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2017年6月 9日 (金)

2017年6月9日(金)の聖教

2017年6月9日(金)の聖教

◆わが友に贈る


失敗を恐れないことが
真の成功への財産に。
くよくよせずに
より賢く より強く
前を向いて挑み抜こう!

◆〈名字の言〉 2017年6月9日

 作家の半藤一利さんが「デマのスピード」と題して、こんなエピソードを紹介している▼時は1938年(昭和13年)。日中戦争が泥沼化し、日常生活も苦しくなる中、巷には多くのデマが飛び交っていた。そこで、デマが広まる速さを“実験”しようと陸軍参謀の一人が民間の友人に吹き込んだ。“国民の士気に関わるので今は伏せているが、実は双葉山が昨日死んだ”▼その後、参謀本部は“24時間内に、この噂話が入ったら直ちに報告せよ”と国内外の全陸軍部隊に周知した。双葉山といえば当時、69連勝した大横綱。噂話はたちまち広がった。一番遠くは満州(現・中国東北部)にある司令部からの報告だったという(『歴史のくずかご』文春文庫)▼日蓮大聖人は「立正安国論」で「速に対治を回して早く泰平を致し」(御書33ページ)と。世にはびこる誤った思想や宗教を「速に」打ち砕き、「早く」社会の平穏を取り戻す。これが仏法者のあるべき姿勢であろう▼インターネットの発展により、今は情報が瞬時に世界を巡る。人々の不安をあおる悪意に満ちた話も後を絶たない。私たちはウソを追い抜くような速度で、人を励まし、人をつなぐ言論戦を展開したい。よりよい社会を築くために必要なのは「真実を伝えるスピード」である。(値)

◆〈寸鉄〉 2017年6月9日

 副役職の友が立てば勢い
 は倍加。“長”と心合わせ
 友を励ます行動に福徳が
      ◇
 東京・足立が猛撃。戦いは
 攻め抜いたほうが勝つ。
 庶民の王者よ見事凱旋を
      ◇
 御書「百千万年くらき所
 にも燈を入れぬればあか
 く」。強き信心に仏力厳然
      ◇
 全国各地で梅雨入り。体
 調管理賢く。爽快な朝の
 勤行から心清々しく出発
      ◇
 南極の巨大氷山が分離寸
 前。崩壊続けば海面上昇
 も。環境保全の対策急げ

◆社説  あすは「婦人部の日」   全ての女性が幸福になる時代を


 あす10日は、結成から66周年を迎える「婦人部の日」。
 終戦から6年後の1951年(昭和26年)6月10日、婦人の代表52人が集い、出発した。戦後の困窮から抜け出せず、多くの人々が苦しんでいた時代。社会の荒波は、女性にいっそう激しく襲い掛かっていた。
 戸田城聖先生は、「母が皆、幸せになった時に、本当の平和な世界となる」と、各部に先駆けて婦人部を結成した。それは創価三代の会長の変わらぬ願いである。
“全ての母と女性が幸福に”との師弟の願いに反して、幾度となく学会に障魔の嵐が吹き荒れた。宗門事件もその一つである。
 79年(同54年)5月3日の本部総会の模様が、小説『新・人間革命』「大山」の章につづられた。師弟の絆を引き裂こうとした卑劣なやからは、会員に「(池田先生を)先生と呼んではいけない」と強いた。だが総会終了後、幼子を背負った婦人らは、先生の姿を目にすると「先生! 先生!」と叫ばずにはいられなかった。
“これから、こういう尊い方々を、本当に善良な仏子を、誰が守っていくのか! 誰が幸福にしていくのか! 私は、必ず守り抜いてみせる!”――いかに状況が変わろうが、どんな立場になろうが、広布の母をたたえ、守り、励ましを送り続ける師。その真心に応えようと進んできた婦人部。この師弟の歩みによって、学会は今日の大発展を築いてきた。
 アイスランドSGIのエイグロ・ジョンスドッティル理事長は89年(平成元年)の師との出会いが原点と語る。屋外で照り付ける日差しの中、彼女の体調を気遣った師は何度も声を掛けたという。「一人の弟子を思ってくださる先生。温かな真心に接した感動は、今も鮮明に覚えています」と。彼女は今、師の振る舞いを胸に、同志の励ましに、広布拡大に走っている。
 東京・荒川区の宝寿会の婦人もその一人。60年前、大阪事件の直後に先生が指揮を執った“荒川闘争”。期間は1週間。婦人ら草創の友は師弟共戦で二百数十世帯の弘教を成し遂げた。「師匠に出会い、この信心で本当に幸せになれました。師恩に報いる時は今」と婦人は誓う。
 日蓮大聖人は「悲母の恩を報ぜんために此の経の題目を一切の女人に唱えさせん」(御書1312ページ)と願われた。まさに全ての女性が幸福になるために、仏法はある。さあ師弟凱歌の7月へ! 母子が輝く平和の世紀を、立正安国の世界を、われら弟子の手で断じて切り開いていきたい。

