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2017年2月19日 (日)

2017年2月19日(日)の聖教

2017年2月19日(日)の聖教

◆わが友に贈る


楽しく明るい所に
人々は喜び集う。
歓喜と感謝の心に
福徳は いや増す
皆で幸の楽土の建設を!

◆名字の言


  漫画「サザエさん」の父・磯野波平は何歳か?――正解は54歳。意外に若い。ただ連載が開始された1946年(昭和21年)ごろの男性平均寿命が50・06歳だったことを考えると、波平も“高齢者”として描かれたことが分かる▼現在、高齢者の定義は65歳以上。だが本年1月、75歳以上に見直すよう日本老年学会が提言した(65~74歳は準高齢者)。体力・生活機能などを科学的に検証した結果、以前より「若返り」が認められたという▼94歳になる広島の婦人部員は、家庭の貧困、夫との死別、大動脈瘤の大病などを乗り越え、広布に生きてきた。1人暮らしになってからも、多くの友に弘教。1月7日には同じ県営住宅に住む83歳の壮年を入会に導いた。“池田先生に勝利の報告がしたい”と誓願勤行会に行くため、新幹線に乗った。到着した東京・信濃町で、青空を見上げて思ったという。「私は世界一の幸せ者だ」▼体は確実に老いるが、心まで老いる必要はない。「高齢者」といっても、社会が決めた物差しの一つにすぎない。「さあ師と共に!」との決意に立てば、心は若々しい青年に変わる▼「年を重ねる」とは、見方を変えれば「熟成」ということでもある。信仰で磨かれた人間性の輝きは、地域を照らす希望の灯台となる。(子)

◆〈寸鉄〉 2017年2月19日
 

 人々を結ぶ学会の運動は
 現代が失う人間性を再生
 ―博士。使命に胸を張れ
      ◇
 広宣流布といっても一対
 一の対話以外にはない―
 戸田先生。さあ友の中へ
      ◇
 第2宮城総県の日。我ら
 の力で福光の春を必ず!
 不屈の前進を世界が賛嘆
      ◇
 昨年の日本へのサイバー
 攻撃、前年比2・4倍と。
 パスワード管理等厳重に
      ◇
 「生活者」の論理を政権で
 訴えられる公明は重要―
 教授。徹して現場の声を

◆社説  「御書根本」の大道を歩む  逆境に屈しない境涯を開くために

 今月26、27日に本年初の「教学の日」を迎える。今回の拝読御書は「佐渡御書」。竜の口の法難後、日蓮大聖人は、御年50歳で佐渡に流された。
 それは「彼の国へ趣く者は死は多く生は稀なり」(御書1052ページ)と記されたように、死罪に等しいものであった。雪が吹き込む廃屋同然の塚原三昧堂で食料にも事欠き、敵対者からは命を狙われた。
 同時に、大難の魔の手は大聖人門下にまで及ぶ。信仰を理由に投獄・追放などの迫害を受ける中で、大聖人に不信や恨みを抱く弟子も続出したのだ。
 “なんとしても弟子を退転させてなるものか!”――弾圧におびえる門下に対し、難に勝ちゆく覚悟の信心を訴えられたのが佐渡御書である。
 大難に臨んで、「師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し」(同957ページ)と――。“どんな難があろうとも、信心を貫き通していけば、必ず仏の境涯を開くことができる”との御本仏の大確信は、700年以上の時を超えて、私たちの胸に迫ってくる。
 東京・足立区のある壮年は、16歳で入会した後に参加した御書講義で大聖人の御金言に触れ、“求めていたのはこれだ”と感動を禁じ得なかった。
 以来55年、一貫して信心に励む中、経済苦と病苦に直面しても、“全て御聖訓の通り”と確信して、一切の苦境を乗り越えてきた。今も日々の御書拝読を欠かさない。御書を全編拝読するたびに、鮮やかな感動が胸中に広がる、と語る。
 信心とは、人生の波浪に遭わない生き方を志向することではない。むしろ、人生において苦難は必定であり、“難を乗り越える”ための信心である。
 池田先生は「真の宗教の力は、逆境の時に、より強く発揮されるものです」と述べられている。
 正しい仏法の哲理を学ぶことで、より深い「信」に立つことができ、正しい道を突き進むことができる。「行学の二道」の積み重ねによって、逆境に屈しない境涯を築いていくことができるのだ。
 大聖人は「此文を心ざしあらん人人は寄合て御覧じ」(同961ページ)等、同志が共に御書を学ぶよう勧められている。私たちの御書講義は、この通りの学びの場である。
 さあ、御書根本の前進を! 一日に、一節でも、一行でもいい。日々、御書を拝する工夫と挑戦を重ねていきたい。地道な研さんこそ、人生を開く大道に通じることを確信して――。

