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2017年2月18日 (土)

2017年2月18日(土)の聖教

2017年2月18日(土)の聖教

◆わが友に贈る


今日の課題に勝て!
今日の自分に勝て!
この信心即生活の
たゆみなき挑戦の中に
偉大な未来は築かれる!

◆名字の言


  きょうは二十四節気の一つである「雨水」。空から降るものが雨に変わり、雪や氷が解け始める時季とされる▼今年、大雪に見舞われた友が語っていた。「雪の解け始める頃に一番、日差しのありがたさを感じます」。どんなにかたく冷たい雪も、太陽の光が解かし、躍動の春をもたらす▼群馬の山間地で育った婦人部員。小学6年の時、骨肉腫を発症した。入院先では一緒に遊んでいた同じ病気の友達が、突然亡くなる日常。自身も骨を切る手術や抗がん剤治療で脱毛・発熱・吐き気に苦しんだ。生きる希望を奪われそうだった▼ある日、池田先生から真心の伝言が届いた。自分のことを祈り、見守ってくれる師匠がいる――凍えていた心が温かくなった。院内学級の担任の励ましも心の支えになった。治療に前向きに取り組み、無事退院。その後、創価大学へ進み教師を志す。「院内学級の先生が創大出身でした。池田先生の“あなたが自分で自分を見捨てても、私は見捨てない”という言葉を胸に子どもたちを励ましていたと聞き、私もそんな教師になりたいと思いました」。現在、発達障がい児の教育に情熱を注ぐ▼厳しい嵐の時も雲上には太陽が輝き、やがて大地に慈愛の光を注ぐ。そんな太陽のような人のいる人生は幸福である。(江)

◆〈寸鉄〉 2017年2月18日

 新・人間革命の連載、6千
 回に。師の激闘に深謝。正
 義の言論戦に青年よ続け
      ◇
 「九州壮年部の日」。先駆
 の天地に輝く不滅の人材
 城。拡大の最高峰に挑め
      ◇
 御聖訓「蓮華とは因果の
 二法なり是又因果一体な
 り」。決めて祈れば道開く
      ◇
 歯磨き中の子供の喉突き
 事故が多発。3歳以下が
 突出。親は目を離さずに
      ◇
 がん10年生存率が改善。
 幸齢社会へ“生き方”問わ
 れる時代。充実の日々を

◆小説『新・人間革命』第30巻 大山の章   四十 2017年2月18日
 法悟空 内田健一郎 画 (6000)
 

 山本伸一の会長辞任は、あまりにも突然の発表であり、県長会参加者は戸惑いを隠せなかった。皆、“山本先生は宗門の学会攻撃を収めるために、一切の責任を背負って辞任された”と思った。だから、十条潔から“勇退”と聞かされても、納得しかねるのだ。
 宗門との問題が、会長辞任の引き金になったことは紛れもない事実である。しかし、伸一には、未来への布石のためという強い思いがあった。
 十条の額には汗が滲んでいた。彼は、皆の表情から、まだ釈然としていないことを感じ取ると、一段と大きな声で、「山本先生は、ご自身が勇退される理由について、次のように語っておられます」と言い、伸一の話を記したメモを読み上げた。
 「第一の理由――十九年という長い会長在任期間のため、体の限界も感じている。したがって学会の恒久的な安定を考え、まだ自分が健康でいる間にバトンタッチしたい。牧口・戸田門下生も重鎮としており、青年の人材も陸続と育っている今こそ好機である。
 第二の理由――一九七〇年(昭和四十五年)以来の懸案としてきた、社会と時代の要請に応える学会の制度・機構の改革も着々と具体化した。それを踏まえた会則も、このほど制定される運びとなった。次代へ向け、協議し合って進みゆく体制も整った。会の運営を安心して託せる展望ができた。
 第三の理由――近年、仏法を基調とした平和と文化・教育の推進に力を注いできた。この活動は、今後、日本、世界のために、さらに推進し、道を開いていかなくてはならないと感じている。また、一緒に歴史を創り、活躍してくださった全国の功労者宅への訪問や、多くの執筆等も進めていきたい。それには、どうしても時間を必要とする。
 以上が、山本先生の会長勇退の理由です」
 人も、社会も、大自然も、すべては変化する。その変化を、大いなる前進、向上の跳躍台とし、希望の挑戦を開始していく力が信心であり、創価の精神である。

