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2017年11月21日 (火)

2017年11月21日(火)の聖教

2017年11月21日(火)の聖教

◆わが友に贈る

教学は幸福への道標(みちしるべ)だ。
行き詰まった時こそ
御書を真剣に拝そう!
「行学の二道」から
宿命転換の劇は始まる。

◆〈名字の言〉 2017年11月21日
 

 人生を豊かにするものとは――ハーバード・メディカル・スクールの研究者が1938年から75年にわたり、724人の追跡研究を行った▼分かったのは、“人生を最も豊かにする”のは「人間関係」ということだった。身近な人と良い関係にある人、いざという時に頼れる人がいる人ほど、人生の満足度が高かった▼健康社会学者の河合薫氏は、先の研究結果を踏まえ、“幸せは人それぞれ”との風潮はあるものの、やはり、日常の中に真の幸せは存在すると指摘した(『他人をバカにしたがる男たち』日経プレミアシリーズ)▼ある男子部員の言葉を思い出した。「歩いて行けるところに、何でも相談できる人がいる。当たり前のことではありません。本当に幸せだと思います」。かつて仕事で行き詰まった彼は、学会の少人数の集いで“職場の不満”をぶちまけた。すかさず同志は「一緒に祈ろう」と。そして、じっくり話を聞いてくれた。気持ちが落ち着くにつれ、“愚痴ばかりの自分”に気付く。仕事に臨む姿勢は変わり、苦境を乗り越えた▼池田先生は「学会員は、地域の幸福責任者です」と。この尊い使命を自覚し、今いる場所で真心の対話を重ねたい。その日々の中に人生の充実があり、自他共の幸福への道がある。(差)

◆〈寸鉄〉 2017年11月21日
 

 多様な人々が団結し社会
 に貢献するSGIに学ぶ
 べき―識者。地域の太陽
      ◇
 仏の御功徳をば法華経を
 信ずる人にゆづり給う―
 御書。題目に勝る力なし
      ◇
 「人生の名優たれ」戸田
 先生。苦難を勝ち越え、
 わが使命の舞台で実証を
      ◇
 一緒に外出するだけでも
 親孝行―子を持つ50~70
 代の7割。青年よ心して
      ◇
 日中関係に改善の兆し、
 互いの「往来を重視」と。
 民衆交流の絆も更に強く

◆小説『新・人間革命』第30巻 暁鐘の章   六十八 2017年11月21日 (6229)



 カナダ広布二十周年記念総会に出席した山本伸一は、約二十一年ぶりにカナダを訪問できた喜びを語るとともに、初訪問の思い出に触れながら、一人立つことの大切さを訴えた。
 「『0』に、いくら多くの数字を掛けても『0』である。しかし、『1』であれば、そこから、無限に発展していく。このカナダ広布の歴史は、イズミヤ議長が、敢然と広宣流布に立ち上がったところから大伸展を遂げ、今や約千人もの同志が集うまでになった。
 すべては一人から始まる。その一人が、人びとに妙法という幸福の法理を教え伝え、自分を凌ぐ師子へと育て上げ、人材の陣列を創っていく――これが地涌の義であります。
 こうした御書の仰せを、一つ一つ現実のものとしていくことこそ、私ども創価学会の使命であり、それによって、御書を身で拝することができるのであります」
 ここで伸一は、今回、ソ連をはじめとする訪問国で、政府要人や有識者と会談を重ねてきたことを述べた。
 「そこでは、人類にとって平和こそが最も大切であることを訴え続けてきました。
 万人が等しく『仏』の生命を具えていると説く仏法こそ、生命尊厳を裏づける哲理であり、平和思想の根幹をなすものです。また、そこには、他者への寛容と慈悲の精神が脈動しています。
 その思想は、戦争を賛美し、民衆を隷属させて、死に駆り立てる勢力とは、原理的に対決せざるを得ない。ゆえに学会は、戦時中、国家神道を精神の支柱に戦争を遂行する軍部政府から、弾圧を受けたんです。
 私は、政治家でも、外交官でも、また、経済人でもありません。しかし、平凡な一市民として、一個の人間として、仏法を根底に、平和実現のために対話を続けています。
 それは、人間は等しく尊厳無比なる存在であると説く仏法の精神を、あらゆる国の人びとが共有し合い、国境を超えた友情の連帯を強めていくことこそ、最も確実なる平和への道であると確信するからです」

