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2017年2月26日 (日)

2017年2月26日(日)の聖教

2017年2月26日(日)の聖教

◆わが友に贈る


勇気を出せば
一切が楽しくなる!
全てに勝っていける!
題目を唱え抜き
勇猛精進の日々を!

◆名字の言


   災害時に備える意味もあって、試しに職場から自宅まで、都内を歩いたことがある。全行程は15キロ。3時間半くらいだろうと予想し、地図を片手に意気揚々と出発した▼だが、実際はそう簡単にはいかない。道に迷っては引き返すという繰り返し。諦めて幹線道路を歩くと、車の排気ガスで鼻や喉が痛くなる。だらだらとした坂の連続で、やがて足も限界に▼一方で、新しい発見もあった。不意に開ける素晴らしい眺望。電車でしか行ったことのない駅同士が、実はそれほど離れていないこと。「点」でしかなかった場所がつながってくる。頭の中の地図が、立体的に立ち上がる。所要時間は予定よりかかったものの、収穫は大きかった▼万事、やってみなければ分からないことは多い。もちろん、事前にさまざま考えることも大切だ。しかし、それで全てが分かるわけではない。実際に体を動かせば、心も大きく動きだし、新しい出会いや気付きが生まれる▼初代会長の牧口先生は青年に言った。「勇猛精進し給え! 仏法は実行だよ。精進だよ。老齢にはなったが、私も実践しています」。学会にはこの「行動第一」の伝統が生き生きと脈打っている。さあ自他共の勝利の春へ、わが心の扉を大きく開き、友好対話に打って出よう。(起)

◆〈寸鉄〉 2017年2月26日
 

 一つの声が世界を変える
 という力を学会は示した
 ―博士。混迷の時代の光
      ◇
 苦手な人と関わる中で人
 は自制し、成長し、発展―
 文豪。異体同心で勝利へ
      ◇
 「地にたうれたる人は・か
 へりて地よりをく」御書。
 苦難の嵐こそ飛躍の好機
      ◇
 忘恩から人生も社会も乱
 れが生ずる―戸田先生。
 知恩報恩の大道を勇んで
      ◇
 覚醒剤押収量が過去最多
 と。奪命の薬物で未来壊
 すな。皆の手で断固根絶

◆社説  「SGI提言」に学ぶ   分断の濁流押し返す平和の文化


 池田先生が1月26日に発表した「SGIの日」記念提言が、大きな反響を呼んでいる。  今回の提言の特徴は、青年の使命と役割に大きな焦点を当てた点だ。
 核兵器の拡散や難民の増大、貧富の差の拡大、そして社会の分断の深刻化――世界は多くの難題に直面している。欧米などの先進国でも、移民や難民への排他的な風潮が広がっている。池田先生は提言で、こうした問題の本質に迫りながら、次のように論じている。
 「分断をもたらす排他主義や、犠牲を顧みない経済的合理性の追求に抗する、社会の楔となるものは何か――。私は、一人一人の顔といった具体的な像をもって心に立ち現れる『友情』のような、確固たる結びつきではないかと考えます」と。
 自分と異なる人々への排斥は、相手への無知や偏見から起こる場合が多い。そしてそれは、相手を集団としてひとくくりにする抽象化によって正当化される。例えば「○○教徒は、こういう人たちだ。彼らを排除すれば、全てはうまくいく――」といった具合である。  こうした短絡的な思考に流されないためには、互いの一つの属性に縛られることなく、一人一人が“顔を持った存在”として結びついていくことが重要だ。そして、その“開かれた心”こそ、青年が大きな力を発輝できる源泉となるものだ。友情を通して、心が深く通い合う中で、差異は多様性の輝きへと昇華していく。池田先生は、「いかなる分断の濁流も押し返す、多様性の尊重に基づいた『平和の文化』のうねりは、青年たちの友情から力強く巻き起こっていく」と大きな期待を寄せている。
 青年には未来を切り開く情熱があり、困難に挑みゆく気概がある。こうした青年の熱と力こそ、地球社会の諸問題を乗り越える原動力である。
 実際、これまで創価学会青年部は核兵器廃絶の運動に尽力。世界の青年と絆を結び、平和への潮流を広げてきた。
 今回の提言を学んだ青年学術者会議のメンバーが語っていた。「友の悩みや苦しみを、自分の身に置き換えて考える、想像力と共感力が、今ほど必要とされる時代はないのではないでしょうか」「魂と魂の触発という、深い次元での対話によって結ばれた友情こそ、平和と共生の社会を築く確かな礎です。今いる場所から、対話と友情の輪を広げていきたい」と。
 自らの使命の舞台で、平和への潮流を起こしゆく一人一人でありたい。

