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2017年6月17日 (土)

2017年6月17日(土)の聖教

2017年6月17日(土)の聖教

◆わが友に贈る

地域の幸福責任者こそ
地区部長・婦人部長だ。
本陣に立正安国の旗を!
この誓願と実証が
必ず創価の未来を開く!

◆〈名字の言〉 2017年6月17日
 

 小学4年生の子が、宿題で日記を付けていた。父が偶然、見てみると、どうもおかしい。一緒に出掛けたはずの日に、自分の知らない、全く別の行動が書いてある▼不思議に思って尋ねると、これは「他人日記」だという。つまり“自分ではなく友達の日記を、友達になったつもりで書く”という宿題なのだ▼例えば友達が公園に行ったとする。その子がどんな遊具が好きで、誰と遊んで、何を思ったかなどを、自分なりに想像を膨らませながらつづっていく。日記には直接、友達に聞いたことも含まれていた。その中で友達の長所に気付いたり、自分と共通する部分を発見したりするという▼他者の気持ちを想像することは、子らの心の成長に欠かせないばかりでなく、大人にも大切な姿勢だろう。人の気持ちは常に動いているもの。“相手は分かってくれている”と決め付けず、人情の機微を理解し、念には念を入れ、誠意をもって思いを伝えることが必要な時もある▼御書に「友達の一日に十度・二十度来れる人なりとも千里・二千里・来れる人の如く思ふて礼儀いささか・をろかに思うべからず」(1527ページ)と。日常的に触れ合う友にも、遠くの友にも真心を尽くすのが仏法者の振る舞いであり、広布を開く道であることを忘れまい。(行)

◆〈寸鉄〉 2017年6月17日
 

 「青年の成長なくして広
 宣流布もない」戸田先生。
 君よ激闘の中で強くなれ
      ◇
 東京・江東よ、大逆転を!
 庶民の力は偉大なり。勇
 気と団結で栄冠をつかめ
      ◇
 墨田が気迫の大攻勢!渾
 身の対話で混戦突破を。
 総立ちで勝利へ押し捲れ
      ◇
 茨城の日。師と共に凱歌
 の人生を歩む同志。祈り、
 語り、正義の連帯を拡大
      ◇
 日本の死亡率減少。健康
 志向の高まりが背景と。
 幸齢社会へ生き方も探求 

◆小説『新・人間革命』第30巻 雄飛の章 三 (6099)
 

 山本伸一たち訪中団一行は、二十二日の午後、北京大学を訪問し、季羨林副学長らの歓迎を受けた。同大学の臨湖軒で、創価大学との学術交流に関する議定書の調印が行われ、その際、北京大学から、伸一に名誉教授の称号授与の決定が伝えられた。
 伸一は、謝意を表したあと、この日を記念し、「新たな民衆像を求めて――中国に関する私の一考察」と題する講演を行った。
 中国は、「神のいない文明」(中国文学者・吉川幸次郎)と評され、おそらく世界で最も早く神話と決別した国であるといえよう。
 講演では、司馬遷が、匈奴の捕虜になった武将・李陵を弁護して武帝の怒りを買い、宮刑に処せられた時、「天道」は是か非かとの問いを発していることから話を起こした。わが身の悲劇という個別性のうえに立って、「天道」の是非をただす司馬遷の生き方は、「個別を通して普遍を見る」ことであり、それは中国文明の底流をなすものであるとし、こう論じていった。
 ――それに対して、西洋文明の場合、十九世紀末まで、この世を支配している絶対普遍の神の摂理の是非を、人間の側から問うというよりも、神という「普遍を通して個別を見る」ことが多かった。つまり、神というプリズムを通して、人間や自然をとらえてきた。そのプリズムを、歴史と伝統を異にする民族に、そのまま当てはめようとすれば、押しつけとなり、結局は、侵略的、排外的な植民地主義が、神のベールを被って横行してしまうと指摘したのである。
 さらに伸一は、現実そのものに目を向け、普遍的な法則性を探り出そうとする姿勢の大切さを強調。その伝統が中国にはあり、トインビー博士も、中国の人びとの歴史に世界精神を見ていたことを語った。そして、「新しい普遍主義」の主役となる、新たな民衆、庶民群像の誕生を期待したのである。
 伸一は、中国の大きな力を確信していた。それゆえに日中友好の促進とアジアの安定を願い、訪中を重ねたのである。

