2017年6月4日(日)の聖教
2017年6月4日(日)の聖教
◆わが友に贈る
仏法は勝負。
断固負けるな!
わが目標の達成へ
いよいよの決意で
努力と挑戦の自分史を!
◆〈名字の言〉 2017年6月4日
「戦争」の反対語を問われれば、多くの人が「平和」と言うだろう。だが経済学者の暉峻淑子氏の答えは「対話」。“対話が続いている間は殴り合いは起こらない”とのドイツの言葉から発想したものだ▼『豊かさとは何か』等の著作を通し、社会の諸相を浮き彫りにしてきた氏。近年、地域や社会から本来の「対話」が失われつつあるように感じているという▼では「対話」とは何か。氏は「人間としての対等な立場で、その時その場にもっとも必要な自分の考えや感情を、自分の言葉で語る話し合い」と表現する。一方的ではなく、双方の話を往復させる。一般論や抽象論ではなく、“自分自身”から離れない話題で。“お世辞”は対等ではないので対話にならない(『対話する社会へ』岩波新書)▼現代において、同じ人間として胸襟を開き、対等に語り合える場がどれほど貴重か。そのかけがえのない機会の一つこそ、老若男女が自身の思いを赤裸々に伝える学会の座談会であり、友人、同志との「一対一」の対話といえよう▼対話のあるところ、平和が生まれる。心通う対話の一つ一つが、社会を根っこから変えていく。我らの日々の友好対話は、世界平和への具体的な行動であり、民主主義の大地を耕す貴い作業にほかならない。(起)
◆〈寸鉄〉 2017年6月4日
「世界池田華陽会の日」。
女子部の前進こそ創価の
希望。颯爽と対話の花を
◇
「信心の・いさぎよきは
すめるがごとし」御書。
勇んで動く人に功徳燦然
◇
板橋が乾坤一擲の拡大。
大東京の錦州城は不滅!
断じて常勝の歴史つづれ
◇
虚言は事実を隠せない―
魯迅。一のデマには百の
正論で。堂々と打ち砕け
◇
熱意がある社員、わずか
6%。仕事は三人前の心
で進む学会青年部頼もし
◆社説 世界池田華陽会の日 女子部の“声の力”が希望を拡大
法華経で、女性の成仏を信じない舎利弗を感服させたのは、何か。それは若き竜女の“声の力”だった。「汝が神力を以て我が成仏を観よ」(法華経409ページ)と言って、実際に自分が成仏して衆生を教化する姿を見せたのである。日蓮大聖人は「竜女という一人の女性の成仏の実証が、後に続く一切の女人の成仏の道を開いた」(御書223ページ、趣旨)と仰せである。「女人成仏」は万人平等の究極の法理である。
竜女が師へ誓いを立て、民を救おうと利他の実践に励む姿は、広布の華を咲かせる女子部の友に重なる。これほど頼もしい前進の力はない。事実、世界で広布拡大の原動力となっているのが華陽姉妹の活躍である。
目覚ましい発展を遂げるインドの女子部リーダーは、これまで30世帯の弘教を。入会した友は皆、人間革命の道を歩んでいるという。彼女の目標は、自身の手で新たに100人のメンバーを誕生させること。「その一人一人が主体者として立ち上がれば、社会に大きな希望を広げられる」と確信している。
世界広布の電源地・アメリカで2012年に入会した女子部員。両親は離婚し、きょうだいもバラバラに。しかし彼女は信心と巡り合い、「一家の太陽になる」と決意した。その後、明るく変わる彼女の姿を見た母もSGIの一員に。また、彼女の紹介で入会した親友も、会合に参加する中で、「ここが私の居場所」だと確信した。今では「全ての人に、限りない可能性がある」との仏法の価値観を、周囲に語り抜いている。
女子部が一人立てば、希望の連帯が拡大する。家庭に、地域に、社会に、妙法の幸の花は、幾重にも咲き広がる――先の体験は、それを雄弁に物語る。
きょう4日は「世界池田華陽会の日」。池田先生ご夫妻が信濃町の創価女子会館を初訪問した09年6月4日が、その淵源だ。この日、先生は「女子部 永遠の五指針」を贈った。
「朗らかな幸福の太陽たれ」
「世界一の生命哲学を学ぶ」
「何があっても負けない青春」
「正義と友情の華の対話を」
「永遠に師弟勝利の門を開く」
――世界の華陽姉妹はその指針を胸に、きょうも使命の舞台で努力と挑戦を重ねている。「女子は門をひら(開)く」(同1566ページ)と仰せだ。女子部がはつらつと活躍するところ、学会は希望に満ちた前進ができ、広布の新潮流が広がる。「6・4」から結成の月・7月へ、奮闘する乙女の成長を祈り、最大のエールを送りたい。
◆きょうの発心 師弟共戦で連続勝利の歴史を!2017年6月4日
