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2019年10月 9日 (水)

2019年10月9日(水)の聖教

2019年10月9日(水)の聖教

◆わが友に贈る

可能性の扉を開く鍵は
自分の心の中にある。
壁にぶつかった時こそ
「負けじ魂」を燃やし
勇猛果敢に挑み抜こう!

◆名字の言

会場に入ると、しばし時間がたつのを忘れた。東京富士美術館(八王子市)の海外文化交流特別展「ルネ・ユイグのまなざし フランス絵画の精華」▼故ルネ・ユイグ氏は高名な美術史家で、東京富士美術館の方向性を決める、重要な指標を示した。「日本屈指」と称される西洋絵画コレクションが築かれたのも、開館記念展の「近世フランス絵画展」以来、フランスから門外不出の至宝が来日したのも、ルーブル美術館絵画部長を務めた氏の尽力あればこそ▼淵源は、名画「モナ・リザ」が東京国立博物館で日本初公開された1974年春にさかのぼる。展覧会のために来日したユイグ氏を、東京富士美術館創立者の池田先生が歓迎。「初めての出会いから意気投合し、『旧知の間柄』ともいえるような関係でした」とリディ・ユイグ夫人▼第2次世界大戦中、ルーブル美術館の名品をナチスの手から守り抜いたユイグ氏は、池田先生の「文化で世界を結ぶ」行動を誰よりも理解した。東京富士美術館の開館当初、まだ何も実績のない無名の美術館に協力するフランスの美術館は皆無だった。この時、最大に支えた人こそ氏だった▼ユイグ氏への敬意が込められた「フランス絵画の精華」展。開館36周年を迎える東京富士美術館の集大成である。(川)

◆寸鉄

   世界の調和に献身しゆく
 会長から多くを学んだ―
 元首相。平和創出の道標
      ◇
 青年が強くなれ!青年が
 叫べ―恩師。創立90年、
 100年の勝利は君の双肩に
      ◇
 大誠実の世雄!社会部・
 専門部の友。職場で「いな
 くてはならない人」たれ
      ◇
 「二つの心あれば其の心
 たがいて成ずる事なし」
 御書。腹を決め、祈り進め
      ◇
 海岸漂着のごみ、プラご
 みが半数超。地球的な事
 実知り身近な所から行動

◆社説 明日は「転倒予防の日」  油断排し健康を勝ち取ろう

 明日10月10日は「転倒予防の日」だ。“テン(10)トウ(10)”と読めることから、日本転倒予防学会が前身団体のときから提唱。高齢者の転倒予防に向け、さまざまな取り組みの普及と意識啓発が続けられている。
 年を重ねてくると、気は若くても筋力が衰えるのは自然なことだ。「老化は足から」という。小物をまたぐ、踏み台に上って蛍光灯を替えるなどの動作が、難しくなってくる。カーペットのわずかの厚みでつまずく場合もある。室内の整理整頓を心掛けたい。外出の際は、文字通り“転ばぬ先の杖”を携えると安心だ。
 骨は加齢で少しずつもろくなり、転倒で骨折しやすくなる。骨折は寝たきりにつながる恐れもある。若い頃には簡単だった作業でも油断することなく、「転ばない」と肝に銘じて取り組み、安全第一で健康な日々を勝ち取りたい。
 その上で、日本転倒予防学会の武藤芳照理事長は、高齢者の転倒事例について本紙で語っている。「骨折しなくても、転倒時の恐怖感が閉じこもりや廃用症候群(心身の機能低下)を生み、結果的に寝たきり・要介護状態になる場合があります」。そうした懸念のある場合は、本人の活動量が低下しないように、家族などのサポートが重要になると語る。
 同学会は、具体的な心掛けとして①転ばない体づくり②転んでも骨折しない骨づくり――を掲げる。
 ①では、筋肉量と筋力の維持のため、タンパク質をはじめ、栄養バランスの取れた食事、適度な運動を呼び掛ける。眼鏡や照明などで、足元がよく見えるようにする工夫も重要。②では、骨粗しょう症予防のため、カルシウムや、サケなどの魚やキノコ類に含まれるビタミンDを意識して取ると良いと教える。
 創価学会のあるドクター部員は、健康のため1日30分ほど歩くことを勧める。当然、無理は禁物だが、体調や健康状態に合わせ、日々持続することで、血液循環が良くなり、足腰の筋力維持にもつながるという。
 池田先生は、書籍『「生老病死と人生」を語る』で励ましの言葉を贈っている。
 「常に『歩いている人』『動いている人』は、心身共に生き生きと健康になっていく」「その意味で、学会活動は最高の健康法です。会合に参加する、友の激励に歩く、弘教に励む――そこには常に『行動』があります」
 広宣流布へ勇んで一歩踏み出す。そこに友との触発が生まれ、歓喜が湧く。特に、師匠と共に、生涯青春の輝きに満ちて歩む多宝の友は、人生100年時代の希望を開く、模範の存在といえよう。健康と無事故を、皆で祈っていきたい。