【聖教ニュース】

◆欧州SGI青年部が夏季研修会 
6・6「師弟の日」を記念 18カ国200人が参加
池田先生が祝福のメッセージ贈る

欧州青年部夏季研修会に参加した18カ国の代表が、世界広布新時代を担いゆく誓いにあふれて(フランクフルト池田平和文化会館で)
欧州青年部夏季研修会に参加した18カ国の代表が、世界広布新時代を担いゆく誓いにあふれて(フランクフルト池田平和文化会館で)

 6・6「欧州師弟の日」を記念する、欧州SGI(創価学会インタナショナル)の青年部夏季研修会が8日から11日まで、ドイツのフランクフルト池田平和文化会館で開催。欧州18カ国から代表が参加した。これには、池田大作先生がメッセージを贈り祝福。タカハシ欧州議長、プリチャード同女性部長、欧州青年委員会のオザワ委員長らが出席した。(2面に関連記事)
 「原点」を持つ人は強い。
 「誓願」に生き抜く人は負けない。
 欧州の同志にとっての原点――それは1981年(昭和56年)6月6日、池田先生が欧州の代表らと共に出席した、南仏トレッツの欧州研修道場での夏季研修会である。先生はこの日を「ヨーロッパの日」にしてはどうかと提案した。
 以来、欧州の友は、毎年巡り来る6月6日を、勝利の実証をもって迎え、また新たな決意で出発を切る、“誉れの原点”としてきたのである。
 2014年には「欧州師弟の日」と名称を改め、加速度を増して信頼の輪を広げ、人材の裾野を拡大。師弟誓願の精神は今、欧州各国の未来を担う青年に受け継がれている。
 今回の青年部研修会には、イタリア、イギリス、ドイツ、スペインなど18カ国の代表約200人が広布の誓いに燃えて参加した。
 池田先生はメッセージの中で、研修会に勇んで集った青年たち一人一人こそ「世界広布新時代の主役」であると強調。
 「何があっても『断じて負けない!』と決めて、それぞれの地域で、使命の舞台で、朗らかに仲良く進んでいってください。そして、大福運の人生を、隆々たる人間革命の大勝利の人生を共々に晴れ晴れと飾っていただきたい」と念願した。
 研修会は体験発表、御書講義、グループディスカッションなど多岐にわたる内容に。また、ビンゲン市のヴィラ・ザクセン総合文化センターにも足を運び、池田先生が同センターを訪問した際の模様や欧州の広布史を学び合い、師弟の心を胸に刻んだ。
 オザワ欧州青年委員長は「今こそ青年の手で、永遠に崩れない欧州広布の土台を築こう」と力説。タカハシ欧州議長が「新時代を担う誇りに燃え、一人一人が広布拡大の原動力に」と激励した。

◆〈季節の詩〉 東京・足立区 咲き誇る花菖蒲

  

 初夏の訪れを告げる花菖蒲。東京・足立区の「しょうぶ沼公園」に広がる青や薄紫、黄色などの“花のじゅうたん”は、見る人の心を躍らせる。
 かつて池田先生は、東京の同志から真心の菖蒲が届けられた歴史を述懐し、つづった。「仏法は『勝負』である。そして『菖蒲』もまた、『勝負』に通ずる」と。
 毅然と咲き誇る花菖蒲のごとく、我らもまた、わが生命を惜しみなく燃やし尽くし、“勝利のドラマ”を刻みゆく日々でありたい。(6月6日=宮田孝一記者撮影)
【先生のメッセージ】

◆〈随筆 永遠なれ創価の大城〉21 大東京に凱歌の朝
「いまだこりず候」と今日も前へ!
感激の同志と綴る誉れの歴史は不滅
 
荒川区、足立区……と活気ある街々を走り、やがて彼方には東京スカイツリーが。手前の流れは荒川(池田先生撮影。6日、葛飾区堀切付近で)
荒川区、足立区……と活気ある街々を走り、やがて彼方には東京スカイツリーが。手前の流れは荒川(池田先生撮影。6日、葛飾区堀切付近で)