【先生のメッセージ】

◆〈御書と歩む――池田先生が贈る指針〉94 妙法は“世界第一の良薬”


御文
 入道殿は閻浮提の内日本国の人なり、しかも身に病をうけられて候病之良薬の経文顕然なり(妙心尼御前御返事、1479ページ)
通解 (妙法蓮華経の五字は「全世界の人の病の良薬」と説かれているが)入道殿は、この「全世界」の中の日本国の人である。しかも、その身に病を受けられている。「病の良薬」の経文は、はっきりとしている。

同志への指針

 妙法とは、生命の無上の「良薬」である。
 いかなる病魔にも負けない大生命力を涌現できる。医療を最大に生かす智慧も発揮できる。必ずや幸と栄光の境涯を開いていけるのだ。
 この大良薬の功力を引き出すのが、信心である。強盛な祈りと聡明な生活で、断じて健康長寿の人生であれ! わが宝友に、私と妻は、朝な夕な、題目を送っている。
【聖教ニュース】

◆中国・南開大学で日中青年友好フォーラム 2017年11月21日
池田先生が連帯のメッセージ贈る
創価学会青年部訪中団が参加 周恩来・池田大作研究会や諸青年団体と友誼の語らい

南開大学で開催された「日中青年平和友好フォーラム」の参加者が記念のカメラに。先人が両国の間に架けた信頼と友誼の「金の橋」を一段と輝かせゆくことを誓って(17日、天津市で)
南開大学で開催された「日中青年平和友好フォーラム」の参加者が記念のカメラに。先人が両国の間に架けた信頼と友誼の「金の橋」を一段と輝かせゆくことを誓って(17日、天津市で)

 【天津17日】中国の周恩来総理の母校・南開大学(天津市)で17日午後、「日中青年平和友好フォーラム」が開催された。創価学会青年部の日中友好青年交流団と、同大学の学生団体「周恩来・池田大作研究会(周池会)」との共催である。これには池田大作先生がメッセージを贈り、心から祝福。同大学マルクス主義学院青年連合会の陳永剛主席をはじめ、周池会の教員・学生、中華全国青年連合会(全青連)の代表、天津市青年連合会の代表らが出席した。
 テーブルを囲む周池会の学生の顔は終始、真剣そのものだった。周恩来総理と池田先生という、日中友好と世界平和を希求した2人の偉人の精神を学び、実践しようとする「周池精神」が、その目の輝きに表れていた。
 周池会が誕生したのは、2006年12月。周総理と池田先生の思想と行動を探る、中国初の学生主体の研究会として産声を上げ、読書会等を通して研究している。学術シンポジウムを主催し、論文発表等も。08年12月には南開大学の全115団体の中から優秀学生団体に選出された。
 今回のフォーラムのテーマは「周池精神の継承と実践」。偉大な精神も、未来に継承されてこそ、真の輝きを放つ。自分たちの世代のみならず、次代のことを真剣に考え、今、何ができるかを追求する――学会青年部と周池会を結ぶ根本の理念であり、信念である。
 フォーラムでは、11年に及ぶ周池会の活動の足跡を振り返る紹介ビデオや、池田先生と周総理の交流の歴史に迫った映像を視聴。陳主席がフォーラムの意義を確認しつつ、学生・青年に対して「永遠に平和友好理念の伝達者に」「永遠に平和友好行動の実践者に」「永遠に平和友好事業の推進者に」との3点を望んだ。
 青年交流団の竹岡団長は、池田先生のメッセージを紹介した。
 その中で先生は、いかなる差異や変化も超えて、常に心を一致させていく共通の指標として、「我々の活動は全ての人民のためのものである」との周総理の信条に言及。「この開かれた『世界市民』の心で両国の若人が、平和と文化と教育の揺るぎない連帯を深め、広げていくならば、それは、やがて、アジア全体、さらには世界の民衆を赫々と照らしゆく、英知の大光になるに違いありません」と強調した。
 さらに、日本の軍国主義に対峙して信念の獄死を遂げた初代会長・牧口常三郎先生が生前、教育者として中国からの留学生のために奮闘し、平和と人道の歴史を開こうとした史実に触れ、その先師の心をしのびつつ、池田先生が自ら1968年(昭和43年)に「日中国交正常化提言」を通して、青年たちと共に両国の平和友好へ行動を開始したことを述懐。今回のフォーラムを新たな出発として、世々代々にわたる「従藍而青」の青年交流が、どんな試練も乗り越え、勝ち越えながら、滔々たる平和の大河となって21世紀を潤していくことを強く望み、メッセージを結んだ。 