◆きょうの発心 苦難を乗り越え、和楽の家庭に 2019年10月9日

御文 ただ心こそ大切なれ(四条金吾殿御返事、1192ページ・編1219ページ)
通解 ただ心こそ大切である。

 信心の一念の大切さを教えられた御文です。
 幼い頃から母と祖母の不仲に悩んでいた私は、この環境を変えられるのならと、1985年(昭和60年)に入会しました。
 池田先生の“信心は素直な心が大事だよ”との指導を胸に母と対話。笑顔の人生を送ってほしいとの思いを込めて語り、入会に導きました。
 98年(平成10年)、仲の良かった義妹が急逝。悲しみをこらえ、“義妹の分まで実証を”“和楽の家庭を築こう”と決意しました。
 その後も、次女が骨腫瘍を患い、3人の娘がいじめに遭うなど、苦難が続きました。
 悲嘆に暮れていた時、「変えられない宿命など絶対にない。誰もが必ず幸福になれる」との先生の言葉が目に飛び込んできたのです。
 “今こそ宿命転換の時!”――生まれ変わった心で祈り、広布の活動に徹しました。
 地域では、3人の娘が高校を卒業するまでの20年間、PTAの会長などで奮闘。地道に信頼関係を築く中、子どもたちの悩みを共に乗り越え、信心の証しを示すことができました。
 これからも、報恩感謝を胸に、師弟誓願の祈りも深く、勇気の対話に挑んでまいります。
 福島歓喜県婦人部長 松本敏江


【先生のメッセージ】

◆〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 名場面編 第12巻 2019年10月9日

「栄光」の章




「栄光」の章


 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第12巻の「名場面編」。心揺さぶる小説の名場面を紹介する。次回の「御書編」は16日付、「解説編」は23日付の予定。(「基礎資料編」は2日付に掲載)

真剣の二字に勇気と知恵が
 〈1967年(昭和42年)5月3日、会長就任7周年を迎えた山本伸一は、10日後には海外指導に出発し、最初の訪問地・ハワイへ〉
 
 今回の旅で彼(山本伸一=編集部注)が決意していたこともまた、七年前と同じく、一人でも多くの人と会い、励まし、その胸中に使命の種を植えることであった。(中略)
 彼は握手をしながら、その人のための励ましの言葉を、瞬時に紡ぎ出した。ある年配者には、こう激励した。
 「いつまでも、長生きをしてください。
 人生の勝利の姿は、地位や名誉を手に入れたかどうかで決まるものではありません。最後は、どれだけ喜びをもって、はつらつとした心で、人生を生き抜いたかです。あなたの、その姿自体が、信心のすばらしさの証明になります」
 また、ある青年には、こう語った。
 「“信心の英雄”になろうよ。それには、自分に負けないで、君自身の広布の歴史をつくることだよ。私もそうしてきたし、それが最高の人生の財産になる」
 どの言葉も、最も的確に、相手の心をとらえていた。魂の琴線をかき鳴らし、歓喜の調べ、勇気の調べを奏でた。この日の夜、ホテルで打ち合わせをした折、アメリカの日系人の幹部が伸一に尋ねた。
 「先生がそれぞれのメンバーに語られる、激励の言葉を聞かせていただきまして、その内容が本人にとって、本当にぴったりのことばかりなので驚いております。どうすれば、ああいう言葉をかけることができるのでしょうか」
 「私は真剣なんです!」
 伸一から返ってきたのは、その一言であった。特別な秘訣や技巧などはない。
 真剣――この二字のなかには、すべてが含まれる。真剣であれば、勇気も出る。力も湧く。知恵も回る。また、真剣の人には、ふざけも、油断も、怠惰もない。だから、負けないのである。そして、そこには、健気さが放つ、誠実なる人格の輝きがある。
 伸一が、一人ひとりに的確な励ましを送ることができるのも、“もうこの人と会うのは最後かもしれない”という、一期一会の思いで、瞬間、瞬間、魂を燃焼し尽くして、激励にあたっているからである。
 (「新緑」の章、20~23ページ)