◆きょうの発心  師の期待に応え、拡大に走る 2017年2月19日

御文
 よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず(華果成就御書、900ページ・編1098ページ)
通解 よい弟子をもつならば師弟はともに成仏し、悪い弟子を養うならば師弟はともに地獄に堕ちるといわれている。師匠と弟子の心が違えば何事も成就することはできない。

 よい弟子を持つかどうかで師弟の仏果が決まると、師弟不二を貫く大切さを教えられています。
 
 1960年(昭和35年)、祖母の折伏で母と共に入会。その後、両親は離婚し、3歳の時から祖母に育てられた私は、自身の境遇に悩み続けました。そんな時、この御文に出合い、“嘆き苦しむ自分から、池田先生の期待に応えられる自分に変わろう”と決意。結婚後、4人の子どもに恵まれ悪戦苦闘の日々でしたが、ブロック担当員、地区担当員(共に当時)と懸命に学会活動に励みました。
 88年(同63年)、先生から思いもかけず、夫婦で激励を受けました。わが家は折伏で恩返ししようと決め、今日までに家族で98世帯の弘教を実らせることができました。子ども夫婦と9人の孫も、皆が使命の場で活躍しています。
 昨年4月2日、先生が品川文化会館を訪問してくださいました。この喜びと感謝を胸に、生涯使命の道を朗らかに勝ち進んでまいります。  東京・品川総区副婦人部長 山路美智子

【聖教ニュース】

◆〈グローバルウオッチ〉 若者と希望 “不安社会”の中で2
 心を開ける友がいて 「生きる力」高め合う

多様性輝くベルギーSGI(創価学会インタナショナル)の青年部(右端がファビオ・ガットビージョさん。昨年10月、首都ブリュッセルで)
多様性輝くベルギーSGI(創価学会インタナショナル)の青年部(右端がファビオ・ガットビージョさん。昨年10月、首都ブリュッセルで)

 現代社会が直面する課題に向き合い、創価の思想・哲学の価値について考える「グローバルウオッチ」。今回の「“不安社会”の中で②」では、数年に及ぶ引きこもりを乗り越え、社会復帰を果たした2人の男子部員を紹介する。(記事=小野顕一)