【聖教ニュース】

◆インド・ラダクリシュナン博士と池田先生の対談集 タミル語版の出版発表会
 「非暴力思想を現代に蘇らせた」(翻訳者)

ガンジーの精神を世界へ、未来へ――出版発表会の来賓らが対談集を手に記念のカメラに
ガンジーの精神を世界へ、未来へ――出版発表会の来賓らが対談集を手に記念のカメラに

 非暴力の思想を社会の根底に――インド・ガンジー研究評議会議長を務めるN・ラダクリシュナン博士と池田大作先生の対談集『人道の世紀へ――ガンジーとインドの哲学を語る』のタミル語版が完成した。その出版発表会が7日、南インドのマドゥライ社会科学院で行われ、ラダクリシュナン博士、同学院のラージャ議長、創価池田女子大学のクマナン議長をはじめ、来賓・学生など約500人が出席した。
 「この書籍は、世界にガンジーの思想をとどめゆく、非常に重要な一書になることは間違いありません」
 出版発表会の冒頭、あいさつに立ったマドゥライ社会科学院のラージャ議長が熱を込めて語った。
 対談集『人道の世紀へ――ガンジーとインドの哲学を語る』は、ガンジーの高弟であったG・ラマチャンドランに師事したラダクリシュナン博士と、池田先生が、1986年9月の初会見以来、幾度も重ねてきた対談等を結実させたもの。
 釈尊やアショカ大王の時代から、マハトマ・ガンジーへと受け継がれてきた“非暴力の精神”こそ、現代の諸課題を解決する希望となると洞察し、「対話」の重要性を強調。さらに教育や人権などについて縦横に語り合っている。
 池田先生は対談の中で訴えた。「対話のもたらす相互作用は、さらに社会を変革し、発展させゆく、計り知れない力とエネルギーを生んでいく」と。
 発表会の席上、ラダクリシュナン博士は池田先生との語らいを述懐。「悪を憎むのではなく、善へと転換しゆく変毒為薬の思想が、今、どれほど必要とされていることか。池田博士は、あらゆる分野の変革を自身の心の内に見いだす日蓮仏法の体現者であり、“現代のガンジー”と言っても過言ではありません」と力説した。
 また、タミル語翻訳に携わったP・アーナンディ博士は、「平和を誰よりも希求したガンジーの思想が忘れ去られようとしている昨今、対談を通じて2人の博士が、その哲学を現代に蘇らせました。宗教や民族などの差異を超え、調和に満ちた社会建設には、『対話』が最も重要だということを読者に伝えたい」と述べた。
 これまで中国語や英語、マラヤラム語に翻訳されてきた同対談集。話者人口が7千万人を超えるタミル語版の発刊により、さらに多くの人々に、非暴力の精神を伝える貴重な一書となろう。

【先生のメッセージ・特集記事】   
                        

◆〈小説「新・人間革命」連載6000回特集〉   生命の限り書き続ける
  

 池田先生が「法悟空」のペンネームでつづる小説『新・人間革命』が、本日付の「大山」40で連載6000回を迎えた。第30巻に入った大長編は、人類の未来を開く希望の大叙事詩である。2面では、「『新・人間革命』と私」とのテーマで代表の友の声を紹介。3面では、「『新・人間革命』とその時代」と題し、執筆時の時代状況を振り返りつつ、渾身のペンの闘争をたどる。

