2019年7月17日 (水)

2019年7月17日(水)の聖教

2019年7月17日(水)の聖教

◆わが友に贈る

大関東よ奮い立て!
「強盛の信心
弥弥 悦びをなすべし」
執念の祈りと行動こそ
誉れの敢闘精神だ!

◆名字の言

46億年続いた静寂の世界に人間が初めて降り立った。そのテレビ中継に7億ともいわれる人がくぎ付けになった。1969年7月20日のアポロ11号の月面着陸から50年になる▼アポロ計画で使われたコンピューターの計算速度は現在のスマートフォンの1000分の1以下。しかしそこには、あらゆることを想定した英知が結集していた。その一つが“飛行士が間違えて操作した場合は再起動して回避する”というソフトウエアだった▼当初は「宇宙飛行士は完璧に訓練されているから、決して間違えない」という安全ソフト不要論がNASAで大勢を占めていた。だが実際、飛行士が用いたチェックリストに誤りがあり、着陸直前にこのソフトが作動。機器が操作不能になる事態を回避できた(小野雅裕『宇宙に命はあるのか』SB新書)▼無数のシミュレーションと訓練に裏打ちされた“絶対にミスしない”という自信は大前提。その上で、万が一ミスしても成功にたどりつかせてみせる――そこまで考え、最後まで打てる手を打ち切る執念ありての“勝利”だった▼「我々は月へ行くと決めた」「我々の技術と情熱を結集し、それがどれほど偉大であるかを証明するからだ」とケネディ大統領は言った。宇宙へ向かって示された人類の誇りである。(鉄)

◆寸鉄

   「但偏に思い切るべし」
 御書。誓願の師子は無敵。
 信心の戦いに悔い残すな
      ◇
 愛知が勢いを増し拡大戦
 堅塁の同志よ強気で進め
 中部の空に勝利の歓呼を
      ◇
 大阪が激戦突破へ総立ち
 民衆パワー全開で完勝を
 常勝の都に栄光の旗高く
      ◇
 中国方面の友が大奮闘!
 勇敢に動き対話の大波を
 新時代の黎明の鐘鳴らせ
      ◇
 日本に住む外国人、初の
 2%超。全ての人が輝く
 社会建設へ開かれた心で

◆社説 7・17「大阪大会」から62年  誓い新たに勝利の証しを満天下に

 いかなる苦境にあっても、断じて勝つ。先の見えない状況でも、霧が晴れるように必ず、勝利の空を仰ぎ見るまで戦い抜く――それが信仰の確信であり、誉れの広布史である。

 62年前の1957年(昭和32年)7月17日。大阪・中之島の大阪市中央公会堂は、場外まで、不当な権力への怒りに燃える約2万人の同志であふれた。「大阪大会」である。
 同年4月の参院選(大阪地方区〈当時〉の補欠選挙)をめぐり、池田先生は無実の選挙違反容疑で7月3日に不当逮捕。急速に伸びる創価学会に危機感を抱いた権力による弾圧であった。
 蒸し暑い大阪で、15日間に及ぶ勾留。検察は「罪を認めなければ、戸田会長を逮捕する」などと脅した。池田先生は、体の衰弱した恩師を守るため、法廷闘争で潔白を証明し、真実を明らかにすると誓った。
 当時、検察が起訴した刑事事件の有罪率は“99%”。担当弁護士が「有罪は覚悟してほしい」と語るほど、無罪を勝ち取ることは不可能に思えた。
 だが出獄した池田先生は、決然と信仰の確信を語った。「大悪をこれば大善きたる」(御書1300ページ)の御聖訓を拝し、“最後は信心しきった者が、また正しい仏法が必ず勝つ!”と師子吼したのである。公会堂の外は、大地を揺るがすような雷鳴、滝の如き豪雨。だが、一人として立ち去る者はいなかった。
 4年半の法廷闘争の末に、62年(同37年)1月、無罪判決を勝ち取った。広布への断固とした祈りと行動は全てを勝利に導く――この強き一念が、関西に永遠に脈打つ“常勝不敗の魂”となった。
 関西創価班の中核を担う青年。亡き祖父が「大阪大会」に参加し、師の叫びを全身で聞いた。彼は、その負けじ魂を受け継いだ。留学中、家族の多額の負債を背負い、志半ばで帰国するが、その直後、彼は、池田先生の「つまずき、立ち上がるたびに、本当の人生を学べる」との指導にふれ、奮い立った。
 介護業界で起業。家族で24世帯の弘教。借金を完済し約20年を経て、今も業績拡大を続ける。
 2007年(平成19年)11月、先生は「大阪大会」50年を迎えた関西の同志のもとへ。記念の幹部会の最後に再び、呼び掛けた。「最後は信心している者が勝つ。学会が勝つに決まっているのである。この大確信で進んでいこう!」と。
 どんな状況にあっても、師と共に“勝利の証し”を満天下に示していく。その誓いの日が「7・17」である。

◆きょうの発心 地涌の使命を胸に幸の風を送る 2019年7月17日

御文 皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり(諸法実相抄、1360ページ・編549ページ)
通解 皆、地涌の菩薩の出現でなければ、唱えることのできない題目なのである。

 題目を唱え戦うこと自体、地涌の菩薩の証しであると仰せです。

 1986年(昭和61年)、将来を悲観していた学生時代、同級生だった現在の夫に折伏され入会。会合で聞く体験や、同志の温かい励ましに触れ、信心に巡り合えた喜びでいっぱいに。この御文を拝して、地涌の菩薩の使命を自覚し、未来が開かれていくような思いに包まれました。
 91年(平成3年)7月20日、創価国際友好会館で行われた中原区本部研修会に、聖教新聞の購読推進を大きく成し遂げて参加。急きょ、池田先生が出席されました。
 先生は、“神奈川の心臓部・川崎”との永遠の指針を贈ってくださり、「信心は権利である」と指導を。当時、両親から信心を反対されていた私は、“信心を貫き、必ず幸せになった姿を示そう”と決意しました。
 現在、町会の常任理事として地域貢献にも取り組んでいます。両親は、一番の学会理解者になりました。
 勝利を誓った原点の日から、本年で28年を迎えました。7・20「中原区の日」を目指し、縁する全ての友に幸の風を送り、青年部を先頭に、新たな歴史を築いてまいります。
 神奈川・中原総区婦人部長 三浦まゆみ


【先生のメッセージ】

◆〈世界広布の大道 小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第10巻 名場面編

「新航路」の章



「新航路」の章

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第10巻の「名場面編」。心揺さぶる小説の名場面を紹介する。次回の「御書編」は24日付、「解説編」は31日付の予定。(「基礎資料編」は10日付に掲載)

配達員の同志は「無冠の王」
 〈1965年(昭和40年)7月15日、聖教新聞の日刊がスタートした〉
 
 この日刊化を一番喜び、最もはりきっていたのが、配達員であった。
 
 日刊化を前に、その趣旨などを説明するために、各地で配達員会が開かれたが、どの地域でも、集ったメンバーは、闘志に満ちあふれていた。
 新しき広布の幕を開く聖教新聞を、自分たちが支えるのだという、誇りと歓喜を、皆がかみしめていたのであった。
 (中略)
 山本伸一は、各地の配達員の奮闘を聞くにつけ、深い感謝の思いをいだき、合掌するのであった。
 彼は、配達員や取次店の店主らの無事故を、日々、真剣に祈り、念じていた。
 また、配達に携わるメンバーが、睡眠時間をしっかりとるために、幹部に、活動の終了時間を早めるように徹底するなど、心を配ってきた。
 皆のことが頭から離れずに、深夜、目を覚ますことも少なくなかった。そして、そろそろ取次店のメンバーが仕事に取りかかるころかと思うと、目が冴えて、眠れなくなってしまうのである。
 また、全国の天気が、気がかりでならなかった。朝、起きて、雨が降っていたりすると、配達員のことを思い、胸が痛んだ。そんな日は、唱題にも、一段と力がこもった。
 山本伸一は、聖教新聞が日刊になって以来、取次店の店主や配達員が、張り合いをもって業務に取り組めるように、さまざまな提案と激励を重ねてきた。その一つが、メンバーが互いに励まし合い、業務の指針となるような、機関紙を発刊してはどうかとの提案であった。
 そして、この機関紙は、日刊化一周年にあたる、一九六六年(昭和四十一年)の七月に、月刊でスタートすることになる。
 伸一は、メンバーの要請を受け、機関紙の名を「無冠」と命名した。それは、「無冠の王」の意味である。
 権力も、王冠も欲することなく、地涌の菩薩の誇りに燃え、言論城の王者として、民衆のために戦い走ろうとする、取次店、配達員のメンバーの心意気を表現したものである。(「言論城」の章、67~71ページ)

誠実の行動が人間共和築く
 〈8月、アメリカ・ロサンゼルス南部のワッツ地区で、人種差別に端を発する暴動が発生した。しかし、山本伸一は予定通りアメリカを訪問。15日には、ロサンゼルス郊外のエチワンダで野外文化祭が開催された〉
 
 そこには、人種、民族を超えた、崇高なる人間と人間の、信頼と生命の融合の絆が光っていた。(中略)
 
 騒ぎが起こってからは、白人のメンバーが、ワッツ地区に住む黒人の同志のことを心配し、安全な地域にある、自分の家に泊めたり、練習会場まで、車で送迎する姿も見られた。
 (中略)
 伸一は、グラウンドを後にし、車に向かう途中、立っていた役員の青年たちに、励ましの声をかけ、次々と握手を交わした。
 「ご苦労様! ありがとう!」
 青年たちは、?を紅潮させ、力の限り、伸一の手を握り返した。彼が、役員の青年と握手をしていると、一人のアフリカ系アメリカ人の青年が駆け寄って来て、手を差し出した。その手を握ると、青年は、盛んに、何か語りかけた。(中略)
 「山本先生。ワッツで騒ぎが起こっている、こんな危険な時に、アメリカにおいでいただき、本当にありがとうございます。その先生の行動から、私は“勇気”ということを教えていただきました。
 また、人びとの平和のために生きる“指導者の心”を教えていただきました。
 私は、勇気百倍です。必ず、いつの日か、私たちの力で、人種間の争いなどのない、人間共和のアメリカ社会を築き上げてまいります。ご安心ください」
 こう語る青年の目から、幾筋もの涙があふれた。伸一は言った。
 「ありがとう! あなたが、広宣流布への決意を定めてくだされば、私がアメリカに来た目的は、すべて果たせたといっても過言ではありません。
 一人の人が、あなたが、私と同じ心で立ち上がってくだされば、それでいいんです。大河の流れも一滴の水から始まるように、あなたから、アメリカの平和の大河が始まるからです。わがアメリカを、よろしく頼みます」
 その青年は、伸一の手を、両手で、ぎゅっと握り締めた。互いの目と目が光った。
 (「幸風」の章、126~132ページ)

“臆病の岬”を越えよ!
 〈10月27日、山本伸一はポルトガルのリスボンで、エンリケ航海王子の没後500年を記念して建てられた、新航路発見の記念碑を見学。エンリケは、ポルトガルが大航海時代の覇者となっていった最大の功労者である〉
 
 エンリケによって育まれた船乗りが、アフリカ西海岸を、何度、探索しても、新航路を発見することはなかった。
 
 彼らは、カナリア諸島の南二百四十キロメートルにあるボジャドール岬より先へは、決して、進もうとはしなかったからである。
 そこから先は、怪物たちが住み、海は煮えたぎり、通過を試みる船は二度と帰ることができない、「暗黒の海」であるとの中世以来の迷信を、誰もが信じていたからだ。
 エンリケは叫ぶ。
 「岬を越えよ! 勇気をもて! 根拠のない妄想を捨てよ!」
 それに応えたのは、エンリケの従士のジル・エアネスであった。(中略)成功を収めるまでは、決して帰るまいと心に決めて出発した。
 そして、一四三四年に、ボジャドール岬を越えたとの報告をもって、王子のもとに帰って来たのである。(中略)
 カナリア諸島に近い、ボジャドール岬を越えただけであり、新航路の発見にはほど遠かった。しかし、その成功の意義は、限りなく大きく、深かった。
 「暗黒の海」として、ひたすら、恐れられていた岬の先が、実は、なんの変わりもない海であったことが明らかになり、人びとの心を覆っていた迷信の雲が、吹き払われたからである。
 「暗黒の海」は、人間の心のなかにあったのだ。エアネスは、勇気の舵をもって、自身の“臆病の岬”を越えたのである。(中略)
 山本伸一は、しみじみとした口調で語った。
 「ポルトガルの歴史は、臆病では、前進も勝利もないことを教えている。
 大聖人が『日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず』(御書一二八二ページ)と仰せのように、広宣流布も臆病では絶対にできない。
 広布の新航路を開くのは勇気だ。自身の心の“臆病の岬”を越えることだ」
 (「新航路」の章、287~290ページ)

今こそ立て! 創価の黄金柱
 〈1966年(昭和41年)3月5日、壮年部の結成式が学会本部で行われ、山本伸一が指導した〉
 
 彼(山本伸一=編集部注)の声に、一段と力がこもった。
 
 「壮年部の皆さんは、これからが、人生の総仕上げの時代です。
 壮年には力がある。それをすべて、広宣流布のために生かしていくんです。
 大聖人は『かりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへ・ちりを大地にうづむとをもへ』(御書一五六一ページ)と仰せです。
 死は一定です。それならば、その命を、生命の永遠の大法である、法華経のために捨てなさい。つまり、広宣流布のために使っていきなさい――と、大聖人は言われている。
 それこそが、露を大海に入れ、塵を大地に埋めるように、自らが、妙法という大宇宙の生命に融合し、永遠の生命を生きることになるからです。
 一生は早い。しかも、元気に動き回れる時代は、限られています。壮年になれば、人生は、あっという間に過ぎていきます。
 その壮年が、今、立たずして、いつ立ち上がるんですか! 今、戦わずして、いつ戦うんですか! いったい、何十年後に立ち上がるというんですか。そのころには、どうなっているか、わからないではありませんか。
 今が黄金の時なんです。限りある命の時間ではないですか。悔いを残すようなことをさせたくないから、私は言うんです!」(中略)
 「私もまた、壮年部です。どうか、皆さんは、私とともに、学会精神を根本として雄々しく立ち上がり、創価の城を支えゆく、黄金柱になっていただきたいのであります」(中略)
 伸一は、参加者に一礼すると、出口に向かって歩き始めたが、足を止めた。そして、拳を掲げて言った。
 「皆さん! 一緒に戦いましょう! 新しい歴史をつくりましょう! 同じ一生ならば、花の法戦に生きようではないですか!」
 「ウォー」という歓声をあげながら、皆も拳を突き出した。その目は感涙で潤んでいた。闘魂は火柱となって燃え上がったのだ。(「桂冠」の章、388~391ページ)
 【挿絵】内田健一郎 
 【題字のイラスト】間瀬健治
 ※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。


【聖教ニュース】

◆原田会長が出席し兵庫・区圏長会  大阪では代表者勤行会 関西の各地区では決意の集いを開催
 大関西がきょう「7・17」常勝不敗原点の日に総立ち

原田会長が出席した総兵庫の区圏長会。天野総兵庫男子部長、福井同女子部長が勇戦の決意を述べた(兵庫池田文化会館で)





原田会長が出席した総兵庫の区圏長会。天野総兵庫男子部長、福井同女子部長が勇戦の決意を述べた(兵庫池田文化会館で)

 大関西に厳然と輝く「常勝不敗の原点」。それが、きょう17日、「7・17」である。
 “最後は、信心しきったものが必ず勝つ!”――1957年(昭和32年)7月17日の「大阪大会」での池田大作先生の師子吼は、関西の同志の胸に轟く。
 無実の公職選挙法違反の容疑で不当逮捕され、15日間の勾留から出獄した直後の叫びは、権力の魔性との闘争宣言であった。そして4年半にわたる法廷闘争の末、無罪判決を勝ち取るのである。
 いかなる逆境もはね返し、断じて勝利する――師の示した信心の戦いのままに関西の誉れの友は、あらゆる苦難を勝ち越えてきた。
 「常勝新時代へ “いざや前進!”大勝利月間」(22日まで)を驀進する中で迎えた「7・17」。一人一人が、自身の拡大の新記録で月間を総仕上げする誓いに燃え立っている。
 総兵庫の区圏長会が16日、神戸市の兵庫池田文化会館で開催。
 広崎総兵庫長、大野木同婦人部長が、限界の壁を突き抜け、師恩に報いる圧倒的な拡大をと力説した。
 原田会長は、勝利の要諦は、リーダーが先頭に立ち、油断なく、同志のために必死に戦い抜くことであると強調。悔いなき闘争で我らの正義を満天下に示そうと語った。
 谷川主任副会長、高柳婦人部総合長が奮闘する友をたたえた。
 大阪代表者勤行会は同日、関西池田記念会館で行われた。
 山内関西長が、一人一人が師弟の関西魂を燃え上がらせようと強調。岡本総大阪長は、過去最高の戦う壮年の陣列を築き、最後まで執念の対話拡大をと訴え、徳渕同婦人部長は、大阪婦人部に脈打つ“負けたらあかん”の誓いで進もうと呼び掛けた。
 谷川主任副会長は、“戦いは勝つと決めたほうが勝つ”との池田先生の指針に言及。勝利への一念を定め、師弟共戦で新たな常勝の歴史をと励ました。
 なお、この日を中心に、大阪など関西の各地区では「7・17」の意義をとどめた集いを開催し、不屈の前進を約し合った。

◆南アジア研究センター 創価大学に誕生  インド大使が開所式に出席

創価大学「南アジア研究センター」の開所式。インドのサンジェイ・クマール・ヴァルマ駐日大使(左から3人目)らがテープカットを(創大文系校舎C棟で)




創価大学「南アジア研究センター」の開所式。インドのサンジェイ・クマール・ヴァルマ駐日大使(左から3人目)らがテープカットを(創大文系校舎C棟で)

 創価大学(東京・八王子市)に南アジアの研究・交流を推進する機関「南アジア研究センター」が誕生した。
 開所式は16日午前、同センターが設置される創大文系校舎C棟で行われた。
 同センター長を務める田中副学長の開式の辞の後、インドの名門デリー大学セント・スティーブンズ・カレッジのバルギース学長からのメッセージが紹介され、馬場学長があいさつ。世界の平和と文化の興隆に寄与する知の殿堂にと望んだ。
 インドのサンジェイ・クマール・ヴァルマ駐日大使が、南アジアの持続可能な発展に貢献する研究の推進をと祝辞を述べ、来賓と教職員、学生の代表がテープカットを行った。
 この日、大使から同センターへの書籍の贈呈や、施設の見学も。午後には、開所記念のシンポジウムが中央教育棟で開かれた。

◆ポーランド国立民族合唱舞踊団民音公演 10~11月 18都市で

ポーランド国立民族合唱舞踊団「シロンスク」。力強い合唱とダンス、華やかな民族衣装がステージを彩る


ポーランド国立民族合唱舞踊団「シロンスク」。力強い合唱とダンス、華やかな民族衣装がステージを彩る

 民主音楽協会(民音)主催の「ポーランド国立民族合唱舞踊団『シロンスク』」の日本公演が10月から11月にかけて、18都市で行われる。日本とポーランドの国交樹立100周年を祝賀するものである。
 バルト海に面した東欧・ポーランドは、豊かな自然に恵まれた国。美しい海岸線や湖水地帯、地平線まで広がる平原や砂丘など、多彩な魅力にあふれる。
 一方で、度重なる侵略に遭い、分断を余儀なくされ、120年以上も地図上から消滅した歴史がある。苦闘の中にあってもなお、ポーランド人の胸に輝き続けた“国の誇り”こそ、大自然の中で育まれ、生命の偉大さをうたった音楽や舞踊などの文化であった。
 民音ではこれまで、同国から「国立マゾフシェ舞踊団」「ポーランド・アンサンブル」「国立シレジアン・フィルハーモニー交響楽団」を日本に招へい。全国公演を通して、ポーランドの魅力を広く紹介してきた。
 その貢献がたたえられ、2003年に同国文化省(当時)から民音に「ポーランド共和国文化大臣功労章」が授与。11年には民音創立者の池田先生に、同国文化・国家遺産省から「文化功労勲章グロリア・アルティス金章」が贈られた。
 今回、来日する「シロンスク」は1953年に作曲家、教育者、作家であるスタニスワフ・ハディナ氏によって設立。国中から有能な人材を集め、振付師のエルヴィラ・カミンスカ氏と共に最高峰の芸術的基盤を築いてきた団体である。
 同国南部・シロンスク県のコシェンチン城を拠点に、100人を超えるメンバーが在籍。合唱団や舞踊団、オーケストラを編成し、国内外で年間120回の公演を行っている。
 色とりどりの民族衣装をまとい、ポーランドの魂の躍動を伝える合唱や華麗な伝統舞踊が、来場者を魅了するに違いない。
 問い合わせは、各地の民音センターまで。
 別掲のQRコードから、今回の公演の特設ページを閲覧できます。
ヤツェク・イズィドルチク駐日ポーランド大使
 本年は、ポーランドと日本の国交樹立100周年の佳節です。その歴史の節に、わが国が誇る芸術団体である「ポーランド国立民族合唱舞踊団『シロンスク』」の日本公演が実現することを、心からうれしく思います。
 私たち大使館のスタッフは、今回の公演を最重要の文化的イベントの一つと位置づけ、日本の皆さんに喜んでいただけるよう、準備を重ねています。
 「ポロネーズ」という伝統的な舞曲をご存じの方もおられると思いますが、ポーランド人にとって、音楽や舞踊、民族衣装は切っても切り離せないものです。高校生が卒業を前に躍る伝統の民族舞踊は有名ですし、結婚式等の祝い事には、色鮮やかな民族衣装を着て参加します。
 長い時間をかけ、自然豊かな大地で培われた私たちの文化には、ポーランドの誇りが詰まっています。いわば私たちの文化は、ポーランドという国や人を知っていただくための“名刺”のようなものかもしれません。
 今回、来日する「シロンスク」は、19世紀の貴族が着ていた華やかな衣装や、山間地域で暮らす人々の歌など、ポーランドの歴史や自然を余すことなく味わえるステージとなっています。
 日本の皆さんに、ポーランドの魅力を肌で感じてもらいたいと心から願っています。

◆全国で諸精霊追善勤行法要 2019年7月17日

 「創価学会諸精霊追善勤行法要」が、お盆に当たる15日を中心に全国の主要会館で開かれ、追善の勤行・唱題、焼香が厳粛に執り行われた。
 法要では、「此の経を一文一句なりとも聴聞して神にそめん人は生死の大海を渡るべき船なるべし」(御書1448ページ)等を拝読。故人の成仏を願う唱題と、広宣流布のための行動によって積まれる功徳こそ、真の供養になるとの回向の本義を確認し、亡くなられた家族、全同志、友人、先祖代々の三世にわたる安穏と福徳を心から祈念した。
 なお、諸精霊追善勤行法要の開催は地域によって異なり、旧盆に当たる8月15日に行う地域もある。
【特集記事・信仰体験など】

◆〈人生の価値はここに 創価大学同窓の友を訪ねて〉③ 栃木 この一生を輝かせるために

 栃木駅の北口広場に立つ文学碑に、こんな言葉が刻まれている。「たったひとりしかない自分を、たった一度しかない一生を、ほんとうに生かさなかったら、人間、生まれてきたかいがないじやないか」

◆〈信仰体験〉 「脳性まひ」を越えてきた歩み  今を勝ち、きょうを勝つ!
 大手電機メーカーで先端技術の開発に取り組む

努力と挑戦を積み重ねてきた吉川さん。職場や地域での信頼も厚い。「こんなにも人生が開けるなんて想像もしていませんでした」――困難の壁を何度も乗り越えてきた笑顔が光る

 【大阪府寝屋川市】吉川雅昭さん(57)=香里支部、副常勝長(副ブロック長)=は、生まれてすぐ「脳性まひ」と診断された。手足のまひ、言語障がいなどを越えて、現在、世界的な電機メーカー「パナソニック株式会社」の研究開発部門で、先端技術の開発に取り組んでいる。幾多の苦難を、いかに乗り越えていったのか。

“進化する家電”

 さまざまな研究開発の中で、「スマート家電」を担当する。家電をインターネットにつなぎ、暮らしをもっとスマートにというのが特徴で、例えば、スマートフォンを使ってエアコンや洗濯機などが、外出先からでも操作できるというもの。
 吉川さんは、家電をネットにつなぐための装置の開発に取り組み、チームのメンバーと試行錯誤を続けている。
 「“使えば使うほど進化する家電”を普及させ、皆さんのライフスタイルをより豊かにしたい。そんな思いで数々の難題に立ち向かってきました」
 来年で勤続30年になる。これまで公共施設の予約案内システムや、BS・地上波デジタル放送など、生活に深く関わる重要なシステムの構築に携わってきた。
 「夢を諦めずに挑戦してきた全てのことが、無駄じゃなかった。こんなふうに思えるのも、負けじ魂の信心を教えてくれたのも、母のおかげなんです」
 吉川さんは、かつての自分を振り返った。

母の信心が支え

 幼少期は、右半身まひのため、歩くのがぎこちなかった。発作が起きると失神。言語障がいと、よだれは「一生治らない」と医師から告げられた。
 そんなわが子の将来を案じ、母・和子さん(故人)が創価学会に入会。吉川さんが4歳の時だった。
 「母は、私の体に障がいがあっても、特別扱いしない人でした」
 小学校の普通学級に入学してからは、母の隣に座って勤行を始めた。高学年になると発作が起きなくなり、よだれが止まった。滑舌も少しずつ良くなり、話す言葉が友人に伝わるようになった。
 少年部員会が楽しくて、メンバーを誘いに地域内を歩いた。父・清一さん(故人)とも一緒に祈りたかったが、大の宗教嫌い。信心の話になると、食事中でもテーブルの上をひっくり返した。だまって片付ける母の姿に、胸が締め付けられた。
 ある日、友人と遊んでいた時、体が思うように動かないことが、無性に悔しくなり涙があふれた。「母さんも頑張るから」と励ましてくれる母の目にも、涙が光っていた。“お母さんを悲しませたらあかん。強くなろう”――そう固く心に誓った。
 中学ではサッカー部に入った。この頃には、ゆっくりとなら走れるようになっていた。日々、前向きに生きる息子の姿に、父が「俺も心を入れ替える」と信心を始めた。
 叔母の竹久幸子さん(79)=大阪府枚方市、支部副婦人部長=も入会。「あなたのお母さんから『雅昭のために、一緒に題目を唱えてほしい』と言われて私も信心したのよ」と後年、聞かされた。
 高校へは、片道8キロの通学路を自転車で通った。その後、弟妹の進学などで生活が苦しくなり、大学浪人を決めた。新聞の朝・夕刊の配達・集金をして家計を助け、図書館で勉強を。そして翌年、東京の国立大学の電子工学科に合格を果たす。
 学生部で活動に励みながら、苦労して第一種情報処理技術者試験(現・応用情報技術者試験)に合格。その国家資格が評価され、東京の大手ソフトウエア会社に就職した。
 両親に喜びを報告したのもつかの間、母にがんが見つかった。既に末期。闘病の末、眠るように息を引き取った。
 「自立して生きていけるか不安だった私が、信心根本に社会人として歩み出した――。そんな姿を、母は全て見届けて、安心して霊山に旅立ったんだと思います」