◆きょうの発心  師弟不二の心で広布拡大に走る

御文
 心の師とは・なるとも心を師とせざれ(兄弟抄、1088ページ・編689ページ)
通解 わが心に対して師とはなっても、わが心を師としてはならない。

 自身の弱い心に負け、弱い心を師として従ってはならない、と教えられている御文です。
 2年前の1月、マレーシアにいる兄が急死。白蓮グループの入卒式を目前に控えた突然の訃報に動揺しましたが、マレーシアの同志から「兄は最期まで広布一筋の人生だった」とうかがい、家族全員の励みになりました。「広布のど真ん中で走り抜くことが最高の追善」との先輩の激励に、生涯不退を誓いました。
 その直後に、本部幹部会での任務の話があり、白蓮グループで培った「自分中心に生きるのではなく、池田先生だったらどうされるか」との精神を胸に、無事故・大成功の任務を決意しました。
 会合終了後、先生から思いも掛けず真心の激励を頂き、一段と奮起しました。翌日から、地元・村山総区の華陽姉妹と共に広布拡大に走り、勝利の歴史を刻んだことが、自身の原点となっています。
 本年は、池田先生の提案で、白蓮グループの淵源である女子部の「整理班」が結成されて60周年。草創から変わることのない「広布のお役に立ちたい」との自発と率先の白蓮精神を胸に、村山総区はじめ全国の同志と師弟不二で前進し、勝利の姿で7・8「白蓮グループの日」を迎えてまいります!  白蓮グループ副委員長 宮本真由美

◆小説『新・人間革命』第30巻 雌伏の章  六十五 (6093)
 
 


 「それでは、一緒に勤行しましょう」
 山本伸一は、「勇将グループ」のメンバーらと共に勤行し、皆の健康と一家の繁栄、目黒創価学会の勝利を真剣に祈念した。
 その後、婦人部、女子部の幹部らと懇談した。区の婦人部長からは、特に伸一の会長辞任後、激しさを増す寺の学会批判のなか、一人も同志を落とすまいと、個人指導に全力を注いでいることが報告された。
 「苦労をかけるね。辛いだろうが、今が正念場だよ。必ず事態を打開していくから、すまないが頑張ってほしい」
 伸一の言葉に、彼女は目を潤ませた。
 「先生、私たちは負けません! 大切な同志を、守り抜いてみせます」
 「ありがたいね。頼みます」
 すると、区の女子部長が言った。
 「女子部は今、活発に部セミナーを開催して、折伏・弘教を推進しております。信心する友人も増え、皆が歓喜に燃えています」
 「すごいね。新しい時代が来たね。時代は創るものだ。一緒に築き上げようよ」
 伸一は、嬉しかった。
 彼と峯子が一九五二年(昭和二十七年)五月三日に結婚し、新生活のスタートを切ったのが目黒区三田であった。戸田城聖の家にも近かった。夫婦して師を守り、学会の未来を開こうと誓い合い、広布の新たな歩みを開始していったのだ。その目黒の青年たちが、吹雪に胸を張り、進むように、喜々として弘教に励んでいることに喜びを覚えたのである。
 語らいのあと、伸一は、二階の広間に向かった。既にセミナーは終わっていたが、役員をはじめ、各部のメンバーが残っていた。彼は、ここでも皆と記念撮影し、さらに、「うれしいひなまつり」「月の沙漠」「人生の並木路」をピアノ演奏した。
 「皆さんへの、せめてもの励ましとして、ピアノを弾かせていただきました。何があっても、堂々と勇気をもって進もう!」
 試練の嵐のなかで、同志は奮戦していた。創価の新しき力の胎動が始まっていたのだ。