 10年前、24歳の田中秀明さんは面食らった。
 大阪で同居する両親から、唐突に「メキシコに渡って一家で日本料理店を開く」と告げられたからだ。
 その5年前に父の会社が破綻し、多額の借金を抱えていた。田中さんは、大学をわずか2カ月で中退。職を転々としながら返済を支えたが、利息分の支払いがやっとだった。
 そんな田中さんのことを気に掛け、心配してくれたのが、兵庫に住む中学時代の親友だった。交通費を出して田中さんを自宅に招き、励ましてくれた。
 2007年秋、メキシコでの生活が始まったが、折から発生した誘拐事件の影響で夜間は外出が制限され、店と自宅を往復するばかり。仕事を終えて部屋に戻ると、兵庫の親友とオンラインゲームに明け暮れた。
 チャット(文字での雑談)するうちに、田中さんは、親友が家に引きこもっていることを知った。“日本に戻ったら、何かで彼の力になりたい。NPOに入り、そうした境遇の人に尽くしたい”。漠然としたイメージだが、将来の目標が見えた。
 料理店は幸い大繁盛。3年がたつころには、借金返済のめども付いた。田中さんは両親に自分の夢を伝え、一人、日本へ。親友と再会を喜び、その後、神奈川で介護施設に就職した。
 利用者への対応に忙殺されていたある日、親友から電話があった。「本音が言える場所って、パソコンだけやんな……」
 田中さんは「そんなことないよ」「また遊ぼう」と電話を切った。
 その1週間後、親友は自ら死を選んだ。携帯の発信履歴の最後に、田中さんの名があった。
 その日を境に、田中さんは眠れなくなった。仕事でもミスを連発。“自分は駄目な人間なんや”――途端に人が怖くなり、仕事を辞めた。同じころ、感染症の影響からメキシコの店をたたむことに。日本で家族そろって暮らすことになった。
 “将来なんて考えられるわけない。親友すら救えんかった”とふさぎ込む田中さんに、母は「また一から頑張ろう」。久々の家族のぬくもりが身にしみた。
 一家は三重県鳥羽市に居を移す。父がパーキンソン病を患い、田中さんは介護を引き受けた。「いっそ自分も……」と考えたが、家族にさらなる苦しみを味わわせるわけにはいかないと思いとどまった。
 家に引きこもるようになって3年余りがたった2013年。母から学会の教学試験の受験を勧められた。家に仏壇はあったが、信仰には無自覚だった。
 31歳になっていた。田中さんは、何かが変わるならと受験を承諾した。マスクで顔を隠して勉強会へ。“終わったらすぐ帰ろう”。そう思った矢先、声を掛けてきたのが藤原淳さん(当時、男子部副本部長)だった。
 田中さんのゲーム好きを知ってか知らずか、「RPG(ロールプレイングゲーム)に例えるとね、俗衆増上慢が雑魚で、道門増上慢が中ボスで、僭聖増上慢が最後のボスなんだ」。
 思わず田中さんの頬が緩む。「真剣に教えてくれるかと思ったら、雑談ばかりで笑かしてくれて」――心から笑えたのは、親友を亡くして以来だった。
 藤原さんは、連日のように田中さんのもとへ。勉強が一段落すると、ドライブや食事に繰り出した。時には自宅に呼んで手料理を振る舞った。
 教学試験の合格の報が届くころには、勤行・唱題が田中さんの大切な日課となっていた。
 “以前は、自分も藤原さんのように、誰かに尽くせる人になりたいと思っていたはずだ”
 亡き友の分まで生きるという思いが、祈りとなってあふれた。
 田中さんは昨年4月にリサイクル企業に就職。今、男子部部長として友の励ましに駆ける。