 戸田先生と私との師弟の語らいは、常に御書と共にあった。
 一九五七年(昭和三十二年)の七月、「大阪事件」の渦中、関西本部で先生と拝した一節がある。
 「今の世間を見るに人をよくな(成)すものはかたうど(方人)よりも強敵が人をば・よくなしけるなり」(御書九一七ページ)
 先生は、私と一緒に難に立ち向かってくれた関西の同志を讃えられ、「これで、ますます強くなるぞ。福運に満ち満ちた、大境涯への飛躍を遂げた」と微笑まれた。
 私は申し上げた。
 「『いまだこりず候』――この仰せ通り、いよいよ強く朗らかに、民衆の正義の大連帯を拡大してみせます。どうか、ご安心ください」と(御文は御書一〇五六ページ)。
 東京に舞い戻り、私は直ちに常勝不敗の“東の錦州城”を築き始めた。けなげな宝友たちが、私と同じ不屈の闘魂で、汗を流し戦ってくれた。
 それが、愛する庶民の都・荒川であったのだ。

牧口先生と郷土


 以来六十年となる、この六月六日、私は懐かしい荒川へ向かった。西日暮里、町屋へと進み、わが友が模範の近隣友好を進める商店街の賑わいも、うれしく拝見した。
 牧口先生の生誕百四十六周年の日であり、荒川文化会館では、先師の遺徳を偲び、懇ろに勤行をさせていただいた。
 思えば、牧口先生の故郷は新潟の荒浜(現・柏崎市内)。荒川と同じ「荒」の字を含むことに、不思議な縁を感じる。
 先生は大著『人生地理学』において、郷土こそ「自己の立脚地点」なりと着目なされている。人が長じて国家、世界で活動しゆく“源の力”が郷土であるとされ、その大恩に報いていくべきことを強調されたのである。
 先生ご自身が、身近な縁を大事にされていた。同郷の集い「東京荒浜協会」の会長も務め、後輩たちに尽くされている。一九二八年(昭和三年)七月に、現在の東京・調布にあった京王閣で総会を開き、会長として挨拶されたことは、郷土の新聞でも報じられた。
 それは、牧口先生が、日蓮大聖人の仏法と巡り合われた直後であった。
 六月に先生は、豊島の池袋に住む紹介者のもとへ約十日間、通われた。そして五十七歳のこの年、日蓮仏法の実践を開始された。以来、ここ大東京を本陣として、広宣流布の対話の波を起こし、仏縁を広げ抜いていかれたのだ。
 まさに、「仏種は縁に従って起る」(御書一四六七ページ)である。
 東京中に留められた先師と恩師の足跡に思いを馳せつつ、私は荒川からの帰り道、思い出深き足立を回り、さらに隅田川沿いに進んだ。
 葛飾、墨田、台東、江東など、いずこも共戦の地涌の友らが走る街並みに題目を送りながら!

人生勝利の要諦


 日蓮大聖人は、大難の佐渡で綴られた。
 「法華経の行者は信心に退転無く身に詐親無く・一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥に後生は申すに及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得・広宣流布大願をも成就す可きなり」(同一三五七ページ)
 この御文を拝し、戸田先生は「法華経の行者」たる私たちの広布と人生の勝利の要諦を教えてくださった。
 第一に「信心に退転無く」である。「進まざるは退転」という。題目で元初の太陽を昇らせ、勇敢に、弛まず前へ進むのだ。
 第二に「身に詐親無く」とは、自らの行動にウソ偽りがないことだ。誰人にも誠実を貫き、真実を語り切る。それが仏の慈悲に通ずるのだ。
 第三に、「一切法華経に其の身を任せて」いくことである。何があろうとも、全てを御本尊への祈りに入れて、一つ一つ勝ち切っていくのだ。「法華経に勝る兵法なし」である。
 最後に、「金言の如く修行」である。如説修行であり、「権門をかっぱと破りかしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ」(同五〇二ページ)と、折伏精神を燃やして打って出るのだ。
 創価学会は、この通りに戦ってきたからこそ、「勝妙の大果報」を得て、世界広宣流布の大願成就へ大前進してくることができたのだ。

