« 2019年12月 | トップページ | 2020年2月 »

2020年1月

2020年1月31日 (金)

2020年1月31日(金)の聖教

2020年1月31日(金)の聖教

◆わが友に贈る

 受験シーズン本番。
 受験生とその家族にも
 こまやかな心配りを!
 悔いなく挑戦できるよう
 皆で大応援しよう!


◆名字の言 人間魚雷「回天」に乗った兄の手紙

 戦地の兄が、当時5歳の弟・本井文昭さんに手紙を送った。<サビシガラナイデクダサイ>。勉学に励み、父母を大切に。そして末尾に記した。<イツデモニイサンハ、フミアキヲミテオリマスカラ>▼手紙を出した2日後、兄は人間魚雷「回天」に乗り、北太平洋で敵艦に向かった。享年19歳。本井さんは「優しい兄でした」と。手紙は山口県の回天記念館に寄贈された。同館の展示は戦争の惨禍に遭った家族の真実を伝えている▼戦後75年の今、広島・長崎・沖縄の青年部と未来部が被爆・戦争体験の聞き取りを行っている。最初は「戦争を知らない世代」の自分たちが、思いを受け止められるか不安もあった。だが一人一人の「記憶」に耳を傾け、「記録」する中で銘記した。“多くの犠牲があった。そして、生き抜いた人々のおかげで今の自分がある。平和を未来に「つなげる」ことが大切なんだ”▼過日の「SGIの日」記念提言で池田先生は、核兵器禁止条約の普遍性を高めるために、「『人間としての実感』に根差した思いを多くの人々の間で分かち合うことが、重要な意味を持ってくる」と指摘した▼私たちは地球という“家”で生活を営む“家族”。戦争には勝者も敗者もない。目の前の「一人」と語り、心を結んでいく。平和の未来は、そこから開ける。(子


◆寸鉄

曖昧な的に放った矢が当
たるわけがない―先師。
祈りは明確に!誓い込め
     ◇
男子部が拡大月間。折伏
は最極の“仏の仕事”だ。
後継よ自身の限界を破れ
     ◇
打ち合わせは要点を定め
価値的に。呼吸を合わせ
幹部は最前線の友の元へ
     ◇
2月は省エネ月間。一枚
多く羽織る「ウォームビ
ズ」等、無理なく賢く実践
     ◇
福島の農産物輸出が過去
最多。安全性や品質に信
頼と。復興へ後押し更に


◆社説 真冬の体調管理と安全対策 「無冠の友」の無事故を祈る

 二十四節気の「大寒」(今年は1月20日)から2週間ほどが一年で最も寒い時期とされる。実際、日本の多くの地域では、平均気温が最も低くなる。
 こうした中、寒風をついて、凜々しく朗らかに聖教新聞を配達してくださっているのが「無冠の友」である。朝、ポストに投函されている本紙。それは一部も漏れなく、「無冠の友」の真心の奮闘あればこそである。
 この時期、配達の時間はまだ辺りは暗い。各地域の新聞置き場に行き、世帯ごとに違う購読部数や紙誌の種類を分けるなど細かな作業が続く。雨や雪の日であれば、紙面をぬらさない一手間も必要となる。
 「仏は文字に依って衆生を度し給う」(御書153ページ)である。友の元へ聖教新聞を届ける「無冠の友」は、広布の要の存在だ。多くの人がまだ寝ているうちから「黎明の希望の光」を届ける創価の前進の第一走者でもある。
 睡眠不足は車などの運転をはじめ、とっさの判断を鈍らせてしまう。前日の十分な睡眠時間の確保は必須となる。
 起きた後、配達前の軽い準備体操も大切だ。また、降雪や凍結に備えて滑りにくい靴を履き、車のドライバーに自身の存在を知らせる明るい色の服装、反射材の活用も重要である。
 「陰徳陽報」の法理に照らして、広布を支える「無冠の友」の福徳は絶大である。
 新潟の友は“一軒一軒の距離が遠く、冬季の徒歩での配達は大変ですが、「無冠の友」になり、地域全体の幸福を祈れる自分になれました”と語る。
 青森の同志は“配達員となり、同志が聖教新聞の購読拡大に駆ける話を聞き、毎朝かばんに詰める一部一部の新聞の「重さ」を実感しました。朝に勝つと、自然と唱題時間が増え、弘教拡大をすることもできました”など、喜びの声を寄せている。
 昨年、新たな言論の城となる「創価学会 世界聖教会館」が完成した。
 池田大作先生は「無冠」の本年新年号で、「(世界聖教会館は)その正面を東天に向けて聳え立つ『太陽の言論城』です。旭日を浴びて輝き光る英姿は、まさしく無冠の友を城主として仰ぎ讃える象徴なりと、私は見つめております」と、「無冠の友」を最大にたたえられている。
 大寒の時期を過ぎれば「立春」となる。真冬の次には春が訪れる。「無冠の友」の絶対無事故を祈るとともに、体調管理を万全に行えるよう、「無冠の友」への温かな配慮と声掛けを行っていきたい。


◆きょうの発心 佐渡御書 埼玉・川口池田県長 橋本武司

御文 宿業はかりがたし鉄は炎打てば剣となる賢聖は罵詈して試みるなるべし(佐渡御書、958ページ・編473ページ)
通解 宿業ははかりしれない。鉄は、炎に入れ熱して打てば剣となる。賢人、聖人は罵ってみて真価が試されるものである。

「人材の師弟城」構築の先頭に!
 苦難をどう乗り越えるかによって人間の真価が決まるのであり、難に遭って初めて宿命転換できるとの仰せです。
 1989年(平成元年)、学生部の夏季講習会に参加。この御文を拝して「たとえわが身は傷つこうとも、学会員を苦しめる者とは、私は断固、戦う」とスピーチされる池田先生の雄姿に触れ、「生涯、学会を護り抜く人に」と誓いました。
 大学卒業後、外資系IT企業に入社し、仕事は多忙を極めましたが学会活動に一歩も引かず挑戦。実績が認められ、世界規模のプロジェクトに参画することができました。
 その後、総県男子部長として広布に駆けていた最中に胃がんを発症しました。題目を重ねて臨んだ手術は成功。家族や同志の励ましに支えられ、完治しました。この間、弘教も結実。報恩感謝を胸に、病に苦しむ人に寄り添い、励ましを送っています。
 本年は「川口の日」の淵源となった9・29「埼玉青年平和文化祭」に、体調のすぐれない中、池田先生が出席してくださってから35星霜。広布拡大と、人材


【聖教ニュース】

◆「伝統の2月」の勝利へ先駆! 男子部が大拡大月間 2020年1月31日
 大学校2期生と3期生が入卒式、「創価班」「牙城会」は入団式を

    • 師弟共戦の心を燃やし、限界を打ち破る拡大の実証を!――男子部の友が勇躍の決意にあふれて(左上から時計回りに、本年1月の創価班首都圏委員長会議、同月の首都圏牙城会総会、2019年3月の男子部大学校入卒式も兼ねた“東北プライド男幹”)

師弟共戦の心を燃やし、限界を打ち破る拡大の実証を!――男子部の友が勇躍の決意にあふれて(左上から時計回りに、本年1月の創価班首都圏委員長会議、同月の首都圏牙城会総会、2019年3月の男子部大学校入卒式も兼ねた“東北プライド男幹”)

 池田大作先生の第3代会長就任60周年の「5・3」を、「3万の折伏」という拡大の金字塔で飾るべく、勇んで前進する男子部。さらに弘教の勢いを加速させる「新時代二月闘争 正義の大拡大月間」が、2月1日から開幕する(同29日まで)。
 1952年2月、若き池田先生が蒲田支部の支部幹事として限界を打ち破る「201世帯」の弘教を成し遂げ、恩師・戸田先生生誕の月を祝賀。師の願業である75万世帯の折伏の突破口を開いた。
 この「二月闘争」の歴史輝く「伝統の2月」は、弟子が広布の全責任を担い立ち、拡大の証しで勝利へ先駆する時である。
 期間中、男子部大学校生、創価班と牙城会の友を先頭に、弘教拡大に総力を挙げる。
 また、2・3月を中心に、各地で男子部大学校2期生と3期生の入卒式を盛大に開催。創価班と牙城会の新時代2期生の入団式も行われる。
 
新時代の二月闘争を飾れ!
 卒校を目前に控えた男子部大学校2期生は今、決勝点を目指して勇気の対話に走り抜いている。
 東京のある大学校生は、俳優という夢を目指すも、現実は厳しく、日々の生活と自分の性格に悩んでいた。そんな時、男子部の先輩が温かく励ましてくれた。そして、自信を持てる自分になりたいと大学校生に。題目をあげ、御書と学会指導を学び、折伏にも挑戦。その中で自信を持って生きられる自分になり、芸能事務所に入って俳優の活動ができるまでになった。友人への弘教も実り、さらなる広布拡大を誓う。
 新たな人材を迎える創価班と牙城会の新時代1期生も勢いよく拡大に先駆する。
 広島のある創価班の友は、経営する飲食店が西日本豪雨の影響で大打撃を受けた。しかし、師匠と同志の真心の励ましに、今こそ創価班精神で立ち上がり、宿命転換の勝利を示す時と奮起。拡大に挑み抜き、2世帯の折伏を実らせた。その中で経営も持ち直すことができ、報恩感謝の心で任務に励む。
 かつて池田先生は語った。「ひとたび、広布の戦の庭に立ったならば、『自分は、これだけやった!』と胸を張っていえる結果を厳然と示していくことだ。『これだけの歴史をつくった!』という生きた証を残していくことだ。それでこそ、学会男子部である」
 男子部は勇気の信心と正義の確信に燃え、一人一人の“私の弘教”で、新時代の二月闘争を勝ち飾る!


◆ジュネーブで「変革の一歩」展――SGIなどが制作 2020年1月31日
 人権教育を難民支援の力に

    • スイス・ジュネーブのUNHCR本部で行われた「変革の一歩」展の開幕式。多数の来場者でにぎわった

スイス・ジュネーブのUNHCR本部で行われた「変革の一歩」展の開幕式。多数の来場者でにぎわった

 スイス・ジュネーブにある国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)本部で24日、SGI(創価学会インタナショナル)などが制作した展示「変革の一歩――人権教育の力」が開幕した。
 本年は、国連が定めた「人権教育のための世界プログラム」第4段階のスタートに当たる年。今回の展示は、同プログラム第4段階の主眼である青年啓発を推進するとともに、難民や国内避難民の青年に対する人権教育の重要性を訴える目的で開催。UNHCRやスロベニア政府代表部などが主催した。
 開幕式には、国際機関やNGOの関係者らが多数参加した。
 スロベニア政府代表部のサビナ・スタドラー大使は、人類は一つの“家族”であり、全ての人は平等であるとの共通理解を広めるのが、人権教育の目的であると強調。教育は、世界中の難民・避難民を危機から救うためにも不可欠な支援であると述べた。

各国の人権教育の事例を紹介する展示は“自分にできること”を学び、語り合う機会

 最後に、「人権教育学習NGO作業部会」の議長を務める、SGI国連事務所のエリザ・ガゾッティ
氏が閉会の辞に立った。 
 氏は、この展示が多くの人にとって、自らの人生とともに、身近な他者の人生をも変えゆく機会になることを望んだ。
 さらに、人権を尊重する第一歩は、固定観念や偏見と向き合い、“差異”への恐れを克服することであると述べ、特に若者が、その挑戦に立ち上がる時であると力説。「(人権教育は)異なる集団の人々に対し、同じ人間として向き合う心を取り戻し、社会で共に生きていく関係を紡ぐことに眼目がある」との池田先生の言葉を紹介しつつ、全ての人の尊厳が輝く社会の建設へ、団結と協働を強めていきたいと語った。
 展示は2月7日まで行われる。


◆スイスで一般講義を開催 2020年1月31日
 欧州に輝く人間共和の光

    • 求道の息吹にあふれたスイスの一般講義。学会創立90周年の「11・18」、明年の池田先生のスイス初訪問60周年へ、異体同心の前進を開始した(チューリヒ市内で)

求道の息吹にあふれたスイスの一般講義。学会創立90周年の「11・18」、明年の池田先生のスイス初訪問60周年へ、異体同心の前進を開始した(チューリヒ市内で)

 欧州の天地に広がる創価の「人間共和」の光!――スイス創価学会の一般講義が21日、森中SGI教学部長が担当し、チューリヒ市内で開催された。
 この時期のスイスでは珍しい青空のもと、全国から求道の友が駆け付けた。場内は400人を超えるメンバーで瞬く間に埋め尽くされていった。
 講義では、池田先生の連載「世界を照らす太陽の仏法」を教材に、「人間革命」「師弟共戦」「地涌の誓願」について学んだ。
 参加者は熱心にメモを取りながら、講義を聴く。スイスは多民族・多言語の国。講義はドイツ語、フランス語、イタリア語、英語に翻訳されて伝えられ、通訳の声にも自然と熱がこもる。
 2時間以上に及ぶ講義は終始、和やかな雰囲気で行われ、会場には仏法の真髄を学ぶ歓喜があふれた。
 昨年入会した女子部のメンバーは、「物理的な距離を超えて師匠とつながっていることを学び、師弟に対する理解を深めることができました。講義に参加できて、感動で胸がいっぱいです」と頬を紅潮させた。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈現代と仏法〉第18回「経済に不可欠な要素」 神戸学院大学教授 中村亨さん (関西学術部長)

 経済学が専門の私は一昨年、研究で英国を訪れ、アダム・スミスが人生の大半を過ごしたカーコーディやグラスゴーなどに滞在しました。そして、なぜスミスが大著『国富論』『道徳感情論』を世に送り出すことができたのかを思索しました。

 経済学の礎
いしずえ
は、言うまでもなくスミスが築いたものです。しかし、スミスの「自己利益」や「利己心」のみが強調され、“自己利益の追求は、神の見えざる手に導かれるかのように社会全体の利益にもなる”との概念が経済学の中心に据えられてしまったのは、彼の両著を誤読したことから起こったものでしょう。
 スミスは道徳・哲学の教授であり、彼が本当に重視したのは自己利益などではなく、シンパシー(共感)でした。
 人を思いやる心――それが個々人に脈打ってこそ社会は発展していけると訴えたのです。

格差社会の原因は自己利益の追求
 近年、彼のそうした観点に注目する学者もいます。ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センも、その一人。センは、人間は他者の窮状に共感する心を持つとし、自己利益のみを追求する人間像を「合理的な愚か者」と批判しました。
 最新の経済学は、さまざまな相手と“対等な契約関係”を結ぶことを考察し、首尾よく回る経済・社会を立案しています。しかし、現実には、世界の富裕層1%の持つ資産が残り99%の資産の合計を上回るという深刻な格差社会と持続不可能な環境悪化を招きました。
 それは、スミスが指摘したような共感がないために、自己利益のみが優先され、“対等な契約関係”を結べないところ、すなわち“人の共感に頼るしかない領域”でほころびが出ていることが原因ではないでしょうか。
 考えてみると、現代社会を揺るがす難問の多くは、ここに集中します。
 環境問題の根源的な困難さは、資源を乱費する現在の世代と、温室効果や資源不足といった損失を被る将来世代との間で対等な契約を結べないところにあります。無力な幼児と虐待する親、学校でいじめに遭う子どもといじめる側との関係も同じでしょう。
 もし、ここに「相手がどう思うか」「自分がその人の立場なら」と思いをはせ、少しでも共感する心が芽生えれば、一人一人の行動も変わり、結果は違うものになるはずです。社会がうまく回るためには、良い制度やシステムが大切なのはもちろんですが、それとともに、一人一人の共感の心を、いかに高めていけるかが不可欠なのです。

徹底して相手に寄り添う同苦の心
 日蓮大聖人は「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」(御書758ページ)と仰せの通り、あらゆる人々の苦悩に同苦するところに仏法の魂があると教えられています。ここでいう同苦とは、上から見下ろす哀れみでもなければ、表面的な同情でもありません。徹底して相手に寄り添い、共に悩み、相手が自分の力で立ち上がっていけるよう、関わり続けていく挑戦です。
 また、法華経には「如我等無異(我が如く等しくして異なること無からしめん)」(法華経130ページ)という言葉があります。“一切衆生を自分と同じ境涯にまで高めたい”というのが仏の誓願であり、そこに私たちの使命もあることを示されているのです。

仏法の思想に世界を変えるヒント
 こうした仏法の思想には、人々を思いやる“共感の心”があり、誰も置き去りにしない“真に対等な世界”を築くヒントがあるのではないでしょうか。その思想を自らの生き方とする創価のスクラムは、創立90周年を迎える今、世界192カ国・地域に広がりました。まだまだ世界の人口から見れば、その数は少ないかもしれませんが、こうした生き方が広がっていけば、世界は変わると思えてなりません。    


◆アメリカ グアムでのSGI発足から45周年2020年1月31日
 “平和の種”を蒔く尊い一生を共に!

“世界平和の電源地”との誇りを胸に、信頼と友情のスクラムを大きく広げるグアムのSGIメンバー。「1・26」45周年を祝して記念のカメラに(今月26日、グアム会館で)

それぞれの国のために、民衆のために、この一生を晴れ晴れと!――SGI発足の舞台となった第1回「世界平和会議」でスピーチする池田先生(1975年1月26日、国際貿易センタービルで)

 1975年1月26日、アメリカ・グアムの国際貿易センタービルに、世界51カ国・地域の代表158人が集い、第1回「世界平和会議」が開かれた。
 席上、世界平和の建設を目指す国際的機構として「SGI(創価学会インタナショナル)」が発足。池田先生がSGI会長に就任した。
 この日の参加者は皆、“後世に残る重大な記録”として、署名を行うことになっていた。ペンを手にした先生は、国籍を記す欄に「世界」と。恩師・戸田城聖先生の「地球民族主義」という言葉を胸に、“世界を祖国とし、世界の人々のために尽くし抜く”との誓いが込められていた。
 この日、池田先生は訴えた。
 「全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」
 出席した各国のリーダーは“広布の開拓者”との誇りに燃え、わが使命の地に平和を広げゆくことを誓った。
 この原点から45星霜――先生の不惜身命の闘争と、師と心一つに“良き市民”として自他共の幸福を開く友の奮闘によって、創価の人間主義の連帯は、192カ国・地域へと発展した。
 ここでは、第1回「世界平和会議」の運営に携わったアメリカSGIの友、グアム準州議会のジュディ・ウォンパット元議長、そしてグアム青年部の代表の声を紹介する。

世界平和会議の事務局長 ジェリー・ホールさん
●後世に輝く重要な一歩
 45年前の1月、私は第1回「世界平和会議」の事務局長を担い、代表で「平和宣言」を読み上げさせていただきました。直接、池田先生のスピーチを聞き、“世界広布が現実のものとなっている”と確信したことを鮮明に覚えています。
 しかし当時は、会議を円滑に進めることに集中していたので、この一歩がこれほど後世に輝く歴史になるとは考えもしませんでした。この時の自分自身は、“小さな一歩が踏み出された”くらいに感じていたのかもしれません。しかし後で振り返った時に、ここから歴史がつくられていったのだと痛感させられます。
 だからこそ、今の青年部の皆さんには、いかなる広布の戦いも、皆さんが今感じているより、ずっと大きく重要な意義があり、その価値は後になって必ず分かる時が訪れるということを訴えたいのです。
 SGI発足の会合の後、各国に戻っていった友は、死身弘法の精神で妙法流布に駆け巡り、師との誓願を果たそうと“平和の種”を蒔き続けました。その結果、今日の192カ国・地域に広がる堂々たる創価の連帯が構築されたのです。こうした点から、池田先生は、「世界平和会議」の参加者に“平和は必ず実現できる!”との“確信の種”を蒔いてくださったと思えてなりません。
 私自身、人類の平和と幸福のために戦う師匠と同じ方向を向いて、生涯、広布に生き抜いてまいります。

グアム準州議会 ジュディ・ウォンパット元議長
●学会の地域貢献に共感
 グアムでは毎年、池田SGI会長が“平和原点の地”としてくださったことへの感謝の思いを込め、1・26「SGIの日」を盛大に祝賀しています。
 これまで私たちは、島の教育者や異なる宗教組織の代表らを交え、「平和の文化」の促進を巡るフォーラムを開催したり、グアム大学で「世界の子どもたちのための平和の文化の建設」展や「ガンジー・キング・イケダ――平和建設の遺産」展を行ったりするなど、地元SGIの方々と協力しながら、島の人々と共生の哲学を共有してきました。
 こうした活動を通して、異文化間の相互理解を進め、地域に貢献しようと尽力するSGIメンバーに対して、多くの人々が共感を寄せています。“グアムのSGIの運動こそ、太平洋地域全体の平和への出発点だ”と語る島民もいます。
 私たちグアムの島民は、長年にわたり、戦争と侵略の歴史に耐え抜いてきました。苦難を経験してきたからこそ、島民一人一人が幸せに暮らしていけるような社会を構築したいと、強く念願します。
 グアムは、小さな島かもしれません。しかし、個人の幸福と平和をつくる哲理を地域社会に確立していけば、その影響力は、世界に波動を起こしていけると確信しています。

地元グアムの男子部本部長 パトリック・サラスさん
●原点胸に弟子の陣列を
 SGIが結成された第1回「世界平和会議」で、池田先生は、「皆さん方は、どうか、自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」と呼び掛けられました。
 グアムでは、皆がこの原点をわが指針と定め、生命尊厳の仏法哲学を根幹とした人生を歩もうと、努力を重ねています。
 毎月の青年部座談会や御書学習会を通して、信心の素晴らしさを心に刻みながら、友人との対話に挑戦。また7年前からは、不戦の誓いを次代に継承させるとの意義を込めて、地域住民や行政関係者らと共に「ラッテ平和祭」を共催するなど、信頼の輪を広げる取り組みを続けています。
 意義深き本年、グアム青年部は、「6000人の青年の拡大」を目指す、アメリカSGIの戦いをけん引するとの決意で、新任のベラ・ファゴタ女子部本部長と心一つに、弘教に励んでいます。
 明年初頭には、SGI発足の集いが行われた国際貿易センタービルのほど近い地に、待望の新「グアム会館」が完成予定です。
 同会館の建設のつち音が鳴り響く今、私たちは“世界平和の電源地”で広布に走る誇りを胸に、各部一体で師の万感の期待に応えゆく、弟子の陣列を築いてまいります。


◆〈信仰体験〉生きるよろこび 子宮頸がん、卵巣のう腫を越え 弱い自分も認め凜と生きる

 【さいたま市】勝山緑さん(57)=支部副婦人部長=は、女性服のファッションアドバイザー。「私の洋服は、緑さんがいれば安心なの」「全てのコーディネートを任せたい」など、顧客の信頼は抜群。
 女性たちの心をつかむ彼女だが、病に苦しみ、自身の存在意義を見いだせない過去があった。子どもが望めなくなる現実、立ち仕事はもうできないとの診断……若き日の経験を力に、今、女性の笑顔のために生きる。
 さいたま市内の百貨店。大手アパレル企業に勤める勝山さんは、お客の好みやニーズに合わせて服を薦める。トレンドを踏まえた着こなしのアドバイスも。
 パート社員ながら、年に1度のフェアでは、販売実績で全国屈指の数字を出す。
 極意を聞くと、「話下手ですし、笑顔にも自信はなくて」と控えめ。「でも、お話をじっくりと聞かせていただきます」と。やりとりの中で、自然に家族の好みにまでおよび、本人がなじみのない色や柄を提案することも。
 「その後、周りの反応が良かったと言われ、またお会いできることがうれしいんです」
 こうして働く一日一日には、感謝があふれている。
 ――宿命を嘆く半生だった。19歳の時、卵巣のう腫と診断され、右の卵巣を摘出。若いうちに出産できればと、自動車会社での仕事を続けつつ22歳で結婚した。
 子どもに囲まれた家庭像を描き、3年、4年。仕事を諦め、不妊治療を始めた。望みを託した病院で告げられたのは子宮頸がん。医師の話には、まだ希望があった。「体外受精」。
 ただ、その道も過酷だった。「もし受精が成功しても、胎児を育む間にがんも大きくなります」と。
 毎日、泣いた。“宿命”という言葉が胸につまる。“使命”に変えたくても、現実はあまりにも重かった。

 唱題の末、後日、医師に伝えた。「それでも産みたいです」。1989年(平成元年)4月、体外受精に成功。念願の命を宿す。
 だが――。喜びは、つかの間だった。流産。そして、がんの切除が決まる。それは妊娠できない体になることを意味していた。
 御本尊の前で横に伏せる日々。“祈ることが大事”と思っても、どうにもならない……。
 そばで寄り添ってくれる人がいた。婦人部の先輩だった。脳性まひの体に装具をつけ、自宅に来ては、何でも聞いてくれた。そして、「一緒にお題目を唱えよう」。その姿と声が力をくれた。
 手術を控えた夏。仏法対話を重ねた。2人の友人が信心を始めることに。人のために動く時、人は強くなれる。同志がいたから、つかんだ生き方だった。
 そうして手術を終えた後、見える景色は変わった。町へ出ると、大事そうにおなかに手をあて歩く人、子どもと手をつないで楽しげな人……。覚悟を決めたはずなのに、涙が?を伝う。
 夫婦で将来を話し合った。出した結論は離婚だった。
 強くなったと思っても、また弱くなる。途方に暮れた。“私が女性として生まれた意味は、何だろう”。答えが見いだせない。そもそも答えはあるのか。分からなかった。
 何もかもリセットしたかった。沖縄で仕事を見つけ、暮らし始めた。だが、1年もしないうちに、がんの再発が見つかり、治療のため東京へ戻った。薬を使用し経過観察となる。
 苦しみを忘れられるのが、仕事だった。高級ファッションブランドの販売員に。きらびやかな世界。多忙を極め、いつしか学会活動がままならない生活に。副店長になった頃には、他店で働く人たちを心のどこかで軽く見るようになっていた。
 “いつか店長に”。目標に走っていた35歳の春。左側の卵巣のう腫が見つかった。休暇を取って入院。すぐ職場に戻るつもりだった。
 手術し、目を覚ましたのは数日後。腹部には一時的ストーマ(人工肛門)が造設されていた。
 手術は、腸が癒着していたために難航した。腸が傷つき、髄膜炎を起こしていた。
 壊死した腸を切除するため、2度の開腹手術が施されていく。立て続く試練。“こんなにつらいなら、もう……”。死の誘惑に駆られる。
 生きる道へと、つなぎ留めてくれたのは家族や同志、後に再婚した夫・一臣さん(56)=副支部長(地区部長兼任)=だった。
 4カ月の入院生活。題目を唱え、池田先生の指導に触れた。“こんなに多くの支えがある”と気付いた。だから、医師に「もう立ち仕事はできないかもしれない」と言われても、心が折れることはなかった。
 退院後、手に取った聖教新聞。池田先生と会見した中国の周恩来総理の生き方が紹介されていた。18回に及ぶ手術を越え、人民のために尽くした周総理の信念が「生命不息、戦闘不止(命ある限り、闘いを止めず)」と――。
 胸が熱くなった。悲哀に屈するわけにはいかない。池田先生への手紙に決意をしたためた。
 <私も負けません>
 試練はなおも続いた。人工筋膜の移植やケロイドの治療など4回の手術。全てを耐え、ストーマも外すことができた。
 新たな挑戦が、アパレル業への復帰だった。国内企業が開くイベントのスタッフに呼ばれ、最初は年に数回。やがて、月に1度から2度へ。勝山さんがいると売り上げが伸び、喜ばれた。
 接客をしていて、感じたことがある。人の見え方が変わった。訪れる女性たちは、それぞれに悩みを抱えているもの。
 家庭や生活の背景まで思いをはせ、服の販売を通し、日常に彩りを添えられたら。学会で学んだ「一人の人を大切に」という心。より深く、実践するようになった。
 2012年(平成24年)、49歳の時、現在の店で働くように。これまで、職場の後輩が勝山さんの生き方に希望を見いだし入会。上司2人も教学部任用試験を受験した。
 1人は、高級ファッションブランドに勤めた時からの知り合い。「学会は苦手だった」が、勝山さんの変化に目を見張り、小説『新・人間革命』も学んでいる。

 池田先生はつづっている。
 「宿命を真っ正面から見据えて、その本質の意味に立ち返れば、いかなる宿命も自身の人生を深めるためのものである。そして、宿命と戦う自分の姿が、万人の人生の鑑となっていく」
 人間は弱い一面もあるが、強さも併せ持っている。それを実感してきた人生だった。
 「弱い自分を受け止めて、そこも認めながら、題目を唱えています。その上で、何があっても、自分が凜としていればいい。そう心に決めて、私の使命を果たしていきます」
 女性たちの心の声にまで耳を傾け、喜びを届けたい。

◆〈ライフスタイル〉 小児脱毛症の娘に教わった 子どもの力を信じることの大切さ
 子ども用ウィッグを開発、専門ショップをオープン
 Dream Assort代表 新井舞さん

 今回は、子ども用のウィッグ専門店「Dream Assort」を立ち上げた、新井舞さんの登場です。新井さんの次女・優芽ちゃん(9歳)は生後11カ月の時に脱毛症を発症。脱毛症は現代の医学では原因の特定が困難。治療法も確立されておらず、まして幼児に施せる治療は限られています。さまざまな思いを抱えながら、明るく前に進む新井さんの思いを聞きました。

「もう泣かない」と決めた日
 優芽ちゃんは生後11カ月の時、円形脱毛症と診断された。新井さんは何とか完治させたいと必死に調べたが、当時はほとんど情報がなかった。
 “脱毛症=ストレス”が世間のイメージ。「ママがしっかりしないとダメ」と言われたり、スーパーで知らない年配の女性に「どんな育て方をしてるの。ハゲちゃってるじゃない!」と叱られたことも。
 「外に出たくなかったですね。娘が小さい時は一緒に笑顔で過ごすというより、ふさぎ込む母親でした。
 本人は生まれた時からそれが当たり前の状態なので、全然気にしてないんです。外でも帽子を嫌がって。あちこち髪の毛が抜けてるまま遊ぶから目立つ。私はいかに隠すかを考えてました」
 4歳になると、眉毛やまつげなど全身の毛が抜ける汎発性脱毛症に進行。フルウィッグを作ったが、「チクチクしてかゆい!」とすぐに外し、ウィッグ嫌いに。
 優芽ちゃんの症状には周期性があり、冬には髪の毛が生え、春ごろから抜け始める。小学校の入学式直前には全て抜けてしまった。
 小学生になるまでに治してあげたかった――新しい人間関係に飛び込む娘を思うと、入学準備をしながら涙が止まらない。そんな新井さんを見て優芽ちゃんも泣き出した。抱き締めて「こんな病気の体に産んでゴメンね。つらいね」と言うと、優芽ちゃんは新井さんの手を振り払う。
 「私がつらいのは、髪の毛のことじゃない。ママがそうやって泣くことだよ!」
 本気で怒る優芽ちゃんを見て、新井さんはハッとする。
 「それまで、髪の毛がないことが娘にとってつらいことだと思ってたんです。でも実は、私が涙したり、ふさぎ込むことで傷つけていた。私の考え方一つで、娘は幸せにもなるし悲しい思いもすると気付きました。
 それ以来、脱毛症のことで娘の前で泣いたり、弱音を吐いたりしていません」

使っても使わなくても自由
 入学式の日、学校側の協力で新井さんが書いた手紙がクラスの保護者全員に渡った。「髪の毛はないけど元気です。分かる範囲でお子さんに説明してもらえるとうれしいです」という内容だ。
 「直接私たちには聞きにくいと思うので、こちらから心を開こうと。おかげで娘は初登校も普通にツルツルの状態で学校に行き、何事もなく帰ってきました。子どもは順応性が高いので『優芽ちゃん、病気で髪の毛ないんだ、ふーん』で終わり。大人の方が考え過ぎるのかもしれません。
 今思うと、ふさぎ込んでいた時期は、娘は将来恋愛できるのか、好きな仕事に就けるのかと悲観的に考え、周りの人たちを勝手に悪者にし、壁をつくっていた。それを壊す勇気って大事だなと思いました」
 「泣かない」と決めた日から脱毛症に対するこだわりは吹っ切れたが、何かできることはないのか――。新井さんはそれまで勉強してきた行政書士の資格取得を諦め、優芽ちゃんが喜ぶウィッグを作ろうと決意。日本中のあらゆるウィッグメーカーに、アイデアと開発協力を求めるメールを送った。
 しかし、ユーザーとしての経験だけで全くの素人の呼び掛けに、断りの返事すら来ない。諦めかけていた時、ある企業が社会貢献活動の一環として快諾。1年半後、当事者ならではの視点が詰まったウィッグが完成した。
 「サイズを調節でき、帽子と併用するタイプです。頭皮は局所免疫療法の治療をすることが多いので、上部は伸縮性のある柔らかな特殊加工のレースに。子どもが自分で着けられるのがポイントです。
 毛材は日本製の高級耐熱人工毛でお手入れが簡単。入浴時にシャンプーして、タオルドライ後、自然乾燥するだけ。形状記憶なのでセット不要です」
 製品ができたら販売会社が必要。当初、新井さんは起業を全く考えていなかったが、2018年に「Dream Assort」を立ち上げた。
 「娘は今も相変わらずウィッグに興味はなく(笑い)、ありのままで生活しています。着けても着けなくても、自由でいいんです。例えば冠婚葬祭とか何か本人が着けたいと思った時に使えばいい。お守りみたいな感じですね。
 ウィッグが好きな子、嫌いな子、バンダナの方が好きな子、いろいろいます。脱毛症の子は髪の毛が顔にかかることに慣れてないので、それを嫌がる子もいます。だから、まずはレンタルで貸し出して、購入するか決めてもらっています」

社会貢献活動への広がり
 新井さんは昨年末、社団法人も設立。「ウィッグドネーションDa―re」プロジェクトを開始した。誰でも寄付を行えば、脱毛症の子にウィッグを無償でプレゼントできる。お互いの名前が分かり、受け取った子どもからメッセージカードが送られてくる仕組みだ。
 「Dream Assort」の方は、オーダーメードで大人用を販売する体制も整った。将来は実店舗のオープン、そこでの雇用創出や起業支援も視野に入れている。
 メディアにも登場し、活躍の幅を広げる新井さんは“すでに乗り越えた人”と見られるという。
 「“どうすれば苦しみを克服できますか?”とか質問を受けますが、私もまだまだ“渦中”です。乗り越えてなんかいないし、いまだに治ればいいなと思ってます。でも、なってしまったものはしょうがないから、楽しく生きていくには――と考えているだけなんです。
 治療法とかウィッグを着ける着けないとか、私たちの選択を正しいと思う人も、間違いだと思う人もいる。正解はないので、いろんな側面を見つめて発信しなくてはと思いますね。
 昨年夏、娘が社会科見学で他校の生徒にからかわれ、とてもショックを受けて帰ってきました。成長して人との違いを感じる年齢になり、自分の中で整理しきれない感情が湧いてきたんですね。
 いつかそういう時が来るだろうなと、掛ける言葉を考えたりもしたけど、いざとなったら何も言えなくて。
 『それはつらかったね』と、一緒に泣きました。慰めるとか、気持ちを切り替えさせるなどできないし、それが娘のためになるとも思えない。
 とにかくその悲しみを共有して、2、3日一緒に泣きました。傷つく娘を見るのはつらいけど、親としてきちんと見届けないといけないと思います。
 でも子どもは自分で切り開く力を持っている。あの日、私は娘に気付かせてもらいました。その力を信じてあげることが大切だと思っています」
 あらい・まい 1986年生まれ。オリジナルウィッグショップ「Dream Assort」代表。群馬県前橋市在住。1男2女の母。2017年6月、脱毛症の子を持つ母による「Fun Kids Wig! project」を発足。マスターズテック㈱、マスターズプランナー㈱全面協力のもと、18年春、商品化が決定。秋には「Dream Assort」をオープン。さらに「ウィッグドネーションDa-re」プロジェクトを開始。メディア出演多数。第4回とちぎんビジネスプランコンテストグランプリ受賞。
 ホームページ https://dreamassort.base.shop/
 メール dream-assort@outlook.com
 【編集】加藤瑞子 【新井舞さん、ウィッグ調整部分の写真】工藤正孝 【その他の写真】新井さん提供 【レイアウト】杉山諒太
 ご感想をお寄せください life@seikyo-np.jp

2020年1月30日 (木)

2019年1月30日(木)の聖教

2019年1月30日(木)の聖教

◆わが友に贈る

 一対一の語らいこそ
 広布伸展の原動力だ。
 地道な訪問・激励で
 友の話をじっくり聞く
 抜苦与楽の実践を!


◆名字の言  やっぱり苦労はしたもん勝ち――沖永良部島の広布の母の言葉

 「この人の語らいは、まさに芸術」と評判の婦人が、鹿児島県の沖永良部島で活躍している。入会61年目。125世帯に弘教を実らせた“対話の名手”である▼実は生来の口べた。だから、とことん相手の話を聞いた。いつしか“心の声”まで感じられるようになったという。交通事故で顔に傷を負った時は「この傷は笑顔じわよ」と明るさに磨きをかけた。夫を病気で失ったが、「悩んでいる人に一層、同苦できるようになれた」と励ましの対話を続けた▼旧習の壁にぶつかるなど、言葉にできないつらさも、ずいぶん味わった。そのたびに負けずに頑張り抜いたゆえか、人柄に芯の強さ、朗らかさがにじむ。人生は平たんな道を歩むより、苦難の山坂に挑んだ方が、どれほど豊かなものになるか。深く考えさせられた▼山本周五郎の小説『虚空遍歴』にこうある。「芸というものは……あらゆる障害、圧迫、非難、嘲笑をあびせられて、それらを突き抜け、押しやぶり、たたかいながら育つものだ」。人生万般に通じるだろう▼先の婦人に若い世代への助言を求めると、「やっぱり苦労はしたもん勝ち。だって人を励ます“心の引き出し”が増えるでしょ」と。こうした宝の先輩が広布の庭にはたくさんいる。ありがたくもあり、誇らしくも思う。(誠)


◆寸鉄

会長の著作には困難乗り
越える幸福の方程式が―
元大臣。人生凱歌の源泉
     ◇
御書「此の経を信ずる者
は宿縁多幸なり」。偉大な
妙法に出合った喜び胸に
     ◇
一人立つ時にのみ、人は
勝利を手にする―哲人。
自分から拡大の波起こせ
     ◇
夫婦で力を合わせ歩む姿
が子の生き方の手本に―
教育者。これ信心継承も
     ◇
未婚ひとり親支援進めた
公明を高く評価―教授。
生活者目線の政策さらに


【聖教ニュース】

◆1・26「SGI発足45周年」 各国で祝賀の集い 2020年1月30日

 1・26「SGI(創価学会インタナショナル)の日」を祝賀する集いが、欧州、南米など各地で開催された。
 「自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」――1975年(昭和50年)1月26日、グアムで行われた第1回「世界平和会議」の席上、池田大作先生は世界51カ国・地域から勇み集った同志に呼び掛けた。

人々の心に平和の種蒔く「世界市民のスクラム」
 以来、45星霜――。日本を駆け巡る激務の合間を縫って、海外歴訪を重ねてきた師の闘争に続こうと、世界中の共戦の友が奔走。今や創価の連帯は192カ国・地域に広がり、地球上のここかしこに希望のスクラムが広がっている。

◎ウルグアイ

歓喜に満ちて前進するウルグアイの友。会合では、学会歌「人間革命の歌」を皆で合唱した(ウルグアイ文化会館で)

歓喜に満ちて前進するウルグアイの友。会合では、学会歌「人間革命の歌」を皆で合唱した(ウルグアイ文化会館で)
 ウルグアイの集いは26日、首都モンテビデオのウルグアイ文化会館でにぎやかに開かれた。
 タナカ女子部長が対話と人材の拡大に先駆する決意を述べ、マイダナ婦人部長が異体同心の団結で皆が折伏に挑み、本年を勝利で飾ろうと語った。
 カエツ理事長は“池田先生と共に”との一念で一人一人が自身の壁を破り、それぞれの使命の舞台で輝こうと力説した。
 集いでは、タンゴや歌唱、ギター演奏なども披露された。

◎オランダ

“皆で一歩前進を! 皆が広布の人材に!”――人間共和の園を築きゆく誓いにあふれたオランダの創価家族が笑顔で(ザイスト市内で)

“皆で一歩前進を! 皆が広布の人材に!”――人間共和の園を築きゆく誓いにあふれたオランダの創価家族が笑顔で(ザイスト市内で)
 オランダの幹部総会は26日、ザイスト市内で行われ、300人が集った。
 
 サミュエルズ欧州副議長の担当で、人間主義の仏法哲理を研さん。代表のメンバーが小説『新・人間革命』の学習に挑む模様や、地涌の陣列を拡大した喜びを発表した。
 イワミ理事長は強盛な信心を奮い起こし、皆が一歩前進する一日一日を送ろうと呼び掛けた。
 参加者からは「励ましの輪をさらに広げるため、同志の訪問・激励に走ります」(壮年部)、「総会で学んだ師弟の精神を胸に、行学の実践に励みます」(女子部)等の声が寄せられた。

◎オーストリア

1・26「SGIの日」記念のオーストリアの集い。参加者は「自らの広布の使命を果たします」等と決意も新たに(オーストリア文化センターで)

1・26「SGIの日」記念のオーストリアの集い。参加者は「自らの広布の使命を果たします」等と決意も新たに(オーストリア文化センターで)

 オーストリアの記念勤行会は26日、首都ウィーンのオーストリア文化センターで開催。
 
 ナカムラ参与が、45年前のSGI発足の際の池田先生のスピーチを紹介し、友の心に幸福の種を蒔き続ける人生をと望んだ。
 続いて新会員の紹介が行われ、会場は歓喜に包まれた。
 ルボー婦人部長は、「欧州広布サミット」(今月17~19日)の模様を報告。ウィリアムス理事長が世界平和の実現へ、自他共の幸福に尽くそうと訴えた。
 最後に、青年部の代表が、欧州広布サミットで誕生したばかりの欧州青年部の新愛唱歌「トーチベアラーズ」を高らかに合唱した。


◆原田会長を中心に「各部代表者会議」 2020年1月30日
令和の二月闘争を勝ち飾れ

 世界広布新時代第75回の各部代表者会議が29日、原田会長を中心に、東京・新宿区の常勝会館(本部第2別館内)で行われた。
 池田先生はメッセージを贈り、女子部のロマン総会をはじめ、男子部、学生部の先駆の拡大をたたえた。
 次いで、「二月闘争」の出発が1952年(昭和27年)1月29日の蒲田支部緊急組長会であり、24歳の青年だった自身の「報恩の折伏を!」との誓願から始まったことを述懐。
 今年と同じ「うるう年」だった同年の2月29日、ちょうど1カ月後の幹部会で支部201世帯の弘教達成が発表され、全学会に歓喜と勇気を広げた事実に触れつつ、この師弟の魂を継ぐ地涌の青年部の活躍ほど頼もしいことはないと述べた。
 さらに「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか」(御書329ページ)を拝し、寒い中、忙しい中を広宣流布に走る一日一日が、どれほど尊く、どれほどかけがえのない日々であるかを強調。
 思うようにいかず、悩み、もがきながらも題目を唱え、励まし合って、友のため、法のため、社会のため、前へ前へ進む――その中でこそ、無量無辺の大功徳を積み、正像二千年をもしのぐ世界宗教の歴史をつくりゆけるとの大確信で、朗らかに誇り高く、令和の「二月闘争」を勝ち飾ってほしいと訴えた。
 最後に「何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」(同1132ページ)を拝読。
 多事多難な世情だからこそ、御聖訓のままに、日本と世界の創価家族と国土の無事安穏を、一段と強盛に異体同心で祈り抜こうと呼び掛け、メッセージを結んだ。
 原田会長は、45年前のSGI発足の歴史に刻まれた、「妙法という平和の種」を世界に蒔いてきた池田先生の人材育成の戦いに言及。新たな世界宗教の興隆があってこそ、対立から協調へ、分断から統合へと世界を転換できるとの大確信で、「1・26」記念提言に示された師の構想を、わが使命の場所から実現していこうと訴えた。
 長谷川理事長、谷川主任副会長があいさつ。大串女子部長がロマン総会の模様を述べ、本社報道局の樹下智記者が取材報告を行った。


◆家庭教育懇談会の魅力を巡って 020年1月30日

    • 家庭教育懇談会について語り合う(都内で)。右から辻男子青年教育者委員長、上脇関東女性教育者委員長、高梨教育本部長、沼倉婦人部書記長、飛田女性未来本部長

家庭教育懇談会について語り合う(都内で)。右から辻男子青年教育者委員長、上脇関東女性教育者委員長、高梨教育本部長、沼倉婦人部書記長、飛田女性未来本部長

 宝の子どもたちの笑顔のために、子育てに奮闘する保護者を支えるために――今、「家庭教育懇談会」への関心が高まっている。教育本部と地元組織や未来本部が連携してつくる、子育て世代の“支え合いの場”である。通称“家庭コン”は昨年、全国2044会場で実施され、参加者は1万5000人を数えた。両本部と婦人部のリーダーが、家庭コンの魅力と取り組みのポイントについて語り合った。

 高梨 全国各地の教育現場で奮闘されている教育本部の方々の多くが、肌で感じている“日本社会の課題”があります。それは「子育てに孤独感を覚えている親御さんが多いこと」。そして「子どもたちが愛情に飢えていること」です。現代の親御さんたちは、一昔前とは比べものにならないほど忙しい上に、地域や親族のサポートも得づらい中で子育てをされています。「わが子と笑顔で向き合う時間も、愛情にあふれた言葉を送るような気持ちの余裕も、なかなか持てない」といった保護者の声が少なくありません。

 沼倉 ヤング白ゆり世代の方々のお話を伺っていても、一番多い悩みは、お子さんのことについてですね。でも、だからといって、誰かに相談しているかというと、決してそうではないんです。ある若いメンバーと懇談した時に言われて、ハッとした言葉があります。「今のママたちは、自分の悩みをなかなか言わない。言えない。上の世代の人に弱音を吐いたら『私たちの頃は……』って言われそうだし。同世代の人に打ち明けるのも、なんか自分のダメなところを知られるようで嫌だし……。だからスマホを手に取って、インターネットの中に答えを探しちゃうんです」って。

創価家族が一体となり希望の2030年を創ろう
子育て世代のメンバーを支えるメッセージを発信

 飛田 それは「この人なら、どんな自分でも受け入れてくれる。安心して話せる」と思える相手を、本当は求めているとも捉えられますよね。けれど私たちが思っている以上に、子育て世代の方々は不安を覚えている……だとすると、家庭コンを開催すること自体、「この地域には安心できる居場所がある」というメッセージを強く発信することにも、つながるのではないでしょうか。
  
 上脇 ええ。関東では昨年、埼玉や千葉を中心に677会場で家庭コンを実施して、約5500人が参加しました。これだけ大きく推進できたのも、ライン組織のリーダーの方々、特に総県・総区の婦人部長さんが、「子育て世代をみんなで支えていこう!」と力強く呼び掛け続けてくださったおかげです。家庭コンに限らず、どんな教育支援であっても、すぐに目に見える結果が出るわけではありません。けれど家庭コンが広がっていくことで、子育てに奮闘する親御さんたちに安心感が広がること自体、大きな意義があると思うんです。組織の日程表に家庭コンの開催日が加わるだけでも、うれしいものですから。
  
 飛田 北海道においても、取り組みが広がっていると伺いました。苫小牧や室蘭などを舞台とする太平洋総県の皆さんが、家庭コンの取り組みを始めるに当たって意識したポイントは、「できるところから始めよう」。やってみるまではピンと来なかった人たちも、実際に参加してみると「これはいい!」と感動する。その反響が広がり、開催する地域も増えていったそうです。また岐阜のある地域では、若い世代に家庭コンへの親しみを感じてもらえるよう、名称を「ひだまりカフェ」「ゆるカフェ」「しゃべりバー」等と変え、工夫しているとも聞きました。
  
 辻 私たち青年教育者も「これからは積極的に家庭コンに参加していこう」と呼び掛け合っています。男子青年教育者自身が、子育て中のケースもありますし。お子さんのいるいないにかかわらず、家庭コンに参加して親御さんたちの率直なご意見を伺ったり、教育本部の先輩の接し方をこの目で見たりすることは、職場では決して得られない学びや気付きを得ることにもなると思います。

男性が学ぶこと
 飛田 辻さんご自身も、子育て真っ最中なんですよね。
  
 辻 8歳の長男と6歳の次男がいます。妻はまさに、ヤング白ゆり世代として活動しておりまして。互いに忙しい中ではありますが、妻の話に耳を傾け、思いを共有する時間をつくるよう心掛けています。これを“わが家の家庭コン”と呼んでいるんですが。実は第1子が生まれた直後は、心身ともに大変な時期が続いたんです。私に早期の大腸がんが見つかり、休職したこともありました。どれほど職場の方々や地域の同志、教育本部の先輩方に支えられたか。感謝は尽きません。家庭コンを広げ、未来部育成に尽くすことで恩返しをと決めています。その上で感じていることは「男性が子育てについて学ぶ機会が、もっと必要だ」という点です。
  
 高梨 妻やほかの婦人を前にして、子育てに関する思いや意見を語るのは照れくさいという男性もおられるでしょうから、例えば“男の家庭コン”という形から始めてみるのもいいかもしれません。パパたちや、孫から「じーじ」と呼ばれている壮年たちが集まり、子育て、孫育てのことをざっくばらんに語ってみれば、新しい発見やつながりが生まれるはずです。
  
 沼倉 いいですね! 男性がもっと子育てに関心を持ってくれたら、どれほどお母さんたちが助かるか。婦人部・女性平和文化センターの主催で、約20年にわたり首都圏で開催している「コスモスセミナー」があります。近年は発達障害や不登校等をテーマに、教育本部やドクター部の方々に講師を務めていただいていますが、ある時、参加者からこんな声が上がったんです。「ここで学
んだことを夫にも知ってもらいたい」と。お母さんたちが悩んでいることの一つは「子育てについて、自分と同じ意識を夫と共有できない。分かってもらえない」ことにあるんです。そこでセミナーに夫婦そろって参加してもらえるよう募ったところ、少しずつ男性参加者が増え始めました。皆さんが一様に語る言葉は「来てよかった」。その後、奥さんやお子さんとの関わり方にもよい変化が生まれ、笑顔が増えたとの声も寄せられています。

安心と学びの場
 上脇 子育てについて学ぶといっても、専門的な知識ばかりではないんですよね。ちょっとした「知恵」というか……。私が参加したある家庭コンで、一人のお母さんがご自身の体験を語ってくれました。小学校低学年のお子さんが筆箱の中の鉛筆や消しゴムをなくしてばかりいることに対し、昔は叱ってばかりいた――と。けれど何度厳しく注意しても、子どもは全く変わらない。そこで教育本部のアドバイスを受け、鉛筆や消しゴムに「番号」を書くようにしたそうです。なくしてしまった時には優しく「1番さんと2番さんが、いなくなっちゃったね。かわいそうだね。今度は大事にしてあげようね」と伝えることを心掛けました。鉛筆や消しゴムに、感情移入したのでしょうか。次第に、お子さんのなくす物が減っていったそうです。
  
 飛田 ちょっとしたアドバイスで、パッと心が広がって、行動に変化が生まれる――私もそんな経験があります。息子が反抗期だった時に、どう接していいか、悩んでいたんですよね。そうしたら、婦人部の先輩から「私もそうだったから、分かるわ。思春期の男の子にはね、機嫌が悪そうだなと感じる時は無理に話し掛けず、そっと見守っていればいいの。機嫌がいい時を見計らって、話し掛ければいいのよ」って言われたんです。私は、つい息子の機嫌が悪い時に話し掛けて、それで無視されるものだから「どうして返事しないの!」ってやり合っちゃうことがあって(苦笑い)。でもそれ以来、息子との関わり方というか、距離の取り方を変えたんですよね。無理をしなくなったせいか、私自身の心も軽くなって余裕が生まれました。結果的に、息子と笑顔で会話できる時間も増えていったんです。
  
 辻 「悩み」を分かち合えば安心する。「知恵」を共有できれば行動が変わる――ここに、子育てについて語り合うことの大切さがあるんですよね。家庭コンの開催の意義も、そのような「安心と学びの場」を広げ、「地域のみんなで子どもを育てる文化」を醸成していくことにあると思えてなりません。できるところから
 高梨 ええ。「家庭教育懇談会」という言葉の響きから、保護者の方々の中には、「学校の先生が家庭教育について教える場なのかな」と思われる人もいるかもしれませんが、決してそうではありません。主役は保護者です。教育本部のメンバーには常々、「自分が一方的に話をするのではなく、とにかく皆さんが話をしやすい空気をつくることに専念してください」と訴えています。ティーチャーからファシリテーターになろう――つまり「教える人」から「懇談を促進する人」になろう、と。その意味で家庭コンは、教育者自身にとっても「人間革命の挑戦の場」と言えるでしょう。自らの境涯を開くことで、「次の十年」を開く。これが私たち教育本部の誓いです。「励まし週間」なども活用しつつ、できるところから家庭コンの輪を広げていきたいと思います。
  
 飛田 未来本部も家庭コンを通して、どれほど多くの学びを得ていることでしょうか。特に教育職を退職された「教育名誉会」の壮年・婦人の皆さんが、その豊富な経験を地域の未来部育成に生かそうと、“生涯現役”の心で子育て世代の親御さんたちに寄り添い、子どもたちに希望を送り続けておられる姿を拝見するたび、感謝と尊敬の念を抱かずにはいられません。
  
 上脇 関東の教育本部も、ますます頑張ります! 家庭コンを開催した分だけ、あらゆる方々に喜びが広がることを実感していますから!
  
 沼倉 家庭コンは創価家族が一体となって「学会創立100周年となる2030年を創る挑戦」ですね。一人のお母さんが安心して子育てができること。一人のお父さんが笑顔で子育てに関わるようになること。そうしたささいな変化をもたらすことが一つの家庭を救うことになり、地域と社会を変え、希望の未来を創ることになる――この確信と誇りを持って、家庭コンを広げていきましょう。

家庭教育懇談会のポイント
①STBで教育セミナー視聴
 家庭教育懇談会のスタートにはSOKAチャンネルVODの「教育セミナー」がオススメ! 全地区に配布されている「モバイルSTB」で視聴できます。乳幼児期・児童期・思春期をそれぞれ扱った3番組が用意されていて、内容も充実!
 家庭教育懇談会は乳幼児期から小・中・高校まで、お子さんのあらゆる発達段階に対応します。
②自由に感想を語り合う
 VODの番組「教育セミナー」を視聴すると、子育て中の方々であれば自然に「そう! わが家もここに悩んでいるんです」「わずかな時間でも、子どもの話に耳を傾けることが大事だと分かっていても、なかなか……」等、思い思いの意見が出てきます。それをみんなで自由に語り合うだけでオーケー! 次第に共感が生まれていくはず。
③教育本部は「聞き役」「促進役」
 教育本部のメンバーは「聞き役」「懇談の促進役」に徹します。ママやパパたちの悩みに寄り添ったり、ほかの参加者に「〇〇さんは、どう思いますか」と話を振ったり……皆が安心して話せるよう、語らいが弾むよう、場の雰囲気をつくります。具体的なアドバイスを求められる場面もあるかもしれませんが、あくまで主役は保護者です。
④ホッとできればそれでいい
 懇談会終了後も、打ち解け合った保護者同士が笑顔でおしゃべりする光景が、きっとあちこちで見られるはず。悩みに対して明確な“答え”が出たわけではなくとも、「話を聞いてもらえた」「分かってくれた」という安心感が「また頑張ろう!」という活力をもたらします。新しいつながりも生まれます。そう、ホッとできれば、それでいいのです。

家庭コンの参加者の声
 これまで全国から寄せられた参加者の声を紹介します。

●「最初は、“堅い会合なんだろうなあ”と思っていたんです。でも全然、そんなことなくて(笑い)。すごく親身に話を聞いてくれて、それにほかのお母さんたちの話も聞けて、時間が過ぎても『もっと話したい!』と思ったほどです」(20代、働きながら2歳の長女を育てる母親)
●「正直、今までは『父親がちょっとくらい子育てに関わったところで……』と、甘く見ていたんですが、家庭コンでいろんな話を聞いて、『パパが変わると、そんなに子どもも変わるのか!』と目からうろこでした。地元の男子部にも子育て中のメンバーがいるので、学んだことを共有したいと思います」(30代、3歳の長男を育てる父親)
●「1年前に初めて参加しました。当時は学会活動に消極的だったこともあって、あまり気が進まなかったんですけれど……参加して、とっても心が軽くなったんです。それから、地元の婦人部の方や教育本部の方ともつながって、よく相談するようになりました。この前、初めて家庭コンに友人を誘えたんですよ!
 保育園のママ友なんですけれど、『子育ての話なら聞きたい!』って。彼女も参加してとても喜んでいました」(40代、9歳の長女と4歳の長男を育てる母親)


【特集記事・信仰体験など】

◆〈新・人間革命と私〉少女部長 角田久美子さん

 伸一は、小学生であっても、一個の対等な人格と見ていた。たとえ小さくとも、こちらが真剣に語ったことは、しっかり受け止められるはずであると確信していた。だから、子ども扱いは、したくなかったのである。人間の心を信じ切ることこそ、人を育てる要諦といえよう。<第14巻「大河」の章>

時代背景
 山本伸一は1970年(昭和45年)、箱根の研修所に集った高等部、中等部、少年・少女部の代表を「未来会」と命名。71年(同46年)5月3日には、第1回全国未来会が開かれ、「勝つと決めた人が勝つ」と語り、記念のメダルを手渡した。翌年には、未来会の代表らで「21世紀会」を結成するなど、後継の人材育成に全力を注いでいく。

目の前の一人を励ます
 「大河」の章には、学会への烈風が吹き荒れる中、未来を見据えた山本伸一が後継の未来部に万感の期待と励ましを送る様子が描かれています。
 「ぼくは君たちのために、懸命に道を開いておくよ。君たちは、さらに、その先の、未来への道を開いていくんだよ。それが師弟の大道だ」
 この言葉を読み返すたびに、師匠の期待に応えるためにも、目の前の一人を徹底して励まし抜こうと深く決意します。

皆が「未来からの使者」
 私自身、訪問・激励などで少女部員と関わる際に意識していることが三つあります。一つ目は、相手と目線を合わせて分かりやすい言葉で話すこと。二つ目は、自分が感じた祈りの素晴らしさや信仰体験、池田先生の温かさを伝えること。三つ目は、少女部員が今、挑戦していることや、将来の夢について尋ねることです。大切な池田先生の弟子であるとの意識で彼女たちと接する時、真剣に話を聞いてくれます。その姿から、師を求める心に年齢は関係なく、一人ももれなく「未来からの使者」であることを強く感じます。

韓国での交流
 私は昨年12月、韓国青年友好交流団の一員として済州島を訪れた際、日本の富士少年希望少女合唱団のメンバー一人一人から預かった手紙を、済州方面で活動する少年少女部の「日の出合唱団」に手渡しました。
 「平和のために一緒に頑張りましょう」等とつづられた手紙を渡した時の、彼らのうれしそうな表情は忘れられません。
 最終日には、「日の出合唱団」のメンバーが富士少年希望少女合唱団のために書いてくれた返事の手紙を受け取りました。そこには、ハングルや日本語で「大きくなったら韓国で会いましょう。僕も日本に行くからね」等の温かな言葉が記されていました。国を超え、友情を育もうとする心に感動するとともに、学会の未来を担う人材が世界で陸続と育っていることを肌で感じました。
 少年少女部は本年、結成55周年を迎えます。
 池田先生の心を受け継ぎ、先生が示された世界平和の大道を、少年少女部員と、どこまでも前進してまいります。


◆〈座談会〉報恩の心で「私の二月闘争」を 功徳の体験語り、折伏に挑戦 2020年1月30日
 拡大は「一人」への励ましから座談会⑦ 皆が前進!皆が人材!
 報恩の心で「私の二月闘争」を 功徳の体験語り、折伏に挑戦  拡大は「一人」への励ましから

〈出席者〉原田会長、長谷川理事長、永石婦人部長、志賀青年部長、大串女子部長

 大串 いよいよ、令和の時代になって初めての「二月闘争」が始まります。

 長谷川 1952年、24歳の池田先生は蒲田支部の支部幹事として指揮を執られ、1カ月で201世帯という弘教拡大の金字塔を築かれました。
 
 原田 これが戸田先生の願業である75万世帯達成への突破口となり、現在に至るまでの世界広布の拡大の礎になったのです。
 
 永石 2月は日蓮大聖人の御聖誕の月、そして、戸田先生のお誕生月です。若き池田先生は“この2月を最高の弘教でお祝いしましょう”と皆に呼び掛け、戦いを開始されました。
 
 長谷川 そして、「戸田先生の指導があって、今の私たちがあります。ご恩返しをするには、広宣流布の戦いしかない」と力強く訴えられました。
 
 大串 池田先生は「大白蓮華」2月号の「世界を照らす太陽の仏法」で、当時を振り返りながら、「私は、偉大なる広宣流布の師匠の弟子として、必ず『報恩の拡大』を成し遂げようと決めていた」「広布の前進こそが、師匠への最大最上の報恩です」と、つづられています。
 
 原田 今、私たちは世界広布新時代という大事な時に、ともどもに勇んで信心に励み、一人一人が最高の人生の道を歩んでいます。これも全て、池田先生が死身弘法の戦いで世界広布の道を開いてくださったからです。これまで、どれだけ多くの同志が先生から真心の励ましを受け、希望の人生を歩むことができたか、計り知れません。
 
 志賀 先生と学会なくして、今の自分はありません。今こそ、報恩の証しとして、縁する人を幸福へと導く折伏・弘教に挑戦してまいります。

「大願」に生き抜く
 長谷川 日蓮大聖人は「仏心とは大慈悲心是なり」(御書769ページ)と仰せです。大聖人は、大難の渦中にあっても全民衆の救済を祈られたのです。日蓮仏法を持つ私たちも「悩んでいる友人の力になりたい」と願い、自行化他の実践に励みたい。その中で自身の境涯を大きく開き、人間革命していけるのです。
 
 原田 あの二月闘争を戦った人たちは、生活が苦しい、闘病中である等、決して恵まれた環境ではなかった。しかし、自身の使命に目覚め、折伏に挑んでいく中で多くの同志が信心の体験をつかみ、人間革命を果たしていったのです。先生は「より重要なことは、勇んで二月闘争を展開した同志は、功徳の体験を積み、歓喜と確信に燃え、苦悩を乗り越えていったという厳たる事実である」(小説『新・人間革命』第29巻「清新」の章)と、つづられています。
 
 永石 また、「どんなに大きな苦悩をかかえていても、友の幸せを願い、勇気をもって仏法を語り、励ます時、わが胸中に地涌の菩薩の大生命が脈打つ。その生命が自身の苦悩を打ち破り、汲々とした境涯を大きく開いていくのだ」とも記されています。
 
 長谷川 広布の「大願」に生き抜く時、自分の「小我」が「大我」となっていくことを示されたのです。
 
 原田 先生と共に広布の開拓に戦われた、草創の同志の方々に話を伺うと、皆さん「あれほど楽しい戦いはなかった」「皆が折伏の歓喜と功徳の体験を語っていた」と目を輝かせて言われます。そして、その原点を胸に生涯、信心を貫き、幸福な人生を歩まれています。
 
