2017年10月23日 (月)

2017年10月23日(月)の聖教

2017年10月23日(月)の聖教

◆今週のことば

「日本の柱」は勝ちたり。
皆の尊き大奮闘、万歳!
「冥の照覧」は厳然だ。
福運も仏縁も満々と
さあ 胸張り前進を!

◆〈名字の言〉 2017年10月23日

 寓話を一つ。ある日、レンガ運びをする3人がいた。彼らに通り掛かりの人が尋ねる。「何をしているんだい」▼1人目は「レンガ運びだよ」と答えた。2人目は「壁を作っているのさ」。そして3人目は誇らかに「城を建てているんだ」と。見た目は同じ作業をしていても、心の持ち方一つでやりがいは大きく変わる▼「何のため」という目的を考える人の心は、限りなく広がっていく。初代会長の牧口先生の箴言に「大目的が確立してこそ中目的、小目的が明確になり、その方法もうまれる」と。高い志の大目的が定まればこそ、目の前にある中小の目的もまた、かけがえのないものとして輝きを増してくる▼先日伺った同志の家に、彼の“大目的”を記したメモがあった。「広布の人材に成長する!」――それを勝ち取るための中目的がいくつか書かれている。その一つに「信頼輝く地域勝利の存在に」とあった。そして、それを実現させる数個の小目的の最初に、「出会った人に、自分からあいさつをする人になる」と挙げていた▼見た目には、決して華々しくはない行為も、その人の志が高くあれば、生み出す価値は無限に大きくできる。広宣流布という崇高な目的観を抱きつつ、地道に、誠実な振る舞いを重ねるところに「道」は開かれる。(白)

◆〈寸鉄〉 2017年10月23日

 平和の為に行動する創価
 の一人一人が世界に必要
 ―識者。時代建設の主役
      ◇
 家庭や自身の悩みを皆で
 越える創価の女性は人々
 の鑑―元次官。幸の太陽
      ◇
 青年の一番の財産は信頼
 である―戸田先生。誠実
 を尽くしゆく人間王者と
      ◇
 1日30分の運動で健康を
 増進―研究。家事や歩行
 も有効と。積み重ねこそ
      ◇
 公明よ、ここからが本当
 の戦いだ。支持者の熱誠
 に死に物狂いで応えよ!

◆小説『新・人間革命』第30巻 暁鐘の章 四十四 2017年10月23日 (6205)




 広宣流布は、常に新しき出発である。希望みなぎる挑戦の旅路である。
 十日午後三時半過ぎ、山本伸一の一行は、五十人ほどの地元メンバーに送られ、マルセイユを発ち、鉄路、パリへと向かった。約七時間ほどの旅である。
 伸一の間断なき奮闘の舞台は、花の都パリへと移った。
 パリ滞在中、十一日には、歴史学者の故アーノルド・トインビーとの対談集『生への選択』(邦題『二十一世紀への選択』)のフランス語版の出版記念レセプションに出席した。
 翌十二日には、美術史家でアカデミー・フランセーズ会員のルネ・ユイグと会談し、前年九月にフランス語で発刊された二人の対談集『闇は暁を求めて』や、ビクトル・ユゴーなどをめぐって意見交換した。
 そして十五日には、フランス議会上院にアラン・ポエール議長を訪ね、議長公邸で初の会談を行った。
 会談に先立ち、議長の厚意で議場を見学した。ここは由緒あるリュクサンブール宮殿であり、上院議員としても活躍したビクトル・ユゴーの部屋もあった。そこで、ひときわ目を引いたのが、壁に飾られたユゴーのレリーフであった。ヒゲをたくわえ、剛毅さにあふれた彼の顔が浮き彫りされていた。
 荘厳な本会議場には、ユゴーが座っていた議席があった。そこには記念板が取り付けられ、机の上には彼の横顔を彫った金の銘板がはめ込まれ、不滅の業績を讃えていた。
 伸一は、その席に案内してもらった。貧困の追放を、教育の改革を、死刑の反対を訴えた彼の熱弁が響いてくるかのようだった。
 類いまれな文学の才に恵まれ、二十三歳でフランス最高の栄誉であるレジオン・ドヌール勲章を受章した彼が、政界に入ったのは一八四五年、四十三歳の時である。人びとの困窮など、現実を看過することはできなかった。彼は、「文の人」であるとともに、「行動の人」であった。それは、まぎれもなく「人間」であるということであった。   

【聖教ニュース】

◆世界最大の書籍見本市 フランクフルト・ブックフェア 2017年10月23日
池田先生の対談集など学会出版物213点を展示

歴史ある書籍見本市として名高い「フランクフルト・ブックフェア」。今年は5日間で約28万6000人が来場した。会場のメッセ・フランクフルトは東京ドームの約4倍の広さを誇る
歴史ある書籍見本市として名高い「フランクフルト・ブックフェア」。今年は5日間で約28万6000人が来場した。会場のメッセ・フランクフルトは東京ドームの約4倍の広さを誇る

 世界最大の書籍見本市である「フランクフルト・ブックフェア」に、SGI(創価学会インタナショナル)がブースを開設。池田大作先生の著作や対談集など、213点の出版物を展示した。
 毎年10月、ドイツのフランクフルトで行われる同ブックフェア。500年以上もの歴史を有し、出版物の展示や版権の交渉の場となっている。今年は11日から15日にかけて開催され、100以上の国や地域から約7300社が出展。会場のメッセ・フランクフルトには連日、多くの出版関係者や一般来場者が訪れ、盛況を博した。
 世界各地から参加者を迎えるブックフェアだけに、SGIのブースに並べられた書籍を見ても、翻訳言語は実に多彩である。ドイツ語をはじめ、英語、イタリア語、韓国語、スウェーデン語――。
 『生命と仏法を語る』(スウェーデン語版)や、池田先生の指針を収録した『悠々と生きるための仏の智慧』(ドイツ語版)、池田先生と劉遵義博士(香港中文大学元学長)の対談集『新たなグローバル社会の指標――平和と経済と教育を語る』(英語版)等々、多くの学会書籍が展示された。
 このほか、世界的な絵本画家ワイルドスミス氏が挿絵を描いた池田先生原作の絵本や、『インド国立公文書館所蔵 ギルギット法華経写本――写真版』といった貴重な資料も置かれ、来場者の注目を集めていた。
 SGIの展示ブースに足を運んだ来場者からは次のような声が。
 「これまでスペイン語版の『御書』などの書物をSGIの皆さまと一緒に出版してきました。世界の人々のためになる本を、わが社から出版することができ、大変光栄に思います」(スペインのヘルダー出版社の社長)
 「ベトナムで“イケダ・ダイサク”といえば、仏教関連の著者として大変に有名です。国内では売り切れていることも多く、こうして手に取って読むことができて、とてもうれしいです」(ベトナム人男性)

◆アメリカ池田国際対話センターで学生平和セミナー 2017年10月23日
核兵器廃絶提言を巡り


ボストン近郊の八つの大学、大学院に学ぶ15人の学生が参加した、池田センターの学生平和セミナー(ケンブリッジ市内で)
ボストン近郊の八つの大学、大学院に学ぶ15人の学生が参加した、池田センターの学生平和セミナー(ケンブリッジ市内で)

 アメリカの平和研究機関「池田国際対話センター」(バージニア・ベンソン所長)主催の学生平和セミナーが14日(現地時間)、マサチューセッツ州ケンブリッジ市の同センターで開催された。
 池田センターは、世界に仏法の平和と人間主義の思想を広げゆく一大拠点として1993年に設立。以来、創立者である池田先生が示した「地球市民のネットワークの要たれ」「『文明の対話』の懸け橋たれ」「『生命の世紀』を照らす灯台たれ」とのモットーのもと、平和、宗教、非暴力、女性、国連など多様なテーマと角度から研究を進めてきた。近年は、青年を対象にした対話セミナーも活発に実施している。
 設立25周年の明年に向け、飛躍を期すセンターが主催した今回のセミナーは、池田先生の提言をもとに平和について考察するもの。ハーバード大学やタフツ大学など、ボストン近郊の大学・大学院に通う学生が参加。2009年の提言「核兵器廃絶へ 民衆の大連帯を」を題材に、国際平和教育研究所名誉創設者のベティー・リアドン博士、マサチューセッツ大学ボストン校のジーナ・ザカリア博士が講師を務めた。
 初めにザカリア博士は、学生こそ現代の危機に立ち向かう力を磨かなくてはならないと述べ、自らが平和教育に携わり始めた契機を紹介した。
 続いて、提言に基づいてテーマごとに議論を。市民社会の運動と核兵器禁止条約の関係性や、核兵器廃絶を目指してより多くの他者と連帯するための対話の意義等を巡って語り合った。終日にわたったセミナーを通し、学生たちは、地域やキャンパスの友人と対話をしていきたい等の思いを口々に語っていた。
 リアドン博士は「私が池田博士の提言に感銘を受けるのは、その考え方についてです」と力説。「池田博士は、目先の問題への対処法のみならず、未来への展望を示して“誰もが未来を描き出せる力を持っている”ことを教えておられる」と訴えた。さらに核兵器などの困難な問題に対処するに当たって「私たちが知るべきは、根本の価値をどこに置くかということです。それは、池田先生が言われているように人間の尊厳であるべきです」と述べた。

【特集記事・教学・信仰体験など】


◆〈無冠の宝友 配達員のページ〉
 

 列島の各地から“冬の便り”が届き始めている。寒い日も雪の日も、早朝から地域広布に奮闘する無冠の友。ここでは、配達員の同志に贈られた池田先生の言葉を紹介する。

池田先生の言葉から  

 目が覚めると、最初に確認したくなるのは全国の天気模様。
 晴れならば一安心。雨や雪だと、「聖教新聞」の配達員さんのことを思い、胸が痛む。
 “事故はなかっただろうか。風邪などをひかなかっただろうか……”
 大雪の朝など、届けられた新聞を手にすると、熱いものが込み上げる。
 滑る足元を気遣い、新聞を濡らすまいと必死に庇いながら、配ってくださったのであろう。
 自転車も使えず、配達時間も、いつもの倍以上かかっているにちがいない。
 新聞を見つめながら、その真心に深く感謝せずにはいられない。
 (「随筆 新・人間革命」〈雪と「無冠の友」〉。『池田大作全集』第129巻所収)
                ◆◇◆ 
 旭日よりも早く、凍てつく闇を打ち破り、さっそうと胸を張って行動されゆく皆様方があればこそ、広宣流布の熱と力が全同志に脈打っていくのだ。
 蓮祖大聖人は、わざわざ使いを立てて、厳寒の山道を越え、真心を届けてきた弟子を讃えられて仰せである。
 「雪つもりて山里路たえぬ」「友にあらずば たれか問うべき」(御書1554ページ)――雪が降り積もって、山里に通う路も途絶えてしまった。真の友でなければ、誰が訪ねてくるであろうか、と。
 聖教新聞は、大聖人が御賞讃の精神のままに、広宣流布を遂行する機関紙である。
 無冠の友の皆様は、聖教新聞を通して、御本仏の御心を、一軒また一軒に、届けてくださっているのだ。
 この尊極の方々を三世十方の仏菩薩、無数の諸天善神が讃え、護らないはずがない。
 (「随筆 人間世紀の光」〈聖教は勝利の力〉)
                ◆◇◆ 
 配達や集金は、地道な陰の戦いに見えるかもしれない。
 だが、見る人は必ず見ているものだ。
 「無冠の友」こそ、実は「創価学会の顔」なのである。
 清々しいあいさつ、明るい笑顔から、学会理解、仏法理解の輪が広がっていくのだ。
 その意味で「配達即折伏」であり、「配達即広宣流布」である。
 また、人生は“快晴”の日ばかりではない。雨の日もあれば、嵐が吹き荒れることもあるだろう。
 しかし、無冠の友の皆様は、人々に「福徳」と「希望」と「勝利」を届けておられる。
 その皆様の人生が、因果の理法に照らして「福徳」に満ちあふれないわけがない。
 「希望」に輝かないわけがない。
 必ず「勝利」の人生を歩むことができる。
 (2010年4月、「5・3祝賀協議会」のスピーチ)

◆中国・広東外語外貿大学での「自然との対話」写真展記念講演から 2017年10月23日


 
広東外語外貿大学が池田先生の偉業をたたえ、同大初の「名誉教授」称号を授与。先生の名を刻んだ「印譜(いんぷ)」を掲げる黄学長(中央)。その右に陳副学長、そして韋教授らが並び祝福する(2000年2月19日、香港で)
広東外語外貿大学が池田先生の偉業をたたえ、同大初の「名誉教授」称号を授与。先生の名を刻んだ「印譜(いんぷ)」を掲げる黄学長(中央)。その右に陳副学長、そして韋教授らが並び祝福する(2000年2月19日、香港で)

 「自然との対話――池田大作写真展」が中国・広州の広東外語外貿大学で行われている(きょう23日まで)。12日の開幕式には、大学関係者や日本語を学ぶ学部生が出席。…

◆〈世界広布と新入会の友〉 タイ 2017年10月23日


地涌の誓いに燃えるメンバー(バンコク近郊の水上マーケットで)
                                                         
地涌の誓いに燃えるメンバー(バンコク近郊の水上マーケットで)

 新たなメンバーが次々と誕生し、信心の歓喜と確信を語り広げるタイ創価学会の友。新入会のメンバーに入会動機や信仰体験を聞いた。

◆〈世界の体験プラザ〉 ブラジルSGI メルキゼデク・カラブリアさん
学業が苦手な少年がパイロットに 大学で「模範教授」に選出
師弟の誓いこそ人生の翼


いつか空を飛びたい
 航空機パイロットとして空を飛ぶ夢――。それはきっと、私がサーカスの一座の中で生まれ育ったことと無縁ではないでしょう。リオデジャネイロ市で、母はダンサー、父は空中ブランコの曲芸師として、自在に空中を舞っていたのです。
 子どもの頃、いつも年末になると大好きな叔父が来て、私たちと過ごしていました。6歳だったある日、私は叔父が「南無妙法蓮華経」と唱えているのを目にしたのです。叔父はSGIの信仰をしていたのでした。
 私は叔父の隣で、一緒に唱題をしてみました。以来、叔父のいるサンパウロに行く機会があるたび、未来部の会合などにも参加するようになりました。
 母と共に、正式にSGIに入会したのは、私が15歳の時です。
 この当時、母は父との不仲や経済苦で悩み、看護師など三つの仕事を掛け持ちして家計を支えていました。叔父はそんな母を励ますために、何年間もずっと機関紙「ブラジル・セイキョウ」を贈ってくれていたのです。
 ある日、母がそれを持って勤め先の病院に行くと、1人の患者さんから「あなたもSGIメンバーなの?」と声を掛けられました。メンバーだったこの患者さんに誘われ、地元のSGIの会合に参加するようになったことがきっかけで、母は入会を決意したのです。
 一緒に入会した私は、パイロットになりたいという夢を抱き、ブラジル空軍の傘下にある訓練専門学校の、航空整備コースに応募しました。

30歳から勉学に挑戦
 十数倍の難関を突破して合格。17歳になると整備工場での勤務も始まりました。ところが、18歳になる直前、兵役期間が始まることを理由に、工場を解雇されてしまったのです。
 ちょうど同じ頃、ブラジルSGIの学生部総会に参加する機会がありました。「自分が池田先生の弟子だと思う人はいますか?」との幹部の呼び掛けに、私は元気いっぱい「ハイ!」と手を挙げました。
 しかし続けて「大学に進学する人は?」との問い掛けに、私は口をつぐんで下を向いてしまったのです。私は勉学が苦手で、自分にはそんな能力などないと思っていたからです。
すると先輩幹部は、こう言いました。
 「勉学に励む決意もなく、社会に貢献する人間になろうと挑戦もできないで、先生の弟子と言えるだろうか」
 この厳しい問い掛けは、私の若い胸に深く刺さり、そして固く決意しました。
 “パイロットになるという夢を実現させよう。そのためにも、池田先生の弟子だからこそ、自分を信じ、最も苦手なことに挑戦しよう”――。その日を契機に、学会活動の中で自身の人間革命を目指し、地道に鍛えの青春を送りました。
 苦手だった本を読むことや、語学にも挑戦しました。そして、30歳になった2000年、ついにトゥイウチ・ド・パラナ大学航空科学学部に入学できたのです。
 卒業後は同大の民間航空学部に再入学。さらに大学院に進んで航空マネジメントとソフトウエア品質管理の修士号も取得しました。

想像を超えた場所へ
 2010年、妻のルシアナと結婚。妻は結婚後に入会し、今では地区副婦人部長として、また婦人部の合唱団でも活躍しています。
 生後2カ月だった次男が手術を受けなければならなくなった時も、三男が母胎の中で脳の生育にリスクを抱えた時も、妻と一緒に題目を唱えに唱えました。
 難が来るたびに、それに立ち向かうことを通して、私たち家族は団結し、より強くなり、信仰への確信を深めることができたと思っています。
 14年には、地元パラナ州の名門私立大学ポジチボ大学航空科学学部に教授として迎えられました。それは、私がずっと願ってきたことでした。
 世界各国の旗が並ぶ学内の一角で、私は、池田先生の弟子として、自分がこの大学で“模範”になってみせようと誓いました。
 学生第一の授業と環境づくりに尽力する中で、学生たちが投票するその年の「ベスト・プロフェッサー」に、何と私が選出されたのです。700人の教員の中で20人しか選ばれない栄誉でした。また、この年には父を入会に導くこともできました。
 世界の名門大学と学術交流を結ぶ創価大学は、ブラジルでもサンパウロ大学など三つの著名な公立大学と協定を結んでいますが、うれしいことに本年7月、ブラジルの私立大学としては初めて、わがポジチボ大学が4校目に加えられました。
 現在、私はポジチボ大学大学院博士課程で、ドローンの農業利用に関する論文を書いており、間もなく出来上がる予定です。
 思えば、学ぶことが人一倍苦手だった少年が、30歳で大学に入り、夢だったパイロットの資格を手にしたばかりか、今では大学教授として教壇に立っているのです。
私は今、次代を生きるSGIの青年たちに、こう呼び掛けたい。
 「目の前の滑走路を見て、エンジンをかけ、高く高く、雲を越えて飛ぶのです。池田先生の若き弟子として情熱を持ち続ければ、自分の想像をはるかに超えた場所にたどり着くことができる!」と。

2017年10月22日 (日)

2017年10月22日(日)の聖教

2017年10月22日(日)の聖教

◆わが友に贈る

広宣流布の労苦は全て
「今生人界(こんじょうにんかい)の思出」に。
わが身を飾る大福徳に。
栄光の創立記念日へ
共々に凱歌の歴史を

◆〈名字の言〉 2017年10月22日

 “重要かつ急ぎの仕事は、多忙な人に頼め”と、ビジネス界ではよく言われる。多事でも自身の時間管理ができる人は、有能で仕事もできる。一方、「忙しい」が口癖になっているだけの人は、心の余裕がないようにも見えてしまう▼「私は“タボウ人間”です!」と宣言する壮年部員がいる。彼の言う“タボウ”とは、「多忙」ならぬ「多望」。「かなえたい望みが多いので、悩みは増える一方です」と苦笑しつつ、表情は晴れやかだ▼広布のために生きれば、「あの人を幸せにしたい」「この人が悩みを打開できるよう、力になりたい」と、自他共の幸福のための祈りには限りがない。乗り越えていく悩みが大きいほど、大きな責任を果たせる自分に成長できる。境涯を大きく開いていける▼今月、東北で強めの地震があった。東日本大震災から6年半を過ぎても、地震直後に各地の同志から安否を気遣う連絡が入った。「ずっと応援してるから、いつも気になって……」の声に感謝は尽きない▼「多望」の人は、常に友を忘れない。忘れないことは慈悲に通じる。慈悲は英語で「compassion」。com=「共に」と、passion=「情熱」から成る。「多望」の人とは、情熱を分かち合える人でもある。(城)

◆〈寸鉄〉 2017年10月22日

 人間革命の哲学は世界を
 善の方向へ導いていく―
 総長。平和創出への直道
      ◇
 激動の時代、自分の足元
 を固めた人が勝者―戸田
 先生。地域を幸の花園に
      ◇
 青春は人生にたった一度
 しかない―詩人。青年よ
 悔いなく。乱舞の時は今
      ◇
 北上する台風、大雨情報
 に注意を。声を掛け合い、
 絶対無事故で。油断せず
      ◇
 衆院選の投票日。改革の
 主役は民衆なり。政策と
 実績見極め賢明な一票を

◆社説  栄光の創立記念日へ   2017年10月22日

◆きょうの発心   全ての悩みを境涯開く好機に2017年10月22日


御文
 但生涯本より思い切て候今に飜返ること無く其の上又遺恨無し諸の悪人は又善知識なり
 (富木殿御返事、962ページ)
通解 ただ私の生涯は、もとより覚悟のうえである。(佐渡へ流罪になった)今になって翻ることもないし、そのうえまた恨みもない。(迫害した)もろもろの悪人はまた善知識である。

日蓮大聖人の不惜身命の御精神をとどめられた御文です。
 1980年(昭和55年)4月、池田先生は、お好み焼き店を営むわが家を訪問し、両親を激励してくださいました。創価女子学園(当時)に学んでいた私は、この日の歓喜を胸に創価大学へ。卒業後、帰郷し、女子部の活動に励んでいました。89年10月、京都記念幹部会で先生にお会いし“生涯、京都広布に生き抜こう”と腹を決めました。
 ヤング・ミセス時代には、甲状腺機能亢進症や主人の転職で悩んだ時期もありましたが、全て学会活動に励む中で乗り越えました。父が急逝し、難題が次々と襲ってきた時も、この御文を拝しながら奮闘し、境涯を開くことができました。
 現在、自身が婦人部長を兼務する京都北錦州区には、池田先生と縁深き「衣笠記念会館」があり、師弟の精神を学ぼうと訪問するSGIの友の求道心に触れるたびに誓いを新たにしています。
 後継の青年部と共に、新たな仏縁の拡大にまい進する決意です。
 総京都婦人部書記長 横関芳衛

【聖教ニュース】

◆創立119年の名門アメリカデポール大学に誕生 世界市民育成のための価値創造教育オンラインコース 2017年10月22日
明年1月スタートへ 2年制の修士課程
牧口・戸田・池田先生の教育理念と実践を研究

アメリカ・シカゴに立つデポール大学。海外100カ国以上の留学生も含め約2万3000人の学生が学ぶ
アメリカ・シカゴに立つデポール大学。海外100カ国以上の留学生も含め約2万3000人の学生が学ぶ

 創立119年の歴史を誇るアメリカ・シカゴのデポール大学教育学部(ポール・ザイオンツ学部長)に、2年制の修士課程として「世界市民育成のための価値創造教育」オンラインコースが開設される運びとなった。牧口常三郎先生、戸田城聖先生、池田大作先生の教育理念と実践の研究を通して、世界市民育成に向けた創価教育の価値の探究と、その応用を目指すもの。明年1月の開講に向けて準備が進められている。
 地球規模の課題が山積し、かつ複雑化する現代社会。差異を超えて連帯し、人類に貢献しゆく「世界市民」の育成は、いや増して急務となっている。ここに、全米最大のカトリック系私立大学であるデポール大学と創価教育が奉じる共通の使命がある。
 デポール大学はこれまで、牧口先生、池田先生の教育理念と実践について学ぶコースを2010年に開設。14年には大学の付属機関として「池田大作教育研究所」(ジェイソン・グーラー所長)を設立するなど、創価教育の探究を続けてきた。博士課程で創価教育を研究する学生も、多く在籍している。
 「世界市民育成のための価値創造教育」コースは、こうした学生や研究者らからの要望の広がりもあり、開設されることとなった。
 三代会長の教育理念と実践について学ぶほか、「価値創造教育の理論的基礎」「世界市民育成のための教育」「対話と教育」「価値創造教育の実践的応用」など、多角的な授業が用意されている。
 アルゼンチン、インド、アメリカ、日本出身の多彩な教員が担当する。オンライン講座のため、世界中どこでも受講が可能となっている。
 昨年12月、デポール大学は、世界平和構築と人類連帯への貢献を讃えて池田先生に「名誉人文学博士号」を授与。授与式の折、ホルトシュナイダー学長(当時)が、同コースの構想を語っていた。
 「創価の教育哲学やその実践に、明確に焦点を当てた」「世界中の学生が対象」となるプログラムをわが大学に――と。1年の準備を経て、いよいよ実現することとなった。
 また、明年秋には、同テーマの対面授業形式の修士課程の開設も予定している。
 創価の人間主義の探究は、世界の学術の世界でも一段と熱を帯びている。

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈親が子に語る物語〉 子どもを救った長者の知恵  妙法を持った人の人生は自在

                                                                                                                                                 
 むかし、ある町に、とてもお金もちの、長者がすんでいました。

 ある日のことです。
 「火事だー!」
 長者の大きな家が、ボンボンと音をたてて、もえはじめました。
 「ご主人さま! 家の中には、お子さまたちが、あそんでいます!」
 めしつかいが、あわてて、やってきます。
 長者は、大声で、さけびました。
 「はやく、家から出てきなさい!」
 でも、子どもたちは、あそびにむちゅうになって、長者の言うことをききません。
 “なんとしても、子どもたちを、助けるんだ!”
 長者は、ひっしに考えました。すると、パッと、いい考えがうかびました。
 “子どもたちは、前から、おもちゃの車を、ほしがっていた……”
 長者は、いそいで、子どもたちのところへ、むかいます。
 「あぶない! おやめください」
 「とめるな!」
 長者は、めしつかいの手をふり切ると、もえさかる家の中へ、走っていきます。
 「さあ、お父さんといっしょに、あそぼう」
 長者の声をきくと、子どもたちが、集まってきました。
 「みんながほしがっていた、ヒツジとシカとウシの、おもちゃの車で、あそぼう!」
 子どもたちの顔が、みるみる、かがやきました。
 「そのおもちゃの車は、どこにあるの?」
 ひとりの子どもが、たずねます。
 「車は、門の外においてあるよ。早くいってごらん」
 「ワーイ、ワーイ!」
 子どもたちは、いちもくさんに家をとびだし、門の外へ、走っていきました。
 でも、門の外には、なにもありません。
 「ヒツジとシカとウシのおもちゃの車は、どこにあるの?」
 子どもたちは、長者をとりかこみました。
 長者は、子どもたちが、みんな無事なのをたしかめると、話しました。
 「お父さんは、おもちゃの車よりも、もっとすばらしい車を、もっているんだよ」
 そのとき、めしつかいたちが、見たこともない、りっぱな車を、ひいてきました。
 子どもたちは、目をみはりました。
 その車は、ぜんたいが、金や銀で作ってあります。そのまわりに、キラキラかがやく、たくさんの宝石が、ちりばめられています。車がうごくと、つるしてある鈴が、うつくしい音楽を、かなでます。
 「これは、おもちゃの車ではないよ。『大白牛車』という、仏さまの、いのちの車だよ。これにのると、だれでも仏さまと同じ、いのちになり、どんな苦しみものりこえ、幸せになれるんだよ」
 そういうと長者は、子どもたちみんなに、大白牛車をあげました。
 「すごく速く、走るね!」
 「きもちいいなあ!」
 子どもたちは、大よろこび!
 ひろい大地や大空を、大白牛車にのって、思うぞんぶん、かけまわりました。子どもたちの、楽しくげんきな笑い声は、いつまでもいつまでも、ひびきわたったのです。
                  ◇ ◆ ◇
おうちの方へ

 今回の物語は、法華経譬喩品第3に説かれる「三車火宅の譬え」を基にしています。
 この譬えは、家が火事であることを知らずに遊んでいる子どもたちを救い出すために、父である長者が方便(=手段)として羊車・鹿車・牛車の三車を示して外に誘い出し、出てきた時にはそれらに勝る大白牛車を与えたというものです。
 長者は「仏」を、子どもたちは「一切衆生」を、燃え盛る家(火宅)は、煩悩に支配された「苦悩の世界」を譬えています。
 車は「仏の教え」であり、羊車、鹿車、牛車は、法華経以前に説かれた声聞の教え、縁覚の教え、菩薩の教えを指し、大白牛車は、一切衆生の成仏を説いた法華経の教えです。
 これは、仏が法華経以前に説いた教えは、衆生を現実の苦悩の世界から抜け出させるための方便であり、本当に教えたかったのは、法華経であることを意味します。
 日蓮大聖人は、大白牛車について「法性の空に自在にとびゆく車」(御書1584ページ)と仰せです。妙法を持つことで、私たちは、最高の宝である大白牛車に乗った人のように、自在の人生を送ることができるのです。

◆〈信仰体験 ターニングポイント〉 失業から再起し税理士に 靍田高志さん
必ず勝つ! 師に応える一心で

 税理士の靍田高志。以前は、外資系保険会社に勤めていた。  
 営業マン時代、思いつくことは全て試した。午前6時に出社して1日に200件のテレホンアポイント、その倍以上のダイレクトメールも自腹で。
だが、ノルマは遠かった。  
 「契約解除で」
 ねぎらいも叱咤もない。
 先に去った同僚と同様、事実が端的に告げられるだけだった。

2017年10月21日 (土)

2017年10月21日(土)の聖教

2017年10月1日(土)の聖教

◆わが友に贈る

「其の国の仏法は貴辺に
まかせたてまつり候ぞ」
執念の祈りと挑戦で
わが使命の天地に
広布の大金字塔を!

