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2017年2月 6日 (月)

2017年2月6日(月)の聖教

2017年2月6日(月)の聖教

◆今週のことば
仏縁を結ぶ「勇気
心を動かす「
確信
信頼を生む「
誠実
地涌の誇りも高く
幸の眷属を広げゆけ!

◆名字の言


  すぐ目の前にいる同僚と、メールで“会話”する若者が増えているそうだ。パソコンやスマートフォンが普及する現代社会。以前なら直接、言葉を交わしていた場面でも、メールやラインでのやりとりが多くなっていないか▼こうした状況に警鐘を鳴らすのは、脳生理学者の有田秀穂氏。メールだけのコミュニケーションでは、人を信頼し、人のために何かしたいとの気持ちが減退するという(『「脳の疲れ」がとれる生活術』PHP文庫)。鍵になるのが「オキシトシン」という神経物質だ▼オキシトシンとは、別名「幸福ホルモン」。他者への信頼感を強め、ストレスが消えて幸福感が増す作用がある。さらに血圧の上昇を抑えて、心臓の機能を向上させ、長寿になるとの研究結果も▼オキシトシンの分泌を促すのは、スキンシップや一家だんらんなどの親しい語らいだという。人の幸福を願ったり、親切を心掛けたりすることもいい。他者に関わる行動自体が、心と体を健やかにする▼日蓮大聖人は「人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし」(御書1598ページ)と。友のために動くと、同時にわが生命も躍動する。さらに仏法を語れば、歓喜と功徳は計り知れない。この自他共の幸福の道を、今日も生き生きと歩みたい。(剛)


◆〈寸鉄〉 2017年2月6日
 

 
題目あげて語れ!すごい
 境涯になれる
―戸田先生
 共々に人間革命の直道を
      ◇
 尊き「新聞長」の大奮闘に
 深謝。皆様ありて正義の
 言論は拡大。福徳は無量
      ◇
 「
後輩を自分以上に」が
 育成の魂。真心の激励を。
 若き力が光る二月闘争に
      ◇
 車の自動ブレーキ義務化
 検討と。命守る技術の普
 及急げ。一番は
安全運転
      ◇
 癌検診受けぬ理由、3割
 が「健康に自信ある」と。
 
早期発見が鍵。過信禁物

◆小説『新・人間革命』第30巻 大山の章   三十
 
 


 神奈川文化会館の開館記念勤行会は、十四日、昼夜二回にわたって、同志の喜びのなか盛大に行われた。山本伸一は、いずれの勤行会にも出席し、これまでの皆の労苦に最大の感謝の意を込め、全力で励ましを送った。
 席上、彼は、初めて神奈川県横浜市の座談会に参加した、懐かしい思い出を語った
 「それは、三十年前(一九四九年)であったように思う。当時、私は二十一歳でした。国鉄(後のJR)鶴見線の国道駅近くの幹部のお宅が、座談会の会場であった。そこには、未入会の友人が五人、おみえになっていた。青年だけでなく、婦人も、年配の壮年も参加していました。
 私は、若人らしく、元気に体験を語り、師匠・戸田先生の指導を通して、大確信をもって、日蓮大聖人の仏法の偉大さを訴えていった。その五人の方々は、全員、入会を決意されたように記憶しています」
 弘教の最大の力は、豊富な人生経験もさることながら、御本尊への確信であり、相手の幸せを思う真剣さである。ゆえに、若くとも確信と思いやりに満ちた言葉は、人びとの生命に響き、共鳴をもたらすのだ。
 「私は、この神奈川でも、弘教に、座談会に、地区講義に、個人指導にと、走りに走った。それは、すべて青年時代の楽しい有意義な思い出となっています。また、共に活動に励んだ方々は、かけがえのない忘れ得ぬ同志として、深く心に刻まれています」
 伸一は思った。
 “自分の会長辞任が発表されれば、少なからず皆は驚くにちがいない。しかし、何があろうが、いささかたりとも、信心に動揺があってはならない。そのために、不動の信心の確立を叫び抜いておかねばならない”
 彼は、言葉をついだ。
 「学会においても、幾つかの転機があり、乗り越えるべき節があります。いかなる時でも、私たちが立ち返るべき原点は、初代会長の牧口先生が言われた“一人立つ精神”であり、広宣流布の大精神であります」