師弟共戦で勝つ


 わが故郷であり、創価の源流である東京――。
 牧口先生と戸田先生は暴走する国家主義と対峙し、共に巣鴨の牢獄に囚われ、先師は殉教された。
 恩師は敗戦直前に移送された中野の獄舎から出獄し、戦後の焼け野原にただ一人立ち、「妙法流布の大願」を高く掲げられたのである。
 学会再建への第一歩を踏み出したのは、目黒駅の近く、品川の上大崎に借りた事務所からであった。戦前に創価教育学を実践した時習学館があった地域でもある。
 私は大田で、この師と出会い、立正安国の戦いを起こした。
 東京には、仏意仏勅の教団たる学会の指揮を、三代の師弟が厳然と執ってきた不滅の歴史がある。それがゆえに、常に、障魔の嵐は我が東京に襲い掛かってきた。
 だが我らは、師と共に、「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」(同一四四八ページ)と胸張り、全ての強敵に打ち勝ってきた。
 師と同じ誓願、師と同じ責任感、そして師と同じ威光と勢力で、万年の創価の勝利を決するのが、本陣東京の永遠の誇り高き使命なのである。
 「東京は強い根っこだ。東京は徹して断じて強くあろうよ」と、東京・北区の十条で語り合った思い出がある。一九七九年(昭和五十四年)の七月のことだ。
 偉大な婦人部の献身に感謝を込め、東京の歌「ああ感激の同志あり」を、皆で声高らかに歌った。
 「感激の同志」との異体同心の前進ある限り、感激の逆転劇を必ず創っていける。師弟誓願の魂が燃える大東京は明るく、底抜けに朗らかだ。今こそ、創価家族の模範の団結で進むのだ。
 わが新宿・信濃町には、広宣流布大誓堂が、威風堂々と聳え立つ。
 時折しも、二〇二〇年の東京オリンピック・パラリンピック会場は、間近で建設されている。
 今、この時、世界広布の本陣で戦う我らには、どれだけ大きい使命があることか。計り知れない宿福深厚の人生を歩んでいるのである。

青年が立つ時だ


 六月から七月へ、学会は燃え上がる「青年」の勢いで進む。それが創価の栄えある伝統である。
 六月三十日には、男女学生部が結成六十周年の佳節を迎える。英知と智慧の若き諸君が、民衆勝利という父母の願いを胸に、希望の突破口を開いてくれていることを、私はよく知っている。
 さらに七月十一日は、わが後継の闘将・男子部の結成の日。
 七月十九日は、平和と幸福の門を開く女子部の結成の日――。いずれも六十六周年の節を刻む。直前の八日は、「白蓮グループの日」でもある。
 青年が立つ時だ。青年が戦い勝つ時だ。
 君よ、貴女よ、新時代の地涌の若人たちよ、創価の完勝を担いゆけ!夜明けが来た!
 今、何よりも有り難いことは、尊き多宝の父母が学会精神を満々と漲らせ、意気軒昂に奮闘してくれていることだ。
 「肉体は老いても、精神の若い老人がいる」
 これは、戸田先生が「妙悟空」の筆名で執筆された小説『人間革命』の一節である。
 私はこの一書を恩師より直接、賜った。
 六十年前(一九五七年)の七月三日――恩師の「出獄の日」より十二年。奇しくも私の「入獄の日」のことであった。
 「夕張炭労事件」を皆で勝ち越えた北海道から、大阪に向かう途中、羽田空港で飛行機を乗り換える待ち時間である。
 この折、権力の魔性が牙をむく「大阪事件」の嵐に突き進む私に、文京支部の婦人リーダーが必死の声で言った。
 「同志へのご伝言を!」
 私は一言、贈った。
 「『夜明けが来た』と伝えてください」
 獄中闘争は、約二週間に及んだ。七月十七日、中之島の中央公会堂で行われた大阪大会で、私は烈々と訴えた。
 ――最後は、信心しきったものが、また、正しい仏法が、必ず勝つという信念でやろうではありませんか!
 この師子の確信を、今、二十一世紀の後継の直弟子が、厳然と受け継いでくれている。
 いかに困難が立ち塞がろうが、最後は勝つ。断じて勝つ!
 これが我ら創価の信念であり、誓願であり、本懐なのだ。
 さあ、いよいよ世界広布新時代の本門の「夜明け」が来た!
 師弟の日「七月三日」の晴れやかな凱歌の朝を共に! 歓喜と感激の同志と万歳を共々に!
     
 後継の
  元初の生命よ
     勝ち昇れ
  万年照らす
    凱歌の朝に
    
 (随時、掲載いたします)

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆欧州青年部の夏季研修会から 世界広布新時代は私たちが主役!