「新・人間革命」と私


★主任副会長・総九州長 山本武
 池田先生は、いわゆる“小説家”ではない。『新・人間革命』は、世界広宣流布の指揮を執る中での執筆である。その激闘は、余人の想像を絶する。
 79回を数える九州指導の中でも、激闘の間隙を縫って口述したテープを、東京に送られたことがあった。誰もが後々の随筆で初めて知ったことだ。
 「文章はペンで書くものではなく、命の筆先に血をつけて描く」(川端康成『新文章読本』)と。だが、先生の執筆は、文豪の思惟の範疇を超える。
 卒寿を前にした今日なお続く、『新・人間革命』の執筆。永遠の師匠である牧口先生、戸田先生、池田先生の「創価三代の師弟の真実」を記し残してくださっている。
 広宣流布という未聞の革命。三障四魔、三類の強敵に立ち向かい、尊い地涌の菩薩を守り抜く――その深慮は先生にしか分からない。私たちが心して学ぶべきは、その先生の心にこそあると思う。
 忘れられないのは、1980年(昭和55年)8月10日、2年間にわたって休載を余儀なくされていた『人間革命』の第11巻が開始された日だ。早朝、自宅に届いた新聞を、あの時ほど焦がれる思いで開いたことはない。
 当日の新聞には、題字下に小さく「小説『人間革命』第11巻 きょうから連載」とあるだけだった。しかし、私たちの心には、その活字が何倍にも大きく映った。
 当時、私は大分県にいた。宗門事件の嵐が吹き荒れていた。休載中に、先生が第3代会長を辞任。厚い暗雲に覆われ、広布の視界は闇だった。
 その日から皆で『人間革命』を読み合った。脱会者が出た地区でも、同様だった。
 どこまでも弟子を思う先生の深い心に涙した。やがて反転攻勢の大波が、日本全土を包んでいった。
 広宣流布は、仏と魔との間断なき闘争である。魔の狙いは永遠に一つ。「師弟の分断」である。
 今、「大山」の章を学ぶ中で、先生がどれほどの思いをもって、永遠なる創価の未来を切り開いてこられたかを知り、粛然と襟を正す。
 私たちは『人間革命』『新・人間革命』を何度も何度も読み深め、師の心を常に自らの指標にしていかねばならないと、自らに問うしかない。
 宿命転換の信心の姿勢、目指すべき広布のリーダー像、勝利への指揮の執り方、組織発展の方程式、世界広布の方軌――一切が『人間革命』『新・人間革命』にある。
 「根深ければ枝繁し」。今を生きる私たち一人一人の弟子の生きざまが、その地の師弟の精神の伝統をつくる。先生と共に、総仕上げの時を生きる私たちの使命と責任と福運は、限りなく大きい。
 九州は3年前から「人間革命池田塾」と銘打ち、月ごとに巻を定め、研さんを重ねてきた。これまで『人間革命』全12巻、そして『新・人間革命』は11巻までを学んできた。
 うれしいのは、研さんを通し、新しい人材が目覚ましく成長していることである。  “先生からの金文字の手紙”を、人生と広布の現場で戦いながら学び、師の精神を鑑に、自らの人間革命に挑戦することを誓うのみである。
 「石に金をかへ糞に米をかうる」(御書910ページ)との思いで――。

