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2017年6月

2017年6月22日 (木)

2017年6月22日(木)の聖教

2017年6月22日(木)の聖教

◆わが友に贈る


本陣の壮年部よ
共に男らしい戦いを!
さあ打って出よう!
勇気凛々と恐れなく
わが最高峰に挑め!

◆〈名字の言〉 〈名字の言〉 2017年6月22日

 「戦争のない時代に生まれたかったということを生き残ったらのちの人々に伝えてほしい」――沖縄戦に出陣する鉄血勤皇隊の壮行会で男子学生が語った言葉だ。学生は戦地に散り、帰ることはなかった▼その言葉を聞いた一人に、ひめゆり学徒隊の生存者・宮良ルリさんがいる。沖縄戦末期、避難先の壕で米軍のガス弾攻撃から奇跡的に助かった。戦後は、学生の言葉を胸に、ひめゆり平和祈念資料館の証言員として、凄惨な沖縄戦と命の尊さを、語り伝えてきた▼戦後70年が経過した一昨年3月、同資料館では、戦争を体験した証言員による講話を、高齢化などの理由で終了した。一方で、若い世代の「説明員」を養成し、“ひめゆりの心”を伝え続けている▼沖縄青年部はこれまで、反戦出版や展示活動を通し、平和の尊さを訴えてきた。本年は「沖縄戦の絵」の貸し出しパネルを新たに作製。現在、四つの小中学校に展示されている。展示を見たある小学生は「絵を見て、悲しくなりました。戦争はやらない方がいいです。ずっと平和がいいです」と感想を。“伝え続けることの大切さ”を改めて感じた▼あすは「沖縄慰霊の日」。逝いた人々の思いを継ぎ、平和を守るために、何ができるのか。自らに問い掛ける日としたい。(結)

◆〈寸鉄〉 2017年6月22日
 

 守勢に回らず攻めること
 が肝心なのだ―戸田先生
 強気の対話で突破口開け
      ◇
 東村山・東大和・武蔵村山
 よ常勝軍の真価を!鉄の
 団結で新たな勝利史刻め
      ◇
 町田が一瀉千里の力走。
 炎となって語りまくれ!
 東京凱歌の夜明けを断固
      ◇
 人間は間違った風説でも
 聞きなれると迷わされる
 ―魯迅。毅然と正義叫べ
      ◇
 幸福度は散歩に出るだけ
 で上昇と。勇んで外へ!
 友のためなら喜びも倍加

◆社説  広宣流布の使命に決然と  時代変革の力は「一人立つ」魂


 広布とわが人生の途上には、必ず“勝負時”がある。
 今月の座談会拝読御書「弥三郎殿御返事」にある通り、各人が「但偏に思い切るべし」(御書1451ページ)との師子王の心で、千載一遇の「天の時」を勝利の凱歌で飾っていきたい。
 かつて池田先生は、第3代会長就任直後、法華経の「而強毒之」(而も強いて之を毒す)の文を引いて講演している。
 「どんなことがあっても、御本尊様を絶対に疑わない。これが、信心の究極である」と。
 弟子が戦いを起こし、異体同心の前進で完勝の歴史を築いていく。そして、学会の永遠性を確立する――その根本の力となるのは、全宇宙の諸天・諸仏を揺り動かす大確信の祈りだ。
 本紙に連載中の小説『新・人間革命』第30巻には、先生が第3代会長辞任を余儀なくされた1979年(昭和54年)当時の歴史がつづられている。
 中でも、辞任発表の10日前に誕生した神奈川文化会館から、一閻浮提広宣流布の新航路へ船出した歩みは輝きを放つ。
 先生は、不思議な縁の希望の宝城から、世界に広がる海を見つめ、墨痕鮮やかに「正義」「共戦」と揮毫した。
 「正義」の脇書には「われ一人正義の旗持つ也」。
 「共戦」の脇書には「生涯にわたり われ広布を 不動の心にて 決意あり 真実の同志あるを 信じつつ 合掌」と。
 狂気の讒言の中、師が祈り待ったのは、自らと同じ“一人立つ精神”で正義を叫ぶ、真正の池田門下の出現であったに違いない。
 以来38星霜――。
 師子王の一念の磁石に引き寄せられるように、今、人生の師を求める世界の仏子が、連日のように、東京・信濃町の広宣流布大誓堂に集い来る。
 その求道の一人一人が口々に語る。「ここが、私の人生のスターティング・ポイントです。どんな時もセンセイと一緒に出発し、必ずコウセンルフの道を、私が開きます!」
 このすがすがしい信心、潔い決意にこそ、師弟の魂が光る。いつも師と“信心のギア”を合わせるからこそ、岩盤のような宿命の壁を破る力が涌現する。
 かつて先生は、「世界宗教へ飛翔しゆく大切な力は、まず『一人立つ』精神である。自らの仏性に目覚め、広宣流布の使命に決然と『一人立つ』勇者がいれば、新たな変革の波が起こる」とつづった。「一人正義の旗持つ」覚悟の人が新たな時代の扉を開く。

◆きょうの発心  師弟誓願の祈りで幸福境涯を開く2017年6月22日

御文
 我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし(開目抄、234ページ・編464ページ)
通解 私と私の弟子は、多くの難があろうとも、疑う心を起こさなければ、自然に仏界に至るであろう。

 いかなる難があっても疑うことなく信心を貫けば、成仏の境涯を得られると仰せです。
 女子部時代、白蓮グループとして、幾度も池田先生との出会いを刻み、信心の原点を築きました。結婚後、母の大病や父の認知症、仕事の苦境と、試練が重なりましたが、その時、支えとなったのは、師や先輩からの励ましでした。今が“まことの時”と心を定め、一歩も退かず学会活動に励み、乗り越えてきました。
 そうした中で、白ゆり長、地区婦人部長時代に折伏を成就。また「東京国際池田記念講堂」の誕生を祝賀しようと、支部の皆さまと共に広布に走り、さらに弘教が実りました。この体験を通し、いざという時に師弟誓願の祈りで信心を貫けば、生命が喜びと感謝で満ち、自他共の幸福が開けると確信できたことが私の宝です。
 私たち江戸川黎明家族は今、東京凱歌へ、いまだかつてない仏縁の拡大に挑戦し、功徳の喜びにあふれています。
 千載一遇の「天の時」! 黎明区を先頭に、江戸川の地から“感激の同志”の皆さまとスクラム固く、師恩に報いる勝利のドラマを勝ち開いてまいります。 東京・江戸川黎明区婦人部長 有賀尊子

◆小説『新・人間革命』第30巻 雄飛の章 七 (6103)
 


 絵画「チョモランマ峰」の寄贈にあたり、常書鴻・李承仙夫妻から、この絵を制作した文革直後の時代は、絵の具の品質が良くないので、末永く絵を残すために、描き直したいとの話があった。
 山本伸一は、その心遣いに恐縮した。
 新たに制作された同じ主題、同じ大きさの絵が贈られ、一九九二年(平成四年)四月、除幕式が行われた。後にこの絵は、創価学会の重宝となり、八王子の東京牧口記念会館の一階ロビーに展示され、人類に希望の光を送ろうと奮闘する、世界の創価の同志を迎えることになる。
 また、常書鴻との出会いから始まった敦煌との交流は、さらに進展し、八五年(昭和六十年)秋からは、「中国敦煌展」が東京富士美術館をはじめ、全国の五会場で順次開催されている。広く日本中に、敦煌芸術が紹介されていったのである。
 九二年(平成四年)、敦煌研究院は、伸一に「名誉研究員」の称号を贈り、さらに、九四年(同六年)には、彼を「永久顕彰」し、肖像画を莫高窟の正面入り口に掲げたのである。
   
 第五次訪中で山本伸一たち一行が、中国共産党中央委員会の華国鋒主席(国務院総理)と会見したのは、二十四日の夕刻であった。
 人民大会堂での一時間半に及ぶ語らいで、「新十カ年計画」「文化大革命」「官僚主義の問題」「新しい世代と教育」などについて話し合われた。
 主席は、伸一に、笑顔で語りかけた。
 「このたびの中国訪問は五回目と聞いております。中国の古い友人である先生のお名前は、かねてから伺っておりました。
 私のように、山本先生にお会いしたことがない人も、先生のこと、そして、創価学会のことは、よく知っています。私は、学会の記録映画も拝見しました」
 人間革命を機軸にした学会の民衆運動に、華国鋒主席も注目していたのである。社会建設の眼目は、人間自身の改革にこそある。 一   

【聖教ニュース】

◆「健康と人生――生老病死を語る」ベトナム語版が発刊 
池田先生とカナダのシマー博士、ブルジョ博士とのてい談集
生命を巡る医学と仏法の対話

 池田大作先生と、カナダ・モントリオール大学元学長のルネ・シマー博士、ギー・ブルジョ博士とのてい談集『健康と人生――生老病死を語る』のベトナム語版が、国家政治出版社から発刊された。
 シマー博士は、モントリオール大学で医学博士を取得。同大学のがん研究所所長等を歴任し、1993年から学長を務めたがん研究の第一人者である。
 一方、ブルジョ博士は、同大学で哲学修士号等を取得した後、イタリア・グレゴリアナ大学で神学博士、倫理学博士を取得。モントリオール大学の生涯教育学部長やカナダ・ユネスコ協会会長等を歴任した生命倫理の大家である。
 シマー博士と池田先生の初の会談は90年12月に東京で行われた。その後も対話を続け、計4度にわたり、「生命の起源」「分子生物学および遺伝学の進歩がもつ意味」等について語り合った。
 ブルジョ博士は94年12月、東京で池田先生と会談。「健康観の確立の意義」「仏法と健康」等について対話を重ねた。
 以後、往復書簡等を通じて結ばれた3人の語らいが2000年、てい談集として日本語で発刊され、フランス語、英語、イタリア語、中国語(繁体字)、ポルトガル語に翻訳・出版されてきた。ベトナム語版は海外6言語目の発刊となる。
 同書は、アメリカの大手書籍業界誌「フォーワード・マガジン」による03年度最優秀書籍の健康書部門で「シルバー賞」を受賞。台湾では、「2007健康良書」に選定されるなど、世界各国で大きな反響を呼んできた。
 「すばらしい価値ある人生とは何か」「幸福の条件である『健康』な人生は、どうすればつくれるのか」等のテーマで進められた対談は、がんの予防と治療に対する具体的考察から、クローン技術、尊厳死についての意見、ひいては、生死論や教育論など、21世紀を「健康の世紀」としゆく方途を模索する多角的な語らいを繰り広げている。
 本書の中で、ブルジョ博士が「どこにも病気がないのが健康である、とは断定できません。むしろ、健康とは、崩れやすい均衡状態と、その均衡状態をいつも確立しておこうとする恒常的なダイナミズムとの間の緊張状態であるといえます」と語れば、池田先生はインドの古典医学書にある、「無病」であることが人生の根本であるとの一節を紹介した上で、「無病」とは単に病気がないことではないと指摘。そして、「病気を克服するプロセスそのものが、心身を鍛え、より幅の広い“均衡状態”をつくり出していくのであり、そこに健康が輝いているのではないでしょうか」と論じている。
 「人類の健康」をテーマに、3人の卓越した知見が凝縮された一書は、発展著しいベトナムの人々にとって、“真の健康”を思索するための大いなる糧となるに違いない。

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈負けじ魂ここにあり わが生命の学園生〉1 東京校 1968~69年度 
諸君のために道を開き、
陰ながら見守っていきます。
それが、私の人生です。

獅子から育った子は皆、獅子です。創価学園から育った人材は、どんな人であっても、栄光輝く使命を担った存在なのです――第2回栄光祭で語る池田先生(1969年7月17日、東京・創価学園の第1グラウンドで)
獅子から育った子は皆、獅子です。創価学園から育った人材は、どんな人であっても、栄光輝く使命を担った存在なのです――第2回栄光祭で語る池田先生(1969年7月17日、東京・創価学園の第1グラウンドで)

 今秋、創立50周年を迎える創価学園。新企画「負けじ魂ここにあり――わが生命の学園生」では、創立者・池田先生と学園生が一体で刻んできた、誉れの歴史を紹介する。第1回は、東京・創価学園(小平市)の開校からの2年間(1968~69年度)に迫る。
 真新しい白亜の校舎が立つキャンパスに、生徒や保護者が続々と集まって来た。1968年4月8日、創価中学・高校の「第1回入学式」である。
 武蔵野の面影を残す自然豊かな天地。校舎は、たくさんの木々に囲まれている。
 「木はできるだけ切らないで残しておこう」。それが先生の意向だった。まだ細い若木も多く、伸びゆく学園の未来を象徴するかのようである。
 ――66年に建設委員会が立ち上がる以前から、先生は一人、学校の設立について熟慮してきた。
 香峯子夫人を伴って、小平の候補地を視察したのは、60年4月5日である。
 ①武蔵野の大地にある②富士が見える③近くに清らかな水の流れがある④都心から車で1時間ほどの距離にある――そうした条件を全て満たすこの地に、先生は学園を建てることを決めた。
 本年の4月5日、先生ご夫妻は学園を訪問。半世紀の時を経て、世界が仰ぎ見る“大樹”となった発展の様子を心から祝福した。
                                                                      ◇ 
 入学式当日。“学校運営は、校長や理事長らが中心”と考え、式典の出席を見合わせた先生は、終了後に学園を訪れて生徒らを激励した。
 校舎とグラウンドを結ぶ「栄光橋」の渡り初めにも。玉川上水に架かる橋の上で、先生は1期生に語った。
 「創価学園は、周囲を、彼方の山と川、武蔵野の平野と木々の緑に囲まれている。山は王者であり、川は純粋な精神である。武蔵野の平野は限りない希望を、そして、緑は潤いのある人生を表している。どうか、この栄光橋を渡る時、自分も栄光の人生を渡っているとの確信に燃え、進んでほしい」
 ここに、未来に続く学園の歴史の一ページが開かれたのである。

堅固な礎を築け

 1期生として入学したのは、高校321人、中学217人。先生は、たびたび学園に足を運んでは、生徒と交流する機会をつくった。時には一緒に卓球やテニスを行い、かき氷やおしるこを食べたこともある。
 68年12月21日には、寮の会食会に参加。寮生の質問に答えた。
 「将来、南アフリカの人権問題に関する仕事がしたいと思っています」と言ったのは、木村明彦さん(高校1期)。「そのためには、法律、農業、経済など、どういった分野を学ぶべきでしょうか」と尋ねた。
 「今は語学を勉強しなさい」。先生の答えは明快だった。
 「何事も順序があります。東京駅の次は、有楽町駅でしょう。そのように目的地に向かうには、次の駅、また、その次の駅と順序があります」
 そう言うと、突然、英語で問い掛けた。「Can you speak English?(英語は話せる?)」
 思わず口ごもる木村さん。「No, I......」
 理想に燃える学園生に、先生は土台の重要性を訴えた。
 “語学は基礎です。大きな建物を造るには、地中を深く掘り、堅い堅い礎を築かなくてはいけない。それがあれば、どんなに高い建物でも建てられる。その土台をつくるのが、今の若い時代なのです”
 そうだ! 自身の礎はもちろん、学園の礎を築くためにも学び抜こう!
 1期生は奮い立った。
 卒業後、木村さんは創価大学の経済学部を経て商社に。後に独立し、広告会社を設立。社名を、スワヒリ語で「ありがとう」を意味する「アサンテ」とした。
 「直接、アフリカに携わる仕事はできていませんが」と苦笑するが、胸中には“誓いの一場面”が今も消えることなく輝いている。

父親の代わりに

 「学園生は、わが子以上に大事である」。それが先生の心である。
 69年4月8日の第2回入学式。会場に一人、浮かない表情で参加している学園生がいた。
 奄美大島から上京した新納一彦さん(高校2期)。学園の合格発表の日、交通事故で父を亡くしていたのだ。
 それを聞いた先生は新納さんを呼び寄せ、優しく包み込んだ。
 「私を父親だと思って、困ったことがあったら何でも言いなさい。悲しいかもしれないが、この学園でうんと勉強して立派になるんだ。それが親孝行だよ」
 その後も、学園に行くたびに、新納さんをはじめ家族を亡くした生徒を励まし続けた。
 「親というのは、いつかは亡くなるものなんだ。誰もがそうした悲しみを乗り越えていく。君たちは、他の人よりもその山を一つ先んじて越えているんだよ」
 「深い悲しみにあった人ほど、偉大な指導者になれるのです」
 新納さんは振り返る。
 「初めは、ふさぎ込んで、トイレで一人、泣いたこともありました。でも、先生の激励を思い出して頑張りました。支えてくれた学友たちと切磋琢磨した学園時代は、一生の宝です。送り出してくれた両親に感謝は尽きません」
 現在は、地元・奄美に戻り、船会社に勤務。悩んでいる人、困っている人の力になりたいと、地域に励ましの輪を広げている。

21世紀に会おう

 地方出身の生徒たちのために、夏休み前に何か思い出をつくってあげたい――。
 先生の提案で始まった“夏祭り”。それは「栄光祭」と命名された。
 「みんなと一緒に見てもいいかな」。その第2回が行われた69年7月17日、先生はグラウンドに到着すると、真っすぐに生徒席へ。近くにいた学園生に声を掛け、名前や出身地などを聞いて激励した。
 舞台では、学園生による民謡大会や、パントマイム、創作劇などが披露された。その一つ一つに誰よりも早く拍手を送る先生。皆で学園寮歌「草木は萌ゆる」を歌い終えると、学園生たちに呼び掛けた。
 「21世紀の初めには、この1期生、2期生から、社長や重役、ジャーナリスト、あるいは、科学者、芸術家、医師など、あらゆる世界で、立派に活躍する人がたくさん出ていると、私は信じます」
 「その21世紀に入った2001年の7月17日に、ここにいる先生方と、1000人の先駆の創価学園生全員が、集い合おうではないか」
 「私も、2001年を楽しみにして、諸君のために道を開き、陰ながら諸君を見守っていきます。それが、私の最大の喜びであるし、私の人生です」
 先生は終了後もグラウンドに残り、退場する学園生を、手を振って見送った。
 “2001年7月17日、成長した姿で創立者のもとへ”――この思いは、後に続く多くの学園生たちにとっても、大きな指標となっていく。
ご感想をお寄せください news-kikaku@seikyo-np.jp

◆〈座談会 栄光の峰をめざして〉40 反転攻勢へ「攻めの
 対話」を 学会精神とは「師子王の心」
 公明党 教育負担の軽減を実現
 
“功徳と正義を示せ! ここから火の手を上げよ”――東京・調布総区の同志が“常勝の錦州城”構築へ不屈の闘魂をたぎらせて(5月、調布文化会館で)
“功徳と正義を示せ! ここから火の手を上げよ”――東京・調布総区の同志が“常勝の錦州城”構築へ不屈の闘魂をたぎらせて(5月、調布文化会館で)

 原田 日本のため、世界のため、未来のために――全世界の「感激の同志」が「異体同心」の心で、「創価の凱歌」へ師子奮迅の闘争を続けてくださっています。心より感謝を申し上げます。本当にありがとうございます。
 永石 日蓮大聖人は、東京の門下・池上兄弟にこう仰せになられました。
 「信心強盛に歯をくいしばって難に耐え、たゆむ心があってはならない。例えば、日蓮が平左衛門尉の所で、堂々と振る舞い、言い切ったように、少しも畏れる心があってはならない」(御書1084ページ、通解)
 原田 御聖訓の通り、堂々と正義の信念を叫び切る「師子王の心」こそ、創価三代の師弟に貫かれた学会精神です。全てにおいて、「仏法は勝負」です。私たちは全同志の皆さまが、すがすがしい大功徳と喜びに包まれゆくよう、真剣に祈り、「師子王の心」で勝ち抜いてまいりたい。
 志賀 「彼等は野干のほう(吼)るなり日蓮が一門は師子の吼るなり」(同1190ページ)との仰せのまま、青年部が先頭に立ち、反転攻勢の「攻めの対話」を勢いよく繰り広げていきます。

信頼広げる団地部

 原田 6月25日は「団地部の日」です。“最も理想的な人間の協調の社会をつくり上げる主体者に”――この先生の期待を胸に、団地部の皆さまは、誠実な行動で信頼を広げてくださっています。
 永石 地域・近隣の繁栄と幸福のために尽くされる日頃の振る舞いが、今、大きく花開いています。団地の役員などの立場で真剣に活躍されている方も大勢いらっしゃいます。その姿には、「自他共の幸福」の精神が脈打っています。
 原田 先生はこう教えてくださっています。「人の心を動かし、とらえるものは、策でもなければ、技術でもない。ただ誠実と熱意によるのである。いかなる人も、広宣流布の味方に変えてみせる!――この烈々たる祈りと勇気と勢いで、栄光の歴史を開くのだ」と。私たちはどこまでも、「誠実と熱意」で新たな未来を開いていきたい。

都議選あす「告示」

 志賀 いよいよ明日、東京都議選(7月2日投票)の告示を迎えます。公明党は21選挙区で予定候補23人の全員当選に総力を挙げています。
 宮尾 今回の都議選は、小池都知事の「都政改革」の是非を問う選挙です。改革を前に進めるには、知事と議会が「車の両輪」となる必要があります。知事を支え、時には政策を競い合い、安定した都政運営を担うことができる政党・政治家を選ぶのが、今回の選挙といえます。
 
 伊藤 その小池都知事が「都政の頭脳」として強い期待を寄せているのが都議会公明党ですね。確かな経験と抜群の実績が光っています。公明党こそ「東京改革」の要、原動力です。
 永石 公明党のホームページ「都議選2017特設サイト」では、「3つの挑戦」の実績や「重点政策」、また各予定候補の最新情報や動画等が、分かりやすく掲載されていますね。
 伊藤 告示から投票日の前日まで、有権者はネットを通じて投票依頼ができます。たとえば、LINEなどのSNSで、政策や実績の情報発信、また候補者への投票を依頼することも可能になります。ただしメールを使った選挙運動はできません。政党と候補者に限定されています。
 永石 公明党の「重点政策」でポイントになっているのが、子どもたちの未来を開く教育への支援ですね。「幼児教育無償化の完全実施」「小・中学校給食の無償化」などに大きな期待が寄せられています。
 宮尾 公明党が既に実現した「私立高校授業料の実質無償化」も、さらなる対象の拡充を目指しています。待機児童の解消についても、受け皿整備や保育人材の育成に一段と力を注いでいます。

反対しても実績?

 志賀 一方で、「私立高校授業料の実質無償化」をはじめ、公明党の実績を臆面もなく「横取り」しているのが共産党です。
 宮尾 共産党は「この4年間で5万人分の認可保育所を増やした」と喧伝していますが、これも全くの大ウソです。共産党は、この4年間、認可保育所を増やすための財源を含んだ予算に全て反対してきました。
 志賀 近年、新たにできた認可保育所の多くが、企業参入による私立です。これは公明党が推進してきました。ところが、それを可能にする法律や予算に、国、都、市や区でも真っ向から反対してきたのが共産党です。
 宮尾 東京・豊島区の高野之夫区長も、「企業参入に反対し、“区直営の認可保育園しかだめ”と主張する共産党の言う通りにやっていたら、待機児童ゼロは実現できなかった」と明言しています。
 志賀 それにもかかわらず、反対し、批判してきた政策が実現すると、手のひらを返したように“実現した”と、まるで自分たちの手柄のごとく喧伝するのが共産党の手口です。
 宮尾 「実績横取り」「反対だけが実績」に加え、「反対しても実績」という卑劣なやり方に各地から怒りの声が上がっています。
 志賀 政治評論家の森田実氏は、「共産党は、政治的のみならず道徳的に見ても低劣な独善的政党」と指摘しています。
 宮尾 翻って、森田氏は公明党に対して、「倫理を遵守して地道に政治活動を展開されている」「こうした道徳的な政治家によって、平和な社会が構築されていくことを心から期待しています」と高く評価しています。
 原田 「都政改革の成否のカギは、公明党が握っている」(東北大学大学院・河村和徳准教授)、「都政改革を、真に都民第一の方向へと形づけていける都議会公明党」(淑徳大学・結城康博教授)等の期待を胸に、公明党は都民のため、改革の先頭を走ってもらいたい。

◆〈信仰体験〉 きょう6月22日は「奄美の日」 保育園の“若き園長”として奮闘


 【鹿児島県奄美市】きょう6月22日は「奄美の日」。54年前のこの日、池田先生が出席し、奄美総支部の結成大会が開催された。席上、初代総支部長の任命を受けた故・
 

2017年6月21日 (水)

2017年6月21日(水)の聖教

2017年6月21日(水)の聖教

◆わが友に贈る

広布に生きる人生は
毎日が新しい出発なり。
前進だ! 挑戦だ!
「今」この瞬間から
みずみずしい決意で!

◆〈名字の言〉2017年6月21日
 

   ペンを「唇」でくわえると口がすぼむ。だが「歯」でくわえると口角が上がり、笑顔になる――。ドイツの心理学者ストラックは、この二つの条件のもと、いろいろな漫画を見せる実験を行った。その結果、被験者は笑顔を“つくった”場合の方が面白く感じると答えた▼これは、顔の筋肉運動が感情を左右する「顔面フィードバック仮説」と呼ばれるもの。「うれしいから笑顔になる」のは分かるが、その一方、人には「笑顔になるからうれしくなる」という心身の仕組みが備わっている▼さらには、顔に限らず、骨格筋の収縮によって気持ちが変化するという。医学博士の三村芳和氏は、「骨格筋はキモチより上位にある」「背筋をのばし、前を向いて堂々とするから自信をもって文字どおり前向きになれる」と指摘する(『カラダの知恵』中公新書)▼さまざま思い悩むより、行動すれば心は軽くなる――広布の活動の中で実感している人も多いだろう。使命の天地を歩き、対話を重ねる。誠実な振る舞いで、周囲を味方に変えていく。動いた後は、何ともいえない爽快感に包まれる。学会活動はそれ自体が“幸福を生み出す活動”なのだ▼地域のために勇んで動けば、生命も生き生きと躍動する。さあ、きょうも、広布の最前線へ!(速)

◆〈寸鉄〉 2017年6月21日
 

 「湿れる木より火を出し」
 御書。これが我らの祈り。
 大確信で不可能を可能に
      ◇
 東京・目黒が総反撃。大胆
 に攻め入り正義を語り抜
 け!勇将よ堂々の勝鬨を
      ◇
 品川が猛追!真剣さと勢
 いで勝れ。言論の剣鋭く。
 皆で誉れの大勝旗掲げよ
      ◇
 熊本の被災企業の46%、
 備蓄が役立ったと。日頃
 の備えを点検。油断なく
      ◇
 私立高授業料の無償化で
 都内約5万人が恩恵と。
 公明の実績に喜び広がる

◆社説  身近な人の励ましが力に   「絶対的幸福の軌道」を共々に歩む


 きょう6月21日は「がん支えあいの日」。国民の2人に1人が、がんにかかる時代になり、1981年(昭和56年)以降、死因の第1位を占める。また、自宅で死亡するよりも、病院でみとられるケースの方が多くなり、身内が間近で闘病する姿を見る人が減っているという。
 東京女子医科大学・がんセンター長の林和彦氏は自身の経験を通し、「私たち病院のスタッフの力よりも、患者さんのご家族や仲間が支えてくれる力のほうが、はるかに大きいことがある」と(『「がん」になるってどんなこと?』セブン&アイ出版)。がん闘病において、身近に寄り添い、支える人の存在が、いかに心強く、大切であるかを指摘しているのだ。
 大阪・堺市のある夫妻は、7年前、夫が突然、脳出血で倒れた。一命は取り留めたものの、高次脳機能障害と診断。左半身にまひが残った。夫が退院し、自宅での介護が始まってすぐ、今度は妻が乳がんのステージ3と診断される。不安に押しつぶされそうになった。
 しかし、婦人部の先輩が「信心根本で家族が団結し、祈っていけば必ず乗り越えられる」と励まし、陰に陽に支えてくれた。子どもたちも、一緒に祈ってくれた。妻は“絶対に負けたらあかん!”と決意した。
 御書や池田先生の指導を読み返しては希望を湧かせ、迎えた手術当日。家族や同志の題目に包まれて全てが無事成功。その後、転移も再発もない。夫も、懸命なリハビリの末、2年前に職場復帰を果たす。
 元気になった夫妻は「今まで“当たり前”と感じていたことが、かけがえのない『宝』だったのだと気付きました」と、心の底から感謝し、地域の同志と共に広布に駆ける。
 池田先生は、「私たちは、生老病死という人生の根本課題を、一つ一つ打開し、『変毒為薬』して、『常楽我浄』の香風を広げながら、縁する人々と一緒に、絶対的幸福の軌道を悠々と進んでいける」と語っている。
 どんな病にも果敢に挑み、やがて健康だけでなく、“本当の幸せ”をもつかみ取っていく。また、大切な家族や友を“失ってなるものか”と懸命に祈り、励ます中で成長し、時に自らも目覚め、自然と幸福の大道を歩んでいることに気付く――。そこに、創価の仏法運動の偉大さがあり、万人が納得する希望と幸福の哲学たるゆえんがある。
 友の悩みに耳を傾け、励ましの風を送り、幸の連帯をさらに大きく広げていきたい。

◆きょうの発心    覚悟の信心で全てを乗り越える2017年6月21日

御文
 但生涯本より思い切て候今に飜返ること無く其の上又遺恨無し諸の悪人は又善知識なり(富木殿御返事、962ページ・編477ページ)
通解 ただ私の生涯は、もとより覚悟のうえである。(佐渡へ流罪になった)今になって翻ることもないし、そのうえまた恨みもない。(迫害した)もろもろの悪人はまた善知識である。

 日蓮大聖人の不惜身命の御精神をとどめられた御文です。1959年(昭和34年)に一家4人で入会。当時、父は失業中でしたが、すぐに再就職が決まり、初信の功徳をいただきました。その後、独立した事業を私が継承しています。両親の姿を通して信心の偉大さを学びました。
 男子部時代は創価班として訓練を受けました。78年11月14日、着任していた時に、姫路を訪問された池田先生と記念撮影をしていただいたことが自身の原点です。
 壮年部に進出した後、不況の影響を受け、事業が不振に。家庭の問題も重なり、つらい思いをしましたが、先輩の激励に「今こそ覚悟の信心で挑む時」と決意。この御文を胸に妻と共に祈り抜き、全てを乗り越えることができました。
 3年前には創業以来、最高の売り上げを達成。2人の娘も創価大学を卒業し、現在、婦人部として使命の道を歩んでいます。
 師弟有縁の姫路の本陣・姫路光城県から拡大の波を起こし、難攻不落の人材城を築くとともに、師弟の凱歌を轟かせてまいります。  兵庫・姫路光城県副総合長 中尾幸弘

◆小説『新・人間革命』第30巻 雄飛の章(6102)

 


 一九九〇年(平成二年)十一月、静岡県にあった富士美術館で、常書鴻の絵画展が開催された。
 そのなかに、ひときわ目を引く作品があった。特別出品されていた「チョモランマ峰(科学技術の最高峰の同志に捧ぐ)」と題する、縦三メートル余、横五メートル余の大絵画である。チョモランマとは、世界最高峰のエベレストをさす土地の言葉で、「大地の母なる女神」の意味であるという。
 ――天をつくように、巍々堂々たる白雪の山がそびえる。その神々しいまでの頂をめざす人たちの姿もある。
 絵は、常書鴻が夫人の李承仙と共に描いた不朽の名作である。文化大革命の直後、満足に絵の具もない最も困難な時期に、「今は苦しいけれども、二人で文化の世界の最高峰をめざそう」と誓い、制作したものだ。
 山本伸一は、絵画展のために来日した夫妻と語り合った。常書鴻との会談は、これが六回目であった。彼は、この労苦の結晶ともいうべき超大作を、伸一に贈りたいと語った。あまりにも貴重な“魂の絵”である。伸一は、「お気持ちだけで……」と辞退した。
 しかし、常書鴻は「この絵にふさわしい方は、山本先生をおいてほかに断じていないと、私は信じます」と言明し、言葉をついだ。
 「私たちは、文革の渦中で、口には言い表せないほどの仕打ちを受けました。人生は暗闇に閉ざされ、ひとすじの光も差していませんでした。しかし、この絵を描くことで、権力にも縛られることのない希望の翼が、大空に広がっていきました。絵が完成すると、新たな希望が蘇っていました。
 山本先生はこれまで、多くの人びとに『希望』を与えてこられた方です。ですから、この絵は、先生にお贈りすることが、最もふさわしいと思うのです」
 過分な言葉であるが、この夫妻の真心に応えるべきではないかと伸一は思った。人類に希望の光を注がんとする全同志を代表して、謹んで受けることになったのである。  一   

【聖教ニュース】

◆世界で6・10「婦人部の日」を祝賀
   
フィリピン婦人部は国内4会場で記念の集いを開催。フィリピン文化会館では、サンパギータ合唱団とマブハイ合唱団の歌声などが彩りを添えた(10日)
フィリピン婦人部は国内4会場で記念の集いを開催。フィリピン文化会館では、サンパギータ合唱団とマブハイ合唱団の歌声などが彩りを添えた(10日)

 6・10「婦人部の日」を祝賀するSGI(創価学会インタナショナル)の集いが今月、世界各地で開かれた。
 池田大作先生は本年4月、随筆につづった。「誰かではない、自分である。まず自分が戦いを起こす。自分が壁を破るのだ。『一は万が母』(御書498ページ)である。自身の祈りと智慧、闘魂、行動からこそ、広布の万波が生まれる」と。
 この呼び掛けに呼応し、地涌の使命に燃える創価の女性が、広布拡大の波動を幾重にも広げている。
 フィリピンSGIのコン婦人部長は、先月の就任時に“リーダー率先”の拡大を決意し、誠実と執念の対話を。このほど、友人夫妻に弘教が実った。
 ケソン市のフィリピン文化会館での集い(10日)で、その喜びを報告したコン婦人部長は「“婦女一体”で、さらなる幸福の連帯を広げましょう」と力を込めた。
 また、ベルギーSGIの婦人部・女子部の合同総会(11日、首都ブリュッセルのベルギー文化会館)では、婦人部のファビアナ・ルゥッド・ミュザンさんの体験発表に感動が広がった。
 自身の病、父との不仲など、紛然と競い起こる苦悩に押しつぶされそうに。しかし、“今こそ宿命転換の時!”と題目根本に挑むと、全てが好転していった。信心の確信を深めたミュザンさんは「今度は私が、悩んでいる人を支える側に」と、励ましの対話に走る歓喜と誇りを述べた。
 今、世界中で、“太陽の婦人部”が、正義と慈愛の光彩で、地域と社会を明るく照らしている。

【先生のメッセージ】

◆「御書と歩む69 池田先生が贈る指針」「創価の女性は幸の太陽」

御文  妙の文字は月なり日なり星なりかがみなり衣なり食なり花なり大地なり大海なり、一切の功徳を合せて妙の文字とならせ給う、又は如意宝珠のたまなり (妙心尼御前御返事 1484ページ)
通解 「妙」の文字 は、月である。太陽である。星である。鏡である。衣服である。 食物である。花である。大地である。大海である。一切の功徳を合わせて「妙」の文字となられたのである。 または湖意宝珠意のままに何でも取り出すことができる宝の珠である。

同志への指針

 夫に先立たれ、幼子を抱えて毅然と信仰を貫く母への 御聖訓である。妙法は、どんな闇も晴(は)らす希望の光源だ。
 自行化他の題目を唱え


【特集記事・教学・信仰体験など】

◆「炎の東京大会」60年 師弟凱歌の旭日を昇らせよ
 
世界広布の本陣・東京。はるかには、富士の雄姿が映える。さあ、“感激の同志”のスクラムで、師弟凱歌を轟かせよう
世界広布の本陣・東京。はるかには、富士の雄姿が映える。さあ、“感激の同志”のスクラムで、師弟凱歌を轟かせよう

 歴史をひもとく時、しばしば民衆勢力を排除しようとする権力の抑圧がある。立正安国へ進んできた創価学会にもまた、幾多の迫害があった。60年前の1957年(昭和32年)7月、権力の魔性が学会に牙を剝いた「大阪事件」。弾圧を堂々と勝ち越えた一つの大きな転機が「炎の東京大会」である。
 降りしきる雨をものともせず、東京、埼玉、神奈川、千葉などから、続々と同志が詰め掛けていた。
 1957年(昭和32年)7月12日の夜、東京・台東区の蔵前の国技館は、2万人の学会員で埋め尽くされた。会場の外にも、傘を差した2万人の友が、怒りに震えていた。
 この日は当初、戸田先生の一般講義が行われる予定だった。それが中止となり、急きょ、「東京大会」が開催されたのである。
 同年7月3日、池田先生が3カ月前の参院選(大阪地方区の補欠選挙)に関する事実無根の容疑で、不当逮捕された。
 戦後、躍進した「創価学会」という民衆勢力の台頭を恐れた、権力による卑劣な迫害であった。
 これを徹底的に糾弾し、学会の正義を宣言したのが、「東京大会」である。
 戸田先生は大会の席上、質問会を行った。
 理解と納得が、前進の力を生む。疑問やしこりを抱えたままでは、空転に陥るからだ。
 学会本部の対応が手ぬるいと訴える友もいた。今後、どう対策を取るのかを尋ねる人もいた。
 一つ一つの質問に、戸田先生は明快に答えつつ、烈々と宣言した。
 「会長になった時から、この体は捨てるつもりでいるんだから何も怖くない」
 「おめおめと、負けてたまるものか!」
 恩師の師子吼に、同志は呼応した。破邪顕正の炎は、ここ東京から、全国へと一気に広がっていったのである。
 塚原孝雄さん(東京・荒川総区、副支部長)は、雨の中、場外の整理役員に就いていた。
 「集ってくる方々の表情が、怒りに満ちていたことを覚えています」
 場外にいた友は、館内の話を聞くことはできなかった。それでも、その場から離れようとしない。
 大会が終わると、場外の友は、会場から出てくる参加者に、誰彼かまわず声を掛け、内容を聞いて回っていた。同志のいちずな姿勢に、塚原さんの心は“断じて魔に負けてなるものか”と奮い立った。
 その後、池田先生が荒川で指揮を執った57年8月の「夏季ブロック指導」で、自身も弘教を実らせたことは、黄金の思い出だ。
 83歳の今も、広布の情熱を燃え上がらせ、意気揚々と対話に歩く。
 「荒川の底力を発揮し、新たな『荒川凱歌の歴史』を築きます」と力を込めた。
 末広良安さん(東京・北総区、区主事)は、録音係を務めた。
 53年(同28年)の入会。先輩から「池田室長(当時)は、すごい人だ」と何度も聞いてきた。
 その室長が無実の罪で投獄された。「館内には“絶対に池田室長を取り返すんだ”との怒りが充満していました」
 戸田先生の叫びに、末広さんの胸は震えた。その響きに、おごり高ぶった権力への激しい怒りと同時に、どこまでも弟子を思う深い慈愛を感じたからだ。
 「“同志を守り、師に応えゆく弟子に成長していこう”と決意しました」
 「東京大会」の感動を胸に、末広さんは北区を駆けてきた。広布の“北極星”と輝く天地に、「喜び多き万歳を」と誓う。
 ――「東京大会」終了後、戸田先生は大阪地検へ乗り込んだ。同行した友に体を支えられながら、地検の階段を上がる。そして、検事正に会うや、猛然と抗議した。
 「私の逮捕が狙いなら、今すぐ私を逮捕しなさい」
 一方で、池田先生への取り調べは過酷を極めていた。検事は、「罪を認めなければ、学会本部を手入れし、戸田会長を逮捕する」と恫喝した。
 恩師の身を案じ、呻吟の果てに、池田先生は裁判で真実を証明することを決断。逮捕から4年半の時を経て、「無罪」判決が出された。
 衰弱する体を押して、師は弟子を守ろうとした。
 弟子は師匠のために身を賭して戦い抜き、「勝利」によって、学会の正義を満天下に示したのである。
                                                                           ◆◇◆ 
 東京上野平和講堂に、「東京大会」を顕彰する碑がある。池田先生は、碑文につづっている。
 「万年の創価の勝利を決せんは 本陣・東京の責務なり」
 「師弟凱歌の旭日を元初の朝に示さんは 本陣・東京の使命なり」
 これこそ、「世界広布の本陣・東京」の永遠不滅の魂である。

大会に参加して 台東区婦人部主事 湯川藤江さん

●勝負決した正義の師子吼

 「東京大会」の当時、私は入会3年の女子部員。その頃、池田先生が戸田先生から薫陶を受けた“戸田大学”の講義を、共に受けさせていただく機会がありました。
 戸田先生の真正面に池田先生。お二人が話し始めると空気が一変します。私たちは邪魔にならないよう心掛けました。
 池田先生は姿勢を正され、メモは取られず、「ハイッ! ハイッ!」と、戸田先生をじっと見て返事される。“師匠の全てを吸収するぞ”という気迫がみなぎっていました。
 空気がビリビリして、咳を必死にこらえたのを覚えています。師弟の峻厳さを目の当たりにした思いがしました。
 池田先生が逮捕されたと聞いて、“早く出てきてください”と祈りに祈りました。誰の目から見ても無実は明らかなんですから。先生に万が一でも何かあったら、これからどうなってしまうのか……。
 先生の逮捕が学会にとって一番の痛手になる。だから狙われていたのだと思います。戸田先生は弁護士に憤慨しておられました。
 “即刻出せ! そうじゃないと大の体はダメになる”。尋常な怒りではありません。親以上の心です。
 「東京大会」の前日、“蔵前の国技館に集まれ”と連絡が。電話も少なく、隣の隣の家から呼び出してもらうような時代です。電報での連絡も多かった。
 7月12日は、午後から雨が降り続いていました。浅草橋駅から会場の国技館まで、水たまりがいっぱい。
 その日まで、私は国技館を見たことがありませんでした。周囲にテレビはなく、相撲はラジオでしたから。人だかりを追ううちに会場に着きました。
 交差点を曲がると、歓声が「ワーッ!」。国技館が揺れているようでした。
 戸田先生は体調を崩されていましたが、この日はとてもお元気でした。
 壇上で“(池田先生を)早く出せ!”と一喝。戸田先生の正義の師子吼によって、勝負が決したのだと思います。
 「そうだー!」「行くぞー!」と、会場の参加者の気迫もすさまじかった。全員で大阪に乗り込むような勢いでした。
 17日に池田先生は釈放されますが、裁判はずっと続きます。大阪への移動は夜行列車の時もありました。全ての行事を終えてから、先生は列車に乗られる。
 でも先生はいつも、朗らかなんです。「これから大阪に行くんだよ」って。
 時間がたてばたつほど、あの時の思い出は深く、重みを感じます。

◆〈信仰体験〉 地域に尽くして20年

 【東京都町田市】「あら、吉村さん! ここにも来てるの!?」
 吉村八重子さん(68)=池田支部、婦人部副本部長=は、神出鬼没。町内会の盆踊りや老人会のカラオケ
 

2017年6月20日 (火)

2017年6月20日(火)の聖教

2017年6月20日(火)の聖教

◆わが友に贈る

「がうじゃうにはがみを
してたゆむ心なかれ」
いかなる難も恐れるな!
破邪顕正の宝剣で
悪意のデマを断ち切れ!

◆〈名字の言〉 2017年6月20日

 明後年に没後500年を迎える画家レオナルド・ダ・ヴィンチは、“目に見えないもの”を描く天才でもあった。例えば戦争画では、兵士の「心の内面」をどう表現するかにこだわった▼勝者を描く際は、「砂埃りのため両眼から流れ出た涙とまざって泥だらけになった頰や眼を両手でぬぐい」「身をかがめて、これ(敵)に止めの一撃を与えようと力をふるって」「頭髪その他の軽いものを風に吹き靡かせながら疾駆する」様子を表現すべき、などと事細かくメモしている▼「心の情熱を表現する動作が人物にあらわれないかぎり、その人物画は賞讃に値しない」(杉浦明平訳『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記(上)』岩波文庫)。こうした彼の信念がうかがえる傑作と出あえるのが、全国巡回中の「レオナルド・ダ・ヴィンチと『アンギアーリの戦い』展」だ▼一口に「勝利」と言っても、それをつかみ取るまでに、人それぞれ、言い尽くせない思いがある。勝利を目指し、脇目も振らず全身全霊で進む人の心の奥底に、巨匠は至高の美を見いだしたのだろう▼上半期の総仕上げへ、各地の友が今、真心を込め、勇気を奮って、広布拡大に挑戦している。その心は目に見えずとも、名画のごとく、まばゆい輝きを放っている。(鉄)

◆〈寸鉄〉 2017年6月20日

 SGIは協調的な世界へ
 地球規模で対話を展開―
 識者。自身が全権大使と
      ◇
 東京・北が猛追。燃え立つ
 民衆パワーで攻め捲れ!
 歴史開く大金星をつかめ
      ◇
 豊島よ不屈の魂で進め!
 執念の拡大で追い上げよ
 ついには感激の凱旋劇を
      ◇
 大勇猛心で進む人が大功
 徳を受ける―戸田先生。
 大闘争に喜び勇んで進め
      ◇
 世界難民の日。教育確保
 が根本的解決の鍵。誰も
 置き去りにしない社会へ

◆小説『新・人間革命』第30巻 雄飛の章 五(6101)
 


 常書鴻が敦煌の莫高窟で暮らし始めたころ、そこは、まさに“陸の孤島”であった。
 周囲は砂漠であり、生活用品を手に入れるには約二十五キロも離れた町まで行かねばならなかった。もちろん、自家用車などない。
 土レンガで作った台にムシロを敷いて麦藁を置き、布で覆ってベッドにした。満足な飲み水さえない。冬は零下二〇度を下回ることも珍しくなかった。
 近くに医療施設などなく、病にかかった次女は五日後に亡くなった。彼より先に敦煌に住み、調査などを行っていた画家は、ここを去るにあたって、敦煌での生活は、「無期懲役だね」と、冗談まじりに語った。 
 しかし、常書鴻は、その時の気持ちを次のように述べている。
 「この古代仏教文明の海原に、無期懲役が受けられれば、私は喜んでそれを受けたいという心境でした」
 覚悟の人は強い。艱難辛苦の嵐の中へ突き進む決意を定めてこそ、初志貫徹があり、人生の勝利もある。また、それは仏法者の生き方でもある。ゆえに日蓮大聖人は、「よ(善)からんは不思議わる(悪)からんは一定とをもへ」(御書一一九〇ページ)と仰せである。
 莫高窟は、長年、流砂に埋もれ、砂や風の浸食を受け、放置されてきた結果、崩落の危機に瀕していた。その状態から、石窟内の壁画や塑像を保護し、修復していくのである。
 作業は、防風防砂のための植樹から始めなければならなかった。気の遠くなるような果てしない労作業である。だが、やがて彼の努力は実り、敦煌文物研究所は国際的に高い評価を受けるようになったのである。
 この日の、伸一と常書鴻の語らいは弾み、心はとけ合った。二人は、一九九二年(平成四年)までに七回の会談を重ねることになる。
 そして九〇年(同二年)には、それまでの意見交換をまとめ、対談集『敦煌の光彩――美と人生を語る』が発刊されている。
 未来に友好と精神文化のシルクロードを開きたいとの、熱い思いからの対話であった。

【聖教ニュース】

◆〈グローバルウオッチ〉 若者と社会 「仕事」と向き合う②
自ら“決めて”“動く”そこに使命の道が開く

 
職場の同僚と談笑する佐藤美和子さん㊧(宮崎市内で)
職場の同僚と談笑する佐藤美和子さん㊧(宮崎市内で)

 現代社会の課題を見つめ、創価の思想・哲学の価値について考える「グローバルウオッチ」。今を生きる青年は、仕事の悩みや行き詰まりにどう向き合っていけばよいのか。2人の青年部員のドラマを通して見つめた。(記事=小野顕一)

 今回取材したのは、2度の転職を経て活躍する女子部員と、大学の助教として研究・教育に取り組む男子部員。2人は周囲との人間関係に悩んでいた。
 思うようにいかない葛藤の中で、2人はどう問題を乗り越えたのか。その歩みを追うと、共通したあるステップが見えた。

全てに意味が


 「次に間違ったら、消えてくれるかな?」
 都内のクレジットカード会社に勤務していた佐藤美和子さん(女子部本部長)は、上司の威圧的な言葉に驚いた。
 創価女子短期大学を卒業後、地元・宮崎の企業に就職。その後、“得意な英語を生かせれば”と、2015年9月に転職して上京し、システムの運用・保守を担当していた。
 作成した書類を手渡すと、上司は「はい、0点」。そのままシュレッダーにかけられた。
 聞けば、佐藤さんの前任者は2週間で辞めたという。
 前職では入社2年目で教育部に配属され、仕事に手応えを感じていた佐藤さん。“負けるものか”と一層の笑顔を心掛け、上司の指示に食らいついた。
 だが心に体が追い付かなかったのか、ある朝、会社に向かう電車内で意識が遠のいた。
 気付くと、駅員に体を支えられていた。ホームの人が心配そうに佐藤さんを見ている。
 それ以後、たびたび動悸に襲われ、失神を繰り返した。
 異変に気付いたのは地区の婦人部員だった。上京以来、まるで母親のように、佐藤さんを気に掛けてくれていた。
 「何か飲まない?」。誘われて街角のベンチに座った。
 「実は……」と切り出すと、婦人部員は、かつて自分もパワハラを受けたこと、うつ病になったが克服できたことなどを通し、励ましてくれた。
 「絶対に大丈夫。でも無理はしないで。環境を変えることも必要だと思う。それは美和子ちゃんが決めるんだよ」
 職場の先輩にもアドバイスを受け、佐藤さんは退職を決断。祈りを重ねると“上司は暗に、私には別の使命があると教えてくれているのかも”と思えた。
 退職のあいさつとともに、これからの考えを伝えると、上司は“きつく当たってしまったが、君は負けてなかったよ”と。新しい道への背中を押してくれた。
 宮崎に戻った佐藤さんは、WEBを活用した教育支援システムを発展途上国等に提供する企業に職を得て、海外展開する部署へ。次第に体調も回復した。
 入社して2カ月、経験を見込まれてプロジェクトリーダーに。スキル面でも人間関係の上でも、以前に苦しんだ経験が生き、大きな成果が出せた。
 担当した企画は昨年、「攻めのIT経営中小企業百選(経済産業省主催)」に宮崎県で初選出され、佐藤さんの仕事ぶりは地方紙で特集されるまでに。
 会議等では通訳を担い、来年からミャンマーに出向する予定だ。気付けば、祈り続けてきた“英語を駆使して海外で活躍したい”との夢が実現。「全てに意味があった」と声を弾ませる。

姿勢が変わった


 南米コロンビアの大学院を卒業したゴンザレス・ファンさん(群馬・桐生県、男子部員)は、2009年に宮城県内の大学院博士課程に進んだ。
 専攻はエネルギー学。文部科学省からの奨学金を得ることができ、日本で順調な生活が始まったと思った矢先、ゴンザレスさんは研究室内の人間関係に思い悩む。コロンビアとの文化の違いもあり、研究成果もなかなか上がらない。
 そのまま3年が過ぎ、奨学金は打ち切りに。提出した2本の博士論文にも返答がなかった。
 母国へ帰るか、それとも論文が受理されるまで、残り少ない貯金で生計を立てるか――ゴンザレスさんは選択を迫られる。
 そんな時、県内で国際教育普及支援をしていた女子部員から、学会の座談会に誘われた。
 東日本大震災から1年半。災害の爪痕が残る七ケ浜や多賀城の集いでは、経済苦や病苦が赤裸々に語られた。苦難に負けず、励まし合って進む学会員の姿がゴンザレスさんの胸を打った。
 “苦しいのは自分だけじゃない”――そう感じ、唱題にも挑戦。「題目を唱えるごとに“ウエーブ(波)”を感じました。体の隅々に勇気が染み渡っていくんです」
 すると人間関係が好転し、研究室内の環境が目に見えて変わっていった。また、ゴンザレスさんの研究作業に対して、卒業するまで金銭面の援助が出るようになった。
 「祈ったから“環境が変わった”と思っていました。でもそうじゃなくて、“自分自身の周りの方々と向き合う姿勢”が変わったんです」とゴンザレスさん。
 「今までは意地を張ってしまい、自分の研究に対する周囲の指摘を素直に聞けなかった。今は感謝でいっぱいです」
 不思議にも唱題を始めて1カ月後、全く音沙汰がなかった論文が、2本続けて受理された。
 日本で研究職に就くには日本語が必須。留学生仲間が次々と日本を離れる中、ゴンザレスさんは日本語の習得に励み、卒業と国立大の助教の採用を勝ち取ることができた。
 東京インタナショナル・グループ(首都圏在住で英語を話す海外メンバーの集い)にも通い、“一切が自身を鍛える糧となる”と学んだゴンザレスさん。今、同グループの友の激励に率先し、日本で行われるSGI(創価学会インタナショナル)研修会等ではスペイン語通訳も担う。 
 昨年秋、北京での研究学会に議長の一人として招待された。先月には、最も権威のある専門誌への論文掲載が決まった。
 信心の喜びをかみ締めつつ、「研究で人類の幸せに貢献したい」とゴンザレスさんは語る。

自己を輝かせる


 正規・終身雇用等の「安定」が崩壊し、かつては当たり前のように得ることができた「働く場所」と「働く意義」を、若者は自ら問い、つかみ取る時代となっている。では価値ある選択のために、何が不可欠か。
 仏法では、「ありのままの姿(自体)を照らし顕していくこと」――つまり、「かけがえのない自分自身を正しく知り、自己の個性を最高に輝かせていくこと」を「自体顕照」と説く。
 ゴンザレスさんは、“ここで頑張る”と決めた。佐藤さんは“違う場所で頑張る”と決めた。
 その選択を可能にしたのは、信仰の実践によって磨いた自己の個性、そして同志の励ましによる視点の変化であり、一見違った2人の選択の背景には、大きな人間的成長が共通してあった。その歩みは自体顕照そのものといえよう。
 池田先生は、自体顕照の法理を示した法華経について語っている。「他人をうらやんで生きるのは爾前(法華経以前の経典)の生き方です。『自分はこれで行くんだ』と決めて生きるのが法華経です」と(『法華経の智慧』)。
 うまくいかないことを他人のせいにし、誰かに人生を委ねる限り、自身の成長はない。そうした考えで仕事を変えても、また同じ悩みに直面するだろう。
 自分らしく輝くには、自ら積極的に行動を起こしていくことだ。仕事で悩むなら、その仕事と向き合い、自ら次のステージを開く。そこに、自身のかけがえのない使命の道も見えてくるに違いない。
 感想・意見をお寄せください メール:g-w@seikyo-np.jp ファクス:03-5360-9613

【先生のメッセージ】

◆池田先生と共に新時代を進む 〈12〉前進! 正義の凱旋門へ
                                                          

 
 戸田城聖先生が、軍部政府との2年の獄中闘争を勝ち越え、出獄されたのは、東京・中野であった。
 それは、昭和20年(1945年)の7月3日。巡りくるその日を前に、有縁の地へ走り、中野南文化会館を視察した(18日)。
 会館には、朝から壮年部が意気軒昂に集われていた。いよいよ黄金柱の出番と「ああ感激の同志あり」を皆で大合唱したと伺った。王城会の厳護の雄姿も、頼もしい限りである。「父の日に本当に尊いですね」と妻が微笑んだ。
 勤行会を行っていた先駆の学生部も元気である。
 同会館には、隣接する杉並・方南支部の友も、太陽の婦人部を中心に集まられていた。
 方南支部といえば、昭和53年の1月、広布第2章の「支部制」開始に際し、私が結成大会に出席した忘れ得ぬ支部である。
 地域に信頼を広げる大発展が、何よりもうれしい。
 とともに、創価の凱歌へ師子奮迅の指揮を執る全国の支部長・支部婦人部長、また地区部長・地区婦人部長、ブロック長・白ゆり長をはじめ、リーダーの皆さま方の奮闘が偲ばれる。
 御本仏が、広布に献身する偉大な宝友たちを、いかばかり讃嘆されているか。
 「釈迦仏・地涌の菩薩・御身に入りかはらせ給うか」(御書1467ページ)の一節が、胸に迫ってならない。
                                                                  ― ◇ ― 
 中野南文化会館には、戸田先生が出所した豊多摩刑務所の鉄の門扉が保管されている。同刑務所が取り壊された折、中野の有志が譲り受けてくれたものだ。
 恩師の出獄は、沖縄戦で日本軍の組織的戦闘が終わった直後だった。6月23日は「沖縄慰霊の日」である。
 “命どぅ宝”――生命こそ最極の宝。これが、恩師も敬愛した沖縄の心だ。
 生きて獄門を出た恩師は、民衆が一人一人、仏の生命を最大に輝かせ、この世の悲惨を打ち破っていく「人間革命」の道を開かれた。最も苦労した人が、最も幸せを勝ち取っていける社会をつくるのが、我らの「立正安国」の戦いである。
 その先頭に立つ「平和の勝利島」沖縄の友に、思いを馳せぬ日は一日もない。
                                                                     ― ◇ ― 
 日蓮大聖人は、「いかに強敵重なるとも・ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ」(同504ページ)と仰せである。
 この御聖訓通り、恐れなき勇気を、限りない智慧を湧き上がらせて、前進だ。
 いざ、正義の凱旋門へ!

