじゃない。“自分は苦しむために生きるんだ”。縛られた考えからは、抜け出せなかった。
 「そんなふうに思わなくていいよ」
 そう教えてくれる人たちがいた。女子部の人たちだった。
 ハスの花は泥の中で咲く、と教えてくれた。
 「しのちゃんの心にも必ず咲くよ」
 そう言って、ほほ笑んでくれた。
 衝動が抑えられず、私は何度も自分を傷つけた。そんな私の手を、女子部の人は、当たり前のようにつないでくれる感じ。
 “どうして私を見捨てないの”
 ただ不思議で、うれしかった。
 笑顔で声を掛けてくれること。隣で題目を唱えてくれること。
 それは私にとって、“生きていていいんだよ”“ここにいていいよ”というメッセージになった。
 2008年(平成20年)、池田華陽会の1期生として書いた池田先生への誓い。精いっぱいの思いを込めた。

 <生き抜きます>

 先輩たちが、生きるという幸せを望んでいいと思わせてくれた。
 それからは、いろんな場所で働くことができた。
 ホテルやコンビニ、工場。環境に慣れなくて、「遅い」「できない」と言われ、傷つくことばかり。でも、それ以上に支えてくれる人がたくさんいた。
 昔は、全ての出来事が、自分を責める材料だった。でも、学会活動を通して、少しずつ、自分を褒められるようになっていった。
 自分を大切にするのは、本当に難しかった。でも、母や女子部の人たちが大切にしている御本尊様は大切にしようと思った。
 それが、私自身を肯定する出発点になったと思う。
 私が変わって、父も喜んでくれた。会合から元気に帰ってくる私を見て、快く会合に送り出してくれるように。
 家の殺伐とした空気も変わった。父は最高の理解者になって、家族を陰で応援してくれている。
 イラストで初めて現実の人を描いたのは、女子部の先輩たち。その隣には私自身もいる。
 みんな目を開き、笑っていた。母は、その小さな紙を大切そうに手に取り喜んでくれた。
 少し前、率直な気持ちを会合で話した。
 「題目を唱えながら、初めて自分の体をなでてみたんです。この耳も、この目も、この体自体が、南無妙法蓮華経の当体だと思えたのがうれしくて。私自身を初めて、いとおしく感じたんです」
 話しながら涙が出た。先輩は私以上に喜んで、目を赤くして泣いてくれた。その顔を思い出すと、今でも涙が出る。
 創価学会は、「民衆の総合大学」。
 池田先生の言葉を心から実感できる。私は、ここで自分の愛し方を知った。
 今までは、命をつなぐための題目。これからは、誰かのための題目。途方もなくつらかった経験を、苦しむ人のために生かしたい。
 過去の事実は変わらない。でも、過去の意味は変えられるから。
  
〈母の気持ち〉
 「生まれたくなかった」「なんで死なせてくれないの」。声を荒らげる紫乃さんの自傷行為を何度も止めた。母・あかねさんは家中の刃物を隠し、泣きながら唱題した。
 「苦しむわが子を救うのは、家族の祈りなんだよ」
 終わりの見えない闇の中で婦人部の皆の励ましが光だった。自分の祈りで乗り越えると決め、多くの友が陰で祈っている事実に支えられた。
 娘が部屋から出てこない時、手紙に思いを託した。読まれているか分からなくても、書き続けた。
 “私の広宣流布は、娘3人の成長。いい先輩に恵まれるように”。
 そう決めて祈り抜いた日々。次女・まどかさん=女子地区リーダー、三女・咲葵さん=女子地区リーダー=も自ら入会した。
 咲葵さんは関西創価高校へ。ダンス部で活躍し、日本一に輝いた舞台には家族全員で応援に駆け付けた。
 紫乃さんや夫・忠彦さん(60)の喜びの笑顔は、あかねさんにとって大切な宝物。「宿命転換の突破口が開かれたと思った」
 最近、紫乃さんが古い手紙を見せてくれた。紫乃さんは「一度くしゃくしゃにしたけど、捨てられなくて大事に残しておいたの」と。
 <あなたがあなたであることが、こんなに素晴らしく幸福なことだと、世界中の誰に会っても、声を大にして叫びたい。生まれてくれて、ありがとう>
 一番つらかった時の文面に改めて感じた。心は通じる。祈りは必ず届く。そして――。「生まれてくれて、ありがとう」と。

 

2020年2月18日 (火)

2020年2月18日(火)の聖教

2020年2月18日(火)の聖教

◆わが友に贈る

 感染症対策を油断なく!
 寒暖差も大きい時期だ。
 入念な手洗い・うがい
 マスク着用の励行で
 健康管理を万全に!


◆名字の言 精神科医が勧める三つの上手な聴き方

 「人は、言葉によって成長します」。そう語るのは、精神科医でカウンセラーの育成・教育に携わる高橋和巳氏だ▼例えば乳幼児期の“嫌だ”は、他人(親)とは違う自分を発見しているから。思春期の“放っておいて”は、精神的な自立の始まり。子どもは新しい言葉で表現することによって、新しい自分を見いだす。大人も、そうした“新しい言葉”を見つけることができれば、人生は劇的に変わり得ると氏は強調する▼そこで重要になるのが、聴き手の姿勢。氏は、三つの上手な聴き方として「賛成して聴く」「黙って聴く」、そして「世界を代表して聴く」を挙げる。大げさに感じるかもしれないが、自分の気持ちや悩みを語る時、人は必ず相手を選んでいる。「その時、聴き手は話し手にとって、『世界を代表する人』として選ばれているのです」(『精神科医が教える聴く技術』ちくま新書)▼相談は、相手からの信頼の証し。忙しい日々の中でも一人一人、心を込めて向き合いたい。法華経に説かれる観世音菩薩は、人々の悩みや苦しみの声を聴き、それに合わせて33の姿を現じて法を説く。あらゆる苦悩を救う力があり、大慈悲心の体現者とされる▼全ては「聴くこと」から始まる。“観世音の心”で、友の声にじっと耳を傾けよう。(誼)


◆寸鉄

腹を決めよ!決まったら
勇ましく進め―戸田先生
誓願の友に破れぬ壁なし
     ◇
「九州壮年部の日」。誠実
の振舞で信頼結ぶ広布の
黄金柱。先駆こそ誉れと
     ◇
火災多発。暖房使用時は
確認また確認。ストーブ
などは完全消火を絶対に
     ◇
75歳以上の運転による死
亡事故が依然深刻。「人
命第一」で懸命な判断を
     ◇
成田空港で覚醒剤の密輸
摘発が過去最多と。人生
狂わす魔物だ。断固、根絶


【先生のメッセージ】

◆〈心に御書を〉21 幸福を創る源泉は「心」2020年2月18日

御文
 わざわいは口より出でて身をやぶる・さいわいは心よりいでて我をかざる(十字御書、1492ページ)
通解
 災いは、口から出て身を破る。幸いは、心から出て自身を飾る。
〈池田先生が贈る指針〉
 幸福の源泉は「心」だ。聡明な心は希望を創り、連帯を広げる。強き心は困難を乗り越える。
 この「心」を磨くのが、日々の題目である。行学の実践である。
 信心という「太陽の心」で、家庭も地域も社会も、明々と照らしていこう! 誠実な言葉、励ましの言葉、勇気の言葉を大切に、負けない力を漲らせながら。


【教学】

◆〈ロータスラウンジ――法華経への旅〉第13回 法師品第十㊤
 受持とは形式ではなく、仏の心を受け、仏の慈悲を生きぬくこと

■大要
 「法師品第十」から、菩薩を聴衆に、釈尊の滅後における「法華経」の弘通について語られます。
 釈尊が菩薩たちに、「未来に『法華経』を聞いて歓喜する人は皆、仏になることができると、記別(仏が弟子の未来の成仏を保証すること)を授けよう」と語ります。
 さらに、「私の滅後に、『法華経』を弘める人たちへの迫害は、私がいる時代以上に激しくなるのだ」と教え、それらの苦難に耐えて、万人に成仏の道を開く「法華経」を弘めていくよう勧めていきます。
 それでは内容を追ってみましょう。

●シーン1
 その時、釈尊が薬王菩薩ら8万の菩薩たちに告げます。
 「ここには、あまたの諸天や鬼神、人間や人間でないもの、そして男女の出家者や在家の者、また、さまざまな覚りを目指す求道者がいる。
 これらのものが、仏の前で『法華経』の一偈一句でも聞き、一瞬でも歓喜するならば、私は“確かに覚りを得られるであろう”と、記別を授けよう」
 
 法華経には、あらゆる差異を超えて、一切を成仏させる力があることが示されます。
 さらに、釈尊の滅後のことについて、薬王菩薩に告げます。
 「仏の滅後であっても、同じように『法華経』の一偈一句でも聞いて一瞬でも歓喜するものには、“仏になれる”と記別を授けよう」
 つまり、法華経は未来にあっても、万人成仏の道を開く経典であることが示されます。

●シーン2
 未来に法華経を受持し弘める法師たちのことが語られます。
 「もし、『法華経』の一偈でも、受持・読(経文を見ながら読む)・誦(経文を暗唱する)・解説
げせつ(化他のために法を説く)・書写の五つ(五種の妙行)を修行し、法華経の経典を仏の如く敬い、供養するものがいるならば、それらのものは、かつて十億万の仏に仕えて大願を成就した後、衆生をあわれむために人間の中に生まれてきたと知るべきである。
 薬王よ。未来において仏になれるのはどういう衆生かと聞かれれば、まさに、この人たちである」
 「自ら仏国土に生まれる功徳を捨てて、私(釈尊)の滅後に、衆生をあわれむが故に悪世に生まれ、一人のためにも『法華経』の一句でも説く善男子・善女人(法華経を信じる男女)は、如来(仏)の使いであり、如来に遣わされて、如来の事を行ずる人であると知るべきである」
 「もし悪人が悪意をもって、一劫もの長い間、仏の面前で仏を罵倒し続けても、その罪は軽い。
 むしろ在家であれ、出家であれ、『法華経』を読誦する人を損なう罪の方が甚だ重いのだ」
 「『法華経』を読誦する人が歓喜して法を説き、人々がそれを一瞬でも聞くことができれば、覚りを得ることができるからである」
 滅後に「法華経」を弘める人は、仏の使いとして、仏のなすべき事を行う人であることが明かされます。

●シーン3
 その時、釈尊は薬王菩薩に告げます。
 「私が説く経典は無量であり、すでに説いたもの、今説いているもの、これから説くもの(已今
当)があるのだ。
 その中にあって、『法華経』が最も信じ難く、理解し難いのである」
 次に、弘通の困難さが語られます。
 「秘蔵の法である『法華経』は、仏の在世ですら怨嫉が多い。いわんや私の滅後はいうまでもない(如来現在猶多怨嫉。況滅度後)」
 しかし法師は、仏に守られることが示されます。
 「私の滅後、『法華経』を五種によく修行して供養し、他人のために説くならば、その人を仏は自らの衣で守り、他の国土にいる仏たちも守るのである。
 その人は、大信力、志願力、緒善根力を具えている。その人は、常に仏とともにあり、仏の手で頭をなでられる(ほめたたえられる)存在であると知りなさい」

●シーン4
 続いて「法華経」が、求道の人にとって、成仏に至る道を開く教えであることが、譬えを通して語られます。
 ――例えば渇きを感じた人が、水が欲しいと、高原で穴を掘っていたとしよう。
 乾いた土が掘り出されるのを見て、水はまだ遠いと知るであろう。
 さらに掘り進めていき、湿った土、そして泥に到達したら、水は必ず近いと知り、心が定まって掘り進められるであろう――。
 「菩薩もこのようなものである。
 『法華経』を聞き、理解し、修行することがなければ、覚りから遠ざかるのである。
 『法華経』を聞き、理解し、修行するなら、必ず覚りに近づく道に入ったと知ることができるのである」
 「一切の菩薩が覚りを得ることができたのは『法華経』の故である。この経は、方便の門を開いて、真実を示しているからである。
 『法華経』に秘められた法は、奥深いので到達するものはいないのである。しかし今、仏は菩薩を教化するために開き示すのである」
 このように、「法華経」によって成仏の道に入っていけることを示します。

●シーン5
 続いて、善男子・善女人が、如来(釈尊)の滅後、四衆(男女の出家・在家の弟子)のために「法華経」を説くことを願うならば、どのように説くべきかについて述べます。
 「如来の室に入り、如来の衣を身につけ、如来の座に坐して、四衆に広く説くべきである」
 「如来の室とは、一切衆生を救わんとの大慈悲心である」
 「如来の衣とは、柔和忍辱の心である」
 「如来の座とは、一切法が空であると覚ることである」――と、「衣座室の三軌」が示されます。
 そして「怠ける心を起こさずに、『法華経』を説きなさい」と、滅後の弘通を勧め、最後に、「私が説法の場に聴衆を遣わし、さらに、もしも説法する者が語る言葉を忘れたなら助けるのである」と、どこまでも弘通の法師を大切にし、守っていくことを訴えています。(㊦に続く)

【『法華経の智慧』から】 「真実を語る」ことが折伏
 仏の心を生きるのです。「すべての人を救いたい」「一切の衆生を仏に」という仏の誓願に生きるのです。それが、「受持」等の五種の修行の根っこです。形式的に法華経という経巻を所持したり、読誦したり、解説することではない。仏の心を受け、仏の慈悲を生きぬくのです。
                     ◇ ◇ ◇
 折伏とは「真実を語る」ことです。法華経は真実を説いているので「折伏の経典」と呼ばれる。
 末法においては、法華経の真髄である「南無妙法蓮華経」のすばらしさを語り、広げていく行動は、全部、「折伏」です。
                      ◇ ◇ ◇
 (折伏をしている)人は「如来の使」であり、仏のごとく敬わなければいけない。それが法師品の心です。この心があるところに、福運はつくし、勢いがつく。結果として、多くの人を救っていけるのです。
 広宣流布に生きている学会員を、仏のごとく大切にする。その心が分かれば、法師品は、否、法華経は分かったことになるのです。(普及版<上>「法師品」)

【コラム】 法師――求道者であり救済者
 「法師」とは、仏法を教え導き、人の師となり得る人との意味です。
 その上で、法師という言葉には、「法を師とする人」(求道者)と、「師となって法を弘める人」(救済者)という両面の意味があるのです。
 池田先生は、この法師の意味について語っています。
 「『求道』の面を忘れれば傲慢になるし、『救済』の面を忘れれば利己主義です。学びつつ人を救い、人を救うことで、また学ぶのです。『求道』即『救済』、『救済』即『求道』です。ここに、人間としての無上の軌道がある」
 例えば私たちも、自分が体験談を読むことで、“この体験を伝えたい”と思うことがあります。また、友の悩みを聞き、“同じ悩みを抱える人への指導を探そう”と必死に学び、語ることもあるでしょう。
 自他共の幸福を目指す弘教に挑戦する人は、人間として無上の軌道を前進しているのです。

【聖教ニュース】

◆ボリビア・開発イノベーション大学が池田先生に「名誉博士号」を決定 2020年2月18日

 南米・ボリビア多民族国の第2の都市・サンタクルス市に立つ開発イノベーション大学から池田大作先生に、同大学初となる「名誉博士号」が授与されることが決定した。
 平和・文化・教育への比類なき貢献をたたえるものである。
 このほど、同大学のホセ・アントニオ・デ・チャサール総長から決定通知書が寄せられた。 

 

 

美しき雄大な高原が広がるボリビア。

 国内の主要都市の約半分が、標高2000メートルから4000メートルに位置する。ラパスは、“世界一標高が高い首都”と呼ばれる。

 絶景のウユニ塩湖や世界遺産に登録されている古都スクレなど、豊かな自然と名所で知られる同国にあって、サンタクルス市は標高400メートルと比較的に低い地域である。
 そのため、同市は各地への主要な経由地となり、経済の中心地として栄え、近年は人口が増加。都市化が進んでいる。

経済・産業に寄与する人材を育む新進気鋭の学府――ボリビア・サンタクルス市の開発イノベーション大学のキャンパス

経済・産業に寄与する人材を育む新進気鋭の学府――ボリビア・サンタクルス市の開発イノベーション大学のキャンパス

 発展を続ける同市に2012年、産声を上げたのが開発イノベーション大学だ。
 変化が速いグローバル社会にあって、経済・産業に寄与する人材の育成を目的に創立され、チームワーク、信頼関係、仕事への情熱、向上心、そして奉仕の精神を教育の理念に掲げている。
 経営、工学、ガストロノミー(美食)・観光、情報・テレコミュニケーション(電気通信)の4学部を擁し、各種コースや専門の講座も設けられ、約1600人が専門的知識を学び深めている。

開発イノベーション大学の学生たちがキャンパスでデ・チャサール総長(左端)と語り合う

 開学間もない大学だが、“傑出した専門家を養うために必要な全ての教育を与える最高の環境”“国内外の企業や国際機関から卒業生の目覚ましい活躍に称賛が寄せられている”“ボリビアで最も革新的な大学へと成長しゆくだろう”と、ジャーナリストや起業家などから高く評価されている。
決定通知書「池田博士はグローバル課題の解決の道を切り開いてきた」
 今回、同大学から送られてきた池田先生への決定通知書には、次のように記されている。
 「私立大学総則に照らし、大学の哲学、原理、目的に則って、傑出した個人の努力をたたえるために、その使命とビジョンに値する名誉教職を定めています」
 「池田博士は、これまで国家間の融和を促進し、人類が直面しているグローバルな課題の解決のための道をリーダーとして切り開き、人間主義の哲学者、平和主義の哲学者として、活動を展開してこられました」
 「その国際的に顕著な人間性によって、名誉博士号の授与にかかる全ての要件が満たされました。よって、ここに開発イノベーション大学初の名誉博士号の授与を正式に通達します」


◆ロシア民族友好大学が創立60周年 記念行事に創価大学代表が出席 2020年2月18日

6日にロシア民族友好大学で行われた分科会で講演する創価大学の小山内国際部長(左端)

6日にロシア民族友好大学で行われた分科会で講演する創価大学の小山内国際部長(左端)

 ロシア民族友好大学の創立60周年を記念する国際会議・記念式典が6日から8日までモスクワの同大学と国立クレムリン宮殿で開催され、創価大学の小山内国際部長らが出席した。
 6日の国際会議では、各国の大学や学術機関による基調報告等が行われた。分科会では、小山内国際部長が創大の理念とさらなるグローバル化への展望について発表した。
 創大の一行は同日、ロシア民族友好大学のフィリッポフ総長と会見。総長は、両大学間で学生や教員の交流などが盛んに行われていることに触れ、「池田先生に感謝を申し上げたい」と語った。
 また一行は10日、モスクワ大学のサドーヴニチィ総長、ルースキー・ミール基金のシュルイギン副理事らと懇談。創大と今後も長く友好を築きゆくことを確認した。


◆「世界広布の先駆」の誉れ 拡大に走る青年部の友・沖縄編 2020年2月18日

 沖縄の友は今、伝統の「桜満開月間」を破竹の勢いで前進する。
 この時期、全国に先駆けて桜が咲く沖縄を池田先生は幾度も訪れた。17度目の訪問となった2000年2月の「世界青年平和大文化総会」。フィナーレで先生は、立ち上がり、両手を上げて、後継の若人と一緒にカチャーシーを舞った。“師弟のカチャーシー”として、沖縄の友が心に刻む歴史である。
 先生は後日、同志に和歌を贈った。「沖縄が/世界で初の/広布をば/成就せむとの/文化祭なるかな」
 師弟の原点から20星霜――師から託された使命を胸に、沖縄健児は舞を舞うがごとく朗らかに対話に走り、広布の裾野を広げる。
 先生の沖縄初訪問60周年となる7月へ、友は新たな師弟勝利の劇をつづる。
新たな人材と師弟勝利の舞を!

新たな人材が躍動する沖縄世界県男子部の友が拡大の喜びにあふれて

 “世界広布の前進は、自身の人間革命から”との気概で進む沖縄男子部。中でも弘教と人材の拡大で勝利をけん引するのが沖縄世界県の友だ。浦添市をはじめとした地域に広がる同県。「一対一の励まし」に力を入れ、毎週日曜朝の勤行会を広布伸展のリズムに、友人との対話、メンバーの激励に走っている。
 大山本部の仲間圭佑さん(本部長)は率先の対話で弘教を実らせ、折伏の歓喜を同志に語り伝えてきた。
 すると拡大の息吹がメンバーにも波及。昨年、本部で「部1」の弘教を達成し、「部2人」に迫る男子部大学校生を輩出することもできた。
 また、今月11日に「広布十傑」を達成した浦添本部では、昨年から活動者が倍増した。新垣智大さん(男子地区リーダー)も新たに立ち上がった一人。高校に入学したが、周囲になじめず中退。以来、人と接するのが苦手になり、家に引きこもるようになった。
 そんな彼のもとに河野正治さん(部長)が足しげく通った。河野さんの熱意が凍てつく新垣さんの心を溶かし、新垣さんは、“自分も人を励ませる人になりたい”と先輩と一緒に友の激励に歩くようになった。あきらめていた学業にも挑み、昨秋、通信制の高校を卒業した。さらなる成長を期して来月、男子部大学校に入校する予定だ。

温かな励ましで華陽の連帯を広げる那覇王者県女子部

 沖縄女子部では、白蓮グループの友の躍進が目覚ましい。特に那覇王者県は昨年、25人の新時代1期生を輩出。2期生もそれに迫る勢いで、人材の花園を広げている。
 嘉手納真紀さん(県女子部長)は語る。
 「リーダーが粘り強く激励に足を運ぶ中で、一人また一人と立ち上がり、その一人が『励まされる側』から『励ます側』へと成長していきました」
 白蓮グループで班長を務める寄川みきさん(部長)は2年前、ワーキングホリデーで韓国へ。しかし、環境の変化や人間関係に悩んで、予定よりも早く帰国することになった。将来に不安を抱いていた寄川さんを女子部の同志は温かく包み込んだ。
 「もっと強い自分になりたい!」と、寄川さんは学会活動に積極的に参加するようになり、昨年、白蓮グループの新時代1期生に。任務を通して、“人のために尽くす心”を胸に刻んだ。そして努力の末、祈った以上の好条件で転職が決まった。信心の確信を深めた寄川さんは今、広布のリーダーとして周囲に希望を送る。
 御書に「人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし」(1598ページ)と。他者に尽くす中で自身も輝く。沖縄女子部は自他共の幸福のため、希望の連帯を広げる。

わんから(自分から)の心で折伏に挑む沖縄学生部
 拡大の勢いを増す沖縄学生部。その原動力が1年生の躍動だ。
 昨年に結成された1年生人材グループ「沖縄普賢塾」は、仏法対話に挑戦する人材の輩出で全国をけん引している。
 専門学校に通うある1年生は、早朝から夜遅くまで勉学に励む多忙な毎日。そんな彼を学生部の先輩は、「忙しいからこそ、一日一日を最高に価値的にするために信心が必要なんだ」と励ました。
 その先輩も、勉学、クラブ活動、アルバイト、そして学会活動に、真剣な祈りと行動で挑み抜いていた。
 激励に奮起した1年生は、朝早く起床し、決意を込めた祈りから一日を出発。学生部の集いがあれば、時間をやりくりして駆け付けるようになった。「学会活動があるから、勉強にも生活にも“勝負感”が生まれました」
 そして、祈り努力した末に、先日、公務員試験に合格し、夢への一歩を踏み出した。
 さらに、対話を続けていた友人が「人生を前向きに生きたい」と入会を決意した。
 その人間革命の劇は、同世代のメンバーに触発を与え、“自分も信心で成長したい”と折伏に挑む1年生が昨年から倍増した。
 沖縄学生部は、“皆が前進! 皆が人材!”の心意気で広布の道を先駆ける。


【特集記事・信仰体験など】

◆SDGsを巡って青年部がインタビュー  UNDP(国連開発計画)駐日事務所 近藤哲生代表に聞く

 2030年を目標とする国際社会の指標であるSDGs(持続可能な開発目標)が国連で採択されてから、本年で5年。期限まで10年となり、あらゆる人々が達成に向けた努力を強めていくことが必要になっている。池田先生はこれまで、SDGsの推進と国連の取り組みを支援し、具体的な提案を重ねてきた。本年1月に発表した「SGIの日」記念提言では、目標達成への道は決して平坦なものではないとしながらも、「青年たちの連帯がある限り、乗り越えられない壁など決してない」と訴えている。「誰も置き去りにしない」を理念に掲げるSDGsの概要や今後の課題などについて、青年部がUNDP(国連開発計画)駐日代表事務所の近藤哲生代表に聞いた。

志賀青年部長
 志賀青年部長 SDGsという言葉は最近よく聞きますが、「持続可能」という言葉が分かりにくいという声もあります。“「続かない」世界を「続く」世界にしていく目標”という説明もされますが、どういうことでしょうか。

近藤代表
 近藤代表 「持続可能」という言葉が国連で頻繁に用いられるようになったのは、1992年にブラジルのリオデジャネイロで行われた「国連環境開発会議(地球サミット)」からです。
 70年代から世界各地で公害などの環境問題が深刻化し、“このままで地球は大丈夫なのか”という議論が起きてきました。ただ当時は、地球温暖化に対しても、“これまでも存在した地球の気温変化の一環である”という楽観的、懐疑的な見方が強かったのです。
 その後、研究が進み、人類は自然の「再生能力」を超え、地球が生産できる以上の資源を消費していることが分かってきました。その中で、未来の世代が必要とする資源を使い切ってしまうことなく、現在の世代の必要を満たす(=持続可能)という発想が生まれてきたのです。
 一方、私どもUNDPの任務でもある「開発」は、主に世界から貧困と格差をなくそうという取り組みです。貧困の撲滅には産業や農業を興す必要があるため、エネルギーや自然の恵みを消費することになり、結果として地球の寿命を縮めるのではないか、という懸念があります。
 そうならないように、最低限の環境負荷で人々が幸せに生きられる生活を目指すのが「持続可能な開発」の考え方であり、UNDPはその推進を担ってきました。

小松女性平和文化会議議長
 小松女性平和文化会議議長 SDGsは17の目標と169のターゲットという数が示すように、テーマが非常に広範囲にわたっていますね。
 
 近藤 SDGsの基本理念は「誰も置き去りにしない」社会であり、扱う範囲は人間の生活全般に及ぶため、多岐にわたります。ただ、17の目標は無作為に並んでいるわけではありません。
 大ざっぱにいえば、目標1から6は人間生活に必要な基本的な事柄であり、7から12は経済活動や社会の在り方に関するもの、13から15は環境を扱っています。
 さらに、目標16は15までの目標達成を支える土台として、国や司法機関などが信頼できるものであるようにとうたっています。そして目標17は、全ての目標を皆で協力して達成するべく、幅広い連携を呼び掛けています。

 志賀 各目標を見ると、どんな人も、全く関わりのない目標はないように思います。
 
 近藤 SDGsの特徴の一つは、各目標の推進が互いに関連し合っていることです。
 例えば、目標3「すべての人に健康と福祉を」では、妊産婦の死亡率低減を掲げています。私がかつて赴任したアフリカのチャドという国は、気温が50度を超えることもあり、衛生状態が悪い上に医師も足りず、病院の設備も整っていませんでした。そのため、子どもを産むことで命を落とす女性が非常に多くいたのです。
 この状況を解消するには、医療環境を改善するだけでは不十分です。
 女性にとって教育を受ける機会があり(目標4「質の高い教育をみんなに」)、結婚を強要されず、女性と女児への差別をなくす(目標5「ジェンダー平等を実現しよう」)ことも保証されなければ、十分な成果は期待できません。