 大串 信心の大先輩たちの姿に接すると、「師弟共戦」の人生がいかに尊く、福徳に満ちあふれているかを実感します。
 
 永石 二月闘争の折、先生は多忙な中でも、広布の最前線で奮闘する人たちを、一軒一軒訪ね、親しく語り合い、励ましを送ることを重要な日課とされていました。
 
 長谷川 先生の真剣な姿に、一人また一人と自身の宿命転換を懸けて、折伏に立ち上がっていったのです。弘教・拡大といっても、この地道な励ましの積み重ねがあってこそ、勇気と希望の前進となる。「一人を大切にする」精神こそが、全てのリーダーが心すべき点です。
 
 原田 大きな会合で呼び掛けているだけでは、人の心は動きません。リーダーが唱題を根本に生命力をみなぎらせ、自身の体験と確信を生き生きと語る中で共感と納得が生まれ、前進の力が出てくるのです。
 
 永石 大切なことは一人一人が張り切って「私の二月闘争」に取り組んでいくことですね。
 
 原田 創立100周年へ向かう“大事な十年”への出発の年です。私たちは師弟誓願の祈りと戦いで、自身の人間革命に挑戦してまいりたい。

牙城会結成記念日
 志賀 2月1日は男子部の人材グループ、牙城会の結成記念日です。
 
 永石 牙城会の皆さんの献身があって、日々、安心して会館を利用すること
ができます。心から感謝いたします。大変にありがとうございます。
 
 志賀 今月は、牙城会の永遠の指針である「信念の人」「努力の人」「忍耐
の人」を池田先生から頂いて40周年となります。今、全国の牙城会メンバーが
改めて、自分自身への指針として受け止め、それぞれの使命の場所で先駆の折
伏・弘教に励み、職場や地域でも実証を示す挑戦を続けています。
 
 原田 先生は「牙城会の成長が、学会の発展である。牙城会の勝利が、創価
の勝利である」と万感の期待を寄せてくださっています。広布の宝城である会
館を護ることは、自身の人生を照らす福徳となることを確信して日々の任務と
学会活動に当たってください。


◆〈信仰体験〉20代のリアル―ボクらのイマ  未入会だった祖母に恩返しがしたい
学会って、ゼロから始めても、誰でも、必ず輝ける場所なんだ

 <矢吹達也さん(20)=東京都八王子市、学生部ビクトリー・リーダー=は、おばあちゃん子だった>

 僕のおばあちゃんは、すごく優しいんです。怒ってるとこは見たことがない。

2020年1月29日 (水)

2020年1月29日(水)の聖教

2020年1月29日(水)の聖教

◆わが友に贈る

   仏法は桜梅桃李。
 人と比べず 堂々と
 自分らしく生きよう!
 使命を果たしゆく人生に
 真の充実と幸福がある。


◆名字の言  33歳5カ月で初優勝した徳勝龍の挑戦  2020年1月29日

 大相撲の歴史に新たな一ページが刻まれた。初場所で幕尻の徳勝龍が優勝を飾った。33歳5カ月での初優勝は、年6場所となった1958年以降で日本出身力士の最年長記録である▼千秋楽の結びの一番。大関・貴景勝と左四つに組んで寄り切った。その戦い方を覚え始めたきっかけは、北の湖親方の言葉だという。学生時代から突き押し相撲だった徳勝龍に、親方は“おまえは左四つだ”と、左四つへの変更を促した▼師匠を信じ、自分を信じて左四つを磨いた。大関との優勝が懸かった大一番は、その努力が見事に結実した瞬間だった。インタビューで「まだ33歳と思って頑張ります」と、さらなる前進を誓った言葉は感動を広げた▼土俵上で、立ち合いの「変化」を多用しては力が付かないといわれる。だが日々の鍛錬の場では、今の自分に安住せず、「変化」しようと挑戦する勇気が成長を生む。人生も同じだ。池田先生は「すべてにおいて、きょう新たな一歩をふみ出せば、きのうの自分からは、すでに大きく前進しています。だれかとくらべる必要もありません」と▼いよいよ「伝統の2月」。広布の突破口を開く拡大は、まず自身の「心の壁」を打ち破ることから。勇気を奮い起こし、自分史に新たな一ページを刻む「二月闘争」を。(嶺)


◆寸鉄

グアムが「1・26」祝す決
議書。妙法の“平和の種”
は師弟の手で世界に開花
     ◇
「各各師子王の心を取り
出して」御書。不屈の勇気
が万人の命に!祈りが鍵
     ◇
人を育てる事が未来へと
つながる勝利の道―恩師
後輩を自分以上の人材に
     ◇
本紙配達の「無冠の友」に
感謝。信心の血流届ける
尊き献身。絶対無事故で
     ◇
五輪「無料入場券」の提供
を騙る詐欺などネットで
次々。旨い話の?見破れ


◆社説 “言葉”の価値が増す現代  磨いた心から発する響きを

 言葉には、力がある。時にそれは、心を揺さぶり、人を動かす。
 多様な価値が重視される現代。企業にあっても、商品やサービスを通して、自分たちが提供する価値観を、言葉で定義することが重要になっている。たとえば、コーヒーチェーン店「スターバックス」は、自社の魅力を「サードプレイス」と表現する。家庭でも職場でもない、リラックスできる“第三の場所”を目指すことで、居心地のいい店舗が人気を集め、世界各地に展開している。
 広告制作などに携わるクリエーティブディレクターの三浦崇宏氏は、「誰でも簡単に意識せずに日常的に使っている『言葉』こそが、あなたの価値を明確にし、あなたの願いを叶え、あなたを成長させるたった一つの、そして最強の武器だ」(『言語化力』)と書いている。
 聖教新聞は「言葉と、生きていく。」をキャッチコピーにしている。家庭や地域での語らい、仕事のメールや友人とのSNSでの交流など、日々の暮らしのあらゆる場面で、言葉が大切になる。さらに、インターネットの発達により、誰もが発信者になれる時代になった。時には、個人の発信が大きく広がり、社会的な運動につながることもある。
 だからこそ、どんな言葉を使うかが、ますます重要になってくる。言葉には、その人が世界をどう見ているかが映し出される。受け取る側も、言葉によって認識が変わり、見える景色が一変する。
 1996年(平成8年)6月、池田先生がキューバ・ハバナ大学での記念講演に臨んだ時、激しい雷雨による、ごう音が響いた。その時、池田先生は「雷鳴――何と素晴らしき天の音楽でありましょう! 『平和の勝利』への人類の大行進を、天が祝福してくれている『ドラムの響き』です! 『大交響楽』です!」と。悪天候に不安を感じていた会場の雰囲気は、一瞬で晴れやかになった。
 学会の同志の信仰体験を取材すると、ピンチをチャンスと捉え直す、力強い言葉に出あう。不登校を経験したある女子部員は、学校へ行けなかった時期に母と一緒に御本尊に祈るように。その中でマンガにのめり込み、ついに一昨年、大手コミック誌でマンガ家デビューを果たした。「あの頃に描き続けたマンガ、あの時に出あった信心。それが、今の自分の全てになってるから、不登校だった時間は『プラスでしかない』」と。その言葉には、過去のつらい経験に意味を与え、前向きに捉える力強さがあった。
 池田先生は「言葉の力は、心です。心が根底にあるから、言葉が生きてくる」と語っている。信心で磨いた心から発する言葉で、人生を明るく照らしたい。


◆きょうの発心 富木殿御書 広島池田総県農漁光部副女性部長 野地本玲子

御文 一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ(富木殿御書、970ページ・編797ページ)
通解 一生空しく過ごして万歳に悔いることがあってはならない。

題目根本に「感謝できる自分」に
 (寸暇を惜しんで仏法を学び、邪法を破折するなど)悔いない一生を送るよう教えられています。
 両親への不信を抱いていた女子部時代、経済苦や交通事故等、宿業と向き合わざるを得ない状況になりました。ひたぶるに題目を唱え切った時、自分が子どもの頃から信心していた両親に感謝できる自分に。宿業を使命と受け止め、広布に生き抜こうと決意しました。
 1984年(昭和59年)10月26日、圏女子部長として同志と共に弘教拡大に励む中、呉平和会館に池田先生をお迎えできました。先生はこの一節を拝して指導を。以来、私にとって、惰性を排し、信心の原点に立ち返るための大事な指針の御文となっています。
 長男が3歳の時、注意欠陥多動性障害(ADHD)と診断を受けました。その時は心が折れそうでしたが、やがて長男が信心を教えてくれているのだと気付きました。とにかく元気に明るく前向きにと、親子で頑張っています。
 広島池田総県農漁光部では、少子高齢化が進む島でも「農漁村体験主張大会」を開催。地域の理解者にも協力していただき、垣根を越えた交流をしてきました。これからも、地域で輝く灯台の存在を目指し、友好の対話を広げていきます。


【先生のメッセージ】

◆世界広布の大道 小説「新・人間革命」に学ぶ 第15巻 解説編 池田主任副会長の紙上講座


ポイント

①仏法者の使命
②具体的な提案
③創価大学の軌跡

 第15巻「開花」の章に、「日蓮仏法の最たる特徴は、『広宣流布の宗教』」(303ページ)であり、「立正安国の宗教」(304ページ)とあります。
 「立正」(正を立てる)とは、仏法の哲理を一人一人の胸中に打ち立てることです。「立正」は、仏法者の宗教的使命ともいえます。
 「安国」(国を安んずる)とは、「立正」の帰結として、社会の平和と繁栄を築いていくこと。いわば、仏法者の社会的使命が「安国」です。この「安国」の実現があってこそ、仏法者の宗教的使命は完結します。
 1970年(昭和45年)5月3日、山本伸一は本部総会で、広宣流布とは「妙法の大地に展開する大文化運動」(7ページ)と宣言します。
 「安国」の実現という使命を果たすため、学会は「文化という人間性の力をもって、社会を建設していく」(329ページ)運動を進めます。この「文化運動」の先頭に立ったのが、伸一でした。
 「蘇生」の章に、この頃から、彼がメンバーへの激励のために、和歌や句、詩を詠んで贈るように努めたことが記されています。伸一の詩は、「人びとに平和と幸福の大道を指し示す詩」(74ページ)であり、「仏法の眼をもって、自然と世界をとらえた詩」(同)でした。
 また、「開花」の章では、伸一が北海道で写真を撮影する場面が描かれています。彼をカメラに向かわせる源泉は、「写真をもって、人間文化の旗手である同志を励まし、讃え、勇気づけたい」(315ページ)との思いでした。
 日本を代表する写真家・白川義員氏は「池田先生の作品には“一人でも多くの人を幸せにしたい”との先生の純粋な心がにじみ出ています」と述べています。この言葉に象徴されるように、先生の写真は「励ましの心」があふれています。
 聖教新聞では、池田先生が撮影した写真と共に、先生の詩などを紹介する「四季の励まし」を掲載しています。それは、「『負けるな! 強くあれ! 私とともに進もう』との、同志への励ましのメッセージ」(328ページ)となっています。

提言の実現に向けて
 学会が人間文化の創造への取り組みを本格的に開始した当時、イタイイタイ病や水俣病などの公害問題が、社会の大きな関心事となっていました。
 伸一は、深刻化する公害問題について、大手出版社の総合月刊誌に「日本は“公害実験国”か!」と題する原稿を執筆。さらに、東洋哲学研究所が発行する季刊誌にも公害問題に関する論文を発表します。
 それは、公害を「文明というマクロな観点」(33ページ)から捉え、「公害をもたらした思想の、淵源にさかのぼり、その根本的な解決の方途を明確に示した点」(同)に特徴がありました。
 戸田先生はかつて、伸一にこう語っています。
 「人類の平和のためには、“具体的”な提案をし、その実現に向けて自ら先頭に立って“行動”することが大切である」(第30巻<下>「誓願」の章、237ページ)
 「たとえ、すぐには実現できなくとも、やがてそれが“火種”となり、平和の炎が広がっていく。空理空論はどこまでも虚しいが、具体的な提案は、実現への“柱”となり、人類を守る“屋根”ともなっていく」(同)
 公害問題に関する論文の発表は、この恩師の指針の実践であり、池田先生が1983年(昭和58年)以降、1・26「SGIの日」を記念して毎年発表している提言も同様です。
 先生はこれまで、SGI提言で数々の平和構想を示してきました。その実現へ向けて、学会青年部が「SOKAグローバルアクション2030」を開始しました。
 10年後の2030年は、学会創立100周年であり、国連が掲げる開発目標の決勝点です。その年を目指し、①核兵器廃絶と反戦の潮流の拡大②アジアの友好③SDGs(持続可能な開発目標)の普及・推進――に取り組んでいきます。
 先日、発表されたSGI提言で、池田先生は、この青年部の平和運動に言及され、「青年たちの連帯がある限り、乗り越えられない壁など決してないと、私は固く信じてやまないのです」と、万感の期待を寄せられました。
 未来を開くのは青年です。「青年が立つ時、時代は新しき回転を開始」(73ページ)します。青年部の縦横無尽の活躍を、私たちは心から祈っていきたいと思います。

師弟の精神の結晶
 「創価大学」の章では、開学から1期生が卒業するまでの同大学の歩みや、発展の軌跡が記されています。
 大学の正門と本部棟の正面には、牧口先生の筆による「創價大學」の文字が掲げられています。それは著書『創価教育学体系』で、創価大学・学園につながる構想を述べられているからです。
 先師の構想を継いだ戸田先生は、1950年(昭和25年)11月、自身の経営する会社が業務停止となっていた最悪の状況の中、伸一に大学設立の思いを語りました。
 伸一は、恩師の言葉を遺言として、深く心に刻みます。そして、71年(同46年)4月2日、創価大学は開学しました。この年は牧口先生の生誕100周年であり、この日は戸田先生の祥月命日です。まさに、同大学は「三代にわたる師弟の精神の結晶」(108ページ)にほかなりません。
 創立者の伸一は、大学の自主性を尊重し、開学式も、第1回入学式も、出席を見送ります。1期生との懇談の折には、「君たちみんなが、創価大学の創立者だ」(136ページ)と語ります。
 あえて大学を訪問しなかったのは、創立者と同じ思いで、学生が大学建設に必ず立ち上がると信じていたからです。そして、初の正式な来学となった「創大祭」において、「創立者の情愛があふれ、『学生中心の大学』という創価大学像」(174ページ)が鮮明となったのです。
 伸一は第1回卒業式で、仏法の「霊山一会儼然未散」(霊山一会儼然として未だ散らず)との原理に触れ、「諸君は、生涯、『創価大学の一会儼然として未だ散らず』との心で生き抜くこと」(287ページ)を提案しました。その原点を胸に、今、世界各国で活躍する創大出身者がいます。
 明2021年、創価大学は開学50周年の節目を迎えます。現在、文部科学省の「スーパーグローバル大学創成支援」事業に採択されており、SDGsの取り組みは、イギリスの教育専門誌などで高く評価されています。
 万年の平和を開くため、社会貢献の人材を輩出する、創価大学の使命は一段と大きくなっているのです。

名言集
●ヒューマニズム
 真のヒューマニズムは、人間と自然との調和、もっと端的に言えば、人間と、それを取り巻く環境としての自然とは、一体なのだという視点に立った“ヒューマニズム”であるべきである。(「蘇生」の章、27ページ)

●変革の主役
 社会を変え、時代を動かすのは民衆である。民衆が賢明になり、変革の主役となって立ち上がってこそ、歴史の地殻変動が起こるのだ。(「蘇生」の章、29ページ)

●大学で学ぶ意義
 学問や学歴は、本来、立身出世のための道具ではない。人びとの幸福に寄与するためであり、むしろ、大学で学ぶのは、大学に行けなかった人たちに奉仕し、貢献するためであるといってもよい。(「創価大学」の章、122ページ)

●教育の原点
 教育の原点は教師である。その人格こそが、教育という価値創造の根源である。ゆえに教師こそ、最大の教育環境となる。(「創価大学」の章、227ページ)

●あいさつ
 あいさつは心のドアを開くノックである。さわやかで感じのよい、あいさつの姿には、人間性の勝利がある。(「開花」の章、337ページ)


【聖教ニュース】

◆SGI発足45周年を祝賀 池田先生ご夫妻の平和貢献たたえ グアム準州議会が決議書   2020年1月29日

グアム準州議会からの決議書が、バーンズ同議会議長(左から6人目)から、アメリカSGIの代表に託された(ハガニア市内で)

グアム準州議会からの決議書が、バーンズ同議会議長(左から6人目)から、アメリカSGIの代表に託された(ハガニア市内で)

 SGI(創価学会インタナショナル)発足の地であるアメリカ・グアム。このほど、グアム準州議会(ティナ・ムナ・バーンズ議長)から、池田大作先生ご夫妻の世界平和への貢献をたたえ、決議書が贈られた。授与式は13日(現地時間)、ハガニア市の同議会議場で執り行われ、アメリカSGIの代表らが出席した。また26日(同)には、SGI発足45周年を祝うパシフィック圏とマリアナ本部の集いが、それぞれハワイ文化会館とグアム会館で盛大に開催された。

池田先生ご夫妻に贈られた決議書
「原点の地」から人間主義の連帯を世界へ! 未来へ!
 西太平洋に浮かぶ美しき島・グアム。
 この島に51カ国・地域の代表が集い、第1回「世界平和会議」が開催されたのは、1975年1月26日のことだった。
 席上、世界広布を推進し、人類の平和と幸福に貢献するための国際機構としてSGIが発足。池田先生が会長に就任したのである。
 麗しき自然に彩られたこの島は、かつて戦火に引き裂かれた悲劇の歴史を持つ。太平洋戦争でグアムは日米の激戦地となり、両軍の兵士をはじめ多数の住民が犠牲となった。
 なぜグアムをSGI発足の舞台に選んだのか――。先生は小説『新・人間革命』第21巻「SGI」の章で、つづっている。
 「戦争の悲惨な歴史が刻印されたグアムを、なんとしても、世界平和の発信地にしなければならない」「残酷な戦争の舞台となってきた地であるからこそ、そこから平和への大波を起こす使命がある」

グアム・マリアナ本部の友が、グアム会館にほど近いビーチで前進の誓いに燃えて(26日)

グアム・マリアナ本部の友が、グアム会館にほど近いビーチで前進の誓いに燃えて(26日)

 歴史的なSGIの船出から45年。この地を「原点」として、創価の平和と人間主義の連帯は192カ国・地域へと広がった。
 
 今回、グアム準州議会から贈られた決議書では、異文化理解の促進と平和実現の出発点として、グアムでSGIが誕生したことを称賛。さらに「池田博士と香峯子夫人による世界平和へのたゆみなき尽力と献身を、心からたたえます」と記されている。
 13日に行われた決議書の授与式では同議会のバーンズ議長、ジュディ・ウォンパット元議長、アメリカSGIのサイトウ青年部長があいさつした。
 また同日、グアム準州(ローデス・A・レオン・ゲレロ知事)からは、SGI発足45周年を記念した祝賀の宣言書が、SGIの代表に託された。
パシフィック圏の友がハワイで集い

SGI結成45周年の「1・26」を祝するパシフィック圏の集い。意義深きこの日に、晴れて4人の友が御本尊を受持した(26日、ハワイ文化会館で)

SGI結成45周年の「1・26」を祝するパシフィック圏の集い。意義深きこの日に、晴れて4人の友が御本尊を受持した(26日、ハワイ文化会館で)

 さあ、新たな希望の拡大を!――ハワイ文化会館で開催された1・26「SGIの日」を慶祝するパシフィック圏の集いには、約500人の友が参加した。 
 席上、ジョニー・プライス圏長が、師弟不二の精神で地涌の使命を果たし抜いていこうとあいさつ。昨年入会した女子部のエマ・ホーさんが、信仰体験を披露した。
 ストラウス理事長は新「グアム会館」が明年に完成予定であることに言及。新宝城の誕生を目指し、異体同心で弘教拡大に挑もうと呼び掛けた。


◆こども音楽コンクール全国大会 関西創価小学校のビクトワール合唱団が日本一の栄冠
2020年1月29日
 関西小のアンジェリックブラスバンドは第2位
 関西中の吹奏楽部は第3位に入賞

    • 日本一を勝ち取った関西創価小学校のビクトワール合唱団(昨年12月26日、大阪府での西日本Aブロック大会から)

日本一を勝ち取った関西創価小学校のビクトワール合唱団(昨年12月26日、大阪府での西日本Aブロック大会から)

 令和元年度「こども音楽コンクール」の全国大会である「文部科学大臣賞選考会」(録音審査)が26日、東京・港区のTBS放送センターで行われ、関西創価小学校(大阪・枚方市)のビクトワール合唱団が、小学校・合唱部門で「文部科学大臣賞」を受賞。同部門では、初の“日本一”の栄冠に輝いた。
 また同校のアンジェリック・ブラスバンドは小学校・管楽合奏部門で第2位、関西創価中学校(同・交野市)の吹奏楽部は中学校・管楽合奏部門で第3位に入賞を果たした。

2年連続で入賞を果たした関西創価小のアンジェリック・ブラスバンド(昨年12月27日、大阪府での西日本Aブロック大会から)

 今回の同コンクールには全国の小・中学校1421校、およそ3万7000人が参加。文部科学大臣賞選考会では、各地区、ブロック大会を勝ち抜いた代表校が、ブロック大会で収録した演奏音源をもとに競い合った。
 関西小のビクトワール合唱団の児童51人は「0・0作戦(練習ゼロの日をゼロに)」と題して毎日、徹底的に基礎練習を反復。学園生らしい“負けじ魂”の積み重ねが、今回の結果に結び付いた。
 同合唱団の部長を務めた谷元舞桜さん(6年)は「練習がつらいと感じる時もありましたが、努力が実る喜びを知りました。常に励ましてくださる創立者・池田先生に日本一の勝利を届けることができ、うれしいです」と笑顔で語った。

関西創価中の吹奏楽部(昨年12月27日、大阪府での西日本Aブロック大会から)。同部は4年ぶりに入賞した



【特集記事・信仰体験など】

◆〈ライフウオッチ 人生100年時代の幸福論〉総集編㊦
 社会・環境の変化に「人間革命」で応戦

 長寿化が進んでいる。
 人材論・世界論の権威リンダ・グラットン氏とアンドリュー・スコット氏の共著『ライフ・シフト』(東洋経済新報社)によると、「いま先進国で生まれる子どもは、50%を上回る確率で105歳以上生きる。1世紀以上前に生まれた子どもが105歳まで生きる確率は、1%に満たなかった」と。
 働き方、引退時期、家庭生活など、あらゆる環境において「常識」が変化する時代に入った。
 求められているのは、新たなロールモデル(生き方の模範)。同志の体験に、そのヒントを探した。

4人の子育て シングルママ
 第4子を出産し、子どもたちと一緒にアパートに帰ると、“もぬけの殻”。夫が蒸発していた。
 北海道札幌市の小野亜沙希さん(40)=地区副婦人部長、写真=は、当時29歳。リーマン・ショック直後で、就活するにも、中卒のシングルママに開かれた門戸は少なかった。
 祈る中、主婦の経験の中で身に付けた「パソコンの技術」が生かせるのではないかと思い立ち、大学教授の手伝いで書類作成などを行う仕事を見つけた。
 私服で面接に臨むも、まさかの採用。働きながら、高卒認定資格を取得した。
 転職のたびに資格を取り、現在は大手電子メーカーで正社員として勤務する。
 長男は創価大学へ進み、次男は創価高校を卒業し、ドイツのプロサッカー選手に。三男も創価高校で学ぶ。
 現在は、四男と二人暮らし。聖教新聞を配達しながら、母として、敏腕プログラマーとして、充実の日々を過ごす。
 (2019年10月27日付)

天売島で暮らす 漁師の妻
 北海道の天売島で生まれ育った三浦美保子さん(35)=副白ゆり長、写真。
 2006年、第1子の臨月を迎えていたが、突然の出血。島には産科医がいないため、高速船で本島を目指した。
 胎盤?離。2500㏄も出血。ドクターヘリで札幌の病院に運ばれ、一命を取り留めたが、おなかの子は亡くなった。
 “せめて一度でも、抱いてあげたかった”。悲しみに沈んでいた時、義母が声を掛けてくれた。
 「胸の中にある思い、全部、御本尊様にぶつけていいのよ」
 夫婦で祈り、毎日を懸命に生きる中、07年、三浦さんのおなかに再び命が宿る。
 出産予定日は、亡くなった子と同じ7月3日――。「生まれ変わりだね」と、夫と肩を寄せ合い泣いた。
 今、3人の男の子に恵まれ、夫の漁を手伝う。第1子の死産を通して、島にはドクターヘリが飛ぶようになり、多くの島民の命を救っている。
 (2019年11月24日付)
  
のしあがる! 失業から逆転
 埼玉県所沢市の藤本寛明さん(38)=男子部副本部長、写真㊨。高校を卒業後、土木職人になり、懸命に働いた。
 数年後、父が大腸がんで亡くなる。父の遺志を継ごうと「信心を抱き締め」、仕事にいそしむ。結婚し、父親にもなった。
 だが2010年、ネフローゼ症候群を患う。追い打ちをかけるように、勤めていた会社が倒産した。
 雇われ時代の苦労を思うと、どうしても再就職への踏ん切りがつかない。出した答えは、株式会社フジ建設の起業。一発逆転の大勝負に出た。
 経営者の壮年部員の励ましもあり、業績は右肩上がり。もうすぐ、起業から10年がたつ。
 妻の勧めでネイルカフェも始めた。「右肩上がりは、安定してない証拠」と、社員と力を合わせ試行錯誤の日々。ネイリストの目線に立ちたいと、ネイルの資格まで取った。
 のし上がれるか! これからが、正念場だ。
 (2019年12月28日付)

■記者の目 「変身」を続ける覚悟
 日本ではしばしば、長寿化の負の側面ばかりがクローズアップされる。
 だが悲観するばかりでは前へ進めない。
 長寿化の恩恵を、一人一人が享受できるよう考え、ヒントを共有し、実験を重ねる以外、「社会に一大革命をもたらす」ともいわれる人生100年時代を乗り切ることはできない。
 長寿化は、これまでの「常識」を大きく変える。
 働き方や引退の時期、教育の在り方、結婚や出産のタイミング。親の世代には有効だった人生モデルが、子の世代にも通用するとは限らない。
 先述の『ライフ・シフト』に、こうある。
 「長寿化を恩恵にするためには、古い働き方と生き方に疑問を投げかけ、実験することをいとわず、生涯を通じて『変身』を続ける覚悟をもたなくてはならない」
 つまり「社会・環境の変化」に対し、「個人の変身」で応戦していくということだ。
 例えば、働き方を考えても、スキル(訓練して獲得した能力)の価値が瞬く間に変動する。
 手持ちのスキルにしがみつかず、常に新しいスキルの習得に挑んでいかねばならない。
 北海道札幌市の小野亜沙希さんの体験は、その好例だった。
 学歴は中卒、4人の子を育てるシングルママ、リーマン・ショックの直後……後ろ向きになる要素は多かった。
 にもかかわらず、小野さんは信心強く前を向き、諦めずに就職先を探した。
 派遣の仕事をしながら、高卒認定資格を取得。次の仕事は、タクシー会社のオペレーター。ここでも無線従事者免許を取得。モールス信号の解読やドローンの操縦まで、できるようになった。
 子どもが成長し、学費が増えると、IT就業支援の学校に通い、1年間の猛勉強。マイクロソフトの資格試験6種全てで満点合格を果たし、晴れて大手電子メーカーの正社員に迎えられた。今も新たな資格試験に挑んでいる。
 無論、誰もが小野さんのように「華麗なる変身」を遂げられるわけではない。
 昔ながらの標準的な生き方を尊重してきた日本においては、慣習や伝統的価値観、地域・家庭の“しがらみ”に、個人が縛りつけられることもある。
 北海道の天売島で生まれ、漁師の家に嫁いだ三浦美保子さんも、そうした一人だ。
 島民の数は年々減り、本島より速いスピードで高齢化が進んでいる。2人の息子が通う学校も、存続を維持していけるか分からない。
 活気を失っていく島は見たくない。
 それでも三浦さんは今、島に住んでいる。夫を支え、息子の夢を応援しながら、「できる限り、踏ん張りたい」と。
 それは「この島に骨を埋める」的な使命感ではない。未来にあらゆる「選択肢」を残し、冷静に将来の家族の在り方を考えながら、“しがらみ”に対し、しなやかに応戦しているのだ。
 「選択肢を残す」ことの価値は、人生100年時代において、より一層高まっていくだろう。
 人生を再スタートさせる機会、逆転のチャンスが格段に広がっていく。
 埼玉県の藤本寛明さんは、11年間働いた会社が倒産。失業した。
 人生の分岐点に立ち、選んだ道は「起業」。民主党政権下で公共事業が減少している最中とあって、同業者はこぞって反対した。
 背中を押してくれたのは、妻の一言。「もう落ちるところはない。後悔のないように」。“たとえ失敗しても、やり直すチャンスはある”と踏み切った。
 起業から10年。業績は右肩上がり。だが油断はない。
 移ろいやすいお客の心を敏感に察知し、毎日帳簿をにらみながら、進むべき方向性を慎重に見極めている。
 池田先生は、21年前の1999年1月、米国の経済学者レスター・C・サロー博士との対談で、地球社会の趨勢を鋭く見通しながら、次のように語っている。
 「変化の時代にあっては『自分自身をつくり変え続けていくこと』や『新しい知識や技能を絶えず習得していくこと』が重要です」
 私たちは池田先生の指針を胸に、日々「人間革命」に挑み、自らをアップデート(最新化)してきた。それは「変化への対応力」を備えてきたとも換言できる。
 人生100年時代とは、「人間革命」の哲学を体した私たちが、新たなロールモデルを示していく時代なのかもしれない。

 

2020年1月28日 (火)

2019年1月28日(火)の聖教

2019年1月28日(火)の聖教

◆わが友に贈る

 寒い冬の朝を駆ける
 尊き無冠の友に感謝!
 悪天候時は安全第一で。
 皆様の絶対無事故を
 真剣に祈っています。


◆名字の言  教室に来られない友人へ――ある女子中等部員の投稿  2020年1月28日

 ある女子中等部員の投稿が、南日本新聞(鹿児島県)の読者欄に掲載された。そこには、教室に来られない友人への思いがつづられていた▼友人が登校しなくなってしばらくしたある日、彼女は手紙を書いた。“迷惑かな、嫌かな”とためらいつつも、思い切って届けた。すると数日後に返信が。そして“文通”が始まった▼友人は登校したくてもできない理由を教えてくれた。そして1年生最後の集合写真を撮る日、友人は学校に来た。翌日届いた手紙には「頑張ったよ。教室に行けて良かった」と。この言葉が忘れられないという彼女は投稿をこう締めくくった。「皆『行きたい』と思っている。たとえ教室に姿はなくとも、心はある」。目に見える「現実」だけが全てではない。その奥にある心に思いをはせれば、互いの気持ちはどんなに豊かになるだろう▼御書の一節を思い出す。佐渡の国府入道が身延の日蓮大聖人に供養の品を届けた時のこと。大聖人は入道の妻・国府尼にお手紙を送られ、高齢の夫を遠路、送り出した夫人の信心をたたえた。「姿は見ることはできないが、心はここにおられると思われる」(1325ページ、趣意)と▼会合に来られない友、なかなか会えない友――その状況は千差万別。「一人」の心に思いをはせ、励ましを送り続けたい。(誼)


◆寸鉄

一番苦しむ人を救うのが
真に力ある宗教―恩師。
今日も大確信で友の元へ
     ◇
使命とは責任感の異名―
大統領。青年よ次の十年
の扉開け。師の提言胸に
     ◇
老後表す英語に“黄金の
年月”と。信心貫く多宝会
は地域照らす太陽の如く
     ◇
新型肺炎に警戒広がる。
デマも横行。不安煽らず
手洗い等で冷静に予防を
     ◇
2050年、大都市6割
で夏の五輪開催困難と。
温暖化対策は人類的挑戦


【先生のメッセージ】

◆〈心に御書を〉18 折伏は報恩感謝の大道2020年1月28日

御文 日蓮は・うけがたくして人身をうけ・値いがたくして仏法に値い奉る、一切の仏法の中に法華経に値いまいらせて候、其の恩徳ををもへば父母の恩・国主の恩・一切衆生の恩なり(千日尼御前御返事、1311ページ)

通解 日蓮は、受け難い人身を受け、値い難い仏法に値うことができた。一切の仏法の中でも法華経に値うことができたのである。その恩徳を考えてみれば、父母の恩、国主の恩、一切衆生の恩である。

〈池田先生が贈る指針〉
 二月闘争で私は呼び掛けた――弘教の大波で、御本仏の御聖誕、恩師の誕生の月を飾ろう!と。 青年の一念に皆が呼応してくれた。
 受けがたき人身を受け、値いがたき妙法を持った我らだ。宿命を使命に転じ、友の幸福を祈る。この地涌の歓喜を語り抜こう! ここに最極の報恩があり、仏法者の本懐があるからだ。


【教学】

◆〈心大歓喜――紙上講義で学ぼう〉 四国教学部長 高橋浩之  2020年1月28日
 紅燃ゆる志の天地・四国

 今回の「心大歓喜――紙上講義で学ぼう」には、高橋四国教学部長が登場。「乙御前御消息」の御文を拝し、広宣流布の闘志が赤々と燃える師弟求道の「志国」の誇りと使命について、つづってもらいます。
 
= 御文 =
 鎌倉に候いし時は念仏者等はさてをき候いぬ、法華経を信ずる人人は志あるも・なきも知られ候はざりしかども・御勘気を・かほりて佐渡の島まで流されしかば問い訪う人もなかりしに・女人の御身として・かたがた御志ありし上・我と来り給いし事うつつならざる不思議なり
 (乙御前御消息、1220ページ1行目~3行目)
= 通解 =
 (私が)鎌倉にいた時には、念仏者等はさておいて、法華経を信ずる人たちは、だれが信心があるのか、ないのか、分かりませんでした。
 しかし、御勘気(幕府による処罰)を受けて佐渡の島まで流されると、問い訪れてくる人もなかったのに、あなたは女性の身で、さまざまに信心の御志を示されたうえ、自ら(佐渡まで)来られたことは、現実とは思えないほど不思議なことです。
 
広布の闘志をたぎらせ師弟勝利の大叙事詩を
 四国は、客船「さんふらわあ7」号で、障魔の波濤を越えて、師の待つ神奈川へと向かった“師弟求道の航海”から40周年の佳節を勝利で飾ることができました。紅のごとく燃ゆる“師を求める志”が、正義の「志国」の誇りであり、勝利の原点です。
 今回拝する「乙御前御消息」は、再びの蒙古襲来が予期され、社会が騒然とする中、娘の乙御前と共に師弟の道を貫き通した母に、いよいよ強盛の信心に励むことを教えられた御書です。
 「志あるも・なきも知られ候はざりしかども」(御書1220ページ)と仰せの通り、大聖人が鎌倉におられた時には、だれが信じる心を持っているのか分かりませんでした。しかし、大聖人が流罪され、門下にも迫害が及んだ大難の時、本物の信心かどうか、真正の弟子かどうかが明らかになったのです。
 乙御前の母は女性でありながら、鎌倉から佐渡まで足を運ばれました。その志を「うつつならざる不思議なり」(同ページ)と、最大にたたえられたのです。
 仏法を破壊しようとする障魔は、大聖人を流罪にすることで、師弟の絆を引き裂こうとしたとも言えます。
 しかし、求道心に燃える乙御前の母の信心は、いささかも揺らぐことはありませんでした。私たち四国の同志と池田先生の師弟の絆も、だれも断ち切ることのできない三世の宿縁です。
 
 



四国研修道場に立つ学会歌「紅の歌」の歌碑


四国研修道場に立つ学会歌「紅の歌」の歌碑
 
 計3度に及んだ“求道の航海”の翌年(=1981年<昭和56年>)、四国の青年部は、“池田先生の真実を示そう”と、先生の平和・文化・教育の行動を紹介する展示を開催することにしました。
 識者との会見や行動をつぶさに調べ、分野別、年代別などに分類していきました。その資料は膨大な数になり、“一人の人間がここまでできるのか”と、師の偉大さを痛感しました。
 手作りの展示は、同年10月3日から1カ月にわたって四国研修道場で開催され、6万1000人が観賞。真実の前では誹謗や中傷も無力で、“だれが何を言おうが、自分たちの師匠は池田先生しかない”と、皆が歓喜しました。
 その直後の11月、先生が電撃的に四国を訪問。「もう一度、私が指揮を執らせていただきます!」「私の心を知ってくださる方は、一緒に戦ってください!」と師子吼され、反転攻勢の火ぶたを切られたのです。さらに「桂冠詩人」の称号が贈られて最初の作品「紅の歌」を作ってくださったのです。
 本抄で「問い訪う」(御書1220ページ)とは、師匠の元に足を運ぶことですが、それは「志をかさぬれば」(同1221ページ)と仰せの通り、どこまでも師匠を求め抜くことであり、わが心を師匠の心に合致させていくことでもあります。あの“行動展”で、師匠を求めたからこそ、師匠と弟子の心が合致することができたのです。

 



「紅の歌」が誕生した舞台・四国研修道場(高松市庵治町)は、眼前に瀬戸内海の美しい景観が広がる地に立つ。池田先生は1978年(昭和53年)1月に初訪問。その時、夜空に流星が一閃し、「流星に/顕本見えたり/庵治研修」と詠んだ。先生の来訪は6回を数え、同研修道場で、多くの同志が師弟の出会いを結んだ。さらに平和行動展や“桂冠詩人展”などを開催し、人間主義の思想を宣揚してきた

 
「紅の歌」が誕生した舞台・四国研修道場(高松市庵治町)は、眼前に瀬戸内海の美しい景観が広がる地に立つ。池田先生は1978年(昭和53年)1月に初訪問。その時、夜空に流星が一閃し、「流星に/顕本見えたり/庵治研修」と詠んだ。先生の来訪は6回を数え、同研修道場で、多くの同志が師弟の出会いを結んだ。さらに平和行動展や“桂冠詩人展”などを開催し、人間主義の思想を宣揚してきた
 
 その後も先生は、“師の詩心を宣揚したい”との青年たちの熱き思いをくみ取られ、さまざまな提案等をしてくださいました。こうした師弟の共同作業の結晶である“桂冠詩人展”は、91年に始まり、多くの識者が訪れ、感動の声を寄せてくださっています。
 忘れられないのは、池田先生と対談集を編まれたキルギス共和国が誇る文豪チンギス・アイトマートフ氏です。氏は、先生が四国の同志に贈られた「純白の/心に大雪/思い出と/アジアの交流/果たせし嬉しさ」のお歌について、次のように語ってくださいました。
 「雪は非常に不便だし、寒いし、また、この詩がつくられたのは、大雪のために飛行機が飛ばなくて、あやうく移動できなかった折のことと聞いております。私だったら早く溶ければいい、こんなのは邪魔だ、と思うでしょう。しかし、池田先生という詩人は、それを自然の永遠性の表れであると“本質”を見抜かれたんだと思います」
 私もこのお歌で、心がパッと晴れ渡りました。先生の詩心は、あらゆる差異を超えて、人間をより強く、幸福にしていく力があるのです。
 池田先生は、四国を「志国」「詩国」「師国」とたたえてくださっています。
 広宣流布の闘志が真っ赤に燃える「志国」。人間讃歌をつづりゆく「詩国」。師弟共戦の歴史を開く「師国」――を築き上げることこそ、弟子の私たちの使命です。
 「万葉の詩 ともどもに」と、師と共に、同志と共に、人間革命の勝利の大叙事詩をつづりゆきましょう。
 
 
池田先生の指針から――
 何事も勝つことである。
 勝つことは喜びであり、功徳であり、幸福である。
                   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
 私は、四国の地から、四国の同志とともに、反転攻勢の指揮を執り始めた。そして今日までの、世界広宣流布の大道を勝ち開いてきたのである。
 原点は四国である。
 その前年、昭和55年の1月には、四国の千人の同志が、横浜にいる私のもとへ、はるばる船で駆けつけてくださった。これも、広布の歴史に永遠に残りゆく光景である。
 四国は、私とともに「正義」の歴史を創り、「闘争」の歴史を残し、そして「勝利」の歴史を開いてきた。そのことを明言しておきたい。
                 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
 信仰とは「精神の強さ」である。人間としての「生きる力」の泉である。弱い信仰は、本当の信仰ではないのである。
 強き人には、“苦悩の烈風”さえも“歓喜の春風”に感じられる。
 弱き人は、すべてが地獄の苦しみとなる。それでは敗北者の姿である。
 「友のために」「広宣流布のために」――悪と戦い、一切の苦悩をも楽しみながら、悠然と前進してまいりたい。
(2001年1月、第1回四国総会でのスピーチ、『池田大作全集』第92巻所収)


【聖教ニュース】

◆上村松園・松篁・淳之三代展 東京富士美術館で2月29日に開幕 2020年1月28日
 近代が誇る女流画家とそれに連なる美の系譜





    • 上村松園 「楊貴妃」 大正11年(1922年) 松伯美術館蔵

上村松園 「楊貴妃」 大正11年(1922年) 松伯美術館蔵

 東京富士美術館(八王子市)の新展示「上村松園・松篁・淳之三代展」が、2月29日にスタートする(主催=同美術館)。
 上村松園は今から145年前に京都に生まれ、明治・大正・昭和を舞台に活動した日本画家。女性として初めて文化勲章を受章したことでも知られる。
 「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵こそ私の念願とするところのものである」(『上村松園全随筆集 青眉抄・青眉抄その後』求龍堂)との信念で、清らかで優美な格調高い美人画を確立。
 能楽や市井の女性を取材し、男性にはない視点で、理想の女性の美を突き詰めた作品群は、今なお人々の心を魅了する。

上村松園 「人形つかい」 明治43年(1910年) 松伯美術館蔵

 だがその画道は、必ずしも順風満帆ではなかった。
 15歳の時、英国皇子によって作品が買い取られ、画家としての一歩を踏みだした。だが当時は画壇も含め男性優位の社会で、“女が絵描きになるなんて”“女のくせに”等の中傷や嫉妬の言葉が相次いだ。
 それでも自らが「今に見ろ、思い知らしてやると涙と一緒に歯を食いしばらされたことが幾度あったか知れません」(同)と振り返る通り、掲げた理想を貫いた。血のにじむような努力が洗練された表現を生み、人々の心を動かしたのである。
松園晩年の代表作2点が特別出品

上村松園 「夕暮」 昭和16年(1941年) 京都府立鴨沂高等学校蔵(展示期間は4月1日~12日)

上村松園 「晩秋」 昭和18年(1943年) 大阪市立美術館蔵(展示期間は3月24日~4月12日)

 今回の展示には、松園と息子・松篁、そして孫・淳之の代表作品が集結。三代に流れ通う絵画芸術の系譜をたどる。
 松園が晩年に描いた「夕暮」「晩秋」も特別出品される。また、松園の生涯を「建設期」「模索期」「大成期」の3章に分け、折々の言葉やエピソード、遺品などを紹介する。
 視覚的・表面的な美しさを超えた“人間性の美”に触れることができよう。
                        ◇
 【案内】
 ▽会期=2月29日(土)~4月12日(日)。月曜休館。
 ▽開館時間=午前10時から午後5時(入館は同4時半まで)。
 ▽入場料=一般1300円(1000円)、大学・高校生800円(700円)、中・小学生400円(300円)。未就学児は無料。土曜は中・小学生無料。カッコ内は20人以上の団体、65歳以上の方、東京富士美術館のメールマガジン登録者等の各種割引料金。
 
 記念イベント等の詳細はホームページ=www.fujibi.or.jpを参照。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈「二月闘争」特集〉 報恩の一念が壁を破る 2020年1月28日
 わが胸に、友の心に広布への情熱の炎を!

「二月闘争」で、同志のもとへ足を運び、励ましを送る山本伸一(小説『新・人間革命』第24巻「人間教育」の章の挿絵から。内田健一郎画)


「二月闘争」で、同志のもとへ足を運び、励ましを送る山本伸一(小説『新・人間革命』第24巻「人間教育」の章の挿絵から。内田健一郎画)

「二月闘争」の舞台となった東京・大田の地で、勇壮に学会歌の指揮を執る池田先生(1991年11月、大田池田文化会館で)

「二月闘争」の舞台となった東京・大田の地で、勇壮に学会歌の指揮を執る池田先生(1991年11月、大田池田文化会館で)

 「令和」の時代に入り、初となる「伝統の2月」を迎える。1952年(昭和27年)2月、池田先生は東京・蒲田支部の支部幹事として指揮を執り、当時の支部の限界を打ち破る「201世帯」の弘教を達成し、広宣流布の突破口を開いた。「新時代の二月闘争」の開幕に当たり、池田先生の指針を通して、勝利の要諦を学ぶ。

 1951年(昭和26年)5月3日、戸田城聖先生が学会の第2代会長に就任。「75万世帯の弘教」を宣言した。しかし、広布は遅々として進まず、翌52年(同27年)1月、戸田先生は池田先生を蒲田支部の支部幹事に任命。大田区の集会所で行われた蒲田支部の緊急組長会で、池田先生が最初に訴えたことは「報恩」の一念だった。
    
 「二月闘争」の発火点。それは、1月29日、第一線のリーダーたちが集った緊急組長会であった。私は、寒風を突いて参加してくれた130人の同志と心一つに誓い合った。
 ――2月は、日蓮大聖人の御聖誕の月であり、戸田先生の誕生の月でもある。
 大聖人が御出現され、戸田先生が広宣流布に一人立たれたゆえに、私たちは妙法に巡りあうことができた。その御恩返しのために、2月を折伏の美事な勝利をもって飾ろう!――との一点で心を合わせたのである。
 「報恩」の一念に徹する時、人間は人間として、最も美しく、強くなれる。
    
 私は心に期していた。
 ――戸田先生は、戦前、ただ一人、牧口先生直結の「師弟の道」を歩まれた。いついかなる時も、「牧口先生! 牧口先生!」と叫び続けていかれた。
 戸田先生が広布の大師匠として立たれた今、いったい誰が「戸田先生! 戸田先生!」と叫び抜いて、真実の「師弟不二の道」を示すのか。
 「人能く道を弘む」とは、中国の孔子の至言である(『論語』)。
 弘める人なくして、道はない。すべては人で決まる。
 この「二月闘争」を起点に、創価の師弟に流れ通う「絶対勝利の血脈」を、学会総体にみなぎらせるのだ――。
 御聖訓には「よき師と・よき檀那(=弟子)と・よき法と此の三寄り合いて祈を成就し国土の大難をも払ふべき者なり」(御書550ページ)と説かれる。
 「師弟不二ならば、一切を勝利できる」――これが、仏法の要諦であり、学会精神の真髄である。

「新しい力」を信じて
 池田先生は現在の「ブロック」に当たる「組」に焦点を当て、明確な目標を掲げた。     
 当時、どんなに頑張っても、1支部で「月に100世帯」ほどの折伏が限界だと、皆が思い込んでいた。
 しかし、私たちは、今でいえば最前線のブロックに光を当て、「組で2世帯」という折伏目標を掲げた。
 そして、私は具体的に
 一、祈りから始めよう
 一、近隣を大切にしよう
 一、体験を語ろう
 と呼びかけた。
 ――いずれも、私自身が実践してきたことである。
    
 戦いの第一歩は、明確な目標を決めることだ。
 目標が漠然としていては、誰もが“自分の挑戦課題”として受け止めることができない。ゆえに結局は、真剣になれないものである。
 また、目標を押しつけてはいけない。皆が「よし、やろう!」と納得できるようにすべきである
 それには、中心者自身が、自分の責任で、たとえ一人になっても、掲げた目標は断じて達成するとの、決意を定めることだ。その決定した心に燃え盛る情熱の炎が、皆の胸に、広布に戦う心を燃え上がらせていくのである。
    
 24歳の池田先生は、率先して同志の輪の中に入り、目の前の「一人」に励ましを送り続けた。
    
 「新しい人」だからこそ、「新しい力」を発揮できる――これが私の変わらざる確信である。
 1952年、蒲田支部で私が広布拡大の突破口を開いた「二月闘争」も、「新しい人」を見つけ、眼前の友の「新しい力」を信じて、励まし抜く戦いであった。
 仏法では、「一身一念法界に遍し」(御書247ページ)と説かれる。
 一人の「一身一念」は、家族にも友人にも、職場にも地域にも、さらには国土、世界にまでも波動を起こしていけるのだ。
 「一人」から始まる。
 「一人」から変わる。
 「一人」から開ける。
 ゆえに、まず一人と「会う」ことだ。「語る」ことだ。そして「一緒に行動する」のだ。
 「少子化」の時代であるからこそ、むしろ一人の青年を大事にできる。さらに今度は、その一人から、次の新しい青年を呼んでいくのだ。
 そして「従藍而青」と示されている通りに、「自分以上の人材」を澎湃と育て上げるのだ。この精神で学会は進んできたからこそ、今がある。
    
 当時の蒲田の支部幹部では、私が一番若かった。人を集めて偉ぶって指導しても、誰が信用するか。自分が足を運び、顔を合わせ、寒風の中を一緒に歩く以外にない。
 一回の座談会、一軒の個人指導、一通の激励の手紙……すべてが私の主戦場と思って真剣に取り組んだ。
 折伏が進まないメンバーがいれば、私自身の対話の姿を見せた。また私一人で話さず、同席した友にも、どんどん体験や教学の基本を語ってもらった。その中で、皆が自信と確信を深めていったのだ。

異体同心の団結が要
 「二月闘争」は、「異体同心の団結」が広布拡大の推進力であることを示した戦いでもあった。
    
 私は、皆が持ち味を発揮し、尊敬し合って団結できるよう、人知れず心を砕き、指揮を執っていった。
 とくに青年には、生活に根ざした体験を持つ壮年・婦人の先輩方と一緒に折伏に取り組むように訴えた。共に動き、共に走った。悩める友がいると聞けば、対話の輪ができた。抜苦与楽の座談会が毎日のように開かれたのである。
 ある時、入会まもない婦人部の方が意を決して知人の折伏に行くということで、私が付き添ったことがあった。道すがら緊張のあまり、足もすくんでいる様子であった。
 私は「学会歌を歌って、楽しく行きましょう!」と申し上げた。最初はか細い声であったが、何回も「同志の歌」を共に口ずさんでいくうちに、みるみる元気になっていった。
 結局、その日の対話は実らなかった。しかし、それを機に発奮し、地方の友人たちへの折伏を次々に結実させていったのである。
    
 副役職の方々をはじめ、中心者を支える先輩・同志は、「異体同心」の要だ。
 私は、蒲田支部の「二月闘争」の時も、さらに文京支部の「大前進」の折も、正役職ではなかった。副役職の支部幹事であり、支部長代理であった。しかし、「必ず日本一の支部長にします!」と、真剣に守り抜き、誠実に支え切った。
 心臓部は目に見えない。それでいて皆に力を送る。自分は脚光を浴びなくとも、友をもり立てて、目覚ましい躍進を成し遂げていく人は、最も気高き陰徳を積んでいるのである。
    
 日本一の弘教を達成した蒲田支部は、その後も壁を破り続けた。
    
 もしも、この「二月闘争」の目覚ましい勝利が、その時だけで終わっていれば、本当の意味で「壁を破った」とは言えなかった。
 しかし、蒲田支部は、その後も200世帯を突破し続けた。「三月闘争」も勝った。「四月闘争」も勝った。
 そして、戸田先生の会長就任1周年の5月には、大歓喜の勢いで初めて300世帯に到達し、11月には、2月から倍増となる400世帯を突破したのである。
 この蒲田の大躍進に負けじと、他の支部も次々に壁を破った。神奈川を地盤にした鶴見支部もやがて月間300世帯へ飛躍し、さらにほとんどの支部も悠々と100世帯、150世帯を超えるようになっていった。そこには、東北の仙台支部と関西の大阪支部も、新たな力として隆々と台頭してきたのである。
 なお、勢いに乗り遅れた文京支部が、支部長代理となった私と共に、「前進!」を合言葉に、最強の組織へと一変したのは、この翌年のことであった。
 ともあれ、青年の私は、「二月闘争」を起点として、全学会の前進・勝利の方程式を作った。
 表面的な方法論ではない。学会は「一人立つ信心」そして「師弟共戦の信心」で勝つ、という永遠の軌道を固めたのである。


◆〈青年部のページ〉リーダー座談会 次代の広宣流布は我らの手で!

 池田先生はつづられています。「創価の青年が立てば、歴史は動く。新しき時代の扉を開く主人公が青年である」と。今回の青年部のページは、各部リーダーによる座談会をお届けします。本年の各部の取りまとめと共に、秋に行われる「世界青年平和文化祭」に向けて意気込みを語ってもらいました。


◆〈信仰体験〉仏法に見るライフ・シフト(生き方の転換)の鍵  2020年1月28日

 連載「ライフウオッチ」信仰体験のページでは、就職氷河期を経験し、社会の大きな変化に直面してきた、40歳前後の世代を追った。取材を通して見えてきたのは、信仰に励む中で生き方の転換を果たした学会員の姿と、支え合う同志のつながり。そこに、「人生100年時代」を幸福に生き抜くためのヒントがある。

■15年間の非正規雇用を経て
 大学を卒業後、ロックバンドと両立できるように、派遣社員として働き始めた原見正高さん(37)=東京都府中市、総区男子部副書記長。30歳の頃、バンドが解散し、人生の目的を見失った。
 どん底でも、ひたすら題目を唱え、学会活動に励んだ。懸命に働く中で、何度も総合職への採用の話があったが、実現しなかった。
 ある時、池田先生の『青春対話』の一節に心を打たれた。
 「人生は『総合競技』です。一競技で負けたって、ほかで勝てばいい。何かで勝てばいい」
 派遣期間を更新し続け、異動するたびに誰よりも勉強した。本年4月、グループ会社の正社員に採用。気付けば、非正規(有期)雇用で働き始めて15年がたっていた。
 「信心に励んで、祈り切る中で決めたことは、自分にとって一番、“意味のある決断”になる」と。 (2019年10月13日付)

■ありのままの“唄うたい”
 美雲さん(37)=本名・木村真介さん、東京都台東区、男子地区副リーダー=の幼少期は、セクシュアル・マイノリティーへの理解が乏しい時代だった。
 ぬいぐるみが大好きで、友達も女の子ばかり。家族や幼なじみは「真ちゃんは真ちゃん」と受け入れた。
 だが、小学6年で引っ越すと、「おかま」「気持ち悪い」と、いじめに遭う。“死にたい”と思い悩んだ。
 自分の存在を確かめられるのは、歌しかなかった。やがて上京し、信心に励む中で“唄うたい”として本当の自分を表現する。
 昨年、学会の会合で「母」を歌った。大勢の人が涙するのを見て、学会員に生まれた喜びをかみ締めた。
 「世の中は、すぐに型や枠にはめようとするけど、そんなのゴメンよ。私には池田先生がいる。信心がある。わたしはわたし。ありのまま歌い続けるだけ」
 (2019年11月17日付)

■精神疾患の人の支えに
 就職難の中、やっとつかんだ勤務先。だが、塩川太一さん(43)=東京都中央区、支部長=は、過酷な労働環境に直面した。7年で社員は半減し、精神疾患になる同僚も。30歳で希望退職を決めた。
 翌春、精神保健福祉士になるため、専門学校に入学。現在は、介護サービス包括型グループホームで働く。
 “精神疾患のある人の支えに”と転職を決めたのは、家族や友人に精神疾患の経験があったから。大学時代に入会して以来、学会活動に全力で取り組み、人に寄り添ってきた。
 毎日が厳しい現実との格闘だが、「この仕事は『支援する側/される側』という分け方だけではないと思う」と。
 スタッフと利用者が関わり合う、ありふれた日常。お互いの関係性の中で、自分の“生きる価値”を実感する瞬間がある。
 「信心は、幸福をつかむための“善の中の善”の実践ですから」
 (2019年12月15日付)

■記者の目 「自己再生のコミュニティ」
 バブル経済の崩壊後、企業は採用を減らし、有期雇用を増やした。そのため「就職氷河期」(1993~2005年ごろ)に高校や大学を卒業した人たちは、厳しい就職難に遭い、働きたくても働けない、いくら働いても必要な収入が得られない、という状況が続いた。
 現在、30代から40代後半になっているこの世代は、1700万人に上る。
 甲南大学の前田正子教授は、本紙で次のように指摘している。
 「人生100年時代を生き抜くには、誰もが、途中でつまずくことがあっても、何度でも学び直し、やり直せることが重要です。とりわけ、一番の働き盛りである『就職氷河期』世代が、その能力を発揮できるよう、社会を挙げて応援していくことが必要ではないでしょうか」(昨年10月12日付)
 信仰体験では、この世代の生き方を取材してきた。
 原見正高さんは有期雇用で15年間、働いた。総合職への採用の話が持ち上がるたびに消える。それでも転職に踏み出せなかったのは、大学卒業後に仕事が決まらなかった“5カ月間の恐怖”があったからだという。
 不安を打ち消してくれたのは、男子部の先輩の励ましだった。今いる場所で“いてほしい人に”と祈り、努力を重ねる中で、「“自分の舞台はここだ”と思える環境になっていった」。
 何度転ぼうが、挑戦し続ける中で“何かで勝てばいい”。そんな姿に、人生という「総合競技」を生き抜く力を見た思いがした。
  
 美雲さんの歌声に、心が震えた。
 セクシュアル・マイノリティーへの理解の乏しい時代に、いじめに遭った。
 それでも、「祈ると、いい意味で諦められる。“明らかになる”って感じよね。悩んで祈っての繰り返し。祈ると必ず、いい方向にいく」と。
 人生100年時代は、過去のロールモデル(生き方の模範)が通用しないといわれる。
 その意味で、社会や経済の激しい変化にさらされた40歳前後の世代は、最も「ライフ・シフト(生き方の転換)」が求められる世代でもある。
 美雲さんは、学会の仲間と信心に励む中で、型にはまらない“唄うたい”として、しなやかに、ありのままに生きる。
 その姿は力強く、美しかった。

 塩川太一さんが転職を決めた理由には驚いた。
 食品商社を退職した後、専門学校に入り直したのは、家族や友人の精神疾患を経験したからだった。
 大学時代に入会して以来、真っすぐに信心に打ち込んできた。
 学会で学んだ、目の前の一人に寄り添う“関わり合い”を、精神疾患のある人と向き合う今の職場でも貫く。そうして関わった利用者が、ささやかだが日常に確かな“幸せ”を見つけだす瞬間が、何よりうれしいという。
 「信心する前は、人からどう見られるかが、幸せの基準だと思っていた。信心して、人のために生きる喜びを知りました」と。

 人生100年時代を生きる上では、健康や友人関係、身近な人との良好な関係といった“目に見えない資産”が価値を持つという。
 ロンドン・ビジネススクールのリンダ・グラットン教授とアンドリュー・スコット教授は、共著『ライフ・シフト』の中で、お金に換算できない、こうした「無形の資産」の重要性を指摘する。
 精神的な健康と幸福感を維持するために、「前向きな親しい友人たちのネットワーク」が役立つとして、そうした友人関係を「自己再生のコミュニティ」と呼ぶ。
 京都大学大学院の柴田悠准教授は、地域社会でつながりを育む創価学会の貢献を評価し、本紙で語った。
 「相互扶助や励まし合いを可能にする宗教団体は、人生を豊かで優しいものにし、困った時に助け合える力をくれる大きな資産です」(昨年11月9日付)
 時に支え、時に支えられる。学会の同志のつながりは、人間蘇生のコミュニティーとしての価値を放つ。
 池田先生は、つづっている。
 「生命は尊厳であるといっても、ひとりでに輝くものではない。こうした関わり合いの中で、他者の生命は真に“かけがえのないもの”として立ち現れ、それをどこまでも守り支えたいと願う心が自分自身の生命をも荘厳するのです」
 “心こそ大切なれ”と、目の前の一人と関わりをつむぐ学会員の振る舞いには、目には見えない無形の価値があふれている。

 

2020年1月27日 (月)

2020年1月27日(月)の聖教

2020年1月27日(月)の聖教

◆今週のことば

 さあ 伝統の2月。
 「我も唱へ他をも勧ん」
 自行化他が仏法の魂だ。
 歓喜と希望と確信を語り
 楽しく地涌の拡大を!
 (御書467ページ)

◆名字の言 悩める友の「伴走者」でありたい  2020年1月27日

 各地でにぎやかに開催されるマラソン大会。視覚障がい者が伴走者と一緒に走る姿を、よく見掛けるようになった▼輪にしたロープを、視覚障がいの選手と共に持つ伴走者。選手を後ろから押してはいけないし、前から引っ張ってもいけない。選手以上の走力を備えた上で、常に横で手の振りや歩幅を合わせ、適切に声を掛けていく。日頃からの意思疎通も重要だ▼脳性まひと闘う千葉の女子部員がいる。肢体不自由のため、本のページをめくるのは一苦労だし、ペンを握るのも難しい。そんな彼女が昨年、青年部教学試験2級への挑戦を決意した。“どうしたら学べるか”を家族と考えた末、目と耳と口を駆使して、仏法哲理を心に焼き付けることにした▼地域の女子部の友も、工夫を重ねた。彼女の代わりに勉強会に参加しては、教材に線を引いて要点を書き込み、彼女の家に通った。また代読・代筆による受験を想定し、口頭で正確に答えられるよう、御文を一緒に暗唱。問題形式で何度も練習し、本番に備えた。そして合格。「やり切りました!」と語る彼女と同じくらい、共に歩んだ同志の笑顔が輝いていた▼池田先生は“「共に」という心と行動の中に、日蓮仏法の真髄がある”と。苦闘する友、悩める友に同じ歩幅で寄り添う伴走者でありたい。(楊)


◆寸鉄

一人の強き生命力が他人
の命を変える―戸田先生
青年よ広布の突破口開け
     ◇
東京・豊島婦人部の日。
弾む心で前進!三代有縁
の天地に対話の花は満開
     ◇
本紙通信員制発足の日。
この写真、この一文。皆様
の尊き汗こそ聖教の誉れ
     ◇
後部座席のベルト着用、
いまだ4割。法令順守を。
「破壊は一瞬」と油断なく
     ◇
アウシュビッツ解放から
75年。デマへの沈黙が悲
劇の歴史に。教訓忘れず


【先生のメッセージ】

◆第45回SGI提言⑤ 「核兵器禁止条約」の本年中の発効を  2020年1月27日

核兵器禁止条約を早期に発効し
被爆地で「民衆フォーラム」を開催

 続いて、誰もが尊厳をもって安心して生きられる「持続可能な地球社会」の建設に向けて、4項目の具体的な提案を行いたい。
 第一の提案は、核兵器禁止条約に関するものです。
 広島と長崎への原爆投下から75年にあたる本年中に、核兵器禁止条約を何としても発効に導き、“核時代と決別する出発年”としていくことを強く呼び掛けたい。
 2017年7月の採択以来、これまで80カ国が署名し、35カ国が批准を終えました。条約発効に必要となる「50カ国の批准」を早期に実現するために、参加国の拡大の勢いを増していくことが求められます。 
 こうした中、アメリカとロシアの間で核軍縮の礎石となってきた中距離核戦力(INF)全廃条約(※注4)が失効するなど、核軍拡競争が、今再び激化しようとしています。
 国連軍縮研究所のレナタ・ドゥワン所長が「核兵器が使われるリスクは第2次世界大戦後で最も高い」と警告するような状況に直面しており、核兵器禁止条約の発効をもって明確な楔を打ち込むことが急務であると思えてなりません。

世界の方向性を形づくる国際規範
 現在のところ、核兵器禁止条約には核保有国や核依存国は加わっていませんが、発効によって打ち立てられる“いかなる場合も核兵器の使用を禁止する”との規定には、非常に大きな歴史的意義があります。
 そこには何より、広島と長崎の被爆者をはじめ、核開発や核実験による被害を受けた世界のヒバクシャが抱き続けてきた“二度と同じ苦しみを誰にも経験させたくない”との誓いが凝縮されています。
 その上、国連のグテーレス事務総長が核兵器の完全な廃絶は「国連のDNA」であると強調しているように、1946年に初開催された国連総会での第1号決議で核兵器の廃絶が掲げられて以来、核問題の解決を求める決議が何度も積み重ねられる中で、ついに実現をみたのが核兵器禁止条約だったからです。
 また、核兵器禁止条約への署名と批准の広がりは、50年前(1970年3月)に発効した核拡散防止条約(NPT)と比べても、さほど変わるものではありません。
 NPTの発効時の署名国は97カ国で、批准国は47カ国にすぎませんでした。
 それでも、NPTを通じて“核兵器の拡散は許されない”との規範意識が次第に定着していく中で、核兵器の保有を検討していた国の多くが非核の道を選び取ったほか、南アフリカ共和国のように、一時は核兵器を開発して保有しながらも自発的に廃棄を果たし、NPTの枠組みに加わった国まで現れました。
 核兵器の拡散防止も、NPTが発効するまでは「理想」の段階にとどまっていた。しかし、ひとたび条約が発効し、批准国が拡大することで、世界のあり方を大きく規定する「現実」へと変わっていったのです。
 このように、最初の段階で締約国が十分な広がりを見せていなかったとしても、条約の発効には世界の新しい方向性を明確に形づくる影響力があるといえましょう。

昨年6月に行われた、カリブ海地域での核兵器禁止条約の発効促進のための会議。10カ国の政府関係者らが参加した会議では、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の一員として参加したSGIの代表が、冒頭のセッションの進行役を務めた(ガイアナ共和国の首都ジョージタウンで)

昨年6月に行われた、カリブ海地域での核兵器禁止条約の発効促進のための会議。10カ国の政府関係者らが参加した会議では、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の一員として参加したSGIの代表が、冒頭のセッションの進行役を務めた(ガイアナ共和国の首都ジョージタウンで)

 新たな国際規範を設けることの意義について論じた興味深い考察があります。
 核兵器禁止条約に先駆けて、核廃絶を実現するための草案としてモデル核兵器条約を97年に起草した、メラフ・ダータン氏とユルゲン・シェフラン氏は、論考の中でこう述べています。
 「国際法と国際関係との領域の区分が、理想と現実とのギャップを示しているとすれば、モデル核兵器条約は理想を形にしたもので、NPTは現実を表しているといえよう」
 「核兵器禁止条約は、この理想と現実の両方を体現したものだ。核兵器国の署名がまだないために理想ともいえるが、条約が存在するという点において現実である」と。
 その上で両氏は、「条約への反対や軍縮への抵抗が実際にあるとしても、規範の価値とその発展を打ち消すものではない」と強調していますが、私も深く同意するものです。
 今後の焦点となるのは、条約の発効によって打ち立てられる“いかなる場合も核兵器の使用を禁止する”との規定に対し、どの国であろうと揺るがすことのできない重みを帯びさせることではないでしょうか。

メキシコのナヤリットで2014年2月に行われた第2回「核兵器の人道的影響に関する国際会議」。全体討議では、SGIの代表が市民団体の立場から発言し、共感が広がった

 ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の国際運営団体の一つである「ノルウェー・ピープルズエイド」の昨年の報告書によると、核兵器禁止条約を支持する国々は135カ国にのぼるといいます。
 加えて各国の自治体の間でも、条約の支持を表明する動きが広がっています。
 2年前に始まった「ICANシティーズ・アピール」には、核保有国のアメリカ、イギリス、フランスをはじめ、核依存国のドイツ、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、イタリア、スペイン、ノルウェー、カナダ、日本、オーストラリアのほか、スイスの自治体が加わっています。
 その中には、核保有国の首都であるワシントンDCやパリに加え、核依存国の首都であるベルリン、オスロ、キャンベラも含まれているのです。
 また昨年10月には、すべての国に核兵器禁止条約への加盟を求める「ヒバクシャ国際署名」が国連に提出されました。
 広島と長崎の被爆者の呼び掛けで4年前に始まった活動で、創価学会平和委員会も運営団体として参画してきましたが、核保有国や核依存国を含む多くの国から1051万人の署名が寄せられたのです。
 このようにさまざまな形で表れているグローバルな民意を、さらに力強く結集する中で、“核兵器の禁止の規範化”を大きく前に進めることが重要ではないでしょうか。

どの国の民衆にも惨害を起こさない
 そこで提案したいのは、核兵器禁止条約の発効後に行われる第1回締約国会合を受ける形で、世界のヒバクシャをはじめ、条約を支持する各国の自治体やNGO(非政府組織)の代表らが参加しての「核なき世界を選択する民衆フォーラム」を、広島か長崎で開催することです。
 「核なき世界を選択する民衆フォーラム」の開催を提案したのは、“どの国の民衆にも核兵器の惨害を起こしてはならない”との共通認識に基づく議論を民衆自身の手で喚起することが、核兵器の禁止を「グローバルな人類の規範」として根付かせるために欠かせないと考えるからです。
 唯一の戦争被爆国である日本が、核兵器の非人道性を巡る国際的な議論をさらに深めるための努力を重ね、核保有国と非保有国の橋渡しの役割を担うことを切に望むものです。
 過去70年以上にわたって厚い壁に覆われ続けていた、核兵器禁止条約の交渉開始への突破口を開いたのは、2013年から3回にわたって開催されてきた「核兵器の人道的影響に関する国際会議」でした。 
 そこでの議論を通じて浮かび上がったのが、次のような重要な観点です。
 ①いかなる国も国際機関も、核爆発によって引き起こされた直接的被害に適切に対処し、被害者を救援するのは困難であること。
 ②核爆発の影響は国境内に押しとどめることは不可能で、深刻で長期的な被害をもたらし、人類の生存さえ脅かしかねないこと。
 ③核爆発による間接的な影響で社会・経済開発が阻害され、環境も悪化するために、貧しく弱い立場に置かれた人々が最も深刻な被害を受けること。
 このように、「核兵器で守ろうとする国家の安全」ではなく、「核兵器の使用によって被害を受ける人間」の側から問題の所在が明らかにされていく中で、核兵器禁止条約の交渉開始のうねりが高まっていったのです。

「原水爆禁止宣言」を発表する戸田第2代会長。青年部を中心に会場に集った5万人を前に、世界の民衆の生存の権利を脅かす核兵器の使用は、いかなる理由があろうと断じて許してはならないと訴えた(1957年9月8日、横浜・三ツ沢の陸上競技場で)


「原水爆禁止宣言」を発表する戸田第2代会長。青年部を中心に会場に集った5万人を前に、世界の民衆の生存の権利を脅かす核兵器の使用は、いかなる理由があろうと断じて許してはならないと訴えた(1957年9月8日、横浜・三ツ沢の陸上競技場で)

人権法の中核をなす
「生命に対する権利」

 核兵器禁止条約の採択後も、2018年10月に国連の自由権規約委員会が、“核兵器の威嚇と使用は「生命に対する権利」の尊重と相容れない”と明記した一般的意見を採択するという動きがありました。
 「生命に対する権利」は、市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)において、緊急事態であっても例外なく守られなければならない“逸脱できない権利”として位置付けられており、国際人権法の中でも際立って重要とされているものです。
 国際人権法の中核をなす権利との関係において、核兵器の威嚇と使用の重大な問題性が明確に指摘されたことの意義は、誠に大きいと思えてなりません。
 私の師である戸田第2代会長が1957年9月に発表した「原水爆禁止宣言」で何よりの立脚点にしていたのも、世界の民衆の生存の権利を守る重要性にほかなりませんでした。
 核兵器禁止条約の第1回締約国会合の開催を受ける形で、「核なき世界を選択する民衆フォーラム」を行い、この「生命に対する権利」に特に焦点を当てながら、人権の観点から核兵器の非人道性を浮き彫りにする議論を深めていってはどうかと思うのです。

母と子が安心して暮らせる世界を!