★第2総東京婦人部長 橋口美雪

 『新・人間革命』連載6000回の大偉業に、尽きせぬ感謝の思いでいっぱいです。池田先生は人知れず、構想を練られ、1993年(平成5年)8月6日に長野の地で執筆を開始されました。その「時」「場所」は、先生の深いお考えのもとにあり、戸田先生を常に胸中に抱かれながらの闘争であったことに心が震えます。
 また、この年は、八王子市に東京牧口記念会館が完成した年でもありました。先生は、同会館を“本陣”として各国の要人らとの対話を展開されるなど、世界広布の指揮を執られ、その大激闘の中で『新・人間革命』を執筆くださっていたことは、第2総東京の誇りです。
 第28巻「広宣譜」の章では78年(昭和53年)、山本伸一が各部や方面・県などに、次々に学会歌を作る場面が描かれています。
 その頃、私は創価女子高校(現・関西創価高校)の1年生でした。新たな歌の譜面が聖教新聞に掲載されるたびに、うれしくて全国から集った高等部の仲間と歌いました。
 当時、学会を取り巻く状況など知る由もなく、あらためて、一つ一つの歌に込められた先生の万感の思いに胸が熱くなりました。
 「大道」の章では、東京の歌「ああ感激の同志あり」の意義をつづってくださっています。東京への期待に触れ、日々「感激」の命で前進を誓いました。
 そして現在、連載中の「大山」の章。79年(同54年)、先生がどれほど命を削り、学会を守り、同志を守り、今日の世界広布の大潮流を起こしてこられたことか。当時、先生は立川文化会館を反転攻勢の闘争の舞台とされ、壮絶な攻防戦の真っただ中にありながら、会館を訪れた同志を直接、激励してくださいました。その日々は、弟子として申し訳なくも、宝の歴史です。
 第2総東京婦人部・女子部では15年ほど前から『新・人間革命』を学び合う「コスモス平和大学校」を開講しています。
 受講生はのべ15万人を数え、そのうち1割以上が友人です。今や地域に根付いた運動として広く親しまれています。友人からは、次のような感想が寄せられています。
 「小説のタイトルの通り、より良い人生を生きるための教科書、手引きです」「小説を読む中で、学会の真実の歴史を知り、たくさんの方の苦労や努力によって今日の学会が築き上げられたことに驚きを隠せません」「コスモス平和大学校は、人間革命号という大型客船に乗って、時間を超え、哲学・真理・人生を学ぶ世界旅のようです」
 社会に希望の光を送り、世界を分断から調和へと導くメッセージ、励ましの力で一人の友が蘇生しゆく宿命転換のドラマ、そして私たちが幸せになるために「どう生きるべきか」を示す指針――先生が『新・人間革命』でつづられる言々句々が会員のみならず、どれほど、多くの読者の心を照らしているか計り知れません。
 私自身、学会の永遠性を確立する今この時に『新・人間革命』を真剣に学び、“先生なら、どうされるか”と常に師と対話する思いで、弟子の道を貫き、“東京凱歌の年”を勝ち開いていきます。

★インド男子部長 ゴーラブ・サブー 

 19歳の私は、貧困や不平等を解決する道を探し求めていました。
 ある時、大学の友人が持つ本が目に入りました。タイトルは『人間革命』。「読ませてほしい」と言うと、彼は「これはメンバーのためのものだ」と。
 インド創価学会(BSG)に入会し、私の新たな人生が始まりました。小説『人間革命』を初めて開いた日、本を閉じることができずに朝を迎えたことを覚えています。バスや電車でも、食事の時さえも手放さず、一気に読みました。  “一人の人間における偉大な人間革命は、全人類の宿命の転換をも可能にする”――この哲学を知り、私の疑問は晴れました。
 以来、15年がたちます。『人間革命』を学び抜き、“池田大学”の一員として人生の確信をつかんだことが、私の最大の誇りです。
 『新・人間革命』第3巻には、1961年2月、池田先生がインドのブッダガヤで“出でよ! 幾万、幾十万の山本伸一よ”と願われた場面が描かれています。私たちBSGにとって「山本伸一」は、広布の全責任を担い立つことを意味します。
 最も重要なのは、伸一が常に師を心にとどめ、師に喜びをもたらし、師の期待に応えようとすることです。今日、BSG青年部は、「私は山本伸一だ!」と皆が誇らしく宣言します。これが、私たちの先生への誓いです。
 2015年、私は『人間革命』第11巻「大阪」の章を根本に戦いを起こしました。その結果、55人の地区の座談会に、111人の友人が参加。それが波動となって、多くの地区が座談会に100人以上の友人を誘うことができました。
 BSGは同年8月に10万の連帯を実現し、「11・18」には11万1111人に拡大。そして昨年、二月闘争を研さんする中で、15万5000人の地涌のスクラムを築くことができたのです。
 池田先生は89歳の今も、執筆を通し、一人一人に手を差し伸べてくださっています。先生のお心を知るには、『人間革命』を学ぶ以外にありません。
 毎週、地区ごとに研さんの集いを実施。携帯やタブレットで『人間革命』を学ぶ青年部も多くいます。『人間革命』を持ち歩くことが、先生と一緒にいるということなのです。
 『新・人間革命』第5巻「勝利」の章に、「国に十万の国士あらば、苦悩の民衆を救いうること、火を見るよりも明らかである」とあります。師の構想を実現された先生のごとく、本年、BSG青年部は「10万の青年の連帯」という金字塔を打ち立てます。

