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2019年12月

2019年12月29日 (日)

2019年12月29日(日)の聖教

2019年12月29日(日)の聖教

◆今週のことば

   人間革命の「自転」と
 広宣流布の「公転」に
 最極の生命の軌道あり。
 妙法と共に、創価と共に
 新たな凱歌の一年を!

◆名字の言  東欧革命から30年。チェコにも人間革命の哲学の光

 「きみの家族全員に、ぼくからだと言って、メリークリスマスと新年おめでとう、の挨拶を伝えてくれ」(飯島周訳)。40年前の12月、獄中にあったチェコスロバキア(当時)のハベル大統領が、妻に宛てた手紙である▼大統領は、一人の血も流さず民主化を成し遂げた、1989年の「ビロード革命」の中心者。民主化運動を続け、数度にわたって投獄されたが、それでも弾圧に屈せず、ついに理想を現実のものにした▼89年から起こった東欧革命には「西側の勝利、東側の敗北」との見方もある。だが、池田先生はそうした政治的次元を超え、その本質を“人々が魂から恐れを締め出した革命”とみた▼ビロード革命の後、東欧初のSGIの支部が、チェコで結成された。東欧革命から30年の今年、欧州では、「『新・人間革命』世代よ 光り輝け!」を合言葉に『新・人間革命』の学習運動を推進。チェコでも研さんの機運が高まる▼広宣流布の運動は、個人の修養にとどまるものでも、学会の勢力の拡張が目的でもない。一人の人間革命が社会の変革をもたらし、社会の変革は個人の幸福を生み出す。そうした、どこまでも一人から始まり、一人に帰着する運動である。「私」こそ、その「一人」になる! と決めて明年へ出発しよう。(芯)

◆寸鉄

創価勝利の歴史を開いた
一年。同志の奮闘に感謝。
明年も心合わせ更に前進
     ◇
正しい信仰を教えること
が真の友情―牧口先生。
じっくり語らう好機到来
     ◇
未入会家族を大切に。人
の振舞に仏法の魂。和楽
の礎築く有意義な一時を
     ◇
多忙な師走は交通事故に
注意。絶対起こすな。巻き
込まれるな。油断排して
     ◇
年末は振り返りの時期。
自身の課題や目標を明確
に。正月を清新な決意で

◆社説  明「前進・人材の年」へ出発  自身の「壁」破る新たな挑戦を

 「創立90周年へ 創価勝利の年」とのテーマを掲げた本年も残り3日。この一年、我らは幾多の広布の山に挑み、連続勝利の旗を打ち立てることができた。
 世界広布の伸展も目覚ましい。22万人を超える地涌の陣列へと発展したインドをはじめ、各国でも大きく弘教・拡大が進む。アジア、北中南米、オセアニア、欧州、アフリカ……今や世界中で、仏法の人間主義を身に体した多くの同志が、自他共の幸福のため、社会の安穏のために貢献し活躍する時代が到来した。
 さらに11月には、東京・信濃町の総本部に師弟凱歌の言論城「創価学会 世界聖教会館」が完成した。本年は、仏法の世界への展開において新たな飛躍の歴史が刻まれた一年だったといえよう。

 そして、いよいよ「学会創立90周年」「池田先生の第3代会長就任60周年」など重要な佳節を刻む、明「前進・人材の年」の幕が開けようとしている。
 明年、男子部は各地で新時代全国男子部幹部会を開催。女子部は1月を中心にロマン総会を。また教学部任用試験、創価青年大会も行われる。
 広布の「前進」といっても、一人一人が目前の課題に果敢に挑み、壁を破る中にしかない。また弘教・拡大に取り組み、学会活動の現場で奮闘する中でこそ、次代を担う「人材」は育っていく。
 関西女子部のあるリーダーは、勇気の対話で今月、弘教を実らせることができた。彼女は、自身がかつて入会に導いた女子部員の母親に仏法対話をしようと、その母親宅を訪問。するとそこに偶然、女子部員の友人が訪ねてきた。
 初対面の女性が同座する中だったが、女子部のリーダーは、学会の素晴らしさをありのままに母親に語り抜いた。すると、居合わせたその女性が仏法の哲理に共感。その後も対話を重ね、今回、晴れて御本尊を受持することができた。
 このリーダー率先の行動に波動が広がり、多くの華陽の友がロマン総会へ意気軒高に挑戦を開始している。
 池田先生は過日、各部代表者会議に寄せたメッセージで、“学会創立90周年から100周年へ向かう10年は、人類にとって重大な分岐点となる10年である。だからこそ師弟不二、異体同心という生命の究極の融合で結ばれた我らは、人間の中へ、民衆の中へ飛び込んで「価値創造」の大光を無限に放ち、地球社会を明るく晴らしていこう!”と呼び掛けた。
 創立100周年への本格的なスタートを切る明年、“皆が前進”“皆が人材”を合言葉に、希望を広げる対話に大きく打って出たい。そこにこそ、わが「前進・人材の年」の開幕があり、新たな勝利のドラマの建設がある。

◆きょうの発心 一生成仏抄 東京・江戸川総区副婦人部長 岡村臣世2019年12月29日

御文 妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず?法なり(一生成仏抄、383ページ・編21ページ)
通解 妙法蓮華経と唱え、受持するとはいっても、もし自身の心の外に法があると思うならば、それは全く妙法ではなく?法(劣った粗雑な法)である。

師の励ましを支えに一家で勝利
 題目を唱えていても、妙法が自身の心の外にあると思っている限り、それは妙法にならず、?法になってしまうと仰せです。
 1971年(昭和46年)、江戸川の同志との記念撮影で、初めて池田先生との出会いを結んで以来、“師弟の道に生き抜こう”と、広布に駆ける女子部時代を過ごしました。
 当時、父を避けていた私は、“自身を変えよう”と唱題に挑戦。そんな折、先生から「お父さんを大切に」と声を掛けていただき、私の境涯革命の原点となりました。
 婦人部となり、母の他界の後、父と同居することに。父の認知症や経済苦などの数々の苦境も、先生の励ましのおかげで、全て乗り越えることができました。
 その後、区の同志に和歌を頂戴するなど、折々に励ましてくださる師の真心に、感謝でいっぱいです。
 夫は大病を乗り越え、3人の子どもたちも青年部のリーダーとして後継の道を歩んでいます。
 若き先生が男子部第1部隊長として奮闘した江戸川で広布の使命に生きる感謝を胸に、今後も励ましを広げてまいります。


【先生のメッセージ】

◆池田大作先生の写真と言葉 「四季の励まし」  友好深める年末年始に

 この一年間の
 大勝利、大前進、
 本当にありがとう!
 ご苦労さまでした!
 みんな、本当に、
 よく戦った。よく勝った。
 多くの団体や組織が、
 後退を余儀なくされている
 厳しい時代である。
 その中にあって、
 わが創価学会は、
 隆々と勢いを増し、
 前進また前進を
 続けてきた。
 見事な大勝利であった。

 広宣流布といっても、
 どれだけ
 悩める人々と会い、
 その中へ飛び込んで
 いくかにかかっている。
 一切衆生の
 幸福のための仏法である。
 ゆえに徹して
 一人を大切にするのだ。
 励ますのだ。

 隣近所の人々との友情を
 大切にしていくことだ。
 地域に友人をつくり、
 友好の輪を
 広げていくことだ。
 それが人生を豊かにし、
 大きな価値を
 創造する力となる。

 一念が変われば、
 自分が変わる。
 自分が変われば、
 環境が変わり、
 世界が変わる。
 この大変革の
 根源をたずねれば、
 御本尊に向かう自分自身の
 「祈り」の革命的深化に
 ほかならない。
 祈りは、いわゆる
 「おすがり信仰」とは
 全く違うのだ。
 祈りとは本来、
 「誓願」である。
 「必ずこうする」という
 誓いであり、
 明確な目標に
 挑み立つ宣言である。

 年末年始は、
 多忙な日々が続く。
 どうか、ご家庭を大切に、
 お体を大切にされながら、
 最高に充実した、
 最高に楽しい、
 よいお正月を
 迎えていただきたい。

 天を突いて真っすぐに伸びる木々。黄金色の葉が輝いていた――。
 今月10日、池田大作先生が、東京・信濃町の総本部にほど近い、外苑東通りのイチョウ並木(港区内)をカメラに収めた。
 イチョウは、現存する植物の中で最も古いものの一つ。太古の昔から姿を大きく変えることなく、種として存続しているため、「生きた化石」とも呼ばれている。また、中国には樹齢2800年といわれるイチョウもあるほど、生命力が強い。
 慌ただしい年末年始。無事故第一で、体調管理に留意しながら、生き生きと日々を送っていこう。そして家族や親戚を大切に、近隣、友人など、お世話になった方々と変わらぬ友情を育んでいきたい。

【聖教ニュース】

◆台湾に輝く創価の文化・教育運動――台東、宜蘭、花蓮各県などから池田先生に感謝状

宜蘭県の林姿妙県長㊧から台湾SGIの代表に、池田先生への「感謝状」が託された(同県文化局第1展覧室で)

宜蘭県の林姿妙県長㊧から台湾SGIの代表に、池田先生への「感謝状」が託された(同県文化局第1展覧室で)

 台湾SGI(創価学会インタナショナル)が長年にわたって推進する平和・文化・教育運動に、惜しみない賛辞が寄せられている。
 同SGIは本年、台東、宜蘭、花蓮の各県政府と共催し、世界的なアーティストとして名高い陳正雄氏の展覧会を開催(8月11日~11月29日)。

 また小・中学・高校等で著名な芸術家の作品を紹介する「移動美術館」や、学習環境が整っていない離島や山間部で教育を支援する「創価歓喜サマーキャンプ」を、各地で実施してきた。
 こうした取り組みなどが評価され、同SGIは、台湾行政院の内政部から目覚ましい社会貢献を果たした団体に贈られる「宗教公益賞」などを受賞。同院の文化部や教育部からも顕彰が贈られた。
 また、同SGIが推進する諸活動へのリーダーシップをたたえ、池田先生への「感謝状」が台東県(8月11日、台東美術館)、宜蘭県(9月28日、同県文化局第1展覧室)、花蓮県(10月19日、同県文化局美術館)から、それぞれ授与された。

 さらに今夏、サマーキャンプが行われた屏東県琉球郷と、同郷の白沙小学校をはじめ各地の小・中学・高校からも先生に「感謝状」が授与された。
 池田先生の思想・哲学、そして自他共の幸福と地域の発展を願うSGIメンバーたちの行動は、台湾社会において、ますます輝きを放っている。

◆SGI発足45周年の明年へ 各国で勇躍の集い 2019年12月29日

 明年1月26日にSGIは発足45周年を迎える。その佳節を勝ち飾ろうと各国で今月、勇躍の集いが行われた。写真と共に紹介する。

スリランカ

 スリランカ創価学会の総会は8日、コロンボ文化会館でにぎやかに。
 未来部・青年部の友が決意みなぎる歌やダンスを披露し、婦人部の友が信心根本に経済革命を果たした体験を発表。
 参加者全員で「フォーエバー・センセイ」を大合唱した。

スペイン

 スペインのリーダーの代表は14、15の両日にスペイン文化会館で拡大最高会議を開催。
 女子部のルシラ・ロドリゲスさんが母親を入会に導き、映画プロデューサーとして使命の道を歩む充実の日々を報告。
 ソサ青年部長、ロシェ婦人部長が友をたたえ、カプート理事長が「明年も師と共に前進を」と語った。

イギリス

 イギリスでは、ソウカグループ(創価班)とライラックグループ(白蓮グループ)の友が7日、ロンドン郊外のタプロー・コート総合文化センターで合同研修会を開催。

 ソウカグループのソーニー委員長とライラックグループのホー委員長が決意を述べ、ハシモト女子部長とウッジャー壮年部長が励ました。

アメリカ

 アメリカの「宿命を使命に」をテーマにした研修会(13~16日、フロリダ自然文化センター)。

 池田先生の初訪米60周年となる明年を、自身の人間革命の挑戦で飾りゆくことを誓い合った。モンクリーフ壮年部長が激励した。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈世界に魂を 心に翼を 民音が開いた文化の地平〉第21回 世界バレエ・シリーズの金字塔㊦2019年12月29日   絢爛たる芸術の花




    • 民音創立者の池田先生が、アメリカン・バレエ・シアターのチェイズ氏(右から3人目)らと(1968年9月、上野の東京文化会館で)        

民音創立者の池田先生が、アメリカン・バレエ・シアターのチェイズ氏(右から3人目)らと(1968年9月、上野の東京文化会館で)

 「しばらくぶりですね!」
 民音創立者の池田先生が、パリ・オペラ座バレエ団の舞台総監督であるロベール・ジル氏に声を掛けた。
 1972年4月5日。上野の東京文化会館では、民音「世界バレエ・シリーズ」の第5弾として、同バレエ団の公演が披露されていた。
 幕間で、池田先生はジル氏ら同団の首脳と和やかに。かつて先生はパリ・オペラ座を訪れており、これが久方ぶりの再会となった。
 「大変に見事な演技を見せていただき、民音だけでなく、日本を代表して、深く御礼申し上げます」
 創立300年。ルイ14世の時代から受け継がれ、ヨーロッパ最古の伝統を誇るパリ・オペラ座バレエ団。この日、上演した「ノートルダムのせむし男」(ローラン・プティ振付)は、文豪ビクトル・ユゴーの小説をバレエ化した壮大な舞台であり、大盛況となったソ連公演では、観衆の誘導に軍隊が出動したほどである。
 総勢120人の“引っ越し公演”となった来日公演は、高さ10メートルを超える欧風建造物など、本場さながらの装飾が施された。
 先生は司祭や兵隊などに扮したダンサー一人一人の熱演をたたえながら、「ユゴーは私の愛読書です。今、執筆している小説『人間革命』も、ユゴーの『レ・ミゼラブル』を参考にしています」と。文学談議に花を咲かせつつ、力を込めた。
 「この一流の舞台を一人でも多くの人に見てもらいたい。日本全体、世界の文化のために、これからも、芸術の交流に総力を挙げます」
                             ◇ ◆ ◇ 
 名だたるバレエ団の来日を実現した世界バレエ・シリーズ。その軌跡は、今なお不朽の輝きを放つ。
 第1回を飾ったソ連のノボシビルスク・バレエ団(66年)、それに続くベジャールのベルギー国立20世紀バレエ団(67年)は、古典と現代の最高峰ともいうべき舞台となった。
 その後も、アメリカン・バレエ・シアター(68年)、ギニア国立ジョリバ・バレエ団(71年)、パリ・オペラ座バレエ団(72年)、ドイツのシュツットガルト・バレエ団(73年)、英国ロイヤル・バレエ団(75年)と、圧巻の舞台が連なる。
 しかし国際交流が限られていた当時、日本バレエ界はいまだ“ソ連一色”であり、こうしたバレエ団を招聘することは“冒険”でもあった。
 日本を代表する演出家、音楽プロデューサーの広渡勲氏が振り返る。
 「あの時代に海外からバレエ団を呼ぶのは、大変な決断です。日本のバレエ界は“お稽古事”の印象が強く、舞台芸術としての演出は考慮されていませんでした」
 世界的な芸術団体の舞台を支えてきた広渡氏は、68年のアメリカン・バレエ・シアター以降、民音公演にも尽力。「まさに衝撃でした。ジョージ・バランシン、アントニー・チューダー、ジェローム・ロビンスら、20世紀を代表する振付家の現代バレエ、外国人ダンサーのダイナミックな身体表現に圧倒されました」
 世界バレエ・シリーズで来日を果たしたダンサー、振付家らの思い出を述懐しつつ、広渡氏は語った。
 「素晴らしかったのは、フランスをはじめ、世界、いわゆる西側の有名バレエ団を招いたこと。ベジャールやジョン・クランコ、ローラン・プティといった、世紀を代表する振付家を紹介してきた。私が総合芸術としてのバレエに触れた原点は、ここ。民音公演がなければ、今の私はありません」
                          ◇ ◆ ◇ 
 民音創立者の池田先生は、世界バレエ・シリーズの成功を願い、多忙の合間を縫って、出演者や関係者に感謝を伝えている。第2次訪ソの直前となった英国ロイヤル・バレエ団(75年)を除き、各団の公演に足を運び、心からの謝意を述べてきた。
 68年9月21日、アメリカン・バレエ・シアターの「白鳥の湖」では、終演後、舞台上で待つ団員のもとへ。
 熱演で?を上気させるダンサーたちと握手を交わし、「これからも、絢爛たる芸術の花を咲かせてください」と、真心からねぎらった。
 幕が下りた後、舞台で感謝を伝えるのは、バレエ団にとって深い感謝の証しであり、支配人のルシア・チェイズ氏の提案によるものだった。
 来日中、チェイズ氏は先生と3度にわたって会見。大阪での最終公演の折にも、語らいを交わしている。
 またシリーズ第4弾となったギニア国立ジョリバ・バレエ団の東京公演(71年9月9日)では、終演後に池田先生がダンサーらと歓談した。
 同団は、アフリカ全土に眠る民族舞踊を初めてバレエ化し、52年の結成と同時に、パリ国際演劇祭でグランプリを獲得。“アフリカそのものの再現芸術”と話題を集め、鮮やかな民族衣装、耳を突く雄叫び、アクロバティックな跳躍が彩る舞台は、人々のバレエ観を覆した。
 60年の国連訪問以来、“21世紀はアフリカの世紀”と折々に訴え、その豊かな知恵、人間性に学ぼうと語ってきた池田先生は、公演の成功を誰よりも願い、心を尽くしてきた。
 公演を鑑賞した先生は「心が躍ります。最高の芸術です。アフリカにしかないリズム。舞踊の源泉を見る思いです」と、盛んに拍手を。共に記念のカメラに納まり、祖国の未来を開く一人一人を最大にたたえた。
 帰国前、ベレッテ・ダウダ団長は感慨を込めた。「これほど我々の文化を心から理解し、声援をいただいたのは日本が初めてです」
 このジョリバ・バレエ団がアフリカから初の招聘となり、これまで民音は、アフリカ14カ国の音楽団体の来日公演を実現させている。
                          ◇ ◆ ◇ 
 3年に1度、海外トップクラスのバレエダンサー数十人が、東京に会する“バレエの祭典”がある。昨年で15回を数えた「世界バレエフェスティバル」。この立ち上げにも民音の貢献があった。
 第1回が民音と東京バレエ団の主催で開かれたのは、76年春。“世界三大プリマ”のマイヤ・プリセツカヤ、マーゴ・フォンテイン、アリシア・アロンソを筆頭に、ダンサー20人が“夢の共演”を果たした。世界バレエ・シリーズの開始から10年後のことであった。
 欧米でも前例のない壮挙であり、バレエの歴史が浅い日本での開催である。各種メディアでも、同バレエ団の名声の高まりとともに、「『民音世界バレエ・シリーズ』で培った実力が実を結んだもの」(日本経済新聞)と話題になった。
 この東京バレエ団の草創期の飛躍を支えたのも、ほかならぬ民音である。同団の創立者であり、世界バレエ・シリーズの企画・運営に携わった佐々木忠次氏は証言する。
 「民音のスローガンの一つに“日本の音楽家を育成し、その優秀な作品並びに演奏を広く内外に紹介する”というのがあるが、この具体的な成果の一つとして東京バレエ団を挙げることが出来る」
 事実、64年に発足した同団の初公演を主催し、年50回に及ぶ地方公演を主催したのも民音だった。
 国内のバレエ芸術の発展と、世界バレエ・シリーズの推進――この両輪をもって、民音は戦後日本のバレエ史に大きく寄与した。その後も、松山バレエ団やジョン・ノイマイヤー率いるハンブルク・バレエなど、国内外の名門バレエ団の公演を主催し、池田先生と芸術家らとの親交は今に続く。
 日本の芸術史にその名を刻む世界バレエ・シリーズ。“一流芸術を民衆の手に”との創立者の信念と、その思いに共鳴する人々の心が一つとなって築かれた不滅の金字塔である。

◆名門バレエ団を相次ぎ招聘 民音連載 バレエ編 第3回
 企画「世界に魂を 心に翼を――民音が開いた文化の地平」から

パリ・オペラ座バレエ団(72年)
 「しばらくぶりですね!」

 民音創立者の池田先生が、パリ・オペラ座バレエ団の舞台総監督であるロベール・ジル氏に声を掛けた。
 1972年4月5日。上野の東京文化会館では、民音「世界バレエ・シリーズ」の第5弾として、同バレエ団の公演が披露されていた。
 幕間で、池田先生はジル氏ら同団の首脳と和やかに。かつて先生はパリ・オペラ座を訪れており、これが久方ぶりの再会となった。
 「大変に見事な演技を見せていただき、民音だけでなく、日本を代表して、深く御礼申し上げます」
 創立300年。ルイ14世の時代から受け継がれ、ヨーロッパ最古の伝統を誇るパリ・オペラ座バレエ団。この日、上演した「ノートルダムのせむし男」(ローラン・プティ振付)は、文豪ビクトル・ユゴーの小説をバレエ化した壮大な舞台であり、大盛況となったソ連公演では、観衆の誘導に軍隊が出動したほどである。

パリ・オペラ座バレエ団(72年)
 総勢120人の“引っ越し公演”となった来日公演は、高さ10メートルを超える欧風建造物など、本場さながらの装飾が施された。
 先生は司祭や兵隊などに扮したダンサー一人一人の熱演をたたえながら、「ユゴーは私の愛読書です。今、執筆している小説『人間革命』も、ユゴーの『レ・ミゼラブル』を参考にしています」と。文学談議に花を咲かせつつ、力を込めた。
 「この一流の舞台を一人でも多くの人に見てもらいたい。日本全体、世界の文化のために、これからも、芸術の交流に総力を挙げます」
「総合芸術としての原点」

アメリカン・バレエ・シアター(68年)
 名だたるバレエ団の来日を実現した世界バレエ・シリーズ。その軌跡は、今なお不朽の輝きを放つ。
 第1回を飾ったソ連のノボシビルスク・バレエ団(66年)、それに続くベジャールのベルギー国立20世紀バレエ団(67年)は、古典と現代の最高峰ともいうべき舞台となった。
 その後も、アメリカン・バレエ・シアター(68年)、ギニア国立ジョリバ・バレエ団(71年)、パリ・オペラ座バレエ団(72年)、ドイツのシュツットガルト・バレエ団(73年)、英国ロイヤル・バレエ団(75年)と、圧巻の舞台が連なる。
 しかし国際交流が限られていた当時、日本バレエ界はいまだ“ソ連一色”であり、こうしたバレエ団を招聘することは“冒険”でもあった。
 日本を代表する演出家、音楽プロデューサーの広渡勲氏が振り返る。
 「あの時代に海外からバレエ団を呼ぶのは、大変な決断です。日本のバレエ界は“お稽古事”の印象が強く、舞台芸術としての演出は考慮されていませんでした」

ドイツのシュツットガルト・バレエ団(73年)
 世界的な芸術団体の舞台を支えてきた広渡氏は、68年のアメリカン・バレエ・シアター以降、民音公演にも尽力。「まさに衝撃でした。ジョージ・バランシン、アントニー・チューダー、ジェローム・ロビンスら、20世紀を代表する振付家の現代バレエ、外国人ダンサーのダイナミックな身体表現に圧倒されました」
 世界バレエ・シリーズで来日を果たしたダンサー、振付家らの思い出を述懐しつつ、広渡氏は語った。
 「素晴らしかったのは、フランスをはじめ、世界、いわゆる西側の有名バレエ団を招いたこと。ベジャールやジョン・クランコ、ローラン・プティといった、世紀を代表する振付家を紹介してきた。私が総合芸術としてのバレエに触れた原点は、ここ。民音公演がなければ、今の私はありません」

心からの感謝         
 民音創立者の池田先生は、世界バレエ・シリーズの成功を願い、多忙の合間を縫って、出演者や関係者に感謝を伝えている。第2次訪ソの直前となった英国ロイヤル・バレエ団(75年)を除き、各団の公演に足を運び、心からの謝意を述べてきた。
 68年9月21日、アメリカン・バレエ・シアターの「白鳥の湖」では、終演後、舞台上で待つ団員のもとへ。
 熱演で?を上気させるダンサーたちと握手を交わし、「これからも、絢爛たる芸術の花を咲かせてください」と、真心からねぎらった。
 幕が下りた後、舞台で感謝を伝えるのは、バレエ団にとって深い感謝の証しであり、支配人のルシア・チェイズ氏の提案によるものだった。
 来日中、チェイズ氏は先生と3度にわたって会見。大阪での最終公演の折にも、語らいを交わしている。
 
 またシリーズ第4弾となったギニア国立ジョリバ・バレエ団の東京公演(71年9月9日)では、終演後に池田先生がダンサーらと歓談した。
 同団は、アフリカ全土に眠る民族舞踊を初めてバレエ化し、52年の結成と同時に、パリ国際演劇祭でグランプリを獲得。“アフリカそのものの再現芸術”と話題を集め、鮮やかな民族衣装、耳を突く雄叫び、アクロバティックな跳躍が彩る舞台は、人々のバレエ観を覆した。
 60年の国連訪問以来、“21世紀はアフリカの世紀”と折々に訴え、その豊かな知恵、人間性に学ぼうと語ってきた池田先生は、公演の成功を誰よりも願い、心を尽くしてきた。
 公演を鑑賞した先生は「心が躍ります。最高の芸術です。アフリカにしかないリズム。舞踊の源泉を見る思いです」と、盛んに拍手を。共に記念のカメラに納まり、祖国の未来を開く一人一人を最大にたたえた。
 帰国前、ベレッテ・ダウダ団長は感慨を込めた。「これほど我々の文化を心から理解し、声援をいただいたのは日本が初めてです」
 このジョリバ・バレエ団がアフリカから初の招聘となり、これまで民音は、アフリカ14カ国の音楽団体の来日公演を実現させている。

バレエ史への貢献


 3年に1度、海外トップクラスのバレエダンサー数十人が、東京に会する“バレエの祭典”がある。昨年で15回を数えた「世界バレエフェスティバル」。この立ち上げにも民音の貢献があった。
 第1回が民音と東京バレエ団の主催で開かれたのは、76年春。“世界三大プリマ”のマイヤ・プリセツカヤ、マーゴ・フォンテイン、アリシア・アロンソを筆頭に、ダンサー20人が“夢の共演”を果たした。世界バレエ・シリーズの開始から10年後のことであった。
 欧米でも前例のない壮挙であり、バレエの歴史が浅い日本での開催である。各種メディアでも、同バレエ団の名声の高まりとともに、「『民音世界バレエ・シリーズ』で培った実力が実を結んだもの」(日本経済新聞)と話題になった。

英国のロイヤル・バレエ団(75年)
 この東京バレエ団の草創期の飛躍を支えたのも、ほかならぬ民音である。同団の創立者であり、世界バレエ・シリーズの企画・運営に携わった佐々木忠次氏は証言する。
 「民音のスローガンの一つに“日本の音楽家を育成し、その優秀な作品並びに演奏を広く内外に紹介する”というのがあるが、この具体的な成果の一つとして東京バレエ団を挙げることが出来る」
 事実、64年に発足した同団の初公演を主催し、年50回に及ぶ地方公演を主催したのも民音だった。
 国内のバレエ芸術の発展と、世界バレエ・シリーズの推進――この両輪をもって、民音は戦後日本のバレエ史に大きく寄与した。その後も、松山バレエ団やジョン・ノイマイヤー率いるハンブルク・バレエなど、国内外の名門バレエ団の公演を主催し、池田先生と芸術家らとの親交は今に続く。
 日本の芸術史にその名を刻む世界バレエ・シリーズ。“一流芸術を民衆の手に”との創立者の信念と、その思いに共鳴する人々の心が一つとなって築かれた不滅の金字塔である。
 〈紙面のご感想や民音公演の思い出、民音推進活動のエピソードなどをお寄せください〉

 メール:news-kikaku@seikyo-np.jp

 ファクス:03-5360-9613

◆信仰体験〈縁Joy×農Life〉ただ信じて前に進むがよ―夫婦の愛と真心が薫る土佐文旦

 【高知県土佐市】収穫鋏の音が、澄んだ冬空に響く。
 海治貞昭さん(88)=地区幹事=一家にとって、今年も一大イベントが始まった。高知の特産・土佐文旦の収穫である。
 太陽をいっぱい浴びた黄色い果実が、段々畑に広がる。大きいものは直径20センチほどにもなる。重みで地面につきそうなくらい枝がしなっていた。
 海治さんは年季の入った愛用の鋏を手に、妻・千代さん(82)=副白ゆり長=と、あうんの呼吸で、手際良く作業を進めていく。
 この時ばかりは子や孫も手伝いに訪れる。「よう来たな、よう来た」。夫婦の目元と口元が緩んだ。
 海治さんは軍手をしない。果実の感触を確かめるように素手で優しく包み込み、枝から摘み取っていく。
 摘んだそばから爽やかな香りが辺りに広がった。収穫したての果実は酸味が強い。2カ月ほど寝かせ甘みを引き出す。じっと待つ。糖度が高いと評判なのは「題目を染み込ませちゅーがよ」と笑った。地元JAの品評会で表彰されたこともある。
 「堪能するまで題目を唱えて」から、海治さんの一日は始まる。
 春を過ぎ、初夏を迎える頃になると授粉の時期。「広布の役に立つ文旦に育つがよ」。そうつぶやきながら、一つ一つ丁寧に花粉を付けていくという。子や孫も同じやり方を受け継ぐ。肥料・水やり、草むしり、剪定、害虫駆除。どれも気が抜けない。せっせと手を掛けた分だけ「ええ文旦ができるがぜよ」。
 黒く日焼けし、節くれ立った海治さんの手指が、人生の風雪を物語っていた。
 「本当はな、学校の先生になりたかったが」。戦地から復員した父親を不慮の事故で亡くした。残された病弱な母と3人の弟たち。19歳の海治さんは、皆を養うために夢を諦めた。地域の年配者に教えを請い、農業を始めた。懸命に働けど楽にはならない。苦しかった。惨めだった。
 結婚後も生活苦は続いた。農閑期になると数カ月、関西へ出稼ぎに行った。道路工事の肉体労働だった。
 宿舎は各地から来た男たちでごった返した。夜な夜な酒を飲んで暴れる者もいた。冷え切った布団にくるまると、土佐に残した家族のことを思い出した。
 幼かった2人の娘に「寂しい思いをさせたがよ」。ある時、おそろいの赤い帽子を買って帰った。それは娘たちのお気に入りとなり、双子に間違われるほど大切にかぶった。
 知人から「この信心で一緒に幸せになろう」と勧められた。“うちは代々真言宗の家系や”との思いが一時は入会を踏みとどまらせる。しかし海治さんを思う知人の真心に胸を打たれ、28歳で創価学会に入会した。
 「そらあ村八分よ。よう陰口をたたかれた。『おいナンミョウさんが来たぞ』とか『ありゃ貧乏人が入るやつや』言うて学会をばかにされて。それでも今に見ちょれよ、思うてな。胸を張って折伏をやったがよ」
 ますます求道の心は燃え盛った。農作業を終えると高知市内で開かれる御書講義や会合へ。でこぼこ道を自転車で2時間以上かけて参加した。帰りは夜更けになったが「心は満たされとったがよ」。
 「道のとをきに心ざしのあらわるるにや」(御書1223ページ)の通りに生きる。
 静岡での会合には何度もフェリーで赴いた。田子の浦の港に近づくと、娘たちは「富士山が見えた。見えた」とはしゃいだ。「それが唯一の家族旅行の思い出」だった。夫婦は地区部長、ブロック担当員(当時)として真面目に、地道に広布の道を歩んできた。
 悔し涙を流したことがある。1979年(昭和54年)4月の池田先生の会長辞任。“なんで先生が辞めんといかんがか!”
 土佐でも寺の坊主たちが池田先生と学会の悪口を言いだした。ある時、学会を辞めさせようと、躍起になって海治さんの家にやって来た。
 普段は温厚な海治さんが身を震わせて激怒した。「わしはお宅らの世話になっちゃーせん!」
 85年2月、池田先生が愛媛・大洲市を訪問。その知らせを聞いた海治さんは師を求め、丹精込めた文旦を携えて会館に向かった。“土佐の弟子は元気です”と心意気を伝えたかった。後日、先生から真心の伝言が届いた。
 「お会いしたことはないが、先生は、わしらの胸の中にいつもおるが」。海治さんの好きな言葉は「信」の一字。
 「信じることぜよ。御本尊を信じ、池田先生を信じ、同志・家族を信じてな。ええ文旦を作ると自分を信じて前に進むがよ」

〈川柳に込めた思い〉
 海治さんに妻・千代さんのどこが好きかと尋ねたら、はにかみながら「全部です」。ラブラブな二人は顔を見合わせ、ほほ笑んだ。連れ添って63年になる。
 「苦難? そらあ、いっぱいあるがよ。ないのが不思議よ」。35年前、その妻が直腸がんになった。妻本人よりも海治さんの方が落ち込んだ。学会の同志が温かく寄り添い、励ましてくれた。祈ってくれた。「本当にありがたかったがよ」
 感謝の心が報恩の原動力となった。海治さんは、これまで民生委員や地元JAの理事などを務め、地域に尽くしてきた。
 土佐を愛し、文旦を愛する男のことを、家族が「川柳も愛しちゅーがよ」と教えてくれた。最近、詠んだ川柳が老人会の広報誌に掲載された。
 「子や孫が/わしらの一の/宝物」
 信心で苦難の山坂を越えて、つかんだ幸せを、かみ締めている思いが伝わってきた。

 

2019年12月28日 (土)

2019年12月28日(土)の聖教

2019年12月28日(土)の聖教

◆わが友に贈る

 「無事故」即「幸福」だ。
 慌ただしい年の瀬ゆえに
 意識して心の余裕を持ち
 火災や交通事故に注意!
 有意義な年末年始を!

◆名字の言 夫婦は相手に期待するだけではダメ?   2019年12月28日

 夏目漱石の作品『道草』に印象的な場面がある。主人公の夫婦は何かとすれ違ってばかり。ある日、夫は、家計のやりくりに苦労する妻を助けようと、仕事に精を出して新たな金をつくり、妻に渡した。だが「その時細君は別にうれしい顔もしなかった」▼妻は内心思った。「もし夫が優しい言葉に添えて、それを渡してくれたなら、きっとうれしい顔をする事が出来たろうに」と。一方で夫は「もし細君がうれしそうにそれを受取ってくれたら優しい言葉も掛けられたろうにと考えた」▼かつて池田先生はこの場面を紹介しつつ、「互いが、かたくなに相手に期待し要求するだけで、自分を省みるゆとりと思いやりがなかったならば、ことあるたびに心のミゾは深まる」と語った。夫婦に限らず、あらゆる人間関係に通じるだろう▼埼玉の男子部が主催する「創価サンクスフェスタ」が先日、開催された。これは日頃支えてくれる人たちに、映像や歌、踊りを通し、感謝を伝えようという企画。多くのメンバーが、普段なかなか口に出せない「ありがとう」を添えて、妻や両親を誘い、一緒に参加。うれしそうな笑顔が会場にあふれていた▼この一年を振り返り、身近な人にこそ感謝の思いを伝えたい。その“ほんの少しの勇気”で人生は豊かになる。(文)

◆寸鉄

今日の学会は昨日の学会
に非ず―恩師。幹部の率
先の戦いで躍進は決まる
     ◇
地区部長・婦人部長の奮
闘に大拍手!地域広布の
最前線走る勇者の功徳大
     ◇
我らの唱題は「響の音に
応ずるがごとし」御書。
諸天動かす確信の祈りを
     ◇
ゴミ削減へレジ袋が明年
夏から有料に。一人一人
が更なる意識改革で改善
     ◇
SNS通じた子供への犯
罪―被害者9割が閲覧制
限掛けず。保護者が徹底


【教学】

◆〈ONE GOSHO~この一節とともに!~〉 持妙法華問答抄 勇気の挑戦で歴史を築け

御文
 願くは「現世安穏・後生善処」の妙法を持つのみこそ只今生の名聞・後世の弄引(ろういん)なるべけれ須(すべから)く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき(御書467ページ)

通解
 願わくは「現世は安らかであり、来世には善い所に生まれる」と仰せの妙法を持つこと、それのみが、この一生の真の名誉であり、来世の導きとなるのである。
 ぜひとも全精魂を傾けて、南無妙法蓮華経と自身も唱え、他の人にも勧めるがよい。それこそが、人間として生まれてきたこの一生の思い出となるのである。

背景
 「持妙法華問答抄」は、題号の通り、「妙法華(妙法蓮華経)」を「持つ」ことによって、皆が仏の境涯を開いていけることを、問答形式で教えられた御書である。
 日蓮大聖人が、弘長3年(1263年)に、伊豆流罪を赦免された直後に著された等と伝えられているが、御執筆年や宛先を含め、定かではない。
 本抄では、諸経の中で最も優れた教えが法華経であると述べ、その教えを持つことの功徳の大きさや、誹謗する罪の重さ、そして「信」の大切さなどについて教えられている。

解説
 拝読箇所の冒頭にある「現世安穏・後生善処」との法華経の文は、妙法を持つことで現世に幸福境涯を築き、未来世に善い所に生まれることができるという大きな功徳を示している。
 ここでいう「安穏」とは、単に困難や悩みのない順風満帆な状態のことではない。仕事の悩み、自身や家族の病、将来への不安など、私たちが生きていく現実は、さまざまな苦難が襲ってくるものである。どんな困難にも負けることなく、挑み抜く不動の心に真の「安穏」がある。
 日蓮大聖人は、その境涯が確立できる妙法を「持つ」ことこそ今世の名誉であり、三世にわたる幸福を開くことになると教えられているのである。
 では「持つ」とはどういうことか。
 まず「須く心を一にして」とあるように、心を定めて御本尊を信じ抜くことが根本である。そして「南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみ」と仰せの通り、日々の勤行・唱題に励みながら、友の幸福を願い、折伏に挑んで妙法を語り広げること、つまり自行化他の実践が「妙法を持つ」ことなのである。
 さらにこの実践が、いま生きている人生の最高の思い出になると断言されている。本抄には「名聞名利は今生のかざり」(御書463ページ)とあり、世間的な名声や利益は“人生の飾り”にすぎないとされている。確かに名聞名利は何かのきっかけで、はかなく消えてしまう。それに対して、自他共の幸福をつかむために広布に生きる日々は不滅の思い出となり、その福徳は生命に刻まれていく。
 ここで仏法対話について、妙法を説いて相手が発心する「発心下種」も、すぐには発心しない「聞法下種」も、功徳が同じであることを確認したい。池田先生は「思うように対話が実らないことがあったとしても、落ち込む必要など全くない。聞法下種こそ、第一義の実践である。勇気を出して挑戦していること自体が生命の勝利なのだ」とつづっている。
 また若き日に、友人との対話の場に戸田先生に同席してもらったが実らなかった折伏の体験を、こう述懐したことがある。「自分が不甲斐なく、どう語ればよいのか、必死に研究もした。そして、祈りに祈り、“もう一人”“もう一人”との思いで、折伏行を重ねた。それが、どれほど大きな自身の力となっていったか計り知れない。そのなかで、ようやく折伏が成就した時の、あの晴れやかな感動と喜びは、筆舌に尽くしがたい」
 折伏を通した自らの成長と、弘教の歓喜は「今生人界の思出」として胸中深くに刻まれる。各地で開催された男子部大会でも、仏法対話への挑戦とともに苦難を乗り越えた感動的な体験が数多く語られた。
 「前進・人材の年」の開幕に当たり、一人一人が自行と化他の明確な目標を掲げていきたい。まずは池田先生の会長就任60周年となる「5・3」へ勇気の折伏に挑み、宿命転換、人間革命の思い出を築いていこう!

〈大学校生とナットクTALK〉
テーマ:信心の確信
Q これといった体験がないのですが……
A みんなに成長のドラマがある!
 中村区男子部大学校団長 今日の会合も、メンバーの体験発表が素晴らしかったね。

 西川ニュー・リーダー 感動しました。僕には、人に語れる体験がないなあ……。

 中村 ん? 自分ではそう思うのかな。でも西川君には体験がたくさんあるんだよ。

 西川 そうですか?

 中村 大学校に入ってから、友達との約束や、学会の会合に遅刻しなくなったし、朝早く起きられるようにもなった。以前は職場の悩みも多かったけど、この前は「仕事が初めて楽しいと思えた」って話してくれたじゃないか。

 西川 そんな、小さなことでいいんですか?

 中村 華々しいことだけじゃない。信心を実践する中で感じたこと、経験したことは、たとえ小さな変化でも、大切な“体験”さ。池田先生は「自信は、積み上げていくものだ。どんな小さな体験でもいい。朝寝坊の人が、これまでより五分でも早起きできるようになったら、すごいことだ。『人間革命』です」と語られているよ。

 西川 それなら、僕にも、まだあります。親に「ありがとう」って言えるようになったこととか、人と争わなくなったこととか。

 中村 そうだね。僕も大学校生の時、願いを全部ノートに書いた。仕事の目標、人間関係の悩み、恋愛や結婚……。具体的に、一つ一つ祈り抜く中で、「かなった!」という体験が増えていった。

 西川 お題目、やっぱりすごいですね。

 中村 うん! 大切なことは、毎朝毎晩、真剣に祈っていくこと。御書には「深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり」(384ページ)とある。鏡を磨くように、命を磨く。すると鏡がピカピカになるように、自分の境涯が変わり、環境も変わっていくんだ。そして、具体的に祈ること。そうすれば、体験を着実に積めるんだ。

 西川 でも祈りが全部かなうわけじゃないですよね。何でも思い通りになったら、調子に乗っちゃいますもんね。

 中村 いやいや(笑い)。確かに、すぐ結果が出ない願いもあるけど、そこには大きな意味がある。悩みながらも前に進もうと挑戦する――それ自体が強い自分になっている証明だよね。また、後から振り返って分かる、成長の内容もある。お題目で絶えず変わっていく自分。その信心のドラマが、“西川君の体験談”。それを、ありのまま、友達に語ってほしいんだ。

 西川 分かりました。新しい年だし、新しい決意で祈ります! そして友達に、僕のドラマを聞いてもらいます。

【聖教ニュース】

◆各国で教学試験 全員が信心の勝利者に  2019年12月28日

マレーシアでは15日、全国42会場で教学部任用試験が行われ、約4300人が受験。「日蓮大聖人の御生涯」「世界広布と創価学会」などから出題された(マレーシア文化会館で)

マレーシアでは15日、全国42会場で教学部任用試験が行われ、約4300人が受験。「日蓮大聖人の御生涯」「世界広布と創価学会」などから出題された(マレーシア文化会館で)

 2019年を締めくくる今月、世界各国で教学試験が行われた。
 池田大作先生はかつて、草創以来、創価学会員が御書を心に刻み、一切の苦難を勝ち越えてきたことを強調。“御書を深めながら、全員が一人ももれなく信心の勝利者に”と望んだ。
 教学試験は、人生勝利の要諦である御書根本の大切さを学び、その実践に励む好機である。
 今月、試験が実施されたのはマレーシア、チリ、シンガポール、韓国など。各国の試験では「十界論」「三証」「一生成仏」「宿命転換」など基礎教学について出題。さらに、御書の要文を通して仏法の理解を問うた。
 中米のパナマでは、地区ごとに少人数で試験を開催。350人が挑んだ。
 受験者は「仏法の生命哲学への確信が強まりました。友人に“信心で必ず幸せになれるよ”と語り抜いていきます」「自身の一念で全てを切り開いていけることを学びました。研さんを続け、勝利の大道を歩んでいきます」と喜びを語った。
 一方、南米パラグアイの初級・中級試験では、「『諫暁八幡抄』を通して、最高の慈悲の実践について述べよ」「『御みやづかいを法華経とをぼしめせ』(御書1295ページ)の意味を述べよ」など、自身の考えを書く問題を出題。「試験への取り組みの中で折伏が結実しました」などの声が寄せられている。
 学会創立100周年へ、自身の壁を破る一歩を――世界の友が御書とともに出発している。

◆中国科技大学の図書館に「池田大作コーナー」 台湾の4大学に図書贈呈  2019年12月28日

中国科技大学新竹キャンパスの図書館に設置された「池田大作コーナー」。池田先生の著作が常設される

中国科技大学新竹キャンパスの図書館に設置された「池田大作コーナー」。池田先生の著作が常設される

 台湾・中国科技大学新竹キャンパス(新竹県)の図書館に、池田先生の著作を閲覧できる「池田大作コーナー」が設置された。
 また、池田先生の教育理念の研究、語学教育の支援として、学会本部から、同大学を含む台湾の4大学に池田先生の対談集などの図書(日本語、英語等)が贈呈された。
 中国科技大学「池田大作コーナー」の開設式は23日、図書贈呈式を兼ねて同大学内で開催され、唐彦博学長や学会本部国際渉外局の長岡局長をはじめ、学生、教員らが参加した。
 式典で唐学長は、これまで池田先生の著作から人生の智慧を学んできた自身の思いを述懐。地球的課題の解決への糸口を求め、同コーナーの書籍を大いに研究していきたいと語った。
 同大学から、学会の贈書に対する感謝状が贈られた。
 長岡局長らは同日、台南市の南台科技大学で張信雄理事長らと懇談。24日には、彰化市の建国科技大学で、?聯星理事長、江金山学長らと語らいのひとときをもった。25日には、台北市の中国文化大学の徐興慶学長らを表敬訪問。各大学に学会からの図書目録が贈呈された。
 これらの訪問には台湾SGI(創価学会インタナショナル)の林釗理事長らが同行した。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈「新・人間革命」と私〉東海道女子部長 坂本秀美さん

心に刻む珠玉の言葉
 家庭、地域、職場にあって、皆さんご自身が、『太陽』の存在であっていただきたい。友の悲しみの窓辺を照らし、周囲の人びとに、歓喜の光を、勇気の光を、希望の光を送り続ける、励ましの人であってください。 <第28巻「大道」の章>

時代背景
 1978年(昭和53年)8月8日、山本伸一は東京・信濃町で開かれた県長会議に出席。席上、北陸の歌とともに神奈川の歌「ああ陽は昇る」が紹介された。これらは伸一が作詞した歌であった。伸一は「これから神奈川は、ますます大事になります」「いよいよ神奈川の時代です」と期待を寄せ、「ああ陽は昇る」の歌に込めた思いを語る。

希望の光送る太陽の存在に
 聖教新聞創刊号を飾った「聖火鶴見に炎上」の見出し。戸田先生が三ツ沢の競技場で発表された「原水爆禁止宣言」。そして、日蓮大聖人がしたためられた「立正安国論」……。
 「大道」の章では、山本伸一がこうした神奈川の歴史に触れ、神奈川の歌「ああ陽は昇る」に込めた思いを「神奈川の皆さんは、常に、何があろうが、わが胸に生命の太陽を輝かせ続けていただきたい」と語る場面が描かれています。
 「ああ陽は昇る」は、神奈川の折々の会合で歌われています。自分を鼓舞するように涙ながらに歌う方や、勝利の歓喜を歌声に託し、瞳を輝かせながら歌う方など、どんな時も、わが胸に“師弟の太陽”を燃やしながらこの歌を歌い、広布と人生の坂を越えてきた創価の父母の姿を見て、“師弟の誓いに生き抜くことこそ最高の人生”だと教えていただきました。
 また、そうした創価家族の太陽のような温かさに包まれ、育てていただく中で、私も“周囲に希望を送る太陽のような存在に”と決意しました。中学1年から約13年間、神奈川鼓笛隊に所属。創価高校時代には吹奏楽部に所属し、池田先生の前で2度、演奏をしたことが師とのかけがえのない原点となりました。

今いる場所で励ましを送ることが未来を開く力に
 静岡でも、「太陽の静岡」を誇りに進む大先輩の励ましに支えられ、女子部が立ち上がっています。まさに今いる場所で一人立ち、励ましを送っていくことが未来を開く力になると確信します。
 小説『新・人間革命』には、神奈川・静岡を舞台にした師弟の歴史や、両県の発展を願う先生の心がちりばめられています。そうしたことを知ることが使命の自覚につながるとの思いから、東海道女子部では今、『新・人間革命』の研さんに力を入れています。私自身、どんなに疲れていても毎日開き、先生と対話する思いで学んでいます。
 その中で「初めて友人に仏法対話できた」「家族の悩みを乗り越えられた」との体験が生まれています。東海道女子部は、これからも師の心を学びながら、一人一人が太陽の存在と輝き、師弟勝利の門を開いていきます。

◆〈負けじ魂ここにあり わが生命の学園生〉25 東京校 2003~05年度 
 君たちには「誓い」という翼、  「原点」という大地がある。  だから「使命の大空」に飛翔できる。

“握手”をするように、空中で互いに手を握る池田先生と学園生。2001年に入学した卒業生たちを、新世紀の「花の1期生」とたたえた(2004年3月16日、東京・小平市の創価学園で)

“握手”をするように、空中で互いに手を握る池田先生と学園生。2001年に入学した卒業生たちを、新世紀の「花の1期生」とたたえた(2004年3月16日、東京・小平市の創価学園で)

 日本一
  いな世界一かな
       学園城
  
 2003年秋、創立者・池田先生は創価学園の発展をたたえ、記念の句を詠み贈った。
 開校から35年。卒業生は東京と関西を合わせて2万人を超え、学術、教育、法曹、医学、経済、スポーツなど各界で活躍を見せていた。
 先生は随筆に記した。
 「なぜ、学園生が『使命の大空』に、かくも大きく飛翔できるのか?
 それは、『誓い』という翼があるからだ。『原点』という大地があるからだ。『師弟』という根本軌道があるからだ」
 崩れざる青春の原点を築く――それが創価の学びやである。
                          ◇ 
 2004年3月16日の第34回卒業式。
 式典の終了間際、一人の生徒が叫んだ。
 「先生! 校歌を歌わせてください!」
 「オーケー! 歌おう!」。先生が答える。
 あうんの呼吸で、吹奏楽部が態勢を整える。しばしの静寂から、勇壮な前奏が始まった。
 それは、全卒業生が心待ちにしていた瞬間だった。校歌「草木は萌ゆる」の歴史を学ぶ中、“いつか先生の前で歌う機会があれば、成長した姿でその日を迎えたい”と、皆で語り合い、学園建設に取り組んできたのだ。
 先生は、その思いに応えるように、左手に歌詞カードを持ったまま、右手で力強くリズムを。その動きは徐々に大きくなり、5番では舞を舞うように両手で大きな円を描いた。
 続いて、中継で結ばれていた関西創価学園の校歌「栄光の旗」を歌い終えると、先生は壇上の前方へ。駆け寄ろうとする学園生を優しく制し、スッと右手を伸ばした。
 学園生もその場で、先生の方へ手を伸ばす。
 「ギュッ」
 一人一人の顔を見つめながら、空中で手を握る先生。学園生も、それにならう。
 「ギュッ」「ギュッ」「ギュッ」
 卒業生全員の健闘をたたえるように、右へ、左へ、“空中握手”は何度も何度も繰り返された。
 アメリカ創価大学への進学を決め、最前列で参加していた久木田敦志さん(高校34期)は、その“握手”に「後輩の道を開きます!」との誓いを込めた。
 学園時代は男子通学生の集い「潮流会」の代表として奮闘。創立者から贈られた「学は光なり」との言葉を指針とし、博士を目指して勉強に励んできた。
 渡米後、なかなか研究分野が定まらず、学究の道を諦めかけた時もあったが、「胸に響く校歌の音律が、あの日の誓いを果たそうと、私の背中を押してくれました」。
 現在は、米クレアモント大学院大学の博士課程でポジティブ発達心理学を研究。「学園時代の原点を忘れず、自分にしかできない“貢献の人生”を歩んでいきます」と未来を見据えている。

正義の道を
 「質問のある人!」
 池田先生の突然の呼び掛けに、何人かの生徒が手を挙げる。
 第35回卒業式(2005年3月16日)での一幕である。
 2番目に質問に立った後藤学さん(高校35期)は、緊張の面持ちで口を開いた。戸田先生の弟子として生きる道を選んだ池田先生の真情を、率直に尋ねたのである。
 ――高校入学を機に、山形から上京した後藤さん。栄光寮に入寮し、池田先生の人生について詳しく学んだ。
 戦後の不況下、経営が悪化した戸田先生の会社から次々と社員が去っていく中、たった一人で事業を支え続けたこと。衰弱した恩師を守るため、無実の罪で牢獄にとらわれ、権力の横暴と戦い抜いたこと。師の遠大な構想を、一つ一つ実現してきたこと――。
 後藤さんは小説『人間革命』『新・人間革命』などの著作を読破し、池田先生の波瀾万丈の人生に深い感動を覚えた。いつしか自分も先生のように“正義の道”を貫きたいと思うように。
 だが、先生の激闘を知れば知るほど、自分には到底無理ではないかとの気持ちも湧いてきた。だからこそ、卒業式は決意を固める日にしたいと、思い切って質問したのだった。
 先生は、戸田先生のもとで苦労に次ぐ苦労の日々だった青春時代を述懐しながら、後藤さんら卒業生に一つの生き方を示した。
 “仮に99%が後悔だったとしても、残りの1%を信じて貫けば大勝利できるんだよ”と。
 この日、師弟という人生の根幹を教わった後藤さん。「私も将来、どんなに悩んでも、どんなにつまずいても、先生との誓いだけは最後まで貫こうと決めました」
 卒業後は弁護士を目指し、創大の法学部を経て法科大学院へ。司法試験の不合格が続くたびに、“自分には向いていないのではないか”と心が揺れた。しかし、先生に勝利の結果で応えたいと挑戦を続けた結果、2017年、悲願の合格を果たす。現在は地元・山形で、弁護士として新たな一歩を踏み出している。

幸福の乙女に
 “創立者から歌が贈られた!”――2006年2月3日、女子学園生の間に歓声が広がった。
 タイトルは「幸福の乙女」。
 前年の11月、関西創価学園に学園歌「関西創価 わが誇り」を贈った池田先生は、“「女子学園生の歌」も作ってあげたい”と、休む間もなく作成に取り掛かっていた。
 「後世に残るものを! 歌いやすいメロディーで」。先生ご夫妻の思いが込められた歌は、女子学園生たちに歌い継がれる愛唱歌となった。
 発表当時、高校3年だった高橋容子さん(高校36期)。「卒業まで残り約1カ月、毎日のように皆で歌ったことを覚えています。歌えば歌うほど、“一人も残らず幸福に”という先生の心が胸に迫ってきました」
 高橋さんは、創大3年次に交換留学で南アフリカへ。将来は海外への雄飛を志していたが、帰国後に心身のバランスを崩してしまう。思うように体が動かず、次第に大学へも行けなくなった。
 “もう卒業は無理かもしれない……”
 何もかも投げ出しそうになっていた時、「幸福の乙女」を共に歌ってきた学園時代の友人たちが家を訪ねてくれた。
 家族の支えもあり、少しずつ明るさを取り戻していった高橋さんは、7年かけて大学を卒業。就職までは、そこからさらに1年以上を要したが、社会人としての歩みを開始する。
 職場では、誠実な勤務態度で地道に信頼を拡大。向上心と人柄を買われ、世界的な外資系広告代理店に転職を果たすことができた。
 現在は、コピーライターとして奮闘する。本が好きで、“いつか言葉で希望を送れる人に”と願ってきた通りの仕事だった。
 働き始めた当初は、挫折を経験した自身の過去に劣等感を抱いていた。しかし今では、“悩み抜いてきた自分だからこそ紡げる言葉がある”と、全ての仕事に深い使命を感じている。本年、チームで手掛けたポスターが国際的な賞を受けた。
 「先生は常々、“苦難に負けない人生こそ幸福なんだ”と教えてくださいました。月日がたつほど、その言葉の意味を深く実感します」と、高橋さんは振り返る。
 「幸福の乙女」の歌詞には、こうある。
 
 〽青空を見上げて
      歩みゆけ
  創価の絆で
      いつの日も
  生命の庭の
      わが娘よ
  永遠に光れや
      誇らかに
 
 学園で結ばれた“勝利の絆”は、強く、明るく、卒業生の心を照らし続けている。
 (月1回の掲載予定)
 ご感想をお寄せください news-kikaku@seikyo-np.jp


◆信仰体験 〈ライフウオッチ 人生100年時代の幸福論〉アラフォー世代の生き方
 のし上がれるか!――失業した男のプライド

 土木とネイル――畑違いの仕事を手掛ける経営者がいる。埼玉県所沢市の藤本寛明さん(38)=男子部副本部長。
 幼い頃から、何をやっても「悔しい役回り」だった。勉強ができない。バイトも続かない。「学歴の壁」に立ちすくんだ。
 高校を卒業後、建設会社に就職。ようやく見つけた自分の居場所。だが、11年後に倒産。再就職か、それとも独立か。人生の岐路に立たされた時、心を突き動かしたのは――。

 「頼むから高校だけは出てくれよ」。父がそう言うから、渋々、定時制の高校に入った。授業を抜け、遊びほうける。留年して、なんとか卒業した。
 「できのいいヤツら」は、真新しいスーツに身を包み、「ホワイトカラー」の仲間入り。まぶしく映る同世代を横目に、求人情報誌を開いた。「日当1万円」の文字に目が留まる。道路や外構の工事をする建設会社。ニッカーボッカーをはいて、現場に出た――。
 働くことは大嫌いだった。高校時代、バイトをしても素行が悪く、いつもクビになった。
 だが、この会社は違った。親分肌の社長にかわいがってもらった。「社長のためなら」と懸命に働き、夜は豪快に遊ぶ。
 疲れて家に帰ると、題目の声が聞こえた。父も母も創価学会員。祈る両親を白い目で見ていた。“宗教なんて、弱いヤツがやるもの”。男子部の人が来ても、怒鳴って追い返した。
 転機は急に訪れた。仕事を始めて3年がたった頃、父に大腸がんが見つかり、「余命半年」と宣告された。
 どんなに強がっても不安が消えない。生まれて初めて、何かにすがりたいと思った。 
 祈る父の姿を思い出した。
 “信心を継ぐことが、親父への親孝行かもな……”。御本尊の前で手を合わせた。
 父は亡くなる直前、子どもの頃のように、優しく頭をなでてくれた。
 “親父の分まで”と祈りながら懸命に働き、結婚。長男が生まれる。仕事では経理や営業も任されるようになった。
 だが、2010年(平成22年)、状況が一変した。
 リーマン・ショックの余波に加え、当時の民主党政権が打ち出した「コンクリートから人へ」の政策で、公共事業が減り、建設会社がバタバタ倒産。藤本さんの勤務先も火の車になった。
 体も悲鳴を上げた。全身の異様なむくみ。ネフローゼ症候群だった。腎機能の低下、合併症を引き起こすリスクがあり、即日入院となった。
 当時、妻・香織さん(43)=白ゆり長=のおなかには2人目の子がいた。仕事に出たいとあせる。退院には2カ月かかった。
 治療で症状は封じ込めたが、会社の経営は土俵際。復帰後3カ月間は給料が出ず、努力のかいなく倒産した。
 「うちに来い」と声を掛けてくれる先輩もいた。再就職すれば、安定した暮らしが待っているかもしれない。
 だが、どうしても踏ん切りがつかなかった。
 雇われ人として生きてきた11年間。上からも下からも文句を言われ、サービス残業で地をはうように働いても、ホワイトカラーの方が高収入。会社のためと我慢した日々さえ否定された気がした。
 “学歴のない俺にも、できるということを証明したい。のし上がってやる”
 出した答えは、株式会社フジ建設の「起業」。一世一代の大勝負に出た。
 周囲の同業者は、こぞって反対した。
 背中を押してくれる人がいた。経営者である学会の壮年部員。「一度決めたんなら腹を据えて、とことんやってみろ」。妻も「もう落ちる所はない。悔いのないように」と笑顔で応援してくれた。
 かつて、池田先生は「後悔しない生き方」の大切さを語りながら、初代会長・牧口先生の言葉を紹介している。
 「人間であるから、時には失敗したり、間違ったりすることもあるだろう。その時は、反省すればよい。反省しなければ、前進はありえない。それが、最近、世の中を見ると、『反省とは“後ろ向きの教え”だから、してもしょうがない』という人がいる。しかし、反省と後悔は違う。それを混同している人が多い。後悔をしても、しょうがない。反省して前進していくのだ」
 やはり現実は厳しかった。銀行の融資は受けられず、義母から材料費と人件費を借りた。飛び込み営業に出ても、すぐに「受注」とはいかない。
 心の中で題目を唱え続けた。
 手を差し伸べてくれる人が現れた。「うちの会社の仕事を任せてもいいか?」。電話の主は、かつての会社で仕事を共にした現場監督。藤本さんが真面目に働く姿を、じっと見ていてくれたのだった――。

 もうすぐ、起業から10年がたつ。
 これまで経営は右肩上がり。あの時、背中を押してくれた経営者の壮年部員は、今でも時折、職場に来て、励ましてくれる。「年商目標を明確に」。壮年の助言もあり、念願だった大台の目標を突破した。
 昨秋、妻の勧めで、空き店舗を自分で改装し、ネイルカフェの店を開いた。
 ネイル、まつげエクステができて、コーヒーは300円で飲み放題。市内でも屈指の人気店となり、こちらの経営も上々。
 だが、藤本さんに安堵の顔はない。「右肩上がりというのは、安定してない証拠。芸人に例えると“一発屋”ですよ。うちの会社は、まだまだこれから」
 雇われ時代の経験を生かし、働きやすい環境をつくりたいと、時間をこじ開けて建設の現場に足を運び、従業員と汗を流す。
 ネイリストの話にも耳を傾け、雑用も「喜んで!」と率先する。
 若い女性にまじって、ネイルの資格試験にも挑戦。「おじさんネイリスト」は恥ずかしかったが、見事初級に合格した。
 経営者・藤本寛明は勝負する。のし上がれるか! これからが正念場だ。


◆第96回 箱根駅伝 観戦ガイド 優勝争い、山上り、シード権――気になる情報を解説
 2020年1月2日、3日午前8時スタート(日本テレビ系午前7時

第95回箱根駅伝で、一斉にスタートする各校の1区ランナー

第95回箱根駅伝で、一斉にスタートする各校の1区ランナー

 令和初の「箱根路」を駆ける箱根駅伝(第96回東京箱根間往復大学駅伝競走)が、来年1月2、3日に行われる。第1回大会から100周年の節目を迎えた今大会をさらに楽しむため、優勝争いや観戦のポイントなどを紹介する。

東海大中心「戦国駅伝」
 群雄割拠の「戦国駅伝」を制するのはどの大学か。各大学の戦力が拮抗する中で、今大会は東海大を軸にした「5強」による優勝争いが展開されそうだ。
 東海大は“黄金世代”と呼ばれる強力な4年生数人をケガなどで欠きながら、11月の全日本大学駅伝を制覇した。目まぐるしくトップが入れ替わる展開だったがアンカー勝負で決着。前回の優勝メンバーから7人がエントリーするなど、厚い選手層を武器に総合2連覇を狙う。
 「打倒・東海」を目指し、往路で飛び出しを狙うのは東洋大だ。2年連続で区間賞を獲得している得意の1区から、抜群の安定感を誇る「学生最強ランナー」相沢につなぎ、前半から大量リードを狙う。8区で東海大に逆転された前回の雪辱を果たしたい。
 全日本2位の青学大も総合力で引けを取らない。原監督は「『やっぱり青山は強かった』と言われる走りを」と、巻き返しを誓っている。強豪・駒大は10月の出雲大学駅伝で2位に入り、続く全日本でも3位と安定した実力を発揮。出雲の覇者・国学院大には初優勝の期待がかかる。
 予選会をトップ通過し「台風の目」になると予想されるのは東京国際大。全日本でも4位に入り、初のシード権獲得だけでなく優勝争いにも食い込む勢いがある。予選会9位通過ながら、全日本で6位に入った早大や、復路に強い帝京大など、箱根常連校も虎視眈々と上位をうかがう。創価大は5区、6区で順位を上げられれば面白い展開に持ち込めるだろう。26年ぶり出場の筑波大は、どこまで食らい付けるか。
 各大学16人のエントリーでは、エース級の選手が外れた大学もあった。あす発表される区間エントリーは、当日朝に4人まで変更が可能。レース直前まで「ベストの10人」をそろえるための調整が続けられる。

スーパースターは誰だ
 マラソン日本記録保持者の大迫傑(ナイキ)や、マラソン東京五輪代表に内定している中村匠吾(富士通)、服部勇馬(トヨタ自動車)は、箱根駅伝での活躍を足掛かりに才能を開花させた。箱根から世界へ――将来のスーパースター候補にも注目したい。
 東洋大の相沢は今季、出雲、全日本と走るたびに区間記録を更新。全日本では27分台で10キロを通過する驚異的な走りで10人抜きを達成するなど、同世代では一歩抜きん出た存在だ。
 相沢に対抗できる選手は、1万メートルでトップの記録を持つムイル(創価大)をはじめとした留学生か。駒大のスーパールーキー田沢、東京国際大の伊藤ら、各大学のエースと競り合うことで「花の2区」日本人最高記録の更新にも期待がかかる。
 日本選手権で優勝経験がある東海大の阪口、館沢や、ユニバーシアードのハーフマラソンで銀メダルを獲得した中村(駒大)ら実力者がどの区間を走るのか、各大学が取る戦略も興味深い。
 また、山上りの5区にもタレントがそろう。前回は、東海大の西田が区間記録を塗り替えた数分後に、国学院大の浦野がその記録を上回るタイムでゴール。実力者の青木(法大)も黙っていない。この3人を中心に、文字通りデッドヒートが繰り広げられるだろう。初挑戦の築舘(創価大)も、山上りを得意とする選手の一人。怖い物知らずの走りで箱根路を盛り上げられるか。

レースを楽しむポイント
 激しく入れ替わる順位も見どころの一つ。絶妙な区間配置が選手の実力を引き出し、予想外の結果につながることもある。
 1区は例年、団子状態で進み、ラストのスパート合戦になることが多い。しかし、留学生など強い選手が後続から大量リードを奪う展開になれば、2区以降の選手はレースプラン変更を余儀なくされる。かつては「つなぎ区間」と呼ばれた3、4区にも各大学が有力ランナーを配置するなど、近年は往路が重要視される傾向にある。
 復路は徐々に上昇する気温が選手たちを苦しめる。体調管理のため、気象予報会社と契約して対策を講じる大学もあるほど。特に6区は、下り坂による体へのダメージに加え、路面凍結や強風が選手たちを襲う。
 7区以降は優勝争いだけでなく、10位以内に与えられるシード権争いが激化する。中でも8区は中盤以降、だらだらと上り坂が続くため、一気にペースダウンする選手も多い。復路に準エース級の選手が控えていれば、終盤での劇的な逆転もあり得るだろう。思わぬ伏兵の活躍で、順位を上げる大学もあり、ゴールまで目が離せない。
 また、運営管理車から声をからしてゲキを飛ばすのも指導者の役割だ。「よく頑張った!」「4年間ありがとう!」という掛け声に、応援する側が胸を熱くすることも。
 決められた給水ポイントでは、選手に並走してドリンクを手渡すことができる。控え選手にハッパをかけられ、ギアを切り替えるランナーも多い。投てきや競歩などの選手が給水を手伝う光景は、大学駅伝ならでは。
 トップと下位チームに大差が付くと「繰り上げスタート」が実施される。復路では先頭が中継所を通過してから20分過ぎると、次の選手が出発しなければならない(往路は鶴見・戸塚中継所が10分、平塚・小田原中継所が15分)。タスキをつなごうと力を振り絞る選手と沿道の大声援は、新春を彩る風物詩だ。

2019年12月27日 (金)

2019年12月27日(金)の聖教

2019年12月27日(金)の聖教

◆わが友に贈る

 本紙を支えてくださる
 全ての方に心から感謝。
 誇り高き「無冠」の友に
 栄光と福徳は燦然!
 健康と安全第一で!

◆名字の言  「功徳」とは、どういう意味でしょう?