【聖教ニュース】

◆民音 ドラケンスバーグ少年合唱団 15年ぶり4度目 
 7・8月に全国25会場で公演
 虹の国 南アフリカから希望のハーモニー

異なる人種や文化的背景を持つメンバーで構成される「ドラケンスバーグ少年合唱団」。ミュージカル・ナンバーや、南アフリカの民族楽曲などを歌い上げる
異なる人種や文化的背景を持つメンバーで構成される「ドラケンスバーグ少年合唱団」。ミュージカル・ナンバーや、南アフリカの民族楽曲などを歌い上げる

 虹の国から希望のハーモニーがやってくる!――南アフリカ共和国の「ドラケンスバーグ少年合唱団」の民音公演が7、8月、全国25都市で行われる。
 15年ぶり4度目となる本公演は、同合唱団創立50周年の祝賀の意義を込めたもの。
 合唱団のメンバーは「世界少年合唱団フェスティバル」で最優秀賞に輝くなど、世界的に名をはせた名門・ドラケンスバーグ少年合唱学校の生徒たち。
 多国籍の10代の団員は日々、切磋琢磨し、合唱技術を高め合っている。
 編成は、ボーイ・ソプラノ、ボーイ・アルトに加え、変声期を迎えた少年たちによるテノールとバスのパートの四部合唱。
 男声合唱でありながらも、大人の混声合唱と同じ四声部のため、音の響きが重層的になるのが特徴だ。
 民音と南アフリカ共和国とのつながり。それは、創立者・池田大作先生とネルソン・マンデラ元大統領との1990年の出会いにさかのぼる。
 アパルトヘイト(人種隔離)政策に抵抗し、27年半に及ぶ獄中闘争を勝ち抜いたマンデラ氏。
 “差別のない世界の構築へ”――対談の中で池田先生はマンデラ氏に、民音による南アフリカの芸術家の招聘などを提案した。
 以来、民音は同国との文化交流を重ねてきた。同合唱団の日本公演も1997年から始まっている。
 どんな人種の人も平等に暮らせる“虹の国”を――マンデラ氏の信念を携えて来日する少年が、心一つに織りなすハーモニーは、人々の胸を打つだろう。
 問い合わせは各地の民音センターまで。

◆トーゴが躍進 初の本部幹部会上映行事を実施
 
   
トーゴ平和会館で行われた広布勤行会(4日)
トーゴ平和会館で行われた広布勤行会(4日)