【聖教ニュース】

◆SGI発足の地 グアムで平和の祭典 2017年2月6日
 池田先生ご夫妻とSGIの社会貢献たたえ
 グアム準州から宣言書 議会から決議書

 
グアム準州議会が池田先生ご夫妻の平和貢献をたたえる決議を。タムニンの公園内にある「SGI発足記念碑」の前で、ベンジャミン・クルーズ議長(左から6人目)からSGIの代表に、決議書が手渡された
グアム準州議会が池田先生ご夫妻の平和貢献をたたえる決議を。タムニンの公園内にある「SGI発足記念碑」の前で、ベンジャミン・クルーズ議長(左から6人目)からSGIの代表に、決議書が手渡された

 SGI(創価学会インタナショナル)発足の地、アメリカ・グアム準州の経済の中心都市タムニンで1月21、22の両日、SGI発足42周年を祝賀する第5回「ラッテ平和祭」が開催された。これには、タムニンのルイーズ・リベラ市長をはじめ地元市民、SGIメンバーら3000人が集った。また、同祭典の開催を記念し、グアム準州(エディ・カルボ知事)は、本年の1月23日を「ダイサク・イケダ博士とSGI感謝の日」と宣言。28日には、同準州議会から、池田大作先生と香峯子夫人の世界平和への貢献をたたえる決議書が贈られた
 輝く陽光と豊かな自然にあふれた、太平洋に浮かぶ常夏の楽園・グアム。
 古くから、先住民のチャモロ人が独特の文化を形成し、穏やかな生活を送っていた。
 だが、平和の島は、戦場となった。1941年、太平洋戦争が勃発。グアムは、日米の激戦地に。母子の叫びと砲声が飛び交い、多くの人の血が流れた。
 「あまりにも深い悲劇を刻んだグアムを、二度と戦場にさせてはならない。そして、このグアムから、平和創造への新たな希望のメッセージを、人類に発信していくのだ」――池田先生の信念のもと、75年1月26日、この地に世界51カ国・地域の代表が集い、第1回「世界平和会議」が開催された。席上、SGIが発足。あらゆる差異を超え、世界平和を実現しゆくことを約し合った。
 この“不戦の誓い”を継承していくことを目的に開かれているのが、「ラッテ平和祭」である。
 SGIやICAP(平和のための国際芸術家委員会)などが共催し、5回目の開催となった祭典では、リベラ市長の歓迎あいさつの後、アメリカSGI西部方面のデボジー壮年部長がSGI発足の経緯と池田先生の行動を紹介した。
 続いて、祝賀の演目が行われ、地元の小学生約300人による合唱や、ミクロネシア地域に伝わる伝統舞踊などが披露。来場した人々から大きな喝采が送られた。
 祭典後、リベラ市長は語った。
 「平和祭は、多様な価値観を持つ市民が一つになり、対話と共生の重要性を確認できる大切な場となっています。この祭典に尽力くださった池田SGI会長に心から敬意を表します」
                      ◇ 
 1・26「SGIの日」42周年――。グアム準州の「ダイサク・イケダ博士とSGI感謝の日」の宣言書や、同準州議会の決議書など、池田先生ご夫妻、SGIメンバーの社会貢献に対する顕彰が相次いだ。
 決議書には「池田博士は、核兵器廃絶を訴えた恩師・戸田第2代会長の遺訓を受け、平和運動を大きく促進してきた傑出した世界的指導者である」等と記されている。
 太平洋の小さな島・グアムの人々の信念のスクラムは、大きな希望の光となって、これからも世界を照らし続けるに違いない。