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆誓願を果たす時は今! 原田会長を中心に各部代表者会議


 世界広布新時代第44回の各部代表者会議が19日、東京・信濃町の広宣会館(学会本部別館内)で開催された。
 原田会長は、懸命に戦う同志に勝利の喜びを味わってもらうために献身するのが広布のリーダーの責任であると強調。

◆〈希望航路―池田先生と進む人生旅―〉 アメリカ・サンフランシスコ③

             
初訪問から20年――テレグラフヒルに立った池田先生は、地元の代表ら200人と懇談し、記念撮影を。草創の友の労をねぎらい、新体制の男女青年部に真心のエールを送った(1980年10月6日)
初訪問から20年――テレグラフヒルに立った池田先生は、地元の代表ら200人と懇談し、記念撮影を。草創の友の労をねぎらい、新体制の男女青年部に真心のエールを送った(1980年10月6日)

 会場は、熱気と歓喜に包まれていた。
 1980年(昭和55年)10月5日。サンフランシスコ市内のイベントホール「ガレリア」で、アメリカ広布20周年を記念する総会が開かれ北カリフォルニアの各地から3500人が集ったのである。
  サンフランシスコの同志は、この日を格別な思いで迎えた。
 20年前の同日、同地を初訪問していた池田先生は、市内を見下ろすテレグラフヒルに立った。「20年、50年たてば、この日は偉大な記念日となるだろう」
 この先生の展望のままに、約30人で出発したサンフランシスコの広布の連帯は、幾重にも拡大した。
 20年の節を刻み、迎えた総会。先生は語った。「大聖人の仏法は、自己も幸福になり、他人をも幸福にし、社会をも安穏にしていく実践である」
 さらにこう続けた。
 ――唱題し、御本尊の功力を一言一句でも語ることで、信仰の力が涌現し、現実生活と社会で幸福の実証を示すことができる。
 ゆえに、社会的地位や財産の有無にかかわらず、唱題と折伏をし抜いた人が、生命の勲章を輝かせていけるのである、と。
 ジョイス・ボイキンさん(多宝会圏婦人部責任者)は、その4年前に入会。仕事は小学校の教員だった。
 当時の黒人女性では珍しく、大学院修士課程まで進んだ。だが、社会ではまだ、人種や性別を理由に、教育や仕事の機会が限られていると感じていた。
 それだけに、「社会的地位や財産の有無にかかわらず」との先生の言葉は、深く胸に残ったという。
 彼女自身、女手一つで2人の子を育てていた。好条件の職を探していたが、転職は思うに任せず、まとまりかけた話が、直前で立ち消えになった時もあった。
 「“なぜ?”と思いましたが、もしその仕事に就いていれば、帰りが遅くなり、夜の会合には参加できませんでした。学会活動から離れないでいられたのだと、後にその意味に気付きました」
 結果としてボイキンさんは、その後も教育に携わり続けた。唱題と折伏の実践を貫き、広布の庭で培った他者に尽くす精神は、そのまま教育に生かされたと実感している。
 公立小学校の教員を35年、連邦政府の教育プログラムの教員を10年務め、子どもの可能性を最大に引き出せるよう心掛けてきた。
     
 ボブ・ハンソンさん(圏長)は当時、壮年部のリーダーとして、総会に参加。壇上で、先生と固く握手を交わした。
 大学を中退し、石油会社のトラック運転手として働いていた。同じく会場にいた妻のパットさん(支部副婦人部長)との間に、第1子が生まれて間もない頃である。経済的に困窮し、必死に生活をやりくりする中での、師との出会いだった。
 先生は、“全ての人は、等しく日蓮大聖人の子です。必ず幸せになれるのです”と語り、メンバーに渾身の励ましを送り続けた。その師の姿を、二人は目に焼き付けた。
 この前年、先生は第3代会長を辞任。師弟の絆を分断し、広布の組織を破壊しようとする障魔は、アメリカでも競い起こっていた。その中で実現した、サンフランシスコ訪問であった。
 「学会精神とは何なのか。それを学び深めたいと願っていた私たちに、先生は、同志と学会を守り抜く心を教えてくださいました」(ボブさん)
 「地区や青年部の活動が、一番困難だった時代に、先生は、新たな時代を開く手を打ってくださったのです」(パットさん)
 夫妻は“師の代わりに”との思いで、広布の最前線でメンバーを励ました。その一日一日が、何よりの宝だったと声をそろえる。
      
 総会の翌6日、先生はテレグラフヒルで、同志と記念撮影を。「今再び、21世紀への20年を目指そう」と力強く訴えた。
 サンフランシスコの男女青年部の人事も発表され、若き力を先頭に、希望に満ちた出発となった。
 この時、ケイ・ルードさん(多宝会圏婦人部責任者)には、思いがけない知らせが。広布の功労者であるルードさんの家を、先生が訪問するというのだ。
 「驚きと喜びで頭が真っ白になりました。急いで帰宅して、家を片付けたんです」
 彼女は笑顔で振り返る。
 自宅は広布の会場に提供していた。到着した先生は、ルードさんたちに深々とお辞儀を。同志の幸福に尽くしてきた労をねぎらい、心から感謝した。
 地元のメンバーらを交えて勤行をした後、先生は、世界広布の展望、アメリカ人の心をつかむ激励のあり方などを巡り、約1時間にわたって懇談した。
 その際、3歳だったルードさんの次男が、先生にクッキーを手渡した。先生は、その半分を彼の口へ。心温まる光景に、「先生は、まるで父親のように、わが子を慈愛で包んでくださいました」とルードさん。
 「何か質問はあるかい?」と促され、彼女は人間関係の悩みを打ち明けた。
 先生は語った。
 ――悩みに真正面から挑み、御本尊に祈っていけば、境涯が広がり、必ず解決の道が見つかります。人生に苦難は付きものです。しかし、法華経の兵法で戦えば、必ず勝てるのです、と。
 「生命に勇気の太陽が昇るようでした」とルードさん。この指針のままに、どんな時も強盛な信心を貫いてきた。
 昨年で入会50年。2人の息子も立派に育てあげた。
 広布一筋の彼女の姿を通し、師弟を学び、信仰の喜びを知った友は多い。
     
 10月7日、サンフランシスコ滞在を終え、ワシントンDCへと出発する先生を、スティーブ・ホウさん(副支部長)は空港で見送った。
 台湾出身。5歳の時に両親が離婚すると、荒れた青春を送った。明るい人生を取り戻す思いで、大学卒業後にアメリカに渡ったが、アジア人というだけでバカにされた。
 「仕事で見返してみせる」と、一心不乱に働いた。だが成功を収めると、同僚たちを見下すように。自分にはその権利があると思い込んでいた。
 人生観が変わったのは、妻のサンディーさん(地区副婦人部長)を通じて仏法を知ってからである。会合に行くと、多様な人種や国籍のメンバーがいるのが印象的だった。壁一つない、その世界こそ、探し求めていたものだった。
 真面目に信心に打ち込んだ。アメリカSGIの中国語グループの運営に携わり、自分が必要とされる喜びを感じた。やがて同グループの全米責任者に就任し、長年、使命を果たしてきた。
 夫妻がさらなる原点を刻むのは、93年3月のこと。3人の子を含む一家全員で、サンフランシスコに池田先生を迎えたのだ。
 5度目となった先生の訪問。平和・教育・文化の分野で、SGIが社会に大きく開かれていく転機となる。
 ご感想をお寄せください news-kikaku@seikyo-np.jp

◆〈信仰体験 ブラボーわが人生〉第30回 100年分の美しき涙 

 【兵庫県豊岡市】こんなにも美しい涙を見たのは、いつ以来だろう。関岡加津枝さん(100)=出石常楽支部、地区副婦人部長=は、言葉を一つずつ区切りながら、師弟の思いを語ってくれた。

2017年6月19日 (月)

2017年6月19日(月)の聖教

2017年6月19日(月)の聖教

◆今週のことば 2017年6月19日

「一度も退く心なし」
大聖人直結の勇気で
祈り抜き、走り切ろう!
「水魚の思」の同志と
励まし合いながら!

◆〈名字の言〉 2017年6月19日

 70代の壮年が転倒し、複雑骨折した。以来、出歩くのが怖くなり、家に閉じこもるように。1人暮らしで悩みを抱え込みがちな彼だが、周囲の励ましを力に再起を誓った▼人工関節にする手術は成功。懸命のリハビリに挑む。手術に臨む前、彼が語っていた。数年前、がんに侵された時、親身になってくれた先輩の言葉を思い起こしたという。「同じ病の体験者として言うよ。『担当する医師が名医の働きをするように』と強く祈ることだ」▼悩みや困難に直面すると、絶望して諦めるか、何とかなると甘く考えてしまうのが人間のさが。だが、それでは何一つ変わらない。環境に委ねる受け身の心を排し、「必ず打開してみせる」と決め、自ら行動を開始することだ。過去は変えられないが、現在の行動で未来を変え、過去の意味を変えることができる。強き祈りは、その偉大な一歩である▼今月の座談会拝読御書では、広宣流布の激戦に臨む姿勢を学ぶ。人を頼る心や中途半端な気持ちを退け、「但偏に思い切るべし」(1451ページ)と。直前の御文では「責めて」「責め給へ」と、折伏精神を強調されている。これが、日蓮大聖人が示された勝利の方程式である▼広布と人生の勝利へ、一日一日を大切に、黄金の自分史をつづっていこう!(川)

◆〈寸鉄〉2017年6月19日

 「只法華経の事のみさは
 くらせ給うべし」御書。
 信心を貫け。そこに栄冠
      ◇
 調布・狛江よ強気でいけ。
 対話の大旋風で逆転を!
 新時代の東京凱歌を共に
      ◇
 中野が力闘。破竹の勢い
 で反撃だ。激戦勝ち抜け。
 皆で勝利と歓喜の万歳を
      ◇
 勇者は運命に逆らっても
 希望を捨てぬ―歴史家。
 負けじ魂こそ創価の本領
      ◇
 熱中症は条件さえ揃えば
 誰もが発症―医師。水分・
 塩分補給を。油断排して

◆社説  あす「世界難民の日」  他者に同苦し、尊厳を見いだす心


 ヨーロッパ、アジア、アフリカに囲まれ、美しい景観で知られる地中海。夏が近づき波が穏やかになると、ここにヨーロッパを目指す大量の難民を乗せたボートが現れる。粗雑な作りで到達前に沈没するものも多く、沖で溺れる難民の悲劇は近年、後を絶たない。
 なぜ海を越えるのか。イタリアへ渡ったシリア人男性は言う。「自分の命よりも大きなもの、もっと大きな夢のために命の危険をおかすんだ」と。住んでいた町が破壊され、自分は夢も希望も失った。しかし子どもは違う。「うまくいけば、私は3人の子供たちの夢を叶えられるかもしれない。子供たち、そして孫たちの夢を」(パトリック・キングズレー著『シリア難民』ダイヤモンド社)
 あす6月20日は国連が定める「世界難民の日」。現在、紛争や自然災害などで難民・国内避難民生活になった人は、世界で6500万人を超える。
 先日、約130万人のシリア難民を受け入れているヨルダンから「ヨルダン・ハシェミット慈善団体」事務局長のアル=ムレフ氏が来日した。氏は本紙のインタビューで、難民に必要なのは「尊厳」であり、難民を数で見るのではなく“人間として扱う”姿勢であると語った。
 東日本大震災後、日本でも多くの人が惨状に心を痛め、自分にできる“何か”を模索した。創価学会は被災者の最後の一人が立ち上がるまで寄り添い続けるとの思いで、励ましを送ってきた。こうした“同じ人間として放ってはおけない”という心と行動こそ、切迫した状況を打開しゆく根本の力であろう。
 池田先生は、昨年発表した平和提言で「ささやかな行動だったとしても、それがあるかないかは、差し伸べられた人にとって決定的な重みをもつ大きな違いなのです」と述べている。
 先のシリア難民の男性は述懐する。戦争の恐怖、故郷を追われた苦しみ、粗雑な船で海を渡るつらさとトラウマ、新しい習慣や文化に適応する難しさ、未来への不安、子どもたちと家族の心配――「そうした大変なことはたくさんありましたが、私は多くのことを学びました。なかでもいちばん大きかったのは、どこに行っても
必ず、この暗闇をがんばって突き進もうという希望と決意を与えてくれる人たちが
いたことです」(前掲書)と。
 立ちはだかる問題がいかに大きくとも、目の前の一人に同苦し、希望を送り続ける。その先に国際社会が目指す「誰も置き去りにしない社会」はある。

◆きょうの発心   王者の誇りを胸に凱歌の歴史を2017年6月19日

御文
 過去の宿縁追い来って今度日蓮が弟子と成り給うか・釈迦多宝こそ御存知候らめ、「在在諸仏土常与師?生」よも虚事候はじ(生死一大事血脈抄、1338ページ・編402ページ)
通解 あなたは、過去の宿縁から今世で日蓮の弟子となられたのであろうか。釈迦・多宝の二仏こそご存じと思われる。法華経化城喩品の「在在の諸仏の土に 常に師と?に生ず」の経文は、よもや嘘とは思われない。
 三世にわたる仏法の深い師弟の関係を教えられた一節です。
 
 子どもの頃に両親・妹と共に入会。常によき先輩に支えられ、三世に結ばれた師弟の絆を確信して、信心に励んできました。
 1979年(昭和54年)11月14日、娘の誕生日に、思いがけず聖教新聞本社の前庭で池田先生と親子で記念撮影をしていただき、「生涯、師と共に」と心に誓いました。娘は創価高校・創価大学に進み、現在、女子部として広布に走っています。
 本紙販売店主を36年間にわたって務めた夫は、その後、大病に襲われましたが、師と同志の祈りに全て守られ、「今こそ宿命転換を」と一家団結して頑張っています。
 今月6日、池田先生ご夫妻が足立区を訪問してくださり、大歓喜の中で6・21「足立女性の日」を迎えます。明年夏の「足立文化会館」完成を目指し、不屈の王者・足立の誇りを胸に、凱歌の歴史を断じて築いてまいります。  東京・足立総区副婦人部長 友利敏子

◆小説『新・人間革命』第30巻 雄飛の章 四 (6100)


 北京大学では、講演に引き続き、四川大学への図書贈呈式が行われた。当初、山本伸一は、四川省の成都にある四川大学を訪問する予定であったが、どうしても日程の都合がつかず、ここでの贈呈式となったのである。
 四川大学の杜文科副学長に伸一から、図書一千冊の目録と贈書の一部が手渡されると、拍手が鳴り渡った。また一つ新たな教育・文化交流の端緒が開かれたのである。
  
 二十三日午前には、敦煌文物研究所(後の敦煌研究院)の常書鴻所長夫妻と、宿舎の北京飯店で会談した。
 常書鴻は七十六歳である。敦煌美術とシルクロード研究の世界的な権威として知られ、第五期全国人民代表大会代表でもある。彼は、前日、西ドイツ(当時)から帰国したばかりであったが、旅の疲れも見せずに会談に臨んだ。
 伸一はまず、常所長が、敦煌研究に突き進んでいった理由について尋ねた。
 興味深い答えが返ってきた。
 ――一九二七年(昭和二年)、二十三歳の時、西洋画を学ぶためにフランスへ留学した。そのパリで、敦煌に関する写真集と出合う。すばらしい芸術性に驚嘆した。しかし、それまで、祖国・中国にある敦煌のことを、全く知らなかったのである。これではいけないと思い、三六年(同十一年)、敦煌芸術の保護、研究、世界への紹介のために、すべてを捨てて中国に帰ってきたのだ。
 四三年(同十八年)、研究所設立の先遣隊として、念願の敦煌入りを果たす。以来、三十七年間にわたって敦煌で生活を続け、遺跡の保存、修復等に尽力してきた。
 「敦煌の大芸術は千年がかりでつくられたものです。ところが、その至宝が海外の探検隊によって、国外へ持ち去られていたんです」
 こう語る常書鴻の顔には、無念さがあふれていた。その悔しさを情熱と執念に変え、保護、研究にいそしんできたにちがいない。不撓不屈の執念こそが、大業成就の力となる。

【聖教ニュース】

◆韓国 忠清南道 礼山郡が特別顕彰牌 
池田先生ご夫妻の平和建設への尽力たたえ
郡守 SGIの青年こそ希望
 
韓国・忠清南道礼山郡の「特別顕彰牌」授与式。地域社会のさらなる発展を願い、参加者が記念のカメラに(礼山郡庁舎で)
韓国・忠清南道礼山郡の「特別顕彰牌」授与式。地域社会のさらなる発展を願い、参加者が記念のカメラに(礼山郡庁舎で)

 韓国・忠清南道の礼山郡から、池田大作先生ご夫妻に、「特別顕彰牌」が贈られた。世界平和と日韓の友好促進への貢献をたたえたもの。授与式は13日、同郡庁舎で挙行され、黄善奉郡守、韓国SGI(創価学会インタナショナル)の金仁洙理事長、金暻希婦人部長、忠南方面の代表らが出席した。
 韓国中西部に位置する忠清南道の礼山郡は、伽倻山などの美しい自然の景観に恵まれている。リンゴ等の特産地として名高い一方、先端産業を積極的に誘致するなど、「産業型田園都市」とのビジョンを掲げて力強く発展する。
 また昨年には、コウノトリの保護事業が評価され、東アジア地域の環境保全に貢献した団体・個人に贈られる「日韓国際環境賞」を受賞。自然との共生を図る取り組みが、国内外で大きな注目を集めている。
 この自然と人間社会が一体となる理想の天地にあって、SGIメンバーは青年部を先頭に国土大清掃運動をはじめ、各種ボランティア運動を幅広く推進。メンバーの一貫して変わらない献身的な振る舞いが、その精神的基盤となる池田先生への信頼と共感につながっていった。
 黄郡守も、友の姿に学会理解を深めてきた一人。さらに「自然との対話」写真展や“ガンジー・キング・イケダ展”などの各種展示、また地域の座談会への参加を通して、「一人」を大切にする創価の思想に共鳴するようになった。
 黄郡守は池田先生との“出会い”について、次のように語っている。
 「私がかつて苦境に立たされた時、韓国SGIの友人から『池田大作 名言100選』という書籍を贈られました。そこにつづられていた池田SGI会長の珠玉の言葉が、悩み疲れていた私の胸に、深く染み渡りました。読み進めるほどに、心に希望が湧き上がり、やがて試練の時を乗り越えることができたのです」
 郡庁舎で晴れやかに執り行われた授与式。
 あいさつに立った黄郡守は、世界平和と韓日友好に尽力する池田先生ご夫妻を顕彰できることに喜びを表しつつ、真情を語った。
 「SGI会長が育てられた青年たちの姿に、私は限りなく明るい未来、そして希望を見いだしました。これだけの人材を育成してこられたという事実こそ、SGIが世界宗教として飛躍し、SGI会長があらゆる人々から尊敬を集めている証左だと確信します」
 黄郡守から特別顕彰牌が託されると、会場から祝福の惜しみない拍手が寄せられた。
 韓国SGIの金理事長が謝辞を述べた。

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈誓いの天地〉 千葉・船橋市 2017年6月19日

   
船橋青年部の友は、7・13「船橋の日」を目指し、正義の連帯を広げる(10日、船橋港親水公園で)
船橋青年部の友は、7・13「船橋の日」を目指し、正義の連帯を広げる(10日、船橋港親水公園で)

 千葉県北西部に位置し、市川市、鎌ケ谷市などと隣接する船橋市。今年4月、市制施行80周年を迎えた。
 作家・太宰治が愛した地であり、川端康成も船橋の旅館で一時、…

◆〈座談会 栄光の峰をめざして〉39 勝利は「今」に――眼前の戦いに全力 信心は勇気! 己心の壁を破れ  都議会公明党 安全・安心の先進都市へ
 
“満々たる闘魂”で戦い勝ってきたのが“学会魂”――創価三代の有縁の天地、東京・豊島総区の友が“反転攻勢”の気概に燃えて(17日、東京戸田記念講堂で)
“満々たる闘魂”で戦い勝ってきたのが“学会魂”――創価三代の有縁の天地、東京・豊島総区の友が“反転攻勢”の気概に燃えて(17日、東京戸田記念講堂で)

 原田 世界広布の「千載一遇の天の時」を勝ち越えようと、全国・全世界の同志が、広布開拓の魂を燃やし、懸命に尽力してくださっています。尊き献身に心から感謝申し上げます。誠にありがとうございます。
 永石 池田先生はかつて、本陣・東京の同志に語られました。「広宣流布の前進には“時”がある。その一つ一つの“時”を逃すことなく、全力で仏道修行に励み抜いてこそ、自身の使命を果たし、一生成仏することができる」と。

 長谷川 御書に「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(231ページ)と仰せです。未来は「今」にあり、勝利は「今」にあります。“時”を捉え、眼前の戦いに全精魂を傾けていくことが大切なのです。
 竹岡 「誰かではない、自分である。まず自分が戦いを起こす。自分が壁を破るのだ」――この先生の言葉を胸に、強盛な祈りと満々たる勇気で「己心の壁」を打ち破り、我々青年部が先頭に立って「新たな開拓」に挑んでまいります。

随一の政策実現力


 長谷川 東京都議選(6月23日告示、7月2日投票)の告示まで、後4日となりました。都議会随一の「政策実現力」を発揮した公明党の「3つの挑戦」の実績、そして「重点政策」に期待が高まっています。

 河西 「重点政策」の柱の一つは、「『安全・安心』先進都市・東京へ――2020東京大会をめざして」です。「人にやさしいまちづくり」や、交通ネットワークの整備などが盛り込まれています。

 永石 視覚障がい者の利用が多い都立盲学校の最寄り駅に、優先的にホームドア整備を拡充することなども明記していますね。小池都知事は、「さすが、生活者の視点をもつ公明党ですね」と感嘆しています。

 原田 東京大学教授・福島智氏もこう語っていました。「公明党は、都の福祉分野の職員でさえ知らなかった私たち盲ろう者の声に耳を傾けてくれました」「公明党が先頭に立ち、子どもたちへの教育や福祉、弱い立場の人に対する施策に取り組み、心のバリアフリー化を進めていただきたい。それが活力ある社会を築く原動力になる」と。

“財政破綻”の市政


 河西 一方で「安全・安心」のための対策にも反対してきたのが共産党です。

 竹岡 最近、テレビの討論番組でも、「共産党は街中の防犯、監視カメラにずっと反対し続けてきた」(11日・18日のNHK「日曜討論」)と指摘されていました。生活者の「安全・安心」を守る上で、大きな効果を発揮している防犯カメラの設置に、共産党は各地で反対してきました。
 河西 東京都の「安全・安心まちづくり条例」(2003年7月成立)にも、共産党は「地域社会に防犯カメラを張り巡らせようとしている」(都議会本会議)等と、反対していました。

 竹岡 1996年から16年間、共産党員が市長を務めた東京都狛江市では、地元警察署から何度も要望があったにもかかわらず、「市内の公道上には防犯カメラが1台も設置されないという異常事態が続いていた」(現在の高橋都彦市長)のです。

 河西 狛江市では、大震災などの災害時に備えた、自衛隊の支援体制も心もとない状況でした。“自衛隊は憲法違反”とする党の方針からか、市民の「安全・安心」のために自衛隊を活用する姿勢も皆無でした。

 竹岡 狛江市で続いた共産市政は、“空白の16年”と呼ばれています。不測の事態に備えて積み立てておいた市の基金を、60億円も取り崩したにもかかわらず、借金はほとんど減らせないという“放漫経営”で、市財政を急激に悪化させたからです。

 河西 高橋市長は、こう語っています。「共産市政が、どれほど『当たり前の市政』からほど遠いものであったか」「共産市政は財政を破綻させるといわれますが、狛江市も例外ではありません」「聞こえのよい理想を掲げながら、実行できなかった。共産党の無責任な体質は明白です」
 他の共産系首長の自治体でも、無責任な実態が次々と明らかになっています。

 竹岡 翻って、高橋市長は公明党について、こう語っています。「公明党は共産党のようにイデオロギーで動く政党ではなく、市民本位で、いいと思うことについては協力し、よくないと思うことには逆にはっきりよくないと言ってくれる。市民の利益を第一に優先しようと心掛ける市長の立場からすると、これほど頼りになる政党はありません。公明党は、真の意味で現場の声を大切にしている政党と感じて
います」

 原田 こうした声を私もよく伺います。公明党はこれからも、「現場の声」を政治に届け、どこまでも「都民のため」に尽くし抜いてもらいたい。

模範の天地を構築


 原田 6月23日、「沖縄慰霊の日」を迎えます。72年前の沖縄戦で犠牲になられた全ての方々の冥福、そして世界の恒久平和を深く祈念申し上げます。

 竹岡 太平洋戦争末期、日本で唯一、凄惨な地上戦が行われたのが沖縄の地です。池田先生は、「一番苦しんだ人が一番幸せに」との思いで、沖縄の友を励まし続けてこられました。

 長谷川 「慰霊の日」に寄せ、先生はこう語られています。「この地上から悲惨の二字をなくす(戸田)先生の挑戦は、誰よりも苦しみ抜いた民衆と共にあった。その誓願を結実させるため、私は沖縄の天地で小説『人間革命』の執筆を開始した」と。

 永石 沖縄の皆さまは、先生の思いをわが誓いとし、「立正安国」の模範の天地を目指して、自らの「人間革命」の姿で地域に信頼を広げてこられました。

 原田 先生は今も、全同志と対話する思いで、『新・人間革命』を執筆されています。先日、「雄飛」の章の連載も始まりました。私たちは日々、戦いの糧としつつ躍進を果たしたい。

◆〈6・25「団地部の日」特集〉 神奈川・茅ヶ崎市 浜見平団地 
 
神奈川県茅ケ崎市の浜見平団地を舞台に活躍する団地部の友。奥に見えるのは、新しく建て替えられた建物
神奈川県茅ケ崎市の浜見平団地を舞台に活躍する団地部の友。奥に見えるのは、新しく建て替えられた建物

 6月25日は「団地部の日」。高度経済成長の時代に広がった日本各地の団地(集合住宅)は今、住民の高齢化や建物の老朽化など、さまざまな課題を抱える中で、将来の在り方が検討されている。
 

2017年6月18日 (日)

2017年6月18日(日)の聖教

2017年6月18日(日)の聖教

◆わが友に贈る

「声仏事を為す」だ。
誠意を尽くした言葉は
友の心に必ず届く!
勇敢なる正義の叫びが
地域の繁栄を築く!

◆〈名字の言〉 2017年6月18日
 

 東京・調布駅前の商店街に「妖怪」がいる。一反木綿、ねこ娘、目玉おやじを頭に乗せた鬼太郎……ご存じ、「ゲゲゲの鬼太郎」の像である。作者の故・水木しげるさんは調布市民だった▼自宅の仕事部屋には、ドイツの文豪ゲーテの格言を紙に書いて張っていたという。太平洋戦争勃発後、水木青年が“人生とは何か”と悩み、答えを求めた相手がゲーテだった。兵隊に召集され、『ゲーテとの対話』の文庫本を雑囊に忍ばせて戦地に赴いたとの逸話も(『ゲゲゲのゲーテ』双葉新書)▼池田先生も終戦後、10代でゲーテの著作と出合った。20代には、戸田先生のもとで文豪の作品を学びに学ぶ。以来、折に触れ、ゲーテを通して友に励ましを送ってきた。調布の青年たちに親しみを込めて「君シラー/我はゲーテと/創価かな」と詠んだこともある▼ゲーテは文豪シラーをはじめ、英国の歴史家カーライルやロシアの詩人プーシキン等とも、積極的に交友を結んだ。「何事かをなしとげようと思ったら、他人の協力と刺戟が必要だ」(山下肇訳)と考えたからだ▼思えば「ゲゲゲの鬼太郎」も、個性豊かな仲間と協力して悪い妖怪と戦い、平和な世界を築こうとする物語。立正安国を目指す創価の運動もまた、友情と団結の力で進んでいく。(之)

◆〈寸鉄〉 2017年6月18日

 「一日一時もゆるがせに
 せず闘い抜け」戸田先生。
 一歩前進の挑戦を今日も
      ◇
 東京・荒川よ頑張れ。疾風
 怒濤の反転攻勢で勝利の
 旗立てよ。全国が大声援
      ◇
 足立が総立ち。何ものを
 も勝ち越えるのが王者。
 師子奮迅の大闘争今こそ
      ◇
 きょう「父の日」。社会を
 支え、一家を守る黄金柱
 に「ありがとう」の言葉を
      ◇
 認知症による行方不明者
 が過去最多。地域一体の
 対策急務。公明よ舵取れ

◆社説   雨天時は余裕を持って  万全の注意払い無事故の日々を

   歩道に、色とりどりの傘が目立つ時期になった。北陸や東北地方も間もなく梅雨入りするとみられ、北海道を除く列島各地が、梅雨空の季節を迎えた。
 雨が降ればジメジメし、晴れればムシムシする日々が続くため、外に出るのも、おっくうになる。だが、この時期も毎朝、“無冠の友”の皆さまによって、本紙は届けられる。心から感謝の意をささげるとともに、配達員一人一人の無事故・健康を祈っていきたい。
 私たちも、こんな空模様の時だからこそ、心に“希望の太陽”を昇らせ、梅雨空を吹き飛ばす勢いで、広布に走る日々を送りたいと思う。
 その上で、普段にも増して注意したいのが、交通事故だ。言うまでもないが、雨天時は、晴天時に比べ、交通事故が多い傾向にある。
 先日、配達員の友から、雨天時に注意すべきことを伺った。最初に挙げられた点は、無事故への祈りとともに、前日の天気予報の確認だった。降水確率が高ければ、通常より早めに起きるなど、時間と心に、ゆとりを持つことが何より大事という。
 ほかにも、「明るめの服を着る」「ライトを必ず点灯する」など、具体的な雨天時の注意ポイントも教えていただいた。
 自転車を含む車両を運転する際、雨天時のリスク(危険性)を考えてみると、①視界が悪い②スリップしやすい③ブレーキが利きにくい――等が挙げられる。
 徒歩の人も同じだ。傘を差せば、通常より視界が悪くなる。また、水たまりなどを避けるため、足元に視線が偏り、周囲に目配りする余裕がなくなる。また、交通事故は自分が気を付けていても、相手の不注意で巻き込まれるケースもある。
 池田先生は、小説『新・人間革命』第9巻「新時代」の章でつづっている。
 「信心をしているから、また祈っているから、事故が起きないなどという考えは誤りです。信心をしているからこそ、絶対に事故など起こすものかという、強い決意、一念が大事なんです」
 無事故こそ、人生勝利の第一歩だ。御書に「さきざきよりも百千万億倍・御用心あるべし」(1169ページ)と仰せのように、用心は、し過ぎるということはない。リーダーも会合の際など、無事故の声掛けを怠らず、皆で注意し合い、安全確保に努めたい。
 さあ、きょうも強き祈りを根本に、無事故で、心弾む有意義な語らいを広げよう。


◆きょうの発心  報恩の誓い胸に対話拡大に勝利

御文
 仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや、此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか(報恩抄、293ページ)
通解 仏法を学ぶ人は、父母、師匠、国家社会の恩を忘れてはならない。この大恩に報いるには、必ず仏法の奥底を学び行じて、智者とならなければならない。

 
父母や師匠への報恩のために、智者となって広布に励むべきであるとの一節です。
 1983年(昭和58年)、中学3年生の時に、一家和楽を願って信心に励んでいた母の勧めで父、弟と共に入会。私は大学卒業を機に千葉へ転居しました。
 高等部の担当者をしていた99年(平成11年)12月18日、「21世紀使命会」を代表して、池田先生と記念撮影をする機会が。先生の慈愛あふれるまなざしと温かな激励に「報恩の人生を」と誓いました。
 男子部時代は、仕事や活動で何度も壁にぶつかりましたが、唱題を根本に全て乗り越え、多くの体験をつかむことができました。
 2012年には、妻に脳腫瘍が見つかりましたが、幸い腫瘍は良性。同志の題目にも守られ、術後の後遺症もなく、現在、支部婦人部長として組織の最前線で活動しています。
 内房総県は、“日蓮大聖人御聖誕の地”との誇りも高く、宝の青年部を先頭に対話拡大の大波を起こし、勝利の金字塔を築いてまいります。 千葉・内房総県長 小谷正弘


【聖教ニュース】

◆シンガポール広布50周年 記念総会に池田先生がメッセージ
 財務大臣はじめ各界の来賓が祝福

社会貢献のスクラムを幾重にも広げるシンガポール創価学会の友。次の50年へ、さらなる信頼の拡大を誓って(11日、SSA本部で)
社会貢献のスクラムを幾重にも広げるシンガポール創価学会の友。次の50年へ、さらなる信頼の拡大を誓って(11日、SSA本部で)

 シンガポール創価学会(SSA)の広布50周年を記念する総会が11日、SSA本部で盛大に開催され、代表800人が集った。
 これには、池田大作先生がメッセージを贈り、今日のシンガポール創価学会の発展を心から称賛。真剣な祈りを根本に、勇気を出して目の前の一人と仏縁を結ぶ挑戦こそ、立正安国の宝土を築く直道であると強調した。
 さらに、良き市民として、差異を超えて人々と協力し合い、自他共の幸福を開きながら広布と人生の勝利の歴史を刻んでいっていただきたいと念願した。
 総会に先立つ10日には50周年記念の集いが開かれ、ヘン・スイキャット財務大臣、シンガポール人民協会のデズモンド・タン理事長、シンガポール宗教連盟のラスタム・ガディアリ会長ら各界の来賓ら200人が列席した。
                                                                        ◇ 
 SSAは1967年、本格的な広布の前進を開始した。太平洋戦争で、日本軍による侵略と占領を経験した同国。草創期の同志は「日本の宗教なんか誰がやるか!」と罵倒された。しかし「良き市民たれ」の指針を胸に社会貢献に全力。やがて政府の要請を受け、青年部らが国家行事に出演するように。独立記念式典への参加は、31回を数えた。同国の繁栄と調和に貢献してきた半世紀の歩みの中で、SSAへの信頼は不動のものとなった。
 総会では草創の友2人が体験発表。入会48年の呉順興さんは約30人を入会に導いた喜びを、郭美金さんは信心根本に大病を乗り越えた模様を報告した。鄭永吉SSA理事長が、異体同心の団結でさらなる躍進をと訴えた。
 SSAの平和・文化・教育運動に共感を寄せるヘン財務大臣は、こう語っていた。
 「次の50年へ、愛するシンガポール社会に、さらに共生の心を発信してほしい!」

【先生のメッセージ】

◆御書と歩む 池田先生(SGI会長)が贈る指針  〈68〉「信」強き行動の知性たれ

御文
 今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と信受領納する故に無上宝聚不求自得の大宝珠を得るなり信は智慧の種なり
 (御義口伝、725ページ)
通解 いま日蓮と弟子檀那が南無妙法蓮華経と信じ唱えるが故に、自ずから求めずして、これ以上ない大宝珠を得るのである。信は智慧の種である。

■同志への指針
 今日の世界広布を築いたのは誰か。悪口罵詈にも怯まず、大法弘通に生き抜いてきた無名の庶民である。
 部結成60周年を迎える地涌の学徒は、この民衆凱歌の尊き信仰の真髄を誇り高く受け継いでいただきたい。
 わが後継の学生部よ、勇気凜々と「立正安国」の対話に打って出るのだ。祈り学び、走り語り、普賢の知性をいよいよ光らせてくれ給え!

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈明日を求めて 池田先生の対話録Ⅱ〉第37回 イラン出身の平和学者 テヘラニアン博士   「真実」を語る人が真実の「人間」 勇気の言論こそが「人間の証」

 
池田先生とテヘラニアン博士の初会見は「文明間の対話」「地球民族主義」などを巡って。テヘラニアン博士は「池田会長と話していると、心がなごみます。自分を繕う必要がありません」と(1992年7月29日、聖教新聞本社で)
池田先生とテヘラニアン博士の初会見は「文明間の対話」「地球民族主義」などを巡って。テヘラニアン博士は「池田会長と話していると、心がなごみます。自分を繕う必要がありません」と(1992年7月29日、聖教新聞本社で)


 学会の平和運動の原点である戸田先生の「原水爆禁止宣言」(1957年9月8日)から、本年で60周年を迎える。
 核兵器こそ戦争の抑止力と主張し、東西両陣営が核実験を繰り返していた冷戦下、戸田先生は核兵器を「絶対悪」と断じた。
 「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」
 「私の弟子であるならば、私のきょうの声明を継いで、全世界にこの意味を浸透させてもらいたい」
 この戸田先生の遺訓を胸に、対話で相互理解の橋を架け、生命尊厳の思想を世界に広げてきた池田先生にとって、恩師の名を冠した平和研究所の創設は長年の願望であった。
 戸田先生の生誕96年の日である1996年2月11日、「戸田記念国際平和研究所」が発足。その初代所長に就任したのが、イラン出身の平和学者マジッド・テヘラニアン博士である。
 発足直後の2月19日、SGI国際会議会館で会見。会うのは2度目だったが、旧知の同志のように語らいが弾んだ。
 「私は、うれしいのです。『戸田記念国際平和研究所』――これで恩師の構想を具体化できたからです」
 池田先生が喜びを伝えると、テヘラニアン博士は「戸田先生の名にふさわしい研究所にしてまいりたいと思います」と。
 博士から、研究所のモットーを「地球市民のための文明間の対話」に決定したことが伝えられた。
 「『対話』という言葉は安易に使われがちです。しかし、表面だけでなく深い次元の意義を知らなければなりません。人々の苦しみや痛みを直視し、さまざまな感情に心を砕き、人間的な側面を理解していくために『対話』が不可欠なのです」
 池田先生は応じた。
 「人間と人間が語り合うこと。これが全ての始まりです。宗教を前面に出して、『宗教と宗教』の話し合いをしても、そこからは友好は開けません。そうではなく、まず人間です。『人間と人間』の対話です。人間と人間が心を開き合い、知り合い、仲よくなれば、そこからいくらでも相互の違いに対する理解も生まれるものです」
 「かつて共産圏に対してそうだったように、今はイスラム圏に対して、多くの人たちは、偏った先入観を抱いていると思います。それでは全人類のために不幸です。だれかが、どこかで『道』をつくり、友好の大河へ『一滴』の水を通わせなければなりません」
                                                                         ◇ 
 テヘラニアン博士は1937年生まれ。池田先生と同様、戦乱の中で少年時代を過ごした。
 博士の故郷であるイランのマシュハドは、ソ連軍の爆撃を受けて占領された。砲弾の破片を避けるため、母の衣服に隠れて歩いた。
 ハーバード大学で学び、イラン学生協会の会長として祖国の民主化の旗を振った。時に身柄を拘束され、秘密警察に付け狙われた。
 池田先生との初の出会い(92年7月29日)では、かつてテヘラニアン博士が湾岸戦争を憂えて書いた詩が話題となった。
 「戦争は 我々の内なる 悪魔を現出させる」
 「(悪魔は)真っ赤な 毒の舌と 冷たい怒りの槍を 激しく動かしながら 限りない貪欲さと虚栄心で 人間性のすべてを 食い物にしようとしている」――。
 テヘラニアン博士もまた、人間を戦争へと駆り立てる「魔性」を見据え、行動を続けてきた。
  
 池田先生 祖国のため、自らの信念のために、毅然と戦った所長の“勇気”を尊敬します。牢に入ったかどうか、権力からの不当な迫害を受けたかどうかが、「人物」を見る私の大きな基準です。創価学会の初代、2代会長も、(3代の)私も、投獄されました。しかし、権力の弾圧には絶対に屈しなかった。これが私どもの永遠の誇りであり、原点です。
 テヘラニアン博士 学会の三代の会長の生き方に深い感動を覚えます。なぜなら、3人とも個人的な苦悩を乗り越えながら、なおかつ人類のために行動されているからです。崇高な、美しい価値を創造されているからです。世界には多くの苦悩する人々がいますが、そのように「人類のために戦う崇高な人生」へと自分を転換できる人は、限られています。
  
 池田先生は、創価の師弟への深い理解に感謝を述べ、博士の祖国であるイランの詩人サアディーの言葉を引いた。
 「人間は語ることによって獣にまさる、/よいことを語らなければ、獣が汝にまさる!」
 続けて博士に語った。
 「『真実』を語る人が、真実の『人間』です。本当のこと、正しいことを語る『勇気の言論』こそが、人間の証であり、平和の武器といえましょう」
 十数回に及ぶ2人の語らいは、2000年10月に、対談集『二十一世紀への選択』として結実した。
 イスラム世界に精通する博士との対談では、釈尊とムハンマドという仏教とイスラムの精神的源流にさかのぼり、平和創出の方途が探られている。
 その直後、「文明の衝突」を象徴するかのような米同時多発テロ事件(01年9月11日)が起こり、世界が震撼する中、同書で語られた「文明間の対話」の視座は重要な示唆を与えた。03年には英語版の『地球文明――仏教とイスラムの対話』が出版。同書はこれまで、アラビア語版、ペルシャ語版など11言語で発刊されている。
 テヘラニアン博士の尽力によって、戸田記念国際平和研究所は短日月に多大な成果を上げた。国際研究協力ネットワーク型の研究所として各国の研究機関や平和学者らと連携し、現代世界における平和構築への方途を探究している。
 2012年12月、テヘラニアン博士は75歳で永眠した。
 だが“対話こそ平和への道”との2人の信念は、世界中の後継の青年によって受け継がれていく。
 対談集で博士が紹介した、詩人ハーフィズの詩が響いてくる。
  
 対話をしよう
 二つの人生の十字路において
 いま別れたら
 もう二度と会えないのかもしれないのだから

 
マジッド・テヘラニアン 1937年、イラン・マシュハド生まれ。政治学、政治経済学、中東研究などを専攻し、ハーバード大学で修士号、博士号を取得。パリのユネスコ本部の勤務を経て、ハワイ大学教授、同大学スパーク・マツナガ平和研究所所長、タフツ大学外交大学院客員教授などを歴任。『グローバル・コミュニケーションと世界政治』など著書多数。戸田記念国際平和研究所の初代所長として発展に尽力した。2012年12月、逝去。

 〈引用・参考文献〉マジッド・テヘラニアン/池田大作著『二十一世紀への選択』潮出版社(『池田大作全集』第108巻所収)、池田大作著『大道を歩む 私の人生記録』毎日新聞社(『池田大作全集』第128巻所収)、マジッド・テヘラニアン/デイビッド・W・チャペル編『文明間の対話』戸田記念国際平和研究所監訳(潮出版社)ほか。
ご感想をお寄せください news-kikaku@seikyo-np.jp

◆〈信仰体験〉 京欄間彫刻師として60年

 【京都市右京区】截金や綴れ織などの伝統技術は、京都の固有の美意識によって、1000年を超える歴史の中で育まれてきた。「京都迎賓館」には、その“匠の技”が凝縮されている。

2017年6月17日 (土)

2017年6月17日(土)の聖教

2017年6月17日(土)の聖教

◆わが友に贈る

地域の幸福責任者こそ
地区部長・婦人部長だ。
本陣に立正安国の旗を!
この誓願と実証が
必ず創価の未来を開く!

◆〈名字の言〉 2017年6月17日
 

 小学4年生の子が、宿題で日記を付けていた。父が偶然、見てみると、どうもおかしい。一緒に出掛けたはずの日に、自分の知らない、全く別の行動が書いてある▼不思議に思って尋ねると、これは「他人日記」だという。つまり“自分ではなく友達の日記を、友達になったつもりで書く”という宿題なのだ▼例えば友達が公園に行ったとする。その子がどんな遊具が好きで、誰と遊んで、何を思ったかなどを、自分なりに想像を膨らませながらつづっていく。日記には直接、友達に聞いたことも含まれていた。その中で友達の長所に気付いたり、自分と共通する部分を発見したりするという▼他者の気持ちを想像することは、子らの心の成長に欠かせないばかりでなく、大人にも大切な姿勢だろう。人の気持ちは常に動いているもの。“相手は分かってくれている”と決め付けず、人情の機微を理解し、念には念を入れ、誠意をもって思いを伝えることが必要な時もある▼御書に「友達の一日に十度・二十度来れる人なりとも千里・二千里・来れる人の如く思ふて礼儀いささか・をろかに思うべからず」(1527ページ)と。日常的に触れ合う友にも、遠くの友にも真心を尽くすのが仏法者の振る舞いであり、広布を開く道であることを忘れまい。(行)

◆〈寸鉄〉 2017年6月17日
 

 「青年の成長なくして広
 宣流布もない」戸田先生。
 君よ激闘の中で強くなれ
      ◇
 東京・江東よ、大逆転を!
 庶民の力は偉大なり。勇
 気と団結で栄冠をつかめ
      ◇
 墨田が気迫の大攻勢!渾
 身の対話で混戦突破を。
 総立ちで勝利へ押し捲れ
      ◇
 茨城の日。師と共に凱歌
 の人生を歩む同志。祈り、
 語り、正義の連帯を拡大
      ◇
 日本の死亡率減少。健康
 志向の高まりが背景と。
 幸齢社会へ生き方も探求 

◆小説『新・人間革命』第30巻 雄飛の章 三 (6099)
 

 山本伸一たち訪中団一行は、二十二日の午後、北京大学を訪問し、季羨林副学長らの歓迎を受けた。同大学の臨湖軒で、創価大学との学術交流に関する議定書の調印が行われ、その際、北京大学から、伸一に名誉教授の称号授与の決定が伝えられた。
 伸一は、謝意を表したあと、この日を記念し、「新たな民衆像を求めて――中国に関する私の一考察」と題する講演を行った。
 中国は、「神のいない文明」(中国文学者・吉川幸次郎)と評され、おそらく世界で最も早く神話と決別した国であるといえよう。
 講演では、司馬遷が、匈奴の捕虜になった武将・李陵を弁護して武帝の怒りを買い、宮刑に処せられた時、「天道」は是か非かとの問いを発していることから話を起こした。わが身の悲劇という個別性のうえに立って、「天道」の是非をただす司馬遷の生き方は、「個別を通して普遍を見る」ことであり、それは中国文明の底流をなすものであるとし、こう論じていった。
 ――それに対して、西洋文明の場合、十九世紀末まで、この世を支配している絶対普遍の神の摂理の是非を、人間の側から問うというよりも、神という「普遍を通して個別を見る」ことが多かった。つまり、神というプリズムを通して、人間や自然をとらえてきた。そのプリズムを、歴史と伝統を異にする民族に、そのまま当てはめようとすれば、押しつけとなり、結局は、侵略的、排外的な植民地主義が、神のベールを被って横行してしまうと指摘したのである。
 さらに伸一は、現実そのものに目を向け、普遍的な法則性を探り出そうとする姿勢の大切さを強調。その伝統が中国にはあり、トインビー博士も、中国の人びとの歴史に世界精神を見ていたことを語った。そして、「新しい普遍主義」の主役となる、新たな民衆、庶民群像の誕生を期待したのである。
 伸一は、中国の大きな力を確信していた。それゆえに日中友好の促進とアジアの安定を願い、訪中を重ねたのである。

【聖教ニュース】

◆欧州SGI青年部が夏季研修会 
6・6「師弟の日」を記念 18カ国200人が参加
池田先生が祝福のメッセージ贈る

欧州青年部夏季研修会に参加した18カ国の代表が、世界広布新時代を担いゆく誓いにあふれて(フランクフルト池田平和文化会館で)
欧州青年部夏季研修会に参加した18カ国の代表が、世界広布新時代を担いゆく誓いにあふれて(フランクフルト池田平和文化会館で)

 6・6「欧州師弟の日」を記念する、欧州SGI(創価学会インタナショナル)の青年部夏季研修会が8日から11日まで、ドイツのフランクフルト池田平和文化会館で開催。欧州18カ国から代表が参加した。これには、池田大作先生がメッセージを贈り祝福。タカハシ欧州議長、プリチャード同女性部長、欧州青年委員会のオザワ委員長らが出席した。(2面に関連記事)
 「原点」を持つ人は強い。
 「誓願」に生き抜く人は負けない。
 欧州の同志にとっての原点――それは1981年(昭和56年)6月6日、池田先生が欧州の代表らと共に出席した、南仏トレッツの欧州研修道場での夏季研修会である。先生はこの日を「ヨーロッパの日」にしてはどうかと提案した。
 以来、欧州の友は、毎年巡り来る6月6日を、勝利の実証をもって迎え、また新たな決意で出発を切る、“誉れの原点”としてきたのである。
 2014年には「欧州師弟の日」と名称を改め、加速度を増して信頼の輪を広げ、人材の裾野を拡大。師弟誓願の精神は今、欧州各国の未来を担う青年に受け継がれている。
 今回の青年部研修会には、イタリア、イギリス、ドイツ、スペインなど18カ国の代表約200人が広布の誓いに燃えて参加した。
 池田先生はメッセージの中で、研修会に勇んで集った青年たち一人一人こそ「世界広布新時代の主役」であると強調。
 「何があっても『断じて負けない!』と決めて、それぞれの地域で、使命の舞台で、朗らかに仲良く進んでいってください。そして、大福運の人生を、隆々たる人間革命の大勝利の人生を共々に晴れ晴れと飾っていただきたい」と念願した。
 研修会は体験発表、御書講義、グループディスカッションなど多岐にわたる内容に。また、ビンゲン市のヴィラ・ザクセン総合文化センターにも足を運び、池田先生が同センターを訪問した際の模様や欧州の広布史を学び合い、師弟の心を胸に刻んだ。
 オザワ欧州青年委員長は「今こそ青年の手で、永遠に崩れない欧州広布の土台を築こう」と力説。タカハシ欧州議長が「新時代を担う誇りに燃え、一人一人が広布拡大の原動力に」と激励した。

◆〈季節の詩〉 東京・足立区 咲き誇る花菖蒲

  

 初夏の訪れを告げる花菖蒲。東京・足立区の「しょうぶ沼公園」に広がる青や薄紫、黄色などの“花のじゅうたん”は、見る人の心を躍らせる。
 かつて池田先生は、東京の同志から真心の菖蒲が届けられた歴史を述懐し、つづった。「仏法は『勝負』である。そして『菖蒲』もまた、『勝負』に通ずる」と。
 毅然と咲き誇る花菖蒲のごとく、我らもまた、わが生命を惜しみなく燃やし尽くし、“勝利のドラマ”を刻みゆく日々でありたい。(6月6日=宮田孝一記者撮影)
【先生のメッセージ】

◆〈随筆 永遠なれ創価の大城〉21 大東京に凱歌の朝
「いまだこりず候」と今日も前へ!
感激の同志と綴る誉れの歴史は不滅
 
荒川区、足立区……と活気ある街々を走り、やがて彼方には東京スカイツリーが。手前の流れは荒川(池田先生撮影。6日、葛飾区堀切付近で)
荒川区、足立区……と活気ある街々を走り、やがて彼方には東京スカイツリーが。手前の流れは荒川(池田先生撮影。6日、葛飾区堀切付近で)

 戸田先生と私との師弟の語らいは、常に御書と共にあった。
 一九五七年(昭和三十二年)の七月、「大阪事件」の渦中、関西本部で先生と拝した一節がある。
 「今の世間を見るに人をよくな(成)すものはかたうど(方人)よりも強敵が人をば・よくなしけるなり」(御書九一七ページ)
 先生は、私と一緒に難に立ち向かってくれた関西の同志を讃えられ、「これで、ますます強くなるぞ。福運に満ち満ちた、大境涯への飛躍を遂げた」と微笑まれた。
 私は申し上げた。
 「『いまだこりず候』――この仰せ通り、いよいよ強く朗らかに、民衆の正義の大連帯を拡大してみせます。どうか、ご安心ください」と(御文は御書一〇五六ページ)。
 東京に舞い戻り、私は直ちに常勝不敗の“東の錦州城”を築き始めた。けなげな宝友たちが、私と同じ不屈の闘魂で、汗を流し戦ってくれた。
 それが、愛する庶民の都・荒川であったのだ。

牧口先生と郷土


 以来六十年となる、この六月六日、私は懐かしい荒川へ向かった。西日暮里、町屋へと進み、わが友が模範の近隣友好を進める商店街の賑わいも、うれしく拝見した。
 牧口先生の生誕百四十六周年の日であり、荒川文化会館では、先師の遺徳を偲び、懇ろに勤行をさせていただいた。
 思えば、牧口先生の故郷は新潟の荒浜(現・柏崎市内)。荒川と同じ「荒」の字を含むことに、不思議な縁を感じる。
 先生は大著『人生地理学』において、郷土こそ「自己の立脚地点」なりと着目なされている。人が長じて国家、世界で活動しゆく“源の力”が郷土であるとされ、その大恩に報いていくべきことを強調されたのである。
 先生ご自身が、身近な縁を大事にされていた。同郷の集い「東京荒浜協会」の会長も務め、後輩たちに尽くされている。一九二八年(昭和三年)七月に、現在の東京・調布にあった京王閣で総会を開き、会長として挨拶されたことは、郷土の新聞でも報じられた。
 それは、牧口先生が、日蓮大聖人の仏法と巡り合われた直後であった。
 六月に先生は、豊島の池袋に住む紹介者のもとへ約十日間、通われた。そして五十七歳のこの年、日蓮仏法の実践を開始された。以来、ここ大東京を本陣として、広宣流布の対話の波を起こし、仏縁を広げ抜いていかれたのだ。
 まさに、「仏種は縁に従って起る」(御書一四六七ページ)である。
 東京中に留められた先師と恩師の足跡に思いを馳せつつ、私は荒川からの帰り道、思い出深き足立を回り、さらに隅田川沿いに進んだ。
 葛飾、墨田、台東、江東など、いずこも共戦の地涌の友らが走る街並みに題目を送りながら!

人生勝利の要諦


 日蓮大聖人は、大難の佐渡で綴られた。
 「法華経の行者は信心に退転無く身に詐親無く・一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥に後生は申すに及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得・広宣流布大願をも成就す可きなり」(同一三五七ページ)
 この御文を拝し、戸田先生は「法華経の行者」たる私たちの広布と人生の勝利の要諦を教えてくださった。
 第一に「信心に退転無く」である。「進まざるは退転」という。題目で元初の太陽を昇らせ、勇敢に、弛まず前へ進むのだ。
 第二に「身に詐親無く」とは、自らの行動にウソ偽りがないことだ。誰人にも誠実を貫き、真実を語り切る。それが仏の慈悲に通ずるのだ。
 第三に、「一切法華経に其の身を任せて」いくことである。何があろうとも、全てを御本尊への祈りに入れて、一つ一つ勝ち切っていくのだ。「法華経に勝る兵法なし」である。
 最後に、「金言の如く修行」である。如説修行であり、「権門をかっぱと破りかしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ」(同五〇二ページ)と、折伏精神を燃やして打って出るのだ。
 創価学会は、この通りに戦ってきたからこそ、「勝妙の大果報」を得て、世界広宣流布の大願成就へ大前進してくることができたのだ。

師弟共戦で勝つ


 わが故郷であり、創価の源流である東京――。
 牧口先生と戸田先生は暴走する国家主義と対峙し、共に巣鴨の牢獄に囚われ、先師は殉教された。
 恩師は敗戦直前に移送された中野の獄舎から出獄し、戦後の焼け野原にただ一人立ち、「妙法流布の大願」を高く掲げられたのである。
 学会再建への第一歩を踏み出したのは、目黒駅の近く、品川の上大崎に借りた事務所からであった。戦前に創価教育学を実践した時習学館があった地域でもある。
 私は大田で、この師と出会い、立正安国の戦いを起こした。
 東京には、仏意仏勅の教団たる学会の指揮を、三代の師弟が厳然と執ってきた不滅の歴史がある。それがゆえに、常に、障魔の嵐は我が東京に襲い掛かってきた。
 だが我らは、師と共に、「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」(同一四四八ページ)と胸張り、全ての強敵に打ち勝ってきた。
 師と同じ誓願、師と同じ責任感、そして師と同じ威光と勢力で、万年の創価の勝利を決するのが、本陣東京の永遠の誇り高き使命なのである。
 「東京は強い根っこだ。東京は徹して断じて強くあろうよ」と、東京・北区の十条で語り合った思い出がある。一九七九年(昭和五十四年)の七月のことだ。
 偉大な婦人部の献身に感謝を込め、東京の歌「ああ感激の同志あり」を、皆で声高らかに歌った。
 「感激の同志」との異体同心の前進ある限り、感激の逆転劇を必ず創っていける。師弟誓願の魂が燃える大東京は明るく、底抜けに朗らかだ。今こそ、創価家族の模範の団結で進むのだ。
 わが新宿・信濃町には、広宣流布大誓堂が、威風堂々と聳え立つ。
 時折しも、二〇二〇年の東京オリンピック・パラリンピック会場は、間近で建設されている。
 今、この時、世界広布の本陣で戦う我らには、どれだけ大きい使命があることか。計り知れない宿福深厚の人生を歩んでいるのである。

青年が立つ時だ


 六月から七月へ、学会は燃え上がる「青年」の勢いで進む。それが創価の栄えある伝統である。
 六月三十日には、男女学生部が結成六十周年の佳節を迎える。英知と智慧の若き諸君が、民衆勝利という父母の願いを胸に、希望の突破口を開いてくれていることを、私はよく知っている。
 さらに七月十一日は、わが後継の闘将・男子部の結成の日。
 七月十九日は、平和と幸福の門を開く女子部の結成の日――。いずれも六十六周年の節を刻む。直前の八日は、「白蓮グループの日」でもある。
 青年が立つ時だ。青年が戦い勝つ時だ。
 君よ、貴女よ、新時代の地涌の若人たちよ、創価の完勝を担いゆけ!夜明けが来た!
 今、何よりも有り難いことは、尊き多宝の父母が学会精神を満々と漲らせ、意気軒昂に奮闘してくれていることだ。
 「肉体は老いても、精神の若い老人がいる」
 これは、戸田先生が「妙悟空」の筆名で執筆された小説『人間革命』の一節である。
 私はこの一書を恩師より直接、賜った。
 六十年前(一九五七年)の七月三日――恩師の「出獄の日」より十二年。奇しくも私の「入獄の日」のことであった。
 「夕張炭労事件」を皆で勝ち越えた北海道から、大阪に向かう途中、羽田空港で飛行機を乗り換える待ち時間である。
 この折、権力の魔性が牙をむく「大阪事件」の嵐に突き進む私に、文京支部の婦人リーダーが必死の声で言った。
 「同志へのご伝言を!」
 私は一言、贈った。
 「『夜明けが来た』と伝えてください」
 獄中闘争は、約二週間に及んだ。七月十七日、中之島の中央公会堂で行われた大阪大会で、私は烈々と訴えた。
 ――最後は、信心しきったものが、また、正しい仏法が、必ず勝つという信念でやろうではありませんか!
 この師子の確信を、今、二十一世紀の後継の直弟子が、厳然と受け継いでくれている。
 いかに困難が立ち塞がろうが、最後は勝つ。断じて勝つ!
 これが我ら創価の信念であり、誓願であり、本懐なのだ。
 さあ、いよいよ世界広布新時代の本門の「夜明け」が来た!
 師弟の日「七月三日」の晴れやかな凱歌の朝を共に! 歓喜と感激の同志と万歳を共々に!
     