気候変動問題の打開に向け、140以上の国・地域から代表が参加した国連のユース気候サミット。SGIの代表も出席した(昨年9月、アメリカ・ニューヨークの国連本部で)

気候変動問題の打開に向け、140以上の国・地域から代表が参加した国連のユース気候サミット。SGIの代表も出席した(昨年9月、アメリカ・ニューヨークの国連本部で)

 小松 その通りですね。日本においては、SDGsの進捗状況はどうなっているのでしょうか。
 
 近藤 ドイツの研究機関「ベルテルスマン財団」が発表している指標(2019年)によると、日本のSDGsの進捗評価は世界で15位になるそうです。個人的には、もう少し順位が高くても良いのかなと思いますが、ジェンダーや気候変動への取り組みが弱点となっています。
 採択から5年が経過し、SDGs自体の認知は国際的にある程度高まり、地球の状態に対する危機感も世界的に共有されてきていると感じます。しかし、このままでは目標達成は難しいという認識が一般的です。そうした危機感から国連では、具体的な取り組みを加速させるために、グテーレス事務総長が「行動の10年」を提唱しました。その1年目が今年です。
 
2030年 SDGsの達成へ 自分にできる10年の挑戦を 

 志賀 創価学会青年部でも本年、SDGsが決勝点として掲げる2030年を目指し、その普及・推進を一つの柱とする運動「SOKAグローバルアクション2030」をスタートしたところです。
 
 近藤 数百万人の青年がそうした関心を持ってくださることは、国連としては大変にありがたいことです。創価学会のような大きな団体が、SDGsの推進を活動の一つの目標に据えていただく影響は、計り知れないものがあります。
 17の目標全てを一人で取り組むことは難しいかもしれませんが、自分に関連する分野で“10年後には社会や周囲にこれだけの変化を起こしていこう”と決めて行動し、時々振り返り、さまざまな境遇の方々と語り合っていくことが大事であると思います。
 UNDPは、FBO(信仰を基盤とした団体)とも連携しながら世界で活動を進めています。今回の皆さまの取り組みが、国連がFBOと協力したことによって進めることができた模範の事例になればと願っています。

学生部が主催したSDGsを巡るシンポジウム。メンバーの代表が目標達成に向けてアイデアを提案し、識者を交えた議論が行われた(昨年12月、都内で)

 小松 FBOと国連の協力の話がありましたが、これまでの活動で、FBOとの連携が良い結果をもたらした事例には、どのようなものがありますか。
 
 近藤 宗教者との連携が重要になる場面の一つが平和構築です。戦争を経験した地域では、たとえ和平合意が成立しても、家族を失った悲しみや家族に手を掛けた人間に対する恨みは消えません。その中で紛争が再発しないよう、人々の心も生活も安定させなければなりません。こうした場面で、宗教は重要な役割を担います。
 アフリカのチャドでは、遊牧民族と農耕民族の争いが続いています。同国には乾期と雨期があるのですが、乾期は水がなくなるため遊牧民が水を求めて南下します。しかし南には、農業を営んでいる人たちがいる。そこに遊牧民が動物を連れて入ってくると、作物を食べ、水場も取ってしまう。さらに言葉も通じないため、容易に激しい紛争になりがちなのです。
 そうした状況で平和を構築するには、紛争の原因となっている人々の生活の在り方そのものに立ち入らなければなりません。人々の生活に深い関わりを持つ宗教リーダーが立ち会うことで、双方とも冷静になり、相手に対する思いやりを持って接することができた場面を、私自身、何度も目にしました。

 志賀 池田先生は本年の「SGIの日」記念提言で、気候変動問題に言及しています。気候変動に立ち向かう上で、数字の目標を追求するだけでなく「問題解決を通して実現したい世界のビジョンを分かち合いながら、その建設に向かって意欲的な行動を共に起こすこと」が大切であると指摘しました。
 
 近藤 池田会長の提言は、私も深い共感とともに拝見させていただきました。
 アメリカ航空宇宙局(NASA)が月面に人間を送ることを計画した当時、“そんなことに大金を使って、人の生命も危険にさらしてどうする”という声も多かったようです。しかし実現すれば大変な変化を与えるということで、ケネディ大統領は計画を支持した。
 非常に難しい計画だけれども、実現すれば非常に大きな影響をもたらす――そういった挑戦を「ムーンショット」と言いますが、まさにSDGsはそれに当たると思います。
 状況は困難ですが、悲観するのではなく前向きに、人々の取り組みで必ず乗り越えていけるという楽観を持つことが大切でしょう。とりわけ若者こそ運動のリーダーです。
 10年後に高々と凱歌を上げられるよう、今後も皆さんと協力していきたいと思います。

◆〈壮年部のページ〉

 「苦労こそ財産」といわれますが、特に折伏の際には、全ての経験がプラスに生きてきます。苦境を乗り越え、最前線で戦う壮年部員の体験を紹介します。

学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A  2
 今、全国の同志が取り組んでいる弘教拡大には、どのような功徳があるのでしょうか。折伏に挑戦することで、自分はいかに変わっていくのでしょうか。壮年部指導集『黄金柱の誉れ』から、池田先生の指導を通してお答えします(指導集155ページから157ページまでを抜粋)。

●テーマ 弘教拡大  折伏の功徳とは

人生の豊かさが無限に広がる
 偉大な人生を歩むためには、折伏が大切なのです。
 一人の人の一生は、長いようで短い。そのなかでみずから体験できることは限られている。
 しかし、一人また一人と、他の人の悩みをわが悩みとして、共に祈り、共に戦い、共に勝ち越えていけば、人生の豊かさは、二倍、三倍、十倍、百倍と無限に広がっていく。
 ほかの人のために悩んだ分だけ、戦った分だけ、「心の財」を積むことができる。そして、どんなことが起ころうとも揺るがぬ幸福境涯を確立していくことができるのです。
 (『池田大作全集』第33巻「御書の世界」)
  
生命が鍛え上げられる
 大聖人は、折伏行の利益として、涅槃経をあげ、「金剛身を成就すること」(御書235ページ)であると示されています。折伏を行ずる人は、誰人も破壊することのできないダイヤモンドのごとき生命をつくり上げることができるのです。
 慈悲の戦いを起こすことで、私たちは自分自身に潜む惰性、油断、臆病などの生命の錆
さび
を落とすことができる。一人を救おうとする智慧の闘争を貫く人は、人間を束縛する固定観念、人間を疎外する不信の無明を破ることができる。
 (『池田大作全集』第34巻「開目抄講義」)
  
一族、子孫をも守っていく
 スポーツとかピアノとかでも、しょっちゅうやっていれば、力がつく。それと同じように、折伏も、できるときにやっておくことです。その福運が、自分の一族、子孫をも守っていくのです。
 ともあれ、折伏を地道にやってきた人は、福運の土台がコンクリートのように固まっている。強い。魔に破られない。弘教の修行を避けた人は、どんなに偉くなっても、メッキのように、いざという時に堕ちてしまう。
 (『池田大作全集』第31巻「法華経の智慧」)
  
自分自身が浄化されていく
 「人を幸せにしたい」と祈り、動くなんて、この末法の世界で、こんな尊い人々はいない。真心から法を説いても、たいていは悪口を言われる。侮辱されることもある。それでも、何も分からない子どもを親が慈
いつく
しむように、包容しながら対話していく。菩薩です。地涌の菩薩にあらずんば、できるはずのない聖業です。
 大事なことは、悪口を言われるたびに、自分自身の生命が浄化されていくということです。だから戸田先生も「折伏のためにせらるる悪口は、心から感謝しなくてはならない」と言われていた。「悪口せらるることによって、われわれの身体の罪障が消えて、幸福生活へとばく進することができるからである」(『戸田城聖全集』1)と。
 (『池田大作全集』第31巻「法華経の智慧」)

◆〈信仰体験〉重症筋無力症になった旅館のおかみ 心が軽やかに笑えばいい
 今、共に励ましを送る太陽の地区婦人部長に

 【山形県・庄内町】かつて温泉旅館のおかみとして働いていた、多久和恵子さん(68)=地区婦人部長=は、笑みを絶やさない“おもてなし”を心掛けてきた。それが自分の“取りえ”だと思っていた。だが、「重症筋無力症」という厚生労働省の指定難病が、そのかけがえのない笑顔を奪い去っていく――。

 こぢんまりとした温泉旅館は、質素で飾り気がなかった。そこに香りと色を持ち込んだのは、多久和さんだった。レンギョウ、ナンテン、ヤマツツジなど、四季折々の山野草を飾った。
 河原や山に分け入り、花を摘む姿は、周囲によく知られた。冬にサクラを咲かせるなど手間を掛け、彩りは空間を、来客の心を華やかにした。「また楽しみに来たよ」と言ってくれる常連客。ほっとする雰囲気があった。
 もっと親しまれるようにと、夏はビアガーデン、冬には庄内の味覚である寒だら祭りを企画。地域に親しまれる恒例行事になった。多忙ながら、精力的に仕事をこなす多久和さんは、やりがいを感じていた。
 違和感が生じたのは2015年(平成27年)3月の歓送迎会シーズン。お膳を片付け、下を向いた瞬間、頭に血が上り、顔が真っ赤に。首が上げられず、手で支えざるを得なくなった。
 休憩室に顔を出し、「なんか、おかしいのー」。そう言ったつもりだったが、ろれつが回っていないことに、自分も周囲も気が付いた。すぐに総合病院へ。神経内科で「おそらく重症筋無力症」と告げられ、検査でも間違いないとされた。さらに胸腺に腫瘍が見つかり、手術が必要とされた。
 重症筋無力症は、末梢神経と筋肉のつなぎ目に障害が生じる自己免疫疾患。全身の筋力が低下したり、まぶたが垂れ下がったり、手足のまひやもつれなど、症状は多岐にわたる。多久和さんの場合、首から上の筋肉が動かなくなった。
 赤ん坊のように首が据わらず、表情筋を動かすこともままならない。旅館に連絡し、治療に専念することを告げた。もう旅館でお客を迎えることができないと思うと、“生きがい”の糸が、ぷつんと切れたようだった。「私の人生は幕が下りたんだ」。虚脱感に覆われた。

 御本尊の前に座った。走馬灯のように、これまでの歩みが浮かんだ。
 人前で話すのが好きで、最初に就いた仕事はバスガイドだった。その後、ホテルのラウンジで働き、20歳で料理人の夫・敬一さん(70)=壮年部員=と結婚。妊娠が分かると、靴下を編んで、わが子との対面を楽しみにした。
 生まれてきた長男には、口唇口蓋裂があった。学会員だった夫の元を同志が訪れ、一緒に励まされた。母子で創価学会に入会し、“代わってあげたい”との悲痛を、強き祈りに変えた。何度も続く手術を、一つ一つ乗り越えていった。
 40代を目前に、夫婦は大きな飲食店を構えた。連日盛況で従業員を増やしたものの、丼勘定の経営は行き詰まり、4年で多額の借金を抱えた。それから返済のために働き詰めの毎日。病が発症したのは、完済して間もない頃だった。
 学会の同志へ電話をかける。すぐに駆け付け、親身になってくれた。ろれつが回らず、声にならない唱題は、何日も続いた。“なんで私に”としか考えられなかったが、いつしか御本尊への感謝が込み上げ、祈りの方向を変えた。“私が変わるためのチャンスなんだ”
 「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」(御書1124ページ)の御文を拝し、懸命に祈り続けた。手術までの3カ月は、心ゆくまで題目を唱えた。
 胸腺腫の切除手術は成功。その後、1カ月間の放射線治療を受けた。術後2日で、話せるように。ぐらぐらした首も力を取り戻した。“このまま良くなる”と膨らむ期待。だが、1カ月後、再びろれつが回らなくなった。
 何度も鏡をのぞき込む。“動け、動け”。筋肉に伝わるように、念じる。だが引っ張っても、持ち上げても、表情筋はすぐに元に戻ってしまう。自分の顔なのに、言うことを聞いてくれない。能面のような表情にがくぜんとした。
 かつて働いていた時の写真と見比べた。“こんなに笑えていたのに”。自信を失い、人目を避けるように過ごした。“やっぱり治らないんだ”。宿命の重みに打ちひしがれた。

 心を閉ざす多久和さんを、学会の同志は放っておかなかった。足しげく自宅を訪ねては、「行ぐぞー」と会合に誘った。ある日、気乗りはしなかったが、地区の集いに参加すると、皆が拍手で迎えてくれた。どの顔も多久和さんの回復を応援し、祈ってきた人たちだった。
 帰り道。歩きながら、誘ってくれた同志に聞いてみた。「私の笑った顔、変だったでしょ?」。即座に「なんでもね」とそっけない返事。その一言に励まされた。
 それまで「良くなることのない病です」との医師の言葉に、なるべく疲れないように過ごすしかないと悲観していた。
 それが学会活動に歩くと違った。皆に必要とされた。人の輪に飛び込むと、「皆の顔を見るのが、楽しくて楽しくて」しょうがなくなった。
 池田先生の指導を胸に刻んだ。「病気との闘いを、宿命転換の好機と定めていく。その強き一念が、障魔を打ち破り、崩れざる幸福への軌道を広げていく」
 どう見られるかなんて関係ない。そう思えると、多久和さんらしさが開花していく。相手が望むことを察知し、行動に移す心配り。旅館で培った、さりげない所作。自然と体が動いた。
 ある日、気付いた。普段ならば、夕方にはろれつが回らなくなるはずが、快調なまま。明くる日も変わらなかった。「私、良くなってる!」。不可能を可能にできた喜びがあった。
 歓喜の歯車がかみ合い、さらに活躍を広げる。4年前、地区婦人部長に就いた。こまめに同志の元を訪れ、語らいがはずむ。いつしか口元を隠していたハンカチがいらなくなった。多久和さんの人柄にひかれ、悩みを打ち明けてくれた友人に弘教が実った。
 地区の同志と苦楽を共にできる喜び。池田先生と一緒に広布に歩む使命。どれも5年前には、想像すらできなかった。
 依然として、口角は上がらず、表情にぎこちなさがあるという。だが、周囲は「いつも明るくて励まされる」と口をそろえる。
 「心から笑っていれば、それでいいの。そう思えるようになったんです」。人なつこい庄内弁には、軽やかな楽観主義の響きがあった。

2020年2月17日 (月)

2019年2月17日(月)の聖教

2019年2月17日(月)の聖教

◆今週のことば

 「一文一句なりとも
 かたらせ給うべし」
 声が仏の仕事を為す。
 誇りと自信をもって
 希望の大哲学を語れ!
 (御書1361ページ)


◆名字の言 飛行機が飛べるようになったのは、なぜ?

 上空に小さく見えるジェット機。なぜ、あんなに重そうな“機械”が空を飛べるのか不思議に思うことがある。ライト兄弟の有人動力飛行から117年。考えてみれば、人類史のほとんどで、人は空を飛べないのが“常識”だった▼有史以来、多くの人が空に挑んでは失敗し、嘲笑された。ライト兄弟の“成功”に対しても、飛行距離の短さや目撃証人の少なさから、当時の科学者やマスコミは“機械が空を飛ぶことは科学的に不可能”と冷淡だったという▼こうした歴史を踏まえ、神戸大学の中屋敷均教授は、理論的に飛行が可能だったから人が飛行機を造ったのではない、と強調する。「『分からないこと』を含んだまま、人は飛んだのだ」「人は飛べるから飛んだのではない。飛びたいから、飛んだのである」(『科学と非科学』講談社現代新書)▼先人の飽くなき努力を思うとともに、不可能を可能にする人の共通点に気付く。それは、困難の壁を前にしたとき、“突破できるかどうか”ではなく、“突破するにはどうするか”と考えていること。その胸には、やむにやまれぬ情熱が燃えている▼広布の道もまた、創価の師弟が誓願の祈りで、不可能を可能にしてきた歴史。まず“壁を破る”と決めて祈り、ダイナミックに行動しよう。(文)


◆寸鉄

本当の決意込めた題目を
―戸田先生。壁破る秘訣
ここに。必ず勝つと決め
     ◇
男子部大学校・白蓮Gが
各地で入卒式。新しい力
の台頭。共に拡大に挑戦
     ◇
農漁光部の日。食を支え、
命を守る同志に最敬礼。
健康・長寿・大福徳を祈る
     ◇
流感と同様の対策が新型
肺炎の感染防ぐ―専門家
手洗い等励行。小事から
     ◇
東京五輪を復興五輪に―
期待の声高まる。東北と
共に不撓不屈の心を発信


◆社説 きょう「農漁光部の日」 命支える「食」を育む友に感謝2020年2月17日

 私たちの日常生活は、日々の食事に支えられている。
 日蓮大聖人は、「食」の働きを「命をつぎ」(生命を維持し)、「いろをまし」(健康を増し)、「力をそう」(心身の力を盛んにする)と説かれている(御書1598ページ)。
 その尊い「食」を支える農漁業の聖業にいそしむ農漁光部の友が、きょう2月17日、「部の日」を迎えた。1977年(昭和52年)のこの日に開催された第1回「農村・団地部勤行集会」が淵源となっている。
 池田先生は「農村地域がやがて大いなる脚光を浴びていくことは、時代の要請であるともいってよい。ゆえに、盤石なる一家を築き上げ、その地域の確固たる灯台に」と万感の期
待を寄せ激励した。この時の指針を希望の光源として、農漁光部の友は地域と学会の“灯台”との自覚で奮戦を続けている。
 農漁業を取り巻く現状は厳しい。気候変動で多発する自然災害、耕作放棄地の拡大、乱獲による漁獲量の減少、後継者不足など、課題が山積している。
 だが、人間の可能性は無限である。品種や土壌の改良、栽培や養殖など育てる漁業の推進、ITを活用しての流通経路の改善など、新しい道を切り開こうと、たゆまぬ挑戦を続ける。
 農漁光部の友も、信仰で培った“負けじ魂”を根本に努力と工夫を重ね、起死回生のドラマを数多く生み出している。
 長崎県諫早市には、経営危機に陥った家業の食堂を「農」の力でよみがえらせた青年がいる。東京での5年間の調理師経験と、祖父から学んだレンコン作りの技術を生かす。小規模ながら畑で手掘りの重労働に挑み、レンコンを活用したメニューを考案。地元ならではの唐比レンコンのコース料理が好評を博し、食堂経営は着実に安定していった。広布の庭でも、圏男子部長として駆ける。
 鹿児島県の屋久島では、トビウオ漁に従事する青年が13年前、事故で左膝を複雑骨折し2回の手術を。「しゃがむ姿勢は難しい」との医師の宣告。やむを得ず漁船を下りた彼は、薫製づくりに活路を見いだした。壮年部先駆長(ブロック長)となった今では、水産加工業の経営者として地元振興に寄与する。
 こうした信頼の“灯台”の存在が、全国各地で地域を照らしている。農漁光部の同志の奮闘ぶりを伝える第23回「農漁村ルネサンス体験主張大会」が、本年も行われた(22日からVODが利用できる会館等で視聴可能)。
 新時代の農漁業の道を開く挑戦と実証は、「食」の“当事者”である多くの視聴者に感謝と共感を広げるものとなろう。


◆きょうの発心 御義口伝 北海道男子部長 平井祐嗣2020年2月17日

御文
 品品の初めにも五字を題し終りにも五字を以て結し前後・中間・南無妙法蓮華経の七字なり、末法弘通の要法唯此の一段に之れ有るなり(御義口伝、803ページ・編1649ページ)
通解
 法華経二十八品各品の初めに妙法蓮華経と題号をおき、終わりにも妙法蓮華経の五字をもって結ばれている。このように、前後も、中間も、南無妙法蓮華経の七字なのである。末法に弘通する要法たる南無妙法蓮華経は、この一段に含まれている。

令法久住の弟子の陣列を構築!
 末法に弘通すべき日蓮大聖人の仏法は、ただ南無妙法蓮華経であることを教えられています。
 創価大学に入学後、池田先生の数々の激励に触れ、“師匠の期待に応える人生を”と決意。折伏に励んだものの、なかなか入会に至らず、何度も悔しい思いをしました。
 挑戦を始めて10年。創価班大学校(当時)に入校した私は、「今、この時に断じて折伏を実らせる」と決意。その時に出あったのが、この御聖訓です。
 「折伏に方法論はない。南無妙法蓮華経以外には何もないんだ」と腹を決め、ひたすら祈り抜きました。友の幸せを心から祈れるようになった時、86人目の友に初の弘教が実ったのです。
 今、北海道男子部は来月に北海道で開催する全国男子部幹部会を目指して、拡大にまい進しています。断じて日本一の弘教を果たし、三代城に令法久住の弟子の陣列を築き上げていく決意です。


【聖教ニュース】

◆農漁村ルネサンス体験主張大会を開催 2020年2月17日

地域の発展を誰よりも祈り、愛する郷土に希望の光を広げゆく農漁光部の友(東京・新宿区の常勝会館で)

地域の発展を誰よりも祈り、愛する郷土に希望の光を広げゆく農漁光部の友(東京・新宿区の常勝会館で)
VODが利用できる会館等で視聴可能(今月22日から4月30日まで)

 きょう17日は「農漁光部の日」。この日を記念する第23回「農漁村ルネサンス体験主張大会」が11日、東京・新宿区の常勝会館(本部第2別館内)で開催され、池田大作先生が祝福のメッセージを贈った(全文は後日掲載)。
 同大会の模様は「ヒューマン体験プラザ」として今月22日から4月30日まで「SOKAチャンネルVOD」が利用できる会館等(モバイルSTBは除く)で視聴できる。
 
2・17「農漁光部の日」の淵源
 「農漁光部の日」の淵源は1977年(昭和52年)2月17日、池田先生が出席して開かれた第1回「農村・団地部勤行集会」。
 異常気象に端を発した食糧問題が世界中の関心を集めていた当時、先生は呼び掛けた。
 「地域広布の先駆けとなっていただきたい」「皆さんの地域を頼みます! 今いるところで、幸せの大城を築いてください」
 以来、農漁光部の友は「地域の灯台たれ」「学会の灯台たれ」との指針を胸に、地域で信頼を広げてきた。
 
池田先生が祝福のメッセージ贈る
 第23回「農漁村ルネサンス体験主張大会」では、落合農漁光部長が先生のメッセージを紹介した。
 その中で先生は、昨年の台風や豪雨などで被災した方々に心からのお見舞いを述べるとともに、異常気象や自然災害が相次ぐ中にあって、不撓不屈の負けじ魂と創意工夫の智慧を発揮する友を称賛。
 多事多難な時代だからこそ、体験主張大会に満ちあふれる歓喜の笑顔を、いよいよ明るく大きく、未来へ広げていこうと望んだ。
 
友の前進こそ共生の時代を築く力
 続いて、三重の濱地大規さんが「伊勢志摩のプレミアムオイスターを世界ブランドに」、岡山の宮本英治さんが「世界がうなった『至高の紅茶』誕生物語」、山梨でブドウ農園を経営する坂田一郎さん・三記子さん夫妻が「観光客が殺到! 私たちは『地域の希望の灯台』!!」とのテーマで体験主張を行った。
 原田会長は、ゴルバチョフ元ソ連大統領が池田先生との対談の中で“土とともに生き、そこから何かを生み出す農民の生活が、私にとって広い意味での師匠だった”と語っていたことを紹介。
 自然の豊かさと厳しさを知る農漁光部の友の前進こそ共生の時代を築く力と訴え、使命の場所で友情の連帯を広げる一人一人にと激励した。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈勇気の旗高く〉池田先生が栃木の友に贈る指針  強さこそ幸福の源泉

宇都宮市にある栃木平和会館から、緑豊かな風景を望む(1986年9月15日、池田先生撮影)宇都宮市にある栃木平和会館から、緑豊かな風景を望む(1986年9月15日、池田先生撮影)


初の地方闘争

 〈栃木広布の原点は、戸田先生が出獄からわずか1年後に行った、栃木指導にある。2003年(平成15年)の随筆には、その様子がつづられている〉
  
 民衆の多くが戦災に疲れ果て、心身共に苦しめられていた一九四六年(昭和二十一年)の九月、わが師・戸田先生は、買い出し客で満員の列車に揺られながら、戦後初の地方指導に向かわれた。
 広布史に輝くその第一歩の天地こそ、栃木であった。
 あの時、先生を動かしたのは、女子部員の一途な声であったのだ。
 疎開先である、父の故郷の村で折伏を始めたが、信心する人は誰もいない。悩み、思いあまって八月に上京し、戸田先生に指導を受けた。
 「わかった、よくわかった。行ってあげよう!」
 健気な女子部員は、勇んで栃木に帰るや、家族と小躍りしながら、折伏の炎を燃やし、師の来訪を待った。
 時代が時代である。彼女たち一家は、先生が来られるのは来年か再来年だと思っていた。ところが、ほどなくして、戸田先生を総大将に総勢七人で訪問するとの手紙が届いて驚いた。
 “こんなに早く!”
 何事にも、時がある。今、何をするか。今、何ができるか。その時を逃さぬ迅速な行動こそが広布を開く力であることを、師は身をもって教えてくれたのだ。
 また、先生は、世間から嘲笑され、悪口を言われながら、懸命に折伏に奮闘している、わが弟子たちを、一時も早く、応援し、励ましたかったのだ。
 「まず幹部が、自ら先頭に立つことだ!」「一番、苦労している最前線の同志を励ませ!」――それが、戸田先生のご精神であった。
 はるかに山々に囲まれた那須地方の村で、先生は、まことに地味で、小さな庶民の集いに飛び込んでいった。
 一粒種の一家が村中を奔走して開いた法華経講演会のあと、そのお宅で、ささやかな座談会となった。顔と顔を向き合った、この真摯な対話のなかで、入会希望者が生まれたのである。

 〈那須にある栃木研修道場には、この歴史をとどめる「座談会の碑」が立つ。栃木の友は、“座談会の栃木”との誇りも高く、座談会運動を活発に繰り広げている。
 戸田先生の地方指導から5年後、くしくも、池田先生も地方闘争の初陣を、栃木の小山に飾る。1999年(平成11年)の随筆で、当時を振り返っている〉
  
 一九五一年(昭和二十六年)の五月、わが師が、第二代会長に就任された三週間後、私も満を持して、初めての地方折伏に飛び出した。
 緑光る山河を思い、胸の躍る感慨のゆえか、私は、出発の前夜には、日記にこう書いている。
 「……吾人の、地方闘争への初陣である。嬉しき哉」
 それが栃木方面であった。私も、恩師と同じく、民衆の大地・栃木から、新しき広宣の火蓋を切ったのである。

広布源流の誉れ
 〈栃木には“日本最古の学校”と称される足利学校がある。広布の舞台においても、御書を拝し、『新・人間革命』などを教材に信心を磨く「人材大学校」の取り組みを、全国に先駆けて行ったのが、栃木だった。
 1975年(昭和50年)12月、関東総合研修所(現・栃木研修道場)の落成記念勤行会の席上、池田先生が「栃木人材学校」の設置を発表。現在も、「栃木池田大学校」として、新たなリーダー育成の場となっている。
 88年(同63年)の長編詩でも、人材光る栃木をたたえた〉
  
 
 栃木はまた 学問の風土あり
 かつて 四方より
 かの足利学校に
 向学の士は集いたる
 その学徒三千人――
 戦乱の世にあっても
 読書の声は絶えることなく
 共に研学に打ち励む
  
 広布の人材学校は
 この地より始まる
 世界の目は栃木を
 瞠目しゆくに違いない
 使命と情熱の豊かなる水脈は
 新たなるうねりとなって
 必ずや 必ずや
 人間と人間の曠野を
 創り 潤す
 その誉れの名は
 地涌の栃木城

 〈広布源流の天地・栃木は、先駆が使命である。89年(平成元年)9月、池田先生は栃木研修道場で呼び掛けた〉

  
広宣流布は言論戦だ。戸田先生は日本中、世界中の人に聖教新聞を読ませたいと言われていた。私も同じです。

  
聖教新聞の拡大は、折伏に通じ、大きな功徳がある。

  
「聖教先駆の栃木」でいきましょう。リーダー自らやろう。私もやります!
 〈以来、栃木は「聖教先駆」を合言葉に前進。この指導から30周年となる昨年は、関東、全国をけん引する聖教拡大を成し遂げた〉

諸天を動かす
 〈“栃木は日本一人柄が良い”――池田先生は折に触れて、語ってきた。
 89年9月の指導の際、「人柄の良さの上に、あらゆる意味で『強さ』を備えていくことが、今後の大いなる発展につながる」と強調。栃木の同志が生命に刻む指針となった〉
  
 幸福には「強さ」が必要である。勝利には「強さ」が不可欠である。個人も家庭も、団体や国家も、強くまた強くあってこそ、堂々と胸を張って、幸福と繁栄の道を進める。弱ければみじめである。
 強い人のみが、人々を守ることができる。自分も楽しい。皆も安心である。弱さは後退と敗北に通じる。頼りないリーダーには人もつかない。仏子を守りゆく使命も果たせない。
 「道理」の上に立っての透徹した「強さ」。そこに信心の現れもある。真実の信仰者の姿がある。学会も経文と御書の仰せのままに、何ものも恐れず、「強く」「賢明に」戦ったからこそ“奇跡”ともいわれる発展を実現できたのである。

 〈99年(同11年)2月の本部幹部会は、栃木県総会の意義も込められた。冒頭、池田先生は、悔いのない人生をどう生きるかについて語った〉
  
 御聖訓に「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」(御書970ページ)と。
 不滅の御言葉である。
  
 人生の目的にまっすぐに向かい、本源的幸福の追求を完璧になしゆく人間、すなわち「広宣流布に邁進する勇者」には、悔いはない。
 悔いのない人生――それを教えてくださったのが日蓮大聖人である。その「最高の人生」を教えているのが創価学会である。
 この「喜び」と「確信」と「勇気」をもって進みましょう!
 仏法には、一つもむだがない。仕事も、生活も、全部の歩みが仏法である。信心根本ならば、すべて功徳となる。
 お集まりの皆さまのなかにも、多忙な方や、さまざまな状況をかかえた方もおられるにちがいない。
 しかし、こうして仏法の集いに来られたのだから、功徳は大きい。「最高の法」の軌道に乗っている。
 広宣流布の労苦は、むだのように見えても、大変であっても、苦労した分だけ、すべてを生かしながら、「善」の方向へ、自分が向かっていく。それが信心の力である。
  
 私どもは、「大聖人に直結」して生きる。自分自身に生ききってゆく。
 人がどうとか、世間がどうとか、評判がどうとか、小さなことである。
 人が同情してくれない、理解してくれない――あまりにも、ちっぽけなことである。
 正々堂々と、汝自身に生きぬき、決然たる祈りと行動で、この人生を飾っていただきたい!
 諸天善神を堂々と揺り動かしていく自分自身になっていただきたい!