 西アフリカ・トーゴ共和国の首都ロメ郊外にあるトーゴ平和会館で4日、広布勤行会が行われ、600人を超える友が集った。
 トーゴ平和会館は昨年3月に誕生。勤行会は、毎月初旬に同会館で行われ、国内各地から広宣の誓いに燃えるメンバーが参加する。
 トーゴSGI(創価学会インタナショナル)では、この会合を前進の節としながら、各地で人間主義の幸福のスクラムを着実に広げてきた。
 4日の勤行会では、日本での本部幹部会の模様が同国で初めて上映され、4月の幹部会を視聴。“トーゴ広布の母”であるイダ・アジェビ議長の信仰体験や池田先生のスピーチ映像などに、喜びと感動が広がった。
 池田先生は、同会館の開館式に贈ったメッセージで、同国の友に万感の期待を寄せた。
 「21世紀の大陸・アフリカで、トーゴの皆さま方が、長年にわたり努力を惜しまず、異体同心の団結で、着実に広宣流布の前進を成し遂げてこられたことは、アフリカ広布の模範の姿であります」
 昨年、第1回アフリカ統一教学実力試験に多くの友が受験し、行学二道の勢いが増すトーゴSGI。友はこれからも師の期待を抱き、アフリカ広布新時代を躍進する。
【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈誓いの天地〉 埼玉・所沢  歴史をつくる新たな飛翔を
 天空高く勝鬨あげゆけ
 
所沢文化会館を初訪問した池田先生が、居合わせた同志に真心の励ましを。先生は、所沢広布40周年記念総会に出席し、破邪顕正の魂、女性を尊重する姿勢などについて語った(1991年8月11日)                                                                          
所沢文化会館を初訪問した池田先生が、居合わせた同志に真心の励ましを。先生は、所沢広布40周年記念総会に出席し、破邪顕正の魂、女性を尊重する姿勢などについて語った(1991年8月11日)

 埼玉の南西部に位置する所沢市。近年、市内への大手企業の誘致や、所沢駅周辺の再開発事業が進む。
 東村山、東大和、武蔵村山など東京各市と隣接し、所沢駅からは、豊島・中野・新宿・杉並・練馬区などにも直通で結ばれている。
 観光名所も多く、市の南部には、映画「となりのトトロ」の舞台にもなった狭山丘陵が広がる。また、プロ野球・埼玉西武ライオンズの本拠地球場・メットライフドームもある。
 さらに、所沢は「日本の航空発祥の地」としても知られている。日本で最初の飛行場は、1911年に開設された「所沢飛行場」。その跡地は、「所沢航空記念公園」として、市民に親しまれている。
 91年8月11日、池田先生は、初訪問した所沢文化会館で語った。
 「『所沢』の名は、私どもの世代にとって、勇壮な飛行機の姿を思い起こさせる、皆の憧れの地であった」
 「学会とともに生き抜いた人は、皆、幸福の大空へと飛翔された。想像もしなかったような、限りない境涯を広げられた」と。
 また、先生は、埼玉新聞に掲載された特別寄稿(4月25日付)の中で、大宮の鉄道博物館と所沢市の航空発祥記念館を紹介しつつ、「郷土の誉れの歴史に触れる中で、陸に空に夢を広げゆく舞台」と、埼玉の教育力をたたえた。
 今、人材を育む揺籃の天地・所沢から、平和の空へと羽ばたく若き男女青年部が陸続と誕生。地域の青年会議所などで、要職を担うメンバーもいる。
 先月21日、市内で、第6回「戦国滝の城まつり」が開催された。会場の「滝の城跡」は、県指定文化財。約150人が甲冑に身を包む武者行列が人気だ。
 祭りの恒例演目として、「よさこい踊り」を披露するのが「東所沢若獅子会」。東所沢圏ヤング男子部員を中心に構成されている。本格的な演舞とはつらつとした姿が好評で、市内の祭りや行事に引っ張りだこ。隣接する東京都の市から招待を受けたこともある。
 若獅子会は10年以上前、ヤング男子部の人材育成の場として発足した。今、会をまとめているのは、同圏ヤング男子部長の板橋伸広さん。板橋さんも、若獅子会への参加を機に、学会活動に積極的になった。
 市内の病院に准看護師として勤める板橋さん。職場の人間関係に悩み、悶々とする日々が続いていた。
 若獅子会の先輩に悩みを打ち明けると、「患者さんのことを一番に考えていこうよ」と。「はっとしました。環境のせいにして、果たすべき使命を見失っている自分に気付いたのです」
 心新たに仕事に臨んだ。学会活動にも励み、友人に弘教を成就した。
 職場では、患者さんに慕われるようになり、人間関係も一変。行く先々の病棟で、「ここに残ってほしい」と言われるほど、信頼を得ることもできた。
 一人のために徹する。学会で学んだ精神を胸に、板橋さんは、苦悩する人々に寄り添い続ける。
                      ◇ 
 所沢市で育った浜田ゆいさん(女子部副本部長)は、保育士として市内の保育園に勤務する。
 中学2年の時、母・優子さんに乳がんが見つかった。手術するも1年半後に再発。医師からは余命が告げられた。その中、母は折伏を受け、入会する。
 浜田さんは、「入会後、日に日に母の言葉や表情が変わっていきました。『絶対に病気に負けない』と、力強く話すようになったんです」と。
 壮絶な抗がん剤治療。病魔に立ち向かう母の姿に触れ、浜田さんは、妹と共に入会し、信心を始めた。学会活動に励む姿、白蓮グループで着任する姿を、母は心から喜んでくれた。
 家族のように寄り添い続けてくれた地域の同志にも支えられ、母は、見事な更賜寿命の実証を示し、霊山へと旅立ったのである。
 浜田さんは、母の信心を継ぎ、東京・足立区の友人に仏法対話を進めるなど、華陽の連帯を広げている。
 母が遺してくれた「心の財」。その大切な宝物を抱き締めて、浜田さんは、きょうも広布に走る。