 後継の
  元初の生命よ
     勝ち昇れ
  万年照らす
    凱歌の朝に
    
 (随時、掲載いたします)

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆欧州青年部の夏季研修会から 世界広布新時代は私たちが主役!

   
同志の絆を強め合った欧州青年部。研修会の合間に、語らいの花が咲く(フランクフルト池田平和文化会館で)
同志の絆を強め合った欧州青年部。研修会の合間に、語らいの花が咲く(フランクフルト池田平和文化会館で)

 欧州青年部の友は、「歓喜の体験を語ろう」キャンペーンを展開している。同部の夏季研修会(8~11日、ドイツ・フランクフルト池田平和文化会館)でも、各国の代表が信仰体験を披露した。

◆〈生老病死を見つめて〉 悔いなき日々を 
「臨終只今」の心で、きょうも広布へ

 
                                                                                                                                                 

 連載「生老病死を見つめて」では、創価学会員が信心根本に、生老病死という「四苦」を乗り越えてつかんだ信仰の確信と仏法の哲理を紹介する。今回は24歳の娘を亡くした壮年の体験を通して考察したい。
心に刻む御聖訓
 百二十まで持ちて名を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ(崇峻天皇御書、1173ページ)

突然の「末期がん」の宣告


 御書には「所詮臨終只今にありと解りて信心を致して南無妙法蓮華経と唱うる人を『是人命終為千仏授手・令不恐怖不堕悪趣』と説かれて候」(1337ページ)とある。かつて池田先生は、この御文を通して次のように語った。
 「『所詮臨終只今』ということは、只今に全生命をかけていくということにほかならない。日々を懸命に生きていく、広宣流布に、一生成仏に、我が生命を燃焼させながら、戦い抜いていくということであります」と。
 今、この時を、力の限り悔いなく生き抜く――。岡山池田総県総合長の長江章行さん(61)は、この決意で学会活動に奔走している。脳裏には、今は亡き長女・章子さんの面影が鮮やかに残っている。
               ◇ ◆ ◇ 
 岡山県総社市で生まれ育った長江さんは2歳で家族と共に入会。幼い頃から学会の庭で育ち、男子部として薫陶を受けてきた。1980年(昭和55年)には妻・信江さん(61)=圏副婦人部長=を折伏して結婚し、その後、1男1女に恵まれる。青年部時代、また壮年部に移行後も広布の第一線で戦ってきた長江さんだったが、2006年(平成18年)4月、突然の試練に襲われた。長女・章子さんが末期の肝臓がんとの宣告を受けたのである。章子さんは当時24歳だった。
 長江さんは語る。
 「『腰が痛い』と言っていた娘が病院で診断を受けたところ、肝臓にピンポン球のようながんが二つあることが分かりました。がんは末期で、大腸と肺にも転移しており、手術は不可能とのこと。医者からは『もって2カ月』と言われました」
 病の宣告を受けた長江さん夫妻は、その晩、意を決して章子さんに病状を伝えた。妻・信江さんが振り返る。
 「章子は大きなショックを受けていましたが、すぐに病魔と闘う決意を固めたようでした。仲の良い友達に、がんが見つかったことを伝え、『絶対に病気に負けないから!』と力強く語っていました。その姿に触れて、私たち夫婦も“必ず宿命転換しよう!”と決意しました」

わが使命を果たしたい!

 ――章子さんは地元・岡山の高校から、創価女子短期大学に16期生として入学。鍛えの日々を送り、卒業後は地元・岡山の信用金庫に同短大卒業生として初めて採用された。
 入行以来、章子さんの営業成績は常にトップで、「後輩のために道を開きたい」と奮闘してきた。職場での面倒見もよく、将来を嘱望されていたという。
 学会の庭では女子部本部長、白蓮グループの県委員長として仕事と活動の両立に挑戦。未来部員の励ましにも足しげく通っていた。
 病が判明してから、章子さんはすぐに入院し、抗がん剤治療を受けた。だが、治療の効果は現れず、同年7月下旬には、医者から「できる限りのことはしましたが、状況が厳しくなりました。もっても、残り1週間ほどだと思います」と告げられる。
 「医者も一度はさじを投げました。しかし、章子は“自分の使命を果たしたい”と、電話で友人と対話し、聖教新聞の購読も推進しました。ある時、『どうしても折伏したい人がいる』と言って、勤め先の同僚を病室に呼んで仏法対話をしました。その同僚は入会を決意し、御本尊を受持することができました」(長江さん)
 この間、奇跡的にがん細胞の数値が下がり、章子さんは別の病院で、再び抗がん剤治療を受け始めた。9月になると、がん細胞が徐々に死滅し、治療の効果が現れ始める。だが、抗がん剤の影響で章子さんの体の抵抗力は落ち、体力的にもギリギリの状態になっていた。
 06年10月13日の夜、病室で章子さんと一緒に勤行をした信江さんは、「さあ、寝ようか。頑張って使命を果たそうよ!」と声を掛けた。章子さんは、笑顔で「はい!」と返事をすると、そのまま意識を失って倒れた。
 2日後の10月15日、家族に見守られながら、章子さんは眠るように静かに息を引き取った。病気の判明からわずか6カ月半。享年24歳だった。
 「病気が分かった時、医者から『激しい痛みに苦しむことになる』と言われましたが、章子は最期まで苦しむこともなく亡くなりました。その姿や臨終の相に接して、成仏を確信できました」(信江さん)

友に励ましを送り続ける


 長江さん夫妻にとって、章子さんを失った衝撃は大きかった。
 「あまりにも早い別れと、壮絶な闘病生活に、しばらく現実を受け入れられませんでした。ただ、本当に多くの同志が闘病中をはじめ、娘が亡くなった後も励ましてくれ、心から感謝しています」(長江さん)
 長江さん夫妻は、章子さんが亡くなってから、あらためて知ったことがある。それは、章子さんが多くの人を励まし続けていたという事実である。
 弔問に来た学会の同志や会社の同僚から、「章子さんの励ましに支えられた」「勇気づけられた」という話を何度も聞いた。また、「章子さんの笑顔が忘れられない」という声も多数あった。
 「臨終只今」――師から学んだこの生き方を、章子さんは、病を得る前から、そして、闘病の中にあっては、なおさら強く貫いて生きた。
 その生命は、両親の胸中に生き続けている。
 信江さんは言う。
 「娘を失った悲しみは筆舌に尽くしがたいものでした。でも、章子が白蓮グループとして、常に笑顔で会館に着任していたことを思い出し、私も会館に行く時は笑顔になろうと決意し、涙をぬぐってきました」
 長江さんも、章子さんの在りし日の思い出を聞かされるたびに、「娘に負けない人生を生きよう!」と自身を奮い立たせたという。そして、「百二十歳まで長生きしても悪い評判を残して一生を終わるよりは、生きて一日でも名をあげることこそ大切である」(御書1173ページ)との「崇峻天皇御書」の一節を何度も拝して御本尊に祈り、地域広布に走り抜いてきた。
 長江さんは語る。
 「最期まで戦い抜いた章子の姿から、私たち夫婦が学んだことは、一日一日を大切に生き抜くということです。病魔との闘いで、章子も怯んだり、負けそうになったりしたことがあったと思います。それでも、決して諦めずに戦い続けた娘を誇りに思います。私たち夫婦も娘に負けないように、さらに多くの人に励ましを送り、自他共の幸福のために生き抜いていきます」

取材メモ

 長女・章子さんが亡くなって4カ月後の2007年(平成19年)2月、池田先生から長江さん夫妻に一首の和歌が届けられた。その脇書きには、「ご夫妻共に/断じて負けないで/最愛の娘は必ず環ってくる/仏法の方程式を信じて/娘に叱られないように/大勝利の人生を!」と、したためられていた。
 「葬儀などでも決して泣きませんでしたが、この時ばかりは池田先生の真心に号泣しました。同時に、三世の生命観の上から『章子は必ず生まれ変わってくる』と心から確信することができ、“娘の分まで広布に生き抜こう”という腹が決まりました」
 その後、長江さんは県長・総県長を8年にわたり務めたが、この間、折に触れて章子さんの闘病の様子を語り、同志に「負けない信心」の大切さを訴えてきた。
 長江さん自身、娘を失った悲しみは今もある。だが、それ以上に、病魔と闘い、使命に生き抜いた娘を誇りに思う。だからこそ、「章子に負けないように!」との決意で、きょうも広布に走り抜いている。(秀)

◆〈信仰体験 白ゆりの詩〉 聴覚障がい、言語障がいに屈しない 

 苦労はすべて宝に変わる大井支部、婦人部副本部長。聴覚障がい、言語障がいに屈することなく、信心を土台に苦難と戦い、乗り越えてきた。信心一筋、広布の母の歩みとは――。
 【岐阜県恵那市】「御本尊様と学会の同志。そして、池田先生のおかげ。私の人生があるのは。本当にそれだけよ」と、笑みを浮かべて語ってくれた、梶田和美さん(67)=
 

2017年6月16日 (金)

2017年6月16日(金)の聖教

2017年6月16日(金)の聖教

◆わが友に贈る

最も苦しい時に
最大の力を出すのが
学会精神の真髄だ!
確信の題目を根本に
敢然と人間革命の劇を!

◆〈名字の言〉 2017年6月16日
 

 小学校教諭の教育部員が、常々、子どもたちに伝えていることがある。「人生は宝探しゲームだよ」。お金では買えない、けれど大切なものを、たくさん見つけよう、と▼「私は一日に『ありがとう』を100回言うの」と語る92歳の婦人を取材した。東京・足立区の団地で、一つ年上の夫を在宅介護する。最初の“ありがとう”は毎朝、目覚めた瞬間。「見える目に、聞こえる耳に」。ポストに届いた本紙を手にすれば、無冠の友のぬくもりを感じる。1時間かけて熟読。同志の信仰体験に、師の励ましに感謝する▼親切なケアマネジャーや介護スタッフに対しても必ず「ありがとう」。「父の日」を前に、夫へのプレゼントを持って来てくれた友人と対話が弾む。就寝前、御本尊に合掌する。「きょうも、たくさんの宝物が見つかりました」。これまで実らせた弘教は60世帯以上。子も孫も皆、広布後継の道を歩む▼最上の幸福とは? そう問われ、釈尊は答えた。「諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人々を尊敬すること」と(スッタニパータ)▼自分がどれほど多くの人やものに支えられているか、気付ける人には愚痴がない。「感謝」を心の基調にする人は、どんな試練も幸福への薪にできる。人生の宝は、すぐ近くにあるものである。(恭)

◆〈寸鉄〉 2017年6月16日

 平坦な道を歩いて宿命転
 換などできるか―戸田先
 生。強く祈り艱難に挑戦
      ◇
 東京・品川が急追。勇敢に
 語り断固攻め勝て!民衆
 の底力奮い起こし勝鬨を
      ◇
 特区・町田が激闘。決戦の
 時は今。限界突破の拡大
 で栄光の峰へ突き進め!
      ◇
 無事故が全ての礎。事故
 に遭わない起こさない―
 「百千万億倍の用心」で
      ◇
 家庭・学校・地域…居場所
 と感じる所が多い若者ほ
 ど、充実感強いと。絆は宝

◆社説  あさっては「父の日」   拡大の先頭に立つ創価の黄金柱


 「父の日」が広く知られるようになったのは、第28代アメリカ合衆国大統領のウッドロー・ウィルソンの演説からだといわれている。国際連盟の創設に尽力し、ノーベル平和賞に輝いた彼は自身の父親を「最高の教師で、最も励ましてくれる相手であり、少年にとって最も恵まれた最高の指導をしてくれる」人と語っている(アーサー・S・リンク著・草間秀三郎訳『ウッドロー・ウィルソン伝』南窓社)。
 父親の存在は、幼い日には分からなくても、成人し、社会の荒波にもまれ、時がたつと、その大きさに気付かされる。
 父親は、試練の時、ひときわ使命の炎を燃え上がらせる。
 「父の日は、父である私が感謝する日でもあります」と語る壮年部員がいる。彼は会社のトラブルを乗り越え、信頼を拡大する中、ステージ4の大腸がんが判明した。当時、一人娘は5歳。手術を受けるも再発した。
 「師匠のため、同志のため、負けるわけにいかなかった」と、抗がん剤の点滴を続けながら仕事と学会活動に奮闘。父の日に娘からもらった「家族の似顔絵」が力になったという。
 その後、見事に乗り越え、今では職場でも重責を担うほどに回復。一人娘は「お父さんは過酷な病との闘いの中でも笑顔を絶やさなかった。今も変わらないその笑顔が私の元気の源です」と感謝の言葉を述べている。
 “父親”とは、学会でいえば黄金柱の壮年部に当たる。北海道方面は昨年、「支部ブロック5勇士」の取り組みで、全国模範の達成率を打ち立てた。その後の弘教や新聞購読推進でも、「壮年部のおかげで、わが地区は勝利することができました」との声が後を絶たない。
 ある本部では、壮年部が地区1世帯に迫る弘教を達成。さらに男子部を励まして対話を後押し。歓喜の波動は婦人部、女子部にも伝わり、同志の笑顔が広がっている。壮年部が拡大の先頭を走り、北海道は昨年、堂々たる世帯増を成し遂げた。
 池田先生は、壮年部指導集『黄金柱の誉れ』の発刊の辞で、つづっている。
 「現実の闘争は熾烈だ。しかし、たとえ絶体絶命に思えたとしても、『柱』さえ厳然と屹立していれば、そこから反転攻勢の勝負が始まる」
 不撓不屈の黄金柱――豊かな経験に裏打ちされた不動の確信を持ち、どんな逆境をもはね返す百戦錬磨の行動力も備える。周囲の皆を安心の笑顔で包み込む包容力もある。あさっては「父の日」。創価の黄金柱の本領発揮の時が来た。

◆きょうの発心   師子吼の題目で病魔に打ち勝つ2017年6月16日

御文
 南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや(経王殿御返事、1124ページ・編569ページ)
通解 南無妙法蓮華経は師子吼のようなものである。どのような病が、障りをなすこ
とができようか。

 唱題によって、どんな病にも負けない境涯を築くことができるとの慈愛の励ましです。
 1967年(昭和42年)10月、池田先生が北区の旧赤羽会館を訪問。当時、小学3年生だった私もその場に参加し、煩悩即菩提の法理を教わりました。
 中学3年生の冬、高校受験の失敗と時を同じくして、急性腎炎を発病。失意のどん底でしたが、先生の指導を思い起こし、この御文を胸に高校生活をスタートしました。75年1月、高校1年生の私は、東京未来会5期として先生と記念撮影を。この時“師子の子は断じて負けるな”と励ましてくださったのです。高等部の先輩の激励もあり、唱題に挑戦。病は治り、信心の確信をつかみました。
 結婚後、支部婦人部長として奮闘するさなかに、すい臓炎を発症し、再び、この御文を真剣に拝しました。「健康な体になって、広布に走ります」と必死に祈り、活動に励む中、数年後に完治しました。感謝の思いでいっぱいです。
 先生は「北区よ、わが喜多区よ! 常勝の歴史をつくれ! 全員が常勝将軍と立て!」と呼び掛けてくださいました。必ずや北区に東京凱歌を轟かせる決意です。  東京・喜多戸田区総合婦人部長 大梶陽子

◆小説『新・人間革命』第30巻 雄飛の章  二 (6098)
 


 二十二日午前、山本伸一たち訪中団は、北京市の中国歴史博物館で開催中の「周恩来総理展」を参観したあと、故・周総理の夫人で、全国人民代表大会常務委員会の副委員長等の要職を務める鄧穎超の招きを受け、中南海の自宅「西花庁」を訪れた。
 彼女の案内で、海棠やライラックの花が咲く美しい庭を回った。亡き総理が外国の賓客を迎えたという応接室で、伸一は一時間半にわたって懇談した。前年四月、日本の迎賓館で会見して以来、一年ぶりの対面であり、総理との思い出に話が弾んだ。
 この日午後、人民大会堂で行われた歓迎宴でも、周恩来の生き方が話題となり、鄧穎超は、総理の遺灰を飛行機から散布したことについて語った。胸を打たれる話であった。
 「若き日に恩来同志と私は、『生涯、人民のために奉仕していこう』と約束しました。
 後年、死んだあとも、その誓いを貫くために、『遺骨を保存することはやめよう』と話し合ったんです」
 遺骨を保存すれば、廟などの建物を造ることになり、場所も、労働力も必要となる。それでは、人民のために奉仕することにはならない。しかし、大地に撒けば、肥料となり、少しでも人民の役に立つこともできる。
 ところが、中国の風俗、習慣では、それはとうてい受け入れがたいことであり、実行することは、まさに革命的行動であった。
 「恩来同志は、病が重くなり、両脇を看護の人に支えられなければならなくなった時、私に念を押しました。
 『あの約束は、必ず実行するんだよ』
 そして、恩来同志は亡くなりました。私が党中央に出したお願いは、ただ一つ、『遺骨は保存しないでください。全国に撒いてください』ということでした。この願いを毛沢東主席と党中央が聞いてくれ、恩来同志との約束を果たすことができたんです」
 人民への奉仕に徹しきった周総理を象徴するエピソードである。意志は実行することで真の意志となり、貫くことで真の信念となる。 

【聖教ニュース】

◆南米ウルグアイで希望の種子展 
 政府長官、モンテビデオ市長らが開幕式へ
 
ウルグアイ文化会館で行われている“希望の種子展”。多くの市民が来場し、環境保護への意識を啓発する場となっている
ウルグアイ文化会館で行われている“希望の種子展”。多くの市民が来場し、環境保護への意識を啓発する場となっている

 環境展「希望の種子――持続可能性のビジョンと変革へのステップ」が5日(現地時間)、南米ウルグアイの首都モンテビデオにあるウルグアイ文化会館で開幕した(18日まで)。
 同展は、国連が実施した「持続可能な開発のための教育の10年」を支援する取り組みとして、SGI(創価学会インタナショナル)と地球憲章インタナショナルが共同企画・制作したもの。地球規模で進む環境危機に警鐘を鳴らし、その解決には一人一人の人間の心の変革こそが大きな力になることを訴える内容である。これまでに36カ国・地域を巡回してきた。
 ウルグアイ文化会館で行われた開幕式には同国政府の予算企画庁(OPP)のアルバレス長官、モンテビデオ市のマルティネス市長らの来賓をはじめ、多くの市民が参加した。
 アルバレス長官は、「一対一の関わり合いの中で人間の可能性を引き出し、世界を変えていこうとされているSGIの皆さんに期待したい」と語った。
 同国SGI婦人部の代表が同展の開催の経緯に言及。カエツ理事長が池田大作先生の小説『人間革命』の主題を通し、“一人の変革から一国、世界の変革は始まる”と述べた。
 テープカットに続いて、マルティネス市長が祝辞を。「より良き人間になるためには、精神の向上が不可欠である」と訴えつつ、それは、まさしくSGIが実践していることであり、現実の上で社会に貢献している団体であると賛辞を送った。
 このほか同展の開幕に当たって、国内の識者から祝福のメッセージが多く寄せられた。その中の一人、メルセデス・メナフラ・デ・バジェ元大統領夫人は2001年に池田先生ご夫妻と東京で会見している。その後もSGIの会合に参加するなど、創価の平和運動に共感を寄せてきた。
 ウルグアイの各界が注目する同展は今後、同国各地を巡回する。

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈インタビュー〉 ドミニカ共和国の識者に聞く 
 サントドミンゴ自治大学 フェルナンド・サンチェス・マルチーネス元総長
 池田会長は寛容の精神に満ちた対話で世界に平和建設の模範を示した

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                    池田先生は1987年2月、中米ドミニカ共和国を初訪問。その折、同国最高峰の学府であるサントドミンゴ自治大学から「名誉教授」称号が贈られている。2008年には、同大学の名誉博士号を受章した。名誉教授就任から30周年となる本年、当時、同大学の総長として池田先生に称号を授与したフェルナンド・サンチェス・マルチーネス博士に話を聞いた。(聞き手=谷口伸久記者)

 ――サンチェス博士は、池田先生がドミニカを訪問する約1年半前の1985年9月に、東京・信濃町の聖教新聞本社を訪れ、池田先生と会見されています。
 日本政府の招へいで訪日した際、表敬訪問しました。初対面の私に対し、池田SGI会長が穏やかに、親愛の情をもって迎えてくださったことを、今でも印象深く覚えております。
 事前に、トインビー博士と池田会長の対談集を読んでいた私は、会長との会談を楽しみにしていました。
 私たちは「大学の使命」などについて語り合い、「若い世代に、人類の生存権、社会正義などを正しく教育し、平和に貢献する人材を育成することこそ、大学の使命である」との意見で一致しました。会長は、地球規模の諸課題に対して深い洞察を持ちながら、非常に分かりやすく話をしてくださいました。その慧眼に感銘を受けました。
 その後、池田会長の卓越したリーダーシップと平和への貢献をたたえるために、87年に会長がドミニカを訪問した折、わが大学の法律政治学部の名誉教授に就任していただきました。
 以来30年以上にわたって、会長と交流を結んできました。2008年に、わが大学の名誉博士号をお受けいただいた際には、訪日した大学関係者に私のことを尋ねてくださるなど、変わらぬ友情を示し続けてくださり、心からうれしく思いました。
  
 ――サントドミンゴ自治大学にとって、名誉教授の称号を贈るということは、どのような意義があるのでしょうか。
 大学というのは高等教育機関です。その我々の目的は、「全人格的な教育」にあります。大学で学ぶ青年たちに、人間としての模範の生き方を示さなければなりません。
 全人格的な教育というのは、単に専門知識を与えるだけではなく、自分自身と世界との関連性を深く理解させ、社会的な問題がどこに起因しているのか見極める力を持たせることです。
 そうした意味から、世界的に最も重大な問題である核兵器の廃絶や平和問題などに対し、毎年、提言を発信し、民衆運動をリードしてこられた池田会長の行動の偉大さを、高く評価するに至ったのです。
 また、池田会長は、学園や大学を創立されており、国連や学術機関からの称賛が相次いでいます。会長のような、人間的に、かつ学術的に傑出した人物を顕彰できることは、わが大学にとって、大変に光栄なことであります。
 特に卓越していると思うのは、池田会長の「対話の力」です。
 平和を築くキーポイントは「相互理解」です。そのためには、恒常的に対話に臨む姿勢と、寛容の精神が必要です。個人や地域、国家など、いずれの次元においても、相互理解を深める対話によって平和が築けることを、池田会長は自身の行動をもって示してこられました。
 冷戦時代、池田会長は、核兵器が使用されるかもしれないという危機的状況に立ち向かわれました。アメリカやソ連をはじめ、世界各国の指導者と直接、対話を展開されました。
 また、アジアにおいても、第2次世界大戦で日本が侵略した歴史を踏まえながら、各国と積極的に友好の道を開かれたのです。

 ――博士は、SGIとも長年、交流を深めてこられました。
 これまでも多くのイベントに参加させていただきました。SGIの会館で講演をしたこともあります。
 メンバーが届けてくださる機関誌も読んでいます。SGIが、ドミニカ社会に広く受け入れられていることがよく分かり、私も友人として、大変うれしく思っています。
 本年2月に行われた池田会長の訪問30周年を記念する総会にも、出席させていただきました。そこにはドミニカの著名な識者らが招待され、内容はとても素晴らしいものでした。
 特に、治療が難しい病気と宣告された婦人の体験談に感動しました。希望を失わずに病気に立ち向かい続け、寛解を勝ち取られた。さらには、自身の経験を通じて同じ病に苦しむ人に勇気を送っている。病に侵されても負けない生き方に、会場にいた誰もが胸を打たれたことでしょう。
 精神科医である私の経験からいっても、病気は決して、身体的な問題だけではありません。病に立ち向かう心構えや精神状態の違いが、大きな“回復の差”となって現れます。例えば、家族と調和が取れている。職場や地域で良い人間関係を保っている。自分の人生の目的を自覚している――こうした人は、病に対して悲観的になりにくく、回復も早いものです。
  
 ――苦難に直面している人の心の支えになるには、どのように接すればいいのでしょうか。
 まず、話を聞いてあげることが大切です。そして、相手が話をしたいと思った時に、すぐに聞いてあげられるよう、日頃から関わりをもつことです。そこで大事なことは、単に相手に“合わせる”のではなく、互いを信頼し合う関係性を構築することです。
 こうしたことは、医療の現場でも行われています。
 私も現在、病気の予防や治療において、「グループセッション」を取り入れています。一方的に話をするのではなく、患者同士が語り合うことで、患者自身の中から問題を乗り越える力を引き出すのです。
 今日の社会では、人間関係の希薄化が、ますます深刻になってきています。技術の進歩によって、生活は便利になりました。インターネットやスマートフォンが普及し、家にいながら遠く離れた人と交流ができる一方で、すぐそばにいる家族との会話が減っているという指摘もあります。
 わが国でも、経済発展の陰で格差が広がり、共働きの家庭が増えたことで、親子が共に過ごす時間が減ってきています。一番身近なはずの家族間のコミュニケーションでさえ、少なくなりました。
 私は、こうした家庭内のコミュニケーション不足と、それによって引き起こされる孤立を非常に危惧しています。多くの人にとって家庭とは、“心に安らぎを与えてくれる場所”だからです。
 こうした時代にあって、地域や社会で人間を結ぶSGIの存在は、多くの人に希望を与えています。
 あの婦人の体験談のような話を、もっと多くの人に聞いてもらいたいと思います。そうすれば、人生の暗闇の中、出口を見いだせず、独りで、もがき苦しむ人々に、再び立ち上がる勇気を与えられるに違いないからです。
 SGIには、調和のとれた幸福な社会を築く力があります。池田会長の思想や哲学、SGIの力が、今後ますます刮目される時代になるでしょう。

◆〈信仰体験 登攀者〉 日本料理人 一色憲治さん 
 守りに入るな徹して攻め抜け

 空気がきりっと張り詰めた厨房――。9人の職人が、凜とした手際で会席料理の品々を調理している。揚げ帆立、白だこ、冬瓜スープ煮、福子押し鮨の新笹包み……。
 

2017年6月15日 (木)

2017年6月15日(木)の聖教

2017年6月15日(木)の聖教

◆わが友に贈る

朝の真剣な祈りこそ
価値創造のエンジンだ。
「きょう一日を
一週間分、十日分に」と
勢いよく出発しよう!

◆〈名字の言〉2017年6月15日

 知人の勧めで本紙を購読した婦人。記事の内容もさることながら、配達員のはつらつとした“あいさつ”に感動したという▼“何と温かく響くのだろう”。婦人は配達員に会うのが楽しみになり、いつしか玄関の前で待つように。購読の契約が切れる頃、知人に継続を願い出た。「あの声をまた聞きたくて。“私も明るくなろう”って勇気が湧くから」。婦人は長年の悩みに立ち向かう決意を固め、先日、入会を希望した▼「声を発する」という過程には喉と口だけでなく鼻や顎、さらに肺・気管など胴体の4分の3が携わっており、実は体のほとんどの部分と関連している。そのため、足首をくじいても声に影響するという。体中の器官の驚異的な連携によって声は生まれている。人は“全身”でしゃべっているのである▼加えて、声の高さや大きさ、速さによって伝わり方が変わる。このような発話に伴う言葉以外の特徴を「パラ言語」と呼ぶ。このパラ言語によって、言葉に“生命”が吹き込まれ、思いが相手に届く(アン・カープ著『「声」の秘密』草思社)▼法華経に「色心不二」と説かれる通り、心と体は一体である。満々たる生命力は、体を伝わって、生き生きとした声となって表れる。きょうも爽やかなあいさつから、友好を広げたい。(靖) 

◆〈寸鉄〉  2017年6月15日

 学会こそ最も不撓不屈の
 庶民の団体―学者。さあ
 まさかが実現の劇を共に
      ◇
 東京・中野が猛進撃。痛快
 に逆転を!徹底した攻め
 と粘りと団結で勝利掴め
      ◇
 新宿よ強気で押しまくれ
 常勝が本陣の使命なり。
 師子となって勝ち進め!
      ◇
 栃木婦人部の日。勇気の
 対話を今こそ!幸の絆を
 結ぶ母たちに福徳燦たり
      ◇
 国連で核兵器禁止条約の
 交渉第2会期。廃絶こそ
 民衆の悲願。必ず成立を

◆社説  言葉は人生を豊かにする  躍動する生命で朗らかな対話


 「緑陰に開く原書の冷ややかに」――人気の俳人・夏井いつきさんが、今月9日付の本紙インタビューに寄せた「初夏の3句」の一つである。
 緑陰が夏の季語。青々と茂る樹木の陰には涼風が時折吹く。原書は翻訳本ではない洋書。古典・原典の類いと解しても許されるだろうか。読み解くのに多少負荷のある本に没頭する時間が「冷ややかに」過ぎていく。
 木陰の情景、若々しい心を映す学びの姿。首夏らしいイメージを鮮やかに詠んだ一句だ。
 活字を読み、人が得るものとは一体何だろう。それは、まず「想像する豊かさ」だと、聖教歌壇選者の道浦母都子さんは語った。そして、さらに「言葉の豊かさで
す。語彙の豊かさは、生活の豊かさに通じる」とも。
 かつて鎌倉文学館の富岡幸一郎館長は、言語学者・丸山圭三郎の大学での講義の思い出を紹介してくれた。丸山教授は「窓の外を見てください。青空がありますね。しかし、青空はないのです。青空という言葉があるのです」と語ったという。つまり、これは「言葉は単なるコミュニケーションの道具ではなくて、私たちの世界を生成していく」のであり「そこにいる人々の世界観を生み、認識を秩序立て、流動する森羅万象を形あるものにする」ことを意味する。
 言葉が世界を成立させる。言葉の乱れは社会を混乱させる。それ故、第2代会長・戸田先生は、うそ偽りの輩を「信なき言論煙の如し」と一刀両断した。
 学会員が朝晩、読誦している法華経方便品第2の経文に「言辞柔軟。悦可衆心」――(如来は)言葉は柔らかであり、人々の心を喜ばせる、とある。
 柔和で凜とした確信ある言葉を響かせる。これは耳あたりの良い甘言で相手におもねるのではない。心を知り、琴線に触れること。礼儀と誠意を尽くして堂々と真実を語ることである。
 かつて池田先生は「仏は言葉を編むのに真剣です。悩み、工夫する。方便力を発揮する。そういう努力の結果が、『自在』の説法として表れる」と語った。どうすれば心が通うか、希望が湧くかと、心を砕く日々の努力自体が“如来の振る舞い”に通じると拝せよう。躍動する生命の喜びを広げゆく私たちの朗らかな「対話」で、薄暗い世に明かりをともすのだ。
 その中でこそ本に親しめる。言葉が味わえる。「読書は、智慧も、知識も、指導力も、そして御書の読み方にも、力を与えてくれる」と日記につづった、池田先生の若き日に倣いたい。

◆きょうの発心   広宣流布の大願に生き抜く2017年6月15日

御文
 願くは我が弟子等・大願ををこせ(上野殿御返事、1561ページ・編1241ページ)
通解 願わくは、わが弟子らは大願を起こしなさい。

 師弟の魂を胸に、広宣流布の大願に生き抜くことを教えられた一節です。
 
 私が幼少の頃に父が亡くなったため、母は女手一つで私たち3兄弟を育て、学会活動に奔走。経済的にも大変な中、温かい励ましを送ってくださった創価家族に本当に感謝しています。
 青年部になったばかりの1984年(昭和59年)、「神奈川青年平和音楽祭」に出演。仕事、練習、広布の活動と全てをやりきって迎えた当日、雨にぬれながら青年を励ます池田先生の姿を今も鮮明に記憶しています。この感動を語り、入会した妻と結婚し、2人の子どもに恵まれました。
 “自分自身に生きなさい”との池田先生の指導を心に刻み、生涯、広布の大願に生き抜こうと決意。今日まで、この誓いのままに歩んできました。
 わが家の後継も育ち、息子は2人の子を持つ親に。娘は県女子部長として活動しています。一昨年に妻が亡くなり、私自身「妻の分も頑張り、縁する全ての人を幸福に」との決意を新たにしました。
 今月で新「平塚文化会館」が完成して5周年。平塚県のスローガン「拡大の金字塔 連戦連勝の平塚県」を胸に人材城を構築し、青年部を先頭に勝利の実証を示してまいります。
 神奈川・平塚県長 吉村元司

◆小説『新・人間革命』第30巻 雄飛の章 一   (6097)
 


 北京は、うららかな陽光に包まれていた。空港の周囲に広がる、のどかな田園風景が、「北京の春」を感じさせた。
 一九八〇年(昭和五十五年)四月二十一日の午後二時半(現地時間)、山本伸一たち第五次訪中団一行は、北京の空港に到着した。
 この訪中は、伸一が会長を辞任して以来、初めての海外訪問であった。彼は、これまで民間交流によって築き上げてきた日中友好の金の橋を、いっそう堅固なものにするとともに、二十一世紀に向かって、平和の大道を広げていこうとの決意に燃えていた。
 空港で一行を出迎えた中日友好協会の孫平化副会長が、伸一に語り始めた。
 「北京は、この二、三日、『黄塵万丈』だったんですよ」
 「黄塵万丈」とは、強風で黄色い土煙が空高く舞い上がる様子をいう。
 「一寸先も見えない状態でした。昨日の夕方、やっと収まったんです。今日は春らしい日和となり、青空も広がりました。大自然も、先生の訪中を祝福しているようです」
 今回の中日友好協会からの招聘状には、「春の暖かく花が咲く季節」に一行を迎えたいとあり、まさにその通りの天候となった。
 伸一は、束の間、日本国内での学会を取り巻く状況を思った。
 “宗門の若手僧たちは、異様なまでの学会攻撃を繰り返している。まさに「黄塵万丈」といえる。しかし、こんな状態が、いつまでも続くわけがない。これを勝ち越えていけば、今日の青空のような、広宣流布の希望の未来が開かれていくにちがいない”
 案内された空港の貴賓室には、大きな滝の刺繡画が飾られていた。これは、黄河中流にある大瀑布で、さらに下ると、竜門の激流がある。ここを登った魚は竜になるとの故事が、「登竜門」という言葉の由来である。
 御書にも、竜門は仏道修行にあって成仏の難しさを示す譬えとして引かれている。
 一行は、幾度も激流を越えてきた創価の歩みを思いながら、滝の刺繡画に見入っていた。

【聖教ニュース】

◆〈ワールドリポート〉 世界の“ザダンカイ” 
 台湾・台北 青年の躍動支える“愛心ママ” 信仰の実証を示してみせる
          
台湾の金華地区永康組の5月度座談会では、青年部から婦人部へ、日頃の感謝を込めてカーネーションが贈られた。写真は、未来部の楊豐綸くん(右端)から母親の黄少薇・地区婦人部長へ(先月21日、台北市内で)

台湾の金華地区永康組の5月度座談会では、青年部から婦人部へ、日頃の感謝を込めてカーネーションが贈られた。写真は、未来部の楊豐綸くん(右端)から母親の黄少薇・地区婦人部長へ(先月21日、台北市内で)

   模範の社会貢献が光る台湾SGI(創価学会インタナショナル)。台湾行政院の内政部から「社会優良団体賞」を19回連続、「優良宗教団体賞」を14回連続で受賞している。それほどまでに社会から大きな信頼が寄せられる背景には何があるのだろうか。その一端でも学びたいという思いで、“台湾のザダンカイ”を取材した。(記事=村上進、写真=井﨑伸明)
 先月21日の日曜日。日本より一足先に梅雨に入り、曇りがちな台湾の空から時折、まぶしい陽光が差し込む。
 座談会場に向かう途中、発展する台湾を象徴する光景が。101階建ての「台北101」を東に望む大通り(信義路)には、世界をリードする台湾IT関連の企業や金融機関等が、所狭しと立ち並ぶ。その中に、観光客や台湾各地からの人でにぎわい、流行の先端をいく人気店が集まる商店街「永康街」がある。
 今回、訪れたのは、この台湾の中心地域を舞台とする、台北西区・金華地区永康組(ブロック)の座談会だ。
                                                               ◇ 
 午後2時開会。司会は男女青年部による軽妙な掛け合いで。ITが浸透する台湾らしく、お面をかぶってスマートフォンになりきった男子部員が“音声認識機能”を使い、女子部員が投げ掛ける質問に“人工知能”で答えていく流れ。座談会に初めて来てくれた友人や、青年・未来部も楽しめるように、「なぜ御書を学ぶのか」「信仰体験の力」などについて、分かりやすい説明を加えていた。
 さらに、座談会で発表される内容が理解しやすいように、青年部が事前にパソコンで作成した資料を、次々とテレビ画面に映し出すなど、いたるところに工夫が凝らされていた。 
 会合の中で続々と発表を行うのも青年部。5・3「創価学会の日」について研究発表をしたのは、出版社で働く社会人1年目の女子部・䔥閔云さん。「5・3の意義は、私にはよく分かりませんでしたが、今回、世界平和と人類の幸福を実現しようとする、戸田先生と池田先生の師弟の魂が込められていると、はっきり分かりました」と。
 本年の台湾青年部のスローガン「いまだかつてない歴史をつくろう!」を胸に、仕事でも生活でも新しい挑戦を続ける中、信心に消極的だった弟も、学会活動に励むように。その喜びを語る彼女に、大きな拍手が送られた。
 また、御書学習のコーナーで「立正安国論」の講義を担当したのは、名門・台湾大学の大学院生・鍾佩宏さん。今回、留学生の友人と共に参加。大学院生ならではの少々難しい講義も、熱心に耳を傾ける同志の温かさに包まれ、充実した学びの時間に。
 参加した友人は語った。「以前から、なぜSGIのメンバーは人に対して明るく、親切な振る舞いができるのか疑問でしたが、座談会に参加して分かりました。皆で励まし合える小さい単位の集まりがあることは、とても素晴らしいことですね」
 台湾でも日本と同様、激しい競争社会や人間関係の希薄化が進む中、仕事や生活上の壁に直面し、誰にも相談できずに悩む若者が多くいるといわれる。その中にあって、職場や家庭で信仰の実証を示そうと奮闘する青年を支え、活躍を応援するという思いに満ちた台湾SGIの座談会は、まさに若い人が安心して輝ける場所なのだろう。
 そんな温かな同志への感謝を青年部が語る中で、何度も登場したフレーズが“愛心ママ”。
 台湾婦人部では、親元を離れて暮らす学生部や地域の宝の未来部をはじめ、青年一人一人の状況に合わせて励ましを送る担当者を決め、“愛心ママ”と名付けて活動しているという。
 座談会の途中、「母の日」の5月にちなんでのサプライズが。「創価の母に感謝」「愛心ママありがとう」――地区の青年部それぞれが婦人部への感謝を語る映像が映し出された。
 さらに青年部が「母」の歌を歌いながら、婦人部にカーネーションを渡す姿に、会場は感動に包まれた。
 座談会は、さらに体験発表のコーナーへ。
 中正本部男子部長を務める楊英杰さんは、昨年末、念願の司法試験合格を果たした。
 妻の黄少薇さん(地区婦人部長)との結婚を機に、義母からの勧めで入会。長男・楊豐綸くんの出産の際、へその緒が首に巻き付いて生まれ、生命が危険な状態を、妻と共に唱題で乗り越えた。また8年前に乳がんを発症した妻が、信仰の力で克服した姿を目の当たりにし、自らも学会活動に参加しながら試験への挑戦を続けた。
 しかし、何度受けても不合格。次第に祈りへの確信が弱まり、活動からも遠ざかる。昨年、心が折れかけた夫に妻は語った。「信心根本で挑まなければ、不可能を可能にすることはできないよ」と。
 一念発起し、男子部の活動、創価班の任務も全てやり切りながら勉強を再開。地区の同志から励ましを受ける中で、「偉大な信仰の実証を自らの結果で示してみせる」との強い祈りに変わった。そして、13回目の挑戦で合格をつかんだ楊さんは、体験発表の最後に「妻そして義母、世界一の婦人部の皆さまの祈りに感謝です」と。今年、中学に進学する長男からは、母親であり、地区の“愛心ママ”である黄さんに花束が手渡された。
                                                                  ◇ 
 台湾初の支部となる台北支部が結成されたのは、55年前の1962年。しかし当時の台湾は、戒厳令のもと言論や集会の自由は著しく制限され、宗教活動が自由にできない時代が続いた。
 翌63年1月27日、海外訪問からの帰路にあった池田先生の飛行機が、給油のため台北・松山空港に一時着陸。待っていた草創の同志に、先生は語った。
 「本当の勝負は、30年、40年先です。最後は必ず勝ちます」「冬は必ず春となります」
 その指針を胸に、台湾SGIは、平和・文化・教育の運動で社会の発展に尽くし、一人一人が現実の中で良き市民として、信仰の実証を示す偉大な伝統を築き上げてきた。
 今や、その社会貢献の姿が台湾社会から模範とたたえられる“春の時代”が到来した。
 そして、“冬の時代”に培われた「社会で実証を示し抜く精神」は、“愛心ママ”をはじめ壮年・婦人による青年部への励ましの中で、後継の世代へと確かに受け継がれている。
 ご感想をお寄せください news-kikaku@seikyo-np.jp

【先生のメッセージ】

◆池田先生がジャパンタイムズに寄稿 2
 市民社会の声を反映させ核兵器禁止条約の成立を
 
ニューヨークの国連本部で行われた核兵器禁止条約交渉会議の第1会期。一般討論では市民社会の一員として、SGIも発言した(本年3月)
ニューヨークの国連本部で行われた核兵器禁止条約交渉会議の第1会期。一般討論では市民社会の一員として、SGIも発言した(本年3月)

 アメリカ・ニューヨークの国連本部で明15日から始まる核兵器禁止条約交渉会議の第2会期に向けて、池田先生は6日付の英字紙「ジャパンタイムズ」に「禁止条約は核兵器のない世界へ可能性を開く」と題し、寄稿した。ジャパンタイムズ紙の了承を得て、日本語の全文を掲載する。
 核兵器禁止条約の締結に向け、正念場となる交渉会議の第2会期が、今月15日からニューヨークの国連本部で始まる。
 3月末の第1会期には、加盟国の3分の2に及ぶ130カ国近くが参加し、市民社会の代表も交えて活発な討議が行われた。
 人類と地球の生態系を壊滅の危機にさらす核兵器――。その脅威は一向に解消されず、むしろ増幅しかねない方向に向かいつつある。交渉会議は、こうした状況の根本的な打開を目指すものだ。
 「私たちヒバクシャは、核兵器禁止条約は世界を変革できるものであり、変革しゆくものであるという点について、少しの疑いも抱いていない」
 第1会期での被爆者のこの発言に対し、会場でしばし拍手が鳴りやまなかったように、それは、国家の違いという垣根を超えて多くの参加者に共通する思いでもあるといえよう。
 先月22日には、交渉会議の議長から禁止条約の草案が発表された。核兵器が引き起こす壊滅的な人道的結末を深く憂慮し、核兵器の使用はもとより、保有や開発などを広く禁じる内容となっている。
 前文には、「核兵器の犠牲者(ヒバクシャ)や核兵器実験による被害者の苦痛に留意する」との一節も盛り込まれた。
 “二度と惨劇を繰り返してはならない!”という世界のヒバクシャの強い思いが、条約の精神を刻む前文に掲げられたのだ。
 核兵器と核兵器が対峙する状態は、あくまで時代状況の中でつくり出されたものであって、国際社会において絶対に動かすことができない“所与の条件”などではないはずだ。
 事実、これまで非核地帯が次々と設立される中、110以上の国々が核兵器に依存しない安全保障の道を選び取ってきた。その中には、一時は核開発を模索しながらも放棄した国も少なくない。
 “核兵器による安全保障”とは、広島と長崎での惨劇が他国で繰り返されてもやむを得ないとの前提に立った、極めて非人道的な安全保障観に他ならないという本質と向き合う必要がある。
 残念ながら、第1会期の討議には、核保有国をはじめ、日本を含む大半の核依存国が参加しなかった。
 しかし禁止条約の草案に記された、核兵器による壊滅的な人道的結末への深い懸念は、2010年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の最終文書において全会一致で示された通り、核保有国や核依存国を含め、今やどの国にも共有されているものだ。
 この共通認識に基づき、NPTの全加盟国が「核兵器のない世界という目的に完全に合致した政策を追求する」と明確に誓約したことを、第2会期での討議の土台に据えて、さらに多くの国が交渉の輪に加わる中で、核兵器禁止条約の具体的な条文として結晶させることを、私は強く呼び掛けたい。
 そこで重要な鍵を握るのは、核依存国の参加である。中でも、唯一の戦争被爆国である日本が果たすべき役割は大きい。
 昨年4月、広島で行われたG7(主要7カ国)外相会合で、日本は他の核保有国や核依存国と共同して、「我々は、核兵器は二度と使われてはならないという広島及び長崎の人々の心からの強い願いを共にしている」との宣言を世界に発信した。この宣言を胸に、日本は今こそ交渉会議への参加に踏み切るべきだ。
 広島と長崎の強い願い――。そこには、“どの国も核攻撃の対象にしてはならない”との思いとともに、“どの国も核攻撃に踏み切らせてはならない”との思いが脈打っている。核兵器禁止条約は、それを人類共通の規範として打ち立てるもので、日本の使命は、その実現のために最大の努力を払うことにあるといってよい。
 核兵器が地球上に存在し続ける限り、かつてのキューバ危機のような一触即発の事態が生じる恐れは消え去ることはない。
 「大量殲滅の時代における“世界大戦”ではなく、我々は、この自己決定の時代にあって“世界法”を選び取る」とは、1961年の国連総会でケネディ大統領(当時)が呼び掛けた言葉であった。
 多くの国々と市民社会が協働する形で、建設的な討議が進められてきた禁止条約は、まさにケネディ大統領が提起していた“世界法”にもつながるものといえよう。
 NPTの履行を確保する重要な基盤となり、核兵器廃絶への流れを決定的なものにする核兵器禁止条約を、7月7日まで行われる第2会期で、何としても成立させるべきだ。
 そして、この歴史的な条約が、市民社会からの声を十分に反映したものとして採択されることを切に望むものである。

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈世界写真紀行〉第16回 オランダの風車 2017年6月15日
一日一日、勝利の旗を

アムステルダム近郊の風景(2016年撮影)。この地域の風車は、主に粉をひくために使われてきた
アムステルダム近郊の風景(2016年撮影)。この地域の風車は、主に粉をひくために使われてきた

 ゆるやかな流れに沿って点在する風車。大小の水路に潤された草地が、陽光を浴びて黄金色に輝いている。まるで“おとぎの世界”のようだ。
 オランダの首都アムステルダム近郊。
 のどかな風景とは対照的に、同国の歴史は絶えざる「水との戦い」だった。
 正式な国名は「低地の国」を意味する「ネーデルラント王国」。面積は日本の九州ほどだが、その4分の1は海面より低いため、常に水害の危険にさらされてきた。
 15世紀に最初の風車が建造され、国土を広げるため、湖の干拓が始まる。堤防を築いて水を閉じ込め、風車の力で水を堤防の外へくみ出すのだ。16・17世紀には至る所に風車が立ち、大きな湖の干拓が次々と進められた。
 こうして、しばしば大洪水に見舞われながらも、商業をはじめ、農業・工業の発展によってオランダは黄金時代を迎えるのである。
 池田先生は、オランダの干拓の歴史に触れ、次のように述べている。
 「オランダの人たちは、人間の知恵と努力への信頼度が高い気がする。簡単に『しかたがない』とは、あきらめないのだ」
 オランダの美しい大地には、不撓不屈の精神が息づいているのである。
 1967年5月、先生がオランダを訪れた。61年に続き、2度目の訪問だった。
 当時の同国のメンバーは、わずか5人。しかし先生は、未来の大発展を展望して、支部を結成する。
 この時の模様が、小説『新・人間革命』第12巻「新緑」の章につづられている。
 友を宿舎に招き、近況に耳を傾ける山本伸一会長。
 仕事を失ったという青年には、力強く励ました後、こう語り掛けた。
 「人生の戦いというのは“もうだめだ”と思ったところから、どう立ち上がっていくかにある。そこから、本当の勝利への飛翔が始まるんだ」
 また伸一は、リーダーの団結の重要性を確認した上で、拡大の要諦に言及する。
 「広布の戦いは持続です。苦労に苦労を重ねて、あと一歩というところまで来ても、気が緩み、手を抜けば、そこから崩れてしまう」
 「決して油断したり、あきらめたりするのではなく、闘魂を、情熱を、いや増して燃え上がらせ、一つ、また一つと、着実に勝利の旗を打ち立てていくことです」
 油断せず、そして諦めず。一つ一つ、着実に――師の指針は、「水との戦い」を繰り返してきたオランダの友の胸に強く響いたに違いない。
 以来、友は新たな広布拡大への挑戦を開始。団結第一で、一人また一人と粘り強く対話を重ね、地域に友情と信頼を広げた。83年には、ルベルス首相(当時)と池田先生の会見が実現した。
 支部結成から本年で50周年。現在、オランダSGIは、5方面37支部に発展。社会に平和と人間主義の光を発信している。
 広宣流布は、永遠に仏と魔との激しい戦いである。どんなに努力を重ねてきても、“何とかなるだろう”“たぶん大丈夫”などという心の緩みがあれば、一気に崩れてしまいかねない。
 何があろうと前進をやめないことだ。強盛な祈りを根本に、一日一日、知恵を絞り、仏縁の拡大に全力を挙げる。そして一日一日、勝利の旗を厳然と打ち立てていく――。その着実な積み重ねが、偉大な栄光の扉を開く。

◆〈座談会 栄光の峰をめざして〉38 さあ、希望の新時代に向かって! 
 団結こそ広布を成就する力
 各地で梅雨入り 健康・無事故の毎日を
 

誠実と熱意が、人の心を動かす。いかなる人も、広宣流布の味方に!――この烈々たる祈りと勇気と勢いで、栄光の歴史を開きゆく時は今(13日、東京・北平和会館での北総区の地区部長会)
誠実と熱意が、人の心を動かす。いかなる人も、広宣流布の味方に!――この烈々たる祈りと勇気と勢いで、栄光の歴史を開きゆく時は今(13日、東京・北平和会館での北総区の地区部長会)

 伊藤 池田先生は先日、小説『新・人間革命』「雌伏」の章で、1980年(昭和55年)2月、鹿児島・奄美の女子部員の代表86人が、先生のいる東京を訪れた模様を綴ってくださいました。感動で胸がいっぱいになりました。
 原田 奄美は草創の同志の皆さんが、無理解による弾圧を乗り越え、広布の模範の前進を遂げられた天地です。そこから集った、師弟の心の強き女子部員たちに、先生は呼び掛けられます。「必ず幸せになるんだよ。私は、その姿を見ることがいちばん嬉しいし、それが、信心の正しさの証明になるんです」と。この言葉に、皆さんが、どれほどの勇気をもらい、希望を抱いたことか。
 長谷川 さらに、先生は、「皆さんは、それぞれが日本一、世界一、幸せになることを誓ってください。幸福のための信心であり、学会活動であり、広宣流布なんです」とも励まされています。
 永石 実は今月、東京・信濃町の広宣流布大誓堂での誓願勤行会に、奄美から大勢の方々が参加されました。
 その中には、小説に登場した人物のモデルとなった、奄美光城県の県副婦人部長をはじめ、当時上京した12人の方々もいました。
 伊藤 奄美の女子部員とその出身者の代表16人もおられ、私もお会いさせていただきましたが、求道の心を継承した皆さまの姿に、深く感動しました。
 原田 不滅の師弟の出会いから37年。あの時の女子部員と、その“子どもの世代”に当たる華陽の乙女たちが今、深き師弟の心で、上京されたことを聞かれた先生は、大変に喜ばれていました。
 永石 あの時の皆が、広布の道を歩んでいるとも伺いました。今も多くの方が奄美におり、さらに鹿児島、関西、関東、東京など、それぞれが、使命の舞台で師弟の原点を胸に頑張っているそうで、先生の深い激励に、感動と感謝の思いです。
 原田 先生は綴られています。「皆さんの求道心あふれる姿は、創価学会の希望です。何があっても揺るがない、皆さんの強く清らかな信心こそ、二十一世紀を開く力です。朗らかに、堂々と胸を張って、前進していきましょう」と。燃える「求道の心」こそ、自身の確かな成長をもたらし、時代を変える力です。「感激の同志」の皆さまと共に、何としても広布の新時代を開いてまいりたい。

学会永遠の黄金則

 長谷川 先生は常々、信心における「団結」の重要性を教えてくださいます。あらゆる戦いを「団結」で勝ち開いてきたのが、学会の歴史です。
 伊藤 先日の「雌伏」の章でも、「団結」について、綴られていましたね。
 志賀 広宣流布を目指す上での最第一の鉄則は、「金剛不壊の異体同心の団結」であると強調され、「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か」(御書1337ページ)との御文について指導してくださいました。
 長谷川 「自他彼此の心なく」とは、自分と他人の差異にとらわれることなく、“共に同志である”“等しく地涌の菩薩である”との意識に立つことです。
 永石 「水魚の思を成して」とは、皆が広布の大切な同志であると自覚して、互いに尊重し、守り合っていくことでもありますね。
 原田 そして、「異体同心」です。「異体」とは、一人一人の個性や特質を尊重することであり、「同心」とは、広宣流布という同じ目的に向かい、心を一つにしていくことです。
 大聖人は、この「異体同心」を実現できてこそ、広宣流布の大願が成就できると結論されています。団結こそ、魔を打ち破り、困難を乗り越える力です。
 志賀 先生は、「もしも、意見の違いなどによって感情的になり、怨嫉したりするようになれば、本末転倒です。何があろうが、“広宣流布のために心を合わせ、団結していこう”という一念で、異体同心の信心で進むことこそが私たちの鉄則です。いや、学会の永遠の“黄金則”です」とも言われています。
 原田 「千載一遇の天の時」を迎えた今だからこそ、私たちは、本陣・東京をはじめ、全同志が、強盛な祈りと信心の勢い、そして「金剛不壊の異体同心の団結」で、師弟凱歌の歴史を築いてまいりましょう。

度差が激しい時
 永石 各地で梅雨入りが発表されました。1日の温度差が激しい時期となり、健康の管理には一層の注意が必要です。
 長谷川 まず大切なのは、体温の調整です。急に寒くなることも考え、羽織る物を1枚持って行動するなどして、賢明な日々を送っていきたいと思います。
 原田 また、「雨」が降る日も増え、「交通事故」には、特に気を付けていかなければなりません。
 志賀 たとえば、車であれば、雨が降ると、視界が悪くなりますので、普段よりも一層、慎重な運転を心掛けていくことですね。
 永石 自転車に乗る方も多くいると思いますが、傘差し運転は絶対に厳禁です。雨がっぱなどを着て、対処しましょう。
 伊藤 歩行中であっても、雨で濡れたマンホールなど、滑りやすい場所が増えますので、注意することが大切ですね。
 原田 忙しい日々だからこそ、皆で声を掛け合い、「健康・無事故」の前進を続けていきましょう。

◆〈信仰体験〉 建機巧みに操る土木系女子(ドボジョ) 私が輝ける場所、見つけた!