◆〈名字の言〉 2017年10月21日
 

 静岡県富士市で、たわわに実る稲を見た。収穫の季節を喜ぶ心は、今も昔も変わらないだろう。この地方にゆかりの「熱原の三烈士」を思った▼1279年(弘安2年)9月、富士郡熱原郷(現在の富士市の一部)の農民信徒20人が、“稲を盗んだ”という無実の罪で捕らわれた。富士方面での日蓮仏法の広がりに危機感を覚えた悪僧の謀略である。法華経を捨てよと脅されたが、農民信徒は屈しなかった。この「熱原の法難」で神四郎、弥五郎、弥六郎の「三烈士」は、殉教という壮烈な最期を遂げた▼「『熱原の三烈士』は、今の時代にも名が残っている。すごいことですよね」。そう言われ、改めて感動したことがある。確かに“歴史に残る鎌倉時代の農民を挙げよ”といわれても、他に思い浮かばない。「三烈士」の名は、信念を貫き通したゆえに、不滅の光彩を放つ▼御聖訓に「百二十まで持ちて名を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ」(御書1173ページ)と。人生の価値とは、“どれだけ”生きたかではなく“いかに”生きたかで決まる▼30分あれば、悩める友の元へ行ける。3分あれば、励ましの電話も掛けられる。自身が決めた広布の金字塔へ、この瞬間を悔いなく、完全燃焼の一日を。(嶺)

◆〈寸鉄〉 2017年10月21日

 学会発展の因は、信仰に
 よる“不屈の心”―博士。
 負けじ魂で凱歌の旗高く
      ◇
 北海道の同志が総決起。
 最後まで攻め抜いた方が
 勝つ!逆転勝利の勝鬨を
      ◇
 正義宣揚が神奈川の使命
 民衆の底力は無限なり。
 完勝へ歴史綴る一日に!
      ◇
 埼玉、千葉、茨城、群馬、
 栃木、山梨よ断じて押し
 勝て!一気に攻勢かけよ
      ◇
 愛知、静岡、岐阜、三重が
 拡大の最高峰へ。勇敢に
 動き語れ!栄光の扉開け

◆小説『新・人間革命』第30巻 暁鐘の章  四十三 2017年10月21日 (6204)


 九日正午、山本伸一たちは、マルセイユを訪れた。小高い丘の上に四角い鐘楼がそびえていた。ノートルダム・ド・ラ・ガルド寺院である。丘に立つと、地中海のコバルト色の海に浮かぶ、石造りの堅固な城壁に囲まれた小島が見える。
 『巌窟王』の邦訳名で知られる、アレクサンドル・デュマの小説『モンテ・クリスト伯』の舞台となったシャトー・ディフである。
 本来、シャトー・ディフは、要塞として造られたが、脱出が困難なことから、政治犯などを収容する牢獄として使われてきた。
 エドモン・ダンテス(後のモンテ・クリスト伯)も、十四年間、ここに幽閉されていた人物として描かれている。
 戦時中、二年間の獄中生活を経て出獄した恩師・戸田城聖は、“巌窟王のごとく、いかなる苦難も耐え忍んで、獄死された師の牧口先生の敵を討つ! 師の正義を、断固、証明し、広宣流布の道を開く!”と、固く心に誓い、戦後の学会再建の歩みを開始した。
 ナチスの激しい弾圧に耐え、勝利したフランスのレジスタンス(抵抗)運動にも、まさに、この“巌窟王の精神”が脈打っているように、伸一には思えた。
 巌窟王とは、勇気の人、不屈の人、信念の人であり、忍耐の人である。広宣流布は、そうした人がいてこそ、可能になる。ゆえに、いかなる困難にも決して退くことなく、目的を成就するまで、粘り強く、執念をもって前進し続けるのだ。そこに立ちはだかるのは、“もう、いいだろう”“これ以上は無理だ。限界だ”という心の障壁である。それを打ち破り、渾身の力を振り絞って、執念の歩みを踏み出してこそ、勝利の太陽は輝く。
 伸一は、フランスの、ヨーロッパの青年たちの姿を思い浮かべ、二十一世紀を仰ぎ見ながら、願い、祈った。
 “出でよ! 数多の創価の巌窟王よ! 君たちの手で、新世紀の人間共和の暁鐘を打ち鳴らしてくれたまえ”
 太陽を浴びて、海は銀色に光っていた。   

【先生のメッセージ】

◆〈御書と歩む――池田先生が贈る指針〉89 一念に億劫の辛労を!


御文
 一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり
 (御義口伝、790ページ)
通解 一念に億劫の辛労を尽くして、自行化他にわたる実践に励んでいくなら、本来、わが身に具わっている仏の生命が瞬間瞬間に現れてくる。いわゆる南無妙法蓮華経は精進行である。

同志への指針
 いかなる壁も、題目を唱え抜いて突破する。一念を定めた今の勇猛精進が、億劫にも通ずる地涌の大闘争だ。
 妙法のために尽くす辛労に一切の無駄はない。広宣流布の最前線で、負けじと勇んで戦い進む中でこそ、仏の智慧は躍動する。諸天も動き、必ず活路は開けるのだ。
 信頼するわが同志よ、悪戦苦闘を突き抜けて、歓喜の大功力を漲らせてくれ給え!

【聖教ニュース】

◆スペインの市立公園に池田先生の言葉が刻まれた「平和の記念碑」が誕生
リーバス・バシアマドリード市から 池田先生に「顕彰盾」

リーバス・バシアマドリード市から池田先生への「顕彰盾」の授与式に参加した来賓らが記念のカメラに(スペイン文化会館で)
リーバス・バシアマドリード市から池田先生への「顕彰盾」の授与式に参加した来賓らが記念のカメラに(スペイン文化会館で)

 スペインのリーバス・バシアマドリード市の公園内に、不戦の誓いを込めた市の記念碑「平和のモニュメント」が誕生した。これには、長崎市から贈られた、“被爆れんが”とともに、池田大作先生の小説『新・人間革命』の冒頭の一節「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」を刻んだプレートが設置されている。記念碑の除幕式は16日(現地時間)、同公園内で晴れやかに行われ、ペドロ・デル・クラ・サンチェス市長ほか、多くの来賓らが出席した。また同日、池田先生の長年の平和貢献をたたえる同市からの「顕彰盾」の授与式が、同市内のスペイン文化会館で行われた。
 スペインSGI(創価学会インタナショナル)の中心拠点であるスペイン文化会館に隣接する市立公園の敷地内に、記念碑「平和のモニュメント」は誕生した。
 人間の手と手が重なってハトの形をしたオブジェのもとに、原爆投下で破壊された長崎の浦上天主堂の「れんが」を、市民が観賞しやすいように設置している。
 併せて、池田先生の小説『新・人間革命』の一節を記したプレートが設けられている。
 市が設置したこの記念碑は、人類の遺産ともいえる“被爆れんが”を、永遠にとどめ置くとともに、戸田先生の「原水爆禁止宣言」発表から60年の節目を記念する意義を込めたもの。
 原爆使用の過酷な実相を今に伝える“被爆れんが”は、平和と友好の象徴として2015年、長崎市からリーバス・バシアマドリード市に贈られたものである。

◆ドイツから欧州広布の潮
    
 
「デュッセルドルフの日」記念の集い 
「デュッセルドルフの日」記念の集い

 欧州の要・ドイツから広布の潮流を――同国の各地で、誓いの友がにぎやかに集った。
 デュッセルドルフ北・南、宝塔の3本部は3日、10・7「デュッセルドルフの日」記念の集いを、デュッセルドルフ市内で開いた。
 同市は、池田先生が1961年10月7日、ドイツを初訪問した折、最初に訪れた地。
この”ドイツ広布原点の地”を舞台に拡大に走る友が、記念のカメラに納まった。
 学生部の研修会は13日から15日まで、ビンゲン市ヴィラ・ザクセン総合文化センターで開かれた。
 「立正安国論」などを研さん。マツノ最高参与、ドリチッチ理事長が励ました。
 「錦秋会(多宝会)」の集いは、同センターで(9月15日~17日)。
代表4人が体験発表。さらに、御書を通して師弟不二の精神を学び合った。グループディスカッション、合唱や詩の朗読なども行われた。

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈グローバルウオッチ〉 若者と幸福 インタビュー スイス 宗教社会学者 ジャン=フランソワ・メイヤー博士 
    揺れ動く若い世代の宗教観
 
 現代社会の課題を見つめる「グローバルウオッチ」。世界で若者の“宗教離れ”が危惧される今、宗教の価値をどのように伝えていけばよいのだろうか。スイスの著名な宗教社会学者ジャン=フランソワ・メイヤー博士に聞いた。(聞き手=中谷光昭)

 2015年、英・ガーディアン紙は、少子高齢化、後継者不足で閉鎖が相次ぐ日本の寺院の衰退を“仏教伝来以来最大の存続の危機”と報じた。欧米にも若者の「教会離れ」を危惧する声がある。世界の人々は今、「宗教」をどのように見ているのか。
  
 過日、フィンランドで、欧州における宗教の発展に関する国際会議が開かれ、ある教授が「特定の宗教団体に属していない人々」の今後の動向について講演をしました。
 昨今、宗教学者の研究ターゲットにおける時流の一つとして、こうした人々に関連するものがあります。誤解のないように明示しますが、宗教団体に所属していない人は、必ずしも宗教に関心がない人と同意ではありません。
 世界の現状を見れば、宗教団体に属していない人の数が最も多いのは、アジアです。要因は、国民の5割以上が無宗教である中国の存在です。米・ピュー研究所の報告書「変化する世界の宗教事情」によると、現在、世界で特定の宗教に属していない人々の60%が中国に住んでいます。北米・欧州では、そうした人々の数が年々増えています。アフリカは例外で、宗教団体への帰属率は、依然として高い状態で推移しています。
 
 ピュー研究所の専門家は、無宗教の人々が今後50年間において急増するとは予想していません。一因として、このグループの出生率が比較的低いことを挙げています。
 それにもかかわらず、いくつかの国で変化がみられる。私が住んでいるスイスでは、国民の5%が完全な無神論者であると推測されています。また、国民のおよそ半数は、宗教が人生と自身のアイデンティティーにとって重要な要素であると考えていません。
 印象的なことは、わずか数十年で大きな変化があったことです。スイスでは57年前、特定の宗教団体に所属していない人の割合は、人口のわずか1%に過ぎませんでした。今は23%にまで増えており、近い将来、30%にまで上がるとみられています。
 だからといって、国民の「宗教への関心」がなくなったかと問われれば、そうとは言い切れません。スイス政府の統計機関の調査によると、若者の約3割は宗教への関心が高く、一方で宗教に無関心な若者も約3割とほぼ同数でした。この複雑な現実をどう理解するか。今、多くの学者が、進展する宗教事情の研究に取り組んでいます。

現代は「世界宗教」興隆の時代 人に自律と社会貢献を促す役割

 世界では、新しい宗教団体が誕生するなど多くの宗教運動が起こっている。一方で、特に西洋において顕著にみられる傾向として、宗教団体に所属しない人が増えている。博士が表現する「多くの矛盾をはらんだ現代社会」にあって、人類はどういった宗教を待望しているのだろうか。
  
 宗教的信仰および実践は、単なる個人的な事柄とみなすことはできません。それは、広く社会に影響を及ぼしうるものです。人々は、真剣に宗教的になることにより、自身の信念と一致する、以前とは異なった振る舞いをするようになるでしょう。
 第一に、宗教は、信仰者に救済への道を提示します。
 第二に、宗教は、人々が自身を変革することを刺激し、その内面的変革が、自身を取り巻く社会環境に影響を及ぼしていくことを望みます。
 第三に、信仰に基づき、多くの信仰者は社会貢献の道を見いだすようになります。それは、自身の考え方を広めるだけでなく、多くの場合、利他的な目的があります。
 第四に、宗教は、自我を超える喜びを実現します。本当の信仰者は、自身の願望や欲求を満たす以上のことを求めます。それは、「自身の本性を開くことである」ともいえるでしょう。
 この四点に付加し、私は「人間の内面的自律を促す」宗教の役割を強調したい。
 宗教を持つ人は、自らの意思を自身の気まぐれな考えや空想よりも、高くて深いものへと向けていくことができるのです。その人は「自律」を獲得できるようになります。
 人間は皆、生まれつき、「幸せになりたい」と願っていますが、本当の幸せとは、儚い物質的存在を超えるものであり、“自分を超える大きな存在”を求めるのです。
 精神的自律の一部としての「祈り」によって、“自分を超える存在”を思い出し、意識させ、人間であることの意味を深く洞察することができます。祈り以外の精神的な修行・実践もまたしかりです。それは、「人間としての背骨」をつくることであるといえるでしょう。このような道に徹する人は、同時に生きとし生ける全てのものに対し、責任を自覚するようになります。信仰は、個人的成長以上のものを含んでいるのです。
 宗教は、この限られた人生に「意味」をもたらします。私たちは慌ただしい日常生活に没頭しており、働くことにあまりにも集中し、何が大事であるかを忘れるほどです。
 働くことや人生の美しい側面を楽しむことも良いことですが、“人生には物質的成果を獲得することより高い価値があること”を忘れてはなりません。それを思い出させ、教えてくれるのが宗教です。
  
 池田先生の平和活動に共感を寄せる博士。どういった経緯で、SGIを知ったのか。
  
 SGIに出合ったのは、1980年代中ごろです。当時、私はスイス国立科学財団からの助成を受け、歴史学、社会学の観点で宗教団体を研究していました。その対象の一つが、SGIでした。
 SGIは最も大きい在家の仏教団体の一つであり、会員の方々は宗教活動のみならず、さまざまな平和活動も展開されています。
 私が特に感銘を受けるのは、SGIの池田会長が、宗教以外の分野にも関心をもっておられる点です。一般的に見て、それは並大抵のことではありません。宗教指導者として、その宗教的使命と他の分野への関心を結び付けておられることが、池田会長が世界から尊敬を集めておられる理由の一つだと思います。
  
 今後、「世界宗教」へと発展しゆく潜在性を持った宗教とは、どんな宗教なのか。
  
 植民地の負の遺産のない国々を含め、欧州の各国に、今、SGIなど東洋で誕生した宗教が広がっていることは刮目すべき現象です。無論、欧州における大半の宗教心のある人々は、依然として、キリスト教に精神的価値を見いだしています。キリスト教が西洋社会の根本要素であることに変わりはありません。
 そうした中で、欧州では19世紀から「精神性の東洋」というイメージが形成され始めました。加えて、西洋の制度化された宗教に全ての答えを見いだせなかった一部の西洋人は、自身の心にイメージした理想を、東洋の宗教の中に投影しています。
 その傾向は、観光でインドを訪れた西洋人たちが「目にする全てが精神性にあふれていた」と旅の感想を語ることにみられるように、今日まで続いているのです。
 かつて仏教は、インドから中国、日本へと流布されました。その過程で、仏教はさまざまな文化と出合い、受容されてきました。キリスト教は、まずローマ帝国に広がり、その後、ペルシャ帝国に伝わる中で、キリスト教の形態は変わらぬまま、さまざまな変容・発展を遂げました。
 異国に向かう多くの宣教師は、自宗をどのように各国の文化に適応させるか、また、どこまで自宗を適応させてよいかと熟考し、試行錯誤の実践を繰り返したのです。これは、キリスト教だけに限った話ではありません。
 フランスの学者オリビエ・ロイ氏が出版した『ホーリー・イグノランス』で強調されているように、現代において宗教を原理主義的に捉えている人々は、「文化」を無視するようになっています。しかし、歴史を振り返れば、世界宗教は常に文化と交流しています。宗教家たちは、新しい文化、異なる文化に出合うたび、宗教的価値観をどう伝えるべきか悩み、新たな表現法を生んできたのです。
 幻想的で、時代錯誤の考え方によって、他の文化を犠牲にすることもいとわない宗教的原理主義者について考える時、人々は通常、彼らの「暴力性」を恐れています。
 しかし、私はそれ以上に、彼らによって「無文化の貧しい世界」が広がることに、深刻な脅威を感じています。
 
 文化は豊かさとともに、“壁”や異なる理解も生み出します。しばしば宗教的信念や信仰の形態は、異文化において理解されにくい場合があります。ゆえに、新しい世界宗教が誕生するならば、「多様な文化を包含する普遍性をそなえた宗教」でしょう。
 また、宗教は教義だけでなく、「儀式」を提供しなければなりません。人間は、人生のさまざまな段階で「儀式」を行いたいと望みます。
 近年、スイスだけでなく西洋の他の地域でも、それぞれのニーズに合った儀式を提供する“カウンセラー”が増えてきました。先日、特定の宗教団体から離れた結婚式を望む人々の傾向について、興味深い報告をしているスイスのテレビ番組を見ました。国内では、教会での挙式の数は激減しているというのです。
 儀式の重要性は、新しい人生の段階に入る時に、特別な感情を与えてくれるだけではありません。儀式は家族や地域など、自分を支える他者との絆を育むものです。
 今後、誕生しゆく世界宗教は、こうした「儀式」や「人との絆」を重んじる人々の志向性を捉えていかねばならないでしょう。
 ローマ帝国の東端で誕生したキリスト教の小さなグループが世界宗教へと飛躍しゆくことを、当時、誰が信じたでしょうか。インドで生まれた仏教が後に、ヨーロッパまで広がることを、想像できた人はいたでしょうか。
 現代は多くの情報が瞬時に飛び交う社会で、交通の発達により、人々の交流も盛んです。物質的には宗教を広める条件が今、かつてないほどに整っています。世界宗教が興隆するにはベストな状況です。しかし、課題もあります。あまりにも選択肢が多すぎる中で、人々がより個人の視点から宗教を扱う傾向があるということです。
  
 社会の世俗化、宗教の多元化が進み、平和社会の構築へ、ますます「宗教間対話」の重要性が叫ばれている。今後、どのような姿勢で対話に臨むべきかを考えたい。
  
 宗教間対話の最大の目的は、異なる宗教を信じる人々の「相互理解」を促進することです。例えば、キリスト教の聖職者がミサに集った信者に、「私はイスラム教のことを知っています。地域のムスリムの方々は大変に素晴らしい」と語れば、キリスト教とイスラム教の相互理解は、その地域で進展し、偏見や差別は減少するでしょう。
 本来、宗教間対話は形式ばらない形で行われており、“草の根レベル”で、影響を与えていかなければ、全く実にならないものなのです。残念なことに、時に、聖職者が宗教間対話の会場を行き来しているだけのように見られる、民衆とはかけ離れた対話が行われることがあります。
 対話を進める上で大事な点は、他の教義や実践を理解することです。同時に、その宗教の信仰者の目的や志、課題などを知らねばなりません。教義を学び合うだけでなく、人間性をも学び取っていくのです。そうすれば、他の宗教は、抽象的なものではなく、“教義を束ねたもの”でもなくなります。良い点や悪い点を併せ持つ信仰者たちとの出会いを通し、理解は深まっていくものなのです。
 要するに、宗教間対話は、現実的かつ地域に根差したものであるべきなのです。地域レベルで調和をもたらし、相互理解を進めるものであれば、対話の目的は達成されたといえるでしょう。
 Jean-François Mayer 1957年、スイス・フリブール生まれ。84年、仏・リヨン大学で博士号を取得。スイス国立科学財団の研究プロジェクト担当者、スイス連邦政府の国際関係アナリスト、フリブール大学の宗教学の講師等を経て、2007年、宗教研究の機関「レリジオスコープ研究所」を設立。現代世界における宗教の役割等に関するニュースや分析を提供する2言語のウェブサイトの編集長も兼務する。著書、論文多数。
 グローバルウオッチへの感想・意見をお寄せください。
 メール g-w@seikyo-np.jp ファクス 03―5360―9613

◆〈この一節を胸に行学に励む〉 テーマ 対話の宗教  2017年10月21日
「壁」を破る勇気の語らいが 相手の心を動かし友情築く
 


 世界192カ国・地域に広がったSGIの連帯――。仏教史に燦然と輝く壮挙は、創価学会員による地道な一対一の「対話」のたまものにほかなりません。今回は、対話の意義について確認します。

Q.釈尊や日蓮大聖人は、対話を重視したと聞きました。
A.直接会って語り合うことで、一人一人の心がかわります。


『日蓮は此の法門を申し候へば他人にはにず多くの人に見(まみえ)て候へ』
(妙法比丘尼御返事、1418ページ)

 仏教の創始者である釈尊は「自分から話し掛ける日知」だったといわれます。その生涯は「開かれた対話」に貫かれていました。
 釈尊の最初の説法(初転法輪)は、決して高みから教えを垂れるようなものではなかったといわれます。覚りを開いた釈尊は、その地・ガヤからサールナート(鹿野苑)へ、250キロの道のりを歩いて5人の旧友を尋ねました。
 そして、粘り強い対話によって、やがて一人の友が教えを理解し、残りの友も続いたのです。
 目の前の一人と心を通わせる・・・これが仏教の出発点です。
 日蓮大聖人も言論の力を重視されました。多くの門下への激励のお手紙や、時の権力者に対する正義の論陣などで社会を変革しようとされたのです。
 御書に「日蓮は、この法門を語ってきたので、他の人と比較にならないほど、多くの人に会ってきた」(1418頁、通解)とあるように、大聖人は仏法弘通に当たって、多くの人と会い、対話を繰り広げてきたと述べられています。率先して人と会い、人と語り、妙法の仏縁を結びました。
 日蓮仏法はまさに「対話の宗教」なのです。


Q.友人との対話で重要なことは何でしょうか?
A.どこまでも相手を信じ抜いて、粘り強く実践することです。


『独り此の事を愁いて胸臆(くおく)に憤びす客来って共に嘆く屡(しばしば)談話を致さん』
(立正安国論、17ページ)

 御書には、「問うて曰く」「答えて曰く」といった対話形式で進められた論文やお手紙が数多くあります。中でも「立正安国論」は、「客」と「主人」との10問9答の「問答形式」でつづられており、対話の在り方が示された書です。
 「立正安国論が執筆された当時の日本では、大地震、大風、洪水、飢饉、疫病などが続き、民衆は苦悩にあえいでいました。
 同書の冒頭は、こうした惨状を嘆く客に対して、主人が「自分も一人でこのことを憂い、胸の中で憤ってもどかしい思い出いたところ、あなたが来て同じことを嘆くので、しばらく、これについて語り合おうと思う」(御書17頁、通解)と、同苦するところから始まります。
 主人は、理路整然と話を進め、客の誤った考え方を諭していきます。客は反発し、席を立とうとまでしますが、主人は笑みをたたえ、去ろうとする客をとどめて、話を続けます。そして、粘り強い対話によって客も次第に心を開き、ついに自ら正義のために立ち上がることを誓います。
こうしたやりとりは、私たちの対話の手本ともいえます。
 どこまでも粘り強く、真心を尽くしていく中でこそ、相手の心を変えることができるのです。


Q.自分の思いが、なかなか通じないこともあるんですが・・・
A.自身の”臆病な心”を打ち破り、楽しく語っていくことが大切です。


『とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁
 となって仏になるべきなり』
(法華初心成仏抄、552ページ)

 対話をした時の相手の反応は、十人十色です。中には、自分の思いが通じないどころか、反発さえする人もいるでしょう。
 日蓮大聖人は「とにもかくにも法華経を強いて説き聞かせるべきである。信じる人は仏になり、謗る者は毒鼓の縁となって仏になるのである」(552ページ、通解)と仰せです。
 池田先生はこの御文を拝して、つづられています。
 「相手の反応がどうであれ、妙法に縁させることが大事なのだ。そして、『強いて』語るためには、何よりもまず、自分の臆病な心、弱い心を打ち破らねばならない。そうであってこそ、勇気をもって、悠然と楽しく対話ができる。その結実は、真心と執念で決まる」
 大聖人御自身、妙法弘通の御生涯において、2度の流罪をはじめ、幾多の難に遭われました。しかし、「喜悦はかりなし」(1360ページ)とあるとおり、常に歓喜の生命で民衆救済の大願に生き抜かれました。
 私たちの対話は、友人に仏縁を広げていくとともに、さまざまな価値観をもった友人と語り合うことで自身の境涯を大きく開いていく実践でもあります。
 自他共の幸福を実現する直道であることを確信して、喜々として取り組んでいきましょう。

◆〈信仰体験 ブラボーわが人生〉第37回 どろんこ人生に感謝状
「言い尽くせないほどの『ありがとう』をここに」


【大阪市淀川区】順風に帆を揚げてきたのかといえば、そうでもない。松井昌子さん(92)=新塚本支部、総区婦人部主事=は幼くして右目の光を失い、戦後の貧苦を家族でしのいだ。それにもかかわらず、である。「苦労を苦労と感じたことがない」と言い切る。それはひとえに「お父さん(夫)のおかげやろうなあ」。夫の旅立ちからもうじき七回忌。昌子さんは、陰になり日なたになって支えてくれた夫への思いを、筆に込めることにした。

 感謝状 松井利夫殿
 お父さん――私より背の低かったお父さん。高げたを履いていたお父さん。風呂おけを抱えて、子どもと銭湯に行くのが好きだったお父さん。帽子をよくかぶったお父さん。トンカツには目がないけど、娘のおごりだとウナギ屋に入るお父さん。手あかで黒ずんだ御書のどこにどんな御文があるのか、すぐに開いたお父さん。家族の苦労を一人で背負ったお父さん。お父さんがいなくなって、感謝は日増しに膨らみます。
  
 お父さん――あなたのプロポーズは突然でした。出征の日の真っすぐな視線。海軍の炊事兵として広島の大竹海兵団に入ったけど、戦闘で爆撃されて、しょうゆだるを腹にくくりつけ大海を漂ったお父さん。胸ポケットに忍ばせた私の写真も海のもくずとなったのでしょう。
 昭和30年(1955年)6月、あなたは実家の天ぷら屋の常連さんから、座談会に誘われました。「あいそで行ってこい」と母親に言われたのに、潔く入会を決めたお父さん。勘当をくらっても唱題の背筋は真っすぐで、私は箒で邪魔ばかり。それでも揺るがぬ鉄の意志に、私も半年後に続いたのです。
 貧困に生き、3畳間の納屋暮らし。あなたは日雇いの仕事を始めました。船の塗装、サビ取りを6年間。汗と油の染み込んだ、くたくたの作業服。顔にこびりついたサビとペンキを、シンナーで取るお父さん。流した涙はシンナーが染みたのか、貧しさが染みたのか。ペンキが取りきれない顔で座談会に駆け付けたあなたは、泥をつかんででも、家族を幸せにしようとしていました。
  
 お父さん――あなたは大阪市中央公会堂の外で雨に打たれながら、池田先生に誓いを立てました。昭和32年7月17日。胸の奥から安堵と闘志が湧き上がり、折伏に激走した日々。「戦わな正義もない。正義ゆえに負けるわけにはいかんのや」。その志が師匠に届いたのか、池田先生からもらったレコードはまさに勲章でした。
 原爆の後遺症で、若い時から総入れ歯。頭にはケロイドの痕。めまいが多く、日なたを避けて歩いていたお父さん。原爆の傷を背負って強く生きようとしたお父さん。唱題の背で教えてくれたのは、「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(御書1190ページ)という常勝の土台でした。
  