 また、民衆フォーラムの開催を通して、核兵器の禁止によって築きたい世界の姿について、互いの思いを分かち合う場にしていくことを呼び掛けたい。
 核兵器禁止条約の制定にあたって、これまで核問題とは結びつけられてこなかったジェンダーの視座が盛り込まれたのも、長らく見過ごされてきた被害の実相を浮かび上がらせた女性の声がきっかけでした。
 2014年12月に行われた第3回の「核兵器の人道的影響に関する国際会議」で、メアリー・オルソンさんが、核兵器使用による放射線の有害性が男性よりも女性に顕著に表れる事実を明確に示したことを機に議論が深まる中で、核兵器禁止条約の前文に次の一文が明記されるようになったのです。
 「女性及び男性の双方による平等、十分かつ効果的な参加は、持続可能な平和及び安全を促進し及び達成することにとり不可欠な要素であることを認識し、女性の核軍縮への効果的な参加を支援しかつ強化することを約束する」と。
 これは、核兵器の禁止を通して目指すべき世界のビジョンの輪郭を、ジェンダーの視座から照らし出したものといえましょう。

創価学会では、長年にわたって100冊を超える戦争体験や被爆体験の証言集を発刊。2014年からは新しい企画での証言集として、広島女性平和委員会編の『女性たちのヒロシマ――笑顔かがやく未来へ』(前列左)などが発刊されてきた

 創価学会が長年にわたって発刊してきた広島と長崎の被爆証言集にも、多くの女性たちの体験が収録されています。
 このうち4年前に発刊した『女性たちのヒロシマ』では、14人の女性による証言を通し、被爆の影響による後遺症などへの不安を抱える中で、結婚や出産をはじめ、女性であるがゆえに強く受けてきた偏見や苦しみが綴られています。
 しかし、そのメッセージは“同じ悲劇を誰にも経験させたくない”との被爆者としての強い実感にとどまるものではありません。
 副題が「笑顔かがやく未来(あした)へ」となっているように、“母と子が安心して平和に暮らせる世界を共に築きたい”との誓いが脈打っているのです。
 核兵器禁止条約の普遍性を高めるためには、「人間としての実感」に根差した思いを多くの人々の間で分かち合うことが、重要な意味を持ってくるのではないでしょうか。
 平和や軍縮に関心を持つ人だけでなく、ジェンダーや人権の問題、さらには家族や子どもたちの未来に思いを馳せる人たちをはじめ、国や立場の違いを超えた多くの民衆の支持が結集されてこそ、核兵器禁止条約は「グローバルな人類の規範」としての力を宿していくに違いないと確信するのです。
                * * * * *
 注4 中距離核戦力(INF)全廃条約
 アメリカとソ連が初めて核兵器の削減に合意した条約。1987年12月に調印された。射程500~5500キロの中距離核戦力を全面的に禁止し、91年5月に対象兵器の廃棄が完了した。近年、新たなINFの配備を禁止した規定を巡って対立が続く中、昨年2月にアメリカが条約の破棄を通告。ロシアも条約義務の履行停止を発表し、昨年8月に条約が失効した。

⑥ 保有5カ国による核軍縮交渉を開始

新STARTの延長を基盤に
保有5カ国で核軍縮条約を

NPT再検討会議で実現すべき合意
 次に第二の提案として、核軍縮を本格的に進めるための方策について述べたい。
 具体的には、4月から5月にかけてニューヨークの国連本部で行われるNPT再検討会議で、「多国間の核軍縮交渉の開始」についての合意と、「AI(人工知能)などの新技術と核兵器の問題を巡る協議」に関する合意を最終文書に盛り込むことを呼び掛けたいと思います。
 一つ目の合意については、アメリカとロシアとの新戦略兵器削減条約(新START)の延長を確保した上で、多国間の核軍縮交渉の道を開くことが肝要となると考えます。
 新STARTは、両国の戦略核弾頭を1550発にまで削減するとともに、大陸間弾道ミサイルや潜水艦発射弾道ミサイルなどの配備数を700基にまで削減する枠組みで、明年2月に期限を迎えます。
 5年間の延長が可能となっていますが、協議は難航しており、INF全廃条約に続いて新STARTの枠組みまで失われることになれば、およそ半世紀ぶりに両国が核戦力の運用において“相互の制約を一切受けない状態”が生じることになります。
 この空白状態によって生じる恐れがあるのは、核軍拡競争の再燃だけではありません。
 今後、小型の核弾頭や超音速兵器の開発が加速することで、局地的な攻撃において核兵器を使用することの検討さえ現実味を帯びかねないとの懸念の声も上がっています。
 ゆえに、新STARTの5年延長を確保することがまずもって必要であり、NPT再検討会議での議論を通して、核兵器の近代化に対するモラトリアム(自発的停止)の流れを生み出すことが急務だと訴えたい。その上で、「次回の2025年の再検討会議までに、多国間の核軍縮交渉を開始する」との合意を図るべきではないでしょうか。

昨年4月から5月にかけてニューヨークの国連本部で行われた、NPT再検討会議の第3回準備委員会。SGIの代表も参加し、核兵器の問題を「生命の尊厳」に照らして再考することや軍縮教育の重要性などを訴える声明を発表した


昨年4月から5月にかけてニューヨークの国連本部で行われた、NPT再検討会議の第3回準備委員会。SGIの代表も参加し、核兵器の問題を「生命の尊厳」に照らして再考することや軍縮教育の重要性などを訴える声明を発表した

 50年にわたるNPTの歴史で、核軍縮の枠組みができたのはアメリカとロシアとの2国間だけであり、多国間の枠組みに基づく核軍縮は一度も実現していません。
 NPTはすべての核兵器国が核軍縮という目標を共有し、完遂を誓約している唯一の法的拘束力のある条約であることを、今一度、再検討会議の場で確認し合い、目に見える形での行動を起こす必要があります。
 具体的な進め方については、さまざまなアプローチがあるでしょうが、私はここで一つの試案を提示しておきたい。 
 それは、「新STARTの5年延長」を土台にした上で、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の5カ国による新たな核軍縮条約づくりを目指し、まずは核軍縮の検証体制に関する対話に着手するという案です。
 これまでアメリカとロシアが実際に行ってきた検証での経験や、多くの国が参加して5年前から継続的に行われてきた「核軍縮検証のための国際パートナーシップ」での議論も踏まえながら、5カ国で核軍縮を実施するための課題について議論を進めていく。
 その上で、対話を通じて得られた信頼醸成を追い風にして、核兵器の削減数についての交渉を本格的に開始することが望ましいのではないかと思います。

スウェーデンのパルメ首相(当時)から池田SGI会長に贈られた、パルメ委員会の報告書『共通の安全保障』。本の扉にはパルメ首相のサインが認められている

共通の安全保障の精神を顧みる
 多国間の核軍縮の機運を高めるために重要な鍵を握ると考えるのは、冷戦終結の道を開く後押しとなった「共通の安全保障」の精神を顧みることです。
 1982年6月に行われた国連の第2回軍縮特別総会に寄せて、スウェーデンのパルメ首相らによる委員会が打ち出したもので、“核戦争に勝者はない”との認識に基づいて、次のような意識転換が促されていました。
 「諸国家はもはや、他国を犠牲にして安全性を追求することはできない。すなわち相互協力によってしか、安全は得られない」(『共通の安全保障』森治樹監訳、日本放送出版協会)と。
 私もその時、第2回軍縮特別総会に向けた提言で、「膨大な核戦力が対峙している以上、いかに軍事力を増強させようと、とうてい真の平和は保ちえない」と訴えていただけに、深く共感できる考え方でした。
 その前年(81年)、アメリカとソ連の関係が厳しさを増す中で、レーガン大統領は対決姿勢を鮮明にし、ヨーロッパでの限定核戦争もあり得るとまで発言していました。
 当時の心境について、レーガン大統領はこう記しています。
 「われわれの政策は、力と現実主義に基づいたものでなければならない。私が望んだのは力を通じての平和であって、一片の紙切れを通じての平和ではなかった」(『わがアメリカンドリーム』尾崎浩訳、読売新聞社)と。
 しかし、欧米諸国の市民による反核運動の高まりがあり、核兵器の使用がもたらす壊滅的な被害に対する認識も深めるにつれて、レーガン大統領は“核戦争を起こしてはならない”との思いを強めていった。

1997年11月、大阪・交野市の関西創価学園を訪問し、池田SGI会長と語らいを重ねたゴルバチョフ元ソ連大統領。両者はこれまで10回にわたる対談を通し、核兵器の廃絶に向けた課題をはじめ、世界平和を築くためのメッセージを発信してきた


1997年11月、大阪・交野市の関西創価学園を訪問し、池田SGI会長と語らいを重ねたゴルバチョフ元ソ連大統領。両者はこれまで10回にわたる対談を通し、核兵器の廃絶に向けた課題をはじめ、世界平和を築くためのメッセージを発信してきた

 また、核兵器で対峙するソ連の人々がどんな気持ちを抱いているかについて思いを馳せる中で、ソ連のチェルネンコ書記長に手紙を送った時のことを回想し、こう綴っていました。
 「チェルネンコへの手紙の中で私は、直接的、かつ内密に交信することはわれわれ双方にとって利益があると思っている、と述べた。そして俳優時代になじんだ感情移入のテクニックを使うように努めた」「そしてソ連国内の一部の人は、わがアメリカを本当に恐れているようだと私は理解している、と続けた」(同)
 こうした想起を通して、相手側の不安と自国側の不安とが“鏡映し”であることを実感したレーガン大統領が、ソ連との対話を模索する中で実現したのが、85年11月にジュネーブで行われたゴルバチョフ書記長との首脳会談だったのです。
 同じく核問題の解決の必要性を強く認識していたゴルバチョフ書記長と、胸襟を開いた対話を続けた結果、両首脳による共同声明として世界に発信されたのが、「核戦争に勝者はなく、また、核戦争は決して戦われてはならない」との有名なメッセージでした。
 そこには「共通の安全保障」に通じる考え方が脈打っており、それが87年12月のINF全廃条約の締結へとつながり、冷戦を終結させる原動力ともなっていったのです。
 時を経て再び、核兵器を巡る緊張が高まり、“新冷戦”とまで呼ばれる状況に世界が直面する今、「共通の安全保障」の精神を呼び覚ますことが大切ではないでしょうか。
 ゆえに私は、NPT発効50周年を迎えるにあたり、「核戦争に勝者はなく、また、核戦争は決して戦われてはならない」との宣言を、NPTの締約国の総意として今回の再検討会議の最終文書に明記することを提案したい。

2018年5月、スイスのジュネーブ大学で軍縮アジェンダを発表する国連のグテーレス事務総長。講演の中で、「人類を救うための軍縮」「命を救う軍縮」「将来の世代のための軍縮」の三つの優先課題について訴えた(EPA=時事)

 国連が2018年5月に発表した軍縮アジェンダでも、「人類を救うための軍縮」との視座が打ち出されていました。作成に携わった国連の中満泉・軍縮担当上級代表は、その発表翌日に行ったスピーチで、軍縮と安全保障との関係について、こう述べています。
 「軍縮は、国際平和と安全保障の原動力であり、国家の安全保障を確保するための有用な手段である」
 「軍縮はユートピア的な理想ではなく、紛争を予防し、いついかなる時、場所であれ、紛争が起こった際に、その影響を緩和するための具体的な追求である」と。
 自国の安全保障を確保するための「有用な手段」として核軍縮の交渉を進め、他の国々が感じてきた脅威や不安を取り除くことで、自国が他国から感じてきた脅威や不安を取り除いていく――。
 NPT第6条が求める核軍縮の誠実な履行を、こうした互いが勝者となる“ウィンウィンの関係”を基盤として、今こそ力強く推進していくべきであると訴えたいのです。

核運用におけるAI導入や
サイバー攻撃の禁止が急務

新技術の発達が兵器に及ぼす影響
 また私がもう一つ、NPT再検討会議で目指すべき合意として特に求めたいのは、「核関連システムに対するサイバー攻撃」や「核兵器の運用におけるAI導入」の危険性に対する共通認識を深め、禁止のルールづくりのための協議を開始することです。
 インターネットなどのサイバー空間やAIに関する新技術は、社会に多くの恩恵をもたらしてきた一方で、それを軍事的な目的に利用しようとする動きが進んでいます。
 昨年3月、こうした新技術に伴う問題を巡る会議がベルリンで行われました。
 EU(欧州連合)やNATO(北大西洋条約機構)の国々をはじめ、ロシア、中国、インド、日本、ブラジルの政府代表が参加した会議で焦点となったのは、ロボット兵器の通称で呼ばれる自律型致死兵器システム(LAWS)の問題に加えて、新技術の発達が核兵器などの多くの兵器に及ぼす影響についてでした。
 その上で、ドイツとオランダとスウェーデンの外相による政治宣言として、「技術的に進化した軍事能力がいかにして戦争の性格を変え、世界の安全保障に影響を与えるかについて、共通の理解を構築する必要がある」(IDN―InDepthNews 2019年3月17日配信)との問題提起がされていたのです。

戸田記念国際平和研究所が「21世紀における新たな軍備管理の探求」をテーマに行った研究会議。核軍拡競争の再燃が懸念される中、核保有国と非保有国などの間で協働関係を生み出すための条件などを巡って、活発な議論が交わされた(2018年10月、ノルウェーのオスロで)

 核兵器に安全保障を依存してきた国などからも懸念が示されるほど、新技術の発達のスピードは速く、私は、緊急性が増す核兵器と新技術を巡る討議をNPTの枠組みで早急に開始することを提案したい。
 1995年にNPTの無期限延長が決まった時、条約の再検討では、過去の合意の達成状況の精査だけでなく、将来において進展が図られるべき分野と、そのための手段を特定する重要性が提起されていました。
 核兵器と新技術の問題は、緊急性と被害の甚大さを踏まえると、まさに最優先で取り上げるべき分野ではないかと思うのです。
 まずサイバー攻撃に関して言えば、核兵器の指揮統制だけでなく、早期警戒、通信、運搬など多岐にわたるシステムに危険が及ぶ恐れがあります。
 いずれかのシステムに対して、サイバー攻撃が実行されることになれば、単なる不正侵入にとどまらず、最悪の場合、核兵器の発射や爆発を引き起こす事態を招きかねません。
 この問題に関し、国連のグテーレス事務総長も警鐘を鳴らしていました。
 「国連憲章を含め、国際法がサイバー空間にも適用されるというコンセンサスはすでに存在しています。しかし、実際に国際法がどのように適用されるのか、また、国家が法律の枠内で悪意ある、または敵対的な行為にいかに対応できるのかについては、コンセンサスはありません」(国連広報センターのウェブサイト)と。
 その基盤をつくる意味でも、「核関連システムに対するサイバー攻撃」の禁止をNPTの枠組みを通して早急に確立し、核リスクの低減を図るべきではないでしょうか。

不安や猜疑心を強める危険
 同じく、「核兵器の運用におけるAI導入」も、多くの危険を引き寄せかねないものです。
 ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)が昨年5月に発表した報告書では、その問題点を詳しく分析しています。
 それによると、核保有国にとってのAI導入のメリットは、人間の場合には避けられない疲労や恐怖を排除できることに加え、深海や極地といった厳しい生存環境や危険が伴う場所での任務を無人の装置で代替できることなどが挙げられるといいます。
 しかし、AIへの依存度を強めれば強めるほど、核兵器の運用を不安定にする要素が増え、かえって核使用のリスクを高める方向に働きかねないと警告しているのです。
 そこでは、従来の核抑止論の基盤をなしてきた相手の出方に関する心理学的な認知が通用しなくなることが指摘されています。
 AIが主要な役割を担うようになれば、状況判断の過程がブラックボックス化して、相手の出方がますます読めなくなり、不安や猜疑心がさらに募る状態を招くからです。
 報告書は、こう記しています。
 「冷戦中、アメリカとソ連は互いの戦略システムと行動を研究するために多大な時間と努力を費やし、国防関係の代表は、必ずしも生産的というわけではなかったにせよ、頻繁に会っていた」と。
 心理学的な認知といっても、直接の出会いを重ねる実体験が伴っていたからこそ、相手の出方をある程度予測できる関係を築くことができていたのではないでしょうか。
 
 また冷戦時代、誤った情報や装置の誤作動で、他国から核ミサイルの発射があったとの警報が出る事態が何度も起きました。
 その時に、危機を未然に防いだのは、監視画面に表示された情報をうのみにせず、情勢的にそれはあり得ないとの健全な懐疑心を働かせて、対抗措置としての核攻撃の中止を進言した人々の存在だったのです。
 まして現在は、サイバー攻撃による「ハッキング」や「なりすまし」の危険にもさらされており、AIの導入が進めば、誤った情報に対してだけでなく、偽の情報に対する脆弱性も増すことになりかねません。

冷戦時代に設置されていた核ミサイル「メースB」の発射台が、池田SGI会長の提唱で「世界平和の碑」に生まれ変わってから、今年で36年――。昨年10月には各国のSGIメンバーが碑の前に集い、不戦の誓いを新たにした(恩納村の沖縄研修道場で)


冷戦時代に設置されていた核ミサイル「メースB」の発射台が、池田SGI会長の提唱で「世界平和の碑」に生まれ変わってから、今年で36年――。昨年10月には各国のSGIメンバーが碑の前に集い、不戦の誓いを新たにした(恩納村の沖縄研修道場で)

 もちろん、AIへの依存度がどれだけ強まったとしても、核兵器の発射の最終判断は、人間の手を離れることはまずないでしょう。
 しかし、AIの導入競争が核保有国の間で進むことが、深刻なジレンマをもたらす危険性に目を向ける必要があります。
 AIの導入は自国が優位に立つための“軍事行動のスピード化”につながるかもしれませんが、一方でそれは、1962年のキューバ危機の際にケネディ大統領やフルシチョフ書記長が直面したようなジレンマを、少しの猶予も許さずに迫るものとなるからです。
 世界を震撼させた危機の教訓を顧みて、ケネディ大統領はこう述べました。
 「核保有国は、相手国に対して、屈辱的な退却か核戦争かを強いるような対決を避けなければなりません」(『英和対訳ケネディ大統領演説集』長谷川潔訳注、南雲堂)と。
 そのジレンマがどれほど薄氷を踏むものだったのか、悔恨がにじみ出ている言葉ですが、それでも当時の両首脳には“13日間”という熟議を重ねる時間がありました。
 ところが、スピード化の競争が進めば、相手に先を越されることへのプレッシャーが一層強まって、熟議に基づく判断の介在する余地がそれだけ失われることになります。
 この点、SIPRIの報告書でも、「より速く、より賢く、より正確で、より多目的な兵器を探求することは、不安定な軍拡競争をもたらす可能性がある」と指摘しています。
 核兵器とAIとの結びつきは先制攻撃を促す方向に働くことはあっても、核戦争を止める力にはなりえないと強く訴えたいのです。
 NPTの前文に刻まれているように、核戦争の危険を回避するためにあらゆる努力を払うことが、条約を貫く精神だったはずです。
 その一点を全締約国の共通の土台としながら、サイバー攻撃やAIの導入を巡る協議を今後進める中で、核兵器に安全保障を依存し続けることの意味についても問い直していくことが、肝要ではないでしょうか。

⑦ 日本で「気候変動と防災」の国連会合を

気候変動を巡る問題に焦点を当て
日本で国連の防災会合を

災害の発生件数が10年で5倍に増加
 第三の提案は、気候変動と防災に関するものです。
 気候変動を巡って取り組みが迫られているのは、温室効果ガスの削減だけではありません。異常気象による被害の拡大を防止するための対応が待ったなしとなっています。
 先月、スペインのマドリードで行われた気候変動枠組条約の第25回締約国会議(COP25)でも、この二つの課題を中心に討議が進められました。
 COP25に寄せてNGOのオックスファムが発表した報告によると、気候変動による災害の発生件数は過去10年間で5倍にまで増加しているといいます。
 世界全体でみると、地震などの災害や紛争よりも、気候変動が原因で避難した人数が圧倒的に多い状況が生じているのです。
 そこで私は、「気候変動と防災」に関するテーマに特に焦点を当てた国連の会合を日本で行うことを提唱したい。 
 国連防災機関では、各国の政府代表や市民社会の代表などが参加する「防災グローバル・プラットフォーム会合(防災GP会合)」を、2007年から開催してきました。
 2年ごとに会合を重ねる中で、2015年には仙台で行われた第3回「国連防災世界会議」をもってその開催に代えられたほか、昨年5月にスイスのジュネーブで会合が行われた際には、182カ国から4000人が参加して討議が進められました。
 今後は3年ごとに開催される予定となっており、2022年に行われる防災GP会合を日本で開催して、異常気象による被害の拡大防止と復興の課題について集中的に討議していってはどうかと思うのです。
 5年前の国連防災世界会議で採択された仙台防災枠組(※注5)では、災害の被災者を2030年までに大幅に減少させるなどの目標が打ち出されました。
 これまで積み上げてきた各国の経験を生かしながら、異常気象による災害についても早急に対策を強化していくことが求められるのではないでしょうか。

昨年12月、スペイン・マドリードで開催された、気候変動枠組条約の第25回締約国会議(時事)。「パリ協定」の運用ルールの中で積み残しとなっていた、温室効果ガスの削減量に関する国際取引の仕組みについては合意が先送りされた


昨年12月、スペイン・マドリードで開催された、気候変動枠組条約の第25回締約国会議(時事)。「パリ協定」の運用ルールの中で積み残しとなっていた、温室効果ガスの削減量に関する国際取引の仕組みについては合意が先送りされた

 すでにインフラ(社会基盤)の整備については、インドの呼び掛けで「災害に強いインフラのための連合」が昨年9月に発足しています。
 これまで重点が置かれてきた地震などの災害への対応だけでなく、気候変動の影響にも強いインフラの構築を目指すグローバルな枠組みで、技術支援や能力開発に関する国際的な連携を進めるものです。
 異常気象による被害が相次ぐ日本もこの連合に参加しており、インドをはじめ他の加盟国と協力しながら、防災GP会合でこの分野における国際指針のとりまとめをリードしていくことを提案したい。
 また、防災GP会合の中心議題の一つとして、気候変動と防災に関する自治体の役割をテーマに取り上げ、その連携を大きく広げる機会にしていくべきだと思います。
 現在、国連防災機関が「災害に強い都市の構築」を目指して進めるキャンペーンには、世界の4300を超える自治体が参加しています。そのなかには、モンゴルやバングラデシュのように、すべての市町村がキャンペーンに参加している国も出てきました。
 キャンペーンが始まってから本年で10年になりますが、今後は異常気象への対応に特に重点を置く形で自治体間の連携を進めることが大切になると思います。
 世界の人口の4割は海岸線から100キロ以内に住んでおり、その地域では気候変動の影響によるリスクが高まっています。
 日本でも人口の多くが沿岸地域で暮らしています。中国や韓国をはじめ、アジアの沿岸地域の自治体と、「気候変動と防災」という共通課題を巡って互いの経験から学び、災害リスクを軽減するための相乗効果をアジア全体で生み出していくべきだと考えるのです。
 本年6月には、アジア太平洋防災閣僚級会議がオーストラリアで行われます。会議を通じて自治体間の連携に関する議論を深め、2022年の防災GP会合でその世界的な展開につなげることを目指していってはどうでしょうか。

2015年3月、宮城・仙台市での第3回「国連防災世界会議」の公式関連行事として開催された、SGI主催のシンポジウム。日本と中国と韓国の市民団体の代表らが出席し、「北東アジアのレジリエンス強化のための防災協力」を巡って活発に意見を交わした

誰も置き去りにしない社会へ
レジリエンスの強化を推進

障がいのある人を取り巻く状況
 加えて、次回の防災GP会合の開催にあたって呼び掛けたいのは、気候変動で深刻な影響を受ける人々を置き去りにしないための社会づくりについて、重点的に討議を行うことです。
 男女平等と社会的包摂の促進を掲げた昨年のジュネーブでの会合では、登壇者の半数と参加者の4割を女性が占めたほか、120人以上の障がいのある人が参加しました。
 SDGsのアドボケート(推進者)の一人で、会合に出席した南アフリカ共和国のエドワード・ンドプ氏は、災害時の社会的包摂への思いをこう述べました。
 「障がい者は世界人口の15%を占める最大のマイノリティー(社会的な少数派)ですが、一貫して存在が忘れられてきました」
 「(災害時に)障がい者を物理的に置き去りにしてしまう行為と、日常生活において排除が障がい者にもたらす極めて現実的な影響とは、つながりがあるのです」と。
 脊髄性筋萎縮症を2歳の頃から患ってきたンドプ氏は、災害が起きた時に最も危険にさらされる人々に対する「社会的な態度の再構築」が必要となると訴えていたのです。
 私は、防災と復興を支えるレジリエンス(困難を乗り越える力)の強化といっても、この一点を外してはならないと思います。
 普段の生活の中で「共に生きる」というつながりを幾重にも育む土壌があってこそ、災害発生時から復興への歩みに至るまで、多くの人々の生命と尊厳を守る力を生み出し続けることができるからです。

昨年11月、神奈川青年部が開催したフォーラム。国際通信社INPS編集長のラメシュ・ジャウラ氏が、防災と気候変動をテーマに講演を行った(横浜市の神奈川平和会館で) 

 また、ジュネーブ会合での災害とジェンダーを巡る討議でも、“目に映らない存在にされてきた人々”を“目に見える存在”にすることが大切になるとの指摘がありました。
 日常生活において女性が置かれている状況は、社会的な慣習や差別意識などによって当たり前のように見なされることが多いために、本当に助けが必要な時に置き去りにされる恐れが強いことが懸念されます。
 例えば、異常気象の影響で避難が必要になった時、女性は家を出るのが最後になることが多いといわれます。男性が離れた場所で働いている場合には、子どもたちや高齢者や病気の家族の世話をする必要があるため、家を出るのが遅れがちになるからです。
 しかしその一方で、災害が起きた時に、地域で多くの人々を支える大きな力となってきたのは女性たちにほかなりませんでした。

昼間の星々の譬え
 この点に関し、UNウィメン(国連女性機関)も、次のように留意を促しています。
 被災直後から発揮されるリーダーシップや、地域でのレジリエンスの構築に果たす中心的役割など、防災における女性たちの実質的な貢献とともに、潜在的な貢献は、大きな可能性を持つ社会資産であるにもかかわらず、あまり注目されてこなかった――と。

2018年8月、「持続可能な開発のためのアジア太平洋FBO連合」が、都内で開催した国際討論会。誰も置き去りにしない社会を築くために、信仰を基盤とした団体が果たす役割などについて意見が交わされた

 明らかに存在するのに見過ごされがちになるという構造的な問題について考える時、私は大乗仏教の経典に出てくる“昼間の星々”の譬えを思い起こします。
 天空には常に多くの星々が存在し、それぞれが輝きを放っているはずなのに、昼間は太陽の光があるために、星々の存在に意識が向かなくなることを示唆したものです。
 日常生活においても災害時においても、地域での支え合いや助け合いの要の存在となってきたのは、女性たちであります。
 地震などの災害に加えて、異常気象への対応策を考える上でも、あらゆる段階で女性の声を反映させることが、地域のレジリエンスの生命線になるのではないでしょうか。
 本年は、ジェンダー平等の指針を明確に打ち出した第4回世界女性会議の「北京行動綱領」が採択されて25周年にあたります。
 そこには、こう記されています。
 「女性の地位向上及び女性と男性の平等の達成は、人権の問題であり、社会正義のための条件であって、女性の問題として切り離して見るべきではない。それは、持続可能で公正な、開発された社会を築くための唯一の道である」と。
 このジェンダー平等の精神は、防災においても絶対に欠かせないものです。
 その意味から言えば、災害にしても、気候変動に伴う異常気象にしても、インフラ整備などのハード面での防災だけでは、レジリエンスの強化を図ることはできない。
 ジェンダー平等はもとより、日常生活の中で置き去りにされがちであった人々の存在を、地域社会におけるレジリエンスの同心円の中核に据えていくことが、強く求められると訴えたいのです。

2017年5月、メキシコで行われた国連の「防災グローバル・プラットフォーム会合」。展示会場では、SGIがアジア防災・災害救援ネットワークと共同制作した人道展「人間の復興」も設置された


2017年5月、メキシコで行われた国連の「防災グローバル・プラットフォーム会合」。展示会場では、SGIがアジア防災・災害救援ネットワークと共同制作した人道展「人間の復興」も設置された

 私どもSGIも、信仰を基盤にした団体(FBO)として、災害時における緊急支援や、被災地の復興を後押しする活動に取り組む一方で、防災GP会合をはじめとする国際会議に継続して参加してきました。

 2017年のメキシコでの防災GP会合では、「FBOによる地域主導の防災――仙台防災枠組の実践」と題するシンポジウムを行ったほか、キリスト教やイスラム教などさまざまな宗教的背景を持つFBOと協力して共同声明をまとめ、昨年のジュネーブ会合でも引き続いて共同声明を発表してきました。
 また2018年3月に、他のFBOの4団体と連携して「持続可能な開発のためのアジア太平洋FBO連合(APFC)」を結成し、同年7月にモンゴルで開催されたアジア防災閣僚級会議に共同声明を提出しました。
 そこには、私たち5団体の共通の決意を込めて、こう記しています。
 「FBOの使命の根幹にあるのは、社会的な弱者を生む根本原因に対処する意志であり、社会の片隅に置かれた人々に希望と幸福をもたらすことである」
 「信仰を基盤にした団体は、防災とレジリエンスの構築と人道的な行動を地域で進める上で重要な役割を果たしている」と。
 今後も、この精神を他のFBOと共有しながら、すべての人々の尊厳を守るための社会的包摂のビジョンを掲げて、レジリエンスの強化を後押ししていきたいと思います。
⑧に続く
  * * * * *
 注5 仙台防災枠組
 2015年3月、仙台での第3回国連防災世界会議で採択された国際的な指針。2030年までの防災達成目標として、被災者数の削減や重要インフラの損害の削減などの7項目を掲げたほか、国や地方自治体が優先すべき行動として、災害リスクの理解をはじめ、効果的な応急対応に向けた準備の強化と「より良い復興」などの四つの事項を挙げている。

⑧「教育のための国際連帯税」を創設

「教育のための国際連帯税」を創設し
人道危機下の子どもたちを支援

紛争や災害での心の傷を癒やす
 最後に第四の提案として述べたいのは、紛争や災害などの影響で教育の機会を失った子どもたちへの支援強化です。
 持続可能な地球社会を目指すといっても、次代を担う子どもたちの人権と未来を守ることが要石となると考えるからです。
 本年9月に発効30周年を迎える、子どもの権利条約は、今や国連の加盟国数よりも多い196カ国・地域が参加する、世界で最も普遍的な人権条約となりました。
 教育の権利の保障も明記される中、条約の発効時には約20%に及んでいた、小学校に通う機会を得られていない子どもの割合は、今では10%以下にまで減少しました。
 しかしその前進の一方で、紛争や災害の影響を受けた国で暮らす子どもたちの多くが深刻な状況に直面しています。
 例えば、紛争が続く中東のイエメンでは240万人の子どもたちが学校に通うことができず、学校施設も攻撃を受けてひどく損傷していたり、軍事拠点や避難場所に使用されたりしている所が数多くあります。
 また、気候変動の影響による災害が続くバングラデシュでは、多くの家族が貧困や避難生活に追い込まれる中で、子どもたちの健康が危ぶまれているほか、教育の機会が失われている状態が広がっています。

紛争が続く中で学校の建設が滞り、屋外で授業を受ける中東イエメンの子どもたち。イエメンでは、紛争の影響で2500を超える学校が使用できない状態となっている(AFP=時事)

紛争が続く中で学校の建設が滞り、屋外で授業を受ける中東イエメンの子どもたち。イエメンでは、紛争の影響で2500を超える学校が使用できない状態となっている(AFP=時事)

 世界では、こうした紛争や災害の影響で教育の機会を失った子どもや若者の数は1億400万人にも及んでいますが、人道支援の資金の中で教育に配分されるのは2%ほどにとどまってきました。

 食糧や医薬品などの物資の支援と比べて、“人命には直接関わらない”といった理由で、緊急事態が起きた直後の期間のみならず、復興に向けた歩みが始まった時期以降も、後回しにされがちになってきたからです。
 しかし、ユニセフ(国連児童基金)が強調するように、子どもたちにとって学校の存在は、日常を取り戻すための大切な空間にほかなりません。学校で友だちと一緒の時間を過ごすことは、紛争や災害で受けた心の傷を癒やすための手助けにもなります。
 こうした問題を踏まえて、4年前の世界人道サミットで設立をみたのが、ユニセフが主導するECW(教育を後回しにはできない)基金でした。
 緊急時の教育に特化した初めての基金であり、現在まで、人道危機に巻き込まれた190万人以上の子どもや若者たちに教育の機会を提供する道を開いてきました。
 緊急時の教育支援は、人道危機が長期化した場合の教育支援とともに、子どもたちが安心と希望を取り戻し、将来の夢を思い描いて前に進むためのかけがえのない基盤となるだけでなく、地域や社会にとっても平和と安定をもたらす源泉となるものです。
 ECW基金のヤスミン・シェリフ事務局長は、こう述べています。
 「もし、その社会の市民と難民の人々が、読み書きができず、論理的な思考ができず、教師や弁護士や医師もいない場合、どうやって社会経済的に発展可能な社会を築くことができるというのでしょうか」
 「教育は、平和と寛容と相互尊重を促進するための鍵です。女の子と男の子が教育に平等にアクセスできた場合には、暴力や紛争が発生する確率は37%も減るのです」と。
「失われた世代」を生み出さない
 国連のSDGsで“すべての子どもたちに質の高い教育を”との目標が掲げられる中、紛争や災害の影響を受けた国で暮らす子どもたちが、「失われた世代」として置き去りになるようなことは、決してあってはならない。
 ECW基金が設立された2016年の時点での推計では、人道危機に見舞われた7500万人の子どもたちに基礎教育を提供するには毎年85億ドル、1人あたりで年間113ドルが必要になると見込まれていました。
 現在、その対象人数は1億400万人に及び、必要額も増えているものの、世界全体の1年間の軍事費である1兆8220億ドルのほんの一部に相当する資金を国際的な支援などで確保できれば、厳しい状況にある多くの子どもたちが、希望の人生を歩み出すきっかけを得られるのです。
 その意味で私は、誰もが尊厳をもって安心して生きられる持続可能な地球社会を築くための挑戦の一環として、ECW基金の資金基盤の強化を図り、緊急時の教育支援を力強く進めていくことを呼び掛けたい。
 かつて私は2009年の提言で、国連が当時進めていた「ミレニアム開発目標」の達成を後押しするために、国際連帯税などの革新的資金調達メカニズムの導入を促進することを提唱したことがあります。
 SDGsの推進において、その必要性はさらに増しており、「教育のための国際連帯税」の創設をはじめ、資金基盤を強化するための方策を検討すべきではないでしょうか。

改造されたバスを教室代わりにして、授業を受けるシリアの子どもたち。ある地域では、紛争の影響で避難を強いられた子どもたちのために、昨年5月からバスを利用した教育が進められてきた(AFP=時事)

 これまで連帯税としては、フランスなどの国々が導入している航空券連帯税(※注6)があり、エイズや結核やマラリアの感染症で苦しむ途上国の人々を支援するための国際的な資金に充てられてきました。
 また5年前からは、発育阻害に苦しむ子どもたちを支援する国連の「ユニットライフ」の枠組みが進められています。
 日本も昨年、開発のための革新的資金調達メカニズムのあり方を討議するリーディング・グループの議長国を務める中、7月に行われたG7(主要7カ国)開発大臣会合で、国際連帯税を含む革新的資金調達を活用する必要性について言及しました。
 これまで日本は、内戦が続く中東のシリアで、ユニセフと連携して約10万人の小学生のために教科書を配布し、約6万2000人の子どもたちに文房具と学校用のカバンを支給してきました。またアフガニスタンでも、支援が不足しがちだった地域で70校の学校を建設し、約5万人の子どもたちが学習にふさわしい環境で授業を受けられるようになっています。 
 私は、教育分野の支援において豊かな実績を持つ日本が、「教育のための国際連帯税」をはじめ、さまざまなプランを検討する議論をリードしながら、ECW基金の資金基盤を強化するための枠組みづくりで積極的な役割を担うことを強く呼び掛けたいのです。

ラリー・ヒックマン博士(左端)とジム・ガリソン博士(左から2人目)とともに、人間教育を巡る語らい(2008年8月、長野研修道場で)。ジョン・デューイ協会で会長を歴任した両博士と、その後も続けられた対話は、てい談集『人間教育への新しき潮流』として発刊された

ラリー・ヒックマン博士(左端)とジム・ガリソン博士(左から2人目)とともに、人間教育を巡る語らい(2008年8月、長野研修道場で)。ジョン・デューイ協会で会長を歴任した両博士と、その後も続けられた対話は、てい談集『人間教育への新しき潮流』として発刊された

 避難した先で教育の機会を得ることが、子どもと家族の心にどれだけ希望を灯すのか。

 その一つの例を国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が紹介しています。
 ――中米のニカラグアで2人の子どもと暮らしていたある母親は、情勢不安が続く中、葛藤を抱きながら隣国コスタリカへの避難を決めた。「学校を辞めさせ、避難することは苦しい決断でした。でも、これ以上危険な目にあわせるわけにはいかなかった」と。
 学校に在学証明書を取りに行くのも危険な中、小さなカバン一つで避難しなければならなかったため、子どもたちは避難先で学校に通うことができるだろうかと胸を痛めていたところ、コスタリカではすべての子どもに無償の初等教育が保障されていた。
 特に、避難民がいるコスタリカ北部の小学校の多くでは、公的な書類がなくても入学でき、避難で学習が遅れてしまった子どものために補習などのシステムまで用意されていた。
 そのおかげで、2人の子どもたちも教育の機会を取り戻すことができた。
 14歳の兄は、「今一番うれしいことは勉強できること。将来はお医者さんになりたい」と目を輝かせ、10歳の妹と手をつないで元気に学校へ通うようになった。
 学校の教員も、「故郷を離れなければならなかった子どもたちが、学校を家のように感じられるようになれば」との思いで迎え入れている――と。(UNHCR駐日事務所のウェブサイトを引用・参照)
 人道危機によって教育の機会を失った1億400万人という膨大な数字の奥には、一人一人の子どもの存在があり、人生の物語があります。
 この子どもたちにも同様に教育の機会が確保されれば、彼らが生きる希望を取り戻し、夢に向かって進むための足場となるに違いないと訴えたいのです。

「創価教育学体系」に脈打つ
牧口会長と戸田会長の精神

ランプの絵柄に込められた思い
 私どもSGIも、社会的な活動の三つの柱として、平和や文化とともに教育に力を入れ、「民衆の民衆による民衆のためのエンパワーメント(内発的な力の開花)」の取り組みを、世界192カ国・地域で進めてきました。
 その精神の源流を象徴するような絵柄が、ともに教育者だった牧口初代会長と戸田第2代会長の師弟の絆によって、今から90年前(1930年11月18日)に発刊された『創価教育学体系』の扉に描かれています。
 ランプの先に灯された火が光を放つ姿をイラストにしたもので、その絵柄はケースにも描かれ、本の表紙にも刻印されていました。
 社会が大きな混乱や脅威で覆われた時、その嵐に容赦なくさらされ、激しい波に特に翻弄されるのは、常に子どもたちです。
 その状況に胸を痛めた牧口会長は、小学校という教育の最前線に立ち続け、子どもたちの心に希望を灯すことに最大の情熱を注ぐ一方で、幸福な人生を切り開く力を養うための人間教育のあり方を探求し、『創価教育学体系』という大著に結晶させていったのです。

1930年11月18日に発刊された『創価教育学体系』第1巻。本のケースには、牧口初代会長の名前の下にランプの絵柄が。その同じ絵柄は、本の扉にも描かれている

 牧口会長は30代の頃、日露戦争の最中にあって、日本で立ち後れていた女性教育の普及のために力を注いだ経験がありました。しかも、戦争で父親が亡くなったり、傷病を負ったりしたことで経済的に困窮する家庭が増える中で、授業料の全額免除や半額免除の制度まで設けていました。
 また40代には、貧困家庭のために特別に開設された小学校で校長を務め、病気の子どもの家に見舞いに行って自ら世話をしたほか、食事が満足にできない子どもたちのために学校給食を実施していたのです。
 いずれも、牧口会長自身が家庭的な事情で十分に教育を受けられなかった時期があり、その辛さが身に染みていたからこその行動だったのではないかと思えてなりません。
 そして50代の時には、関東大震災(1923年)で罹災したために転校を余儀なくされた子どもたちを受け入れ、学校として学用品を用意したほか、教え子たちの置かれた状況が心配で、かつて校長を務めた小学校のある地域にまで足を運んでいたのです。
 弟子である戸田会長も、戦時体制下の1940年以降の時期に、子どもたちのために35冊に及ぶ学習雑誌を発刊していました。
 軍部政府の思想統制が強まる中で牧口会長とともに投獄され、牧口会長が獄中で生涯を閉じた後も、子どもたちの幸福を願う思いは消えることはなかった。
 2年に及ぶ獄中生活にも屈することなく、出獄をした翌月に終戦を迎えた時、即座に立ち上げたのも子どもたちのための通信教育でした。戦後の混乱で十分に機能しない学校が多い中で、教育の機会を途切れさせないために率先して道を開こうとしたのです。

昨年2月、アメリカ創価大学で行われた第15回「創価教育シンポジウム」。学生や教職員をはじめ、各国の学識者らが出席し、国連のSDGsの達成に向けて創価教育がどのように貢献できるかについて探究した(カリフォルニア州オレンジ郡のアリソビエホ市で)
 このように牧口会長と戸田会長の胸中には、“いかなる状況に置かれた子どもたちにも、教育の光を灯し続けたい”との信念が脈打っていました。創価学会の創立の原点でもある『創価教育学体系』の扉に描かれたランプの灯火には、そうした二人の先師の誓いと行動が込められている気がしてならないのです。
 ランプの姿がいみじくも物語るように、教育の光は誰かの支えがなければ途切れてしまうものです。情熱を注ぎ続ける人々の存在があり、その人々を支える社会があってこそ輝き続けるものにほかなりません。
 私も先師の思いを受け継いで、東京と関西の創価学園や創価大学をはじめ、アメリカ創価大学やブラジル創価学園などの教育機関を創立するとともに、各国の教育者との対話を重ねながら、子どもたちの尊厳と未来を支える「教育のための社会」を建設する挑戦を半世紀以上にわたって続けてきました。
 今後もSGIは、「教育のための社会」の重要性を訴える意識啓発に努めるとともに、気候変動をはじめとする地球的な課題に取り組む連帯を広げるために、「民衆の民衆による民衆のためのエンパワーメント」を力強く推進していきたいと思います。
                   * * * * *
 注6 航空券連帯税
 途上国でのエイズや結核やマラリアの治療普及を支援する国際機関のUNITAIDに対し、資金を拠出する目的で、国際線の航空券などに一定額(エコノミークラスで数百円程度)を課税する制度。2006年にフランスが最初に導入した。UNITAIDではその資金を活用して、大量購入と引き換えに割安価格で薬の提供を受け、治療の普及を促進してきた。


【特集記事・信仰体験など】

◆台湾の名門・交通大学大学院の法学博士〈世界の体験プラザ〉 2020年1月27日
 全ての学生の潜在力を引き出したい
 台湾SGI 荘 弘鈺 さん

質問形式の授業を
 「自動運転の車が交通事故を起こしました。メーカー、ドライバーの責任はそれぞれどうなるでしょうか」
 「現在、係争中の、台湾とアメリカの半導体メーカーの特許を巡る問題について、背景を説明してください」
 台湾北西部・新竹市にある交通大学科学技術法律大学院で行っている、私の講義の一部です。
 私の専門は知的財産権や公正取引法(日本の独占禁止法)、AI(人工知能)に関する法規制や行政手続きなどです。
 できるだけ学生たちが興味を抱くよう、時事問題を積極的に取り入れています。また、こちらが一方的に話すだけでは学生が受け身になるため、質問形式にして思考力を引き出すようにしています。

台湾北西部・新竹市の交通大学
 授業は週9こま。受講生の半分を社会人が占める時もあります。
 社会人学生は学習目的が明確で到達目標も高く、最高齢は60代後半、第一線の会社経営者もいます。一方、現役学生は記憶力や英語力に優れ、時間がたっぷりあるのが強み。お互いに同世代の中では得られない刺激を受け、触発し合い、とてもいい学習環境になっています。
 どうすれば、彼らがより学習意欲を高めて勉学に取り組めるか、常に試行錯誤し、工夫しています。その知恵を湧かすための最大の源泉が題目です。次元は異なりますが、仏法の「以信代慧」の法理を胸に前進してくることができました。数学も英語も苦手で、自分に自信を持てなかった私が、SGIの信仰のおかげで、ここまで歩んでこられたのです。
 
人生の勝負は40代
 1979年、私が基隆市で生まれた頃、家の経済状況はとても不安定でした。
 父は、昼は三輪タクシーの運転手、夜はちまきを売って家計を支え、母も服飾工場で働いていました。経済苦に悩んだ母は、友人の勧めで86年に台湾SGIに入会。翌年には一家でSGIの信仰を始めました。
 
 私は、幼い頃から弟と共に未来部の活動に参加。初めて題目の力を実感したのは中学の時でした。数学が苦手で、中学はいわゆる“落ちこぼれクラス”に。同級生にいじめられ、お金を巻き上げられるような環境でした。
 “絶対にここから脱する”と決意し、必死に唱題と勉強に励んだ結果、市の公立高校に進学。さらに学年トップの成績を勝ち取り、台湾大学の土木学科に合格できたのです。
 
 当時は漠然と“いい大学に入れば人生は良くなる”と思っていましたが、現実は甘くありませんでした。
 父の事業の失敗で、私は奨学金とアルバイトでつなぐ日々。授業が終わると、遊びに行く同級生を尻目に、アルバイトに走る自分をいつしか卑下するようになりました。
 そんな私を、家族やSGIの先輩は温かく励ましてくれました。転機となったのは、大学3年次に参加した「青年文化祭」です。練習の中で学んだ池田先生の指導、「人生は長い。本当の勝負は40代、50代、60代です。青春時代は『学びの時代』『鍛えの時代』と思って、何にでも挑戦してみることだ」(『青春対話』)に感動。青年時代の労苦は誉れだと思うようになりました
 大学4年次からは、土木に加え、法学を二重専攻(ダブルメジャー)し、大学会の責任者も担いました。アルバイト時間は減りましたが、思いがけず複数の奨学金をいただき、経済的にはむしろ楽になりました。

右から荘弘鈺さん、長男・荘翊恩くん、妻・劉欣姿さん、次男・荘翊愷ちゃん
32歳から米国留学
 2003年に大学を卒業後、政治大学大学院修士課程(知的財産権専攻)に進学。翌年、弁護士試験に合格しました。
 台湾を代表する企業の法務部長と、産学協同で画期的な特許の検索システムを開発。大きなやりがいを覚えた半面、このまま弁護士として働くことに物足りなさを感じました。修士課程修了後、将来の道を模索する中で、「教育」こそ恩返しの道だと思い至りました。
 幸運にも台湾の教育部(=文部科学省)の公費留学試験に合格。ところが英語力が足りず、そこから2年間、昼は裁判所で働き、夜は英語塾に通い、TOEFL試験に9回挑戦。公費留学の期限ぎりぎりで基準点をクリアしました。
 12年、32歳でアメリカのワシントン大学大学院博士課程に進学。台湾からの留学生中、私は最年長で、経済的には最も厳しい立場でした。貯蓄を切り崩し、時にはビル清掃の仕事をして、4年10カ月で修了。振り返ると、留学生の中で最も早い博士号の取得でした。
 就職先も順調に決まり、16年8月の博士課程修了の翌月から交通大学大学院の講師として奉職できました。
 交通大学は、中国大陸の上海交通大学と起源を同じくし、北京大学、天津大学と並んで中国最古の歴史を誇る名門です。教壇に立って4年。昨年、40代になり、今の自分があることに池田先生、そしてSGIの同志の皆さんに感謝しかありません。
 池田先生はかつて「教育のなかに希望があります。教育のなかに未来があります。教育のなかに勝利があります」と話されています。全ての学生が、自分ならではの潜在力を発揮できるよう全力を尽くしていきます。そして教育によって、21世紀を希望、未来、勝利が輝く世紀にしていく決意です。

台湾「創價新聞」


台湾「創價新聞」

2020年1月26日 (日)

2020年1月26日(日)の聖教

2020年1月26日(日)の聖教

◆わが友に贈る

 一人の人間革命から
 変革のうねりは
 千波万波と広がりゆく。
 君も貴女も
 世界を変える主役なり!