〈小説「新・人間革命」連載6000回特集〉
 「新・人間革命」とその時代
   
13言語に翻訳された『新・人間革命』の一部。無限の「生命の力」の開拓が、世界を「平和の世紀」へと転じゆく――人間革命の哲学を、世界の民衆が学ぶ
13言語に翻訳された『新・人間革命』の一部。無限の「生命の力」の開拓が、世界を「平和の世紀」へと転じゆく――人間革命の哲学を、世界の民衆が学ぶ

 「真実の師弟の道を示し、人類の幸福と平和のために、広宣流布の流れを永遠ならしめたい。
 そして、その原動力たる創価学会を恒久化する方程式を明確に残さんと、今日も私はペンを執り続けている」
 池田先生は、日々、『新・人間革命』をつづる真情をそう語ったことがある。
 1993年(平成5年)8月6日、「広島原爆の日」に、恩師との思い出深き長野の地で執筆は始まった。同日、会見していたのがインド・ガンジー記念館のラダクリシュナン館長(当時)である。
 この時、池田先生は65歳。連載に当たって、「はじめに」で、こう述べている。
 「完結までに三十巻を予定している。その執筆は、限りある命の時間との、壮絶な闘争となるにちがいない」。そして、「まだまだ若い」と。
 同年11月18日に新聞連載が開始され、短期の休載を除いて、足かけ25年にわたってペンの闘争は続く。
 池田先生は記した。
 「できることなら、全同志の皆さま、お一人お一人にあてて、感謝と励ましの手紙を差し上げたい。しかし、身は一つである。そこで、毎日、手紙をつづる思いで、小説『新・人間革命』の執筆に取り組んでいる」
 真実の師弟の道を永遠に刻み残すとともに、同時代を生きる庶民に、平和と人生勝利の指針を贈る。
 そこに、新聞連載の意義があろう。

1993年8月6日に執筆開始

★混沌とする冷戦後の世界へ 仏法ヒューマニズムの光を送る

 
 『新・人間革命』第1巻は、60年(昭和35年)10月2日、山本伸一が初の海外歴訪に旅立つ情景から始まる。
 「はじめに」には、こうある。
 「日蓮大聖人の仏法のヒューマニズムの光をもって世界を包み、新たなる人類の歴史を開く創価ルネサンスの民衆の凱歌の姿を描くことになる」
 執筆が開始された93年は、宗門の鉄鎖を断った「魂の独立」から2年。同志は、新たな世界広布の道標を求めていた。
 冷戦後の当時は、イスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)の和平協定(93年9月)、欧州連合の発足(同年11月)などの平和と統合への動きと、ボスニア紛争、ルワンダ虐殺などの戦乱と分断の動きが相半ばしていた。新たな時代哲学への渇仰は、人類全体もまた同じであった。
 池田先生は、執筆開始の翌9月に訪米し、ハーバード大学で「21世紀文明と大乗仏教」と題し、2度目の講演を行ってもいる。
 世界を縦横に巡り、指導者、識者と文明間の対話を繰り広げつつ、『新・人間革命』のペンを握り、世界平和の基をなす、仏教の慈悲と寛容の哲学を発信していくのである。

2001年 対話こそ人間結合の力

★9月11日 米同時多発テロ
★10月11日から文明間対話を描く(第12巻)

 
 2001年(平成13年)9月11日、アメリカで同時多発テロ事件が起こった時、『新・人間革命』は、第12巻「天舞」の章を連載中であった。
 暴力の連鎖に懸念が強まる中、同章では、10月11日付から、欧州統合の父クーデンホーフ・カレルギー伯爵との文明間対話(1967年〈昭和42年〉)を描いていった。
 「対話には、人間と人間を結び合う、結合の力がある」「人間の幸福、救済をめざす思想、宗教には、本来、人間を尊重するという共通項があります。それがある限り、必ず通じ合い、共感し合うはずであり、相互理解は可能であると思います」
 「現代社会の不幸の元凶は、人間生命が尊厳なる存在であるという、本源的な考えが欠如していることだ」
 アメリカSGIのストラウス理事長は語る。「先生は同じ第12巻(『新緑』の章)で、ニューヨーク訪問の模様を紹介してくださっていました。私たちはあの惨事の後、日々、小説の一節一節を読み返しながら、新たな平和と広布の建設へ進んでいったのです」
 同国SGIでは現在、壮年部や婦人部の人材グループ等で、小説を学び合っている。
2011年 新生の春を告げよう!