 お父さん――あなたのおかげで、私は朝から晩まで学会活動ができました。ご飯の支度も任せきり。私が「おなかすいたあ」と言えば、おじやを作り、出掛ける前は、一口おにぎりを持たせてくれる。私と子どもの茶わんには炊きたてのご飯をよそい、「家族を愛するのも、わしの使命や」と、自分の茶わんに冷やご飯を入れて笑ってくれた。
 思い出すのは優しさばかり。穴の開いた靴で、いつも私と子どもの服ばかり買ってきたこと。息子の反抗期には、「わしの嫁に何すんねん」と怒鳴ってくれたこと。私が学会活動で終電をなくしたら、いつも中古の軽自動車で迎えに来てくれたこと。エンジンがかからず、押したこともありました。
 鉄工所で働いていた39歳。不始末の責任を一身にかぶって退職した夜。ぶっきらぼうに手のひらの小箱を差し出したお父さん。わずかな退職金の使い道は、結婚当初に買えなかった婚約指輪でした。
 お父さん――あなたの晩年は病気とともにありました。65歳で脳梗塞、75歳で心臓病。過酷な日々だったけど、青春を取り戻すことができました。
 リハビリを兼ねて、公園まで手をつないで散歩し、雨が降ったら一つの傘で雨宿り。桜の下のベンチに腰掛け、噴水に懸かる虹を見つめていたあなたの横顔。息子の喫茶店から漂うコーヒーの香りに誘われて、特に話すこともなく過ごした時間。
 あなたは私の一番の味方になってくれました。でも私はあなたに何もしてあげられなかった。妻として失格だったかもしれません。お父さん、あなたは私と結婚して、本当に幸せでしたか?
 あなたは答えてくれました。一冊のノートが出てきたのです。そこには自由の利かない右手を左手で支えながら書いた、あなたの震える文字が右下がりに並んでいました。
 『長い間本当に有り難う。私の人生であなたと別れなかったことが最高に幸福』
  
 お父さん――あなたはよく言っていました。「わしの人生はどろんこ人生」。その言葉通り、あなたの悔しさや頑張り、不屈の祈りが、私の根っことなってくれました。だから私は自分らしい花を咲かせられたと思います。
 よってあなたの労苦に、言い尽くせないほどの「ありがとう」をここに表します。 妻・昌子

 「こんな年の重ね方をしたい」と、みんなに言われる。165センチの高身長。真っすぐな線の立ち姿。声に張りがあり、頭脳も明晰。すたすた歩いて、まとう空気には気品が漂う。そんな昌子さんに聞いてみた。
 美人は得をするって本当ですか?
 かつて、昌子さんと結婚しようと、男性陣があれこれ健闘したようだ。おかげで欲しいものは「だいたい手に入った」と笑う。だから美人は得をする? そうではない。
 昌子さんは、池田先生との出会いを刻んだ。草創期の面接に始まり、新大阪文化会館での記念撮影(80年)、日ソ親善交流文化使節団(81年)。原点を築けたのは、「お父さんが背中を押してくれたから」と。師との誓いを共にし、偉大な目的に共に歩める人がいる――。「結局、お父さんと暮らせたから、美人は得をするんでしょうね」。ちなみに、昌子さんの言う美人とは「題目の香水で美しく輝く人」のこと。顔の整い具合は関係ないようです。ご安心を。(天)

2017年10月20日 (金)

2017年10月20日(金)の聖教

2017年10月20日(金)の聖教

◆わが友に贈る

御聖訓「ちかいし願
やぶるべからず」
誓願は果たしてこそ!
決定した祈りと行動で
断じて栄光をつかもう

◆〈名字の言〉 2017年10月20日

 北海道北広島市には「寒地稲作発祥の地」を記念する石碑がある。1873年、中山久蔵が赤毛種を用いた稲の栽培に成功した。その後、彼は種もみを無償で提供し、北海道の稲作の普及に尽力。「寒地稲作の父」と仰がれる▼もともと農業には全くの素人で、開拓使からは侮蔑的な言葉も浴びせられた。日本政府は北海道での稲栽培を“不可能”と考え、畑作を強制したが、久蔵は諦めない。深夜、風呂の残り湯を苗代に運び、水温を上げるなど、必死の努力を続けた。3年目、執念は実を結び、石狩・空知地方へと米作りは広がっていった▼久蔵の稲作にみられる通り、北海道の歴史はあらゆる点で「開拓の歴史」といえよう。学会にあっては「小樽問答」「札幌・夏の陣」「夕張炭労事件」に象徴されるように、池田先生自らが、北海道広布の“開拓”に挑んできた。ここに、友の誇りがある▼25年前、先生は厚田の戸田記念墓地公園を訪問した折、中山久蔵の生涯に触れつつ、こう語った。「だれが何と言おうと、『今に見よ!』『絶対に成し遂げてみせる!』――この執念を貫いた人が“最後の勝利”をもたらすのです」▼自ら決めた目標は、何が何でも実現せずにおくものか。その勝利への執念から、難攻不落の栄光城は築かれる。(芯)

◆〈寸鉄〉 2017年10月20日

 「大風吹けば求羅は倍増
 するなり」御書。試練に
 打ち勝つ真の勇者たれ!
      ◇
 大空知総県・留萌創価県
 頑張れ。全国から熱い声
 援。北海天地に凱歌を!
      ◇
 神奈川の保土ケ谷・旭よ
 師子となって走れ!気迫
 の対話で断じて競り勝て
      ◇
 東北が勇躍前進!庶民の
 力に勝る物なし。不屈の
 みちのく魂で勝ち上がれ
      ◇
 政策集への関心後退と。
 政治は夢物語でなく実行
 力だ。公明よ実績で輝け

◆社説  「新・人間革命」に学ぶ  今が勝負だ! 師子よ一人立て!


 「波浪は障害にあうごとに、その頑固の度を増す」――これは、池田大作先生の座右の銘である。先生は、常に、この言のごとく、厳しい試練にさらされれば、さらされるほど、闘魂を燃え上がらせて広宣流布の大道を切り開いてきた。
 現在、本紙に好評連載中の小説『新・人間革命』第30巻では、1979年(昭和54年)に会長辞任を余儀なくされた山本伸一が、雌伏の時を経て、反転攻勢に打って出る模様が克明に描かれている。
 辞任後は、会合に出席することも、「聖教新聞」に登場することも制限された。創価の師弟を離間させ、学会を意のままに操ろうとする、宗門僧と反逆者による謀略であった。その窮地のなかから、創価の新時代を開いた伸一の、力の源泉となったものは何であったか――。
 彼は語っている。「私は、戸田先生の弟子だ。だから、どんな状況に追い込まれようが、どんな立場になろうが、広宣流布の戦いをやめるわけにはいかないんだ」(「雄飛」の章)と。
 広布の師弟誓願に生き抜こうとする一念こそ、不撓不屈の原動力にほかならない。
 彼の心には、常に師がいた。日々、悔いなき弟子の行動であるかを問う師弟の対話があった。
 伸一は、打ち続く四面楚歌の状況の中で戦いを開始した。
 指導ができなければピアノを弾いて勇気を送り、共に写真に納まっては奮起を呼び掛けた。会合に出られないのなら、自ら出向いて同志と会い、全生命を注ぐ思いで励ました。不屈の一念は、智慧を湧かせ、行動となり、現実を動かしていく。
 伸一の行動は迅速果敢であった。反転攻勢の火ぶたを切る会員指導は、第5次訪中の帰途、九州の長崎に降り、直ちに同志の輪の中に飛び込み、開始されたのである。電光石火、福岡、関西、中部、静岡と回り、蘇生の新風を巻き起こしていった。
 小説には、「死力を尽くす思いで、一人でも多くの同志と会っていった。反転攻
勢の『時』を、断じて逸するわけにはいかなかった。“師子よ立て! 今が勝負だ!”」(同)とある。
 「未来」といっても、この一瞬にある。明日ではなく、「今」を勝つ人の頭上に勝利の栄冠は輝くのだ。
 小説『新・人間革命』の連載は、第4章「暁鐘」に入り、師のペンの闘争は、ますます意気盛んに進められている。私たちも、師に呼応し、師子となって一人立ち、わが人生の、わが広布の、“新時代の暁鐘”を打ち鳴らしていきたい。

◆きょうの発心   “足で立つ”戦いで対話拡大へ2017年10月20日


御文
 始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり
 (御義口伝、788ページ)
通解 初めて自分の心が本来の仏であると知ることを、すなわち大歓喜と名づける。いわゆる南無妙法蓮華経は、歓喜の中の大歓喜である。

 
自身の中に仏の生命があると知り、唱題することこそ、最高の歓喜である、との仰せです。
 18歳の時、母に続いて入会。女子部で薫陶を受け、真剣に唱題に励む中で、歓喜の人生を教わりました。
 1981年(昭和56年)10月25日、「足立区友好総会」に出演。初めて池田先生との出会いを結びました。先生の「私は何があっても、富士山のごとく不動です」との師子吼を胸に、生涯、信心根本に生き抜くことを誓いました。
 結婚して間もなく、夫は独立して起業。日々の暮らしもままならない中、夫の転落事故、子どもたちの病気や不登校など、何度も厳しい現実にぶつかりました。そのたびに、家族で団結して祈り抜き、全てを乗り越えて、念願の個人会場も提供できるように。今、3人の子どもたちは全員が、青年部として広布に走っています。
 10・25「足立広布 師弟原点の日」に向けて、足立は“足で立つ”との伝統の対話拡大に打って出ています。報恩感謝を胸に、行動第一、実践第一で、怒濤の勝利のドラマをつづってまいります。
 東京・竹の塚牧口区総合婦人部長 小林美恵子

◆小説『新・人間革命』第30巻 暁鐘の章 四十二 2017年10月20日 (6203)



 山本伸一は、ここで、仏法で説く「発心」について語っていった。
 「『発心』とは、『発菩提心』という意味である。簡単に申し上げれば、悟りを求める心を起こすということであり、成仏への決心です。
 人生をより良く生きようとするには、『汝自身とは何か』『汝自身のこの世の使命とは何か』『汝自身の生命とは何か』『社会にいかなる価値を創造し、貢献していくか』等々、根源的な課題に向き合わざるを得ない。
 その解決のために、求道と挑戦を重ね、仏道修行即人間修行に取り組んでいくことが『発心』であり、それは向上心の発露です」
 彼は、仏法の法理や仏法用語を、いかにわかりやすく、ヨーロッパの友に伝えるか、心を砕いていた。どんなに深遠な法理であっても、人びとが理解できなければ、結局は、価値をもたらすことはないからだ。仏法の現代的展開にこそ、人類の至極の智慧を、世界共通の精神の至宝とする方途がある。
  
 翌八日には、夏季研修会の掉尾を飾って、友好文化祭が開催された。
 イギリスの同志は熱唱した。
  
 〽心と心のふれあいに
  強き絆に結ばれて
  自由の道を拓きゆく
  たとえ道は長くとも
  希望の光かかげつつ
  
 デンマーク、ノルウェー、スウェーデンの同志が、花柄のスカーフをなびかせて踊れば、スペインの同志は陽気に舞い、黒いハットを場内に投げる。ベルギーのメンバーは、「同志の歌」をバックに創作舞踊を披露。西ドイツ、スイス、ギリシャ……と続く。
 “私は負けない! 断じて勝つ!”――広宣流布へ、皆の心は一つにとけ合い、歌声が勝利山(サント・ビクトワール山)にこだまする。欧州は一つになった。それは、世界の平和をめざす、人間の魂と魂の連合であった。   

【聖教ニュース】

◆イギリス 「10・13」池田先生初訪問の日56周年記念の集い 2017年10月20日
明年3月に6000人の青年フェスティバル


広布サミット会議の参加者が決意のカメラに(タプロー・コート総合文化センターで)
広布サミット会議の参加者が決意のカメラに(タプロー・コート総合文化センターで)

 10・13「イギリスSGI(創価学会インタナショナル)の日」を記念する広布サミット会議が14、15の両日(現地時間)、ロンドン郊外のタプロー・コート総合文化センターで開かれ、全英から約220人のリーダーが集い合った。
 ――池田大作先生がイギリスへの第一歩をしるしたのは1961年10月13日。この時、同国のメンバーは、わずか2人だった。
 かつて池田先生は、初訪問時の心境を、次のように振り返った。
 「私は、33歳の青年会長であった。しかし、自らがひとたび、この大地を、踏みしめたからには、日蓮大聖人の『地涌の義』の仰せのごとく、“必ずや、地涌の勇者を陸続と輩出せずにはおかない”との決意であり、確信であった」と。
 以来、7度にわたって同国を訪れ、同志を励まし続けてきた池田先生。まさに師の大闘争ありて、今やイギリス全土に輝ける“地涌の勇者の陣列”が築かれたのである。
 広布サミット会議の初日(14日)には、ハラップ理事長が、2018年11月18日に向けた活動大綱を発表した後、小説『新・人間革命』を教材に、「師弟不二の精神」などについて学び合った。
 ユング青年部長は、3・16「広宣流布記念の日」60周年となる明年3月に、ロンドン、マンチェスター、ブリストルの3都市で、合計6000人が集う青年フェスティバルを開催すると発表。この佳節を勝ち飾るべく、青年を拡大し、育てゆく決意を述べた。
 翌15日は、各方面の代表メンバーが弘教拡大の模様や信仰体験を語った。グループ別のディスカッションのほか、青年部有志による合唱なども行われた。
 サミュエルズ男子部長のあいさつの後、マーチャント婦人部長は、「一人」の励ましに徹し、永遠に発展しゆくイギリス広布を築こうと強調。
 ハラップ理事長は、「青年を先頭に異体同心の団結で前進し、全ての活動で勝とう」と呼び掛け、フジイ欧州書記長が励ました。
 また、広布サミット会議に先立ち、13日には、池田先生の初訪問56周年を記念する勤行会が同センターで行われた。

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈金秋のモスクワ 初訪露43年 池田先生の足跡をたどって〉㊦ 2017年10月20日
「人間を信じる」優しさと強さを

 
モスクワ大学のシンボルである高さ240メートルの壮麗な本館と、創立者ロモノーソフの像。池田先生は6度の訪露でいずれも、同大学を訪れている(本年9月)
モスクワ大学のシンボルである高さ240メートルの壮麗な本館と、創立者ロモノーソフの像。池田先生は6度の訪露でいずれも、同大学を訪れている(本年9月)

 作家のチェーホフが、ゴーゴリ、ブルガーコフがいる。作曲家のショスタコービッチ、それにフルシチョフ、エリツィンら、世界を揺るがした政治家たちも。
 モスクワのノヴォデヴィチ墓地には、荘重な造りを施した墓石が並ぶ。著名人たちの墓に、国内外の多くの観光客が集まっている。
 そうした喧噪から離れた静かな場所に、一つの墓石があった。
 「レム・ホフロフ」と刻まれたそれは、物理学者で、1973年から77年までモスクワ大学総長を務めた、ホフロフ博士のものである。
 「素朴と言われてもよい、ともかく人間に会うことだ。人間として、人間同士の友情を結ぶことだ」。1974年9月8日、そう心に期してモスクワの土を踏んだ池田先生が、初めて出会った「人間」こそ、ホフロフ総長であった。
 「モスクワは今、金の秋を迎えました。最もよい季節です」。穏やかな笑みを絶やさず、鋭い知性を温厚な振る舞いの中に包み込んでいた総長。
 質実そのものの墓石が、そうした姿をしのぶのに、ふさわしいものに思えた。
 77年、総長は登山中の事故で、51歳の若さで世を去った。池田先生は81年5月の3度目の訪露で、墓前に献花し、エレーナ夫人の自宅を訪問。残された子息たちを励ましている。
 総長との交友はわずか4年に過ぎなかったが、その4年を礎に、モスクワ大学と、池田先生が創立した創価大学との友情はログノフ総長、現サドーヴニチィ総長に引き継がれ、43年後の今、大きく花開いている。
 その一つの証左が、モスクワ大学で行われた、池田先生に対する「国際グローバル研究アカデミー」正会員証の授与であった。
 授与は、世界50カ国から1500人の学識者らが集った国際会議「グローバリスティクス2017」の初日、9月25日に行われた。
 同会議はサドーヴニチィ総長が提唱し、隔年で開かれているもの。開催中、キャンパスの至るところに会議のポスターを見かけ、モスクワ大学が総力を挙げていることが伝わってきた。
 しかし総長は、開会式であいさつすると、席をはずさざるを得なかった。総長が正会員を務める最高学術機関「ロシア科学アカデミー」の、総裁選と重なったためである。
 多忙を極める、その総長が、日も暗くなった後にわざわざ大学に戻り、本館に招いたのが、池田博正SGI副会長(創大最高顧問)だった。
 開口一番、総長は「創価大学は、わがモスクワ大学が、日本で真っ先に交流を始めた大学の一つです。池田先生とは長年にわたって交流し、対談集も出すことができました」と。
 そして「創大は私たちにとって、“最優先”の大学なのです」と述べ、再訪への期待を語った。
 総長は幾たびも創大を訪れており、直近の来訪は昨年12月15日。プーチン大統領と時を同じくしての訪日だった。
 創大訪問の予定は、到着したその日の午後4時。ところが、飛行機の遅れと道路の渋滞が重なり、東京・八王子市のキャンパスに着いた時間は午後7時半になった。予定行事のいくつかをキャンセルしても、驚くには当たらない。
 ところが総長は、予定通りに講演を行い、同大学に開設された「ロシアセンター」にも足を運んだ。大学を出発した時、午後9時を過ぎていた。
 “創大は最優先の大学”――それが掛け値なしの言葉であることが分かる。
 「ぜひ池田先生に、私の心からの敬意をお伝えください。(94年5月、モスクワ大学に)一緒に植えた白樺の木も育っています。先生のご健勝とご長寿を、心から祈っています」
 そう総長は、大学本館で池田SGI副会長に語るのだった。
                                                                      ◇
 モスクワ大学の正式名称は「M・V・ロモノーソフ記念モスクワ国立大学」という。
 1755年、43歳だった科学者ロモノーソフが創立に奔走した。帝政ロシアの時代にあって、“特権階級のためではない、全ての人に開かれた学びの場を”との理想を掲げた。
 風当たりは強かった。開校式にも出席できなかった。最初は、小さな薬局を校舎に改装して使った。
 「赤の広場」の北側に位置するその場所には、国立歴史博物館が立っている。建物の壁に、大学原点の地であることを示すレリーフが刻まれていた。
 「雀が丘」にある現在のモスクワ大学は、一つの街と言っていいほどの、広大なキャンパスを有する。
 高さ240メートルの本館は圧倒的な存在感を持ち、モスクワを代表するクラシック建築の一つ。キャンパスにはロモノーソフ像が立ち、ロモノーソフ棟という名の建物もある。
 創立者と「建学の精神」を大事にしていることが、一目で分かる。
 43年前、池田先生は本館のバルコニーに立ち、市内を一望しながら、ホフロフ総長に語った。
 「創価大学は、まだ、誕生したばかりの小さな大学ですが、21世紀には、貴大学に匹敵する大学になって、世界に貢献したいというのが、私の夢なんです」
 ロモノーソフと同じ43歳で創大を開学して3年。まだ、卒業生もいなかった。
 総長は応じた。「大学の意義は、決して大きさで決まるのではありません。創価大学には、全人類的価値を掲げる、すばらしい『建学の精神』があります。そこには、限りない未来があります。だからこそ私たちは、創価大学と真剣にお付き合いしたいのです」
 創価教育の世界的広がり。ロシアをはじめ、各国で活躍する創大卒業生。モスクワ大学と創大の、今も続く留学生の往来――。それらを思う時、池田先生の間断なき行動への感謝とともに、ホフロフ総長の慧眼がしのばれてならない。
                                                                   ◇
 「モスクワに来られる時は、いつでもお会いしたい」――「正会員証」の授与翌日の9月26日、アレクセイ・ホフロフ副総長が、池田SGI副会長はじめ訪問団を本館に迎えた。副総長は、レム・ホフロフ総長の子息である。
 池田先生が81年、総長の墓参の後、夫人の自宅を訪ね、激励したのが若き日の副総長。以来、先生と3度の出会いを重ねてきた。
 「池田先生は偉大な方です。露日の友好、人的交流に長く貢献してこられた」「(初訪露された)74年が『原点』です。私は何度も日本を訪れていますが、常に心掛けているのは、父の開いた道を確かに継承していくということなのです」
 にこやかに語る副総長。時は移ろい、体制は変わっても、父から子へ、「心」は確かにつながっていた。
 国際会議「グローバリスティクス2017」の期間中、モスクワ大学の植物園に入らせてもらった。
 94年5月17日、サドーヴニチィ総長と池田先生が植えた白樺の木が、そこに立っている。
 人の腰の高さほどだった若木は、厳寒に、吹雪に嵐に耐えて、大木に育っていた。緑の葉は黄色く色づきはじめ、「金秋」の到来間近を告げていた。
 白い木肌。風にさらさらと揺れる細い枝。白樺は優しく、素朴で美しい。
 しかし、弱いのではない。やせた土にも育ち、山火事などで荒れた土地にも、最初に姿を見せ、人々を癒やしてくれるのが、白樺の木であるという。
 人間もまた、“しなやかな強さ”を持ちたい。相手を思う優しさが世界を結び、ひたむきに信念を語り抜く強さが、社会を変えゆくことを信じたい。
 モスクワ大学の白樺が、それを教えてくれた。
 (㊤㊦ともに記事=濵﨑正、市街と大学の写真=川上孝徳)  

◆〈信仰体験〉 自動車修理一筋50年
絶対に成し遂げる! という一念 昨日、「九州運輸局長表彰」に輝く


【福岡県田川市】 精巧な精密機器でも太刀打ちできない「技」が光る!――自動車修理一筋50年、自動車整備工場「ガレージつかはら」を営む塚原義晴さん(68)=田川先駆支部、副支部長=に昨19日、「九州運輸局長表彰」が贈られた。
 自動車車体整備部門としては、唯一の受賞。晴れの舞台に立った塚原さんは感慨深げに、「きょうまで歩んでこられたのは、池田先生と同志のおかげ。そんだけばい」と語る。師匠に応えんと、ただひたすらに、技の極みを求め、腕と心を磨いてきた。

戦いの銅鑼

 “街の車屋さん”と親しまれている「ガレージつかはら」。元々は板金業だったが、今では、ボディー修復やエンジンなどの整備も行っている。  
 「いろんなお客さまが来てくださる。どんな要望にも応えたくて、たくさんの資格を取ったばい」 少年のように笑う塚原さんだが、車に向かうと、鋭い「匠」の目になる。  
 ゆっくりと車を一回り。へこみ、傷、ゆがみを見定めると、作業工程が浮かんでくる。エンジンをかけると、音と振動で、瞬時に内部の不調が分かるという。
 「“ここが痛い”って、話し掛けてきよる」
 点検を終えると、板金用のハンマーと当て盤を手にする。車のへこみをジッとにらみ、ハンマを一当て、二当て……。瞬く間にボディーやフレームが、滑らかな曲線を取り戻していく。  
 「鉄は伸びたり、縮んだりしよる。生きちょんばい。この感覚や経験は、知識や理屈じゃないけん。どんだけ壁にぶち当たって、必死に乗り越えてきたか。そんだけばい」
 塗装も一見、同じ色に見えても、メーカーや車種によって微妙に違う。色あせもある。数種類の塗料を調合して、正確な色を作り出す。  
 塗料の吹き付けは、ミリ単位の違いで波打って見える「塗装波」が生じてしまう。
 「勝負は一瞬。わずかな油断が命取り。絶対にやるっちゅう一念が大事やきー。信心で鍛えたんは、こればい」
 手際よく塗装を終えると、次の車をハンマーでたたき始める。カーン、カーン……。半世紀、打ち鳴らしてきたこの音は、戦いの銅鑼のように、塚原さんを鼓舞してきた。

仕事は3人前
 塚原さんが生まれ育った田川市は、炭鉱の街だった。気性の荒い作業員たちが酒をあおっては遊興にふける。塚原さんも、自動車整備の仕事を終えると、街に繰り出し、荒くれ者の輪に加わった。だが、一人になると、むなしさに襲われた。  
 そうした頃、母と姉から、創価学会の話を聞いた。“親孝行だ”と決め、1970年(昭和45年)、21歳の時に入会する。  
 中途半端は性に合わない。信心もやると決めたら、とことんやった。男子部の先輩から「信心は実証が大事。仕事は、二人前、三人前だ」と言われ、真剣に打ち込んだ。腕の良い整備士がいると聞けば、頭を下げて教えを請うた。
 その後、利江さん(68)=圏副婦人部長=と結婚し、79年には独立を果たす。利江さんも子育てをしながら、事務を担当した。  
 だが、近所には大手自動車メーカーの整備工場がすでにあり、塚原さんの工場は閑古鳥が鳴いた。 塚原さんは真剣に祈った。どんな小さな仕事も誠意をもって打ち込んだ。  
 89年(平成元年)、現在の場所に工場兼自宅を移し、家を広布の会場に提供する。大きな決断だったが、“広布の役に立ちたい”と、夫婦で決めた「攻め」の一手だった。  
 そんなある日、以前勤めていた職場の取引先から仕事の依頼があった。塚原さんのことを、ずっと気に掛けてくれていたという。その真心に胸が熱くなった。その後、大口の契約が続き、経営は軌道に乗っていった。  
 業界の発展にも尽くした。2007年には、筑豊自動車車体整備協同組合の理事長に就任。当時、大手自動車メーカーが、有資格者や認証工場に仕事を依頼する方針になり、対応していない同業者が廃業に追い込まれていた。
 塚原さんは毎週、組合内で、認証工場と自動車車体整備士の資格取得の重要性を説いた。  
 当初、周囲の反応は冷ややかだったが、塚原さんの情熱に、一人また一人と賛同者が現れ、ついには、45社150人以上が資格を取得した。次第に、大手からの依頼が入るようになり、多くの同業者が経営不振を乗り越えていった。
 塚原さんの体に異変が起きたのは、そんな時だった。

肺がんを越え
 11年7月、人間ドックを受診すると、右肺に7・4センチの腫瘍が見つかった。がんだった。リンパ節への転移も危惧され、手術ができないと告げられる。  
 “組合の発展が、いよいよこれからという時に、なぜ……”。ぶつけようのない怒りが込み上げた。  
 すぐに壮年部の先輩が駆け付けてくれ、「塚原さん、まだ死なれんばい! 折伏ばい、題目ばい!」と。先輩の渾身の励ましに共鳴するように、ふつふつと闘志が湧いてきた。  
 “そうじゃけえ。御書に、『よからんは不思議わるからんは一定』(御書1190ページ)とある。 何があっても、信心がひるんじゃいけんばい!”
 塚原さんは、懸命に題目を唱えた。経済苦や病で悩む友人のもとを訪ねては、「がんになったけん。だけん、見ててくれ。絶対に治してやるっちゃ。一緒に頑張るばい!」と励まし抜いた。その不屈の姿に、友人2人が入会した。  
 その直後のこと。セカンドオピニオンに訪れた病院で、「これなら手術できる」との診断を受けた。手術は成功。幸い、リンパ節への転移はなく、現在、再発もない。  
 塚原さんは今、「生かされた命。広布のために使うばい」と、常に“励ましの最前線”を駆けている。
                     *   
 昨19日、「自動車及び観光関係功労者九州運輸局長表彰」の表彰式が、福岡市内で行われた。その晴れの舞台に塚原さんの姿があった。自動車整備事業に貢献してきた功績をたたえる表彰。  
 「不備がある車は、真っすぐ走れん。欠陥があれば、走ることさえかなわんくなる。だけん、整備が必要なんじゃ。人間も一緒。真っすぐな人生を歩み続けるために、師匠や同志に触れて、心のメンテナンスをせんといけん。しかも、わしらには、『信心』という宇宙一のエンジンがある。絶対無敵じゃけん。池田先生は、『信心とは――断じて諦めない勇気』とおっしゃっている。最後の瞬間まで、勇気、勇気、勇気の連続闘争で挑み抜くばい!」
 人生という道の“達人”の域にはまだまだ!――その自戒を胸に、塚原さんの前進は止まらない


2017年10月19日 (木)

2017年10月19日(木)の聖教

2017年10月19日(木)の聖教

◆わが友に贈る

「強敵を伏して
始て力士をしる」御聖訓。
困難に挑み抜いてこそ
本当の力が発揮される。
破竹の勢いで進もう!