◆名字の言 父親が聞かせてくれるお話「君が生まれた日」

 その少女は、就寝前に父親が聞かせてくれる話が大好きだ。題名は「君が生まれた日」▼「むかーし、むかし……と言っても、4年前なんだけどね」と、物語風に話は始まる。母親の陣痛が始まった時の緊張感。産婦人科まで車を走らせた深夜の道。ついに迎えたその瞬間。産声。両腕に抱きかかえた重み。駆け付けた親族の笑顔。窓から差し込む朝の光――「みんな、君が生まれるのを待っていたんだよ」と父親が言う頃には、少女は気持ちよさそうに眠りに入る▼「無条件の受容」との言葉を、教育本部の友から教えてもらった。幼少期に「あなたがいるだけで私は幸せ」と、ありのままを受け入れてもらえる体験を得た子は、自己肯定感が高まるという。「無条件の愛情を伝える言葉こそ、『生まれてきてくれて、ありがとう』ではないでしょうか」と▼「有り難う」は元来、“そう有ることがまれ”との意だ。御書には「人間に生まれることは難しく、天から糸を垂らして、それが海底の針の穴に通るよりもまれ」(494ページ、通解)と仰せである。この世に生を受けたこと自体、どれほど貴重なことか▼まして生命尊厳の仏法に巡り合う難しさは言うまでもない。「一日の命は三千界の財にもすぎて候」(御書986ページ)との御金言を胸に、今を全力で生きよう。(之


◆寸鉄

「1・26」記念提言を発表。
人類共生の時代へ!我ら
は人々結ぶ対話を?剌と
     ◇
SGI発足45周年。師弟
共戦の連帯は世界192カ国
に。堂々たる平和の大河
     ◇
東北女性の日。婦女一体
で地域に励ましを拡大。
皆様こそ福光世紀の希望
     ◇
口に出す言葉で人生は前
向きに。「でも、だって、
どうせ」は禁句。心一つ
     ◇
「朝食抜き」は冷え性の因
と。賢き生活リズムが健
康の道。余裕ある出発を


【先生のメッセージ】

◆きょう1月26日は「SGIの日」 池田先生が記念提言を発表   2020年1月26日
  創価学会インタナショナル会長 池田 大作

創価学会インタナショナル会長 池田 大作

創価学会インタナショナル会長 池田 大作


 きょう26日の第45回「SGI(創価学会インタナショナル)の日」に寄せて、SGI会長である池田大作先生は「人類共生の時代へ 建設の鼓動」と題する記念提言を発表した。

 
 提言ではまず、気候変動の影響で異常気象による被害が各地で相次いでいる事態について言及。困難な状況に陥った人々を誰も置き去りにしないための視座として、仏法の人間観や牧口常三郎初代会長の思想に触れながら、21世紀の国連に強く求められる役割は「弱者の側に立つ」ことにあると強調している。
 その上で、危機感の共有だけでなく、建設的な行動を共に起こす重要性を指摘し、国連のSDGs(持続可能な開発目標)の達成期限である2030年に向けて、“気候変動問題に立ち向かう青年行動の10年”の意義を込めた活動を各地で幅広く展開することを呼び掛けている。昨年9月、ニューヨークの国連本部で行われた気候行動サミット。国連のグテーレス事務総長は、地球温暖化の影響で異常気象の被害などが相次ぐ状況を「気候非常事態」と表現し、行動を共に起こす必要性を訴えた
 続いて、広島と長崎への原爆投下から75年にあたる本年中に核兵器禁止条約を発効させることを強く訴えるとともに、禁止条約の第1回締約国会合の開催を受ける形で、「核なき世界を選択する民衆フォーラム」を行うことを提案。 
 加えて、核拡散防止条約(NPT)の再検討会議で、「多国間の核軍縮交渉の開始」と「AI(人工知能)などの新技術と核兵器の問題を巡る協議」に関する合意を最終文書に盛り込むことを呼び掛けている。
 また、「気候変動と防災」をテーマにした国連の「防災グローバル・プラットフォーム会合」を2022年に日本で行い、異常気象に伴う課題を集中的に討議することを提唱。
 最後に、紛争や災害の影響で教育の機会を失った子どもたちへの支援を強化するために「教育のための国際連帯税」の創設を提案している。
                   * * * * *
①世界各地で相次ぐ異常気象の被害
 気候変動の問題に立ち向かう
 グローバルな連帯の拡大を

 創価学会の創立90周年とSGI(創価学会インタナショナル)の発足45周年を記念し、誰もが尊厳をもって安心して生きられる「持続可能な地球社会」を築くための提言を行いたいと思います。
 最初に述べておきたいのは、年頭以来、緊張が続くアメリカとイランの対立を巡る情勢についてです。
 両国の間で現在続けられている自制を今後も最大限に維持しながら、国際法の遵守と外交努力を通じて事態の悪化を何としても防ぐことを強く求めたい。そして、国連や他の国々による仲介も得ながら、緊張緩和への道を開いていくことを切に望むものです。

青年を先頭に、世界192カ国・地域で時代変革の波を大きく広げるSGIの友(昨年8月、東京・新宿区の創価文化センターで)

青年を先頭に、世界192カ国・地域で時代変革の波を大きく広げるSGIの友(昨年8月、東京・新宿区の創価文化センターで)

 世界では今、異常気象による深刻な被害が相次いでいます。
 昨年もヨーロッパやインドが記録的な熱波に見舞われたほか、各地で猛烈な台風や集中豪雨による水害が発生し、オーストラリアで起きた大規模な森林火災の被害は今も続いています。
 このまま温暖化が進むとさらに被害が拡大するとの懸念が高まる中、昨年9月に国連で気候行動サミットが行われました。
 国連加盟国の3分の1にあたる65カ国が、温室効果ガスの排出量を2050年までに実質ゼロにするとの方針を表明しましたが、そうした挑戦を全地球的な規模に広げることが急務となっています。
 気候変動は、単なる環境問題にとどまるものではありません。
 地球上に生きるすべての人々と将来の世代への脅威という意味で、核兵器の問題と同様に“人類の命運を握る根本課題”にほかならないものです。
 そして何より、国連のアントニオ・グテーレス事務総長が強調するように、「私たちの時代を決定づける問題」(国連広報センターのウェブサイト)としての重みを持つものといえましょう。
 実際、気候変動の影響は貧困や飢餓の根絶をはじめとする国連のSDGs(持続可能な開発目標)の取り組みを土台から崩しかねないものとなっています。
 そこで焦点となるのは、負の連鎖に歯止めをかけることだけではありません。
 気候変動の問題は、誰もが無縁ではないものであるがゆえに、問題の解決を図るための挑戦が、これまでにないグローバルな行動の連帯を生み出す触媒となる可能性があり、その成否に「私たちの時代を決定づける問題」の要諦があると訴えたいのです。
 気候行動サミットと相前後して、若い世代を中心に時代変革を求める動きが広がったのに加えて、各国の自治体をはじめ、大学や企業が意欲的な取り組みを加速させようとしています。
 国際社会を挙げて平均気温の上昇幅を1・5度以内に抑えることを目指す「パリ協定」(※注1)の本格運用も、今月から始まりました。
 その推進を軸に気候変動の問題に立ち向かう連帯を広げる中で、SDGsのすべての分野を前進させるプラスの連鎖を巻き起こすことに、創設75周年を迎える国連の重要な使命もあるのではないでしょうか。
 そこで今回は、グローバルな行動の連帯を強固に築くために必要となる視座について、三つの角度から論じたいと思います。
                  * * * * *
 注1 パリ協定
 2015年12月、フランス・パリ郊外での気候変動枠組条約の第21回締約国会議で合意された国際協定。18世紀の産業革命前と比べて平均気温の上昇を2度より十分低く保つとともに、1.5度以内に抑える努力をすることを目指す。196カ国・地域が参加し、各国が5年ごとに温室効果ガスの削減目標を定めて、国連に実施状況を報告する仕組みとなっている。

②困難を抱える人々を置き去りにしない
 多くの人命と尊厳を脅かす
 温暖化と異常気象の被害

海面上昇の影響で水没の危機に直面
 第一の柱は、困難な状況に陥った人々を誰も置き去りにしないことです。
 近年、災害の被害が拡大する中、大半は異常気象によるものとなっています。
 日本でも昨年、台風15号や台風19号によって各地が猛烈な暴風雨に見舞われ、大規模な浸水被害や停電と断水による日常生活の寸断が起きましたが、気候変動の影響は先進国か途上国かを問わず広範囲に及んでいます。
 その中で世界的な傾向として懸念されるのは、国連が留意を促しているように、その影響が、貧困に苦しむ人々や社会的に弱い立場にある人々をはじめ、女性や子どもと高齢者に強く出ていることです。
 そうした人々にとって、異常気象の被害を避けることは難しく、生活の立て直しも容易ではないだけに、十分な支援を続けることが求められます。
 また、気候変動が招く悲劇として深刻なのは、住み慣れた場所からの移動を余儀なくされる人々が増加していることです。
 中でも憂慮されるのが、太平洋の島嶼国の人々が直面する危機です。
 海面上昇による土地の水没が原因であるために、一時的な避難では終わらず、帰郷できなくなる可能性が高くなるからです。
 私が創立した戸田記念国際平和研究所では、この太平洋の島嶼国における気候変動の影響に焦点を当てた研究プロジェクトを、2年前から進めてきました。
 そこで特に浮き彫りになったのは、島嶼国で暮らす人々にとって「土地とのつながり」には特別な意味があり、その土地の喪失は自分自身の根源的なアイデンティティーを失うことに等しいという点でした。
 他の島などに移住して“物理的な安全”が確保できたとしても、自分の島で暮らすことで得てきた“存在論的な安心感”は失われたままとなってしまう。ゆえに、気候変動の問題を考える際には、こうした抜きがたい痛みが生じていることを十分に踏まえなければならない――というのが、研究プロジェクトの重要なメッセージだったのです。

2018年9月、ニュージーランドのオークランドで「太平洋地域における気候変動と紛争」をテーマに開催された戸田記念国際平和研究所の研究会議。昨年9月には、2回目となる研究会議が都内で行われた

2018年9月、ニュージーランドのオークランドで「太平洋地域における気候変動と紛争」をテーマに開催された戸田記念国際平和研究所の研究会議。昨年9月には、2回目となる研究会議が都内で行われた

 「土地とのつながり」を失う悲しみは、これまでも地震や津波のように避けることが難しい巨大災害によって、しばしば引き起こされてきたものでした。
 それは、家族や知人を突然亡くした辛さとともに耐えがたいものであり、私も東日本大震災の翌年(2012年)に発表した提言で、その深い悲しみを社会で受け止めることが欠かせないと強調した点でもありました。
 「樫の木を植えて、すぐその葉かげに憩おうとしてもそれは無理だ」(『人間の土地』堀口大學訳、『世界文学全集』77所収、講談社)との作家のサン=テグジュペリの含蓄のある言葉に寄せながら、自分の生きてきた証しが刻まれた場所や、日々の生活の息づかいが染みこんだ家を失うことの心痛は計り知れないものがある、と。
 ともすれば気候変動に伴う被害を巡って、数字のデータで表されるような経済的損失の大きさに目が向けられがちですが、その陰で埋もれてきた“多くの人々が抱える痛み”への眼差しを、問題解決に向けた連帯の基軸に据えることが大切ではないでしょうか。
 マクロ的な数値の陰で一人一人が直面している窮状が埋もれてしまう構造は、近年、エスカレートする貿易摩擦の問題においても当てはまるのではないかと思います。
 自国の経済の回復を図るために、関税の引き上げや輸入制限などを行う政策は、「近隣窮乏化政策」と呼ばれます。しかし、グローバル化で相互依存が深まる世界において、その応酬が続くことは、「自国窮乏化」ともいうべき状態へと、知らず知らずに陥ってしまう危険性もあるのではないでしょうか。
 実際、貿易摩擦の影響で多くの中小企業が業績悪化に陥ったり、雇用調整の圧力が強まって仕事を失う人々も出てきています。
 貿易収支のような経済指標の改善は重要な課題だとしても、自国の人々を含め、多くの国で弱い立場にある人々に困難をもたらす状況が続くことは、世界中に不安を広げる結果を招くと思えてなりません。
 昨年の国連総会でグテーレス事務総長も、深刻な脅威に直面する場所を訪れた時に出会った人々――南太平洋で海面上昇のために暮らしが押し流されることを心配する家族や、学校と家に戻ることを夢見る中東の若い難民、アフリカで生活の再建に苦労するエボラ出血熱の生存者などの姿を挙げながら、次のような警告を発していました。
 「極めて多くの人々が、踏みつけられ、道をふさがれ、取り残されるのではないかという恐怖を感じています」(国連広報センターのウェブサイト)と。
 私も同じ懸念を抱いており、グローバルな課題といっても、一人一人の生命と生活と尊厳が脅かされている状況にこそ、真っ先に目を向ける必要があると訴えたいのです。

牧口初代会長が警鐘を鳴らした
他者を顧みない競争の弊害

『人生地理学』で提起された問題
 気候変動も貿易摩擦も、経済と社会のあり方に深く関わる問題といえますが、この古くて新しい問題について考える時に思い起こされるのは、私ども創価学会の牧口常三郎初代会長が20世紀初頭に著した『人生地理学』で提起していた視点です。
 牧口会長は、武力による戦争が「臨時的」に引き起こされるものであるのに対し、経済的競争は「平常的」に行われる特性があると指摘した上で、こう論じていました。
 「彼(=武力による戦争)が遽然として惨劇の演ぜらるるが故に意識的に経過するに反して、此(=経済的競争)は徐々として緩慢に行わるるが故に無意識的に経過するにあり」(『牧口常三郎全集』第2巻、第三文明社。注<=>を補い、現代表記に改めた。以下同じ)
 牧口会長が強調したかったのは、戦争の残酷さは明白な形で現れるために多くの人々に意識され、交渉や仲裁によって被害の拡大を食い止める余地が残されているが、経済的競争はそうではないという点です。
 つまり、経済的競争は自然的な淘汰に半ば一任されるような形で無意識的に休むことなく続けられるために、社会における日常的な様相と化してしまう。そのために、人々を苦しめる状況や非人道的な事態が生じても往々にして見過ごされることになる、と。

1903年に発刊された牧口初代会長の『人生地理学』。軍事的、政治的、経済的競争から人道的競争への転換を呼び掛けた内容は、現代における地球的な課題を考える上でも重要な視座を示すものとなっている 
1903年に発刊された牧口初代会長の『人生地理学』。軍事的、政治的、経済的競争から人道的競争への転換を呼び掛けた内容は、現代における地球的な課題を考える上でも重要な視座を示すものとなっている

 当時、世界では帝国主義や植民地主義の嵐が吹き荒れ、他国の犠牲の上に自国の繁栄を追い求める風潮が広がっていました。

 こうした風潮が当たり前のようになってしまえば、“ある程度の犠牲が生じてもやむを得ない”とか“一部で被害が出ても自分たちには関係がない”といった受け止めが社会に沈殿することになりかねない。
 その結果、弱肉強食的な競争が歯止めなく進む恐れがあり、牧口会長は「終局の惨劇においては却って遙かに烈甚なるにあり」(同)と警鐘を鳴らしましたが、その危険性は、当時とは比べものにならないほどグローバル化が進んだ21世紀の世界において、格段に増しているのではないでしょうか。
 もとより牧口会長は、社会の営みにおける競争の価値そのものは否定しておらず、切磋琢磨があってこそ新しい活力や創造性は豊かに育まれると考えていました。あくまで問題視したのは、世界を生存競争の場としか見ずに、自分たちだけで生きているかのような感覚で振る舞い続け、その結果に無頓着でいることだったのです。

「共同生活」を意識的に行う
 牧口会長の思想の基盤には、世界は「共同生活」の舞台にほかならないとの認識がありました。
 その世界観の核となった実感を、牧口会長は『人生地理学』の緒論で、自らの経験を通して、こう述べています。
 ――子どもが生まれて母乳が得られなかった時、粗悪な脱脂粉乳に悩まされたが、医師の薦めでスイス産の乳製品にたどりつくことができ、ことなきを得た。スイスのジュラ山麓で働く牧童に感謝する思いだった。また、乳児が着ている綿着を見ると、インドで綿花栽培のために炎天下で働く人の姿が思い浮かぶ。
 平凡な一人の乳児も、その命は生まれた時から世界につながっていたのだ――と。(趣意。同全集第1巻)
 出会ったこともない世界の人々への尽きせぬ感謝の思いが示すように、牧口会長は「共同生活」という言葉を世界のあるべき姿としてではなく、見落とされがちな世界の現実(実相)として位置付けていました。
 世界は本来、多くの人々の営みが重なり合い、影響を与え合う中で成り立っているにもかかわらず、その実相が見失われる形で競争が続けられることになれば、深刻な脅威や社会で生じた歪みの中で苦しんでいる人々の存在が目に映らなくなってしまう。
 だからこそ、「共同生活」を意識的に行うことが重要となるのであり、「自己と共に他の生活をも保護し、増進せしめんとする」(同全集第2巻)生き方を社会の基調にする必要があるというのが、牧口会長の主張の眼目だったのです。

 経済発展と温暖化防止についても両立の余地がないわけではないと思います。
 2014年からの3年間は世界経済の成長率が3%を超えていたものの、温室効果ガスである二酸化炭素の排出量は、ほぼ横ばいの状態が続きました。
 その後、残念ながら排出量は再び増加に転じましたが、再生可能エネルギーの導入やエネルギー効率の改善のような「自己と共に他の生活をも保護し、増進せしめんとする」方法を意欲的に選び取る中で、経済と社会の新しいあり方を追求していくべきではないでしょうか。
 私は、この「共同生活」を意識的に行う上での土台となるのは、深刻な脅威にさらされているのは自分たちと変わらない人々であるとの認識を持つことだと考えます。
 この点、経済的競争と深く関わる貧困の問題について、マクロ的な視座からではなく、人々の置かれた状況を踏まえて実証的な研究を進めてきた経済学者に、マサチューセッツ工科大学のアビジット・バナジー教授とエスター・デュフロ教授がいます。
 両教授は、ハーバード大学のマイケル・クレマー教授と共に昨年のノーベル経済学賞を受賞しており、『貧乏人の経済学』(山形浩生訳、みすず書房)と題する著作の中で、次のような点を強調していました。
 世界の最貧困層と呼ばれる人々も、「ほとんどあらゆる点でわたしたちみんなと何も変わらない」のであり、他の人々と比べて合理性の面で劣るわけではない、と。
 一方で豊かな国の人々は、安全な水や医療のような「眼に見えないあと押し」に囲まれて生活しているのに、「ただそれがシステムにしっかり埋めこまれているため、気がついていないだけ」であると指摘しました。
 また、貧しい人々の状況について「そうでない人よりもリスクの多い暮らしを送るにとどまりません。同じ規模の不運でも、受ける被害はずっと大きいのです」と述べ、人々を紋切り型で判断せず、置かれた状況に目を向ける必要があると訴えていたのです。

苦悩に沈む人を一人のままにしない
釈尊が貫いた「同苦」の精神

不幸の淵から共に立ち上がる
 人々と向き合うにあたって、階層や集団などの社会的なカテゴリーにとらわれず、今どのような状態にあるのかを最優先して見つめる眼差しは、私どもが信奉する仏法においても強調されていたものでした。
 釈尊の言葉に、「身を禀けた生きものの間ではそれぞれ区別があるが、人間のあいだではこの区別は存在しない。人間のあいだで区別表示が説かれるのは、ただ名称によるのみ」(『ブッダのことば』中村元訳、岩波書店)とあります。
 その趣旨は、人間には本来、区別はないのに、社会でつくられた分類に応じて名前が付けられてきたのにすぎないことを、浮き彫りにする点にありました。
 実際、釈尊は重い病気を患った人に対して、自ら看病したり、励ましの言葉をかけていましたが、そこには相手の社会的立場の区別はなかった。
 その対象は、通りがかった場所で目にした修行僧から、かつて釈尊の命を狙ったことのある阿闍世王までさまざまでした。
 しかし、そこには共通点がありました。修行僧が仲間たちから見放されて一人で病床に臥せっていたのと同じように、阿闍世王も深刻な難病にかかって誰も近づかないような状態に陥っていたからです。
 釈尊は修行僧に対し、汚れていた体を洗い、新しい衣類を用意して着替えさせました。
 また阿闍世王に対して、釈尊は自身が余命いくばくもないことを感じていたにもかかわらず、あえて阿闍世王と会う時間をつくり、法を説くことで病状の回復を後押ししたのです。
 私はこうした釈尊の振る舞いに、“苦しんでいる人を決して一人のままにしない”“困難を一人で抱えたままの状態にしない”という、仏法の「同苦」の精神の源流を見る思いがしてなりません。
 仏法の視座から見れば、「弱者」という存在も初めからあるのではなく、社会でつくられ、固定化されてしまうものにすぎない。
 たとえ、「弱者」と呼ばれる状態に陥ったとしても、困難を分かち合う人々の輪が広がれば、状況を好転させる道を開くことができる。同じ貧困や病気に直面しても、周囲の支えがあることで生の実感は大きく変わるというのが、仏法の思想の核をなしています。
 牧口会長の言う「共同生活」を意識的に行う生き方も、困難を抱えた人々を置き去りにしないことが基盤になると思うのです。

アンワルル・チョウドリ国連事務次長(当時)と、「人類の議会」としての国連の使命を巡る語らい。後方には、池田SGI会長が撮影したニューヨークの国連本部の写真が(2006年8月、八王子市の東京牧口記念会館で)

アンワルル・チョウドリ国連事務次長(当時)と、「人類の議会」としての国連の使命を巡る語らい。後方には、池田SGI会長が撮影したニューヨークの国連本部の写真が(2006年8月、八王子市の東京牧口記念会館で)

国連の使命は「弱者の側に立つ」中に
 2008年に世界を激震させた金融危機が起きた時、国連で事務次長などを歴任したアンワルル・チョウドリ氏との対談で焦点となったのも、経済的に厳しい状況にある国々や、社会的に弱い立場にある人々への支援を最優先にすることの重要性でした。
 その際、チョウドリ氏は、気候変動をはじめ、金融の極端な逼迫や商品価格の急激な変動といった外的ショックを緩和するためのグローバルなセーフティーネット(安全網)を設ける必要性を訴えていました。
 私もまったく同感であり、21世紀の国連に強く求められる役割は「弱者の側に立つ」ことにあるとの点で意見が一致したのです。
 チョウドリ氏は、国連で2001年に新設された「後発開発途上国ならびに内陸開発途上国、小島嶼開発途上国のための高等代表事務所」で初代の高等代表に就任し、国際社会から置き去りにされがちだった国の人々のために行動してきた経験を持つ方でした。
 その氏が、「一番嬉しかったのは、最も弱い立場にある国々の状況が大きく改善したことを知るときでした」(『新しき地球社会の創造へ』潮出版社)と述懐されていたことに、私は深い感銘と共感を覚えました。
 なぜなら、創価学会も草創期に“貧乏人と病人の集まり”と揶揄されてきた歴史があり、社会から見捨てられてきた名もなき人々が互いに励まし合い、不幸の淵から共に立ち上がってきたという出自を、何よりの誉れとしてきたからです。
 どれだけ冷笑されても、「私は、やるべきことをやっていきます。それは、貧乏人と病人、悩み苦しんでいる人々を救うことです。そのために、声を大にして叫ぶのです」(『戸田城聖全集』第4巻)と信念の行動を貫いたのが、牧口初代会長と共に創価学会の民衆運動を立ち上げた戸田城聖第2代会長でした。

ハマーショルドが第九に託した思い
 その戸田会長が熱願としていたのが、地球上から“悲惨”の二字をなくすことでした。それは、第2次世界大戦で多くの国の民衆が戦火に見舞われ、塗炭の苦しみを味わった悲劇を繰り返してはならないとの思いに発したものでした。
 それだけに、二度に及んだ世界大戦の痛切な反省に基づいて創設された国連に限りない期待を寄せ、“世界の希望の砦”として守り育てていかねばならないと訴えていたのです。
 私が60年前に第3代会長に就任した時、世界平和への行動を本格的に開始するにあたって、最初の一歩としてアメリカに向かい、国連本部に足を運んだのも、師の思いを受け継いでのことにほかなりません。
 以来、私どもは国連に対する支援を社会的な活動の大きな柱に据えて、志を同じくする人々や多くのNGO(非政府組織)との連帯を強めながら、地球的な課題の解決を前進させるための行動を続けてきました。
 国連の歴史を繙くと、私が1960年にニューヨークを訪れた直後の国連デー(10月24日)に、当時のダグ・ハマーショルド事務総長の提案で、ベートーベンの交響曲第九番の全楽章の演奏が国連本部で行われたことが記されています。
 それまで国連で“第九”が演奏される時は最後の第四楽章のみの演奏が恒例となっていましたが、国連デーの15周年を記念して、全楽章を通しての演奏が行われたのです。
 席上、ハマーショルド事務総長は次のようにスピーチしました。
 「交響曲第九番が始まると、我々は激しい対立と陰鬱な脅威に満ちたドラマに入っていく。しかしベートーベンは我々をその先へと誘い、第四楽章の冒頭で我々は、最終盤における統合に向けた橋渡しとして、さまざまな主題が繰り返されるのを再び耳にする」と。
 その上で、楽曲の展開を人類の歴史になぞらえつつ、「最初の三つの楽章の後に、いつの日か、第四楽章が続いて現れることになるとの信念を、我々は決して失うことはないだろう」との希望を述べたのです。



1960年10月14日、アメリカ・ニューヨークの国連本部を初訪問した池田SGI会長。以来、60年間にわたって創価学会とSGIは、SGI会長のリーダーシップのもと、国連支援の活動に力を注いできた
1960年10月14日、アメリカ・ニューヨークの国連本部を初訪問した池田SGI会長。以来、60年間にわたって創価学会とSGIは、SGI会長のリーダーシップのもと、国連支援の活動に力を注いできた

 ハマーショルド事務総長のこの信条は、牧口会長が『人生地理学』で示していた時代展望と響き合うものでもありました。
 20世紀の初頭に牧口会長が危惧を呈していた、多くの人々の犠牲の上に自らの安全と繁栄を追い求めるような「軍事的競争」や「政治的競争」や「経済的競争」は、残念ながら今なお世界から消え去ってはいません。しかし“第九”の第四楽章での合唱が「おお友よ、こんな調べではなく!」と始まるように、従来の競争のあり方を転換させるアプローチを生み出すことが必ずできるはずです。
 牧口会長はその骨格を、「他のためにし、他を益しつつ自己も益する」(前掲『牧口常三郎全集』第2巻)との理念に基づく人道的競争として提起していましたが、気候変動の問題に立ち向かうグローバルな行動の連帯を広げることで、人類史の新たな地平を開くパラダイムシフト(基本軸の転換)を推し進めるべきであると、私は強く呼び掛けたいのです。
 そして、その挑戦の主旋律となるのが、「困難な状況に陥った人々を誰も置き去りにしない」との思いではないでしょうか。
 その主旋律をあらゆる場所で力強く響かせていく中でこそ、気候変動という未曽有の危機も、時代の潮流を転換させるチャンスに変えることができるに違いないと信じるのです。

③危機の回避だけでなく建設の挑戦を
 利己主義や悲観主義を乗り越え
 大切なものを共に守る世界を

パリ協定の運用が今月からスタート
 次に第二の柱として提起したいのは、危機感の共有だけでなく、建設的な行動を共に起こすことの重要性です。
 そもそも地球温暖化に対する警鐘は1980年代から鳴らされてきたもので、気候変動枠組条約が採択されたのは、ブラジルのリオデジャネイロでの国連環境開発会議(地球サミット)が開催される直前の92年5月でした。
 その後、先進国を対象にした温室効果ガスの排出量を削減する枠組みとして「京都議定書」が97年に採択され、新興国や途上国も含めた枠組みとして「パリ協定」が合意をみたのは2015年12月でした。
 全地球的な枠組みが成立した背景には、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が積み上げてきた科学的検証を通じて、温暖化がもたらす影響への認識が広がってきたのに加えて、異常気象が各地で相次ぎ、“目に見える脅威”としての危機感が募ってきたことがあるといえましょう。

ブラジル・アマゾナス州の州都マナウス市郊外にある「創価研究所――アマゾン環境研究センター」。国連の地球サミットがブラジルで開催された1992年、“アマゾンを守ることで人類の生存を守る”との池田SGI会長の構想を受けて開設された

ブラジル・アマゾナス州の州都マナウス市郊外にある「創価研究所――アマゾン環境研究センター」。国連の地球サミットがブラジルで開催された1992年、“アマゾンを守ることで人類の生存を守る”との池田SGI会長の構想を受けて開設された

 いよいよ今月から「パリ協定」の本格運用が始まりましたが、その前途には容易ならざる課題が立ちはだかっています。
 IPCCの特別報告書によれば、温暖化が現在のペースで進むと、早ければ2030年に、世界の平均気温は「パリ協定」が抑えようとしている“1.5度の上昇幅”を突破する恐れがあり、各国の取り組みを即座に加速させねばならない状況があるからです。
 事態を打開するためには、危機感の共有に加えて、多くの人々の積極的な行動を鼓舞するような、連帯の結集軸となるものを掲げる必要があるのではないでしょうか。
 脅威を強調するだけでは、被害が直接及ばない限り、関心の輪が広がりにくい傾向がみられます。また、脅威を深刻に受け止めた場合でも、その規模の大きさを前にして“自分が何かをしたところで状況は変わらない”との無力感に陥る可能性があるからです。

ボールディング博士の問題提起
 この点、課題の分野は異なりますが、平和学者のエリース・ボールディング博士が、私との対談の中で印象深いエピソードを紹介してくださったことを思い出します。
 ――博士が1960年代に軍縮に関する会議に出席した時、「もし完全な軍縮を達成することができたら、どのような世界になるのでしょうか」と質問したことがあった。 
 そこで返ってきた答えは、次のような思いもよらないものだった。
 「私たちにはわからない。私たちの仕事は、軍縮が可能であることを説くことにあると思う」――と。
 このような経験を踏まえて博士は、「平和な社会がどのような社会であるか」を具体的に思い描くことなくして、平和を求める運動を力強く結集するのは難しいのではないかと問題提起していたのです。(『「平和の文化」の輝く世紀へ!』、『池田大作全集』第114巻所収)
 非常に重要な観点であり、私どもSGIもICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)と共同制作し、2012年から世界90都市以上で行ってきた「核兵器なき世界への連帯」展を通し、「平和な社会」のビジョンを幅広く喚起することに力を入れてきました。
 ともすれば核兵器の問題は人類の破滅のイメージと結びつくために、できれば直視したくないものとして受け止められがちです。
 一方、この展示では、訪れた人々に“あなたにとって大切なものとは?”との問いを投げかけることから始まります。
 その問いかけを通し、自分にとって大切なものだけでなく、他の人々にとって大切なものを守るには、どのような世界を築いていけばよいのかという「建設」への思いを共に育むことに主眼を置いてきたのです。
 長らく不可能と言われてきた核兵器禁止条約が2017年に採択をみたのも、非人道性に対する懸念の高まりと相まって、核兵器の禁止を通して築かれる世界のビジョンの輪郭が浮かび上がる中で、連帯の裾野が大きく広がるようになったからだと私は考えます。
 禁止条約で強調されているのは、核兵器のもたらす危険が「すべての人類の安全」に関わるとの警鐘だけではありません。
 前文でその輪郭が示されているように、禁止条約の精神の基底には、核兵器の禁止を前に進めることは、そのまま、人権とジェンダー平等が守られる世界を築き、すべての人々と将来世代の健康を保護する世界への道を開き、地球環境を大切にする世界にもつながっていくとのビジョンが描かれています。
 同様に、気候変動の問題に立ち向かう上でも、平均気温の上昇を抑えるという数値目標の追求だけでなく、問題解決を通して実現したい世界のビジョンを分かち合いながら、その建設に向かって意欲的な行動を共に起こすことが肝要ではないでしょうか。
 こうした建設の挑戦の中に、自分たちが被害を受けなければ問題ないと考える“利己主義”でも、課題の困難さに圧倒されて行動をあきらめてしまう“悲観主義”でもない、第三の道があると訴えたいのです。
 私どもSGIが、国連環境開発会議(地球サミット)が行われた1992年に開設したブラジルの「創価研究所――アマゾン環境研究センター」で、熱帯雨林の再生や生態系を保全する活動を続ける一方で、国連の「持続可能な開発のための教育の10年」を支援する一環として開催してきた展示に、「変革の種子」や「希望の種子」とのタイトルを付けてきたのは、ゆえなきことではありません。
 誰もが今いる場所で、持続可能な地球社会の“建設者”となることができるのであり、一つ一つの行動が世界に尊厳の花を咲かせる「変革の種子」となり、「希望の種子」になるとの思いが込められています。

法華経が説く国土変革のドラマ
自分の足元から希望を灯す

娑婆即寂光の法理

 脅威に対して建設的に向き合うこのアプローチは、仏法の思想に根差したものです。
 釈尊の教えの精髄が説かれた法華経には、「娑婆即寂光」という法理があります。
 「娑婆」とはサンスクリット語の“サハー(堪忍)”を漢語にしたもので、「娑婆世界」という言葉には、私たちが生きる世界は“さまざまな苦しみに満ちた世界”であるという釈尊の洞察が込められていました。
 釈尊がこの洞察を土台にしつつも、「私は二十九歳で善を求めて出家した」(中村元『釈尊の生涯』平凡社)と宣言したように、それは厭世的な認識ではなく、根底には“人々が苦悩に沈むことなく幸福に生きるにはどうすれば良いのか”との真摯な問いが脈打っていました。
 釈尊の評伝を思想的な観点からまとめあげた哲学者のカール・ヤスパースが、「仏陀が教えるのは認識体系ではなく、救済の道である」(『佛陀と龍樹』峰島旭雄訳、理想社)と述べたのは、その本質を突いたものといえましょう。
 そこを外して、苦しみに満ちた世界という認識だけが先行すると、世界との向き合い方は誤った方向に傾きかねない。「自分だけが苦しみから解放されれば良い」といった考えや、「社会の厳しい現実として諦めるほかない」との無力感に陥ったり、「誰かが解決してくれるのを待つしかない」といった受け身的な生き方に流される恐れがあるからです。
 釈尊の本意は、娑婆世界は“堪え忍ぶしかない場所”ではなく、“人々が願ってやまない世界(寂光土)を実現する場所”であると説き明かすことにありました。
 この法理が具体的なイメージをもって描かれているのが、法華経の見宝塔品です。そこでは、釈尊の説法を聞くために集まった大勢の人々がいた場所、すなわち娑婆世界の大地から、尊極の光を放つ巨大な宝塔が涌出したことをきっかけに、娑婆世界が寂光土へと変わっていく様子を人々が目の当たりにする場面が描かれています。



SGIと地球憲章インタナショナルが共同で企画・制作した「希望の種子」展。環境危機に対する問題提起や自然との共生を訴える展示は、多くの国の大学や学校でも開催され、若い世代や子どもたちの環境教育の場ともなってきた(2016年11月、ニュージーランドのオークランドで)


SGIと地球憲章インタナショナルが共同で企画・制作した「希望の種子」展。環境危機に対する問題提起や自然との共生を訴える展示は、多くの国の大学や学校でも開催され、若い世代や子どもたちの環境教育の場ともなってきた(2016年11月、ニュージーランドのオークランドで)

 13世紀の日本で仏法を展開した日蓮大聖人は、この「娑婆即寂光」の法理の要諦について、「此を去って彼に行くには非ざるなり」(御書781ページ)と説きました。
 つまり、人々が願い求める理想の「寂光土」は、どこか別の場所にあるのでも、手の届かない遠い場所にあるのでもない。
 自分たちが今いる場所をそのまま「寂光土」として輝かせていく行動を広げることに、法華経のメッセージの核心がある――と。
 大聖人の時代の日本でも、戦乱に加えて、地震や台風などの災害や疫病が相次ぎ、多くの民衆が苦悩に沈んでいました。
 さらに当時の社会では、自分の殻に閉じこもることで現実から目を背けさせる思想や、人間は非力な存在にすぎないとの諦観を説く思想が蔓延しており、それがまた人々から生きる気力を奪う悪循環を生んでいました。
 その中にあって大聖人は、法華経で説かれる国土変革のドラマの起点となった宝塔の出現について、「見大宝塔とは我等が一身なり」(同740ページ)と述べ、苦しみに満ちた世界を照らした宝塔と同じ尊極の光が、自分にも他の人々にも具わっていることに目覚めることが、人間の限りない力を引き出す源泉になると説きました。
 そして、一人一人が自らの生命を宝塔のように輝かせ、社会を希望で照らす行動を広げる中で、自分たちが望む世界を自らの手で建設することの重要性を訴えたのです。



アフリカの国々に植樹運動の輪を広げたケニアのワンガリ・マータイ博士を、創価大学の学生らが歓迎。池田SGI会長と博士との会談では、人類の生存のためには「生命尊厳の思想」が重要になるとの点で一致した(2005年2月、東京・信濃町の旧・聖教新聞本社で)


アフリカの国々に植樹運動の輪を広げたケニアのワンガリ・マータイ博士を、創価大学の学生らが歓迎。池田SGI会長と博士との会談では、人類の生存のためには「生命尊厳の思想」が重要になるとの点で一致した(2005年2月、東京・信濃町の旧・聖教新聞本社で)

ケニアから世界に広がった植樹運動
 以前(2005年2月)、ケニアの環境運動家のワンガリ・マータイ博士と、自分の足元から新しい世界の建設に向けた希望を灯す挑戦について語り合ったことがあります。
 たった7本の苗木の植樹から始まった「グリーンベルト運動」の思い出を振り返りながら、博士はこう述べていました。
 「未来は未来にあるのではない。今、この時からしか、未来は生まれないのです。将来、何かを成し遂げたいなら、今、やらなければならないのです」と。
 マータイ博士が春風のような笑顔をひときわ輝かせたのは、創価大学の学生たちが「グリーンベルト運動」の愛唱歌を博士の故郷のキクユ語で歌って歓迎した時でした。
 「ここは私たちの大地
 私たちの役割は
 ここに木を植えること」
 歌声に合わせて全身でリズムをとり、一緒に口ずさむ博士の姿を前にして、植樹運動がケニアからアフリカの国々に広がる原動力となった“建設の挑戦を進める喜び”がここにあると、感じられてなりませんでした。
 思い返せば、博士と対談したのは、温室効果ガス削減の最初の枠組みとなった「京都議定書」の発効から2日後のことでした。
 「京都議定書」の発効のような、歴史の年表に刻まれる出来事に比べると、マータイ博士がケニアで最初に始めた行動は目立たないものだったかもしれない。
 しかし、博士が自分の足元で灯した希望の光は、歳月を経るごとに共感の輪を広げて、国連環境計画のキャンペーンなどの多くの植樹運動につながり、博士の逝去後も続けられる中で、現在まで150億本にものぼる植樹が世界で進められてきました。
 また、昨年の国連の気候行動サミットでも、パキスタンやグアテマラなど多くの国が、合計で110億本以上の植樹を今後進めることを誓約したのです。
 今も忘れ得ぬマータイ博士の言葉があります。
 「私たちは、自らの小さな行いが、物事を良い方向に変えていることを知っています。もしこの行いを何百万倍にも拡大することができたなら、私たちは世界を良くすることができるのです」
 “建設の挑戦を進める喜び”がどれだけの力を生み出すのかを、実感をもって訴えかける言葉ではないでしょうか。



未来学者のヘイゼル・ヘンダーソン博士との語らいでは、子どもの健康を守るために環境保護に立ち上がった博士の信念の行動などが話題に(2000年10月、東京・信濃町の旧・聖教新聞本社で)。その後も続けられた両者の対話は、対談集『地球対談 輝く女性の世紀へ』に結実した 


未来学者のヘイゼル・ヘンダーソン博士との語らいでは、子どもの健康を守るために環境保護に立ち上がった博士の信念の行動などが話題に(2000年10月、東京・信濃町の旧・聖教新聞本社で)。その後も続けられた両者の対話は、対談集『地球対談 輝く女性の世紀へ』に結実した 

 SGIの「希望の種子」展では、このマータイ博士をはじめ、大気汚染の防止に取り組んだ未来学者のヘイゼル・ヘンダーソン博士など、自分の足元から行動の輪を広げた人々の挑戦を紹介してきました。
 マータイ博士が行動を始めたきっかけは、故郷のシンボルとして大切に感じていたイチジクの木が経済開発のあおりで伐採されたのを知ったことでした。
 また、ヘンダーソン博士が立ち上がった理由は、ニューヨークで深刻化していた大気汚染のために、幼い娘さんの肌がすすで汚れるようになったことでした。
 いずれも、その原点には心に受けた強い痛みがあった。だからこそ博士たちは、「世界で欠けていてはならない大切なもの」が何かを、身に染みて感じたのだと思います。
 二人は、その痛みを痛みのままで終わらせなかった。マータイ博士が“木々を植えることは貧困と飢えのサイクルを断ち切り、平和を育む”との思いを胸に植樹運動を広げ、ヘンダーソン博士が“きれいな空気を子どもたちのために取り戻したい”と願い、仲間と力を合わせて行動を起こしたように、自分たちが望む世界を現実にするための「建設」のエネルギーへと昇華させていったのです。
 こうした数々の挑戦の物語を紹介する「希望の種子」展で最後に現れるのは、たくさんの葉をつけた1本の木のイラストを背景に“空白”が広がっているパネルです。
 その“空白”は、一人一人が今いる場所で挑戦できることは何かを考え、その行動を「希望の種子」として世界に植えることを呼び掛けるメッセージとなっているのです。

国連創設75周年を記念する取り組み
 折しも国連では、創設75周年を記念して、「UN75イニシアチブ」と題する取り組みが今月からスタートしました。これは、人類が直面する多くの課題を見据えながら、「どのようにすれば、より良い世界を建設できるのか」について対話と行動を喚起するための取り組みです。
 さまざまな形で対話の場を設け、特に国際社会から置き去りにされがちだった人々に重点を置く形で、世界中の人々が抱いている希望や恐怖に耳を傾けるとともに、その経験から学ぶことが主眼となっています。
 こうした対話を通じて、国連創設100周年にあたる2045年に向けたグローバルなビジョンを描き出し、実現に向けた協働的な行動を推進することが目指されているのです。
 国連では、対話の中心課題の一つとして気候変動を挙げています。
 この絶好の機会を逃すことなく、それぞれの人々が深刻な脅威や課題を前にして感じている思いを、より良い世界の建設に向けてのポジティブな挑戦を生み出す糧にすることが大切ではないでしょうか。
 気候変動による被害を受けてきた人々をはじめ、多くの人々の思いを、一つ一つのピースとして持ち寄ることを通し、今後築いていきたい世界のビジョンについて、人間としての実感に根差したイメージを共に重ね合わせていく――。
 その対話を通じた共同作業と、ビジョンに対する共感の広がりがあってこそ、温暖化防止の取り組みを勢いづかせながら、持続可能な地球社会への確かな軌道を敷くことができると確信するのです。

④ SDGsの推進へ「行動の10年」を
2030年に向けてSDGsに取り組む
「行動の10年」を青年が推進

新しい国連の姿を示したサミット
 第三の柱は、SDGsの達成期限である2030年に向けて国連が立ち上げた「行動の10年」の一環として、気候変動問題に焦点を当てた“青年行動の10年”ともいうべき運動を巻き起こしていくことです。
 国連で昨年9月、ユース気候サミットが行われました。各国首脳による気候行動サミットに先駆けて開催されたものですが、新しい国連の姿を見る思いがしてなりませんでした。
 そこには次の特徴があったからです。
 ①140カ国・地域以上から集った青年たちが、各国を代表する立場というよりも、同世代の一員として参加していたこと。
 ②さまざまな討議における議事進行の多くを、国連の関係者ではなく、青年たちが担ったこと。
 ③登壇者が順番にスピーチをすることが中心となっている国連の一般的な会議とは異なり、活発な議論が重視されたこと。
 そして何といっても象徴的だったのは、国連のグテーレス事務総長が「キーノート・リスナー」を務めたことでした。
 オープニング行事に出席した事務総長は、青年たちの声を真正面から受け止めながら、議論を支える役割を務めたのです。
 かつて私は2006年に発表した国連提言で、「毎年の国連総会の開会前に、世界の青年の代表を招いた『プレ・ミーティング』を行い、青年たちの意見に各国の首脳が耳を傾ける機会を設けることを検討してみてはどうか」と提案したことがあります。
 ユース気候サミットは、その先見的なモデルとなるものと思えてなりません。



昨年9月、国連の気候行動サミットの開催に合わせて、世界各地で行われた「グローバル気候ストライキ」。高校生のグレタ・トゥーンベリさんが最初の抗議活動を始めた場所である、スウェーデンのストックホルムでも実施され、多くの市民が行進に参加した(EPA=時事)


昨年9月、国連の気候行動サミットの開催に合わせて、世界各地で行われた「グローバル気候ストライキ」。高校生のグレタ・トゥーンベリさんが最初の抗議活動を始めた場所である、スウェーデンのストックホルムでも実施され、多くの市民が行進に参加した(EPA=時事)

 加えて、世界的な動きとして注目されるのが「グローバル気候ストライキ」です。サミットが開催された時にも、温暖化防止の緊急行動を求める行進が185カ国で実施され、760万人以上が参加しました。
 運動の発端となったのは、スウェーデンの高校生であるグレタ・トゥーンベリさんが、気候変動の対策強化を訴えて2年前の夏に始めたストライキでした。
 その後、瞬く間に若い世代の間で共感を呼び起こす中で、あらゆる世代の人々が参加するようになったのです。
 パリ協定の達成を目指すNGOの「ミッション2020」で議長を務め、サミットの開催に尽力したクリスティアナ・フィゲレス氏(気候変動枠組条約の前事務局長)は、青年たちが怒りを示しているのは明確な理由があるとして、こう述べていました。
 「ストライキに参加している人々、特に青年たちは科学を理解し、気候変動が自分たちの人生に及ぼす影響を理解するとともに、気候変動の問題に対処することは可能であることを知っているからだ」と。
 つまり、青年たちが変革を不可能と考えていないからこそ温暖化防止の遅れに怒りを示しているのであり、今後、この「怒り」と「楽観主義」が結びつく中で、より大きな力が生まれることに対して期待を寄せたのです。
 創価学会の総本部を昨年2月に訪問されたフィゲレス氏は、「聖教新聞」への寄稿でも、困難視されていたパリ協定を合意に導いた自らの経験を振り返りながら、「楽観主義なしに勝利をもたらす道はない」と強調していました。
 私も、青年たちの現実変革への思いが、不屈の楽観主義と相まった時の可能性は計り知れないものがあると思えてなりません。

 青年の行動は、多くの人々や団体の行動を加速させる波動を広げています。
 一つは、世界の大学の動きです。
 大学で生じる温室効果ガスの排出量を実質ゼロにすることや、気候変動に関する研究に力を入れ、学内や地域で持続可能性に関する教育を強化することを約束する宣言に対し、賛同する大学が増えています。環境問題に取り組む多くの高等教育機関のネットワークがこれに加わり、所属する大学などは累計で1万6000以上に達しています。
 もう一つは、各国の自治体の動きで、温室効果ガスの削減に意欲的に取り組む「世界気候エネルギー首長誓約」の輪が138カ国の1万以上の自治体に広がっています。
 ユース気候サミットで登壇したアルゼンチンの学生のブルーノ・ロドリゲスさんは、「気候変動の問題で変化を起こす若者たちは、新たな集団意識を築きつつある」と述べましたが、まさに若い世代の息吹がプラスの連鎖を起こす源泉となってきているのです。

ペッチェイ博士の人生における転機
 新しい時代への胎動を前にして脳裏に浮かぶのは、ローマクラブの創設者であるアウレリオ・ペッチェイ博士が述べていた、「公正で民主的な道理を働かせれば、若者たちの声を聞くのが筋なのである」(『未来のための一〇〇ページ』大来佐武郎監訳、読売新聞社)との言葉です。
 ローマクラブは、「持続可能性」の概念を形づくる契機となった地球の有限性への警鐘を、半世紀ほど前に鳴らしたことで知られますが、その中心者だったペッチェイ博士が特に重視していたのが、「若い世代の想像力と行動組織にもっと活動の場を与えること」(同)でした。
 博士とは1975年の出会い以来、5回にわたって対談しましたが、その必要性を強く訴えておられたことが忘れられません。
 若者たちの声を聴くのは、オプションでもベターでもない。本当に世界のことを考えるならば、当然踏まえなければならない“道理”であり、外せない“筋”である――というのが、博士の信念だったのです。
 企業の経営者だった博士が、「報われるところが大きく、刺激に富むもの」と感じていた仕事から離れ、ローマクラブを立ち上げる決意をしたのは、自らが手がけてきた仕事に対し、年々、次のような思いが去来するようになったからだったといいます。(『人類の使命』大来佐武郎監訳、ダイヤモンド社。以下、同書を引用・参照)
 「これらの個々の事業や計画にすべての努力を集中するのは、結果的に無意味な行動となるおそれがあるということを、私はしだいに悟るようになった。それらの個々の活動が進められるより広い母体――つまり世界の地球的状況――は、一貫して悪化の道をたどっていたからである」
 ローマクラブはこの博士の危機感に基づいて68年に創設されましたが、最初の2年近くは成果をほとんど得られませんでした。
 地球が直面する課題について懸命に訴えても、「あたかも他の惑星についての問題であるかのように思われるばかりであった」と。
 活動の意義を称賛する人がいても、「それは自らの利害領域や日常活動の妨げとならない限りにおいてであった」というのです。

 ローマクラブの名を世に知らしめた『成長の限界』(※注2)が発刊されたのは、活動開始から4年が経過した72年でした。
 反響は大きく、地球の有限性への認識は広がったものの、内容が悲観的すぎるとの批判はやむことはありませんでした。
 しかし、博士は決して意気消沈することはありませんでした。
 「重要なことは、正しい方向に向かって速やかに真剣な第一歩を踏み出すことである」との揺るぎない確信があったからであり、人間が持つ限りない可能性への信頼をどこまでも手放さなかったからです。
 ペッチェイ博士と初めてお会いしたのは、SGIの発足からまもない頃(75年5月)でした。
 『成長の限界』が発刊された翌年(73年5月)にロンドンへ向かい、歴史家のアーノルド・J・トインビー博士との2年越し40時間に及ぶ対話を終えた時、“こうした対話を私の友人たちとも続けてほしい”と推薦をいただいた人物の一人がペッチェイ博士だったのです。

1975年1月26日、グアムの国際貿易センタービルで行われた第1回「世界平和会議」。SGIの発足の場となった会議には、51カ国・地域からメンバーが参加。池田SGI会長は、世界に平和の種を蒔いて尊い一生を送ろうと呼び掛けた

1975年1月26日、グアムの国際貿易センタービルで行われた第1回「世界平和会議」。SGIの発足の場となった会議には、51カ国・地域からメンバーが参加。池田SGI会長は、世界に
平和の種を蒔いて尊い一生を送ろうと呼び掛けた

人間の内なる力の開花こそ
時代創造の波を広げる源泉

国籍は“世界”
 再びヨーロッパを訪問する際にお会いできる機会があればと考え、連絡をとり合う中、ペッチェイ博士は、私どもがグアムで第1回「世界平和会議」を開催することを知り、メッセージを寄せてくださいました。
 1975年1月26日、SGI発足の舞台となった「世界平和会議」で、私は参加者の署名簿の国籍欄に“世界”と記しました。
 世界を「共同生活」を意識的に行う場と位置付け、各国の国民としてだけでなく「世界民」の自覚を併せ持つ重要性を訴えていた牧口初代会長、そして、世界のどの国の民衆も絶対に犠牲になってはならないとの思いで「地球民族主義」を提唱した戸田第2代会長の精神を、“世界”の二文字に凝縮させる形でSGIの原点として留めたいと考えたからです。
 その4カ月後にペッチェイ博士とお会いした時、博士が手に携えていたのが、私が執筆した小説『人間革命』の英語版でした。
 牧口・戸田両会長の二人の先師に始まる創価学会の歴史を綴った小説であり、博士がその際、私どもが進めてきた「人間革命」の運動――一人一人に具わる内なる力の開花を通して時代変革を目指す運動に対し、深い共感を寄せてくださったことは、何よりの後押しを得る思いがしてなりませんでした。
 私との対談集の中でも、博士は述べていました。
 「一人一人の人間には、これまで眠ったままに放置されてきた、しかし、この悪化しつつある人類の状態を是正するために発揮し、活用することのできる資質や能力が、本然的に備わっている」(『二十一世紀への警鐘』、『池田大作全集』第4巻所収)と。
 時を経て今、世界の多くの青年たちが連帯して声を上げ、気候変動の問題に勇んで立ち向かおうとしている姿は、まさに博士が希望を託していた力が大きく開花し始めた姿ではないかと思えてなりません。

 『成長の限界』の発刊当時に焦点となっていた公害や資源問題のように、局所的な対応で解決の糸口をつかむことができるものとは異なり、気候変動の原因は人々の生活や経済活動のあらゆる面に及んでいるだけに、状況の打開は決して容易ではありません。
 現在、ローマクラブで共同会長を務めるサンドリン・ディクソン=デクレーブ氏が、昨年10月に欧州議会で紹介した「地球非常事態プラン」における緊急課題だけでも、低炭素エネルギーへの転換や再生可能エネルギーへの投資増大をはじめ、循環型経済への移行に関するものなど10項目が挙げられていました。
 しかし、気候変動を巡る複雑で困難な状況も、受け止め方次第で、チャンスへと変えることができるのではないでしょうか。
 対応すべき分野や場所が多岐にわたるという状況は、一方で、一人一人に具わる限りない力を発揮できる舞台が、それだけ多種多様な形で広がっていることでもあるからです。
 SGIの代表も参加したユース気候サミットでは、その舞台の広がりを物語るような分科会が行われました。自然保護をはじめ、起業、金融、テクノロジー、芸術、スポーツ、ファッション、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)、動画配信などの分野において、新しい発想で問題解決を前に進めようとするアプローチが多角的に模索されたのです。



昨年9月、国連の気候行動サミットの関連会合として、ニューヨークの国連本部で開催されたユース気候サミット。世界の140を超える国と地域から多くの青年たちが集ったサミットには、SGIの代表も参加した


昨年9月、国連の気候行動サミットの関連会合として、ニューヨークの国連本部で開催されたユース気候サミット。世界の140を超える国と地域から多くの青年たちが集ったサミットには、SGIの代表も参加した

青年に焦点当てた安保理の新決議を
 その意味で私は、ユース気候サミットの直後に、国連で採択された「SDGサミット」の政治宣言の内容に注目しています。 
 2030年までの期間を「持続可能な開発に向けた行動と遂行の10年」と位置付けた上で、取り組みを進めるにあたって永続的にパートナーシップを築くべき対象の一つとして「青年」を挙げていたからです。
 この政治宣言を受けて、グテーレス事務総長は国連として「行動の10年」を立ち上げ、グローバルな行動と地域レベルでの行動に加えて、青年たちを含む民衆レベルでの行動を広げることを呼び掛けました。
 そこで私は、国連の「行動の10年」における民衆レベルでの取り組みの一つとして、青年を中心に気候変動問題の解決策を共に生み出す挑戦を力強く進めることを提唱したい。
 気候変動問題に対して先頭に立って行動するグレタ・トゥーンベリさんも、先月、スペインのマドリードで行われた気候変動枠組条約の第25回締約国会議(COP25)で、2030年までの10年間の意義に触れ、こう訴えていました。
 「歴史上の偉大な変革は、すべて民衆から始まりました。待つ必要はありません。今この瞬間から変革を起こせるのです」と。
 具体的には、今後もユース気候サミットを毎年開催する中で新しい国連の姿を定着させることに加えて、国連と市民社会が連携して“気候変動問題に立ち向かう青年行動の10年”ともいうべき活動を幅広く展開してはどうでしょうか。
 また、その方向性を決定づける礎として、平和と安全保障における青年の役割を強調した国連安全保障理事会の2250決議(※注3)に続く形で、気候変動の問題に関わる意思決定への青年の参画を主流化させるための安保理決議を採択することを提案したい。
 9月には、国連創設75周年を記念するハイレベル会合の開催も予定されています。そこに世界の青年たちを重要なパートナーとして招くとともに、“青年行動の10年”の開始と安保理決議の採択をもって、国連の新章節を飾るべきではないでしょうか。
 私どもも、青年部が2014年から進めてきた「SOKAグローバルアクション」を発展させる形で、本年から新たに「SOKAグローバルアクション2030」を始動しました。
 その一環として、一人一人が日常生活の中で温室効果ガスの削減につながる行動を起こす「マイ・チャレンジ10」の活動をはじめ、草の根レベルで行動の連帯を広げる活動を進めることになっています。
 気候変動の問題の解決をはじめ、SDGsの目標を達成する道は、決して平坦なものではないでしょう。
 しかし、青年たちの連帯がある限り、乗り越えられない壁など決してないと、私は固く信じてやまないのです。

  * * * * *
 注2 『成長の限界』
 1972年にローマクラブが発表した報告書。60年代のような人口増加率と経済成長率が続けば、食糧不足や資源の枯渇、汚染の増大によって、100年以内に地球は成長の限界に達するとの将来予測を示した。この予測は、72年にストックホルムで行われた国連人間環境会議に向けて、地球環境問題への取り組みの重要性を広く知らせる啓発的な役割を果たした。
 注3 国連安全保障理事会の2250決議
 平和構築の取り組みをはじめ、暴力的な過激主義に対抗するための活動において、青年が果たす役割に焦点を当てた決議。2015年12月に国連安全保障理事会で採択された。永続的な平和を促進するための重要なパートナーとして青年を位置付け、紛争予防と解決のための意思決定に青年の代表を増やす方法を考慮することなどを、国連加盟国に求めている。


◆潮新書「世界の名画との語らい」を読んで 感じる心があれば、この世は輝きに満ちている

 感じる心があれば、この世は輝きに満ちている――潮出版社から発刊された『世界の名画との語らい』(聖教新聞 外信部編)が好評を博している。同書は、2018年3月から本紙で開始した美術連載と関連記事を一冊にまとめたもの。国内外の美術館を取材し、世界的な名画を紹介する≪国内美術館編≫≪海外美術館編≫と、著名な画家たちの足跡をたどる≪芸術紀行編≫、そして、美術界の高名な方々に話を聞いた≪オピニオン編≫の4部で構成される。ここでは、読後感を女優の久本雅美さん、日本画家の清水由朗・創価大学教授に語ってもらった。

女優・タレント 久本雅美さん 絵画を通し巨匠の生き方に迫る
●負けずに戦い続ける魂に共感
 『世界の名画との語らい』を、あっという間に読了しました。
 どの章も全て面白かった。中でも、≪芸術紀行編≫は秀逸です。ここで紹介されている、パリ近郊ジヴェルニーにあるモネの晩年の家は、私も訪問したことがあります。モネがダイニングルームに飾っていた浮世絵版画の数々も拝見しました。ゴッホを含め、今や誰もが知っている画家たちが、若い時に日本の芸術に心酔し、それを自身の作品の糧としたことをうれしく感じるとともに、深く感動しました。日本文化を誇りに思います。
 ≪国内美術館編≫には、女性として初の文化勲章を受章した、日本画家・上村松園画伯の〈序の舞〉も収録されています。実は、東京富士美術館の創立者である池田大作先生は、以前、上村松園の生き方と彼女が記した言葉を紹介して、創価学会の芸術部を激励してくださったことがあります。
 今回、改めて上村松園についてのエピソードを知ることができ、芸術といっても、一切は人間性で決まることを痛感しました。だからこそ謙虚に心を磨き、どんな困難があっても、負けずに戦い続ける大切さを学びました。
 私は、東京富士美術館が大好きです。友人を誘って美術館へ赴くこともあります。『世界の名画との語らい』を開くと、まるでモネの家に訪問したかのごとく、ゴッホやゴーギャンの共同生活を垣間見るかのごとく感じられます。実際に美術館にいるような臨場感もあります。
 本書は、単に作品を紹介するのではなく、画家の生き方を通して、社会、そして人間はどうあるべきかを問うています。画家たちの多くは、自分と向き合うことから逃げていない。鑑賞者に喜んでもらえる芸術を生み出すために、自身の内面を探究している。
 これは、とても大事なことです。私も、劇団WAHAHA本舗を立ち上げて36年になりますが、お金と時間とエネルギーを使って劇場に来てくださるお客さまに、どう喜んでいただけるか、明日への希望をどう持っていただくかを常に考えながら挑戦しています。
 池田先生はかつて、芸術は「生命を百倍にし、強化し、より大きく、よりよくすることである」とのロマン・ロランの言葉を通して芸術部員を激励してくださいました。私にとって生涯の指針です。そのためには、どれだけ自分が真剣に、誠実に、命と時間を削って物作りをしているかが重要だと肝に銘じています。
 サダブラティまや記者が担当した名画紹介を読むと、毎回のエピソードを締めくくる結びの言葉がとても詩的で素晴らしい! 心で書いていることが伝わり、こちらの緊張もふっと、ほどけます。優しく寄り添ってくれる文章です。やはり、芸術は、人の心を癒やし、希望を送るものだということがストンと納得できます。(談)

日本画家・創価大学教授 清水由朗さん 美意識を磨くことで豊かな人生を
●芸術の初心者でも楽しめる一冊
 私は画家で、日本美術が専門です。
 制作の傍ら、現在は創価大学の教育学部児童教育学科で、主に小学校の教員を目指す学生を対象に「美術概論」などを教えています。画家の目線で美術について語ることはできますが、まだ美術になじみの浅い学生たちに絵画の魅力を伝えることは、至難の業です。その意味で『世界の名画との語らい』は、初心者でも親しみやすい、とても参考になる一冊だと思います。
 本書の最大の魅力は、記者の皆さんが、現地に足を運び、鑑賞した絵画を自分のこととして捉え、自分の言葉で表現しているところです。作品の背後にある作者の生活、そして人間らしい部分に迫っている。人の心に訴える力がありますよね。
 実はこの“自分のこととして捉える”というのは、なかなか難しいことで、作品を見ても、どこか人ごとに論じてしまいがちです。美術を語る上で、とても大事な観点だと考えています。
 学生たちに美術を教える時、心掛けていることがあります。それは、あらゆる職業、あらゆる分野に、美意識は深く結び付いているということです。美意識を磨くことは、人生を豊かにします。将来学生たちには、単に美術の知識を教えるのではなく、いかに美意識というものが人間にとって大切かを伝えていける教員になってもらいたい――そう願っています。
 そして、さらに言えば、美術の楽しさを体験してほしい。自分で感じてみないと、楽しさというのは、分からないものです。これには、一つ面白い例があります。
 一昨年の秋に、私は創価大学スーパーグローバル大学事業の一環で、米国コロンビア大学のティーチャーズ・カレッジに4カ月間滞在しました。ティーチャーズ・カレッジは、創価大学の創立者である池田大作先生が1996年に講演をされた大学で、世界のトップレベルの教育者たちが集う場所です。そんな中でも、日本画は意外と知られていない。外国の方々が見ても、“よく分からない”というのが率直な感想のようです。残念ながら、日本の発信力の弱さであるように思います。
 担当した研修で、琳派を代表する尾形光琳の〈燕子花図?風〉を色紙に模写してもらう実習を行いました。予想以上に、皆さん喜んでやってくれました。
 『世界の名画との語らい』でも、クロード・モネと日本の琳派の関係性について触れられていますが、実は琳派の絵というのは、意外とシンプルな構図なのです。〈燕子花図?風〉も、一見、絢爛とした金箔の背景なのですが、そこに描き出されている一輪の燕子花は、日本画の経験がない人にも模写しやすい。
 これは、あくまでも私の想像なのですが、京都の町衆であった尾形光琳は、一般庶民に楽しんでもらいたい、喜んでもらいたい、という気持ちでこの作品を描いていたのではないでしょうか。自由な精神が琳派の特徴だと思います。
 本書はそうした、絵を見る喜び、芸術に触れる楽しさを改めて確認する一助となるでしょう。(談)
 ひさもと・まさみ 女優。劇団東京ヴォードヴィルショーを経て、WAHAHA本舗を共同で設立。舞台、映画のほか、国民的タレントとしても多数のテレビ番組で活躍。芸術部では芸術部女性部長・副芸術部長として、後輩の育成に尽力している。
 しみず・よしろう 1961年、和歌山県生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科博士課程満期退学。2000年に、院展「日本美術院賞(大観賞)」を受賞。10年より、東京富士美術館副館長に就任。11年に院展「文部科学大臣賞」、14年に院展「内閣総理大臣賞」を受賞。現在、創価大学教育学部教授。日本美術院同人。

 

2020年1月25日 (土)

2020年1月25日(土)の聖教

2020年1月25日(土)の聖教

◆わが友に贈る

 誠実な振る舞いで
 わが地域・社会の
 なくてはならない人に。
 自他共の幸福に尽くす
 希望の灯台と輝こう!

◆名字の言   困っている人に手を差し伸べれば、みんなが豊かになる

 大きな駅で、ベビーカーを押して移動するのは大変だ。その経験から生まれたのが「のりかえ便利マップ」。どの車両に乗れば出口やエレベーターに近いか一目で分かるポスターで、高齢者やビジネスマンにも評判だ▼困っている人、悩んでいる人に手を差し伸べれば、周囲も心豊かになる。ある地区座談会で、婦人部員が遅れて会場に入ってきた。すると同志がそっと一言、「よく来たね」。彼女は看護師として働きながら、女手一つで3人の子を育てていた▼「頑張ってるね」という声掛けや「無理しないでね」というメールも数え切れない。「何げない配慮が心に染みるんです」と言う彼女もまた、時間を見つけて友の訪問・激励に歩くようになった▼日蓮大聖人は、夫を亡くした妙一尼に「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)と寄り添い、ゆえなき中傷を受ける四条金吾を「陰徳あれば陽報あり」(同1178ページ)と励ました。苦難と戦う「一人」への御言葉は700年以上の時を超えて、今も世界の友を励まし、行動の指針となっている▼池田先生は「最も苦しんでいる人と、同苦していこうとする心――それが大聖人の御心であり、学会の心です」と。目の前の「一人」に尽くす。そこから希望が生まれ、その光が社会を照らしていく。(子)

◆寸鉄

大阪事件の無罪判決の日
正しい仏法が必ず勝つ!
君よ不屈の魂継承し進め
     ◇
関西婦人部の日。常勝の
母ありて創価の城は盤石
模範の前進、拡大今こそ
     ◇
「信心するは随喜なり」
御書。生き生きと体験を
語ろう。歓喜は友に伝播
     ◇
乾燥続き火災多発。外出
や就寝時は火の元確認を
しっかり。隙をつくるな
     ◇
世界のごみの総量、30年
後に2倍超―予測。削減
目指して足元から行動を


【先生のメッセージ】


◆池田先生が贈る 「無冠の友」への新春メッセージ
 世界聖教会館と共に黄金の1年を

人間主義と生命尊厳の「希望の哲学」を世界に広げる「創価学会 世界聖教会館」。この新しき「太陽の言論城」から、世界広布の新たな光を送りゆく!(池田先生撮影。2019年9月14日、東京・信濃町)

人間主義と生命尊厳の「希望の哲学」を世界に広げる「創価学会 世界聖教会館」。この新しき「太陽の言論城」から、世界広布の新たな光を送りゆく!(池田先生撮影。2019年9月14日、東京・信濃町)

 毎朝早くから、本紙を配達してくださる「無冠の友」。“師弟の心”“宿命転換の歓喜のドラマ”を、日々、列島各地に届けゆく、その尊き力走ありて広布は勢いよく進む。ここでは、配達員の機関紙「無冠」の新年特集に掲載された、池田先生の新春メッセージを紹介する。

黎明の光届ける第一走者
 厳冬の夜明け前、寒風を突いて「勇気の走者」は駆ける!
 世界広宣流布の数知れないドラマが躍動する聖教新聞を携え、読者のもとへ、黎明の希望の光を届けゆく、創価の前進の第一走者こそ、尊き「無冠の友」の皆さんなのです。
 毎日毎日、昇りゆく太陽のごとく、正確にして、たゆまざる生命の軌道を進みゆく挑戦は、なんと神々しいことでしょうか。
 敬愛してやまない全国各地の配達員の皆さん!
 創価学会創立90周年の「前進・人材の年」、明けましておめでとうございます。
 新たに誕生した「創価学会 世界聖教会館」は、その正面を東天に向けて聳え立つ「太陽の言論城」です。旭日を浴びて輝き光る英姿は、まさしく無冠の友を城主として仰ぎ讃える象徴なりと、私は見つめております。
 展示室にも、無冠の友を顕彰するコーナーが心を込めて設置されています。
 展示では、1951年4月20日の創刊号以来、大きな節目となった聖教を大画面で見ることができ、その中には、60年前の5月3日の紙面もあります。
 あの日、恩師・戸田城聖先生の不二の弟子として、私は宣言しました。
 「化儀の広宣流布を目指し、一歩前進への指揮を執らせていただきます」「創価学会は全大衆の最大の味方であります」と。
 この誓願を分かち合いながら、私たちは折伏・弘教に転戦し、日本中、世界中に妙法という平和と幸福の種を蒔いてきました。そして「月月・日日に」、この一歩前進の原動力となってくれたのが、無冠の友の皆さんにほかなりません。
 「御義口伝」には、不軽菩薩の人間尊敬の実践について、「鏡に向って礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり」(御書769ページ)と仰せであります。
 まさに、この不軽さながらに、あの友この友に幸あれ、あの家この家に福徳あれと、祈りを込めて聖教新聞を配達されゆく皆さん方の偉大な仏道修行あればこそ、仏縁は幾重にも広がり、人間主義の価値を創造する人材のスクラムが絶え間なく拡大しているのであります。
 阪神・淡路大震災から25年となる兵庫をはじめ常勝関西の同志も、信心という究極の「レジリエンス(困難を乗り越える力)」を発揮して希望の劇を綴り、奮闘してこられました。
 東日本大震災を乗り越えておられる不屈の東北家族も同じであります。
 いかなる逆境にも揺るがない。それが仏です。
 皆に同苦し、共に勝ち越える。それが菩薩です。
 仏法では「娑婆即寂光」と説かれます。一番苦労して戦ったところが、一番幸福な寂光土へと輝いていける。「妙とは蘇生の義」なのです。
 皆さんの中にも、また、ご親族や友人が、昨年の台風・大雨などで被災され、いまだ生活再建の途上にある方がおられるでしょう。
 早期の復興とともに、ご健康と無事安穏を、私は妻と心から祈念しています。広布を開く無冠の友を、そして一家眷属を、諸天よ諸仏よ、護りに護れと、さらに強盛に祈り抜いてまいります。
 日蓮大聖人は、雪が積もる身延でのお正月に、「真の友でなければ、(こんな雪深いなか)誰が訪ねて来てくれるだろうか」(同1554ページ、通解)と思っていたところ、真心の便りに接し、「心中も明らかに生死のやみもはれぬべし」(同ページ)と綴られています。
 「友に勇気を贈る」「地域に友情を結ぶ」「社会に希望を届ける」無冠の日々ほど充実した人生の道はありません。
 この誉れの道に続きたい――大阪のあるご一家では、亡きお母さまが「無冠の友」で、4人の娘さんも全員が配達員となり、家族一丸で広布の第一線に躍り出ています。「配達のおかげで、母が願ってきた信心の継承ができました」と。
 また、創価の学舎を卒業し、アメリカで地区婦人部長として活躍する友から、「私の父は、日本で配達員をしています。私が『聖教電子版』を開く夕方の時間が日本の早朝で、いつも父の姿を思い浮かべ、全国の『無冠の友』の皆さんの無事故を祈っております」との心温まる声が届いていました。無冠の誇りと喜びが、広布後継の人材を限りなく育て、広げます。
 フランスの文豪ユゴーは『レ・ミゼラブル』で、若人に呼びかけました。
 「奮励せよ、そして前進せよ! 諸君、吾人はどこへ行かんとするのであるか」「日の出にも比すべき真理の曙へである。吾人は各民衆の協和へ向かって進み、人間の統一に向かって進む」(豊島与志雄訳)
 先哲たちも夢見た理想に向かい、新しき人間主義を掲げる「聖教新聞」は、仏法を基調とした平和・文化・教育の大運動を力強く推進し、「誰も置き去りにしない」世界を築いていきます。
 ともあれ、今日という日は、再び来ない。今年という一年もまた、万年の広布の礎を築く、かけがえのない黄金の一年です。
 55年前の聖教新聞新年号から、小説『人間革命』の連載が始まりました。
 わが愛する「無冠の友」の皆さん!
 どうか、新しき「人間革命」の共戦譜を、私と一緒に楽しく朗らかに綴りながら、前進そして勝利していこうではありませんか!