 【横浜市栄区】ショベルカー、10トンのダンプカーにフォークリフト。さまざまな建機が
うなりを上げながら仕事を進めている。

2017年6月14日 (水)

2017年6月14日(水)の聖教

2017年6月14日(水)の聖教

◆わが友に贈る

団結と勝利の道を開く
使命深き副役職の友よ
いよいよ本領発揮の時!
〝長〟と同じ一念で
本陣に広布の理想郷を!

◆〈名字の言〉 2017年6月14日

 釈尊が初説法の地・鹿野苑へ向かう途中のこと。ウパカという修行者に出会い、対話が始まった▼“仏様”の言葉だからすぐに納得した――わけではなかった。ウパカは「そうかもしれないね」と皮肉交じりに頭を振り、去ってしまったという。仏教学者の中村元氏は、仏でさえも「伝道に関してやはり失敗があったということは、興味ある事実」と(『中村元選集決定版第11巻』春秋社)▼鹿野苑に着いた釈尊は、かつての修行仲間5人のもとへ。数日がかりの対話の末、ついに最初の一人、コンダンニャが教えを理解する。釈尊は感嘆の声を2度も上げた。「ああ、コンダンニャは悟ったのだ!」。やがて他の4人も続いた。なお、先述のウパカも後に釈尊に帰依したとされる▼仏典が伝える釈尊の、なんと人間らしい姿か。「仏」だから、何か特別な力を持っているわけではない。正道を広めたいという誓いの強さ、友に幸福になってほしいという慈悲の深さ、心を通わせようとする誠実と忍耐。仏の「力」といっても、そこに尽きよう▼御書に「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(1361ページ)と。自身の持てる精いっぱいの力を振り絞って、対話に挑もう。その人こそ、仏にも等しい、広宣流布の偉大な勇者である。(之)

◆〈寸鉄〉 2017年6月14日

 「強敵を伏して始て力士
 をしる」御書。青年は戦い
 に勝って弟子の証し残せ
      ◇
 東京・豊島が執念の猛追。
 ここからが正念場。正義
 の言論戦で栄光の扉開け
      ◇
 大田が勇戦。破れぬ壁は
 ない。今こそ爆発的拡大
 で東京凱歌の先陣を断固
      ◇
 油断をすれば濁流に流さ
 れる―戸田先生。仏法は
 勝負。日々発心の祈りを
      ◇
 働く意欲ある高齢者を後
 押しする自治体が続々。
 経験豊かな“日本の宝”

◆社説  食中毒に細心の注意   賢明で心豊かな食生活が健康守る


 食中毒予防に力を入れなければならない時季となった。食中毒を引き起こす細菌の多くは、人間や動物の体温ぐらいの温度で増殖のスピードが最も速くなる。また湿気を好むため、細菌が原因となる食中毒は夏場(6月~8月)に多く発生している。
 先月26日には、新潟・妙高市内の山中で湧き水を飲んだ小学生と家族ら43人が発熱や下痢などの症状を訴え、食中毒菌のカンピロバクターが検出された。ペットボトルに湧き水を入れて持ち帰った児童がいて、それを飲んだ家族も発症したという。県は、井戸水や湧き水などの水質は変化するので、煮沸してから飲むよう呼び掛けている。
 厚生労働省は食中毒菌を「付けない、増やさない、やっつける」との食中毒予防の3原則に基づき、「家庭でできる食中毒予防の6つのポイント」を発表している。①食品の購入――消費期限などを確認する。肉汁や魚などの水分が漏れないようにビニール袋などに分けて包む②家庭での保存――帰宅後は速やかに冷蔵庫へ。詰め
過ぎると冷気の循環が悪くなるので7割程度までに。肉、魚、卵などを取り扱う時には前後に手指を洗う③下準備――野菜などの食材を流水でよく洗う。冷凍食品の解凍は冷蔵庫や電子レンジを利用し、自然解凍は避ける。使用後の調理器具は洗った後、熱湯をかけて殺菌する④調理――肉や魚は十分に加熱。中心部を75度で1分間以上の加熱が目安⑤食事――清潔な食器を使う。作った料理は長時間、室温で放置しない⑥残った食品――温め直す時にも十分に加熱。時間がたち過ぎて、少しでも怪しいと思ったら絶対に口に入れずに捨てる。
 手作り弁当にも気を付けたい。清潔な容器を使い、おかずはしっかり加熱。おにぎりは素手ではなくラップを使うと安心だ。長時間持ち歩くなら保冷剤の活用も。また、バーベキューでは、食材を十分加熱し、生肉を扱ったトングや箸は食べる時に使わないなど、特に注意を。
 最近では、寄生虫アニサキスによる食中毒がテレビで取り上げられている。生鮮魚介類を生で食べる際には注意が必要だ。
 池田先生は、食中毒防止の心構えについて「『これぐらいなら』という油断が事故のもとです」と『健康の智慧―仏法の眼・医学の眼―』(池田大作全集第66巻に収録)で語っている。賢明で心豊かな食生活の積み重ねが健康と長寿につながっていく。忙しい日々にあっても「清潔」で「衛生的」な調理と食事を心掛けていきたい。

◆きょうの発心    行学の実践で「東京凱歌」を2017年6月14日

御文
 行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし(諸法実相抄、1361ページ・編550ページ)
通解 行学の二道を励んでいきなさい。行学が絶えてしまえば仏法はない。自分も行い、人をも教化していきなさい。行学は信心から起こる。力があるならば一文一句であっても人に語っていきなさい。

 信心根本に「行学の二道」にまい進することが仏道修行の根幹であるとの仰せです。
 1977年(昭和52年)12月、杉並文化会館を訪れた池田先生と“大楠公”を連弾でピアノ演奏。奏でる音色の荘厳な響きと力強さに圧倒されながら、「師弟の道、広宣流布の道を永遠に前進しよう」と決意しました。
 現在、楽しみにしているのが、毎月の婦人部の「グループ学習・懇談」です。「大白蓮華」に連載中の池田先生の御書講義などを10年以上、学び合い、歓喜のままに仏法対話に挑戦してきました。6年前、お世話になった音大の先生に20年越しの対話が実ったことが縁で、毎月、友人の家で近隣の方々を招いて“歌う会”を開催するように。友好を深める中で、学会理解の輪が広がっています。
 先生が練馬の友に贈ってくださった「勇気の信心」を実践し、断じて東京凱歌の歴史を開いてまいります。  東京・練馬創価区副総合婦人部長 近澤典子

◆小説『新・人間革命』第30巻 雌伏の章   六十八 (6096)
 


 戸田城聖の二十三回忌にあたる一九八〇年(昭和五十五年)四月二日付の「聖教新聞」に、山本伸一の「恩師の二十三回忌に思う」と題する一文が掲載された。
 そのなかで、彼は呼びかけた。
 「広宣流布の前進を亡失したならば、宗開両祖の御精神に背くことになるのを深く恐れるのであります。私どもは、以上を踏まえつつ、ふたたび、勇んで広宣流布のため、民衆救済の前進を開始してまいろうではありませんか」
 彼の胸には、常に恩師が生き続けていた。慈折広布に生涯を捧げ尽くした勇姿が、瞼から離れなかった。そして、その戸田の弟子らしく、自身もまた、広宣流布に邁進し抜いて、この一生を終わるのだという思いが、強く、強く、込み上げてくるのであった。
 さらに彼は、この原稿のなかで、「大聖人の仏法の実践は、後退を許さぬ生涯の旅路である」と記し、名誉会長として、インタナショナル会長として、同志のために、平和と文化のために、一段と力を尽くしていくことを宣言したのである。
 伸一は今、一年にわたる雌伏の時を経て、勇躍、飛翔を開始しようとしていた。
 学会という民衆の大地には、随所に師弟共戦の闘魂がほとばしり、あふれていた。
 師弟離間の工作が進み、「先生!」と呼ぶことさえ許されないなか、創価の城を守るために、われに「師匠あり」と、勇気の歌声を響かせた丈夫の壮年・男子の代表もいた。
 四国から、はるばる船で伸一のいる横浜を訪れた求道の勇者たち、遠く奄美の地から東京へ駆けつけた健気なる花の女子部……。また、全国各地の同志から、不撓不屈の前進を誓う、幾千、幾万の便りも届いていた。
 吹雪は激しく猛っていたが、深雪の下では、新生の芽が躍り出ていたのだ。この草の根の強さこそが、学会の強さである。その人たちこそが、創価の宝である。
 “この同志と共に、この同志のために、われは立つ! 風よ、吹け! われに吹け!”
 伸一は、深く心に誓った。 (この章終わり)

【聖教ニュース】

◆アメリカ創価大学に「科学棟」を建設  2020年3月完成へ 本年11月着工
 新コース「生命科学」の開設にともない理数系の設備を拡充

建設が発表されたアメリカ創価大学の「科学棟」の完成予想図
建設が発表されたアメリカ創価大学の「科学棟」の完成予想図

 生命尊厳の世界市民を育成するアメリカ創価大学(SUA)に、このほど「科学棟」が建設されることが発表された。2020年3月の完成を目指し、本年11月18日に起工式を行う予定である。
 科学棟は地上3階、地下1階建て。棟内には教室、実験室など理数系科目の授業に必要な施設が完備されるほか、教員研究室、事務室、会議室などが設置される。
 同棟の建設は、20年9月からスタートする新集中コース「生命科学」および「医学大学院進学準備プログラム」の開設にともなうものである。
 SUAではリベラルアーツ(一般教養)の教育課程のもと、幅広い分野の学問を修めるための授業が行われている。3年次からは、専門分野を深める集中コース(コンセントレーション)から一つを専攻することができる。
 現在、選択できるのは「人文科学」「社会・行動科学」「環境」「国際研究」の四つ。新たに加わる「生命科学」コースには、生物学、化学、物理学、数学などの理数系の授業が用意される。公衆衛生学、生理学、遺伝学などの科目も設けられる。
 また、「医学大学院進学準備プログラム」は、SUA生が卒業後、米国内のメディカルスクール(医学系の専門職大学院)に直接応募できる条件を満たすもの。「生命科学」以外のコースを専攻する学生も履修することができる。
 これまでSUAは、米メディア会社「USニューズ・アンド・ワールド・リポート」による全米大学ランキングにおいて、数々の部門で上位に輝くなど、教育界をはじめ、各界から高い評価を受けている。
 かつて創立者の池田大作先生は、学生たちに呼び掛けた。
 「SUAが、世界に誇る学風――それは、他者をどこまでも思いやり、共に苦楽を分かち合いながら、自他共の可能性を開いていく伝統です。ここに、SUAがSUAたる所以もあります」
 科学棟の建設により、教育環境が一層充実するSUAは、「貢献的人生」を生きゆく世界市民の潮流を、さらに大きく広げることとなろう。

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈誉れの学園 世界市民を育む創価教育〉第12回=完 母校愛
  人類の幸福の港を守り抜け!

             
1990年5月5日、大阪・交野市の関西創価学園で開かれた同窓の集い。創立者・池田先生は、「創立者にとって、自分の創立した学校の生徒や学生、そして卒業生が、いかに、いとおしく、誇りに思えることか。それは、親の情愛とは、また違った次元の、深い、深い思いなのである」と語り、参加した卒業生・学園生らに真心の励ましを送った
1990年5月5日、大阪・交野市の関西創価学園で開かれた同窓の集い。創立者・池田先生は、「創立者にとって、自分の創立した学校の生徒や学生、そして卒業生が、いかに、いとおしく、誇りに思えることか。それは、親の情愛とは、また違った次元の、深い、深い思いなのである」と語り、参加した卒業生・学園生らに真心の励ましを送った

 今春も、北海道の札幌創価幼稚園には、多くの卒園生が帰ってきた。ある卒園生は、手に小さな瓶を持って、当時の担任のもとを訪ねた。その小瓶に入っていたのは、「甲子園の土」だった――。
 彼は今、高校3年生。卒園後、北海道の小・中・高校に学び、野球に打ち込んだ。憧れの甲子園を目指す日々。厳しい練習に耐え、けがを乗り越えた彼の胸奥には、“池田先生に、幼稚園の先生方に、甲子園出場を報告したい”との思いがあった。
 そしてこの春、北海道代表校の投手として、甲子園のマウンドに立ったのである。
 試合の4日前、彼のもとに、創立者・池田先生からの伝言が届いた。“創価幼稚園出身で甲子園か。本当にうれしい”
 試合当日、創価幼稚園の職員室では、当時の担任をはじめ教職員が、祈るようにテレビを見つめ、声援を送っていた。
 チームは敗れたが、彼は甲子園の土を札幌に持ち帰り、小瓶に移した。そして、創価幼稚園の職員室を訪ね、当時の担任に手渡したのである。その瓶の中には、彼の「母校愛」が詰まっていた。
 札幌創価幼稚園では、1期生が卒園した1977年以来、小学1年生を対象に、卒園生の集いを開催してきた。2001年からは、小学1・4年、中学1年、高校1年と、卒園生が3年ごとに集う「21世紀卒園生大会」に拡充されている。
 卒園生大会には、北海道外からも多数の卒園生が参加する。東西の学園に進学して戻ってくる子も。親子2代にわたる卒園生も増えてきた。ある年の卒園生大会、一人の高校生が近況報告に立った。彼女は、卒園後、父親の転勤で北海道外の小学校へ。だが、クラスメートから言葉のなまりをからかわれ、仲間はずれにされてしまう。
 そんな小学4年次、彼女は卒園生大会で幼稚園に帰った。玄関に入った瞬間、先生方が駆け寄り、優しく抱き締めてくれた。手をつなぎ、そばで悩みを聴いてくれた。
 後日、彼女のもとに、教員の手紙が届く。「良い時も悪い時も連絡ちょうだいね」。悲しみを分かってくれる人がいる。いつでも帰れる場所がある。安心感に包まれた。
 彼女は猛勉強の末、念願の創価高校(東京・小平市)に合格。今、海外の創価幼稚園の先生になりたいと、勉学に励む。
 教員のもとには、卒園生だけでなく、保護者からも多くの電話やメールが届く。保護者と綿密に連携する中で、卒園生の近況や悩みを知り、「的確な励まし」を送ることができる。教員は、創価教育の父・牧口常三郎先生の“真の教育は、子どもに情熱を注ぐ教師と、教育者を全面的に信頼する父母が一体とならなければできない”との教育理念を体現し、卒園後の成長をも見守り続けているのである。
 札幌創価幼稚園の「母校愛」を象徴する一つのデータがある。それは、教職員の半数以上が卒園生だということ。8期生の八木伸子さんもその一人。在園当時から、「創価幼稚園の先生」に憧れていた。
 八木さんは、卒園の時、教員から掛けられた言葉を今も心に刻んでいる。それは、「自分から勇気を出して友達に声を掛けていくんだよ」。小学校では、この言葉を思い出し、そばにいた子に声を掛けた。その子とは今も、何でも話せる親友である。
 八木さんは語る。「先生方は、幼い私たちの未来まで見据えて、強く生きるための指針を送ってくれていたのだと感じます」
 池田先生は語っている。「この幼稚園からは一人も不幸な人を出さない」と。その信念を「わが決意」とする教員の声だからこそ、その言葉が光となって、子どもたちの未来を照らしていくのだろう。
 3月、札幌創価幼稚園に、卒園の歌「ずっと ともだち」が誕生した。離れていても心は一つ。僕も、私も、太陽の子。だから、皆を照らしていける――歌詞には、そうした園児の心が表現された。最後は、池田先生の言葉で結ばれている。「いつまでも ここがこころのふるさと」と。
 ◇
 近年、日本の教育現場では、「愛校心」を育てる授業が重視されている。その一例が「自校教育」の推進だ。それぞれの大学が授業の中で、自らの建学の精神や大学史、社会的使命などを学生に教えている。
 それによって、大学への愛着や誇りが芽生え、研究や課外活動、社会貢献への意欲向上につながり、それが後輩の良き手本になるという好循環をもたらすという。
 母校のことを知るのは簡単だ。しかし、母校愛は、一朝一夕に深まるものではない。創価学園では、約半世紀にわたり、母校愛を育む教育に力を注いできた。その推進役を担ったのは、池田先生である。
 先生は、「真の優等生とは、『母校を愛し続ける人』」との理念を掲げ、学園生に校訓、モットー、五原則、合言葉などを贈り、小説『新・人間革命』などでは、学園創立の淵源を示してきた。
 さらに先生は、生徒たちと共に、建学の精神を刻む校歌や愛唱歌も作ってきた。学園生の「母校愛」は、こうした池田先生の人間教育の中で育まれてきたのである。
 これまで、創価学園の卒業生は、さまざまな形で、母校への貢献を重ねてきた。
 受験相談に乗る人、クラブの後輩に技術を教える人、委員会の後輩を激励する人、寮生・下宿生の後輩を支援する人、定期的に学園の校舎を清掃している人もいる。
 また、学園に寄付や記念品等を寄贈する卒業生もいる。毎年のように、教育ソフトやクラブの備品などが贈られてきた。寮生・下宿生には、少しでも長い時間、郷里の両親に電話をさせてあげたいと、「テレホンカード」が贈られたことも。ハンバーガーやカップラーメン、お菓子が届くこともある。図書委員会の出身者の中には、毎年、図書の寄贈を続けている人もいる。
 また、東西の創価学園出身者による母校への寄付金は、「鳳雛奨学金」として、後輩をサポートしている。学園生の日常を支える“物”の中には、卒業生の真心が詰まった品が多くあるのだ。
 また、東西学園の各校では、卒業生らによる“講演会”が、毎年、定期的に開催されている。これは、多職種で活躍する方々を講師に招き、夢を実現した軌跡や仕事の魅力を話してもらうものだ。
 また、各校では、毎年、定期的に“キャリアガイダンス”も実施している。多分野に進出した数十人ほどの卒業生が、生徒との懇談や進路相談に乗るもの。そのほか、アメリカ創価大学に進学した卒業生らによる受験相談の場も設けられている。
 懇談に参加した生徒たちは、「先輩方のように、私も夢を実現し、学園に帰って来て、後輩をサポートしたい」と感想を。帰校した卒業生たちは、「毎年、学園に帰って来る日を目標にして、仕事で成果を出そうと努力しています」と。学園生も卒業生も、母校を「決意と成長の基点」として、自身の課題と向き合っている。
                                                                      ◇
 1990年7月17日、東京・創価学園の第23回「栄光祭」が開かれた。池田先生は、百年戦争で、イギリス軍に包囲されたフランスの港町カレーを救った英雄サンピエールの信念に触れ、学園生にこう語った。
 「この学園も、ひとつの、人類のための“幸福の港”である。大切な、この宝の港を断じて守り抜かねばならない。悪に蹂躙されてはならない。権威に利用されてもならない。人類のため、正義のために」
 開校以来、どんな時も、“慈父”のように、学園生を信じ、支え、励ましてきた創立者・池田先生。その思いを受け継いだ卒業生たちは、“兄”“姉”のように、愛する後輩たちの成長を見守っている。
 創立50周年の「誉れの学園」。池田先生と心を一つに、母校を守り抜く「英雄たち」がいるかぎり、創価学園は永遠に発展していく――。
池田先生の指針
 母校には、人生の原点がある。
 母校への誇りは自身の人生への誇りでもある。
 本当の優等生とは、一生涯、母校を愛し、同窓の友を大切にする人だ。
 ケンブリッジ、オックスフォードという、イギリスを代表する両大学の偉大さは、単に多くのノーベル賞受賞者や国家の指導者を出したことにあるのではない。真の偉大さは、そこに学んだ者に、生涯にわたる誇りを育んだことだ。
 そして、その誇りとは、自分こそが大学自体であり、母校の栄光を担いゆくのだとの自覚である。
 〈『新・人間革命』「対話」の章〉
ご感想をお寄せください news-kikaku@seikyo-np.jp

◆〈座談会 栄光の峰をめざして〉37 太陽の婦人部が結成66年 
 困難の壁越える力は誓願の祈り
 「熱中症」には十分な注意を
 
 
私たちが動き語る、誠実な言葉が、どれほど幸の仏縁を結んでいることか。この勇気の対話が、信頼を固め、友情を結び、希望の安全地帯をつくり広げていく(1日、東京・目黒総区の婦人部・女子部の大会)
私たちが動き語る、誠実な言葉が、どれほど幸の仏縁を結んでいることか。この勇気の対話が、信頼を固め、友情を結び、希望の安全地帯をつくり広げていく(1日、東京・目黒総区の婦人部・女子部の大会)

 原田 10日は、「婦人部の日」です。池田先生は常々、“婦人部の皆さまが、深い祈りを根本に、一対一の地道な対話を積み重ね、力の限り正義を叫び抜いてこられたからこそ、現実に広宣流布は大きく進んでいるのだ”と言われています。日夜、広布のために献身してくださる婦人部の皆さまの奮闘に、あらためて心から感謝いたします。
 永石 今、全国の同志が、無限の明るさと勇気で、朗らかに対話を大拡大しています。
 長谷川 先生はかつて、そうした婦人部の皆さまの前進を“正しいことは「正しい」と、おかしいことは「おかしい」と、厳然と言い切る。その論法には、学者も政治家もかなわない”とたたえられました。
 沼倉 「サン?フラワー キャンペーン」として、先生の思想と行動を次の世代にも継承する、婦女一体の活動も活発です。
 永石 ヤング世代の働く婦人部の集いも各地で開かれ、「新しい力」が立ち上がっています。
 沼倉 広布拡大の原動力である「グループ」での学習・懇談の充実や強化も進み、一人一人が、“幸福博士”と光る、信心の成長も図られています。
 原田 この6月は、世界中で婦人部や、女子部「池田華陽会」の記念の会合が開催されています。今、広布は世界同時進行です。
 伊藤 その中、本年は、シンガポール国立植物園が新種の蘭に、先生の奥さまの名を冠し「デンドロビューム・カネコ・イケダ」と命名して10周年となります。
 永石 これは、奥さまの「世界平和の推進への無私の貢献」をたたえたものです。奥さまの、何があっても負けない生き方、ほほ笑みを絶やさない姿、決然と祈り抜く姿勢は、私たち婦人部の模範であり、お手本です。

千載一遇の天の時

 原田 御書では、南無妙法蓮華経の題目は「太陽」に、たとえられています。たとえば、「太陽が東の空に昇れば、その明るさによって、全ての星の光は跡形もなく消え去ってしまう」(1393ページ、趣意)と仰せです。これは、日蓮大聖人の教えが、全民衆を救う「太陽の仏法」であることを表しています。
 長谷川 婦人部の皆さまの強さは、その確信で、何があっても御本尊に強盛に祈り、そこから出発して体験をつかみ、生き生きと前進されてきたことです。
 伊藤 婦人部「実践の五指針」の第一も「祈りからすべては始まる」ですね。
 永石 婦人部は、その指針を胸に、“どんな宿命にも、絶対に勝つ!”と決めて祈り抜いてきました。
 原田 大聖人は「法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」(御書1352ページ)と御断言です。婦人部の66年の歴史は、その偉大な人間革命と宿命転換の実証の歴史です。
 長谷川 風雪を乗り越え、つかんだ春ほど、美しいものはありません。「頂上を登攀するのに楽な道などない」「一つ一つの苦闘が勝利なのだ」とヘレン・ケラーが言ったように、婦人部の皆さまが歯を食いしばって、一歩一歩、目の前の“困難の壁”を乗り越えてきたからこそ、学会の今があるのです。
 原田 正しい信仰ゆえ、誤解による迫害を受けることもあります。けれども大聖人は、大難の中、勇気ある信心を貫き通した千日尼に仰せです。
 「いよいよ信心に励んでいきなさい。仏法の道理を人に語ろうとする者を、多くの人が必ず憎むであろう。憎むなら憎めばよい」「仏の金言の通りに実践する、その人こそ、如説修行の人なのである」(同1308ページ、趣意)と。
 沼倉 「如説修行の人」とは、法華経の行者のことです。その最も尊い称号を厳しい環境で勇敢に戦う女性の弟子に与えられたことに深い感動を覚えます。
 原田 大聖人はまた、遠方から駆け付けた、求道心の厚い一人のけなげな女性信徒を「日本第一の法華経の行者の女人」(同1217ページ)と称賛され、さらに強く激励されます。「前々からの信心の志は、言い尽くせぬほど立派なものでした。しかし、これからは、なお一層、強盛な信心を奮い起こしていきなさい。その時は、ますます十羅刹女の御守護も強くなると確信していきなさい」(同1220ページ、通解)
 沼倉 先生は、この御文を通し、「人生には、これまでの壁を破り、生まれ変わったように立ち上がるべき時がある」と言われ、「過去の壁を破って、決然と立ち上がれ! 自分が今いるその場所から!」と指導されています。
 永石 かつてない激戦に挑戦する私たちにとって、今こそ、「千載一遇の天の時」です。いかなる闇をも打ち払う婦人部の「強き誓願の祈り」と「勇気の行動」で、広布の新たな歴史を開いてまいります。

小まめな水分補給

 長谷川 暑い日が増え、「熱中症」を発症される方が多くいます。
 永石 暑さに慣れない、この時期も、熱中症には十分な注意が必要です。
 伊藤 予防には、「暑さを避けること」と「水分の補給」が大切です。
 沼倉 たとえば、外では「日陰を選んで歩く」、屋内では「我慢せず冷房を入れる」、「襟元がゆるく、通気の良い服を着る」ことなどを心掛けたいですね。
 原田 喉が渇いていなくても、暑いところに出る前から、水分を取っておくことも重要です。
 また、忙しい中だからこそ、自転車や歩行中の転倒事故にも注意を払っていきたい。皆で声を掛け合いながら、有意義な日々を送っていきましょう。

◆〈信仰体験〉 クローン病と闘い17年 負けない人が最後に勝つ


 【北海道・余市町】「心の温かい穏やかな人」。周囲からそう慕われる石谷県一さん(38)=余市支部、県青年部長=は今、介護福祉士として社会福祉法人の高齢者施設で働
 

2017年6月13日 (火)

2017年6月13日(火)の聖教

2017年6月13日(火)の聖教

◆わが友に贈る

社会も 人生も
「変化」という試練に
勇んで「応戦」する中に
成長と発展がある。
悔いなき黄金の日々を!

◆〈名字の言〉 2017年6月13日

 米国は“人種のるつぼ”といわれる。西海岸のシアトルにも多様なルーツを持つ人々が存在し、街は異なる価値観を受け入れる雰囲気にあふれていた▼シアトルの人々は友好的な一方で、親しい友人になりにくいという。それを表す言葉が「シアトル・フリーズ」。「フリーズ」は「凍結」「固まる」等の意味。自分とは違う他者の考えにも理解は示すが、自分の“本音”はなかなか語らない。心の奥を知ろうとする相手には、拒否反応を示す傾向があるそうだ▼“建前”で語り合っても、本当の友情は築けない。そうした状況の中でSGIの友は、どう対話を広げているのか。男子部のリーダーが、三つのポイントを挙げた。「友の心を開く祈り」「友を信じる真心」「友に語り抜く勇気」と▼「祈り」「真心」「勇気」――日本の私たちも実践していることだ。今、シアトルは全米をリードする広布拡大を成し遂げているが、そこに何か特別な方法があったわけではない。「『御書』と『師弟』が、シアトルの“驀進”の原動力です」との彼の言葉が、強く印象に残った▼「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」(御書1192ページ)を心に前進したい。“広布の壁”を破る力は、どこまでも師弟を根幹とする「法華経の兵法」である。(芯)

◆〈寸鉄〉 2017年6月13日

 「必ず心の固きに仮りて
 神の守り則ち強し」御書。
 諸天動かす祈りを今こそ
      ◇
 東京・北区よ逆転勝利へ
 攻め上がれ。総力の拡大
 で喜び多き万歳を断じて
      ◇
 青森の日。何事にも2倍
 の戦いを!挑戦の心漲る
 人材の森から新時代開け
      ◇
 浮足立たず現実の大地に
 しっかりと立て―戸田先
 生。地道に友のもとへ!
      ◇
 朝食を抜く人は食べる人
 より脳卒中の割合が高い
 と。リズム正しき生活を

◆小説『新・人間革命』第30巻 雌伏の章   六十七  (6095)



 山本伸一は、十条潔をはじめ首脳幹部たちが、宗門僧らの学会攻撃など、諸問題の対応に神経をすり減らし、苦悩していることをよく知っていた。
 しかし、学会の運営については、執行部に任せ、見守っていくしかなかった。
 会長を辞任してから伸一は、毎月の本部幹部会に出席することも、本部職員が一堂に集う会議に出ることも、ほとんどなかった。また、彼の行動が聖教新聞に報道されることもわずかであった。それは、伸一を封じ込めれば、学会員を自分たちの思い通りに従わせていくことができるという、退転・反逆者や宗門僧らの策略であったのだ。
 そうしたなかでも、多くの学会員は創価の師弟の誇りを抱いて、試練の逆風に立ち向かっていった。だが、一部には、広布への覇気や確信をなくしたり、わがままな言動が目立ったりする幹部も出始めた。
 学会の根幹をなす師弟の精神が失われてしまえば、創価の使命は果たせず、大聖人の御遺命である広宣流布の道は閉ざされてしまう。
 これまで伸一は、常に広宣流布への闘魂を発光し続けてきた。その光こそが、同志の前進の原動力であった。しかし、伸一が会合で自由に話をすることもできない状況が一年近くも続くなかで、皆の活力は次第に失われつつあったのである。
 師による弟子たちへの生命の触発があってこそ、勇気と確信は増し、歓喜が湧き起こる。広布に生きる創価の師弟は不二であり、その絆は、永遠不滅でなければならない。
 伸一は、心を定めた。
 “本来、師弟の結合を阻む権利など、誰にもないはずだ。たとえ、宗門僧から、いかなる攻撃を受けようが、仏子である学会員を守るために、この魔の暗雲を、断じて打ち破らねばならぬ!”
 彼は時を逸してはならないと思った。熾烈な攻防戦になればなるほど、一瞬一瞬が勝負であり、迅速な行動こそが勝利の門を開くからだ。遂に、反転攻勢の朝が到来したのだ。

【聖教ニュース】

◆名門オレゴン大学が立つ文教都市にアメリカSGIのユージン会館が誕生
開館式の6月3日を「池田大作博士平和の日」に
ヴィニス市長が来場し宣言書を授与
宣言書「正義と平和の世界を目指す行動を賛嘆」
 
ユージン市のヴィニス市長(左から3人目)と共に、代表が、新会館の前でテープカットを(3日)
ユージン市のヴィニス市長(左から3人目)と共に、代表が、新会館の前でテープカットを(3日)

 “世界広布の電源地”アメリカSGI(創価学会インタナショナル)に待望の新法城!――米国オレゴン州ユージン市に、ユージン会館が完成した。開館式は3、4の両日、同会館で盛大に行われた。初日には、同市のルーシー・ヴィニス市長が出席し、2017年6月3日を、市の「池田大作博士 平和の日」とすることを宣言した。
 ユージン市は人口16万人超で、アメリカ北西部・オレゴン州の第3の都市である。約2万4千人の学生が学ぶ総合学府・オレゴン大学(1876年創立)が立つ文教都市として知られる。
 今回、新たにオープンしたユージン会館は、同大学のほど近くに位置する。三つの礼拝室と多目的室を備えており、今後、オレゴン本部のミッド・オレゴン支部、ユージン・サウス支部の中心拠点となる。
 新会館のオープンを心待ちにしていた友はこれまで、池田先生が示してきた「良き市民たれ」との指針を心に刻み、市の行事やパレード等に積極的に参加。地域社会に、創価の人間主義の哲学を広げてきた。
 今回の宣言書の授与は、こうした地元メンバーの取り組みと、池田先生の一貫したリーダーシップに対する、深い理解と共感の証左といえる。
 「池田大作博士 平和の日」の宣言書は、池田先生の長年にわたる「平和の文化」構築への献身を称賛。「正義と平和に基づく世界の建設を目指すSGIを賛嘆する」とつづられている。
 二重の歓喜に包まれた開館式(3日)では、市長とSGIの代表がテープカットを行い、メリッサ・ジェンソンさん、デーブ・コランダさんが信仰体験を披露した。
 席上、この日新たに入会した友に御本尊が授与されると、参加者から喝采が送られた。
 アメリカSGIのモータン西部方面長は、新会館完成の歓喜と感謝を胸に、明2018年に向け、全米で取り組んでいる「青年5万人」の結集を目指して、希望の大前進を開始していこうと呼び掛けた。

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆希望航路―池田先生と進む人生旅―〉 アメリカ・サンフランシスコ②
 
サンフランシスコ・コミュニティー・センターの開所式に参加し、未来の宝を励ます池田先生(1974年3月9日、サンフランシスコ近郊で)。このサンフランシスコ訪問に始まり、北中南米での指導は1カ月以上に及んだ
サンフランシスコ・コミュニティー・センターの開所式に参加し、未来の宝を励ます池田先生(1974年3月9日、サンフランシスコ近郊で)。このサンフランシスコ訪問に始まり、北中南米での指導は1カ月以上に及んだ

 サンフランシスコからベイブリッジを渡ると、バークレー市に至る。同市には、ハーバード大学などと並び称される、名門・カリフォルニア大学バークレー校がある。

◆〈この一節を胸に 行学に励む〉 テーマ 使命の自覚
 自他共の幸福のために勇んで正法を語り抜く

 
                                                                                                                                                 

                

 池田先生は、「使命の自覚は、人に力を与え、勇気を与え、元気を与える。使命に生き抜く時、人間は最も輝きを放つのである」と、つづられています。今回は、広布に生き抜く「使命の自覚」について確認します。

〈Q〉自分に自信が持てず悩んでいます。
〈A〉仏法では、一人一人が「かけがえのない存在」と説かれています。


  末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり(阿仏房御書、御書1304ページ)
 末法において妙法を持った私たちが、いかなる存在か――。日蓮大聖人は弟子の阿仏房に送られたお手紙で、次のように仰せです。
 「末法に入って、法華経を持つ男女の姿よりほかには宝塔はないのである。もしそうであれば、身分の貴さや賤しさ、立場の上と下は関係なく、南無妙法蓮華経と唱える人は、その人自身が宝塔であり、また、その人自身が多宝如来なのである」(御書1304ページ、通解)
 「宝塔」とは、法華経に説かれた、金、銀、瑠璃など、七宝をもって飾られた壮大な塔のこと。多宝如来とは、法華経こそ万人成仏が説かれた真実の教えであることを証明(保証)する仏です。大聖人は、この巨大な宝塔が「法華経を持つ男女の・すがた」の偉大さを説いたものにほかならない、と教えられています。
 すなわち、現実の世界で日々苦闘する生身の人間が、信心に励むことによって、そのままの姿で妙法の当体、すなわち宝塔として光り輝き、多宝如来として真の仏法の偉大さを証明していけると、断言されているのです。
 こうした大聖人の温かな励ましは、阿仏房自身の使命の自覚を促したことでしょう。

〈Q〉「地涌の菩薩」とは誰のことですか?

〈A〉末法において、妙法を弘める私たち学会員のことです。

  いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか(諸法実相抄、御書1360ページ)
 法華経において釈尊が、滅後の弘通を託したのが「地涌の菩薩」です。
 御書には、「なんとしてもこのたびは、信心を貫いて、法華経の行者として生き抜き、日蓮の一門となり通していきなさい。日蓮と同意であるならば、地涌の菩薩であろうか」(1360ページ、通解)とあります。
 末法において、日蓮大聖人と同じ心で広宣流布にまい進する同志は、皆、尊き使命をもった「地涌の菩薩」である、と大聖人は仰せです。私たちは、深き使命を持った一人一人なのです。
 創価学会にとっての「地涌の使命」の自覚――。それは、第2代会長の戸田城聖先生が、戦時中に正義の信念を貫いて投獄され、獄中にあって“われ地涌の菩薩なり”と悟達したことにあります。
 戸田先生は、亡き牧口常三郎先生の遺志を胸に出獄し、広布に一人立たれました。そして、75万世帯の弘教を達成されたのです。
 池田先生は、この事実を通して、次のようにつづられています。「“地涌の使命”とは、広宣流布だ! 自他共の幸せのために、勇んで大正法を語りに語り抜いていくのだ。苦難と絶望の淵から雄々しく立ち上がり、人間蘇生の大ドラマを演じ、仏法の偉大なる功力を証明するのだ」

〈Q〉どうすれば広布の人材に成長していけますか?

〈A〉自身の使命を自覚し、日々の課題に挑戦していくことです。


 かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり(寂日房御書、御書903ページ)
 御書には、「このような日蓮の弟子檀那となろうとする人々は、宿縁が深いと思って日蓮と同じく法華経を弘めるべきである」(903ページ、通解)とあります。
 日蓮大聖人は、門下の一人一人に、大聖人との宿縁を自覚し、大聖人と同じく法華経を弘めるべきであると教えられています。広布に生き抜く中でこそ、自身の使命を果たしていくことができるのです。
 池田先生は、広布の人材として成長するための要諦として、「使命の自覚」を挙げられています。
 「人材として大成していくうえで、最も重要なことは、使命に目覚めることではないでしょうか。私たちには、地涌の菩薩として、すべての人を幸福にし、世界の平和を築く、広宣流布という大使命があります。何よりも、その根本的な使命感に立つことが、自分の力を伸ばしていく最大の道である」と。
 使命を自覚した一人一人が、自らの人生の目標を定め、日々の課題に挑戦していく時、大きく自身の境涯を開くことができます。また、使命の自覚は、困難にも屈しない強い心を育んでいきます。
 わが使命を自覚し、向上心と忍耐で進む中に、自身の成長もある――。こう確信して、日々、前進していきましょう。

〈智慧の扉〉 「願兼於業」とは


 法華経法師品には、悪世で苦しむ人々を救うために、菩薩が願って悪世に生まれると説かれています。
 これを「願兼於業(願いが業を兼ねる)」といいます。
 この言葉の意味は、衆生を救済しようとする願いの力によって、本来、安住の境涯に生まれることができるところを、あえて悪世に生まれる、ということです。
 この「願兼於業」の法理をふまえた生き方を、池田先生は「宿命を使命に変える」と分かりやすく示しています。創価学会員は宿命転換の戦いを通して、仏法の偉大さを証明しているのです。

◆〈婦人部のページ〉 小説「新・人間革命」を胸に前進するメンバーの体験記 

 婦人部では、池田先生の著作である小説『人間革命』『新・人間革命』の学習運動が各地で活発に行われている。先生は『新・人間革命』に綴った。「母という太陽がある限り、風説の暗夜があろうと、希望の夜明けは必ず来る」と。ここでは、同書を自身の人生や信心の糧とし、広布拡大に奔走するメンバーの体験記を紹介する。

◆〈信仰体験 生きるよろこび〉 妻がうつ病に――夫婦の歩みは白樺の木と共に
  ありのままの自分でいい


 【山梨県北杜市】自宅の庭で、白樺の木は伸び続けた。台風の風雨も、豪雪の重みもあったが、枝を広げ、白い木肌を空へ空へ。
 

2017年6月12日 (月)

2017年6月12日(月)の聖教

2017年6月12日(月)の聖教

  新聞休刊日

★創価新報【池田大作先生が贈る 青春勝利の大道】   第17回 教学は最高の人間学

◆世界一の生命哲学を学ぶ

 『華陽姉妹の月』六月。花の女子部のスクラムは、世界に広がり、輝きを増している。
 戸田先生は、『女性の世紀』をいち早く展望されていた。
 ―人類は『女性の幸福』に焦点を定めて、歩みを変えていかねばならない。そのためにも、若き女性が確固たる哲学を持つことだ。いかなる宿命にも負けない、強き生命力を持つことだ、と。
 そして、『女子部は教学で立て!』と訴えられたのである。
 世界一の生命哲学を学ぶ青春は、最も明るく楽しい。その乙女の命には、最も正しく強い福智の花が咲き薫りゆくのだ。
 ここに人類の希望がある。

◆華陽の青春に恐れなし

 華陽会御書として学んでいる『千日尼御前御返事』には、仰せである。『法華経は師子王の如し一切の獣の 頂きとす、法華経の師子王を持つ女人は一切の地獄・餓鬼・畜生等の百獣に恐るる事なし』〈1316㌻〉
 妙法を持つ女性は、どんな試練も宿命も必ず打開できると、御本仏が約束くださっている。恐るるものなど断じてないのだ。苦難は乗り越えるためにある。境涯を開くためにある。
 自身と家族の幸福を築くのも、目の前の悩める友を救うのも、貴女の『勇気』から始まる。
 日々、一行でも御書を拝し、朗々と題目を唱え、賢く朗らかに進んでくれ給え!

 

2017年6月11日 (日)

2017年6月11日(日)の聖教

2017年6月11日(日)の聖教

◆今週のことば

「信は智慧の種なり」
法華経の兵法に
行き詰まりはない。
勇猛精進の題目で
賢く楽しく壁を破れ!

◆〈名字の言〉 2017年6月11日

 各地で梅雨入りし、「五月雨」が降り続いている――こう書くと“もう6月なのに、なぜ五月雨?”と思われる方もいるかもしれない▼五月雨は、旧暦5月に降る長雨のこと。今の6月に当たり、本来は梅雨を指す。「五月晴れ」も同じく、元は梅雨のさなかの晴れ間のことだった。端午の節句も、古くは梅雨時の行事。菖蒲の香りは、じめじめした長雨の毒消しになった▼五月雨は、歌にも数多く詠まれてきた。例えば「日の道や葵傾くさ月あめ」(芭蕉)――梅雨にぬれて、葵の花が傾いて咲いている。その傾く方向は、太陽の通る道筋。日は出ていないが、葵も日の光を慕っているのだ、と▼3月まで神戸で開催された学会主催の企画展「No Rain No Rainbow(=雨が降るから虹が懸かる) 7色に輝く女性展」。そこでカナダの作家モンゴメリーの言葉が紹介されていた。「どんな人の人生にも憂鬱と落胆の日々があるだろう」「けれど、いつでも空に太陽があるということを忘れてはいけない」(桂宥子訳『モンゴメリ日記 愛、その光と影』立風書房)▼梅雨の雨があるから、実りの秋は訪れる。人もまた、悲しみや苦しみといった“雨の日”があるからこそ、幸福という太陽の貴さを知り、人生を実り多くしていける。(鉄)

◆〈寸鉄〉 2017年6月11日

 「あへて臆病にては叶う
 べからず」御書。信心とは
 勇気。今日も不屈の一歩
      ◇
 東京・目黒よ限界突破の
 拡大を!栄冠は強気で攻
 めた所に。大逆転劇必ず
      ◇
 男らしさとは戦うことだ
 ―偉人。壮年部・男子部よ
 立ち上がれ!正義を叫べ
      ◇
 世界の電力の25%が再生
 可能エネルギーに。温暖
 化対策へ我らも足元から
      ◇
 叱られるより褒められた
 子ほど自ら進んで勉強―
 調査。励ましこそ万の力

◆社説  青春の金文字の日記帳を  師弟共戦の不滅の自分史を刻む


 あすは「日記の日」。『アンネの日記』の作者、アンネ・フランクが、ナチス・ドイツ占領下の隠れ家で日記を付け始めた日(6月12日)に由来する。
 ある調査によると、日本では4割近い人が何らかの形で日記を付けているという(2011年7月、青山ハッピー研究所発表)。その役割として一番多かったのは「1日の中で特に印象深い事柄を書く」こと。次に「記憶すべき事柄をメモとして残す」「1日の記録を思い出せる範囲で書き残す」などが続く。
 日記は、自らの感情や行動をつづった、世界に一つだけの「記録」であり、生きた「証し」そのものともいえる。
 わが同志にも、病や経済苦などの試練に挑む日々を書き記す人は多い。それらは信心根本に希望を失わず戦い続ける「黄金の自分史」であり、読み返すたびに心の支えとなるだろう。
 過日の本紙「声」欄に、日記ノートが100冊を超えたという70代男性の投稿が載った。
 20歳の頃、池田先生の『若き日の日記』を読んだことをきっかけに書き始め、以来、師と共に黄金の歴史をつづろうと51年間続けてきたという。
 『若き日の日記』は、先生が20代から30代初め頃、激闘の日々の中で書かれたもので、後に、青年たちの励みになればと、雑誌に一部が連載された(現在は『池田大作全集』第36・37巻に収録)。
 先生が23歳になって間もない新年の日記には、戸田城聖先生が最大の苦境にあった渦中に、師から後事を託された粛然たる心境が書き留められている。
 「先生は、正成の如く、吾れは、正行の如くなり。奥様は、落涙。此の日の、感動、厳粛、感涙、使命、因縁、生き甲斐は、生涯、忘るることはない。後継者は、私であることが決まった」(1951年1月6日)
 烈風の中、恩師を守ろうと一人立ち、学会の全責任を背負って苦闘の青春を送った池田先生。連載の文面にほとばしる、熱く深い思いは、幾多の同志に勇気を送る光源となってきた。
 今、小説『新・人間革命』は、総仕上げの第30巻に入っている。それは、師が弟子に語る共戦譜としての“創価学会の日記”であり、万代に残す後継のバトンといえよう。
 「青春の一日一日を、自分らしく戦い抜いたといえる、金文字の日記帳をつづろう」(小説『新・人間革命』「言論城」の章)との師の呼び掛けのままに、師弟共戦の不滅の自分史を日々刻み残していきたい。

◆きょうの発心  師と共に破邪顕正の歴史つづる

御文
 我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし(開目抄、234ページ・編464ページ)
通解 私と私の弟子は、多くの難があろうとも、疑う心を起こさなければ、自然に仏界に至るであろう。

 いかなる難があっても疑うことなく信心を貫けば、成仏の境涯を得られると仰せです。
 1990年(平成2年)に第2次宗門事件が起こり、地元・今治でも、日顕宗坊主が学会批判を始めました。これまでの赤誠を踏みにじる坊主の非道な振る舞いに、同志と共に憤り、正義の言論戦を展開しました。
 “衣の権威”との闘争の渦中の91年2月11日、今治文化会館での本部幹部会の中継行事がスタート。今治の友に真心をこめて呼び掛けてくださった池田先生の慈愛の声の響きは、今も忘れることができません。
 後に「愛媛戸田しまなみ県の日」となるこの日から、破邪顕正の戦いの勢いが加速。この御文のままに弟子の道を皆で真っすぐに進み、衰亡する宗門を尻目に、連続勝利の歴史をつづっています。
 昨年は、10月に開催された「四国総会」を目指して、かつてない聖教新聞の購読推進を達成。今年も、地域を舞台に対話の渦を起こし、その勢いはとどまるところを知りません。
 これからも、わが県は同志のスクラムも固く前進し、池田先生に勝利の報告をしてまいります。  愛媛戸田しまなみ県長 村上勝康

【聖教ニュース】

◆東西の学園生が各地で充実の研修

   
先駆の若師子として、挑戦の日々を送る関西創価高校の2年生(9日、創価大学で)。「44期生大会」では、学園愛唱歌「負けじ魂ここにあり」を歌い上げた
先駆の若師子として、挑戦の日々を送る関西創価高校の2年生(9日、創価大学で)。「44期生大会」では、学園愛唱歌「負けじ魂ここにあり」を歌い上げた

 新時代を開く英知の指導者に! 東西の創価学園生が、各地で研修を行っている。
 関西創価高校の2年生(44期)は、東京・八王子市の創価大学を訪問(7~9日)。一

【先生のメッセージ】

◆〈池田大作先生 四季の励まし〉 「苦労」が生命を輝かせる

 仏法では
 「如蓮華在水」と説かれている。
 蓮華は泥沼から生じて、
 あの美しい花を咲かせる。
 同じように、
 どんなに厳しい状況にあっても、
 最高に価値ある人生を
 開いていけるのが仏法である。
 私もそう確信して生きてきた。
 今、どんなに苦しくても、
 決して負けてはいけない。
 幸福と栄光の人生へと、
 劇的に転換できるのが信心だ。
 
  白蓮は、花と実が同時に成長する。
 すなわち、原因(花)と結果(実)が
 同時に具わっている――
 これが「因果?時」の法則である。
 ゆえに、いつか、どこかで、
 仏になるというのではない。
 今この時、
 真剣に妙法を説き弘めゆく、
 わが命に、即、
 仏の大生命が躍動してくるのだ。
 友のため、法のため、
 広宣流布のために行動することは、
 人の何倍も苦労が多い。
 しかし、それは自分自身の生命を、
 何よりも尊く強く美しく、
 光り輝かせていく道である。

 「負けじ魂」とは、一体、何か。
 それは、究極の「勇気」である。
 偉大な栄光は、
 悪戦苦闘なくして
 勝ち取ることはできない。
 ゆえに、真の「栄光の人」とは、
 負けじ魂を燃え上がらせた
 「勇気の人」なのである。

 必死の一念は、
 無限の活力を、智慧を、
 湧かせる源泉である。
 広宣流布のために
 断じて戦い抜こうとする
 強き一念の前には、逆境はない。
 すべての困難や悪条件は、
 闘魂の炎を
 燃え上がらせる風となる。

 


 美しく咲き薫る蓮の花。その横には、今にも開花しそうなつぼみが、太陽に向かって膨らんでいた。昨年7月、池田大作先生が東京・新宿区内で撮影した一葉である。
 「蓮華」は、中国で「君子の花」とも呼ばれ、古来、最も高貴な人間の姿を象徴していた。
 御書には、「蓮華と云うは地涌の菩薩に譬えたり」(833ページ)と。泥の中にあっても汚れることなく、清らかに咲く蓮華。その凜とした姿は、苦悩の多い現実社会の中で、地涌の使命に生き抜く創価の友のよう。
 蓮の花言葉の一つに「雄弁」とある。師弟の月・7月の凱歌へ――さあ、堂々と正義を語り、友情の大輪を満開に咲かせよう!

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈みらいへの記〉 岩手 旭日金港支部 東日本大震災から6年3カ月

新しい建物が多く建った釜石の中心街。写真手前と中央に見える、はまゆり色の集合住宅は、昨年完成した復興公営住宅。奥に釜石湾が広がる            
新しい建物が多く建った釜石の中心街。写真手前と中央に見える、はまゆり色の集合住宅は、昨年完成した復興公営住宅。奥に釜石湾が広がる

 東日本大震災から6年3カ月。連載「みらいへの記」では毎月11日を中心に、今この時の、東北の姿を紹介する。今回は、岩手県釜石市の旭日金港支部を訪ねた。

◆〈信仰体験〉 創業100年 日用雑貨販売会社の4代目社長 
 地域の“幸福責任者”たれ


 【福岡市博多区】「困ったら、“武ちゃん”のところに行け」と、地域の人から頼りにされる人がいる。

2017年6月10日 (土)

2017年6月10日(土)の聖教

2017年6月10日(土)の聖教

◆わが友に贈る

大東京の躍進の要たる
支部長・婦人部長の
尊き献身に感謝!
満々たる生命力で
歴史に輝く名指揮を!