◆〈名字の言〉 2017年10月19日

 元プロ野球選手の豊田泰光さんは、黄金期の西鉄ライオンズなどで活躍した。4度出場した日本シリーズでは通算3割6分2厘の高打率。現役の終盤には2試合連続代打サヨナラ本塁打を放つなど、土壇場で大役を果たした。そんな豊田さんが論じる「勝負強さ」が興味深い▼いわく、勝負に弱い人は打席に入っても「なぜ打てないのか」と悩んでしまう。反対に、勝負強い人は「どうやったら打てるだろう」と考える。すると、相手が見えるようになり、目の前が一気に開けてくるという(『豊田泰光のチェンジアップ人生論』日本経済新聞社)▼いざという時、失敗を恐れ、一歩を踏み出せないことがある。その時に、“なぜできないか”と縮こまるのではなく“どうすればできるか”と心躍らせて挑みたい。克服すべき課題、対峙すべき相手に正面から向き合ってこそ、活路は開かれる▼日蓮大聖人は、広布の途上に起きる数々の大難にも「いよいよ・はりあげてせむべし」(御書1090ページ)と、満々たる“攻め”の精神を貫かれた。決して忘れてはならない言論闘争の魂である▼対話の場にあっては、どんな人も「必ず味方に変えてみせる!」との強き一念で、真実を語り抜きたい。その確信の声が、わが地域の広布の決定打となる。(値)

◆〈寸鉄〉 2017年10月19日

 会長は平和社会の建設を
 実践で示す模範―総長。
 「行動の人」を世界は信頼
      ◇
 東京が総立ち。連戦連勝
 こそ本陣の誉れだ。底力
 示し切り感激の勝利を!
      ◇
 大関西が追い上げ。圧倒
 的民衆パワーで勝ちまく
 れ!常勝の万歳を空高く
      ◇
 愛知、静岡、岐阜、三重よ
 断固栄冠を!最後の3日
 が勝負。堂々と語り抜け
      ◇
 「乾ける土より水を儲け
 んが如く強盛に」御書。
 必死の祈りで壁を破れ!

◆社説  師と共に進むタイの友  世界を潤す「人間革命」の仏法


 タイで取材する時は、手元に電卓が欠かせない。
 日本で元号を冠する和暦が用いられるように、タイでは、釈尊の入滅を基準とする「仏暦」が使われている。
 仏暦でいえば、今年は2560年。西暦に「543年」を足すと仏暦になる。取材中に仏暦が出てきた時には、電卓で543を引いて西暦に換算する。瞬時に暗算ができればいいのだが、正確さに自信がないので電卓が手放せない。
 タイは国民のほとんどが仏教徒であり、暦一つにもそれが象徴されている。寺院数は3万を超え、街を歩けば色とりどりの壮麗な伽藍が目に飛び込む。
 精神性を重んじる生き方が社会に根づいている。それは、人間革命の仏法を実践する上でも、大きな力となっている。
 4年前に入会した、女子部員の言葉が印象的だった。
 「毎日“勝つだけ”のことです。御本尊に祈れば、全てを乗り越えていけるんですから」
 自信満々に話す彼女だが、信心を始める前は、問題から逃げてばかりだったという。
 友人に勧められて題目を唱えると、悲観的な心が、次第に前向きに変わっていった。今では仕事や家庭の問題一つ一つに感謝の念が湧き、「悩みに追われていた自分が、悩みを追いかけられるようになりました」と。
 初めて題目を唱えた1年後、彼女は御本尊を受持。「一人でも多くの人に、この仏法を伝えたい。それが、仏法を教えてくれた池田先生への恩返しだと思います」。自分らしく輝いていける喜びを語らずにおれない。
 もちろん、信心を始めたからといって、何もかもが順風満帆だったわけではない。彼女をはじめ、タイの多くの同志が心に刻んでいるのが、「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)の一節だった。
 タイは熱帯性気候で、暑季・雨季・涼季の三つのシーズンに分かれる。日本のような四季はないが、友の心は、苦難の冬を越え、勝利と幸福の春をつかむ信心の確信にあふれている。
 「私にとって春のイメージは先生と桜です。先生は桜を通して“勝利の人生を”と教えてくださっています。たくさん撮られている桜の写真も、“春をつかめ”とのお心だと思います」
 勝利の春と師の笑顔を重ね、女子部員が言葉を結んだ。
 師に勝利の報告ができる――その心の躍動に、信心歴の長短は関係ない。師匠を求める強き一念の拡大こそ、世界広宣流布の実像なのだ。

◆きょうの発心   九州から広布拡大の金字塔を築く2017年10月19日


御文
 此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか(報恩抄、293ページ)
通解 この大恩に報いるには、必ず仏法の奥底を学び行じて、智者とならなければならない。

 父母や師匠への報恩のために、智者となって広布に励むべきであるとの一節です。東京創価小学校に入学した直後、池田先生との記念撮影会が行われ、先生と初の出会いを結びました。“みんな日本一、世界一だよ”との温かな声とまなざしは今も胸奥に刻まれています。
 受験勉強に行き詰まっていた創価高校3年生の時には、「勝たんと欲すれば、苦しむことを学べ!」との指針を頂きました。九州の大学に進学し、学生部で対話拡大に奔走。一昨年、九州男子部長の任命を受けた際には、「世界の先駆の九州男子部 新時代の 広布の山を勝ち登れ!!」とのスローガンを頂き、そのご期待に全国屈指の弘教でお応えできたのです。
 初の出会いから30年、先生が励ましを送り続けてくださったおかげで、今の私があります。
 この夏、九州の地で交流を結んだインド創価学会の青年たちが情熱をもって「先生のために戦いましょう! 広宣流布のために戦いましょう!」と叫んでいた姿が忘れられません。この心意気で“勝利こそ報恩の証し”と定め、九州男子部は拡大の金字塔を打ち立て、師恩に報いてまいります。
 九州男子部長 藤原雅一

◆小説『新・人間革命』第30巻 暁鐘の章  四十一 2017年10月19日 (6202)



 翌七日、夏季研修会の一環として、ヨーロッパ広布二十周年の記念総会が開催された。山本伸一は、この席でも、御書を拝して、参加者と共に、仏法の法理を研鑽し合った。
 そのなかで彼は、一切衆生が「仏」の生命を具えていることを述べ、生命の尊厳を説く仏法は、古来、平和主義であったことに言及。戦時中、日本にあって、国家神道を精神の支柱に戦争を遂行する軍部政府の弾圧と戦った学会の歴史も、それを証明していると訴えた。
 さらに、平和を信条とする仏法者の、社会での在り方を示していった。
 「皆さんは、『一切法は皆是仏法なり』(御書五六三ページ)との御聖訓を深く心に体して、それぞれの国にあって、良識豊かな、人びとの模範となる、良き市民、良き社会人であってください。
 われわれは、暴力を絶対に否定します。その信念のもとに、各国各地にあっては、その伝統並びに風習を最大に尊重し、社会に信頼の根を深く張っていっていただきたい。そして、世界の友と、心と心を結び合い、平和をめざしていただきたいのであります」
 次いで伸一は、宇宙の根源の法たる妙法を具現した、御本尊の力について語った。
 「人間の心ほど、瞬間、瞬間、微妙に変化し、複雑極まりないものはない。その心を、いかに強く、揺るぎないものにしていくかによって、人生の充実、幸福も決まっていく。
 また、人生には、“なんで自分は、こんな目に遭わなければならないのか”と思うような、宿命・宿業の嵐に遭遇することもある。それを乗り越えていく、何ものにも負けない強い心を培うための信心なんです。
 妙法という宇宙根源の法を具現したものが御本尊です。私どもの信力、行力によって、南無妙法蓮華経の御本尊の仏力・法力に、わが生命が感応して、大生命力が涌現し、困難の厚き鉄の扉も必ずや開くことができる」
 フランスの思想家モンテーニュは言う。
 「勇猛さは、足と腕がしっかりしているということにはなく、心と魂の堅固さにある」(注)
 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 『世界の名著19 モンテーニュ』荒木昭太郎訳、中央公論社   

【先生のメッセージ】

◆〈御書と歩む――池田先生が贈る指針〉88 嵐に不動の鍛えの信心で


御文
 きたはぬ・かねは・さかんなる火に入るればとくとけ候、冰をゆに入るがごとし、剣なんどは大火に入るれども暫くはとけず是きたへる故なり
 (四条金吾殿御返事、1169ページ)
通解 鍛えられていない鉄は、燃え盛る火に入れれば、すぐに溶けてしまう。それは、氷を湯に入れたようなものである。剣などは、大火に入れても、しばらくは溶けない。これは、鍛えられているからである。

同志への指針

 わが門下は鍛え抜いた宝剣なり! 試練の炎にも怯むことなかれ! これが御本仏の烈々たる師子吼であられる。
 「仏法は勝負」だ。断じて負けない金剛不壊の生命を発揮する信仰なのだ。ひたぶるに仏道修行に徹しゆく人は、「ここぞ」という時に、必ず絶対勝利の実証を示せる。
 創価の青年は、何ものにも翻弄されぬ「世雄」(社会の英雄)と勝ち光れ!

【聖教ニュース】

◆情熱のスペインが総会 2017年10月19日
池田先生の初訪問56周年「師弟原点の日」を記念 全土から1000人が参加
池田先生が祝福のメッセージ 社会貢献の「良き市民」たれ

10・15「スペイン師弟原点の日」記念総会の参加者が決意のカメラに。隣国のポルトガルからも求道のメンバーが駆け付けた(リーバス・バシアマドリード市内で)
10・15「スペイン師弟原点の日」記念総会の参加者が決意のカメラに。隣国のポルトガルからも求道のメンバーが駆け付けた(リーバス・バシアマドリード市内で)

 10・15「スペイン師弟原点の日」記念総会が15日(現地時間)、リーバス・バシアマドリード市内で盛大に開催され、全土から約1000人が参加した。
 池田大作先生はメッセージを贈り、幾多の風雪を勝ち越え、今日の盤石なるスペイン広布の基盤を築いた同志の奮闘を心から賞讃。社会も世界も、いよいよ生命尊厳の大仏法の光を渇仰していると述べ、一人一人が、「良き市民」「良き国民」として、地域に貢献し、信頼と友情の輪を大きく広げていこうと呼び掛けた。
 「スペイン師弟原点の日」――淵源は56年前の1961年10月15日にさかのぼる。この日、池田先生は初めてスペインの地に立ち、未来へと続く同志を思いながら、深く強く祈念した。“出よ! 妙法のピカソよ、妙法のカザルスよ”と――。
 師の祈りに包まれ、スペインにはその後、地涌の同志が陸続と誕生。広宣流布を阻む一切の障魔の嵐を打ち破り、正義の連帯を幾重にも広げてきた。
 巡り来る「10・15」はスペインの同志にとって、「師との誓い」を確認し、立正安国への歩みを進める「出発の日」である。
 総会のステージでは演劇やフラメンコ、合唱などで、スペイン広布の歴史を表現した。圧巻は青年部の代表260人による「第九」(歓喜の歌)の熱唱。
 何があっても、絶対に負けない! スペイン広布は我らの手で!――若人の誓いの歌声に大喝采が起こった。
 スペインのロシェ婦人部長のあいさつなどに続き、カプート理事長は世界広布が伸展する今、スペインから新しい拡大の大波を起こそうと力説。プリチャード欧州女性部長は、師弟不二の誓願こそ人間革命の道であると述べ、一人一人が自身の壁を破り、人生勝利の歴史をと語った。
 タカハシ欧州議長は総会を支えた全ての関係者に感謝を述べるとともに、今ここから広布の対話に打って出ようと訴えた。
 最後に青年部の代表が「2018年11月18日」に向けて誓いの言葉を発表。参加者全員で学会歌「誓いの青年よ」を大合唱した。
 カプート理事長の決意は固い。「スペイン社会は、混迷の様相を呈しています。その中で若き広布の人材が続々と誕生しています。立正安国を目指すSGI(創価学会インタナショナル)の使命は大きい。この総会を出発点として、人間主義の旗を高く掲げます」

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆三代城の北海道に民衆の凱歌よ轟け  「札幌大会」「夕張大会」60周年
戸田記念墓地公園開園40周年

戸田記念墓地公園(石狩市厚田区)内にある戸田先生の立像。そのまなざしは、広宣流布の未来を見つめて。恩師は生前、愛弟子の池田先生に語った。「大作、おまえは世界の広布の大道を必ず開いてゆけ! 頼む。断じて開け!」と
戸田記念墓地公園(石狩市厚田区)内にある戸田先生の立像。そのまなざしは、広宣流布の未来を見つめて。恩師は生前、愛弟子の池田先生に語った。「大作、おまえは世界の広布の大道を必ず開いてゆけ! 頼む。断じて開け!」と

 本年は、北海道の広布史において意義深き佳節を幾重にも刻む。学会員を虐げる「炭労」(日本炭鉱労働組合)の横暴に対して、若き日の池田先生が正義の師子吼を放った「札幌大会」「夕張大会」から60周年。さらには、恩師の故郷・厚田の地に戸田記念墓地公園が開園してから40周年である。創価三代の会長と深き縁で結ばれた三代城・北海道の同志は今、「勝ってこそ新しい歴史は創られる」「愛する北海天地に民衆の凱歌を!」と奮闘している。ここでは、留萌創価県の大会(8日、留萌会館)で感動を広げた活動報告の要旨や、使命の地で実証を示す4人の友の話題を紹介する。

留萌創価県大会での活動報告から 天売支部 支部長 佐賀大一さん

 北海道・羽幌町に属する天売島で、父・佐一の代から続く宿泊施設「島の宿 大一」を営んでいます。
 今から2年前の2015年夏、私は天売支部の支部長の任を受けました。
 それから間もなくして、池田先生が、小説『新・人間革命』「勝利島」の章で天売広布の歴史をつづってくださったのです。父のこと、天売のことを書き残していただいたことは、天売の同志にとって最高の誇りと喜びになりました。しかし私は、この励ましに応える結果を満足に出せないまま、いたずらに時を過ごしてしまっていたのです。
 このままでは、いけない――昨年の暮れに「まず御本尊の前から出発しよう」と決意。天売広布の伸展と島の人々の幸福を真剣に祈り、勇気を奮い起こして、行動を開始しました。
 すると今夏、思いがけずSOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)の新番組「青年よ 未開の広野を進め――池田先生と北海道」で、父のことを紹介していただけるとの話が飛び込んできたのです。
 私は感謝とともに、深く決意をしました。「戸田記念墓地公園の開園40周年の10月を、過去最高の拡大で荘厳しよう!」と。
 しかし、夏は観光シーズン真っ盛り。同志のほとんどが観光業に従事しています。それでも皆が「よし、やろう!」と心一つに立ち上がってくれました。どれほど、うれしかったか。
 島の人は皆、顔見知り。ゆえに島のあらゆる場所が対話の舞台になりました。道端で、店先で、フェリーターミナルで……。顔を見れば笑顔で声を掛け、心を込めて、真剣に語ります。
 たとえ良い反応が得られなくても、めげずに次へ、また次へ。「この島で私たちが対話をしていない友人は、誰一人いない」と言っても過言ではありません。
 「島の発展のために! みんなの幸福のために!」――その一心でした。
 戦いの功徳でしょうか。今夏、私が営む宿泊施設の利用者数が、過去最高を記録したのです。
 聖教拡大の波も、日に日に島中に広がっていきました。島の全世帯の2割、3割、そして過去最高の4割まで。それでも勢いは止まらず、ついには今月、島の3分の2の世帯が聖教新聞を購読してくれるまでに。
 島の同志と手分けして、“池田先生からのお手紙”を届ける思いで、一軒一軒に「幸と希望の花よ咲け」と祈りを込めながら、ひた走る毎日です。
 ――今回配信されたVODの映像では、父が「鉄石の決意で戦い続ける」と叫び、体験発表した1979年(昭和54年)11月の本部幹部会の模様とともに、終了後に池田先生が父を激励してくださった時の写真も紹介されました。
 当時、先生が私にまで渾身の励ましを送ってくださった感激は生涯、忘れられません。
 天売島、そして北海道の勝利を願い、今なお励ましてくださる先生の真心に、島の同志は泣きました。
 映像の中で紹介されていた先生のスピーチが、皆の命に深く刻まれています。「勝利を誇る姿――それも美しい。しかし、それ以上に美しく、気高いのは“さあ、戦うぞ!”“いよいよ、これからだ”という、挑戦の姿であろう」 
 今、天売の同志は、さらなる友好拡大を誓い、島中を駆けています。「さあ、勝つぞ!」「いよいよだ!」と、励まし合いながら。

使命の天地で奮闘する友の話題

●負けじ魂の母

 札幌池田総県の小野亜沙希さん(地区副婦人部長)は、札幌創価幼稚園の出身だ。幼い頃から対人恐怖症で悩み、高校を中退した。
 17歳で結婚し、その後、4人の子宝に恵まれるも、三男が川崎病を、次男が小児ネフローゼ症候群を相次いで発症。さらには、夫が蒸発するなど宿命の嵐に襲われる。
 このとき、どれほど多くの婦人部の先輩たちが共に祈り、励ましてくれたか。小野さんの胸に、創価の園舎で培った「負けじ魂」が燃え上がる。働きながら必死に学び、高校卒業資格を取ると、「マイクロソフト・オフィス・スペシャリスト」や合格率十数%の「情報セキュリティ・スペシャリスト」の国家資格も次々と取得した。今、大手企業の開発部門に勤め、周囲からの信頼を集める。
 4人の子どもたちは全員が札幌創価幼稚園を巣立ち、長男・七音さんは創価大学、次男・鈴音さんは東京の創価高校へ。三男・快音さんと四男・脩音君も学会の未来っ子として「つよく、ただしく、のびのびと」育つ。

●正しい人生とは

 すし職人の小野寺晃彦さん(札幌栄光総県、前進勝利長〈ブロック長〉)が学会に入会したのは、4年前の11月だった。
 青春時代から「正しい人生とは何か」と思索を重ねてきた。さまざまな宗教や哲学の書を手に取った末、創価学会の存在を知る。
 「自分の求めていた生き方だ!」――これと決めたら一直線。行学の二道に真剣に励むと、何事も悠々と楽しめる強い自分自身へと成長していくのを実感した。唱題の功徳か、人間革命の実証か。職場においては、異例の早さで札幌市内のすし店の店長に抜てきされるまでに。
 また、勇気を出して対話に挑む中、病で苦しんでいた母が信仰の力を実感し、入会。その姿に父も続いた。
 本年1月には念願だった自分の店をオープン。同業者がひしめく激戦区の繁華街で、常連客を増やしている。
 座右の銘は「心こそ大切なれ」(御書1192ページ)。仕事も広布も「絶対勝つ!」――この勇壮な心意気で、きょうも進む。

●逆転ドラマこそ

 「夕張メロンは世界一!」と胸を張る、大空知総県の森秀幸さん(夕張正義圏男子部主任部長)。60年前に創価の人権運動の原点である「夕張闘争」が繰り広げられた地で、農家の3代目として活躍する。
 4年前、厚生労働省の指定難病である「慢性炎症性脱髄性多発神経炎」を発症。手足がまひし、医師からは、「悪化すると車椅子の生活になる可能性も」と宣告が。励ましに駆け付けてくれたのは夕張の同志たちだった。
 「みんなで、題目を送ります!」「絶対に大丈夫だよ!」と。
 さらに池田先生からも、励ましの言葉が届く。森さんは、男泣きに泣き、奮起した。宿命を使命に変えてみせる――猛然と祈り、広布拡大に挑戦。杖をつき、転んでは立ち、転んでは立ちを繰り返しながら、一人また一人と対話を重ねていった。
 治療が奏功し、今では杖が不要になるまでに。病魔との闘いは続く。だが絶対に諦めない。「大逆転のドラマこそ信心の醍醐味ですから!」

●夢を叶えて
 小樽に学習塾を開いて44年、札幌牧口総県の阿部美幸さん(婦人部副本部長)には誓いがある。「師匠と信心の偉大さを、自らの姿で示し続けたい」
 入会50年。祈った夢を次々と叶えてきた。経済的な理由から諦めていたアメリカ留学、家族全員への弘教、45歳で再度の米留学、池田先生に誓った“本の出版”等々……。14年前には脳腫瘍が見つかり、右半身不随となってしまうが、真剣な唱題を重ね、一歩もひかずに病魔と闘った。医師にも恵まれ、手術は大成功。その後、アメリカの母校に3度目の留学を果たし、オールAの成績を収めた。
 リハビリを兼ねて始めた卓球の腕前も、日本卓球協会主催の全日本卓球選手権大会(マスターズの部)で第3位に入るなど折り紙付き。学習塾の子どもたちは阿部さんの“生涯青春”の姿を通して夢を持つ大切さを学び、瞳を輝かせている。
 これまで阿部さんが実らせた弘教は38人。挑戦は終わらない。広布と人生の最高峰へ、師との誓いのままに。

◆〈座談会 栄光の峰をめざして〉66 誉れの「11・18」へ師弟勝利の暁鐘を! 限界を破るのは気迫と執念   「大衆とともに」を貫く公明党

わが地域から「立正安国」を決する歴史的な大攻勢を!(左上から時計回りに、東北・福島、関東・茨城、九州・福岡、関西・大阪の集い)
わが地域から「立正安国」を決する歴史的な大攻勢を!(左上から時計回りに、東北・福島、関東・茨城、九州・福岡、関西・大阪の集い)

 原田 栄光の「11・18」を断じて勝ち飾ろうと、全国の同志が猛然と対話拡大に走ってくださっています。先日、伺った北海道では、何としても勝利をと、各部が心一つに団結し、逆境をはね返す戦いを繰り広げています。
 
 永石 神奈川でも、共戦の連帯固く、苦境を勝ち越えるため、全魂込めて正義の拡大に奔走しています。
 
 長谷川 各人の眼前の戦いの勝利こそが、広宣流布と立正安国の万年の大道を開くことにつながります。
 
 原田 かつて池田先生は「ひとたび戦いを起こしたならば、断じて勝たねばならない。勝って、広宣流布の偉大な歴史を残すことだ」と呼び掛けられました。そして、「信心しきった者は、最後は必ず勝利する」と指導されました。
 
 長谷川 「鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩をはこびて今一日に成りて歩をさしをきては何として都の月をば詠め候べき」(御書1440ページ)――幾度も拝してきた御金言です。「これからが、一番大切な時」と心を定めて進んでまいりたい。
 
 永石 後から、「もっと真剣にやっていればよかった」と思うような悔いだけは絶対に残してはなりません。「これほど祈り、語ったことはない」と最後まで強盛な祈りで限界突破の拡大に挑んでいきましょう。
 
 竹岡 御聖訓には「権門をかっぱと破りかしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ」(同502ページ)と仰せです。日蓮大聖人は末法万年の民衆救済へ、徹底した「折伏精神」「破折精神」で歩きに歩き、語りに語り、正義の対話闘争に生涯をささげられたのです。
 
 志賀 民衆の幸福を目指す創価の対話運動もまた、臆さず威風堂々と真実を語り切ることが重要です。
 
 長谷川 勝敗を分かつのは「執念の差」であり「勢いの差」です。どちらが真剣か。気取りや見栄などかなぐり捨て、「最後の一日」「最後の5分」まで、戦い続けた方が勝ちます。
 
 原田 私たちには絶対勝利の信心があります。「断じて勝つ」と決め、「もう一歩!」「あと一押し!」との気迫で攻め抜いてまいりたい。一人一人が決勝点まで全速力で走り切り、師弟勝利の暁鐘を打ち鳴らしていこうではありませんか!

「安心と安定」こそ

 伊藤 いよいよ衆院選の投票日(10月22日)まで、あと3決める重要な選挙です。まだ支持を決めていない人が約4割で、情勢の変化もあり得ると報じられています。
 
 竹岡 自公政権による政治の「安定」か。野党による政治の「混乱」か。そして、少子高齢化や北朝鮮の脅威など、課題山積の中、国民に「安心」をもたらすのは、どの政党か。この点が問われる「安心選択選挙」といえます。
 
 伊藤 中でも、公明党は「三つの安心」を掲げていますね。
 
 永石 ①将来の子育てや社会保障の安心②緊迫化する北朝鮮問題に対し、各国と手を携えて解決できる安心③連立政権に公明党がいることで庶民目線の政治が進む安心、です。日本にとって不可欠な「安心と安定」の要こそ、公明党です。
 
 竹岡 一方で、野党の多くは、旧・民主党出身者。2009年から3年間、民主党政権は失政を続け、日本の経済・外交を悲惨な結果に導きました。「不安と混乱」を生み、多くの国民に政治への不信をもたらしました。
 
 志賀 特に立憲民主党はあの“悪夢”と呼ばれた時代に政権の中枢を担った閣僚たちが顔を並べています。
 
 竹岡 東日本大震災当時の首相と官房長官が、最高顧問と代表に就いているのが、今の立憲民主党です。当時の政権の震災対応は「遅い、鈍い、心がない」と被災地で大ひんしゅくを買いました。特に原発事故は「人災」とも言われました。
 
 志賀 東北の方が心底怒っていました。「立憲民主党は“東日本大震災が原点”“まっとうな暮らしを取り戻す”と言っているが被災地から“まっとうな暮らし”を奪ったのが、当時の民主党政権ではないか」と。
 
 伊藤 翻って、公明党は当時、野党でしたが、被災者の方々や被災自治体の首長、多くの識者から、「公明党は、地方議員から国会議員まで一体となって、現場の声を受け止め、政府を動かした。これはすごいこと」「もし公明党がいなかったら復興はもっと遅れた」等の声が相次ぎました。
 
 竹岡 立憲民主党は今、“筋を通す。理念や政策は曲げられない”等と言っていますが、民主党時代に政権を取っても、約束した政策をほとんど実現できず、国民を失望させました。
 
 志賀 民主党から民進党へ変わり、さらに希望の党へ移ろうとして拒否され、選挙のために寄り集まったに過ぎません。短期間に度々、“筋を曲げてきた”選挙互助会です。
 
 竹岡 立憲民主党は“違憲の自衛隊は解散”“日米同盟の破棄”と訴える共産党と選挙協力も進めている。北朝鮮の脅威から日本の安全をどうやって守るのか。極めて無責任といえます。
 
 伊藤 見た目や、聞こえのいい言葉にだまされず、どの政党が、現実に国民のために働いているかを見極めることが大切ですね。
 
 永石 公明党には、他党にない、地域に深く根ざした全国3000人の議員の「草の根のネットワーク力」があります。震災の時も、立党精神を胸に、一人一人の「声なき声」を聞き、政策として実現してきました。
 
 長谷川 政治評論家の森田実氏も語っていました。「見えざるところに手を伸ばし、現場主義で隅々まで光を当てる。『大衆とともに』という立党精神に根ざし、苦しんでいる大衆と一緒に歩んでいく。『共生』『共苦』『共栄』の思想を根本に置く議員集団・公明党は日本の宝なのです」
 
 原田 「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」――不変の立党精神は、半世紀を超えた今も、光彩を放っています。公明党は衆院選を断じて勝ち越え、日本の未来を開いてもらいたい。

◆〈信仰体験 白ゆりの詩〉 細菌性髄膜炎でまひが残る娘と共に 2017年10月19日


 【兵庫県西宮市】「あらゆる体験は宝物にひとしい。しかも、自分が関わったすべての体験は決して誰からも奪われることがない唯一のものなのだ」とは、ドイツの文豪・ゲーテの箴言である。

2017年10月18日 (水)

2017年10月18日(水)の聖教

2017年10月18日(水)の聖教

◆わが友に贈る

信心とは行動の異名だ。
広布に動けば動くほど
友情と境涯は広がる。
さあ今日もはつらつと
足取り軽く友のもとへ!

