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2019年10月

2019年10月31日 (木)

2019年10月31日(木)の聖教

2019年10月31日(木)の聖教

◆わが友に贈る

会合は時間を厳守し
回数や内容も価値的に。
メリハリのある
集合離散のリズムから
一切の勝利は生まれる。

◆名字の言

信濃町に完成した「創価学会 世界聖教会館」の敷地には、かつて大正天皇の生母である柳原二位局(愛子)の屋敷があった▼建物は戦災で焼失したが、れんが塀や石灯籠などの遺構は地域に親しまれてきた。会館建設に当たり、それらを敷地の一角に移設。大切に保存されることとなった▼宮中の典侍(女官の最高位)として仕えた二位局。その人柄で多くの人に慕われた。貞明皇后が大正天皇の后になった際には、宮中生活に慣れない皇后を献身的に支えた。皇后は「そのあたたかい思いやりを、実の母のようにうれしく思った」と述懐している。二位局の逝去の際は皇后自ら信濃町の屋敷を訪れ、枕頭で手を取り、死を悼んだという(早川卓郎編『貞明皇后』大日本蚕糸会)▼信濃町は「遥かに富士箱根の諸山を望み 四時共に愛玩すべし」とうたわれた景勝の地。多くの政治家・文化人が居を構えた歴史薫る天地である。学会本部がこの地に移転して来月で66周年。池田先生は自ら地元の人々と交流し、信頼と友好を結んできた。「地域と一体になっての発展のなかにこそ、広宣流布の確かな前進がある」と▼仏法では「身土不二」を説き、自身と国土、人間と地域が一体と教える。世界聖教会館も地域と共に歩み、愛される言論城でありたい。(朋)

◆寸鉄

   「我が末弟等を軽ずる事
 勿れ」御書。全員が地涌の
 菩薩。不可能の壁なし!
      ◇
 何のための信心か。宿業
 を打ち破るための信心だ
 ―恩師。信強く、祈り深く
      ◇
 声は何にも増して人間の
 姿を表す―哲人。清々し
 い挨拶を。職場で地域で
      ◇
 プラごみによる海洋汚染
 ―9割が関心あり。この
 心で足元から改善の一歩
      ◇
 自転車事故死、頭部負傷
 が6割。ヘルメット着用
 等、対策を。要は安全運転

◆きょうの発心 感謝の思いを胸に「変毒為薬」を 2019年10月31日

御文 一切は・をやに随うべきにてこそ候へども・仏になる道は随わぬが孝養の本にて候か(兄弟抄、1085ページ・編686ページ)
通解 いっさいのことは、親に随うべきではあるが、成仏の道だけは、親に随わないことが孝養の根本であろうか。

 父親の信心反対に遭った池上兄弟に対し、真の孝養とは何かを教えられた御文です。高校3年の時、信心の話を聞き、入会を決意。しかし、両親に反対され、家族との会話や食事もままならなくなりました。そんな時、先輩がこの御文を拝して激励してくださり、“両親にとって良い娘になろう”と誓い、その後、真面目に信心に励みました。
 就職した銀行で“職場で、なくてはならない人になろう”と、社内検定に挑戦。最上位の技能レベルに認定され、表彰も受けました。また、職場の先輩3人への弘教も実りました。学会活動と仕事を両立しながら、粘り強く両親と対話。次第に話を聞いてくれるようになり、今では、セミナーにも参加するなど、一番の理解者になってくれました。
 昨今、猛威を振るった台風の影響で、わが総県内でも多くの被害が出ました。池田先生をはじめ、全国の同志の皆さまから応援の題目を送っていただき、感謝の思いでいっぱいです。
 異体同心の団結も固く、地域との絆を一層強めながら、必ず変毒為薬してまいります。
 第4千葉総県婦人部長 渡部弘美


【聖教ニュース】

◆ワールド トゥデイ 世界の今〉 大西洋に浮かぶ島国・カボベルデ  この地にも仲良き地涌の連帯が

宝石のような輝きを放つカボベルデのサル島。白い砂浜とエメラルドグリーンの海に桟橋(さんばし)が伸びる(ドローンで撮影)


宝石のような輝きを放つカボベルデのサル島。白い砂浜とエメラルドグリーンの海に桟橋(さんばし)が伸びる(ドローンで撮影)


 日本から約1万4000キロ離れたカボベルデ共和国は、大西洋に浮かぶ小さな島国である。美しいビーチが広がり、欧州の人々などに人気の観光地として知られる。この国に妙法の灯がともったのは、今から18年前。現在は歴史的、経済的に結び付きの強いポルトガルと共に活動に取り組んでいる。今月、ポルトガルSGI(創価学会インタナショナル)の友を取材するため、同国の首都リスボンへ。そこで、カボベルデで奮闘するメンバーがいると聞き、現地に向かった。(記事=西賢一、写真=中谷伸幸)
 今や、あの国にも、この地にも、我らの友人がいる。同志がいる――その実感が、歓喜が、一段と強く、大きくなった。
 日本からリスボンまで約16時間。そこから、さらに4時間――カボベルデは、大西洋上にある大小18の島で構成される国。面積は滋賀県とほぼ同じである。
 15世紀にポルトガル人によって発見されたとされる島々は、1975年までポルトガル領だった。そのため、両国間の交流は活発で、直行便も飛んでいる。SGIの活動もポルトガルがサポート。年に数回、同国SGIの幹部が現地を訪れ、激励に当たっている。
 このカボベルデに最初の学会員が誕生したのは、2001年12月。新世紀の到来とともに、一人のカボベルデ人女性がポルトガルで入会したのだ。その報告を聞いた池田先生は、この月の本部幹部会で、新入会者が婦人部、紹介者がポルトガル女子部であることに言及。「女性の世紀」の象徴とたたえ、喝采を送った。
 国の連絡責任者で、婦人部のソフィ・テヴェンさんは言う。「カボベルデは今も女性が主役です。地涌のスクラムは九つある有人島のうち、四つの島へと広がりました。皆、仲が良く、とても元気です!」

師と共に! 、わが使命は広宣流布

テ/ヴェンさんはフランスの出身。父に続き、1980年から信心を始めた。生まれつき目に障がいがあり、16歳で左目の視力を失う。


 11日午後には、次の訪問地であるサン・ヴィセンテ島へ。ここは4島の中で最も会員数が多く、座談会が定期開催されている。
 この日の座談会場は、壮年部のアントニオ・タバレスさん宅。プロのダンサーだった彼は、ポルトガルで信心の土台を築いた。長年、母国の発展に尽くしたいと祈る中、当時の教育大臣から「国立文化センターの館長になってくれないか」との話が。仏法への確信を胸に帰国し、カボベルデの芸術振興に貢献する。
 そのタバレスさんを折伏したのは、妻のミリアン・シーマスさん。宿命転換の体験を語り、これまで多くの友を信心に導いてきた。「私は池田先生と広宣流布をするために生まれてきた――そう思っています。題目はまるで“磁石”のよう。祈ると、対話する人が次から次に現れてくるんですから」と声を弾ませる。
 座談会は集合住宅の2階にある夫妻の家で、午後7時からスタート。少し緊張した表情の新来者も参加している。勤行・唱題の後、皆で自己紹介。池田先生の指導を確認し合い、自由発言のコーナーへ。それぞれが信仰で得た“私の勝利”について語っていく。
 中でも共感を呼んだのは、テレビ局で働くマチルド・ディアスさんの体験だった。ジャーナリストである彼女は、自身の感情に振り回され、人と衝突することが多かった。しかし“いつも笑顔で”との池田先生の言葉に触れ、仏法者としての振る舞いを大切にしようと決意。少しずつ、自らが持つ生命の傾向性と向き合えるようになり、支えてくれる同僚に感謝する心が生まれた。「“自分が変われば環境が変わる”との仏法の素晴らしさを感じられたこと。それが“私の勝利”です」と語ると、参加者から賛同の拍手が送られた。
 会場には、カボベルデの一粒種であるマリア・フェルナンダ・ヴィエイラさん(婦人部)と、音楽家で海外ツアーから戻ったジェラール・メンデスさん(壮年部)の姿もあった。
 現在、島議会の議会長や島の副知事等を務めるヴィエイラさん。実は彼女にとって、メンデスさんは“信心の父”に当たる。彼はかつて住んでいた欧州で83年に入会。友人であるヴィエイラさんを最初に折伏し、後に信心するきっかけを作った人物だったのだ。
 久しぶりの再会を喜び合う多忙な二人。終始、和やかな雰囲気に包まれた創価家族の集いは、メンデスさんのオリジナルソングの演奏と、学会歌「今日も元気で」の大合唱で締めくくられた。
 メンデスさんの曲のテーマは“人をつなぐ”。「今日も元気で」は広布の心意気を表現した師弟の調べだ。
 今、この時、この場所で、仏法に巡り合い、縁深き同志と共に「師弟の絆」を結ぶことができた――。使命の人生を生きる誇りが、音色となり、歌声となって響き渡る。新来者もすっかり溶け込み、「ぜひまた参加したい」と、興奮した面持ちで感想を口にした。
 前日、数年ぶりに本格的な“恵みの雨”が降り注いだからだろうか。窓から外を眺めると、ひときわ鮮やかな月が顔を出していた。その煌々たる光は、カボベルデの未来を照らす“希望の輝き”にも見えた。


【特集記事・信仰体験など】

◆ 〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉81 目の前の一人と語らい、励ましを送る わが地域に日本一の男子部を  発展の礎「広布十傑」運動を推進

〈出席者〉
原田会長
長谷川理事長
志賀青年部長
西方男子部長
中原男子部大学校事務局長

“わが地域に、日本一の男子部をつくろう!”という情熱を持っていただきたい――師の呼び掛けを胸に、大学校生と共に拡大に挑む男子部の友(総神奈川の大学校生大会)

 中原 3年ぶり3度目の箱根駅伝本戦への出場を決めた、創価大学の快走に胸が躍りました。

 長谷川 チームとして初めて出場したのが2015年。1月2・3日にまた、創大生の姿が見られると思うと感無量です。

 原田 さらなる“前進”を誓う創大生たちの奮闘を力強く応援していきたい。

 志賀 一方、全日本吹奏楽コンクールでは、「創価グロリア吹奏楽団」が2年連続の“日本一”となる金賞に輝きました。

 原田 これで13度目の栄冠です。学業や仕事をやり繰りしながらの創価の青年の躍動に、全国の同志が勇気をもらっています。

大学校生と絆強く
 西方 男子部では今、明年の7・11「男子部結成記念日」を目指し、全国で「3万世帯の弘教」を目標に、拡大に全力を挙げています。“グロリア”のメンバーの多くも拡大に先駆しています。

 長谷川 小説『新・人間革命』第25巻「福光」の章で、池田先生は、「学会の後継者として、青年時代に必ず身につけてほしいのは折伏力だ。創価学会は、日蓮大聖人の御遺命である広宣流布を実現するために出現した折伏の団体だもの。その後継者である青年たちが、弘教の大闘士に育たなければ、学会の未来は開けない」と言われています。

 中原 男子部が命に刻む指針です。

 原田 本年夏の青年部最高協議会に寄せたメッセージの中でも先生は、青年門下の南条時光に示された、「ただ放っておきなさい。梵天や帝釈等のお計らいとして日本国の人々が一度に信ずることがあるだろう。その時、私も、もとから信じていた、信じていた、という人が多くいるだろうと思われる」(御書1539ページ、通解)との御聖訓を拝し、指導されました。「この『広宣流布は必ず成就する』との御断言を具現化していく地涌の指導者こそ、今の青年部である」と。

 長谷川 そのためにも、まず眼前の一人の青年と語らい、励ますことです。勇気と希望を贈ることです。そして、魅力と活力溢れる人材の城を築くことです。

 原田 先生は、忍耐強く下種した人々が「私も、もとから信じていた、信じていた」と立ち上がる時代の到来を確信し、異体同心の団結で創価の未来を赫々と照らしてほしいと、青年部に期待されています。師の思いに応える弟子へ、ともどもに成長していきたい。

 西方 11月からは、全国の各方面で男子部大会を開催します。この日を目指し、大学校生を先頭に、折伏の上げ潮を起こしていく決意です。

 志賀 大学校生が活躍している地域には、常に感動が生まれます。台風19号で被災した岩手県釜石市での、男子部「かたし隊」は、参加者の半数以上が大学校の1・2期生でした。

 原田 そうした新しいメンバーが他者のために献身的に行動していることを、多くの方が感嘆と感謝のまなざしで見つめています。

 西方 本年、大学校を卒業した1期生の多くが、創価班・牙城会の新時代1期生として活動しています。上半期の対話拡大の戦いにおいても、“新しい力”として各地で旋風を起こしてくれました。

 中原 大学校2期生も奮闘しています。埼玉・川越のあるメンバーは病気のため、10年前まで家族とも離れ、引きこもっていました。4年前に、いとこの情熱に心を打たれて入会。男子部の先輩から、「自分はこうなりたい!」と具体的に祈っていこうと励まされ、就労支援の事業所に通うようになりました。

 志賀 本年4月には、35人もの友人や知人に“真心の対話”を広げ、5月には人生初の御本尊流布を成就。信心を始めて、大きく変わっていく息子の姿を見てきたお母さんも感動されているそうです。

 中原 大学校では現在、「家勤運動」と称し、大学校生と勝利長らが、日常的に自宅や会館で一緒に勤行・唱題を行うようにしています。共に祈り、共に行動していく中に、勝利の鍵があると確信しています。

 原田 学会がここまで発展してきたのは、何よりも一人を大切にし、一対一の絆を強めてきたからです。「人間の発心を促すものは、大きな会合よりも、むしろ、一対一の対話である」――小説『新・人間革命』第12巻「新緑」の章に書かれている通りです。

小単位会合が大切
 西方 男子部ではまた、「部活・本部活」などの小単位の会合の定期開催と充実にも力を入れています。

 志賀 男子部が発展するために最も大切なことは、小単位の会合に主体的に参加するメンバーの増加です。そこで男子部では、「広布十傑」運動と名付け、徹底した訪問・激励を通し、部や本部で10人の「本物の弟子」の誕生を目指しています。

 西方 10月22日付の聖教新聞では、その模範として、部の活動者会に10人の友が集う、大阪・交野の星田大桜部の活動の模様が紹介されました。

 長谷川 「男子部の日」として今も輝く「11・5」は、池田先生が弟子として戸田先生に誓った「10万人の男子部の結集」(1961年)に淵源があります。

 原田 私もその場にいた一人です。この時の会合の模様を伝える聖教新聞の見出しは「世界広布への大宣言」でした。つまり「10万人の大結集」が即、世界広布への扉を開いたのです。

 西方 ひるがえって現代において、部や本部で10人の精鋭が集うことは、地域や社会を変革する大きな力になると思います。「わが地域に、日本一の男子部を!」と誓い合い、皆で勇躍の前進をしていきます。

◆信仰体験 登攀者 林業に生きて40年 今ここで輝く
 地域こそ生活の基盤、広布の舞台  「真面目に」「素直に」がモットー

 濃い緑をたたえた山々に野鳥のさえずりが響き渡る。木々の上を鋭い視線で見つめながら、蔵満
正さん(71)=鹿児島県出水市、副支部長(地区部長兼任)=が歩みを進める。木を間伐する林業に従事して40年。「山に生き、山に生かされてきた半生でした」。そう言ってまた木の上を見上げ、チェーンソーのエンジンを勢いよくかけた。

 腰をぐっと落として、チェーンソーの刃を木に当てる。うなりを上げるとともに、舞い上がる木くず。直径30センチほどの木に回り込むようにして、慎重に刃を入れていく。程なく、事前にワイヤーでくくり付けた木をクレーン車で引っ張ると、狙い通りの位置に真っすぐ木が倒れた。
 暗かった森に光が差し込み、一帯が明るくなった。日の光が、葉を茂らせ、幹を太らせる。しっかりと張った根が、山の地面を強くすれば、土砂災害を防ぐこともできる。
 「間伐の前には、木の上をよく見ること。どの方向が倒れやすいか、かずらなどが絡まっていないかの確認が不可欠です」
 若手職人の多くは、慣れてくると上を見なくなるという。すると、「じゃんがよ!(そうじゃない)」と蔵満さんの怒声が飛んでくる。
 慣れという油断を排せ――。「無事故、安全を勝ち取るというのは、基本に徹する以外にない」
 太くない枝であっても、当たりどころが悪ければ命を落とす。木の根元を切った直後、自分の方に倒れてくることもある。「山師の仕事は、死と隣り合わせ。その上、汚い、キツいというイメージもある」と蔵満さん。
 「それでも、私にとって山師は天職。大変な分だけ、やりがいも大きい」
 幹に刻まれた年輪や、枝の節が成長の証しであるように、苦難が蔵満さんの人生を鍛え、豊かにした――。
                         *
 ひどいぜんそく発作に悩まされた青年時代だった。作業着の胸ポケットには常に吸入器を備えた。寝入りばなの発作は特に苦しい。咳が止まらず、呼吸困難に陥ることもたびたび。意識が遠のき、目の前がかすむ。
 病院で点滴を受けることが日課になった。しかし、その点滴も次第に効かなくなる。
 “この先、仕事はどうなるのか……”
 「お題目よ。唱題しかないのよ」。妻・スミ子さん(71)=支部副婦人部長(地区婦人部長兼任)=から、はっきりと言われた。
 スミ子さんは、蔵満さんと結婚以来、家族でただ一人信心を貫いてきた。義理の両親や祖母が寝静まった後、押し入れの中に安置した御本尊に向かって題目を唱えた。
 「この信心で幸せを勝ち取りたい」。長男が心房中隔欠損症で生まれた時も、ひたぶるな祈りで乗り越え、信心の確信は厚みを増していった。
 「妻に、信心の苗木を植えてもらったんですわ」
 蔵満さんは肩に毛布を掛け、腹に枕を抱えながら、妻に言われた通り、一遍一遍ゆっくりと題目を唱えた。ぜんそく発作の不安が常にあったが、それがなくなった。薄紙をはぐように、良くなっていく。さらに、医師から処方された新薬がよく効いた。
 「あんなに苦しかった思いがすーっと消え、澄んだ青空が広がっていったんです」

 32歳で創価学会に入会。教学部任用試験で学んだ御書の一節を自身の指針にした。
 「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」(御書234ページ)
 「信心への感謝の思いを、どげんかして返したかった」。蔵満さんは、聖教新聞の配達を始めた。午前4時半に起床し、一軒一軒、祈りを込めて地域を駆けた。
 まるで樹木が根を張り巡らすかのように、10年、20年と聖教配達を通じて、地域に福運と信頼を広く深く伸ばし続けた。
 「大雨や台風などの災害が起きた後は、皆さんの屋根が壊れていないか、木が倒れていないかもチェックしました」
 池田先生の指導が胸にある。
 「地域を守るのは、わが地域こそが生活の基盤であり、広宣流布の舞台であるからです。地域を離れて、どこか別の所に、広布の楽土があるわけでは絶対にない」
 大樹のごとき人格で他者に尽くし、誠実に仕事に励む姿は、多くの人からの信頼につながっている。「蔵満さんが作業した後は、すぐ分かる。枝や葉がきれいに掃除されているから」との声も。
 「足場をきれいにすることで、作業がはかどるし、ケガも防ぐことができるんです」
 森林組合からは、職人を志す若者の育成を任される。
 ある日のこと。入ってきたばかりの青年が、サンダル履きで森林組合の事務所に現れた。「そんな格好じゃ山に入れんぞ」。服装から道具の取り扱い、そして心構えまで根気強く教え続けた。「その青年が20年たった今では、所長に昇進しています(笑い)」
 放置された山は荒れる。手入れを続けた山は、木が真っすぐ育ち、土砂崩れも防ぐ。
 「だから、“山の民生委員”として、山の所有者のもとに定期的に通い、手入れの意義を語るんです」
 山を守ることは、川と海に豊富な栄養を供給することにもつながる。それは、地球を守ることであり、命を守ること。
 「入会して40年。こんな境涯になれたのも、信心のおかげです。折伏してくれた妻には頭が上がりません(笑い)」
 山での仕事自体は、引退の時が来る。だが、手入れをした木は残る。丹精込めて育てた後輩は後に続く――。

2019年10月30日 (水)

2019年10月30日(水)の聖教

2019年10月30日(水)の聖教

◆わが友に贈る

人生は悩みとの戦いだ。
真の幸福とは
負けない生き方にある。
その根本は題目なり!
強く楽しく朗らかに!

◆名字の言

小さな街の商店街でラーメン店を営む壮年部員が、座談会で活動報告をした。かつて周囲の店は繁盛しているのに、自分の店だけが、ほぼ毎日“開店休業”状態だったという▼壮年は再起を誓った。「それはそれは題目をあげました。でも今思えば“こうだったらいいのに”“ああなったらいいな”という願望ばかりで……」。努力も実らず、空回りの年月が過ぎた▼そんなある日、「心の固きに仮りて神の守り則ち強し」(御書1220ページ)との妙楽の言葉を引いた、池田先生の指導に衝撃を受けた。「一次元から言えば、これは『人だのみをするな』と言うことであります。誰かが守ってくれるとか、誰かが味方してくれるとか、そういう甘い考えは捨てなさい。全部、自分が強くなるしかない。自分が強くなってこそ、諸天善神も守るのだ、勝っていけるのだ――という文証であります」▼壮年の祈りの一念と仕事に対する姿勢は一変した。研究を重ねたスープが評判を呼び、店は遠方からも訪れる客で行列ができるまでになった▼壮年が「これからも全ての戦いに勝ちます!」と話を結ぶと、会場にいた新来者が聞いた。「何と戦うんですか?」。壮年の答えに勝負哲学が光っていた。「自分と、です。自分に勝つ人が真の勝利者だと学びました」(代)

◆寸鉄

小さな街の商店街でラーメン店を営む壮年部員が、座談会で活動報告をした。かつて周囲の店は繁盛しているのに、自分の店だけが、ほぼ毎日“開店休業”状態だったという▼壮年は再起を誓った。「それはそれは題目をあげました。でも今思えば“こうだったらいいのに”“ああなったらいいな”という願望ばかりで……」。努力も実らず、空回りの年月が過ぎた▼そんなある日、「心の固きに仮りて神の守り則ち強し」(御書1220ページ)との妙楽の言葉を引いた、池田先生の指導に衝撃を受けた。「一次元から言えば、これは『人だのみをするな』と言うことであります。誰かが守ってくれるとか、誰かが味方してくれるとか、そういう甘い考えは捨てなさい。全部、自分が強くなるしかない。自分が強くなってこそ、諸天善神も守るのだ、勝っていけるのだ――という文証であります」▼壮年の祈りの一念と仕事に対する姿勢は一変した。研究を重ねたスープが評判を呼び、店は遠方からも訪れる客で行列ができるまでになった▼壮年が「これからも全ての戦いに勝ちます!」と話を結ぶと、会場にいた新来者が聞いた。「何と戦うんですか?」。壮年の答えに勝負哲学が光っていた。「自分と、です。自分に勝つ人が真の勝利者だと学びました」(代)

◆社説 ネットリテラシーを考える   画面ごしに見る人との関わり

 スマートフォンやパソコンをはじめとする通信端末・機器とインターネットの普及が、今日の高度な情報社会を支えている。あらゆるモノ・空間がネットにつながる世界の中で、人間の実生活とネットは、もはや切り離せないといっても過言ではないだろう。
 一方で、来年には日本でも「5G」の商用サービスが本格展開される。これは「高速大容量通信」「超信頼・低遅延通信」「多数同時接続」を掲げる次世代の通信規格であり、世に革命をもたらすと期待され、通信技術の劇的な飛躍やそれによる新しい価値の創出が見込まれている。
 人とネットが一層密接になる社会へと加速度的に移行しつつある現在。ここでは今一度、ネットとの関わり方を考え、ネットをうまく活用するための知識や能力――ネットリテラシーについて、個人利用における「知る」「実行できる」の2点を顧みたい。
 まずは「知る」ことの大切さ。普段、スマホを使う中でも私たちは多くの知識を得ながら用いている。例えば、ネット上にはどんなサービスがあるか。使用している端末・機器はどんな製品で、どんなデータを扱うか。サービスや端末・機器はどんな技術により、使用の代価として何を提供しているか……。
 技術、サービスなどは、日進月歩で新しくなるため、何人も知るための継続的な努力が必要となる。よく知らずともネットを利用してたやすく恩恵を得られるが、正しく知ることは、次の「実行できる」ことへの礎となる。
 正しいネット利用を「実行できる」こととは、端的には、“配慮すべきことが分かる”ことといえよう。マナーや倫理に照らした情報発信のあり方、プライバシーや著作権、人の名誉に関する法律など、注意すべきポイントを踏まえる必要があるからである。
 加えて、ネットの世界には悪意を持った者がいることも確かだ。ゆえに、予期しない個人情報の公開などを避けるための安全管理への意識も大切である。消し去ることが困難な流出した電子情報をデジタルタトゥー(入れ墨)と表現するが、ネットへの接続(情報の発信)に当たっては、個人情報の“断片”を世界に刻む可能性を念頭に置きたい。
 有益な情報を得て、さまざまな価値を生むことができる便利なネットの世界。私たちが、これからもネットを利用し続けることは変わらない。ネットリテラシーも、人の生き方、人との関わりを見つめることと根底でつながっている。だからこそ、私たちがネットに向き合う時、ネットの先にいる個人や人間社会と向き合っていることを忘れずにいたい。

◆きょうの発心 父母の志を継ぎ、広布に力走! 2019年10月30日

御文 毒薬変じて薬となる妙法蓮華経の五字は悪変じて善となる、玉泉と申す泉は石を玉となす此の五字は凡夫を仏となす(内房女房御返事、1423ページ・編1293ページ)
通解 毒薬が変じて薬となる(という譬えがあるように)、妙法蓮華経の五字は、悪が変じて善となるのです。玉泉という泉は、石を玉に変えるといわれていますが、妙法蓮華経の五字は、凡夫を仏に変えるのです。

 妙法の功徳で、即身成仏は疑いないと御断言です。
 幼少の頃、学会活動に励む両親の背中を見て育ち、小学5年の時には、音楽隊に入隊しました。
 1972年(昭和47年)8月、夏季講習会で池田先生と初めての出会いを結びました。その翌々月、がんと闘っていた父が霊山へ。最期まで信心し抜いた父の姿を、自身のかがみとしてきました。
 78年11月、姫路文化会館を訪れた先生を、音楽隊員として迎えられたことが信心の原点です。
 壮年部に進出後、起業。圏長を務めていた時に経営の危機に陥りました。題目を真剣に唱えながら広布に走り、深夜にはアルバイトも。8年かけて借金を完済し、倒産の危機を乗り越えることができました。支えてくださった同志の皆さまに感謝は尽きません。
 昨年11月、父の分まで長生きをした母が、「私は勝った」と言い残し、99歳で天寿を全うしました。
 11・14「姫路光城県の日」を、同志の激励と友好拡大で荘厳します。
 兵庫・姫路光城県副総合長 道上勝


【先生のメッセージ】

◆心に御書を〈7〉池田先生が贈る指針 同志を励ます福徳は絶大

御文 南無妙法蓮華経と受け持たん人を守らん功徳いくら程とも計りがたく・めでたき功徳なり神妙なり(法華初心成仏抄、556ページ)
通解 (あなた方が)南無妙法蓮華経と受け持つ人を守る功徳は、どれほどとも量りがたく、素晴らしい功徳である。立派なことである。

 妙法を受持する人を守る功徳は絶大である。
 同志のことを“我が事”として祈り、悩める友の元へ電光石火で駆け付ける。どこまでも寄り添い、同苦し、一緒に勇気の一歩を踏み出す――慈愛の献身を、御本仏が全て御照覧であられる。
 創価の人間主義の励ましを一段と大きく広げ、自他共に福運安穏の境涯を開きゆこう!


【聖教ニュース】

◆ドイツで開催 世界最大の書籍見本市 フランクフルト・ブックフェア 2019年10月30日
 SGIが出展 池田先生の外国語版の対談集、絵本など220点を紹介

SGIのブースで行われたトークイベント。ブースには連日、池田先生の対談集や絵本などを手に取る人の姿が

SGIのブースで行われたトークイベント。ブースには連日、池田先生の対談集や絵本などを手に取る人の姿が

 500年以上続く世界最大の書籍見本市である「フランクフルト・ブックフェア」(16~20日)に、SGI(創価学会インタナショナル)がブースを開設。外国語版の池田大作先生の著作や対談集、絵本など約220点を紹介した。
 この催しは毎年10月、ドイツのフランクフルトで行われ、出版物の展示や版権の交渉の場となっている。今年は104カ国・地域から7450社が出展。有名作家の講演会をはじめ、音声コンテンツの可能性をテーマにした会議なども開催された。会場には連日、多くの出版関係者らが訪れ、その数は5日間で30万人に上った。
 SGIのブースでは、ブックフェアに合わせて作成した、池田先生の箴言を収録した小冊子を来場者に配布。トークイベントでは、ドイツSGIのマツノ最高参与が宿命転換の意義や人間革命の哲学について語り、聴衆から反響が寄せられた。
 16日には、ドイツ語版「御書」の監修者であるテュービンゲン大学のヘルビッヒ・シュミット・グリンツァー教授がブースを訪問。「SGIの皆さまは、ドイツと日本の関係の発展に大きな役割を果たしています。その存在は、ますます重要になってくるでしょう」と期待を寄せた。
 また、ブースを訪れた出版関係者からは、次のような声が寄せられた。
 「“価値あるものを社会に提供する”という使命を果たすために、SGIや池田SGI会長のことを広く人々に伝えていきたい」(ドイツのヘルダー出版社)
 「現代は人生の規範を見失う人が多い。その中で師弟を重んじ、祈って自身と向き合いながら、今日より明日へと常に前進する創価の生き方は素晴らしいと思います」(イスラエルのデーケル出版社)


【特集記事・信仰体験など】

◆現代と仏法 学術者はこう見る 第17回  介護現場から考える生き方 苦難を前進の糧にする哲学を

大阪市立大学大学院 都市文化研究センター研究員 広瀬 美千代さん (関西学術部員)

 人生にはさまざまな苦難がありますが、どんな悩みも前進の糧としていける人は幸福である――それは社会福祉などを専門とし、多くの介護従事者や家族介護者と向き合ってきた私の実感です。
 そもそも介護の仕事は長年、肉体的にも精神的にも“つらいだけ”と考えられており、研究者の中でも介護ストレスが主な研究テーマとなっていました。しかし、それでは否定的な側面しか見えてきません。これまで私が行ってきたアンケートやインタビューなどの調査では、「満足感」という尺度を通して見ることで、そうした介護の現場でも、やりがいを感じている人が多くいることが分かりました。またデータを分析する中で、そうした感覚を持つ人には、一定の傾向性があることも分かったのです。
 例えば、ベテランのホームヘルパーの中には、利用者とうまく会話できず、受け入れてもらえないような否定的な状況でも、困難を前向きに捉え直す楽観的な感覚を持ち合わせている方が多くいます。そのような方々に共通するのは、“そうした苦しいことさえも、自らの学びに変えている”という点でした。
 介護をするためには、相手の好き嫌いはもちろん、考えや感じ方などを深く知らなければなりません。そこには、相手と向き合う作業や相手から学ぶ姿勢が不可欠です。以前、新人の介護福祉士を対象にインタビュー調査をしたことがありますが、そうしたやりとりを自らの学びにつなげている人ほど、その後も仕事を続けていく意志が強いことが分かりました。
 心理学では、人生の充実感を得る要件の一つとして、自己成長感が挙げられています。まさに多忙な仕事の中でも困難を自らの学びに変え、自己の成長につなげられる人は、仕事でも充実感を得られるのでしょう。
 加えて、介護従事者が日頃から心掛けていることも、自らの成長を促す要素になっていると思います。それは“その人の長所を伸ばそう”とする視点です。介護従事者は医師ではないので、介護の相手に歩けないなどの障がいがあっても“できないこと”に目を向けるのではなく、相手の特技や趣味に着目しながら、生活の満足度を上げることを心掛けています。
 介護とは、命と向き合う仕事です。たとえ生活の中で、できないことがあったとしても、可能なことから一歩また一歩と前に進み、たくましく生きる相手の姿を目にすれば、自らの人生観も深まります。それはそのまま、自らが苦難に立ち向かう力となり、自己成長につながるのです。
 また、心理学におけるポジティブなモノの見方は、自己成長感だけでなく、勇気、希望、忍耐、楽観性といった概念と関連しています。介護の仕事には、人に寄り添う忍耐や困難に立ち向かう勇気といった要素が含まれています。このため、いつまでも“人のために尽くそう”という理想を失わない人は、つらいことに立ち向かうポジティブな心が芽生え、それがさらに自らの成長に結び付くのだと感じます。
 このように、私が挙げてきた自己成長感や自らの人生観を深める作業、人のために尽くす理想を失わないといった観点は、仏法の哲学に通じるのではないでしょうか。
 仏法には「変毒為薬」「転重軽受」などの考え方があり、目の前の困難から逃げるのではなく、自己の成長の好機と捉えて立ち向かう重要性を説いています。また、「人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし」(御書1598ページ)との御文に明らかなように、人に尽くす行為は自分の成長につながると教えています。
 介護従事者にとって、苦難を前進の糧とする哲学は自らの体験の中でつかみ取ったものです。しかし学会員は、そうした哲学を皆が会得し、それぞれの悩みを乗り越えています。研究を通して苦悩の先にある幸福について探究するほど、学会活動の中には、皆が生き生きと暮らしていける「幸齢社会」を築く知恵があると思えるのです。

◆ラジオ朗読「新・人間革命」 師弟のドラマに感動広がる 文化放送・収録スタジオを訪ねて
 “最高の番組を”妥協なき挑戦 臨場感生み出す創意工夫の数々

ラジオ朗読「新・人間革命」の収録風景(文化放送で)
ラジオ朗読「新・人間革命」の収録風景(文化放送で)


 「毎日、感動と勇気をもらっています!」――本年4月から放送を再開した小説『新・人間革命』の朗読番組「聖教新聞ラジオライブラリー」が好評を博している。創価の師弟が織りなす人間ドラマの制作現場である文化放送(東京・浜松町)の収録スタジオを訪ねた。
 「おはようございます!」「よろしくお願いします!」
 午後2時前、スタジオに、ナレーターの小野田英一さん、沢田敏子さんをはじめ、スタッフ、関係者が、次々と集まってくる。
 小野田さんといえば、かつてFM放送の人気長寿番組「ジェットストリーム」で、城達也さんの後を継ぎ、2代目パーソナリティーを務めたことでも知られている。コンビを組むナレーター・沢田さんは、幼児からお年寄りまで、七色の声を使い分けるといわれる実力派声優だ。
 文化放送のスタッフに聖教新聞社の担当者も加わり、収録直前の打ち合わせが始まった。
 この日の収録は、第28巻「大道」の章。1978年(昭和53年)7月に、主人公の山本伸一が、四国の香川県にある小豆島を訪れ、さらに愛知県の名古屋を訪問するところまで。10月28日(月)から11月1日(金)放送分である。
 小野田さんが尋ねる。
 「『信行学』は、信・行・学と、ひと呼吸ずつ入れたほうがいいでしょうか?」
 仏教用語や御書の御文、経文のアクセント、イントネーションなどについて、入念に打ち合わせが行われる。小野田さんが手にしている、書き込みがびっしりとあるシナリオに、さらに文字が加えられる。
 また、一人一人の登場人物の年齢や特徴などが説明され、キャラクターが決められていく。

スタッフの特別出演も
 打ち合わせが終わると、まず、この日の収録で使われる四国の歌「我等の天地」の合唱の録音が始まった。
 小野田・沢田さんのほか、聖教の担当者らも録音スタジオに入り、流れるピアノの音に合わせて歌う。事前に楽譜などを渡され、それぞれが練習してきたという。
 ?遙かな峰も
    我が峰と……
 山本伸一を迎えた小豆島の同志が、にわか仕立ての合唱団を編成し、その日の「聖教新聞」に発表されたばかりの歌を披露するシーンである。
 スタジオで一緒に歌うのは初めてだが、ぴったりと息が合い、見事な合唱となった。
 ところが、なんと「不採用」に。
 「上手すぎる! そして、もっと元気いっぱいに歌ってください」
 シナリオには、「熱唱であったが、しばしばリズムが狂い、音程も外れた」とあるからだ。
 録り直すが、今度は「まだリアリティーが足りません」との指摘。皆、声を張り上げ、懸命に熱唱する。
 3回目で、やっとOKが出る。
 この番組制作では、臨場感を出すための、創意工夫は数限りない。
 小豆島会館に集ったメンバーが万歳を三唱する場面では、スタジオに来ている関係者全員が「万歳!」と叫ぶ。全員といっても、メンバーは、数人しかいない。そこで、この声を重ね録りし、まるで数百人が万歳をしているかのように作り上げていく。
 学会歌を合唱する際の手拍子も、大勢で言う「はい!」という返事も、番組スタッフ、関係者の協力と団結のたまものだ。

その光景が目に浮かぶ
 いよいよ本編の収録となった。
 オープニングのテーマ曲が流れ、ディレクターが大きく手を振る。
 「平和ほど、尊きものはない。
 平和ほど、幸福なものはない……」
 小野田英一さんの抑揚のある澄んだ声が響く。
 やがて、伸一が小豆島を後にする場面に。
 高速船がエンジン音を響かせ、桟橋を離れていく。海鳥の鳴き声も聞こえる。見送りに来た島の同志が、手を振り、声を限りに叫ぶ――。
 「先生! また来てください!」(小野田)
 「頑張ります! 見ていてください」(沢田)
 別れの光景が、ありありと目に浮かび、同志の思いが胸に迫る。まさに、繰り広げられる師弟のドラマを、目の前で見ているようだ。
 しばらく進むと、沢田さんが声を上げた。
 「ああっ、すみません! 今、声がひっくり返ってしまいました」
 録り直して欲しいというのだ。いかにも口惜しそうな表情である。
 自ら録り直しを求めることを、いつからか“自己申告”と呼ぶようになった。
 皆の、この妥協なき挑戦の姿勢こそが、人々を魅了してやまない、感動の番組を生み出す源泉なのかもしれない。
 放送では、ほんの些細な言い間違いも、わずかな雑音が入ることも許されない。
 それだけに、和気あいあいとした中にも、緊張感が漂っている。
 収録の合間も、小野田さんは、シナリオをじっと読み込み、沢田さんは自分の担当部分を、小さな声で復唱している。
 その姿に、“後世に残る最高の番組にしてみせる”との気迫がにじむ。
 収録は好調に進む。物語は、ますます佳境に入っていく。日々の放送が楽しみだ。
 【番組は、文化放送をキー局に全国33局で、毎週月曜日から金曜日まで、午前5時台を中心に放送中】

声優 小野田英一さん/作者の“心”を伝えたい
 私が、いつも心掛けているのは、「作者が、この作品で何を伝えたいのか」という意思を読み取ることです。そして、それを私の声で、そのまま聴取者の皆さんに届けるために、どう表現すればよいのかと、日々、努力しています。
 『新・人間革命』は、人間を蘇生させていく物語です。人間としての自立を促し、現実の社会にあって、人々の幸せのために行動を起こせと随所で呼び掛けられています。
 例えば、第28巻「大道」の章では、山本伸一が小豆島会館で、豪雨災害によって両親を亡くした女子部員を、「負けてはいけません。強くなるんです」と励ますシーンがあります。そうした伸一の心に、どこまで迫れるか――毎回、真剣勝負で取り組んでいます。
 この放送を聞いた人たちが『新・人間革命』を身近に感じ、「今日も頑張ろう!」と思ってくださることが、最大の喜びです。

声優 沢田敏子さん/求めた“答え”がここに
 昔から、哲学が好きで、「幸福ってなんだろう」「自分が生きているのは何のためだろう」と、いつも考えてきました。
 そして、2003年に、この『新・人間革命』のお仕事に出合ったんです。台本を読み進めるうちに、“長い間、考えてきたことの答えが、この中に詰まっている!”と実感し、感激したことを覚えています。
 2015年3月に第26巻の放送が終了し、4年ぶりに、第27巻から再開されたのは今年4月。「令和」の幕開けを告げる放送となりました。
 「令和」という時代の意味を英訳すると、「ビューティフル・ハーモニー(美しい調和)」とのこと。
 時代が求めている、その“調和の哲学”を発信しているのが、この『新・人間革命』ではないかと思います。
 そんな素敵な作品に携われるなんて、私は、誰よりも幸せです。

聞き逃した! 携帯アプリでいつでもOK
●「ラジコ」があるから大丈夫!
 『新・人間革命』のラジオ朗読を聞きたいけれど、「手元にラジオがない」「放送時間が早くて……」と諦めている人に朗報! インターネットにつながったスマートフォンやパソコンがあれば、「いつでも」「どこでも」ラジオ番組が聞けます。毎朝、ラジオで聞いている方も、「聞き逃してしまった!」という時に、ぜひ活用してみてください。ここでは、携帯電話の無料アプリ「radiko」を使った聴取方法を解説します。
準備①アプリをダウンロードする
 iPhoneをお持ちの方は「App Store」から、アンドロイド端末をお持ちの方は「Google Play」から、「radiko」をダウンロードします。
 【ポイント】検索は「らじこ」「ラジコ」でもOK!
準備②radikoを起動する
 ダウンロードされたradikoのアイコンをタップ。
 【ポイント】事前にスマートフォンの「位置情報」の設定を、「オン」にしておく。
 画面に番組表が表示されたら、これで準備OKです。
こんなにかんたん「ラジコ」の使い方
①アプリを起動したら、画面下の四つのマークのうち「さがす」をタップ。
②番組名などを入れる欄に「新・人間革命」と入力(「人間革命」でもOK)。「番組を検索する」をタップ。
③過去一週間分の番組の中から、聞きたいものを選択。
④「再生マーク」をタップ。24時間以内であれば、何度でも聞けます。
 【注意】「ラジコ」で聞けるのは、過去1週間以内に放送された番組です。聴取を開始して24時間以内であれば、合計3時間まで、何度でも聴取することができます。ただし、再生マークをタップして24時間を経過した番組は、1週間以内であっても聞き直すことができません。

◆信仰体験 生きるよろこび  ろう者として挑み続ける  臆病の岬を越えていく

 【千葉県船橋市】鍛え抜かれた大胸筋と上腕二頭筋。一目でスポーツマンだと分かる。全国障害者スポーツ大会の常連で、「千葉の鉄人」とニックネームで呼ぶ人もいる。そんな北原靖幸さん(60)=副創価長(副ブロック長)=が、手話講座の講師として立つと、教室は笑いにあふれる。「健常者と聴覚障がい者の懸け橋になりたいんです」。体の限界に挑み続けながら、自らも音のない世界で、強く生きる。

楽しさを伝える
 「難しい話はしません」。そう語る北原さんの手話講座は、ジェスチャーゲームから始まる。例えば、「おにぎり」のイラストを見せる。受講者は一列に並び、お題を手の動きだけで後ろの人に伝えていく。
 最初の人は両手で握る動作を。次の人は、握るものが少し大きくなる。さらに進むと、握ったものを投げてしまった。こうなると、最後の人は、おにぎりが浮かばない。
 教室の笑い声を表情で理解し、北原さんが伝えるのは、手の動きで意思の疎通を図る難しさと繊細さ。
 「まず、教室を盛り上げるんです。最初が大切なので。一人も漏れなく、手話の楽しさを感じてほしくて」
 ある80代の婦人。難聴になり、沈みがちだった。講座を受け、生き生きと手話で話せるまでに。クラス別で講師は違うが、「北原さんに教えてほしい」という声も多い。
 市内の聴覚障がい者は約千人。それに対し、市の登録手話通訳者は30人にも満たない。北原さんは地方銀行に勤める傍ら手話講師として活躍し、妻・紀子さん(55)=副白ゆり長=は市の聴覚障害者協会の手話対策部長。共に感音性難聴の夫婦は、支え合って使命に生きている。

陸上競技と出あう
 偉人の名言集や分厚い古典を開く少年時代だった。5歳の時、高熱が出て難聴となった北原さんには本が支えだった。話すことはできても、相手の声は聞こえない。授業では黒板を見ても、教員の話もクラスの反応も、全く分からない。
 暗くなる気持ちを変えたのがスポーツだった。中学では野球やバスケを。だが、団体競技には意思の疎通が欠かせない。悔しさを味わった。高校は、ろう学校に進み、そこで出あったのが陸上競技だった。
 一人で挑む魅力に引かれた。全国身体障害者スポーツ大会に出場し、17歳で表彰台に上がった。
 社会に出ると、スポーツバッグの製造に携わった。充実感の一方で、社会の壁も感じた。
 “耳さえ聞こえれば”。やるせなさをぐっとのみ込む。
 そんな時、友人から創価学会の話を聞く。だが、弱い人間のすることだと一蹴した。考え方が変わったのは25歳の時。本当の宗教は、何かに頼るのではなく、自分を強くするため――そう教えてくれる人と出会う。転職した銀行で同僚となった紀子さんだった。

冬を春へと変える
 原因不明で徐々に聞こえなくなり、紀子さんも同じ5歳で聴力を失った。教員や友達の助けもあり普通学級に学ぶ。それでも、身ぶりや口の動きを理解し、言葉を返すのは決まった人にだけ。自分の居場所を見いだせなくなった。
 両親から教えてもらった「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)との御文を励みに、初めて真剣に唱題をしたのは小学6年の時。心が前向きになるのを感じた。中学生になると、友人に自分から手紙を書くように。聞こえなくても、文字で会話ができる。毎日が楽しくなった。
 高校卒業後、銀行員として明るく働く紀子さん。その生き方に北原さんは説得力を感じた。
 人生の冬は、おのずと春になるのではない。春へ変えていくもの。北原さんは、どこかで運命だからしょうがないと思っていた。それが池田先生の著作を読めば読むほど変わっていくのを感じた。「先生の言葉は、何よりも重みがあったんです」。1984年(昭和59年)に入会した。
 信心する前は、健常者と接すると、自分をちっぽけに思う瞬間があった。周囲と比べれば、心は暗くなり、卑屈になる。だが、耳が聞こえなくても優れた人はいくらでもいて、障がいの有無は本質ではない。
 池田先生の言葉が心にあった。
 「自身の心の“臆病の岬”を越えることだ」
 力強い声を胸に響かせた。

夫婦で手話講師  健常者との懸け橋に
負けない人生を
 結婚して、長男・進一さん(32)=男子部員=が生まれた。夜泣きをしても、夫婦の耳には届かない。福祉機器の振動を感じては、目を覚まし、子を抱き上げた。
 次男・秀幸さん(29)=男子部員=は早産で生まれ、その影響で左手足にまひが残る。夫婦には、悲しみよりも決意があった。
 「絶対に使命がある子だから、もっと題目を唱えていこう」
 子育てには、いろんなことがあった。ある年、進一さんが保育園から、小さな紙を持って帰ってきた。何かを書いてほしい、と言っている。
 口の動きを見ても紀子さんには分からず、息子は泣いてしまう。後日、保育園に足を運ぶと、七夕の短冊に願い事を書いてほしかったのだと分かった。
 そんな出来事も、「不幸ではなく、不便なだけ」。やがて三男・正紀さん(23)=男子部員=も生まれ、夫婦は、負けない生き方を子どもたちに伝えていく。
 北原さんは働きながら陸上競技を続けた。体を鍛え、砲丸投げなどに挑戦し、多くのメダルを獲得した。
 紀子さんにも変化があった。周囲の目を気にして、手話で話すことを避けていたが、手話サークルに通うようになった。「自分の幸せだけではなく、周りの人の幸せも祈れるようになれたから」。自ら講師となって聴覚障がい者のために働き始めた。

手話で歌う学会歌
 2001年(平成13年)、北原さんはデフリンピック(世界規模で行われる聴覚障がい者のスポーツの祭典)が開催されるイタリアのローマに渡った。標準記録を突破できなかったが、選手ではなく陸上競技日本代表の監督として。「悔しさよりも尽くす喜び」と裏方に徹した。
 その後も、県大会や全国障害者スポーツ大会に出場を重ねてきた。「すがる姿勢があったら、むなしくなる。『なにの兵法よりも法華経の兵法』(御書1192ページ)という気持ちで勝つ。これが大事」
 今月、茨城での全国障害者スポーツ大会では、千葉県の旗手を担うことになっていた。だが、台風19号によって大会は中止に。「来年を目指します。災害に負けずに乗り越えていきたい」と。
 聴覚障がい者は、避難情報などが音声で伝わらず、災害時は情報共有が課題になる。今月27日に行われた千葉妙音会(聴覚障がい者のグループ)の集いでも、同志と台風の話になった。
 会合では、前方に座る人の手の動きに合わせ、皆で声をそろえて唱題。学会歌では、全員で「広布に走れ」を。北原さんが前に立って、手話で歌った。
 「走れ」の歌詞のところで、手話に力がこもる。どんな困難があっても、“臆病の岬を越えるんだ!”。師の声が、その背中を押し続ける。

◆幸齢社会 家族の中に幸せがある  NPО法人高齢社会をよくする女性の会理事長 樋口恵子
 地域活動で“有縁・有援”を

 庶民の相談事にアドバイスを送ってきた、NPO法人「高齢社会をよくする女性の会」理事長の樋口恵子さん。寄せられた悩みの種は時代によって変わるけれど、今も多いのが「家族について」だそうです。
 
「ライフウオッチ――人生100年時代の幸福論」の連動企画として、樋口さんのインタビューを前回(16日付)に続き紹介します。

人口構造がチェンジ

 私がアドバイスを送る「人生案内」(読売新聞)では、数年前から、こんな悲哀交じりの相談を受けるようになりました。
 「どうすれば、『嫁』に気に入ってもらえる『姑』になれるでしょうか」
 主に80代女性からで、内容は口をきいてもらえないといった“嫁の不機嫌”。多くは3世代同居が長く、孫の独立後、自宅にはシニアだけとなった家族。今の世は“嫁姑の正念場”が、ここから始まるようです。
 中には、それまで共働きの嫁に代わり、家事や孫育てに努めてきたお姑さんも。家族に尽くしてくれた80代を悲しませてはいけないと思います。
 一方で、人生100年時代のお姑さんは、こんなに長く「嫁」である女性は、今の60歳前後が史上初であることにご理解を。ご自身が嫁だった頃に比べて、2、3倍は長くなっています。
 嫁姑の問題は、いつの世にもありますが、不機嫌な理由には期間の長さもあるでしょう。
 それにしても、「どうすれば気に入ってもらえるか」は、昔は嫁のセリフ。それが今は姑のセリフにも。ある意味、対等な関係になったと言えそうです。
 加えて、お姑さんは「介護」の変化も認識しておいてください。かつて、親の介護は家族、特に長男の嫁が担い、経験したお姑さんもいるでしょう。
 しかし、少子化が進んだ今は夫の親は夫の身内が、妻の親は妻の身内が介護を担う傾向に。きょうだいが多かった時代とは違い、嫁は実の親を介護中で、義父母まで介護できない場合が少なくありません。
 そんな中、舅や姑が「うちの嫁は冷たい」と思い込んだら、それは“心の独り相撲”かと。嫁との仲は悪くなるだけです。
 人間関係に意外と関わるのが人口構造のチェンジ(変化)。この変化を知って納得しないと「自分だけ、わが家だけ」と、不必要な不幸感を抱きやすいのです。

男も活躍のチャンス

 高齢者も今では核家族化し、離れて暮らすわが子に在宅介護を頼めない傾向があります。
 65歳以上の人がいる世帯数のうち「3世代世帯」の割合は、介護保険が始まった2000年に3割近くありました。
 現在は、それが1割程度となり、「夫婦のみ」と「1人暮らし」で合計約6割に。「老親と独身の子のみ」も増えて、働き盛りの子の“介護離職”が課題となっています。
 子や孫、親族の少ない“家族減少社会”を迎えたわが国は、制度として「地域」でも家族を支えるようになりました。介護の相談などができる「地域包括支援センター」もその一つ。
 また、助け合いの精神で活動する、地域のボランティア等も充実しつつあり、困ったときは頼りになるでしょう。
 注目すべきは、以前は女性が多かった地域での活動に、定年後の男性陣が増えてきたこと。「ぬれ落ち葉」「粗大ごみ」とやゆされた時代もありますが、団塊の世代あたりから社会参加への意識の高さを感じます。
 ご縁も支援もないなら「つくればいいじゃないか」と、地域で“有縁・有援社会”を築く男性諸氏。人生100年は、新たな活躍のチャンスのようです。
100歳にチャレンジ
 地域を支える男性シニアの社会参加は、周りが助かるだけでなく、私には、本人にも効果が出ていると思うことが。ここ数年、要介護や寝たきりではない「健康寿命」の延びは、女性より男性の方が大きいのです。
 要因は幾つかあると思いますが、予防医学の専門家も「高齢者は社会参加が重要」と。おそらく、女性は昔から地域活動が盛んで、男性は最近の意識変革が数字に表れたのでしょう。
 くれぐれも、「俺は男だから100歳まで生きないだろう」と思わないこと。確かに百寿者の大多数は女性ですが、近頃、男性の割合が増えています。
 百寿者になれるかどうかは、私自身も分かりません。アンチエイジングでは防げないほど、体は衰えて「お先真っ暗だな」と思う時も(笑い)。ただし、悲観的に生きてもつまらない。「前向きの方が楽しいな」と。人生100年にチャレンジする生き方が“次世代のモデル”となるように努めています。
 心掛けていることの一つは、人とコミュニケーションを取ること。会話が脳を活性化させます。「人間関係のあるところ、健康長寿あり」なのです。

今も変わらないもの

 先ほど、模範的男性シニアを紹介しましたが、「うちの夫は……」と婦人の嘆きが聞こえてきそうなので、追加で一言。
 以前、「定年後の夫が、まるで口うるさい姑のようになり、うんざりしています」という、便りを頂きました。彼女はそれを“夫の姑化”と。私はうまい表現だと思ったものです。
 感心はさておき、このような男性は、現役時代の上司感覚を引きずっているのかも。定年にかかわらず、妻は部下ではなく対等なパートナーです。中には“妻が上司”というご家庭も、だいぶ増えましたが(笑い)。
 いずれにしても今や、定年後およそ30年にわたる夫婦生活。円満が、互いの幸せになるのは言うまでもありません。時には妻が、夫の生活力などを育てる必要もあるでしょう。
 家庭内で夫に成長してもらうコツは、妻が「具体的に、一歩一歩、口に出して頼み、できたら褒めて、感謝すること」――ほぼ、子育てと同じです。
 私も含め、親が子育てできるのは“親ばか”になれるから。わが子の全てをプラス評価できる力は、すごい教育資源です。人に愛されて育ったと思えることは、生きる自信になるもの。そうした愛情を量はともかく、パートナーに注ぎましょう。
 どんなに時代が変わっても、人間が家族の愛によって育まれることは変わらないのです。
 ひぐち・けいこ 1932年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。時事通信社、学研、キヤノンを経て評論活動を行う。東京家政大学名誉教授。NPO法人「高齢社会をよくする女性の会」理事長。著書に『前向き 長持ち 人間関係の知恵』(海竜社)、『その介護離職、おまちなさい』(潮出版社)など多数。
●ご感想をお寄せください
 kansou@seikyo-np.jp 
 ファクス 03(5360)9610

2019年10月29日 (火)

2019年10月29日(火)の聖教

2019年10月29日(火)の聖教

◆わが友に贈る

信心に無駄はない。
広布のための行動は
全てが福運に変わる。
崩れざる心の財を
積みゆく日々たれ!

◆名字の言

第96回箱根駅伝予選会を5位で通過し、3度目の本戦切符を手にした創価大学。選手やスタッフの多くが勝因として挙げたのは、「徹底した走り込み」だった▼今年から創大は個人の月間走行距離の目標を「最低750キロ」に設定。これまでの500キロに比べ、1・5倍の距離を踏んできた。「走り込み」は長距離走の基本といわれる。予選会で個人7位に入った創大のエースは「基本に徹したことでチームに強い土台ができた」と語った▼この基本をやり抜くために主将が提案したのは、4年生をリーダーにした「縦割り班」の取り組み。なれ合いを捨て、学年の垣根を越えた班員同士が常に互いの目標や課題を共有した。主将は「チームにいい緊張感が生まれ、それぞれの目標を達成し続ける中で、強いチームワークが創り出された」と。このチーム力が、予選会で見事に発揮されていた▼大切なのは分かっているが、なかなか続かない――それが「基本」の難しさかもしれない。しかし何事も新たな飛躍のためには、基本に立ち返るのが近道。さらに、励まし合える存在が欠かせない▼明年「1月2日」の大舞台まで残り2カ月。躍進を誓う創価のランナーに学んで、私たちもまた信行学の基本に徹し、使命の舞台で挑戦を開始しよう。(差)

◆寸鉄

SGIは女性の本来の力
 を引き出す連帯―作家。
 平和創出の主役は私達と
      ◇
 「一切衆生の仏性が皆よ
 ばれて爰に集まる」御書
 一遍の題目の功力確信し
      ◇
 青森県婦人部の日。青年
 と人材の森を育む模範の
 民衆城。福徳の大輪薫れ
      ◇
 「真の苦労は人目につか
 ない苦労」文人。副役職、
 各種役員の献身に最敬礼
      ◇
 有名企業騙る偽サイトの
 詐欺急増。暗証番号等、安
 易に打ち込むな。警戒を


【教学】

◆〈11月度 男子部「御書活動者会」研さんのために〉 立正安国論 2019年10月29日
 師と共に、同志と共に! 清新な決意で出発


鹿児島県・種子島に広がる砂浜。師弟に生き抜く人生に行き詰まりはない

鹿児島県・種子島に広がる砂浜。師弟に生き抜く人生に行き詰まりはない

 11月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では「立正安国論」を研さん。学会と共に、広布に生き抜く中に、人間革命の道があることを学ぶ。

御文
 蒼蠅驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ(御書26ページ)
通解
 小さな青バエも駿馬の尾につかまって万里を行くことができ、葛は大きな松の木にかかって千尋に伸びることができる。

背景と大意
 「立正安国論」は、文応元年(1260年)7月16日、日蓮大聖人が39歳の時、時の実質的な最高権力者・北条時頼に提出された「国主諫暁の書」である。宛先は、北条時頼であるが、広くいえば社会の指導者全般であると拝することができる。
 本書は、客(北条時頼を想定)と主人(大聖人を想定)との十問九答の問答形式。誤った教えに執着する客に対して、主人は理路整然と真実を説き示す。
 「立正安国」とは、「正を立て、国を安んず」と読む。一人一人の胸中に、正法を確立し、社会、国家の繁栄と世界の平和を築いていくことを指す。
 当時は地震、大風、洪水などの自然災害が相次ぎ、深刻な飢饉を招いた。さらに疫病の流行などが毎年のように続き、人心は乱れ、民衆は苦悩の底にあった。大聖人御自身も、こうした民衆の苦しみを目の当たりにされ、深く心を痛められた。
 本書では、その根本原因は人々が正法に背き、悪法を信じていることにあると述べ、災厄の元凶として念仏を鋭く破折する。そして、このまま謗法の教えに執着していくなら、経典に説かれる七難のうち、まだ起こっていない「自界叛逆難」と「他国侵逼難」の二難が起こると警告し、速やかに妙法に帰依するように促している。
 最後に、客は謗法の教えを捨てて、妙法に帰依することを誓う。

解説
 拝読御文の直前で、念仏などの諸宗を破折する主人に対して、客が「あなたはいやしい身分の人でありながら、なぜ世間で貴ばれている念仏を破折するのか」と問う。それに対して、主人は自身を「少量」(取るに足らない者)であると謙遜しながら、真実の仏法者の姿勢を示したのがこの一節である。
 「蒼蠅」「碧蘿」は主人の社会的立場などの「外見的な姿」を譬え、万里を走る「驥」や千尋の高さに至る「松」は「妙法の偉大さ」を譬えている。
 すなわち、ハエや葛のように小さく弱い存在の自身であっても、全民衆の成仏を可能にする妙法を強く信じることによって境涯を広げ、より心豊かな人生を生きることができるのである。
 人間の本当の偉大さは何で決まるか。
 財産や地位、名声などでは決まらない。たとえ一時的に脚光を浴びたとしても、長い一生にあって、不幸な流転をたどってしまう人生模様も少なくない。
 人間の偉大さは、いかなる法を持ち、いかなる哲学を学び、実践し抜いたかで決まる。私たちは日蓮仏法を行じるがゆえに、万人を救済しゆく無上の青春を送ることができるのである。
 小説『新・人間革命』第2巻「先駆」の章には、山本伸一が第3代会長就任後、関西を訪問した場面が描かれている。
 伸一は広布のリーダーが陸続と育っていることに目を見張った。だが、関西の友の実感としては伸一について無我夢中で走り抜いてきたにすぎなかった。
 小説には、こうある。「広宣流布のいっさいの責任を担う若き闘将とともに、ひたぶるに駆け巡った彼らは、いつしか自らもまた、一騎当千の闘将に育っていたのであった。自己の境涯を大きく開く要諦は、広宣流布という本流に身を置いて進むところにある」と。
 ここに永遠に変わらぬ人間革命の方程式があろう。「池田先生と共に」「学会と共に」と一念を定め、広布に走り抜く中で、自らの境涯を大きく開くことができるのである。
 来る11・18「創価学会創立記念日」は、師との誓いを新たにし、弟子の一人一人が生まれ変わった決意で出発する日である。さあ、わが使命の舞台で新たな人間革命のドラマをつづりゆこう!

【聖教ニュース】

◆アメリカ カリフォルニア州の3地域が池田先生を顕彰 2019年10月29日
 SGIの新宝城 「リバーサイド会館」の開館式で授与

池田先生への顕彰が紹介された「リバーサイド会館」の開館式で、リバーサイド本部の友が喜びにあふれて(同会館で)


池田先生への顕彰が紹介された「リバーサイド会館」の開館式で、リバーサイド本部の友が喜びにあふれて(同会館で)


 アメリカ・カリフォルニア州の三つの地域から、池田大作先生を顕彰する証書が贈られた。長年にわたる平和・文化・教育への貢献をたたえたもの。先生を顕彰したのは、同州のリバーサイド郡教育局(ジュディ・ホワイト局長)と、同郡のラキンタ市(リンダ・エバンズ市長)、そしてインディアンウェルズ市(テッド・マーテンズ市長)である。インディアンウェルズ市は、本年10月13日を「池田大作の日」と宣言した。授与式は13日、同郡リバーサイド市に誕生した新「リバーサイド会館」の開館式の席上で行われた。
 カリフォルニア州南東部に位置するリバーサイド郡は、人口約240万人。「サン・バーナーディーノ国立森林公園」「ジョシュア・ツリー国立公園」などの豊かな自然に恵まれた天地だ。この四半世紀で人口が約2倍になるなど、発展著しい地域でもある。
 これまで同郡のSGI(創価学会インタナショナル)の友は「良き市民たれ」との池田先生の指針を胸に、非暴力や生命尊厳のメッセージを伝える展示等を開催。地域に共生の哲学を広げる中で、郡内の各都市から、池田先生の思想と行動への深い理解と共感が寄せられるようになった。
 同郡インディアンウェルズ市は本年10月13日を「池田大作の日」と宣言。同市からの証書には、こうつづられていた。「池田氏は多大な勇気と努力で、人類の向上に貢献してきた」「平和の促進と、人々の相互理解のために、たゆまぬ努力を尽くしてこられた」
                              ◇ 
 師への顕彰と、新会館誕生という二重の喜びに包まれた「リバーサイド会館」の開館式は13日、午前・午後の2回に分けて行われ、合わせて400人以上が参加した。
 同会館は大礼拝室、小礼拝室、会議室等を完備。南カリフォルニア・ノース圏のリバーサイド本部の中心拠点となる。
 午前の集いは有志による勇壮な太鼓演奏で開幕した。
 同本部の広布史の研究発表などに続き、池田先生や地元SGIに対して贈られた顕彰が紹介されると会場は大きな拍手に包まれた。
 サニー・ワンさんが信仰体験を発表。御本尊授与、人事任命の後、ストラウス理事長が、新宝城の完成の喜びを胸にさらなる広布拡大に前進する友をたたえた。


◆全日本吹奏楽コンクール 創価グロリア吹奏楽団が日本一  創価大学パイオニア吹奏楽団は銀賞


圧巻の演奏で「金賞」に輝いた音楽隊・創価グロリア吹奏楽団(リンクステーションホール青森で)


圧巻の演奏で「金賞」に輝いた音楽隊・創価グロリア吹奏楽団(リンクステーションホール青森で)


 音楽隊・創価グロリア吹奏楽団が“日本一”!――27日に行われた第67回「全日本吹奏楽コンクール」(青森市のリンクステーションホール青森)の「職場・一般前半の部」で、同楽団が2年連続13度目の金賞に輝いた。
 指揮は中村睦郎氏。課題曲に続いて奏でたのは「ウインドオーケストラのためのマインドスケープ」(高昌帥作曲)である。
 マインドスケープとは“心の風景”の意味。悲しみや苦しみを突き抜けて、喜びへと至る心の景色の変化を、千変万化の音色によって表現した。
 楽器を奏でる団員の一人一人に、人知れぬ“戦い”があった。あるメンバーは先月、関東地方に大きな被害をもたらした台風15号によって被災。その中にあっても地域の同志の激励に奔走した。あの友、この友の思いを背負い、自身にとって初の全国の舞台に臨んだ。彼だけではない。誰もが仕事や生活、学業等で現実の課題と格闘しながら心を鍛え、技術を磨いてきた。多くの友が聖教拡大を達成。弘教を実らせた友もいる。皆が“心の勝利”をつかみ取り、日本一の舞台を彩った。
 竹内博史楽団長は語った。「皆で団結し、それぞれが自分の限界を超えることができました。日本一の結果をお届けすることができて、本当にうれしい」
 また、「大学の部」(26日)では創価大学パイオニア吹奏楽団が銀賞を受賞した。
 伊藤康英氏の指揮で「オペラ『ある水筒の物語』によるパラフレーズ」(伊藤康英作曲)などを演奏。同曲のテーマである「平和」への願いを込め、情感豊かに奏でた。兼城彩衣楽団長は「これからも目の前の一人に希望を届ける使命を果たします」と述べた。


◆東京婦人部の日 記念大会   原田会長が出席

「東京婦人部の日」記念大会。声楽家の藤田ひろみさんが美しい歌声を披露し、集いに花を添えた(金舞会館で)

 11・7「東京婦人部の日」記念大会が28日、東京・新宿区の金舞会館(創価文化センター内)で行われた。
 森中教学部長の担当で池田先生の講義「世界を照らす太陽の仏法」を研さん。川原総東京婦人部総合長の話の後、鳴澤智恵さん、田中真理子さんが信仰体験を発表した。河合同婦人部長は無量の福徳輝く挑戦をと強調。原田会長は友の真心の献身に感謝を述べつつ、広布伸展へ、本陣の使命を果たそうと呼び掛けた。

◆SGI代表がAI兵器に警鐘 国連「人権と新技術」テーマの会議 2019年10月29日

 人種差別に関する国連の「特別報告者」であるテンダイ・アチウメ氏が主催する専門家会議が17日、アメリカ・ロサンゼルスで行われ、SGI国連事務所ジュネーブ連絡所のヘイリー・ラムゼイ=ジョーンズ所長が出席した。

【特集記事・信仰体験など】

◆〈負けじ魂ここにあり わが生命の学園生〉23 東京校 2000~02年度
 人生は「勇敢な人」が勝つ。  勇気は勝利。臆病は敗北。  断固として前へ進みゆけ!