   
同志の絆を強め合った欧州青年部。研修会の合間に、語らいの花が咲く(フランクフルト池田平和文化会館で)
同志の絆を強め合った欧州青年部。研修会の合間に、語らいの花が咲く(フランクフルト池田平和文化会館で)

 欧州青年部の友は、「歓喜の体験を語ろう」キャンペーンを展開している。同部の夏季研修会(8~11日、ドイツ・フランクフルト池田平和文化会館)でも、各国の代表が信仰体験を披露した。

◆〈生老病死を見つめて〉 悔いなき日々を 
「臨終只今」の心で、きょうも広布へ

 
                                                                                                                                                 

 連載「生老病死を見つめて」では、創価学会員が信心根本に、生老病死という「四苦」を乗り越えてつかんだ信仰の確信と仏法の哲理を紹介する。今回は24歳の娘を亡くした壮年の体験を通して考察したい。
心に刻む御聖訓
 百二十まで持ちて名を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ(崇峻天皇御書、1173ページ)

突然の「末期がん」の宣告


 御書には「所詮臨終只今にありと解りて信心を致して南無妙法蓮華経と唱うる人を『是人命終為千仏授手・令不恐怖不堕悪趣』と説かれて候」(1337ページ)とある。かつて池田先生は、この御文を通して次のように語った。
 「『所詮臨終只今』ということは、只今に全生命をかけていくということにほかならない。日々を懸命に生きていく、広宣流布に、一生成仏に、我が生命を燃焼させながら、戦い抜いていくということであります」と。
 今、この時を、力の限り悔いなく生き抜く――。岡山池田総県総合長の長江章行さん(61)は、この決意で学会活動に奔走している。脳裏には、今は亡き長女・章子さんの面影が鮮やかに残っている。
               ◇ ◆ ◇ 
 岡山県総社市で生まれ育った長江さんは2歳で家族と共に入会。幼い頃から学会の庭で育ち、男子部として薫陶を受けてきた。1980年(昭和55年)には妻・信江さん(61)=圏副婦人部長=を折伏して結婚し、その後、1男1女に恵まれる。青年部時代、また壮年部に移行後も広布の第一線で戦ってきた長江さんだったが、2006年(平成18年)4月、突然の試練に襲われた。長女・章子さんが末期の肝臓がんとの宣告を受けたのである。章子さんは当時24歳だった。
 長江さんは語る。
 「『腰が痛い』と言っていた娘が病院で診断を受けたところ、肝臓にピンポン球のようながんが二つあることが分かりました。がんは末期で、大腸と肺にも転移しており、手術は不可能とのこと。医者からは『もって2カ月』と言われました」
 病の宣告を受けた長江さん夫妻は、その晩、意を決して章子さんに病状を伝えた。妻・信江さんが振り返る。
 「章子は大きなショックを受けていましたが、すぐに病魔と闘う決意を固めたようでした。仲の良い友達に、がんが見つかったことを伝え、『絶対に病気に負けないから!』と力強く語っていました。その姿に触れて、私たち夫婦も“必ず宿命転換しよう!”と決意しました」

わが使命を果たしたい!

 ――章子さんは地元・岡山の高校から、創価女子短期大学に16期生として入学。鍛えの日々を送り、卒業後は地元・岡山の信用金庫に同短大卒業生として初めて採用された。
 入行以来、章子さんの営業成績は常にトップで、「後輩のために道を開きたい」と奮闘してきた。職場での面倒見もよく、将来を嘱望されていたという。
 学会の庭では女子部本部長、白蓮グループの県委員長として仕事と活動の両立に挑戦。未来部員の励ましにも足しげく通っていた。
 病が判明してから、章子さんはすぐに入院し、抗がん剤治療を受けた。だが、治療の効果は現れず、同年7月下旬には、医者から「できる限りのことはしましたが、状況が厳しくなりました。もっても、残り1週間ほどだと思います」と告げられる。
 「医者も一度はさじを投げました。しかし、章子は“自分の使命を果たしたい”と、電話で友人と対話し、聖教新聞の購読も推進しました。ある時、『どうしても折伏したい人がいる』と言って、勤め先の同僚を病室に呼んで仏法対話をしました。その同僚は入会を決意し、御本尊を受持することができました」(長江さん)
 この間、奇跡的にがん細胞の数値が下がり、章子さんは別の病院で、再び抗がん剤治療を受け始めた。9月になると、がん細胞が徐々に死滅し、治療の効果が現れ始める。だが、抗がん剤の影響で章子さんの体の抵抗力は落ち、体力的にもギリギリの状態になっていた。
 06年10月13日の夜、病室で章子さんと一緒に勤行をした信江さんは、「さあ、寝ようか。頑張って使命を果たそうよ!」と声を掛けた。章子さんは、笑顔で「はい!」と返事をすると、そのまま意識を失って倒れた。
 2日後の10月15日、家族に見守られながら、章子さんは眠るように静かに息を引き取った。病気の判明からわずか6カ月半。享年24歳だった。
 「病気が分かった時、医者から『激しい痛みに苦しむことになる』と言われましたが、章子は最期まで苦しむこともなく亡くなりました。その姿や臨終の相に接して、成仏を確信できました」(信江さん)