師子王の生き方

 広布の最前線で男子部のリーダーとして、メンバーの激励に歩く傍ら、牙城会として任務にも就いた。
 一方、職場でも、目の前の課題に全力を尽くし、結果を残していった。「体のハンディだけで戦力外と見なされがち。そこに挑みたかった」。自らコミュニケーションを取るなどして、人間関係で悩むことはなかった。「学会活動のたまもの」だと思った。
 そんなある日、池田先生と松下幸之助氏との往復書簡集『人生問答』に出合う。松下氏の社会貢献への情熱に触れ、かつての思いが込み上げた。
 大阪の実家近くには、松下氏が創業したパナソニック(当時・松下電器産業)本社があった。小さい頃から眺めては、“こんな会社で働きたいな”と憧れを抱いていた。
 だが1浪した上に、大学ではアルバイトで学費と生活費を捻出していたことから、卒業までに6年間を費やし、新卒の採用試験すら受けられなかった。
 “祈りとして叶わざるなしの信心や”――この時、再び決意する。今まで以上に真剣な唱題と学会活動に取り組んだ結果、中途採用枠で入社を勝ち取ることができた。
 「遠回りをしたようでも、自分にとっては最短の道を歩んできたように思います。感謝の題目をあげました」
 寸暇を惜しんで国家資格にも挑戦し、9回目で最難関の一つ、税理士試験に合格。社会保険労務士、行政書士、宅地建物取引士の資格も取得する。
 どんな時も挑戦を貫く吉川さんの姿に共感し、これまで5人の友人が入会した。地元会館では王城会の任務に就く。本紙配達員は一昨年まで25年以上続け、自宅を広布の会場に提供している。
 現在、妻の英子さん(71)=支部副婦人部長=と2人暮らし。英子さんは前夫と離婚後、長年、信心根本に心の病と闘ってきた。祈る中、5年前、吉川さんからプロポーズを受け結婚する。「家事も手伝ってくれるし、真面目で優しい夫。私の症状もだいぶ良くなりました」
 昨年、夫婦で油絵を習い始めた。知り合った友人には、これまでの来し方を語ることも。
 そんな吉川さんには、胸に刻む池田先生の指導がある。
 「常に、どんな課題に対しても、全力で取り組み、一つ一つに勝利していくのが『師子王の生き方』である」
 吉川さんは「今を勝ち、きょうを勝つ!」と奮闘を続ける。
 (関西支社編集部発)

 

2019年7月16日 (火)

2019年7月16日(火)の聖教

2019年7月16日(火)の聖教   新聞休刊日

◆大白蓮華 巻頭言 2019年 7月号
 日輪の如く師子の如く
                           池田大作

 人の世のいかなる道にも修行がある。その修行に徹し、 道を究めてきた人には、命の張りがあり、光がある。
 日蓮大聖人は「法華経の修行の肝心」を明確に教えてくださった。不軽菩薩の如く「人を敬う」ことであり、賢き「人の振舞」を貫くことである(1174ページ)
 それは、その人の仏性を信じ、礼儀と誠意を尽くして会うことから始まる。その畤は反発されても、こちらの礼拝の一念は、相手の奥底の仏性には必ず通じている。 とともに、庶民を傲慢に見下し、不幸に陥れる魔性の働きには、勇敢に聡明に忍耐強く立ち向かっていくのだ。
 御書には、その手本が幾重にも示されている。
「日蓮は此の法門を申し候へば他人にはにず多くの人に見て候へ」(1418ページ)とも仰せである。

 他者とは比較にならないほど人と会われ、語り抜かれた。その上で、「いとをしと申す人は千人に一人もありがたし」(同ページ)と率直に記されてもいる。  
 御本仏の大慈大悲で包まれても”本当に立派な人”は少ないと言われるのだ。   
いわんや凡夫の私たちが末法の衆生の只中で、どれほど苦心しているか、全てご照覧くださっているに違いない。
 まさに「立正安国の対話」は、至難の修行なのである。 だからこそ、福徳もまた大きい。自らの境涯を開く人間革命とともに、一家眷属も、地域社会も大福運を積み、 さらに国土世問の宿命まで転換していけるのだ。
「この世の悲惨をなくし、不幸をなくし、人権を、人間の尊厳を守り、平和な社会を築いていくなかにこそ仏法の実践がある」とは、恩師の関西での宣言であった。

 ともあれ我らの語らいは、皆が幸せになるための修行である。一歩また一歩が、仏になりゆく道なのである。
「法華経の行者は日輪と獅子との如し」
 ゆえに、太陽の如く明るく大らかに、一人一人の心を照らし、仏縁を結び希望の連帯を広げゆこう!そして、獅子の如く強く堂々と正義を叫び切って、「人の振舞」 という人間主義の勝利の旗を掲(かか)げゆこうではないか!

 太陽と
  師子のいのちの
    君なれば
   照らせ 吠えゆけ
    凱旋かざれや

 

2019年7月15日 (月)

2019年7月15日(月)の聖教

2019年7月15日(月)の聖教

◆今週のことば

〝強敵を伏してこそ力士〟
立正安国の奮闘から
宿命転換の力も漲る。
前へ前へ押しまくれ!
尊き同志と悔いなく。

◆名字の言

時は紀元前3世紀の中国。「戦国七雄」に数えられた斉の国に、田単という常勝将軍がいた▼田単が将軍に登用されたのは、斉が隣国の燕に大敗した時。首都を失い、二つの城を残すだけとなった国家存続の危機にあって、彼は知略を駆使し、自ら先頭に立って果敢に反撃。瞬く間に七十余城を奪還し、救国の英雄となった▼数年後、宰相となった田単は、小国・狄との戦いに臨む。誰もが勝利を疑わなかったが、3カ月たっても攻め落とせない。悩んだ田単は、賢者に教えを請う。賢者は答えた。かつての救国の戦いでは決死の覚悟があったが、今の将軍には、そうした「覚悟がおありになりません」。翌日、気力を奮い立たせた田単は、敵の矢が届く場所に立ち、攻め太鼓を打ち鳴らして全軍を鼓舞。ついに狄を破った(林秀一著『戦国策(上)』明治書院)▼「多分、大丈夫だろう」という甘さや慢心。「誰かがやるだろう」という人任せ――歴戦の勇者であっても、心の緩みがあれば、勝てる戦いも危うくなる。勝負の厳しさである▼池田先生は「『真剣な一人』『本気の一人』がいるところ、広宣流布は進む。これが永遠の鉄則である」と。活路を開くのは、ほかの誰でもなく、私自身――そう決めた「一人」から、痛快な栄光の劇は始まる。(誼)

◆寸鉄

   「火をきるに・やすみぬ
 れば火をえず」御書。まだ
 ここからと、挑戦、挑戦!
      ◇
 兵庫がいよいよの猛攻!
 師子王の心で勝ち上がれ
 常勝関西の新章節共々に
      ◇
 三代城・北海道が力闘!
 誇り高き共戦の大行進。
 北の大地に凱歌轟かせよ
      ◇
 東北の勝利は世界の希望
 本領発揮し圧倒的拡大を
 民衆の熱と力で栄光?め
      ◇
 主体的に動く人は人生の
 満足度も高い―心理学。
 時は今。歴史開く主役と

◆社説 登山家ヒラリー生誕100周年  挑め!「わが人生は冒険なり」と

 エベレスト初登頂を成し遂げたニュージーランドの登山家エドモンド・ヒラリー。7月20日に生誕100周年を迎える。
 彼の挑戦の原点は、ニュージーランドの最高峰・クック山の頂を制した若い登山家との出会いだ。20歳のヒラリーは思う。「人生から刺激的な何かを、本当につかみ取っている若者がいたのである。明日は、私もどこかに登らなければならない!」(『ヒラリー自伝』吉沢一郎訳、草思社刊)
 そこから本格的な登山を開始。1953年、33歳のヒラリーは、優れたシェルパ(案内人)であるテンジン・ノルゲイと共に、エベレストの攻略に挑んだ。5月29日、最後のキャンプ地を出発して5時間が経過した午前11時半、登山隊は登頂に成功。2人は握手を交わし、テンジンが両腕をヒラリーの肩に回す。銀嶺に、ひときわ輝く“同志”の姿があった。
 偉大な成功の後、「最初に山頂に立ったのはどちらか」との質問が2人につきまとったが、彼らの答えは「一緒に頂上を踏んだ」。苦難も成功も分かち合う仲間との友情こそ、彼らにとって最も重要だった。同志をたたえ、励まし、支え合いながら進む学会精神にも通じよう。
 池田先生はエベレスト登頂のエピソードを通し、“広布の遠征”にあっても、「『同志』の心が大切である。その麗しい心の交流から限りない力がわいてくる。異体同心が一切の勝利のカギなのである」と語った。
 団結である。信頼である。お互いに尊敬と友情で結ばれた人間の力は、「足し算」でなく「掛け算」となって倍加する。皆で心一つに祈り、執念で行動し抜く時、不可能の峰を越えゆく無限の力がわき上がるのだ。
 エベレスト登頂後、ヒラリーは陸路での南極点到達を果たす。さらにシェルパ族の村に学校や医療施設を建てるために奔走した。一つの山を制覇し、また次の山へ――彼の眼前には常に新たな冒険があった。限りある時間を惜しんで人生の頂に挑み続けた尊い生涯は“人生は冒険!”と私たちを鼓舞する。
 ヒラリーは80歳を超えた晩年、池田先生にサイン入りの自著を贈った。恒久平和という未到の高峰に挑むSGIへのエールが込められていたに違いない。先生は彼に言及し、呼び掛けた。「『平和』と『文化』という、その高峰を極めゆくために、諸君よ、『我が人生のエベレスト』『我が青春の最高峰』に勇んで挑戦せよ」と。
 頂上を目指し、自分自身の広布の山を勇敢に登り切ろう!

◆きょうの発心 「絶対勝利の信心」の確信を胸に 2019年7月15日

御文 過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ(開目抄、231ページ・編461ページ)
通解 過去の因を知りたいと思うなら、その現在の果を見なさい。未来の果を知りたいと思うなら、その現在の因を見なさい。

 生命の厳しき「因果の理法」を記された一節です。

 貧しいながらも真面目に活動に励む両親のもと、学会2世として育ちました。
 学生部時代、よき先輩・同志に恵まれ発心。大学を卒業後、意気揚々と社会へ飛び出しましたが、現実は過酷で、仕事や人間関係に行き詰まり、心身共に追い込まれました。
 そんな時、“ここで避けたら、同じことを繰り返してしまう”と自身に言い聞かせ、信心と仕事に対する姿勢を一新。自分が変わることで、環境も大きく変わり、気が付いた時には職場で信頼を勝ち取れるようになり、「絶対勝利の信心」の確信をつかむことができました。
 昨年、妻が突然の病で入院。12時間に及ぶ緊急手術を乗り越え、リハビリに挑みながら、地道に前進しています。
 本年は、11・23「港南区の日」の淵源となった、池田先生が118人の港南の同志を励まし、「神奈川箱根会」と命名してくださった日から40周年の佳節を迎えます。
 師弟誓願の祈りと行動で、広布拡大の歴史を築いてまいります。
 神奈川・港南総区長 樋川一広


【先生のメッセージ】

◆御書と歩むⅡ〈80〉池田先生が贈る指針  対話こそ時代を変える力

御文 独り此の事を愁いて胸臆に憤?す客来って共に嘆く?談話を致さん(立正安国論、17㌻)
通解 自分も一人でこのこと(三災七難による民衆の惨状)を憂い、胸の中で憤って、もどかしい思いでいたところ、あなたが来て同じことを嘆くので、しばらく、語り合おうと思う。

同志への指針
 御書には、何と力強く「対話の心」が脈動していることか。
 語り合おう! 民衆の苦悩の打開のために。より良い社会を築くために――この対話の精神を、21世紀に開花させているのが、我らの立正安国の闘争である。
 冷たい傍観や無責任な言説げんせつは不安を煽るあおだけだ。創価の勇気と誠実の語らいで、幸の仏縁を広げ、希望と信頼の大連帯を築きゆこう!


【聖教ニュース】

◆世界に地域貢献の創価城 喜びの開館式  マレーシ・アサラワク文化会館
 韓国・金浦平和文化会館 アルゼンチン・カステラール会館

さあ、ここから共生社会の建設へ!――マレーシア・サラワク文化会館の開館式に集った友が、誓いのカメラに(クチン市で)


さあ、ここから共生社会の建設へ!――マレーシア・サラワク文化会館の開館式に集った友が、誓いのカメラに(クチン市で)

 平和と共生の社会を築く地域貢献の大城が、世界各国で相次ぎオープンした。
 マレーシア創価学会(SGM)の新宝城「サラワク文化会館」の開館式は7日、晴れやかに行われ、地元の同志、多数の来賓など600人が集った。
 ボルネオ島の北西部に位置するサラワク州。その州都クチン市に誕生した同会館は地上2階、地下1階建てで、600人収容の礼拝室、会議室や懇談室などが設置される。
 2017年の着工以来、友は「師恩に報いる拡大を」と果敢に仏法対話に挑戦。480人の弘教を実らせ、この日を迎えた。
 歓喜に満ちた式典では、伝統芸能が披露され、サラワク州の広布の歴史が紹介された。許錫輝理事長は幸福、友情、平和を発信する新宝城の意義を力説。「世界広布の模範として、さらに信頼を広げよう」と呼び掛けた。
 韓国SGI(創価学会インタナショナル)の「金浦平和文化会館」は京畿道金浦市にオープンした。地上4階建てで、大小の講堂や会議室、応接室等を備える。
 開館式は3日、師弟正義の原点である「7・3」に合わせ、盛大に開催。地元のソウル第7方面金浦圏の代表700人が参加した。
 式典では、男子部の鄭錫煥さん、女子部の李芝銀さんが後継の使命を胸に挑戦を重ねる模様を報告。金東成圏長は、新会館から新たな青年拡大の波を起こそうと訴えた。
 金?希婦人部長のあいさつの後、代表のメンバーが学会歌「誓いの青年よ」などを元気いっぱいに披露した。
 金仁洙理事長は、地域広布に奮闘する友に感謝しつつ、「良き市民たれ」との師の指針のままに信頼と友情の輪を広げ、新会館を幸福と平和の城と輝かせようと呼び掛けた。
 南米アルゼンチンでは、首都ブエノスアイレス近郊のカステラール市に立つ「カステラール会館」の開館式が6月30日(現地時間)に行われた。
 2005年に誕生した同会館はこのほど、内装などをリニューアルしてオープン。近郊総合本部西本部の活動の拠点となる。
 開館式には、西本部のメンバーや近隣住民ら300人が参加。地元の代表が、訪れる全ての人が自身の可能性を開き、幸福になる、地域に輝く宝城にしたいと決意を述べた。
 池田バンガード・オーケストラや鼓笛隊、音楽隊が演奏を、コーラスグループが歌声を披露。ナカツイ青年部長が、会館は地域に開かれた“対話の空間”であると述べ、ここから平和の語らいを広げていきたいと訴えた。
 また、フェルナンデス理事長、カスティージョ婦人部長らが激励に駆け付けた。
 同国青年部のモットー「世界第一の師弟の勝利山たれ!!」が刻まれた碑の除幕や記念植樹も行われた。

◆日本・ウズベキスタン学長会議 創価大学馬場学長が出席 サマルカンド国立大学と学術交流協定の調印式

交流協定書に調印するサマルカンド国立大学のハルムラードフ総長(右端)と創大の馬場学長(サマルカンド国立大学で)




交流協定書に調印するサマルカンド国立大学のハルムラードフ総長(右端)と創大の馬場学長(サマルカンド国立大学で)

 第3回「日本・ウズベキスタン学長会議」が8日、ウズベキスタン共和国のタシケント経済大学で開催され、創価大学から馬場学長、小山内国際部長が出席した。
 同会議では、「グローバル時代に対応した若手人材の育成と研究発展に向けた日本・ウズベキスタンの交流促進について」をテーマに活発な議論が展開された。
 ウズベキスタンから高等教育・中等専門教育省のマジドフ大臣、日本からは中村裕之・文部科学大臣政務官らが登壇し、基調講演を行った。
 また創大の馬場学長らは9日、サマルカンド国立大学を訪問。ハルムラードフ総長と両大学の学術交流協定の調印式に臨んだ。
 懇談の中でナシーロフ副総長は、両大学の交流発展への強い期待を述べた。

 

【特集記事・信仰体験など】

◆「新・人間革命」と私 心に刻む珠玉の言葉 人々の心結ぶ対話を今こそ
 オセアニア長 フミエ・ヒラマツさん

時代は、地球民族主義の方向に動いていかざるを得ない。それは、オーストラリアの人びとの、意識を革命していくことでもある。だが、これは大変なことだ。生活に根差した、粘り強い戦いだ。君は、その先駆者になりたまえ。
 〈第9巻「新時代」の章〉

時代背景
 1964年5月13日、山本伸一はオーストラリアへ。メルボルン支部を結成し、支部長となった青年に、広布に生き抜く使命やリーダーの在り方などを語る。同16日には“軍国主義的な団体”など、同国に広がる学会批判の報道を打ち砕くため、伸一自らがテレビ局のインタビューに応じ、一つ一つの質問に丁寧に答えていく。

 “白豪主義が根深いこの地で、社会に食い込むことは並大抵ではない”
 「新時代」の章には、こう述べる新支部長に、山本伸一が“その意識を変革することが君の戦いだ”と確信を込めて語る場面が描かれています。
 オーストラリアが「多文化主義」を導入し、白豪主義を廃止したのは、1970年代半ばのこと。以来、オーストラリアは国際色豊かになり、多様な人種で彩られていきました。それまでオーストラリアでは“街角ごとに教会がある”と言われ、宗教といえばキリスト教だけを指すような社会状況でした。その中で草創の友は、池田先生の期待を抱き締め、不屈の心で弘教に歩いたのです。
 そして先生の初訪問から約10年後には、シドニーとブリスベンでも支部が結成。その後、広布はオセアニア中に広がり、今では20カ国・地域に同志が誕生しています。
 また、こうした国々では、程度の差こそあれ、他国からの移民の受け入れや、人的交流などが行われており、先生が本章で教えてくださった“地球民族主義への流れ”も着実に進んでいると実感しています。
 宗教や生活習慣の異なる多文化社会にあって、平和の世紀を開くために大切なことは、周囲の心を理解しようとする努力だと思います。語らなければ、相手の心はいつまでも分かりませんし、胸襟を開いて歩み寄らなければ、心を結ぶこともできません。その精神を教え、自らも対話の力で世界に友情を広げる先生の振る舞いこそ、オセアニアの同志の模範です。
 本年は、先生のオセアニア初訪問から55星霜。今こそ先生の行動に続こうと、各地の友は『新・人間革命』を学び、“自身の人間革命で、家族、社会に良き影響を与えていこう!”と約し合っています。私自身、「新時代」の章を読み直し、オセアニアの発展を心から願う池田先生の深い慈愛と限りない期待を改めて感じ、広布前進の決意を深くしました。
 オセアニアの人々の幸福のために、「世界広布のトップランナー」との使命に燃え、対話拡大に走り抜いてまいります。

◆ブラジル アマゾン創価研究所 自然を守り人類の未来を開く

アマゾンの大自然に囲まれて、アマゾン創価研究所が立つ。この場所は大アマゾン川の起点として知られ、2010年11月、ブラジル国立歴史芸術遺産院から「国家文化遺産」に指定された




アマゾンの大自然に囲まれて、アマゾン創価研究所が立つ。この場所は大アマゾン川の起点として知られ、2010年11月、ブラジル国立歴史芸術遺産院から「国家文化遺産」に指定された


 地球上の3分の1を超える生物種が生息する「生命の宝庫」アマゾン。同地の環境保護の一翼を担っているのが「アマゾン創価研究所」である。エジソン・アキラ・サトウ所長らに、その役割と取り組みについて聞いた。

エジソン・アキラ・サトウ所長
●木も人も育む使命に燃えて
 アマゾンを守ることで人類の生存を守る――この池田先生の構想のもと、1992年に「アマゾン自然環境研究センター」が、アマゾン川中流域のマナウス郊外に誕生しました。
 2014年には、公益法人「創価研究所――アマゾン環境研究センター」(アマゾン創価研究所)として新出発し、活動の幅を広げています。
 研究所の大きな役割は、先生の環境保護への理念を広めるとともに、アマゾンの森林を守り、自然との共生を推進することです。具体的には、「研究支援」「アマゾンの種子の保存」「環境教育」の3分野に取り組んできました。
 研究所が立つ地域は、アマゾン川をはじめ、高地や低地、傾斜面など、変化に富んでいます。施設内には60種を超える木が植えられ、鳥などが媒介したものも含めると、276種に及ぶ木があります。さまざまな条件下で、あらゆる種の木を観察できるため、研究者にとって貴重な場所といえます。毎年、多くの専門家が訪れ、セミナーや会議等が開かれてきました。
 種の保存に向けて、この5年間で約4万本の苗木を育て、植樹活動を展開しています。
 その中で2年前から始まったのが、アマゾナス州の高等裁判所と協力して実施している“生命の種子”プロジェクトです。
 これは、マナウス市内の産科病院で子どもが生まれるごとに、研究所提供の苗木を市内各地に植樹する運動です。子どもの出生を届け出ると、行政から植林の証明書が送られます。木とともに大きく育ってほしい、との思いが込められています。木の成長過程は、全地球測位システム(GPS)で位置情報を管理し、記録しています。
 緑地の再生とともに、原生植物の種子を採取・保存する“種子銀行”の取り組みも行ってきました。森林を再生するためには、健康な苗木と種子が必要不可欠だからです。
 2001年からは、マナウスの環境開発局と協力し、「環境教育啓発プロジェクト」を実施してきました。見学コースを設け、これまで公立学校の児童・生徒2万5000人以上を招き、教育活動に取り組んできました。「なぜ木を大切にするのか」など、自然との共生の重要性を訴え、環境保全への意識啓発に努めています。「木」とともに「人」も育むのが、アマゾン創価研究所の使命です。
 人間は開発の名のもとに、大切な自然を破壊し、汚染してきました。しかし、自然を再生させていけるのも、人間なのです。人が関わる中でこそ、自然環境は守られていきます。池田先生が言われているように、環境を変えるには、まず人間の心を変えていかねばなりません。
 明年は、持続可能な未来のための「地球憲章」の制定から20周年に当たります。10年、20年先の地球を見つめて、今、私たちができることに全力を尽くしていきます。

私有保護区域 管理責任者 ジェアン・ジネリ・レオンさん
●遺跡が発見された貴重な地
 アマゾン創価研究所が立つ場所は、アマゾン川支流のネグロ川と本流のソリモンエス川という二つの大きな川が合流し、本格的なアマゾンの流れが始まる起点となっています。
 黒色のネグロ川と、黄土色のソリモンエス川は、合流した後も水が混じり合わず、2色に分かれたまま、十数キロにもわたって、悠然と進んでいきます。
 諸説ありますが、ネグロ川は約1000万年前、ソリモンエス川は約800万年前に生成されたと推定され、この200万年の差によって、流水速度や水温などの違いが生じたと考えられています。
 コロンビアに水源をもつネグロ川は、浸水林の間をゆっくり流れ、流速は毎時3~4キロ、水温は平均28度です。水温が高いことから、ジャングルの木や葉からタンニンなどが染み出し、黒い色をしています。これは、ちょうど熱湯にティーバッグを入れると、色が付くようなものです。
 一方、ソリモンエス川の流速は毎時7~8キロ、水温は平均22度です。ペルーを源流とし、アンデスの雪解け水が集まることから流れが速く、泥などの代謝物を多く運ぶため、白く濁り、黄土色をしています。
 この速度と水温などの違いによって、水が混じり合わないといわれています。
 研究所内の森林は1995年、ブラジル環境省とブラジル連邦森林保護院から「自然遺産私有保護地域」に認定されました。
 さらに2016年には、池田先生の環境保護への長年にわたる貢献をたたえ、環境省の行政機関から、同地域を含む一帯が「池田大作博士自然遺産私有保護区」と命名されました。
 また01年5月、研究所の敷地内から、アマゾンの先住民が使用したとされる土器や道具、動物の骨、化石などが発見されました。約1500年前から1200年前のものと推測され、国立アマゾナス大学「アマゾン博物館」の提案で「池田大作博士遺跡」と命名されました。
 私は、この遺跡や豊かな自然環境を守りながら、専門家や学者たちの研究活動を支えるとともに、環境教育も行っています。
 私たちの活動は、普段、誰も見向きもしないような地味なものです。しかし、自然がなければ、私たちは生きていくことはできません。アマゾンのもつ大きな価値をさらに認識してもらえるよう、活動に励んでいく決意です。

研究責任者(植物学博士) ジョンベ・チョタ・イヌマさん
●“種子銀行”としての役割も
 マナウスは19世紀後半から20世紀初頭にかけて、天然ゴムの一大集荷地として栄えました。しかし同時に、森林伐採や工場の建設などによる環境破壊が進み、緑が失われていきました。
 アマゾン創価研究所が立つ地域も、木々が切り倒され、放置された状態になっていました。そこでアマゾン各地から、あらゆる種類の原生種を集め、1992年から敷地内に約2万本の植林を行いました。長い年月を経て、70%ほどの木を再生させることができたのです。
 これは、環境破壊された他の地域でも、再生は可能であるということを証明しています。
 森が再生したことで、多くの動物たちが戻ってきました。ここでは、アルマジロ、ナマケモノ、アリクイ、コンゴウインコ、フクロウなどを見ることができます。
 研究所では、苗木の育成をはじめ、植樹の計画・実行・観察、種子の採取などに取り組んでいます。
 一言で「植樹」といっても、“ただ木を植えればいい”というものではありません。土壌や周囲の環境を考慮して、苗木を植える必要があります。
 例えば、空港で植樹を行う場合、実がなる木を植えると、鳥が寄ってきて、航空機の飛行の妨げになることもあります。そのため、苗木の選定が重要となります。
 植樹する際は、事前に土壌や周辺環境などを調べ、どんな苗木を植えていくのか、計画を立てます。その後、苗木にGPSを取り付け、位置を地図に記録した上で植樹します。
 3カ月後にも再び訪れ、成長の度合いを調査します。残念なことに、マホガニーなどの高価な有用木は盗まれる場合もあれば、傷が付いて枯れてしまうこともあります。そのたびに植え替えも行っています。
 現在、マナウス市内に4000本の苗木を植樹し、成長を見守っています。
 研究所は“種子銀行”としての役割も大きく担っています。敷地内の自生した有用木から60種を超える種子を採取し、いろいろな地域に送ることが可能となりました。パオロサ、アンジローバなど、希少な種子もあります。
 この研究所のように、自然の形で種を保存しているところは他にありません。
 自然には、元々、再生力が備わっています。一本一本の木の力を引き出せるよう、最善の努力を重ねていきます。

◆〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉54 生き生きと朗らかに自信をもって語る―― 全ての人に仏縁広げる対話を  豊富な実績 若者の味方「公明党」