◆〈名字の言〉 2017年6月10日
 

 仕事やスポーツなどで優れた結果を出すには、チームワークが不可欠。しかし多様な人々を一つにまとめるのは容易ではない▼一昨年までラグビー日本代表のメンタルコーチを務めた荒木香織氏は、「コミュニケーションが勝利の要」と語る(「潮」7月号)。まず大事なのは①リーダーが目標やビジョンを皆と共有すること。作業の指示や数字の押し付けだけでは一人一人が主体性を持てないからだ。また②メンバーが自身の定めた目標に挑み、それがチーム全体の目標の達成に結び付くようにすることも重要である▼最も大切なのは③組織内の他者に興味を持ち、互いを理解するよう努めること。日常生活も含めて相手のことを知るなど、意識的に関係づくりをしてこそ、チームの団結力・共感力は上がるという▼学会が強い団結を築き上げた理由の一つは、体裁や虚飾を取り払った「人間としての絆」を重んじてきたからだ。家庭や仕事、病気の悩みなど苦しいことも率直に語り合い、励まし合う。その中で築かれた互いへの信頼と理解が、各人の苦難の山、そして広布の峰を越えゆく力となってきた▼我らの活動の根本は一対一の語らいだ。相手の状況に耳を傾けながら、激励の言葉を送りたい。その積み重ねが幸福と勝利への王道である。(駿)

◆〈寸鉄〉 2017年6月10日

 創価の太陽「婦人部の日」
 師と歩む希望と幸福の道
 皆が世界広布の“主役”と
      ◇
 東京の調布・狛江の友が
 怒濤の行進。正義の電源
 地から勝利の先陣切れ!
      ◇
 「命限り有り惜む可から
 ず」御聖訓。断じて悔いを
 残すな。毎日が出発点と
      ◇
 将棋や卓球で中学生が躍
 動。若芽は急速に伸びる。
 未来の宝を信じて励ませ
      ◇
 公明議員のような道徳的
 政治家が平和社会を構築
 ―識者。大衆と共に進め

◆小説『新・人間革命』第30巻 雌伏の章  六十六 (6094)

   


 山本伸一の会長辞任から、間もなく一年がたとうとしていた。
 しかし、学会を取り巻く状況は、いまだ騒然としていた。宗門として、学会に対する誹謗や中傷はやめ、檀徒づくりをしないと約束したにもかかわらず、若手僧の大多数は、それを無視した。むしろ、この時とばかりに、学会への非道な攻撃を繰り返したのだ。
 学会を敵視する宗門僧の勢力は、ますます増大し、宗内の教師資格をもつ僧のうち、三分の二ほどになっていた。
 彼らは、伸一が会長辞任、法華講総講頭の辞任を発表した直後の一九七九年(昭和五十四年)四月末に、学会批判のために檀徒新聞「継命」を創刊していた。
 さらに、六月に行われた宗会議員補欠選挙に彼らの代表が立候補し、一議席を争うこの選挙で、対立候補を大差で破り、当選を果たしたのである。勢いづく彼らを、学会攻撃へと煽り続けたのが、山脇友政であった。
 若手僧の多くは、少年期に総本山の募集に応じて得度した法主・日達の直弟子であった。しかし、その日達が学会批判を禁じても、宗内で力を得ていった彼らは、聞き入れなかった。
 さらに七月、師僧であった日達が他界し、阿部信雄が日顕を名乗り、法主になると、彼の指導に従おうとはせず、対決姿勢をあらわにしていった。
 年が明けた八〇年(同五十五年)一月には、第四回となる全国檀徒総会が開催された。
 そして二月、次の宗会議員選挙(定数十六)に十六人が立候補することを決めたのである。自分たちが宗会を牛耳り、学会をさらに追い込んでいこうと企んだのだ。実際に彼らが、相当数の議席を獲得しかねない状況であった。
 学会の行く手には、障魔の激浪が牙を剝いていた。日蓮大聖人は、「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」(御書一二八二ページ)と叫ばれた。勇気をもって、幾重にも襲い来る怒濤に立ち向かい、乗り越えてこそ、広宣流布の大海に躍り出ることができるのだ。

【聖教ニュース】

◆きょう6・10「部の日」 婦人部が栄光凱歌へ大行進
 幸福のスクラム拡大で結成の月を荘厳


 加速度を増しながら栄光凱歌の大行進を続ける、創価の太陽・婦人部。
 きょう6月10日は「婦人部の日」である。66年前の1951年(昭和26年)のこの日、婦人部は結成された。
 婦人部の歴史は、世界広布を現実のものとした創価の師弟との不二の闘争とともにある。自身や家庭、地域の宿命転換のための懸命な奮闘が、自他共の幸福を目指す民衆城を築いてきたのだ。
 池田大作先生は、その厳然たる事実をたたえ、つづっている。
 「偉大な『生活博士』『幸福博士』の婦人部の皆さま方は、今日もまた、きらめく智慧と勇気で、『皆が幸せに』『地域が安穏に』と、誠実な対話の波を広げておられる」「何があっても、私たちは負けない。絶対に負けない。創価学会に、『絶対勝利の信心』と『師弟不二の誓願』があるかぎり! そして『世界の太陽』たる婦人部が、生き生きと燃え輝いているかぎり!」
 世界の婦人部の友は、幸福のスクラムをわが使命の舞台に広げながら、異体同心の団結で、結成の月を勢いよく進んでいる。
 永石婦人部長は力を込めて語る。
 「師匠と共に、永遠不滅の栄光の大広布城を築くのは今です。題目の渦を巻き起こし、地涌の陣列を大拡大してまいりましょう!」
 〈ブラジルSGI(創価学会インタナショナル)とタイ創価学会の婦人部長の決意の声を別掲〉


ブラジル ヒラノ婦人部長
 本年4月のブラジル婦人部の新出発に際し、「励ましを分かち合う」とのスローガンを掲げました。具体的には①訪問激励の充実②機関紙「ブラジル・セイキョウ」の購読拡大③弘教拡大の3点です。一人一人が人間革命に挑戦しながら、各部が団結して、広宣流布と立正安国という「師弟共戦の誓願」を果たしてまいります。
 明年には池田先生の第4次ブラジル訪問から25周年を迎えます。
 この訪問の折、香峯子夫人の誕生日である2月27日が「ブラジル婦人部の日」と決定しました。私たちの模範でもある奥さまのように、皆が智慧と慈愛で全てを包む“励ましの太陽”として地域、社会、家庭で輝き、幸福女王の連帯を築きたいと決意しています。
 ブラジルは、婦人部の先輩方から受け継いだ伝統の「ムイト・マイス・ダイモク(もっと題目を)!」との精神を胸に、どのような苦難があろうとも題目で乗り越え、創価の信頼と共感の実証を世界に示してまいります。


タイ ウサニー婦人部長
 タイ婦人部では、皆で小説『新・人間革命』を学び合い、池田先生の励ましを前進の力に変えて奮闘しています。
 折しも、バンコク近郊のタイ創価学会本部で法華経展が開かれており、“万人が無限の可能性を秘めた存在”との法華経の希望の哲理が、タイ社会に広く発信されています。
 そうした中で、婦人部の一人一人が、師の心をわが心として対話に走り抜き、地域・社会に友情と信頼のネットワークを大きく広げています。
 また、後継の青年の育成こそ、婦人部の使命です。タイ創価学会では2018年の「11・18」を目指し、各部が一体となって“青年部5万人”の拡大に取り組んでいますが、今回の法華経展の運営の中心となっているのも青年部。広報活動や案内役員等を担い、これまでの盛況をけん引してくれています。
 これからも未来を開く青年部・未来部を徹して励ましながら、模範の団結を築き、広布にまい進します。

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈グローバルウオッチ〉 若者と社会 インタビュー 経済学者・橘木俊詔さん
 格差社会の克服へ
 物質的豊かさから精神的充実へ 「新しい幸福観」への転換が必要 

 現代社会の課題を見つめる「グローバルウオッチ」。経済競争が激化し、格差が広がる中で、若者はどう希望の未来を開いていけばよいか。経済学者で京都女子大学客員教授の橘木俊詔さんに話を聞いた。(聞き手=村上進)

 ――グローバル経済が浸透し、格差社会が広がる今、多くの若者が困難な労働環境や家庭環境などに置かれ、社会との向き合い方に迷い、孤立しがちな状況にある。未来に不安を感じ、希望を見いだせない若者の現状について、格差社会論の第一人者である橘木さんはどう見ているだろうか。
  
 格差拡大の中で若い世代は多くの困難に直面してきました。長引く経済不況で高い失業率が続き、非正規雇用が拡大する中、働いても貧困に陥るワーキングプアが爆発的に増加しました。また最近、働き口は増えてきたようですが、劣悪な労働条件を強いるブラック企業や、過労死に至るほどの長時間労働など、今も多くの労働を巡る課題が山積しています。
 また近年、家族の絆が希薄化し、離婚率が高くなっている中で、ひとり親家庭や単身世帯の多くが、貧困状態にあります。幼児虐待や育児放棄など痛ましい事件も起きている。また、貧困に直面した若者ほど家庭を持つことに自信が持てず、結婚願望がない男女が急増しており、ますます孤立しがちな状況があります。
 かつての日本社会は、皆が物質的な豊かさを求めて猛烈に働き、高い経済成長と生活満足度を実現してきました。その背景には、若い労働者を安定して雇用し、福利厚生で支え続けた強い企業の存在があり、また貧しくとも共に助け合って若者・子どもを育てていこうという家族・親族の強い絆がありました。
 しかしその後、長い経済不況と低成長の時代に入る中で、企業や家族にかつてのような強い力を求めたり、若い人を支える責任を押し付けたりすることはできなくなってきています。
 今、重要なのは、政府や行政による福祉政策を軸としながら、社会全体で若者や格差に苦しむ人を支え、助け合う共生社会をつくっていくことです。
 また同時に、価値観が多様化する中で、単に物質的な豊かさだけではなく、心の豊かさを重視する「新しい幸福観」を社会に広げていくことが重要です。

  ――若者の中には、やりたい仕事が見つからないなど、「働くこと」の意味を求めるあまり、現実の行動を起こせていない人がいるように感じる。
  
 伝統的に日本で語られてきたのは、働く意義を考えることがまず大切であり、働くことで人生が充実し、生きる喜びを感じられるというような思想です。
 しかし現実に、働くことに楽しさと生きがいを感じるような職に就ける人はかなり少数派であり、大多数の人にとっては「働くことはつらく苦しい」しかし「食べるためには働かざるを得ない」のが実際ではないかと私は思います。
 ドイツ生まれの政治哲学者のハンナ・アーレントは、「労働」(labor)とは生命の維持のための行為であり、人間が生きるためにする消費行動の糧を得る手段であって、通常は苦痛を伴うものと指摘しています。その一方で、製作を伴う「仕事」(work)を、人工的な世界を作り出すものとして区別し、消費財の購入のためだけに働いている現代は「労働者の社会」だと言っています。
 このアーレントの考えを発展させたドミニク・メーダは、人間社会が生活・生命を維持するための労働のみに時間を奪われていることを嘆き、労働に自己実現を求めることは不可能で、労働以外の活動に求めるのが自然であると主張しました。
 私はこの二人の考えに共感します。働くことの意義を考えるなら、生活や家族を養うのに必要な収入・所得を得るためだけでも十分であって、労働を通して人生を充実させるというような考えは、必ずしも必要ではないと考えます。むしろ働くことに意義を持たせ過ぎると、うまく働けない時に、自分の人生までも否定しかねません。
 実際に、「生活の中でいつ充実感を感じるか」を聞いている内閣府の「国民生活に関する世論調査」(図)があります。そこでは一貫して「家族団らんの時」が1位で、かつては僅差の2位に「仕事にうちこんでいる時」が付けていましたが、近年では5位に落ち込んでいます。
 ここで重要なのは仕事以外の余暇であって、「友人や知人と会合、雑談」「趣味やスポーツに熱中」「ゆったりと休養」といったことが充実感につながっており、さらに「勉強や教養」「社会奉仕や社会活動」も大切な要素になってきています。
 もちろん、働きたい人は誰でも働けるだけの仕事が社会にあることが重要な前提になりますが、仕事については、ある程度必要な収入を得られればそれで十分と割り切り、仕事以外のところで人生を充実させていく発想も大切です。昨今、「ワークライフバランス」が強調されるように、仕事と家庭・人生をバランスよく充実させることが重要になっているのです。
  
 ――人生の充実感を得る上で「家族の団らん」が大きな役割を果たしていることは重要だが、現実はそういった「団らんが持てない家族」が増えていることが問題だといえる。
  
 そもそも全体的に、個人主義が徹底された社会になってきて、人との付き合いや助け合いといった関係性が面倒であり、好きではないという人が増えてきています。その中で、高い離婚率や若者の結婚願望の低下など、家族の絆が希薄化しているのは現実であり、それ自体をダメだと批判したり、否定しても意味がありません。
 むしろここで重要なのは、経済的な貧困や劣悪な労働環境などの問題から、結婚したくてもできない若者や、「団らんのある家庭」をつくりたくても、つくれずに孤立している家族が増えているということです。
 特に、ひとり親家庭の相対的貧困率は5割を超えており、子どもが十分な教育を受けられずに、将来にわたって貧困が連鎖しかねない事態は大変に深刻です。
 これまでの日本社会は自己責任の考えが強く、子どもの教育は家族に責任と負担を押し付けてきました。GDP(国内総生産)に占める「教育への公的支出」の割合が先進国の中で最低レベルであるというショックな数字は、日本が子どもの教育を家族に依存してきたことを物語っています。
 しかし今や、家族だけでは子どもの教育の機会均等を支えることができなくなっていることは間違いない。ならば政府や行政による福祉を軸として、社会全体で困難な状況にある家族を守りながら、未来ある子どもの教育を支えていかなくてはいけないと思います。
 また、若い学生・社会人への技能教育・職業訓練についても同じことがいえます。かつての企業は、安定した長期雇用の中で若い社員の技能教育をする役割を果たしてきましたが、今は余裕がなく、即戦力になる人ばかりを雇用する傾向にあります。
 現在、世界で最も幸福度が高いといわれるデンマークをはじめ、北欧諸国やドイツなどでは、学生に対する技能教育や、社会人になってからの職業訓練の機会が十分に広がっています。
 これからの日本社会も、子どもや若者への教育・技能訓練に関わる政策などを充実させ、一人一人の労働生産性を向上させながら、個人の幸福度と経済成長をバランスよく両立させる、新しい福祉国家へと進んでいく必要があると考えます。

 ――急速に少子高齢化が進み、人口減少社会に突入した日本は、かつてのような経済成長を望めないといわれる。その中でこれからの若い世代が未来へ希望を持って進むために、どんな視点が必要だろうか。
  
 経済学では、経済成長のないゼロ成長に近い状態を「定常状態(経済)」と呼びますが、これを19世紀に指摘したのがジョン・スチュアート・ミルです。
 ミルは地球上で開墾できる土地が有限であることに注目し、農業や工業における生産の成長にも制約がある以上、経済は定常状態に向かうと示しました。
 このミルの思想は、その後の経済成長一辺倒の世界にあって重視されることはなかったのですが、20世紀、人類の生存そのものを脅かす地球環境問題に直面して以来、あらためて注目されてきたといえます。
 つまり、有限な地球環境の中で生きる人類には、際限なき経済成長は許されず、持続可能な経済成長の中で生きていくことが必要不可欠だといえます。
 ましてや人口減少が続く日本で、高い経済成長を実現するのは現実的ではなく、地球の資源・環境を考えれば決して望ましいことでもありません。
 過去の「国民生活に関する世論調査」などの結果からも、経済成長率が向上したからといって、人生の充実感や幸福度が増すとは限らないことが分かっています。
 そういった意味では、一人一人が、経済成長や物質的な豊かさだけから幸福感を得るのではなく、精神的な充実や心の豊かさから幸福を実感できる「新しい幸福観」を持っていくことが、重要になってきているのではないでしょうか。
 アジアの発展途上国ブータンは、経済的には決して豊かではありませんが、国民の幸福度が高い国として知られています。
 一般的な経済指標であるGNP(国民総生産)とは別に、経済以外の要素を入れたGNH(国民総幸福)という独自の指標をもとに、幸福度を高めてきたといわれます。
 それが実現できた背景には、国民の多くが、チベット系の仏教を信仰しており、高い所得や華美な消費を追求することよりも、家族や地域との結び付きや支え合いの中で、安心感を得ることを重視する考え方があるとされます。
 もちろん宗教であれば何でもよいということではありませんが、やはり善い宗教を信じることは、精神的な幸福を得るために大切だと私は思います。
 特に、経済の拡大成長期から定常期へと移行していく時代には、有限な地球資源や環境への配慮、他者と助け合う共生・共存の精神など、「幸福とは何か」について、人類が思想的に成長・飛躍していくことが必要になってきます。
 新しい幸福観を支えていく上で、思想・宗教が果たす役割は大きいと考えます。
 たちばなき・としあき 1943年、兵庫県生まれ。京都大学教授、同志社大学教授を経て、現在、京都大学名誉教授、京都女子大学客員教授。労働経済学、公共経済学を専門としながら、格差社会論や労働問題の第一人者として社会に有意な発信を続けている。著書に『格差社会』『「幸せ」の経済学』『新しい幸福論』『脱「成長」戦略』(広井良典氏との共著)など多数。
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 ファクス:03-5360-9613

◆〈グローバルウオッチ〉 若者と社会 信仰体験 働く意味
 
   
米国人気ブランドのアジア地域マネジャーとして、現在は日本の全店舗を統括する。TIG(首都圏在住で英語を話す海外メンバーの集い)の副女子部長として友の激励も。出張中も池田先生の2冊の書籍を持ち歩くのは、「メンバーの相談に先生のガイダンス(指導)で答えるため」。羽沢支部、女子部員
米国人気ブランドのアジア地域マネジャーとして、現在は日本の全店舗を統括する。TIG(首都圏在住で英語を話す海外メンバーの集い)の副女子部長として友の激励も。出張中も池田先生の2冊の書籍を持ち歩くのは、「メンバーの相談に先生のガイダンス(指導)で答えるため」。羽沢支部、女子部員

 現代社会の課題を見つめる「グローバルウオッチ」。今月から「若者と社会」をテーマに、6月は「仕事」について考える。グローバルとローカル。対照的に働く2人の女性。

◆〈御書池田大学運動のために 池田華陽会御書30編に学ぶ〉 兄弟抄㊤
広宣流布は仏と魔との大闘争
 
「難を乗り越える信心」を貫き、確固たる幸福の土台を築きゆこう(先月28日、大阪市内で行われた総大阪創価青年大会)
「難を乗り越える信心」を貫き、確固たる幸福の土台を築きゆこう(先月28日、大阪市内で行われた総大阪創価青年大会)

 今月から2回にわたり、「兄弟抄」を学びます。池田先生は述べています。
 「戸田先生と私が師弟して、この『信心の姿勢』を学ぶ重書として拝読した御聖訓が、『兄弟抄』です。
 “わが門下よ、競い起こる三障四魔を決然と乗り越えよ”“各人が第六天の魔王を破り、成仏の境涯を確立せよ”――日蓮大聖人は、この『兄弟抄』で、『師弟不二』『異体同心』の信心で堂々と一切の魔性を乗り越えゆけ、と門下に教えてくださっています」
 苦難を、信心の眼から、どう捉えて乗り越えるか――。日蓮大聖人が、池上兄弟に教えられた“障魔と戦う信心の姿勢”を心に刻んでいきましょう。(今回の拝読範囲は、御書1079ページ冒頭~1084ページ10行目です)

本抄について


 本抄は、日蓮大聖人が、武蔵国池上(東京都大田区池上)の門下である池上宗仲・宗長兄弟と、その夫人たちに対して送られたお手紙です。
 池上家は、有力な工匠(建物の建築や修理を統括する役)として鎌倉幕府に仕えていました。しかし、父が兄弟の法華経の信仰に反対し、兄・宗仲を勘当します。本抄は、その報告に対する激励のお手紙です。文永12年(1275年)の御述作とされてきましたが、現在では建治2年(1276年)と考えられています。
 当時の勘当は、家督相続権を失うことであり、経済的基盤も、社会的立場も奪われることを意味しました。本抄が認められて以後、兄への2度目の勘当がありましたが、兄弟は大聖人の御指導通りに実践し、最後は父が入信するに至るのです。

御文


 されば法華経を信ずる人の・をそるべきものは賊人・強盗・夜打ち・虎狼・師子等よりも当時の蒙古のせめよりも法華経の行者をなやます人人なり、此の世界は第六天の魔王の所領なり一切衆生は無始已来彼の魔王の眷属なり、六道の中に二十五有と申すろうをかまへて一切衆生を入るるのみならず妻子と申すほだしをうち父母主君と申すあみをそらにはり貪瞋癡の酒をのませて仏性の本心をたぼらかす、但あくのさかなのみを・すすめて三悪道の大地に伏臥せしむ、たまたま善の心あれば障碍をなす(御書1081ページ14行目~18行目)

通解


 ゆえに、法華経を信じる人が恐れなければならないものは、賊人、強盗、夜討ち、虎や狼、獅子などよりも、現在の蒙古の襲来よりも、法華経の行者の修行を妨げ悩ます人々である。
 この世界は第六天の魔王が支配する所であり、あらゆる人々は、限りなく遠い過去から、この魔王の家来である。第六天の魔王は、六道の中に、二十五種類の存在(=三界六道の迷いの世界を二十五種に分けたもの)という牢を構えて、あらゆる人々をそこに入れるだけでは終わらず、妻子という手かせ足かせをかけ、父母・主君という網を空に張り、貪・瞋・癡の酒を飲ませて、仏性という本心を迷わせようとする。もっぱら、悪の肴だけをすすめて、三悪道の大地に寝転がらせておくのである。そしてたまたま、善の心を起こす人があれば、その邪魔をする。

〈解説〉強盛な信心で障魔に打ち勝つ


 広宣流布は、「仏」と「魔」との熾烈な闘争です。日蓮大聖人は、本抄で、大難に直面する池上兄弟に対し、魔と戦い抜く信心のあり方を教えられています。
 掲げた御文では、法華経を信じ、実践する人が恐れなければならないものは、強盗や猛獣、他国からの攻めよりも、“法華経の行者の修行を妨げ悩ます人々”であると仰せです。
 “法華経の行者の修行を妨げ悩ます人々”とは、広宣流布に前進する人の心を破り、悪道に導く「悪知識」を指します。悪知識とは、悪僧、悪人のことです。
 悪知識に紛動され、信心が破られてしまえば、成仏することはできません。ゆえに大聖人は池上兄弟に、“断じて魔に負けてはならない”と厳しく指導されているのです。
 悪の働きの根源となるのが「第六天の魔王」であり、その本質は、人間の生命に潜む根源的な迷い、すなわち「元品の無明」にほかなりません。
 私たちの住む娑婆世界は、「第六天の魔王」が支配する世界です。第六天の魔王は、妙法を持つ人の妻子や父母、主君を通して信心を妨げる働きとなり、“貪・瞋・癡の酒を飲ませて、仏性という本心を迷わせる”など、あらゆる手を尽くして人々を悪へと追いやります。
 この第六天の魔王に打ち勝つものは、「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり」(御書751ページ)とある通り、「信心」の利剣しかありません。“魔に負けてなるものか!”と強盛な信心を奮い起こして題目を唱え、立ち向かっていく時、魔を打ち破ることができます。
 大聖人の御生涯は、人々を不幸にする第六天の魔王との激しい闘争の連続でした。しかし、「日蓮一度もしりぞく心なし」(同1224ページ)と仰せのように、大聖人は民衆救済の誓願を貫き、あらゆる大難を勝ち越えられました。
 現代にあって、この大聖人の御精神を受け継ぎ、あらゆる魔性と戦い抜いてこられたのが、創価三代の師弟です。
 池田先生は綴っています。
 「魔というものは、皆を悩ませ困らせる働きをいう。だから戦わなければいけない。いかなる作戦も、その根本は強盛なる祈りです。敵が『魔』だから、『仏』に祈る。それで断ち切っていけるのです」
 師弟の月・7月へ。華陽姉妹の強盛な祈りと団結で、いかなる魔も打ち破り、師弟の凱歌を轟かせていきましょう!

池田先生の講義から


 戸田先生は、よく、「私の真の弟子ならば難を恐れず最後まで続け。断じて負けてはならぬ」とご指導されました。一日また一日、先生の言われるままに戦い、私は一切の魔性を打ち破ってきました。
 「師弟」は、いかなる魔性をも破る原動力です。(中略)
 「何があっても恐れない」「一切、魔性に従ってはならない」――これが、魔と戦う信心です。必ず勝つことができます。そしてまた、これが人生の極意ともいえましょう。
                                                                      ◇ ◆ ◇ 
 一番大事なのは、「自分自身の心に勝つこと」「唱題に徹し抜くこと」です。
 「難を乗り越える信心」に生ききれば、必ず、変毒為薬することができます。必ず、宿命転換することができます。必ず、一生成仏の境涯を築くことができます。必ず、広宣流布の道が大きく開かれていくのです。
 (『勝利の経典「御書」に学ぶ』第2巻)
研さんのために
 ○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第2巻、「兄弟抄」(聖教新聞社)
 ○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第8巻、「兵衛志殿御書」(同)
 ○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第13巻、「兵衛志殿御返事」(同)
 ○…『御書の世界』第3巻、「弟子の法難」(同)



◆〈教学〉 6月度座談会拝読御書 弥三郎殿御返事
御書全集 1451ページ10行目~12行目  
編年体御書1022ページ5行目~7行目
後世にまで残る偉大な歴史を
「勝つ」と決めて全力を尽くす
 

本抄について

 本抄は、建治3年(1277年)8月4日、日蓮大聖人が56歳の時に身延においてしたためられ、弥三郎という門下に宛てられたお手紙です。
 弥三郎については御書の内容から武士ではないかと思われますが、住んでいた場所など詳しいことは不明です。伊豆の門下・船守弥三郎とは別人とされています。
 本抄は、弥三郎が出家の念仏者と法論を行うに際し、主張すべき内容や心構えについて大聖人に御指南を仰いだことに対して答えられたものと考えられています。
 初めに、日本国の人々が、主師親の三徳を具える釈迦仏を差し置いて阿弥陀仏を崇めているのは大謗法であり、それゆえに飢饉や疫病が起こり、他国から攻められるのであると言われています。
 次に、そのことを指摘する大聖人に対して、2度の流罪など、さまざまな迫害が加えられたことを述べられ、心ある人ならば自分たちのために大聖人が難に遭ってくれたのだと考え、その迫害の一部でも引き受けるべきであると仰せです。
 最後に法論に当たって述べるべき内容と心構えを示されています。すなわち、所領を惜しんだり、妻子を顧みたりするのではなく、ひとえに思い切るべきであると言われています。そして、今まで生きてきたのは、今回の法論に遭うためであると思い定めて戦い抜くよう励まされています。


拝読御文

 但偏に思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり、此れこそ宇治川を渡せし所よ・是こそ勢多を渡せし所よ・名を揚るか名をくだすかなり


諸仏の“入其身”

 日蓮大聖人は今回、拝読する御文のすぐ後で、「釈迦・多宝・十方の仏・来集して我が身に入りかはり我を助け給へと観念せさせ給うべし」(御書1451ページ)と仰せです。「釈迦仏・多宝仏・十方の仏たちよ! 集い来って、わが身に入りかわり、私を助け給え」と心に念じなさい、との意味です。
 ここに説かれているのは、「善」の「入其身」ですが、法華経勧持品第13には「悪」の「入其身」である「悪鬼入其身」が説かれています。「悪鬼は其の身に入って」と読みますが、これは「悪鬼」が、さまざまな衆生の身に入り、正法を護持する者をそしり、辱め、仏道の実践を妨害することをいいます。
 「悪鬼」とは、誤った宗教・思想、また人の苦悩の因となって、精神を乱す源をいいます。日蓮大聖人は例えば、第六天の魔王が法華経の行者を迫害するために、智?や権力者の身に入ると述べられています。
 これに対して、「釈迦・多宝・十方の仏」、すなわち諸仏が「入其身」すれば、仏の所従(=家来)である諸菩薩・諸天等が従い、法華経の行者を守護することは間違いありません。
 池田先生は述べています。「広布の誓願を貫く生命にはありとあらゆる仏が入其身する。それほど、尊貴な我らである。ゆえに、諸天善神が守りに護らないわけがない。大宇宙の善の働きを、全て味方にしながら、満々たる仏の力で堂々と進みゆくのだ」
 “ここぞ”という勝負所では、わが身に、諸仏を「入其身」させる強盛な一念で祈り、行動していくことが大切になるのです。


瀬田川・宇治川

 今回の御文で言われる「勢多」とは瀬田川のことです。琵琶湖から流出して大阪湾に注ぐ淀川は、最も上流の部分を瀬田川といい、途中から宇治川と呼ばれます。
 瀬田川・宇治川は、古来、京都の南東の防衛線とされ、東国の軍勢にとって瀬田川・宇治川を渡れるかどうかが、京都を攻略する際のポイントになっていました。
 例えば、寿永3年(1184年)、源範頼と源義経の軍勢が、京都に入っていた木曽義仲の軍勢と戦った「宇治川の合戦」でも、ここが勝敗の分かれ目になりました。
 この時、義経軍に属する佐々木高綱と梶原景季の二人が先陣争いを演じたことは『平家物語』などに記されています。先に川を渡って先陣争いに勝った佐々木高綱は、優れた武士として、後の世まで名を残しました。
 この時、宇治川を渡りきった義経の軍勢が義仲軍を破り、勝利を収めました。
 また、鎌倉幕府と朝廷が戦った承久3年(1221年)の「承久の乱」の際も、北条泰時が率いる幕府の軍勢が、朝廷方の防戦をしのいで宇治川の渡河に成功し、勝利しました。幕府は、この乱に勝ったことで、全国各地に勢力を広げました。
 このように瀬田川・宇治川は戦いの勝負を決する場所とされてきたのです。
                                                      ◇ 
 日蓮大聖人は弥三郎に対して、今回の法論こそが勝負を決する瀬田川・宇治川に当たり、名を上げるか下すかの分かれ目であると言われています。全力を尽くして戦い、断じて勝利していくよう、弥三郎を激励されているのです。


「今年の世間」

 拝読御文では「今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに」(御書1451ページ)として、本抄が書かれ建治3年(1277年)に多くの人命が失われたことを述べられています。  すなわち本抄に「諸人現身に大飢渇・大疫病・先代になき大苦を受くる」(同1450ページ)とあるように、この年は深刻な飢饉があり、また疫病の流行が見られました。
 疫病は建治3年の春から翌・建治4年の2月中旬まで、社会の各層に広がりました。この疫病について建4年2月に書かれた「松野殿御返事」には次のように述べられています。  “去年の春から今年の2月の中旬まで、伝染病が国中に充満した。10軒に5軒、また100軒に50軒まで、家族が皆、伝染病で死んでしまっり、また、病にはかからなかった者も、心は大苦悩にあっているので、病に侵された人々以上に苦しんでいる”(同1389ページ、趣旨)。疫病が猛威を振るい、多くの人が亡くなったことが分かります。
 また飢饉についても、同抄には次のように記されています。“日本国は、ここ数年の間、うち続いて飢饉がが進み、衣食は全くなくなり、畜類を食べ尽くした”(同ページ、趣旨)と。当時の飢饉は、これほど深刻なものでした。
 日蓮大聖人は、このように多くの人が亡くなっていった中で、生き永らえることのできた自らの使命を深く自覚すべきであると教えられているのです。
池田先生の指針から 大変な戦いこそ宿命転換の好機 重大なる法戦――広宣流布の言論戦に立ち会い、わが身、わが声、わが行動をもって仏法を宣揚し、師匠の正義を叫ぶことができる。これ以上の誉れはありません。
 「今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり」――
 思えば、末法今時において、妙法に巡りあい、創価学会員として、創価の師弟として、世界広宣流布の道を共に歩めること自体が、最高の栄誉です。黄金に輝く人生です。
 戸田先生は言われました。
 「乱れた世の中で生活が苦しいとき、何故私たちは生まれてきたかを考えなければならない。
 みな大聖人様の命を受けて広宣流布する役目を持って生まれて来たということが宿習なのである。それが解るか解らないかが問題なのだ」
 長い人生の中にあって、「ここが勝負所である」「今が重大な勝負時である」という戦いに直面した場合も、この御文に通ずる体験でありましょう。
 私も、わが師と共に、わが同志と共に、幾度となく「此の事にあはん為なりけり」と命に刻んだ激闘が、数多くあります。同志の皆様もそうでしょう。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第13巻)
                                                            ◇ ◆ ◇ 
 大聖人は、これから弥三郎が臨まんとする法論こそ、武士が名を挙げるチャンスである合戦と同じく、広宣流布の法戦において永遠に名を残す好機だと教えられています。
 そこで譬えに挙げられているのが、宇治・勢多の戦いです。
 そこは古来、京都に攻め入る際の要衝です。そこを余人に先駆けて突破して名を挙げることに、多くの名将たちも命を懸けたのです。
 私にとって、この一節は「“まさか”が実現」と、世間をあっと驚かせた「大阪の戦い」(1956年)の渦中、わが関西の同志と深く拝した御文でもあります。
 「今ここ」が、広布の突破口を開く決戦場であり、自身の宿命転換の正念場である――こう自ら決めて祈り、行動する時、必ず勝利の道は開かれます。
 大変な戦いの時こそ大転換のチャンスだと覚悟し、喜んで挑んでいくのが本当の勇者であり、賢者の生き方です。(同)
参考文献
 ○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第13巻(聖教新聞社)
 

2017年6月 9日 (金)

2017年6月9日(金)の聖教

2017年6月9日(金)の聖教

◆わが友に贈る


失敗を恐れないことが
真の成功への財産に。
くよくよせずに
より賢く より強く
前を向いて挑み抜こう!

◆〈名字の言〉 2017年6月9日

 作家の半藤一利さんが「デマのスピード」と題して、こんなエピソードを紹介している▼時は1938年(昭和13年)。日中戦争が泥沼化し、日常生活も苦しくなる中、巷には多くのデマが飛び交っていた。そこで、デマが広まる速さを“実験”しようと陸軍参謀の一人が民間の友人に吹き込んだ。“国民の士気に関わるので今は伏せているが、実は双葉山が昨日死んだ”▼その後、参謀本部は“24時間内に、この噂話が入ったら直ちに報告せよ”と国内外の全陸軍部隊に周知した。双葉山といえば当時、69連勝した大横綱。噂話はたちまち広がった。一番遠くは満州(現・中国東北部)にある司令部からの報告だったという(『歴史のくずかご』文春文庫)▼日蓮大聖人は「立正安国論」で「速に対治を回して早く泰平を致し」(御書33ページ)と。世にはびこる誤った思想や宗教を「速に」打ち砕き、「早く」社会の平穏を取り戻す。これが仏法者のあるべき姿勢であろう▼インターネットの発展により、今は情報が瞬時に世界を巡る。人々の不安をあおる悪意に満ちた話も後を絶たない。私たちはウソを追い抜くような速度で、人を励まし、人をつなぐ言論戦を展開したい。よりよい社会を築くために必要なのは「真実を伝えるスピード」である。(値)

◆〈寸鉄〉 2017年6月9日

 副役職の友が立てば勢い
 は倍加。“長”と心合わせ
 友を励ます行動に福徳が
      ◇
 東京・足立が猛撃。戦いは
 攻め抜いたほうが勝つ。
 庶民の王者よ見事凱旋を
      ◇
 御書「百千万年くらき所
 にも燈を入れぬればあか
 く」。強き信心に仏力厳然
      ◇
 全国各地で梅雨入り。体
 調管理賢く。爽快な朝の
 勤行から心清々しく出発
      ◇
 南極の巨大氷山が分離寸
 前。崩壊続けば海面上昇
 も。環境保全の対策急げ

◆社説  あすは「婦人部の日」   全ての女性が幸福になる時代を


 あす10日は、結成から66周年を迎える「婦人部の日」。
 終戦から6年後の1951年(昭和26年)6月10日、婦人の代表52人が集い、出発した。戦後の困窮から抜け出せず、多くの人々が苦しんでいた時代。社会の荒波は、女性にいっそう激しく襲い掛かっていた。
 戸田城聖先生は、「母が皆、幸せになった時に、本当の平和な世界となる」と、各部に先駆けて婦人部を結成した。それは創価三代の会長の変わらぬ願いである。
“全ての母と女性が幸福に”との師弟の願いに反して、幾度となく学会に障魔の嵐が吹き荒れた。宗門事件もその一つである。
 79年(同54年)5月3日の本部総会の模様が、小説『新・人間革命』「大山」の章につづられた。師弟の絆を引き裂こうとした卑劣なやからは、会員に「(池田先生を)先生と呼んではいけない」と強いた。だが総会終了後、幼子を背負った婦人らは、先生の姿を目にすると「先生! 先生!」と叫ばずにはいられなかった。
“これから、こういう尊い方々を、本当に善良な仏子を、誰が守っていくのか! 誰が幸福にしていくのか! 私は、必ず守り抜いてみせる!”――いかに状況が変わろうが、どんな立場になろうが、広布の母をたたえ、守り、励ましを送り続ける師。その真心に応えようと進んできた婦人部。この師弟の歩みによって、学会は今日の大発展を築いてきた。
 アイスランドSGIのエイグロ・ジョンスドッティル理事長は89年(平成元年)の師との出会いが原点と語る。屋外で照り付ける日差しの中、彼女の体調を気遣った師は何度も声を掛けたという。「一人の弟子を思ってくださる先生。温かな真心に接した感動は、今も鮮明に覚えています」と。彼女は今、師の振る舞いを胸に、同志の励ましに、広布拡大に走っている。
 東京・荒川区の宝寿会の婦人もその一人。60年前、大阪事件の直後に先生が指揮を執った“荒川闘争”。期間は1週間。婦人ら草創の友は師弟共戦で二百数十世帯の弘教を成し遂げた。「師匠に出会い、この信心で本当に幸せになれました。師恩に報いる時は今」と婦人は誓う。
 日蓮大聖人は「悲母の恩を報ぜんために此の経の題目を一切の女人に唱えさせん」(御書1312ページ)と願われた。まさに全ての女性が幸福になるために、仏法はある。さあ師弟凱歌の7月へ! 母子が輝く平和の世紀を、立正安国の世界を、われら弟子の手で断じて切り開いていきたい。

◆きょうの発心  師弟不二の心で広布拡大に走る

御文
 心の師とは・なるとも心を師とせざれ(兄弟抄、1088ページ・編689ページ)
通解 わが心に対して師とはなっても、わが心を師としてはならない。

 自身の弱い心に負け、弱い心を師として従ってはならない、と教えられている御文です。
 2年前の1月、マレーシアにいる兄が急死。白蓮グループの入卒式を目前に控えた突然の訃報に動揺しましたが、マレーシアの同志から「兄は最期まで広布一筋の人生だった」とうかがい、家族全員の励みになりました。「広布のど真ん中で走り抜くことが最高の追善」との先輩の激励に、生涯不退を誓いました。
 その直後に、本部幹部会での任務の話があり、白蓮グループで培った「自分中心に生きるのではなく、池田先生だったらどうされるか」との精神を胸に、無事故・大成功の任務を決意しました。
 会合終了後、先生から思いも掛けず真心の激励を頂き、一段と奮起しました。翌日から、地元・村山総区の華陽姉妹と共に広布拡大に走り、勝利の歴史を刻んだことが、自身の原点となっています。
 本年は、池田先生の提案で、白蓮グループの淵源である女子部の「整理班」が結成されて60周年。草創から変わることのない「広布のお役に立ちたい」との自発と率先の白蓮精神を胸に、村山総区はじめ全国の同志と師弟不二で前進し、勝利の姿で7・8「白蓮グループの日」を迎えてまいります!  白蓮グループ副委員長 宮本真由美

◆小説『新・人間革命』第30巻 雌伏の章  六十五 (6093)
 
 


 「それでは、一緒に勤行しましょう」
 山本伸一は、「勇将グループ」のメンバーらと共に勤行し、皆の健康と一家の繁栄、目黒創価学会の勝利を真剣に祈念した。
 その後、婦人部、女子部の幹部らと懇談した。区の婦人部長からは、特に伸一の会長辞任後、激しさを増す寺の学会批判のなか、一人も同志を落とすまいと、個人指導に全力を注いでいることが報告された。
 「苦労をかけるね。辛いだろうが、今が正念場だよ。必ず事態を打開していくから、すまないが頑張ってほしい」
 伸一の言葉に、彼女は目を潤ませた。
 「先生、私たちは負けません! 大切な同志を、守り抜いてみせます」
 「ありがたいね。頼みます」
 すると、区の女子部長が言った。
 「女子部は今、活発に部セミナーを開催して、折伏・弘教を推進しております。信心する友人も増え、皆が歓喜に燃えています」
 「すごいね。新しい時代が来たね。時代は創るものだ。一緒に築き上げようよ」
 伸一は、嬉しかった。
 彼と峯子が一九五二年(昭和二十七年)五月三日に結婚し、新生活のスタートを切ったのが目黒区三田であった。戸田城聖の家にも近かった。夫婦して師を守り、学会の未来を開こうと誓い合い、広布の新たな歩みを開始していったのだ。その目黒の青年たちが、吹雪に胸を張り、進むように、喜々として弘教に励んでいることに喜びを覚えたのである。
 語らいのあと、伸一は、二階の広間に向かった。既にセミナーは終わっていたが、役員をはじめ、各部のメンバーが残っていた。彼は、ここでも皆と記念撮影し、さらに、「うれしいひなまつり」「月の沙漠」「人生の並木路」をピアノ演奏した。
 「皆さんへの、せめてもの励ましとして、ピアノを弾かせていただきました。何があっても、堂々と勇気をもって進もう!」
 試練の嵐のなかで、同志は奮戦していた。創価の新しき力の胎動が始まっていたのだ。

【聖教ニュース】

◆民音 ドラケンスバーグ少年合唱団 15年ぶり4度目 
 7・8月に全国25会場で公演
 虹の国 南アフリカから希望のハーモニー

異なる人種や文化的背景を持つメンバーで構成される「ドラケンスバーグ少年合唱団」。ミュージカル・ナンバーや、南アフリカの民族楽曲などを歌い上げる
異なる人種や文化的背景を持つメンバーで構成される「ドラケンスバーグ少年合唱団」。ミュージカル・ナンバーや、南アフリカの民族楽曲などを歌い上げる

 虹の国から希望のハーモニーがやってくる!――南アフリカ共和国の「ドラケンスバーグ少年合唱団」の民音公演が7、8月、全国25都市で行われる。
 15年ぶり4度目となる本公演は、同合唱団創立50周年の祝賀の意義を込めたもの。
 合唱団のメンバーは「世界少年合唱団フェスティバル」で最優秀賞に輝くなど、世界的に名をはせた名門・ドラケンスバーグ少年合唱学校の生徒たち。
 多国籍の10代の団員は日々、切磋琢磨し、合唱技術を高め合っている。
 編成は、ボーイ・ソプラノ、ボーイ・アルトに加え、変声期を迎えた少年たちによるテノールとバスのパートの四部合唱。
 男声合唱でありながらも、大人の混声合唱と同じ四声部のため、音の響きが重層的になるのが特徴だ。
 民音と南アフリカ共和国とのつながり。それは、創立者・池田大作先生とネルソン・マンデラ元大統領との1990年の出会いにさかのぼる。
 アパルトヘイト(人種隔離)政策に抵抗し、27年半に及ぶ獄中闘争を勝ち抜いたマンデラ氏。
 “差別のない世界の構築へ”――対談の中で池田先生はマンデラ氏に、民音による南アフリカの芸術家の招聘などを提案した。
 以来、民音は同国との文化交流を重ねてきた。同合唱団の日本公演も1997年から始まっている。
 どんな人種の人も平等に暮らせる“虹の国”を――マンデラ氏の信念を携えて来日する少年が、心一つに織りなすハーモニーは、人々の胸を打つだろう。
 問い合わせは各地の民音センターまで。

◆トーゴが躍進 初の本部幹部会上映行事を実施
 
   
トーゴ平和会館で行われた広布勤行会(4日)
トーゴ平和会館で行われた広布勤行会(4日)

 西アフリカ・トーゴ共和国の首都ロメ郊外にあるトーゴ平和会館で4日、広布勤行会が行われ、600人を超える友が集った。
 トーゴ平和会館は昨年3月に誕生。勤行会は、毎月初旬に同会館で行われ、国内各地から広宣の誓いに燃えるメンバーが参加する。
 トーゴSGI(創価学会インタナショナル)では、この会合を前進の節としながら、各地で人間主義の幸福のスクラムを着実に広げてきた。
 4日の勤行会では、日本での本部幹部会の模様が同国で初めて上映され、4月の幹部会を視聴。“トーゴ広布の母”であるイダ・アジェビ議長の信仰体験や池田先生のスピーチ映像などに、喜びと感動が広がった。
 池田先生は、同会館の開館式に贈ったメッセージで、同国の友に万感の期待を寄せた。
 「21世紀の大陸・アフリカで、トーゴの皆さま方が、長年にわたり努力を惜しまず、異体同心の団結で、着実に広宣流布の前進を成し遂げてこられたことは、アフリカ広布の模範の姿であります」
 昨年、第1回アフリカ統一教学実力試験に多くの友が受験し、行学二道の勢いが増すトーゴSGI。友はこれからも師の期待を抱き、アフリカ広布新時代を躍進する。
【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈誓いの天地〉 埼玉・所沢  歴史をつくる新たな飛翔を
 天空高く勝鬨あげゆけ
 
所沢文化会館を初訪問した池田先生が、居合わせた同志に真心の励ましを。先生は、所沢広布40周年記念総会に出席し、破邪顕正の魂、女性を尊重する姿勢などについて語った(1991年8月11日)                                                                          
所沢文化会館を初訪問した池田先生が、居合わせた同志に真心の励ましを。先生は、所沢広布40周年記念総会に出席し、破邪顕正の魂、女性を尊重する姿勢などについて語った(1991年8月11日)

 埼玉の南西部に位置する所沢市。近年、市内への大手企業の誘致や、所沢駅周辺の再開発事業が進む。
 東村山、東大和、武蔵村山など東京各市と隣接し、所沢駅からは、豊島・中野・新宿・杉並・練馬区などにも直通で結ばれている。
 観光名所も多く、市の南部には、映画「となりのトトロ」の舞台にもなった狭山丘陵が広がる。また、プロ野球・埼玉西武ライオンズの本拠地球場・メットライフドームもある。
 さらに、所沢は「日本の航空発祥の地」としても知られている。日本で最初の飛行場は、1911年に開設された「所沢飛行場」。その跡地は、「所沢航空記念公園」として、市民に親しまれている。
 91年8月11日、池田先生は、初訪問した所沢文化会館で語った。
 「『所沢』の名は、私どもの世代にとって、勇壮な飛行機の姿を思い起こさせる、皆の憧れの地であった」
 「学会とともに生き抜いた人は、皆、幸福の大空へと飛翔された。想像もしなかったような、限りない境涯を広げられた」と。
 また、先生は、埼玉新聞に掲載された特別寄稿(4月25日付)の中で、大宮の鉄道博物館と所沢市の航空発祥記念館を紹介しつつ、「郷土の誉れの歴史に触れる中で、陸に空に夢を広げゆく舞台」と、埼玉の教育力をたたえた。
 今、人材を育む揺籃の天地・所沢から、平和の空へと羽ばたく若き男女青年部が陸続と誕生。地域の青年会議所などで、要職を担うメンバーもいる。
 先月21日、市内で、第6回「戦国滝の城まつり」が開催された。会場の「滝の城跡」は、県指定文化財。約150人が甲冑に身を包む武者行列が人気だ。
 祭りの恒例演目として、「よさこい踊り」を披露するのが「東所沢若獅子会」。東所沢圏ヤング男子部員を中心に構成されている。本格的な演舞とはつらつとした姿が好評で、市内の祭りや行事に引っ張りだこ。隣接する東京都の市から招待を受けたこともある。
 若獅子会は10年以上前、ヤング男子部の人材育成の場として発足した。今、会をまとめているのは、同圏ヤング男子部長の板橋伸広さん。板橋さんも、若獅子会への参加を機に、学会活動に積極的になった。
 市内の病院に准看護師として勤める板橋さん。職場の人間関係に悩み、悶々とする日々が続いていた。
 若獅子会の先輩に悩みを打ち明けると、「患者さんのことを一番に考えていこうよ」と。「はっとしました。環境のせいにして、果たすべき使命を見失っている自分に気付いたのです」
 心新たに仕事に臨んだ。学会活動にも励み、友人に弘教を成就した。
 職場では、患者さんに慕われるようになり、人間関係も一変。行く先々の病棟で、「ここに残ってほしい」と言われるほど、信頼を得ることもできた。
 一人のために徹する。学会で学んだ精神を胸に、板橋さんは、苦悩する人々に寄り添い続ける。
                      ◇ 
 所沢市で育った浜田ゆいさん(女子部副本部長)は、保育士として市内の保育園に勤務する。
 中学2年の時、母・優子さんに乳がんが見つかった。手術するも1年半後に再発。医師からは余命が告げられた。その中、母は折伏を受け、入会する。
 浜田さんは、「入会後、日に日に母の言葉や表情が変わっていきました。『絶対に病気に負けない』と、力強く話すようになったんです」と。
 壮絶な抗がん剤治療。病魔に立ち向かう母の姿に触れ、浜田さんは、妹と共に入会し、信心を始めた。学会活動に励む姿、白蓮グループで着任する姿を、母は心から喜んでくれた。
 家族のように寄り添い続けてくれた地域の同志にも支えられ、母は、見事な更賜寿命の実証を示し、霊山へと旅立ったのである。
 浜田さんは、母の信心を継ぎ、東京・足立区の友人に仏法対話を進めるなど、華陽の連帯を広げている。
 母が遺してくれた「心の財」。その大切な宝物を抱き締めて、浜田さんは、きょうも広布に走る。

栄光の共戦譜

 池田先生が所沢を初訪問したのは、1978年7月。第1次宗門事件の渦中であり、先生が会長を辞任する9カ月前だった。
 また、先生が、所沢文化会館を訪れた91年8月は、邪宗門の鉄鎖を断ち切り、「魂の独立」を勝ち取る3カ月前のことである。
 広布史に刻まれる破邪顕正の法戦を、師と共に戦い抜いてきた――。それが、所沢の同志の無上の誇りであり、永遠の決意である。
 78年7月5日、先生は、所沢会館(当時)の開館1周年を記念する集いに出席。入場の直前、駆け付けてきた関根寛治さん(地区幹事)を、「関根君だろう。覚えているよ」と、温かく迎え入れた。
 関根さんは脳性小児まひに悩み、13歳で入会。青果市場で働きつつ、大学に進学。他宗の檀家総代だった祖父母らを入会に導いた。
 “あの八百屋は、創価学会”と笑われたこともあった。折伏に歩けば、塩をまかれ、水を掛けられたが、関根さんは、ますます信心の炎を燃え上がらせた。
 22歳の時、学会本部(東京・信濃町)での記念撮影会へ。「健康になるんだよ。所沢の関根君だね。覚えておくよ」。先生は抱き締めてくれた。所沢会館での再会は、その10年後だった。
 関根さんは、妻の豊子さん(支部副婦人部長)と二人三脚で、地域広布に尽くしてきた。2人の娘は今、所沢女子部のリーダーとして活躍。一家和楽の実証を示している。
                  ◇ 
 先生が所沢会館を訪れた日は30度を超す真夏日。壇上役員だった上藤和之さん(県副総合長)は、「猛暑の中、先生は流れる汗をぬぐいつつ、渾身の指導をしてくださいました」と語る。
 先生は訴えた。「この天地を、功徳に満ち満ちた『信心の理想郷』に」と。
 上藤公枝さん(総県婦人部総合長)は述懐する。
 「この原点を機に、拡大のうねりが起こりました。年間60世帯を超える弘教を実らせる支部も誕生し、所沢は“埼玉一”の広布拡大を成し遂げるのです」
 上藤さん夫妻は、91年8月に誕生した「所沢県」の初代県長・県婦人部長に就任。今も地域広布の原動力として、東奔西走の日々を送っている。
                    ◇ 
 82年9月18日、所沢市の西武ライオンズ球場(当時)で、第2回「世界平和文化祭」が開幕した。19日は雨。先生は、球場内を周りながら、「風邪をひかないでくださいね」と、来場者に声を掛けていった。
 川﨑淳二さん(副県長)は、整理役員として、その先生の慈愛を心に刻んだ。
 川﨑さんは札幌の出身。上京後に入会したが、両親は快く思っていなかった。だが、テレビ放送された文化祭の様子を見て、学会への理解を深め、入会。晩年を所沢広布にささげた。
 川﨑さんは、念願の一級建築士に。独立し、市内に建築設計事務所を立ち上げるが、不況の影響などで経営難が続いた。
 妻の洋子さん(支部副婦人部長)と広布に奔走し、苦境を打開。事務所は明年、設立30周年を迎える。
 3人の娘は、全員が創価学園を卒業。長女は所沢、次女は横浜、三女は東京・大田区で後継の道を歩む。
                   ◇ 
 文化祭の数日前、球場近くに住む盛崎敏子さん(婦人部副本部長)は、数人の同志と共に、近隣の家々に入場整理券を配り歩いた。
 文化祭後は、映写機を背負って地域を回り、行く先々で文化祭の上映会を。地道な対話を重ね、近隣17世帯に弘教を実らせた。
 94年、盛崎さんは、膠原病を患い、全身の激痛と闘った。さらに10年後には、脳出血を発症した。
 「信心で必ず治す」と誓った盛崎さん。地域の同志も懸命に祈ってくれた。
 治療し、1週間後の検査。医師が驚く。「脳出血の症状が消えています」。盛崎さんは、1カ月のリハビリを経て、退院。その日から膠原病の痛みも消えた。
 盛崎さんは、自治会の理事や婦人部長を歴任し、地域貢献に励んでいる。
                     ◇ 
 先生が所沢文化会館を訪問した91年、同会館の管理者を務めていた、平塚亘さん(故人)・多美枝さん(婦人部副本部長)夫妻。
 夫妻は、「守る会」の友らと協力し、日々、会館を丹念に清掃していた。その中での先生の訪問だった。
 多美枝さんは、「先生は会館に到着されると、『きれいな会館だね。素晴らしい会館だ』と語っておられました」と振り返る。
 平塚さん夫妻は、こうした先生の励ましを「生涯の財産」とし、13年間、所沢文化会館を守り抜いた。
 「夫は、亡くなるその時まで、先生への感謝を語り、“会館を守り抜く”との信念を貫きました」
 今、多美枝さんは、亡き夫の遺志を継ぎ、愛する所沢の地を駆けている。
                     ◇ 
 日蓮大聖人を迫害した鎌倉幕府の滅亡は、1333年。新田義貞は、所沢・小手指ケ原で幕府軍との初戦を戦い、その後11日間で、都を攻め落とした。所沢には、時代変革の突破口を開いた歴史が刻まれている。
 かつて、先生は、所沢の友に詠み贈った。「万人が 見つめる偉大な 所沢 天空高く 勝鬨あげゆけ」
 先生が所沢を初訪問した原点の月「7月」へ。所沢の同志は、立正安国の旗を掲げ、破竹の勢いで進む。

◆〈信仰体験〉 北の大地の米農家   私は絶対に負けない!


 【北海道旭川市】ゆめぴりか、きらら397、ななつぼし、おぼろづき……。東京ドーム5個分を超える約27ヘクタールの広大な水田で、6品種の稲苗の緑が揺れている。

◆〈信仰体験〉 長野しまんりょ会の初代会長   誰かの幸せのために働く

 【長野市】JR長野駅と善光寺を結ぶ表参道。その裏通りの石畳の道は、「しまんりょ小路」と呼ばれ、飲食店などが軒を連ねる。

2017年6月 8日 (木)

2017年6月8日(木)の聖教

2017年6月8日(木)の聖教

◆わが友に贈る

仏法は「以信代慧」。
縁する友の幸福と
わが地域の広布前進を
強盛に祈り抜こう!
智慧は無限に湧く!