◆きょうの発心   不惜身命で“幸福の大道”を歩む2017年2月26日

御文
 寿量品の自我偈に云く「一心に仏を見たてまつらんと欲して自ら身命を惜しまず」云云、日蓮が己心の仏界を此の文に依って顕はすなり(義浄房御書、892ページ・編552ページ)
通解 法華経如来寿量品第16の自我偈に「一心に仏を拝見しようとして、自ら身命を惜しまない」とある。日蓮の己心の仏の境涯をこの文によって顕すのである。

 真剣な求道心と、わが身を惜しまず実践する行動に、仏界が涌現すると仰せです。
 幼いころから一家の経済苦と、虚弱体質である自身の宿業に悩み、幸せになりたいとの一心で信心に励むようになりました。
 戸田先生が、牧口先生をしのばれ、「あなたの慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました」と感謝された歴史を学び、深く感動。“広宣流布のお役に立ちたい”との決意で、この御文を胸に、不惜身命の思いで学会活動に取り組みました。  同じころ、主人が仕事で独立。経済的にとても苦労しましたが、夫婦で懸命に題目を唱えながら、師匠と同志の皆さまと共に、幸の連帯を広げる喜びでいっぱいでした。
 そうした中で、弱かった身体も、思う存分広布のために走れるようになり、幸福の大道を歩んでいると実感しています。長年、苦楽を共にした主人は、昨年、安らかな相で霊山へと旅立ちました。
 明年の「11・18」を目指し、人材の城を築いてまいります。   長野第2総県副総合婦人部長  宮坂 晶(せい)子

【聖教ニュース】

◆アルゼンチン プエルト・デセアド市文化局が池田先生に「顕彰状」

   
プエルト・デセアド港に続く入り江をバックに、池田先生への顕彰状を手にするピック局長(前列左から4人目の女性)と地元SGIの友が、記念のカメラに
プエルト・デセアド港に続く入り江をバックに、池田先生への顕彰状を手にするピック局長(前列左から4人目の女性)と地元SGIの友が、記念のカメラに
 南米アルゼンチンのサンタ・クルス州プエルト・デセアド市文化局から池田先生に、平和・文化・教育への傑出した貢献をたたえ、「顕彰状」が贈られた。

◆太陽のイタリア婦人部が充実の研修会

   
全土からローマ文化会館に駆け付けたイタリア婦人部の方面リーダーたち
全土からローマ文化会館に駆け付けたイタリア婦人部の方面リーダーたち
 欧州広布をリードするイタリアSGIの婦人部研修会が18、19の両日、ローマ文化会館で行われ、全土から各方面のリーダーが一堂に会した。

【先生のメッセージ・特集記事】

◆〈池田大作先生 四季の励まし〉 女性の力は社会の希望

 新たな社会の希望の活力は、
 女性のソフト・パワーである。
 女性の知恵が発揮されれば、
 職場であれ、地域であれ、
 創造性が漲り、
 調和が図られていく。
 女性が安心して
 伸びやかに働ける社会を
 皆で作っていくことが大切である。
 
  働くこと、子を育てること、
 妻であること。また娘であること、
 地域の一員であること、
 学ぶこと――
 それらが互いにぶつかりあい、
 悩みながらも、
 なおすべてを
 自分の成長の糧にしようと
 心が定まった時、
 初めて、
 女性は一個の太陽になれる。
 
  母の楽観主義の光は、
 地域の太陽となり、
 世界平和の太陽として、
 昇り輝いている。
 私たちは、
 この健気な母を幸福にする
 「責任」がある。
 いな「使命」がある。
 これが「人生」だ。
 この平凡にして偉大な母を
 幸福にしていくことこそが、
 全世界の
 平和への第一歩なのだ。
 
  本当に強い人とは、
 「心の強い人」である。
 ゆえに、永遠にして
 宇宙大の妙法を強盛に信じぬく、
 婦人部・女子部の皆さんは、
 最も強い人である。
 どんな宿命にも、どんな困難にも、
 負けるわけがない。必ず勝てる。
 必ず乗り越えていける。
 皆が仰ぎ見るような、
 晴ればれとした勝利の大境涯を、
 必ずや開いていけるのである。

 


 陽光に照らされる南国の花・ブーゲンビレア。赤や橙の彩りの向こうには、木々の緑が映え、ビルが林立していた。1988年(昭和63年)2月、池田大作先生がタイの首都バンコクで撮った1枚である。
 まぶしく輝く花は、周囲に生き生きと喜びの対話を広げる、創価の女性のよう――。
 法華経には「如蓮華在水(蓮華の水に在るが如し)」との言葉がある。蓮華は泥水の中にあって、汚れに染まることなく、美しい花を咲かせる。同様に、妙法を持った人は、どんなに厳しい現実社会にあっても、見事な“使命の花”を咲かせていく。
 ブーゲンビレアの花言葉の一つに「情熱」と。広布への情熱を赤々と燃やしながら、社会や地域に“使命の花”を爛漫と咲かせゆこう!