〈出席者〉
原田会長
長谷川理事長
永石婦人部長
竹岡青年部長
大串女子部長

ますます仲良く賢く伸び伸びと――女子部の「桜梅桃李」の幸のスクラムは、立正安国の希望

 原田 本年5月に着任した中国の孔鉉佑駐日大使が8日、信濃町の総本部へ来訪されました。冒頭、池田先生からの祝意をお伝えすると、大使は、「両国友好のために多大な努力を続けてこられた池田名誉会長の心を、いつまでも忘れることなく進んでいきたい」と語られていました。

 永石 大使は、中国外交部の副部長を務めるなど、アジア外交の要職を歴任された知日派ですね。
 原田 そうです。大使は、「困難な時も変わることなく両国友好に尽くしてきた創価学会の皆さまは、中国国民から厚く信頼されています」とも強調されていました。本年は池田先生の初訪中から45年です。私たちは、先生が築いてくださった両国友好の「金の橋」を一層強固にすべく、さらに力を尽くしていきたい。

皆が「希望の太陽」
 大串 7月19日は女子部の結成記念日です。全国の友が今、はつらつと対話の拡大に挑戦しています。

 永石 先生は先日、女性の弟子に送られた、「秋冬の枯れた草木のような九界の衆生も、法華経の妙の一字という春夏の太陽に照らされ、仏法を求める心の花を咲かせ、成仏の実がなる」(御書944ページ、趣意)との御聖訓を拝し、女子部の皆さんに最大の励ましを送ってくださいましたね。

 大串 はい。華陽の皆さんが妙法を唱え、学び、生き生きと語りゆく時、「どれほど素晴らしい太陽の生命を昇らせることができるか」と言われ、「一人一人が、どんな苦悩の闇も、照らし晴らしていける『希望の太陽』なのです」と示してくださいました。皆が決意を新たにしています。

 原田 縁する人に、朗らかに自信満々と語った分、「相手がどうあれ、その心の奥には、福智の光が届いています。仏の種が蒔かれています。いつの日か、花開き、実る日が、必ず来る」とも教えてくださいましたね。この指針を確信し、女子部の皆さんは、どうか新たな「友情と連帯と勝利の門」を開いていただきたい。

青年が政治動かす
 竹岡 来る21日(日)が参院選の投票日です(期日前投票は20日まで)。先般、インターネット上で、与野党6党の公約等をもとに、若者政策の支持政党を選ぶ模擬投票が行われました。

 大串 “政治に若者の声を届けよう”との理念のもと、「日本若者協議会」が「ワカモノのミカタ政党はどこだ!」と題して実施したものですね。回答した14~37歳の男女のうち、公明党が最も多く「女性票」を集めたと聞きました。

 竹岡 さらに、30代男女の投票先でも1位でした。公明党を選んだ人は「“3つの教育無償化”など多くの政策で若者の声を聞いてくれる」と語っていました。

 原田 同協議会の室橋祐貴代表理事は、公明党が唯一、「若者政策を担当する大臣・部局の設置」「審議会などへの若者の登用」「学生が議員に直接意見を述べる『若者議会』の開催」などを参院選のマニフェストに盛り込んでいることを評価していましたね。

 竹岡 若者の声を政治に届ける――これが公明党の真骨頂です。実際、党青年委員会が実施している政策アンケート「ボイス・アクション」で、若者から聞いた声は着実に国の政策になっています。若者の声が政治を動かしているのです。

 長谷川 公明党はこれまで、返済不要の給付型奨学金の拡充、携帯電話料金の引き下げ、無料Wi―Fiの拡充、ブラックバイト相談窓口の設置、結婚・婚活の支援、ひきこもり・ニートの自立支援など、他党を圧倒する若者政策を推進してきました。

 大串 ほかにも、公明党が主導し、LINEなどのSNSを利用した、いじめ・自殺などの相談窓口が各地にあります。2018年度だけで3万件を超える相談が寄せられました。

 永石 公明党は、子育てに一人で悩まないよう、相談支援体制の構築にも全力を挙げ、すでに具体化している自治体もあります。

 長谷川 参院選の公約としては、毎年3%程度、着実にアップしている最低賃金を、20年代の半ばには、47都道府県の半数以上で「1000円以上」にすることを掲げています。

 竹岡 ちなみに、立憲民主党は“5年以内に1300円”とうたっていますが、これでは毎年20%の引き上げが必要な地域が出てきます。共産党にいたっては、“すみやかに1500円”と言っています。韓国では昨年、最低賃金を一気に16・4%も上げ、中小企業の経営に打撃を与え、若年層の失業率が11・6%に急上昇しました。経済情勢をよく精査し、バランスあるアップが必要なのにもかかわらず、“選挙受け”を狙い、聞こえがいいことを並べる“無責任な政党”はどこか、一目瞭然です。

 永石 また、公明党は、出産育児一時金を現行の42万円から50万円に引き上げることも目指しています。

 長谷川 公明党は今回も、参院選に臨む政策が小中学生にも分かりやすく伝わるよう、「こどもマニフェスト」を作成しました。

 原田 家族や友人と政治について語る際にも有用なものです。早稲田大学の北川正恭名誉教授は、「政治を分かりやすく伝える一層の努力が政党や大人たちに求められる中、公明党が2012年の衆院選から、子ども向けにマニフェストを発信し、その実現に取り組んできたことを高く評価しています」「子どもに対して真面目に政策を提案している政党は公明党だけだと思います」と言われました。

 長谷川 そして、「公明党の『こどもマニフェスト』は、日本の民主主義を成長させるもの」と結論しているのです。

 竹岡 前回の参院選の結果を調査したところ、「18歳から29歳は72・1%」「30歳から49歳は66・2%」の人が、選挙期間中に投票先を決めています。若い人ほど、これから投票先を決めるのです。

 原田 このほど、公明党が作成した8種類の実績動画も好評だと聞きました。“ワカモノのミカタ”公明党は、SNSも駆使し、最後まで実績を語り、参院選に勝利してほしい。そして、未来を担う大切な青年のために働いてもらいたい。

◆〈世界の体験プラザ〉 インド創価学会 ラジェーシュ・クマール・ジェインさん 目覚ましい実績上げる設計事務所の経営者   祈りで敗れない壁はない!

 私はインド中部、マディヤ・プラデーシュ州のナグダという小さな町で育ちました。夢は企業で経験を積んだ後に自分の設計事務所を持つことでした。

 

2019年7月14日 (日)

2019年7月14日(日)の聖教

2019年7月14日(日)の聖教

◆わが友に贈る

 広布と人生の逆転劇こそ
 我ら壮年部の本領なり。
 「主役は私!」と心を定め
 強気の信心で挑戦だ。
 感激のドラマを今から!

◆名字の言

4年に1度、五輪開催地で行われるパラリンピック。同じ都市で2度目となる夏の大会が開かれるのは来年の東京が初だ▼ブラインド(視覚障がい)ランナーとして大舞台を目指す東京の男子部員。兵庫出身の彼は19歳の時に「網膜色素変性症」を発症し、競輪選手の夢を断念した。その頃、中学の同級生から仏法の話を聞き入会。信心に励む中、あん摩マッサージ指圧師として自立し、家庭を持った▼だが結婚から半年後、妻が末期がんに。夫妻は諦めることなく病魔に立ち向かった。壮絶な闘病の末、妻は1年近く寿命を延ばし、安らかに霊山へ。「彼女は最後の瞬間まで負けなかった。彼女のように強くありたい」。悲しみを振り払い、彼が選んだのは走ることだった。挑戦から2年。努力が実を結び、今秋の全国障害者スポーツ大会への出場を決めた▼ブラインドランナーには共に走る伴走者が欠かせない。支えがあるから前に進める。人生も同じだろう。誰にも家族や友人といった身近な伴走者がいる。亡くなった大切な人も永遠に心の中で生きている▼パラリンピックのシンボルマークは赤・青・緑の「スリー・アギトス」。「アギト」とはラテン語で「私は動く」だ。どんな苦難にも行動し続ける。その人は必ず勝利者になる。(仁)

◆寸鉄

   腹を決めて勇ましく進め
 ―恩師。栄光は一人立つ
 勇者から。敵をも味方に
      ◇
 大関西の友が一気に攻勢
 歴史的な闘争の凱歌を。
 「常勝の空」響かせ前進
      ◇
 偉大なる愛知が総力挙げ
 拡大。大金星つかみ取れ。
 大中部の新時代の開幕を
      ◇
 神奈川よ痛快に勝ち進め
 さあ混戦突破へ。勇気と
 正義の言論戦で圧倒せよ
      ◇
 情報漏洩の原因、2割が
 メールの誤送信。多忙な
 時ほど細心の注意怠らず

◆きょうの発心 強く生き抜くことこそ幸福の道2019年7月14日

御文 譬えば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩をはこびて今一日に成りて歩をさしをきては何として都の月をば詠め候べき(新池御書、1440ページ・編1264ページ)
通解 例えば、鎌倉から京までは12日の道のりである。それを11日余り歩いて、あと1日となった時に歩くのをやめたのでは、どうして都の月を詠ずることができようか。

 貫き通す“覚悟の信心”を教えられています。
 幼い頃から体が弱く、入退院の連続だった私は、叔母に勧められ、20歳で入会しました。
 母の猛反対の中、1982年(昭和57年)3月、関西青年平和文化祭に参加。つらい日々を乗り越え、初めて池田先生にお会いできたことが生涯の原点です。
 結婚後も体が弱く、医師からは「子どもを産める状況ではない」と。諦めずに祈り抜く中で2人の娘を授かりましたが、低体重で生まれた次女の心臓には三つの穴があり、心房中隔欠損症と診断。「普通の生活は難しい」と告げられ、がくぜんとしましたが、「強いことが、幸福である」との指導を胸に“必ず乗り越えてみせる”と夫婦で題目を唱え抜きました。
 今、次女は女子部の部長として奮闘。長女は結婚し、2人の孫に恵まれました。私も元気に学会活動ができ、感謝は尽きません。
 学会創立100周年を目指し、広布後継の青年と共に勝利の道を歩んでまいります。
東大阪常勝県婦人部長 真柴せつ子


【聖教ニュース】

◆親子で楽しむ芸術の夏 東京富士美術館「山本二三展」9月16日まで 民音音楽博物館「世界民族楽器展」10月6日まで  「天空の城ラピュタ」「もののけ姫」 アニメの背景画など220点

「山本二三展」では原画と共に、拡大された「天空の城ラピュタ」の背景画の複製なども紹介。ある親子は「映画のワンシーンを思い出して胸が熱くなりました」と(東京富士美術館で)


「山本二三展」では原画と共に、拡大された「天空の城ラピュタ」の背景画の複製なども紹介。ある親子は「映画のワンシーンを思い出して胸が熱くなりました」と(東京富士美術館で)

 親も子も一緒になって楽しめる、夏休みにぴったりの展示が13日、八王子市の東京富士美術館と信濃町の民音音楽博物館(民音文化センター内)でスタートした。
 東京富士美術館では、夏休み企画「日本のアニメーション美術の創造者 山本二三展」が開幕した。
 山本二三は、日本のアニメの発展を美術の面で支えてきた第一人者。40年以上もの間、数々の名作アニメで背景画を描いてきた。
 その真髄は、物語の舞台を丹念に取材、または設定し、温度や空気感までも描き上げる緻密な仕事にある。独特な形の迫力ある雲をはじめ、草木や川など自然の表現方法は高く評価されている。
 アニメ映画では、「天空の城ラピュタ」「もののけ姫」「時をかける少女」などで美術監督を務め、監督としても「ミヨリの森」などを製作している。
 同展は山本二三が手掛けた背景画やスケッチ、イメージボードなど約220点を展示。山本が24歳で美術監督として携わった「未来少年コナン」や、リアルな日本の風景を描ききったと絶賛される「火垂るの墓」など、多彩な作品の原画が取り上げられている。
 アニメの物語世界に説得力と彩りを与えてきた、山本の背景美術を一挙に堪能できる。
 なお、同美術館の常設展示室では「大地の写真展」がオープン。宇宙、森、オーロラ、古代遺跡などの写真が並ぶ。19世紀から現代に至るまでの写真家が撮影したもの。地球という母なる大地の美しさを見つめ直す機会となろう。
                        ◇ 
 【案内】両展ともに9月16日(月・祝)まで。月曜休館(月曜日が祝日の場合は開館し、翌日が休館)。午前10時~午後5時(入館は同4時半まで)。
 東京富士美術館では、記念のイベントを予定している。入場料が必要。詳細は、ホームページ=www.fujibi.or.jpを参照。
                       ◆◇◆ 
 民音音楽博物館では「子どものための世界民族楽器展」が始まった。
 アジア、アフリカ、ラテンアメリカをはじめ、世界各国の珍しい民族楽器・約150点を紹介する同展。
 さまざまな弦楽器や打楽器などが公開されており、実際に手に取って演奏し、音を出す体験ができる。
 その他にも、楽器のルーツを知ることができるパネルが展示されており、それぞれの地域で育まれた楽器の特徴、国を超えて響き合う音楽の共通点を学ぶことができる。
 また、演奏映像コーナーでは、ガーナ国立舞踊団の協力を得て収録した映像に合わせ、民族楽器でセッションをすることもできる。
 さらに、モーツァルトやベートーベン、ショパンらが愛したピアノの音色を楽しめる「古典ピアノ室」や、見ても聞いても心がワクワクする自動演奏楽器が常設されている。
                           ◇ 
 【案内】10月6日(日)まで。月曜休館(月曜日が祝日の場合は開館し、翌日が休館)。平日・土曜は午前11時~午後4時、日曜・祝日は午前10時~午後5時。入館は閉館30分前まで。入場無料。

◆欧州に仏法研さんの大潮流 スペイン、ポルトガルで教学試験

マドリード近郊のスペイン文化会館で行われた任用試験。受験者は研さんの成果を存分に発揮した




マドリード近郊のスペイン文化会館で行われた任用試験。受験者は研さんの成果を存分に発揮した


 欧州・イベリア半島に広がる仏法研さんの大潮流!――スペイン創価学会の教学試験が6月30日、首都マドリードをはじめ全国33会場で行われた。
 今回は、日本の「教学部任用試験」に当たる「グレード1」を実施。基礎教学をはじめ「日蓮大聖人の御生涯」「日顕宗を破す」等から出題された。
 スペインでは新会員の拡大に伴い、2006年から毎年、教学試験を開催している。
 4年前には、任用試験の会友受験が始まった。教学を学ぶ中、仏法の平和思想に感動し、試験後に入会する友人も増えている。今回の試験では、全受験者の24%が会友となった。
 南部の都市セビリアで受験したある会友は“宿命は変えられる”との仏法哲理の研さんを通して、勇気が湧いてくることを実感。「この信心は、“必ず幸せになれる道”だと確信しました」と、瞳を輝かせた。
 一方、ポルトガルSGI(創価学会インタナショナル)の「グレード1」も同日、首都リスボンをはじめ、大西洋に浮かぶマデイラ諸島など全国5会場で開催された。
 リスボン在住のある男子部員は、「仕事の合間を縫って教学研さんに挑む中、“もっと学会活動に励もう”“自分のためだけでなく、人の幸せのために行動しよう”と決意しました。ここまで支えてくれた同志に感謝しています」と、力強く語った。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈負けじ魂ここにあり わが生命の学園生〉20 関西校 1997~99年度
さあ、進もう! 「勝利の扉」を開くため。    決められた決勝点は取り消すことができないのだ。

ゴルバチョフ元ソ連大統領と語らいながら、関西創価学園を歩く池田先生(1997年11月20日)

 開校から25年となる1997年、関西創価学園に新たなシンボルが誕生した。
 敢然と前を向き、帽子を手に一歩を踏み出す雄姿――アメリカの民衆詩人ウォルト・ホイットマンの立像である。
 除幕されたのは9月30日。池田講堂のロビーに生き生きと現れた大詩人の姿に、生徒たちは瞳を輝かせた。
 創立者・池田先生は、ホイットマンの言葉を学園生に贈り、祝福した。
 「さあ、出発しよう! 悪戦苦闘をつき抜けて! 決められた決勝点は取り消すことができないのだ」(富田砕花訳『詩集 草の葉』第三文明社)

何度も立ち上がれ
 カーン、カーン、カーン……。
 錦秋の彩りに包まれたキャンパスに、来賓の訪れを告げる鐘の音が鳴り響く。
 97年11月20日、午後2時過ぎ。万雷の拍手の中、車から姿を現したのは、ゴルバチョフ元ソ連大統領とライサ夫人。
 「素晴らしいところですね!」
 ゴルバチョフ氏は、学園生らと共に出迎えた池田先生に笑顔で語った。
 この日、氏に「創価大学名誉教授」称号が、夫人に「創価学園最高栄誉賞」が贈られることになっていた。
 盛大に授与式が行われた池田講堂。学園生が見つめる中、まずライサ夫人が謝辞を述べた。
 「最後に勝利する人とは、たとえ転んでも、立ち上がり、再び前へ進む人です。そして、そういう闘いを貫いていけるかは、『心』いかんによるのです」
 次いで、ゴルバチョフ氏が登壇する。
 「皆さまに、ロシア人として感謝申し上げたい。というのも、ここで行われている出来事は小さなことかもしれませんが、ロシアと日本の未来の関係をつくる――『未来という建物』をつくるための『礎石』であるからです」
 20世紀の“世界史的巨人”の言葉に、大きな拍手が湧き起こる。
 祝辞に立った先生は冒頭、こう呼び掛けた。
 「ご夫妻への『祝福』と『栄光』と『勝利』のしるしの“儀式”をやろう!」
 喜んで立ち上がり、学園生が上着を脱ぐ。
 ワン、ツー、スリー!
 先生の掛け声とともに「ワーッ!」と歓声が広がり、無数の制服が宙を舞う。元大統領夫妻も満面の笑みに。
 先生は、祝辞の中でトルストイの寓話『若き皇帝』を紹介した。
 ――巨大な権力の座に就いた若き皇帝に、三つの声が呼び掛ける。
 まず第一の声は言った。“あなたの責任は、ただ自分に与えられた権力を維持していくことだけだ”
 次に第二の声は言った。“あなたは、自分の責任を上手に回避していけばよい”と。
 最後に、第三の声は言った。“汝は、「皇帝」よりはるかに大きい存在である。つまり、汝は「人間」である。ゆえに、「皇帝」としてではなく、「人間」としての責任を果たせ! 苦しむ民衆を救うために、行動せよ!”と――。
 そして、先生は力を込めた。「第三の『人間指導者』の道を選択した勇者こそ、ゴルバチョフ博士であると、私は断言したいのであります」
 式典終了直後、ゴルバチョフ氏は、天井を指さして言った。
 「あの飛んでしまった服は、きょうの出会いの思い出の“旗”のようです!」
 講堂の天井には、2階席の生徒が投げ上げた上着が三つ、ぶら下がっていた。場内に、温かな笑いが広がった。
 上着を引っ掛けてしまった一人、北東華子さん(高校24期)。
 「天井を見ながら“どうしようか”と焦っていましたが(笑い)、元大統領がユーモアで包んでくださり、池田先生から激励の声を掛けていただき、生涯の思い出になりました」
 女子剣道部の主将を務めていた北東さんは“勝利の結果で先生に応えよう”と奮起。翌年、創部以来初となる近畿大会3位入賞を果たす。
 だが大学では人間関係の悩みから体調を崩し、教員や警察官など、志望していた進路を断念。就職活動も挫折が続いた。
 苦難の中で心に浮かんだのは、学園時代に受けた先生からの激励。そして、あの日のライサ夫人の言葉だった。
 “たとえ転んでも、何度でも立ち上がろう”。諦めずに挑戦を続けた結果、地元関西で就職を勝ち取った。
 現在は結婚し、兵庫県尼崎市に。4人の子どもを育て、長女は関西創価小学校の2年生だ。

「誠実」こそ大事
 「池田先生の夢は何ですか?」
 2000年2月28日、神戸市内で行われた卒業予定者との記念撮影会での一こま。池田先生は、学園生の率直な質問に丁寧に応じつつ、懇談的に語った。
 「私の夢は、戸田先生の夢を実現することです」
 「『本当の夢』には幸福がある。正義がある。人のためになる。平和がある。『幸福』『正義』『人のため』『平和』――この延長線上につくり上げたもの、描いたものが、本当の夢なんです」
 先生の一言一言に、学園生は皆、真剣に耳を傾けた。
 広島出身の福島優子さん(高校25期)は当時、高校3年生。親元を離れ、中学から6年間、「暁寮」で下宿生活をしながら学園に学んだ。
 “お世話になった方々に感謝を表すときに、心掛けなければならないことは何でしょうか”
 福島さんの問いに、先生は寮や下宿の関係者へ感謝を述べつつ、言葉を継いだ。
 「陰に陽に面倒を見てくださった寮の方々に、どう感謝を表すか――それは『誠実』しかありません。『人間として一番大事なものは誠実である』。これが私の信念です。『誠実』にかなうものはありません」
 その後、創価大学を卒業した福島さんは、大手通信会社の本社に勤務。専門知識や交渉力が求められる法務関連の部署で活躍する。「複雑な案件でも、『納得の対話』と『相談者と共に解決策を考えること』を心掛けています」。創立者、両親はじめ支えてくれた全ての人たちに感謝し、誠実一路の人生を歩む。
 鎌田真由美さん(高校28期)は、この記念撮影会に参加した中学3年生の一人。「将来、先生のご期待に応えられる自分に成長しようと、深く心に決意しました」
 学園から奈良女子大学に進学し、情報科学の修士課程を修了。京都大学大学院に進んだ。
 博士課程2年目に壁にぶつかり、学究の道を断念しようと考えたことがあった。その時、学園時代の友人が、かつて何度も学び合った先生の言葉を思い出させてくれた。
 「いったん決めたら、『続ける』ことである。目標を達成するまで、忍耐し、努力し続けることである。叩き続ければ必ず『勝利の扉』は開かれる」
 鎌田さんは、再び熱意を取り戻し、目標としていた3年間で博士号を取得。現在、国立大学の准教授として、生命情報科学の分野で先進医療の発展に尽くす。
 ――2000年の記念撮影会で、池田先生は呼び掛けた。
 「本当の勝利とは、『自分自身の心に勝つ』ことです」「『自分は、自分らしい人生を勝ち取った!』『私は魂の王者なんだ!』――そう言い切れる人が、『勝った人間』なんです」
 (月1回の掲載予定)
ご感想をお寄せください news-kikaku@seikyo-np.jp

◆〈信仰体験〉 多額の負債、台風被害 夫婦で乗り越え
あと一歩! もう一歩先に勝利はある  国内外から人気の磯料理店

「磯料理 網元」では、訪れた一人一人に喜んでほしいと、おいしい料理と真心の接客でもてなす(夫・信廣さん㊨、勢子さん㊥、長男・貴洋さん)

プロローグ
 【宮崎市】思い立ったらまっしぐら。でも今一歩、届かない。横山勢子さん(57)=青島支部、地区婦人部長=は、北海道・函館の漁師の娘。高校卒業後、“小料理屋のおかみになりたい”と調理の専門学校へ。だが雰囲気になじめず、半年で辞めた。
 今度は、幼い頃から夢だった歌手を目指して上京。六本木の人気クラブで“歌姫”と呼ばれるまでに。芸能関係者の目に留まり、デモテープを作り営業に歩くも、「方向性の違い」で、結局、デビューは立ち消えになる。
 “私の人生、そんなもの”。投げやりになっていた頃、夫・信廣さん(45)=先駆長(ブロック長)=と出会う。東京・麻布のふぐ料理店で修業中の板前。優しくて誠実な人だと思えた。
 二人は結婚を決め、信廣さんが両親に報告を。実家が営む「磯料理 網元」は、宮崎の青島で新鮮な海の幸が自慢の人気店だった。
 「紹介したい人がいる」。すると、青島で受話器を握る母・登美子さん(71)=副白ゆり長=が泣いている。うれし泣きかと思いきや、「お店がつぶれてしまう。助けてほしい」との悲痛な声。
 1993年(平成5年)5月、二人は青島へ向かった――。

急勾配の滑り台
 “なぜ、こんな所に来てしまったんだろう……”
 青島に移り住んでから1カ月。勢子さんはため息ばかりだった。
 信廣さんの実家は、借金まみれだった。91年にオープンした新店舗に、お客が全く入らない。本店の売り上げは、新店舗の借金返済に消えた。銀行などへの支払いが滞り、督促状が山積み。銀行は遂に融資を打ち切った。
 追い打ちを掛けるように93年9月、大型台風が襲来。豪雨と突風で、本店が全壊してしまう。建て替えようにも、新たな融資は絶望的。わらにもすがる思いで消費者金融に走るしかなかった。
 12月、店を再開したが、連日のように、取り立てが押し掛けた。売り上げは、利息分で消える日々。
 信廣さんは、この窮地を何とか打開しようと必死に動いた。だが、「階段を上っているのではなく、急勾配の滑り台を駆け上がっても駆け上がっても前に進まない状況」。負債は数億円に達した。
 勢子さんはストレスで、胆のう炎を発症。長男・貴洋さん(25)=男子部員=に与える母乳も止まってしまった。

笑って吹き飛ばす
 それでも、勢子さんが前を向こうと思えたのはなぜか?
 「おばあちゃんや婦人部の皆さんが教えてくれた信心のおかげ」と。
 勢子さんは結婚を機に創価学会に入会。妊娠中は、信心強盛な義祖母のサダさん(故人)と2人きりになることが多く、信心を一から学んだ。
 宮崎に移り住んでから2年ほどたつと、学会活動の中で、たくさんの発見があった。
 信心する前、宗教は“うさんくさいもの”と感じていた。しかし、学会は違った。同志の口から、経済苦や病気、家庭不和などの悩みが出ても、しんみりしない。くさらない。笑って吹き飛ばすような勢いで励まし合う。“悩みから逃げても何も解決しない”と言っているようだった。
 闘病中の婦人部の先輩は「この信心には必ず難があるの。でも、難を乗り越える信心だから絶対無敵なのよ」とニッコリ。
 “もうダメだ”と思うような危機に直面しても、“あと一歩、もう一歩!”と踏み出す勇気。それが、今までの自分には欠けていたことを知った。
 信廣さんも同じだった。店の営業終わりに、「おーい、のぶちゃん!」と訪れてくれる男子部の先輩たち。
 「僕たちは、それぞれの苦難を乗り越えるために生まれてきた。同じような悩みを持つ人の希望になれるんだよ」
 99年2月、宮崎研修道場を訪れた池田先生と、信廣さんは出会いを刻む。一人一人に渾身の励ましを送る姿を心に焼き付けた。
 先生が滞在中に語った言葉がある。「何があっても戦う。何があっても負けない。これが、創価魂である」
 信廣さんは固く心に誓った。“先生は全部分かってくださっている。負けてたまるか!”
 夫婦で祈りに祈った。師の言葉を胸に、二人で決めた。“いつか必ず地域から愛される店にする。そのためには何でもしよう”
 無料の送迎バスを運行。サービス向上に尽くした。勢子さんはPTAや自治会の役員に率先。信廣さんも商工会や消防団で活動。集会があれば、店を使ってもらった。
 ある時、信用金庫の職員が店を訪れた。数年間、二人の姿を見てきたという。経営状況を信用し、十分な融資を引き受けてくれた。
 「あなたたちなら絶対に大丈夫です!」

エピローグ
 ピーク時の1974年には、全国100万組の新婚カップルの3分の1が訪れた青島地域。その後、ブームは去ったが、昨年、宮崎市内には100万人を超える観光客が訪れた。
 「磯料理 網元」は連日、大盛況。「いらっしゃいませ!」と、威勢のいい声でお客を迎える勢子さん。
 店内は250席。看板メニューの伊勢エビや新鮮な魚など、ボリューム満点の料理を求めて、観光シーズンは市外からのお客でにぎわう。オフシーズンは地元客が8割を占めるように。夫婦で目指してきた“地域から愛される店”になった。
 「お客さまが大切な人と過ごす場所、笑顔になれる味を守るのが、私たちの責任。地道にコツコツと続けていく中で、『お母さん、ただいま!』って入ってきてくれるのが、うれしくて」
 信心に励む両親の背中を見て育った長男・貴洋さんも、店を支えるように。活気づく店内の様子は、メディアで紹介され、海外からも多くの人が訪れる。この10年、売り上げは右肩上がり。信廣さんは、メインバンクの信用金庫の総代を任されるまでになった。
 ある日、勢子さんは、信廣さんから声を掛けられた。「苦労ばかりの人生で、ごめんな」
 経済苦だけではない。義父母の闘病もあった。勢子さん自身の甲状腺がんもあった。でも――「苦労は多いけど、一度も不幸と思ったことはないわ」とほほ笑む。
 勢子さんは今、かみ締めている。苦難に挑む中でしか築けない本当の幸せを――。

 

2019年7月13日 (土)

2019年7月13日(土)の聖教

2019年7月13日(土)の聖教

◆わが友に贈る

開拓魂みなぎる
中国方面の同志よ!
限界の壁を打ち破る力は
不屈の祈りと行動だ!
大歓喜の歴史を共に!