★3月11日 東日本大震災
★9月1日から「福光」の章(第25巻)

 
 「春を告げよう! 新生の春を告げよう!」――2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災から半年。第25巻「福光」の章は9月1日付から始まった。
 「冒頭の詩の一節が目に飛び込んだ時、身震いするほどの感動を覚えました」と盛島東北長が語る。「復興の指標として、心のど真ん中に据えたのが『福光』の章です」
 津波で4人の子を失った宮城・女川町の婦人部の友は、「福光」の章から、小説をノートに書き写し続けた。すると「心に少しずつ光が差し込んだ」。
 写し続ける中、ある言葉に出あう。「生きて信心に励める人には、他界した法友の志を受け継ぎ、戦う使命がある。それが故人への最高の回向となるのだ」(第26巻「厚田」の章)。題目で子らとつながっていることを確信できたという。
 福島では冒頭の詩の暗唱運動が青年部を中心に始まり、この詩とともに、苦難を越えてきた。福島文化会館には、詩の銘板がある。
 また同県の壮年部「正義大学校」、婦人部・女子部「うつくしま人間革命大学校」、青森の壮年部「勇将会」、婦人部・女子部「人材の森大学校」など、東北各地に小説研さんの波が広がる。

新聞連載回数で日本一

★「人間革命」と合わせ7509回

  
 小説『新・人間革命』は日本の新聞小説史上、最多の連載回数を更新し続けている。2011年11月3日付で連載は4726回となり、山岡荘八氏の『徳川家康』の4725回(余話も含む)を超え、日本一に。
 連載は、1509回にわたる小説『人間革命』と合わせると、きょうで7509回になる。
 『新・人間革命』第1巻の「あとがき」に池田先生はつづっている。「生命の続く限り、私は書き続ける。正しい仏法とは何か。正しい人生とは何か。そして、何が歴史の『真実』か。人間にとって『正義』の戦いとは何かを。そこに、人類の未来を開く、一筋の道があるからだ」

23カ国地域・13言語で出版

★世界が学ぶ 幸福への指針

 
 小説『新・人間革命』は、各国語に翻訳、出版されている。
 初の外国語版は1995年(平成7年)1月、アメリカで発刊された、第1巻の英語版である。以来、スペイン語、デンマーク語、韓国語、インドネシア語、イタリア語など13言語、23カ国・地域で出版。本年1月15日には、同書の中国語版(繁体字)第27巻が新たに発刊された。
 「『真実』を明確に書き残すことが、未来の人びとの明鏡となる。真実は、語らなければ残らない」。この思いで池田先生がつづる同書は、世界の友に幸福への指針を贈り、世界広布の方途を示し続けている。

朗読ラジオ番組は12年間

★励ましの声は電波に乗って

 
 小説『新・人間革命』は、朗読ラジオ番組として、2003年(平成15年)4月から15年(同27年)3月まで、文化放送をキー局に、全国ネットで3123回にわたって放送された。
 朗読を担当したのは、声優の小野田英一さんと沢田敏子さん。「歴史に残る最高の朗読番組を」との思いを込めた声に、多くの反響が寄せられてきた。
 なお、ラジオ放送とは異なるが、聖教新聞社の公式ホームページ「SEIKYO
online(セイキョウオンライン)」では、「音声配信サービス」で『新・人間革命』の音声ファイルをダウンロードして聴くことができる。

◆〈教学〉 2月度「御書講義」の参考 佐渡御書 
御書全集 957ページ7行目~12行目
編年体御書 472ページ3行目~8行目

一切の障魔を打ち破る弟子に!                      
 2月度の「御書講義」では「佐渡御書」を学びます。拝読範囲は「畜生の心は弱きをおどし強きをおそる~千経・万論を習学すれども時機に相違すれば叶う可らず」(御書全集957ページ7行目~12行目、編年体御書472ページ3行目~8行目)です。ここでは、拝読の参考として、本抄の背景と大意、また、拝読範囲の理解を深める解説を掲載します。