  続いてテーマに沿って代表が講演。青年学術者会議の松森秀幸・創価大学准教授は、池田先生と周総理の共通点は「民衆のために」「人民のために」との生き方であると強調。2人の思想を学び、自問し、行動を重ねる中で、周池精神の継承ができると訴えた。
 周池会の劉暁雅(りゅうぎょうが)さん(マルクス主義学院修士2年)は、”青年は毅然と一人立ち、道を切り開いていくのだ”との池田先生の励ましを通し、「私たち若者の力で貧困や戦争、いじめや不平等のない平和な世界を切り開くべきです」と力説。揺るぎない思想、行動する勇気、絶対的な確信を持った力ある青年に成長しゆくことを参加者に呼び掛けた。
 その後、参加者が3会場に分かれ、グループでディスカッションを。①どうすれば「周池精神」を継承できるか、②青年はどうすれば「世界平和の使者」になれるか、③日中の青年にとって「対話の力」とは何か、等の内容で活発に意見が交わされた。
 最後に、周総理夫妻と池田先生との間に結ばれた友誼の絆をうたった「桜花縁(おうかのえにし)」を、日本語と中国語で合唱。春が訪れたような笑顔の花が、会場いっぱいに広がった。

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆本年 開園40周年 北海道・戸田記念墓地公園   1000万人が来場
恩師の故郷に築かれた 生死不二の永遠の都

戸田記念墓地公園の開園式の翌日、恩師・戸田先生の墓前に立つ池田先生(1977年10月3日、同墓地公園で)                                                                                                戸田記念墓地公園の開園式の翌日、恩師・戸田先生の墓前に立つ池田先生(1977年10月3日、同墓地公園で)

 本年、開園40周年を迎えた北海道・戸田記念墓地公園(石狩市厚田区)。年間を通して、多くの人が訪れ、来園者は1000万人を超えた。ここでは、創価学会初の墓地公園が厚田に誕生した意義とともに、識者の声を紹介する。
 春には8000本の万朶の桜。秋には燃えるような紅葉。自然豊かな約48万坪の敷地に、6万基の墓所が整然と並ぶ戸田記念墓地公園。
 第2代会長・戸田城聖先生の名を冠したこの墓園は、今から40年前の1977年(昭和52年)10月2日、創価学会初の墓園として開園した。
 池田先生が、恩師・戸田先生と共に厚田の地を初めて訪れたのは、54年(同29年)8月16日。日本海を見つめつつ、師は弟子に世界広布の未来を託した。
 恩師亡き後、池田先生は第3代会長として再び厚田へ。その時の真情を、後につづっている。
 「この厚田村から、戸田先生という若鷲が、人類救済のために羽ばたいていった。そして広宣流布の礎を築かれた。その先生を、後世永遠に顕彰していくためにも、いつかこの地に、先生の精神をとどめる、『記念の城』を築かねばならない。それが弟子としての私の使命であり、責任である」(小説『新・人間革命』「厚田」の章)
 戸田第2代会長の出獄30年に当たる75年(同50年)7月3日、同墓地公園の建設構想が発表された。
 その2年後に、開園の式典が行われたのである。
 席上、池田先生は語った。
 「この戸田前会長の故郷である厚田の大地を、私を含めて全学会員の心の故郷ともし、広布の“生死不二の永遠の都”としていくよう提案したい」
 さらに、今後は国内外から多くの来園者があるだろうと述べ、ここに「生命と生命のふれあいを通して、麗しい理想的な人間共和の世界を築いていただきたい」と語った。
 その後、戸田記念墓地公園をはじめ、各地に14の学会の墓園が誕生した。いずれも、戸田記念墓地公園と同じ基本理念に貫かれている。すなわち、①時代の移り変わりに左右されない「恒久性」②仏法の生命観に根ざした「平等性」③墓参者に潤いを与える親しみやすい「明るさ」――である。
 戸田記念墓地公園は“生死不二の永遠の都”の先駆けとして、今も北海天地に輝いている。
地域に輝く人間交流の場――旧厚田村・牧野健一元村長
 初めて戸田記念墓地公園を訪れた時のことを、今でもはっきりと覚えています。
 “札幌以北では咲かない”といわれたソメイヨシノを咲かせようと、努力を重ねていた桜守の故・佐々木忠さんから「一度、桜を見に来てほしい」と声を掛けられたのです。
 実際に行って、本当に驚きました。墓園には“暗いイメージ”があったのですが、そこに広がっていたのは、散策にちょうどいい、素晴らしい“庭園”でした。そして桜が見事に咲いていたのです。墓園の存在によって、「厚田」の名は、今や日本だけでなく、世界にも広がりました。
 旧・厚田村の「栄誉村民」である戸田先生をはじめ、厚田には、誇るべき大先輩が数多くいます。特に若い人には、こうした偉人たちの人生から学んでほしいと願っています。
 偉人たちを育んだ要因の一つに、厚田の雄大な自然が挙げられるのではないかと思います。
 冬は、雪嵐や「シベリアおろし」と呼ばれる厳しい風が吹きわたります。
 しかし、春になると、一転して穏やかな気候になります。私は、「あい風」と呼ばれるそよ風が吹き、ニシン漁が始まるこの季節が大好きです。
 この環境が、厳しさと優しさを備えた、スケールの大きい人格を育むのだと思います。
 さて、厚田の四季折々の美しさが凝縮された墓園は、地域の交流の場として親しまれ、人々の生活に潤いをもたらしています。
 また、創価学会の皆さんは長年、地域貢献に率先して取り組んでくださいました。
 私が村長だった時には、厚田の発展に尽くしてくださる池田先生に、「讃辞」をお贈りしました。今も忘れられない思い出です。
 今後も学会の皆さんと共に、地域に人間的な交流を広げながら、愛する厚田のために、力を尽くしていきたいと思います。