栄光の共戦譜

 池田先生が所沢を初訪問したのは、1978年7月。第1次宗門事件の渦中であり、先生が会長を辞任する9カ月前だった。
 また、先生が、所沢文化会館を訪れた91年8月は、邪宗門の鉄鎖を断ち切り、「魂の独立」を勝ち取る3カ月前のことである。
 広布史に刻まれる破邪顕正の法戦を、師と共に戦い抜いてきた――。それが、所沢の同志の無上の誇りであり、永遠の決意である。
 78年7月5日、先生は、所沢会館(当時)の開館1周年を記念する集いに出席。入場の直前、駆け付けてきた関根寛治さん(地区幹事)を、「関根君だろう。覚えているよ」と、温かく迎え入れた。
 関根さんは脳性小児まひに悩み、13歳で入会。青果市場で働きつつ、大学に進学。他宗の檀家総代だった祖父母らを入会に導いた。
 “あの八百屋は、創価学会”と笑われたこともあった。折伏に歩けば、塩をまかれ、水を掛けられたが、関根さんは、ますます信心の炎を燃え上がらせた。
 22歳の時、学会本部(東京・信濃町)での記念撮影会へ。「健康になるんだよ。所沢の関根君だね。覚えておくよ」。先生は抱き締めてくれた。所沢会館での再会は、その10年後だった。
 関根さんは、妻の豊子さん(支部副婦人部長)と二人三脚で、地域広布に尽くしてきた。2人の娘は今、所沢女子部のリーダーとして活躍。一家和楽の実証を示している。
                  ◇ 
 先生が所沢会館を訪れた日は30度を超す真夏日。壇上役員だった上藤和之さん(県副総合長)は、「猛暑の中、先生は流れる汗をぬぐいつつ、渾身の指導をしてくださいました」と語る。
 先生は訴えた。「この天地を、功徳に満ち満ちた『信心の理想郷』に」と。
 上藤公枝さん(総県婦人部総合長)は述懐する。
 「この原点を機に、拡大のうねりが起こりました。年間60世帯を超える弘教を実らせる支部も誕生し、所沢は“埼玉一”の広布拡大を成し遂げるのです」
 上藤さん夫妻は、91年8月に誕生した「所沢県」の初代県長・県婦人部長に就任。今も地域広布の原動力として、東奔西走の日々を送っている。
                    ◇ 
 82年9月18日、所沢市の西武ライオンズ球場(当時)で、第2回「世界平和文化祭」が開幕した。19日は雨。先生は、球場内を周りながら、「風邪をひかないでくださいね」と、来場者に声を掛けていった。
 川﨑淳二さん(副県長)は、整理役員として、その先生の慈愛を心に刻んだ。
 川﨑さんは札幌の出身。上京後に入会したが、両親は快く思っていなかった。だが、テレビ放送された文化祭の様子を見て、学会への理解を深め、入会。晩年を所沢広布にささげた。
 川﨑さんは、念願の一級建築士に。独立し、市内に建築設計事務所を立ち上げるが、不況の影響などで経営難が続いた。
 妻の洋子さん(支部副婦人部長)と広布に奔走し、苦境を打開。事務所は明年、設立30周年を迎える。