 “対話の名手”と仰がれた釈尊には、一言も発せず、自らの姿だけで相手を説得したという逸話がある▼釈尊を侮っていた人々がある時、こう示し合わせた。“彼が来ても、あいさつしてはならない。立って迎える必要もない”。だが釈尊の姿を目にした瞬間、皆が思わず立ち上がり、教えを請うたという▼“超人的な力”と思いがちだが、決してそうではない。仏教学者の中村元氏は、釈尊の教化を「広々としたおちついた態度をもって異端をさえも包容してしまう」と表現した(『釈尊の生涯』平凡社)。釈尊の人格の深みから生まれる表情や振る舞いが、相手の心を動かしたのだろう▼対話は議論とは違う。互いに心を開き、理解し合うことが目的である。話の中身も大事だが、誰もが話し掛けやすい雰囲気、何かを聞いてみたいと思わせる人柄こそ、豊かな語らいをもたらす力といえよう。仏教で言う「功徳」とは、サンスクリットの「グナ」が音訳された言葉であり、“すばらしい性質”との意味。すなわち「人徳」を指している▼日蓮大聖人は「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(御書1174ページ)と。信行学を真面目に貫いた人の確信と慈愛は、振る舞いで伝わる。“人格こそ雄弁なり”と心得たい。(之)
 
◆寸鉄

皆が人材との確信が必要
―恩師。一人ももれなく
幸福に!激励を絶やさず
     ◇
「知恩をもて最とし報恩
をもて前とす」御書。師弟
の道こそ人生最極の軌道
     ◇
生命を千倍生きよ―楽聖
無量の「心の財」を積み
ゆく信心だ。勇敢に貫け
     ◇
帰省の時期。長距離運転
は無理なく。無事故第一
の余裕ある計画・行動で
     ◇
空気の乾燥続く。建物周
辺に可燃物を置かない等
入念な点検で火災予防を

◆社説 韓日青年友好研修会を開催 未来志向の日韓関係へ

 24日、およそ1年3カ月ぶりに、中国・成都で、日韓首脳会談が開かれた。困難な状態が続く両国関係の改善へ、糸口を探る今回の会談。課題は残るものの、両国のトップが顔を合わせ、率直な意見を交わし、対話による解決を確認し合った姿勢をまずは歓迎したい。
 いかなる情勢にあろうとも、日韓の創価の青年が友情を深め、万代にわたる友好を築く――今月中旬と下旬に、2次にわたって計100人の日本の青年部が、韓国・済州島の済州韓日友好研修センターを訪れ、実施された第1回「韓日青年友好研修会」には、日韓青年部の熱き誓いが込められていた。
 両国の未来部担当者、男女青年部の人材グループの代表が集い、行われた研修会は、少人数での語らいに多くの時間があてられた。
 「“学会2世”“学会3世”の友が信心を継承するには」「人生の指針としている池田先生の指導は何か」等、テーマは多岐にわたり、懇談会場は、一人一人が使命を担う地の、さらなる広布伸展のために、互いの国から学び合おうとの熱気に満ちあふれた。また、「世界広布における韓日青年部の役割」との議題で議論を交わすグループもあり、両国関係の現況にも語らいは及んだ。
 予定されていた時間では話は尽きず、食事中に語り合ったり、センター内の各所で夜遅くまで対話したりする友の姿があった。
 「恨む存在ではなく、偉大な師に連なる同志なのだと心から実感した」――交流に当たり、両国の未来を見つめ直したという韓国女子部の友は、修了式で、ありのままの思いを口にした。また、「政治、経済の枠ではなく、個人と個人のつながりにこそ本当の韓日関係はある」と語った韓国男子部の友もいた。どの青年の胸にも、師が開いた日韓友好の道を盤石にし、永遠ならしめんとする
決意がみなぎっていた。
 池田先生は昨年、両国の若人へ贈ったメッセージの中で「韓日青年部が深め強めゆく友情の絆は、大いなる希望の未来を照らしゆく光源となる」とつづった。
 御聖訓に「百千万年くらき所にも燈を入れぬればあかくなる」(御書1403ページ)と仰せのように、どんなに長く続く闇も、ひとたび光がともれば消えていく。両国青年部が徹底して語り合った第1回の友好研修会は、日韓の未来を明るく照らす光源になるに違いない。
 師の思いをいかに具現化していくか。どんな困難も、ものともせず、師の心のままに、未来を切り開く創価の青年の挑戦から、日韓友好の新たな歴史が築かれることを信じたい。

◆きょうの発心 四条金吾殿御返事 兵庫・長田総区副総合長 中村明彦 2019年12月27日

御文 真実一切衆生・色心の留難を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり(四条金吾殿御返事、1170ページ・編1031ページ)
通解 真実、一切衆生の色心の留難をとどめる秘術は、ただ南無妙法蓮華経である。信心を根本に苦難を勝ち越える

 あらゆる難を打ち破る「秘術」は一念三千の南無妙法蓮華経であると仰せです。
 私は、小児マヒによる身体障がいを抱えていましたが、“息子が歩けるように”と唱題を重ね、学会活動に励む母の姿を見て育ちました。やがて私は健康になり、生き生きと活動に励むようになりました。1971年(昭和46年)4月、創価大学に1期生として入学。在学中、創立者・池田先生からいただいた「人生の合格者に」との指針は、生涯忘れ得ぬ原点となっています。
 卒業後、兵庫で広布に励んでいた折、阪神・淡路大震災に遭いました。9カ月後に開催された「21世紀兵庫希望総会」において、池田先生は、この御文を拝して「題目で乗り越えられない難はない」とスピーチ。この言葉を胸に、震災の試練を勝ち越えることができました。
 本年3月、学会一筋に最後まで信心を貫いて霊山へと旅立った母の志を受け継ぎ、広布に生き抜こうとさらに深く決意しています。
 明年は、先生が2000年2月29日に長田文化会館を訪問されてから20周年。今再び師弟共戦を誓い、弘教に、人材拡大に挑戦してまいります。


【聖教ニュース】

◆フィリピン・国立中央ミンダナオ大学が決定 池田先生に「名誉教育経営学博士号」

地域社会と世界を担い立つ人材を輩出してきたフィリピン・中央ミンダナオ大学のキャンパス※学長の写真は大学のホームページ、キャンパスの写真は大学公式のフェイスブックから

地域社会と世界を担い立つ人材を輩出してきたフィリピン・中央ミンダナオ大学のキャンパス※学長の写真は大学のホームページ、キャンパスの写真は大学公式のフェイスブックから

 フィリピンの国立大学である中央ミンダナオ大学から、池田大作先生に「名誉教育経営学博士号」が授与されることが決定した。
 教育を通して、世界平和の促進に多大な貢献を果たした功績をたたえるもの。このほどヘスス・アントニオ・デリヘ学長から、決定通知書が届いた。
「人類社会への貢献において模範的な人物」決定通知書
 ルソン島に次いで、同国第2の大きさを誇るミンダナオ島。中央ミンダナオ大学は、島中部のブキドノン州にキャンパスを置く名門学府として、発展を遂げている。
 1910年に創設された農業系の学校として歴史を重ね、65年、現在の総合大学に。社会的・文化的背景の相違を尊重すること、環境意識を育むこと、最先端の知識を探究すること――などを教育理念に掲げる。

 同大学は長年にわたり、社会の発展に寄与する有為の人材を輩出してきた。フィリピン大統領府の高等教育委員会からは、特に農業、科学、数学等の分野の業績が高く評価されている。
 今回、同大学から送られた池田先生への決定通知書には、次のように記されている。
 「本学のビジョンとミッション(使命)と一致した“人類社会への貢献において模範的な人物”を、私どもはこれまで、正当に評価してきました」
 「教育を通して、世界平和を促進してこられた貴殿の活動をたたえ、『名誉教育経営学博士号』を授与することを、謹んで通知申し上げます」

◆創価大学の学生訪中団が北京、天津を訪問 中日青少年交流大会へ

創価大学、創価女子短大の学生訪中団が中国の学生をはじめ、中日友好協会、天津市人民対外友好協会の職員らと記念のカメラに(南開大学で)

創価大学、創価女子短大の学生訪中団が中国の学生をはじめ、中日友好協会、天津市人民対外友好協会の職員らと記念のカメラに(南開大学で)

 創価大学、創価女子短期大学の学生訪中団(秋谷芳英団長)の約100人が20日から24日まで、中日友好協会の招へいで北京と天津を訪れた。
 一行は20日午後、北京に到着。空港で中日友好協会の王占起副秘書長らの歓迎を受け、市内を視察した。
 21日正午(現地時間)からは天津市の天津外国語大学で学生らと交流。陳法春学長は、創大創立者の池田先生が中日友好に果たしてきた貢献に触れながら、両校の交流の深化に期待を述べた。
 同日午後3時(同)には「周恩来鄧穎超記念館」を訪問。王起宝館長の案内で、周総理らにゆかりの文物を観賞した。
 午後6時(同)からは、天津市人民対外友好協会主催の歓迎会に出席。両国の学生によるパフォーマンスでは、創価アカペラバンドが歌を披露したほか、団員全員で「桜花縁」を合唱した。
 22日午前は、周総理の母校・南開大学を訪問。「周恩来・池田大作研究会」の学生らによる案内で校内を見学した後、周恩来鄧穎超記念館情報資料部の姜?鴻主任、南開大学の紀亜光教授の講演を聴講した。
 姜主任は、周総理が中日関係改善のために民間交流を重視し、とりわけ池田先生を高く評価していたと紹介。それは国交正常化の過程に見て取れるとし、いかなる困難があっても先人たちの努力で築かれた友好の道を共に歩もうと呼び掛けた。
 紀教授は、周総理と池田先生が深い友情を結ぶことができた理由を考察。世界平和という大きな目的観に立った点、難局を乗り越えようと知恵を絞った点、青年を信じ、次代に友好を託そうとした点を挙げた。

 さらに一行は23日午後、人民大会堂で開催された中日青少年友好交流大会に出席した。
 ここでは、中国人民対外友好協会の李小林会長らがあいさつし、参加団体がパフォーマンスを披露。創大からは、パイオニア吹奏楽団などが「桜花縁」を奏でた。
 訪中団は24日、元気に帰国した。

【特集記事・信仰体験など】

◆〈新・人間革命と私〉心に刻む珠玉の言葉 社会本部女性部長 田代正子さん

 伸一は、未来を展望する時、女性の社会進出は、とどめることのできない時代の趨勢であろうと思った。
 日本にとっても、社会のあらゆる分野で女性の能力を生かしていくことは、極めて重要なテーマとなる。 <第28巻「革心」の章>

時代背景
 日本と中国が平和友好条約を締結した翌月の1978年(昭和53年)9月、山本伸一は第4次訪中へ。文化大革命が終わり、新しい歩みを開始した中国には、喜々として働く若い女性の姿があふれていた。この滞在中、伸一は周恩来総理夫人・鄧穎超と初めて会見。日本での再会を約すとともに、周総理との信義に生き抜くことを強く誓う。

皆が混迷の世を照らす太陽
 どこまでも信義と誠実を貫く。この池田先生の闘争が今日の日中友好の歴史を開いたことは、言うまでもありません。そうした先生のお心が凝縮された「革心」の章には、「金の橋」を強固にすべく、山本伸一が目の前の一人と心を通わせる姿などが描かれています。
 周恩来総理の夫人である鄧穎超氏と語らう場面では、多くの人に慕われる夫人の、人を包み込む温かさや明るさ、新中国建設に身を投じ、戦い続ける中で磨き抜かれた人格を通して「人間の真実の美しさとは、魂の美である」と記されています。この言葉は社会で信頼を広げる社会本部の女性メンバーと重なるように思えてなりません。
 社会部と専門部からなる社会本部の友は、責任ある仕事を担いながら家事に奮闘し、学会活動にも率先して走っています。その尊い姿に、いつも信心を学んでいます。
 また営業成績などを比べられ、人間関係がぎくしゃくする環境にあっても心を通わせる対話に挑む友や、勤める会社が経営不振となる中で「会社に福運がつくように」と題目に挑戦する友など、困難を打開しようとする一人一人の姿は、“混迷の世を照らす太陽”と輝いていると確信します。

真心の励ましを
 先生は、本章で「社会のあらゆる分野で女性の能力を生かしていくことは、極めて重要」とつづられていますが、その先頭に立って女性の世紀を切り開いているのが、社会本部の女性メンバーです。一人一人が使命の舞台で“桜梅桃李の勝利劇”をつづれるよう、励ましを送りたいと決意しています。
 私には忘れ得ぬ励ましの原点があります。それは31年前に夫が大病を患った時のこと。地域の同志が「あなたは一人じゃないからね」と寄り添ってくださり、池田先生・奥さまからも激励に次ぐ激励をいただきました。
 その中で、夫は見事に回復。励ましの力が、どれほど大きな勇気と希望となるかを身をもって教えていただきました。
 世界一の師匠と共に歩める喜びを胸に、真心の励ましに徹し、社会本部の同志と師弟共戦の歴史を築いてまいります。

◆〈扉をひらく 池田先生の対話録Ⅲ〉第5回 国際宗教社会学会元会長 カール・ドブラーレ博士 2019年12月27日
 人間を結び、善なる力を集める。  それが生きた宗教、本物の宗教

ドブラーレ博士は長年研究してきたSGIの運動を巡り、たびたび講演を重ねてきた(写真は2005年3月に東京・新宿区内で行われた東洋哲学研究所主催の特別公開講演会)。非仏教的背景をもつ社会にも運動が広がる理由の一つに、博士は「社会科学に対する開放性」を挙げている2月、東京・信濃町の聖教新聞本社で)。後に博士は“生き生きとした対談だった”と振り返っている

 今からちょうど35年前となる、1984年の師走。
 都内で開かれた座談会会場の片隅に、会合の様子を鋭く見つめる西欧人の男性がいた。
 当時、国際宗教社会学会の会長を務めていた宗教社会学の世界的権威カール・ドブラーレ博士。
 体験・研究発表、幹部指導といった内容一つ一つを、克明にメモに書き留めている。会合が終わると、今度は、矢継ぎ早に質問を投げ掛けた。
 「皆さんの入会動機は何ですか?」
 「具体的に何を祈るのですか?」
 「1週間の活動時間は?」
 博士はベルギーで生まれ育った。名門ルーベン大学に進学後、ヨーロッパ社会で衰退しつつあった伝統宗教について研究を重ねてきた。やがて博士の関心は、アメリカやアジア、アフリカなど、世界の宗教へ。日本で大きな社会的影響力を持つ創価学会に注目するようになった。
 初来日を果たしたのは84年10月。以来、学会の各種会合や関連施設を精力的に訪ねては、会員の話に耳を傾け、「生きた教団」の原動力を探っていたのである。
                          ◇ 
 常に厳格な態度を崩さないドブラーレ博士だが、池田先生との初会見の席上、その意外な一面が見えた。
 会見が行われたのは同年12月22日、東京・信濃町の聖教新聞本社。博士が日本での研究日程の一切を終えたタイミングだった。
 科学一般に通じる“客観性”が話題となった時だった。
 先生は、人間の理性的な営為も、その底流にある意識が善意か悪意かにより、物事は生かされもするし、害されもする――すなわち、科学は人間の意識の影響を避けられないと主張した。
 深くうなずきながら、耳を傾けている博士。
 さらに、個人として揺るがぬ信仰を持つ一方、研究対象となる他の宗教には私見を挟まず、客観に徹することで知られる博士が、来日以来の研究の日々を、こう総括した。
 「信仰の確信に満ち、生き生きと活動するメンバーの姿に深い感銘を受けました」
 会見は2時間半に及んだ。二人の対談は、科学が発展するにつれ、宗教の重要性は高まること、宗教と社会、平和は密接かつ不可分の関係にあることで一致を見た。
 会見後、離日する博士は、やがて学会が世界的に発展し、広く人類に寄与する日が到来することへの期待を漏らしていた。「日本で過ごした1984年の最後の3カ月は、その年の最もすばらしい一時であり、生涯においても特筆に値するものであった」
                             ◇ 
 博士は、来日中に行った学会のリーダーとのてい談で、学会の原動力を、こう分析していた。「池田先生を中心とした人間味あふれる素晴らしいリーダーシップの関係がある」
 しかし、その一方で、「学会がリーダーシップをとって、平和実現のために他の力とも手を取り合える日が来ることを願っています。努力して、より大きな平和勢力とならなければ平和はなかなか達成されないものです」と、率直な意見も寄せていた。
 当時は、SGIの発足から10年がたとうとしていた頃。仏法の人間主義を基調とした平和・文化・教育にわたる運動は、世界的な広がりを見せていた。
 しかし、その社会に開かれた運動を妨げる“足かせ”があった。形式・儀式にとらわれた宗門の存在である。
 学会の運動は、宗門を外護する在家信徒の立場を理由に、他団体との協力などにおいて、さまざまな制約を受けていたのである。
 博士は、地域や社会に根差す信徒と僧侶との関係について、「緊張関係が生じやすい」と推測していた。
 やがて、それが表面化することになる。91年11月、宗門は学会に一方的に「破門通告書」を送付したのである。
 しかし、宗門との決別は、学会が、いよいよ世界宗教への飛翔を力強く開始するきっかけとなった。
 「博士のご期待通り、伸び伸びと平和のために行動できる時代が来ました」――池田先生の声が、東京牧口記念会館(八王子市)に響いた。
 96年1月9日。二人が再会したこの日は、博士の妻リリアン・ボワイエ博士
(当時、国際宗教社会学会会長。ルーベン大学教授)の誕生日。先生ご夫妻から花束が贈られた。
 ドブラーレ博士は後に振り返っている。「SGI会長夫妻の温かなお人柄は、素晴らしい思い出として私たち夫婦の心にいつまでも残っています」
 明るさに包まれた会見。その半面、学会を取り巻く日本社会の状況は、依然、厳しかった。学会は宗門の鉄鎖を断ち切ったものの、今度は、宗教に対する統制を強めようとする政治的な動きが出ていた。学会員もまた、卑劣なデマ・中傷にさらされていた。
 だが、博士は毅然としていた。「私には、今、日本で行われている議論が、どうしても理解できません」「『信教の自由』を脅かすものとして、大変に危惧しています。『信教の自由』を守るため、私たちも創価学会の皆さまと、ともに戦いたいと思います」
 その後、学会は、日本における誹謗中傷を悠々と見下ろしながら、世界192カ国・地域でメンバーが活躍する団体として発展した。
 一方、博士も、そんな学会に注目し続けた。たびたび、妻のボワイエ博士と共に、世界中のSGIの施設を訪問しては、学会員と交流した。
 イギリスのメンバーへの大規模調査の結果を掲載した本の一つ、『創価学会――在家運動が宗教になる』を出版した後の99年12月、博士は都内で講演。池田先生の功績として①学会の運動を海外にまで広げ、「普遍化」「グローバル化」していったこと、②その運動を基盤に学校や文化団体などのさまざまな社会的機関を構築していったこと、の2点を挙げている。
 「本物の宗教とは、人と人とを結びつけるものです」――これは、博士が初めて参加した学会の座談会で力説していた言葉である。創立90周年を迎える「本物の宗教」のさらなる発展を、博士はじっと見守っている。
 カール・ドブラーレ 1933年、ベルギー生まれ。ルーベン大学(15世紀に創設された、現存する世界最古のカトリック系大学)に学んだ後、アメリカ・カリフォルニア大学バークレー校に留学。66年に「カトリシズムの社会学的研究」と題する論文で母校から博士号を取得。以来、ルーベン大学で教壇に立ち、社会科学部長、社会学科長を歴任。83年から91年まで国際宗教社会学会会長を務める。93年にはベルギー王立科学・文学・芸術アカデミー会員に選出される。欧米を代表する宗教社会学者。

●引用・参考文献
 カーレル・ドベラーレ著『宗教のダイナミックス――世俗化の宗教社会学』ヤン・スィンゲドー/石井研士訳・ヨルダン社、ブライアン・ウィルソン/カレル・ドベラーレ著『タイム・トゥ・チャント――イギリス創価学会の社会学的考察』中野毅訳・紀伊國屋書店、カール・ドブラーレ著『創価学会――在家運動が宗教になる』エッレディチ社。
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◆〈信仰体験〉with あなたと一緒に #在日コリアン 4世の揺らいだアイデンティティー

揺れる日韓関係――。連載「with」では、両国のはざまで生きる在日コリアンの方を取材し、互いを理解する意味を考えます。今回は、在日コリアン4世として日本に生まれ、自分のアイデンティティーを見つめてきた、李瑛さん(36)を紹介します。
  
 「どうして、そんなに日本語が上手なの?」
 転校先の隣町の中学校で、同級生が聞いてきた。和歌山の田舎町で「李瑛」の名で育ったが、いじめられたことも、差別されたこともなかった。
 同級生もバカにしたわけではない。ただ、不思議そうに尋ねる彼に、どう答えていいのか戸惑った。
 父も母も在日コリアン。自分には韓国の血が流れている。けれど、日本で生まれ、韓国語は話せない。
 日本人なのか、韓国人なのか。自分が何者か、分からない。アイデンティティーがぐらぐらと揺らいだ。
 関西創価高校に入学した1999年(平成11年)5月、創立者・池田先生との記念撮影会に臨んだ。先生は、韓国・済州
チェジュ
島から大阪に帰国したばかりだった。
 「韓国は、大切な大切な『文化の大恩人の国』であり、『師匠の国』です」
  
 先生の言葉に衝撃を受けた。自分を真正面から認めてもらったように感じた。
 学園時代は、韓国から賓客が来るたびに歓迎を。自身の中に「韓国」のアイデンティティーが強く育っていった。
 2004年、鳥取大学の医学部に進学。県内に住む母方の祖父母の家に下宿した。
 祖父が亡くなった後、日本語の読み書きが苦手な祖母のために、書類の手続きなどを手伝うように。二人の時間が増え、ふと、祖母の人生が知りたくなった。

 ――1926年(大正15年)、朝鮮半島の慶尚北道プクトで生まれた祖母。貧しく苦しい生活だったため、日本へ行くことには、「都会に出るような憧れがあった」という。17歳で日本へ渡った。
 しかし、日本の生活はさらに貧しく、差別も根強かった。日本名を名乗り、朝鮮人であることを隠すために、和服を着た。言葉が通じず、最初は苦労した。戦後、祖父が鳥取で理容店を始めたが、家計は火の車。
 何度も、母国を思った。けれど、半島は二つに分断され、動乱の渦中にあった。
 その後、1959年(昭和34年)、近所の創価学会員に折伏され、入会する。
 「池田先生のおかげで、人生が変わったんよ」
 語り尽くせぬ苦労が、自分の今につながっている。祖母の人生を知るにつれ、「在日コリアン」としての誇りが強まった。
 大学を卒業後、沖縄本島と宮古島の病院で働いた。沖縄の人たちは多様だった。ウチナーンチュ(沖縄人)がいれば、内地(本土)の人もいる。さらにアメリカ人やフィリピン人も。
 自分は“在日”というものに固執しすぎなのかもしれない。「国籍なんて関係ない。違いがあって、それがいいんだって思えた」

 臓器別専門医ではなく、家庭医の道に進んだ。家庭医は身体の疾患だけでなく、患者の精神面や生活状況、家庭環境まで見つめて、総合的な診療を行う。
 膨大な勉強量に、診療を担当する責任。
 重圧に押しつぶされそうになるたびに、真剣に唱題し、目の前の患者に寄り添おうと決めた。そうして患者の背景を知ると、ルーツを持つ意味を深く感じるようになった。
 本島の病院で、入院中の老婦人を担当した。元気がなく、食欲もなかったが、彼女の故郷である離島の旅行誌を見せると、様子が一変。島での暮らしを楽しそうに語り始め、その後、体調も快方へ向かった。
 「患者さんのバックグラウンド(背景)に思いをはせ、一人一人の“人生を丸ごと診る”。ルーツにこだわってきた自分らしい仕事だなって」

 昨年、鳥取県に戻り、日野町の病院に勤務する。
 患者が生きてきた環境や経験してきたことは、一人として同じではない。病状もそれぞれ異なる。
 目の前の一人。その後ろに広がる人生まで見つめると、いろんなものが分かち合える。
 「僕にとっては学会活動も、その実践なんです」。仕事が多忙な中でも懸命に活動に取り組んできた。
 妻・聖ミナ美さんも在日4世。5世の長女には「美陽」と名付けた。
 国籍は今も韓国のまま。固執しているわけではない。ただ、「在日コリアン」というルーツと、自分につながる、祖父母や父母が生きてきた人生を大切にしたい。
 アイデンティティーが揺らいだからこそ、ルーツを掘り下げた。
 その先で学んだ、違いを尊重し合って心を結ぶ生き方。「それって、人と人だけでなく、国と国にも通じるものだと思うんです」
  
◆〈ライフスタイル〉 コンプレックスを手放して オンリーワンの輝きを♪
 考え方のクセを変える作業の中で、「人生まあまあ悪くない」と思えてくる。
 体重103㎏の恋愛カウンセラー 羽林由鶴さん

 ほとんどの人が、人生のどこかで何かしらコンプレックスを感じた経験があると思います。今回は、コンプレックスが膨らみ、究極のマイナス思考に陥ったものの、そこからプラス思考に転換し、人生を変えた恋愛カウンセラー・羽林由鶴さんの登場です。現在は教育現場、企業研修、就職活動のアドバイスなど多分野で活躍中。その軌跡を聞きました。

「どうせ」「いつも」「ずっと」
 羽林さんが、体形に初めてコンプレックスを感じたのは4歳の時。他の子の親に「大きくてしっかりしてるね」と言われ、母親に悪い気がした。幼稚園の身体測定後にお決まりの「一番大きい子は、ゆずちゃんです」という発表と拍手も苦痛だった。
 「今思うと皆は何の悪気もなく、きっと誰も覚えてない。でも私は4歳から35歳までずっと“太っている=ダメなこと”と思ってました」
 家庭では父親の「みっともない」「醜い」という言葉に傷ついた。思春期になりダイエットに挑戦すると摂食障害に。やせられない自分はダメ人間だと自己肯定感を失った。
 運転免許の取得を勧められたが「シートベルトが締まらないかも……」と想像し、運転したくないと言い張った。成人式は「反物は自分に合う幅が無いのでは……」と考え「興味ない」と振り袖を拒否。放送業界に憧れ、日本大学芸術学部放送学科に進んだが、就職活動の際、「きっと採用されない」と、放送業界ではなく小さな出版社を受けた。
 「あの頃は、とにかく全て“太ってるから無理”と、諦めてました。
 コンプレックスが頭から離れず、物事の本質が見えていない。例えば、カフェで隣のテーブルの女子たちがダイエットの話を始めると『私のことを見たからだ』と思い込んで席を立ってたし。
 今、私のところに相談に来る子たちもそうですが、自分に自信がないと『どうせ。いつも。ずっと』という言葉が出てくる。本当はたまたま程度の出来事が、記憶の中でデフォルメされるんです」
 好きな人とデートできても、「私なんかより、本当はもっとかわいい子がいいんでしょ」と、自分から嫌われるようなことを言ってしまう。
 しかし、ホームステイ先のアメリカで、体形を全く気にしない人々に触れて思った。国際結婚なら、ありのままの私でいいのかも――。

DV夫との離婚が自信へつながる
 帰国後、社会人となった羽林さんの前に中東出身の男性が現れた。念願の国際結婚。だが、夫は異常な暴力を振るった。円形脱毛症になるほど悩んでも「自分のせい」と思い込み、夫の言いなりに。
 しかし、この環境は息子によくない。うそをつき、夫を精神科に連れて行くと、医師は告げた。「病んでいるのは、あなたの方よ」
 その後、ストレスが重なった上、肺塞栓症で倒れ、危篤状態に。生死の境をさまよい、2カ月半の入院生活で目にしたのは、病気や死にかけた経験すら笑い話にしている周囲の患者さんたち。「太ってることなんて、大したことじゃないかも……」そう感じるようになった。
 見舞いに来た父親の「(死んでいたかもしれないから)後の人生はおまけ。お前の好きに生きろ」という言葉も、心にストンと落ちた。退院後、DVを12年間続けていた夫と離婚が成立。
 「私の人生を変えたきっかけは、入院、離婚、父の言葉。無理だと思っていた離婚ができた。やればできるじゃん!って(笑い)。
 後の人生おまけと思うと気楽になれたけど、好きに生きろの“好き”がない。長い間、元夫が暴れないよう言うことを聞いて生きてきたから、自分の好きを考えてない。だから逆に、好きじゃない生き方を考えたら、人の顔色をうかがうことだった。それから、ハッキリとモノを言えるようになりました」
 自己否定や、全てをコンプレックスに結びつける考え方のクセを変えようと意識すると、物事の本質を客観的に見つめられるようになった。誰かと比べるとき、その人丸ごとではなく、最も優れている部分だけを見ていることにも気が付いた。
 「人と比べなければ、人生まあまあ悪くないなぁって。考え方のクセは急には変えられないけど『やっぱりダメだ』が出てきたとき、気付くことが大事。あ、また思っちゃった。でも今回はすぐ気付けた、ラッキー!と繰り返すうちに、そんなことどうでもいっか、と思えてきます」

悩む10代、20代を応援したい
 悩んできた体形を変えなくても、いつも笑顔で明るい羽林さんは、ある3年間で5人の男性にプロポーズされた。再婚した夫は、東京大学出身で13歳年下。出会った頃には、こんなメールのやり取りが。
 羽林さん「すごく太ってるから、一緒にいると恥ずかしいかもしれません」
 彼「僕はとてもやせているので、恥ずかしいかもしれません」
 羽林さん「やせていて恥ずかしいとは、どういう意味ですか?」
 彼「太っていると恥ずかしいとは、どういう意味ですか?」
 こんな風に返してくる人は初めて。丁寧に「太っていると自己管理能力がないと言われ……」と説明すると「僕は管理してやせているのではありません」と。体質的に太れず、太っていることがダメだと一度も思ったことがないという。
 その後、しばらくは友人関係。理系男子で女心に疎い彼の恋愛相談に乗り、アドバイスを送っていたが、ある時「あなたの脳が好きです」と告白され、再婚を決めた。彼なりの「唯一無二の存在として好き」という表現だそうだ。
 「お互いに、最初から恋愛目的だったら選んでない。そこが人間関係の面白いところ。人間“関係”ですから、関わる中で関係性ってつくられていく。
 “結婚したい”と来る相談者には、パートナーという人はいない、パートナーは“なるもの”だと伝えます。人間関係の完成版を欲しがるけど、それだとつまらないですよ(笑い)」
 夫の勧めで、恋愛カウンセラーの道に。少子化対策で、中学校や高校から「恋愛」の授業で呼ばれたり、自治体の講演など全国を駆け回る。仕事以外にも、ボランティアで大学生の就活支援ゼミを運営している。
 「若い世代を応援したいんです。今、周りの評価を気にして、自分の感情にすら自信がない子が多い。親が……、友達が……と振り回され、自分の考えや生き方への不安が、エントリーシートにも透けて出ちゃってる。
 だからまず、自分の好きなもの、自我を大事にする訓練をします。悩む人は、優しい、真面目、良い人。より完璧を目指す頑張り屋だから」
 今年、ゼミ生の多くが第一志望の企業から内定を勝ち取った。最後に、コンプレックスに悩む若い世代へのメッセージを聞いた。
 「悪いことはずっとは続かない。あなたが思うより、未来はかなり面白いかもよ。未来は今から変えられる、と私は35歳でやっと気付いたの。だからね、今からで大丈夫。以前の自分と比べて、ちょっとした変化や勇気を見つけてね。それを『これくらい』なんて言わずに認めちゃいましょう!
 あと、案外近くに『大丈夫だよ』と信じてくれる大人がいるってことも、忘れないでね」

 はねばやし・ゆず 恋愛カウンセラー、生き方カウンセラー。1965年埼玉県生まれ。日本大学芸術学部放送学科卒業。財団法人教育研究所出版部編集部門で17年間勤務。2005年、心理カウンセラーとして独立。06年、合資会社STEP13を設立。結婚相談・学習支援・人材育成等の各種カウンセリング・講演・執筆などで活動中。著書多数。NHK「逆転人生」他テレビ番組、女性誌などメディアへの出演多数。

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 【編集】加藤瑞子 【写真】中谷伸幸 【レイアウト】豊泉健太

2019年12月26日 (木)

2019年12月26日(木)の聖教

2019年12月26日(木)の聖教

◆わが友に贈る

   職場や地域などで
 お世話になった方々に
 一年の御礼を伝えよう!
 「ありがとう」の一言が
 信頼と友情を強くする。

◆名字の言   スター・ウォーズの全作に出演した俳優が一人だけいる。

映画「スター・ウォーズ」の完結編が公開されている。この42年にわたるシリーズの全作品に出演した唯一の俳優が、アンソニー・ダニエルズ氏。C―3POというロボットを演じ続けてきた▼金色の衣装を全身に着けるので顔は見えない。撮影では高温と擦り傷に耐える日々。本格派の俳優を目指す彼にとって、実は長年好きになれない“脇役”だった▼気持ちが変わったのは数年前。映画のイベントで世界各国を回った際、観客の声援に直接触れた。「多くの人たちが愛してくれているんだと実感して、本当に魔法のような瞬間でした」▼人知れぬ苦労も、それを分かってくれる人がいれば大きな力が湧く。佐渡の日蓮大聖人のもとに夫・四条金吾を送り出した日眼女の真心について、大聖人は「大地よりも厚い」「虚空よりも高い」(御書1115ページ、通解)と。遠路を訪ねた金吾はもちろん、陰の人もまた、“広布の主役”であると称賛された▼池田先生は「本当に大切な力は、いつも陰に隠れているもの」と。本紙の配達、会合の準備や運営――。日々の“当たり前”は、陰の力に支えられている。一年の終わりに当たり、そうした尊い友に感謝を伝えたい。その心が、たたえる側にも、たたえられる側にも、喜びを生み出していく。(子)

◆寸鉄

御書「題目計りを唱うる
福計るべからず」。強盛な
祈りを。幸福の泉、そこに
     ◇
王城会・香城会に感謝。
会員に尽くす利他の振る
舞い。皆様は創価の菩薩
     ◇
本当に偉い人は皆を偉く
し敬う人―恩師。幹部は
心して後継の人材を育成
     ◇
日韓関係良くないが87%
―調査。その中で青年部
が交流。君らの絆こそ光
     ◇
大掃除は転倒や落下事故
に注意。高所での作業は
無理せず。安全最優先で


◆きょうの発心 経王殿御返事 東京・中央区婦人部総合長 溝渕明美2019年12月26日

御文 南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや(経王殿御返事、1124ページ・編569ページ)
通解 南無妙法蓮華経は師子吼のようなものである。どのような病が、障りをなすことができようか。

“人材の花の都”で広布にまい進
 唱題によって、どんな病にも負けない境涯を築けるとの慈愛の励ましです。
 1956年(昭和31年)、結核で苦しんでいた私たち家族を見かねた親戚の勧めで入会。私が高校生の時、高等部の担当者から、題目根本で全てに挑むことの大切さを学び、発心しました。
 79年3月11日、東京・中央区の未来部員と聖教新聞社を見学していたところ、池田先生にお会いし、記念撮影をしていただきました。「次を頼むよ!」との万感の激励に、“生涯、先生のもとで感謝と報恩の道を歩もう”と決意。今年で40周年を迎えました。
 結婚後、度重なる子どものけがや病に悩みましたが、この御文を確信して学会活動に奔走。その後、姉のがん、両親の介護など苦難が続いた時も、先生からわが家に頂いた励ましに奮い立ち、一つ一つ乗り越えることができました。3人の子どもは、創価大学を卒業し社会で実証を示そうと頑張っています。
 明年の東京五輪・パラリンピックでは、区内に選手村ができることから、にぎわいが期待されます。「人材の花の都・中央区」「世界の中央」との指針を胸に、地域広布にまい進してまいります。


【先生のメッセージ】

◆〈心に御書を〉14 和楽と安穏の年末年始に2019年12月25日

御文 なに事につけてか・すてまいらせ候べき・ゆめゆめをろかのぎ候べからず(三沢抄、1489ページ)
通解 何があろうとも、どうして私(日蓮大聖人)があなた方を見捨てるようなことがあるだろうか。決して、決して、あなた方をおろそかにすることはない。

池田先生が贈る指針

 御本仏は門下の安穏と幸福を厳然と祈ってくださっている。この一年、広布に戦い抜いた全国・全世界の地涌の友を、いかばかり御賞讃か。
 「一人を大切にする」「誰も見捨てない」。御書に示された究極の人間主義で結ばれているのが和楽の学会だ。
 最も強く麗しき創価家族の団結で、大歓喜の行く年、来る年を!


【聖教ニュース】

◆未来を開く家庭教育懇談会   2019年12月26日
 本年2044会場で実施 1万5千人が参加

 「家庭教育懇談会」への関心が高まっている。教育本部と地元組織や未来本部が連携してつくる、子育て世代の“支え合いの場”である。通称“家庭コン”。本年は全国2044会場で実施され、参加者は約1万5000人を数えた。
 家庭コンの特徴は「少人数の集い」であること。一つの会場に集まるのは、2人から数人ほどの保護者である。少人数だからこそ、互いの話をじっくり聞くことができる。「こうした集いこそ、婦人部の『ヤング白ゆり世代』が求めている場所ではないでしょうか」と、高梨教育本部長、川原同女性部長は口をそろえる。
  
ヤング白ゆり世代をサポートするために
 文部科学省が平成28年度に作成した資料によると、「子育ての悩みを相談できる人がいるかどうか」という問いに対して「いる」と答えた母親は、平成14年度では全体の73.8%。しかしこれが、平成26年度になると43.8%まで落ち込んでいることが明らかになった。背景には、地域のつながりの希薄化や、共働き世帯の増加などがあると見られる。
 現代の子育て世代が求めているのは、悩みへの「解答」や「正論」よりも、「悩みを何でも話し合える仲間」であり、「安心と共感を得られる場」にほかならない。
 家庭コンの開催単位は本部・支部単位。身近な教育本部のメンバーの協力を得て、「SOKAチャンネル モバイルSTB」の教育セミナー番組などを活用しながら、互いの感想を言い合うだけで十分に成り立つ。
 一人が話し始めると「実は私も」「わが家でも」と、話が止まらなくなる。終了後にも自然と“おしゃべり”が続くケースも少なくない。参加者からは「いっぱい話を聞いてもらえて、胸のつかえが取れたような思いです」「こうして顔を合わせて話すって大事ですね」等、共感の声が多く寄せられている。

 最近の傾向として、参加者は乳幼児や小学生の子どもがいる家庭のみならず、中学・高校生を抱えた保護者も増えているという。
 今月、福島県本宮市で行われた家庭コンを訪ねてみると、子どもの年代は未就学児から小・中学生までと幅広く、話題も実に多彩。同市を含む福島中央総県では近年、家庭コンが活発に行われており、未来部育成に余念がない。先月開催された「未来部E―1グランプリ」全国大会で第2位に輝いたチーム「NAKS(ナックス)」のメンバーも、全員が本宮市在住である。
 橋本総県婦人部長が昨年1月、全国県未来本部長・未来部長会(テレビ会議)を通じて家庭コンの意義を学び、得心したことから、取り組みが加速したという。「普段の会合には消極的な方々や未入会の友人でも、『子育ての話なら』と喜んで来てくれるんです。ヤング白ゆり世代をサポートするには『これだ!』と思いました」(橋本総県婦人部長)

 九州の福岡総県でも共感が広がる。取り組みが本格化したのは2年前。当時、総県婦人部長だった川上九州婦人部長が「子育てに悩む同志を何とか支えたい」と、未来本部・教育本部の取り組みを後押ししたことがきっかけだ。明「前進・人材の年」を先駆しようと、今月も総県内の各地で家庭コンを行い、笑顔を広げた。
 わが地域の未来を開くために――小さな集いから、大きな力が生まれている。

◆ブラジル   配達員大会
機関紙「ブラジル・セイキョウ」の配達員大会。地域に“希望の便り”を届ける使命と誇りに燃えて(ブラジル池田文化会館で)

機関紙「ブラジル・セイキョウ」の配達員大会。地域に“希望の便り”を届ける使命と誇りに燃えて(ブラジル池田文化会館で)

 ブラジルSGIの機関紙「ブラジル・セイキョウ」の配達員大会が7日、サンパウロ市のブラジル池田文化会館で行われ、約2000人が参加した。
 ミヤモト社主のあいさつの後、体験発表をビデオで上映。そこに映し出されたマリア・アパレシーダ・デ・ヘゼンデさんは、視力が弱い、婦人部の白ゆり長。そんな中でも“池田先生からのお手紙を届けたい”と、地区婦人部長の協力を得ながら、ブラジル・セイキョウの配達に奮闘する姿が紹介され、場内は感動の渦に包まれた。
 上映後、ヘゼンデさん本人が登場するや、割れんばかりの拍手と大歓声。一人一人が、配達員としての使命と誇りを一層、深くした。
 シラトリ理事長は、明「前進・人材の年」は最前線の組織強化に力を注ぎ、未来に続く盤石な広布の基盤を築いていきたいと力説。「池田先生の“平和と幸福のメッセージ”である機関紙を、さらに大きく地域に広げながら、幾重にも意義深き明年を大勝利で荘厳しよう」と呼び掛けた。

◆イタリアで通信員大会   2019年12月26日

イタリアの通信員大会では、青年部の友が勇気と希望の歌声を響かせた(ローマ文化会館で)

イタリアの通信員大会では、青年部の友が勇気と希望の歌声を響かせた(ローマ文化会館で)

 イタリア創価学会の機関誌やウェブサイトの編集などに携わる通信員の大会は7日、ローマ文化会館でにぎやかに開かれた。
 イタリアでは、機関誌「新ルネサンス」「仏法と社会」と、青年部のウェブサイト「間断なき飛翔」などで、学会指導や教学、同志の信仰体験、また各界のオピニオンリーダーのインタビュー等を紹介。創価の仏法哲学と池田先生の人間主義のビジョンを広く社会に発信している。
 
 大会では、女子部のルクレッツィア・ペトルッチさん、男子部のカルロ・アブラーテさんが、師匠との誓いを胸に弘教拡大に励む様子を述べた。
 その後、「創価学会 世界聖教会館」の開館記念勤行会に参加した友の報告や、小説『新・人間革命』第18巻「師子吼」の章の研さんなどが行われた。
 コンティ婦人部長、ナカジマ最高参与は、機関誌の発信こそ広布前進の力であると強調。日々、みずみずしい師弟共戦の心で制作に励み、使命を果たしゆこうと望んだ。
 参加者からは、「池田先生の言論戦を模範に、絶えず挑戦の心と広布への情熱を燃やして進んでいきます」等の感想が寄せられた。

【特集記事・信仰体験など】

◆〈「新・人間革命」と私〉心に刻む珠玉の言葉 関西創価小学校校長 松井義明さん

 私は、常に若い世代を未来のリーダーと信じ、敬意を表し、誠意をもって育んできました。それが教育の根本姿勢ではないでしょうか。人を育てましょう。皆が逸材です。未来の希望は、教育のなかにしかありません。 〈第27巻「若芽」の章〉

時代背景
 1978年(昭和53年)、東京創価小学校が誕生。これで幼稚園から大学院までの創価一貫教育の城が完成する。また82年(同57年)には、大阪・枚方
ひらかた
市に待望の関西創価小学校が開校。創価一貫教育が、21世紀の未来に向かって飛翔しゆく万全な体制が整った。山本伸一の期待を心に刻んだ創小生たちは、社会のリーダーとして成長していく。

創立者の振る舞いを模範に
 牧口常三郎先生と戸田城聖先生が教壇に立ち、精魂を注がれたのは、初等教育でした。「若芽」の章には、この初等教育を行う東京創価小学校の設立の経緯とともに、同校の完成により、両先生が念願した創価一貫教育の体制が整ったことが描かれています。

 子どもたちが真の幸福を築くためには、知識の習得はもちろん、いかなる苦境も乗り越えていく強じんな精神力や、不屈の挑戦心を育んでいくことが不可欠です。その基盤を形成する学齢期の初めに求められる教育のあり方を、創立者・池田先生は常に、自らの振る舞いを通して教えてくださいました。その魂が詰まった同章を、私はいつも“小学校教育の指導書”として心に刻み、“創立者なら、どう行動をされるか”を忘れずに、児童と接しています。
 
4000人を超える卒業生が奮闘
 同章には、山本伸一と創小生の心温まる出会いが紹介されていますが、これまで幾度となく、創立者と関西創価小学校の児童との“父子のドラマ”がつづられてきました。2005年9月16日には、修学旅行で創価大学を訪れた6年生を抱きかかえるように激励され、その創立者の真心に、込み上げるものを抑えられませんでした。
 その折に“偉くなりなさい。偉くなってまた会おう”と励ましを受けたある男子児童は、創立者との誓いである医療の道を志し、猛勉強を開始。苦節を乗り越えて歯学部に進学し、現在は国立大学の付属病院で勤務しています。このように、限りない期待に応えようと、4000人を超える卒業生が今、使命の舞台で奮闘しています。
 
一人を大切にする人間教育の魂
 振り返れば、私が教育者を志したのも、創価高校3年の折、卒業記念集会で“私の生涯の仕事は教育”との創立者の言葉に触れたことです。あの時の出会いを思い返すたびに、使命の深さを感じています。17年に創立50周年を迎えた創価学園は今、100周年の栄光の峰へ勢いよく発展を続けています。さまざまな課題を乗り越えつつ、創立者が示された一人を大切にする人間教育の魂を原点に“未来の大樹”を育んでまいります。

◆創立90周年を勝ち開く 座談会 95=完
 さあ、勢いよく「前進・人材の年」へ!  異体同心の団結で拡大の実証

〈出席者〉原田会長、長谷川理事長、永石婦人部長、西方男子部長、大串女子部長

 長谷川 いよいよ、学会創立90周年、池田先生の第3代会長就任60周年の2020年を迎えます。私たちは、明年の「5・3」「11・18」を目指し、大いに弘教・拡大に挑戦していきたいと思います。
 
 原田 御書に「大願とは法華弘通なり」(736ページ)と仰せです。弘教・拡大が日蓮仏法の魂です。「学会は、永遠に折伏の団体である」「折伏をする人こそが一番、偉く尊い」――これが、根本の精神です。
 
 西方 池田先生は青年時代から、折伏の師匠である戸田先生のもと、「前進また前進」の闘争で広布開拓の道を開いてきました。
 
 原田 「伝統の2月」の淵源となる東京・蒲田支部での闘争では、1カ月に201世帯という前代未聞の折伏を成し遂げました。低迷していた文京支部を、月に431世帯の拡大ができる第1級の支部へと発展もさせました。“この支部が前進しなければ、学会は前進しない”との確信に立ち、歴史を築いたのです。
 
 長谷川 私たちも「私の前進なくして、世界広布の前進はない」との強い自覚で、生き生きと広布に奔走していきたいと思います。
 
 西方 先生はまた、男子部の第1部隊長として、1年3カ月で当初の4倍の部員数へと拡大されました。札幌でも日本一の夏季地方折伏を成し遂げ、山口でも延べ22日間で世帯数を約10倍に発展させています。
 
 永石 こうした闘争があって、戸田先生の願業である75万世帯の弘教は結実したのです。
 
 大串 さらに池田先生は、第3代会長に就任されて以来、「君は世界に征くんだ」との戸田先生の遺言を胸に、各国への仏法流布を進められました。192カ国・地域の創価の連帯は今、社会の希望です。
 
 長谷川 御聖訓に、「よき師」と「よき弟子」と「よき法」の三つが合致して、広宣流布の祈りは成就するのであると明言されています(御書550ページ)。池田先生の闘争は、広布の師匠と心を合わせ、「法華経の兵法」で戦うならば、断じて勝てることを教えてくださっています。
 
 原田 私たちは、池田門下の誇りも高く、異体同心の団結で、弘教・拡大の結果を示し、「5・3」「11・18」を祝賀していこうではないですか。

訪問・激励に歩く
 長谷川 明年は「折伏」とともに、「人材の拡大」に総力を挙げて取り組む年です。
 
 永石 先生は、いついかなる地でも、サーチライトで照らすように、人を見つけ、励ましを送ってきました。「皆が人材」との大確信で、真心の激励に徹し、人材を育んできたのです。
 
 原田 新しい人材こそ広布伸展の力です。昨年から「励まし週間」を設定し、「訪問・激励」を強化してきました。「人材の年」の明年こそ、リーダー率先で、その真価を発揮していきたいと思います。
 
 長谷川 「励まし週間」は、「座談会の週」や「本部幹部会(中継行事)」の前に設定されています。その意味で、「人材拡大」の一つの指標は、「座談会・本幹中継の参加者が増えたかどうか」です。
 
 原田 リーダーの活動の眼目は、一人と会うことです。“会合と個人指導の比率を2対8に”との指針を実践し、「創立90周年は、自分史上最高の訪問・激励ができた。その結果、盤石な人材の城が築けた」との歴史を、皆で打ち立てていきましょう。
 
 永石 明年1月を中心に女子部の「ロマン総会」が開催されます。次代を担う華陽の乙女たちの成長を心から応援していきます。
 
 大串 ありがとうございます。各地の新記録となる人材の拡大を成し遂げ、池田先生の誕生月である1月を祝賀してまいります。

今日の自分は、昨日の自分に非ず
週刊誌で連載開始
 西方 朝日新聞出版のニュース週刊誌「AERA」誌上で、作家の佐藤優氏による連載「池田大作研究――世界宗教への道を追う」が開始されました。
 
 大串 佐藤氏は、池田先生について知ることが、「現下の日本と世界を知る上できわめて重要」「間違いなく、私にとっての大きな仕事になる」と語り、毎週4ページを書き下ろす予定だと聞いています。
 
 永石 発売中の合併増大号に掲載された第1回には、「創価学会では、師匠と弟子が一体であるという師弟不二が重要な概念になる。すべての創価学会員が池田と師弟不二の関係で結びついている。これが創価学会の強さだ」(敬称略)と、学会の師弟についても触れられています。
 
 大串 連載は、来年の8月まで続くそうですね。人気作家による有名雑誌での連載が楽しみです。
 
 永石 うれしいことに、1月2・3日には、創価大学が3年ぶり3度目となる箱根駅伝に出場します。
 
 西方 先日の壮行会で主将は、“応援してくれる方々の思いをたすきに込めて走ります”と決意を述べていました。例年、厳しい冷え込みとなりますので、無理をせず、テレビ等で観戦し、エールを送っていきたいと思います。
 
 原田 ともあれ、私たちは楽しく「新年勤行会」に集い合い、「折伏の前進」「人材の拡大」のスタートダッシュを切っていきたい。
 
 長谷川 先生は、過日の全国最高協議会へのメッセージの中で、創立100周年へのこの10年、眼前の戦いを一つ一つ勝ち越え、「末法の令法久住」を盤石に決していきたいと強調されました。
 
 原田 大事な10年の始まりです。「今日の学会は、昨日の学会に非ず」との指針のままに、「今日の自分は、昨日の自分に非ず」の決意で、新たな前進を開始していきましょう!

◆韓日青年友好研修会で充実の分科会   2019年12月26日

韓国青年友好交流団の第1次交流団の友が記念のカメラに

韓国青年友好交流団の第1次交流団の友が記念のカメラに

韓国青年友好交流団の第2次交流団の友
 韓国青年友好交流団の第1次交流団(団長=角田副青年部長、副団長=安原創価班委員長、千尋副女子部長)、第2次交流団(団長=鎌田副青年部長、副団長=金田牙城会委員長、横井女子部書記長)が今月、済州韓日友好研修センターを訪問し、研修会を開催。
 創価班と花郎班、未来部担当者、牙城会と宝城会、白蓮グループと無窮花班が分科会を行った。

両国の未来部担当者

日本「未来部の育成で大切な点は?」
韓国「友の声を徹底して聞く姿勢」

 未来部の友の育成で大切なことは何ですか?――日本の未来部担当者の質問に、韓国の友が答える。
 「一人のメンバーの声に徹底して耳を傾ける姿勢だと思います」
 ディスカッションを通して見えてきたのは、不登校、家庭不和、人間関係の悩みなど、両国に共通する課題の数々だった。
 韓国未来部で力を入れる取り組みの一つが訪問部員会。これは、テスト期間と重なる時期に未来部員を訪問・激励し、真心の励ましを送るもの。
 本年も実施し、多くの子どもたちに励ましのエールを送ることができた。
 鄭多云副少女部長には忘れられない思い出がある。
 ある高等部員が母親を亡くしたショックから不登校に。鄭さんは毎週のように訪問しても会えない日が続いた。「いつもあなたの味方だよ」
 池田先生の言葉を手紙に書いたことも一度や二度ではない。
 ある時、メンバーから連絡が。「オモニ(母)が作った料理が食べたい」
 叶わぬ願いだが、その気持ちに寄り添おうと、自宅に彼女を招き、家族で料理を振る舞った。
 それを口にした瞬間、彼女の目に涙があふれた。「私は一人じゃない」
 一度は高校を退学した彼女だが、努力を重ねて大学に入学。現在、使命の道を歩んでいる――。
 話を聞き、深くうなずく日本の未来部担当者たち。彼女たちも未来部時代に悩んだ時、同志にどれほど励まされたか。
 苦しんだ時に掛けられた言葉や一通の手紙など“あの日の励まし”は、何年たっても色あせない。
 「“未来からの使者”未来部は、学会だけでなく、世界にとっても、かけがえのない存在である」――これが池田先生の真情だ。
 明年は中等部と少年少女部の結成55周年。両国の未来部担当者が一人の友の声に耳を傾け、エールを送る中にこそ、学会創立100周年の未来はある。
 
創価班と花郎班
日本「弘教・拡大の秘訣は何ですか?」
韓国「広布の全責任を担い立つ自覚で“一人立つ”ことです」

 日本の創価班から韓国の花郎班に質問が飛んだ。「600人からなる花郎班としてここ数年、毎年1000人以上の友を折伏していると聞きました。弘教・拡大の秘訣は何ですか?」
 「広布の全責任を担うとの自覚を持ち、自分自身が一人立つことではないでしょうか」と花郎班の友が即座に応じる――。
 両グループのメンバーは共に、人材輩出と弘教・拡大の先頭に立つことを自らの使命と定める。
 現在、花郎班が力を注ぐ取り組みの一つは支部で10人の活動者を結集する「支部10人会」の挑戦。
 尹吉煥さんが所属する光州方面は、数年前まで活動者が少なかった。池田先生の指導を心に刻み、徹底して訪問・激励に走った尹さんの行動が波動となり、本年10月に方面内の全ての支部で「支部10人会」を達成した。
 金俊瑩さんは、最初は仏法を語る勇気が出なかった。花郎班の先輩から、「僕たちの使命は広布の全責任を担うこと。花郎班は皆が折伏の闘士なんだ」と教えられたことが飛躍の原点に。
 小説『新・人間革命』を読み、山本伸一の闘争を学びながら祈り抜き、3人を折伏。その後、現在の妻を入会に導き結婚。妻の弟にも弘教することができた。
 創価班の友も負けじと、今回の研修に臨むに当たり、全員が自身の殻を破る拡大に挑戦した。
 大病の父の快方を祈り、本年11月に折伏を実らせたメンバー。男子部部長の任命を受けてから毎年のように、折伏を実らせ、これまで18世帯の本尊流布を達成したリーダーもいた。
 池田先生は、「学会の後継者として、青年時代に必ず身につけてほしいのは折伏力だ」とつづっている。
 世界広布の先頭に立つ気概に満ちた創価班と花郎班。触発し合い、“一人立つ精神”の人材群は、さらに水かさを増していく。
 
牙城会と宝城会
韓国「後輩への激励のポイントは?」
日本「“何のため”を明確にして語る」

 後輩への激励のポイントは?――韓国・宝城会の友が聞くと、「何のための信心か、目的を明確にして語ることです」と牙城会の代表が答える。
 別の友が「日本では若い世代に“宗教は弱い人がやるもの”とのイメージがあります」と語ると、宝城会の友が「韓国も似ています」と。
 だからこそ、「自分自身が周囲の環境を変える『依正不二』の法理を実践していきたい」と強調した。
 語り合ううちに、テーマは「仕事と学会活動の両立」に。両国の男子部員が皆、直面する課題である。
 韓国・京畿第1方面の友は、世界有数の電子機器メーカーで働く。
 多忙な日々の中で、学会活動に体当たりで挑んできた。会社では世界初の技術を搭載した機器の開発という重責を担い、最年少で部長に昇進。
 「信心で自分自身を鍛え、苦しい時も『冥の照覧』を確信して進んできました」と力を込めた。

美しき平和の島・済州島。研修センターから漢拏(ハルラ)山を望む(14日)

 九州の牙城会の友もまた、情報技術の分野で活躍。しかし当初はパソコンの電源の入れ方も分からず、人差し指だけでキーボードを打つありさまだった。
 信心で培った「決して諦めない心」を胸に必死に努力を重ね、周囲から信頼を得るようになる。転職した会社では、大きなプロジェクトの責任者に。
 激闘の末に完成したシステムが、世界50カ国1000社以上の企業の中から、最も革新的な開発の一つとして表彰された。
 現在は念願の独立を果たした。「仕事の上でも徹底して現場に足場を置き、顧客の声に耳を傾けることが大切。全て学会活動で学んだことです」と、彼は胸を張った。
 牙城会も宝城会も、「信念の人」「努力の人」「忍耐の人」を指針に掲げる。
 明年、池田先生がその指針を発表してから40周年を迎える。社会で勝ち、師の偉大さを宣揚するとの闘魂が、両国の友の心に赤々と燃えていた。
  
白蓮グループと無窮花班
韓国「“陰の戦い”に徹するためには?」
日本「自発の心で誠実を貫くこと」

 陰の戦いに徹する上で大切なことは?――韓国の無窮花班のメンバーから寄せられた質問に、白蓮グループの友が答えた。
 「今いる場所で、自分にできることを考え、動くことです」
 「職場や家庭でも、“自発の心”を胸に、誠実の振る舞いで輝くのが白蓮の誇りです」と――。
 別の友が、「任務や学会活動を通して変わったこと」を問うと、一人一人が自身の体験を語り始めた。
 韓国のあるメンバーは、塾の講師をしながら法科大学院の受験に挑戦。多忙な中でも、無窮花班の任務に当たった。
 毎週日曜日に行われる無窮花班の勤行会では、くじけそうになる自分の弱さと向き合った。そんな中、勤務先から突如、解雇通知が届く。
 「今こそ、何があっても負けない弟子に成長しよう」――先輩から励ましを受け、奮起した。
 12回もの面接を経て新たな塾へ。そこは、最高の環境だった。
 信心を根本に仕事に全力を尽くし、今では塾長から将来を嘱望されるまでに。彼女は、「ふさぎ込みがちだった自分から、どんな環境でも負けない自分になれました」と声を弾ませた。
 一方、家族の経済苦に直面した日本のあるメンバーは、宿命転換を懸けて学会活動に挑戦。
 苦境の中で最大の力となったのは、池田先生の「白蓮乃人に 不幸なし」との指針だった。
 同志の温かな励ましにも支えられ、苦境を乗り越えることができたという――。
 「白蓮」は、泥の中から天に向かって気高い花を咲かせゆく。
 「無窮花」(日本ではムクゲ)は、朝に咲き、夕方にはしぼむが、日々新たにつぼみを付け、次々と開花していく。
 日韓両国のいずこの地にあっても、両グループの乙女は、信心根本に美しい大輪を咲かせ、勝利の青春を送っている。
 
取材後記
 分科会では何時間もかけて、徹底して、ありのままの思いを語り合った。
 韓国の友の中には、教員として韓国と日本の歴史を教える友や、勤める企業が両国の政治状況に影響を受けているメンバーもいた。
 日本への思いは複雑だ。しかし両国の友が顔を合わせると、なぜか懐かしさが込み上げ、親しみが湧き、自然と笑みがこぼれた。
 切り離せない両国のつながり、そして仏法を持つ同志であることの素晴らしさを痛感した。
 心と心で結ばれた青年の連帯がある限り、両国の未来は明るく晴れやかだ。

◆〈信仰体験〉世界を駆ける書体アーティスト  常に前へ攻める! 大胆に!  2019年12月26日

これまで「古今江戸」「桔梗(ききょう)」「ぶどう」など、味わい豊かなフォントを生み出してきた小金さん

 【埼玉県越谷市】街を歩く時、買い物をする時、雑誌や新聞を開く時――目を凝らすと広告や案内など、多様な書体(フォント)が見てとれる。

 

2019年12月25日 (水)

2019年12月25日(水)の聖教

2019年12月25日(水)の聖教

◆わが友に贈る

   最も難しい勝利は
 自分に打ち勝つこと。
 受験生よ 負けるな!
 悔いなき一日一日を!
 健康を祈っています。

◆名字の言  宝石はどこにある?

言葉が話せるテディという名の犬がいる。ただし会話ができる相手は詩人と子どもだけ。児童文学作品『テディが宝石を見つけるまで』はそんな設定の物語だ▼飼い主である詩人が“君が宝石を見つけられるといいな”と言い残して亡くなる。ある日、テディは、吹雪で遭難した幼いきょうだいを救助する。その後、無事に子どもたちと再会した母親がテディに“あなたは宝よ”と涙して感謝を伝え、話は結ばれる。つまり、他者に尽くしたテディ自身が「宝」だった▼法華経に「衣裏珠の譬え」がある。貧しい男のために親友が衣の裏に宝珠を縫い付けてやる。だが男は気付かず、貧乏な生活は続いた。後に事実を知り、歓喜するという内容。縫い付けられた珠とは、万人に備わる仏の生命という無上の宝のことであり、それを磨く仏道修行の大切さを教えている▼先日、水晶の産地・山梨県のジュエリーミュージアムを訪れた。さぞかし輝きに満ちた宝石ばかり飾られているだろうと予想したが、意外に原石や研磨・加工の工具、職人を紹介する展示が多かった。宝石へ磨かれる過程も「宝」なのだと感じた▼今年も同志と信心を錬磨し合えたことに感謝が込み上げる。自身を磨き抜く中に宝の人生は築かれると確信し、明年も師と共に前進しよう。(白)

◆寸鉄

永遠に残る壮大な歴史を
綴れ―恩師。若人よ、目標
は高く。前進は着実に!
     ◇
創価班・牙城会・白蓮G
この一年、ありがとう。
薫陶と成長の宝の青春譜
     ◇
常勝の源流「中大阪の日」
不撓不屈の勇者の大連帯
新時代の栄光の旗今こそ
     ◇
最もひどいパスワードは
123456と。ネット
やカードは自身で防御を
     ◇
人の動き多い年末は特に
流感感染に注意―厚労省
手洗い・マスク等で予防

◆社説 学会を支える友に感謝   影の労苦有りて広布は前進

 ある時、日本画の巨匠・横山大観が「世のほまれも君に頒つべきものなり」と手紙を書き送った。受け取ったのは、越前和紙職人の初代・岩野平三郎。彼は、大観や竹内栖鳳など、名だたる日本画家の要望に応え、芸術の興隆を支えた。「苦心こそ人のはげみとはなるものなり」と自らに挑み、紙質を高めた(高橋正隆著『絵絹から画紙へ』文華堂書店)。
 大観が感謝を形にしたように、芸術は一人では成せない。日本画であれば、墨に硯、筆を作る職人がいて、絵が完成した後も、仕立て、保存する表具師がいる。リレーのように技と誇りのバトンがつなげられて一つになる。
 日夜、私たちがつづりゆく広宣流布の絵巻も同じだろう。全世界のあの町、この町で、同志が多彩な役割を担う。会場に集う友がいれば、役員として迎える友がいる。会場を提供する友もいる。
 「会場に 一輪添えて 友を待つ」
 かつて本紙「新・生き生き川柳」に掲載された句だ。会場で交わされる言葉には、悩みあり、決意あり、感動あり。ドラマの裏には、会場提供者の心配りや努力、見えない苦労がある。
 毎度のことであっても、当たり前のことは何一つない。丁寧に感謝を伝え、真心をたたえる振る舞いに、人間主義の仏法が光る。
 創価班、牙城会、白蓮グループ、また王城会、香城会、会館守る会、創価宝城会、設営グループ等、一人一人の献身も、仕事や家庭のことなど、さまざまな現実に挑む中での勝利の姿だ。
 池田先生は「広宣流布」をこう語った。「それは、ただひたすら、黙々と、人々の幸福のため、世界の平和のために戦い抜いてきた『陰の人』『無名の庶民』による、未曽有の大民衆運動」と。
 ある山間部の町で、本紙を配達する婦人部員に同行した時のこと。懐中電灯を左手に持った婦人は、右手で木の枝を拾った。毎朝、通る山道に新しいクモの巣が張るため、枝を前方に振りながら歩く。そんな労苦も全く構わず、むしろ喜び勇んで坂道を登っていく。
 明るい声で「1部増えると、推進した方の真心、読まれる方の姿を想像して、とても、うれしくなります」と、晴れやかな笑顔で語っていた。
 本年完成した世界聖教会館の「城主」と池田先生がたたえた無冠の友。その尊き一歩一歩こそ、「民衆の大地」に「幸の仏縁」を広げる平和への王道であろう。
 無数の労苦ありて、世界広布は進んでいく。陰の舞台で尽力する主役たちへ心からの感謝をささげたい。そして、迎えゆく「前進・人材の年」もまた、共に新たな歴史を築きゆこう。

◆きょうの発心 経王殿御返事 大阪・堺総県副総県長 撫多加司 2019年12月25日

御文 但し御信心によるべし、つるぎなんども・すすまざる人のためには用る事なし、法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼に・かなぼうたるべし(経王殿御返事、1124ページ・編569ページ)
通解 ただし、あなた方の信心によるのである。剣なども、進まない人のためには何の役にも立たない。法華経(御本尊)の剣は、信心の強い人が用いてこそ、役に立つ。まさに鬼に金棒である。

一切は自身の人間革命から!
 潔い、勇気ある信心にこそ御本尊の功力は現れる、と仰せです。
 学会2世の私は、両親の祈りと、同志の皆さまの励ましに包まれ、1978年(昭和53年)に創価大学に進学。第1次宗門事件の渦中にあっても、池田先生は学生の中に分け入り、励ましてくださいました。その姿に、「生涯、先生と共に」と誓ったことが原点です。
 卒業後、地元・大阪の堺で仕事と学会活動の両立に励み、15年間の会社勤めを経て起業。事業が軌道に乗った矢先、経済不況に襲われました。この御文を命に刻み、6年にわたって総区長を務めながら、奮闘し、乗り越えました。家族や先輩の励まし、先生の指導に感謝は尽きません。
 亡き両親から引き継いだ広布の会場を守り、報恩の心で戦っています。悩める友に寄り添い、励まし合いながら、学会創立90周年の明「前進・人材の年」へ、私自身が人間革命に挑戦していきます。

 

【先生のメッセージ】

◆世界広布の大道 小説「新・人間革命」に学ぶ 第14巻 解説編 池田主任副会長の紙上講座

イラスト・間瀬健治

イラスト・間瀬健治

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第14巻の「解説編」。池田博正主任副会長の紙上講座とともに、同巻につづられた珠玉の名言を紹介する。
紙上講座 池田主任副会長

ポイント
①渓流から大河へ
②主体者の自覚
③師と同じ心で

 『新・人間革命』執筆開始より10周年となった2003年(平成15年)8月、池田先生は「起稿10周年」と題する随筆を発表しました。その中で、執筆に対する思いを記されています。
 「私の胸には、言論の闘争の決意がたぎっている。広宣流布の大道は、今つくるしかないからだ」
 「『真実』を明確に書き残すことが、未来の人びとの明鏡となる」
 それから15年が経過した昨年8月、先生は全30巻の執筆を終えられ、私たちに「世界広布の大道」を示してくださったのです。
 この随筆は、第14巻「大河」の章の連載中に書かれたものでした。同章は、1970年(昭和45年)5月3日、山本伸一の第3代会長就任10周年となる本部総会の場面から始まります。
 その1カ月前に行われた戸田先生の十三回忌法要で、伸一は、学会が750万世帯を達成したことを述べ、「広宣流布の流れは、遂に渓流より大河の流れとなりました」(287ページ)と、恩師に報告します。「広宣流布の波が広がり、人間主義に目覚めた民衆勢力が台頭し、時代の転換点を迎えた」(288ページ)のです。
 この転換期に起こったのが、「言論・出版問題」でした。学会批判書を書いた著者に対して、学会の幹部が事実に基づく執筆を要望したことを、言論弾圧として騒ぎ立てたのです。それを口実に、政党や宗教勢力が、学会攻撃の集中砲火を浴びせました。
 「言論・出版問題」は、「伸一の会長就任以来、初めての大試練」(293ページ)でした。しかし、伸一は「最も理想的な社会の模範となる創価学会をつくろう」(同ページ)という決意を一段と深くします。障魔の嵐を、「未来への新たな大発展の飛躍台」(同ページ)としていきました。
 試練に敢然と立ち向かう勇気を奮い起こす時、広布を阻む逆風を、追い風に転じることができます。「烈風に勇み立つ」精神で前進し続けてきたところに、「学会の強さがある」(253ページ)のです。

流れそれ自体
 「言論・出版問題」の渦中から、21世紀の広布の未来を見据え、伸一は布石を打っていきます。その一つが、時代に即応した組織改革です。
 70年5月3日の本部総会で、伸一は「広宣流布は、流れの到達点ではなく、流れそれ自体であり、生きた仏法の、社会への脈動」(298ページ)と語り、何か終着点があるかのような広宣流布観を一変させます。
 そして、「社会に信頼され、親しまれる学会」(同ページ)をモットーに前進することを呼び掛け、「地域社会と密接なつながりをもち、社会に大きく貢献していく意味」(305ページ)から、地域を基盤としたブロック組織へ移行することを発表します。それまで、学会の組織は、居住地と関係なく、入会した会員は紹介者と同じ組織に所属し、活動することを主軸としてきました。その分、団結は強いものがありました。
 それに比べて、ブロック組織は、「人間関係を深めることの難しさ」(306ページ)が最大の課題でした。しかし、伸一は、現代社会が抱える人間の孤立化という問題を乗り越えるために、「学会員が中心になって、地域社会に、人間と人間の、強い連帯のネットワークをつくり上げなければならない」(同ページ)と考えていました。ブロック組織への移行は、地域に開かれた学会の組織を築くためであり、社会の未来を開くためでもあったのです。
 この新しい段階に当たって、伸一が憂慮したのは、皆の一念の改革がなされていくか、ということでした。その「一念の改革」とは、「一人ひとりが『自分こそが学会の命運を担い、広宣流布を推進する主体者である』との、自覚に立つこと」(310ページ)であり、「会長の伸一と、同じ決意、同じ責任感に立つこと」(311ページ)です。
 この「主体者の自覚」にこそ、「すべての活動の成否も、勝敗の決め手もある」(同ページ)からです。

太陽に照らされた緑の庭園。その向こうに、青い海が広がる。池田先生が和歌山・白浜町の関西研修道場でシャッターを切った(1984年6月)。この訪問の折、先生は和歌山駅で少年少女合唱団のメンバーを激励。「はればれと 天の歌声 父祈る」と詠んだ
太陽に照らされた緑の庭園。その向こうに、青い海が広がる。池田先生が和歌山・白浜町の関西研修道場でシャッターを切った(1984年6月)。この訪問の折、先生は和歌山駅で少年少女合唱団のメンバーを激励。「はればれと 天の歌声 父祈る」と詠んだ

ありのままを語る
 烈風が吹き荒れる中、伸一が打ったもう一つの布石が人材育成――特に未来部への激励です。
 悪を許さぬ、純粋な正義の心が失われてしまえば、「『大河の時代』は、濁流の時代」(293ページ)と化してしまいます。ゆえに、彼は、若い世代の中核となる人材育成に精魂を注ぎます。
 箱根の研修所で行われた、未来部の代表メンバーの研修会で、伸一はこの研修所が、学会の歴史の中で、どんな意味を持っているかを語ります。
 参加者の中には、小学生もいました。しかし、「広布後継の指導者になる使命をもった人」(322ページ)として、学会の真実の歴史を、ありのままに語っていきます。
 さらに、皆の質問に答え、人間としていかに生きるかを訴えます。「こちらが真剣に語ったことは、しっかり受け止められるはずである」(332ページ)と信じて、メンバーの胸中に成長の種子を蒔いていきました。
 その後も、伸一の未来部への励ましは続きます。ある時には、「君が山本伸一なんだ。君が会長なんだ。私の分身なんだ。自分がいる限り大丈夫だと言えるようになっていきなさい」(352ページ)と万感の期待を語っています。
 メンバーは今、社会のさまざまな分野で活躍しています。その「弟子の勝利」(353ページ)は、伸一の「厳たる勝利の証」(同ページ)でもありました。
 池田先生は自らの手で未来部員を本物の人材へと育て、現在の世界広布新時代を開かれました。師匠の闘争を受け継ぎ、次の50年、100年の広布の未来を開く人材を育てていくのは、私たちです。
 「烈風」の章に、1969年(昭和44年)12月、伸一が高熱を押して出席した、和歌山の幹部会のことがつづられています。その50周年の佳節を記念する和歌山の大会が先日、50年前と同じ会場で開催されました。
 この大会で、未来部のメンバーが合唱を披露しました。大切なのは、当日へ向け、練習会を重ねる中で、家族や同志が未来部のメンバーに、和歌山広布史などを通して、信心の大切さ、師匠を持つ人生の素晴らしさを語っていったということです。
 明「前進・人材の年」は、「会長就任60周年」「学会創立90周年」と幾重にも意義を刻む年です。先日、先生は「(学会創立)100周年へ向かう10年は、人類にとって重大な分岐点となる10年である」と述べられました。師匠と同じ心で、次代の学会を担う人材をはぐくみ、万代にわたる広布の流れを開いていこうではありませんか。

音楽隊・鼓笛隊合同演奏会で、池田先生が鼓笛隊のメンバーを励ます。「使命」の章では鼓笛隊の歴史が記されている(2002年11月17日、創価大学池田記念講堂で)音楽隊・鼓笛隊合同演奏会で、池田先生が鼓笛隊のメンバーを励ます。「使命」の章では鼓笛隊の歴史が記されている(2002年11月17日、創価大学池田記念講堂で)