【教学】

◆教材「教学部教授登用講座(第3回)」 「教学部教授講座」御義口伝 信心根本に価値創造の前進を

「御義口伝」について
 「御義口伝」は、日蓮大聖人が身延で法華経の要文を講義された内容を、日興上人が筆録し、大聖人の許可を得て、完成したものと伝えられています。
 構成は上下2巻からなり、初めに「南無妙法蓮華経」について論じられた後、巻上では法華経序品第1から従地涌出品第15まで、巻下では如来寿量品第16から普賢菩薩勧発品第28までと開結二経(無量義経、普賢経)の要文講義が収められています。 
 各項目では、経文の一節を挙げ、関連する天台大師、妙楽大師等の釈を引用するなどした上で、「御義口伝に云く」と、末法の御本仏・日蓮大聖人のお立場からの法華経解釈が展開されています。
 大聖人のお立場から見れば、法華経は、末法における大聖人の妙法弘通を予言した経典であり、28品の一字一句がことごとく南無妙法蓮華経の説明となります。
 したがって、「御義口伝」において示されているのは、法華経の語義に縛られた解釈ではなく、御本仏の御境涯の上から、法華経の文を文底下種法門の説明として自在に用いられ、活用されていく「活釈」といえます。

生命力と智慧を涌現
御文1
 南無妙法蓮華経
 御義口伝に云く南無とは梵語なり此には帰命と云う、人法之れ有り人とは釈尊に帰命し奉るなり法とは法華経に帰命し奉るなり又帰と云うは迹門不変真如の理に帰するなり命とは本門随縁真如の智に命(もとづく)なり帰命とは南無妙法蓮華経是なり、釈に云く随縁不変・一念寂照と(御書708ページ1行目~4行目、編年体御書1554ページ1行目~4行目)

通解1
 (「南無妙法蓮華経」について)御義口伝に次のように仰せである。
 「南無」とは梵語(古代インドの言語。サンスクリットのこと)である。漢語では「帰命」という。(帰命には)「人」への帰命と、「法」への帰命がある。「人」への帰命とは釈尊に帰命し奉ることである。「法」への帰命とは法華経に帰命し奉ることである。
 また、(帰命の)「帰」とは、迹門不変真如の理に帰することである。(帰命の)「命」とは、本門随縁真如の智に命くことである。帰命とは南無妙法蓮華経そのものである。ある釈には「随縁不変・一念寂照」とある。

池田先生の指導から1
 「大聖人は、『帰』というのは、迹門不変真如の理に帰することであり、『命』とは本門随縁真如の智に命くことなのであるとお述べになっています。
 この不変真如の理とは、永遠不変である真実の法理ということです。
 南無妙法蓮華経は宇宙の本源の絶対の真理です。題目を唱えることによって、この宇宙の本源の法則に合致することができる。これが不変真如の理に帰することになります。
 また、随縁真如の智とは、縁に随って刻一刻と変化していく事象に対応した真実の仏の智慧であり、信心によって涌現した最高の生命である、仏界の働きをいいます。
 不変真如の理は、偉大なる妙法という真理であります。
 その妙法の法則、力が、実際に、わが生命に、生活のうえに顕現されていってこそ、幸福という価値を生ずるといえる。つまり、妙法によって、無限の生命力を、仏の智慧を涌現させ、苦難、苦悩を打開し、人間革命、生活革命をしていく、価値創造の姿が、随縁真如の智に命いたことになるわけです」(『新・人間革命』第6巻「若鷲」の章)

生死不二の本源的な生命観
御文2
 第四如来如実知見三界之相無有生死の事
 御義口伝に云く如来とは三界の衆生なり此の衆生を寿量品の眼開けてみれば十界本有と実の如く知見せり、三界之相とは生老病死なり本有の生死とみれば無有生死なり生死無ければ退出も無し唯
生死無きに非ざるなり、生死を見て厭離するを迷と云い始覚と云うなりさて本有の生死と知見するを悟と云い本覚と云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時本有の生死本有の退出と開覚するなり(中略)然らば無作の三身の当体の蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等なり南無妙法蓮華経の宝号を持ち奉る故なり云云(御書753ページ15行目~754ページ8行目、編年体御書1599ページ15行目~1600ページ8行目)

通解2
 (寿量品の「如来は如実に三界の相を知見するに、生死の若しは退、若しは出有ること無く、亦
在世及び滅度の者無く」の経文について)御義口伝には、次のように仰せである。
 (経文に説かれている)「如来」とは、久遠実成の釈尊だけではなく、さらには三界の衆生である。
 寿量品の眼を開けて、この三界の衆生を見れば、そのまま十界本有の当体である、とありのままに知見できるのである。
 (また、経文にある、如来が知見している)「三界之相」とは、生老病死である。それを本有の生死と見れば、「無有生死(生出」と経文にあるが)生死が無ければ退出も無いのである。ただ生死が無いということではない。
 生死を見て、厭い離れようとすることを迷いといい、始覚というのである。そのままで本有の生死と知見することを悟りといい、本覚というのである。
 今、日蓮及びその門下が南無妙法蓮華経と唱え奉る時、本有の生死、本有の退出と開覚するのである。(中略)
 ゆえに無作の三身の当体の蓮華の仏とは日蓮の弟子檀那等である。南無妙法蓮華経の宝号を持ち奉る故である。

池田先生の指導から2
 仏とは、教主釈尊だけでなく、三界という現実社会に生きる衆生のことである。それは、寿量品に説かれる久遠の仏の眼から見た時、一切衆生にも十界の生命が本来、具わっていると知見できるからであると示されています。
 ここで「本有」とありますが、これは「本来的に有ること」「もともと存在していること」です。すなわち一切衆生には、本来的に十界の生命が、つまり仏界の生命が具わっているということです。衆生は皆、一念三千の妙法の当体なのです。(2019年12月号「大白蓮華」掲載の「世界を照らす太陽の仏法」)

池田先生の指導から3
 「本有の生死」とは、永遠の生命に本然的に具わっている生死のことです。この三世永遠の生命観に立脚した時に、死を忌み嫌い、恐れる必要などないのです。
 それと同時に、この仏法の英知は“死を忘れた”といわれる現代文明に、生死不二という本源的な生命観を力強く提示するものです。
 私たちにとってみれば、「本有の生死」とは、妙法とともに生き、妙法とともに死すことにほかなりません。それが「本有常住の振舞」なのです。
 どう生きて、どう死を迎えるか。毅然と悠々と振る舞う揺るぎない境地を、万人が会得するための日蓮仏法です。「本有の生死」だからこそ、今世で仏界を固め切るために、最後の最後まで戦い抜くのです。(2019年12月号「大白蓮華」掲載の「世界を照らす太陽の仏法」)


【聖教ニュース】

◆3月の本部幹部会が関西総会に 1・25「民衆勝利の日」から前進また前進 2020年1月25日

3月の関西総会へ、1・25「民衆勝利の日」から常勝の同志たちの前進が加速する(昨年12月の世界広布新時代第7回関西総会、関西池田記念会館で)

3月の関西総会へ、1・25「民衆勝利の日」から常勝の同志たちの前進が加速する(昨年12月の世界広布新時代第7回関西総会、関西池田記念会館で)

 きょう1月25日は「民衆勝利の日」。1962年(昭和37年)、4年半の法廷闘争を経て、池田大作先生が「大阪事件」の無罪判決を勝ち取った記念日である。
 そして、一心不乱に先生の勝利を祈り抜いた常勝の母たちの「関西婦人部の日」であり、全関西家族が、「負けたらあかん!」と正義の闘魂を燃やす誓願の日である。
 その関西で、3月の本部幹部会が「関西総会」の意義を込めて開催されることになった。来日するSGI(創価学会インタナショナル)の友との交流交歓会も盛大に行われる。
 池田先生の第3代会長就任60周年となる本年を、関西は「師弟の関西2020! “私”の人間革命!!」をテーマに掲げて出発した。小説『人間革命』『新・人間革命』を学び、師の心に触れながら、一人一人が弘教・人材拡大に挑む中で、“私の人間革命”にまい進している。

師弟の関西は威風堂々と
 若き日の池田先生が、路地裏まで駆け巡り、手作りで築き上げた民衆の城――それが関西である。先生の慈愛と確信に触れて、無名の庶民が偉大な地涌の使命に目覚め、立ち上がっていった。その歓喜の行進には、常に歌があった。
 55年(同30年)、京都で誕生した「威風堂々の歌」は、のちに池田先生の提案で、「平安の洛土見ん」の歌詞を「日本の楽土見ん」に変えて、全国で歌われることになり、今も歌い継がれる。
 60年(同35年)5月3日、池田先生の第3代会長就任式で大合唱されたのも「威風堂々の歌」であった。
 本年は、歌の誕生から65周年ともなる。
 3月の総会を目指し、「前進また前進」を続ける同志の意気を、山内関西長、直里同婦人部長はこう代弁する。
 「師弟不二の心、そして関西魂が込められた『威風堂々の歌』を声高らかに歌いながら、民衆勝利の“常勝の空”を仰ぎ見て、圧倒的な弘教・拡大に挑んでまいります!」


◆池田先生撮影の写真展「自在なる眼」 神戸で開幕 2020年1月25日

多数の来賓が見守る中で盛大に行われた「自在なる眼――池田大作写真展」の開幕式(関西国際文化センターで)

多数の来賓が見守る中で盛大に行われた「自在なる眼――池田大作写真展」の開幕式(関西国際文化センターで)

 「自在なる眼――池田大作写真展」が24日、神戸市の関西国際文化センターで開幕した。阪神・淡路大震災の発生の5年後に“復興のシンボル”として完成した同センターの開館20周年を記念したものである。
 池田先生が国内はもとより、海外各地を訪問した折に撮影した中から厳選された約80点を、「光彩」「桜梅桃李」などの10テーマに分けて展示。自然の巧まざる美、人々の何気ない日常に宿る人生の豊かさを捉えた作品の数々が並ぶ。それぞれに、池田先生の言葉が添えられている。
 かつてフランスの美術史家のルネ・ユイグ氏は「“生命の探求者”としての鋭い目で、生きとし生けるものの鼓動を捉え、永遠の生命を私たちに示してくれます」と語りつつ、池田先生の写真を“眼で詠まれた詩”と評した。まさにその通りに、先生の透徹した眼で写し出された生命の美が、胸に迫ってくる。
 会場では、あちらこちらで感動を残しておこうと、先生の言葉を書き留める人の姿が。鑑賞者の一人は「写真と言葉がお互いにメッセージを強め合っていて、心に響きました」と語った。
関西国際文化センターで 5月31日まで土日・祝日に

バナー(幕)を使うなど展示方法にも工夫が。特製の写真入りカードも見学者に配布される(関西国際文化センターで)

 開幕式では、谷川主任副会長が、写真展は生命の偉大さや強靱さを発信するものであると紹介。世界的な写真家の白川義員氏は、撮影者の人間そのものが表現されるのが写真であると述べ、池田先生の高貴な人格と深い哲学に裏打ちされた作品群を通して、“本物の写真”に触れる好機にと望んだ。
 兵庫県の井戸敏三知事は阪神・淡路大震災から25年の節目に、兵庫で写真展が開催されることへの感謝を述べ、人間への励ましにあふれた写真に触れてほしいと述べた。神戸新聞社の高梨柳太郎代表取締役社長は、言葉の力を生かす、趣向を凝らした写真展であるとし、多くの人に元気を与えてほしいと語った。
 
 【案内】5月31日(日)まで。土・日曜・祝日のみ開館。開館時間は午前10時~午後5時まで(入館は午後4時半まで)。入場無料。


◆あす「SGIの日」45周年 原田会長が出席し記念勤行会 2020年1月25日

原田会長の導師で、世界広布のさらなる伸展を真剣に祈念した「SGIの日」記念勤行会(戸田記念国際会館で)

原田会長の導師で、世界広布のさらなる伸展を真剣に祈念した「SGIの日」記念勤行会(戸田記念国際会館で)

 1・26「SGIの日」45周年記念の勤行会が24日、東京・新宿区の戸田記念国際会館で行われた。
 原田会長は、池田先生が初の世界広布旅に出発して60年の節目を迎える今、各界の識者が世界宗教として伸びゆく創価学会の歩みに注目し、期待を寄せる時代が到来していると言及。
 世界平和に向けた先生の構想や提言を学び抜き、それをいかに実現していくかを考え、行動する一人一人でありたいと述べ、「1・26」から新たな決意で、世界宗教としてさらなる発展を期していこうと呼び掛けた。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈「新・人間革命」と私〉中国青年部長 甲斐輝夫さん

心に刻む珠玉の言葉
 「合唱団の子だね。メンバーが来ているなら、呼んであげよう。合唱も聴きたいね」
 “今しかない。一人でも多くの人と会って励ましたい。決意の種子を植えたい”との強い一念が、その瞬間を見逃さなかったのだ。
 <第22巻「命宝」の章>

時代背景
 終戦から30年を迎えた1975年(昭和50年)11月、山本伸一は広島を訪問。8日には平和記念公園で献花し、平和への深い祈りをささげ、9日には県立体育館で行われた本部総会や、広島文化会館での未来会結成式に参加。結成式の終了後には、「広島若竹
わかたけ
少年少女合唱団」と記念撮影を行うなど、寸暇を惜しんで広島の同志を激励していく。

“一瞬一瞬が真剣勝負”
 「命宝」の章には、広島に到着した山本伸一が矢継ぎ早に同志を激励していく様子が描かれていますが、中でも「広島若竹少年少女合唱団」との出会いが胸に残っています。
 合唱団は伸一の前で歌うはずでしたが、時間の都合上、翌日に延期となったのです。しかし伸一は、すぐに合唱団を呼び、目の前で合唱を聴き、記念撮影を行いました。
 “一瞬一瞬が真剣勝負”との思いで後継の友に接し、成長と栄光を願う慈愛が伝わってきました。
 私もこの合唱団の卒団生ですが、池田先生の心は間違いなく継承されていると感じます。
 当時、信心について全く分かっていなかった私に、担当者は常に優しく接してくれました。その時、肌で感じた温かさがあったからこそ、私は学会を好きになったのです。“次は私が後輩たちに励ましを送る番だ”と思っています。

『新・人間革命』に込められた心を継ぐのが中国青年部の使命
 また、この章には、伸一が平和記念公園を訪れる場面も描かれています。中国方面は、この章はもちろん、池田先生が『新・人間革命』全30巻に込められた心を継ぎ、先生と共に平和の連帯を広げていかなければならないと決意しています。
 先生が『新・人間革命』を起稿し、脱稿した「8・6」が、広島に原爆が落とされた日であり、連載が完結した「9・8」が、戸田先生が原水爆禁止宣言を発表した日だからです。
 奇しくも『新・人間革命』の完結後、最初の本部幹部会は2018年10月の中国総会でした。私もその年に友人を入会に導くなど、各部一体で弘教に走りました。迎えた当日は台風直撃の予報を覆し、空には鮮やかな虹が。“先生と共に戦い抜いた”と実感する新たな原点となりました。

師の慈愛胸に平和の連帯を
 中国方面はこれまで、水害や土砂災害に見舞われてきましたが、そのたびに“先生と共に”との心で不死鳥のごとく立ち上がってきました。原爆投下後、「75年は草木も生えない」といわれた広島は、本年で被爆から75年。人類の宿命転換を可能にする仏法を行じる創価の青年らしく、どこまでも先生と共に、平和の心を広げてまいります。


◆連載〈SOUL雄魂〉〈信仰体験〉歓喜に至れ 炎の最終楽章  2020年1月25日

 【東京都目黒区】天に突き上げた拳を一気に振り下ろす。両腕を大きく広げてオーケストラを抱え、人さし指で奏者を示した。口でも拍を刻む。
 ベートーベン交響曲第5番「運命」。指揮者の稲田康さん(70)=副支部長=は流麗かつ渾身の指揮で、オケの情熱を引き出していく。
 指揮者・稲田康が大成する過程で、何人かの大音楽家の指導を受けている。
 1972年(昭和47年)22歳、シベリア鉄道に揺られてウィーン国立アカデミーに留学した。一通りの苦労を味わった。コンサートマスターから優しい口調で厳しい言葉をもらった。それは、おのずと成長期の血となり肉となった。
 帰国し、26歳で仏法と巡り合う。それが縁で富士交響楽団の指揮者となった。
 「題目が染み込んだ音は、癒やしも鋭さもエネルギーが全く違った」
 タクトを手に肉薄した。偉大な作曲家たちが色彩豊かな音律に、何を託そうとしたのか――。 
 例えばベートーベンの「運命」第1楽章。冒頭から誰もが知るあの旋律に乗せ、主題を提示している。
 「運命は突然来るぞ」
 この緊張高まる叫びを肌で聞いたのは79年5月3日、創価大学中央体育館での本部総会。稲田さんは富士響の指揮者として、そこにいた。
 黒ずむ空気が醸し出されていた。会長を辞任した池田先生への拍手はなかった。指揮台に立ち、オケと視線を交わした。
 「とにかく池田先生のために振るぞと。渾身の思いを込めて振りましたよ。オケはすぐ分かってくれた」
 どの場面、どの瞬間も、真剣勝負の場となった。
 西武球場(当時)での第2回世界平和文化祭(82年)、横浜スタジアムでの神奈川青年平和音楽祭(84年)。民衆の中に飛び込む師匠のそばで、雨にぬれながらタクトを振った。張り付いた楽譜を一枚ずつ投げ捨てた。
 「指揮者はどんな状況に置かれても、全てを鼓舞しないといけない。それができない指揮者はいらない」
 革命の炎を身にまとい、真の弟子ならば誰もが分かち持つ「あだ討ち」という火をたきつけた。
 それゆえ自らも勝負を課した。
 仕事を終えて、富士響の事務所に毎夜通った。赤鉛筆でスコア(音楽の総譜)を見直し、演奏を録音してレコード会社に持ち込む日々。睡眠が全く足りず、血尿が出た。
 それでもタクトを振り続け、楽譜の奥底から「あがく強さ」を呼び覚ます。 
 「運命」第2楽章は優雅な調べで「人間には苦難を越えゆく力がある」と教え、低い音域から始まる第3楽章では「運命から逃げず戦え」と説く。
 注目すべきは第4楽章の起点。楽章ごとに分離されるのが普通だが、「運命」は第3と第4の楽章に切れ目はない。
 「闇に一筋の光が見えて、勝利の音楽が突然始まる。ここにベートーベンの深遠なる決意がある」
 暗から明へ。稲田さんは「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」(御書1192ページ)の雄たけびを、怒濤の唱題で聞いた。とにかく題目を唱え抜いた。地区部長として励ましに徹した。「責任感が音に効果をもたらした」。95年(平成7年)、チェコクリスタル現代音楽優秀賞に輝いた。
 あの日――稲田さんは目をそらさなかった。中央体育館の壇上、パイプイスから立ち上がって退場する師の背中。「私には決然とされて凜々しい後ろ姿に見えました」
 納得できない演奏にも、嵐に立つ池田先生は優しいまなざしで拍手をくれた。そこに宇宙大の心を感じた。
 「富士響がいろんなことを私に教えてくれた。指揮者がオケを育てるんじゃない。オケが指揮者を育てるんです」
 今月、稲田さんは富士響の定年を迎えた。
 指揮者・稲田康の道程は、悠々としたものではない。タクト一本で身を立てる苦労を見せず、長女と長男の病を越え、人間が秘めた力を音の粒で表現し続けた。
 今も指揮台に立つ。
 圧巻のフィナーレ「運命」第4楽章。一瞬でもいい。「悩みを突き抜け歓喜に至る」ような、聴く人の記憶に残るような、そんな指揮がしたい。タクトの先の尽きせぬ思いだ。
 

2020年1月24日 (金)

2019年1月24日(金)の聖教

2019年1月24日(金)の聖教

◆わが友に贈る

   逆境こそ飛躍の好機だ。
 「賢者はよろこび
 愚者は退く」御聖訓。
 大生命力で挑み抜き
 変毒為薬の実証を!
 (御書1091ページ)


◆名字の言 「AERA」の佐藤優氏の連載への識者の声

 「私もキリスト教神学を専攻したので、引き込まれるように読みました」。週刊誌「AERA」での佐藤優氏の連載「池田大作研究」を一読した帝塚山学院大学の川上与志夫名誉教授の声である▼池田先生と同じ東京・大田区生まれの川上氏は、佐藤氏がつづる先生の青少年期を懐かしく読んだという。「宿命は転換できる。人は与えられた場所で全力を尽くさなくてはならないという、池田先生の人生観に学びたい」と、86歳にしてなお謙虚に語られた▼佐藤氏が論ずるように、世界宗教への道を歩み始めた創価学会。その原点の一つが1975年のSGI発足である。SGI憲章の第7項には「仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の基本的問題について対話し、その解決のために協力していく」と。キリスト者の川上氏や佐藤氏のように、異なる主義主張に耳を傾け、学ぼうとする精神こそ、世界平和の基盤となる▼川上氏は若き日、神学者で医師でもあるシュバイツァーに大きな影響を受けた。その言葉に「われわれは、新しい精神によってより高い理性を獲得しなければならない」(『シュバイツァー』清水書院)とある▼SGI発足から26日で45周年。日々学び、確信と慈悲の対話に挑む誓いを新たにしたい。(芯)


◆寸鉄

「意が声とあらはる」御書
友の幸願う真心は通ず。
希望の哲理を勇敢に語れ
     ◇
学生部が対話拡大に先駆
次の十年開く主役は君達
智勇兼備の師子と育て!
     ◇
「尼崎の日」。関西の心臓
部から新たな常勝譜を。
正義の大行進に恐れなし
     ◇
世界で異常気象。気候変
動対策が急務。「できるこ
と」を自分から始めよう
     ◇
中傷や臆測等、ネット上
で悪意の投稿が急増と。
絶対に許さぬ思潮を皆で


◆社説 今月でSGI発足から45周年 わが地区から世界平和の建設を

 西太平洋のグアム島に、アメリカSGIの新「グアム会館」が建設されることが発表された。明年初頭に完成の予定で、建設予定地はタムニン市内にある国際貿易センタービルの近くである。
 同ビルは45年前に「SGI」が発足した、歴史的な会合の舞台となった地だ。
 1975年1月26日、同ビルに世界51カ国・地域の代表158人が集い、第1回「世界平和会議」が開催された。席上、全参加者の総意に基づき、池田先生がSGIの会長に就任したのである。
 60年10月、先生が初の海外平和旅に出発してから15年。先生を中心とした、創価学会の国際的機構であるSGIの結成によって、「師弟の精神」を根本とした広布拡大の上げ潮は、大きく勢いを増すことになった。
 「世界平和会議」で、先生は“地球広布のパイオニア”たちに語り掛けた。
 「地平線の彼方に、大聖人の仏法の太陽が、昇り始めました。皆さん方は、どうか、自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」
 この言葉を抱き締め、草創の友は広布への道なき道を開いてきた。学会への誤解や偏見による抑圧に、歯を食いしばって耐えた地域もある。紛争や動乱など、過酷な社会状況に苦しんだ地域もある。仏教について全く知らない人が多い中、不屈の努力で周囲の信頼を勝ち取り、弘教を進めてきた地域もある。
 幾多の艱難を越えて、地涌の陣列は192カ国・地域へと発展を遂げた。そして今、「師弟の精神」を身に体した青年たちが、生き生きと仏法の人間主義を語り、平和のスクラムを広げている。
 アメリカでは本年、6000人の青年の拡大を目指し、各部一体で弘教に励む。タイ青年部は7万5000人の連帯の構築へ走り、韓国では「5・3」へ「青年部10万の育成」に挑戦している。
 世界各地で進む広布拡大の運動も、その源泉は、どこまでも「一対一の対話」であり、「真心の励まし」である。
 SGI発足の模様が描かれた小説『新・人間革命』第21巻「SGI」の章で、池田先生はつづっている。
 「平和は彼方にあるのではない。自分のいるその場所に、信頼と友情の世界を築き上げるのだ。その輪の広がるところに、世界の平和があるのだ」
 「平和」とは、どこか遠い場所で創られるものではない。わが地区、わが支部で生命尊厳の仏法を語り、友を励ますことが「世界広布」の前進であり、「世界平和」の建設なのである。そのことを銘記し、日々の活動に打って出たい。


◆きょうの発心 御義口伝 北海道・十勝県長 羽田野永2020年1月24日

御文 此の本法を受持するは信の一字なり、元品の無明を対治する利剣は信の一字なり(御義口伝、751ページ・編1597ページ)
通解 この本法(三大秘法の南無妙法蓮華経)を受持するのは信の一字による。元品の無明(根本の迷い)を対治する利剣は信の一字である。

“開拓者精神”を燃やして前進!
 どこまでも御本尊を信じ抜くことの大切さを教えられています。 大学時代の同志から教わった御文です。広布の大河の“一滴”となって頑張ろうと、互いに決意したことが私の原点です。
 卒業後、中学校の教員となって北海道に戻り、北見、富良野、札幌の地で奮闘。妻は甲状腺の病気を抱える中、6度の流産を乗り越え、2人の娘を出産。次女の川崎病、長女の交通事故も“転重軽受の体験”として乗り越えました。
 健康が取りえの私でしたが、8年前、不安に苛まれ、眠れぬ日が続きました。大事には至りませんでしたが、病に苦しむ人の気持ちを分かろうとする自分になれました。現在、右目の視野が大きく欠ける病と闘いながら、十勝の同志と共に広布の道を歩んでいます。
 1991年(平成3年)8月、来道中の池田先生から「十連十勝の人は 世界一の勝者 故に三世にわたる 幸福者の集りか」との指針を頂きました。十勝ほど“開拓者精神”の言葉が合う地域はありません。今こそ、師匠との誓いを胸に、三代城・北海道の名に恥じない挑戦をしてまいります。


【聖教ニュース】

◆35カ国の代表がフランクフルトに集い「欧州広布サミット」 2020年1月24日

ワン・ヨーロッパ! ウィズ・センセイ!(欧州は一つ! 池田先生と共に!)――異体同心の団結も固く、希望の連帯を広げる欧州の友が誓いのカメラに(フランクフルト池田平和文化会館で)

ワン・ヨーロッパ! ウィズ・センセイ!(欧州は一つ! 池田先生と共に!)――異体同心の団結も固く、希望の連帯を広げる欧州の友が誓いのカメラに(フランクフルト池田平和文化会館で)

 【フランクフルト】伝統の「欧州広布サミット」が17日から19日(現地時間)、メルフェルデン・ヴァルドルフ市のフランクフルト池田平和文化会館で行われ、35カ国の広布のリーダー350人が集った。各国の活動の模様が報告され(別掲)、池田大作先生の第3代会長就任60周年となる「5・3」、初の海外訪問60周年の「10・2」、創立90周年の「11・18」に向けて、創価の欧州家族が異体同心の前進を開始した。

後継誓う青年部が新愛唱歌を発表
 〽私たちこそ正義の松明を持つ人……
 席上、欧州青年部の新愛唱歌が、各国の青年リーダーの歌声で初披露されると、会場は大拍手に包まれた。
 新愛唱歌のタイトルは「トーチベアラーズ」。合唱の前に、欧州青年委員会のサミュエルズ副委員長らが、その意義を語った。
 「『トーチベアラー』には、『松明を持つ人』『文明の先駆者』という意味があります。私たち欧州青年部こそ、創価の師の呼び掛けに応える、仏法の人間主義の旗を持つ若人、広布大願の松明を持つ若人であるとの決意を込めて、作詞・作曲しました!」
 75年前の1945年、軍部政府の弾圧に屈せず出獄した戸田城聖先生は、戦争の焦土に一人立ち、「旗持つ若人 何処にか」「競うて来たれ 速やかに」との願いを胸に、学会の再建に着手した。まもなく、若き池田大作先生が恩師の熱願に応えるように、正義の旗を持ち立ち上がった。
 今年で、第2次世界大戦の終結から75年、池田先生の初の海外訪問から60年。「人間革命の宗教」である日蓮仏法の松明は今、分断と対立の大陸だった欧州を煌々と照らす。

欧州青年部の新愛唱歌「トーチベアラーズ」を合唱(同)
 〽私たちこそ全人類のために自由の松明を持つ人……
 合唱が終わると、「ワン・ヨーロッパ! ウィズ・センセイ!(欧州は一つ! 池田先生と共に!)」との呼び掛けが何度も場内に響き渡る。各国の壮年・婦人リーダーも立ち上がって応えた。
 欧州青年委員会のサンティ委員長は語る。「本年は幾重にも重要な佳節を刻みます。欧州青年部は、池田先生が『大事な十年』と位置付けた最初の一年を、一人一人が人間革命の大前進で飾り、欧州広布60周年の明年を迎えます! その誓いを新愛唱歌に託しました」
 サミットでは、各国の活動報告のほかに、今月の本部幹部会に参加した欧州広布のリーダーが報告を行った。
 フジイ欧州書記長が、SGI(創価学会インタナショナル)結成式(75年1月26日)に出席した当時の模様を語り、ナカモト同副書記長は本年の活動方針を紹介した。
 プリチャード同女性部長は、池田先生が第3代会長に就任した年の年間テーマが「前進の年」であったことに触れ、「私たちが、目の前の一人を自分以上の人材に育てる『真の人材』に成長し、『前進・人材の年』から新たな10年の勝利を開きたい」とあいさつした。
 タカハシ欧州議長は「自身の生命から『師子王の心』を奮い起こし、戦争のない世界、真の平和の実現のために、分断を調和に変える『人間革命の宗教』の連帯を力強く広げていこう」と訴えた。
 サミットの最後に、各国の青年リーダーがもう一度ステージへ。
 全員が「一人の本物の弟子」たらんとの誓いを込めて、新愛唱歌「トーチベアラーズ」を合唱。「欧州は一つ! 池田先生と共に! 世界は一つ! 池田先生と共に!」との大歓声で会場が一体となって、サミットは幕を閉じた。

運営役員のメンバー。参加者の笑顔のために一つ一つ確認し合い、サミットを陰で支えた(同)
 サミットは、実行委員会、会館スタッフ、参加者を空港や宿泊施設から車で送迎する担当者、食事の手配をする責任者、通訳チーム、創価班、白蓮グループなど、“陰の力”によって支えられている。期間中、会館で朝早くから参加者を迎える運営役員もいた。
 最終日、各国から集った創価班、白蓮グループが輪になって感想を語り合った。
 「英語が苦手で最初は孤独を感じていましたが、任務を通して皆さんが家族のように接してくれ、ここが私の使命の場所なのだと感じました」と目を光らせる白蓮の友。
 「自国で広布の活動をどう進めるべきか悩んでいましたが、ここで築いた絆を胸に、学会厳護の使命を全うします」と決意を語る創価班のメンバー。
 言語も、文化も違う青年たちが、広布のために、会員のために尽くしたいとの思いで一つになり、友情を深める。その姿こそ、欧州広布の未来を照らす、平和と希望の光明そのものだった。

サミット終了後、帰宅の途に就く参加者が歓喜にあふれて(同)


◆ドイツSGIで一般講義 33会場を映像で結び

森中SGI教学部長の担当で行われたドイツ一般講義。質問会などが活発に行われた(フランクフルト池田平和文化会館で)

森中SGI教学部長の担当で行われたドイツ一般講義。質問会などが活発に行われた(フランクフルト池田平和文化会館で)

 【フランクフルト】ドイツSGIの一般講義が19日午後(現地時間)、フランクフルト池田平和文化会館で行われた。
 ドイツ国内とドイツ語圏のオーストリア等の33会場を映像と音声で結び、計1640人が参加。森中SGI教学部長の担当で、「人間革命」「師弟共戦」「地涌の誓願」をテーマに、「御義口伝」「華果成就御書」「開目抄」等を研さんした。
 「『元品の無明』との戦いに終わりはないのか」との質問に、森中SGI教学部長が「内なる魔と戦うこと自体が真の自由であり、戦い続ける人が偉大な境涯を築ける」と答えるなど、触発と求道の心あふれる集いとなった。
 ドイツ壮年部のディートマー・フォーフェルトさんは、「師弟不二の信心、異体同心の団結こそ最重要であることを、改めて確認できました」と決意を語った。


◆欧州広布サミット 各国の活動報告から 2020年1月24日

欧州広布サミットに参加した友。一つ一つの報告に熱心に耳を傾けた(フランクフルト池田平和文化会館で)

 欧州35カ国のリーダーが集い、平和社会の建設へ心一つに出発した「欧州広布サミット」(17~19日)。ここでは、活動報告に立った国のリポート(要旨)を紹介する。
 
〈ポルトガル〉 訪問・激励に徹し勝利の新航路開く

ポルトガルのサンパイオ男子部長(左から2人目)、アマド女子部長(同3人目)らが登壇
 本年は、池田先生のポルトガル訪問から55周年の節目です。当時の様子は、池田先生が小説『新・人間革命』第10巻「新航路」の章につづってくださっていますが、その中に、学会の同志がまだ一人もいなかったわが国で、山本伸一が同行の友に語る場面があります。
 「広布の新航路を開くのは勇気だ。自身の心の“臆病の岬”を越えることだ」と。
 この言葉を胸に、私たち青年部は2017年から「オープン(開く)」をテーマに掲げ、同志の心を開き、共に勝利の人生を開くために訪問・激励に徹してきました。
 
 その中で迎えた本年、私たちは青年部員を2倍にする目標を掲げ、対話に励んでいます。
 また本年11月には、イベリア半島に位置するスペインとポルトガルの青年部主催の合同文化祭がスペインで開催されます。両国の青年部が一丸となって弘教拡大に挑み、イベリア半島から新たな創価勝利の鐘をとどろかせる祭典にしていく決意です。
 
〈チェコ〉 皆で祈り合わせて「3・16」へ前進!

東欧チェコ青年部のオザキ責任者(左から2人目)らが同国の躍進の模様を報告
 チェコは昨年10月、池田先生の訪問55周年を祝う総会を開催。その成功に向け、私たち青年部は唱題を重ね、準備に取り組んできました。
 映画監督の夢を持つ女子部の友は、メンバーへの取材で構成した感動的なビデオを作成。歌手を目指す女子部の友は、会合の文化プログラムの演出を担ってくれました。
 総会は、体験発表、歌や演奏などが行われ、大盛況。参加者の約3分の1を友人が占め、仏法への深い理解を広げることができたのです。
 その歓喜のままに、男子部も女子部も、さらなる友情拡大へ、皆で祈りを合わせて前進しています。現在は「3・16」記念の会合に向け、毎週月曜日に互いの前進の様子を報告し、先生の指導を学び合う集いを開催。また、リーダー率先でメンバーに励ましを送っていこうと燃えています。
 メンバーのもとを丁寧に訪問しながら、一人でも多くの友が信心根本に勝利できるように心を砕き、皆で喜びの体験を共有していきます。
 
〈スウェーデン〉 功徳と歓喜広げた友人参加の座談会

スウェーデンのリンドブロム婦人部長(中央左)らが対話拡大の喜びを語った
 スウェーデンでは、2017年秋から「歓喜と功徳はじけるキャンペーン」を2月と9月に行ってきました。これは、自身の幸福と人間革命を目指して、仏法対話と友人の座談会参加を進めるものです。
 特に昨年は、池田先生のスウェーデン訪問30周年という節目であり、皆で“壁を破る対話に挑戦しよう”と誓い合い、出発。一人一人がさまざまな機会を通し、創価の哲学を堂々と語り広げてきました。
 その結果、9月には、目標の5倍に迫る対話拡大を達成。座談会にも以前より多くの友人が参加するなど、躍進することができたのです。
 何よりもうれしかったのは、勇気を出して挑戦できたエピソードや、功徳を得られた歓喜が、続々と私たちリーダーの耳に入ってきたことです。会合でも、そうした喜びがメンバー一人一人から紹介され、互いの触発となりました。
 この勢いのままに、スウェーデンは、“希望の楽土を築くのは私たち”との気概に燃えて、さらに対話拡大に走り抜いていきます。
 
〈ポーランド〉 異体同心の団結で弘教拡大の波動を

ポーランドのクルル壮年部長が報告
 昨年6月、ポーランド東支部が新たな布陣で出発。その際、同支部は、メンバーへの真心の励まし、リーダー同士の強固な団結、座談会の参加者の増加などに焦点を当て、前進しました。
 特に“自らの可能性を最大に引き出すには?”“リーダーの振る舞い”“各部の連携”などをリーダー同士が率直に話し合い、信頼の団結を築くことを目指しました。そして、祈りを一つに進んできたのです。
 その結果、昨年の下半期には、同支部が近年最高の弘教拡大を成し遂げ、座談会の参加者も急激に増加。歓喜の花々が爛漫と咲き薫りました。
 こうした東支部の拡大の波動は、他の支部にも広がり、ポーランドとして新たな拡大の歴史を残すことができました。
 いよいよ、学会創立90周年の2020年。ポーランドは“異体同心の団結”で、必ず池田先生に弘教拡大の大勝利の報告をしていきます。
 私自身、壮年部長として縦横無尽に動き、全国の壮年部員に励ましを送ってまいります。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈扉をひらく 池田先生の対話録Ⅲ〉第7回 海外の牧口研究のパイオニア デイル・ベセル博士 幸福の源泉は「価値の創造」 創価教育を世界に広げたい

長野研修道場で池田先生と会談した、デイル・ベセル博士(手前左側)。右後方はデイビッド・ノートン博士(1990年8月15日)

長野研修道場で池田先生と会談した、デイル・ベセル博士(手前左側)。右後方はデイビッド・ノートン博士(1990年8月15日)

 ツネサブロウ・マキグチ。
 若きデイル・ベセル博士が、その東洋人の名を知ったのは1950年代。池田先生の会長就任前にさかのぼる。
 牧口先生の教育理念を知るほどに、その先見性、何より人間的魅力がベセル博士の心を捉えて離さない。
 程なく牧口先生の教育学説の研究に着手し、71年に博士号を取得。その2年後に『価値創造者――牧口常三郎の教育思想』をアメリカで出版し、海外の牧口研究の草分けとなった。
 「熱意あふれる研究に、全学会員を代表して、深く感謝いたします!」
 74年11月7日、池田先生が東京・信濃町の聖教新聞本社(当時)にベセル博士を歓迎。「博士の名は、その功績とともに永遠に創価学会の歴史に伝わります」と、深い敬意を寄せた。
 ベセル博士が「ありがとうございます」と、なめらかな日本語で答える。長年の研究で語学に習熟していた。
 池田先生が20年にも及ぶ牧口研究の動機を尋ねると、博士は落ち着いた口ぶりで来し方を語った。
 ――アイオワ州の高校で社会科教員を務めていたベセル博士。教壇に立つ中で、ある疑問が芽生えた。“社会は確かに便利になった。しかし発展を追求する社会にあって、人間が教育から置き去りにされているのでは……”
 答えを求め、古今の教育者の著作を読みあさった。もともとアジアへの関心が高かった博士に、大学の恩師が薦めた人物が「牧口常三郎」だった。
 「教育の目的は、知識の伝授ではない」「自己と他者のために価値を創造することこそが、幸福の源泉であり、人生の目的である」――あくまで人間を中心に据える牧口先生の哲学に、ベセル博士は思わずうなった。
 何より、信念を貫くため、軍部政府の弾圧に屈せず獄死を遂げたこと、その偉大な教育者を日本社会が無視したことに憤りを覚えた。
 「牧口先生と『価値創造』の思想を全ての人に知らせたい」――この時、博士の人生の目標が定まった。
 69年、日本で2カ月間、集中して調査に当たった。牧口先生を知る人を訪ね、小さな農村にも足を運び、多くの手がかりを得た。創価学会についても正視眼で研究を積み重ねていった。
 ベセル博士は牧口先生と世界の教育者を比較しながら論を進めている。自著の結論に、こう記した。
 「牧口が独創的だといえる第一の根拠は、現在、池田と創価学会が、(中略)牧口の提案を実行しているという事実にある」と。
                              ◇
 「今日ほど、うれしい一日はありません!」
 74年11月の語らいで、ベセル博士は池田先生の前で喜びをあらわにした。
 「政治や経済の次元を超え、教育・文化の次元で誠心誠意の努力を払い、世界平和を願う池田会長の根本姿勢が理解できたからです」
 会談では、開学4年目を迎えた創価大学の展望や「教育国連」の構想などが語られた。博士はくうなずき、「会長の話は、我々の勇気を鼓舞します」と。教育文化の興隆が世界の平和に寄与すると、意見の一致をみた。
 池田先生がベセル博士に語った。
 「国と国を結ぶ平和の波が悠久の大河となりゆくことに死力を傾けていく――これが私の唯一の念願です」
 さらに「学会員が、世界の恒久平和と人類の幸福のために全権大使として活躍することが私の夢です」とも。
 先生は、同年5月に中国、9月にソ連を訪問。中ソ対立のさなか、12月には第2次訪中で周恩来総理と会見し、翌年1月にはアメリカへ渡っている。
 自身の研究を通し、牧口先生の価値創造の思想が創価学会の中に生きていると確信していたベセル博士だが、その中心に池田先生の行動があることを知り、感動を新たにした。
 その後、博士は創価教育の現場を訪れ、「牧口氏の精神、また創立者の精神が、キャンパスの隅々まで生きている」と実感。東西の学園や創大で講演などを行っている。
                                  ◇
 今、アメリカ創価大学やブラジル創価学園をはじめ、創価教育のキャンパスは世界に広がり、日々、牧口先生の教育理念の研究・実践が進む。
 その端緒を開いた中の一人が、ベセル博士である。創価教育学研究で著名なデイビッド・ノートン博士(米デラウェア大学教授、故人)も、ベセル博士を通じて牧口思想と出あった。
 89年、両博士の尽力により、『創価教育学体系』の英語版が出版される。
 翌90年8月15日、初来日したノートン博士が、ベセル博士と共に池田先生と会見。英訳に多大な貢献を果たした両博士に、先生が心からの謝意を表すると、ベセル博士が語った。
 「私の方こそ牧口氏に関する研究を続ける中で、多くのことを学ぶことができました。牧口氏の考えは、世界のあらゆる教育者に有益な“助言”を与える力をもっています。氏の思想は、教育が根幹とすべき真実の『原則』『法則』を明らかにしています。こうした意味から、私は牧口氏について研究できること自体、本当にうれしく、誇りに思っています」
 池田先生が応じる。
 「人間の社会にあって、一番大切なものは何か。言うまでもありません。『人間』です。その人間をつくるのは何か。『教育』です。教育の重要性は、決して強調しすぎることはありません。『人間』のもつ限りない可能性をどう開くか。万人が真の『人間』へと開花しゆくためには何が必要なのか。私は、こうした社会の根本課題を真摯に研究しておられるゆえに、お二人を尊敬するのです」 ベセル博士は93年に本紙の客員論説委員に就任。いじめ等の問題をはじめ、安全保障や飢餓などのテーマについて、牧口先生の思想をベースに提言を発信
してきた。
 2002年には牧口先生の『人生地理学』の英語版の編集を担当し、序文には「もし日本が、環境と教育についての牧口の洞察に基づいて、実際にそうした産業社会の形態を発展させていたなら(中略)今日の世界は、どんなに違っていただろうか!」とつづった。
 牧口先生の先見性を証明しようとする執筆活動は、亡くなる2年前、2011年まで続く。息女のダイアナ・ベセル氏も『香峯子抄』の英訳を手掛けるなど、創価の哲学を世界に広めたいとの思いは今日に受け継がれている。
 「牧口会長の思想は、人権と世界平和を実現するうえで、極めて有益な思想をはらんでいる」
 今から60年以上も前にベセル博士が抱いた思いは、時を経るごとに、多くの人の実感となるに違いない。

 デイル・ベセル 1923年、アメリカ・オハイオ州生まれ。ミシガン州立大学で国際比較教育を学び、「牧口常三郎の生涯と思想」をテーマにした論文で博士号を取得。グレースランド大学、インタナショナル大学で教授を歴任。創価教育学研究、牧口研究の草分け的存在で、『創価教育学体系』『人生地理学』の英語版の編集・監修にも尽力した。93年から本紙の客員論説委員も務め、健
筆を振るった。著書に『価値創造者――牧口常三郎の教育思想』(英語版・日本語版)など。2013年1月、89歳で死去。
 〈引用・参考文献〉 デイル・ベセル著『価値創造者――牧口常三郎の教育思想』中内敏夫/谷口雅子訳・小学館、同編・監修『Education for Creative Living』(牧口常三郎著『創価教育学体系』の英語版)Iowa State University Press、同編『A Geography of Human Life』(牧口常三郎著『人生地理学』の英語版)Caddo Gap Press、池田大作/ジム・ガリソン/ラリー・ヒックマン著『人間教育への新しき潮流――デューイと創価教育』第三文明社。
●ご感想をお寄せください
 news-kikaku@seikyo-np.jp


◆連載〈舞台は地球 輝くSOKAの友〉トインビー対談を裏方で支えた翻訳作業スタッフ

 【ロンドン】明後26日はSGI(創価学会インタナショナル)の発足から45周年。池田先生の励ましを胸に、広布に生きる同志が世界中にいる。イギリスのスー・ソーントンさん(74)=欧州副女性部長=もその一人。本年3月は池田先生と歴史学者アーノルド・J・トインビー博士との対談集『21世紀への対話』発刊から45周年でもある。彼女が2人の対談に翻訳作業などで携わったのは、まだ入会間もない頃のことだった。
 
 ホテルの一室は、夜が更けても熱気に包まれていた。
 そこでは、イギリスの歴史学者トインビー博士と、池田先生の対談を、裏方で支える翻訳スタッフが作業を続けていた。
 対談が行われた1972年当時、イギリスは広布草創期。スタッフは、創刊したばかりの同国SGIの機関誌「UKエクスプレス」の編集メンバーが中心となった。編集の一員だったソーントンさんも加わった。彼らのほとんどは新会員。まだ信心も、師弟とは何かも、よく分かっていなかった。
 対談は図らずも、池田先生から直接、深遠な仏法哲理や三世の生命観など、信心の指導を聞く機会となった。
 
 「対談の内容の深さに驚き、感動したのを覚えています」
 また、作業部屋をたびたび訪れ、労をねぎらう池田先生の姿に、家族のような温かさを感じた。先生と同じ時を共有し、一緒になって作業を進めている感覚だった。毎日が新鮮で、充実していた。
 あるメンバーは仕事を終えて駆け付けた。ソーントンさんも仕事が始まる直前まで携わり、夜の劇場へと急いで向かった。
 そこは米ブロードウェーと並んで、最新の舞台演劇やミュージカルを世に発信し続けている街ウエストエンド。舞台演劇に携わるのが、ソーントンさんの幼い頃からの夢だった。祖母の影響が大きかったという。
 
 ソーントンさんは第2次世界大戦の終戦の年に生まれた。暗い時代だった。戦後の生活は困窮。その日を生きることに追われた。
 それゆえか、無声映画のピアノ奏者だった祖母は輝いて見えた。夫を亡くし、女手一つで子を育て生き抜いた祖母だった。
 母も忍耐の人だった。妹の出産後に体調を崩してからというもの、ずっと病弱だった。「それでも弱音をはかない、強さと優しさにあふれた母」だった。
 父は武器製造工場で働いていた。冷戦時代には核兵器の製造にも携わる。「父が武器製造に関わったということが、私が平和主義を貫く理由なんです」
 演劇の専門学校を出て、舞台の道へ。裏方で舞台を仕切り、運営する仕事に憧れた。
 
 しかし、どんなに努力しても越えられない壁があった。カンパニー・マネジャーは「昔から男性の仕事」だった。
 友人から仏法の話を聞き、24歳で入会したソーントンさんだったが、信心の先輩に“仕事で実証を示そう。舞台の世界で第一人者に”と励まされても、「それだけは無理」と諦めていた。その考えが、いつしか変わり始める。心のどこかで“道を開きたい”と願うようになった。
 「信じられないことが起こったんです」。なんとウエストエンドで女性初のカンパニー・マネジャーに抜てきされたのだ。入会から3年後のことだった。
 プレッシャーをはねのけ、自分らしく、自分にしかできない舞台を成功させていく。周囲の期待に応えながら、仕事で実証を示していった。
 
 一方で、息子と2人で生きていく決断をする。36歳でシングルマザーになった。
 とはいえ現実は甘くない。世間の風も冷たかった。育児と仕事、学会活動。多忙を極めた。
 それでも一歩も引かなかった。御書や池田先生の指導を学んでは祈った。子どもとの時間や収入の安定を熟考し転職に踏み切る。
 1991年、英国随一の名門ギルドホール音楽演劇学校の門をたたき、スタッフの面接に臨んだ。
 これまでのキャリア・実績が認められ、演劇技術部門の理事に迎えられた。
 
 喜びもつかの間。それを良く思わない人たちがいた。聞きたくもない悪口雑言。職場の人間関係は悪化するばかりだった。
 耐えかねて「もう辞めようか」と思ったある日、池田先生から伝言が届く。師匠の心に涙した。
 「苦しい時、いつも先生が見守ってくれていました」
 少しずつ事態は好転していった。実直な仕事ぶりが評価され、信頼を勝ち取る。
 多くの若き才能ある俳優や女優の育成にも携わり、20年勤め上げて退職した。
 息子のジェイクさん(38)=地区部長=はギルドホールを卒業後、俳優の経験を積み、米ハリウッドで映画脚本家として活躍する。
 
 97年夏の長野・軽井沢。池田先生は、ソーントンさんに向かって語り掛けた。
 「私は決して忘れません。2年にわたりトインビー博士との対談の作業に携わってくださったあなたをはじめ、皆さんの支えは一生忘れません」
 師の励ましは、日本だけではなく、イギリス訪問の時も続いた。ソーントンさんら、トインビー対談を裏方で支えた人たちに会うと先生は声を掛け、感謝を伝えた。
 ソーントンさんは、「私の立場や役職がどう変わろうとも、何年たとうとも、先生は変わらないんです。弟子を思う師の慈愛を感じると涙があふれてきます。どこまでも一人を大切にする――それが池田先生なんです。それが創価の心だと教わったんです」と。
 
 またこの時、池田先生は“21世紀は女性の時代になります”とも語り励ました。
 これまで一貫して、折々のスピーチ等で、その信条を述べてきた池田先生は、国連が推進するSDGs(持続可能な開発目標)の目標5に当たる「ジェンダー平等」についても訴えてきた。「女性たちの笑顔の広がりこそが、SDGsの前進を何よりも物語るものになる」と。
 ソーントンさんは言う。「かつて私もイギリス社会において、男女の性差に悩んだ一人です。だからこそ、世界中に女性の笑顔を広げていきたい。何も特別なことではなくて、誰もが笑って生きられる時代にしたいだけ。その時代は、必ず来ると信じているから」

 

2020年1月23日 (木)

2020年1月23日(木)の聖教

2020年1月23日(木)の聖教

◆わが友に贈る

   インフルエンザが猛威!
 手洗い・うがいの励行や
 マスク着用等の徹底で
 感染性の疾病を防ごう。
 聡明に健康への対策を!


◆名字の言 “プライスレス”な生き方とは?

 人間社会をより良くするにはどうしたらいいか。新渡戸稲造は自著『自警録』で次のように結論している。「価値なき仕事に目をつけねばならぬ」▼この“価値なき”は、英語の「プライス」(値段)と「レス」(~が無い)から成る単語「プライスレス」を念頭に置いており、「無価値」という意味ではない。「金銭には換算できないほど貴重で尊いこと」を表している▼ある婦人部員は、豪雨で自宅が床上浸水の被害に遭った。水が引き、泥だらけの家財を前に、言葉を失った。その時、背後から「こんにちは」と声がする。学会の地区婦人部長が、数人の青年部員と共に訪れた。見る見るうちに片付けが進む。そこへ、さらに地区部長が、「うちで使ってたやつでよければ」と、ちゃぶ台を持ってきた▼当時、彼女は学会活動に消極的だった。「何とお礼を言ったらよいか」と目を潤ませた。すると地区婦人部長は「なに言ってるの。私たち創価家族よ」。これまで彼女が素っ気ない対応をしても、笑みを絶やさなかった地区婦人部長は、この日も変わらぬ笑顔だった▼他者の幸せと地域発展に尽くす学会活動は、最極の「プライスレス」の行為。実践によって友が積む心の財は、自他共に幸福長者となる道を開いていく。(城)


◆寸鉄

会長が示した人間主義の
思想は時代を照らす光―
総長。平和世紀築く指標
     ◇
いったん植えた仏の種は
必ず大木に―戸田先生。
友の仏性信じて語り抜け
     ◇
『ワールド セイキョウ』
発売。学会の魅力が満載。
友好の拡大へ大いに活用
     ◇
電子メールの日。銀行等
装う詐欺メール横行。暗
証番号は安易に入力せず
     ◇
睡眠不足の人は2割超で
増加傾向―厚労省。唱題
根本に生活リズムを整え


◆社説 聖教電子版が好評 真実の言論で勇気と希望送る

 「毎日、聖教電子版を開くことが楽しみになりました」「記事がスマートフォンで読みやすく気に入った」
 昨年11月にスタートした聖教電子版の利用は、世界202カ国・地域に広がり、多くの反響が寄せられている。
 ほかにも、「記事をクリップし、整理して保存できるので便利」「1年前の記事も閲覧できるようになり、ますます活用できる」など、多くの方に利用いただいていることに感謝申し上げたい。
 今回の大きなポイントは、レイアウトの大幅な変更と機能の拡充にある。トップページを一新し、記事は文章と写真が交互に並んだようなレイアウトに。方面・県版の記事も、横書きのテキスト形式で表示。SNSを利用して、記事を友人と共有できるようになった。
 また、有料会員(月額税込み1731円)に登録すると利用できる「人間革命検索サービス」は、小説『人間革命』全12巻、『新・人間革命』全30巻の内容を、キーワードやページ数で検索でき、「研さんするために非常に助かる」と、好評をいただいている。
 このほか、デジタル・オリジナル・コンテンツとして、記事に関連したさまざまな動画。座談会などで皆で楽しめる「クイズ聖教新聞」。青年部向けにコンテンツを作成した「YOUTH」のコーナー。新春朝景色の写真を集めた「フォトストーリー」など紙媒体を超えた内容を多数、公開している。
 さらに、創価大学駅伝部の活躍が光った今月2、3日の第96回箱根駅伝では、アプリのプッシュ通知による順位の発信や、各区間を走り終えた後の選手の声をリアルタイムで配信した。10日からは、「2020箱根駅伝プレイバック」と題し、箱根路における感動の名シーンを数多く掲載している。
 このように、インターネットの発展で、多くの情報を発信・入手できる時代となった。一方、根拠なき虚偽情報がSNSで拡散され、多くの人に不快感や悪影響を与えるようにもなっている。
 池田先生は随筆で、「『フェイクニュース』と呼ばれる虚偽の情報や、『匿名』の隠れ蓑をまとって人を貶めるための悪意の言葉があふれている」ことに警鐘を鳴らし、「今、社会に世界に求められているのは、何より『真実の言論』である。『建設の言論』『結合の言論』である。そして『価値創造の言論』である」と訴えている。
 ネットに対する情報の信ぴょう性が問われる現代、聖教新聞・聖教電子版では、これからも事実と真実を追求し、全世界の同志に勇気と希望を送る正義の言論戦に挑んでいく。


◆きょうの発心 聖人御難事 山形太陽県長 川村孝2020年1月23日

御文 月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし(聖人御難事、1190ページ・編1209ページ)

通解 月々日々に信心を強めていきなさい。少しでもたゆむ心があれば、魔がそのすきにつけこんで襲ってくるであろう。

たゆまぬ信心で困難乗り越える
 月々日々に、たゆまず信心を強めていくことの大切さを教えられています。
 私は入会当初、勤行・唱題はしていたものの、学会活動には参加していませんでした。そんな私の所にも、男子部の先輩が足しげく通ってくれました。
 ある日、玄関のドアを開けると、この御文と励ましの言葉を書いたメモがはさんでありました。それを読み、このままではいけないと奮起し、男子部の会合に参加するように。同世代の青年がさまざまな課題に信心根本に挑戦する姿に感動し、“自分も成長しよう”と決意し、学会活動にも積極的に取り組むようになりました。
 以来、目の前の壁の大きさにちゅうちょする時もありましたが、この御文を胸に勇気を奮い起こし、困難を乗り越えてきました。自身の心の弱さから、油断したり怠惰に流されそうになったりした時、魔に負けずに信心を奮い起こして前進できたのも、この御金言のおかげです。
 これからも、日々、たゆまぬ信心で、何があっても負けない自分自身を築いてまいります。


【先生のメッセージ】

◆〈心に御書を〉17 勇気の「行動」こそ仏法の魂

御文 法華経は紙付に音をあげて・よめども彼の経文のごとくふれまう事かたく候か(転重軽受法門、1001ページ)
通解 法華経は、紙に書いてある通りに声をあげて読んだとしても、その経文に説かれる通りに振る舞うことは難しいであろう。

池田先生が贈る指針
 仏法の魂は「行動」だ。法華経の通り、御書に仰せのまま、あらゆる苦難を越え、世界広布を成し遂げてきた闘争が、創価の誉れである。
 百万言の理想より一歩の前進が尊い。目の前の一人を励ますことだ。勇気を奮い起こし、人間の中へ飛び込むことだ。
 御本仏は、最も偉大な実践の学会家族を全てご照覧であられる。


【聖教ニュース】

◆米モアハウス大学キング国際チャペル・カーター所長の著作の日本語版が完成
 「牧師が語る仏法の師」第三文明社から発刊

 アメリカ・モアハウス大学キング国際チャペルのローレンス・カーター所長が、自身の人生を回顧しつつ、池田大作先生から受けた啓発についてつづった著作の日本語版がこのほど完成した。書名は『牧師が語る仏法の師』(第三文明社)。今月下旬から、全国の書店等で販売される。
ガンジー、キングの平和の精神に連なる池田先生の思想と行動を綴る

2002年9月、カーター所長㊧と池田先生が2年ぶり2度目の会見。非暴力の闘士キング博士の思想と実践、平和のための教育などを巡り語り合った(旧・聖教新聞本社で)

2002年9月、カーター所長㊧と池田先生が2年ぶり2度目の会見。非暴力の闘士キング博士の思想と実践、平和のための教育などを巡り語り合った(旧・聖教新聞本社で)

 「池田会長の偉業を知った時、三番目の世界的な師匠に出会ったと叫びたい気持ちになりました」 完成した『牧師が語る仏法の師』(広田明美訳)で、カーター所長はこのように真情を述べている。
 バプテスト教会(プロテスタントの教派)の牧師である所長は若き日、アメリカ公民権運動の指導者キング博士と出会いを重ねた。
 博士と、博士の生き方に多大な影響を与えたインドのガンジーを師と仰ぎ、二人が示した非暴力の精神と実践を、未来に残しゆく闘争を自らの使命と定める。1979年には、キング博士の母校・モアハウス大学に設立された「キング国際チャペル」の初代所長に就任した。
 99年、アメリカSGI(創価学会インタナショナル)の婦人部員との出会いが。彼女は所長に、池田先生の平和行動を語り、先生と歴史家トインビー博士の対談集『21世紀への対話』を手渡した。
 深い生命哲学を縦横に論じた対談集や、毎年の平和提言等を読み深め、所長は、先生が「宇宙大のスケール」で宗教的真理を説いていることに感銘を受けた。同時に、自らのキリスト教徒としての生き方に、自信を持てるようになったという。
 書籍には、“3人の師匠”への親愛と敬意が飾らない言葉でつづられている。
 原著『A Baptist Preacher’s Buddhist Teacher』は、2018年11月、ミドルウェイ出版社から発刊。優れた宗教書籍として数々の賞を受賞し、大学の神学部の授業で活用されるなど反響を呼んでいる。

完成したカーター所長の著作の日本語版
 『牧師が語る仏法の師』は14章立て。
 第3章「師との出会い」で所長は、キング博士との思い出を振り返りながら、“弟子の道を全うし、師のために貢献しようと誓った”とつづる。
 第6章は「世界という家」。キング博士がこの言葉に込めた、平和へのビジョンについて述べている。
 第8章「仏法の師」では、2000年9月に東京で、池田先生と初の出会いを刻んだ感動がしるされている。
 気取らず、率直で、謙虚な先生の姿に触れた所長。同章の最後でこう語る。「池田会長こそが、その誠実さ、学識、行動力、高潔な人格、業績、グローバルな理念において、最も感銘を受けた人物である」と。
 先生と所長は、02年9月にも会見した。

2001年、キング博士の母校・モアハウス大学で「ガンジー・キング・イケダ――平和建設の遺産」展が開催。以降、同展は全米や世界各国を巡回している

 同書は、そのほか、「人間革命」「対話の力」「価値創造」「世界を変える信仰の力」などの章で構成。
 牧師であるカーター所長が、なぜ、仏法指導者である池田先生を師と定めたのか――。各章でその理由に迫りながら、人類の幸福と平和を願う互いの心が、宗教を超えて響き合う。
 所長はつづった。
 「私はこう言いたいのです。ガンジーにキング牧師がいたように、キング牧師に池田会長がいたように、池田会長にはカーターがいる、と」
 「世界平和を実現し、『人間』が国家の枠組みを超えて、何よりも尊重される世界を実現しようと尽力する、池田会長のお手伝いをしたいと願っています」
 2200円(税込み)。今月下旬から全国の書店で販売。コンビニ通販サイト「セブンネットショッピング」「HMV&BOOKS online」での注文、受け取りも可能です。電子書籍は、希望小売価格1100円(税込み)。価格や配信日は各電子書店によって異なります。


◆終戦75年 沖縄青年部が不戦の魂を継承

平和を希求する心を「戦争を知らない世代」へ――昨年、行われた沖縄の未来部員による戦争体験の聞き取り

今夏、未来部の聞き取りによる戦争証言集を発刊 
 終戦から今年で75年――戦争体験者や遺族の高齢化が進み、「戦争を知らない世代」が国民の大部分を占め、記憶の風化が叫ばれている。太平洋戦争末期、凄惨な地上戦の舞台となった沖縄では本年、青年部・未来部が不戦の魂を継承しようと、平和への取り組みを力強く推進する。
 このほど、沖縄戦の体験集が第三文明社から今夏、発刊される運びとなった。これは、沖縄の中・高等部の友が昨年、沖縄戦の経験者に行った戦争体験の聞き取りをまとめたもの。体験集は、6月23日の沖縄「慰霊の日」の意義をとどめ、編さんが進められており、貴重な8人の証言が収録される予定だ。
 
青年部は平和意識調査を推進

沖縄の男女青年部が取り組んでいる平和意識調査(18日、那覇市内で)
 青年部では、「SOKAグローバルアクション2030――青年の行動と連帯の10年」の一環として、今月から青年世代を中心とした平和意識調査がスタートしている。沖縄青年部は、悲惨な歴史の風化を防ごうと、沖縄戦に関する意識調査を継続的に行ってきた。今回は、県内在住の10代から40代までの青年層を対象に、3月まで実施する。
 また、今回の調査では沖縄戦に関する項目に加え、「核兵器禁止条約」を巡る設問や、国連が2030年までの国際指標として掲げる「SDGs(持続可能な開発目標)」の認知や実践を問い掛ける内容も含まれている。 沖縄・糸満市の平和祈念公園に立つ「平和の礎」。そこに刻まれる名前は今なお、増え続けている

沖縄・糸満市の平和祈念公園に立つ「平和の礎」。そこに刻まれる名前は今なお、増え続けている
 24万1566人――沖縄戦最後の激戦の地といわれる糸満市の平和祈念公園にある石碑「平和の礎」に刻まれた名の数だ(昨年6月時点)。石碑は国内外の沖縄戦などの犠牲者の氏名が国籍や軍民を問わずに刻印されており、波が広がりゆくように?風状に建てられている。
 60年前の1960年7月16日、池田先生は沖縄の地に第一歩をしるした。初訪問の折、糸満市の南部戦跡を視察。この時の真情を後年、こうつづった。
 「世界不戦への誓いを固めつつ思った/いつの日か書かねばならぬ/小説『人間革命』の筆を/もっとも戦争の辛酸をなめた/この沖縄の地で起こそうと」(長編詩「永遠たれ“平和の要塞”」)
 64年12月2日、池田先生は沖縄から幸福と平和の波を広げようと小説『人間革命』の執筆を那覇市の沖縄本部で開始した。
 
沖縄から平和の潮流を世界へ
 「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない。だが、その戦争はまだ、つづいていた」との冒頭から始まる小説は、翌65年の元日付から本紙で連載がスタート。翌月、米軍は北ベトナムへの空爆を開始し、沖縄の嘉手納基地からも爆撃機が飛び立った。沖縄では現実に戦争は終わっていなかったのである。
 “師の思想を沖縄中、日本中、世界中に広げよう!”――74年6月23日、沖縄青年部は小説『人間革命』の起稿に込められた先生の思いを胸に、全国に先駆けて戦争体験の証言集をまとめ、出版した。
 その年の2月、池田先生は名護市で沖縄の未来部の代表に、軍国主義と戦い抜いた恩師の真実を小説に描くに至った思いを述懐。沖縄戦の歴史を語るとともに提案した。
 “高校生、中学生の諸君が、戦争を体験した方々がお元気なうちに話を聞いて、その証言を立派な本にして後世に残してはどうだろうか”と。

戦後70年の節目に沖縄青年部が開催した「青年平和主張大会」。沖縄戦をテーマにした創作劇や群読などが行われた(2015年6月、恩納村の沖縄研修道場で)

 これまで、沖縄では青年部・未来部による戦争体験の聞き取りや出版をはじめ、「沖縄戦の絵」展など、多角的に運動を展開してきた。青年にこそ、先人たちの“声なき声”に耳を傾け、不戦の叫びを伝え抜く使命がある。沖縄から世界平和の潮流を――師との誓いは今、後継の若人に受け継がれている。


◆企画連載 私がつくる平和の文化Ⅱ インタビュー 横山だいすけさん 子どもの心に豊かさ

 「私がつくる平和の文化」のページは今号から紙面を一新するとともに、各分野で「平和の文化」を広げる人へのインタビューを掲載します。第1回は、NHK「おかあさんといっしょ」で「歌のお兄さん」として活躍した横山だいすけさんに、子どもの心に豊かさを育む大切さについて語ってもらいました。(聞き手=小野顕一、歌橋智也)
  
いつも歌っている少年
 ――「歌のお兄さん」を目指そうと思ったきっかけは?
  