◆〈座談会〉 男女青年部が“新時代の二月闘争”を駆ける 青春の鍛えは一生の宝に
 男子部大学校 白蓮グループ 決意あふれる入卒式

〈出席者〉 原田会長、永石婦人部長、西方男子部長、中原男子部大学校事務局長、大串女子部長、山口白蓮グループ委員長

 永石 全国の同志が「今こそ、新時代の二月闘争を!」と拡大に取り組んでいます。中でも新たに立ち上がった青年部の皆さんの活躍が目覚ましいですね。
 
 原田 池田先生は5日付の「心に御書を」で「今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり」(御書750ページ)との御文を通し、男子部大学校、白蓮グループなどで奮闘する青年に「青春時代の鍛錬は一生の財宝」と、エールを送られました。先生の胸中には常に、後継の青年部の皆さんがいます。
 
 中原 「創価の道を最高の同志と恐れなく!」との先生の呼び掛けに呼応するかのように、男子部大学校生が前進しています。
 
 大串 白蓮グループのメンバーも仕事、勉学、また任務に挑戦しています。
 
 山口 先生が全て見守ってくださっている。これほどの喜びはありません。
 
 原田 青年が拡大の先駆を切ることは永遠に変わらぬ学会の伝統です。
 
 西方 「人材育成の要諦とは何か。それは、リーダーが成長し続けていることだ。人は触発があってこそ奮起する」(小説『新・人間革命』第29巻「常楽」の章)との指針を胸に刻み、まず自身が率先して祈り、学び、折伏に挑戦し、範を示してまいります。
 
 原田 壮年、婦人も各地で青年部の勝利と成長のためと、応援してくださっています。心を合わせて拡大にまい進していきたい。

具体的な目標掲げ 
 西方 男子部大学校では“会合中心”の活動から、自宅や会館で共に勤行・唱題を行う「家勤運動」を重視し、励ましを送っています。
 
 中原 一人一人の課題や夢に合わせて具体的な目標を決め「何のために」「何をするか」を明確にするよう対話しています。先輩たちが丁寧に関わる中で納得が生まれ、友人への折伏に挑戦し、弘教を実らせるメンバーも相次いでいます。
 
 原田 大事なことです。先生は、かつて青年に「悔いなき歴史を創りゆくには、希望に燃え、具体的な目標を掲げて、強い祈りを貫くことだ。そして祈りの通り、行動することである」と指導されました。
 
 中原 大学校生と懇談すると、関わってくれる同志の存在によって、大きく成長していることを感じます。今回、大学校を卒業する2期生からも多くのドラマが生まれています。
 
 西方 島根県の山間地域で奮闘するメンバーは、1期生だった育成責任者と共に、活動に挑戦してきました。自らの就職に悩む中、折伏にも挑戦。友人の成長を願う祈りが通じ、晴れて御本尊流布を成就。その中で、自らの就職先も決まり、信心の功徳を実感しています。
 
 中原 入会した友人も3期生として入校を決意。今、彼らはそろって座談会や活動に参加しています。その生き生きとした姿は過疎化、高齢化が進む地域にあって、希望の存在として光っています。
 
 永石 今、若者の孤立化が各国に広がっています。ローマ・ラ・サピエンツァ大学のツーツィー・グラツィア博士は、青年に「希望」を伝えることが大切であるとし、創価学会が「多くの人々に正しい生き方を示してきたという事実」や「どうすれば良き市民として社会に貢献できるかを教えて」いることを高く評価しています。
 
 原田 人間関係が希薄になり、“自分さえ良ければいい”という風潮がある現代において、学会の運動は、まさしく社会の灯台になっているのです。
 
 西方 男子部は、2月を「正義の大拡大月間」とし、折伏・弘教に果敢に挑戦しています。今月から各地で大学校の入卒式が行われています。この1年で大成長を遂げた2期生、新たな決意に燃える3期生と共に月間を走り抜いていきます。

各地で、男子部大学校(写真上)と白蓮グループの友が拡大に先駆! 広布に走る一歩一歩が永遠の福徳を開く

共に祈り、行動を
 永石 白蓮グループの入卒式も今、各地でにぎやかに開催されていますね。
 
 山口 はい。先日参加させていただいた北海道の入卒式では、新規のメンバーがはつらつと決意を述べる様子が爽やかでした。皆が自分らしく仏法を語り、新たな挑戦を決意する姿に大きな触発を受けました。
 
 大串 リーダー率先の対話も光っています。先生が指揮を執られた「二月闘争」の舞台である東京・大田総区の班長は「白蓮の時代に折伏の結果を」と真剣に祈る中、高校の時からの友人に真心の対話を重ね、先日、弘教が実りました。今、各地からそうした喜びの声がたくさん届いています。
 
 山口 白蓮では、メンバーと先輩が2人1組のペアになって励ましを送り、共に成長していく取り組みが各地で行われています。そうした中で、信心の歓喜が幾重にも広がっています。
 
 永石 真っすぐに信心に励む身近な先輩の存在は、何よりも心強いですね。
 
 大串 白蓮の活動を通して、信心即生活の実証を多くのメンバーが残しています。「面接で白蓮での薫陶が生き、就職が決まりました」「職場での人間関係の悩みを乗り越えられました」などの声も聞きます。  

 永石 先生は「『私は、一緒に悩み、祈ってくれたあの人のことを、生涯、忘れない』『あの人がいたから、今の私の幸せがある』と言われる人になることです。それに勝る、人間としての栄誉はありません」(『新・人間革命』第27巻「求道」の章)とつづられています。
 
 原田 共に祈り、共に行動する。そして「自分よりも立派な人材に」と願い、励ましを送る。この伝統を青年部の皆さんは受け継ぎ、さらなる人材の大城を築いていただきたい。


◆〈体験プラザ〉アメリカの高校教師・アメフトのコーチ 3度目で試験に合格
 アメリカSGI ジョセフ・ガウディーサスさん
 諦めない努力が希望の道ひらく

学生時代に発心し信仰を実践
 私は、アメリカ東部のニュージャージー州で、SGIメンバーである両親のもと、4人きょうだいの長男として生まれました。母はいつも私をSGIの会合に連れて行ってくれ、多くの同志に囲まれながら育ちました。
 その後、家族で南部のテキサス州に転居。地元の高校を卒業後、テキサス大学サンアントニオ校に進学しました。親元を離れるに当たり、祖母と母の勧めで御本尊を受持しましたが、真剣に祈るまでには至りませんでした。 
 大学に入学したての頃は、愚かな不品行ばかりを重ねていました。ついには警察に連行されることに。その時、最初に思い浮かんだのが、南無妙法蓮華経の題目でした。
 これを契機に、私はこれまでの過ごし方を反省し、人生の選択を見直しました。早速、サンアントニオ在住のSGIメンバーに連絡を取り、SGIの活動に取り組むようになったのです。 
 大学時代を通して、私は組織のリーダーを担い、他のメンバーを励まし続けました。学業とSGIの活動を両立させる上で、賢く時間を使うことは特に苦労しましたが、常に唱題根本に、仏法対話に励みながら自身を成長させていったのです。
 また、10代の頃、アメリカンフットボールに熱中し、頼れるコーチにあこがれていた私は2018年の初め、教師とアメフトのコーチになることを強く決意。「必ず夢を実現します」と師匠・池田大作先生に誓いを立てました。
 その前年には、テキサス州オクラホマの圏男子部長に任命されたこともあり、まずは私自身が目標の達成に向けて全力を尽くそうと心を定めました。 
 同年5月、大学を卒業。私の家族では初めてのことだっただけに、私の達成感と喜びは、ひとしおでした。

自信喪失から再び立ち上がる
 教師とアメフトのコーチになるには、教員資格を取得する必要があります。私はダラスに居を移し、ソーシャルメディア関係の企業で派遣社員として働きながら、夢を目指すことにしました。
 18年6月、資格試験に挑戦しましたが、ほとんど準備ができなかったため、全く歯が立ちませんでした。勉強量を増やし、11月にも同じ試験に挑戦しましたが、結果は変わりませんでした。 
 試験の後、私は自分の能力に自信が持てなくなり、少しずつ妥協し始めるようになっていきました。
 「現在の状況で最善を尽くせば、それで十分だ」「試験に通らなかったならば、私の進むべき道は他にあるのだろう」と。
 不合格の結果を受け、自身のみならず、多くの周りの人たちを落胆させていることがつらかったのですが、一方で、男子部のリーダーとして、メンバーの前で“自身の勝利をつかみ取らなければならない”と語ることが、苦しくてなりませんでした。 
 自身の考えの中に、SGIの活動に全力を挙げていれば、夢への扉がきっと開かれるだろうとの甘さがあったと思います。
 それでも、池田先生の指導と多くの同志に励まされ、私は再び真剣な祈りに挑戦。決して諦めないとの決意を固めました。
 2回の受験を振り返り、しっかり時間を管理せず、試験準備を疎かにしていたことを猛省。翌19年に入ると、真剣に試験勉強をスタートさせたのです。 
 孤独な戦いを続けることはなかなか難しく、3カ月が経過した頃には、私の決意は再び薄れ始めました。しかし、この時も先輩同志から“池田先生の真の弟子として、自身の勝利が若いメンバーを勝利へ導くことになる”と励まされ、今一度、奮起することができたのです。

アメリカンフットボールの試合で、コーチとして選手たちに指示を出すガウディーサスさん
かつてない対話拡大の達成へ
 仕事で残業することが多かったのですが、私は毎朝の唱題を欠かさず、退社後は図書館で勉強。そして、週末には仏法対話や同志の激励に奔走しました。
  くじけては立ち上がることを繰り返しましたが、最終的には、妥協することなく、挑戦の日々を過ごした結果、4月17日、3度目の試験を受けた後には、言葉では表しがたい充実感に包まれました。
 その夜、自宅で勤行を実践している時、“悔いなく戦う中で、揺るぎない自信を得ることができるのだ”と深く確信したのです。 
 この間の努力は実り、試験に合格。それだけでなく、さまざまな面で大きく飛躍することができました。仕事ではトップ5%の成績優秀者に選ばれ、臨時給与をもらいました。また圏男子部として、8人の友に御本尊を授与することができたのです。 
 あらゆる困難に挑戦する中で、夢を諦めることなく前に進む。そこに喜びがあり、勝利がある――信仰活動を通して、私は“勝つことの意義”を学ぶことができました。池田先生、SGIの同志、家族に感謝の思いは尽きません。 
 現在、地方の公立高校で、化学の教師とアメフト全校代表チームのコーチを担当しており、充実した毎日を送っています。
 本年は、池田先生のアメリカ初訪問から60周年の佳節を迎えます。これまでにない対話拡大を達成し、自身の境涯を高めながら、アメリカ広布に貢献しゆく決意です。

 

2020年2月16日 (日)

2020年2月16日(日)の聖教

2020年2月16日(日)の聖教

◆わが友に贈る

   「折伏」とは
 幸福への最極の道。
 世界平和の最短距離だ。
 慈悲を勇気に代えて
 朗らかに挑み抜こう!


◆名字の言 知ってますか?「がん哲学外来」

   多くのがん患者が、そこを訪れると笑顔になるという。医学的な治療ではなく、「対話」によって患者や家族を支援する交流の場「がん哲学外来」。今、各地で開かれ、注目を集めている▼この活動のモットーは「偉大なるお節介」を焼くこと。担当医は、時に自分の時間や用事より優先してでも、心を込めて利用者に寄り添う。意識を集中して相手の話をじっくり聴き、一緒に使命や希望を見いだしていく。それこそが「偉大なるお節介」▼逆に、一方的にしゃべったり、自分の思いを押し付けたりすると、相手は心を閉ざしてしまいがち。それでは「余計なお節介」になる(樋野興夫著『がん哲学外来へようこそ』)▼多宝会の先輩が、励ましの秘訣を教えてくれた。一つは「あえて暇そうにすること」。誰しも、忙しそうにしている人に心を開いての会話はしづらい。次に「相手の話を最後まで聴く。そして話が一区切りついたと思っても、しばらく待つこと」。一番言いたいことや本音は、語り終えた後に出てくることが多いからという▼悩んでいる友は、具体的な助言以上に、気持ちを受け止めてほしいと願っているもの。だからこそ忍耐強く耳を傾け、真剣に寄り添うよう努める――人を励まし、共に成長するために、その姿勢を貫きたい。(実)


◆寸鉄

日蓮と同じく―この法華
弘通の魂は学会に脈々。
大聖人御聖誕日に心新た
     ◇
千葉の日。さあ皆で勇敢
に拡大へ!新時代の勝利
の旭日を有縁の天地から
     ◇
広宣流布といっても要は
人材の城をつくることだ
―恩師。励まし、幾重にも
     ◇
職場で挫折克服した人ほ
ど仕事でやりがい感じる
―調査。苦難は宝と前へ
     ◇
ヘルプマークの認知度が
向上。見掛けたら配慮を。
その善意が共助社会の力


◆社説 日蓮大聖人御聖誕の日  一人立つ精神は創価の友に

 きょう2月16日は「日蓮大聖人御聖誕の日」。貞応元年(1222年)のこの日、大聖人は安房の地(現在の千葉県南部)にお生まれになった。
 当時の世相は、末法思想に基づく厭世観が広まる一方で、天変地異も相次ぎ、人心は荒廃していた。なかでも御聖誕の前年に起きた承久の乱は、その混迷を象徴する出来事だった。伝統的に社会を治めてきた朝廷が、武家の鎌倉幕府に破られたことで、公家の権威は失墜。これまでの価値観が覆る大事件であった。
 こうした乱世に、大聖人は漁師の家に生まれ育った。庶民の過酷な現実を命に刻んだ幼心に、“全ての人を幸福にしたい”との熱情がともったに違いない。12歳にして、「日本第一の智者となし給へ」(御書1292ページ)と、民衆救済への誓いを立てられたのだ。
 そして、建長5年(1253年)、32歳の時に、法華経の肝心たる「南無妙法蓮華経」こそが、一切衆生を救済する万人成仏の根本法なり、と宣言される。
 ここから「日本国の中に但一人・南無妙法蓮華経と唱えたり」(同1241ページ)と仰せの通り、悪世に「ただ一人」立たれ、妙法弘通の戦いを開始されたのである。御書には、「日蓮一人」という言葉が何度も記されている。
 竜の口の法難・佐渡流罪といった命に及ぶ大難に臨んでも、全て経文通りであり、「日蓮一人これをよめり」(同203ページ)と断言された。いかなる迫害に遭おうが、“私が万人成仏の道を開く!”“民衆を苦しめる魔性を打ち破る!”との「法華経の行者」の烈々たる気迫と大慈悲が拝されよう。
 この「一人立つ」戦いから広宣流布の壮大な流れも開かれる。御書には、末法流布の瑞相に「日蓮さきがけ(魁)したり、わたうども(和党共)二陣三陣つづきて」(同910ページ)と示されている。一人立つ師子王には、必ずや師子の子が立ち上がり、後に続くのだ。
 この精神を継承し、民衆の中から立ち上がったのが、われら創価学会であり、牧口・戸田・池田先生の三代会長である。
 学会創立90周年――大聖人直結の創価の同志は今、人生と社会のさまざまな苦難に直面しても、「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」(同234ページ)等の御金言を身読しているとの誇りを胸に、いよいよ信心の炎を燃やし、世界中で活躍する。
 この度、新版の御書全集を、大聖人御聖誕800年を慶祝して明2021年に発刊することが決まった。求道の友とその喜びを分かち合いたい。さあ、きょうも御書を拝し、御本仏の民衆仏法の大精神に触れ、勇気凜々と前進しよう。


◆きょうの発心 上野殿御返事 大分池田県婦人部長 麻生多寿婦2020年2月16日

御文 聴聞する時は・もへたつばかりをもへども・とをざかりぬれば・すつる心あり、水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり(上野殿御返事、1544ページ・編1083ページ)
通解 (火のように信ずるとは)教えを聴いた時は燃え立つばかりに思うが、遠ざかると、信心を捨てる心が生じることをいう。水のように信ずるとは、常に後退することなく信ずるこ
とをいう。

夫の急逝を乗り越え広布に前進

 何があっても、水の流れるような信心を持続していくことが大切である、と仰せです。
 幼少の頃から学会の庭で育った私は、未来部・女子部時代に富士鼓笛隊として11年間、薫陶を受け、学会精神を命に刻みました。
 1981年(昭和56年)12月、池田先生は第1次宗門事件の発火点の一つとなった大分を訪問し、長編詩「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」を発表してくださいました。発表の会場に参加した私は、悪辣な坊主の迫害を受けてきた同志を包み込む師匠の温かい励ましに感動し、生涯、広布のために生きようと決意しました。
 結婚して11年目の97年(平成9年)、夫が44歳の若さで急逝。突然、襲った宿命に衝撃を受けましたが、この御文を胸に一歩も引かずに前進。経済面での不安もありましたが、自宅でピアノ教室を続け、学会活動にも励んできました。広布の会場も提供しています。
 大分支部結成60周年の本年、大分池田県の皆さまと共に人材の拡大、幸福の拡大に走り抜きます。


【先生のメッセージ】

◆〈池田先生と共に 新時代を築く〉 「太陽の仏法」の光を人類へ2020年2月16日

 御本仏が御聖誕され、恩師が誕生された2月――。
 「かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」(御書903ページ)
 この御聖訓のまま、若き日、私は折伏の波を起こし、2月を師恩への感謝の月とした。
 今、私の心を心として、わが創価家族は、広宣流布の拡大に勇んで大前進してくれている。
 新たな地涌の友が続々と誕生している歓喜の波動こそ、日蓮大聖人、また戸田先生への何よりの報恩にほかならない。
 尊き共戦の勇士へ届けと、私は妻と総本部の恩師記念会館で勤行・唱題した(7日)。
 会館の一角に、昭和33年の3月1日、戸田先生と私で学会歌の不二の指揮を執った写真があった
 師弟の懐かしき語らいが、あふれるように蘇ってくる。先生はしみじみと言われた。
 「大聖人の仏法は、逆境にある人が必ず幸せになれる宗教である。信心で苦難を勝ち越えた人こそ、すごい力が出るのだ。その人こそが、本当に不幸な人々の味方になれるのだよ」と。  
 さまざまな悩みを抱えながらも、法のため、友のため、社会のため、奮闘する健気な同志に、無量無辺の功徳あれと祈りに祈っている。  
                       * * * 
 大聖人は、世界で最も広大な太平洋のほとりに「民の子」として誕生された。
 この大聖人の世界性を、いち早く洞察されていたのが、20世紀を代表する歴史学者トインビー博士である。
 小説『人間革命』の英語版(1972年)に寄せてくださった序文では、大聖人のお心が「日本の海岸線」に限定されるものではなく、「全ての場所の人間の仲間を救済する」ことを願われたと指摘されている。そして、「創価学会は、人間革命の活動を通し、その日蓮の遺命を実行しているのである」と結ばれた。私との対談でも、幾度となく語ってくださった真情である。
 地球規模の難題や、降りかかる危機を乗り越えるには、人類は一つの大家族として結束せねばならない。そして、試練という挑戦に偉大な応戦の智慧と力を発揮するのだ――この信念に立つ博士が私たちに託されたのが、人類を結ぶ平和の対話なのである。
                    * * * 
 トインビー博士の先見の通り、大聖人の民衆仏法は世界宗教として、いよいよ光彩を増している
 明年は、御本仏の御聖誕800年の大佳節を迎える。
 まさしく末法万年尽未来際へ、令法久住の大道を限りなく開きゆく不思議な時が、学会創立100周年への十年なのだ。
 「太陽の仏法」の大光を、一人一人が「信心即生活」「仏法即社会」の舞台で、思う存分、放ちゆこうではないか!


【聖教ニュース】

◆日蓮大聖人の御聖誕日を慶祝 2020年2月16日

原田会長の導師で厳粛に行われた「日蓮大聖人御聖誕の日」慶祝の勤行会。広布前進への誓いを新たに(広宣会館で)

原田会長の導師で厳粛に行われた「日蓮大聖人御聖誕の日」慶祝の勤行会。広布前進への誓いを新たに(広宣会館で)

 きょう2月16日は、「日蓮大聖人御聖誕の日」。1222年の同日、大聖人は安房国(現在の千葉県南部)にお生まれになった。
 この日を慶祝する勤行会が、全国の会館・恩師記念室をはじめ、世界各地で厳粛に営まれる。御本仏の末法御出現を寿ぐとともに、一切衆生の救済と社会の安穏を願い、一閻浮提広宣流布に尽くされた尊き御生涯をしのぶ。
 
明年の発刊へ新版御書全集の編集進む
 明年は、大聖人の御聖誕から数えで800年。日蓮大聖人の仏法を末法万年に流布しゆく使命を帯びた仏意仏勅の教団である創価学会が、世界宗教として一段と飛躍を遂げゆく中、御聖誕800年を祝賀する意義を込めて、新版の御書全集の編集が進められている。
 第2代会長・戸田城聖先生の熱誠によって、現在の『日蓮大聖人御書全集』が発刊されたのは1952年4月28日。大聖人の御精神を誤りなく後世に伝えようと、池田大作先生をはじめ、弟子たちが編さん・校正作業などを担った。
 以来、いかに時代や環境が変化しようとも、創価学会は「御書根本」の実践を貫き、現実の上で御遺命の広宣流布を推進。今や妙法は192カ国・地域に広がり、世界中の創価家族が地涌の使命に躍動している。
 太陽の仏法が全人類を照らす今、新版の御書全集は民衆に開かれた哲学として、青年世代をはじめ現代の人々が、より一層、親しみをもって御書を心肝に染めゆくことを最大の目的とするもの。池田先生の監修のもと、文字を大きくし、会話文には、かぎかっこを加える等の工夫を凝らすとともに、現在の御書全集が発刊された後などに発見された真筆の御書も収録する予定である。
 
全国・世界で厳粛に広布誓願の勤行会
 首都圏の代表による御聖誕記念の勤行会は14日、原田会長を中心に東京・信濃町の広宣会館(学会本部別館内)で行われた。
 会長は、「仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや、此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか」(御書293ページ)の御聖訓を拝し、“恩に報いる”ことこそ仏法者が忘れてはならない根本であると強調した。
 そして、若き池田先生が当時の拡大の限界を破った「二月闘争」を実現したのも、日蓮大聖人と戸田先生に対する報恩の一念であったと力説。
 令和の二月闘争の勝利の原動力も、どこまでいっても報恩の一念であるとし、師への感謝を拡大の結果で示していこうと呼び掛けた。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈SGIの輝き〉ポーランドのメンバーの体験  ユスティナ・ハリスさん
 病魔に打ち勝ち 16人に弘教

ポーランド南部の古都クラクフで行われた女子部の友の集い(昨年6月)

 ポーランド南部の古都クラクフ。
 芸術家として活躍するユスティナ・ハリスさん(支部婦人部参与)は、これまで16人の友人に御本尊流布を果たしてきた。
 生後間もなく、両親が離婚。母親に育てられた。生まれつき、遺伝性の病気を抱えていた上、結婚・出産を経て、人生の悩みがさらに深くなっていった。
 ちょうどその頃、友人から折伏を受けたハリスさん。“現状を変えられるなら”と、30代半ばで素直に入会した。
 しかし、信心しても悩みはなくならなかった。2年後には思いがけず、がんの診断を受ける。
 病状は急速に悪化。医師すら“お手上げ状態”となる中、絶望するハリスさんを救ったのは、仏法の「変毒為薬」の法理だった。「病気を通して信心の実証を示していこうと、一層深い決意で祈り始めました」
 治療中、ハリスさんは一人の女性医師と出会う。他の宗教を信仰していた彼女は、創価学会の話をしても、当初は懐疑的だった。
 適切な治療が功を奏し、やがて腫瘍は消滅。諦めずに病と向き合い続けるハリスさんの姿勢に心を動かされた女性医師は「仏法には何かがあるのでしょう」と納得し、座談会に参加するまでに。後日、御本尊を受持した。
 病魔には打ち勝ったものの、母親のアルコール依存症や息子の不登校など、宿命の嵐が止むことはなかった。だが、ハリスさんは、日本での池田先生との出会い(2008年)や同志からの励ましを胸に、全てを信心で乗り越えてきた。変毒為薬の体験を積むたび、弘教にも一段と力が入った。
 ハリスさんが所属するポーランドSGIの南支部は、クラクフを中心とした地域が活動の舞台。草創期にはメンバーが数人いるだけだったが、現在は140人ほどに発展した。広布の会場として提供する自宅では、毎週のように会合がにぎやかに行われている。
 「創価学会の一員であることが、最大の誇りです。これからも自分らしく仏法を伝え広げていきます」