腹を決めれば力が湧く!
 〈長野総合本部長の赤石雪夫は、青年時代に、兼任した役職を全うしていくことに悩み、山本伸一のアパートを訪れたことがあった。伸一は彼を銭湯に誘った〉
 
 赤石は、湯につかりながら、伸一に尋ねた。
 「たくさんの役職をもち、私なんかより、はるかに多忙なのに、どうして、そんなに悠然としていられるんでしょうか」
 (中略)
 「もし、みんなの目にそう映るとしたなら、それは、私が腹を決めているからだよ。
 一瞬たりとも、気を抜くことはできないというのが、今の私の立場だ。戸田先生のご存命中に広宣流布の永遠の流れを開いていただかなくてはならない。そのためには、学会は、失敗も、負けることも、決して許されない。私は、その責任を担っている。
 もし、負けるようなことがあれば、先生の広宣流布の構想が崩れてしまうことになる。師匠の構想を破綻させるような弟子には、私は絶対になってはならないと心に決めている。そんな弟子では、結果的にみれば、師子身中の虫と変わらないじゃないか。だから、負けられないんだ。勝つことが宿命づけられているんだ。
 私は断じて勝つ――そう心を定めて、祈り抜いていけば、勇気も湧く。知恵も湧く。力も湧いてくる」
 赤石は、何度も頷きながら、伸一の話を聞いていた。
 「何事も受け身で、人に言われて動いていれば、つまらないし、勢いも出ない。その精神は奴隷のようなものだ。しかし、自ら勇んで挑戦していくならば、王者の活動だ。生命は燃え上がり、歓喜もみなぎる。
 同じ動きをしているように見えても、能動か、受動かによって、心の燃焼度、充実度は、全く異なる。それは、当然、結果となって表れてくる。
 どうせ活動するなら、君も、常に自分らしく、勇んで行動する主体者になることだよ」(中略)
 アパートに戻ってからも、伸一は、赤石を励まし続けた。
 「(中略)広宣流布のために、うんと苦労をしようよ。うんと悩もうよ。うんと汗を流そうよ。自分の苦労なんて、誰もわからなくてもいいじゃないか。御本尊様は、すべてご存じだもの」
 (「愛郷」の章、134~136ページ)

立場などかなぐり捨てて
 〈10月、国立競技場で開催された東京文化祭では、4万2千人が出演した人文字が、花園を駆ける子鹿や、世界各地の風景を描き出し、観客を魅了した〉
 
 下絵の制作にあたった芸術部員のなかには、(中略)世間によく名の通った画家もいた。その著名な画家たちがつくった下絵も、容赦なくボツになった。(中略)皆が感嘆し、納得のいく絵でなければ、審査はパスしなかったからだ。
 だが、何度、ボツになろうが、そのことで文句を言ったり、やめると言い出す芸術部員は一人もいなかった。皆、自分の画壇での立場も権威も、かなぐり捨てていた。メンバーは、皆で力を合わせ、後世に残る最高の人文字をつくることに徹しきろうと、心を定め、集って来たのである。
 だから、絵がボツになると、自分の絵のどこに問題があったのかを真摯に思索し、挑戦の意欲をますます燃え上がらせるのであった。およそ、一般社会では考えられない、この姿を見て、若手の芸術部員が著名な画家に言った。
 「高名な先生が、ボランティアで、人文字の下絵を描かれるとは思いませんでした」
 すると、彼は笑いながら答えた。
 「私は、画家である前に学会員ですからな。一会員として、広宣流布の新時代を開く文化祭のために、何ができるかを考え、応援させていただいているんです。この文化祭は、映画にもなるそうですから、何百万という人が、文化祭を見ることになる。その人たちに、心から感動を与え、生きる勇気と希望を与えるお手伝いができるなんて、すごいことじゃないですか。さらに、この作業が、仏法のすばらしさを証明していくことにもなる。
 こうした偉業にかかわれるというのは、まさに千載一遇ですよ。
 また、いろいろな考えや画風の人が、力を合わせて、新しい芸術を創り出すことなんて、めったにあるもんじゃない。普段は自分の世界に閉じこもっているだけに、この機会は、私にとっては、新しい刺激と発想が得られるチャンスだと思っています。今回の作業を通して、狭量な自分の殻を破り、境涯を開きたいと考えているんですよ」
 (「天舞」の章、213~214ページ)