◆名字の言

宇宙航空研究開発機構(JAXA)の探査機「はやぶさ2」が、小惑星地下からの物質の採取に成功したという。この世界初の快挙は、生命の起源や太陽系の成り立ちなどの解明につながることが期待される▼2回目となる小惑星への着陸。さまざまなリスクを想定して10万回の着陸シミュレーションを行い、全て成功させた上での挑戦だった。今回のミッション成功について、プロジェクトマネジャーは「チームワーク以外のなにものでもない。メンバー一人一人が大切な役割を全うした」と語っている▼10年間で4度の宇宙飛行を成し遂げたロシアの宇宙飛行士セレブロフ博士は、池田先生との対談で、宇宙飛行を成功させる鍵として、仲間に対して「尊敬と感謝の気持ち」を持てるかどうか、という点を挙げた(『宇宙と地球と人間』潮出版社)▼大事業の成否は常に団結にかかっていることを、歴史は教える。御聖訓に「異体同心なれば万事を成じ」(御書1463ページ)と。「異体」と仰せの通り、広布の団結は、一人一人が自身の持ち味を存分に発揮することが重要だ▼池田先生は「堅固な団結は、必ず各人の『境涯の拡大』をともなう」と。広宣流布という未聞の大事業は、「私の人間革命」から始まり、「私の人間革命」に帰着する。(澪)

◆寸鉄

「但偏に国の為法の為人
 の為」御書。庶民が輝く社
 会へ。大理想を胸に前進
      ◇
 兵庫よ破竹の勢いで勝ち
 進め。民衆の底力示せ!
 栄光のゴールへ断固走破
      ◇
 魁光る四国の友が大奮戦
 執念の対話で攻め勝て!
 勇気の一押しを最後まで
      ◇
 信なき言論、煙の如し―
 戸田先生。我らの叫びが
 民衆の安穏を実現する力
      ◇
 日本、過去最大の人口減。
 益々、一人を大切に。誰も
 置き去りにしない未来を


【先生のメッセージ】

◆〈池田先生と共に 新時代を築く〉  創価は世界の勇気の源泉

 創価の師弟は、法華経の“行者”である。“信者”ではないと、牧口先生は宣言された。三障四魔が競い起こるのも、正しく菩薩行をしているからなのだ、と。
 御本仏は仰せである。
 「法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」(御書1352ページ)
 広宣流布、立正安国を誓願し、あえて試練に挑戦しゆく尊き学会員の祈りこそ、まさしく「法華経の行者の祈り」なのだ。ゆえに、断じて叶わないわけがない。
 使命の行動の日々は多忙である。辛労も多い。しかし煩悩即菩提である。大きく悩み、大きく戦った分、大きく境涯が開かれる。大闘争の中で無量の心の財が積まれ、幸の眷属が広がり、個々人の祈りも成就する。
 ここに、妙法に合致した人間革命と立正安国の勝ち戦のリズムがあるのだ。
                    * * * 
 御書には示されている。
 「石はやけばはいとなる金は・やけば真金となる」(1083ページ)
 人生にも、社会にも、ここぞという時がある。
 昭和33年6月30日、私が総務として、事実上、学会の全責任を担ってからの一日一日が、そうであった。
 恩師の心を胸に、同志の中へ飛び込んだ。本陣たる東京・東海道・関東はもとより、法廷闘争も続く関西へ。北海道、東北へ、中部、北陸、信越へ、中国、四国、九州へ。全国を幾度も奔走し、沖縄の同志とも深く心を通わせていった。
 病気や経済苦などを抱えつつ戦う健気な宝友のため、師の分身となって題目を唱えに唱え、励ましに励ました。戸田先生より「指導とは激励なり」と教わり、託されてきたからである。
 一人一人が宿命に立ち向かいながら、慈折広布に勇み進んでくれた。日本中が異体同心で一丸となって、悪口罵詈を吹き飛ばし、真金の輝きを放ったのだ。
                          * * * 
 総務就任直後の7月13日、意気高く関西の男女青年部の総会が行われた。不二の心で駆けつけてくれた若き友に、私は呼び掛けた。
 ――日本の勇気の源泉は創価学会であり、創価学会の源泉は青年である。勇気に燃えて仏道修行に励み、仕事も、境遇も、社会も、当たって砕けろの決心で勝ち開いていく青年たれ!と。
 今や、わが創価の青年こそ、世界の勇気の源泉なりと、私は叫びたい。師弟の誓いに生き抜く時、若き地涌の連帯は宇宙大の力を発揮していくのだ。
 烈風に負けぬ勇気を持て! 師弟の月・7月、威風堂々と正義の凱歌を轟かせようではないか! 
 全同志の「健康長寿」と「絶対勝利」を祈ります。


【教学】

◆〈御書池田大学運動のために 池田華陽会御書30編に学ぶ 〉 開目抄㊤
 広布に生き抜く誓願を胸に!

「7・19」女子部結成記念日へ、誓いの青春を駆けよう(先月9日、埼玉文化会館で行われた総埼玉女子部の華陽講義)





「7・19」女子部結成記念日へ、誓いの青春を駆けよう(先月9日、埼玉文化会館で行われた総埼玉女子部の華陽講義)

 今月から2回にわたり、「開目抄」を学びます。
 池田先生は、本抄の講義の中でつづっています。
「『開目抄』は、いわば『最深の哲学』と『最強の信念』を説く書です。『最深の哲学』とは、全人類救済の慈悲の極理たる凡夫成仏の大法が説き明かされているからです。(中略)『最強の信念』とは、全人類を救いうるこの大法を、いかなる障魔が競っても弘めゆくことを誓う、広宣流布への偉大なる信念です」
 民衆の幸福を願い、大法弘通に生き抜かれた日蓮大聖人の、広宣流布の誓願を心に刻んでいきましょう。(拝読範囲は、御書186ページ冒頭~203ページ14行目です)

本抄について
 本抄は、日蓮大聖人が流罪地の佐渡に到着した直後から構想・執筆され、文永9年(1272年)2月、四条金吾に託して門下一同に与えられました。
 題号の「開目」とは「目を開く」ことであり、末法の一切衆生に対して、執着を打ち破り、真の法華経の行者、すなわち大聖人に「目を開け」との呼び掛けと拝されます。
 当時、大聖人一門には激しい弾圧が加えられ、退転する門下が続出しました。
 本抄で大聖人は、当時、人々から寄せられた“大聖人が法華経の行者であるなら、なぜ諸天の加護がないのか”との疑問に対し、経文通りに実践すれば、三類の強敵の出現は必然であり、その通りの難に遭っている大聖人こそ、真の法華経の行者であると示されます。
 そして、大難を覚悟で妙法弘通を貫く大聖人が、民衆にとって「主師親の三徳」を具えた末法の御本仏であることを明かされていきます。

御文
 日本国に此れをしれる者は但日蓮一人いちにんなり。
 これを一言も申し出いだすならば父母・兄弟・師匠に国主の王難必ず来きたるべし、いはずば・慈悲なきに・にたりと思惟しゆいするに法華経・涅槃経等に此の二辺を合せ見るに・いはずば今生は事なくとも後生は必ず無間地獄に堕べし、いうならば三障四魔必ず競い起るべしと・しりぬ、二辺の中うちには・いうべし
(御書200ページ9行目~13行目)

通解
 日本国でこのこと(仏教の諸宗が謗法の教えを説いており、人々を悪道に堕とす悪縁となっていること)を知っている者は、ただ日蓮一人である。
 このことを一言でも言い出すなら、父母や兄弟、師匠、さらに国の権力者による迫害が必ず起こってくるにちがいない。
 しかし、言わなければ無慈悲と同じことになってしまう。
 どうすべきかと考え、法華経や涅槃経などの文に、言うか、言わないか、の二つを照らし合わせてみた。
 すると、言わないでおけば、今世では何ごともなくても、来世には必ず無間地獄に堕ちてしまう。
 もし、言うなら、三障四魔が必ず競い起こってくるということが分かった。
 この二つの中では「言う」ほうを選ぶべきである。

解説
 本抄で大聖人は、諸思想および釈尊の仏教のあらゆる教えの浅深を検証し、法華経本門寿量品の文底に秘沈されている一念三千こそが、万人成仏の大法であると示されます。
 しかし、法華経に背く謗法の者が充満する末法の世となった、大聖人の御在世当時、邪法を弘める悪僧により悪縁が国中に蔓延していました。
 大聖人は掲げた御文の直前で、“悪鬼が身に入った高僧たちが、誤った教えで人々を騙し、不幸に陥れている”と喝破され、大聖人ただお一人が、このことを知ったのだと仰せです。
 続いて、立宗宣言に至る大聖人の御心境が回想されます。
 世間から尊敬され、権力とも結び付いている高僧のことを、“人々を苦しみに陥れる元凶である”と言い出せば、周囲や国主からの迫害は必然です。しかし、難を恐れて言わないことは、苦悩する民衆を救おうとしない無慈悲に通じます。
 「言うべきか、言わざるべきか」――二つのはざまで葛藤する中、大聖人は、法華経・涅槃経等の経文に照らし合わせて思索されました。
 これらの経文には、正法を弘める時、種々の難が必ず起こることが記されています。一方、謗法を放置すれば仏の敵となり、来世には必ず無間地獄に堕ちることも明記されています。
 大聖人は、これらを踏まえ、思索を重ねた末に、「言うべきである」と結論されたのです。
 たとえ迫害を受けようとも、苦悩の民衆を救うために妙法を説き弘める――この後、述べられる「強盛の菩提心を・をこして退転せじと願じぬ」(御書200ページ)との御文からも、末法広宣流布の大闘争への烈々たる御決意が拝されます。
 この大聖人の御精神を受け継ぐ実践こそ、私たちの日々の誠実な対話です。時に、反発や無関心などの反応が返ってくることもあるでしょう。しかし、それでも、友の幸福を願い、勇気を奮い起こして仏法を語り抜くことが大切です。
 池田先生は、「語った分だけ、永遠の幸福の仏縁が結ばれる。語った分だけ、わが生命に、永遠の福運の歴史が刻まれる」と呼び掛けています。
 師弟の月・7月。臆病の壁を破る対話で、立正安国の勝利を打ち立てていきましょう!

池田先生の講義から
 「二辺の中うちには・いうべし」――経文に基づく判断は明瞭です。経文は仏の言葉です。仏の心を知るための鏡です。私たちで言えば「御書」です。
 大聖人は、法華経に照らして判断されたと述べられている。
 表面的な地位や安逸あんいつではなく、生命の究極部分で無慈悲の無間地獄に堕ちるか、大難を莞爾かんじと受け止めながら万人を慈悲で包み込む苦難の道を選びとるか。当然、後者が経文に照らして正しい。(『御書の世界』第1巻)
                       ◇ ◆ ◇
 自分が救済しようと思ったその相手自身から、憎まれ、迫害される。理不尽と言えば理不尽ですが、“「それでも」私は、あなたを礼拝する”と叫び続けた不軽菩薩のごとく、深き「信念」を貫くことこそ、末法の仏法者の振る舞いです。(中略)
 日蓮大聖人は深き誓願によって、一人、法華経の行者として厳然と立ち上がられました。謗法の悪縁に迷うすべての人を救おうと、断固たる行動を貫いていかれた。(『開目抄講義』上巻)

御書カフェ  ―華陽姉妹の語らい―
教えて 自分の目標に向かって、負けじ魂で挑戦していきます!

御文 法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず(祈祷?抄、御 書1352ページ)
通解 法華経の行者の祈りのかなわないことは絶対にない。

 法華経の行者として、広布大願に生きる青年の祈りほど、強いものはない。それは必ず成就する。いな、成就するまで、祈り抜き、戦い切るのだ。決定した一念が、諸天をも動かす。
 この確信と努力と執念こそが、学会精神なのである。
 なかんずく、同志と共に「異体同心」の団結で唱えゆく題目の力は計り知れない。(2016・9・21付「創価新報」掲載の「青春勝利の大道」)
                         ◇ ◆ ◇
 若さには希望があり、未来がある。無限の力がある。失敗を恐れず、体当たりしていく中で、その可能性を開き、自分の壁を破って飛躍することができる。
 我らには、最極の信念たる信仰がある。
 強盛な祈りで、立ち上がれ! 題目は師子吼だ。滾こん々こんと勇気が湧き、満々と生命力が漲る。
 さあ、いよいよ、これからだ! 人間の中へ、民衆の中へ、勇んで飛び込み、大誠実の力で、我らは勝利していくのだ。(『随筆 民衆凱歌の大行進』)


【聖教ニュース】

◆〈ワールドリポート〉 音楽と芸術の都 チェコ・プラハ 凱歌の楽譜を高らかに!

師子王地区の座談会。新来者3人のほか、多くの婦人部・女子部の友が参加した(6月23日、プラハ市内で)






師子王地区の座談会。新来者3人のほか、多くの婦人部・女子部の友が参加した(6月23日、プラハ市内で)

 本年は、池田先生の東欧初訪問から55周年の佳節(1964年10月)。当時、東欧諸国は第2次世界大戦後の共産主義体制下にあり、思想や信教の自由などが厳しく制限されていた。チェコ、ハンガリーを訪れた先生は、まだ見ぬ地涌の同志を思い浮かべながら、未開の原野に題目を深く染み込ませていった。その後、89年に始まる民主化を経て、各国にメンバーが誕生。地涌のスクラムが朗らかに広がっている。先月、東欧広布の第一歩の地・チェコに赴き、首都プラハで活動するメンバーを取材した。(記事=内山忠昭、写真=石川大樹)
 街にあふれるオペラやコンサートの広告。路上では若き芸術家たちが音楽やパフォーマンスを披露し、多くの人々が喝采を送っている。
 チェコの6月は夏。古都の風情を残す首都プラハは、観光シーズンを迎え、大いに活気づいていた。
 だが、池田先生が訪問した55年前、プラハにはこうした華やぎはなく、市民の表情にも暗い影があった。先生は後年、当時の心境をこう記している。「平和を願う人間と人間の心は体制の壁も飛び越えて、必ず結び合う時が来る。そのために、私は真剣に『種』を蒔くのだ」と。
 それから17年後の81年、先生の強い祈りに呼応するように、チェコに初のSGI(創価学会インタナショナル)のメンバーが誕生した。ユウコ・イヅツさん(支部婦人部長)が日本から海を渡ったのである。
 兵庫・西宮市で生まれたイヅツさんは、神戸市外国語大学でロシア語を専攻。卒業後、さらなる語学研さんのために旧ソ連へ。日本への帰りの船の中で出会ったのが、プラハ出身で、後に夫となるベドジフ・ドレジャルさん(支部長)だった。
 イヅツさんは、プラハへの移住と同時にドレジャルさんを折伏。以来、二人三脚でチェコ広布の伸展に尽力してきた。
 92年1月には、同国にSGIの支部が発足。メンバーは夫妻を含め、わずか7人だったが、仏法の人間主義を基調に、地道に信頼を拡大。現在は2地区9グループの陣容となり、支部結成25周年の2017年には、法人認可を受けている。
                           ◇ 
 今、妙法の花が爛漫と咲き誇るチェコ。その種を先頭に立って蒔いてきたのは、イヅツさんをはじめとする婦人部の友だ。
 6月23日には、師子王地区の座談会がプラハ市内で開かれ、創価の母たちが次々と体験発表を行った。
 入会32年のセシル・ヤブルコヴァーさん(地区婦人部参与)は、かつて障がい者が多く通う学校の教員だった。ある時、学校に障がいのある次男を預けていたヤンカ・アレスさんに声を掛けた。彼女は夫を亡くし、女手一つでの子育てに行き詰まっていた。ヤブルコヴァーさんはアレスさんの幸福を願い、真剣に仏法対話。題目の功力を伝えるも、入会には至らなかった。
 それから月日は流れたが、悩みが解決するどころか、深まる一方だったアレスさん。ある日、インターネットで“解決策”を探していると、「南無妙法蓮華経で人生が変わる」と書かれたSGIのページにたどり着く。見よう見まねで唱題を始めた。
 この時点では、自身の唱える題目が、以前に教わったものと同じとは思っていなかった。その後、別のSGIメンバーからヤブルコヴァーさんのことを聞き、点と点が結び付いた。「不思議な縁を感じました。ずっと私の幸せを祈ってくれていたのだと思います」
 2017年に御本尊を受持。祈れば祈るほど、困難を乗り越える生命力と勇気が湧いた。
 「私の姿を通して、信心の素晴らしさを知ってもらいたい」と語るアレスさん。現在は子育ても一段落し、画家として活躍の場を広げている。
 婦人部グループ長のマリア・ビクトリアさんがSGIを知ったのは、出身地キューバにいた頃。母親が亡くなったことを機に、人生の意味を考えるようになった。さまざまな宗教を試したが、納得の答えは見つからない。やがて自身の境遇を嘆き、人生を諦めるようになった。
 ある日、人々を幸せにするために、あえて宿業を背負い、願って生まれてきたという「願兼於業」の法理を聞いた。前向きな考え方に共感を覚え、学会活動に励むようになると、愚癡や弱音をこぼさなくなった。
 02年に入会し、フルート奏者として、欧州で活動したいという夢への挑戦を決意。プラハに移り住み、信心根本に挑み続けた結果、プロとして国内外を飛び回るまでになった。
 一方で、友人たちに信仰への確信を語り抜き、プラハに来てから2人に弘教を達成。5月のグループ総会には、目標だった10人の友が参加した。「地涌の菩薩の使命を果たしたいと祈っています。そうすると、自然と力が湧いてくるんです」
 東欧広布を誓った師の心を心として、チェコ婦人部は、仏縁を広げ続けている。
                            ◇ 
 「もうお分かりの通り、プラハには、音楽や芸術に携わる方が大勢います。だから座談会も、文化コーナーがあるのが当たり前。私も最初はびっくりしました(笑い)」
 こう語るのは、青年部責任者のタケシ・オザキさんだ。
 東京・東大和市出身。創価大学卒業後、オーストラリア留学を経て、兵庫・西宮市にある貿易会社に勤務。プラハに赴任して7年になるという。
 6月22日、オザキさんと共に宝塔グループの座談会を訪れた。会場はプラハ市内の閑静な住宅街の一室である。
 この日のテーマは、婦人部の月・6月にちなんで、「家族との絆」。皆が母親や家族への思いを口々に述べていく。現地在住の日本人メンバーが、日頃の感謝を込め、「母」の歌を歌う一幕もあった。
 〽母よ あなたの
  思想と聡明さで
  春を願う
  地球の上に
  平安の楽符を
  奏でてほしい
  ……
 1968年に民主化運動「プラハの春」が弾圧され、分断の「冬」の時代に戻ったチェコ。
 しかし、「春」を願う民衆による対話と非暴力の運動は、20年余の時を経て、ついに共産主義体制の崩壊をもたらした。
 池田先生は民主化後の92年4月、その立役者であるハベル大統領と東京で会見している。
 かつて先生は、民主化運動に奔走したプラハの女性歌手の姿を通して語った。「今こそ、時代が変わる時だ。今こそ、人生をかけて戦う時だ――この確信と使命感が、彼女の足を人々の方向に向かわせたにちがいない。疲れないように、ほどほどにやっておこう、格好だけ、よく見せておこう――こんな要領主義が少しでもあったなら、どんな戦いも勝利できない。『成長』もないし、『歴史』の創造もない。『真剣』こそが、人を動かし、歴史を動かしていく」
 民衆が輝く凱歌の時代を望む“母の心”は万人に共通する。そして、新たな栄光のドラマは常に「真剣な一人」から始まる。チェコの歴史と広布の歩みから学ぶ“勝利の方程式”である。
ご感想をお寄せください news-kikaku@seikyo-np.jp


【特集記事・信仰体験など】

◆〈扉をひらく 池田先生の対話録Ⅲ〉第3回 オーストリア芸術家協会 ハンス・マイヤー会長  写真も人生も「一瞬」が勝負  今この「瞬間」に心を尽くす

オーストリア芸術家協会会長のハンス・マイヤー氏を迎えて。会談では、池田先生と対談集を発刊したクーデンホーフ=カレルギー伯爵が芸術家協会の会員であったことなど、共通の縁も話題に(1992年8月26日、東京・信濃町の聖教新聞本社で)






オーストリア芸術家協会会長のハンス・マイヤー氏を迎えて。会談では、池田先生と対談集を発刊したクーデンホーフ=カレルギー伯爵が芸術家協会の会員であったことなど、共通の縁も話題に(1992年8月26日、東京・信濃町の聖教新聞本社で)

 カシャッ、カシャッ。
 二つのカメラから、小気味よいシャッター音が響く。
 1992年8月26日、池田先生がオーストリア芸術家協会会長のハンス・マイヤー氏を聖教新聞本社に迎えた。
 著名な写真家であるマイヤー氏が池田先生にカメラを向けると、先生も手元のカメラを構える。
 レンズ越しにも、談笑が絶えない。じっくり語るのはこれが初めてだったが、旧知のように話が弾んだ。
 「なぜカメラに興味をお持ちになったのですか」
 池田先生の質問に、幼少期を振り返るマイヤー氏。父の友人が持つカメラに夢中になった思い出を語った。
 「カメラというのは、一体どんな仕組みになっているのか知りたくて、よく暗室に入り、一生懸命、眺めていたものです」「6歳の時には、もう『自分は将来、写真家になる』と決めていました」
 キュンストラーハウスの名で親しまれるオーストリア芸術家協会は、同国最古にして最大の芸術拠点として知られる。1861年の創立以来、数千回に及ぶ多彩な展覧会を開いてきた。
 戦後のウィーンで数々の賞に輝き、写真家として名をはせたマイヤー氏。1975年に同協会の会長に選出され、芸術振興に奔走してきた。
 池田先生もマイヤー氏も、かねて「写真は民衆に開かれた芸術」と述べ、写真文化の宣揚に努めてきた。
 「写真を『芸術』と見る観点は二つあります」とマイヤー氏。
 「一つは『道具を使った芸術である』ということです。人間の手だけでは表現できないものを、写真は表現できる。二つ目は『万人に開かれた芸術である』という点です。絵画などをうまく描けなくても、写真は、シャッターを切りさえすれば撮れる。だから極めて『民主的』な、それでいて高い質をもった芸術と言えると思うのです」
 池田先生が応じる。
 「会長が言われたように、写真は、誰でも『見た』ものを『写す』ことのできる芸術です。その上で、重要なのは、同じものを見ても、生命にどう映るか、どう感じるかです。見え方の差、境涯の差は、おのずと作品にも現れるのではないでしょうか」
 そう語り、言葉を継ぐ。
 「余談ですが、有名な『キヤノン』という名称も、もとは『カンノン』だったそうです。カンノン――日本語では、『観音』といえば法華経の『観世音菩薩』のことです。『世音を観ずる』すなわち世間のあらゆる“生命の声”を、真実を、ありのままにキャッチしていく。写真芸術にも通じる、生命の働きを表していると思います」
 “心のレンズ”を磨き上げてこそ、真実を写すことができる――先生の言葉に、氏が満足そうにうなずいた。
                             ◇
 毎年元日、ウィーンの楽友協会から世界に生中継され、年明けを華やかに飾る「ニューイヤーコンサート」。
 この楽友協会の真向かいに立つキュンストラーハウスで、92年1月、「自然との対話――池田大作写真展」が開幕した。東京富士美術館主催の「日本美術の名宝展」と同時開催である。
 「私は写真芸術家ですから、池田会長の写真の芸術性の高さがよく分かるつもりです」とマイヤー氏。自ら作品選定に当たり、一枚一枚を吟味した。
 当初、案に挙がっていたのは、パリやウィーンなど、池田先生が欧州訪問の際に写した作品が中心だった。
 しかし氏は、山あいの田畑や紅葉、竹かごに盛られた秋の味覚など、日本の四季折々を収めた作品を推薦。並び順にも熟慮を重ねる姿は、関係者が圧倒されるほどの真剣さだった。
 写真展には3万人を超える市民が来場し、連日、新聞やテレビなどの主要メディアで報じられた。過去最大級の日本文化の展覧会となった同展に触れつつ、先生と氏の語らいは「戦争と文化」に焦点が移っていく。
 にこやかな表情を浮かべていた氏から、笑みが消えた。「絶対に忘れられない、また許すことのできない不幸な出来事でした。こんなことは、二度と、二度と繰り返してはなりません」
 氏は先生より2歳年上。17歳の時、徴兵でドイツ陸軍に入隊している。
 「よく分かります。私も、あの暗い戦時中に少年時代を送った一人です」と池田先生。
 マイヤー氏の父は、終戦までの7年間、悪名高きダッハウ強制収容所に囚われた。祖父も収容所に送られ、自ら命を絶っている。
 「『右』にせよ『左』にせよ、人間を抑圧する『独裁』というものは、同じです。こうしたバカげた愚行を絶対に繰り返させないことが、私たちの『使命』なのです」
 語気を強める氏に、池田先生は「深い『人間観』に基づいた、深い『歴史観』を感じます。『人間』の真実の叫びです。私どもも、『独裁』と戦っています。『抑圧』と戦っています。会長と『同じ使命』の同志です」と。
 芸術家協会では、氏の主導で旧東欧諸国との文化交流にも尽力してきた。「私は私なりに、“東側”との文化交流を続けてきましたが、そのことが、旧東欧諸国の共産主義体制の崩壊に若干の貢献をしたかもしれません」
 池田先生が深くうなずく。
 「大きな貢献と思います。『文化の力』は小さいようで、長い目で見れば、確実に、時代と社会の底流を動かしているものです」
                                     ◇
 「法華経の序品では、釈尊が、いわば最高のカメラマンのごとく、森羅万象の映像を鮮やかに映し出し、人々に見せてあげている。すなわち、釈尊の眉間から発する光明が、東方の1万8千といわれる世界を照らすと、全てが黄金の光の中に浮かび上がります。生命の閃光、フラッシュに例えられるかもしれません」
 92年8月の会談で先生は、法華経の映像性を通し、写真芸術を語った。
 「法華経では、この森羅万象が自己の『一念』に収まり、また自己の一念が『全宇宙』に遍満していくことを明かしている。また『生命の永遠性』を説きつつ、果てしない過去も未来も、現在の『一瞬』に凝縮されていることを説いています」
 技術の発達により、今や写真は毎日の生活に欠かせないものとなった。だが、それが「一瞬」を「永遠」に刻み残す作業であることに変わりはない。
 マイヤー氏は語っている。
 「会った瞬間、私にははっきりと分かりました。池田会長が、私と同じような人生体験をお持ちであり、『不幸を繰り返さぬ』ために戦っておられることが――」
 信念の人のみが、信念の人を知る。
 「瞬間」の芸術に生き、文化交流に生涯をささげた氏が、“心のレンズ”で捉えた先生の実像である。

 ハンス・マイヤー 1926年~93年。写真家。75年にオーストリア芸術家協会(キュンストラーハウス)会長に就任。オーストリア最古の伝統を誇る同協会の活動を主導し、多くの芸術家に発表・交流の場を提供。旧東欧諸国との文化交流にも力を尽くしてきた。91年6月、写真分野における芸術的業績が評価され、池田先生が同協会の在外会員に就任。翌92年1月には、キュンストラーハウスで「自然との対話――池田大作写真展」が開かれ、3万人を超える市民が鑑賞した。同年11月、国際的な文化交流活動への多大な貢献がたたえられ、池田先生に同協会の名誉会員証が授与されている。

 〈引用・参考文献〉 池田大作/ユッタ・ウンカルト=サイフェルト著『生命の光
 母の歌』、広瀬佳一・今井顕編著『ウィーン・オーストリアを知るための57章』(明石書店)、増谷英樹著『図説 ウィーンの歴史』(河出書房新社)、R・ヴァイセンベルガー編『ウィーン 芸術と社会 1890-1920』池内紀・岡本和子訳(岩波書店)。
●ご感想をお寄せください
 news-kikaku@seikyo-np.jp

◆〈信仰体験 SOUL 雄魂〉 その男、培う者なり。 夫婦で育てた大地の命

午前5時、小雨がハウスをたたく音がする。屈みにくい腰を屈めてトマトを収穫する勝則さん。「トマトと話ができるようになりたいけど、何も教えてくれん。トマト作りは毎年1年生」

 【愛知県・設楽町】土への憧れがあった。1992年(平成4年)、中本勝則さん(67)=設楽支部、副支部長=は、大阪市内の建築設計事務所をたたんだ。妻の早子さん(64)地区婦人部長と小学校の子供3人でこの街に移り住み、ハウストマトの栽培を始めた。


◆〈スタートライン〉 作家・エッセイスト 岡田光世さん
 とにかく、歩き続けよう。そして人生を楽しんで。

 アメリカのニューヨークには、“魔法の瞬間”がたくさんあるという。地下鉄の中で、街の通りで、公園で、スーパーマーケットで……。

2019年7月12日 (金)

2019年7月12日(金)の聖教

2019年7月12日(金)の聖教

◆わが友に贈る

一番の労苦を担うのが
誉れの一番弟子だ!
さあ大関西の同志よ!
皆を あっと言わせる
常勝の底力を示そう!