マルチン・ノバックさん
自他共の幸福に生きる喜び
 「信心する前の私の人生は、操縦不能で漂流する船のようでした」
 こう語るのは、マルチン・ノバックさん(地区部長)だ。
 南部の街シロンスクで生まれた。
 物心ついた頃から父親は家におらず、母親は病気がち。そのため、きょうだいと一緒に祖父母に育てられた。
 ある日、友達の家に遊びに行った時のこと。その友達の親から「両親のいない子どもは、絶対に泥棒する」と暴言を吐かれ、玄関にさえ入れてもらえないことがあった。
 “自分は他の子どもとは違うのではないか”――ノバックさんは心に深い傷を負った。
 社会人になっても、職場の同僚と打ち解けられず、“自分なんか幸せになれない”と、どこか投げやりな気持ちで毎日を過ごしていた。
 そんな中、声を掛けてくれたのが、同僚のモニカ・ヤムロジェックさん(ポーランド女子部長)だった。
 彼女もまた、かつて家族や周囲の人々との関係に悩んだ過去があった。それを信仰の力で乗り越えたというのだ。
 ヤムロジェックさんが語る確信の体験に衝撃を受けたノバックさん。信じられない気持ちもあったが、言われるまま唱題に挑戦し始めた。
 数カ月間、真剣に信心を実践すると、ノバックさんは、これまで運命に翻弄されてばかりだったことに気付く。さらに、この信仰を根本として、自他共の幸福を目指す中に、真の幸福があることを知った。
 「それから私の人生が百八十度変わりました」とノバックさん。やがて、悩んでいた職場や取引先の人々との人間関係は好転。また、かつては家庭を築くことを諦めていたが、良縁に恵まれ、結婚することもできた。
 現在、昨年6月に新体制となった首都ワルシャワで地区部長を務める。
 「私の最大の夢は、メンバー全員の幸福です。学会創立90周年を迎える本年、地区一丸となって、縁するワルシャワの全ての人々に、信心の歓喜を語っていきます」

エミリア・オピェリンスカさん
定年退職時に入会 人生も信心も引退なし
 エミリア・オピェリンスカさん(婦人部副グループ長)は60歳の頃、初めて日蓮仏法の話を聞いた。
 「信心に出あう以前は、定年退職が近かったこともあり、もう私の人生に大きな変化はないと思っていました」
 生まれたのは第2次世界大戦前。戦争によって、両親と4人の兄の命を奪われ、自身も毎日、死の恐怖と隣り合わせだった。
 悲惨を極めた大戦が終わったのもつかの間、今度は共産主義政権の圧政に苦しむ日々が始まった。
 周囲の支えもほとんどなく、15歳で働きに出たオピェリンスカさん。その後、病気や転職、離婚などの困難や問題に直面するたび、一人で悩んできた。
 そんな時、決まって頭をよぎったのは、過去の苦しい記憶。次第に運命に左右されるのが、人間の一生だと思うようになった。
 だからこそ、初めて参加した座談会で知った「自分の行動次第で運命は変えられる」という考えは、大きな驚きだった。光明が見えた気がした。
 座談会の後、オピェリンスカさんは、仏法の法理を学びながら、題目を唱え始めた。
 最初は、苦しい思い出ばかりがよみがえった。しかし、祈り続けていくと、勇気と知恵が湧き、行動が変わっていった。
 やがて持病が回復の方向へ進んだり、愛娘たちに家を購入することができたりと、功徳を実感するように。信心によって一歩ずつ宿命転換に挑み、感謝と歓喜の題目をあげられるようになった。
 現在、定年退職しているオピェリンスカさんの日課は、池田先生の指導を学ぶこと。
 座右の銘とする先生の指針の一つに、こうある。
 「一歩ずつでもいい、粘り強く、前へ進み続けることである。年をとったからといって、遠慮したり、退いては敗北である。会社には『定年』があるかもしれないが、人生には『定年』はない。いわんや、信心に『定年』や『引退』はない」
 使命ある限り、広布と人生の最前線を走り続ける決意だ。


◆海の見える畑で育む島タマネギ農家〈信仰体験〉 連載企画〈縁Joy×農Life〉
 

津和地島は“ミカンの島”でもある。


 【愛媛県松山市】“タマネギの島”と注目を集める島がある。
 瀬戸内の海に浮かぶ津和地島。人口200人強、高齢化率は7割を超える小さな島が、この時期、にわかに活気づく。島で栽培される極早生の新タマネギは今が旬。港に降り立った瞬間から、タマネギの香りが、ふわっと漂ってきた。
 「ええ匂いじゃろ?(笑い)。この島のは辛うないけえ。生でもかじれるんじゃ」
 福島岩雄さん(72)=副支部長(地区部長兼任)=は、引き抜いたばかりのタマネギを手に目を細めた。
 島特有の砂地に植わったタマネギが、土から少し頭をのぞかせている。引き抜いたそばからパラパラと砂が落ち、一皮むけばきれいな白い実が顔を出した。
 
 「この瞬間が一番好きなんじゃ。作り手の努力が足らんとな、おいしくなってくれんのよ。タマネギも生きとんじゃけえ」
 長く伸びた葉を鎌で切り落とすと、切り口から、じわっと水分が出てくるほどのみずみずしさ。生でもいけるというが、「火を通したら、ぐっと甘みが増すんじゃ。これが皆さんに好評でなあ」。
 タマネギ愛を語らせたら、冗舌に拍車がかかって止まらない。
 収穫したてを海岸べりに並べ、風にさらして乾燥させる。まるで、さざ波の音を子守歌に、日なたぼっこをしているかのよう。
 タマネギを荷台いっぱいに積んだ軽トラックが行き交う。出来栄えの良しあしを語らう人たちの歓声も弾む。これら全てが、島の冬の風物詩である。
 
 かつて島は半農半漁が主流だった。港には漁船がずらりと並び、島の往来など生活にも船は欠かせなかった。
 福島さんの家も代々、半農半漁。昼は畑で汗にまみれ、夜は夫婦船で沖へ出た。
 働けど働けど、暮らしは楽にならなかった。幼子を両親に預け、夜なべした。妻・春美さん(71)=支部副婦人部長(地区婦人部長兼任)=と握手を交わし、励まし合うのが日課になった。働き者の手。荒波を越えてきた手。その手で涙をぬぐい前を向いた。「寝る間もなかったなあ。あん時が一番苦しかった。それでも踏ん張れたんは、信心しとったけんじゃろうな」
 
 信心を始めたのは、福島家で父が最初。家族も父に続いた。父は島の広布の一粒種。創価学会に入会した当初、島では学会への無理解から陰で非難されることが多かった。しかし、心は一歩も引かなかった。
 自家用船に同志を乗せて島から島へ。島の同志は熱い求道心で会合に参加した。「昔は大変じゃった。今も大変じゃ。でも大変じゃから頑張れる。題目もあがる。これが親父の教えじゃったな」
 1985年(昭和60年)4月の愛媛青年平和文化祭。福島さんは場外で役員をしていた。「忘れられん思い出じゃ」。この時、池田先生が車中から場外の青年役員を励ました。その青年とは福島さんの幼なじみ。
 「後で聞いたんじゃけどな。津和地のメンバーを激励してくださった、その師匠の心がうれしくてな。わしも池田先生に“負けません”って誓ったんじゃ」
 
 津和地島は“ミカンの島”でもある。
 青い海と青い空、段々畑いっぱいに実ったオレンジ色の果実が島を彩る。
 ところが、そんな島を自然災害が襲う。
 91年(平成3年)の台風19号。強風で巻き上がった海水を果樹が浴びた。この塩害で大量のミカンの木が枯死。島は大きな被害に遭った。福島さんの果樹もやられた。
 果樹を植え直しても、実るまでには何年もかかる。“それならば”と思い切って、ダメになった果樹園をタマネギ畑へと切り替えた。やがて近海で魚が捕れなくなり、福島さんら多くの島民が半農半漁から専業農家へ転身する。本格的に栽培を始めて15年。妻や息子の博明さん(49)=副志国長(副ブロック長)=と共に丹精込める。
 
 2年前の西日本豪雨では畑が水浸しになった。しかし各地の震災や豪雨災害で家族を失い、家を失ったとのニュース報道を聞くと思う。「うちなんか、いくらでもやり直せる。雨が少ないとか多いとか、作物の病気がどうとか嘆いとれんよ。もっと苦しんどる人がおるんじゃけえ」
 畑でタマネギに語り掛けていた。「負けるなよ。頑張れよ」。自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
 生産者と消費者がインターネットでつながれる時代。「昔じゃ考えられんかった。お客さんの喜びの声が聞けるなんてな。そりゃもう、うれしいよ。やりがいが違うわ」
 真っ白なタマネギをうっとり顔で見つめる。出荷時には「色白の娘を嫁に出すような気分じゃ。いや、ほんまよ。タマネギも喜んどると思うな」と笑った。

師との誓い 父との約束
 父・忠吉さん(故人)の家族への口癖は「日頃の振る舞いを大事にせえよ」だった。島民の幸せを願い行動し続けた父は、島民から愛された。そんな父の背中を見て、福島さんは生きてきた。
 エレキギターをかき鳴らした青春時代。「歌が好きでな」。一方、島の盆踊りは少子高齢化に伴い、数年前に廃れていた。自分も楽しんで、人を楽しませることが好き。その好きが高じて、福島さんが中心となって、夏の盆踊りを復活させた。「島を出た人も、帰ってきて楽しめる場所をつくってあげたい。そう思うたんじゃ」
 
 また福島さんは昨年まで民生委員を長年務めた。1人暮らしのお年寄りの家を訪ねては励ましの声を掛けた。
 「仲良しになったおばあちゃんがおってな。お弁当を持って行くと、離してくれんのじゃ。いつまでもありがとう、ありがとう言うて。ああ、これが親父の言いたかったことなんじゃなと思うたな」
 島のために、人のために――師との誓い、父との約束を果たし続ける誠実の人が、そこにいた。

 

2020年2月15日 (土)

2019年2月15日(土)の聖教

2019年2月15日(土)の聖教

◆わが友に贈る

 令和の「二月闘争」も
 いよいよ後半戦。
 自ら定めた誓いを胸に
 「強盛の大信力を致して」
 悔いなき一日一日を!
 (御書1138ページ)


◆名字の言 名将・野村克也氏の指導者論とは

 名捕手として一時代を築き、監督としてもヤクルトスワローズを3度の日本一に導いた名将・野村克也氏。先日、84歳で亡くなった▼こうした実績もさることながら、氏が未来へ残した最大のものは「人材」であろう。教え子たちは今、球界を代表する指導者に。訃報に接した彼らが「野球のイロハを教えてもらった」と口々に感謝を語る姿が印象的だった▼野村氏が指導者として心掛けていたのは「つねに自分がレベルアップしていくこと」。「組織はリーダーの器以上には大きくならない」との信念で“この指導方法でいいのか”と自身に問い続けた。氏がこだわった「考える野球」は、選手に触発を与え、彼らの可能性を次々と開花させた(『野村再生工場』KADOKAWA)。氏の哲学は、教え子たちの手でさらに輝いていくに違いない▼人材育成で問われるのは、常に“育てる側”の姿勢であろう。相手の可能性を引き出すためには、“自身を磨き続ける”以外にない。自分の生命が澄んだ“鏡”のようになれば、必ず相手の長所も見えてくる▼その“鏡”を磨く確かな実践が信心といえよう。広宣流布の運動も、未来へ限りない人材の流れを創る絶えざる挑戦である。自分が成長した分だけ、広布のフィールドは広がっていく。(差)


◆寸鉄

難に負けない信心が永遠
の幸福の城を築く―戸田
先生。逆境こそ成長の時
     ◇
「当に仏を敬うが如く」
が最上第一の相伝。皆に
使命。幹部は心して走れ
     ◇
正義を守ること、これが
人の務め―文豪。若師子
よ破邪顕正の闘魂燃やせ
     ◇
高齢者運転の死亡事故、
最多要因は「操作の誤り」
と。絶対に無事故第一で
     ◇
四国で春一番。季節の変
わり目は体調管理賢く。
リズム正しい生活が根本


【教学】

◆2月度「御書講義」の参考  諸法実相抄 人を救う使命に立てば勇気も湧くし力も出る

 2月度の「御書講義」では「諸法実相抄」を学びます。拝読範囲は「いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし……釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏菩薩・虚空にして二仏うなづき合い、定めさせ給いしは別の事には非ず、唯ひとへに末法の令法久住の故なり」(御書1360ページ6行目~13行目、編年体御書549ページ6行目~13行目)です。ここでは、学習の参考として、本抄の背景と大意、さらに理解を深めるための解説を掲載します。

背景と大意
 本抄は、文永10年(1273年)5月、流罪地・佐渡で著され、最蓮房に与えられたお手紙とされています。
 また、最蓮房については、天台宗の学僧でしたが、何かの理由で佐渡に流され、そこで日蓮大聖人と出会い、弟子になったと伝えられています。
 追申に「日蓮が己証の法門等かきつけて候ぞ」(御書1362ページ)と記されているように、大聖人の仏法の肝要の法門が示されているのが本抄です。
 はじめに、法華経方便品第2に説かれる「諸法実相」の法理に関して、“地獄界から仏界までの十界のあらゆる衆生と、その衆生の住む世界”(諸法)が、そのまま、ことごとく「妙法蓮華経」(実相)の姿であることが述べられています。
 続いて、末法にあって、地涌の菩薩の上首(リーダー)である上行菩薩が弘通すべき妙法を、大聖人が弘め、御本尊を顕したことが示され、御自身が「地涌の菩薩のさきがけ」(同1359ページ)であると述べられます。
 更に、大聖人と同じ心に立って、自行化他にわたる唱題の実践に励む人は皆、地涌の菩薩であり、「二人・三人」と妙法が弘まっていく「地涌の義」によって、必ず広宣流布が実現することは間違いないとの確信を示され、どこまでも法華経に身を任せていくよう促されます。
 最後に「信・行・学」が仏道修行の根本であることを述べられ、信心強盛に行学の二道に励んでいくよう勧められて本抄を結ばれています。
 
参考1 地涌の菩薩
 「地涌の菩薩」とは、どういう菩薩なのでしょうか。
 法華経の従地涌出品第15で、突然、地から涌出した無数の立派な菩薩のことです。
 涌出品で、説法の場に居た無数の菩薩が、“仏の滅後に、娑婆世界で法華経を弘通したい”と、釈尊に請います。
 しかし釈尊は、“止めなさい。あなたたちに、この法華経を護持させるわけにはいかない”と、その願いを退けました。
 そして“この娑婆世界には、私の滅後に法華経を説く、無量の菩薩がいる”と、末法に弘通を託すべき本物の弟子である菩薩がいることを宣言します。
 そして、大地から立派な姿で涌出した菩薩が、「地涌の菩薩」です。
 それぞれが六万恒河沙という無量の眷属(仲間)を率いています。
 これらの無数の地涌の菩薩の上首(リーダー)が上行・無辺行・浄行・安立行という四菩薩です。
 「地涌の菩薩」とは、仏滅後、なかんずく末法に妙法流布の使命を担い、この世に出現した尊い存在なのです。
 
参考2 難問答に巧み
 なぜ釈尊は、他の菩薩に、滅後の弘通を託さなかったのでしょう。
 それは、仏の滅後に法華経を受持することが、難事中の難事だからです。ゆえに釈尊は、自ら教化してきた直弟子の「地涌の菩薩」に末法悪世の弘通を託したのです。
 法華経には「地涌の菩薩」の特質が記されています。「志が固い」「偉大な忍耐力がある」「蓮華が泥水に染まらずに咲くように、濁世にあって世俗に染まらない」「種々の法を説いて畏れる心がない」「難問答に巧みである」……。
 悪世末法にあって、本抄に説かれるように「地涌の義」を現実にできるのは、これらの特質を具えた「地涌の菩薩」だからです。
 法華経で妙法流布を託された通りに、末法の初めに出現して、南無妙法蓮華経を万人に説き、御本尊を顕され、不惜身命で弘通されたのが、末法の御本仏である日蓮大聖人です。
 この意義から、大聖人御自身こそ「地涌の菩薩」、なかんずく上行菩薩に当たります。
 さらに「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(御書1360ページ)と仰せの通り、大聖人と同心で戦う同志も「地涌の菩薩」なのです。
 
参考3 仏と師弟不二
 仏の願いは、「令法久住」、つまり未来永遠にわたって妙法が伝えられるようにすることです。
 池田先生は語っています。
 「仏という『一人』から『全民衆』への正法広宣流布を担うのは、いかなる国土であってもつねに『地涌の菩薩』なのです。
 それはなぜか。『地涌の菩薩』とは、内証の境涯が『仏』と同じでありながら、しかも、どこまでも『菩薩』として行動していくからです。いわば『菩薩仏』です。
 境涯が『仏』と師弟不二でなければ、正法を正しく弘めることはできない。しかも現実の濁世で、世間のなかへ、人間群のなかへと同化して入っていかなければ広宣流布はできない。この両方の条件を満たしているのが『地涌の菩薩』なのです」(『法華経の智慧』普及版<下>)
 「地涌の菩薩」として、三世にわたる師弟の宿縁を自覚した時、宿命を使命と輝かせることができます。
 どこまでも民衆の中に入って、目の前の一人に同苦し、救わんと奮闘する生命に、仏界が涌現するのです。

池田先生の指針から
1、同じ心で戦う人
  日蓮大聖人は仰せです。
 ――このたび、信心をしたからには、いかなることがあろうとも、「法華経の行者」として生き抜き、「日蓮が一門」との最高の誉れの人生を歩み通していきなさい、と。
 私たちは、ひとたび決めたこの道を、誇り高く厳然と進んできました。
 そして「日蓮と同意」、すなわち大聖人と同じ心で広宣流布に戦う人は「地涌の菩薩」であり、「釈尊久遠の弟子」にほかなりません。
 私どもも、何ものも断ち切ることのできない、永遠の生命の絆で結ばれた宿縁の師弟として、共に広宣流布の誓いに生き抜く同志であります。
 まさに創価学会は、「日蓮と同意」のままに、大聖人の御遺命である広宣流布実現へ、不惜の行動を貫いてきました。
 しかも、妙法五字を弘める地涌の大使命にあっては、「男女はきらふべからず」(御書1360ページ)と仰せのごとく、男女の分け隔てなど、いかなる差別もなく、万人が平等に尊い地涌の活躍の舞台を現出してきたのです。
 
2、なんと偉大な誓願
 「時」をいえば悪世末法、その「国土」をいえば娑婆世界が、地涌の菩薩の使命の舞台です。一番大変な条件を選んで、一番苦しんでいる民衆のために“今ここで戦う”と立ち上がったのです。
 仏法は「願兼於業」を説きます。
 人々を救うために自ら願って困難なところに生まれたのであると、受動的な人生から、自発能動の人生に転換するのです。自らの誓願で「宿業を使命に変える」のです。
 久遠の使命の自覚によって、新たな自分に生まれ変わる。自身の発迹顕本をして、本当の自分の力を解き放つのです。
 地涌の生命に目覚めた人に、何も恐れはありません。多くの人を救う使命に立てば、勇気も湧くし、力も出る。
 なんと不思議な宿縁でしょうか。
 なんと偉大な誓願でしょうか。
                         ◇ ◇ ◇
 地涌の使命は、あまりにも大きい。あまりにも崇高です。民族や人種、国籍や性別など一切の差異を超え、生命の大地の奥深くに広がる大いなる創造的生命――人類共通のルーツに基づく使命といってもよい。それに気づくことを「地涌」というのです。
 いかなる人も尊極の生命の当体です。互いに励まし合い、尊敬し合いながら、今この地上に生きる仲間として、自他共の無限の可能性を開き、幸福と平和という価値を創造する底力がある。偉大な使命があるのです。
 その使命に生きることを誓って現実社会に躍り出たのが、私たちなのです。
 (『勝利の経典「御書」に学ぶ』第17巻)


【聖教ニュース】

◆アラブ首長国連邦ドバイで第9回「詩人の集い」 2020年2月15日

詩心は差異を超えて人々を結ぶ――「詩人の集い」の参加者。午後の集いでは詩の朗読に合わせて英語訳とアラビア語訳がスクリーンに映し出された(UAEのドバイで)

詩心は差異を超えて人々を結ぶ――「詩人の集い」の参加者。午後の集いでは詩の朗読に合わせて英語訳とアラビア語訳がスクリーンに映し出された(UAEのドバイで)

 中東・アラブ首長国連邦(UAE)のドバイで2日、第9回「詩人の集い」が開かれた(主催=湾岸SGI<創価学会インタナショナル>、エミレーツ・ナショナル・バンク・オブ・ドバイなど)。これは、池田大作先生の中東初訪問50周年となった2012年以来、「詩心は人間性を結ぶ」をテーマに毎年開催され、先生の人間讃歌の詩に共鳴する詩人や学生らが自作の詩を披露するもの。今回の集いには、各国の著名な詩人や識者、大学生や高校生など1000人以上が参加。集いの模様は、地元紙やテレビで広く紹介された。

午前の部では、高校生が自作の詩を堂々と発表した

午前の部では、高校生が自作の詩を堂々と発表した

池田先生の詩に共鳴する詩人、識者、学生らが自作の詩を披露

 「詩人の集い」は、午前の部と午後の部の2部形式で行われた。
 午前の部では、UAEにある高校40校の生徒300人超から寄せられた応募作の中から、厳選された35人の詩が披露された。また、特別支援学校4校からも代表4人が参加。一人一人が、平和や希望などを表現した詩を情熱を込めて発表し、会場から温かな拍手が送られた。

UAEの著名な青年詩人ワエール・アル・サエー氏が、平和への願いを詩に託して歌い上げる

UAEの著名な青年詩人ワエール・アル・サエー氏が、平和への願いを詩に託して歌い上げる

 午後の部では、池田先生の詩集等を翻訳したUAEの詩人シハブ・ガネム博士の招へいで参加したタラール・アル・ジュナイビ氏やワエール・アル・サエー氏ら、多様な12人の詩人による人間愛などについての詩が披露された。朗読は英語やアラビア語に加え、日本語、スペイン語、イタリア語など8言語で行われた。 
 さらに、湾岸SGIのコーラスグループ「ナシーム(そよ風)」による合唱のほか、UAEのアーティストらによる記念の演奏や、独唱などが集いに花を添えた。
 池田先生の長編詩「希望は人生の宝なり」「黎明の八月十五日」「月氏の曙 地涌の讃歌」が英語と日本語で朗詠され、会場の参加者から万雷の拍手が送られた。
詩人の集いは“家族の集い”
 参加した識者から次の感想が寄せられた。
 「私にとって『詩人の集い』は“家族の集い”です。“帰ってくる場所”との思いで毎年、参加しています。今年は特に未来を担う高校生の詩にエネルギーをもらいました。私自身、ここからまた、詩を通して人々を励ましていきたい」(タラール・アル・ジュナイビ氏)
 「詩を通して多くの人々と心を通わせることができ、喜びでいっぱいです。今回、池田博士の長編詩『黎明の八月十五日』に出合うことができ、本当に参加して良かったと思います」(ワエール・アル・サエー氏)


【特集記事・信仰体験など】

◆<ライフウオッチ――人生100年時代の幸福論>
 長期化するひきこもり その背景にあるもの 斎藤環・筑波大学教授に聞く

 人生100年時代を豊かに生きる知恵を探る「ライフウオッチ」。今回は、精神科医の斎藤環・筑波大学教授に話を聞いた。(聞き手=佐口博之、村上進)

 <ひきこもりの長期化・高齢化が懸念されている。内閣府が40歳から64歳までの中高年を対象に実施した調査で、その人数が61万人に上ることが明らかになった。斎藤環教授は、ひきこもり人口は実際、中高年で100万人以上、若年世代も含めれば200万人以上いるのではないかと指摘する。その背景にあるものは何か>
  
 今の世の中は、社会的に機能している人は尊重される一方で、社会的に機能していない人はスティグマ化(負の烙印、偏見の固定)され、排除されている傾向があります。
 たとえば、学校や職場ではコミュニケーション能力が、評価基準の大部分を占めています。その能力が高い人は社会的に評価されるが、そうでない人は「コミュ障」などとレッテルを貼られ、排除されてしまう。非婚や未婚の問題も同様です。“結婚は大前提”という考えが社会に根強く残っていますから、中高年の単身者や、シングルマザーなどに対する偏見はいまだにあります。
 社会の多様化が進んでいるにもかかわらず、個人が尊重されにくい風潮が、若者に限らず、中高年の漠然とした生きづらさを、招いているように思えます。
 ひとたび、“だめな人間”という烙印を押されてしまうと、なかなか、自信を持てません。そればかりか、自分で自分を排除する「セルフスティグマ」に陥り、次第に家族や社会との接点も失い、孤独化していきます。その象徴的な現象が、ひきこもりです。これは、個人の責任でなく社会のある種の必然性が生んだものです。
 ひきこもりが増大し続けているのは、それを恥とされ、排除され続けてきたことが最大の要因です。ひきこもりは決して「病気の人」ではありません。「たまたま困難な状況にあるまともな人」です。どこでも、誰でも、いつからでも、ひきこもりは起こり得るのです。
 成熟社会は、何かしら、困難を抱えながら生きる時代ともいえます。ひきこもりに限らず、あらゆるスティグマをなくしていくことが、誰もが生きやすい「人生100年時代」につながるのではないでしょうか。

「ひきこもりシステム」の悪循環
 <ひきこもりの長期化・高齢化では、当事者だけでなく、その家族も困難を抱えている>
 
 ひきこもりは、不登校の延長線上と考えられてきましたが、今は、いったん就労してから、ひきこもる事例が増加しています。
 その中で、懸念されているのが、ひきこもりの長期化・高齢化です。この背景にあるものとして、個人の未成熟化が進んでいることが挙げられます。経済成長などによって、人間はモラトリアム(猶予)を享受できるようになりました。それは言うまでもなく良いことです。
 実際にITをはじめ新たな分野では、一見すると、未成熟な人で活躍している場合も多いように思います。しかし、それらは少数派で、多くの場合、未成熟は社会に背を向けている「非社会性」と表現され、スティグマ化されます。ニートやおたく、不登校、ひきこもりなどが、その象徴です。
 一方で、同じ未成熟でも、かつての学生運動やヤンキーなどの「反社会性」に対しては寛容な社会です。成熟していくための“通過儀礼”として受け入れられてきたのです。
 両者の差は、社会の“暗黙のルール”が生んでいます。社会の多様化が進んでいるにもかかわらず、「非社会性」を受け入れる土壌は乏しい。ゆえに、多くの人々が生きづらさを覚えます。次第に周囲との接触を避けるようになり、自分の殻に閉じこもっていきます。この象徴的な現象が、ひきこもりです。
 とりわけ、それが長期化すると、「ひきこもりシステム」の悪循環を招いていきます。
 私たちの暮らしは「個人」「家族」「社会」によって構成されています。「通常システム」では、これら三つが相互に関係し合っています。
 これに対し、「個人」がひきこもった場合、「個人」は「社会」との接点だけでなく、「家族」との接点も失うことが多くあります。そして「家族」もまた、「社会」との接点を失ってしまうリスクがあるわけです。なぜかといえば、「家族」も「個人」も悩んでいるものの、偏見を恐れて、誰にも、打ち明けられないからです。
 この悪循環の根っこにあるのが、“ひきこもりはダメなもの”というレッテルです。そうして、「個人」と「家族」「社会」が、いつまでも接点を持てなくなることが、ひきこもりを長期化・高齢化させる最大の要因だと考えます。