◆〈名字の言〉 2017年6月8日

 宮崎県内の海岸で、アカウミガメの産卵が始まった。実は日本は、世界有数のアカウミガメの産卵地。太平洋側を中心に産卵が確認され、北太平洋では唯一の産卵地となっている▼環境省の「ウミガメ保護ハンドブック」によると、日本で生まれたアカウミガメは、黒潮にのって太平洋を横断し、エサが豊富な米カリフォルニア半島の沖合を目指す▼そこで成長したアカウミガメは、産卵のために再び日本へ戻ってくるのだが、子ガメが親ガメほどの大きさになるには、約30年もかかるそうだ。長旅を経て、夜の浜辺で静かに産卵するアカウミガメがいとおしくなる▼カメと言えば、法華経に説かれる「盲亀浮木の譬え」を思い出す。深い海の底にすむ「一眼の亀」は苦しみから逃れるため、自分にぴったり合う栴檀の浮木に出あうことを願う。ところが、海面に浮上する機会は千年に一度。その時、大海原で条件を満たした浮木に出あうことは極めてまれなことから、正法に巡り合うことの難しさを教えている▼日蓮大聖人は「一切衆生は一眼の亀なり栴檀の浮木とは法華経なり」(御書779ページ)と。仏法に巡り合えた喜びと感謝を忘れまい。師と共に、同志と共に前進する世界広布新時代の今こそ、千載一遇の「天の時」である。(誼)

◆〈寸鉄〉 2017年6月8日

 「ひとすぢにをもひ切っ
 て」御書。中途半端は損。
 悔いなく完全燃焼せよ!
      ◇
 東京・荒川が猛追。ドラマ
 はここから。断固怯まぬ
 拡大で感激の逆転勝利を
      ◇
 王の言葉は剣よりよく切
 れる―格言。歴戦の勇者・
 壮年部の出番!堂々進撃
      ◇
 “世界を変えるのは女性”
 と創価の女性から学んだ
 ―識者。平和世紀の太陽
      ◇
 「80歳で自分の歯20本」
 初の5割超―調査。日々
 の心掛けが健康長寿の礎

◆社説  10日は「時の記念日」   「時間革命」で価値創造の日々に


 「光陰矢の如し」という。「光」は日で、「陰」は月のこと。過ぎ去った月日は、弓から放たれた矢のように、二度と返らない。“今日”という日は、かけがえのない一日なのである。
 明後10日は「時の記念日」。「タイム・イズ・マネー(時は金なり)」の名言で知られる“アメリカ建国の父”ベンジャミン・フランクリンは、一日24時間の行動計画を「時間表」にして、手帳に記していた。
 朝はまず、自身に問う。「今日はいかなる善行をなすべきか」
 そして夜には、自身を省みる。「今日はいかなる善行をなしたか」(それぞれ、松本慎一・西川正身訳、岩波書店)
 一日を決意から出発し、行動し、反省を怠らない。時間は有限だからこそ、先哲のように「一日の計」を立て、“大善”をなす日々を送りたいものだ。
 1960年から、NHK放送文化研究所が行ってきた「国民生活時間調査」は、生活時間の変化を浮き彫りにして興味深い。
 昨年の分析によると、「労働・学業の時間」が増加。さらに、「食事や身の回りのこと」や「インターネットの利用」などに費やす時間も増える一方で、家族や友人との「会話・交際の時間」や「行楽・散策」は減っていることが分かった。
 義務性の高い行動や、一人で過ごす時間は増えているが、他者と触れ合い、心通わせる時間は減少傾向にあるというのだ。
 “忙しい、忙しい”と、気ぜわしく生きていては、充実感よりも、疲労感ばかりが蓄積してしまう。自他共の幸福のため、価値的に、心豊かに時間を使いこなす生き方を目指したい。
 日々の学会活動においても、心掛けるべきは、「時間革命」だ。一回一回の会合や打ち合わせに真剣勝負で取り組み、決めた終了時間を厳守。離合集散のリズムで、一人一人との胸襟を開いた対話に重点を置きたい。
 池田先生は激務の中、寸暇を割いて同志を励まし、手紙や句を認め、本紙の連載等を一行一行、命を削る思いで執筆してきた。その渾身の闘争は、同じ時間であっても、一念次第で何倍、何十倍もの価値を創造できることを教えている。
 「一日一日が大事である。一日で一週間、十日分の価値を創ろう、一年を十年分に生き抜こう――これが私の信条である」と先生は語っている。
 “さあ、今日一日、十倍戦おう!”――その決心で祈り、動き、対話拡大に打って出よう。未来の勝利は、今この瞬間の一念で決まると銘記して。

◆きょうの発心  亡き家族の分まで広布に前進 2017年6月8日

御文
 大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず(祈祷抄、1351ページ・編519ページ)
通解 大地をさして外れることがあっても、大空をつなぐ者があっても、潮の満ち干がなくなっても、日が西から出ることがあっても、法華経の行者の祈りのかなわないことは絶対にない。

 
法華経の行者の祈りは必ずかなうと仰せです。
 2005年(平成17年)暮れに、当時、中学2年の次男が足の痛みを訴えました。骨のがんである「骨肉腫」でした。「なぜ、わが子が?」という迷いを打ち消すように、題目を唱え抜く中で脳裏に浮かんだのが、御書のこの一節でした。
 闘病中、池田先生から度重なる激励をいただきました。一人の未来部員に寄せてくださる師匠の慈愛の心に応えるべく、次男は何度も何度も勇気を奮い起こし、病に立ち向かいました。
 09年夏、池田先生と創価家族の題目に包まれ、次男は使命を果たしきって18歳で霊山へ。荘厳な次の生への出発でした。
 現在、大きな病を乗り越えた妻、創価班で薫陶を受ける長男と共に、一家全員が“次男の分も”との思いで広布に走る毎日です。愛する八王子の地に正義の旗を打ち立て、師恩に報いる決意です。   東京・八王子栄光区長 寺窪正広

◆小説『新・人間革命』第30巻 雌伏の章   六十四 (6092)

 


 山本伸一は、勇将グループのメンバーと、目黒平和会館の階段で記念のカメラに納まった。そして、目黒長の佐々井幸啓に言った。
 「活動は明るく、はつらつと進めていくんだよ。みんな、ありのままでいいんです。
 リーダーは、画一的に物事を進めるのではなく、どうすれば、それぞれの人が自分らしく、伸び伸びと、最も力を発揮していけるのかを考えていくことです。
 また、前進の牽引力となるのは、リーダーの率先垂範です。自分の行動と情熱、真剣さで、皆を触発していくんです。同志の心に歓喜と闘魂を燃え上がらせるのが勇将です」
 以来、十一カ月ぶりの訪問であった。
 会館のロビーには、子どもたちの声が弾み、何人もの壮年や婦人の姿があった。これから二階の広間で、柿の木坂支部の支部セミナーが開催されるという。
 「皆、大変ななかで、胸を張って頑張っているんだね。嬉しいね」
 彼は、子どもたちも含め、そこにいたメンバーと一緒に写真を撮った。
 会館の三階に上がると、二十人ほどの壮年が集っていた。なんと、あの「勇将グループ」の研修会であった。
 責任者を務める本部長の勝田常一が、感極まった顔で言った。
 「先生! ありがとうございます」
 「不思議だね。また、『勇将グループ』の皆さんとお会いできるなんて」
 「前回、記念撮影していただいたメンバーは卒業し、今回は、新しいメンバーが集っています」
 「すばらしいことだ。陸続と人材が育っていってこそ、広宣流布の前進はある。現状維持は停滞です。創意工夫をかさね、常に現状を打破し、希望へ、勝利へ、未来へと進んでいく力が信心です。どうか、一人立つ一騎当千の人材を育て続けてください。目黒は全員が勇将となり、常に勝利の大道を開き、その精神を世界に伝え抜いてほしい。
 『勇将・目黒』万歳だ!」


【聖教ニュース】

◆北欧5カ国の友が集いリーダー研修会   心一つに広布の最前線へ

            
ロンドン近郊にあるタプロー・コート総合文化センターで、北欧広布を担うリーダーが誓いのカメラに。研修会には、プリチャード欧州女性部長、イギリスSGIのハラップ理事長らが激励に駆け付けた
ロンドン近郊にあるタプロー・コート総合文化センターで、北欧広布を担うリーダーが誓いのカメラに。研修会には、プリチャード欧州女性部長、イギリスSGIのハラップ理事長らが激励に駆け付けた

 心一つに広布の最前線へ!――SGI(創価学会インタナショナル)の北欧リーダー研修会が5月26日から28日まで、イギリスの首都ロンドン近郊のタプロー・コート総合文化センターで意気高く開催された。
 池田大作先生は1961年10月、欧州広布の第一歩をデンマークの首都コペンハーゲンにしるした。北欧の同志の大きな誇りとなっている広布史である。
 先生は後に、この時の心情をつづった。「この地にも、やがて地涌の菩薩が出現することを願って、心のなかで題目を唱え続けていた」――と。
 それから半世紀余。北欧各国の広布は着実に伸展。今回の研修会にも、デンマーク、スウェーデン、アイスランド、フィンランド、ノルウェーの代表約50人が集い合った。
 研修会が行われたのは、かつて池田先生と、20世紀を代表するイギリスの歴史学者アーノルド・J・トインビー博士が対談したのと同じ、5月の花咲く頃のロンドン。各国の代表を歓迎するかのような恵まれた天候に、参加者の“笑顔の花”も咲いた。
 今回のテーマは“創価学会の永遠性”。小説『新・人間革命』や池田先生の指針などを学び、創価の師弟の精神を深めた。グループ・ディスカッションや質問会、信仰体験の発表なども行われた。
 参加者からは、北欧広布への力強い決意の声が寄せられた。
 「同志の励ましに徹するリーダー、仏法対話に挑戦し抜くリーダーに成長します!」
 「研修会を通し、師の構想を深く理解することができました!」
 「師弟不二の精神で前進できるように、強く祈っていきます!」

◆タイ 「法華経展」観賞者が5万人に
 バンコク市内の中高一貫校から池田先生に顕彰状

             
法華経展を観賞するチャイチンプリー・ウィタヤーコム学校の生徒たち(バンコク近郊のタイ創価学会本部で)
法華経展を観賞するチャイチンプリー・ウィタヤーコム学校の生徒たち(バンコク近郊のタイ創価学会本部で)

 先月3日からタイの首都バンコク近郊のタイ創価学会本部で開かれている「法華経――平和と共生のメッセージ」展(企画・制作=東洋哲学研究所、今月28日まで)の観賞者が7日、5万人を超えた。
 同展はタイ文化省、世界仏教徒大学などが共催していることもあり、多数のメディアが取り上げ、連日、多くの人々でにぎわう。
 特に、学校・教育機関から児童・生徒らが来場。共生の心を育む希望の哲理を紹介する展示会に、称賛の声が相次いでいる。
 バンコク市内にある公立の中高一貫校であるチャイチンプリー・ウィタヤーコム学校は「法華経展は人間の生命に備わる“宝”の存在に気付かせてくれる価値ある展示」と高く評価。同展の開催に尽力した東洋哲学研究所の創立者である池田先生に対し、長年にわたる平和活動と地域への優れた貢献をたたえる顕彰状を贈った。
 授与式は5月26日、展示会場のタイ創価学会本部で行われ、同校のアッタポン・ティラポーンポンシリ理事長の代理としてタニッター・タマヨーティン副理事長が丁重なあいさつを。続いて、タイ創価学会のソムサック議長、ナワラット理事長に顕彰状が託された。
 この日、同校では学校を挙げて同展を観賞。生徒からは「鳩摩羅什をはじめ、自分の身を賭して仏教を伝えようとした人々の姿に感銘を受けました」などの声があった。

◆〈季節の詩〉 沖縄・那覇 末吉公園のホタル

 

 光が舞う。光が歌う――沖縄の梅雨空を幻想的に彩るホタル。かつて池田先生は、ホタルを愛でつつ即興詩を詠んだ。「ほたる ほたる 歌あり 詩あり 平和あり……」。光一つ一つは小さくとも、その“生命の輝き”は、壮大な光のシンフォニー(交響曲)となって、平和の調べを奏でていた。(56枚の写真を比較明合成。5月29日=山口敬祐記者撮影)

【先生のメッセージ】

◆〈池田先生と共に 新時代を進む〉11   栄光の大広布城を築こう
 

 偉大なる「死身弘法」の師父・牧口先生の生誕日に、懐かしい荒川文化会館を訪れることができた(6日)。
 昭和53年3月にこの師弟城が完成し、私が真っ先に行ったのは、戸田先生の追善法要(4月1日)であり、牧口先生の生誕謝恩の勤行会(6月6日)であった。
 会館の前庭に、牧口先生の御揮毫「一人立つ精神」が金文字で石に刻まれている。さらに戸田先生が認められた「大願」の石碑。その横に私が留めさせていただいたのは「共戦」の二字である。
 60年前の夏、庶民の都・荒川で、私は草創の父母たちと、新たな民衆凱歌の波を起こす弘教拡大を成し遂げた。その智慧とエネルギーも、先師の「一人立つ精神」に連なり、恩師の「大願」を成就してみせるという不二の「共戦」から生まれたのだ。
               ― ◇ ― 
 誉れの勝利劇の主役は、いかなる労苦もいとわぬ「陰徳陽報」の民衆である。
 学生部の歌「広布に走れ」を最初に大合唱したのも、荒川だ。今、英知の男女学生部が結成60周年を飾りゆく、先駆の奮闘は何と凜々しいことか。
 我ら東京の歌「ああ感激の同志あり」が発表されたのも、荒川での東京支部長会であった。
 心一つに前進してくれる全国の感激の同志に感謝を込め、今再び呼び掛けたい。
 私と一緒に、不敗の東京をつくろう! 世界の同志が仰ぎ見る、永遠不滅の、栄光の大広布城を築こうよ!
                  ― ◇ ― 
 帰途、大好きな足立を回った。
 牧口先生は足立広布の母を励まされた。「難を乗り越えてこそ、成仏できる」と。
 その通りに、何があっても勝ち越えてくれるのが、足立のスクラムである。「大東京の王者」と、私は全幅の信頼を寄せている。さらに隅田川沿いに走り、陽光に照らされた宿縁深き葛飾、墨田、台東そして江東等の天地を見つめつつ、全ての宝友に健康あれ! 幸福あれ! 勝利あれ! と、妻と題目を送った。
                  ― ◇ ― 
 牧口先生が大切に拝された女性門下への御聖訓に、「口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ」(御書557ページ)と。
 まもなく、創価の太陽・婦人部の日(10日)である。
 題目の渦で、仏の大歓喜の生命を、あの友にも、この地にも躍動させながら、「立正安国」の大光をいよいよ放ちゆこうではないか!

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈青年SGI 世界の若きスクラム〉 韓国  世界平和への対話拡大
 誇り高く師弟の道を!

 
池田先生が1998年に訪問した慶熙(キョンヒ)大学のソウル・キャンパスで、未来を語り合う女子学生部のメンバー(本年3月)
池田先生が1998年に訪問した慶熙(キョンヒ)大学のソウル・キャンパスで、未来を語り合う女子学生部のメンバー(本年3月)

 今夏、池田先生の入信70周年を記念して「青年希望総会」を開催する韓国SGI青年部。社会に希望を送ろうと、青年拡大の勢いを増すメンバーの思いを、代表に聞いた。

◆〈座談会 栄光の峰をめざして〉37 太陽の婦人部が結成66年 困難の壁越える力は誓願の祈り  「熱中症」には十分な注意を
 
私たちが動き語る、誠実な言葉が、どれほど幸の仏縁を結んでいることか。この勇気の対話が、信頼を固め、友情を結び、希望の安全地帯をつくり広げていく(1日、東京・目黒総区の婦人部・女子部の大会)
私たちが動き語る、誠実な言葉が、どれほど幸の仏縁を結んでいることか。この勇気の対話が、信頼を固め、友情を結び、希望の安全地帯をつくり広げていく(1日、東京・目黒総区の婦人部・女子部の大会)

 原田 10日は、「婦人部の日」です。池田先生は常々、“婦人部の皆さまが、深い祈りを根本に、一対一の地道な対話を積み重ね、力の限り正義を叫び抜いてこられたからこそ、現実に広宣流布は大きく進んでいるのだ”と言われています。日夜、広布のために献身してくださる婦人部の皆さまの奮闘に、あらためて心から感謝いたします。
 永石 今、全国の同志が、無限の明るさと勇気で、朗らかに対話を大拡大しています。
 長谷川 先生はかつて、そうした婦人部の皆さまの前進を“正しいことは「正しい」と、おかしいことは「おかしい」と、厳然と言い切る。その論法には、学者も政治家もかなわない”とたたえられました。
 沼倉 「サン?フラワー キャンペーン」として、先生の思想と行動を次の世代にも継承する、婦女一体の活動も活発です。
 永石 ヤング世代の働く婦人部の集いも各地で開かれ、「新しい力」が立ち上がっています。
 沼倉 広布拡大の原動力である「グループ」での学習・懇談の充実や強化も進み、一人一人が、“幸福博士”と光る、信心の成長も図られています。
 原田 この6月は、世界中で婦人部や、女子部「池田華陽会」の記念の会合が開催されています。今、広布は世界同時進行です。
 伊藤 その中、本年は、シンガポール国立植物園が新種の蘭に、先生の奥さまの名を冠し「デンドロビューム・カネコ・イケダ」と命名して10周年となります。
 永石 これは、奥さまの「世界平和の推進への無私の貢献」をたたえたものです。奥さまの、何があっても負けない生き方、ほほ笑みを絶やさない姿、決然と祈り抜く姿勢は、私たち婦人部の模範であり、お手本です。

千載一遇の天の時

 原田 御書では、南無妙法蓮華経の題目は「太陽」に、たとえられています。たとえば、「太陽が東の空に昇れば、その明るさによって、全ての星の光は跡形もなく消え去ってしまう」(1393ページ、趣意)と仰せです。これは、日蓮大聖人の教えが、全民衆を救う「太陽の仏法」であることを表しています。
 長谷川 婦人部の皆さまの強さは、その確信で、何があっても御本尊に強盛に祈り、そこから出発して体験をつかみ、生き生きと前進されてきたことです。
 伊藤 婦人部「実践の五指針」の第一も「祈りからすべては始まる」ですね。
 永石 婦人部は、その指針を胸に、“どんな宿命にも、絶対に勝つ!”と決めて祈り抜いてきました。
 原田 大聖人は「法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」(御書1352ページ)と御断言です。婦人部の66年の歴史は、その偉大な人間革命と宿命転換の実証の歴史です。
 長谷川 風雪を乗り越え、つかんだ春ほど、美しいものはありません。「頂上を登攀するのに楽な道などない」「一つ一つの苦闘が勝利なのだ」とヘレン・ケラーが言ったように、婦人部の皆さまが歯を食いしばって、一歩一歩、目の前の“困難の壁”を乗り越えてきたからこそ、学会の今があるのです。
 原田 正しい信仰ゆえ、誤解による迫害を受けることもあります。けれども大聖人は、大難の中、勇気ある信心を貫き通した千日尼に仰せです。
 「いよいよ信心に励んでいきなさい。仏法の道理を人に語ろうとする者を、多くの人が必ず憎むであろう。憎むなら憎めばよい」「仏の金言の通りに実践する、その人こそ、如説修行の人なのである」(同1308ページ、趣意)と。
 沼倉 「如説修行の人」とは、法華経の行者のことです。その最も尊い称号を厳しい環境で勇敢に戦う女性の弟子に与えられたことに深い感動を覚えます。
 原田 大聖人はまた、遠方から駆け付けた、求道心の厚い一人のけなげな女性信徒を「日本第一の法華経の行者の女人」(同1217ページ)と称賛され、さらに強く激励されます。「前々からの信心の志は、言い尽くせぬほど立派なものでした。しかし、これからは、なお一層、強盛な信心を奮い起こしていきなさい。その時は、ますます十羅刹女の御守護も強くなると確信していきなさい」(同1220ページ、通解)
 沼倉 先生は、この御文を通し、「人生には、これまでの壁を破り、生まれ変わったように立ち上がるべき時がある」と言われ、「過去の壁を破って、決然と立ち上がれ! 自分が今いるその場所から!」と指導されています。
 永石 かつてない激戦に挑戦する私たちにとって、今こそ、「千載一遇の天の時」です。いかなる闇をも打ち払う婦人部の「強き誓願の祈り」と「勇気の行動」で、広布の新たな歴史を開いてまいります。

小まめな水分補給

 長谷川 暑い日が増え、「熱中症」を発症される方が多くいます。
 永石 暑さに慣れない、この時期も、熱中症には十分な注意が必要です。
 伊藤 予防には、「暑さを避けること」と「水分の補給」が大切です。
 沼倉 たとえば、外では「日陰を選んで歩く」、屋内では「我慢せず冷房を入れる」、「襟元がゆるく、通気の良い服を着る」ことなどを心掛けたいですね。
 原田 喉が渇いていなくても、暑いところに出る前から、水分を取っておくことも重要です。
 また、忙しい中だからこそ、自転車や歩行中の転倒事故にも注意を払っていきたい。皆で声を掛け合いながら、有意義な日々を送っていきましょう。

◆〈信仰体験〉 県学校歯科医会副会長として貢献 師と共に生きる誉れの人生!


 【北九州市八幡西区】6月4~10日は、厚生労働省、文部科学省、日本歯科医師会、日本学校歯科医会などが主催する「歯と口の健康週間」。
 

2017年6月 7日 (水)

2017年6月7日(水)の聖教

2017年6月7日(水)の聖教

◆わが友に贈る

「納得」の対話から
信頼と共感が生まれる。
ささいな疑問にも
一つ一つ耳を傾け
懇切丁寧に語りゆこう!

◆〈名字の言〉 2017年6月7日

 “スーパー銭湯”などの人気はあるものの、都内の公衆浴場の数は、年を追って減り続けているという▼東京・八王子市のある銭湯が昨秋、創業62年でのれんを下ろすことに。だが周知されるや、存続を求める署名運動が起こった。始めた有志の一人は「住民の貴重な交流の場だし、震災時には防災拠点にもなるから」と。署名は約2600人分も集まり、感動した店主が閉店の延期を宣言。テレビでも紹介され、銭湯は今、多くの人でにぎわう▼東京・信濃町の総本部がある場所にも、かつて「信濃湯」という名の銭湯があった。営業していた時期は、昭和21年からの10年間。戦火で家を失った人たちのために地元町会が作ったもので、連日満員の大繁盛だったそうだ。昼間や休日には集会場として活用され、子どもたちが紙芝居を見たり、婦人が民謡を踊ったりしていたという▼人情味あふれる交流の場が今、世界中の人々が訪れる地となったことに、往時を知る方々も「不思議な縁を感じる」と語る。毎夏、総本部の敷地で行われる信濃町商店振興会主催の盆踊り大会も盛況だ▼社会の平和と安穏を目指す「立正安国」とは一面、“地域共同体の再生作業”ともいえよう。にぎやかに対話を広げながら、心通い合うわが町を築いていこう。(之)

◆〈寸鉄〉 2017年6月7日

 高等部結成の日。正義の
 走者よ学び抜け!負けじ
 魂を燃やし使命の大空へ
      ◇
 「信心をふかくとり給う
 べし」御書。強盛な祈り
 が前進の要。今日も朗々
      ◇
 東京・八王子が力闘。勝っ
 てこそ世界の本陣!誉れ
 の人材城から決定打放て
      ◇
 就職活動が本格化。今の
 努力の先に最高の舞台は
 必ず。自分を信じて挑め
      ◇
 日本の若者のニート率は
 10%と。青年は社会の宝。
 就労支援などの充実急げ

◆社説  きょう高等部結成記念日 夢に向かって! 自分らしく挑戦


 2015年に発表された「高校生活と進路に関する調査」(高校3年対象、ベネッセ教育総合研究所)によると、「自分の就きたい職業が分からない」「自分の適性(向き・不向き)が分からない」と答えた人は約6割。また「進路決定に影響した人」との問いには「母親」「高校の先生」が約7割、次いで「父親」「友だちや先輩」が約5割だった。
 多くの高校生が将来への悩みや不安を抱えており、進路の決定には、身近な存在の影響が大きいことが分かる。それは、周囲の大人たちが中高生に、どんな方向性を示せるのかが問われている、とも言える。
 きょうは「高等部結成記念日」。池田先生は、1964年(昭和39年)の結成当時から、未来部へ変わらぬ慈愛を注いできた。4年後の第1回総会では5項目の指針を示し、特に「未来に羽ばたく使命を自覚するとき、才能の芽は、急速に伸びることができる」との言葉は、幾多の友が進路を決める上で、大きなよりどころに。その後も、先生は、『青春対話』『希望対話』などを通し、友の心に寄り添い、励ましを送り続けてきた。
 秋田のある男子高等部員は、「人の役に立つ仕事を」と考えて進学校に入ったが、勉強の難しさから壁に突き当たる。しかし、“自分らしく、使命の軌道をたゆまず前進し、社会に貢献している人こそ偉い人だ”との師の言葉に触れて一念発起。看護師を目指し勉学に励む。
 また、ある女子高等部員は、ビオラ奏者を目指して山口から上京し、音楽高校に入学。周囲の人との技術の差に心がくじけそうになった。そんな中、“環境や現状がどうあれ、「絶対に乗り越えてみせる!」「必ず変えてみせる!」という気概が大切”との先生の指針に、改めて奮起。現在、コンクール出場への挑戦を続けている。
 先生は、中高生向け新聞「未来ジャーナル」5月号から「未来対話『夢の翼』」と題し、今年度は「仕事」や「職業」をテーマに連載を開始した。
 「大事なことは、目の前の一つ一つの課題に一生懸命、取り組むことです。その人には、自分らしい夢と出あうチャンスが必ず巡ってくる」と、今いる場所で全力でチャレンジすることの大切さを呼び掛けている。
 私たちもまた、自身の課題と真摯に向き合いながら、師と同じ思いに立ち、未来部の友の成長を願い、真心の激励に努め、世界広布を担う“未来の宝”として温かく育んでいきたい。

◆きょうの発心  功徳満開の「勝利王」の歴史を2017年6月7日

御文
 末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり(諸法実相抄、1360ページ・編549ページ)
通解 末法において妙法蓮華経の五字を弘める者は、男女は問わない。皆、地涌の菩薩の出現でなければ、唱えることのできない題目なのである。

 地涌の菩薩の自覚について仰せです。1982年(昭和57年)4月29日に開催された「中部青年平和文化祭」を目指して対話に励んでいた私に、女子部の先輩はこの御文を拝して、地涌の菩薩の使命について教えてくださいました。
 “地涌の菩薩に不可能はない”と、友の幸福を祈り抜いた結果、弘教が結実。晴れ晴れと先生のもとに集うことができたのです。
 結婚後も、夫婦そろって広布に駆けました。しかし、2014年(平成26年)12月、突然の宿命がわが家を襲いました。夫が腎臓がんの宣告を受けたのです。
 実母の介護も重なる中、圏婦人部長として、一歩も引かず唱題と友情の拡大に挑戦。その結果、夫の手術は成功し、1カ月ほどで職場復帰を果たすことができました。励ましてくださった師匠、同志の皆さまへの感謝は尽きません。
 池田先生の岐阜平和講堂来館30周年となる2019年を目指し、報恩感謝を胸に、岐阜正義県婦人部は、功徳満開の「勝利王・岐阜」の歴史を築いてまいります。  岐阜正義県婦人部長 本多和枝

◆小説『新・人間革命』第30巻 雌伏の章  六十三 (6091)
 


 山本伸一は、奄美のメンバーを見送ると、東京・世田谷区の功労の同志夫妻を訪ねた。一家は、目黒区内で焼き鳥店を営んでおり、開店前のひととき、その店舗で懇談した。
 彼は、集っていた家族の近況に耳を傾けながら、人生には幾つもの苦難の坂があり、信心根本にそれを乗り越えていくなかに、一生成仏への確かな道があると語るなど、励ましを重ねた。
 このあと、目黒平和会館(後の目黒国際文化会館)へ向かった。目黒区の宗門寺院では、前年一月から、学会への激しい誹謗・中傷が繰り返されていた。一途に広宣流布に走り抜いてきた同志は、身勝手な学会批判に、地団駄を踏む思いであった。そのなかで、正義の勝利を確信し、活動に励んできたのだ。
 伸一は、前年の三月十一日にも、同志の激励のために目黒平和会館を訪れていた。会長辞任の一カ月余り前のことである。その時、一階に居合わせた高等部員に声をかけた。
 「未来は君たちのものだ。やがて広宣流布のいっさいを担って、活躍する時代が来る。そのために、今は、しっかり勉強して、力をつけ、時が来たら、社会のため、民衆のために、さっそうと戦っていくんだよ。二十一世紀の君たちの雄姿を楽しみにしています」
 そして、階段を上がり始めると、ちょうど壮年たちが下りてきた。若手壮年の人材育成グループのメンバーであるという。
 「なんという名前のグループなの?」
 伸一が尋ねると、先頭にいた壮年が、胸を張って答えた。
 「『勇将グループ』です」
 「いい名前だね。中心者はどなたですか」
 「私です!」と、その壮年が言った。
 「お名前は?」
 「勝田常一と申します」
 眉毛の太い、凜々しい顔立ちの四十過ぎの丈夫である。
 「『勇将』に『勝田』――すばらしいね。勇将というのは、吹き荒れる烈風に勇み立つ人だ! 困難に闘魂を燃やす人だ!」

【聖教ニュース】

◆中国・湖南工業大学が池田先生を「名誉教授」に決定
 通知書「中日友好に多大な貢献 世界の平和・発展に寄与」

湖南省株洲市にある湖南工業大学のキャンパス。国内外の大学とも学術交流を盛んに進めながら、地域の経済発展を力強く支える
湖南省株洲市にある湖南工業大学のキャンパス。国内外の大学とも学術交流を盛んに進めながら、地域の経済発展を力強く支える

 中国・湖南省株洲市の湖南工業大学(唐未兵党委書記、譚益民学長)が、池田大作先生への「名誉教授」称号の授与を決定。このほど通知が届けられた。
 湖南省が位置する長江中流域は、中国の経済発展を支える新たな原動力として高い注目を集める。その一角、製造業の一大中心地として知られる株洲市に湖南工業大学はある。
 1958年に創立された株洲市師範学校を淵源として、地域の発展と歩みを共にしながら、工業分野を中心に有為の人材を輩出してきた。2006年に現在の名称に。今では、工学部など22学部に3万8000人が学ぶ、省を牽引する総合大学へと飛躍を遂げた。
 08年に国の教育部から学士教育優秀校に、13年には就職指導における50の模範大学に選出されている。学生第一の気風にあふれ、北米、欧州、アジアの諸大学とも活発に交流を重ねる。
 同大学の首脳陣が、地域・世界に貢献する人材育成の在り方を模索していく中、注目したのが池田先生の事績であった。
 譚学長から届けられた通知には、「池田先生は中日友好と世界平和に向けて多大な尽力をなされており、人類社会の平和と発展に与えた恩恵は、計り知れないものがあります」「本学は中日交流を重視しており、特に高等教育の面における交流を一層深めていく重要性と必要性を強く感じております」と、つづられている。
 そして「中日交流と教育に多大な貢献をなされている池田先生の事績」をたたえ、「名誉教授」の称号を授与したい旨が記されている。

◆池田先生ご夫妻 荒川文化会館を訪問  牧口先生「生誕の日」に遺徳偲び勤行


 池田先生ご夫妻は6日午前、東京・荒川区の荒川文化会館を訪問。6月6日の初代会長・牧口常三郎先生生誕146年にあたり、記念展示室で厳粛に勤行・唱題し、今日の世界広宣流布の源を築いた「創価の父」の死身弘法の生涯に、報恩の祈りを捧げた。
 折しも本年は、荒川広布の原点となる、1957年(昭和32年)8月の「夏季ブロック指導」から60周年。大阪事件の不当逮捕・勾留から東京に戻り、1週間で未曽有の拡大を果たした若き先生の大闘争を胸に、荒川の友は「東京凱歌」へ奮闘している。
 また本陣・総東京の同志にとっても、荒川文化会館は、78年(同53年)8月に東京の歌「ああ感激の同志あり」が発表されるなど、いくたびも師弟共戦の歴史が刻まれた舞台である。
 池田先生ご夫妻は記念展示室で、こうした広布史を紹介する展示を丹念に鑑賞。これに先立ち、大礼拝室でも御本尊に祈りを捧げ、総東京をはじめ全国の同志の幸福・勝利と健康・無事故を心から祈念した。

◆英字紙ジャパンタイムズに池田先生が寄稿


 英字紙「ジャパンタイムズ」(6日付)に池田先生が寄稿した。
 タイトルは「禁止条約は核兵器のない世界へ可能性を開く」。今月15日からニューヨークの国連本部で再開される核兵器禁止条約交渉会議の第2会期に向け、池田先生は条約の草案にヒバクシャの苦痛に留意する主旨が盛り込まれた点に注目。
 さらに、2010年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議で、全加盟国が「核兵器のない世界という目的に完全に合致した政策を追求する」と誓約したことを土台に据え、日本など交渉会議の第1会期に欠席した核保有国、核依存国が今回の交渉の輪に加わるよう強く呼び掛けている。
 その上で、7月7日までの会期中に、市民社会の声を十分反映した形で条約を成立させるよう望んでいる。
 記事は以下のウェブサイトで閲覧できる。www.japantimes.co.jp/

【先生のメッセージ】

◆〈御書と歩む――池田先生が贈る指針〉67  迅速こそ責任感の表れ

御文
 貴辺此の病を受くるの理或人之を告ぐ予日夜朝暮に法華経に申し上げ朝暮に青天に訴う除病の由今日之を聞く喜悦何事か之に過ぎん (除病御書、1298ページ)
通解 あなたがこの病気にかかったことを、ある人から伺った。病気平癒を日夜朝暮、法華経に申し上げ、青天に訴えていたが、病が治ったことをきょう聞き、これ以上喜ばしいことはない。

同志への指針

 門下が病から回復したことを聞かれて、即座に送られたお手紙である。この大慈大悲に、究極の「人の振舞」が拝される。
 「心」は即「行動」に移してこそ伝わる。「迅速さ」に誠実が表れる。学会は、このスピードで勝ってきた。根本は友を思う「祈り」である。
 日々、同志・友人の健康福徳を祈り、人間主義の黄金のスクラムを広げゆこう!

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆信仰体験〉 「1型糖尿病」と向き合った38年 病と闘う患者に希望を 「ガリクソン賞」を受賞


 【東京都新宿区】先月28日、大熊信雄さん(41)=市谷池田支部、副本陣長(副ブロック長)=が、公益社団法人「日本糖尿病協会」から「ガリクソン賞(※メモ)」を受
 

2017年6月 6日 (火)

2017年6月6日(火)の聖教

2017年6月6日(火)の聖教

◆わが友に贈る

広宣流布に先駆する
知勇兼備の学生部よ!
どこまでも信心根本に
正義の言論戦を担い
拡大の波動を起こせ!

◆〈名字の言〉 2017年6月6日
 

 東京の大正小学校で校長を務める牧口先生を追放しようと圧力がかかった(1919年)。権力におもねることなく、理想の学校運営を進める牧口先生に私怨を抱く者たちの謀略だった。心ある教員や保護者が留任運動に決起したが、結果は異動となった▼だが、この異動がなければ創価の歴史は変わっていたかもしれない。牧口先生は転任先の西町小学校で、北海道から上京した若き戸田先生と出会ったのである。人生には後になって意味が分かることがある。目先の結果に一喜一憂せず信念を貫く時、どんな出来事も意味あるものになる▼ある壮年部員が、まな娘の病と職場の業績悪化という二重の試練に襲われた。必死に祈り切った時、それぞれに“結果”が出た。娘の病は治療も功を奏して完治。一方、壮年自身は50歳にしてリストラされた▼壮年は祈りを強め、やがて再就職を。平社員からの再出発で、労働条件は厳しい。それでも“信心で勝ち取った職場に、敗北の歴史を刻んでたまるか”と歯を食いしばった。苦労が実を結び、その後、壮年は社長に抜てきされた▼一見、不条理に思える事態でも、仏法の眼で見れば、その中から“自分でなければ果たせない使命”をつかむことができる。そうして道を開くのが信心である。(城)

◆〈寸鉄〉 2017年6月6日

 会長の文明間対話は「平
 和の実践」の模範―博士
 人間主義の旗高く我らも
      ◇
 「すべてに第一」の江戸川
 が総立ち。信心の横綱よ
 東京凱歌へ猛然と進め!
      ◇
 関東婦人部の日。今こそ
 “まことの時”と走る広布
 の母たち。幸福勝利あれ
      ◇
 「なにのなげきか有るべ
 き」御書。仏の使いに功徳
 は燦然。誓願の祈り強く
      ◇
 「広く」「良い」人間関
 係を持つ人ほど長生き―
 研究。友情こそ一生の宝

◆小説『新・人間革命』第30巻 雌伏の章  六十二 (6090)
 
 


 セミナー会場は、奄美の女子部の登場に沸き返った。南海の島々で、喜々として信心に励む若きメンバーを目の当たりにして、参加者は新鮮な驚きを覚えたようだ。彼女たちが奄美を詠った「島育ち」「月の白浜」の歌を披露すると、大拍手が起こった。
 山本伸一は、セミナーから戻ってきた奄美の女子部長の長田麗や女子部の幹部らと、さらに懇談を重ねた。長田は加計呂麻島で教員をしている女子部員の活躍や、東京に来ることを強く希望しながら、今回は参加できなかったメンバーの様子を伝えた。
 伸一は、「そうか、そうか」と、うなずきながら、報告に耳を傾けた。
 また、彼の方からは、壮年・婦人の中心者や草創の同志、会館の管理者などの近況を、次々と尋ねていった。
 「元気に頑張っているんだね。嬉しいね」
 そして、一人ひとりへの伝言と、書籍などの激励の品を、彼女に託したのである。
 伸一は、語った。
 「皆さんの住むそれぞれの島や地域は、小さいかもしれない。しかし、そこを広宣流布の模範の地にしていくならば、奄美は世界中の同志の希望の星となります。それは、皆さんが先頭に立って、世界の広宣流布を牽引していることになる。したがって、わが地域広布は即世界広布なんです。
 今いる場所こそ、使命の天地であり、幸福の常寂光土であると定め、仲良く前進していってください。日蓮大聖人は、『此を去って彼に行くには非ざるなり』(御書七八一ページ)と仰せです。皆さんの力で、奄美から二十一世紀の広布の新風を起こしてください。
 奄美、頑張れ! 負けるな、奄美!」
 さらに伸一は、皆が立川文化会館を出発する時には、外に出てバスを見送った。
 奄美は、彼の期待通り、日本一の模範の組織となっていく。この時に集った友は、「あの激励が生涯の宝になりました」と語る。
 友の幸せを願う励ましの言葉は、蘇生の光となって、勇気と力を呼び起こす。

【聖教ニュース】

◆きょう牧口先生生誕146周年 明年4月、創価大学大学院に国際平和学研究科(届出中)を開設   地球的課題の解決に挑むリーダー輩出へ

 
新緑が輝く創価大学のキャンパス。開学50周年となる2021年へ、一段と発展を続ける(5月31日撮影)
新緑が輝く創価大学のキャンパス。開学50周年となる2021年へ、一段と発展を続ける(5月31日撮影)

 きょう6日で、牧口常三郎先生の生誕146周年を迎えた。人々の幸福を第一に掲げる価値創造の教育学を打ち立てた「創価教育の父」である。牧口先生は大著『人生地理学』の中で「郷土」を立脚点とした「世界民」の理念を訴え、不二の弟子であった戸田城聖先生は「地球民族主義」のビジョンを提唱した。池田大作先生は両先生の悲願であった創価の一貫教育を実現し、国際社会の発展に尽くす世界市民を輩出する。このほど、創価大学(東京・八王子市)は、文部科学省「スーパーグローバル大学創成支援」事業の一環として大学院に修士課程「国際平和学研究科」の設置構想を発表。明年4月の開設へ、文部科学省に届出書類を提出し、本格的な準備が進む。
 「人間教育の世界的拠点」の構築へ、挑戦を続ける創価大学。
 「国際平和学研究科」は、2年間の修士課程として開設する。これまで推進してきた教育の「国際的通用性」と「質保証」の成果を基盤として、グローバル化に伴う複雑な社会的課題の解決に取り組む「創造的世界市民」の輩出を目指す。
 2014年に開設した国際教養学部のカリキュラムとも連動しながら、「国際関係論」と「平和学」の両分野を包括する「国際平和学」の高度な教育・研究を展開。「平和で持続可能な社会」の在り方を探究していく。
 授業は全て英語で実施し、諸課題の解決に向けた「政策構想力」「提言力」を養成。
 海外の大学院博士課程や国際機関・企業に進むなど、平和に資する人材として活躍できるよう、総合的な力を育む。
 具体的には、1年次前期の必修科目として「国際関係理論」「平和・世界市民論」を開設。国際社会の対立・紛争事例等への理解を深めるとともに、客観的な原因分析に必要な知識と理論を体系的に身に付ける。
 また、各学生が設定した研究課題に沿って、各自が必要とする専門分野を深められるよう、「国際関係論」と「平和学」の両分野に選択必修科目を配置する。「国際関係論」分野には「ヨーロッパ統合論」「国際帝国主義史」「アジア太平洋における地域・制度構築論」など7科目、「平和学」分野には「内戦と和平プロセス」「女性学」「人間の安全保障と人権」など8科目を設置する予定である。これらの科目は、国際公募で採用した経験豊富な教授陣らが担う。
 同研究科の修了者には修士(国際平和学)を授与する。
 創立者は、本年の創大入学式の折、学生にこう呼び掛けた。
 「共に『建学の精神』を実現しゆく盟友として、希望と啓発の世界市民の連帯を強め、深め、広げつつ、民衆の幸福へ、また人道と共生の地球へと、人類史を前進させていただきたい」と。
 世界の恒久平和の実現へ、創価教育学が志向する世界市民教育を体現しゆく「国際平和学研究科」に、大きな注目が集まる。
 〈現在、届出書類を提出中であり、内容等は、予定のため、変更する場合があります〉

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈青春譜――池田先生と綴る未来 創価女子短期大学〉第14回 留学・語学研修
 人格と教養光る国際人たれ
 
澄み渡る青空の下、短大生と懇談する池田先生。一人一人の成長を願い、心からの励ましを送る(1990年2月、アメリカ創大ロサンゼルス・キャンパスで)                                                                          
              澄み渡る青空の下、短大生と懇談する池田先生。一人一人の成長を願い、心からの励ましを送る(1990年2月、アメリカ創大ロサンゼルス・キャンパスで)

 昨日、創価女子短期大学生24人が、清新な決意に燃えて、成田国際空港を飛び立った。
 目的は、アメリカ創価大学(SUA)での伝統光る「短期留学プログラム」である。
 SUAでは2カ月間、学生寮で暮らしながら、リスニング、ライティング、リーディング、スピーキング、文法構造などを全て英語で学習。地元の小学生と交流する課外活動などを通して、異文化への理解を深める。
 短大では他に、ニュージーランド最古のオタゴ大学の付属語学学校での語学研修も。ホストファミリーのもとでホームステイをしながら、他国の留学生と一緒に少人数クラスで語学を身に付ける。
 海外で生きた言語を学び、多様な文化に触れることで個性と人格を磨く――。
 語学を鍛え、国際性豊かな女性を育成するプログラムは、短大の大きな特色の一つとなっている。


英語は度胸
 短大では、草創期から語学教育に力を入れてきた。
 開学2年目の1986年からは夏季語学研修がスタート。カリフォルニア大学ロサンゼルス校で実施され、翌年からはアメリカ創大ロサンゼルス・キャンパス(当時)で行われるようになった。
 懸命に英語に挑みゆく短大生を、創立者の池田先生は温かく励まし、薫育してきた。
 90年2月には、世界への平和旅でアメリカへ。滞在中のロスから、研修出発前の5期生に真心の伝言を贈った。
 「飛行機が途中、揺れることがあるかもしれません。でも、一切心配いりません。安心して来なさい。ロスの方でお待ちしています」「人生の生き方を教えてあげたい」
 この言葉の通り、先生は短大生が到着した日から、毎日のように懇談や激励を重ねていく。
 ある時は共に記念撮影に納まり、「人格と教養のある人に」と励ましを。
 またある時は、学生の代表に名前や出身校を尋ねながら、「洗練された知性ある国際人になりなさい」「ここを出る時は一歩成長した姿で」と語った。
 「何ごとも、口ごもって言うのはいけない。はっきりと、大きな声で勇気ある行動をしなければいけない」とも呼び掛けている。
 ――先生の慈愛と期待に胸を熱くしながら、真剣に英語に打ち込んだ短大生。
 2月25日には、英語のテストが実施された。30分を超える長文の英語を聴き、その要旨を各人が英語でまとめるという内容である。
 2日後にも、再び同様の試験が。皆、必死にペンを走らせたが、思うように書くことができず、落胆するメンバーもいた。
 その日の夜、短大生の奮闘の様子を聞いた先生から伝言が届く。
 「真剣になると伸びていくものだということを強く感じました」
 「みんな風邪を引かないように」「楽しい一生の思い出を作りなさい」
 そして「英語は、第一に度胸、第二に度胸、第三に度胸だから頑張ってください」と、万感のエールを送った。
 “必ず創立者の期待に応えよう”――参加した友は、この研修を原点として猛勉強に励み、使命の大空へと羽ばたいていった。
                         
                                                                       ◇ ◆ ◇ 
 92年12月、アメリカの“人権運動の母”であるローザ・パークスさんが、アメリカ創大ロサンゼルス・キャンパスを訪問。短期留学中だった短大生と懇談した。
 短大生が歌う池田先生作詞の「母」に深い感銘を受けたパークスさん。この出会いの翌年1月には、先生との会見が実現している。
 今春、新たに33期生が入学した短大。語学教育は一段と充実し、留学を経験した“白鳥姉妹”たちは、外資系企業や大手航空会社、銀行、旅行会社など、活躍の舞台を日本中、世界中に広げている。
 語学と知性を磨く、かけがえのない“青春二歳”。永遠の原点と輝く90年2月、先生はロスで短大生に認めて贈った。
 「短大山 英知城」
 「短大山 幸福城」
 「知性山 短大城」
ご感想をお寄せください news-kikaku@seikyo-np.jp

◆〈教学〉 6月度座談会拝読御書 弥三郎殿御返事 
御書全集1451ページ10行目~12行目 編年体御書1022ページ5行目~7行目
 後世にまで残る偉大な歴史を
 「勝つ」と決めて全力を尽くす

                                                                                                                                                 
 
本抄について
 本抄は、建治3年(1277年)8月4日、日蓮大聖人が56歳の時に身延においてしたためられ、弥三郎という門下に宛てられたお手紙です。
 弥三郎については御書の内容から武士ではないかと思われますが、住んでいた場所など詳しいことは不明です。伊豆の門下・船守弥三郎とは別人とされています。
 本抄は、弥三郎が出家の念仏者と法論を行うに際し、主張すべき内容や心構えについて大聖人に御指南を仰いだことに対して答えられたものと考えられています。
 初めに、日本国の人々が、主師親の三徳を具える釈迦仏を差し置いて阿弥陀仏を崇めているのは大謗法であり、それゆえに飢饉や疫病が起こり、他国から攻められるのであると言われています。
 次に、そのことを指摘する大聖人に対して、2度の流罪など、さまざまな迫害が加えられたことを述べられ、心ある人ならば自分たちのために大聖人が難に遭ってくれたのだと考え、その迫害の一部でも引き受けるべきであると仰せです。
 最後に法論に当たって述べるべき内容と心構えを示されています。すなわち、所領を惜しんだり、妻子を顧みたりするのではなく、ひとえに思い切るべきであると言われています。そして、今まで生きてきたのは、今回の法論に遭うためであると思い定めて戦い抜くよう励まされています。


拝読御文

 但偏に思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり、此れこそ宇治川を渡せし所よ・是こそ勢多を渡せし所よ・名を揚るか名をくだすかなり


諸仏の“入其身”

 日蓮大聖人は今回、拝読する御文のすぐ後で、「釈迦・多宝・十方の仏・来集して我が身に入りかはり我を助け給へと観念せさせ給うべし」(御書1451ページ)と仰せです。「釈迦仏・多宝仏・十方の仏たちよ! 集い来って、わが身に入りかわり、私を助け給え」と心に念じなさい、との意味です。
 ここに説かれているのは、「善」の「入其身」ですが、法華経勧持品第13には「悪」の「入其身」である「悪鬼入其身」が説かれています。「悪鬼は其の身に入って」と読みますが、これは「悪鬼」が、さまざまな衆生の身に入り、正法を護持する者をそしり、辱め、仏道の実践を妨害することをいいます。
 「悪鬼」とは、誤った宗教・思想、また人の苦悩の因となって、精神を乱す源をいいます。日蓮大聖人は例えば、第六天の魔王が法華経の行者を迫害するために、智者や権力者の身に入ると述べられています。
 これに対して、「釈迦・多宝・十方の仏」、すなわち諸仏が「入其身」すれば、仏の所従(=家来)である諸菩薩・諸天等が従い、法華経の行者を守護することは間違いありません。
 池田先生は述べています。「広布の誓願を貫く生命にはありとあらゆる仏が入其身する。それほど、尊貴な我らである。ゆえに、諸天善神が守りに護らないわけがない。大宇宙の善の働きを、全て味方にしながら、満々たる仏の力で堂々と進みゆくのだ」
 “ここぞ”という勝負所では、わが身に、諸仏を「入其身」させる強盛な一念で祈り、行動していくことが大切になるのです。


瀬田川・宇治川

 今回の御文で言われる「勢多」とは瀬田川のことです。琵琶湖から流出して大阪湾に注ぐ淀川は、最も上流の部分を瀬田川といい、途中から宇治川と呼ばれます。
 瀬田川・宇治川は、古来、京都の南東の防衛線とされ、東国の軍勢にとって瀬田川・宇治川を渡れるかどうかが、京都を攻略する際のポイントになっていました。
 例えば、寿永3年(1184年)、源範頼と源義経の軍勢が、京都に入っていた木曽義仲の軍勢と戦った「宇治川の合戦」でも、ここが勝敗の分かれ目になりました。
 この時、義経軍に属する佐々木高綱と梶原景季の二人が先陣争いを演じたことは『平家物語』などに記されています。先に川を渡って先陣争いに勝った佐々木高綱は、優れた武士として、後の世まで名を残しました。
 この時、宇治川を渡りきった義経の軍勢が義仲軍を破り、勝利を収めました。
 また、鎌倉幕府と朝廷が戦った承久3年(1221年)の「承久の乱」の際も、北条泰時が率いる幕府の軍勢が、朝廷方の防戦をしのいで宇治川の渡河に成功し、勝利しました。幕府は、この乱に勝ったことで、全国各地に勢力を広げました。
 このように瀬田川・宇治川は戦いの勝負を決する場所とされてきたのです。
                                                                  ◇ 
 日蓮大聖人は弥三郎に対して、今回の法論こそが勝負を決する瀬田川・宇治川に当たり、名を上げるか下すかの分かれ目であると言われています。全力を尽くして戦い、断じて勝利していくよう、弥三郎を激励されているのです。


「今年の世間」

 拝読御文では「今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに」(御書1451ページ)として、本抄が書かれた建治3年(1277年)に多くの人命が失われたことを述べられています。
 すなわち本抄に「諸人現身に大飢渇・大疫病・先代になき大苦を受くる」(同1450ページ)とあるように、この年は深刻な飢饉があり、また疫病の大流行が見られました。
 疫病は建治3年の春から翌・建治4年の2月中旬まで、社会の各層に広がりました。この疫病について建治4年2月に書かれた「松野殿御返事」には次のように述べられています。
 “去年の春から今年の2月の中旬まで、伝染病が国中に充満した。10軒に5軒、また100軒に50軒まで、家族が皆、伝染病で死んでしまったり、また、病にはかからなかった者も、心は大苦悩にあっているので、病に侵された人々以上に苦しんでいる”(同1389ページ、趣旨)。疫病が猛威を振るい、多くの人が亡くなったことが分かります。
 また飢饉についても、同抄には次のように記されています。“日本国は、ここ数年の間、うち続いて飢饉が進み、衣食は全くなくなり、畜類を食べ尽くした”(同ページ、趣旨)と。当時の飢饉は、これほど深刻なものでした。
 日蓮大聖人は、このように多くの人が亡くなっていった中で、生き永らえることのできた自らの使命を深く自覚すべきであると教えられているのです。
池田先生の指針から 大変な戦いこそ宿命転換の好機
 重大なる法戦――広宣流布の言論戦に立ち会い、わが身、わが声、わが行動をもって仏法を宣揚し、師匠の正義を叫ぶことができる。これ以上の誉れはありません。
 「今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり」――
 思えば、末法今時において、妙法に巡りあい、創価学会員として、創価の師弟として、世界広宣流布の道を共に歩めること自体が、最高の栄誉です。黄金に輝く人生です。
 戸田先生は言われました。
 「乱れた世の中で生活が苦しいとき、何故私たちは生まれてきたかを考えなければならない。
 みな大聖人様の命を受けて広宣流布する役目を持って生まれて来たということが宿習なのである。それが解るか解らないかが問題なのだ」
 長い人生の中にあって、「ここが勝負所である」「今が重大な勝負時である」という戦いに直面した場合も、この御文に通ずる体験でありましょう。
 私も、わが師と共に、わが同志と共に、幾度となく「此の事にあはん為なりけり」と命に刻んだ激闘が、数多くあります。同志の皆様もそうでしょう。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第13巻)
                                                                     ◇ ◆ ◇ 
 大聖人は、これから弥三郎が臨まんとする法論こそ、武士が名を挙げるチャンスである合戦と同じく、広宣流布の法戦において永遠に名を残す好機だと教えられています。
 そこで譬えに挙げられているのが、宇治・勢多の戦いです。
 そこは古来、京都に攻め入る際の要衝です。そこを余人に先駆けて突破して名を挙げることに、多くの名将たちも命を懸けたのです。
 私にとって、この一節は「“まさか”が実現」と、世間をあっと驚かせた「大阪の戦い」(1956年)の渦中、わが関西の同志と深く拝した御文でもあります。
 「今ここ」が、広布の突破口を開く決戦場であり、自身の宿命転換の正念場である――こう自ら決めて祈り、行動する時、必ず勝利の道は開かれます。
 大変な戦いの時こそ大転換のチャンスだと覚悟し、喜んで挑んでいくのが本当の勇者であり、賢者の生き方です。(同)
参考文献
 ○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第13巻(聖教新聞社)

◆子どもの幸福のために! 教育本部の挑戦 

 
牧口先生の生誕を記念して行われた講演会。終了後、参加者は下田牧口記念会館内に設置されている記念展示室などを見学した(4日)
牧口先生の生誕を記念して行われた講演会。終了後、参加者は下田牧口記念会館内に設置されている記念展示室などを見学した(4日)

 創価の三代会長が貫いてきた人間教育の思想と実践を継承しようと日々、使命の舞台で挑戦の汗を流す教育本部の友。1984年(昭和59年)からは「実践記録」を積み重ね、累計で10万事例を突破した。また各地で講演会やセミナーなどを行い、「教育のための社会」構築への希望と輝く。ここでは、同本部が主催し、静岡・下田で開かれた牧口先生生誕146周年記念講演会の模様とともに、代表のメンバーの実践記録の内容(要旨)を紹介する。


静岡・下田で記念講演会 「牧口先生の生涯」テーマに

 創価学会初代会長・牧口先生の生誕146周年を記念する教育本部主催の講演会が4日、静岡の下田牧口記念会館で晴れやかに開催された(後援=牧口記念教育基金会)。
 約20年にわたり、6校の尋常小学校校長を歴任した牧口先生。戦争への坂を転がり落ち、子どもを“国家の道具”としか見ていなかった戦前の日本にあって、牧口先生は叫んだ。「教育は、子どもたちを幸福にするためにこそある」
 この信念で、子どもたちに寄り添い、幸福のために尽くし続けた牧口先生を人生の師と定めた第2代会長の戸田先生は、牧口先生の教育理論を実践する場として、私塾「時習学館」を創設。子どもたちの無限の可能性を引き出していった。
 そして、「教育は私の最後の事業」と語る第3代会長の池田先生は、初代・2代の遺志を受け継ぎ、創価学園・創価大学などを創立。激務の合間に生徒・学生らと触れ合い、手作りで人材を育ててきた。
 人類の未来を開くため、教育の発展に人生をささげてきた創価三代の師弟の闘争に連なる誇りに燃えて、各地の教育現場で奮闘する教育本部の友。創価教育の原点を確認し、その思想を広く社会に発信しゆくために、毎年、牧口先生の生誕日に合わせて、記念の講演会を行ってきた。
 今回の講演会では「牧口先生の生涯と創価教育」とのテーマで、創価大学の神立孝一副学長が講演した。
 神立副学長は、牧口先生の年表をもとに、生い立ちや日蓮仏法との出あいなどを紹介。戦時中に自らの信念を貫き、子どもたちや人類の幸福のために国家権力と最後まで戦い続けた先生の生き方の中にこそ創価教育の真髄はあると強調し、「平和の道を歩み抜いた先師の思いを継承していきたい」と述べた。
 佐野総静岡長は、会場となった下田牧口記念会館が1943年(昭和18年)7月6日、牧口先生が官憲に連行された法難の地・下田市須崎の地に立つことなどを紹介。高梨教育本部長があいさつした。


代表の実践記録から

●神奈川 元小学校校長 高野裕司さん
希望持てる学校づくり

 ある小学校に新任の校長として赴任した時のこと。その学校では、あいさつが乱れ、落ち着かない児童も多く、毎日起きるトラブルに対応するだけで精一杯でした。
 このままでは、子どもたちに夢や希望を持たせてあげられないと悩む日々……。
 そんな時、頭に浮かんだのは牧口先生の姿でした。小学校校長として、時間を見つけては授業を見守り、児童の表情や体調を気遣い、「どうしたの?」「大丈夫かい?」と優しく声を掛けていかれた牧口先生。
 “そうだ、対話だ! とことん子どもたちにぶつかろう!”
 私の挑戦が始まりました。
 まず私は、学校に来た子どもたちに“がんばるエネルギー”を送りたいと、昇降口の前にメッセージボードを設置。私からの“励ましの言葉”を、毎日つづることにしました。朝会で「毎日書きますから」と児童たちに伝えると、高学年からは「校長先生、毎日ですよ? 大丈夫?」、低学年からは「たのしみです。がんばってください」と、期待と不安が入り混じる声が。
 しばらく続けると、低学年の子どもたちがボードの前で声を合わせて読む姿が見られました。あるクラスでは、教室の黒板にその日のメッセージを写し、朝の会で担任と一緒に話し合う時間ができました。
 だんだんと、児童たちとの距離が近づいていくのを感じました。
 また、朝会等での校長の話も工夫。インタビュー形式にしてみたり、クイズを出してみたり。入学式では、新1年生に対し、話だけでなく、視覚的興味により印象づけられるよう、ランドセルを背負い、黄色い帽子をかぶってメッセージを伝えました。
 「明日から、ランドセルには教科書やノートだけでなく、『あいうえおの心』を入れて学校に来ましょう。『あ』はあいさつをしよう。『い』は命を大切にしよう。『う』は運動しよう。『え』は笑顔でいよう。『お』は思いやりを持とう」と。
 そのメッセージを新1年生だけでなく、全校児童一人一人に「あいうえお」のしおりにして手渡しました。だんだんと学校の雰囲気は変わり、子どもたちから気持ちの良いあいさつをしてくるようになり、学校でのトラブルもなくなっていきました。
 “夢と希望を持てる学校を”と、子どもと共に歩んだことが私の誇りです。一昨年に定年を迎え、校長の立場ではなくなりましたが、今も現場の教師として、子どもの幸せを願いながら日々、奮闘しています。
 

●徳島 特別支援学校教諭 清久幸恵さん
生徒を信じ抜く勇気を

 「先生って高等部におった先生やな」。特別支援学校の中学部3年に進級したA君が、声を掛けてきました。新しく担任することになった私は、「よろしくね」と返す心の内で、不安を抱えていました。A君には、あまり良い印象を持っていなかったからです。
 A君が好きなゲーム形式の授業でのこと。A君は負けそうになると、突然大声を出し、ゲームの道具をぐちゃぐちゃにしてしまったのです。A君は、自分の思い通りにならないと物を投げる。友だちとはケンカばかり。私に対しても「うるさい。無理。先生嫌い」と……。
 A君の生活が落ち着くようにと試行錯誤しましたが、大きな変化はありませんでした。“やっぱりダメ。そう簡単に変わるわけがない……”と諦めかけた時、池田先生の指導が目に留まりました。
 「信じ抜いてくれる先生がいる――そう思えることが、子どもたちにとって、どれほど生きる勇気となり、伸びゆく力となるか」
 “そうだ、信じ抜くことができていなかった自分が変わろう!”
 この日から“絶対にA君は変われる”と、新たな気持ちで教壇に立ちました。
 授業の中で子どもたちに交ざってゲームに参加。ルールを守る姿を見せるだけでなく、あえて順番を破って見せたり、邪魔をしたりしました。
 A君は「何するんだー!」と。そこで、「ルールを破られた気持ちはどう?」と尋ねると、A君はハッとした表情で「嫌な気持ち」と答えてくれました。
 それから、A君と二人で「どうしたら気持ちを落ち着けられるか」をじっくりと相談。興奮しそうになったら言葉を掛け、その都度、振り返る場を持つと決めました。
 最初は、なかなかうまくいかないこともありましたが、私に諦めはありませんでした。“大丈夫。A君なら乗り越えられる!”と。A君から“成長したい”という懸命な思いが伝わってきました。
 そうして、A君は徐々に自分をコントロールできるように。A君の学校生活は落ち着き始め、周りの友だちとも良い関係を築けるようになったのです。
 卒業式の日、A君が「先生、ありがとう!」と照れながら声を掛けてくれた姿は忘れられません。
 “子どもを信じ抜く勇気”を教えてもらった大切な宝の日々でした。「先生の方こそありがとう!」

◆〈未来部育成のページ〉 E-1グランプリ 今夏、第3回を開催

 
昨年8月に開催された「沖縄世界県E-1グランプリ撮影会」(浦添文化会館で)
昨年8月に開催された「沖縄世界県E-1グランプリ撮影会」(浦添文化会館で)

語学の翼で世界に雄飛
 今夏も、各種コンクールの取り組みの一つである「未来部E―1グランプリ」が行われる。ここでは、第3回となる同コンクールの実施大綱や課題文などを掲載。
   また、E―1グランプリをきっかけに、未来部員育成に力を注ぐ沖縄世界県の取り組みを紹介する。                       

沖縄世界県の取り組み 発表兼ねた撮影会を企画 

    「未来部員の挑戦をもっとたたえる方法はないだろうか」――一昨年の第1回大会を終えた直後から、金城秀治郎県未来部長は悩んでいた。
 沖縄総県では、応募推進のためのプレ大会を開催。四つのグループに分かれて予選会・決勝大会を行い、未来部員の演技に参加者からは大きな拍手が送られた。世界県からは3チームが参加。メンバーの成長した姿に触れ、金城さんは多くの人に知ってもらいたいとの思いが強くなったという。
 

●各部一体の応援

 2回目を迎えた昨年、総県で大会を持たないことが決まると、金城さんら青年部が中心となって、世界県独自の撮影会を企画。手間の掛かる“演技の録画”とコンクールへの応募をサポートするとともに、地域の同志を集めての発表会も兼ねることになった。
 企画が固まったのは7月21日。その3日後に開催された未来本部長会には、県長、県婦人部長を中心に、各部のリーダーと未来部担当者が一堂に会し、取り組む方針を共有した。8月21日の撮影会に向け、本部1チームを目標に各部が一体となって訪問激励に。その結果、前年を大きく上回る14チームが結成された。
 

●刺激を受け奮起

 撮影会に向けた取り組みは、二つの好機を生み出した。一つは未来部員同士の触発の機会となったこと。
 世界県では、撮影会までに2度の合同練習会を企画。英語の発音や皆の前でチームごとに課題文を朗読する練習を重ねた。
 当初は、せりふを読むことすらできなかったチームもあった。しかし、他のチームの姿を見て、徐々に声を出してせりふを言えるように。上達を自分たちが実感するにつれ、いつしか恥ずかしさも消え、撮影会当日には、それぞれのチームが堂々と発表することができた。
 家族でチームを結成した富村里美さん(地区婦人部長)一家。参加した3人の未来部員は1年前の挑戦を振り返り、「やってよかった」と口をそろえる。
 「英語が好きになった」と語る次女・広美さん(小学3年)は、同学年の友の頑張りに負けたくないと猛練習。英文が読めない中、デモ音声を繰り返し聞き、全文を暗記するまでに。長女の由美さん(中学2年)は、「発表することに抵抗があったけど、やってみて自信がつきました」と手応えを実感。長男・清君(小学6年)は、「衣装や表現にこだわっているチームがあり、次に出る時は、もっと工夫したい」と意欲的に話す。
 母・里美さんも、「今年は地域の、より多くの子どもたちに挑戦させてあげたい」と、笑顔で語る。
 

●同志の声援が力

 もう一つは、未来部員の頑張りをたたえる機会となったこと。
 撮影会当日、演技をするたびに、場内からは大きな声援が送られた。また、駆け付けた地域の同志が、発表を終えた一人一人に声を掛ける光景が会場のいたるところで見られた。
 「大勢の人の前で演技した未来部員たちは皆、誇らしげな顔をしていました。声援がメンバーの励みになったのだと思います」と、伊波稔県未来本部長は、改めて励ましの力の重要性を語る。
 その後も、座談会などでメンバーによる発表や演技を録画した映像を上映。
 「英語を理解できた人は少なかったかもしれませんが、未来部員の成長した姿に、皆、わが子のことのように喜んでいました」と安田香代子県女性未来本部長。
 こうした励ましに触れる中、家族と一緒に会合に参加するようになったメンバーや、司会などの役を積極的に担当するようになったメンバーなど、以前にも増して、会合で未来部員の姿が見られるようになった。
 さらなる活躍の場をつくろうと、世界県では未来っ子の特技を披露する機会を設けたり、少年少女部の「パイン合唱団」の出動機会を増やすなど、工夫を重ねている。
 宮城吉孝県長、与那覇美世子県婦人部長は語る。
 「未来部員の成長が地域の同志の希望となっています。これからも各部一体で人材育成の流れを構築していきたいと思います」 

 口ををそろえる。
 「英語が好きになった」と語る次女・広美さん(小学3年)は、同学年の友の頑張りに負けたくないと猛練習。英文が読めない中、デモ音声を繰り返し聞き、全文を暗記するまでに。長女の由美さん(中学2年)は、「発表することに抵抗があったけど、やってみて自信がつきました」と手応えを実感。長男・清君(小学6年)は、「衣装や表現にこだわっているチームがあり、次に出る時は、もっと工夫したい」と意欲的に話す。
 母・里美さんも、「今年は地域の、より多くの子どもたちに挑戦させてあげたい」と、笑顔で語る。

 
●同志の声援が力



 もう一つは、未来部員の頑張りをたたえる機会となったこと。
 撮影会当日、演技をするたびに、場内からは大きな声援が送られた。また、駆け付けた地域の同志が、発表を終えた一人一人に声を掛ける光景が会場のいたるところで見られた。
 「大勢の人の前で演技した未来部員たちは皆、
誇らしげに顔をしていました。声援がメンバーの励みになったのだと思います」と、伊波稔県未来本部長は、改めて励ましの力の重要性を語る。
 その後も、座談会などでメンバーによる発表や演技を録画した映像を上映。
 「英語を理解できた人は少なかったかもしれませんが、未来部員の成長した姿に、皆、わが子のことのように喜んでいました」と安田香代子県女性未来本部長。
 こうした励ましに触れる中、家族と一緒に会合に参加するようになったメンバーや、司会などの役を積極的に担当するようになったメンバーなど、以前にも増して、会合で未来部員の姿が見られるようになった。
 さらなる活躍の場をつくろうと、世界県では未来っ子の特技を披露する機会を設けたり、少年少女部の「パイン合唱団」の出動機会を増やすなど、工夫を重ねている。
 宮城吉孝県長、与那覇美世子県婦人部長は語る。
 「未来部員の成長が地域の同志の希望となっています。これからも各部一体で人材育成の流れを構築していきたいと思います」                

アピール 創価家族の励ましで成長の夏に      木﨑未来部長  高澤女子未来部長 

 少年少女部員も対象になった昨年の「E―1グランプリ」では、一昨年をはるかに上回る約6000作品の応募があり、工夫を凝らした、たくさんの寸劇が寄せられました。
 また、小学生を中・高校生の先輩が励ましたりするなど、小・中・高の縦のつながりが深まる機会にもなり、第3回となる今年もメンバーの成長に期待が膨らみます。
 「E―1」では、1チーム4人で、英語の寸劇(スキット)を披露します。英語力のほかに、発想力や演技力なども評価の対象です。
 未来部員の中には、「E―1」を通して勤行・唱題に挑戦するようになったメンバーが数多くいます。
 さらに、学校の先生に英語のアドバイスをしてもらったり、互いの演技に「こうしたらいい」と建設的に意見を言い合うようになったりと、自信を持ち、物事に積極的に取り組むようになったエピソードも生まれました。
 現在、社会の国際化や多様化によって、より高い語学力やコミュニケーション力が求められるようになっています。その中で、楽しく英語を学べるだけでなく、協調性や創造性も磨くことができる「E―1」は、一人一人の成長のきっかけになります。
 さらに、「E―1」は、創価家族の総合力が発揮される催しです。
 毎回、各部の方々が英語や演技、そして信心の“コーチ”となって、挑戦するメンバーを支えてくださっています。未来部メンバーに「E―1」の感想を聞くと、そうした同志への感謝の言葉を口にし、自然と信心継承の場にもなっていることを感じます。
 
 メンバーの成長に触発され、信心に消極的だったご家族が学会活動に励むようになったこともありました。
 今回の課題文では、「興味がある国」を調べて自由に作文する箇所があります。異文化交流や世界市民について考えるきっかけにもなるでしょう。
 池田先生が語学についてつづられた、未来ジャーナル6月号の「未来対話『夢の翼』」も研さんしながら、世界へ、未来へと心を広げていく「E―1グランプリ」にしていきましょう!               