自他不二の哲学

 藤原さんは、なぜ田中さんに寄り添い続けたのだろう。
 「むしろ、救われたのは僕の方だったんです」
 田中さんに会う前、藤原さんは仕事などに行き詰まりを感じていた。ところが、“変わりたい”と純粋に信心に励む田中さんに接するうちに気力が湧いたという。「とにかく一緒にいて楽しかった。彼に会ってなかったら、今の自分はありません」
 そうほほ笑む藤原さんの笑顔に、法華経の不軽品に説かれる「自他不二」の哲学を思った。
 本来、自己と他者の生命は一体不二であり、人に尽くすことで自らの希望も開かれる。
 自他不二の視点で見れば、他者は自分を映す鏡ともいえる。人も自分も同じく悩みを持っていると思えるから、関わらずにはいられない。その関わりの中で自他共に生きる力を得る。
 そうした励ましの軌跡が、世界各地でつづられている。
自分を取り戻す
 ベルギーの首都ブリュッセルに暮らすファビオ・ガットビージョさん(男子部班長)は、イタリア・ローマ出身。幼い時に暴行を受け、トラウマ(心的外傷)に苦しんできた。
 洋服店経営を志していたが、大学で専攻していた学科が突然の閉鎖。そのまま退学となり、引きこもり状態となった。
 日本で引きこもりは100万人を超えるともいわれるが、世界的にも広がっており、欧州でもイタリアやフランスなどで社会問題化している。
 陽気で社交的なイメージがあるイタリア人からは想像しにくいが、日本語の「HIKIKOMORI」が新聞やサイトの見出しになることもある。
 「何のために生きるのか。目標を見つけられない自分にいらだっていました」とガットビージョさん。3年間、来る日も来る日も自分を責め続けた。
 そんなある日、SGIメンバーから座談会に誘われる。
 人と会うのが嫌だったガットビージョさんだが、温かな歓迎を受け、まるで家族に会えたかのような気持ちを覚えた。さらに、青年の体験発表に驚いた。
 自分の経験と似た状況から立ち直った内容だった。
 「自殺未遂を乗り越え、信心で自分を取り戻した体験でした。人の顔色をうかがわなくていいと知り、希望を感じました」
 唱題に励むと、不思議と笑顔が出るようになり、友人もできた。その後、SGIの一員に。
 ある集いの折、トラウマと必死に向き合っていることを話すと、同志は「勇気をくれてありがとう」と、口々に感謝を語ってくれた。何の価値もないと思っていた人生が、誰かに希望を送れるものに変わっていった。
 ガットビージョさんは運転手の仕事に就き、一昨年にブリュッセルへやって来た。
 多様な国籍の人が暮らす同都市では、人々が向き合う悩みもさまざま。昨年3月には、空港と駅が同時テロに襲われた。心の空虚さや無力感から、将来を悲観する若者も少なくない。
 ガットビージョさんの体験はそうした人にも、前を向く力を与えている。「彼に元気をもらった」という声を複数聞いた。

孤独にしない

 池田先生は「自他不二」について語っている。
 「『孤独』になってはいけない。人を『孤独』にしてもいけない。悩みに寄りそって、その苦しい『心音』に耳をかたむけてあげなければ。そうすることによって、じつは自分自身が癒されていく」
 「人の『生きる力』を引き出した分だけ、自分の『生きる力』も増していく。人の生命を拡大してあげた分だけ、自分の生命も拡大する。これが菩薩道の妙です。『利他』と『自利』の一致です」――と。
 学会は“誰も置き去りにしない世界”。なぜなら、不安の中で閉じこもるその人もまた、見いだした希望を胸に、やがて誰かの心を開く存在となることを信じているから。
 この生命の触発の連続が、創価(価値創造)の生き方の実像であろう。
 感想・意見をお寄せください メール:g-w@seikyo-np.jp ファクス:03-5360-9613

【先生のメッセージ・特集記事】

◆〈誓いの天地〉 東京・荒川区

             
東京23区で唯一の区営遊園地「あらかわ遊園」の前で、男女青年部が広布拡大を誓って
東京23区で唯一の区営遊園地「あらかわ遊園」の前で、男女青年部が広布拡大を誓って