◆〈名字の言〉 2017年10月18日

 60年前の10月18日、「大阪事件」の初公判が行われた。裁判に出廷した池田先生は、この日の夜、神戸で開催された大会に出席。日記に「今こそ、信心の前進の秋と知れ。友よ、次の勝利に、断固進もう。俺も、戦うぞ」とつづった▼「大阪事件」の「無罪判決」までに、先生は23回、法廷に立ち、その合間を縫っては関西の友を励ました。この間、裁判のことを語らなかった先生が、初めて裁判について切り出したのは判決前夜、尼崎市体育会館での関西男子部幹部会においてである▼先生は烈々と宣言した。「善良な市民を苦しめている権力とは、断固、一生涯戦う」。「大阪事件」の「無罪判決」は一面から見れば、神戸の大会に参加した日の“闘争宣言”に始まり、尼崎での“闘争宣言”で締めくくられたともいえる。この事実に、兵庫と関西の友の深き使命が示されていよう▼師が手づくりで築いた常勝の天地・関西。「常勝」について先生は「断固として『今を勝つ』ことだ。『今日を勝つ』ことだ」と。時の流れは一定ではない。瞬間瞬間、「自身に勝つ」との執念を燃やす時、同じ一日であっても、十年にも匹敵する歴史となる▼さあ「信心の前進の秋」だ。自身で決めた広布の最高峰を目指し、きょうも“勝利の一日”を飾ろう。(芯)

◆〈寸鉄〉 2017年10月18日

 勇敢な人生を生き切る人
 は幸福―戸田先生。強盛
 に祈り、強気で勝ち進め
      ◇
 北海道が猛追!民衆の力
 は偉大なり。夕張闘争60
 周年を大勝利のドラマで
      ◇
 神奈川よ不屈の闘魂燃や
 せ。共戦のスクラム固く
 大拡大で正義の勝鬨を!
      ◇
 御聖訓「声仏事を為す」。
 語った分、仏縁は広がる。
 勇気の対話で新時代開け
      ◇
 電子マネーを使った詐欺
 出現と。手口は更に巧妙
 に。声掛け強め賢く撃退

◆社説  きょう民音創立記念日  音楽交流が世界平和の建設の力に


 きょう、民主音楽協会(民音)が創立54周年を迎えた。1963年(昭和38年)10月18日、民音による初の記念演奏会が東京・文京公会堂で開催され、この日が創立記念日となった。
 当時の日本では歌謡曲やポップスは親しまれていたものの、クラシックやオペラは大衆とは大きな隔たりがあった。鑑賞券が至って高額なコンサートも多く、庶民にはとても手が届くものではなかった。
 そんな中にあって創立者・池田先生は、民音誕生前の懇談会で語った。「庶民が“下駄履き”で行けるコンサートをつくろうよ!」と。
 そこには、徹して民衆に根差す姿勢と、“音楽交流こそ、世界中の人々の心を結び、世界平和建設の一助となる”との創立の理念が脈打っていた。
 以来54星霜。これまで日本で行った公演回数は7万8000回を超え、中には、ミラノ・スカラ座やアルゼンチン・タンゴ界のマエストロ(巨匠)など、音楽史に輝く舞台も含まれる。
 また、小・中学校等での「学校コンサート」は全国4400校で開催。各地の民音推進委員や賛助会員の支援のもと、離島や山間地域にも希望の音楽を届けてきた。
 言葉や文化は違えど池田先生の理念に共鳴した一流のアーティストが繰り広げるステージ。その一回一回に一期一会の出会いがあり、ドラマがあった。
 現在、来日中のニカラグア共和国の歌姫、カティア・カルデナル氏の公演もその一つ。中米出身の女性アーティストで最多のアルバム・リリース数を誇るなど、同国の音楽界を代表する彼女には、今回の訪日に特別な思いがあるという。
 兄とデュオとして活動を始めたのは37年前。当時のニカラグアは、不安定な政治状況や内戦、自然災害が続く状況にあって、国民の音楽活動に対する評価は著しく低かった。そんな中でも2人は、人々に元気を送る音楽の可能性を信じ、「世界に友情を広げるため、音楽を奏で続けよう」と励まし合ってきた。
 その兄は7年前に他界。彼女は今回の招聘を受け、先生の理念と兄の言葉を重ね、“世界平和を築く一人に”と力強くも温かい歌声を披露している。
 今や名実共に世界の文化向上の一端を担う音楽団体へと発展を遂げた民音。本年、ニカラグアと共に、中東・バーレーン王国を加え、交流国は107カ国・地域となった。
 世界を舞台に希望のハーモニーで人と人の心を結ぶ民音の活動に一段と期待したい。

◆きょうの発心   真剣な祈りで病魔に打ち勝つ2017年10月18日


御文
 大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず(祈?抄、1351ページ)
通解 大地をさして外れることがあっても、大空をつなぐ者があっても、潮の満ち干がなくなっても、日が西から出ることがあっても、法華経の行者の祈りの叶わないことは絶対にない。

 法華経の行者の祈りは必ず叶うと仰せです。
 小学5年生で池田先生に初めてお会いし「つらいことがあっても頑張るんだよ」と激励していただいたことが自身の原点です。
 高校1年生の時に父が霊山へ。女手一つで、働きながら学会活動に励む母を見て育ちました。幾重にも師との出会いを刻む中で「広布に生き抜こう」と決意。女子部時代は富士合唱団や白蓮グループで薫陶を受け、師弟共戦の歴史をつづりました。
 結婚後、次男が先天性の心疾患である「ファロー四徴症」と判明。家族や同志の「絶対に病魔に打ち勝つ」との真剣な祈りの結果、次男は3度の手術を乗り越え、元気に日々を送っています。家族も皆、この実証に確信を深め、一家和楽の信心を実践しています。
 茅ケ崎県では、青年部を先頭に地域広布、人材の拡大に励んでいます。勝利した姿で10・22「県の日」を荘厳してまいります。
 神奈川・茅ケ崎県総合婦人部長 金子めぐみ

◆小説『新・人間革命』第30巻 暁鐘の章  四十 2017年10月18日 (6201)



 六日の午後、欧州研修道場では、山本伸一が出席して、ヨーロッパ広布二十周年を記念する夏季研修会が晴れやかに開幕した。
 これには、地元フランスの百人をはじめ、十八カ国五百人のメンバーが集った。
 伸一は皆と厳粛に勤行し、参加者の多幸とヨーロッパ広布の伸展を祈った。そして、マイクに向かうと、こう提案した。
 「本日六月六日は、二十一世紀への飛翔を遂げる研修会が開催された日であると同時に、初代会長の牧口常三郎先生の生誕の日であります。この意義深き日を、『欧州の日』と定め、毎年、この日を節として、互いに前進を誓い合う記念日としてはどうかと思いますが、皆さん、いかがでしょうか!」
 出席者全員が挙手をもってこれに応え、正式に6・6「欧州の日」が決定したのだ。
 牧口は、伸一が入会する三年前に獄死しており、謦咳に接することはなかった。しかし、伸一は、恩師・戸田城聖を通して、その人格、信心、実践、教育思想について学んできた。また、牧口の著作を繰り返し読んでは、自身の大事な規範としてきた。
 著書の中で牧口は、平和への道筋として、「軍事的競争」「政治的競争」「経済的競争」から「人道的競争」に入ると予見している。
 伸一は、人類の平和のために、今こそ世界に、「人道的競争」への確かな潮流を創っていかなくてはならないと、決意を新たにするのであった。
 夏季研修会では、記念植樹が行われ、さらに、体験談大会に移った。信心によって前向きな自分になり、病との闘いにも勝った西ドイツの女子部員の体験や、念願の音楽家として活躍するイタリアの男子部員の体験などが披露され、大きな感動が広がった。
 いずれの体験にも、勇気と挑戦による境涯革命のドラマがあった。
 信仰とは、“絶望”“あきらめ”に打ち勝ち、前へ、前へと進みゆく原動力である。その前進のなかで自身の生命は磨き鍛えられ、境涯を大きく開いていくことができるのである。   

【聖教ニュース】

◆池田先生ご夫妻にサン・フェルナンド市から「顕彰状」 バルカルセ市、ヘネラル・ベルグラノ市からは「傑出した人物」証 2017年10月18日

 
サン・フェルナンド市から池田先生ご夫妻への「顕彰状」は池田バンガード・オーケストラの野外コンサートの席上、授与された(同市内で)
サン・フェルナンド市から池田先生ご夫妻への「顕彰状」は池田バンガード・オーケストラの野外コンサートの席上、授与された(同市内で)

 南米アルゼンチンで、池田大作先生ご夫妻の長年にわたるたゆみない平和行動をたたえる顕彰が相次いだ。サン・フェルナンド市からは「顕彰状」が、バルカルセ市とヘネラル・ベルグラノ市議会からは「傑出した人物」証が贈られた。
 サン・フェルナンド市からの「顕彰状」は9月23日、同市内で開かれたアルゼンチンSGI(創価学会インタナショナル)青年部の池田バンガード・オーケストラのコンサートの席上、贈られた。
 コンサートは、市立大学総合センターの開設10周年を祝賀し、センターの招きを受け、野外で催されたもの。
 日頃から地域貢献に励む同市のSGIの友は、音楽で街を潤そうと、本年8月、同オーケストラによるコンサートを実施。会場には多数の市民が足を運び、大盛況の行事となった。こうしたSGIの活動に触れ、識者の中に、SGI会長である池田先生の平和への理念や行動に対する共感が広がった。
 今回のコンサートには同市のルイス・アンドレオッティ市長のほか多数の市民が来場。池田バンガード・オーケストラの熱演の後、市長は「顕彰状」をSGIの代表に託し、こう語った。
 「オーケストラの皆さんの真剣な姿から、池田会長夫妻と同じ理想に生きる青年の心意気を感じました。皆さんこそ、調和の世界を築く主体者です」
                                                                          ◇ 
 バルカルセ市からの「傑出した人物」証は同24日に授与された。
 授与式は、同市の「文化の家」で開催された環境展示「希望の種子――持続可能性のビジョンと変革へのステップ」の開幕式の席上で行われ、エステバン・アンドレス・レイノ市長ら市関係者やSGIの友が参加。
 市長は、同展が「一人一人の意識を変え、友情の絆を強め合う場になるでしょう」とあいさつした。
 「傑出した人物」証の決議書には、「SGIは、平和の文化を構築し、対話と非暴力によって、個人の幸福と地域社会の平和を結びつける活動を推進」と記され、そのリーダーシップを執る池田先生ご夫妻が、社会と教育における傑出した人物であることを宣言している。
                                                                            ◇ 
 ヘネラル・ベルグラノ市議会からの「傑出した人物」証も同日、贈られた。
 同市での記念イベントの一環として行われた、池田先生の平和提言のセミナーと展示のオープニングで授与。これにはホルへ・マガレフスキー市議会議長らが出席した。
 市議会の満場一致となった決議書には、「世界各地で平和・文化・教育活動を推進し、生命の尊厳を訴えてきた」と明記され、「世界平和への間断なき活動を称賛する」とつづられている。

◆指針“広布の堅塁たれ”発表50周年 12月の本部幹部会が中部総会に
11月には静岡「太陽の日」記念行事を開催


 広布誓願の炎を燃やし、“日本の中心”東海の天地で対話に駆ける中部、静岡の友にうれしいニュース!
 このほど、12月の本部幹部会が「中部総会」の意義を込めて、中部の地で開催されることが決定した。
 中部の友の永遠の原点――それは、1967年(昭和42年)7月、中部本部の大会の席上、池田先生が「広布の堅塁・中部たれ」との指針を示したことである。
 以来、50星霜。友はこの指針を抱き締め、いかなる魔の蠢動があろうとも、師弟共戦の大激闘で“金剛の民衆城”を築いてきた。
 池田先生は訴えた。
 「中部が急所だ!/広宣流布の命運を決する/最重要の決戦場もまた/大中部であるに違いない!」
 この呼び掛けに応えようと、今、中部の友は「堅塁」の名のごとき金城鉄壁の団結で、愛知、三重、岐阜の天地に栄光勝利の「道」を開きゆく!
 一方、静岡では、11・10「静岡県太陽の日」の記念行事を、11月に開催することが決まった。
 71年(同46年)のこの日、池田先生は静岡市内で、4000人の同志と記念撮影を。そして、会場にあった色紙にしたためた。
 「太陽」――と。
 この不滅の原点を胸に、友は邪宗門による幾多の迫害の嵐も、太陽のような強さと明るさで、威風堂々と乗り越えてきた。
 そして91年(平成3年)11月28日、“衣の権威”から解き放たれた学会は“魂の独立”を果たし、世界宗教へと大いなる飛翔を遂げたのである。
 昨年11月、新愛称「太陽の静岡」が発表され、本年8月には池田先生の指導集『太陽の静岡』が発刊。喜びに沸く静岡健児が、その勢いのままに正義の大連帯を広げゆく!
原田会長を中心に中部・静岡合同総県長会議
 中部と総静岡の合同総県長会議が17日、名古屋市の中部池田記念会館で開催された。
 平山中部長、佐野総静岡長らがあいさつ。原田会長は“日本の柱”である中部と静岡が底力を発揮し、壁を打ち破ってこそ、勝利の扉は開かれると強調。
 大事なのは、目標に対するリーダーの執念である。広布の最前線であり、要である「地区」を中心に、全員が総立ちとなって、新たな拡大の波動を起こしていきたい。弟子の不屈の行動で、断じて凱歌の歴史を築こうと訴えた。

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆10・18「民音創立記念日」特集  文化の交流で世界を結ぶ
相互理解深める公益事業

「共に感動を創ろう」をテーマに開催されたロシア公演。モスクワ大学では、「インペリアル・ホール」で華やかに(2015年12月10日)
「共に感動を創ろう」をテーマに開催されたロシア公演。モスクワ大学では、「インペリアル・ホール」で華やかに(2015年12月10日)

 きょう18日、創立記念日を迎えた民主音楽協会(民音)。アジア、中南米、アフリカ、欧州など、世界に文化交流を広げ、名実共に日本を代表する音楽文化団体へと発展した。ここでは、民音の公益事業と、駐日コロンビア共和国大使館のガブリエル・ドゥケ大使へのインタビューを紹介する。
 今秋、民音では「ニカラグア共和国」「バーレーン王国」の2カ国との音楽交流が新たに始まり、海外との文化交流は、107カ国・地域となった。
 民音は、これまで7万8000回を超す演奏会を開催。鑑賞者は延べ1億1000万人以上に上る。
 このほかにも、若手指揮者の登竜門といわれる「東京国際音楽コンクール〈指揮〉」の開催や“青少年に一流の音楽との出あいを”との理念で開始された「学校コンサート」、さらには地域・社会への貢献を目的とした公益事業にも力を注いできた。
 創立50周年を迎えた2013年からは、“民音第2期”と位置づけ、日本の優れた伝統芸能を世界に広める活動を展開。同年10・11月に、「民音芸術団」の特別公演が中国の北京、天津両市の3会場で開催された。以来、毎年の公演は、大きな反響を呼んでいる。
 さらに、世界と日本の青年音楽家たちの交流を目的とした「Min‒On Global Music Network」が、14年から新たにスタート。
 15年のロシア公演は、特別な行事のみで使用されるモスクワ大学の「インペリアル・ホール」で行われ、音楽文化を通して、相互理解を深めた。
 民音音楽博物館では、「教育、学術および文化の発展に寄与する」との目的から、これまで文化講演会を開催してきた。現在、各国大使館との共催企画も積極的に行われている。

インタビュー 駐日コロンビア共和国大使館 ガブリエル・ドゥケ大使

 ――昨年、駐日大使に就任されて以降、コロンビア大使館との共催で2回、民音文化講演会が開催されています。
 
 ガブリエル・ドゥケ大使 昨年、パーカッション奏者のトゥパック・マンティージャの講演会を開催しました。先月には、わが国が誇るダンスカンパニー「ペリフェリア」が、ダンスの魅力を伝えてくれました。
 どちらの講演会も好評を博し、大変にうれしく思います。
 コロンビアと民音との関係は1988年に始まりました。この時、民音の招聘で、「コロンビア国立民族舞踊団」の公演が実現しました。99年には、アンドレス・パストラナ元大統領の来日を記念し、無形文化遺産に登録されている「バランキージャ民族舞踊団」の公演が、民音主催で行われました。
 長年にわたる民音とのパートナーシップは、コロンビアと日本の両国間の相互理解を深める上で、非常に有意義なものです。
  
 ――池田SGI会長の「芸術・文化・音楽を通しての人間と人間の交流による相互理解こそが、世界平和の基盤である」との理念のもと、民音は1963年10月に誕生しました。
 
 大使 その理念に、全面的に賛同します。SGI会長は、多くの文化的業績を残されています。その一つが民音の創立です。
 日本の文化を世界に発信し、世界の多様な文化を日本国内に紹介する。民音の使命の大きさは、計り知れません。
 昨年、わが国のサントス大統領がノーベル平和賞を受賞しました。半世紀以上にわたる内戦終結への努力が評価されたものです。
 大統領の信念とは、思想や価値観などの差異があったとしても、「我々は『同じ人間』である」ということです。私たちは、人類全体に恩恵をもたらすことに力を合わせていかねばなりません。
 「差異」は本来、人間を分断するものではなく、人間を豊かにするものです。その力となるのが、文化交流なのです。
  
 ――大使に就任されて、さまざまな日本文化に触れてこられたと伺いました。
 
 大使 私自身、来日してから、より文化の大切さを感じるようになりました。というのも、日本文化を通して、日本のことが、さらに好きになったからです。
 歌舞伎、能、和太鼓、墨絵など、日本には洗練された表現の文化が多いと思います。食文化も芸術的です。
 コロンビアは、北はカリブ海、西は太平洋に面し、南東部には熱帯雨林が広がっています。生物多様性に富んでいます。
 こうした地理的環境が多彩な文化を育みました。また、歴史的にも、先住民の文化、スペイン統治時代の欧州文化の影響も受けています。アフリカ系移民が受け継いできた文化もあります。わが国では、さまざまな文化が融合しています。
 音楽のジャンルは多岐にわたり、ダンスの種類も数多くあります。総じて、明るい表現のものが、多いのが特徴です。
 こうした「違い」が、私に思考の幅の広がりを、もたらしてくれています。
  
 ――最後に、今後の民音の活動に対する期待をお聞かせください。
 
 大使 これまで続けてこられた事業を、さらに発展させてもらいたいと思います。民音の活動は、世界平和を築く基盤となるものです。ぜひ、世界との交流を、さらに広げてほしい。
 ただ、コロンビアとの関係は、どの国よりも深いものであってほしいですね(笑い)。
 今後も、民音との協力関係を深めながら、文化交流を促進し、日本との友好の絆を強めていきたいと念願しています。

◆信仰体験 まうごつすごか 熊本の友 2代目ガラス職人の奮闘
今こそ見せたい!熊本の底力
地震後、先代から事業を継承 被災地から“復興の勇気”届ける

【熊本県・益城町】熊本地震から1年半が経過した。道路などインフラの復旧が進む一方で、建設業者の人手不足や土地の区画整理等が影響し、住宅の再建は遅れ、今もなお、約4万5000人が仮住まいを続けている。土山幸治さん(36)=益城常勝支部、圏男子部長=は昨年秋、先代の祖父から「㈱池田硝子店」を継いだ。地震により住んでいた益城町のアパートを追われ、熊本市東区にある工場の2階で暮らしながら、事業と生活の再建に奔走してきた。

2017年10月17日 (火)

2017年10月17日(火)の聖教

2017年10月17日(火)の聖教

◆わが友に贈る

大変な時こそ
朗らかに! 大胆に!
強気で祈り進めば
逆風すら追い風になる。
挑戦と感激のドラマを!

◆〈名字の言〉 2017年10月17日

 始業前の朝の時間を勉強や趣味など自己研さんにあてる「朝活」も、耳慣れた言葉になった。今夏も都内では複数の企業が連携し、“午前7時半までに列車で渋谷駅を通過すると割引クーポンが配信される”など、「朝活」を後押しする企画が行われた▼そもそも、なぜ「朝活」は良いのか。脳科学者の茂木健一郎氏によると、朝、目覚めてからの約3時間は、脳が最も活発に働く時間帯とのこと▼人が一日の活動で得た情報は、いったん短期記憶として脳内に保管される。それが睡眠中に整理され、長期記憶へと変わり、朝一番の脳はきれいに“クリーニング”された状態に。そのときを逃さず、良い刺激を与えることで、「1日の効率を何倍もアップさせることも可能」と氏は言う(『脳を最高に活かせる人の朝時間』河出文庫)▼10日間で388世帯の弘教という広布の金字塔を打ち立てた「札幌・夏の陣」。池田先生は、この闘争を振り返りつつ、「一日一日が渾身の勝負だ。その一日の勝利は、“朝の勝利”から始まる」「毎朝、真剣に祈り、御書を拝しながら闘争をスタートした」と述べた▼充実した人生も、広布の偉業も、“朝勝”から始まる。明確な目標を胸に、深き祈りから出発し、きょう一日を、はつらつと走りたい。(江)

◆〈寸鉄〉 2017年10月17日
 

 「最後まで油断は禁物」と
 戸田先生。誰かがやるは
 慢心。一念定め、前へ前へ
      ◇
 東北が総力で猛反撃!対
 話の大旋風をここから!
 勝利決する師子吼を放て
      ◇
 埼玉、茨城、栃木、群馬よ
 今こそ大拡大を!勇敢に
 動き語り痛快な逆転劇を
      ◇
 先駆・九州、沖縄が大奮戦
 最後まで攻め抜いたほう
 が勝つ。凱歌を南から!
      ◇
 “庶民目線”で政策論を展
 開できるのは公明党だけ
 ―識者。声なき声を形に

◆小説『新・人間革命』第30巻 暁鐘の章  三十九 2017年10月17日 (6200)



 欧州研修道場の北側には、サント・ビクトワール山(聖なる勝利山)がそそり立ち、青空の下、太陽を浴びて、石灰岩の岩肌が輝いていた。“二十世紀絵画の祖”といわれるセザンヌもこの山に魅了され、多くの名画を残している。
 六月六日の昼前、山本伸一は、妻の峯子をはじめ、ヨーロッパ会議議長の川崎鋭治らと共に、トレッツ市庁舎を訪問した。
 ジョン・フェロー市長をはじめ、市議会議員ら約二十人が迎えてくれた。市長は、フランス国旗と同じ、青・白・赤を配した儀礼用の懸章をつけて、あいさつに立った。
 「山本先生をトレッツ市にお迎えできたことは、市民にとって大きな喜びであります。先生が平和のために世界的に重要な働きをされていることも、また、その優れた思想も、著作を通して、よく存じ上げております。
 先生は、東西対立のなかで、核の危機を回避するために奮闘されてきました。また、創価学会インタナショナルの国際的な平和運動の指導者でもあります。
 さらに、これまで、世界を代表する知性と対話を重ね、平和のために戦い、人間と人間の交流を深める努力をされてきました。
 その先生が、世界各地に数あるSGIの会館のなかで、わがトレッツの欧州研修道場を訪問してくださったことに対して、心より感謝申し上げます」
 市長の賞讃の言葉に、伸一はいたく恐縮しながら耳を傾けた。市長は、一段と力のこもった声で、厳かに告げた。
 「私どもは、誠実と忍耐、真心と熱意、旺盛なバイタリティーとエネルギーで行動される“平和の大使”である山本先生を、ここに名誉市民としてお迎えいたします」
 拍手のなか、市長から伸一に、市のメダルと名誉市民章が贈られた。伸一は、市長の深い理解と厚意に、心から感謝の意を表した。
 この陰には、メンバーの誠実な努力と対話があったにちがいない。私たちの運動への理解を促す力は、粘り強い真心の語らいである。   

【聖教ニュース】

◆ブラジル・ピンダモニャンガーバ市に「平和主義者・池田大作博士広場」が誕生
わが地域に広げよう! 友情と信頼の園


「平和主義者・池田大作博士広場」の銘板除幕式の参加者が記念のカメラに納まった。師の名を刻んだこの場所から友情と信頼を広げゆこう――SGIの友が決意も新たに(ピンダモニャンガーバ市内で)
「平和主義者・池田大作博士広場」の銘板除幕式の参加者が記念のカメラに納まった。師の名を刻んだこの場所から友情と信頼を広げゆこう――SGIの友が決意も新たに(ピンダモニャンガーバ市内で)

 ブラジル・サンパウロ州のピンダモニャンガーバ市に、「平和主義者・池田大作博士広場」が誕生した。
 池田大作先生の平和・文化・教育への世界的な貢献をたたえ、命名されたものである。
 2日に行われた銘板の除幕式には、ヒカルド・ピオリノ副市長をはじめとする来賓のほか、多くの地元市民が参加し、祝福した。
 サンパウロ市の北東に位置する同市は、歴史が薫り、豊かな自然を有する町として名高い。また南米最大規模を誇るアルミニウムのリサイクル工業団地を擁し、工業都市としても発展を続けている。
 同市はこれまでも、創価の平和運動に着目し、さまざまな機会に称賛と宣揚を重ねてきた。1998年、同市議会が池田先生に「顕彰証書」を授与したのをはじめ、翌99年には同市にある主要道路が「牧口常三郎創価学会初代会長大通り」「戸田城聖創価学会第2代会長通り」と命名されている。
 今回開設された広場があるのは、市内の中心部から車で南東に約10分ほどの、シダーデ・ノーヴァ(新しい町)区という国道沿いの地区の一角である。
 式典では、命名の発議者である元市議のエリック・デ・オリベイラ氏が「青年時代から今日に至るまで、正義と人類のために奮闘してこられた池田大作博士の名が付いた広場を開設することができ、大変に光栄です」と、あいさつ。
 ピオリノ副市長も喜びで声をはずませながら、「偉大な平和主義者、そして人道主義者である池田博士の精神は、SGI(創価学会インタナショナル)の皆さまの行動の中に息づいていると感じます。広場がこの地域の発展のシンボルとなっていくことを、心から念願しています」と述べた。
 ブラジルSGIの代表として出席したモリシタ副理事長は「池田先生が世界平和の旅へ第一歩をしるされた意義深い10月2日に、先生の名を冠した広場が誕生したことに、SGIの私たちは弟子として、喜びを隠せないでおります。感謝と誇りを胸に、市民の皆さまと手を携えながら、市の発展にさらに尽力していきます」と決意を語った。
 また同日、10・2「世界平和の日」を記念して、同広場で「紫イペー」の木の記念植樹が行われた。

◆「マレーシア・デー」慶祝式典   2017年10月17日

 
慶祝式典で創価の共生の哲学を表現したSGMの出演者たち。彼らの約半数は新入会メンバーで構成される(ヌグリスンビラン州内で)

 9・16「マレーシア・デー」を慶祝する式典が9月29、30の両日、同国のヌグリスンビラン州内で開かれ、同州政府の招へいを受け、マレーシア創価学会(SGM)の代表410人が出演した。
 同州のモハマド・ハッサン州知事、政府関係者、教育者をはじめ、約2000人の観衆が喝采を送った。
 SGMの友は、合唱や中国舞踊、モダンダンスや組み体操等の演目を披露した。
 同州のモハマド・ラシ文化局長は「SGMの真心の貢献に心から感謝申し上げます」と述べ、モハマド州知事が「SGMは、いつも最高の演技を見せてくれます。今後も文化の力で共生の国家建設に貢献してほしい」と期待を寄せた。

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈世界の識者の眼〉 ペルー コンチネンタル大学 エサウ・カロ・メサ総長
「民衆のため」を忘れるな  SGIの人間主義を時代が希求

 
国立ペルー中央大学の「名誉博士号」授与式。カロ総長から池田先生に証書が手渡された。式典には、この日行われた九州の「長崎・熊本・大分新世紀栄光総会」の参加者らが出席。師の栄誉を祝福した(1999年9月、八王子市の東京牧口記念会館で)
国立ペルー中央大学の「名誉博士号」授与式。カロ総長から池田先生に証書が手渡された。式典には、この日行われた九州の「長崎・熊本・大分新世紀栄光総会」の参加者らが出席。師の栄誉を祝福した(1999年9月、八王子市の東京牧口記念会館で)