卒業生大会で校歌を歌う学園生の中に入り、一人一人を激励する池田先生(2003年1月15日、東京・八王子市の創価女子短期大学で)

卒業生大会で校歌を歌う学園生の中に入り、一人一人を激励する池田先生(2003年1月15日、東京・八王子市の創価女子短期大学で)







 2001年――それは、創価学園生と全卒業生が指標とし、成長を約し合ってきた21世紀の幕開けの年である。

 この年の5月3日には、カリフォルニア州オレンジ郡にアメリカ創価大学(SUA)が開学。学園の開校から30年余り。新たな世紀を迎えて、創価教育の光は世界に燦然と輝き始めていた。
                       ◇ 
 「『教育の世紀』の開幕にあたって、何よりもまず、『心の強い人材』を育てたい。これが、超一流の教育者でもある総長と、私の一致した願いであります」
 2001年3月16日、21世紀最初の卒業式で創立者・池田先生は、ロシア・モスクワ大学のサドーヴニチィ総長との対談に触れつつ、語った。
 この日、先生がスピーチで強調したのは「師弟の精神」だった。ナチスと戦ったノーベル賞作家のカミュと師匠グルニエのドラマを紹介し、自身も先師・牧口先生と恩師・戸田先生の偉大さを世界に宣揚してきたことを述懐した。
 「弟子で、一切が決まる。弟子がどうかで、師匠の偉大さが決まるのです」
 「『師弟』とは、『師匠』が決めるものではない。弟子が、自分自身で選び取り、自分自身で決めるものなのです」
 そして、先生は壇上で卒業生の代表を激励。3年間・6年間の奮闘をたたえ、全員で万歳を。真心あふれる振る舞いに、学園生は胸を熱くした。
 先生は、最後に和歌を詠み贈った。
  
 この世にて
  師弟に勝る
   ものはなし
  君よ忘るな
   勝利の絆を
  
 卒業生の中には、2カ月後に開学するSUAに合格した人もいた。先生は、その誉れのパイオニアたちにエールを送った。
 「1期生が大事です。道を開くのが1期生です。いろいろな困難があるでしょう。経済的に大変な人もいるかもしれない。しかし、負けてはいけない。アメリカで偉大なる人生を開いてほしい。私は、第1期生を、一生涯、見守っていく決心です」
 昼間秀幸さん(高校31期)も、SUAに進学した一人。SUAの合否を待つ不安な日々を送っていた高校3年の秋、先生から「英知は 人生の栄光の源!」と揮毫された紙が贈られ、生涯、学び抜く決意を固めた。
 大学3年次、語学の壁にぶつかり、自信を失いかけていた時には「アメリカ創大 第一期生万歳! 秀幸君 父ははを大切に!」と書かれた書籍が届いた。常に応援してくれている創立者の存在が、励みになった。
 昼間さんは晴れてSUAを卒業し、名門・米ペンシルベニア大学大学院の合格も勝ち取る。
 だが修士号を取得後、進学した別の大学院の経営が不況のあおりで悪化し、博士課程を途中で断念せざるを得ない状況に。さらに、アメリカで仕事が見つからないという苦難にも直面した。それでも学園時代の決意が、自らの進むべき道を示してくれた。
 現在は、SUA2期の妻と共に米ブリッジウォーター大学に勤務。大学の長期休暇には環境保護のNPO(非営利団体)で働く。「学園時代、池田先生の提言を読み、環境問題解決に携わりたいと願ってきました」。創立者との青春の原点が、昼間さんの前進の力になっている。

大空を見つめて
 2001年7月11日、創価大学の本部棟の食堂に、学園生の代表が集った。池田先生を囲んだ寮生・下宿生らの会食会である。席上、先生に学園生から7・17「栄光の日」に向けた愛唱歌の歌詞などが手渡された。
 寮生を代表して先生に記念品を贈呈したのは、小林哲男さん(高校32期)。「池田先生が『皆が世界の指導者になるために、ナイフとフォークの使い方を教えたいんだ』と言われていたことを覚えています」
 小林さんは、創大に進学後、英語と中国語の習得に励んだ。学園生の未来のために、“後悔は、英語を勉強できなかったこと”と、語学の重要性を訴え続けてきた先生に応えるためだ。大学4年次には中国に留学も。しかし、卒業後は、なかなか就職先が見つからなかった。
 思い切って再び中国に渡り、現地の人材派遣会社に登録。広東省にある日系の電子部品メーカーで働くことになった。12年からベトナムに駐在。現在は工場の副責任者として奮闘する。
 慣れない海外での生活。つらい時には、池田先生が学園生に向けてつづった長編詩「大空を見つめて」を読み返し、自らを奮い立たせた。そこには、1979年に栄光寮を訪問した際の真情が込められている。「散らかし放題の部屋もあった/だが/みな わが子だ/みな 元気だった/みな 若獅子であった/何よりも/師弟の道を熟知している/彼らであった/本当に会えることが嬉しかった」
 今ではベトナム語を駆使し、現地の人々と心を通わせることができるようになった。
 「得意先の人が工場を視察に来た折に、会食をすることもあります。学園時代に先生が仰った通りになりました」

勝負はこれから
 第32回卒業式(2002年3月16日)に、金井節子さん(高校32期)は、複雑な気持ちで参加していた。志望する大学に合格できず、浪人が決まっていたからだ。
 池田先生は、当初予定されていたスケジュールを変更して式典に出席。スピーチでは、難関大学に合格した学園生の奮闘などをたたえつつ、さらに言葉を継いだ。
 「また来年、ふたたび、志望校に挑戦する仲間も多いと思います。人生は長い。勝負はこれからです。『断固として立ち上がれ! 勇敢に前へ進め!』と、私は、励ましのエールを送りたいのであります。人生は、『勇敢な人』が勝ちます。勇気は勝利です。臆病は敗北です。私は、諸君の勝利を、一生涯、祈り続けてまいります」
 金井さんは、当時の心境をこう振り返る。「私には、先生が場内後方に座る私に向かって語り掛けてくださったように思えました。いつか必ず、勝利の報告をしようと決意しました」
 金井さんは翌年、創大へ。将来の進路を模索する中、父と同じ建築家を志すことに。通信教育などで学びながら設計会社でアルバイトをし、結婚を機にスペインに渡った。世界的な建築家を多く輩出するスペインで、奨学金を得て大学院を修了。現在、欧州最大のサッカースタジアム「カンプノウ」の増改築の設計監理に携わる。2児の母としても奔走する日々だ。
 金井さんはスペインに行ってから知った。1983年の自身の誕生日に、池田先生がスペインを訪問していたことを――。
 「先生との不思議な縁で、今ここにいるんだと確信します。恩返しの心で、使命の花を咲かせます」 何かで「博士」に
 “校歌を歌おう!”
 2003年1月15日、学園の卒業生大会で、池田先生は呼び掛けた(創価女子短期大学の白鳥体育館)。
 〽草木は萌ゆる
  武蔵野の……
 池田先生は、声を限りに歌う学園生の輪の中に入った。
 肩をたたき、?をなで、固い握手を交わす。命に焼き付けるように、一人一人の顔をじっと見つめる。
 スピーチの中で先生は、各地の偉人の言葉を紹介した。イギリスの詩人ロバート・バーンズ、アメリカ公民権運動の指導者マーチン・ルーサー・キング博士、ロシアの文豪ゴーリキー、フランスの文豪ロマン・ロラン、中国の周恩来総理――。
 そして、世界の指導者へと育ちゆく期待を込めて学園生に語った。「皆さんは、未来の人である。また学園生の舞台は、全世界である。世界に視野を広げ、友情を広げゆく、世界市民に育っていただきたい」
 秋山浩美さん(高校33期)は、SUAへの進学を決め、大会に参加していた。
 SUAで国際関係などを学んだ後は、英リーズ大学で修士課程を修了。米ジョージ・メイソン大学の博士課程に進んだ。「何かで博士に」。胸には学園卒業式での誓いが燃えていた。
 その道のりは長かった。途中で研究分野を変更し、自身の力不足を痛感するほどの壁にも直面した。苦学の末、念願の政治学博士号を取得したのは本年5月。博士課程に進んで10年後の勝利だった。
 現在、非常勤講師としてアメリカで教壇に立つ秋山さん。挑戦のドラマはこれからも続く。
                      ◇ 
 第33回卒業式(2003年3月16日)で池田先生は、学園生に「それぞれの進む道で、『博士』と呼ばれる第一人者をめざしてほしい」と呼び掛けた。
 希望を忘れない「希望博士」に。ご両親も健康にしていく「健康博士」に。幸福になるために苦労し戦う「幸福博士」に。最高の友人に囲まれた「友情博士」に。世界一美しい親子の姿の「親孝行博士」に――と。
 今、「勝利博士」のスクラムは、全世界に広がる壮大なネットワークになっている。
 (月1回の掲載を予定)
 ご感想をお寄せください news-kikaku@seikyo-np.jp


◆〈信仰体験〉 愛媛の“ちーちゃん家”は牛乳販売店  感謝する人には功徳と幸せがある

牛乳販売店を始めて20年以上。銭湯や病院、個人宅など配達に回れば、あちこちから声が掛けられる

 【愛媛県新居浜市】心一つで、こんなにも楽しく生きられるのか。牛乳販売店主として自ら配達もする日野千鶴子さん(54)=地区婦人部長=を見ていると、そんな思いにさせてくれる。感謝を忘れず、目の前の現実に全力で向き合う。それを繰り返すうち、功徳あふれる暮らしになったという。大好きな音楽グループのコンサートで黄色い声を上げ、オフ会では多くの友人に囲まれる。人懐こい人柄で、皆から「ちーちゃん」と慕われている。

「うちも『ちーちゃん家』で、聖教新聞の4こま漫画と一緒。あそこに出せるネタだったら、いっぱいあるんやけど(大笑い)」
 先日、リビングのエアコンが故障して修理に業者を呼んだら、すったもんだの末、ただで新品と交換してくれた。古いマイカーを廃車にしようと思っていたら、ある時、デパートの駐車場でぶつけられ、新しい車になった、などなど。リアルな実況を交えてのおしゃべりに、本人も聞いている側も、腹を抱えて笑ってしまう。 
 「ほんまに功徳ばっかりもろうて。こうやって誰にでも信心の話をするでしょ。友達からは、『悩み無さそう』ってよく言われるんです」
 日野さんの明るさには力強さがある。それは苦しみを越えてつかんだものだ。
 19歳で夫・光雄さんと結婚。3人の子どもに恵まれた。末っ子の長女・江三奈さん=華陽リーダー=は、生後3カ月の時、けいれんを起こし、急性脳症に。障がいが残った。
 夫は子煩悩だった。言葉を発しない江三奈さんの世話を喜んでしてくれた。
 6歳で療育センターへの入所を勧められる。わが子の将来を思えば、万全な体制で、自立への訓練を受けた方がいいのは分かっている。親元から離す、つらい選択を日野さんは受け入れたが、光雄さんはなかなか納得できなかった。
 入所後、週末を自宅で過ごし、日曜の夜に施設へ送り届ける。夫は別れをいつまでも嫌がり、日野さんを困らせるのが常だった。
 「もうすぐ、えみちゃんが帰ってくるな」。中学を卒業する年齢になれば、一緒に暮らせる。心待ちにする夫に2001年(平成13年)、膀胱がんが見つかった。
 仕事を続けながらの闘病は、再発と手術を繰り返した。09年1月、「また家族一緒になれたらええなあ」との言葉が最後となった。

 深い悲しみを抱えた日野さんに、一家を担う責任がのし掛かる。「早くに結婚したから夫に頼り切りで、全くの世間知らずで」
 追い打ちをかけるように同じ年、1人暮らしの父が認知症を発症。長女の世話に加え、同居しての父の介護、牛乳配達の仕事。それでも日野さんはめげなかった。全てやり切ろうと無我夢中だった。「動いてないと、不安に押しつぶされそうやった」
 “子どもたちが一人前になるまでは”と気を張った。わが子の幸せを思うあまり、口やかましく叱ったことも。それでも長男・恭佑さん(33)=男子部員、次男・匡さん(32)=男子部員=は素直に聞いてくれていた。
 だが息子たちがそれぞれ結婚し独立すると、次第に電話で言い合いになったり、信心の話にも耳を貸さなくなったりした。
 “どうしてしまったんだろう”。婦人部の先輩に相談すると、「本音で接してくれる、いい息子じゃない。今こそ題目よ」と。
 御本尊に祈るうち、今まで息子たちを責めてばかりいた自分が見えてきた。“「こうあらねばならない」と押しつけ、あの子たちに我慢を強いていたんだ”。申し訳なさでいっぱいになった。
 振り返れば、息子は母を思い、経済的に支えてくれ、自宅を広布の会場にすることも賛成してくれていた。
 「信心しよる家を守ってくれよるがね。感謝せないかんよ」――先輩の言葉に目が覚める思いだった。
 何一つ、当たり前なんてない。全てが“有り難い”と感謝しよう。祈る姿勢を変えると、世界が変わって見えた。

 「感謝できる人は幸せな人だ」との池田先生の言葉をかみ締めた。
 一家が一番苦しかった頃のことを思い返す。夫の入院中、玄関のドアノブに買い物袋がたびたび掛けられていた。留守番の子どもたち宛ての中身は、パンやお菓子。病魔にくじけそうな時、毎日のように一緒に唱題してくれる地域の同志がいた――。
 “皆さんに恩返しがしたい”。日野さんは学会活動に駆けた。8年前から地区婦人部長に。
 一念が変われば行動が変わる。習慣が変わり、生き方も変わっていく。感謝を伝えることで、息子の家族とも仲がむつまじくなり、「功徳がばんばん出るようになっとった」。
 変わらない現実もあった。しかし、向き合う姿勢によって景色は一変した。
 認知症の父は、排せつがうまくできず、毎晩のように布団を汚す。下着をタンスなど、あちこちに隠した。
 以前なら「はがいたらしい(いらいらする)とばっかり思いよった父のことが、かわいらしく見えるようになった」。
 この16年、生活の足である自動車は、一度も購入したことがなく、譲ってもらってばかり。牛乳販売店の販売網は、不思議に拡大している。副業の化粧品などの販売では高い売り上げで、海外旅行をプレゼントされた。
 友人づくりをきっかけに、思わぬ展開もあった。「『三代目J SOUL BROTHERS』にハマってね。以前の私では考えられない(笑い)」。友好関係は「今が人生で一番広がった」と。
 時には失敗もある。それも全て笑い話のネタにして、信心の素晴らしさを語る。「どれだけ、生き生きと語れるか。信心はやっぱり楽しくないと」
 幸せオーラをまとった日野さんの元には、いつも人が集まり、笑い声があふれている。

◆〈壮年部のページ〉 小説「新・人間革命」研さんの取り組み 2019年10月29日 

「広布の王者」と皆が立て

軽井沢本部「創価信濃大学校」の定例会が活発に(9月29日、軽井沢町内で)

 小説『新・人間革命』を学び、“山本伸一たれ”と、自身の人間革命に挑みゆく壮年部の活躍が光っている。ここでは、代表の地域の取り組みを紹介する。

長野 42年継続
●自由に語り合い心を結ぶ
 爽やかな秋の日差しを浴びて、ピンクや白のコスモスが風にそよいでいる。
 長野では1977年(昭和52年)、小説『人間革命』を学ぶ「信濃大学校」を開校。池田先生はその出発に当たり、「私は小説『人間革命』を書きながら恩師と対話しました。(中略)皆さんはどうか、皆さん方の胸中に、自身の『人間革命』を書きつづっていただきたい。これが私の心からの願いです」とメッセージを寄せた。
 97年(平成9年)には、『新・人間革命』を教材とする「創価信濃大学校」を発足。圏や本部単位で部ごとに定例会を行い、毎月1巻ずつを読み進めている。
 両校の大学校生として薫陶を受けた友は、この42年で延べ6万人に上る。
 信越総合長の清水重臣さんは、大学校の意義をこう語る。
 「池田先生の思い、学会の歴史、師弟の精神を、皆で真剣に学び合ってきました。だからこそ、宗門事件など広布の前進を阻む障魔に遭っても、先生と同志の心の絆は切れることはありませんでした。研さんを通し、“師弟共戦の誓い”を深めた人材の裾野が大きく広がりました」
                                                                             ◇ 
 池田先生は、長野研修道場で『新・人間革命』を書き起こし、そして同研修道場でペンを置いた。
 軽井沢本部では、会友や入会1、2年の友も参加し、毎月、定例会を行っている。
 昨年2月に入会した安土忠宏さん=壮年部員=もその一人。「自分は内気な性格ですが、池田先生の言葉に勇気をもらい、自信を持てるようになりました。毎日が充実し、友人にも仏法の素晴らしさを語っています」
 定例会では、一人一人が感想や決意を述べた後、皆で自由に意見を交わし合っている。話が盛り上がり、会合終了の予定時刻を越えてしまうことも、しばしばだ。
 3年ほど前に入校した田中稔さん=壮年部員=は、一度も欠かさず定例会に出席する。「皆さんの話を聞くたびに、“そうした捉え方もあるのか”と視野が広がり、気持ちも引き締まります。『新・人間革命』の研さんが“心の糧”になっています」
 麦倉進さん=ブロック長=は、軽井沢駅周辺で洋食店を開き、今年で20年目を迎えた。売り上げが低迷し、廃業の危機に直面した時には、学会の同志が足しげく激励に通ってくれた。
 「師と縁の深いこの地で戦える“誇りと使命”を胸に、題目をあげ抜き、歯を食いしばってきました」
 仕事の姿勢を見直し、「顧客第一」に徹する中、危機を脱することができた。
 『新・人間革命』の“相手を尊重してこそ何事も成就できる”との言葉を心に刻み、常に前進する麦倉さん。その姿に触れて、一昨年に友人が入会した。
 軽井沢は地域柄、観光業に携わる人も多く、なかなか定例会に参加できない時期がある。「ですから、定例会前後の訪問・激励に力を入れているんです」と、坂本幸夫さん=副支部長=は強調する。
 同大学校で本部責任者を務める、佐藤一郎さん=副本部長=が思いを述べる。「池田先生が“真実の仏法者の生き方”を、誰にでも分かるように教えてくださっているのが『新・人間革命』です。この“人生の教科書”を、皆で学び深めながら、地域・社会で、さらに実証を示していきます」

栃木 王城会

●指針学び自ら実践
 戸田先生が戦後、地方指導の第一歩を刻み、池田先生が地方闘争の初陣を飾った栃木。
 会館運営に携わる「王城会」では、研修会を分県単位で行い、小説『新・人間革命』を毎月1章ずつ研さんしている。
 佐野県王城会委員長の川嵜信次さん=副県長(支部長兼任)=は、研修会に懸ける思いを、こう語る。
 「山本伸一の姿に学ぶ『当起遠迎当如敬仏(当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし)』の精神を実践し、会員厳護と無事故の任務に徹していこうと、皆で確認し合っています」
 成田稔さんは、仕事などが多忙で一時期、学会活動から遠ざかっていたが、7年ほど前に王城会の一員になった。
 「小説を読み進めると、不思議と自分の心情にぴったりと当てはまる内容が、つづられているんです。自然と心が前向きになります」
 成田さんは広布の現場に身を置くようになり、その後、地区部長に就いた。
 本年、医師から「ステージ4」のがんと告げられた。だが、成田さんの心は驚くほど前向きだ。第10巻「桂冠」の章を学び、「“使命があって病気になったのであれば、断じて病魔を打ち破り、勝利の姿を示そう!”と腹が決まったのです」。
 現在、通院治療を続けながら、病魔と闘う自らの姿勢を通して、仏法者の生き方を示さんとしている。
 一方、阿部学さん=地区部長=は、任務に就く心構えをこう語る。「誠実第一で来館者を迎え、見送るよう心掛けています。そうすることで、私自身、爽やかな気持ちになれるんです。会員厳護の精神は『新・人間革命』で常に確認しています」
 生来、内向的な性格だが、王城会の精神を職場でも発揮。自ら積極的に声を掛ける中で、人間関係でも悩まなくなった。
 佐野県長の森河一郎さんは言葉に力を込める。「発足当時、70人ほどだった王城会員は今、134人になりました。常に師の心をわが心とし、友に尽くす弟子の陣列を、さらに広げていきたい」



2019年10月28日 (月)

2019年10月28日(月)の聖教

2019年10月28日(月)の聖教

◆わが友に贈る

「つよきすけを
かひぬれば・たうれず」
信心のチ-ムワ-クと
励ましのネットワ-クで
人材の揺るがぬ林立を!

◆名字の言

ミネソタ大学名誉教授のポーリン・ボス博士が提唱した「あいまいな喪失」という概念がある。「はっきりしないまま、解決することも、終結することもない喪失」のこと。災害で、住んでいた土地や家で生活できなくなることも含まれる▼「あいまいな喪失」の状態にある時、人は前に進むことができず、人生の時間が止まったままになりやすい。台風19号、さらに21号による記録的な大雨で各地に甚大な被害が出た。被災された方々は生活の基盤を奪われ、先の見えない不安を抱えたままだ▼博士は「あいまいな喪失」の状況においては、家族やコミュニティーのレジリエンス(困難を乗り越える力)を活性化することが重要と指摘する。その際、「意味を見つける」「新しい愛着の形を見つける」「希望を見いだす」などが大切という(『あいまいな喪失と家族のレジリエンス』誠信書房)▼いずれも誰かが与えるのでなく自ら見いだすものだろう。励ましは相手の生きる力を引き出す行為。被災された一人一人の心の声に、じっと耳を傾ける。悲しみを分かち合う。その中から明日への一歩を踏み出す勇気が生まれる▼「被災者」といっても直面する苦しみは一人一人違う。皆が立ち上がるその日まで、支え合い励まし合う歩みを共に。(嶺)

◆寸鉄

 日蓮仏法は逆境にある人
 が幸せになる宗教―恩師
 世界中の友の体験が証明
      ◇
 東京「杉並婦人部の日」。
 弾む心で希望のスクラム
 拡大。勇気の人は朗らか
      ◇
 大学祭の秋。学生部有志、
 各地で環境保護等の訴え
 君の英知で調和の世紀を
      ◇
 社会的なつながり持つ人
 ほど健康で幸福―研究。
 友情結ぶ学会活動は王道
      ◇
 創大生の活躍に感動の渦
 ―箱根駅伝の出場決定。
 さあ我らも!壁破る挑戦


【聖教ニュース】

◆インド ゼビア大学から決定通知 池田先生に「名誉サステイナビリティ経営学博士号」
 “持続可能な未来”に資するリーダーを養成する名門

インド・ゼビア大学のキャンパス

インド・ゼビア大学のキャンパス


 インド・オディシャ州の州都ブバネーシュワルにある名門・ゼビア大学(アントニー・ウバリ副総長)から、池田大作先生に「名誉サステイナビリティ経営学博士号」が授与される運びとなった。同大学から決定通知が寄せられた。
 インド東部のオディシャ州には、世界遺産に登録されているヒンズー教寺院をはじめ、「法」による治世を行ったアショーカ王ゆかりの仏教遺跡など、豊かな“精神の歴史”を伝える諸宗教の建造物が立ち並ぶ。
 ゼビア大学の前身となるゼビア経営学院は1987年、カトリック教会のイエズス会によって創立された。
 経営学の分野でインド最高峰の学府として高い評価を重ね、2013年6月のオディシャ州議会の議決に基づき、ゼビア大学が設立された。
 現在では、経営学、経済学、商学、コンピューター工学、コミュニケーション学、法学などの学部を擁し、修士課程、博士課程を含む総合大学として大きく発展。「マジス」(ラテン語で「より、もっと、さらに」)との教育理念を掲げ、社会貢献の人材を陸続と輩出する。
 中でも、特色のある教育・研究を進めるのが「サステイナビリティ学部」である。ここでは「サステイナビリティ(持続可能性)」の視点に基づき、環境科学や持続可能な開発に資する社会的リーダーを育成することを目指しており、気候変動、資源管理、廃棄物管理、代替エネルギー、公衆衛生などを広く探究する。
 この分野を専攻する学部は、インドにおいて最初のものであるという。
 同大学は今秋、「サステイナビリティサミット(持続可能性会議)」を開催する。
 昨年の同サミットでは、人工知能などの最新技術が持つリスクと効用を巡って国内外の識者が活発に議論し、国や企業、国際機関、教育機関、市民社会が一体となって持続可能な未来を築く大切さを語り合った。
 人類が環境と調和の取れた未来へと歩む上で、13億人超の人口を抱え、経済発展を続けるインドの役割は極めて大きい。
 インド社会において池田先生の生命尊厳の哲理と行動に、評価と共感が高まっている。


◆使命深き地域部が45周年   記念の首都圏大会 原田会長が出席

地域部の大会では、篠原地域本部長があいさつ。音楽隊・しなの合唱団が、勇壮な歌声を披露した(東京戸田記念講堂で)

 結成45周年を記念する地域部の首都圏大会が27日、巣鴨の東京戸田記念講堂で意気軒高に開催された。
 これには、池田先生が祝福のメッセージを贈り、「以信代慧の智慧を発揮して、自他共に試練を乗り越え、共々に勝ち栄えゆく『人間共和の都』を断じて築き残そう」と呼び掛けた。
 大会では、代表が活動報告した。永沼時子さん(埼玉・伊奈圏)は、家族との死別を乗り越え、ボランティア等で、地域に貢献する奮闘を発表。青木喜代さん(神奈川・相模太陽区)が、不況などの苦難に勝ち、会社経営を通して地域に希望を広げる様子を述べた。多田元久さん(東京・豊島池田区)は、経済苦などの宿命を転換し、商業ビルのオーナーとして地域に信頼を広げる体験を披露した。
 続いて、林地域部長が、広布拡大に先駆し、地域に尽くし抜く信心と人生の勝利者にと力説した。
 高柳婦人部総合長が尊き友をたたえた後、原田会長は「賢者はよろこび愚者は退く」(御書1091ページ)の精神で激闘に挑む中から、地域広布の前進は生まれると強調。一人立つ心意気で、愛する地域を広布の理想の天地にと望んだ。


【特集記事・信仰体験など】

◆新春の箱根路を駆ける  3年ぶり3度目の本戦出場を決めた創価大学駅伝部 執念の走りでつかんだ切符

執念と粘りの走りで3年ぶり3度目の箱根駅伝本戦の切符を手にした創価大学。喜びと感謝をかみしめながら、選手らが笑顔でカメラに(国営昭和記念公園で)

執念と粘りの走りで3年ぶり3度目の箱根駅伝本戦の切符を手にした創価大学。喜びと感謝をかみしめながら、選手らが笑顔でカメラに(国営昭和記念公園で)

 第96回箱根駅伝予選会(26日)を5位で通過した創価大学。抜群のチームワークで3年ぶり3度目の本戦(来年1月2、3日)に挑む。ここでは、予選会に出場した選手とスタッフの声を紹介する。

築舘陽介主将 4年 長野出身

 10年間の競技生活で最も走り込んだ1年でした。苦しい練習を乗り越えるたびに、チームに結束が生まれ、その力が結果に結び付きました。予選会はまだ通過点です。小学校の卒業文集には「箱根駅伝の山上りで活躍したい」と書きました。今日までこの夢を応援してくれた家族や友人に、恩返しの走りを見せたいと思います。

上田結也選手 4年 熊本出身

 個人の走りは正直、悔しい結果でした。自分自身の調整不足でした。つらい局面でどれだけ粘れるか。練習の姿勢から変えていきます。泣いても笑っても学生生活最後の舞台です。4年間支えてくれた方々への感謝を胸に「シード権」を、後輩たちに残したいです。

鈴木ニムラ選手 4年 千葉出身

 昨年10月、両足のけがで入院し、手術を受けました。厳しいリハビリ生活を乗り越え、今回のスタートラインに立つことができました。今日まで心が折れなかったのはチームメートの励ましのおかげです。まだ満足のいく走りではありません。本戦では、“リベンジの走り”を誓います。

ムソニ・ムイル選手 4年 ケニア出身

 新しい靴がフィットせず、5キロ過ぎで足裏の皮がむけてしまい、力を出し切れませんでした。箱根駅伝では絶対にリベンジします。希望区間は、1年時にも走った2区です。創大の強みはチームワークです。このチームで「シード権」を獲得できるよう、強い気持ちをもって臨みます。

米満怜選手 4年 福岡出身

 日本人トップを狙っていたものの、力不足でした。それでも、最後まで上位で粘り切れたのは、今後の自信につながります。長距離の基本は走り込みです。今年はチーム全体で、この基本に徹してきました。自身2度目の箱根駅伝では、トップクラスのランナーたちと“勝負”していきたいと思います。

石津佳晃選手 3年 静岡出身

 “いつも通りの走りができれば絶対に勝てる”と確信していました。15キロ手前でフォームが崩れてしまいましたが、冷静に修正できたことで、終盤のペースアップにつながりました。これも、日々の練習の成果だと思います。初めての箱根の舞台ですが、気負わず、自分と仲間を信じて、全力で挑んでいきます。

大澤智樹選手 3年 長野出身

 レース終盤、沿道の声援が耳に入り、私がチームの“10番目”であることが分かりました。自分の走りで勝敗が決まる。絶対に負けるわけにはいかないとの一心で、ラスト5キロは、死に物狂いで走りました。“必ず箱根に行く”という皆の強い思いが結実し、本当にうれしいです。

福田悠一選手 3年 鳥取出身

 直前まで状態が上がらず、想定より気温も高く、苦しいレースでした。それでも、焦らず自分をコントロールできたのは、日頃の練習のたまものです。チーム3番目という記録自体は、自分の役割を果たせたと感じます。いつも応援してくださる方々への感謝の思いを、“箱根路”で表現していきます。

鈴木大海選手 3年 神奈川出身

 本年1月、関東学生連合の一員として箱根の舞台を経験した分、“チームで箱根に出たい”という思いは強くありました。それでもここ数カ月、なかなか調子が上がらず、苦しんできました。たくさんの支えのおかげで、最低限の走りができたと思います。応援してくださる方々のために、創価のたすきをつないでいきます。

嶋津雄大選手 2年 東京出身

 序盤から日本人の先頭集団に付くことを意識していましたが、途中、離されてしまいました。でも、沿道から驚くほどたくさんの声援をもらい、力が湧き上がりました。本当に感謝の思いでいっぱいです。創大は、予選突破で終わるチームではありません。本戦では「シード権」の獲得を狙っていきます。

永井大育選手 2年 鹿児島出身

 初めは集団走で、先輩の背中を追って走りました。最も苦しかった15キロ過ぎに、前を走る同級生の嶋津の姿が見え、“ここからだ”と気持ちを切り替えることができました。最後まで“攻めの走り”ができたと思います。持ち前の粘り強さで、人生初の大舞台を駆け抜けます。

葛西潤選手 1年 愛知出身

 ハーフマラソン(21・0975キロ)の公式レースは初めてでしたので、ペース配分の難しさを痛感しました。苦しい場面もありましたが、何とか、チームに貢献できたので安心しています。今から本戦が楽しみで仕方ありません。コンディションを高めながら、強豪校の選手たちに負けない走りを見せていきたいと思います。

瀬上雄然総監督

 たくさんの応援、誠にありがとうございました。とりわけ、台風19号の被害に遭われた方々からは“応援しています”と、何件も連絡をいただきました。選手たちは、苦しんでいる方々の思いを背負って、走り抜いてくれました。創大にとって3度目の本戦です。選手たちが持ち前の力を発揮できるよう、サポートに徹します。これからも、変わらぬご声援をよろしくお願いします。

榎木和貴監督

 本年2月、監督に就任して以来、選手たちの“箱根に出たい”という熱意を感じてきました。こうした強い思いが、勝利を引き寄せたと思います。選手たちには常々、「箱根は特別。人生が変わる」と伝えています。いつも応援してくださる皆さんに喜んでいただけるよう、一人一人が“挑戦者”の気持ちで、大舞台に臨んでいきます。

久保田満コーチ

 今の4年生が入学した当初から、彼らが最高学年になった年に、“創価の黄金時代”を迎えると信じて、携わってきました。この4年生の存在が本戦への道を開いたと思います。主将の築舘、日本人エースの米満をはじめ、4年生が良い流れをつくってくれました。2年分の悔しさを、この大舞台にぶつけ、過去最高の12位を上回る結果を残したいと思います。


◆〈世界に魂を 心に翼を 民音が開いた文化の地平〉第19回 世界バレエ・シリーズの金字塔㊤  「ここから隆盛が始まった」 ソ連のノボシビルスク・バレエ団の来日公演(1966年)③

ソ連のノボシビルスク・バレエ団の来日公演(1966年)③

ソ連のノボシビルスク・バレエ団の来日公演(1966年)③


 今から半世紀以上前、まだ創立間もない民音の公演が、「夢のような出来事」と列島を沸かせた。

 1966年から足かけ12年。東西の名門バレエ団を次々に招聘し、来日を実現させた「世界バレエ・シリーズ」(全193回公演)である。
 海外の名だたるオーケストラやバレエ団、歌劇場の来日公演で舞台制作を手掛け、数々の民音公演にも尽力してきた広渡勲氏(昭和音楽大学客員教授)は、こう証言する。
 「今では当たり前かもしれませんが、ダンサーや舞台装置をはじめ、団の全てを呼ぶ“引っ越し公演”を軌道に乗せたのは民音です。当時、バレリーナが単独で踊るイメージが強かったバレエを、舞台を含む総合芸術として広く紹介した。“バレエといえばソ連”という時代に、西側の国からも、そうそうたるバレエ団を招いた。戦後、日本のバレエの隆盛は、ここから始まったのです」
                       ◇ ◆ ◇ 
 横浜港の一角。船を待つ数十人の人だかりから歓声が上がった。
 66年9月7日。ソ連のノボシビルスク・バレエ団を乗せた客船「バイカル号」が入港し、団員が港に降り立つ。総勢100人。振り袖に身を包んだ役員が花束を手渡すと、団の総支配人が笑顔で応えた。
 「今回の公演を誇りに思っています。ベストを尽くして皆さんの期待に応えたい。日本とソ連の交流に役立てるよう頑張ります」
 広大なロシアの中心、西シベリアに位置するノボシビルスクは、モスクワ、サンクトペテルブルクに次ぐ第3の都市。第2次世界大戦中、同国の文化を保護するため、バレエやオペラが同都市に集められた。終戦直後にノボシビルスク・バレエ団が誕生し、ソ連を代表するバレエ団の一つに数えられていた。
 来日したのは、T・ジミナー、R・クルペーニナといった人民芸術家ら、超一流の顔ぶれ。衣装や大小の道具も、ソ連随一の規模を誇るノボシビルスク劇場の一切が、そっくり運ばれてきた。同団にとっても、初の大掛かりな海外ツアーである。
 演目は、チャイコフスキーの名曲に彩られた「白鳥の湖」をはじめ、最高峰の技術を駆使した「海賊」、民族舞踊をふんだんに盛り込んだ鉱山の女王の恋物語「石の花」など。
 舞台装置があまりに大きく、「上演は夢」とまでいわれた演目も再現され、「ソビエトのバレエを完全な形で観ることができる」と、バレエ界はノボシビルスク一色となった。
                       ◇ ◆ ◇ 
 なぜ創立直後の民音に、こうした一大プロジェクトが可能だったか。
 世界バレエ・シリーズは、日本バレエの振興に尽力した、ある人物との語らいから生まれた。
 創立者・池田先生は、民音が始動した60年代、各国を歴訪する中で、一流の芸術団体を日本に呼ぶために奮闘していた。地理的な制約などにより、本物の西洋芸術に触れる機会が限られていた時代である。
 先生はバレエ・シリーズが始まる前年の65年10月にイタリアへ。同行した民音の秋谷専任理事(当時)がミラノのスカラ座に赴き、“ぜひ日本で公演を”と交渉した。パリにも足を運び、現地の音楽団体と将来の交流について意見を交換している。
 “世界一流の芸術を日本へ”との構想に共鳴したのが、同じ頃に東京バレエ団を創立し、バレエ界の発展に心血を注ぐ佐々木忠次氏だった。
 当時、日本のバレエは「バレエ教室の延長上」の域を出ず、「舞台芸術としてのバレエ」とは、ほど遠いものだった。バレエ界の革新には本場の感動と迫力が欠かせない。
 佐々木氏に“世界のバレエ団を日本に呼んでいきたい”と相談を持ち掛けると、氏は各国のバレエ団の名を挙げ、「シベリアにも素晴らしいバレエ団がある」。日本ではまだ知られていないノボシビルスク・バレエ団の招聘を提案し、零下40度にもなる冬のシベリアに飛び、自ら来日交渉に当たった。
 氏は、一般大衆こそがバレエ界の後援者、審判者として発展のカギを握っていると強調。民音を「唯一の光明源」とたたえ、「今こそバレエ界の力を結集」と呼び掛けている。(「月刊みんおん」65年4月号)
 民音の熱意と、佐々木氏の“志”が意気投合し、歴史を画するバレエ・シリーズが産声を上げた。
                        ◇ ◆ ◇ 
 軽やかな跳躍、しなやかな手の動きは、湖水に浮かぶ白鳥そのもの。観客を瞬く間に詩情の世界へ誘う。
 ノボシビルスク・バレエ団の来日公演は、上野の東京文化会館を皮切りに、大阪、福岡、京都など、27ステージで大喝采を浴びた。前売り券は飛ぶように売れ、東京公演に北海道から申し込みがあったほど。どの地でも嵐のような拍手が起こり、何度もカーテンコールが繰り返された。
 本場の舞台を目にした感動は、それぞれの心に焼き付いて離れない。
 福岡在住の澤千恵佳さんは「軍艦島」で知られる長崎・端島の出身。
 ある日、母が「2泊3日でバレエを観に行く」と言い出し、澤さんは驚いた。ノボシビルスク・バレエ団の福岡公演である。「バレエって、泊まりがけで行くほど素晴らしいものなんだ」と幼心に思った。
 やがて澤さんも、最寄りの長崎市での民音公演に足を運ぶように。しかし、フィナーレの前に会場を出ないと、島に戻る最終便に間に合わないため、何度も残念な思いをしてきた。後年、民音のバレエ公演を終演まで見届けることができ、「あの感激は忘れられません」と振り返る。
 東京・江戸川の大江敏夫さんは、板金職人として芸術とは無縁の生活を送ってきた。第2次世界大戦の末期、中立条約を破り、一方的に攻め込んできたソ連に良い印象はない。
 「鉄のカーテン」に覆われた“異国の文化”だったが、気付けば手が赤くなるほど拍手を送っていた。
 “池田先生が伝えたかったのは、この感動だったのか!”――長年のわだかまりが解け、以来、地道な文化交流に尽くしてきた。
 このノボシビルスク・バレエ団を筆頭に、先生は世界バレエ・シリーズに毎回のように足を運び、芸術家らに心からの感謝を伝えている。
 74年にはソ連に招待され、ボリショイ劇場でバレエを鑑賞。6回の訪ソの中で、全ソ民族舞踊アンサンブルやモスクワ児童音楽劇場の来日公演を実現するなど、同国を代表する芸術団体を招聘し、交流は今に続く。
 先生は“人類共通の宝である最高の音楽芸術を民衆の手に届くものに――この願いが民音創立の原点である”と後に綴っている。同シリーズの成功へ尽力を惜しまなかった。
                         ◇ ◆ ◇ 
 海外からバレエ団を招聘する一方で、民音は、日本のバレエ団の公演にも力を尽くす。
 64年に発足した東京バレエ団の公演は、やがて年50回を超え、地方会場でも数多く行われた。
 この64年は、東京オリンピックが開かれ、東海道新幹線が開通した年。経済大国へと急速な発展を遂げる中、舞踊家の育成は遅れたままだった。
 海外招聘とともに、日本中にバレエ芸術を届け、本格的なバレエを育む――民音は、国内外の両面からバレエに光を注いだ。
 当時、同団でプリマバレリーナとして活躍していた鈴木光代氏は、民音公演における観衆の熱意が、ひときわ思い出深いという。
 北は小樽や室蘭、南は別府や延岡など、大都市以外の公演も活況だった。会場によっては舞台が狭く、演出の調整を余儀なくされた。
 初めてバレエを観る人も多い。仕事着での来場者も目に付いた。鈴木氏は「ここで拍手をもらえるというタイミングに拍手がなく、気落ちしたこともありました」と懐かしむ。
 翌年、同じ都市で再演した折、拍手のタイミングが見事にそろっていたことに、胸を熱くした。
 実はこの時、氏は母を介護しながら舞台に臨んでいた。介護は14年に及んでいる。“いつ舞台で倒れても本望だ”――その熱意を受け止めてくれる観客の存在がうれしかった。
 民音主催の東京バレエ団公演は、通算400回以上に及ぶ。
 学校コンサートの第1回では、同団の公演が開催される(北海道士別市)など、次世代にも光を届けた。
                          ◇ ◆ ◇ 
 「それまで日本には観客がいなかった。“三角形の一角”が欠けていたんです」と、広渡氏は総括する。
 「劇場芸術は、出演者、観客、劇場の三つが三角形となって、初めて成立するものです。良い観客がいないと芸術家は育たない。真剣に応援してくれる観客が不可欠です。客層も民音から始まり、一般へと広がっていきました。やがて政府の支援なども始まりましたが、民音の取り組みは時代を画する出来事でした」
 66年のノボシビルスク・バレエ団に次いで、翌67年には“鬼才”モーリス・ベジャール率いるベルギー国立20世紀バレエ団が来日。
 東西最高峰の競演が、日本のバレエ界に新時代の到来を告げる。(月1回の掲載予定)

◆創立90周年を勝ち開く!座談会 80 「創立の月」は“一人立つ月” 
 勇気・感謝・誠実の対話を

出席者 
 原田会長 
 長谷川理事長 
 永石婦人部長 
 西方男子部長 
 大串女子部長

 大串 いよいよ「創立の月」11月を迎えます。

 原田 先生は「『創立の月』とは、新しい歴史を“創る月”である。正義の師子が猛然と“一人立つ月”でもある。自分自身の新しい歴史を塗り替えていくのだ!」と言われています。

 長谷川 今、全国の皆さんが“自身の拡大の新記録”を断じて達成しようと、対話拡大に走ってくださっています。

 西方 男子部も各地で、多くの新しいメンバーが広布の使命に目覚め、立ち上がっています。

 原田 御書には「題目を唱うる人・如来の使なり、始中終すてずして大難を・とをす人・如来の使なり」(1181ページ)とあります。いかなる壁にぶつかっても自身の誓いを貫き、祈り、語り抜く。その中にこそ、「如来の使い」としての実践があり、仏の生命が脈打ちます。

 長谷川 世界聖教会館の完成を祝賀する聖教新聞の拡大も、さらに勢いを増しています。

 永石 ある婦人部の方は“紙面の魅力を伝えるには、見てもらうのが一番”と、相手に合わせた記事を準備し、友人のもとへ。新たに購読してくれる友人も次々に増え、「もともと話すことが苦手な私ですが、唱題と“切り抜き”があれば大丈夫!」と拡大に挑戦しています。

 原田 “聖教を通して、友人に元気になってもらいたい”“仏法への理解を深め、人生を豊かにしてほしい”と、相手のことを真剣に祈る時、知恵は必ずわいてくるということですね。

 西方 私はかつて、未入会の親戚に聖教を購読してもらったことがあります。その方は聖教を通して学会理解を深め、2年後に晴れて入会。今では副白ゆり長として、地域の学会の方と共に、聖教拡大に、折伏に励んでいます。

 永石 多くの識者も聖教へ共感を寄せてくださっています。VOD「人間の機関紙・聖教新聞」に出演されている芥川賞作家の柳美里さんもその一人です。柳さんは、「紙面では、しばしば『同苦』という言葉を見かけますが、とてもいい言葉だと思います」と語られ、「孤独」が深まる社会にあって「どのように人と関わっていけばよいかを発信する聖教新聞の役割は、ますます大きくなる」と期待されています。

 原田 世界の機関紙誌も信頼を広げています。南米アルゼンチンSGIの「アルゼンチン・セイキョウ」は2016年12月に、創刊50周年を記念し、アルゼンチン新聞協会から顕彰盾が贈られました。同協会は「『アルゼンチン・セイキョウ』は、読者一人一人との人間の絆をつなぎとめる模範」とたたえています。

 長谷川 同協会は、平和の文化を促進してきた功績をたたえて池田先生に顕彰状を贈られたこともありますね。

 原田 これからも、聖教の魅力を語り、多くの方に学会の人間主義の思想、自他共の幸福を願う生き方の尊さを伝えていきたい。

真心は必ず通じる
 永石 聖教の拡大とともに、創立の月へ向け、青年部が折伏・弘教に挑戦しています。男子部大学校や白蓮グループなど、若い皆さんが友人に生き生きと仏法を語る姿に地域の壮年・婦人も元気をもらっています。

 西方 いつも応援をいただき、ありがとうございます。池田先生はかつて「創価学会は、永遠に『折伏』の団体である」と指導され、「勇気」「感謝」「誠実」の大切さを教えてくださいました。

 大串 「勇気」は「たとえ相手が信心しなくても、勇気をもって語っておけば、その人の生命の大地には仏種が植えられる。それは、いつか必ず花開く時が来るのだ」と。

 西方 「感謝」については「仏法を教えてくれた学会と師匠と同志への報恩感謝を忘れない人生は、深く、美しく、そして強い」。

 大串 そして「誠実」は「相手を思いやる真剣な心が、友の心に響き、友の心を変えるのだ」と指導されています。

 長谷川 先生は「仏法対話は、万人が幸福となる種を植える行動である。ゆえに、臆さず堂々と、明るく自信をもって語り切るのだ。友の幸福を祈る真心は、いつか必ず通ずる。勇気凜々と確信の声を響かせ、楽しく有意義な対話を広げよう!」とも呼び掛けられています。

 原田 「11・18」は目前です。私たちが語れば語るほど、地域に社会に幸の輪が広がっていくことは間違いありません。最後まで「自分らしく戦い切った」という勝利の姿で、創立の月を勝ち飾っていきましょう。

 

2019年10月27日 (日)

2019年10月27日(日)の聖教

2019年10月27日(日)の聖教

◆わが友に贈る

一言が大事だ。
一人の友の奮闘に
「本当にありがとう!」
「よくぞ、ここまで」と
真心の言葉で応えよう!

◆名字の言

東日本大震災の直後、食料品店には長い行列ができた。同じように、多くの人が押し寄せた場所が他にもある。それは「書店」だ▼岩手県大船渡市の、河口から4キロほどの書店は、発災4日後の3月15日に営業を再開。関係者は“こんな時に本など売れないだろう”と期待していなかったが、結果は予想外。大勢の客が詰め掛け、本は飛ぶように売れたという。生き抜くことで精いっぱいの中でも、まさに「生活必需品」として活字を求める人が数多くいた(稲泉連『復興の書店』小学館)▼人は水や食料だけでなく、活字がなくては生きていけないものなのだろう。大変な時でも、否、大変な時こそ、心の栄養を得て、真に人間らしく心豊かに生きることを忘れないために、活字に触れていきたい▼70年前の1949年(昭和24年)、戦後の不況の中で池田先生は、若き編集長として少年誌『冒険少年』『少年日本』の編集に奔走していた。「食べたいおやつも我慢してでも、本を読みたがった」という当時の子どもたちに、「一人も洩れなく明朗であれ、勇敢であれ、天使の如くあれ」との願いを込めて▼きょうから「読書週間」。活字文化の復興へ、本紙もまた“生きるために欠かせない”といわれるほどの希望を届けたい。(鉄)

◆寸鉄

   創価教育は人類平和の為
 の道標―識者。世界市民
 育成の揺籃に各界が注目
      ◇
 学会員には困難に立ち向
 かう強さが―議員。被災
 の皆様、再起の劇を断固
      ◇
 会合の指導と個人指導の
 比率は「2対8」に。幹部
 率先の行動で広布は脈動
      ◇
 文字・活字文化の日。同志
 の本紙拡大に感謝。世界
 に誇れる希望の論調益々
      ◇
 ごみ収集車で火災多発!
 原因は電池等と。分別は
 再生の要。皆で規則順守

◆社説 73回目の読書週間がスタート 本は「宝」「生きる力」そのもの

 第2次大戦下、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の嵐が吹き荒れるアウシュヴィッツ強制収容所に、ナチスには秘密の小さな“図書館”があった。
 蔵書は、わずか8冊。本の所持は禁じられており、見つかれば命に危険が及ぶ中、14歳の少女・ディタが図書係に選ばれる――2016年に邦訳・刊行された『アウシュヴィッツの図書係』(集英社刊)は、実話に基づく小説だ。
 「本がなければ、何世紀にもわたる人類の知恵が失われてしまう」。まるで生まれたばかりの赤ん坊を抱くように、傷んだ本を繕い、命懸けで守るディタ。
 彼女は思う。「本を開けることは汽車に乗ってバケーションに出かけるようなもの」
「地球上のすべての国が、どれだけ柵を作ろうと構わない。だって、本を開けばどんな柵も飛び越えられるのだから」と。
 地獄のような収容所に捕らわれていても、本を開けば想像の翼を広げて世界を自在に飛び回れる。小説の主人公は、誰よりも自分を元気にしてくれる友達となった。本は明日への希望を与えてくれる何物にも代え難い宝物。本は「生きる力」そのものであり、読書は「平和な生活」の象徴だった。
 「読書の力によって、平和な文化国家を創ろう」と、日本で「読書週間」がスタートしたのは、戦争の傷痕が残る1947年11月。出版社や書店、公共図書館、さらにマスコミ等も力を合わせた。
 反響は大きく、翌年からは期間を10月27日からの2週間に設定。今年で73回目を数える。
 フランスの作家バルザックは「書物は戦闘よりも影響力がある」と喝破した。戦後、日本人の「心の復興」においても、本は重要な役割を果たしてきた。
 かつて池田先生は、「読書は自己教育の尽きせぬ源泉であり、心の世界を広げる翼である」と強調。「この読書の豊饒な力を、時代は渇望していると、私は思う」と指摘した。命を軽んずるような事件や紛争など、殺伐としたニュースが目に付く昨今。「読書の豊饒な力」は、ますます渇望されているといってよい。
 図書係のディタは、ホロコーストを生き抜き、イスラエルで暮らしているという。本が、過酷な人生を乗り越える支えとなった。本に秘められた偉大な力を教えてくれたのも、また一冊の本である。
 私たちの周りには今、膨大な書物があふれている。それだけに忘れてしまいがちだが、本を自由に手にできること自体、どれほど平和で幸せなことか。
 きょうから「読書週間」。その喜びをかみ締めながら、本の世界の扉を開いてみてはどうだろうか。

◆きょうの発心 “師弟勝利の人材城”を構築! 2019年10月27日

御文 総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり(生死一大事血脈抄、1337ページ)
通解 総じて日蓮の弟子檀那等が、自他彼此の隔ての心なく、水魚の思いで、異体同心に南無妙法蓮華経と唱えるところを生死一大事の血脈というのである。

 広宣流布を目指して異体同心の信心を貫く中に、日蓮大聖人の仏法の血脈は流れ通うと仰せです。私が小学生の頃、少年少女部の大会に向けて、毎朝、父と一緒に暗唱した御文です。

 1979年(昭和54年)、大手通信会社への就職を機に、東京へ。慣れない都会の環境や人間関係の悩みを理由に、信心から遠ざかっていました。しかし、父の信心の姿勢に触発を受け、再度、発心。その後、希望がかない、郷里・岩手へ転勤になりました。
 学会活動に挑む中で、仕事でも実証を。今では、自身で仕事を調整しながら、広布に駆ける日々です。子どものことで悩む時もありましたが、この御文を拝するたびに両親を思い出し、元気が出ます。
 昨年1月、岩手本陣県が誕生しました。「弘教で築こう 人材城 喜びあふれる師弟勝利の 岩手本陣県」とのスローガンを胸に、池田先生の期待に応えようと奮闘しています。
 学会創立90周年の明年へ向け、“師弟勝利の人材城”を築いてまいります。
 岩手本陣県長 柏田稔


【聖教ニュース】

◆創価大学 箱根駅伝へ 3年ぶり3度目 2019年10月27日
激戦の予選会を5位で突破

3年ぶり3度目の箱根駅伝出場が決まった瞬間、創大の選手たちの喜びが爆発。チーム一丸で、“箱根路”に挑む(国営昭和記念公園で)


3年ぶり3度目の箱根駅伝出場が決まった瞬間、創大の選手たちの喜びが爆発。チーム一丸で、“箱根路”に挑む(国営昭和記念公園で)


 第96回「東京箱根間往復大学駅伝競走」の予選会が26日午前、東京・立川市の陸上自衛隊立川駐屯地から国営昭和記念公園までのハーフマラソン(21・0975キロ)のコースで43校が参加して行われた。創価大学が堂々の5位(最終合計タイム10時間51分43秒)で激戦の予選会を突破し、3年ぶり3度目の箱根駅伝本戦への出場を決めた。創立者の池田大作先生は創大の大健闘をたたえ、「おめでとう。うれしい。皆さんによろしく」との伝言を贈った。(10面に関連記事)
 ゴールまで残り約500メートル。創価大学の榎木和貴監督、瀬上雄然総監督が、身を乗り出して叫ぶ。
 「米満、ラストだ」
 「石津、頑張れ」
 「嶋津、嶋津!」
 赤青ストライプ柄のユニホームをまとった創価のランナーたちがフラフラになりながらも、歯を食いしばり、前へ前へと進んだ。
 皆の思いは一つ。
 箱根駅伝への進出。
 ゴールの瞬間まで、誰一人、集中力を切らすことはなかった。
 結果は堂々の5位。
 榎木監督は「選手たちの強い思いが、勝利を呼び寄せました。応援してくださった皆さまに心から感謝を申し上げます」と語った。
 それでも、監督や選手たちは「まだ通過点」と口をそろえる。
 大舞台は2020年1月2、3日。3年ぶりの“箱根路”で、さらなる躍進を誓う。
                         ◇ 
 レース前、スタートラインに向かう選手たちの表情は「笑顔」だった。彼らには、確かな“自信”があったのだろう。
 主将の築舘陽介選手は振り返る。「2年連続、予選会を突破できず、チームに負の空気がありました。でも、私たちには、その空気を払拭する練習をしてきた自負がありました」
 この“自信”が生まれたきっかけは、本年2月に榎木監督が就任したこと。チームに新しい風が起こった。
 榎木監督は中央大学時代に箱根駅伝で4年連続の区間賞を獲得。卒業後は旭化成陸上競技部に所属し、現役引退後は、トヨタ紡織陸上競技部の監督などを務めてきた。
 榎木監督は、瀬上総監督、久保田満コーチと共に、チーム作りの方向性を協議した。

大舞台は明年1月2、3日 チーム一丸で躍進誓う

チームワークが光った創大の集団走(国営昭和記念公園で)


チームワークが光った創大の集団走(国営昭和記念公園で)

 大きな課題は「15キロ以降の失速」だった。スタッフだけではなく選手たちも、
自覚していたことである。
 これまでの選手たちの月間走行距離は約500キロ。榎木監督は、データを示しな
がら長距離走の基本である“足をつくる”重要性を訴え、月間走行距離の目標を「最低
750キロ」に設定した。
 しかし、ただ走り込んでいけば力がつくわけではない。榎木監督が心掛けたのは、
選手たちの「自主性」を引き出すことだった。
 一人一人の状況に合わせた練習メニューを提示。モチベーションを引き出すための
声掛けも欠かさなかった。
 「選手たちは、自発的に意欲をもって練習に当たりました。特に4年生が模範を示
したことで、チームに勢いを与えてくれました」(久保田コーチ)
 具体的な目標を提示したことで、チームは明らかに変わった。
 一般的に走行距離が増えれば、故障のリスクは高まる。だが、創大は、ほとんど故
障者を出さなかった。選手たちは「月750キロ」を走り切るために、互いに話し合
いながら、入念な準備とケアを重ねてきたのである。
 築舘主将は言う。
 「一日の生活の中で常に競技のことを考えていなければ、目標は達成できません。
そのため、皆、生活に隙がなくなり、自然と競技に集中できるようになりました。す
ると必然的に、チームに張り合いや一体感が生まれてきました。この変化が一番大き
かった」
 選手たちに芽生えた確かな自信。そして、レースで見せた抜群の創価のチームワー
クは一日一日の“積み重ね”が、もたらしたもの。「1月2日」に再びその努力を花開
かせる。

◆学会女性訪中団 天津市婦女連合会のシンポジウムに参加   南開大学の訪問も


天津市婦女連合会主催のシンポジウム。女性活躍の重要性などについて語り合った(天津市内で)


天津市婦女連合会主催のシンポジウム。女性活躍の重要性などについて語り合った(天津市内で)


 【天津】創価学会婦人部・女子部の第8次女性訪中団が25日午前、天津市内での同市婦女連合会主催のシンポジウムに参加した。
 胡永梅天津市婦女連合会副主席らが出席したシンポジウムのテーマは、「家庭と仕事の両立」。女性の社会進出が目覚ましい中国では日本と同様、育児や介護などとの両立が課題となっている。
 初めに山﨑地域本部女性部長は、社会で希望と信頼を広げる創価の女性の活躍を紹介。照井第2総東京副教育部長は、家事と仕事との両立に挑戦した自らの体験などを語った。
 天津師範大学メンタルヘルスセンターの李慧生主任らが、女性が家庭の枠を超えて社会に貢献する重要性や、同市の家庭教育の取り組みなどを報告した。
 胡副主席は、社会の太陽と輝く女性の存在がますます重要と感想を。さらに中日の友好を築いた池田先生の尽力に謝意を述べた。
 また訪中団一行は24日、周恩来総理の母校である南開大学(同市内)を訪問。付洪マルクス主義学院党委書記と会見した。
 団長の杉本総合婦人部長が1974年12月5日、当時76歳の周総理が46歳の池田先生と会見し、日中友好の夢を託した歴史に触れると、付党委書記は、その流れを未来に受け継ぐためにも両国の青年交流が大切と述べた。
 その後、一行は同大学の「周恩来・池田大作研究会」の学生らと懇談。周恩来鄧穎超記念館を見学した。
 友誼の花を咲かせた一行は25日午後、全ての行程を終えて帰国した。


【特集記事・信仰体験など】

◆ 〈虹を懸ける〉 池田先生とブラジリア 学会活動こそ最高の幸福道

ブラジルの首都ブラジリアを初訪問した池田先生が、地域の公園でメンバーと記念撮影した後、真心の励ましを送る(1984年2月23日)

ブラジルの首都ブラジリアを初訪問した池田先生が、地域の公園でメンバーと記念撮影した後、真心の励ましを送る(1984年2月23日)

 南米ブラジルの首都ブラジリア。計画都市のモデルとして区画整理された美しい街並みは、ユネスコの世界文化遺産に登録されている。本年は、池田先生のブラジリア初訪問から35周年。師匠と共に、幸福の人生を開いてきた友を紹介する。

 陽光に照らされ、木々の緑が輝いていた。1984年2月23日、池田先生ご夫妻が、ブラジリアの代表600人と公園で記念撮影を行った。
 66年以来、18年ぶり3度目となる先生の訪伯。ブラジリアへは、初の訪問である。
 午後2時50分、先生は公園に到着すると、同志の輪の中へ。皆の後ろにいた鼓笛隊と音楽隊を見つけ、「前にいらっしゃい」と優しく手招きした。
 記念撮影の後、軽快なサンバの演奏が披露された。先生は笑顔で呼び掛けた。
 「ありがとう。皆さんの元気なお姿を見て、本当にうれしい。これからも、良き市民として、また良き社会人として成長し、これ以上に幸せな人生はない、という人生を生ききってください」
 その言葉に、メンバーから「エ・ピケ、エ・ピケ、エ・ピケ、ピケ、ピケ!」と、感謝と誓いを込めた歓声が沸き起こる。先生は一人一人の目を見つめ、握手を交わした。
 この記念撮影を機に、ブラジリア広布は加速していく。

同志に尽くす
 鼓笛隊の一員として、記念撮影に参加したエウダ・オリベイラ・アウベスさん(分圏婦人部長)。「初めて池田先生とお会いしました。父親のような温かさを感じ、胸がいっぱいになりました」と述懐する。
 幼少期から引っ込み思案な性格だった。16歳の時、両親が離婚。母と弟の3人で暮らした。同じ頃、人と会うことがつらくなり、人混みの中にいると呼吸が苦しくなったり、めまいを起こしたりすることもあった。「当時は原因が分かりませんでしたが、今思えば、パニック障害だったのだと思います」
 心配し、足しげく家に通ってくれた幼なじみが、ブラジルSGIのメンバーだった。何度も座談会に誘われて断りきれず、“一度だけなら”と会合へ参加した。「初めて御本尊を拝し、題目を聞いた時、何とも言えない晴れやかな気持ちになったんです」
 帰宅後、その感動を家族に伝えると、母も以前、座談会に行ったことがあり、しかもSGIに好感を抱いているという。2人で勤行・唱題を開始。81年5月、一緒に入会した。
 程なくして、アウベスさんは鼓笛隊に入った。だが状況はすぐに好転したわけではない。健康への不安は消えず、練習にはいつも母が付き添った。
 高校卒業後、定職に就けず、家に閉じこもる日々。“自分を変えたい”と懸命に題目を唱えた。徐々に前向きな気持ちになり、4カ月後、一人で練習に行けるように。念願だった就職も果たした。
 先生との出会いを刻む頃は、社会の第一線で働くようになっていた。メンバーを包み込むように励ます師の姿に、自分も人のために尽くせるようになろうと決めた。
 ブラジリアの女子部長などを務め、婦人部でもリーダーとして活躍。「自分が苦しんだ分、人の痛みが分かるようになりました」
 先生の振る舞いを胸に刻み、同志の幸福のために全力を注ぐ。

師との記念撮影
 池田先生のブラジリア滞在は1984年2月21日から23日までの3日間。この間、先生はフィゲイレド大統領をはじめ、外相や教育・文化相など政府の要人と相次ぎ会談した。
 ブラジリアの同志は、先生の滞在期間中、自主的に集まり、諸行事の大成功を祈り続けていた。
 リツコ・ナカヨシさん(総合方面婦人部総合長)は振り返る。「ブラジリアには会館がなかったため、青年部を中心に個人会場に集まり、真剣に唱題を重ねていました。仕事や学校を終えてから駆け付ける人も多く、題目の声が途絶えることはありませんでした」
 その様子を聞いた先生は、少しでも同志を励ましたいと、当初は予定になかった記念撮影を提案した。
 連絡を受けたメンバーは喜びに沸いた。そして急きょ、行われたのが、23日の記念撮影だった。
 その折、先生は、いつの日かブラジリアに会館が建つことを念願した。
 「先生の希望あふれる言葉に、皆が奮い立ちました」と語るナカヨシさん。鹿児島県出身の彼女は57年、家族と共にブラジル北部のベレンに渡った。一家で米や野菜の栽培を始めたが、思うようにいかなかった。
 心機一転、ブラジリアへ転居。しかし、家が火事に見舞われるなど試練は続いた。
 そんな時、近隣の友人から信心を勧められ、62年8月に実践を始める。
 生活は貧しく、車もない。毎週開かれる座談会には、家族6人で1時間ほど歩いて通ったという。
 その後、農家を諦め、家族で小さな青果店を開いた。ナカヨシさんは夜間大学に通いながら、店を手伝った。
 73年に結婚。4人の子宝に恵まれた。84年の記念撮影には、子どもの手を引いて駆け付けた。
 ナカヨシさんは師の励ましを支えに、仕事も、育児も、学会活動も、一歩も引かず挑戦。現在はスーパーマーケットの経営者となり、経済革命を成し遂げた。長年、ブラジリアの婦人部長を務め、友の激励に走り抜いてきた。
 96年12月、ブラジリアの中心部にほど近い大使館街の隣接地に、念願だったブラジリア文化会館が落成した。
 ナカヨシさんは胸を張る。「美しい白亜の会館は私たちの誇りです。自分自身の名前のように、皆と“仲良く”前進し、地域に希望の連帯を広げます」

後継の人材を
 マリア・ダ・パス・オサムラさん(総合方面婦人部総合長)も、池田先生との記念撮影が“人生最高の誇り”となっている。
 1977年に入会し、81年10月、壮年部員だった陽一さんと日本で結婚。夫婦でブラジル広布に尽くそうと決意を固めた。
 渡伯する前、夫妻は池田先生と出会いを刻む。結婚の報告をすると、先生は喜び、「君たちのことは絶対に忘れないよ。ずっと一緒に戦っていくんだよ」と。陽一さんに「良きブラジル市民になっていきなさい」とエールを送った。
 オサムラさんが結婚したのは39歳。卵巣のう腫を患っていたが、どうしても子どもが欲しかった。夫婦で祈る中、妊娠の兆候が。しかし喜びもつかの間、妊娠3カ月で流産――。
 悲しみに沈む中で、師の励ましを思い返した。今こそ夫婦で乗り越えようと、懸命に唱題を重ね、学会活動に奔走した。
 84年の記念撮影。師と再会した時、オサムラさんのおなかには新しい生命が。夫婦で“子どもを広布後継の人材に育てよう”と誓い合った。
 5カ月後、42歳で長男を出産。翌年には、次男も誕生した。
 だが、オサムラさんを試練が襲った。91年1月、夫が脳卒中で倒れ、急逝したのだ。
 「長男の光一は6歳、次男の健治は5歳でした。女手一つで子どもを育てるのは想像以上に大変でしたが、亡き夫との誓いを果たそうと、ただただ成長を祈り続けました」
 仕事をしながら、宿命転換を懸け、広布拡大に挑んだ。
 96年にはブラジリアの婦人部長に。これまで個人で30世帯を超える弘教を達成。本年4月にも御本尊流布を成し遂げた。
 息子たちは母の背中を見て、師を求める心を学んだ。兄弟ともに、ブラジルの大学を卒業した後、日本の創価大学大学院を修了した。
 現在、兄弟は東京・八王子市に住み、長男の光一さんは区男子部主任部長、次男の健治さんは男子部大学校2期生として活躍。本年、それぞれ弘教を実らせた。
 オサムラさんは声を弾ませる。「池田先生の激励のおかげで、私はこんなに幸せになりました。生涯、先生と共に、広布の道を歩んでいきます」
                          ◇
 35年前の先生の励ましを原点に、ブラジリアの天地に根を張り、人間革命の功徳と実証の花を咲かせてきた同志たち。その「人間革命」即「社会貢献」の師弟の勝利を寿ぐかのように、ブラジリア連邦区から1998年7月、池田先生ご夫妻に「名誉市民証」が贈られている。その就任式で、先生は「この栄誉を、広宣流布への前進を大勝利させた全同志に捧げたい!」と。さらに、こう訴えた。
 「私どもは、果たすべき『使命』が明確になっている。『広宣流布』という、全人類を幸福にする『最高の仕事』がある。この使命の道で苦労しながら、学会活動に励めることは、最高に『幸福』なのである」
 師弟の絆で結ばれたブラジリアの同志の心には、歓喜の花が満開に咲き薫っている。


◆〈信仰体験×ライフウオッチ――人生100年時代の幸福論〉 4人の息子を育てるシングルママ
 環境は自分で変えていく――人生の主人公は私自身

 「人生100年時代」の幸福論を探る「ライフウオッチ」。信仰体験のページでは、40歳前後の「アラフォー世代」の生き方を見つめる。小野亜沙希さん(40)は4人の息子を育てるシングルママ。2008年(平成20年)、四男が生まれた直後、夫が蒸発した。18歳で嫁いだ亜沙希さんには、働いた経験がなかった。育ち盛りの子を抱え、彼女は、どのように活路を開いていったのか――。

 4人目の子どもを出産し、実家に預けていた子どもたちとアパートに帰ると、“もぬけの殻”。家具は全てなくなり、夫の携帯もつながらない。数日後、離婚調停の通知が届いた。
 長男は小学5年、次男は小学2年、三男は小学1年。育ち盛りの子どもたちを抱え、呆然と立ち尽くした。18歳で結婚し、最終学歴は「中卒」。11年間、専業主婦。働いたことなんてない。
  
 振り返れば、試練の多い結婚生活だった。浪費を繰り返す夫のせいで、自己破産を経験した。次男は小児ネフローゼ症候群、三男は川崎病を患った。夫は家に帰らない日も多かったが、亜沙希さんはそのたびに題目を唱え、逆転のドラマを演じてきた。けれど、まさかこんな結末が待っていようとは――。
 婦人部の先輩に会いに行った。苦しい胸の内をさらけ出した。悩みを一つ一つ言葉にすると、少しずつ気持ちが落ち着いてくる。先輩は言った。「信心に無駄は一つもない。祈っていけば、最短距離で一番いい方に向かっていくから」
 祈っていくうちに、自身の心の内を冷静に見つめられるようになった。“どうしよう”と足りないものばかり数えている自分。夫に依存していた自分。そんな自分と決別したい。離婚は「私が自立するチャンス」――そう覚悟を決めた。
 だが現実は厳しかった。夫が払うはずだった家賃は1年間滞納されていた。子どもの養育費すらまともにもらえなかった。支援を頼もうと役所の窓口を訪れても、「ご両親に養ってもらってください」と。当時29歳。今さら親のスネをかじるわけにはいかない。借金をして、何とかその日その日をやり過ごした。
 派遣会社に登録したが、時はリーマン・ショックの直後。中卒のシングルママに開かれた門は少なかった。それでも「一番いい方向に」と懸命に祈った。
 “私のセールスポイントは何かな”。祈る中で知恵が湧く。頭に浮かんだのはパソコン。保護者として、子どものサッカー部の書類作りを手伝ってきた。
 ピアノを習っていたから手先が器用だった。キーボードを打つのが得意で、そのうちパソコンを分解して、パーツを調べるまでに。「パソコンの調子が悪い」と悩むママ友のために、夜中に飛んで行って修理してあげたこともあった。
 主婦業の合間に身に付いた力が、就活に生かせるかもしれない。
 ある日、求人を見つけた。大学教授の手伝いで、書類や案内状を作る仕事。“これだ!”。直感で体が動いた。
 一番自信のある私服を着て、面接へ。対面した教授から「パジャマで来たの?」と笑われた。就活はスーツという常識さえなかった。「君、面白いね」。まさかの採用。働き始めると才能は開花した。任される仕事がどんどん増え、白衣を着て研究助手まで務めた。
 「君のキャリアのために、高卒の認定資格を取った方がいい」。教授は試験勉強も熱心に教えてくれた。半年後、合格。「スキルアップしながら、お給料までもらって」。信心の功徳を感じた。
 四男が小学生になるまで、離婚したことを子どもたちに隠してきた。夫の悪口も言わなかった。“親を恨むような思いはさせたくない”。感謝と笑顔があふれる家庭をつくりたかった。
 働き始めて、子どもたちとコミュニケーションを取る時間は短くなった。
 だから毎朝、聖教新聞の配達に息子を連れて行った。道すがら話をした。学校のこと。友達のこと。勉強のこと。家に戻ると、皆で御本尊の前に座った。
 勤行の後、子どもたちは1冊のノートに、今の思いを記していった。母への感謝。兄弟への励ましの言葉……。「絶対、創価学園に行く!」と決意が書かれていることもあった。そのノートが息子たちとの心の会話となった。
 それでも、男子4人の子育ては大変。反抗期になると、イライラした息子が家の窓ガラスを割ったこともある。“男親がいてくれたらなあ”と、何度も思った。毎日10合の米を炊き、息子と競うように食べ、腕力をつけた。腕相撲で「私が勝ったら言うことを聞け」と、ねじ伏せたこともあった。
 季節は巡り、長男の七音さん(21)は創価大学へ。次男の鈴音さん(18)は創価高校を卒業後、ドイツのプロサッカー選手に。三男の快音さん(17)も創価高校に進んだ。亜沙希さんは学費を稼ぐため、給与と福利厚生の充実した正社員を目指し、再びスキルアップに挑んだ。
 ハローワークで紹介されたIT就業支援の学校に1年通い、マイクロソフトの資格試験6種全てに満点合格。すると、学校の講師から声が掛かり、システムエンジニアとして、大手電子メーカーの社員にヘッドハンティングされた。
 入社して6年、重要な職務を担う。「母親の視点で見てほしい」と期待され、人材育成にも携わる。11年間の主婦の経験が、職場でも生きている。
 息子たちに読み聞かせた『希望対話』。その中に、亜沙希さんの半生を表すかのような池田先生の言葉があった。
 〈「環境」に振り回されるだけなら、環境が、あなたの人生の主人公ということになってしまう。それでは、つまらない。あなたの人生を決める主人公は、「あなた自身」なのです〉

 

2019年10月26日 (土)

2019年10月26日(土)の聖教

2019年10月26日(土)の聖教

◆わが友に贈る

「賢聖は罵詈して
試みるなるべし」
大闘争の中でこそ
偉大な人格は築かれる。
不屈の信心で立て!