名言集
●宗教の生命
 布教は、宗教の生命であります。布教なき宗教は、もはや“死せる宗教”であります。(「智勇」の章、8ページ)
●生の歓喜と躍動
 平和とは、単に戦争がない状態をいうのではなく、人と人とが信頼に結ばれ、生の歓喜と躍動、希望に満ちあふれていなければならない。(「使命」の章、127ページ)
●人間のため
 「広宣流布」とは、文芸も、教育も、政治も、すべてを人間のためのものとして蘇らせる、生命復興の戦いなのである。(「使命」の章、175ページ)
●強い決意と真剣さ
 大ざっぱであったり、漏れがあるというのは、全責任を担って立つ真剣さの欠如といってよい。絶対に失敗は許されないとの強い決意をもち、真剣であれば、自ずから緻密になるものだ。(「烈風」の章、192ページ)
●前進の積み重ね
 歴史的な壮挙を成し遂げるといっても、その一歩一歩は、決して華やかなものではない。むしろ地道な、誰にも気づかれない作業である場合がほとんどです。だが、その前進の積み重ねが、時代を転換していく力なんです。(「大河」の章、342ページ)


【聖教ニュース】

◆アルゼンチンのロサリオ市議会が池田先生に「平和の師匠・哲学者」証  2019年12月25日

 南米・アルゼンチンの各界から、池田大作先生ご夫妻の平和・文化・教育への貢献をたたえて顕彰が相次いでいる。サンタフェ州ロサリオ市議会は、池田先生に「卓越した平和の師匠・哲学者」証を授与。授与式は11日(現地時間)、同市内で晴れやかに行われた。一方、国立ティエラ・デル・フエゴ大学からは香峯子夫人に顕彰が贈られた。

文化と平和を構築するための世界規模の功績をたたえ授与
 ロサリオ市は、サンタフェ州における文化・経済・教育・金融の中心拠点。約100万人の人口を擁する、アルゼンチン第3の都市である。
 雄大なパラナ川沿いに広がる「バンデラ国立公園」は、独立の英雄ベルグラノ将軍が、初めてアルゼンチン国旗を掲揚した場所として名高い。公園内に立つ国旗記念塔、街を彩るコロニアル建築など歴史の薫り豊かな同市には、多くの観光客が訪れる。

ロサリオ市議会から池田先生への「卓越した平和の師匠・哲学者」証の授与式。SGIの合唱団が歌声を披露した(同市内で)

ロサリオ市議会から池田先生への「卓越した平和の師匠・哲学者」証の授与式。SGIの合唱団が歌声を披露した(同市内で)

 この地のSGI(創価学会インタナショナル)メンバーは、池田先生の指針を学び、社会貢献や平和建設こそ“自分自身の使命”であると生命に刻んできた。そして、平和や環境、人権などに関する展示やセミナー、コンサート等の文化活動を展開。近隣住民や市議会関係者も参加するようになり、信頼と友情が育まれていった。
 こうした活動を通して、アレハンドロ・ロセロ議長をはじめとする市議会関係者は、仏法の生命尊厳の思想を基調に、平和・文化・教育の発展に尽くしてきた池田先生の功績を知り、強い感銘を受けたという。そしてこのほど、その長年の献身をたたえるべく、「卓越した平和の師匠・哲学者」証の授与を決定したのである。

「卓越した平和の師匠・哲学者」証の授与を記念するオブジェ
 11日の授与式は、国旗記念塔近くの「バサロ・パレス」で、ロサリオ市議会によって厳粛に執り行われた。
 市議会を代表して出席したアガピト・ブランコ議員は、世界中の人々に希望の励ましを送る池田先生の行動を称賛し、先生への顕彰はロサリオ市の栄誉であると語った。
 そして、「文化と平和を構築するための、世界規模の功績をたたえて」としるされた、証書と記念のオブジェをSGIの代表に託すと、場内は万雷の拍手に包まれた。

国立ティエラ・デル・フエゴ大学は香峯子夫人を顕彰

 一方、国立ティエラ・デル・フエゴ大学は、世界最南端の都市・ウスアイアにメインキャンパスを置く人間教育の大城である。
 ファン・ホセ・カステルシ総長らが創価大学を訪れ、池田先生に同大学「名誉博士号」を授与したのは、昨年4月のこと。
 総長が中心となり、このほど、先生のたゆみなき闘争を支えてきた香峯子夫人に、平和と文化への貢献をたたえる顕彰の授与を決定した。
 授与式は11月18日、リオ・グランデ市にある同大学のキャンパスで、SGIの「平和の文化と女性展」の開幕式の席上、行われた。
 大学の学生や教員、近隣住民と共に、ティエラ・デル・フエゴ州のロサナ・ベルトネ州知事が列席。また、地域貢献の活動に汗を流してきた、地元SGIの友も参加した。
 カステルシ総長からSGIの代表に、香峯子夫人への顕彰の証書が手渡されると、割れんばかりの歓声と拍手が起こった。女優として活躍するSGIメンバーが、「母」を華やかに歌い上げた。

◆冷戦終結30年から明年へ出発 中・東欧に人間主義の輝き 2019年12月25日

 冷戦終結から今年で30周年。その対立の最前線であった中欧、東欧にも仏法の人間主義の輝きが増している。各国で明「前進・人材の年」へ出発する集いが行われた。

オーストリア全国幹部会の参加者が、人間主義の大光で社会を照らしゆく決意に燃えて(オーストリア文化センターで)

オーストリア全国幹部会の参加者が、人間主義の大光で社会を照らしゆく決意に燃えて(オーストリア文化センターで)

 オーストリアの全国幹部会は8日、首都ウィーンのオーストリア文化センターで。席上、御本尊授与が行われ、会場は大きな喜びに包まれた。
 代表4人が、弘教の体験などを報告。ムフ男子部長、シューラー女子部長が明年への決意を述べ、ルボー婦人部長は、後継の青年を先頭に前進をと強調した。
 ウィリアムス理事長が、座談会を活動のリズムとして、訪問・激励、人材育成に全力を注ごうと呼び掛けた。

 スロバキアの集いは11月30日、首都ブラチスラバで開催。
 婦人部と女子部の代表が、信心根本に和楽の家庭を築き、学会活動に喜び走る模様を報告した。
 隣国オーストリアのウィリアムス理事長が駆け付け、小説『新・人間革命』を学び抜き、新たな地涌の陣列を築こうと呼び掛けた。

 セルビア創価学会の発足3周年記念総会は今月14日、首都ベオグラードで開かれた。
 タジチ男子部長、ミヤトビッチ女子部長の司会第一声で幕を開け、タジチ支部長があいさつ。マジャ・ストジャノヴィク・アンデレジヴィクさん、スポメンカ・ミァデノヴィクさんが体験発表した。
 ロンチャー壮年部長が、日本でのSGI秋季研修会(11月)の模様を報告。ドリチッチ欧州副議長、シミズ同副女性部長が激励した。

 スロベニアSGIのグループ勉強会は12日、マリボル市内で行われた。
 同グループでは、本年1月から月1回、小説『新・人間革命』を研さん。今回は第3巻「月氏」の章を学んだ。
 新入会者や友人も参加した集いではグループ長のイヴァン・ラコヴィチさん、モイツァ・ラコヴィチさん夫妻があいさつ。クサカベ東欧参与が励ました。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈信仰体験〉「当事者だからできることをやる」四肢まひのNPO法人理事長 2019年12月25日

 【東京都多摩市】勝手春幸さん(65)=地区幹事(本陣長<ブロック長>兼任)=は、四肢にまひがある。胸から下の感覚はない。それでも、腕とわずかな握力で車いすを走らせる。自ら自動車も運転し、どこへでも一人で出掛ける。そして、他の人のために送迎も買って出る。身体障がい者団体であるNPO法人の理事長、就労継続支援B型事業所の施設長として、利用者のために尽くす多忙な日々を送る。

 勝手さんは島根出身。進学した長崎の大学では、救命用の大型ボートを漕いでスピードを競う、カッター部に所属した。
 防衛大、海上保安大学校など強豪がひしめく中、主将として日本一の栄冠を手にした。鍛え上げた体には自信があった。
 悲劇は新婚旅行で起きた。1981年(昭和56年)、沖縄の海に飛び込んだ際、岩に頭を直撃。頭蓋骨陥没、第2、第6、第7頸椎を損傷。一命を取り留めたものの、寝たきりとなった。
 「自分でやったこと。誰のせいにもできず、受け入れるしかなかった」。勝手さんがリハビリに励む傍らには、事故後も変わらず、二人で歩む道を選んでくれた妻・真弓さん(63)=支部婦人部長=がいた。
 見舞いに通う真弓さんは、“なぜ、こんな目に遭うのか”知りたくて、いろんな宗教をかじったが、周囲は離婚を勧めてくるばかり。
 そんな中、病院で知り合った創価学会の婦人だけが「絶対に幸せになれる」と確信を込めて語ってくれた。82年に入会する。
 事故から1年半のリハビリで、勝手さんは車いす生活が可能に。前向きに応援してくれる真弓さんの姿に、勝手さんも信心を始めた。
 借家は、バリアフリーと程遠く、夫婦で祈り、障がい者用住宅がある都営団地が当たり、移り住むことに。広いスロープのある玄関、車いすの高さに合わせた風呂とトイレ。感謝から学会活動へ一層励み、“ここで実証を示そう”と誓い合った。
 
 太ももの腱を手に移す手術を行い、親指と手のひらで物を挟めるようになると、重度障がい者のためのプログラマー養成講座を申し込む。
 手に挟んだボールペンで一文字ずつ、たどたどしくキーボードを押した。その後、社会福祉法人の工場で2年働き、市役所に出向することに。プログラミング作業を担うようになった。
 車通勤で、福祉車両での運転は可能だったが、運転席側に広いスペースがないと、車いすでの乗り降りはできない。やっと見つけた駐車場は、職場まで1キロ離れていた。雨が降れば、傘も差せない。何一つ簡単なことはなかった。
 「よからんは不思議わるからんは一定とをもへ」(御書1190ページ)の御文を胸に、一つ一つ“大変”なことを乗り越えて、“当たり前”に変えていく。
 さらに学会精神を学ぶうち、その先にある生き方を求めていく。
 模範は、自由グループ(身体に障がいがある人の集い)の先輩たち。“一人のために”と、他の人に尽くしていた。その姿に何度も感動し、勇気づけられた。
 勝手さんに身体障がい者団体への加入を勧めてくれたのも、同グループの同志だった。当初は役員名簿に名を連ねただけだったが、社会福祉主事を取得。NPO法人化に携わったのを機に、2007年から理事長を任された。
 以来、愛車で会員の自宅を訪ね、励ましに走る。当事者同士の会話に遠慮はなく、心の距離が縮まる実感があった。
 12年には、NPOが運営する通所施設の施設長を打診された。利用者の“やりがい”や“生活の質”に関わる大きな責任が伴う。市役所の仕事をやりながらの施設長は無理だった。
 しかし、“定年前だが、世話になった福祉に、恩返しをしたい”と決断した。

 いざ実態を知っていくと、障がい者がまだまだ、ないがしろにされていると感じる場面は数多くあった。
 利用できる行政サービスも、申請しなければ受けることができない“申請主義の壁”。制度のはざまで、取り残されている人がいる。
 移動さえ大変な人たちが、どうやって調べ、誰を頼りにすればいいのか。勝手さんは“当事者の自分だからこそ”と社会福祉士を目指すことを決めた。
 仕事をしながら通信講座を受講。2年で114本のリポートを作成し、実習やスクーリングにも行った。真弓さんが「体がおかしくなるんじゃないかと思うくらい」追い込んでの勉強。
 その間、学会活動でも自由グループの会合に全て参加した。一歩も退かない挑戦で、61歳で難関を突破した。
 施設長を務める就労継続支援B型事業所は、一般就労が困難な障がい者に対して、個人のペースに合わせてリハビリや訓練、作業を提供する。
 利用者には、脳梗塞などによる高次脳機能障害や失語症を抱える人がいる。感情の浮き沈みがある人や、作業やリハビリに前向きになれない人もいる。
 そうした人たちも、一緒になって作業や体操をするうち、少しずつ笑顔や発言が増えていく。
 「ここに来れば元気になれる。皆にとっての“居場所”であってほしい」
 勝手さんはパソコンに向かい、工賃や給与計算の業務に携わる。
 利用者は職員と一緒になり、箱折りや箸置き、カードケース作りの作業を行う。手先が利かない勝手さんには、できない作業でもある。
 「それぞれの『やれる』ことに挑戦していけば、それが『やりがい』につながると思うんです」
 心には常に池田先生の指導がある。「真剣な祈りは、必然的に、行動を伴う。行動しない祈りは遊びである」
 勝手さんは仕事から戻ると1時間、その日の課題をそのまま、御本尊に祈る。何ができるかを模索し、活路を見いだす。
 日曜は大抵、NPOでイベントに出店する。店頭には、皆で作ったネズミの置物や箸置きの焼き物が。利用者たちが販売を受け持つ。勝手さんは朝から、何度も往復し、メンバーの送迎を担う。
 「当たり前のことをやってるだけ」。そう語る勝手さんは、やりがいと充実感で満ちていた。
  

2019年12月23日 (月)

2019年12月23日(月)の聖教

2019年12月23日(月)の聖教

◆今週のことば

 尊き一年の功労に
 「心の財」は無量なり。
 「大果報は又来るべし」
 無事故で有終の美を!
 勢いよく先駆の光を!
 (御書1178ページ)

◆名字の言

島崎藤村の小説『破戒』の時代設定は明治後期。被差別部落出身の青年教師・瀬川丑松が、出自を「隠せ」という父の戒めを破るまでの葛藤を描いた▼封建的な身分制は廃止されたものの、人々の差別意識は残ったまま。出自を他人に知られるだけで、社会的に排除される恐れもあった。近代的な人権思想を学んだ丑松は悩み苦しむ。「同じ人間だということを知らなかったなら、甘んじて世の軽蔑を受けてもいられたろうものを」と▼『破戒』が読み継がれるのは、差別について読み手に鋭く問い掛けてくるからだろう。差別とは、ひとえに心の問題であるゆえに、社会や時代を超えた普遍的な問題なのだ▼仏法は、生命の十界互具を説く。仏界という最高境涯を得ても、仏以前の九界の生命から離れるわけではない。人を見下す畜生界の生命や、他人に勝ろうとする修羅界の生命と無縁の人などいない。ゆえに、常に自身の心と向き合い、差別を許さない不断の挑戦が必要となる▼「全ての人が尊い」と言うことは、たやすい。だが、実際に行動に表すことは難しい。どこまでも他者と関わり、励ます実践の中で自身の生命を磨きゆく私たちの学会活動は、人権社会の礎を築きゆく闘争でもあるのだ。誇りと使命感をもって進みたい。(之)

◆寸鉄

「まいをも・まいぬべし」
御書。苦難にも強き祈り
で悠然と。大悪は大善に
     ◇
さあ友好期間。親戚・普段
会えぬ友と語らう好機。
絆結ぶ充実の年末年始を
     ◇
東京・荒川師弟勝利の日。
友情広げる対話に率先!
ここに逞しき庶民の王者
     ◇
正義の新立川が拡大へ。
偉大な本陣凱歌の原動力
きょう「師弟原点の日」
     ◇
宗門、今年も脱講者続出。
勧誘にもがくも破滅への
蟻地獄。来ても断固撃退

◆社説 風邪を予防 体調管理は「手」から  冬本番、健康第一の生活を

 人は生涯で風邪に何回かかるか。ある研究によれば平均200回という(アッカーマン著『かぜの科学』早川書房)。
 誰でも年に2度や3度、風邪をひいてもおかしくないわけだが、なぜか、かかりやすい人と、かかりにくい人がいる。その違いはどこにあるのか。
 毎日、せきや喉の痛みを訴える患者を診察する医師は、罹患のリスクが高い。その状況下でも、30年以上、ほとんど病気にならなかったという大谷義夫医師。著書『絶対に休めない医師がやっている最強の体調管理』(日経BP)で、体調の管理は「手」から始まると訴える。
 さまざまな所に触れる手は感染経路となりやすいので、ウイルスを洗い流す手洗いが有効な予防になると紹介。外出後などは手洗いを励行したいが、さっと洗うだけでは不十分。せっけんを泡立て、手のひら、甲、指、爪の先、手首を丹念に30秒ほど洗う必要がある。
 さらに、マスクの使い方について7割の人が正しく使えていないという調査を示し、注意を促す。「サイズは、鼻から顎までピッタリと覆える物」「表面部分は、飛んでくるウイルスを受け止めているので触らず、着け外しはゴムひもの部分を持って行う」「外出するごとに使い捨てにするなど、一日で何枚も新しい物と替える」ことなどを推奨している。
 加えて、例年より早く流行期に突入したといわれるインフルエンザにも注意を払っていきたい。
 有効な対策はワクチン接種。発症する可能性を低くし、発症した場合も重症化防止に役立つと期待される。ワクチンの効果は接種後すぐには出ず、2週間ほどしてから表れる。流行のピークを迎えるのは例年1月から2月。接種がまだの場合は、できるだけ早く済ませたい。感染力が強いため、高齢者や幼児はもちろん、同居者も接種を行いたい。
 寒い時期、感染症以外に室内で気を付けたいのは、急激な温度変化によるヒートショックである。血圧の大きな変動が心筋梗塞や脳梗塞、意識障害を引き起こす。これにより命を落とす人は、交通事故死者の実に4倍にも上る。
 入浴時に起こりやすいため、脱衣所や浴室を暖めたり、湯温を41度以下にし、湯に漬かる時間は10分までにしたり、入浴前後に水分補給したりするなどの心掛けが必要である。
 本年も、残すところ約1週間となった。年末年始の休みに入ると、生活リズムは崩れやすくなる。「飲食節ならざる故に病む」「坐禅調わざる故に病む」(御書1009ページ)等の道理を想起したい。
 本格的な冬。感染症を予防し、健康第一で、新年を朗らかに迎えていこう。

◆きょうの発心 祈祷抄 名古屋常勝総県婦人部長 紺野いずみ2019年12月23日

御文 大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず(祈祷抄、1351ページ・編519ページ)
通解 大地をさして外れることがあっても、大空をつなぐ者があっても、潮の満ち干がなくなっても、日が西から出ることがあっても、法華経の行者の祈りのかなわないことは絶対にない。

母子共に真っすぐ使命の道を
 法華経の行者の祈りは必ずかなうと仰せです。
 宗門事件の嵐が吹き荒れる中、1981年(昭和56年)11月に池田先生が愛知を訪問。中部文化会館で行われた自由勤行会で、一人一人を温かく激励される先生の姿に、“慈愛あふれる師と共に広布の道を貫こう”と誓いました。
 結婚後、次女を妊娠した時、重度の妊娠高血圧症候群になり、母子共に命の危険にさらされました。真剣に唱題を重ねる中、家族や同志の皆さまの祈りにも包まれて無事、出産。低体重で生まれた次女は、現在、長女と共に、親元を離れて元気に創価女子短期大学で学んでいます。
 名古屋常勝総県は、未来部、青年部、ヤング白ゆり世代をはじめ、素晴らしい人材が育っています。
 先生の第3代会長就任60周年となる明年の「5・3」へ、「皆が前進! 皆が人材!」を合言葉に幸のスクラムを拡大し、新たな勝利の歴史を築いてまいります。


【聖教ニュース】

◆東西の創価学園で音楽祭  感謝の心を込めて熱演 多数の来賓が出席

 保護者や地域の方々への感謝の思いを届ける創価学園の音楽祭が22日、東京・小平市の創価学園と大阪・交野市の関西創価学園で、それぞれ午前と午後の2度にわたって開催された。
 東西の創価小学校、中学校、高校の音楽系クラブが、一年の努力の成果を発揮した。


感謝と喜びのメロディーに包まれた東京・創価学園の音楽祭。音楽系クラブのメンバーが、希望の未来に飛翔しゆく思いを一音一音に託した

感謝と喜びのメロディーに包まれた東京・創価学園の音楽祭。音楽系クラブのメンバーが、希望の未来に飛翔しゆく思いを一音一音に託した

 東京校の音楽祭は、中学校の箏曲部の演奏でスタート。小学校のフローレンス合唱団、中学・高校の翼コーラス部が希望の歌声を響かせた。 さらに、高校の箏曲部が圧巻の演奏を披露。高校の弦楽アンサンブル部、小学校のパリブラスバンド、中学・高校の吹奏楽部が優美な音色を奏でた。
 来賓として訪れた国分寺市の古屋真宏教育長は「感謝の心が躍動感のある歌声と演奏となって胸に響いてきました」と語った。
 一方、関西校の音楽祭は、午前の部は、高校の栄光太鼓、午後の部は、中学・高校の箏曲部の熱演で開幕した。
 小学校のビクトワール合唱団、中学・高校のレオナルド合唱団の美しい歌声とユーモアのある演出、さらに、小学校のアンジェリック・ブラスバンド、中学・高校の吹奏楽部の心躍る音律に喝采が送られた。
 大阪府教育庁の片山靖隆私学監は「皆が力を合わせて奏でた思い出は、必ず将来の糧になります」と話した。

◆スペインのアルカラ大学でSDGs巡りシンポジウム   2019年12月23日

 スペインのアルカラ大学・池田大作「教育と発達」共同研究所(アレハンドロ・イボラ所長)が主催するシンポジウムが5日、グアダラハラ市の同大学教育学部の大講堂で行われた。
 これは、池田先生が本年1月に発表した「SGIの日」記念提言を学び深めるもの。提言で言及された国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」のほか、平和の文化のための教育の役割などを巡って同大学の教員らが活発に討議した。
 シンポジウムでは、イボラ所長のあいさつの後、アナ・ベレン・ガルシア・バレラ副所長が登壇。深刻化する気候変動の現実を人道的観点から捉え、最も苦しむ人々に目を向ける必要があると力説。「今いる場所から、各人が変革への力強い一歩を」と呼び掛けた。
 続いて、5人の研究者が講演。イサベル・カノ教授は、紛争地帯の子ども兵の現状等を概説。エウヘニア・モヤ教授とエレナ・デ・ヘスス教授は、北アフリカ地域の環境汚染、教育の現状に触れつつ、人々の意識改革の大切さを強調した。エンリケ・ボニージャ教授とアルゼンチン・ブエノスアイレス大学のマレーナ・レンタ教授は、ジェンダーをテーマに語った。
 最後にディスカッションを行い、より良い世界を構築するための使命が全ての人にあることを確認した。
 また、アルカラ大学のヘスス・ガルシア・ラボルダ教育学部長があいさつ。同大学の教育学部生や教職員ら約100人が参加した。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈地域を歩く〉 山口・下関市 新時代を開く天地   2019年12月23日

 新元号「令和」とともに新たな時代を迎えた日本。間もなく第2年が始まろうとしている。
 日本の歴史において、山口県の下関は、時代転換の舞台となった天地である。
 源氏と平家が雌雄を決し、最後の合戦場となった壇ノ浦。
 そして、明治維新を駆けた志士・高杉晋作による「奇兵隊」が結成された地でもある。
 今、広布の前進においても、民衆の新たな時代を開こうとする友の活躍が光っている。

源平合戦の舞台・壇ノ浦に面した「みもすそ川公園」には、源義経像と平知盛像が設置されている

源平合戦の舞台・壇ノ浦に面した「みもすそ川公園」には、源義経像と平知盛像が設置されている

 陣笠をかぶり、右手に鉄砲、腰に刀を差した勇ましい立像――奇兵隊の拠点となった陣屋跡(下関市吉田)には、「奇兵隊士之像」が凜々しく立つ。このデッサンを手掛けたのが、下関出身の画家・原野啓次さん(下関圏、圏書記長)である。

画家として活躍する原野さん
 中学校の美術教師を務めていた17年ほど前、地元から依頼が。「奇兵隊は市民の誇り。この像で地域おこしのお役に立てれば」と引き受けた。歴史博物館に通っては、奇兵隊士のいでたちを調べ、デッサンを描き上げた。その後、市民の意見も取り入れ、像が完成した。

原野さんがデッサンした「奇兵隊士之像」
 大学生の時に入会した原野さんは、「山口開拓指導」の歴史がつづられた小説『人間革命』第11巻「転機」の章を学び、心が揺さぶられた。池田先生が下関から開拓指導を開始したからだ。「この使命の地で育った弟子として、自身の可能性を開きたいと思いました」
 国立の美術大学の大学院を修了後、フレスコ画を学ぶため、イタリアへ留学。1997年に郷里の下関へ帰ってきた。
 その後、青木繁記念大賞公募展で入選。市立美術館で造形教室を開くなど、絵画の楽しさを広げる中、2010年に下関市芸術文化振興奨励賞に輝いた。現在も市美術協会の一員として、市民に絵画を教えている。
 「池田先生は『芸術は人間の生命の発露である』と言われています。この生命の発露を表現し、社会に希望を送りたい」
 
フグの魅力を全国へ
 下関といえば、取扱量が日本一のフグ。その“フグの街”で食文化を支えるのが、蒲生正博さん(下関圏、地区部長)だ。仲卸会社で営業部長を務める。
 「刺し身や唐揚げはもちろんのこと、特に冬場はフグの身が締まり、白子も大きくなるので、鍋料理が絶品です。多くの人に食べてもらいたい」

フグの仲卸会社で働く蒲生さん
 毎日、深夜に出社し、午前3時ごろに始まる競りで、良質のフグを仕入れる。除毒処理等を施した後、全国の卸売市場や料理店に出荷する。年に数カ月は全国を飛び回り、販路を開拓。だが、近年は“魚離れ”が進み、売り上げが伸び悩んでいた。

フグのオブジェ
 そこで、会社の信頼度を高めるため、食品衛生管理の国際基準「HACCP」の取得を目指すことに。蒲生さんがその中心的な役割を担った。資料作りや従業員への指導などに尽力し、2016年、フグ業界で先駆的となるHACCPの認証を得た。
 「信心で培った“負けじ魂”を燃やしました。これから、ますますフグの魅力を発信し、地元を活気づけたい」
 
ダンスで街を盛り上げる
 室町時代から江戸時代にかけ、日本へ派遣された「朝鮮通信使」。下関は、本州で最初に上陸した地である。県内最大の「馬関まつり」では毎年、朝鮮通信使の行列を再現したパレードが行われている。
 この祭りをダンスで盛り上げているのが、下関大勝圏で女子部長を務める松﨑佐代子さん。

市内でダンス教室を開いている松﨑さん
 小学4年からダンスを始め、毎年のように馬関まつりに出演。高校卒業後はアルバイトをしながら、ダンサーを目指して、数々のオーディションを受けた。しかし、あと一歩のところで合格に届かなかった。
 自信を失いかけていた時、山口県の創価青年大会でダンス部門の責任者を任された。「皆と練習する中でダンスの素晴らしさを再発見しました。どんな小さな舞台でも、踊れることに感謝できるようになったんです」
 ダンス指導員とヨガのインストラクターの資格を取得。4年前には、市内でダンス教室を開いた。母校の中学校で授業を持ったり、ダンス教室の生徒と地域行事に出演したりするなど、活躍の幅を広げている。
 
人と人をつないでいく
 本州最西端の下関は、関門橋や関門トンネルで九州とつながる交通の要所でもある。
 市内の運送会社で働く清川政人さん(下関大勝圏、男子部部長)も仕事で九州に渡る一人。

男子部の友と和やかに語り合う清川さん㊧
 2003年に結婚し、2人の子宝に恵まれた。しかし仕事が多忙で家庭を顧みることができず、07年に離婚。下関の実家に戻った。家族に会えない寂しさと悔しさが募り、涙を抑えきれなかった。そんな時、男子部の先輩が訪ねてきた。10年ほど学会活動から遠ざかっていたが、先輩は温かく包んでくれた。
 清川さんは子どもたちとの再会を目標に掲げ、御本尊に祈った。趣味のギターを会合で披露すると、皆が笑顔になった。その姿に「かえって、こちらが元気をもらいました」。
 壁にぶつかるたび、同志が一緒に題目を唱えてくれた。

ライトアップされた関門橋
 “自分も人のために尽くす生き方をしたい”と、仏法対話に挑戦。昨年8月、友人を入会に導いた。その友は、男子部大学校2期生として活動している。
 清川さんは声を弾ませる。「今は子どもたちと毎月、会えるようになりました。どんな時も寄り添ってくれた先輩のように、今度は自分が励ましの輪を広げていきます」
 
地域の火災予防に尽力
 県内一の人口を有する下関だが、市街地では車が入れない高台も多いことなどから、若者が離れ、高齢化が進む。その中にあって、和田末子さん(総県副総合婦人部長)は地域の“なくてはならない存在”と輝く。

地元の婦人防火クラブ会長の和田さん㊥。近隣に火災予防を呼び掛ける
 木造住宅が密集する丘陵地に住む和田さん。「道が狭いため、消防活動困難区域となっています。だから、火災への注意が欠かせません」
 結婚後、下関へ。1987年から32年間、貴船本町自治会婦人防火クラブの会長を務める。97年に近隣のアパートが全焼する火災が起き、“絶対に火事を出してはいけない”と決意。消火訓練の実施や住宅用火災警報器の共同購入の推進など、住民の防火意識の向上に努めてきた。
 こうした功績が評価され、和田さんは本年7月、総務大臣から表彰された。「やっていることは、日頃の学会活動と同じです。一軒一軒訪ね、一人一人と対話する。その絆が、火災予防にもつながっています」
 
地歌・箏曲で文化振興
 箏や三味線を弾きながら、伝統音楽の「地歌」を披露する箏曲演奏家・柳瀬和子さん(下関圏、支部副婦人部長)。九州系地歌箏曲演奏家だった母の影響で小学5年から箏を習い始めた。

地歌箏曲演奏家の柳瀬さん㊨は、後進の育成にも取り組む
 結婚後、1男3女の子育てに追われ、一時は箏曲から離れた。しかし、300年続く伝統を絶やすまいと、母のもとへ。その柳瀬さんの姿を見て、3人の娘も演奏家の道へ進んだ。
 柳瀬さんは現在、下関邦楽協会や下関三曲連盟で会長の重責を担う。「子どもたちが育った下関の地に、恩返しできたらと思って、引き受けました」
 定期的に演奏会を行うとともに、毎年、市内の芸術祭に出演。後進の育成にも取り組む。
 本年10月には、韓国の「釜山芸術祭」に出演し、娘たちと共に美しい音色を奏でた。柳瀬さんは文化交流を通して、日韓友好の橋を架ける。
 
“友好の橋”を架けよう

下関駅東口近くにある「釜山門」
 下関駅東口から少し歩くと「釜山門」と書かれた門が現れる。この門から約800メートルにわたって、キムチの食材店や焼き肉店など韓国風の店舗が続く。
 「ここは『リトル釜山』と呼ばれているんですよ。韓国紙幣が使える店もあります」
 そう教えてくれたのは、下関広域日韓親善協会会長の友松弘幸さん(下関大勝圏、副圏長)。

長府東部自治連合会で会長を務める友松さん㊥。長府は、長府毛利藩の城下町として栄え、幕末維新の舞台となった
 下関は釜山まで約220キロ。1905年には連絡船が開業し、韓・朝鮮半島への玄関口となった。70年には関釜フェリーが就航。旅行者や物資の往来が盛んに。76年、下関市と釜山広域市は姉妹都市になった。
 友松さんが所属する親善協会では毎年、講師を招いて韓国文化論講座を開催。また年数回、釜山を訪れ、交流を重ねている。「日韓関係が悪化している今こそ、民間交流でつながり続けることが重要です。池田先生が『韓国は文化大恩の国』と語られている通り、韓国を敬い、友好を深めていきたい」
 地元では、長府東部自治連合会の会長としても奮闘。地域の清掃や認知症への理解を深める催し等を行い、同連合会は先月、「生活環境改善模範地区」として県知事表彰を受けた。
 「日韓友好も地域交流も、『目の前の一人』を大切にすることから始まります。それは全部、学会で学んだことです」
 
下関市の街並み
 かつて池田先生は山口開拓指導を振り返り、下関についてこう記した。
 「広宣流布という新・民衆革命の発進地として、これほどふさわしい場所はない」
 新たな民衆革命の発進地・下関から、次代の夜明けは始まる。

◆〈座談会〉 地道な陰の尽力ありて学会は発展 全ての功労の友に心から感謝 音楽隊・鼓笛隊が堂々の日本一 青年の躍動が希望に

〈出席者〉原田会長、長谷川理事長、永石婦人部長、志賀青年部長、大串女子部長

 志賀 音楽隊の創価ルネサンスバンガードが、先日行われたマーチングバンドの全国大会で「内閣総理大臣賞」を受賞し、16度目となる“日本一”の栄冠を手にしました。

 大串 鼓笛隊の創価中部ブリリアンス・オブ・ピースも、バトントワーリング全国大会の「一般部門」で、2年連続6度目の第1位に輝きました。

 長谷川 皆が大健闘をたたえています。21日には、明年の東京五輪・パラリンピックのメイン会場となる国立競技場のオープニングイベントに創価ルネサンスバンガードと鼓笛隊が出演しました。その迫力の演技・演奏に会場からは大きな拍手がわき上がりました。

 原田 今年も音楽隊、鼓笛隊の皆さんは全国で、さまざまな地域行事に招へいされ、多くの人たちに希望と勇気を送ってくれました。池田先生も「誉れの青年と乙女が高らかに打ち鳴らす新時代の暁鐘」とつづってくださっています。誠にありがとうございます。

 志賀 今月は、青年部代表による友好交流団が韓国を訪問。韓国のメンバー
と互いの広布史や師弟の原点を確認し合うなど、有意義な機会となりました。

 大串 特に今年は、池田先生が国立済州大学の名誉文学博士号の授与式に出席するため、済州島を訪問されてから20周年に当たり、地元メンバーの思いも深く、大歓迎を受けたそうです。

 志賀 韓国の同志は、先生の「よき市民」「よき国民」との指針を胸に、長年、地域貢献を続け、社会で深く信頼されています。交流団のメンバーも、そのことを強く実感したと語っていました。

 原田 今、日韓関係が困難にある中で、民間交流の大切さが強調されています。こうして両国の青年が友情を深め、絆を結ぶことは大いなる希望です。

 永石 池田先生は、韓国は「文化大恩の国」であるとし、先頭に立って人間外交を貫き、文化交流の道を開いてこられました。

 大串 これまで、韓国からは池田先生に多くの名誉市民の称号が贈られています。いずれも、世界平和、両国の友好への貢献をたたえてのものです。

 志賀 後継の私たちは、両国間の友好交流をさらに深めていく決意です。

マーチングバンドの全国大会で16度目の“日本一”に輝いた、音楽隊の創価ルネサンスバンガード。圧巻の演奏・演技に、会場は喝采に包まれた(15日、さいたまスーパーアリーナで)供養の功徳は無量

 原田 本年の財務の納金を無事故で終了することができました。広宣流布のため、真心で取り組んでくださった全ての方々に、心から感謝申し上げます。

 永石 日蓮大聖人は、夫妻で純粋な信心を貫いていた妙密上人に「便りのたびに送られる青鳧5連の御供養の志は、日本国に法華経の題目を弘められている人に相当するのです。国中の人々が、一人、二人、そして千万億の人が題目を唱えるならば、思いもかけない功徳が、身に集まるでしょう」(御書1241ページ、通解)と御断言です。

 長谷川 今日、広宣流布を現実の上で進めているのは創価学会以外にありません。御供養の功徳は計り知れないと、拝されます。

 原田 多くの同志の方々が真心の財務をもって学会を守り、広布の勝利の道を開いてくださっています。お一人お一人が、大福運に包まれ、勝利の人生を歩みゆかれることを、さらに真剣に祈ってまいります。

「変毒為薬」の実証

 長谷川 今年は台風や大雨等が相次ぎ、各地で災害が多く発生しました。池田先生は「大白蓮華」12月号の巻頭言で、被災された方々の激励、支援に奮闘された創価の宝友たちに心から感謝され、「被災地はもとより、いずこでも、わが同志の真心あふれる献身は地域・社会の依怙依託となり、信頼と安心の『根』を揺るぎなく張り巡らしている」とつづられました。

 志賀 青年部の清掃ボランティア「かたし隊」も各地で結成され、地域からも感謝の声が寄せられました。

 原田 私も被災された方々のもとへ伺わせていただきました。励まし合いながら苦難に立ち向かい、変毒為薬の実証を示そうと奮闘されている姿に、創価家族の力強さを改めて実感いたしました。一日も早い、復旧・復興を皆で祈り、応援していきましょう。

 永石 あらゆる苦難に打ち勝ちながら、本年は全ての広布の戦いに勝利することができました。その陰には、多くの方々の献身的な行動があったことを忘れてはいけないと思います。

 長谷川 会合の運営や、各会館の警備、清掃、設営等に、創価班、牙城会、白蓮グループ、王城会、香城会、会館守る会、一日会館長の創価宝城会をはじめ、多くの方々のご尽力をいただきました。

 原田 新聞長、儀典長・儀典委員、教宣部、統監部、未来本部長、21世紀使命会の皆さまに心から御礼申し上げます。

 永石 民音推進委員、本紙通信員の方々、さらに個人会場の提供者の皆さまと、そのご家族の方々にも深く感謝いたします。

 長谷川 そして日々、聖教新聞を配達してくださる「無冠の友」の皆さま、
本当にありがとうございます。

 原田 池田先生は15日付の「四季の励まし」につづられました。「創価学会には、誰も見ていないところで、広布のため、同志のため、また地域のために、地道に真剣に努力している人が数多くいる。その人たちのおかげで学会は発展してきた。そういう陰の立場の人を、心から大切にしていくことだ」と。私たちも一年の締めくくりに、全ての功労の友をたたえ、感謝の心を伝えてまいり
たい。

 長谷川 なお、例年の確認となりますが、組織での「忘年会」「新年会」は厳禁です。少しでも油断があれば、学会の清浄な信心を壊す因になりかねません。

 原田 せわしない年末、無事故を呼び掛け合うとともに、細心の注意を払い、すがすがしい和楽のスクラムを広げていきましょう。

◆〈世界の体験プラザ〉「雨に唄えば」にも出演 ブラジルのミュージカル俳優
 ブラジルSGI ヘイネル・テネンテさん

「変毒為薬」という希望の哲理
 私が舞台俳優を志したのは14歳の時でした。幼い頃からピアノのほかに彫刻や絵画などを習っていたこともあって、芸術というものに興味があったのです。やがて学校の演劇や市の舞台公演などに出たことで、演劇に魅了されました。
 鉄鋼業を営んでいた両親も、私の夢を応援してくれました。親元を離れてリオデジャネイロ州連邦大学の舞台芸術学科に進学。両親の支えのおかげで、私は何不自由ない学生生活を送っていました。
 ところがまだ在学中だった23歳の時、両親が離婚し、経営する会社も倒産してしまったのです。加えて、リオデジャネイロは俳優を目指す才能ある人たちが、しのぎを削っている街です。舞台芸術学科を卒業したものの、憧れていたミュージカル俳優の仕事など簡単には手に入りません。
 1LDKの狭い部屋を友人4人でシェアする生活。アルバイトをしてもなお、何度も友人から食べ物を分けてもらうような厳しい経済状況でした。
 24歳になっていた2004年の夏。悲嘆と焦燥の底にいた私に転機が訪れました。友人のイジー・シャバリさんが「変毒為薬」という仏法の哲理を通して励ましてくれたのです。彼女は、教育と文化を通して平和な世界を築くSGIの運動の素晴らしさを語ってくれたのでした。
 苦境にある今が、実は自身の変革のチャンスだ――。その日から唱題に挑戦し、10月には正式にブラジルSGIに入会しました。

苦境は必ず乗り越えられる
 高校で演劇を教える講師の職を得たとはいえ、それでも生活はギリギリでした。08年に新たに私が部屋を借りられたのは、低所得者層が暮らす、リオでも治安が悪いといわれていた地域でした。家具らしいものは御本尊を安置するお厨子のみ。ベッドすらなく、床に服を何枚も重ねて敷いて眠っていました。
 しかし、私に落胆はありませんでした。SGIの同志は、危険なエリアとされていることを承知の上でなお、励ましに通い続けてくれました。その同志の姿に勇気づけられ、私も唱題を重ねました。道を歩いている時も、心の中で題目を唱え続けました。
 日蓮大聖人は「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」(御書1253ページ)と仰せです。
 今がどんなに苦しくとも、未来が開けることは絶対に間違いない。自分は祈りで必ずこの苦境を乗り越えていくことができる。SGIの信仰を貫いていく中で、私はそう確信できるようになったのです。断じて勝ってみせると決めて、リオで踏ん張り続けました。
 入会から8年目の11年5月のことです。ブラジルSGIの会合で上演される演劇に出演を依頼されました。舞台を見てくれるSGIのメンバーに勇気と希望を届けたい。その一念で、私は全身全霊を込めて舞台に立ちました。
 その直後に、思いがけない一本の電話がかかってきたのです。

「一本の道」をどこまでも歩む
 それはなんと、著名な演出家が手掛けるミュージカルへの出演依頼でした。私のことを知っていた監督が、演出家に推薦してくれたというのです。オーディションすら経ることなく、そのまま出演が決まりました。長年の確信の祈りがついにかなった瞬間でした。
 こうして同年8月から13年の年末まで、尊敬する演出家や一流の俳優陣と一緒に、大きな役を務めることを経験できたのです。
 その後も、毎年途切れずに舞台の仕事をいただき、経済的にも安定して家族を支援できるようになりました。
 同時にキャリアの一層の前進を目指し、16年にはリオデジャネイロ州連邦大学の大学院に進学。舞台芸術の修士号を取得しました。さらに、タップダンスのレッスンに通い猛練習を続けました。世界中で愛されているミュージカル「雨に唄えば」への出演を勝ち取ろうと決めていたのです。
 満を持して17年3月に行われたオーディション。1200人以上の応募者の中から、私はメインの4人のうち、コズモ役として抜てきされました。
 また、これも祈り続けてきた結果、「ミュージカル俳優養成研究所」を設立することができました。ダンス学校の1部屋を間借りして始めたこの事業も、今では150人の生徒が学ぶ規模にまで発展しています。ブラジルの文化と教育のために、ここから多くの俳優を輩出するのが私の使命だと思っています。
 自身の体験を語り抜き、これまで20人の友人を入会へと導きました。私が高い志を持ち続け、恐れずに歩み通してこられたのは、池田先生の絶え間ない励ましと、SGIの同志がいたからです。

 ずっと大切にしてきた池田先生の詩があります。
 「一本の道がある/この道こそ/僕が愛し 決めた道だ/この道を歩くとき/僕の顔には/希望とほほえみが湧く/僕は/この道から絶対に逃げない」

2019年12月22日 (日)

2019年12月22日(日)の聖教

2019年12月22日(月)の聖教

◆わが友に贈る

   自分で幸福をつくり
 自分で幸福を味わえる。
 これが信心の醍醐味だ。
 生きがいのある人生へ
 勇気の一歩を今こそ!

◆名字の言

パン屋がパンを焼けるようになること――そんな“当たり前の日常”を取り戻すことが難民問題の解決だと訴えたのは、今年、92歳で亡くなった緒方貞子さんである▼日本人初の国連難民高等弁務官を務め、イラクのクルド人支援、ルワンダ難民など冷戦後の大量難民問題に取り組んだ。国家中心の安全保障に代わる概念として、あらゆる脅威から人々の生存や尊厳を守る「人間の安全保障」を提唱したことでも知られる▼現場主義を貫き、人々の中に飛び込んでは、一人一人の声をもとに対策を講じた。その姿が尊敬を集め、アフリカでは子どもに「サダコ」と名付ける人も多いという。緒方さんは「人々の苦しみに接するたびに湧き上がった怒りと悲しみが、いつでも、この仕事を続ける原動力」と(東野真著『緒方貞子――難民支援の現場から』集英社新書)▼リーダーが現場を知らなければ確かな舵取りはできない――人道支援に限らず、あらゆる運動の鉄則だ。広布の現場でも全く同じである。リーダーが最前線で同志に寄り添い、共に悩み戦ってこそ、新しい時代を開く知恵と力が湧く▼今、緒方さんの志を継ぎ、人道支援の分野で献身する日本人が増えているという。真剣な「一人」の行動によって、世界は少しずつ変わっていく。(朋)

◆寸鉄

青年が青年の責任で理想
の学会を建設せよ―恩師
君よ新時代の山本伸一と
     ◇
統監部の日。カード一枚
は同志の生命。広布伸展
はこの真剣な作業ありて
     ◇
「勝つことを千里の外に
決せし者なり」御書。明年
の勝利へ。充実の協議を
     ◇
きょう冬至。厳寒の中も
使命に胸張る無冠の友に
感謝。健康と無事故祈る
     ◇
配線器具の火災が多し。
主な原因はプラグ周辺の
埃と。入念に点検・清掃

◆社説 きょう「統監部の日」  「一人」を大切に 幸福を拡大

 「銀行の方々は、金銭の数字を数えている。出版社の方々は、本の部数を常に念頭においている。私ども創価学会は、地球上で最も尊厳な生命を守り、どれだけの人に妙法を受持せしめ、幸せにしたかということを数えるのである」。池田先生が紹介した恩師の言葉だ。
 どれだけ多くの人を幸せにしたか。ここに、私たちが妙法を弘める目的がある。
 その“幸福拡大”において、欠かせないのが統監作業だ。転入・転出した友や新たに入会したメンバーへ、漏れなく励ましの手が行き届くよう、迅速・正確を期していきたい。
 今や、世界規模で広布は進む。中でも発展目覚ましい国の一つがインドである。地涌の連帯は2015年に10万人を突破し、18年に20万人を超えた。
 同国では、毎月の座談会や御書講義、小説『新・人間革命』の研さん会といった会合の出席状況を、統監に照らして確認。“しばらく会合に出られていないメンバー”に焦点を当てた励まし運動を、各部が連携して行っている。そのこまやかな訪問・激励によって、主体的に学会活動に励む友が増えているという。
 「地域の同志一人一人が、『信心即生活』のリズムを確立できるようにするのが、私たちの役目です」と、統監作業に携わる友は語る。
 研修用VOD「広布の要 地区統監」で強調されているように、統監作業は単なる組織実態の把握ではなく、一人一人への励ましを明確にする場である。
 御書に「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり」(1136ページ)と。信心は“持ち続けていく”中で、体験が積まれ、確信が深まり、歓喜の人生が開けていくものだ。しかし、自分一人で続けていくことは容易ではない。互いに支え合い「持続の信心」を貫くためにこそ、学会の組織はある。
 池田先生は、1982年に行われた全国統監部長会の席上、冒頭の戸田先生の言葉を通して、“妙法を受持せしめた人を、生涯にわたって成仏という最高の境涯に至らせるために守りに守り、支えに支えていくのが、宗教者の責務である”と強調し、統監部は「広宣流布推進の骨格」であると、尊き使命をたたえた。
 きょう22日は「統監部の日」。
 「一枚の統監カードは『一枚の紙』にあらず『一人の生命』なり」との永遠の指針のまま、地道に丁寧に作業に当たる同部の友の献身があってこそ、一人一人に光を当てることができる。目標も明確になり、広布は力強く進んでいく。
 明「前進・人材の年」も、陰の労苦に励む統監部の友への感謝を胸に、一人を大切にする行動に徹したい。

◆きょうの発心 上野殿御消息 奈良総県副総県長 上山幸寛2019年12月22日

御文 相構て相構て心を翻へさず・一筋に信じ給ふならば・現世安穏・後生善処なるべし(上野殿御消息、1528ページ・編841ページ)
通解 相構えて、相構えて、心を翻さず、(御本尊を)一筋に信じていくならば、現世安穏・後生善処となっていくのである。

“創価の薫陶”で苦難に勝ちゆく
 信心を貫いていけば、今世だけでなく来世も揺るがぬ安楽の境涯を築けると教えられています。
 わが家の入会は、1961年(昭和36年)です。父の病気や経済苦などの困難を、多くの同志の励ましによって一つ一つ信心で乗り越えてきました。
 そんな父は本年8月に93歳で霊山へ。生前、74年(同49年)の池田先生の香港訪問の折に示された「仏法即生活なれば、一人も漏れなく功徳の生活の実証を!」等の指針を大切にしていました。父から受け継いだ「仏法即生活」での、功徳の実証が、私の信心の確信になっています。
 2人の子どもは関西創価高校、創価大学を卒業。現在、共に和楽の家庭を築き、使命と後継の道を歩んでいます。今この時に一家そろって広布の舞台で戦えることを、最高の功徳だと感じます。
 先生は今夏、「苦難や葛藤があっても、絶対に屈しない負けじ魂の信心を磨き抜くのが、創価の薫陶である」とつづってくださいました。これからも、先生と共に、学会と共に生き抜き、縁する方々に勇気と希望の励ましを送り続けていきます。


【聖教ニュース】

◆音楽隊・鼓笛隊が新国立競技場のオープニングイベントで熱演  2019年12月22日

国立競技場のセレブレーションパレード。約6万人の観衆が見つめる中、音楽隊・創価ルネサンスバンガードと鼓笛隊が堂々と行進した(国立競技場で)

国立競技場のセレブレーションパレード。約6万人の観衆が見つめる中、音楽隊・創価ルネサンスバンガードと鼓笛隊が堂々と行進した(国立競技場で)

 2020年の東京五輪・パラリンピックのメイン会場となる国立競技場のオープニングイベント「HELLO, OUR STADIUM」が21日、東京・新宿区の同競技場で盛大に開催された。「文化パート」のセレブレーションパレードに音楽隊・創価ルネサンスバンガードと鼓笛隊が出演した。
 競技場完成を祝し、日本を代表するアスリートやアーティストをはじめ、約6万人の観衆が詰め掛けた同イベント。パレードには、近隣地域の商店街、学校、企業など56団体、1500人を超える市民が参加し、バンガードのファンファーレで行進が始まった。
 両隊らが、エルガーの行進曲「威風堂々」第1番を勇壮に奏でながら先導。実力光る大迫力の演技・演奏に、スタジアムは大きな拍手喝采に包まれた。


◆フィリピンで総会――「前進・人材の年」の勝利へ出発  2019年12月22日

異体同心の仲良き団結が光るフィリピンの創価家族(マニラ国際平和会館で)

異体同心の仲良き団結が光るフィリピンの創価家族(マニラ国際平和会館で)

 勢いよく対話と人材を拡大し、幸の連帯を大きく広げるアジアのSGI(創価学会インタナショナル)の友。
 「皆が前進!」「皆が人材!」の心で“人間革命の大叙事詩”をとの誓いに燃え、明「前進・人材の年」の勝利へ出発を切る集いが、各地でにぎやかに開かれている。
 「フィリピン広布55周年」の掉尾を飾るフィリピンSGIの総会は8日、国内4会場で盛大に行われた。
 これには、池田大作先生がメッセージを贈り、「月月・日日につより給へ」(御書1190ページ)の御聖訓を拝しつつ、学会と共に、良き同志と共に、「昨日より今日、今日より明日へと前進を」と強調。どこまでも仲良く、朗らかに、平和と幸福の連帯を広げていこうと訴えた。
 マニラ国際平和会館の集いでは、音楽隊・鼓笛隊が演奏を。各部の代表が明年への抱負を力強く述べた。
 アルカンタラ理事長は、一人一人が主役となり、地域社会に信頼と友情の輪を広げようと語った。

◆ネパールで総会――アジアに広がる幸の連帯 2019年12月22日

ネパールSGIの総会に集った同志が、広布伸展を約し合い、記念のカメラに(カトマンズで)

ネパールSGIの総会に集った同志が、広布伸展を約し合い、記念のカメラに(カトマンズで)

 釈尊生誕の地で勇気の対話に挑むネパールSGIの友は11月30日、首都カトマンズで晴れやかに総会を開催した。
 席上、池田先生からの記念のメッセージが紹介された。先生は、ネパールを訪問してから四半世紀近くになることに触れ、「皆さんは世界広布の先駆者として自行化他の題目を唱えながら、縁する一人一人に妙法の種を植え、職場や地域で信頼と友情の輪を広げて来られました」との励ましの言葉を贈り、良き市民として平和のためのさらなる活躍をと望んだ。
 総会では、婦人部や青年部、未来部の有志が踊りや演奏を披露。代表4人が活動報告し、信心根本に師弟の道を歩む姿に大きな拍手が送られた。
 シャルマ理事長は、池田先生とネパールの原点に言及しつつ、「師弟共戦の心で友を励まし、堅固な希望と幸福のスクラムを幾重にも築きゆこう」と呼び掛けた。

◆「烈風魂」の原点から50年 5千人の和歌山大会  2019年12月22日

 「皆さんが喜んでくださるんでしたら、なんでもやります。私は、皆さんの会長だもの!」
 「よーし、やるぞ!」
 1969年12月21日――和歌山県立体育館。池田先生は愛する友のために、高熱を押し、文字通り命を削って「武田節」を舞った。その勇姿は今なお和歌山、関西、そして全国の同志の「戦う心」を鼓舞し続ける。
 2019年12月21日――50年前と同じ日、同じ舞台を、5千人の「武田節」の大合唱が揺るがした。

 「烈風魂」の原点から50周年を記念する和歌山大会が21日、原田会長が出席して同体育館で開催された。
 池田先生は万感こもるメッセージを寄せ、烈風魂をみなぎらせて本年の全学会の勝利をけん引した和歌山の戦いを称賛。我らの広布の行動こそ地涌の菩薩の「真髄の舞」であると述べ、自他共に無量無辺の大歓喜の舞を勝ち広げ、世界が仰ぎ見る創価の勝利城を築きゆこうと呼び掛けた。

50年前と同じ日、同じ舞台から
和歌山よ舞え!「次の50年」へ

 

愛する和歌山の同志のために、高熱を押して「武田節」を舞う池田先生(1969年12月21日、和歌山県立体育館で)

愛する和歌山の同志のために、高熱を押して「武田節」を舞う池田先生(1969年12月21日、和歌山県立体育館で)

 命を削る師の激励。それに応えて、常勝関西の輝く金字塔を打ち立てた和歌山の同志。50年前の師弟共戦の劇は、広布の歴史に燦然と輝く。以来、「連戦連勝の和歌山」の伝統が築かれ、本年も和歌山は、日本一の立正安国の実証を打ち立てた。
 大会の第1部では、50年前の県幹部会をはじめ、1974年、81年、85年に刻まれた池田先生の和歌山指導の歴史を紹介。郷土の師弟の原点を確認しつつ、各部の友が、烈風魂を受け継ぐ決意を込めて演技・演奏を展開した。
 鼓笛隊の熱演で幕が開けた後、少年少女部が“大楠公”等を凜々しく合唱。壮年部の有志が「武田節」を勇壮に歌い、音楽隊「創価和歌山ブルーイーグルス」が迫力の演奏を披露。婦人部の合唱団は県愛唱歌「和歌山愛さむ」等を美しく響かせた。そして青年部によるダンスと合唱が、壮麗にフィナーレを飾った。
 この舞台を陰で支えた運営役員の一人が中川勇樹さん(和歌山大城県、圏男子部長)。大手化学メーカーの研究員として社会で実証を示す。大会をリーダー率先の弘教で飾ろうと、小学校時代の友人と仏法対話。今月、友人とその父親の2人を入会に導いた。「一人でも多くの友が先生と直結の人生を歩めるよう、戦ってまいります」と誓う。
 舞台を見つめる友の中には、50年前の参加者も。吉村純三さん(和歌山戸田県、副総県長)は当時、中学3年生。池田先生の勇壮な舞に感動し、“生涯、先生と一緒に歩む”と決めた。
 高熱を押しての激励だったのを知るのは、神奈川の大学に進学してからのこと。和歌山を思う師の心に応えようと、地元で教員に。37年間、教育に携わり続けてきた。県教育委員会に勤めた時には、ふるさと教育のための副読本作成に尽力。子どもたちに、和歌山の素晴らしさを伝えることもできた。「先生の愛する和歌山のため――この一点でこれからも進みます」
 阿辺和子さん(和歌山池田県、支部副婦人部長)は
50年前の幹部会の前後に、相次いで夫と長女を亡くした。先生との原点を心の支えに、女手一つで子育てし、人生の苦難を乗り越えてきた。次女は地区婦人部長、三女は支部副婦人部長として後継の道を歩み、今回の大会には、孫やひ孫など4人の家族が出演した。
 「先生と共に苦難の坂を越えてきたからこそ、今があります。生涯、報恩の人生を歩んでいきます」
 ――幹部会の第2部では、谷川主任副会長が池田先生のメッセージを紹介。中林総県長、山下同婦人部長、土井同男子部長、東本同女子部長が、全国をリードする拡大で、和歌山の未来を勝ち開こうと訴えた。
 山内関西長は和歌山総県の新スローガン「みなぎる烈風魂! 今再び 連戦連勝の勝ち鬨を!!」を発表。
 原田会長は「日本一の名演」と熱演をたたえ、50年前も50年後の本年も、師に応える「日本一の拡大」を成し遂げた和歌山を称賛。次の50年も、“和歌山を見よ”と言い切れる痛快な前進をと呼び掛けた。
 最後に全員で「武田節」を大合唱し、和歌山の同志は誓い合った。「烈風魂」よ不滅なれ――と。

【特集記事・信仰体験など】

◆〈世界のザダンカイ〉イタリア 何でも語り合える!だから行きたくなる2019年12月22日

座談会終了後も、そこかしこで対話の花が咲いていた

 「前進・人材の年は、新たなザダンカイ革命から出発だ!」――池田先生は「大白蓮華」11月号の巻頭言でつづった。座談会は世界共通の“広宣流布の推進力”。各国の集いには、さまざまな知恵と工夫が光り、学ぶところは大きい。このうち、1960年代から座談会を開催してきたイタリアでは、どのように取り組んでいるのか。首都ローマとナポリの組織を取材した。

ローマ
 イタリアの座談会は原則、日本のブロックに相当する「グループ」で行われる。
 ローマ北東部。歴史的建造物などが立ち並ぶ旧市街の一角では、ラツィオ第3州・ヴェスコーヴィオ支部のメンバーが活動している。
 4地区13グループで構成される同支部。その一つに、「デシエ」という通りの名前を冠したグループがある。
 デシエグループは、メンバーが14人。うち6人が、この3年で御本尊を受持した新会員だ。
 同グループでは、座談会の1週間前に協議会を開催。リーダーが心を合わせて当日の結集と成功を祈り、テーマや内容などを検討する。
 10月2日の座談会は、11階建てマンションの10階の一室で行われた。定員2人の小さなエレベーターが、参加者を順番に会場へと運んでいく。
 イタリアでは、青年部や新会員らが運営役員に就き、座談会を陰で支える。この日も、仕事などから駆け付けた友を、真心込めて出迎える役員の姿があった。
 開会前に有志で30分唱題。「ボナセーラ!(こんばんは!)」――午後8時になると、会場提供者でグループ長のセレーナ・チャッロッキさん(婦人部)を中心に、勤行がスタートする。
 その後は、互いの顔が見えるよう、全員で輪になって、会合が進められていった。
 まず、もう一人のグループ長であるフランチェスカ・ローサさん(同)が、イタリアの機関誌の内容から選んだ座談会のテーマ「諦めない姿勢」を発表。自身の挑戦として、師弟の精神が脈打つ機関誌の購読推進に取り組む決意を述べた。
 ここからは、テーマに沿って、参加者が体験や決意を発表するコーナーに。最初に話したのは、女優のエリカ・ザンベッリさん(同)である。
 「信心して3年。御書の『一生成仏抄』の一節を身で読むことができました。その御文は『深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり』(384ページ)です」
 ――入会前のザンベッリさんは、周囲の評価を気にするあまり、心身共に疲れ果てていた。
 転機は2年前。あるテレビ番組のオーディションを受けた時だった。結果が発表になるまでの3カ月間、真剣に唱題。しかし、選ばれたのは別の人だった。
 落胆は大きかったが、祈る中で気付いたことがある。“こうして困難にぶつかることで、私の余計なプライドが取り除かれているんだ”と。
 再び前を向いて歩きだすと、思いがけず別のオーディションの話が舞い込み、映画への出演が決定。作品は反響を呼び、国内で話題となった。
 「私の使命は周囲に希望を送ること。これからも題目で心を磨き、何事にも諦めずに挑んでいきます」との言葉に、大きな拍手が送られた。
 他のメンバーも続けて発言していく。
 「過去に縛られるのではなく、決意した瞬間から人生を変えていけると分かったことが、私の確信になっています」
 「入会して自分に自信を持てるようになりました。仕事で落ち込むことがありましたが、祈って決めた職場です。転んでも何度も立ち上がり、使命を果たしていきます」
 そして終了間際、ミュージシャンでもあるイタリアのチッコレッリ男子部長が、仕事の実証と弘教のドラマを語り終えると、時計の針は閉会まで残り2分を指していた。
 「最後に話したい人はいますか?」との呼び掛けに、あるメンバーがすぐさま、「職場の人間関係に悩む同僚を信心で幸せにします」と力強く。
 この信仰で学びつかんだ「諦めない姿勢」を、一人でも多くの友に伝えたい――。窓の外はすっかり暗くなっている。だが、自他共の幸福の建設を目指す同志の情熱は、赤々と燃え盛っていた。

ナポリ
 ナポリはローマ、ミラノに次ぐイタリア第三の都市。池田先生が足を運んだ1963年には、まだ学会員がいなかった。
 このナポリを州都とするカンパニア州にメンバーが誕生したのは、70年代後半。先生の6度目の同国訪問となった81年には、ナポリとサレルノの同志がフィレンツェで、師弟の出会いを結んだ
 「カンパニア州では、この日を起点に本格的な広布の活動が始まりました」。そう語るのは、州壮年部長のジュセッペ・パラトゥッチさん。サレルノ出身で先生が同国を訪れた翌82年に入会した。
 同州は今、ナポリとサレルノの2方面体制へと発展。その中で、弘教と青年拡大の模範を示すのがナポリ方面のヴェスヴィアーノ海岸支部。この一年で12人が入会した。
 だが、州副女子部長のアレッシア・フッチさんが支部内に転居してきた数年前までは、青年部がいなかったという。
 そこから、どのように伸びていったのか。
 「一つは各部一体の団結の強さ。もう一つは、会う人会う人に仏法を語る“対話の習慣”です。そして最後は、やはり座談会ですね」とフッチさん。壮年・婦人の励ましと地道な下種、何より座談会の温かな雰囲気に触れ、男女青年部は40人近くにまで増加した。
 10月5日には、同支部など州の代表が集い、交流座談会を開催(ナポリ県エルコラーノ市内)。「信心即生活」をテーマに、日頃の活動の様子などを語り合った。
 「先日、私と同じように両親との関係に悩んでいる人に出会いました。迷いましたが、思い切って仏法対話をしたら、お姉さんが信心しているとのこと。仏縁を大事にしていきたいです」
 「父はムスリム(イスラム教徒)、母はカトリック、私は創価学会と、わが家は宗教の“ミックス”です(笑い)。その中で私らしく一家和楽を目指しながら、医者になる夢を実現します!」
 形式的でなく、何でも自由に語り合える――それがイタリアの座談会。
 かつて先生は、随筆に記した。
 「限られた時間では、皆が話せぬ場合も多い。だが、勇気と決意に漲り、和気あいあいと心の通った座談会ならば、誰でも『次もまた来よう!』と満足していける」
 「個人指導、対話の拡大、地域・社会での実証、当日の座談会の充実――座談会に連動したダイナミックな“幸福勝利のリズム”が『大座談会運動』の本質ともいえよう」
 ルネサンスの国には、師が示した“全員が主役”の理想が輝いている。

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◆〈信仰体験〉〈生きるよろこび〉トリーチャー・コリンズ症候群の私
 美しさを開いていく人生 自分を否定しない。大切に、もっと大切に

 【東京都町田市】親と出掛けた地域イベントでのことは、今も鮮明に覚えている。近くにいた男の子がじっとこちらを見ていた。当時3歳の成美さん=総区女子部主任部長(区女子部長兼任)=は、母・千幸さん(57)=地区副婦人部長=の後ろに隠れた。“私は周りと違うんだ”。トリーチャー・コリンズ症候群(メモ)を患い、自宅の外では傷つくことばかり。世間の目が、“私”を否定する。自分を大切になんて、できなかった。

同じでいたい
 他人の視線に気付くと、にらみ返す。小学生の時から、ずっと、そうしてきた。指をさし、こそこそと話す人もいる。胸が引き裂かれた。
 幼稚園でのこと。「好きな色は何?」。本当はオレンジと答えたい。隣の子に合わせて「青」と答えた。夢を書く時も、他の女の子たちとそろえて「ケーキ屋さん」。
 小さい頃から、みんなと“同じ”でいることが、安心する方法だった
 外に出れば、嫌な思いをする。それでも、外出が苦にならなかったのは母のおかげ。いつも「かわいい」と言ってくれた。わが子のことを隠そうとせず、会合、家庭訪問、どこへでも一緒だった。
 父・和久さん(62)=地区幹事(本陣長<ブロック長>兼任)=は「顔のことは気にする必要がないよ」と言い切ってくれた。家族の愛情が心を保たせてくれた。
 それでも、思春期になると劣等感に染まった。中学の教室。好きなアイドルの話題になると押し黙った。
 “私なんかに好かれるなんて、その人がかわいそう。世の中に私より、ブサイクな人はいないんだし”
 大人の善意に、どれだけ心がえぐられただろう。「美容整形を考えたら」は、“容姿が悪いんだから”とも聞こえた。
 高校に入ると初対面の人には、まず説明した。「病気のせいでこういう顔なんだ」。傷つかないための予防線だった。
 新しい環境のたび、心が張り詰める。それでも、大学進学を決めた。夢があった。言語聴覚士。手術を重ね、術後の生活で苦しんだ分、“誰かの力になれたら”。2007年(平成19年)、大学生になった。

肯定してくれた
 キャンパスでは、おしゃれを楽しむ人がまぶしく映った。暗い毎日の景色を変えたのは、女子学生部の先輩だった。
 知り合った日。キラキラした目で言ってくれた。
 「背が高くていいね!」
 会った瞬間に容姿のことを褒められたことなんてない。何げない言葉でも、自分だけに向けられた言葉。“私”という人間を丸ごと認めてくれたみたい。
 同志だと初めて知ったクラスメートは「学会員だったんだ!」と声を掛けてくれた。彼女は、無表情な自分が申し訳なくなるくらいの笑顔だった。
 “この人たちと一緒に、私も変わっていきたい”
 そう思った。
 1年生の秋、池田先生に決意文を書き、思いを詰め込んだ。後日、先生から激励が届く。<勝利と幸福を祈りつつ>。励ましの言葉が添えられていた。冷え切った心が温かくなる。
 “世界の片隅の、どん底にいる私を見つけてくれた”
 話し掛けられないと、うまく会話ができない。それでも、同じ病気の友人に仏法対話をすると決めた。

仏性は必ずある
 勇気を振り絞って話した帰り道。胸がモヤモヤした。家に帰ってくると涙があふれた。うまく伝えられなかったわけでも、悔しいからでもない。同じ境遇に悩む相手を励ますこと。
 それは、似通った現実を拒もうとしている自分には苦しかった。次の機会も同じだった。
 悩んでいたある日。先輩が御書の一節を教えてくれた。
 「不軽菩薩が四衆を礼拝すれば、増上慢の四衆の仏性もまた不軽菩薩を礼拝する。これはちょうど『鏡に向かって礼拝する時、そこに映っている自分の姿もまた自分を礼拝する』のと同じである」(御書769ページ、通解)

 仏性は、必ずある。他人にも、そして自分にも。“私は私をどう思ってきたんだろう。相手の尊さは訴えていても、自分の存在は責めていた……”
 涙しては、何度も御本尊に向かった。「折伏は自分を肯定する戦いだった」。翌年春、その友達は入会した。
 「学会活動、折伏をする中で気付いたんです。私の課題の根底は外見のことじゃない。自分を自分で否定して、大切にしてあげられないことでした」
 あっという間の学生生活。新しい友達ができても、顔のことは口にしなくなった。“見れば分かるじゃん”と。
 24歳の秋。?の骨が未形成で目が十分に閉じられず失明の危険を告げられた。医師の勧めで顔の形成手術を決める。
 手術前夜。病院のベッドに座り、スマホでいろんな角度から自撮りした。あんなに苦しんだ顔との別れが寂しい。「この顔で生きてきた自信ができていた」

ほほ笑み返す
 「もう良くはならないんですかね」。ため息交じりに言って肩を落とす高齢の女性。病の後遺症による嚥下障害がある。入院生活を長く送るも回復せず、自宅でリハビリを重ねていた。
 ――大学卒業後、言語聴覚士として大学病院で勤務すること8年。多くの経験を積んだ。日常生活の中で回復を目指す在宅治療の道を志し、今年春に訪問看護ステーションへ転職した。
 成美さんが明るく返した。
 「一緒に頑張りましょう!」
 リハビリは、諦めとの闘い。時には、自身の経験を話す。涙を流して「私も負けないわ」と言ってくれた人もいた。担当した婦人は数カ月後には飲食できる物が増え、手を取り合って喜んだ。
 がんの末期症状や脳卒中の後遺症に苦しむ人に心を尽くす日々。
 「大切なのは、限界を決めないこと。知識を駆使した上で希望をお届けし、自分を信じるお手伝いをしているんです」
 人の可能性を信じるためにも、自分を信じたい。
 よく振り返る池田先生の言葉がある。
 <いちばん大事なことは、どんな場合でも「自分なんか、ダメだ」と思わないこと。自分をいじめないこと。自分で自分を励ますことです。落ち込んでしまった自分の心を、自分で「よいしょ」ともちあげることです>
 何があっても、まず私が、私をもっと大切に。心がすっと軽くなる。
 <あなたは素晴らしい人なんだから、そんな素晴らしい自分をいじめてはいけない。人が何とけなそうが、関係ない>
 学会で学んだ“成仏”という言葉は、自分の中の仏界を開くということ。自己肯定感の究極が、仏界なんだと思う。
 「私が生まれる前に両親が決めた、『成美』という名前。捉え方が変わったんです。“美しく成る”じゃない。美しさを開いていく。それが私の人生です」
 冷たい視線を感じることは今もある。でも、感情的にはならない。
 “世界には、いろんな人がいるよ”
 心で語り掛け、ほほ笑み返す。

メモ
【トリーチャー・コリンズ症候群】
 顔の骨が十分に形成されず、眼瞼裂斜下、小顎症など顔貌に特徴がある。外耳の低形成、虹彩の部分欠損などもみられ、難聴になることも。

 

2019年12月21日 (土)

2019年12月21日(土)の聖教

2019年12月21日(土)の聖教

◆わが友に贈る

 「飲食節ならざる
 故に病む」御聖訓。
 節度ある食生活や
 睡眠・運動を心掛け
 賢明に体調管理を!
 (御書1009ページ)

◆名字の言

「新国立競技場」のオープニングイベントが、きょう行われる。東京五輪・パラリンピックのメインスタジアムとなる同競技場で、これから数多くのドラマが生まれるに違いない▼設計を担当したのは隈研吾氏。独創的でありながら、社会に受け入れられる建築を実現するため、氏が提唱する建築観がある。それは「負ける建築」。すなわち、“控えめな建築”という趣旨である▼「建築家は謙虚であれ」と呼び掛ける氏。人だけでなく建物もまた、目立とうとするより、環境と調和する建物をと訴える。新国立競技場の設計も、緑豊かな明治神宮外苑の景観と、いかに調和させるかという視点から考えられた(『負ける建築』岩波書店)▼池田先生は25年前、建築に造詣の深い英国のチャールズ皇太子と「建築の思想」について語り合った。先生は「風景を尊重」「子供たちの遊び場など、人間が交流できる空間」「精神を高揚させてくれる建築」など、皇太子が提唱する建築に関する「十の原則」に言及。その根底に「人間を尊重する」精神が脈動していると述べた▼創価の運動の目的は、「人間の尊重」という哲理を柱として、社会の繁栄と、平和を実現することにある。その出発点は常に自身の“建設”である「私の人間革命」にある。(澪)

◆寸鉄

「いはずば・慈悲なきに・
にたり」御書。青年よ声を
惜しまず正義を語り抜け
     ◇
和歌山の日。師の師子吼
から50年。共戦の烈風魂
胸に新時代の金字塔を!
     ◇
より良き社会構築へ会長
の行動に続きたい―市議
我らも人と人結ぶ対話へ
     ◇
「ベビーカーに荷物を掛
けないで」―乳幼児転倒
事故相次ぐ。正しく使用
     ◇
ネット銀行の不正送金が
最多。情報を盗むメール
増。怪しいものは開かず


【教学】

◆〈みんなで学ぶ教学〉4 三証 宗教を選ぶ確かな“基準”

 今回の「みんなで学ぶ教学」では、正しい宗教を判別する“基準”である「三証」をテーマに学びます。

 カツヤ ユタカ支部長が入会を決めた一番の理由は何だったんですか?
  