「マイルドなお節介」とは
 <斎藤教授は1980年代から、いち早く、ひきこもりと向き合ってきた。「ひきこもりシステム」から脱するためには何が必要か>
 
 当事者が「家族」「社会」との関係性を回復させていくためには、家族による適切な関わりが大切であることはもちろんですが、それは簡単なことではない。だからこそ「家族以外の第三者」の役割が重要です。
 ひきこもりのニーズは多様です。治療や支援を受けたい人もいれば、拒否する人もいます。まずは、当事者はもちろん、親だけであっても、周囲はあらゆるニーズに対応できるようにする必要があります。本音をいえば、全ての当事者は、潜在的に支援ニーズを抱えていると思っています。
 ここで、大事になるのは、「マイルドなお節介」です。第三者が、当事者やその家族に対して、機会あるごとに“御用聞き”をし、ニーズの有無を尋ねる。断られたら、別の機会に足を運ぶ。押し付けではありません。
 「マイルドなお節介」のイメージは「藤里方式」と呼ばれる、秋田県・藤里町の社会福祉協議会が取り組んだひきこもり支援策がヒントになります。
 「藤里方式」は、支援ニーズの把握から、就労支援を基軸とした窓口の開設、高齢者支援とひきこもり支援を組み合わせるなど、他に類を見ないサービスを提供しています。
 こうした活動の多くが、社会福祉協議会の菊池まゆみさんの実践によるものです。この町の全戸訪問を実施して、現役世代の9%弱がひきこもりであることを明らかにしました。
 踏み込んで調査できたのは就労支援を掲げて戸別訪問したからです。政府の調査では「あなたの家にひきこもりはいますか」と質問しますが、家族は率直に回答しづらい。
 一方で、菊池さんは「こういう事業を考えていますが、あなたの家にそれを利用できそうな人はいますか」と質問していきました。就労支援を受けられると分かってもらえれば、回答を得やすいわけです。
 この「藤里方式」に貫かれているのは、当事者に対する配慮と距離感です。それを理解しなければ、単に「就労支援を強要するモデル」に陥ってしまう恐れがあります。
 ただでさえ、昨今の日本社会は、お節介にうんざりしているところがあります。当事者の家族に対して、「あなたが甘やかしてどうするの」といったお節介はご法度です。時折、「力になれることがあったら言ってね」「苦しいことがあったら、いつでも力になるよ」と声を掛ける。こうした「マイルドなお節介」が大きな力になり得ます。

ありのまま受け入れる対話の場を
 <精神的な課題を抱えた人への治療と支援で新しい潮流になっているのが、フィンランドで生まれた「オープンダイアローグ(開かれた対話)」だ。斎藤教授は、日本の「オープンダイアローグ」普及の代表的人物である>
 
 その内容は、至ってシンプルです。当事者とその家族、医療関係者や支援者で対話を重ねていきます。計画もなければ、結果も求めない。いわば“目的のない対話”です。話し続けること自体が目的ですから、おしゃべりに近い感覚です。
 この「オープンダイアローグ」を成立させる核は「他者の他者性」、すなわち、他人は自分とは異なる存在であることを歓迎し、尊重する姿勢です。対話は、自分の意図に即して相手をコントロールし、変えようとすることではありません。相手をありのまま受け入れ、言動に即して反応することが重要です。
 私が「オープンダイアローグ」を日本で実践し、初めて社会復帰を果たしたのが「ひきこもり新聞」の編集長を務める木村ナオヒロさんです。
 当事者の彼は当初、対話を拒みましたが、家族を交えて対話の場を持つと、「次回もお願いします」と言いました。家族と言い争いになることもありましたが、ありのままの姿を受け入れ、対話を続けていく中で、自分で妥協案を見つけていくようになりました。
 ある時、「写真の専門学校に行きたい」と言うので「なぜか」と聞くと、「写真の力で当事者の支援をしたい」と答えました。彼は自ら、社会との接点をつくり始めていったのです。
 このように、当事者への偏見のない姿勢で対話を続けていけば、解決を意図しない解決の道が開けてきます。精神医療の現場でも、その効果が証明されてきています。

創価学会をはじめとする中間団体の役割
 <創価学会の座談会なども、「オープンダイアローグ」の発想に近いものがある。人生100年時代にあって、学会のような国家でも個人でもない中間団体に求められるものは何か>
 
 「オープンダイアローグ」は、あらゆる場面で応用していけます。
 対話で大事なのは「不確実性に耐える」ことです。いつ解決するか分からないという「不確実性」をはらんだ悩みと向き合う人は、たくさんいます。そうした人たちと接する側も、いつ状況が好転するのか分からないという「不確実性」との格闘があります。
 相手に偏見をもたず、気軽に対話し続けていくこと自体が「不確実性」と向き合い続ける力になっていくと思います。創価学会をはじめとする中間団体には、こうした対話の場をつくり、広げていってほしいと思います。
 人生100年時代を、希望をもって生き抜くためには、社会の価値基準を変えていく必要があります。苦しければ休養し、他人に助けを求めることができる緩やかな社会を志向していくべきではないでしょうか。
 途中で、ひきこもることがあってもいいと思います。「ひきこもっても大丈夫な社会」になれば、ひきこもりは排除されにくくなり、一定以上に増加することがなくなるばかりか、激減する可能性もあると考えています。
 人間は、違いがあって当然です。それを認め合う対話を広げていくことこそが、誰もが生きやすい「人生100年時代」への第一歩になるのではないでしょうか。


◆〈信仰体験〉〈生きるよろこび〉25歳で舌がんに。  「僕にしか語れない言葉がある」

 【東京都墨田区】正木伸男さん(33)=男子部副部長(地区リーダー兼任)=は9年前、舌がんを発症した。
 翌年に再発し、絶望の淵に立たされた。その後も、がんの転移や転職と、苦難が続く。
 そんな中でも、前を向き続けようと思えたのは、語りたい、語らなければならないことがあったから――。

日常を返して
 正木さんが、舌に違和感を覚えたのは2011年(平成23年)5月。社会人3年目、営業マンとしてバリバリ働いていた時のことだった。
 鏡をのぞくと、口の中の右奥にくぼみがある。口内炎と思い薬を塗ったが、2カ月が過ぎても治らない。次第に激しい頭痛に襲われるようにもなった。
 10月、幾つもの病院を回った結果、大学病院で舌がんと診断された。ステージ3。“何度も病院に行っていたのに、なぜ……”。目の前が真っ暗になった。
 大阪に住む母・賢子さん(63)=支部副婦人部長=に電話した。「舌がんだって。今度、手術するよ……」。次の言葉が出てこない。
 「いよいよ宿命転換の時やね。絶対に大丈夫や!」。微動だにしない信心強盛な母の声が、揺らぐ心を支えてくれた。
 10月31日。舌の半分以上を切除する舌亜全摘出術と、両側頸部郭清術を行った。手術は13時間に及んだ。
 しばらくして、恐る恐る鏡の前で口を開けてみた。腹直筋を移植して舌を再建したものの、神経や筋肉の機能はなく、動かせない。左側に残った、わずか小指ほどの舌が動くだけ。
 気管を切開したため声が出ない。点滴などで命をつなぐ日々。日常を取り戻したくて懸命にリハビリに励んだ。
 12月、「息子と一緒に闘いたい」と父・光男さん(64)=地区幹事=が、東京への転勤希望を出し3人で暮らすように。賢子さんは、正木さんの食事が重湯から流動食になると、食材を細かく切っては、料理を作ってくれた。
 こうした家族の支えもあり、翌年には職場復帰を果たす。
 だが――。

努力が通じない
 12年2月、首の手術痕がチクチクした。次第に痛みが強くなる。“まさか……”。時間がたてば治まると自分に言い聞かせたが、検査結果は無情だった。
 「舌がんの再発でステージ4aです。手術を行いますが、今後は再発しても手術はできません」
 医師の言葉に愕然とした。それでも、心のどこかで“大丈夫なはずだ”と考えたのは、「中学時代の不登校を越え、大学に進学できたから。大学では成績優秀者にもなれた。最初の手術の後も職場復帰できた。今回も努力で乗り越えられると信じていたんです」。
 手術以外の方法はないかと、舌がんの書籍や闘病ブログを読みあさる。病院を幾つも回った。だが、調べれば調べるほど、自分の努力ではどうにもならないことを思い知る。
 “何で僕ばかり。もう十分苦しんだ”。限界だった。涙が止まらなかった。
 前に進む勇気をくれた人がいた。何度も通ってくれた男子部の先輩。熱くて、優しい人。先輩自身、仕事や家庭の悩みがあるのに、周囲を笑顔にしていた。
 “なんで、いつも元気なんだろう”
 それまでは信心に消極的だった。でも、先輩に相談せずにはいられなかった。病のことを打ち明けると、目をそらさず話を聞いてくれた。そして、いつもの笑顔で「一緒に祈ろう。絶対に負けさせないよ」。胸が熱くなった。
 祈るほどに“大丈夫かな”という不安が、“絶対に大丈夫”という勇気に変わる。そして、手術することを決めた。
 手術の2日前。大学時代の友人が見舞いに訪れた。正木さんは夢中で話していた。信心のこと、池田先生のこと。聞き取りにくい声だが、がむしゃらに語った。
 最後には「絶対に信心でがんを乗り越えるから見ていてほしい」と。いつもは話をそらす友人が強くうなずいた。
 その夜、病室で題目を唱える正木さんの胸にあふれていたのは、かつてない達成感だった。一つ決めたことがあった。
翌日、医師に「声帯は残したい」と伝えた。転移・再発のリスクが高まると説明されたが、「もっと信心のことを語りたかった。もっと題目を唱えたかった。これからの人生は、そう生きようと決めたんです」。
 14時間の手術。困難を極めた。右側の内頸動脈と外頸動脈に、がんが巻き付いていた。1本は合併切除し、もう1本に巻き付いたがんは、医師の懸命な処置で取り除くことができた。
 その後、抗がん剤治療と放射線治療に臨んだ。不安は小さかった。「闘病が単なる苦痛ではなく、同じ悩みを持つ人の心に寄り添える力、自分を成長させる体験になると思うようになっていたから」

雨上がりの景色
 がんの治療を終えた後、仕事を辞めざるを得なかった。
 13年6月に現在勤めるIT企業に、1年間の契約社員として採用される。だが、翌年、正社員登用が決まる直前に左肺下葉への転移が見つかった。
 ショックはあったが、嘆くことはなかった。会社に病状を報告し、手術することに。懸命に唱題に励んだ。
 池田先生の言葉を読み返し、一歩踏み出す力に変えた。
 「仏法の眼で見るならば、すべてに深い意味がある。嘆いてはいけない。『強き信心』『勇気ある信心』さえあれば、あらゆる困難を、必ず『変毒為薬』していける」
 多くの同志の祈りに包まれ、内視鏡手術は成功。抗がん剤治療は必要なかった。
 退院して出勤すると、上司から「おめでとう! 正社員の採用が決まったよ」と。2度目の失業を覚悟していたが、それまでの誠実な仕事ぶりが評価されたという。
 期待に応えようと懸命に仕事に励み、その年、社長賞を受賞することもできた。
 現在、音声・言語障害とそしゃく機能障害がある。
 舌はわずかしか動かせない上、右奥歯も無い。食べ物の大きさを知覚したり、舌で支えて歯で砕いたりできない。飲み物は誤嚥を防ぐため、とろみをつけ、大好きなイチゴもミキサーにかけてから食べる。足りない栄養は、今も胃ろうで補っている。
 言葉は、濁音や一部の母音は聞き取りにくい。よく聞き返される。
 「それでも、僕は今、とても幸せです。雨が降って、晴れの日には分からなかった、雨上がりの虹が見えたような感じ。人の優しさや、家族のぬくもり、そして、関西創価小学校の時から、中学・高校とずっと信じ、励まし続けてくれた池田先生。人生のかけがえのない宝物に気付くことができた。一度は声を失いかけた僕だからこそ、語れる言葉があると思うんです。一人でも多くの人に語っていきたい」

◆〈スタートライン〉 脊髄損傷の大けがから復帰 俳優 滝川英治さん
僕の前には希望しかない

 今回のスタートラインは、「ファイト・一発!」でおなじみのCM(大正製薬)をはじめ、ミュージカル「テニスの王子様」やテレビドラマ「仮面ライダーキバ」「弱虫ペダル」などにも出演した俳優の滝川英治さんが登場。3年前の脊髄損傷の事故によって車いす生活となった今は、「PARA SPORTS NEWS アスリートプライド」(BSスカパー!)の番組MCとして活躍し、昨年12月には半生をつづった『歩』(主婦と生活社)を出版した。テレビの世界に戻って約1年。今の思いを聞いた。

 ――事故前は俳優として一度も満足したことがなかったという滝川さん。昨年1月から番組MCを務めるようになって、ある考えに変わったという。
  
 昔は、良かったことはすぐ忘れ、ダメだったことだけが自分の中に残って苦しくなるような性格でした。アスリートプライドの番組に出演してからも、昔の自分と、肺活量も言葉のイマジネーションも完全に劣る今の自分を比較して悩みました。
 ある日、クリステル(いとこの滝川クリステルさん)が「番組が望んでいる姿に応える? そんなの10年早いよ。英治が思ってるほど、世間は求めてないよ。自分らしく笑顔で楽しくやっていたらいいんだよ」と励ましてくれました。
 その言葉に僕はちょっと吹っ切れました。過去の100%の自分を見せようとするのではなく、今の自分の力を100%出せるように努力すること、その姿勢を示すことが大切なのではないかと思うようになりました。
 今も仕事で反省することはありますが、「とりあえず、よくできました」と心の中で自分を褒めています。そんな仕事に今は使命感を持っています。
  
 ――2017年9月、テレビドラマの撮影中、ロードバイクに乗っていた滝川さんは転倒し、地面に激突した。
  
 あの時、僕は死を覚悟しました。でも神様はまだ生きるチャンスをくれました。
 僕は頸椎の中にある頸髄を一部損傷し、首から下がほぼ動かなくなりました。姿勢も体温も維持できないし、感覚もない。さらには血圧の維持も難しく、起立性低血圧によってめまいや吐き気、頭痛などもあります。
 はじめは、体の機能も未来も失われたことに、「どうなんねん!」とベッドの上で泣き続けていました。
 それでも、こんな状態だけど自分には時間があるんだと思えた時に、息をすること、家族と話ができることなど、今まで当たり前だった「生」に対して、感謝や執着心が湧くようになりました。
 事故によって得られたものもあります。
 家族や友人などがたくさんお見舞いに来てくれて、自分がそういう人たちの存在や温かさによって支えられていたと思うようになったのです。
 また、入院先の病院には“手をつなぎながら一緒に頑張りましょう”と励まし合える人たちがいました。
 その中には僕と同じような障がいのある方もいれば、四肢が切断されていながらも笑顔で過ごしている年配女性など、いろんな人がいて、そういう人たちと話していると、「僕には、できることがまだまだいっぱいあるんだろうな」「僕は一人じゃないんだ」などと思えたりできました。
 昔の僕は、人とのつながりをそこまで意識していませんでしたが、けがをしてから、人とのつながりや触れ合いの大切さをすごく感じました。

“一緒に”が力に 
 ――事故から約3カ月後、滝川さんはブログを再開した。そこには魂を揺さぶる力強いメッセージもある。
  
 僕自身、めちゃくちゃ弱い人間だと思っています。過去にとらわれて立ち直れていない自分もいます。でも、自分の夢や希望などを活字にすることで心が奮い立つんです。
 ブログで僕はフォロワーを「チーム」と呼んでいます。「Takigawa」「Eiji」「=イコールな絆(同じ意志を持ち、手をつなぐ)」「Accompany(一緒に歩く)」「Mate(仲間)」で、「TE=AM」です。「一緒に頑張ろう」という思いも込めています。
 この“一緒に”という言葉には何度も救われました。不安に襲われ心が弱っている時ほど、この言葉は大きな力を与えてくれます。もちろん、責任と覚悟を持たないと言えない言葉でもあります。
 チームの皆のために、今の自分を発信し続けながら、僕も責任と覚悟を持って一緒に闘っていきたいです。
  
 ――「ご飯を左手で食べることができた」など、できることを一つずつ増やしてきた滝川さん。「小さな一歩が大きな進歩」と、「生」を実感しながら前に進む。
  
 ウサギとカメの話では、両者の視点が全然違います。ウサギは常に競争相手のカメを意識して、カメが前に進んだら自分も前に進んで、相手よりも少し前にいようとしていましたが、カメは常に自分自身と向き合い、ゴールだけを見ていた。そんなカメのように、僕も何かと自分を比べず、前にコツコツ進んでいこうと思っています。
 人生は生まれ持ったものではなく、物事に情熱をもって取り組む中で得た経験や流した涙や汗の量に基づいて豊かになっていくと思います。
 この体に甘えてしまったら僕の可能性は狭まり、人生という海に漂流するだけです。だから、今はいろんな経験をしながら、自分なりのゴールを模索していきたいです。
 僕の前には希望しかありません。そうしていつか、障がいの有無にかかわらず、全ての人が支え合い、一緒に生きていく社会をつくっていきたいです。
 たきがわ・えいじ 1979年生まれ、大阪府出身。大学在学中に「リポビタンD」のCMでデビューし、ドラマや映画、ミュージカルなどでも活躍。現在はパラスポーツ番組のMCを務める。
【編集】忠津秀伸 【写真】吉橋正勝 【レイアウト】本橋正俊

 

2020年2月14日 (金)

2020年2月14日(金)の聖教

2020年2月14日(金)の聖教

◆わが友に贈る

 生命の輝きは
 「声」に表れる。
 皆をパッと明るくする
 豊かな声を響かせよう!
 幸福を願う心を込めて!

◆名字の言 NHKラジオ「うたのおばさん」が生み出した名曲

 「めだかの学校」「ぞうさん」「とんぼのめがね」――今も歌い継がれるこれらの童謡はNHKのラジオ番組から生まれた▼日曜を除く午前8時45分から15分間、1949年から15年にわたり放送された「うたのおばさん」。作詞・作曲家らと共に多くの名曲を生み出したのが、番組ディレクターの武井照子さんだ▼番組を通して出会った人々の中でも、特に詩人のまど・みちお氏の言葉が忘れられないという。「自分の目で見て、感じたことを言葉にするしか、出来ないのですよ」。控えめに語る詩人に、武井さんは自らを省みてハッとした。「当たり前のことなのだが、今それが出来なくなっている」と。「まどさんの詩を読むと、難しい言葉はないし、すっと体に入ってくる」「平明で易しい言葉なのに、天地を感じる」(『あの日を刻むマイク』集英社)▼感じたことを率直に語る――簡単なようで、これほど難しいことはないかもしれない。私たちの対話にも通じよう。あれこれ思い悩んだ時には、今、自分が感じていることをそのまま伝える方が相手の心に届くものだ▼池田先生は「見栄を張ったり、無理に飾る必要はない。どこまでも自分らしく、わが信念を誠心誠意、語っていくのだ」と。きょうも心を結ぶ対話を、繕わず、ありのままの言葉で。(誼)


◆寸鉄

我らの座談会は語らいの
花咲く生命のオアシス。
全幹部が総力で励ましを
     ◇
岡山の日。希望の春呼ぶ
勇気の対話拡大。友の心
に師弟共戦の炎は赤々と
     ◇
新入会者が各地で誕生。
皆、尊極な地涌の菩薩だ。
共に学び動き共に成長!
     ◇
花粉飛散、例年より早く。
先手先手の予防で症状が
緩和と。賢く健康第一で
     ◇
南極で18・3度、観測史上
の最高気温。事実直視し
気候変動対策を加速せよ


◆きょうの発心 祈祷抄 兵庫・丹波池田県総合婦人部長 足立義江2020年2月14日

御文 大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず(祈祷抄、1351ページ・編519ページ)
通解 大地をさして外れることがあっても、大空をつなぐ者があっても、潮の満ち干がなくなっても、日が西から出ることがあっても、法華経の行者の祈りのかなわないことは絶対にない。

唱題根本に困難を乗り越える
 法華経の行者の祈りは必ずかなうと仰せです。
 女子部の頃、なかなか弘教が実らず悩んでいた私を、先輩がこの御文を拝して励ましてくれました。あらためて唱題に励み、挑戦し続けた結果、初めての弘教が実りました。
 関西池田記念墓地公園が開園した1990年(平成2年)、結婚を機に、同園がある丹波の地に転居。支部婦人部長時代には、経済的に厳しい中、3人の幼子を育てながら、義母を介護しました。娘が入退院を繰り返していたこともあり、将来への不安にさいなまれましたが、唱題と同志の温かい励ましのおかげで、乗り越えることができました。
 現在、夫は会社を経営しながら常勝長(ブロック長)として、子どもたちは、長男が牙城会、次男が創価班、長女が白蓮グループで薫陶を受けた女子部として、創価の庭で活動しています。
 報恩感謝の心で、同志に励ましを送り続け、共々に成長します。


【聖教ニュース】

◆〈ワールドトゥデイ 世界の今〉 韓国SGIが若き10万の連帯へ 2020年2月14日
 師と共に! “MY青年”と共に 



韓国第2の都市・釜山で、本年、弘教を実らせた青年部の代表が朗らかに。競争社会が指摘される同国にあって、自他共に輝く希望の哲学を語り広げる(今月8日)

韓国第2の都市・釜山で、本年、弘教を実らせた青年部の代表が朗らかに。競争社会が指摘される同国にあって、自他共に輝く希望の哲学を語り広げる(今月8日)

 韓国青年部の躍進が止まらない。池田先生の同国初訪問30周年となる本年、先生の第3代会長就任60周年である「5・3」を「青年部10万の育成」で迎えようと、この1、2月で、すでに3000を超える弘教を実らせた。その原動力は、昨年から始まった“MY青年”(私の青年育成運動)の取り組み。未来を担い立つ青年の育成へ、壮婦男女が一体となって進む韓国の同志を取材した。(記事=小野顕一、写真=井﨑伸明)
 韓国SGI(創価学会インタナショナル)で今、最も耳にする言葉が「MY青年と共に」。日々の祈りであり、行動の指針である。
 壮婦男女のリーダーは皆、MY青年を育成する“幸福責任者”として、共に祈り、共に動く。昨年末、韓国SGIの本部幹部会では、金仁洙理事長が、自身のMY青年が弘教を実らせた様子を報告。全リーダーが青年と「一対一」で向き合い、共に弘教に歩く中で、青年世代の活動者が続々と誕生している。
 青年拡大の一助となっているのが、スマートフォンのアプリ。MY青年の活躍をはじめ、男子部「広布十傑」や女子部「ロマン総会」(韓国では3月16日まで開催)の模様などが随時、更新される。男子部のアプリ「リーグ・オブ・ヒューマン・レボリューション」も好評だ。地域ごとの活躍がリアルタイムで確認でき、互いの近況が励みに。最上位の「誓願リーグ」を目指し、楽しく競い合いながら広布に駆ける。
 この数カ月、韓国青年部の中でも、特に未来部出身者の弘教が際立つ。未来部時代の交流を通し、友人はSGIに明るく楽しい印象を持ち、大学進学や就職をきっかけに信心を始める友も多いという。
 同国南東部に位置する釜山は、持ち前の朗らかさや広布への情熱から、“韓国の関西″と称される。今月8日の男女学生部の集い(沙上幸福文化会館)には、二十歳を迎える友がにぎやかに。女子部の金楷憐さんが、この1年で7人の友が信心を始めた喜びを報告。男子部の李武賢さんが、これまで入会に導いた18人の友と充実の日々を歩む感動を語った。
 この日、釜山第2方面では青年部が200の弘教を達成。歓呼の中で「二月闘争」を力走する。

南北分断の最前線に位置する、京畿道漣川郡の友が朗らかに。“DMZ(非武装地帯)――平和の道”のアーチの向こう側は北朝鮮。郡のスローガンである「平和都市」の主役として、水害復旧支援など、地域の発展に尽くす(今月2日)

南北分断の最前線に位置する、京畿道漣川郡の友が朗らかに。“DMZ(非武装地帯)――平和の道”のアーチの向こう側は北朝鮮。郡のスローガンである「平和都市」の主役として、水害復旧支援など、地域の発展に尽くす(今月2日)

次代の青年に伝えたい! 弘教は「歓喜の中の大歓喜」
入会10年 88歳の壮年の確信

 ソウルや釜山、大邱といった大都市圏以外の地域でも、同志は「MY青年と共に」を合言葉に進む。 
 韓国北西部。北朝鮮と32キロにわたって軍事境界線で接する京畿道漣川郡の支部座談会(今月2日)でも、MY青年とのエピソードが次々と語られた。
 韓国の座談会には「幸福対話」という恒例企画がある。テーマに沿って近況を語り合う人気コーナーだ。この日のテーマは「私は○○な弟子になります!」。一緒に参加したMY青年を紹介し、「自他共に幸せといえる弟子になります!」と壮年が話せば、ある婦人は「私の地域には青年がいないと諦めかけていたんですが……。よく考えたら、わが家にいました」と。「今日、初めて息子と一緒に参加しました。一家和楽の弟子になります!」。大きな喝采が二人を包んだ。
 南北分断の最前線にあって、友の平和への使命感はひときわ強い。昨今、朝鮮戦争(韓国戦争)などで韓国と北朝鮮に引き離された「離散家族」の高齢化が指摘されるが、離別の苦しみを誰にも明かせず、胸に秘めて生きる人も少なくない。兄と生き別れた金順玉さん(班担当員)は、歌や踊りで心を通わせながら、同じ境遇の人々に寄り添う。「悲しみは癒えません。でも幸せを広げる行動の中に、宿命が使命に変わる実感がある」
 昨年7月、漣川郡から池田先生に特別顕彰牌が贈られた。先生は以前、軍事境界線がある非武装地帯(DMZ)の平和利用について提言。同地に離散家族の再会交流施設の設置を提案し、日本も最大限の協力をと訴えてきた。そうした呼び掛けや同志の誠実な地域貢献をたたえ、韓国社会は先生への称賛を惜しまない。   
 
 見渡す限りの山並みに囲まれた、西晋州圏の山清支部。高齢化に伴い、過疎化が進む山間地だが、SGIの集いには常に若者の姿がある。 
 班の座談会(今月7日)に友人の青年一家と参加したのは、88歳の朱宰明さん(副地区部長)。
 孫の勧めで2010年1月に入会し、先月、信心10年の節目を迎えた。自他共の幸福を祈り、その実感を語り広げると、これまで味わったことのない充実感が湧いた。年を重ねるごとに明るさを増す姿に、「信心をすれば、朱さんのようになれる」と、妻をはじめ、70人もの人々が仏法の実践を始めた。
 桃のように血色の良い?をほころばせ、朱さんは弘教の喜びを「歓喜の中の大歓喜」と強調する。現在、53回目となる100万遍の唱題に励み、100歳までに1億遍を目指す。この日も、朱さんの紹介で入会した5人が座談会に。会合連絡にスマートフォンを使いこなし、アプリも活用しながら連携を取り合う。
 座談会場には、これが2度目の参加となる若者の姿も。圏長の金鎭東さんが呼び掛けた。「“自分には、これほどの力があったのか”――そう心が躍る、感動と感謝の信心です!」。参加者が口々に語る確信を目の当たりにし、友人は入会を希望。新たな出発に、会場は大きな拍手に包まれた。
 誓いの「5・3」へ、日増しに高まる拡大の鼓動。MY青年と共に、韓国の友は、さらなる飛躍を期す。
 ご感想をお寄せください  news-kikaku@seikyo-np.jp


◆欧州サミットから各国で出発  2020年2月14日

 ドイツで1月に行われた欧州伝統の「教学研修会」「広布サミット」を受けて、「前進・人材の年」の勢いを増す会合が各国で開かれている。

ポルトガル

心一つに広布の新航路を進むポルトガルの友。池田先生の訪問55周年の本年を、弟子の勝利で飾ろうと誓い合った(首都リスボンで)