 唯一の都電・荒川線。活気あふれる商店街や繊維街。荒川は、JRや地下鉄、京成線も通る、交通至便の地である。
 近年、高層マンションが建設され、転入者も増えているが、人情味あふれる気風は変わらない。
 とりわけ壮年部・婦人部の“荒川愛”は人一倍。町内会や自治会の役員を買って出る。青年部も、行事や祭りで運営を担う。祭りの際には、荒川文化会館が「休憩所」として活用される。
 山本幸一さん(男子部部長)も近隣に尽くす青年の一人だ。
 毎年、団地の餅つき大会には、地域の男子部十数人で参加する。「自治会長から“いつも頼りにしてるよ!”と声を掛けられるんです。何でもやらせてもらおうと思っています」
 すっかり地域の“顔”になった山本さんだが、実は宮崎県出身。荒川に来たのは5年前だ。プロのカメラマンを目指し、アシスタントに転職した頃だった。
 だが現実は甘くなかった。午前6時から深夜まで働き続ける日々。4カ月で心も体も悲鳴を上げた。
 仕事を辞め、引きこもった。そんな時、何度も来て、励ましてくれたのが男子部の部長だった。「よく一緒に題目をあげてくれました。長いなって思ったこともありましたけど(笑い)」。地区の同志も祈ってくれた。
 徐々に自分と向き合えるようになった山本さんは、職業訓練校に通い、印刷会社に再就職。その後、友人に弘教も実らせた。
 2013年、部長に。日々、部員の激励に走る。
 「“荒川家族”から師弟直結の信心を学びました。地域や支部の皆さんに喜ばれる男子部に。それが恩返しと思っています」
                                                                      ◇ 
 子育て支援に力を入れる荒川区。「共働き子育てしやすい街ランキング」でも第1位になった(2015年、日本経済新聞社等による「自治体の子育て支援制度に関する調査」)。街行く人にも親子連れが多い。
 日暮里・舎人ライナーの「赤土小学校前」駅を降りて徒歩3分。尾久橋通りから路地へ入ると、白壁のカフェが現れる。「cafe OGU1(カフェ オグイチ)」。“給食が食べられるカフェ”として今、人気を呼んでいる。
 店長の小林早希さん(女子部副本部長)。給食調理員として9年間、都内や埼玉県の小学校で働いた。“おいしくて栄養も抜群の学校給食を、地域の人にも食べてもらいたい”――昨年5月、調理員を辞め、思い切って店をオープンした。「手頃な値段で、子どもにも安心して食べさせられる」「味付けも工夫されていて、おいしかった」と評判は上々だ。
 小学6年で鼓笛隊に入隊し薫陶を受けた。学会活動にも率先し、これまで3人の友に弘教を。女子部の部長時代には、「多くの時間を共にすること」を心掛け、新しい人材が多く立ち上がった。
 朝の早い仕事。開店してからは目の回るような忙しさだが、“会合の最後の数分だけでも、1軒の訪問激励だけでも”と時間をこじ開け、学会活動に挑戦する。
 「最近、お客さんから『ここは私にとって、なくてはならない場所なのよ』と言われたんです」と小林さん。今日も朗らかな笑顔でカウンターに立つ。
 池田先生が“近隣友好の模範”とたたえた荒川。その心は青年たちに受け継がれている。