 ユタカ カツヤくんと同じで、学会員の友人の真剣な思いに触れたからだよ。さらに入会後、教学を学ぶ中で「三証」といって、正しい宗教を三つの観点から選ぶ基準を知った時に“自分の選択は間違いなかった”と思えたんだ。
  
 カツヤ その“基準”について、ぜひ聞かせてください。
 
 ユタカ まず、その宗教の教義が、よりどころとなる経文や聖典の上で明確な裏付けをもっているかどうか――この基準を「文証」というんだ。
  
 カツヤ 次元は違いますけど、社会でも裏付けとなる文書が大切にされることも多いから、その重要さは何となく実感できますね。
  
 ユタカ 文証に基づかない教義は、結局、自分勝手な考え・教え(己義)にすぎないんだ。
 日蓮大聖人は「経文に明ならんを用いよ文証無からんをば捨てよとなり」(御書482ページ)と、経文上に明確な根拠のある教義を用いるべきであり、経典によらない教えを用いてはならないと戒められているんだ。
 実際に、大聖人は、法理を説かれる際に多くの経文を引用されている。
  
 カツヤ とても厳格なんですね。次の基準は何になりますか?
  
 ユタカ 二つ目の基準は「理証」というよ。その宗教の教義や主張が道理にかなっているかどうか、それを判別するんだ。
 御書には「仏法と申すは道理なり」(1169ページ)と記されている。仏法はどこまでも道理を重んじているよ。道理に外れた主張は用いてはいけないということなんだ。

 カツヤ 宗教には、道理を超越した神秘的なパワーがあると思っていたので意外です。
  
 ユタカ そう受け止めている人もいるかもしれないね。でも、超能力で病気を治すといったり、命を粗末にしたりするような、人間としての良識から外れた教えだと、誰もが納得できないよね。
  
 カツヤ 信仰に励むことと、現実の生活は一体なんですね。
  
 ユタカ その通り! 大切な視点だね。その宗教の教義に基づいて信仰を実践して、現実生活の上にどういう結果が現れるか――これが大切なんだ。この基準を「現証」というんだよ。
 大聖人は「日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず」(同1468ページ)と仰せになっている。ここで「道理」とは理証のことであり、「証文」とは文証のこと。この御文に明らかな通り、文証・理証を踏まえた上で、大聖人が最も重視されたのが、現証だよ。
 その信仰を実践した人が、人格を磨き、生活を充実させ、幸福な人生を実現しているかどうかで、その宗教が判断されるべきだよね。
  
 カツヤ つまり、信心している人自身の生き方に、その教えの真価が現れるのですね。
  
 ユタカ そうだね。大聖人は、「文証」「理証」「現証」という三つの基準をもって正法を判定するべきであるとされたよ。この三証のうち、どれか一つが欠けても、正しい宗教とはいえないんだ。
 薬に例えると、文証は成分表や効能書きに当たり、理証は薬が効く確かな理由に当たり、現証は実際に服用して体が回復するという明確な結果に当たるよ。
  
 カツヤ なるほど! スッキリしました。
  
 ユタカ 私たち学会員は、実験証明、すなわち実証がどう現れたか――この実体験を率直に語り、共有する中で信仰の喜びを確かめ合っているよね。
 これからは、御書根本に信心に励み、苦難を乗り越え、勝利していこう! これこそが、日蓮仏法の正しさを証明する道だからね。

〈質問BOX〉
クリスマスパーティーに参加していいのでしょうか?
 大聖人の仏法は宗教の高低浅深については厳格です。
 一方で、仏法の本義にたがわない限り、その地域や国の文化・習慣を大切にしていくという「随方毘尼」(御書1202ページ)の考え方があります。
 たとえ他の宗教に由来する行事に参加するとしても、それを信仰の対象にしなければ謗法にはなりません。
 日本のクリスマスは、もはや季節行事として社会に定着しているといえるので、参加自体に問題はありません。
 「友情を広げていこう」「より良い地域にしよう」との信心の発露から、お祭りなどの地域行事に参加する学会員もいます。
 大切なのは御本尊への「信」があるかどうかです。

【聖教ニュース】

◆シンガポールの“希望の太陽”婦人部・女子部が明年へ前進の集い 2019年12月21日

 シンガポール創価学会(SSA)の婦人部と女子部から、前進の息吹みなぎる報告が届いた。
シンガポールの太陽と輝く婦人部の友が記念のカメラに(タンピネス創価会館で)
 SSA婦人部幹部会が11月27日、タンピネス創価会館で晴れやかに行われた。
 席上、明「前進・人材の年」の活動方針が発表。毎月の座談会と小説『新・人間革命』の研さんを軸に、目の前の一人を徹して励ますことを約し合った。
 薛舜卿婦人部長が「尊き同志と共に、明年を師の期待にお応えする一年にしましょう」と呼び掛けた。

シンガポールの太陽と輝く婦人部の友が記念のカメラに(タンピネス創価会館で)

師弟共戦で進む女子部の友(センジャ創価会館で)

 一方、SSA女子部幹部会は12月8日、センジャ創価会館で開かれた。
 
 代表が、一年を振り返り、自身が感じる成長の証しや信心の功徳などを発表。団結固く前進し、学会創立90周年の明年を大勝利で飾ることを誓い合った。
 鄭麗彦女子部長は「シンガポール女子部が、友情を広げる対話の先駆を」と訴えた。


◆韓国SGIが決意みなぎる幹部会 2019年12月21日

 韓国SGI(創価学会インタナショナル)の本部幹部会が8日、首都ソウルの池田記念講堂で開催された。
 婦人部合唱団「ピースシンガーズ」と平和芸術団「蓮」の合同演奏で幕を開いた幹部会では、田正美女子部長、洪成国男子部長があいさつ。姜昌黙さん、権五奎さん、金昌祿さんが、各部一体で青年部の育成に奔走する様子を報告した。

婦人部合唱団「ピースシンガーズ」と平和芸術団「蓮」が華麗なステージを(首都ソウルの池田記念講堂で)

婦人部合唱団「ピースシンガーズ」と平和芸術団「蓮」が華麗なステージを(首都ソウルの池田記念講堂で)

 続いて、金鎮鎬組織事務局長が明年の活動方針を発表。

 金?希婦人部長、李明喆壮年部長の話の後、金仁洙理事長は、同志の一年間の奮闘に心からの感謝を述べ、池田先生の会長就任60周年、学会創立90周年の明年、異体同心の団結で前進し、弘教と青年拡大の大勝利で、晴れやかに重要な佳節を迎えていこうと呼び掛けた。


【特集記事・信仰体験など】

◆ライフウオッチ――人生100年時代の幸福論 “就職氷河期”世代のいま もがき働き続ける

外資系大手でクリエイティブマネージャーとして活躍する嶋﨑智子さん。「今の苦労には必ず意味がある。年々、その実感が強くなります。チャンスだと思って前向きに受け止めれば、経験も境涯も広がります」(都内で)

 あらゆる世代が「人生100年時代」を幸せに生きるための知恵を探る「ライフウオッチ」。今回は、3度の転職など、さまざまな苦難を乗り越えながら自身と向き合った、

“就職氷河期”世代のいま もがき働き続ける
 就職に悩むなんて、想像もしなかった。
 都内の理系国立大学に通う嶋﨑智子さんが就活に臨んだのは、1996年春。本格的な“就職氷河期”の始まりだった。環境問題に関する職を希望するが、先輩たちが順調に内定を得た一方、自分の代では履歴書すら通らない。大学院に“緊急避難”する友もいた。募る焦りに時代の変化を感じた。
 祖父母の代からの信心を継ぐ嶋﨑さん。終わりが見えない就活にも、「自分にとってベストな道へ」と、祈りと努力で向き合えた。
 同年秋、食品メーカーに内定が決まる。だが仕事は、大学での研究とは関係ない、空港での菓子販売。午前4時に起き、2時間の通勤。食事を取る時間も満足になく、午後9時まで立ちっぱなし。残業も記録されない。スーツに身を包み、出張に向かう元同級生を目にすると、姿を見られまいと身を隠す。「祈った結果とはいえ……」。思わずつぶやいた。
 同期が次々に去る中、嶋﨑さんは「気持ちに踏ん切りがつくまで」と、自分なりに職場改善の工夫を重ね、2年半後に転職。インターネット通販のベンチャー企業に移るが、業績は伸び悩み、9人いた社員は、社長と嶋﨑さんだけに。給料の未払いは半年に及んだ。
 この間、結婚。娘を授かる。家計のために仕事を探す嶋﨑さんを婦人部の先輩が訪ねてくれたが、心は人生のサバイバルに疲れていた。
 「仏法は勝負よ」
 素直にうなずくことができず、素っ気なく返した。「勝負って、何と戦うんですか?」
 「自分よ。自分との勝負なのよ」
 ハッとした。勝負というくらいだから、何か外側のものと戦うと思い込んでいた。
 確かに現実は厳しい。でも環境を恨んでも何も変わらない。変えられるのは自分だけ。
 幼子を抱いての就職活動に熱がこもった。

人生そのものが戦い
 小説『新・人間革命』の中に、なぜ学会が勝負を重視するのかが示される場面がある。
 「人間が生きるということ自体が、人生そのものが戦いであるからです。人間の幸福といっても、自分の臆病や怠惰
たいだ
などの弱さと戦い、勝つことから始まります。人間革命とは、自己自身に勝利していくことであり、そのための、いわば道場が、学会活動の場であるともいえます」(第8巻「布陣」の章)
 嶋﨑さんがこの指導を目にしたのは婦人部のグループ学習会。少人数ゆえか皆が本音を出せた。グループ員には、重い病と戦いながら一人で2人の子を育てる母もいた。誰もが自身と格闘していた。共に泣き、笑い合ううちに“一緒に乗り越えたい”と力が湧いた。
 嶋﨑さんは、ほどなく飲食コンサルタントの職を得る。しかし、面接では「子育て中の女性が仕事をするのは反対だ」と、くぎを刺された。後から入社した男性社員が自分より好待遇で迎えられ、積み上げた実績を横取りするなど、深刻な女性差別が続く。力を付けるしかないと、通勤時間や育児の合間に語学等のスキルアップに励んだ。限られた時間の中、娘には人一倍の愛情を注いだ。
 
全てに意味があった
 6年働いた後に、インターネット通販の外資系大手から内定の連絡を受けたのは、2011年春。今では有名企業として知られる同社は、当時はベンチャー色が強く、入社直後から自分の仕事は自分でつくり出すことが求められた。これまでの苦労と経験が生き、嶋﨑さんは次々と実績を重ねていく。
 国内の大手企業から転職してきた中には、誰もが羨むキャリアながら、自分で価値を生み出す仕事に耐えられず、再び転職を選ぶ人もいた。「私の経歴は、この会社では異色です。でも踏まれ蹴られながらの回り道は、無駄じゃなかった。全ての点がつながって、今という面がある。どれが欠けても今はない」
 学生時代の夢だった環境活動が社内で立ち上がり、そのメンバーにも選出された。
振り返れば、全てに意味があった。湧き上がる感謝の念が、その何よりの証しだ。
 だが苦闘の渦中では、とてもそうは思えなかった。もがきながらの日々に力をくれたのは、同じく困難に向き合う同志の姿だった。
 かつて同僚に本音を漏らした時、悩みの深さに“どん引き”されたことがある。一方、婦人部の友は、どんな悩みも“自分と戦う”祈りに変えてくれた。「まさに“戦友”」と嶋﨑さん。
 
 『新・人間革命』には、こうある。
 「昨日の自分より今日の自分を、今日の自分より明日の自分を、一歩でも磨き高めようと挑戦していくなかに、人間革命の道がある」(第2巻「勇舞」の章)と。
 困難があろうと、環境がどうあろうと、昨日の自分に勝つだけだ。その決心、挑戦自体が勝利の因であり、幸福そのものである。たとえ試練の時が続いても、粘り強く応戦する中でつかみ取ったものが、時代を生き抜く力になる。
 自分に負けず、苦労を財産へと変える生き方は、今なお“溶けない氷河”といわれる就職氷河期世代のみならず、多くの変化が求められる人生100年時代に必要なものだろう。
 同社に勤め、もうじき9年目を迎える嶋﨑さん。苦労を重ねた分、心に寄り添える。それがベストなチームづくりにも生きている。就職相談をはじめ、教育番組や講演会で、得た経験を伝える日々だ。
 もがきながらの毎日かもしれない。でも、この苦闘の意味を必ずつかめる時が来る――そんな確信を言葉に込めながら。

◆〈「新・人間革命」と私〉北海道青年部長 平井康治さん
 開拓精神胸に拡大の勝利を

 人の心を動かすのは、真剣にして誠実な対話である。燃えるような情熱に触れた時、人の心もまた燃え上がるのである。<第15巻「蘇生」の章>

時代背景
 「文化の年」と銘打った1971年、山本伸一は各地の文化祭に出席。2月25日には、北海道の「雪の文化祭」へ。「開拓」と題した雪像を前に、55年の小樽問答と札幌・夏の陣、57年の夕張炭労事件など、北海道広布の正義と拡大の開拓史に思いをはせる。そして、悪戦苦闘を越えて、文化祭を大成功させた友を励まし抜く。

開拓精神胸に拡大の勝利を
 「蘇生」の章を通して、広宣流布の開拓精神を学び、青年こそ使命深き開拓者であるとの自覚を新たにしました。
 山本伸一は同章で、「開拓」と題した巨大な雪像を前に、このように語ります。
 「開拓は死闘だな。そうでなければ、歴史を開くことなんかできない。北海道の広宣流布の歩みも、開拓につぐ開拓であり、死闘につぐ死闘だった。だから、ここまで学会は大きくなったんだよ。もし、青年が開拓精神を忘れれば、もはや未来の発展はない」
 私たち北海道青年部が心に刻むべき重要なご指導です。今こそ、師匠の心をわが心として、北海道広布の新たな勝利史を開いてまいります。

新たな歴史を開く原動力は一対一の励まし
 その原動力こそ、一対一の対話、一人への徹底した励ましです。
 私自身、父が病に倒れ、大変な状況にあった時、創価家族の温かな言葉によって、苦難に立ち向かうことができました。また、仕事と学会活動の両立に悩んでいた時、“社会で勝ち抜く力を付けよ”との先生の言葉が自らの弱い心を奮い立たせる力になり、社会で実証を示すことができました。
 以来、私も、一人の友の心に直接、“開拓の炎”をともす家庭訪問と、メンバーとの懇談に力を入れ、学会活動に取り組んでいます。

広宣流布の活動は全て自身の大福運に
 現在、北海道青年部は、小説『新・人間革命』の研さんに励みながら、弘教と人材の拡大に挑戦しています。男子部では小単位の会合の充実、女子部では北海道広布史を学ぶことに重点を置いています。
 「自分の限界に挑んだ分だけ、生命は磨き鍛えられる。また、広宣流布につながる活動は、すべて自身の大福運となるよ」――この先生のご指導を胸に、皆が開拓精神を燃やして使命の地で一人立ち、自身の人間革命と広布拡大の勝利を開いてまいります。
 明年は、学会の正義を満天下に示した「小樽問答」、そして日本一の弘教を達成した「札幌・夏の陣」から65周年を迎えます。我ら三代城青年部の勝利で、師弟の佳節を荘厳していく決意です。

◆〈虹を懸ける〉 池田先生とパラグアイ③=完  諸天は勇気ある人を守る

パラグアイ文化会館に到着した池田先生は真っ先に子どもたちのもとへ。手品を披露しながら、励ましを送った(1993年2月21日)

パラグアイ文化会館に到着した池田先生は真っ先に子どもたちのもとへ。手品を披露しながら、励ましを送った(1993年2月21日)

激務の4日間
 池田先生がパラグアイに滞在した1993年2月20日から23日までの4日間、数多くの行事が行われた。
 アンドレス・ロドリゲス大統領との会見や、「国家功労大十字勲章」の授章式、国立アスンシオン大学の名誉博士号授与式、アスンシオン市の名誉市民称号授与式……。
 当時のパラグアイSGI理事長、カオル・クリタさん(名誉理事長)は振り返る。
 「これだけの過密な行程の真っただ中にもかかわらず、先生は会う友、会う友を包み込むように激励されました。そのお姿は、今も脳裏から離れません」
 また、郵政局では、先生の滞在期間中、全ての郵便物に「SGI」の消印を押すことを決定していた。
 その決議文には「SGIは、世界平和の実現、民衆の相互理解の深化、文化の尊重を根本的な目的として活動し、国連のNGOでもあり、価値を創造するための団体である」と。さらに「SGI会長の訪問は、国家諸機関及び関係団体が敬意と共鳴を表すべきもの」と謳われている。
 これらは、まさに、パラグアイSGIの長年にわたる地道な社会貢献活動の“結晶”であった。

美しい創価家族
 パラグアイの多くの同志が“原点”として心に刻むのは、パラグアイ文化会館で開催された第1回パラグアイSGI総会である。
 池田先生が会場に入るや、「バエイシャパ」(グアラニー語で、ごきげんいかがですか)と呼び掛けると、皆の喜びは爆発した。さらに、先生は「わが愛するパラグアイの家族にお会いするために、私は初めて貴国を訪れました。お会いできて本当にうれしい」と。
 歓声は、しばらく鳴りやまなかった。
 席上、先生はパラグアイSGIに指針を贈っている。
 「皆さま方は、この美しき地にあって、偉大なる地涌の菩薩として、妙法流布の尊き汗を流してこられた。その健闘を私は心からたたえたい。パラグアイの皆さまは、本当に人柄の良い方々である」「どうか、この世界で最も美しい創価家族のスクラムを大切に守りぬいていただきたい」
 ヒロシ・カタオカさん(理事長)は当時、男子部の部長だった。1980年、大学在学中に入会。東京・練馬の地で信心の基本を学んだ。「本当の家族のように、温かな地区でした。今でも理想としている組織です」
 その後、仕事で渡ったパラグアイでも学会活動に奔走した。ただ心のどこかで“いずれは日本に戻るだろう”という思いがあった。
 「パラグアイに先生をお迎えしてからは、この地を使命の場所と決め、広布に生きる覚悟を決めました」
 同国の男子部長、書記長などを歴任し、2013年、理事長に就任。以来、貿易関連会社の管理職を務めながら、パラグアイ広布の伸展のために、日夜、尽力している。
 「先生から託された“世界で最も美しいパラグアイ創価家族”の建設が目標です。どこまでも仲良く、皆が主役のスクラムを築いていきます」

一人立つ信心
 また、池田先生は総会の席上、「諸天は、勇気ある人を守る!」と訴え、一人立つ信心の大切さを語った。
 「人数ではありません。一人、真剣に立ち上がれば、自分に縁するすべての人びとを、また、環境も栄えさせていくことができる。そのために、真剣に祈り、行動している事実が大事なんです」
 マナミ・ナガサワさん(婦人部長)も、この時、初めて先生との出会いを刻んだ。
 「当時は、若手の婦人部員でしたので、先輩方に付いて回って、無我夢中で、諸行事の準備に当たりました」
 池田先生は、この総会の模様を、小説『新・人間革命』第30巻〈下〉「誓願」の章で詳細につづった。
 ナガサワさんは、この章を学ぶ中で、自身の原点を再確認した。
 この間、度重なる困難に直面してきた。
 家族で営むスーパーマーケットの経営危機、借金の肩代わり、最愛の父の病……。
 それでも学会活動から一歩も引かず、“この信心で必ず打開する”と決めて、祈ってきた。
 毎年のように、弘教を実らせ、個人折伏は15世帯に。その中で、これらの課題を全て解決してきた。
 ナガサワさんは「諸天は、勇気ある人を守る!」との指針のままに、人生を勝ち開いてきたのである。
 「信心で乗り越えられないことはない。この確信を、後継の世代に伝えていきます」

原点を忘れない
 パラグアイ文化会館に到着した池田先生が真っ先に向かったのは子どもたちのもとだった。先生が手品を披露すると、皆、大喜び。
 当時、7歳だったチエコ・ウチヤマダさん(支部副婦人部長)は感慨を込めて語る。「先生は、幼い私たちにとって、生涯、忘れない“原点”になるよう、手品まで披露してくださったのだと思います」
 ウチヤマダさんは、2009年から13年まで同国の女子部長として、友の励ましに徹してきた。現在は、子育てをしながら、家族で老舗ホテルを切り盛りしている。多忙な日々の中で、ヤング婦人部のリーダーとしても挑戦を重ねる日々だ。
 さらに先生は、子どもたちに呼び掛けた。
 「みんなに会えてうれしいよ。大きくなったら日本へもいらっしゃい。待っています」
 この時、出会いを刻んだメンバーの多くが先生との“約束”を果たし、日本での研修会に参加。そして今、同国の青年部長、男子部長、女子部長をはじめ広布のリーダーとして指揮を執っている。
 「パラグアイでの出会いを生命に刻んでいます。先生のお心を伝えていくことが私たちの使命だと思います。先生のご期待に応えるために、広布の舞台でも、社会でも実証を示していく決意です」と語るのは、サムエル・メディナさん(青年部長)。獣医師として働きながら、友の激励に奔走する。
 ラリサ・カルドソさん(副青年部長)は言う。「多感な時期に両親の離婚などが重なって、悩みの連続でしたが、“日本で待っているよ”との先生の言葉を抱き締めて、懸命に生きてきました」
 カルドソさんは15年9月、同国の女子部長としてSGI青年研修会に参加。その際、東京・信濃町の総本部で池田先生との出会いを刻んだ。「先生に新たな誓いを立てました。自らが主体者として、生涯、パラグアイ広布の発展のために生き抜くことです」
 現在、パラグアイSGIの職員として、人材育成に全力を注ぐ。
 マヌエル・セスペデスさん(男子部長)は決意する。「先生はパラグアイの要人、識者と縦横に語り合い、広布の礎を築いてくださいました。私たちも先生の行動に続き、社会に打って出て、信頼の輪を広げていきます」
 セスペデスさんは、通関業界で活躍しながら、社会人枠で大学にも通い、幅広い外交力を磨いている。
 アキコ・ヤマモトさん(女子部長)は、この3年間で6世帯の個人折伏を成就。仕事では、日本・パラグアイの外交関係樹立100周年(本年)記念イベントの日本文化普及部門を担っている。
 「日本までの距離は遠いですが、先生を求める心は負けません。女子部らしく、伸び伸びと、創価の温かさを語っていきます」
 ユウイチ・ハナノさん(副男子部長)は、国立大学病院で泌尿器科の医師を務める。
 「あの日の出会いから“将来は先生のもとへ”と祈り続けてきました。先生のおかげで今の自分があります」
 06年7月、10年3月の研修会で訪日した際には、先生との再びの出会いが。「先生は全て分かってくださっている。そう思うと、力が湧き上がります。先生のご指導を学び抜き、広布の人生を歩んでいきます」
 一人を励ます。
 青年を育てる。
 未来をつくる。
 先生の行動は一貫して変わらない。
 先生は、パラグアイの友に和歌を贈った。
  
 天も地も 
  川の流れも
    仏土かと
  地涌の菩薩の
   君たち忘れじ
  
 雄大なパラグアイ川のように、池田先生が築いた広布の流れは、未来へと続いていく。(②は20日付に掲載)

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◆〈信仰体験〉20代のリアル ボクラのイマ  家族で母だけ学会員。自分は……

今なら何でもできる
 <家族の中で母だけが創価学会員であることを、太田智哉さん(20)=さいたま市、学生部ビクトリー・リーダー=は、深く考えたことがなかった>
 
◆〈2019年 スタートライン総集編〉 青春を生きる君へのエール

 未来を担う若者へエールを送るインタビュー連載「スタートライン」。本年も各界の第一線で活躍する著名人が登場した。今回は2019年の総集編として、その中から8人の声を抜粋し紹介する。

俳優 ライアン・ゴズリングさん
 彼(アームストロング)らは月面着陸という目的をもって月に探索に行ったんですが、結局そこで見つけたのは、月よりもむしろ地球だったんです。
 地球を初めて宇宙から見ることによって、自分たちが暮らす世界というものを人類が客観視できるようになった。そういう、大局でものを見ることは、若い世代にとって非常に重要な経験だと思いますし、そういった刺激を「ファースト・マン」からもらってくれるとうれしいな。〈1月26日付〉
 1980年生まれ。映画「ラ・ラ・ランド」でゴールデン・グローブ賞の主演男優賞など受賞。

国文学者 中西進さん~より広く、高く、挑戦的に~
 二つの言葉がカギになるでしょう。一つは「汎」、そして、もう一つは「超」という漢字です。これからの時代、視野が狭かったり、小さく収まっていては、取り残されてしまいます。より広く、より高く、そして挑戦的であってほしい。
 若い人には、「語学」と「哲学」を身に付けることを勧めています。語学は視野を広げ、哲学は全てを明らかにする態度を養ってくれる。活力ある若者が増えれば、未来はもっと明るくなるでしょう。〈7月27日付〉
 1929年生まれ。国際日本文化研究センター名誉教授。瑞宝重光章、文化勲章などを受章。

パラグライダー選手 平木啓子さん~やってみないと分からない~
 経済的に厳しい時があっても、今までやってこられたのは、パラグライダーが純粋に楽しいから。そして“努力を続けていれば、いつか勝てる”と信じてきたからです。
 若い世代の皆さんには、どんなことにも、がしがしと挑戦してみてほしいです。何が向いているのかは、やってみないと分からないです。自分の中にある可能性を見つけるために、大空に飛び出す思いでいろんなことにチャレンジしてください。〈10月5日付〉
 2009年、13年にワールドカップ・スーパーファイナル女子優勝など、トップ選手として活躍。

俳優 奥野壮さん~人の心動かすヒーローに~
 もっとこういう演技をしたい――だけど難しい、でも、それが楽しい。役者として、まず、自分が楽しめているかどうかが大切だと思うんです。
 仮面ライダーは「人の心を動かす」ということにすごい長けている番組だと思います。デザインは全部違っても、物語の内容、伝えたい内容に重きが置かれている。だから、人に何かを伝えようとするヒーローは、子どもにとって、ずっとカッコイイんだと思います。〈8月3日付〉
 2000年生まれ。オスカープロモーション所属。18年「仮面ライダージオウ」で俳優デビュー。

元陸上五輪代表 為末大さん~長所も短所も生かせる~
 (やりたいことを見つけ、そこに向かって挑戦し続けたいのなら)自分の長所と短所を客観的に見て、つまり、良いとか悪いとかで判断するのではなく、長所も短所もただの「特徴」だと思って見ていくことです。
 「決断力がない」と思われる短所も、見方によれば「思慮深さ」とも取れる。長所と短所は、このように表と裏の関係だと考えてほしい。その方が自分を生かせる環境が見つけやすくなります。〈10月19日付〉
 1978年生まれ。男子400メートルハードルの日本記録保持者。株式会社Deportare Partners代表。

伊藤忠商事元会長 丹羽宇一郎さん~アリ→トンボ→人になれ~

 最初の10年は、アリのように働くこと。もくもくと、まじめに、誠実に。次の10年は、トンボのように複眼で物事を見ること。ここで読書や勉強の時間が必要になってきます。自分の仕事がどんな位置付けになるのかなど、第三者の目で見ていけるようになることが大切です。
 そして第3の10年は、経営者や上司としての勉強です。弱い立場の人の味方になり、助けていく――そういう温かい血の通った人間になることです。〈3月23日付〉
 1939年生まれ。名古屋大学卒。伊藤忠商事名誉理事。日本中国友好協会会長。

作家・エッセイスト 岡田光世さん~とにかく歩き続けよう~
 異なる価値観を持つ相手を、そのまま受け入れ、人として尊重し、思いやれる。そして、対等な立場で話をできる人が、本当の国際人ではないでしょうか。(中略)Just keep going and enjoy life.とにかく、前を向いて歩き続け、人生を楽しんでください。一歩外へ出れば、あなたの持っている“当たり前”が、変わって見えてくるかもしれません。そしてきっと、新しい“あなた”との出会いが待っていますよ。〈7月13日付〉
 ニューヨーク大学大学院修士号取得。主な著書に「ニューヨークの魔法」シリーズなど。

元ラグビー日本代表 大畑大介さん~経験こそ最高の財産!~
 1975年生まれ。元ラグビー日本代表。日本初開催のラグビーW杯2019アンバサダー。
 人と比較して“できる、できへん”となると臆病になってしまうことが多いと思う。だけど、一歩踏み出せば、いろいろなことが経験できる。
 だからこそ、自分の目標を明確にし、そのアプローチは、他人のまねではなく、自分で考えて行動してもらいたい。目標地点までたどり着けなかったとしても、自分が決めた道を恐れずに進んでいく中で、経験という“引き出し”が増えていく。それが、間違いなく自分の力になる。〈9月21日付〉

2019年12月20日 (金)

2019年12月20日(月)の聖教

2019年12月20日(月)の聖教

◆わが友に贈る

   一年の締めくくり。
 身の回りの掃除や
 整理整頓を賢明に!
 清新な息吹で
 新年を迎えよう!

◆名字の言  桜島の友の“歓喜の行進” 2019年12月20日

 ベートーベンの「第九」が列島の各地で響いている。「いく百万の人々よ、互いに抱き合おう!」(シラー原詩、大木正純訳)との“歓喜の歌”の大合唱は圧巻だ▼人間が連帯し、心を結べば、どれほど偉大な力を発揮できるか――聴くほどに、歌うほどに、楽聖の魂の叫びが伝わってくる▼鹿児島県の桜島の友が“歓喜の行進”を続けている。1958年、同島を訪れた池田先生が「幸福の島に」と弘教の灯をともし、初めて学会員が誕生した。周囲の無理解に負けず、同志は懸命に地域に尽くした。「日本一幸せな島にして、先生にお応えしよう」。それが皆の合言葉だった▼全島(約1800世帯)へ対話を広げ、2割以上が本紙購読を経験。学会主催の展示には島民の3割(約1600人)を招待した。同志が集えば笑いが絶えない。多宝の友が「皆で励まし合えば30歳は若返る!」と語れば、大病を克服した友は「立ち止まらず、祈って動いたら病気が止まった!」と。一人一人が地域の要の存在だ▼同島のみならず、今、創価の“歓喜の行進”は世界中に広がった。「第九」の歌詞にこうある。「走れ、兄弟たちよ、なんじの道を/英雄が勝利に赴くように、喜ばしく」(同訳)。さあ、新たな決意の出発を。「皆が前進、皆が人材」だ。(誠)

◆寸鉄

「仏の如く互に敬うべし」
御書。広布の同志は生涯
の宝。共々に励まし前進
     ◇
東京・多摩池田総区「師弟
原点の日」。青年を先頭に
対話拡大の旋風を起こせ
     ◇
創大一般入試の出願開始
国際色豊かな世界市民の
学府。受験生よ頑張れ!
     ◇
女性の「10帰運動」を応援
幹部は常に心尽くし配慮
を。絶対無事故で明年へ
     ◇
国連が若者の意見を聞く
新たな取組を計画。「人類
の議会」の活性化に期待

◆社説 あす和歌山指導から50周年  “烈風魂”よ、永遠なれ!

 50年前の1969年(昭和44年)12月21日、池田先生は40度を超える高熱を押して「和歌山指導」を敢行した。ここから後年、“烈風魂”と語り継がれる広布拡大の歴史が始まった。
 この日の夜、和歌山県幹部会が行われた県立体育館で、先生は皆と16回ものシュプレヒコールを行った。さらには参加者に請われて、「武田節」の指揮を執り、約1万人の同志を鼓舞した。
 小説『新・人間革命』第14巻「烈風」の章には、「県立体育館に向かう前に、まず、和歌山会館に寄り、休憩することになっていた。伸一は、会館の階段を上るにも、何度も手すりにもたれて、息を整えねばならなかった」とある。
 その日、救護役員をしていた婦人は振り返る。「何度も先生の控室に薬を持って行く人の姿を目の当たりにしました。“先生に何かあったのでは”と不安になったことを覚えています」。だが、会場に姿を現した先生は、力強く参加者を励まし、一人一人の心に師弟の闘魂を燃え上がらせたのだ
 広布史には、永遠に輝く一瞬の光景がある。1957年(同32年)7月17日の「大阪大会」もそうだ。豪雨と雷鳴の中、関西の友は、“最後は正しい仏法が勝つ”との師の叫びを命で聞いた。
 そして50年前のあの日――和歌山の友は師の舞姿を心の奥底に刻み付けた。命を懸けた師の姿は、弟子たちの未曽有の力を引き出し、歴史的勝利と結実した。
 以来、和歌山の同志は、連戦連勝の歴史を積み重ねる。50周年の本年も、上半期は日本一の対話拡大を成し遂げた。
 県立体育館の地元で活動に励む男子部本部長。本年、目標に掲げた拡大が進まず悩んでいた時、50年前の会合に参加した祖父の事を聞いた。晩年、がんを患ったが、この日の池田先生との誓いを誇りに、最後まで折伏と訪問・激励に生き抜いたという。“草創の烈風魂を受け継ぎ、広布に走り抜こう!”と心が定まった彼は、下半期、30人以上の友と仏法対話し、120ポイントの本紙の購読推
進ができた。
 池田先生は県幹部会の終了後、一首の和歌を詠んだ。「和歌山の 友に 魂とどめむと 熱き生命の 舞の歴史は」。筆を執ることができないため、香峯子夫人が口述筆記したものだ。この歌に込められた“魂”とは何か――それは、体育館にとどろいた“和歌山は戦うぞ”“和歌山は断じて勝利するぞ!”との“師弟の叫び”にほかならない。
 師の間断なき激闘に、“私も戦います! 断じて勝ちます”と誓った弟子たちの大前進が広布の歴史を開いてきた。
 会長就任60周年を前に、今一度、若き友と師弟共戦の魂を分かち合いたい。

◆きょうの発心 聖人御難事 関西男子部大学校事務局長 青江弘伸2019年12月20日

御文 各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし(聖人御難事、1190ページ・編1209ページ)
通解 あなたがた一人一人が師子王の心を奮い起こして、どのように人が脅そうとも、決して恐れてはならない。師子王は百獣を恐れない。師子の子もまた同じである。

「師子王の心」で師弟の原点築く
 恐れなく覚悟の信心を貫き、胸中の「師子王の心」を取り出していくよう、教えられています。
 1998年(平成10年)、19歳の時に「関西ニューパワー大会」に出演者として参加することに。“中途半端な自分を変えたい”と、毎日の練習、仏法対話に全力で挑戦しました。初の弘教を実らせ、大成功で大会を終えた後、この御文を引用して「常勝関西の一翼を担う人材に成長します」と池田先生に誓いの手紙をつづったことが、私の原点です。
 その後、広布の最前線で奮闘する中で、経済苦や家庭不和など幾多の試練に襲われました。そのたびにこの御文を拝し、唱題根本に全てを乗り越えることができました。2018年には関西男子部大学校事務局長の使命を頂き、未来を開く宝の大学校生と共に、師弟の原点を築いています。
 先生の第3代会長就任60周年となる明年の「5・3」を目指し、不惜身命の精神で戦い抜いてまいります。

【聖教ニュース】

◆民音タンゴ・シリーズが明年2月に開幕 16都市で公演  2019年12月20日

マティアス・グランデ氏(中央)率いる五重奏団「キンテート・グランデ」

マティアス・グランデ氏(中央)率いる五重奏団「キンテート・グランデ」

 民主音楽協会(民音)が、アルゼンチン・タンゴ界の一流アーティストを招へいし、半世紀にわたって多くの観衆を魅了し続けてきた「民音タンゴ・シリーズ」。
 その51回目の公演が、明年2月からスタートする。
若き実力派バイオリニストのマティアス・グランデが来日
 来日する楽団は、若き実力派バイオリニストのマティアス・グランデ氏率いる五重奏団「キンテート・グランデ」である。
 グランデ氏は、1973年と77年に同シリーズにも出演した巨匠エンリケ・マリオ・フランチーニ氏の後継者とあって、来日に大きな注目が集まっている。
 また、その脇を固める4人も世界で活躍する気鋭の人材ばかり。伝統に根差しつつも、現代的なアレンジを加えた演奏スタイルは、往年のタンゴファンを楽しませるにとどまらず、新たなファン層を広げる一翼を担う。
 まさに、次なる50年の歴史を開くにふさわしい楽団である。

 同シリーズが始まったのは70年のこと。当時、アルゼンチン・タンゴは、新しい音楽の台頭によって人気に陰りが出てきたところに、国内の政情不安や財政悪化が重なり、“冬の時代”を迎えていた。
 そうした時に民音は“音楽交流こそ、世界中の人々の心を結び、平和建設の一助となる”との創立者・池田大作先生の理念のもと、本場のタンゴを日本に招き、毎年、公演を開催したのである。
 その中で、アルゼンチン社会からの信頼は年を追うごとに高まり、昨年10月には、芸術・文化の普及などへの貢献をたたえ、公共メディア・コンテンツ庁から池田先生に「芸術と平和の青の賞」が贈られた。

 そうした歴史に新たな一ページを加える今回のステージ。楽団の実力もさることながら、圧倒的な歌唱力で定評のある女性歌手バネッサ・キロス氏と、ガスパル・ゴドイ氏を筆頭に、カルラ&ガスパル、サブリーナ&エベル、ルシアーナ&フェデリコの3組のトップダンサーが出演。
 タンゴファンならずとも、誰もが心を奪われる必見のステージとなろう。
 2月から3月まで16都市で開催。問い合わせは各地の民音センターまで。

◆「師子奮迅の力」で勝利の前進――全国最高協議会行う 池田先生がメッセージ

「広布の前進」「人材の拡大」で、創価学会創立90周年の明年を勝ち飾ろう!――原田会長を中心に行われた全国最高協議会(18日、学会本部別館で)

「広布の前進」「人材の拡大」で、創価学会創立90周年の明年を勝ち飾ろう!――原田会長を中心に行われた全国最高協議会(18日、学会本部別館で)

 全国最高協議会が18、19の両日、東京・新宿区の学会本部別館で行われ、原田会長、長谷川理事長、永石婦人部長、全国の方面長・婦人部長、各部の代表が出席した。

 池田先生はメッセージを贈り、この一年、連続の大闘争を忍耐強く勝ち切ったことは、同志の努力と団結の結実であると称賛。
 日蓮大聖人がある年の瀬、門下の母をたたえてつづられた「母尼ごぜんには・ことに法華経の御信心のふかくましまし候なる事・悦び候と申させ給候へ」(御書1515ページ)を拝し、創価家族の凱歌もまた、偉大な母たちの深き信心あればこそであり、太陽の婦人部に感謝と讃嘆の拍手を送りたいと述べた。
 とともに、リーダーはこの大聖人の御心を体して、健気な同志に、さらに温かく、こまやかな励ましをお願いしたいと訴えた。
地涌の人材を陸続と!
 続いて、「諸法実相抄」の一節「ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし、釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏菩薩・虚空にして二仏うなづき合い、定めさせ給いしは別の事には非ず、唯ひとへに末法の令法久住の故なり」(同1360ページ)を拝読。
 この法華経の会座さながらの世界が、わが創価学会にほかならないとし、創立100周年へのこの10年、眼前の戦いを一つ一つ勝ち越え、「末法の令法久住」を盤石に決していきたいと強調した。
 そして、戸田城聖先生の「今日の学会は、昨日の学会に非ず」との宣言を紹介し、「妙法と共に、一日一日、一年一年、元初の生命の太陽を昇らせ、いかなる行き詰まりも師子奮迅の力で突破していくのだ」と力説。
 「さあ、今再び、誓願の大地から地涌の人材を祈り、呼び出しながら、人間革命の歓喜の前進を! 立正安国の勇気の前進を! そして、広宣流布の希望、勝利の前進を開始しようではないか!」と呼び掛け、メッセージを結んだ。

原田会長を中心に討議

 18日夕には、同区の創価学会恩師記念会館で原田会長を中心に厳粛に勤行・唱題した。
 2日間の協議では、学会創立100周年に向けた青年部の平和運動「SOKAグローバルアクション2030」や、日本の青年部・未来部とSGI(創価学会インタナショナル)の交流などについて討議。
 世界の池田門下の青年が連帯を強め、各国・地域で折伏の先頭に立ちながら、各部が一丸となって弘教・人材・聖教の拡大に挑戦し、明年の5・3「池田先生の第3代会長就任60周年」、11・18「創価学会創立90周年」を荘厳することを約し合った。
 席上、原田会長は、「創価勝利の年」の名にふさわしい連続勝利の歴史を築いた全同志の奮闘に深謝した。
 次いで、国内外とも激動の時代だからこそ池田先生の思想、創価の希望の哲理は輝きを増していくと力説。先生の死身弘法の闘争によって、世界同時進行で広宣流布が進んでいることへの感謝を忘れず、明「前進・人材の年」へ一人一人が生まれ変わった決意で自身の人間革命に挑戦し、「共戦」と「後継」の陣列を一段と強固にしようと望んだ。

◆皆が尊極の宝塔――1月度の拝読御書は「阿仏房御書」 2019年12月20日

 明年1月度の拝読御書は「阿仏房御書(宝塔御書)」。日蓮大聖人が、佐渡の門下の阿仏房に与えられたお手紙である。
 座談会では「末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり」(御書1304ページ)等を研さん。唱題に励み、広布に戦う中で、誰もが自身を尊極の宝塔と輝かせていけることを学ぶ。
 研修教材では「ここさながら宝塔の住処なり」(同ページ)などを学習。信心によって、自分がいる場所を理想の国土へと変革していけることを確認する。
 【座談会】「末法に入って~宝塔又南無妙法蓮華経なり」(御書1304ページ6行目~8行目)
 【研修教材】「然れば阿仏房~とはこれなり」(同ページ9行目~13行目)

◆日本一の創価ルネサンスバンガード 栄冠への軌跡 2019年12月20日

前人未到の16度目の栄冠に輝いた創価ルネサンスバンガードの友。皆が仕事や学業、学会活動など、全てに挑み抜いた(東京・東大和市の創価青年音楽センターで)

前人未到の16度目の栄冠に輝いた創価ルネサンスバンガードの友。皆が仕事や学業、学会活動など、全てに挑み抜いた(東京・東大和市の創価青年音楽センターで)

 今月15日に行われた第47回「マーチングバンド全国大会」の一般の部(大編成)で、16度目となるグランプリ「内閣総理大臣賞」を受賞した音楽隊の創価ルネサンスバンガード。“日本一の頂”をつかんだ努力の軌跡を紹介する。
                           ◇ 
 出演40分前、本番直前の各チームが待機するエリアには、本番さながらに動きの確認を行うバンガードの友の姿があった。
 一つのミスも決して許されない――入念に指先や足先の動作を確かめる。そこには最後の瞬間まで、正確無比な演技を追い求める、ピンと張り詰めた空気が漂っていた。
 バンガードでは、本番直前に“入魂”と呼ばれる時間を取る。全員で勝利への一念を合わせる“心の確認作業”だ。竹縄光雄楽団長は呼び掛けた。
 「本番も、練習と同じようにやればいい。今日までやってきたことを信じて本番に臨もう。朝に見た富士の雄姿こそ、我らの目指す姿だ!」
 一人一人の顔が紅潮し、瞳の輝きが増していく。
 当日の朝、会場に向かうバスの車窓から、澄んだ青空に映える富士山が見えた。“あの富士のごとき日本一の頂を目指して、今日まで全てに挑み抜いてきた。絶対に勝てる!”――全員の心が定まった瞬間だった。

 昨年の同大会では、規定により招待演奏での出演だった。そのため、勝敗を懸けての真剣勝負の舞台は2年ぶり。再び日本一を勝ち取るには、練習量も技術力も昨年を上回るレベルが求められる。
 この厳しい状況にあっても、メンバーは、仕事や学業、学会活動と音楽隊の練習との“三立”“四立”に励み、技術とともに心を磨き、自身に打ち勝ってきた。
 実家の建築設計事務所で働く國分隆史さん。本年6月までは、大手の設備企業に勤務していた。
 残業が“当たり前”の世界。仕事後の練習に集うため、工夫を凝らして業務の効率化を図るとともに、信頼第一の振る舞いを心掛けた。転職後の今でも、國分さんを頼って前職の仲間から仕事の依頼が舞い込むほどだ。
 さらには、多忙を極める中、寝る間も惜しんで学び、難関の建築設備士試験に合格を果たした。
 昨年には、男子部大学校1期生として、友人への弘教を結実。共に励まし合う中で、大学校2期生となったその友も先月、御本尊流布を果たした。
 「これからもバンガードの誇りを胸に、師恩に報いる一日一日を送ります!」

 創価大学の教育学部に学ぶ田久保響さん。中学1年の時から音楽隊での活動を始めた。
 生まれつき口唇口蓋裂で、友人に心ない言葉を浴びせられることもあった。自暴自棄になりかける心を支えてくれたのは、池田先生の指導と、バンガードの同志の温かな励ましだった。
 本年春、大きな手術に成功。しかしその後、最愛の母にがんの宣告。一家の宿命を転換しようと、共に本紙の購読推進に歩いた。
 大会直前に自身最後の手術を勝ち越えた田久保さんは、闘病を続ける母が会場で見守る中、日本一の演技を堂々と披露した。「母の病魔を打ち破り、自身の進路を勝ち取るために、信心根本に戦い続けます!」
 楽団は25年前、「創価ルネサンスバンガード」と命名された。「バンガード」とは「先駆者」を意味する。この四半世紀、楽団名に込められた池田先生の期待を胸に、全国各地で勇気の調べを届け、人々の心に希望の灯をともしてきた。
 広布の楽雄は、創価の新時代を開く文化の旗手として、次なる頂へ登攀を開始する。

【特集記事・信仰体験など】

◆〈「新・人間革命」と私 心に刻む珠玉の言葉〉ドクター部女性部長 石川てる代さん

 進歩発展した医学を、真に人類の幸福実現の力にしていくためには、医療従事者が、“人間とは何か”“生命とは何か”を説き明かした、生命尊厳の思想と哲理をもたねばならない。<第26巻「勇将」の章>
 
時代背景
 1978年(昭和53年)1月21日、香川県を訪れていた山本伸一は、四国研修道場で開催された本部幹部会に出席。席上、支部長に就任し、代表抱負を述べたドクター部の友を激励した。翌日には四国ドクター部長宅を訪問。伸一の万感の励ましに触れ、「生命の世紀」を開く使命を担う医師など、医療に携わる人材が陸続と育っていく。
 
「心の財第一」に生命の世紀へ
 「勇将」の章には、ハンセン病に対する世間の誤解を解くとともに、療養所入所者の社会復帰に尽くすドクター部員の姿が描かれています。
 また「医師の眼が、人間の幸福から離れるならば、医学は冷酷な凶器となる」など、医療への警鐘ともいうべき言葉が記されており、読むたびに自らの襟を正しています。
 私自身、同章に深い思い入れがあります。仕事に家庭に活動にと奔走する中で、体調を崩した時のこと。
 「人の命を預かる、大切な責任を担っているのが医師です」「健康のためには、強い生命力が必要です。その生命力は、深い祈りから生まれます。また、御書を拝して、広宣流布に生きる自らの深き使命を自覚していくことです」との同章の言葉に触れ、今までの生活を見つめ直しました。
 その時、信心根本に進む大切さを感じ、決意した日々の御書拝読は、今も続けています。
 医学は日々進歩していますが、決して万能ではありません。だからこそ御書を学ぶ中で、医師として確かな哲学を持つことがいかに重要かを実感しています。
 医学の知識だけでは人を救えない現実に直面したことが、私が信心を始めるきっかけでした。医師免許を取得し、大学病院で勤務する中、手の施しようがなく亡くなっていく人や遺族の底知れぬ悲しみなどに接し、医師としての無力感に襲われたのです。
 当時、宗教は“弱い人がすがるもの”と思っていましたが、学会員だった母から聞いた仏法の生命観と、「心の財第一なり」(御書1173ページ)との一節に感動して入会。人々の幸福のために尽くし抜く“戦うドクター部”の使命を、先輩たちから教えていただきました。
 今、ドクター部の女性医師の陣列は600人を超え、組織の第一線で多くの友が活躍する時代を迎えました。これもひとえに“命を守る人たちだから”と万感の励ましを送り続けてくださった池田先生、奥さまのおかげです。
 師恩に報いるため、先生がドクター部に託された生命の世紀の構築へ、団結固く進んでまいります。

◆〈虹を懸ける〉 池田先生とパラグアイ② 地域に信頼の根を張れ  2019年12月20日

毎週木曜日にパラグアイ文化会館で行われている勤行会。1977年から42年間、継続している(本年8月)

1993年2月20日、パラグアイの国際空港で池田先生を歓迎したアスンシオン市のカルロス・フィリソラ市長(右から2人目)ら。この日、先生に「市の紋章」の盾が贈られた

42年間の祈り
 パラグアイSGIでは42年間、毎週、継続してきたことがある。
 パラグアイ文化会館での勤行会だ。首都アスンシオン在住のメンバーを中心に、毎週木曜日に集まり、現在も多くの同志が参加している。
 「池田先生をパラグアイにお迎えしたい。皆で、祈りを合わせていこう」――1977年夏、この集いは、マツタロウ・ナガサワさんをはじめ当時のリーダーの提案で、わずか数人から始まった。
 トミオ・ハナノさん(パラグアイSGI副本部長)、マサコさん(同副総合婦人部長)夫妻は2回目の勤行会から、今日まで参加し続けている。「気が付けば、42年にもなるんですね」と感慨深く口をそろえた。
 トミオさんが和歌山県から移住したのは55年。7歳の時だった。
 ガンで余命を告げられながらも父は家族のため、懸命に養蜂に取り組んだ。しかし、11歳の時に父は逝去。トミオさんは、自分が家族を支えようと、苦学の末、国立アスンシオン大学の農学部に進学した。その在学中に出会い、仏法の話をしてくれたのが、マサコさんだった。
 マサコさんの父は草創のリーダーだったナガサワさん。61年に家族で入会以来、真面目に信心に励んできた。同国の女子部長としても活躍。76年6月にトミオさんを入会に導いた。ハナノさん夫妻はこの勤行会を軸に、人生を開いてきた。

「頑張りなさい」
 84年2月、池田先生は18年ぶりにブラジルを訪問。この時、隣国のアルゼンチン、ボリビア、パラグアイ、ウルグアイ、チリの南米5カ国200人の友もブラジル文化祭に参加するために訪伯した。
 先生は、記念のカメラに納まり、各国広布の前途を祝した。
 ブラジル滞在中、パラグアイの友にとって忘れ得ぬ場面がある。先生の前で「パラグアイ本部歌」を合唱する機会が巡ってきた。
  
 ?梢をわたる 風の音 コロラドの森 越えゆけば 流れる汗か 同志の顔コロニア(入植地)の道 果てしなし
  
 聴き終わった先生は語った。
 「今度は、パラグアイにも行くからね」
 さらに、先生はパラグアイの同志と固い握手を交わした。
 「“学会員で良かった”と心の底から感じました。『先生、ありがとうございます』と感謝の気持ちをお伝えしました」(マサコ・ハナノさん)
 「先生は、私に『頑張りなさい』と声を掛けてくださいました。生涯の原点です」(トミオ・ハナノさん)
 トミオさんは、この激励を胸に、幾多の苦境を乗り越え、国立アスンシオン大学の農学部教授、さらに政府と協力して営農の改善を進める農業コンサルタントとしても活躍してきた。
 ハナノさん夫妻の3人の子どもたちも父母の背中を見て育ち、広布の道を歩んでいる。
 70歳を超えた今、トミオさんは「自由自在に活動できる境涯になれたことが、何よりの功徳です。今の目標は学会創立100周年を妻と共に、“現役”で迎えることです」とかみ締める。

宿命転換の法理
 ブラジルで池田先生との出会いを刻んだメンバーは、その感動と決意を、パラグアイ中に語り広げていった。
 当時、理事長だったカオル・クリタさん(同名誉理事長)は言う。「どうすれば、先生をパラグアイにお迎えできるか――そのためには、“広布の拡大以外にない”と皆で約し合いました」
 同国では、日本からの移住者を中心に、皆が努力を重ね、社会に深く信頼の根を張り巡らせていた。
 「その証しとして、この頃から、現地メンバーの入会が相次ぐようになりました」(カオル・クリタさん)
 壮年部のペドロ・セスペデスさんも、その一人である。ケンジ・ヤマモトさん(同副理事長)の紹介で、84年に入会した。
 もともと宗教に関心はなかったが、経済苦や家庭の悩みは尽きなかった。「ヤマモトさんは、日西の辞書を持って、週に3回ほど、私の家に来ました。毎回、夜遅くまで、片言のスペイン語で仏法の話をしてくれました」
 セスペデスさんが感銘を受けたのは「宿命転換」の法理。周囲や環境のせいにしていた自分自身の生き方を見つめ直した。何より、ヤマモトさんの熱意に心が動いた。入会後は、真剣に唱題を重ね、目の前の課題を乗り越えていった。
 その後、同国の男子部長などを歴任し、今では、経営する会社が通関業界で最大手の企業に成長している。

民主化への道
 パラグアイでは54年から35年間、独裁政権が続いていた。89年、その歴史に終止符を打ったのが、当時のアンドレス・ロドリゲス大統領である。自身も軍人だったが、新憲法成立など「民主化」への橋渡しをした。
 その中で、国家の安定と繁栄のために、地道に活動するパラグアイSGIへの社会的評価も高まっていった。
 90年3月、アスンシオンで「世界の少年少女絵画展」(SGI、パラグアイ文部省共催)が開催された折にはロドリゲス大統領が出席。また同年11月、訪日した大統領は学会の首脳とも会見した。
 91年11月には、パラグアイの外務省から池田先生のパラグアイ訪問を招請する「公式招聘状」が届けられた。
 さらに92年11月、池田先生は、聖教新聞本社でフェルナンド・コスタンティニ同国駐日大使らと会談した。
 席上、大使は「SGI会長のご訪問を国をあげて歓迎いたします。皆、心待ちにしております」と改めて要請。また、先生の著作を読み、その平和行動を見つめてきた所感を述べた。
 会談後、先生は次のように語っている。
 「私は、美しきパラグアイに栄えあれ、光あれと祈りたい。そして近い将来、必ずや訪問し、永遠に残る友好の歴史を刻みたい」
 会談には、クリタ理事長(当時)をはじめ同国のリーダーたちも同席していた。
 その模様は、瞬く間にパラグアイ中に伝わり、同志の祈りは、一段と強くなった。

師を持つ喜び
 93年1月24日、池田先生は、北・南米指導に出発した。
 アメリカ、コロンビア、ブラジル、アルゼンチンでの諸行事を終え、2月20日、49カ国・地域目の平和旅となるパラグアイの国際空港に降り立った。
 パラグアイSGIのリーダーと共に、空港で出迎えた、婦人部のマルタ・ダバロスさん(方面副婦人部長)は振り返る。
 「池田先生は、空港に到着されるや、深々と一礼されました。“目の前に先生がいらっしゃる”。夢にまで見た瞬間でした」
 ダバロスさんは86年に入会。“どうすれば幸せになれるのか”を模索し、さまざまな宗教を試したという。
 その中でSGIに出合い、“幸せは、どこか遠くにあるのではなく、今いる場所でつかみ取るもの”という思想と実践に共感した。
 ダバロスさんは、先生の著作等を学びながら、師を持つ喜びをかみ締めてきた。
 「あの時、生涯、先生を求め、パラグアイ広布に生き抜くこと、そして3人の息子を後継の人材に育てることを誓いました」
 今、ダバロスさんの息子たちは全員、広布の最前線で活躍。次男のサムエルさんは、同国の青年部長を担う。

良き市民として
 空港では、アスンシオン市のカルロス・フィリソラ市長ら同国の要人も、先生の訪問を歓迎した。そして直ちに空港内で、式典が開催されたのである。
 フィリソラ市長は「アスンシオン市の名において、SGI会長の、ご訪問への私たちの喜びの象徴として」と述べ、歓迎の「市の紋章」の盾を先生に手渡した。
 先生は「社会も国家も、一市民から構成されています。『一市民』こそ、最も大切な根本です。その『市民』の代表者に歓迎していただくことは計り知れない光栄です」と謝意を述べた。
 “良き市民”を目指し、社会のために行動し続けてきた友の喜びもひとしおだった。
 こうしてパラグアイ広布史に輝く歴史的な4日間が幕を開けた。(①は13日付に掲載)
 ご感想をお寄せください news-kikaku@seikyo-np.jp

◆〈信仰体験〉ラグビーW杯日本代表の快進撃を足元から支えた靴下職人 2019年12月20日

 【長野県須坂市】日本中を感動の渦に巻き込んだ、ラグビーのワールドカップ(W杯)日本大会。史上初の8強入りを果たした日本代表の快進撃を足元から支えた会社がある。靴下や手袋などニット製品を手掛ける㈱タイコー。代表選手用の靴下の開発・製造を担ったのが、製造部長の黒岩勝さん(65)=地区部長=だった。

この道一筋45年

 桜の戦士の勇ましいプレーをテレビで観戦しながら、黒岩さんは、ぎゅっと拳を握り締めた。「よし! 行け! 行け!」
 ラグビーのW杯日本大会1次リーグ。日本代表は強豪チームを次々と打ち破り、列島を沸かせた。
 「一つ一つのプレーに大興奮でしたよ。うちの靴下を履いて、活躍してくれたと思うと、うれしくてね」
 スポーツ用品の大手メーカーから共同開発・製造の話を持ち掛けられたのは2年前。2015年(平成27年)のW杯イングランド大会に続く2度目のオファーだった。
 今回、特に力を入れたのはフォワード陣がスクラムで、いかに力を発揮できるか。またバックスの福岡堅樹選手や松島幸太朗選手らが、いかにキレのあるステップで敵陣を突破できるか。それにはグラウンドを捉えるグリップ力の強化が必要と考えた。
 湿度の高い日本。汗で靴下が滑るだけで力がそがれる。スパイクが脱げるなどもっての外だ。足と靴下、靴下とスパイクの滑りを、どこまで抑えられるかが重要な課題だった。
 そこで吸水性に優れた和紙素材の糸を、つま先とかかと部分に使用し、滑りにくく加工した糸も随所に施した。ふくらはぎ部分には血行を促し、疲労軽減を図る段階着圧を採用した。
 通常のデザインに加え、親指が分かれた足袋型も製作。改良を何度も重ね、今年6月、黒岩さんらの目指した自信作がついに完成した。
 「スパイクやシューズに比べ、靴下が注目を集めることはない。でもそれでいい。使う人が喜んでくれれば」
 この道45年の職人の言葉に偽りはない。

ゼロからの挑戦

 靴下編み機のメーカーで修業を積んだ黒岩さんが1974年(昭和49年)春に、板金加工職人だった父と一緒に小さな縫製工場を立ち上げた。やがて元請けだった㈱タイコーの前社長に腕を見込まれ、「一緒にやらないか?」と誘われた。
 「自分がやりたいことを好きにやらせてもらった」。左右非対称で足の形状に合わせた靴下は、グッドデザイン賞を獲得した。このほか、外反母趾の人のための靴下や、各種スポーツ競技用も手掛けていった。
 これまで卓球やスキージャンプ等の五輪選手の靴下の開発にも携わってきた。一つ一つ丁寧に、こだわりながら作った靴下は、一流のアスリートたちをうならせた。確かな技術力が認められていく。
 「ラグビー選手用のソックスを作ってほしい」。5年前の秋のことだった。
 黒岩さんの顔が曇った。「ラグビーのルールさえ知らない。しかも納期まで半年ほどしかない。こりゃ大変な仕事だ」。しかし、これまで築いてきた信頼を裏切るわけにはいかない。ゼロからの挑戦が始まった。ラグビーの試合をインターネット動画などで繰り返し視聴。題目を唱えては熟慮し、メーカーの担当者と協議を重ねた。靴下は納期ギリギリで完成した。
 迎えたイングランド大会。日本代表が南アフリカ戦で大金星。衝撃のニュースは世界中に伝わった。黒岩さんはホッと胸をなで下ろした。
 「皆さんの期待に応えられて良かった。あの時は、ただただ無我夢中でね」。黒岩さんは真っ先に、この喜びを亡き妻に報告したかった。

1年を10年分に

 妻の多鶴子さんが倒れたのは2014年春。耐え難い腹部の激痛を訴え、救急搬送された。検査の結果はスキルス型の大腸がん。他の部位にも転移し、すでに末期だった。術後、黒岩さんだけが主治医に呼ばれた。
 「残念ですが、もう手の施しようがありません。覚悟してください。もって2カ月でしょう」
 “2カ月? それはねえだろ!”。全身の力が抜けていくようだった。悔しさが込み上げ泣けてきた。妻には何も告げなかったが、長くはないと気付いていたようだった。
 数カ月前に支部婦人部長の任命を受けたばかりの妻は、見舞いに訪れる学会の同志を逆に励ましていた。「あの人は大丈夫? この人は最近どうかしら?」。自分のことより同志のことを心配する人だった。

 余命宣告をものともせず、池田先生を求め抜きながら、1年以上も力強く生き抜いた。病室で、最後に夫に伝えた言葉は「ありがとうございました」だった。
 仕事一筋で苦労を掛けた妻に感謝を述べたかったのは、自分の方だった。
 その頃、黒岩さんはイングランド大会用の靴下開発の真っただ中。同志や職場の同僚に支えられ、職場と病院を往復した。いつ寝たのか分からないほど。苦闘の中で生まれた靴下だった。
 「あの1年間で10年分の題目をあげさせてもらった気がします。寝ている時以外は、とにかく題目だった。妻を折伏したのは僕なのに……。彼女は命懸けで信心を教えてくれた」

人のために走る

 妻の分まで広布のため、人のために生きようと誓った。
 生前、妻は須坂市の日中友好協会で事務局次長を務め、在日中国人の夫人らを招き、料理教室の開催や着物の着付け会などを催した。妻を知る友人らの誘いもあり、黒岩さんは妻の後を継ぎ、同協会の一員になった。
 「思い切って飛び込んだことで、自分の知らなかった妻の一面を発見しています。それに日中友好は、池田先生の願いでもありますから、弟子の自分にできることを全力でやりたいと思ったんです」
 今年10月、列島に甚大な被害をもたらした台風19号。長野県でも千曲川流域が氾濫し、多くの住民が被災した。
 被災地域は会社に、ほど近かった。

廃材を使って作った人形
 黒岩さんらは社員で話し合い、「今こそ地域のために。苦しんでいる人のために」と靴下を段ボールに詰め込み、皆で避難所を回った。洗濯もままならない環境下で生活を送る人たちに喜ばれたという。
 「自分のためじゃなく、仲間を信じて前に進む。仲間のために走る。ラグビーって、あんなにカッコいいスポーツだって知らなかった。靴下を通して、世界に目を向けられる境涯になれたのは信心のおかげ。苦しい時こそ、じっとしていないで、もがいていないとダメだね。これを続ければ、いくらでも成長していける。人生も信心も、ラグビーに通じるものがあると思うな」
 そう語った苦労人の顔がほころんだ。

 

2019年12月19日 (木)

2019年12月19日(木)の聖教

2019年12月19日(木)の聖教

◆わが友に贈る

 「年は・わかうなり
 福はかさなり候べし」
 生涯青春の同志に
 無量の福徳は燦然!
 ますます健康長寿で!
 (御書P1135)

◆名字の言

一人静かに楽しむ読書もあれば、本を巡って誰かと語り合う読書もある。年間のべ9000人が参加する日本最大規模の読書会コミュニティーが「猫町?楽部」。主宰する山本多津也氏は、“本の内容を理解し、自分の考えを他者に伝える「アウトプット」によって、読書という「インプット」が正しく完了する”と強調している▼全国で年200回ほど開かれる読書会では、参加者が感じたことを自由に発言していく。目の前に並ぶ聞き手は、理解できれば“なるほど”とうなずき、分からなければ難しい顔をする▼そうした相手の反応を見ながら言葉を発するうちに、「頭の中に無造作に転がっていた思考のかけらが、パズルのピースのように少しずつはまって、まとまっていく」。つまり読んだ本の内容が「自分の中により深く内在化されていく」という(『読書会入門』幻冬舎新書)▼対話にも通じよう。相手に分かってもらいたい一心で、表現を考え、工夫を重ねる。その努力の積み重ねによって、自分自身の思想が磨かれ、言論の力が鍛えられていく▼池田先生は「対話の中でこそ、理解と確信は深まり、思想は輝きを放っていく」と。友の幸福を祈る真心から生まれる言葉は、相手だけでなく、自分の心をも豊かにする。(誼)

◆寸鉄

一人一人が周囲に尽くす
学会は素晴らしい―総長
共生の世紀を我らの力で
     ◇
色心の留難を止むる秘術
は唯南無妙法蓮華経なり
―御書。題目で苦境開け
     ◇
各地で真剣に地区討議。
一人一人の前進が創価の
勝利。共々に決意を固め
     ◇
防災対策、半数以上が未
実施と。備蓄品の準備等、
できる事から。教訓胸に
     ◇
SNSで犯罪被害の子、
88%がスマホの閲覧制限
なし。保護者が意識高く

◆社説 尊き「無冠の友」の無事故を祈る  路面凍結に注意、安全第一で

 池田先生ご夫妻は、9月、10月と「世界聖教会館」を訪れ、世界広布のさらなる前進と言論戦の勝利、そして本紙配達員「無冠の友」の健康と絶対無事故、福徳無量を祈られた。
 先生は、10月21日付本紙「新時代を築く」に、無冠の友に贈った一首をつづられた。「祈るらむ 君の頭上に 幸福の 太陽 輝け 無事に包まれ」――。「これが私の変わらざる心である」との師の万感こもる言葉に、胸が熱くなる。
 この下半期、聖教新聞は大きく購読拡大することができた。皆さまに深く御礼申し上げたい。
 一方で、一人一人の配達員が配る部数も増えている。寒風を突いて進む崇高な使命に、あらためて感謝の思いを込め、毎朝の安全を祈り抜いていきたい。
 間もなく冬至。暗い中での配達で、冷え込みも厳しくなる。積雪や路面凍結による転倒事故が起こりやすい季節だ。
 昨今は、ながら運転や、あおり運転の危険性も浮き彫りになっている。巻き込まれないためにも、各支部で開催の「ヒヤリハット配達員会」の確認事項を基に、無事故を勝ち取る努力を重ねよう。
 本紙「暮らしのアンテナ」で、「冬の車の運転」について、専門家が語っていた。「雪道や凍結した道路では、急加速や急ハンドル、急ブレーキなど、『急』が付く運転は厳禁です」。重要な指摘だ。「急」が禁物ということは、自動車の運転だけでなく、交通安全全般にも通じるポイントといえよう。
 配達員向けのSOKAチャンネルVODの番組でも、「慌てず」「油断せず」「無理をせず」の心掛けを掲げる。何かと気ぜわしい年の瀬だが、唱題根本に、心に余裕を持って行動したいものだ。
 また、配達員会で配られる冊子には、「冬の無事故配達5カ条」が収録されている。①さあ配達だ! 準備運動②帽子、滑り止め、反射材③「太もも歩き」で小幅・ベタ足④滑りやすい場所に注意⑤安全最優先! 配達に集中!――。準備運動で体をほぐし、帽子は万が一の転倒の衝撃を和らげるなど、無事故の要点を簡潔にまとめている。
 この5カ条のページを冊子から取り外し、玄関に掲示。朝の配達前に1条ずつ指さしをして、読み上げてから出発すれば、無事故の基本に徹するリズムをつくることができる。
 無冠の友が、早めの就寝など、体調管理に万全を期せるよう、周囲もこまやかな配慮を。悪天候の日や体調が優れない時は決して無理をせず、安全第一でお願いしたい。「無事故は即、勝利である」との池田先生の指導を胸に、使命の道を朗らかに前進していこう。

◆きょうの発心 四条金吾殿御返事 神奈川・横須賀総県婦人部長 中村美和2019年12月19日

御文 なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし(四条金吾殿御返事、1192ページ・編1219ページ)
通解 どのような兵法よりも法華経の兵法を用いていきなさい。

法華経の兵法で師弟共戦の道を
 法華経の兵法こそ、勝利への最高の要諦である、と仰せです。
 横須賀で、学会3世として生まれ育った私は、高校2年の時、立川文化会館で開催された「新世紀会」大会に参加。後継の弟子に広布のバトンを託そうとされる師匠の心に感涙し、生涯、学会の庭で生き抜こうと決意しました。大学生活や就職活動などでなかなか結果が出ず、人間関係でも悩みましたが、常にこの御文を胸に奮闘。そうしたなか、1991年(平成3年)11月24日、池田先
生が出席して行われた「第1回横須賀文化音楽祭」に、女子部として参加。学会の前進を阻もうと悪侶がうごめく最中の、御書を拝してのスピーチに、私は横須賀の使命の深さを実感しました。
 あれから28年。結婚後もさまざまな困難や課題に直面するたびに、横須賀の先輩方の温かな励ましに支えられ乗り越えてきました。後継の一人息子も、今年晴れて創価大学に入学することができました。今、この横須賀・三浦の地で学会活動に励めることに感謝の思いでいっぱいです。
 これからも異体同心の団結で、横須賀総県の皆さまと共に、師弟共戦の道を
「新時代のトップランナー」として走り抜きます。


【先生のメッセージ】

◆〈心に御書を〉13 苦難は宿命転換のチャンス2019年12月19日

御文
 地にたうれたる人は・かへりて地よりをく、法華経謗法の人は三悪並びに人天の地には・たうれ候へども・かへりて法華経の御手にかかりて仏になると・ことわられて候(法華証明抄、1586ページ)
通解
 地面に倒れた人は、かえって、その地面から起き上がるように、法華経への謗法を犯した人は、その罪によって、地獄・餓鬼・畜生の三悪道や人界・天界の大地に倒れるけれども、逆縁でかえって法華経の御手によって仏に成ることができる、と明かされている。

池田先生が贈る指針
 悪世で妙法に巡りあえたのは何故か? 過去世に無量の福徳を積んだ深き宿縁があるからだと、御本仏は教えられた。
 「変毒為薬」の仏法である。何があろうとも、“今こそ宿命転換の時なり”と立ち向かうのだ。
 不退の信心を貫く我らに恐れなし!
 労苦は、現在そして未来の友を励まし導くための人間革命の劇なのだ。


【聖教ニュース】

◆各地で少年少女きぼう合唱祭  響け 未来を開くハーモニー 2019年12月19日

 少年少女部の「きぼう合唱祭」が、列島各地でたけなわだ。  
 角田少女部長は第1茨城総県の合唱祭(8日、茨城文化会館)に出席。第1茨城総県の子どもたちが朗らかに。細谷総県長、加藤同婦人部長、坂上総茨城総合長が未来っ子たちの挑戦をたたえた(茨城文化会館で)

第1茨城総県の子どもたちが朗らかに。細谷総県長、加藤同婦人部長、坂上総茨城総合長が未来っ子たちの挑戦をたたえた(茨城文化会館で)

第1茨城総県の合唱祭
 高橋少女部書記長は奈良総県の合唱祭(15日、明日香文化会館)に、谷川少年部書記長は第1・第2宮城総県合同の合唱祭(同日、東北文化会館)に参加し、勉強やクラブ活動、親孝行に挑戦してきたメンバーを心からたたえた。
 佐保少年部長は徳島総県の「うずしお合唱祭」(15日、徳島文化会館)へ。20年以上にわたり毎年開催されてきた伝統行事であり、未入会家族や友人たちも参加して“徳島家族総会”ともいうべきアットホームな雰囲気に包まれる。
 子どもたちの歌声には人の心を結ぶ力がある。合唱祭は子どもたちにとって“歌の発表の場”であるのみならず、「平和の未来を開こう」という創価家族のメッセージを発信する場ともいえよう。

 今回、親子リレー体験発表を行った板垣孝一さん・美鈴さん夫妻は、かつて少年少女部の合唱団に所属して信心の原点を築いた経験や、創価家族との楽しい思い出を述懐。続いて、長男の智稀君と次男の蓮斗君が地元の合唱団に入団し、宝の日々を送る喜びと決意を元気に語った。
 総県の全5団体が順にハーモニーを響かせたほか、少年少女部歌「Be Brave! 獅子の心で」などを全員で歌い上げた。

◆コロンビアで文化祭 1200人が参加   2019年12月19日

「芸術を通して、自身の勝利を!」とのテーマで行われた文化祭。出演者が喜びにあふれて

「芸術を通して、自身の勝利を!」とのテーマで行われた文化祭。出演者が喜びにあふれて

 南米・コロンビアSGI(創価学会インタナショナル)の第1回「平和文化祭」が首都ボゴタのアストル・プラザ劇場で開催され、来賓や友人など合わせて1200人が参加した(11月24日)。
 同国の友は、文化祭に向けて各ブロックで「異体同心事」を研さん。“広布を進めゆく文化祭に”と団結固く祈りながら、演目の練習や仏法対話、自身の課題に挑んできた。
 その挑戦の息吹と勝利の歓喜にあふれた文化祭では、出演者が合唱や伝統舞踊、演劇などを披露。各演目が終わるたびに、拍手と喝采が送られた。
 ある来賓は「平和の種をまき、人々を協調に導くこの文化祭には、深い意義があります。文化運動を進めるSGIは重要かつ革新的な団体だと思います」と感想を寄せた。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈「新・人間革命」と私〉学生部長 樺澤光一さん  2019年12月19日

 新しい日本を、また、新しい世界の平和を築いていこうとするならば、青年が立つ以外にない。その先駆である学生が立ち上がる以外にないと、私は訴えたいのであります。<第8巻「宝剣」の章>

時代背景
 1963年(昭和38年)7月、学生部は部員増の目標を見事に達成し、第6回総会を開催した。出席した山本伸一は友をたたえ、日本、世界の大指導者を育むために、自ら学生部の発展に一層力を尽くすことを宣言する。その言葉通り、同年に京大生への「百六箇抄」講義を開始。受講生の多岐にわたる悩みに寄り添い温かな励ましを送る。

一対一の語らいこそ人材育成の鍵
 「宝剣」の章では、山本伸一が京都大学の学生に「百六箇抄」の講義を行うとともに、将来の進路や病気をはじめとした参加者の具体的な悩みに寄り添い、懇談する場面が描かれています。その中で、広布の志を持って医者や学者として活躍する友が現れるのです。
 一人一人と向き合い、“何のために信心に励むのか”を語らうことは、人材育成を大きく進める鍵と感じます。
 私自身、全国の学生部員と会う中で、できるだけ一対一の対話を行うようにしながら、「何を目指して勉強しているの?」「悩んでいることはない?」等と伺い、信心根本の挑戦を呼び掛けています。
 またメンバーが池田先生の心をより感じられるよう、聖教新聞や書籍、自分自身の体験を通して先生が“どんな人にどのような声を掛けたのか”等、先生のエピソードを具体的に話すよう心掛けています。
 加えて、師弟不二の生き方を少しずつでも主体的に学んでほしいと、“先生が自分と同じ立場なら、どう行動されるか”を意識しながら小説『新・人間革命』を読もうと訴えています。

皆が学会創立100周年の中核
 「宝剣」の章では、伸一が学生部員の前で“学生部の中から学会の後継者を、日本や世界の大指導者を育ててみせる”と述べるシーンがありますが、先生の心は、今も変わりません。
 学会創立100周年となる2030年に、学会でも社会でも中核を担うことが、今の学生部の使命だと思っています。この大切な一人一人の人材育成を、先生のもとで取り組めることに感謝は尽きません。

民衆に尽くす多彩な人材を
 学生部は今月、SDGs(持続可能な開発目標)に関するシンポジウムを行いましたが、そこで識者の方々と議論を交わす中、国際的な諸課題の解決には“民衆のため”との哲学が不可欠であることを改めて感じました。
 「此の法華経を閻浮提に行ずることは普賢菩薩の威神の力に依るなり」(御書780ページ)との御文を胸に、学生部は民衆を守る英知を磨きに磨いていきます。
 そして、人類の幸福に貢献する多彩な人材が躍り出るよう、激励の輪をさらに広げてまいります。


◆〈座談会〉友に希望送る「文字の力」「言葉の力」 広布の前進は聖教と共に2019年12月19日

〈出席者〉原田会長、原田光治・本社代表理事、永石婦人部長、西方男子部長、大串女子部長

 原田(光) 「創価学会 世界聖教会館」が完成した本年、聖教新聞は未曽有の拡大で師弟勝利の新たな歴史を開くことができました。拡大に尽力してくださった皆さまに心から御礼を申し上げます。
 
 永石 全国の同志が、世界聖教会館の完成をお祝いしようと、聖教新聞の拡大に挑戦してくださったことに感謝は尽きません。
 
 原田(光) 「無冠の友」の皆さまをはじめ、通信員、新聞長など、支えてくださっている全ての方々にも深く感謝いたします。聖教の職員一同、無冠の友の皆さまの健康と無事故を真剣に祈念しております。
 
 原田 御書に「仏は文字に依って衆生を度し給うなり」(153ページ)と仰せの通り、友に勇気と希望を送る「文字の力」「言葉の力」がどれほど大切か。
 
 永石 世界広布の伸展に伴い、聖教新聞の姉妹紙・誌は、50カ国・地域で80以上に広がっています。すごい時代です。
 
 原田 世界聖教会館に設置された「聖教新聞 師弟凱歌の碑」には、「広宣流布とは言論戦である。仏法の真実と正義を叫ぶ、雄渾なる言葉の力なくして、創価の前進はない」とあります。「聖教の使命」は、いやまして大きいのです。


陽光に照らされる「世界聖教会館」――この新しき師弟の言論城から、世界広布の新
たな波を! 人間主義と生命尊厳の哲理を掲げ、「希望・常楽・平和」の大光を!