【先生のメッセージ・特集記事】

◆〈希望航路―池田大作先生と進む人生旅―〉 スペイン1 1983年

 
第1回SGIスペイン総会に出席した池田大作先生ご夫妻(1983年6月14日、マドリード市内で)                                                                          
第1回SGIスペイン総会に出席した池田大作先生ご夫妻(1983年6月14日、マドリード市内で)

 池田大作先生は、これまで2度にわたって欧州のスペインを訪問している。この激励行を胸に同国の広宣流布を進めてきた、メンバーの思いを聞いた。

◆弟子の道 一 小説『新・人間革命』に学ぶ  池田 主任副会長へのインタビュー

   小説『新・人間革命』「大山」の章の連載が、本年の元旦から始まりました。「恩師の精神を未来永遠に伝えゆくには、後継の 『弟子の道』を書き残さなければならない」(同小説「はじめに」から)との思いが込められた池田大作先生の執筆闘争も、いよいよ第30巻となり、”総仕上げ”を迎えています。青年部の一人一人が、師匠の心の奥底に迫り、師弟の精神を深める時は”今”です。

 新企画「弟子の道 一一 小説『新・人間革命』に学ぶ」では、今後、各巻の特集を掲載していきます。
 今回と次回(3月1 日付予定)は、そのプロローグとして、戸田城聖先生の小説『人間革命』、池田先生の小説『人間革命』『新・人間革命』に紡がれた”師弟の絆、思想の展開”について学びます。また、池田 主任副会長へのインタビューを2回にわたって掲載します。

戸田先生の「人間革命」 連載:1951年~54年
先師・牧ロ先生と弟子の悟達

 池田先生が小説を書こうと決意したきっかけは、恩師・戸田先生が小説『人間革命』を執筆したことにあります。
「妙悟空」というペンネームを用いた戸田先生の小説は、1951年4月20日付の聖教新聞創刊号から、約3年にわたり連載されました。
 主人公は「巌
九十翁(がんくつおう)」。牧ロ常三郎先生を師匠とし、心がすさんだ貧しい生活から、見事に蘇生していく姿が痛快に描かれています。 前半は小説を意識したフィクションですが、後半は、主人公に戸田先生の実体験が重ねられ、貴重な "真実の記録"となつています。
 軍部政府の暴走が進むにつれて、信教の自由はむしばまれていきます。その中で、創価の師・牧ロ先生は、「仏法の力によつ て、日本を栄えさせてこそ、大聖人 はお喜びになるのではないか!」 と、「国家諫暁」を決断。多くの弟子たちは、保身の心から恐れを抱きますが、巌さんは、真正の弟子として続きます。「ぼくは牧ロ先生の弟子さ」「一大折伏戦に入ろうではないか!」と
 やがて牧ロ先生と巌さんは投獄。牢獄の中で巌さんが、自身が 「地涌の菩薩」であると悟り、広宣流布に生き抜く決意を定める場面で、物語は幕を閉じます。
 ここでは、牧ロ先生の獄中での逝去は描かれていません。しかし、 日本のために正法流布に挺身した師を、獄死に至らしめた時の権力への怒り、そして、師の仇討ちを誓った戸田先生の思いは、主人公の「巌
九十翁」に託されています。

 54年、牧ロ先生の十回忌法要の折に、戸田先生は語りました。
あれほど悲しいこと(牧口先生の獄死)は、私の一生涯になかつ た。そのとき、私は『よし、いまにみよ!先生が正しいか、正しくないか、証明してやる。もし自分が別名を使ったなら、巌窟王の名を使って、なにか大仕事をして、 先生にお返ししよう』と決心した」
  戸田先生は、自身の分身である 小説の主人公を、名作『モンテ・クリスト伯』の「巌窟王」になぞらえ、「巌九十翁」と命名したのです。
 