 池田先生は、南米最古の学府である国立サンマルコス大学をはじめ、ペルーの諸大学から名誉学術称号が贈られている。1999年9月には、名門・国立ペルー中央大学から「名誉博士号」が授与された。当時、同大学の総長だったエサウ・カロ・メサ氏(現・コンチネンタル大学総長)に、先生との思い出、創価教育やSGIへの評価などについてインタビューした。(聞き手=西賢一記者)
社会を照らす価値創造教育
 ――池田先生との出会いを教えてください。
 カロ総長 初めに、このたびのサンマルコス大学からの「名誉博士号」の授与を、心からお祝い申し上げたいと思います(本年8月)。
 「名誉教授」称号(1981年)に続く栄誉は、ペルー社会からの絶大なる信頼の証しといっても過言ではありません。
 池田博士は、世界中に“価値の種子”をまき、平和の文化を築くための道筋を示してこられました。そのような方と同時代を生きることができ、誇りに思います。
 これから先も長きにわたり、博士が我々と一緒にいてくださることを望み、また祈っています。
 私が池田博士という存在に出あったのは、ペルー中央大学の総長時代でした。95年に総長に就任し、「価値創造の教育」を探究する中、その道で世界的に活躍されている人物がいることを知ったのです。
 その後、ペルーSGIのシマ理事長(現・最高参与)にお会いし、現代を代表する識者である博士を、より深く理解することができました。
 博士の哲学は21世紀に不可欠なものです。ゆえに人間主義の巨匠を、ペルー中央大学にお迎えしたい。その思いを強くした私は、自らが推薦人となって、「名誉博士号」を授与する議案を大学評議会に提出しました。
 当時の評議会は、学部長と学生代表らで構成されていました。最初に授与対象者の経歴や業績を詳細かつ厳正に審査します。この時は、平和・文化・教育における博士の顕著な足跡を全員が高く評価し、全会一致で決定したことをよく覚えています。
 そして、99年9月に東京で授与式を執り行うことになったのです。
  
 ――来日の折には、創価学園・創価大学を視察されています。創価教育の実践は、総長の目にどのように映ったのでしょうか。
 総長 まず感銘を受けたのは、創価教育の質の高さです。
 “小学校から大学までトータルして見る”という一貫教育システムは、ペルーでは一般的ではありません。しかも、日本をはじめ世界各国に幼稚園もあります。
 滞在中、私は関西創価学園と創価大学を訪問しました。そこで目の当たりにしたのは、時間に正確で礼儀正しい生徒・学生の姿であり、彼らと教職員との親しい関係性でした。
 “縦”ではなく“横”の関係を築こうとされている教職員の姿勢に感動したのです。
 その模範こそ、世界的な指導者でありながら、誰よりも気さくで温かく接してくださった池田博士でした。
 私自身も、教育者として、こちらから学生たちの輪の中に入ることを心掛けています。
 歴史を振り返ると、ペルーの教育は非常に厳格であったように思えます。そこには、人間的な価値を教えてこなかった一つの反省があります。
 わが国では、今も犯罪が多発し、多くの青年たちが価値を見失い、人生を豊かに生きる方法を知らずに育っています。
 だからこそ、価値創造の教育が必要である。とりわけ、高等教育を受ける人たちは、知識だけでなく、人間性を育まなければならない――博士の振る舞いと創価教育の実践から、そのことを学ばせていただきました。
 博士からは現在も、毎年のようにグリーティングカード(新年状)が届き、そのたびに真の友情を感じ、喜びでいっぱいになります。
「正直」「誠実」「勤勉」であれ
 ――99年の授与式の席上、総長は「今日に通用する教訓」として、インカ帝国時代の三つの倫理観に言及されました。
 総長 そうでしたね。
 その一つ目は、「アマ・リューリャ」――「うそをついてはならない」です。
 単純なようですが、学術界をはじめ、どのような分野でも、客観性や現実性、何より誠実性が求められます。うそによっては、どんな問題も解決することはできません。
 二つ目は、「アマ・ケーリャ」――「怠けてはならない」です。
 例えば、仕事において肉体的、精神的な負担を軽減し、効率化をはかることは、もちろん必要です。しかし、それにこだわりすぎて、勤勉さを欠くことは望ましくありません。
 三つ目は、「アマ・スア」――「盗んではならない」です。
 これは、盗難や犯罪といった、社会の秩序を乱す行為の排除であり、私たちは多くの善良な人々が営々として築き上げてきた価値観の破壊を防がなければなりません。
 インカ文明は、これらの倫理観によって、「正直さ」「誠実さ」「勤勉さ」という行動規範を民衆の中に打ち立てようとしました。
 私が追求してきたのは、価値観の喪失が叫ばれる現代社会において、どうすればこの行動規範を時代精神として復興できるか、ということでした。
 その答えを、私は池田博士とSGIが進めておられる「人間革命」運動の中に見いだしたのです。
 世界を善の方向へと導く博士の哲学のように、インカの倫理観もまた、私たち自身の行動を通して、ペルー社会に復元しなければならないと考えています。
  
 ――SGIの「人間革命」運動のどのような点を評価されていますか。
 総長 SGIの皆さんは、“より良いペルー”を目指して、日々奮闘されています。そこには、私たちが忘れてはならない、人間として大変に重要な価値が光っていると感じます。
 世界には多くの宗教がありますが、SGIではより人間的な教育が行われていると確信します。
 池田博士がペルーを初訪問されて、昨年でちょうど50年になったと伺いました。
 その大切な原点を胸に、良き市民であろうとする、お一人お一人に、私は敬意を表したい。
 仏法思想の偉大さは、それを実践する皆さんが「生き方が変わった」「元気になった」「幸せになった」という事実によって証明されていくべきでありましょう。
 SGIをリードする博士は、言葉で、活字で、行動で、平和貢献の道を歩み続けておられます。その全てが「民衆のため」という一点に集約されていることに感動を禁じ得ません。
 わが大学は「コンチネンタル」、つまり「大陸」という名前を冠しています。
 その名の通り、これからも広々と開かれた視点を大切にしながら、博士と共に、SGIの皆さんと共に進んでいきたいと願っています。
 Esaú Caro Meza 1942年生まれ。コンチネンタル大学総長。ペルー中央大学卒。インカ・ガルシラソ・デ・ラ・ベガ大学で博士号を取得(経営学)。化学エンジニア。ペルー中央大学総長などを歴任。創価大学名誉博士。

◆さらなる前進へ この一節を学ぶ  御書根本に師弟共戦の凱歌を

 創価学会は創立以来、一貫して御書根本の実践を重ね、前進してきました。若き日の池田先生も、二月闘争、札幌・夏の陣、大阪の戦い、山口開拓指導をはじめ、あらゆる広布の戦いで常に御書をひもとき、御書を拝して友を励ましながら、常勝の歴史を刻んできました。先生は、「『御書』を開くことは『境涯』を開くことだ。御書を拝して、広大無辺なる御本仏のお心に迫り、自らの小さな殻を打ち破る戦いをするのだ」とつづっています。ここでは、さらなる躍進の原動力となる御書の一節を紹介します。ともどもに御書を拝しながら、師弟共戦の歩みを力強く進めていきましょう。

御書根本に師弟共戦の凱歌を


 創価学会は創立以来、一貫して御書根本の実践を重ね、前進してきました。
 若き日の池田先生も、二月闘争、札幌・夏の陣、大阪の戦い、山口開拓指導をはじめ、あらゆる広布の戦いで常に御書をひもとき、御書を拝して友を励ましながら、常勝の歴史を刻んできました。先生は、「『御書』を開くことは『境涯』を開くことだ。御書を拝して、広大無辺なる御本仏のお心に迫り、自らの小さな殻を打ち破る戦いをするのだ」とつづっています。ここでは、さらなる躍進の原動力となる御書の一節を紹介します。ともどもに御書を拝しながら、師弟共戦の歩みを力強く進めていきましょう。

「一人」の友をたたえ励まそう

御文
 『夫れ須弥山の始を尋ぬれば一塵なり・大海の初は一露なり・一を重ぬれば二となり・二を重ぬれば三・乃至十・百・千・万・億・阿僧祇の母は唯・一なるべし』
(妙密上人御消息、1237㌻)
通解 そもそも須弥山の始めを尋ねれば一つの塵であり、大海の初めは一滴の露である。一を重ねれば二となり、二を重ねれば三となり、このようにして十、百、千、万、億、阿僧祇となっても、その生みの母はただ一なのである。

 建治2年(1276年)閏3月、日蓮大聖人が身延で著され、妙密上人に送られたお手紙が本抄です。大聖人は、妙密上人の御供養の志をたたえられ、法華経の行者を支える功徳が無量であることを述べられたうえで、さらなる強盛な信心を促されています。
 大聖人は本抄で、最高・最大のものの象徴である須弥山や大海も、その始まりは「一つの塵」であり、「一滴の露」であると示されています。そして、御自身の闘争を「須弥山の始の一塵」「大海の初の一露」と譬えられ、「一」から始まった妙法の波動が、やがて2人、3人、10人、100人と広がっていくとの原理を教えられています。
 まさに今日、世界192ケ国・地域へと広がった広宣流布の壮大な流れは、大聖人お一人の戦いから始まりました。
 あらゆる広布の戦いは、使命を自覚した「一人」が立ち上がり、次の「一人」へと伝えていくところから開かれていきます。ゆえに、目の前の「一人」を大切にし、「一人」を激励する実践こそ、広布拡大の確かな方程式です。いかなる時も、共戦の「一人」をたたえ励ますことから、勝利の突破口は大きく開かれるのです。
 池田先生は、次のようにつづっています。
 「全ては、一人から始まる。一人を激励し、育てる。一人と対話し、仏縁を結ぶ。地道にして粘り強い、この執念の積み重ねこそが、創価の大勝利山を築き、広布の大海原を開くのだ」
 自身と広布の最高峰を目指し、今こそ共戦の同志と励まし合いながら、もう一歩、あと一
歩と、勇気の挑戦を積み重ねていきましょう。


執念の祈りが諸天を動かす

御文 
『何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり』 (呵責謗法滅罪抄、1132㌻)
通解 いかなる世の乱れにも、あなた方を法華経や十羅刹女よ助け給え、と湿った木から火を出
し、乾いた土から水を出すように強盛に祈っている。

 本抄は、文永10年(1273年)、日蓮大聖人が流罪の地・佐渡から、鎌倉の四条金吾に送られたお手紙であると考えられています。
 その2年前に起きた「竜の口の法難」を機に、大聖人門下は”1000人のうち999人まで退転した”と言われるような大弾圧を受けていました。その中で大聖人は、”諸天善神よ、わが弟子を守れ!”と弟子の無事安穏を強盛に祈念される姿勢を示し、門下に渾身の励ましを送られています。
 ここには、不可能を可能にしゆく信心のあり方を拝することができます。すなわち、いかに厳しい事態に直面しようと、「諸天をも動かしてみせる」との強盛な祈りを重ね、深い確信に立つ時、事態を打開する道が決然と開けることを教えられているのです。
 1956年(昭和31年)の大阪の戦い。若き池田先生は関西の同志とこの御文拝し、不可能の壁を打破する祈りの要諦を訴えました。「”まさか”が実現」の大勝利は、恩師の構想実現を誓った不二の弟子の透徹した一念と、強盛な祈りによって成し遂げられたのです。
 先生はつづりました。
 「不可能を可能にするのは、『断じて成し遂げるのだ』との決定した祈りである。勝利への執念である。断じて諦めない!最後に必ず勝ってみせる!--この強き心が諸天善神を動かす。一切を味方に変える」
 私たちもまた、妙法への深き確信を胸に、強盛な祈りと執念の行動で、共感のスクラムを一段と広げていこうではありませんか。


限界を打ち破る勇気の一歩

御文
 『各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にを
じず・師子の子・又かくのごとし』 (聖人御難事、1190㌻)
通解 一人一人が師子王の心を奮い起こし、いかに人が脅そうとも、決して恐れてはならない。
 師子王は百獣を恐れない。師子の子もまた同じである。

 駿河国(静岡県中央部)富士地方の熱原郷で、大聖人門下が受けた「熱原の法難」。その渦中の弘安2年(1279年)10月1日、日蓮大聖人が身延で認められ、門下一同に与えられたお手紙が本抄です。
 幕府によって農民信徒20人が無罪の罪で捕らえられ、中心者らが斬首されるなど。信仰ゆえに過酷な迫害を受けますが、一人も退転することなく信心を貫き通しました。
 大聖人は、自分の心の中に本来ある「師子王の心」を「取り出して」いきなさいと仰せになり、大難を恐れず信仰を貫くよう、門下を最大に励まされています。
 「師子王」は何ものにも打ち勝つ仏の姿を譬えたもの。「師子王の心」とは、どんな試練にも負けない「最高の勇気」であり、「仏界の生命」とも拝せます。
 その勇気を「取り出す」ための要諦こそ、師弟不二の信心です。弟子が師匠と同じ決意に立つ時、弟子の胸中にも師と同じ無限の勇気が湧き起り、臆病の心を打ち破っていくことができます。ゆえに大聖人は、門下も「師子の子」として、師と同じ覚悟で”生命の底力”を奮い起こしていくよう呼びかけられています。
 池田先生はつづっています。
 「偉大な師子王の心を取り出した勇者に、恐れるものはない。何があろうと、結局は、正しい仏法を実践し、語り切った者が、必ず必ず勝つ」師弟一体の前進に、行き詰まりはありません。共戦の誓いを胸に勇気の一歩を踏み出すことで、自身の限界を打ち破り、いかなる逆境も、断じてはね返していくことができるのです。

◆【婦人部のページ】仏縁の拡大は幸福の拡大  笑顔のスクラム 入会のドラマ 拡大版
 

  11・18「創価学会創立記念日」へ、自他共の幸福を祈りながら、勇気の対話で仏縁を広げる婦人部の友。今月の「婦人部のページ」では、新会員と紹介者のトーク「笑顔のスクラム 入会のドラマ」の拡大版を掲載。併せて、池田先生の言葉を紹介する。

◆<信仰体験> 郷土の旬を届ける日本料理店主 前立腺がん乗り越え、「青森の名工」に輝く   
勝負を決めるのは、純粋なひたむきさ

【青森県十和田市】
東北新幹線の八戸駅から車で40分ほどの繁華街に、玉川幸広さん(60)=十和田支部、副本部長=の経営する
「日本料理かぐら」はある。店の売り上げの7割は予約客が占める。それは、大切な来客や友人をもてなす時、特
別な思いを込めて、「かぐら」を選んでくれている証しだ。その信頼に応えようと、玉川さんは腕を振るう。
親子水入らず
 ある夜、一組の客が来た。「おやじさん、うちの子を連れてきたよ」。社会に出て間もない息子が、転職すべきかどうか悩んでいるという。自身の経験を踏まえて助言する父親は、この日が2度目の来店。最初は、業者の接待で連れられて。気に入ってくれたのか、息子との“水入らず”の場を、「かぐら」に決めてくれたのだ。  
 会話が途切れ、少し重い空気が漂ったタイミングで、玉川さんの妻で、おかみのゆり子さん(53)=婦人部員=が声を掛けた。「親子でうらやましいですね」。父親は思わず口元を緩め、会話に花を咲かせた。  
 職人気質で実直な玉川さんと、物腰柔らかな笑顔のゆり子さん。二人で店を構えたのが6年前。目指したのは、客が旬の味を楽しみながら幸福感に包まれる空間だ。

1日800人分
 “おなかいっぱいになれば、誰だって幸福感に満たされる”――農作業で忙しい両親に代わって、かやぶき小屋で炊事を任されてきた玉川さんは、単純にそう思った。料理の世界に入るのは、自然の流れだった。  
 故郷の岩手県二戸市から盛岡に出て、居酒屋で働いていたある日、書店で見つけた一冊の本が転機となる。色彩豊かで洗練された日本料理の写真。“こんな世界があるのか”。心がときめいた。最高峰を目指そうと決意し、一流店へのつてを探した。寝台列車に飛び乗ったのは16歳の時だった。 最初は築地の鮮魚店でアルバイト。そこから日本料理店の見習に。修業生活に身を投じていく。ボストンバッグに包丁一式を詰めて、一流の料理店での経験を求め、東京、大阪、京都など転々とした。親方が厳しく、思うに任せぬこともしばしば。そんな時、「どこにでも東の空はある。つらかったら題目を唱えろ」と見送ってくれた父の言葉を思い出し、空に手を合わせて祈った。学会員宅を探しては座談会へ。同志は温かく迎えてくれた。  
 同僚の中には、志半ばで辞める者もいる。そんな中、玉川さんは揺るがぬ自己を築こうと、行く先々で学会活動に駆けた。“勝負を決めるのは、純粋なひたむきさだ”と信じた。胸には、師匠・池田先生の指導が輝いていた。
 “一流の信仰をすれば、社会で一流と輝くのは当然”――飽くなき向上心を燃やし、仕事に励んだ。職場を移るたびに収入は上がった。  
 1980年(昭和55年)ごろ、冠婚葬祭の仕出しも手掛ける十和田市の料亭へ、煮方(副料理長)で迎えられ、その後、親方(料理長)に。毎朝午前6時ごろには市場で食材を仕入れ、仕出しから夜の宴会まで、1日7、800人分の調理を指揮する。その中で時間を工面し、地区部長を11年務めてきた。94年(平成6年)には、十和田市にある東北研修道場で池田先生との出会いを刻んだ。

食育サポーター
 2011年、勤務先のオーナーが病に倒れ、店を畳むことに。予想外の解雇だったが、玉川さんは周囲の後押しもあり、独立を決意。同年11月に「かぐら」を開店させた。  
一人で全て担うのは、妥協とのせめぎ合いでもある。玉川さんは自らを律して、創意工夫に努めた。これまでの常連客を引き継ぐこともでき、順調に滑り出した。  
 しかし――。ゆり子さんと再婚後、一緒に暮らしてきた息子の市澤裕也さんを昨年3月、がんで失った。  
 追い打ちをかけるように8月末、今度は玉川さんに前立腺がんが見つかる。仙骨へ転移し、手術ができない状態だった。  
 ゆり子さんの動揺は大きかった。“私を残して逝ってしまうの……”。玉川さんは逆境の中で自らの使命を見いだした。「大丈夫だ。心配するな」と語り、猛然と御本尊に祈った。  「滝の如く堂々と/男は王者の風格を持て」――池田先生がかつて地元の奥入瀬渓流を訪れ、詠んだ「滝」の詩。玉川さんは青年部時代、行き詰まるたびに、師が立った銚子大滝に向かい、学会歌「滝の詩」を歌ってきた。“今こそ、本当の勝負だ”と心は定まった。  
 毎朝、放射線治療を受けてから、休まず板場に立った。1クール30日間。幸いにも副作用は無く、驚くほど効果が数値に表れた。420だったPSAの値が、0・001まで下がったのだ。  
 2カ月後、思いも掛けない吉報が届く。青森県卓越技能者(青森の名工)表彰の通知だった。  
 十和田に来て三十数年。多忙な中にあっても、職業訓練指導員の資格を取得。調理専門学校で講師を務めるなど、後進の育成に当たってきた。それは、かつて自分が求めたように、一歩踏み出せば、料理には限りない世界が広がっていると伝えたかったからだ。培った本物の技術を惜しみなく伝授した。  
 さらに県別平均寿命で最下位が続く青森の現状を改善しようと、「あおもり食名人」の県副代表「あおもり食育サポーター」としてイベントの講師を担当。個々人に応じた「適塩」の必要性を説く料理講習会など、県民の健康を守るための貢献も認められた。  
 「光栄だが、責任の重さの方が大きいね」。そう話す玉川さんだが、試練を経て、もっと大きなものを得た実感がある。見守ってくれる師、同志への感謝と、一瞬に全魂を込める真剣さだ。  
 今日もネクタイを締め、玉川さんは板場に立つ。“一番最初にお迎えする客が、大切な師匠だったなら”との基本姿勢を忘れず、心尽くしの料理でもてなす。

西十一番クリニック 成田直史院長  
 前立腺がんの場合、PSAの値が4以上で異常ですが、玉川さんの場合、420と桁違いに高いものでした。
 しかし、若くて気力、体力もあったため、標準治療のホルモン療法のほかに、やや高めの放射線を短期間で集中的に当てるなど、やれる治療は一気に行いました。それが功を奏し、現在では数値がゼロに近いところまで抑えられています。私が今まで診てきた中でも例のないケースです。

2017年10月16日 (月)

2017年10月16日(月)の聖教

2017年10月16日(月)の聖教

◆今週のことば

法華経に勝る兵法なし。
「いよいよ・
はりあげてせむべし」
勇気凛々と語り切れ!
そこに栄光の暁鐘が。

◆〈名字の言〉 2017年10月16日

 人類が初めて人工衛星の打ち上げに成功したのは1957年10月4日。今月で60年だ▼毎年、この日からの1週間は「世界宇宙週間」。これに合わせ、北海道岩見沢市でNASA(米航空宇宙局)などが協力する、学会主催の企画展「わたしと宇宙展」が行われ、成功裏に終わった▼同展では、小惑星探査機「はやぶさ」の模型も展示された。燃料漏れやエンジンの故障など、数々のトラブルを乗り越え、7年間で60億キロの宇宙旅をし、地球重力圏外の小惑星からサンプルを持ち帰った。世界で初の偉業である▼プロジェクトを指揮した宇宙航空研究開発機構の川口淳一郎教授は、「はやぶさ以前」の失敗の歴史を決して忘れなかった。「『がんばったね』『よくやった』といわれましたが、所詮、失敗は失敗」「(失敗した探査機を)思い出してくれた人が、いったいどれだけいたでしょう」「健闘するだけではだめ。ゴールしなければ意味がない」(『はやぶさ、そうまでして君は』宝島社)▼人生もまた、苦難に勝ち切ってこそ、幸福を開いていける。仏法も、安閑たる感傷の世界ではなく、「勝負をさき(=第一)とし」(御書1165ページ)である。自己の限界への大いなる挑戦を勝ち抜いた先にこそ、記憶に残る感動も待っている。(鉄)

◆〈寸鉄〉 2017年10月16日

 「異体同心なればかちぬ」
 御書。民衆の連帯は無敵
 の力。祈りを一つに前進
      ◇
 大空知総県・留萌創価県
 が猛追。北海道に未聞の
 勝利史を!さあ総攻撃だ
      ◇
 神奈川の保土ケ谷・旭が
 乾坤一擲の激戦。正義は
 勝ってこそ!断固凱旋を
      ◇
 妙法の青年に偉大な革命
 ができないわけがない―
 戸田先生。使命胸に走れ
      ◇
 世界食料デー。未だ9人
 に1人が食料不足と。食
 べ残し削減等、足元から

◆社説  きょう世界食料デー   全ての人に食べ物が行き渡る社会


 韓国には、「食卓の脚が折れる(ほどのごちそう)」ということわざがある。客人をもてなす際、食卓の上にごちそうを所狭しと並べる習慣を形容したものだ。
 こうした“もてなしの精神”は、日本でも通じるところがあるだろう。振る舞った料理が残ってこそ、客人が満腹になった証しだと。
 しかし、飽食の時代といわれる現代社会では、「食品ロス」が問題になっている。
 飲食店などでの食べ残し、商業施設の売れ残りなど、本来食べられるはずの食品が廃棄されてしまう割合は、先進国ほど高く、日本国内では、年間632万トンに上る。これは、世界の国々が途上国へ行う食糧援助の約2倍に当たる量だという。
 一方、日本の貧困率が上昇し、子どもの6人に1人が、貧困状態にあるという現状もある。そこで、賞味には問題ないが、流通過程で店頭には出さないと分類された調理前の食材を、「子ども食堂」などに提供する取り組みも始まっている。
 「全ての人に食料を行き届かせる」。この基本的人権の最重要事項を実現するため、世界の食糧問題を考える日として国連が定めた日が「世界食料デー」。1981年(昭和56年)から世界共通の日として制定以来、きょうで36年を迎えた。
 本年5月、国連食糧農業機関(FAO)のダ・シルバ事務局長が聖教新聞のインタビューで語っている。
 「明言しておきたいことは、地球全体として、すでに世界の人々が十分に生きていけるだけの食糧を生産しているということです。ただ、食糧が行き渡る体制がぜい弱なため、食べられずに捨てられているのです」
 その解決策として、池田先生は40年以上前から「世界食糧銀行」の創設を提唱している。
 2008年(平成20年)7月、その実現へ、具体的な一歩が踏み出された。北海道洞爺湖サミットで、備蓄管理のあり方について検討していくことが、G8首脳声明に初めて盛り込まれたのだ。
 先のインタビューで、ダ・シルバ事務局長は、「市民社会に根差した団体の存在は不可欠です。そうした団体は、地域のネットワークを持つ強みを生かし、これまで軽んじられてきたような小さな声をすくい上げ、政策につなげられるような提唱をしてきました」とSGIへの期待を語っている。
 人間のため、社会のため――。地域のセーフティーネットの構築を今こそ実現したい。

◆きょうの発心   広布に生き抜く使命の人生2017年10月16日

御文
 人身は受けがたし爪の上の土・人身は持ちがたし草の上の露、百二十まで持ちて名を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ(崇峻天皇御書、1173ページ)
通解 人間に生まれることは難しく、爪の上の土のようにまれであり、その身を全うするのは難しく、草の上の露のようにはかない。120歳まで長生きしても悪い評判を残して終わるよりは、生きて一日でも名をあげることこそ大切である。

 
使命に生きる大切さを教えられています。
 1992年(平成4年)に交通事故に遭い、九死に一生を得たものの、「脊髄神経引き抜き損傷」のため、左腕の感覚と運動機能を失いました。
 病室で意識を取り戻した当初は、“助かった”という思いでいっぱいでしたが、手術を目前に控え、心は次第に不安や恐怖に包まれていきました。
 自身の“臆病の心”を打破しようと、本部幹部会の中継に参加。池田先生のスピーチを伺い、確信あふれる言葉に「自分の人生は勝つためにあるんだ」と心が定まりました。9時間に及ぶ手術も成功し、家族や同志の応援にも力を得て社会復帰し、再び学会活動に参加できるようになりました。
 きょうも、師との誓い、そして自身の広布の使命を果たすべく、広布のために祈り、行動し、勝利の歴史をつづっていく決意です。
 東京・江戸川創価区本部長 江戸健司

◆小説『新・人間革命』第30巻 暁鐘の章 三十八 2017年10月16日(6199)



 山本伸一の搭乗機は、右手に白雪を頂くアルプスの山々を望みながら、地中海沿岸のフランス第二の都市マルセイユへ向かった。
 現地時間の六月五日午後一時過ぎ、マルセイユの空港に到着した一行は、エクサンプロバンスのホテルで、直ちにフランスでの諸行事について打ち合わせを行った。
 さらに伸一は、トレッツにある欧州研修道場に移動し、午後六時から開催されたヨーロッパ代表者会議に出席した。これには、十三カ国の代表が集い、欧州広布に向けて、種々、協議が行われた。
 この席で、ヨーロッパ各国が一段と力を合わせ、希望の前進を開始していくため、ヨーロッパ会議議長の川崎鋭治のもと、新たにイギリスの理事長であるレイモンド・ゴードンと、ドイツ理事長のディーター・カーンが同会議の副議長に、日本で高等部長、男子部主任部長などを歴任してきた高吉昭英が書記長に就任することが決議された。
 高吉は、高校生の時から人材育成グループの一員として、伸一が育んできた青年で、大学院で学んだあと、本部職員となった。この人事は二十一世紀への布石であった。
 伸一は、参加者に訴えた。
 「今回の訪問は、ヨーロッパ新時代の夜明けを告げるためです。青年たちが、次代を担う使命を自覚し、生命尊厳の哲学を自身の生き方として確立し、社会貢献の道を歩んでいくならば、現代社会にあって、分断された人と人とを結んでいくことができる。そこから、平和も始まります。
 ゆえに私は、青年と会い、語らいに徹していきます。そして、行動を通し、心の触れ合いを通して、皆の魂を触発していきます。
 人は、心から納得し、共感し、感激し、“よし、私も立ち上がろう!”と決意して、自発的に行動を開始した時に、最大の力を発揮することができる。この触発をもたらしてこそ、“励まし”なんです。
 それは、誠実と全情熱を注いでの対話であり、生命と生命の打ち合いです」   