電子版も大幅拡充
 大串 聖教新聞の紙面は、本年の9月8日付からリニューアルされました。1面の右端に「きょうのトピックス」が新設され、当日の紙面の内容が非常に分かりやすくなりました。
 
 永石 新企画である、「ライフウオッチ――人生100年時代の幸福論」や、「with――あなたと一緒に」(信仰体験)も好評を博していますね。
 
 西方 「ライフウオッチ」が1面を飾り、学会員の生き方が紹介された日には、「こういう1面を待っていました。暗いニュースが多い世間の中で、ノンフィクションのドラマである“体験”を通じて、前向きな仏法の考え方が明らかにされていて、非常に示唆に富み、刺激的でした」との読者の感想が寄せられたそうですね。
 
 原田(光) ありがたい評価です。混迷する社会を、人間主義の希望の哲学で照らすべく、さらに努力を続けてまいります。
 
 永石 また、聖教の人気企画である、信仰体験『ブラボーわが人生』(第三文明社刊)と、『世界の名画との語らい』(潮出版社刊)がそれぞれ単行本として発刊され、大きな反響を呼んでいますね。
 
 西方 最新のテレビCMも話題です。YouTubeの聖教新聞のチャンネルでも、すごい勢いで視聴回数が伸びています。
 
 大串 11月12日からは、聖教新聞社の公式ウェブサイトが「聖教電子版」と名称を改めてスタートしました。
 
 原田(光) 生活スタイルが多様化する中、利便性に優れた電子版は好評をいただいています。たとえば、離島に住む方からは、毎日皆さんと同じ時間に読むことができると、喜びの声が届いています。
 
 原田 すでに、世界の201カ国・地域からアクセスされています。創価の師弟の悲願である「日本中、世界中の友」のもとに、聖教の輪が広がっているのです。うれしいかぎりです。
 
 原田(光) 戸田先生は、交通機関や、電信・電話などの情報伝達手段が発達すれば、広宣流布は格段に進むと強調されました。世界広布新時代の今、電子版が普及していることは、時代の趨勢です。
 
 西方 青年部としても、電子版の内部購読を積極的に推進していきます。
 
 原田(光) 今回、電子版は、トップページのデザインを一新し、大幅な機能・サービスの拡充を行いました。紙の新聞にはないもので、多くの賛同の声をいただいています。
 
 永石 「人間革命検索サービス」は、私も早速、利用しています。小説『人間革命』全12巻と、『新・人間革命』全30巻がデータ化され、「キーワード」などで、簡単に検索できるようになりました。
 
 大串 たとえば、「折伏」と検索すれば、その用語が使われている箇所の前後1ページが表示され、研さんに大いに役立ちます。
 
 原田 「速報配信」も始まりました。日本一を勝ち取った創価ルネサンスバンガードの模様などが、新聞が届く前に速報されるようになったのです。明年の1月2・3日、箱根駅伝の様子も速報される予定です。
 
 西方 「動画」も大好評で、電子版で多くを視聴することができます。
 
 大串 YouTubeで「聖教新聞」と検索しても、公開されている動画を見ることができますね。
 
 原田 聖教新聞では、記者が世界各地で現地取材を行い、メンバーの活躍や、その地の「座談会」の報道などにも力を入れています。“地球の反対側でも創価の同志が奮闘しているんだ”“友の素晴らしい笑顔を見ていて、広宣流布は世界同時進行で進んでいることを実感します”などの声が相次いでいます。
 
 原田(光) 言論の力で、世界の平和と民衆の幸福を実現するのが、聖教の使命です。私たちは、正義の言論城である「世界聖教会館」から、さらなる前進をしてまいります。

大掃除 個人情報の管理を厳重に
 原田 さて、今年も押し詰まり、職場や自宅で「大掃除」をする機会が多くなります。私たちは、日頃お世話になっている個人会館をはじめ、広布の会場の清掃にも取り組んでいきたいと思います。
 
 西方 特にリーダーの皆さんは、不要になった書類の整理も、ぜひお願いします。個人情報などが書かれた書類の場合は、必ずシュレッダーを使用して処理をしてください。
 
 原田 ともかくも、皆がすがすがしい心で、「前進・人材の年」を迎え、さらなる広布拡大に挑戦していきましょう。

◆連載企画「私がつくる平和の文化」総集編 一人ひとりが変革の主体者に

 国連で「平和の文化に関する宣言と行動計画」が採択されて20周年となった本年、連載「私がつくる平和の文化」を1月からスタート。各界のインタビューを掲載し、一人一人が「平和の文化」を築くために何ができるかを考えてきた。一年間の内容をテーマごとにまとめた。

元国連事務次長 アンワルル・K・チョウドリさん
「平和の文化」とは?
「平和の文化」とは、私たち一人一人が日常の中で「平和と非暴力」を自分の生き方にしていくことです。
例えば人と接する時、攻撃的になったり、暴力を使ったりしない。軽蔑したり、無視したり、偏見を持ったりしない。そうした生き方を身に付けていくことです。平和といっても、どこか遠くにあるものではないからです。何か問題が起きても、どこまでも対話を通して互いを理解し、協力し合う努力をして、解決することが重要なのです。
「平和の文化」を根付かせるには、一人一人の、そして、全ての人の自己変革への努力が必要です。一人が「暴力を使わずに協力し合うことは可能だ!」との信念を持ち、実際に非暴力で争いを解決できれば、世界に対する偉大な貢献になり、波動は大きく広がっていくのです。(1月10日付)

歌手 アグネス・チャンさん
多様性の尊重
私たちが平和のためにできることは、皆が同じになることでも、それを望むことでもありません。違いを認め合う。尊敬・尊重し合う。互いの文化や考え方を学んで一緒に楽しむ。共に生き、共に栄えようという気持ちで暮らすことです。
違いを楽しみ、受け入れることを子どもたちに教えることが、平和を前進させるカギです。
幸福をつくるのは自分です。そのために必要なのは希望です。希望を決して失わないこと。どんな暗闇でも必ず光は差してくるし、冬が来れば春は必ず訪れます。
希望がなければ自分でつくればいいし、自分が希望になればいい。人を愛する力、人を幸せにする力は誰にでもある。それを信じ、違いを恵みとして楽しみ、互いの存在に感謝していく中に、平和はあると思うのです。(2月7日付)

ジャーナリスト 治部れんげさん
女性と男性の平等
「女性と男性の平等」を目指すとは、人権が尊重される社会をつくることにほかなりません。
女性が暴力を受けない社会は、男性にとっても「平和」な社会だと思います。
女性も男性も、「性別による役割分担」に縛られていると、自由がなく、生きづらい思いをするでしょう。
今の日本のように、大事な意思決定の場に女性が少なすぎたり、生活の場に男性が少なすぎる状況を解消し、多様な意見を反映した社会を築かなければ、日本は世界から取り残されてしまう。
職場に限らず、地域でも家庭の中でも、“男性だから”“女性だから”ではなく、その人らしく活躍できるよう、意識を変え、仕組みを変えていく。それが、生き方の選択肢を広げ、豊かさにつながっていくことになるのです。(3月5日付)

成蹊大学名誉教授 廣野良吉さん
持続可能な開発
平和が来なければ「開発」などできません。だけど、平和になっても「持続可能な開発」ができるとは限らない。それぞれの国や地域で、優先すべき課題は違います。それに、食べる物、着る物、暮らし方、何が好きか、みんな違います。それを理解しないで、上から「これをやれ」と無理やり押し付けても、誰もやりません。だから僕は国際会議で、「平和の文化」がなければ「持続可能な開発」はあり得ない、と強調しています。「平和の文化」とは、各地域に住む人々の多様性・自主性を尊重し、一人一人の日常生活が、常に平和の方向へ動くようになることだからです。
地球は「自分たちのもの」であり、未来の世代から借りているものです。みんながそう思えば、もっと大切にできるのではないでしょうか。(4月8日付)

国連子どもの権利委員会委員 大谷美紀子さん
子どもの権利
「子どもの権利条約」が国連で採択されて、今年で30周年を迎えます。
かつては「守られるべき存在」としてのみ見られていた子どもを、大人と同様に「人権があり、尊重されるべき一人の人間」と捉えた条約は「子どもの見方」を一変させた画期的なものです。
自分が「かけがえのない大切な存在」だと自覚し、周りの大人から「大切な一人の人間」として接してもらうことは、他人も自分と同じように大切な存在であることを知り、他人を大切にする姿勢にも通じていくと思います。
児童虐待、いじめなど、子どもに関する全ての問題への取り組みの中心に「子どもの権利条約」を位置付けることが大事です。
子どもの笑顔が広がる社会こそ、平和な世界といえるのです。(5月1日付)

戸田記念国際平和研究所所長 ケビン・クレメンツさん
平和構築の主体者
私の住むニュージーランドでは本年3月に起きたモスク襲撃事件を経て、移民に対する差別意識や偏見を改めて問い直し、いかなる差別も許さない社会を築く挑戦を始めています。
SNS上に溢れる過激で暴力的な情報に惑わされないために、価値観や道徳観を確立する必要性も再認識しています。
こうした時代に平和を築くためには、どこまでも人間を信じ抜くことが大切です。相手に恐怖や不信を抱けば、相手もそれを感じます。反対に、相手に愛情や尊敬の念を抱けば、相手もそれを感じるものです。
「平和の文化」とは、恐れや憎しみを愛に、非寛容を慈悲に、悲観主義を希望に変えていくことです。それが、個人の人間関係も、さらに社会や政治における関係をも変えていくことになるのです。(6月13日付)

米エマソン協会元会長 サーラ・ワイダーさん
対話でひらく
「対話」とは、“私たちは皆、違う”という現実に立ち、そこに無限の可能性と美しさを見いだそうとする積極的な営みです。対話には、何にもまして、人と人を深く結びつける力があります。
対話は、どの瞬間においても、相手の人生の「物語」を聞こうと努めることから始まります。
私たち一人一人が抱く「物語」には、他者との共通性があります。だから、対話を通して互いの「物語」を分かち合い、人間として理解し合うことで、日々の生活に影を落とす「拒絶されるという恐怖」から解放されるのです。
暴力が社会の奥深くにまで蔓延する今、私は「物語」を分かち合おうとする人々の、静かで力強く、たゆみない努力に心を寄せたい。こうした人たちが日々、「平和の文化」を築いているからです。(7月5日付)

昭和女子大学理事長・総長 坂東眞理子さん
「平和の文化」を育む教育
私は、子育て中の親御さんによく、上手に助けを求める「求援力」が必要だよと語っています。親が助けを求める姿を見せていれば、子どもも「苦しかったら我慢しなくていいんだ」と安心するはずです。
「あの人、孤立しているんじゃないかな」と気付く感度。他人の痛みに「共感」できる能力。今の社会は、この「共感力」が一層、必要になっていると思います。
「頼まれてもいないのに」「別に私がしなくても……」ではなく、ささやかでもいい、何かプラスになること、誰かの役に立つことができないか。そう思って周囲を見渡せば、さまざまな困難に向き合っている方たちが大勢います。
勇気を出して直接触れ合えば、必ず手応えがあり、「他人ごと」が「自分ごと」になるはずです。(8月9日付)

ICAN事務局長 ベアトリス・フィンさん
連帯の力
市民社会が声を上げ、連帯する。それが変革の力になります。ICANの活動も、103カ国554団体(8月時点)に所属する、核兵器廃絶を目指す人々の「連帯」で成り立っています。
従来の核兵器廃絶運動は、政府に提言するものなどが多かった。それでは「民衆」に力を与える運動にはなりません。ICANでは「あなたこそ主役です」と語り、“市民社会の力こそ最重要”と位置付けました。
個人主義の強い社会で育った青年には、「連帯すること」が、どれほど大きな力になるのかを学ぶ必要があると感じます。
連帯は、身近な問題や世界の課題に関心を持つことから始まります。家庭でも地域でも、人のために活動する、他人と力を合わせる。その経験を通し、「連帯の心」を培うことができるのです。(9月2日付)

政治学者 姜尚中さん
差別のない世界を
“差別のない世界”をつくるには、人権というものの根幹に「生命論」が必要です。生命に序列はない。どんな生命に対しても「この人は生きるに値しない」などと判断してはならない。生命に対する「畏敬の念」がベースになければ、人権といっても上っ面な言葉になってしまう。まずは私たちが「生命は一つ一つ違う」「どんな生命にも存在する価値がある」という合意をつくること。それがないと、いくら「差別をやめましょう」といっても社会は変わりません。
差別を乗り越えるには、相対して語られる「言葉」によって、人の心を打つような対話が必要です。差別をすることは、結局は自分自身をおとしめることになる――一人一人がそこに気付くような変化をつくりだすことが「平和の文化」ではないでしょうか。(10月17日付)

難民を助ける会理事長 長有紀枝さん
生命の尊重
他者とつながる「心のスイッチ」を切らないでほしい。スイッチが入っていれば、その時々にできることはあるし、いつか必ず、何かができるはずです。
「平和の定義って何?」と聞かれたら、私は「明日の予定を立てられること」と答えます。地雷原の周辺に住む子たちに、大人になった自分の絵を描いてごらんと言ったら、足のない絵を描くんです。彼らにとって大人になるとは、足がなくなることなのです。そういう苦難に思いをはせ、生き方を変えることも「平和の文化」だと思います。
将来の計画を立て、未来を創造することは実はすごい“特権”です。でもその貴重さにはなかなか気付けません。誰もがこの“特権”を持てるようにするためにも、「心のスイッチ」を切らずにいただきたいと思うのです。(11月5日付)

平和教育研究者 ベティー・リアドンさん
「暴力の文化」を変革
暴力とは人間の関係性を壊す行為や態度です。多様な人々が人類という“家族”を構成していることを想像できないため、暴力を使うのです。暴力は、それを使った人の生命も傷つけます。人間関係が希薄な今、人間対人間のリアルな関係を結び直すことが大切です。
かつて池田会長が提唱した「世界市民」の資質の一つに、差異から学ぶ「勇気」とあります。他者への恐怖を乗り越え、勇気をもって相手を深く知る。すると、異なる価値観や学ぶべきものがあることに気付きます。
私は、全ての人が、子どもや青年を大切に「育てる力」を身に付ける必要があると考えます。若い人に自分がかけがえのない尊い存在であることを教え、その可能性を伸ばそうと関わり続ける。それが「平和の文化」の構築につながるのです。(12月12日付)

◆〈信仰体験〉With ウィズ 知れば、好きになれる。 
 あなたと一緒に #在日コリアン ニューカマーとして日本で働く  2019年12月19日

 日韓関係が揺れています。政治の対立は各所に波及し、訪日韓国人の激減や文化交流の取りやめなど、両国民の友好に影を落としました。私たちは、こうした対立をどう捉えていくべきなのか。今回からは両国のはざまで生きる在日コリアンの方を取材し、互いを理解する意味を考えます。初回は、近年増え続けるニューカマー(韓国で生まれ育ち日本にやって来た)の女性を紹介します。

日本語とハングルの御書を使い分けて研さん
 創価大学へ行く――。キム・ミンギョンさんが進路希望を打ち明けた時、一族から猛反対された。「日本の、しかも“宗教の大学”へ行くのか!」。母と叔母、キムさんと妹以外は、創価学会の信仰をしていない。韓国社会は学歴重視で、命を削るような受験競争が繰り広げられている。
 親戚からは「親日になりたいの!?」と言われた。「親日」は過去の日本支配を肯定する言葉で、韓国では良い意味で使われない。
 学会が嫌いな父は、鬼の形相で言う。「おまえなら有名大学に行けるのに。親不孝者が!」
 “この人はいつもこうだ”。酒癖が悪く、嫌なことがあればすぐ怒鳴り散らす。キムさんが幼い頃から、母にもつらく当たってばかりだった。

留学生の仲間たちと
 荒れる家庭に翻弄されない、強い自分になりたかった。そんな心の居場所が、池田先生の書籍『青春対話』の言葉だった。
 「たとえ諸君が、自分で自分をだめだと思っても、私はそうは思わない。全員が使命の人であることを疑わない」

 キムさんは思いを貫いた。「日本がどうとかではなく、私は池田先生のつくった大学に行きたい!」
 決意一つで海を渡ったが、経済苦がついて回った。溶接工だった父は病によって職を失い、キムさんの創大進学後に立ち上げた事業も失敗した。
 キムさんはアルバイトを四つ掛け持ちした。日本語を学ぶ時間さえ満足に取れない。授業で提出したリポートは、添削の赤い字で埋め尽くされた。
 1年余りで休学。韓国に戻ってからも、片道2時間かけて仕事に通い、家計を支えた。膨大な借金のもと、それでもキムさんは、希望を失わなかった。

女子部の華陽姉妹たちと
 心には池田先生への感謝があった。創大で世界中から来た留学生と知り合った。地域の学会女子部の先輩は、つたない自分の日本語を聞いてくれ、先生の指導をハングルで書き、手紙をくれた。
 “池田先生は、私に仲間を与えてくれた。異国の地で、傘を差して、私を守ってくれた”。そう思った時、逆境を越え、必ず創大に帰ろうと誓った。
 韓国では女子部の部長としても尽力した。家庭訪問から帰ったある日。父から「学会の会合か?」と聞かれた。昔なら怒鳴られ、家から閉め出される場面。「そうだよ」と笑顔で答えるキムさんを、父はなじらなかった。「一度は、ミンギョンが頑張っている姿でも見に行こうかな」。何かが変わり始めた。
 家計は窮地を脱し、復学を決めた。

皆が主役の国際色豊かな座談会
 その後も、進路に葛藤した。韓国で働きたいが、就職戦線は激烈を極める。卒業後、日本での就職を選んだが、リストラを経験した。
 “韓国? 日本? 私の使命はどっちにあるの?”
 八王子の婦人部の先輩が励ましてくれた。「仕事は続けたって辞めたって、どっちでもいいの。大事なことは、命に負け癖をつけないことよ」
 現在は、東京にある韓国企業の関連法人で働く。最近は社内でも取引先でも「日韓関係どう思う?」とよく聞かれる。
 こういう時は“どっちの国が正しいか”が議論されがち。
 しかしキムさんは、それとは別に大切なことがあると思う。それは“なぜ相手がそう考えるのか”を知ることだ。韓国と日本で、進む道に悩んだからこそ、「どちらか選ぶんじゃなくて、どちらの良さも理解できる」自分でいたい。
 昨年、一時帰国した際、父から思いがけない言葉が。「僕が入会していた方が、安心して日本で暮らせるだろう」。たくさん仏法対話をしてきたのに、入会する時は不意に訪れた。
 何を考えているか分からない父。不慣れなくせに起業したのは、キムさんの学費を効率的に稼いであげたかったから。倒産後も、韓国の雪深い地方へ出稼ぎに行き、学費を工面しようとした。キムさんがそうした思いを知ったのは、後になってからだ。
 『青春対話』に書いてある。「自分の親の気持ちも理解できないようでは、多くの人を幸福にしていくことはできない」――初めて読んだ時は、正直、“私にはできない”と思った。でも、不可能じゃなかった。
 相手の思いを知れば、好きになれる。

 キム・ミンギョン 東京都八王子市在住。韓国仁川広域市出身。創価大学留学をきっかけに日本へ。卒業後、現在はパントスジャパン株式会社(韓国企業LGの関連会社)に勤務。女子地区リーダー。

 

2019年12月18日 (水)

2019年12月18日(水)の聖教

2019年12月18日(水)の聖教

◆わが友に贈る

 「ただ一えんに
 おもい切れ」御聖訓。
 一歩を踏み出す勇気が
 未来を大きく開く。
 わが人生劇の名優たれ!

◆名字の言

2組の若い母娘が一緒に料理をした。途中、砂糖を加えるべきところで一方の少女が塩を入れてしまった。それをまねて、もう一方の少女も塩を手にした時、母親が「あっ、本当はね」と制した。さて、しょっぱくしてしまったほうの親子。一緒に味見をした後、母親が半泣きの娘に言った。「おっ、本当だね」▼2人の母の言葉はわずかな違いだ。だが、料理の経験が忘れ難いものとして残るのは、後者の親子だろう。多少の失敗や遠回りはあっても、体験を通して“身で読んだ”ことが自分のものになる。人生も同じではないか▼「年頭に始めた小説『新・人間革命』の全巻読了を先日達成しました。決意も新たに、また第1巻から先生と共に生きています」と語る壮年部員。彼は青年時代に友人から同書を薦められて読み、主人公・山本伸一の生き方に感銘した。“これまでの自身の空虚な生活と決別し、未来を変えたい”と入会した▼以来、彼は物語と自分を重ねるかのように同書を熟読し、実生活での試練を信心根本に乗り越えてきた。彼にとって「読む」とは、学んだことを行動に移す「わが人間革命の挑戦」と同義だった▼小説に刻まれた池田先生の実践に学び、自らも立ち上がる。そんな「師と共に歩む」人生を送れる人は幸福である。(城)

◆寸鉄

各国で青年が勇躍前進。
師弟凱歌の旭日を!希望
と正義の哲理を語りゆけ
     ◇
東京・足立の日。使命深き
庶民の王者に恐れなし。
90周年の勝利へ先駆頼む
     ◇
妙法を持ち努力すれば必
ず人間革命できる―恩師
昨日より今日!弛みなく
     ◇
日本の国連加盟記念日。
唯一の戦争被爆国として
核廃絶の潮流を今こそ!
     ◇
帰省先で子どもの誤飲、
転倒事故等多し。慣れな
い環境の場合、より注意

◆きょうの発心 開目抄 東京・目黒戸田区長 近藤浩  2019年12月18日

御文
 我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ(開目抄、234ページ・編464ページ)


【先生のメッセージ】

◆連載〈世界広布の大道〉小説「新・人間革命」に学ぶ 御書編 第14巻 2019年12月18日

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第14巻の「御書編」。小説で引用された御書、コラム「ここにフォーカス」を紹介する。

イラスト・間瀬健治

挿絵は内田健一郎。

難は生命を鍛える研磨剤
御文
 我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし(御書234ページ、開目抄)
通解
 私と私の弟子は、多くの難があろうとも、疑う心を起こさなければ、自然に仏界に至るであろう。諸天の加護がないからと、疑ってはならない。現世が安穏でないことを嘆いてはならない。私の弟子に朝に夕に教えてきたが、難にあって疑いを起こし、みな退転してしまったようである。愚かな者の習いは、約束したことをまことの時には忘れるのである。

小説の場面から

 <1969年(昭和44年)12月、山本伸一は大阪から三重の松阪会館へ。「開目抄」の一節を拝して指導した>

 「『いざという時』にどうするか。実は、その時にこそ、日ごろの信心が表れるんです。(中略)日々、忍耐強く、黙々と、水の流れるように信心に励むことです。自分の生命を、磨き、鍛え抜いて、信心への絶対の確信を培っておくことです。それができてこそ、大事な時に、大きな力が出せるんです」
 一人ひとりの決意を促すように、伸一は語っていった。
 「では、『いざという時』とは、どういう時をいうのか――。個人にとっては、自分や家族が大病にかかったとか、不慮の事故、事業の倒産に遭遇するなどといった、一大事の時がそうでしょう。これは、自分の過去遠遠劫からの宿業が出たことであり、まさに宿命転換のチャンスなんです。
 また、信心を反対されたりすることも、『いざという時』です。さらに、学会が法難を受けるなど、大変な事態に陥った時です。
 幸福を築くには、何があっても崩れることのない、金剛不壊のわが生命をつくり、輝かせていく以外にない。そして、難こそが、生命を磨き鍛える最高の研磨剤なんです。
 したがって、大難の時こそ、自身の宿命転換、境涯革命の絶好の時といえる。ゆえに、勇んで難に挑む、勇気がなければならない。臆病であっては絶対になりません」(「烈風」の章、228~229ページ)

聖教の発展を心に期して
御文
 仏は文字に依って衆生を度し給うなり(御書153ページ、蓮盛抄)
通解
 仏は文字によって衆生を救われるのである。

小説の場面から

 伸一は、会長に就任してからの、この十年余りの間、いつも、聖教新聞のことが頭から離れなかった。
 彼の一日は、妻の峯子とともに、配達員等の無事故を懸命に祈り、インクの匂いも新しい、届いたばかりの新聞に、くまなく目を通すことから始まるのである。
 伸一は、朝、聖教新聞を目にすると、すぐに翌日の紙面のことを考えた。
 “明日の一面のトップはなんだろうか”“社説は何を論ずるのだろうか”“どんな記事があるのだろうか”……。
 戸田城聖が魂を注いでつくり上げた新聞を大発展させていくことが、自分の責任であり、義務であると、彼は決めていたのである。
 だから、率直に、聖教新聞についてアドバイスをすることもあった。また、編集部から寄稿の要請があれば、どんなに多忙ななかでも、懸命に原稿を書いた。(中略)
 日蓮大聖人は、「仏は文字に依って衆生を度し給うなり」と仰せだが、仏法の哲理を、人びとに正しく伝え抜いていくうえでも、聖教新聞の担う役割は極めて大きい。
 さらに、現代は情報が氾濫しており、ともすれば、その情報の洪水に押し流されて、自らがものを考え、自身の価値観を確立できないでいることが少なくない。
 それだけに、情報を見極める哲学の“眼”をもつことが極めて重要になる。そのための新聞が、聖教新聞であるといってよい。(「大河」の章、365~366ページ)
ここにフォーカス/学会の強さの源泉
 1969年(昭和44年)から70年にかけて、学会は激しい非難にさらされました。学会批判書の著者に、事実に基づいた執筆を要望したことなどが、言論弾圧とされたのです。
 評論家の田原総一朗氏は、著書『創価学会』(毎日新聞出版)の中で、「『言論・出版問題』と呼ばれるようになるこの事件で、創価学会も大きなダメージを受け、間違いなく衰退すると誰もが確信した」「私もその一人である」と記しています。
 氏がそう予測したほど、学会攻撃は、すさまじいものがありました。しかし、その烈風を勝ち越え、学会はさらに発展を遂げていきます。その要因を探ろうと、「言論・出版問題」の後、氏は多くの婦人部員を取材します。すると皆、こう語ったと述べています。「私たち一人ひとりが池田先生とつながっている」。この「師弟の絆」こそ、学会の強さの源泉にほかなりません。
 「言論・出版問題」の渦中、伸一は若き人材を薫陶していきます。彼は記者会見で宣言します。「学会がどうなるか、二十一世紀を見てください。社会に大きく貢献する人材が必ず陸続と育つでしょう。その時が、私の勝負です!」
 21世紀の今、伸一が手塩にかけて育成した若人は、各界の第一人者として活躍しています。その社会貢献の人材は、二陣、三陣と続き、世界を潤す大河となっています。

ここにフォーカス/学会の強さの源泉
 1969年(昭和44年)から70年にかけて、学会は激しい非難にさらされました。学会批判書の著者に、事実に基づいた執筆を要望したことなどが、言論弾圧とされたのです。
 評論家の田原総一朗氏は、著書『創価学会』(毎日新聞出版)の中で、「『言論・出版問題』と呼ばれるようになるこの事件で、創価学会も大きなダメージを受け、間違いなく衰退すると誰もが確信した」「私もその一人である」と記しています。
 氏がそう予測したほど、学会攻撃は、すさまじいものがありました。しかし、その烈風を勝ち越え、学会はさらに発展を遂げていきます。その要因を探ろうと、「言論・出版問題」の後、氏は多くの婦人部員を取材します。すると皆、こう語ったと述べています。「私たち一人ひとりが池田先生とつながっている」。この「師弟の絆」こそ、学会の強さの源泉にほかなりません。
 「言論・出版問題」の渦中、伸一は若き人材を薫陶していきます。彼は記者会見で宣言します。「学会がどうなるか、二十一世紀を見てください。社会に大きく貢献する人材が必ず陸続と育つでしょう。その時が、私の勝負です!」
 21世紀の今、伸一が手塩にかけて育成した若人は、各界の第一人者として活躍しています。その社会貢献の人材は、二陣、三陣と続き、世界を潤す大河となっています。

【聖教ニュース】

◆タイ青年部が1万人の誓願大会――池田先生が祝福のメッセージ贈る  2019年12月18日

近隣の国からも代表が参加して盛大に開催されたタイ青年部誓願大会。学会創立90周年の明年へ、地域に、世界に、幸福の連帯を広げゆく誓いを固め合った(バンコク市内で)

近隣の国からも代表が参加して盛大に開催されたタイ青年部誓願大会。学会創立90周年の明年へ、地域に、世界に、幸福の連帯を広げゆく誓いを固め合った(バンコク市内で)

 タイ創価学会青年部の誓願大会が7日、代表1万人が参加して、首都バンコクのバンコクアリーナで盛大に開催された。
 この四半世紀で10倍の拡大を遂げるなど、近年、創価の人間主義に大きな共感と信頼が広がるタイ。学会創立90周年の明年へ、同国青年部は7万5000人の地涌の連帯構築を目指し、勇んで仏法対話に挑戦している。
 
 本年を飾る今回の大会に向けては、各部が一体となって宿命や悩みと葛藤する同志への一対一の励ましに全力で取り組んできた。数々のドラマが生まれる中、大会では代表2人の体験が紹介された。
 地区リーダーの女子部員は、大学進学後に心の病を発症。生きる意味が見いだせず、苦しさから死も考える日々を何年も過ごした。しかし、退院を果たした日に家を訪れてくれた同志と接するうち、自分にも使命があると実感できるようになったと語り、人間革命に挑む決意を披歴した。
 食事にも事欠くほどの経済苦と葛藤していた男子部本部長は、宿命転換を懸けて懸命に学会活動に励む中で、過酷な環境を嘆いて生きることがなくなり、逆に困難こそ使命を果たすバネへと転じていく好機なのだと学んだと述べた。
 歓喜と挑戦の息吹あふれる大会には、池田大作先生がメッセージを贈り、祝福した。
 先生は、「始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(御書788ページ)の一節を拝し、いかなる立場や境遇にあろうと、誰人にも尊極の仏の生命が厳然と具わっていると強調。それを顕現して日々の生活の中で最高に輝かせ、「歓喜の中の大歓喜」の人生を勝ち進むために仏法はあるとし、崇高な使命の青春を送る誇りを胸に、人間革命の大道をと呼び掛けた。
 
 大会ではまた、モダンダンスの演技や音楽隊・鼓笛隊の演奏が披露されたほか、「This is My Name」やタイ青年部の愛唱歌を合唱。タイ青年部誓願宣言を発表し、創価の立正安国の闘争を受け継ぐ誓いを新たにした。
 ソムサック議長、ウサニー婦人部長は、青年時代の苦難や労苦は自らを強くしてくれる宝であると語り、師匠と心を合わせ、広布の大願に生きる一人一人にと訴えた。

◆原田会長を中心に各部代表者会議――価値創造の大光を放て  2019年12月18日

 世界広布新時代第74回の各部代表者会議が17日、原田会長を中心に、東京・新宿区の常勝会館(本部第2別館内)で行われた。
 池田先生はメッセージを贈り、冒頭、見事に「日本一」に輝いた音楽隊、鼓笛隊に皆で大拍手を送りたいと称賛した。
 次いで、リーダーに対して峻厳な薫陶の連続だった戸田先生も、一年の終わりには、共に戦った弟子たちを、父が子をねぎらうがごとく包容してくださるのが常であったと述懐。その恩師の笑顔をしのびつつ、この一年を陰に陽に奮闘してくれた同志を一人一人、心からねぎらい、たたえたいと述べた。
 続いて、「日輪・東方の空に出でさせ給へば南浮の空・皆明かなり大光を備へ給へる故なり」(御書883ページ)を拝読。
 明年で最初の世界広布旅から60周年、SGI(創価学会インタナショナル)発足から45周年を迎えるこの時、太陽の仏法は昇りゆく旭日のように輝きを増していると力説。我らはいやまして「人間革命」の哲理の光で生老病死の苦悩の闇を払い、「立正安国」の対話・言論の光で、日本と世界の混迷の闇を照らしたいと訴えた。
 そして、この創価の太陽の「核」となって燃え上がる存在こそ、誓願深き広布のリーダーであり、なかんずく青年の「熱と力」であると強調。
 学会創立90周年から100周年へ向かう10年は、人類にとって重大な分岐点となる10年である。だからこそ師弟不二、異体同心という生命の究極の融合で結ばれた我らは、人間の中へ、民衆の中へ飛び込んで「価値創造」の大光を無限に放ち、地球社会を明るく晴らしていこう! 共々に「太陽の心」で戦おう!――と呼び掛け、メッセージを結んだ。
 原田会長は、池田先生の哲学と創価学会の行動を世界が求める時代に入った今、自信満々に対話拡大に打って出ようと力説。それぞれが使命の場所で現実の課題を一つ一つ乗り越えながら、広布の未来への基盤を築いていきたいと訴えた。
 さらに、角田少女部長が韓日青年友好研修会の模様を報告。谷川主任副会長、長谷川理事長があいさつした。

◆国連欧州本部の人権教育行事で「変革の一歩」展――SGIなどが制作 2019年12月18日

「人権教育のための世界プログラム」第4段階の開始を記念する行事で、SGIなどが制作した「変革の一歩」展が設置された(国連欧州本部で)

「人権教育のための世界プログラム」第4段階の開始を記念する行事で、SGIなどが制作した「変革の一歩」展が設置された(国連欧州本部で)

 国連「人権教育のための世界プログラム」の第4段階(2020年~24年)の開始を記念する行事が9日(現地時間)、スイス・ジュネーブの国連欧州本部で行われた(主催=国連人権高等弁務官事務所、スロベニア政府代表部)。
 ここでは、ケイト・ギルモア国連人権副高等弁務官、タイのセク・ワナメティ国連常駐代表らがあいさつ。
 また、「人権教育学習NGO作業部会」を代表して、SGI国連事務所のエリザ・ガゾッティ氏が登壇。人権教育の普及に携わる青年としての視点や体験を語った。
 会場では、SGIなどが制作した展示「変革の一歩――人権教育の力」の英語版が設置され、多くの見学者でにぎわった。
 一方、フランス・パリのユネスコ本部ビルでは13日(同)、フランス創価文化協会などが主催する人権教育シンポジウムが開かれ、世界プログラム第4段階の課題や人権促進における宗教の役割などを巡って議論。ガゾッティ氏が進行を務めた。
 また、9日から18日まで「変革の一歩」展のフランス語版が設置された。

◆周総理と池田先生の会見から45周年――中国・南開大学の「周池会」と仲愷農業工程学院「廖池会」が集い  2019年12月18日

周池会の学生らが記念のカメラに。同会の卒業生や、創価大学からの留学生も参加した(天津市の南開大学で)

周池会の学生らが記念のカメラに。同会の卒業生や、創価大学からの留学生も参加した(天津市の南開大学で)

 中国・周恩来総理と池田先生との北京での会見(1974年12月5日)から45周年――中国各地の教育機関の学生団体が今月、この佳節を記念する会合を開催した。
 南開大学の「周恩来・池田大作研究会(周池会)」の集いは8日、天津市の同大学で。
 創価大学からの留学生の代表が、“池田思想”を体現する人材に成長しゆく決意を発表。双方の文化の違いや将来の夢などをテーマに、ディスカッションを行った。
 南開大学の紀亜光教授は、中日関係が厳しい時期にあっても、同会は両国友好の発展のために前進してきたと強調。周総理の心を受け継ぎ、今後も誠実に交流を深め、新たな未来を創造してほしいと呼び掛けた。
 仲愷農業工程学院の「廖承志・池田大作研究会(廖池会)」の集いは7日、広州市の同学院で開かれた。
 学生の代表らが45年前の会見の意義等について研究発表。皆で周恩来総理夫妻と池田先生の友誼をうたった「桜花縁」を合唱した。
 同学院「廖承志・池田大作研究センター」の蔡立彬副主任が、先人たちが築いた友誼の道を継承し、これからも相互理解を促進していこうと力説。高岳侖主任は、世界平和の構築のために、友情の連帯を大きく広げてほしいと期待を寄せた。 

【特集記事・信仰体験など】

◆〈2020 広布史メモリアル〉 1月   2019年12月18日

◎1・1 小説「人間革命」連載開始
 1965年(昭和40年)元日、池田大作先生が法悟空のペンネームでつづった小説『人間革命』の連載が聖教新聞紙上で開始。2020年1月で55周年となる。
 1993年2月11日に連載回数1509回(全12巻)で完結。続編の『新・人間革命』は2018年9月8日、6469回(全30巻)で完結した。
 ※参考資料=『新・人間革命』第9巻「衆望」

◎1・2 池田先生が男子部の第1部隊長に就任
 1953年1月2日、25歳の池田先生が男子部の第1部隊長に就任。翌54年3月までに、部員数を当初の4倍近くにまで拡大した。
 ※参考資料=『新・人間革命』第17巻「民衆城」
  
◎1・14 「さんふらわあ7」号で四国の同志が師のもとへ
 80年1月14日、第1次宗門事件の嵐の渦中、四国4県の代表約800人が客船「さんふらわあ7」号に乗り、池田先生の待つ神奈川文化会館を訪れた。師弟共戦の「四国・神奈川交流幹部会」から1月で40周年となる。
 ※参考資料=『新・人間革命』第30巻〈上〉「雌伏」

◎1・15「中等部結成記念日」
 65年1月15日、中等部の結成を記念する集いが全国で行われた。1月で結成55周年を迎える。
 ※参考資料=『新・人間革命』第9巻「鳳雛」  

◎1・22 池田先生が四国初訪問
 55年1月22日、池田先生は戸田先生と共に四国を初訪問。高知地区(当時)の総会に出席した。1月で65周年。
  
◎1・25「大阪事件」無罪判決
 57年7月3日、池田先生は参議院大阪地方区の補欠選挙における事実無根の公職選挙法違反の容疑で不当逮捕。15日間に及ぶ獄中闘争の後、7月17日に出獄した。
 4年半の法廷審理を経て、62年1月25日、大阪地裁の無罪判決が出た。同年2月8日、検察は控訴を断念し、無罪が確定した。
 ※参考資料=『新・人間革命』第5巻「獅子」
  
◎1・26「SGIの日」
 75年1月26日、グアムに世界51カ国・地域の代表が集まって開かれた第1回「世界平和会議」で、「創価学会インタナショナル(SGI)」が発足。1月で45周年となる。
 池田先生はこの日に寄せ、83年から毎年、記念提言を発表している。
 ※参考資料=『新・人間革命』第21巻「SGI」  

◎戸田大学での薫陶開始
 恩師の戸田先生が、若き池田先生に万般の学問を教授した「戸田大学」。50年1月の薫陶開始から1月で70周年となる。
 ※参考資料=『新・人間革命』第16巻「羽ばたき」、第19巻「陽光」

◆〈信仰体験〉 子宮頸がんや流産を越え、人々に尽くす母
 変えられない運命などない

 【札幌市】保護司、町内会の女性部長、小学校での読み聞かせボランティアなど、地域貢献に励む安島恵さん(58)=総区総合婦人部長。広布の舞台にあっても、婦人部はもとより、青年部や未来部からも慕われる“創価の太陽”だ。心に抱くのは、どんな苦難に遭っても笑顔を絶やさなかった母の姿である――。

平凡な夢
 物心ついた頃から、安島さんは不思議でならなかった。
 「つらいはずなのに、なぜお母さんは楽しそうなんだろう」
 父はいつも機嫌が悪く、母・井上敬子さん(84)=副白ゆり長=に当たり散らす毎日。母は、あえて逆らおうとはせず、そっとその場を外して、歌を口ずさむのが常だった。
 安島さん自身、父にかわいがってもらった記憶がほとんどない。家は安らぎの場ではなかったが、母だけはいつも笑顔で接してくれた。いつからか「お母さんのような人になる」のが夢になった。
 高校生になると、父は昼間から酒をあおり、大声を出して暴れるように。母が営む飲食店も行き詰まり、多額の負債を抱えた。追い打ちを掛けるように、母に乳がんが見つかった。
 「今度は私がお母さんを支える番」と、母の仕事を手伝った。高校の授業料も、全て自分のアルバイト代でまかなった。
 大学進学は断念。借金返済のため働き続けた。ところが23歳の時、子宮頸がんを発症する。
 早期発見で、最小限の円すい切除手術で済んだが、主治医は告げた。「妊娠すると、ホルモンのバランスが崩れ、再発のリスクが高まります」と。
 「どうしても無理ですか」と食い下がる安島さんに、主治医の言葉は厳しかった。「自分の命がどうなってもいいんですか!」
 “子どもを産んで、お母さんのようになりたい”という夢。それが否定されたも同然だった。だが悲嘆に暮れる間もなく、退院したその日から働かざるをえなかった。
 父の飲酒量はますます増え、暴力を振るうように。このままでは大変なことになる――姉と妹と母との4人で家を出た。
 体調は優れず、働くことに疲れ、“もう死のう”と思い詰めた時、高校時代の友人が声を掛けてきた。
 「一緒に来ない?」。24歳の夏だった。

友の思い
 初めて創価学会の会合に参加した。語られる信仰体験も、中心者の話も、全てが“うそくさい”としか思えなかった。
 「必ず幸せになれる」と言われても、そう簡単に信じたくなかった。自分が今までどれほど苦しんできたか。文句を並べるだけ並べ、途中で「帰ります」と席を立った。
 もう誘ってこないだろうと思ったが、友人は再び訪ねて来た。宗教に勧誘するというより、懸命に励ましてくれた。
 気になる言葉が一つあった。
 「運命は、自分の力で変えられるのよ」
 これまで、運命に縛られるように生きてきた。その運命は最初から決まっていて、変えようがない。母と同じように経済苦に悩み、同じように病気になるのも、運命だからと諦めていた。
 “それがもし、少しでも変えられるなら”。そう思えたのと同時に、“ここまで私のことを真剣に思ってくれる友人が、他にいるだろうか”――。信心しない理由は、もう何もなかった。
 1985年(昭和60年)9月、自らの宿命転換を懸け入会する。

成長の鍵
 勤行・唱題を続け、学会活動に取り組み始めると、不思議と体調が良くなっていった。長年悩んできた不眠症も解消した。
 心機一転、保険会社に勤め、営業職に就いた。職場に、バリバリ結果を出す、まぶしい先輩がいた。学会員だった。
 アドバイスを受けると、「どんなに忙しくても学会活動から逃げないこと。そして、題目をあげ抜くこと。この二つよ」と。
 多忙な合間を縫って学会活動するには、仕事を人の何倍も充実させる必要がある。短時間でも結果を出そうと、祈りも深まる。何より、学会活動する中で人間力が磨かれゆく――この挑戦のサイクルこそが、成長の鍵となる。
 言われた通りに実践した。次第に顧客の人生設計を考えるプラン作りなど仕事も充実していった。営業成績は札幌で1番となり、全国でもトップ10に。給料も上がり、長年の借金も完済できた。
 退職し、秀好さん(52)=区書記長=と結婚。友人が語ってくれたように「運命」が変わり始めていた。
 だが葛藤した。「母になる」という願いと、がん再発の恐怖との間に。
 夫婦で何度も話し合い、唱題を重ねた。そして決めた。“恐怖に、諦めに、打ち勝ってみせる!”
 その後、流産を2度経験。不妊治療で体調を崩し、次で最後と迎えた3度目の妊娠で、長男・和秀さん(15)=中学3年=が誕生した。

母の強さ
 ただ――父のことだけは、どうしても許せなかった。婦人部の先輩に打ち明けると、「どんな親でも親孝行していくのが、信心じゃないのかな」と。
 父のことを祈り始めると、さまざまなことが思い浮かんだ。
 風邪で熱を出した時、汗を拭いてくれたこと。がんと宣告された時、向こうを向いて涙ぐんでいたこと……。
 思い切って10年ぶりに会いに行った。父は糖尿病を患い、痩せ細っていた。それでも「よく来てくれたな」と笑顔を見せた。
 安島さんは思う存分、親孝行しようと決めた。父が人工透析を受け、足が不自由になってからも、病院への送迎、買い物へと、ベビーカーと車いすを交互に押しながら介護をやりきった。
 「恵とお母さんを頼む」――父の遺言通り、秀好さんは母も一緒に住める家を建ててくれた。
 その後、システムエンジニアである秀好さんの勤務先が他社に買収され、給料が大幅にカットされたことがあった。
 息子の誕生日プレゼントを買ってあげられない。息子は「僕はいらないよ」と言いつつ、逆に毎年の「母の日」には、リサイクルショップでネックレスを買い、贈ってくれる。
 「どんな高価な宝石より、心がこもったうれしい贈り物」
 信心する前も、信心してからも、苦労が絶えることはない。しかし、池田先生の言葉を胸に刻む彼女に、迷いはない。

 <人生の苦労もなく、すべて思いどおりに順調にいった人には、多くの人々は救えない。苦悩しなければ、人の心もわからないし、仏法の本当の力もわからない>
 安島さんは今、保護司など、困っている人のために尽くす日々。
 ある年の母の日に、夫と息子が、「母」の歌を歌ってくれた。
 〽母よ わが母/風雪に耐え 悲しみの合掌を/繰り返した 母よ

 母がなぜ苦労を楽しむように生きてきたか。今なら分かる気がする。家族のため、わが子のためなら、どんな苦労も乗り越えてみせる。それが母の強さ。無限の希望である信心を抱き締めて――。
 〽あなたの願いが翼となって/天空に舞いくる日まで/達者にと 祈る

 

2019年12月17日 (火)

2019年12月17日(火)の聖教

2019年12月17日(火)の聖教

◆わが友に贈る

   世界広布の前進は
 地区・ブロックから。
 その最前線を駆ける
 尊きリーダーに感謝!
 皆で決意新たに出発を

◆名字の言

「やはらかに/人分けゆくや/勝角力」。江戸中期の俳人・高井几董の句だ。相撲に勝った力士が、歓声に沸く花道を、穏やかにかき分けながら去っていく様子を詠んだ▼各地で行われた本年の掉尾を飾る座談会。世界聖教会館の開館を、自らの機関紙拡大で迎えた活動報告があった。未入会家族の学会理解が一歩進んだという喜びの声もあった。列島の津々浦々で、“創価勝利の年”を「わが勝利」で荘厳した歓喜があふれていた▼共通するのは、「自分自身の壁」を破り乗り越えたということ。人に勝つ以上に「自身の心」に勝つことは難しい。だからこそ喜びは格別である。御書に「強敵を伏して始て力士をしる」(957ページ)と仰せである▼学会の草創期、男子部の人材グループ「水滸会」の野外研修では、相撲大会が行われた。「押し相撲」が好きだった戸田先生は、先の御聖訓を拝し、“過酷な宿命という強敵に、怯まず恐れず立ち向かってこそ、人間革命は成し遂げられる”と励ました▼相撲の極意は、「押して勝つこと」といわれる。人生もまた、引いたり、横に変化したりという策に走らず、立ちはだかる試練に、勇気を奮い起こして祈り、真正面からぶつかることで開ける。幾重にも意義深き広布の節を刻む明年へ、前進、前進、また前進!(燦)

◆寸鉄

『新・人間革命』には励
ましの心が溢れている―
識者。連帯拡大の大指針
     ◇
隠れた高潔な行いは最も
尊敬さるべき行為―哲人
幹部は“陰の人”に最敬礼
     ◇
火災の原因、放火が多し。
建物周囲の可燃物を整理
わが地域への声掛け強く
     ◇
ハザードマップを検索し
た人、過去最多と。家族・
地域で危険箇所の共有を
     ◇
未婚ひとり親に「寡婦(寡
夫)控除」適用―税制改正
公明よ子供貧困対策更に


【教学】

◆〈紙上セミナー 仏法思想の輝き〉  白樺会副委員長 伊藤清子 2019年12月17日
 尊敬の念をもって接する

 【プロフィル】いとう・きよこ 看護師として長年、病院に勤務し、看護局長、副院長を経て退職。1960年(昭和35年)入会。神奈川県横浜市在住。婦人部副本部長。白樺会(婦人部看護者の集い)副委員長。

小児医療の現場で
 看護とは、人の生老病死の喜びや悲しみに寄り添い、人の健康を支えていく仕事です。41年間の看護師としての歩みを振り返り、あらためて、この職業に誇りを感じています。
 看護学校を卒業後、希望通りに、小児専門病院に看護師として就職しました。ところが、医療の現実は厳しい場面の連続で、時には、生まれてすぐに亡くなる赤ちゃんを前に、呆然とすることもありました。そんな折、白樺の先輩は、「生命は永遠」と説く仏法の生命観を通して温かく励ましてくれました。
 その後も、子どもたちの闘病や死を目の当たりにする経験を重ねるたびに、仏法の生命観、死生観を心に刻み付けました。こうした日々の中で、仏法を持った看護師として、人の死に直面しても、患者さんやご家族に慈愛の心で寄り添い、祈ることができること、また、患者さんやご家族が、いかなる状況であっても勇気と希望を持ち、その人らしい生を全うすることができると学んだことが、看護人生における、かけがえのない宝となりました。

母の闘病と看取り
 日本は今、世界に類を見ないほどのスピードで、超高齢・多死社会へと進んでいます。住み慣れた自宅で、家族に囲まれながら看取られる人も少なくありません。
 私自身、母の闘病経験と看取りは、看護師として避けられない「死」を考えさせられる、とても貴重な経験となりました。
 私の兄の死をきっかけに創価学会に入会していた母は、いつも笑顔で、常に感謝の人でした。
 父が亡くなり、母と同居を始めた際、母は肝硬変が進行して末期の状態でした。しかし、入院治療はできないと告げられた時も、通院治療が難しくなった時も、母に嘆きはありませんでした。いつもユーモアたっぷりで、「大丈夫だぁ」「ありがとう」が口癖でした。
 また、訪問医やケアマネジャー、訪問入浴サービスの職員、ヘルパーさんにも恵まれました。当時、私は働いていたため、母の介護は、週2日はヘルパーさんが、週3日は姉妹が交代で、シフトを組んでくれました。休日や夜間の介護は、夫が最大の協力者でした。実は、介護といっても、皆が母に癒やされていました。子どもや孫が訪問するたびに、母は、「お母さんは幸せ」「世界一幸せな母親」と笑顔で、皆の心を優しくしてくれました。
 やがて母は、末期といわれながら4年も寿命を延ばし、家族に囲まれながら、わが家で穏やかに息を引き取りました。
 御書には、「自身法性の大地を生死生死と転ぐり行くなり」(724ページ)と仰せです。生命は、三世永遠にわたって生死を繰り返していくと見るのが、日蓮仏法の死生観です。死は「生の終わり」ではなく、「新たな生への出発」なのです。
 亡くなった母の安らかな顔は、まさしく次の生への旅立ちのような優しい表情でした。そして、母の闘病の姿は、家族の絆をさらに強め、私たちに、人としての強さや優しさを教えてくれました。人間が抱く恐怖や不安といった感情を、喜びや勇気、慈愛の感情へと変えていくことができるのが、仏法の生き方なのだと、私自身、確信を深めました。

医師と看護人と患者
 人生100年時代を迎え、新たな働き方が注目される中、医療・介護の職場環境も、改善が求められています。過酷な勤務環境の中で自信を失い、健康を害する医療者が増えているのも現実です。患者さんやご家族の人権を守ることはもちろんのこと、ケアを提供する医療者自身の人権も、守られる必要があります。
 私は、病院管理者となってから、患者さんへのより良い医療の提供とともに、働く職員の健康と幸福を、真剣に祈ってきました。
 ある時、患者さんから、「手術の翌日に担当医が長椅子で眠り、牛乳でパンを流し込んでいる姿を見て、私も頑張ろうと思いました」という声を聞きました。献身的に働く医師への感謝の言葉でした。こうした言葉は、医療者にとって何よりの励ましです。
 池田先生は、てい談集『健康と人生』で「仏法医学」について言及する中で、医師と看護人と患者の三者が協力し合い、病に対処することで、それぞれの人生が充実し、真の医療が確立すると語っています。
 医療者の健康管理や環境改善はもちろん、医療者と患者さんが互いに尊敬と感謝の気持ちを持つことが、これからの医療に必要なのではないでしょうか。
御書には、「我心本来の仏なり」(788ページ)とあります。万人に仏性を見いだす日蓮仏法は、あらゆる人々の尊厳性を敬う哲学です。
 かつて、池田先生が看護に携わる友に贈った指針には、こうあります。
 「その人に会うと、安心して息ができる、息を詰めなくていい、ホッとできる。そんな人が、ひとりでもいれば――苦しくても、生きていける」
 全ての人を大切にする社会の構築へ、自身の立場で、苦しむ人に寄り添いながら、皆に希望と安心を送っていきたい――そう決意しています。

[視点]同苦の精神
 日蓮大聖人は、門下の悩みや悲しみに寄り添い、膨大な書簡を残されています。長患いに苦しむ女性信徒に対しては、「ご病気のことは、我が身の上のことと思って昼夜に諸天に祈っています」(御書978ページ、通解)等、何通もの励ましのお手紙を送られました。また、“16歳になる息子が急死した”との訃報を受けて認められたお手紙では「(亡くなったことが)夢か幻か、いまだに分からないのです」(同1567ページ、通解)とつづられ、母の深い嘆きに思いを馳せられています。
 苦しんでいる人に、徹底して寄り添い、同苦し抜く――。これが御本仏のお心です。この大聖人のお心のままに、日々、行動しているのが創価学会なのです。


【聖教ニュース】

◆韓国・済州島で青年友好研修会  2019年12月17日
 創価班、未来部担当者の代表ら50人が訪問

歓喜みなぎる韓日青年友好研修会の閉講式。全員で「誓いの青年よ」を韓国語で歌い上げた(15日、済州韓日友好研修センターで)

歓喜みなぎる韓日青年友好研修会の閉講式。全員で「誓いの青年よ」を韓国語で歌い上げた(15日、済州韓日友好研修センターで)

 「韓国青年友好交流団」の第1次交流団(団長=角田副青年部長)が13日から15日まで韓国・済州島にある済州韓日友好研修センターを訪問。韓国の代表とディスカッションや分科会を行い、両国の友好と世界広布への決意を固め合った。
 第1次交流団は創価班、未来部担当者を中心とした50人。第2次交流団(団長=鎌田副青年部長)は牙城会、白蓮グループの代表を中心に構成され、今月下旬に同センターを訪れる予定である。(記事?美甘博史、写真?宮田孝一)

日韓が共に栄える明日を
 2グループに分かれて韓国・済州島を訪れる交流団。その目的は主に二つある。
 一つは、“戦後最悪”ともいわれる日韓の政治・経済関係の中にあっても、創価の青年が友情を深め、万代にわたる民衆と民衆の友好を築く先頭に立つこと。一つは、明年の「前進・人材の年」に先駆けて、両国の青年が触発し合い、世界広布を伸展させる原動力となることである。
 ?Be Brave! 負けない心を 燃やして 平和の未来へ 出発だ――
 13日に行われた韓日青年友好研修会の開講式。日本のメンバーを驚かせたのは、韓国SGI(創価学会インタナショナル)・済州方面の「日の出合唱団」の友による少年少女部歌「Be Brave! 獅子の心で」の合唱だった。
 たくさん練習を重ねたのであろう。流ちょうな日本語で歌い、踊る子どもたちの姿に、最初から会場は感動の渦に包まれた。
 日本の未来部担当者からは、お返しに、合唱団の友にある贈り物が手渡された。日本の富士少年希望少女合唱団の友が、真心を込めてハングルでつづった手紙である。
 「これからも一緒に池田先生を求めて頑張りましょう」「場所は違えど心一つに、どんな壁も一緒に乗り越えていきましょう」
 熱い思いを受け取った、ある韓国の少女部員は語った。「本当にうれしいです。いつの日か、日本の合唱団のみんなと歌える日を楽しみにしています」

 済州韓日友好研修センターが立つ済州島は美しい空と海、韓国最高峰の漢拏山がそびえる“東洋のハワイ”。
 しかしこの島にも、戦乱に翻弄された悲しい歴史がある。日本の植民地支配下で島民は土地を奪われ、戦時中は物資を収奪された。解放後の1948年には、武力弾圧で数万の島民が殺される「四・三事件」が起こった。
 池田先生は99年5月、同島を初訪問。国立済州大学で名誉文学博士号の授与式に臨んだ。先生は謝辞の中で明言した。「日本は、貴国と友情を結び、貴国を尊敬し、貴国の心に学んでいくならば、平和と繁栄の方向へ進んでいくことは明白であります」
 以来、今年で20周年。先生の平和と日韓友好の信念を継ぎゆく両国の青年たちが集ったのである。

 3日間の研修会では、両国の未来部担当者、日本の創価班と韓国の花郎班に分かれてディスカッションが行われた。
 未来部担当者の分科会では、両国の未来部育成の取り組みを、写真や映像を交えて相互に紹介。「“学会2世”“学会3世”の未来部員が信心を継承するには?」などのテーマで意見を交換した。
 創価班と花郎班の分科会では、両国代表による感動的な体験発表が行われ、世界広布の先頭に立つ誓いを共有した。
 15日午前の閉講式では、参加者に発言を求めると、次々に手が挙がった。
 「学生の頃から韓日友好について考えてきました。自身の生涯を懸けて、平和の道を切り開いていきます」と韓国の友。日本のメンバーは「日韓友好の懸け橋になる決意がさらに深まりました」と。
 最後に両国の平和と発展、広布前進への決意を込めて、全員で「誓いの青年よ」を、肩を組んで韓国語で歌い上げた。目に涙を浮かべながら抱擁を交わし、両手を強く握り締める両国の友。「偉大なる 大韓国の 皆さまと 握手も固き 済州島かな」――20年前に池田先生が詠んだ歌さながらの光景が、そこにはあった。
 15日未明、日本と同じように、済州韓日友好研修センターでも、ふたご座流星群が夜空を彩った。
 宇宙に国境はない。平和と広布の誓いにも国境はない。天空に光り、躍る流星に、日韓が共に栄える明日への誓いが重なった。

◆国境を超えた友情の舞台

 「関西留学生音楽祭」(主催=民主音楽協会、京都新聞、共催=京都市)が15日、京都市のロームシアター京都で開催された。これには11カ国・地域の留学生と日本人学生ら120人が出演し、1500人の観衆が詰め掛けた。
 「Open a new chapter――希望ある世界へ」のテーマのもと、色とりどりの民族衣装を着た留学生が、2カ月間の練習の成果を発揮。
 ベトナムの女子学生による民族舞踊やアメリカの女子学生によるミュージカル音楽のピアノ演奏、中国の男子学生による二胡の演奏など、多彩な演目が次々と舞台を彩り、まるで世界旅行をしているかのようなステージに、観衆は引きつけられた。 
音楽の力で世界を一つに!――友情光る舞台が感動を呼んだ関西留学生音楽祭(京都市のロームシアター京都で)

音楽の力で世界を一つに!――友情光る舞台が感動を呼んだ関西留学生音楽祭(京都市のロームシアター京都で)

 同音楽祭の始まりは1989年。各国の留学生と日本の学生が、音楽文化の交流を通して相互理解と友好を深めることを目的に、回を重ねてきた。30周年記念の今回の公演には、過去に音楽祭に参加した友も出演。現在、プロの中国琵琶奏者として活躍する葉衛陽氏が、熟練の指さばきで繊細な音色を響かせると、会場から感嘆の声がもれた。
 留学生と日本の学生スタッフによる「ワールドステージ」では、120人全員で日本のポップスを大合唱。
 続くフィナーレでは、舞台に立つ全員が各国の国旗をなびかせながら、あふれる歓喜を全身で表現した。観衆も音楽に合わせて手拍子や思い思いの掛け声を発し、会場が一体となった。“世界平和の縮図”を思わせる、国境を超えた友情のステージに、万雷の拍手が送られた。
 最後に門川大作京都市長があいさつした。
 参加した留学生からは、「今回、多くの友人ができました。音楽には、あらゆる差異を超え、人と人を結ぶ力があることを実感しました」等の感想が寄せられた。

◆世界の友と希望の未来へ! 関西留学生音楽祭から

 30周年の節目を刻む「関西留学生音楽祭」が、15日に京都市のロームシアター京都で行われた。ここでは、同音楽祭の歴史や本番を迎えるまでの取り組みの様子を紹介する。

 関西の大学に通う留学生たちが、自国の伝統芸能や日本で学んだ歌などを披露する「関西留学生音楽祭」。  
「留音(りゅうおん)」の愛称で親しまれ、日本人の学生らのサポートのもと、相互理解と友情を深めてきたイベントである。  
 「留音」は、“音楽の力で人々の心を結び、世界平和の礎を築く”との、創立者・池田先生の理念のもと活動する民音と、それに共感した日本人学生有志らの発案によって、1989年(平成元年)に「京都留学生音楽祭」としてスタート。以来30年間、毎年、学生有志らが実行委員会を結成して開催してきた。  
 91年(同3年)、池田先生は「留学生は、各国の未来の指導者である。留学生を大事にすることは、その国の未来を大事にすることである。留学生と友情を結ぶことは、世界に友情を広げることである」と語った。  
 この言葉は「留音」の指針となり、同年には大阪、後に神奈川でも開かれるようになった。
初開催となった89年は、「ベルリンの壁」が崩壊した年。大阪での音楽祭が始まった91年には湾岸戦争が勃発し、ソ連が崩壊した。
 社会が激動する中で、池田先生は、南アフリカの大統領となるマンデラ氏やゴルバチョフ元ソ連大統領をはじめ、世界の知性との胸襟を開いた対話で、平和への道を切り開いてきた。
 当時の実行委員会の学生らは、そうした創立者の行動に、“私にできる世界平和への挑戦を!”と奮起。留学生を見つけては声を掛け、音楽祭の意義を語り、一緒に練習に励む中で、国境を超えた友情を育んできた。
 30年間、この伝統を貫いてきた関西留学生音楽祭には、これまで110カ国・地域から、5200人を超える留学生が出演した。言葉や文化の違いを超え、共に一つのコンサートを創り上げる姿は、“世界平和の縮図”として、大きな反響を呼んできた。

友達ができた
 「留音」は実行委員会の学生らを中心に、各大学・専門学校等で留学生の参加者を募った後、本番の約2カ月前に出演者・団体を決定し、プログラムを作成する。そこで決まった演目一つ一つに、実行委員会のスタッフが担当に付き、練習のサポートなどをして本番を目指す。  
 今年の、本番前日のリハーサルでのこと。
 大阪の関西大学に通う台湾出身の女子学生が語っていた。「『留音』への挑戦を始めてからの一番の変化は、友達ができたことです」  
 “内向的な自分を変えたい”と、週2回行われる合唱・ダンス演目のレッスンに、ほぼ毎回、出席した。「練習に来るたびに友達ができるのが、本当にうれしくて。歌を通して、皆とこんなに仲良くなれるとは思わなかった。日本に来て良かった」と語る。
 彼女はこの2カ月間で3人の留学生を練習会に誘い、一緒に参加。全員で本番に出演することとなった。
 彼女のように、「留音」を通して、「自分に自信が持てるようになった」「世界の平和を意識するようになった」など、内面的な変化を感じる友が多くいる。
 2カ月前に来日し、日本語学校に通うベトナムからの留学生は、「練習を通して仲良くなった日本人学生との会話が、一番の日本語の勉強です」と。アメリカから来た友は、「自分の日本語が間違っていても、包み込んでくれる仲間の存在に安心しています」と。日本語でも堂々と話せるようになった喜びを教えてくれた。
   日本人学生もまた、「留音」を通して多くのかけがえのない思い出を築いていた。
 大阪の阪南大学4年の男子学生は、今回の音楽祭に向け、20人以上の留学生を誘い、11人と共に出演することに。  
 「本番が近づくにつれ、“もう終わっちゃうのか”と寂しい思いもあります。今回結んだ友情は一生の宝ものだと確信して、明日に臨みます!」と力を込めた。