 戸田先生の小説『人間革命』の執筆には、池田先生も携わっていました。戸田先生は折々、途中まで書いた原稿を池田先生に渡したといいます。「後は君が書いておけ。また、直したいところは、好きなように直してよい」。
 池田先生は当時を「ありがたき師の訓練」だったと振り返っています。 師弟の共戦で完成された小説 『人間革命』は、57年7月3日、 単行本として出版されます。この日、池田先生は、選挙違反という無実の罪を晴らすため、自ら大阪府警察本部に出頭し、逮捕・勾留 されました(大阪事件)。先生は、羽田の空港で師匠から贈られ た小説を抱き、権力の魔性との闘争を開始したのです。
 戸田先生の小説『人間革命』下巻には、「人間革命の真髄」と題した「あとがき」が掲載されています。その中で戸田先生は、巌さんや同志たちの経済的な蘇生のド ラマなどに触れて、「真の人間革命はまだまだこれからである」。
そして「三類の強敵と闘い抜き、三障四魔を断破して、真の大利益、人間革命の真髄を把握されんことを希望する」と記しています。
 その後の巌さん、つまり戸田先生が率いる草創の同志の”真実の闘い"を、弟子・池田先生は書き記していくことになります。
先生、戸田は命をかけて戦います。何がどうなろうと、 戸田は、どこまでも先生のお供をさせていただきます。 (小説『人間革命』第1巻「一人立つ」から)

池田先生の「人間革命」 連載:1964年~92年
学会再建に立った戸田先生

  先生!伸一は征きます。先生がおっしゃった、わが舞台である 世界の広宣流布の大道を開き続けてまいります!弟子の敢闘をご覧ください。 (小説『新・人間革命』=第29巻「源流」から)
 池田先生は小説『人間革命』第12巻「あとがき」に、こう記しています。
恩師の真実を伝える伝記を書き残すことは、私の青春時代からの誓いであった
 先生が戸田先生の小説の”続編”を記そうと思い立つたのは、 恩師の小説が新聞掲載される前、「小説を書いたよ」と原稿をポケットに入れ、うれしそうに話す師 を見た時でした。
 1954年8月 には、戸田先生と共に、恩師の故郷、北海道の厚田村(当時)を訪問。 その思いを、さらに深めます。
 執筆の決意が不動のものとなつたのは、長野軽井沢での、戸田先生との語らいの直後、57年8月14日でした。 恩師の最後の夏であり、師弟の出会いから満10周年を迎える、まさにその日。池田先生は、恩師の生涯と精神を後世に伝えゆくことを、「不二の弟子とし ての私の使命」と誓ったのです
戦争ほど、残酷なものはない」。
 池田先生が小説『人間革命』の執筆を沖縄の地で開始したのは、164年12月2日。戦争の爪痕が深く刻まれた地で、人間主義の平和の哲理を記し始めました。
 先生が「最も頭を悩ませた」と語る小説の冒頭は、「
地涌の菩薩」の使命を自覚した、戸田先生の出獄の場面から始まります。
 第1章のタイトルは「黎明」。 後年、池田先生は随筆で「『人間革命』とは、人間の、そして人類の平和と幸福の『黎明』を開きゆく闘争である」とつづっています。出獄した戸田先生の心中にともされた、広布誓願の炎こそ、まさに、新しき時代を開く人類の黎明でした。
 全12卷の小説『人間革命』は、 戸田先生が第2代会長となり、生涯の願業「75万世帯」を成し遂げ、弟子に広布のバトンを託すストリーになつています。その中で、山本伸一との出会いと、師弟不二のドラマが描かれています。
 戸田先生の小説の「巌さん」と 同じく、「山本伸一」もまた、絶体絶命の苦境の中で、師弟の道を貫きました。第4巻「秋霜」の章では、戸田先生が、事業の破綻によって学会の理事長を辞任。多くの人たちがののしり、去る中で、 伸はただ一人、戸田先生こそが永遠の人生の師であると定め、次の和歌を、恩師に贈ります。
「古の奇しき縁に仕へしを 人は変れどわれは変らじ」
 池田先生の小説『人間革命』の 執筆は、体調が優れない時にはロ述をテープに吹き込み、また時には、香峯子夫人の代筆により、続けられてきました。第10巻の連載が終了した78年8月からは約2年間、休載となり、その間、第1次 宗門事件によって、先生は79年4 月に会長を辞任。
 80年09月、第11 巻「転機」の章から再開し、その後、世界広布の本格的な展開のためにカ走を重ね、10年半にわたる休載もありましたが、92年11月、 全12卷の執筆が完結。そして93年2月11日に連載を終了します。
 当初、小説『人間革命』は、戸田先生の逝去をもって筆を置く予定でした。しかし、池田先生は、
伸一が第3代会長に就任するまでを描いた「新・黎明」の章を加えます。伸一の心に燃え上がる"弟子の一念"が、世界広布の黎明を告げたところで結んだのです。