御文 苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ(四条金吾殿御返事、1143ページ・編880ページ)
通解 苦を苦と悟り、楽を楽と開き、苦しくても楽しくても南無妙法蓮華経と唱えきっていきなさい。これこそ自受法楽ではないか。ますます強盛な信心を貫いていきなさい。
いかなる時も唱題し抜いていくことこそ最高の幸せである、との仰せです。
1971年(昭和46年)11月10日、現在の静岡市清水区内で行われた記念撮影に役員として参加。メンバーを激励される池田先生の姿に感動し、生涯、師弟共戦を誓う原点の日となりました。
その3年後、経済苦や集中豪雨による自宅の倒壊などの苦難に追い打ちを掛けるように、母が他界。厳しい現実を前に、懸命に祈り、学会活動に励みました。
婦人部として清水の地で活動するようになってからも、夫の会社の倒産、私自身の病魔との闘いなどの困難に直面。そのたびに、この御文と先生の指導を胸に題目を唱え抜き、全てを乗り越えることができました。
昨年11月、池田先生より静岡の私たちに「太陽の静岡」との新愛称をいただきました。報恩感謝の思いと師弟共戦の信心で連続勝利の歴史を築いてまいります。 静岡総県副婦人部長 加藤糸子
【聖教ニュース】
◆きょう 6・4「世界池田華陽会の日」
結成の月・7月へ 女子部が幸福凱歌の行進
世界中の華陽姉妹と共に、歓喜のスクラム固く前進!――師の励ましを胸に、各国各地で幸の太陽と輝く女子部の友ら(ドミニカ共和国)
きょう4日は、「世界池田華陽会の日」。2009年6月4日、池田大作先生ご夫妻が東京・信濃町の創価女子会館を初訪問。“広布の花”女子部の活躍をたたえ、心からの励ましを送った。
◇
「宝の中の宝である皆さんに、広宣流布の未来の一切を託していきたい。私と妻は、そうした祈りを込めて、皆さんを見守っている」――。
創価女子会館の開館(06年5月3日)から3年。華陽姉妹が願い続けてきた、先生ご夫妻の同会館への訪問が実現した。
ご夫妻は到着後、1階ロビーに設置されている女子部歌「青春桜」の歌碑を見学。先生は大理石のヴィーナス像の名称を「広布青春の像」にと提案した。
次いで、2階の「池田華陽の間」へ。代表と共に題目を唱え、全女子部員の健康、幸福、そして勝利を祈念した。
唱題を終えた後、先生はスピーチを。
「広宣流布へ、師弟が心を合わせて祈る。同志が異体同心で祈る。そこから新しい前進が始まる。戦いの勢いも生まれる。功徳も大きく広がる」「題目こそ、絶対勝利の力なのである」と、大確信を込めて訴えた。
さらに席上、女子部の友に和歌を詠み贈るとともに、希望の羅針盤となる「女子部 永遠の五指針」(別掲)を発表。
そして、詩心薫る「さくら」と、父子の魂の継承をうたった“大楠公”をピアノで奏で、一人一人を励ましの調べで包んだのである――。
師の万感の期待に応えようと、各国各地で“誓春の大道”を歩む女子部の友。「6・4」から、女子部結成記念日の「7・19」へ、栄光と勝利の花を爛漫と咲き薫らせる。
伊藤女子部長、山本書記長は誓う。
「世界中の池田華陽会の同志と団結固く、あの友この友の心に、幸福凱歌の種をまいていきます!」
女子部 永遠の五指針
一、朗らかな幸福の太陽たれ
一、世界一の生命哲学を学ぶ
一、何があっても負けない青春
一、正義と友情の華の対話を
一、永遠に師弟勝利の門を開く
韓国 チェ・ソヒョン 女子部長
韓国青年部では、池田先生の入信70周年を記念して今夏に行う「青年希望総会」へ向け、7000人の弘教に挑んでいます。
拡大の原動力は、一人一人が教学を深め、大聖人の御精神に触れることにあります。
「女子部は教学で立て」との指針を胸に、韓国女子部では現在、“華陽タイム”と銘打った教学運動を実施。毎日20分間、御書を拝し、「池田華陽会御書30編」の読了を目指しています。
韓国では今、時代を覆う閉塞感に、多くの青年が未来への希望を見いだせずにいます。例えば、夢を持てないことを示唆する“自虐的な造語”が生まれていることが、その象徴といえましょう。
その中で、創価の哲学が、社会に活力を送る精神の光源となっています。
ある新聞社に勤める華陽の友は、昨年、職場の同僚の紹介で入会。入会前、学会書籍を読み、池田先生の青年への期待、信頼の大きさに触れ、大感動。そして、生命尊厳の希望の哲理を求め、創価の輪に加わりました。