 「E―1」では、1チーム4人で、英語の寸劇(スキット)を披露します。英語力のほかに、発想力や演技力なども評価の対象です。
 未来部員の中には、「E―1」を通して勤行・唱題に挑戦するようになったメンバーが数多くいます。
 さらに、学校の先生に英語のアドバイスをしてもらったり、互いの演技に「こうしたらいい」と建設的に意見を言い合うようになったりと、自信を持ち、物事に積極的に取り組むようになったエピソードも生まれました。
 現在、社会の国際化や多様化によって、より高い語学力やコミュニケーション力

求められるようになっています。その中で、楽しく英語を学べるだけでなく、協調性や創造性も磨

くことができる「E―1」は、一人一人の成長のきっかけになります。
 さらに、「E―1」は、創価家族の総合力が発揮される催しです。


 毎回、各部の方々が英語や演技、そして信心の“コーチ”となって、挑戦するメンバーを支えてくださっています。未来部メンバーに「E―1」の感想を聞くと、そうした同志への感謝の言葉を

にし、自然と信心継承の場にもなっていることを感じます。
 
 メンバーの成長に触発され、信心に消極的だったご家族が学会活動に励むようになったこともありました。
 今回の課題文では、「興味がある国」を調べて自由に作文する箇所があります。異文化交流や世界市民について考えるきっかけにもなるでしょう。
 池田先生が語学についてつづられた、未来ジャーナル6月号の「未来対話『夢の翼』」も研さんしながら、世界へ、未来へと心を広げていく「E―1グランプリ」にしていきましょう!
                

◆〈信仰体験 ブラボーわが人生〉第29回 関西創価学園の思い出 

 【山口県・周防大島町】痩せて、落ちくぼんだ目。その鋭くも優しい双眼で、激動の時代を見詰めてきた。

 

2017年6月 5日 (月)

2017年6月5日(月)の聖教

2017年6月5日(月)の聖教

◆今週のことば

広布の苦労は
全てが無量の福徳に。
何があっても前へ!
この祈りと執念で
栄光の扉を開け!

◆〈名字の言〉 2017年6月5日

 “白衣の天使”の象徴であるフローレンス・ナイチンゲール。彼女には「天使とは、美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者である」との言葉通り、信念を貫く強さがあった▼莫大な資産を持つ英国のジェントリ(地主貴族層)出身で、豊かな暮らしを送っていた。しかし18カ月間の欧州旅行中、飢餓に苦しむ難民に遭遇した▼看護師は当時、下層階級の職業とされていたが、彼女は家族の猛反対を押し切り、看護の道を使命と定めた。病院の制度改革、看護教育の創設で地位向上に貢献し、“近代看護の母”と称賛される(リン・マクドナルド著『実像のナイチンゲール』現代社)▼創価大学を卒業した島根の女子部員。安定した仕事に就いていたが、6年前、東日本大震災が発生。熟慮の末、「一番苦しんでいる人に尽くそう」と退職し、看護学部1期生として創大に再入学した。卒業した今春から総合病院に勤務する。「“妙法のナイチンゲール”として、医療の現場で貢献したい」と語る▼使命を自覚した人は強い。その覚悟が、生と死のせめぎ合う厳しい医療の現場で、自身を支える力となろう。生命尊厳の哲学を胸に、苦しむ人のために戦う看護従事者を心からたたえたい。あす6日は白樺グループ結成の日。(士)

◆〈寸鉄〉 2017年6月5日
 

 「大難来りなば強盛の信
 心弥弥悦びをなすべし」
 御書。不屈こそ創価の魂
      ◇
 福井の日。愛する郷土の
 ルネサンス今こそ!後継
 の青年と共に対話に先駆
      ◇
 東京・葛飾が「勝つしか
 ない」を合言葉に猛進撃。
 勝利の峰へ勇敢に進め!
      ◇
 大気中CO2が過去最高
 と。空調温度等、皆で削減
 へ努力を。世界環境デー
      ◇
 地球は人のほかに動植物
 もいる―学者。国益より
 地球益。これ時代精神に

◆社説  あす牧口先生生誕146年   仏縁広げる一歩が未来に花開く


 「真実は時の娘」という言葉がある。真実は時がたつにつれて明らかになる、との意味だ。創価学会初代会長である牧口常三郎先生の真実は、第2代会長の戸田城聖先生、第3代会長の池田大作先生の尽力により満天下に示された。創価三代の師弟が築いた土台の上に、時を経て明らかになる史実がある。
 明日、牧口先生の生誕146周年を迎える。軍部政府によって投獄され、殉教の生涯を終えられた牧口先生。その立憲主義に基づく天皇凡夫論、教育勅語批判、聖戦思想批判の実像は、伊藤貴雄・創価大学教授の論文「牧口常三郎の戦時下抵抗」(「創価教育」第2号、第4号に収録)に詳しい。
 当時の折伏の様子をうかがえる逸話が月刊誌「潮」6月号で紹介されていた(「民衆こそ王者――池田大作とその時代」)。
 東京・足立支部の初代支部長を務めた藤田建吉さんは、太平洋戦争の最中、軍人として赴任していた朝鮮半島の地で信心を始める。妻の多子さんから手紙で折伏されたのだ。
 夫を召集された多子さんは牧口先生に相談し、「戦地のご主人に、毎日手紙を書きなさい」と指導を受けた。建吉さんは戦地で題目を唱えるようになり、牧口先生にも手紙を出す。しかし“帰国したら牧口先生に会いたい”という建吉さんの願いは叶えられなかった。敗戦後、藤田夫妻は学会の草創期を走り抜く。「どんな理由であれ、創価学会の組織が潰された時、どれほど悲惨なことになるか。多子も建吉も、骨身に沁みていた」からだ(「潮」6月号132ページ)。
 若き日の池田先生が、支部長代理として精魂を込めて育てた「文京支部」のエピソードも印象的だ(「潮」7月号)。同支部で最も大きな地区は「豊島地区」だった。その座談会場があった雑司ケ谷近辺を池田先生は訪れ、弘教の指揮を執った。池田先生が通った道は、文京支部が快進撃を始める9年前の1944年(昭和19年)11月18日、東京拘置所で生涯を終えた牧口先生のご遺体が自宅の目白まで運ばれた道でもあった。
 牧口先生が植えた「創価」という希望の種は、ひとたびは国家主義により踏みつぶされた。しかし、戸田先生と池田先生が切り開いた人間革命の民衆運動によって再生し、大きく花開いたのである。
 私たちが仏縁を広げる一歩もまた、未来に花開く種となる。動乱の世に行動し続けた先師の軌跡に思いをはせ、今日の一歩を踏み出す力としたい。

◆きょうの発心  圧倒的な拡大で勝利の突破口を2017年6月5日

御文
 我等が頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり此の五尺の身妙法蓮華経の五字なり(御義口伝、716ページ・編1562ページ)
通解 我々の頭は妙であり、喉は法であり、胸は蓮であり、胎は華であり、足は経である。この五尺の身が妙法蓮華経の五字の当体である。

 わが身が南無妙法蓮華経の当体であることを教えられた御文です。
 
 学生時代に2度にわたり、池田先生と記念撮影をする機会があり、誓いの握手を。その後、仏法対話が実り、信心の原点になりました。
 大学在学中に、交通事故に遭いました。幸い、軽傷でしたが、先輩から励まされた際に教わったのが、この一節です。
 大学卒業後、企業勤務を経て、本紙の記者に。池田先生からいただいた「愚直な人生」との指針を胸に今日まで歩んできました。
 7年前に脳梗塞を発症。一昨年には追突事故に巻き込まれ、重体に。この御金言を胸に祈り抜き、多くの同志や家族の題目にも支えられ、医師が「万分の一の可能性」という蘇生を果たしました。苦難を乗り越え、使命の天地で学会活動に励めることが誇りです。
 1953年(昭和28年)、先生が福生の地で学会厳護の闘争を展開された9・16「師弟原点の日」に向けて、「鉄の団結で日本一」を合言葉に、圧倒的な対話拡大で、東京凱歌の勝利の突破口を開いてまいります。  東京・福生王者区副壮年部長 赤崎茂樹

◆小説『新・人間革命』第30巻 雌伏の章  六十一 (6089)
 


 奄美の女子部の代表が、「先生! これは私たちの気持ちです!」と言って、沖永良部島のフリージアと、奄美大島の緋寒桜を、山本伸一に差し出した。
 「ありがとう! 一足早い春の到来だね。百花繚乱の春は幸せの象徴だ。みんなも、必ず幸せになるんだよ。私は、その姿を見ることがいちばん嬉しいし、それが、信心の正しさの証明になるんです。どうか皆さんは、それぞれが日本一、世界一、幸せになることを誓ってください。幸福のための信心であり、学会活動であり、広宣流布なんです」
 伸一は、こう言うと、和歌を認めた色紙をメンバーの代表に手渡した。
  
  はるばると
   奄美の乙女の
      集いける
   此の日の歴史
     諸天も讃えむ
   
 「では、みんなで、幸せになるとの誓いを込めて、記念写真を撮りましょう」
 二組に分かれ、カメラに納まった。彼は中央に座るのではなく、メンバーを見守るように、後ろ端に立った。
 撮影が終わると、彼は言った。
 「皆さんの求道心あふれる姿は、創価学会の希望です。何があっても揺るがない、皆さんの強く清らかな信心こそ、二十一世紀を開く力です。朗らかに、堂々と胸を張って、前進していきましょう」
 また、館内で、「健康セミナー」が開催されていることを聞いた彼は、居合わせた幹部に言った。
 「せっかく奄美から女子部が来てくれたんだから、セミナーで皆さんを紹介し、交歓のひとときをもってはどうだろうか。きっと、参加者も喜ぶと思うが」
 伸一は、東京で、一つでも多くの思い出をつくってもらいたかった。彼女たちの求道の真心に最大の誠意で応えたかったのである。

【聖教ニュース】

◆創価の青年が誓願の大前進 
若き師子王の祈りと勇気の対話で、堂々と地涌の誓いを果たしゆけ!――世界広布の一切の先駆を約し合った学生部の首都圏大会(大田池田文化会館で)
   
若き師子王の祈りと勇気の対話で、堂々と地涌の誓いを果たしゆけ!――世界広布の一切の先駆を約し合った学生部の首都圏大会(大田池田文化会館で)
青年こそ社会を照らす希望! 青年こそ未来の宝!――誓願の道を誇らしく歩み抜く創価の青年が4日、各地で躍動した。

結成60周年 首都圏学生部が意気高く

 結成60周年を記念する学生部の首都圏大会は大田池田文化会館で意気高く開催された。
 かつて池田大作先生はつづった。
 「学生の使命は、すべてにわたって先駆だ。これが、世界の歴史であった。偉大なる社会変革の烽火が上がる時、そこに、必ずといっていいほど、理想に燃えた学生の活躍があった」
 1957年(昭和32年)6月30日の結成から60星霜――破邪顕正の魂をたぎらせ、社会変革の言論戦の先頭を走ってきた学生部の友。誉れの使命を担い立つ創価の学才たちの存在は、混迷の時代にあって、一段と輝きを増している。
 大会では、野村東京学生部長の後、荒川総区の中田学生部長、足立総区の西田学生部長が登壇。“新時代の山本伸一”の自覚で、広布伸展に先駆する決意を語った。
 続いて、須原亜斗夢さんが、家族を襲った宿命を勝ち越え、勝利の青春道を歩む喜びを述べた。
 板子学生部長は、青春時代の奮闘こそ、永遠に胸中で輝く“宝”になると強調。師恩に報いる未曽有の拡大を果たし、創価の学徒の偉大な使命に生き抜こうと訴えた。
きょう「県の日」 福井が躍動の青年大会
 6・5「福井の日」を記念する福井総県の創価青年大会は、福井市の福井県産業会館で行われ、3000人の友が集い合った。
 大会のテーマは「START――今、ここから未来が始まる」。
 この日を目指し、男子部は、部平均3世帯に迫る弘教を結実。女子部も部平均1を超える弘教・入会決意の実証を示した。学生部は活動者2倍の拡大を達成した。
 大会では、男子部の勇壮な太鼓演奏や力強いダンス、女子部の朗読や躍動の舞などが披露された。一つ一つの演目、一人一人の笑顔には、信仰に生きる喜びがみなぎっていた。
 大会の終盤、福井の同志が師匠・池田先生と刻んだ原点が映像で紹介された。
 ――73年(同48年)6月5日、池田先生は福井県幹部会に出席。福井の土地柄や歴史に触れ、“妙法による郷土のルネサンスを”と望んだ。
 福井の同志は“わが地域を福運に満ちた寂光土に”と祈り、信頼を広げてきた。そして、この師との誓願は、世代を超えて、後継の青年部に確かに受け継がれている。
 フィナーレでは、“福井の誇り”に燃えた青年が、未来を担いゆく決意を込めて大合唱。その歌声は、福井の新たな師弟共戦の歴史が始まる暁鐘として、高らかに鳴り響いていた。
音楽隊 創価ルネサンスバンガード 横浜開港祭で熱演
 魂からほとばしるメロディーと演技で、皆に勇気と希望を送ろうと日々、奮闘する創価の楽雄・音楽隊。創価ルネサンスバンガード(沖山健之介楽団長)は、横浜開港祭のチャリティー吹奏楽コンサート「ザ ブラス クルーズ 2017」(神奈川・横浜みなとみらいホール)に特別出演し、模範演奏を披露した。
 紺碧の海を望む横浜は、日本の吹奏楽発祥の地。毎年、その開港を祝う同コンサートには、著名な吹奏楽やマーチングのバンドが集結する。
 昨年12月のマーチングバンド全国大会で14度目の内閣総理大臣賞に輝いたバンガード。全プログラムの掉尾を飾った熱演に、聴衆から「心の奥まで響く圧倒的な迫力の演技・演奏に、あすへの活力を得ました」など感動の声が寄せられた。

【先生のメッセージ】

◆高等部結成記念大会への池田先生のメッセージ
 正義の走者よ勇んで前へ! 負けじ魂の人に栄冠は輝く

 わが生命であり、創価の希望である高等部の皆さん、晴れの結成記念大会、誠におめでとう!
 各地の皆さんの目覚ましい成長の様子を、私は何より嬉しく頼もしく伺っています。誰よりも期待する皆さん一人一人と、心の握手をがっちりと交わして、一切を見守っております。
 今日は、21世紀の「正義の走者」たる皆さんに紹介したい伝説のランナーがいます。陸上の長距離で18回も世界記録を更新し、オリンピックでも四つの金メダルを獲得した、ザトペック選手です。
 実は、彼の脚力(足の力)は、医師が驚くほど弱かった。しかし、驚異的な練習量を地道に積み重ね、爆発的なスピードと持久力、そして精神力を身につけたというのです。
 ザトペックには、信念がありました。それは、「ゴールにとびこむまえに決してあきらめたり、自分に疑いを抱いてはならぬ」(ズデニェク・トーマ著、大竹國弘訳『人間機関車 E・ザトペックの実像』ベースボール・マガジン社)との不屈の精神です。
 青春の道は、決して途中では決まらない。自分自身を信じ抜き、負けじ魂を燃やして、最後の最後まで走り抜く人に、栄冠は輝くのです。その栄光のゴールへの無敵のエンジンこそ、題目です。
 日蓮大聖人は、「此の経文は一切経に勝れたり地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし」(御書1310ページ)と仰せになられました。
 どうか、皆さんは、題目の師子吼を唱えながら、正義の走者と勇み走って、いかなる苦難の道も、力強く前へ前へ突き進んでいってください。そして、いかなる試練の烈風にも、勇気と希望の翼を広げて、堂々と朗らかに羽ばたいていただきたいのであります。
 大切な大切な皆さんの健康と成長を祈ります。
 親孝行を頼みます。
 わが愛弟子たちよ、断じて負けるな!とエールの三色旗を振りつつ。

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈座談会 栄光の峰をめざして〉36 6月7日「高等部結成記念日」 
 希望の太陽胸に使命の舞台へ  都議会随一 公明党の政策実現力
 
“学会創立100周年の2030年へ、次は愛弟子の未来部の皆さんが、新しい黎明の物語を築く番”――首都圏の未来部部長研修会が、後継の決意にあふれて(4月、東京・八王子市の創価大学で)
“学会創立100周年の2030年へ、次は愛弟子の未来部の皆さんが、新しい黎明の物語を築く番”――首都圏の未来部部長研修会が、後継の決意にあふれて(4月、東京・八王子市の創価大学で)

 永石 6月7日、「高等部結成記念日」を迎えますね。1964年のこの日、未来部として最初に結成されたのが高等部です。
 原田 21世紀の学会、世界広布を展望され、池田先生が最も期待を込めて手づくりで育み、最大に激励を重ねてこられたのが、高等部の歴史ともいえます。
 長谷川 結成当時、先生は「将来の学会指導者に、民衆の指導者に、世界の指導者になっていくための種を植えていくのです」「あくまでも勉強第一で進みなさい」等、大事な指針を示してくださいました。
 宮尾 先日、アメリカ創価大学(SUA)の第13回卒業式が行われました。聖教新聞で紹介されていた、卒業生のダイキ・クマザワさんは、5年前に行われた「第1回 中部未来部イングリッシュフェスタ」で司会を務めたメンバーです。
 竹岡 彼は統計学の研究を志し、その分野で“世界トップ”といわれるスタンフォード大学大学院に進学しますが、実はハーバード大学、オックスフォード大学などの大学院にも合格しています。彼は「世界一流を目指し、支えてくれた方々の真心に応えていきます」と語っていました。
 宮尾 私自身もSUAでの日々が大きな原点です。頼もしい後輩が陸続と羽ばたき、本当にうれしいです。
 竹岡 クマザワさんがSUAを目指した契機は、高校2年の時、「中部総会」(本部幹部会)で出会ったSGIメンバーの息吹に大感動したことだそうです。夢や触発が、若き友の可能性を開花し、成長を大きく促すのだと実感します。
 長谷川 先生は新連載の「未来対話『夢の翼』」で、こう期待されています。「若くして仏法を持ち、日々の唱題で希望の太陽を胸中に昇らせゆく、わが後継の皆さんは、どうか確信してほしい。君が縦横無尽に活躍する使命の舞台が、必ず開けることを! 貴女の未来は、前途洋々と広がっていることを!」
 原田 今でいう“未来部出身”の南条時光への御文に「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(御書1561ページ)と仰せです。大きな願いが未来を決めます。先生の期待を胸に、皆が使命の舞台へ羽ばたけるよう、応援をしていきましょう。

都政の頭脳として


 竹岡 さて、東京都議選(6月23日告示、7月2日投票)の告示まで18日となりました。各党の公約も出揃い、動向に注目も集まっています。そうした中、各分野から公明党に期待の声が寄せられています。
 長谷川 東北大学大学院・河村和徳准教授は語っています。「公明党には全国3000人の国会議員・地方議員によるネットワークがあります」「高度な専門性を有していることに加えて、日常的に地域住民と触れ合っている強みも持っています。小池都知事は公明党を『都政の頭脳』と評したようですが、それはこうしたネットワークや個々の議員の力、経験を指してのことでしょう。期待される都政改革の成否のカギは、公明党が握っていると思います」
 原田 都議会公明党が果たした「3つの挑戦」の実績、また「2017東京都議選に臨む重点政策」にも評価が高まっていますね。
 永石 「3つの挑戦」は①議員報酬20%削減など「身を切る改革」②私立高校授業料の実質無償化など「教育負担の軽減」③2020年東京五輪・パラリンピックに向けた「人にやさしい街づくり」ですね。昨秋に掲げ、わずか半年で公明党は全て実現しました。
 宮尾 「重点政策」では3つの柱、①「安全・安心」先進都市・東京へ――2020東京大会をめざして②「誰もが生き生き」希望都市・東京へ――生活者の現場から③「新たな活力」前進都市・東京へ――被災地とともに、を掲げています。
 永石 公明党の「都議選2017特設サイト」(https://www.komei.or.jp/campaign/togisen2017/)でも実績や政策をイラストで分かりやすく解説し、各予定候補の最新情報や動画等も随時掲載していますね。

生活者目線の提案


 竹岡 一方で、都議会公明党の実績である「私立高校授業料の実質無償化」を、日本共産党がまるで自分たちの実績のように宣伝していることが、各地で厳しく指摘されています。
 宮尾 5月24日付の読売新聞では、「共産党が目玉政策の手柄を横取りすることに対し、公明党としては見過ごせない状況だ」と論じられていましたね。
 竹岡 この無償化は、小池都知事が「庶民目線、生活者目線の公明党の提案がまさに花開いた」と明言している通りです。朝日、東京新聞など各紙で報道され、日経新聞でも「知事は『公明党と話が整った。一致できてよかった』と強調した」(1月17日付)と報じています。無償化を「共産党の成果」とする主要メディアは一つもありません。
 宮尾 識者は、共産党の体質をこう語っています。「ごまかしが常套手段」「『反対だけが実績』――それが日本共産党という政党」(政治評論家・森田実氏)。「共産党の欺瞞的体質を見抜いていくことが大事なのです」(専修大学・藤本一美名誉教授)。
 竹岡 共産党は懲りずに公明党の「身を切る改革」等も自分たちの実績と主張していますが、これも全くの「実績横取り」です。ニュース等でも報道された通り、公明党が他党に先駆けて提唱し、都議会全体を動かして実現したものです。
 永石 都知事も「都議会公明党が先頭に立ち、議員報酬の20%削減などが実現しました。あの時、改革の旗を掲げてくれた公明党の決断に感謝しています」と明確に語っていますね。
 原田 「都民目線を貫く公明党の存在は都政において、今後、ますます重要」(日本大学・岩渕美克教授)など期待も大きい。政治に求められるのは、改革を現実に進める力、政策を実現する力です。公明党は都議会随一の「政策実現力」を発揮し、「都民のための政治」を貫いてもらいたい。

◆〈世界の体験プラザ〉 アルゼンチンSGI オラシオ・プリドさん

 アルゼンチン南部、南極海に臨むフエゴ島。島にあるウスアイアは、“世界最南端の都市”として知られる。

2017年6月 4日 (日)

2017年6月4日(日)の聖教

2017年6月4日(日)の聖教

◆わが友に贈る

仏法は勝負。
断固負けるな!
わが目標の達成へ
いよいよの決意で
努力と挑戦の自分史を!

◆〈名字の言〉 2017年6月4日

 「戦争」の反対語を問われれば、多くの人が「平和」と言うだろう。だが経済学者の暉峻淑子氏の答えは「対話」。“対話が続いている間は殴り合いは起こらない”とのドイツの言葉から発想したものだ▼『豊かさとは何か』等の著作を通し、社会の諸相を浮き彫りにしてきた氏。近年、地域や社会から本来の「対話」が失われつつあるように感じているという▼では「対話」とは何か。氏は「人間としての対等な立場で、その時その場にもっとも必要な自分の考えや感情を、自分の言葉で語る話し合い」と表現する。一方的ではなく、双方の話を往復させる。一般論や抽象論ではなく、“自分自身”から離れない話題で。“お世辞”は対等ではないので対話にならない(『対話する社会へ』岩波新書)▼現代において、同じ人間として胸襟を開き、対等に語り合える場がどれほど貴重か。そのかけがえのない機会の一つこそ、老若男女が自身の思いを赤裸々に伝える学会の座談会であり、友人、同志との「一対一」の対話といえよう▼対話のあるところ、平和が生まれる。心通う対話の一つ一つが、社会を根っこから変えていく。我らの日々の友好対話は、世界平和への具体的な行動であり、民主主義の大地を耕す貴い作業にほかならない。(起)

◆〈寸鉄〉 2017年6月4日
 

 「世界池田華陽会の日」。
 女子部の前進こそ創価の
 希望。颯爽と対話の花を
      ◇
 「信心の・いさぎよきは
 すめるがごとし」御書。
 勇んで動く人に功徳燦然
      ◇
 板橋が乾坤一擲の拡大。
 大東京の錦州城は不滅!
 断じて常勝の歴史つづれ
      ◇
 虚言は事実を隠せない―
 魯迅。一のデマには百の
 正論で。堂々と打ち砕け
      ◇
 熱意がある社員、わずか
 6%。仕事は三人前の心
 で進む学会青年部頼もし

◆社説  世界池田華陽会の日   女子部の“声の力”が希望を拡大


 法華経で、女性の成仏を信じない舎利弗を感服させたのは、何か。それは若き竜女の“声の力”だった。「汝が神力を以て我が成仏を観よ」(法華経409ページ)と言って、実際に自分が成仏して衆生を教化する姿を見せたのである。日蓮大聖人は「竜女という一人の女性の成仏の実証が、後に続く一切の女人の成仏の道を開いた」(御書223ページ、趣旨)と仰せである。「女人成仏」は万人平等の究極の法理である。
 竜女が師へ誓いを立て、民を救おうと利他の実践に励む姿は、広布の華を咲かせる女子部の友に重なる。これほど頼もしい前進の力はない。事実、世界で広布拡大の原動力となっているのが華陽姉妹の活躍である。
 目覚ましい発展を遂げるインドの女子部リーダーは、これまで30世帯の弘教を。入会した友は皆、人間革命の道を歩んでいるという。彼女の目標は、自身の手で新たに100人のメンバーを誕生させること。「その一人一人が主体者として立ち上がれば、社会に大きな希望を広げられる」と確信している。
 世界広布の電源地・アメリカで2012年に入会した女子部員。両親は離婚し、きょうだいもバラバラに。しかし彼女は信心と巡り合い、「一家の太陽になる」と決意した。その後、明るく変わる彼女の姿を見た母もSGIの一員に。また、彼女の紹介で入会した親友も、会合に参加する中で、「ここが私の居場所」だと確信した。今では「全ての人に、限りない可能性がある」との仏法の価値観を、周囲に語り抜いている。
 女子部が一人立てば、希望の連帯が拡大する。家庭に、地域に、社会に、妙法の幸の花は、幾重にも咲き広がる――先の体験は、それを雄弁に物語る。
 きょう4日は「世界池田華陽会の日」。池田先生ご夫妻が信濃町の創価女子会館を初訪問した09年6月4日が、その淵源だ。この日、先生は「女子部 永遠の五指針」を贈った。

 「朗らかな幸福の太陽たれ」
 「世界一の生命哲学を学ぶ」
 「何があっても負けない青春」
 「正義と友情の華の対話を」
 「永遠に師弟勝利の門を開く」
 ――世界の華陽姉妹はその指針を胸に、きょうも使命の舞台で努力と挑戦を重ねている。「女子は門をひら(開)く」(同1566ページ)と仰せだ。女子部がはつらつと活躍するところ、学会は希望に満ちた前進ができ、広布の新潮流が広がる。「6・4」から結成の月・7月へ、奮闘する乙女の成長を祈り、最大のエールを送りたい。

◆きょうの発心   師弟共戦で連続勝利の歴史を!2017年6月4日

御文
 苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ(四条金吾殿御返事、1143ページ・編880ページ)
通解 苦を苦と悟り、楽を楽と開き、苦しくても楽しくても南無妙法蓮華経と唱えきっていきなさい。これこそ自受法楽ではないか。ますます強盛な信心を貫いていきなさい。

 いかなる時も唱題し抜いていくことこそ最高の幸せである、との仰せです。
 
 1971年(昭和46年)11月10日、現在の静岡市清水区内で行われた記念撮影に役員として参加。メンバーを激励される池田先生の姿に感動し、生涯、師弟共戦を誓う原点の日となりました。
 その3年後、経済苦や集中豪雨による自宅の倒壊などの苦難に追い打ちを掛けるように、母が他界。厳しい現実を前に、懸命に祈り、学会活動に励みました。
 婦人部として清水の地で活動するようになってからも、夫の会社の倒産、私自身の病魔との闘いなどの困難に直面。そのたびに、この御文と先生の指導を胸に題目を唱え抜き、全てを乗り越えることができました。
 昨年11月、池田先生より静岡の私たちに「太陽の静岡」との新愛称をいただきました。報恩感謝の思いと師弟共戦の信心で連続勝利の歴史を築いてまいります。  静岡総県副婦人部長 加藤糸子
【聖教ニュース】

◆きょう 6・4「世界池田華陽会の日」
結成の月・7月へ 女子部が幸福凱歌の行進

 
世界中の華陽姉妹と共に、歓喜のスクラム固く前進!――師の励ましを胸に、各国各地で幸の太陽と輝く女子部の友ら(ドミニカ共和国)
世界中の華陽姉妹と共に、歓喜のスクラム固く前進!――師の励ましを胸に、各国各地で幸の太陽と輝く女子部の友ら(ドミニカ共和国)

 きょう4日は、「世界池田華陽会の日」。2009年6月4日、池田大作先生ご夫妻が東京・信濃町の創価女子会館を初訪問。“広布の花”女子部の活躍をたたえ、心からの励ましを送った。
                                                                         ◇ 
 「宝の中の宝である皆さんに、広宣流布の未来の一切を託していきたい。私と妻は、そうした祈りを込めて、皆さんを見守っている」――。
 創価女子会館の開館(06年5月3日)から3年。華陽姉妹が願い続けてきた、先生ご夫妻の同会館への訪問が実現した。
 ご夫妻は到着後、1階ロビーに設置されている女子部歌「青春桜」の歌碑を見学。先生は大理石のヴィーナス像の名称を「広布青春の像」にと提案した。
 次いで、2階の「池田華陽の間」へ。代表と共に題目を唱え、全女子部員の健康、幸福、そして勝利を祈念した。
 唱題を終えた後、先生はスピーチを。
 「広宣流布へ、師弟が心を合わせて祈る。同志が異体同心で祈る。そこから新しい前進が始まる。戦いの勢いも生まれる。功徳も大きく広がる」「題目こそ、絶対勝利の力なのである」と、大確信を込めて訴えた。
 さらに席上、女子部の友に和歌を詠み贈るとともに、希望の羅針盤となる「女子部 永遠の五指針」(別掲)を発表。
 そして、詩心薫る「さくら」と、父子の魂の継承をうたった“大楠公”をピアノで奏で、一人一人を励ましの調べで包んだのである――。
 師の万感の期待に応えようと、各国各地で“誓春の大道”を歩む女子部の友。「6・4」から、女子部結成記念日の「7・19」へ、栄光と勝利の花を爛漫と咲き薫らせる。
 伊藤女子部長、山本書記長は誓う。
 「世界中の池田華陽会の同志と団結固く、あの友この友の心に、幸福凱歌の種をまいていきます!」

女子部 永遠の五指針
 一、朗らかな幸福の太陽たれ
 一、世界一の生命哲学を学ぶ
 一、何があっても負けない青春
 一、正義と友情の華の対話を
 一、永遠に師弟勝利の門を開く

韓国 チェ・ソヒョン 女子部長

 韓国青年部では、池田先生の入信70周年を記念して今夏に行う「青年希望総会」へ向け、7000人の弘教に挑んでいます。
 拡大の原動力は、一人一人が教学を深め、大聖人の御精神に触れることにあります。
 「女子部は教学で立て」との指針を胸に、韓国女子部では現在、“華陽タイム”と銘打った教学運動を実施。毎日20分間、御書を拝し、「池田華陽会御書30編」の読了を目指しています。
 韓国では今、時代を覆う閉塞感に、多くの青年が未来への希望を見いだせずにいます。例えば、夢を持てないことを示唆する“自虐的な造語”が生まれていることが、その象徴といえましょう。
 その中で、創価の哲学が、社会に活力を送る精神の光源となっています。
 ある新聞社に勤める華陽の友は、昨年、職場の同僚の紹介で入会。入会前、学会書籍を読み、池田先生の青年への期待、信頼の大きさに触れ、大感動。そして、生命尊厳の希望の哲理を求め、創価の輪に加わりました。
 「世界はますます深く強く仏法を求めている」――この池田先生の言葉のままに、さらに華陽のスクラムを拡大してまいります。

スイス イザベル・シュピューラー 女子部長
 「歓喜の体験を語ろう」キャンペーン――これは欧州青年部で、昨年から取り組んでいる運動です。
 スイス女子部でも、会合や訪問激励の中で、リーダーが率先して自らの信仰体験を披露。そこで生まれた信心の触発が、互いの成長を促し、人材を育てていく要諦であると確信します。
 風光明媚な景観が広がるスイス。経済的にも豊かな国として知られています。
 その半面、日々感じるのは、個人と社会とのつながりが希薄化していること。私の周囲には、疎外感や孤独感に苛まれる友人が、少なからず見受けられます。
 そんな中、新会員の女子部員に入会動機を尋ねてみると、「“一人を大切にする”創価家族の温かさに感動したから」との答えが、非常に多く返ってくるのです。
 混迷を深める現代社会にあって、多くの人が人間主義の哲理を求めてやまない。そう強く実感します。
 今月18日、チューリヒで「全国池田華陽会大会」を朗らかに開催します。その日を目指して、さらなる友好対話の潮流を起こしていきます。

◆〈季節の詩〉 東京・荒川区 都電とバラ 2017年6月4日
 

   
 初夏の下町。チンチン!と発車のベルを鳴らして、都電荒川線が町を縫うように走っていく。荒川区内の沿線には、地域住民らが育てた1万3000株の可憐なバラが咲き薫る。池田先生は「愛する郷土を喜びの花咲く楽土に」「地域に地盤を広げゆく中に、広布と人生の一番正しい軌道がある」と。荒川から北、豊島を経て新宿までを結ぶ約12キロ。庶民の町のど真ん中を進むその姿は、地域のために奔走する創価の友と重なる。(5月31日=笹山泰弘記者撮影)

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈希望航路―池田先生と進む人生旅―〉 アメリカ・サンフランシスコ①
 地涌の使命の開拓者
 
池田先生の訪問の歴史を、学び深めてきたサンフランシスコの男女青年部。広布の“原点”の場所から、新たな誓いの出発を(本年4月)
池田先生の訪問の歴史を、学び深めてきたサンフランシスコの男女青年部。広布の“原点”の場所から、新たな誓いの出発を(本年4月)

 「アメリカで最も美しい街」と称されるサンフランシスコ。この地にも、広布の誇りに生きる人たちがいる。池田先生の激励行と師弟のドラマを紹介する。
 カリフォルニア州北部のサンフランシスコ市。三方を海に囲まれたこの街は、開拓精神にあふれている。
 19世紀半ばのゴールドラッシュ。一獲千金を夢見る人々が、国内外からやってきた。20世紀には、市の南部一帯が半導体産業を主とする「シリコンバレー」として栄え、新進気鋭の企業人や若者が多く住むようになった。
 広布の歴史もまた、地涌の使命に燃え立つ人たちの、汗と苦労によって開かれた。
 1960年(昭和35年)10月、ハワイの地で海外指導を開始した池田先生が、次に向かった先がサンフランシスコである。
 10月3日の午後4時半過ぎ。先生はサンフランシスコに、アメリカ本土への広布の第一歩を刻んだ。
 当時、出迎えたメンバーの多くは、結婚を機にアメリカで暮らす日系女性であった。
 言葉も通じない異国での生活。愚痴を言っては慰め合い、日本への郷愁を募らせるばかりだった。そうした苦労をくみ取りつつ、心に希望の灯をともしたのは先生だった。
 翌4日、市内で行われた座談会。集った約30人を前に、先生は地区の結成を発表した。そして、三つの指針を贈った。
 市民権の取得、自動車の運転免許の取得、英語のマスター。草創のアメリカの同志が、自らの誓いとして語り継いでいく、永遠の指針である。
                     ◇
 テルコ・リッチさん(支部メンバーケア・アドバイザー)は、この日の座談会で班長に任命された。
 58年、日本で入会。学会活動に励むと、心が充実感で満たされていくのを感じた。
 それだけに、60年6月に渡米した当初は、不安でいっぱいだった。
 「大海原にただ一人でいる気持ちでした。街で日本人を探す毎日でした」
 そんな時、池田先生のサンフランシスコ訪問の報が飛び込んだ。
 先生に会える! 想像するだけで、孤独は吹き飛んだ。
 10月3日、先生が到着する空港へ向かった。だが、しばらくして、乗るバスを間違えたことに気付いた。急いで乗り換え、なんとか空港にたどり着いた時にはもう、先生は出発した後だった。
 翌日の座談会。夫と一緒に会場を目指したが、今度は道に迷ってしまう。到着したのは会合終了後である。
 「またか……」。気落ちする彼女を、別室にいた先生が呼んでくれた。思いがけず出会いが実現した。
 リッチさんが班長に就任したと聞き、先生は「しっかり頑張ってくださいね」と。
 「短時間でしたが、どんな人も励まさずにはおかないという慈愛を感じました」。リッチさんは振り返る。
 当時、班長に就いた地域に、会合参加者は少なかった。師の激励に奮起したリッチさんは、点在する同志の訪問激励に走り、仏法対話にも挑戦した。
 はじめは、英語が苦手なのを理由に、日本人ばかりに声を掛けようとも考えた。だが、「英語のマスター」との指針を思い起こしては、弱気を打ち払い、アメリカ人の輪の中にも飛び込んだ。
 苦労は実り、1年間のうちに、数十人が会合に集うように。班は地区へと発展した。広布の会場だったリッチさんの自宅では、笑顔の語らいが広がった。
 当時を語る彼女の言葉は、草創の友の思いを代弁している。
 「日本に帰りたいとばかり考えていた私たちに、先生は“サンフランシスコに使命があるんですよ”と教えてくださいました。その先生にお応えしたいという一心で、走り抜いてきました。広宣流布が大きく広がる今、その礎を築く使命があったのだと、感動で胸がいっぱいです」
                   ◇
 池田先生の2度目のサンフランシスコ訪問は、65年8月。短期間の滞在だったが、ミキ・ササイさん(同)は先生と出会いを刻んだ一人である。
 緊張する彼女に、先生は「生涯、題目をあげ抜いて、必ず幸せになってください」と優しく語り掛けた。
 当時、ササイさんは入会して4年。昼間はレストランのウエートレスとして働き、仕事を終えると、最終バスの時間まで学会活動に励んでいた。
 「大きな目標を目指そうと決めました。私自身が幸せになることが、信仰の実証であると教えていただいた思いでした」
 宝の原点を胸に、夢だったアパレルショップを市内に開店したのは、71年。入会10年後のことだった。そこでササイさんは35年間、オーナーを務めた。
 文化・芸術・ファッションの粋が集まる街にあって、後進に譲った今もなお、店の経営は順調である。
 先生はこの訪問後も、74年、80年、93年にサンフランシスコを訪れている。
 その全ての訪問を、陰の行事役員として支えたササイさん。師の振る舞いを、間近で目に焼き付けた。
 ある時、先生は会館の庭に植えられた花を見て、「信心は、根っこを深く張るんだよ」と。
 また、ある時は、「サンフランシスコはいいリーダーを出していこうよ」と、同志に語っている。
 深く根を張った信心は、風雪にも微動だにしない。86歳のササイさんをはじめ、多宝会の友は毎週、会館に集い、地域の繁栄と若人の成長をひたぶるに祈念する。15年間続く、サンフランシスコの伝統となった。
 今、全米の弘教拡大をリードするサンフランシスコ青年部。その陰には、草創の父母たちの祈りがある。
 「先生のご指導通りに、私たちは題目で勝利します!」。ササイさんは胸を張る。
                     ◇
 60年代のアメリカ社会は激動期にあった。
 公民権運動のうねり。ベトナム戦争の混乱。人々が人生の意義を問い、社会の不条理への答えを求めていた時代に、妙法の灯は、全土にともされていった。
 ペギー・デュボルさん(婦人部副本部長)の入会動機も、揺れ動く社会に対する不満からだった。67年、18歳の時である。
 完成したばかりの小説『人間革命』の翻訳を読むと、“一人の生命の変革が、一国の変革を可能にする”と。
 自身の成長が大きな意味を持つと分かった時、“どうせ社会は変わらない”との、諦めの心は消えていた。
 今年で入会50年。サンフランシスコでの師との出会いの数々は、人生の黄金の思い出に。
 一度は離れたアートの世界に戻り、現在は、シリコンバレーで景観デザイナーとして活躍する。
 「この仏法の素晴らしさを教えてくれた、日本人の女性たちに感謝したい。たとえ片言の英語でも、彼女たちはいつも真剣に接してくれた。その一念が、私を育ててくれたと思っています」
 60年の10月5日、池田先生はテレグラフヒルに立つコロンブス像の前で、同志と記念撮影を。「20年、50年たてば、この日は偉大な記念日となるだろう」と語った。
 その後も先生は、何度もこの場所に足を運んだ。そして20年、50年先の未来を見据え、間断なき激励行を重ねていったのである。ご感想をお寄せください news-kikaku@seikyo-np.jp

◆〈信仰体験 登攀者〉 新宿駅などでチアリーディングを行う 朝妻久実さん 

 朝の新宿駅西口。激しい通勤ラッシュをくぐり抜け、それぞれの勤務先へ足早に歩く人、人、人。そんな雑踏の中、信号脇のわずかなスペースに、真っ赤な衣装の女性たちがさ
 

2017年6月 3日 (土)

2017年6月3日(土)の聖教

2017年6月3日(土)の聖教

◆わが友に贈る

「ほむれば 弥 いよいよ功徳まさる」
「一」の挑戦には
「十」の称賛を!
励ましは「万の力」だ。
讃え合えば勢いも加速!

◆〈名字の言〉 2017年6月3日

 “南無妙法蓮華経と唱えただけで成仏できるのでしょうか?”――およそ740年前、女性門下の手紙に、日蓮大聖人は譬えを交えて答えられた。「百千万年の間、闇に閉ざされていた所でも、灯を入れれば明るくなる」(御書1403ページ、通解)。妙法の絶対の功徳を語る言葉に、悩みに包まれていた弟子の心にも、希望の光が差したことだろう▼本州からフェリーで30分の広島県・大崎上島。この島で本部幹部会のインターネット中継が開始されたのは9年前の6月だった。「この方が池田先生じゃよ!」。同志は島民を招き、師の偉大さを宣揚した▼そこに一人の女子部員がいた。映像を通して触れた師匠の温かさに報恩の挑戦を誓う。多くの友人に本紙を手渡し、港で毎朝会うフェリーの船員を入会に導いた▼本年4月には76歳の壮年と仏法対話。一度断られても諦めない。壮年は「あなたがそこまで言うなら門下生になります」と勤行を実践。後日、晴れて入会記念勤行会が行われた▼あす4日は「世界池田華陽会の日」。池田先生が創価女子会館を訪問し、「永遠の五指針」を贈ったのが淵源だ。指針の一つに「朗らかな幸福の太陽たれ」と。“今、師と共に!”と誓う時、心に太陽が昇る。華陽の連帯は友の心を変え、地域を変革する力となる。(子)

◆〈寸鉄〉 2017年6月3日

 苦悩する民衆を救うのが
 学会の魂だ―戸田先生。
 さあ大使命胸に友の元へ
      ◇
 練馬の同志が奮闘。東京
 の要の闘士よ。模範の団
 結で栄光の暁鐘鳴らせ!
      ◇
 迅速な行動こそ勝利の要
 諦。打つべき手を的確・
 即座に。広布開く名将と
      ◇
 地域活動に参加する子供
 は逆境越える力が強い―
 調査。人の中で人は育つ
      ◇
 都市部の気温、21世紀末
 までに8度上昇か―研究
 意識改革し青き地球守れ

◆小説『新・人間革命』第30巻 雌伏の章  六十 (6088)



 山本伸一は、奄美の女子部員たちを、立川文化会館の玄関ロビーで迎えた。
 「やぁ、よく来たね! 遠いところ、ご苦労様! ゆっくりしていってください。
 お父さん、お母さんは元気かな。最も辛い、苦しい思いをしながら、広宣流布の道を開いてこられた奄美の方々のことを、私は決して忘れていません。お帰りになったら、くれぐれもよろしくお伝えください。
 みんなは福運があるんだよ。草創の同志が迫害と戦い、それこそ、命がけで学会の基盤をつくってくださった。その土台の上で、伸び伸びと、楽しく、学会活動に励めるんだもの。お父さん、お母さんの苦労、努力を、決して忘れてはいけないよ」
 伸一は、車イスに乗ったメンバーがいるのを目にすると、すぐに歩み寄り、声をかけた。
 「本当によく来たね! 待っていたよ」
 彼女は、徳之島から来た女子部員で、脳性麻痺のため、しゃべることにも、歩くことにも困難が伴った。しかし、“なんとしても、東京の創価女子会館に行きたい。山本先生と会って、広宣流布への誓いを新たにしたい”と決意し、懸命に唱題に励んできた。
 また、東京へ行くと決めてからは、言語訓練にも、歩行訓練にも力を注いだ。ゆっくりとなら単独歩行もできるまでになった。
 伸一は、力を込めて語った。
 「もう、大丈夫だ。必ず幸せになるよ」
 人は、病だから不幸なのではない。病があろうが、希望をいだき、挑戦の心を燃やし、自分に敗れなければよいのだ。彼女は、障がいに負けることなく、広宣流布の使命に生き抜こうとしていた。それ自体、既に自分に打ち勝っていることなのだ。信心とは挑戦の力だ。信心ある限り、前途に輝くのは、勝利と幸福の栄冠である。したがって伸一は、「必ず幸せになる」と断言したのだ。
 その女子部員は、伸一を見詰め、目に涙を浮かべて、大きく頷くのであった。
 やがて彼女は結婚もし、子宝にも恵まれ、夫妻で確かな幸の道を歩んでいくのである

【聖教ニュース】
◆〈グローバルウオッチ〉 若者と社会 「仕事」と向き合う① 
成長と充実に必要な「視点変えてくれる人」

 
左から山崎良さん、渡辺幸一さん、江田光男さん。石見牧口県の男子部メンバーと日々、触発し合う
左から山崎良さん、渡辺幸一さん、江田光男さん。石見牧口県の男子部メンバーと日々、触発し合う

 現代社会の課題を見つめる「グローバルウオッチ」。今月から「若者と社会」とのテーマを掲げ、まず6月は、どう「仕事」と向き合うかについて考える。日々、懸命に仕事に挑む国内外の若者に、創価の思想・哲学は、どのような価値を提供しているのだろうか。(記事=金田陽介)
 あなたが働く目的は?
 そう問われれば、「お金を得るため」と答える人が多いかもしれない。世論調査でも、その傾向が見られる(注)。
 どんな仕事が理想的?
 同じ調査の回答では「収入が安定している仕事」が最多で、次いで「自分にとって楽しい仕事」という回答も多かった。
 楽しい仕事とは何か。
 日本では、劣悪な労働環境を強いる「ブラック企業」、働いても貧困に陥る「ワーキングプア」など、労働を巡る諸課題が指摘されている。一方で、都市部から地方に移住する「田園回帰」など、新しい価値観も広がっている。自分に適した働き方は、“楽しい”の大きな要因となるだろう。
 その上で、同じ職場環境であっても、楽しさを見つけて成長できる人と、不満や疲労ばかりを募らせる人がいるのも事実。違いは、どう生まれるのか。
 日本と韓国で仕事に励む、創価の青年を取材する中で、一つのヒントが見えてきた。
やりがいを得る
 日本海に面した島根県の中央部に、三つの本部からなる「石見牧口県」という組織がある。男子部本部長を務める3人は、全員が首都圏からのIターン、Uターンのメンバーだ。
 江田光男さんは東京生まれ。創価大学の通信教育部で学んでいた時、両親が祖父母の介護のため、島根県の実家へ帰ることになった。悩んだが、自身も一緒に行くことにした。
 興味があったのは環境に関する仕事。だが、そうした求人はなかった。就職活動を続けた末に、ガソリンスタンドを経営する石油店から内定を得る。
 「知り合いのいない地で“自分は誰にも必要とされていないのでは”と悩む時期もありました。でも、男子部の先輩が『自分はどう地域に貢献するのかを先に考えた方が価値的では?』と言ってくれて」
 その心で働くと、苦手だった接客も楽しくなっていく。次第に、島根が好きになった。
 入社から8年。笑顔で働く江田さんの姿は今、在住する市のウェブサイトでも紹介され、市の広報に一役買っている。
 山崎良さんは、牧場の経営に携わるという夢を追って、神奈川県から島根に来た。
 だが、就職した牧場は、やがて経営が傾く。給料も遅配。生活が立ちゆかなくなり、悩んだ末、職場を辞した。
 夢の挫折に落ち込んだ。介護職の父に勧められ、准看護師の資格を取得。その後、特別養護老人ホームに再就職する。
 「前職のことが頭にあり、正直、収入の安定を最優先に考えた結果の選択でした」
 苦悩の中で、学会活動にも励んだ。会合や訪問激励で触れ合うメンバーも皆、長時間の勤務や、職場の人間関係などに悩みながら踏ん張っていた。
 「江田さんや、男子部の皆と励まし合ううちに、生活のためだけの仕事にしたくないと思うようになった。そういう働き方もできるけど、やっぱり仕事を楽しくしたい、成長への情熱も失いたくない、と」
 “日課”としての朝の勤行・唱題を、“勝つための祈り”に変えようと思った。今日はこの段取りで仕事を。あの人には笑顔であいさつを――具体的な目標を掲げて取り組む中で、やりがいが深まり、この仕事で良かったと思えてくる。「仕事に情熱を持ち、自分を磨きたい――どんな状況でも、この価値観を自分の軸に据えられること自体が、学会の薫陶のすごいところなのかもしれません」
 島根が地元の渡辺幸一さんは高校卒業後、バンドでのデビューを夢見て東京に出た。
 が、程なくバンドは解散。仕事を転々とし、生活も乱れた。男子部の先輩は、顔色が悪いといつも食事に誘ってくれた。
 2013年に帰郷を決めた。しばらくは何もやる気が起きなかったが、やがて、携帯電話の代理店に就職した。
 働きながら、東京で男子部の先輩が教えてくれたことを、よく思い出す。ある時の会合で、「職場に大嫌いな人がいる」と話すと、その場にいた先輩から言われた。「嫌いな、その人のことを祈ってみよう」と。
 「そんなの無理だと思ったけど、やってみると、嫌いな人の違った側面に気付けるようになりました。すると、人間関係の突破口が見えてきて、少し仕事が楽しくなって。この祈り方、今も続けています」
 会社の接客コンテストに出場し、県内で準優勝という結果を残すこともできた。
韓国の就職活動
 一方、夢だった仕事をつかみ取り、その後も現実の障壁に悩みながら奮闘している人も。
 韓国SGI(創価学会インタナショナル)女子部の朴昭禎さん(圏総合女子部長)は、韓国の大手テレビ局で、経済部記者として活躍している。
 高校の頃、メディアに関心を持った。大学卒業後に就職活動を。しかし、韓国は厳しい競争社会。「君には能力がない」と容赦なく言われた。約20社を受け、全て不採用となった時、つらくて家に引きこもった。
 女子部の先輩が会いに来てくれた。苦しい胸の内を聞いてくれた後、先輩は言った。
 「あなたは、何を目指してメディアを受けているの?」
 一瞬、面食らった。
 「社会に、正義を広げていきたいからです」
 先輩は、うなずいた。
 「採用試験が不合格だからといって、あなたの使命が不合格になったわけではないのよ」
 その言葉は、朴さんの脳裏から離れなかった。
 “そうだ。私は、使命を失ったわけではない――”
 「不採用にも必ず意味があると思えたんです。もし、すぐに合格していたら、有頂天になって、そこで成長が止まっていたかもしれませんから」
 その後、現在のテレビ局で新たな募集があった。以前よりも落ち着いて面接に臨めた。そして、願い続けた扉は開いた。
 働き始めてからも、幾つもの壁に直面した。社会にはいろいろな人がいて、「朴さんは怪しい宗教をやっている」と騒がれることもあった。
 だが、今の自分は、信心のおかげで存在している。「怪しい宗教なら、私の人生も怪しくなるはず。私の姿を見ていてください」と周囲に言い切った。
 多忙な毎日だが、女子部のリーダー、無窮花班(日本の白蓮グループ)の一員として、時間を作っては励ましに走る。
価値観の刷新
 両国の青年たちには、一つの共通点があった。それは、「視点を変えてくれる他者」が身近に存在していたことだ。彼らは創価学会の先輩・同志との関わりの中で、現実を別の視点から見るということを知った。
 仏法に「動執生疑」という言葉がある。「小さな法に執着した心を揺さぶり、より大きな価値観へ目を開かせる説法」という意味である。池田先生は「動執生疑とは、それまでの信念が大きく揺らぐことです。いわば既成の世界観が根底から打ち破られるのです。人々が安住している価値観を、劇的に打ち壊すこと」(『法華経の智慧』)だと語っている。
 周囲の挑戦の姿に触れ、自らの価値観を常に刷新し、行動をバージョンアップし続ける――この“変革の原理”によって、一人一人が、自分らしく社会と向き合っていくのが創価学会である。そして、新たな視点で日々の仕事に臨むからこそ、そこに新たな“楽しさ”も見えてくるのだ。
 注 内閣府「国民生活に関する世論調査」(平成28年7月)。18歳以上の6281人から有効回収。働く目的は「お金を得るため」53・2%、理想的な仕事(複数回答)は「収入が安定」60・9%、「自分にとって楽しい」57・6%、などの結果が得られている。
 感想・意見をお寄せくださいメール:g-w@seikyo-np.jpファクス:03-5360-9613