感謝のステージ
 迎えた15日の本番。用意された舞台に派手さはない。2カ月間、勉強との両立に挑みながら練習を重ねてきた留学生の姿こそが、“一番の演出”との舞台演出家の信念から、照明や音響で飾り立てることはしないという。  
 続々と観客が場内に入る中、舞台裏では、メークや衣装の着替え、各演目の最終調整が行われていた。開演時間が近づくにつれ、緊張が高まる。  
 「本番まで、あと2分!」――薄暗い舞台袖には、出番の早い留学生たちが、民族衣装に身を包んで待機。
 すぐそばでは、共に本番を目指してきた実行委員会の日本人学生が寄り添い、励ましの言葉を掛ける。
  「一緒に深呼吸をしよう」「絶対に大丈夫。これだけ練習してきたんだから」「さあ、ここからは楽しむだけだ!」
 開演を知らせるベルが鳴るや、日本人学生は留学生の肩を抱き、固い握手を交わして、光に満ちた舞台に送り出した。
 音楽祭では、全17の演目が行われ、練習の成果を披露。努力、苦労、感謝など、言葉では語り尽くせない思いを託したパフォーマンスに、観衆は大喝采で応えた。
 
 グランドフィナーレでは、留学生や日本人スタッフ全員が出演し、万国旗を手に大合唱。「Open a new chapter――希望ある世界へ」とのテーマを表した舞台に、万雷の拍手がいつまでも鳴り響いた。

関西留学生音楽祭 識者の声 

中国琵琶奏者・葉衛陽(ようえいよう)氏
音楽祭との出あいが自身の活動の原動力に

 留学生音楽祭の出演は、今回で3回目です。同じ中国琵琶奏者である娘と一緒に親子で出演したこともありますし、妻も1度、中国舞踊をステージで披露させていただきました。  
 私が初めて出演したのは、京都の大学院で留学生として学んでいた1996年のことでした。その時は、中国古曲の「十面埋伏(まいふく)」を個人で演奏しました。  
 当時はまだ日本語が不十分でしたが、日本人学生のスタッフが親身になって支えてくれました。練習の際はいつも横で曲を聞いてくれ、また、中国琵琶や十面埋伏にとても興味を持って質問をしてくれたことを覚えています。  
 彼をはじめ多くの人と?がることができ、今でも親戚のように付き合っている方もいます。  
 その年の舞台で特に印象に残っているのは、最終演目の「ワールドステージ」です。
 各国のさまざまな民族衣装を着た出演者たちが全員、舞台に立ち、観客も一緒になって、歌を歌いました。皆の笑顔の輝きと、国を超えて会場全体が一体となった感動は忘れられません。  
 この96年の舞台は私にとって、中国琵琶奏者としての初めてのステージでもありました。“音楽の力”を改めて実感したこの留学生音楽祭が、現在までの音楽活動の原動力となっています。  
 その後、“日中友好の懸け橋になろう”と決意。「日中名曲コンサート」と題して、日本と中国のアーティストを招いた演奏会を98年から開催し、私たち親子も参加しています。  
 日中友好に尽くすことは、私たち一家の役割だと自覚しています。これからも琵琶を通して、日本と中国の人々が仲良く共に進んでいく未来へ貢献していきたいです。

関西留学生音楽祭 識者の声 
京都新聞COM・田中克明代表取締役社長
相互理解を促進し平和に貢献する祭典

 国境を超えた文化と友情の祭典である留学生音楽祭を、今日まで続けることができ、共に主催する民主音楽協会をはじめとした関係者の皆さまや、出演される留学生の皆さまに感謝の思いは尽きません。  
 留学生音楽祭は、1989年に京都で初めて開催されました。本音楽祭が、ここ京都から始まったことに大変深い意義を感じています。  

 京都は、日本文化の中心地として発展してきた地域です。
  歴史を振り返ると、日本文化は、他国の文化や文明と交流するなかで形成されてきたといえるでしょう。  
 世界各国の多様な音楽や舞踊が披露され、国際文化交流の場となっている本音楽祭が、京都の文化、日本の文化をより豊かなものにしていくと考えます。  
 また、京都は「大学のまち・学生のまち」でもあります。多くの留学生がこの地で学び、その一人一人が、将来、国をリードしていく優秀な人材です。  
 そうした留学生らが音楽祭を通じて、相手の文化的背景や国民性を知り、日本に限らず世界の友と友情を結んでいます。そして、日本で築いたかけがえのない思い出を胸に、それぞれの国に帰っていくのです。  
 「留学生を大事にすることは、その国の未来を大事にすること」――この信念のもとに開催される本音楽祭は、日本と各国の相互理解を促進し、友好の未来を育み、国際社会の平和と発展に資するものであると信じています。
  言語や人種を超え、人と人を結ぶ本音楽祭に30年間携わることができたことを、とても名誉に思います。  
 40年、50年を目指して今後も開催を重ねていき、この留学生音楽祭を通して、より多くの方々が異文化理解の輪を広げていくことを願っています。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈「新・人間革命」と私〉 誓いに生きる福智の連帯を 女子学生部長 林玲子さん

 学生部員の前進こそが、混迷する日本、そして、世界を救済し、平和を実現する力であると、私は、強く確信しております。諸君のために、私は命をかけます。諸君こそ、私の宝です。その成長を見守っていくことこそ、私の人生の最高最大の喜びであります。〈第14巻「智勇」の章〉

時代背景
 1969年(昭和44年)5月3日の本部総会の席上、山本伸一は創価大学に三つのモットーを示すとともに、過激化する学生運動に触れ、人間主義に立脚した「第三の道」を提案。男子学生部の夏季講習会では「大学立法」に反対する集会に参加し、自らデモの先頭に立った。学生部は、学会の平和活動の先駆けとなる運動を展開していく。

誓いに生きる福智の連帯を
 「智勇」の章では、本部総会の席上、山本伸一が翌年を目指して750万世帯を達成し、戸田城聖先生の大恩に報いたいと宣言します。創価大学のモットーを示し、学生運動に言及するのはその直後の場面です。
 学生部は夕張炭労事件という権力の魔性との戦いの中で結成され(1957年6月)、さらに池田先生が「日中国交正常化提言」を発表されたのも、学生部総会(68年9月)の席上でした。
 学会、そして社会が大きな変革を迎える時に、あえて学生部に重要な指針を示された師の深い期待が、本章にも描かれています。

学生時代は、英知を磨き、福運をつける時
 本章で伸一は、平和的な社会変革へと立ち上がった学生たちの中に飛び込み、「一緒に、恒久平和のための戦いを起こそう」と語ります。
 さらに、「私は、諸君が社会の檜舞台に立ち、悠然と戦っていけるよう、十センチでも、一メートルでも、道を開くために、命をかけて戦っていきます」と。
 あまりにも深い慈愛を感じ、師への感謝を新たにしました。
 「十センチでも、一メートルでも」との心で、池田先生が開いてくださった世界平和の大道に続き、さらに広げていくのが、私たち女子学生部の使命です。
 そのために、学生時代は目の前の一人の幸福のために、英知を磨き、学会活動に励む中で、福運をつける時です。

信心根本の挑戦の中に幸福の土台が築かれる
 人と比べて自信をなくしたり等、悩むことも多いのが青春時代ですが、自ら苦労を求め、信心根本に挑戦し抜いていく中で、崩れざる幸福の土台を築くことができると確信しています。
 「青春時代に『誓い』という種子を植えなくては、人は大樹へと育つことはない。誓いこそが、成長の源泉となる」
 先生がそう教えてくださったように、「師弟の誓い」こそ、女子学生部の全ての前進の原動力です。
 「諸君のために、私は命をかけます。諸君こそ、私の宝です」との師の期待に必ず応え、励まし合い、共々に成長しゆく福智のスクラムを広げてまいります。

◆2020年 未来部の活動2019年12月17日

未来部の代表が集い、信心と友情を深め合った全国未来部夏季研修会(本年8月、八王子市の創価大学で)

未来部の代表が集い、信心と友情を深め合った全国未来部夏季研修会(本年8月、八王子市の創価大学で)

 2020年「前進・人材の年」は中等部と少年少女部が結成55周年の佳節を迎える。
 「さあ、新たな黎明の時が来ました。私と一緒に、未来まで語り継がれる『人間革命と広宣流布の継承の物語』を、朗らかに綴りゆこうではありませんか!」(19年9月9日「首都圏未来部長会」へのメッセージ)との池田先生のご期待を胸に、「未来ジャーナル」「少年少女きぼう新聞」などを通して先生のご指導を共に学びながら、後継の人材拡大に大きく前進する年としたい。
 特に、訪問・激励や座談会、会館などで「日常活動の中で未来部員に励ましの声をかけていく」ことに積極的に取り組むとともに、「未来部員会」等で、未来部員が同世代の連帯を築き、企画・運営等で主体性を発揮し、次代を担う後継者としての自覚を深められるよう、未来本部長・21世紀使命会を中心に各部が一体となって育んでいきたい。

【未来部7つの指針】
一、健康でいこう
一、本を読もう
一、常識を忘れないでいこう
一、決して焦らないでいこう
一、友人をたくさんつくろう
一、まず自らが福運をつけよう
一、親孝行しよう

【SOKAファミリー・チャレンジ】
一、家族で勤行・唱題を行う
一、家族で座談会、本部幹部会(中継行事)、部員会に参加する
一、家族で信仰体験やわが家の広布史を語り合うなど触れ合いの機会をつくる

【未来部育成の指針】
皆が宝! 皆に使命が! 皆を人材に!
一、学会の庭で守り育む
一、未来の勝利を信じ祈る
一、創価の心を語り伝える
一、家族を温かく励ます
一、師弟の道を共に歩む

1、未来部員(高等部員・中等部員・少年少女部員)の取り組み
 池田先生から贈られた未来部7つの指針を胸に、師弟の精神を学び、後継の大樹へと大きく成長するため、①未来部時代に信仰の土台を築く②創価後継の研さん目標に挑戦③勉学・語学・読書に挑戦――に取り組んでいく。

①未来部時代に信仰の土台を築く
 ○勤行・唱題に挑戦しよう
  ☆一人一人が夢や目標をもち、信心根本に努力する中で体験と確信をつかむ
 ○部員会等(未来部の会合)に参加しよう
  ☆同世代の連帯を築き、主体的に参加する中で、後継者としての自覚を深めていく
 ○座談会、本部幹部会(中継行事)に参加しよう
  ☆温かい創価家族の輪の中で、信仰の大切さを学び、後継の決意を固めていく
②創価後継の研さん目標に挑戦
 ○師弟の心を学ぼう
  ☆中・高等部は小説『人間革命』『新・人間革命』をはじめ「誓いの明日へ」『未来対話』『青春対話』『希望対話』『未来の翼』、少年少女部は「春夏秋冬ほがらかに」『希望の大空へ』『希望の翼』『希望の虹』や創作物語などを学ぶ
 ○教学に挑戦しよう
  ☆中・高等部は「ビクトリー御書」、少年少女部は「師子王(ライオンキング)御書」を研さん
③勉学・語学・読書に挑戦
 ○各種コンクールに挑戦しよう
 <少年少女部、中・高等部>
 ・E―1グランプリ(E―1フェスティバル)
 <中・高等部>
 ・読書感想文コンクール
 <少年少女部>
 ・少年少女希望絵画展
 ・きぼう作文コンクール
 ※応募期間は、7・8月の予定

2、家庭での信心の継承の取り組み
 各家庭で「SOKAファミリー・チャレンジ」に取り組み、親から子へ、祖父母から孫へ、信心を継承してゆく流れを確実に進めるとともに、「SOKAキッズフェスタ」などの行事を通して、未来部世代や未就学児世代の未入会家族も入会に導けるよう、取り組んでいきたい。
 「未来部の日」は、家族で信仰体験やわが家の広布史を語り合うなど、ファミリー座談会のような触れ合いの機会をつくるとともに、中継行事や部員会に参加していく。

3、各部一体での未来部育成の取り組み
 池田先生の「未来部育成の指針」を胸に、未来部機関紙や聖教新聞掲載の「未来部育成のページ」を活用し、各部一体となって日常的に未来部員に声掛けを行い、未来部育成に全力で取り組んでいく。

①「未来部の日」を中心とした取り組みの充実
 ○「創価ファミリー勤行会」(4月)の開催
 ○「未来部員会」(6月、10月)の開催
 ○「創価ファミリー大会」(躍進月間7・8月)の開催
 ○「未来部部長交代式」(2月)、「未来リーダー研修会(中・高等部)」(2、
9月)の開催
 ○「少年少女部合唱団入卒団式」(3月)、「少年少女きぼう合唱祭」(12月)の開催
 ○「座談会」「本部幹部会(中継行事)」への参加を推進
 ※「未来部の日」は、各部一体で未来部育成に取り組み、未来部の会合を最優先する
 ※各種会合の開催にあたっては、未来部員が主体的に取り組めるよう、工夫する
 ※「未来部員会」を行わない月は「少年少女部員会」の開催も検討する
②進学・進路への応援に全力
 ○創価一貫教育をはじめ進学推進に全力を挙げる
 ○未来部員全員が、進路に勝利できるよう応援する
 ○受験生を抱える家族へ最大の配慮と励ましを行う
 ※未来部希望月間中(3月)に未来部から青年部(男子・女子・学生部)へ移行する未来部員については各部と引き継ぎを行う(男女学生部については進学者カードを活用)
③家庭教育の応援
 ○教育本部と連携の上、モバイルSTB(教育セミナー)を活用しての「家庭教育懇談会」や「子育てセミナー」等を通し、子育て世代の家庭をサポートしていく
 ○各部と連携し、親子で参加できる子育て行事を検討する
④各部一体での未来部育成を協議
 ○未来本部長・未来部長会(テレビ会議)等を受けて、各地域の運営会議、未来部育成会議等を開催

◆〈信仰体験〉命の底から祈り抜く 膵臓がん、サルコイドーシスに沸き立つ闘魂

 【群馬県桐生市】瀧澤孝さん(59)=副総群馬長=は、これまで大手自動車部品メーカーで部長、工場長の重責を担ってきた。“社会で実証を示し、後輩たちの道を開きたい”。それが、青年部時代からの誓いだった。
 そんな2016年(平成28年)11月、人間ドックで肝機能の数値に異常が見られた。翌月、他の病院で検査を受けると「膵臓がん」と診断される。ステージ2b。
 医師から渡された資料には、<3年生存率15%>と書かれていた。

何のために生きる
 もうすぐ死ぬんだ――そう思った。
 重い病を克服する多くの同志を見てきた。だが、いざ自分がその立場になると臆する心が生じた。
 幸い、まだ手術ができる状態とのこと。弱い自分を叱咤するように、手術の日まで猛然と祈った。
 翌年の1月16日。胃とその幽門輪を温存し、膵頭、十二指腸、胆のうを切除した。10時間に及ぶ手術。門脈とリンパ節も取り除いた。医師は「大成功です」と。
 しかし、本当の闘いは、ここからだった。
 麻酔が切れると、30センチの手術痕が痛んだ。全く眠れなかった。心を覆うのは、職場復帰できるのかという焦り。家族を誰が守るのかという不安。そして、病気になって申し訳ないという自責の念。
 “信心も、仕事もずっと頑張ってきたのに、最後はこんな終わり方なのか……”
 瀧澤さんは中学2年の時、父を脳出血で亡くしていた。母・澄江さん(83)=副白ゆり長=は女手一つで雑貨店を営み、大学まで送り出してくれた。
 卒業後は、故郷の群馬で就職。報恩感謝の思いで信心に励み、総群馬男子部長・青年部長を歴任し、職場でも結果を残してきた。
 誰より努力してきた自負があるだけに、やるせなかった。不安をかき消すように唱題した。
 ところが手術から3日後、その題目が唱えられなくなる。“生きよう”とする力が湧いてこない。今まで、「祈って乗り越えよう!」と何人もの同志に語ってきたのに。情けなかった。
 翌日、いつも支えてくれた学会の先輩が訪ねてきた。どんな話を聞いてもすり抜けていく。“俺はもうじき死ぬんだから早く帰ってくれ……”。そう思った瞬間だった。
 先輩は目を真っ赤にして「死んじゃいけない!」と真っすぐこちらを見た。
 先輩が帰った後、その一言をかみ締めた。
 「俺は何のために生きるのかって。その時、頭に浮かんだのは池田先生のことでした。涙が出てきた。先生のことを、もっと語りたい。だから生き抜こうって思えた」
 題目が、再び口を突いて出た。唱えるほどに心を覆っていた闇が晴れていく。5日ぶりに眠ることもできた。
 その後、医師が驚くほどの回復ぶりを見せ、2カ月の入院予定が、手術から2週間で退院。2月上旬から工場長として復帰を果たす。

こんな自分だからこそ
 17年9月、瀧澤さんは9カ月ぶりに座談会へ参加した。その頃、通院で抗がん剤治療を受けていた。
 75キロあった体重は54キロに。?はこけ、体は一回り小さくなっていた。“こんな姿で、信心はすごいと言っても、説得力も何も無い……”。不安になると、一枚の紙の花びらを見つめた。
 ――1995年8月13日。この日、創価高校野球部が甲子園での接戦を制した。群馬を訪れていた創立者の池田先生は、くす玉を割って勝利を祝福。肩や頭に付いた紙吹雪もそのままに、すぐに青年たちと懇談。一分一秒を惜しむように、友を励ました。
 その姿に瀧澤さんは胸が熱くなった。“師との誓いを決して忘れない”と、その紙吹雪を肌身離さず持ち歩いた――。
 “先生が教えてくれたじゃないか。格好じゃない。どんな状況であろうと、自分の心がどうか。戦う心があるかどうかだ”
 ある日の座談会で自身の闘病の話をすると、終了後、声を掛けてきた婦人部員がいた。
 「私もがんと闘っています。これまで誰にも言えなくて。でも、瀧澤さんの話を聞いて、病になったことは負けじゃないんだと思えました。私も私らしく頑張ります」
 こんな自分だからこそ、励ませる人がいる。そう教えられた。
 「担当として入った会合で、話す内容が変わりました。『池田先生はこう教えてくださっている』という指導と共に、『池田先生の指導を励みに、自分はこう頑張っている』という体験を多く語るようになりました」
 昨年秋、長女の中嶋美香さん(29)=婦人部員=が、婚約者を連れてきた。心優しい青年。信心はしていなかった。
 瀧澤さんは当初、話すつもりはなかった、がんとの闘いのことを話していた。青年はうなずいた。「僕も信心をやります!」

嘆かず、振り返らず
 昨年末、体調を崩し病院に行くと、腎機能が5%しか機能していないことが分かった。
 「サルコイドーシス」と診断された。肉芽腫がさまざまな臓器にできる厚生労働省の指定難病。本年7月には、「肺MAC症」を発症。重症化すると呼吸困難に陥る。
 これでもかと襲いくる病。薬の副作用で、激しい倦怠感に苦しんだ。思わず弱音が出る。妻の裕美子さん(57)=婦人部本部長=が「絶対に大丈夫。あなたが病気になんか負けるわけがない」と笑い飛ばしてくれた。一緒に題目も唱えてくれた。
 「楽観主義の妻がいてくれるから、希望を持ち続けられる。感謝しかありません」
 膵臓がんとの闘いが始まって3年。現在、抗がん剤は服用していない。転移・再発はないが、緊迫感は続く。
 本年4月には、工場長を降り、本社に戻った。左脚の感覚はなく、体を引きずるようにして歩く。しかし、その歩みに悲哀はない。闘魂と気迫がみなぎる。ありのままの体験を語り、11月には3人の友が入会を希望した。
 何度も読み返してきた池田先生の言葉がある。
 「困難な時こそ、強き楽観主義で進むのだ。嘆いていても何も変わらない。後ろを振り返っても何も進まない。まず題目だ。題目の中に一切が含まれている。人生は、どこまでいっても戦いである。ゆえに『絶対に勝つ』と決めて祈るのだ」
 瀧澤さんは、病気になって、かけがえのないものを二つ、手に入れた。
 一つ目は、本気の題目を唱えられるようになったこと。
 「治る、治らないとか、頭で考えるんじゃなくて。命の底から祈り抜くこと。先が短いと言われた命。生かされていると思って、感謝の題目を唱えている」
 二つ目は、庭に咲く花に目がいくようになったこと。
 「『きれいだね』って妻に言ったら、『10年前から咲いてる』って(笑い)。けなげに生きる小さな命に気付けるようになると、いろんなことが見えるようになった。私は、たくさんの人たちに支えられているんだって、やっと気付けた。だから負けるわけがない。それが私の境涯革命かな」

 

2019年12月16日 (月)

2019年12月16日(月)の聖教

2019年12月16日(月)の聖教

◆わが友に贈る

年末年始のあいさつが
 友情の絆を強め広げる。
 「仏種は縁に従って起る」
 近隣・旧友・親戚を大切に
 新たな交友録を楽しく!
 (御書P1467)

◆名字の言

「ラーニング・ピラミッド」と呼ばれる図がある。どんな学習方法であれば脳に定着しやすいか、ピラミッド形にして分類したものだ▼定着率の低い順から見てみると、「講義を受ける」「本を読む」「映像などを視聴」と続く。これらは“受動型”の学びといえよう。続いて「グループ討論」等といった“能動型”の方法が挙がる。そして最高位に位置するのは「人に教えること」だという▼「人は教えることによって最もよく学ぶ」とは、古代ローマの哲学者セネカの言葉である。人材育成の在り方にも通じよう。熊本・阿蘇地域では創価ファミリー大会が近づくと、男子部の大学校生たちと未来部員が少年少女部歌「Be Brave! 獅子の心で」の振り付け練習に励むことが、恒例となっている▼その関わりの中で自然と信心の話に及ぶことも。大学校生は、時にたどたどしくも懸命に自らの体験を語る。子どもたちも瞳を輝かせる。この取り組みを機に、友人との対話に挑戦を開始する大学校生も少なくない▼日蓮大聖人は「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(御書1361ページ)と仰せだ。一文一句でも自分なりの言葉で仏法を語りたい。友を幸福に導き、自らも成長する人間革命の「王道」が、ここにある。(之)

◆寸鉄

世界平和の為には会長の
思想が益々重要―識者。
我らの信念の対話で拡大
     ◇
「即刻、手を打とうじゃな
いか」恩師。明年の勝利は
そこから。幹部は先手で
     ◇
生きるとは多くの人の役
に立つこと―哲人。勇み
地域に尽くす学会活動へ
     ◇
本を読む習慣のある人は
4割弱。良書は心の滋養。
青年よ寸暇惜しみ挑もう
     ◇
公明の幼保無償化調査―
「負担減った」が66%と。
更に充実し子育て支援を

◆社説 ライト兄弟の初飛行に学ぶ 師との誓い胸に希望の大空へ2019年12月16日

 人は古代から、大空に舞い上がり、鳥のように自由に飛ぶことを夢見てきた。その人類の夢の扉を開いたのが、1903年の12月17日。ライト兄弟はこの日、4回の飛行実験を行い、最長約260メートルの有人動力飛行を成功させた。
 レオナルド・ダ・ヴィンチが飛行の研究を始めたのは、1490年ごろ。その後、熱気球や飛行船が発明されても、現在の飛行機の基となるような有人飛行機体の研究は、遅々として進まなかった。
 ライト兄弟が“空を飛びたい”と思い立ったのは1896年。だが、飛行実験に挑む彼らを世間はやゆした。有人飛行など“不可能”と、大手新聞社や著名な天文学者までが冷笑したのである。
 “逆風”が吹き荒れる中、ライト兄弟はなぜ、大空を飛べたのか――。途上には1000回を超える滑空実験を行い、理想的な機体製作に励んだ執念と努力があった。そして、もう一つの要因は“風”を利用することに着眼したことだ。
 兄・ウィルバーは聴衆を前に堂々と主張した。「飛行機械を完璧なものにするうえでとりわけ必要なのは、風に乗る能力であり、飛行中にバランスを保ち、機を操る能力だ」(『ライト兄弟 イノベーション・マインドの力』草思社刊)と。
 当時、機体を操縦する意識は低く、真っすぐに滑空する“安定”した機体製作が主流だったが、彼らは主体的な制御思想で、風を活用する昇降舵や方向舵を生み出した。それは、空を“不安定”なものと受け入れ、自らが操縦かんを握ることで安定を生み出す“逆転の発想”だった。
 世間の無理解や批判という“逆風”をものともせず、不確かな通説に翻弄されずに活路を見いだした“逆転の発想”――ライト兄弟の人生から学ぶことは多い。
 23年前の12月17日、池田先生は創価学園生に、ライト兄弟の生涯を通して指針を贈った。「きょうがだめなら明日。明日がだめなら、あさって。(中略)ともかく前へ前へ進むことである。これが人生の真髄の生き方である」
 その場には“将来、パイロットに!”と固く決意した男子学園生の姿が。その後、複数の航空会社の入社試験を受けるも全て不合格。民間企業に就職するも夢を諦めきれず、海外の航空大学校に留学する。
 理想と現実とのギャップや環境に苦しむが、学園時代の師の指針を思い起こし、“負けじ魂”で懸命な唱題と猛勉強を重ねた。その結果、ついに機長に。現在もフライトに従事し、使命の大空を飛翔する。
 人生には、思いも寄らぬ“向かい風”や“突風”が吹く。むしろ、その時にこそ人間の真価が試されよう。師との誓い、師の激励を胸に、きょうも心晴れ晴れと、希望の大空を舞いゆこう。

◆きょうの発心 経王御前御書 愛知・名古屋常勝総県副総県長 佐々木光文2019年12月16日

御文 経王御前を儲させ給いて候へば現世には跡をつぐべき孝子なり後生には又導かれて仏にならせ給うべし(経王御前御書、1123ページ・編524ページ)
通解 経王御前をもうけられたので、現世には、必ず跡を継ぐ孝子である。また、後生には、この子に導かれて仏に成られるであろう。

未来部員の成長が同志の希望に
 子どもが生まれた門下に対し、親と子の間には尊い縁があること、また後継者の深き使命を教えられています。
 青年部時代に交流団の一員として渡米した折、アメリカSGIメンバーから“未来部員に何を伝えていけばいいのでしょうか”と質問されたことがありました。うまく答えられなかった私は、帰国後、先輩に相談。「池田先生のことを語っていくことが大事なんだ」と教わりました。
 この経験を原点に、広布の活動にまい進。現在、総県未来本部長として、未来本部や教育部の皆さんと共に、地域の未来部員の激励に走っています。
 そのなかで、多くの未来部員がそれぞれの課題に挑戦し、「E―1グランプリ」で全国大会に出場するなど、大きく成長。総県全体に勇気と希望を与えている姿を見て、「後生には又導かれて仏にならせ給うべし」との御文を実感しています。
 「後継を育てることは、未来を創ること」と心を決め、これからも未来部の育成に全力で頑張ります。


【聖教ニュース】

◆創価ルネサンスバンガードが圧巻の日本一!  2019年12月16日
 マーチングバンド大会で16度目の「内閣総理大臣賞」

創価ルネサンスバンガードの熱演。皆が自らの課題に立ち向かい、乗り越える中で日本一を手にした(さいたまスーパーアリーナで)

創価ルネサンスバンガードの熱演。皆が自らの課題に立ち向かい、乗り越える中で日本一を手にした(さいたまスーパーアリーナで)

 第47回「マーチングバンド全国大会」(日本マーチングバンド協会主催)の一般の部(大編成)が15日、さいたま市のさいたまスーパーアリーナで開催され、音楽隊の創価ルネサンスバンガードが出場。
 16度目となるグランプリ「内閣総理大臣賞」を受賞し、堂々の日本一に輝いた。
 「一般の部」の最後の登場となった創価ルネサンスバンガード。
 「ファイト!」「負けるな!」――メンバーたちが舞台に姿を現すと、観衆の熱い視線が一斉に注がれ、大きな声援が。
 ステージが幕を開けると、アリーナを揺り動かすような力強い調べが、会場全体に響き始めた。
 テーマは「Grand Mountain――魂の頂へ」。眼前の山を一歩ずつ進む登攀者のように、いかなる困難にも恐れなく立ち向かい、自らの勝利の頂へ駆け上る誓いを託した。
 縦横無尽の隊形変化、華麗に宙を舞うライフルやフラッグ……。圧巻の“団結美”に拍手喝采が鳴りやまなかった。
 迎えた結果発表。“内閣総理大臣賞の受賞団体は、創価ルネサンスバンガード”――その瞬間、皆の顔に歓喜の笑みがはじけた。
 本年は音楽隊の結成65周年、創価ルネサンスバンガードの命名25周年の節目。広布の楽雄たちは“必ず池田先生に日本一の結果を”と、仕事・学業や厳しい練習の中でも、一歩も引かずに学会活動に奔走してきた。
 自らの“挑戦の山”を登ろうと、皆が大会直前まで対話拡大や本紙の購読推進に率先。確信の祈りで病を打ち破り、晴れの舞台に立った友もいた。
 一人一人が限界を破る中で、日本一の栄冠を手にしたのである。
 竹縄光雄楽団長は語る。「師匠との誓いを果たすことができ、感謝でいっぱいです。今後も、勇気と希望の調べを奏でます!」

◆北海道が意気軒高に総会 三代城に世界の理想郷を 原田会長、永石婦人部長が出席2019年12月16日

師弟共戦の北海家族が出発の総会。平井北海道男子部長、前田同女子部長があいさつし、皆で「三代城の歌」を大合唱した(北海道池田講堂で)

 「世界一の理想郷」の誇りに燃える北海道の総会が15日、札幌市の北海道池田講堂で意気軒高に開かれた。 
 池田大作先生の北海道初訪問65周年の本年、全道の同志は広布拡大の“新記録”に挑戦。前進の息吹のままに集い合い、明年へスタートダッシュした。 
 総会では、金澤主任副会長があいさつ。 
 支部婦人部長の伊藤香さんの活動報告が、感動を広げた。 
 ――信心に励み始めた直後に母が他界。さらに子どもの悩み、義母や自身の病など幾多の宿命に襲われたが、母から継いだ強盛な祈りで全てを乗り越え、一家和楽を実現した。 
 支部では本年下半期に7世帯の弘教を。「一人が大事」との池田先生の指針を胸に同志が躍動し、信心の功徳を受ける喜びを語った。

人材そびえる三代城の建設へ

 志賀青年部長の後、日下北海道長、小松同婦人部長は、今こそ師への報恩の心を燃やす時と述べ、人材そびえる三代城の建設へ、リーダーが率先の行動を開始しようと呼び掛けた。 
 永石婦人部長が、師弟の道に連なる後継の育成をと語った。 
 原田会長は、学会は永遠に折伏の団体であるがゆえに、明年を荘厳するのは折伏の勝利であると強調。一人一人が勇気の対話に挑戦し、その体験を、生き生きと同志に語り広げようと訴えた。 
 また、師弟共戦の一念を定めた本気の一人の存在が、広布伸展の原動力であると力説。「自分の前進」「先駆の人材の拡大」を誓い合い、“北海道を見よ!”と胸を張れる拡大の歴史をと望んだ。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈座談会〉 年末年始友好期間を有意義に 仏縁を広げ、育てる対話を2019年12月16日

〈出席者〉原田会長、長谷川理事長、永石婦人部長、志賀青年部長、大串女子部長

 大串 間もなく、年末年始の友好期間に入ります。
 
 原田 充実の一日一日を過ごすためにも、事前にしっかり計画を立て、有意義な友好期間にしていただければと思います。
 
 永石 家族と過ごす時間も多くなりますね。家庭での親子の語らいは、一家和楽、家庭における信心の継承にとっても、大切なことです。
 
 長谷川 まとまった休暇を利用して、普段なかなか会えない友人や、疎遠になっている親戚と交流し、旧交を温める人も多いと思います。
 
 原田 本年は、友好対話の拡大、聖教新聞の購読推進などを通して地域に、全国に友情が広がりました。一つ一つ、幸の仏縁を大切に育てるには、持続の対話を重ねていくことです。
 
 永石 小説『新・人間革命』第27巻「激闘」の章には「人と会い、誠意をもって対話していくなかで理解が生まれ、やがて、信頼と共感が芽生えていく。ゆえに、広宣流布のためには、粘り強い交流と語らいが大切になる」とあります。
 
 大串 また、先生は、世界192カ国・地域に及ぶ創価の連帯が「一人の人と会い、語り、一人一人の精神性を高め、賢くしてきた結実」であると述べられ、「粘り強い一対一の対話、励ましの行動」にこそ、学会の底力があると強調されています。

青年が弘教に先駆
 原田 私も幾度となく、先生の海外訪問に同行させていただきました。相手が国家指導者であっても、無名の庶民であっても、どんな人とでも胸襟を開き、真心の言葉を掛けられる先生の姿は、人と人を結ぶ対話の模範です。
 
 長谷川 先生が、どれだけ多くの人たちに希望と勇気と蘇生の光を送ってこられたか。それを思った時、感謝は尽きません。
 
 原田 御書に「鏡に向って礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり」(769ページ)と説かれています。先生は、この御文を通して「私たちの対話は、お互いが心豊かになり、『自他共の幸福』を開き、『皆が勝者』へと前進しゆく行動なのです」と、呼び掛けられています。まず、私たちが相手に対して尊敬の心をもち、誠実に、生き生きと対話をしてまいりたい。
 
 志賀 男子部は、明年の池田先生の会長就任60周年の「5・3」、学会創立90周年の「11・18」を勝ち開かんと、今、各地で方面男子部大会を開催しています。
 
 永石 広布の後継者の活躍と成長ほど喜ばしいことはありません。折伏に挑戦する青年部を、婦人部も全力で応援していきます。
 
 原田 青年を先頭に、青年を皆で励ましながら共々に若々しく前進していきたい。友好期間、多くの友人や知人、親戚と心通う交流を広げ、明年を勢いよくスタートダッシュしていきましょう。

全国各地で、明年の勝利を開く方面男子部大会が開催。東京(23区)の大会では、男子部大学校2期生の代表が躍動のダンスを披露した(8日、東京戸田記念講堂で)

交通事故に注意! 運転中のスマホ使用は厳禁
 大串 一年を通じて、最も交通事故の発生が多いのが12月です。
 
 長谷川 交通量が増え、何かと慌ただしい時期でもあります。各人が、いっそう真剣に、無事故への祈りを深め、注意し合っていきたい。
 
 志賀 近年、急増しているのが、スマホなどを使いながら運転する「ながらスマホ」による事故です。今月から、反則金や違反点数が3倍になるなど、罰則が強化されています。
 
 長谷川 運転中に使用すると、画面に意識が集中し、歩行者など、危険を察知することができません。時速60キロで走行した場合、2秒間で約33メートル進むそうです。運転中の脇見が、どれだけ危険な行為なのかが分かります。
 
 原田 警察庁は、「重大な交通事故につながり得る極めて危険な行為ですので、絶対にやめましょう」と呼び掛けています。

 志賀 やむを得ず、スマホなどを使わなければならない時は、必ず安全な場所に停車してから使用してください。
 
 永石 年末年始の休暇を利用して、車で遠出をする人も多いでしょう。くれぐれも無事故を期していただきたいと思います。
 
 志賀 出発前の準備も万全にしましょう。無理のない計画を立て、車を点検することも大切です。
 
 大串 近年、目立っているのが高齢ドライバーによる交通事故です。事故原因の30%が、ブレーキとアクセルの踏み間違いなど、運転操作の誤りによるものだそうです。
 
 長谷川 政府も、喫緊の課題として対策を進めています。先日、閣議決定された2019年度補正予算案でも、高齢者向けの安全装置付き自動車の購入補助事業などに1139億円が充てられました。
 
 志賀 公明党もこれまで、高齢者の安全運転支援の強化を訴えてきています。たとえば、東京都では7月から、70歳以上の方を対象に、1台当たり10万円を上限に、急発進を防止する装置の設置を補助しています。これは、都議会公明党が強く要望し、実現したものです。
 
 永石 また、自転車の運転にも細心の注意を払っていきましょう。
 
 長谷川 自転車は、法律上は軽車両、つまり“車の仲間”です。利用者は交通ルールを正しく理解し、順守することが大切です。
 
 大串 自転車事故を起こし、被害者への賠償額が数千万円にのぼった事例もあります。万一に備え、警察庁は家族全員で損害賠償責任保険等へ加入することを奨励していますね。加入を義務化する自治体も増えています。
 
 原田 「自分は大丈夫」との心の隙が事故の因となります。皆で声を掛け合い、一切の油断と慢心を排し、絶対無事故の友好期間にしていきたい。

〈世界写真紀行〉 イタリア・ナポリ 我らの目的は広宣流布 2019年12月16日

「ナポリの詩人はこの地の景勝の地位をひどく誇張して歌っているが、それも無理とは思えない」(相良守峯訳)――ゲーテがたたえたナポリの景観。奥に見えるのがベスビオ火山だ(10月、本社カメラマン撮影)

「ナポリの詩人はこの地の景勝の地位をひどく誇張して歌っているが、それも無理とは思えない」(相良守峯訳)――ゲーテがたたえたナポリの景観。奥に見えるのがベスビオ火山だ(10月、本社カメラマン撮影)

 ゲーテはつづった。
 「人々が何と言おうが、語ろうが、また絵に描こうが、この景観の美はすべてにたち超えている」
 「壮麗なるナポリ、湾の平らな岸辺に沿うて何マイルも連なる人家、岬、地峡、岩壁。それからたくさんの島とそのうしろに海がある。見る人をして恍惚たらしめる美しい眺めであった」(ともに相良守峯訳『イタリア紀行(中)』岩波書店)
 希代の文豪を魅了した、イタリア・ナポリの情景である。
 首都ローマから車で約2時間半。ナポリは、南イタリアに位置する風光明媚な観光都市。「ナポリを見てから死ね」という有名な言葉が、その美しさを物語っている。丘の上から望む市街やナポリ湾の見晴らしは、圧巻の一言だ。
 周辺にもポンペイや、「青の洞窟」が人気のカプリ島、温泉で有名なイスキア島などの観光地があり、年中、多くの人々でにぎわっている。
 1995年には、ナポリの歴史地区が世界遺産に登録された。
 日本ともゆかりが深く、「東洋のナポリ」と呼ばれる鹿児島市とは、姉妹都市の提携を結んでいる。
 池田先生が、このナポリを訪れたのは、63年1月20日。2年ぶり2度目のイタリア訪問の折であった。
 先生は、車窓から見えるナポリ湾や、欧州有数の活火山であるベスビオ火山を望みつつ、近郊のポンペイへ。
 ポンペイは、紀元79年に起こったベスビオ火山の大噴火によって壊滅し、地中に埋もれてしまった古代都市。人口約2万人のうちの1割が犠牲になったと推定されている。
 そして、18世紀半ばに再発見され、発掘が続けられた結果、かつての繁栄の姿が、よみがえったのである。
 先生にとって、ポンペイとの出あいは、イギリスのリットン卿の歴史小説『ポンペイ最後の日』であった。
 恩師・戸田先生も愛読した一書であり、女子部の人材グループ「華陽会」の研修教材としても使用された。
 現地に到着した池田先生はガイドの案内で遺跡を見学。極限状態における人間模様を描き、人生にとって何が最も大切かという、根本問題を問い掛ける同小説を通し、同行の友に語った。
 その模様は、小説『新・人間革命』第7巻「早春」の章に記されている。
 「私たちは、日蓮大聖人の仏法を持ち、地涌の菩薩の使命を自覚して、人類を救うため、広宣流布のために働いている。最も大切な生命を、最も崇高な目的のために使う、最高の人生なんだ」
 さらに、通訳を務めた日本出身の欧州女子部のリーダーには、こう述べている。
 「仏法という永遠常住の法に生き抜くならば、永遠の幸福の道を開くことができる。だから、確固不動の自分をつくり、何があっても、どんなに苦しく、辛いことがあっても、生涯、広布の使命に生き抜くことだよ」と。
 当時のイタリアは、まだメンバーが少なかった。だが、先生は大発展する「時」を信じ、人材の「核」を育むことに力を注いだ。
 1960年代、先生が5度の訪問を通して、イタリアに蒔いた妙法の種子は、やがて開花の「時」を迎える。
 70年12月には、ローマにイタリア支部が発足。先生の6度目の訪問が実現する81年を前にして、ナポリを州都とするカンパニア州にも、最初の学会員が誕生した。
 現在はナポリと、サレルノを中心に、2方面5本部14支部の体制へと発展。イスキア島には支部があり、カプリ島にも同志がいる。同州と境界を接するバジリカータ州にも支部が結成された。
 2001年、カンパニア州議会が先生に「平和・人権特別最高顕彰」を授与。この前年には、イスキア島のフォリオ市から「名誉市民」称号が贈られるなど、地域社会からの信頼も厚い。
 かつて先生は、イタリアの友に語った。
 「『ローマは一日にしてならず』と言う。『ポンペイは一夜にして滅んだ』と言われる。すべて“建設は死闘”“破壊は一瞬”である。永遠のイタリアの繁栄のために、すべてを賢明に乗り越えていっていただきたい」
 広宣流布という永遠の繁栄を築く挑戦は今、ナポリそしてイタリア全土で勢いを増している。

◆世界の体験プラザ 父への10年越しの夢かなえた歯科技工士 韓国SGI 朴 光輝 さん
 カナダ、アメリカで高度な技術を習得

目の前の2本の道
 「お父さん。私が必ずインプラント(人工歯根)をプレゼントします! 待っていてください」
 朴光輝さんは、10年前のあの日のことを、今も鮮明に覚えている。
 「ああ、ありがとう」
 しかし、朴光輝さんが意を決して宣言したものの、父の反応は薄かった。“気持ちはうれしいが、実現はしないだろう……”。そんな心の動きが伝わってきた。
 “自分が情けない。でも、この信心を貫けば、願いは必ずかなうという。ならば、青年らしく一直線に進むだけだ”。2009年、19歳の朴光輝さんはそう決めてスタートを切った。
 高校の成績は良くなかったが、題目と勉学の目標を定めて猛勉強を開始。歯科技工科のある大学に見事に合格し、奨学金を受けることもできた。
 勉学はもちろん、韓国SGI学生部の活動にも積極的に取り組み、平和展示活動の「ユニピース」を開催。現在も、後輩たちが後を継いで活躍している。
 16年の卒業を目前にして、朴光輝さんの前には2本の道があった。
 1本は、知り合いの歯科技工所の社長に誘われるまま、就職する道。もう1本は、さらなる技術の向上を目指して海外で学ぶ道だ。
 「本当は、一刻も早く、父のインプラントを作りたかったので就職するつもりでした。でも当時、父は信心に肯定的ではありませんでした。私は、もっと長い目で見て、最高の技術を学んで、この信心の素晴らしさを父に証明する使命もあると思ったのです」
 朴光輝さんは悩んだ末、後者を選んだ。

人生初めての目標
 朴光輝さんの父は当時、環境施設の事業を営んでいた。
 ところが08年秋、リーマン・ショックによる景気悪化で、取引のあった同業者が倒産。そのあおりを受け、多額の借金がのしかかってきた。
 悩みのどん底で、その同業者は計画的な自己破産だったと聞き、二重にショックを受けたが、法的には手も足も出なかった。
 「そのころ父は、特に歯が痛いと訴えていました。しかし、家計には負担をかけたくないと、歯科医にはかからず、鎮痛剤で耐えていたのです」
 ある晩、父の部屋からうなり声が聞こえてきた。本人は寝ていて自覚はないものの、歯の痛みに耐えかねて声が漏れてきたのだ。朴光輝さんは、何もできない無力さを、泣きながら枕をたたいて紛らせるしかなかった。
 またある日、ふと洗面所で鏡をのぞき込む父の後ろ姿が気になり、よく見ると、抜けた歯を瞬間接着剤で付けていた。その後、父の歯は全て抜けたことを知った。
 “何でもいい。父のために役に立ちたい”。そう強く願っていた時、母が韓国SGIの信仰を勧めてくれた。
 「母は1996年に入会し、粘り強い性格になりました。家族を信じ、温かく励まし続けてくれました。その姿を見て、私も、わらにもすがる思いで信心を始めたのです。すると、それまで夢も希望もなかった私に、生まれて初めて目標ができました。“父の歯を元に戻してあげたい。そのために、歯科技工士になろう!”という夢を抱いたのです」

苦労は買ってでも
 2016年から1年半、カナダ・バンクーバーの歯科技工所で下働きの修業を積み、さらにアメリカ・ニューヨークの世界的に名高い歯科技工所で1年半、高度な技術を習得した。
 「人工歯は、かつては一本一本のほとんどが手作業でしたが、近年、歯科用CAD/CAM(コンピューターによる設計/製造)が導入され、劇的に進化しています。それでも仕事量は膨大で、私には言葉の壁も高く、毎日、床に敷いた寝袋で休む生活でした。“若い時の苦労は買ってでもしろ”のモットーを胸に頑張り抜くことができました」
 本年1月、韓国に帰国。知り合いの歯科技工所の社長は「よく帰ってきてくれた。ぜひ、うちの主力として働いてくれ」と頼りにしてくれた。

釜山市の水営旭日会館
 韓国SGI男子部では地元・釜山市の水営支部の部長として、「支部10人会の構築」に全力で取り組んだ。
 朴光輝さんが入会に導いた地区リーダーと2人、意気軒高にスタートしたが、8月まで参加メンバーは2、3人。悩む中、済州島での研修会に参加し、深夜、唱題をする中で、はたと気付いた。
 “今まで、自分の思いを伝えるのに一生懸命で、相手の立場に立っていなかったのではないか……”。涙があふれ、心から反省した。研修会から帰ると、メンバーの一人一人の話をじっくり聞き、悩みは書き出して一緒に祈った。
 会うことさえ嫌がったメンバーが次第に心を開き、また新たな弘教も実り、9月は5人、10月はメンバー9人と幹部3人が参加し、12人が結集。晴れて“支部10人会”を達成した。
 「この10月は、10年越しの夢だった、父のインプラント手術も行いました。CAD/CAMでは国内トップの歯科技工士が一緒に作製してくれ、無事、大成功しました」
 父は入会はしていないものの、母と共に和光新聞を配達し、会合の準備を積極的に買って出るまでに。
 「今、願った通りの人生を歩んでいることに感謝しかありません。自身の宿命転換、そして男子部メンバーの宿命転換を自身の使命と決め、広布のために走り抜く決意です!」

 

2019年12月15日 (日)

2019年10月16日(水)の聖教

2019年10月16日(水)の聖教

◆わが友に贈る

   最も苦闘している友に
 寄り添おう。
 それこそ仏法者の魂だ。
 焦らず、たゆまず
 幸の未来へ歩みを共に!

◆名字の言

果樹を植えたら、その実がなるまでには相応の年月がかかる。例えばモモやクリは3年、カキは8年。より時間が必要な果樹もある。人間の成長にも通じる摂理だろう▼よし、自分はもっと長く精進するぞと、90歳まで筆を執り続けた作家が武者小路実篤。その実篤が好んで色紙に書いた言葉がある。「桃栗三年 柿八年……俺は一生」▼昨年、実に32回目の挑戦で、司法試験に合格した創価大学出身の壮年がいる。働きながら学ぶ厳しさ。後輩に次々と追い越される焦りと不安。何度、くじけそうになったことか▼最も苦しかった時、ある会合で創立者・池田先生と再会する。「皆さまが幸福にならなければ、私は苦しいし、私の人生は負けたことになる」と語る池田先生の慈愛の深さに、胸を熱くした。地域の友の励ましも温かかった。「世界中が見放したって、おれたちは応援してるからな」と。壮年は負けじ魂を燃え上がらせ、遂に難関を突破した▼師の慈愛、同志の絆、不屈の信心――そのありがたさを彼は痛感した。いずれも苦闘の中でつかんだ心の宝だ。雌伏の時を経て当年52歳。「弁護士1年生として、これからが勝負です!」。決意に声をはずませる姿が教えてくれた。生涯挑戦、生涯前進の人生にこそ“真の幸福”が実る、と。(誠)

◆寸鉄

仏法は一切の労苦を功徳
にしていける―戸田先生
故に何事も自発・能動で
     ◇
神奈川「川崎の日」。さあ
明年勝利へ拡大の波を!
広布の心臓部は意気軒高
     ◇
年賀状の受け付け開始。
旧友や新しい友と友情を
結ぶ好機。一筆に心込め
     ◇
組織で忘年会・新年会は
禁止。不信や事故を招く
因だ。信心の世界壊すな
     ◇
入浴や外出時の血圧変動
に注意。暖房器具や上着
の使用賢く。前前の用心

◆きょうの発心 〈きょうの発心〉 立正安国論 女性平和文化会議議長 谷井宏子

御文  予少量為りと雖も忝くも大乗を学す蒼蠅驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ(立正安国論、26ページ・編163ページ)
通解  私は取るに足りない身ではあるけれども、かたじけなくも大乗の教えを学んでいる。小さな青バエも駿馬の尾につかまって万里を行くことができ、葛は大きな松の木にかかって千尋に伸びることができる。

“師と生きる誓い”が境涯を開く
 小さい存在であっても、妙法を信じ、広布にまい進することで、大きく境涯革命できるとの仰せです。
 浪人して入学した創価大学で、自分に自信が持てずに落ち込んでいた時、思いがけず、池田先生からクリアファイルを頂きました。師匠の真心に触れ、「生涯、池田先生と共に」と誓いを立てたことが原点です。
 「私も目の前の一人の希望になりたい」と、華陽姉妹と共に、折伏や学会活動に励むようになりました。
 数年前、病気の診断を受けた時には、池田先生から「題目をあげて朗らかに」との伝言をいただきました。真剣に題目を唱え、さらに学会活動にまい進する中、昨年3月に弘教を実らせ、本年9月には病気を克服することができました。
 師匠と共に生きる中で、思ってもみない境涯が開かれていくことを実感しています。
 平和建設の主体者として、これからも目の前の友人に信心の喜びを語り広げ、善の連帯をさらに広げてまいります。


【先生のメッセージ】

◆「感謝の心」で人生は豊かに 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」 2019年12月15日

 真っ赤なバラ、ピンクのコチョウラン、白のカスミソウ……。一本一本の花が互いをたたえるように美しく咲いていた。2010年(平成22年)3月、池田大作先生が都内で撮影した一葉である。
 多くの花は、風や虫などの助けによって受粉し、実を結ぶ。
 人間もまた、一人では生きられない。家庭や地域、学校や職場など、常に誰かを支え、支えられる中で生きている。それを忘れず、周囲の人に感謝の思いで接していく。これが、よき人間の在り方といえよう。
 本年も、あと2週間余り。お世話になったあの人、この人に感謝の気持ちを伝えよう。そこから信頼と友情の花が咲く。

 感謝の心は美しい。
 自らに縁した人を
 大事にしていこうという
 心の余裕が、
 人生を豊かにする。
 美しくする。

 新渡戸稲造博士は
 「恩」を知る大切さを
 述べている。
 「偉大なる心は
 常に感恩の情に満つ」
 感謝の人は成長できる。
 恩を忘れた時から、
 人間の堕落が始まる。
 恩を知ることが
 人間の道だ。

 愚痴と文句は、
 歓喜を奪い去り、
 心をすさんだものにし、
 自分で自分を
 不幸にしていく。
 反対に、
 「ありがたいな」という
 感謝の思いは、
 歓喜を
 燃え上がらせていく。
 そして、歓喜は
 自らの心を豊かにし、
 幸福にする。

 創価学会には、
 誰も見ていないところで、
 広布のため、同志のため、
 また地域のために、
 地道に真剣に
 努力している人が
 数多くいる。
 その人たちのおかげで
 学会は発展してきた。
 そういう陰の立場の人を、
 心から
 大切にしていくことだ。
 その功労をたたえ、
 温かく励まし、
 深く深く感謝できる人で
 あっていただきたい。

 私は毎日、
 全学会員の方々に感謝し、
 健康、長寿、無事故を
 真剣に祈っている。
 来る日も来る日も、
 一生懸命に広布に走る
 学会員の皆さまは、
 地涌の菩薩であり、
 御本仏の
 お使いであられる。
 この世で
 最も尊い方々なのである。
 この誇りに燃えて、
 明年もそれぞれの立場で
 「使命の人生」を
 戦いましょう!

 ※新渡戸稲造の言葉は「随想録」、『新渡戸稲造全集第5巻』所収、教文館。


【聖教ニュース】

◆マレーシアが本部幹部会――青年部に新リーダー  2019年12月15日

マレーシアの同志がさらなる前進の誓いを胸に(セランゴール文化会館で)

マレーシアの同志がさらなる前進の誓いを胸に(セランゴール文化会館で)

 マレーシア創価学会(SGM)の本部幹部会が11月29、30の両日、セランゴール文化会館で行われた。
 幹部会では、新任人事が発表され、青年部長に呂耀年さん、男子部長に陳俊光さんが就いた。
 また、「破邪顕正」「『SGI(創価学会インタナショナル)の日』記念提言」をテーマにしたディスカッションなども行われた。
 許錫輝理事長が、異体同心の団結で明「前進・人材の年」を勝ち飾ろうと呼び掛けた。


◆今週のラジオ「新・人間革命」 第28巻「革心」の章   2019年12月15日

 今週は第28巻「革心」の章(抜粋)です。
 第4次訪中2日目の9月12日、山本伸一と妻の峯子は、中日友好協会の孫平化秘書長への感謝を込め、錦江飯店での朝食に日本食を用意。日本留学の経験を持つ孫平化は二人の真心に胸を熱くする。
 この日、訪中団一行は、周西人民公社、楊浦区少年宮を訪れ、大歓迎を受ける。
 翌13日、伸一は図書贈呈のため復旦大学を訪問。蘇歩青学長や学生たちと懇談する。
 (放送は月曜日から金曜日までの毎日、午前5時台が中心。放送局と時間帯はラジオ番組欄をご覧ください。インターネット放送・ラジオ「ラジコ<radiko.jp>」でも聴取可)


【特集記事・信仰体験など】

◆〈忘れ得ぬ瞬間〉 第14回 世界を結ぶ英知を磨け 「語学に徹底して挑戦」 
 創大・女子短大の学生たちに創立者が贈った言葉

創価大学の第34回、女子短大の第22回卒業式で、卒業生を祝福する池田先生(2008年3月21日)

創価大学の第34回、女子短大の第22回卒業式で、卒業生を祝福する池田先生(2008年3月21日)

  
今年も創価大学では11、12月に、韓国語やスワヒリ語など、言語ごとの外国語弁論大会(スピーチコンテスト)が盛大に開催されている。

 淵源は1974年(昭和49年)、創立者・池田先生の提案を受けて開かれた中国語弁論大会。今年は45周年の節目である。
 語学習得への飽くなき挑戦――この創価大学の伝統は、創立者から託された、平和建設への学びの道である。
 2008年3月、創価大学の第34回、創価女子短期大学の第22回卒業式で、池田先生は呼び掛けた

 一つ、皆さんにお願いしたいことがあります。
 私の80年の人生における最大の後悔は、英語をはじめとする語学を勉強できなかったことです。
 勉強は一生です。語学は、徹して学び続けていただきたい。
 私は、36年前、イギリスの大歴史家トインビー博士と対談を始めました。
  
 トインビー博士との語らいは、政治、経済、哲学、文学、教育、環境、さらに仏法の生命論や宿業論など、あらゆる次元に及びました。
 博士は、日本の万葉集や源氏物語、竹取物語、古事記などもよくご存じで、詳しく勉強されていた。驚きました。
 話の内容が高度で、テーマは多岐にわたり、3人の通訳が準備していましたが、それでも追いつかない。
 私も、自分で英語ができないこと、語学ができないことが悔やまれてなりませんでした。
  
 まずは英語です。さらにまた、さまざまな語学にも挑戦していただきたい。
 創価大学、女子短大でも、語学には力を入れていますが、一日中、家でも、学校でも、英語漬けで暮らす――そのくらい徹底して勉強していかなければ、本当の力はつかないとも言われている。
 ともあれ、徹して語学に力を注いでまいりたい。教職員の皆さんも、よろしく頼みます。
  
 今、創価大学では、国際教養学部が全ての授業を英語で行うなど、英語のみの授業が増えている。キャンパスや寮内で、会話の大半を英語で話すよう努力している学生もいる。創立者の期待に応えゆこうとする、俊英たちの姿が輝いている

忍耐強く持続を
 池田先生は、創大生・短大生がよりいっそう語学の鍛錬に努められるよう、偉人の言葉を通して、具体的に提案している。
 2000年4月、創価大学の第30回、短大の第16回入学式では、いくつもの外国語に精通していた中国の文豪・魯迅の、語学を身に付けるためのアドバイスを紹介した。
  
 第一に「自信を持つこと」。
 第二に「絶え間なく、持続すること」。
 第三に「がむしゃらに、読み抜くこと」。
 第四に「よい先生を求めること」。
 そして第五に「よい辞書を持つこと」でありました(顧明遠著『魯迅――その教育思想と実践』横山宏訳、同時代社刊)。
 一つ一つが、とても具体的です。教育においては、具体性が大事です。
 ともあれ語学にせよ、読書にせよ、専門分野にせよ、忍耐強く努力した分だけ、必ず大きな根を張り、何ものにも負けない人生の栄光の力となっていく。古今東西の偉大な人物の歴史に、つづられた通りであります。

 08年4月、創価大学は第38回、短大は第24回となる入学式では、先生自ら、外国語であいさつをした。
  
 新入生を歓迎して英語であいさつをさせていただきます。
  
 Your eyes are beautiful, shining brightly with wisdom.
 「英知に輝く皆さんの瞳は、まことに美しい」と言ったのです。
 わかりましたか。<「ハイ」と元気な返事が>
  
 Youth of passion, great victory is waiting for you.
 「情熱みなぎる皆さんの前途には、勝利が大きく待っている」との意味です。
  
 Each one of you, become a winner of happiness!
 Live with a great mission!
 さらに、「皆さんは、一人ももれなく、幸福の勝利者になれ! 偉大な使命に生きよ!」と。
  
 Each one of you, become a champion of happiness!
 そして、「一人ももれなく、幸福の長者になれ!」と申し上げました。
  
 さらに、中国語でも少し話させていただきます。
 「青年是黄金時代、要学習、学習、再学習」
 中国の諸先生方、発音はどうでしょうか。
 <来賓の中国・嘉応学院の程学長から「上手です」との答えが>
 そうですか! うれしいです。ありがとうございます。
 中国語の意味は「青年は黄金時代である。学べ、学べ、もっと学べ!」です。中国の周恩来総理の言葉です。
 「生命的路是進歩的」
 文豪・魯迅先生の有名な一節です。
 「生命の道は、進歩の道である」
 皆さん、この心で進みましょう!

わが境涯を拡大
 そして、ロシアの文豪・トルストイの言葉を通し、世界平和への決意を、学生たちと確認した。
  
 トルストイが大切にしたのは「語学」です。
 “人類を同胞として結ぶ学問”――これが語学である。少なくとも3カ国語以上に挑戦することを、彼は青年に訴えた。
 「人生とは、限界に挑み、わが境涯を拡大することである」――これもトルストイの素晴らしい指針です。いい言葉だ。
 限界に挑んだときに、境涯を拡大できる。苦難に負けてはいけない。
 私の部屋には、トルストイの全集が置いてあります。
 私たちは尊敬する先生方とともに、トルストイが夢に見たごとく、「戦争と平和」の歴史を超えて、全世界の民衆と民衆が固く握手し、そして世界の青年たちが喜び勇んで肩を組む、「平和と教育」の勝利の劇を永遠に残しゆくことを、固く決意し合いたいと思うのであります。

◆〈信仰体験〉〈ライフウオッチ 人生100年時代の幸福論〉 精神疾患の人の支えに
――30歳からの転職で見つめた“生きる価値”

 連載「ライフウオッチ」信仰体験のページでは、「アラフォー世代」の生き方を見つめてきた。バブル経済の崩壊後、厳しい経済・雇用状況が続き、労働現場において精神疾患に苦しむ人も増えていった。塩川太一さん(43)も就職氷河期に社会人になり、過酷な労働環境を経験した一人。30歳で福祉業界への転職を決意し、現在はグループホームで精神疾患のある人を支える。
 身近な人と向き合う中で見つめた“生きる価値”とは――。

 午前2時、やっと仕事が終わる。帰宅してシャワーを浴び、仮眠を取ると、すぐに次の朝がやって来る。
 就職氷河期の2000年(平成12年)4月、食品商社に入社した。
 厳しい就職活動を経て、やっとの思いでつかんだ仕事。だが、待っていたのは、どれだけ働いても上がらない業績と、過酷な労働環境だった。
 7年がたった頃、社員は半分ほどに減っていた。
 うつ病やパニック障害になり、休職する同僚もいた。体調を崩した人をふるい落とすような雰囲気に、やり場のない思いが募る。
 “このままでいいのか……”
 ふと、家族や友人の精神疾患と向き合った日々が思い返された――。

 親戚から創価学会の話を聞き、東京で入会したのは1998年、大学2年の時だった。
 すぐに学生部の活動に取り組み、友人に弘教を実らせた。
 同年11月、名誉学術称号の授与式に参加し、初めて池田先生と出会った。先生の一言一言に、生命から、ほとばしるような力を感じた。
 “生涯、信心を貫く”と誓い、故郷・福岡の父に、その思いを電話で伝えた。

 父は「正しく生きることは大事だね。良かったじゃないか」と言ってくれた。
 そんな父が、くも膜下出血で亡くなったのは、それから1週間後。あの電話が最後の会話になった。
 「お父さんのために、一緒に題目を唱えてほしいんだ」
 父の葬儀で、姉と一緒に勤行・唱題した。1カ月後、姉は入会し、母も続いた。
 父を亡くしたショックから、母も姉も、精神疾患を患った。塩川さんは、池田先生の「生と死」についての指導を探し、むさぼり読んだ。
 初めて弘教が実った友人も、当初は強迫性障害が一因となり、ひきこもっていた。
 生命には、無限の可能性がある。その人の仏性を呼び覚ますように祈った。
 「信心する前は、人からどう見られるかが、幸せの基準だと思っていた。信心して、人のために生きる喜びを知りました」
 母も姉も友人も、薄紙を?ぐように快方へと向かっていった。

 ――07年8月、会社の募集に応じ、30歳で食品商社を希望退職した。
 “精神疾患のある人の支えになりたい”と決め、翌08年の春、精神保健福祉士になるため、専門学校に入学。卒業後は、自立支援施設に就職した。
 働きながら、社会福祉士と介護福祉士の資格も取得。16年からは訪問介護に携わり、17年には就労移行支援も。
 現在は、介護サービス包括型グループホームで、世話人・生活支援員を務める。利用者は、うつ病や統合失調症、知的・発達障がいなど、状況は人それぞれ。
 塩川さんの仕事は“一緒に生活”すること。じっくり話を聞きながら、調理や皿洗い、洗濯、買い物、掃除。多様なニーズに応え、必要なケアを行う。
 「安心して暮らせることこそが、“生きる土台”になるんです」
 多忙な仕事の合間を縫って、学会活動にも真剣に取り組んできた。
 男子部時代は、区の創価班委員長も。学会の先輩の背中から、「幸せは正しい行動の後についてくると、教えてもらいました」。
 今は支部長として奮闘し、週3回、本紙の配達も担う。
 学会活動に徹する中で、“関わり合い”の基本は、目の前の一人に寄り添うことだと、心に留める。
 釈尊の言葉に「われに仕えようと思う者は、病者を看護せよ」とある。池田先生は、これを引いて、つづっている。
  
 〈生命は尊厳であるといっても、ひとりでに輝くものではない。こうした関わり合いの中で、他者の生命は真に“かけがえのないもの”として立ち現れ、それをどこまでも守り支えたいと願う心が自分自身の生命をも荘厳するのです〉

 塩川さんは「その人が望む自立や幸福が少しでも実感できるようにと、願っています」と。
 一緒にスーパーで買ってきた焼き鳥を食べ、「おいしい!」と感動する利用者がいた。長い入院生活を経て入居した人が、「初めて誕生日を祝ってもらった」と喜ぶ。
 そうした、ささやかだが確かな“幸せ”を見つけた時に、塩川さんの心も温かくなる。
 「この仕事は『支援する側/される側』という分け方だけではないと思うんです」
 スタッフと利用者が関わり合ってつむぐ、ありふれた日常。そのお互いの関係性の中で、自分の“生きる価値”を実感し、心が満たされていく。
 もちろん、現実は厳しい。
 病院や行政など、関係機関の連携がスムーズに進まず、結果的に利用者目線の対応が取り切れていないこともあった。
 「だからこそ、信心です。利用者さん自身が、幸福に向かって進めることが一番、大事。たとえ意見の違いがあっても、勇気をもって必要なことをやり抜く。そのために毎日、真剣に祈るんです。信心は、幸福をつかむための“善の中の善”の実践ですから」

2019年12月14日 (土)

2019年12月14日(土)の聖教

2019年12月14日(土)の聖教

◆わが友に贈る

   未来部は一人ももれなく
 「人類の宝」だ!
 一年間の挑戦を称え
 温かな励ましを送ろう。
 受験生にもエールを!

◆名字の言   “宝の一書”との出合いを   2019年12月14日

 ノーベル化学賞を受賞した吉野彰氏。科学者を目指すきっかけになったファラデーの『ロウソクの科学』は、小学校の担任が薦めたものだった。氏は“私の好奇心をくすぐってくださったことが、今回の受賞につながりました”と感謝を述べた▼一方、当時の担任はマスコミの取材に、“ご本人が勉強し研究された結果ですから、私がどうこうではありません”と応じていた。子ども時代において、一冊の本との出合いがいかに大切か、あらためて教えられた▼広島県呉市の小学校2校に先日、創価学会から優良図書300冊と書架が贈られた。1校は、昨夏の西日本豪雨で図書室の本が浸水。もう1校は、離島で書店が近くにない。贈呈式では児童たちの歓声が響いた▼後日、御礼の手紙が届いた。「ぼくのお気に入りの本がありました」(4年男子)。「休み時間に図書室に行くのが楽しみです」(6年女子)。被災地や離島で暮らす子どもたちが今、本に親しみ、心を育んでいる。彼、彼女らが“宝の一書”に出合えることを願う▼学会の図書贈呈が始まって45周年。これまで延べ1200以上の学校・図書館に52万冊が寄贈された。良書には、人生を変える力がある。その出合いの機会を子どもたちに贈るのは、大人たちの責務であり、喜びでもある。(子)

◆寸鉄

「一日の命は三千界の財
にもすぎて候」御聖訓。
今日も価値創造の一日を
     ◇
関西女性の日。世界の範
たる婦女の団結。語りに
語り希望の連帯を拡大!
     ◇
9割が今後の災害増加を
懸念と。日頃の備えが重
要。気付いた時に即点検
     ◇
睡眠不足は生活習慣病や
癌のリスク高める因と。
賢くリズム刻み健康人生
     ◇
ネット通販の相談増加―
“お試し”のはずが定期購
入に。注文前によく確認

 

【先生のメッセージ】

◆〈心に御書を〉12 “小事が大事”絶対無事故で2019年12月14日

御文 なはて堅固なれども蟻の穴あれば必ず終に湛へたる水のたまらざるが如し(阿仏房尼御前御返事、1308ページ)
通解 畷(田のあぜ道)は堅固であっても、蟻の穴があれば、たたえた水が結局は溜まらないようなものである。

池田先生が贈る指針
 寒さ厳しく慌ただしい師走。体調を崩さず、火災や交通事故など絶対にないよう、細心の注意を払いたい。
 「小事」が「大事」だ。「自分は大丈夫」「これぐらいなら」という油断と慢心が“蟻の一穴”となりかねない。
 無事故こそ幸福の土台。強盛な祈りを根本に、皆で声を掛け合い、一年の有終の美を!


【教学】

◆御書池田大学運動のために  池田華陽会御書30編に学ぶ 崇峻天皇御書㊦(三種財宝御書)
人格の輝きで周囲を照らそう

 池田先生は、本抄の講義の中でつづっています。
 「創価の人間主義の哲学に、世界は期待しています。創価の人間革命の行動こそ、民衆の希望です。大聖人の仏法の『人の振る舞い』を現実に行動している学会員の誠実さが、世界で信頼されている時代に、いよいよ入っているのです」
 「人の振る舞い」こそ仏道修行の目的であることを学び、日蓮大聖人が示された、“不軽”の心と行動を受け継ぐ一人へと成長していきましょう。(拝読範囲は、御書1173ページ17行目~1174ページ本抄末尾です)

本抄について
 本抄は、建治3年(1277年)9月、日蓮大聖人が身延で認められ、四条金吾に与えられました。
 本抄が送られる以前、金吾は、主君の江間氏を折伏したことで疎まれるようになり、同僚の讒言
(事実無根の訴え)を信じた江間氏から“法華経の信仰を捨てなければ、所領を没収する”と迫られます。
 しかし、金吾は迷わず信心を選び、同時に、大聖人の御指導通り、誠実な振る舞いを貫きました。
 そうした中、江間氏が病に倒れ、医術の心得のある金吾が治療に当たることになり、信頼回復の機会が訪れます。本抄は、その報告に対する御返事です。
 大聖人は本抄で、大事な時だからこそ油断してはならないと述べられ、仏法者として目指すべき賢人の生き方を教えられています。

御文
 一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢・穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ(御書1174ページ14行目~15行目)

通解
 釈尊一代の肝心は法華経であり、法華経の修行の肝心は不軽品です。不軽菩薩が人を敬ったことには、どのような意味があるのでしょうか。教主釈尊の出世の本懐は、人の振る舞いを示すことにあったのです。くれぐれも、よくお聞きなさい。賢きを人といい、愚かを畜生というのです。

解説 誠実な振る舞いこそ信仰の真価
 掲げた御文の前段で、大聖人は金吾に、感情に振り回されることを戒められ、熟慮することや、誠実に振る舞うことの大切さを示されます。
 「一代の肝心は法華経」とは、釈尊が一生のうちに説いた膨大な教えの中で、最も重要なのが、万人成仏を説き明かした「法華経」であるとの意です。
 そして、この法華経の修行の真髄は「不軽品」に示されていると仰せです。
 不軽品に登場する「不軽菩薩」は、万人に具わる仏性を礼拝し、「私は深く、あなた方を敬います。決して軽んじたり、侮ったりしません。なぜなら、あなた方は皆、菩薩の道の修行をして、必ず仏になることができるからです」と語り続けました。この言葉は漢字24字で表されるため、「二十四文字の法華経」と言われます。
 しかし、この教えを信じられない人々は、不軽菩薩の姿を嘲り、迫害を加えます。
 それでも不軽菩薩は、聡明に暴力をかわしながら、決して相手を軽んずることなく、礼拝行を貫きました。この実践により、不軽菩薩は六根清浄(生命が浄化されること)の功徳を得て成仏します。さらに、迫害した人々も、後に再び不軽菩薩に巡り合い、教えを受けて救われたのです。
 不軽菩薩は、釈尊の過去世の姿です。ゆえに大聖人は、この「人を敬う振る舞い」を説くことが、釈尊の「出世の本懐(この世に出現した根本の目的)」であったと述べられています。
 「人を敬う振る舞い」こそ、法華経の修行の真髄であり、成仏のための不可欠の実践です。
 何があっても目の前の一人の仏性を確信し、尊敬と誠実を貫く――私たちが、信心で築きゆく「心の財」を、こうした「振る舞い」として輝かせることが、自他共の幸福を開き、仏法の偉大さの証明となるのです。
 池田先生は、女子部に語りました。
 「肩肘を張る必要などない。本有無作の自然の振る舞いの中で、学会の温かな励ましの世界を、信仰によって磨かれた人格の輝きを、伸び伸びと伝えていくことだ」
 信心根本に「人間革命」の勝利の青春を舞いゆく、池田華陽会の誠実の振る舞いで、広布拡大の門を開いていきましょう!