「世界はますます深く強く仏法を求めている」――この池田先生の言葉のままに、さらに華陽のスクラムを拡大してまいります。
スイス イザベル・シュピューラー 女子部長
「歓喜の体験を語ろう」キャンペーン――これは欧州青年部で、昨年から取り組んでいる運動です。
スイス女子部でも、会合や訪問激励の中で、リーダーが率先して自らの信仰体験を披露。そこで生まれた信心の触発が、互いの成長を促し、人材を育てていく要諦であると確信します。
風光明媚な景観が広がるスイス。経済的にも豊かな国として知られています。
その半面、日々感じるのは、個人と社会とのつながりが希薄化していること。私の周囲には、疎外感や孤独感に苛まれる友人が、少なからず見受けられます。
そんな中、新会員の女子部員に入会動機を尋ねてみると、「“一人を大切にする”創価家族の温かさに感動したから」との答えが、非常に多く返ってくるのです。
混迷を深める現代社会にあって、多くの人が人間主義の哲理を求めてやまない。そう強く実感します。
今月18日、チューリヒで「全国池田華陽会大会」を朗らかに開催します。その日を目指して、さらなる友好対話の潮流を起こしていきます。
◆〈季節の詩〉 東京・荒川区 都電とバラ 2017年6月4日
初夏の下町。チンチン!と発車のベルを鳴らして、都電荒川線が町を縫うように走っていく。荒川区内の沿線には、地域住民らが育てた1万3000株の可憐なバラが咲き薫る。池田先生は「愛する郷土を喜びの花咲く楽土に」「地域に地盤を広げゆく中に、広布と人生の一番正しい軌道がある」と。荒川から北、豊島を経て新宿までを結ぶ約12キロ。庶民の町のど真ん中を進むその姿は、地域のために奔走する創価の友と重なる。(5月31日=笹山泰弘記者撮影)
【特集記事・教学・信仰体験など】
◆〈希望航路―池田先生と進む人生旅―〉 アメリカ・サンフランシスコ①
地涌の使命の開拓者
「アメリカで最も美しい街」と称されるサンフランシスコ。この地にも、広布の誇りに生きる人たちがいる。池田先生の激励行と師弟のドラマを紹介する。
カリフォルニア州北部のサンフランシスコ市。三方を海に囲まれたこの街は、開拓精神にあふれている。
19世紀半ばのゴールドラッシュ。一獲千金を夢見る人々が、国内外からやってきた。20世紀には、市の南部一帯が半導体産業を主とする「シリコンバレー」として栄え、新進気鋭の企業人や若者が多く住むようになった。
広布の歴史もまた、地涌の使命に燃え立つ人たちの、汗と苦労によって開かれた。
1960年(昭和35年)10月、ハワイの地で海外指導を開始した池田先生が、次に向かった先がサンフランシスコである。
10月3日の午後4時半過ぎ。先生はサンフランシスコに、アメリカ本土への広布の第一歩を刻んだ。
当時、出迎えたメンバーの多くは、結婚を機にアメリカで暮らす日系女性であった。
言葉も通じない異国での生活。愚痴を言っては慰め合い、日本への郷愁を募らせるばかりだった。そうした苦労をくみ取りつつ、心に希望の灯をともしたのは先生だった。
翌4日、市内で行われた座談会。集った約30人を前に、先生は地区の結成を発表した。そして、三つの指針を贈った。
市民権の取得、自動車の運転免許の取得、英語のマスター。草創のアメリカの同志が、自らの誓いとして語り継いでいく、永遠の指針である。
◇
テルコ・リッチさん(支部メンバーケア・アドバイザー)は、この日の座談会で班長に任命された。
58年、日本で入会。学会活動に励むと、心が充実感で満たされていくのを感じた。
それだけに、60年6月に渡米した当初は、不安でいっぱいだった。
「大海原にただ一人でいる気持ちでした。街で日本人を探す毎日でした」
そんな時、池田先生のサンフランシスコ訪問の報が飛び込んだ。
先生に会える! 想像するだけで、孤独は吹き飛んだ。
10月3日、先生が到着する空港へ向かった。だが、しばらくして、乗るバスを間違えたことに気付いた。急いで乗り換え、なんとか空港にたどり着いた時にはもう、先生は出発した後だった。
翌日の座談会。夫と一緒に会場を目指したが、今度は道に迷ってしまう。到着したのは会合終了後である。
「またか……」。気落ちする彼女を、別室にいた先生が呼んでくれた。思いがけず出会いが実現した。
リッチさんが班長に就任したと聞き、先生は「しっかり頑張ってくださいね」と。
「短時間でしたが、どんな人も励まさずにはおかないという慈愛を感じました」。リッチさんは振り返る。