 母親が音楽が好きで、家にはいつも音楽が流れていました。そのせいか、僕は幼い頃から歌うことが好きで、家の中でも外でも歌を歌っているような少年でした。また、3人きょうだいの長男として妹や弟の面倒を見るうちに、自然と小さな子どもとの触れ合いも好きになりました。
 将来の進路を考えていた高校2年の時です。幼児教育に関する資料に、“乳幼児期の子どもは脳が柔軟で、何でも吸収する。そういう子たちにたくさんの音楽を聞かせることが、一生の心の豊かさにつながる”と書かれているのを読みました。
 感銘を受けた僕は“将来は子どもに音楽を届ける仕事をしよう”と考えました。その日、家に帰ると弟がたまたまテレビで「おかあさんといっしょ」をつけていたのです。それを見た瞬間、「これだ! 僕は『歌のお兄さん』になる!」と決意したのです。
 音楽大学を卒業後、ミュージカルの劇団へ。壁にぶつかるたびに、両親は僕の話を聞いてくれ、見守り、応援してくれました。その支えのおかげで、24歳の時、「歌のお兄さん」のオーディションに合格できたと思います。
  
関わり方に正解はない
 ――歴代最長となる9年間、大役を務められました。
  
 最初は戸惑いと失敗の連続でした。番組に来た子たち(2歳~4歳)にとって僕は、「家族以外で接する大人の男の人」であり、番組は「お母さんの手を離れた集団行動」です。当然、緊張しています。僕も子どもを扱うプロではないので、どう接すればいいか分からない。日々、悩んでいました。
 それである時、番組を経験した先輩に相談したんです。すると先輩は「いろいろやってごらんよ。だいちゃんにしかできない関わり方がきっとあるから」と言うのです。てっきり、接し方のノウハウがあって、それを教えてもらえると思ったら、そうではなかった。
 そこで試行錯誤を繰り返し、“今日は1人、笑顔にできた”“今日は2人、笑顔にできた”と積み重ねたのです。そして“こんなことが僕にはできるんだ”というものを発見した時、自信がつき、子どもたちの反応が変わったのです。
 こうした経験を通して、“子どもとの関わりに正解はない”ということを学びました。
  
子どもたちのために僕ができること
 ――「歌のお兄さん」として、転機になった出来事があったと。
  
 3年目の時に起きた東日本大震災です。未曽有の大災害で、子どもたちがストレスを抱えているとのニュースを見るたびに、胸が痛みました。“彼らの「おともだち」である自分には一体、何ができるだろう”と。
 チャリティー公演で宮城県に行った時のことです。多くの親子と接した時、今の僕にできるのは、とにかく楽しさを発信することだと感じました。だから大事なのは、うまく歌うことではなく、思いっきり楽しさあふれる歌を届けることだと気付いたのです。

 レパートリーに「ぼよよん行進曲」という歌があります。何があっても強く乗り越えていこうというメッセージ性の強い歌です。
 この歌を、倒れてもいいから全力で歌ってみよう、うまい下手ではなく、魂を込めて届けようと決めました。
 そして本番。全身全霊で歌い切ると客席の反応が全く違ったのです。親も子も目がキラキラと輝き、会場のみんなの気持ちが一つになったのです。
 “音楽の力はすごい!”と、心が震えました。「歌のお兄さん」として、横山だいすけとして、人生観が変わった瞬間でした。以来、魂を込めて歌った歌は、「勇気」と「希望」になって必ず届くとの確信を持てるようになりました。
  
親子で歌って、笑って 
 ――だいすけさんの歌や演技を見ると、親も笑顔になります。
  
 育児は、楽しいことよりも大変なことの方が多いですよね。自分がこの子を守らないと誰も守ってくれない。その責任感ゆえに、時には感情をぶつけてしまうことだってあると思う。大切だからこそ一生懸命になりすぎちゃうんですよね。そんな時は、僕らの歌を聞いて、“親子で歌って笑えるって、こんなに楽しいんだ”“この子ってこんな表情するんだ”と、家族の「大切な何か」を見つけたり、思い出したりしてくれたら、うれしい。そして、少しでも心の余裕をつくってほしいです。
   
胸に染み込んだ平和の心 
 ――親子で歌う時間は幸せです。
  
 作曲の先生から「子どもの歌は歌詞を大事に、情景が思い浮かぶように歌いなさい」と教わりました。子どもの歌は、いろんな情景や人の心が短い行数に詰まっています。
 小さい頃には意味が分からなくても必ず心に残ります。そして、大きくなって口ずさんだ時、歌詞の意味に気付くのです。“やっぱり友達っていいな”“周りの人を大事にしなきゃ”と。
 幼い頃に胸に染み込んだ「人を大切にする心」。それは、大きくなった時に必ず形になります。そうすれば、自分の身近なところから平和が生まれます。それはいつか必ず大きな平和につながっていくのではないでしょうか。

よこやま・だいすけ 千葉県出身。国立音楽大学卒業後、劇団四季へ。NHK「おかあさんといっしょ」では歴代最長の9年間、「歌のお兄さん」を務める。現在は舞台、ドラマ、バラエティー、CMなど活躍の場を広げる。

池田先生の写真と箴言

アルゼンチンの子どもたちと(1993年2月、ブエノスアイレス郊外で)

アルゼンチンの子どもたちと(1993年2月、ブエノスアイレス郊外で)
  
 子どもの心の世界というのは、大人の想像以上の広がりをもっているものです。たとえまだ幼くても、吸収の度合いは大きく、いくらでも心は豊かになるし、可能性はどこまでも伸びてゆく。
                       ◇
 子どもを下に見ず、一個の人格と見て、きちんと話すことだと思う。その姿勢自体が「相手の人格を尊敬する」という非暴力のお手本になる。
 
 (前半は『21世紀への母と子を語る』、後半は『希望の世紀へ 教育の光』から)
     
「平和の文化」とは

 国連は1999年に「平和の文化に関する宣言及び行動計画」を採択し、生命の尊重、教育・対話や協力を通した非暴力の実践、環境の保護、男女の平等や人権に基づいた価値観、態度や振る舞いを「平和の文化」として推進しています。「平和の文化」は、日々のあらゆる場面で、異なる人や考え方に寛容になり、対話によって理解し、対立を乗り越えていく、連帯を広げていくという、私たち一人一人の生き方の変革から始まります。
  
皆さんの声をお寄せください
 「私がつくる平和の文化」のページでは、次号以降、読者の皆さまの声を紹介いたします。ご意見・ご感想、また、身近なところで「平和の文化」をつくる実践をしているエピソードなどをお寄せください。
 ◇
 <応募要項>
 封書・はがき、ファクス、メールで受け付けます。いずれの場合も、氏名、年齢、職業、郵便番号、住所、電話(ファクス)番号(※任意で携帯電話番号)を明記してください。掲載の際は編集部から連絡いたします。
 掲載された原稿が、当社のウェブサイトに掲載されることもご了承ください。趣旨を変えない範囲で添削させていただく場合があります。原稿は返却しません。同内容のものを他紙誌に送ることはご遠慮ください。掲載の問い合わせには応じかねます。
 宛先は下記の通り。
 【郵送】
〒160―8070
 聖教新聞「私がつくる平和の文化」係
 【ファクス】
 03(5360)9645
 【メール】
 heiwanobunka@seikyo-np.jp


【特集記事・信仰体験など】

◆〈「新・人間革命」と私〉 信越男子部長 嶺山大輔さん

心に刻む珠玉の言葉
 人生の勝利は、持続の信心のなかにこそある。そして、当面の課題、戦いに、全力でぶつかり、今を勝つことです。それによって、自分の苦悩を一つ一つ乗り越え、自身の境涯を開いていくことができる。すべての広宣流布の活動は、自分が幸福になり、人生に勝利するためにある。 <第26巻「奮迅」の章>

時代背景
 1978年(昭和53年)、広布第2章の「支部制」がスタートした。山本伸一は各地の支部結成大会で激励を重ねつつ、支部制をさらに盤石にするため、青年部育成を決意する。その戦いは、東京に集まった信越男子部の幹部会から始まった。こうした伸一の奮闘により、学会は新生の息吹にあふれ、広布の新章節へと雄々しく飛翔していく。

“青年革命”へスクラム固く
 「奮迅」の章には、山本伸一が広布の未来を開くため、男女青年部の強化に力を注いでいく模様が描かれています。
 「それも、東京の男子部ではなく、信越男子部の幹部会に出席することから、その行動を開始したのだ。各方面がそれぞれの特色を生かし、先駆となって、広宣流布を牽引していってこそ、『広布第二章』という新時代が開かれる」との言葉に触れ、信越の地で拡大に挑む使命の深さを改めて教えていただきました。
 そして、幹部会の場面では、伸一が詩人ホイットマンの有名な詩の一節「さあ、出発しよう! 悪戦苦闘をつき抜けて! 決められた決勝点は取り消すことができないのだ」を引用し、こう語ります。「苦労した分は、すべて自分の功徳、福運となっていく」「時は決して待ってはくれない。今、立つんです」と。
 何があろうと絶対に諦めず、今いる場所で挑戦し続ける――この中に広布の前進があり、一人一人の人生勝利の道もあると確信します。
 私も、挑戦の心で夢をつかんだ思い出があります。それは、小学生の頃に抱いた夢でした。
 創価高校野球部が甲子園に出場。その雄姿を見て、私もユニホームに刻まれた「創価」の二文字を背負い、甲子園に出場したいと思ったのです。
 途中、何度も挫折を味わいましたが、夢を追い続け、2000年に創価高校野球部の一員として甲子園に出場することができました。

家族のような温かさが学会の強さ
 思えば私の周囲には、いつも私を励まし、支えてくれる“創価の父母たち”がいました。悩んだ時には同苦し、目指すべき方向を指し示してくれる“創価の兄弟たち”がいました。だからこそ、心が折れそうになるたびに、「よし頑張ろう」と立ち上がることができたのだと思います。この家族のような温かさが、学会の強さだと感じます。
 池田先生は2008年8月、「信越は、青年革命の模範となっていただきたい」と呼び掛けてくださいました。この師の万感の期待を胸に、信越男子部はスクラム固く、皆で限界突破の拡大に挑んでまいります。


◆〈座談会〉1・26 SGIが発足45周年 仏法の人間主義に広がる信頼
 世界に「妙法という平和の種」

〈出席者〉原田会長、大場SGI理事長、笠貫SGI女性部長、西方男子部長、大串女子部長

 大串 1月26日はSGI発足45周年の記念日です。
 
 原田 1975年(昭和50年)のこの日、世界51カ国・地域の代表158人がグアムに集いました。私も参加させてもらいましたが、グアムは第2次世界大戦の戦場です。この地から、世界平和への新たな挑戦が開始されたのです。
 
 大場 池田先生は参加者に「自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」と呼び掛けられました。全世界の友が自身の使命を胸に刻み、SGIは結成されました。
 
 西方 以来45星霜。今や創価の連帯は、世界192カ国・地域に広がり、聖教新聞では、毎日のように、世界の同志の活躍が紹介されています。
 
 大串 今年の新年勤行会では、ヨーロッパ、インド、アメリカの友の躍動感あふれる映像が上映されました。世界広布の今を伝える感動的な内容でした。
 
 西方 私は、“世界最南端の都市”であるアルゼンチンのウスアイアの聖教記事をよく覚えています。南極圏まで1250キロほど。「世界の果て」ともいわれる町でも、創価の同志は、人々のため、地域のために奮闘しています。
 
 原田 南米ペルーの空中都市マチュピチュがあるクスコ地区の記事もありました。クスコは、かつてのインカ帝国の首都です。標高は3400メートルもあり、富士山の8合目に相当します。ここでも、創価の旗が厳然と翻っているのです。
 
 笠貫 大西洋(アフリカ大陸の北西沖)に浮かぶ小さな島国カボベルデ共和国の同志の写真や動画も、大反響でした。人気の観光地として知られ、宝石のような輝きを放つこの島でも、創価の同志は広宣流布に生き抜いています。

東アフリカの赤道直下の国・ケニアでの“青空座談会”。地球を包む創価の「世界市民の連帯」――その使命は、民衆の平和と幸福であり、地球社会の安穏である

“良き市民”の連帯
 大場 「ワン・ヨーロッパ! ウィズ・センセイ!(欧州は一つ! 池田先生と共に!)」の心で進む欧州では、伝統の広布サミットが今年も開催されました。青年を先頭にして、教学を根本に、さらに小説『新・人間革命』の真剣な研さんを進める欧州は、まさに世界広布の模範として大発展しています。
 
 笠貫 地動説を唱えた天文学者コペルニクス、大音楽家ショパン、大科学者キュリー夫人らを生み出した「学術と芸術の国」ポーランド。かつての共産圏の国にSGIの支部が結成されたのは、東欧革命から3年の1992年のことです。
 
 原田 人口の9割がカトリックを信仰する国で、友は仏法の人間主義を基調に、“良き市民”として地道に信頼を広げてきました。今では、世界遺産の古都・クラクフなどでも、メンバーが躍動しています。
 
 大場 大西洋と太平洋を結ぶ「パナマ運河」がある中米パナマでは、毎月の「座談会」とは別に、会友を対象とした「折伏座談会」を開催しています。しかも、支部や地区単位で毎週です。それほど多くの人が、仏法を求めているのです。
 
 笠貫 日付変更線に近く世界で最も早く朝を迎えるオセアニア。“世界広布のトップランナー”との誇りに燃え、リーダーが毎朝午前6時に、拡大への誓願の唱題をしています。
 
 大場 「池田先生の平和思想と偉大な行動を、全世界の人々が模範として実践すべき」とたたえ、1月2日に先生ご夫妻へ「名誉市民証」(京畿道平澤市)が授与された韓国。ここでは今、「私の青年育成運動」と銘打ち、総力を挙げて青年の育成に励んでいます。理事長や婦人部長をはじめ全リーダーが、一人の青年の“幸福責任者”となって、家庭・仕事・人間関係の悩みなどを聞きながら、
励ましを送り、信心を継承させているのです。

無量無辺の功徳
 大串 先行き不透明な時代にあって、“幸福への羅針盤”ともいえる確かな哲学をもつSGIの運動には、各国の識者から期待の声が寄せられています。
 
 原田 南米パラグアイのコルンビア・デル・パラグアイ大学の創立者の令孫であるウルビエタ副理事長は、「池田博士が築かれたSGIには、後退という言葉が見当たりません。常に前進の息吹がみなぎっています。このエネルギーこそが、混迷の時代の闇を破るカギでありましょう。世界は今、SGIの理念と実践に学ぶべきです」と語っています。こうした評価の声は各地から届いています。
 
 西方 朝日新聞出版の週刊誌「AERA」で、連載「池田大作研究――世界宗教への道を追う」を続ける、作家の佐藤優氏は、自著に記しています。日本発の仏教団体である創価学会は「世界宗教化」の途上にあり、「半世紀、一世紀という長いスパンで見るなら、『創価学会が世界三大宗教の一つとなる時代』が必ずやってくると、私は本気で考えているのです」と。
 
 原田 20世紀最大の歴史家であるトインビー博士は、“歴史を創るのは水底のゆるやかな動きである”と洞察されていました。博士は、仏法を根底にした学会の民衆運動に深く期待していました。先生と共に世界の同志が進めてきた世界広布の大河は今、新しい時代の暁鐘を告げる一大運動になりつつあるのです。
 
 笠貫 御書に「妙法の五字を弘め給はん智者をばいかに賤くとも上行菩薩の化身か又釈迦如来の御使かと思うべし」(550ページ)と仰せです。先生は、大聖人に直結し、広布に生き抜く私たちこそ、「最も尊貴な『世界の宝』の存在」であると強調されています。
 
 原田 世界広布にまい進してきた「学会員に、無量無辺の功徳が降り注がぬわけがない」とも述べられています。私たちは、いよいよの前進をしていきたい。


◆〈信仰体験〉高次脳機能障害を越え再就職 1カ月半の意識不明から再起

 【神奈川県川崎市】2013年(平成25年)秋、栃木県内の食品メーカーに勤めていた青木学さん(46)=広宣長(ブロック長)=は、神奈川に住む母・百合子さん(74)=地区副婦人部長=に電話をかけた。
 「体には気を付けるんだよ。こっちに住んでもいいんだからね」。夫を亡くし、1人暮らしの母の身を案じていた。帰省するたび、“近くで、もっと親孝行したい”との思いが強まっていた。
 だが、その年の12月8日の朝、青木さんはバイクで会社に向かう途中、右折してきた自動車に衝突された――。

 母の百合子さんが栃木の病院に駆け付けると、青木さんはICU(集中治療室)に運ばれていた。
 びまん性軸索損傷(脳が頭蓋内で激しく揺さぶられ、脳細胞をつなぐ神経経路が広範囲に引き裂かれる症状)、外傷性くも膜下出血、脳挫傷、外傷性血気胸、頸椎骨折、多発肋骨骨折との診断で意識不明の状態。「意識が戻らないかもしれません。覚悟してください」と告げられた。
 “何で、学がこんな目に遭うの?”。百合子さんは自分を責めた。心が押しつぶされそうになりながらも、懸命に回復を祈った。
 “絶対に意識は戻る!”。そう信じて、毎日のように、神奈川から栃木の病院へ通った。目を閉じたままのわが子の手を握り締め、題目を唱え続けた。
 1カ月半が過ぎたある日、青木さんの右手がピクッと動き、その数日後、目を開けた。「学! 分かる? お母さんだよ」
 だが――青木さんは無表情で、ぐったりしたまま。体を起こしても、安定しなかった。
 事故から7カ月後、言葉を発したが、百合子さんを別の名前で呼んだ。会話が成り立たない。服のボタンをかみちぎり、暴れもした。
 高次脳機能障害との診断。とりわけ、重度の意識障害があった。さらに、腕神経叢損傷で左腕は動かず、時に激痛で、うずくまる。左足にもまひが残った。
 “意識は戻ったけど、この先、どうなってしまうの……”
 不安にかられる百合子さんを支えたのは、学会の同志だった。一緒に祈り、寄り添って話を聞いてくれた。地区のみんなは色紙に「妙とは蘇生の義なり」と書いて届けてくれた。
 “意識が戻ったのは、学に使命がある証し。今は、学が祈れない分、私が祈る!”
 青木さんの記憶があるのは、事故の1年半後から。通院でリハビリを行うように。車いす生活から杖で歩けるまでになっていた。
 「毎日、少しずつ、事故以前の記憶もよみがえってきて。どんな仕事をしてたとか、趣味でジムに通っていたとか」

 しかし、その記憶を受け止めることがつらかったという。
 「職場で責任ある仕事も任され、“いよいよ、これから”という時だった。仕事、健康な体、信頼……全てを失った。“俺の人生って何なの?”って思った」
 自分には非がないだけに、やるせなかった。
 「信心しかないよ」。そう励ましてくれたのは、百合子さんだった。
 それまで何度も聞き流してきた言葉。この時は、自然とうなずき、御本尊の前に座っていた。
 「それまでは、仕事や趣味が充実して、信心の必要性を感じていなかった。でも、こんな状況になって気付いたんです。母は、10歳で自分の父を事故で亡くし、夫に先立たれ、苦労続きなのに負けない。その強さの理由を知りたくなった」
 久しぶりに題目を唱えた。母の声が重なる。ずっと祈ってくれていたのかと思うと、胸が熱くなった。
 聖教新聞や池田先生の著作を読んだ。一言一言が、ふさぎ込んだ心をたたいた。“なぜ、会ったこともない人なのに、僕の苦しさが分かるんだろう”。涙があふれた。
 抱き締めるような思いで大切にしている池田先生の言葉がある。
 「すべてを失ったとしても、希望さえ残れば、そこから一切が再び始まる。『希望』は常に出発であり、永遠の始まりである」
 しばらくして、教学部任用試験の受験を勧められた。障がいもあり、当初は乗り気ではなかったが、壮年部の先輩との一対一の勉強会は「意外と楽しかった」。
 ある時、「願兼於業」の意味を尋ねると、先輩は言った。
 「青木さんは、仏法の素晴らしさを証明するために、自ら願って、宿業を背負い、生まれてきたんです。今はつらくて、大変かもしれない。でも、いつか、この苦労に意味があると思える日が来ます」
 後日、任用試験に合格した青木さんは決めた。“いつか宿命を使命にしたい!”

 使命の道へと一緒に歩んでくれた人がいた。地区部長の山県昌朗さん(52)。
 15年に腕神経叢損傷の専門医と出会い手術を行い、左腕の痛みがなくなった。「信心ってすごいのかも」と思っていた頃だった。
 山県さんが「毎週、私の家で祈りましょう」と提案。30分間、題目を唱えた後、近況を語り合った。青木さんの話が長くなっても、じっくりと聞いてくれた。
 ある時、「一緒に訪問・激励に行きませんか?」と誘われた。勢いにつられ、思わず「いいですよ」と答えると、「早速行きましょう」と。地区の壮年部員の家を回った。
 山県さんは、青木さんの歩幅に合わせ、ゆっくり歩いてくれた。階段を上る時は、そばで支え、「これが青木さんの“ビクトリーロード”になりますね」と励ましてくれた。
 訪ねた先で、部員と会うと、青木さんは「どうも」と一言だけ。それでも、山県さんはうれしそうだった。
 昨年、社会復帰を目指し、企業に履歴書を送ったが、1社、2社……10社と不採用が続いた。
 “やはり、こんな状況の自分なんか社会に必要とされていないんだ”
 気落ちした顔を見せないようにしても、山県さんは敏感に察して、一緒に祈ってくれた。プレッシャーにならないよう、就活の話は少しだけ。あとは冗談を言って、笑わせてくれた。
 半年後、再就職を勝ち取ると、山県さんは、自分のことのように喜んでくれた。
 「青木さんは、僕と一緒に動く時、一度も“障がい”を言い訳にしませんでしたよね。歩く時も、スピードが遅くならないよう、陰ながら努力してました。“できない”と諦めてもいいのに、常に“こうすればできる”って挑んでいた。そんな人一倍、頑張る学さんのことを分かってくれる会社が見つかって、本当に良かった」
 現在、青木さんは出勤前、30分の唱題に励む。時折、母と一緒に勤行する。隣から聞こえるうれしそうな声に安心する。
 スーツは一人で着る。利き手のワイシャツの袖ボタンも、片手で留められるようにゴムを使って工夫。ネクタイも器用に結ぶ。
 杖を突いて、駅に向かう。坂道に階段、満員電車。何かと不便は多い毎日。でも、その目に陰りはなく、輝いている。
 「事故前に比べると、できる、できないで言ったら、できないことの方が増えた。でも、人生の価値はそれだけで決まるわけじゃない。だって僕は今、とても幸せだから。信心という希望に出あい、最高の親孝行ができているから。その喜びを伝えていくのが、僕の使命なのかな」

 

2020年1月22日 (水)

2019年1月22日(水)の聖教

2019年1月22日(水)の聖教

◆わが友に贈る

 リーダー率先の励ましが
 勇気と団結を生む。
 拡大の突破口を開く。
 歓喜と希望が広がる。
 足取り軽く動き語ろう!


◆名字の言 母の教え「大きな願いは10年かけて祈りなさい」

 「大きな願いは10年かけて祈りなさい」――この母の言葉通り、10年ごとに目標を立て、50年以上になる婦人がいる▼彼女は結婚後、20歳の時に東京で年中無休の中華料理店を開店。仕事と家事・育児に追われる日々が続いた。多忙な中で脳裏に浮かんだのは新潟・佐渡の“広布の一粒種”である母の姿。“母のように信心で宿命を転換したい”と、どんなに大変でも唱題と仏法対話だけは欠かさなかった▼以来、実らせた弘教は20世帯を超える。地域友好のために50歳で始めた舞踊では名取・師範の資格を取得。60歳で家業を後継に譲り、悠々と学会活動ができる境涯になった。「途中で諦めずに祈り続けたことは必ずかなってきました。本当に気持ちがいいです」と。昨年末には、青年世代の友を入会に導くこともできた▼「十年一昔」どころではなく、世の中の変化は激しい。人の心もまた移ろう。どんなに決意していても、周囲の状況が変われば、意志が揺らぐこともある。そのたびに初心を思い起こし、自ら決めた目標へ、挑戦を続けることができるかどうか。そこに人生勝利の要諦がある▼ロシアの科学者ロモノーソフは「小事ができない者に大事はできない」と。広布と人生の壮大な建設もまた、今の決意、今日一日の勝利から始まる。(仁)


◆寸鉄

学会は強気でいけ!それ
が正義のため―戸田先生
地涌の誇りに胸張り前進
     ◇
高知青年部の日。魁光る
勇者よ対話の大旋風を!
愛する志国に勝ち鬨轟け
     ◇
「各各なにをかなげかせ
給うべき」御書。苦難の時
こそ題目。誓願の祈りで
     ◇
大麻摘発、若年層に増加。
興味本位の中高生にも。
根絶へ対策の強化が急務
     ◇
災害時の救助は初動が重
要、向こう三軒両隣が鍵
と。日常的な声掛けこそ


◆社説 「ヤング白ゆり世代」が躍動! 地域・社会に励ましの連帯を

 広布の新たな歴史を開く、婦人部の取り組みがスタートした。婦人部の中で、40代までを「ヤング白ゆり世代」と総称し“新時代を築く主役”として応援していく。仕事や子育て、学会活動など地域・社会の最前線で奮闘する世代でもある。
 ヤング白ゆり世代をはじめとする創価の女性の連帯を、各界の識者もたたえている。池田先生と対談集を編んだオーストリア元文部次官のサイフェルト博士は、婦人部の集いに参加すると、いつも感銘を受けることがあるという。「それは、家庭の課題や自身の悩みなどを赤裸々に打ち明け、“必ず克服します”と、朗らかに決意を発表する姿です」。友と悩みや疑問を納得のいくまで話し合うことができる小単位の懇談は、前進への力を育むオアシスといえよう。
 本紙「ライフウオッチ」(先月21日付)で紹介されたヤング白ゆり世代の友は半年に及ぶ給料の未払いに直面。結婚、出産も経験し、家計を支えるため新たな就職先を探す中、婦人部のグループ学習・懇談に参加した。皆が日々の現実と格闘しながら本音で語り合う姿に励まされた。就職した世界有数の外資系大手で実績を重ね、現在では学生時代の夢だった環境活動にも携われるようになった。
 都内のあるヤング白ゆり世代の友は、男子部の夫や義母、また地域の婦人部の真心の励ましに触れ、娘と共に2年前に入会。半年ほどたったころ、近くに住む同じ年齢の子どもを持つ同世代の婦人部員と出会った。一生懸命に学会活動に励む彼女の振る舞いに触発され、“自分も真剣に信心に取り組もう”と発心。会合に積極的に参加し、地元婦人部の合唱団にも入団。今月からヤング白ゆり世代の集いも始まり、「皆で一緒に小説『新・人間革命』を研さんできて、とてもうれしいです」と喜びにあふれている。
 地域・近隣の人間関係が希薄になり、身近に語り合い、支え合うつながりが弱くなっている現代社会――。人知れず仕事や子育て、生活の悩みを抱えている若い女性も多いだろう。そうした人々の中に飛び込んで、悩みに寄り添い、励ましを送る学会の婦人部はどれほど尊い存在であろうか。
 池田先生は『新・人間革命』で「人材は、一朝一夕には育ちません。多くの時間と労力を必要とします。しかし、人を育てる以外に、広宣流布の永遠の未来を開く道はないし、それに勝る聖業もありません」(第26巻「奮迅」の章)とつづっている。ヤング白ゆり世代を中心とした励ましの連鎖が、学会創立100周年、そして万年の広布の未来を開く礎になっていく。この尊く偉大な人材育成の取り組みに心からのエールを送りたい。


◆きょうの発心 秋元御書 第五東京婦人部長 波多野由美子2020年1月22日

御文 信心のこころ全ければ平等大慧の智水乾く事なし(秋元御書、1072ページ・編1254ページ)
通解 信心の心が堅固であれば、仏の平等大慧の智慧の水が乾くことはない。

信心で「仏の智慧」を湧かせ前進
 純真な信心があれば偉大な仏の智慧が湧き出てくると仰せです。
 2016年(平成28年)12月、池田先生が、各部代表者会議に贈られたメッセージで、この御文を拝し「責任即智慧」「真剣即智慧」「団結即智慧」と指導されました。当時、東京・調布総区婦人部長を務めていた私は、この指針を胸に祈り語り抜いた結果、翌年、皆で壁を破り、地域広布を大きく進めることができました。
 私は「池田先生と学会についていけば間違いない」「題目を唱えた人にはかなわない」というのが口ぐせの両親の元、学会家族の中で育ちました。高校1年の時に、父が経営する会社が倒産しましたが、「創価大学ならば」と進学させてくれた両親に感謝の思いでいっぱいです。
 家族の悩みや経済苦、学業、学会活動と全てに行き詰まっていた大学3年の夏、先生と出会う機会が。ピアノを何曲も弾かれた先生の“広布に生きることが最高の幸福の人生である”との言葉が、信心の原点となりました。夫と3人の子どもも「創価教育同窓生」として使命の道を歩んでいます
 昨年8月24日には、待望の調布平和会館がオープン。本年も仲良く人材の城を築き、広布拡大の新たな歴史を開きます。


【先生のメッセージ】


◆小説「新・人間革命」に学ぶ第15巻 御書編

イラスト・間瀬健治

イラスト・間瀬健治

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第15巻の「御書編」。小説で引用された御書、コラム「ここにフォーカス」と併せて、識者の声を紹介する。次回の「解説編」は29日付の予定。

命ある限り語り抜く
御文
 命を法華経にまいらせて仏にはならせ給う(御書1299ページ、南無御書)

通解
 一切の仏は命を法華経に奉って仏に成ったのである。

小説の場面から
 <学生部員との懇談で、三島由紀夫の自決から、仏法で説く「帰命」に話が移ると、山本伸一は語った>

 「命はなんのために使うべきか。大聖人は、法華経のために身命を捧げるべきであると結論されている。(中略)
 法華経すなわち、正法のため、広宣流布のために身命を捧げるなかに、成仏という絶対的幸福境涯を確立する道があり、一切衆生を救う直道があるからです。
 でも、身命を捧げるとは、ただ死ぬということではない。広宣流布のために、全力で戦い抜くことです。そのなかで、熱原の三烈士や初代会長の牧口先生のように、殉教することもあるかもしれない。しかし、広布の使命を果たすために、生きて生きて生き抜き、命ある限り、動き、語り抜くこともまた『帰命』です。
 むしろ、“自分は今日一日を、広布のために全力で戦い抜いたのか。妥協はないか。悔いはないか”と問いつつ、毎日、毎日を勝ち抜くなかに、『帰命』の姿があります」(中略)
 彼は言葉をついだ。
 「私は青年時代、自身の決意を、こう日記につづりました。『革命は死なり。われらの死は、妙法への帰命なり』
 わが生涯を広布に捧げよう、戸田先生と生きようと、自ら決めた瞬間でした。(中略)以来、私は、どんな困難があろうとも、微動だにしません。実は、そこにこそ、自身の人間革命、絶対的幸福境涯への道がある」
(「蘇生」の章、67~69ページ)

久遠の使命の自覚
御文
 過去の宿縁追い来って今度日蓮が弟子と成り給うか(御書1338ページ、生死一大事血脈抄)

通解
 あなたは、過去の宿縁から今世で日蓮の弟子となられたのであろうか。

小説の場面から
 <1955年(昭和30年)8月、札幌での夏季指導の折、山本伸一は御書を拝して同志の勇気を鼓舞した>

 「ここは、大聖人様と共に戦う弟子の、深い宿縁について述べられた箇所ですが、今、その御精神を受け継ぎ、広宣流布に生きる私たちにも同じことがいえます。
 私たちが今、この時に生まれ合わせ、ここに集って、活動に励んでいるのも、実は、過去世からの深い宿縁によるものなんです。決して偶然ではありません。私たちは、日蓮大聖人と、過去世で広宣流布をしていく約束をして生まれてきた。
 しかも、そのために、ある人はあえて貧乏の姿を現じ、ある人は、病気の悩みを抱えて出現してきたんです。
 そして、大闘争を展開する、待ち合わせの場所と時間が、昭和三十年八月の札幌だったんです。
 皆さんは、それぞれが貧乏や病の宿命を断ち切り、妙法の偉大さを証明するために、この法戦に集ってこられた。その強い自覚をもつならば、力が出ないわけがありません。御本尊に行き詰まりはありません。意気揚々と痛快に戦おうではありませんか!」(中略)
 伸一の講義を聴くうちに、メンバーは皆、久遠の使命を自覚し、広宣流布の流れを決する歴史的な闘争に、今、自分が参加している喜びに包まれるのであった。誰もが勇み立った。その歓喜が、戦いの勢いを加速した。
(「蘇生」の章、84~85ページ)


【聖教ニュース】

◆ドイツ・フランクフルトで欧州教学研修会 35カ国350人が参加  2020年1月22日

欧州伝統の教学研修会。35カ国から集った求道の友が、「人間革命の宗教」を学び深める喜びにあふれて(ドイツ・フランクフルト池田平和文化会館で)

欧州伝統の教学研修会。35カ国から集った求道の友が、「人間革命の宗教」を学び深める喜びにあふれて(ドイツ・フランクフルト池田平和文化会館で)

【フランクフルト】欧州SGI(創価学会インタナショナル)の「教学研修会」「欧州広布サミット」が17日から19日(現地時間)、メルフェルデン・ヴァルドルフ市のフランクフルト池田平和文化会館で開催された。これには、タカハシ欧州議長をはじめ、35カ国から集った各国SGIのリーダー350人が参加。森中SGI教学部長の担当で、「御義口伝」「開目抄」「諸法実相抄」等を拝読し、「人間革命の宗教」について学んだ。(記事・写真=樹下智、欧州広布サミットは後日詳報)
池田先生がメッセージ「求道の同志に福徳は無量」

 澄み渡る空に、暁の月天子。この時期のフランクフルトには珍しい快晴に迎えられ、欧州各国のリーダーが、早朝から続々と会館に集い、入り口で再会を喜び合う。
 毎年1月の教学研修会と広布サミットは、欧州SGIの伝統行事。各国の広布のリーダーが一堂に会し、教学の研さんから一年をスタートする。
 池田大作先生は、万感のメッセージを寄せ、「燃え上がる求道の心で参加された大誠実の行動は、御本仏・日蓮大聖人が全て御照覧です。福徳は無量であり、陰徳陽報の輝きは疑いようがありません」とたたえた。
 続いて、麗しく力強い欧州の「異体同心」の前進を、世界中の友が見つめていると述べ、「分断と不信の文明の闇を消滅させゆく、調和と信頼の旭日の光明が、わが欧州家族の大行進から、生き生きと輝きを放ち始めているではありませんか」と強調。
 「一生成仏抄」の「衆生の心けがるれば土もけがれ心清ければ土も清し」(御書384ページ)を拝し、この仏法は、自分自身の生命を変革し、周囲の人々をも、環境をもより良く変える建設と開拓の哲理であると語り、「人間革命の宗教」は欧州の大前進から、人類の未来を決していくと訴えた。
自国の同志のためにも、一言も聞き漏らすまいと真剣に学ぶ参加者
 昨年11月に「ベルリンの壁」の崩壊から30年を迎え、今年は第2次世界大戦の終結から75年となる。国際社会は再び、資本主義のゆがみから自国第一主義やポピュリズム(大衆迎合主義)の台頭に直面し、分断の岐路に立っている。
 過去数世紀にわたる対立を経て、統合を進めてきた欧州にあって、池田先生と欧州広布の開拓者たちは、分断を調和に転ずる「人間革命の宗教」を、静かな水底の流れのごとく着実に広げてきた。各国で今、創価の友に深い信頼と共感が寄せられている。
 教学研修会に参加したドイツの女子部員が語っていた。
 「初めてSGIの座談会に参加した時のことを思い出します。国籍をはじめ、育った環境が全く違う人たちが一緒になって、成長しよう、宿命を使命に変えていこう、他者に尽くしていこうと決意する姿に、これまでの宗教観が一変しました」
 今回の教学研修会にも35カ国の友が集い、英語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、フランス語、ロシア語の6カ国語に同時通訳されて行われた。通訳を担当する25人のメンバーは1カ月という短期間で準備をし、各国から駆け付けた。

通訳を担当する友が笑顔で。各国の言葉が飛び交う今回の行事を陰で支えた
 通訳コーディネーターのユカ・ウィルキンソンさん、マリ・シーワードさんは語る。
 「欧州といっても各国によって言語、歴史、文化的背景が違うため、同じ言葉でも翻訳の仕方で伝わり方が変わります。
 どうすれば日蓮大聖人の御精神、創価の三代会長の心を正しく伝えられるか、皆で真剣に話し合って研修会に臨みました」
社会に「調和」と「信頼」を広げる欧州の友
 17、18日の2日間にわたった森中SGI教学部長の講義は、「日蓮仏法とは『師弟共戦の宗教』」「師弟直結の精神こそ創価教学の真髄」をテーマに行われた。
 冒頭、「学会創立90周年から100周年へ向かう十年は、人類にとって重大な分岐点となる十年」との池田先生の指導を紹介。教学部長は、この重要な時にあって、「行学の二道」を根本に自身の信仰の歴史を刻み、欧州から新たな教学研さんの潮流を起こしていただきたいと望んだ。
 研修会の最後に質問会が行われ、「師弟不二の精神を日常生活の中でどう実践すればいいのか。また、新入会の友にどう伝えていけばいいのか」「『地球上から悲惨の二字をなくしたい』との戸田先生の熱願を、どうすれば実現できるのか」等の問いが寄せられた。
 森中SGI教学部長は一つ一つの質問に丁寧に答えながら、日々、胸中の師と心の対話を重ね、目の前の一人に勇気と希望を与える仏法対話に挑戦していきたいと訴えた。

不信と分断の壁を破り、信頼と調和の連帯を広げる欧州の友(フランクフルト池田平和文化会館で)
 参加者は次のような感想を述べた。
 「『実践の教学』の重要性を学びました。スロベニアでは毎月1回、教学研さんの会合を行っています。小説『新・人間革命』を学び合い、行動に移し、師弟の精神を新しい世代に伝えていく決意です」(壮年部のゴットフリード・シャイバインさん)
 「アイスランドでは現在、毎月のグループ座談会で、『新・人間革命』第30巻を中心に研さんを進めています。私自身、その取り組みの中で、今月、弘教を実らせることができました! 教学の研さんを重ね、さらに折伏に挑戦していきます」(婦人部のシェブン・ジョンスドッティルさん
 「研修会を通し、『信行学』の中でも、とりわけ『信』が根本であることを教わりました。ドイツでは御書講義担当者の研修会に力を入れていますが、どこまでも、世界広布を現実のものとされた池田先生の指導を根幹に据えて、日蓮仏法の真髄である師弟の精神を伝えられるよう取り組んでいきます」(婦人部のバーバラ・クラウスニックさん)


◆新刊『ワールド セイキョウ』 あす発売  2020年1月22日

 創価学会の魅力を多角的な視点から伝える新刊『ワールド セイキョウ』の2020年春号(本社刊)が、あす発売される。
 特集1「人生100年時代の処方箋」では、芸術部の加藤茶さん・綾菜さん夫妻へのスペシャルインタビューを収録。茶さんの入会のきっかけや病魔との闘いを乗り越えたエピソードなど、学会員としての歩みを、ありのままに語る。
 併せて、北海道、富山、岡山、青森の友の信仰体験「ストーリーズ」を掲載する。
 特集2「国籍は“SEKAI”」では、インドの座談会の様子や、アフリカ各国での教学研さんの模様、シンガポールの社会貢献の取り組みなど、世界宗教として発展する創価学会を、五つの角度から伝える。「新入会の友」編では、2015年に入会したポーランド、ブラジル、ニュージーランド、ケニアのメンバーが、5年間にわたる信心の実践と成長などを語る。
 さらに、池田先生が友に贈る「人生の羅針盤」や、本紙の連載漫画「ちーちゃん家」のキャラクターが、学会の座談会を分かりやすく紹介する「座談会 行ってみました」などを収める。
 学会の真実の姿を美しいビジュアルと共に伝え、友人との語らいを豊かにする助けとなろう。
 オールカラー36ページ、A4判変型。今後、年2回程度発刊予定。250円(税込み)。全国の書店で発売。コンビニ通販サイト「セブンネットショッピング」「HMV&BOOKS online」での注文、受け取りも可能です。


◆2月度の拝読御書「諸法実相抄」 行学二道の前進を  2020年1月22日

 2月度の拝読御書は「諸法実相抄」。日蓮大聖人が佐渡・一谷で著され、最蓮房に与えられたお手紙とされる。
 座談会では「行学の二道をはげみ候べし、行学た(絶)へなば仏法はあるべからず」(御書1361ページ)等を研さん。行学の実践にこそ、広布と人生の勝利があることを学ぶ。
 御書講義では「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(同1360ページ)等を拝し、地涌の使命に生き抜くことが日蓮仏法の魂であることを確認。研修教材では「たえて弘めん者をば衣を以て釈迦仏をほひ給うべきぞ」(同1359ページ)等を学ぶ。

 【座談会】「行学の二道を~かた(談)らせ給うべし」(御書1361ページ11行目~13行目)
 【御書講義】「いかにも今度~末法の令法久住の故なり」(同1360ページ6行目~13行目)
 【研修教材】「末法に生れて~凡夫のことはざなり」(同1359ページ17行目~1360ページ5行目)


【特集記事・信仰体験など】

◆若き誓願のスクラム――世界の「新・人間革命」研さん運動<アメリカ>  2020年1月22日

全米各地で行われている“華陽会ミーティング”で、『新・人間革命』の研さんに励むアメリカ女子部の友

全米各地で行われている“華陽会ミーティング”で、『新・人間革命』の研さんに励むアメリカ女子部の友

 今、世界中で青年が小説『新・人間革命』を研さんし、師弟の精神を生命に刻んでいる。そして、広布の誓願に生き抜く共戦のスクラムを広げている。
 ここでは各国青年部の『新・人間革命』研さん運動を紹介する。
 第1回はアメリカのサイトウ青年部長に話を聞いた。

サイトウ青年部長
 <アメリカでは、『新・人間革命』の研さん運動が大きく進んでいると伺いました。どのように学んでいるのでしょうか?>
 毎月、地区単位で『新・人間革命』の学習会を開催しています。そこでは、教学誌「リビング・ブディズム」に掲載された「世界広布の大道――小説『新・人間革命』に学ぶ」の中から、池田主任副会長の「紙上講座」などを、皆で研さんしています。
 また女子部は、毎週開催する“華陽会ミーティング”で、同書の学習タイムを設けています。
 毎回、代表一人がある章について学んだことを発表し、その章の感動した一節などを参加者で共有し、ディスカッションしながら、先生のお心を学び深めています。

 <同書を研さんする上で、メンバーと確認し合っていることはありますか?>
 最も大切なことは、池田先生が『新・人間革命』に込めてくださった指導を、私たちの人生に生かしていくことだと思います。
 一人一人の宿命転換のため、力の限りを尽くして、眼前の悩める友を励ます若き山本伸一の姿は、今、青年として生きる私たちにとって人生の模範と言えるのではないでしょうか。
 だからこそ、同書を単に学会や先生の歴史を知るための本ではなく、人生の指針の書として捉え、現実の生活で実践していけるように語り合っています。
 研さんに挑戦するメンバーからは、多くの喜びの声が寄せられています。
 「毎朝、『新・人間革命』を読んでいます。“自身の人間革命を必ず果たす”との強い決意を新たにすることができ、池田先生に勝利の報告をお届けしようと、毎日決意しながら出発しています」(女子部本部長)
 「2年前から、毎日13ページずつ学び、現在は第17巻まで読了しました。読み進める中で、池田先生の弟子としての自覚を深め、今いる場所で、必ず実証を示そうと、日々誓っています」(圏男子部長)

 <青年部長ご自身が、最近研さんし、心に残っている同書の内容を教えてください。>
 第17巻「本陣」の章の中に、「広宣流布は人に頼まれてするのではなく、地涌の菩薩としての自身の自覚から、また、この世に生まれてきた自分の使命として、やむにやまれぬ久遠の生命の発動として遂行するもの」との一節がつづられています。
 この言葉に触れて、「広布拡大は私が成し遂げる!」との自発の心で戦う重要性を学びました。
 本年、アメリカは、池田先生の初訪問から60周年の佳節を迎えます。意義深き一年を勝ち飾るために、アメリカSGIとして、6000人の青年の拡大を目標に立てました。
 師匠が世界広布の第一歩を刻まれた天地で広布に走る誇りを胸に、必ずや勝利の金字塔を打ち立ててまいります。

 

2020年1月21日 (火)

2020年1月21日(火)の聖教

2020年1月21日(火)の聖教


◆わが友に贈る

   誰も見ていない時に
 何をなしているかに
 その人の本質が現れる。
 広布の祈りと行動を貫く
 “一人立つ”勇者たれ!


◆名字の言 人生の意味を求めることとは――精神科医フランクルの洞察

 ナチスのユダヤ人強制収容所から生還した精神科医V・E・フランクルは「生きがい」について思索した。そして人生の意味を見いだし、生きがいを探求する心理療法「ロゴセラピー」をに結実させる▼彼は「意味を求めること」こそ「人間の生命の根源的な力」だと考えた。「この意味は各人にとって唯一かつ独自なものであり、まさにその人によって充たされねばならず、またその人だけが充たすことのできるもの」だ、と(『意味による癒し』春秋社)▼忘れられない先輩の励ましがあると、男子部の友が教えてくれた。「君がこれまで悩み苦しんできたことは、君にしか救えない人を励ます力になる」――その通りだった。弘教を実らせるたびに彼は、友人のそれぞれが自分と同じように病や経済苦を抱えていたことに気付く▼法華経には地涌の菩薩が六万恒河沙の眷属と共に出現する姿が説かれる。一恒河沙はガンジス川の砂粒の数。眷属とは共に生きる仲間であり、仏の教えに連なる人々の意味だ。一人の地涌の菩薩には、数え切れない人々に希望を送り、仏法に導く力が備わっている▼妙法を語り弘めることこそ「今生人界の思出」(御書467ページ)。この世界のどこかに自分を待っている人が必ずいる。かけがえのない“私の使命”を果たしていこう。(之)


◆寸鉄

日蓮仏法は「百発百中の
生活法則」―先師。大確信
の祈りで“諦め”の壁破れ
     ◇
練馬の日。大東京に光る
広布の師弟城。皆が青年
の心で模範の対話拡大を
     ◇
幹部は速度が勝負。悩め
る同志に励ましを!陰の
友に感謝を!電光石火で
     ◇
幸福は一人では味わえな
い―作家。最高の宝友と
歩む触発と歓喜の無上道
     ◇
火災に注意。タコ足配線、
コンセントの埃、建物周
囲の可燃物―指差し確認



【先生のメッセージ】

◆1月の本部幹部会で紹介された池田先生の指針 創価の青年こそ人類の希望! 2020年1月21日

世界の友と大前進!――今月は、SGI発足45周年の佳節を迎える。盛大に行われた本部幹部会には、海外19カ国・地域からも、同志が意気軒高に集い合った(11日、巣鴨の東京戸田記念講堂で)

世界の友と大前進!――今月は、SGI発足45周年の佳節を迎える。盛大に行われた本部幹部会には、海外19カ国・地域からも、同志が意気軒高に集い合った(11日、巣鴨の東京戸田記念講堂で)

 「世界広布新時代第45回本部幹部会」(11日、巣鴨の東京戸田記念講堂)の席上、2001年9月の本部幹部会での池田先生のスピーチ映像が上映された。「前進・人材の年」を勢いよくスタートし、本年の大勝利を誓い合う友の指針として掲載する。

「いよいよ これから」の心で広布へ
「決意の炎」を 「人材の銀河」を
 一、世界の心ある知性の方々が絶大なる信頼を寄せてくださっているのが、わが青年部なのである。
 「創価学会の青年を見よ、ここに人類の未来の希望がある!」と。
 そのように、手紙に書いて送ってくださった方もいれば、著作や講演などで言及してくださった方もいる。
 対談集『希望の選択』(『池田大作全集』第110巻所収)をともに発刊したアメリカの「核時代平和財団」のクリーガー会長も、次のように語っておられた。
 「創価学会の青年の輝く瞳、輝く笑顔には、いつも心打たれます。そこには常に、何か新しいものを学ぼうとする探求心があります。常に社会に対する問題意識を持っており、常に、それに対する正しい答えを求め続けています。
 社会から孤立し、反抗さえ示している青年が世界に多く存在するなかで、創価学会の青年たちの人生に対する姿勢は、異例とさえ言えます」と。

平和を愛する沖縄の天地で、アメリカ・核時代平和財団のデイビッド・クリーガー会長と語り合う池田先生(1998年2月26日、恩納村の沖縄研修道場で)
平和を愛する沖縄の天地で、アメリカ・核時代平和財団のデイビッド・クリーガー会長と語り合う池田先生(1998年2月26日、恩納村の沖縄研修道場で)

 私も、まったく、その通りであると自負している。
 私は、青年部の皆さんに申し上げたい。
 わが青年部よ、創価学会を頼む、と。
 胸を張って、これからも戦ってくれたまえ。
 わが青年部の拡大が、そのまま、人類の希望の拡大になるということを、忘れないでくれたまえ。

題目は大宇宙の根源の音律 新たな歴史を率先の行動で
 一、御書には、「日月天の四天下をめぐり給うは仏法の力なり」(1146ページ)――太陽と月が四天下(世界)をめぐるのは、仏法の力による――と説かれている。
 一瞬も止まることなく運行し続ける大宇宙も、すべて、妙法の律動にのっとっている。科学の探究が進むほど、仏法の英知と合致していくのである。
 大宇宙の根源の音律たる南無妙法蓮華経を朗々と唱えながら、社会の発展のため、世界の平和のため、人類の幸福のために、動き、語り、行動していく。これ以上に崇高な人生はない。

壮大なスケール
 一、先月(2001年8月)の16日、アメリカ航空宇宙局(NASA)が、宇宙空間にある「ハッブル宇宙望遠鏡」を使って撮影した、地球から約5000万光年も離れた銀河の写真を発表した。

ハッブル宇宙望遠鏡が撮影した、おおぐま座にあるNGC3079銀河。右下は中心部の拡大画像。噴き出したガス状物質が、くっきりと=ロイター

ハッブル宇宙望遠鏡が撮影した、おおぐま座にあるNGC3079銀河。右下は中心部の拡大画像。噴き出したガス状物質が、くっきりと=ロイター

 今回、NASAが撮影したのは、おおぐま座にあるNGC3079という銀河である。
 円盤形をした銀河の中心部において、まるで煮えたぎる釜の中から泡が噴き出るように、高温のガス状の物質が噴き出ている様子が観測されたのである。
 このガス状の噴出物は、およそ2000光年という高さにまで達している。それは、真っ赤な巨大な柱のように見える。
 じつに、壮大なスケールである。〈光年とは、光の速度で1年間に進む距離のこと。1光年は、約9兆4600億キロメートル〉
 そして、宇宙空間に放出されたガス状物質が、再び、雨のように銀河に降り注ぎ、やがて新しい星がつくられていく――というのである。
 私たちの太陽も、かつて悠久の宇宙のドラマの中から誕生した。そこに地球も生まれたのである。
 法華経には、壮大な宇宙観が説かれている。


新しい時代を切り開くのは、新しい力!――東京戸田記念講堂には新成人の代表の姿も(11日)

 一、何事も、エネルギーがみなぎるところに、新しい何かが生まれる。広宣流布の組織もまた同じである。
 中心者をはじめ、皆のエネルギーが赤々と燃えたぎってこそ、「新しい人材」が生まれる。「新しい発展」が始まる。「新しい戦野」が広がり、「新しい勝利」の歴史がつくられていく。
 では、そのエネルギーとは何か。
 戦いへ立ち向かう「勇気」である。
 自分が率先する「行動力」である。
 皆を守ろうとする「慈愛」である。ある面から見れば、太陽も、月も、宇宙それ自体も、生命を育む慈愛に満ちた存在といえよう。
 さらに、断じて勝つという「執念」。
 そして、自分たちの使命の天地で、必ず広宣流布を成し遂げてみせるという「決意」である。銀河が噴き出す真っ赤な火柱のような「決意」である。
 その決意あるところ、きら星のような人材が連なり、美しい銀河のごとき「団結」が生まれる。「調和」が広がる。

日本一の音楽隊・創価ルネサンスバンガードが、「前進・人材の年」の開幕を告げるファンファーレを(11日)
日本一の音楽隊・創価ルネサンスバンガードが、「前進・人材の年」の開幕を告げるファンファーレを(11日)

未来に向かって
 一、ともあれ、日蓮大聖人の仏法は、1000年、2000年という単位を超えて、「末法万年尽未来際」という宇宙的な次元のスケールに立っている。
 有名な「報恩抄」には、「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし」(御書329ページ)と。
 さらに「御義口伝」には、「今日蓮が唱うる所の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり」(同720ページ)と仰せである。
 末法万年の広宣流布から見るならば、私どもの戦いは「いよいよ、これから」である。
 この大いなる気概で、創価学会は前進したい。永遠に「青年の心」で、生きて生きて生き抜きましょう!
 きょうは、遠くから、本当に、ご苦労さま! ありがとう!



【教学】

◆〈ONE GOSHO~この一節とともに!~〉男子部教学室編 上野殿御返事(須達長者御書) 

 学会創立100周年へ、“新しい10年”のスタートとなる「前進・人材の年」が開幕した。今回の「ONE GOSHO この一節とともに!」では、“人材育成”について学ぶ。

後輩を自分以上の人材に!

御文
 仏になりやすき事は別のやう候はず、旱魃にかわけるものに水をあたへ・寒冰にこごへたるものに火をあたふるがごとし(御書1574ページ)

通解
 仏にたやすく成る道は、別なことではない。旱魃(水不足)の時に喉が渇いた者に水を与え、寒さに凍えている者に火を与えるようなものである。

背景
 本抄は弘安3年(1280年)、日蓮大聖人が59歳の時に身延で著された、青年門下の南条時光へのお手紙である。別名を「須達長者御書」という。
 当時は熱原の法難の渦中で、大聖人門下は権力からの迫害を受けていた。時光はこの法難で同志をかくまったため、幕府から不当な重税を課せられ困窮していたが、純粋な信心を貫き大聖人の身を案じて白米や芋などの御供養を届けていた。
 本抄で大聖人は、困難な中でも供養を届けた時光の真心を賛嘆し、強き信心が成仏の要諦であると教えられる。残りわずかな食料を仏弟子に供養した須達長者が大長者となった故事などを通して、法華経の行者に供養する功徳の大きさを示されている。

解説
 自分にとって大切なものを法華経のために供養する。まさに必要としているものを法華経の行者にささげる。日蓮大聖人は、南条時光のその真心を最大にたたえられている。
 人材育成の行動も、こうした供養の精神に連なる実践といえよう。それは、多忙な日々の中で貴重な時間と労を惜しまず、“法華経の行者”に尽くしているからだ。
 大聖人は今回の範囲の直前で、人に物を教えるとは重い車の車軸に油を塗ることで回りやすくしたり、船を水に浮かべていきやすくしたりするようなものであると仰せになっている。
 励ましとは、相手が前に進むよう無理やり後ろから押すことでもなければ、本人が乗り越えなければならないことを肩代わりすることでもない。「相手の立場に立って」励まし、「相手の心を軽くし、強く、明るくしていく」ことが人材育成の要である。
 そしてそのためには、相手が求めているものを知ることが不可欠である。
 今回の御文で大聖人は“旱魃に遭う人に水を、寒さに凍える人に火の温もりを与える”との譬えを紹介されている。相手の状況を知り、何を必要としているのかを見極め、尽くしていくことが大切であるとの御指南である。“仏になる道も、別のことではない”と仰せのように、その実践は、関わる側の仏道修行でもあるのだ。
 1953年1月、25歳で男子部の第1部隊長に就任した池田先生は、翌年3月までに部員数4倍に迫る拡大を成し遂げた。先生は戦いの中で時間をこじ開けて個人指導を重ね、なかなか会えないメンバーに手紙を書き送られた。時には下町地域で残業の多い同志と自宅で共にレコードを聴いたり、戸田先生から作り方を教わったカレーライスを振る舞ったり、一人一人の状況に合わせて励ましを送り続けた。
 歴史的な人材拡大のうねりは、共に時を過ごして思いをくみ取り、真心を尽くしていく中で生まれていったのである。
 池田先生はかつて、人材育成に関する青年部リーダーの質問に答えて語っている。
 「教えるといっても、相手が聞きたくない時に、無理に話しても心に入らない。相手の求道に応え、いい機会をとらえて、伝えていけばいい」「すべての人に同じように接すればいいということはありえない。相手のことをよく知ったうえで、『相手のために、今、あえて話しておかねばならない』という場合もあるだろう。大切なのは、友の心を知り、時と場合に応じて語っていく、人間哲学者の直観の智慧である」
 さらに先生は、小説『新・人間革命』第26巻「奮迅」の章で、「人材育成とは、一緒に動くなかで、学会の精神と活動の在り方を教えていくところから始まる」とつづられた。
 学会の伝統は「後輩を自分以上の人材に」という精神であり、“人材を育てる人が真の人材”である。伝統の2月も、同志と共に祈り、共に行動し、共に弘教拡大に挑戦し、皆で成長の節を刻んでいきたい。

〈大学校生とナットクTALK〉 テーマ 持続の祈り

Q 唱題の目標を達成できません
A 日々「満足」の積み重ねを
 中村区男子部大学校団長 先の大学校の会合は、みんな決意に燃えていたね! 熊谷君は仕事の悩みの解決を目指して、「1日30分の唱題」を目標に掲げていたね。
 熊谷ニュー・リーダー 最初の2日間は順調だったんですけど、3日目から続かなくて……。前の会合で「毎日、自分で決めた時間の題目を唱える中で、病気を乗り越えられた体験」に感動したので、僕もやろうと思ったんですが、無理でした。
 中村 確かに、決意を持続することって、難しいよね。
 熊谷 いつも忙しさに流されてしまうんです。深夜に帰って、倒れるように寝ることもあって。次の朝「昨日もできなかったな」と思うと、情けなくなるんです。
 中村 落ち込む必要はないよ! 今まで以上の目標を2日間もできたなんてすごいじゃないか。日蓮大聖人は「南無妙法蓮華経を只一度申せる人・一人として仏にならざるはなし」(御書1573ページ)とおっしゃっているよ。たとえ一遍の題目でも、無量無辺の福徳があるんだ。「これだけ題目を唱えたぞ」って胸を張っていいと思う。
 熊谷 そう言われると安心します。できない日が続くと「やらなきゃ」っていう焦りばっかり大きくなって。
 中村 池田先生はこう言われているよ。「すべて自分のための信心です。唱題も『自分が満足する』ということが大事です。決して、何時間やらなければいけないとか、形式ではない。(中略)『ああ、すっきりした』と自分が満足するのが第一義です。その一日一日の積み重ねが、自然のうちに、いちばんいい方向へと人生を開いていくのです」。もちろん、自身の殻を破るために時間を決めて挑戦することも大切だけど、それが“重圧”になって、やりにくくなってしまえば本末転倒じゃないかな。忙しい日は「今日は5分、真剣にやろう!」とか「三唱だけでも!」と、“唱題しよう”という気持ちを途切れさせないことが大事。徐々に、自分で決めた通りにやり抜くこともできていくよ。
 熊谷 それなら僕にもできそうです!
 中村 僕は入会した頃、題目のすごさが分からなくて、会合以外ではなかなか祈れなかった。でも、仕事で失敗して自信をなくした時に、男子部の先輩に相談したら「一緒に祈ろう」って言われてね。毎日一緒に唱題していくと、不思議と「よし、やろう!」っていう気持ちが少しずつ湧いて、苦手だった仕事を楽しめるようになったんだ。
 熊谷 そういう体験、僕も積んでいきたいです。
 中村 ぜひ毎週、一緒に唱題しようよ。
 熊谷 お願いします!