池田先生の講義から
 「心の財」といっても、それは目に見えません。具体的に「人を敬う振る舞い」として現れてこそ、「心の財」は妙法と仏性の力を人々に示し、証明していくことができます。(中略)
 妙法を信じ、仏性の顕現という妙法の功徳を身に体現した「人の振る舞い」こそが、妙法の尊さを証明することができる。
 そして、妙法の功徳を身に現した「人の振る舞い」は、必ず「人を敬う」という特色をもつのです。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第4巻)
                        ◇ ◆ ◇
 いよいよ、我らの「人の振る舞い」が平和と人道の光彩を放つ時を迎えました。創価の人間主義の運動は、21世紀という本舞台で明々と輝きを増しています。
 わが信頼する同志一人一人の「人間革命の勝利」こそが、世界宗教として人類を照らす「創価の勝利」です。師弟共戦と異体同心の前進で、「生命ルネサンス」の大光を広げ、地球を包んでいこうではありませんか!(2018年12月号「大白蓮華」掲載の「世界を照らす太陽の仏法」)

〈御書カフェ 華陽姉妹の語らい〉
教えて
 来年に向けて、健康・無事故で駆け抜けていきます! 

御文
 さきざきよりも百千万億倍・御用心あるべし(四条金吾殿御返事、1169ページ)

通解
 以前よりも百千万億倍、用心していきなさい。

池田先生の指導
 事故を防ぐ要諦とは何か――それは、信心においても、生活においても、しっかりと基本を守るということです。基本を怠るというのは油断であり、さらに、そこには慢心があります。(中略)
 どうか皆さんは、あらゆる面で基本に徹し、何があっても紛動されることなく、どこまでも真面目に、誠実に、一つ一つの課題に全力で取り組み、勝利していってください。その積み重ねのなかに、人生の輝きがあることを知っていただきたいのであります。(『新・人間革命』第30巻〈上〉「大山」の章)
                     ◇ ◆ ◇
 師走は、社会全体が、ひときわ慌ただしい時節である。
 だからこそ、聡明に健康を勝ち取り、交通事故や火災にも気をつけていただきたい。
 その一切の原動力は、張りのある勤行・唱題である。
 会合等でも、絶対無事故を繰り返し訴えていくことだ。(中略)
 祈りを根本に、油断を排し、用心を重ねていくことだ。
 共々に、悔いなき一年の総仕上げを勝ち飾ろう!(2016・12・7付「創価新報」掲載の「青春勝利の大道」)


【聖教ニュース】

◆香港が威風堂々の総会   2019年12月14日

さあ、出発しよう! 「学会創立90周年」の明年へ、「香港広布60周年」の2021年へ!――正義の師子として立つ香港の創価家族が誓いのカメラに(香港文化会館で)

さあ、出発しよう! 「学会創立90周年」の明年へ、「香港広布60周年」の2021年へ!――正義の師子として立つ香港の創価家族が誓いのカメラに(香港文化会館で)

 新たな希望と栄光の大海原へ船出する香港総会が1日、香港文化会館で開催された。
 池田大作先生は、かつて20度にわたり香港を訪問。香港広布へ、永遠の指針となる長編詩「『栄光の都市』香港の旭日」を贈った。
 「おお! 香港よ 私は どこよりも どこよりも この天地を愛する 誰よりも 誰よりも 香港の友を愛する」……
 激流のごとき社会情勢の変化にあっても、香港の創価家族は長編詩の一節一節を胸に、人間主義のスクラム拡大に努めてきた。友は今、各人が使命の舞台で、馥郁たる桜梅桃李の輝きを放ちゆく。
池田先生がメッセージ「広布と人生の勝利劇を」

 総会には、池田先生がメッセージを贈り、地域で信頼と友情の輪を広げる友の奮闘を心から称賛。「題目の師子吼を響かせ、勇敢に、賢明に、忍耐強く、一つ一つ試練を勝ち越え、広布と人生の勝利劇を」と呼び掛けた。
 代表による体験発表などに続き、宇宙音楽隊が学会歌「威風堂々の歌」を演奏。
 郭心心青年部長が今後の活動方針を述べた後、中学部(日本の中・高等部に相当)の友らが、長編詩「『栄光の都市』香港の旭日」を朗読した。
 関偉能壮年部長、胡惠娟婦人部長、張家輝男子部長、蔡少薇女子部長が、明「前進・人材の年」の抱負を力強く披歴。呉楚煜理事長は「池田先生の第3代会長就任60周年」「学会創立90周年」の大佳節を刻む明年から、「香港広布60周年」の2021年へ、自他共の幸福を開く励ましの連帯を築こうと望んだ。


◆学会創立90周年へ ブラジルが拡大誓う幹部会

明年の勝利へ勢いよく出発を切ったブラジルSGIの友(ウベルランジア文化会館で)

明年の勝利へ勢いよく出発を切ったブラジルSGIの友(ウベルランジア文化会館で)

 ブラジルの全国幹部会が11月30日(現地時間)、ミナスジェライス州のウベルランジア文化会館で行われた。会場には地元メンバーら約400人が出席。会合の模様は全土1120会場に同時中継され、2万人以上のメンバーが参加した。
 幹部会は、婦人部によるブラジルの愛唱歌「サウダソン・ア・センセイ(ようこそ、先生)」の合唱で開幕。男子部のレオナルド・ルイス・デ・フレイタスさんが、宿命を乗り越え、広布拡大に先駆する様子を報告した。
 ハルトフ女子部長、マエムラ男子部長に続き、ヒラノ婦人部長は自身の人間革命の挑戦が未来を開くと強調。小説『新・人間革命』を通して師匠の心を学び、共々に前進・勝利をと訴えた。
 シラトリ理事長は、明年の学会創立90周年までに“広布のリーダー5万人”を輩出する目標を発表。「まずは池田先生の会長就任60周年の『5・3』を目指し、『ブロック1』の弘教を断じて成し遂げ、師弟直結の盤石な人材城を構築しよう」と呼び掛けた。


【特集記事・信仰体験など】

◆ 〈「新・人間革命」と私〉 地域本部女性部長 山﨑まさ子さん

心に刻む珠玉の言葉
 “心に燃える太陽があれば、いかなる闇をも払い、必ずや栄光と勝利の朝が訪れる。わが地域を変えゆかんとするなら、ただ一つ、わが心に闘魂の太陽ありや、広宣流布への情熱ありやを、問うことだ” <第8巻「布陣」の章>

時代背景
 山本伸一は1963年(昭和38年)6月20日、鹿児島、宮崎指導へ飛び立つ。九州訪問の最大の目的は、旧習深い離島で懸命に学会活動に励む奄美大島の同志の激励にあった。翌21日には、奄美大島を初訪問。伸一は、友の奮闘を心からたたえつつ、「どうか私と同じ心で、同じ決意で、新しい前進を開始していってください」と期待を寄せる。

一人一人が太陽の存在に!
 山本伸一が鹿児島の奄美大島を訪問し、離島で学会活動に励む同志を激励する場面を描いた「布陣」の章。私は、この章で紹介された伸一の励ましの一言一言こそ、勝利島部をはじめ、地域本部全員への池田先生の思いであると感じます。
 地域本部は、団地部、地域部、農漁光部、勝利島部からなります。それぞれ使命の舞台は異なりますが、皆が“愛する地域を幸福の楽土に”と奮闘しています。そして、気候変動などの課題と向き合いながら人々の食を支える友や、加速する少子高齢化の問題に地域の方々と協力して取り組む同志など、一人一人がなくてはならない“太陽の存在”と輝いています。

“人間革命の舞台は地域の中にある”
 私が地域本部での使命をいただいたのは、8年前のこと。東京副地域部長の任命を受けた時でした。各地の会合に出席し、多くの友の信仰体験に触れるたびに、地域部の使命の大きさを教えていただきました。家庭の悩みや病との闘いを抱えながらも学会活動や地域貢献に挑み、その中で見事な宿命転換を果たして信頼を広げる友の姿に、私自身、どれほど勇気をいただいたか分かりません。“人間革命の舞台は、地域の中にある”との魂を学びました。
 以来、私も「広宣流布即地域貢献」との先生の指針を胸に、地元・荒川区のお祭りや防災訓練などに積極的に参加。“何でもやらせていただこう!”と決め、4年前からは、町会役員の一員として、地域の先輩方に学びながら運営に携わっています。時を同じくして、地域本部女性部長の任命もいただき、挑戦の日々を送っています。

愛する郷土の平和を願う心は世界共通
 本年10月には、学会婦人部・女子部の訪中団に参加し、天津市婦女連合会のシンポジウムで、全国で奮闘する地域本部の友のエピソードを紹介させていただきました。今いる場所で使命に生き抜く同志の体験に共感していただいたことは、忘れられません。
 愛する郷土の平和を願う心は、世界共通であると感じます。その地域の安穏を築く地域本部の誇りに燃え、さらに私自身が率先して地域のために走り抜いてまいります。

◆ライフウオッチ  人生100年時代の幸福論 インタビュー 米ブルッキングス研究所 グラハム博士
 所得では決まらない満足度

 <人々が幸福を実現できる社会とは、どんな社会だろうか。「人生100年時代」において大切な、こうしたテーマを長年、思索し、世界各国での実証研究を踏まえて“答え”を提示してきたのがグラハム博士である>
  
 故郷のペルーで貧困の実情を間近に見た経験から、私は開発経済を専門としました。
 1990年代後半に、首都リマの貧しい地域を対象に行った調査があります。過去10年間の生活水準の推移を見ると、客観的には、多くの人が貧困状態から抜け出したにもかかわらず、彼らに経済状況を尋ねると、半数以上が「悪い」か「とても悪い」と答えたのです。同様の調査を行ったロシアでも、同じような傾向性が見られました。
 90年代から目覚ましい経済発展を遂げた中国においては、経済成長の恩恵を最も受けた人たちが、最も低い幸福度を抱いていたという調査もあります。人生の満足度は、所得だけでは決まらないことを明確に示していたのです。
 これらの現象は、私が「幸せな農民と不満な成功者」と呼ぶもので、この謎の解明が私の主たる研究になりました。
 リチャード・イースタリンやダニエル・カーネマンら著名な経済学者とチームを組み、心理学者とも協調しながら、幸福度に関する研究に本格的に乗り出しました。多くの人、特に経済学者らは、初めは懐疑的な目を向けましたが、世界各国での調査がペルーや中国でのそれと同じ傾向を示したことで、関心も高まっていきました。
 やがてイギリス政府が人々の幸福度を測定するようになり、さらに私は、米国科学アカデミーの一員として、アメリカの公共政策に幸福の指標を取り入れる過程にも携わりました。私たちに対する見方は百八十度変わり、今では、幸福の決定要因についてさまざまな研究が行われています。
 代表的な要因として、所得や年齢、健康、教育、友情、社会のつながり、仕事、他者への奉仕などのほか、私の最近の研究テーマである「希望」が挙げられます。

 <希望を見いだせてもよいはずの人生100年時代を迎え、日本では少子化・人口減や労働環境の行き詰まりなど、社会に潜む不安要因を多くの識者が指摘する。グラハム博士もまた、アメリカにおける希望の欠如に警鐘を鳴らしている>
  
 私の最新の研究では、アメリカの貧しい人種・民族的マイノリティー(少数派)の人たちは、同じく貧しい白人と比べて、はるかに楽観的であることが分かっています。たとえ経済的に恵まれず、不便な生活を送っていても、マイノリティーの人たちは、より豊かなレジリエンス(困難を乗り越える力)を備えているのが、その理由として考えられます。
 一方で、白人たちの間で自殺や薬物による死が急増していることが、深刻な問題となっています。白人といえば、かつては製造業や鉱業などに従事する「ブルーカラー」の労働者たちが多く、生活は約束されていました。「オジーとハリエットのような家族」と称される、両親とその子どもたちが幸せに暮らす理想の家庭を実現し、社会的な成功と仕事の安定を得て、地域社会でも尊敬を集めていたのです。当時、福利厚生の恩恵を受ける人は“敗者”である、とさえ言われたものです。
 しかし、製造業や鉱業が衰退すると、白人たちは熱中できる対象や生きる目的を失い、やがて家族の絆も断絶してしまいました。彼らには、アフリカ系アメリカ人にとってのバプテスト教会のような、昔から所属しているコミュニティーもなく、結果として、孤独に陥ってしまうのです。
 今、25歳から54歳までの働き盛りの男性たちの孤独が懸念されています。仕事もなく、親が暮らす実家で、一日中、ゲームをして過ごすのです。彼らには希望がなく、健康にも大きな問題を抱えています。
 この、孤独や希望の欠如といった問題は、アメリカに長年存在してきました。ロバート・パットナムは『孤独なボウリング』などで、20年近く前からコミュニティーの崩壊を訴えていますが、状況はさらに悪化しているといえます。

 <漠然とした不安が日々を覆う中にあって、充実した人生を送る鍵は何なのか>
  
 「今日に満足している」ことは、幸せな人生のごく一部でしかないでしょう。より深い意味での幸福とは、その人の持てる力を十分に発揮する能力や機会があるかどうかで決まります。このことは、たとえ収入が下がろうと、自らに決定権が与えられ、よりやりがいを感じられる仕事を、多くの人が選ぶという調査結果にも裏付けられています。
 私の著書『幸福の経済学』(日本経済新聞出版社)でも、イギリスでの数百人の調査に基づく実験研究を紹介しています。それによると、すぐに幸せになれる“仮想の薬”を飲むよりも、人生経験の機会を得て、自ら幸福を見つける道を選ぶ人が多いのです。
  
 <即座に幸福な気分になるよりも、幸福を確立するための「機会」を与えられることに、人々は充実と満足を感じる。全ての人に幸福を追求する「不可侵の権利」があると定めたアメリカ独立宣言をはじめ、歴史上、自由と権利を求める努力が繰り返されてきたゆえんである>
  
 トマス・ジェファソンが独立宣言を起草した時、彼は、幸福になるための機会をいかに提供できるかに、思索を巡らせていたでしょう。「幸福の追求」は依然として、アメリカで大切にされている言葉でもあります。
 だからこそ私の近著『Happiness for All?』(未訳)では、ストレス社会に生き、不安を抱え、劣悪な環境下で労働を強いられる多くのアメリカ人が、そうした「機会」を得られていない様子を描きました。
 幸福を追求する十分な機会にも恵まれず、社会的なつながりも弱まっている今、孤独に陥りそうな人々をいかに救い出していけるかが、重要となっています。
 その点で紹介したいのは、イギリスのある田舎町での事例です。郵便物の配達量もそう多くないことから、町では郵便局を閉鎖する案が持ち上がりました。閉鎖しなければ郵便局長や配達員を雇い続けなくてはならないため、費用対効果の観点から見れば、「閉鎖」は合理的な判断です。
 しかし、その町で行われた幸福度調査によると、特に高齢者の住民にとって、郵便局を訪れることは、一日で最も重要な時間であることが分かりました。彼らはそこで交流し、社会のつながりを保っていたのです。ゆえに郵便局を失うことは、幸福度の観点からは、悪影響をもたらすことになります。
 この話が示唆するのは、人々が幸福を実現できる社会とは、こうした交流やつながりの場を多く提供できる社会であるということです。そして、利益や損得を超えて、共に人生を高め合い、生きがいを与え合えるような絆を生むことを、強く推進していく社会ではないでしょうか。

自ら切り開く人生こそ幸福。  共に高め合う絆を生む社会へ

 <日本は、世界随一の長寿国。長く生きるからこそ、人々が関わり合えるコミュニティーの存在が大切となる。人生100年時代に対する、博士の展望と期待を聞いた>
  
 まず、100年もの間を生きる人たちは、人生を豊かにする方途を、自らが最も熟知しているのではないでしょうか。実際に、より幸福な人ほど、より長生きをするというデータもあります。
 年齢別の幸福度を見ると、中年世代にある特徴があります。『幸福の経済学』でも紹介していますが、中南米諸国とアメリカを対象に行った調査では、年齢と幸福度の間に「U字形」の関係があることが分かりました。具体的には、年齢を重ねるごとに幸福度は下がり、40代半ば、もしくはその後半で底を突いた後、上がり続けるのです。
 二つの関係性に変化が生じる40代の中年期とは、まだ自立していない子どもがいて、その上、親に依存される場合もあります。仕事で重責を担う年齢でもあります。そして、理想や野心を追い求めること以上に、現実的な人生の選択が重みを増していく時期です。
 以上のような要因から、ストレスを強く感じるのが40代であるといえます。
 一方、幸福度は40代後半以降、上がり続けます。心理学者によれば、さまざまな苦労や予期せぬ出来事に対処した経験を踏まえ、人生の後半期は感情の振れ幅が小さく、より良く人生のかじ取りをできるのです。ゆえに、幸福度が増すのです。
 がむしゃらに働いてお金を稼ぐことに、最も重きが置かれていたのは、一昔前のことです。その社会のあり方は、さまざまな摩擦や競争を生みました。
 そうした反省を踏まえ、私たちは、どのような経済や社会の構造をつくっていくのか。人生100年時代にあって、深く思索しなくてはならない問いです。
 その上で、長寿社会とは老後が延び、「働かない時間」が増える社会です。人々が孤独に陥らないよう、関わり合えるコミュニティーをつくり出していくことが大切です。
 このつながりが、人々の幸福に寄与しますし、私たちは今、幸福度を効果的に測定・分析できる時代に生きています。そしてその成果を、未来に希望を生み出す糧へと変えていける、かつてない時代でもあるのです。

◆信仰体験 SOUL雄魂  82歳 北の漁場に生きる

【北海道函館市】夜明け前の漆黒の海。酷寒の風に身をさらす。漁師・長谷川忠代さん(82)=県主事。漁場の厳しさと恵みを知り尽くし、海に生きる。
  
 漁師の家に生まれ、11人の大家族の中で育った。中学を出て、父の喜代作さんと海に出た。船上での仕事は厳格だった。山の重なりで位置を知り、山頂の見え方で距離を知った。
 漁に出ても、貧しい暮らしが続いていた。きょうだいが次々と病にかかり、治療費が足りなかった。近しい人から借金もした。
 大みそかになると、忠代さんは父と何軒も回った。返済を待ってほしい。親子並んで畳に額を付けた。目を固くつぶる父を、横目に見た。
 家族が1955年(昭和30年)に信心を始めると、嘲笑の的になった。勤行をしていると、窓からのぞかれ、邪魔された。誰も口をきいてくれなかった。
 66年9月、池田先生との記念撮影に、忠代さんは参加した。
 「あくまでも信心だけは純粋に、学会に付ききっていらっしゃい」
 師の思いをゆるがせにせず、会場までの荒れた山道を125㏄の古いバイクで2時間近く走った。それを苦とは思わなかった。
 池田先生だけを見て、辛抱強く漁をした。
 「現証だ。なんだかんだ言っても、漁師には真実はこうなんだっていう証拠がいる」
 潮流、風、地形、水深……全てを頭に入れ、網を直した。そして本気の題目を唱えた。魚よ、わが網に入れ。広布のために入れ。合わせた手を解く暇もないほどだった。
 「法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし」(御書1492ページ)。周りの網には魚が入らない日も、忠代さんの網には入った。「不漁知らず」の異名をとった。誰も信心に反対しなくなった。
 荒ぶる自然の猛威が、人生と重なるという。忠代さんは海の怒号を聞いた。79年4月24日、池田先生が会長を辞任した時だ。
 支部長だった忠代さんは、御本尊の前で悔し泣きした。退転者を絶対に出さない、と誓った。一日も無駄にせず、励ましに走った。
 「宗門にだまされるな。俺たちが付ききっていくのは池田先生だ」
 支部から退転者は、一人も出なかった。
 師の敵を漁で討つと決めた。
 「現証をもって池田先生に応えるという思いしかなかった」
 生来の負けず嫌い。大時化でも、荒海に挑み続けた。

 漁船が波にほんろうされるのは、命がほんろうされることを意味する。忠代さんが帰宅するまで、妻・久美子さん(78)=婦人部副本部長=の不安は消えなかった。
 漁場は沿岸の家から見える。「大時化の中を、船が木の葉のように揺れていた」。漁の行方を見守りながら祈った。5分、いや3分でいいから時化をなくして――。
 もちろん順風を待った方がいい。「だけど池田先生を思うと、じっとできなかった」。その悔しさが、寡黙な男の力となる。

 白波が牙をむく。頭からしぶきをかぶった。師匠に付ききる道の険しさを、海が教えているようだった。父の教えが胸に響いた。
 「いいか忠代、題目を唱えて餌をかけろ」
 網を力いっぱい引き揚げた。豊漁だった。
  
 60歳を過ぎて脳梗塞と心筋梗塞になったが、陸に上がろうとはしなかった。
 少しでも体が動く限り。その覚悟のまま、息子の広宣さん(47)=支部長=と誇りにあふれて、漁に攻める。
 親子の水揚げは上位をいく。

◆スタートライン バスケットボール解説者 Bリーグ公認アナリスト 佐々木クリスさん
 今、この瞬間を全力で楽しもう 大切なのはAwareness(気付き)

 バスケットボール・Bリーグの公認アナリストで、解説者の佐々木クリスさん。的確で分かりやすい試合解説は、多くのバスケファンから支持されている。解説者と聞くと、トップ選手や監督を務めた人が行うイメージだが、佐々木さんの場合はそれらのキャリアとは少し違う、順風満帆ではない道を歩んできた。ここでは、佐々木さんのキャリアに迫りながら、信念と同世代へのメッセージを聞いた。
 ――佐々木さんはもともと野球少年だった。甲子園を目指せる私立校に中学から進学。野球に明け暮れる中でバスケと出合った。
   
 野球部の朝練は、あえて別の競技をやるというスタイルでした。その取り組みの中で、中学2年の冬にバスケをやったら面白さにハマってしまい、NBA(米プロバスケットボール協会)を見るようになったんです。それからバスケ一筋になってしまって(笑い)。高校進学後にバスケ部に入りました。
 強いチームではありませんでしたが、自主練の成果もあり、エースとして活躍。“プロバスケ選手になろう”と思い、トップレベルのバスケができる青山学院大学に進学したんです。
 “青学”は高校の全国大会で活躍したメンバーが推薦で入学し、試合に出るのが当たり前でした。一般入試で入った人が試合に出ることはほとんどありません。でも当時の僕は、とにかく“1番を目指せる環境”を求めていたんです。
   
 ――高い志を持って進学した佐々木さん。しかし、その心は練習初日で打ち砕かれる。
   
 最初の1時間くらいのフットワークでクラクラして、マンガみたいに星が見えました(笑い)。加えて自宅と、学びに行くキャンパス、体育館のあるキャンパスの移動は合計6時間以上かかったんです。そんな過酷な日々で体調を崩すこともありました。それでもバスケをやめようとは一度も思わなかったです。チームメートや両親がサポートしてくれていたのもありますし、負けず嫌いだったこともあります。何よりバスケが好きでした。
 当時から僕がやっているのは、他者との比較ではなく、自分の設定したゴールをどうクリアしていくのかということ。自分をコントロールできるのは自分だけで、他者の発言はコントロールできません。好きでやりたいことがあったら自分の納得のいくまでやり、その瞬間に100パーセントの力をつぎ込む。そうすれば、最終的に結果につながっていくと思っています。
   
 ――もう一つ、佐々木さんが大学時代にのめり込んだのがヒップホップ。大学を卒業する頃から、「CHRIS」としてアーティスト活動を開始。また、プロストリートバスケクルー「FAR EAST BALLERS」にも参加し、全国でバスケパフォーマンスを披露する。28歳の頃には音楽専門チャンネル「MTV」のVJ(ビデオジョッキー)を務めた。
   
 この期間を過ごす中で“バスケを語れる番組に出たい”との思いが強くなりました。そのためにはバスケでの実績や肩書が必要だと分かり、Bリーグ以前に存在したプロリーグ「bjリーグ」に挑戦したんです。トライアウト(試験)に合格し、芸能活動とプロアスリートを両立させるという前例のない挑戦を開始しました。2年間やり抜いた後、2013年に念願かなって、バスケの解説番組に出られるようになりました。
 これまでいろんなキャリアを積みましたが、大切なのは「Awareness(気付き)」です。転がっている情報をキャッチできるかどうか。100パーセント気を張れということではなくて、その瞬間を楽しむ中でいろんなチャンスに出合えると思います。
 僕の場合、「中途半端だ」と批判されたり、「キャリアは選ばなきゃいけないもの」と言われたこともありました。でも、ニーズが多様化する時代の中で、「Generalist(多方面の才能を持つ人)」だけでもダメだし、一つのことしかやらない「Specialist(特定分野の専門家)」でもバランス感覚がなくなる可能性がある。だから僕は、自身のことを「General Specialist」と表現しています。一つの分野に特化しているけれど、地球の裏側で起きていることに対して無知でいないよう心掛けているんです。
   
 ――佐々木さんの夢は、カルチャー(文化)の発信地を作ることだという。
   
 NBAのスーパースターたちの言葉で「Bigger than basketball(バスケットボール以上の何か)」というものがあります。彼らはお金、権力、名声を手に入れる一方で、責任が伴う存在であることを理解していて、社会貢献に対する思いは強いんです。例えば、レブロン・ジェームズ選手は、小学校から大学進学まで完全無料の学校を設立しました。
 それとは比べものにはなりませんが、僕も出会った人やファンの人たちに還元できる人でありたいんです。理想はバスケを通したカルチャーの発信地を作ること。体育館はもちろん、カフェや資料室などがあり、皆が気軽に集まれる場所を作れたらいいですね。
 今、夢中になれるものがある人はラッキーだし、見つからない人は焦らなくていいと思います。目の前にあることに全力でトライしてほしいですね。
 僕は毎晩、「きょう一日を無事に過ごせてありがとう」と振り返り、妻にも「ありがとう」と伝えて寝るようにしています。皆さんも、瞬間瞬間の小さなハピネスを感じて、日常に感謝できる自分であってください。
 ささき・くりす 1980年12月24日、ニューヨーク生まれ。東京育ち。14歳の時にNBAを見て、バスケットボールを始める。大学時代にはインカレ優勝。その後、ミュージシャンとして活動しながら、ストリートバスケットボールのクルーを結成し、bjリーグでもプロ選手として活躍した。現在はBリーグ公認アナリストを務めながら、さまざまなメディアでNBAをはじめとしたバスケットボールの魅力を伝えている。

2019年12月13日 (金)

2019年12月13日(金)の聖教

2019年12月13日(金)の聖教

◆わが友に贈る

   わが足元の近隣こそ
 信頼と友情を築く
 人間共和の本舞台だ。
 常に配慮を忘れず
 誠実な振る舞いを!

◆名字の言

「十三里」と聞いて何を思い浮かべるだろうか。「距離」と捉えて計算すれば約50キロだが、実はサツマイモの別称でもある▼その由来の一つは、サツマイモの産地・埼玉県川越市が江戸から十三里離れており、そこから江戸へやって来る焼き芋売りが「十三里」と呼ばれたことによる。焼き芋売りは「栗(九里)より(四里)うまい十三里(9+4=13)」という、しゃれを利かせた口上で売っていたとも伝えられる▼「芋」「いも」は御書にもたびたび登場するが、この時代は主にサトイモやヤマイモを指す。日蓮大聖人は、門下が供養したイモを「くらき夜のともしびにもすぎ・かはける時の水にもすぎ」(1535ページ)、「珠のごとし・くすりのごとし」(1537ページ)と心からたたえられた▼大聖人の御闘争と広布を支える供養は、暗い夜の「ともしび」や喉が渇いたときの「水」よりも貴重であり、「珠」「くすり」のような存在との仰せだ。もちろん、供養は品物とは限らない。広布のために行動すれば、自身の「時間」や「労力」を供養していることになる▼広布に尽くす真心は、全てが福徳無量の「供養」となり、自身と一家の未来を大きく開いていく。その功徳をあらためて確信しつつ、一年の総仕上げへ前進したい。(道)

◆寸鉄

「臆病にては叶うべから
ず」御書。挑戦こそ青年の
特権だ。大胆に動き語れ
     ◇
多忙な時節ほど連絡・報
告を密に。団結の要だ。
正副リーダーが心合わせ
     ◇
個人会場は地域を照らす
宝城なり。提供者・ご家
族に感謝を。皆で守ろう
     ◇
デマが社会狂わす時代。
出元や複数の情報を必ず
確認。周囲に伝える前に
     ◇
12月は詐欺件数が急増。
手口は更に巧妙化。自分
は大丈夫の油断排し撃退

◆社説 「令和」を生きる若者たちへ  「自尊感情」育むポイント

 先月、日本、米国、中国など9カ国の17~19歳に行われた「社会や国に対する意識調査」(日本財団)が発表され、メディアでも話題になっている。興味深いのは、「自分を大人だと思う」「自分で国や社会を変えられると思う」などの「自身」を問う六つの質問すべてで、日本人の「はい」と答えた割合が最下位だったことだ。
 もちろん、国際的に教育水準が高い日本の若者が、諸外国と比較して客観的に“子ども”であり、“社会を変えられない存在”だとは言い切れない。こうした結果の背景にある一つの要因として、若者の「自尊感情」の低さが考えられるだろう。内閣府が昨年行った若者意識調査の国際比較でも、「自分自身に満足している」などの自己肯定感を問う項目で、満足する割合が一番低かった。
 自尊感情には「自己肯定感」と「自己効力感」があるとされる。“自分が自分であってよいという感覚”が自己肯定感で、自己効力感は“自分ならできるという実感”のことだ。こうした感覚が育まれないと、「自己無力感」が強まる。若者の自尊感情を高めることは、社会全体の大きな課題でもある。
 本紙では、第一線の著名人から「令和」を生きる若者へエールを送ってもらっている(毎週土曜日付12面「スタートライン」)。その中には、自尊感情を高めるポイントがちりばめられているので、ここでいくつか紹介したい。
 まず“周囲と比較せず自分を認めること”。「今の若い人は、周りと自分を比べ過ぎてしまうところがある」とは、ラグビーW杯2019アンバサダーを務めた大畑大介さん。「自分が決めた道を恐ずに一歩一歩進んでいく中で、経験という“引き出し”が増えていく。それが、間違いなく自分の力になる」。『ツレがうつになりまして。』の作者・細川貂々さんは「“ここまでできた”と自分を認めていくことが大切」と語る。
 もう一つは“達成感を味わう工夫”だ。日本の教育界やスポーツ界では、高い目標を立て、失敗した時に自己を否定してしまう傾向が強い。テニスの錦織圭選手の指導に携わった故・柏井正樹さんは「ハードルを下げ、達成感をプレゼントする」点を強調。元新体操日本代表選手の畠山愛理さんも“小さな目標達成”を積み上げる工夫を訴える。
 他人が気になり、生真面目で自分を否定しがちな日本の若者たち――そんな将来を背負う世代に、もっと自信を持ってもらうため、励ましを送ることも必要だろう。本紙でも、デジタルコンテンツと併せ、引き続きさまざまな角度で青年へのエールを発信し続けていきたい。

◆きょうの発心 四条金吾殿御返事 負けじ魂を胸に職場で実証示す 2019年12月13日
御文 ただ心こそ大切なれ、いかに日蓮いのり申すとも不信ならばぬれたる・ほくちに・火をうちかくるが・ごとくなるべし、はげみをなして強盛に信力をいだし給うべし(四条金吾殿御返事、1192ページ・編1219ページ)
通解 ただ心こそ大切である。いかに日蓮が祈っても、あなた自身が不信ならば、濡れている火口に火を打ちかけるようなものである。勇んで強盛に信力を出しなさい。

負けじ魂を胸に職場で実証示す
 強盛に大信力を出す、信心の一念の大切さを教えられた御文です。
 幼少の頃、わが家は、母が大B担(現・地区婦人部長)として奮闘。姉と私の部屋は、広布の会場を兼ねており、地域の同志のにぎやかな笑い声が絶えなかったことを覚えています。
 母は晩年、父の老老介護で苦労しましたが、家族と地域の皆さまの激励とサポートのおかげで、最期まで広布に生き抜くことができました。
 私も、合併による企業再編で退職を余儀なくされるなど、激動する社会の厳しさにもまれましたが、創価高校時代に創立者・池田先生に教えていただいた「負けじ魂」を胸に、再就職した職場で実証を示してきました。
 草創以来の多くの先輩の奮闘のおかげで大発展した清瀬常勝区は、本年10月に新たな体制で出発しました。先生と草創の同志への報恩感謝の思いを断じて忘れることなく、清瀬広布の新時代を築いてまいります。
   東京・清瀬常勝区本部長 矢口理史


【聖教ニュース】

◆音楽で心結ぶ――民音が海外派遣公演  2019年12月13日

 “音楽交流こそ、世界中の人々の心を結び、平和建設の一助となる”――創立者・池田大作先生の理念のもと、世界中に友情の絆を結ぶ民主音楽協会(民音)。
 その民音による海外派遣公演が、台湾と韓国で開催され、大きな反響を呼んでいる。

台湾 「情熱フラメンコ」に喝采
台湾で行われた「情熱フラメンコ」のコンサート。軽快なリズムを刻む華麗なダンスが観衆を魅了した(台北市内で)

台湾で行われた「情熱フラメンコ」のコンサート。軽快なリズムを刻む華麗なダンスが観衆を魅了した(台北市内で)

 台湾での派遣公演は11月23日から12月5日まで、台湾SGI(創価学会インタナショナル)の文化団体である創価文教基金会の主催で行われた。
 出演したのは、創立50周年を迎えた「小松原庸子スペイン舞踊団」。「情熱フラメンコ」のタイトルで、本場・スペインで活躍する舞踊手など、6人のアーティストと共演し、誰もが耳なじみのある歌劇「カルメン」より「闘牛士の歌」をはじめ、フラメンコの伝統楽曲など十数曲を披露した。
 ステージを所狭しと、時にしなやかに、時に力強く舞う情熱のパフォーマンスに、観衆からは「オーレ!」との称賛の掛け声と、喝采が送られた。
 12月4日に、台北市で行われた公演には、中国科技大学の唐彦博学長はじめ、多数の来賓が出席。唐学長は、「エネルギーあふれる最高の芸術でした。池田博士が強調される『文明の対話』を体現する出演者たちと、心の交流をした思いです」と感想を語った。
 同コンサートは、台湾4カ所で全8公演を行い、延べ1万2000人が鑑賞した。
 
韓国 日韓の伝統楽器が共演
韓国での民音派遣公演。日韓両国の演奏家の友情のハーモニーに盛大な拍手が送られた(ソウルの在大韓民国日本国大使館公報文化院で)

韓国での民音派遣公演。日韓両国の演奏家の友情のハーモニーに盛大な拍手が送られた(ソウルの在大韓民国日本国大使館公報文化院で)

 韓国の派遣公演は、12月3日にソウルの在大韓民国日本国大使館公報文化院で、4日に江南区民会館で開催された。
 箏の演奏家・伊藤江里菜氏や、韓国古来の弦楽器「カヤグム」の一流奏者であるJU BORA氏をはじめとする気鋭の女性演奏家5人が共演。コンサートでは、日韓両国の名曲をそれぞれの伝統楽器で演奏した。
 文化の共通性を表現し、心と心をつなぐ音楽の魅力を伝える工夫を凝らしたステージ。プログラムが進むにつれ会場は一体となり、フィナーレで、両国のアーティストが一緒に、日本の唱歌「さくらさくら」と、朝鮮半島を代表する民謡「アリラン」を奏でると、観客から惜しみない拍手が送られた。
 観客からは、「想像を超えるハーモニーの美しさに心が震えました」「両国の演奏家の調和のステージに明るい未来を見た思いがしました」等の声が寄せられた。


◆師走のコールドムーン――「創価学会 世界聖教会館」から撮影 2019年12月13日

 師走の満月は「コールドムーン」。東京・信濃町の「創価学会 世界聖教会館」から東天を望むと、東京スカイツリーの彼方に、その優しい姿が浮かんでいた(12日午後5時00分)。幸の輪を広げようと、一年を走り抜いた友にほほ笑みかけるかのように――。


◆台湾SGIに行政院の各部から相次ぐ顕彰――平和・文化・教育運動を高く評価

台湾の陳建仁副総統㊧から、同SGIの代表に「社会団体公益貢献賞 金賞」が手渡された(台北市内で)

 「良き市民たれ」との池田先生の指針を胸に、台湾SGIの友は長年にわたり、平和・文化・教育運動を積極的に推進してきた。こうした取り組みに対する共感と称賛の声は、枚挙にいとまがない。
 本年夏、目覚ましい社会貢献を果たした団体に贈られる「宗教公益賞」が、台湾の行政院内政部から同SGIに授与。続いて、次の各賞の授与式が、それぞれ台北市内で行われた。

 内政部が、約1万8000の公益的な団体から選ぶ「社会団体公益貢献賞 金賞」(9月10日)、同院文化部の「文馨賞 金賞」(11月19日)、同院教育部の「社会教育貢献賞」(12月5日)である。
 台湾SGIはこれまで、小・中学・高校等で著名な芸術家の作品を紹介する「移動美術館」や、学習環境が整っていない離島や山間部で教育を支援する「創価歓喜サマーキャンプ」などを、各地で実施してきた。
 こうした芸術・文化振興の多彩な運動、青少年の育成への寄与などが高く評価され、これらの賞の受賞に至ったのである。

 「社会団体公益貢献賞 金賞」の授与式では、台湾の陳建仁副総統があいさつ。
 副総統は、「公益活動」において重要なのは、一人でも多くの人が慈悲と慈愛の心で、社会福祉のために寄与することであると強調。台湾SGIをはじめ受賞団体の活動が、地域社会にさらなる希望を届け、より良い未来を開きゆくことに、大きな期待を寄せた。

◆世界の模範と希望たれ!――イタリアで全国・州幹部研修会

師弟勝利の誓いにあふれたイタリア全国・州幹部研修会。タカハシ欧州議長らがあいさつした(ローマ文化会館で)

師弟勝利の誓いにあふれたイタリア全国・州幹部研修会。タカハシ欧州議長らがあいさつした(ローマ文化会館で)

 イタリア創価学会の全国・州幹部研修会が11月30日と12月1日、ローマ文化会館で開かれた。
 これには池田先生が万感のメッセージを贈り、「世界の模範と希望のイタリア家族たれ!」と呼び掛けた。
 研修会では、アプレア会長が、師弟不二の信心の団結をと述べ、谷川主任副会長が、御本尊根本、御書根本で、師と共に広布に生き抜く人生をと望んだ。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈識者に聞く〉気候変動への対応と対策――ローマクラブ共同会長 サンドリン・ディクソン=デクレーブ氏

13日まで国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議(COP25)

 国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議(COP25)が、きょう13日(現地時間)までスペインの首都マドリードで行われている。
 これには宗教間グループの一員としてSGIの代表も出席した。
 森林火災や大型台風をはじめ、気候変動がもたらす被害がさまざまな形で深刻化する中、「気候危機」や「地球的危機」を宣言する国も出ており、早急な行動が求められている。
 1972年に『成長の限界』を発表し、資源の有限性を警告した世界的研究機関「ローマクラブ」で共同会長を務めるサンドリン・ディクソン=デクレーブ氏に、国際社会の対応と対策について聞いた(聞き手=南秀一)。

「“危機からの脱出”のためには、今、行動を起こす必要があります」
 ――現在、COP25が行われています。9月にはグテーレス国連事務総長の呼び掛けで「気候行動サミット」が開催され、関連会合にSGIの代表も出席しました。気候変動への現在の国際社会の対応を、どう評価されていますか。
 
 [共同会長] 気候行動サミットについて言えば、1年に及ぶ準備の過程で、グテーレス事務総長は議論にとどまらない「行動志向」のサミットにするべく手を尽くされたと思います。
 しかし、各国から提出された取り組みの具体案は、不十分と言わざるを得ないものでした。気候変動問題に携わってきた立場から言えば、多くの政治指導者たちは危機意識を十分に共有しておらず、今後10年の行動計画についても満足とは言いがたい内容でした。
 人々はすでに気候変動がもたらす被害を認識し始めています。ローマクラブとしては特に今後10年の取り組みにおいて、多くの人々を巻き込み、共に行動し、危機から抜け出す方途があると伝えていくことに注力していきます。
 私たちは、この“危機からの脱出”というメッセージを強調しています。そのためには今、行動を起こす必要があります。レジリエンス(社会を回復する力)を高める基盤を確立し、温室効果ガスの影響を軽減する行動が欠かせません。
 そうした対策を進める上で、国際レベルでは今後も、国連を軸にした取り組みが重要でしょう。海をはじめ公共領域での対策についても議論を重ねなければなりませんから、一国の範疇にとどまらない国際的な枠組みが必要になります。
 まず各国が対策を始めることに同意するよう、国際的に働き掛けていく。そして開かれた議論の土台を準備した上で、それを国や地域が後押しする仕組みを整備していくことでしょう。
「化学燃料産業への助成金を再生可能エネルギーの開発に回すなどの取り組みが急務です」 南アフリカのケープタウン郊外で11月に行われたローマクラブの年次会合。SGIの代表も出席した

南アフリカのケープタウン郊外で11月に行われたローマクラブの年次会合。SGIの代表も出席した

 ――昨年、ローマクラブは気候変動対策の行動指針として「気候危機プラン」を発表されました。

 
 [共同会長] ええ。地球温暖化対策の国際枠組みである「パリ協定」で定められた目標の達成に向け、10の優先行動を呼び掛けたものです。
 この気候危機プランの発表後も、国連事務局などとさらに協議を重ね、クラブではこのほど「地球的危機プラン」を発表しました。
 気候と共に生態系にも焦点を当て、人間と地球、気候変動の関係性に目を向けています。同プランでは最重要の提言として、石油や石炭などの化石燃料産業への投資を止めるよう求めています。これらは気候変動と生態系の双方に影響をもたらすからです。
 化石燃料産業に支払われる助成金は少なくありません。その分を環境に優しい再生可能エネルギーの開発やシステムの移行に回すべきです。再生可能エネルギーへの移行や開発には多くの資金が必要であり、こうした取り組みは発展途上国において、特に重要になっています。

「社会の変革は、あらゆる人の声に耳を傾けながら連帯を促す方向に進めなければなりません」

 ――68年の創立以来、ローマクラブは科学的知見に基づく洞察を提供してきました。池田先生もローマクラブの歴代の会長と対話を重ねてきました。誕生から半世紀がたち、改めてその役割についてどのようにお考えでしょうか。

 [共同会長] 72年にローマクラブが発表した第1回の報告書『成長の限界』は、最終の廃棄段階でのみ環境負荷を減らす「エンド・オブ・パイプ」をやめ、消費の在り方を見直し、生き方を考え直すよう訴えるものでした。人口増加と人間が地球に与える負荷に目を向けるよう、クラブとしては引き続き呼び掛けていきます。
 その上で、現在を生きる私たちの使命は、ポピュリズム(大衆迎合主義)の台頭に象徴されるような、社会の重要な決定から疎外され、権利を奪われたと感じている人たちを巻き込み、語り合っていくことだと思っています。
 フランスでは、生活に窮している中で燃料にこれ以上、税金を払えないと抗議する「黄色いベスト運動」が起こっています。彼らの声にも、よく耳を傾けなくてはなりません。
 社会の変革は、連帯を促す方向に進めなければなりません。貧しい人が最も苦しむ社会になってはならないし、低炭素社会が“エリート”だけが目指すものになってもならないのです。
  
「行動を起こす若い人と、それほど若くない人(笑い)の双方が、互いに学び合うことが大切です」

 ――気候変動対策を求めて、世界各地で若い世代が行動を起こしています。

 
 [共同会長] 彼らは未来そのものですから、私たちとしても青年たちの活動に注目しています。ですが同時に、のみ込まれてもいけないと思っています。
 必要なことは、世代を超えた対話であり、若い人と、それほど若くない人(笑い)の双方が、互いに学び合うことを通して、私たちがどこで道を誤り、どこで成功したのかを知ること。そして、これまでの成功の上に新しいものを積み上げていくことでしょう。
 その意味で、怒りを表すだけではなくて一緒に行動しよう、今、取らなくてはならない行動や解決策を一緒に取っていこう、と青年たちに伝えることが大切なのです。
「市民社会の皆さんが知見を共有し地域や国際社会と協働していくことが一段と重要になっています」


 ――核兵器を巡る議論では市民社会の連帯が大きな推進力になってきました。気候変動対策において市民社会はどのような役割を果たすでしょうか。
 
 [共同会長] 「パリ協定」の策定は、非国家主体が協力して声を合わせていったプロセスでした。今や非国家主体は特定のNGOだけを指すものではなくなっています。
 その中には当然、宗教リーダーもいます。SGIの皆さんも参加されている、諸宗教からなるコミュニティーによる取り組みは重要です。
 気候変動への対応は国や地域ごとに状況は異なりますから、皆さんの知見を共有し、地域や国際社会と協働していくことは一段と重要になっています。

「“何もしないこと”のリスクは、行動を起こすことによるリスクよりも、はるかに高いのです」

 ――気候変動問題への意識を啓発するに当たり、どのような声を上げていくことが効果的でしょうか。

 
 [共同会長] もし今、行動しなければより大きな困難が待ち受けています。気候変動がもたらす被害は日本も無関係ではいられませんし、それは、皆さんもよくご存じでしょう。
 何もせずに状況が改善していくことはありません。“何もしないこと”のリスクは、行動を起こすことによるリスクよりも、はるかに高いのです。
 私たちには、より良い生活を送る権利があります。個々人の行動は重要であり、変化につながるものですが、その上で指導者たちに、そうした声を届けていくことも不可欠でしょう。

◆〈虹を懸ける〉 池田先生とパラグアイ ① 信仰とは「立ち上がる力」

イグアスの滝の前で演奏するパラグアイ音楽隊(1974年) 

チャベスやフラム移住地のメンバーが活動するエンカルナン地区の座談会。パラグアイ広布の源流の地である(本年8月)

 本年は日本と南米パラグアイの外交関係樹立100周年である。戦後の日本人移住者が切り拓いたパラグアイ広布の歴史と、師弟のドラマを紹介する。覚悟を決める
 パラグアイ広布の歩みは、戦後の日本人移住者と共にある。
 1950年代半ば、日本からチャベスやアマンバイ、フラム(現在のラ・パス)、60年代には、ピラポやイグアスなどへの入植が始まった。しかし、日本政府の不十分な計画によって、現地での受け入れや分譲地準備などが進んでいなかった。
 日本人移住者たちは自ら原生林を切り拓きながら、自給自足の生活を余儀なくされた。
 55年4月、9歳のカオル・クリタさん(パラグアイSGI名誉理事長)は、一家7人でチャベスへ移住した。
 神戸を船でたち、大波に揺られながら、約80日間。移住地に着いたのは夜だった。電気や水道どころか、家も道もなかった。天幕を張って雑魚寝した。
 「“ザーザー”と音がしたので、雨かと思って起きたら、地面をアリの大群が移動する音でした。何もないジャングルでの生活が始まったのです」
 ここまできて後戻りはできない。クリタさんは、子どもながらも、この地に骨を埋める覚悟を決めた。その後、苦学の末に夜学を卒業し、アスンシオンで雑貨店を始めた。しかし、人にだまされ、多額の借金を背負うことに。どん底だった68年、クリタさんは学会に入会する。22歳の時だった。
 以来、信心一筋に人生を開いた。37歳で理事長に就任し、2013年までの約30年間、指揮を執った。
 現在も、後任のヒロシ・カタオカ理事長を支え、後継の人材育成に尽力している。

第1回地区総会
 移住者の中には、日本で入会し、海を渡った学会員がいた。彼らはそれぞれの移住地で活動を開始していた。
 1961年8月、パラグアイ地区が結成。第1回地区総会(同年10月)が行われたのは、ピラポ移住地のケンジ・ヤマモトさん(同副理事長)の自宅だった。当時、小学生だったヤマモトさんにとっても、忘れられない一日となる。
 「30人ほどが、わが家に集まりました。これだけの同志が、ここにいると思うと、うれしかったです」
 ヤマモトさんの父・クニオさん、母・ハルコさん夫妻は、山梨で八端織りの染色工場を営んでいたが、化学繊維に押され、工場をたたむことに。その頃、仕事仲間から折伏を受け、60年2月、一家で入会している。「当時、ラジオで『虹の国パラグアイ』などと移住の宣伝をしていました。でも、現実は『虹の国』とは、ほど遠い状況でした」(ケンジ・ヤマモトさん)
 それでも、クニオさん夫妻は、揺るがなかった。“今いる場所が使命の舞台”と決め、この地にパラグアイ広布の礎を築いてきた。
 ヤマモトさんはそんな父母の背中を見て育ち、同国の男子部長、青年部長等を歴任。副理事長として同志の激励に走りながら、この8年間で10世帯の個人折伏を実らせている。

移住から60年
 フラム移住地のテツオ・アタギさんも、第1回地区総会に参加した。愛媛で育ち、炭焼きで生計を立てていた。57年、家庭の悩みで入会。聖教新聞で信心を学んできた。59年、戦後の経済苦の中で、移住を決断した。
 段ボールに聖教新聞を詰め込み、妻と2人の子を連れてパラグアイに渡った。
 アタギさんは毎日、入植者の家を片っ端から訪ね、仏法を語った。学会員と巡り合うと、抱き合い、固い握手を交わした。
 ある時、空に懸かった美しい虹に目を奪われた。「手を伸ばせば届きそうな、大きな虹でした。あの虹のように晴れ晴れと生きていく。そう決めました」
 移住から60年。88歳の今、「こんなに、いい場所はないですよ」と感慨を込める。
 息子のタカシさんは支部長、孫娘のジェシカさんは女子部部長として広布の道を歩む。

故郷を思う
 マツタロウ・ナガサワさんは、アタギさんから折伏を受け、パラグアイで入会した。
 ナガサワさんは59年10月、妻と5人の子どもと共に、盛岡からフラムに移住した。
 長女のユウコ・クリタさん(同総合婦人部長)は語る。「当時、私は13歳でした。家はない。友達もいない。空を見上げ、“故郷”を思うと、泣けて仕方ありませんでした」
 2年後の61年、ナガサワさんは“幸せになれるならば”と一家で入会。愚直に、学会活動に励んできた。「両親と一緒にランプを首に下げて、学会歌を歌いながら座談会や折伏に向かったことは、金の思い出です」(ユウコ・クリタさん)
 こうした日本人移住者の献身的な努力によって、広布の水かさは着実に増していった。63年8月にはパラグアイ支部が結成された。

冬は必ず春に
 一方で、その後のパラグアイ広布を見据えると、大きな課題があった。隣国アルゼンチン広布が、首都ブエノスアイレス近郊に移住した日系人から始まったのに対して、パラグアイは、移住地に入植した日系人によって仏法が弘められた。
 そのため、首都アスンシオンには、まだ広布の組織がなかった。
 アスンシオン広布の開拓を担ったのがナガサワさん一家だった。「わが家には、壮年部・婦人部・男子部・女子部の各部がそろっていたんです。父は土地を売り、一家でアスンシオン行きを決めました。当然、仕事のあてはありません。でも、『冬は必ず春となる』との御聖訓を胸に、皆で一つ一つ課題を乗り越えてきました」(ユウコ・クリタさん)
 こうして移住地から350キロほど離れたアスンシオンの地にも、広布の灯がともされていったのである。

幸せになれる
 66年3月、日本からの派遣幹部が2グループに分かれて、アスンシオンと、チャベス移住地などを訪問した。
 当時、同国では100世帯ほどのメンバーが信心に励んでいた。
 移住者の生活は、安定とはほど遠かった。
 それでも、学会員は信心根本に現実の荒波に立ち向かっていた。その様子は、小説『新・人間革命』第11巻「開墾」の章につづられている。「そうしたなかで生きる学会員にとって、信仰は『立ち上がる力』であり、困難に屈せぬ『勇気の源泉』であった。だから皆、必死になって、信心に励んだ。同志のなかからは、さまざまな体験が生まれた」
 悪戦苦闘は、同志の信心を強くした。派遣幹部は、彼らの求道心を垣間見て、“まさに世界広布の時は来ているのだ”と感嘆した。
 68年、ナガサワさんをはじめ当時のリーダーは、日本での夏季講習会に参加し、池田先生との出会いを刻んだ。「父は、いつも『池田先生についていけば絶対に間違いない。必ず幸せになれる』と言っていました。“先生をお迎えしたい”――その思いは私たちの目標になりました」(ユウコ・クリタさん)

イグアスの滝
 74年、池田先生は、ブラジルを訪問する予定であった。
 この時、パラグアイ音楽隊は、先生の前で演奏し、パラグアイの同志の心意気を示したいと、ブラジルを目指した。
 しかし、当時は軍事政権下で、学会に対する誤解もあり、ビザが発給されず、先生のブラジル行きはなくなった。パラグアイ音楽隊も、入国を許可されなかった。それでも、ブラジル国境のイグアスの滝までは、バスで入ることができた。
 「よし、ここで演奏しよう! 自分たちの心は、池田先生に届くはずだ」
 音楽隊は、イグアスの滝の轟音と競うかのように、演奏した。
 そして皆、誓った。
 「必ずや池田先生をパラグアイにお迎えしよう!」

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◆〈信仰体験〉筋ジストロフィーの息子に教えられた今、音楽隊の一員として奮闘
   困難を乗り越える力は自分の中に

 【大阪府・熊取
町】当時4歳だった長男が「筋ジストロフィー」と診断された。奥野由美さん(39)=支部婦人部長=は突然の宣告に言葉を失った。あれから12年――。長男・大空さん(16)は公立高校に通う1年生。「皆に感動を送るホルン奏者に」と創価学会の音楽隊員として活動に励んでいる。“希望”を胸に歩んできた一家の奮闘を追う。

■「病気=不幸」ではない
 大空さんの病が判明したのは偶然だった。
 当時1歳だった長女・心愛さん(13)=中学1年=が肺炎で入院。その際、医師が、心さんの血液検査でCKが高いことに首をかしげた。CKは、筋肉細胞のエネルギー代謝に重要な酵素で、筋肉に障害があると、血液中に出現して高値となる。
 身内で筋肉の病気の人はいるかと聞かれ、思い当たる血縁者はいなかったが、「最近、4歳の長男が疲れてくると前のめりに歩くんです」と伝えた。
 後日、検査を受けた大空さんのCKの値は、正常値よりかなり高かった。
 「ベッカー型筋ジストロフィー」と診断される。進行性の筋疾患で厚生労働省の指定難病。徐々に筋力が低下し、将来的には歩行困難となる場合もある。遺伝子治療や再生医療の研究は進んでいるが、現在の医学では、まだ完治は望めない。
 「今後は定期的に観察を続けましょう。激しい運動はさせないようにしてください」
 医師の言葉が胸に突き刺さる。
 “どうして健康な体に産んであげられなかったんやろう……”
 買い物に行く時も、家事をしている時も、自然と涙があふれてくる。一方、大空さんは相変わらず元気に遊び回り、楽しそうな笑顔を向けてくる。
 “こんな弱い母親でごめん。泣いてばかりじゃ、何も変わらないよね……”
 わが子が励ましてくれているようだった。
 奥野さんは、真剣に題目を唱えるようになった。小説『新・人間革命』第10巻「桂冠」の章の一文を何度もかみ締めた。
 「病気だから不幸なのか。決して、そうではない。病に負けて、希望を失ってしまうから不幸なんです。広布の使命を忘れてしまうから不幸なんです」
 “私自身の信心が、もう一度試されているんだ”
 御本尊に向かう姿勢が変わった。

■足が遅くて何が悪いん?
 かつて奥野さん自身、てんかん発作を起こしたことがあった。看護学生だった20歳の時。原因は不明。
 その2年後には、太さん(39)=男子地区リーダー=と結婚し出産。長男の育児疲れからか、心身の不安定さは増した。
 足しげく励ましに訪れてくれる人がいた。地域の婦人部の白ゆり長だった。一緒に題目を唱え、悩みに耳を傾けてくれた。
 御書をひもとき、「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」(1124ページ)の一節を心に刻んだ。
 小説『新・人間革命』を読み、励みとなる言葉を心肝に染めていった。
 奥野さんは夫の両親や職場の同僚、友人を次々と折伏。
 そして26歳の時、担当医から「何年も発作が起きていない。完治としかいいようがない」と告げられる。
 わが子の病が分かったのは、その翌年のこと――。
 “もう一度、私が真剣になって折伏に挑戦するんだ!”。これまで7人を入会に導いている。
 子どもには、池田先生著作の絵本を、毎日のように読み聞かせた。
 大空さんが小学校に通い始めてからは、『新・人間革命』を読んで聞かせた。
 家族そろって勤行・唱題し、座談会や本部幹部会の中継行事にも皆で参加した。
 大空さんは自らの足で登校。他の子と変わらない学校生活を送っていく。
 ある時、「『おまえ、のろいねん』って友達に言われたけど、『足が遅くて何が悪いん?』って言い返したった」と話してくれたことがあった。
 つらいこともあったであろう。そんな日も、めげずに帰ってくる姿に、「励まされることも多かった」と奥野さんは振り返る。

■感動与える演奏者になる
 小学5年になったある日。学校から突然、電話が掛かってきた。
 「大空君が体育の授業中に足を痛がって、グラウンドでうずくまってしまいました。今すぐ来られますか!?」
 車いすに乗せて病院へ。主治医からオーバーワークを指摘され、今後は車での登下校にし、体育の授業は控えるようにと言われた。
 運動を制限され、勉強にも、いまいち熱が入らないわが子を見て、何かの機会になればと関西創価学園のオープンキャンパスに参加。吹奏楽部の演奏に、強烈な印象を抱いたようで、今までになく目が輝いていた。
 「僕も人に感動を与えられるような演奏がしたい」と、中学に進むと吹奏楽部に入部。楽器は肺活量を必要とするホルン。
 諦めずに練習を繰り返し、2週間かかって音を出せるようになった。
 初めての演奏会。ホルンを吹く息子の姿に、奥野さん夫妻の目に涙が光っていた。
 3年生になってから音楽隊「堺泉州シンフォニックバンド」に所属。御書と聖教新聞、楽器を持って練習へ。
 「『全てに勝ちきって出動に臨むんや!』って、よく先輩に言われています」と大空さん。今年10月には「堺まつり」に出演。
 学会の会合で耳にする「勝つ」という言葉が、「自分に勝つ」という意味であることが最近、分かってきたという。
 ここ数年、病状は進んでいない。日常生活に支障をきたすような症状もみられない。
 筋ジストロフィーの研究は今、急速に進んでおり、近い将来には新しい治療法での臨床試験も始められようとしている。大空さんはその治験を進めるための患者登録も行っている。
 希望を抱いて今日一日を歩む奥野さん一家。「困難を乗り越える力は自分自身の中にある」との確信に揺るぎはない。

2019年12月12日 (木)

2019年12月12日(木)の聖教

2019年12月12日(木)の聖教

◆わが友に贈る

   「法華経の行者は
 日輪と師子との如し」
 太陽のごとく朗らかに
 師子のごとく勇敢に
 仏縁拡大に挑みゆこう!
 (御書P1219)

◆名字の言

近年、作物に悪影響をもたらす天候不順が“例外”ではなく“日常”となり、その対策に頭を抱えることが多くなった――農家の方がこう嘆いていた。仲間と話し合った結論は「いかに健康な根をつくるか」だった。健康な根であれば多少の天候不順は乗り越えることができる、と▼では、根を強くするにはどうすればいいのか。北海道のベテラン野菜農家は、根の“すみか”となる「土」が鍵になると教えてくれた▼「目には見えませんが、土の中にはたくさんの微生物が暮らしています。そこに根が張るということは、空気や水などを提供する“通路”ができるようなもの。微生物たちの生活環境が変化しますから、彼らがよりすみやすい環境に整えることが基本です」▼植物も土も生きている。だからこそ、互いが共存できる環境づくりが大切ということだろう。共生の視点で工夫を重ねたこの野菜農家は、時間はかかったが、土も根も健康になり、おいしい野菜が安定供給できるように▼御書に「心すなはち大地・大地則草木なり」「白米は白米にはあらず・すなはち命なり」(1597ページ)と。草木も土も、そして人も、かけがえのない命。目に見えない部分を想像する力、目に見えない部分を大切にする心配りが共生の大地をつくる。(側)

◆寸鉄

「神の護ると申すも人の
心つよきによる」御書。
どこまでも強盛な祈りで
     ◇
中部広布原点の日。同志
の心に拡大の誓い赤々。
明年の勝利も堅塁城から
     ◇
折伏に精進する者は学会
の重鎮―戸田先生。幹部
は懸命に挑む友に最敬礼
     ◇
静岡女子部の日。正義の
対話を広げる華陽姉妹。
貴女の前進が地域の希望
     ◇
この1年であおり運転を
受けた―35%。躊躇せず
110番通報を。断じて追放

◆社説 各地で新任リーダーが奮闘  目標へ率先と誠実の行動で勝て

 今、全国で広布拡大へ先頭を走る新任リーダーの清新な息吹が輝く。
 10月に任命を受けた第2総東京の総区男子部長は、創価学会創立記念日を前に、15年にわたって対話を続けてきた北海道のいとこに御本尊流布を結実。同時に夫人と3人のお子さんも入会に導いた。
 実は、7月末にも北海道で対話をしたが、入会には至らなかった。そんな中、10月、いとこの母にがんが見つかる。すぐに電話が掛かってきた。男子部長の全魂の励ましに触れ、いとこは「やっぱり、信心をやろうと思う」と入会を決意。その後、母の手術も無事、成功した。
 「諦めないで対話を続けることができたのは、同志の励ましがあったからこそ。また入会記念勤行会では、北海道の地元の皆さまや私の両親にもお世話になりました。本当に感謝でいっぱいです」と語る男子部長。リーダー率先の行動が今、総区内の男子部大学校生などメンバーに勇気の波動を広げている。
 広布のリーダーの「勝利の要諦」とは何か。小説『新・人間革命』に、こうつづられている。まず「率先の行動」について、「人を燃え上がらせるためには、まず、リーダーが自らの生命を完全燃焼させることだ。人を動かすには、自らが動き抜くことだ」(第6巻「加速」の章)と。率先の行動の裏付けがあってこそ、リーダーの言葉は友の胸に響く。
 次に「誠実」であること。具体的に2点示されている(第26巻「奮迅」の章)。「まず、人の利点を生かそうとする努力を続けていくことです」。欠点ではなく、良い点を見つける。それが誠実であると。「二つ目に、約束は必ず守ることです」。“多忙さゆえに約束を守れないことがあっても仕方がない”という考えは、リーダーの甘えであり、信頼を損なってしまうことを銘記したい。
 そして「目標をもつ」ことである。欧州広布の草創のリーダーへの指導に、こうある。「広宣流布を進めるうえで大事なのは、常に目標をもつということです」「目標があれば、未来への希望が湧いてくるし、力も出る。また、みんなが、定めた目標を必ず達成しようと思うならば、おのずから、団結も生まれてくる」(第9巻「光彩」の章)と。
 その目標も、だれかに言われて、やるのではない。弟子が自ら師匠に誓い、自ら願って実践していく。そこに勝利の要諦がある。「“師匠が見ておられる。勝利を待ってくださっている”というのが、私の力の源泉だった」(第28巻「大道」の章)とつづられている。
 “断じて師匠に勝利の報告を”との決意で奮闘する、各地の新任リーダーに心を合わせて進んでいきたい。

◆きょうの発心 崇峻天皇御書 2019年12月12日

御文 人身は受けがたし爪の上の土・人身は持ちがたし草の上の露、百二十まで持ちて名を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ(崇峻天皇御書、1173ページ・編1038ページ)
通解 人間に生まれることは難しく、爪の上の土のようにまれであり、その身を全うするのは難しく、草の上の露のようにはかない。120歳まで長生きしても悪い評判を残して終わるよりは、生きて一日でも名をあげることこそ大切である。

亡き親友が教えてくれた「信心」
 使命に生きる大切さを教えられています。
 私の原点は、1986年(昭和61年)、創価班大学校生(当時)として薫陶を受けていた時のこと。仏法対話をしていた親友が“工場の屋根から転落し、意識不明の重体”との連絡が来ました。先輩が「今こそお題目だよ」と激励してくれ、その場にいた未入会の友人も、親友の回復を祈ってくれました。しばらく予断を許さない状況が続きましたが、毎日、友人たちと唱題会を開きました。その中で友人5人が入会したのです。
 親友はこのことを見届けるかのように1カ月間、更賜寿命し、霊山へ。「親友が命懸けで信心の素晴らしさを教えてくれた。彼の分も広布に生き抜こう」と腹を決めました。当時の決意を忘れることなく、この御文を胸に、明「前進・人材の年」も、勇気の祈りと励ましで大勝利します。
 第5千葉総県書記長 佐々木洋一


【先生のメッセージ】

◆〈池田先生と共に 新時代を築く〉 若々しく福運に満ちて! 2019年12月12日

 御聖訓に「深く信ずる者は満月の闇夜を照すが如し」(御書1501ページ)と。
 今日は、今年最後の満月。御本仏が、広布に走り抜いた創価家族を微笑み御照覧くださっているであろう。
 
 婦人部の「ヤング白ゆり世代」の誕生、おめでとう!
 日蓮大聖人は、この世代の女性たちを、誠にこまやかに激励なされていた。
 「年は・わかうなり福はかさなり候べし」(同1135ページ)
 この御文を賜ったのも、まさに「ヤング白ゆり世代」に当たる日眼女(四条金吾の妻)である。
 若々しく、福運に満ちた歓喜の大行進を、皆で応援していきたい。
 この日眼女への御書では「法華経を持たせ給う人は一切衆生のしうとこそ仏は御らん候らめ」(同1134ページ)とも仰せである。
 妙法流布に生きる人こそ、まさに「一切衆生の主」であり、人々を幸福と平和へリードする宝の存在なのだ。
 
 災害の多発した、この一年、わが宝友たちは、地域でも、職場でも、社会でも、なくてはならない依怙依託として奮闘してくれた。
 人知れぬ陰の献身、言い知れぬ苦労の積み重ねを、御本仏はお見通しである。
 生命の峻厳な因果の理法を象徴する同生天・同名天の働きも、日眼女へ語られた励ましであった。
 私たちも、同志の功労を見逃さず、ねぎらい、讃え、宣揚して差し上げたい。それが同生天・同名天の力用に通ずるからだ。

 誰しも現実は、さまざまな課題が絶えない。
 釈尊の弟子の須達長者夫妻も、「七度貧になり」(同1574ページ)という波乱の連続であった。その最も厳しい苦境の時に、身命を惜しまず師匠を守り抜いた福徳で、祇園精舎を寄進する大長者になったと説かれる。
 苦難の一つ一つに挑み、学会活動に励む。大変だからこそ、無量の「心の財」を積み、境涯を大きく変えられるのではないだろうか。
 
 戸田先生が語られていたご指導が思い起こされる。
 ――たった一人でもよい。その一人の人に、本当の妙法蓮華経を説く。心から話し合い、感激し合って帰ってくるんだよ、と。
 会えば、心が通う。語れば、胸に響く。よき出会いから、新たな価値が創造される。
 
 大聖人は「今年御つつがなき事をこそ」(同1097ページ)と、門下の無事安穏を祈念してくださっている。
 油断なく健康第一、絶対無事故で、大勝利の一年を飾りたい。そして、勇気と希望の連帯を広げゆこう!