心一つに広布の新航路を進むポルトガルの友。池田先生の訪問55周年の本年を、弟子の勝利で飾ろうと誓い合った(首都リスボンで)

 ポルトガルSGIのサミットは7日、首都リスボンで開催され、大西洋のアゾレス諸島をはじめ各地から200人の代表が集った。
 カラピーニャ壮年部書記長、ソロメーニョ婦人部書記長らが、「師弟共戦」などをテーマに御書講義。フェルナンデス青年部長、サンパイオ男子部長、アマド女子部長が、2030年への決意を語った。
 ナオハラ理事長、ホニグスバウム婦人部長のあいさつの後、欧州青年部の新愛唱歌「トーチベアラーズ」を合唱。カプート欧州副議長、マーカス同副女性部長らが激励した。

オーストリア

麗しい団結で進むオーストリアの創価家族。集いでは、質問会や欧州青年部の新愛唱歌「トーチベアラーズ」の合唱も(オーストリア文化センターで)

麗しい団結で進むオーストリアの創価家族。集いでは、質問会や欧州青年部の新愛唱歌「トーチベアラーズ」の合唱も(オーストリア文化センターで)

 オーストリアの全国幹部会は1日、首都ウィーンのオーストリア文化センターで行われた。
 女子部の代表が人間主義の仏法を語り広げる喜びを報告。ムフ男子部長、シューラー女子部長が、仏縁を拡大する誓いを述べた。
 ウィリアムス理事長、ルボー婦人部長は、座談会を軸に地涌の陣列を構築しようと強調。シミズ欧州副女性部長らが励ました。

ノルウェー
 ノルウェーの全国幹部会は同日、首都オスロで開かれた。
 フルベルグ婦人部長らが、欧州の教学研修会と広布サミットの模様を報告。
 ディゲルネス理事長は、自らが拡大に先駆する決意を述べ、モラー欧州副議長が激励した。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈信仰体験〉〈with あなたと一緒に〉#在日コリアン 2世がつかんだ“生まれた意味”

 今回は、北海道でハングル教室を続けている、在日韓国人2世の秋明姫さん(58)を紹介します。民族の苦悩を見つめる中でつかんだ“生まれた意味”とは――。

 在日2世として青森で生まれた。
 両親は焼き肉店を営み、愚痴一つこぼさず、一族を養うために働いた。母は、口癖のように「冷蔵庫に食べ物がある。こんな幸せはないよ」と言っていた。
 父母の世代は健康保険証もなかったという。さまざまな差別も根強く、“在日”という民族同胞のつながりは、生きていくために不可欠だった。
 両親は、子どもに民族教育を受けさせたいと、小学校は茨城県の朝鮮学校へ送った。途中から仙台にできた朝鮮学校に移り、高校まで通った。
 だから、在日ということでいじめられたことはない。けれど、一歩外に出れば、日本人との“違い”を強く感じた。
 日本で生まれたのに、日本人ではない。なぜ自分は“在日”なのか。
 朝鮮学校では民族教育を受けたが、「民族同胞のために」とは言われても、「自分が“生まれた意味”を教えてくれる人はいませんでした」。
 手に職をつけようと、東京の専門学校へ。服飾について学んでいた1984年(昭和59年)、同級生から創価学会の話を聞いた。
 「自由の女神?」
 「違うよ、地涌の菩薩なの」
 どんな人の生命にも仏性があり、その人にしか果たせない使命がある。友人が語る信仰に、初めて“生まれた意味”をつかめる気がした。
 23歳で入会し、女子部の活動に参加した。教学を学び、折伏に励み、翌年には友人への弘教も実った。
 しかし、両親は学会が大嫌い。信心に反対するために、青森から東京まで説得しに来るほどだった。
 その後、学会員の金一鎬さん(58)=副総区長=と結婚して北海道へ。結婚式には兄しか来なかった。
 それでも、里帰り出産を経て2年が過ぎた頃、徐々に両親は信心を認めてくれた。
 90年(平成2年)に開いた結婚披露宴には、父母の姿が。実家の近所の学会員が、両親に対話し続けてくれていたことを、後から知った。
 夫は在日3世。夫婦で学会活動に励み、仏法の実践を通して、自分の中に民族の違いやアイデンティティー(自分であることの根拠)の苦悩という宿命を見た。その自分につながる一族を見れば、南北に引き裂かれた民族の宿命を思わざるをえなかった。
 93年、池田先生のアメリカ・ハーバード大学での講演の記事に目がくぎ付けになった。
 「釈尊の言葉に『私は人の心に見がたき一本の矢が刺さっているのを見た』とあります。『一本の矢』とは、一言にしていえば“差異へのこだわり”といってよいでしょう」
 違いへのこだわりは、自分の心の中にこそあったのかもしれない。
 翌年、北海道を訪問した池田先生と出会いを結んだ。「国籍も民族も超えて、一人の人間としてどう生きるか。それを教えてもらった思いがしました」。自身と民族の宿命転換を懸けて、仏法者として韓日友好に貢献しようと決めた。
 2007年、地域の人たちと韓国語を学ぶハングル教室を始めた。
 「ただの語学ブームじゃなくて、朝鮮半島の歴史や文化も学んでいけたら」と、池田先生と韓国の識者との対談集も学んだ。
 自身の宿命にぶつかったのは、09年。乳がんの「トリプルネガティブ」と診断された。
 抗がん剤治療や乳房温存手術を受け、毎日、真剣に祈り抜いた。同志の励ましも心に染みた。
 闘病生活の中でも、月に1度のハングル教室は続けた。抗がん剤治療で髪が抜け落ちると、ウイッグを着け、病をはじき飛ばすように笑顔で生徒を迎えた。
 がん宣告から、もうすぐ11年。現在まで再発や転移はない。
 今では、ハングル教室には高校生も。昨年は、友人に御本尊流布も実った。
 「国と国」の政治的な関係は、自分だけでは変えられない。けれど、「人と人」という身近な関係、地域でつくる韓日友好があるはず。
 「韓国も日本も、私のふるさと。在日だからこそ、国境を超えたところで韓日を見つめられる」
 民族教育を受けたことも含め、全てが必要な過去だったと思える。
 今でも夫婦の国籍は韓国のまま。「南北に引き裂かれた悲劇が続く限りは、民族は捨てない」
 国境を超えた“在日”として、「祖国の安寧を祈らない日はありません。そのために、私のできることを続ける。それが地涌の菩薩として“生まれた意味”です」。

 

2020年2月13日 (木)

2020年2月13日(木)の聖教

2020年2月13日(木)の聖教

◆わが友に贈る

 わが地区・ブロックを
 世界一の人材城に!
 強き祈りを根本に
 真心あふれる励ましを!
 一人残らず使命の人だ。


◆名字の言 “ミスター・ラグビー”平尾誠二さん。母校の監督の教えとは?

 “ミスター・ラグビー”と称された平尾誠二さんが選手だった当時の伏見工高ラグビー部は、ほぼ無敵だった。ある試合でのこと。手を抜いても大差をつけて前半を終えたハーフタイムで、監督は選手たちを厳しく戒め、こんな話をした▼今ある力を10とする。それを出し切れば地力は10・001くらいになる。次の試合でそれを出し切れば10・002になる。力は全てを発揮してこそ増えていく。逆に余力を残せば減っていく、と(『プロフェッショナル100人の流儀』致知出版社)▼ある婦人部リーダーは病の影響で握力がひどく低下した。懸命なリハビリの割にわずかな握力しか戻らない。「ここまで来れば十分だよ」との友の励ましに感謝しつつも、彼女はよしとしなかった▼彼女の本当の目標は、最低限の日常生活を取り戻すことより遥か先。再びペンを持ち、同志に手紙を書くことだった。再び車のハンドルを握り、同志の激励に走ることだった。そしてついに病気になる前よりも強い握力をつけた。支えてきた友は握手した際、「痛い痛い!」と言いながら、うれし涙を流した▼人生の勝負は突き詰めれば、自分自身の弱さとの戦いである。うまずたゆまず、諦めず、一歩一歩と向上の道を歩む中に人間革命と絶対勝利の直道がある。(城)


◆寸鉄

『新・人間革命』は価値
創造を促す目覚めの書―
識者。研鑽し、向上の道を
     ◇
東京・葛飾の日。仲良き
連帯で対話拡大。愛する
地域を人間共和の模範に
     ◇
「病ある人仏になるべき」
御書。変毒為薬の妙法だ。
題目の師子吼は最高の剣
     ◇
4人に1人が特殊詐欺の
電話を経験と。在宅でも
留守電が有効。油断せず
     ◇
話したくなる相手、1位
は「話を否定しない」と。
聞き上手こそ心結ぶ一歩


◆社説 渋沢栄一生誕180年 強く聡明な心で大誠実の対話を

 日本の近代経済の父・渋沢栄一は天保11年(1840年)2月13日(新暦3月16日)、現在の埼玉県深谷市に生まれた。今年は生誕180年。2024年からの新1万円札の顔に決まり、道徳と経済の両立を説く彼の思想や福祉活動が再び注目されている。自国中心主義がまん延する時代に、渋沢は常に“世界の中の日本”を意識し、民間外交にも貢献した。
 生涯で500超の企業の設立・発展に尽力したが、実業家としての歩みは30歳を過ぎてから。20代は社会の激変に翻弄され、逆境の連続だった。初め倒幕派として奔走するが、時を得ず挫折し、幕府に仕えた。しかし、幕府のパリ万博使節団の一員として渡仏している間に大政奉還の報に接する。帰国後は、明治政府の官職に就き、33歳で一転して民間へ。
 「日本将来の商業に一大進歩を与えよう」(『雨夜譚』岩波文庫)。この「出発の志」を失わない強さが、数々の大事業を成し遂げた彼の力の源だった。
 渋沢が好んで語った題材の一つが「真の成功」である。生涯不遇だった孔子や讒言により左遷された菅原道真など、生前、正当な評価を得なかった人物は歴史上、少なくない。しかし、一時の判断で人の真価は測れないことを、彼は繰り返し訴えた。渋沢自身もまた、経済人でありながら目先の利にとらわれず、社会の繁栄と人々の幸福に尽くした。彼が携わった多くの企業や団体は今も日本の中核を担う。“仁義道徳に基づく富でなければ永続しない”との彼の慧眼が光る。
 戸田先生は「社会が創価学会の真価をわかるまでには、二百年かかるだろう」と洞察した。かつてない挑戦は時に、無理解に直面する。一喜一憂せず、長い尺度で物事を見て、信念を貫くことだ。
 私たちの広宣流布は、目の前の一人を励まし、その人の中にある幸福をつかみ取る力を、共に開きゆく挑戦だ。一人の変革から世界平和を目指す、最も地道だが最も偉大な事業だ。この聖業を担い立つ学会員が、一人も漏れなく「真の成功者」となることは間違いない。
 渋沢はインドのタゴール、中国の孫文、アメリカのグラント大統領など世界の識者と友好を結ぶ対話の名手でもあった。彼の「世に至誠ほど、偉力あるものはない」(『渋沢栄一訓言集』国書刊行会)との言葉を引き、池田先生はつづった。
 「至誠、つまり『誠実』の限りを尽くす以上の偉大な力はない」「わが友に幸せになってほしい。よき社会、よき未来を一緒に築いていきたい――真心からの真剣な祈りと、勇気の対話が、自身の境涯も大きく開いていくのだ」。いかなる時代にも、志を高く掲げ、強く聡明な心を磨き、大誠実の対話を広げよう。


◆きょうの発心 報恩抄 大阪・北摂総県婦人部長 松原直子2020年2月13日

御文
 仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや、此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか(報恩抄、293ページ・編888ページ)
通解
 仏法を学ぶ人は、父母、師匠、国家社会の恩を忘れてはならない。この大恩に報いるには、必ず仏法の奥底を学び行じて、智者とならなければならない。

報恩の心で弘教拡大に先駆!
 父母や師匠への報恩のために、智者となって広布に励むべきであるとの一節です。
 6歳で母と死別。題目を唱える亡き母の真剣な横顔と、励まし続けてくださった同志の温かさが、今も心に残っています。
 中学生の時に父が再婚。育ての母に対して素直になれず、反抗したこともありましたが、未来部の会合で親孝行の大切さを教わり、感動で涙が止まりませんでした。今は育ての母に感謝の思いでいっぱいです。
 1990年(平成2年)に本部職員に。池田先生から、「全部、分かっているよ。頑張りなさい」との大激励をいただき、“生涯、学会厳護、報恩の道を”と誓いました。
 結婚を機に大阪・北摂の地へ。夫の母や諸先輩から「負けたらあかん」との常勝関西の母の心を学ぶ日々です。2人の子どもも、創価の学びやに送り出すことができました。
 先生からいただいた「北摂は人材の宝庫」との指針を胸に、同志と励まし合いながら、弘教拡大の先駆を切ってまいります。


【聖教ニュース】

◆“今から”“ここから”勇気の劇を 列島各地で「伝統の2月」の座談会  2020年2月13日

 勇気の劇を、今から、ここから!――「伝統の2月」の大前進を誓い合う座談会が、列島各地で行われている。
 
原田会長は さいたま市へ
 原田会長は12日、埼玉・西創価区の指扇南地区の座談会(さいたま市内)に出席した。
 商業施設や昔ながらの住宅が立ち並ぶ同地区。近年は新興住宅の建築が進む。男女青年部・未来部も活躍し、模範の人材育成が光る。

埼玉・指扇南地区の座談会には原田会長が出席。男子部の野仲貴史さんが御書講義。青年部が研究発表し、決意を述べた(さいたま市内で)

埼玉・指扇南地区の座談会には原田会長が出席。男子部の野仲貴史さんが御書講義。青年部が研究発表し、決意を述べた(さいたま市内で)
 集いでは、渡辺久子さんが対話に率先する模様を報告。居郷明彦地区部長が信仰体験を語り、田村千代子地区婦人部長は後継の成長を祈りながら、皆で折伏に挑戦をと訴えた。
 原田会長は、師の構想を実現しゆく池田大作先生の闘争こそ、学会発展の原動力であると強調。創価の師弟に連なる誇りを胸に、現実の悩みや葛藤に向き合いながら自他共の幸福の拡大をと望んだ。
 
杉本総合婦人部長が東京・港区の友を激励
 杉本総合婦人部長は同日、東京・港太陽区の栄光地区の集い(港区内)へ。
 同地区は、JR品川駅に程近い湾岸地域に立つ、都営団地を主な広布の舞台に、94歳の“功労の母”をはじめ多宝の友らがさっそうと対話に駆ける。また、自治会長を務めるメンバーを中心に地域に尽くし、信頼の輪を着実に広げている。

杉本総合婦人部長が参加した栄光地区の集い。代表の友による活動報告に大きな拍手が送られた(東京・港区内で)
 集いでは、達下マサ子地区婦人部長が師恩に応える前進をとあいさつ。高澤正勝地区部長の御書講義の後、杉本総合婦人部長は参加した友人に感謝を述べつつ、題目根本に生命を磨き抜き、いかなる苦難にも負けない幸福な人生をと語った。

鳥取の鳥飼総県長はブロック座談会に出席
 鳥取広布60周年を記念する鳥取池田県・ひばりケ丘地区福田ブロックの座談会は11日、鳥取市内で開かれた。
 同ブロックは昨年、一昨年と弘教が実り、本年も一人一人が幸福を広げる対話に勇んで挑戦している。

鳥取・ひばりケ丘地区福田ブロックの座談会。中学3年の福田大翔さんが司会を務めた(鳥取市内で)
 座談会では、学会歌「誓いの青年よ」を合唱。6人の子どもたちが、今年の目標を元気いっぱい発表した。
 福田尊之開拓長(ブロック長)、福田美登里白ゆり長は、勇気の前進をと強調。鳥飼総県長は、師匠への報恩感謝の心で信心の歓喜を語り抜き、2・22「鳥取広布原点の日」を弘教・拡大で荘厳しようと呼び掛けた。


◆希望と輝く地涌の連帯 アフリカ各国でSGI発足45周年記念の集い 2020年2月13日

 SGI(創価学会インタナショナル)発足45周年を記念する集いが1月26日、アフリカの各国で開催された。

 1975年1月26日に行われたグアムでの「世界平和会議」。SGIが発足したこの場には、アフリカの友も駆け付けた。
 池田先生は、この歴訪中、折に触れて一人一人の状況を詳しく尋ね、人材育成の要諦やアフリカ広布の展望を示すなど、真心の励ましを送った。
 “全世界に妙法という平和の種を”との師の呼び掛けに、一人また一人と地涌の友が誕生。内戦や不安定な政治・経済の中にあっても、歯を食いしばりながら、地道に信頼を築いてきた。
 アフリカ社会の著しい発展と歩みを同じくして、今や統一教学実力試験がアフリカの30カ国以上で行われるなど、希望の連帯の拡大は勢いを増している。

□■トーゴ■□

師と共に前進に次ぐ前進を!――代表300人が集ったトーゴの会合(トーゴ平和会館で)

師と共に前進に次ぐ前進を!――代表300人が集ったトーゴの会合(トーゴ平和会館で)

 トーゴの大会は首都ロメ郊外のトーゴ平和会館で晴れやかに。
 各部の代表が、自身の壁を破る決意を述べた。続いて信仰の歓喜に満ちた体験が次々に発表され、大きな拍手が送られた。
 アボゾ理事長は、御書根本に一人一人が勇気の対話に挑み、2030年の勝利へ、勢いよくスタートを切ろうと訴えた。

□■カメルーン■□

カメルーンの友が友好拡大に走り抜く誓いを胸に(首都ヤウンデで)

カメルーンの友が友好拡大に走り抜く誓いを胸に(首都ヤウンデで)

 カメルーンでは支部や地区など小単位の会合が、首都ヤウンデやエデアをはじめ各地で開かれた。

 各会合では、社会におけるSGIの役割や、池田先生の行動について研究発表が行われた。
 全国で約70人の友人が参加し、そのうちの多くが入会を決意した。

□■ジンバブエ■□

アフリカ南部に位置するジンバブエで行われた集い。日蓮仏法に初めて触れた友人からは共感の声が(首都ハラレで)

アフリカ南部に位置するジンバブエで行われた集い。日蓮仏法に初めて触れた友人からは共感の声が(首都ハラレで)

 幸福拡大の情熱に燃えるジンバブエの集いは首都ハラレで。

 会合参加者の3分の2が友人となった集いでは、人生の意義や正しい生き方について和やかに語り合った。

□■モザンビーク■□

インド洋に面した海岸線が美しいことで知られるモザンビークでもSGIの友が集い、小説『新・人間革命』を学び合った(首都マプトで)

インド洋に面した海岸線が美しいことで知られるモザンビークでもSGIの友が集い、小説『新・人間革命』を学び合った(首都マプトで)

□■ベナン■□

西アフリカのベナンの友が記念のカメラに。“21世紀をアフリカの世紀に”との師の期待に応えゆく決意を新たにした(コトヌーで)

西アフリカのベナンの友が記念のカメラに。“21世紀をアフリカの世紀に”との師の期待に応えゆく決意を新たにした(コトヌーで)


◆【学生部特集】3月の「全国学生部大会」へ――各地で躍動する大学1年生を紹介  2020年2月13日

「学は光」であり、「知は力」――知性の利剣を携え、正義の言論に挑みゆく学生部の友。その胸には「先駆」の誇りが明々と(昨年12月の首都圏学生部の代表の集い)

「学は光」であり、「知は力」――知性の利剣を携え、正義の言論に挑みゆく学生部の友。その胸には「先駆」の誇りが明々と(昨年12月の首都圏学生部の代表の集い)

 3月の「全国学生部大会」へ、「NOW or NEVER――今、誓いを胸に10年の船出を!」を合言葉に、弘教拡大に駆ける学生部の友。中でも大学1年生が各地で“新しい風”を巻き起こしている。彼らは、いかにして先輩から励まされ、決意したのか。ここでは、各地で活躍する1年生が、悩みや葛藤を乗り越えて成長していったドラマを紹介する。

“信心即学業”に挑戦

佐藤さん㊨と、先輩の松尾さんが笑顔で
 「得意なのは数学。中でも平方数(自然数の2乗で表される整数)が好きです」と語る佐藤正矢さん(東京・台東区)。創価高校出身で、現在は都内の国立大学の理系に通う。
 折伏に挑戦するまでは、信心と学業を別々に考えていたという。家族の姿を見て“信心のすごさ”は感じていた。だが、信仰する目的は特にない。そんな中、大学の前期の成績が、思うようにいかなかった。
 信仰する目的を模索する佐藤さんに、10月初頭、区副書記長の松尾明人さんが話した。「信心を深めるためにも折伏に挑戦しよう」
 佐藤さんは迷いながらも、友人を学生部の会合に誘う。初めての仏法対話だったが、友人は信心に前向きな反応を示した。
 その後、祖母からも激励を受け、同い年のいとこが弘教を実らせたことにも刺激を受けた。多くの出来事が重なる中で、佐藤さんは“今が信心の確信をつかむ時”と決めた。
 再び友人を会合に呼んだ。そこで先輩が話した一言が忘れられない。「『この信心は理系に向いてる』って先輩が言ったんです。試して結果が出る。化学の実験みたいだと。理系だった友人も納得して『やってみます』って」
 晴れて昨年11月に入会に導いた。
 佐藤さんは「前よりも明るくなり、顔付きも変わって、笑顔が増えた」と言われるようになった。佐藤さん自身も、大学での変化に気付いた。「フランス語について、日本語に訳すコツや文構造を根気強く友だちに教えられるようになるなど、周囲への接し方が変わりました。周りからも『正矢、すげーな』って言われて」
 折伏に挑む中、それに比例して、勉学にも力がこもるようになったという。信心で心を鍛えると、生活にも勉学にも生きてくる確信をつかんだ。
 佐藤さんは意気揚々と語る。「今、実感することは生活の充実と“信心即学業”ということです。支えてくれた方々には感謝しかありません。やっぱり信心って、やってみないと分からないですね」

人は三日で変わる

小針さん(手前左から2人目)が総静岡学生部の先輩らと共に
 「折伏に挑戦させてくれた先輩に感謝です!」と、瞳を輝かせる総静岡の小針大幸さんは今、県内の国立大学の夜学で学ぶ。昼は大学の食堂でアルバイトをしながら学費を捻出し、夜は勉学にいそしむ。
 大学入学後、学生部の先輩に言われるまま折伏に挑戦してはいたものの、対話に積極的にはなれなかった。「“何のため”に折伏するのか、よく分かっていなかったんです」
 入学半年後、壁にぶつかる。アルバイト先で新たな業務を任されたが、思うようにいかない。心身共に疲弊し、授業に集中できなくなった。大学での人間関係にも悩んだ。
 “自分のことで精いっぱい”“折伏になんて手が回らない”と思った。
 そんな時、学生部の先輩・一藤木広一さん(総静岡副書記長)から電話が入った。率直な思いを語る小針さんに、一藤木さんは一言。「人は決めたら、三日で変われるよ」
 以前、一藤木さん自身が宿命の嵐を前に心が折れそうになった時、先輩から贈られた言葉だという。だからこそ、悩む小針さんを励まさずにはいられなかった。「彼が苦難をバネに、大きく成長してほしくて」
「学生部、サイコー!」――小針さん(手前中央)と総静岡学生部の友が笑顔で
 電話でのその言葉を機に、小針さんの心に火がつく。
 決意してからまさに3日後、大学の友人と会う約束が取れた。真剣に友人の幸せを祈り、対話に挑んだ結果、入会に導くことができた。
 「相手の幸せを祈ることは、自分の成長につながることを実感しました」
 折伏を通して自身の臆病や怠惰、迷いの心を乗り越える中で、悩みに負けない“強い自己”を築くことができた。
 勉学にアルバイトにと、忙しい毎日は変わらない。だが今、小針さんは、青春を夜学で学んだ師匠と同じ道を歩む誇りに燃えて前を向いている。

善き友は人生の宝

学生部のメンバーと談笑する水野さん(右から3人目)
 「緊張で夜も眠れないほどでした」――三重総県の水野達也さんは、そう初めての折伏を思い返す。これまでに2人の友人へ弘教を実らせた彼だが、当初は仏法対話にためらいがあった。
 小学生の時にぜんそくを乗り越えるなど、信心の功徳を実感していた。大学に入学し、学生部の集いに参加する中、学生部の先輩から折伏の話を聞いた。
 “友人関係が崩れてしまうのでは”“学会の悪口を言われるんじゃないか”と、尻込みする水野さんに先輩は語った。「俺も正直、折伏は今でも緊張する。何度も挫折したし……。でも、挑戦し続けたからこそ成長できた」
 飾らない言葉に勇気が湧いた。友人の幸せを真剣に祈り、挑戦を開始した。

三重総県第1部のメンバー
 水野さんが初めて入会に導いた友人は、「うそをついているとは思えない顔でした。ま、親友なんで」――そうはにかんで語る。懸命に仏法の話をする水野さんに、思わず誰にも話せなかった家庭や仕事の悩みを吐露したという。
 その時、水野さんは受け止めた。「大丈夫! 一緒にこの信心で乗り越えていこう」。その確信に友人は心を動かされた。
 もう一人の友人は学会の温かさに感動し、信心を始めた。入会勤行会には彼の友人も参加。前向きに変わっていく彼の姿に、その友人も心を決めた。「私も信心して変わりたい!」
 水野さんは、“新入会座談会”と称し、入会に導いた友と信心の基本を学ぶ場を設けている。友人が信心して変わっていく姿に、自身も確信を深めている。
 御書に「仏になるみちは善知識にはすぎず」(1468ページ)と。善知識、すなわち善き友、同志を持つことは人生の最高の宝を持つことである。
 仏法対話を通し、生涯の“宝”をつかんだ水野さんは、中部学生部の1年生人材グループ「堅塁学星塾」でも、同級生の仲間と共に切磋琢磨する。悩める友のために、さらなる対話拡大を誓う。
次の十年開く先駆の拡大を
 かつて池田先生は、学生部の友に贈った随筆の中で「行学の二道をはげみ候べし」(御書1361ページ)との一節を通して述べた。「新世紀の先頭を走りゆく誉れ高き学生時代である。『私はここまで戦い抜いた』『ここまで学び切った』と誇れる、闘争と学問の金字塔を打ち立ててくれ給え!」
 英知の学生部が、その「先駆」の使命を果たすために、次の十年を開くために、「伝統の2月」を拡大に走る。


【特集記事・信仰体験など】

◆インタビュー 国境なき医師団・日本会長 加藤寛幸さん――みんな尊い命
 企画連載 私がつくる平和の文化Ⅱ

 「私がつくる平和の文化Ⅱ」の第2回は、1999年にノーベル平和賞を受賞した「国境なき医師団」の日本で会長を務める加藤寛幸さんです。紛争地域や難民キャンプなどでの医療・人道援助活動を通し、人間の命の尊さや私たちが心掛けるべきことについて語ってもらいました。(聞き手=木﨑哲郎、歌橋智也)
この仕事に自分の力と時間をささげよう

ウガンダの難民キャンプで
――なぜ「国境なき医師団」に参加しようと思ったのですか?
 