◆名字の言

日本オリンピック委員会の新会長に選ばれた全日本柔道連盟会長の山下泰裕氏。現役時代は世界選手権で3連覇、ロサンゼルス五輪で金メダルに輝き、国民栄誉賞を受賞した▼数々の偉業を打ち立てた氏にも、深く悔いの残る試合があるという。それは大学2年時、全日本学生柔道選手権の決勝戦。最初の1分間、相手は積極的に攻めてきたが次第に守りに入った。一方で氏は果敢に技を掛け続ける。試合終盤、“判定で勝てる”と踏んで攻撃の手を緩めた。しかし結果はまさかの「判定負け」▼試合後、恩師は叱責した。“お前は相手に負けたんじゃない。自分に負けたんだ!”。以来、氏は一本勝ちを狙う“攻めの柔道”を貫き、公式戦で203連勝を達成する。振り返れば、あの“判定負け”が人生最後の敗北となった▼どんな強敵にも勝る最大の敵は、自身の心に潜む油断や慢心だろう。柔道の創始者・嘉納治五郎の言葉に「尽己竢成」、すなわち“全精力を尽くした努力の上で、成功を期待すべき”と。池田先生は、この哲学を通して「わが身を惜しまず、一心不乱に戦い抜く。そこに勝利への道が開ける」と語った▼“この辺でいいだろう”という油断は転落の道。日々、挑戦し、自身の殻を破ろうとし続ける。常勝の人生の鉄則である。(柑)

◆寸鉄

   一途に御本尊を信じ切れ
 ―恩師。断じて祈り勝つ。
 信心の戦に不可能なし!
      ◇
 大中部が壁を破る総攻撃
 誓いの「この道」を直進!
 民衆勝利の旗を堅塁城に
      ◇
 大九州の友の団結を見よ
 先駆の大勇猛心こそ魂!
 激戦越えて歴史的凱旋を
      ◇
 沖縄が総立ち!我ら正義
 の連帯が平和の砦。わが
 拡大の新記録へ語り捲れ
      ◇
 上半期、企業の倒産が10
 年連続減。経済の安定へ、
 公明よ中小企業支援厚く

◆社説 15日中心に追善勤行法要  創価家族の祈りこそ最高の追善

 「お盆」に当たる15日を中心に、「創価学会諸精霊追善勤行法要」が全国各地の主要会館で営まれる(地域によっては旧盆の8月15日に行う所もある)。
 日蓮大聖人は、「盂蘭盆御書」(御書1427ページ)において“目連が、神通力を駆使しても、死後の世界で苦しむ母を救えなかったことに対し、釈尊が7月15日に十方の聖僧を集め、さまざまな飲食物を供養すれば救われると説いた”という盂蘭盆(お盆)の由来について言及。法華経以前の教えでは成仏できなかった目連が、法華経を信じて仏になったことで、目連の父母も仏になり、さらに「上七代・下七代・上無量生下無量生の父母等存外に仏となり給う」(同1430ページ)と仰せになっている。
 「追善回向」の「回向」とは、自分自身が積んだ仏道修行の善根を他者に回らし向けることを意味する。
 「盂蘭盆御書」に「自身仏にならずしては父母をだにもすくいがたし」(同1429ページ)と仰せのように、自分自身が成仏を目指して真剣に仏道修行に励むことが何よりも大切であり、自他共の幸福の実現を願って、日々、広布の活動に取り組んでいる創価家族の祈りこそ、最高の追善であることは間違いない。
 また、「盂蘭盆御書」では、邪僧について「設い千万人を・あつめたりとも父母の一苦すくうべしや」(同1428ページ)と厳しく糾弾されている。
 大聖人の御遺命である広宣流布を忘れて腐敗堕落し、あろうことか葬儀や法要などの化儀を“金もうけの道具”にしている日顕宗による追善が、かえって堕地獄の因になることは言うまでもない。
 小説『新・人間革命』第25巻「共戦」の章に、「広布功労者追善法要」での山本伸一会長の次の指導がつづられている。
 「ご遺族の方々は、この名誉ある道を歩んだ先覚者の遺志を、必ず継承していってください。その意味から、ご自分を、単なる『遺族』と考えるのではなく、南無妙法蓮華経という宇宙根源の法を持った、広宣流布の『後継者』であると、強く自覚していっていただきたいのであります」
 法要では、広布の途上で亡くなられた家族や同志の福徳と安穏を祈念するとともに、「広宣流布の先覚者の遺志」に思いをはせ、自らが「広宣流布の後継者」として生き抜く尊い使命と誇りをあらためて確認し、決意を新たにしていきたい。

◆きょうの発心 師子吼の題目で今再びの凱歌を!2019年7月12日

御文 此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや(経王殿御返事、1124ページ・編569ページ)
通解 この曼荼羅(御本尊)をよくよく信じなさい。南無妙法蓮華経は師子吼のようなも
のである。どのような病が、障りをなすことができようか。

 唱題によって、どんな病にも負けない境涯を築くことができるとの慈愛の励ましです。
 私は大学入試のその朝、激しい胸の痛みと呼吸困難に襲われました。自然気胸と診断され、入院生活に。“なぜ自分だけ”と煩悶しましたが、家族や学会の先輩方の励ましに支えられ、完治しました。そして大学進学を果たし、大手証券会社に入社。泊まり込みで仕事を続ける時期もありましたが、学会活動からは一歩も引かずに、常に広布の第一線を走り抜いてきました。
 8年前には良性発作性頭位めまい症を発症。いつ、めまいが起こるか分からない不安が続く中、この御文を胸に、師子吼の題目で乗り越えることができました。
 区長に就任してから、悩みを抱える同志に自らの体験を語り、“師への誓いを果たす人生を共々に歩もう”と訴えています。
 本年3月、三鷹平和会館の開館から10周年の佳節を迎えました。師匠への報恩感謝を片時も忘れることなく、愛する三鷹の同志と共に、今再びの凱歌を轟かせてまいります。
 東京・三鷹池田区長 李英雄


【聖教ニュース】

◆創価青年音楽センター開館5周年  日本一の音楽隊・鼓笛隊 心と技を磨く育成の一大拠点

日本一の音楽隊・鼓笛隊の友が、鍛えの汗を流す「創価青年音楽センター」。きょう12日、開館5周年を迎えた





日本一の音楽隊・鼓笛隊の友が、鍛えの汗を流す「創価青年音楽センター」。きょう12日、開館5周年を迎えた


 きょう7月12日、東京・東大和市の「創価青年音楽センター」が開館5周年を迎えた。
 同センターは、首都圏を中心とする音楽隊・鼓笛隊などの練習施設。池田大作先生は、開館に際して呼び掛けた。「真剣な練習で磨かれた生命が奏でる調べが、大歓喜のマーチとして世界に轟きわたることを、私は信じ見守っている」と。
 師の万感の期待に応えようと、音楽隊・鼓笛隊の友は、仕事や学業、学会活動など“三立”“四立”に挑み、懸命に練習。同センターを練習拠点とする音楽隊の創価ルネサンスバンガードは、マーチングバンド全国大会で15度の日本一に。鼓笛隊の創価グランエスペランサは本年、カラーガード・マーチングパーカッション全国大会で2年連続日本一の栄冠をつかんだ。
 「センターの完成によって、報恩の一念が強まりました」と語るのは、創価ルネサンスバンガードの秋山賢一さん。開館の翌年、都外から同センター近くに転居し、自宅を広布の会場に。遠方から練習に参加するメンバーと語り合い、共に音楽隊の使命を確認しながら練習に励んできた。
 昨年、勤めていた会社が閉鎖。だが池田先生や音楽隊の仲間の励ましを支えに“必ず意味がある”と真剣に祈り、以前より好条件の会社に再就職することができた。“どんな困難にも負けない”“師匠に勝利をお届けし続ける”――報恩の決意も固く、秋山さんは大切な仲間と共に、さらなる“バンガードの常勝史”をつづろうと、挑戦を重ねている。
 創価グランエスペランサに所属する高校2年の坂巻愛朱さんは、同センター誕生と時を同じくして鼓笛隊に入隊した一人。先生ご夫妻への感謝を片時も忘れたことはない。
 本年6月の関東大会では、チーム全員で唱題目標を掲げて練習に励んだ。また、坂巻さんは“広宣流布のための鼓笛隊”との師の指針を胸に、同級生を大会に招待。感動した友人は「全国大会も必ず行くから」と興奮した様子で約束してくれたという。坂巻さんは今、チームを引っ張る存在になりたいと、来年の全国大会を目指して信心根本に日々の練習に汗を流す。
 同センターは人材育成の一大拠点であるとともに、世界の同志との交流、近隣友好の場ともなっている。これまでブラジルや韓国、欧州の青年らが研修会で来日した際には、歓迎の意義を込め、音楽隊・鼓笛隊が交流コンサートを行ってきた。
 また地域の方々への日頃の感謝を込めて、コンサートや見学会を開催。参加した近隣の友からは「演奏を聴いて創価学会のイメージが一変した」「青年を育む学会はとても素晴らしいと感じた」等の声が寄せられている。
 音楽隊・鼓笛隊はこれからも、“人間錬磨のセンター”から地域へ社会へ、平和と友情の調べを奏で続ける。


◆苦闘を突き抜け栄光の峰へ! 新潟で原田会長が出席し壮年・男子部大会 「県婦人部の日」記念の集いも

新潟の丈夫は異体同心で勝つ!――新たな歴史を開く大闘争を深く決意した総新潟の壮年部、男子部の友(新潟池田文化会館で)

 「勇気」を旗印に栄光の峰へ進む総新潟の壮年・男子部大会が11日、原田会長が出席して新潟市の新潟池田文化会館で開かれた。
 「さあ、出発しよう! 悪戦苦闘をつき抜けて! 決められた決勝点は取り消すことができないのだ」(富田砕花訳)――詩人ホイットマンの言葉は、池田先生がかつて、信越の青年に贈った永遠の指針である。
 本年は新潟広布65周年。その“前半戦の決勝点”へ、大会では、勝利の決定打を放つ“男の戦い”を皆で固く決意した。
 本多副会長のあいさつの後、社会に正義の声を広げる山本昌之さん、井口伸作さん、吉野茂さんが活動報告。
 奥井総新潟男子部長が、男子部結成記念日のこの日から破邪顕正の大攻勢をと訴えた。
 佐藤総新潟長は「人と会うことが広宣流布」と決め、会う人全てを味方に変えゆく対話に挑もうと力説した。
 原田会長は、我らの立正安国の戦いは、社会に安定をつくり、庶民が勝ち栄え、日本と世界の未来を開く壮大な戦いであると強調。「師匠が師子ならば弟子の我らも師子である」との心意気で、新潟に圧倒的な師弟勝利の金字塔を築こうと呼び掛けた。
 一方、総新潟婦人部は11日ときょう12日、7・15「県婦人部の日」記念の集いを各地で開催。新発田圏の大会は11日、新発田文化会館で行われ、杉本総合婦人部長が激励した。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈広布史アルバム〉⑦完 東京  正義の言論が本陣の魂

総東京創価青年大会を目前に控えた2014年(平成26年)7月12日、池田先生が会場の両国国技館をカメラに収めた。左は世界一のタワー・東京スカイツリー






総東京創価青年大会を目前に控えた2014年(平成26年)7月12日、池田先生
が会場の両国国技館をカメラに収めた。左は世界一のタワー・東京スカイツリー

 1957年(昭和32年)7月12日。降りしきる雨をものともせず、東京・台東区の蔵前国技館(当時)の場内外に、4万人の同志が詰め掛けた。
 同年7月3日、池田先生が事実無根の容疑で、不当逮捕された。この権力の横暴を糾弾し、正義の怒りを燃え上がらせたのが「東京大会」である。
 池田先生は随筆に、「東京大会」の精神をつづっている。
  
 「東京大会」において、戸田先生は、四万の同志と膝詰めの対話をするかのように、率直な「質問会」を行われた。学会本部の対応は生ぬるいと、訴える人もいた。先生は、理不尽な国家権力の迫害と戦う、深く強い心境を激しく言い放った。
 「会長になった時から、この体は捨てるつもりでいるんだから何も怖くない」「おめおめと、負けてたまるものか!」
  
 御本仏・大聖人が御入滅されたのは、不思議にも、ここ東京であられた。その東京が、令法久住の大攻防戦の主戦場となりゆくことは、仏法の眼から見れば、必然と言わざるをえないだろう。
 「強盛に歯をくいしばって、たゆむ心があってはならない。例えば、日蓮が、幕府の権力者・平左衛門尉の所で、堂々と打ち振る舞い、言い切ったごとく、少しも恐れる心があってはならない」(御書1084ページ、通解)
 これは、苦境に苦境が重なりゆくような、東京の法戦の先達たる池上兄弟への御聖訓である。
 いつ、いかなる時も、真っ向から勇敢に戦う。これぞ、広布の本陣・大東京の魂だ。
  
 炎の原点の七月。
 久遠より願い求めて使命深き本陣に集った、わが敬愛する三世の同志よ! まず自分自身が、常勝の人間であってくれ給え!
 そして連戦また連勝の快進撃で、二十一世紀の常勝人脈を、断固として、わが大東京から、勝ち広げゆくことを誓いたい。
  
 きょう「7・12」は、「総東京婦人部 幸福・勝利の日」「総東京青年部の日」。池田先生が贈った「正義の東京大会顕彰の碑」(台東区の東京上野平和講堂)の碑文に、本陣・東京の責務と使命が刻まれている。
  
 「万年の創価の勝利を決せんは 本陣・東京の責務なり」
 「師弟凱歌の旭日を元初の朝に示さんは 本陣・東京の使命なり」

◆信仰体験  左足のまひ 勤務先の倒産を越え独立  諦めの心に勝つ!

 【北海道砂川すなかわ市】設立から16年を迎える「オーハシ総合設備株式会社」。住宅、オフィス、店舗等での空調機やボイラー設置といった管工事、さらに上下水道の施設工事も手掛ける。顧客からは「職人さんの仕事が丁寧で親切」と定評。大橋俊彦としひこさん(59)=北砂川支部、副本部長=が13人の従業員と共に信頼を重ねてきた。左足まひのハンディ、勤務先の倒産――悲しみや不安に押しつぶされそうな時こそ、信仰の確信を深める時と決め、道を切り開いてきた。

変わりたい
 5年前、市内の別の場所から会社を移転した。国道12号に面した好立地に、同業では珍しい備品保管に適した倉庫も。維持費は掛かるが、「どんな依頼にも素早く対応できるように」と語るところに、大橋さんの責任感がにじみ出る。
 道南地域の出身。障がい者の職業能力開発校で学ぶため、20歳で砂川に来た。「早いもので40年。愚痴ばかりこぼしていた自分が、地域に根を張り信頼に応えていけるとは、考えてもみませんでした」
 1歳でポリオと診断された。当時は、国内で年間5000人以上が罹患りかんした大流行のさなか。ウイルスは脊髄の一部に入り込み、左足にまひが残った。
 小学校入学当初は、親元を離れ、函館の病院で過ごした。手術を繰り返し、日中は併設の小学校へ。放課後は痛みを伴う過酷なリハビリに耐えた。
 足を引きずりながらも自力で歩けるようになったのは、小学3年の頃。故郷に戻ると、同級生から心ない悪口を浴びせられた。修学旅行へ行っても、助けを借りないと周りと同じペースで動けない。
 “自分は何の取りえもない、ダメな人間”“どうせダメなんだから、努力しても意味はない”――いつしかそう考えるようになっていた。高校卒業後、函館で就職するも、上司から叱られるたびに職を転々。砂川に移り、職業能力開発校で学び始めた。
 そんな1979年(昭和54年)のある日。札幌に住む弟が訪ねてきた。「この信心はすごいよ」という。
 郷里の漁師町では悪友とつるみ、荒れた青春を送った弟。その変わりように衝撃を受けた。働きづめで自分を育ててくれた母が始めた信仰でもある。
 “こんな自分でも変わることができるなら”。御本尊を安置し、祈り始めた。

信頼と試練
 自身の傾向は、すぐには変わらなかった。
 開発校で建築を学んだ後、ガラス会社、工務店、3度目の正直で設備会社に。施工現場の管理業務に就く。だが待遇にまたも不満が。“辞めてしまおうか”と考えていた矢先、信頼する男子部の先輩から言われた。「君は、障がいに甘えているんじゃないのか」
 ハッとした。“悔しいがその通りだ。俺は障がいを言い訳にしている”
 資格試験へ挑戦を始めた。中学の教科書から学び直し、毎朝午前3時に起床して唱題と勉強を。管工事施工管理技士、消防設備士、土木施工管理技士、そして2級建築士の資格も取得した。
 当初は“不自由な体で大丈夫か”と心配していた現場の職人たちも、信頼を寄せてくれるように。会社でも「彼に任せておけば大丈夫」と一目置かれる存在となった――。
 入社から20年余り、試練は突然やって来た。
 「大橋君、会社、ダメだわ」。社長に呼ばれたのは、2003年(平成15年)春。すでに銀行からの融資は打ち切られ、「会社を引き受けてくれる同業者もない」という。翌日には、会社の入り口に“破産手続き開始”を知らせる紙が張られた。
 30代の社員たちは何とか再就職先を見つけられた。だが、40代以上の仲間は苦戦した。
 「大橋さんが頭になってくれたら」。そんなふうに言ってくれる職人や、取引先もあった。自身も43歳。4人の子どもたちを抱え、少しも立ち止まることは許されない。
 男子部時代から共に戦った同志たちがすぐに駆け付け、激励してくれた。「信心で道を切り開くんだ」
 家では、夜中まで御本尊に向かう妻・静江しずえさん(56)=支部婦人部長=の姿があった。共に、力強く唱題を重ねた。
 “負けてたまるか”
 倒産から数カ月後、6畳の仮オフィスに机とパソコンを置き、会社設立にこぎ着けた。

受け継ぐ魂
 夫婦が祈る姿を、長男・孝弘たかひろさん(31)=男子部本部長=は印象深く覚えている。母から、父の勤務先が倒産したことを告げられたのは高校生の時。家では仕事の話をしない父だが、憔悴しているのは一目見て分かった。
 そんな父の身にまとう空気が変わってきた。「会社をやることにしたよ」。そう語る瞳は、力強く輝いて見えた。“これが信心の力か”と思った。
 03年に船出した会社には、多くの困難が待ち受けていた。取引先の不渡り。大橋さん自身が施工現場でけがをし、長期の入院を余儀なくされたことも。
 “自分が動けない間に、経営が傾いたら”
 病室から小声で唱える題目にも、おのずと力がこもる。本紙に掲載される池田先生の指導を熟読した。
 「しかめっ面は、傲慢の表れ。不機嫌は、怠け者の証拠である。深刻な表情は、臆病者の印だ」
 「年齢ではない。環境でもない。心である。人生は、心ひとつで、いつでも、どこでも、最高に輝かせることができる」
 一言一句が、「胸のど真ん中に」染みこんでいくようだった。
 設立10年を経た頃から、信用が積まれている手応えを感じてきた。大学を卒業し、会社に加わった孝弘さんも、専務を担うまでに成長してくれた。
 同業他社からうらやましがられるのも、後継者の存在だ。人口減少と高齢化が進む地域にあって、「仕事があっても人が足りない」状況が生まれている。
 現在は市の身体障害者福祉協会会長を務め、ロータリークラブでも役務を担う。「業界にも地域にも、貢献できる人材でありたい」。孝弘さんも青年会議所に所属する。
 親子で酒を酌み交わす時など、語り合う話題も増えてきた。ある時、孝弘さんが「人一倍苦労した」父の歩みに尊敬を口にすると、大橋さんはこう応えた。
 「今、おまえが向かっているものに対して、逃げないで、苦労をしていくことが大事なんだ」
 時代は変わっても、その挑戦の魂は、脈々と受け継がれてゆく。

 

2019年7月11日 (木)

2019年7月11日(木)の聖教

2019年7月11日(木)の聖教

◆わが友に贈る

大関東よ創価の柱たれ!
〝もう一歩〟の勇気こそ
最後に勝つ鍵だ。
「今生人界の思出」を
共々に築きゆこう!

◆名字の言

レスリング女子57キロ級の世界選手権代表を懸けた決戦は白熱した。五輪4連覇中の伊調馨選手と63キロ級でリオ五輪を制した川井梨紗子選手の女王対決である。両者共に“大事なのは気持ち”と明言していた▼試合は互いに譲らず、残り時間は1分に。伊調選手がタックルを仕掛け、川井選手は右足を取られたが、しぶとく耐えた。そして一瞬の隙を突いた返し技で2点を奪い、世界への“天王山”を制した。川井選手は「気持ちで負けず、勇気をもって攻め込んだ」と。一方で伊調選手は「梨紗子が強かった」と認めた▼“天王山”といえば、その由来は豊臣秀吉と明智光秀が争った「山崎の合戦」にある。水陸交通の要地であった京都の天王山を先に取れるかが勝敗を決めたといい、以後、「勝負の分かれ目」を意味する語となった▼池田先生は“戸田大学”で、この戦の本質を学んだ。先生は秀吉の勝因を「絶対に天王山を取ってみせる」という「勢い」「執念」が違ったと示唆する。そして「戦いは『勢い』がある方が勝つ。最後の最後まで『執念』を燃やした方が勝つ。それが恩師の人生哲学であった」と▼7月は“創価勝利の年”の一年の折り返し。前半の決勝点へ、“ここが天王山”と定め、執念を燃やし続ける中で栄光の道は開かれる。(差)

◆寸鉄

   男子部結成の日。真剣な
 一人に同志は続く。君よ
 広布の責任担う後継たれ
      ◇
 誉れの東京よ炎となり壁
 破れ!完勝こそ我らの使
 命。新時代の凱歌を再び
      ◇
 大阪が激戦突破へ猛攻。
 執念の師子吼で歴史を開
 け!大勝旗を常勝の空に
      ◇
 誓願の北陸の友が奮闘。
 今こそ爆発的な拡大を!
 勝利の暁鐘を打ち鳴らせ
      ◇
 高齢者入浴中の事故、8
 割超が熱中症と。高温、長
 時間の全身浴には要注意

◆社説 きょう「男子部結成記念日」  「一人立つ」精神を継ぐ弟子に

 きょうは「男子部結成記念日」。1951年(昭和26年)7月11日、男子部結成式が東京・西神田の学会本部(当時)で行われ、戸田先生は万感の期待を込めて訴えた。
 「つねに青年が時代を動かし、新しい時代を創っているのです。どうか、諸君の手で、この尊い大使命を必ず達成していただきたい」
 この師の心を誰よりも深く胸に刻み、後継の志をもって立ったのが、当時、男子部の班長を務めていた23歳の池田先生だった。先生が蒲田の支部幹事として“拡大の新記録”を打ち立てたのは24歳の時。「“まさか”が実現」した大阪の戦いの陣頭指揮を執ったのは28歳。第3代会長として世界広布の旅を開始したのが32歳。いかなる戦いに臨んでも、民衆の中に飛び込み、徹底して友を励まし、破邪顕正の声を上げ、勝利の突破口を開き続けた――先生の闘争は全て、“広布を頼む”との恩師の信頼に応えるためであった。
 師の構想は弟子の激闘によって実現する。若き日の池田先生の闘争の継承こそ、男子部の使命である。それは、「一人立つ」という学会精神、なかんずく「師弟不二の心」の継承にほかならない。
 今、男子部大学校生をはじめ、各地で新しい人材が陸続と誕生している。
 神奈川のある大学校2期生は、41歳の大工。自身の20~30代を振り返り、成長できていないことを猛省し、大学校に入校した。直後、妻が10万人に1人といわれるがんに。しかし、全て自分の祈りと行動で変毒為薬してみせると決意。かつてないほど唱題し、手術の大成功を勝ち取ることができた。
 感謝の思いで、学会理解を広げる対話にも挑戦。仕事でも信頼の実証を示し、経済的にも大きく飛躍した。「広布拡大の戦いで報恩を!」と誓いの道を力強く歩む。
 池田先生はつづっている。
 「『一人立つ』勇者がいれば、そこから必ず状況は変えられる。『真剣な一人』『必死の一人』から、勝利の突破口は開かれるのだ」
 経済苦、病気、人間関係の悩み……さまざまな現実と向き合う男子部の友。創価の勝利は、自身の勝利からだ。その勝利を開くためには、「自らの戦いで、この勝負を決する」との、強き誓願の祈りと、執念の二字が肝要である。
 さあ、「一人立つ」青年の勇気の対話で、「師弟の月・7月」を歴史に残る勝利劇で飾りゆこう!