池田先生の「新・人間革命」 連載:1993年~
池田先生の世界広布の軌跡

  「平和ほど、尊きものはない」 1993年8月6日、広島に原爆が投下されて48年に当たるこの日、恩師との思い出の地・長野の軽井沢で、池田先生は小説『新・人間革命』の執筆を始めました。
 同年10月には、八王子市に東京牧ロ記念会館が誕生。学会創立記念日の11月18日から、聖教新聞での連載がスタートしました。
 池田先生は、かつて随筆でつづっています。「弟子が師匠の誓願を受け継ぎ、その構想を実現する。広宣流布を事実のうえで伸展させる、この師弟不二という、 まことの後継の弟子の戦いを書き記さなければ、戸田先生、さらには牧口先生の本当の偉大さを宣揚することはできない」と。
 第1巻の「はじめに」では、すでに、”完結までに30巻を予定”と明記されています。それは、弟子たちが織り成す後継の遥かなる道を描き抜く、人生を懸けた闘争宣言でした。
 第1巻の冒頭は、山本伸一が、 第3代会長就任から5カ月後の3月2日、世界への第一歩を踏み出すシーンです。出発の日は、戸田先生の月命日である2日。アメリ 力、カナダ、ブラジルの3力国を歴訪する伸一の胸ポケットには、 恩師の写真が収めてありました。
 池田先生にとって、『新・人間 革命』の執筆もまた、激務に次ぐ激務の中での闘争でした。先生は 「海外の旅先で、夜更けて原稿に向かった時もあった。地方指導の旅の車中で、構想を練り上げることも珍しくなかつた」と振り返っています。
 池田先生の『人間革命』と『新・人間革命』。その共通テーマ は、「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」という哲理にあります。それこそが、「戸田先生が示された平和建設の原理」なのです。
 戸田先生の小説のペンネームが「妙悟空」だつたのに対し、池田先生は「法悟空」という名を用いています。この対比について、池田先生は『新・人間革命』第1巻の単行本の「あとがき」で、詳しく説明しています。
 もともと「妙悟空」は、『西遊記』の「孫悟空」をもじったものであり、生前、戸田先生は、「孫」には"小さなもの"の意味があり、この名は仏法で説く”空"の概念をわずかに悟ったことを表していると語りました。
 それに対し、「妙悟空」の「妙」 は”妙法"を表しており、牢獄の中で生命の本質を悟つたことを示すペンネームになつています。
 戸田先生と池田先生のペンネームを合わせると、「妙法」となります。池田先生は記しています。
「仏法では『妙』は本源、『法』 は現象。『妙』は仏界、『法』は九界」「いわば、『妙』は師、『法』 は弟子ということになる」と。
 戸田先生の『人間革命』、池田先生の『人間革命』『新・人間革命』をひもとくと、その執筆の歴史、小説の内容の全てが、金剛不壊の”師弟の物語"そのものであることが明白になります
「師弟して 人間革命 光あれ」
 この池田先生の句の精神を胸に、日々の『新・人間革命』の連載を学び深めながら、自分自身の人間革命の大叙事詩をつづり残していきましょう。