当時、班長に就いた地域に、会合参加者は少なかった。師の激励に奮起したリッチさんは、点在する同志の訪問激励に走り、仏法対話にも挑戦した。
はじめは、英語が苦手なのを理由に、日本人ばかりに声を掛けようとも考えた。だが、「英語のマスター」との指針を思い起こしては、弱気を打ち払い、アメリカ人の輪の中にも飛び込んだ。
苦労は実り、1年間のうちに、数十人が会合に集うように。班は地区へと発展した。広布の会場だったリッチさんの自宅では、笑顔の語らいが広がった。
当時を語る彼女の言葉は、草創の友の思いを代弁している。
「日本に帰りたいとばかり考えていた私たちに、先生は“サンフランシスコに使命があるんですよ”と教えてくださいました。その先生にお応えしたいという一心で、走り抜いてきました。広宣流布が大きく広がる今、その礎を築く使命があったのだと、感動で胸がいっぱいです」
◇
池田先生の2度目のサンフランシスコ訪問は、65年8月。短期間の滞在だったが、ミキ・ササイさん(同)は先生と出会いを刻んだ一人である。
緊張する彼女に、先生は「生涯、題目をあげ抜いて、必ず幸せになってください」と優しく語り掛けた。
当時、ササイさんは入会して4年。昼間はレストランのウエートレスとして働き、仕事を終えると、最終バスの時間まで学会活動に励んでいた。
「大きな目標を目指そうと決めました。私自身が幸せになることが、信仰の実証であると教えていただいた思いでした」
宝の原点を胸に、夢だったアパレルショップを市内に開店したのは、71年。入会10年後のことだった。そこでササイさんは35年間、オーナーを務めた。
文化・芸術・ファッションの粋が集まる街にあって、後進に譲った今もなお、店の経営は順調である。
先生はこの訪問後も、74年、80年、93年にサンフランシスコを訪れている。
その全ての訪問を、陰の行事役員として支えたササイさん。師の振る舞いを、間近で目に焼き付けた。
ある時、先生は会館の庭に植えられた花を見て、「信心は、根っこを深く張るんだよ」と。
また、ある時は、「サンフランシスコはいいリーダーを出していこうよ」と、同志に語っている。
深く根を張った信心は、風雪にも微動だにしない。86歳のササイさんをはじめ、多宝会の友は毎週、会館に集い、地域の繁栄と若人の成長をひたぶるに祈念する。15年間続く、サンフランシスコの伝統となった。
今、全米の弘教拡大をリードするサンフランシスコ青年部。その陰には、草創の父母たちの祈りがある。
「先生のご指導通りに、私たちは題目で勝利します!」。ササイさんは胸を張る。
◇
60年代のアメリカ社会は激動期にあった。
公民権運動のうねり。ベトナム戦争の混乱。人々が人生の意義を問い、社会の不条理への答えを求めていた時代に、妙法の灯は、全土にともされていった。
ペギー・デュボルさん(婦人部副本部長)の入会動機も、揺れ動く社会に対する不満からだった。67年、18歳の時である。
完成したばかりの小説『人間革命』の翻訳を読むと、“一人の生命の変革が、一国の変革を可能にする”と。
自身の成長が大きな意味を持つと分かった時、“どうせ社会は変わらない”との、諦めの心は消えていた。
今年で入会50年。サンフランシスコでの師との出会いの数々は、人生の黄金の思い出に。
一度は離れたアートの世界に戻り、現在は、シリコンバレーで景観デザイナーとして活躍する。
「この仏法の素晴らしさを教えてくれた、日本人の女性たちに感謝したい。たとえ片言の英語でも、彼女たちはいつも真剣に接してくれた。その一念が、私を育ててくれたと思っています」
60年の10月5日、池田先生はテレグラフヒルに立つコロンブス像の前で、同志と記念撮影を。「20年、50年たてば、この日は偉大な記念日となるだろう」と語った。
その後も先生は、何度もこの場所に足を運んだ。そして20年、50年先の未来を見据え、間断なき激励行を重ねていったのである。ご感想をお寄せください news-kikaku@seikyo-np.jp
◆〈信仰体験 登攀者〉 新宿駅などでチアリーディングを行う 朝妻久実さん
朝の新宿駅西口。激しい通勤ラッシュをくぐり抜け、それぞれの勤務先へ足早に歩く人、人、人。そんな雑踏の中、信号脇のわずかなスペースに、真っ赤な衣装の女性たちがさ
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