◆きょうの発心 何があっても負けない青春を 2019年7月11日

御文 末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり(諸法実相抄、1360ページ・編549ページ)
通解 末法において妙法蓮華経の五字を弘める者は、男女は問わない。皆、地涌の菩薩の出現でなければ、唱えることのできない題目なのである。

 地涌の菩薩の自覚について仰せです。1991年(平成3年)11月26日、横浜池田講堂を初訪問された池田先生は、未来部の私たちに「創価大学にいらっしゃい」と温かく励ましてくださいました。

 先生の激励を胸に、創価大学を受験し合格。家庭の経済苦の中でしたが、両親は喜んで私の背中を押してくれました。卒業後は、営業事務の仕事と学会活動との両立に悩み、悪戦苦闘。先輩方の支えもあって、“広宣流布のお役に立てる人材に”と自身の使命を定めて挑戦を続けました。
 2年前には父のがんが再発しましたが、同志の皆さまの題目に包まれ、病魔に打ち勝ち、家族全員でさらなる信心の確信をつかむことができました。
 先生が「正義」「共戦」と揮毫されてから40年の本年、御書根本にスクラムを広げる東海道女子部には、後継の人材群が光っています。7・19「女子部結成記念日」
へ、師匠との誓いのままに、何があっても負けない青春を歩み、使命の天地で勝利してまいります。  東海道女子部主任部長 木村久仁子


【先生のメッセージ】

◆〈御書と歩む――池田先生が贈る指針Ⅱ〉79  後世に仰がれる歴史を

御文 今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり、此れこそ宇治川を渡せし所よ・是こそ勢多を渡せし所よ・名を揚るか名をくだすかなり (弥三郎殿御返事、1451ページ)
通解 自分が今まで生きながらえてきたのは、このこと(法華経ゆえの難)に遭うためである。今この時こそ(戦いの要衝として有名な)宇治川を渡す所だ、今この時こそ勢多川を渡す所だと思いなさい。名を上げるか、名を下すかの勝負所である。

同志への指針
 関西はじめ共戦の友は、この覚悟で使命の大闘争に臨んでいる。だから負けない。
 「今ここ」が勝負所と定めて祈り抜き、仏菩薩も梵天・帝釈も、わが生命に入其身させるのだ。そこから激流を勝ち越える力と智慧が漲る。
 恩師は「広宣流布の闘士として末代にまで名を残せ」と叫ばれた。悔いなく戦い切って、不滅の栄光と大福運を勝ち開こう!


【聖教ニュース】

◆世界の友が7・11「男子部結成記念日」を祝賀  若人の師子吼で未来を開け 

我らの師子吼で創価の勝利を開く!――限界突破の拡大を誓う男子部の友(左上から時計回りに埼玉、兵庫、神奈川、愛知、福岡の友)




我らの師子吼で創価の勝利を開く!――限界突破の拡大を誓う男子部の友(左上から時計回りに埼玉、兵庫、神奈川、愛知、福岡の友)

 世界の友が“青年の月”を驀進! きょう、7・11「男子部結成記念日」を迎えた。
 1951年7月11日、旧学会本部での男子部結成の折、戸田先生は語った。「広宣流布は、私の絶対にやり遂げねばならぬ使命であり、各自に、その尊い地位を自覚してもらいたい」
 その場に集った池田大作先生も、男子部の最前線で戦う一人だった。恩師の師子吼を五体に刻んだ先生は、後にこうつづった。
 「青年が師匠と同じ責任を分かち合うのだ。青年が師の心を我が心とし、率先して遠大なる未来の道を開きゆくのだ」「仏法の『誓願』とは、競い起こる障魔を覚悟の上で、師匠と不二の勇気に奮い立つことである」
 先生は師の名代となって、一人立った。そして、全ての障魔を打ち払い、広布の歴史に輝く拡大の金字塔を打ち立てていったのだ。
 師の心をわが心として活路を開く。師弟勝利の証しを示す――これが男子部の誉れの使命である。
 広布新時代の男子部は、結成の日を中心に各地で決意の集いを開催。勝利の決定打を放つ拡大に打って出る。
 「鉄は炎打てば剣となる」(御書958ページ)との仰せのままに、一人一人が「破邪顕正」の剣を高く掲げ、広布の言論戦に挑みゆく。
 先般、池田先生は男子部にメッセージを寄せた。男子部として、「今、戦わずして、戦う時はない」と。
 そして、友に強く呼び掛けた。「若き師子王たる君たちは、今こそ、勇気凜々と師子吼してくれ給え!」「不二の山本伸一となって勝ちまくれ!」
 志賀男子部長は語る。「“悪戦苦闘を突き抜けて、仏縁を結んだ友が、地涌の宝の眷属になる。立正安国の外交戦を貫くことで、一生の栄光の地盤を築くことができる。強敵に打ち勝つことが、本末究竟して等しく、未来の勝利を開く”――この先生の指導を胸に師恩に報いる弟子の勝利で、創価の正義を満天下に示そうではありませんか!」
アルゼンチン オスピタレチェ男子部長
 アルゼンチンの同志は今、池田先生の訪問30周年の2023年を目指して、弘教拡大に取り組んでいます。男子部としても、この7月の勝利を目標達成の起爆剤にすべく、かつてない折伏に挑戦。一人でも多くの友が陣列に加わり、師との原点を築けるよう、私も訪問・激励に駆け巡る毎日です。
 広宣流布は、生命尊厳の仏法哲理を社会の隅々に広げていく戦いです。アルゼンチンでは、“平和を語ろう!”と名付けた運動をスタート。人権文化の確立など、池田先生が平和提言で言及されたテーマについて学ぶ行事を全土で行っています。
 男子部は、小説『新・人間革命』「誓願」の章を読み深めてきました。「『創価の三代の師弟の魂』を、断じて受け継いでいってもらいたい」との先生の期待に必ず応え、広布の新時代を開きます。
イギリス ハクスレー男子部長
 池田先生の欧州初訪問60周年の2021年10月へ、一対一の激励とともに、小説『新・人間革命』の研さん運動に力を注いでいます。
 特に、先生のイギリス初訪問の模様が描かれた「開道」の章を皆で学習。広布の道なき道を開かれた師の姿をかがみとして、対話拡大に奔走しています。
 昨年には新入会の友が次々と誕生。また、多くの友が創価班での薫陶を受け、陸続と立ち上がっています。
 イギリスでは今、EUからの離脱を巡り、不透明な明日への不安が渦巻いています。分断の風潮が強まる今こそ、欧州各国の友と心を一つにして、人間共和の連帯を一段と広げていきます。
 これからも一人一人が創価勝利の実証を示し、一人立つ本物の弟子の陣列を拡大していくため、悩める友に寄り添ってまいります。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈ふるさとを照らす誉れの長者〉 地域部

笹原光政さん㊥が、地域部で奮闘する菅藤ひろみさん㊨、笹原ふじ子さんと尾花沢の未来を語り合う

 本年、結成45周年を迎える地域部の友。池田先生が示した「地域の安穏と繁栄を祈ろう!」「礼儀正しく 良識豊かに!」「励まし合い 助け合う連帯を!」との「近隣友好の3つの心がけ」を実践し、列島の津々浦々で友情信頼の連帯を広げる。ここでは、師の期待に応えようと奮闘する模範の同志を紹介する。

◆〈いまを歩む〉 東日本大震災から8年4カ月 地域の担い手「総集編」

福島・南相馬市小高区で行われた第1回福光座談会(2017年2月)。東京電力福島第一原発事故の避難指示が解除され、約6年ぶりの座談会となった




福島・南相馬市小高区で行われた第1回福光座談会(2017年2月)。東京電力福島第一原発事故の避難指示が解除され、約6年ぶりの座談会となった

東日本大震災から8年4カ月。本紙では、毎月11日を中心に、被災地で生きる友の「今」を伝えている。この4月から6月までは「地域の担い手」をテーマに、「宮城の新出発の友」「岩手の復興に尽くす友」「福島の県外からの移住者」を掲載してきた。今月はその総集編として、芥川賞作家で被災地に寄り添い続ける柳美里さんにインタビュー。取材した代表4人をダイジェストで紹介する。

識者インタビュー 小説家・劇作家 柳美里さん
 私は両親の離婚やいじめ、高校中退などを経験し、「居場所」を探し求めて生きてきました。18歳で文章を書き始めて以来、今日まで「何のために書いてきたのか」と問われれば、答えは一つ、「居場所のない人のため」です。
 東日本大震災・原発事故が発生し、居ても立ってもいられず、宮城、岩手、福島の被災地に向かいました。
 突然、愛する人を亡くした悲しみ。住み慣れた場所を離れなくてはならない苦しみ――「居場所」を失った方々に寄り添いたいという一心でした。
 私は一部のマスコミの震災報道に胸を痛めました。他人の家に土足で上がり込むような取材が横行し、心ない言葉が発信されていたからです。
 世の中には、決して消費してはならないものがあると思います。
 それは、人の痛みであり、苦しみです。
 私は、作家としてではなく、一人の人間として、それに向き合いたいと思いました。
 震災の翌年から約6年間、臨時災害放送局「南相馬ひばりFM」の番組で、パーソナリティーを担当しました(2012年3月から18年3月まで)。
 そこでは、被災された約600人の方々に直接会ってお話を伺いました。
 この間、私はいつも“皆さんの痛みや苦しみに本当に向き合えているのか”を、自問自答してきました。
 皆さんの苦楽は日常生活の中にあります。同じ経験はできなくても、少しでも分かち合いたい。そう思えば思うほど、私自身、よその場所から南相馬に“通っている”ことに違和感を覚えました。
 そして15年4月、家族で神奈川の鎌倉から南相馬に転居する道を選びました。以来、一住民として“何ができるだろうか”と考えました。
 人は孤独に苛まれると、“生きることに意味があるのか”“誰の役にも立っていないのではないか”と思ってしまいがちです。
 かつての私もそうでした。人生は、一人で歩んでいるように見えますが、他者との関わりなくして生きてはいけません。
 その意味で、創価学会の座談会は、被災地において重要な役割があると思います。
 顔と顔を合わせ、互いの声に親身に耳を傾ける。悩んでいる人に対し、“あなたの悩みを私も引き受けるよ”というレスポンス(反応)がある。
 そこは、多くの方々にとって、かけがえのない「居場所」でしょう。
 私も昨年4月に小さな書店「フルハウス」を開店しました。コミュニティースペースも併設しています。住民同士の“語らいの場”になるような「居場所」をつくりたかったからです。
 「居場所」を与えてくれた方々がいたから、今の私があります。だからこそ、今いる場所で「居場所」をつくり続ける。これが、私の人生のテーマです。
 ゆう・みり 1968年生まれ。97年『家族シネマ』で第116回芥川賞を受賞。著書多数。近著に『春の消息』(第三文明社)、『沈黙の作法』(河出書房新社)など。2018年4月から南相馬市小高区で本屋「フルハウス」を運営している(https://odaka-fullhouse.jp/)。

福島 復興に尽くす土木技術者
 土木技術者の小野良博さん(副県長)は“第三の人生”を模索していた4年前、知人から福島の復興工事を紹介される。「最後は大変な地域で、大変な人の役に立ちたい」。師から学んだ学会精神を燃やし、北海道から南相馬市へ移り住んだ。
 最初の現場で監理技術者を任され、現在は海岸防災林の造成工事に従事する。ある現場には震災前、約160世帯の住宅があった。その跡地に立ち、思った。“ここに生活があったことを忘れてはいけない”と。
 仕事は当初、3年の予定だった。だが会社から「残ってほしい」と請われ、胸の中にある思いが膨らんでいく。“生きているうちは、ここで使命を果たしていきたい”
 昨年8月、北海道の家族を呼び寄せ、新たな歩みを始めている。(6月9日付)

岩手 交流施設の管理人   
 甚大な津波被害に見舞われた岩手・大船渡市。紀室拓雄さん(副支部長)は、古民家を改築した市内の市民交流施設「居場所ハウス」で管理人を務める。
 6年前のオープン当初は、口の重い利用者が少なくなかったが、今は談笑が絶えない。仮設住宅で知り合った人々が、移り住んだ先から集う交流の場にもなっている。
 毎月、イベントは盛りだくさん。スタッフの皆で企画を考え、充実させてきた。最近は、鍵を開ける前から入り口で待っている人もいるという。
 「先日、『おら、ここまで水に漬かったんだ』と和やかに話している人がいました。心のゆとりが出てきたのかなと、うれしく思います」
 利用者の心が少しでも軽くなる“居場所”作りに、これからも励む。
 (5月11日付)

宮城 新出発した若者たち  
 今春、宮城・東松島市から首都圏の大学に進学した菅原華さんには、大切にしているものがある。
 小学生の時に文房具店で、親友と一緒に購入した、おそろいの消しゴムだ。
 その親友は、あの日、巨大津波の犠牲になった。訃報を聞いた時は実感が湧かなかった。
 そんな菅原さんを励ましたのが、消しゴムだった。「“引きずらないでね”と声を掛けてくれているように感じました」
 今も親友を思い浮かべて御本尊に向かう。“彼女の分まで学び、東松島に貢献を”と決意する。
 仙台市泉区の芳賀健一郎さんは、市内の大学の医学部で学ぶ。
 医師を目指す契機になったのは震災だった。大好きな祖母を津波で亡くし、“命を守る医師になる”と誓った。
 しかし、医学部のハードルは高く、2浪するも不合格。
 それでも家族や親戚、学会の同志が背中を押し続けてくれた。そして母と共に祈り、猛勉強を重ね、晴れて合格を果たした。今後も、医師を志した原点に立ち返りながら、「地域医療」に貢献できるよう努力を重ねていく。
 (4月11日付)

取材後記――「同苦の心」で生きる
 震災から8年に当たり公表された「東日本大震災に関する調査」によると、被災地では「地域の担い手」育成の課題が、浮き彫りになった。
 そこで、本紙では「地域の担い手」をテーマに、「宮城の新出発の友」「岩手の復興に尽くす友」「福島の県外からの移住者」を取材した。
 それぞれが、置かれている状況はさまざまであったが、一つの共通点が見えた。それは“他者”を思い、祈り、今を懸命に生きていること。
 ダイジェストで紹介した人以外からも、それを強く感じた。
 Uターン就職し、地域医療の道へと進んだ看護師。柔道整復師となり、患者に寄り添う友。
 舞踊の慰問活動を通じて、励ましを送り続ける婦人。震災で支えを失った親子を支援するグループを立ち上げた女性。
 施設の一人一人に尽くす北海道出身の介護福祉士。森林官として福島に赴任し、緑を守る青年。
 芥川賞作家の柳美里さんは語っていた。「皆さんの苦楽は日常生活の中にあります。同じ経験はできなくても、少しでも分かち合いたい」と。
 仏法では「同苦」の姿勢を説く。自分の心の中に“他者”を置き、その相手を理解する努力と行動を教えている。池田先生はつづっている。
 「『同苦』の祈りが、友の希望となり、勇気となることを忘れまい」
 担い手の育成は、人口減少社会にあって被災地だけの課題ではない。どの地域の発展にも、その存在は不可欠である。
 「同苦の心」こそが、「地域の担い手」としての使命を強く深くする――今回の取材の中で、改めて学んだ。

◆〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉53 今こそ「黄金柱」壮年部が総立ち! 日蓮仏法は「絶対勝利の信心」 公明が着実な賃上げを実現

〈出席者〉
原田会長
長谷川理事長
永石婦人部長
竹岡青年部長
大串女子部長

わが誓いを、王者の風格で堂々と果たしきろう!――はつらつと、若々しく前進する壮年部の友。誠実の対話で、周囲を味方にする姿が地域広布の模範と輝く

 永石 今、全国の創価家族が勇んで対話拡大を進め、地域に信頼の輪、友情の輪を広げています。

 長谷川 とりわけ、「広布の黄金柱」壮年部が生き生きと活躍している地域は勢いが断然、違います。

 原田 池田先生は「一家においても、職場においても、地域においても、重鎮である壮年世代に覇気が横溢していることが、発展と勝利の要件だ。壮年部が健在であってこそ、婦人部も、男女青年部も、安心して戦える」と指導されている通りです。

 長谷川 いざという時の、壮年の勇気の声、確信の声が、どれほど周囲の人々を力付けるか。

 永石 日蓮大聖人は流罪の地である佐渡で「悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し」(御書957ページ)と認められました。

 原田 深く心に刻んでまいりたい。いかなる逆境にあっても、何ものをも恐れずに戦い抜くことです。

 長谷川 池田先生はかつて、壮年部に対して「師の叫びを不二の盟友に贈りたい。『広宣流布のために、“男の生きざまとはこうだ!”というものを、この世に残そうじゃないか!』」と、戸田先生の言葉を引かれて、励まされました。

 原田 今こそ、歴戦の闘士である壮年部が立ち上がり、わが地域の勝利の決定打を放っていきたい。その戦いが、自身の人生を飾る黄金の歴史となっていくのです。

 竹岡 どの地に行っても、厳しい現実社会の中で、信心根本に実証を示す壮年部の皆さんの姿があります。男子部も、師弟共戦の心で、さらなる拡大に駆けてまいります。

 長谷川 「創価学会永遠の五指針」の中の「絶対勝利の信心」の要諦について、池田先生は「正義の陣営が異体同心の団結で臨めば、最後には絶対に勝てるのです」と強調されています。

 原田 先生が教えてくださった通り、強盛な祈りと異体同心のスクラムで戦い、新時代の民衆勝利の歴史を築いていきたい。 

政策や実績を語る
 永石 参院選の公示から1週間、今週末からは3連休になりますね。期日前投票も進んでいます。

 大串 前回の参院選の調査によれば、有権者が投票先を決める時期で最も多いのは、選挙区では、公示日を除く「選挙期間中」が46・3%、また「投票日当日」は9・6%でした。

 永石 つまり、多くの人が投票先を「これから決める」ということですね。

 竹岡 公明党の議員は、最後の最後まで、社会保障の拡充や防災・減災対策の推進など、政策や実績を語り、有権者に響く訴えを続けてもらいたい。

野党は“選挙目的”
 大串 自公連立政権が2012年12月に再発足してからの6年半で、着実な経済政策が実を結び、国民生活に直結する各種の経済指標が好転しています。

 竹岡 就業者数は384万人増加。正規雇用者数は131万人増え、求職者1人当たりの求人数である有効求人倍率は全都道府県で1倍を超えました。

 大串 企業収益も過去最高の83・6兆円。そのうち3割が中小企業です。

 原田 今後も安定した政権運営を通し、公明党には、景気回復の実感が地域、家庭に行き渡る政治へ総力を挙げてもらいたい。

 長谷川 経済政策で、公明党が特に力を入れているのが、着実な「賃上げ」の実現です。中でも、中小・小規模事業者が賃上げできるよう手を尽くしています。

 竹岡 例えば、設備投資を支援する「ものづくり補助金」の制度の恒久化や、後継者不足を解消するため、相続時の税負担をゼロにする「事業承継税制」も拡充しました。

 大串 また、大企業が下請け企業に代金値引きなどを不当に迫る“下請けいじめ”の根絶へ、対策を強化しています。

 長谷川 これらの環境整備の先に賃上げの実現がありますね。中小企業が賃上げに踏み切るのは簡単なことではないからです。

 竹岡 一方、一部の野党が、最低賃金引き上げについて「1500円をめざす」などという目標を掲げていますが、経済政策としての合理性に欠けており、“選挙受け”が目的と言わざるを得ません。急激なアップは中小企業の経営を圧迫します。例えば昨年、最低賃金を一気に16・4%上げた韓国では中小・零細業者が人件費負担に耐えきれず、従業員の解雇が増加。若年層の失業率が11・6%にも急上昇してしまいました。

 原田 自公政権のもと企業所得が着実に伸び、この3年で毎年3%の最低賃金引き上げが続いています。

 大串 生活困窮者を支援するNPO法人「ほっとプラス」代表理事で、ベストセラー『下流老人』などの著者・藤田孝典氏は、賃上げの背景に公明党の努力があることを指摘し「与党といえば、経済界などに配慮した政策を打ち出しがちななかで、労働者に寄り添う姿勢を明確にしている点は、やはり“大衆の党”であると感じます」(月刊誌「第三文明」8月号)と述べています。

 永石 東京大学名誉教授で、政治学者の御厨貴氏も「苦しい生活を送る人々に目を向け、地べたを這いつくばるように寄り添う。自民党との連立政権に参画してから20年間、公明党は生活者のためのきめ細かい政治に取り組んできた。その努力がまさにいま花開いている」(月刊誌「潮」7月号)と語っています。

 原田 活力のある日本社会をめざして、「生活者優先」の視点をもつ公明党には断固として参院選を勝ち抜いてもらいたい。

◆〈信仰体験〉 小細胞肺がんに挑む音楽隊の副楽団長  響け、俺の負けじ魂! 

佐藤さんは「病が家族の絆を強くしてくれました」と(左から次女・美春ちゃん、佐藤さん、長男・武君、妻・寿子さん、長女・千春さん)

 【千葉県柏市】2017年(平成29年)秋、佐藤光一さん(37)=南増尾支部、県男子部書記長=は昼夜を問わず、せき込むことが続いていた。病院で処方された風邪薬を飲んでも治らない。年が明けた1月、友人を創価学会への入会に導いた後、別の病院を受診すると「小細胞肺がん」と診断される。右肺下葉部にある腫瘍は7ミリ。早期発見だったが、医師は告げる。「転移する可能性が高いがんです。肺に負担をかけることは控えてください」

命か演奏か…
 病名を3度、聞き返した。
 小細胞肺がんは、手術可能な早期に発見できることは少なく、発見時には転移していることが多い。
 佐藤さんの場合、腫瘍が小さく転移が見られないことから、抗がん剤治療か切除手術のどちらかだという。早期に見つかったこと自体、「守られた」と思う。しかし、肺を傷つけたくはなかった。
 「トロンボーンを吹いています。近々、コンサートが……」
 医師は言った。「極力避けてください」。頭の中が真っ白になった。
 高校は吹奏楽部の名門校。同校を日本一に何度も導いた指揮者・塩谷晋平しんぺい氏に師事した。
 2000年、18歳の時に音楽隊の創価グロリア吹奏楽団に入隊。青春の全てを注ぎ込んだ。ムードメーカーとして場を盛り上げる一方、音楽に対する姿勢は厳格。副楽団長を務める“精神的支柱”だった。
 “音楽隊は、俺の人生そのもの。でも、演奏すれば、肺に負担がかかってしまう。そのことで、がんが進行したら……”
 不安で押しつぶされそうになる。一人、涙を拭い、妻の寿子ひさこさん(35)=副白ゆり長=に電話した。「俺、がんだった」
 どんな言葉が返ってきたのか、どうやって帰ったのか、記憶にない。気が付いたら、自宅の御本尊の前に座っていた。声にならない声で唱題した。
 2月上旬から、3週間に1度のペースで、抗がん剤治療が始まった。副作用は想像以上だった。激しい吐き気に襲われ、手足はむくみパンパンに。指先には電流が走るような痛みが四六時中、続いた。
 苦しくて、人に会うのを避けた。焦りや不安を、家族にぶつけては後悔した。“治療をやめたい”。全てを投げ出したくなった。
 そんな時だった。池田先生から書籍とともに「私と共に 今日も共に」との励ましが。ささくれ立った心の雑音が消えていく。“あの日”の光景が思い出された。
 ――2001年5月、池田先生は本部幹部会でのスピーチを終えると、「『威風堂々の歌』を!」と音楽隊に呼び掛けた。弟子の力強い演奏に、師は渾身の指揮を。師と目が合い、涙があふれる。それでも、同志を鼓舞する師弟の妙音を吹き続けた――。
 “俺にとって「生きる」とは、先生の弟子として、今を戦い抜くことだ!”

失われる技術
 目指したのは「音楽隊への復帰」。そして「全国大会での日本一」だった。
 まずは、体力を取り戻すことから始めた。家の周辺を歩く。息はすぐに切れ、何度もふらついた。次女の美春ちゃん(3)が一緒に歩いてくれた。妻の寿子さんは共に祈り、どんな時も笑顔でいてくれた。
 苦楽を共にしてきた男子部の友は、苦しい胸の内を何度も聞いて、「僕も一緒に闘います!」と寄り添ってくれた。
 診断から2カ月後の3月中旬。久しぶりにトロンボーンを構える。ズシンとした。体の一部だった楽器が「初めて重いと感じた」。
 姿勢を正し、いつものように息を吸い込む。苦しい。吹いても「以前の10分の1しか音が出ない」。
 演奏に不可欠なタンギング(舌を使って息を区切り、音の長さや形を整える技術)ができなくなった。
 “技術は、どんどん落ちていく。復帰しても迷惑を掛けるだけだ……”
 答えを求めて、池田先生が音楽隊に贈った指導をむさぼり読んだ。「真摯に向上しゆく青年の楽音は、絶望の闇に震える友を蘇らせる光となり、熱となる」
 “そうだ。「青年の楽音」を奏でるんだ!”
 腫瘍は縮小と増大を繰り返した。心が揺らぐ時こそ、決意を固め直すように友人への仏法対話に挑む。
 「この信心は、『信じてるから何もしなくても大丈夫』というのじゃないんだ。病と向き合い、もがいて、もがいて、それでも祈っていると、『乗り越えてみせる』という勇気が湧いてくる。小さな希望が積み重なって、恐怖や弱さに打ち勝つんだ!」
 4クールの抗がん剤治療を終えた5月。医師は笑顔で言った。「よく頑張りました。腫瘍は消えています。転移もありません」

欠かせない音
 この2018年、創価グロリア吹奏楽団は、「全日本吹奏楽コンクール」の予選・本選を突破し、兵庫県で開催される全国大会(10月)への切符を手にした。
 “間に合った!”。佐藤さんは、3年ぶり12度目の日本一を目指す舞台に立つことができた。
 この日も、手足のむくみと痛みが少しあり、会場の周辺を1時間ほど歩いて、体をほぐした。
 そして、本番。今までの実績も何もかも捨て、トロンボーンを担ぎ魂のステージを。
 “一小節でいい。たった一つの音だっていい。聴く人の勇気に! 希望に!”
 隣で演奏したメンバーが語っている。「闘病中とは思えない力強さ、気迫と覚悟に、こちらまで勇気がみなぎってきて。これが音楽隊の使命だと示してくれました。グロリアにとって、欠かせない音です」
 表彰式。「創価グロリア吹奏楽団、ゴールド、金賞!」と発表された瞬間、ワーッという喝采と拍手が会場を包んだ。思わず熱い涙が込み上げた。
 復帰当初、練習中に何度も失敗した。皆の前では笑っていたが、一人になると、歯を食いしばった。察してくれた友は、「光一さんが欠けちゃ、ダメなんです」と目を真っ赤にしてくれた……。
 涙を拭き、周りを見渡すと、顔をくしゃくしゃにして喜ぶ仲間たちがいた。“みんな、この日を待っていてくれた。俺は、世界一の幸せ者だ!”。今、全てに意味があったと感謝できる。
 翌月、佐藤さんは、医師から「寛解」を告げられた――。
 5年間の経過観察は続いている。常に再発や転移の恐れが頭の中をよぎる。
 「まだ“病を治した歓喜”は、音に込められなくても、“病と闘う魂”を込めることはできる」
 だから、佐藤さんは吹き続ける。「俺の闘う魂、あなたに響け!」と――。

2019年7月10日 (水)

2019年7月10日(水)の聖教

2019年7月10日(水)の聖教

◆わが友に贈る

信念の道歩東北よ
さあ本領発揮の時だ!
破邪顕正の言論鋭く
みちのくの負けじ魂で
広布前進の総仕上げを!