「未来に羽ばたけ君と僕」

 〈1968年(昭和43年)、創価学園が開校した。栄光寮の寮生たちは寮歌を制作。7月、テープに吹き込み、山本伸一のもとに届けた〉
 
 伸一は、それを、妻の峯子とともに聴いた。
 「いい歌だね。さわやかで、すがすがしい。そして、力強い。二十一世紀に羽ばたかんとする、学園生の心意気がみなぎっている。名曲が完成したね」
 伸一は、毎日、このテープを聴き、学園生の未来に思いをめぐらせ、成長を祈念した。
 (中略)
 伸一は、彼らの一途な開道の心意気に、なんとしても応えたいと思った。そして、寮歌の五番の歌詞をつくって、贈ろうと考えた。
 八月は夏季講習会が二十三日まで行われ、陣頭指揮をとっていた伸一は多忙を極めていたが、寮歌の五番の作詞に取りかかった。
 四番までの歌詞を何度も読み返しては思索し、五番では友情をうたおうと思った。
 ペンを手にすると、伸一の頭には、泉のように言葉が浮かんだ。
 それを吟味するかのように、推敲を重ね、歌詞を書き記していった。
  
 五、富士が見えるぞ 武蔵野の
   渓流清き 鳳雛の
   平和をめざすは 何のため
   輝く友の 道拓く
   未来に羽ばたけ 君と僕
  
 「輝く友の 道拓く」の箇所には、学園生のために命がけで道を開こうと決めた、伸一自身の決意も込められていた。(中略)
 学園生は、「君と僕」の歌詞に、二つの意味を感じ取っていた。
 一つは、「君」は「友」であり、「僕」は「自分」である。そして、もう一つは、「君」が「自分」であり、「僕」は、創立者である「山本伸一」である。
 歌いながら、生徒たちは、伸一が極めて身近な存在に思えた。そして、ともに未来に向かって前進する、共戦の父子の絆を感じるのであった。
 (「栄光」の章、354~357ページ)
 ※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。
 【挿絵】内田健一郎 【題字のイラスト】間瀬健治


【聖教ニュース】

◆宮城が代表幹部会 原田会長、永石婦人部長が出席 2019年10月9日

世界が仰ぎ見る人材の大城を! 総宮城の友が意気高く幹部会(東北文化会館で)
 総宮城代表幹部会が8日、仙台市の東北文化会館で行われた。
 「広宣流布の総仕上げは東北健児の手で」とは、池田先生が示した指針である。みちのくの同志は師の期待の


【特集記事・信仰体験など】

◆〈ライフウオッチ――人生100年時代の幸福論〉 “就職氷河期”世代のいま
“自分には使命がある”そこから希望は生まれる

男子部本部長として、日々、メンバーを励まして歩く井上さん㊥。曽我部さん(壮年部本部長)㊨、藤原武志さん(男子部部長)と共に(先月25日、愛媛・新居浜市内で)