◆名字の言

災害時の対応は、迅速な初動が大切だ。だが規模が大きい場合、消防などがすぐに来てくれるとは限らない。昨年の北海道胆振東部地震では消防署が停電になり、電話が不通となる状況が20分間生じた▼一分一秒を争う災害直後、生命を守るネットワークとなるのは「近隣」だろう。防災は「自助・共助・公助」の三助が大切といわれる。その上で、防災システム研究所所長の山村武彦氏は、向こう三軒両隣が助け合う「近助」の重要性を指摘する▼「近助」の力を育むには日頃の交流が欠かせない。といっても大げさなものではなく、氏が最も強調するのは「あいさつ」。それは「人間関係を構築・維持するための必須条件」と(『互近助の力』ぎょうせい)▼心理学者A・メラビアン氏によると、人間の第一印象を決めるのは、態度や表情などの「視覚情報」が55%、声のトーンなどの「聴覚情報」が38%を占めるという。あいさつも、言葉の内容以上に、笑顔だったり、声の明るい響きだったりが相手との心の距離を縮めてくれるのだ▼御書に「小事つもりて大事となる」(1595ページ)と。あいさつは人間関係の潤滑油にとどまらず、地域の防災力までも高めてくれる。いざという時、それは生命を守る力強い“武器”になる。(澪)

◆寸鉄

   SGIは全世界の平和を
 築く為にある―元総長。
 新時代創る誇りに燃えて
      ◇
 池田先生の北陸初訪問の
 日。誓願の同志に恐れな
 し。金剛の人材城を建設
      ◇
 「悪積れば地獄」「善積れ
 ば仏」御書。因果は厳然。
 今日も広布貢献の一歩を
      ◇
 外国人留学生の就職が最
 多。差異から学び合う心
 を。多様性尊重の社会へ
      ◇
 朝晩の冷え込む季節に。
 暖房器具を出したら必ず
 清掃・点検を。用心重ね


【聖教ニュース】

◆創価大学 箱根駅伝の出場が決定! 3年ぶり3度目 2019年10月26日



 第96回「東京箱根間往復大学駅伝競走」の予選会が26日午前、東京・立川市の陸上自衛隊川駐屯地から国営昭和記念公園までのハーフマラソン(21・0975キロ)のコースで43校が参加して行われた。

 創価大学は堂々の5位(最終合計タイム10時間51分43秒)で予選会を突破し、3年ぶり3度目となる箱根駅伝本戦への出場を決めた。


◆中国 河北大学に池田研究所 李副学長らが出席し晴れやかに開所式 2019年10月26日

 李副学長 中日友好の先駆者に続く人材をここから育みたい

池田研究所の銘板を囲み、李副学長(前列左から3人目)ら開所式参加者の代表が記念のカメラに(保定市の河北大学で)



池田研究所の銘板を囲み、李副学長(前列左から3人目)ら開所式参加者の代表が記念のカメラに(保定市の河北大学で)


 中国北部の河北省保定市に立つ名門・河北大学に、このほど「池田大作研究所」が設立された。開所式は17日午後、李金善副学長、成新軒経済学院院長をはじめ教職員、学生の代表らと共に創価大学の馬場学長が出席し、河北大学のキャンパスで盛大に行われた。また席上、同大学と創価大学の学術交流協定が調印された。
 古来、交通の要衝となり、清代には歴代皇帝が遊覧に訪れたという保定市。現在は商業都市として目覚ましい発展を遂げている。
 歴史と現代が共存する同市で、未来を担う4万人余の学生が向学の青春を送る教育の殿堂が河北大学だ。
 創立98年の歴史を誇り、新中国成立後、同国が初めて外国人留学生を受け入れる際に指定された大学の一つである。また、同大学の日本研究所は、周恩来総理の指示により設立されたもので、豊富な研究成果で名高い。このほど開所した「池田大作研究所」の所長には、同研究所の裴桂芬氏が就任した。
 池田大作先生は、同研究所の設立にあたってメッセージを寄せ、深い理解に謝意を表するとともに、同大学が積み上げてきた日本と世界に関する豊富な研究は、人類の共存共栄を実現する力となり、日中友好と世界平和を開く原動力になると確信していると期待を寄せた。
 開所式では、初めに李副学長が祝辞を述べた。池田先生は中日友好の先駆者であり、教育を通じて人々に広く平和の心を育んできたと言及。そうした事績をたたえて2008年、先生に同大学から「名誉教授」称号を授与した経緯を紹介し、今回の研究所設立を新しい契機として、中日友好に貢献する人材をより一層育んでいきたいと力を込めた。
 馬場学長のあいさつに続いて、両大学の代表が研究所の銘板を除幕。大きな拍手に包まれる中、記念のカメラに納まった。
 裴所長は、教育、文学、中日関係、エコロジー文明などの分野で池田思想の研究を進めていきたいと抱負を語った。
 また、これに先立ち馬場学長ら創大の代表は16日、周総理の母校である南開大学(天津市)を訪問。「世界学長フォーラム」に出席したほか、17日午前には、同大学の創立100周年記念式典に参加した。


【特集記事・信仰体験など】

◆ラテンアメリカ教学研修会の参加者の声 2019年10月26日

 先月下旬、メキシコに中南米7カ国から友が集い「ラテンアメリカ教学研修会」が開催された。ここでは“師弟の魂”を胸に熱き求道の誓い光る参加者の代表の声を紹介する。

人間革命は希望の光
メキシコ セルヒオ・ラミレスさん
 7年前、同じ理髪店を利用する男性の紹介で入会しました。彼の振る舞いに共感し、私から声を掛けたのです。
 友好を深める中、彼の誘いで座談会へ。会場では「人間革命とは何か」というテーマでディスカッションが行われており、自身の変革から全て勝ち開いていけるとの哲理に感銘を受けました。
 当時は大学を卒業し、不景気で仕事が見つからない状況でした。悶々とする私にとって、人間革命の思想は希望の光でした。題目に励むとすぐに就職が決まり、信心の確信をつかんだ私は入会を決めました。
 今年の3月からは全国男子部長として、新たな挑戦を開始。毎週、折伏成就を祈る勤行会を開催し、“男子部アカデミー”と題した会合も毎月開いています。
 特に力を入れているのは家庭訪問です。就ける仕事が少なく、それに伴い、青年世代にはあきらめや無気力の風潮が高まっていると感じます。男子部の失業中のメンバーなど、一人一人と懇談し、信心根本に立ち上がろうと訴えています。
 今こそ人間革命の対話を大きく広げ、希望の連帯を拡大していきます!

御聖訓拝し試練を克服
パナマ マヌエル・アロナテギさん
 12歳の頃、親戚に『青春対話』を手渡され、池田先生、SGI(創価学会インタナショナル)を知りました。
 同書の中で先生は、青年には無限の可能性があることを強調されており、将来を模索していた私は深く感動しました。
 親戚に誘われ、題目をあげると勝利の確信が湧き上がったことを鮮明に覚えています。そして成人になった2008年3月に御本尊を受持することができました。
 家計が苦しく進学できない状況でしたが、題目をあげ抜く中で、授業料免除をはじめ、食費、交通費の援助まで勝ち取ることができ、入学を果たすことができました。
 就職後は、突然の解雇など幾多の試練がありましたが、「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)の御聖訓を胸に、全てを克服できました。
 16年には、全国男子部長の任命を受け、報恩の戦いを決意。24年の池田先生のパナマ初訪問50周年を弘教の結果でお応えしようと、広布にまい進しています。師が託された世界平和の実現へ、幸を開く対話に打って出てまいります。

唱題に励み職場で実証
エルサルバドル ジャケリン・メヒアさん
 大学時代、同級生に折伏されたのがSGIとの出会いでした。
 交流を続け1年がたった頃、父が失業し、学費が払えない事態に。同級生からもらった激励のカードを握り締め、必死に祈りました。そして、授業料の納金期限の前日に、父の再就職が決まり、大学に残ることができたのです。
 信心の確信を得た私は、1998年8月に入会。その後も勤務する弁護士事務所での大型契約解消の危機や大けがなど、困難に直面しましたが、常に心で池田先生と対話し、勝利できました。今年は職場での昇進が決まり、信心の実証を示すことができました。
 2年前からエルサルバドルの責任者として広布に奔走。現在は、毎週土曜日の勤行会、日曜日の部員会を軸に前進しています。
 また、地域社会に、一段と共感の輪を広げようと、3月に音楽隊・鼓笛隊の前身となるグループを発足しました。
 池田先生は、真実の宗教には、行動が伴うことを幾度も私たちに教えてくださっています。先生のご指導のままに、2020年の学会創立90周年を、倍の広布拡大の金字塔で荘厳する決意です。

感謝の心で和楽の家庭に
コロンビア ファニー・フィゲロアさん
 2007年、親戚から折伏を受けた夫が題目をあげ始め、私も祈るようになりました。
 当時、家族の不仲、経済苦という深い悩みの渦中にいました。11年1月に家族で入会し、祈る中で、苦悩の原因は環境や他人ではなく、自らにあると気付きました。特に父との不和が悩みでしたが、変わるのは自分自身だと心の底から感じ、人間革命に挑戦。父を恨む思いが、感謝の心に変わりました。
 父は亡くなる直前には題目を唱え、SGIの理解者に。また、父との関係を見つめ直すことで、夫や子どもとの接し方も変わり、経済苦を家族で団結して乗り越えることができました。
 今は自分の身に起きる一切が、自らの人間革命につながると捉えられるようになりました。これが一番の信心の功徳だと感じます。
 昨年末、全国婦人部長の任命をいただき、人材育成、折伏に全力で挑んでいます。また、今年11月には芸術祭を行い、内外に創価の哲学を広げる予定です。池田先生に喜んでいただけるコロンビア広布史を築いてまいります。


◆〈「教学部教授登用講座」のために〉第1回 開目抄 2019年10月26日
 勇気の源泉は広宣流布の誓願に

 このほど、「教学部教授登用講座」(全3回)が実施されます。第1回中継行事は、11月2日(土)、3日(日)に、全国各地の会館・会場で開催されます(日時・会場の詳細は各県・各区ごとに決定)。

 「開目抄」は、日蓮大聖人こそが主師親の三徳を具えられた「末法の御本仏」であることを明かされた重書です。
 大聖人が佐渡流罪中の文永9年(1272年)2月に、四条金吾に託して門下一同に与えられました。題号の「開目」とは、文字通り「目を開く」ことであり、末法の一切衆生に対して、執着を打ち破り、真の法華経の行者、すなわち大聖人に「目を開け」との呼び掛けと拝されます。
 大聖人は前年9月12日に竜の口の法難に遭われ、続いて佐渡に流罪されました。迫害の嵐は門下たちにも及び、退転する者も続出していました。
 本抄において大聖人は、“大聖人が法華経の行者であるなら、なぜ諸天善神の加護がないのか”等の疑問や批判に触れ、末法で妙法弘通を貫けば「三類の強敵」が現れることは法華経に説かれる通りであり、大聖人こそ真の法華経の行者であると示されます。
 そして、いかなる大難があろうとも、民衆救済のために、不惜身命の精神で戦い抜くとの大誓願を述べられています。

現実世界で戦い抜く人こそ仏
御文1
 しかりと・いえども・いまだ発迹顕本せざれば・まことの一念三千もあらはれず二乗作仏も定まらず、水中の月を見るがごとし・根なし草の波の上に浮べるににたり、本門にいたりて始成正覚をやぶれば四教の果をやぶる、四教の果をやぶれば四教の因やぶれぬ、爾前迹門の十界の因果を打ちやぶって本門の十界の因果をとき顕す、此即ち本因本果の法門なり、九界も無始の仏界に具し仏界も無始の九界に備りて・真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし(御書197ページ13行目~17行目、編年体御書425ページ12行目~16行目)

通解1
 そうはいっても、まだ釈尊が発迹顕本していないので、真実の一念三千も顕れていないし、二乗作仏も定まっていない。それは、(天の月を求めて)水中の月を見ているようなものである。根なし草が波の上に浮かんでいるのに似ている。
 本門にいたって、始成正覚の教えを打ち破ったので、それまで説かれた四教の果は打ち破られてしまった。四教の果が打ち破られたので、(その果に至るための)四教の因も打ち破られた。爾前・迹門の十界の因果を打ち破って、本門の十界の因果を説き顕した。これが即ち本因本果の法門である。
 九界も無始の仏界に具わり、仏界も無始の九界に具わって、真の十界互具・百界千如・一念三千となる。

池田先生の指導から1
 本果である仏界の生命が常住不滅であるとともに、本因である菩薩行を行ずる生命も尽きることがないのです。このように、九界の生命を断じて、仏界の生命を成就するという爾前諸経の成仏観とは大きく異なるのが、本門の因果、本因本果です。
 事実、寿量品では、久遠実成の仏は成仏してからも、九界の現実世界で衆生を救い続けるという菩薩行を絶やすことはないと説かれています。
 ここに、寿量品の発迹顕本によって真実の仏の姿が明らかになるのです。いうなれば、それは、「無限の菩薩行を現す永遠の仏」です。
 九界の現実のなかで無限の菩薩行を行ずる生命は、九界の生命です。しかし同時に、永遠の仏界の生命が、その無限の菩薩行を現す根源のエネルギーになっているのです。
 今世で初めて成仏したとされる始成正覚の仏は、入滅すると別世界の浄土に入るなどとされ、現実世界で菩薩行を続けることはありません。それに対して、久遠実成の仏は、現実世界がそのまま浄土であり、寂光土なのです。
 そして、このような寿量品の仏にとって、九界の現実は、永遠の仏界の活力を自身の生命から現していくための機縁であり、仏界の智慧と慈悲を発揮するための舞台にほかなりません。(『開目抄講義』)

一切の疑難を突き抜けた大境涯
御文2
 詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん、身子が六十劫の菩薩の行を退せし乞眼の婆羅門の責を堪えざるゆへ、久遠大通の者の三五の塵をふる悪知識に値うゆへなり、善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし、大願を立てん日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をごせよ、父母の頸を刎ん念仏申さずば、なんどの種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず(御書232ページ1行目~6行目、編年体御書462ページ1行目~6行目)

通解2
 結局のところは、天も私を捨てるがよい。いかなる難にも遭おう。身命をなげうつ覚悟である。
 舎利弗が過去世に六十劫という長い間、修行してきた菩薩行を途中で退転したのは、舎利弗の眼を求めたバラモンの責め苦に堪えられなかったからである。久遠五百塵点劫、および三千塵点劫の昔に、法華経の下種を受けながら、退転して悪道に堕ち、五百塵点劫や三千塵点劫という長遠の時間を経たのは、悪知識にあって惑わされたからである。
 善につけ悪につけ、法華経を捨てることは地獄に堕ちる業となる。
 「私は、大願を立てよう。たとえ、『日本国の王の位を譲るから、法華経を捨てて観無量寿経などに付き従って、後生の浄土への往生を目指せ』と誘惑されたり、『念仏を称えなければ父母の首をはねる』と脅されるなどの種々の大難が出てきても、私の正しい法義が智者に破られることがない限り、彼らの要求を決して受け入れることはない。それ以外の大難は、私にとっては風の前の塵のような、とるに足りないものである。私は日本の柱となろう。私は日本の眼目となろう。私は日本の大船となろう」などと誓った大願は、決して破ることはない。

池田先生の指導から2
 世間・門下の疑難を突き抜けた、大聖人の大境涯を示された御文です。“諸天の加護がほしい”とか、“難に遭いたくない”というような人々の思惑を超えて、大聖人御自身の御境地である法華経の行者としての覚悟が示されているのです。
 大聖人の御境地からすれば、諸天の加護の有無を超えて大切なことがある。いかなる大難があろうと、身命を賭して成し遂げねばならない。
 それは、仏が自らの大願として法華経で説いた、最高善である万人の成仏である。そして、その実現である広宣流布にほかなりません。
 これこそ、世間や門下の人々がこだわり、執着するものを超えて、大聖人が戦い取ろうとされたものなのです。(中略)誓願とは、法華経の行者の「戦う魂」です。それゆえに、大聖人は、この一段において、法華経の行者としての誓願を説かれるのです。(『開目抄講義』)

池田先生の指導から3
 「ちかいし願やぶるべからず」――この御文は、ひとたび誓った誓願は、未来永劫に断じて破ることはない、との御断言です。この仏の大願をわが誓願として生き抜く強き信心の人にこそ、仏界の生命が湧現するのです。
 わが創価学会は、この「誓願」を不惜身命で貫き通してきたからこそ、すべてに大勝利することができたのです。
 「誓願」は、悪世末法に法を弘めるうえで根幹の柱です。正義に生きる強い誓いの心がなければ、濁世の激流を押し返すことなどできません。魔性を打ち返すことはできません。
 いかなる大難をも恐れない。いかなる苦難にも怯えない。その勇気を生み出す根源の力が、広宣流布の誓願です。
 誓願に生きれば、どのような障魔が出来しても、悠然たる王者の魂が光ります。どのような宿命が襲来しても、毅然たる勇者の魂が輝きます。(『開目抄講義』)

◆〈信仰体験 SOUL 雄魂〉 その兄弟、継ぐ者なり。 2019年10月26日
 インターナショナルスタイルの信頼感

 「映画の1シーンから抜け出したような服」を仕立てる店が、東京郊外の裏通りにある。
 兄の田邊軌夫さん(68)=東京都武蔵野市、副支部長、写真㊧=と、弟の黒須正和さん(65)=さいたま市、創価長(ブロック長)、同㊨=が営む。

◆〈ライフウオッチ――人生100年時代の幸福論〉 インタビュー パラグアイ 社会活動家・作家 エミ・カサマツさん 2019年10月26日
 女性の力が社会に調和をもたらす  「生き抜く」ことは「学び抜く」挑戦

 「人生100年時代」の幸福論を探る「ライフウオッチ」。さまざまな変化が加速する現代にあって、女性が豊かに生きるために必要なことは何だろうか。南米パラグアイの社会活動家・作家で国立アスンシオン大学元教授のエミ・カサマツさんに話を聞いた。(聞き手=佐口博之)
 エミ・カサマツさんは、ラテンアメリカ女性人権団体役員やアスンシオン市顧問、大学教授など、さまざまな立場からパラグアイの未来を展望してきた。カサマツさんは、パラグアイの女性が置かれた状況をどう見ているのか。
  
 もともとパラグアイでは、男尊女卑の考え方が根強く、女性を軽んじる風潮が長くありました。“女性は家庭に入るべき”“女性の仕事は主婦”とされ、高等教育を受けることも、既婚の女性が働きに出ることさえも許されませんでした。
 この状況に少しずつ変化が起こり始めたのは、1980年代から90年代にかけてです。
 この時期、日本では男女雇用機会均等法が制定され、国際世論でも「男女平等」への意識が急速に高まっていきました。
 近年、パラグアイでは、男女の教育機会の平等が実現しつつあり、女性の大学進学率も上昇しています。教育を受ければ、自身の人生を向上させる機会が広がり、多様な価値観への見識も養えます。
 首都アスンシオンをはじめとする都市で暮らす青年世代は、結婚後も男女ともに、働きに出る「共働き」が主流になりつつあります。若い女性が、社会で生き生きと活躍し始めているのは、喜ばしいことです。
 それでも、青年たちの親世代や地方では、「女性の社会進出」をよく思わない男性や、“女性に勉強は必要ない”と言って、学校に通わせない家庭がまだ残っていることも事実です。
 また、政府機関や大企業のトップ層は今なお、男性が占めています。国会議員の男女比率を見ても、女性の割合は数%というのが現実です。女性の平均給与は、男性に比べて、25%ほど低いという統計もあります。まだまだ、男女間には根強い格差が存在します。
 こうした現実を変えるために「青年」とりわけ、「若い女性」がキーワードになると考えます。
 パラグアイは総人口に対し、34歳未満の若年層が実に73%を占めています。少子化が進み、若年労働力が減少の一途をたどる日本とは、対照的な人口ピラミッド(年齢構造)になっています。
 パラグアイでは、社会を「支える側」が多い半面、雇用待遇は、周辺国のブラジルやアルゼンチンに比べても、恵まれていません。ゆえに、男女ともに優秀な若者ほど、高待遇の職や、やりがいのある仕事を求めて、パラグアイを離れてしまう傾向があります。
 グローバル化が進む今、その流れは加速しています。
 青年や女性の雇用環境の改善を後回しにすれば、社会にひずみが生まれます。パラグアイ社会全体で一日も早く、取り組むべき課題であると思います。
  
 日本でも、近年叫ばれ続けている「女性の社会進出」。男性側の意識変革が求められる一方で、女性自身が意識すべきことは何だろうか。
  
 女性自身が、もっと社会に目を開くべきだと思います。
 今いる場所でも、できることはたくさんあります。それが、私にとってはボランティア活動でした。
 1970年代、私は5年間、パラグアイ駐日大使の夫人として日本に渡りました。
 当時、私は30代でしたが、両国の友好を深めるために、できる限りのことをしようと、社会貢献活動を開始しました。日本・ラテンアメリカ婦人の会を設立し、パラグアイをはじめとする中南米諸国と日本との文化交流の促進に努めてきました。この経験が、のちの人生を大きく変えました。
 帰国後は日本の芸術や文化、とりわけ、華道小原流の師範として生け花の普及に尽力しました。
 その中で、女性がもっと活躍できる社会の土壌が必要であると痛感したのです。
 世界的にも「男女平等」への機運が高まっていた90年代には、ラテンアメリカ女性人権団体や日本パラグアイ協会など、さまざまな団体で活動し、女性の権利向上を訴えてきました。
 女性の声を社会に届けるためには、女性同士が手を取り合って、連帯していくことが必要です。女性の力は、あらゆる組織・団体に調和をもたらします。
 現在、私は、世界の女性運動史を研究しながら、執筆に当たっていますが、女性の力を生かす組織・団体の多くは栄え、豊かになっています。
 SGI(創価学会インタナショナル)も、その一つだといえます。私は、何回かSGIの諸行事に出席させていただきましたが、SGIには、女性の連帯があり、その一人一人が生き生きと社会で活躍されています。
 その背景には、宗教的思想があります。私はカトリックを信仰していますが、宗教は、万人が幸福になるための軌道を示すものです。女性の本来の力を引き出すものだと思います。

 日本では「人生100年時代」への関心が高まっている。本来、「長く生きる」ことは喜ばしいことであるが、多くの不安もつきまとう。カサマツさんは、自らの歩みを通し、豊かな人生を送るために「学び続ける」大切さを訴えている。
  
 今、パラグアイでも、医療技術の発達などにより、男女ともに寿命が延びています。
 しかし、その一方で「老い」や「病」への不安の声は高まっています。こうした不安は、多かれ少なかれ世界共通でしょう。
 それでも、私は「長く生きる」ことに対し、希望をもっている一人です。なぜなら、人生が長くなる分、学びの機会が増えるからです。これからは、自身の可能性を求め続ける時代だと思います。
 いくつになっても学び続ける限り、心の世界は広がります。
 私自身、70代の現在も、「学ぶこと」「書くこと」がライフワークになっています。私は21歳で結婚し、大学を出ていませんでしたが、さまざまな活動を通し、学ぶ努力を惜しみませんでした。
 90年代に入り、女性の権利向上に向けて、専門的な知識の必要性を痛感し、国立アスンシオン大学文学部に進学しました。若い学生たちと机を並べて、学ぶ日々は新鮮そのものでした。卒業したのは60代の時です。
 その後、「ジェンダーと開発」への見識を深めようと、大学院にも進みました。研究成果が評価され、大学教授として教壇に立ち、アメリカや日本の大学で講演する機会にも恵まれました。
 学ぶことによって、新しい知恵が生まれます。活動の幅が大きく広がります。
 「学び続ける」ことこそが、人生を、希望をもって生き抜くための、世界共通の秘訣ではないでしょうか。 
 今、パラグアイも、学び直しが可能な社会になりつつあります。これからも、全ての女性が社会で力を発揮できるよう、多くの人の学びを応援していきたいと思います。
 エミ・カサマツ 1940年、パラグアイ生まれの日系2世。社会活動家・作家。現在、香川県アンバサダーを務める。これまでラテンアメリカ女性人権団体役員、アスンシオン市顧問、パラグアイペンクラブ会長などを歴任。国立アスンシオン大学文学部を卒業後、同大学院で「ジェンダーと開発」などを学んだ。同大学教授として学生育成に当たり、アメリカのUCLA、日本の上智大学や南山大学などでも講演した。

●ご感想をお寄せください kansou@seikyo-np.jp ファクス 03―5360―9613

◆〈スタートライン〉 流されない志を持とう! “奇跡のレシピ”はないのだから

 フランスの“観察”ドキュメンタリー映画作家の最高峰の一人、ニコラ・フィリベールさん。11月1日に公開される映画「人生、ただいま修行中」では、希望と現実のはざまで奮闘する、さまざまな看護学生の成長の様子をカメラに収めた。彼らの姿を通し、どんなことが見えてきたのか――フィリベールさんの思いを語ってもらった。

看護学生に密着
 ニコラ・フィリベールさんは、これまでに「パリ・ルーヴル美術館の秘密」や「ぼくの好きな先生」「かつて、ノルマンディーで」などの作品を世に送り出してきた。
 今回、彼はなぜ看護学生を題材にしたのか。
  
 きっかけは、私自身が2016年1月に肺の塞栓症になったことでした。一命を取り留め、回復して退院することができた後に、医療関係者の皆さん、特に看護師の皆さんに敬意を表そうと思い、この作品を撮ることを決めました。
 看護師は低賃金で大変な労働であるにもかかわらず、患者の一番そばにいる存在で、責任がとても大きい仕事をしています。まるで日常の中にいる“ヒーロー・ヒロイン”だと感じます。その看護師の卵、つまり看護学生が学び成長する様子を通して、採血や体を拭くなどという看護師が当たり前のようにしている仕事は、とても大変なことであり、彼らが勇敢に日々を生きているんだということも伝えたかったんです。
 また、看護の世界だけでなく、学びの場にいる人たちというのは、未体験の世界に不安や迷いを抱いていることが多くあります。それを乗り越える瞬間を、看護学生の奮闘の姿から感じてもらえるでしょう。
 この映画には強いメッセージやスローガンがあるわけではありませんし、一人の主人公に密着しているわけでもありません。皆さんには自由に見てほしいです。看護の世界に興味がない人でも、きっと人生における何かの気付きを与えてくれると思います。

真の成長とは?

 決して楽な仕事ではないのに、フランスでは看護師を目指す若者も少なくないという。若者の失業率が高いフランスでは、資格を持っていることで、働き口に困らなくなるからだ。しかし、フィリベールさんは、それだけが理由ではないと語る。
  
 フランスのフィクション映画の中では、フランスの若者像は無気力、怠惰、個人主義の印象で描かれることが多いのですが、私が今回の撮影で約40日、5カ月に渡って看護学生に密着する中で感じたことは、彼らの根底には“人の役に立ちたい”という思いが強く存在していることでした。
 患者に向き合うことは、看護師自身にとってかけがえのない体験になります。それは自身の“人間としての成長”にもつながっていくものなのでしょう。
 看護師だけではなく、全ての人たちに当てはまるのは、成長するということは“知識を蓄積する”ことではなく、“他者を理解できるように自身の人間性を高める”ことだと思うのです。
 保健医療の現場であれば、患者の意見に注意深く耳を傾ける。そういうことが成長の手助けになると思います。
他者のために
 今、看護の世界に限らず、社会の中では、効率化や即効性を求める傾向が強い。他者に寄り添い、言葉に耳を傾けるほどの余裕を持てなくなることも少なくない。その中でどのような心掛けが必要なのだろうか。
  
 社会の中で生きていく上で大切なことは、私は志を持つことだと思います。それは、看護師を目指す若者の場合は“人の役に立ちたい”というものでした。
 しかし、その志を持って行動するということは簡単なことではありません。実際には時間が足りなかったり、経済的な問題があったり、職場の中での人間関係がうまくいかなかったりと、目の前の課題を何とかクリアしていくだけで大変です。
 こうしたら乗り越えられるという“奇跡のレシピ”を私から教えることはできませんが、フランスで長年看護師を続けている方々に話を伺った時に言われたのは、「キャリアを通じて学び続け、成長しようと心掛けている」ということでした。
 さまざまな問題に流されないためにも、より強い志を持っていくことが大切です。
 看護師に限らず、社会の中では苦労の多い労働環境は少なくないと思います。その中で、もしあなたが“人の役に立ちたい”と強く思っているのであれば、あなたはきっと社会のため、人のために役立つ人間になっていけるでしょう。
作品紹介 映画「人生、ただいま修行中」 11月1日(金)新宿武蔵野館ほか全国順次公開
 フランス・パリ郊外の看護学校で学ぶ、年齢、性別、出身も異なる多様な看護学生たち。採血も点滴も抜糸もギブスを外すことも、全てが初体験。右も左も分からなかった彼らは、やがて実践の現場に。つまずき、時に笑い、苦悩し、それでも「誰かの役に立ちたい」と望み、少しずつ成長していく。人生は学びと喜びの連続であることを教えてくれる感動の奮闘ドキュメンタリー。
 ニコラ・フィリベール 1951年、フランス・ナンシー生まれ。78年「指導者の声」でデビュー。その後、自然や人物を題材にした作品を次々に発表。90年「パリ・ルーヴル美術館の秘密」、92年「音のない世界で」で国際的な名声を獲得。2002年「ぼくの好きな先生」はフランス国内で異例の200万人動員の大ヒットを記録し、世界的な地位を確立する。本作は07年「かつて、ノルマンディーで」以来11年ぶりの日本公開作となる。
●感想はこちらへ
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 ファクス 03-3353-5513

 




2019年10月25日 (金)

2019年10月25日(金)の聖教

2019年10月25日(金)の聖教

◆わが友に贈る

「仏法の根本は
信を以て源とす」
題目を唱え抜く人が
一番尊く 一番強い。
仏法勝利の証明者に!

◆名字の言

イタリアの文学賞の一つに「露店商賞」がある。第1回(1953年)の受賞作はヘミングウェイの『老人と海』。なぜ“書店”ではなく“露店”なのか。淵源は同国北部の山岳地帯の村・モンテレッジォにある▼山に囲まれた村の主な収入源は農地への出稼ぎ。だが19世紀初頭の異常気象で多くの村人が働き口を失う。そこで始めたのが“本の行商”。古本や新刊本を背負い、ベネチアやローマなど各地で売り歩いた▼早朝の街で露店に本を並べると、仕事に向かう途中の人々が買いに来る。行商人は客の表情を見ながら「この本を読んだのなら、ぜひこれも」と薦めたという(内田洋子『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』方丈社)。賞の名には“本当に読んでもらいたい”という思いがあふれている▼今や“おすすめ”の本を教えてくれるのはインターネット通販サイトという時代。ただ、心を動かされた本は人に薦めずにはいられなくなるものだ。読書には読む楽しみと同時に、本を巡って語り合う喜びもある▼戸田先生は常々、池田先生をはじめ青年たちに呼び掛けた。「青年ならば、大文学書を読め! 歴史を学べ! 一流の本を読め!」。良書に触れ、互いに心を磨こう。27日は「文字・活字文化の日」。(誼)

◆寸鉄

   創価班・牙城会・白蓮G
 新時代1期生が拡大に率
 先!後継の友を皆で応援
      ◇
 「たゆまぬ訓練は無敵」
 中国古典。青春の薫陶は
 生涯の宝に。土台を築け
      ◇
 練馬勇気の日。人材光る
 本陣・東京の要。励ましの
 対話で地域に幸の大光を
      ◇
 流感の流行早く。他者に
 うつさぬ為にもワクチン
 接種を。体調管理万全に
      ◇
 交通事故は夕暮れ時に多
 発。日が短くなる季節、帰
 宅時など二重三重に注意


◆きょうの発心 師から教わった当如敬仏の精神 2019年10月25日

御文 妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず?法なり(一生成仏抄、383ページ・編21ページ)

通解 妙法蓮華経と唱え、受持するとはいっても、もし自身の心の外に法があると思うならば、それは全く妙法ではなく?法(劣った粗雑な法)である。

 題目を唱えていても、妙法が自身の心の外にあると思っている限り、それは妙法にならず、?法になってしまうと仰せです。創価大学を卒業して社会人としてスタートしたものの、行き詰まりを感じていた時に、この御文を拝しました。自身の生命に全ての変革の因があると学び、確信をもって祈る中、“必ず池田先生に喜んでいただき、全てに勝利していける弟子へ!”と一念が定まり、状況も好転していきました。

 その頃、先生のお客さまをお迎えする機会に恵まれました。その際、先生は私たち青年部に向かって深々とお辞儀をされ、「ありがとう」と一言。目の前の一人を心から大切にされる師の姿に感動するとともに、「当起遠迎当如敬仏」の精神を命に刻む、生涯の原点となりました。
 現在、創大や創価女子短大で学ぶ華陽姉妹と共に、楽しく朗らかに日々活動しています。目前に迫った「11・18」に向けて、友人に本紙の購読を推進することができました。先生の命である創大生、短大生と共に、世界広宣流布を担う大人材城を築いてまいります。
   東京・八王子特区総合女子部長 飯田麻美


【聖教ニュース】

◆アルゼンチン サン・ホセ・デ・ロス・セリジョス市が池田先生ご夫妻に「卓越した人物」証 2019年10月25日

サン・ホセ・デ・ロス・セリジョス市から池田先生ご夫妻への「卓越した人物」証の授与式に参加した青年部の代表ら(アルゼンチン創価女性平和会館で)






サン・ホセ・デ・ロス・セリジョス市から池田先生ご夫妻への「卓越した人物」証の授与式に参加した青年部の代表ら(アルゼンチン創価女性平和会館で)

 南米アルゼンチンのサン・ホセ・デ・ロス・セリジョス市から、池田大作先生と香峯子夫人に「卓越した人物」証が贈られた。平和・教育・文化活動を通した人類への貢献をたたえたものである。


◆〈信仰体験 with〉 読者と考える #学校へ行けない(投稿編) 2019年10月25日

山口明日香さんの紙面から(10月3日付)

 連載企画「with」では、「#学校へ行けない」をテーマに取材を続けてきました。うれしいことに、掲載のたびに読者から多くの感想が寄せられ、その中には、連載の意図を読み解き、行間を補ってくれるような貴重な意見がたくさんありました。今回は投稿者の承諾を得て、その声を紹介します。不登校の悩みを“あなた(読者)と一緒に”考えていきたいと思います。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈ワールド トゥデイ 世界の今〉 イタリアの「永遠の都」を訪ねて ローマの道はつねに楽しく!


共に築こう! 永遠に崩れざる人間共和の都を! イタリアの創価家族が、古代ローマ時代の遺跡「フォロ・ロマーノ」の前で(今月6日)

共に築こう! 永遠に崩れざる人間共和の都を! イタリアの創価家族が、古代ローマ時代の遺跡「フォロ・ロマーノ」の前で(今月6日)

 今月は池田先生の欧州初訪問の月(1961年)。各国に蒔かれた妙法の種は今、「ワン・ヨーロッパ」という理想の花となって全土に咲き薫っている。中でもイタリアは、欧州をリードする発展を遂げ、2016年に政府との間でインテーサ(宗教協約)が発効。社会から深い信頼が寄せられている。明年は同国に支部が結成されて50周年の佳節。その源流の地・首都ローマで活動する友を取材した。(記事=西賢一、写真=中谷伸幸)
 名画のような景観が果てしなく広がる。数千年の時を経た今も、不朽の輝きを放ち続ける姿は、まさに「永遠の都」そのものだ。 
 文豪ゲーテは、若き日からの憧れだったローマにたどり着いた感動を、こう記した。「ぼくはついにこの世界の首都に到達した」「わが青春の夢という夢がいま生き生きと眼の前に見えるのだ」
 古来、幾多の歴史が生まれ、多様な文化を育んできたローマ。同国の広布の潮流も、ここから始まった。
 1961年10月19日、池田先生はイタリアを初訪問。ローマに第一歩をしるした。当時、出迎えた会員は、仕事で赴任していた壮年と、その夫人だけである。
 この日を起点として、再び先生が訪れた63年には、同国初の地区がローマに結成。以来、会員数は水かさを増していき、7年後にはイタリア支部が発足した。
 当初は日本人が中心だったが、徐々にイタリア人のメンバーが各地に誕生。拡大の原動力になったのは、人間主義の仏法哲学への共感と、信仰の確信が語られる座談会だった。
 座談会は折伏の場として、60年代から毎月開催されるように。地道な励まし運動に取り組みながら、皆で朗らかに集い合う良き伝統になっている。
 対話と座談会を軸に、同国には現在、10万に迫るスクラムが堂々と築かれている。 ローマといえば、有名な古代遺跡や文化遺産が頭に浮かぶが、それらが残る旧市街は、直径5キロほどの円の中に収まる大きさに過ぎない。市域面積はイタリアの都市で最も広く、東京23区の2倍以上ある。
 市内の会員数は約1万2000人。その中で特に弘教と人材の拡大が進むのが、主にエウルと呼ばれる地区を活動の舞台とするウニヴェルソ(宇宙)支部だ。
 エウルは旧市街から車で約30分の所にある新都心。官公庁や文化機関のほか、オフィスや集合住宅が立ち並ぶ。いわゆる“ローマ”とは全く趣の異なる町だ。
 このエウルを中心としたエリアは昨年、ウニヴェルソ支部を含む2支部から3支部へと発展。だが、支部長のブルーノ・ゾーヤさんが転居してきた10年前には、少人数のグループが一つあるだけだった。
 支部は現在、2地区8グループの体制に。座談会の参加者数は80人に上る。さらに今年に入り、6人の新会員が誕生。「そのうち5人は壮年部の紹介です!」とゾーヤさん。少し慌てて、「もちろん、婦人部の皆さんの応援のおかげですよ」と言葉を継ぐと、隣にいたルイージャ・パンドルフォさん(支部婦人部長)はニッコリ。仲良き組織で見られる、麗しい光景だ。
 “躍進の秘訣”を問うと、パンドルフォ婦人部長は「題目です」と一言。支部ではリーダーが心を合わせて祈り、一人一人の状況に応じた激励に力を注ぐ。それにより、仕事等で多忙なメンバーとも、よく連携が取れるようになり、一段と団結が深まった。
 功徳の体験も続々と。ゾーヤ支部長はコントラバス奏者として活躍する傍ら、支部内にある中学校の音楽教員となり、広布の会場となる自宅も購入できた。
 男子部部長のティツィアーノ・ガッロさんは入会4年。唱題根本に、勤務するアパレル会社で模範の営業成績を収めた。忙しい日々を支えるのは、小説『新・人間革命』に描かれた山本伸一の雄姿だという。
 「小説を読むと、池田先生がそばで見守ってくださっているように感じ、負けじ魂が燃え上がります」
 祈り励まし、『新・人間革命』を通して心で師と対話する――ここに、世界広布の勝利の方程式がある。
  
 イタリアの座談会は原則、友人を招き、機関誌からヒントを得たテーマに沿って懇談的に行われる。
 今月3日には、同支部のヴィルトゥ・ウニヴェルサーレ(普賢)グループの友が集い合った。会場は閑静な住宅街の一角。開会30分前から自由唱題が始まり、辺りが暗くなった午後8時、座談会はスタートした。
 テーマは「信心について」。日常生活の中で、どのように信心を生かし、苦難を乗り越えてきたか――信仰歴の長短を問わず、それぞれが実感を込めて語っていく。
 ある男子部員は学会活動を通し、何事も決めて祈って動く大切さを学んだという。「今年立てた“ワインソムリエになる”という目標に近づくことができました。祈ると挑戦する勇気が出るんです」と笑顔で。
 家族の問題を抱える女子部員は、信心して困難と向き合えるようになった。「正直、悩みは尽きません。でも、悩みは自分を成長させてくれる――そう感謝できるようになったと思います」と感慨深げに話した。
 会場には新来者の姿も。感想を聞かれると、瞳を輝かせて言った。「実は今、大きな壁に直面していますが、皆さんの体験が心に光をともしてくれました」
 ふと気が付くと、もう終了時刻。ピタリと話し声は止み、司会が御礼を述べる。閉会後も名残を惜しむように語らいが続く。やがて両頬を交互に合わせるあいさつを交わし、参加者は充実の表情で帰路に就いた。
 形式ばった堅苦しさなどはない。苦楽を分かち、何でも語り合える家族の集い。その伝統が息づいているからこそ、イタリアは発展を遂げているのだろう。
 「ローマの道は つねに楽しく」とは、かつて池田先生がイタリアの友に贈った言葉である。楽しい所に人は集まり、明るい所に歓喜は湧く――。永遠の都・ローマには、その理想の道が大きく広がっている。

※1面のゲーテの言葉は『ゲーテ全集11』所収「イタリア紀行」高木久雄訳(潮出
版社)
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2019年10月24日 (木)

2019年10月24日(木)の聖教

2019年10月24日(木)の聖教

◆わが友に贈る

一日の勝利は
〝朝に勝つ〟ことから。
食事・睡眠・運動など
規則正しい生活で
充実と向上の日々を!

◆名字の言

「花咲か夫婦」と評判の笑顔はじける夫妻が福岡県・大刀洗町にいる。一昨年の九州豪雨で家を失い、故郷を離れて移住してきた。当初は悲嘆の涙に暮れる日々。そんな二人を地域の同志が懸命に支えた▼手料理を持って、「あんたたちのこと、一日も放っておかんけんね」と通い続けてくれた婦人。「うんめえぞー」と、泥だらけの手で野菜を届けてくれた壮年。真心に包まれ、夫妻は笑顔を取り戻した▼「今度は自分たちが人を元気づけよう」。そう思い立って始めたのがハナショウブ園づくり。今夏、二人で育てた1200本のハナショウブが見事に開花。災害で散り散りになった、かつての“ご近所さん”ら100人近くを招待した。訪れた一人は目を赤くし、「おかげで雨のち晴れの心になれたばい」と。夫妻は今、励ます側として語らいを広げている▼災害、不慮の事故、大病……。大きな試練に直面した時は、心が静まるまで泣いてもかまわないと思う。だが、どんな苦難も「幸福の糧」にしゆく蘇生の力が誰の生命にも絶対にある。だからこそ祈り、見守り、励まし合う友の連帯が、どれほど大切か▼行動は迅速に。そして悩める友との対話はじっくり寄り添って。同苦と慈悲の祈りを根本に、周囲に希望の種をまきたい。(誠)

◆寸鉄

   国連デー。会長の心継ぐ
 青年と進みたい―元次長
 不戦世紀へ人材を陸続と
      ◇
 第2総東京婦人部の日。
 地域に模範の拡大。世界
 広布の本陣の太陽は燦然
      ◇
 悩みある人は願いを立て
 よ。仏法は勝負―恩師。宿
 命転換の信心。祈り強く
      ◇
 職場で孤独感じる―5人
 に1人。誠実に絆を結ぶ
 社会部の振る舞いこそ光
      ◇
 弱みの改善よりも強みを
 伸ばした方が人は育つ―
 心理学。激励の達人たれ

◆社説 きょうは「国連デー」  「人類の議会」の役割を一層強く

 1945年のきょう10月24日、国際連合(国連)が発足した。この日は「国連デー」と定められ、各地で祝賀の催しが行われる。
 2度の世界大戦の悔恨と反省から生まれた国連は、①世界の平和と安全の維持②国家間の友好関係の発展③各国の経済的・社会的・文化的または人道的問題の解決④人権および基本的自由の尊重の促進における国際協力の達成――を目的に掲げ、その推進に取り組んできた。
 大きな功績の一つとして挙げられるのが、非植民地化への貢献である。
 国連発足の当時、世界人口の約半数は大国が支配する植民地に暮らしていた。国連は、「人民の同権および自決」をうたった国連憲章の精神に則り、人々の願望を鼓舞し、速やかに独立を達成できるよう目標や基準を設定。非植民地化の流れに重要な役割を果たした。
 中でも、アフリカの17カ国が次々と植民地支配から独立した60年は、「アフリカの年」といわれた。
 池田大作先生が国連本部を訪れたのは、同年10月のことである。国連加盟が認められたアフリカ諸国の若き指導者たちの雄姿を見て、先生は「21世紀は、必ずアフリカの世紀になるよ。その若木の生長を、世界はあらゆる面から支援していくべきだ」と訴えた。
 そして先生は、アフリカをはじめ人類の繁栄と世界平和のため、国連を「人類の議会」「グローバルな対話の場」と位置付け、力強い支援を続けてきた。毎年の「SGIの日」記念提言でも、国連強化のための具体的提案を行っている。
 チョウドリ元国連事務次長は、「国連の内外を問わず、ここまで一貫して国連に貢献し続けている人は池田会長をおいて他にいない」と賛辞を惜しまない。
 SGIとしても、これまで35年以上にわたり、国連NGO(非政府組織)として活動。軍縮・平和・安全保障、持続可能な開発、人権教育、難民支援など、さまざまな分野の推進に携わってきた。先月は気候変動、今月は核軍縮を巡る国連会議に代表が出席し、議論に加わった。
 国連総会は、国の大小にかかわらず、全加盟国が、平等に投票権を持つ「一国一票制」を敷いている。さらに多くの会議では、市民社会の代表にも、発言の機会が与えられる。
 こうしてあらゆる人の声を形にすることで、国連では、核兵器禁止条約(2017年採択)をはじめ、時代を画する決議がなされてきた。
 「民衆の声が届く国連」「民衆の声を生かす国連」――先生が訴え続けてきた「人類の議会」の方向性は、混迷する現代にあって、より重要性を増している。

◆きょうの発心 今いる場所で師弟共戦を貫く 2019年10月24日

御文 法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去って彼に行くには非ざるなり(御義口伝、781ページ・編1627ページ)
通解 (法華経の行者が)法華経を受持する所を「当詣道場」というのである。この娑婆世界を去って、極楽浄土等のほかの国土へ行くことではない。

 私たちが御本尊を受持し、信心・唱題に励む場所が寂光土となる、との一節です。2004年(平成16年)7月の新潟・福島豪雨、同年10月の新潟県中越地震から15年――。当時、一時的な避難所となった会館には、自身も被災しながら不眠不休で激励に奔走する友の姿がありました。

 同年11月に行われた本部幹部会では、池田先生の提案で、参加者全員から「新潟、頑張れ! 中越、負けるな!」との大応援を頂きました。師匠が築かれた励ましの世界、師弟の絆を目の当たりにし、新潟の同志は奮い立ちました。以来、先生が幾度も示してくださった、「本有常住・常寂光土」の法理を胸に、今いる場所が自身の「当詣道場」と定めてきました。師のため、友のため、学会のために尽くす自身に成長しようと、日々、挑戦しています。
 先月、完成した「牧口記念墓地公園」、そして「世界聖教会館」開館の喜びを胸に、学会創立90周年から100周年へ、師弟共戦を貫く人間革命の道を進み、“世界一の幸福と和楽の人材天地”新潟を築いてまいります。
 第1新潟総県長 木下崇


【聖教ニュース】

◆インド創価学会はなぜ伸びるのか  経済都市ムンバイの友を訪ねて
 “私こそ未来へ続く広布の大河の一滴”

700人のムンバイの友と青年文化訪印団の代表が参加して行われた日印青年交流交歓会。一人一人が“本物の弟子”との自覚で新時代を開く決意にあふれて(9月18日、ムンバイ市内で)

700人のムンバイの友と青年文化訪印団の代表が参加して行われた日印青年交流交歓会。一人一人が“本物の弟子”との自覚で新時代を開く決意にあふれて(9月18日、ムンバイ市内で)

 “世界の先駆”の誇りで前進するインド創価学会(BSG)の友。先月に新「本部」と、創価菩提樹園の新「講堂」が開館。その日を目指し、唱題と折伏・人材拡大に挑んだBSGは、4年前の2倍を超える22万5000人の連帯を築いた。「座談会の参加者が3倍に増えました」「今年、同じマンションの5人に弘教が実りました」――各地で耳にする拡大のエピソードは枚挙にいとまがない。なぜ、BSGは伸びるのか。経済都市ムンバイの友を訪ねる中で、その“答え”が見えてきた。(記事=金久保大樹)

 競うように高層ビル群が空へ伸びる。
 ムンバイには金融機関や財閥系企業の本社が集まり、インド最大の経済都市として発展を遂げてきた。「ボリウッド」(大衆娯楽映画産業)の発祥地としても知られ、仕事や夢を求めて移住してくる若者が多い。
 その分、競争は激しい。人生を開くチャンスは転がっているものの、つかめる人は一握り。物価は高く、苦しい生活を強いられる人が多いのも現実だ。
 著しい成長を続ける21世紀の世界経済のエンジン――それをインドの“光”とすれば、色濃く残る貧富の差という“影”も存在する。ムンバイに限らず、インド全体の「現実」に対して、“一人ではどうにもならない”と諦めを感じる人は多いという。
 リズム・ナグダさん(男子部部長)も、かつてはそうだった。
 定職に就けず、苦しい生活。現実から逃げるように酒におぼれたが、友人から仏法の話を聞いた時、目の覚める思いがした。
 一人の変革から全ての変革が始まる。“一人の無力さ”を嘆くのではなく、“一人の偉大さ”を示し、社会変革の主体者となる自覚を促す。この創価の哲学に、ナグダさんは一筋の希望を見た。
 2年前に入会。自分のためだけでなく、他者のために祈り、行動する実践を続ける中で、命の底から湧き上がる充実感を覚えた。やがて、希望通りの就職を果たす。
 ナグダさんは今、かつての自分と同じ境遇だったメンバーに徹底して寄り添い、励ましを送る。こうした“使命の目覚め”の連鎖が、インド各地に巻き起こっているのだ。
                        ◇ 
インド ムンバイ ルポ
発展の要因
①訪問・激励で「新・人間革命」を学び合う
②誰もが"励ます側"に! 5バディーズ運動 (皆が「5人の励まし責任者」)

 蒸し暑さが残る9月17日、ムンバイの中心に位置するヒラナンダニ・ガーデンズ支部の婦人部の友らが家庭訪問に歩くというので同行した。

 シバニ・ゴギアさん(白ゆり長)が、自ら2年前に折伏したカールティカ・ラージゴパールさん宅へ。プーナム・スリバスタパさん (地区婦人薫)はアヌーパ・パントさん(副白ゆり長)宅を訪問。 2人とも手に握りしめていたのは、小説『新・人間革命』だった。訪問の際には、必ず持ち歩くという。
 BSGでは、全土で月ごとに研さんの章を決め、各部で勉強会を開いている。
 9月に研さんするのは、第26巻の「勇将」の章。スリバスタパさんは”誰も置き去りにしない”との心で、勉強会に集えなかったメンバーのために、全員と会えるまで、毎月、一軒一軒を訪問しているという。
「元気?調子はどう?」。「人を励ますのに理由は、スリバスタバさんがパントさんを訪れると、彼女の表情に、どこか陰りがある。
「最近、ちょっと悩みがあって。栄養学の勉強を始めたけれど、家事や育児に疲れて、あまりはかどらなくて。毎日、題目はあげているんだけど……」 スリバスタバさんは「師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごと」(御書1193ページ)を拝読し、語り掛けた。
「『勇将』にも”勇気が人間を師子に変える"とあるけれど、大事なことは師匠と同じ心で祈ること。そうすれば、勇気が出ないわけがない!『新・人間革命』を通して、一緒に先生の心を学んで、祈りましょうよ!」
 対話が終わると、勤行・唱題が始まった。パントさんに笑顔が戻った。「おかげで迷いが消えたわ!本当にありがとう。私、絶対に負けない!」
                    ◇
 スリバスタパさんの確信の言葉には、それを裏付ける体験があった。
  肺炎を治したいと、妹の紹介で2011年に入会。
完治した数力月後、今度は、足の関節に激痛が走り、歩くことが難しくなった。原因は不明。ステロイド剤を投与しながらの治療は続い たが、なかなか改善が見られない。
 気持ちが落ち込む日々の中、リーマ・バティアさん(支部婦人部長)をはじめ、多くの同志が『新・人間革命』を通して励ましを送ってくれた。
  当時は白ゆり長。広布を妨げる魔に負けるわけにはいかないと、ひたぶるに唱題に励んだ。
 "こんな自分だからこそ、メンバーを励まそう"と決め、同志の車に同乗して家庭訪問に挑んだ。2力月間で110軒を訪れたことも。スリバスタパさんの懸命な姿に触れ、20人程度だった座談会の参加者が70人 を超えるまでになった。気付けば足の痛みは、うそのように消えていた。
 「私があちこち訪ねるものだから、近所の人によく聞かれるんです。『あなたには何軒、家があるの』って(笑い)。私は池田先生にお会いしたことはありません。でも、『新・人間革命』に描かれている、”山本伸一”の生き方を自分に置き換えて実践した時、大きく人生が開けることを心から確信しました」
 物理的な距離を超え、『新・人間革命』を通して 結ばれた”師弟の魂の交流"が、BSGメンバー一人一人の確かな拡大の原動力となっている。
                    ◇
 BSGが大きく人材の裾野を広げた取り組みの一つに、「5バディーズ」という励まし運動がある。年齢、役職、入会歴などに関わらず、全メンバーが"励ましたい5人”を決める。その5人と緊密に連携を取り、励ましを送り合いながら、互いの成長と全身を祈る。

「人を励ますのに理由は必要ありません」。ムンバィ文化会館があるカール支部の支部長、ブリジェーシュ・マニさんが、はつらつと言った。
  同支部では各部が一体となって、この運動を推進。”励ます側" の陣列を着実に増やしていった。
「私を指名した新入 会のメンバーは、何度もわが家を訪ねてきてくれ、「唱題は順調ですか?」と励ましてくれるんです(笑い)。頑張らざる得ませんよね」と笑顔のマニさん。
 かつては、壮年部の会合参加率が全部員の10%にも満たなかったが、”励ましの連鎖"が重なり合う中で、次々と同志が立ち上がり、参加率は90%を超えるまでに。
 婦人部や男女青年部にも、「5バディーズ」の運動から次々と人材の花が咲き、カール支部として4力月間で、新たに25人の友が活動に励むようになった。
                    ◇
 こうした智慧と勇気の連動を支えている源泉は、 "断じて広宣流布を成し遂げる"との誓願の題目にほかならない。
 BSGが4力月間で唱えた題目は「115億遍」。各地区で「源流唱題会を開き、定めた目標に向かつて、異体同心の唱題に挑んできた。
「源流」とは、『新・人間革命』第29巻の章の名前。1979年の池田先生の3度目の訪印の様子が描かれている。
 当時、各地から集った40人の友に先生は語った。
 「ガンジス川の悠久の流れも一滴から始まります」
「今はメンバーは少なくとも、自身がその一滴であるとの自覚で、洋々たる未来を信じて前進していきましょう」と。
 以来40星霜。"自分が広布の大河の一滴である"との自覚と責任は、21世紀に躍り出た地涌の友の心にも、確かに宿っている。
あるBSGのリーダーが語っていた。「先生がインドの大地に題目を染みこませてくださったからこそ、今の発展があります。だから次は、私たち後継の弟子たちの祈りと行動で、未来へ続く人材の大河を開いていく。それが、BSGの全員の誓いです」
 誓願の心で結ばれた師弟の絆がある限り、広宣流布に行き詰まりはない。

◆原田会長を中心に各部代表者会議  地涌の人材の花また花を

 世界広布新時代第72回の各部代表者会議が23日、原田会長を中心に、東京・新宿区の常勝会館(本部第2別館内)で行われた。
 池田先生はメッセージを贈り、先の台風被害に遭った方々に思いをはせつつ、自ら被災しながら同志に尽くす友らの尊き献身に対し、御本仏が「いづれも・いづれも功徳に・ならざるはなし」(御書1098ページ)と全て御照覧であると、深く感謝した。
 次いで「闇なれども灯入りぬれば明かなり濁水にも月入りぬればすめり、明かなる事・日月にすぎんや浄き事・蓮華にまさるべきや、法華経は日月と蓮華となり故に妙法蓮華経と名く」(同1109ページ)を拝読。
 いかなる宿命の闇も世の濁りも、赫々と照らし晴らしていけるのが、妙法蓮華経の限りない大功力である。それぞれの誓願の国土で三変土田の歴史を刻みながら、いよいよ明るく清々しく、地涌の人材の花また花を咲かせゆこう――と訴えた。
 そして、「11・18」を目指す多忙な日々にあっても、「異体同心」という最高最強のチームワークで励まし支え合い、賢く朗らかに創価のスクラムを組み広げ、生き生きと価値を創造していきたいと述べた。
 最後に「口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ」(同557ページ)を拝し、一切を蘇らせ、味方に転じゆく題目の響きで、勇気凜々と前進しよう!と呼び掛け、メッセージを結んだ。
 原田会長は改めて、台風被害への心からのお見舞いを述べ、できる限りの支援を続けたいと強調。師弟を一切の原動力に広布伸展を続けるタイ、インドなど各国の模様を紹介しつつ、その闘争に謙虚に学び、わが地域の“壁”を打ち破る挑戦で、明「前進・人材の年」へ先駆しようと訴えた。
 また長谷川理事長、谷川主任副会長、男子部大学校の中原事務局長があいさつ。本社報道局の佐口博之記者が取材報告を行った。

【特集記事・信仰体験など】

◆〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉79 社会部は「不屈の楽観主義」で 「桜梅桃李」の勝利劇を!   宅配業者装う 新手の詐欺に注意

「仏法即社会」の勇者として、妙法の旗を高らかに掲げ、「仏法勝負」の勝者として、新たな価値を創造しゆく、社会部の友(19日、東京戸田記念講堂での「部の日」記念大会)

 原田 過日の台風19号で被災された方々に、重ねて心からのお見舞いを申し上げます。先日は、福島県いわき市の被災者の方々のお宅を訪問しました。大変な中で、再起を誓う姿に深く感動しました。また、地元の同志の方々が共に片付けをし、復旧に励む姿にも、胸を打たれました。

 志賀 青年部も、各地で「かたし隊」を結成し、復旧に汗を流しています。

 原田 21日付の「新時代を築く」の中で、池田先生は、「打ち続く豪雨災害で筆舌に尽くせぬ苦労をされている方々に届けと、題目を送る日々である」とつづられ、「創価家族は一段と励まし、支え合って、一切を変毒為薬していきたい」と言われています。私たちは引き続き、唱題を根本に、支援・激励に全力を尽くしてまいりたい。

「信心即生活」の姿
 田代 社会部は、きょう24日に「部の日」を迎えます。19日には記念の大会を開催し、先生から心温まるメッセージを頂戴し、新たな決意で出発をしました。

 原田 それぞれ製薬会社と航空会社に勤務し、広布の第一線でも活躍する壮年部と女子部の方の体験も感動的だったと伺いました。まさに「職場の勝利者に!」との学会伝統の指導を実践されている方々です。

 伊藤 社会部の皆さんが語る“実証の体験”は即、広布推進の力になります。3年連続で世帯増を果たしている北海道では数年前から、ライン組織の取り組みとして、社会部の体験談大会を開いています。

 原田 大変に好評で、多くの友人も参加し、感動を呼んでいるそうですね。

 伊藤 はい。その理由の一つが、「自分が変われば環境は変わる!」という、依正不二の法理に裏付けられた学会員の生き方です。

 田代 日頃の活動での薫陶を生かし、どんなに困難な課題や障害に直面しても逃げることなく、解決に向けて努力を続ける姿に、共感が広がっているのです。

 伊藤 その体験は決して、“華やか”ではないかもしれません。しかし、“等身大”だからこそ、仏法の偉大さを証明する力になっているのだと思います。

 田代 また、先生が「発刊に寄せて」をつづってくださった、社会部の指導集『社会で光る――「桜梅桃李」の勝利劇を』(本社刊)が昨年発売され、大きな反響を呼んでいます。

 志賀 社会部の方だけでなく、働く全ての人の“糧”となる本です。たとえば第2章では、社会で奮闘する若い世代への指針がまとめられています。私も読みましたが、「清々しい挨拶」「約束を守る」「朝に勝つ」など、決意を新たにすることばかりでした。

 大串 先生は、「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」(御書1295ページ)を拝し、「『あの人はさわやかだ』『あの人は信頼できる』『あの人は頼りになる』と賞讃されていく。これでこそ、『信心即生活』『仏法即社会』の姿です」と強調されています。

 志賀 当然、楽な仕事はありません。しかし、「信頼できる人に、よく相談をする」「自分一人で抱え込まない」「単調で地味に見える基本を、着実に身につける」「人が嫌がる仕事こそ、人間が磨かれる」ことなどを、先生は教えてくださっています。

 伊藤 昨年発表された、社会部の新スローガンは、「不屈の楽観主義で桜梅桃李の勝利劇を!」です。私たちは、自分らしい桜梅桃李の輝きで、職場で信頼される人を目指します。

 原田 社会部の皆さんはどうか、日々の誓願の祈りを根本に、自身の生命に勇気の旭日を昇らせ、使命の職場を、希望の光で照らしていってください。

 田代 社会部の中でも今、女性の活躍は目覚ましいものがあります。大手銀行の支社長や、業界最大手の1部上場企業の執行役員も誕生しています。

 原田 「励ましのスクラム」である社会部の一つの実証ですね。本当にうれしいことです。

 田代 また、「働き方改革」などが進む変化の時代において、苦労をされている方も大勢います。先日、お会いした方は、自身が望んではいない部署に配属されながらも、「毎朝、『全社員の安全と健康。そして会社の発展』を真剣に祈念して出発をしています」と語っていました。その誠実で責任感あふれる姿に深く感動しました。こうした皆さんこそ、社会の未来を開く「希望の存在」であると確信します。

 伊藤 「発刊に寄せて」の中で先生は、「私たちの生命は、どこまでも自分らしく伸びやかに、そして粘り強く、時を待ち、時を創りながら、見事な花園を必ず織り成していくことができる。そのための仏法である」と言われました。

 原田 間もなく、社会部のグループ総会も始まります。皆が「わが職場こそ、人間革命のドラマの本舞台」と定め、自身にしか果たせない使命があることを確信し、不屈の楽観主義で、絶対勝利の大花を咲き誇らせていけるよう、全力で応援していきます。

安易に返信しない
 大串 最近、新手の詐欺が横行しています。先日は宅配便業者をかたる虚偽のメールの指示に従ってしまい、携帯電話の“乗っ取り”が行われ、不正利用をされた事例を聞きました。

 志賀 「お荷物のお届けにあがりましたが不在の為持ち帰りました」という内容のメールですね。「ご確認ください」と記されたURLにアクセスし、詐欺にあったそうです。

 原田 身に覚えのないメールには、安易に返信をしないことです。不審なメールが届いた時は、決して自分一人で判断することなく、周囲の人に相談をしながら対応をしてください。

◆〈開学20周年へ 未来を開くアメリカ創価大学〉第4回 ネパールの人材山脈  「志」の高さが人を偉大にする

“あのヒマラヤのように、偉大な人に成長してください”――ネパールを初訪問した創立者・池田先生が、子どもたちと和やかに語り合う(1995年11月、首都カトマンズ郊外で)

“あのヒマラヤのように、偉大な人に成長してください”――ネパールを初訪問した創立者・池田先生が、子どもたちと和やかに語り合う(1995年11月、首都カトマンズ郊外で)


 アメリカ創価大学(SUA)では400人の学生が学んでおり、その4割がアメリカ国外からの留学生である。最も多いのは「日本」。では、次に多い国は――。
 本年5月に開かれた「寄付者の集い」でハブキ学長が出した“クイズ”である。
 答えは……「ネパール」。
 多くの参加者が、意外な解答に驚きの表情を見せた。
 SUAには現在、14人のネパール人留学生がいる。教職員いわく、彼らはとても意欲的で、向学心に満ちあふれているとのこと。昨年度の卒業式で、最優秀の学生に贈られる「創立者賞」に輝いたのも、ネパール人の学生であった。
 北海道の1・8倍の国土に、100以上の民族からなる約3000万の人々が暮らすネパール。全人口の実に半数以上が、24歳以下の若年層である。
 大自然に抱かれたこの“青年の国”から、なぜ、多くの学生がSUAに進学してくるのだろうか――。
                           ◇ 
 「そもそもネパールの若者は、留学への意識が高いんです。より良い教育環境を求め、国外に目を向けています。アメリカで学ぶ留学生の出身国を見ると、ネパールは11番目に多い国なんです」
 米国留学を支援する「Education USA」のネパール事務所で働く、セレナ・マラさんが教えてくれた。アメリカで学ぶ2017年度のネパール人学生は1万3000人となっており、16年度と比べて14%も増加しているという(17年度の日本人数は1万9000人)。
 マラさん自身もネパールで生まれ育ち、留学で視野を広げた。祖国の“後輩”のために役に立とうと今の仕事に就き、日々、200人もの留学志願者をサポート。「南・中央アジアの国々の中では、ネパール事務所が最も忙しいですよ」
 同事務所では、2011年から、経済的に厳しい地域や家庭で育った学生の支援プログラムがスタートした。毎年、全国から数百人の応募があり、厳正な審査で十数人が選出される。現在、SUAで学ぶネパール人学生の大半が、このプログラム出身の俊英たちである。マラさんは語る。「彼らの多くは、SUAの『理念』と『カリキュラム』、そして充実した『奨学金制度』に魅力を感じているようです。先輩たちの勧めもあり、ここ数年でSUAの人気が高まっています」

二つの学校を設立
 13期生のプラカッシュ・ビスタさんは「Education USA」の支援を受け、SUAに進学した最初の学生。今から6年前のことである。
 彼は入学前に、自身が生まれ育ったネパール西部のカリコット郡の村に学校を設立していた。辺地にある村は、水道や電線も十分に整備されていない。さらに、約10年続いたネパール内戦で、家や学校が破壊されていた。ビスタさんは、一人また一人と村民のもとを訪ねて教育の必要性を訴え、資金を集めた。そして土地を耕し、廃虚を校舎に変え、無償で授業を行えるシステムを築いたのである。
 そんな彼が、さらなる学識を得ようと、数千に及ぶアメリカの教育機関から選んだのがSUAだった。
 「SUAが掲げる『平和』『人権』『生命の尊厳』といった理念を目にした時、ここで学びたいと思ったんです」
 SUAに在学中も、出身地の隣村に二つ目の学校を設立。卒業後は、イギリスの大学院で社会起業の分野の修士号を取得した。昨年から母国に戻り、自身の学校の責任者として、経営基盤を固め、カリキュラムの充実に努めている。
 「SUAで学び、教育観が大きく変わりました」と語るビスタさん。創立者・池田先生の「大学は大学に行けなかった人のためにある」との言葉を胸に、現在、自身の学校で「価値創造」をテーマにした授業を実施中。知識や技術を、いかに人のため、社会のために活用し、還元していくか――その“目的観”を深め、人間性を磨くことに力点を置いているという。
 取材中、ビスタさんが「今度、SUAの卒業生が来校してくれるので、楽しみです」と声を弾ませた。12期生のキンバリー・モロネックスさんが、近日、教育研究の一環でビスタさんの学校に滞在するとのこと。
 早速、モロネックスさんにも話を聞いた。彼女は現在、自身の地元サンディエゴで教員を務める傍ら、シカゴにあるデポール大学のオンラインの修士課程「世界市民育成のための価値創造教育」を受講している。〈編集部注=同大学には「池田大作教育研究所」があり、複数のSUA出身者たちが研究員・学生として在籍している〉
 彼女は決意する。「ネパール訪問では、貧困と教育の関係性について研究します。そしてプラカッシュさんと一緒に、創価の教育哲学を、どう現場で実践していけるかを模索していきたいです」
 ネパールの村々の一角で、創価教育の同窓生たちの連帯がいよいよ光り始める。

“真の豊かさ”とは
 霧がかかる山々と、夕餉の煙が上がる小さな集落。あかね色の空のかなたに、白い秀峰が浮かぶようにそびえ立つ――。
 SUAの「池田図書館」には、大きな「ヒマラヤ」の写真が掲げられている。
 1995年11月、ネパールを初訪問した創立者が撮影したもので、4期生の入学の折に贈呈された。この写真に託した思いを、創立者はこう語っている。
 「ヒマラヤは、激しき烈風に吹かれながら、天を目指して厳然と、そびえ立っております。この堂々たる“山の王者”の如く、皆さんも、最高峰の人生を生き抜いていただきたい。アメリカ創価大学は、その最高峰の知性と人格と信念を鍛え上げゆく、人間教育の殿堂であります」
                        ◇ 
 ネパールからの留学生たちは、この写真を仰ぐたびに向学心を湧き立たせているという。
 「自然の純粋さ、気高さを感じる写真です。どんな嵐にも動じない、このヒマラヤのような堂々とした人間に、私もなりたいです」
 チトワン郡の貧しい村で生まれ育ったスビナ・タパリヤさん(2年)。幼い頃、父親が友人とつくった学校に通い、雨漏りがする簡素な教室で懸命に学んだ。全国模試で成績上位者に選ばれた時、村中の人々が祝福してくれた。
 彼女には、“教育のおかげで今の自分がある。村の希望の存在になれた”という誇りがある。「この恩を返すにはどうしたら良いか。そう考える中で、『貢献的人生』というSUAの指針に心が引かれました」
 現在、「核兵器廃絶」などをテーマに勉強会やシンポジウムを開く学生団体「平和の文化」で、中心者の一人を務めている。「村にいた時は、世界が直面する核兵器問題の深刻さを知ることはありませんでした。もっと視野を広げていきます」
 一方、さまざまな社会人経験を経て、「学び直したい」とSUAにやって来た学生もいる。
 ビカッシュ・グプタさん(4年)は、かつてネパールの政府機関で働き、経済苦を抱える女性の支援に携わっていた。
 「将来は、貧困解決や経済発展の分野で活躍したい。夢をかなえるために、SUAの『国際研究』専攻を選びました」
 2年前には、社会起業の精神や政策分析などを学び合うSUAの学生団体を創設した。現在、各国出身の学友と活動に励んでおり、近日、初の学生ジャーナルも発刊する予定だという。
 「“より良い世界を築こう”と私たち青年を触発してくださる創立者に、心から感謝しています。将来は、ネパール社会を担い立つ人になります」
                         ◇ 
 95年のネパール初訪問の折、創立者は行く先々で強調した。
 「一国の豊かさは、人々の『心』の光で決まる。これが、私の変わらざる信念であります」と。
 何のために学ぶのか――その「志」の高さこそ創価教育の魂であり、国の発展を目指すネパールの留学生たちが、心の奥底で追い求めているものにほかならない。
 彼らの「理想」が創価教育を通して「形」となり、ネパール社会、ひいては国際社会を照らす日は遠くないだろう。
 SUAで育まれるネパールの“人材山脈”に、各界の関心が集まりつつある。 


◆〈信仰体験〉 大腸がん、リーマン・ショックを越え 2019年10月24日

宮本さん㊥の飾らない人柄に、多くの人が信頼を寄せる。「㈱エムケイ」の会社名は、夫婦の頭文字から取った。「いつも支えてくれる妻には感謝しかありません」と

 【香川県高松市】宮本勝さん(72)=副本部長=は小さな町工場を営む傍ら、10以上の特許を持つ“発明家”でもある。

 

2019年10月23日 (水)

2019年10月23日(水)の聖教

2019年10月23日(水)の聖教

◆わが友に贈る

「さいわいは心より
いでて我をかざる」
尽きせぬ幸福の源泉は
自らの生命の中にある。
価値創造の劇を共に!