◆名字の言

ハンセン病患者のために生涯をささげた精神科医・神谷美恵子さんが書いている。「生きるのに努力を要する時間、生きるのが苦しい時間のほうがかえって生存充実感を強める」と(『生きがいについて』みすず書房)▼約30年間、取材に携わってきた筆者にも、同様の実感がある。記者として、一人の人間として、いつも命を揺さぶられるのは、友の赤裸々な信仰体験だ。絶体絶命の難局を、劇的に勝ち越えた人は数え切れない。多くの人が、苦闘の日々をこう述懐する。「必死だったあの時が、一番充実していた」「自分の境涯が開けた」▼真珠は“痛める貝”に宿るという。身の内に異物が入ると、貝はその痛みを和らげようとするかのように、異物を包み込む成分を分泌する。それが幾重もの膜になり、あの美しい真珠ができるそうだ▼人生にもまた、さまざまな起伏がある。今、悩みのただ中にある人がいるかもしれない。だが、試練や苦難という「異物」があるから、祈り、励まし合い、心を磨ける。懸命に努力した歩みこそが美しい「膜」となり、人生を宝石のように輝かせる▼何があっても前へ進もう。私たちには、一切をプラスに転じる、変毒為薬の妙法がある。同志の連帯がある。無限の力を湧き立たせる創価の師弟がある。(誠)

◆寸鉄

   黄金柱・壮年部よ頑張れ。
 歴戦の丈夫が底力示せば
 壁が破れる。決定打頼む
      ◇
 大神奈川が怒濤の拡大。
 時代変える民衆の大行進
 勝利の扉を断じて開け!
      ◇
 福岡が疾風迅雷の進撃!
 火の国健児のスクラムで
 激戦制し断固勝ち上がれ
      ◇
 信越よ好機は今。勇敢な
 師子の声で正義を拡大!
 愛する天地に堂々勝鬨を
      ◇
 交通事故に注意。夕暮れ
 時に多発。車も自転車も
 早めの点灯を。油断なく

◆社説 あすは「世界人口デー」  地域のため友のために駆けよう

 あすは「世界人口デー」。世界の人口が50億人に到達した1987年7月11日を記念し、国連人口基金が2年後の89年に制定した。それから30年――。世界人口は70億人を超え、発展途上国を中心に増加し続けている。
 貧困や飢餓、経済格差や食料不足の問題など、「人口増加」の国々には、数々の深刻な課題がある。同基金では、これらを直視し、人口問題を「数の問題」でなく、「尊厳の問題」として捉えることを訴えてきた。
 一人一人の命と生活が守られる社会をどう築いていくのか。これは「人口減少」の先進国でも共通の課題に違いない。特に、日本では、世界に類を見ないほどの速度で少子高齢化が進む。
 先月、厚生労働省が発表した昨年の出生数は3年連続で100万人を割った。また「2025年問題」と称される「5人に1人」が75歳以上の後期高齢者という時代も目前に迫る。介護一つとっても、高齢者同士の「老老介護」をはじめ課題はさまざまだ。地域の後継者不足、国民一人一人に掛かる財政負担増なども懸念される。
 そんな“待ったなし”の状況だからこそ、国会での党利党略による無用な論議よりも、真剣に人口政策を検討してほしい。
 また、2014年当時、1718あった全国の自治体の約半数は、40年までに消滅する可能性があるという報告(通称“増田レポート”)も。過疎地などの地域活性化事業を手掛けるコミュニティーデザイナーの山崎亮氏は、地域の問題を行政任せにする等の考え方を脱却し、「住民参加型の地域社会になっていく必要がある」(創価新報4月17日付)と訴える。
 この“参加”にこそ、地域活性化の鍵があるという。世代や職業を超えて人がつながり、皆が自発的に考えだすことで、私たちの町は確実に変わっていく。
 哲学者のハンナ・アーレントは、人間の生産的な行為を三つに分類した。生命維持のための「労働」、製作を伴う「仕事」、自ら価値を見いだす「活動」。この“活動”に重きを置いてこそ、豊かな社会は創られるのだろう。
 “参加”と“活動”――。その意識を高く持っているのが、私たち創価学会員一人一人だ。社会の灯台たらんと、地域に希望の光を送る友の姿が全国各地にある。
 仮に、人が減って社会が縮小したとしても、人がより良い人生を生きる権利は損なわれてはならない。それを守る私たちの使命は大きい。地域のため、友のため、きょうも駆けよう。

◆きょうの発心 報恩感謝の心で同志と共に前進 2019年7月10日

御文 仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり(一生成仏抄、383ページ・編21ページ)
通解 仏の名号を唱え経文を読み、華を散らし香をひねるに至るまでも、全て自分の一念に納まった功徳善根であると信心を取るべきである。

 御本尊への真心の行為が、全てわが生命の功徳善根になるとの仰せです。
 幼い頃、わが家は借金取りに追われる毎日で、父はうつ病になり、職を求めて単身上京。母も住み込みで働いていたため、叔母が私たち姉妹の面倒をみてくれました。
 そうした中、父は御本尊に巡りあい、病気を克服。たくさんの功徳も頂きました。父の確信みなぎる姿に触れ、信心に反発していた私も入会。その直後に、女子部の会合で池田先生にお会いしました。“先生の指導通りの人生を歩もう”と決意し、この御文の通り何事にも真面目に取り組んできました。
 その後、一部週刊誌の学会批判をうのみにした職場の同僚から、私も中傷されましたが、全く動じることはありませんでした。婦人部本部長の時、乳がんを発症しましたが、先輩・同志の皆さまの励ましに支えられ、夫婦で題目を唱え抜き、乗り越えることができ、子どもも後継者に育ちました。
 これからも「一人を大切に」との師匠の指導を胸に、報恩感謝の一念で学会と共に、同志と共に、全てに勝利してまいります。
 福岡栄光県婦人部主事 糸永美登利


【先生のメッセージ】

◆〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第10巻 基礎資料編
物語の時期 1965年(昭和40年)1月1日~1966年3月5日

「幸風」の章 メキシコ市




「幸風」の章 メキシコ市

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第10巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。次回の「名場面編」は17日付、「御書編」は24日付、「解説編」は31日付の予定。

「言論城」の章
 「勝利の年」と名づけられた1965年(昭和40年)の新春は、会長・山本伸一の小説『人間革命』の「聖教新聞」連載で始まった。恩師・戸田城聖の正義と精神と広布の偉業を、永遠に伝え抜くために、伸一の新たな言論闘争が開始されたのである。
 1月16日、伸一は新九州本部の落成式に臨み、さらに大阪、鳥取、岐阜、愛知など、指導行を続ける。そして、5月3日、会長就任5周年となる本部総会を、540万世帯の同志とともに迎えた。
 この頃、聖教新聞社では、会員の強い要望であった日刊化への本格的な準備が進められていた。6月8日、伸一は、聖教新聞社を訪れ、職員と懇談。職員の求めに応じて、共に各紙面を検討し、アドバイスを重ね、聖教を世界最強の「言論城」にと訴える。
 7月15日、遂に、聖教新聞が日刊化。伸一は、配達に関わるメンバーの無事故を、日々真剣に祈り、配達員への機関紙を「無冠」と命名する。
 相前後して、アメリカ、フランス、ブラジル、西ドイツ(当時)、香港、ペルーなど、海外でも機関紙誌が次々と発刊されていく。

「幸風」の章
 8月14日、伸一はアメリカのロサンゼルスへ。出発直前に、ロスで人種差別への抗議から、暴動が発生する。同行することになっていた幹部は、危険が予想されることから、渡航延期を提案。しかし、伸一は「今こそ、仏法という生命の平等の哲学を、アメリカの天地に流布せねばならない」との強い決意で、渡米するのであった。
 15日、ロス郊外のエチワンダで、アメリカ初の野外文化祭が開催される。伸一は全精魂を込めて同志を激励。終了後も、人種差別に苦しんできたアフリカ系アメリカ人の青年と固く握手を交わし、アメリカ広布への思いを語る。
 さらに一行は、17日、戸田城聖が夢に見、訪問を念願した国・メキシコを訪れる。
 市内を視察した伸一は、師に代わってメキシコの街を歩いていることに深い感慨を覚え、必ず、ここにも幸福の花園をつくると心に誓う。
 アメリカ、メキシコに世界広布への新しき「幸風」を起こして帰国した彼は大阪へ。組織の第一線で奮闘する全国の班長・班担当員との、記念撮影がスタートしたのである。

「新航路」の章
 10月19日、伸一は文化交流の新たな道を開こうと、欧州へ飛び立つ。
 フランスのパリでは、ヨーロッパ本部長の川崎鋭治の自宅に設けられたヨーロッパ事務所の開所式に出席。席上、ヨーロッパを総合本部として、2本部にすることを発表した。また、ナイジェリアから参加していた婦人が、アフリカ支部長に就任する。
 21日の指導会では、ベルギーに地区が結成され、イギリスのロンドン地区の新人事が発表される。
 次いで、西ドイツでは、日本から世界広布への決意に燃えて移住し、炭鉱で働く青年たちと再会。伸一は、広宣流布の「新航路」を開く使命を担った大切な同志を心からたたえ、大きな期待を寄せる。
 24日に到着したイタリアのミラノでは、民音の専任理事である秋月英介らが、ミラノのスカラ座を訪問。日本公演の招聘の交渉にあたる。
 さらに、南フランス、スペインを経て、ポルトガルのリスボンへ向かう。一行は、“大航海時代”の突破口を開いた、エンリケ航海王子をたたえる記念碑の前に立ち、世界平和への大航海へ船出する決意を新たにするのであった。

「桂冠」の章
 10月31日、伸一は、ヨーロッパ訪問から帰ると、直ちに創価大学の設立審議会を発足させた。牧口・戸田の両師が描いた構想の実現に向かって、第一歩を踏み出したのである。
 また、記念撮影を中心に、各地のメンバーの激励に東奔西走。病に悩む友や、母を亡くし、父が未入会の姉妹など、悲しみに沈んでいる同志に、渾身の励ましを送る。
 さらに、彼は、組織が官僚主義に陥ってしまうことを憂慮し、組織の中核を担う本部職員の育成に精魂を注ぐ。年末も、学会本部、聖教新聞社を隅々まで回り、陰で黙々と働く職員をたたえる。
 1966年(昭和41年)、伸一は、1月14日には早くも、ハワイへ出発する。ハワイ会館の開館式に出席するなど、ハワイ広布の発展へ師子奮迅の戦いを進めていった。
 2月27日、本部幹部会の席上、壮年部の新設が発表される。3月5日には壮年部結成式が学会本部で開催された。伸一は「創価の城を支えゆく、黄金柱に」と指導。
 誇り高き「桂冠」の王者が、妙法の名将が、いよいよ、出陣したのである。

小説「人間革命」の連載開始
 1965年(昭和40年)の聖教新聞元日号から、待望の小説『人間革命』の連載がスタートした。第1回は、戸田先生の出獄の場面が描かれていた。その真情について、池田先生は次のようにつづっている。
 「『人間革命』は、創価の大河の流れが、まさに、たった一人から始まっていることを痛感させた。そこに、筆者の山本伸一の意図もあった。彼は、師の戸田の決意と精神を、全同志が分かちもってほしかった。そのための執筆でもあった」(「言論城」の章、9ページ)

「壮年部」結成
 1966年(昭和41年)、創価の黄金柱たる「壮年部」の新設が発表され、3月5日に学会本部で結成式が行われた。席上、「大白蓮華」4月号の巻頭言が読み上げられた。
 そこには、“妙法の名将”の資格として、「第一に御本尊への絶対の確信。第二に難事をも成し遂げゆく力。第三に社会のすべてに通暁した世雄。第四に後輩を育成していく熱意。第五に人間性豊かな包容力ある指導者。第六に旺盛な責任感と計画性」(「桂冠」の章、390ページ)が論じられていた。
 ※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。
【挿絵】内田健一郎 【題字のイラスト】間瀬健治


【聖教ニュース】

◆インドの宝城建設進む 今秋にオープン 創価菩提樹園新講堂 インド創価学会新本部   ニューデリー近郊 3000人の大礼拝室を設置

「東洋広布」の石碑が埋納されている創価菩提樹園で、建設が進む新講堂


「東洋広布」の石碑が埋納されている創価菩提樹園で、建設が進む新講堂

 今秋にオープンを予定する、インド創価学会(BSG)の二つの宝城の建設工事が着々と進んでいる。
 ニューデリー近郊の創価菩提樹園に建設される新「講堂」は、3000人収容の大礼拝室や法話室等に加え、同時中継設備や多言語に対応した通訳ブースを設置。バス100台、乗用車1500台を収容できる駐車場も併設される。
 また、ニューデリーの中心地には、BSGの新「本部」も建設中。大小さまざまな礼拝室のほか、事務室、会議室、懇談室等を備える。
 今、インドの友は、この宝城建設のつち音とともに、世界広布の先頭を駆けている。
 池田大作先生がインドに第一歩をしるしたのは、1961年(昭和36年)のこと。恩師・戸田城聖先生の「東洋広布」の誓願を継いでの、アジア初訪問の折であった。
 当時は学会の組織はなく、メンバーもいなかった。
 その時の真情を、先生は小説『新・人間革命』第3巻「月氏」の章につづっている。“私はやる。断じてやる。私が道半ばに倒れるならば、わが分身たる青年に託す。出でよ! 幾万、幾十万の山本伸一よ”――。
 以来58星霜。師の思いに応えるように、地涌の勇者が誕生。「アイ アム シンイチ・ヤマモト!(私は山本伸一だ!)」を合言葉に、毎年巡り来る「5・3」や「11・18」等の節目を拡大の決勝点に定め、発展の歴史を刻んできた。
 次なる目標は、新宝城の完成。BSGでは「インド新時代建設キャンペーン」と銘打ち、全ブロックでの1人以上の新たな青年部活動者の育成、毎月の地区座談会への5人の友人参加などに取り組み、各部が団結して励ましの世界を広げる。
 その連帯は、本年5月に大型サイクロンが襲ったインド東部のオディシャ州でも。友は一軒一軒、同志の元を訪ねては、小説『新・人間革命』を学び合い“自身の人間革命の姿で、地域を明るく照らそう”と、復興への歩みを進めている。
 また「末期のがんを乗り越えた」「再就職を勝ち取った」など、各地で次々と人生勝利の体験が生まれており、信心の確信、師と共に広布に生きる喜びが広がる。
 世界広布の先駆として発展するBSG。友は“山本伸一の心”を胸に、きょうも希望の対話に走る。

◆香港創価幼稚園の卒園式 創立者がメッセージ 皆が世界を照らす「太陽の子」

香港創価幼稚園の卒園式。たくましく成長した卒園生の姿に、家族や教職員から拍手が(香港・九龍で)



香港創価幼稚園の卒園式。たくましく成長した卒園生の姿に、家族や教職員から拍手が(香港・九龍で)


 香港創価幼稚園の第27回卒園式が2日、香港・九龍で晴れやかに開かれた。これには、香港浸会大学持続教育学院の副院長を務める李南玉博士ら多数の来賓が列席した。
 創立者・池田先生は式典にメッセージを贈り、晴れの門出を心から祝福。卒園生一人一人が「世界を照らす『太陽の子』」であると述べ、“つよく・ただしく・のびのびと、「負けない心」で成長を”と望んだ。
 香港創価幼稚園は1992年、海外初の創価幼稚園として開園。毎年の卒園式では、池田先生の創作童話などをもとに、卒園生がオリジナルのミュージカルを演じることが伝統となっている。
 今回は、童話『さくらの木』が題材に。ステージ上で元気いっぱいに歌い踊る卒園生の姿に、拍手喝采が送られた。
 李南玉博士が祝辞を述べ、同幼稚園の馮婉惠園長、呉楚煜理事長が、未来へ羽ばたく「太陽の子」にエールを送った。


【特集記事・信仰体験など】

◆池田先生の中国・北京大学訪問45周年  初訪中以来7度訪問 創価大学との交流も厚く

初訪中で北京大学を訪れ、学生らと語らう(1974年6月)。池田先生は後に、小説『新・人間革命』第20巻「友誼の道」「信義の絆」の章などで、同大学との交流の模様をつづっている




初訪中で北京大学を訪れ、学生らと語らう(1974年6月)。池田先生は後に、小説『新・人間革命』第20巻「友誼の道」「信義の絆」の章などで、同大学との交流の模様をつづっている

 中国最高峰の学府・北京大学を池田先生が初訪問してから本年で45周年。先生は10度の訪中のうち、第1次から第7次まで毎回、同大学を訪れ、教職員・学生らと交流を重ねてきた。北京大学と先生の交流を、このほど来日した同大学国際関係学院の孔凡君教授へのインタビューと併せて紹介する。
 池田先生が北京大学に最初の一歩をしるしたのは、1974年(昭和49年)6月4日。先生は日中両国の相互理解促進を願い、日本語書籍をはじめ5000冊の図書目録を贈呈した。
 同年11月、“図書が届いたので贈呈式を行いたい”と、同大学から再訪の招へい状が寄せられた。2度目の訪中となった翌12月、贈呈式が行われた。さらに第4次訪中では2度目となる図書贈呈が行われ、1200冊の目録が贈られた。
 また先生は、第5次から第7次訪中で3回にわたって同大学で記念講演。その間、創価大学と北京大学との間で学術交流協定が調印(第5次)され、日本人初となる「名誉教授」称号(第6次)、「教育貢献賞」(第7次)が北京大学から先生に授与された。
 創立者が開いた友誼の「金の橋」を渡り、北京大学へ留学した創大生はこれまでに60人以上を数え、北京大学から創大に派遣された交換教員も40人を超えている。
 2001年には、中国で最初の池田思想を研究する機関となった「池田大作研究会」が北京大学に設立。06年には同大学に隣接して創価大学の「北京事務所」が開設され、16年には設立10周年の記念行事が北京大学図書館で開催されるなど、交流が続いている。

北京大学国際関係学院 孔凡君教授
●池田先生の実践を継ぎ両国友好の発展を
 このたび、北京大学の対外交流史をまとめる研究プロジェクトの一環で、創価学会、創価大学を訪問させていただきました。
 北京大学の創立(1898年)以来の対外交流史を改めて編さんし、日本において最も早く北京大学と交流を結んだ創価大学と、その創立者である池田大作先生について調べる中で、さらに深く研究したいとの思いを強くしたからです。
 池田先生は初訪中以来、7度にわたり北京大学を訪問され、1980年(「新たな民衆像を求めて」)、84年(「平和への王道」)、90年(「教育の道 文化の橋」)と3回にわたって講演されています。また、創価大学と北京大学の交流は約40年におよび、その内容も非常に豊富です。
 今回、そうした歴史に立ち会ってきた証言者として、創価学会の原田会長、池田主任副会長、そして創価大学の田代理事長、馬場学長にインタビューさせていただきました。
 それぞれのお立場から、国と国との理解、そして平和は、人間と人間の理解から築かれていくことを強調されていました。
 私の理解では、池田先生は繰り返し、「人間と人間の交流」の重要性を訴えておられます。今回のインタビューを通じて、北京大学と創価大学、さらには国と国の関係にあっても、人間と人間の交流が大変重要な役割を果たしていることを実感しました。
 いま、中日両国の関係は新しい局面を迎えています。両国の流れの「主流」を、友好の方向へと進めていく努力が求められていると思います。
 その推進力として民間の友好交流を一段と発展させていくためにも、創価学会の皆さまには池田先生の実践を継承し、中日友好のために引き続き貢献していただきたい。
 教育をはじめ、中国とのさまざまな交流をさらに強化し、中日友好、そしてアジアと世界の平和のために共に力を尽くしていきたいと願っています。

◆信仰体験  スマイル 自分らしく 私の悩み・・・娘の心臓病、右手の障がい  信心で「笑顔の縁」を結ぶ

 静岡県焼津やいづ市の酒井香織さん(36)=大富支部、副白ゆり長。2010年(平成22年)、一人娘の凜りんさん(8)=小学3年=が生まれた。七つの心臓病を患い、右腕と右手に障がいがある。夫の勇一さん(38)は兵庫県出身で、いつも明るく、頼りになる人。だが転勤が多く、現在も単身赴任中で会える日は少ない。心細い時、香織さんを元気づけたのは「娘の笑顔」だった。そして、何より「親譲りの信心」――。父・角田つのだ年とし久ひささん(71)=副圏長、母・朝子あさこさん(65)=圏副婦人部長=から受け継いだ「御本尊への信」が、苦難に挑む力になった。

個室に移り泣いた日のこと
 妊娠8カ月目、娘がおなかの中で逆子になった。「逆子体操」をしたけど戻らなくて、予定日より早く、帝王切開することに。
 生まれた時、私は麻酔でもうろうとしてたけど、すごく元気な産声が聞こえた。タオルにくるまれた娘。とっても小さかった。薄れゆく意識の中で、お医者さんの「小さいから総合病院に運ぶね」という声だけが、かすかに聞こえた。
 目が覚めた時、私は病室のベッドにいた。そばにいた母が言った。
 「赤ちゃんね、親指がないみたいでね……」。私を落ち込ませないように明るく振る舞った母は、夫と一緒に総合病院へ向かった。
 どうして、健康に産んであげられなかったんだろう……。隣からは、にぎやかな笑い声が聞こえる。看護師さんが「個室に移る?」って気にしてくれて……。一人になった時、涙があふれて止まらなかった。

無心になってミシンを踏んだ
 長い夜が明け、夫から連絡があった。「心臓から雑音が聞こえるみたい……。これから検査するよ」
 診断の結果は、大動脈弁狭窄きょうさく症。その他にも六つの心臓疾患があり、「すぐに治療しないと、1週間はもちません」って。右腕の橈骨とうこつ欠損、右手の母指ぼし欠損は、合併症で起こったもので、心臓のカテーテル治療の成功率は50%とも言われた。
 入院中の私に代わって、そんなつらい宣告を、夫は一人で受けてくれた。翌日、娘はカテーテル治療に挑み、無事に成功した。
 夫が携帯で、娘の動画や写真を見せてくれた。細く短い右腕。肘のように折れている手首。でも、目の力が印象的だった。生まれて2日目なのに、目がぱっちり開いていて、カメラをじっと見つめてた。
 早く娘に会いたい。数日後、私は一時退院が許され、母乳をとって容器に入れ、娘のいる病院へ。集中治療室で、たくさんの管につながれ、体はラップに包まれていた。
 娘の心臓を治すには、「胸を開いて手術した方がいい」と言われた。もちろん、病気を治すのが最優先なのは分かる。でも手術をすれば、幼い娘の胸に傷が残ってしまう。それが、つらくてたまらなかった。
 苦しくなると、ミシンを踏み、娘の服やバッグを作った。その時間だけは無心になれた。だけど手を止めたら、また考えてしまう。すがるように御本尊様の前に座った。でも、泣くだけで声が出ない。どう祈ったらいいのかも分からなかった。
 隣で祈る母が「御本尊様に全部お任せすればいいんだよ」って。
 “娘のために、一番いい方向に進ませてください”――そう祈っていく中で、少しずつ変わっていったのは「娘を見る私の目」だった。

先輩に教わった大切な祈り方
 人なつっこい娘は、誰かに会うだけで、とてもうれしそう。障がいのある右手を器用に使い、おもちゃで遊んでる。ハイハイはできないけど、ほふく前進をして、“ここまで行けたよ”ってニッコリ。
 そんな娘を見ているうちに、気付いたら私も笑ってた。いつしか私は思うようになった。“娘が逆子になったのは「生き抜くため」なんじゃないか”って。自然分娩だったら心臓に負担がかかり、無事に生まれなかったかもしれない。
 大きな産声。力強い目。そして、愛くるしい笑顔。私が悲しみに沈むたび、この子が勇気をくれる。
 娘とずっと一緒にいたい。生きて、生きて、生き抜いていきたい。
 夫と相談し、娘の開胸手術を決断した。3時間くらい心臓を止める大手術だった。地域の学会員の方々が祈ってくださり、大成功だった。
 私たちは娘と大きな一歩を踏み出すことができた。もちろん、悩みが全て消えたわけではない。実際、娘が成長するにつれて、周りの人からの視線が余計、気になり始めた。
 ベビーカーを押している時、中をのぞきこまれたことも。何げない言葉で、もしも娘がショックを受けたら耐えられない……。
 外出するのが怖くなって、私は、娘の右手を隠すようになった。手作りのポンチョを着せたり。右手に、ぬいぐるみを持たせたりした。
 そんな時、私の悩みを知る婦人部の先輩が声を掛けてくださった。
 「いい縁に恵まれるように、しっかり祈っていくのよ」
 娘の笑顔が、消えませんように。いい人が集まってきますように。
 不思議にも、そう祈ると、学校の先生や友達、お医者さんや看護師さんも優しい人ばかりに巡り合った。

何度も挑んだ鉄棒の前回り
 「実はね、私の娘も病気で片腕を失ったんです」。あるご婦人が、私に声を掛けてくださった。「娘は今、中学生ですが、すごく元気です。自転車にも乗ってます。片手だけでも何だってできる。大丈夫ですよ」
 その励ましに、どれほど大きな勇気をもらっただろう。うれしくて、すぐ娘の自転車を買いに行った。
 娘は何でも、根気強く挑戦する。なわとびも、鉄棒の前回りも、できるまで何回も挑んでた。リコーダーを吹けるようになって、自転車にも乗れるように。そんな娘の姿を見てると、ささいなことで、くじけてる自分が恥ずかしくなる。
 婦人部の先輩方が家に来てくださると、娘はお茶を出して迎える。
 おしゃべりが大好きな娘。勝手に真ん中に座って、「ミニ座談会」が始まる。先輩方を見送る時、娘が「風邪ひかないでください。蚊に刺されないようにね」って(笑い)。
 この子のそばにいると、障がいや病気が、たいしたことないと思えるほど、笑っていられる。娘の明るさは、関西出身の夫にそっくり。
 これから先も、心臓の手術は続く。それでも、私は絶対負けない。どんな試練からも逃げない強さを、信心の力を、娘が教えてくれたから。
 きっと、人生の岐路に立たされるような難題もあるだろう。でも、必ず乗り越えてみせる。
 「信心とは挑戦の力だ。信心ある限り、前途に輝くのは、勝利と幸福の栄冠である」。大好きな池田先生の言葉を、胸に抱いて――。

2019年7月 9日 (火)

2019年7月9日(火)の聖教

2019年7月9日(火)の聖教

◆わが友に贈る

 師弟共戦の北海道から
 新たな広布の潮流を!
 “3倍努力”の闘魂で
 喜び勇んで動き 語り
 不滅の開拓史を綴ろう!