 新企画「ライフウオッチ――人生100年時代の幸福論」では、学会員の多彩なエピソードを軸に、あらゆる世代が人生100年時代を幸せに生きるための知恵を探ります。(記事=木﨑哲郎、佐口博之)
 あなたは「人生100年時代」に希望を感じますか。それとも、不安を覚えますか。
 本来、希望を感じてよいはずの「人生100年時代」だが、私たちは、どこか不安を抱き、立ちすくんでいるように思える。
 日本は少子高齢化・人口減少が進む中、社会を支える「若者・子ども」の減少が懸念されている。とりわけ「支える側」の中核であるはずの30代から40代中盤の世代が平成の大不況で「就職氷河期」に直面し、正社員を望むものの、いまだ非正規で働く人が多い。
 この世代は、今なお「“溶けない氷河”世代」であると言われ、甲南大学の前田正子教授は「現役世代が減り続ける中で、かれらの能力を社会に活かせないままなのだ」(『無子高齢化』岩波書店)と指摘している(前田氏のインタビュー記事を12日付に掲載予定)。
 日本の未来の鍵を握る「就職氷河期世代」。ここで紹介するのは非正規の職を転々としながら、不安と向き合ってきた男子部員と、彼を支えた同志のドラマである。
小説「新・人間革命」を手に
 先月26日、愛媛・新居浜文化会館には、小説『新・人間革命』を手にした新居浜西本部の壮年・男子部のメンバーが集まった。
 ――小説『新・人間革命』第25巻「薫風」の章で、山本伸一は、建築設備会社を経営する父の元で働く女子部員を励ます。2度の倒産を経験し、一家で信心根本に乗り越えてきたという。「あなたも大変だったんだね。しかし、苦労した分だけ、人の苦しみがわかる人になれるよ(中略)。大事なのは、人間が倒産しないことだ。自分に負けないことだ」
 壮年部の曽我部正二さん(本部長)がこの箇所を読み上げながら、「井上君に語り掛けているようだね」とほほ笑むと、男子部の井上優さん(本部長)は深くうなずいていた。
 1979年生まれの井上さんの歩みは「就職氷河期」とともにあった。高校卒業後、大学進学は家庭の経済的理由で断念。即戦力として働くために、職業訓練機関で学んだ。
 「ここを卒業さえすれば、正社員になれると思っていたんですが……。甘かったです」
 初職は通信会社の契約社員だったが、激務に耐えきれず、数カ月で退職。その後、派遣社員として半年ごとに契約を更新しながら、複数の職を転々とした。こんな生活が10年ほど続いた。「いつ“派遣切り”にあうかとビクビクしていました。毎日、不安でした」
 井上さんは職業訓練を受けていた頃、友人の紹介で創価学会に入会していた。
 ある時、男子部の先輩が、弱気になっている井上さんの姿を見て言った。
 「床ばっか見とるけ。しっかりせなあかん」
 目の覚める思いがした。だが、もともとコミュニケーションは苦手。自分に自信がなく、会合でも自ら口を開くことはなかった。
 そんな井上さんに寄り添った一人が曽我部さんだった。曽我部さんも仕事で苦労してきた。会社を辞め、弁当業で独立したものの、1年で挫折。再就職をしたが、その後、リストラに。“もうダメだ”と何度も嘆いたが、そのたびに学会の先輩から“ここからだ。負けるな”と背中を押してもらった経験がある。
 「一人で悩みを抱えないことだよ。もっと心を開いていけば、必ず変わっていける」
 曽我部さんの言葉は、井上さんの心に響いた。勇気を出して、悩みを打ち明けてみると、励ましの言葉が返ってきた。次第に“変わりたい”という気持ちが湧いてきた。
 「仕事は不安定なままでした。でも、自分で自分を諦めない限り、もっとできることがあるのではないか、と気付いたんです」
 井上さんに新たな使命感が芽生える。祖母を懸命に介護する母の姿を見て、心が動いた。“人の役に立つ仕事がしたい”と思い、2013年、「介護職」への就職を決心した。
 「心を閉ざしたままだったら、この仕事に魅力を感じることはなかったと思います」
 介護施設で契約社員からスタートした。連携ミスなどで、上司から叱責されることもあった。それでも、利用者のために心を尽くした。そして3年前、37歳で正社員に。現在は介護士の資格取得へ、挑戦を重ねている。
 「これからの不安がないといったらウソになります。でも、僕には今、何でも語り合えて、何度も決意させてくれる居場所があります。毎日が、本当に充実しています」
自分で自分を諦めない
 小説『新・人間革命』第6巻「宝土」の章には、仕事に行き詰まり、弱気になっていた友に、山本伸一が語り掛ける場面がある。
 「人生には、挫折もあれば行き詰まりもある。そうした時に、何ものにも負けない強さをもち、それを堂々と乗り越えていけるかどうかに、幸・不幸の鍵がある」
 さらに、山本伸一はこう励ます。
 「人間は使命をもって生まれてきています」
 「あなたの担うべき役割は大きい」
 山本伸一が何より力を注いだのは「使命の自覚」を促すことだった。
 使命とは、生きている限り、探し続け、自覚し続けていくものである。だからこそ「何のため」「だれのため」という問いを分かち合える、身近なつながりをもつことが重要ではないだろうか。
 人間革命とは、この「使命の自覚」を繰り返し、希望を創り出していく生き方といえる。
 このシリーズでは「人生100年時代」を生き抜く知恵を見いだすために、多様な人々の人間革命のドラマを追い続けていきたい。
ご感想をお寄せください news-kikaku@seikyo-np.jp