◆名字の言

アメリカSGIの一員として活動する姉が毎年、数世帯の弘教を実らせる。日本で暮らす妹の婦人部員は、その様子を聞きながら、“なぜそんなにできるのだろう”と思っていた。先日、久しぶりに帰国した姉と買い物へ。「一緒に歩いて、弘教のできる理由が分かりました」▼店員、タクシーの運転手、たまたま隣に座った人――姉は、とにかく朗らかに話し掛ける。あいさつだけの人もいれば、世間話から身の上話、仏法の話になる人も▼姉の振る舞いを思い浮かべつつ、婦人は語った。「相手は私の周囲にもいる、ごく普通の人ばかり。姉は池田先生との誓いを胸に、一人一人に心を開いていたのです。弘教も姉にとっては特別なことではなく、一人を大切にする行動の一つなんだと思いました」▼臨床心理士の諸富祥彦氏は「出会いに恵まれていない」と言う人の多くは、実は「出会いをないがしろにしている人」と手厳しい。「人生にはいい出会いが待っている」という心を持てば、小さなチャンスや出会いに目が開かれ、人生は動いていく、と(『「本当の大人」になるための心理学』集英社新書)▼環境のせいにしても何も変わらない。相手の心を開くには、まず自分の心を開くこと。この勇気の挑戦から想像を超えた人生の劇が始まる。(起)

◆寸鉄

   他者に共通の基盤見出す
 SGIの行動こそ理想―
 博士。共生社会をけん引
      ◇
 音楽隊・鼓笛隊が各地で
 熱演!弾む命で奏でる希
 望の旋律。創価文化の花
      ◇
 自分が若いと感じる人は
 「脳年齢」も若く―研究。
 生涯青春の多宝会こそ鑑
      ◇
 食品ロスは焼却等で環境
 への影響も大―国連機関
 声掛けと行動を家庭から
      ◇
 週末にかけ台風21号が北
 上。情報注視し警戒強く。
 無冠の友も絶対無事故で

◆社説 全国で「大学祭」の季節  キャンパスに輝く英知の連帯

 本格的な“対話の秋”が到来!――今年も各地のキャンパスで大学祭・学園祭が活発に行われている。
 ベネッセ教育研究開発センターが実施した、大学内の友人との“つながり”に関する調査(2016年)によると、「話をしたり一緒に遊んだりする友だち」については「いない」「1人」の回答割合が全項目の中で最も少ない。「話をするような、浅く広い気軽な人間関係については、数人から10人以上の人数のネットワークがあること」がうかがえるという。これに対し、「学習や広く社会の課題などについて議論をする友だち」が「いない」との回答が25・7%と、少なくない割合となっている。文化や生き方が多様化する一方、他者との関わりが希薄化する現代でもある。人数だけでなく、深い“つながり”が、大学生活をより充実させていくのではないだろうか。
 今、平和と希望の連帯を誇りとする男女学生部のメンバーは、大学祭の取り組みを通し、対話を進めている。
 なかでも、今年の「SGIの日」記念提言を読み深める中で、国連が定めた「持続可能な開発目標(SDGs)」をテーマに取り上げるメンバーが多い。
 東京都内のある大学では、SDGsをテーマに有志がアンケートを実施。350人以上から回答を得て、その分析結果を来月開催される大学祭で発表する。ある学生からは「SDGsについて興味をもつ機会となった」との声が寄せられるなど、国連が進めるSDGsへの理解を広げることができた。
 また、別の大学では「人間中心の多国間主義」をテーマに掲げて、展示会の準備を進める。ここでは、1年生の自発的な活躍も目覚ましい。「SGI提言」の研さんを重ね、今回のテーマについての主張や教授へのインタビューなど多彩な内容を紹介した冊子の編集・作成に取り掛かっている。
 さらに、群馬県の大学で学ぶメンバーは、大学内の幾人もの教授とSDGsを巡って対話を重ねる。研究室を訪ねては熱心に語らいを続ける、その主体的な姿勢が高く評価され、新たな信頼と共感を広げることができた。
 池田先生は語っている。「人間は、対話の中でこそ、真の人間に成長する。対話とは、相手から学ぶことである。そこには相手への尊敬がある。だから語り合う言葉が生まれる。相手から学べば、自分も豊かになる」と。
 顔と顔を合わせ、互いの声を聞く。心が通じ合っていくなかに、本当の“つながり”が生まれる。英知の学生部が、キャンパスに友情の大輪を咲かせゆくことを期待したい。

◆きょうの発心 勇気の対話で“三陸新時代”を 2019年10月23日

御文 大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず(祈?抄、1351ページ・編519ページ)
通解 大地をさして外れることがあっても、大空をつなぐ者があっても、潮の満ち干がなくなっても、日が西から出ることがあっても、法華経の行者の祈りのかなわないことは絶対にない。

 法華経の行者の祈りは必ずかなうと仰せです。

 何があっても祈り抜く信心一筋の両親のもとで育ちました。創価小学校から創価学園、創価大学を卒業後、本部職員として岩手へ。
 総岩手男子部長を務めていた2011年(平成23年)3月、東日本大震災が発生。自ら被災しながらも友のために祈り励まし、復興に尽くす同志の“不屈の負けじ魂”を目の当たりにしました。
 その3年後、父が大病を患い、医師から“余命1年”との宣告が。家族一丸で奮闘し、父と私が、それぞれ弘教を結実。父は最後まで地域広布に駆け、昨年、所願満足の感謝の中で霊山へと旅立ちました。
 震災からの復興を担うこの地で新たな使命を頂き、“人材輝く福光城”構築へ前進の日々です。
 明年は、池田先生との絆を結んだ「三陸の日」から25年。同志の皆さまと心一つに、何ものにも負けない不屈の祈りと勇気の対話で“三陸新時代”を開きます。
 第3岩手総県長 長井哲雄


【先生のメッセージ】

◆男子部大学校生大会への池田先生のメッセージ

 広布の父母から、常勝不敗の魂を受け継ぐ関西の男子部大学校生。大会では、関西の歌「常勝の空」を晴れ晴れと歌い、勇気の対話拡大に挑みゆくことを約し合った(13日、大阪・豊中市の関西戸田記念講堂で)

 男子部大学校生大会が、9、10月を中心に、列島各地で盛大に開かれている。大学校2期生は現在、記念期間「ブレイク・リミット(限界突破)11・18」をばく進中だ(11月18日まで)。自他共の幸福のため、一人でも多くの友と仏縁を結び、限界突破の拡大に挑んでいる。ここでは、池田先生が同大会に贈ったメッセージを紹介する。

さあ、また前進だ! 世界第一の青春の道を
 わが男子部大学校の栄光輝く2期生の諸君、誠にご苦労さまです。
 大事な宝の大学校生の君たちが、勇んで広宣流布に挑戦し、自身を磨き、大きく成長しゆく人間革命の姿ほど、頼もしく、うれしいものはありません。
 地域の創価家族の皆さんも、どれほど喜んでいることか。また、世界の同志も、どれほど見つめていることか。
 君たちは一人一人が、創価学会の希望であり、日本の希望、人類の希望の、かけがえのない存在なのです。
 日蓮大聖人は、若き南条時光に仰せになられました。「法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し」(御書1578ページ)と。
 家族との死別や自身の病気などの試練の連続のなかで、雄々しく闘う時光を励まされての御聖訓です。
 仏法は、世界第一の生命尊厳の大法則です。ゆえに、この仏法を学び行ずる君たちは、今いかなる境遇にあろうとも、まぎれもなく世界第一の尊貴な青年なのであります。
 そして、最高の哲理によって、わが生命を最高に輝かせることで、自分が今いる家庭も職場も地域社会も明るく照らし、光らせていけるのです。ここに、世界第一の青春の道があります。
 この仏法を友に語り、幸福を祈ることは、その人を最高に尊く輝かせていくことです。
 どうか、愛する諸君は、断じて勇敢に、自信満々と、胸を張って、正しき青春勝利の仏法を語り抜いてもらいたい。一人また一人、この究極の幸福と正義と平和の大連帯へ糾合していってもらいたい。
 何があろうと、断固と負けず、題目を唱えきって、「さあ、これからだ」「さあ、また前進だ」と、粘り強く走り抜いた青春が、最後は必ず勝ちます。あとから振り返れば、全ての労苦が、自分の黄金の歴史となります。
 生涯の同志たる大学校の仲間と共々に励まし合い、一人ももれなく、仕事でも広宣流布の闘争でも、自分らしく大勝利してくれたまえ! 絶対に無事故、健康第一で、聡明に親孝行を頼みます。

◆〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第12巻 解説編 紙上講座 池田主任副会長

ポイント
①対話が持つ力
②青年育成の要諦
③学園創立の意義

東京・小平市の創価学園。2017年4月、創立者の池田先生が香峯子夫人と共に訪問した折、撮影した。第12巻の「栄光」の章では、学園創立の歴史がつづられている






東京・小平市の創価学園。2017年4月、創立者の池田先生が香峯子夫人と共に訪問した折、撮影した。第12巻の「栄光」の章では、学園創立の歴史がつづられている


 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第12巻の「解説編」。池田博正主任副会長の紙上講座とともに、同巻につづられた珠玉の名言を紹介する。次回は、第13巻の「基礎資料編」を11月6日付に掲載予定。(第12巻の「基礎資料編」は10月2日付、「名場面編」は9日付、「御書編」は16日付に掲載)

 小説『新・人間革命』第12巻の「愛郷」の章では、打ち続く地震の中、互いに支え合いながら、苦難に立ち向かう長野・松代の同志の姿が描かれています。物的な被害と同時に、精神的な被害も拡大する中、同志は励ましのネットワークを広げていきました。
 先日の台風19号は、各地で甚大な被害をもたらしました。被災された方々に心からお見舞い申し上げるとともに、お一人お一人の一日も早い生活再建、被災地の復旧・復興を、真剣に祈ってまいりたいと思います。
                          ◇ 
 第12巻は、2001年(平成13年)4月20日から、連載が始まりました。21世紀が開幕して最初の連載でした。連載とともに、私たちは21世紀の広布前進のリズムを刻んできました。
 「新緑」の章は、山本伸一の第3代会長就任7周年となる、1967年(昭和42年)5月3日の本部総会の場面から書き起こされています。
 席上、伸一は「これからの七年は、これまでの学会創立以来の歴史よりも、さらに重要であり、広宣流布達成の勝負を決し、基礎を築く七年間であると思います」(12ページ)と語りました。
 伸一が会長に就任した60年(同35年)以降の7年間で、学会は140万世帯から625万世帯となり、支部数も61から国内だけで3393までに飛躍しました。
 こうした広布伸展の中、伸一は方面にモットーを示していきます。四国の「楽土建設の革命児たれ」をはじめ、「人材の牙城・東北たれ」など、次々と発表(202ページ)。それらは今、各地の伝統精神となっています。
 モットーは、地域に誇りを持ち、今いる場所で使命を果たす大切さを訴えたものです。“広布達成の基礎を築く”前進の時に、伸一は「地域広布」の大切さを改めて示したのです。
 また、67年10月、彼はクーデンホーフ・カレルギー伯爵と会見し、「文明間対話」を開始しています。
 「天舞」の章に、「世界平和を希求し、その方途を懸命に探求する伯爵は、まさに、彼にとって“同志”にほかならなかった」(278ページ)と記されています。伸一にとって、目的を共有し、同じ心で進む人は、宗教の違い等に関係なく「同志」でした。だからこそ、伸一の対話には、相手への尊敬があり、魂の共鳴が広がり、堅固な心と心の絆が結ばれていくのです。
 同章には、「相互理解といっても、また、友情といっても、それは、直接会って、語り合うことから始まる」(274ページ)とあります。これこそ、対話が持つ力です。
 世界平和は、身近な一人と友情を育んでいくことから始まります。地域で対話の輪を広げる私たちの運動の意義は、ますます大きくなっています。

人生を重ね合わせる
 「広宣流布は青年部の手で、必ず成し遂げていかなくてはならない」(135ページ)――これが、青年部に対する伸一の一貫した思いです。
 「新緑」の章で、青年育成の要諦が4点挙げられています。
 1点目は「自分以上の人材にしようという強い一念をもち、伸び伸びと育てていくこと」(40ページ)。
 2点目は「広宣流布のリーダーとしての考え方や行動などの基本を教え、しっかりと、身につけさせること」(41ページ)。
 3点目は「実際に仕事を任せ、活躍の舞台を与えること」(同ページ)。
 4点目は「悩みを信心のバネにしていくように励ますこと」(42ページ)です。
 この4点は、青年育成の普遍の方程式です。
 第12巻では、海外で奮闘する青年をはじめ、東京文化祭に出演した男女青年部の苦闘が詳細に描かれています。
 それらは、決して過去の物語ではありません。仕事の行き詰まりや病気など、さまざまな悩みと格闘する姿を通して、同じ苦境にある今の青年への励ましなのです。
 伸一は青年たちに対して、「互いに人を頼るのではなく、皆が一人立たなければならない」(63ページ)と語り、「それぞれが広布の主役であることを自覚し、信心のヒーロー、ヒロインとして、果敢なる挑戦のドラマを」(64ページ)と望んでいます。
 このエールもまた、今の青年に送られたものにほかなりません。インドをはじめ、海外の青年部も今、伸一と自身の人生を重ね合わせ、『新・人間革命』の研さんに取り組んでいます。『新・人間革命』に記されたシーンを、“人ごと”ではなく、“わがこと”として捉え、行動していく。その求道心こそ、自身の成長の源泉です。

先師を宣揚する戦い
 今年の「11・18」は、創価教育の父・牧口常三郎先生の殉教75年に当たります。
 2017年、ブラジル創価学園に「高校の部」が開設されるなど、創価教育の光は今、世界を照らしています。
 「栄光」の章では、創価学園(中学校・高校)創立の意義がつづられています。
 創価学園の建設は、伸一にとって、「先師・牧口常三郎の教育思想と正義を宣揚する、第三代会長としての戦い」(321ページ)であり、恩師・戸田城聖先生から託された構想でした。
 創価学園の「創立記念日」は、牧口先生の祥月命日である11月18日です。つまり、学園の創立は、「牧口先生の教育思想を宣揚し、継承していく」との誓いが込められているのです。
 学園の開校時、伸一は40歳でした。牧口先生と戸田先生は29歳の年齢差があり、戸田先生と伸一は28歳の差でした。伸一は、学園1期生と自らが、同じほどの年の差であることに、不思議な感慨を覚えます。
 翌68年7月17日、学園の第2回「栄光祭」の席上、伸一は万感の思いを語ります。「諸君は、今の私と、ほぼ同じ年代に、二十一世紀を迎えることになる」(384ページ)、「二〇〇一年を楽しみにして、諸君のために道を開き、陰ながら諸君を見守っていきます。それが、私の最大の喜びであるし、私の人生です」(385ページ)
 伸一の思いを受け、学園生は21世紀へ飛翔を開始していきます。
 「栄光」の章は、2001年9月の「創価学園二十一世紀大会」で締めくくられています。その場面が聖教に掲載されたのは、大会が行われた、わずか3カ月後でした。
 卒業生からは、医師や弁護士、公認会計士など、社会の各分野で活躍する人材が誕生しています。牧口先生、戸田先生の構想を継ぎ、伸一がまいた創価教育の種は、21世紀の今、大きく花開いています。

名言集
●人生の道
 人生の道は、人それぞれであり、さまざまな生き方がある。しかし、広宣流布の大使命に生き抜くならば、いかなる道を進もうが、最も自身を輝かせ、人生の勝者となることは絶対に間違いない。(「新緑」の章、38ページ)

●今日を勝て
 昨日、しくじったならば、今日、勝てばよい。今日、負けたなら、明日は必ず勝つ。そして、昨日も勝ち、今日も勝ったならば、勝ち続けていくことです。(「愛郷」の章、158ページ)

●文化は人間性の発露
 文化は、人間性の発露である。ゆえに、優れた文化を創造するには、まず、人間の精神、生命を耕し、豊かな人間性の土壌を培うことである。そして、それこそが宗教の使命といえる。(「天舞」の章、200ページ)

●世界の平和
 世界の平和とは、与えられるものではない。人間が、人間自身の力と英知で、創造していくものだ。(「天舞」の章、265ページ)

●青春時代
 青春時代を生きるうえで大事なことは、自分の弱さに負けたり、引きずられたりしないで、自分に挑戦していくことなんです。自分を制し、自分に打ち勝つことが、いっさいに勝利していく要諦であることを、忘れないでください。(「栄光」の章、338ページ) 
 ※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。
 【題字のイラスト】間瀬健治


【聖教ニュース】

◆天皇陛下 即位の礼 2019年10月23日
 陛下のお言葉「国民の叡智と努力で人類の繁栄に寄与を」 191の国・機関などの代表1999人が参列


「饗宴の儀」に臨まれる天皇、皇后両陛下(代表撮影)

「饗宴の儀」に臨まれる天皇、皇后両陛下(代表撮影)

 
 天皇陛下の即位の礼の中心儀式「即位礼正殿の儀」が22日午後、皇居・宮殿「松の間」で国の儀式として行われた。正殿の儀は、天皇を「象徴」と定めた現行憲法下では2度目。
 安倍晋三首相ら三権の長や各界代表、外国元首ら1999人が参列。外国からは191カ国・機関などから423人が参列した。皇嗣の秋篠宮さまら男性皇族2人と女性皇族9人も出席した。
 午後1時5分、天皇専用の装束「黄櫨染御袍」を着た陛下が、皇位の証しとされる剣と璽などを持った侍従を従えて松の間に姿を見せ、後方の階段から高御座に登壇。続いて十二単姿の皇后さまが御帳台に上った。
 打楽器の「鉦」の合図で参列者が立ち上がり、侍従と女官の手によってとばりが開くと、天皇、皇后両陛下が姿を現した。高御座の「案」と呼ばれる台の上には剣と璽、国璽(国の印)、御璽(天皇の印)が置かれた。参列者が「鼓」の合図で礼をし、えんび服姿の首相が陛下の前に進んで一礼した後、陛下がお言葉を読み上げ、即位を国内外に宣言した。平成時の上皇さまのお言葉を踏襲しつつ「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら」などの文言を盛り込んだ。
 続いて首相が「一同こぞって心からお慶び申し上げます」と即位を祝う寿詞を述べ、三歩下がって即位を祝し、万歳を発声。これに合わせて参列者も万歳三唱をした。
 とばりが閉じられた後、鉦の合図で参列者が着席。陛下に続き皇后さまが松の間から退出し、午後1時35分に儀式は終わった。
 夜には宮殿で祝宴「饗宴の儀」が行われ、両陛下が海外賓客らに即位を披露した。(8面に関連記事)

お言葉 全文
 さきに、日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより皇位を継承いたしました。ここに「即位礼正殿の儀」を行い、即位を内外に宣明いたします。
 上皇陛下が30年以上にわたる御在位の間、常に国民の幸せと世界の平和を願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その御心を御自身のお姿でお示しになってきたことに、改めて深く思いを致し、ここに、国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います。
 国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします。


◆スペインが記念総会 池田先生の初訪問58年 2019年10月23日

情熱と太陽の国・スペインから広布拡大のうねりを!――10・15「師弟原点の日」記念の総会に集った友が記念のカメラに(スペイン文化会館で)


情熱と太陽の国・スペインから広布拡大のうねりを!――10・15「師弟原点の日」記念の総会に集った友が記念のカメラに(スペイン文化会館で)

 10・15「スペイン師弟原点の日」を記念する総会が6日、リーバス・バシアマドリード市のスペイン文化会館で開催された。
 スペインの同志にとって、「10・15」は、師との原点を確認し、心新たに出発する日である。
 1961年のこの日、池田大作先生がスペインを初訪問。先生は、まだ見ぬ地涌の同志が、この地に平和と正義の楽土を築きゆくことを深く祈念した。
 その後、スペイン各地に陸続と妙法の同志が誕生。友は、広布を阻む障魔の嵐も全て打ち破り、人間主義の連帯を拡大してきた。
 近年では、一層の社会貢献を誓い、宗教間対話や教育のシンポジウム、「核兵器なき世界への連帯」展などを活発に展開する。
 本年6月には、創立500年の歴史を誇る同国屈指の名門・アルカラ大学に、“池田思想”を探究しゆく、「池田大作『教育と発達』共同研究所」が開所した。
 喜びに満ちて前進するスペイン創価学会。総会では、モンソン副婦人部長のあいさつに続き、女子部のシモーナ・ペルフェッティさん、オラージャ・マルティネスさんが、弘教拡大の模様などを報告した。
 カプート理事長が、唱題を根本に自らの課題に挑戦し、一人一人が「11・18」を大成長した姿で飾ろうと呼び掛けた。

◆アマゾン研究所を紹介 27日午後8時「TOKYO MX」で 2019年10月23日

 ブラジルの「アマゾン創価研究所」の活動を取り上げた番組「森はよみがえる アマゾン熱帯雨林を守れ」が今月27日午後8時から、「TOKYO MX」で約30分間放送される。
 森林破壊が進むアマゾンで、同研究所が植林や種子の保存、環境教育を進めてきた事実を伝える。
 アマゾン開発について意見を交わした、ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁と池田先生の出会いも紹介される。
                         ◇ 
 スマホ向けのアプリ「エムキャス」をダウンロードするか、ウェブサイト「エムキャス」=https://mcas.jp/を開けば、全国で視聴可能。
 また、放送終了後から11月3日(日・祝)まで、同アプリと同サイトのVOD・見逃し配信の一覧から視聴できる。

 

2019年10月22日 (火)

2019年10月22日(火)の聖教

2019年10月22日(火)の聖教

◆わが友に贈る

永遠なる師弟がある。
強き同志の絆がある。
ゆえに我らは不撓なり!
使命深き一人一人に
仏法勝利の実証は厳然!

◆名字の言

物理学者で随筆家の寺田寅彦は、関東大震災が起きた後、ドイツに留学中の友人に、被災状況の写真の絵はがきを送った。その余白には当時の世間の様子がびっしりと書かれていた▼災害の絵はがきを送るなど、不謹慎な行為にも取れるが、そうではなかろう。インターネットなどはない時代である。“故郷が大変だということを一刻も早く知らせなくては”という思いからの行動だったに違いない▼今月、台風19号が上陸した際、各地の本紙通信員から、安全に留意しつつ撮影された被災状況の写真データや情報が次々と送られてきた。そこには必ず、「地域と住民の無事を祈っています」と添えられていた▼かつて池田先生は「偉大なる祈りは、偉大なる責任感から起こる」「自己のかかわる一切に責任を持ち、真剣に取り組んでいる人こそ祈りを持つ」と語った。その言葉は“地域広布の記録者”の使命に燃える通信員の尊い姿と重なる▼時がたてば、台風被害の報道は減り、人々の関心は薄れるかもしれない。だが、きょうも被災地の復旧作業に汗する人はいて、一日も早い復興を祈る人がいる。「誰も置き去りにしない」という精神は、創価の哲学を持つ私たちにとって、日常の信仰実践そのものであることを銘記したい。(白)

◆寸鉄

   各地で新任幹部が誕生。
 まず3カ月が勝負。新生
 の心意気で11・18へ前進
      ◇
 福井「凱歌宣言」の日。
 “福運の井戸”から幸の連
 帯を拡大!常勝の誇りで
      ◇
 「末法の時は折伏以外に
 ない」恩師。青年よ希望と
 正義の哲理を堂々と語れ
      ◇
 思春期・若年成人のがん、
 約8割が女性と。検診と
 支援体制の整備が急務だ
      ◇
 環境破壊の影響で数十年
 で50億人が食料危機と。
 今こそ英知結集し行動を


【先生のメッセージ】

◆池田先生が贈る指針  地域に信頼と友情の花を

御文 其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、仏種は縁に従って起る是の故に一乗を説くなるべし(高橋殿御返事、1467ページ)
通解 その国の仏法流布は、あなたにお任せする。仏種は縁によって起こる。その故に一乗(法華経)を説くのである。

 御本仏から、わが地域の広布を託された我らである。辛労は尽きない。しかし地涌の我らに変えられぬ国土はないのだ。
 人間の絆が薄らぐ社会だからこそ、心をつなぐ誠実な行動が光る。真心の対話から幸の仏縁が生まれる。
 皆、宿縁の眷属なりと信頼の連帯を広げよう! ここに希望と蘇生の安全地帯があるからだ。


【教学】

◆ロータスラウンジ 第10回 化城喩品第七㊦ 仏法を行じ弘める振る舞いそのものがすでに仏の姿

■大要(続き)
 前回までで、仏と在世の弟子たちの「宿世の因縁」を説いてきました。それを受けて、「化城宝処の譬え」を通して、一仏乗の法華経こそが仏の真意であることを教えます。
 では、砂漠を旅する一行のドラマを見てみましょう。

●シーン5
 ――人の行き来も絶えて、通るのも危なく恐ろしい、五百由旬という長い長い道がありました。
 この悪路を通った先にある宝処(宝のある処)を目指し、多くの人々が歩んでいます。その一行の中に、険しい道の先まで見通せる、一人の聡明なリーダーがいました。
 一行はリーダーのもと、険しい道を乗り越えようと、進んでいました。ところが道半ばで、音を上げます。
 「私たちはひどく疲れ、もう進んでいくことができません。まだ、先は遠く、今から引き返そうと思います」
 その言葉を聞いたリーダーは、思いました。“可哀想なことだ。どうして、すばらしい宝を諦めて、帰りたいと願うのだろうか”
 そこでリーダーは一計を案じ、神通力を使って、三百由旬を過ぎた所に一つの城(都市)を出現させて語り掛けます。
 「皆さん、恐れることはありません。どうか、諦めて帰ることはしないでください。この城に入れば、休息し、安穏になれます。宝処を目指そうと思えば、また進むことができるようになりますから」
 疲れ切った人々は、「悪路をのがれることができて、安穏を得られるのだ」と歓喜し、進んで城に入り、休息を取りました。
 皆の疲れが取れたので、リーダーは化城を消して、人々に語ります。
 「皆さん、さあ、宝処は近くにあります。先ほどの大きい城は、私が作り出したもので、皆さんを休ませるためだけのものです」
 「さあ、共に宝処へ!」――。

●シーン6
 釈尊は、比丘(出家した男性信者)に告げます。
 ――仏も、このリーダーと同じようなものです。今、あなたたちのために、大導師となって、生死や煩悩に満ちた、険難で長遠な悪路を導いてきたのです。
 もし、衆生が一仏乗だけを聞いたならば、“成道は、はるか遠い”と思い、仏を求める心を起こすこともなかったでしょう。だから仏は、比丘たちの心が弱いことを知って、仏になる道の途中に、休息させるために、あえて二乗を説いたのです。
 それなのに、衆生が声聞や縁覚の覚りに安住していれば、仏はその人たちのために説くのです。
 「あなたたちは、まだ真実の覚りを得ていない。真実の仏の智慧は、近くにある。仏は、方便の力によって、一仏乗を三乗に分別して説いてきたのです」と――。

■本来の願い
 「化城宝処の譬え」は、開三顕一(三乗を開いて一乗を顕す)を説いています。
 リーダーが作り出した幻の城は、仏が衆生を導くために説いてきた三乗方便の教えを譬えています。
 ところが、二乗の覚りに満足してしまい、仏の無上の覚りを得ようとする心を起こさないので、「宿世の因縁」を説くことで、本来の願いを思い出させ、導こうとしたのです。
 池田先生は、語っています。
 「この心(=自他ともの幸福を願う心)を生ききるには、『師』が必要なのです。そのことを、長遠の時間にわたる師弟の因縁を通して、化城喩品で教えているのではないだろうか。要は、ここでいう因縁とは『人間と人間の永遠の絆』のことです。決して、人間を離れたものではない。人間を外から縛るものでもない。反対に、弟子の自分が、自分の生命の根本にある『成仏の因』を自覚する。すなわち久遠の『本願』を思い出す。そして、その因を仏果へと育ててくれる師匠という『縁』のありがたさを自覚する――この『最高の絆』への感謝と感動が、化城喩品の心なのです」(『法華経の智慧』普及版〈上〉) 

■化城即宝処
 「御義口伝」には、「化城即宝処とは即の一字は南無妙法蓮華経なり念念の化城念念の宝処なり」(御書732ページ)と示されています。
 日蓮大聖人は、法華経の文を深く拝されて、「化城即宝処」と、化城と宝処は別々ではないと仰せです。
 池田先生は「法華経の本意は九界即仏界、方便即真実ですから、化城と宝処は別々のものではない。化城即宝処なのです。その立場に立てば、じつは過程がそのまま目的である。つまり、仏道修行の果てに成仏があるというのではない。仏法を行じ、弘める振る舞いそのものが、すでに仏の姿なのです」(『法華経の智慧』普及版〈上〉)と語っています。
 たとえいかなる境涯、境遇にあっても、自行化他にわたって南無妙法蓮華経を唱えていく時、その一瞬一瞬の生命に仏の生命が現れるのです。九界の衆生の生命に、仏の境涯を顕していくことができるのです。

■広宣流布は流れ
 池田先生は「広宣流布は、流れの到達点ではなく、流れそれ自体である。何か特別な終着点があるものではない。『こうなったら広宣流布』というのは、譬えでは言えるが、決まった形のことではない。大聖人の仏法は『本因妙』の仏法であり、常に未来に広がっていく正法なのである。末法万年尽未来際のための仏法である。永遠に戦い続けることが、広宣流布に生きるということだ」とスピーチされました。
 さらに先生は、「前進するためには、目標という『化城』を設定しなければならない。しかし、その『化城』に向かっての前進、行動は、深く見れば、それ自体、仏の所作なのです。その舞台が、すでに『宝処』なのです」(『法華経の智慧』普及版〈上〉)と語っています。
 日々前進の人生こそが、“広宣流布に生きる”ことなのです。

『法華経の智慧』から 
喜んで広布の苦労を
 すべての活動を楽しんでいくことです。苦しみきった仏の所作などない。
 「さあ喜んで、広宣流布の苦労をしていこう」「さあ、またこれで福運がつく」「また境涯を広げられる」と喜べる自分になれば、それ自体、仏界が輝いている証拠でしょう。(中略)
 生きているかぎり、何か問題があるのは当然です。それをいちいち一喜一憂していたのではつまらない。
 目標に向かって、懸命に挑戦する、ひたぶるに戦う。歯をくいしばって道を開いていく――振り返ってみれば、その時は苦しいようでも、じつはいちばん充実した、人生の黄金の時なのです。三世のドラマの名場面なのです。
 大聖人は「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は化城即宝処なり我等が居住の山谷曠野皆皆常寂光の宝処なり」(御書734ページ)と仰せられています。これはまさに、妙法を持ち、行ずる私たちの境涯を教えられています。いずこにあっても、いかなる境遇にあろうとも、私たちの根底は「歓喜の中の大歓喜」(同788ページ)なのです。(普及版〈上〉「化城喩品」)

師と共に 
学会と歩む幸福人生
 「御義口伝」に「日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は一同に皆共至宝処なり、共の一字は日蓮に共する時は宝処に至る可し不共ならば阿鼻大城に堕つ可し」(御書734ページ)とあります。
 妙法を唱える人は、皆が共に、仏の覚りの境地を開けると教えられています。その上で、「共」の一字が、仏界と地獄界の分かれ目となるのです。
 「日蓮に共する」とは、私たちでいえば、大聖人の御遺命である一閻浮提広宣流布という大願を同じくして進むことです。広くいえば、広布の大願を現実のものとする学会と共に歩むことにほかなりません。
 さらに、「在在諸仏土 常与師?生」(法華経317ページ)の文からも、私たちの前進は“常に大聖人と共に”あるといえます。そのことを生命で実感することが宝処に至ることです。
 また、「化城即宝処」の教えからも、広宣流布にまい進できること自体が、幸福なのです。

【聖教ニュース】

◆生命尊厳の哲学胸に平和建設へ アジアで教学研修会 タイ インド マレーシア シンガポール フィリピン  池田先生が記念のメッセージ


完成したばかりの新「本部」で開催されたインドの教学研修会。平和と幸福の哲理を学ぶ喜びにあふれて(ニューデリーで)


完成したばかりの新「本部」で開催されたインドの教学研修会。平和と幸福の哲理を学ぶ喜びにあふれて(ニューデリーで)


 御書根本に新たな拡大と人材育成のうねりを!――今月、アジアの各国でSGI(創価学会インタナショナル)教学研修会が活発に開催された。これには池田大作先生がメッセージを贈り、生命尊厳の哲学を学び、平和の連帯を築きゆく地涌の同志をたたえ、共に世界広布の大道を勝ち進もうと呼び掛けた。
                               ◇ 
 先月、日本からの訪問団を迎え、諸行事を大成功で終えたタイでは12、13の両日、インドでは15、16の両日、福田SGI副教学部長の担当で研修会が行われた。
 このうち、12日に開かれたバンコク・トンブリ会館での研修会には、隣国のカンボジア、ラオス、ミャンマーの代表も参加。池田先生の講義「世界を照らす太陽の仏法」から「創価学会永遠の五指針」の「健康長寿の信心」、「檀越某御返事」などを学んだ。
 インドの研修会は、先月に完成したばかりの新「本部」(ニューデリー)で。求道の心に燃える同志が、喜々として宝城に集った。
 ここでは「世界を照らす太陽の仏法」から「人間革命の宗教」の「幸福」「調和」をテーマに研さん。創価班などの人材育成グループ、未来部・学生部の担当者を対象にした講義も行われた。
 マレーシア創価学会(SGM)では10、11の両日、シンガポール創価学会(SSA)では12、13の両日、高野SGI副教学部長の担当で研修会が開催された。
 マレーシア文化会館での研修会では、「諸法実相抄」などを通して実践の教学の重要性を確認した。
 一方、シンガポールのタンピネス創価会館とSSA本部で行われた研修会では「人間主義の仏法の系譜」を研さん。また未来部・学生部の友らを対象とした質問会も行われた。
 フィリピンでは「一般講義」(中国語=11日、マニラ国際平和会館。英語=12日、フィリピン文化会館)と「青年教学研修会」(13日、マニラ国際平和会館)が開かれた。
 深瀬SGI副教学部長の担当で「絶対勝利の信心」「広宣流布」などについて研さんした。
 参加者からは次のような声が寄せられた。
 「絶対的な幸福境涯を得るためには、師匠に心を合わせることが重要であると学びました。池田先生の弟子としての自身の使命と誓いを新たにしました」(壮年部、本部長)


【特集記事・信仰体験など】

◆ルポ パラグアイ ルケ市 池田大作博士公園を訪ねて 2019年10月22日
 住民に親しまれる憩いの広場  元自治会長「わが地域が生まれ変わった」

上空から撮影した「池田大作博士公園」。その周辺には「牧口常三郎先生通り」「戸田城聖先生通り」「SGI通り」が






上空から撮影した「池田大作博士公園」。その周辺には「牧口常三郎先生通り」「戸田城聖先生通り」「SGI通り」が


 南米パラグアイの首都アスンシオンの玄関口として国際空港を擁するルケ市。同市のイタプアミ地区には「池田大作博士公園」があり、周辺の道は、ルケ市議会により「牧口常三郎先生通り」「戸田城聖先生通り」「SGI通り」と命名されている。8月中旬、地域に親しまれているという“池田公園”を訪ねた。
 首都アスンシオンを車で出発し、ルケ市にある「池田大作博士公園」に向かった。
 同市の人口は約24万人。国際空港や南米サッカー連盟本部を擁するパラグアイの中核都市である。
 10キロほど進むと、ルケ市内に入った。
 「この先の道路が“牧口通り”ですよ」
 車に同乗したパラグアイSGIのメンバーが前方を指さしながら、教えてくれた。
 車を止め、「牧口常三郎先生通り」の出発点に設置されていた「石碑」の前へ。
 そこには“創価の父”の偉大な業績をたたえ、その名が刻まれていた。
 公園や通りは、ルケ市のイタプアミ地区にある。
 「イタプアミ」とは、パラグアイの先住民の言葉グアラニー語で“立ち上がる岩(石)”などの意があるという。
 石は、同地区の象徴であり、石碑での顕彰の意義は、ひときわ大きい。
 “牧口通り”の全長は約3・5キロ。ルケ市とリンピオ市をつなぐ路線バスが走り、交通量は多い。市民にとって主要な道路の一つになっている。
 「毎日、この“牧口通り”を車で走り、職場に出勤しています。“パラグアイ広布の前進のために、きょうも頑張ろう”と、すがすがしい気持ちになりますよ」
 ルケ市在住、パラグアイSGIのカタオカ理事長は、こうほほ笑んだ。
 この“牧口通り”を1キロほど直進すると、右手に「戸田城聖先生通り」(全長約1キロ)があった。
 “牧口通り”と“戸田通り”が交差する地点には、地元イタプアミ地区の小学・中学・高校の校舎が立つ。
 ここは、未来を担う青少年が、元気に語らいながら歩く通学路でもある。
 さらに“戸田通り”を東に進むと、左手には「SGI通り」(全長約500メートル)が。
 その先に、約1140平方メートルの「池田大作博士公園」が広がっていた。
 「この公園は僕たちの“庭”だよ!」
 「毎日、ここでサッカーをしているんだ。僕の夢は、サッカー選手になることです」
 「池田大作博士公園」には、子どもたちの無邪気な笑い声が響いていた。
 ブランコを楽しむ親子や、サッカーボールを必死に追い掛ける少年たちもいた。
 子どもたちを見守る保護者からは「子どもたちの“大切な場所”になっています」「この公園はイタプアミの誇りです」など喜びの声が――。
 公園を案内してくれた、イタプアミ地区の元自治会長フアン・カルロス・イバロラ氏は、にぎわう様子を見つつ、感慨深く語った。
 「かつてイタプアミ地区は森林ばかりで、他には何もなかったんです。行政からも、忘れ去られていた地区でした。この地域が、こんなにも活気づくとは、誰も想像していなかったでしょう」
 かねてイバロラ氏は、“どうすれば、この地域を発展させることができるか”を人知れず悩み、考えていた。そんな時、知人を介して、SGIメンバーに出会ったという。
 「私たちは、地域の皆さんが日常的に楽しめる“憩いの広場”をつくりたいと思っていました。その構想段階から、パラグアイSGIの皆さんが、全面的に協力してくれたのです。どこまでも地域を大切にし、真剣に行動するSGIの皆さんの姿、そして池田大作博士のリーダーシップに、心からの敬意を抱きました」
 そして2003年、池田先生の地域貢献の理念に、深く共感した市民の強い要望により、「池田大作博士公園」の設置が決定したのである。
 その後、行政と地域住民、SGIメンバーが協力して、公園の整備を進めてきた。
 05年にはブランコやシーソーなどの遊具、12年にはサッカーゴールなどが設置されてきた。
 イバロラ氏は、これまでの歩みを振り返った。
 「“池田公園”の開設以来、不思議と、若い世帯が増え続けています。新しい家が何軒も立ち並び、公園の隣には、大きなサッカースタジアムも建設されました。もうすぐ、企業の工場も誘致される予定です。十数年前まで何もなかった場所が、生まれ変わったのです。“池田公園”と共に、私たちの地域は発展してきました。本当にSGIの皆さんのおかげです」
 公園内には「池田大作博士公園」の名が刻まれた銘板が設置されている。
 その銘板を見つめながら、カタオカ理事長は、皆の思いを代弁した。
 「当初は、私たちSGIメンバーで、草刈りなど公園整備を担っていました。でも、近年は、住民の皆さんが“自分たちの公園”として大切にし、自主的に整備してくれています。地域の方々に親しまれていることを、うれしく思います。池田先生の名を冠した公園で育った子どもたちが、今後のパラグアイ社会を担う、立派な人材に育っていってほしい――これが、私たちの変わらぬ願いです」
 “池田公園”には、地域に根を張り、地道に友のため、人のために尽くしてきたパラグアイの同志の思いが詰まっていた。

◆〈男子部のページ〉 徹底して一人を大切に 大阪・星田大桜部 2019年10月22日

確信ある言葉で温かな励ましを送る江頭部長(右から3人目)

 池田先生はつづられている。「心通う少人数の集いを大事にする。これが学会の伝統だ」。今回の「男子部のページ」では、小単位の会合の充実によって陸続と人材を輩出する地域の取り組みを取材しました。
また、新体制で出発した創価班、牙城会の委員長・書記長のプロフィルを紹介。併せて、「青年栄光の誓い」を掲載する。

●青年栄光の誓い 小説「新・人間革命」に学ぶ 師の期待に断じて応える 福島常磐総県男子部長 藤原広之さん

 君よ!

 「悲哀」を「勇気」に変えるのだ。
 「宿命」を「使命」に転ずるのだ。
 暁闇を破り、
 わが生命に旭日を昇らせゆくのだ!
(小説『新・人間革命』第25巻「福光」の章)

 2011年9月1日。聖教新聞に掲載された『新・人間革命』「福光」の章の一節です。当時、東日本大震災の影響で開催できなくなっていた男子部の会合が少しずつできるようになり始めた頃でした。
 「春を告げよう!」との冒頭の言葉には、命が揺さぶられました。そして、“悲哀を勇気に、そして宿命を使命に”との呼び掛けに、どれほど励まされたか。大きな希望と勇気をいただき、その感動は今でも鮮明に覚えています。
                         ◆
 東京の大田区で生まれた私は、6歳の時、母親の実家がある福島県いわき市に移り住みました。高校卒業後、建設会社に就職しましたが、毎日のように上司から厳しい叱責を受け、いつも辞めることばかりを考えて、悩みのどん底にいました。
 そんな時、男子部の先輩が、励ましに来てくれました。じっと話を聞いてくれた先輩が語った言葉は驚きでした。「その上司の幸せを祈ろう」と。なぜ嫌いな上司のことを祈らなければならないのかと、正直納得できませんでしたが、熱意に触れ、先輩と一緒に祈り始めました。
 祈る中で、上司が何に怒っているのかを冷静に考え、自分の仕事に対する姿勢を見直し始めました。
 どうしたら、もっと仕事を順調に進められるのかを考えるようになったある日、作業現場に早めに出社し、使用する道具を並べて準備していました。すると上司に呼ばれ、「やればできるじゃないか」と、初めて褒められました。上司との関係も良好になり、「祈れば、本当に環境が変わる」と、信心の確信をつかむことができました。
 それから創価班大学校(当時)に志願し、仏法対話にも挑戦。初めての弘教を実らせることができました。東日本大震災を経て、悩みとぶつかるたびに「福光」の章を読み返しては、「悲哀を勇気に、宿命を使命に」と奮起してきました。また、多くの同志に励まされ、一歩も引かずに学会活動をやり抜く中で、全てを乗り越えることができました。
 「福光」の章には、折伏の意義や、団結の要諦なども描かれていて、広布の戦いを起こす時は、メンバーと必ず確認し合うようにしています。
 2018年7月、総県男子部長として初陣となった総福島の創価青年大会では、目標の「部1」以上の弘教拡大を成し遂げることができ、男子部大学校2期生は、1期生の2倍以上のメンバーを輩出することもできました。
 現在、台風19号で多くのメンバーが被災し、広範囲で断水にもなっています。今こそ、徹底して一人一人を励まし抜き、「福光」の章の連載が終わった11月10日を目指し、全てを変毒為薬する決意で新たな勝利の歴史を必ず築いていきます。

◆〈信仰体験 いま想う 戦後74年〉10 広島原爆の経験を語る 2019年10月22日
 未来を担う子どもたちへ 100歳まで伝えたい

 【京都市】道を歩いていると、地元の小学生が声を掛けてくることがある。「この前はありがとうございました。原爆のことを教えてもらい、二度と悲劇を繰り返してはいけないと思いました」。語り部を始めて7年。子どもたちとの出会いは、岡田和江さん(81)=支部副婦人部長=にとって、かけがえのない宝だ。「今年は初めて“ゲストティーチャー”という呼び名もいただきました」と。今回は、岡田さんの思いを手記として紹介する。

 【広島への原爆投下】1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、人類史上初めて広島へ投下された。熱線により、爆心地の温度は3000度以上に。爆心地500メートルの場所では、ほぼ全ての建物が押しつぶされた。爆発から1分以内に初期放射線が降り注ぎ、後々まで人体に深刻な影響を与えた。救護活動や肉親を捜すために爆心地付近に入り、残留放射線を受け、亡くなった人も多い。同年12月末までに約14万人が亡くなったと推定される。
 1945年(昭和20年)8月6日の朝、私は国民学校の同級生と、空を見上げた。アメリカのB29(爆撃機)だろうか。きらきらと輝く影が見える。次の瞬間、稲妻が一度に百も落ちたかと思う光と音。建物は崩れ去り、激しい炎は人に襲い掛かった。
 
 私は爆心地から800メートルの小網町にいた。後ろから爆風に飛ばされ、背中には熱さと痛み。服は焼けたが、不思議に大やけどは負わずに済んだ。やっとの思いで自宅に向かうと、既に家は燃えていた。家族の姿はない。軍人の父は軍隊の司令部で、母は妹と共に勤労奉仕先で被爆した。
 自宅の前で立ち尽くす私をお隣のおばちゃんが見つけ、「和ちゃんおいで」と一緒に逃げてくれた。道すがら目にした光景は、地獄絵図そのものだった。皮膚がぼろ切れのようにぶら下がっている人。おんぶしている赤ちゃんの首がなくなっているのに気が付かない女の人。次々と川に飛び込み、力尽きて流されていく人たち。
 原爆の熱線で、あめのように曲がりくねった線路を伝い、死体を越えて、ようやくお隣のおばちゃんの実家にたどり着いた時、真っ黒な雨が空から降ってきた。お父ちゃん、お母ちゃん、妹たちはどうしているだろうと思うと、声を上げて泣いた。
 1週間後、私を捜していた父と再会でき、母と妹が待つ避難所へ向かった。
 みんな、体はひどく傷ついていた。8月19日、一家5人、郷里の島根へ帰った。原爆投下直後から被災者のために軍事物資を配って歩いたという父は、広島に戻り、8月下旬、部下にみとられ帰らぬ人となった。
 1歳4カ月で、片言を話し、かわいい盛りだった妹の顔は、傷が化膿し大きな穴が三つも開いた。体もパンパンに腫れ上がった。妹も父と同じ月、紅葉のような指で「だっこ、だっこ」と母を指さしながら、息を引き取った。
 ミカン箱に納められた妹が、親戚のおじさんの引くリヤカーに乗せられ、冷たい雨の降る中を、墓地へと遠ざかっていく。母と私ともう一人の妹は、体調を崩し、ついていくことができない。涙で見送った。
 私たちも必死に生きた。歯茎からの出血が止まらず、体温計の目盛いっぱいまで上がる高熱。髪の毛は抜け落ち、紫色の斑点が体中に浮かんだ。1年ぐらいして起き上がれるようになったけれど、めまいと虚脱感はなくならない。いつ死んでもおかしくないと思った。
 
 その後も島根で暮らし、母は女手一つで私と妹を育ててくれた。父の部下だった人たちの中に、農家を継いで、米や野菜を送ってくれる人もいた。でも、貧乏のどん底には変わりない。せめて普通の生活がしたいと、宗教を遍歴した。
 早朝に油揚げを持ち、稲荷神社に詣でたこともある。けれど、体調も家計も一向に良くならない。高校進学も、教師になる夢も諦めた。
 ある日、8歳年上のいとこのお嫁さんが自宅を訪ねてきた。創価学会の話だった。幾つも試してきたから、宗教に、力があるなんて思えなかった。聞く耳を持たない私たちに、お嫁さんはこう言った。「皆さんは、苦しもうと思って被爆したんじゃないでしょう」
 私が顔を上げると、彼女は涙を流しながら続けた。「その宿命を打開し、乗り越えて、幸せになろう」
 宿命を打開する信心――その言葉を信じて、60年、入会を決めた。被爆から15年、私は22歳になっていた。
 通院を続け、少しずつ症状が改善した。夏の時期になると現れていた斑点も薄らいだ。体調不良の日もあったが、仕事を得て上京できるまでになった。
 入会の翌年、横浜・三ツ沢の競技場で行われた女子部総会に参加した。
 グラウンドで、鼓笛隊が演技する姿を初めて見た。明るくのびのびと、笑顔がさわやかで、“平和の天使”と呼ぶにふさわしい女性たちだった。
 いつか私が母になれたら、娘には鼓笛隊で頑張ってほしい。何があっても希望を失わず、人にも希望の灯をともせるような女性に育ってほしい。そう思った。
 ところが結婚し、妊娠が分かると、私は母になってよいのだろうかと悩むようになった。被爆者の女性には、障がいのある子が生まれることが多い、とうわさになっていたからだ。
 
 夫(良樹さん)とは見合い結婚で、私が被爆したことを知っていたはずだけど、亡くなるまで口にすることはなかった。言わないという優しさで、私を守ってくれた。夫は仕事で島根から京都に移ってから入会し、それからは共に信心に励むようになった。
 子育てする姿で実証を示そう。そう決めて、4人の女の子を出産した。みんな元気に育ってくれた。三女と四女は鼓笛隊へ入り、演技する姿を見るたび、三ツ沢の競技場の光景を思い出した。
 同じ場所で、戸田先生の原水爆禁止宣言が行われた。「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」
 池田先生の小説『人間革命』でその歴史を知った時、心から感銘を受けた。命の尊さを訴える戸田先生、池田先生に続いて、自分にも何かできることはないかと思った。
 7年前、地域の小学校から、「被爆の歴史を子どもたちに教えてもらえませんか」と頼まれた。娘と同じように、学会の鼓笛隊に入った孫たちが、私のことを学校の先生に話したらしかった。
 お誘いに感謝して、教壇に立たせてもらった。子どもたちの真剣なまなざし。私の話を聞くだけでなく、自分たちでも調べて、感想を教えてくれた。私の方が、活力と希望をもらっている。
 伝えることは分かりやすくを心掛けている。「隣の人に殴られたらいやでしょ。けんかはいけない。お互い仲良く。それが世界を平和にしていくことよ」と語ってきた。
 81歳。今の時代にはまだ若いと言われるかもしれないけれど、生きることは戦いだ。40代、50代でも体調を崩し、動けない日もあった。6年前には、心臓弁膜症で手術もした。被爆に伴う健康への不安は尽きない。
 だからこそ、100歳を目指して私は生きる。あと19年。その時に、今と変わらず、平和への思いを語りたい。

 

2019年10月21日 (月)

2019年10月21日(月)の聖教

2019年10月21日(月)の聖教

◆今週のことば

「妙とは蘇生の義なり」
いかなる困難も
必ず打開できる妙法だ。
異体同心の同志と共に
不屈の生命力で前へ!

◆名字の言

デンマークの童話作家アンデルセンは貧しい靴職人の家に生まれた。少年時代に父が急死すると、単身、首都コペンハーゲンへ▼自慢の声を生かし、オペラ歌手を目指す。ところが、無理がたたって声をつぶしてしまう。進むべき道を懸命に模索する中、ある詩人と出会い、文学への道が開けていった。後に彼は語った。「一見この上なく大きく思われた不幸のなかに、じつは向上の一段階が横たわっていたのである」(大畑末吉訳『アンデルセン自伝』岩波文庫)▼全て“自分の思い通りに”と願うのは人の常だが、それが幸せにつながるとは限らない。逆に思うようにならない時、新しい道を見いだし、人生が開けることもある。長い目で見なければ分からない▼壁にぶつかった時、どう前向きに捉えていくか。悩みや困難に振り回されるのではなく、積極的に意味づけし、前進と向上のチャンスに変えていく――仏法の哲理には、そうした智慧が満ちている▼日蓮大聖人は苦難と戦う門下を「未来までの・ものがたりなに事か・これにすぎ候べき」(御書1086ページ)と励まされた。大変な状況であるほど、それを乗り越えることによって、多くの人を勇気づけることもできる。今いる場所で自分らしい勝利のドラマをつづろう。(誼)

◆寸鉄

   「一念三千も信の一字よ
 り起り」御書。何があって
 も題目。これ人生開く要
      ◇
 台風被災地で青年部らが
 復旧に汗。人々のため!
 その心意気こそ創価の光
      ◇
 人は希望によって逆境か
 ら救われる―作家。励ま
 しの声を。目前の一人に
      ◇
 乳がん撲滅訴えるピンク
 リボン月間。早期発見・
 治療が鍵。過信せず検診
      ◇
 ネット通販詐欺に注意。
 安易に買わず。契約前に
 会社情報などをよく確認

◆社説 きょう「あかりの日」    エジソンの構想力と行動力に学ぶ

 1879年(明治12年)10月21日、かの発明王トーマス・エジソンが開発した白熱電球が、40時間を超える連続点灯を達成した。世界で初めて実用的な電球が誕生した瞬間であり、その業績をたたえて、同日は「あかりの日」とされている。
 伝記など、数々の書籍で取り上げられることも多いエジソン。実は、彼が10歳の頃に読んで、多大な影響を受けた一冊の本があったという。科学入門書『自然と実験の哲学』(リチャード・グリーン・パーカー著)がそれだ。だが、これまで、この本の重要性はほとんど着目されてこなかったらしい。
 同書には、19世紀半ばまでに確立されていた物理学や化学の基礎、応用などが解説されており、エジソン少年はさまざまな知識を得た。発明王誕生の秘密に迫った『大人が読みたいエジソンの話 発明王にはネタ本があった!?』(石川憲二著、日刊工業新聞社)では、「あの発明はここからヒントを得たんだ!」「発明王の人生の設計図を盗み見ているような気分にすらなる」と、同書を評している。
 少年には難解な科学入門書を自力で読破しただけでなく、エジソンの卓越していた点は、その知識をどう生かすかという“知恵”にあった。
 白熱電球開発を例に取れば、実は、エジソンが生まれる40年ほど前には既に、電気を使った照明(外灯)が存在していた。だが、照度が安定しなかったり、寿命が短かったりと、室内照明として満足に使える品質の物は皆無であり、低コストで長時間発光可能な電球の開発にこぎ着けた者は誰もいなかった。
 “理論は分かった。必ず実現できるはずだ!”。そう確信していたエジソンは、実用化までの構想を練った。まず資金を調達し、それを元手に研究所を造った。そして、自らえりすぐった研究者たちと共に、昼夜を問わず研究に没頭。数千回もの失敗を経て、ついに誰も成し得なかった壮挙を遂げたのだ。この構想力と行動力こそ、エジソンが唯一無二の発明王たり得た大きな要因といえる。
 池田先生はかつて、小説『新・人間革命』に「まず構想を描く。そして、そこから現実をどう開いていくかを考えていくんだ。現実は冷静に見つめなければならないが、大きな構想をもち、向上への意欲を燃やして戦っていかなければ、何も開くことはできないだろう」(第3巻「月氏」の章)とつづった。
 この下半期、そして明年の「学会創立90周年」へ、一人一人が自身の使命の場所で、広宣流布の実現を構想し、勇んで前進していきたい。それこそが人々の心の闇を打ち破り、かの発明王の偉業のごとく社会を照らす光明と確信して。

◆きょうの発心 同志と共に常楽我浄の楽土を! 2019年10月21日

御文 何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり(呵責謗法滅罪抄、1132ページ・編599ページ)
通解 いかなる世の乱れにも、あなた方を法華経や十羅刹女よ助け給え、と湿った木から火を出し、乾いた土から水を出すように強盛に祈っている。

 強盛な祈りが、不可能を可能に転じると教えられています。
 愛媛県今治市で学会2世として育った私は、両親や未来部担当者からの励ましを通して、“池田先生のもとで学ぼう”と思うようになり、創価女子短期大学へ。学生を激励される先生の姿を目の当たりにし、「私も一人を大切に」と心に期しました。
 愛媛に帰郷後、女子部の活動で拡大の結果が伴わず、悩んでいた時に、この御文を拝しました。先輩から指導を受け、奮起。真剣に祈り、対話に挑戦する中で、弘教を実らせることができました。
 これまで子育ての悩み、自身の体調不良など、さまざまな困難に直面しましたが、全て信心根本に乗り越えてきました。
 3年前に、四国総会に息子と共に参加。この時、新歌詞が発表された「紅の歌」の、誕生の歴史に感動する息子の姿に、学会の庭で成長させてもらえる感謝が込み上げました。
 誓願の祈りを根本に、中予総県の皆さまと共に常楽我浄の楽土を築いていきます。
 愛媛・中予総県婦人部長 中矢朗子


【先生のメッセージ】

◆〈池田先生と共に 新時代を築く〉 太陽輝け 無事に包まれ 2019年10月21日

 我らは、妙法という究極の法則で結ばれている。
 日蓮大聖人は、「題目を唱え奉る音は十方世界にとずかずと云う所なし」(御書808ページ)と仰せである。
 打ち続く豪雨災害で筆舌に尽くせぬ苦労をされている方々に届けと、題目を送る日々である。
 19日には世界聖教会館を再び訪れ、先月の「言論会館」に続いて「言論城の間」で真剣に勤行・唱題を行った。この仏間には、聖教新聞社の常住御本尊が安置されている。
 「大悪をこれば大善きたる」「各各なにをかなげかせ給うべき」(同1300ページ)
 創立の師・牧口常三郎先生は、この御聖訓を拝し、「どんな時、どんな場合でも、それをバネとして、大きく転換していくのだ。必ず転換できる」と激励された。
 後継の創価家族は一段と励まし、支え合って、一切を変毒為薬していきたい。
                    * * * 
 「言論城の間」には、私が記した「聖教桜」の書も掛けられてある。
 いかなる試練も越えて、「冬は必ず春となる」(同1253ページ)と、誰人も勝利の桜を爛漫と咲かせてほしい。聖教新聞には、この願いが込められている。
 毎日毎朝、聖教を配達してくださる尊き無冠の友の皆さまに、妻と感謝の祈りを捧げた。寒さが厳しくなる時節、健康と絶対無事故、福徳無量を、いやまして祈念せずにはいられない。
  
 祈るらむ
  君の頭上に
   幸福の
  太陽 輝け
    無事に包まれ
  
 これが私の変わらざる心である。
                     * * * 
 聖教新聞に多くの寄稿をしてくださったフランスの美術史家ルネ・ユイグ氏は、ナチスの魔手から人類の美の至宝を守り抜いた「精神の闘士」「文化の闘士」である。現在、そのまなざしを偲ぶ「フランス絵画の精華」展が、東京富士美術館で開催されている。
 ユイグ氏が誇りとする原点は、20代の若さでルーブル美術館の重責を担い、二つの重要な展覧会を任されたことであった。
 若くして、たじろぐほどの責務に挑むことで、どんな困難も克服してみせるという積極果敢な人格になれたと言われるのだ。
 「常に自分自身を超越し、自身以上を目指せ」とは、青年への万感のエールである。
                     * * * 
 思えば、阪神・淡路大震災、東日本大震災など、未曽有の苦難を乗り越えゆく中で、わが創価の青年たちは不撓不屈の「人間革命」のスクラムを築き広げてくれた。今も被災地で、清掃ボランティア「かたし隊」をはじめ、若き友の奮闘が頼もしい限りである。
 この秋、新しいリーダーが澎湃と躍り出ている。
 聖教は、女性が輝き、多宝の父母が光り、そして青年が躍動する新聞である。
 聖教と共に、さあ、勇気の前進だ! 人材の拡大だ!


【聖教ニュース】

◆ポーランド国立民族合唱舞踊団「シロンスク」 民音公演が開幕  群馬・高崎市で国交100周年祝賀


高崎芸術劇場と共催で行われた「ポーランド国立民族合唱舞踊団『シロンスク』」の高崎公演。圧巻のパフォーマンスに大喝采が送られた(20日、群馬・高崎市で)

高崎芸術劇場と共催で行われた「ポーランド国立民族合唱舞踊団『シロンスク』」の高崎公演。圧巻のパフォーマンスに大喝采が送られた(20日、群馬・高崎市で)

 ポーランド国立民族合唱舞踊団「シロンスク」の民音公演が19日、群馬・高崎芸術劇場で開幕した。これは、日本とポーランドの国交樹立100周年を祝賀するものである。
 北はバルト海に面し、南はタトラ山脈をはじめとした山岳地帯を有するポーランド。国土のほとんどは、北ヨーロッパ平野の緩やかな地形で、東部には欧州最後の原生林とされる世界遺産「ビャウォヴィエジャの森」が生い茂るなど、豊かな自然に恵まれた国として知られる。
 一方で筆舌に尽くせぬ苦闘の歴史がある。度重なる侵略と分割によって、18世紀末から120年以上にわたり地図上から消滅。その中にあって、なお“国の誇り”として人々の胸に輝き続けたのが、歌や踊り、民族衣装などの文化であった。多彩な自然環境の中で生まれ、世代を超えて育まれたポーランドの文化は、いかなる時代にあっても、決して失われることはなかった。
 その心を継承する「シロンスク」は、これまで世界44カ国以上で、7000回を超える公演を開催。“太陽の共和国”と称されるほど、音楽への情熱たぎる演技・演奏で各国の人々を笑顔にし、言葉を超えた心の交流を広げてきた。
 こうした「シロンスク」の実践は、“音楽交流こそ、世界中の人々の心を結び、平和建設の一助となる”との民音創立者・池田大作先生の理念とも深く共鳴している。
                         ◇ 
 高崎芸術劇場での公演の開幕を彩ったのは、ポーランド・上シロンスク地方発祥のダンス「トゥロヤク(3人の踊り手)」。演目ごとで異なる民族衣装に身を包んだ出演者が、舞台に姿を現すたびに会場から拍手が沸く。
 時に穏やかに、時に激しくリズムを刻むポルカやマズル、ポロネーズなどの伝統舞曲を、ダンサーがステージを所狭しと舞う。衣装に縫い付けられた飾りが照明を反射して輝き、レースのフリルやカラフルなスカーフ、花柄の刺しゅうが施されたロングスカートが躍るようにひらめいた。公演では、日本でもなじみのあるポーランド民謡を日本語で歌う一幕もあれば、コミカルなダンスで笑いを誘う演出も。
 プログラムが進むたびに会場の雰囲気は一体となり、全出演者による圧巻のフィナーレに、万雷の拍手が送られた。
 同公演は20日にも高崎芸術劇場で行われ、好評を博した。

◆10・24「結成の日」を記念 団地部が勇躍の大会  方面団地部長会も

さらなる広布躍進の決意に燃える団地部の友。音楽隊の東京管弦楽団の演奏が花を添えた(東京戸田記念講堂で) 

 10・24「団地部結成記念日」を祝賀する団地部大会が20日、巣鴨の東京戸田記念講堂で盛大に行われた。

 橋井団地部書記長、五十嵐同女性部長のあいさつに続き、千布晴恵さん、萩原好三さんが、地道な地域貢献の活動で、信頼と友情を広げる模様を報告。
 篠原団地部長は、皆が“団地部10項目の指針”を実践し、地域の幸福責任者の誇りも高く創価の新時代を切り開こうと呼び掛けた。
 沼倉婦人部書記長は誓願の心で団結光る前進をと強調。池田主任副会長は、団地部の活躍が学会の発展に直結すると訴え、祈りを根本に知恵を出し、工夫を凝らしながら、一人一人が未来を創る先駆けにと励ました。
 また19日には、方面団地部長会が東京・信濃町の学会本部別館で開催。渡辺秀一さんが活動報告し、萩本主任副会長が、団地部の友の奮闘をたたえた。

◆福島常磐総県の支部長会  原田会長、永石婦人部長が出席

異体同心の前進を誓い合った福島常磐総県の集い。会合には今村東北婦人部長、山内総福島長、菅野同婦人部長も駆け付けた(いわき平和会館で)

 福島常磐総県の支部長会が20日、いわき平和会館で開催された。

 同総県は、いわき市をはじめ台風19号で大きな被害を受けた福島県南東部を広布の舞台とする地域。友は、励ましの連帯をさらに強め、不撓不屈の信心の前進を開始すべく、誓いを胸に集い合った。
 会合では、盛島東北長のあいさつに続き、髙野恵美子さん、安部智幸さんが、地域に深く根差し、信頼を拡大する活動を報告した。
 鈴木総県長、佐藤同婦人部長は、勇気と団結と忍耐であらゆる逆境を乗り越え、断じて勝利の歴史をと強調。永石婦人部長は、女性の声で時代を変える奮闘をと力説した。
 原田会長は、台風19号で被災した方々に心からのお見舞いを述べ、「災害に直面し、社会に不安が広がる今だからこそ、仏法の人間主義を根本に希望の対話を広げていきたい」と強調。
 「大正法必ずひろまるべし」(御書1300ページ)の確信を貫き、苦闘を突き抜けて、雄々しく進みゆこうと呼び掛けた。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈勇気の旗高く〉 池田先生と山梨  山の如く揺るがぬ心で

広布の人材城建設への誓いを込め、池田先生の指揮で「武田節」などを合唱した山梨総合本部幹部会(1969年11月19日、富士吉田市内で)。本年は50周年の節を刻む


広布の人材城建設への誓いを込め、池田先生の指揮で「武田節」などを合唱した山梨総合本部幹部会(1969年11月19日、富士吉田市内で)。本年は50周年の節を刻む


 池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は山梨県を掲載する。

師弟の人材城
 山々に抱かれた山梨県。1955年(昭和30年)、県内で行われた水滸会の野外研修の折、戸田先生は語った。「この山紫水明の天地に、広宣流布の人材の城を築きたいな」。池田先生はこの恩師の言葉を胸に、幾度となく足を運んできた。2007年(平成19年)、山梨最高協議会に出席した池田先生は、師弟の精神について語った。
  
 戸田先生は、天下の要所である山梨をこよなく愛し、大切にされた。この地で、青年を薫陶してくださった。
 山梨には、創価の師弟の深い縁がある。重大な使命の天地なのである。
 山梨創価学会の前進は、まことに立派である。偉大なる広宣流布の歴史を現実に大きく切り開いてくださっている。
 私はいつも、戸田先生のお心を思い、そして、広宣流布の新時代を展望して、山梨を訪問させていただいている。
  
 私は、ただ師匠のために戦った。
 師匠に直結しない戦いは、いかなる戦いも意味がない。そう、私は決めていた。
 全部、戸田先生の言われる通りに戦ってきた。
 これが師弟である。
  
 山梨の皆さまには、本物の師弟直結の人材城を築いてもらいたい。
 皆さまはどうか、私とともに、真実の師弟の道を歩み抜いていただきたい。そして、勝ち抜いていただきたい。
 師弟の精神が盤石であれば、それが土台となり、因となって、「大山梨」を築くことができる。
 そうした見事なる「大山梨」ができれば、日本中、いな、世界中に、勝利の波動は広がっていくのである。

行学の二道を
 山梨は、日蓮大聖人が晩年、末法万年の未来のために諸御抄の御述作と弟子の育成・教化に当たられた地である。1997年(平成9年)、その山梨に教学研修センター(笛吹市)がオープン。池田先生は開館間もない6月10日、同センターを訪れ、御書講義を。その中で「『教学第一』の山梨たれ! 『行動第一』の山梨たれ!」と呼び掛けた。
  
 「心こそ大切なれ」(御書1192ページ)――これが、大聖人の根本の教えである。この「心」を、どうつくるか。
 すなわち、一念に三千を具する、わが「心」を、どう鍛え、どう磨き、どう人間革命へと回転させていくか。そのために信心があり、学会活動がある。
  
 大聖人は、この山梨の地から、四条金吾に、「陰徳あれば陽報あり」(同1178ページ)――人の目に見えないところで積んだ徳は、必ず目に見える報いを受けることができる――と励ましておられる。
 金吾は、それまで、妬みの讒言によって、主君から遠ざけられていた。その難を、金吾は、けなげな信心と、真心の行動で見事に乗り越え、信頼を勝ち取っていった。
 門下の勝利の姿を、大聖人はこよなく喜ばれながら、重ねて、こう仰せになられた。
 「此は物のはしなり大果報は又来るべしとおぼしめせ」(同ページ)――これは、まだ始まりです。さらに大果報が来ると確信しなさい――。
 法のための労苦は、すべて功徳となって、わが身を飾る。見えない陰の献身の行動が、目に見える結果となって、福徳は汲めども尽きない泉のごとくに、ぐんぐんと満ちてくる。
 その確かな幸福の軌道に、皆さまは間違いなく入っておられる。この軌道から、絶対に外れてはならない。そのためにも、教学を学びゆくことが大切なのである。
  
 「諸法実相抄」の有名な御文にいわく、「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(同1361ページ)――行学の二道に励んでいきなさい。行学が絶えてしまえば仏法はない。自分自身も行い、人にも教えていきなさい。行学は信心より起こるのである。力があるならば一文一句でも語っていきなさい――と。
 どうか、わが山梨の皆さまは、日々、少しずつでも、御書を拝していただきたい。
 そして、あの山々のごとく、揺るがぬ確信を築くことである。また、雄々しき行動へと勇みゆく、模範の「実践の教学」であっていただきたい。

何かで日本一に
 かつて、上杉謙信と覇を競い、徳川家康・織田信長の連合軍を破った、武田信玄の軍団を輩出した山梨。2007年、池田先生は「首都圏を、さらには日本と世界を、堂々とリードしていっていただきたい」と、山梨の前進に期待を寄せている。
  
 山梨は、最強の武田信玄の軍団を生み出した天地である。
 同じ生きるなら、誇り高く生きるのだ。
 仲良く前進!
 朗らかに勝利!
 そして日本一の充実した山梨を築いていただきたい。
 何かで「日本一」を目指すのだ。
 折伏日本一! 人材日本一! それも、すごい。
 「団結日本一!」「朗らか日本一!」。これもまた素晴らしい。
 ――あの山梨の団結を見よ! 山梨は、どこか違う。あの姿の中に、真実の創価学会の魂がある!――
 こういわれる模範の県を、築いていただきたいのだ。
 それには、お金はいらない(笑い)。心で決まる。難しい話も、必要ない。心一つで決まるのだ。
 ほかのどこよりも麗しい、異体同心の前進をお願いしたい。
  
 立ち上がるのだ。
 行動するのだ。
 波を起こすのだ。
 外へ、外へと打って出るのだ。折伏精神を胸に!
 小さな世界にいるだけでは、新しい発展はない。停滞してしまって、傲りの心、退転の心に侵されてはならない。
 列車も、飛行機も、どこかへ向かっていく。進まなければ、目的地には着けない。これが道理である。
 人もまた、生き生きと、新天地に向かって飛び出すのだ。心を外へ開くのだ。自分の殻を破るのだ。そこに希望の拡大がある。幸福の光が広がる。
 勇んで、外へ打って出る――これが、勝利し、発展し続けていくための原則なのである。
  