友に励ましを送り続ける


 長江さん夫妻にとって、章子さんを失った衝撃は大きかった。
 「あまりにも早い別れと、壮絶な闘病生活に、しばらく現実を受け入れられませんでした。ただ、本当に多くの同志が闘病中をはじめ、娘が亡くなった後も励ましてくれ、心から感謝しています」(長江さん)
 長江さん夫妻は、章子さんが亡くなってから、あらためて知ったことがある。それは、章子さんが多くの人を励まし続けていたという事実である。
 弔問に来た学会の同志や会社の同僚から、「章子さんの励ましに支えられた」「勇気づけられた」という話を何度も聞いた。また、「章子さんの笑顔が忘れられない」という声も多数あった。
 「臨終只今」――師から学んだこの生き方を、章子さんは、病を得る前から、そして、闘病の中にあっては、なおさら強く貫いて生きた。
 その生命は、両親の胸中に生き続けている。
 信江さんは言う。
 「娘を失った悲しみは筆舌に尽くしがたいものでした。でも、章子が白蓮グループとして、常に笑顔で会館に着任していたことを思い出し、私も会館に行く時は笑顔になろうと決意し、涙をぬぐってきました」
 長江さんも、章子さんの在りし日の思い出を聞かされるたびに、「娘に負けない人生を生きよう!」と自身を奮い立たせたという。そして、「百二十歳まで長生きしても悪い評判を残して一生を終わるよりは、生きて一日でも名をあげることこそ大切である」(御書1173ページ)との「崇峻天皇御書」の一節を何度も拝して御本尊に祈り、地域広布に走り抜いてきた。
 長江さんは語る。
 「最期まで戦い抜いた章子の姿から、私たち夫婦が学んだことは、一日一日を大切に生き抜くということです。病魔との闘いで、章子も怯んだり、負けそうになったりしたことがあったと思います。それでも、決して諦めずに戦い続けた娘を誇りに思います。私たち夫婦も娘に負けないように、さらに多くの人に励ましを送り、自他共の幸福のために生き抜いていきます」

取材メモ

 長女・章子さんが亡くなって4カ月後の2007年(平成19年)2月、池田先生から長江さん夫妻に一首の和歌が届けられた。その脇書きには、「ご夫妻共に/断じて負けないで/最愛の娘は必ず環ってくる/仏法の方程式を信じて/娘に叱られないように/大勝利の人生を!」と、したためられていた。
 「葬儀などでも決して泣きませんでしたが、この時ばかりは池田先生の真心に号泣しました。同時に、三世の生命観の上から『章子は必ず生まれ変わってくる』と心から確信することができ、“娘の分まで広布に生き抜こう”という腹が決まりました」
 その後、長江さんは県長・総県長を8年にわたり務めたが、この間、折に触れて章子さんの闘病の様子を語り、同志に「負けない信心」の大切さを訴えてきた。
 長江さん自身、娘を失った悲しみは今もある。だが、それ以上に、病魔と闘い、使命に生き抜いた娘を誇りに思う。だからこそ、「章子に負けないように!」との決意で、きょうも広布に走り抜いている。(秀)

◆〈信仰体験 白ゆりの詩〉 聴覚障がい、言語障がいに屈しない 

 苦労はすべて宝に変わる大井支部、婦人部副本部長。聴覚障がい、言語障がいに屈することなく、信心を土台に苦難と戦い、乗り越えてきた。信心一筋、広布の母の歩みとは――。
 【岐阜県恵那市】「御本尊様と学会の同志。そして、池田先生のおかげ。私の人生があるのは。本当にそれだけよ」と、笑みを浮かべて語ってくれた、梶田和美さん(67)=
 

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