池田博正 主任副会長へのインタビュー
師の人生を "追体験" 誰もが「山本伸一」に

 池田先生は、小説『新・人間革命』第1巻の「はじめに」で、"完結までに30巻を予定"と書かれています。 ついに、その第30巻の連載が、本年の元日から始まりました。
 昨年夏、池田先生が『新・人間革命』の執筆を開始された軽井沢の長野研修道場を訪れました。研修道場には、最初の執筆の日に記された「全30冊の予定なり」との直筆原稿が展示されていました。
 当時、先生は65歳。ー般的には、"定年"を過ぎ、退職 という人生の一区切りの年齢でもあります。その時点で、 先生は全30巻での完結という壮大な目標を目指し、新たな挑戦を宣言されたのです
 前書き(「はじめに」)には、小説の執筆は「限りある 命の時間との、壮絶な闘争となる」と記されています。
 先生は、『新・人間革命』の執筆こそ、人生で果たすべき使命であると定められていると感じます。連載を待ってくれている読者、後継の弟子たちに、何を伝え残していくか。 そこに、先生の人生を懸けた戦いがあるのだと思います。

 
池田先生が小説を書いた直接的なきっかけは、戸田 先生の小説『人間革命』にあります。その意味で、池田先生の『人間革命』『新・人間 革命』は、”師弟の物語の続編"と言えるのでしょうか。
 戸田先生は、逝去の8力月前、軽井沢の地で、池田先生に語りました。「牧口先生のことは書けても、自分のことを一から十まで書き表すことなど、恥ずかしさが先に立つて、できないということだよ」と。この時、池田先生は、恩師の真実を残すために、”続編"を執筆することを固く決意されています。
 一方、『新・人間革命』 は、戸田先生の理想を、弟子山本伸一がどう実現していくかということに力点が置かれている。また、伸一と共に、世界の後継の弟子たちが、どのように戦つたかということに光を当てています。
 池田先生は『新・人間革命』の前書きで、「(戸田) 先生亡き後の広宣流布の世界への広がりこそが、恩師の本当の偉大さの証明になると考えた」と記しています。
 半世紀にわたる『人間革命』『新・人間革命』の執筆は、全国、海外各地を駆け巡る激務の中で続けられてきました。先生は、日々の連載を通して、今の同志への激励や指針を贈っています。毎日、 戦いながら書き、同志を励ましていく。先生にとって小説の執筆は、"人生の大きな 柱"だと言っても過言ではありません

 
なぜ『続・人間革命』ではなく、『新・人間革命』というタイ卜ルにされたのでしようか。
 池田先生の『人間革命』の結びは、戸田先生が逝去された後、山本伸一が創価学会の会長に就任する場面で終わります。一方、『新・人間革命』の冒頭は、伸一の会長就任から5力月後、海外初訪問のシーンから始まっています。
 これは、『新・人間革命』 が、単に歴史的事実を追うものでなく、「世界広布」を主題としているからではないでしょぅか。戸田先生から託された広宣流布の壮大な構想を、弟子がいかに実現していくか。いかに新たな時代に、人間革命の哲学と実践を展開していくか。そこに「新」と いう一字の意義があると言えるかもしれません。

創価の師弟の歴史をつづるに当たり、「小説」の形態を取つた理由とは?
 池田先生は『新・人間革命』の前書きで、「私の足跡を記せる人はいても、私の心までは描けない。私でなければわからない真実の学会の歴史がある」と書かれています。小説は、人の心を描くには、一番適した形であると思います。
 そして小説だからこそ、!! 者は、主人公の人生を「追体験」できます。
「山本伸一」は、あくまで仮名です。もちろん池田先生 の生涯そのものですが、弟子の戦いが凝縮されたモデルとも言える。つまり、誰もが 「山本伸一」として生きる可能性を持っている。「山本伸一」の人生、心の奥底を追体験し、先生の思いに自分の思 いを重ね合わせながら、共戦の道を歩むことができるのです。
 大発展するインド創価学会のメンバーの合言葉は、「アイアムシンイチ・ヤマモト(私は山本伸一だ)」で す。先生の『新・人間革命』 を読み、インド広布に一人立った伸一の思いと行動を追体験しながら、"今こそ、自分が山本伸一の精神で戦おぅ" と立ち上がっています。