 明年は、「ニュー山梨」との指針が示されて35周年の佳節。春には、待望の新「山梨文化会館」の完成が予定されている。山梨の同志は今、建設のつち音とともに、幸福の光を広げている。


◆〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉78 各地で新任リーダーが誕生 皆が「いよいよ」の心で前進!  同苦と励ましが日蓮仏法の魂

〈出席者〉
原田会長
長谷川理事長
永石婦人部長
西方男子部長
大串女子部長

各地で新任のリーダーと共に新出発。皆で生き生きと仏法を語り抜き、一人ももれなく福運あふれる日々を! 崩れざる常楽我浄の大境涯を!(13日、宮崎総県の集い)

 長谷川 全国各地で新しいリーダーが誕生し、清新な息吹で出発しています。

 永石 先生は、新任のリーダーに指導されています。「新しい人も、交代する人も、全部、新しい使命であり、任務であると思って、張り切って戦っていきなさい。一切が、仏になるための仏道修行である。新しく戦っていく人も、若々しく、断じて勝利して、仏になっていくんだ」

 西方 私自身も今、男子部から一切の勝利を開くため、任命をいただいてから「初めの3カ月が勝負」との気概で戦っています。

 原田 先生はまた、次のようにも語られています。「すべての人が元気になり、幸福になり、勝利していく。そのための人事である。学会は、たゆまずに人材を育成していくのである」と。その意味でも、役職を交代する人も、新しい決意で今まで以上に戦っていくことが大切です。

 長谷川 新任の方には当然として、交代する人にもこれまでの健闘をたたえ、励ましを送っていきたいと思います。

 原田 先生は「役職というのは、自分の境涯を開く直道です」ともつづられています。学会のリーダーとして、同志と共に広宣流布に前進することで自身の境涯が大きく開かれることは間違いありません。新任の皆さんだけでなく、全員が「いよいよ」の心で決意も新たに前進してまいりたい。

「必ず蘇生できる」

 長谷川 台風19号があまりにも大きな被害をもたらしています。引き続き、学会本部としても各地と連携を取り、支援と激励に当たってまいります。

 原田 人生の途上では、予期せぬ大きな試練に直面することがあります。そのような苦闘の渦中にいる同志のことを、真剣に祈り、温かな励ましを送っていくのが学会の伝統です。

 永石 このことを私たちは、何度も先生から教えていただいています。

 原田 60年前の1959年9月、愛知、三重県を中心に伊勢湾台風が大規模な被害をもたらしました。池田先生は当時、学会の総務という立場で現地に足を運ばれ、被災した同志に全魂の励ましを送られました。

 西方 その時のことは『新・人間革命』2巻「錬磨」の章に描かれています。先生は「大変なことになりましたが、全国の同志が、再起を願い、お題目を送っています。今が正念場です。見事に信心で乗り越えてください」と友の心に勇気を灯していかれました。

 長谷川 そして「家が壊され、家財が流されても、信心が壊れなければ、必ず蘇生することができます。信心をしっかり貫いていけば、必ず立ち直ることができるんです」と。この大激励を胸に、被災した方々は試練を勝ち越えていったのです。

 原田 先日、私も神奈川、栃木、また、福島には永石婦人部長たちと共に訪問し、被災された方々のお宅に伺いました。私たちも改めて、日蓮仏法の魂である「同苦の祈り」と「真心の励まし」の大切さを深く心に刻み、進んでいきたい。各地のリーダーの方々も、くれぐれもよろしくお願いいたします。今回の台風の被災地の復旧・復興、被災された方々の健康と安穏を皆で祈念してまいりたい。

病に打ち勝つ信心
 永石 各地を訪問させていただく中、ご家族や、中には自身が闘病中の方にも出会います。皆さん、信仰を根本に病魔に立ち向かわれています。

 大串 そうした方々のためにも、「大白蓮華」の連載「世界を照らす太陽の仏法」では、9月号から「健康の世紀へ 福徳長寿の智慧」と題し、先生が講義してくださっています。

 永石 御聖訓には「このやまひは仏の御はからひか」「病によりて道心はをこり候なり」(御書1480ページ)とあります。病も、仏法の眼、信心の眼から見れば深い意味があり、強盛な信心に立つことが大事であると教えられています。

 長谷川 病気自体は生老病死の一つであり、誰もが通ることです。しかし、「病気」と「病魔」は違います。病気のために、絶望したり、生命力を奪われたりすることで、病は「魔」となっていく。反対に「断じて病に打ち勝つ」との決定した一念で祈り戦う時、希望と勝利の軌道が晴れ晴れと開かれていくのです。

 原田 先生は「病を抱えながらも、わが生命を使命のために完全燃焼させながら生きる同志の姿は、自らを最高に輝かせるとともに、多くの人に勇気と希望を送ってくれます。つまり、病気によって自他共の幸福の大道を広々と開いているのです」(10月号)と指導されています。これこそ妙法の偉大な力用です。

 長谷川 家族の誰かが病に直面しても、今こそ一家の宿命転換の時と確信し、皆で題目を唱え抜く。そして、そのご家族に、周囲の同志がしっかり励ましを送り、共に祈っていきたい。

 永石 幼いお子さんが病気になった場合、自分では祈れないこともあります。また、大人であっても、入院中や闘病中は、勤行・唱題することが現実的に難しい時もあります。その上で、「家族や同志の師子吼の題目は、必ず届きます。『いかなる病さはりをなすべきや』(御書1124ページ)です。それを深く強く確信していくことです」(9月号)と先生は指導されています。

 大串 私も、一家で団結して病気に立ち向かうご家族の麗しい姿などに接し、信心のすごさ、学会家族の強さを実感してきました。

 原田 妙法は生老病死という人生の苦を根本的に解決する道を示しています。学会は、この法を弘め、希望と蘇生の光を人々に送ってきました。ともどもに朗々と題目を唱えながら「健康の賢者」として栄光の人生を歩んでいきましょう。


◆〈世界の体験プラザ〉 イタリア創価学会 アントニオ・メルクーリオさん 2019年10月21日
 生命と人生の意味を求めて 外科医の傍ら詩集・小説を執筆し出版 定年退職後も青春の息吹で充実の日々

外科医として定年退職した後、作家として執筆活動に専念するメルクーリオさん

実験のように信仰を実践
 第2次大戦の終結から1年後、アントニオ・メルクーリオさんはイタリア・ナポリで生を受けた。
 父は軍隊の士官で、熟練の画家。戦時中、最愛の息子と娘を相次いで失っていた。第3子として誕生したメルクーリオさんに、父と母はあらん限りの愛情を注いだ。
 両親の戦争体験、会うことのできなかった兄と姉の存在、そして大好きなおじの闘病生活――。若き日のメルクーリオさんは、「人間はなぜ生き、なぜ死んでいくのか」という生死の意味を探求するように。おじが亡くなった時、医師になると心に決めた。
 1970年、ミラノ国立大学の医学部を卒業。総合病院の外科医としてハードな仕事をこなしながら、哲学書や詩集を読みあさり、幼い頃から情熱を抱いていた詩の創作活動も続けた。
 84年10月、知人から仏教徒の集まりがあると聞き、参加することに。イタリア創価学会の座談会だった。後方の席に座り、一緒に唱題。ふと“家族的な親しみ”を覚えたと、メルクーリオさんは振り返る。
 「御本尊は“鏡”のようだと感じました。勤行が終わった後、メンバーにそう伝えると驚いていました」
 日蓮仏法についてもっと知りたい。なぜ、どのように仏法の祈りと行動が、実生活に影響を与えるのか。科学的思考の強いメルクーリオさんは、まるで実験に取り組むかのように、信仰の実践を開始。1カ月後には、毎日の勤行と1時間の唱題を継続するように。
 「38歳で仏法と創価学会に出あい、私の生死への探求に心から納得できる哲理が見つかったと直感しました。何より、信心の価値を懸命に教えてくれる親切な同志と、一緒に活動できることがうれしかったです」

今の悩みは宿命転換の種
 手に入り得る教学の研さん資料を全て熟読し、イタリア創価学会の機関誌を隅から隅まで読んだ。仏法の深遠さ、生死の意味について理解が深まり、自身の内面の変化も感じていった。
 同じ頃、夫婦仲で悩んできたメルクーリオさんは、話し合いの末に離婚。心の支えになったのは、信心と同志の存在だった。
 86年4月、苦悩の渦中で御本尊を受持した。
 「毎日必死に唱題し、この耐えがたい人生の変化を乗り越える力を何とか引き出すことができました」
 自宅を会合の会場に提供し、機関誌の配達も担当。グループ長の任命を受け、折伏にも挑戦。友人に御本尊流布を実らせた。
 信心を始めてから書きためてきた44編の詩が、詩歌の分野で有名な出版社から発刊されることに。職場でも、同僚医師との関係が良好に。具体的な功徳の実証に、メルクーリオさんは信仰の確信を深めていった。
 87年10月、日本でのSGI世界医学者会議に参加。会議の後に行われた広布祈念勤行会で、池田先生と初めての出会いを結んだ。
 池田先生は席上、51カ国・地域から集った友にこう語った。
 「信心からみるとき、現在の悩みは、宿命転換の因となり、仏法証明の種となっているのである。また、多くの苦悩を経験することによって、同じような苦悩をもっている人の思いがよく理解でき、『同苦』できうる。この『同苦』の一念は、慈悲の働きの一分でもあり、その人に『同苦』しつつ、幸福の方へと導いていける。人間として最も尊い働きができる」
 メルクーリオさんは、自身の悩みや苦しみを、他者を幸福に導きゆく糧に変える「実践の信心」を、生涯の指針とした。

“自身の根源”に返る手段
 帰国後、さらなる唱題と弘教に挑戦し、翌年、6人の友人に御本尊流布。支部長に任命され、イタリア創価学会の医師のグループでも積極的に活動を始めた。
 92年、池田先生がミラノを訪問した際には、救護スタッフとして尽力。94年、池田先生のボローニャ大学での講演を最前列で聴講した。
 「それ以来、池田先生の書籍や本部幹部会でのスピーチ映像を通して、“師弟があるからこそ今の自分の人生がある”ことを何度も確認してきました」
 イタリア創価学会の教学研さん運動にも注力し、教材などを作成。長年、ミラノの方面長として広布の伸展のために尽くしてきた。総合病院での外科医の職務を全うし定年退職。その後は、学会活動と、詩と小説の執筆にまい進している。
 2015年、進行性の悪性リンパ腫に。信心の実証を示す時だと、抗がん剤治療の副作用に耐えながら、唱題と小説『新・人間革命』の研さんを続け、250人に仏法対話した。
 「あの時、私はまるで葉っぱが完全に落ちた真冬の樹木のようでしたが、根っこは健全で旺盛でした。池田先生、そして創価学会との絆を通して育んだ根っこだったからです」
 がんは完全に寛解し、メルクーリオさんは今、報恩感謝の誓いを胸に、学会活動と小説の執筆に精力的に取り組んでいる。これまで詩集とともに小説も出版。「作家として実証を示し、仏法の生命哲理を基調とした文化と教育の価値創造に貢献するのが夢です」と、生涯青春の息吹にみなぎる。
 伴侶のキョウコさん、ミラノの同志と共に、イタリア広布の発展に情熱を注ぎ続けるメルクーリオさん。これまで20人に弘教を実らせてきたが、「より多くの人に絶対的幸福の道を歩んでもらいたい」と、地涌の菩薩の使命に燃える。
 「35年前に仏法に巡り合い、あたかも“自身の根源”に返るための手段を手にしたように感じました。その直感は間違っていなかった。池田先生と同志のおかげで、何にも壊されない幸福、この世に生きる意味、本当の自分自身を見つけることができました。今世の使命を終えるその時まで、師との絆を強め、イタリア広布のため、後継の青年たちのために前進します!」

 

2019年10月20日 (日)

2019年10月20日(日)の聖教

2019年10月20日(日)の聖教

◆わが友に贈る

題目の人は強い。
苦難にも負けない。
「いよいよ強盛に
大信力をいだし給へ」
勇気の心で進みゆこう!

◆名字の言

日本の歴史上、最も強い台風といわれるのが1828年に上陸した「シーボルト台風」。この台風で佐賀藩は甚大な被害を受け、耕地の半分が駄目になった▼城の近くでは領民が台風で倒れたままの家で暮らしていた。その現実を目の当たりにした藩主・鍋島斉正は、被災者を支援するため財政の緊縮を宣言。さらに災害対策に取り組む中で、同藩は日本の近代化を牽引する存在となった(磯田道史『天災から日本史を読みなおす』中公新書)▼今回の台風19号の被害で災害救助法が適用された自治体数は阪神・淡路大震災以降で最多となった。全容がいまだにつかめないほど被害は東日本を中心に広範囲に及ぶ。学会では支援・激励に全力を挙げている。被災された方々の一日も早い生活再建を祈らずにはいられない▼小説『新・人間革命』第2巻「錬磨」の章には、60年前の伊勢湾台風で山本伸一が次々と救援活動の手を打つ様子が描かれている。被災地を訪れた伸一は同志を励ました。「全国の同志が、再起を願い、お題目を送っています」「信心が壊れなければ、必ず蘇生することができます」▼支える仲間がいれば、人は苦難の中でも強く生き抜くことができる。励ましのスクラム固く、被災した方々の心に寄り添い続けたい。(芯)

◆寸鉄

   創価の力は人間の絆で築
 いた団結に―博士。復旧・
 復興へ!同志と支え合い
      ◇
 広島の日。地涌の使命に
 燃えて対話拡大。平和を
 願う民衆の大連帯今こそ
      ◇
 幹部は会合に参加できぬ
 友にこそ励ましを。組織
 の隅々に信仰の歓喜送れ
      ◇
 無許可の廃棄業者は不法
 投棄の温床と。出す前に
 確認を。リサイクルの日
      ◇
 歩行者の死亡事故、7割
 が道路横断中。車の運転
 は「歩行者優先」を忘れず

◆社説   きょう「リサイクルの日」 環境守る行動に連帯の道

 近年、プラスチックごみの海洋流出に厳しい目が注がれている。プラスチックごみは適切な処理をされずに海へ流れ込むと、アザラシなどの海洋生物にごみが絡まったり、海鳥やウミガメなどが餌と間違え誤飲したりして、生態系に深刻な負荷を与えているのだ。
 特に、洗顔料などに含まれる直径1ミリ以下のプラスチックの粒や、海中を漂ううちに5ミリ以下の断片となったものはマイクロプラスチックと呼ばれ、魚の体内に蓄積し、食物連鎖を通じ人体に影響を与える可能性も懸念されている。
 今年6月に開催されたG20大阪サミットでも、海洋のプラスチックごみが大きなテーマの一つに取り上げられ、「2050年までにプラスチックごみの海洋流出をゼロにする」との目標が合意された。
 国連環境計画の報告書(18年発表)によれば、人口1人当たりのプラスチック容器包装の廃棄量が、日本はアメリカに次いで第2位。「プラスチック廃棄大国」として適切な処理を行うだけでなく、プラスチックの廃棄量を減らす取り組みが国際的に求められている。
 きょう20日は「リサイクルの日」、今月は「3R推進月間」だ。3Rとは①リデュース=ごみを減らす②リユース=繰り返し使う③リサイクル=資源として再利用する、の頭文字をとったもの。身近な取り組みとしては①何度も使用できる買い物袋や水筒を使うことで、レジ袋やペットボトルの削減ができる②洗顔料や洗剤などは詰め替え品を活用し容器の廃棄を抑える③汚れたプラスチックを洗浄し分別すればリサイクルに貢献が可能だ。少しの意識を持ち、一手間かけることが大きな問題解決の助けになっていく。
 池田大作先生は今年の「SGIの日」記念提言で、国連が開始した海のプラスチックごみを削減する「クリーン・シー・キャンペーン」に注目。その運動に50カ国以上が参加し、対象となる海岸線が世界全体の6割を超えたことに触れ、これまで海岸線を守ることは防衛的な観点で語られていたが、新たに「国の違いを超えて海洋を保護し、生態系を共に守る」という意味合いが生じつつあると指摘している。そして環境協力などの分野で、各国が助け合う経験を重ねることが、同じ地球で生きる人間として信頼と協調を結ぶ処方箋になる、と。
 身近なごみと向き合う小さな取り組みは、環境問題だけでなく、世界の大きな連帯の一歩にもつながる。「シンク・グローバリー、アクト・ローカリー(地球的に考え、地域で行動する)」との言葉のように、地球の未来に思いをはせつつ、まずは自身の周りから行動を起こしたい。


◆きょうの発心 かけがえのない同志と共に前進 2019年10月20日

御文 甲斐無き者なれども・たすくる者強ければたうれず、すこし健の者も独なれば悪しきみちには・たうれぬ(三三蔵祈雨事、1468ページ・編759ページ)
通解 ふがいない者でも、助ける者が強ければ倒れない。少し強い者でも独りであれば、悪い道では倒れてしまう。

 信心を教え、支えてくれる善知識が、いかに大切かを教えられています。
 21歳で入会した私は、その翌年、念願の大学に入学。しかし、実家の経済苦のために、中退を余儀なくされました。希望を見失い、悶々とした日々が続きましたが、先輩方の励ましのおかげで立ち直ることができました。
 1983年(昭和58年)3月、鹿児島を訪問された池田先生と出会いを結び、勝利と成長を誓って、再び大学へ。卒業後、理学療法士の資格を取得しました。病院勤務を経て、96年に専門学校の教員となり、7年前から学科長として奮闘しています。国家試験の合格率や資格取得率の高さが評価され、厚労省の教育訓練給付金の認定校に選ばれました。
 これまで、実家の破産宣告や長女の川崎病、私自身の悪性リンパ腫など、数々の試練に直面しました。一度は「余命2年」を告げられましたが、現在、10年が経過。信心で乗り越えることができました。
 これからも鹿児島新世紀県の皆さまとたたえ合いながら、歴史回天の地で使命を果たし抜き、師弟共戦の勝利を築く決心です。
鹿児島新世紀県総合長 津村裕光

 

【先生のメッセージ】

◆〈池田大作先生 四季の励まし〉 女性の声が時代を変える 2019年10月20日

 人の気持ちに敏感な、
 聡明な女性の会話。
 その力は厚い鉄の
 心の扉をも開く
 力をもっている。
 女性の正義の「声」は、
 人々を動かし、
 時代を変えていく。

 私の心に
 「平和の文化」の原形を
 育んでくれたのは、
 まぎれもなく母であった。
 そして、
 わが師・戸田先生との
 出会いと仏法の信仰が、
 私の平和への熱願を、
 不動の哲学にしたのだ。
 日蓮仏法は教える。
 一個の人間における
 一念の変革から、
 人生も、地域も、社会も、
 世界も、善の方向へ
 変えていけるのだと。
 平和の第一歩は、
 平和が可能だという
 確信である。
 その信念に燃えた
 偉大なピースメーカー
 (平和を創造する人)の
 先駆者であり、
 「女性の世紀」の主役こそ、
 わが創価の母たちである。

 仏法は
 「変毒為薬」の大法である。
 何があろうとも、
 必ず乗り越えていける。
 ゆえに宿命転換の戦いに、
 断じて負けてはならない。
 どんなに
 大変なことがあろうと、
 妙法を唱え、
 仏意仏勅の学会とともに
 生きぬく人は、
 厳として守護され、
 必ずや
 良い方向へ向かっていく。
 所願満足の幸福の軌道を
 歩んでいけることは、
 御聖訓に照らして、
 間違いない。

 私たちには、
 世界を新しくする力が、
 世界を活気づける
 希望の力がある!
 ゆえに、前へ!
 また断固として、
 前へ進むのだ!
 今再び、眼前の現実に
 勇敢に挑みゆくのだ!
 その人が、最高の勝利の
 人間なのである。



 先月28日、池田大作先生ご夫妻が東京・信濃町に竣工した「創価学会 世界聖教会館」を初訪問。その折、池田先生が同会館から「創価世界女性会館」を撮影した。晴れ渡る空に、創価の三色旗が堂々と翻っていた。

 「女性の世紀」の殿堂と輝く創価世界女性会館。先生は2000年(平成12年)9月、同会館を初めて訪れ、「婦人部・女子部の皆さまが、一人も残らず、幸福になられるよう、勝利されるよう、毎日、真剣に祈っています」と真情を語った。
 明年は、この初訪問から20周年。女性の力が世界を変える。その先駆を切るのが創価の女性である。婦人部・女子部の友に最敬礼しつつ、希望と友情の拡大へ心一つに進もう。


【聖教ニュース】

◆台風19号 被災地で懸命の支援と激励  原田会長、永石婦人部長が福島・郡山へ

原田会長は、床上浸水の被害に見舞われた遠藤増春さん(右から2人目)、長女の優美さん(右端)、次女の公子さん(左端)の自宅を訪問。今も親戚の家で生活する一家を心から激励した(福島・郡山市内で)

 台風19号の被災地では、懸命の支援活動と激励が続いている。
 原田会長は19日、阿武隈川が氾濫するなど市街地にも浸水被害が広がった福島・郡山市の同志宅を訪れた。
 このうち遠藤増春さん(副支部長)宅では長女の優美さん(地区婦人部長)、次女の公子さん(副白ゆり長)一家を激励。被災当時の状況を語る遠藤さんの話に耳を傾けた。
 一家は事前に避難して無事だったが、近くを流れる谷田川が氾濫し、自宅は1階の天井付近まで水に漬かった。泥水にまみれ、家財が散乱する室内に声も出なかったという。
 会長は一家に「これから、これからが大事です」と強調し、「お力を落とされませんよう、どうか頑張ってください」と渾身の励ましを送った。
 さらに会長は、片付けを手伝う森佳孝さん(地区部長)にも感謝を伝え、再起を誓い合った。
 一方、永石婦人部長は、同市田村町の今泉久美さん(支部副婦人部長)の自宅へ。
 今泉さん一家は、12日夕刻、同市安積町のスーパーの駐車場に移動して難を逃れた。14日に自宅に戻り、3日間かけて夫と、次女、長男の手を借りながら、泥水に漬かった家財の搬出作業に奔走した。
 永石婦人部長は、今泉さんの話を丁重に聞き、手をとりながら「この困難を信心で乗り越えていきましょう」と語った。
 今泉さんは「たくさんの励ましに心から感謝します。必ず変毒為薬し、地域の皆さんに恩返しをします」と述べた。
 その後、永石婦人部長は、同町の佐藤美喜さん(支部副婦人部長)宅を訪れ、激励した。


【特集記事・信仰体験など】

◆インタビュー アメリカ・コロンビア大学 ジェフリー・サックス教授 2019年10月20日
 一人一人の力を合わせ “誰も置き去りにしない社会”へ
 冷笑や悲観に打ち勝て善の意志は世界を変える 貧困と飢餓の根絶は「絶対に可能」――
 採択から4年を迎えたSDGS(持続可能な開発目標) 人類が進むべき道を皆で探究

アメリカ・コロンビア大学 ジェフリー・サックス教授

 持続可能な開発目標(SDGs)の達成促進に向けた初めての国連サミットが9月、アメリカ・ニューヨークの国連本部で行われ、各国首脳が目標達成へ取り組みを加速させることを確認した。“誰も置き去りにしない”を理念に、2030年を目指す国際目標としてSDGsが採択されてから4年。目標策定に携わった一人で、コロンビア大学持続可能な開発センター所長のジェフリー・サックス教授に話を聞いた。(聞き手=南秀一)

 ――サックス教授は世界各地で貧困の根絶に尽力され、2002年から06年にかけては途上国支援のための「ミレニアム・プロジェクト」を中心的に担うなど、SDGsやその前身であるMDGs(ミレニアム開発目標)の推進にも貢献されています。

 21世紀の始まりに当たりアナン元国連事務総長が立ち上げたMDGsは、“地球上から悲惨な貧困をなくす”という偉大な闘争に取り組むものでした。そのためにまず、豊かさに囲まれた地球上で、どれくらいの人々が極度の貧困状態(1日1・25ドル未満での生活)で生活しているのかという事実に、皆の目を向けたのです。
 その後、MDGsの期限となる2015年までに、世界では1990年に比べて10億人以上が極度の貧困を脱却し、割合も半減するに至りました。
 SDGsの目標1は、さらに踏み込んで、極度の貧困を2030年までに“根絶する”とうたっています。この目標は、挑戦すること自体に私たちが悲観的にならなければ絶対に達成可能です。
 実際、武力紛争や軍事支出、国内の治安維持等への世界全体の支出は、毎年5兆ドルをはるかに超えています。これは貧困をなくし、自然を保護し、世界のエネルギーシステムを無炭素の資源に転換するには十分な額です。私たちはすでに、貧困と飢餓を終わらせるのに十分な富と知識を有しているのです。
  
 ――途上国の貧困削減を主眼としたMDGsを受けて誕生したSDGsは、先進国も巻き込んだ目標となりました。

 2012年、国連環境開発会議(地球サミット)から20周年を記念して各国の代表が集い、気候変動対策や生物多様性の保護、砂漠化拡大の阻止などの取り組みについて進捗が確認されました。しかし、会議の空気は重苦しいものでした。というのも、環境危機は悪化の一途をたどっていたからです。
 その時、コロンビア政府がMDGsに続くものとして、経済と環境の視点を織り込んだ包括的な開発目標に取り組むべきだと訴えたのです。この提案は素晴らしいもので、すぐに大きな賛同を得ました。その後、約3年にわたる議論を経て17の目標からなるSDGsが採択されたのです。

 ――SDGsの策定に向けては、池田SGI会長が2012年に提言を発表するなど、SGIも市民社会の立場から声を届けてきました。現在、日本でもさまざまな取り組みが行われていますが、達成は危ういとする統計もあります。

 核兵器や気候変動、生態系の損失など、深刻な問題は山積しています。そうした中で憎しみや恐怖を煽るような指導者もいます。しかし私は、人類は善を選び取る理性を備えていると信じています。
 SDGsは大きく六つの変革において、重点的な努力を求めています。第一に教育の質と職業技術、科学技術の向上です。第二に医療の改善と健康的な生活様式の確立、第三に石炭や石油等の化石燃料から風力や水力、太陽光等の再生可能エネルギーへの転換です。
 第四に農業の持続可能性を担保し、農業によって森林破壊や水ストレス、汚染が引き起こされるのを食い止めること。第五は都市計画と管理を見直し、衛生的で快適な、生産的かつ安全な居住空間を維持することで、第六は、新しいデジタル技術をプライバシーや政治・市民権に配慮しつつ生活水準の向上に役立てることです。
 各国政府はこうした変革に向けて、長期計画を改めて組み立てる必要があります。そして、そこに一般市民も関わり、社会が今後進むべき道を皆で描いていくことが大切だと思います。
  
 ――貧困の根絶に向けた挑戦の途上で、多くの批判を受けながらも教授は「世界中の悲観論者がそんな約束は果たせっこないといっても、あきらめてはいけない。粘り強く続けた者が最後に勝つ」(『地球全体を幸福にする経済学』野中邦子訳、早川書房)と語られています。困難な状況に直面しても挑戦を続ける原動力は何でしょうか。

 偉大な哲学者であり倫理の教師であるモーセやブッダ、アリストテレス、キリスト、カントらが残した道を歩みたいと心掛けています。彼らは皆、平和で豊かな世界を築くために、理性と正義感が有用であることを教えています。彼らには冷笑も悲観も存在しないのです。そしてまた、彼らは問題解決に向けた方途を探究するよう呼び掛けています。その言葉を、私は大切にしています。
 私が経済学を学び始めたのは1972年に大学に入学してからでしたが、それは“より良い世界を創る方途を知りたい”という思いに駆られてのことでした。当時は経済はおろか政治、社会、哲学もよく知りませんでしたが、“善意志”が人々の生活を改善することができるという確信だけは持っていました。
 以来、半世紀近くたちますが、その思いが今も私を突き動かす根幹にあります。この分野に携わって多くのことを学びましたが、私たち人類は世界中の福祉と幸福を向上させる力を持っているという確信は、いや増して深まっています。
  
 ――教授は「自分だけ孤立したまま、他者にたいする道義的および政治的な責任を負わずして、人が本当に幸せになれるという前提そのものが間違っている」(『世界を救う処方箋』野中邦子・高橋早苗訳、早川書房)と指摘され、消費ばかりに溺れることのない「共感に満ちた社会」を目指すよう提唱されています。SGIも「他人の不幸の上に自分の幸福を築くことはしない」生き方を指針としています。

 仏教は慈悲を教えていますね。他者への心配り、そして自分自身に関する理解を探究するよう教えています。つまり、自己をコントロールすること、そして自らの心や動機の理解を説いていると認識しています。
 アリストテレスは欠乏と過剰の「中庸」を説きましたが、仏教は「中道」を教えています。仏教のそれは、他者との関係性において価値を生み出す道を言っているのでしょう。こうした十分な自己認識と振る舞いこそ、健康的な社会の土台だと思います。そこから平和が育まれ、相互理解が生まれ、協力がもたらす恩恵への感謝が生まれるのです。
 残念ながら、現代にあってこうした価値はしばしば欲望や恐怖、他者を犠牲にしても自分が優位に立つべきであるといった信念を前に覆い隠されがちです。こうした誤った態度が、現在の世界にあって、あまりに多くの不必要な苦しみをもたらしているのです。
  
 ――SDGsが目指す“誰も置き去りにしない社会”を実現していく上で、FBO(信仰を基盤とした団体)にどのような役割を期待されますか。

 キリスト教やイスラム、ユダヤ教、仏教、ヒンズー教をはじめ多くの宗教指導者たちは今、それぞれの教えにある共通の核心部分を見いだそうと対話を重ねています。
 例えばローマ教皇フランシスコは、環境保護をテーマにした回勅「ラウダート・シ」の中で、「相互依存関係は、一つの計画を共有する一つの世界を思い描くことをわたしたちに義務づけます」(『回勅 ラウダート・シ』瀬本正之・吉川まみ訳、カトリック中央協議会)と語っています。これは非常に重要な視点です。
 私たちは運命を分かち合っています。だからこそ、人間に起因する気候変動を止め、生態系を守り、貧困を終わらせ、地球上の全ての子どもたちが教育を受けられるようにするために力を合わせなければなりません。このことについて、アメリカのケネディ大統領が1963年6月の演説「平和の戦略」で語った言葉を贈りたいと思います。
 「私たちの食い違いから目をそらさず、その一方で共通の利益と食い違いを調整できるような手段へと私たちの注意を向けようではありませんか」
 「私たちの最も共通するつながりは、全人類はこの小さな惑星に暮らしているということであり、全員が同じ空気を吸っているということであり、全員が自分の子どもたちの将来を案じ、そしてその命に限りがあるということなのです」
 プロフィル 1954年、米国生まれ。経済学者。開発途上国の各国で経済顧問を務め、経済再建、経済発展に貢献してきた。コロンビア大学地球研究所所長のほか、歴代国連事務総長のアドバイザーを歴任。極度の貧困や地球温暖化等の地球規模の問題解決に尽力している。2004年、05年にはタイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選出された。

◆〈信仰体験 縁Joy×農Life〉 黒毛和牛の繁殖農家  やっぱり愛なんだよね、愛

高齢化の進む地域。お年寄りに農作業の手伝いを頼まれることも多い。これまで簡易水道組合の組合長やJAの総代、共済組合の評価員などを務め、信頼は厚い

 厳しい気候風土や環境に屈せず、農業や漁業の最前線で奮闘し、日本の、世界の食を支える人がいる。命を育む人がいる。新企画「縁Joy×農Life」では、信心で苦悩を乗り越え、地域の人との縁や絆を大事にしながら、生きる人たちを紹介する。初回は、黒毛和牛を愛してやまない鳥丸義人さん(63)=圏長=にスポットを当てる。

ひーひーふー!?
 【鹿児島県曽於市】
 鳥丸さんの“牛愛”が半端じゃない。
 まなざしが違う。声色も違う。牛の飼育というより、わが子に接する父親。それをも超越して、もはや孫を見守る好々爺のよう。
 今月1日、「令和」初の子牛が生まれた。スキンシップたっぷりの鳥丸さん。ふわふわした毛並みの子牛は確かに愛くるしい。
 母牛の陣痛が近いと分かった頃から、鳥丸さんはそわそわし始めた。出産には夫婦二人で立ち会った。子牛の足がのぞくとロープをくくり引っ張る。妻・ひとみさん=婦人部副本部長=は、母牛に「ひーひーふーよ、それ!」と声を掛けた。まるで妊婦を励ますように。隣の夫にも「あんたも声を出して!」。
 新しい命の誕生に夫婦は泣いた。「命の尊さと力強さ。これはね、何度味わっても大感動なんですよ」
 盲目の子牛が生まれたことがある。母牛の居場所も分かっていない。誰よりも妻が、せっせと面倒を見た。やがて手放す日が訪れた。「妻は随分と長い間、悲しみに暮れてましてね。手が掛かった牛ほど忘れられないもんです」
 肥育農家から繁殖農家に切り替えて38年。
 力を入れるのは、年に1度、牛に出産をさせる「一年一産」。実はこれがなかなか難しい。「種付けのタイミングや牛の状態を見誤れば失敗する」。熟練の目と経験がものをいう。鳥丸さんは100%に近い成功率で産ませる。“さすが”というほかない。

ろうそくとパン
 代々続く農家。1961年(昭和36年)、貧乏と病を苦に一家で信心を始めた。「当時は、学会員というだけで陰口をたたかれてね。悔しい思いもしました。でも“今に見ろ”って家族で踏ん張ったんです。特に父はね、信心強盛な人でした」
 中学卒業後に就農した鳥丸さんに、父は尋ねた。「ろうそくとパンが目の前にあったら、どっちを買うか?」
 すかさずパンを選んだ鳥丸さんに、父は諭すように言った。
 「そうか。だがな、パンは食べたら終わりだ。仏法のためにな、ろうそくを御本尊様に供養したらええ。その心が大事。福運が尽きれば、何をしてもうまくいかないんだ」
 さらに父は御書をひもといた。「福運がなくなれば、どんな兵法も役に立たなくなり、果報が尽きてしまえば、従うべき人も従わなくなる」(御書1192ページ、通解)と。
 また90年(平成2年)9月のこと。台風一過の鹿児島・霧島に、池田先生が来訪した。「会合に行くのをやめようと思う。牛舎が心配だし残るよ」と相談した鳥丸さんに、父は厳と言った。「おまえの信心はそんなものか? 使命のある霧島に行きなさい。こっちは大丈夫だから」
 信心と師弟の道に、愚直に生きることを父から教わった。
 「池田先生は全て分かっておられたんでしょうね。かつて先生にお会いした時に『お父さん、お母さんを大事にするんだよ』って言われましてね。そのことを伝えた時の、感涙した父と母の笑顔が忘れられない」

されど一握り 
 「牛は繊細な生き物」と鳥丸さんは言う。
 見知らぬ人の訪問や、わずかな環境の変化にも牛は敏感に反応する。工事の大きな音に、しばらく不妊になったこともある。「餌をあげる人が代わるだけで、牛がダメになる」。それは一握りの餌の量の違いで、体調を崩すことを意味する。たった一握り。されど一握り。
 一頭を手塩にかけて育てる。それは言葉で言うほど、簡単なことではない。かつて、ちょっとした不注意から、何頭も腸炎で失った経験がある。腸内環境を、どう整えていくか。感染症などの病気を、どう未然に防ぐか。そこに心を砕く。
 ドクダミ、ゲンノショウコ、ヨモギ……近くの野山で採ってきた多種多様な野草を飼料に適量まぜる。毎日、食べ残した量と種類を確認し、体調をチェックする。牛中心の生活に休日はない。「でも、それでいいんです。かわいいからね」と笑う。
 牛の飼育に失敗して“損をした”という人の話を聞くと胸が痛む。「現実はそうかもしれない。でもそれじゃ牛がかわいそうだ。損得じゃ、失敗の原因は分からんですよ。やっぱり愛なんですよね、愛。牛が何を求めているのか、察してあげるしかないんですよね」
 父から継いだ牛一筋の人生は約半世紀。その間、幾度も自然災害に見舞われた。経済苦も味わった。試練の冬を越えて今がある。
 「よく笑われるんですが……。私が牛に話し掛けるのは、実は父が始めたことなんですよ」。牛への猛烈な愛情は、父親譲りだった。

父と子のストーリー

 「親」という字は、「木」の上に「立」って子どもを「見」守ると書くと鳥丸さんは表現した。
 次女・晴朱さん=女子部部長=が不登校になったことがある。その時に父が取った行動は「安心を与えること」だった。ただただ一緒に題目を唱えた。小説『新・人間革命』の一節を一緒に読んだ。
 何かを感じたのだろう。娘はぽろぽろと涙を流し、悩みを語りだしたという。社会人になった今も、父に何でも相談する娘。「父のおかげで今の私がある」
 鳥丸さんは、娘や息子が小さい頃から牛の出産に立ち会わせ、「命の授業」を行ってきた。長女・啓子さん=女子部副本部長=と次女は教員に、長男・義誉さん=男子部本部長=は農業青年に育った。生命尊厳の精神と“人のために”との心を、子どもたちが確かに受け継いでいる。


◆〈トーク2019〉 2千年先の未来へ 美を残す 人をつくる 2019年10月20日
 大塚国際美術館 常務理事 田中秋筰さん “困難は好機”の気概で
 徳島総県長 吉本多宏さん 新しい人材の潮流を


大塚国際美術館の環境展示「システィーナ・ホール」。バチカン市国の宮殿にあるシスティーナ礼拝堂の天井画と壁画を原寸大で再現している


大塚国際美術館の環境展示「システィーナ・ホール」。バチカン市国の宮殿にあるシスティーナ礼拝堂の天井画と壁画を原寸大で再現している


 今回の「トーク2019」は、世界に類を見ない「陶板名画美術館」として知られる大塚国際美術館の常務理事・田中秋筰さんがゲスト。徳島総県長の吉本多宏さんと情熱的に語り合いました。

原点は郷土愛

 吉本 鳴門の渦潮を望むこの場所を訪れるたびに、国立公園内にある美術館のスケールに圧倒されます。
 オリジナルを忠実に再現した西洋絵画作品の永遠の不滅の美に、いつも心を奪われます。

 田中 陶板で再現された1000余点にも及ぶ原寸大作品の中には、現地でしか鑑賞できないものが数多くあります。そうした世界的名画の数々を一堂に鑑賞できるのも、私たちの美術館の大きな魅力の一つです。
 徳島・鳴門は大塚グループ創業の地です。この美術館は、創業者の長男であり初代館長・大塚正士の“郷土愛の結晶”なのです。

 吉本 故郷への恩返しから生まれた美術館なのですね。私も愛する徳島の地で刻んだ青年時代の原点があります。
 私の師匠の池田大作先生は、1985年(昭和60年)に行われた徳島県の創価学会青年部が躍動した平和文化祭で「愛する郷土を繁栄させゆく模範の県民、市民となっていただきたい」と期待を込め、呼び掛けてくれました。

 田中 初代館長からは、大塚グループ発展の最大の要因とは、徳島・鳴門という土地で起業できたことだと教えられました。ここには豊かな自然や“働き者”の気質、恵まれた教育環境もあります。

 吉本 初代館長が著された『一握りの砂』でも、創業の原点は鳴門海峡の“砂”から始まったと紹介されていますね。

 田中 そうなんです。建築用コンクリートの原料として安価に売られていた白砂をタイル商品とし、付加価値を高めていこうとしました。
 その経済的な波及効果が、故郷の徳島を豊かにしていくと信じてスタートしたことが原点なんです。

創立者の精神

 田中 私が美術館の創立に携わることになったのは、初代館長の大塚正士社長(当時)との出会いがきっかけです。

 「偉大な人物との出会い」で人生は変わります。今の私の情熱の源泉は、この出会いから始まっています。

 吉本 私も、池田先生という師匠との出会いが人生を大きく変えました。師匠の励ましで多くの困難を乗り越えることができました。

 田中 初代館長と初めて出会ったのは入社3年目の24歳の時です。当時の副工場長と香川のとある工場跡地を視察し、その報告に行きました。
 初代館長は、緊張しながら正座している私に「土地の面積は?」「形状は?」「計画予定の瀬戸大橋からの距離は?」など、矢継ぎ早に質問したんです。
 上司が答えてくれるものと思っていた私は、冷や汗をかくばかりでした(笑い)。

 吉本 池田先生も人材育成のために、あえて青年に対して、同じように質問をすることがあります。

 田中 その後、私へのミッションとして資本参加を進めていた企業の「土地調査担当」という職務を言い渡されました。その時初めて、私は初代館長の心に気付かされたのです。

 吉本 真心からの薫陶だったのですね。

 田中 その振る舞いに学び、創業の精神を後進に伝えていくことが私の使命だと思っています。大塚イズムを未来につなげる「人財」を育てたい。

 吉本 苦闘を重ねた若き日の池田先生も、師匠である戸田城聖先生のもとで学び、事業の苦境を一身に担ってきました。どこであれ、後継者の育成、なかんずく「青年」が焦点です。
 また、創立者や創業の精神を忘れない組織は強い。時代が変わっても根本の精神は不変ですね。

「挑戦」と「応戦」

 吉本 田中常務は現在も美術館の実務トップとして多くの集客策を打ち出され来館者が年々増加しています。先進的な取り組みも大きく注目されています。

 田中 常に挑戦ですね。
 陶板制作のオーミ陶業を設立して間もなく「オイルショック」という大きなピンチがありました。社長を兼務していた大塚正士は、陶板にさらに大きな付加価値をつけて、その苦境を乗り越えていったのです。
 そうして生まれたのが美術陶板の制作という前代未聞の挑戦です。現在の美術館運営でも常に「困難こそ好機」と発想を転換し新企画で来館者をお迎えするように心掛けています。

 吉本 創価学会も、その名の通り「価値創造」の団体です。組織や人生においても、立ちはだかる困難に対し、応戦する気概こそが肝要ですね。

 田中 美術館の発展のために、若い人たちが柔軟な発想を生み出してくれています。その姿勢を後押しし応援してあげることも大切な使命だと思っています。

 吉本 屋外に展示されているモネの「大睡蓮」は陶板だからこそ太陽光や風雨にも耐え、モネ自身も願っていたといわれる自然光の下で作品を見ることができます。
 館内の作品が大塚グループの世界的な技術で、2000年先の未来にまで残ると伺い、感動しています。

 田中 ありがとうございます。
 1000~1350度の高温で焼き上げる特殊技術を用いています。未来に人類の偉大な美の価値を残したい。この事業は、芸術の道を志す人々への学術的な貢献ともなるはずです。

 吉本 創価学会は「平和」「文化」「教育」の普遍的な価値創造の貢献を目指しています。
 私たちも、ふるさと徳島の地から、心豊かな人材の潮流をつくっていきます。

 たなか・しゅうさく 1945年大阪生まれ。1968年、大塚製薬工場に入社後、同社取締役などを歴任。大塚グループの総帥であった大塚正士氏(大塚国際美術館初代館長)のもと、同美術館の開館準備から担当。2007年から現職。


 よしもと・かづひろ 1971年徳島生まれ。四国男子部長、同青年部長などを歴任。飾らない人柄で、生まれ育った徳島県内の“励ましの最前線”を駆ける。徳島文化会館勤務。


 大塚国際美術館 製薬事業などでも知られる大塚グループ創立75周年記念事業として、徳島県鳴門市に設立された日本最大級の延べ床面積を誇る「陶板名画美術館」。陶器の板に高温で焼き付けられ、原画に忠実な色彩と大きさで再現した展示作品は、大塚オーミ陶業㈱が開発した特殊技術によるもので、2000年以上もの保存が可能といわれる。古代から現代に至る西洋美術史を代表する展示作品約1000点の中には、修復前後のダ・ヴィンチ「最後の晩餐」、焼失作品を含むファン・ゴッホ「ヒマワリ」の連作、門外不出のピカソ「ゲルニカ」などがあり、日本にいながら世界の美術の名品を体感できる。

◆〈オピニオン〉 「フランス絵画の精華」展に寄せて 2019年10月20日
 ルーブル美術館 ピエール・ローザンベール 名誉総裁・館長 国内初公開の作品も多数

 年間、1000万人超の来館者を迎えるルーブル美術館は、世界最大級の規模を誇る、欧州最古の美術館の一つです。6月21日、同館の総裁・館長を7年間務めたピエール・ローザンベール氏をパリの自宅に訪問。東京富士美術館で開催中の「フランス絵画の精華」展について、また、ルーブル美術館の絵画部長であった美術史家の故ルネ・ユイグ氏の思い出などについてインタビューしました。(聞き手=サダブラティまや記者)

ルーブルの大規模改革に尽力

 ――東京富士美術館では、2019年10月5日から2020年1月19日まで、「ルネ・ユイグのまなざし フランス絵画の精華 大様式の形成と変容」展を開催しています(2020年2月4日から3月29日までは九州国立博物館、4月11日から6月14日までは大阪市立美術館で巡回予定)。あなたは、本展の図録にも寄稿されていますね。

 ピエール・ローザンベール氏 「フランス絵画の精華」展は、非常に充実した内容になっています。17世紀の古典主義から、18世紀のロココ、19世紀の新古典主義、ロマン主義を経て印象派にいたるまでの、フランス絵画の3世紀にわたる様式の変遷を見ることができます。優れた画家たちの傑作が数多く展示されており、日本初公開の作品も多数あります。私が生涯を懸けて研究してきた画家の一人、ニコラ・プッサンの作品は5点出品されています。〈ダヴィデの凱旋〉〈自画像〉〈コリオラヌスに哀訴する妻と母〉〈階段の聖母子〉〈風景習作 平原の5本の木〉は、全て日本初公開です。
 プッサンは、ルイ13世に宮廷画家として招かれながらも、同僚たちからの嫉妬と策謀によって、追いやられてしまった画家です。彼の作品も、絵に対するアプローチも、理解するのが容易でない部分があると思いますが、全ての世代の芸術家に愛される画家でしょう。

 ――あなたは、1962年から学芸員としてルーブル美術館に勤務しました。当時、ルーブルは設備も不十分で、眠ったような美術館だったと聞いています。一貫して絵画部門を担当し、美術館の大規模な改修や改革に取り組まれました。

 ローザンベール 学芸員にとって最も大切なのは美術品です。そして、それらを最高の状態で、より多くの人に鑑賞していただくことです。60年代に私が学芸員として勤務をした当初、ルーブルは古びた美術館でした。現在のような、魅力的なルーブルからは、ほど遠かったのです。81年から開始した「グラン・ルーブル計画」によって、今や美術館のシンボルとなっているガラスのピラミッド建設をはじめ、数々の整備がなされてきました。その結果、展示面積も広くなり、よりゆったりと鑑賞できます。絵画部長を経て、94年から2001年までルーブルの総裁・館長だった時も、こうした改革に携わってきました。
ルネ・ユイグと東京富士美術館

 ――東京富士美術館は、1983年の開館の際に、記念展として「近世フランス絵画展」を開催しました。これは、20世紀を代表する美術史家である故ルネ・ユイグ氏の絶大な協力によって、フランス各地の著名な美術館から貴重な作品をお借りし、実現しました。

 ローザンベール ユイグ氏は、東京富士美術館がとても好きでした。ヨーロッパの文化を日本の方々に知っていただくためには、ヨーロッパ芸術を主題とした展覧会や企画展を開催することが最も効果的であると考えていました。そうした点で、東京富士美術館の方向性や理念とも一致していたのだと思います。
 私は、ユイグ氏より後の世代なので、彼と一緒に(ルーブル美術館で)仕事はしていません。ですが、第2次世界大戦中に、当時のジャック・ジョジャール館長の指揮のもと、ユイグ氏がルーブルの約4000点の絵画をナチスから守った主要な一人であったことは有名な話です。
 戦争や占領の歴史は、決して繰り返してはならない痛ましい出来事です。しかし、そうした混乱の中にあっても、美術品を守り抜くことができたのは、美術史の観点から考えると、大偉業です。
 ユイグ氏をはじめ、作品を守り抜いた学芸員たちは、それぞれに回想録を出版しています。中には、危機的な状況に追い込まれ、ナチスに殺害される寸前のところで奇跡的に助かった人もいます。まさに、一人一人の精神闘争によって、命懸けで守り抜いた作品群がルーブル美術館に所蔵されているのです。

 ――東京富士美術館の創立者である池田大作先生とルネ・ユイグ氏は、74年の初会見以来、23年にもわたって友情を育んできました。二人は対談集『闇は暁を求めて』を発刊しています。また、88年には、ユイグ氏が晩年に館長を務めていたジャックマール=アンドレ美術館で、二つの展示が行われました。一つは、「永遠の日本の名宝展」、もう一つは「池田大作写真展」です。

 ローザンベール 『闇は暁を求めて』を、私も興味深く読ませてもらいました。芸術だけではなく、哲学、宗教、政治など、多岐にわたって論じられています。また、ジャックマール=アンドレ美術館での二つの展覧会も鑑賞しています。現在でも、ユイグ氏がつくり上げた伝統や方針が、この美術館の骨格になっています。
 ユイグ氏をはじめ、多くのルーブルの学芸員は日本愛好家です。こうしたことも、この二つの展覧会の実現に結び付いたのかもしれませんね。
「フランス絵画の精華」展図録に掲載された東京富士美術館・五木田聡館長の「ルネ・ユイグをめぐる10の物語」から抜粋
 「日本美術展はジャックマール=アンドレ美術館の一階フロアが会場となっていたが、階上の二階フロアでは、同時開催の展示として池田大作写真展が開かれていた。これはユイグの強い要請により実現の運びとなったもの。ユイグが“眼で詠まれた詩”と絶賛した池田SGI会長の写真作品が展示室を埋めた。作品の選品、イメージサイズの指定、額縁やマットの選定、会場構成、展示壁の色彩計画、作品の配置、照明など、すべてをユイグ自身の手で行った」

日本がフェスティバル招待国に

 ――明年6月初旬、パリ郊外のフォンテーヌブローで第10回美術史フェスティバルが3日間にわたって開催されます。2020年のテーマは、「楽しみ」です。

 ローザンベール フォンテーヌブローの美術史フェスティバルは、過去9年、毎年開催されてきました。
 かつてフランソワ1世やナポレオン1世の居城であったフォンテーヌブローの宮殿に、3日間で2万人から3万人が訪れます。その中には、大学教員や学芸員以外にも、収集家、修復家、美術批評家、ジャーナリスト、美術商など、美術史という分野に興味を持った多くの人々が集まります。
 毎年、1カ国が招待国として選ばれますが、2020年は日本に決まりました。米国に次ぐ、ヨーロッパ以外の招待国です。
 私が明年のフェスティバルに期待していることは、フォンテーヌブローを訪れる多くの人々に、日本を知ってもらうことであり、豊かで複雑な日本美術の歴史と魅力を堪能してもらうことです。
 日本とヨーロッパの友好をさらに深める場となるこのフェスティバルに、世界中から多くの人々に訪れていただきたいと願っています。
 参加登録料は不要、全ての方が自由にこの城館を訪問できます。決して、皆さまの期待を裏切ることはないでしょう。(http://festivaldelhistoiredelart.com/)

取材メモ

 6月26日夕、ローザンベール氏が長年にわたり研究を重ねてきた18世紀の収集家ピエール=ジャン・マリエットの展覧会がルーブル美術館で行われ、記者も招待を受け出席することができた。氏は研究成果を1冊1500ページ以上、4巻に及ぶ大著にまとめた。83歳とは思えない、エネルギッシュな活動の源泉となっている美への情熱に深く感銘した。

 Pierre Rosenberg 1936年、パリ生まれ。ルーブル美術館の学芸員として活動を始め、絵画部長を経て1994年から2001年まで美術館総裁・館長を務めた。現在は、同館名誉総裁・館長。1995年には、アカデミー・フランセーズ会員に選ばれる。フランス17~18世紀絵画研究の第一人者として、数多くの展覧会を監修し、執筆も。代表的な展覧会に『シャルダン展(1979年)』『ヴァトー展(1984年)』『ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展(1997年)』がある。


ルーブル美術館の歴史

 もとは宮殿だった建物が、美術館として市民に一般公開されたのは、フランス革命後の1793年。王室コレクションを公開する場所として、ルーブル内に「中央美術博物館」が開設された。
 現在、ルーブル美術館の展示は、「古代エジプト」「古代オリエント」「イスラム」「古代ギリシャ・ローマ・エトルリア」「彫刻」「工芸品」「素描・版画」「絵画」の八つの部門に分かれており、古代から19世紀前半までの芸術品が所蔵されている。
●ご感想をお寄せください
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2019年10月19日 (土)

2019年10月19日(土)の聖教

2019年10月19日(土)の聖教

◆わが友に贈る

気温が大きく変化し
体調を崩しやすい時季。
風邪や流感に注意!
〝百千万億倍の用心〟で
懸命な予防と対策を!

◆名字の言

日本で初めて天気予報が発表されたのは135年前。「全国一般風ノ向キハ定リナシ天気ハ変リ易シ……」。全国的に風の向きは定まらず、天気は変わりやすい――日本全体を一文で表したものが交番に掲示された▼今では気象衛星やレーダーなどの観測システムを用い、各地の詳細な予報が出される。一番気になるのは自分がいる地域。洗濯物は干せるか、外出時に傘は必要か……。離れた土地の天気を心配することは少ないだろう▼昨年7月の西日本豪雨の後、広島のある婦人部員は道路が寸断された孤立地域にいた。断水になると近隣に井戸水を配り、風呂を提供。だが同じ状況が1カ月も続くと心身の疲れはピークに▼そんな時、東北の友からメールが。そこには寄せ書きされた色紙の写真が添付されていた。「不屈の魂でがんばっぺし!」「毎日、題目を送っています」。婦人の胸に熱いものが込み上げた。「同志が応援してくれている。“負げでたまっか”だ!」▼台風19号の被害から1週間。東日本は再び雨の予報で予断を許さない。だからこそ全国の同志は祈る。被災地を“わが地域”として心にとどめつつ。御書に「題目を唱え奉る音声は十方の世界に届かない所はない」(808ページ、通解)と。友を思う真心は必ず届く。(子)

◆寸鉄

   「最後の勝利は苦労した
 人間にある」戸田先生。
 今の奮闘は生涯の宝なり
      ◇
 リーダーとは希望を配る
 人のこと―英雄。今こそ
 励ましの光で地域照らせ
      ◇
 「互に読聞けまいらせさ
 せ給え」御書。共に学び
 共に成長。これ学会の魂
      ◇
 東日本で雨続く。少しの
 量でも洪水や土砂災害に
 警戒と。常に情報を確認
      ◇
 いじめ認知件数54万件で
 過去最多。学校・家庭・社
 会が一体で根絶へ総力を


【教学】

◆〈教学〉 10月度「御書講義」の参考 可延定業書
 御書全集 986ページ 6行目~14行目 編年体御書 1175ページ 6行目~14行目
 「戦う心」の源泉が信心  使命の人生を朗らかに

 10月度の「御書講義」では「可延定業書」を学びます。拝読範囲は「去年の十月これに来りて候いしが御所労の事をよくよくなげき申せしなり……一日もいきてをはせば功徳つもるべし、あらをしの命や・をしの命や」です。ここでは、学習の参考として、本抄の背景と大意、さらに理解を深めるための解説を掲載します。

背景と大意
 本抄は、下総国葛飾郡若宮(現在の千葉県市川市)に住む富木常忍の妻・富木尼御前に送られたお手紙です。
 早くから門下の中心的人物として活躍する夫を、懸命に支えていたのが尼御前でした。
 尼御前は、心労からか、症状の重い病を患い、弱気になっていたようです。
 大聖人は、妙法によって、寿命をも延ばすことができると励まされています。
 題号にある「定業」とは、報いの内容や現れる時期が定まっている業のことです。本抄では、特に寿命の意味で用いています。
 本抄の大意ですが、まず、業には定業と不定業があることを示され、定業である寿命でさえも、強盛な信心によって、延ばすことができると仰せです。
 さらに、文証と先例を通し、法華経こそ、あらゆる人の病を癒やす大良薬であり、末法における女性の幸福を約束した経典であることを強調し、病気を治し、長寿を全うするように励まされます。
 医術にすぐれた四条金吾の治療を受けるよう勧められ、その際の心構えに関しても、金吾の性格を踏まえて、こまやかにご指導されています。
 最後に命は、何ものにも代え難い第一の宝であり、一日も長く生きて功徳を積むよう激励され、本抄を結ばれています。
 大聖人の教えのままに実践を貫いた尼御前は、この後、二十数年も寿命を延ばしました。

抜苦与楽の励まし
 身延を訪れた四条金吾から、富木尼御前の病気が心配であることを聞いていた大聖人は、「これにも・なげき入って候」と、“私も心配していました”と、包み込むように同苦されています。師匠の慈愛に、尼御前はどれほど感激したことでしょう。
 さらに、金吾から、“夫の富木常忍が、尼御前を杖や柱のように支えとして頼みにしている”と聞いていると記されています。
 感謝の思いは、人づてであっても、うれしいものです。
 “必要とされている”“大切にされている”と感じた尼御前は、夫を支えるためにも、生き抜かねばならないと思い、病に立ち向かう決意をしたに違いありません。
 “回復を祈っています”等の同志の励ましは、病と闘う友にとって、思いを寄せてくれる存在を実感することになり、それは病の苦しみを和らげてくれるだけでなく、生きる力をも呼び覚ましてくれます。
 創価の励ましの世界は、苦しみを抜き、生きる希望を与えてくれる抜苦与楽(苦を抜き楽を与える)の麗しい絆の世界なのです。

病と向き合う
 四条金吾は、医術にもたけた頼れる門下であり、大聖人が信頼を寄せていました。
 金吾のことを、「極めて負けじ魂の人で、自分の味方(信心の同志)のことを大事に思う人」と記し、尼御前が安心して治療を受けられるように心を砕いています。
 その上で、「身の財(行動すること)を惜しんでいては、この病を治すのは難しいでしょう」と、行動を起こすよう訴えています。
 仏法は道理です。ゆえに、大聖人も、当時の医療を、決して否定してはいません。むしろ、尼御前に、治療を受けるように促されています。信心で強じんな生命力を奮い立たせることはもちろん、その上で、具体的に病気を治療していくことが大切なのです。
 不安であればあるほど、診察などを受けるのをちゅうちょしてしまいがちです。悩むだけであれば、問題の先送りであり、病を悪化させることになりかねません。
 肝要なのは、病と真摯に向き合い、勇気をもって、速やかに行動していくことです。祈りが現実の行動に結びついてこそ、状況を好転させることができるのです。

巡り合えた喜び
 「法華経にあわせ給いぬ」と、“妙法に巡り合えた”ことの素晴らしさを教えられています。
 大聖人は尼御前に、今世の使命を思い出させようとされたと拝せます。
 法華経には「仏には値いたてまつることを得難きこと、優曇波羅華の如く、又一眼の亀の浮木の孔に値えるが如ければなり」(657ページ)と記されています。
 今世で大聖人の弟子となり、妙法を受持することができたのは、幸運としか言いようのないことです。変毒為薬、宿命転換の道が、大きく開かれているからです。
 ゆえに、一日でも命を延ばし、今世での使命を果たし抜いて、幸福境涯を確立することを教えられているのです。
 “何のための人生なのか”――根本の大事を忘れることは、病魔に負けた姿ともいえます。逆に、人生の崇高な目的に目覚めれば、病魔を打ち破り、生命の底力を発揮することができます。
 苦しい状況にあったとしても、妙法に巡り合えたこと自体が喜びです。報恩と使命の人生を、朗らかに歩んでいきましょう。

一人の人を大切に
 大聖人は、二人の門下(=四条金吾と富木尼御前)の立場を尊重され、同志と同志が互いに気持ちよく、真心で支え合っていく和合の在り方を教えられたと拝されます。
 それにしても、尼御前が実際に治療に踏み出せるよう、「これほどまでに」と思われるほど、こまやかな配慮を、大聖人はなされています。
 そのお振る舞いから、私たちはあらためて仏法指導者の模範の姿を学びたい。
 「一人の人」を、どこまでも大切に!――その具体的な行動なくして、万人の幸福も、世界の平和もありえないからです。
 「一人の人」のことを、どこまで祈り、励ましていけるか。
 「一人の青年」の成長のために、どこまで心を砕き、道を開いていけるか。
 だれが見ていようがいまいが、その戦いの中にしか、仏法はないのです。

〈池田先生の指針から〉 病魔を打ち破る唱題
 「一日生きる」ことは、それ自体、何ものにも代え難い「光」であり、「価値」であり、「生命の歓喜の讃歌」です。それを奪うことは、宇宙の根本の法則に背く重罪です。
 戸田先生は、「どんな理由があっても、絶対に人を殺してはならない」と厳しく戒めておられました。
 病気に対する姿勢として、大事なことは「おそれず」「あなどらず」です。
 病気になること自体は、決して敗北ではありません。
 仏も「少病少悩」という通り、病気との戦いがあります。
 大切なことは、病気と戦う以前に、「心の次元」で敗れてはならない、という点です。病気に立ち向かっていく「戦う心」の源泉が信心です。ですから、先に拝したように、大聖人は本抄で、まず「心ざしの財」を教えられているのです。
 そのうえで、具体的に治療に励むのは当然です。「信心しているのだから何とかなるだろう」とか、「たいしたことない」と考えるのは、誤った信心の捉え方であり、自身の体への軽視です。「いそぎいそぎ御対治」する行動が大事です。ゆえに、大聖人は「身の財」すなわち行動することを惜しんではいけないと厳しく戒められています。
 「病魔」「死魔」を打ち破る根本の力が、妙法です。「南無妙法蓮華経は師子吼の如し」(御書1124ページ)です。
 大事なのは、「戦う心」と「最高の治療」、そして「生命力」です。なかんずく、心を強めるのも、最高の治療を生かしていくのも、生命力をわきたたせるのも、唱題が根幹です。
 (『希望の経典「御書」に学ぶ』第1巻)


【聖教ニュース】

◆共々に不屈の心で前へ! 原田会長が台風19号で被災した栃木市に 2019年10月19日
 青年部のかたし隊が奔走

床上浸水に見舞われた鈴木宏一さん(右から2人目)・榮子さん(右端)夫妻を原田会長が激励(18日、栃木市内で)

 台風19号の被災地では、リーダーが同志の励ましに走る。
 原田会長は18日、栃木市の会員宅へ。同市では永野川や巴波川の氾濫で、床上・床下合わせて5000棟以上の住宅が浸水した。
 地域広布の功労者である曽川知子さん(婦人部副本部長)の自宅も床下浸水。だが曽川さんは、被災直後から同志の激励に歩いた。
 夫の良雄さん(壮年部員)は2年前に大病を患って以来、御書の一節などをノートに書き写すのが日課。「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)と刻んだ木彫りもある。原田会長は「今にぴったりの一節です。周囲を励まし、共々に立ち上がってください」と力強く語った。
 長年、地区の拠点だった鈴木宏一さん(副支部長)・榮子さん(婦人部副本部長)夫妻の自宅は、床上50センチまで浸水し、家財の多くや車2台が水没。夫妻は現在、自宅の2階で生活する。
 宏一さんはがんとの闘病、榮子さんは股関節手術を終えてリハビリに励む中、この台風に遭った。それでも不屈の心で前進を誓う夫妻に、会長は「乗り越えられないものはありません。勇気を奮い起こして頑張りましょう」と訴えた。
 また、各地の台風の被災地では、青年部の有志らが清掃ボランティア「かたし隊」を結成し、復旧作業に汗を流している。
 志賀青年部長は同日、秋山川の氾濫で周辺に濁流が押し寄せた栃木県佐野市へ。同市大橋町にある遠山知惠子さん(支部副婦人部長)の実家を訪れ、男子部の「かたし隊」と共に、泥水につかった畳や家財など不要品の運搬作業に当たった。
 遠山さんは「皆さんの献身に心から感謝します。ここから、一歩ずつ前に進んでいきます」と、涙ながらに再起を誓った。
 神奈川では青年部を中心に結成された「かたし隊」が17日、断水が続く相模原市緑区へ。
 山の崩落により水道管が切断され、永瀨守さん(副本部長)宅をはじめ、区内の一部で水の供給が止まっている。そうした中、自宅を本部幹部会の中継会場として提供する永瀨さんは今回、学会の救援物資を運ぶ拠点にと自ら申し出た。
 この日は、「かたし隊」のメンバーに、永瀨さんと妻の光代さん(支部婦人部長)、大場久美子さん(支部婦人部長)、相模緑総区副婦人部長の中村美津子さんが加わり、飲料水などを同志に届けた。


◆民音 ザ・ゴサード・シスターズ 2019年10月19日

ザ・ゴサード・シスターズの民音公演。一流の歌と演奏とダンスが観客を魅了した(よこすか芸術劇場で)

ザ・ゴサード・シスターズの民音公演。一流の歌と演奏とダンスが観客を魅了した(よこすか芸術劇場で)

 創立56周年を迎えた民音が「民音創立記念日」の18日、「ザ・ゴサード・シスターズ」の公演をよこすか芸術劇場で開催した。

 アメリカ出身の三姉妹の初来日となる待望のツアー。公演では、バイオリンやギターなどの演奏とともに、ダンスや歌を交え、なじみ深い世界の名曲を披露。弾いて、歌って、踊る三拍子そろった演出で、会場を大きく沸かせた。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈ライフウオッチ――人生100年時代の幸福論〉 “就職氷河期”世代のいま 娘として母として  私が変われたのは あなたを祈れたから

山川真理さん(白ゆり長)㊥が、信頼を寄せる佐藤秀子さん(地区婦人部長)㊨、大鐘ひとみさん(支部婦人部長)と(今月15日、東京・清瀬市内で)


山川真理さん(白ゆり長)㊥が、信頼を寄せる佐藤秀子さん(地区婦人部長)㊨、大鐘ひとみさん(支部婦人部長)と(今月15日、東京・清瀬市内で)


 あらゆる世代が「人生100年時代」を幸せに生きるための知恵を探る「ライフウオッチ」。今回は、複雑な家庭環境や数々の病と闘いながら、娘として母として生き抜いてきた、東京・清瀬市の婦人部員を取材した。(記事=小野顕一)
 人生100年時代への言及が増えている。共通して指摘されるのは、過去の時代に比べて、私たちがより多くの選択肢や変化、そして「未知の困難」に直面するという点だ。予期せぬ出来事を、どのように自らの糧としていけるかが、ひときわ重要となる。
 第2総東京の婦人部に、“コスモス”の愛称で親しまれるコスモス平和大学校という集いがある。小説『新・人間革命』を読み、印象に残った場面を近況とともに紹介し合う。世代はさまざま。語られる体験も多彩である。
 今月15日、清瀬市内で開かれた集いでは、『新・人間革命』第19巻を繙いた。皆が持参した本を取り出すと、そこには色とりどりの付箋が。参加者の一人、山川真理さんには、この巻に、とりわけ心に刻む箇所がある。
 山本伸一が沖縄の総会に出席し、スピーチする場面。ここでは、広宣流布が「自行」と「化他」の融合であることが語られる。
 「利他」の実践によって、「利己」に凝り固まり、汲々としていた小さな生命の殻が破られ、自らの境涯が大きく開かれていく――。
 山川さんが感慨をこめて振り返る。
 「昔は全部、環境のせいにしていたんだなって思います。不幸な目にあってきて、自分が変われるということには気付かなかった」

私は一人じゃない
 「就職氷河期」が新語・流行語大賞に登場した1994年。二十歳を迎えた山川さんは、家族の借金返済のため、都内で朝から晩まで働き通しだった。両親が離婚し、母やきょうだいとも離れ離れになっていた。
 アルバイトを掛け持ち、職を転々とした。事務、アパレル、イタリアン、ベトナム料理店、焼き鳥店ときて、またアパレルへ。
 正社員として活躍するための努力は惜しまなかった。コックを志した時は単身、イタリアへ。短期留学で語学と調理技術を学んだ。
 幸い、すぐに次の仕事が見つかるが、長続きしない。さあ、これからという時に、病に見舞われた。てんかん、心の病、顔面まひ、さらには椎間板ヘルニアにメニエール病。過呼吸で何度も救急車で運ばれた。副作用に気を使う薬漬けの日々。家族への仕送り分が治療費に消え、診察券は箱いっぱいになった。
 通院で仕事を休みがちになり、職場でも煙たがられた。入院先のベッドで職を探した。
 憂さを晴らすように飲み歩いた。人の話を聞くのは得意。ただ友達の相談に耳を傾けても、自分の悩みには触れさせない。次第に友人とも疎遠になり、気付けば独りになっていた。
 最大のショックは婦人科での診断だった。「子どもは諦めてください」。家まで、どうやってたどり着いたか覚えていない。
 地域の同志が駆け付けた。「真理ちゃん、真理ちゃん」と、いつも気に掛けてくれていた人だった。「つらかったね。頑張ったね」
 思わず泣いた。他人に弱みは見せまいと思っていたのに、涙があふれて止まらない。
 一人で全てを背負っていると、ずっと思っていた。その気負いが「すっと抜けた」。私は一人じゃない。心を許せる人がいた。
 ほどなくして妊娠が分かった。「この子のために、私は絶対に変わってみせる!」と、毎日、婦人部の先輩と題目を唱えた。
 難しい出産になると覚悟を促されたが、入院直前に病状が改善。自然分娩で長女を出産し、入会したばかりの夫と喜び合った。
 だが長女は、数万人に一人といわれる肥満細胞症を発症した。医師に囲まれ、写真を取られる光景に胸が痛んだ。それでも再度、山川さんは自らの宿命に挑もうと思えた。
 長女は劇的な回復を果たし、一家で願ってきた経済革命も成し遂げた。今、長女は創価中学校へ。長男は学会の合唱団で活躍する。