◆〈青年部のページ〉 誓願の祈りで広布拡大を! 2017年11月21日

 明「世界広布新時代 栄光の年」の完勝に向け、青年部の友は広布に生きる歓喜を胸に、折伏弘教にまい進する。ここでは各地のリーダーの弘教体験を紹介。併せて、「池田先生の指針」と「職場で輝くSOKAの一番星」を掲載する。

池田先生の指針
 日蓮仏法の「一念三千」の法理は、一念の偉大な転換が三千諸法の転換を可能にすることを教えている。
 一念が変われば、自分が変わる。自分が変われば、環境が変わり、世界が変わる。
 この大変革の根源をたずねれば、御本尊に向かう自分自身の「祈り」の革命的深化にほかならない。
 祈りは、いわゆる「おすがり信仰」とは全く違うのだ。弱々しく、漠然と、誰かにお願いするものではないのだ。
 祈りとは本来、「誓願」である。「必ずこうする」という誓いであり、明確な目標に挑み立つ宣言である。
 であるならば、自身の「人間革命」と、世界平和をめざしゆく「広宣流布」の誓願に勝るものがあろうか!
 自身の苦悩と戦いながら、友の幸福を祈り、創価の勝利を祈る。組織の活動の目標があれば、その達成を祈る。
 「三類の強敵」との攻防戦では、正義なればこそ断じて勝つと、猛然と祈る。そして、勇んで打って出るのだ。
 この「誓願の祈り」「戦う勤行」を貫いてきたからこそ、学会は邪悪をすべて打ち破り、ありとあらゆる法戦に、一切勝ってきたのである。
 だから学会員には、無量の智慧と力がわき、勝利、また勝利の功徳が満ちあふれるのだ!(『随筆 旭日の光』〈「勤行」は勝利の源泉〉)
                                                                           ◇◆◇ 
 私は決断していた。断じて山口県を蘇生させてみせる!
 歴史に残る、広宣流布の人脈を作ってみせる! と。
 会って、語る。
 会って、悩みを聞く。
 会って、励ます。
 会って、指導する。
 会って、共に祈り、御書を拝する。
 直接会えなくとも、手紙等で、会ったと同じだけの誠実を尽くし切っていく。
 私は、喜び勇んで、体当たりで毎日毎日を走りながら、飛びながら、勝利のために、建設のために、乱舞していった。
 そして、「縁した方々を、皆、偉大な広宣流布の大闘士に育成していくのだ!」と、歓喜踊躍して、苦しみを楽しみに変えながらの人生を、自分の身で創っていった。
 御書には「日蓮は此の法門を申し候へば他人にはに(似)ず多くの人に見て……」(1418ページ)と仰せである。
 この意味は、“他の人と比較にならないくらい、大勢の人に会ってきた”との御聖訓である。
 わが学会員も、大聖人の御心と同じでなくてはならぬ。
 まさに「会う」ことが折伏なのである。
 生命と生命のぶつかり合う勝負なのだ。(『随筆 勝利の光』〈懐かしき山口闘争〉)
                                                          ◇◆◇ 
 繰り返し繰り返し、御書を拝し、一節一節を行動に移していくことだ。
 そうすれば生命が覚えていく。確信になっていく。深く「心肝」に染めた御文は、必ず人生勝利の土台となり、宿命転換の力となる。
 御書に仰せではないか。
 「法華経にそめられ奉れば必ず仏になる」(1474ページ)
 「此の経を一文一句なりとも聴聞して神にそめん人は生死の大海を渡るべき船なるべし」(1448ページ)
 自分自身が、いかなる人生の荒波も乗り越えながら、多くの友を幸福の港へと運ぶ、偉大な賢者の大船となれるのだ。
 「御書とともに」走った青春には、生涯消えることなき聖火が宿る。その求道の炎を、いやまして燃え上がらせ、未来の広布の大指導者として羽ばたけと願ってやまない。(『随筆 我らの勝利の大道』〈「行学の道」を共々に(下)〉)