◆〈親が子に語る物語〉 人々を敬い続けたフキョー
 一人ももれなく尊い存在
             


 はるかとおいむかし、ダイジョーという国がありました。立派な仏様がいらっしゃって、人々はその教えを守り、豊かに、仲良く暮らしていました。
 仏様がなくなると、国は、だんだんすたれていきました。人々は仏様の教えを忘れ、おたがいのことを信じられず、いさかいがたえません。
 「おい、うちの畑から野菜を盗んだろう!」
 「知らないね。おまえこそ、うちの鶏小屋から卵を盗んだろう!」
 そんなとき、ひとりの若者があらわれて、ふたりの男に合掌し、ふかくこうべをたれて、こう、いいました。
 「わたしは、あなたがたを軽んじません。尊敬します。なぜなら、やがて仏になられるからです」
 ふたりは、拍子抜けしていさかいをやめました。
 「なんだ、こいつ」
 「へんなやつだな」
 若者は、誰に会っても、「あなたを軽んじません」と、いうので、いつかフキョー(不軽)と呼ばれるようになりました。

 フキョーは、毎日、町をいく人に声をかけました。
 「わたしは、あなたを軽んじません。尊敬します。なぜなら、やがて仏になられるからです」
 すると、ひとりのひげをはやした大男が、立ち止まって怒りました。
 「おまえは、なんのつもりで、そういうことをいうんだ? 仏でもないのに、おれの未来を予言するのか?」
 大男は、たずさえていた、つえをふりおろしました。
 すると、フキョーは、身をかわして、つえのとどかないところから、同じことをいいました。
 「なまいきな!」
 大男が、足元に落ちていた石をひろって投げようとしたら、フキョーは、走り去り、遠くから大きな声でいいました。
 「わたしは、あなたを軽んじません!」

 フキョーが人々をうやまう礼拝行をするようになって、長い歳月がすぎました。
 若者だったかれも、年をとって、髪が白くなっていました。もう、誰もフキョーのことを気にせず、町の風景のひとつになっていました。
 ある日のこと。
 「わたしは、あなたを軽んじません」と、フキョーがいいかけたとき、空から仏様の声が、きこえてきました。
 「フキョーよ、あなたは仏になる。なぜなら、あなたは仏のすることをおこなってきたからだ」
 フキョーは、見るからに威厳のある、立派な仏様になりました。かれをさげすんでいた人々は、びっくりしました。
 「おい、フキョーが仏になったぞ」
 「おれも礼拝行をするぞ」
 フキョーのおかげで、ダイジョーは、人々が、おたがいを信じて、尊敬しあう豊かな国になりました。
                                    ◆ ◇ ◆  
                                                                               ぶん・村上政彦
                                                                                え ・三浦哲
おうちの方へ
 今回の「人々を敬い続けたフキョー」は、法華経常不軽菩薩品第20に説かれる「不軽菩薩」の話が基になっています。不軽菩薩は、釈尊が過去世において修行していた時の姿の一つです。
 ――威音王仏の像法時代の末に出現した不軽菩薩は、「我は深く汝等を敬い、敢えて軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べければなり」(法華経557ページ)という、「二十四文字の法華経」を唱えながら、会う人ごとに礼拝を行じました。
 慢心の人々からは悪口罵詈や杖木瓦石の迫害を受けましたが、不軽菩薩は、この礼拝行を貫き通したことが因となって、「六根清浄」の功徳を得ます。不軽菩薩を迫害してきた人々も、一度は不軽を軽んじた罪の報いを受けますが、やがて罪障消滅し、再び不軽菩薩に巡り合って救われたのです――。
 日蓮大聖人は、「不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(御書1174ページ)と、釈尊がこの世に生まれてきた目的が、“不軽菩薩のように万人を尊敬する生き方”を説くことにあったと述べられています。
 誰もが尊い存在であるとの思想を、私たちは子どもたちに伝え、相手を敬う心を育んでいきたいものです。  

【信仰体験】

◆〈グローバルウオッチ〉 若者と希望 信仰体験 家族をつなぐ力 

 現代社会の課題と向き合う「グローバルウオッチ 若者と希望」。今回は、家族の問題を見つめる。

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