 僕の子どもの頃の夢はパイロットになることでした。しかし高校時代の視力低下によって方向転換せざるをえなくなり、医学部に進みました。小児科医になることは決めたものの、将来については漠然としていました。
 「国境なき医師団」と出合ったのは、医師としての第一歩を踏み出す病院に向かう空港でのこと。ロビーを歩いていて、ふと目にしたテレビの映像に釘付けになりました。そこには、栄養失調の子どもに寄り添う真剣な医師の姿が。わずか20秒ぐらいだったと思います。それを見た瞬間、「この仕事に自分の持つ力と時間をささげよう」と心が決まりました。
 人生の恩師の言葉である「損をすると思う方を選びなさい」、「一番弱い人たちのために働きなさい」を同時に満たす仕事だと思ったのです。その後、語学や熱帯医学も学び、「国境なき医師団」に採用されることとなりました。

――派遣先は難民キャンプなど過酷な現場です。
 
 南スーダンでは、新生児の病室は、床に毛布を敷いて赤ちゃんを寝かせます。人手もベッドも確保できず、こちらの体制が限界を超えてしまうので、入院を制限せざるを得ない。助かる見込みのない子はお断りするのです。
 親御さんに誠心誠意、お話しするのですが、当然ながら納得しません。激しく罵倒されても、ひたすら謝るしかない。こういう現実は、なかなか想像できないかもしれませんが、医師としても本当につらかったです。
 
忘れられぬ少年との出会い

シエラレオネのエボラ出血熱を乗り越えた少年たちと(国境なき医師団提供)     

シエラレオネのエボラ出血熱を乗り越えた少年たちと(国境なき医師団提供)     

 ――お話に胸が痛みます。活動の中で希望を感じることはありますか?

 
 シエラレオネでエボラ出血熱の治療の時に出会った11歳の少年はとても心に残っています。彼は弟と共に入院してきましたが、翌日に弟が亡くなってしまう。にもかかわらず、面倒見のいい彼は、一緒に入院してきた見ず知らずの兄弟の世話を一生懸命しているんです。エボラの治療区域というのは隔離され、スタッフも防護服やゴーグルを着用して治療に当たるほど危険な現場です。連日、亡くなる人が出ます。
 比較的、症状が軽かった彼は無事に退院することができた。それを喜び合い、僕が現場に戻ろうとすると、彼も一緒に治療区域に入ってくるのです。驚きました。エボラはタイプが同じであれば、一度、罹って回復すると抗体ができて罹らなくなる。彼は「あの子たちを助けたいんだ」と、進んで面倒を見続けたのです。その甲斐もあり、幼い兄弟は助かった。彼の行動の崇高さは僕らの想像を超えていました。僕など足元にも及ばない。退院時に4人で撮った写真がありますが、皆は笑顔で、僕一人が感激して泣いてました。
 派遣されたスタッフは口をそろえて言います。“助けるために行ったのに、自分がしたことの何倍もの「目に見えない大切なもの」をもらった”と。
 
「平和の文化」の灯は消えない

 ――紛争地域で感じられたことは?
 
 2015年にアフガニスタンで活動したことがあります。それは「国境なき医師団」の病院が米軍によって爆撃された直後でした。この時、亡くなった28人の患者さんらと、14人の病院スタッフは、たまたま全員がアフガニスタン人でした。
 到着する前、僕らは現地の人から“なんで俺たちの仲間だけが死んで、外国人は安全な場所で生き残ったんだ”と責められると思っていました。
 でも行ってみると違いました。彼らは“今回の唯一の救いは、自分たちのために外国から来てくれた人が傷つかなかったことだ”と言ったのです。そして僕たちを温かく迎えてくれた。心から感動しました。
 アフガニスタンは大国の思惑に振り回され、政治の道具にされてきた国です。でも現地の人は、ただただ平和を望んでいる心優しい人たちです。
 その意味で、紛争の中にあっても人間は信じ合えるし、希望はあります。みんなで助け合う。家族やコミュニティーが結束する。そうやって強く生きています。だから「平和の文化」の灯は決して消えることはないと思いました。
「関係ない」と思わないで

バングラデシュのロヒンギャ難民キャンプで(国境なき医師団提供)
――日本にいる私たちが、世界の課題を自分のこととして捉えるには、どうしたらよいでしょうか。
 
 本当に難しいことだと思います。「国境なき医師団」が日本から2018年に派遣したスタッフは106人。医師や看護師、薬剤師だけでなく、広報や財務、エンジニアなど医療以外の業務に携わる人も含めてです。
 派遣人数は世界全体の2%程度で非常に少ない。僕は日本が国際的な人道援助活動を熱心に行う品格ある国家であってほしいと思います。
 今、僕らも子どもたちに世界の現状を知ってほしいと思い、各地の学校を回り、活動を紹介しています。未来につながると信じる地道な取り組みです。
 今は情報を得る手段はたくさんあります。だから、どんなきっかけでもいいから、まずは「知る」ことから始めてほしい。直接現地に行ける人は少なくても、自分と遠く離れた所で起こっていることを「関係ない」と思わないでほしいのです。貧困や病気、紛争で苦しんでいるのは、僕たちと同じ「人間」です。そして、自分のことを「大勢の中の一人」と思わないでください。「他の誰かではなく、自分の助けを必要としている人がいる」。そう考えてほしいのです。
国境なき医師団のホームページ
https://www.msf.or.jp/

 かとう・ひろゆき 小児救急、熱帯感染症が専門。東京都出身。島根医科大学卒。タイ・マヒドン大学で熱帯医学ディプロマ取得。東京女子医大病院、国立小児病院等に勤務。2003年から「国境なき医師団」の活動に参加。15年から現職。
 
池田先生撮影の写真と言葉

アルプス上空、1994年5月

アルプス上空、1994年5月
 
 「平和」とは――
 絶望を希望に変える、間断なき闘争です。人間への信頼を断じて手放さない、不屈の根性です。自他共の生命を最大に尊重する、人間の讃歌です。
                      ◆◇◆
 我々は 天空を舞いゆく
 翼を持っている。
 何ものをも耐え抜く
 金剛の魂を持っている。
 そして 世界の人々を
 深く広く包み護る
 慈愛の心を持っている。
 
(上は『未来対話』、下は長編詩「晴れわたる 我らの五月三日」から)
 

◆ 〈座談会〉「食」を守り、「命」を育む農漁光部 信心の実証光る“地域の灯台”
 学会は永遠に「大聖人直結」

〈出席者〉原田会長、落合農漁光部長、鈴木農漁光部女性部長、西方男子部長、大串女子部長

 西方 2月16日は、日蓮大聖人の御聖誕の日です。創価学会は大聖人直結の仏意仏勅の団体として、御遺命である世界広宣流布を現実のものとしてきました。
 
 大串 大聖人は、「多くの川の流れが集まって大海となり、小さな塵が積もって須弥山となる。日蓮が法華経を信じ始めたのは、日本国にとっては、一滴の水、一粒の塵のようなものである」(御書288ページ、通解)と述べられ、「二人、三人、十人、百千万億人と、人々が法華経の題目を唱え伝えていくならば、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるであろう」(同)と宣言されています。
 
 原田 この御本仏の仰せ通りに、一人また一人と法華経の題目を唱え、語り広げてきたのが創価学会です。192カ国・地域に広がる創価の連帯が、その何よりの証明です。目覚めた一人が、次の一人へと仏法の偉大さを伝えていく――永遠に変わることのない広布の道を私たちはさらに力強く歩んでいきたい。

「体験主張」に共感
 西方 昨年は、大型台風や記録的豪雨などの影響で、特に大きな自然災害があった年でした。そうした中でも、日夜奮闘してこられたのが、2月17日に「部の日」を迎える農漁光部の皆さんです。
 
 原田 池田先生は昨年12月の「随筆」で、「災害が打ち続いた本年、農漁光部の方々のご苦労が痛いほど偲ばれてならない。『変毒為薬』されゆくことを祈念し、題目を送らせていただく日々である」と真情をつづられています。私たちも、「豊作」「豊漁」を深く祈念しています。
 
 落合 鳥取でブルーベリーを栽培する壮年は、農業のことをもっと専門的に学びたいと、地元の国立大学の大学院に進学。この3月に、修士号を取得する予定です。皆さん、災害に負けずに頑張っています。
 
 大串 部の日を記念して、「農漁村ルネサンス体験主張大会」も開催されますね。圧巻の体験にいつも感動しています。
 
 鈴木 参加を楽しみにする友人も多く、ある県では前回の体験主張大会に、女性だけで148人の来賓が集いました。「さまざまな困難に直面しながらも、前を向いて励む力は、深い信仰のおかげなのでしょう」「自信をもって堂々と発表している、生きる姿勢がすごい。大迫力でした」などの感想を語っていました。
 
 大串 今や地域の名物行事となり、地元の新聞で会合の模様が大きく報じられることもあるそうですね。
 
 落合 登壇される方の活躍も目覚ましく、2016年に発表をされた長野のトマト農家の方は、“果物のように甘くて芳醇”と高い評価を得て、後日、島根県浜田市が行う大規模栽培を任されるようになりました。
 
 鈴木 兵庫県で酒米を作る方は、自分の酒米で造った日本酒を販売できるようになり、地域の名産として、ふるさと納税の返礼品にも選定されています。
 
 原田 今年は、対話拡大の息吹がみなぎる中で開催される体験主張大会です。大勢の方の参加を念願しています(VOD番組として視聴。開催単位、日程等は方面・県に一任)。


農業を専攻する学生が、真剣にメモを取りながら、農漁光部の友の体験を聞くことも(昨年11月、四国中央市で行われた「愛媛県農漁村ルネサンス体験主張大会」)

創価の旗を掲げて
 鈴木 農業・漁業を営む方のもとへ、一軒一軒、家庭訪問に伺う中で、キャベツ農家の婦人部員にお目にかかりました。その方の仏壇の前には、池田先生が農漁光部の友に贈った「誠実の汗を光らせ 農村で奮闘する 神々しき君を思う。『今年も 豊作であれ!』『労苦よ 実りとなれ!』 私は きょうも祈る」との指針が置かれていました。自然が相手の仕事です。思い通りにならないこともあります。でも何があっても、先生の指導を抱き締めて前進されていることに深く感動しました。
 
 西方 牧口先生は、日本海に臨む新潟県の荒浜で生まれ育ちました。戸田先生は、石川県の塩屋の漁村に生まれ、北海道の厚田で育ちました。池田先生も東京湾の海苔屋の生まれです。
 
 原田 池田先生は、この事実を通し、農漁光部の指針集『希望の新時代は我らの農漁村から』の中で、「創価の三代は、皆、生命を育み支える海辺の農漁村の出身であること、すなわち『農漁光部』の一員であることを、無上の誉れと強く自負してきました」と述べられています。
 
 落合 これほど励みになる言葉はありません。中には、地域でただ一人、創価の旗を掲げ、粘り強く信頼を広げる方もいます。そうした方々にとって、全てを分かってくださる師匠と一緒に歩めることが、どれほどの力になっているか。
 
 原田 昨年9月に聖教新聞に掲載された、山形で酪農を営む婦人部の方の体験は大きな感動を呼びましたね。彼女は、それまで全く経験したことのなかった酪農の家へ嫁ぎます。病気も経験し、慣れない作業の毎日でしたが、持ち前の明るさで、“地域の灯台”を目指す姿を、全国の「酪農発表大会」で語った結果、最優秀賞に輝いたのです。
 
 落合 思いを詰め込んだタイトルは「地域の灯台目指して~一家和楽の道=酪農/宿命を使命に~」。原稿の中で、「農村の模範となるような、盤石な家庭を築き上げることができ
れば、そのご一家は、地域社会を照らす確固たる灯台となります」との池田先生の小説『新・人間革命』の一節も紹介しました。
 
 鈴木 来賓からは、「計り知れない苦難を乗り越え、これからの展開が最も期待される家族経営であり、地域の灯台にすでになっている」などと称賛が寄せられました。
 
 原田 聖教新聞では今、厳しい自然環境に屈せず、日本、世界の食を支え、命を育む、農漁業の関係者を紹介する企画「縁Joy×農(漁)Life」を連載しています。食と生を守ってくださる全ての方に感謝を申し上げ、ますますの健勝を祈念しております。


◆妻の介護生活23年〈信仰体験〉 心一つで人生は輝く

 【京都市】福山勝彦さん(80)=副区長=は、右半身まひと失語症を患う妻・美代子さん(77)=地区副婦人部長=と二人暮らし。今年で介護生活23年になる。それでいて地域活動にも精力的。「できるだけ笑って過ごせるように」という“福山スタイル”の老々介護を追った。

笑いに変えて
 毎朝の楽しみは、小説『新・人間革命』の朗読ラジオ番組。福山さんは妻の美代子さんと、じっと耳を傾けて聞き入る。
 番組が終わると、「今日も元気に頑張ろう!」と声を発し、動きだすのが日課だ。
 まずは朝食の準備。「車いす生活で運動不足になってるし、血圧が高めやから」と美代子さんの健康を気遣い、カルシウムを多く含んだ塩分控えめのメニューが、小さめの食卓に並ぶ。
 「ゆうべは寒かったなあ」「……うん」「今日は夕方から、子ども将棋教室やから」「……うん」
 美代子さんは失語症で思うように言葉が出てこない。そのため福山さんから話し掛ける場合がほとんど。
 洗濯を済ませると、昼と晩の食事の材料を買いにスーパーへ。時間がある時はウオーキングと昼寝もする。「まず介護する側が、健康を維持せんと」
 そんな福山さんは6年前、脳腫瘍の一種である「下垂体腺腫」を患った。“入院すると妻の世話が……”と悩んだが、思い切って手術。後遺症もなく、予定より早く退院できた。
 この入院を機に、美代子さんは週2回のデイサービスを利用するように。自宅での入浴介助などの負担が減り、施設での出来事を聞く余裕も増えた。
 「わしの病気も無駄じゃなかった。本人の気分転換にもなっとるようやし、安心してます」
 5年前から福山さんが妻の散髪をしている。何度か教室に通い、髪の切り方を覚えた。初めの頃、美代子さんの耳を誤って軽く切ってしまった。血がなかなか止まらず、「えらいこっちゃ、救急車呼ぼか!?」と大騒ぎしたことも。
 今では「お客さん、こんな感じでどうです?」と美容師のごとくカット。終わると「ベンツでお迎えに来ましたよ」と執事のごとく車いすに乗せる。「ささいな日常も、笑いに変えて楽しく過ごしてますわ」

戸惑いの連続
 美代子さんが突然、ろれつが回らなくなったのは、1997年(平成9年)9月のこと。原因は脳出血。「最悪の事態も覚悟してください」という医師の言葉に、頭の中が真っ白になった。
 どんなに忙しくても笑みを絶やさない妻だった。わが子が通う幼稚園や小学校では保護者の代表に選ばれるほど、地域の信頼は厚かった。本紙配達員を10年以上続け、少年少女部合唱団の指揮者も務めていた。
 意識不明のまま集中治療室に運ばれる姿を見て、「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」(御書1124ページ)の御文が浮かぶ。寝食も忘れ、祈り続けた3日目、美代子さんは目を覚ます。後遺症は残ったものの一命は取り留めた。
 福山さんの感謝の祈りは尽きなかった。が、その後の家事は戸惑いの連続。
 銀行のキャッシュカードの暗証番号を数回間違え、預金を引き出すのに苦労した。料理の基本を学ぶために何度も図書館に通った。各地の健康セミナーにも、せっせと足を運んだ。掃除、洗濯、
身の回りの世話……。
 “こんな毎日をようやっとったな”。これまでの美代子さんの労苦が身に染みる。と同時に、こうした介護生活が一生続くのかと思うと途方に暮れた。
 「でもね、同じことを何年も続けてると、習慣になって『悩み』が悩みではなくなったんですわ。食事・睡眠・運動に気を使う規則正しい生活も送れるようになったし。まだまだ80歳や、という気力もあります。お題目の力ですわ。ははは」
 美代子さんも「ほんまに……ありがたい」と夫にほほ笑んだ。

ストレスフリー
 介護の合間も何かと忙しい。
 平日の午後2時半になると、下校児童の見守りが始まる。事件や事故の痛ましいニュースをきっかけに自主的に始めた。今年で13年。「できる限り名前を覚えて、一人一人に声を掛けるようにしてます」
 この活動が評価され、市長賞2回、区長賞1回を受けている。地域で開いている子ども将棋教室では、大盤を使って講師も務める。
 地元の交通安全対策協議会や老人会、清掃ボランティアの諸活動にも精力的。京都市の「一人暮らしお年寄り見守りサポーター」として、高齢者への悪徳商法を未然に防いだこともある。
 そんな中でも太陽会メンバーを激励し、儀典長として150回以上、家族葬・友人葬の導師を務めてきた。
 昨年の4月6日、福山さん夫妻は金婚式を迎えた。朝から赤飯を炊き、二人で自宅近くの河川敷に向かった。ちょうど50年前も桜が満開だった。
 同志に見守られる中、「師匠のもとで広布のために生涯、戦い抜こう」と誓い合ったこと。夫婦で折伏に挑んだこと。
 “広布に走った日々は「今生人界の思出」(御書467ページ)として鮮明に覚えとるもんや”――。
 車いすを押しながら桜並木をしばらく歩いた。
 先日、福山さんはストレスチェックを受けた。ストレス度が最高100のうち、結果は「5」。
 「お医者さんもびっくりされて。ストレスを感じてへんのか、ついに頭がぼけてしもうたんかって(笑い)」
 池田先生は「年齢ではない。環境でもない。心である。人生は、心一つで、いつでも、どこでも、最高に輝かせることができる」と語っている。
 「御本尊と自分」「師匠と自分」の確固たる信念がある福山さんは楽観的。妻のため、人のため、地域のため――それが朗らかに明日を生きる源泉になっている。

 

 

2020年2月12日 (水)

2020年2月12日(水)の聖教

2020年2月12日(水)の聖教

◆わが友に贈る

 「一華を見て春を推せよ」
 寒風に咲き誇る一輪は
 皆に希望と歓喜を送る。
 さあ凜として一人立ち
 友情の花園を広げよう!
 (御書222ページ)

◆名字の言 下積み時代の長かった作家・浅田次郎氏のこだわり

 新人賞の落選は30回、初めて本を出版したのは39歳の時。ベストセラー作家の浅田次郎氏も、長い下積み時代を経験した▼今、氏は複数の文学賞の選考委員を務める。一つの賞につき、多くの応募作を読まねばならず、その労力は並大抵ではない。だが、氏は「この仕事には気合が入る。一行もおろそかにしてはならぬと思う」と。なぜなら「(新人賞を)三十回も落ちたのは何かのまちがいだったと、今でも信じているから」(『つばさよつばさ』集英社文庫)▼仮に氏が“とんとん拍子”で大成していれば、こうした思いは生まれなかったかもしれない。書き手の奮闘に思いをはせつつ、応募作に真剣勝負で向き合う。氏の作品にもまた、日々を懸命に生きる人々への温かなまなざしがある▼苦悩を味わった人でなければ、見えないものや気付かないことがある。池田先生は「自分が苦労した人は、他人の苦労も分かってあげられる。自分が努力したからこそ、他人の努力の尊さが分かるのである」と。悩みとの戦いは、自分自身のためであり、誰かを勇気づけるためでもある▼“自分を分かってくれる人がいる”と思えば、人は何度でも立ち上がれる。広布の労苦を無上の誇りとし、励まし合いながら、共に人間蘇生のドラマをつづろう。(値)


◆寸鉄

創価の人間主義こそ平和
建設に欠かせない―市議
我らの真心の振舞で拡大
     ◇
「志有らん人人は互に之
を語れ」御書。決意語らう
座談会から壁破る前進を
     ◇
友の為に悩むことは仏の
悩みに通ず―恩師。毅然
と地涌の使命に生き抜け
     ◇
各国で偽ニュース対策に
本腰。拡散で悪意は蔓延。
送信前に必ず情報源確認
     ◇
傲慢は常に没落の寸前に
現れる―哲人。信者激減
の宗門。民衆蔑視の末路


◆社説 今月は「省エネルギー月間」 身近な工夫から意識変革へ

 「私たちは毎週クレジットカード1枚分のプラスチックを食べている」――昨年、こんなニュースが注目を集めた。
 世界自然保護基金(WWF)が豪ニューカッスル大学に委託した調査報告によると、ほとんど目に見えないマイクロプラスチック粒子が水道水やボトル入り飲料水、貝や塩からも検出された。1人の平均摂取量を推計すると毎週5グラム=クレジットカード1枚分に相当するという。
 人体への影響は不明だが、大量のプラスチックを使い捨てる生活スタイルの見直しが急務であることは間違いない。
 脱プラスチックは、ごみの排出削減にとどまらず、省エネルギーにもつながる。例えば、1年間に国内で流通するレジ袋は、国民1人当たり平均300枚と推計されている。その資源採取から製造、最終処分までにかかるエネルギーを総計すると、原油換算で約42万キロリットル、超大型の石油タンカー2隻分になるという。
 昨今、エコバッグやマイボトルを携行する、ストローの使用を見直すといった「脱プラ生活」を促す声も高まっている。個々の効果は小さいかもしれないが、身近な取り組みを機に、「自分だけ、今だけよければ」という近視眼的な生活意識が変わることの意義は大きい。
 池田先生は今年の「SGIの日」記念提言で、多くの人々の営みが影響を与え合う世界にあって、「共同生活」を意識的に行うことが重要であるとの牧口常三郎先生の『人生地理学』の主張を紹介。気候変動の問題に言及し、再生可能エネルギーの導入やエネルギー効率の改善といった「自己と共に他の生活をも保護し、増進せしめんとする」方法を意欲的に選び取る中で、経済と社会の新しいあり方を追求していくべきだと強調。危機感を共有するだけでなく、建設的な行動を共に起こすことの重要性を訴えている。
 創価学会青年部は本年、「SOKAグローバルアクション2030」をスタート。国連のSDGs(持続可能な開発目標)に掲げられる気候変動への対策として、個人が挑戦できる取り組みを進める「マイ・チャレンジ10」を展開していく。未来を開く青年の行動を心から応援したい。同時に全ての大人には、青年により良い地球を手渡すため、最大限の力を尽くす責任があることを忘れまい。
 2月は「省エネルギー月間」。寒さで電力需要も高まる時期だが、厚手のカーテンで窓からの冷気を遮断し、暖房の設定温度を下げる、エコドライブを心掛けるなど、個人でできる省エネの工夫はたくさんある。エネルギーと地球の未来に思いをはせ、健康にも十分配慮しながら、一人一人が知恵を湧かせ、身近なところから具体的な行動を起こしていきたい。


◆きょうの発心 報恩抄 大阪・北摂総県婦人部長 松原直子2020年2月12日

御文 仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや、此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか(報恩抄、293ページ・編888ページ)
通解 仏法を学ぶ人は、父母、師匠、国家社会の恩を忘れてはならない。この大恩に報いるには、必ず仏法の奥底を学び行じて、智者とならなければならない。

報恩の心で弘教拡大に先駆!
 父母や師匠への報恩のために、智者となって広布に励むべきであるとの一節です。
 6歳で母と死別。題目を唱える亡き母の真剣な横顔と、励まし続けてくださった同志の温かさが、今も心に残っています。
 中学生の時に父が再婚。育ての母に対して素直になれず、反抗したこともありましたが、未来部の会合で親孝行の大切さを教わり、感動で涙が止まりませんでした。今は育ての母に感謝の思いでいっぱいです。
 1990年(平成2年)に本部職員に。池田先生から、「全部、分かっているよ。頑張りなさい」との大激励をいただき、“生涯、学会厳護、報恩の道を”と誓いました。
 結婚を機に大阪・北摂の地へ。夫の母や諸先輩から「負けたらあかん」との常勝関西の母の心を学ぶ日々です。2人の子どもも、創価の学びやに送り出すことができました。
 先生からいただいた「北摂は人材の宝庫」との指針を胸に、同志と励まし合いながら、弘教拡大の先駆を切ってまいります。


【先生のメッセージ】

◆小説「新・人間革命」に学ぶ 名場面編 第16巻2020年2月12日
 連載〈世界広布の大道〉

イラスト・間瀬健治

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第16巻の「名場面編」。心揺さぶる小説の名場面を紹介する。挿絵は内田健一郎。

青年時代の鍛えは生涯の財産

 <「地域の年」と定めた1972年(昭和47年)、山本伸一は、最前線の幹部との記念撮影会を各地で開催。1月、東京・新宿区の友との撮影会では、男子部に対し、青年の生き方を語った>

 彼(山本伸一=編集部注)は語った。
 「私が青年時代に決意したことの一つは、“広宣流布に生きようと決めた限りは、何があっても文句など言うまい”ということでした。
 建設的な意見は大事だが、文句や愚痴は、いくら言っても前進はありません。(中略)また、それは、自分の情けなさ、卑屈さ、無力さを吹聴しているようなものであり、自らの価値を、人格を、下落させることになる。しかも、文句や愚痴は周囲を暗くさせ、皆のやる気までも奪い、前進の活力を奪ってしまう。だから、福運も、功徳も消すことになる。
 『賢者はよろこび愚者は退く』(御書一〇九一ページ)です。私たちは、何事も莞爾として受け止め、さわやかに、勇んで行動していこうではありませんか」
 皆が笑顔で頷いた。(中略)
 「君たちのなかには、日の当たらないアパートの、小さな部屋に住んでいる人もいるでしょう。私も、青年時代は、同じような暮らしでした。
 戸田先生の事業は行き詰まり、学会は存亡の危機に瀕していた時代でした。へとへとになって部屋に帰っても、寒くて寒くて、しかも、食べる物も何もない。一杯のお茶さえない。
 しかし、私は、毅然として、阿修羅のごとく、戸田先生のもとで戦いました。日々、血を吐くような思いで、また、泣くような思いで、働きに働き、戦いに戦い、自分の限界に挑んだんです。
 “今日も必ず勝つ!”“明日も断じて勝ってみせる!”と、一日一日、確実に勝利を打ち立てていきました。それが私の、生涯にわたる財産となりました」(中略)
 「青年時代は短い。一瞬です。逃げているうちに終わってしまう。勇気をもって、広宣流布に、学会活動に、自分を投じ切ることです!」
 「はい!」
 凜とした、決意のこもった返事がこだました。(「入魂」の章、42~45ページ)

最高の幸福を心から確信

 <1月末、山本伸一は沖縄を訪問。名護会館の建設用地で記念撮影が行われた折、名嘉勝代という目の不自由な女子部員が琴を演奏。彼女は3年前に、名護の浜辺で、伸一に激励されたメンバーであった>

 彼女は、その時の伸一の指導を、片時も忘れることはなかった。
 「私は断言しておきます。信心を貫いていくならば、絶対に幸せになれます。
 悲しいことが続くと、“自分は不幸なんだ”“自分は弱いんだ”と決め、自ら希望の光を消してしまう人もいる。しかし、その心こそが自分を不幸にしてしまうんです。(中略)
 “信心の眼”を、“心の眼”を開いて、強く生き抜いていくんです。あなたがそうなれば、みんなが希望を、勇気を感じます。あなたは、必ず多くの人の、人生の灯台になっていくんですよ」
 彼女の胸に、この時、希望の太陽が昇った。(中略)人間は、広宣流布の使命を自覚することによって、自らが「地涌の菩薩」であると知ることができる。
 また、自身の絶対的幸福を約束する「仏」の生命が具わっていると確信することができるのだ。それは、自分のもっている最高の幸福に気づくことといってよい。彼女は、この日、家に帰って唱題しながら、しみじみと自分の幸せをかみしめていた。
 “私は、目は見えない。しかし、それによって、御本尊に巡り合うことができた。また、私には、広宣流布のために仏法を語り、唱題する口がある。歩き回ることのできる足がある……。なんと幸せなのだろう”(中略)
 名嘉は、感謝の思いで唱題しながら、“広宣流布の役に立てる自分になろう”と、固く、固く心に誓った。(中略)
 名護会館の建設用地で、名嘉は今、無我夢中で琴をつま弾いていた。
 演奏が終わった時、真っ先に拍手を送ったのは山本伸一であった。彼女の耳には、伸一の叩く手の音が、強く、強く、響いた。
 “先生、ありがとうございます!”
 名嘉は心で叫んだ。(中略)
 後年(一九九九年)、彼女は、沖縄県指定の無形文化財「沖縄伝統音楽箏曲」の保持者に認定されることになる。
 名嘉は、誓いを果たした。彼女は勝ったのだ。(「入魂」の章、95~98ページ)