【先生のメッセージ】
◆シンポジウムへの池田先生のメッセージ
 「教育のための地球社会」へ 世界の大学との連帯を強く

 
シンポジウムが行われた会場の入り口。この地を周恩来総理は幾度も訪れた
シンポジウムが行われた会場の入り口。この地を周恩来総理は幾度も訪れた

 一、人類が直面する課題の打開へ英知を結集されゆく討議に、私は心より敬意と感謝を表するものであります。
 今回のテーマは、「平和」「分かち合い」「行動」と掲げられております。
 簡潔でありながら、環境問題、難民問題、テロや核拡散など、あまたの難題を抱える世界にあって、今一度、私たちが立ち返るべき規範が明確に示されているのではないでしょうか。

寛容と団結の智慧がここに

 一、私は、今、ここ広東の天地で生誕された孫中山(孫文)先生の不滅の宣言を思い起こしております。
 すなわち――「平和主義を持して、わが友邦とますます親睦を深め、中国を国際社会にて重視せられるものとなし、かつ、世界を漸次、大同に赴かしめんとするものである。順を追って進み、僥倖は願わない」と(伊地智善継・山口一郎監修『孫文選集第3巻』社会思想社刊)。
 大同の世、すなわち平和な地球社会という揺るぎなきビジョンに向かって、人類の良識と苦楽を分かち合いながら、断固として一歩また一歩、不撓不屈の行動によって世界史を前進せしめようとする烈々たる気概が伝わってきます。
 それは、この広州で夫妻として新たな出発をされた周恩来総理と鄧穎超先生が受け継がれた大精神でもあります。
 このシンポジウムは、こうした偉大な先人の「平和」の大志を現在に承継し、さらに実現へと近づけんとする集いであります。そして、未来の世代まで確固と信託しゆく高邁な大情熱に漲っております。
 まさしく、時を超えた崇高な「分かち合い」が、ここにあると、私は讃えたいのであります。
 一、貴国で翻訳され、集大成された仏典の中に、「四摂事」という徳目が説かれております。すなわち、共同体を栄えさせていくための四つの指標であります。
 第一に「布施」――人々に何かを与えゆくこと。励ましや希望の哲学を贈り、不安や恐れを取り除くことも含まれます。
 第二に「愛語」――思いやりのある言葉をかけること。
 第三に「利行」――他者のために行動すること。
 第四に「同事」――人々の中に入って共に働くこと。
 ここには、いかなる差異も包み込んでいく寛容の智慧とともに、いかなる試練にも屈しない団結の智慧が示されています。
 それは、悠久の中国の大地に脈々と流れ通ってきた伝統文化とも響き合っているといってよいでありましょう。

レジリエンスを高める伝統文化


 一、この5月、私は、貴国を代表する文豪の王蒙元文化相と、新たな対談集を発刊いたしました。
 タイトルは『未来に贈る人生哲学――文学と人間を見つめて』であります。
 王蒙先生は、2008年の「四川大地震」の際にも、中国の伝統文化の力が大きく発揮されたと指摘されております。一つは「逆境にあって抵抗する能力とその精神」、二つは「結束力」、三つは「仁愛(慈しみ)の心」であります。
 それは、「平和」「分かち合い」「行動」という本シンポジウムのテーマとも連動して、人類全体のレジリエンス(困難を乗り越える力)を高めゆく希望であるといえないでしょうか。
 こうした希望の光を、より強め、深め、結び合わせていく契機が、教育・文化の
次元の交流であると、私は思ってきました。  先日、中山大学南方学院において、光栄にも「自然との対話」の写真展を開催していただき、その準備に当たった日本側のスタッフが心より感銘し、感謝していたことがあります。
 先生方に温かく見守っていただく中、主体的に運営に当たってくださった学生の皆さん方の労を惜しまぬ献身であり、みずみずしい創意工夫であり、こまやかな心配りであります。

問題解決へのプラスの連鎖


 一、また今春、日本では、両国の国交正常化45周年を記念して、私どもの民主音楽協会(民音)の招聘で、中国国家京劇院の方々が2カ月にわたり、全国で52回の公演を行ってくださいました。
 「愛」と「正義」と「報恩」をテーマとした三大傑作が熱演され、学校コンサートに招かれた中学生たちを含め7万5000人に、忘れ得ぬ感動を贈ってくださったのです。
 周総理も大事にされた京劇には、「人間の善性」への確固たる信頼が脈打っており、国を超え、世代を超えて、魂の共鳴と啓発を広げずにはおかないのでありましょう。
 さらに、わが創価大学の伝統行事である、周総理ご夫妻を偲びつつ、平和友好への決意を新たにする「周桜」の観桜会は、中国の学生の皆さんも迎え、今年も有意義に行われました。
 一、ともあれ、一切の焦点は、青年であり、若人であります。
 私も本年の平和提言を、「希望の暁鐘 青年の大連帯」と題して展開いたしました。「青年の数だけ希望があり、未来がある」との信条からであります。
 そして、国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」が目指す“平和で公正かつ包摂的な社会”を実現するために、青年を中心とする「三つの柱」について論及いたしました。
 ①「同じ地球で共に生きる」との思いに立った連帯
 ②分断や格差の拡大を乗り越える社会の土壌づくり
 ③どんな困難に直面しても、状況を好転させる力――の三本柱であります。
 地域の課題にあっても、グローバルな脅威においても、青年を信じ、青年の力を引き出し、青年と共に行動を重ねていくところにこそ、問題解決へのプラスの連鎖が生まれていくことを、私は確信してやみません。
 その意味において、世界の大学の平和のネットワークがますます重要となっております。
 難民の支援にあっても、世界の大学が国連と連携して教育機会を少しでも拡大していく意義は、誠に大きいでしょう。
 わが創価大学も、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と「難民高等教育プログラム」の協定を結び、今春から難民の留学生の受け入れの第一歩を踏み出したところです。
 一、今、私は、宋慶齢先生の言葉を思い起こしております。
 「私たちには多くの愛があり、その愛を遠く離れ、いまだ苦しみの中で過ごしている子どもたちに分け与えることができると、深く信じています。
 私たちが平和を勝ち取る闘争に身を捧げる中で、各国の父母たちにも手を差し伸べることができるでしょう。世界の全ての人々は、皆、子どもたちに平和で豊かな生活をさせてあげたいという同じ目標を目指していると、私は確信しているのです」と。
 ここに謳われている「人類の平和」と「世界の子どもたちの幸福」という悲願を、敬愛する先生方と分かち合い、「教育のための地球社会」という未来へ、さらに力強く行動しゆく決意を申し上げ、私のメッセージといたします。
 本日は、誠に誠にありがとうございます。改めて心より、厚く御礼申し上げます。謝謝!(大拍手)
【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈みんなで学ぶ教学~新会員教室~〉6 仏縁の拡大     妙法を語り、幸のスクラムを広げよう

   
マンガ・イラスト 逸見チエコ

 前回(5月6日付)は、「信行学の実践」の中でも、「自行」について確認しました。今回の「みんなで学ぶ教学」では、「化他行」である「仏縁の拡大」について学び、自他共の幸福を築くためのポイントを心に刻みます。
学会員は“仏の使い”
 ――悩んでいる友人に、初めて信心のことを語ってみました。
  
 素晴らしい! これまで学んできたとおり、「信行学」の「行」には、自身が法の功徳を得るために実践する「自行」と、他人に功徳を受けさせるために仏法を教える「化他行」があります。折伏・弘教をはじめ、友の幸せを願ってこの仏法のことを語っていく実践は、全て「化他行」に当たります。
 法華経には「能く竊かに一人の為にも、法華経の乃至一句を説かば、当に知るべし、是の人は則ち如来の使にして、如来に遣わされて、如来の事を行ず」(法華経357ページ)とあります。
 仏の使い(如来の使)として、仏の振る舞い(如来の事)を実践する最も尊い行為ですから、その功徳は計り知れません。
 「法華経を一字一句も唱え又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり」(御書1121ページ)、「一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり」(同1448ページ)等、日蓮大聖人は御書の随所で妙法流布に励む人をたたえられています。
  
 ――友人の力になれたのかどうか、自信がありません。
  
 大丈夫。“苦しんでいる人を見捨てない!”“全ての人を救っていこう!”との誓いに立って対話に励むことが何より大切です。
 御書には、「一切衆生のさまざまな苦悩は、ことごとく日蓮一人の苦である」(同758ページ、通解)とあります。大聖人は全ての人々の苦しみを御自身の苦悩と受け止められ、皆の幸福を願って妙法を弘められました。
 弟子に対しても「日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」(同903ページ)と、御自身と同じ決意に立って生き抜くように呼び掛けられています。

縁する友人に下種を


 ――信心の話をすることを「下種」と呼ぶことを教わりました。
  
 仏法では、仏が衆生を成仏へと導く過程を、「下種・調熟・得脱」と3段階に分けて説きます。“稲などの種を下ろし、成熟させ、収穫する過程”に譬えた言葉です。
 「下種」とは「種を下ろす(=植える)」ことで、人々に成仏の因となる妙法を説き聞かせることをいいます。
 「調熟」とは、成仏の因が衆生の生命のなかで育ち、成熟していくこと、「得脱」とは、仏の境涯を得ることを指します。
  
 ――分かりやすい譬えですね。
  
 大聖人は、成仏の根本の教えである法華経を「種」、仏を「植え手」、衆生を「田」に譬えて、この仏法は、田に種をまくように、衆生に成仏の根源の種子である妙法を語っていく「下種仏法」であると示されています。
 「仏種は縁に従って起る」(同1467ページ)――妙法を語ることは、相手の生命に内在する仏性(=仏になりうる可能性)を開く働き掛けとなるので、下種はとても尊い実践なのです。
 池田先生は呼び掛けています。
 「人の心は、他者との触れ合いという『縁』によって、大きく変わることができる。足取り軽く、友のもとへ行こう! 語ろう! 動けば、何かが変わる。直接、会えば心が近づく。誠実に語れば、一歩、強い絆が生まれる。気どらず、気負わず、誠心誠意の対話で、友の心を開拓していけばよいのだ」
仏性を信じ抜く対話

 ――対話の際、心掛けるべきことは何ですか?
  
 誰もが無限の可能性をもつと説くのが真の仏法の考え方ですから、どこまでも相手の仏性を信じ抜くことが大切です。
 もちろん、相手の反応はさまざまであり、時には反発されたり、無理解からの批判を受けることもあるかもしれません。しかし、一喜一憂する必要はありません。相手の反応がどうであれ、成仏の因となる教えを聞いた事実は厳然と相手の生命に刻まれます。
 「法華経を耳にふれぬれば是を種として必ず仏になるなり」(同552ページ)
 まいた種が、やがて芽生えるように、いつの日か妙法を受持する時が訪れることは間違いありません。
 大聖人は「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(同1361ページ)と仰せです。あなたにしか語れない人が必ずいます。どこまでも自分らしく、勇気を出して仏縁を結んでいきましょう。

放課後メモ
 「仏縁の拡大」については、次の書籍の中でも言及されています。
 ○…『御書の世界』第3巻「下種仏法」(聖教新聞社)
 ○…『御書と青年』190ページ(同)
 ○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第16巻65ページ(同) 

◆〈信仰体験〉 気鋭の建築家として設計事務所を経営

 【名古屋市中村区】「デザインとは、精神の原風景を探る行為」が信条の加藤吉宏さん(59)=岩塚支部、地区部長。建築設計事務所を設立して32年。
 

2017年6月 2日 (金)

2017年6月2日(金)の聖教

2017年6月2日(金)の聖教

◆わが友に贈る

価値ある対話の鉄則は
相手の話を「聞く」。
相手を「敬う」。
相手から「学ぶ」。
交友録を楽しく綴ろう!

◆〈名字の言〉 2017年6月2日

 アメリカ創価大学(SUA)を訪れると、まず圧倒されるのがキャンパスの美しさだ。豊かな自然や充実した施設はもちろん、教室や廊下など建物内も清掃が行き届いており、実にすがすがしい▼SUAの清掃を担当するスタッフについて、ハブキ学長に話を聞いた。一人一人が“与えられたことをこなしていればいい”という気持ちではなく、“何かプラスアルファをしていこう”という姿勢で、仕事に取り組んでくれているという▼かつてSUAの新入生歓迎レセプションが行われた折、学長のもとに、2人の清掃スタッフが駆け寄ってきた。「多くの学生が入ってきて、うれしいよ!」。教職員と同様、スタッフにも、学生を大切に思う心が息づいている。清掃を通して、SUAを支えることに、喜びを感じているのだ▼先日、行われた第13回卒業式。多くの卒業生が、両親、友人、教職員、そしてスタッフへの感謝を口にした。ある卒業生は、「普段の生活で、スタッフと接する機会は、ほとんどありませんでした。しかし、陰の献身が、最高の学習環境を支えてくれたのです」と▼支える人の「喜び」と支えられる人の「感謝」。心の共鳴が、美しいキャンパスを形づくっていた。学生を第一に思う創立者の心が生きていた。(芯)

◆〈寸鉄〉 2017年6月2日
 

 「いよいよ道心堅固にし
 て今度・仏になり給へ」
 御聖訓。青年よ祈り勝て
      ◇
 杉並よ好機は今!縦横無
 尽に動き、語り捲れ。東京
 凱歌の突破口を断固開け
      ◇
 豊島女性の日。婦女一体
 の輝きは太陽のごとく!
 勝利即幸福の歴史を共に
      ◇
 障害にぶつかる程強さを
 増す―偉人。天才は努力
 の異名。使命の地で勇戦
      ◇
 少子化で人材の取り合い
 の時代に―識者。ゆえに
 心を込めて若芽を育てよ

◆社説  「パリ協定」実現のために  温暖化防止へ力合わせ身近な一歩


 東京の気温が鹿児島・屋久島並みになる――このほど気象庁は全世界で地球温暖化対策が全く進まない場合のシミュレーション結果を公表。それによると、日本の年平均気温が21世紀末には、20世紀末と比べて4・5度も上がり、東京(15・4度)は現在の屋久島(19・4度)と同程度になるという。
 先月下旬、アジア最大級の環境展が東京都内で開催され、公開ディスカッションが行われた。テーマは「パリ協定の実現をめざすエネルギー転換」。パリ協定とは、産業革命以前と比べた世界の平均気温の上昇を2度未満に抑える目標を掲げた国際枠組みのことで、昨年11月に発効し、日本も批准している。
 討論会では、2度未満に抑える道は残されており、2050年に世界の温室効果ガスを40~70%削減(10年比)し、2100年には排出をゼロかマイナスにとの主張が。そのカギはエネルギー転換にあり、太陽光や風力などの自然エネルギーや原子力といった低炭素エネルギーからの供給を増やし、石油などの化石燃料に頼らないことの重要性を巡り、議論が交わされた。米国のパリ協定の去就にも注目が集まるが、いずれにせよ、地球温暖化対策は喫緊の課題である。
 学会の会館では、健康面に十分配慮した上で、省エネ・節電の取り組みを行っている。具体的には、空調を適正に使用するため、各会場に室温計を置き、夏季は会合会場の室温は26度(事務所やロビーなどは28度)を目安に運用。また、最大電力を抑制するための「半開事前運転」を実施している。さらに、会合終了時の空調の半分停止「終了時半開運転」などを推進してきた。
 会合参加者の健康と安全な運営が第一であることは言うまでもない。その上で、皆さんのご理解と、注意喚起の呼び掛けをぜひともお願いしたい。
 池田先生は、環境提言「地球革命への挑戦」において、①地球環境問題の現状を知り、学ぶこと②持続可能な未来を目指し、生き方を見直すこと③問題解決のために、ともに立ち上がり、具体的な行動に踏み出すためのエンパワーメント(力を与える作業)――の三つの段階を踏まえ、総合的に押し進めることが大切と指摘している。
 6月5日は「世界環境デー」。地球温暖化の危機が叫ばれて久しい。私たちは温暖化をはじめとする環境問題を改めて学び直し、ライフスタイルを振り返るとともに、身近な一歩へと行動を移し、積み重ねていきたい。

◆きょうの発心   師弟の天地を“広布のモデル”に2017年6月2日

御文
 とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ、殿一人にかぎるべからず・信心をすすめ給いて過去の父母等をすくわせ給へ(上野殿御返事、1557ページ・編1182ページ)
通解 ともかくも法華経に身をまかせて信じていきなさい。あなた一人が信じるだけでなく、信心を深めて、過去の父母をはじめ一切衆生を救っていきなさい。

 何があっても自行化他にわたる実践を貫く信心こそ、苦境を乗り越える鍵であると仰せです。
 1997年(平成9年)11月18日、大阪ドームで行われる「第17回世界青年平和文化祭」を前に、自身が経営する会社が倒産の危機に直面しました。自宅を売却し、この御文を命に刻んで唱題に徹し、仕事と学会活動に挑みました。
 文化祭を大成功で終えた4日後、「関西広布50周年開幕記念代表者会議」に参加。池田先生から「青年部、頑張りなさい!」と、何度も激励をいただき、“生涯、師と共に広布に生きよう”と決意しました。その後、会社を立て直し、師との原点から20年を迎える今、思う存分、活動に励むことのできる境涯になれました。
 本年6月3日で、先生が東大阪会館(現・東大阪平和会館)を初訪問されてから49周年を迎えます。スローガン「師弟栄光の天地! 広布のモデル 東大阪池田県」を胸に、青年の心意気で同志の皆さまと全ての戦いに大勝利してまいります。  東大阪池田県総合長 森田宣弘

◆小説『新・人間革命』第30巻 雌伏の章  五十九 (6087)

 


 奄美の女子部員が、フェリーで奄美大島の名瀬港を発ったのは、二月十五日の午後九時過ぎであった。
 星々が、微笑むように夜空に輝いていた。
 フェリーに十一時間揺られ、十六日朝、鹿児島に着き、空路、東京へ向かった。
 羽田空港に到着したのは、午後一時過ぎであった。そこから、奄美と交流のある江戸川区を訪れ、同区の女子部との交歓会、セミナーに参加し、夜、遂に念願の創価女子会館の前に立ったのである。気温は摂氏二度。吐く息が白い。二月の平均気温が一五度を上回る奄美では、体験したことのない寒さである。しかし、皆の心は燃えていた。
 山本伸一は、彼女たちが奄美大島を出発したことを聞くと、無事を祈念して唱題した。そして、南海の友には、東京の寒さは体にこたえるだろうと、温かいお汁粉を振る舞うように手配したのである。
 創価女子会館でメンバーは、伸一の心尽くしのお汁粉に歓声をあげ、舌鼓を打った。
 また、前年の五月に女子部長になった町野優子を中心に勤行を行い、誓いを果たした“勝利の青春”の喜びを嚙み締めた。さらに、会長の十条潔から、伸一の、奄美の同志への大きな期待を聞き、師との出会いに胸を躍らせるのであった。
 翌十七日、午前中は、学会本部や聖教新聞社などを見学し、午後、貸し切りバスで、伸一のいる立川文化会館をめざした。
 「奄美の女子部は、まだかね」
 伸一は会館で、一行の到着を待ちながら、周囲の幹部に何度もこう尋ねた。
 交通の便もよくない離島にあって、ハブにも注意しながら夜道を歩き、同志の激励に、仏法対話に取り組んできた女子部員の奮闘を思うと、早く励ましたくて、じっとしてはいられない思いにかられるのだ。
 信心は、年齢でも立場でもない。広宣流布のために、健気に戦い、未来への門を開く人こそが、最も大切な創価の宝である――それが伸一の実感であり、信念であった。

【聖教ニュース】

◆中国・広州市の仲愷農業工程学院で自然との対話池田大作写真展
 宋党委書記「“心のレンズ”で万物を写し、写真を用いて人類を結ぶ」

宋党委書記(左から6人目)らが出席した写真展の開幕式。テープカットの後の鑑賞会では「廖仲愷 何香凝記念館」の蔡瑞燕館長が作品の説明に当たった(広州市内で)
宋党委書記(左から6人目)らが出席した写真展の開幕式。テープカットの後の鑑賞会では「廖仲愷 何香凝記念館」の蔡瑞燕館長が作品の説明に当たった(広州市内で)

 日中国交正常化45周年を祝賀する「自然との対話――池田大作写真展」が5月30日、中国広東省の省都・広州市の仲愷農業工程学院白雲キャンパスで開幕した(主催=同学院、中国人民対外友好協会、中日友好協会、創価学会、協力=広州市人民対外友好協会、創価大学北京事務所)。開幕式は、同学院の宋垚臻党委書記、向梅梅党委副書記、高岳侖元党委副書記、広東省社会科学院の温憲元元副院長、中山大学の鐘明華教授、広東外語外貿大学の韋立新教授をはじめ来賓、教職員、学生の代表ら150人が出席して盛大に行われた。引き続き、仲愷農業工程学院の学生団体「廖承志・池田大作研究会(廖池会)」主催の訪日報告会が開かれ、本年4月に研究のため創価大学を訪れた学生の代表が、交流の模様などについて語った。
 夏を迎えた広州。
 外ではセミの鳴き声が響き渡り、じっとしていても汗ばむほどだが、写真展の開幕式の会場は、それ以上に熱気を帯びていた。
 「環境保護を訴え、世界平和を提唱される池田先生の写真展を、ついに本学で開催することができました!」
 宋党委書記が誇らしげに語ると、大きな拍手が鳴り響いた。
 ――革命家の廖仲愷氏の名を冠する仲愷農業工程学院。氏は新中国建設の途上で倒れるが、その遺志を継いだ何香凝夫人らが、1927年に同学院の前身である「仲愷農工学校」を設立。以来、農業・工業分野に優れた成果を残す人材を輩出し続け、現在では、珠江を望む海珠キャンパス、緑豊かな白雲キャンパス、番禺区に研究用の農場を抱え、約2万人の学生が学ぶ総合大学へと発展している。
 同学院と池田先生の縁は深い。先生は74年5月30日に中国を初訪問。この時は香港から徒歩で深圳に入り、広州から空路で北京へ。到着した先生を出迎えたのは、中日友好協会初代会長の廖承志氏だった。氏は廖仲愷氏の子息である。以来、二人は幾度も出会いを重ね、深い友誼の絆を結んだ。池田先生は第4次訪中(78年)の際、南京の廖仲愷氏夫妻の墓所で献花している。
 仲愷農業工程学院は2009年に同学院初の「名誉教授」称号を池田先生・香峯子夫人に授章。10年に「廖承志・池田大作研究センター」を設立し、15年には学生団体の廖池会が結成されている。

【先生のメッセージ】

◆〈御書と歩む――池田先生が贈る指針〉66  どこまでも信心が根本

御文
 ただ心こそ大切なれ、いかに日蓮いのり申すとも不信ならばぬれたる・ほくちに・火をうちかくるが・ごとくなるべし、はげみをなして強盛に信力をいだし給うべし(四条金吾殿御返事、1192ページ)
通解 ただ心こそ大切である。いかに日蓮が祈っても、あなた自身が不信ならば、濡れている火口に火を打ちかけるようなものである。勇んで強盛に信力を出しなさい。

同志への指針

 我らには最強無敵の「法華経の兵法」がある。その真髄の力を発揮する極意は、「心こそ大切」の一点である。
 妙法への大確信と師弟不二の勇気があれば、必ず祈りは成就する。困難な時こそ、互いに励まし合いながら、いよいよ強盛に信力を奮い起こすのだ。
 共々に「絶対勝利の信心」で壁を破り、輝く歴史を創りゆこうではないか!

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈アメリカ創価大学 第13期卒業生の話題〉

   
キャンパスに陽光が降り注ぐ。SUAはリベラルアーツ(一般教養)大学として高く評価されている。2020年には、新たに「生命科学」コースが設置される
キャンパスに陽光が降り注ぐ。SUAはリベラルアーツ(一般教養)大学として高く評価されている。2020年には、新たに「生命科学」コースが設置される

 カリフォルニア州オレンジ郡アリソビエホ市のアメリカ創価大学(SUA)で行われた第13回卒業式(5月26日=現地時間)。

◆〈信仰体験〉 創価大学教育学部1期生の誇り 今春、小学校校長を退任 

 【和歌山県・かつらぎ町】3月下旬のある朝、藤本賀津雄さん(60)=かつらぎ支部、副圏長=は、いつものように、大阪狭山市内の小学校の校門前に立っていた。
 

2017年6月 1日 (木)

2017年6月1日(木)の聖教

2017年6月1日(木)の聖教

◆わが友に贈る

「何とかなる」は慢心。
「何とかする」と決め
最大の努力を貫くのが
仏法者の生き方だ。
力強く価値ある日々を!

◆〈名字の言〉 2017年6月1日

 どうして月初めの「一日」を「ついたち」と読むのだろう。続く二日、三日、四日は「日」を「か」と読むにもかかわらず……▼「ついたち」は「月が立つ」という意味の「つきたち」から転じた読みという。旧暦では月の満ち欠けを暦の基準にしていた。1カ月の始まりは「新月」の日。月が見えない状態から満月に向かって少しずつ膨らみ始める。その日を「月が立つ日」と、いにしえの日本人は捉えた。もちろん新暦の今では月の満ち欠けと暦は一致しない。きょう1日は「上弦の月」である▼暦に気を留める暇もないほど忙しい人も多いかもしれないが、きょう「ついたち」から心新たに出発したい。昼は夏至に向かって強さを増す太陽の輝きとともに、夜は上弦の月から満月へ、日々満ちていく月の姿に自身の前進を重ねながら▼仏典では仏の振る舞いや威徳などを表現する譬喩として、満月が多く用いられている。日蓮大聖人は「法華経を信ずれども深く信ぜざる者は半月の闇夜を照すが如し深く信ずる者は満月の闇夜を照すが如し」(御書1501ページ)と仰せだ▼「つきたち」は「月発ち」とも書く。「私は勝った!」と満足できる1カ月へ、「月月・日日につより給へ」(同1190ページ)の信心で成長の時を刻みゆこう。(之)

◆〈寸鉄〉 2017年6月1日
 

 創価の女性の月が開幕!
 朗らかに幸を拡大。皆様
 の献身ありて広布は洋々
      ◇
 「身つよき人も心かひな
 ければ多くの能も無用」
 御書。深き祈りを今日も
      ◇
 東京・世田谷が一気呵成
 の猛攻。嵐に挑む勇気が
 友の誉れ。勝利の大旗を
      ◇
 口でいうことはやさしい
 ―戸田先生。幹部は行動
 で示せ。対話の最前線へ
      ◇
 熱中症の救急搬送が増加
 ―消防庁。適度な休憩と
 水分補給等を。油断なく

◆社説   グラフSGIが好評  希望を送る――写真は「世界共通語」


 きょう6月1日は「写真の日」。今年、写真・映像の機能が充実しているSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の「インスタグラム」利用者が、世界で7億人を突破したという。今や、携帯電話やタブレット端末の写真機能も向上し、誰もが“カメラマン”となって、写真を通して世界に情報を発信できる時代になった。
 視覚で訴える“世界共通語”として、写真は、希望も悲哀も送ることができる。だからこそ“何を伝えるのか”、そして“見た人に何を残したいのか”との哲学も問われよう。
 写真誌「グラフSGI」は、世界最高水準のグラビア印刷を通して、世界広布の躍動を伝えてきた。また、和英二つの言語で掲載されている本社唯一の定期刊行物でもあり、「TIG」(首都圏在住で英語を話す海外メンバーの集い)の男子部員は、仏法対話に同誌が欠かせないと言う。勤務先にも海外の方が多く、「写真と短い英文で構成されているグラフは、SGIの思想のエッセンスをよく理解してもらえる」と喜んでいる。
 英語圏だけではない。スペインの首都マドリードから約2000キロ離れたカナリア諸島でもグラフが愛読されていた。ある婦人部員は「言葉が分からなくても、グラフに掲載された写真を見るだけで、SGIの素晴らしさが分かります。子どもたちにも見せる中で、信心の継承につながっています」と語ってくれ、取材記者は写真の力を再確認させられた。
 なぜ、写真が人の心を打つのか――。地球上の絶景を撮り続け、日本を代表する写真家の白川義員氏は語る。「写真は、撮り手の心がそのまま表れます。池田先生の作品には“一人でも多くの人を幸せにしたい”との先生の純粋な心がにじみ出ています。だからこそ、世界の人の心を打つのでしょう」と。事実、各国で好評を博す池田先生の写真展には、宗教や文化的背景を問わず、多くの称賛の声が寄せられる。
 「グラフSGI」の前身である国際平和グラフ「SGI」も、第1次宗門事件の渦中、“創価の師弟を伝えよう”“写真をどんどん出そう”との先生の提案で生まれた。まさに「写真」で世界の友に希望を送り、文化・芸術の力によって人道の世紀を開こうとしてきた平和闘争の結晶の一つがグラフである。これからも、その原点を忘れず、一人一人に創価の誇りと“平和への原動力”を発信し続けたい。

◆きょうの発心  “純真な祈り”で地域の幸福を2017年6月1日

御文
 水すめば月うつる風ふけば木ゆるぐごとく・みなの御心は水のごとし信のよはきはにごるがごとし、信心の・いさぎよきはすめるがごとし(日厳尼御前御返事、1262ページ・編1322ページ)
通解 水が澄めば月が映り、風が吹けば木が揺らぐようなものである。人の心は水のようなものであり、信心が弱いのは水が濁っているようなものである。信心が潔いのは水が澄んでいるようなものである。

 純真な信心の大切さを、譬えを通して教えられた御文です。
 信心一筋の両親のもとに生まれた私は、未来部時代、進路の悩みをきっかけに、真剣な唱題と、小説『人間革命』の研さんに励み、池田先生を心から求めるようになりました。
 社会人となり、創価大学通信教育部で学んでいた1980年(昭和55年)8月、「学光祭」で渾身の激励をされる先生の姿に感動し、“生涯、師と共に”と決意。その後、本部職員としての使命をいただき、女子部で悔いのない青春の日々を送りました。
 結婚後、子どもができない悩みや、さまざまな壁に直面するたびに、この御文を拝しました。今では、2人の子宝に恵まれ、広布の庭で後継の道を歩んでいます。
 本年8月で、広島市を襲った土砂災害から3年。先生から温かくも、力強い励ましをいただき、地域の同志と共に前へ進むことができました。唱題根本に、幸福あふれる地域を築いてまいります。 広島戸田総県婦人部書記長 碓氷清美

◆小説『新・人間革命』第30巻 雌伏の章  五十八 (6086)
 


 長田麗は、宗門による学会批判が激しさを増した時、地元寺院の住職の妻から呼び出された。学会の悪口を聞かされ、宗門につくのか、学会につくのかを迫られた。
 彼女は、毅然として言った。
 「私たちに信心を教えてくれたのは学会です。私たちを励ましてくれたのも、山本先生であり、学会です。宗門ではありません!」
 奄美に脈打つ、「スットゴレ!」(負けてたまるか!)の敢闘精神は、次代を担う若き世代に、しっかりと受け継がれていたのだ。
 山本伸一の会長辞任は、奄美の女子部員にとっても、衝撃的な出来事であった。
 長田は、皆に訴えた。
 「今こそ私たちは、創価の勝利を打ち立てて、東京へ、創価女子会館へ、山本先生のもとへ行きましょう!」
 彼女は、女子部員の激励に、島から島へと走った。ひとことに奄美大島地域本部といっても、その範囲は広い。有人島だけでも、彼女の住む奄美大島をはじめ、八島がある。奄美大島からは、徳之島まで船で三時間、沖永良部島まで五時間半、与論島までは七時間もかかる。こうした島々で、広布の誓いに燃える若き女性リーダーたちが、はつらつと正義と希望の行進を開始したのだ。
 どんなに地理的に遠い地域にいても、広布に進む師弟に心の距離はない。広大な海も、峨々たる山々も、師弟の心を引き離すことはできなかった。その魂の絆は、むしろ、強く、深く、結ばれていったのだ。
 一九八〇年(昭和五十五年)二月十七日午後、二台のバスに分乗した奄美大島地域本部の女子部員が、山本伸一のいる東京・立川文化会館に到着した。メンバーは、奄美大島、加計呂麻島、徳之島、沖永良部島から参加した総勢八十六人である。
 奄美の女子部として未曾有の弘教に挑戦し、勝利の歴史を開いて集ってきた法友の顔は、晴れやかであった。戦う人は美しい。その生命には、歓喜の光彩があるからだ。

【聖教ニュース】

◆6・6「欧州師弟の日」へ前進 イタリアが青年部研修会 オランダが記念総会
 
   
イタリアSGIの青年部研修会に集った友が誓いのカメラに。同国青年部は本年、9000世帯の弘教を目標に掲げ、対話のうねりを起こす。研修会にはタカハシ欧州議長、同国SGIのナカジマ理事長、コンティ婦人部長らが激励に駆け付けた(キアンチャーノ・テルメ市内で)
イタリアSGIの青年部研修会に集った友が誓いのカメラに。同国青年部は本年、9000世帯の弘教を目標に掲げ、対話のうねりを起こす。研修会にはタカハシ欧州議長、同国SGIのナカジマ理事長、コンティ婦人部長らが激励に駆け付けた(キアンチャーノ・テルメ市内で)

 6・6「欧州師弟の日」へ、ヨーロッパ各国のSGI(創価学会インタナショナル)の友が躍動している。
 1981年(昭和56年)5月、邪宗門の鉄鎖を断ち切り、池田大作先生は、地球一周となる正義の平和旅に疾駆した。6月上旬には雄大なサント・ビクトワール山(勝利山)を仰ぐフランス・トレッツの欧州研修道場へ。同地で行われた欧州広布20周年記念の研修会の席上、同月6日を「ヨーロッパの日」(当時)にと提案した。
 以来、師子の魂を継ぐ欧州の同志は、毎年6月を中心に、広布前進の節を刻んできた。
 本年は今月、ドイツ・フランクフルトに青年部代表が集い、夏季研修会を盛大に開く。また現在、各国で記念の集いを行っている。
 欧州広布の要として躍進するイタリアでは、5月19日から21日、青年部研修会を中部のキアンチャーノ・テルメ市内で実施。全土から1450人のリーダーが勇み集った。
 信仰体験あり、合唱あり、バンド演奏あり、アンサンブルあり、ダンスあり――広布への情熱みなぎる研修会となった。
 チュッロ青年部長は力を込める。「池田先生の万感の期待を胸に、我ら青年の手で、創価の希望の連帯を拡大します!」
 一方、広布50周年を祝賀するオランダの総会は5月27日、首都のアムステルダム会館で行われ、300人が喜々として参加した。
 50年前の67年(同42年)、同国を訪問した池田先生は、オランダ支部を結成。この時集った草創の友に、先生は語った。「少ないメンバーであっても、強い友情に結ばれ、信心の歓喜にあふれた組織ができあがれば、そこから、広宣流布の波は広がっていきます」
 以来、友情と歓喜の連帯を粘り強く築いてきた同国SGI。半世紀の前進を象徴するように、地域の友人も招いて晴れやかに行われた総会では、御本尊授与のほか、信仰体験、研究発表、ダンスなどが、にぎやかに。
 イワミ理事長は決意する。「多様な人々が共存するオランダは、世界広布に先駆する使命があります。次なる50年の峰へ、異体同心のスクラムで勇躍前進します!」

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆国際通信社INPSが池田先生にインタビュー㊦ 
  未来に向けて国連とその創造的進化を強化する
  直面する課題を克服しゆく力は「市民社会との協働」「青年の参画」

国連の第61回「女性の地位委員会」の期間中、SGIと4団体が共催した並行行事。チョウドリ元国連事務次長が基調講演した(本年3月、ニューヨークの国連本部で)
国連の第61回「女性の地位委員会」の期間中、SGIと4団体が共催した並行行事。チョウドリ元国連事務次長が基調講演した(本年3月、ニューヨークの国連本部で)

 国際通信社INPS(インターナショナル・プレス・シンジケート)による池田先生へのインタビュー記事「未来に向けて国連とその創造的進化を強化する」の㊦では、核軍縮促進に向けた米ロ首脳会談の呼び掛けや、グテーレス新事務総長の下で国連が取り組む課題がテーマに。なお、記事は以下のウェブサイトから閲覧でき
ます。
 【日本語】http://www.international-press-
syndicate-japan.net/
 【英語】http://www.sdgsforall.net/

 ――貴殿は、米ロ首脳会談をできるだけ早期に開催し、核軍縮の流れを再活性化することを提言されております。近い将来に、そのような会談が開催される可能性について、どのような見通しをお持ちでしょうか。
  
 今年1月、アメリカでトランプ新政権が発足した直後、ロシアのプーチン大統領との電話会談で意見の一致をみていたように、3年前のウクライナ情勢をめぐる対立以来、冷え込んでいた両国関係の改善を目指す機運が見え始めていました。
 しかし、先日のシリアへの空爆を巡って、米ロ関係はより深刻な状況に陥り、先行きが見えない状況となっています。
 両国の対立は、シリアを巡る国連安保理での議論にも影響を及ぼすなど、国際社会に大きな影を落としており、緊張緩和に向けての糸口を早急に探る必要があります。
 空爆から5日後(4月12日)に、アメリカのティラーソン国務長官がモスクワ
を訪れ、ロシアのラブロフ外相に続いて、プーチン大統領との会談が行われましたが、両国の間で対話の回路を閉ざさない努力は、緊張状態のエスカレーションを防ぐために、ますます求められるでしょう。
 かりに対話の過程で激しい意見の応酬が続いたとしても、互いの懸念がどこにあるのかを知ることが、関係改善の一歩となることは間違いありません。
 先日(5月2日)にも、トランプ大統領とプーチン大統領が電話会談を行いましたが、こうしたさまざまな形を通じて対話の継続を図っていくことが重要だと思います。
 現在、米ロ両国とも、核兵器の関連予算は莫大なものとなっており、このままではさらに増えていく恐れがあります。その莫大な資金が削減されれば、福祉や保健などの向上のために充当することもできます。
 昨年11月、トランプ大統領の当選直後に、プーチン大統領と行った電話会談で話題になったように、今年は両国が国交を樹立してから210年にあたります。その時の会談で一致した「実務的で互いの利益となる協力関係への復帰」に向けて、歩み寄りへの模索を続ける中で、両国の行動が大きな鍵を握る核軍縮の問題についても対話を開始することを、切に願うものです。
  
 ――国連の新事務総長であるアントニオ・グテーレス氏が直面する課題とは何であるとお考えでしょうか。また、そうした課題を事務総長はどのように解決できるとお考えでしょうか。
 どうしたら、事務総長は、SDGs(持続可能な開発目標)やパリ協定の推進のために、国際社会から十分な支援を得ることができるでしょうか?
  
 国連では創設以来、「世界人権宣言」の採択をはじめ、様々な分野で基盤となる国際規範や条約の整備を進める一方で、「持続可能な開発」や「平和の文化」といった人類が共同して追求すべき理念や指標を打ち立てることに貢献してきました。
 こうした一連の取り組みが、第2代の事務総長を務めたハマーショルド氏が提起していた、憲章の精神に基づく国連の“創造的進化”の重要な一端を担ってきたといえましょう。
 それは、多くの地球的な課題に対する「認識の共有」を国際社会で押し広げ、近年もSDGsの制定とともに、温暖化防止のためのパリ協定を採択に導く大きな牽引力となりました。
 しかし難民問題のように、事態の深刻さへの「認識の共有」が進んでいても国際協力の強化が難航する課題も多く、「認識の共有」から「行動の共有」への流れをいかに強めていくかが、現在の国連が直面する大きなテーマであると思えてなりません。
 その意味で、グテーレス事務総長が、10年にわたる難民高等弁務官としての経験などを踏まえて、「予防の文化」の重要性を呼び掛けるとともに、ジェンダー平等の実現を最優先課題の一つに挙げておられることに、強く共感するものです。
 なぜなら、温暖化の問題が象徴するように、地球的な課題に無縁でいられる国はどこにもなく、どの国にとっても有益となる「予防の文化」の追求は、国連の挑戦を支える「行動の共有」の強いインセンティブ(動機)になると思うからです。
 また、ジェンダー平等は、私も今年の提言で強調したように、平和構築や紛争解決の面で不可欠の要素であるだけでなく、SDGsの全ての目標を前進させる中軸となるものです。
 この点、グテーレス事務総長がその一環として、国連幹部のジェンダー平等を目指して、副事務総長や事務次長、官房長や政策担当特別顧問に女性を任命し、自ら国連におけるジェンダー主流化の流れを強めようとしていることを、強く歓迎するものです。
 私は、グテーレス事務総長が重視する「予防の文化」やジェンダー平等こそ、SDGsやパリ協定をはじめとする国連の挑戦の大きな推進力になるに違いないと確信します。
 そのためにも、これまでの質問の中で述べてきたように、「国連と市民社会との協働」をあらゆる分野で強めていくことが大切であり、とりわけ「青年の参画」の場を積極的に設けることが何よりも欠かせない要素となるに違いありません。
 グテーレス事務総長のリーダーシップの下、「市民社会との協働」と「青年の参画」が、国連の強化と創造的進化をもたらす基盤として広がっていくことを、私は強く期待しています。 〈今回のインタビューは、INPSの基幹媒体であるIDN(インデプスニュース)のラメシュ・ジャウラ編集長から寄せられた書面での質問に、池田先生が回答したものです〉

◆アメリカ創価大学第13回卒業式から   何ごとにもベストを尽くせ
 心理学者 チクセントミハイ博士が記念講演(要旨) 
 他者や社会への貢献がより良い人生を形づくる

 アメリカ創価大学(SUA)の第13回卒業式が5月26日(現地時間)に行われ、心理学者のチクセントミハイ博士が「未来へのフロー」と題して記念講演を行った。ここでは、要旨を紹介する。

 卒業生の皆さんは、これから先、「現実社会」という矛盾した、時に難しく、時に悲惨な舞台に立たなければなりません。
 しかし、皆さんは「現実社会」で成功する準備ができているはずです。
 私たちは、数多くの問題を抱えている世界と関わっていかなければなりません。世界を良くしていくためには、多くの仕事がなされる必要があります。
 アメリカ創価大学で学び、その後、私のもとで学んだ卒業生がいます。彼らの姿を通して感じることがあります。それは、素晴らしい人間性を兼ね備えているということです。
 だから本当は、あなたたちに、それほどアドバイスは必要ないと思っています。ただ、「現実社会」を生き抜き、成功を収めるには、何が必要かを考える機会があってもいいかと思うので、少々、話します。
 アメリカの産業界は今もそれなりにうまくいっています。世界の他の国々と比べても、アメリカの社会人は自分の仕事を気に入っています。
 最近のアメリカの労働人口を対象にした調査では、68%の回答者が、1000万ドルの宝くじに当たったとしても、今の仕事を続けたいと答えました。世界の産業界において、この“仕事愛”は、まれなことです。
 ただ、いくつかの調査で気になることがあります。「ミレニアル世代」といわれる、現在の労働人口の中で最も皆さんに近い年代の若者は、年上の世代と比べて、仕事にあまり熱中せず、より人生に悲観的なのです。
 皆さんと同世代の青年たちは、仕事に意義と充実を見いだすことができるのか。それとも、仕事は厄介な負担で、できるだけ避けるべき“必要悪”と捉えるのか。この問いへの答えは、個人の幸福を決定づけ、長期的に見れば、社会の繁栄をも左右します。
 そこで、私の80年以上に及ぶ人生経験から、また半世紀の学術研究から得たことに基づいて、幾つかの提案をしたいと思います。


自分の強みを持つ


 1点目は、「汝自身を知れ」ということです。
 この言葉の由来は、古代ギリシャにさかのぼります。諸説ありますが、古代ギリシャのポリス(都市国家)の巫女がいた場所の門に、「汝自身を知れ」という言葉が刻まれていた、ともいわれます。
 つまり、この言葉は当時の西洋において、最も賢い女性からのアドバイスでした。そして、今なお有益なメッセージです。
 自分自身を知ることで、日常の生活で自分らしく輝くことができるからです。
 2点目は、「自分の強みを持つ」ということです。
 自分を理解した次は、自身の強みを伸ばしていくことが大切でしょう。
 優れた身体的能力や音楽センスなど、人それぞれの能力があります。それが自分の強みです。ところが、多くの人は、その強みに気付いていません。
 それは、「責任の欠如」から来るものです。自分の人生や社会に対する責任感が、自らの強みを伸ばしていく力となります。
 また、「強みを生かしていく機会を見つけること」も重要です。仕事もそうですが、友人関係なども、強みを生かす機会を見つけることにつながります。
 3点目は、「何ごとにもベストを尽くす」ということです。
 これから、あなたがどんな仕事に就こうとも、まず目の前の仕事に全力を注ぐことです。ほとんどの人が“わずかな苦労で、より多くの給料を受け取ろう”と考え、仕事をしています。しかも、それを“いい人生の処方箋”と考えていますが、決してそうではありません。
 私が知っている素晴らしい人々の一人に、ニューヨークのマンハッタンで、鮭の切り身を作る仕事をしている人がいます。
 この仕事は毎日毎日、鮭の身を薄く切ること。彼は家に帰ると、自分ほど鮭の身を迅速に薄く切る人はいないと誇りに思うのです。
 人生とは、無為に過ごすために与えられた時間ではありません。自分を必要としている人や社会に貢献していくことで、より良く形づくられるものなのです。
 こうしたことを通し、私は人間がその時にしていることに完全に集中し、自分の能力を最大に発揮している状態を理解しようと試み、それを「フロー」と定義しました。


創立者の期待胸に


 音楽やスポーツから「フロー」を生み出すのは簡単ですが、真の挑戦は、仕事や家庭の中で、そうした経験を生み出していけるかということです。
 「フロー」には、さまざまな様相があります。行動と意識が一致します。失敗に対する恐れがありません。そして、時間の感覚も通常と異なります。充実した時間は、短く感じるようなものです。
 「フロー」に至るには、条件があります。①明確な目標が設定されている②行動に対する評価がある③目の前の課題の難しさと対応する能力のバランスがとれている、であります。
 人生の中で、自分が明確な目標を持つことや、自分の行動を周囲が評価してくれることは、何度もあります。ただ、「目の前の課題の難しさと対応する能力のバランスがとれている」場面に出あうことは、それほど多くないといっていいでしょう。
 自分に与えられた仕事が簡単な時、人は自分の能力に見合ったものではないと思い、仕事の価値を低く見がちです。「フロー」は生まれにくくなります。
 では、レベルの高い仕事をするチャンスをつかみ取ればいいかというと、仕事を成功に導く能力がなければ、失敗に終わります。
 だからこそ、「何ごとにもベストを尽くす」ことが大切なのです。たとえ、つまらないと思う仕事でも、ベストを尽くせば、人生の次のステップは見つかるものです。
 卒業生の皆さんが職場や家庭などで、フロー体験をつくり出していけるよう、願っております。仕事と娯楽を分け隔てる必要はありません。仕事も娯楽も、あなたを全体人間へと導くために必要なものです。
 そして、最後の提案は、「自分のためだけではなく、他者にもベストを尽くす」ということです。
 どんな道に進もうとも、創立者が皆さんに贈られた大学の使命を忘れないでください。
 卒業生の皆さんが、貢献的人生を生きゆく世界市民に成長されることを期待しています。
 ありがとうございました。(大拍手)

 M・チクセントミハイ 1934年、イタリア生まれ。56年に渡米。シカゴ大学教授などを経て、現在クレアモント大学院大学特別栄誉教授。「フロー」概念の提唱者で、世界的に著名な心理学者。池田先生の著作を引用し、仏法の「十界論」に言及するなど、伝統宗教の英知に期待を寄せる。著書に『フロー体験入門』『クリエイティヴィティ』(いずれも世界思想社)など。


◆〈座談会 栄光の峰をめざして〉35 日々前進! 間断なき挑戦を! 
激戦の中に自身の人間革命が  三代会長の精神を永遠に継承
 
 
大東京に凱歌よ轟け!――不屈の王者・足立の友は、「覚悟の信心」で、最後の最後まで戦い勝ち抜く(5月、足立池田記念講堂で)
大東京に凱歌よ轟け!――不屈の王者・足立の友は、「覚悟の信心」で、最後の最後まで戦い勝ち抜く(5月、足立池田記念講堂で)

 原田 6月は、婦人部と女子部の記念の月です。婦人部・女子部の皆さん、大変におめでとうございます。また、毎日の献身的な広布の活動、本当にありがとうございます。
 伊藤 4日には、「世界池田華陽会の日」を迎えます。今、世界中で女子部の友が活躍しています。
 永石 その見事な前進の様子を、池田先生も大変に喜んでおられます。女子部の発展こそが、学会の希望です。先日も先生は、「女子部が輝けば、一家も地域も、そして未来も輝く」とたたえられていました。
 長谷川 さらに、「法華経を耳にふれぬれば是を種として必ず仏になるなり」(御書552ページ)の御文を通し、「地涌の女性の確信の声で、あの友この友の心に、幸福凱歌の種を蒔いていただきたい」と念願されました。
 原田 女子部結成の月・7月へ、友情の花を爛漫と咲かせようと、限界を破る対話拡大に挑む華陽の乙女の幸福と勝利を深く祈念しています。暑い日が続いています。どうか、互いに声を掛け合いながら、絶対無事故の朗らかな前進をお願いします。
 永石 来月は、「炎の東京大会」、そして「雷雨の大阪大会」から60年ともなります。
 志賀 東京大会は、1957年(昭和32年)7月12日、大阪事件での池田先生の不当逮捕に抗議するため、戸田先生が蔵前の国技館で開いた大会です。席上、戸田先生は、「おめおめ負けてたまるものか!」と力強く宣言されました。
 長谷川 この日を振り返り、池田先生は語られています。「正義のため、我が身を惜しまず戦い抜く覚悟があれば、いかなる困難にも動じない。戦う勇気の炎はいやまして燃え上がる。これこそ、創価の革命児の永遠の闘魂だ」と。
 伊藤 5日後の7月17日に行われた大阪大会で、先生は、あの有名な師子吼をされています。「最後は、信心しきったものが、御本尊様を受持しきったものが、また、正しい仏法が、必ず勝つという信念でやろうではありませんか!」
 原田 広宣流布の一切の戦いは“負けたらあかん! 勝たなあかん!”と、関西の同志は誓い合いました。あの“不敗の原点”の日から60年。“戦いは断じて勝つ!”を合言葉に、師弟凱歌の「7月」に向けて進んでまいりたい。さあ出発しよう!
 志賀 「さあ、出発しよう! 悪戦苦闘をつき抜けて! 決められた決勝点は取り消すことができないのだ」とは、ホイットマンの詩集『草の葉』にある、有名な一節です。
 伊藤 池田先生が、若き日から心に刻み、何度も私たちに教えてくださっている詩ですね。
 志賀 ええ。「さあ、出発しよう」とは、過去にとらわれず、晴れやかに未来を目指す姿です。“いよいよ、これからだ”という日々前進の心意気です。間断なき挑戦の気概です。
 永石 先生は、「信心は持続が大切ですが、持続とは、単に、昨日と同じことをしていればよいという意味ではありません。それでは惰性です。“さあ、出発しよう”と、日々、新たな決意で、自分を鼓舞して戦いを起こし続けていくのが、本当の持続の信心なんです。毎日、毎日が、新しい出発であり、勝利の日々であってこそ、人間革命も、人生の大勝利もある」と言われています。
 志賀 さらに、悪戦苦闘は、広宣流布のため、自身の人生を勝利で飾るためには、必ず経なければならない道程であると語られ、「勇んで悪戦苦闘のなかに身を置き、それを突き抜けていくなかに、自身の人間革命がある」と指導されています。

牧口先生の生誕日


 長谷川 6日に生誕146年となる初代会長・牧口先生は、70代になっても、「われわれ青年は」が口癖でした。そこには、“常に前進しよう!”との決意があふれていました。
 原田 それは、投獄されて臨んだ取り調べの場で、「さあ、問答をしよう!」と堂々と宗教の正邪を論じ、また看守を折伏された姿からも明らかです。
 長谷川 この牧口先生の精神を受け継ぎ、学会を大発展させたのが、戸田先生であり、池田先生です。
 原田 私たちの大願である世界広布を成就していくには、三代会長に貫かれる師弟不二と死身弘法の学会精神を継承していく以外にありません。ゆえに会則に、三代会長を「広宣流布の永遠の師匠」として仰ぐと明記しているのです。
 いよいよの「6月」を迎えるに当たり、改めて三代会長の指導を学び、その通りに実践していくことを誓い合ってまいりたい。
 永石 5月28日付の「新時代を進む」の中で、池田先生は、「何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」(同1132ページ)との御聖訓を拝し、「いかなる壁が立ちはだかろうとも、題目の師子吼で祈り抜き、祈り切り、大胆に一歩を踏み出すことだ。そこに、無量の智慧を発揮し、不可能を可能にする道が必ず開かれる」と呼び掛けてくださいました。
 原田 この御文は、「“まさか”が実現」の関西の戦いの中で、拝された一節です。さらに池田先生は、戸田先生が示された逆転勝利の鉄則――「真剣に祈れば智慧が湧く」「行き詰まった時が勝負だ」「大変な所へ真っ先に行け」も教えてくださっています。
 先生の指針のままに、題目で智慧を湧かせ、行き詰まりを破り、凱歌への道を勝ち開いていきたい。

◆〈信仰体験〉 
“玄米20種”量り売り人気の米販売店                                                2017年6月1日 
                                                         
 
 【名古屋市南区】現在、スーパーマーケットやコンビニエンスストア、インターネットの通信販売など、さまざまな所で購入できる米。


◆〈信仰体験〉 
オヤジだけの読み聞かせボランティア                                                2017年6月1日 

                                                         
 【和歌山県御坊市】子どもたちの前に進み出た男性が、張りのある渋い声で絵本を読み始めると、小さな聴衆たちの瞳が輝きだす。

 

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