信心の本当の功徳
 『新・人間革命』第19巻に描かれる沖縄の総会で、山本伸一はこう呼び掛けた。
 「友の幸せを祈り、懸命に弘教に走る同志の胸中には、歓喜が込み上げ、勇気がうねり、希望が広がっている。病苦や経済苦などの、さまざまな悩みを抱えながらも、あたかも波乗りを楽しむかのように、悠々と乗り越えていくことができる。信心の本当の大功徳とは、この『境涯革命』『人間革命』である。自分の境涯が変わるから、依正不二の原理で、環境も変化し、一切の問題が解決できるのである」
 その箇所を指で追いつつ、山川さんは語った。「毎回、コスモスで学ぶ中で“あー! ここ!”“本当にそう! この通りだ”という部分が必ずあるんです。まるで池田先生が、私のために言ってくださっているみたい」
 山川さんが、心境の変化を述懐する。
 最初は、ただ生まれてくるわが子のために。その祈りが次第に周囲にも向いていった。学会活動に取り組むうちに、胸に秘めていた自分のことも忌憚なく話せるように。自分を産んでくれた両親に尽きせぬ感謝が湧いた。
 あの日、山川さんを励ました婦人は、「私たちの方こそ勇気をもらっていた。真理ちゃんの姿に触れて皆が成長できたんです」と。
 コスモスの日を心待ちにする山川さん。「こんな場所、他にないですよね。皆さんの体験が先生の言葉と重なって、ぐっと迫ってくるんです」
 山川さんに、悩みがなくなったわけではない。長女の治癒後も立て続けに困難があった。しかし、もはや動じることはない。
 「どうしたんだろ。私、悩まなくなっちゃったのかな。まさか、薬漬けだった影響じゃないですよね?」と明るく笑い飛ばす。
 そんな山川さん一家の姿を見つめてきた義母と弟が昨年、入会した。
 昔は自分だけで精いっぱいだったな――食卓を整えつつ、山川さんは幸せをかみ締める。
 ある時、友人から「真理ちゃんの人生は、小説みたいに波乱万丈だね」と言われた。
 人生100年になれば、その分、困難は尽きないかもしれない。でも負けない自信もある。何度でもハッピーエンドを描くつもりだ。
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◆〈世界の識者の眼〉 ブラジル サンパウロ大学元総長 フラヴィオ・ファヴァ・デ・モラエス博士 2019年10月19日
 社会に善をもたらす人に  教育は人間らしくあるための基盤

ブラジル・サンパウロ大学のファヴァ総長(当時)が、創価大学創立者の池田先生と会談。教育の在り方を巡って意見を交換した(1995年4月、八王子市の東京牧口記念会館で)


ブラジル・サンパウロ大学のファヴァ総長(当時)が、創価大学創立者の池田先生と会談。教育の在り方を巡って意見を交換した(1995年4月、八王子市の東京牧口記念会館で)


 ブラジルの発展のため、各界に力ある人材を輩出してきたのが、同国最高峰の学府・サンパウロ大学である。学生数は大学院生も含めて約9万人を数え、卒業生にはブラジルの歴代大統領も名を連ねる。同大学で総長を務め、81歳の現在も教壇に立つフラヴィオ・ファヴァ・デ・モラエス博士に、教育の重要性や青年の可能性について聞いた。(聞き手=髙橋毅)

青年を育てる「平和の使者」
 ――1908年、日本人移住者781人が、初めてブラジルに渡航してから、本年で111年。その後も、ブラジルは多くの移住者を受け入れ、「世界最大の日系人社会」が築かれました。

 ブラジル人の多くは、日本人に感謝しています。なぜなら、日本人は幾多の試練に耐えつつ、ブラジル社会に溶け込み、国の発展のために、大きく貢献したからです。今の経済成長は、日系人の力によってもたらされたといっても過言ではありません。
 私は特に、日本人の「平和」を求め、「教育」を重んじ、「人権」を守ろうとする姿勢に敬意を表します。日系人はその心を受け継ぎ、“良き市民”としてブラジル社会で輝いています。

 ――ファヴァ博士は95年4月に来日し、東京・八王子市の創価大学を訪問しておられます。この時、サンパウロ大学と創価大学の「学術・教育交流協定」の更新も行われました。

 当時、私はサンパウロ大学の総長を務めていました。私たちが訪日した時は、ちょうど創価大学の桜が爛漫と咲き誇り、その美しさに心を奪われました。
 さらに、うれしかったのは創価大学の学生たちとの出会いです。ポルトガル語の横断幕を掲げ、ブラジルの歌を歌って、温かく歓迎してくれました。皆さん、礼儀正しく、あいさつも素晴らしかった。
 創価大学との交流は、これまで温めてきたブラジルと日本の友情の結晶であり、大変に重要なものだと思っています。

 ――創大創立者の池田先生はサンパウロ大学で史上初となる「名誉客員教授」に就任しています(93年2月)。ファヴァ博士が来日された95年4月、先生と会談し、「教育革命の必要性」「人類貢献の人材を育む大学の使命」などについて語り合われていますね。

 池田SGI会長に初めてお目に掛かった時のことは忘れられません。ユーモアにあふれた方で、まるで旧友に会ったような、心地よさを覚えました。
 池田会長からは二つの印象を受けました。
 一つ目は、戦争をなくすためには何ができるのかと真剣に考え、行動されている方だと感じました。“必ず、世界の平和を築いてみせる”との強い意志に、胸を打たれました。
 二つ目は、青年への思いの深さに驚嘆しました。池田会長は“未来を変えられるのは、青年しかいない”と強く訴えていました。
 世界には、多くの指導者がいますが、何に光を当てるかは、それぞれ異なります。例えば、「政治」に力を注ぐ指導者もいる。「経済」や「スポーツ」を重視するリーダーもいます。
 その中にあって、池田会長は未来を見据え、「青年」に焦点を当てています。青年を信じ、青年を本気で育てようとされている。そこが、素晴らしいと感じました。
 この日の出会い以来、折あるごとにブラジルSGIと交流を深め、池田会長の書籍を学んできました。
 現在、私が担当している授業の一つでは、会長が2017年に発表した「SGIの日」記念提言を教材として活用しています。
 このSGI提言には「難民問題」を解決するための具体的な方途が示されています。難民問題を解決することは、人間としての尊厳を取り戻す戦いであると思います。
 さらに提言では、核兵器廃絶に向け、数々の提案を行っています。
 日本は世界で唯一、戦争で原爆が投下された国です。だからこそ、日本人である池田会長が核兵器廃絶を訴えることに大きな意義があります。
 「原水爆禁止宣言」を発表された創価学会の戸田第2代会長。その「平和の種」を、池田会長が確かに受け継ぎ、大きく育ててこられました。まさに、池田会長は「平和の使者」なのです。
 この師弟に脈打つ平和の哲学を、後世に広く伝えていくことが重要であると確信しています。

言葉と行動を一致させる生き方
 ――ファヴァ博士はサンパウロ大学を卒業した後、母校で50年の長きにわたり、教べんを執ってこられました。教育者として、心掛けていることはありますか。

 私自身が学生の模範になることです。先輩が後輩に良き手本を示し、正しい生き方を伝えることです。
 その意味で、自分の言ったことに責任を持っていくべきだと思います。例えば、医学部の学生にタバコによる健康被害を教える授業で、教授自身がタバコを吸いながら話していれば、説得力はないでしょう(笑い)。
 同じように、自分の言行を一致させていく努力が大切です。
 「人間」というのは、生まれた時は誰もが純粋です。しかし、周囲の環境によって、良い人にも悪い人にもなっていきます。善悪を判断するために必要不可欠なものが、「教育」です。
 教育とは、単に知識を与えればいいというものではありません。ましてや、地位や名誉を得るためのものでもない。
 教育は、真に人間を人間たらしめる基盤です。ですから、学校で行うものだけが教育ではありません。子どもたちに接する人は全て「教師」になるのです。その意味で、子どもの最初の教師は親であり、家族といえるでしょう。

 ――大学の使命とは何だと思われますか。

 何のために大学に行くのか――。自分はもちろん、他者をも幸福にするためです。それは、池田会長が言われている通りだと思います。
 ですから、教育の機会はどんな人にも均等に与えられなければいけません。そして、大学では学生たちの視野を広げるような機会を増やしていく必要があります。
 私が目指しているのは“口先だけの無責任な傍観者”をつくるのではなく、“社会のために善をなす主体者”を育てることです。
 本来、「教育」と「平和」とは異なるものではありません。教育がなければ、平和はない。平和がなければ、教育もないのです。
 だからこそ、平和・文化・教育の価値を創造する創価の運動に注目しているのです。
 創価学会は一国の繁栄のためだけではなく、全世界の平和を築くためにあります。それは、ブラジルSGIの皆さんと接する中でも実感してきたことです。創価の平和哲学を、世界により大きく広げていってほしいと願っています。

 ――次代を担う青年にエールをお願いします。

 青年には、三つの特長があると思います。
 第一は、頭が「柔軟」である点です。脳も成長し続け、さまざまなことを吸収しやすい状態にあります。
 第二は、「情熱」をもっている点です。自身の夢をかなえていこうとのエネルギーがみなぎっています。
 そして第三に、「希望」がある。青年には、無限の未来があります。いくらだって、未来を変えることができる。
 だから私は、青年たちに言いたい。絶対に「希望」を捨てるな! 良き模範だけを追い求めていくのだ!――と。
 Flavio Fava de Moraes 1938年生まれ。理学博士。専門は細胞生物学。サンパウロ大学医学部基金会総裁。同大学名誉教授。同大学で生物医学部長、総長を務めた。このほか、サンパウロ州科学技術局長官、同州研究助成機構学術部長、国際大学協会(IAU)副会長を歴任。フランスの細胞化学学会、アメリカの歯科医学協会などから多数の表彰を受けている。

◆〈信仰体験 登攀者〉 沖縄・石垣島の油みそが人気 2019年10月19日

 「フユーするな。苦労しなさい。後になって役立つから」 創業70年 おばーの味と心を継ぐ

大人気商品とあって、メディアからの取材依頼もたびたび。「ありがたいけど、ほぼお断り。今の生産量で手いっぱいですから。でも、聖教新聞はOK(笑い)。やっぱり恩返ししないとね」(左端から宮良さん、長女・りをさん、三女・名優さん、夫・洋さん)

 沖縄の食卓に欠かせない「油みそ」。白いご飯にのせたり、炒め物に混ぜたり、はたまた野菜スティックに付けたりと、素材の味を存分に引き立てる名脇役。かつては各家庭で造られていたが、今では店で買い求めることの方が一般的に。そんな中、大泊食品の代表を務める宮良玲子さん(71)=沖縄県石垣市、県副婦人部長=が造る「あんまぁーのアンダーミシュ」が人気を集めている。それは文字通り、あんまぁー(母)から受け継いだ味をアンダーミシュ(油みそ)に昇華した究極の一品。そこに込められた思いとは――。
 新石垣空港から車で約10分。「しらほサンゴ村」で開催される日曜市。とれたての野菜や色とりどりの南国フルーツがずらりと並ぶ。
 
 大きなリュックを背負った外国人観光客の姿も。興味深そうに見つめるのは、宮良さんが丹精込めた「油みそ」。まずは味見からと、一口含むと、うまみと甘みが口の中に広がる。表情がぱっと明るくなり、両手で「Good!」のサイン。その反応に宮良さんも満足げに「Good」を返す。
 今では日曜市のほか、スーパーマーケット、空港の土産物店やホテルなどで販売されている。
 「母〈大泊秀さん(93)=婦人部副本部長〉から受け継いだ味を再現できるのは私だけ。喜んでくれる皆さんのため、との思いが全てです」
                                                                              * 
 宮良さんの両親は手作りの餅を販売する店を営んでいた。沖縄では、冠婚葬祭など年間を通じてさまざまな行事がある。そのたびに餅が欠かせない。休む間もなく働く両親の姿をずっと見てきた。だが、幼い頃の宮良さんにとっては、家事や店の手伝いが嫌で嫌で仕方なかった。
 高校からは沖縄本島に進んだ。師匠との出会いを刻んだのは、女子学生だった時のこと。
 1969年(昭和44年)2月、那覇市内で開催された沖縄の大学会結成式。池田先生は語った。
 「過酷な運命と戦い、苦しみ抜いてきた人でなければ、民衆の苦悩はわからない。だから、私は諸君に期待したい」
 さらにこの時、宮良さんに小説『人間革命』が贈られた。表紙を開けると、師匠の力強い筆致で「大泊玲子女史」と揮毫されていた。
 「師匠の深い真心に、涙が止まりませんでした。先生の思いに必ず応えようと誓ったんです」
 実際、その後の苦難は、あまりにも厳しかった。夫・洋さん(70)=副本部長(支部長兼任)=との結婚を機に教員を退職。両親の営む大泊食品を手伝った。だが10年ほどして、店舗兼自宅が人手に渡ってしまう。両親が信頼していた人にだまされてしまったのだ。
 2年後には、父が病で他界。母は現在の白保の地に移り、1人でもできる「油みそ」の販売を始めた。
 5人の育児の励んでいた宮良さんが、本格的に油みそ造りを始めたのは、母が病に倒れた2006年(平成18年)ごろから。
 
 「母が苦労して守ってきた味を絶やすわけにはいかない。油みそを受け継ぎ、多くの人に喜んでもらいたい」
 母から教わった秘伝のレシピ。だが、同じ食材、同じ分量のはずなのに、仕上がりの味が全然違う。
 「フユーするな(怠けるな)。苦労しなさい。後になって役立つから」「みそ造りは繊細さ。ワジワジー(イライラ)していたら、うまくいかないよ」
 母が苦闘の中でつかみ取った調理法を受け継ぐため、宮良さんもまた宿命を乗り越えねばならなかった。
 夫が営む電器店は多額の借金を抱えていた。月々の支払いは利息だけで精いっぱい。5人の子どもたちを食べさせるため、海でハマグリや海藻を採ったこともある。そんな中でも、広宣流布の戦いには一歩も引かなかった。
 「苦労に苦労を重ね、自らを鍛え抜いていただきたい。10年先、20年先、30年先をめざして、じっとこらえて、時の来るのを待っていただきたいんです。力をつけ、地中深く根を張り巡らせていれば、時が来れば、必ず花が咲きます」
 学生時代に刻んだ師匠との原点を胸に、夫婦で実らせた弘教は25世帯を超えた。
 「座談会に行けば、地区の皆さんが、子どもたちにご飯を食べさせてくれて、心身共に育ててくれました。同志の真心が胸に染みて」。そうした苦闘の中で、「油みそ」の研究にも励んだ。努力に次ぐ努力。いつしか母の味が再現できるようになっていた。
 自宅に隣接する小さな作業場。温度調節された部屋に、麻の布にくるまれた米こうじが、大きな木の箱に入れられている。石垣島特産の塩で寝かせ、発酵が進むにつれ深い緑に変色していく。そこにゆでた大豆をつぶして混ぜる。宮良さんは、両手でよくもみ込む。一粒一粒にこうじ菌が行き渡るように。手早く丁寧に、愛情を込めて。
                                                                             * 
 油みそ造りに、学会活動。今、充実した日々を送る。
 つかの間の休息――。45年前、師匠が訪れたヤドピケの浜。南国の柔らかな潮風に吹かれて、夕日を眺める宮良さん。幾多の苦難に襲われるたび、師を思い、乗り越えてきた。思わず口をついて出た。
 「先生、ありがとうございます。これからも報恩の人生を歩み抜きます」
 夕日が沈んだ空には星々がきらめく。魂に刻んだ原点が、一層輝きを増す――。

◆〈スタートライン〉 元陸上競技選手 株式会社Deportare Partners代表 為末大さん  キミの短所 人から見れば長所かも

 「オリンピック選手だってそんなに強くはない」。新著『生き抜くチカラ ボクがキミに伝えたい50のことば』(日本図書センター)でそう語る元陸上競技選手の為末大さん。逃げたくなったり、自分を嫌いになったりした時、どう考え、乗り越えてきたのだろう。2012年に現役を引退し、現在は会社の経営やテレビコメンテーターなど、セカンドキャリア(第2の職業)で多彩な活躍を見せる為末さんに、夢の実現について話を聞いた。「ライフウオッチ――人生100年時代の幸福論」の連動企画として掲載する。
 ――8歳で陸上を始め、これまで多くのアスリートと接してこられました。
  
 子どもがスポーツを始めた時って、「褒められたい」という外からの評価と、「こうなりたい」という内からの思いが目標に向かう時のモチベーションだったりします。けれど、褒められたい気持ちで続ける人は、途中で挫折しやすい。なぜなら、自分が何をやりたかったのかが、分からなくなってしまうからです。
 自分の息子は今4歳で、興味の幅が広がり始めました。僕はいろいろなものを「釣り糸」に付けて垂らすようなことをしています。でも、もし、子どもが興味を持って夢中になってくれたのであれば、さっとその場から身を引くようにしたいですね。

夢の前の「準備」
 ――自分のやりたいことをとことん突き詰め、結果を出してこられた為末さん。そこに憧れる若い世代の人も多いと思います。一方で「自分には特に何もやりたいことがない」という若者も多くいます。
  
 自己実現したい夢があることはもちろん素晴らしいことですが、「夢がなければいけない」と思い込み過ぎるのも何か違うなと。やりたいことがあり、「これが自分の天職だ!」と思える人は、まれじゃないですか?
 もしかしたら、“やりたいことさえ見つかれば、何となく今の状況が全て良い方向に変わる”ようなイメージを持っているかもしれない。けれど、やりたいことが見つかったからといって実際、それをやり続けていける人は少ないです。
 だから、やりたいことを見つけ、そこに向かって挑戦し続けたいのなら、前段階の「準備」に目を向けた方がいいのではないかと伝えたいですね。
  

 ――準備というと?
  
 自分の長所と短所を客観的に見て、つまり、良いとか悪いとかで判断するのではなく、長所も短所もただの「特徴」だと思って見ていくことです。「決断力がない」と思われる短所も、見方によれば「思慮深さ」とも取れる。長所と短所は、このように表と裏の関係だと考えてほしい。その方が自分を生かせる環境が見つけやすくなります。
 そして、これは長い目で見た時にも理にかなっています。現役中に活躍して、褒められていたスポーツ選手の特徴が、引退後は、人生の阻害要因になるのをよく見てきたので。
  
 ――阻害要因になる?
  
 競技で勝つ人はある意味で極端な人が多いんですよね。でも、現役を引退して、セカンドキャリアとして別の仕事を始めると、うまくいっていない人も多いんです。たとえば、自分の気持ちを押し通すというような、グラウンドで「長所」だったものが、会社では「短所」になってしまうことがあるからです。
 一つの勝負ではなく、「人生に勝つ」には、環境が変わっても自らの特徴を生かしていけるようになることが大事なんだと痛感しました。
 人は自信を失うと、生かせるはずの「特徴」が短所にしか見えていないことが結構ありますので、これをひっくり返すことが大切になると思います。

あなたは違うでしょう?
 ――ひっくり返す?
  
 僕が一番良いと思うのは人との対話と、本を読むこと。
 対話というのはまず、仲の良い友達5人くらいに、「僕の得意なことって何だと思う?」って聞いてみる。すると、1人か2人は自分の思っていた特徴とズレているものを教えてくれる人がいるんですよ。そういうのは案外自分が知らなかった得意技だったりするので。こういう質問、まじめに友達に聞いたことってないでしょう?(笑い)
 家族でもいいですよ。僕の妻は自分の思っていることとは違うものを僕の長所だと言いました。僕はどちらかというと今まで、一人で競技をやってきましたから、自分は決断力があるイメージを持っていた。でも妻は「あなたは実は違うでしょう? 外食の時はメニューとにらめっこして、なかなか決められないじゃない。だから、すぐに決めるの嫌いでしょう? 思考型で調和型だと思うよ」と。なるほどなと思いました。
  
 ――為末さんは現役を引退して7年。今後の展望を教えてください。
  
 アジアの国に行って子どもたちに陸上を教えているんですけど、国と国、違う領域をつなぐようなこともやっていきたい。オリンピックの選手村みたいに、各国の人が何となく仲良く折り合っている感じ。極端にいうと「世界平和」なんですけど。
  
 ――選手村?
  
 基本は競技者以外は入れないんですよ。だから、政府関係者の目を気にせずに、北朝鮮の選手と韓国の選手や、イスラエルの選手とパレスチナの選手も、よくしゃべってる。社会の中には、“この肩書だと、これをやっちゃいけない”というような制約が多いと思うんです。でも、選手っていうアイデンティティーで見ると、国籍も関係なくなって仲良くなる。そういう、分断なく折り合うようなことに貢献したいという思いはあります。
 ですから、若い人も最初から夢はこれだと、カチッと決めなくても、漠然としててもいいと思うんです。焦らず自分の特徴を生かそうとする中で、見えてくるものがあるので。
 気付いたらきっと夢中になってると思うから。
 ためすえ・だい 1978年広島県生まれ。スプリント種目の世界大会で、日本人として初めてメダルを獲得。シドニー・アテネ・北京のオリンピックに連続出場。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2019年7月現在)。12年現役引退。現在は、Sports×Technologyに関するプロジェクトを行う株式会社Deportare Partnersの代表を務める一方、「どうすれば人は、自由に、しなやかに生きていけるのか」を、等身大のことばで発信。著書に『諦める力』『走りながら考える』など。
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 ファクス 03-3353-5513
  
 【編集】宮本勇介 【インタビュー写真】吉橋正勝 【レイアウト】奥住雄太

 

2019年10月18日 (金)

2019年10月18日(金)の聖教

2019年10月18日(金)の聖教

◆わが友に贈る

共に悩み、共に祈り、
共に動き、共に喜ぶ。
それが学会の同志だ。
世界一の励ましの世界を
今いる場所で広げよう!

◆名字の言

東京五輪・パラリンピックのメインスタジアムとなる新国立競技場の完成が、来月に迫ってきた▼国立競技場の前身「明治神宮外苑競技場」が誕生したのは95年前の10月だった。そして、太平洋戦争の渦中の1943年(昭和18年)10月、出陣学徒壮行会が行われたのも同競技場。戦況が悪化し、20歳以上の文科系の学生も徴兵されることになったのだ。多くの学徒が玉砕必至の戦地に送られ、命を落とした▼戦後75年という節目の明年、戦争の歴史が刻まれた場所で、64年に続き、2度目の平和の祭典が開かれる。五輪の閉会式は開会式とは対照的に、国籍や人種などに関係なく、選手たちが自由に行進するのが恒例だ。“人類融和の象徴”にも思える行進が始まったのは前回の東京五輪という▼近代五輪の父クーベルタンは普仏戦争の時代を生きた。彼は、戦争に敗れた祖国フランスの復興を、スポーツの普及によって成し遂げようと考えた。ドイツの考古学者によるオリンピア遺跡の発掘にも刺激を受け、スポーツの国際交流による世界平和の実現を構想した▼クーベルタンが目指したのは、スポーツを通した「人間づくり」。政治も文化も教育も全ては「人間のために」――この一点を動かぬ指標としてこそ、真の平和は築かれる。(燦)

◆寸鉄

   各地で座談会。希望と勇
 気を心に灯し合う―妙法
 の会座は生命の安全地帯
      ◇
 民音創立記念日。優れた
 音楽・芸術を庶民の手に。
 今や世界結ぶ文化運動と
      ◇
 京都の日。不撓不屈の創
 価の連帯は威風も堂々。
 正義の対話で楽土建設を
      ◇
 台風被災地の生活再建に
 公明よ総力を。寒さ増す
 季節、対策の速度上げよ
      ◇
 流感の患者数が昨年同時
 期の8倍強。マスク着用、
 入念な手洗いなどで予防

◆社説 きょう「民音創立記念日」  芸術文化を育む主役は“私”

 きょう18日は、民主音楽協会(民音)の創立記念日である。
 1961年(昭和36年)2月、創立者の池田大作先生は、アジア歴訪の折、民衆の相互理解を促す芸術・文化交流の推進を目的とした団体の設立を構想。2年半後の63年(同38年)10月18日、民音が創立され、記念演奏会が開かれた。
 なぜ、民音には「民主」という名が付いたのか――。実は、当初の検討段階では、名称を「民衆音楽協会」とする意見も出ていた。その中で、“音楽・芸術を育成していく主役が民衆なのだから”と、「民主」との命名を提案したのは、ほかならぬ創立者であった。
 本紙では今、民音の軌跡をたどる企画「世界に魂を 心に翼を」を連載しており、本年は6回にわたり沖縄芸能を特集した。改めて驚いたのは、“民音なくして今の沖縄芸能はない”との、現地の関係者たちの証言である。
 沖縄には戦後、存続の危機に陥った「琉球芸能」と、各島で伝承されてきた「民俗芸能」があった。今から50年前、民音は「沖縄歌舞団」を結成し、これらの伝統芸能を融合し舞台化。その後、アジア諸国との交易で栄えた琉球時代に光を当てた、沖縄初の本格的なミュージカル「大航海」なども企画した。
 「今の私は、歌舞団の中で育てられたようなものです」と振り返るのは、玉城流二代目家元の玉城秀子氏。重要無形文化財「琉球舞踊」(総合認定)保持者である。そもそも当時の芸能家には、プロとして大舞台に立つ機会が少なかった。戦争と抑圧の歴史の中で、沖縄の伝統文化に引け目を感じることもあった。
 「今は次々に沖縄の芸能が発信されて、世界中で注目を集めていますが、原点はここ。本土の人にとって、沖縄がまだよく分からない時代に民音が取り上げてくれた。私たちは誇りが持てたんです」
 何より、当時の出演者たちの記憶に鮮明なのは、民音の観客の“温かさ”である。ステージ上だけでなく、公演後のロビーでも真心の声援を受けた。観客と握手し、心を通わす中で、芸の質が日に日に高まる手応えを感じたという。
 民音公演の脚本・演出を手掛けた、沖縄芸能研究の第一人者・三隅治雄氏は語る。「長い歴史から見て、いかに沖縄の文化を発展させ、人々の幸せを築いていくか。そこまで思いをはせ、公演を支えてくれるのが民音の皆さんです。その源流は、創立者の思想なのでしょう」
 民音創立時のスローガンの一つに、「新しい民衆音楽を創造し、これを育成する」とある。その主役は、支える側の“私たち”――この「民主」の精神を胸に、今後も民音の挑戦を応援したい。

◆きょうの発心 広布に徹し、生命を輝かせる 2019年10月18日

御文 各各・随分に法華経を信ぜられつる・ゆへに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとへばくろがねをよくよくきたへばきずのあらわるるがごとし(兄弟抄、1083ページ・編684ページ)
通解 あなた方兄弟は、かなり法華経を信じてきたので、過去世の重い罪を現世に責め出されているのである。それは例えば、鉄を念入りに鍛え打てば内部の疵が表面に現れてくるようなものである。

 強盛な信心によって過去世の罪業を責めいだし、わが生命を鍛え、輝かせていけると仰せです。創価中学2年の時、父が交通事故で急逝――。悲嘆に暮れる中、創立者・池田先生や教職員、多くの友の温かな励ましに支えられ、新たな前進を開始することができました。
 分区長として活動に励んでいた4年前、致死性の心室細動を起こしました。幸いにも、発作が起きたのが病院内だったため、直ちに治療が施され一命を取り留めることができ、諸天の加護を実感。入院中は唱題根本に治療に専念し、約1カ月で広布の第一線に復帰できました。
 先生はこの御文を拝して、「広布のために戦い抜いた人は、過去世の罪を責め出し、消して、わが生命を金剛の剣のごとく、光り輝かせていくことができる」と教えてくださいました。
 “師匠、同志、家族のために、使命の地で必ず広布拡大を”――「地涌の菩薩」として定めた誓いを果たしてまいります。
 東京・学園総区副総区長 持田好昭


【聖教ニュース】

◆小説「新・人間革命」第30巻〈上〉 聖教ワイド文庫 待望の発刊 2019年10月18日
「大山」「雌伏」「雄飛」「暁鐘(前半)」を収録

 聖教ワイド文庫の小説『新・人間革命』第30巻の上巻(写真)が17日に発売された。「大山」「雌伏」「雄飛」「暁鐘(前半)」の4章を収録している。
 ――1979年(昭和54年)2月、山本伸一は、インドを出発し香港を訪問。平和・文化・教育交流の道を開き、帰国する。
 日本では、宗門の若手僧による学会への誹謗中傷が続いていた。伸一は彼らの理不尽な攻撃に終止符を打ち、大切な同志を守るため、一切の責任を負って、法華講総講頭を辞任。さらに創価学会会長を辞する決断をする。4月24日、伸一は会長を辞任し、名誉会長に。
 5月3日、彼は、第40回本部総会に出席した後、自身の誓いと弟子たちへの思いを込めて、「大山」「大桜」と揮毫。神奈川の地で3日に「共戦」、5日には「正義」としたためる。
 会長辞任後は、宗門僧らによる、創価の師弟の絆を断とうとする謀略によって、会合に出て指導することもできなかった。その中で、功労者宅の家庭訪問、記念撮影など、同志の励ましに全力を傾けていった。
 学会創立50周年を迎える80年(同55年)の1月、師を求め、四国の同志が船で神奈川へ。翌2月には、奄美の女子部員が伸一のいる東京の立川文化会館に集った。約1年にわたる雌伏の時を経て、伸一は、反転攻勢の決意を固める。
 4月21日、第5次訪中を果たし、故・周恩来総理夫人の鄧穎超氏らと会見。長崎に帰国後、福岡、大阪、愛知、岐阜、静岡を訪問。9月には北米指導に向かい、第1回「SGI総会」に出席する。
 81年(同56年)5月、ソ連、欧州、北米訪問へ。欧州では、識者らとの会談を重ねつつ、現地の同志に入魂の励ましを送る。宗門僧による抑圧の鉄鎖を断ち切り、伸一は世界広布の大空へ雄飛していった――。
 なお、昨年7月に刊行された単行本の内容に、一部加筆されている。
 本社刊。838円(税込み)。全国の書店で発売。コンビニ通販サイト「セブンネットショッピング」「HMV&BOOKS online」での注文、受け取りも可能です。

◆座談会は希望の光源  原田会長は千葉・君津で激励 永石婦人部長はさいたま市へ

原田会長が出席し、笑顔に包まれた千葉・君津県の上総地区の座談会。相川修さんの司会で和やかに行われた(君津市内で)

 座談会こそ希望の光源、安心の灯台――地域を潤す同志の集いが全国で行われている。
 原田会長は17日、先月の台風15号で甚大な被害に見舞われた千葉・君津県の上総地区の座談会を訪れた。
 房総半島のほぼ中央に位置する同地区。台風による停電や断水、家屋損壊など大きな被害に遭ったが、訪問・激励を第一に、皆で懸命に支え合ってきた。
 座談会では、前田忠敬さんが病と闘いながら対話を広げる模様を報告。相川弓枝地区婦人部長が未来部員の活躍を紹介し、勇気の拡大を訴えた。相川卓地区部長は師弟不二の共戦をと呼び掛けた。
 原田会長は、台風被害に心からのお見舞いを述べ、友の不屈の信心を称賛。池田先生が切り開いた世界広布の伸展の様子を紹介しつつ、わが地域に断固、幸と人材の連帯を築こうと励ました。
 永石婦人部長は16日、さいたま市内で行われた岩槻希望区・新和地区(田口武地区部長、岡野弘子婦人部長)の座談会へ。同地区は田んぼが広がる自然豊かな地域。一対一の地道な対話でかつてない聖教拡大を果たした。
 座談会は初参加の友も交え、皆で青年部教学試験2級の合格者を拍手でたたえるなど和気あいあいと。永石婦人部長は宿命転換の信心の素晴らしさを語り、人々の模範となる充実の人生を共に送りましょうと激励した。
 北海道の北広島県・中央地区の座談会は15日、北広島市内で。
 同市はプロ野球・北海道日本ハムファイターズの新本拠地建設が決まり、発展著しい地域である。
 集いでは武田浩人副県長の後、宮原美和子さん、千成修さんが信仰体験を発表。秋田博次地区部長、照井美貴同婦人部長は、目標へ一歩前進の日々を歩もうと語った。日下北海道長は、不可能の壁を打ち破り、“自らの新記録”をと訴えた。

◆戸田平和研究所のワークショップ  ウィーンで「軍備管理と世界秩序」テーマに



戸田記念国際平和研究所のワークショップが14、15の両日、「軍備管理と世界秩序」をテーマにオーストリア・ウィーンで行われた(写真)。

   オタゴ大学国立平和紛争研究所、ノルウェー国際問題研究所との共催。これには欧州、アメリカ、オセアニア、中東、アジアの16カ国から、軍縮や国際問題の専門家らが参加した。

 グローバル・ガバナンス(多国間の統治)が弱体化する国際情勢を受け、協調的安全保障を構築した過去の歴史をひもときつつ、今後の世界秩序の方向性を議論。また、政治が混迷し、偏狭なナショナリズムが台頭する中で、地域機構や多国間機構が果たす役割について意見を交わした。


【特集記事・信仰体験など】

◆教育本部座談会 アメリカ・カナダ・スペインの教育者を迎えて  世界が求める創価の人間教育

アメリカ、カナダ、スペインの教育者を迎えて、創価の人間教育について語り合う(今月9日、東京・信濃町の学会本部別館で)

アメリカ、カナダ、スペインの教育者を迎えて、創価の人間教育について語り合う(今月9日、東京・信濃町の学会本部別館で)

 本年は1984年に池田先生が「教育実践記録運動」を提案してから35周年。これを記念して行われた第41回「全国人間教育実践報告大会」(6日、富山市)にはアメリカ、カナダ、スペインから来日した教育者も参加した。累計で13万事例を突破した教育実践記録に今、世界の識者が関心を寄せている。創価学会教育本部の代表と世界の教育者が、創価の人間教育を巡って語り合った。

 高梨 このたびは全国人間教育実践報告大会にご臨席を賜り、誠にありがとうございました。実践報告を聞かれて、どのような感想を抱かれたでしょうか。


 イブラヒム 「夢が叶った」というのが率直な思いです。創価教育とはどういうものか、どういう人間を育てる教育なのかをずっと研究してきましたから。実践報告だけでなく、運営においても全てが完璧で素晴らしい報告大会でした。今後、もし可能でしたら、実践報告の中に登場する生徒の代表にも参加してもらっては、いかがでしょうか。私自身、高校の教師をしていた経験もあるのですが、こうした機会に当事者である子どもたち自身が参加することは、大きな意味を持つものと思います。とともに、さらに多くの方々が実践報告に触れられる機会を増やしていただきたい。


 近藤 最近では学校教育に携わる先生方だけではなく、社会教育に従事する方々の実践報告も増えています。ある地方では子育てに奮闘されている母親が、自らの子育ての実践を報告するケースもあるんです。子どもとの関わりを通して、悩みながら、自分も成長していく日々を赤裸々に発表する姿に感動が広がっていると伺いました。また多くの方々に実践報告の内容に触れていただけるよう、子育て・教育応援誌「灯台」(第三文明社刊)には、代表事例も紹介されています。実践報告の英訳も進めているところです。


 リタ 私は現在、アメリカに住んでいますが、実は富山の出身なんです。今回の全国大会は、池田氏の教育思想に世界から高い関心が寄せられているという事実を、故郷の方々に実感していただける機会になったと思います。私は池田氏の教育思想の研究者として、教育部の先生方が、人間教育の哲学を通して、どのように自分を変革し、授業や生徒との関わり方にどのような具体的な変化を起こしているのかに関心を抱いてきました。教育実践記録を文字で読むこともよいのですが、やはり、実際にご本人が話す声を通して実践を聞かせていただく方が、感動が大きいですね。この事実こそが、実践報告大会の特色だと思いました。教育部の皆さんの確固たる信念が伝わってきました。


 斎藤 実践した本人が、自らの体験を声に出して語ることでしか伝わらないものがあると思います。その人が語る言葉でしか伝えることができない創価の人間教育がある、と言ったらいいのでしょうか。自らの言葉でしか、体験でしか、その人でなくては伝えられない。他の人が原稿を読んでも伝わらない。だからこそ私たちは教育実践を「記録する」だけではなく、「発表の場をつくる」ことにも力を注いできました。


 イボラ 報告された方々それぞれのストーリー(物語)が、とても意義深いものばかりでした。ご本人の声を通して、また、スクリーンに映された写真などを通して、皆さんがどれほど多くの努力をしてその場に集われたのかと思うと、胸がいっぱいになりました。教育部の先生方の「伝える力」が表れていました。教育者のみならず、子どもたちが聞いたとしても感動する内容だったと思います。「人間主義を中心とした教育が、ここにある」と実感した大会でした。


 ガルシア・バレラ 私は「教師によるエンパワーメント(内発的な力の開花)」について考えを巡らせました。教育部の方々は生徒の状況や思いを理解しようと努力し、知識の伝達だけでなく子どもたちのさまざまな力を引き出し、伸ばし、生かし、発達させようとされています。さらに子どもたちが自由に多彩な夢を持てるよう、夢を実現できるよう、尽力されています。そのプロセスを通じて、大人自身もエンパワーメントされているのです。大学教育に携わる私にとっても、多くの学びがありました。教育とは、生徒と共に教育者が成長するものだと思います。スペインでも「人間教育」「人生教育」に注目が集まっておりますが、それを実践に移すことは難しい。まずは私たちが確信を持って行動を起こしていくことが求められています。


 近藤 子どもたちへのエンパワーメントについて考える上で、ご紹介したいキーワードがあります。2010年10月に『創価教育学体系』発刊80周年を記念するシンポジウムが神奈川で開催されました。その折、教育実践記録の3000事例を対象にした分析結果が報告されたんです。そこでは教師に望まれる子どもへの「五つの関わり」が抽出されていました。その五つとは――①「信じぬく」②「ありのまま受け容れる」③「励まし続ける」④「どこまでも支える」⑤「心をつなぐ」です。池田先生はこれについて「教師のみならず、人材を育成する上で、心すべき『関わり』『結びつき』の指標といってよいでしょう」とつづってくださいました。


 高梨 子どもたちに「こうあるべき」という在り方を押し付けるのではなく、まずありのままの姿を受け容れる。問題行動と思われてしまう行為を繰り返す子どもの背景には、必ず何か意味がある。とにかく、ありのままを受け容れる姿勢が、どの教育実践報告にも共通しているんです。


 近藤 ある青年教育者の実践報告のタイトルは「99回裏切られても100回目を信じよう」でした。「信じる」だけではない。たとえ裏切られても裏切られても「信じぬく」んです。その信頼を基盤として、その子を励まし続け、具体的に支えていく。それによって、初めて心がつながります。心がつながった時に、子どもは必ず変わるんです。可能性を信じぬいて、ありのままを受け容れて、励まし続け、どこまでも支えることによって、心がつながる――教育実践報告の中には、こうしたドラマが無数に存在しています。


 斎藤 もちろん、こうしたキーワードを頭では理解していても、実際にそれを実践することは難しい。しかし私たちには、池田先生という“人間主義の教師”のモデルがいます。大変な状況にあっても「そうだ。池田先生が自分を励ましてくださったように、自分も子どもたちを励ましていこう」「池田先生のように一人の可能性を信じぬこう」と誓う中で力を湧き立たせていきます。「こんな時、池田先生だったら、どうされるだろう。この子にどういう言葉を掛け、どういう関わりをするだろう」と、いつも心の中で対話しているんです。


 高梨 理論や観念ではなく、自分の生き方の中で池田先生の教育思想を体現していこうと努力する――そこに「創価の人間教育」の力の源泉があります。これを普遍的な理論として言葉にしようとすると、なかなか伝わりにくい側面があるのも、事実なのです。一人一人の物語を通してでしか伝えられないことがあります。


 イブラヒム 創価教育を実践されているお一人お一人からお話を伺うことが大切ですね。私は、昨年10月に関西創価学園(大阪・交野市)と創価大学(東京・八王子市)をそれぞれ訪問し、素晴らしい経験をすることができました。創価教育の哲学を知るためには、実践する以外にないと感じています。頭だけの知識ではなく、経験に基づく知識こそが大事でしょう。


 ガルシア・バレラ 本年6月、アルカラ大学に池田「教育と発達」共同研究所が開所したことで、教育者や学生の間で池田会長への関心が高まっています。会長の書籍を読みたいという声も多く聞かれるようになりました。わが大学だけでなく、スペイン全体に創価教育が広がれば、どれだけ教育界が良くなるのかと期待を抱いております。


 リタ アメリカにおいても、人種や経済格差の問題を抱えている中で、学校の先生方の苦労は計り知れないものがあります。そうした社会において、池田氏が示す、一人一人の生命の尊厳を説き、可能性を引き出す「人間教育」が果たす役割は誠に大きいものであると確信してやみません。


 イブラヒム ええ。実践報告大会の内容に世界中の人が触れられるようにしていただきたい。そしてそれを基に、教育者同士が語り合える場所をつくることができれば、どんなに素晴らしいか。

 高梨 ご期待の声と温かなエールを寄せてくださり、心強い限りです。これからも共に手を携えながら、子どもの笑顔が輝く社会を、世界を、つくっていきましょう!

 

2019年10月17日 (木)

2019年10月17日(木)の聖教

2019年10月17日(木)の聖教

◆わが友に贈る

被災された皆さま
 断じて負けるな!
 一日も早い復旧・復興を
 世界の友も祈っている!
 どうか健康第一で!

◆名字の言

運命の瞬間を、固唾をのんで見守るのだろう。きょう17日、プロ野球のドラフト会議が行われる▼会議の直前まで、各球団は指名順などを巡って協議を重ねる。そこで重要な存在になるのが、選手の力量をつぶさに知るスカウトだ。かつて“伝説のスカウト”といわれた一人に河西俊雄氏がいる。阪神タイガースや近鉄バファローズ(当時)でスカウトを務め、江夏豊、掛布雅之、野茂英雄ら多くの名選手を獲得した▼有望な選手がいると聞けば、どんな遠隔地にも必ず足を運んだ。近鉄打線の主軸を担った金村義明は当初、他球団を志望していたが、母親が河西氏の誠実な人柄に心を打たれ、近鉄への入団を決めた。晩年、スカウトの極意を聞かれた氏は「やっぱり誠意かな」と。その証しが靴。「一年になんぼ革靴を潰したことか」とよく語っていたという(澤宮優著『スッポンの河さん』集英社文庫)▼釈尊も「自ら動く人」だった。朝早くから外に飛び出し、家々を回り、法を説いた。そのためか、釈尊の足は大きかったといわれる。創価学会もまた、三代会長を先頭に自ら動き、自ら会い、語ることで広宣流布を進めてきた▼「戦いとは、『人と会う』ことである。『人と語る』ことである」と池田先生。師の心を胸に、きょうも友のもとへ。(誼)

◆寸鉄

   人々の心を鼓舞する会長
 の詩に驚嘆―博士。師に
 学び、激励の光を我らも
      ◇
 東京・板橋の日。本陣に
 堅固な友情の「金の橋」。
 新たな歴史を錦州城から
      ◇
 学会と進めば今の悩みは
 全部功徳に変わる―恩師
 心一つに変毒為薬の劇を
      ◇
 報告・連絡・相談こそ組織
 の命脈。小事が大事。幹部
 は友の思いに電光石火で
      ◇
 高齢者の体力向上続く。
 地域に生き生きと尽くす
 多宝会は幸齢社会の模範

◆社説 「新聞週間」に考える  民衆のための真実と慈悲の言葉を

 日本新聞協会が主催する「新聞週間」が15日から始まった。その目的の一つは読者との結び付きを強めることである。
 今、全国の同志が聖教の拡大に奔走してくださっている。友を思いつつ聖教を読み、相手に合った記事を携え、対話に出掛ける。皆さまありて、世界一強く読者と結ばれた新聞が聖教新聞である。本紙を支えてくださる方々に感謝したい。
 池田先生は「世界聖教会館」の「師弟凱歌の碑」に「此の地から、永久に師弟共戦の師子吼が放ちゆかれることを信ずる」とつづった。「師弟共戦の師子吼」――これが聖教の使命である。
 19~20世紀のロシアに「獅子」の名を持つ「言論の英雄」がいた。レフ・トルストイ(「レフ」とは「獅子」の意)。人間を抑圧する教育や宗教、そして戦争と暴力に敢然と立ち向かった彼の言論の根底には、人間への深い信頼があった。
 彼が82歳で亡くなる2カ月前。遠く離れた南アフリカに、こう書き送った。「あなたがたの活動が、今日世界でおこなわれているすべての活動のなかで最も不可欠、かつ重要なものとなるのです」(森本達雄訳)と。受け取ったのはマハトマ・ガンジー。彼は人権闘争の中でトルストイの著作を読み、非暴力の思想に感銘を受け、そこから手紙を交わした。
 誰もが今いる場所で、世界をより良くすることができる――この信念をトルストイは言葉に託した。ガンジーは励ましを胸に、南アや帰国したインドの地で、命懸けの非暴力闘争を繰り広げた。トルストイの精神の炎はガンジーの中に生き続け、世界に燃え広がったのである。
 御書に「たとえ、強い言葉であっても、人を救えば真実の言葉であり、柔らかい言葉である。たとえ、柔らかい言葉であっても、人を害すれば偽りの言葉であり、強言である」(890ページ、通解)と。この御聖訓を拝し、池田先生は「人を救う真実が述べられた言葉なのかどうか。そのための慈悲の言葉なのかどうか。大聖人は、ここに言論の根本の基準を置いておられる」と記している。
 ただただ「民衆の幸福」と「世界の平和」のために――人間を信じ、言葉の力を信じて、先生は、一人一人に励ましの便りをつづる思いでペンの闘争を貫いてきた。人々を苦しめる邪悪とは毅然と戦い、生命の尊厳に目覚めた民衆の連帯を世界に築いてきたのである。
 先生の言論戦の主戦場は、聖教新聞である。先生と共に人間主義と生命尊厳の旗を掲げ、真実と慈悲の言葉を発信してきたことが、聖教の誇りであり、永遠に変わらぬ魂である。聖教はこれからも、読めば心に希望の光が輝く「師弟共戦の師子吼」を永久に放ちゆく。

◆きょうの発心 生涯の師に誓い、苦難乗り越え 2019年10月17日

御文 鳥と虫とはなけどもなみだをちず、日蓮は・なかねども・なみだひまなし、此のなみだ世間の事には非ず但偏に法華経の故なり(諸法実相抄、1361ページ・編550ページ)
通解 鳥と虫とは鳴いても涙は落ちない。日蓮はなかないが、涙が絶える間がない。この涙は世間のことではない。ただひとえに法華経の故である。

 法華経を流布して、一切衆生を救おうとの日蓮大聖人の大慈悲が胸に迫る一節です。私は、信心に猛反対の父と、純粋に信仰を貫く母のもとで育ちました。中学1年の夏、“人生の最大の幸福は、生涯の師を持つことです”との池田先生の指導に大感動。以来、不遇を嘆くことなく、一家和楽を目指して唱題を重ねました。
 大学3年の時、九州平和会館(当時)で先生との初めての出会いが。先生はこの御文を拝し、励ましてくださいました。この時、「生涯、師と共に!」と決意したことが原点です。結婚後、2度の難産を夫と一緒に唱題で乗り越えることができました。母が末期がんを宣告された時は、父も題目を唱えてくれ、家族一丸となっての親族への弘教も結実。母は、10年も更賜寿命することができたのです。
 現在、創価女子短大を卒業した長女と、創大で学ぶ長男が、共に後継の道を歩んでいます。
 久留米県の皆さまと共に対話拡大に励み、功徳満開の学会創立90周年を迎えていきます。
 福岡・久留米県婦人部長 大山正子


【聖教ニュース】

◆あす10・18「民音創立の日」 音楽の力で平和構築を 2019年10月17日

今月からスタートするポーランド国立民族合唱舞踊団「シロンスク」

今月からスタートするポーランド国立民族合唱舞踊団「シロンスク」

 民主音楽協会(民音)が、あす10月18日に創立記念日を迎える。ここでは、民音のこれまでの歩みとともに、発足5周年となる民音音楽博物館付属研究所(民音研究所)のオリビエ・ウルバン所長の声を紹介する。
 “音楽交流こそ、世界中の人々の心を結び、平和建設の一助となる”――創立者・池田大作先生の理念のもと、民音が世界平和を目指して船出したのは1963年(昭和38年)10月18日のこと。
 民音による初の記念演奏会が東京・文京公会堂で開催され、この日が創立記念日となった。コンサートの開幕を飾ったのは、アメリカのマーチ「錨を上げて」。アンサンブルや合唱曲のほか、「『軽騎兵』序曲」や行進曲「旧友」が会場に響いた。
 当時は、インターネット等で自由に音楽を楽しむことなどできなかった時代。歌謡曲やポップスは親しまれていたものの、クラシックやオペラの鑑賞券は高価で、庶民には縁遠いものであった。
 そんな中、池田先生は「庶民が“下駄履き”で行けるコンサートをつくろうよ!」と提案。民音は、推進委員や賛助会員の支援などによって、比較的安価で、あらゆるジャンルの演奏会を各地で開催してきた。
 これまで開いたコンサートは、じつに8万回を数える。その中には、ミラノ・スカラ座やアルゼンチン・タンゴ界の巨匠の日本公演など数多くの舞台が、音楽史に燦然たる足跡を刻んでいる。
 一方、民音は創立当初から各種コンクールを実施。半世紀以上の歴史を誇る「東京国際音楽コンクール〈指揮〉」は、世界的な指揮者の登竜門として定評がある。
 2014年には、「民音研究所」を発足。「音楽の力」が平和創出に貢献する可能性について、多角的・学際的に調査・研究を行い、国際学会等で、創立者の理念を広く発信している。

民音研究所・ウルバン所長
●創立者の理念を広く世界へ
 民音研究所が発足して5周年を迎えます。
 私たちは、創立者・池田先生の理念のもと、半世紀以上にわたって音楽活動を続けてきた民音の実績や蓄積を基礎として、平和を創出する「音楽の力」の可能性を学術的に探求してきました。
 2016年には、著名な学術出版社テイラー・アンド・フランシスグルーブが発行する『平和教育ジャーナル』が特集の中で民音研究所の研究成果を掲載。池田先生の言葉を引用し、“音楽は平和を構築し得るもの”という新たな音楽の価値の提唱に、多くの反響がありました。
 以来、ベネズエラ発祥の音楽教育「エル・システマ」や「音楽セラピー」「音楽とエコロジー」「人権と音楽」などをテーマに、4人の研究員が平和構築における音楽に関連する事例を研究調査。まとめた論文を、世界3大音楽学会といわれる「国際音楽学会(IMS)」「民族音楽学会(SEM)」「国際伝統音楽学会(ICTM)」などで発表してきました。
 また、その中で知り合った平和学者や音楽学者が私たちの研究に深く共感。クイーンズ大学ベルファストのフィオナ・マゴワン教授、「国境なきミュージシャン」の創設者ローラ・ハスラー氏は、わざわざ来日して民音研究所の年次報告会で基調講演を行っていただきました。
 そうした交流の中で、自らの研究内容に「平和」や「音楽」の観点を取り入れる学者も誕生しています。音楽活動という枠を超えて多彩な分野の人々に、先生の思想を伝える使命を実感しています。
 世界平和を実現しゆく「音楽の力」を証明するため、これからもさらなる研究を重ねてまいります。

◆池田先生の訪問55周年 チェコが記念総会 2019年10月17日

池田先生の訪問55周年を祝賀する、チェコの総会の参加者が記念のカメラに(首都プラハで)。青年部が総会の運営の全てを担うなど、同国では今、次代のリーダーの成長が目覚ましい
池田先生の訪問55周年を祝賀する、チェコの総会の参加者が記念のカメラに(首都プラハで)。

青年部が総会の運営の全てを担うなど、同国では今、次代のリーダーの成長が目覚ましい
 池田先生の訪問55周年を記念する東欧チェコSGI(創価学会インタナショナル)の総会が6日、首都プラハで開催された。
 1964年10月、池田先生はチェコ(当時、チェコスロバキア)を訪問。まだ同国に学会員はいなかったが、先生は市民らと交流するなど、世界平和の種をまいていった。
 89年11月に同国の民主化が実現。92年1月には、チェコに東欧で初の支部が結成された。わずか7人での出発だったが、一人を大切にする中で同国SGIは着実に発展。支部発足25周年となる2017年、政府から法人認可を受けた。
 44人の友人を含む111人が集った総会では、ドレジャル支部長、イヅツ婦人部長が参加者への感謝を述べ、フジイ欧州書記長、男子部のペトル・スメターチェックさんが、日蓮仏法の哲学、SGIの平和運動などについて紹介した。
 婦人部のタンダ・クリストフさんが信仰体験を発表。ギターやチェロの演奏、歌など、音楽と芸術の都・プラハならではの催しが総会に花を添えた。

◆人材城の熊本 原田会長が出席し、支部長・婦人部長総会 2019年10月17日

勢いよく新出発した熊本総県の友を原田会長が激励。集いでは鷹尾総県総合長があいさつし、青年部の代表が飛躍への決意を披露。全員で「田原坂」を合唱した(熊本平和会館で)

 熊本総県の支部長・婦人部長総会が16日、熊本平和会館で開催された。明年の池田先生の同会館初訪問30周年開幕を記念するもの。
 1990年9月、先生は“仲の良い団結で、熊本の地に日本一の広布の理想郷を”と語った。以来、友は障魔の嵐にも屈せず、師と共に幾多の険難の坂を勝ち越えてきた。
 総会では、新名九州総合長が本部人事委員会で検討・決定した新任人事を紹介した(2面に本部人事)。
 平井九州長らの後、中山総県長、糸山同婦人部長が新スローガン「人材の大城・熊本 永遠に師弟の前進! 和楽の前進! 勝利の前進!」を発表。火の国・熊本に難攻不落の人材城をと訴えた。
 原田会長は「師弟不二」「不惜身命」の行動が広布拡大の要諦であると強調。麗しい同志愛に満ちた団結第一の連帯をと望んだ。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉77 世界の「民音」が創立56周年 音楽は心を結ぶ「喜びの讃歌」  芸術には平和を構築する力が

〈出席者〉
原田会長
長谷川理事長
永石婦人部長
伊藤民音代表理事
志賀青年部長
大串女子部長

ベルギー王国トゥルネー市で開催された音楽祭(8月)で、講演とコンサートを行う、民音研究所のウルバン所長と民音派遣のアーティスト。背景は世界遺産の大聖堂 ©Véronique Pipers/1point2.be


ベルギー王国トゥルネー市で開催された音楽祭(8月)で、講演とコンサートを行う、民音研究所のウルバン所長と民音派遣のアーティスト。背景は世界遺産の大聖堂 cVeronique Pipers/1point2.be

 原田 あらためまして、台風19号による記録的な大雨の影響で、被災をされた全ての皆さまに心からのお見舞いを申し上げます。

 長谷川 学会本部の災害対策本部でも連日、被害状況の把握を続け、各地の対策本部と連携を取りながら支援に当たっております。

 原田 私も14日に神奈川の川崎へ伺いました。16日付の「心に御書を」の中で池田先生は、「わざはひも転じて幸となるべし、あひかまへて御信心を出し」(御書1124ページ)との御聖訓を拝して、「被災地の復旧・復興、尊き宝友の健康・安穏、変毒為薬をひたぶるに祈っています」と、真心の伝言を送ってくださっています。引き続き、被災をされた方々に励ましを送ってまいります。

人間文化の夜明け
 大串 明18日で、「民音」が創立から56周年となります。

 伊藤 推進委員、賛助会員をはじめ、民音を支えてくださる全ての皆さまのおかげで、この日を迎えることができます。心から感謝申し上げます。

 永石 最近はテレビの人気番組で、「民音音楽博物館」が相次いで紹介され、大きな話題です。民音を応援する私たちにとっても、誇らしいことです。

 原田 1997年(平成9年)9月、完成したばかりの民音文化センターを初訪問された創立者の池田先生は、芳名録に「祈 世界一の発展」「祈 芸術運動の先駆」「祈 人間文化の夜明け」と記されました。民音の果たす役割が、どれだけ大きいか。

 大串 小説『新・人間革命』第8巻「清流」の章でも、「私は、『世界の民音』に育てたいと思っている。『民音があって、音楽は蘇った』『民音があって、新しい、最高の音楽が生まれた』『民音があって、民衆の心と心が結ばれ、世界が結ばれた』と言われるようになるんだ」とつづられています。

 伊藤 長年にわたる池田先生の励ましのおかげで、音楽・芸術運動の一翼を担う、今の民音の大発展があります。感謝は尽きません。

無限の可能性証明
 大串 SOKAチャンネルVODに、「民音音楽博物館~音楽を愛するすべての人に~」が追加されています。

 志賀 この番組では、30万点に及ぶ音楽資料が所蔵され、“民間では国内最大級の規模”と評される、民音音楽博物館の「音楽ライブラリー」の模様などが紹介されています。

 長谷川 民音音楽博物館には、付属の研究所(民音研究所)が併設されていますね。先日は、民音研究所の所長が出席し、ベルギーの音楽祭で講演とコンサートが行われました。

 原田 これに先立ち、ベルギーの全国紙には「愛と人類への民音の讃歌」との見出しで、次のような記事が載りました。「民音創立者の池田大作氏は、第2次世界大戦という世界の終末を生き抜いた。戦争は氏の青年期に大きな影響を与え、平和のために生涯をささげる決意をした。この精神のもと、池田氏は民音をはじめ、多くの機関を創立した。氏の夢は、音楽を通し、人々の相互理解を推進することである」と。感慨深く紙面を見ました。

 伊藤 大変にうれしく思います。「民音研究所」は本年で開所5周年です。長年、多彩な音楽文化活動を推進してきた民音の“実績”を土台に、音楽が平和構築に果たす可能性を証明する機関として開設しました(1面に関連記事)。

 原田 音楽に「どんな力があり、平和構築に、どう生かせるのか」――研究所の使命は、「平和構築の音楽」の探求と言えますね。

 伊藤 音楽には、無限の力があると信じています。平和を生み出す力にもなれば、破壊する力にもなります。一つの例を紹介します。東アフリカのルワンダ共和国で、1994年4月7日から7月14日まで続いた虐殺の時の話です。

 志賀 約80万人もの尊い命が奪われ、世界中を震撼させた出来事ですね。

 伊藤 これほどの悲劇が起こった背景は、さまざまに研究されていますが、ある政治的な歌が、テレビやラジオで何度も放送され、差別をあおったことが指摘されています。

 志賀 音楽が利用され、恐怖、憎しみ、分断、そして殺りく衝動が駆り立てられていったのですね。

 伊藤 一方、2004年、ルワンダ初の女性ドラム集団インゴマ・ンシャが結成されます。「新しいドラムと新しい時代」との意味で、文化を発展させることで、癒やしと和解をもたらすことを目指しました。当初は、虐殺の被害者と加害者の双方の女性たちで構成され、今では他の多くの女性たちにも門戸を開いている集団です。

 大串 音楽を通して地域社会を再建していく物語は映画にもなり、大きな感動を呼んだと聞きました。

 永石 悲劇や破壊の後でも、音楽には、生活を立て直し、和解と共存を促進する力があることを見事に証明したのですね。本当にすごいことです。

 伊藤 先生は民音に対して、音楽は「民衆の喜びの讃歌」であり、「人類の心を結ぶ力」であり、「生命を励ます希望」であると教えてくださっています。こうした「平和構築の音楽」の力を探求し、紹介するのが、民音研究所です。これからも、賛助会員の皆さまのご支援にお応えすべく、社会貢献の活動に全力を尽くしてまいります。

 原田 音楽の持つ無限の可能性を証明する民音へ、さらに発展しゆくことを切に願っています。

◆〈私がつくる平和の文化〉第10回 差別のない世界を インタビュー 政治学者 姜尚中さん

 「私がつくる平和の文化」第10回のテーマは「差別のない世界を」。登場していただくのは、政治学者の姜尚中さんです。差別や偏見のない世界を築くために私たちが心掛けるべき点について、語ってもらいました。(構成=小野顕一、歌橋智也)
 差別をどう乗り越えるか、これは大変難しい問題です。
 最初に結論を申し上げると、“差別のない世界”をつくるためには、人権というものの根幹に「生命論」がなければならない、と思っています。
 生命に序列はない。どんな生命に対しても、「この人は生きるに値しない」などと人間が判断してはならない。生命に対する「畏敬の念」がベースになければ、人権といっても上っ面な言葉になってしまうからです。
 僕は、差別に“一般”というものはなく、個々の具体的な問題、つまり性差、障がい、病気、人種、民族などが、さまざまな歴史的背景から複雑に絡み合って、本来、平等であるはずの人間に序列ができてしまったのだと考えます。
 そもそも、差別といっても“濃淡”があります。極端な差別を見れば、誰もが「それは差別だ」と分かりますが、「これは果たして差別なのか」と、判然としないケースもある。そのうえ、多くの人は「自分は差別をしている気など毛頭ない」と言うでしょう。
 だから大切なことは、「自分もどこかで間接的に差別をしているかもしれない」と気付くこと。そこが出発点なのです。
 では、どうしたらそれに気付けるのか。僕としては、まずは私たちが、「生命は一つ一つ違う」「どんな生命にも存在する価値がある」という、コンセンサス(合意)をつくることだと思います。そのベースができないと、いくら「差別をやめましょう」といっても社会は変わりません。
 そのために、まずは子どもたちに、生命の平等について教えていくことです。
 僕の母親は食べ物を通して、「結局、人間はどんな偉い人も、そうでない人も、食べないと生きていけないし、そこはみんな平等だ」と言っていました。これは重要なメッセージです。母は“人間はみんな、何か偉大なものに生かされている”という感覚をもっていた。そうした感覚がある限り、生命への畏敬の念は分かち合えるんじゃないかと思います。
 気を付けないといけないのは、大人の差別的な考えを、子どもはいとも簡単にスッと受容してしまうことです。あとでそれを改めるには、何十万倍のエネルギーが必要になります。例えば食卓で、ある事件のニュースを見ながら、親御さんがふと感想を漏らす。それを子どもは何とはなしに聞いている。そうした日常的な会話で耳に入ったことが、その子の、ある集団に対するイメージや感情をつくりあげてしまう。子どもというのは、社会を敏感にそのまま反映しますから。 
 一方で、差別は人間関係の循環を断ち切るものです。人間の社会は、コミュニケーションによって循環している。差別は、そこに“見えない壁”を生むのです。社会の中に、何か不純物のようなものを滞留させ、それが不平不満や憎しみ、嫌悪感となって増大し、誰かに向けられてしまう。
 だから、この不安な時代に人々の心の中に平穏を取り戻すには、もっと人と人が支え合っていかないといけない。そうでないと、孤独とか、人とのコミュニケーションがうまくいかないとか、さまざまな問題を抱えた人が、暴力的な行為に走る可能性があります。
 差別をするということは、ものの見方、考え方が何かにとらわれ、固着している状態です。特に大人には、いろいろな“かさぶた”があって、それを取ることが難しい。しかし、それが取り払われた時には、意外な「発見」があるのです。
 その発見をどう促すか。やはり「対話」です。差別している人がいれば、その人と対話をするしかない。
 差別される側が、差別をする側を糾弾したい気持ちは分かります。僕も若い頃は、気持ちがものすごく先走って、糾弾していました。でも、自分のネガティブな感情をぶつけるほど、結果は逆になっていく。相手を否定して向き合う限り、差別はなくならないと気付きました。
 差別をすることは、結局は自分自身をおとしめることになる――一人一人がそのことに気付くような変化をつくりだしていく。それが「平和の文化」ではないか、と思います。「平和の文化」とは、出来上がっているものではない。日々、絶えず努力してつくっていくものなのです。

●人を覚醒させる「言葉の力」
 今の時代、ネット上は、およそ寛容とは無縁のネガティブな感情にあふれている。人々が感情に左右されやすい時代です。そんな中で人々に何かを訴えるためには、僕の言葉を使うと「情」と「理」が必要だと思う。
 「人を差別してはいけない」と、「理」を立て整然と話すことは大事です。でも、それだけではなかなか通じない。特に差別されている人の痛みというものは、「情」を通じてこそわかる。それで相手も「共感」できるのです。 だからこそ、「生命」という問題については、「生の声」で語り掛けることが大事だと思う。文字情報とか映像もありますが、こと「生命」の問題については、一回きりの出会いの中で交わされる、身体感覚を呼び覚ますような、互いの心に響く対話をしていくことだと思います。
 最近は、SNSで「いいね!」と条件反射をしたり、軽い言葉で答えたりすることしかできなくなり、言葉の力が萎えている気がします。
 差別を乗り越えるには、相対して語られる「言葉」によって人間自身が覚醒する。ものの見方が変わる。そうした、人の心を打つような対話が必要なのです。
 キリストも仏陀も、常に分かりやすい言葉で人々の心に語り続けました。人種差別と闘ったガンジーやキング、マンデラといった先達も、対話の道を選びました。回り道にも思えますが、差別を乗り越えるには、どうすれば差別する人と対話の場をつくれるかを考えることです。
 「声の力」「言葉の力」は大きい。池田先生も国家や文明、宗教の違いを超えて、対話に尽力しておられます。対話には、新しい自分への発見があります。
 だから僕は、若い人たちこそが対話に挑戦することを期待しています。
 カン・サンジュン 1950年、熊本県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了後、東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授などを経て、東京大学名誉教授。熊本県立劇場館長。専攻は政治学・政治思想史。『悩む力』『続・悩む力』『心の力』をはじめ、『マックス・ウェーバーと近代』『オリエンタリズムの彼方へ』など著書多数。小説作品に『母――オモニ』『心』がある。

池田先生の指針から

 人間が人間を蔑み、軽んじる差別や偏見が、どれほど人の心を傷つけ、気持ちを踏みにじるものか――。
 その苦しみ、辛さは、差別された方にしかわからない。
                                                                          * 
 異なる人間への差別意識、差異へのこだわりを克服することこそ、平和と普遍的人権を創出するための第一歩であり、開かれた対話を可能にする道である。
 
 池田大作
 (『名言100選』から)
「優しさのバトン」 灰庭愛結さん(高1)
 自身の体験を通して差別に対する思いをつづった、灰庭愛結さん(高校1年)の作文を掲載します。富山県・内閣府共催の平成30年度「心の輪を広げる体験作文」(中学生の部)で最優秀賞を受賞しました。
 私には心臓病という持病があります。小学生の時、「心臓病がうつる」と、さけられたり、触ると“菌まわし”されたり、「心臓病のくせに」とバカにされることもありました。とてもつらかったのを覚えています。
 詳しい病名は心室中隔欠損症と肺動脈狭窄で、生まれつき右心室と左心室の間に穴があいていて、1歳半の時に手術をしました。手術前は元気でニコニコしていたのに、手術後はショックで笑わなくなり、親はとても心配したそうです。4歳の時には遺伝性球状赤血球症という、もう一つの病気を治すために脾臓と胆のうを摘出しました。この手術をする前に心臓の手術をした症例が世界で4例しかなく、両親はとても不安だったそうです。
 入院中は幼稚園にも外に遊びにも行けず、母はそんな私のそばにずっといてくれました。父は仕事で忙しかったのに、毎日お見舞いに来てくれました。父も母も大変だったと思います。
 病気にかかることはとてもつらいです。一生治らない病気もあります。いじめにあっている人もいます。
 前に友達と駅前に行った時、どこか悪いのだなとひと目でわかるように歩いている人がいました。すると、その人を見て笑っている人やジロジロ見ている人がいるのです。すごく腹がたちました。なぜ病気をもっている人はいじめられたり、笑われたりしなければならないのか。私は間違っていると思います。逆の立場だったら、きっといやな気持ちになるはずです。
 私は、小さい時から運動制限がかかっていましたが、今はすごく元気です。バドミントン部の部長もしました。仲間との学校生活もすごく楽しいです。ここまで元気になるまでに、つらいことや悲しいことをたくさん経験し、病気で苦しんだり、いじめられたり笑われたりする人や家族の気持ちが、わかるようになりました。だから、ここまで立派に育ててくれた両親にとても感謝しています。
 これから、そうした人たちに出会ったら、両親が私にしてくれたように優しく接していきたい。周りの人にも私の経験を語り、優しさのバトンを渡し、たくさんの人に?いでいけるといいと思います。(本人了承のもと抜粋して掲載)

◆〈信仰体験〉 一家和楽の繁盛鮮魚店 「宿業は目に見える功徳を出して、消えていくもんや」
 長女夫婦が跡を継ぎ、長男は弁護士に

中村さん一家のかつてを知る近隣の友は「あなたが一番幸せになった」とたたえる(左から夫・孝さん、長女・美由紀さん、中村さん、長女の夫・谷口博さん)

 【和歌山県新宮市】看板のない魚屋である。掲げない理由は「いつ、つぶれるか分からんかったからね」。1978年(昭和53年)、間借りした車庫から始まった店舗は、今の場所に移って30年になる。小さくとも、いつも笑顔が咲く「中村鮮魚店」。その中心には、中村明美さん(68)=婦人部副本部長(地区婦人部長兼任)=がいる。
 魚屋の朝は早い。
 午前5時から、夫・孝さん(69)=副常勝長(副ブロック長)=と、長女の夫・谷口博さん(47)=副支部長(常勝長兼任)=が市場へ仕入れに向かう。
 午前8時、車が戻ってくるや中村さんは、長女・谷口美由紀さん(46)=白ゆり長=と手分けして、魚をさばき、注文票と照らし合わせて梱包。軽トラックに積み込む。配達先は、病院や高齢者施設、学校や居酒屋など多岐にわたる。
 「午前中は時間との戦い」。中村さん夫婦と、長女夫婦では手が足りず、数人の従業員と切り盛りする繁盛店である。「まさか、こんなに続くとは思わんかった(笑い)」
 開店当初の話になると、「天井は穴だらけやった」「『三枚におろして』ってお客さんに言われてから、知り合いに習いに行った」等々、大笑い。
 だが、あの日々は中村さんにとって地獄のような苦しい時。それを笑い話にできる今は、「最高に幸せ」と胸を張れる。
                       * 
 幼い頃、父がだまされて借金の肩代わりをする羽目に。裕福だった家は一転、借金取りにおびえた。
 「あそこが一番不幸な家や」。近所では有名だった。ある日、学会員が訪ねてきた。父母はわらにもすがる思いで入会し、軒先に「創価学会」のちょうちんを提げて、座談会を開くようになった。
 だが中村さんには不満だった。“そんなにすごい信心なら、なぜ元の生活に戻らないの”。父は病を患い、母は食堂で働いた。学校で「拝み屋の子」と言われるのも、耐えられなかった。
 思春期になると、家の外に居場所を求めるようになり、出会ったのが孝さんだった。浜育ちで人情に厚く、頼りがいがある。20歳で両親の反対を押し切って結婚。御本尊を持たずに家を出た。
 幸せを追っての結婚だったが、期待は裏切られる。定職に就かずに遊び歩く夫。顔を合わせればけんかになり、暴力を振るわれた。子どもが生まれても、顔を見に来たのは数日後。親戚が勝手に家を出入りする家風にもなじめなかった。「針のむしろに座らされた」日々だった。
 
 不遇を嘆く中に、希望の糸口を見つける。「絶対的幸福をつかむ信心」との文字を見つけたのは、母から「これだけは」と購読していた聖教新聞だった。一度も開いたことはなかったが、吸い寄せられるように読んだ。そして「信心だけは離れたらあかん」と繰り返していた父の言葉を思い出した。
 76年、夫に頼み込んで、家に御本尊を迎えた。長女を連れて学会活動に励むように。「文句たれの信心だった」が、同志は根気強く励ましてくれた。2年後、「魚屋になる」と言いだす夫のことを愚痴ると、「広布の魚屋になりや」と言われた。その時は意味が分からなかった。
 レジ代わりの空き缶に、陳列台は一つだけ。客の前では作り笑いを振りまいても、家に戻れば険悪な仲。商売が、うまくいくはずもなかった。
 働けども自転車操業が続いた。心身疲れ果てる中、第二子を身ごもる。度重なる流産の危機。そのたびに懸命に祈った。だが次女は生まれて1週間で、息を引き取る。通夜は3月3日。ひな祭りの飾りをひつぎに納めた。
 わが子の死ほどつらいものはない。「この苦しみをどうしたらええんな」。張り裂けそうな気持ちを御本尊にぶつける。8時間、9時間と時を忘れて祈るうち、苦しみが消える瞬間があった。
 「未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦みぱっときへて」(御書1000ページ)の御聖訓通りだった。転重軽受の法理を、わが子が教えてくれたと感じた。不信が消え、御本尊への感謝が込み上げた。
 確信の祈りは、現実を変えていく。
 「一家和楽の両輪は、二人で回すもんや。一人ではしんどいで」「時は待つもんやない。つくるもんや」。先輩に励まされ、拳が飛んでくる覚悟で、夫に信心の話をした。夫もまた、夫婦の溝を埋めようと歩み寄ってくれた。81年に入会した。
 4年後、もう望めないと医師から言われた体に子が宿った。今度は体を気遣う夫。「宿業は、肩をたたいて、目に見えるように功徳を出して、消えていくもんや」。先輩の言葉通りだった。長男・大器さん(34)=男子地区リーダー=が生まれた。
 大器さんは中学3年の時、「関西創価高校に行きたい」と言いだし、猛勉強の末に合格。夫婦は顔を見合わせ、驚きながらも送り出した。
 経済的な苦しさから「大学は公立で」と説得したことがある。大器さんは「創立者・池田先生の弟子として、創大を卒業して先生を宣揚したい」と言った。「それなら行け!」と夫は目を真っ赤にし、中村さんは「わが子から“弟子の道”を教えられた」と。
 夫の頑張りで、仕送りが必要な分だけ、取引先が増えていった。大器さんは法科大学院に進み、司法試験に合格。愛知で弁護士として活躍するように。
 「気付けば、願った以上の家庭になっとった」
 太平洋のそばにある小さな魚屋。店に看板はなくとも、底抜けの笑顔があり、なじみの客がいる。これこそ「広布の魚屋」の実証であり、自分なりの「師匠を宣揚する道」。中村さんはそう思っている。

取材余話
 昔話で、中村さんと美由紀さんが盛り上がると、孝さんはばつが悪そうにする。「あの頃のお父さんといったら……」と、矛先が自分に向くのが分かっているからだろう。小声でつぶやく。「こういう時には、悪者が必要やからな」。それを聞き逃さない美由紀さんが、「全部、本当のことやん」とつっこむ。再び笑い声に包まれる。
 美由紀さんは長年、母につらく当たる父を許せなかった。父も気持ちをうまく表せず、ぎこちない関係が続いた。それが、父が信心を始めて変わった。
 看護師だった美由紀さんが女子部本部長の時、無理がたたって体調を崩し、入院することに。いち早く駆けつけたのは父だった。
 父と娘の会話は弾まない。魚臭い体に香水をふりかけ、連日、見舞いに訪れた。娘のかたくなな心が緩んだ。
 美由紀さんが魚屋を手伝うようになり、献身的な夫・博さんと結婚。皆で一緒に働くことになった。
 孝さんを「たーくん」と呼ぶ孫の清華さん(13)=中学2年=が加わると、孝さんはさらに相好を崩す。

2019年10月16日 (水)

2019年10月16日(水)の聖教

2019年10月16日(水)の聖教

◆わが友に贈る

「一切衆生の同一苦は
悉く是日蓮一人の苦」
同苦こそ仏法の精髄だ。
苦悩の友に寄り添い
勇気を送りゆこう!