【聖教ニュース】

◆6月に教学部任用試験(仏法入門)を実施  2020年1月21日

教学研さんの波は世界に――南米チリの教学部任用試験(2018年4月)

教学研さんの波は世界に――南米チリの教学部任用試験(2018年4月)

 伝統の「教学部任用試験(仏法入門)」が6月14日(日)に実施されることになった。
 かつて池田大作先生は教学研さんに励む意義を、次のようにつづった。
 「悩みや困難が何もない人生などない。そうではなく、いかなる困難も逆境も、全てを悠々と乗り越えゆく『勇気』『智慧』『生命力』を無限に湧き立たせていく。そのための信仰である。『人間いかに生くべきか』という根本の道を学び、自らの最高の人格を輝かせていくための教学である」
 これまで任用試験を受験した友からは“日常生活での物事の捉え方が大きく変わった”“勉強会などを通して学会の温かさを知り、入会するきっかけになった”“行学に励み続ける重要性を学ぶことができた”など、仏法の哲学の深さに触れ、人生を勝ち開く原動力になったとの喜びの声が寄せられている。
 各部一体で、受験する友と共に学び、仏法への理解と確信を深めゆく機会としたい。
申し込みは4月1日から5月10日まで
 大綱は次の通り。
 
 【日時】
 6月14日(日)
 <昼>午後1時30分~同2時30分
 <夜>午後7時30分~同8時30分
 60分間のマーク方式
 
 【受験資格】
 受験申し込みの締め切り時点(5月10日)において、小学生以下を除く未教学部員の会員・会友の方で、かつ本人が受験を希望すること。
 ※高齢の方、妊産婦、病弱な方は、決して無理をしない。中学生の受験は、家族の承諾を条件とする(支部長は家族に確認の上、受験カードに承認の押印をする)。
 未入会の中学生は、家族に会員がいれば受験できる。進学を控えた受験生(中学3年生)は、無理をしない。
 
 【受験申し込み】
 4月1日(水)~5月10日(日)
 ※申し込み期間に本人自筆の受験カードを所属の支部長に提出し、申し込む。締め切り後の申し込みは受け付けない。
 
 【出題範囲】
 (1)座談会拝読御書3編
 (2020年1・2・3月度の拝読御書)
 ①「阿仏房御書」(御書1304ページ6~8行目)
 ②「諸法実相抄」(同1361ページ11~13行目)
 ③「兵衛志殿御返事」(同1091ページ15~16行目)

 (2)教学入門
 「日蓮大聖人の御生涯」「一生成仏と広宣流布」「十界」など
 (3)世界広布と創価学会
 「創価学会の歴史」「日顕宗を破す」

 【教材】
 任用試験(仏法入門)の出題範囲を通年で学べるよう、出題範囲のうち「教学入門」と「世界広布と創価学会」が掲載された書籍『仏法入門 任用試験のために』が発刊されています。306円(税込み)。
 ※『仏法入門 任用試験のために』には、出題範囲の「座談会拝読御書3編」は未掲載。
 「大白蓮華」2020年4月号に、全ての出題範囲(「座談会拝読御書3編」「教学入門」「世界広布と創価学会」)を掲載。209円(税込み)。
 「大白蓮華」4月号と『仏法入門 任用試験のために』は、どちらも、コンビニ通販サイト「セブンネットショッピング」「HMV&BOOKS online」での注文、受け取りが可能。一般書店での注文・購入もできます。
 また、「大白蓮華」4月号は電子書籍としても購入できます。希望小売価格188円(税込み)。価格や配信日は各電子書店によります。
 なお、聖教新聞の公式サイト「聖教電子版」に、任用試験(仏法入門)の教材の音声を聞ける特設ページを開設しており、音声ファイルの再生やダウンロードなどができます。
 特設ページ(www.seikyoonline.com/voice/ninyou.html)
 
 【教学講座】
 任用試験(仏法入門)に関する「教学講座」は、SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)の番組として配信されます。VODが利用できる会館等や「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴可能(配信期間等の詳細は後日報道)。モバイルSTBで視聴する際は、インターネットを通してダウンロードが必要。創価学会公式ホームページ「SOKAnet」のコンテンツでも、配信予定。スマートフォン等でも視聴できます(通信料は必要)。


◆インドの創価池田女子大学で「世界調和の日」を祝賀   2020年1月21日

1・2「イケディアン・世界調和の日」記念式典。生命尊厳の哲学を広げゆく決意を固め合った(創価池田女子大学で)

1・2「イケディアン・世界調和の日」記念式典。生命尊厳の哲学を広げゆく決意を固め合った(創価池田女子大学で)

 南インド・チェンナイの創価池田女子大学で2日、1・2「イケディアン(池田先生の哲学の実践者)・世界調和の日」を祝賀する式典が行われた。
 同大学は、池田先生の長編詩「母」に深い感銘を受けたセトゥ・クマナン議長の尽力で2000年に開学。女性に教育の機会を与えることが家庭や社会を変え、ひいては池田先生が一貫して訴えてきた「女性の世紀」を開く力になるとの信念で設立された。
 「世界調和の日」は、同大学の名誉創立者である池田先生が傘寿(80歳)を迎えた2008年に制定。毎年、記念式典を行い、学生同士が「イケディアン」としての誓いを新たにしている。

学生たちは「1・2」を目指して研究発表や寸劇などを通し、「イケディアン」の精神を深め合ってきた(創価池田女子大学で)

学生たちは「1・2」を目指して研究発表や寸劇などを通し、「イケディアン」の精神を深め合ってきた(創価池田女子大学で)

 今回の式典では、代表による「母」の合唱に続き、M・サムシャット学長があいさつ。その後、全員で宣誓書を唱和した。
 「創価池田女子大学の学生・教職員は、心から尊敬する池田博士が願われる平和と国際協調を推進し、暴力を減らすために人間の絆を広げ、生命尊厳を守るために新たな文化の価値を創造していくことを、ここに誓います!」
 来賓として出席したM・O・P・ヴァイシュナヴ女子大学のキラン・ヴァルマ経済学部長は、池田先生の「人間革命」の哲学に触れつつ、一人一人の成長や振る舞いが世界平和を築いていくと強調。「夢や目標に向かい、地道に前進する青春時代を」と望んだ。

◆シンガポールの青年部幹部研修会がにぎやかに 2020年1月21日

シンガポールの青年部幹部研修会に集った友が、師弟共戦の誓いを胸に(SSA本部で)

シンガポールの青年部幹部研修会に集った友が、師弟共戦の誓いを胸に(SSA本部で)
 各国で創価の青年の躍動の集いが開かれている。

 シンガポール創価学会(SSA)の青年部幹部研修会は11日、SSA本部でにぎやかに行われ、1000人が集った。
 研修会では、許菘恒男子部長と鄭麗彦女子部長が「“師子の心”をたぎらせ、本年の大勝利を開いていこう!」と訴えた。
 続いて、4人の友が信心根本に自身の宿命に挑み、使命の青春を歩む喜びを報告。ディスカッションや代表による決意発表なども行われた。
 鄭永吉理事長、薛舜卿婦人部長、蔡海利壮年部長が激励に駆け付け、シンガポール広布を担う一人一人を心から励ました。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈「新・人間革命」と私〉 教育本部女性部長 川原恵子さん 2020年1月21日

 教育には、施設などの環境条件を整えることも大事ですが、子どもにとって最大の教育環境は、教師自身です。教育部は、その教師を育てていくんです。
 <第4巻「青葉」の章〉

時代背景
 山本伸一は1961年(昭和36年)5月3日、会長就任1周年の本部総会を大飛躍の結果をもって迎える。新しい広布の流れをつくることを志向していた伸一は、各地の同志への激励に奔走する中、最高幹部と共に今後の活動を検討。本部総会の席上で新設された文化局の活動に議題が移ると、言論部や教育部の使命について指導を重ねていく。

「教育」は創価学会の原点
 創価学会は「教育」から出発しました。学会の誇りもまた、常に若い世代を陸続と育成してきた「教育力」にあります。
 初代会長・牧口先生は民衆救済のために、まず教育改革を掲げて立ち上がられました。その教育の根底となる哲学を、日蓮仏法に求められたのです。本章で山本伸一は、教育部の結成式の準備に当たっていたリーダーに対し、「本来、仏法というのは、最高の人間教育なんです」と訴えます。
 人としてどう生きるべきか。仏法はその問いに答えるものです。そして人間教育とは、どうすれば子どもたちが幸福な人生を歩めるかを追求し、祈りと励ましを尽くしながら、教育者自らの振る舞いで若き生命を触発する営みといえましょう。

「人間革命」即「人間教育」
 「子どもにとって最大の教育環境は、教師自身です。教育部は、その教師を育てていくんです」との伸一の指導は、「教師自身の『人間革命』なくして真の『人間教育』も成し得ない」との確信にほかなりません。
 教育本部の皆さまとお会いするたび、子どもたちの笑顔のために心を砕き、献身している姿に感銘を深くします。職場ではその使命と責任の大きさゆえに、悩みや苦労が多いのも事実です。その中で誰もが広布の最前線において、一歩も引かず戦っているのです。
 子育てと学校の管理職を両立しつつ、婦人部のリーダーとして活躍する方も少なくありません。退職された「教育名誉会」の方々が、豊富な経験を生かして未来部育成に尽力されている姿にも、何度も胸を熱くしました。一人一人が「人間革命」即「人間教育」の道を貫いておられるのです。

未来を創る力は「教育」の中に
 創価の「教育力」は今、学校現場にとどまらず、「家庭教育懇談会」を通して、地域へ社会へ展開されています。教育実践報告の全国大会に海外の教育者も参加するなど、世界が創価の人間教育を求める時代となりました。
 本年は『創価教育学体系』発刊90周年。さらに8・12「教育本部原点の日」の淵源から45周年を迎えます。学会は永遠に「教育」で未来を創る!――これが私たちの誓いです。


◆〈壮年部のページ〉

 「難事中の難事」といわれる折伏・弘教。友の心に響く対話とは。どのような祈りの姿勢や相手を思う振る舞いが大切なのか。これまで多くの方を入会に導いてきた壮年部の先輩に、貴重な体験を聞きました。

◇〈直球勝負 @伝言板〉

 「壮年部のページ」をご愛読いただき、ありがとうございます。このページを担当するヤング壮年部のT・Kです。よろしくお願いします。
 昨年11月の本欄で新コーナー「直球勝負 @伝言板」の募集をしたところ、早速、全国
からお便りを頂きました。
 
 最初に紹介するのは、神戸市でピアニストとして活躍する木村卓也さん(61)からの投
稿です。1995年に発生した阪神・淡路大震災から本年1月で25年。未曽有の困難の中で
つかんだ音楽家としての体験を、つづってくださいました。
 
 「阪神・淡路大震災から25年になりますが、音楽家として忘れられない原点になってい
ることがあります。地震の折、わが家も半壊に近い状態で気がめいっていましたが、家でい
つまでも余震におびえている自分が嫌になり、1週間ほどして、唯一無事だったキーボード
とアンプを軽トラックに積み込み、演奏のために避難所を回りました」
 
 その時の心境を木村さんは、「ただただ音楽の力を知りたかった」と率直に記してくださ
いました。しかし、行く先々の避難所で「演奏どころではないやろ」と追い返されます。や
っとのことで、ある避難所で演奏を承諾してもらいました。
 
 「避難所にいる人たちに伝わるのか、私は不安な気持ちを胸に、勇気をふりしぼり、『リ
ンゴの唄』をキーボードの弾き語りで歌いました。すると、どうでしょう。一瞬で避難所の
空気が一変したことが私にも分かりました。ほとんどの方が笑顔に変わったのです。私は感
激のあまり涙が込み上げてきました。『これや! これが音楽の力なんや』と。エンディン
グでは皆で肩を組み、『青い山脈』を歌いました。地震で夢や希望を失いかけていた方々を
瞬時に笑顔にした音楽のすごさ、音楽の力を、避難所で教えてもらったのです。その経験が、
今も私の音楽活動の支えとなっています」
 
 木村さん、これからも人々に希望を送り続けてください。
 
 次のお便りは、大阪・箕面市の小松一成さん(60)からです。40歳で壮年部に移行し、
程なく地区部長になった小松さん。その際に掲げたモットーは「会合の時間厳守」でした。
 
 「現場では、会員さんのご自宅が会場となります。会員さんにも、ご自分の生活がありま
す。私も会場提供の経験がありますが、時に体調を崩し、『早く終わってほしい』と思った
こともありました。ですから私は、会合の終了時間の厳守――これを徹底しました」
 
 そして終了時間を守る上で大切な点として、「担当幹部の意識の違い」を挙げておられま
す。「あらかじめ『何のための会合か』を認識されている方の話は簡潔で分かりやすいのに
対して、ひたすら熱く自らの思いを語られ、時間のたつのを意に介さない方もおられました」
と。まさにタイトル通りの貴重な“直球”のご意見です。
 さらに「広布の前進には『集い合う場所』が欠かせません。会場提供者への感謝の気持ち
を忘れずに、新たな年のスタートを切っていきたいものです」と締めくくられています。と
もどもに時間厳守を心掛けていきたいと思います。
 
 最後は、和歌山・海南市の田渕博さん(80)。家庭は貧しく、中学2年までしか学校に通
えず、「卒業証書もない、学歴も知識もない。劣等感しかありませんでした」。そんな時に信
心に出あったそうです。
 
 「入会は昭和36年、22歳の時でした。“自分を変えたい”と信心に励むようになりました。
題目をあげて学会活動に頑張りました。現在、組織では副支部長、太陽会では本部議長、そ
して教学では教授をしています」
 「支部の民音推進委員は36年。池田先生がつくられた民音に、誇りを持っています」
 「入会して58年、いろいろな事がありました。文章も書けなかった私が、最高の信心と
師匠・池田先生のおかげで頑張ることができ、最高の幸福を勝ち取れたと感謝しています」
 
 昨年秋、世界聖教会館の完成を記念し、聖教新聞を10部20ポイント拡大して「11・18」
を迎えられた田渕さん。本当にありがとうございました。

◇〈学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A〉1

新連載「学ぼう『黄金柱の誉れ』Q&A」では、日頃の活動の中で感じる素朴な疑問や悩みに対し、壮年部指導集『黄金柱の誉れ』から池田先生の指導を通してお答えします(第1回は指導集152ページから154ページを抜粋)。

●テーマ 弘教拡大
折伏には、どのような意義がありますか?  
〈自他共の幸福に生きる自分に〉
 大聖人の仏法は、ただ単に、自分が成仏すればよい、自分だけが幸せになればよいという教えではありません。周囲の人びとも共に幸せになり、社会の繁栄があってこそ、自身の安穏、幸せもあると教えているんです。
 ゆえに大聖人は、自分だけが題目を唱えていればよいというのではなく、折伏・弘教の実践を、仏道修行の要諦として示されているんです。つまり、エゴイズムに安住するのではなく、人びとの幸福のために正法を弘めるなかに、自身の最高の幸福があるんです。言い換えれば、日蓮大聖人の仏法は、折伏・弘教を掲げた広宣流布の宗教であることが、大きな特色といえます。
(小説『新・人間革命』第27巻「激闘」)
   
〈全ての活動の原動力〉
 学会活動は、弘教をはじめ、座談会、教学の研鑽、機関紙誌の購読推進等々、多岐にわたる。しかし、いずれの活動の目的も広宣流布にあり、その原動力は、どこまでも“折伏精神”である。この精神を失えば、活動は惰性化し、空転を余儀なくされる。
 周囲の人びとに真実の仏法を教え、必ず幸せになってもらおうという一念を燃え上がらせてこそ、すべての活動に魂が込められ、歓喜が湧く。
 (小説『新・人間革命』第26巻「勇将」)
 
〈誤解と偏見を正すため〉
 私たちの広宣流布の活動は、誤った先入観に基づく人びとの誤解と偏見を正して、本当の学会の姿、仏法の真実を知らしめていくことから始まります。つまり誤解と戦い、偏見と戦うことこそ、末法の仏道修行であり、真実を語り説いていくことが折伏なのであります。
 (小説『新・人間革命』第6巻「加速」)
 
〈偉大なものを「広く」「宣伝」〉
 広宣流布の「広宣」とは、「広く」「宣伝」する戦いといえる。
 折伏も、仏法の偉大さを宣べ伝える。「宣伝」である。
 偉大なものを偉大であると語り、広く伝える。堂々と、声高らかに正義を語り抜く。これこそ、勝利の力だ。そうやって、学会は世界中に発展してきた。
 何も言わない。行動しない。それでは、仏法は広まらない。
 御書には「法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」(856ページ)と仰せである。
 仏法を語るのに、何も躊躇することはない。遠慮など要らない。
 (各部合同協議会 聖教新聞2008年6月28日付)

◇〈フォトコーナー 太陽サン〉

 「広布に戦えば若くなる」「信心に定年なし」との気概で、はつらつと生きる「太陽会(平日の昼間に活動できる壮年の集い)」の友。新連載「フォトコーナー 太陽サン」では、各地の通信員の皆さんが撮影した、メンバーの笑顔満開の写真を紹介します。

三重県いなべ市 日沖 輝也さん(81)
 「現役サラリーマン時代は転勤族で、がむしゃらに仕事を。第三の人生では、地域に根を張り、自治会長や老人会会長を歴任。その中で広布一筋に前進し、太陽会では同志の励ましに駆けています」

北海道蘭越町 島崎 良雄さん(66)
 「『この町が大好きなんです!』と笑顔で。家庭菜園の野菜が近隣に大好評。温泉施設やスキー場のリフト運行の責任者などを務めた“地域の守り人”です」

埼玉県和光市 佐藤 信義さん(69)
 「ちょうネクタイが、とってもお似合いです。敢闘会(太陽会)の県合唱団で指揮者を務め、いつも温かな笑みがこぼれています。同志への励ましにも率先の日々です」
 
大阪市東成区 田中 昭さん(74)
 「約1センチの折り鶴に“負けたらあかん”の励ましと勇気と希望を込めて、40年以上、友に送り続けています。その折り鶴が評判になり、数年前には地元紙で紹介されました」

宮城県名取市 仙石 富男さん(68)
 「愛情を注ぎ込んだ自家栽培の農作物を手に、地域の友好対話に駆けています。優しくて、格好いいと評判です。生まれも育ちも名取市。自治会役員を長年務め、自宅は広布の会場」

岡山市北区 桑田 邦彦さん(75)
 「ワッハッハ。屈託のない笑い声。70歳で難病を発症も、唱題根本に寛解を勝ち取られました。その間、夫婦で5世帯の弘教を結実。自らの姿で仏法を語り広げる実践第一の人です」
  
愛媛県松山市 貞方 勝幸さん(70)
 「報恩感謝を胸に最前線の同志を励まし、長年、儀典長として奮闘。公民館の役員としても地域に尽力されています。信心根本に“生き続け、戦い続ける”がモットーです」
 
神奈川県藤沢市 伊澤 久弥さん(75)
 「お顔のつやが素晴らしいでしょ。数多くの役職を担いながらも、友の訪問・激励に奔走。地域の老人会副会長として、皆さんからの信頼も抜群。健康体操の普及も促進しています」
 
福岡市博多区 宮島 清二さん(88)
 「入会60年。“音楽を通し、人々に希望と勇気を”と願う芸術家です。今もカラオケ教室を主宰し、30人の生徒に教え、地域に貢献。題目根本に生涯青春の心意気で前進されています」

長野県松川村 鬼窪 幸男さん(76)
 「まさに永遠の青年です。普段から革ジャンでスクーターに乗り、メンバー宅を訪問。趣味はパソコン、写真撮影と多彩。地道にコツコツと励ましに徹しておられます」


◆<信仰体験>突発性難聴、失職。製薬会社に転じ、「治せない病気を無くす」 製薬会社の薬事担当者

勝つと「決め手」勝つ!

 【東京都小金井市】突如として、音のない世界に放り込まれたのは、26歳の時だった。藤本邦男さん(44)=本陣長(ブロック長)=は突発性難聴になった。両耳が聞こえなくなり、仕事と妻を失い、夢も消えた。彼を辛うじてつなぎ留めたのは、創価の励ましの世界、そして師匠への誓いだった。

 創価大学4年生の時、シアトルに2年間留学。帰国後、大手コーヒーチェーンに就職して、アメリカ人と結婚した。
 “アメリカに移住して世界で活躍する”。その夢に向かって、まずは日本でキャリアを積もうと転職することに。2002年(平成14年)、就職氷河期だった。
 語学力を武器にした就職活動。それでも30社から落とされた。不安と焦り、睡眠不足にさいなまれた。ある日突然、両耳が聞こえなくなった。母が電話口で、「病院に行きなさーい!」と叫んだ声が、わずかに聞き取れるぐらいだった。
 突発性難聴には、いまだ特効薬がなく早期治療が重要。藤本さんは両耳とも重症で緊急入院することに。だが2週間たっても、一向に改善しなかった。通過する電車の爆音すら、分からない。3週間後、医師が「もう無理です。治りません」と告げるのを筆談で知り、悲嘆に暮れた。
 母や同志の励ましを受け、病室で無我夢中に祈った。
 不信を断ち切る祈りができた、ある日の夕方、右耳の奥に“ガシャン”という金属音がかすかに届いた。イスが倒れた音と分かると、確かめるように何度も、自分の手でイスを倒した。
 それからは1週間ごとに、少しずつ聞こえる音域が広がっていった。左は聴力を失ったままだったが、2カ月後の7月に退院を果たす。
 だがアメリカへの移住は、もはや考えられなかった。夫婦の暮らしは会話も音もなく、互いにふさぎ込んだ。妻は勤める高校を休職することに。話し合いの末、離婚して妻はアメリカに戻り、それぞれ別の道を歩むことになった。

 難聴の影響で疲れやすく、常に神経が張り詰めた。それでも、体を押して就職活動へ。補聴器を付け、行く先々で障がいについて説明した。
 再就職を祈りながら、病になった意味を考えた。「治る薬がない」と言われた悔しさが忘れられなかった。“そんな思いを世の中から取り除ける仕事に携わりたい”。明確な目標を面接で語った。
 そして、「電話ができない」の条件をくみ、採用してくれたのが、現在も勤める製薬会社だった。新薬の国際開発部門に採用された。
 新薬に関する文書の翻訳は高い語学力と専門性が求められる。文学部出身の藤本さんは畑違いで、それでも、冷や汗をかきながら資格を取得するなど、格闘の日々。胸中には燃えたぎる師への誓いがあった。
 1996年、大学3年の時、訪れたアメリカ創価大学ロサンゼルス・キャンパス(当時)での語学研修。訪米中だった創立者・池田先生は、サイモン・ウィーゼンタール・センターでの講演に、研修中の学生を招待。「皆、必ず、将来、世界の指導者になっていくよ」との伝言が伝えられた。
 師との原点と共に、思い起こしたのは、当時の仲間たちの言葉。「邦男は、もっと周りを頼ればいいのに」。それは今、直面する課題解決への糸口のように感じた。
 補聴器を使っていても、聞き間違えや聞き漏らしがある。何度も聞き返すことはしばしばで、相手からうんざりされた。
 しかし、そのことで自分が萎縮してしまえば、結果的に相手に何も伝えられず、相手の真意もつかめない。「聞こえない分、心の声を聞くんだよ」との母の言葉を受けて、周囲を頼りながら、一歩踏み込んでのコミュニケーションを心掛けた。

 雌伏の時は続いた。職場では人間関係に苦しんだ。
 仕事に行くのがつらくなった。ベッドから起き上がれず、辞めたいと思い詰めた。学会の先輩は「何があっても、御本尊の前に座ろう。横になったままでもいい。とにかく生活の中心に、御本尊を置くんだ」と。どんな時もひたすらに題目を唱え、学会活動から一歩も引かなかった。
 2011年、郁子さん(50)=支部婦人部長=との再婚を機に、状況は少しずつ変わっていく。両親の病や介護など課題は尽きなかったが、学会発展のリズムに合わせ、夫婦で目標を掲げ、一つ一つ挑戦。友人への弘教を実らせ、聴力は補聴器をつけて電話できるまでに回復した。
 飛躍の時は訪れた。配置転換で未経験の業務に。「君はもっとできるはずだ」と新たなチャレンジをさせてくれた。製品開発プロジェクトで審査当局との折衝担当に任命。ある分野では日米欧亜をまとめるグローバルリーダーとして活躍の場を広げた。
 そして、同僚の話をじっくり聞く姿勢から、煩雑な仕事を解消するアイデアも生まれた。日夜、世界中で発信される新薬の情報を、IT技術を使って集約して活用できるように。新しいビジネスモデルとして高く評価された。
 さらに成長を目指し、経営学修士(MBA)を取得。一昨年からは博士号取得を目指す。
 人々を魅了する野心的な目標を、アポロ計画になぞらえ、「ムーンショット」という。医療の限界に苦しんだ藤本さんにとっては「治せない病気を無くす」「病気にならない世の中をつくる」こと。
 いつも池田先生の指導で自らを鼓舞する。
 「勝つに決まっている! 幸福になるに決まっている! 楽しい人生になるに決まっている! そう『決めて』胸を張って進んでいただきたい」
 激動の時代を楽観主義で生き抜く。

 

2020年1月20日 (月)

2019年1月20日(月)の聖教

2019年1月20日(月)の聖教

◆今週のことば

 SGIの結成45周年!
 勇気と誠実の語らいこそ
 平和の種を蒔く力なり。
 「自他共に智慧と慈悲」の
 世界市民の絆を一段と!
 (御書P761)

◆名字の言 親はわが子の“自ら育つ力”を信じて愛情を注ごう

 「わが子が言うことを聞かず、思うような子育てにならない」と嘆く母親がいた。長年、幼児教育に携わる友が助言を。「『子育て』というよりも『子育ち』と捉えましょう」▼子どもは本来、「成長したい!」と思っている。親の役割は、子どもの“自ら育つ力”を信じて愛情を注ぎ、励まし、その子らしく育つよう見守ることだという。「花と同じです。水をやって、太陽の光を当てて、たまに周りの雑草を抜いてあげればいい。大人の思うようにコントロールしようとすると、かえって花はきれいに咲かないものです」▼こうあってほしい、こうなってほしい、こうだったらいいのに……と思ってしまうのが親心。だが子は親の分身ではない。子には子の思いがあり、個性があり、人生がある▼仏法が説く「桜梅桃李」とは、その人が最もその人らしく使命の花を咲かせられるよう、個々の生き方を尊重する哲理だ。子育てに限らず、人材育成もこの視点から問い直すことで道が開けていく▼御書に「餓鬼は恒河を火と見る人は水と見る天人は甘露と見る水は一なれども果報に随って別別なり」(1025ページ)と。同じものを見ても、境涯によって捉え方は違う。会う人全てを“無二の花”と見ることが、人を育てる出発点と心得たい。(之)

◆寸鉄

「鏡に向って礼拝を成す
時浮べる影又我を礼拝」
御書。真心は必ず伝わる
     ◇
牙城会「永遠の指針」発表
40周年。信念・努力・忍耐
胸に現実社会を勝ち抜け
     ◇
香川県婦人部の日。正義
の太陽は明るく朗らか!
励まし対話へ颯爽と前進
     ◇
広布へ個々人が力を発揮
すれば団結も深く―恩師
副役職が光る組織は無敵
     ◇
大学生の内定率は高水準
を維持と。若者の活躍は
希望。公明よ後押し更に


◆きょうの発心 檀越某御返事 福岡・筑後県長 藤吉恭典2020年1月20日

御文
 御みやづかいを法華経とをぼしめせ、「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり(檀越某御返事、1295ページ・編1092ページ)
通解 宮仕えを法華経の修行と思いなさい。「一切世間の治生産業は皆、実相と違背しない」と説かれているのは、このことである。

報恩感謝を胸に社会で実証を!
 仕事に取り組む姿勢を教えられた一節であり、仏法に精通した人は職場、社会で勝利者になっていくべきであるとの仰せです。
 亡き祖母から初めて教わった御文です。どんな嫌がらせにも屈せず、信心を貫いた祖母は、故郷の石垣島へ弘教に通った話をよく聞かせてくれました。
 そんな祖母の勧めで創価大学へ。学生のために心を尽くされる池田先生を何度も目の当たりに。居並ぶ学生を見つめ、“逸材が欲しいんだ”と話された姿は、今も忘れることができません。
 卒業後は地元の福岡に戻り、高校の教師に。課題が山積する教育の場こそ、「御みやづかい」の舞台と定め、精進の日々です。
 創価三代の会長有縁の地・八女がある筑後県は、先駆九州の使命深き天地です。毎日、時間との勝負ですが、さまざまな青春の苦闘の中にいるわが子のためにも、一歩も引くことなく戦い抜く決意です。
 筑後に頂いた「リーダーは、巌のごとき信念で、『絶対に勝つ』という一念をもて!」との指導を胸に、報恩感謝の大勝利の実証を示してまいります。


【先生のメッセージ】

◆〈心に御書を〉16 希望の哲理の“語りべ”に

御文 月は西より出でて東を照し日は東より出でて西を照す仏法も又以て是くの如し正像には西より東に向い末法には東より西に往く(顕仏未来記、508ページ)

通解 月は西から出て東を照らし、日は東から出て西を照らす。仏法もまた同じである。正法ならびに像法時代には、西のインドから東へ伝わり、末法においては、東の日本から西へ流布していくのである。

〈池田先生が贈る指針〉
 太陽の大仏法を全世界へ! 「仏法西還」「一閻浮提広布」の未来記を実現しゆく創価の誇りはあまりに高い。
 混沌の時代だ。人類は万人を光らせる希望の哲理を、調和と幸福へ価値創造しゆく人間主義の哲学を希求してやまない。
 語った分だけ、平和の種が蒔かれる。地涌の“語りべ”として、強き祈りと誠実の対話を!


【聖教ニュース】

◆“正義の志国”から拡大の万波を――香川・高知が総会  2020年1月20日
 池田先生がメッセージ贈り祝福 原田会長が出席

 池田大作先生の四国初訪問65周年、神奈川文化会館への“師弟求道の航海”から40周年を飾る香川と高知の総会が、それぞれ盛大に開催された。

“師弟求道の航海”から40周年
 「私は 待った
 金波の横浜港を眼前に望む
 神奈川文化会館の一室の窓辺より
 双眼鏡を手に
 待ちに 待った」 (長編詩「青き天地 四国讃歌」)
 
 1980年1月14日、白亜の客船「さんふらわあ7」号に乗船した四国4県の友約800人が、神奈川文化会館で待つ池田先生の元を訪れた。
 前年、先生は第3代会長を辞任。邪宗門らの謀略により会合に自由に出席できず、聖教新聞での報道も制限された。第1次宗門事件の漆黒の闇が、学会全体を覆っていた。
 創価の師弟を分断しようとする障魔の嵐の真っただ中、“先生が動けないなら、我らが行こう!”と真っ先に立ち上がったのが四国の友であった。
 猛る波浪を砕き、烈風が吹き荒れる厳冬の海を越えて師の元へ。学会創立50周年は「共戦の志」に燃える弟子の自発の行動によって幕を開けたのである。



詩心薫る四国研修道場(香川・高松市)に立つ学会歌「紅の歌」の歌碑。香川、高知の両会合では、同歌を皆で大合唱した


詩心薫る四国研修道場(香川・高松市)に立つ学会歌「紅の歌」の歌碑。香川、高知の両会合では、同歌を皆で大合唱した

 さらに第3代会長就任20周年となる5月には、愛媛と徳島の同志が、それぞれ同船で同会館へ。
 その翌年、今度は池田先生が電撃的に徳島を訪れ、反転攻勢の凱歌「紅の歌」誕生へと広布のドラマは紡がれてゆく。
 3度に及ぶ求道の航海について、先生はつづった。
 「それは、学会が最も大変な時に、『師弟の絆は、何ものにも絶対に壊されない!』と満天下に宣言する信念の闘争であった。その意義は、時とともに、いやまして光彩を放っている」と。
 以来、40星霜――。“志国”の友は栄光の佳節を荘厳すべく、魁光る青年部を先頭に拡大の万波を巻き起こす。

池田先生の四国・高知初訪問65周年


先駆の決意みなぎる高知総県の総会。男子部の齋藤瑛宏さんが、職場で実証を示した喜びと対話を広げる様子を語った(高知文化会館で)

 65年前の1955年1月22日、池田先生の四国初訪問の地は戸田城聖先生と共に訪れた高知である。
 幾重にも意義深い本年を勢いよく船出する高知総県の幹部総会は19日、高知文化会館で行われた。
 席上、池田先生のメッセージが紹介され、先生は「世界広布の魁・大高知、万歳!」と呼び掛け、忘れ得ぬ高知初訪問から65周年を心から祝福した。
 山﨑総県長、西原同婦人部長は、率先垂範の行動で対話の快進撃をと力説。
 永石婦人部長が誠実一路の実践に徹し、人材の裾野を広げようと励ました。

共戦の息吹にあふれた香川総県の集い。男子部の宮内裕さんが、模範の人材育成と拡大に励む模様を報告した(四国池田文化会館で)

 一方、香川総県の総会は18日、高松市の四国池田文化会館で。
 池田先生はメッセージの中で、正義と共戦の香川の同志の力走を称賛。我らの「笑顔の前進」と「勝利のスクラム」から広宣流布の一層の拡大をと望んだ。
 北野総県長、都築同婦人部長が小説『新・人間革命』を学び、弘教に挑戦をと訴えた。
 両会合には、原田会長が石嶋主任副会長、松下四国長らと共に出席した。
 会長は、心通う一対一の激励を根本とした人材育成が広布拡大の鉄則であると強調。いかなる苦境にあっても師と共に戦い抜く“師弟共戦”こそ、四国の永遠の誉れであるとたたえ、自らの前進で断じて拡大の突破口を開こうと呼び掛けた。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈「新・人間革命」と私〉四国男子部長 山本伸一さん

心に刻む珠玉の言葉
 人生の苦悩を背負い、嘆き、悲しむ人たちのなかに分け入り、幸福の道を教え、勇気と希望の光を注ぎ、生きる力を呼び覚ましてきた唯一の団体が創価学会である。 <第6巻「波浪」の章>

時代背景
 「四国に来るそうだが、やめた方が身のためだ」との脅迫電話が学会本部にある中、山本伸一は1962年(昭和37年)6月2日、伸一を待つ同志のために香川での四国本部幹部会に出席した。当時、学会への悪質な嫌がらせが頻発していたが、彼は恐れなかった。自分が盾となって仏子を守る決意で参加し、全身全霊で同志を激励していく。

師の振る舞いを範として
 “何があっても、同志は私が守る!”――本章の山本伸一の不惜身命の決意と気迫に、身の引き締まる思いがします。また、同章には「幹部は、絶対に魔を粉砕していくのだという決意をもつこと」とも。幹部会当日、会場の香川・屋島の陸上競技場は、約3万人の参加者であふれました。伸一は予定している参加者が、既に集まったことを聞くと、開会を早めるように指示。予定は2時間近く繰り上げられます。会合中、壇上にあっても心で唱題をしながら、会場の隅々にまで鋭く目を光らせる伸一。無事、事件は何も起こらずに幹部会が終了しました。
 その後、伸一は場内を回り、参加者を激励。その足が、スタンドの一角で止まります。そこにいたメンバーが、伸一に向かって盛んに叫んでいますが、言葉になっていません。伸一は、その同志がろうあ者で、「先生!」と自分を求めて呼んでいることを知っていました。「何があっても、挫けずに、お題目を唱え抜いてください。負けてはいけない。自分に勝つことですよ!」――伸一の言葉を手話で伝える友と、そのメンバーの目には涙が光っていました。
 人は悩んだ時、誰と出会うかで人生が大きく変わると思います。四国男子部長に就任以来、“友に同苦する”ことが“同志を守る”こととの決意で、訪問・激励に徹し、4県を車で毎月4000キロ走ってきました。

同志を守る“創価の丈夫”に
 本年は、四国にとって「さんふらわあ7」号の師弟求道の航海から40周年です。四国青年部では昨年11月から、その節目を記念し、メンバー一人一人の署名を行いました。リーダーが同志のもとへ徹底して激励に足を運ぶ中、約1カ月半で目標を超える署名を集めることができ、男子部の「広布十傑」運動も力強く進んでいます。
 悩める友が眼前の苦悩を突き抜けて、“人生の反転攻勢”を開始できるよう、四国中を広布に駆け巡ってまいります。そして学会創立100周年へ、池田先生と広布の父母たちが築いてくださった“正義の志国”の伝統を“後継の丈夫”として受け継いでいく決心です。


◆〈勇気の旗高く〉池田先生が島根の友に贈る指針 全ては「心の変革」から

「栄光の島根であれ」。“山光提言”の翌日、池田先生は島根広布25周年記念幹部会で友の奮闘を心からたたえた(1984年5月22日、旧・島根文化会館で)

光り輝く天地
 <中国地方の西側、日本海に面する島根県。池田先生が初めてこの地を訪れたのは、1961年(昭和36年)4月23日、松江支部の結成大会に出席するためである。大会後、先生は初代支部長に「声佛事」と揮毫して贈った。
 その後も同県をたびたび訪問。ひときわ深く同志の心に刻まれているのは、84年(同59年)5月の来県である。先生は、鳥取での諸行事を終えて帰京する予定だった。しかし、あえて日程を変更し、島根へ。3日間にわたった訪問の初日、旧・島根文化会館で開かれた県各部代表者会議でのスピーチは、後に“山光提言”と呼ばれ、友の希望の指針となっている>
  
 本来、仏法は、最も苦難の地域、最も苦労している人に光を当て、その人々のために貢献していくことが第一義の問題であると思う。
 山陰地方というが、私は、昔からこの言葉には大変抵抗があった。
 かつて山陰地方を訪れ「山陰」という言葉を聞いたとき、「それよりも『山光』地方と呼んだほうがよい」と言ったこともあるし、そのように考えたものだ。
 山陰地方は、東京より、初夏の日没は約三十分遅い。また冬は寒く、雪も降るが、山の頂上からふもとまで雪で終日銀色に輝いている。さらに山の幸、海の幸も、都会より新鮮に味わうことができる。こうした意味からも、光り輝く地、つまり「山光」と申し上げたいのである。

一日一日が主戦場
 <後に池田先生は随筆で、この84年の訪問を振り返り、次のように述べた>
  
 十一年ぶりの島根は、希望の前進の渦であった。苦闘を突き抜けた歓喜の笑みの波であった。
 滞在三日間。連日、島根文化会館では、代表者会議や広布二十五周年の記念幹部会などが有意義に開催された。
 「山陰」に代えて、「山光」という愛称を、声高く提唱したのは、この時である。
 私は、「日蓮仏法は冥益が根本である」等と、強く語った。
 地味で単調と思える、日々の生活、一日一日の活動こそが、人間革命と広宣流布の主戦場だ。
 そこで、地道に信心を貫き、朝晩の勤行、座談会、折伏、対話と、仏道修行をたゆみなく繰り返す。
 そのなかでのみ、わが生命の功徳の年輪は重なり、嵐に揺るがぬ、仏の境涯と等しき大樹の汝自身となる。
 組織も個人も、慢心になってしまえば、もはや伸びない。慢心は毒薬である。
 大切なことは、何があっても、広宣流布を目標に戦い抜くことだ! それは、崇高な仏意と仏勅のままに戦う創価学会とともに、生き抜くことだ!

 <池田先生は91年(平成3年)9月9日、安来会館を初訪問。恩師・戸田先生との思い出を交え、喜びを語った>
  
 生まれて初めての訪問である。皆さまとお会いできて、本当にうれしい。
 ここへ来る途中、落日に映える雲が素晴らしかった。感動した。雲わき、雲流れる「出雲の国」。その名の通り、天を彩る雲の連なりが、悠久の輝きを放っていた。まさに“世界一”の雲だった。
  
 島根、鳥取――この山陰地方を“山光”と呼んではどうかと提案したのは七年前である。
 今回の訪問は、天も地も希望の光に満ちあふれた、素晴らしい一日一日であった。朝も昼も輝いている。夕暮れも美しい。気温もさわやかである。きょうは大山も“こんにちは!”と言わんばかりに、秀麗な姿を現していた。
 皆さまの真心と、信心のけなげさを、そのまま映しだしたような美しさであった。ここへの車中、歌を詠んだ。
  
 山光と
  たれがつけたか
    この光彩
  日日の輝き
    山陰消えたり
  
 数々の苦労を乗り越え、広宣流布の行動に徹しておられる“山光”の皆さまに、最大の尊敬と感謝を込めて贈らせていただく。
  
 安来といえば、戸田先生も、年末になると、よく皆の前で「安来節」を踊っておられた。私も、一緒にやれと言われて、やったものである。
 気さくで人間味あふれる、独特の節まわし。そのあたたかい響きとともに、うれしそうに踊られていた恩師の姿が、忘れられない。
 戸田先生は「安来に、いっぺん行ってみたいな」ともおっしゃっていた。その思いが、きょうかなったようで、感激でいっぱいである。

幸福の道を開く
 <先生は“山光提言”の中で、「人生の精髄」について言及し、仏法にこそ、生きがいに満ちた人生と、人間の真の幸福を開く力があると強調した>
  
 人生には、それぞれの人によって、さまざまな道がある。芸術の道、学問の道、さらに剣の道、書の道、華道等々である。それらを通し、それなりに人生の精髄を追究しようとしているに違いない。しかし、それらの“道”では、それぞれの分野での奥義を極めていけるかもしれないが、汝自身の人生の精髄を極めることはできない。いわんや現在では、その道の奥義を極めようとするよりも、経済の打算に走ってしまう場合が多い。
 これに対して仏道は、だれ人もまず根本的に仏界を開き、自身の人生の精髄を会得できる法理なのである。その信心のうえから、現実の社会的立場へ、仕事へ、家庭へ、生活へと開花させ、価値ある人間としての生きがいの花を思いきり咲かせていけるのである。
  
 人生の精髄は、自分の与えられた立場、境遇で、どれだけ人生の意義をかみしめ、自身の使命を感じ取るかにある。
 他の場所に幸せを求めようとする心には、いずこにいっても幸せはない。それぞれの職場、家庭、生活を大切にし、その中から幸福の道を開いていけるのが、妙法であり、信心の力用なのである。その力を持った人こそ、いかなる名声の高き人よりも、財産を蓄積した人よりも、人間的に幸福な人なのである。その強い喜びを感じ取っていけるのが、信心である。

 <「山光」の友の前進・勝利を祈り、期待を寄せてきた池田先生。島根の友への随筆に、こうつづっている>
  
 「山陰」から「山光」へ――。
 名前が変わっただけと思う人もいるかもしれない。
 しかし、決して、そうではない。皆の意識が変わり、自信がわき、元気になることこそ、根本の目的である。
 この「意識の変革」「心の変革」から、人生も、家庭も、地域も、変わっていく。
 また、「名は必ず体にいたる徳あり」(御書1274ページ)である。
 住む人の心によって、必ずや、その名にふさわしい、平和と幸福の郷土へと発展していくに違いない。
 島根の友は、希望の歌を響かせて立ち上がった。遠くまで聞こゆる、大きな笛を吹きながら、讃美を惜しまぬ同志が集まる、その姿は頼もしい。
  
 勝利の行進をしてきた、わが島根の同志、万歳!
 わが鳥取の同志、万歳!
 不幸という痛みを残さぬ、唯一最高の信仰者の勝利の集まりの「山光」、万歳!
  
 さあ、また、宿命打破のために戦え!
 広宣流布のために、莞爾と進め!
 一家の和楽と、同志のスクラムで、大きな門を開きながら、陽光を燦々と浴びながら、素晴らしき前進を――と、私は祈り続けていきたい。


◆座談会⑤ 皆が前進!皆が人材!
自行化他の信心に地涌の生命が脈動 折伏・弘教は仏の使いの実践

〈出席者〉原田会長、長谷川理事長、永石婦人部長、志賀青年部長、大串女子部長

 長谷川 各地で新年最初の座談会が行われ、全国の同志が勇んで対話拡大への挑戦を開始しました。人々に確かな幸福の道を教える折伏は崇高な利他行です。
 
 原田 本年、私たちは「皆が前進、皆が人材」を合言葉にスタートしました。目指すは「皆が功徳を受けた」「皆が幸せになった」という実証です。その直道が折伏の実践です。
 
 長谷川 御書には「法華経を一字一句も唱え又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり」(1121ページ)と説かれています。
 
 原田 池田先生は小説『新・人間革命』第25巻「福光」の章に「勇んで唱題と折伏に励むことによって、仏に連なり、仏の使いの働きをなし、地涌の菩薩となり得るのだ。つまり、自行化他にわたる信心の実践によって、仏の力が涌現し、地涌の菩薩の大生命が脈動する。救世の闘魂と大歓喜が胸中にみなぎり、わが生命の変革がなされていくのである」とつづられました。今、世界中の同志が自他共の幸福を築く使命に目覚め、世界広布が勢いよく進んでいます。
 
 永石 各地で喜びの弘教が実っていますね。長年、地域貢献を重ねている壮年部、婦人部の姿を通して「学会の人は素晴らしい方ばかりですね。自分も仲間に入りたいです」と入会を希望される方もいらっしゃいます。私たちの日々の振る舞いが、学会理解につながることを実感します。
 
 志賀 男子部も、池田先生の会長就任60周年の「5・3」を祝賀しようと折伏に全力で挑んでいます。
 
 原田 若き池田先生は、戸田先生の会長就任式が行われた1951年5月3日に知人への弘教を実らせました。当時の真情について、「広宣流布の大師匠が誕生するのだ。弟子として、それをお祝い申し上げるには、弘教しかない」(『新・人間革命』第27巻「激闘」の章)とつづられています。
 
 志賀 師に勝利を誓い、広布拡大の結果でお応えする。ここに師弟の精神が脈打っていくことを深く自覚して戦っていきます。
 
 大串 かつて、SGIの女子部メンバーが、同世代の若い友人に仏法を伝えていく上での指針を先生に伺いました。これに対し、先生は温かく「誠実に、わかりやすく話していくこと」「仏法の偉大さと信心の素晴らしさを自信満々と話していくこと」「自分自身の確信と体験を堂々と語り抜いていくこと」と示してくださいました。
 
 長谷川 皆さん、その通りに信仰の喜びや体験を生き生きと語っていますね。
 
 原田 リーダーは対話に率先するとともに、青年部をはじめ、初めて折伏に挑戦した友をたたえていきたいと思います。それでこそ、対話拡大の波動は、さらに広がっていくからです。

人権闘争の「源流」
 大串 1月25日は「大阪事件」の無罪判決の日です。
 
 永石 1957年7月3日、事実無根の選挙違反の容疑で池田先生は不当逮捕されました。周知のように全くの冤罪でした。
 
 志賀 取り調べをした検事は「罪を認めなければ、学会本部を手入れし、戸田会長を逮捕する」と、池田先生をどう喝。この頃、すでに戸田先生は衰弱されており、逮捕されれば命に危険が及びかねない状況でした。池田先生は、恩師と学会を守るため、法廷で真実を証明することを決断されたのです。その後、法廷闘争は4年半にも及び、公判は84回。そして、62年、ついに無罪判決を勝ち取られたのです。
 
 原田 この間、先生は同志の再三にわたる要請で60年5月3日に第3代会長に就任。熾烈な法廷闘争が続く中で、どれほどのご苦労があり、大変な戦いであったか。しかし、先生は心労などみじんも見せず、厳然と指揮を執られ、日本のみならず、世界にまで広布の道を開かれたのです。
 
 長谷川 大阪事件は、当時、庶民の平和勢力である創価学会が急速に伸展することに危機感を抱いた権力による弾圧であったことは明白です。
 
 永石 当時の真情について、先生は『人間革命』第11巻「裁判」の章につづられています。「大阪事件」を通して、山本伸一が心に深く刻んだ人権闘争の誓いが「やがて、広く世界をつつみゆく、SGIの新しきヒューマニズム運動の、大潮流をもたらす源泉にほかならなかった」と。
 
 原田 まさしく、先生の無罪が証明された1月25日は「民衆勝利の日」として、広宣流布の歴史に不滅の光を放っています。先生が身命を賭して学会を守り、民衆を守ってくださったがゆえに、今日の世界広布の大発展があることを、私たちは決して忘れてはなりません。
 
 志賀 後継の青年は、この崇高なる師弟の道を進む誇りに燃え、広布にまい進してまいります。

◆〈2020 広布史メモリアル〉 2月   2020年1月20日

 ◎「二月闘争」
 1952年(昭和27年)2月、24歳の池田大作先生が蒲田支部の支部幹事として指揮を執り、当時の支部の限界を打ち破る「201世帯」の弘教を達成。最前線の組織単位である「組」(現在のブロック)に焦点を当て、第2代会長・戸田城聖先生の誕生月を拡大の金字塔で荘厳した。※参考資料=小説『人間革命』第5巻「驀進」、『新・人間革命』第3巻「平和の光」

池田先生が若き日に暮らした青葉荘

池田先生が若き日に暮らした青葉荘

 ◎2・8「沖縄の日」
 74年2月8日、池田先生は沖縄広布20周年記念総会に参加。席上、「沖縄を幸福と平和建設の模範の島」にと力強く語った。※参考資料=『新・人間革命』第19巻「虹の舞」
  
 ◎2・11 戸田城聖先生の生誕120周年
 戸田先生は、1900年2月11日、現在の石川県加賀市塩屋町で生まれた。苦学して北海道の小学校教員となった後、上京。初代会長・牧口常三郎先生に出会い、牧口先生と共に創価教育学会(現在の創価学会)を創立した。戦後、学会を再建し、51年5月3日、第2代会長に就任。57年12月、75万世帯の弘教を達成し、広布の永遠の基盤を築いた。本年で生誕120周年。※参考資料=『教学入門』『新会員の友のために――創価学会入門』
  
 ◎2・11「戸田記念国際平和研究所」設立
 96年2月11日、戸田先生の生誕96周年を記念し、戸田記念国際平和研究所が発足。世界的な研究者らが、恒久平和への研究を進めている。

「21世紀の平和研究課題」をテーマに、戸田記念国際平和研究所がアメリカ平和研究所(USIP)と共催した研究会議(2019年12月、都内で)

 ◎2・17「農漁光部の日」
 77年2月17日、学会本部で開催された農村部(当時)の第1回勤行会を記念して「部の日」が制定された。同部はその後、農漁村部に発展。2011年に農漁光部となった。※参考資料=『新・人間革命』第24巻「灯台」
  
 ◎2・18 池田先生とアフリカのマータイ博士との初会見15周年
 05年2月18日、池田先生は、アフリカの女性として初のノーベル平和賞受賞者で、ケニアから広がった植樹運動「グリーンベルト運動」の指導者ワンガリ・マータイ博士と初会見した。※参考資料=『新・人間革命』第17巻「緑野」

ケニアのマータイ博士が東京・八王子の創価大学を訪れ、学生と交流(2006年2月)

ケニアのマータイ博士が東京・八王子の創価大学を訪れ、学生と交流(2006年2月)

 ◎2・22 池田先生の鳥取初訪問60周年
 第3代会長に就任する2カ月ほど前の1960年2月22日、池田先生が鳥取を初訪問。本年で60周年となる。この日は現在、「鳥取広布原点の日」に。同23日には、「東洋の/広宣流布に/断固征け/日本海の/波は荒くも」との和歌を詠み贈った。※参考資料=『新・人間革命』第10巻「言論城」

◆「前進・人材の年」開幕 世界広布新時代第45回本部幹部会から(要旨)本部幹部会での活動体験

●〈創価班〉師の激励胸に職場で実証示す
香川総県委員長 矢野繁さん(香川創価県青年部長)
 一、私は、信心強盛な両親のもと、4人きょうだいの三男として生まれました。
 一番上の兄の影響で始めた野球がうまくなりたい一心で、地元・石川県の名門中学に入学。3年生の時には4番バッターとして全国大会で優勝し、創価高校へ進学。野球部へ入部しました。
 順調な学園生活を送っている中、突然、試練は訪れました。大好きな、一番上の兄が病気で亡くなったのです。23歳でした。
 悲しくて苦しくて、野球をやる意味すら見失いそうになっていた時、池田先生から「苦難を乗り越え、頑張れ」との伝言が届きました。その一言が、胸に染み入りました。
 “兄の分まで、苦難を乗り越えて生きていこう”と思えました。
 その後、進学した創価大学の野球部でも、試合が終わるたびに届く、先生からの真心こもる伝言に、師匠の存在を身近に感じました。
 一、大学を卒業後、大手飲料メーカーに就職。配属は、縁もゆかりもない四国の徳島県でした。
 慣れない土地。しかも苦手な営業。「こんなつらい仕事、いつ辞めようか」と、思い詰めていた自分を激励してくれたのが、創価班の先輩でした。
 私より大変な状況なのに、毎日のように一緒に題目をあげてくれた先輩のようになりたいと、当時の創価班大学校に入校。
 会社の同僚に初めての折伏を実らせた時、先輩が涙を流して喜んでくれたことを、今でも鮮明に覚えています。
 創価班の任務を通し、「責任ある行動」「明確な言語」「親切な態度」「清潔な身なり」「正確な連絡・報告」の実践5項を命に刻むと、仕事にも大きな変化が生まれました。
 元々、口べたで、飛び込みの営業は苦手だったのが、積極的に、体当たりの営業ができるように。それが相手の心をつかみ、商談が決まるようになっていったのです。
 その結果、営業成績の優秀者として幾度も表彰を受け、入社5年目には、西日本最年少となる係長に昇進することができました(拍手)。
 一、翌年、香川県に転勤。その後、さらなる悲しみが私を襲いました。実家の父が病に倒れ、62歳で亡くなったのです。
 最後の会話は、病気で悩む友人への折伏が実ったことを電話で報告した時でした。
 父はうれしそうに「本当によかったな、池田先生にお応えできたな」と言ってくれました。
 私は気付きました。師匠にお応えしようとする弟子の道こそ、苦難を乗り越える直道である。そして、何があっても広布に戦うとき、亡き人の存在は、胸の中で生き続ける、と。兄と父が、そのことを教えてくれたのです。
 私は感謝の心で、一層、折伏にまい進。第1回の全国男子部幹部会が四国で開催された際、大会の前日に、会社の先輩へ折伏を実らせることができました(拍手)。
 一、1978年1月、池田先生は、落成したばかりの四国研修道場を訪問され、「あな嬉し 学会厳たり 創価班」との句を詠まれました。その一節は今も、創価班歌の歌詞として全国で歌われています。
 どこまでも陰の戦いに徹する使命を皆で確認し合いながら、広布の全責任を担い、折伏、絶対無事故の運営、破邪顕正の戦いを進め、学会厳護の創価班として、さらに成長してまいります(拍手)。

●〈白蓮グループ〉誠実な振る舞いで信頼広げる
総埼玉副委員長 戸塚美奈子さん(桜本陣区女子部長)
 一、私は今から7年前、大学2年の時に白蓮グループの一員となりました。その頃の私はダンスに明け暮れ、正直、任務より友達と遊びたい気持ちでいっぱいでした。
 そんな私が会館で任務に就いていると、来館者の方が「ありがとね」と優しく声を掛けてくださいました。きっと皆さんのほうが大変な中、集われているのに、感謝の言葉を掛けてくださることに心が動きました。“周りの友達や環境に流されるのではなく、二度とないこの白蓮時代、使命の場所で頑張り抜きたい”との決意が芽生えました。
 しかし、社会人になってからは悩みの連続でした。総合広告代理店の営業として働き始め、結果が求められる日々。これ以上ない準備をして商談に臨んでも、緊張で一言も話せない時もありました。
 悔し涙が込み上げる時、思い出したのは、池田先生から頂いた「白蓮乃人に 不幸なし」の揮毫でした。「どんな泥沼のような現実にあっても、皆さん方は絶対に負けない」「勝利の花を咲かせていける」との励ましを胸に祈り、挑戦を続けました。
 一、社会人2年目、会社の上司からいきなり「戸塚さんは何かやっているの? もしかして創価学会とか?」と話し掛けられました。
 “なんで分かっちゃったんだろう”と驚き(笑い)、最初は隠そうかと思いましたが、意を決して「そうなんです。創価学会員なんです」と答えました。
 実は、上司の周りには学会員が多く、日頃からよくしてもらっていて、私の言動を見る中で、もしかしてこの子も学会員なのかなと、思わず聞いてしまったというのです。
 そこから、聖教新聞の切り抜きをお渡ししたり、会合に参加してもらったりする中で、上司は「皆が明るく輝いている姿に感動した。自分も、もう一度しっかりと人生を見つめ直したい。創価学会に入りたい」と一昨年の2月、晴れて入会。私自身、人生初の御本尊流布をすることができました(拍手)。
 その後、上司は、教学部任用試験にも合格。今では、職場の方や家族への折伏にも挑戦しています。
 私が仕事で悩んでいると、「そういう苦難を乗り越えるための信心じゃないか」と逆に激励されるほどです。
 白蓮での薫陶と、折伏を通して、信心根本に誠実な振る舞いを貫けば、必ず相手に伝わることを実感しました。
 以来、毎回の商談においても、相手の希望にどう寄り添えるか真剣に祈り、挑戦し続けてきた結果、お客さまから「戸塚さんを信頼してお願いするよ」と言っていただくことも増え、全営業職220人の中で最優秀賞に選ばれました(拍手)。
 一、白蓮グループ新時代第1期として任務に就いてきた昨年は、埼玉でも台風被害に見舞われた地域がありました。そういう時こそ、私たち白蓮が希望を送っていこうと皆で祈り、笑顔と真心の任務に挑戦してきました。
 池田先生と同じ心で、学会と同志のために尽くせる今この時が、本当に幸せだと感じています。
 これからも、幸の連帯を大きく広げ、「広布の未来を開く」白蓮グループとして、必ずや勝利の花を咲かせていきます(拍手)。

●〈牙城会〉一家和楽を築いた不屈の信心
東京・品川総区委員長 長沼博之さん(品川総区男子部副書記長)
 一、私が小学生の時、父が経営する会社が倒産。家族は離れ離れになりました。環境に翻弄される不安が常にあり、それをかき消すように、自分の力で人生を切り開こうと、努力を重ねました。
 大学では国際経済を専攻。ビジネスにも哲学が重要であることを学んだ私は、あらゆる思想書を読み、いろいろな宗教を試しました。しかし、心から納得できるものは一つもありませんでした。
 創価学会と縁したのは、23歳の時です。信心強盛な妻との出会いがきっかけでした。
 「この仏法は世界一の教えだよ」。目を輝かせて語る妻を見て、「ああ、完全にだまされているな。救ってあげたい」と思い(笑い)、おかしな部分を徹底的に追及しようと、毎日、学会関連の書籍を読みあさりました。
 ところが、学べば学ぶほど、仏法の深さ、学会の偉大さに感動し、畏敬の念を抱いていく自分がいました。
 極めつきは通勤中、池田先生の『開目抄講義』を読んでいた時のことでした。日蓮大聖人の命懸けの師子吼。他の宗教とは明らかに次元が違う深い哲学。こんなにすごい宗教がこの世にあったのか。全身に衝撃が走りました。
 ずっと私の幸せを祈り続けてくれた妻の真心にも胸を打たれ、2007年、晴れて、入会することができました(拍手)。
 一、やるからには真剣に取り組もうと、勤行・唱題に励み、牙城会に入ってからは「信念」「努力」「忍耐」の指針を胸に、折伏にも挑戦。妹への弘教を実らせる中、自身の命が変わっていくことを実感しました。
 そんな時、当時2歳だった娘が、「急性リンパ性白血病」という、血液のがんに侵されました。壮絶な治療が始まりました。髪が抜け、嘔吐し、日に日にやせ細っていく娘。胸が張り裂けそうな私たち夫婦に、希望の光を送ってくださったのは、池田先生でした。
 「お題目を送っています」との伝言とともに、「希望 幸福」との印が押された和紙を頂戴したのです。
 師匠が祈り、勝利を待ってくださっている。そう思うと、現実に立ち向かう勇気が、命の奥底から湧いてきました。
 妻と祈り、折伏に奔走。一昨年と昨年で、11人の方へ弘教を実らせました。不屈の信心で前を向く私たちの姿に、10年前から対話を続けてきた母も昨年2月、御本尊を受持。さらに、父も同時に入会し、夢に見た一家和楽の信心を、最大の苦境の中で実現することができました(拍手)。
 娘は、良いドクターにも恵まれ、約3年の闘病の末、がん細胞が全て消滅。来月で6歳になりますが、今ではすっかり元気になり、笑顔を振りまいて走り回っています(拍手)。
 一、私は現在、一般社団法人の代表を務め、近未来の社会を専門に、コンサルティングや講演などに取り組んでいます。海外でも仕事をする中、時間をこじ開け、牙城会の任務に当たってきました。
 どれだけ経済や技術革新が進もうと、目の前の一人の苦悩を根本から解決できるのは仏法しかない――これが私の確信です。
 これからも、仏法の偉大さを語り、地域広布の城である会館を護り抜き、師への報恩に尽くしてまいります(拍手)。

◆〈世界の体験プラザ〉経済苦を乗り越えたニューヨークの主任電気工事士 アメリカSGI エンリケ・マガンさん
 自他共の幸福を願い 勝利の人生歩む パナマから移住し仏法に出合う

 私は、中米パナマで生まれ育ちました。極貧の暮らしだったことから、家計を支えるため、アメリカで働くことを決意。1970年代半ば、21歳の時、ニューヨークのブルックリンに移住しました。
 ある工場で働き始めたものの、仕事が遅く、私の収入は普通に暮らすこともままならない状況でした。それでも、わずかながら両親への仕送りを続けていきました。
 その後、米軍で3年間の軍隊勤務を経験。また、アメリカの市民権を取得しました。何とか生き抜く中、未来への希望を抱き始めましたが、暮らしを向上させることは容易ではありませんでした。
 生活苦から同じパナマ出身の友人たちと、大きな過ちを犯しそうになったこともありました。しかし「自分の身に何かあれば、母はどう思うだろうか。何のために、私は故郷を後にしたのか」との思いが巡り、道を踏み外さずにすみました。
 人生の行方を案じていた、そんな時、友人の女性から日蓮仏法を紹介されたのです。ニューヨークに移住してから既に10年がたっていました。
 「失う物は何もない」と感じていた私に選択の余地はありませんでした。勤行・唱題の実践を開始。そして85年、御本尊を受持したのです。
 ニューヨークの同志は、私を温かく迎え入れてくれました。信心の触発を受ける中、人生について次第に前向きに考えるようになりました。
 「仕事を安定させたい」と強く願っていた私は一念発起し、さまざまな建物の配線工事や電気機器の配置、修理などを行う電気工事士の見習いに。とはいえ、景気が悪かった時期でもあり、経済的な苦境は、ますます深刻化。実家に送金するどころか、アパートの家賃を滞納し、大家から訴えられる始末でした。
 また当時、アメリカ国内には人種差別の風潮が強く、職場内でも、先輩の電気工事士から仕事の指導を拒否されたり、同僚から仕事を妨害されたりと、ひどい差別を受けました。
 草創期の先輩はいつも「何があっても粘り強く前進しよう」「池田先生の弟子として戦い続けよう」と激励してくれました。私は先生の指導をむさぼるように学び、心の支えにし、自らを鼓舞していきました。

資格試験に初挑戦で合格
 SGIへの理解を広げようと、仏法対話に挑戦。最初は、多くの友人・知人がまともにとりあってくれませんでしたが、私自身の信心は揺るぎませんでした。自身を変革できることを証明したいと、必死だったのです。
 仕事には誰よりも懸命に取り組みました。地道な努力は報われ、見習いを終えると、収入は3倍に。私は「もっと仕事の知識を得よう」と、いっそう精を出しました。家賃を滞納することはなくなり、自家用車を購入することもできました。
 94年には、翌年の新装オープンを控えたニューヨーク文化会館・仏間の電気工事を担当させていただきました。
 私は新たな目標として、主任電気工事士になることを決意。それには主任電気工事士のもとで7年の実務経験と、資格試験に合格する必要があります。試験科目には苦手な数学が含まれていたため、数カ月間、家庭教師を雇い、勉強に励みました。1度で合格するのが難しい試験ですが、私は初めての受験で合格し、念願を果たすことができたのです。
 96年、ブルックリン地域に自宅を購入。祖国の母は86年に他界しましたが、父とは一時期、ニューヨークで一緒に暮らしました。その時、父は「エンリケを誇りに思うよ」と語り掛けてくれたのです。それまで苦労の連続でしたが、全ての経験に意味があることを実感。使命の道に生き抜こうと、あらためて強く決意しました。
 父は、私の成長をずっと喜んでくれ、80歳を超えてから入会したのです。
 98年、妻となるディアマンティーナと結婚。その後、娘ヴァレリーを授かりました。

広布への誓いを生涯貫く
 長年、主任電気工事士を務めた後、2015年に退職。同じ年、私は医師から前立腺がんを宣告されました。
 強いショックを受けましたが、多くのSGIの同志が励ましてくれました。私は、池田先生の指導を何度も読み返し、がんと闘い抜く覚悟を決め「広宣流布に生きるため、必ず病魔に打ち勝つ!」と強い一念で祈りました。
 幸運だったのは、最優秀の専門医に出会えたことでした。担当の医師は、がんが非常に大きいことについて、包み隠さず知らせてくれました。
 翌16年、手術を受け成功。今も再発はありません。
 また、退職時に得た多額の年金で、大学に進学した娘の学費を全て工面することができました。
 正しい信仰に導いてくださった池田先生、そしてアメリカSGIの同志に、感謝の思いは尽きません。
 アメリカSGIでは現在、支部長として、同志の激励に奔走しています。
 18年には訪日し、広宣流布大誓堂の勤行会に参加することができました。
 日蓮仏法を実践して34年、最大の功徳は、他者を思う心を育めたことです。入会した頃は自分の弱さから他人を尊敬できず、人間関係につまずくことばかりでしたが、現在、他者の幸福を祈る自分に変わることができました。
 これからも報恩感謝を忘れず、青年部のメンバーを支えながら、アメリカ広布の発展に向けて、全力を傾ける決意です。

2020年1月19日 (日)

2020年1月19日(日)の聖教

2020年1月19日(日)の聖教

◆わが友に贈る

 わが家庭・地域の
 未来部・青年部を
 信心の後継者に!
 全員が使命の人だ。
 皆で励まし 共に前へ!