【先生のメッセージ】

◆ニホンガッコウ大学「名誉教育学博士号」授与に寄せた池田先生の謝辞(代読)

1993年2月にパラグアイを初訪問した池田先生が、愛すべき後継の友一人一人に尊敬の眼差しを送り最大にたたえる(パラグアイ文化会館で)
1993年2月にパラグアイを初訪問した池田先生が、愛すべき後継の友一人一人に尊敬の眼差しを送り最大にたたえる(パラグアイ文化会館で)

 一、貴国パラグアイは、偉大なる「太陽の大地」にして「勇壮な歴史を誇る、伝説の大地」(詩人ルベン・ダリオ)と讃えられております。
 どこまでも澄み渡る青空、緑輝く大地、平和に流れゆく大河、そして、世界のいずこにも増して、朗らかで、友誼の心あふれる人々――今、私の心は、「太陽の大地」の誇り高き宝友と一緒にあります。
 憧れの貴国を、私が初めて訪問できたのは、1993年の2月でありました。
 奇しくも、その3月に創立されたのが、青少年を薫育する、貴「ニホンガッコウ」であります。
 校歌に、「全体人間になれと、無限の可能性を広げてくれる」「教育の絶え間ない向上を目指す、献身の教育に賞讃あれ」と謳われているように、崇高なる人間教育の理念を掲げ、若き英才を育んでこられました。そして、2008年12月に、世界市民を育成する先進的な知性の学城「ニホンガッコウ大学」が威風堂々とそびえ立ったのであります。
 貴大学からの最高に栄えある英知の宝冠を、私は貴国の良き市民、模範の国民として活躍する、敬愛するパラグアイの友をはじめ、世界192カ国・地域のSGIメンバーと共に、分かち合わせていただきます。
 誠に、誠にありがとうございます。(大拍手)

牧口先生の実践と響き合う理念

 一、貴大学のシンボルマークには、両手に抱かれた地球に、パラグアイと日本が描かれています。そこには、最も遠く離れた両国の心を一つに結び、人類に貢献しゆく人材を輩出しようとの、オルテガ総長ご夫妻の強い決意が輝き光っております。
 貴国のグアラニーの伝統の言葉に、「志を抱き続ければ、成し遂げられる」とあるように、総長ご夫妻は、幾多の困難を勝ち越えながら、今日の大発展を築いてこられたのであります。
 総長ご夫妻は、学生や児童と接する時は、実の父母のように、こまやかに心を配り、保護者であるご家族も折々に学校に招くなど、皆の絆を強め合うひとときを持たれていると伺っております。キャンパスに広がる人間教育の麗しき光景が目に浮かぶようです。
 それは、創価教育の創始者である牧口常三郎先生の理念とも深く響き合うものであります。
 教育の目的は「子どもの幸福」にあるとの信念に立った牧口先生は、若き日、寒さの厳しい北海道の小学校では、雪の降る朝でも外に出て、登校する子どもたちを迎えました。あかぎれで手を腫らした子がいれば、お湯を沸かし、手を温めてあげたといいます。
 また、東京の小学校の校長時代には、弁当を持参できない子どものために、無料の給食を先駆的に実施されるなど、さまざまな工夫をこらし、子どもたちを慈しまれました。
 「教育は最優最良の人材にあらざれば成功することの出来ぬ人生最高至難の技術であり芸術である」と牧口先生は宣言されています。
 そして、「自他共の幸福」を目指す人間教育の粘り強い推進によって、社会の矛盾や葛藤を打開しつつ、平和な社会の創造をと展望したのであります。
 この教育哲学もまた、貴大学の理念に深く通底していることに、私は感銘を深くしております。
 貴国が誇る世界的な作家であり、私どもSGIの草の根の教育運動にも深い共感を寄せてくださっていた、ロア・バストス先生は、述べられています。
 「大きな出来事というものは、時として目に見えない、ささやかなことから始まることが多いものだ」と。
 一人一人の若人を励まし、一人一人の人材を育てゆく教育は、「時として目に見えない」誠に地道な営みであります。
 しかし、その弛みなき挑戦の中にこそ、時代を変革し、社会を安定させ、前進させゆく、偉大なる原動力があるのではないでしょうか。

壮麗な人間共和と平和友情の花園を

 一、歴史を創るのは「水底のゆるやかな動き」である――これは、私が対談したイギリスの大歴史家トインビー博士の深き洞察でもありました。
 貴国の国名「パラグアイ」には、「大河の集まる国」との意義があると言われます。
 貴大学が、滔々と流れゆく大河の如く、尽きることのない幾多の優秀な人材を育み、世に送り出しながら、パラグアイの大地に、そして地球社会の沃野に、壮麗な人間共和と平和友情の花園を、いよいよ咲き広げていかれることを心から願ってやみません。
 私も、今日よりは、誉れ高き貴大学の一員として、先生方とご一緒に、生涯、全力を尽くしゆく決意でおります。
 その心情を、私の大好きなグアラニーの箴言に託させていただきます。
 「勇者と船の帆は、最後まで屹立している」と。
 結びに、わが母校たる貴大学のますますの隆盛と、パラグアイの無窮の栄光、そして本日ご列席のすべての皆様方のますますのご健勝を、心よりお祈り申し上げ、私の謝辞とさせていただきます。
 ムーチャス・グラシアス!(スペイン語で「大変にありがとうございました!」)
(大拍手)

【聖教ニュース】

◆南米パラグアイのニホンガッコウ大学が池田先生を名誉教育学博士に
授与の辞 「世界の平和と環境を守る善なる行動をたたえたい」

ニホンガッコウ大学の講堂で行われた「名誉教育学博士号」授与式の参加者が記念のカメラに。オルテガ総長(前列左から3人目)ら大学関係者、来賓が池田先生の世界平和への行動を称賛した
ニホンガッコウ大学の講堂で行われた「名誉教育学博士号」授与式の参加者が記念のカメラに。オルテガ総長(前列左から3人目)ら大学関係者、来賓が池田先生の世界平和への行動を称賛した

 南米パラグアイ共和国の「ニホンガッコウ大学」から、池田大作先生に「名誉教育学博士号」が授与された。平和・文化・教育の世界的な促進、および公正で寛容な社会構築への尽力をたたえたもの。授与式は10日(現地時間)、同大学の講堂で行われ、ディオニシオ・オルテガ総長、カリーナ・ボルバ大学院部長、マリア・アメリア・ブリトス学術部長ら大学の代表や、同国のベジャス・アルテス大学のカルロス・ピニャネス理事長ら来賓が出席。オルテガ総長から代理のパラグアイSGI・カタオカ理事長に名誉学位記が託された。(2・3面に関連記事)

 ニホンガッコウ大学のシンボルマークには両手に包まれた地球に、パラグアイと日本が描かれている。
 代読される池田先生の謝辞の言葉が響く。
 「そこには、最も遠く離れた両国の心を一つに結び、人類に貢献しゆく人材を輩出しようとの、オルテガ総長ご夫妻の強い決意が輝き光っております」
 静かに聞き入るオルテガ総長が、深くうなずいた。
 南米パラグアイにおいて、地球のおよそ反対に位置する日本。その名を冠した「ニホンガッコウ」の創立には、パラグアイの教育に情熱を燃やす総長夫妻の強い思いがあった。
 オルテガ総長と、妻のエルメリンダ・アルバレンガ・デ・オルテガ副総長は1991年、日本の国立大学に留学。比較教育学を学んだ。その際、道徳や伝統、礼儀、規則を重んじ、思いやりの心を養う日本の教育に、深い感銘を受けたという。
 “日本の教育や伝統文化をパラグアイに取り入れ、理想の人間教育を実現したい”――そう志した2人は、帰国後の1993年、幼稚園と小学校からなる「ニホンガッコウ」を、首都に隣接するフェルナンド・デラモラ市に創立。その後、中学・高校が拡充した。
 そこでは、パラグアイ人としてのアイデンティティーを育みつつ、日本語学習のほか茶道、華道、日本舞踊、空手などを教育カリキュラムに導入。さらに、ひな祭りや端午の節句、七夕など、折々の日本の伝統行事を実施し、日本文化を学ぶ機会を設けている。

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈座談会 栄光の峰をめざして〉65 御聖訓「ちかいし願やぶるべからず」 不屈の負けじ魂で徹して前へ 公明は政策実現力ナンバー1

今こそ創価の底力を振り絞り、歴史的な逆転勝利を!(左上から時計回りに、北海道・留萌創価県、大空知南県、神奈川・保土ケ谷総区、旭総区の集い)
今こそ創価の底力を振り絞り、歴史的な逆転勝利を!(左上から時計回りに、北海道・留萌創価県、大空知南県、神奈川・保土ケ谷総区、旭総区の集い)

 原田 全国の同志の皆さまの、日々の尊き献身に、心から感謝申し上げます。先日伺った東北では、復興のシンボル・東北文化会館の開館1周年を荘厳しようと、歴史を開く執念の大攻勢に打って出ています。

 永石 熊本地震から1年半となる九州でも、各部が総立ちとなり、猛然と対話拡大に走り抜いています。

 志賀 「敢闘精神」みなぎる関東各県の同志も、勝利の峰に向かい、怒濤の大前進を続けています。

 長谷川 池田先生はかつて、「いかなる戦いも、『勝つ』と決めて、最後の最後まで進み抜いた方が勝つ。いざという時に戦い切れば、永遠に崩れない常楽我浄の軌道を開くことができる」と指導されました。これこそ、不可能を可能にする勝利の鉄則です。

 原田 本当の壁は自身の心の中にあります。「自分一人くらい、いいだろう」という油断、「ここまでやれば十分」という慢心、「もう時間がない」というあきらめを一切、排することです。「断じて勝ち抜く!」と強く一念を定め、最後の最後まで行動を起こしていくことです。それは“自身の弱い命との戦い”でもあるのです。

 長谷川 決勝点が近づくほど、魔の働きも強くなります。大切なことは周囲の状況や環境に振り回されないこと。そして「ちかいし願やぶるべからず」(御書232ページ)との精神のまま、自ら誓った目標に向かって前進し続けることです。

 原田 日蓮大聖人は、度重なる大難にも、「いまだこりず候」(同1056ページ)との気迫で、民衆救済の闘争を続けられました。今こそ私たちも、日蓮仏法の真髄である、この不屈の「負けじ魂」を命に刻む時です。最後の一瞬まで「攻めの対話」に徹してまいりましょう。

3つの選択基準

 伊藤 衆院選の投票日(10月22日)まで6日。連日報道され、有権者の関心も高まってきています。

 竹岡 今回の選択基準は確かな「政策と実績」があるか、国民に「安心」をもたらす政党はどこか。「安心選択選挙」ともいえます。

 志賀 本格的な少子高齢化や、緊迫する北朝鮮の脅威など、「不安」を感じている国民に「安心」をもたらすのは、与党か野党か。この点が問われています。

 伊藤 公明党は「三つの安心」を掲げていますね。

①将来の子育てや社会保障の安心

 永石 公明党は「子育て支援の元祖」です。教科書無償配布や児童手当の創設等、半世紀以上にわたり実績を重ねてきました。教育費を心配せずに子育てができるよう、今回、「教育費の負担軽減」を掲げています。幼児教育の無償化、私立高校授業料の実質無償化、給付型奨学金・授業料減免の拡充を目指しています。

 長谷川 また、高齢者の暮らしを守るため、「低年金者への加算(月最大5000円)」や「介護保険料の軽減拡大」の前倒し実施なども掲げています。

②北朝鮮問題を各国と解決する安心

 志賀 弾道ミサイル等の北朝鮮の脅威に対し、自公政権が憲法の枠内で成立させた「平和安全法制」などにより、日本は米国をはじめ、国際社会と連携して対応することができています。


 竹岡 諸外国からも「問題解決のためには、日本の政権を安定させてもらいたい」との声が上がっています。公明党が政権にいることで政治が安定し、外交も進んでいます。世論調査でも現政権の外交などを評価するデータが出ています。

③「庶民目線の政治」を進める安心

 永石 公明党が政権にいることで「庶民目線の政治」が進み、「安心感がある」という声もありますね。

 伊藤 今回の重点政策も「庶民の視点」が貫かれ、具体的な、公明党らしさが光っています。他党にはない「草の根のネットワーク」で一人一人の「小さな声」を政策に反映してきました。

 長谷川 九州大学・藪野祐三名誉教授も語っています。「結党以来、公明党は一貫して『庶民の政党』『大衆の政党』として歩んでいます。連立与党の一員となった今も、公明党には全国3000人もの地方議員と国会議員との強いネットワークが生きています」

 志賀 その一方で、政策そっちのけで、自分たちの“議席の生き残り”に右往左往する野党の姿が目立ちます。たとえば、立憲民主党と共産党は、自衛隊について「合憲」と「違憲」で、方針が正反対にもかかわらず、手を組んでいる。まさに選挙目当ての野合です。

 竹岡 野党の政策は、聞こえは良くとも、財源などの裏付けのないものが多すぎます。2009年、今の立憲民主党の議員が中枢を担った旧民主党政権が、いい加減な公約を並べ、全く実現できなかったことをよく覚えています。

 志賀 政策は、有権者との約束。票欲しさに“バラ色の政策”を出せばいいというものではありません。

 永石 公明党と他党との一番の違いは、多彩な実績を持つ「政策実現力ナンバーワン」であることですね。約束した政策を必ず実現する力があります。軽減税率の導入、年金受給資格期間の短縮(25年→10年)も公明党の推進で実現しました。

 竹岡 識者からも「公明党は現実に、統治機構の中で自民党とも官僚とも連携しながら、着実に政策を推進していく政党」「円熟した与党・公明党にしかできない大事な仕事」(東京大学・御厨貴名誉教授)など多くの期待の声があります。

 原田 公明党には、「小さな声」を実現する力、そして「庶民の視点」で政権運営を行うバランス感覚があります。これからも徹して「大衆とともに」の立党精神を貫き、「安心の未来」を開いてもらいたい。

◆〈世界の機関紙・誌から〉 カナダSGI セカイ・セカイさん 2017年10月16日


 私は1949年にカナダの港町ハリファックスで生まれました。父はアフリカ系アメリカ人で、母はヨーロッパとカナダ先住民の血を引いています。

2017年10月15日 (日)

2017年10月15日(日)の聖教

2017年1月15日(日)の聖教

◆わが友に贈る

「いまだこりず候」と
何度も立ち上がる中に
自身の人間革命がある。
さあ勇敢に 堂々と
正義の対話を広げよう!

◆〈名字の言〉 2017年10月15日

 その昔、一流の書家は良質の墨色を得るために、あえて12歳くらいの子どもに墨をすらせたという。純粋にして無垢な心の持ち主がすってこそ、最高の墨色が出ると考えられていた▼えり抜きの硯や固形墨をそろえても、する人に功名心や俗心があれば、墨は濁る。それでは、書き手の卓抜の実力をもってしても、不本意な作品となってしまう――そう捉えたのだろう▼仏法では「心は工なる画師の如し」と説く。心一つで、偉大な画家のように、自身の人生という“名画”を自在の境涯で表現することができる。信心根本に宿命に打ち勝ち、人生を見事に切り開いたドラマが連日つづられる本紙は、世界中の同志の純粋な心で描かれているともいえよう▼ならば、記事の書き手である記者は、実のところ、友の勝利劇を最高のものに仕上げるために、極上の墨をするという役目を担っているのかもしれない。それだけに、創価の世界の実像、同志の奮闘ぶりを、正しく映す“心の鏡”を一点の曇りなく磨く精進に努めたい▼きょうから新聞週間。今年の新聞週間標語の佳作に選ばれた一つに、「その記事が人を支える勇気に変わる」とある。地域と社会、そして読者の心へ、未来を開く勇気を届ける紙面作製に全力の日々を誓う。(城)

◆〈寸鉄〉 2017年10月15日

 誠実こそ戦いの全てであ
 り要諦である―戸田先生
 人間外交で敵をも味方に
      ◇
 東北が猛攻!ここが正念
 場だ。総力で押し上げよ。
 見事なる逆転劇で万歳を
      ◇
 九州・沖縄健児が追撃!
 勇気と団結で民衆の力を
 示せ。共に勝利山を登攀
      ◇
 「兵庫の日」。常勝の要は
 我ら。師子となって走れ。
 新世紀の栄光譜を断固と
      ◇
 肥満の子供や若者、40年
 で10倍―調査。教養ある
 食生活から。健康第一で

◆社説  きょうから「新聞週間」   民衆の幸福を追求する勇気の言論


 「新聞配達の人は、毎朝私に世界を見せてくれる」――ある女子高校生がつづった「新聞配達に関するエッセーコンテスト」の入選作だ。10月15日は日本新聞協会が定めた「新聞配達の日」。きょうから「新聞週間」がスタートする(21日まで)。
 新聞は読者に、世界の“真実の姿”を知らせ、未来の展望をも示す役割を担っている。
 本紙においては、まず尊い配達の労作業に携わる「無冠の友」をはじめ、本紙を支えてくださる全ての皆さまに心から感謝し、無事故と健康を祈りたい。
 歴史家のトインビー博士は、イギリスの有力紙「マンチェスター・ガーディアン」の特派員として、トルコの地を視察したことがある。
 当時、「ギリシャ・トルコ戦争」によって、トルコの村々は荒廃していた。しかし西洋に伝わるのは、ギリシャ側の情報ばかり。博士はトルコ人大量虐殺の事実を突き止め、勇敢にも新聞に発表した。「勇敢にも」とは、この記事の発表をきっかけに、やがてロンドン大学教授の職を失ってしまうからである。
 博士の揺るぎない信念は、当時の紙面から読み取ることができる。「今、私は悪を見る。そして私は悪に対して沈黙することができない。ジャーナリズムにおいて、唯一の名誉ある針路とは、恐怖と贔屓を介さず、見たこと、そして信じることをすべて書くことである」(1921年6月10日付同紙)
 「信濃毎日新聞」などで健筆を振るい、軍国主義と戦い続けた言論人・桐生悠々は叫んだ。「私は言いたいことを言っているのではない。……国民として、……真正なる愛国者の一人として、同時に人類として言わねばならないことを言っているのだ」(『桐生悠々反軍論集』新泉社発行)
 桐生もまた、いかなる非難や弾圧にも屈しなかった。「剣の使い方を矯める(=『改める』の意味)ものは、筆の力である」(同)と。“看板”と“内実”が懸け離れた政治家を舌鋒鋭く批判した。
 かつて池田先生は、桐生の生涯を通し、「民衆の幸福を追求する政治を、言論を!
 これが彼の信条であった」「広布に進む私たちもまた、言論の力で勝つ。聖教新聞は、常にその原動力として、民衆のための言論戦に先駆していただきたい」と呼び掛けた。
 庶民の幸福のために、今こそ言わねばならないことを語り切るのだ!――この誇りに燃え、読者の皆さまと共に、勇気の言論戦を貫いていきたい。

◆きょうの発心   師と共に勝利の歴史を築く!2017年10月15日

御文
 詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん(開目抄、232ページ)
通解 つまるところ、諸天善神も日蓮を見捨てるなら見捨てよ。諸難に遭うなら遭おう。身命をなげうっていくだけである。

日蓮大聖人が流罪地の佐渡で、妙法弘通への御覚悟を述べられた御文です。
 創価女子学園(当時)を経て創価大学へ。ところが、大学進学と時を同じくして父が蒸発。“宿命転換したい”との一心で題目を唱え、折伏に挑戦する中で学んだのがこの一節です。目の前がパッと開け、宿命に泣くばかりだった自身の命が、使命に生きる喜びの命に変わりました。
 その後、池田先生と勤行する機会に恵まれ、初の弘教も実り、信心の原点となりました。
 1997年(平成9年)5月22日、奈良国際友好会館を訪問された先生は、「この地に“理想の奈良”を」との指針を贈ってくださいました。以来、毎年、夫婦で折伏を実践。夫の転職、経済苦等、宿命の嵐に襲われましたが、この御文を胸に乗り越えてきました。
 支部婦人部長時代には、支部として56世帯の弘教を達成し、「師と心を合わせて戦えば必ず勝てる」と確信。広布に走り抜く中、信心を貫いてきた母と共に、父との再会を果たすこともできました。
 奈良常勝県は“師と共に断じて勝つ”との誓いのままに大拡大の歴史を築いてまいります。
 奈良常勝県婦人部長 尾上知美

【聖教ニュース】

◆アメリカ創価大学が主催「平和の文化と非暴力」会議 2017年10月15日
チョウドリ元国連事務次長とエラ・ガンジー博士らが出席


「平和の文化と非暴力」会議には、100人を超える参加者が出席した(アメリカ創価大学で)
「平和の文化と非暴力」会議には、100人を超える参加者が出席した(アメリカ創価大学で)

 アメリカ創価大学(SUA)が主催する第4回「平和の文化と非暴力」会議が2日(現地時間)、カリフォルニア州オレンジ郡アリソビエホ市の同大学で開かれた。
 同会議は、非暴力・不服従運動を貫いたインド独立の父マハトマ・ガンジーの生誕日(10月2日)に合わせて決議された国連の「国際非暴力デー」にちなみ、2014年から始まった。世界市民を育成するSUAを拠点に、学識者や社会活動家を招いて意見を交わし、平和と非暴力の潮流を起こすことを目的として企画された。
 本年の会議では、元国連事務次長のアンワルル・チョウドリ博士が進行役を務め、「開発のための軍縮運動の推進」をテーマに進められた。これには、SUAの学生・教職員をはじめ、地元の市民らが出席した。
 冒頭、チョウドリ博士は、これまでの同会議の歩みに触れ、SUAの尽力に心からの謝意を表した。さらに、本年の会議のテーマを紹介した上で、核兵器廃絶のために、教育現場等での啓発活動の重要性を指摘した。
 続いて行われた基調講演では、マハトマ・ガンジーの令孫であり、平和活動家のエラ・ガンジー博士が登壇した。
 ガンジー博士は、第2次世界大戦後、アメリカがマーシャル諸島共和国で実施した67回にも上る核実験により、今もなお、多くの人々が放射能による健康被害で苦しんでいることに言及し、核兵器が使用された場合の脅威は、「私たちの想像をはるかに超えるもの」であると警鐘を鳴らした。
 さらに、世界では膨大な予算が、軍事費に使われていると強調。世界の年間軍事支出のうち、その約5%を代替するだけで、2015年まで推進された国連のミレニアム開発目標(MDGs)を達成できたとの例を挙げ、これらの予算を教育や医療、社会福祉などに代替すべきであると力説した。
 最後に博士は、このような現状を打破するためには、「環境への配慮」「搾取の終結」「万人の尊厳」などを重んじた平和的な思考や持続可能な生活様式が重要であると述べ、「今後も、これらの問題に関心を持ち続け、行動を起こしていってほしい」と参加者に呼び掛けた。
 また、同会議では、カリフォルニア大学アーバイン校のエテル・ソリンゲン教授、バーゼル平和研究所のアリン・ウェア事務局長が講演。SUAのハブキ学長があいさつした。
                    ◇ 
 同会議に先立ち、登壇した4人の識者とSUAの大学院生らが2日、交流の集いを開催した。
 集いでは、核軍縮等についてディスカッションが行われ、幅広い意見が交わされた。
 チョウドリ博士とガンジー博士は、平和と非暴力の社会を実現するため、目的達成への情熱をいつまでも持ち続けてほしいと学生たちに呼び掛け、期待を寄せた。

◆箱根駅伝予選会 創価大学が力走 2017年10月15日

「集団走」で執念の走りを見せた創価大学の選手たち
 
 「集団走」で執念の走りを見せた
      創価大学の選手たち

   第94回東京箱根間往復大学駅伝競走の予選会が14日午前、東京・立川市の陸上自衛隊立川駐屯地から国営昭和記念公園までの20キロコースで行われ、創価大学は12位だった。
   創大の最終合計タイムは10時間13分04秒。力走及ばず、本戦への出場はかなわなかった。
    「今回、果たせなかった箱根駅団の夢は後輩に託します」(主将・大山憲明選手)
    「たくさんのご声援に心から感謝申し上げます。再び箱根路に戻るために、チーム一丸となって立ち上がります」 (瀬上雄然監督)

◆〈季節の詩〉 北海道・美唄市 マガンの飛翔 2017年10月15日
 


 10月初旬、美唄市の宮島沼は、ロシアから海を渡ってきたマガンのねぐらとなる。
 東天が朝焼けに染まり、月が姿を隠そうとする幻想的な一日の始まり。サッと飛び出した一羽に続き、約7万羽のマガンが次々と湖面を飛び立つ。
 無数の鳴き声と羽音が、流れるような一つの響きとなり、その壮大な合奏に夢中でシャッターを切った。
 60年前、北海道「夕張炭労事件」を勝ち越え、「大阪事件」の嵐に突き進む池田先生は、同志に伝言を送った――「夜明けが来た」と。師と共に立ち上がった弟子たちは、“今再びの師弟の共戦譜を”と怒濤の前進を続ける。勝利の暁を目指して。(6日=上沢尚之記者撮影)

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈ターニングポイント〉 宿命に勝った北海道・空知の幸せ家族 2017年10月15日
打開できない「壁」など絶対にない!


 幼少の頃の高田潤一は、父と母の3人家族。特別、裕福ではなかったが、不自由もない幸せな暮らしだった。
 だが突然、人生は一変する――。  
 小学4年の1992年(平成4年)、母・悦子さん(66)が脳出血で倒れる。数週間後、病室で再会した母は、まるで別人だった。後遺症で右半身は動かず、しゃべることもできない。話し掛けても、「ああ」「ああ」と答えるだけ。  
 現実を受け止められず、母の前で声を上げて泣いた。涙を拭いても嗚咽が込み上げる。その後、どうやって帰ったのか、覚えていない。  
 退院してからの母はふさぎ込み、家に引きこもった。家事の全てを近くに住む祖母に任せ、寝ている時以外は、ソファでテレビを見るだけの生活。  
 家族で食卓を囲むことはなくなり、いつしか家の中は、暗い空気に包まれていった。元々、内向的だった高田は一層、内気になり、学校でも数人の友人としか話さなくなった。  
 高校2年の時、父・進さん(65)が失踪した。数カ月後、町で偶然、見掛けた父は、「もう、家には戻らない」と頑なだった。祖母との折り合いが悪くなっていたのだ。父を責める気にはなれなかった。  
 “なぜ2人の確執に気付いてあげられなかったのか……”。自分が情けなくて、父と別れた後、一人で泣いた。
 専門学校への進学を諦め、高校卒業後は地元企業に就職した。工場に勤めたが、極度の人見知りから誰とも打ち解けられず、上司には毎日、叱られた。耐え切れず、2カ月で辞める。  
 その後は2年間で七つの職を転々と。苦しかったが家にいるのも、つらかった。どこにも居場所はない。現実から逃げることが、自分を守ることだった。そんな2003年、友人から創価学会の話を聞く。  
 「一家和楽の信心」との言葉に衝撃を受けた。母を幸せにしたい一心で、入会を決意する。  
 同じ頃、ヘルパーの資格を取得し、介護施設で働き始めた。職場では相変わらず、怒られてばかり。逃げたい思いとの葛藤。それでも題目を唱えると、不思議と職場へ足が向いた。  
男子部の先輩に誘われ、毎晩、メンバーの激励に回る。最初は緊張したが、いつからか、人と話すのが苦ではなくなった。相手の心に寄り添い、励ます先輩の対話術を知らぬ間に身に付けていた。職場でも利用者から愛される存在になった。
 学会員だった妻・沙耶香さん(31)=婦人部員=には、出会った頃から、母を折伏したいと話していた。  
 妻は心の病を患っていた。それでも母の幸せをひたぶるに祈ってくれた。入院中も、震える手で手紙を書いた。
 〈私も必ず、病気を治します。お母さんも一緒に信心してほしい〉  
 母は06年、入会。快方に向かう妻と共に、母も徐々に元気を取り戻した。部屋の掃除を始め、10年ぶりにカレーを作ってくれた。結婚後は同居し、自宅で開かれる会合に参加した。  
高田は思いっきり、学会活動に励んだ。広大な北海道の天地。一軒訪ねるのに、車で30分かかる場所もある。
 夕食代わりに、妻が握ってくれた“おにぎり”を車中で頰張り、毎晩、部員の激励に駆けた。  
 全てが順風だった訳ではない。人生の試練は何度も訪れた。介護福祉士の試験は3回目でようやく合格。
 その後、ケアマネジャーの資格取得には5年もかかった。  
 打ちひしがれ、逃げ出したい思いにも駆られたが、悩みを打ち明けられる先輩がいた。池田先生の指導を読むと心が奮い立った。  
「誰しも、『こんなに頑張っているのに、なぜ自分だけが』といった無念にかられる時がある。実は、その時こそ、大きく境涯を開くチャンスなのである。  
 一人で悩まず、良き先輩に相談することだ。御書を拝し、題目を唱え、青年らしく思い切ってぶつかっていくのだ。
 打開できない壁など、絶対にない」  父がアルコール依存症で緊急入院した時も、たじろぐことはなかった。
 入院費の工面、借金の整理。夫婦で祈り、乗り越えた。一昨年、父は入会。教学部任用試験に合格し、社会復帰も果たした。  
 長女・香蓮ちゃん(5)の保育園の行事に、父と母を連れて行くこともできた。20年ぶりに顔を合わせた2人。
 祈り続けた一家和楽。「こんな日が本当に、来るんだね……」。その夜、妻と2人で御本尊に感謝した。  
 高田は今春、約10年勤めた施設から転職し、ケアマネジャーになった。そして、学会では8月、圏男子部長に任命された。  
 一気に重責を担い、正直、音を上げたくなったこともある。だが、もう逃げない。高田の胸には先生の和歌が響いている。  
 「師子と立て 師子と吼えゆけ 勝ち抜けや 北海道は 師弟の模範と」  目前の「壁」は高くて険しい。
  だからこそ、必ず勝って、師弟の模範を示したい。高田は今日も、車中で妻のおにぎりを頬張り、、北海道の天地を駆ける。

 たかだ・じゅんいち 1982年(昭和57年)生まれ、2003年(平成15年)入会。北海道滝川市在住。高校卒業後、定職に就けず苦しんだが、母を介護してきた経験を生かし、ヘルパーに。現在は、市内の介護施設でケアマネジャーとして奮闘する。圏男子部長。東滝川支部。

2017年10月14日 (土)

2017年10月14日(土)の聖教

2017年10月14日(土)の聖教

◆わが友に贈る

頼もしき壮年部よ!
険難の峰を越えてきた
誠実と確信の声は
全てを味方に変える。
今こそ信心の底力を!