“世界が評価する”と予見

 <1972年5月、山本伸一は歴史学者トインビー博士の強い要請を受け、博士の自宅で、多岐にわたる対談を行った。翌年5月にも再び博士宅を訪問。最終日、伸一は博士に、自身へのアドバイスを求めた>

 博士は、伸一の顔をじっと見つめ、静かに口を開いた。(中略)
 「私は学問の世界の人間です。しかし、あなたは極めて重要な組織の責任ある指導者であり、仏法の実践者として行動されている。“行動の人”に対して“机上の学者”がアドバイスするなど、おこがましいことです」
 伸一は恐縮した。その謙虚さに胸を打たれた。博士は、さらに話を続けた。
 「したがって、私に言えることは、これだけしかありません。
 ――ミスター・ヤマモトと私とは、人間がいかに生きるべきか、見解が一致した。あとは、あなたが主張された中道こそ、今後、あなたが歩むべき道なのです」(中略)
 伸一は、博士に言った。(中略)
 「私は、トインビー先生の生徒として、何点ぐらいとれたでしょうか」
 博士は微笑を浮かべ、目を細めて語り始めた。
 「イギリスの大学では、成績はギリシャ語の『Α』、『Β』、『Γ』で評価することがあります」
 ここで、咳払いをし、伸一の成績を発表した。
 「私は、ミスター・ヤマモトに最優等の『Α』を差し上げます」(中略)
 「過分な評価をいただき、大変にありがとうございます。
(中略)
 トインビー先生から、『Α』をいただいたかぎりは、人類を不幸にする諸悪と、勇敢に戦い抜いてまいります」
 博士は、嬉しそうに頷きながら語った。
 「オー、イエス……。人類の未来を開くために戦ってください。あなたの平和への献身を、やがて、世界は最大に評価するでしょう。私は、母校のオックスフォード大学をはじめ、幾つかの大学から、名誉称号を贈られています。トインビー大学の最優等生であるあなたは、必ず将来、私以上に世界中から名誉称号を贈られるでしょう」
 (「対話」の章、213~215ページ)

未来へと希望を燃やして

 <「昭和四十七年七月豪雨」と呼ばれる大雨が各地で大きな被害を出した。秋田では山本伸一との記念撮影会が中止に。伸一は災害対策の手を打ちながら、7月11日、秋田を訪問し、激励。懇談の場を設けた>

 ある青年が質問した。
 「今回、水害で秋田の記念撮影会が中止になりました。これは、やはり、私たちの信心の姿勢に、何か問題があるのでしょうか」
 秋田の同志は、記念撮影に向けて、皆で真剣に晴天を祈ってきた。しかし、大雨になってしまっただけに、何か釈然としないものを感じていたのである。
 伸一は言下に答えた。
 「天候は自然現象ですから、大雨が降ることもあります。どんなに信心強盛な人でも、台風にも遭えば、冬の秋田なら、大雪にも遭うでしょう。それを、いちいち信心に結び付け、くよくよ悩む必要はありません」
 仏法は、希望の哲学である。勇気の源泉である――伸一は、まず、そのことを訴えておきたかったのである。
 「もちろん、『一身一念法界に遍し』(御書二四七ページ)ですから、祈りは大宇宙に通じます。
 しかし、大雨になったという結果にとらわれ、力が出ないのでは、信心の意味はありません。
 現当二世の信心です。未来に向かい、わが地域を必ず常寂光土にしてみせると決意し、勇気を奮い起こして、力強く前進していくことが大事です」(中略)
 「すべてを前進の活力に変え、希望につなげていくのが仏法なんです。
 たとえば、水害で記念撮影ができなかったら、“よし、この次は、必ず大成功させるぞ”と新しい気持ちでスタートすればよい。また、災害に遭ったならば、“さあ、今が正念場だ。負けるものか。変毒為薬するぞ! 信心の真価を発揮するぞ!”と、へこたれずに、勇んで挑戦を開始することです。
 どんな時も、未来へ、未来へと、希望を燃やし、力強く前進していくならば、それ自体が人生の勝利なんです。信心の証明なんです」
 (「羽ばたき」の章、253~255ページ)


◆〈心に御書を〉20 病は永遠の幸福への転機 2020年2月12日
〈御文〉
 日蓮此の業障をけしはてて未来は霊山浄土にまいるべしと・おもへば種種の大難・雨のごとくふり雲のごとくに・わ
き候へども法華経の御故なれば苦をも苦ともおもはず(四条金吾殿御書、1112ページ)
〈通解〉
 日蓮は、この業障(餓鬼道に堕ちる悪業)を消し果てて、未来は霊山浄土へ行くことができると思っているから、種々
の大難が雨のように降り、雲のようにわいても、法華経のゆえであるので、苦をも苦とは思わない。

〈池田先生が贈る指針〉
 御本仏は、度重なる大難も悠然と勝ち越える姿を示してくださった。
 妙法には、重き宿業を軽く受けて消滅させる大功力がある。病も、自身と家族が永遠に幸福になるための転機なのだ。一番大変な時に、一番大きく境涯を変えられる。
 広布誓願の題目の師子吼で、断固と変毒為薬し、偉大な使命の勝利劇に転じゆくのだ!


【聖教ニュース】

◆白蓮グループが各地で入卒式  2020年2月12日

私たちの手で新たな「勝利の門」を!――グループ歌「星は光りて」を歌い、さらなる躍進を誓い合った中部の入卒式。秋元妙華さん、野倉芽伊さんが対話に先駆する様子を報告。松波中部婦人部長、小山同女子部長が激励した(中部池田記念会館で)

私たちの手で新たな「勝利の門」を!――グループ歌「星は光りて」を歌い、さらなる躍進を誓い合った中部の入卒式。秋元妙華さん、野倉芽伊さんが対話に先駆する様子を報告。松波中部婦人部長、小山同女子部長が激励した(中部池田記念会館で)

 女子部・白蓮グループの入卒式が、2月を中心に各地で晴れやかに開催されている。
 昨年、「新時代1期生」となった友は、会館での任務や対話、御書の研さん等に励み、互いに触発。磨いた人格と行動で職場の信頼を勝ち取るなど、社会でも希望の光を放つ。
 入卒式は“1期生”が成長の歓喜を報告し、“2期生”として出発する友が決意を固め合う場となった。
 中部の集いは9日、名古屋市の中部池田記念会館で開かれた。
 新任の小林亜未中部委員長が、白蓮姉妹の団結で師匠の期待に応えようと強調。大串女子部長は、同志を守る実践を通し、自身を輝かせようと語った。

広布に生き抜く決意にあふれた総埼玉の集い。齋藤総埼玉女子部長が、大きく仏縁を広げようと呼び掛けた(埼玉文化会館で)
 
 総埼玉の入卒式は同日、埼玉文化会館で。
 関根尚子さんが職場で実証を示した模様を発表。茂田望さんが幸の連帯を広げる決意を述べ、竹川総埼玉委員長は“勝利の女王”との指針を胸に挑戦をと語った。伊藤総合女子部長が友をたたえた。

総大阪の会合。福盛良恵さん、近藤未来さん、中村美友さんが弘教を実らせた喜びを述べ、堀関西女子部長が励ました(関西池田記念会館で)
 
 総大阪の会合は同日、関西池田記念会館で。
 新任の松下望関西委員長、坂林優美同書記長が、誓願の祈りと勇気の拡大で使命の青春をと訴えた。徳渕総大阪婦人部長は、最高の同志と励まし合いながら、共に栄光の歴史を開こうと望んだ。
皆が広布を開く“創価の花”に
 北海道・札幌5総県(本陣・栄光・池田・戸田・牧口)合同の会合は8日、北海道文化会館で明るく。
 前田北海道女子部長のあいさつの後、小林鮎香さん、斎藤有希さん、三浦直美さん、木村華織さん、徳野沙帆さんが決意発表。工藤千夏さんが折伏を実らせた体験を披露した。
 新任の小松幸恵同委員長は“一人”を大切にしながら前進をと述べ、山口委員長は、皆が広布を開く“創価の花”にと訴えた。千尋副女子部長が激励した。


◆関西創価高校生がカリフォルニアでフィールドワーク 2020年2月12日

国際問題を巡ってアメリカ創価大学のバーンズ教授と意見を交わす関西創価高校生(同大学で)
SGH(スーパーグローバルハイスクール)の一環として

 関西創価高校(大阪・交野市)の生徒14人が1月26日から2月1日まで、米カリフォルニア州でフィールドワークを実施した。文部科学省の教育事業「スーパーグローバルハイスクール(SGH)」の一環である。
 これまで同校の生徒たちは「環境・開発・人権・平和」の4分野の地球的課題を学び、解決の方途を探ってきた。今回の研修参加者は、特に「核兵器廃絶」の研究に力を注いできた生徒たちである。
 14人はアメリカ創価大学(SUA)を訪れ、核兵器廃絶の活動に取り組むSUA生と交流。グループに分かれて教授陣と意見も交換した。
平和へ同世代の仲間と手を携え

関西創価高校の生徒たちが、グラウアー・スクールの生徒とディスカッションを活発に

 1月30日には、同州のグラウアー・スクールを訪問。関西創価高校と同じく「ユネスコスクール」(182カ国・地域、1万1500校以上が加盟)に名を連ねる学校である。両校の生徒は交流を通して、ディスカッションを行った。
 核兵器について、どう考えるか。世界各地で起こる異常気象に、どう対処すべきか――言葉も文化も違う同世代の友と地球的課題を巡って語り合う中で、生徒たちは多くの気付きを得た。

関西創価高校生がサンディエゴ大学のウィロビー教授と共に記念のカメラに。教授は関西高生のプレゼンテーションを、“真剣な学びの様子が伝わる、すばらしい内容”とたたえた(同大学で)
 さらに同日、サンディエゴ大学を訪れ、ウィロビー教授の授業に参加。同大学の3・4年生を前に、プレゼンテーションを行った。
 また期間中、生徒たちはカリフォルニア大学ロサンゼルス校やアーバイン校、「社会的責任を求める医師の会(PSR)」ロサンゼルス支部なども訪れ、研究発表した。
 生徒からは次のような感想が寄せられた。「世界には、平和を求めて行動を起こそうとする同世代が大勢いることを実感しました。そうした仲間たちと手を携え、共通のビジョンを持つことが大切だと確信します」


◆“低体温”な人間だけど〈信仰体験〉 2020年2月12日
 連載〈20代のリアル ボクらのイマ。〉 感動もするし、夢だってある

美大生時代は立体造形を専攻した
 <札幌市内の会館。山田優太さん(25)=総区学生部長=を中心に、学生部の会合が始まった>
 こんばんは。
 そしたら……一人ずつ、近況を言い合ってこっか……
 (参加者全員が近況を言い終わって)
 ……みんな、ありがとうございました。
 そういえば今度、こんな会合があるんだけど行ける人、手を挙げてくれる?…… 

学生時代につくった弟の肖像
<なかなか、物静かな印象。会合を終えて、尋ねてみた>
  
 自分はわりと“低体温”な人間っていうか、大きく声を張り上げたりとか、あまり感情表現が豊かな方じゃないんですよね。
 何も感じてないワケじゃないんです。感動が大声に変わったり、熱くなったりはしないってだけで。
 自分が初めて学生部に参加した時も、ハキハキと話してる参加者の勢いに、正直、ドン引き。やっていけない気しか、しませんでした(笑い)。
 ただ、同じ時期に母から、「学会から離れなければ、あとは、大丈夫だから!」なんて言われたんですよ。
 学会には明るい人が多いので、活動を続けていけば自然とそうなってくのかなとも思ってたんですけど、一度、周囲に合わせてテンション上げてみたら、ものすごい疲れました(笑い)。

<その後、“桜梅桃李”という言葉を知った>
  
 べつにムリして明るく振る舞う必要なんてなかったことに気付きました。
 感情が表にあまり出ないってだけで、池田先生の言葉とか、メンバーが頑張ってる姿を見たら感動もするし、夢だってある。
 純粋な自分のテンションで、友人にも話すようにすると、共感して学会に入会してくれた人もいました。

地域の学生部の仲間と
<家庭訪問などの、会合以外でメンバーと過ごす時間を大事にしている>
  
 声を張るのは苦手なんですけど、話すのは好き。
 メンバーとご飯を食べながら、将来とか、バイトとか、部活とか、いろいろ語り合う中で、相手の長所が見えると、なんか“いいな”って思います。夢とか語り合ってると、白熱して声ちょっと大きくなるかも(笑い)。
 学会活動して思うのは、そんな“マジメ”な話も日常的にできちゃう関わりが持てるってことですよね。理想の自分の姿を思い描いて、それを応援してくれる人脈ができること、努力次第で結果を出していけることを後輩には伝えてます。
 自分、こんな感じでいいのかなって思うことも正直、あるんですけど、メンバーに一緒に唱題しようって呼び掛けると、なんやかんやで来てくれたり、折伏に挑戦してくれるようになったりしてますね。

公募展で入賞した作品「契機」
<現在は、道内の公立中学校で美術を教えている>
  
 一昨年から、今の学校に赴任しました。
 授業の時も、やっぱり淡々としてる方だと思います(笑い)。やっぱり、正直な自分で向き合っていきたいなと。あと、生徒たちの作品をじっくり見たいので。
 「どう、その人の長所を見つけ、引き立てるか。そこにこそ指導者の力量があり、芸術がある」という池田先生の言葉が好きです。
 学生部でもそうですけど、生徒が出してくれた作品には、その子の色が伸びるようなアドバイスを心掛けてます。自分だけの“良さ”に気付ける授業づくりをしていきたいですね。
「今は、授業という“空間”を創作しています」

◆〈信仰体験〉筋ジストロフィーと生きて思うこと 昨日より1ミリでも前へ!

【鹿児島市】「毎日が真剣勝負。だからこそ、昨日の自分から1ミリでも前に進めたことに、深い喜びを感じるんです」
 快活な笑顔でそう語る六田美智子さん(61)=地区副婦人部長=は、45年もの間、筋ジストロフィーと闘っている。
 1959年(昭和34年)の生まれ。生後間もなく、医師から「小児まひの可能性がある」と告げられた。
 悲嘆に暮れる母・宮下安江さん(86)=支部副婦人部長=を粘り強く励ましたのは、地域の創価学会員だった。3年後、“少しでもわが子が良くなるのなら”と、家族で入会した。
 一家は学会活動に励んだ。六田さんも順調に成長しているように思えた。だが、中学に上がると、筋力の衰えが顕著に表れ始めた。
 次第に足腰がおぼつかなくなり、車いす生活に。病状の進行の速さが気になり、病院を受診すると、筋ジストロフィーとの診断。体の筋肉が壊れやすくなり、再生されにくくなる厚生労働省の指定難病。筋力の低下によって、呼吸機能障害など、さまざまな症状が出る。
 当時、16歳。
 突然、突きつけられた宣告に、頭が真っ白になった。
 そんな時、希望の光を送ってくれた人がいた。当時、女子部の先輩だった日笠山さえ子さん(66)=支部副婦人部長。日笠山さん自身、腎臓の病を抱えながら、何度も六田さんの元へ足を運んでくれた。その温かな人柄に心を打たれた。
 ある時、日笠山さんに尋ねたことがある。
 「なぜ、先輩は病気を抱えているのに、そんなに前向きに生きられるんですか?」
 日笠山さんは「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」(御書1124ページ)の御文を拝し、「自分の心が諦めなければ、病に勝つのと同じことなんだよ」と。
 どんな時も、どんなことがあっても、心が負けないこと――。以来、六田さんは「できることから挑戦し、この自分の姿で仏法の素晴らしさを証明してみせると前を向いてきました」。
 御本尊に向かい、ひたぶるに題目を唱えた。29歳の時、車いすでも働ける事務の仕事に就いた。車の運転免許も取得した。“不可能を可能に”。立ちはだかる壁を一つ一つ乗り越えていった。
 91年(平成3年)には、職場の同僚だった、夫・正人さん(50)=地区部長=と結婚。翌年には、長男・悠斗さん(27)=男子部部長=を授かった。
 2016年、正人さんが心筋梗塞と肺がんに襲われたが、家族一丸で祈り、手術は成功。翌年には、職場復帰を果たすまでに回復した。
 先日、六田さんが病院で握力を測ると、目盛りは「0」だった。それでも、笑顔を絶やさない。
 「握力があるかどうかなんて、関係ありません。だって私には、勝利の鍵をつかむ御本尊様があるんですから!」
 いつも前向きな六田さんの姿に触れ、これまで8人の友人が入会している。
 「どんな障壁にぶつかっても、心がぶれることはありません。だって当時、何年生きられるか分からなかった私が、60歳を迎えられたんですもの。この信心があれば、絶対に大丈夫って確信があふれてきます」
 前を向く姿こそ、勝利の人生――自身の使命に生き抜く六田さんの姿が、それを物語っている。

2020年2月11日 (火)

2019年2月11日(火)の聖教

2019年2月11日(火)の聖教

◆わが友に贈る

 会合の参加者を
 「仏の如く互に敬うべし」
 真心で迎えよう!
 笑顔あふれる集いから
 和楽の前進は始まる。
 (御書1383ページ)


◆名字の言 生け花の醍醐味とは?

 友人夫妻の自宅を訪ねるたび、居間に季節の花が飾られている。先日は凜としたスイセンが迎えてくれた。夫人は生け花をたしなんでいるという▼華道は草木に「命」を見るという。みずみずしい若葉や花だけではない。虫食い葉や枯れ枝も全て、“命が現れた姿”と捉えて用い、美を見いだす心が大事だと彼女は教えてくれた。「草木の命を支えているのは『根』です。目には見えない『根』の力をどう見せるかが、生け花の醍醐味なんです」▼根源、根幹、根本……何らかの“おおもと”を意味する熟語には、「根」の字を含むものが多い。フランスの作家サン=テグジュペリの『星の王子さま』(岩波書店)にある「かんじんなことは、目に見えないんだよ」(内藤濯訳)との一節が思い浮かぶ▼仏法では人間の一身を草木に例える。頭から足までが茎、手足が枝、毛は葉。そして根とは「心法」、すなわち心の働きであると説く。日蓮大聖人は「法華経を信じ奉るは根をつけたるが如し」(御書827ページ)と仰せだ。妙法を信じ行じることとは、生命の大地に強く豊かな心の根を張って、生活の上に勝利と幸福の花を咲かせていく営みといえよう▼心は見えない。だがその心で人生は決まる。「ただ心こそ大切なれ」(同1192ページ)である。(之)


◆寸鉄

戸田先生の生誕120周年。
不二の弟子ありて師の夢
は実現。連なる誇り胸に
     ◇
国際部結成の日。学会が
飛躍する今こそ使命大。
世界広布の原動力たれ!
     ◇
法華経を説いて謗ずるも
信ずるも利益あるべし―
御書。臆さず堂々と語れ
     ◇
創造的活動に人生の本質
―詩人。昨日よりも今日。
挑戦また挑戦が創価の魂
     ◇
免疫力を高める鍵は運動
・睡眠・食事。聡明に健康
管理を。根本は深き祈り


【教学】

◆〈明日を照らす〉テーマ:仏法は勝負2020年2月11日

 「御書を拝することは、御本仏の魂に直接、触れることだ。仏の生命を湧き出し、いかなる試練も必ず乗り越えていける。教学は、希望の大光なり。教学は、励ましの泉なり。教学は、破邪顕正の剣なり」(『池田大作先生が贈る 青春勝利の大道』)
 新連載「明日を照らす」では、日蓮大聖人の御聖訓を拝しながら、私たちの正しき人生の航路を示す光源となる仏法の法理を学んでいきます。初回のテーマは「仏法は勝負」。日々のあらゆる局面を勝ち越えるための、勇気と智慧を胸に刻んでいきましょう。

御文
 夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり(四条金吾殿御返事、1165ページ)

“必ず勝つ”と一念を定め
【通解】そもそも、仏法というのは勝負を第一とし、王法というのは賞罰を根本としている。故に、仏を世雄と号し、王を自在と名づけるのである。
                        ◇
 “正しい仏法は必ず勝つ”との日蓮大聖人の御確信が込められた一節です。
 本抄を頂いた四条金吾は、幕府の有力な一族である江間氏に仕えた武士です。
 極楽寺良観の信奉者であった主君・江間氏を折伏したため不興をかった金吾は、建治3年(1277年)には、同僚の讒言を信じた江間氏から“法華経の信仰をやめなければ所領を没収する”と迫られました。
 金吾はこれを敢然と拒否し、不退転の決意を大聖人に報告します。そうした中、苦境の弟子を励ます書信に認められたのが、この御文です。
 当時の中世武家社会では主従関係が重んじられ、武士たちの命運を左右するのは、主君による「賞罰」でした。よって、王法(世法)においては“賞罰を根本としている”と仰せられていると拝されます。
 ところが、大聖人は、“仏法においては勝負こそが第一である”と仰せになりました。これは、主君による弾圧という苦難を「賞罰」という世間の表面的な次元から捉えるのではなく、信心の眼で仏と魔との「勝負」として捉え、“絶対に負けてはならない”と励まされているのです。
 渾身の激励を受けた金吾は、その後、主君の信頼を勝ち取り、以前の3倍の所領を与えられたのでした。
 ある意味で、人生は困難の連続であるからこそ、信心を根本に一つ一つの課題を勝ち越えることで自身が鍛えられ、幸福をつかんでいけるのです。
 何よりもまず、奥底の一念を“断じて勝つ”と定めることが勝利の因となることは間違いありません。


出雲日御碕灯台の夜明け(島根県出雲市)。太陽の仏法が暗闇の苦悩を照らし、希望の未来を開きゆく PIXTA 

御文
 師子王は前三後一と申して・ありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時も・いきをひを出す事は・ただをなじき事なり(経王殿御返事、1124ページ)弛まず全力を尽くす
【通解】師子王は前三後一といって、蟻の子を取ろうとする時にも、また、猛々しいものを取ろうとする時にも、その飛びかかる勢いは、全く同じである。
                        ◇
 師子王はどんな相手にも全力で挑み、打ち破ると仰せです。
 本抄を頂いた門下には病を抱える子どもがいました。日蓮大聖人は、仏の大生命力を師子王の振る舞いに譬えられ、病魔を打ち破るための、強盛な信心や確信の祈りについてつづられています。
 ある年頭、池田先生はこの御文を拝して語りました。
 「小事が大事である。広布の活動のうえでも、仕事のうえでも、家庭も人生も、すべて油断なく、知恵をしぼり、努力を重ねて、堂々たる栄光の一年を勝ち取っていただきたい」
 地道な日々の“勝利”なくして、人生の“大勝利”はつかめません。努力を怠っていながら、立派な成果を求めるのは夢物語にすぎないのです。
 “これくらいなら”と手を抜く油断や、“誰も気付かないだろう”といった慢心に敗北の原因が潜んでいます。
 信心の眼で見れば、最も注意すべきは環境ではなく、自身の心の隙だといえます。
 ゆえに、小さなこと、簡単に思えることを軽んじることなく、全魂を傾けて挑戦していくことが肝要です。
 本抄で示されたように、どんな小さなことも御本尊に強盛に祈念する――そうすれば諸天善神の働きで必ず守られていきます。また、仏界の生命を開いて、どんな苦難にも勇気を奮い起こして挑んでいくことができるのです。
 一日一日を焦らず、弛まず勝ちゆく先に、自身の幸福境涯が築かれることを確信して前進していきましょう。

対話のツボ
【問い】偏った考えに陥りたくない
 宗教に抵抗があるという人から、こんな言葉を聞いたことがあります。
 “宗教を信じることで本来の自分を失い、自由が束縛されるなど、望まない自身に変わってしまうのではないか不安だ”と。
 また宗教に対して、“信者を狂信的にさせ、家庭や社会からも隔絶してしまう”といった偏頗
へんぱ
なイメージを抱いている人も少なくありません。
 しかし、日蓮大聖人の仏法は、各人の生き方や自由を束縛するものではありません。
 私たち創価学会員は、どこまでも自発性の発露で信仰に励み、それぞれの課題に挑戦しています。また、信仰で磨いた人間性を発揮し、豊かな人間関係を育む場として、家庭や社会を大切にしています。
 こうした信仰の実践を通して、本来の自分らしさが存分に生かされる智慧が湧き、思ってもみなかった充実した人生を歩んでいけるのです。
 信仰の歓喜と宗教的使命感の自覚のもと、互いの個性や違いを尊重することで、多様な会員同士の団結も生まれます。仏法を学んだり、他者の信仰体験を聞いたりすることで、「考えが偏る」どころか、視野が広がり、幸福の土台を築く必要性を実感するでしょう。
 その豊かな幸福の土台こそ日蓮大聖人の仏法です。よって、この仏法を持つことを安易に「偏った考えに陥る」と評するのは、「どの宗教も同じ」という宗教観をうのみにしているにすぎません。
 現代に生きる、本当に勝れた宗教にこそ目を開いてほしいと念願します。

【聖教ニュース】

◆きょう戸田先生の生誕120周年 小説「新・人間革命」ワイド文庫完結へ  2020年2月11日

小説『新・人間革命』第30巻<下>の「誓願」の章から(内田健一郎画)

小説『新・人間革命』第30巻<下>の「誓願」の章から(内田健一郎画)

 きょう2月11日は、創価学会第2代会長・戸田城聖先生の生誕120周年である。
 1900年のこの日、石川県・塩屋村(当時)に生を受けた先生は、北海道の厚田、夕張で青雲の志を育み、上京。19歳で人生の師となる初代会長・牧口常三郎先生に出会う。
 軍部政府の弾圧に抗して、師弟で獄中闘争を貫く。戸田先生は、牢獄にあって、唱題の末に、法華経に説かれた地涌の菩薩の使命を自覚し、終戦目前の45年7月3日に出獄。獄中で殉教した恩師の志を受け継ぎ、広宣流布に一人立つ。
 51年5月3日、第2代会長に就任し、75万世帯の弘教を誓願。不二の弟子・池田大作先生と共に、その大願を成就し、58年4月2日、58年の生涯を閉じた。
 
 60年5月3日、池田先生が第3代会長に就任。先生の師弟不二の大闘争によって、創価の連帯は192カ国・地域に広がり、学会は世界宗教へ飛躍した。戸田先生への称賛と評価もまた、世界的なものとなった。

師の心を継いだ不二の弟子の奮闘と、民衆勝利の大叙事詩がつづられた、ワイド文庫の小説『新・人間革命』全30巻

師の心を継いだ不二の弟子の奮闘と、民衆勝利の大叙事詩がつづられた、ワイド文庫の小説『新・人間革命』全30巻
今月20日 第30巻<下>を発刊 「暁鐘(後半)」「勝ち鬨」「誓願」の章

 池田先生は、師の偉業を世界に宣揚し、後世にとどめるために、小説『人間革命』全12巻を執筆。さらに、後継の「弟子の道」を書き残そうと、小説『新・人間革命』をつづり、2018年9月8日に新聞連載が完結。同年11月、単行本の最終巻である第30巻<下>が発刊された。
 
 そしてこのほど、戸田先生の誕生月である今月の20日、聖教ワイド文庫の小説『新・人間革命』第30巻<下>が発刊され、ワイド文庫としても全巻完結をみることになった。
 同巻には