◆名字の言

朝、電車に乗っていると、いくつか先の駅で人身事故があり、しばらく運転を見合わせるとのアナウンスが流れた。静まり返る車内で、誰かの舌打ちが聞こえ、空気はさらに重く▼ようやく電車は動きだしたが、駅に停車するたびに多くの人が乗り込んでくる。その中に通学途中の小学生がいた。すると座席にいた2人の男性が同時に立ち上がり、「僕、こっちこっち」と呼び寄せた。乗客の協力で空いた隙間を通って、腰掛けた児童が大きな声で言った。「皆さん、ありがとうございます」。すし詰めの車内に笑顔が広がった▼人間には、自分の得を求める“利己の心”と、悩める他者に尽くしたいという“利他の心”がある。池田先生は「『利己』と『利他』のどちらに力点があるかで、人間の偉大さは決まる。信心が本物かどうかも決まる」と語っている▼台風19号は各地に甚大な被害をもたらした。かけがえのない人命の犠牲。行方不明の方の捜索も続く。炎天下に汗して育てた作物の収穫を目前にした田畑の水没。思い出多き家屋の倒壊……。やりきれなさに胸が詰まる▼私たちの多くが実際の復旧に携われるわけではない。だが苦闘する友を思い、祈ることはできる。希望を失わず、善の連帯で列島を包み、共に試練を乗り越えたい。(城)

◆寸鉄

   苦難の時ほど学会の皆様
 は心強い味方と感じる―
 市長。地域の希望の柱と
      ◇
 広布に尽くす人を御本尊
 が放っておくか―恩師。
 最後は勝つ!この確信で
      ◇
 「食は命をつぐ」御聖訓。
 食品ロス削減も感謝の心
 から。今日、世界食料デー
      ◇
 災害に付け込む悪質詐欺
 に注意。「点検は無料」と
 訪問する業者は信じるな
      ◇
 新聞週間。機関紙を彩る
 人間蘇生のドラマ。読者
 に活力送る紙面をさらに


【先生のメッセージ】

◆〈心に御書を――池田先生が贈る指針〉5  変毒為薬の不屈の祈りを

御文 わざはひも転じて幸となるべし、あひかまへて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給へ、何事か成就せざるべき (経王殿御返事、1124ページ)
通解 災いも転じて幸いとなるであろう。心して信心を奮い起こし、この御本尊に祈念していきなさい。何事か成就しないことがあろうか。

池田先生が贈る指針
 台風の被災地の復旧・復興、尊き宝友の健康・安穏、変毒為薬をひたぶるに祈っています。
 妙法には無量無辺の大功力があります。いかなる災難も信心という心の大城を侵すことはできない。全ては永遠の幸福を開くための試練です。
 一番大変な時に、一番不屈の勇気で民衆と社会を照らす。この地涌の創価の光を共に、共々に!

◆〈世界広布の大道――小説「新・人間革命に学ぶ」〉 第12巻 御書編 2019年10月16日


 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第12巻の「御書編」。小説で引用された御書、コラム「ここにフォーカス」と併せて、識者の声を紹介する。次回の「解説編」は23日付の予定。(「基礎資料編」は2日付、「名場面編」は9日付に掲載)

原則の順守が事故を防ぐ

御文 さきざきよりも百千万億倍・御用心あるべし (御書1169ページ、四条金吾殿御返事)
通解 以前よりも百千万億倍、用心していきなさい。
●小説の場面から
 〈ヨーロッパの中心者である川崎鋭治は、車の運転で事故を起こしてしまう〉
 事故には、必ず予兆があるものだ。
 川崎鋭治は、以前、雨のなかでハンドルを切り損ねて、大きな石に乗り上げ、車が転倒するという事故を起こしていた。この時は、怪我はなかったものの、車は廃車にせざるをえなかった。
 その直後、日本に来た川崎鋭治から話を聞いた山本伸一は、こう指導した。
 「これは、さらに大きな事故の前兆と受け止めるべきです。リーダーというのは、神経を研ぎ澄まし、一つの事故を戒めとして、敏感に対処していかなくてはならない。
 そうすれば、大事故を未然に防げる。
 これからは、もう交通事故など、二度と起こすものかと決めて、真剣に唱題し、徹して安全運転のための原則を守り抜くことです。
 また、疲労や睡眠不足も、交通事故を引き起こす大きな原因になる。だから、常にベストコンディションで運転できるように、工夫しなければならない。それが、ドライバーの義務です。(中略)
 運転しながら話をして、脇見をするようなことがあっては、絶対にならない。
 それから、幹部は、自分だけではなく、会合が終わったあとなどに、無事故と安全運転を呼びかけていくことも大事です。その一言が、注意を喚起し、事故を未然に防ぐ力になる」(「新緑」の章、52~53ページ)

愛郷の心が地域活性の源泉

御文 今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり(御書781ページ、御義口伝)
通解 いま南無妙法蓮華経と唱える日蓮とその門下の住所は、それが山であり、谷であり、広野であっても、すべて寂光土である。
●小説の場面から
 〈1967年(昭和42年)8月、山本伸一は岐阜・高山市を訪問。同志は郷土の発展を祈り、地域に尽くしていた〉
 村(町)おこしや地域の活性化は、どこでも切実な問題であるが、特に過疎の村や山間の地などにとっては、存亡をかけた大テーマであろう。
 だが、住民が、その地に失望し、あきらめをいだいている限り、地域の繁栄はありえない。
 地域を活性化する源泉は、住民一人ひとりの愛郷の心であり、自らが地域建設の主体者であるとの自覚にある。いわば、住民の心の活性化にこそ鍵がある。
 (中略)
 いかなるところであろうが、私たちが信心に励むその場所が、仏のいる寂光土となる。ゆえに創価の同志は、現実を離れて、彼方に理想や幸福を追い求めるのではなく、自分のいるその地こそ、本来、宝土であるとの信念に生き抜いてきた。
 そして、いかなる逆境のなかでも、わが地域を誇らかな理想郷に変え、「幸福の旗」「勝利の旗」を打ち立てることを人生哲学とし、自己の使命としてきた。
 地域の繁栄は、人びとの一念を転換し、心という土壌を耕すことから始まる。そこに、強き郷土愛の根が育まれ、向上の樹木が繁茂し、知恵の花が咲き、地域は美しき幸の沃野となるからだ。
 また、そのための創価の運動なのである。
 (「愛郷」の章、194~195ページ)
ここにフォーカス/第1号の対談集
 「天舞」の章に、クーデンホーフ・カレルギー伯爵と山本伸一との対談の様子がつづられています。
 伯爵は、28歳で欧州の統合を訴えた著書『パン・ヨーロッパ』を出版。第2次世界大戦の渦中、ナチス・ドイツの迫害を受け、亡命を余儀なくされますが、欧州統合の実現へ向け、行動を続けました。
 伸一との対談が実現した1967年(昭和42年)は、現在の欧州連合(EU)の前身である欧州共同体(EC)が誕生した年でもありました。
 創価学会を「世界最初の友愛運動である仏教のよみがえり」と評価していた伯爵は、伸一との対談の折にも、「創価学会による日本における仏教の復興は、世界的な物質主義に対する、日本からの回答であると思います。これは、宗教史上、新たな時代を開くものとなるでしょう」とたたえています。
 その後も2人の交流は続き、書簡のやりとりが重ねられます。70年(同45年)10月には、開校3年目の創価学園、聖教新聞本社などで、国際情勢や青年論など、多岐にわたるテーマで、計10時間を超える語らいが行われました。
 2人の対談は、『文明・西と東』として出版されました。今、池田先生の世界の識者との対談集は80点に及びます。伯爵との対談集は、その第1号となったのです。

半世紀超す執筆に想う 識者が語る/ニューヨーク大学プラハ(チェコ)心理学部長 イデル・サンダース博士
●内面の変革が平和の第一歩
 私は、これまで池田博士のさまざまな著作や大学講演集を読んできました。
 中でも、印象に残っているのが、博士が1996年6月、私の母校でもあるアメリカ・コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジで、世界市民教育をテーマに行った大学講演です。
 席上、博士は、同カレッジのレヴィン学長(当時)の「教育は、社会の変革のための最も効果の遅い手段かもしれない。しかし、それは、変革のための唯一の手段である」との信条に、深い共感を寄せられました。
 どういった点で、両者が響き合ったのか。私は学長の言葉の中に、博士の「人間革命」の思想に通じる部分があったからだと思います。
 そもそも良い教育は、人間の心といった内面を変革する「人間革命」を伴うものです。
 博士が綴ってきた小説『人間革命』『新・人間革命』には、SGIメンバーが各国・地域で直面した偏見や差別の歴史が描かれています。
 人間は誰しも、自身とは異なる他者への恐怖心を持っています。しかし、メンバーは内なる自己に働き掛けながら、勇気を持って他者に語り、多様性を尊重していく。これは、まさに良い教育の過程そのものであり、非常に価値あるものなのです。
 私は、あるアメリカの宗教学者から、SGIメンバーに対して行ったインタビューの感想を聞いたことがあります。
 メンバーには、自身の生活を向上させながら、社会に貢献する生き方が根付いていたそうです。そして、一人一人から、差別の心を感じなかったというのです。多くの仏教を研究してきたその学者は「SGIほど、人種や民族など、異なった属性を持った人々が集まるのは見たことがない」と語っていました。
 仏教は、長い時間をかけて築かれた「心の科学」と言ってもよいでしょう。日蓮は「心の師とはなるとも心を師とせざれ」(御書1025ページ)との指針を残し、それがSGIでは、メンバーの生き方に反映されています。そこには自身の心の成長を促す原理があります。
 私は心理学者として、また世界市民として、人々が心を成長させ、家族や社会に貢献する、幸福な人間になってほしいと思っています。
 ゆえに、小説に描かれる“一人の心の変革こそ、世界平和につながる第一歩である”との池田博士の考え方に、大きな期待を寄せています。
 Edel Sanders アメリカ・コロンビア大学で修士号、イギリスのケンブリッジ大学で博士号を取得。2014年から現職。専門は教育心理学、認知心理学。
 ※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。
 【挿絵】内田健一郎 【題字のイラスト】間瀬健治


【聖教ニュース】

◆台風19号 全力の励まし続く  原田会長は神奈川・川崎へ

川崎市中原区を訪れた原田会長が、近野小枝子さん(左から2人目)や次女・金城和江さん(右端)ら一家を激励した

 台風19号の被災地では、リーダーによる最前線の同志への激励が続いている。
 原田会長は14日、神奈川・川崎市の同志宅8軒を訪れた。
 中原区では、床上浸水に見舞われた近野小枝子さん(地区副婦人部長)と、同居する長女・関洋子さん(副白ゆり長)・英雄さん(壮年部員)夫妻宅へ。会長は、池田大作先生からのお見舞いの言葉を丁重に伝え、御書の「冬は必ず春となる」(1253ページ)を通して激励。「体に気を付けて苦難を乗り越えてください」と語り、一人一人と握手を交わした。
 さらに会長は高津区の同志宅で、被災者の手伝いに駆け付けた友にも感謝を述べ、不屈の前進を誓い合った。
 盛島東北長は13日、吉田川の堤防が決壊して氾濫した宮城・大崎市鹿島台へ。同志が避難する小学校の校舎を訪れ、「全国の皆さんが応援してくれています。一緒に頑張りましょう」と語り掛けた。
 今村総宮城長は14日、柴田町の同志や地域住人が避難した仙南文化会館で、「どうかお体を休めてください」と、一人一人の手を取った。また、被害の大きかった石巻市にも駆け付け、十数世帯の同志宅で激励に当たった。
 小渕総栃木長は同日、永野川と巴波川の氾濫で被災した栃木市の小平町と柳橋町へ。自宅を座談会場に提供している荒川正二さん(栃木常勝県主事)や、下半身不随の状況の中で周囲に希望を広げる斉藤秀雄さん(地区幹事)らの話に耳を傾けた。泥まみれになりながら救援に走る友もいたという。
 総栃木長は「皆で力を合わせ、乗り越えましょう」と訴えた。
 中井関東長も同日、栃木・佐野市を訪れ、甚大な被害に見舞われた同志を励ました。
 山内総福島長は同日、学会の支援物資を携えて福島・いわき市を訪問。鵜川順子さん(支部副婦人部長)宅では、床上まで堆積したヘドロの掃き出しに追われていた。
 鵜川さんは、親戚や同志が片付けに来てくれたことに「本当にありがたい。人の支えが一番の力です」と。総福島長が「お体を大切に。必ず変毒為薬できます」と力を込めると、鵜川さんは目に涙を浮かべ、何度もうなずいた。
 那珂川や久慈川などが氾濫し、多大な水害を被った茨城。市川総茨城長は同日、町役場が浸水し、JR水郡線の橋梁が濁流に流されるなどの被害にさらされた大子町へ。自宅が天井まで浸水した高村正義さん(副支部長)は、「男子部の『かたし隊』に感謝の言葉もありません」と。木村正己さん(壮年部員)は、胸の高さまで水が迫る中、高齢の母を押し入れの上の天袋へ移し、自身も屋根裏へ身を置き救助された。市川総茨城長は被災の状況に耳を傾け、再起を約し合った。


【特集記事・信仰体験など】

◆世界広布新時代第43回本部幹部会 沖縄総会から(要旨)
 世界最初の広宣流布地帯に
 安田進 沖縄総県長 照屋清子婦人部長

 安田 本年は、私たち沖縄にとって、胸躍る特別な年です。それは、池田先生が小説『人間革命』の執筆を、ここ沖縄で開始されて55周年の12月2日を迎えるからです。

 照屋 この重要な佳節に、本部幹部会・沖縄総会を開催していただき、沖縄中で喜びが爆発しています(拍手)。

 安田 本日を目指し、私たちは唱題の渦を起こし、聖教拡大に挑戦しました。その数は1万7000部、5万ポイントを大きく上回り、過去最高の結果を残すことができました。同志の皆さま、本当にありがとうございました(拍手)。

 照屋 一昨年、NHKの番組で、ここ沖縄研修道場のメースBミサイルの基地跡、すなわち「世界平和の碑」が全国放送されました。その反響はすさまじく、各地から見学の依頼が相次ぎ、今まで学会とは全く縁のなかった方々が研修道場を訪問。那覇のある団体の代表は「世界平和の碑」に心から感動され、自ら地元の座談会に参加し、入会を決意。晴れて御本尊を受持されました(拍手)。

 安田 訪れる多くの方は、戦争の基地跡を平和の要塞に転換し、二度と戦争を起こさせないという池田先生の熱き思いに感銘され、学会への認識を大きく変えておられます。今や「世界平和の碑」の存在が、沖縄県民の間に広く知られる時を迎えました。師匠の正義と平和思想を満天下に訴えることこそ、私たち沖縄の使命です。

 照屋 池田先生に頂いた「東洋のハワイに」との指針の通り、今や沖縄は、ハワイと肩を並べて年間観光客数が約1000万人になりました。さらに長編詩には「沖縄は 青年の島」とつづられています。その通り、今や沖縄は出生率も全国1位、15歳未満の人口比率も全国1位の、希望あふれる島になりました。

 安田 1960年(昭和35年)5月3日の第3代会長ご就任の折、池田先生の沖縄訪問の意向が伝えられました。会長ご就任は、沖縄への励ましの出発でもあったのです。先生に頂いた「世界で最初の広宣流布の地帯に」との大指針を誇りに、沖縄は会長ご就任60周年の明年の「5・3」を史上最高の拡大でお祝いしていきます。

 照屋 私たちの魂である「沖縄健児の歌」は、池田先生が2カ所、筆を入れてくださり、今の歌詞が完成しました。大変にうれしいことに、その銘板を、このたび沖縄国際平和会館に設置していただけることになりました(拍手)。

 安田 われら沖縄の同志は、「沖縄健児の歌」を高らかに歌い、大歓喜のカチャーシーを舞いながら、池田先生と共に、どこよりも明るく平和で幸福な島を、断固築いていきます(拍手)。

◆活動体験 400年続く伝統行事で演舞を披露 愛する島の発展に尽くす
 沖縄宮古県 多良間支部 島袋雅也 男子部部長(支部長兼任)

 一、沖縄本島から南西約350キロに位置し、東西5・8キロ、南北4・4キロの多良間島が、私たちの広布の舞台です。
 美しいサンゴの海に囲まれた島には、サトウキビ畑が一面に広がり、約1100人の島民が、4000頭の牛、700頭のヤギと共に暮らしています。島民全員が家族のような、強いつながりが、何よりの誇りです。
 わが家の信心は1962年(昭和37年)、祖父母が入会したところから始まりました。純粋な信心を貫くおじい、おばあに、母たち7人のきょうだいも続き、草創の同志と共に、島の広布に取り組んできました。
 しかし、ほとんどが顔見知りという島の中で、学会の旗を掲げ、仏法への理解を広げていくことは、並大抵のことではありません。それでも先輩方は「振る舞いで信頼を勝ち得るしかない」と歯を食いしばり、誠実に、地道に、地域の発展に尽くしてきました。
 そうした取り組みが花開き、小さな島の組織は1支部2地区に発展。皆が意気軒高に広布へ取り組んでいます。
 一、島では毎年、「八月踊り」という伝統行事が開催されます。国の重要無形民俗文化財にも指定されている豊年祭で、三日三晩、踊りと演奏で島は沸き返ります。
 私のおじいは、踊りの名手で、毎回、自ら舞台に立つのはもちろん、子どもたちの指導にも取り組んでいました。おじいは、題目根本に誰よりも率先して祭りを盛り上げていました。
 一、“学会3世”の私は、先輩方の奮闘を間近に見ながら育ちました。島に一つしかない小学校に創価学会からの図書贈呈があり、私が児童会長として代表して受け取った時は、皆が大喜びしてくれました。
 また、中等部員だった94年には、島で待望の本部幹部会の音声中継が始まりました。
 “多良間島の皆さん、おめでとう。拠点の方、お世話になります”と、呼び掛けてくださった池田先生の声に、静かに聞いていた皆が沸き立ち、涙を流して喜んでいたことを今でもはっきり覚えています。
 その後、高校進学のために島を離れ、宮古島の伯母の家に下宿させてもらうことになりました。高校を卒業したら就職しようと思っていた私に、伯母は創価大学への進学を、さかんに勧めてきました。創大生だった、いとこの成長した姿にも触発を受け、次第に前向きに考えるようになりました。
 受験に向けて、“最大の難関”は未入会の父でした。思い切って父に胸の内を語ると、父は東京で暮らしていた時、じつは創価大学の建設工事に携わっていたそうで、応援してくれることになったのです。
 いっそう勉強に力が入り、晴れて2000年、多良間島から初めての創価大学生になることができました(拍手)。
 上京して間もなく、東京には他にも100校以上の大学があったことを初めて知りました(笑い)。創大だけを勧めてくれた伯母には、心から感謝しています。
 一、創大では沖縄舞踊のクラブ「イチャリバチョーデーズ」で部長を務めました。おじいの血を引く私は、踊りでは誰にも負けたくないと、日々、練習に打ち込みました。創大の行事で、池田先生の前で演舞を披露できたことは、生涯の原点になっています。
 当時、広布史を学ぶ中で、先生が沖縄に「世界で最初の広宣流布の地帯に」との指針を贈ってくださっていることを知りました。このご期待に真っ先にお応えするのは多良間島だと心を定め、先生にお手紙を出す時は「多良間広布のために戦ってまいります」と必ず決意を書くようになりました。
 大学卒業後、妻への折伏と結婚を機に、多良間島に帰り、現在は村役場の職員として地域の発展に尽くしています。
 一、島に帰って間もなく、組織では男子部部長に任命されました。数少ないメンバーの激励に取り組んでいたところ、4年前には思いがけず、支部長兼任の話を頂きました。びっくりしましたが、周りの状況を考えれば、いつかはやらせていただくしかない、ちょっと早くなるだけだと腹を決めました(笑い、拍手)。日々、地区婦人部長の母と支部婦人部長の伯母に叱咤激励を受けながら、前支部長の伯父らと共に、島広布の全責任を担う決意で戦っています。
 地域でも、伯父は村の教育長、伯母は婦人会長を務めたのをはじめ、今、学会の同志には厚い信頼が集まっています。
 私も地元地域の青年会長です。おじいの心を受け継ぎ、「八月踊り」にも全力で取り組んでいます。演目では「沖縄健児の歌」に合わせて演舞を披露。400年近く続く伝統行事で学会歌の調べが鳴り響き、その喜びの舞に地域の皆さんが拍手喝采を送るという、以前では到底、考えられない、全く垣根のない学会理解の輪が広がっています(拍手)。
 一、また、07年の参院選、公明党は多良間村で比例区の得票率で堂々の第1党になり、全国全市区町村トップとなる支持を集めました。以来、常に国政選挙のたびに全国屈指の支持率を続けています。
 一、この沖縄総会に向けても、皆で団結して戦い、聖教新聞の拡大で、島の購読数を倍増させることができました(拍手)。
 さらに昨日、島の振興のための闘牛ならぬ闘ヤギの大会「多良間島ピンダアース大会」が開催されました。ここでは伯父のヤギが見事、2連覇を達成。ヤギまで勝利の実証を示してくれました(笑い、拍手)。
 一、島には少子高齢化など、多くの課題があります。だからこそ愛する故郷にしっかり根を張り、責任をもって島の発展に尽くしていきたいと心から決意しています。
 血のにじむ努力で、ここまで信頼を広げてくださった先輩方に感謝し、負けじ魂を受け継ぎ、「南に築く 楽土郷 沖縄健児の 意気高し」――この心意気で多良間島から連続勝利の実証を堂々と示していきます(拍手)。

◆〈信仰体験 with〉 #学校へ行けない  社会の“隙間”を埋める戦い

 38年間の教師生活の後、第三の人生でも教育に懸ける藤沢紀世安さん(72)。6年前から、「家計にやさしく、勉強に自信がない子のための」塾を開いている。背景には、退職後に接した、経済格差による不登校といった厳しい現実があった。
 退職し、「校長」という肩書がなくなっても、変わらない信念がある。「全ての子どもの幸福のために」――。それが、創価の哲学から学んだことだった。  
  
 初めから、教育に情熱を持っていたわけではない。芸術家の夢を諦め、“教師でもやってみるか”“教師くらいしかやれないか”でなった「でもしか先生」だった。
 そんな気持ちを見透かして、熱心に仏法の話をしてくれたのが、職場の先輩に当たる創価学会員だった。誘われるまま、学会の教育部(現・教育本部)の会合に参加すると、人生観が一変するほどの衝撃を受けた。
 多様な教育実践報告があった。ある教師は、高校に来なくなった不良少女を毎夜、繁華街で一軒一軒捜し歩き、彼女が自らの意思で教室に戻るまで寄り添った奮闘を語っていた。
 “子どもたちのために、そこまでできる理由は何なのか”
 その答えを求め、1973年(昭和48年)、入会した。直後に“大変な児童”を受け持ち、その子が親も驚くような素晴らしい子に変わっていく姿に、信心の確信を得た。校長となってからも、学年崩壊の最前線に飛び込み、若い教員と共に、荒れた児童と絆を結び、立ち直らせた。 
  
 そんな自分が定年退職後、60歳を超えて初めて目にした世界があった。市役所から嘱託として招かれ、生活保護世帯の児童・生徒をサポートする仕事に就いた。ケースワーカーと共に、家庭訪問を重ねた。
 経済格差は、子どもに、さまざまな影響を与える。本はおろか、洋服も買ってもらえない。習い事にも通えない。同世代の子と話題が合わず、孤立し、次第に学校から足が遠のいてしまう……。
 中学校に行けなくなった一人の生徒がいた。自分の部屋から出てこない。ドアの向こうへ、「また来るね」と呼び掛ける。十数回目の訪問で、ドアがわずかに開き、顔を見せてくれた。それからも通い続け、少しずつ会話ができるようになった。
 「できるなら高校に行きたいです」。礼儀正しい子だった。目標の農業高校を目指し、一対一の家庭授業を始め、合格を勝ち取った。入学後も、遠く離れた町まで通う姿に感激した。  
  
 4年間の嘱託勤務を終え、何か自分にできることはないかと考えた。
 “そうだ、塾をつくろう”。勉強が苦手な子が、少しでも自信が持てるようになる塾。経済的に苦しくても、なんとか学ぶことのできる場所をつくりたい。
 自作のチラシを携え、地域の集会所を会場にとお願いすると、快く提供してくれた。講師は、地域の高等専門学校の学生に、有償ボランティアをお願いした。そうして2013年(平成25年)、塾生8人、講師3人から塾が始まった。  
  
 小学生の授業は、自分が受け持っている。ある授業の一こま。「明後日」は何と読む? 「わかんなーい」と話す児童と一緒に、棚にしまってある国語辞典を取りに行く。
 辞書を引き、一緒に答えを探す。正解を知るだけではなく、答えを得る術を大切にしたい。それは生きること全般にもつながっていく。
 また、ひとり親世帯の子どもを支援する塾も立ち上げ、コーディネーター兼講師をしている。一昨年は、全国シンポジウムの貧困部会で提言を行った。
 定年退職後の福祉分野の経験が、視野を広げ、塾へとつながった。教育や福祉といった分野で、子どもに関わる多くの人々が奮闘している。しかし、実際そこには“隙間”がある。それを埋める努力が、社会を前進させていくのではないだろうか。
 歴代の創価の師弟、池田先生の指導が、人生を貫く芯となっている。「人間の心を動かすのは、人間の心だけなのです」――。
 そこに、真実の生き方があると思う。
 ふじさわ・きよやす 北海道苫小牧市在住。教育格差の改善を目指し、地域で「錦岡未来塾アシスト」を運営する。副本部長(地区部長兼任)。
●ご意見、ご感想をお寄せください
 taiken@seikyo-np.jp
 FAX:03-3353-5513

◆〈幸齢社会〉 老いてこそ、よい人間関係を  未知との遭遇。だから面白い!
 NPO法人 高齢社会をよくする女性の会 理事長 樋口恵子さん





 「老いてこそ、よい人間関係を」とアドバイスする、NPO法人「高齢社会をよくする女性の会」理事長の樋口恵子さん。人生100年時代を迎え、まず「家族との関係の『変化』を知ることが大切」と語ります。意外とも思えるその訳を「ライフウオッチ――人生100年時代の幸福論」の連動企画として、樋口さんに伺い、2回にわたり紹介します。

親子で60年
 人生が、戦後の「50年」から現在は「100年」になり、何が変わったと思いますか。
 一つ目は、単純明快に「人生が長くなった」こと。子育ての後や定年後に“ながーい人生”が待っています。
 昔は「孫の顔を見られるかどうか」が、今では「ひ孫の顔を見られるかどうか」。同居・別居は別として、4世代の家族が同じ時代を生きることが普通になってきました。
 親子の関係も、以前はおおむね30年でしたが、60年に及ぶ人も。お互い大人として、さらに老いた人間として、向かい合う時間が長くなりました。二つ目の変化は、このような「家族の構造」です。
 人生100年と聞くと、真っ先に、老後の資産形成や健康維持が課題と考える人もいます。確かにそれらも幸福の要件ですが、私は幾つになっても「家族をはじめ、よい人間関係に恵まれた人」ほど幸せになると思うのです。
 誰しも来し方を振り返れば、“人間関係の悩み”が少なくなかったのでは。心掛け次第で、円満にもなれば、こじらせることもあり、余計なエネルギーを使います。
 相手がわが子なら、親のプライドが許さず、争いになる場面も。長寿社会は、平和と豊かさの証しですが、よい親子関係を保つには、新たな知恵と覚悟が必要です。

強者と強者
 さて、「親子げんかなら、昔の人もしていただろう」と思われるご年配の方々、こんな“伝統的な格言”には、どう感じますか。
 「老いては子に従え」――大半の人は「今どき、そんなことできるか」と笑うでしょう。
 今年87歳の私も昔は、いや今もその気持ちが抜けません。成人した娘に、何かと“上から目線”で言われ、負けじと言い返して口論になる日々が数十年。ようやく、反省の念が湧いてきました。
 もう50代にもなる娘に対し、子育ての延長で“上から目線”で言っているのは、私の方だったと……。でも、これは私たち世代の人に、よくあることだと思います。
 昔は、子どもが成人する頃、親には老いが訪れていました。親子の「強者」と「弱者」の関係性は、子育て期とは入れ替わり、子どもが親を養うように。衰えを自覚した親は、子どもに従ったのです。
 ところが今は、親も元気なので双方が「強者」で張り合いがち。親は成人後のわが子に一定のリスペクト(敬意)を払いましょう。ガミガミ言わず、時々少し距離を置く、敬意の表し方も。私はこれを“人間距離”と呼んでいます。
 また、子どもが結婚したら、あらためて「子どもは親の思うようにならない」と肝に銘じ、穏やかな口調で話してあげたいもの。その方が、子どもの配偶者との関係もスムーズにいくようです。
 もし、幼い頃のことを成人した子どもに責められたら「全ての親は子育ての初心者で、未熟だ。子育てをしながら親も育つの」と冷静に諭しましょう。
 ストレスをためず、100年を生きるにふさわしい人格を磨く。親の演技力が問われます。

祝福と愛を
 さてさて、めでたく孫の誕生を迎えると、祖父母は喜び舞い上がるでしょう。自分の命を受け継ぐ存在に、精いっぱいの愛情を注ぐのは、ごく自然な行動です。
 ただし、孫に接近し過ぎるのは要注意。娘にも嫁にも敬意を払い、時には温かく距離を取りましょう。
 それは、成人した孫への接し方も同じです。特に、孫が決めた結婚相手については、反対しないのがオススメ。その後に、孫と絶縁状態になりやすいからです。
 祖父母世代の常識が激変したものの一つが、結婚観。昔のように学歴や収入等にとらわれません。よほどの事がなければ、ご時世だと思い、祝福する方が無難です。
 加えて、結婚しない独身だからといって、今どき不幸せとは限りません。かつて私も、娘の結婚を期待しましたが、今も独身です。「かわいそう」などと同情したら娘は怒るでしょう。
 私も「孫がいればよかった」と思いつつ、悔やむ話ではないのかなと。未婚率の上昇で日本は孫のいない人が増えました。そこで私は、社会的な祖父母として「にっぽん子育て応援団」の共同団長を務めることに。次世代を愛を込めて見守るのが、高齢者の責任であると思っています。

初代の誇り
 一口に「高齢者」といっても、65~75歳くらいまでは至って健康な人が多く、今や70代は“老いの働き盛り”と言えそうです。
 私もその一員でしたが、70代後半で大病を患い、体の衰えを感じるように。今は300メートルほど歩くと息切れするので一休みします。
 年老いた姿を子どもにさらして生きるのは、つらいと感じます。一方で、衰えた私に、いら立つ娘の気持ちも分かります。かつて自分も親に抱いたことがあるので……。
 若い家族が老いを理解するのは難しく、年を重ねないと分からないもの。私は母から恨めしそうに「この年になれば分かるわよ」と言われました(笑い)。
 また92歳のある女性は、体重計を買って年齢を設定しようとしたら、上限が85歳で「時代を反映していない!」と憤慨したとか。
 人生100年は始まったばかりで、本人はもちろん、家族も社会も“未知との遭遇”です。新時代を今のシニアが初代として生きる。だから、私も面白いんです。(次回は30日付予定)
 ひぐち・けいこ 1932年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。時事通信社、学研、キヤノンを経て評論活動を行う。東京家政大学名誉教授。NPO法人「高齢社会をよくする女性の会」理事長。著書に『その介護離職、おまちなさい』(潮出版社)、『人生100年時代への船出』(ミネルヴァ書房)など多数。
 ご感想をお寄せください kansou@seikyo-np.jp

 

2019年10月15日 (火)

2019年10月15日(火)の聖教

2019年10月15日(火)の聖教   新聞休刊日

◆大白蓮華 巻頭言 2019年10月号  きょうも励ましの「旭日」を

 それは1960年(昭和25年)の10月2日、ハワイへ!向かう機中、恩師の写真を内ポケットに納めた胸に手を当てつつ、私は「撰時抄」の一節を命に刻(きざ)んだ。
 「法華経の大白法の日本国並びに一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか」(265ページ)

 この世界宗教の大宣言を、戸田城聖先生の分身として断じて今こそ実現せねばならない。行く所、向かう所、必ず「地涌の菩薩」を呼び出すのだと心は燃えていた。
 足を運ぶ全ての大地に題目を染み込ませ、出会う一人また一人の友と、力の限り対話を重ねゆく旅であった。
「私とともに、みんなの幸せのために生きてください」 との呼び掛けに応え、皆、悩みや苦しみを抱えながらも、尊き広布開拓のリーダーとして立ち上がってくれたのだ。

 日蓮大聖人の仏法は、「励ましの民衆仏法」である。
試練の渦中の四条金吾への仰せには、「殿の御事をば・ひまなく法華経・釈迦仏・日天に申すなり其の故は法華経の命を継ぐ人なればと思うなり」(1169ページ)とある。
この大慈大悲の、陽光こそが、門下を赫々くと照らし包み、「法性の淵底」といわれる生命の深奥から、歓喜に勇躍する地涌の菩薩の自覚を呼び覚ましてくださったのだ。
 御本仏のお心に連なって、わが友を「法華経の命を継ぐ人」であり「地涌の菩薩」であると信じ、題目を送り、励まし続けていくのが、創価の異体同心の絆である。
「あの先輩の祈りがあればこそ」「この同志の激励のおかげで」と発心し、今度は自分たちが後輩に尽くし、青年を育てるという、麗しき、報恩感謝の連鎖がここにある。

 世界広布への旅立ちから間もなく六十星霜。地球上のいずこであれ、地涌の菩薩は必ず出現し、「人間革命」の平和の連帯を広げゆけることを、我らは証明してきた。
 うれしいことに、今、清新なリーダーが続々と誕生し、 自らの誓願の天地で新たな広布開拓に挑み始めている。 「励ましの拡大」が、そのまま「地涌の拡大」となる。 さあ、不二の師弟は、きょうも励ましの「旭日」を ―!


 地涌の義は
  創価の励まし
    ある限り
   希望の人材
    永遠に世界へ

 

2019年10月14日 (月)

2019年10月14日(月)の聖教

2019年10月14日(月)の聖教

◆今週のことば

試練の宝友と連帯を
「わざわひも転じて
幸となるべし」
創価のレジリエンスで
「変毒為薬」の前進だ!

◆名字の言

消費増税から2週間。ポイント還元制度などで、キャッシュレス決済の普及が進む。小さな四角いモザイク模様も、あらゆる場所で大忙し。よく見かける「QRコード」だ▼QRはクイック・レスポンス(素早い反応)の頭文字。その名の通り、大容量の情報を高速で読み取り可能。囲碁の碁盤から着想を得たという“メード・イン・ジャパン”の技術で、誕生から25周年を迎えた▼開発は、自動車部品メーカーの社員2人から始まった。人員も予算も限られる中、「世界に通用するコードを」と、気が遠くなるほど幾度もシミュレーションを繰り返した。開発責任者は言う。「新しいことには手本がないから、最初は何も分からない。恐れずに実行すれば、失敗しても次のヒントになる」▼本紙も、動画の案内などで、QRコードを掲載している。男子部員に教えてもらい、初めてセイキョウオンラインや動画を閲覧した婦人部員が語っていた。「気が付けば、新聞1部の情報量が、格段に上がっていたんですね。しかも、まるで紙面が動きだし、語り掛けてくるみたい。世界が広がる感じがします」▼世界広布の伸展に伴う数限りない情報を素早く読者のもとへ。そのために、新しいことも恐れずに――一層の紙面充実に尽くしたい。(鉄)

◆寸鉄

   台風被害で対策本部中心
 に被災者の激励に総力。
 共々に負けじ魂燃やして
      ◇
 御書「祈りのかなはぬ事
 はあるべからず」。妙法に
 不可能なし!再起を必ず
      ◇
 真実を語る。これが学会
 発展の力―恩師。自他共
 の幸福開く誇りを堂々と
      ◇
 奉仕することが私の宗教
 ―偉人。今できることを
 地道に。地域・社会のため
      ◇
 公明党議員が災害現場に
 急行。連帯力を生かして
 迅速に支援を。庶民守れ

◆社説 きょう、最後の「体育の日」 スポーツで誰かとつながる

 「赤組、頑張れ」「白組、負けるな」――子どもたちの声援が響く運動会。最近は春の開催も見られるが、以前は多くが「体育の日」を中心に行われていた。
 体育の日は「健康な心身をつちかう」との趣旨で1966年に制定。64年の東京オリンピックの開会式が行われた10月10日とされた。2000年からは10月の第2月曜日に。来年のみ、2度目の東京オリンピック開会当日の7月24日となる。さらに名称は同年から「スポーツの日」と改められる。
 連日盛り上がりを見せているラグビーワールドカップ日本大会。試合前、相手の国歌を、歌詞を手に熱唱する日本ファンの“おもてなし”の動画がSNSに数多く投稿され、海外で話題になった。
 一方、試合後にサポーターに向かって深くお辞儀をする日本式のあいさつを行ったり、自国では文化として定着しているタトゥーを試合以外の場所では隠したりする海外選手も。開催国の文化への気遣いがうかがわれた。
 巨体がぶつかり合う勝負の迫力はもちろん、プレーヤー、サポーター、運営者が一体となり、世界の舞台をつくり上げていることに感動が広がっている。
 パラリンピックの明年開催を控え、高齢者と子どもが共にボッチャを行うなど、珍しい競技も身近になってきた。普段なら接点の少ない人とも、スポーツを通して、つながることができる。一定のルールの下、体力や年齢の差に関係なく競い合えるスポーツも魅力がある。
 「スポーツの日」の意義は「スポーツを楽しみ、他者を尊重する精神を培うとともに、健康で活力ある社会の実現を願う」ことにあるという。
 「大阪大学の教員によるミニ講義」というサイトで同大の人間科学研究科付属未来共創センターの岡田千あき准教授は、激しい民族紛争が起こったボスニア・ヘルツェゴビナの事例を紹介。かつて敵対した民族と民族がサッカーの試合を何度も行ううちに、相手チームとの距離が縮まった。選手が足りないときはチーム間で協力し合い、練習も一緒にするまでに。サッカーは互いを理解するきっかけとなった。「スポーツは、途上国の課題を直接解決することはできません。しかし社会参加の機会や、問題を解決するための糸口になります」と語る。
 スポーツ庁は「する」にこだわらず、「みる」「ささえる」といろいろな形でのスポーツ参加を呼び掛けている。ラグビーに始まり、明年の東京五輪、再来年には関西で開催の30歳以上が参加するワールドマスターズゲームズと、世界大会が続く。自分のスタイルで、誰かとつながるスポーツを楽しみたい。

◆きょうの発心 広布に生き抜き、宿命を転換 2019年10月14日

御文 生提女と申せし女人は慳貪のとがによって餓鬼道に堕ちて候いしが・目連と申す子にたすけられて餓鬼道を出で候いぬ、されば子を財と申す経文たがう事なし(上野尼御前御返事、1576ページ・編1349ページ)
通解 生提女という女人は慳貪の罪によって餓鬼道に堕ちていたが、目連に助けられて餓鬼道を出ることができた。それゆえ、「子は財である」という経文は間違いない。

 子は親を成仏に導く宝である、との御文です。
 創価大学10期生として学んだ私は、滝山祭や創大祭などで創立者・池田先生との原点を刻みました。
 結婚後、持病を抱える妻が妊娠。周囲から出産を反対されましたが、この御文を命に刻み、夫婦共に祈る中、妻は無事、長女を出産することができました。現在、中学生になった長女は、未来部で元気に成長しています。
 私は創大卒業後、東京や大阪で学会活動に励み、第17回「世界青年平和文化祭」には役員として参加。その後、勤務していた会社が倒産を余儀なくされ、再就職を機に神奈川・中原区に転居し、今年で20年になります。これまで、自身の病や経済苦など、悩みは尽きませんでしたが、広宣流布に生きる中で、宿命転換を実感しています。
 中原総区は「神奈川の心臓部・川崎」の誇りに燃えて、学会創立90周年の明年を弘教拡大で荘厳し、後継の世代を育んでいきます。
 神奈川・中原総区総合長


【聖教ニュース】

◆【台風19号】学会本部の災害対策本部が激励と被害把握に全力 2019年10月14日
東日本各県でリーダーが被災地へ

福島・郡山市では、遠藤副会長㊥が石井みえ子さん㊧に励ましを

 台風19号の上陸に伴い、河川の氾濫や土砂災害など、東日本の広範囲にわたって甚大な被害をもたらした(8面に関連記事)。
 学会本部では、原田会長を本部長とする災害対策本部を中心に、各方面・県の対策本部と連携を取りながら、激励と被害状況の把握に引き続き全力を挙げている。また、千曲川の堤防が決壊した長野県では13日午前、総長野の災害対策本部(本部長=青木総長野長)が設置された。
 原田会長は次のような談話を寄せた。
 「このたびの台風被害に対し、池田先生からも『被災された方々に、心からお見舞いを申し上げますとともに、一日も早い復旧を強く祈っております』との伝言がありました。学会本部では引き続き、被害の把握と、被災された方々が力強く立ち上がられるよう、激励に総力を挙げてまいります」
                       ◇ 
 複数の河川で堤防から水が乗り越える越水が起こった福島県。遠藤副会長、福島常勝県の山根県長らは13日、1級河川「逢瀬川」が氾濫し、甚大な浸水被害が発生した郡山市へ。
 長年、広布の会場を提供してきた自宅に濁流が押し寄せた石井正晴さん(副ブロック黄金長)・みえ子さん(地区副婦人部長)夫妻は、不眠不休の片付けに当たっていた。遠藤副会長が池田先生の伝言を伝えると、再び広布に立ち上がり、師に応えたいと語った。
 広域的な断水が続くいわき市では、山内総福島長が友を激励。男子部の有志が「かたし隊」を結成し、被災者支援に全力を注いだ。
 また、吉田川や阿武隈川などの氾濫で、深刻な水害に見舞われた宮城県では、盛島東北長が大崎市鹿島台と大和町、今村総宮城長が角田市と丸森町の友のもとに向かった。
 さらに鷹觜総岩手長が宮古市、齋藤山形総県長が村山市を訪れ、同志を激励した。
 千曲川の決壊による浸水などに見舞われた長野県でも、リーダーが被災者の励ましに総力を挙げている。
 中野信越長は同日、上田市内へ。強風で自宅の屋根瓦が飛散した山嵜光春さん(副本部長)と再起を誓い合った。
 青木総長野長は、成田長野第1総県長と共に、長野市の同志のもとを訪問。避難所に身を寄せていた村上光一さん(副圏長)一家は、池田先生からの伝言に「元気が出ました。負けずに頑張ります」と決意を述べた。
 畑東海道長は同日、神奈川の対策本部に「斜面の一部が崩れ落ちた」等の連絡が入った横浜市神奈川区に急行した。
 吉川清司さん(地区幹事)の住むマンションでは、土台の一部が崩落し、金古輝彦さん(地区部長)宅では、玄関まで土砂が押し寄せた。2人の話を聞いた畑東海道長は「今こそ変毒為薬の時と心を定め、強く生き抜きましょう」と。このほか、屋根全体がはがれ落ちた家屋などを一軒一軒訪ね、被災状況を確認して回った。
 竜巻とみられる突風で住宅の損壊被害などが発生した千葉県市原市には同日、高木総千葉長が駆け付けた。
 自宅の屋根や外壁が吹き飛ばされるなどの被害を受けた宍倉和紀さん・智子さん(副白ゆり長)夫妻に、「心を強く持ち続ければ、必ず道は開けます。どうか苦難に負けないでください」と力強く語った。

◆核兵器の廃絶を民衆の力で 国連総会第1委員会が開幕 2019年10月14日
 SGIが声明を発表 関連行事の後援も

議事日程が採択されず協議入りが遅れるなど、異例の幕開けとなった国連総会第1委員会。約5週間の会期中、各国政府や国際機関、市民社会の代表らに発言の機会が与えられる(ニューヨークの国連本部で)

議事日程が採択されず協議入りが遅れるなど、異例の幕開けとなった国連総会第1委員会。約5週間の会期中、各国政府や国際機関、市民社会の代表らに発言の機会が与えられる(ニューヨークの国連本部で)


 【ニューヨーク】軍縮・国際安全保障問題を議論する国連総会第1委員会が7日、アメリカ・ニューヨークの国連本部で開幕した。これにはSGI(創価学会インタナショナル)の代表が参加。人類を脅かす戦争と暴力の「病理」を断ち切り、正常な精神を回復させる必要性を訴える声明を、同委員会に合わせて発表した。また、SGIは同委員会の関連行事を後援した。(記事・写真=萩本秀樹)
 冷戦末期にアメリカと旧ソ連の間で締結された中距離核戦力(INF)全廃条約の失効などにより、軍備管理と軍縮のための制度が揺らぐ今、それを食い止める枠組みを、いかに再構築するかが課題となっている。その中で、国連総会第1委員会は開会を迎えた。
 秋の国連総会での一般討論の後、約5週間にわたって行われる同委員会。毎年、軍縮に関する多くの決議案が討議され、採択に付される。だが本年は、自国の外交官らへの訪米査証(ビザ)の発給が滞っていることにロシア等が反発。議事日程が決まらないまま初日の7日を迎え、実質的な討論に入ることができない異例の事態に。その打開を図る議長提案を受け、一般討論は10日に始まったが、同委員会の先行きは依然として不透明である。
 こうした中、同日午後にオーストリア政府と「ヒバクシャ国際署名」が主催する第1委員会の関連行事が国連本部内で行われ、SGIが後援団体として参加。ヒバクシャ国際署名は、核兵器のない世界の実現を目指して、2016年4月に被爆者の呼び掛けで始まった署名活動であり、創価学会平和委員会も運営団体として参画している。
 関連行事では、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)国際運営委員で、この行事の後援団体である「ピースボート」共同代表の川崎哲氏、オーストリア政府代表部のジャン・キッカート大使があいさつした。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉76 希望を届ける「人間の機関紙」 聖教の拡大は広宣流布の拡大  会場提供者に心から感謝を

〈出席者〉
原田会長
長谷川理事長
永石婦人部長
西方男子部長
大串女子部長

東京・信濃町の総本部に堂々そびえる「創価学会 世界聖教会館」。新たな師弟の言論城から、新たな師弟の凱歌を!


東京・信濃町の総本部に堂々そびえる「創価学会 世界聖教会館」。新たな師弟の言論城から、新たな師弟の凱歌を!

 長谷川 台風19号による記録的な大雨が甚大な被害をもたらしています。被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。

 原田 学会本部としても災害対策本部を設置、各地と連携して被害状況の把握、会員の励ましなどに全力をあげています。また、被災地の一日も早い復旧・復興を真剣に祈念してまいります。
師の大恩に報いる
 大串 VODの新番組「人間の機関紙・聖教新聞」に感動が広がっています。

 西方 冒頭には、池田先生が小説『新・人間革命』第1巻「慈光」の章につづられた言葉が紹介されています。「一般の新聞は、暗いニュースに満ちている」「そうした社会のなかで、人々が、どうすれば希望を見いだしていけるのか」「また、人生の苦悩に対して、いかに挑み、克服していくかを教えている新聞もない」「それをやっているのは、聖教新聞だけじゃないか」と。

 原田 番組では、まさに先生の言葉通り、大災害や家族の病気、自身の宿命に直面する中、聖教新聞と共に希望の人生を歩んでいかれた方々が登場します。

 永石 「私が入会を決めた時」の欄にも掲載された、婦人部の方の体験が本当に感動的でした。その方は結婚後に転居し、新しい環境で孤独と不安を抱えながら新生活を送っていました。そんな時、親戚の学会員との付き合いで購読していた聖教新聞の見出しの「人生の達人」という言葉に目がくぎ付けに。記事を読むほどに、自分が求めていた、前向きな生き方を見いだすようになっていきました。

 長谷川 その後、一家で入会されたのですが、ご自身の体験から、聖教新聞を“すぐに読まなかったとしても必ず読むチャンスが巡ってくる”と語っていたことが印象に残っています。

 原田 先生がかつて「聖教の拡大は『希望の拡大』『正義の拡大』である。『仏縁の拡大』であり『広宣流布の拡大』である」と指導された通りのドラマですね。今回のVODを皆で視聴し、「人間の機関紙」聖教新聞の深き使命を再確認していきましょう。

 西方 3日付の随筆には1970年にかつての聖教新聞本社屋が落成した時のことがつづられています。

 大串 当時のことは、小説『新・人間革命』第14巻「大河」の章に詳しく描かれていますね。

 原田 社屋の落成披露祝賀会には各界の来賓約1000人が招かれました。先生は正面玄関で2時間以上にわたって来賓一人一人を出迎え、全員と名刺を交換されながら、深々と挨拶をされていました。私自身その場にいて、ここから新しい学会の真の理解者をつくり、新しい時代を切り開くのだという先生の気迫に圧倒される思いがしました。

 長谷川 「大河」の章には、その時の真情が「人と直接会い、誠実に言葉を交わすことから、信義と友情のドラマは幕を開ける」とつづられています。先生が、聖教新聞社を舞台に人間外交の範を示してくださったのです。

 原田 さらに、当時の編集幹部には次のように語られています。「建物が立派になり、みんなが喜んで働けることが、私は、何よりも嬉しい。しかし、あの市ケ谷のビルの狭い一室で、新聞を作っていたころの苦労を忘れてはいけない。環境が整えば整うほど、創刊のころの精神を、常に確認し合っていくことが大事ではないだろうか」

 長谷川 この「市ケ谷のビル」には、51年4月に聖教新聞が創刊された、その翌月から使われた編集室がありました。カメラは旧式のものが1台あるだけ。二つの机を並べるのが精いっぱいの狭い部屋だったそうです。その小さな部屋で作られた聖教新聞が同志を鼓舞し、広布の勢いを加速させていったのです。

 西方 まさに、聖教新聞は、戸田先生と池田先生の死身弘法の闘争のもと発展していったのですね。

 永石 そして今や聖教新聞は、仏法を根幹に世界へ広がる「平和」と「文化」と「教育」の運動のための機関紙ともなっています。

 原田 いよいよ、世界聖教会館完成の「11・18」を迎えます。新しい会館が建ち、新しい時代を迎える時だからこそ、私たちは、常に草創の魂と師匠への感謝を忘れず戦いを起こしてまいりたい。

 永石 今、世界聖教会館の完成をお祝いしようと、全国の同志の皆さんが“自分史上最高”の聖教拡大を目指し、挑戦されています。先生の大恩に報いたいとの熱き思いに接し、私自身も決意を新たにしています。

 原田 世界広布新時代の言論戦は私たち一人一人が主体者です。「師とは師匠授くる所の妙法 子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり」(御書748ページ)との御聖訓の通り、師匠と同じ広布の大願に立ち、聖教新聞と共に学会創立90周年へ前進してまいりたい。

無量無辺の福徳が
 大串 今月も、各地で座談会が行われます。

 原田 ここで改めて、会場の提供者の方々への配慮について、確認し合いたいと思います。

 永石 会場を使わせていただくことを“当たり前”ととらえず、常にご家族や近隣への心配りをしていくことが大事ですね。

 長谷川 ルールを決め、皆で守っていくことも大切です。会合終了時間の厳守、終了後の早めの解散や、清掃など、リーダーが責任を持ち、励行していきましょう。また、周辺の路上での私語や、迷惑な駐車・駐輪などは厳に戒めていきたい。

 原田 池田先生は、会場を提供してくださるご家庭に対して、「大聖人から『善哉。善哉』と誉め讃えられ、無量無辺の大福運が積まれることは、絶対に間違いない」と語られています。私たちも会場提供者の皆さんに、最大に感謝を申し上げていきましょう。


◆東京富士美術館で好評開催中 「フランス絵画の精華」展 2019年10月14日
 27点の日本初公開作含む17~19世紀の名画が勢ぞろい 展示の魅力を紹介

展示室には、フランスのみならず、イギリスやドイツから集結したフランス絵画の名品が並ぶ。日本初公開作も27点と多数

展示室には、フランスのみならず、イギリスやドイツから集結したフランス絵画の名品が並ぶ。日本初公開作も27点と多数

 東京富士美術館(八王子市)で「ルネ・ユイグのまなざし フランス絵画の精華――大様式の形成と変容」が好評開催中である(主催=同美術館、読売新聞社)。著作執筆や後進の育成など、美術界に多大な貢献をした美術史家、故・ルネ・ユイグ氏。同展は東京富士美術館の発展に尽力した氏に敬意を表して、フランス絵画の壮大な流れを巡る展示である。ここでは学術監修者の大野芳材氏(美術史家)と、ルネ・ユイグ氏の子息のフランソワ=ベルナール・ユイグ氏に展示の魅力を聞いた。

美術史家・学術監修者 大野芳材氏
●“源流”に触れるまたとない機会
 17世紀のフランスではイタリアやネーデルラントの影響を受け、理想の美を古代に求め、デッサンを重視する古典主義が発展しました。画家たちは職人としてではなく、詩人らのように芸術家として認められようと、文学的な内容を“線”と“色彩”でも表現できるように努力を重ねたのです。
 当時を代表する画家の一人、プッサンの「コリオラヌスに哀訴する妻と母」は、今回の出展が日本初です。政争に敗れてローマを追われた将軍・コリオラヌスは、隣国でローマとの戦いのために軍の指揮を任されます。この絵は妻と母に制止されてコリオラヌスが剣をさやに納めようとする場面で、「家族の愛と絆」を表しています。
 全ての登場人物が一つの物語のために身ぶりと表情を通して存在しており、これは古典主義の典型的構成といえます。左端に立つ女性は、兜にオオカミが飾られていることから、ローマの擬人像と考えられます。制作当時、フランスではフロンドの乱が勃発していました。ローマにいたプッサンはそれを案じて、争いを非難する意図を、絵に込めたのかもしれません。
 この時代に描かれた歴史を主題とする絵画を鑑賞する際は、古典や人物などの基礎知識を頭に入れておくことが不可欠です。音声ガイドや展示キャプションを参照して、画家が伝えたかった思いをじっくりと考えてみることをおすすめします。
 同時代のクロード・ロランらによる歴史風景画も並びます。古代文学のテーマを踏まえて、自然の中で生きる人間の姿を詩的に描写した絵は、素直に楽しめるはずです。
 18世紀のフランスは、華やかで開放的なロココ美術の最盛期。ルイ14世が晩年、親密的で感覚をくすぐる美術を好むようになり、美術も色彩が重視されるようになった時代です。
 当時を代表する画家ヴァトーの「ヴェネチアの宴」も初来日で、フランスでさえなかなかお目にかかれない作品です。男女がそれぞれ会話に熱中していて、一つの動作に集中していません。色使いや真ん中に立つ女性のドレスの質感はお見事。左端にいる男性は彼女とのダンスを所望しています。ダンスはお互いの気持ちを合わせていくものですから、愛の成り行きを暗示しているともいえます。なお、これとは別に大英博物館所蔵のヴァトーのデッサンも展示され、筆致や絶妙な視線の表現を堪能できるでしょう。
 ブーシェの「羊飼いのイセに神の姿を見せるアポロン」は、ルイ15世の寵姫ポンパドゥール夫人が、演劇で主役を演じた際に記念に注文したとされます。右下に描かれた女性、イセの面立ちは夫人に似ています。アモル(羽のある童子)が、らせん状に舞う軽やかな動きのある構図や、パステル調の柔らかな色彩が目を引きます。
 ヴァトーとブーシェの作品は、まさにロココ美術の特徴を表しているといえます。
 その後、18世紀後半にフランスで革命が起こり、権威への敬意が揺らぎます。美術界では伝統に回帰する新古典主義と、個人の内面世界を開拓する革新的なロマン主義の二つのうねりが起きていました。
 アングルの「オルレアン公フェルディナン=フィリップ、風景の前で」(日本初公開)は線が明確で、まさに新古典主義的。ただ、肖像画の人物の左手が異様に長い。形式美にこだわったのでしょう。伝統を重んじながらも刷新を試みたアングルの姿勢が見られます。オルレアン公は政治的に保守派でしたが、改革への意志も持ち合わせており、アングルと価値観の部分で共鳴していたそうです。
 デッサン重視で、滑らかな絵肌に仕上げる傾向は19世紀の「ポンピエ」と呼ばれる一群の画家たちに受け継がれます。本展にもブグローら代表画家の作品が並ぶので、合わせて見てほしいです。
 もう一つ注目していただきたい作品は、スペインの作家セルバンテスによる小説の一場面を描いた、ドラクロワの「書斎のドン・キホーテ」。騎士物語に熱中して狂気にとらわれたドン・キホーテの表情や絵の色彩、タッチにロマン主義の要素が凝縮されています。
 この作品もそうですが、東京富士美術館所蔵の17~19世紀の絵画コレクションは、質と量ともに日本屈指のものばかり。開館当初(1983年)から、収集の助言をしたのがルネ・ユイグ氏だと聞いて納得です。海外の作品と並べても全く遜色ありません。
 本展は、この所蔵絵画と合わせて、フランス独自の絵画が生まれ、発展してきた流れを見ることができる“またとない機会”です。後の印象派などとの関連や特徴を発見するきっかけにもなるでしょう。
 ユイグ氏が日本でまいたフランス絵画への“愛の種”が、どのように花開いたか。ぜひ会場でご覧ください。

大野氏の講演会を開催 
 「フランス絵画の精華」展に並ぶ絵画の魅力を学術監修者自ら解説します。10月26日(土)午後2時から約1時間半。定員は200人で、当日午後0時半より入場整理券を配布します。参加無料(展示の入場料は必要)。
案内
 ▽会期=明年1月19日(日)まで。月曜休館(祝休日は開館し、翌日が休館)。12月26日(木)~1月3日(金)は休館。
 ▽開館時間=午前10時~午後5時(入館は同4時半まで)。
 ※入場料や記念イベントなどの詳細は、ホームページ=www.fujibi.or.jpを参照。

美術史家ルネ・ユイグ氏の子息 フランソワ=ベルナール・ユイグ氏
●東西の哲人の友情が開いた仏日文化交流の道を未来へ
 「フランス絵画の精華」展には、17~19世紀の絵画が並んでいます。その時代の画家たちが受け継いできたフランス絵画の源流を、非常によく理解できるのではないかと思います。
 父ルネ・ユイグがこの展覧会を見たら、自身の名前が冠せられたことを誇らしく思ったでしょう。また、これほどの名画を間近で鑑賞し、理解し、意味を解釈できる機会が日本にあることを大変に喜んでいたに違いありません。
 父が母と共に、東京富士美術館の展示開催やコレクションの形成に力を尽くしたのは、いうまでもなく、美術館の創立者である池田大作SGI会長と一生涯にわたる友情を育んだからでしょう。
 1974年に、両親が池田会長と初めて会見した時、まだ私は学生でしたが、自宅に帰ってきた父と母が“すぐに心が通い合った”と語っていたことを覚えています。
 父と池田会長の友情は対談集『闇は暁を求めて』に結実しました。仏教者である池田会長との対話は、知性を非常に刺激する体験だったと父は言っていました。
 地理的距離を超えて、東洋と西洋の哲学者が環境問題や政治問題の展望を語り合ったこと、そしてその語らいが現代にも通じる意義を持つことに、私は感銘を受けています。
 新鮮な意気込みで、フランス文化を日本に紹介しようとする東京富士美術館の発展に貢献することは、父にとっても幸せなことだったはずです。生前、何度も東京富士美術館への高い評価を口にしていました。
 今、私はフランスのシンクタンクで研究部長を務めています。研究の一環で日本を初めて訪問したのは91年。かつて海のシルクロードを結んだ場所を巡る、ユネスコの調査に参加した時のことです。私と妻はこの後、シルクロードに関する本を出版しました。ベネチアを出発し、最後に寄港した地が大阪です。そこで、池田会長とお会いしました(91年3月)。
 会長は「私も人々を結ぶ『現代のシルクロード』を建設する決心で働いています」とおっしゃっていました。平和のために文明間対話を進められている姿勢は、父から聞いていた通りで深く感動しました。
 人々は古くから、シルクロードという商業の道を通じて、交流し、文化的に影響を与え合ってきました。
 現代においても、世界の発展と平和のために交流が必要です。なかんずく、文化交流が大切だと思います。
 今回の訪日で葛飾北斎の趣深い作品を見る機会がありました。印象派は浮世絵から影響を受けたといわれます。胸にぐっと迫ってきました。
 今回の「フランス絵画の精華」展も、フランスの精神が日本の人々に伝わる好機となるでしょう。
 このような交流を通じて、仏日間の民衆にさらに良好な関係が築かれることを望みます。


◆〈世界の機関紙・誌から〉 台湾SGI 羅志喩さん 2019年10月14日
 希望と勇気を送る音律を 吹奏楽「天鼓楽団」をコンクール第1位に導く

 「コンクールに出て、1位を目指しましょう!」
 2005年、台湾SGIの吹奏楽団「天鼓楽団」の練習を終えたある日のことです。団長の口から飛び出た一言に、私は耳を疑いました。その5年前、アメリカから台湾に戻ってきた私に、天鼓楽団の指揮者の話があった時、私は「台湾SGIのメンバーでなくても、いいのですか?」と聞き、「もちろん、結構です。技術面をしっかり磨いてください」と依頼されていました。
 当初は団員も少なかったため、さまざまな場で募集を呼び掛け、ようやく各パートの奏者がそろってきた段階です。年齢層も、小学校の高学年から社会人と幅広いため、全体練習は1カ月に1度できるかできないか。それでも欠席者がいるような状況でした。
 “こんな状態で、1位を目指すなんて不可能だ。もし優勝できたなら、私は台湾SGIに入会してもいい”と心の中で思ったほどです。
 それでも、コンクール出場という目標が定まると、団員の士気は高まり、技術も急速に進歩していきました。
 決定的だったのは、3月に台湾を訪問した創価大学のパイオニア吹奏楽団との交流です。技術面だけでなく、精神面でも大きな刺激を受け、全員が心一つに団結し、飛躍的に成長。私もその姿に感動し、全力で指導に当たりました。
 そして迎えた4月、台湾全土から代表が集う第5回「台湾管楽協会杯 管楽コンクール」に出場し、一般部門で、見事に第1位を獲得したのです。本当に驚きました。
メンバー全員が私の入会紹介者
 なぜ優勝できたのか、私はずっと考えました。
 ある時、一人の台湾SGIメンバーから「音楽や芸術分野では、努力や実力はもちろん大事だが、必ずしも成功するとは限らない。だからこそ自身の根底に、信念を貫く信仰、人生に立ち向かう哲学が必要だと思う」と言われ、目が覚める思いがしました。
 天鼓楽団一人一人の成長と実証を目にした時、私は深く納得したのです。06年5月に晴れて入会。紹介者は誰かとよく聞かれますが、誰か一人ではなく、天鼓楽団の全員が私の紹介者なのです。
 そして、この入会は私の音楽の道にとっても大きな転換点になりました。
 私の父は中学校の音楽の先生でした。そのため、私も自然と音楽に触れる環境で育ちました。
 小学生の頃から父にトランペットを習い、中学では、父が指導する学校の吹奏楽団に所属。16年連続グランプリの一員になった経験もあります。
 ただ勉強はあまり得意ではありませんでした。ある日、父から「学業が苦手なら、何か一つ特技を身に付けるか、体を鍛えて軍人の道に進みなさい」と言われ、あまり深く考えずにトランペットを選んだのです。
 しかし、この時から地獄のような生活が始まりました。父はとても厳格で、朝・昼・晩、さらに夜中も練習を強いられ、唇はまひし、紫色に変色。人と会話をしている時に、よだれが垂れても気付かないほどでした。
 当時はつらかったですが、そのかいあって台北市の芸術高校をへて、1993年、米ノースカロライナ州のアパラチアン州立大学ヘイズ音楽学校に入学。99年には専攻をチューバに変えて同大大学院に進学し、大学院1年次には栄誉学生に選出されました。
 2000年の年末、台湾に戻り、米国留学時代のルームメートの紹介で天鼓楽団の指揮者になったのです。
大学院指揮者コースに合格
 当時は他にもいくつかの楽団を指導していましたが、指揮者としての学位がないため、なかなか生活が安定しません。
 03年、私は意を決して、大学院の管弦楽団指揮者コースへの入学を決意。04年から受験を開始しましたが、その後6年間、連続不合格が続いたのです。台湾SGIに入会したのは、そのさなかでした。
 “もう合格できないのではないか……”との弱気な心に打ち勝つことができたのは、この信仰が支えになったからであり、天鼓楽団をはじめとする同志の励ましのおかげです。
 “絶対に諦めない”と自身の心を奮い立たせ、11年、ついに念願だった台湾芸術大学指揮者大学院に合格。指揮の師と仰ぐ教授との出会いも築くことができました。
 そして今、台北市立交響管楽団のチューバ奏者として活動しつつ、天鼓楽団の他に、小学校4校、中学校2校、1大学と、7楽団の指導を受け持っています。
 先日、父とゆっくり話す機会がありました。
 「学生は、国を担う未来の柱だから、教師の責任として、心を尽くさなければいけない。教育にそそぐ力を緩めてはいけない」と熱っぽく語ってくれ、御書に出てくる「槻の木の弓」の故事を思い起こしました。
 〈幼い頃、子は自分を打つ父を恨み、槻の木を憎むが、やがて自分が人を教える立場になり、振り返ると、親が槻の木の弓で自分を打ってくれたから、大成できたことに気付く〉
 父の厳しい訓練と、どこまでも温かい同志の励ましと、くめども尽きぬ学会指導があったからこそ、今の自分があると深く感謝しています。
 池田先生の「音楽隊訓」に「地涌の菩薩の士気を鼓舞し、苦しい同志に、悩める同志に、希望を与え、勇気を与える、音楽隊の使命を、全うしていただきたい」とあるように、今度は私が、メンバーに希望と勇気を送れるよう、さらに前進していく決意です。〈世界の機関紙・誌から〉 台湾SGI 羅志喩さん 2019年10月14日
 希望と勇気を送る音律を 吹奏楽「天鼓楽団」をコンクール第1位に導く

2019年10月13日 (日)

2019年10月13日(日)の聖教

2019年10月13日(日)の聖教

◆わが友に贈る

健康・無事故こそ
一切の基盤だ。
いくら注意しても
しすぎることはない。
皆で賢明な声掛けを!