◆名字の言 生誕250周年のベートーベン。楽聖に学ぶ生き方とは?

 今年はベートーベンの生誕250年。国や時代を超え、人々を魅了し続ける名曲の数々は、いかにして生み出されたのか。楽聖の生き方に学ぶことは多い▼彼は立場や肩書を気にする人ではなかった。「僕の芸術は貧しい人々に最もよく役立たねばならぬ」(片山敏彦訳)と宮廷を飛び出し、市民の前で演奏した。権威の象徴とされたかつらもかぶらなかった▼彼は、何があっても前進し続ける人だった。古い社会との摩擦、耳の病、母や弟の死、経済苦……。過酷な“運命”を打ち砕くかのように猛然と曲を作り、己の胸中に“歓喜”を湧き上がらせた。「一行なりとも書かざる日なし」(佐々木斐夫・原田煕史訳)と▼哲人ソクラテスの「シビレエイの譬え」のごとく、自分自身が感動すれば、その生命の波動は必ず周囲に広がっていくものだ。人材を育て、歴史を築く要諦もまた、立場や境遇では決まらない。わが心に広布への情熱が燃えているかどうかだ▼どんなに優れた音楽でも、楽譜に書かれているうちは、ただの音符にすぎない。奏でる人がいてこそ、魂がよみがえり、人の心に響く。人生もしかり。最高の仏法哲理を持ったからには、自分が語る! 自分が行動する! 一人立つ勇者の気概で勇躍、まい進していきたい。(誠)

◆寸鉄

『新・人間革命』は人生の
価値を高めてくれる一書
―作家。学び成長の糧に
     ◇
一対一が広布伸展の鍵。
会合と個人指導の比率を
2対8に。今日から挑戦
     ◇
負けてたまるかと祈るの
だ―戸田先生。闘病の友
よ大生命力で蘇生の劇を
     ◇
70歳超えても働きたい―
60代の半数超。豊かな経
験は宝。生かす社会、皆で
     ◇
歯周病で脳卒中等の危険
増と。丁寧な歯磨きから。
良き習慣こそ健康の秘訣

◆社説 きょう「未来部の日」 励ましの第一歩をしるそう

 本紙に連載中の「若者のイマとコレから」で、若者マーケッターの藤本耕平氏は、若者のモノ選びの基準が「人」になっていると触れている(先月21日付)。
 例えばファッションの場合、渋谷の109の店員にファンがついていたり、SNS上ではコスメについての質問に、ありのままに答えてくれる人を、おしゃれの参考にしていたりするそうだ。氏は「質問への早くてリアルな返答に若者は縁の近さ(縁近)を感じ、投稿内容を自分事として受け止めます」と、モノ選びの基準となる「人」とは“縁近な人”であることを指摘する。
 情報化社会の中でさまざまな生き方を選択できる現在にあっても、自分に近しい存在を行動の支えにしようとする若者の心を知ることができる。
 群馬県の定時制高校に通う男子高等部員も、そんな“縁近な人”に支えられて成長の日々を送ってきた。
 よく家に来てくれた男子部の未来部担当者は、人間関係などの悩みにアドバイスをくれた。彼はそれを参考にして、自分なりに行動して解決できたという。昨年、父が亡くなった際も担当者はすぐに会いに来てくれ、寄り添い続けてくれた。彼は家計を助けるために働く時間を増やし、疲れた体を押して夜は学校へ。心が折れそうでも、担当者の存在が前進のバネになったという。今春、高校を卒業する彼は、男子部大学校に入校する。
 この“一対一の励まし”こそ、どんな時代にあっても、若い生命の可能性を引き出す人材育成の要だろう。
 今、こうした関わりを増やすために、未来部員会を毎月開催しようと奮闘する地域が増えている。未来部担当者と各部の連携で、未来部員への“縁近な”励ましのリズムが定着した結果、諦めていた大学進学を勝ち取れた、各種コンクールへの応募が増えた、未入会家族が入会したといった歓喜が広がっている。
 池田先生は語る。
 「創立百周年のその時、今の未来部のメンバーは、さっそうと若きリーダーに成長していて、口々に語ることでしょう。――自分の今があるのは、あの時に励ましてくれたお兄さん、お姉さん、また、地域のおじさん、おばさんたちのおかげだ、と。そして深き恩返しの心で、今度は、その時の未来部の友を真剣に育てていってくれるに違いない」
 今年は学会創立100周年への“大事な十年”の始まりであり、きょうはその最初の「未来部の日」。未来部担当者のみならず、各部の一人一人が我が地域の「法華経の命を継ぐ人」(御書1169ページ)をどう育てていくかを考え、励ましの第一歩をしるす日にしていきたい。

◆きょうの発心 兄弟抄 愛知・春日井正義県婦人部長 佐藤まり2020年1月19日

御文 心の師とは・なるとも心を師とせざれとは六波羅蜜経の文なり(兄弟抄、1088ページ・編689ページ)
通解 わが心に対して師とはなっても、わが心を師としてはならない、とは六波羅蜜経の文である。

師の心をわが心として広布へ!
 自身の弱い心には従わず、何があっても信心第一を貫く姿勢を教えられています。
 兄の病気がきっかけで、家族と共に入会。以来、広布に走る両親の背中を見て育ちました。入会間もない私も、女子部の先輩方に育てていただきました。
 大学4年の時、友人を初めて入会へ導いた直後、池田先生・奥さまとお会いする機会が。「みんな仲良くね」と激励していただいたことが師弟の原点です。
 1995年(平成7年)、先生の100回目の中部指導の折、一人を大切にする先生の振る舞いに触れ、“生涯、先生の心をわが心として、広布に駆ける人材に”と決意しました。
 結婚後、交通事故や、顔面神経麻痺などの苦難がありましたが「宿命転換し、必ず広布の最前線へ!」と強盛に祈り、勝ち越えてきました。現在、夫と共に、日々、学会活動に励むことができ、感謝の思いでいっぱいです。
 春日井正義県は、先生が草創より幾度も訪問された天地。この誉れを胸に、学会創立90周年から100周年への出発を切る意義深き本年を、「ヤング白ゆり世代」と共に勝ち開きます。


【先生のメッセージ】

◆今こそ「対話の選択」を 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」 2020年1月19日
 「1・26」SGI発足45周年

 平和は
 彼方にあるのではない。
 自分のいるその場所に、
 信頼と友情の世界を
 築き上げるのだ。
 その輪の広がるところに、
 世界のへいわがあるのだ。
 
 一方的に話すのは
 対話ではない。
 まず、相手を尊敬し、
 耳を傾けることだ。
 聞く、話す、また聞く。
 その胸襟を開いた応答が
 「思い込み」や「先入観」という
 心の壁を破っていく。
 相手も人間、
 こちらも人間である。
 そこに
 なんの差別もないと知れば、
 心と心が通い、信頼が生まれる。
 
 創価学会は、どこまでも、
 民衆の幸福と
 世界の平和のために、
 現実社会の変革に
 挑戦しゆく使命を貫く。
 そこに、
 「人間のための宗教」の
 精髄があるからだ。
 それは、
 仏教の根本精神でもある。
 仏教は、本来、
 自分一人が覚って、
 それで満足して終わる
 宗教ではない。
 「人々の幸福のために行動する」
 ――この実践があってこそ、
 真の覚りといえる。
 
 「暴力」か「対話」か――。
 世界の各地では、
 今なお熾烈な紛争が続き、
 憎悪と暴力の連鎖が続いている。
 だからこそ、
 私たちは「対話」を
 決して手放してはならない。
 断固たる「対話の選択」こそ、
 「平和の選択」となり、
 必ずや人類の
 「生への選択」に通じていくと、
 私は信じている。
 
 人が人を殺戮することのない、
 平和と不戦の世界を創っていく――
 それが、私たち創価の悲願だ。
 SGIの使命である。

 大空に向かって、ヤシの木が勢いよく伸びる。1995年(平成7年)1月、池田大作先生が学術講演や世界青年平和文化祭などの諸行事に出席するため、アメリカのハワイへ。その合間を縫って、撮影した。
 戦火の地から平和の潮流を――先生は60年前、日米開戦の地・ハワイに、世界広布の第一歩を刻んだ。
 同地のあいさつの言葉「アロハ」には、「人類愛」「寛容」「敬意」などの意味が込められている。それは、生命尊厳を説く仏法の精神に通じる。
 今月26日、SGI(創価学会インタナショナル)の発足から45周年を迎える。生命尊厳の哲学が輝く“平和の新時代”を、私たちの対話で開こう。


【聖教ニュース】

◆アジア各国で平和建設誓う集い  2020年1月19日

 アジア各国で先月から今月、平和建設を誓う集いが行われた。

インドネシア・バタム本部の勤行会は1日、リアウ諸島の中のバタム島で行われ、“広布即平和”の前進を約し合った

   インドネシア・バタム本部の勤行会は1日、リアウ諸島の中のバタム島で行われ、“広布即平和”の前進を約し合った 


インドネシア・カリマンタン島西岸のポンティアナク市での新年勤行会。ポンティアナク支部の同志が歓喜の姿で(1日)

 昨年の法華経展に約2万4000人が来場するなど、仏法哲学への共感が広がるインドネシアでは1日を中心に新年勤行会を開催。地涌の使命に生き抜く決意を固め合った。

シンガポール創価学会(SSA)の未来部研修会(12月21・22日、SSA本部で)。中等部員150人と担当者らが参加した。研修会では、御書講義や質問会のほか、小説『新・人間革命』をテーマにした寸劇などが披露された。皆で、信心を根本にした自身の夢や目標を語り合った

シンガポール創価学会(SSA)の未来部研修会(12月21・22日、SSA本部で)。中等部員150人と担当者らが参加した。研修会では、御書講義や質問会のほか、小説『新・人間革命』をテーマにした寸劇などが披露された。皆で、信心を根本にした自身の夢や目標を語り合った
 シンガポールでは未来部研修会(12月21・22日)、マレーシアのケダ州では新入会者を中心とした文化祭(同27日)が行われた。

マレーシア・ケダ州で行われた文化祭(12月27日)。未入会家族や友人を含め1500人が集った。この文化祭は、新入会の友が信心の確信を深め、同志との絆を強めることを目指したもの。共に励まし合いながら練習に励んできた合唱やダンスに、会場から盛大な拍手が送られた

マレーシア・ケダ州で行われた文化祭(12月27日)。未入会家族や友人を含め1500人が集った。この文化祭は、新入会の友が信心の確信を深め、同志との絆を強めることを目指したもの。共に励まし合いながら練習に励んできた合唱やダンスに、会場から盛大な拍手が送られた
 「アジアの民に 日をぞ送らん」――恩師・戸田先生の熱願を胸に、池田先生がアジアへの平和旅を開始したのは1961年1月。
 
 師と共に幸のスクラムを広げゆく友は、第3代会長就任60周年の本年から、アジア広布60年となる明年へ、新たな人材を先頭に、新たな決意で勇躍する。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈「新・人間革命」と私〉第2総東京女子部長 加倉井恵子さん

心に刻む珠玉の言葉
 自分のことだけを悩み、汲々としているのではなく、周囲の人たちと、あらゆる人びとと同苦し、苦悩を分かち合い、崩れざる幸福の道を示すために、広宣流布に生き抜くのだ。(中略)われらの健気なる日々の実践こそが、大聖人に連なる直道であるのだ。<第27巻「激闘」の章> 

時代背景
 1978年(昭和53年)5月3日、会長就任18周年の「5・3」記念勤行会が各地で開かれ、山本伸一は創価大学での表彰式典等に出席。翌4日には創大体育館での第2東京合唱祭、5日には音楽隊の全国総会に臨み、記者団の取材にも応じる。その後、東京・練馬、鹿児島、福岡、山口、広島、岡山を訪れ、渾身の指導を続ける。

「うんと悩みなさい」
 「激闘」の章で描かれる1978年(昭和53年)当時、宗門の若手僧による卑劣な学会攻撃が各地で繰り返されていました。
 山本伸一は、その矢面に立って、粘り強い言論戦を展開。創価大学で開かれたマスコミとの懇談会の折、記者が“青年たちに、特に強く訴えておられるのは?”と、質問する場面があります。
 伸一は、「『苦難を避けるな。苦労しなさい。うんと悩みなさい』ということです」と述べ、苦闘が人間として大成していく上で必要不可欠であり、いかなる逆境にも負けない強さを培うということを強調しました。

寸暇を惜しむように
 文字通り、自ら逆境を突き進む激闘の日々にあって、伸一は、第2総東京をはじめ全国各地を訪問。寸暇を惜しむようにメンバーの中に飛び込み、全魂を込めて励ましていきます。
 本章には、その時の真情が記されています。「同志のなかへ、生命のなかへ。今こそ、一人でも多くの法友と会い、広宣流布への新しき誓願と共戦の旅立ちをしよう」と。
 私は創価高校に進むまで香港で育ち、卒業後はアメリカ創価大学へ。帰国してから本格的に学会活動に取り組み始めましたが、日本と海外の文化や考え方の違いに戸惑い、喜び勇んで活動できない時期もありました。
 しかし、仕事で多忙な先輩が「メンバーに会うことが元気の源!」と、訪問・激励に徹する姿に触発を受け、“私自身も友の心に寄り添っていきたい”“大変だからこそ大きく成長できる”と、学会活動の目的と喜びを学びました。

どこまでも同志と共に
 青春時代は、悩みや葛藤の連続です。だからこそ本章に描かれる山本伸一のように、どこまでも同志の中に身を置き、信心根本に誓いの日々を歩み抜く中にこそ、自身の境涯を開く人間革命の軌道があると確信します。
 師と共に正義の大道を歩む喜びを胸に、今こそ新たな勝利の峰へ、前進また前進の快進撃を開始してまいります。
 そして、“広布拡大の電源地”である第2総東京から若き人材拡大の大波を起こし、世界一の華陽のスクラムを築いてまいります。

◆〈世界の識者の眼〉 パラグアイ国立イタプア大学 イルデガルド・ゴンサレス総長
 人間主義の思想・哲学が社会の潮流となる時代を

国立イタプア大学の名誉博士号授与式。ゴンサレス総長㊨から学位記が手渡された(2005年4月、東京・千駄ケ谷の創価国際友好会館で)

国立イタプア大学の名誉博士号授与式。ゴンサレス総長㊨から学位記が授与された
(2005年4月、東京・千駄ケ谷の創価国際友好会館で)

 南米パラグアイの民主化の後、1996年に創立された国立イタプア大学。2005年4月、池田先生に、同大学第1号の名誉博士号が授与された。イルデガルド・ゴンサレス総長に、名誉博士号の意義や先生との出会い、同国の教育の課題
などについて話を聞いた。(聞き手=佐口博之)

「平和の文化」担う人材育成
 ――ゴンサレス総長は2003年から現職を務めておられます。イタプア大学の社会的使命をどう考えておられますか。
  
 イタプア大学は、政府の公的機関として、特定の教義・教条に基づかない最高学府です。平和、寛容、人類共存の理念を重要視しています。
 これまで人類は、悲惨な対立を繰り返してきました。パラグアイも、厳しい現実から逃れることはできず、戦争で人口が半減してしまいました。
 世界では、いまだ戦火が絶えません。戦争は、力ずくの権力争いにすぎません。力任せで手にした権力は、同じように、力ずくで奪われていくのです。暴力は、暴力を呼びます。
 武力衝突に限らず、あらゆる対立は、「人間軽視」から起こります。
 この根源的な問題を解決するためには「平和の文化」を、人々の心に根付かせる以外にありません。そこで重要なのは、人類共存の理念に基づいた「人材育成」です。ここに、わが大学の使命があります。
 ――池田先生に名誉博士号を授与された経緯を教えてください。
  
 私たちは、かねてパラグアイSGIの「平和の文化」の推進に注目してきました。
 2000年には、県・市の公認行事として、池田博士の平和行動を紹介する「人間主義の語らい」展を、イタプア大学で開催しました。
 池田博士の言動には、常に「人間への敬意」があります。文化やイデオロギーの差異を「対話の力」で乗り越え、世界中に「平和の文化」を、広げてこられました。
 当然、「平和の文化」を社会に定着させるまでには、時間を要します。しかしながら、同じ思想を共有する人々が力を合わせていけば、たとえ少しずつであっても、着実に変革を起こしていけます。池田博士は、半世紀以上にわたり、その崇高な実践に努めています。
 わが大学にとって、池田博士の思想は求め続けてきたものでした。博士の思想を学ぶことが、私たちの大学の使命を果たすことにつながると確信しました。
 ゆえに、学内の審議を経て、イタプア大学として、初の名誉博士号の授与を決定したのです。
 ――2005年4月、総長は授与式を執り行うために来日されました。その際、池田先生と対談もされています。
  
 一連の行事が報じられた聖教新聞は、総長室で大切に保管しています。
 池田博士との感動的な出会いは一部始終、覚えています。
 授与式に先立ち、私たちとの対談の時間を設けてくださいました。その中で博士は、パラグアイの各界で活躍した偉人を次々と挙げながら、独裁者と戦った作家ロア=バストスの作品にまで言及してくださいました。博士の見識の深さに驚きました。
 授与式には、たくさんの青年たちが出席していました。池田博士が青年を心から大切にされる姿を、間近で拝見できたことも貴重な経験です。
 私にとって博士との出会いは、人生の大きな分岐点になっています。
 これほどまでに世界平和のために、青年の育成のために、行動される方を、他に知りません。強いリーダーシップ、そして、人間主義の哲学に、魅了されました。
 また博士が創立した創価学園、創価大学を訪問した際、“ここに人間主義の実像がある”と思いました。目に見えない一体感がありました。博士の「創立の精神」が、学生や生徒、教職員、さらにキャンパスにまで息づいているからでしょう。

技術や知識をどう生かすか
 ――総長は、政府の直轄機関である国立大学教育委員会の委員長の重責を、5年間にわたって担っておられます。パラグアイの教育界が直面する課題は何でしょうか。
  
 今、時代の変化のスピードは、ますます速くなっています。技術革新は進み、知識量も膨大化しています。そこで問われるのは「人間性」です。
 つまり、“技術や知識をどう活用するか”という人間の判断力が重要になります。その判断基準は“人々の幸福のためになるかどうか”であらねばなりません。
 しかし、この前提の価値が薄れている“時代の空気”を感じています。その根源的な課題は「人間性」の欠落にあると見ています。
 社会には、知識偏重、経済至上主義が蔓延しています。当然、知識は必要ですが、“よく生きるとは”“人間がどうあるべきか”という視点の議論が足りません。
 人間が持つ可能性を信じ、それを引き出す実践、すなわち、人間主義が今、求められています。人間主義の思想・哲学が社会の潮流となる時代を、切り開かなければなりません。
 その中で、SGIの役割は大きいと思います。今後、ますます重要な団体として社会に認識されていくことでしょう。
 また、これからは「女性の時代」です。
 イタプア大学の教職員は実に85%が女性です。その成果として、何事も堅実な意思決定ができている自負があります。
 さらに「国際化」にも対応していかなければなりません。パラグアイでは海外留学する学生はまだ少数派です。イタプア大学では今、欧州の大学との交流に力を入れ、教職員・学生の相互交流を積極的に図っています。
 こうした課題を解決するためのヒントを、博士は、あらゆる場面で提示してくださっています。
 博士が、世界中にまいてこられた“平和の種”“幸福の種”は今、大きく花開いています。
 博士が示された人間主義の思想は、時代を照らす光です。これからも、私は博士と共に、未来を担う「人材育成」に力を尽くしてまいります。

◆信仰体験〈登攀者〉人間を見つめる社会保険労務士 冬山で遭難、指と足の切断に負けず

 「ちょっと教えてほしいんじゃけど……」。国広社会保険労務士事務所に問い合わせの電話が入る。「働き方改革関連法」の時間外労働の上限規制が、本年4月から中小企業でもスタートするとあって、社会保険労務士の国広明三さん(63)=広島市安佐南区、副本部長(地区部長兼任)、総県専門部長=のもとには、なじみの事業主から、就業規則の改正や給与面などの労務環境に関する相談が相次ぐ。「ほうほう。じゃあ、ちょっとそっち行きますわ」

 「一寸先は闇」の乱世を生き抜くため、中小企業の経営者たちは、変化を常に強いられる。「創業と守成」に挑む経営者たちに、時に優しく、時に厳しく助言を送る国広さんは、さながら戦国時代の参謀のよう。経営の本質を突く指摘に信頼が寄せられる。
 国広さんのモットーは「会って語る」こと。相談者に寄り添う姿勢を周囲の人は、「人情味あふれる行動派」と評する。
 「今の時代、ネットもスマホもあって便利ですが、やっぱり小まめに会うことが一番じゃねえ。そうすると、ちょっとした異変いうんか、問題の兆候を見つけやすいんです」
 親指しかない右手で器用にペンを握る。受話器を持つ左手は、人さし指と親指の2本のみ。「これですか……。若気の至りというか、まあ馬鹿なことをしたもんです」

 大学時代に、山岳部で数々の山を登った。国内はもとより、ヒマラヤのプモリ(標高7161メートル)に挑んだことも。
 社会人1年目の年末。大学時代の登山仲間2人と、飛騨山脈南部の槍ケ岳に挑む計画を立てた。中でも難ルートである北鎌尾根の踏破は、多くの登山家の憧れ。だが登山時、日本列島に強い寒気が南下、全国的な大雪となっていた。甚大な被害から、後に「五六豪雪」と呼ばれる悪天候に見舞われた。急速に風雪が強まり、視界が閉ざされる。下山しようにも、凍りついた体が言うことを聞かない。山岳救助隊へのSOSも反応がなく万事休す――。
 そこへ偶然、登山に来ていた別のパーティーがリュックを背負ってくれ、命からがら飛騨高山まで下山。すぐさま病院に搬送された。
 代償はあまりに大きかった。ひどい凍傷により、手指と右足の甲、左足は膝下の切断を余儀なくされた。
 半年間の入院生活。自分の体の一部がなくなったことが信じられない。ベッドから降りて歩こうとするたび、激しく転んだ。病室の床の冷たさが、厳しい現実を突き付けていた。
 “こんな体でこの先どうやって生きていけばいい……”
 「故郷に帰って、父ちゃんに一生飯食わせてもらえ」。見舞いに来た人の言葉に、自身の無謀と浅慮を恥じた。
 生死をさまよった経験から、退院後は、さまざまな宗教を遍歴した。どの宗教も幸せになれるという。だがどれも金を取ることばかり。失望感しか残らなかった。
 「宗教の教えには、高低浅深がある。創価学会の信心をやってみないか」
 会社の同僚であった竹田幸治さん(64)=副支部長=から聞いた話も当初は信じられなかった。だが、「最後は、竹田さんの熱意に根負けして勤行・唱題を始めました(笑い)」。題目を唱えるうちに、胸の奥から生命力が湧き上がった。信心の確信を深め、1982年(昭和57年)に入会。
 「広島青年平和文化祭」(同年10月)で、同世代の青年が生き生きと躍動する姿を目の当たりにした。この時、国広さんは心に深く期した。それまで勉強を続けてきた「社会保険労務士」合格への道を貫く、と。

 入院前と同じ会社に勤めながら、昼休みや夜の会合終わりに法律書を開いた。社長の運転手を務めるときには、あらかじめ「労働基準法」「厚生年金保険法」など、各範囲ごとに参考書を切り取った。車中で読み込んでは自作のノートを作成した。
 試験直前の模擬試験では、とても合格に達しない点数だった。しかし、「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」(御書1253ページ)を胸に、題目を唱え、諦めない心で挑み抜く。3度目の挑戦で、9倍の倍率を突破し合格。社労士事務所に勤務しながら、さらに基礎を固め、2年後の90年(平成2年)3月に、個人事務所を開業した。
 当初の顧客は、以前の事務所から紹介された2社のみ。「どこから、仕事が来るんじゃろうか」「自分から回らにゃいけんのんじゃ」
 繰り返す自問自答。真剣に題目を唱えては、勇気を出して最も苦手な飛び込み営業へ。
 「100社回って話を聞いてくれるのは1社あるかどうか」
 「契約までこぎつけるのは、千軒回って3社あるかどうか」
 断られても断られても、歩みを止めなかった。
 池田先生がスピーチで紹介した吉川英治の『宮本武蔵』の言葉が励みになった。
 「あれになろう、これに成ろうと焦る心より、富士のように、黙って、自分を動かないものに作りあげろ」
 妻・政恵さん(61)=副白ゆり長=が、家でも事務所でも、長男・徹さん(37)=男子部員=と長女・阿部千恵子さん(32)=婦人部員=の幼子2人を抱えながら、支えてくれた。
 社労士の仕事がない時には、パンの配達や不動産会社の受付も。次第に信頼を広げていく。依頼を受ければ、「何とか応えてやれんかのお」と、祈っては知恵を絞り、また祈っては歩みを進める。
 そうして、軍需工場時代の年金、脳梗塞による障害年金など、年金事務所に粘り強く通い、資料を見つけ出しては、不支給とされた年金を取り戻すなど、依頼人の要望に応えてきた。
 国広さんが志してきたのは、「人間を人間として見つめる眼をもつ」人間主義の社会保険労務士。依頼人の事業主だけでなく、そこに働く従業員の労務環境向上にも寄与したかった。時に、経営者と従業員で意見が対立することもある。
 「もっと話をよく聞いてあげんといけん。社員がいてこその会社じゃけん」
  1年に約10社ずつ顧問先が増え、今では100社を超える。7年前には、「食道・胃静脈瘤の破裂」も乗り越えた。
 「どんなにつらく高い壁だと思ったことも、乗り越えてしまえば、全て意味のあることだと思えるものです」

◆〈トーク2020〉 支え合う先に勝利が 
 広島東洋カープ監督 佐々岡真司さん  野球は一人ではできない。人生も同じ
 中国男子部長 升田美樹雄さん 「褒める革命」で“人材の中国”を構築 

新たな決意で“大勝利の1年”を誓い合った佐々岡さん㊧と升田さん(マツダスタジアムで)

 今回のトークのゲストは、昨年10月にプロ野球・広島東洋カープの新監督に就任した佐々岡真司さんです。V奪還を目指す新監督に、人材育成の要諦や野球観について、中国男子部長の升田美樹雄さんが迫ります。

“育成のカープ″に期待
 升田 監督就任おめでとうございます! “新生カープ”の快進撃が今から楽しみです。

 佐々岡 昨年の悔しさをばねに、V奪回を目指して全身全霊で務めていきます。

 升田 監督は1989年にドラフト1位で広島に入団され、早くからエースとして活躍されました。

 佐々岡 恐縮です。

 升田 2年目で最多勝を獲得して沢村賞に輝き、リーグ優勝(91年)に大きく貢献されましたね。

 佐々岡 ありがとうございます。

 升田 当時、私は10歳でしたが、よく、家族で昔の広島市民球場に行きました。家族の中でも特に母が大ファンで、今の“カープ女子”のはしりですね。

 佐々岡 それは、とてもうれしいです。

 升田 99年の、ノーヒットノーランを達成された時は、興奮しました。

 佐々岡 現役生活で印象に残っている登板の一つです。

 升田 2007年に現役を引退され、15年から2軍投手コーチとして、若い選手を育成されました。

 佐々岡 若手を一人前の投手に育て上げ、1軍に送り込むことが私の役目でした。

 升田 2軍で指導されたアドゥワ誠選手や遠藤淳志選手といった、若手の活躍はうれしいですね。

 佐々岡 カープの野球は“若手を使い、育成しながら勝っていく”というスタイルが特長だと思っています。

 升田 外国人選手も含め、カープの若手育成は、以前から定評があります。

 佐々岡 “育成のカープ”の伝統を守り、これからも若手の成長をしっかり見ていきます。

   升田 選手との接し方で気を付けていることはありますか。

 佐々岡 声掛けなど、普段からコミュニケーションを取ることを大事にしています。

2020年1月18日 (土)

2020年1月18日(土)の聖教

2020年1月18日(土)の聖教

◆わが友に贈る

 積雪や路面凍結による
 転倒や交通事故に注意!
 “私は大丈夫”という
 心の隙や慢心を排そう。
 今一重の用心を!

◆名字の言 いよいよ受験シーズン本番。周囲は受験生とその家族に配慮を

 「はちまきを結びて挑む冬の夜」。高校受験を目前に控えていた女子未来部員が、机に向かう自身の姿を詠んだ句だ。先日、鹿児島県南九州市で開催された俳句大会で、約13万の応募作から「県俳人協会賞」に選ばれた▼勉強に疲れた深夜、母が小豆を煮詰めて作ってくれたぜんざいの味が忘れられないという彼女。地域の学会の同志も、“新聞に受験生向けの特集があったから”と切り抜きを届けてくれたり、“頑張ってるね”と、そっと声を掛けてくれたりした▼「皆さんのさりげない応援が、不安でいっぱいだった私の心を温めてくれました」と彼女。ブロック長の父、地区婦人部長の母の祈りにも支えられ、志望していた高校の合格を勝ち取った。“自分も周りにいる人を元気にしたい”と語る彼女の夢は看護師になることだ▼受験シーズンもいよいよ本番。受験生は追い込みの時期となり、支える家族も体調管理など細心の注意を払う日々が続く。受験生のいる家庭に対しては長時間の電話や打ち合わせを控えるなど、周囲も配慮が欠かせない▼未来部員は「法華経の命を継ぐ人」(御書1169ページ)であり、一人一人が宝の存在。受験生だけでなく、希望の未来に向かって勉学や部活動に取り組む友に、真心のエールを送ろう。(誼)

◆寸鉄
「今年の学会は、去年の学
会であってはなるまい」
恩師。日々、一歩前進を
     ◇
列島彩る女子部「ロマン
総会」がたけなわ!心を
結ぶ希望の語らいここに
     ◇
「鉄は炎打てば剣となる」
御聖訓。青春の薫陶こそ
人生の財産。共々に成長
     ◇
自信こそ勝利の要件だ―
作家。桜梅桃李の使命が
皆に。励ましを幾重にも
     ◇
今日からセンター試験。
最後まで諦めず学んだ力
を発揮。頑張れ受験生!


【教学】

◆ライフウォッチ×教学  一緒に立ち上がろう! 苦境の友を支えた心の絆

何でも話せる居場所
 「人生100年時代」における、あらゆる世代の幸福論を探る連載「ライフウオッチ」。昨年10月の連載スタートから12月までは、「就職氷河期世代(アラフォー世代)」の友を取り上げました。
 30代から40代中盤の、いわゆる「就職氷河期世代」は、就職活動時に平成の大不況のあおりを受け、正社員になれず非正規雇用で働いたり、就職を諦めざるを得なかったりする人が増え、貧困や引きこもりが深刻化した世代です。
 昨年10月9日付1面では、愛媛県で暮らす、非正規職を転々としてきたという男子部員を取り上げました。
 若い頃から「いつ“派遣切り”にあうか」と不安を抱える日々。そんな男子部員に寄り添い続けたのが、創価学会の同志でした。やがて彼は、同志の温かな激励に自らを鼓舞し、新たな挑戦を開始。介護施設の契約社員として懸命に奮闘し、37歳で正社員となりました。男子部員の声が印象的でした。
 「僕には今、何でも語り合えて、何度も決意させてくれる居場所があります。毎日が、本当に充実しています」
 互いの悩みを何でも語り合え、共に困難を乗り越えようと祈り合える――そうした同志の存在ほど心強く、かけがえのないものはありません。それは、実際に信心に励む中で、さまざまな苦悩を乗り越えてきた、学会員の誰もが、心から実感していることでもあります。
 昨年12月21日付1面で取り上げた、転職などの苦難を乗り越えた「ヤング白ゆり世代」の埼玉県の婦人部員も、やはり、苦闘の日々の中で心の支えになったのは、自分と同じく苦難に向き合う同志の姿だったと言います。

善き仲間の存在
 アメリカ・ハーバード大学名誉教授のハービー・コックス博士は「人と人との絆を、もう一度、取り戻すこと。そこにこそ、現代における宗教の果たすべき役割もある」と語っています。
 まさしく創価学会の特徴は、“目の前の一人を大切にする”“絶対に見捨てない”との信念に基づいた同志の「絆の強さ」にあるといえます。
 池田先生は、つづっています。
 「いつでも、どこでも、誰でも、目の前に苦しんでいる人がいれば、親身に声をかける。悩みを聞き、共に泣き、共に祈り、共に喜び合う。この『一人を大切にする』人間主義の行動が、あらゆる人に無条件に開かれているところに、創価学会が世界に広がった理由があるのだ」
 こうした麗しい同志の絆は、深い信頼で結ばれた安心の「居場所」であるとともに、新たな使命への挑戦を後押しする「跳躍台」でもあるのではないでしょうか。
 日蓮大聖人は、「心ざしあらん諸人は一処にあつまりて御聴聞あるべし」(御書951ページ)、「此文を心ざしあらん人人は寄合て御覧じ」(同961ページ)等と仰せになり、一つ一つの手紙を同志と寄り合って読みながら、皆で支え合い、苦難を共に乗り越えていくよう、繰り返し励まされています。
 長い人生の道のりにあって、人は誰しも、行き詰まりに直面したり、悩み、落ち込んだりすることがあります。だからこそ、励まし合い、支え合いながら、共に人生の困難を乗り越えていく善き友、善き仲間、すなわち「善知識」の存在が何より大切なのです。
 先生は、つづっています。
 「最高の善知識の集いこそ、わが創価学会であると、あらためて確認しておきたい。いうならば、善知識に触発されて、自身の生命に秘められた力を発揮するのが学会員です。善知識のネットワークに身を置くことで、自身の本来の使命が大きく開花します」
 目の前の友を励ます。使命に立ち上がった一人が、また一人を励ます――創価の善知識による“励ましの連鎖”はまた、“使命の自覚の連鎖”とも言い換えられるでしょう。
 アメリカ・ブルッキングス研究所のキャロル・グラハム博士は、人々が幸福を実現できる社会のために、「共に人生を高め合い、生きがいを与え合えるような絆」の重要さを強調しています(本紙2019年12月14日付)。
 人間関係の希薄化や孤立化が憂慮される現代にあって、共に苦楽を分かち合い、支え合いながら「心の絆」を広げ、使命の自覚を促し合う創価学会員の生き方は、まさに幸福社会の礎を築いています。

自他の可能性を信じる
 昨年11月2日付1面は、大阪府在住の男子部員のエピソードでした。“就職氷河期”の中で就職活動を始め、大手信託銀行の契約社員に。その後、同じ契約社員として大手都市銀行に転職。時に“誰も関心さえ持ってくれない”と、自分を見失いそうになった時もありましたが、不屈の挑戦を重ね、その後、登用試験に合格し、晴れて基幹職(総合職)になりました。
 そんな彼の転機は、自らが一番苦しかった契約社員の時に、悩める同志の激励に踏み出したこと。“共に立ち上がりたい”――その思いが湧いた時から、状況が好転し始めたと言います。
 悩んでいる友に励ましを送ることで、かえって自分自身が励まされたということは、多くの学会員が経験していることではないでしょうか。
 大聖人は、「人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし」(御書1598ページ)と仰せです。他者の幸せを祈り、周囲に尽くそうとする心は、やがて、自分自身の境涯をも開いていきます。人の可能性を信じ抜き、励まし抜く。それは翻って、自らの可能性に、さらに目を開いていくということでもあるのです。

不軽菩薩の実践
 こうしたエピソードから分かるように、学会員は日頃から、自分だけの幸せを追求するのではなく、他者の幸せをも祈り、わが身を惜しまず尽くし抜くという「利他」の生き方を実践しています。その根底にあるのが、“万人が尊極な存在である”と説く仏法哲理です。
 
 仏教の創始者である釈尊の願いとは、法華経に「如我等無異」(我が如く等しくして異なること無からしめん=法華経130ページ)と説かれているように、“全ての人々を、自分(釈尊)と同じ仏にして異なることがないようにしたい”ということです。
 万人を仏と同じ境涯に――すなわち、「万人の成仏」こそが仏の願いです。仏法は、あらゆる人の生命に、尊い仏性(=仏の性分)が等しく内在していることを教えているのです。
 このことを示しているのが、法華経に登場する「不軽菩薩」です。
 不軽菩薩は「万人が仏」との信念を貫き、どんなに迫害を受けても、出会った人々に誠意を尽くして、最大の敬意を示す礼拝を続けました。決して人を軽んじることがなかったので、不軽菩薩といいます。
 この「人を敬い抜く」という不軽菩薩の実践の本質は何か。それは、「自他共の仏性を信じ抜く」ということです。
 池田先生はつづっています。
 「相手に具わる最極の仏の生命を信じ、敬い、引き出していく祈りと行動が、そのまま自分自身の仏の生命を荘厳に光り輝かせる。この相互触発の善縁を広げ、世界の人びとの心を結び高めゆくことを、我らは『広宣流布』と呼ぶ」
 日夜、周囲に尽くし抜き、他者を敬う実践を通して「人間を信頼する心」を社会に広げている、学会員一人一人の尊い振る舞い――ここに、人類の明日を照らす希望の光源があります。


【聖教ニュース】

◆青年部が「SOKAグローバルアクション2030」をスタート  2020年1月18日
 ①核兵器廃絶②アジアの友好③SDGs(持続可能な開発目標)推進

 池田大作先生の平和行動を継承し、「SGI(創価学会インタナショナル)の日」記念提言等で示されてきた構想を実現するべく、青年部が本年、「SOKAグローバルアクション2030――青年の行動と連帯の10年」をスタートした。
 2014年から行ってきた平和運動「SOKAグローバルアクション」を発展させ、学会創立100周年であり、国連が開発目標の決勝点に掲げている2030年を目指して、①核兵器廃絶と反戦の潮流の拡大②アジアの友好③SDGs(持続可能な開発目標)の普及・推進――を柱に取り組んでいく。
 
気候変動対策へ行動を喚起――全国で「マイ・チャレンジ10」
 とりわけ、SDGsの目標13にも掲げられている気候変動への対策として、各種取り組みを全国で実施。個人が挑戦できる取り組みを啓発する「マイ・チャレンジ10」を今春、オンラインで展開し、100万人を目標に草の根レベルで行動を喚起していくほか、気候変動について学ぶセミナーの開催や、映像の視聴等を通じて理解を広げていく。
 さらに、気候変動の分野で活動するNGOをはじめ、市民社会の諸団体と連携を深めていくほか、国際的なユース気候サミットの定期開催や充実を支援する。

 一方、終戦・被爆から75年となる夏には、「ピースボイスキャンペーン2020」と題して、平和を祈り、学び、語り合う機会を設ける。9月には世界の同志と共に被爆地・広島で「ワールドSOKAユースサミット」を開催する予定となっている。
 現在、2017年に採択された「核兵器禁止条約」の発効へのプロセスが進んでおり、本年中の実現に向けて市民社会の後押しが不可欠になっている。
 
恒久平和と持続可能な地球社会の構築へ
 深刻化する気候変動への対策では、温室効果ガスの排出量削減に向けた各国の動向に注目が集まり、青年世代の訴えが変革への追い風を起こしている。さらに、国連が取り組む「人権教育のための世界プログラム」は本年から、「青年」を焦点に実施される。
 恒久平和の実現と持続可能な地球社会の構築へ、青年の行動が待望される今、創価の青年が地域から変革の波動を起こしゆく。

◆兵庫と大阪で阪神ルネサンス勤行会――1・17大震災から25年  2020年1月18日

兵庫池田文化会館の勤行会には、東北や九州の友も参加。全員で全ての犠牲者の冥福を祈念した。今年も、鹿児島・指宿(いぶすき)の友から菜の花が届けられ、会場を彩った

兵庫池田文化会館の勤行会には、東北や九州の友も参加。全員で全ての犠牲者の冥福を祈念した。今年も、鹿児島・指宿(いぶすき)の友から菜の花が届けられ、会場を彩った

 阪神・淡路大震災から25年となる17日、「阪神ルネサンスの日」勤行会が、兵庫と大阪の4会場で行われ、震災で犠牲になった全ての方々に追善の祈りをささげた。
 池田先生はメッセージを寄せ、25年にわたる“創価家族”の不屈の一歩また一歩こそ、妙法の“蘇生の義”の偉大な証明の勝利劇であるとたたえた。
 兵庫池田文化会館(神戸市)では、広崎総兵庫長のあいさつに続き、熊田和歌子さんが、被災当時に受けた師や同志からの励ましを胸に、自身の使命を果たそうと奮闘してきた模様を報告。大野木同婦人部長の話の後、山内関西長は「常に前を向き、友の心に希望をともす励ましの連帯を、地域に世界に広げていこう」と望んだ。
 長田文化会館(神戸市)では、吉野修二さん・幸代さん夫妻が、倒壊被害に遭いつつも、復興住宅に移り、地道に友好の輪を広げ、弘教を実らせた喜びを発表した。手島副会長、勝本関西婦人部総合長、西山同総合長が励ました。
 西宮平和講堂(西宮市)では、藤本旭さんが、友との死別を乗り越えて、飲食店を営みながら、地元の商店街や地域の復興に貢献してきた歩みを語った。横田副会長、直里関西婦人部長、河原総兵庫総合長が激励した。
 関西文化会館(大阪市)では、岡本総大阪長、徳渕同婦人部長があいさつ。藤原関西副総主事が励ました。

◆学会の新テレビCMが好評――ドイツSGIの文化活動を紹介

 創価学会の新テレビCM「文化財保護」篇の放送が、年頭より開始された。

 「文化財保護」篇はドイツSGIが、ビンゲン市の重要文化財であるヴィラ・ザクセン総合文化センターの修復・保全に努めるとともに、同センターを市民の憩いの場として開放するなど、文化的貢献に取り組んできたことを紹介している。文化財保護は国連の「SDGs(持続可能な開発目標)」のうち、目標11「住み続けられるまちづくりを」にもつながるものである。
 
BSやローカル局で2年間放送
 同CMは、60秒と30秒のバージョンがあり、テレビ東京とBSテレ東の「チェンジ・ザ・ワールド」や、BSフジ「知りたい! SDGs」、BS日テレ「大人のヨーロッパ街歩き」のほか、各地のローカル局で順次放映。今月から2年間、放送される予定である。
 
 ※番組や時間が変更される場合があります。また、番組が予定通り放送されても、「文化財保護」篇が放送されない場合があります。
 インターネットの動画配信サイト「YouTube」のチャンネル「Soka Gakkai CM & Contents」では、現在放送中のCMが閲覧可能。

◆中国・新華社の雑誌「環球」に池田先生のインタビューが掲載  2020年1月18日

雑誌「環球」の1月8日号に掲載された池田先生へのインタビュー記事

雑誌「環球」の1月8日号に掲載された池田先生へのインタビュー記事

 中国の国営通信社・新華社が発行する雑誌「環球」の1月8日号に、池田先生へのインタビューが6ページにわたって掲載された。

 これは同誌の記者である劉明氏から寄せられた質問に対する、池田先生の回答をまとめたもの。
 劉氏は1999年に中華全国青年連合会(全青連)の訪日団の一員として、東京で池田先生と出会いを結んだ。インタビューの前文では、池田先生が68年に傑出した勇気と卓越した先見性で国交正常化提言を発表するなど、長年にわたり、中日両国の関係発展に多大な貢献を果たしてきた、中国人民の古くからの良き友人であると紹介している。
 インタビューの中で先生は、「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」との思いを若き命に刻み付けた世代として、未来の世代には同じような悲劇を味わわせてはならないとの決意で行動を続けてきたと強調。不屈の教育者・指導者であり、「地球民族主義」の理念を掲げ、全民衆の幸福と世界の安穏を熱願していた恩師・戸田城聖先生との出会いが、自らの平和行動の出発点であると述べている。
 また日中の友好関係について、幾度となく試練の時を迎えたこれまでも、先人たちが岩盤に爪を立てるような不断の努力と、誠実で粘り強い友好交流を積み重ねてきたことに言及。これを受け継ぎ、永続的な良好関係を築くためには、民衆と民衆の相互理解が不可欠であり、とりわけ次代を担う青年同士の交流の促進が重要になると指摘している。とともに、21世紀のアジアと全世界の安定と繁栄に向け、文化大恩の国である中国と、芸術や学術、教育などの多彩な分野で、より強固に友誼の絆を結んでいきたいと語っている。 
学会青年部の日中友好青年交流団一行が中華全国青年連合会(全青連)本部を訪れ、汪鴻雁全青連主席らと会見(昨年8月、中国・北京市内で)。青年部と全青連の交流は1985年から続いている
 さらにインタビューでは、池田先生とイギリスの歴史家アーノルド・トインビー博士との語らいもテーマに。 先生は、中国こそ21世紀の「世界の平和共存」と「人類文明の進展」に積極的に貢献していくと、博士が予見した通りの時代が到来していると強調。いかに科学技術が進歩して便利な社会になっても、生老病死や幸・不幸の問題は誰人も避けられないからこそ、対談の最後で話題となった生命の尊厳性を確立することが、今こそ強く求められていると訴えている。
 さらに、より良き社会の建設に貢献しゆく“価値創造の人格”を備えた人材を育成するために、創価学園をはじめとする創価一貫教育を創立したことに言及。グローバルな課題が山積する昨今、教育と研究の側面から時代変革の波を起こす大学を、SDGs(持続可能な開発目標)の推進拠点にする流れを強めていくことを提案している。
 最後に、21世紀が生命尊厳の思想を根幹とした世紀になることを強く願うとともに、調和を創出する気風が伝統として脈打つ中国に、平和と発展の要となってほしいと望み、インタビューは結ばれている。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈虹を懸ける〉 池田先生と東欧②=完  励ましの太陽は赫々と!

第2次世界大戦の戦禍を免れた世界遺産の古都・クラクフ。ポーランド王国の都として栄えた街には、中世の面影が残っている

無血の民主化をリードしたポーランドのワレサ大統領㊨が来日し、池田先生と会見(1994年12月、都内で)。この後、「ポーランドの至宝」展が日本各地で開催されるなど、両者の友情が両国の文化交流につながった

 1989年の東欧革命で、各国に先駆けて民主化を果たしたポーランド。隣国による侵略や国土分割、“アウシュビッツ”に代表される大虐殺など、東欧の中でも悲劇の過去を持つ同国に、SGIの支部が結成されたのは92年1月である。

開拓者の誇り
 「ポーランドの人々を幸せにしたい。そんな気持ちでいっぱいでした」と語るのは、結成式に参加したマリア・マルキェビッチさん(総合婦人部長)。
 共産主義政権時代のポーランドで生まれ育った。
 友人を介して、仏法に縁したのは、大学卒業後、夫の赴任先のアメリカ・ニューヨークに滞在していた時のこと。マルキェビッチさんは当時、長女の心臓病、次女の眼の病気など、度重なる宿命の嵐を前に、人生の意味を考えていた。
 “一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げる”との哲学に感動し、87年に入会。その後、自身の人間革命と母国の宿命転換を決意し、ポーランドに帰国した
 首都ワルシャワのアパートの一室で行われた支部結成式。
 先生はメッセージを寄せ、新出発を祝福した。「皆さまは、パイオニア(開拓者)であり、仏子であり、ポーランドに、より良い未来をもたらす希望であります」
 結成式後の92年6月には、ドイツ・フランクフルトでの合同会議で、先生と初の出会いが実現。マルキェビッチさんは初代婦人部長として、縁する全ての人に仏法を語っていった。
 やがて娘たちは病を克服。母の背中を見て育った二人は広布のリーダーへと成長した。
 2010年3月、ポーランドSGIは本部に発展。マルキェビッチさんは日本で先生と再会を果たす。「多くの困難の峰を乗り越えてきたね。でも、まさにその時に福運を積んできたんだよ」。広布の労をねぎらう師の真心に感動があふれた。
 支部結成から28年。パイオニア精神を燃やし、マルキェビッチさんは、きょうも愛する母国の広布に駆ける。

友情でつながる
 1990年代、池田先生は東欧革命の立役者となったチェコのハベル大統領(92年4月)、ポーランドのワレサ大統領(94年12月)と会見。未来を見据えた人間外交で、東欧に信頼と友情のネットワークを広げていった。
 迎えた21世紀――。2001年3月、ウィーンのオーストリア文化センターには、東欧各国からSGIの代表が集っていた。
 その数、実に12カ国110人。先生は、この第1回「東欧代表者総会」に万感のメッセージを贈った。
 「本日のこの集いこそ、この新世紀を『人間共和』の美しき人華の園、遊楽の園へと蘇生させゆく、SGIの人間主義を象徴するものであると、私は宣言したいのであります」
 参加者の中に、先生の平和行動に共鳴し、ポーランドに来たツルコ・ハガ=サエツカさん(婦人部長)の姿があった。
 ハガさんの原点は、関西創価高校3年時に実行委員を務めた「健康祭」(体育祭)。直後に関西キャンパスを訪れた先生は、世界に羽ばたいた卒業生の連帯をたたえつつ、こう語った。
 「学園出身の、皆さんの先輩たちも、全世界に、活躍の舞台を広げている。私も、海外の行く先々で、たくさんの創価の学友たちとお会いする。皆、後輩のために懸命に道を切りひらいている。そして、それぞれの場所で、また国を超えて、友情でつながっている」
 “私もその一人に”と誓ったハガさんは創価大学在学中、先生とワレサ大統領との会見の報に触れ、ポーランドへの渡航を決意。数年間の留学を経て当地での就職活動に励み、2000年に日本企業の現地法人から採用を勝ち取った。
 翌年、新世紀の開幕と同時に、同国の女子部長に就任。仕事と学会活動に走り抜いた。
 結婚後は2人の娘を育てながら、婦人部で奮闘。現在は、南部の都市クラクフを広布の舞台に、日本から移住してきた家族と共に、友情のスクラム拡大に

奔走する日々だ。
誓いを果たす
 チェコのヨシコ・キタノさん(婦人部書記長)も、東欧代表者総会に参加した創価教育同窓生の一人である。
 池田先生との初めての出会いは、創価大学の入学式。だが、父親の反対を押し切って創大に進学したキタノさんの心は晴れなかった。
 それでも先生や先輩・友人からの励ましを受け、創大に来て良かったと思える人生を歩もうと決意。在学中は大学建設に奔走し、就職活動では、創大の女子学生として初となる大手都市銀行の本店営業部から内定を得た。やがて父は、良き理解者に変わっていった。
 卒業後、キタノさんは働きながら、創大時代に心に抱いた平和貢献の道を模索し続けていた。その中で、チェコ行きを決断する。
 きっかけは、1995年1月に故郷を襲った阪神・淡路大震災だった。チェコの一老婦人から寄せられた見舞いの言葉に感動したキタノさんは、感謝の思いのままに、翌96年に惜しまれながら円満退職し、チェコへと渡った。
 圧政に苦しんだ歴史を持つチェコ。キタノさんは、創大生として日本から遠く離れたこの国にも、幸福の連帯を広げるとの誓いを立てた。
 胸に刻む先生の指針には、こうある。「いったん約束したことは必ず実行する――これが私の、また恩師・戸田先生の精神である。また国際社会における信義の根幹でもある」「『誓いを果たす』人が、いちばん苦しそうに見えて、いちばん幸福な人である」
 欧州有数の企業で信頼の実証を示し、後輩の道を拓いていったキタノさん。東欧各国では今、多くの創価の友が、社会の第一線で活躍する時代が到来している。
                        ◇ 
 代表者総会以降、東欧ではチェコ、ポーランド以外の国でも支部が結成されていった。
 SGI発足30周年の2005年、先生は東欧など旧共産圏の同志に向けた随筆を発表。「一人」を大切にし、一人一人の「人間革命」によって発展を遂げた姿をたたえつつ、こうつづっている。
 「あまりにも厳しい社会情勢のなかにあって、わがSGIの同志は、常に明るく、常に前進していった。その姿こそ、『苦難に負けるな!』と、祖国を励ます希望の太陽となっていったことは間違いないのだ」
 現在は毎年、青年部研修会やリーダー研修会が開かれ、折伏と人材育成のリズムが確立されている。
 SGI発足45周年の「前進・人材の年」。東欧広布は、一段と勢いを増していく。

 (①は9日付に掲載)ご感想をお寄せください news-kikaku@seikyo-np.jp

◆〈信仰体験〉スマイル自分らしく夢に挑むママモデル
 SNSを通して、幅広い年代の女性から支持を集めるオンラインショップ「Daddy’s girl」。
  
 オープンは、2015年(平成27年)。
 立ち上げたのは、東京都豊島区の戸津レナさん(39)?地区副婦人部長。
 プロデューサーとして国内外の商品をセレクト・販売するだけでなく、自ら洋服のデザインも手掛けている。
 「いくつになっても“女の子”を楽しみたい」。そんな願いに応えるオシャレな洋服、小物をそろえる。
 大手ブランドとのコラボレーションや百貨店での期間限定ストアも盛況だ。
 「Daddy’s girl」という店名は、“パパっ子”という意味。そこには、レナさんの深い思いが込められていた――。
 私がデザインした服をインスタにアップしてくれるお客さまがいる。「レナさんの服を着て、水族館でデートしてきました?」って。
 私の服を着て、笑ってくれる人がいる。それが何よりうれしい。
 ずっと愛していただけるように。着心地が良くて、着るたびに味わいが出る生地を使ってきた。
 デパートで、期間限定のストアを開くことも多い。
 私は接客が好き。お客さまとお話をしながら、その方に合った品物をおすすめできるし、直接お礼もお伝えできる。
 こないだは、多宝会のおばあちゃんが、杖をついて来てくださった。
 「あんた、いつもは、お母さんの顔なのに、ここではモデルさんみたいな顔してるね」って(笑い)。
 地元でストアを開く時、婦人部の先輩方が「レナちゃん、頑張って」って応援に来てくださる。
 学会の人たちって、本当にあったかいな。
 今年、店を始めて5年になる。店の名前の通り、私は小さい頃から“パパっ子”だった。
  
 私のパパは、有名なデザイナーの縫製をしていた。
 パパが、ミシンを踏む姿、生地を裁断する姿が、かっこよくて。ずっと憧れてた。
 パパ、よく言ってた。「いつか、レナと腕を組んで、原宿の街を歩いてみたいな」って。
 私が高校を卒業して雑誌の専属モデルになった時、パパは「おまえがモデルで食っていけるわけない」って心配していた。
 でも、私が載った雑誌を、誰よりもうれしそうに見てくれた。
 パパに、がんが見つかったのは、私が21歳の時だった。すでに骨にも転移していて……。
 それでもお見舞いに行くと、いつも笑ってくれた。
 「こないだ撮影でバリ島に行ったんだ。次の雑誌に載るから、持ってくるね」。パパとした最後の約束。守れなかった。
 たくさんの花に囲まれてるパパ。優しい顔をして眠ってる。
 “間に合わなくてごめんね”
 胸元に、そっと雑誌を置いた。
 泣いても泣いても涙が止まらない。
 もっと一緒にいたかったのに……。いつか結婚する日が来たら、私と腕を組んで、バージンロードを歩いてほしかった。
 つらすぎて、悔しくて。
 “パパが治るように祈ったのに、どうして助けてくれなかったの!?”
 あの頃の私は、抑えきれない思いを信心にぶつけていたと思う。
 2年後――今度は、ママが卵巣がんの宣告を受けた。
 “私から、ママまで奪っていってしまうの……”
 「レナ、そこに座りなさい」
 ママに呼ばれた。
 「私の姿を見ていなさい。この信心で絶対、がんを治してみせる」。私たちを守ろうとするママの気迫に、心が震えた。
 不安におびえる私に、ママはよく池田先生の言葉を教えてくれた。
 「冬の間にこそ、どう戦い、どれほど充実した時を過ごすか。必ず来る春を確信し、どう深く生きるか――そこに勝利の要諦がある」
 パパを亡くした時、“私がママを守ろう”と思ってた。でも私は何も変わってなかった。
 ママの病気に、ただおびえるだけ。せめて、ママに喜んでもらえる娘でありたい。
 気付くと御本尊様に向かってた。
 地域の学会員の皆さんも祈ってくださって、手術は大成功。その後の再発もなく「完治」した。
 “信心には、すごい力がある”。そう実感した私は結婚の時、夫(誠さん)を折伏した。
 どんな悩みも、夫婦で題目をあげて、乗り越えていきたいと思ったから。
 夫の仕事で北海道に引っ越した。
 待ち望んだ妊娠。だけど、突然の腹痛と出血……。お医者さんから「流産」と告げられた。
 こんなに早く試練が来るなんて……私はまた、家族を失ってしまった。
 病院のベッドで落ち込んでいたら、婦人部の先輩が来てくれた。
 「何ですぐに言わないの! 捜したんだからね」。抱きかかえるように励ましてくれた。
 窓を見ると、たくさん雪が降ってた。それなのに、病院をいくつも回って、私を捜してくれたんだって……。うれしくて、涙がポロポロこぼれた。
 握ってくれた手。「大丈夫よ」と笑ってくれたぬくもり。この日から私の祈り方が変わったと思う。
 “人の幸せを祈れる自分に変われますように。苦しんでいる人を笑顔にできる人に、私はなりたい”
 これまで5年間、私が聖教新聞の配達をしてきたのも、そんな自分になるための挑戦だったと思う。

 息子の真虎は今、11歳。ぜんそくがひどくて大変な時もあったけど、うちの店のキッズモデルをしながら元気いっぱい成長してる。
 夫がよく真虎に言うことがある。
 「親父っていうのは、困ってどうにもならなくなった時、一番に助けてくれる存在なんだぞ」って。
 夫は中学3年の時、お母さんを病気で亡くした。
 荒れていく夫を男手一つで育ててくれた、お父さん。
 夫は「ずっと親父に心配掛けてきたから、これからたくさん親孝行したい」って言ってた。
 でも、真虎が生まれてすぐ、お父さんが心筋梗塞で急逝されて……。
 その数年後、夫は大好きなお兄さんまで、すい臓がんで亡くしてしまった。
 憔悴する彼。私は側にいることしかできなかった。
 家族を失う悲しみ。私には痛いほど分かる。
 「ずっと私と真虎がいるからね。あなたは、一人じゃないからね」
 夫は心の中の苦しみと向き合い、一生懸命祈り、少しずつ元気を取り戻していった。
 折伏に挑戦するようになって、離婚して落ち込んでいた友達に、御本尊様を授与することができた。
 私も息子さんの病気に悩むママ友に折伏が実った。
 どんなにつらい現実も、逃げずに信心で向き合えば、必ず乗り越えていける。悩んでいる誰かのために、生かしていくことだってできる。
 夫は今、私と同じ会社で、営業マンをしてる。
 会社の発展を願い、夫婦で同じ夢を描きながら、これからも一緒に、家族の幸せを、縁する全ての人たちの幸せを祈っていきたい。

 

2020年1月17日 (金)

2020年1月17日(金)の聖教

2020年1月17日(金)の聖教

◆わが友に贈る

   身近な家族を大切に!
 感謝の思いを言葉に!
 一家和楽の実現こそ
 幸福の土台であり
 学会永遠の指針なり!

◆名字の言 阪神・淡路大震災から25年。心を結び、希望を灯す励ましを未来へ

 本来なら、その日は兵庫男子部にとって一年の広布勝利を誓い合う日だった。1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生。予定されていた兵庫男子部の集いは中止となった▼街は廃虚同然となり、深い喪失感に覆われた。その中を“負けたらあかん!”と兵庫男子部の友は救