背景


 本抄は、文永9年(1272年)3月、日蓮大聖人が51歳の時、流罪地の佐渡から門下一同に与えられたお手紙です。
 前年の「竜の口の法難」以降、迫害の手は大聖人だけでなく門下にも及び、弟子たちは投獄・所領没収などに処されました。その中で、「大聖人が法華経の行者であるなら、なぜ大難に遭うのか」等の疑念を抱き、厳しい迫害を恐れて退転する者が続出したのです。
 難に動揺する弟子たちを案じられた大聖人は、文永9年2月、御自身が末法の御本仏であることを示された「開目抄」を門下一同に送っています。
 この2月には「二月騒動(北条一族の内乱)」が起きましたが、これは「立正安国論」で予言された「自界叛逆難」の的中を意味します。「佐渡御書」は、その知らせを受けて著されたものであり、本抄は「開目抄」の趣旨を要約して示された御抄とも拝されます。

大意


 本抄では、人間にとって無上の宝である生命を仏法にささげれば、必ず仏になれると教えられ、その実践は時代によって異なることを示されます。
 中でも、悪王と悪僧が結託して、正法の行者を迫害する末法においては、「師子王の心」で悪と戦い抜く人が必ず仏になる、と述べられています。
 また、自界叛逆難の的中という厳然たる事実から、大聖人こそ日本の人々にとって「主師親の三徳」を具えた存在であり、大聖人を迫害する者が滅亡の報いを受けるのは、法華経の経文に照らして明らかであると断言されています。
 さらに、御自身の法難の意味を洞察され、法難を受けることによって、過去世からの罪業を滅することができるという、宿命転換の原理を示されます。
 そして、大聖人に対する退転者の、愚かな批判を一蹴されるとともに、彼らが念仏者よりも長く無間地獄に堕ちると弟子を厳しく戒められ、本抄を結ばれています。