◆〈信仰体験 with〉 #学校へ行けない 成長したい、一緒に。

 小学校は1・2年生の2年間だけ。中学校は1カ月、高校は3日間しか行けなかった。そんな自分が結婚して親になると、娘には、“自分のようになってほしくない”と強く思った。だが、娘は――。今回は、奥原広幸さん(34)の歩みを見つめます。
 今年の4月、小学生になった長女。1週間がたつと、「学校に行きたくない」と言ってきた。“俺のせいだ”と思った。親の自分には「学校」という経験がほとんどなかったから――。
  
 小学3年の時、親が離婚して、学校を休むように。4年になって、1年ぶりに学校へ行った。黒板に書かれた漢字、分数の足し算……全く分からない。周りのみんなは余裕の顔。小さな笑い声が、自分に向けられているように感じた。次の日、「おなかが痛い」と言って学校を休んだ。次の日も、その次の日も。
 中学時代は授業には出ないで、仲間とつくった軽音楽部に週1回、顔を出すだけ。“落ちこぼれ”じゃなくて“不良”。“できない”のではなく“やらないだけ”。そう思い込んだ。高校は、3日でやめた。バンド活動に明け暮れたが、メンバーとけんかして結局、解散。その後は半年間、部屋にひきこもった。
 そんな自分を心配してか、東京に住む姉夫婦が「うちに来なよ」って言ってくれた。
 18歳で上京。しかし、働きもせず一日中、ゲームをしたり、姉にせびった金で酒を飲んだり。バイトの面接に“明日は行こう”と思っていても、夜には“いつか行こう”に変わる。そうやって、半年が過ぎた。
  
 しつこい人がいた。男子部の先輩。ようやく始めたバイトで遅刻していると、毎朝、起こしに来てくれた。「俺には無理なんです。もう放っておいてください」。そしたら「自分で自分を諦めるな!」って。目を真っ赤にして叱ってくれた。
 先輩に憧れて、創価班に入った。あいさつから習った。人の目を見て会話すること。時間を守ること。学校で身に付けることを一つ一つ学べた気がした。
 池田先生の言葉も教えてもらった。「本当に大事なものは表面的には見えない」
 いつしか職場で信頼されるようになった。アルバイトから契約社員へ、25歳で正社員に。妻と結婚し、2人の娘ができた。
  
 子どもが大きくなると、その分、不安も大きくなっていく。長女が小学生になると、変な挫折をしてほしくないから、つい口が出る。「宿題やったの?」「早く寝なよ」。無意識に、“ちゃんとした子に育てなきゃ”と自分の方が焦って、親の不安を押し付けてしまっていた。そして、長女が「学校に行きたくない」と言った。
 ショックだった。その夜から夫婦で真剣に話し合った。意見が食い違い、何度も衝突した。妻はある日、小学生時代に不登校だったこと、高校と専門学校を中退したことを打ち明けてくれた。
 そのことは知っていたが、当時の不安や悩みを聞くのは初めてだった。そして妻は言った。「私たち親の役目は、子どもを『導く』ことじゃなくて、子どものことを『分かろうとする』ことだと思うの。学校に行かなかった経験がある私たちだから、できることなんじゃないかな」
  
 妻は、娘のペースを大事にした。娘が登校をしぶっても、じっくり時間をかけて、娘の話を聞き、小学校の正門まで送る。今では、たくさんの友達ができて楽しそうだ。本当にすごい母親だと思う。
 俺も父親としての腹を決めた。思いっきり一緒に遊んで、一緒に笑って。
 子どもの悩みは、親である自分の悩み。どこまでも、子どもの心を分かってあげたい。そして一緒に成長していきたい。
 自分が不登校、ひきこもりになった過去は変えることができないし、今は変えたいとも思わない。その人生を、俺は諦めないで生きる。その姿を娘にも見てほしいから。
 おくはら・ひろゆき 長野県出身、東京都世田谷区在住。2児の父親。ウオーターオブジェの販売・施工会社に勤務。男子部部長。
●ご意見、ご感想をお寄せください
 taiken@seikyo-np.jp
 FAX:03-3353

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コメント

君と僕とは、父子の絆でもあるのですね。

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