 
現在の第30巻の連載は、海外でも大きな反響を呼んでいると聞いています。
 各国・地域のSGIメンバーからは、連日、連載中の 「大山」の章を、”即日で翻訳してほしい"という要望を たくさんいただいているようです。池田先生の今の思いを ”同時共有したい”というのが、海外の同志の率直な思いです。
 先生の日々の連載を、日本語でリアルタイムで学ぶことができる私たちは、求道の心 を燃やして真剣に拝していきたい。今はまさに”黄金の時"です。 (次回に続く)
                    (2017年2月1日付 創価新報)

◆二月闘争に学ぶ

 戸田城聖先生が示した「75万世帯」の願業達成へ、若き池田大作先生が広布拡大の先頭に立ち、獅子奮迅の戦いで突破口を開いた「二月闘争」から、本年で65周年
「世界広布新時代」の時を迎えた今、師弟の魂を継承し、新たな拡大の波動を世界に広げゆくのは、池田門下の青年の使命にほかならない。
 先生は若き日を振り返り、つづっている。
「わが青春の『最も栄光輝く時』は、一体、いつか。
 それは、戸田先生の事業が破綻し、学会存亡の危機にさらされたなか、一心不乱に戦い抜いた日々であった」「”まことの時”にこそ、臆することなく、師子奮迅の力で戦い抜くことだ。それが、永遠の誉れの歴史と輝く」と。ここでは、池田先生の指導を通し、後継の育年にとっての”二月闘争”について考えたい。
地涌の使命に勇み立とう

一人を励ますポイント


1 納得と共感が前進の力
2 「新しい人」から波動を
 徹して一人を励まし抜き、大切にする ― 若き池田先生 が、二月闘争の折、何よりも 重視したのは、「一人」の可能性を開くことだった。
 1952年(昭和27年) 1月、戸田先生から、蒲田支部に任命された池田先生は、戦いに臨むに当たり、支部の緊急組長会で「組2世帯の弘教」という目標を示した。
 当時の学会は、「支部 ― 地区 ― 班 ― 組」と組織体制を整備したばかり。特に、最前線の「組」には新入会の友が多かった。"「組」単位など、新しい人ばかりで信用できない"と反対する声もあったという。しかし、戸田先生の心をわが心とする池田先生は、誰よりも最前線の同志を信じ抜いていた。
 後に先生は、この時の心境を語った。
「新しい人」だからこそ、『新しい力』をもっている。それを引き出そう。 新鮮な若芽のごとく『新しい息吹』もある。それを伸ばそう ― そこに私の着眼点があった」

「組織といっても、『人』である。『組』という小さな単位に光を当てた結果、一人一人に、きめ細かな激励ができた。納得し、心から立ち上がる人が増えてきた。その『新しい波動』が 次の波動を呼び、組織全体がフレッシュに躍動してきた」
 やがて、先生の恩師を思う真剣な姿に触れた友は、一人また一人と地浦の使命に立ち、2月、蒲田支部は、壁を破る「201世帯」の弘教を成し遂げた。 さらに、勢いは全国に波及し、広宣拡大の炎が燃え広がった結果、57年(同32年)、ついに恩師の願業である「75万世帯」が達成されたのである。
「新しい力」に着目した先生の闘争。 これを私たちに引き当てていえば、広布拡大をするためには、どこまでも「一人」の可能性を信じ抜き、「目の前の 一人を全力で励ましていくことが、根本となるのは論をまたない。その上で、新たに立ち上がった友や若いメンバーが、力を存分に発揮でできるように、リーダーがこまやかに心を砕いていきたい。
 特に、情報化の進展によって、価値観が多様化した現代は、これまで以上に、「納得」と「共感」が求められている時代といえる。リーダーが「当たり前」と考えることでも、新しい友にとっては、 そうとも限らない。先輩の側には、「どう進むのか」「なぜそうするのか」を分かりやすく、丁寧に伝えていく姿勢がなくてはなるまい。
 皆が何に悩み、何を求めているのか ― 最前線の尊き一人一人が張り合いを持って広布に前進できるよう、リーダーは徹して「一人」に寄り添い、励ましを重ねたい。何より、自らの率先の姿が、 納得と共感の触発を生んでいく。その中からこそ、新時代の拡大の息吹は生まれるのではないだろうか。