◆名字の言

ノーベル化学賞に決まった吉野彰氏は、英国の科学者ファラデーの著書『ロウソクの科学』が、科学への興味を持ったきっかけという。大手通販サイトでは、同書が早くも売り切れ状態に▼1825年、王立研究所の研究所長に就任したファラデーは、研究所を社会に開かれたものにしようと、いくつかの企画を推進した。その一つが「少年少女の聴衆のためのクリスマス講演」。『ロウソクの科学』は、彼が69歳の時に行った、この講演をまとめたものだ▼子どもたちのための講演が、世紀を超え、一人の日本人を魅了した事実に感動する。電気分解の法則の発見など、ファラデーは数々の業績を残した。講演などを通して、青少年の心に科学への興味の灯をともしたことも、貢献の一つであろう▼『ロウソクの科学』は、こう締めくくられる。「すべての行動において、人類に対する皆さんの義務の遂行において、皆さんの行動を正しく、有益なものにすることによって、ロウソクのように世界を照らしてください」(竹内敬人訳)▼御書に「人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし」(1598ページ)と。社会に貢献しようという志が、自分の人生を大きく開いていく。先達の人生と歴史によって、“実験証明”された普遍の法則である。(嶺)

◆寸鉄

   SGIの多角的運動は幅
 広い意味での教育―総長
 最高の人間学を学ぶ誇り
      ◇
 東京・台東の「女性の日」。
 婦女一体の麗しき連帯。
 弾む心で幸と友情を拡大
      ◇
 「仏をば能忍と名けたて
 まつる」御聖訓。不撓不屈
 が学会魂。師子王の如く
      ◇
 はしか再び増加傾向と。
 妊婦、ワクチン未接種の
 人は注意。嗽・手洗い励行
      ◇
 壁を乗り越えればどんど
 ん成長できる―化学賞受
 賞者。我らも使命の道で

◆社説 「日蓮大聖人御入滅の日」  人間主義の世界宗教へと飛翔

 全民衆の幸福を願って、死身弘法で妙法を流布された日蓮大聖人は、弘安5年(1282年)10月13日、61歳で御入滅された。今日で737年となる。
 その尊き御生涯は、迫害の連続であった。「少少の難は・かずしらず大事の難・四度なり」(御書200ページ)と仰せのように、当時の幕府や宗教界から、また世間の人々から幾多の迫害を加えられた。松葉ケ谷の法難、伊豆流罪、小松原の法難、そして竜の口の法難・佐渡流罪と、命に及ぶ大難にも四度、直面された。
 しかし、大聖人は「日蓮一度もしりぞく心なし」(同1224ページ)と、度重なる苛烈な弾圧にも、決して屈することはなかった。むしろそれらを、法華経に説かれる「三障四魔」「三類の強敵」が競い起こったことの証左であるとされ、迫害のたびに、御自身こそが経文を“身読”した「法華経の行者」であるとの確信を深められていったのだ。
 御聖訓には、「難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし」(同202ページ)とある。どのような迫害を受けようとも、苦悩の民衆を救う慈悲の大闘争を貫いていく――この「忍難」と「慈悲」の行動にこそ、日蓮仏法の真髄は輝いているといえよう。
 弘安5年(1282年)秋、御入滅の直前にも、大聖人は武蔵国池上(東京都大田区池上)で、病をおして「立正安国論」を講義されたと伝えられている。
 民衆の幸福を何よりも願われた大聖人は、「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也」(同955ページ)と仰せのように、最後の最後まで、令法久住のため、広宣流布のために、命懸けで戦い抜かれたのである。
 現代にあって、この大聖人の魂を正しく継承し、御本仏の御遺命である世界広宣流布を現実の上で進めているのは、創価学会であることはいうまでもない。
 創価三代の師弟、なかんずく池田先生の不惜身命の闘争によって、日蓮仏法は人間主義の哲学の翼を大きく広げ、世界192カ国・地域を赫々と照らす太陽の仏法として、世界宗教へと飛翔しゆく。
 大聖人は、青年門下・南条時光に対して、「ただをかせ給へ・梵天・帝釈等の御計として日本国・一時に信ずる事あるべし、爾時我も本より信じたり信じたりと申す人こそおほくをはせずらんめとおぼえ候」(同1539ページ)と、広宣流布は必ずできることを断言された。
 池田先生は、そのための第一歩こそ“眼前の一人を励まし、勇気と希望を送ること”と示している。自らが周囲を照らす太陽の存在に――大聖人直結の創価の師弟の生き方は、いや増して輝きを放ちゆくに違いない。

◆きょうの発心 信念・努力・忍耐の人材城を 2019年10月13日

御文 但し御信心によるべし、つるぎなんども・すすまざる人のためには用る事なし、法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼に・かなぼうたるべし(経王殿御返事、1124ページ・編569ページ)
通解 ただし、あなた方の信心によるのである。剣なども、進まない人のためには何の役にも立たない。法華経(御本尊)の剣は、信心の強い人が用いてこそ、役に立つ。まさに鬼に金棒である。

 潔い、勇気ある信心にこそ御本尊の功力は現れる、と仰せです。
 関西創価高校3年だった2000年(平成12年)2月28日、池田先生とお会いする機会が。“私の夢は、戸田先生の夢を実現することです”“本当の勝利とは、「自分自身の心に勝つ」ことです”との先生の指導に触れ、「自身も弟子として勝つ人生を」と決意しました。
 しかし、その年、大学受験に失敗。さらに、弟がけんかで暴行を受け、身体障害などの後遺症に悩むように。家族で宿命転換を懸け、対話拡大に挑戦しました。
 翌年、私は大学進学を勝ち取り、初の弘教も成就。弟も徐々に回復し、現在は後遺症を乗り越え、競艇選手として活躍しています。
 牙城会が、「信念の人」「努力の人」「忍耐の人」との永遠の指針を頂いてから明年で40周年。創価の城を護り抜き、広布を現実社会で展開する牙城会を、必ず築いてまいります。
 牙城会委員長 金田陽介


【先生のメッセージ】

◆第41回全国人間教育実践報告大会から  池田先生のメッセージ
 一人一人を尊び敬いながら 人生を勝ち開く生命の力を!

 教育で結ばれた心の絆は、国を超え、時を超えます。今日のこの教育の広場を、私がぜひともお見せしたかったと思う先生がおります。
 ここ富山県のご出身で、わが青春の母校「大世学院」(現在の東京富士大学)の創立者であられる高田勇道先生であります。高田先生ご自身が教壇に立ち、やや甲高い声で熱弁をふるってくださったお姿が思い出されてなりません。
 病を抱えておられたゆえ、時折、咳き込みながらも、「将来を担う人物が、どんどんと出てもらいたい。私はそれを信ずる」と、それはそれは烈々たる気迫で、私たち青年を励ましてくださるのが常でした。
 高田先生は断言されました。教育とは「学生に生命を与えていくことである」と。すなわち、単に知識や技術を教えるだけでなく、一人の人間として現実社会の中で人生を勝ち開いていける「生命の力」を贈ることこそ、教育の本義である、との信念でありました。
 それは、富山に隣接する新潟と石川を故郷とする、牧口常三郎先生と戸田城聖先生が掲げた、わが「創価教育」の哲学とも強く深く響き合うのであります。
 教育は「生命といふ無上宝珠を対象とする」ゆえに、「最優最良の人材にあらざれば成功することの出来ぬ人生最高至難の技術であり芸術である」(『牧口常三郎全集6』所収「創価教育学体系(下)」第三文明社)との確信こそ、創価教育を貫くものでもあります。
 本日、お集まりの先生方は、日本、そして、世界の未来を描いていく人間教育の大技術者であり、大芸術家にほかなりません。
 仏典には「鏡に向って礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり」(御書769ページ)という美しい譬喩があります。一人ひとりの若き命を尊び、敬い、励まし、共に学びゆく教育こそ、まさしく相互の生命を最大に光輝あらしめる聖業なのであります。
 聖業なるゆえに言い知れぬ労苦の連続でありましょう。なればこそ、聡明に健康第一で、良き仲間と励まし合いながら、たくましく朗らかな前進をお願いします。
 そして、富山の秋の大地に咲き誇るコスモスの花の如く、烈風にも負けない、子どもたちの幸の笑顔を爛漫と咲き薫らせていこうではありませんか!(大拍手)


【聖教ニュース】

◆「日蓮大聖人御入滅の日」勤行法要  広布の誓い新たに立正安国の前進を

原田会長の導師で、厳粛に執り行われた「日蓮大聖人御入滅の日」の勤行法要。日蓮大聖人の崇高な御生涯を偲び、世界広宣流布への誓いを新たにした(広宣会館で)


原田会長の導師で、厳粛に執り行われた「日蓮大聖人御入滅の日」の勤行法要。日蓮大聖人の崇高な御生涯を偲び、世界広宣流布への誓いを新たにした(広宣会館で)

 「日蓮大聖人御入滅の日」の勤行法要が11日、各地で執り行われた。これは、弘安5年(1282年)10月13日の大聖人の「御入滅の日」の意義をとどめたものである。
 池田大作先生は、総本部(東京・新宿区)の創価学会第2別館で厳粛に勤行・唱題し、末法の御本仏への報恩感謝と、世界広宣流布への誓願を捧げ、全同志の幸福と勝利と無事安穏を深く祈念した。
 また各部の代表による勤行会は、原田会長を中心に、広宣会館(学会本部別館内)で行われた。
 席上、会長は御入滅の2年前に大聖人が記された「月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり」(御書588ページ)を拝読。末法において、仏法が日本から東洋、世界へと広まっていくという「仏法西還」の未来記を示され、その実現のために立正安国の闘争を貫かれた大聖人の崇高な御生涯を偲んだ。
 続いて会長は、この大聖人の御精神と「アジアの民に 日をぞ送らん」と詠んだ戸田城聖先生の心を胸に、池田先生が1961年(昭和36年)、インドを初訪問した歴史に言及。当時、現地の会員と出会うことはなかったものの、仏教発祥の地に「東洋広布」の石碑を埋納するなど、東洋広布の布石を打った先駆の行動を紹介した。
 その上で、会長が先月に訪れたインドとタイでは、“師の心をわが心”とする同志の闘争によって、それぞれ今や幾十万の堂々たる地涌のスクラムが築かれ、「良き市民」として社会に貢献する友の前進を、各国の指導者らが称賛する時代になったと強調。「私たちもまた、師弟の不惜身命の闘争を受け継いで世界広布のために尽くし、“未来の地涌の菩薩たち”に胸を張れる日々を歩んでいこう」と呼び掛けた。

◆台風19号 各地で被害相次ぐ 学会本部に対策本部 2019年10月13日

 大型の台風19号の影響で、12日から各地で浸水被害や停電などの被害が相次いでいる。
 これに対し、学会本部では、原田会長を本部長とする災害対策本部を設置。9月の台風15号で甚大な被害を受けたことを受け、いち早く対策本部を立ち上げた千葉(千葉文化会館、本部長=高木総千葉長)はじめ首都圏、中部、東北の各都県の対策本部などと連携を密にしながら、被害状況の把握、会員の激励などに全力を挙げている。

◆平和の連帯をスペインから  「SGI提言」小冊子出版を記念するシンポジウムを開催

一人一人の行動で平和な世界を!――参加者が誓いを深め合ったシンポジウム(スペイン文化会館で)


一人一人の行動で平和な世界を!――参加者が誓いを深め合ったシンポジウム(スペイン文化会館で)


 世界平和の建設を私たちの熱と力で!――友情と幸福のスクラムを大きく広げるスペイン創価学会の各種の集いが、首都マドリード近郊のスペイン文化会館で行われた。
 9月27日には、同創価学会主催のシンポジウム「持続可能な未来に色彩を――“2030アジェンダ”への青年の関わり」が開催。池田先生の本年の1・26「SGI(創価学会インタナショナル)の日」記念提言のスペイン語版小冊子の出版を記念するものである。
 シンポジウムでは、国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」の重要性を伝えるビデオ上映の後、学生部の代表がSDGs啓発アプリ「マプティング」の概要などを、寸劇を通して紹介した。
 女子部のカルラ・ペレスさん、ラファエラ・トティキさんが、ボランティアや人権擁護活動などに参加し、自他共の幸福のために尽くした模様を報告。ソサ青年部長は「青年が主体者となって、社会をより良く変革していこう」と訴えた。
 この模様は、全国50会場でインターネット中継された。
 10月5日には、スペインの代表幹部会が盛大に開かれた。
 代表のメンバーが、日本でのSGI青年研修会(8月29日~9月2日)に参加した模様などを発表し、婦人部のイケルネ・ゴイコエチェアさんが、拡大の歓喜を報告。ゴンサレス男子部長、ベンディンガー女子部長の担当で、「職場で悩む友への激励」「不惜身命の実践」などをテーマに学び合った。ロシェ婦人部長のあいさつに続き、カプート理事長が「青年部・未来部の友を支え、励まし、異体同心の団結で進もう」と呼び掛けた。
 翌6日には、中央方面の代表メンバーの研修会が行われた。
 カプート理事長が御書をひもときながら、「宿命転換」について講義。ピラール・ロドリゲスさん、カリーナ・サラサールさん、シルバーナ・フィオランテさんが、一家和楽の信心に挑みゆく様子を語った。ロシェ婦人部長、イトウ書記長らが激励した。

◆小説「新・人間革命」 デンマーク語版 第7巻が発刊  世界各地で研さん運動広がる

 池田先生の小説『新・人間革命』の研さん運動が今、世界各地に広がっている。
 インドでは毎月、地区単位で勉強会を開催。2021年10月に「池田先生の初訪問60周年」を迎える欧州では、青年部が中心となって研さんキャンペーンを展開する。
 この大潮流に時を合わせ、小説『新・人間革命』第7巻のデンマーク語版(写真)が発刊された。
 「文化の華」「萌芽」「早春」「操舵」の4章を収録する。
 「早春」の章は、1963年1月、ドイツ支部結成の準備のために、学会代表がアメリカ・アンカレジを経由し、デンマークのコペンハーゲンで、ヨーロッパの連絡責任者と合流するシーンからつづられている。
 山本伸一は同月15日にパリのオルリー空港に到着すると、翌16日には、ヨーロッパ総支部・パリ支部の結成大会へ。その際に行われた質問会で、伸一は、こう語った。
 「太陽あるところ、希望の光が差し、幸福の花々が咲き乱れる。その春を告げる太陽はどこにあるのか。それは皆さんの胸中にある。いな、皆さん自身が、家庭に、地域に、職場に、社会に、幸福と平和の春をもたらす太陽なのです」
 海外13言語に翻訳され、“信心の教科書”、創価の“精神の正史”として、世界中で読み深められている『新・人間革命』。一人一人に使命の自覚を促し、人類の未来を照らしゆく力となろう。

【特集記事・信仰体験など】

◆第41回全国人間教育実践報告大会から 2019年10月13日

富山市の富山県民会館で行われた第41回「全国人間教育実践報告大会」

 富山市の富山県民会館で6日に開催された第41回「全国人間教育実践報告大会」(主催=創価学会教育本部、後援=北日本新聞社、富山テレビ放送、北日本放送、チューリップテレビ、外山エフエム放送、牧口教育基金会) 。ここでは池田先生のメッセージ、登壇した4人の実践報告、講評を紹介する。


◆〈世界のザダンカイ〉 パラグアイ  語り合う深め合う

サンタ・ロサ支部エンカルナシオン地区の友はパラグアイの“広布源流”の誇りに燃えて


サンタ・ロサ支部エンカルナシオン地区の友はパラグアイの“広布源流”の誇りに燃えて

 大いなる共感と触発と歓喜の広場――「ザダンカイ」は、世界共通の言葉である。日本から約1万8000キロ離れた南米パラグアイでも、創価家族の語らいが弾んでいた。8月中旬、エンカルナシオンとアスンシオンを訪れ、その模様を取材した。

エンカルナシオン
 パラグアイの南東部に位置するイタプア県の県都エンカルナシオン。アルゼンチンとの国境をなすパラナ川沿いにある。
 エンカルナシオンとその周辺の移住地が、サンタ・ロサ支部エンカルナシオン地区の活動の舞台である。
「ここイタプア県はパラグアイ広布の源流の地です。私たちは、道なき道を切り開いた先駆者の汗と涙を忘れず、新たな広布の波を起こしていこうではありませんか!」
 会合の席上、タカシ・アタギ支部長が語ると、大拍手が。参加者の瞳には「源流」の誇りが光っていた。
 戦後、日本人移住者はエンカルナシオンの北東 16キロから始まるチャベス 移住地や隣接のフラム移住地などに入植した。移住者に与えられた広大な土地は原生林。木を切り出し、自分たちで家を建てるところから始めなければならなかった。
 この移住者の中に、学会員がいた。1961年、彼らを中心に、パラグアィ地区が結成されたのである。
 アタギさんの父,テツオさんもパラグアイ広布を切り開いてきた一人だ。57年に愛?で入会し、59年、妻と2人の子を連れてフラム移住地へ。日本から箱に詰めて持ってきた聖教新聞を手に、折伏に歩いた。生活は貧しかったが、心は充 実していた。「自分のことを祈ったことは、ほとんどないね。いつもあの人、この人と、誰かのことを考え、祈って動いてきましたよ」 テツオさんは現在、88歳。「”こんないいところはない"と心の底から感じています」
 そんな広布の先駆者の心を継いで、今、同地区は、新たな発展の時を迎えている。???

 この日、司会を務めたのは未来部のロバート・ ルイス・ディアスさん。新入会で男子部のエドガル・ボルドンさんが信仰体験を披露し、女子部のジ ヱシカ・アタギさんが教学の研究発表、ジェニフーァ・フレテスさんが青年部の運動を紹介した。
  かって日系人中心の地区だったが、現在は約7割がパラグアイ人のメンバーだ。このうち、青年部が半数を占め、地区は活気に満ちている。
 アタギさんは語る。
「源流の誇りこそ私たちの原動力です。私自身、 毎年、2世帯の弘教が実り、個人折伏は20世帯を超えました。その大半が 現地の青年です。私たちは今再び、先駆者の自覚で対話に打って出ます」

アスンシオン
 首都アスンシオンでは毎週、班(日本のブロック)を中心に座談会を開いている。今回、取材した三つの班座談会は、いずれも「全員参加型」の内容だった。
 王者支部のビスタ・アレグレ班では「慈悲」をテーマにディスカッションを。
 「慈悲の根本は抜苦与楽です。相手の話をよく聞くことから始まると思います」
 「悲しんでいる人を見たら、放っておけない。でも声を掛けるには勇気が必要ですね……」
 さまざまな意見が飛び交う中、中心者である婦人部のマリアナ・バレットさん(班長)が小説『新・人間革命』第9巻「鳳雛」の章の一節を紹介した。
 ――山本伸一が、小児麻痺の後遺症と経済苦に悩む友に同苦しながら、“強い心を育んでほしい”と願い、あえて厳しい口調で語った場面である。
 「あなたには、御本尊があるではないか! 迷ってはいけない。ハンディを嘆いて、なんになるのか。いくら嘆いてみても、事態は何も変わりません。また、すべての人が、なんらかの悩みをかかえているものだ。いっさいが恵まれた人間などいません。学会っ子ならば、どんな立場や状況にあろうが、果敢に挑戦し、人生に勝っていくことだ。どうなるかではなく、自分がどうするかです」
 バレットさんはこの一節を通し、語った。
 「慈悲は感傷的なものではありません。現実を嘆くのではなく、山本伸一のように、目の前の友と真剣に向き合うことが慈悲といえるのではないでしょうか」
 最後に、男子部のマティアス・サンチェスさん(副班長)が口を開いた。「皆、悩みは尽きません。だからこそ友のことを真剣に祈り、勇気を出して励ましを届けていきたいと思います」
                    ◆◇◆◇◆
 勝利支部の幸福班では「?べん殿尼御前御書」の一節を学び合った。
 担当は、男子部のヘラルド・アラルコンさん(班長)である。
 「第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし」(御書1224ページ)
 アラルコンさんは語った。「広宣流布は、やむことのない仏と魔との連続闘争です。ここでは、不退の信心こそ一切の魔を打ち破っていく極意であると仰せです」
 ここから、参加者は「魔の働き」について語り合った。
 「“このくらいでいいかな”と思ってしまう妥協の心。“自分には関係ない”という無関心。魔は自分の中に潜んでいますね。成長を妨げる働きがあると思います」
 「魔は、日常生活の中で突然、襲ってきます。でも教学を学び、活動に励めば、境涯が高まり、“これが魔だ”と見破ることができます。魔を打ち破るたびに、私たちは成長していけますね」
 参加者は「折伏に挑み続けていくことが、魔を打ち破る力であり、宿命転換の道である」と決意し合った。

◆〈ライフウオッチ――人生100年時代の幸福論〉 信仰体験 15年間の非正規雇用を経て正社員に 2019年10月13日
 人生は「総合競技」――  一つ負けても、他で勝てばいい

 「人生100年時代」の幸福論を探る「ライフウオッチ」。信仰体験のページでは、40歳前後の「アラフォー世代」の生き方を見つめる。この世代は就職氷河期にぶつかり、初職が非正規雇用であった人が多い。他の世代と比べて給与水準が低く、派遣労働者も多い。新卒で派遣社員となった原見正高さん(37)は本年4月、15年越しで正社員として採用された。彼は社会の現実と、どう向き合ってきたのか――。

 夢があった。ベースをかき鳴らし、ロックバンドで生きていく。
 「夢が忍耐を支える」――池田先生の『青春対話』を読んだ高校3年の時、音楽に生涯をささげると決めた。
  
 地元・北海道から創価大学に進学し、2004年(平成16年)に卒業。あえて就職活動はせず、バンド活動と両立できるよう、派遣社員の道を選んだ。
 日雇い派遣で倉庫業に就いたが1年で辞め、時給が高い3カ月更新の中期派遣に変えようと試みた。しかし、当時は派遣の求人さえ少なく、5カ月間、職探しを。「お金が底を突いて、50円のパンの耳が頼り」。ようやく決まったのが、今も働く大手電機メーカーだった。
 昼は仕事、夜は学会活動、深夜にバンドの練習に向かう日々は、充実していた。「あの頃の自分のように、目指すものがある人にとっては、派遣労働は融通が利いて働きやすい面もある」。週1回のライブを重ね、数多くの楽曲を制作。だが、30歳になる頃、壁にぶつかった。
 バンドメンバーが脱退し、やむなく解散。今さら新メンバーを探してやり直す気力はなかった。暮らしにも心にも、ぽっかり穴があいた。時間を埋めるように、深夜の加工食品倉庫のアルバイトを掛け持ちする。
  
 大学時代から、学会活動には一歩も引かずに頑張ってきたのに、「どうせ、信心しても夢をかなえる人なんて一握りだ」。加工食品が積み上げられた倉庫で、「自分の使命はどこなんだ……」とつぶやいても、誰も何も返してはくれない。
 ふと、田舎の父を思った。タイヤショップを営む父は毎晩、作業着をスーツに着替えて学会活動に駆けていた。
 倉庫で作業しながら、心の中で題目を唱えた。何日も何日も。いつしか心は晴れていく。“今は答えが見つからなくても、僕には信心がある!”
 深夜バイトは半年で辞め、朝から電機メーカーで働き、夜は思いっきり学会活動に励んだ。13年5月には、妻・司穂子さん(47)=白ゆり長=と結婚。自分と家族を支えるために、「仕事と生活が一気にリアルになった」。
 真面目な仕事ぶりが評価され、何度も正社員への登用の話があったが、そのたびに「派遣から正社員は異例」と立ち消えに。それでも、転職は考えられなかった。職探しを続けた“5カ月間の恐怖”が頭から離れなかった。
 しかし、いよいよ転職が難しくなるといわれる「35歳の壁」を前に、不安と焦りが募った。
 妻は大手家具メーカーの正社員。自分が先に帰宅し、妻の帰りを待つこともあった。「このままでいいのか……」。男子部の先輩に相談した。先輩の言葉は意外だった。「12年も頑張って、今の会社には十分に恩返ししたね」
 ふっと心が軽くなった。先輩が実践する仕事への“三つの祈り”を教えてもらう。「①広布のために②自分らしく働ける③一流の会社に」。妻と一緒に再び、真剣に御本尊に祈った。
 誓いの原点である『青春対話』を読み返した。すると“夢”の指導には続きがあった。
  
 〈夢がある人も、ない人も、ともかく走り続けることだ。また、人生は「総合競技」です。一競技で負けたって、ほかで勝てばいい。何かで勝てばいい〉
  
 派遣先の会社では、3年ごとに部署を異動し、派遣期間を更新してきた。「職場に深く根を張って、結果が出せるまで恩返しだ」と腹を決め、34歳で再び、契約を更新。今いる場所で“いてほしい人に”――学会で学んだ、仕事への姿勢を貫いた。
 社内の評価は年々、高まった。新たに部署が立ち上がる際には、「原見君を連れていきたい」と上司に言われた。聞いたこともない業界用語が飛び交う新部署でも誰よりも勉強し、仕事に向かった。
 次第に重要な業務も担うようになり、一昨年は数億円規模の商談を取りまとめ、昨年は新商品の開発プロジェクトも担当した。“いてほしい人に”と祈るうちに、「“自分の舞台はここだ”と思える環境になっていた」。
 そして、昨年、再び「正社員に」と声が掛かり、本年4月、グループ会社の正社員に採用された。気付けば、派遣社員として働き始めて15年がたっていた。
 当初は「本社じゃないのか」と迷いもしたが、働き始めると、今の職場の方が“自分らしく働ける”という発見があった。待遇も給与も大きく変わった。
 「信心に励んで、祈り切る中で決めたことは、自分にとって一番、“意味のある決断”になる」。それが今の実感だ。
 一方で、正社員になって生まれた悩みもある。非正規雇用の期間はキャリアの積み重ねがなく、「“下積み”を経験できなかった」と痛感している。それでも、未来に向かって生きれば、「学んだ分だけ、いくらでも可能性は広がる」。
 「人生は総合競技だから、僕の結果発表は“まだ先”。何度転ぼうが負けではない。その先に、どんな世界が見えるのか。これからも、池田先生と“心の対話”を続けていきたい」

2019年10月12日 (土)

2019年10月12日(土)の聖教

2019年10月12日(土)の聖教

◆わが友に贈る

非常に強い台風に警戒!
常に最新の情報を把握し
河川増水や土砂災害への
用心を断じて怠るな!
全てに早めの対応を!

◆名字の言

ノーベル化学賞に決まった吉野彰氏は、英国の科学者ファラデーの著書『ロウソクの科学』が、科学への興味を持ったきっかけという。大手通販サイトでは、同書が早くも売り切れ状態に▼1825年、王立研究所の研究所長に就任したファラデーは、研究所を社会に開かれたものにしようと、いくつかの企画を推進した。その一つが「少年少女の聴衆のためのクリスマス講演」。『ロウソクの科学』は、彼が69歳の時に行った、この講演をまとめたものだ▼子どもたちのための講演が、世紀を超え、一人の日本人を魅了した事実に感動する。電気分解の法則の発見など、ファラデーは数々の業績を残した。講演などを通して、青少年の心に科学への興味の灯をともしたことも、貢献の一つであろう▼『ロウソクの科学』は、こう締めくくられる。「すべての行動において、人類に対する皆さんの義務の遂行において、皆さんの行動を正しく、有益なものにすることによって、ロウソクのように世界を照らしてください」(竹内敬人訳)▼御書に「人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし」(1598ページ)と。社会に貢献しようという志が、自分の人生を大きく開いていく。先達の人生と歴史によって、“実験証明”された普遍の法則である。(嶺)

◆寸鉄

   SGIの多角的運動は幅
 広い意味での教育―総長
 最高の人間学を学ぶ誇り
      ◇
 東京・台東の「女性の日」。
 婦女一体の麗しき連帯。
 弾む心で幸と友情を拡大
      ◇
 「仏をば能忍と名けたて
 まつる」御聖訓。不撓不屈
 が学会魂。師子王の如く
      ◇
 はしか再び増加傾向と。
 妊婦、ワクチン未接種の
 人は注意。嗽・手洗い励行
      ◇
 壁を乗り越えればどんど
 ん成長できる―化学賞受
 賞者。我らも使命の道で

◆きょうの発心 師が示した“勝利王の人生”歩む 2019年10月12日

御文 なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし(四条金吾殿御返事、1192ページ・編1219ページ)
通解 どのような兵法よりも法華経の兵法を用いていきなさい。

 法華経の兵法こそ、勝利への最高の要諦である、と仰せです。

 結婚を機に入会した私の信心の原点は、1989年(平成元年)4月19日、岐阜池田講堂(現・岐阜平和講堂)で行われた本部幹部会です。池田先生の「勝利王の人生を共々に」とのスピーチに感動し、折伏の決意を定めました。
 当時、学会に対する両親の無理解や、経済苦に悩んでいました。“信心で一緒に幸せになりたい”と両親に訴えても、話はいつも平行線――。肩を落とすたびに、この御文を拝し、諦めずに祈り続けました。30年間、地道に対話を重ねた結果、2011年(平成23年)11月に両親への弘教が実りました。
 49歳の時、重度の椎間板ヘルニアに。自宅で2カ月も寝たきりになり、家庭内に暗い影を落としました。“広宣流布のために健康にさせてください”と懸命に題目を唱え抜き、同志の皆さまの温かい励ましにも包まれる中、入院や手術をすることもなく完治することができたのです。
 大恩ある師匠の会長就任60周年の明年を大勝利で飾るべく、目前に迫った「世界聖教会館」開館の「11・18」を広布拡大の結果で荘厳してまいります。
 岐阜・中道圏総合婦人部長 加藤恵子


【教学】

◆〈御書池田大学運動のために 池田華陽会御書30編に学ぶ〉 上野殿後家尼御返事㊦(地獄即寂光御書)

仏法を語らう輪に、温かな笑顔が広がる(先月30日、長野・大町平和会館で行われた創価信濃大学校の集い)







仏法を語らう輪に、温かな笑顔が広がる(先月30日、長野・大町平和会館で行われた創価信濃大学校の集い)

 今月は、「上野殿後家尼御返事」の後半を学びます。
 池田先生は、本抄の講義の中でつづられました。
 「宿命との戦いに際して、尼御前は、どこまでも大聖人を求め抜き、戦い抜き、見事に勝利していきます。妙法の生死観を極めた師匠と共に戦えることが、どれほど、すばらしいことかる師弟共に、『生も歓喜』『死も歓喜』の境涯を歩むことが、真の即身成仏の法門なのです」
 日蓮大聖人が女性門下に示された、いかなる宿命にも負けない幸福哲学を学んでいきましょう。
(拝読範囲は、御書1505ページ11行目~本抄末尾です)

信心根本に幸福境涯を確立  宿命転換の哲理を胸に

本抄について
 本抄は、日蓮大聖人が、駿河国(静岡県中央部)の門下であり、南条時光の母である上野尼御前に送られたお手紙です。
 尼御前の夫・南条兵衛七郎は、文永2年(1265年)3月、重い病のため亡くなりました。
 本抄は、文永11年(1274年)の御執筆ともいわれてきましたが、内容等から、兵衛七郎の逝去のすぐ後、文永2年7月の御述作ではないかと考えられています。
 兵衛七郎が亡くなった時、後に家督を継ぐ次男の時光は7歳、末の息子はまだ尼御前の胎内にいました。
 大聖人は本抄を通して、悲しみをこらえながら必死の思いで家族を守り育てる尼御前を、包み込むように励まされています。

御文
 故聖霊は此の経の行者なれば即身成仏疑いなし、さのみなげき給うべからず、又なげき給うべきが凡夫のことわりなり、ただし聖人の上にも・これあるなり、釈迦仏・御入滅のとき諸大弟子等のさとりのなげき・凡夫のふるまひを示し給うか。
 いかにも・いかにも追善供養を心のをよぶほどはげみ給うべし、古徳のことばにも心地を九識にもち修行をば六識にせよと・をしへ給う・ことわりにもや候らん、此の文には日蓮が秘蔵の法門かきて候ぞ、秘しさせ給へ・秘しさせ給へ
(御書1506ページ8行目~13行目)

通解
 亡くなった上野殿は、この法華経の行者ですから即身成仏は間違いありません。だから、そのように嘆くべきではありません。しかしまた、嘆くのが凡夫のならいです。もっとも、聖人であっても嘆くことはあるのです。釈迦仏が入滅された時、多くの優れた弟子たちが、悟りを得ていたのに嘆かれたのは、凡夫の振る舞いを示されたのでしょうか。
 何としても、追善供養を心ゆくまで励まれることです。
 昔の智者の言葉にも「心の根底を第九識(根本浄識)におき、修行は六識においてしなさい」と教えられています。これは道理かもしれません。
 この手紙には日蓮の胸中に秘めた大切な法門を書きました。心に深くとどめておきなさい、とどめておきなさい。

解説
 本抄を結ばれるに当たり、大聖人はあらためて、“亡くなった兵衛七郎は法華経の行者であったので、即身成仏は間違いない”と仰せです。“ですから、何も嘆くことはないのですよ”との、師の慈愛と確信あふれる言葉に、尼御前はどれほど勇気づけられたでしょうか。
 しかし尼御前にとって、大切な人を失った悲しみや、幼い子を抱えて暮らす不安は、簡単にぬぐい去れないほど深かったに違いありません。
 大聖人は、そうした心情に寄り添われ、“分かっていても、つい嘆いてしまうのが凡夫です。聖人でさえ特別な時には嘆くものです”と、励まされます。
 最愛の人の死に接し、心の整理がつくまでの時間は、誰かが決められるものではありません。大切なことは、ありのままの気持ちで、“心ゆくまで”題目を唱え抜いていくことです。
 また、追善の祈りも、妙法の祈りであれば、全てが仏道修行に通じていきます。本抄では、「心地を九識にもち修行をば六識にせよ」との、古徳の言葉が引用されています。
 仏法の生命観を示す法理に「九識論」があります。これは、生命が物事を認識する働きを、表層から深層に向かって9種に分けたものです。
 「六識」とは、五感(眼・耳・鼻・舌・身)の働きである「五識」に「意識」を加えたもので、私たちの日常は六識の働きで成り立ちます。
 この六識の次に、七識・八識があります。そして「九識」こそ、最も根源にある清浄無垢の生命、すなわち仏界です。
 「心地を九識にもち」とは、現実がどんな状況であれ、自らの生命に尊極の仏界があることを確信し、御本尊に祈り抜いていくことと拝せます。
 その上で、「修行をば六識にせよ」とあるように、仏道修行の場は、どこまでも現実生活の中にあります。
 現実の悩みや目標に向かい、真剣に題目を唱え抜くことで、仏界の生命を涌現させ、確立していくことができるのです。
 どんな悩みも、信心根本に立ち向かえば、最高の幸福境涯を開く糧となることを確信し、前進していきましょう。

池田先生の講義から
 たとえ今、地獄の境涯にあったとしても、一念が転換すれば、直ちに妙法の当体としての清浄にして尊極なる生命を、その身のままで、現すことが可能なのです。(中略)
 大聖人は、その身に成就された尊極の生命を御本尊としてあらわしてくださいました。その御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える人は、我が生命を覆う無明を打ち破って、妙法と一体の仏界の生命を、我が身に涌現していけるのです。(『希望の経典「御書」に学ぶ』第1巻)
                       ◇ ◆ ◇
 御本尊の前では、何も飾る必要はない。
 嬉しいときは嬉しいままに、悲しいときは悲しいままに、ありのままの自分で御本尊を拝していくことです。
 苦楽ともに思い合わせて、題目を唱えに唱え抜くのです。
 妙法の広大な力によって、その祈りがすべて仏道修行になります。何があろうと唱題し抜いた人が、真の勝利を得るのです。(同)

御書カフェ ―華陽姉妹の語らい―
教えて 御書拝読に挑戦する時、意味が分からない所があっても良いですか?

御文 此の経の文字は皆悉く生身妙覚の御仏なり(曾谷入道殿御返事、御書1025ページ)
通解 法華経の文字は一字一字が全て仏です。

 題目を唱えつつ御書を拝していけば、全ての文字が「仏の力用」となって、皆さんの若き生命にグングンと吸収されていくんです。
 御書には、断固として正義を貫き通す「信念」が光っています。どんな苦難も必ず乗り越えられるとの「確信」が満ちています。(中略)
 私も、若き日の日記に「御書を拝読。全く難しい」「教学の度に思うことは、勉強不足である。勉学の必要を、深く深く感ずる」と書いた思い出があります。
 それでも、戸田先生のもとで、必死に学んだ。先生の名代として、御書講義を何度も行いました。疲れ切った体で家に帰った後も、必ず御書を開き、心に残った一節を、日記に認める習慣も身につけました。
 不思議なもので、若い時に生命に刻みつけた御書は、生涯、忘れません。最初は意味が分からなくても、だんだん分かってきます。(中略)
 一節でもいい。その一節を抱きしめながら、必死に祈り、努力を重ねていけば、青春も人生も、絶対に開ける。(『未来対話』)


【聖教ニュース】

◆本陣・東京に希望輝く新講堂 2019年10月12日
 2022年完成へ 建設が決定 原田会長が出席し北総区の新出発の会合で発表

新講堂の完成予想図


新講堂の完成予想図


 世界広布の大本陣に幸と希望輝く新法城! このほど、東京・北区に新講堂が建設されることが決定した。建設地の北区をはじめ、東京・北部地域の友が利用する一大拠点となる。明春に着工し、2022年の完成を目指す。
 11日に北平和会館で行われた北総区の新出発の会合で、原田会長から発表された。
 同講堂は、全て椅子席となる大・中・小の礼拝室をはじめ、大会議室、事務室、応接室などを備える。
 東京は、池田先生の故郷にして、恩師との出会いを刻んだ有縁の天地。そして、先生が若き日から不滅の歴史を切り開き、今もなお広布の指揮を執る誉れの本陣である。
 池田先生は、随筆につづった。「東京が決然と壁を打ち破れば、その勇気は、たちまち全体に波動する。東京の責務は、あまりにも大きい。いかなる局面であれ、正義の戦闘があるところ、『本陣』は絶対に負けてはならない」と。
 師から託された使命を胸に、大東京の友は模範の快進撃を続けてきた。新講堂は、本陣・東京から日本へ世界へ、民衆勝利の波動を広げゆく新たな師弟の殿堂となる。
 北総区の集いでは、萩本総東京長に続き、各部の新任リーダーが広布拡大への決意を披露。柏原総区長、田口同婦人部長は「青年を先頭に“喜び多き”人材の陣列構築へ勇躍前進を」と訴えた。
 原田会長は、師への誓いを胸に、徹底して一人を励ます大誠実の振る舞いが団結を生むと強調。「一人一人が自身の限界を打ち破る拡大に挑み、連続勝利の実証で、新講堂の完成を飾ろう」と呼び掛けた。

◆写真展「波涛を越えて」横浜の日本丸メモリアルパークで 2019年10月12日

11日に行われた写真展「波涛を越えて」。波涛会の友が鑑賞者に海の魅力を語る(横浜市内で)

 

11日に行われた写真展「波涛を越えて」。波涛会の友が鑑賞者に海の魅力を語る(横浜市内で)

 波涛会(海外航路に従事する壮年・男子部のグループ)の第32回写真展「波涛を越えて」(主催=同展実行委員会)が11日、横浜市の日本丸メモリアルパークで行われた。

 記念式典には、一般社団法人「日本船長協会」の葛西弘樹会長をはじめ多数の来賓が参加。式典では波涛会の小林佳広さんのあいさつの後、葛西会長が「船乗り独自の目線で切り取った一葉一葉から、撮影者の海への憧れが伝わる素晴らしい展示です」と祝辞を述べた。
 東京海洋大学の庄司るり副学長は「目を奪われる美しい作品の数々を通し、まるで世界旅行をしているようです」と感想を語った。
 今回、自身の作品を出展した航海士の藤井勇佑さんは「鑑賞者の笑顔がカメラを握る原動力です。これからも世界の美しさを写真で伝えたい」と話した。
 ※台風19号のため、開催は11日のみになりました。

◆〈ライフウオッチ――人生100年時代の幸福論〉 インタビュー 甲南大学 前田正子教授
 少子化と現役世代減少が招く危機

 今月9日付から連載を開始した「ライフウオッチ――人生100年時代の幸福論」。インタビューの第1回は、甲南大学教授の前田正子さんに話を聞いた。(聞き手=佐口博之、村上進)
 世界トップレベルの長寿社会である日本。本来、希望を持ってよいはずの「人生100年時代」の到来を前に、多くの人が漠然とした不安を抱えているように感じる。この不安の背景にあるものとして、前田教授は、著書『無子高齢化』(岩波書店)で、働きたくても働けない若者の増大と、急速に進む少子化・人口減少を指摘している。
  
 今、日本の少子化・人口減少は大変に深刻な状況にあるといえます。
 2018年の日本の出生児数は91・8万人で、亡くなった人の数が136・2万人。1年間で約44・4万人の人口が減少しています。つまり毎日、約1200人もの人口が減っていることになります。
 現在、約1・2億人の人口は、2040年代には1億人を割り、その時、65歳以上の高齢者が4割を占めると予測されます。
 平均寿命が延びることは本来、喜ばしいことですが、大きな問題は、日本の未来を支える現役世代が減り続けていることです。
 2017年には、20歳から64歳までの現役世代は一日当たり1500人も減少しています。人口減少を上回るスピードで、現役世代が減っています。
 さらに現役世代の中で、働きたくても十分に働けない若年世代が増大し、晩婚化・未婚化が進み、少子化に歯止めがかからない状況が続いているのです。
 社会を「支える側」が減る影響は大きく、これまで当たり前だと思っていたサービスは人手不足で維持できなくなり、このままでは社会は立ち行かなくなります。高齢者だけでなく、全世代の生活の危機を招きます。
 今、必要なのは、「団塊ジュニア・ポスト団塊ジュニア世代」(30代から40代中盤)をはじめとする現役世代を社会全体で支援するとともに、安心して結婚・出産し、子どもを育てられる社会をつくることです。
 次世代育成に思い切った投資をしていくことが、「人生100年時代」を生き抜く希望につながるのではないでしょうか。

「若者・子ども」は未来の担い手 社会全体で育てる覚悟が必要

 日本では長年、少子化が危惧されてきたにもかかわらず、出生数の低下に歯止めをかけられなかった。その背景には何があるのか。
 これまで日本では、戦後の第1次ベビーブームで「団塊世代」が生まれ、その子どもである「団塊ジュニア」が、1970年代前半の第2次ベビーブームで生まれました。そういった流れから考えれば、いずれは「団塊ジュニア」の子どもたちが生まれる、第3次ベビーブームが起こると楽観視されてきた部分があった。ところが、第3次ベビーブームは起きませんでした。
 この背景には、現在、40代中盤から30代に至る、「団塊ジュニア」とその後の「ポスト団塊ジュニア」世代で、急速に晩婚化・未婚化が進んだことがあります。
 この広い意味での“団塊ジュニア世代”の多くは、「就職氷河期」(93年~2005年ごろ)に高校や大学を卒業した人たちです。その数は1700万人にも上ります。
 バブル経済の崩壊後、企業や団体は自らの生き残りに必死で、正規雇用の新規採用や給与支出を抑制しました。さらには労働力の非正規化を進めたことで、若年世代の雇用や経済状況が悪化し、働きたくても働けない、いくら働いても必要な収入が得られない若者が多く生まれてしまったのです。
 すると何が起きるか。結婚願望はあったとしても、交際する余裕も、ましてや結婚・出産し、子育てをする余裕などないと考える若者が、男女ともに増えていった。未婚になったのは、決して若者たちの自分勝手な都合ではありませんでした。これは、いくつかの調査結果からも明らかです。
 しかし、この世代への世間の風当たりは強く、「就職できないのも結婚できないのも、本人が悪い」「いずれ景気がよくなれば、問題は解決する」と、その影響は軽視されてきました。
 その結果、若者の就労や所得状況を改善する施策や、子どもを安心して産み育てていくための支援は、断片的なものに終わり、十分な取り組みがなされてきませんでした。つまり、社会が目先の経済不況を乗り切るために、若者を犠牲にしてしまったといえます。
 もちろん、少子化の要因には、結婚・出産やライフスタイルに対する価値観の多様化などさまざまありますが、最も子どもを産み、育てられる人たちを支援してこなかったことが、大きな要因になったと考えています。
  
 前田教授は横浜市副市長(2003年から07年)として、若者就労や子育ての支援に力を注いできた。その中で感じたことは何だろうか。
  
 私は若者や子育て世代への社会の冷たさを感じています。
 当時も、今も変わらず、若者や子育て世代を支援する施策に「若者を甘やかすな」「子育ては親の責任だ」といった厳しい批判の声が寄せられています。
 こうした批判の背景には、かつて広く浸透していた「日本型福祉社会」の考え方に象徴される、日本の成功体験があると感じています。これは“家庭や企業が福祉の基盤”という考え方で、それが機能していたために日本では長年、社会を挙げて若者や子育てを支援する必要はないと、考えられてきました。
 この考え方が示された当時は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれた時代です。日本人の勤勉さと、それを支えた日本企業の終身雇用・年功序列賃金・福利厚生制度が、世界から注目されていました。
 しかしながら、これらは、豊富な現役世代の労働力があり、専業主婦がいることを前提とした仕組みでした。その前提が崩れ、少子高齢化が進むという現実を、深刻に考える人は少なかったのです。
 日本は、こうした考え方を引きずったまま、本来、社会を挙げて一日も早く取り組むべきだった少子化対策を、個人の責任にしてしまったのです。
 行政の現場にも「なぜ、他人の子どもに支援が必要なのか」との問いが殺到しました。
 私は、そのたびに「皆さんの周りにいる子どもたちは、日本の将来を支える人たちになります。その子たちが十分な教育も受けられず、安定して働くこともできなければ、世の中全体が低迷します。子どもたち全体の底上げは、皆さんの将来をよくすることでもあるのです」と語り、理解を求めてきました。
 若者や子どもは、社会の宝です。日本の未来の担い手です。
 社会全体として、他人の子どもを育てていくという強い覚悟がない限り、私たちの生活は維持できなくなってしまいます。
 人生100年時代を生き抜くには、誰もが、途中でつまずくことがあっても、何度でも学び直し、やり直せることが重要です。
 とりわけ、一番の働き盛りである「就職氷河期」世代が、その能力を発揮できるよう、社会を挙げて応援していくことが必要ではないでしょうか。
  
 前田教授は大学の教壇に立ち、若者の今と向き合う。今後、あらゆる世代が「人生100年時代」を希望をもって生きるために、具体的に必要なことは何だろうか。
  
 ここ数年は、団塊世代が本格的に引退したことで人手不足感が強まり、新規学卒者の就職状況は、改善されてきました。
 私は2013年から卒業生を社会に送り出していますが、年々、早い段階で内定を得る学生が増えています。
 また卒業生の中には、20代後半で結婚・出産し、育児休暇を取得して、職場復帰を果たした女性たちもいます。改めて、社会環境が恵まれていれば、安心して結婚・出産できる若者が多いと感じています。
 一方で、初職が非正規という若者は、今も高い比率で推移しています。就職活動でつまずき、ひきこもり状態になってしまう若者も少なくありません。
 ひきこもりが長期化すれば、社会復帰には時間を要します。そうならないためにも、社会の仕組みを学ぶことが大切です。
 私の授業では、今の若者の就労実態や収入の状況、社会保障制度などを具体的に取り上げます。さらに新卒応援ハローワークや地域若者サポートステーションにも連れて行き、自分で解決できない問題を抱えた時に、どのような公的支援があるかを、教えています。
 学生たちには「困った時に“助けて”と言うことは、恥ずかしいことではないよ」と語っています。助けを求めるSOSサインが早ければ早いほど、支援の幅は大きく広がります。
 その意味でも、若い世代が、就職や仕事、結婚・出産・育児など自分の今後の人生を具体的に考える「ライフデザイン教育」が、重要になるでしょう。
 また、政府や行政だけではなく、地域コミュニティーも一体となって、若者や子育て世代を支援していくことが必要です。
 人口4000人余りの長野・下條村は、財政再建で予算を捻出し、村を挙げて子育て支援を充実させたことで有名です。
 村営の「若者定住促進住宅」の提供や、高校卒業までの医療費無料化、村営保育所の保育料引き下げなどを実施しました。
 “地域のみんなで子育てしよう”という機運が高まり、助け合いの合意と行動が生まれ、出生率も高まっています。
 安心できる子育て環境があれば、産みたいと思う若者は少なくないことを証明しています。このように、地域コミュニティーから「私たちは若者や子育て世代を応援します」というメッセージを社会全体に広げていってほしいと願っています。
 ともあれ、日本が直面している少子化・人口減少の危機は「人がいない、子どもがいない」と実感した時には、すでに遅いという状況があります。
 誰もが「人生100年時代」を豊かに生きるために、社会を支える現役世代が生き生きと活躍できるステージを、用意しなければなりません。私たちには今、次世代育成を他人ごとにするのではなく、社会全体で若者や子どもを育てていくという覚悟が求められています。
 まえだ・まさこ 大阪府生まれ。甲南大学マネジメント創造学部教授。2児の母。早稲田大学を卒業後、公益財団法人松下政経塾を経て、米国ノースウエスタン大学ケロッグ経営大学院に留学。慶應義塾大学大学院商学研究科後期博士課程修了。ライフデザイン研究所(現・第一生命経済研究所)、横浜市副市長等を経て、2010年から現職。『大卒無業女性の憂鬱』(新泉社)、『保育園問題』(中公新書)など著書多数。
●ご感想をお寄せください
 kansou@seikyo-np.jp


【特集記事・信仰体験など】

◆〈「新・人間革命」と私 心に刻む珠玉の言葉〉 東北婦人部長 今村里美さん
 一人立つ中に団結と勝利が

 「人材の城というのは、人材の団結の城ということだ。団結は力であり、そこに学会の強さがある。
 東北に人材の牙城をつくろう。そして、あの『新世紀の歌』のように、、東北の君たちの力で、民衆の新世紀を開いていくんだ」
 〈第5巻「勝利」の章〉

時代背景
 1961年(昭和36年)5月、山本伸一は“東北健児の歌”の作成を東北の友に提案。青年たちは彼から“行動は迅速に”等の指導を受けながら、歌詞や曲を練り上げた。歌はこの年の11月20日、伸一も出席した仙台での東北本部の落成式で発表された。彼が「新世紀の歌」と名付けたこの歌は、誓いを込めて全国で歌われていくことになる。

 「勝利」の章では、東北の新しい歌の作成が全く進んでいない現状を聞いて、山本伸一が語ります。「何事かを成そうという時に、誰も進んでその事を言い出さないのは、互いに責任を押しつけ合っているからだ。本当の団結がない証拠だよ」
 一人立つことの大切さは、池田先生が東北の友に幾度も贈ってくださった激励です。婦人部が心に刻むのは、1987年(昭和62年)7月5日の東北各部合同研修会でのスピーチ。先生は、フランス革命の先駆者となった婦人を通し、広布の歴史も婦人のけなげな信心で開かれてきた、とたたえてくださったのです。この日は後に「宮城女性の日」になりました。
 私の一家は60年(同35年)に祖母が入会。後に父や母、私たちも続き、さまざまな宿命に悩みながらも、乗り越えることができました。女性が信心根本に進むことで一切を切り開けると確信しています。
 「新世紀の歌」の「苦悩にあえぐ ともどちを 救わん地涌の誇りもて」を口ずさむと、今ここに生まれたのも、周りの方々と自他共の幸福を築くためと確信できます。東北は2011年に東日本大震災を経験しました。悲しみに覆われる中で「何があっても負げでたまっか」と心を鼓舞できたのは池田先生の希望あふれる励ましのおかげです。苦しんだ地域が最も幸福になる使命を果たそうと誓っています。
 婦人部も一対一の励ましと小単位の会合に力を注いでいます。中でも9・15「東北婦人部の日」を記念して、毎年9月にグループ単位の「秋の集い」を開催しています。
 今年もグループ長の皆さまの工夫が光り、多くの友人が参加。何年も来られていた友人が入会を決意されるなどの心温まるエピソードが多数生まれています。一人立つ人がいるからこそ、団結し、大きく発展できる――勝利の方程式を確信しながら進む日々です。
 本年は「学会は人材をもって城となす」との永遠の指針をいただいてから65年。一人立つ人材を育てながら、歴史に燦然
さんぜん
と輝く、勝利の金字塔を打ち立ててまいります。

◆世界広布新時代第43回本部幹部会 沖縄総会から(会長指導)  原田稔 会長
 明2020年のテーマは「前進・人材の年」  皆が前進 皆が人材 新しい陣列を勇気の挑戦で

 一、「世界広布新時代第43回本部幹部会」ならびに「沖縄総会」の開催、誠におめでとうございます(拍手)。
 また本日は、5カ国・地域から、114人のSGIメンバーが参加されています。
 遠いところ、ようこそお越しくださいました。心より歓迎申し上げます。

平和の種が花開く
 一、さてこのたび、インド、タイ、そして中国を訪問してまいりました。いずこにあっても、池田先生のまかれた幸福と平和の種が見事に育ち、花開く時代を迎えていることを、改めて実感する歴訪でありました。
 20万人以上もの陣列を築くインドでは、待望の新「本部」と、創価菩提樹園に「池田講堂」が完成。また、コヴィンド大統領との会見、名門マーナブ・ラチャナ大学から池田先生への名誉哲学博士号授与など、学会への共感は、インド社会全体に広がっています。
 一方、タイ創価学会の陣列は、19万4000人を超え、この四半世紀で10倍の発展を成し遂げました。中でも壮年部は、明年に向けて、7万5000人の連帯を築こうと意気盛んです。
 池田先生との出会いを重ねてこられたアナン元首相が、「世界の調和のために献身される池田博士から、会うたびに多くのことを学びました。その時の会話は、すぐに書き起こして、全て覚えています」と語られたように、タイにおいても、池田先生の平和思想は厳然と根付いています。
 先生が親交を深められたプーミポン前国王の次女で、ワチラロンコーン国王の妹君であられる、シリントーン王女との会見の模様が、タイのテレビ各局で放映されたのも、そうした社会的信頼の表れであります。
 そして、建国70年の国慶節(建国記念日)を迎えた中国では、人民大会堂での記念レセプションに、学会を代表して出席してまいりました。
 また、周恩来総理のめいである周秉徳氏と会見。周氏は、学会による日中友好への一貫した姿勢を高く評価しつつ、「後継とは、具体的な実践によって実を結ぶものです」と結論されていました。
 まさに今、インドにあっても、タイにあっても、否、全世界にあって、「わたしが山本伸一」と、地涌の使命を自覚した池田門下の一人一人が、「具体的な実践」によって、「後継」の実を結んでいるのであります。
 学会創立90周年を迎える明2020年は、池田先生の第3代会長就任から60周年の佳節を刻みます。
 池田先生が会長に就任された、1960年の年間テーマは「前進の年」。私どもは、さらなる世界広布の前進と、人材拡大の実証で、先生の偉大さを全世界に宣揚していきたい。
 そこで、明年はテーマを「前進・人材の年」と掲げ、共に進んでいきたい(拍手)。

 一、池田先生の戦いは、蒲田の二月闘争、札幌・夏の陣、大阪の戦い、山口開拓指導と、若き日から「前進また前進」の連続でした。
 かつて池田先生は教えてくださいました。
 「私も若き日に、C級支部といわれ、弘教の勢いも全然あがらなかった文京支部で、戸田先生の命により支部長代理として指揮をとった。そのときの合言葉が『前進』であった。“この支部が前進しなければ、学会全体が前進しない”との確信に立ち、それこそ歌を口ずさむ思いで生き生きと戦った」と。
 私たちもまた、「私の前進なくして、世界広布の前進はない」との確信に立って、生き生きと戦っていきたい。
 先生は、こうも教えてくださっています。
 「私は徹底して、(文京)支部のメンバー一人一人と会っていきました。当時の組織はタテ線だから、神奈川の橋本や保土ケ谷方面など、支部員もあちこちに散在している。私は、そうしたメンバーを全力で励まし、電光石火で手を打っていった。そして、その年の12月には、全国が目を見張る、第一級の拡大の成果を残すことができたのです」
 実際、当時の女性支部長のご主人からして、仕事が忙しい上、威張る幹部が嫌で、当初は活動を避けていました。
 しかし、先生が機会を逃さず、「奥さまには、いつも本当にお世話になっております」と、丁寧に頭を下げ、あいさつされると、ご主人の学会に対する見方は一変。やがて、奥さまの後を受けて支部長となるまでに成長されました。
 人材育成とは、まず自分が模範の人材に成長すること。この原点に立ち返り、明「前進・人材の年」は、“皆が前進”“皆が人材”の「目を見張る」一年にしていきたいと思います。

柔軟かつ大胆に
 一、池田先生が60歳の還暦を迎えた折、長年、先生と親交を結んだ経営の神様・松下幸之助氏は、こう祝詞を寄せてくださいました。
 「もうひとつ『創価学会』をお作りになられる位の心意気で」と。
 今後、少子高齢化が加速度的に進展していきます。それに即応して、学会組織の形や在り方も、柔軟かつ大胆に変化していかなければなりません。
 変化を頑迷固陋に拒むのではなく、しかしまた変化に唯々諾々と従うのでもなく、時代の「挑戦」に対して、雄々しく「応戦」し、学会が新たな進化を遂げゆく、チャンスへと転じていくべき時です。
 池田先生の会長就任60周年を迎える明年、今度は、私たち後継の池田門下が、「もう一つ『創価学会』を作る心意気」で、前進の気迫を五体にみなぎらせて戦い、人材を見付け、育て、伸ばし、広げながら、わがブロック、わが地区、わが支部の広布を一歩前進させていきたい。そして、先生にご安心いただける創立90周年にしていきたい。
 さあ、まずは本年、「世界聖教会館」が開館する「11・18」を大勝利で飾り、前進また前進の号砲を高らかに打ち鳴らしていこうではありませんか(拍手)。

◆〈スタートライン×ライフウオッチ――人生100年時代の幸福論〉 92歳の現役保育士 大川繁子さん
スマホも必要だけど“世の中に流されない力”を養うことのほうが大事では?

 栃木県足利市の保育園「小俣幼児生活団」。入園させるため、引っ越してくる家庭もある有名な保育園である。ここで主任保育士を務めるのが、92歳ながら現役で活躍する大川繁子さんだ。60年にわたり2800人以上の園児を送り出してきた“名物保育士”に、「ライフウオッチ――人生100年時代の幸福論」の連動企画として、「仕事」と「生き方」を中心に話を聞いた。
 ――小俣幼児生活団は、足利市の渡良瀬川近くの豊かな自然の中にある。温かみのある木造建築が印象的だ。大川さんは、園児たちと笑顔を交わしながら、園内をはつらつと動きまわる。年齢は全く感じさせない。92歳になっても、現役で仕事に取り組む気持ちはどうなのだろうか。
  
 20時まで保育園で仕事をして、夕食は自宅でとって、24時ごろに就寝する生活をしています。経験が増した分、保育の仕事は若い時より楽しいくらい(笑い)。
 夫は亡くなってしまって、朝食も夕食も独りだけど、人生で今が一番充実していると思うんです。それは「生きがい」があるから。人生100年時代といわれるけれど、生きがいがあるのと、ないのでは全然違う。私にとっては、この保育園が生きがいです。
 編み物でも何でもいいと思うの。生きがいを持つことですね。それが、地域や社会のためになることだったら、より充実するでしょうね。

目的感があると仕事は楽しい

 ――義母の影響で保育士に。それが天職と捉えられるようになったのは、仕事の“目的観”が明確になったからだという。
  
 園長の次男が「モンテッソーリ教育」と「アドラー心理学」に感銘を受け、国内の第一人者に教えを請うて、そうした手法を保育に取り入れたんです。そうしたら、園の雰囲気がガラッと変わって。
 モンテッソーリさんの教育論は、「自由保育」に特徴があるんです。子どもには、“これがしたい”という思いが強く表れる「敏感期」があり、大人はそれを邪魔せずに集中させてあげることを強調します。
 わが園も、以前は一般的な保育園と同じような保育を行っていましたが、今は、自由保育を基本に、4歳児以下のクラスは一斉授業をせず、縦割り保育を中心に行っています。「自由と責任を兼ね備えた人材育成」との園の目的観に基づき、給食はバイキング形式にし、園のルールも、保育士と園児が対等に決めているんです。
 もちろん、理想通りにいかない面もありますが、保育の目的観がしっかりとしているので、親御さんも納得しますし、私自身もこの仕事が楽しいです。やりがいを感じて長期間働く保育士さんも多いんですよ。
  
 ――日頃、多くの教育相談も受ける。
  
 最近は、幼児期の習い事の質問も多いです。これも、「敏感期」の考え方が基本で、“やりたいと言ったら始めて、やめたいと言ったらやめさせてあげる”ことです。
 敏感期の幼児というのは、嫌なことを強要しても、上達できずにますます嫌になるだけです。本人がやり続けたい習い事を応援するのがポイントです。
 その場合、子どもの習い事だと軽視せず、きちんと一流と思える人のもとで習わせてあげてください。やはり一流の師には一流の人間性が伴っていて、得るものも大きいですから。
「子育て」は時間より密度
 ――子育て世代の「不安」に対してのアドバイスは?
  
 ここに来られる方は、共働きなどの理由で、子どもとの時間がつくれないことに不安を抱く親が多いです。私もシングルマザーの家庭に育ちましたし、保育士としての経験からも、子育ては、一緒に過ごす「時間」よりも「密度」が大切だとはっきりと言えます。
 多忙な親でも、帰ってきて「会いたかったよ」と、子どもをギュッと抱き締めてあげるだけで、全然違います。逆に、いくら時間があっても、子どもとのコミュニケーションがなければ、子どもは不安になります。子どもとの“かけがえのない時間”を大切にしてもらいたいですね。
今の若者はつまらない?
 ――今の若者を見ていて感じることは?
  
 スマホ(スマートフォン)をいじっている子が多くて、“なんだかつまらないな”と思っちゃう。
 若者に限らず、今は、何か質問すると、すぐにスマホで調べ始めるでしょう。当然、スマホも必要な時代ではあるんだけれども、“考える力”“世の中の空気に流されない力”を養うことの方が大事じゃないかしら。というのも、あまり昔話はしたくないけれど、私たちの世代は、軍国主義の教育を強要され、“学ぶ自由を奪われた世代”なんです。青春時代の楽しい記憶というのは、思い出せないの。
 今は、自由に学べ、やりたい仕事もできる。これはとても素晴らしいことなんです。子どもが良質な絵本を読んで成長するように、大人も、良い本や良い人からどんどん積極的に学んで成長し続けていくことが不可欠です。私も、今でも読書を欠かさず、自己研さんに励んでいます。
  
 ――大川さんからは、年齢にとらわれない「もっと学ぼう」との向上心が伝わってくる。92歳になった大川さんの“これから”は何なのだろうか。
  
 今、強く思っているのは“この保育園だけは絶対に残していきたい”ということです。一方で、私の子どもたちはどう思っているか分からないけれど、大川本家なんていうのは、どうでも構わないの(笑い)。
 とにかく、小俣幼児生活団をもっともっと発展させていきたい。“まだまだ頑張らなくちゃ”の原動力は、そこにあるのかもしれないですね。
 おおかわ・しげこ 1927年生まれ。45年、東京女子大学入学。翌年、結婚のため中退。62年、小俣幼児生活団に就職し、72年、主任保育士に。足利市教育委員、同市女性問題懇話会座長などを歴任。モンテッソーリ教育やアドラー心理学を取り入れた創立70年の同園で約60年にわたり保育に携わる。著書に『92歳の現役保育士が伝えたい親子で幸せになる子育て』(実務教育出版)。
 【編集】松崎慎一 【写真】石井和夫 【レイアウト】本橋正俊

 





2019年10月11日 (金)

2019年10月11日(金)の聖教

2019年10月11日(金)の聖教

◆わが友に贈る

友が何に困っているか。
どうすれば喜ぶか。
想像力を働かせる中に
信仰の輝きもある。
心豊かな誠実の人たれ!

◆名字の言

 江戸時代、高鍋藩(宮崎県)を大きく発展させたことから「中興の名君」とたたえられる秋月種茂。本年は没後200年となる▼数え年で18歳の時に藩主となった種茂は、当時の欧州諸国に先駆けて、子だくさんの農民たちを救済する制度を創設。3人目の子どもから、各家庭に米2合または麦3合を支給した。また大阪から知識と経験の豊富な助産師を招くなど、庶民の生活環境の改善を図った▼さらに36歳の時には藩政改革の重要な事業として藩校「明倫堂」を創立。種茂は、その創立精神を記した『明倫堂記』に「治道ハ賢才ヲ得ルヲ以テ本トナス」とつづった。藩校には農民も入学が許されたという。“国づくりは人づくり”が種茂の信念だった(安田尚義著『高鍋藩史話』みやざき21世紀文庫)▼「学会は、人材をもって城となす」。65年前、戸田先生は若き日の池田先生と共に訪れた青葉城址で語った。さらに恩師は「そのために必要なことは、皆が人材であるという確信だ」と。この言葉を胸に一人また一人と心を結び、励まし抜いた池田先生によって、世界広布の大道は開かれた▼明年のテーマが「前進・人材の年」と発表された。師の大闘争に続き「私自身」が前進したい。わが地域の宝の友を“一人ももれなく人材に”との情熱で。(誼)

◆寸鉄

 台風19号近づく。事前の
 備えを綿密に。無冠の友
 も絶対無理せず安全優先
      ◇
 中継行事の役員の皆様に
 感謝。広布前進を支える
 気高き陰徳に陽報は厳然
      ◇
 「一流は皆、迅速だ」恩師
 同志への激励は電光石火
 で。誠実は速度に表れる
      ◇
 「知識は幸福にあらず」
 詩人。青年よ溢れる情報
 を生かす確かな哲理学べ
      ◇
 公明が今秋で連立20年。
 生活者目線の政治を実現
 小さな声聴く力更に磨け

◆社説 中央アジアで初の核廃絶展  民衆の連帯で核兵器なき世界を

 SGIのカザフスタン訪問団が9月27日から10月5日にかけて、アルマトイ、ヌルスルタン、セメイの3都市を訪問した。1日には、同国のナザルバエフ初代大統領の思想と精神を研究・発信する「初代大統領図書館」、2017年にノーベル平和賞を受賞した国際NGO「ICAN」、SGIの3団体が共催し、中央アジアで初となる「核兵器なき世界への連帯――勇気と希望の選択」展が、ヌルスルタン市内のナザルバエフセンターで開幕した(13日まで)。
 旧ソ連時代、セミパラチンスク(現セメイ)では、1949年から約40年にわたって450回を超える核兵器実験が実施された。地上、地下での実験は周辺の住民や生態系にさまざまな被害をもたらしたとされ、人的被害は150万人に上るといわれる。
 こうした中で89年には、同国の著名な作家であるオルジャス・スレイメノフ氏のリーダーシップのもと、市民が実験場閉鎖を求める運動を展開。「ネバダ・セミパラチンスク」と呼ばれる同運動は、旧ソ連圏で最初の反核運動となった。
 高まる市民の声などを受けて、ナザルバエフ初代大統領は91年8月29日、セミパラチンスク実験場の閉鎖を断行。大統領令が公布されたこの日は、「核実験に反対する国際デー」となっている。本年の同日、カザフスタンは核兵器禁止条約の26カ国目の批准を果たした。
 SGIの訪問団は、最初の訪問地アルマトイでスレイメノフ氏と会見。氏は、セミパラチンスクの人々の苦しみは過去のものではなく、今もなお続いていると力説。そして、戸田先生が「原水爆禁止宣言」に込めた、核兵器は“絶対悪”であるとの思想に賛意を寄せ、そうした兵器に国民を守る手段としての地位が与えられてはならないとし、SGIが展開する核兵器廃絶運動に強い期待を寄せた。
 展示会は、これらカザフスタン各界の期待を物語るものとなった。開幕式には同国元副首相で大統領府人権委員会のクアニシ・スルタノフ委員長をはじめ、各国大使、国立大学総長など学術関係者ら約200人が出席。観賞者から「非常に充実した内容」「別の都市でもぜひ開催を」などの声が寄せられた。
 核兵器のない世界を目指す全ての人々の悲願である「核兵器禁止条約」が採択されて2年あまり。不可能のように思われた道も、条約発効に必要な50カ国に迫り、現在32カ国が批准するに至った。広島、長崎、セミパラチンスクをはじめ、核兵器の“痛み”を知る市民の連帯を広げることは、核兵器廃絶の実現へ大きな力となろう。その民衆の連帯を、創価の人間主義の対話で広げていきたい。

◆きょうの発心 破邪顕正の精神で学会を厳護 2019年10月11日

御文 眠れる師子に手を付けざれば瞋らず流にさをを立てざれば浪立たず謗法を呵嘖せざれば留難なし(南部六郎殿御書、1374ページ・編1426ページ)
通解 眠っている師子に、こちらから手を付けなければ怒ることはない。水の流れに棹を立てなければ、浪は立たない。それと同様に、謗法を呵責しなければ難を受けることはない。

 謗法を責めれば、難が競い起こるのは必定であるとの仰せです。この御文を幾度も拝し、破邪顕正の精神を培ってきました。
 高校生の時に読んだ『青春対話』に感動した私は、創価大学に進学。しかし、時を同じくして、母と姉がうつ病を患いました。
 卒業後は、東京・江戸川へ。どんなに仕事が忙しくても、創価班の任務を勝ち取り、聖教新聞の配達も志願しました。
 28歳で本部職員になった矢先、父が失業。一家の宿業打開を懸けて折伏と本紙の購読推進に挑みました。そして半年後、父は再就職できました。母と姉の体調も良くなり、現在、姉は2人の子育てに奮闘し、母は地区婦人部長を務めています。
 私は、池田先生が「正義」「共戦」の揮毫を認められた、1979年(昭和54年)5月に生まれました。師匠と学会の正義を宣揚するための人生だと決めています。
 大恩ある師に報いるため、創価班が広布拡大の先頭に立ち、学会厳護の使命に生き抜く決心です。
 創価班委員長 安原伸二


【聖教ニュース】

◆結成45周年 広布の模範・勝利島部  島に生きる誇り 広島・鹿児島の友を3面で紹介


地涌の使命に生きる沖縄八重山県の友。勝利島部の結成が発表された翌月(1974年2月)、池田先生は石垣島を訪れ、八重山の友を励ました(6日、石垣市の八重山文化会館で)