◆〈信仰体験 母ありて〉第21回 堺市西区 戀塚良子さん  信心一筋 粉もん人生
 

 人情あふれる街角に、お好み焼き「恋さん」はある。のれんをくぐると、鉄板に焦げるソースの香りがする。看板おばちゃんの戀塚良子さん(66)=津久野支部、白ゆり長=が、とびきりの笑顔で迎えてくれた。「お帰り」。実家のような温かみが、ここにはある。
 木造の質素な店造り。鉄板を挟んだ対面式の店内は、4人も入れば満杯。壁のメニューは横一列にざっと13種類。ブタ玉、イカ玉、焼きそば、もだん焼き。5個100円のたこ焼きも忘れるなかれ。
 みじん切りのキャベツとネギ。天かすと紅しょうがを少々。それらをボウルに混ぜて、焼けた鉄板に落とす。ふっくらとした仕上がり。談笑しながら頰張る。味も確か。“恋さん”の人柄が、美味に一役買っている。
 27歳で離婚。3人の娘を連れての暮らしは貧しく、朝昼晩と働いた……と書けば悲哀が漂いそうなもんだが、そこは大阪人の心意気。豪快な笑い声を文化住宅に響かせた。原付のヘルメットをかぶったまま授業参観に行くのが、おちゃめなところ。ヒョウ柄を着て商店街を歩く“無敵艦隊”にもなる。わが子と一緒に勤行し、「なんしろ思っただけで願いのかなう信心や」と育てた。だいたいの問題は「大丈夫や。いける」で決着。豪快かつ繊細。運動会で組み体操をする、よその子を見ただけで「頑張ってんなあ」と泣く。いろんな意味で忙しい。
 試練も味わった。10年前、母と長女を同じ年に亡くした。次女と三女の前では「あんたらが泣くから、お母ちゃん泣かれへんわ」と泣かなかった。でも一人の時は、御本尊の前でおんおん泣いた。
 それでも「信」を貫いた。題目の人となり、自宅を広布の会場に提供した。「わざはひも転じて幸となるべし」(御書1124ページ)。池田先生の心に届く自分でいたかった。
 お好み焼き屋を始めた。不思議と、焼き方を伝授してくれる人が現れ、いい材料にも巡り合えた。「うちの御本尊様が夢を後押ししてくれはった」。店で一番初めに焼いたブタ玉をまず御本尊に供えた。
 「恋さん」は、すぐに交流の場となった。100円玉を握り締める子どもから、鼻の赤いおっちゃんまで。身の上話、人生相談……鉄板を挟んで人間模様を見続ける。
関西風お好み焼きのように「ごちゃまぜ」を地でいく。お好み焼きのおばちゃん、信頼厚き白ゆり長、老人ホームで介護職。極め付きは、盆踊りの櫓の上で「河内音頭」を着物姿で歌う。名を「戎家音良と申します」。なんでもやるのは、町に育ち、育てられて、ここまできたから。つまりこの町が好きなのだ。
 よって、もうけは二の次。値上げの波は「心中、穏やかではございません」。格好つけず、素で生きる。毎日ほぼノーメーク。上品ぶらないし、お世辞もない。その平凡さゆえに、強いと映る。
あふれんばかりの“粉もん”人生。お客さんが帰る時は、いつも店の外まで見送る“恋さん”。近所の人から「幸せの種まきばあば」と慕われている。
 

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