師弟不二の実践
ポイント

3 師のためにとの一念で
4 広布の大願に立つこと
 24歳の池田先生は師子吼した。
戸田先生の指導があって、今の私たちがあります。ご恩 返しをするには、広宣流布の戦いしかな い。戸田先生の52回目の誕生の月を、なんとしても歴史的金字塔で荘厳しましょう!」
 ”師のために"と燃え立つ青年の決定した一念によって、歴史的な戦いの火ぶたが勢いよく切られたのである。
 池田先生は、「戸田先生!戸田先生!」と叫び抜き、自らが範となって戦い、師弟の精神を支部の隅々にまで、みなぎらせていった。
 その熱意が、共戦の同志の心を打ったことは言うまでもない。
 やがて、師弟に徹する一念を根幹として、蒲田支部に固い団結が生まれた。師を思う心から、困難に挑む勇気が湧き、 壁を破りゆくカが出た。
 同志の歓喜のうねりは次第に高まり、 ついに蒲田支部は、不可能とも思われた弘教拡大の目標を達成し、圧倒的な勝利の金字塔を打ち立てたのである。
 先生はつづっている。
「『師弟不二ならば、一切を勝利できる』― これが、仏法の要締であり、 学会の真髄である。『師と共に』戦うから、小さな自分の殻を破れる。『師のために』戦うから、本当の底力が出せる。『師弟不二』なればこそ、いかなる 苦難も恐れず、生命の最極の軌道を進める」
 若き弟子の手によって成し遂げられた未聞の拡大。それは、「師と共に」「師のために」との”弟子の誓い"こそが、学会にとって、永遠に勝利の方程式となると、後世に
示すことになった。
 翻って、今日の世界広布の基盤は、池田先生の不惜身命の闘争によって築かれた。すなわち、先生の指導・激励があって、今の私たちがあるのだ。このことを確信し、「必ず師匠の期待に応えよう」 と誓い、不可能を可能にしていきたい。
 そして、この「師弟不二」の精神を次代に継承していくことが、青年部の大きな使命である。
 新しく立ち上がった友の多くは、身近な学会の先輩の姿を通して「師匠」を学ぶ。だからこそ、自分自身がどこまでも師匠を求め、師の心をわが心として戦いを起こすことだ。そして、「自分の師弟の原点」を、ありのまま語っていく。その姿勢、率先の振る舞いが、何より重要ではないだろうか。
「池田先生!池田先生!」と叫びながら、地道な実践を積み重ねていくことが、「学会の永遠性の確立」につながる 大きな一歩となる。さあ師と共に、「私の二月闘争」を!
(2017年2月1日付 創価新報)

【信仰体験】

◆世界の体験プラザ〉 イギリスSGI ポール・フィッツシモンズさん
北アイルランドの平和と繁栄のために
紛争に振り回された人生から再起


フィッツシモンズさんと妻のオケインさんがベルファスト市庁舎の前で。夫妻で「北アイルランド本部」の本部長を務めている
 1950年、イギリスSGIのポール・フィッツシモンズさんは、北アイルランドの首府ベルファストに生を受けた。

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