 3人の娘は、全員が創価学園を卒業。長女は所沢、次女は横浜、三女は東京・大田区で後継の道を歩む。
                   ◇ 
 文化祭の数日前、球場近くに住む盛崎敏子さん(婦人部副本部長)は、数人の同志と共に、近隣の家々に入場整理券を配り歩いた。
 文化祭後は、映写機を背負って地域を回り、行く先々で文化祭の上映会を。地道な対話を重ね、近隣17世帯に弘教を実らせた。
 94年、盛崎さんは、膠原病を患い、全身の激痛と闘った。さらに10年後には、脳出血を発症した。
 「信心で必ず治す」と誓った盛崎さん。地域の同志も懸命に祈ってくれた。
 治療し、1週間後の検査。医師が驚く。「脳出血の症状が消えています」。盛崎さんは、1カ月のリハビリを経て、退院。その日から膠原病の痛みも消えた。
 盛崎さんは、自治会の理事や婦人部長を歴任し、地域貢献に励んでいる。
                     ◇ 
 先生が所沢文化会館を訪問した91年、同会館の管理者を務めていた、平塚亘さん(故人)・多美枝さん(婦人部副本部長)夫妻。
 夫妻は、「守る会」の友らと協力し、日々、会館を丹念に清掃していた。その中での先生の訪問だった。
 多美枝さんは、「先生は会館に到着されると、『きれいな会館だね。素晴らしい会館だ』と語っておられました」と振り返る。
 平塚さん夫妻は、こうした先生の励ましを「生涯の財産」とし、13年間、所沢文化会館を守り抜いた。
 「夫は、亡くなるその時まで、先生への感謝を語り、“会館を守り抜く”との信念を貫きました」
 今、多美枝さんは、亡き夫の遺志を継ぎ、愛する所沢の地を駆けている。
                     ◇ 
 日蓮大聖人を迫害した鎌倉幕府の滅亡は、1333年。新田義貞は、所沢・小手指ケ原で幕府軍との初戦を戦い、その後11日間で、都を攻め落とした。所沢には、時代変革の突破口を開いた歴史が刻まれている。
 かつて、先生は、所沢の友に詠み贈った。「万人が 見つめる偉大な 所沢 天空高く 勝鬨あげゆけ」
 先生が所沢を初訪問した原点の月「7月」へ。所沢の同志は、立正安国の旗を掲げ、破竹の勢いで進む。

◆〈信仰体験〉 北の大地の米農家   私は絶対に負けない!


 【北海道旭川市】ゆめぴりか、きらら397、ななつぼし、おぼろづき……。東京ドーム5個分を超える約27ヘクタールの広大な水田で、6品種の稲苗の緑が揺れている。

◆〈信仰体験〉 長野しまんりょ会の初代会長   誰かの幸せのために働く

 【長野市】JR長野駅と善光寺を結ぶ表参道。その裏通りの石畳の道は、「しまんりょ小路」と呼ばれ、飲食店などが軒を連ねる。

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