不惜身命
 一人立つ信心が成仏の要諦

 「佐渡御書」の冒頭部分は、「世間に人の恐るる者は火炎の中と刀剣の影と此身の死するとなるべし」(御書956ページ)との一節から始まっています。死を恐れ、命を惜しむのは、生きる者の常です。だからこそ、かけがえのない自分の命を、人生でどのように使うかが重要になってきます。
 日蓮大聖人は本抄の前段で、法華経薬王品の一節を挙げられ、「この大宇宙に敷き詰められるほど多くの財宝を供養するよりも、手の小指を法華経に供養することには及ばない」と述べられています。すなわち、身命を仏法にささげることが、どれほど素晴らしいことなのかを示されているのです。
 さらに、釈尊の過去世の姿である雪山童子や楽法梵志が、仏法のために大切な自身の身命をささげたことを通して、不惜身命こそが仏道修行を成就させる成仏の肝要であると仰せです。
 ここでいう「不惜身命」とは、決して命を粗末にすることではありません。全生命を懸ける覚悟で真剣に信心に励んでいくことです。
 大聖人は「世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事難し故に仏になる人もなかるべし」(同ページ)と、「世間の浅き事」のために自分の身を滅ぼすのではなく、「大事の仏法」のために身命をささげてこそ、仏になることができると強調されています。
 池田先生は、「私たちにとって『不惜身命』とは、恐れなく南無妙法蓮華経を唱え抜くことであり、世界のため、未来のため、人々のために、懸命に信心の実証を示しきっていくこと」と、つづられています。
 大聖人は「佐渡御書」を通して、所領没収や投獄、追放などの難を恐れる門下たちに、「今こそ成仏のチャンスである」と、不惜身命の覚悟を促されているのです。
師子王の心 「三類の強敵」に敢然と挑む
 本抄の御執筆当時、大聖人を見下す諸宗の僧たちが権力者と結託して、大聖人を亡き者にしようとしました。
 その中にあって大聖人は、法華経に説かれる通りの「三類の強敵」との闘争に敢然と挑み、乗り越えて、末法の御本仏としての御境涯を示されました。
 そのことについて拝読御文では、「畜生の心は弱きをおどし強きをおそる当世の学者等は畜生の如し智者の弱きをあなづり王法の邪をおそる諛臣と申すは是なり」(御書957ページ)と仰せです。
 「諛臣」とは、こびへつらう臣下の意味です。大聖人は、政治権力を恐れてこびへつらい、また、物事の道理に暗いために「正義」の人を侮る、諸宗の僧や迫害者たちの本質を、「畜生の心」と破折されています。
 大聖人が、どこまでも大切にされたのは「法」でした。本抄では、御自身の不惜身命の実践を支える根本精神について、“正法を惜しむ心が強盛だからである”と仰せです。
 また、拝読御文で「悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして」(同ページ)とあるように、邪悪の勢力は結託して正義の人を弾圧します。大聖人も、平左衛門尉頼綱らの政治権力と極楽寺良観ら悪僧の結託によって、命にも及ぶ迫害を受けましたが、全てを勝ち越えられました。それは「師子王の如くなる心」(同ページ)があったからである、と仰せです。
 「師子王の如くなる心」とは、百獣の王・獅子のように、何ものをも恐れず、どんな状況にも常に全力で挑んでいく「勇気の心」と拝されます。
 悪の結託による迫害の時に、「師子王の心」で立ち上がり、戦い抜く人は必ず仏になると、大聖人は断言されています。
 そして「例せば日蓮が如し」(同ページ)と仰せになり、“師が一切の魔性を打ち破ったように、弟子も「師子王の心」を取り出して、魔を打ち破れ!”“師と同じ心で戦え!”と呼び掛けられているのです。
摂受・折伏 時機に適った実践こそ重要
 拝読御文の最後の部分で大聖人は、「正法は一字・一句なれども時機に叶いぬれば必ず得道なるべし千経・万論を習学すれども時機に相違すれば叶う可らず」(御書957ページ)と仰せです。
 どこまでも時に適った実践こそ成仏の要諦であり、いかに、膨大な経典や書物を読んでも、時に適った実践がなければ成仏はかなわないと教えられています。
 このように本抄では、一貫して「時に適った実践」の重要性が強調されています。
 御文の前段で大聖人は、「仏法は摂受・折伏時によるべし」(同ページ)とも仰せです。「摂受」は、人々の機根に合わせて法を説いていくことであり、「折伏」は、極理の南無妙法蓮華経を説き切っていくことです。
 末法では、折伏こそ時に適った実践です。大聖人は、末法において法華経を流布すれば、釈尊在世よりも激しい怨嫉(=敵対、反発)が起こり、大難が競い起こることを教えられています。
 しかしながら当時、大聖人の門下の中にも、正義ゆえに大難が競い起こることを、受け止められない者がいました。師匠である大聖人が、竜の口の法難、佐渡流罪と、命に及ぶ大難に遭うと、恐れと、師匠への不信を抱くようになっていったのです。
 彼らは、「日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし我等はやはらかに法華経を弘むべし」(同961ページ)と言いだしました。
 大聖人はこうした退転の心に覆われた門下を、「蛍火が太陽や月を笑い、蟻塚が華山を見下し、井戸や川が大河や海を侮り、鵲が鸞鳳を笑うようなものである」(同ページ、通解)と、悠然と見下ろされています。
 創価三代の師弟は、この大聖人の精神を受け継ぎ、広宣流布にまい進。一切の大難を勝ち越え、厳然と正義の旗を打ち立てました。学会は永遠に「折伏の団体」であり、声も惜しまず、自他共の幸福を広げる対話に率先しているのです。                                                       

【信仰体験】

◆〈信仰体験 母ありて〉

 夜が明けきらない山あいの静けさに、雪を踏みしめる音がする。氷点下の厳寒にも、藤井文子さん=西木支部、支部副婦人部長=は手袋をはめないで、聖教新聞を大切に抱える――。


◆〈信仰体験〉
 児童発達支援事業所を開設 
 【札幌市清田区】「○○君の良いところは?」。本村千惠美さん(53)=東平岡支部、地区副婦人部長=の問い掛けに、子どもたちが次々と答える。「絵を描くのが上手」――。
 

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