◆〈名字の言〉 2017年10月14日

 本年のノーベル平和賞に決まったICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のメンバーと被爆者が11日、都内で記者会見を開いた▼ICAN国際運営委員の川崎哲氏は質疑応答の中で「信仰を基盤とする団体は市井の人々に声を届ける重要な使命がある」「SGIは私たちの大切なパートナーであり、一段と協力を強めていく時を迎えていると思う」と述べた▼わずか10年で100カ国以上の団体が参加するネットワークとなったICAN。その原動力は“自分が経験した苦しみを二度と誰にも味わわせてはならない”という被爆者の願いと、それに呼応した青年の行動だった。国際会議などあらゆる機会を通して各国の政府関係者と対話を重ね、SNSも駆使して連帯を拡大。本年7月、悲願であった「核兵器禁止条約」採択を実現させた▼一見、不可能と思える課題も、諦めずに心を合わせ、新しい力を結集すれば未来は必ず開ける――2007年の発足以来のパートナーであるSGIとICANに共通する信念だ。七十余年、進まなかった核軍縮に今、大きな風穴があきつつある▼未来は民衆の意思にかかっている。池田先生は“平和とは無力感と執念の競争”と語った。揺るがぬ信念で、一段と草の根の平和の対話を広げる時である。(波)

◆〈寸鉄〉 2017年10月14日

 御書「ゆめゆめ退する心
 なかれ恐るる心なかれ」。
 勇気と行動の人に栄冠が
      ◇
 本陣・東京よ、凱歌の行進
 を今再び!戦いは勢い。
 攻めに徹し、勝ち上がれ
      ◇
 関西は一つ。新たな常勝
 譜綴る時だ。歴史的闘争
 に勝利を。いざや前進!
      ◇
 最大の敵は自分自身だ―
 英雄。強い心で自らの壁
 を破れ!拡大の新記録を
      ◇
 気温差が激しく。体調管
 理に留意を。聡明に健康
 第一で対話の秋を飾ろう

◆小説『新・人間革命』第30巻 暁鐘の章 三十七 2017年10月14日 (6198)

 


 山本伸一は、さらに、結婚観について語っていった。
 「近年は、世界的な傾向として、すぐに離婚してしまうケースが増えつつあると聞いています。しかし、どちらかが、しっかり信心に励み、発心して、解決の方向へ歩みゆくならば、聡明に打開していける場合が多いと、私は確信しています。ともかく、確固たる信心に立つことが、最も肝要です。
 よき人生を生き抜き、幸福になり、社会に希望の光を送るための信心です。ゆえに、よき夫婦となり、よき家庭を築き、皆の信頼、尊敬を集め、仏法の証明者になることです」
 この夜、伸一は、スカラ座のバディーニ総裁の招きを受け、峯子と共に、クラウディオ・アッバード指揮のロンドン交響楽団による、ムソルグスキー作曲「展覧会の絵」などの演奏を鑑賞した。
 すばらしい演奏であった。彼は、この感動を、日本の市井の人びとに、ぜひ味わってもらいたいと思った。彼が民音を創立した目的の一つは、民衆に世界最高の音楽・芸術と接してもらうことにあった。芸術も文化も、一部の特別な人のものではない。
  
 翌五日の正午過ぎ、伸一たち一行は、メンバーに見送られ、ミラノから空路、フランスのマルセイユに向かった。
 伸一のミラノ滞在は、三泊四日にすぎなかった。しかし、彼と身近に接したミラノの青年たちが、心に深く焼き付けたことがあった。それは、彼が、ホテルのドアボーイや料理人、運転手、会社の経営者、学者など、すべての人に、平等にねぎらいや感謝の言葉をかけ、丁重に御礼を言う姿であった。
 仏法では、万人が等しく「仏」の生命を具え、平等であると説く。まさに伸一の行動が、それを体現していると感じたという。
 思想、哲学、そして宗教も、その真価は、人の行動、生き方にこそ表れる。
 友の幸福のため、社会のために、喜々として懸命に活動する姿のなかに、仏法はある。   

【先生のメッセージ】

◆〈池田先生と共に 新時代を進む〉19   正義の走者は“澎湃”と   2017年10月14日

 

 我ら創価家族には、偉大な正義の源流がある。  
 戦時中、軍部政府の弾圧にも断じて屈しなかった殉教の師父・牧口先生が、獄中で最後の葉書を綴られたのは、昭和19年(1944年)の10月13日であった。
 御本仏御入滅のこの日、先生は「三障四魔ガ紛起スルノハ当然デ、経文通リデス」と大確信を記された。
 先師の死身弘法を偲び、「立正安国」の魂を胸に奮闘する全同志に届けと、八王子の東京牧口記念会館で勤行・唱題した(10日)。
 会館には、随所に線が引かれた、牧口先生の御書が保管されている。
 「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず」
 「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」
 「いまだこりず候」
 「悪は多けれども一善にかつ事なし」
 広布の大闘争の中でこそ、境涯革命ができ、無量の大福運を積める。ゆえに、大聖人直結の「勇気」と「執念」と「団結」で恐れなく戦い進め、との先師の師子吼が生命に響いてくる。
                      - ◇ -
 東京富士美術館の「遥かなるルネサンス」展にも立ち寄り、イタリアが誇る美の至宝を鑑賞した。
 その一つに、ルネサンス期の美術工芸の名品「市民を救うカエサルが描かれた大皿」が展示されている。
 厳しい戦いに臨んだ古代ローマの英雄カエサルは、「この困難は、ただ機敏な行動によってのみ克服される」と叫んだ。
 学会の強さはスピードである。どんな困難にも、創価の英雄は迅速果敢な行動で栄光の逆転劇を生むのだ。
                      - ◇ -
 牧口先生の夢を実現した創価大学・創価女子短期大学のキャンパスも回った。
 創大祭・白鳥祭を大成功で終え、愛する創大生・短大生が躍動していた。英知の世界市民たる留学生の友情も、尊く輝き光っている。
 牧口先生が若き日、用いられた筆名は「澎湃(ほうはい)」である。水が漲るように勢いを増す生命力で「従藍而青」の人材群を育成されたのだ。
 先生が展望した、民衆の幸福と平和を開く「人道的競争」の時代が始まった。その先頭に正義の走者たる創価のメロスたちが、いよいよ”澎湃”と踊り出ている。
                      - ◇ -
 寒さが本格化してきた。北海道や東北はじめ全宝友の健康と無事安穏を祈る。無冠の友も、お元気で!
 皆で悔いなく走り切って、立正安国の勝利を飾ろう!

【聖教ニュース】

◆日蓮大聖人御入滅の日勤行法要 2017年10月14日

 「日蓮大聖人御入滅の日」の勤行法要が13日、各地で行われた。
 弘安5年(1282年)10月13日の日蓮大聖人の「御入滅の日」の意義をとどめたものである。
 池田大作先生は、総本部(東京・新宿区)の創価学会第2別館で厳粛に勤行・唱題し、末法の御本仏への報恩感謝と、世界広布への誓願を捧げ、全同志の幸福と勝利を深く祈念した。
 原田会長は、埼玉文化会館での勤行法要に出席。また、信濃町の広宣会館(学会本部別館内)では、長谷川理事長を中心に各部の代表が集い、行われた。
 日蓮大聖人の死身弘法の御生涯――それは、競い起こる三類の強敵に対し、師子王の心で勝ち越えて、「一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめんとする」(御書1337ページ)誓願を貫かれた御闘争であられた。
 命にも及ぶ数々の大難も「本より存知の旨なり」(同910ページ)と、法難の烈風に立ち向かわれ、末法万年の広宣流布の大道を開かれたのである。
 そして、現代において日蓮大聖人の御遺命たる「一閻浮提広宣流布」を現実のものとしてきたのが、創価の三代会長であり、池田先生が世界192カ国・地域に広がるSGI(創価学会インタナショナル)の基盤を築いたのである。
 池田先生は綴った。
 「日蓮大聖人に直結する我らは『師子王の心』を取り出して、何ものも恐れず、堂々と悠々と一切を勝ち越えていくのだ!」と。
 栄光の「11・18」へ、広布の誓願を果たす時は「今」である。

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈グローバルウオッチ〉 若者と幸福 インタビュー 京都大学こころの未来研究センター特定准教授 熊谷誠慈さん   困難な時代を生き抜く若い世代


 現代社会の課題と向き合う「グローバルウオッチ」。若者が幸福を実感できる社会をつくるために何が必要か。宗教はいかなる貢献ができるか。京都大学こころの未来研究センター特定准教授で、仏教学者の熊谷誠慈さんに話を聞いた。(聞き手=村上進)

 国連が発表している国際比較調査「世界幸福度ランキング2017」によると、日本は51位。先進国中で最下位レベル。経済発展を遂げてきた日本人が実感している幸福度は高いとはいえない。
 一方で、内閣府による「国民生活に関する世論調査」では、現在の生活に満足していると答えた人は7割以上と過去最高を記録し、特に18歳から29歳の若者の満足度が一番高いという結果が出ている。また最近の若者について、かつての高度成長期とは違い、高級品や車などを欲しがらず、経済的なコストパフォーマンス(費用対効果、以下「コスパ」)を重視するライフスタイルが指摘される。
 これらの調査や研究が映し出す日本の若者の幸福観とは、どのようなものなのだろうか。
  
 「若者」をひとくくりにするのは難しいですが、今の若い人は概して物欲が少なくなっていて、物質的に小さな、自分がかなえられる程度のものを手に入れて満足を得る傾向があると思います。自分が損をしないように場の空気を読んで、周囲との関係にも気を使っています。大人社会や企業の論理ともいえるコスパという考え方を既に小学生から取り入れていて、ある部分が極端に成熟し、大人化した若者ともいえると思います。
 そういった若者の傾向自体は否定すべきものではありませんし、経済が低迷する時代を受け入れ、生き抜くために必要な耐性を身に付けているという意味で、私はポジティブに捉えています。ただ一方で、大人になって感じるような不安感を、既に子どもや若者が漠然と抱え込んでいるのではないかと思います。
 幸福度などの数字を見る時に注意が必要なのはアベレージ(平均値)であって、実際の個人間では差があるということです。日本の若者は一部の幸福実感が強い人、多くの小さな幸福に満足している人、近年増加する幸福感を持てない人などに分かれ、格差も広がる一方で、他者の幸・不幸には無関心な人が多いように感じています。
 現在、大きな困難に直面している人は、まず社会的な制度やネットワークによって助けなくてはいけない。その上で無関心な人が、いつ自分も貧困や苦境に陥るかもしれないという「当事者意識」を持ち、いざという時に助けてもらう、身近な人を助けられるための「情報」を持つことが重要です。
  現代社会の幸福を見る上で、世界的にはGDP(国内総生産)やGNP(国民総生産)が示す経済的な豊かさが重視されてきたといえる。しかし近年、一人当たりのGDPは上昇しても幸福度は必ずしも上がらないことが、多くの研究者によって示されている。
 一方で、GDP自体は最貧国レベルでありながら、国民の幸福実感が非常に高いことで注目されてきたのがアジアの小国ブータンである。これからの日本人の幸福観を考える上でも、ブータンが掲げてきた新たな指標ともいうべき「GNH(国民総幸福)」の理念・政策には学ぶべきものがあると熊谷さんは指摘する。
  
 ブータンのGNHは、憲法にも明記されている、国の中心的な理念といえます。あらゆる政策がGNHの指標に照らして不十分であれば成立しないというものです。この指標は大きく九つの領域に分かれています。その中で経済面に直接関係するのは「生活水準」のみで、その他、「教育」「健康」「心理的幸福」「コミュニティーの活力」「文化」「時間の使い方」「良い統治」「環境」の領域があり、それぞれが9分の1に当たる11・1%の評価力を持っている。
 例えば、高い経済効果を生むような政策で、生活水準を高めることができても、それが森林伐採など自然環境を損ねたり、長時間労働によって余暇や健康、心理的幸福を疎外するとなれば、総合的な評価はとても低くなり、修正が求められるわけです。つまりGNHは経済的・物質的な幸福だけを評価するのではなく、心理的な幸福や持続可能性とのバランスを重視する理念・指標といえます。
 ここで重要なのは、ブータンが経済成長や物質的な幸福を否定しているわけではないという点です。実際、ブータンは2008年以降、国王を中心とした親政から、首相と議会を軸とした立憲君主制に移行し、近代化も進んできています。都市部の若者はスマートフォンなどへの物欲も強いですし、失業率も高く、若者の抱える問題も少なくありません。近代化による良い面と悪い面があることも分かっていながら、踏み切っているのが最近の実情です。
 むしろブータンは、そういった状況を想定していたからこそ、日本などの先進国の近代化による功罪両面の経験に学びながら、物質的な幸福とともに、伝統的な仏教思想に基づく精神的な幸福を両立させようと、GNHの理念を生み出したのだと思われます。
 また近代化の行方が不透明な中で、ブータンを“世界一幸せな国”などと過度に美化するべきではないと考えます。ブータンは人口70万人ほどの小さな国であり、本格的な経済成長を経験する前に、国民的カリスマであった第4代国王が主導したからこそ、GNHのような政策が受け入れられたともいえます。
 そういった意味でも、GNHは現代の国々に単純に適用できるものではないかもしれない。むしろ、国家行政とは異なる市区町村や地方都市などが、市民の幸福度を高めていくのに適した理念かもしれません。
 実際にGNHの発想は、経済の低成長期を迎えた欧州などでも注目され、日本でも東京都荒川区が、GNHを参考にした独自の幸福指標である「GAH(荒川区民総幸福度)」による取り組みを進めています。さらに荒川区の事例をもとに、日本各地の地方自治体にGNHの理念を工夫して活用する動きが広がっていて、それぞれの事例を共有・発展させるための基礎自治体連合「幸せリーグ」が発足して、100に近い市区町村が参加している状況です。
 いずれにしても、より市民に近いグループや自治体などが主体的に立ち上がり、ボトムアップ型で市民の声を吸い上げ、「全ての人には幸せになる権利と可能性がある」という意識を広げる。その中で若者をはじめ一人一人の幸福度を上げるために、GNHの理念は役立つのではないかと思います。
  
 GNHをはじめとするブータンの取り組みには、伝統的な仏教思想がどのように取り入れられているのだろうか。
  
 伝統的に仏教徒が多いブータンでは、国の運営や開発を進める上で、仏教的な倫理と慈悲を重んずることを明確にしています。中でもGNHの根底にあるのは、仏教的な「中道」の発想です。
 世界には経済至上主義ともいえる風潮が強い中で、ブータンは経済的・物質的な幸福を重視すると同時に、それ以外の精神的幸福や持続可能な幸福との中道的なバランスを最も大切にする、というのが大きな特徴といえます。
 ここで重要なのは、ブータンでは、仏教が他の宗教と比べて優れているというようなことは言われず、信教の自由がしっかりと認められているということです。
 仏教には、他の宗教と同様に、宗教的側面と非宗教的側面があり、ブータンでは両者をたて分けています。つまり宗教的側面では他宗教を信ずる人と理解し合えない場合であっても、非宗教的側面である慈悲や知恵などに関する意識であれば、どの宗教の人たちとも共有できると考えているのです。
 例えば仏教の特徴といえる「輪廻」でいえば、前世や来世といった考え方は極めて宗教的であり、これを共有することは簡単ではない。しかし、非宗教的な輪廻的発想に着目すると、あらゆる存在をつなぐネットワークと考えることもできます。
 時間軸で発想すれば、先祖と自分と子孫をつなぐものであり、人は単純な独立存在ではなく、自分一人では終わらないことに気付く。
 さらに空間的には、他者と完全に切り離されて存在する人はおらず、誰しもが家族や友人、職場や地域社会、そして国家という社会的つながりの中で生きているということになる。
 そもそも人は、自然界の生態系、食物連鎖という巨大なネットワークの中にいるという視点は、宗教を超えて共有できると思います。
 また、仏教的思想の特徴といえる「自利と利他」のバランスという視点も、現代の幸福につながるアイデアといえます。つまり、自分に利益をもたらす「自利」は当然、必要不可欠なものですが、自利ばかりであれば争いが絶えなくなる。不幸が増大してしまいます。
 そこで、他者を利する「利他」が重視されるわけですが、利他性には限界があって、それぞれの置かれた状況や適性などによっても変わってくることを知らなくてはいけません。近年は介護や育児による「燃え尽き症候群」など、過度な負担を背負った結果、心身のバランスを崩してしまうこともあります。
 大事なのは、一人一人が無理なく、持続可能な形で利他を行う。自利と利他の中道的なバランスを保って、なるべく自利を疎外しないで利他を行うことです。
 そもそも、多くの人にとって適度に利他的な行動をし、社会に大なり小なり貢献することは、生きる喜びという自利につながると思います。
 ですから今、市民レベルの幸福度を高めていくためにも、利他と自利がバランスよくつながる在り方や事例、そのための方法論といった情報をシェア(共有)し、一人一人が当事者意識を持って行動できるようにすることが必要だと考えます。
  
 今後、現代社会の課題を解決していくために、仏教思想を生かしていくには、どういった視点が必要になってくるだろうか。
  
 約2500年前に生まれた仏教は、狩猟採集・農耕時代を経て、各地の近代化といった流れの中で、少なからず人類の幸福に寄与してきたといえます。現代社会において、古い仏教経典に書かれていることを文言通り実践することは容易ではありません。
 しかし、ブータンのGNHの例のように、仏教の輪廻や縁起、自利と利他といった思想などを、各地域の文化や社会状況に合わせて上手にアレンジすることで、現代にも応用できると考えています。
 私たち人類にとって、科学技術を進化させ、新しい発見や開発を生み出すことはもちろん大切ですが、それと同じくらい、歴史の中で忘れられ、無価値だと思われている思想・哲学を再発見し、再活用することも重要だと思います。
 そういった意味でも、創価学会が戦後の日本社会、そして世界において仏教思想を応用し、これだけ多くの人の幸福に貢献する具体的な実践をしてきたことは、大きな成功例の一つだと私は思います。さらにこれから、仏教思想の良いところを吸収しながら、日本だけでなく世界の人たち、20世紀だけでなく21世紀の人類の幸福に貢献するものとして、仏教を進化させていくことが重要です。
 創価学会・SGIの特徴は、宗教的側面といえる究極的な幸福と、非宗教的側面の世俗的な幸福をバランスよく実現している点といえます。生死という根本的課題はもとより、今を生きる目の前の人の苦悩をどう解決していくかというところに力点がある。だからこそ、会員同士のつながりを大切にし、各地域の産業や社会の枠組みに対しても、現実的に、柔軟に対応できるのだと思います。
 いずれにしても、科学技術は決して万能ではないし、行政による社会保障なども完全なものにはなりません。これからの世界の中で、不確実な現実の生活に確かな幸福をもたらし、いざという時のセーフティーネットとなるためにも、仏教をはじめとする宗教の役割は重要だと、私は考えています。

 くまがい・せいじ 1980年、広島県生まれ。京都大学こころの未来研究センター特定准教授。専門は仏教学(インド・チベット・ブータン)およびボン教研究。編著に『ブータン 国民の幸せをめざす王国』、共著に『こころ学への挑戦』、論文に「ブータンにおける仏教と国民総幸福(GNH)」などがある。
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◆〈池田華陽会御書30編に学ぶ 女子部教学室〉 法華証明抄 2017年10月14日
師弟を根本に勝利の人生を



  「弟子が師と不二の道を貫けば、打ち破れない魔性などありません。師弟が一体であれば、変毒為薬できない病気などありません。健康・長寿の要諦を示す『師弟勝利の一書』。これが『法華証明抄』です」
 病と闘う愛弟子に本抄で渾身の大激励をされた日蓮大聖人。その法華経の行者としての烈々たる師子吼を心に刻みましょう。(拝読範囲は本抄全編です)

本抄について
 本抄は、弘安5年(1282年)2月28日、日蓮大聖人が身延で認められ、駿河国(静岡県中央部)の門下である南条時光に送られたお手紙です。
 熱原の法難を、強盛な信心で勇敢に乗り越えた時光は、この時、24歳の青年でした。その時光が重病であるとの報告が大聖人のもとに入ります。
 実は、大聖人御自身も、この前年から病と闘われていました。本抄を送られる3日前には、時光へのお見舞いの書状を弟子に代筆させて送られています。そして今度は自らが病を押して筆を執られ、時光に宛てて再び送られたのが本抄です。
 本抄には、「法華経の行者 日蓮(花押)」と認められています。そのように記された御書は、本抄のみです。
 法華経の行者としての立場から、広布後継の弟子の勝利のために厳愛の御指導をされているのが本抄なのです。

御文

 すでに仏になるべしと見へ候へば・天魔・外道が病をつけてをどさんと心み候か、命はかぎりある事なり・すこしも・をどろく事なかれ、又鬼神めらめ此の人をなやますは剣をさかさまに・のむか又大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか、あなかしこ・あなかしこ、此の人のやまいを忽になをして・かへりてまほりとなりて鬼道の大苦をぬくべきか、其の義なくして現在には頭破七分の科に行われ・後生には大無間地獄に堕つべきか(御書1587ページ4行目~7行目)

通解

 (南条時光が)もはや仏に成ることは間違いないと見えたからこそ、天魔や外道が病にさせて脅そうとこころみているのでしょう。人の命には限りがあります。ですから少しも驚いてはいけません。
 また、鬼神どもよ。この人(時光)を悩ますとは、剣を逆さまにのむのか。自ら、大火を抱くのか。三世十方の仏の大怨敵となるのか。まことに恐れるべきである。
 この人の病をすぐに治して、反対に、この人の守りとなって餓鬼道の大苦から免れるべきではないか。そうでなければ、現世には「頭が七つに破れる」との罪を受け、後生には大無間地獄に堕ちるであろう。

〈解説〉鬼神を呵責する御本仏の大確信
 “後継のわが弟子よ、断じて生き抜け!”

 本抄には、病と闘われながら、弟子のために命を削る思いで筆を執られた日蓮大聖人の深き慈愛が込められています。
 本抄を頂いた南条時光は、熱原の法難の際、矢面に立って同志を守り抜くなど、強盛な信心を貫いてきた門下です。
 その時光の信心の姿勢をたたえて、大聖人は掲げた御文で、時光が仏になることは間違いないと述べられています。
 そして、時光が今、直面している病は、天魔や外道が信心を試そうとして起こっていると仰せです。天魔・外道とは、ここでは仏道修行を妨げ、災厄をもたらす働きのことを指します。
 「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る」(御書1087ページ)とあるように、信心の実践が深まっているからこそ障魔が競い起こります。
 大事なことは、障魔が競い起こった時に、ひるむことなく戦い抜く勇気です。そして、必ず変毒為薬してみせると腹を決め、広布のためにできる行動を起こすことです。
 続いて大聖人は、時光の命を奪おうとする鬼神に対し、“時光を苦しめるとは、自ら身を滅ぼし、あらゆる仏の敵となるつもりか”と烈々たる気迫で叱り飛ばしておられます。
 ここでの鬼神とは、人の生命をむしばみ、奪う働きをするものを指します。
 もともと鬼神は、餓鬼道の苦しみを受けている衆生です。鬼神は、法華経を持つ人を守護すること等で、この苦悩の境涯を脱することができるのです。
 ゆえに大聖人は鬼神に向かって、妙法を持つ時光の病を治し、さらに時光を守護して、餓鬼道の苦しみから免れるよう教えられているのです。
 この鬼神への呵責を通して大聖人は、何ものも恐れぬ法華経の行者としての確信を時光に示されていると拝されます。
 この師の厳愛の指導に、時光は奮い立ったことでしょう。時光は大病を克服して、50年も寿命を延ばし、師匠への報恩の人生を貫いたのです。
 「師匠にお応えしたい」と立ち上がれば、無限の勇気と力が湧き上がり、苦難を乗り越え、変毒為薬することができるのです。
 栄光の11・18「創価学会創立記念日」へ、強盛な祈りを根本に、正義の対話を広げ、“師弟勝利の門”を開いていきましょう!

池田先生の講義から

 私たちも、いよいよ、「法華経の行者の祈り」を強盛にして、病魔に対しては「鬼神めらめ」と叱責しながら、一切の悪鬼をも、わが使命の人生の味方に変えていく決心で前進していきたい。
 ゆえに、師子吼の如き題目が大切です。(中略)いかなる病魔に対しても、わが生命の奥底から「師子王の心」を取りいだして、敢然と立ち向かっていく――この「勇気ある信心」が根幹となるのです。
                         ◇ ◆ ◇ 
 真の健康とは何か。それは、病気がない状態を言うのではありません。信心根本に生き生きと価値創造の営みを続けられるかどうかです。病気の宿業を使命に変え、常に自身の生命を革新している人は、病魔に勝利している人です。戦う中に、真の色心の健康がある。それを教えているのが日蓮仏法です。(中略)何があっても絶対に負けない。あきらめない。屈しない。この人こそ、生命の勝利者です。真の健康・長寿の勇者なのです。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第6巻)
研さんのために
 ○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第6巻、「法華証明抄」(聖教新聞社)
 ○…『御書の世界』第3巻、「生老病死」㊤㊦(同)

 
師匠と心一つに広布へ前進し、確かな幸福の土台を築きゆこう(北海道の札幌5総県合同の池田華陽会大会=9月28日、北海道文化会館)
師匠と心一つに広布へ前進し、確かな幸福の土台を築きゆこう(北海道の札幌5総県合同の池田華陽会大会=9月28日、北海道文化会館)

 今月は「法華証明抄」を学びます。
 池田先生は、つづっています。

◆〈グローバルウオッチ〉 若者と幸福 信仰体験 2017年10月14日
最高の自分になれる


 現代社会の課題を見つめる「グローバルウオッチ 若者と幸福」。ダンサーとして世界で活躍し、日本にやって来た青年がいる。

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