【聖教ニュース】

◆インドが創価菩提樹園で総会   2019年12月12日
 池田先生がメッセージ贈る

本年9月に開館した池田講堂の前で、インド総会の参加者が誓いに燃えて。一人一人が自身の人間革命に挑み、明「前進・人材の年」へ、さらなる躍進を果たしゆくことを約し合った(創価菩提樹園で)

本年9月に開館した池田講堂の前で、インド総会の参加者が誓いに燃えて。一人一人が自身の人間革命に挑み、明「前進・人材の年」へ、さらなる躍進を果たしゆくことを約し合った(創価菩提樹園で)

 世界広布をけん引するインド創価学会(BSG)の「世界広布新時代 第7回総会」が1日、全土から4000人の代表が出席し、ニューデリー近郊にある創価菩提樹園の池田講堂で開催された。
 これには、池田大作先生が万感のメッセージを贈り、模範の前進を続ける友を心からたたえた。
 総会は全国270会場に同時中継され、合計約1万人が参加。師弟共戦の決意を胸に、明「前進・人材の年」へのスタートを切った。

人間革命と広布の黄金の歴史を
 本年は、BSGの広布史に燦然と輝く一年であった。
 9月には、創価菩提樹園の池田講堂とBSGの新本部が落成。これらの新宝城は、「仏法源流の天地」に希望と幸福の哲理を広げてきたBSGの発展の象徴であり、師弟一体の前進の象徴である。
 また9月と11月に、インドの三つの名門大学から池田先生に名誉博士号が贈られた。創価の人間主義の運動への称賛は、一段と高まっている。
 池田先生は、総会に寄せたメッセージで友に呼び掛けた。
 「いよいよ我らインド創価学会が、人々の希望と励ましの灯台として、地域のため、社会のため、人類のために大きく貢献していく時代に入りました。どうか皆さんは、ますます仲良く、異体同心の団結で平和と幸福の連帯を広げながら、自身の人間革命と広宣流布の黄金の歴史をつづっていってください」

 総会では、青年部有志が躍動のダンスを行い、婦人部の「サンシャイン合唱団」が記念の合唱を披露。
 ナンギア女子部長のあいさつの後、代表4人が信心を根本に病苦や経済苦を勝ち越え、使命に生きる喜びを発表した。
 続いてカンドゥーリー壮年部長が明年の活動方針を発表。アフジャ婦人部長が団結固く、明「前進・人材の年」を勝ち開こうと訴え、グプタ議長が、「アイ アム シンイチ・ヤマモト!(私は山本伸一だ!)」の精神をたぎらせ、師弟共戦の新たな歴史を築こうと呼び掛けた。

◆新春の箱根駅伝へ――創価大学で壮行会行う  2019年12月12日

 創価大学の箱根駅伝壮行会が11日、東京・八王子市の同大学で行われた。
 多くの声援に包まれる中、新春の大舞台に挑むエントリーメンバー16人が入場。
 奥富学生部長のあいさつなどの後、築舘陽介主将が“チームの全選手、マネジャー、スタッフ、応援してくださる方々の思いをタスキに込めて走ります”と決意を述べた。
 榎木和貴監督は“創大らしく積極的な走りで、皆さんに元気と勇気を届けたい。一丸となって戦い抜きます”と語った。
 ガイドブック「創価大学駅伝部 箱根への道2020」が潮出版社から発刊され、全国の書店で好評発売中。990円(税込み)。

◆歓喜が輝く座談会――原田会長は東京・豊島区に

原田会長が出席した上池袋地区の座談会。未来部員ら8人が「心の財」についての紙芝居を行った(東京・豊島区内で)

 本年を勝ち飾った友の歓喜輝く座談会が、各地で行われている。
 原田会長は11日、東京・豊島戸田区の上池袋地区の集いへ。
 未来部員が多く、青年部や「ヤング白ゆり世代」の活躍が著しい同地区。町内会の活動など地域貢献に励む友も多く、信頼の裾野を大きく広げている。
 集いでは、男子部の工藤直彦さんが病を乗り越え、仕事や家庭で実証を示した体験を発表。
 柄沢栄一地区部長、百瀬音江同婦人部長は、勇気の折伏に取り組み、明年へ心一つに進もうと訴えた。
 原田会長は、参加者一人一人に声を掛けながら懇談的に語らいを。信心の根を強く深く張り、師弟不二の精神で未来を開きゆく挑戦をと呼び掛けた。


【特集記事・信仰体験など】

◆インタビュー 平和教育研究者 ベティー・リアドン博士 「暴力の文化」を変革
 連載企画「私がつくる平和の文化」から

 「私がつくる平和の文化」第12回のテーマは「『暴力の文化』を変革」。登場していただくのは、国際平和教育研究集会(IIPE)および平和教育地球キャンペーン(GCPE)の名誉創設理事であるベティー・リアドン博士です。平和教育の第一人者である博士に、暴力を乗り越えるために必要なことや、「平和の文化」の身近な実践などについて語ってもらいました。(構成=木﨑哲郎、歌橋智也)

 ――現在、私たちを取り巻く社会では「暴力の文化」の様相が強くなっているように感じます。

 博士 私は、暴力とは人間の関係性を壊す、あらゆる行為や態度であると考えています。今、世界中でこの暴力が広がっています。多様な人々がつながり合って一つの人類という“家族”を構成しているということを想像し、認識することができないために、暴力を使うのです。自然界と同じように、人間にとっても「違い」は私たちを豊かにし強くしてくれるものです。暴力は、人間や自然界の多様性や活力を弱めてしまいます。
 このことが理解できず、自分と異なる人を恐れたり、自分の意のままに従わせようとすることは、人間の関係性を破壊する愚かな行為です。暴力はそれを受けた人だけでなく、それを使った人の生命にも深い傷を残します。
 現在、私たちはソーシャルメディア等を用いて瞬時に人とつながることができます。しかし、相手と心が深く結ばれている実感がないため、多くの人が疎外感を抱きながら生きています。人間関係が希薄だと、自分が暴力を振るった時、相手にどのような結果を招くのか、という想像力も働きにくくなるのです。
 こうした時代にあって、私たちは日々、人間対人間のリアルな関係を強く結び直していくことが大切です。それが暴力を食い止め、「平和の文化」を築いていくことになります。人類が“種”として存続していけるかどうかも、そこにかかっているのです。
  
相手を深く知る「勇気」を


米コロンビア大学で講演する池田大作先生と同席するリアドン博士(右から3人目、1996年6月)

米コロンビア大学で講演する池田大作先生と同席するリアドン博士(右から3人目、1996年6月)

 ――博士のご考察を伺い、池田SGI会長のコロンビア大学ティーチャーズ・カレッジでの講演(1996年6月)を思い起こします。

 博士 平和教育者として、池田会長が世界市民の三つの資質を示されたことに感謝します。一つ目は、生命の相関性を認識する「智慧」。二つ目は、他者との差異を尊重し、成長の糧とする「勇気」。そして三つ目は、人々と同苦し、連帯していく「慈悲」――いずれも、まさに「平和の文化」をつくるために不可欠な資質です。
 私は、特に「勇気」の大切さを強調したい。なぜなら、暴力の根底には「他者への恐怖」があるからです。
 勇気をもって、この恐怖を乗り越え、相手を一歩深く知ろうとすれば、自分とは異なる価値観や、学ぶべきものがたくさんあることに気付きます。人間の差異と向き合い、それを生かして「平和の文化」を構築する――それができる「勇気ある人」を育むことに、私が進めてきた平和教育の焦点もあります。
  
暴力以外の「他の選択肢」を探求
 ――博士はなぜ、平和教育に関心を持たれたのですか?

 博士 私は池田会長と同じように、10代の初めに第2次世界大戦を経験しました。会長はコロンビア大学での講演で、「戦争の残酷さ、愚かさ、無意味さ」を若き命に深く刻んだと語られましたが、戦時中、私も全く同じ感慨を抱き、疑問を持ったのです。「なぜ大人たちは疑うことなく戦争を受け入れているのか」「他に方法はなかったのか」と。当時、この問いに答えてくれる大人は誰一人いませんでした。そこで、自らその答えを求めて学問の道に入り、探求し続けてきたのです。
 そして、戦争を起こさない生き方、武力や暴力を使わない「他の選択肢」を教える「平和教育」の道を開きました。「平和教育」の眼目は、全ての人の生命は平等に尊厳であり、価値があることを教えることです。
 現代は、学校でも社会でも、人々に競争を強いてばかりいます。いかに他の人よりも優れているかを競わせ、勝者と敗者を生み出しています。それでは社会は分断され、不平等になり、差別を生み出していく一方です。そうではなく、いかに他の人と協力し、仲良く力を合わせて生きるかを教えるべきなのです。
誰もが“育てる人”に
 博士 私たちは、他の人、特に子どもたちに思いやりを持って接するべきです。
 全ての人が子どもや青年を大切に「育てる力」を身に付ける必要があるのです。自分に子どもがいる、いないにかかわらず、社会の中で、皆が自分の身近にいる一人一人を励まし、育てることが大事なのです。日頃から若い人に対し、自分がかけがえのない尊い存在であることを教え、その可能性を伸ばすために関わり続けていく――それが「平和の文化」の構築につながっていくのです。
 私には自分の子どもはいませんが、たくさんの子どもたちや青年たちの成長に日常的に関わってきました。そして彼らと共に平和のために行動することが、私の人生に喜びをもたらし、この地球に私が生を受けたことの意味や価値を与えてくれたのです。
  
知恵を使って「対話」の道を開く
 ――「平和の文化」を広げるために、普段からできることはありますか?

 博士 「平和の文化」とは、決して難しいものではなく、日常のちょっとしたことから広げることができます。
 例えば、私も家族や友人にはつい口にしてしまいがちな、「なに、おかしなこと言ってるの?」といった言い方をしないように心掛けています。自分とは違う考え方の人にも、努めて、「面白い意見ね。どうしてそんな風に考えるようになったの?」と聞くのです(笑い)。頭ごなしに否定するのではなく、知恵を使うことで対話の道は開かれ、相手の考えを知ることができます。
 また、地域・社会に積極的に関わり、持続可能な開発目標(SDGs)のために行動し、気候変動の問題や核兵器と戦争をなくすことに取り組むことも大切です。
 人類は多くの課題を抱えています。しかし、どんな時にも希望はあります。勇敢に思慮深く行動する青年たちがいます。そして、私たち一人一人にも、できることはあるのです。私たちの行動で、地球の未来も、人類の未来も開くことができます。だから、勇気を持って行動を起こしましょう。そして行動の中に喜びを見いだしていきましょう。
  
  
ベティー・リアドン 世界的に著名な平和教育の第一人者。コロンビア大学で博士号を取得。長年、同大学ティーチャーズ・カレッジをはじめ世界の数多くの大学で教べんをとり、核兵器廃絶、軍縮、気候変動、ジェンダー平等を中心に平和教育を推進。平和、人権、ジェンダーに関する膨大な著作はアメリカ・オハイオ州のトレド大学に特別記録保管されている。

◆〈座談会〉 仏意仏勅の学会が世界広布を推進 真心の財務に無量の福徳

〈出席者〉原田会長、長谷川理事長、永石婦人部長、西方男子部長、大串女子部長

 長谷川 財務納金の締め切りが間近となりました。皆が無事故で大福運を積めるよう、深く祈り抜いてまいります。
 
 原田 学会の財務は、全て日蓮大聖人の御遺命である広宣流布のためのものです。大聖人は、身延の山中まで供養の品を送った一人の門下の志をたたえられ、述べておられます。「福田に、すばらしい善根の種を蒔かれたのか。あつい志に涙もとまらない」(御書1596ページ、趣意)と。真心の財務に取り組んでくださっている全ての皆さまが、無量の福徳に包まれていくことは、御聖訓に照らして間違いありません。
 
 大串 小説『新・人間革命』第4巻「凱旋」の章には、「大聖人の立てられた大願を成就するために行う供養は、御本仏への供養に通じよう。ならば、これに勝る供養もなければ、大善もない。ゆえに、これに勝る大功徳もないはずである」と記されています。
 
 永石 御書に「凡夫は、志という文字を心得て仏になる」(同ページ、通解)とあります。信心の純真な発露ともいえる「志」によって、成仏の道は開かれていくのです。
 
 原田 戦前、牧口先生のもとで学会の財政の一切の責任を担われたのは、戸田先生でした。戦後も戸田先生は、私財を投じて、学会の再建に当たりました。
 
 大串 池田先生は青春時代、戦後の混乱期で戸田先生の事業が窮地に追い込まれ、給料の遅配が続く中、全てをかなぐり捨てて、広布の指揮を執る戸田先生を支え、守りました。
 
 西方 そうした崇高な師弟の闘争によって、今の学会の基盤ができたことを、私たち青年は決して忘れてはならないと思います。
 
 長谷川 現在、東京・信濃町の広宣流布大誓堂には、毎日のように世界中から同志が集っています。世界聖教会館も完成し、日本中、世界中に、平和と幸福の創価城が林立しています。私は昭和28年の入会ですが、当時は学会がこのように世界的な発展を遂げるとは想像もできませんでした。全ては、戸田先生の後を継ぎ、世界広布の一切の指揮を執ってくださっている池田先生のおかげです。
 
 原田 この学会の姿こそ、大聖人の御遺命である広宣流布を推進する仏意仏勅の教団である証左です。私たちは、いよいよの決意で、平和と幸福の光を世界に広げていきたい。

感動と納得の集い
地区こそ広布の最重要拠点――。「わが地区から大歓喜の題目を!」「わが地区から地涌の人材を!」「わが地区から勝利の旗を!」

 長谷川 本年の掉尾を飾る座談会や地区協議会が各地で開催されています。小説『新・人間革命』第26巻「勇将」の章に、地区で行われている、全幹部が集っての協議会と、全会員が参加しての座談会が、さまざまな運動を進める上で最も重要な会合であると強調されています。
 
 原田 年末年始は、皆が多忙です。「実情に合わせた効率のよい会合」「短時間でも充実して内容のある会合」を実施することが大切です。
 
 長谷川 たとえば、モバイルSTBを視聴したり、小説『新・人間革命』を読み合っていくこともいいと思います。皆が“来てよかった!”と心から感動し、納得できる集いを目指していきましょう。
 
 原田 そもそも、会合は、広宣流布の前進のためにあり、一人一人の成長と幸福と勝利のためにあります。また、何より大切なのは、リーダーが訪問・激励に歩くことです。その時間が多くもてるよう、皆で工夫し、努力していきたいと思います。
 
 西方 地区や支部などで会合を開催する際、お世話になるのが、会場を提供してくださる方々です。
 
 長谷川 先生は、先日(11月29日付)の「心に御書を」の中で、伝教大師の「家に讃教の勤めあれば七難必ず退散せん」(同1374ページ)との文を引き、「自宅を広布の会場に提供してくださるご一家の福徳は、無量にして永遠である」と強調され、「地涌の宝友が喜び集う個人会館、個人会場は、現代の『法華経の会座』だ。地域の宝城である。尊き真心に感謝し、ご家族や近隣にも配
慮して、皆で一段と大切に!」と指導されました。
 
 永石 リーダーは会場提供への御礼を申し上げながら、使用にあたっては、「終了時間の厳守」「清掃と整理整頓」「節電・節水」など、ルールを順守していきましょう。
 
 原田 近隣への配慮として、禁煙を徹底し、私語を慎み、駐車・駐輪などでも、絶対に迷惑をかけないようにしてまいりたい。

空気が乾燥 絶対に火災を起こさない
 西方 空気が乾燥し、火災が起きやすい季節となりました。住宅火災の出火原因で最も多いのは、「こんろ」です。
 
 永石 こんろによる、住宅火災の多くは、“火をつけたまま離れる”“火をつけていることを忘れる”ことで発生しています。
 
 大串 また、火を使わないIHクッキングヒーターも、専用の鍋の使用を怠るなど、適正に利用しないと危険です。
 
 永石 「ストーブ」による住宅火災の多くは、周りの可燃物がストーブに接触することにより発生しています。特に、電気ストーブによる火災が多く発生しており、注意が必要です。
 
 西方 住宅火災の原因の上位に「放火」があります。午前0時から3時の間に、多く発生しています。
 
 原田 「さきざきよりも百千万億倍・御用心あるべし」(同1169ページ)です。家の周りに燃えやすい物を置かない、車庫や物置に鍵を掛ける、ごみは収集日の朝に出す、など防火対策を万全にしていきましょう。

◆〈信仰体験〉ネイリストとして新出発  朝祈ると、一日の景色が全然違う。

 <瀬尾桃香さん=横浜市、女子地区リーダー=は、小中学校でいじめに遭い、人を信じることができなくなった>
 
 突然、友達から無視されて。原因は分からない。先生が注意してくれて表面上は収まっても、いじめの空気だけは残るんです。


◆〈信仰体験〉「西陣爪?本綴織」の職人 ICOM(国際博物館会議)の旗をつづれ織で新調

 【京都府宇治市】自宅の一室にある綴機は20年以上愛用している。
 「これで3台目。壊れてしまったら、私も引退かな」 冗談交じりに語る柳瀬惠美子さん(77)=地区副婦人部長=は、日本美術織物の中でも 最高峰といわれる「西陣爪掻本綴織」の職人。

 

2019年12月11日 (水)

2019年12月11日(水)の聖教

2019年12月11日(水)の聖教

◆わが友に贈る

苦悩と葛藤があるから
 悩める人を励ませる!
 この地涌の使命の自覚が
 生命を強く豊かにする。
 誓願の歩みを共々に!

◆名字の言

「手袋に五指を分ちて意を決す」(桂信子)。外に出るにも少々思い切りが必要なほど、寒さが厳しくなってきた。風邪やインフルエンザの罹患者が増えやすい時期でもあり、既にインフルエンザが警報レベルを超えて流行している地域もある。徹底して感染予防に努めたい▼対策の基本は、やはり「手洗い」と「うがい」。大前提として、十分な睡眠とバランスのよい食事を心掛け、免疫力を高めることも大切なポイントだ▼加えて、「水分補給」も予防につながる。夏季の熱中症対策として“小まめな水分補給”が勧められるが、実は冬も重要。インフルエンザウイルスは乾燥状態で活発になるため、水分の補給によって喉や鼻の粘膜を潤すことで、ウイルスの侵入を防ぐことができる。侵入したウイルスに対しても、痰や鼻水によって体外に排出する作用を助ける▼さらに水分補給は、冬場に増える脳卒中や心筋梗塞の予防にもなる。水分の摂取が少ないと血液の粘度が上がり、血管が詰まりやすくなるからだ▼池田先生は「健康は知恵です。幸福も知恵です。知恵で勝ち取るものです」と語っている。「自分は大丈夫」という油断は、魔に付け入る隙を与える。祈りを根本に、豊かな知恵と生命力で、健康を勝ち取っていきたい。(道)

◆寸鉄

列島で本年の掉尾を飾る
座談会。前進・人材の年へ
対話の波を我が地区から
     ◇
東京「墨田の日」。師弟の
縁深き庶民の王国。誇り
高く広布拡大の先陣頼む
     ◇
教育は人生最高至難の芸
術―牧口先生。未来開く
教育本部の力闘に期待大
     ◇
置き引きやひったくりに
注意。貴重品・鞄の放置は
厳禁だ。心の隙作るな
     ◇
孤立・孤独には社会全体
で向き合うべき―専門家
地域の絆結ぶ声掛け更に


【先生のメッセージ】

◆世界広布の大道 小説「新・人間革命」に学ぶ 第14巻 名場面編

イラスト・間瀬健治



広布に生きる革命児たれ
 <1969年(昭和44年)、学生運動が過激化する中で、学生部員の多くは、社会改革とはどうあるべきか、悩んでいた。そんな折、山本伸一は、学生部の会合で質問を受ける>

 学生の一人が尋ねた。
 「革命児として生き抜くとは、どういう生き方でしょうか」(中略)
 伸一は、メンバーの質問に答えて、語り始めた。(中略)
 「帝政ロシアの時代や、フランスのアンシャンレジーム(旧制度)の時代は、一握りの支配者が栄華を貪っている、単純な社会だった。
 しかし、今は、社会は高度に発達し、多元化しています。利害も複雑に絡み合っている。矛盾と不合理を感じながらも、既存の秩序の安定のうえに、繁栄を楽しむ人びとが圧倒的多数を占めています。
 そうした現代社会に、単純な暴力革命の図式はあてはまりません。全共闘が提示した最大のテーマは、権力をもつ者のエゴを、さらに、自己の内なるエゴを、どう乗り越えるかということではないかと思う。つまり、求められているのは、権力の魔性、人間の魔性に打ち勝つ、確かなる道です」
 伸一は断言するように語った。
 「人間のエゴイズム、魔性を打ち破り、人間性が勝利していく時代をつくるには、仏法による以外にない。それは、生命の根本的な迷いである『元品の無明』を断ち切る戦いだからです。
 大聖人は『元品の無明を切る利剣は此の法門に過ぎざるか』(御書九九一ページ)と仰せです。仏法によって、内なる『仏』の大生命を開き、人間自身を変革する広宣流布なくして、解決はありません」(中略)
 伸一は話を続けた。
 「結論を言えば、一人の人間の生命を変革する折伏に励むことこそが、漸進的で、最も確実な無血革命になるんです。さらに、生涯を広宣流布のために生き抜くことこそが、真の革命児の生き方です。また、君自身が社会のなかで力をつけ、信頼を勝ち得ていくことが、折伏になります。
 私たちが、行おうとしていることは、未だ、誰人も成しえない、新しい革命なんです。それを成し遂げ、新しい時代を築くのが君たちなんだ」
 (「智勇」の章、27~30ページ)

自身を鍛える“青春学校”
 <7月、富士鼓笛隊は、第6回全米総会を記念するアメリカでの“日米鼓笛隊パレード”に参加。“平和の天使”たちは、互いに励まし合いながら大きな成長を遂げてきた>

 鼓笛隊は、音楽の技術を磨くだけではなく、友情と団結の心を培い、自身を鍛え輝かせる“青春学校”ともいうべき役割を担ってきた。
 アメリカ公演に参加し、やがて第三代の鼓笛部長になる小田野翔子も、鼓笛隊で学会の精神や人間の在り方を学んだ一人であった。(中略)入隊後、しばらくすると、数人の部員に、練習の日時や場所を連絡する係りになった。きちんと連絡をしても、来ない人もいた。しかし、自分は責任を果たしたのだから、あとは本人の問題であると、別に気にもとめなかった。(中略)
 だが、同じ係りのメンバーの取り組み方を見て、彼女は驚いた。連絡しても練習に来ない人がいると、そのことを真剣に悩んで唱題し、先輩に指導を受けたり、家まで訪ねて行って、励ましたりしているのだ。
 「なぜ、そこまでしなくてはならないの?」と首をかしげる小田野に、あるメンバーは言った。
 「だって、練習に通って上達し、出場できるようになれば、すばらしい青春の思い出になるわ。あんな感動はほかにはないんですもの。本人も、それを夢見て鼓笛隊に入ったはずだから、なんとしても、その夢を、一緒に実現してもらいたいのよ。だから私は、最後の最後まであきらめない。適当に妥協しても、誰も何も言わないかもしれないけど、それは、自分を裏切ることだわ」
 小田野は、自分の考え方を恥じた。(中略)
 また、小田野は、音楽の専門家でもない先輩たちが、「世界一の鼓笛隊」にしようと、懸命に努力し続けている姿を目にするたびに胸を熱くした。
 その心意気に感じて、彼女も、「世界一」を実現させるために、自分は何をすべきかを考えた。(中略)
 “自分がどこまでできるかわからないけれど、音大に行って勉強して、鼓笛隊のために役立てるようになりたい”
 人それぞれに使命がある。それぞれが「私が立とう!」と、自己の使命を果たし抜くなかに、真の団結がある。そして、そこに、新しき歴史が創られるのだ。
 (「使命」の章、155~157ページ)



師の舞に勝利の誓い固く

 <12月、関西指導に赴いた山本伸一は、高熱を押して和歌山へ。県幹部会で、全精魂を尽くして指導する>
 伸一の話は、二十四分に及んだ。式次第は、学会歌の合唱に移った。(中略)
 合唱が終わるや、会場のあちこちで「先生!」という叫びが起こった。
 「学会歌の指揮を執ってください!」
 ひときわ大きな声が響いた。伸一は笑顔で頷いた。
 その時である。喉に痰が絡み、彼は激しい咳に襲われた。口を押さえ、背中を震わせ、咳をした。五回、六回と続いた。一度、大きく深呼吸したが、まだ、治まらなかった。苦しそうな咳が、さらに立て続けに、十回、二十回と響いた。
 演台のマイクが、その音を拾った。咳のあとには、ゼーゼーという、荒い呼吸が続いた。皆、心配そうな顔で、壇上の伸一に視線を注いだ。だが、彼は、荒い呼吸が治まると、さっそうと立ち上がった。 
 「大丈夫ですよ。それじゃあ、私が指揮を執りましょう!」
 歓声があがった。
 「皆さんが喜んでくださるんでしたら、なんでもやります。私は、皆さんの会長だもの!」
 大拍手が広がった。(中略)
 音楽隊の奏でる、力強い調べが響いた。(中略)
 山本伸一は、扇を手に舞い始めた。
 それは、天空を翔るがごとき、凜々しき舞であった。
 “病魔よ、来るなら来い! いかなる事態になろうが私は闘う!”
 伸一は、大宇宙に遍満する「魔」に、決然と戦いを挑んでいた。
 (中略)
 和歌山の同志は、伸一の気迫の指揮に、胸を熱くしていた。(中略)
 どの目も潤んでいた。なかには、彼の体を気遣い、“先生! もうおやめください!”と叫びたい衝動をこらえる婦人もいた。
 皆が、涙のにじんだ目で、この光景を生命に焼き付けながら、心に誓っていた。
 “私も戦います! 断じて勝ちます!”
 そして、力の限り手拍子を打ち、声を張り上げて歌った。
 (「烈風」の章、218~223ページ)


創刊原点の精神を胸に

 <1970年(昭和45年)9月、聖教新聞社の新社屋が落成。山本伸一は館内を巡り、聖教新聞創刊の原点を振り返った>
 伸一は、創刊当時に思いを馳せながら、傍らにいた、新聞社の幹部たちに言った。(中略)
 「あの市ケ谷のビルの狭い一室で、新聞を作っていたころの苦労を忘れてはいけない。環境が整えば整うほど、創刊のころの精神を、常に確認し合っていくことが大事ではないだろうか」(中略)
 聖教新聞の創刊は、戸田が事業の失敗という窮地を脱し、第二代会長に就任する直前の、一九五一年(昭和二十六年)四月二十日である。
 戸田が、その着想を初めて伸一に語ったのは、前年の八月、戸田が経営の指揮を執っていた東光建設信用組合の経営が行き詰まり、業務停止となった時のことであった。
 戸田と伸一は、東京・虎ノ門の喫茶店で、信用組合の業務停止を知った、ある新聞社の記者と会った。その帰り道、戸田は、しみじみとした口調で語った。
 「伸、新聞というものは、今の社会では想像以上の力をもっている。……一つの新聞をもっているということは、実にすごい力をもつことだ。
 学会もいつか、なるべく早い機会に新聞をもたなければならんな。伸、よく考えておいてくれ」
 戸田が学会の理事長の辞任を発表したのは、聖教新聞発刊の着想を伸一に語った日の夜のことであった。
 (中略)
 年が明けた一九五一年(昭和二十六年)二月の寒い夜であった。戸田は、伸一に宣言した。
 「いよいよ新聞を出そう。私が社長で、君は副社長になれ。勇ましくやろうじゃないか!」(中略)
 何度となく、準備の打ち合わせがもたれた。新聞の名前をどうするかでも、さまざまな意見が出た。(中略)
 種々検討を重ねて、結局、「聖教新聞」と決まった。
 そこには、大宇宙の根本法たる仏法を、世界に伝えゆく新聞をつくるのだという、戸田の心意気がみなぎっていた。
 (「大河」の章、359~362ページ)


【聖教ニュース】

◆全国で本年の掉尾を飾る座談会 原田会長は神奈川・川崎市で激励 2019年12月11日

皆で祈り、励まし合い、団結固く前進!――友人が参加し、にぎやかに開かれた神奈川・虹ケ丘東地区の座談会(川崎市麻生区内で)

皆で祈り、励まし合い、団結固く前進!――友人が参加し、にぎやかに開かれた神奈川・虹ケ丘東地区の座談会(川崎市麻生区内で)

 座談会こそ温かな心通う励ましの会座――本年の掉尾を飾る座談会が、各地でにぎやかに行われている。
 原田会長は10日、神奈川・川崎総県の麻生勇勝区・虹ケ丘東地区の座談会(川崎市麻生区内)に出席した。
 同地区は、大きな団地がある緑豊かな地域が使命の舞台。野菜作りで近隣に友好を広げる婦人部の友や、祖母に御本尊を授与した男子部の友など、皆が生き生きと広布に駆けている。
 座談会では、飯塚静江さん、三浦加津子さんが、地道な対話で友人を入会に導いた体験を発表。山口好弘地区部長、大嶽由美子同婦人部長が、勇勝の誓いに燃えて対話を広げ、功徳の花を咲かせようとあいさつした。
 原田会長は、一人一人の話に耳を傾けながら、安心して何でも語り合える座談会は、希望のオアシスであると強調。皆が人材との心意気で、一歩一歩、勝利の前進をと呼び掛けた。

 高柳婦人部総合長は同日、東京・府中常勝区の飛翔地区の集い(府中市内)へ。
 同地区の誇りは“家族”のような仲の良さ。ひとたび集えば、明るい語らいの輪が広がる。毎週の集いで祈りを合わせ、一人一人が本紙の購読推進や地域貢献に挑んでいる。
 座談会では、嶋本晴子地区婦人部長のあいさつに続き、“未来っ子”たちが元気いっぱいに「大白蓮華」の巻頭言を朗読。各ブロックの本陣長(ブロック長)、白ゆり長が清新な決意を発表した。
 水田つばささんの体験発表と、松井新地区部長の御書講義の後、高柳婦人部総合長は、数々の苦境を乗り越えた自らの体験を述べつつ、師弟の絆こそ勝利の力であると強調。皆が幸福の実証を示そうと励ました。

 高知池田本陣県の太平洋地区(梶原昭二郎地区部長、森尾亜紀婦人部長)、三里地区(伊井六郎地区部長、山﨑利華婦人部長)合同の座談会は同日、高知市内でにぎやかに。
 「11・18」を近年最高の聖教拡大で飾り、明年へ、さらなる拡大に燃える両地区の友。集いでは地区部長、地区婦人部長が本年の軌跡を振り返り、明「前進・人材の年」へ一層の躍進をと語った。
 高知総県の山﨑総県長は1・22「高知青年部の日」の淵源である、戸田城聖先生と池田大作先生の高知初訪問の歴史を確認。報恩の心で自行化他の実践に励み、池田先生の会長就任60周年の明年を弘教拡大に先駆しようと訴えた。

◆カナダのゲルフ・ハンバー大学に同国初の創価教育研究所が発足 2019年12月11日

ゲルフ・ハンバー大学「世界市民に関する創価教育研究所」の発足式。民音研究所のウルバン所長が講演した(カナダ・トロント市の同大学で)

ゲルフ・ハンバー大学「世界市民に関する創価教育研究所」の発足式。民音研究所のウルバン所長が講演した(カナダ・トロント市の同大学で)

 カナダのゲルフ・ハンバー大学に、このほど、同国初の創価教育研究機関である「世界市民に関する創価教育研究所」が発足した。 
 同大学には、2017年に創価教育研究会が誕生。「家族・コミュニティー・ソーシャルサービス学科」のポール・シャーマン学科長を中心に、学生と教員が一体となり、学生の幸福を第一とする創価教育の哲学と実践、池田先生の世界市民論などを研究してきた。 
 こうした取り組みが評価され、同研究会は、ゲルフ・ハンバー大学の正式な研究機関である「研究所」に昇格。シャーマン学科長が初代の所長に就任した。
 
シャーマン所長一行が総本部を訪問
 研究所の発足式は11月20日(現地時間)、トロント市の同大学内で行われ、多数の教員や学生が参加した。
 シャーマン所長は、17年の研究会の設立以降、2年間にわたる創価教育研究の進展の様子を紹介し、その取り組みをさらに強固にすべく、研究所が発足した喜びを述べた。
 そして研究所の活動を通して、価値創造の哲学、一人の可能性を開花させる人間教育に触れる機会を、多くの学生や教員に提供していきたいと抱負を語った。
 また、発足式に来賓として参加した民音研究所のオリビエ・ウルバン所長が、平和を創る音楽の力などについて講演した。
 なお、シャーマン所長一行は10日、東京・信濃町の総本部を訪問し、学会本部国際渉外局の長岡局長らと懇談した。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈信仰体験〉 86歳の現役看護師  “尽くしたい”という心は変わらない

【名古屋市】カレンダーに大きな赤丸を付けた日が、久野旬子さん(86)=婦人部副本部長=の出勤日。歩いて向かう先は、市内の特別養護老人ホーム。
 笑顔を届ける、現役の看護師だ。今月の赤丸は、残り四つ。年内で退職する。
 ここまで続けた看護師生活を終える今、込み上げる思いがある。
 「お体どうですか?」「お変わりない?」
 医療用のカートを押して、フロアを回る。部屋やロビーで過ごす施設の入所者たちに、久野さんが気さくに声を掛けていく。
 胃ろう患者に経管栄養の処置をし、次は傷がある人の包帯を換えた。話をする時は、腰をかがめ、目線を合わせていく。
 86歳にもなると、薬の一つや二つ飲んでいそうだが、医師も驚く健康そのもの。舞踊を習い、2週間に1度は夫婦でカラオケ。自分も元気に、人も元気に。
 同僚には、孫のような年齢のスタッフも。介護福祉士の一人は、こうたたえる。
 「あの仕事ぶりには、誰も86歳と思っていませんよ(笑い)。久野さんと接した利用者さんを見ていると、私たちと話した時とは違う安らぎを得ていると感じます」
 触れ合う時間を大切にしつつ、腕時計を見て「さあ、あの人の時間だね」と久野さん。次の胃ろう患者の元へ、すたすた歩いていく。
 「私も年を取ったし、時代も大きく変わりました。仕事場では、横文字が増え、機械も替わったし、薬もどんどん新しくなって。難しく感じる部分はあります。でも……」
 言葉が、よどみなく出てくる。
 「尽くしたいっていう心は変わりません。“放っておけない”。“何かをしてあげたい”。そうして歩んできた思いはちっとも変わらず、接しています」 

 幼い頃、2人分のかばんを肩に掛け、学校へ通った。大好きな2歳年上の姉は病弱だった。
 姉は年を重ねるにつれ、心臓を病んでいく。戦中から戦後にかけ、長野県の山深い地域で生活した。
 満足な医療はとても望めなかった。1948年(昭和23年)、若くして息を引き取った。
 「だからだろうね、私が看護師になろうと思えたのは」
 姉との別れから1年後。父に連れられて行ったのが、看護師養成のための試験会場だった。“医療に貢献してほしい”。寡黙な父の願いを感じ、ためらいは無かった。2年後、結核患者の国立療養所で働き始める。
 「戦争から戻った元日本兵の患者さんが多かった。戦地から帰って、身も心も傷ついていた。戦争の愚かさ、命のはかなさを感じました。そして、自分の無力さも。救ってあげたくても、なかなかできない。歯がゆかったですね」
 創価学会への入会は56年。胃を病んだ義母が信心を始め、見る見る元気になる姿に驚き、久野さんも続く。
 「この信心に、生命力を引き出す力を感じたんです。“仏法は偉大だ”。その喜びだけで学会活動に走り回りました」
 子育てに専念した後、50代に入って看護の道に戻った。名古屋市の訪問看護指導員に。高齢者の自宅を訪ねて回った。
 「家族は一人も来てくれないんです……」
 そう嘆く独り暮らしの人々がいた。必ず、言葉を返した。「私がいるから大丈夫ですよ」。手を握り、背中をさすった。孤立感を深める人を救いたかった。
 「一瞬の表情から、目の動きから、苦しみが伝わってくるんです。看護といっても、医療のことだけでなく、家族のようなぬくもりを与えたい。そんな思いでいると、これまでの苦労も寄り添う力になった気がします」
 伊勢湾台風(59年)では自宅が浸水。再建を誓うも夫・初男さん(91)=副本部長=がギャンブルにのめり込んだ。豆腐1丁、サンマ1匹を家族4人で分け合うような毎日……。
 「『一番苦労した人が、一番幸せになれる』。池田先生のご指導があったから、どんな苦労も乗り越えてこられたんです」
 還暦まで働き、多くの人に元気を届けた。

 60代からは、施設の相談員を経て、デイサービスセンターの看護師として働いた。
 「気が付けば、相手の方が年下で(笑い)。もちろん、年齢は関係ありません。根本は、一人の人間として尊敬を込め、接すること」
 81歳の時、体力の衰えを感じ、ふと立ち止まったという。
 「自分を見つめました。その年、年齢と同じ数までの折伏をしようと、81世帯目の弘教が実ったんです。そして、決めました。命の続く限り、看護の心で生き抜こうって」
 今年1月、特別養護老人ホームでの看護を任された。晩年を過ごす一人一人に真心を込めた。
 「看護師を終える私にとって、最高の宝物は、どんなものより、『ありがとう』の言葉です。感謝の心は、人を温かくして、和ませます。言われた側はもちろんですが、きっと言った側も同じ。感謝のつながりを持てたことが、幸せです」
 今年9月、久野さんは白内障の手術を受けた。“これを機に”と職を辞すつもりが、強い要請を受けて復帰。そして、年内で退職する決断をした。
 「すごく迷いましたが、一つの区切りをつけようと思いまして。これからは、別の形で地域に貢献していきます。看護の道ではなくなっても、人に寄り添う気持ちは忘れません」
 来年からは、得意な歌謡舞踊の慰問活動を始める。

取材余話
 昨年、久野さん夫妻は長男・功さん(62)=副支部長=に誘われ、写真館へ。初男さんの卒寿祝いに夫婦の写真撮影を。
 結婚式もあげられず、「記念写真もないね」と語っていた久野さんの思いを知り、功さんの妻・利栄子さん(57)=支部副婦人部長=が提案した。
 利栄子さんは、2歳の時に母と入会。母子で病院に訪れた時、親しくなった看護師から信心の話を聞いた。その看護師が、久野さんだった。
 時を経て、人の紹介で功さんと知り合い結婚。生まれた孫は、久野さんの念願だった創価大学を今春、卒業している。
 「人生は、不思議ですね。体験は語りきれません。いろいろあったけど、本当に幸せになりました」
 昨秋、中部文化センターで行われた写真展「ありがとうは奇跡の言葉」。そこに、着飾った夫婦の写真が、久野さんの感謝の言葉と共に展示された。
 今年で結婚66年。試練を越え、二人は今が一番仲がいい。

 

2019年12月10日 (火)

2019年12月10日(火)の聖教

2019年12月10日(火)の聖教

◆わが友に贈る

   わが勝利の陰には
 無数の同志の祈りと
 弛まぬ励ましがある。
 報恩感謝の人は尊貴。
 異体同心の大前進を!

◆名字の言

ピアニストのフジコ・ヘミングさんが交響楽団との協演で録音に臨んだ時のこと。若い指揮者が“ヘミングさん独特のテンポの技法と、オーケストラの演奏が融合していない”と苦言を呈した。それでもヘミングさんは自身の音楽を貫いた▼すると、休憩時間に日頃見られない光景が。練習を続けるヘミングさんの周りに楽団員らが寄ってきて、彼女の音楽を心身で吸収するように耳を澄ませた。その後の録音は大成功だったという(『たどりつく力』幻冬舎)▼「芸術作品は、各人の自己を目覚めさせる事によって、人の和を作り出す」と言ったのは文芸批評家の小林秀雄氏だった(『考えるヒント3』文春文庫)。とすれば、楽団員は自身の奏法を安易にソリストと合わせたのではなく、その心を感じた上で、演奏における各自の役割を全うしたがゆえに、両者の音楽が調和したのだろう▼釈尊の十大弟子は、智慧第一の舎利弗、頭陀第一の迦葉など、各人が類いまれな資質を備えていた。それらは全身全霊で仏道修行に励む中で、おのずから個性と磨かれ、弘法の最強の武器となった▼偉業の達成に団結は欠かせない。その団結とは、なれ合いや群れることではない。「一人立つ」精神を胸に、使命を果たし抜く中で真の団結は生まれる。(代)

◆寸鉄

「まことの・みちは世間の
事法にて候」御書。仏法即
社会。今いる場所で輝け
     ◇
「勇気を出して自ら実験
証明せよ」先師。体験が躍
進の力。幹部が率先して
     ◇
逆境があるからこそ私は
走れるのだ―偉人。青年
よ負けじ魂の挑戦王たれ
     ◇
世界人権デー。生命尊厳、
万人平等が仏法の根幹。
人間主義の哲学を未来へ
     ◇
今年の出生数、最少の90
万人割れへ。少子化故に
一人を一騎当千に育もう


【教学】

◆〈ロータスラウンジ――法華経への旅〉 第11回 五百弟子受記品第八
 深心の本願――自分は仏と同じく「救う人」でありたい

■大要
 「化城喩品第七」で「宿世の因縁」を理解した、「説法第一」の「富楼那」と、1200人の阿羅漢
(小乗の覚りを得た最高位の声聞)に授記(未来に仏になれるとの記別を授けること)がなされます。
 特に500人の阿羅漢は、「普明如来」という同一の名をもつ仏になると記別が授けられます。
 それを受けて、阿羅漢たちは「衣裏珠の譬え」を語り、釈尊に感謝の意を表します。それでは内容を追ってみましょう。

 ●シーン1
 富楼那は説法を聞いて歓喜し、釈尊のもとへ行って、仰ぎ見ながら思います。
 「釈尊だけが、私たちの心の深いところにある本来の願い(深心の本願)を、よく知っておられます」
 その時、釈尊は比丘(男性の出家者)に、富楼那の素晴らしさを語ります。
 “説法する者の中で第一である。法をよく理解し、法を人々に説き、喜ばせることができる”
 “声聞の姿で、無数の人々を教化してきたのです。未来もまた、仏土を清めるために精進し、衆生を教化するであろう”……。
 ここで、富楼那はその本地(本来の境地)が菩薩でありながら、方便によって声聞の姿を現じ、人々を導いてきたことが明かされます。
 そして、釈尊は記別を授けます。
 “富楼那は、菩薩の道を十分に満足して、「法明如来」という名前の仏になるであろう”
 
 富楼那が授記されるのを見ていた1200人の阿羅漢たちは歓喜し、思います。
 “私たちにも授記してくださればうれしいのだが……”
 釈尊は阿羅漢たちの思いを知り、「頭陀第一」とたたえられる弟子の「摩訶迦葉」に告げます。
 “今ここで、1200人の阿羅漢たちに、順々に記別を授けよう”
 “この中の大弟子である?陳如は、6万2千億の仏に供養し、「普明如来」という仏になる。500人の阿羅漢も、全員が同じ、「普明如来」という名の仏になるであろう”
 授記された500人の阿羅漢は、歓喜し、自分たちの得たものを「衣裏珠の譬え」として語ります。

 ●シーン2
 ――ある貧しい男が親友の家に行って、ごちそうになり、酒に酔いつぶれて寝てしまいました。
 この時、親友は、公用で急ぎ、出掛けなければならなくなりました。
 そこで親友は、酔いつぶれている友人の衣の裏に「無価の宝珠」、すなわち値段のつけられないほど高価な宝の玉を縫いつけて、出掛けていきました。
 貧しい男は酔いつぶれて寝ていたために、そんなことはまったく知りません。目が覚めて起きてからも、さまざまな国を流浪します。
 そのうちお金がなくなり、生活が苦しくなってきます。衣食のために働きますが、苦しさは変わりません。少しでもお金が入ると、それで満足していました。
 やがて親友は、男に出会います。そのみすぼらしい姿を見て、男に語ります。
 「君は何と愚かなんだ。どうして、そんなに衣食に窮しているのか。私はあの時、君が安楽な生活ができるよう、また、欲しいものは何でも手に入るようにと思って、『無価の宝珠』を君の衣の裏に縫いつけておいたのです。今も、そのままあるではないか。それなのに、君はそのことを知らないで、ひどく苦労し、悩んでいる。まったく愚かだ」
 貧しい男は、親友が教えてくれた宝珠を見て、大歓喜しました――。

 ●シーン3
 阿羅漢たちは語ります。
 “釈尊は、私たちを教化し、「一切智の心」(仏の智慧を求める心)を起こしてくださったが、忘れてしまっていました”
 “すでに覚りを得たと思って、その小さい覚りで満足していました”
 “「一切智の願」(成仏を願う心)を失っていなかったので、釈尊は私たちを目覚めさせてくださった”
 “釈尊よ。私たちは今、実は菩薩であることを知り、大いに歓喜しているのです”……。

■菩薩の目覚め
 “自分たちは、はるかな昔から成仏を願い、師である釈尊とともに菩薩の実践をしてきた”――声聞たちは、「宿世の因縁」を理解します。
 つまり、菩薩の道を実践することこそ、本来の自分が求めていた「深心の本願」であることを思い出したのです。
 池田先生は語っています。
 「『深心の本願』と表現されているが、要するに全人類を救っていこうという『大願』です」
 「声聞たちの目覚めとは何か。それは、結論的に言えば、『救われる人』から『救う人』に変わったということです。人々を断じて救いきるという『大願』に目覚めたのです。声聞たちは、悪世の苦しみから逃れたい、救われたいという思いで仏の教えを求めた。仏は、その心を知って、苦しみから脱却する道として、声聞たちに、まず小乗の教えを説いた」
 「しかし、仏の本意は小乗にはなかった。弟子たちをたんに『救いを求める人』で終わらせたくはなかった。そこで、仏の本意を明かす法華経を説くのです。
 ――求めるべきは、小乗の悟りではなく、仏の智慧である。すべての人に、仏の智慧を得させて、仏と同じように、自在に人を救っていける境涯へと仕上げたい。それが仏の本意である、と」
 「法華経を聞いて、“自分は、仏と同じく『救う人』でありたい”という『師弟不二の願い』に立った人が、法華経の『菩薩』です。その誓願は同時に『仏子の自覚』でもある。“自分は、仏の子である。だから智慧という仏の財産を全部受け継いでいけるのだ”という自覚です」(『法華経の智慧』普及版<上>)。
 私たちにとっては、広宣流布という師弟不二の道を歩めることこそ、本当に自身が求めていた人生であると確信することです。その時、無上の歓喜があふれてくるのです。
 

【『法華経の智慧』から】 

民衆とともに幸福に
 久遠以来の「大願」を果たすために、今世に生まれてきた。そう確信すれば、今世の苦悩の姿も、迷いの姿も、全部、人を救うための方便だと分かるのです。
 すなわち、初めから何の悩みもない恵まれた姿で人々の前に現れたのでは、だれも妙法の偉大さが分からない。また、そういう人には、民衆の心も分からないでしょう。
 どんな宿業の苦しみも、それを克服して勝利の実証を示すために「あえて自分が選んだ苦しみ」なのです。そう確信することです。
 勝つために自分があえてつくった苦悩なのだから、勝てないわけがない。負けるはずがないのです。「大願」を自覚すれば、つまり「我、本来仏なり」と自覚すれば、自身の宿命すら使命に変わるのです。
 多くの人々と同じように「悩める民衆」の姿で生まれ、どこまでも「民衆とともに」幸福になっていく――それが私どもの使命のドラマなのです。(普及版<上>「五百弟子受記品 授学無学人記品」)
 
【コラム】 富楼那――話術よりも情熱と確信
 釈尊の十大弟子の一人である富楼那は、聡明で弁舌に長じ、説法第一といわれています。
 こう書くと、話術やテクニックにたけた“話がうまい人”をイメージしますが、それだけではありません。
 法華経には「能く四衆に於いて示教利喜
きし」(325ページ)と記されています。池田先生は、「法を説くことによって、衆生を歓喜させる――そこに力点を置いた」と述べ、その弁舌の力の源泉について、「情熱」「確信」「真心」を挙げられています。
 私たちにとって「情熱」は、広宣流布を成し遂げんとの熱願であり、目の前の一人を救いたいとの熱き思いといえるでしょう。また、「確信」が納得を生み出します。さらに、相手の幸福を祈り、どこまでも誠実に励ます「真心」の姿が相手の心を打つのです。
 どこまでも広宣流布を願い、相手の幸せを祈る、情熱と確信と真心の対話を広げていきましょう

【聖教ニュース】

◆男子部が勝利の方面大会 前進・人材の年へ世界に先駆! 2019年12月10日

 男子部は今、学会創立90周年の明「前進・人材の年」へ、世界の青年に先駆しようと拡大の波を起こしている。
 3・16「広宣流布記念の日」を目指し、部・本部で勝利の核となる10人の一騎当千の人材を育成する「広布十傑」運動を力強く推進。池田大作先生の会長就任60周年となる「5・3」を「3万の折伏」で荘厳する。
 誓いの前進を開始する「方面男子部大会」が8日、各地で開催された。
  東京(23区)の大会。各区の男子部大学校2期生の代表が、ラグビーのニュージーランド代表が試合前に踊る「ハカ」をモチーフにしたダンス「戦に立ち向かう若人」を力強く披露した(東京戸田記念講堂で)

東京(23区)の大会。各区の男子部大学校2期生の代表が、ラグビーのニュージーランド代表が試合前に踊る「ハカ」をモチーフにしたダンス「戦に立ち向かう若人」を力強く披露した(東京戸田記念講堂で)

 東京(23区)の大会は、巣鴨の東京戸田記念講堂で行われた。
 東京ヤング男子部の有志と音楽隊・東京和太鼓団による「本陣太鼓」の勇壮な演奏で開幕。男子部大学校2期生全員でオリジナル曲「ルーキー」と東京の歌「ああ感激の同志あり」を歌い上げた。
 集いでは、世田谷の大学校2期生・入山栄志さんが、紹介者の豊田哲生さんと共に登壇し、信心根本に歩む決意を述べた。品川の長沼博之さんは模範の弘教を続け、家族の病に立ち向かい、一家和楽を築いた体験を発表した。
 西方男子部長が、男子部の拡大で創価の新時代を開こうと力説。徳久総東京男子部長は、本陣に弘教の金字塔をと訴えた。長谷川理事長は、強き信心で広布の使命を果たし抜こうと励ました。

 中国方面の大会は、広島市の広島池田平和記念会館で開催。
 第1部では、明年で25周年を迎える5・7「中国青年部の日」の淵源が映像で紹介された。
 大学校2期生の盛谷大輔さんが、昨年の西日本豪雨で、他者の悩みに寄り添う学会の先輩の振る舞いに感動して入会した体験を発表。原良明さん、柳生龍志さんが人間革命のドラマを披露した。
 第2部では、甲斐中国青年部長に続いて、升田同男子部長が、信心の歓喜の波をさらに広げようと強調。鎌田副青年部長の後、篠原中国長が、師の心をわが心として、新たな前進をと励ました。
嵐に揺るがぬ大樹と育て!
嵐に揺るがぬ大樹と育ちゆけ!――第2総東京・山梨総県合同の男子部大会。男子部大学校2期生の友が、オリジナル曲「ルーキー」を歌う(東京牧口記念会館で)

嵐に揺るがぬ大樹と育ちゆけ!――第2総東京・山梨総県合同の男子部大会。男子部大学校2期生の友が、オリジナル曲「ルーキー」を歌う(東京牧口記念会館で)

 第2総東京・山梨総県合同の男子部大会は8日、八王子市の東京牧口記念会館で意気高く開催された。
 弘教・拡大をリードする男子部大学校2期生が場内に入場すると、先輩たちが総立ちとなり、笑顔でハイタッチを交わして彼らを迎えた。
 第1部では、山梨音楽隊「広布共戦太鼓」が力強い演奏を披露。男子部大学校2期生による池田先生の長編詩の群読や合唱が、会場を沸かせた。
 第2部では、中原大学校事務局長の後、飯島淳一さん、渡邊誠市朗さんが体験発表。
 海沼第2総東京男子部長は、皆が広布の主役であると強調し、「師恩に生き抜く誓いのままに、宿命を使命に変える人間革命のドラマをつづりゆこう」と訴えた。石黒第2総東京長が励ました。

 東海道男子部の大会は同日、横浜市の神奈川池田記念講堂と静岡の富士宮池田文化会館の2会場で盛大に開催された。
 この日を目指し、友は壁を破る対話に挑み、東海道男子部として1000世帯を超える弘教を成し遂げた。
 大会の第1部では、神奈川、静岡双方の会場を中継で結び、両県の男子部大学校生が誓いの歌声を響かせた。
 また記念映像で、創価三代の正義の魂を受け継ぐ青年の使命を確認した。
 第2部は、それぞれの会場で行われ、神奈川会場では畑東海道長があいさつ。鈴木同男子部長が、真心で仏種を育み、青年のスクラムを広げ、正義の旗を高く掲げようと呼び掛けた。安原副男子部長が激励した。

 総千葉男子部大会は同日、船橋池田講堂で意気盛んに開かれた。 
 「本部2」に迫る弘教を達成して迎えた歓喜の集い。第1部では、大学校生企画などの後、北総王者県の佐藤伸雄さんが経済苦に負けず、創価大学を卒業し、現在、創価班の一員となり、社会で実証を示す模様を述べた。安原副男子部長が友の奮闘をたたえた。
 第2部では、野中関東男子部長に続き、松戸勇者県の大西信行さんが登壇。メンバーの激励に徹する中、陸続と人材が立ち上がるとともに、リーダー率先の行動で、先月に自身の7世帯目の弘教が実った喜びを語った。佐藤総千葉男子部長は、“師と共に”との大情熱をたぎらせ、日本一の弘教と人材拡大の実証をと訴えた。高木総千葉長が励ました。

 総宮城男子部の幹部会は同日、仙台市の東北文化会館で。
 原田総宮城青年部長に続き、荒木将太さんが大学校2期生として拡大に先駆し、弘教を成し遂げた模様を報告。櫻井英一さんは、日々の信行の実践を根本に努力を重ね、念願の教員採用試験に合格した喜びを述べた。
 山川同男子部長は、「『4・26』の“東北プライド男幹”を目指し、『広布十傑』運動で堅固な広布の陣列を築こう」と訴えた。
 西方男子部長は、使命の舞台で必ず勝つと一念を定め、胸中の壁に挑み、かつてない弘教拡大の歴史をと力説した。

◆「中部広布原点の日」記念 創価の堅塁・中部が総会 原田会長が激励  2019年12月10日

新たな勝利の一番星に!――誓いが燃える中部総会。創価中部サウンド吹奏楽団が演奏を披露した(中部池田記念講堂で)

 12・12「中部広布原点の日」を記念する中部総会が8日、名古屋市の中部池田記念講堂で盛大に開催された。
 1953年(昭和28年)12月12日、若き池田先生は中部を初訪問。名古屋市内での座談会に出席した。
 “なかなか折伏が進まない”との声に、先生は訴えた。「やりやすいところなどありません。“名古屋だけ折伏はできない”と思っている、そのこと自体が、できない原因なのです!」
 会場の空気は一変。この座談会を原点として、愛知、三重、岐阜の堅塁・中部の大前進は始まったのである。
 総会では寺崎副会長の後、岐阜総県の大野学生部長が信心根本に苦難を越え、広布に駆ける喜びを報告した。
 松波中部婦人部長は青年の活躍と弘教拡大の模様を紹介。平山中部長はリーダーが折伏に率先し、突破口を開こうと語った。
 沼倉婦人部書記長は、次代を担う人材の育成に全力で取り組もうと呼び掛けた。
 原田会長は、世界各国で大きく弘教が進んでいる様子に触れ、その原動力は弟子としての強き一念であり、真剣な祈りであると強調。明年の学会創立90周年、池田先生の会長就任60周年の佳節を、弟子の勝利で断じて荘厳しようと訴えた。

◆東京で戸田平和研究所の会議 「21世紀の研究課題」テーマに  2019年12月10日

都内で開かれた戸田平和研究所の会議。活発に議論を交わした

都内で開かれた戸田平和研究所の会議。活発に議論を交わした

 戸田記念国際平和研究所がアメリカ平和研究所(USIP)と共催する研究会議が6日から8日まで、「21世紀の平和研究課題」をテーマに、都内で開催された。
 世界の主要な平和研究機関やシンクタンクなどから23人が集い、平和研究の諸課題を分析するとともに、今後について展望した。
 平和研究の成果を現実社会で役立たせていくには、政府や市民社会など多様な行動主体者との意思疎通が大切であることや、武力交戦の危機を減らすために、敵対勢力間の信頼醸成が重要であることなどが話題に。また、先端技術や気候変動、ソーシャルメディアの研究における協力の可能性、それらの成果を現実の変革につなげる方途を議論した。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈「新・人間革命」と私〉心に刻む珠玉の言葉  牙城会委員長 金田陽介さん 

 「『牙城会』には、本部、会館を、学会員を厳然と守る使命がある。それは、私と同じ使命だよ。その使命を果たすんだから、全神経を研ぎ澄ませ、注意力を働かせて、どんな小さなことも、決して見過ごしてはならない」
〈第24巻「厳護」の章〉

時代背景
 火災をはじめ、さまざまな事故、事件が多発しがちな師走を前にした、1976年(昭和51年)晩秋のある夜。山本伸一は執務を終えた後、牙城会の2人の青年と共に、自ら本部周辺の建物を点検して回る。彼は御書の一節を通して「用心」の重要性を語り「『用心』こそ、すさんだ社会にあって、身を守り、勝利していくための肝要」と訴える。

学会厳護の弟子の陣列を
 小説『新・人間革命』「厳護」の章には、山本伸一会長が、任務に当たっていた2人の牙城会メンバーと一緒に、本部周辺を点検する場面がつづられています。
 行き交う人がほとんどいない中、建物の窓は開いたままになっていないか、周辺に不審物等がないかなど、自ら丹念に点検。「責任感に裏打ちされた祈りが大事なんだ。その祈りによって、己心の諸仏諸天が働き、注意力を高め、智慧を湧かせていくからだ」と、教えてくださっています。

“先生の名代”との誓いに燃えて
 同章を熟読する中で、“学会・師匠・会員を断じて守る”との決定
けつじょう
した祈りこそ、学会厳護の要諦であることを改めて心に刻みました。
 また先生は、「私は、いつも君たちと一緒に行動するわけにはいかないが、心は一緒だよ。使命は同じだよ。どうか、私に代わって、本部を守ってください。会館を守ってください。同志を守ってください」と呼び掛けられています。
 私が牙城会として地元会館の任務に就き始めた時、ある先輩から「会館を訪れた方が、最初に会うのが牙城会。だから対話拡大、人材拡大に挑み、先生の名代
みょうだい
として、いかなる時も生命力に満ちた笑顔と誠実な振る舞いで来館者をお迎えする使命が、我々にはあるんだよ」と、語ってくださったことがありました。
 今や世界中の牙城会員が、“先生の名代”との誓いに燃え、各地の会館の任務に当たっています。

「永遠の指針」40周年の明年へ
 また、牙城会には病と闘うメンバーや、障がいのあるメンバーをはじめ多様なメンバーが、自身の使命を果たそうと努力を重ねながら、会館の任務に挑んでいます。こうした人材の幅広さも、牙城会の誇りです。
 明「前進・人材の年」は、池田先生から牙城会に「信念の人」「努力の人」「忍耐の人」との「永遠の指針」を頂戴してから40周年。また明後年には、牙城会結成50周年を迎えます。
 幾重にも重要な節目が続くこの時に、私たちは“境涯革命の折伏”に徹し、どこまでも師と同じ心で学会を守りゆく、弟子の陣列を築いてまいります。

◆〈2020年 壮年部の活動〉2019年12月10日

 壮年部は、2020年「前進・人材の年」を「壮年勇者の前進で 創立90周年の大勝利を!」とのスローガンを掲げて前進していく。「壮年には、力がある。壮年は、一家の、社会の、学会の黄金柱である。そして、広宣流布の勝敗を決していくのは、壮年が、いかに戦うかにかかっている」(小説『新・人間革命』第23巻「敢闘」の章)との池田大作先生の指導の通り、壮年部は、広布の黄金
柱として力強く前進し、人材拡大の原動力となっていきたい。また、職場や地域でも堂々と勝利の実証を示し、信頼と友好の輪を大きく広げていく。具体的には、次のポイントを基調に活動を推進する。
 谷川壮年部長
 松山書記長

●指針
壮年は広宣流布の黄金柱
●スローガン
壮年勇者の前進で 創立90周年の大勝利を!
●3モットー
一、生涯求道の壮年部
一、職場で勝利する壮年部
一、地域貢献の壮年部
●活動のポイント
1、「5・3」「11・18」へ壮年部が拡大の推進力に
 ①率先して弘教・聖教拡大に挑もう
 ◎自他共の人間革命・宿命転換を目指し、勇気をもって弘教拡大に挑戦する。
 ◎聖教新聞の購読推進と、新たな聖教拡大推進者の育成に取り組む。
 ◎SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)、モバイルSTBなどを活用し、学会理解の輪を広げる。
 
 ②幅広い人脈を生かし信頼と友好の輪を広げよう
 ◎地域行事などの活動に積極的に携わり、近隣にも信頼と友情の輪を広げる。
 ◎親戚との交流を深め、理解と共感の対話で、共に幸福の道を開いていく。
 ◎仕事において、信心根本に不断の努力を重ね、勝利の実証を示していく。

2、壮年部の人材拡大へ「訪問・激励」を強化
 「一対一で語り合ってこそ、本当のことが分かる。一対一の触発があってこそ、一人一人の持つ『大きな力』を引き出していくことができる」(『黄金柱の誉れ』188ページ)との指導通り、壮年部員一人一人への「訪問・激励」を最重要の活動として取り組んでいく。
 
 ①リーダー率先で“会合型”から“訪問・激励型”の活動を
  ◎「励まし週間」だけでなく日頃から「訪問・激励」運動を推進し、活動者の水かさを増す。
  ◎活動に参加できない壮年部員と会い、励ましを送ることに力を注ぐ。
 ②「ブロック5勇士」運動を推進
  ◎最前線のブロックで、新たな活動者を拡大・育成する「ブロック5勇士」運動を引き続き全力で推進。全幹部がブロック         に入り、一人一人への励ましに徹する。
  ◎本部壮年部長、支部壮年部長の布陣を整え、各組織で壮年部強化を進める。

3、後継の青年を自分以上の人材に
 ①青年の育成に力を注ぐ
  壮年が青年と共に先頭に立って戦い、「壮男・合同座談会」を開催するなど、工夫して後継の男子部を育成していく。ま         た、学生部・未来部の座談会や本部幹部会などの中継行事への参加を後押しする。
 
 ②一家で師弟の信心を継承
  一家で信心の原点や体験、広布史を語る機会を積極的に設け、子や孫などへ学会精神を伝え残していく。

4、小説「新・人間革命」を通して学会精神を学ぶ
   日曜日を中心に、壮年座談会・懇談会、サンデー勤行会など、信心の触発を受けられる会合を定着させ、活動のリズムを        つくる。
 
 ①小説『新・人間革命』を皆で学ぶ
  『新・人間革命』の研さんを通して、師弟の生き方を学び、皆で自身の人革命に挑戦する。学習の進め方は、地域の実情        に合わせる。
 
 ②教学研さんを通して人材を拡大
  「大白蓮華」の学習など、仏法の人間主義の哲学を学ぶ中で、共に人材へと成長していく。
 
 ③壮年部指導集『黄金柱の誉れ』の研さん
  『黄金柱の誉れ』を学び、一人一人が池田先生の指導を実践していく。

5、各種グループの育成・強化
 <太陽会を一層充実>
  昼間に活動できる太陽会(総称)の、さらなる発展・強化を目指し、本部・支部の議長の布陣を整える。ライン組織の壮         年部とも連携を密にして訪問・激励を推進し、体調の優れない人にも十分に配慮し、励ましを送っていく。
 
 <王城会の強化>
  地域の宝城を厳護する使命と誇りを忘れず、絶対無事故の任務を勝ち取る。壮年部の人材育成の柱として、定例会や研修         会を軸に王城会の充実に力を注いでいく。
 
 <次代を担うヤング壮年部の育成>
  ヤング壮年部を次代のリーダーとして着実に育成していくため、先輩幹部が激励・指導に継続して取り組む。人材グルー         プなど同世代の団結を強めるための取り組みも工夫する。

●主要行事
 (1)3・5「壮年部結成の日」を記念する行事の開催 ※開催の有無も含め方面・県に一任
 (2)方面壮年部長会の開催


◆〈2020年「前進・人材の年」男子部の活動〉 2019年12月10日

 2020年「前進・人材の年」は「学会創立90周年」「池田大作先生の第3代会長就任60周年」の佳節を迎える。池田先生は、会長就任から1週間後の男子部幹部会(1960年5月10日)の席上、男子部の使命を明確に示されている。先生は「開目抄」の一節を拝し、男子部こそが日本の「柱」となり、「眼目」となり、「大船」とならねばならない――。この使命を自覚し、広布の一切の責任を担い立て、と。
 学会の未来、そして広布の未来をどう開くか――先生が、学会の「中核のなかの中核」と万感の期待を寄せ、広布の一切を託してこられたのが、男子部にほかならない。
 先生は語られている。「ひとたび、広布の戦の庭に立ったならば、『自分は、これだけやった!』と胸を張っていえる結果を厳然と示していくことだ。『これだけの歴史をつくった!』という生きた証を残していくことだ。それでこそ、学会男子部である」と。いよいよ、学会創立90周年、そして100周年へと、男子部が、圧倒的な「折伏・弘教」「人材拡大」を果たし、新たな“前進また前進”の歴史を勝ち開こうではないか。

1.圧倒的な折伏・弘教の実践で「前進・人材の年」の先陣を切る

【1】広布の全責任を担い立ち、弘教拡大に挑戦する
 ①「新時代全国男子部幹部会」「創価青年大会」等を拡大の決勝点と定め、折伏・弘教の大波を起こす
 ②「モバイルSTB」を積極的に活用し、友人への対話拡大を推進する
 ③「教学部任用試験(仏法入門)」の会友受験を推進し、学会理解を促進する
 ④「聖教新聞」「聖教電子版」、そして「インスタグラム」の学会公式チャンネルを活用し、地域や社会に創価の人間主義         の思想を大きく広げる

【2】地域に根を張り、社会貢献の運動を推進する
 ①地域の諸活動参加や近隣友好、親族との交流などを通し、今いる場所で友情と信頼を広げる
 ②社会の各分野で活躍する人材が連帯し、多彩な運動を展開する
  (社会部、学術部男子青年委員会、農漁光青年委員会、桂冠会、星辰会、白鳳会、青年教育者会議、創価青年医学者会           議、文芸部青年会議、設営グループ、妙護グループ、世雄グループ、スポーツ部等)
 ③音楽隊の定期演奏会や各種コンクール、地域行事でのパレードなどの諸活動を通して、創価の文化運動を推進する

さいたまスーパーアリーナで行われた、第54回「マーチングバンド関東大会」に出場した音楽隊の創価ルネサンスバンガード(11月)

【3】邪悪を打ち破る正義の言論戦を展開する
 ①正邪を見極める力を身に付け、悪と戦う正義の破邪顕正の人材を育成する
 ②学会組織を攪乱する魔の本質を見破り、鋭い言論の力で糾弾する
 ③現代社会の諸問題に対し、仏法の人間主義に基づく論戦を展開する

2.「訪問・激励」と「小単位の会合」の充実で、人材の裾野を拡大

【1】最前線組織に「10人の核」を育成する「広布十傑」運動に取り組む
 ①目の前の一人への徹底した励ましで、部・本部で勝利の核となる10人の一騎当千の人材を育てる「広布十傑」運動を推進      する
 ②小単位の会合(部・本部)の定期開催と内容充実を図る。「聖教電子版」や「モバイルSTB」、冊子「VOD50選」などを       活用しながら、信心の触発に満ちた集いにする
 ③本部幹部会(中継行事)や座談会に積極的に参加し、信仰体験などを語り合う
 ④“一人立つ”人材の育成のため、各方面・県を中心に「リーダー研修会」を開催する
 ⑤創価班や牙城会等の任務や定例会を通し、「学会厳護」「会員厳護」の精神を体現する

【2】「男子部大学校」で新時代を担う人材を育成
 ①大学校生時代に信・行・学に励み、信心の基本を身に付ける
 ②大学校指導集をはじめ、小説『人間革命』『新・人間革命』の研さんを通じて、師弟の精神を生命に刻む
 ③「勝利長」(育成責任者)や大学校の同期と共に、勤行・唱題、折伏に挑戦する
 ④新会員や新たな活動家を励まし、大学校生へと育成し、男子部の人材の流れをつくる

【3】御書研さんを軸に、広布後継の誓いを深める
 ①「ONE GOSHO 運動」(人生勝利の指針となる御書の一節を一人一人が持つ。そのために? あらゆる会合で御書に触        れる機会を持つ?訪問・激励で御書を通して励ます)の推進へ、「大  白蓮華」連載中の池田先生の御書講義「世界を          照らす太陽の仏法」や聖教新聞に掲載される男子部の教学紙面等を活用する
 ②「教学部任用試験(仏法入門)」を通して、新会員、新しい活動家を育成する
 ③各地の会館を中継で結んで「リーダー御書講義」を開催し、活動者の教学力向上を図る
 ④青年部拝読御書「佐渡御書」「如説修行抄」を研さんし、教学力を深める
 ⑤各方面・地域の特色を生かした運動(御書大学校運動、教学研さんグループ等)を活発に行う

【4】小説「新・人間革命」を学び抜き、師弟の大道を歩む
 ①『新・人間革命』を学習し、一人一人が人生の糧となる「一節」「一章」を持つ
 ②各地の青年大会などを目指し、『新・人間革命』を通して地域の広布史を学ぶ
 ③リーダーが『新・人間革命』を通して、部員の悩みや課題に寄り添った励ましを送る

【5】創価後継のバトンを受け継ぐ「未来部」を各部と一体で育成する
 ①毎月の「未来部の日」、「未来部希望月間」(3月)、「未来部躍進月間」(7・8月)、「未来部勝利月間」(12月)         を中心に、壮婦の未来本部長と連携して未来部の激励に全力を注ぐ
 ②学会伝統の座談会へ未来部員と共に家族で参加する
 ③「創価ファミリー大会」(躍進月間)などを各部と一体で開催し、創価後継の人材を育成する各地の合唱団、創価後継塾         など人材育成グループの運営、激励や、部幹部、未来リーダーの激励に取り組む
 ④「未来部の日」は、家族で勤行、部員会に参加するなど家庭での信心の継承を促す
 ⑤「SOKAキッズフェスタ」など親子で参加できるイベントを通して、未来部員を育てる男子部員への訪問・激励や、家庭での信心の継承を応援する

3.学会創立100周年に向けた「SOKAグローバルアクション 2030」を始動
【1】終戦・被爆および国連創設75年の節目に、平和行動の連帯を広げる
 ①戦争・被爆体験セミナーを各地で開催するなど、平和の誓いを継承する
 ②「核兵器禁止条約」の早期発効を目指し、草の根レベルで平和教育を推進
 ③「青年不戦サミット」や、世界の青年と連帯しての「ワールドSOKAユースサミット(仮称)」 を広島で開催

【2】青年が積極的に交流する中で友情を育み、「アジアの友好と安定」に尽力する
 ①中国や韓国をはじめ、アジア各国の青年との友好交流を推進
 ②相互理解の推進と共生社会の実現を目指し、在日外国人等による体験発表会(セミナー)や主張大会を開催する
【3】SDGs(持続可能な開発目標)の普及と推進に貢献する
 ①国際社会の2030年に向けての指標である、SDGs(持続可能な開発目標)の「誰も置き去りにしない」との精神性を深め       ながら、SDGsの普及と推進に貢献する
 ②被災地の復興支援のため、音楽隊の「希望の絆」コンサートを開催する
 ③災害救援や復興支援の経験に学び、青年が各地域で防災の意識啓発に尽力する

◆〈信仰体験〉着物文化の未来に挑む兄弟 和装の未来と向き合う呉服加工店
 時代に挑み雅を守る

 インバウンド(訪日外国人)の増加などにより、ふたたび脚光を浴びる着物文化。保存や汚れなど気を使うこともあるが、日常的には、和服を着る機会はめっきり少なくなっている。

 

2019年12月 9日 (月)

2019年12月9日(月)の聖教

2019年12月9日(月)の聖教  新聞休刊日

◆大白蓮華 巻頭言 2019年12月号(No.842)

   巻頭言 「信心の根」を深く強く潔く             池田大作

   この一年も、学会家族は広宣流布のために走り勝った。御書を開けば、御本仏が一人一人を賛嘆してくださるお声が、そのまま聞こえてくるように拝されてならない。
 あるお手紙では、「長雨・大雨・時時日日(じじひび)につづく間・山さけて谷をうづみ・石ながれて道をふせぐ・河たけくして船わたらず」 (1551ページ)という災害の渦中に、信心の志を尽くした若き南条時光を讃えておられる。

   「御志・大地よりもあつく虚空よりもひろし」(同ページ)
 台風や大雨等が相次ぐ中、奮闘した負けじ魂の創価の宝友たちの福運は、まさに宇宙大であるに違いない。
 被災地はもとより、いずこでも、わが同志の真心があふれる献身は地域・社