栄光の共戦譜


 荒川では2・20「区の日」を記念するブロック座談会が、にぎやかに行われている。
 「区の日」の淵源は1972年(昭和47年)2月20日。隅田川のほとりの台東体育館(当時)に、4200人の同志が集い、池田先生との記念撮影が行われた。
 この師弟の誓いから、荒川広布の新たな前進が始まった。
 当時、小学5年だった名嘉典子さん(荒川牧口区、婦人部本部長)も参加者の一人。“今日のこの写真を引き伸ばして、会館に飾ろう”との先生の言葉が耳に残っている。その言葉通り、写真は旧・尾久会館に長く展示された。「写真を見るたびに、あの日を思い出し、決意を新たにしました」と振り返る。
 区女子部長、区総合女子部長を務めた後、結婚。生まれた長男・正夫さんは軽い知的障がいがあった。さらに次男の秀夫さんが3歳の時に川崎病を発症。医師からは後遺症が残ると告げられた。
 子どもたちのためにも自分がしっかりしなければと思いつつ、時に不安で押しつぶされそうになる。名嘉さんは赤裸々な思いを手紙につづり、池田先生に届けた。
 数日後、先生から、万感こもる励ましの伝言が。“先生が祈ってくださっている。先生と一緒に病魔と闘うんだ”。胸に希望がよみがえった。治療も奏功し、秀夫さんは、見る見るうちに回復。後遺症もなく退院できた。その後、夫・充夫さん(同、副区長)の病などの苦難も、師との誓いを胸に、題目第一で乗り越えてきた。
 幼稚園の“ママ友”と立ち上げたコーラス部も15年目。園の行事や地域の文化祭などで歌声を響かせ、好評を博してきた。
 現在、子育てを支援するボランティアや、小学校での読み聞かせにも携わる名嘉さん。信頼と友情の輪を大きく広げる日々である。
                                                                           ◇ 
 15回に分けて行われた記念撮影。終了後、荒川の友が合唱や日本舞踊などを次々と披露した。参加者と一緒に手拍子を打ちながら、友の演技をたたえる池田先生。
 「皆さん方とは、久遠元初以来の兄弟であり、家族なのだから、気軽に対話しようね。きょうはとってもうれしかった」
 「どうか、どこよりも明るく、信心即生活の功徳の実証に満ちあふれ、力強い団結で荒川の繁栄を目指していってほしい」
 この時、女子部の代表として日本舞踊に出演した熊木美夜子さん(荒川池田区、区副婦人部長)。
 高校3年の時、一家が厳しい経済苦に。進学を断念し、就職した。記念撮影会に参加したのは、そんな苦闘の時。先生の話を聞きながら、“功徳の実証”で必ず応えようと誓った。
 25歳で結婚し、夫の良一さん(同、副支部長)とメッキ工場を経営。先代から残る負債も、広布の最前線で活動に励みつつ完済。従業員にも恵まれ、業績は順調だ。
 自宅は広布の会場に提供。地道に友情を広げ、近隣住民の多くが学会の深い理解者となっている。「生涯、学会、先生と共に。後継を育てながら、報恩の道を進みます」
                                                                                 ◇ 
 83年(同58年)2月10日、荒川文化会館で行われた「区の日」記念の幹部会。出席した池田先生は語った。
 「庶民のなかの一番の庶民が荒川の皆さんです。だから私は世界のどこにも言っていませんけど、荒川は私を守ってください」
 現在も、荒川の全同志が生命に刻んでいる言葉だ。
 学会は庶民の団体である。先生はあらゆる難を一身に受けながら、庶民を守り、庶民の幸福のために戦ってきた。
 幹部会に参加していた金子広充さん(荒川戸田区、副総区長)。
 「“先生をお守りすること。それは師弟の道に徹することだ”と強く思いました」
 72年の記念撮影が信心の原点。高校卒業を間近に控えていたが、将来の希望が見いだせなかった。しかし、先生の慈愛の振る舞いに触れ、「生涯、先生の弟子として生き抜こう」と決めた。
 以来、学会活動に全力。区の男子部長等を歴任し、先生とたくさんの出会いを刻んだ。「信心は観念じゃないよ。実践の中に真髄がある」との激励は忘れられない。
 建築・不動産の会社を経営する金子さん。バブル崩壊のあおりを受け、苦境に陥ったこともあったが、信心根本に活路を開いてきた。
 「仕事がどんなに忙しくても、広布の第一線から引かず、戦い抜いてきたことが人生の宝。誉れの弟子の道を歩み抜きます」
 今、「人材の城 荒川大勝利月間」を驀進する荒川の友。
 池田先生は呼び掛けた。
 「荒川から、新しい広宣流布の『聖火』を赤々と炎上させていただきたい。『東京の前進は荒川から』を合言葉に!」
 師匠の期待を胸に、友は「常勝不敗の荒川」の新時代を開きゆく。

【信仰体験】

◆〈ターニングポイント〉 自動車メカニックからフローリスト&ガーデナーに 松村千春さん 


 神奈川県鎌倉市で造園会社を営む家庭に育った松村千春が選んだ仕事は、自動車メカニックだった。フェラーリやランボルギーニといった外車のカッコよさに憧れた。

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