◆名字の言

歴史を振り返るとき、時代を画する言論が初めから世に受け入れられたことは、まれだ。むしろ嘲笑や反発を呼ぶのが常である。人間賛歌をうたったホイットマンの詩集『草の葉』もそうだった▼初版は二つの店で売られ、新聞広告も連日出された。だが、わずか4日後、広告から一つの店の名前が消える。従来の詩の概念を大きく打ち破る革新性ゆえか、激しい非難を浴びたからだ▼そんな逆風の中、彼のもとに思想家エマソンから手紙が届いた。「私は貴殿の自由で、勇気ある思想に喜びを禁じ得ません」(佐渡谷重信訳)。ホイットマンは初版発刊の翌年に第2版を出版。裏表紙にエマソンの手紙の言葉を金文字で刻んだ▼「言わずんばある可からず恐れずんばある可からず」(御書17ページ)。打ち続く災難や飢饉の根本原因が、誤った思想宗教にあると喝破した「立正安国論」は1260年(文応元年)7月16日、北条時頼に提出されるや否や、苛烈な弾圧を引き起こした。その命に及ぶ迫害にも、人類の救済のため、日蓮大聖人の言論闘争は、やむことがなかった▼「いまだこりず候」(同1056ページ)。ここに、立正安国の闘争を今に継ぐ創価の誇りがある。「歩みをとめるな」(酒本雅之訳)――ホイットマンの叫びのままに7月を進みたい。(芯)

◆寸鉄

   上へ上へと向上していく
 妙法―恩師。唱題は偉大
 な力。強盛に祈り進め!
      ◇
 愛知が大激戦。師子奮迅
 の闘争で勝ち抜け!堅塁
 の団結固く乱戦突破必ず
      ◇
 埼玉が限界突破の前進。
 大関東に栄光の旗翻せ!
 さあ自身の最高峰へ登攀
      ◇
 「法務省」を詐称する架空
 請求が多発。絶対に連絡
 せず周囲や警察等に相談
      ◇
 大学生の就職内定率85%
 で過去最高と。公明よ更
 なる若者支援に全力を。


【教学】

〈教学随想 日蓮仏法の視座〉 立正安国という生き方  男子部教学部長 大津健一
 人々に幸福もたらす仏法の智慧  万人尊敬の慈悲を社会へ

広布拡大の一番星に!――名古屋男子部の代表が決意に燃えて(先月25日、中部池田記念講堂で)

 日蓮大聖人が「立正安国論」を提出された月、7月(1260年〈文応元年〉)。池田先生の『新・人間革命』第4巻「立正安国」の章をあらためてひもといた。「現実社会の人間の苦悩の解決から目を背けるならば、もはや、それは宗教の死といえる」
「世界に、恒久平和の楽園を築き上げるために、人間主義の哲学をもって、人びとの生命の大地を耕していくことが、立正安国の実践であり、そこに創価学会の使命がある」。今再び、立正安国の実践という観点で御聖訓を拝したい。

法華経の心を体現
 意外なことに、「立正安国論」は「実乗の一善」(御書32ページ)たる法華経への帰依を勧めるが、法華経そのものを詳しく論じていない。「法華真実」(同17ページ)、「一代五時の肝心たる法華経」(同23ページ)と述べるものの、なぜ「真実」「肝心」なのか詳説していないのである。
 理由はいくつか推察されるが、ここでは、為政者に宛てた諫暁の書という特徴に着目してみたい。宛先は、執権職を離れて入道となりつつ、権力を握っていた北条時頼。この法華経信仰者ではない事実上の最高権力者に、大聖人は法華経の心をどう伝えようとされたのか。
 「立正安国論」から浮かび上がるのはまず、誰の目にも明らかなように法然の誤りを示されたことである。さまざまな経を引くことで、“浄土の教え以外を排除せよ”という法然の言説が仏説に依らない己義であることを鋭く喝破された。
 その上で、より象徴的なのは法然批判に一貫する“ある視点”だ。
 「一代の聖教を破し?く十方の衆生を迷わす」(同22ページ)
 「或は捨て或は閉じ或は閣き或は抛つ此の四字を以て多く一切を迷わし」(同23ページ)
 「悲いかな数十年の間百千万の人魔縁に蕩かされて多く仏教に迷えり」(同24ページ)
 「捨閉閣抛の字を置いて一切衆生の心を薄んず」(同25ページ)
 このように大聖人は、一切衆生を惑わした罪を徹底して糾弾された。
 法華経は爾前経と異なり、悪人・女人・二乗をも救済する「一切衆生皆成仏道」(念仏無間地獄抄、同99ページ)の経。これを捨閉閣抛するのは、万人成仏の道を塞ぐことに等しい。
 難を覚悟の上で、一切衆生を思い、諫暁された大聖人の振る舞い自体、法華経の心の体現なのである。

大聖人の為政者観
 「立正安国論」御提出から8年後の1268年(文永5年)、蒙古から国書が届き、大聖人が予言された他国侵逼難が現実味を帯びる。これを受けて大聖人は、為政者と高僧ら11人に書簡を送られた(十一通御書)。そこに次のような言葉がある。
 「身の為に之を申さず神の為・君の為・国の為・一切衆生の為に言上せしむる所なり」(北条時宗への御状、同170ページ)
 「全く身の為に之を申さず、神の為君の為国の為一切衆生の為に言上せしむるの処なり」(平左衛門尉頼綱への御状、同172ページ)
 大聖人が諫暁の目的を述べられたこの表現は、十一通御書の中でも高僧向けの書状にはない。つまり、為政者に対して“同じ目的に立て”と訴えられたと拝することができる。特に、荘園制の支配・被支配の関係をはじめ、身分差が当然の時代にあって、「一切衆生の為」と迫られた意味は重い。
 幕府の権力者である平左衛門尉には「貴殿は一天の屋梁為り万民の手足為り」(同171ページ)と呼び掛けられた。“万民の手足となって尽くす”のが大聖人の為政者観である。「立正安国論」の現存する真筆には、「国」の字の多くに、「くにがまえ(口)」の中に「民」と書く「?」が用いられていることにも明らかであろう。

「異」の苦への慈眼
 「一切衆生」「万民」という語は、単に集合名詞として口にすれば、美辞麗句に堕しかねない。
 大聖人は「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」(御義口伝、同758ページ)と、一人一人に「異」を見つめておられた。
 一人として同じ人がいないゆえに、人の数だけ、さまざまな苦悩がある。
 まして「旃陀羅が子」(佐渡御勘気抄、同891ページ)と最下層の出を自称された大聖人である。「一切衆生」の語には、世の不条理を嘆き明日への希望も見いだせない、最も苦しむ庶民へのまなざしがこもる。“一人ももれなく幸福に”との熱願がほとばしる。
 天変地異、飢饉、疫病――。目をそむけたくなる情景から「立正安国論」を書き起こされた大聖人の筆は、苦悩にあえぐ無辜の民への慈悲と義憤に満ちていたであろう。これこそ為政者に伝えたかった、また、必ず伝わると確信された思いではなかったか。
 そして正嘉の大地震という「立正安国論」執筆の契機を踏まえれば、庶民の命が脅かされる災禍に直面した時にこそ、為政者はその真価が問われるといえる。悲嘆に寄り添い行動する高潔の士か、実際には“心”のない利己の者か――。
 「一切衆生の為」を根本に据える「為政者の心の変革」を訴えられたと拝すれば、民主主義の今日、慈悲の心を持って庶民に尽くすリーダーを社会に輩出することは、立正安国の一つの柱といえる。

智人と賢王の協力
 蒙古襲来(文永の役)を経て、1276年(建治2年)ごろに著されたと考えられる「減劫御書」も、仏法と社会の関係を論じる。
 大聖人は、善政をもたらした例として、中国古代に民衆を守る政治を実現した太公望と張良を挙げられた。
 「此等は仏法已前なれども教主釈尊の御使として民をたすけしなり、外経の人人は・しらざりしかども彼等の人人の智慧は内心には仏法の智慧をさしはさみたりしなり」(同1466ページ)
 仏教伝来前の中国にあって、彼らを「教主釈尊の御使」と呼ばれたのは、民を助けた智慧が仏法の智慧の働きである、すなわち、人々の幸福の確立こそ社会における仏法の働きであるからだ。同書では「立正安国論」より展開し、仏法上の「智人」と社会の「賢王」が力を合わせれば、民を苦しめる邪義を打ち破り、安穏な社会を築くことができることを明らかにされた。
 池田先生は、今日の「賢王」とは賢明な民衆であると述べられた。
 「民衆が賢明になり、強くなってこそ、社会の中で、生命尊厳の思想、絶対平和の思想が広く、また深く定着していきます」「そうした『善の連帯』を築くことが、現代における智人と賢王の出現の意義だと言えます」(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第7巻)
 思えば「立正安国論」も、世を嘆くばかりだった客が、主人の言葉に心を動かされ、迷執を捨て、他者にも関わろうと誓う場面で終わる。
 変化の起点は主人の姿勢にある。
 時に憂いを吐露し、時に怒りで座を立とうとする相手に、笑みをたたえて粘り強く語る。その末に行動の連帯が広がることが、立正安国の対話の帰結といえよう。
 一切衆生の幸福を祈り、友の苦に寄り添う。生命尊厳の思想を語り、善の連帯を広げる。慈悲の心で人々に尽くすリーダーを世に輩出し、妙法の智慧で安穏な社会を築いていく――。御聖訓から導かれる、こうした立正安国の実践は、まさに学会同志の生き方そのものではないか。
 行動なき傍観、現状を嘆くばかりの批判、一時的に盛り上がるだけの社会運動とは、次元を異にする。生涯を通して日々、立正安国に生きる庶民の群像こそ、学会の実相であると痛感する。
 歴史家アーノルド・J・トインビー博士は池田先生の小説『人間革命』英語版の序文で、学会の発展をこう洞察した。
 「日蓮は、自分の思い描く仏教は、すべての場所の人間の仲間を救済する手段であると考えた。創価学会は、人間革命の活動を通し、その日蓮の遺命を実行しているのである」
 三代会長のもと、万人尊敬の思想を広げ、より良き平和な社会のために尽くしてきた同志の歩み。それは、立正安国に命をささげられた大聖人の後継の証しである。


【聖教ニュース】

◆海洋教育の名門・大連海事大学に池田大作研究センターが誕生  設立記念式典に王副学長が出席
 「人間主義と平和思想に学びたい」

大連各地の“池田思想”の研究者や大連海事大学の教職員、学生らが参加した「池田大作研究センター」の設立式典。参加者が記念のカメラに(大連市で)




大連各地の“池田思想”の研究者や大連海事大学の教職員、学生らが参加した「池田大作研究センター」の設立式典。参加者が記念のカメラに(大連市で)

 中国・遼寧省大連市に立つ大連海事大学に「池田大作研究センター」(洪剛主任)が誕生した。同センターでは池田大作先生の平和・文化・教育に関する思想の研究を深め、中日両国の友好関係や相互理解の促進を目指す。設立を記念する式典は4日、同大学で開催され、同大学の王小勇副学長が、創価大学の神立副学長、大連各地の“池田思想”の研究者らと共に出席した。
 国連の専門機関「国際海事機関(IMO)」が認定した海洋大学の一つである大連海事大学。1909年に創立された上海高等実業学堂船政科を前身とし、53年に大連海運学院に発展。94年、現在の名称になった。
 本年で創立110周年の佳節を刻み、海洋運輸の分野を担う専門家を数多く輩出してきた名門である。
 2010年、同大学は、中日友好と世界平和、青年の育成への功績をたたえ、池田先生に「名誉教授」称号を授与している。そして今回、この世界的な海洋教育の学府に、新たな“池田思想”の研究機関が設立された。
 4日の記念式典では、大連海事大学の王小勇副学長が、人間主義を基調とする池田先生の教育哲学や平和思想は、学生の可能性を引き出し、発揮させることを目指す同大学の理念と深く一致すると強調。中日両国の交流の輪をより一層広げるためにも、池田先生の思想から、多くのことを学びたいと述べた。
 続いて、創価大学の神立副学長が池田先生のメッセージを紹介した。
 その中で先生は、現代は、気候変動や環境問題等の地球的課題に直面する試練の時代であるからこそ、大連海事大学が長い伝統の中で培ってきた、グローバルな視座と広々とした海洋精神、強靱にして開かれた人間精神の涵養が重要であると強調。開所されたセンターが、知性と精神の灯台として、21世紀の人類の未来を、平和と友情の光で輝かせゆくことを望んだ。
 次にセンターのプレートが除幕されると、会場は大きな拍手に包まれた。
 池田大作研究センターの洪剛主任は、15年ほど前に池田先生の思想と出あった時の感動を胸に、学び続けてきたことを述懐。先生をはじめ、同センターを支える全ての人への感謝を忘れずに、発展に尽くしたいと語った。
 さらに、大連中日教育文化交流協会の賈聚林副会長、大連工業大学「池田大作思想研究所」所長の劉愛君教授、大連海事大学の呉雲志院長が祝辞を述べた。 


◆中国・孔鉉佑駐日大使が総本部へ  原田会長らが歓迎

新任のあいさつに訪れた駐日中国大使館の孔大使㊧。新しい時代にふさわしい両国関係を共に築きたいと述べた(学会本部別館で)




新任のあいさつに訪れた駐日中国大使館の孔大使㊧。新しい時代にふさわしい両国関係を共に築きたいと述べた(学会本部別館で)

 本年5月に着任した中国の孔鉉佑駐日大使が8日、東京・信濃町の総本部を訪問。原田会長が、池田主任副会長、谷川主任副会長、杉本総合婦人部長らと共に歓迎した。
 孔大使は、駐日大使館の公使参事官を務めるなど、約15年の日本勤務を経験。外交部アジア局長、同部副部長等、対アジア外交の要職を歴任してきた。
 孔大使は語らいの全てを流ちょうな日本語で。原田会長が冒頭、池田名誉会長の祝意を伝えると、大使は「両国友好のために多大な努力を続けてこられた名誉会長の心を、いつまでも忘れることなく進んでいきたい」と丁重な謝意を述べた。
 続いて、G20大阪サミットの折に日中首脳が会談し、さまざまなレベルの交流強化を図ることで合意したことが話題に。大使は「両国の人的交流には、いまだ大きな潜在力がある」とし、幅広い民間交流の促進と、来春に向け調整中の習近平国家主席の訪日を成功させる重要性を語った。
 その上で「困難な時も変わることなく両国友好に尽くしてきた創価学会の皆さまは、中国国民から厚く信頼されています」と強調。激動の国際情勢にあり、両国関係の安定的発展に果たす学会の役割に期待を寄せた。
 なお会見には、駐日大使館の楊宇政治部公使参事官が同席した。


◆総東京総区長会  本陣から民衆凱歌の歴史を  炎の東京大会62周年

“世界広布の本陣”の誇りを胸に、いざ広布の最高峰へ!――全員が執念の対話で壁を破ろうと誓い合った総東京の総区長会(信濃文化会館で)

 7・12「東京大会」62周年を記念する総東京の総区長会が8日、東京・信濃町の信濃文化会館で行われた。
 1957年(昭和32年)7月3日、民衆勢力の台頭を恐れた権力により、池田先生が事実無根の容疑で不当逮捕される「大阪事件」が勃発。同月12日、卑劣な弾圧に抗議する大会が東京・台東区の蔵前国技館で開催された。
 場内を埋めた2万人の同志。降りしきる雨のもと、場外でも2万人の友が傘を差しながら見守る中、戸田城聖先生の烈々たる師子吼がとどろいた。「おめおめと、負けてたまるものか!」
 この恩師の叫びに呼応して、破邪顕正の正義の炎は東京から全国へと燃え広がっていったのである。
 当時の日記に、池田先生はつづっている。
 「必ずや、われらは、真実が勝利する時代を創らん。事実を、明確に記さん」
 さあ、今再び本陣から正義の炎を全国へ!――意気高く行われた総区長会では、河合総東京婦人部長が、真剣な祈りを根本に相手の心を変える執念の対話に挑み抜こうと力説。萩本総東京長は、広布の賢者・壮年部、正義の師子・男子部の“男の対話”で勝利の決定打を放とうと訴えた。
 原田会長は、全国をけん引する拡大を果たしてこそ本陣であると強調。“東京凱歌”を満天下に示した広布の歴史に触れながら、恐れなく語り、叫び、戦い抜いて、新たな民衆凱歌の歴史をつづろうと呼び掛けた。


【特集記事・信仰体験など】

◆ 〈青年SGI 世界の若きスクラム〉 ブラジル   リーダー率先が広布開拓の魂

はつらつと友情のスクラムを広げるブラジル青年部の友(本年5月、首都ブラジリアで)

はつらつと友情のスクラムを広げるブラジル青年部の友(本年5月、首都ブラジリアで)

 7月は学会伝統の「青年の月」。今、世界広布の若き力が各地で対話拡大に駆けている。ここでは、ブラジルSGI青年部のリーダーに、信心の原点や活動の様子などについて聞いた。


◆〈信仰体験 いま想う 戦後74年〉7 看護婦として見た満州  願うだけではなく 私が立ち上がる

 【岐阜県各務原市】今も耳に残るのは、死の際で母親を呼ぶ兵士たちの声。「アイヤー! マーマ。アイヤー! マーマ」。かつての満州、中国東北部で聞いた最期の叫び。その表情が、木須マサ子さん(95)=鵜沼東支部、婦人部副本部長=の頭から離れない。看護婦(当時)として21歳で海を渡り、戦争の現実を知った――。

 【満州国】満州事変により、中国東北地方を占領した日本が、1932年に建国した傀儡国家。首都は新京(現在の長春)で、人口は建国時に3000万人、40年には4200万人。日本人のほか、中国人が9割以上を占めた。45年、日本の敗戦とともに消滅した。
 「九州大学看護婦同窓会 若葉会名簿」。印字された冊子の中に、木須さんの名前がある。看護婦養成科(当時)を卒業したのは、1942年(昭和17年)の11月。
 「周りから『危ない』と言われても、やりたかった」。それが看護婦の仕事だった。佐賀の農家の生まれ。田畑で土に触れるよりも、日本のために命懸けで戦う兵の役に立ちたかった。
 戦争が激化した45年、木須さんは満州の情報インフラを担う「満州電信電話株式会社」の別府療養所で働いていた。「いよいよ私たちの出番が来たね」。そう看護婦同士で語り合った。
 45年4月と記憶している。別府から満州の新京へ。現地の病院で働いた。当初は、日本の本土にいた時よりも平穏な時が流れた。だが、8月9日のソ連侵攻を境に激変。北部から、多くの日本人が逃げのびてきた。
 木須さん自身も、病院に残るか、南へ移動するか、選択を迫られる。考えた揚げ句、残ることを選んだ。混乱の中、15日に終戦を告げる玉音放送を聞いた。
 満州の支配は、関東軍(日本軍)からソ連軍の手に。「病院の院長が中国人に替わり、ソ連軍の襲撃から私たちを守ってくれるという条件で、働き続けることになりました」
 混乱が続いた。翌年には、中国の国民党軍と共産党軍による内戦の戦場となる。木須さんら看護婦は、中国人兵士の看護に当たることに。
 数え切れないほどの遺体を見た。遺体を物色し、装飾品などを持ち去る人もいた。次から次に運ばれてくる人々。院内では、負傷した両軍の兵士が治療してもなお、小競り合いをした。場所を隔て、いさかいを止めさせた。
 重傷を負い、死が近づいている兵士たち。苦悶に染まった顔で「アイヤー! マーマ」と叫んでいた。木須さんは、ただ、手を握って「お母さんよ、マーマよ」と返す。すると、安堵の色が浮かぶのが分かった。そして、息を引き取っていく。
 「最期になると、みんなお母さんを求めていました。敵、味方で争っても、誰もが同じ、一人の人間でした」
 引き揚げ途上の日本人に、予防注射を延々と打ち続けたこともある。駅にたどり着くまでに、わが子と生き別れてしまい、泣き叫ぶ母親がいた。「戦争に正義なんてない。ものすごく恐ろしいこと。それだけです」
 自身が乗船する復員船「氷川丸」を見て、胸いっぱいに安心を感じた。46年の秋になっていた。
 福岡に戻った木須さんは、引き揚げ孤児を収容した「和白青松園」で働いた。大人の身勝手な戦争で両親を奪われた子どもたち。いたたまれなかった。
 そこでの夜は、さらに胸が締め付けられた。「あーちゃん、あーちゃん……」。母を呼ぶ子どもたちの言葉が悲しく響いた。
 戦後4年、木須さんは隆さん(故人)と結婚する。夫もまた、戦争に翻弄された青春だった。
 九州大学で航空工学を学び、戦争で長崎県大村市の第21海軍航空廠へ。全国から集められた技術者や工員と共に、東洋一の飛行機製作工場で働いた。
 45年8月9日。格納庫にいた隆さんは突然の光と爆風を受けた。何事かと外に出て南の空に目を向けると、キノコ雲が見えた。“3日前、広島に落とされた新型爆弾(原爆)が長崎にも落ちた”。そう思ったと手記に残している。
 戦後、連合国軍総司令部(GHQ)は日本の航空機生産を禁止。空に憧れた隆さんは道を断たれ、教員となった。52年に禁止が解かれると、求人を見つけて「航空技術者」として、家族を連れ、岐阜へ転居する。
 仕事を辞めた木須さんは、3人の子育てに追われた。創価学会の話をする近所の婦人の笑顔に妙に引かれた。61年、まず木須さんが入会する。御書を拝し、平和の哲学を世界へ広げる池田先生に感動を覚えた。
 隆さんは信心に反対だったが、次第に、妻の話に耳を傾けるようになり、手に取った書籍が人生を変える。先生の『科学と宗教』。戸田先生の原水爆禁止宣言や、核兵器について記されたページには隆さんの線が引かれている。
 「所詮は科学が悪いのではない。それをあやつる人の問題である」「人間あっての科学であり、人間の生存を守ってこそ、科学の科学たるゆえんがあるのである。人類を不幸におとしいれ、文化を破壊して、どうして、科学と呼ぶことができようか」
 人間革命の哲学に共感し、妻に遅れること4年、夫は入会した。
 人間が戦争を繰り返す。だが、その人間は戦争のない平和を必ずつくり出せる。そう信じ、新たな夫婦の歩みが始まった。
 「人間の醜さを、戦争で見せつけられた。でも誰かを責めてもしょうがない。世の中に対して、悲観的でした。信心をして、そこから抜け出した感じがします。大げさかもしれないけど、平和のために私が立ち上がろうと思えた。平和を願う思いを行動に移そう、先頭に立とうって」
 そう語る木須さんは看護の道から離れ、学生時代から続けた茶道に力を注ぐように。教室を開き、裏千家の終身師範として教えた。芸術部員となり、茶道の姿勢も変わったという。
 「お点前は一つの飾り。大切なのは、その心の底の精神です。何があっても揺るがず、人の和を重んじる。それが、生命尊厳の心に通じます」
 かつての敵国・アメリカに渡ったのは81年。日米親善交流の使節団として3都市を回り、仏法対話をしたこともいい思い出となった。
 隆さんは定年した翌年の83年、新たな仕事をつかむ。中日本航空専門学校での非常勤講師の職だった。
 青年時代、戦争に利用され、奪われた夢。60代になって、未来を形作る世代の育成に携わることができた。
 後年、学科長に就任し、航空機と関連機器の設計、生産、運用、整備を行う技術者の養成を担う。青年たちに伝えたのは、技術を磨くことだけではない。「人間を磨け」と訴える教員だった。
 そんな夫を支えながら、木須さんもまた平和への情熱を胸に地域に飛び込んだ。中学校に通っては茶道を教え、市の更生保護女性会では会長を務めた。
 「世界平和」とは何か。池田先生はつづっている。
 「それは具体的には、母と子が笑顔で暮らせる世界の実現にほかならない。そのために、我らは戦う!」と。
 木須さんは8年前に夫を亡くし、現在、95歳。行動範囲は狭くなっても、平和のために歩む心は変わらない。楽しみにしているのは、自宅で開かれる婦人部の集い。
 「あと、教学が大事ですね」
 起床後に御書を開き、毎朝1ページずつ読み進めることを日課にしている。

◆〈婦人部のページ〉 白ゆりの輝き  使命の舞台で朗らかに

「花々と“対話”しながら手入れをしています」と池田さん

 婦人部でも多くのメンバーが、学会活動と仕事の両立に挑戦している。ここでは、師との誓いを胸に、社会で奮闘する友のエピソードと共に、池田先生の言葉を紹介。

池田先生の言葉から
家事と仕事の両立、子育て、自身と家族の健康、介護など、日々の生活は慌ただしい。これまでになかった少子高齢社会の厳しい課題にも直面しながら、学会活動に励むことが、どんなに尊いことか。
 あの草創の学会婦人部のたくましさ、朗らかさをそのままに受け継ぎつつ、新時代の白ゆりのスクラムは、いっそう爽やかに清々しく、地域に信頼の花、友情の花を咲かせてくれている。
 大変なればこそ、「極楽百年の修行」に勝る「一日の功徳」を積んでいることを毅然と確信されたい。(「大白蓮華」2016年6月号)
                    ◆ ◇ ◆
 御聖訓にいわく、「妙とは蘇生の義なり」(御書947ページ)。広布へ戦う祈りがあれば、偉大な生命力が湧く。
 信心とは、祈りを原動力として、社会で勝ち、生活で勝つことだ。地域や職場でも、模範の存在になってもらいたい。現実の仕事は、智慧と努力と忍耐をもって、しっかり頑張り抜くことである。
 誠実さ、明るさが、信頼をつくる。あいさつの仕方、礼儀のあり方、言葉遣い――ここに人生勝利の源泉がある。(2013年9月15日付「名誉会長と共に 今日も広布へ」)

勇気と希望の信心で前へ

広島 皆みな美み共戦区・皆実支部 神薗かみぞの和枝さん 地区婦人部長(支部副婦人部長兼任)

 広島市南区にある訪問介護ステーションで、介護福祉士として活躍する神薗和枝さん。「時には力仕事もありますが、利用者さんからの『ありがとう』の言葉や笑顔で、疲れは吹き飛びます」と爽やかに語る。
 職場では、事務作業を担いつつ、介護現場の最前線で奮闘する。不規則な勤務の中、急な出動や、救急車に同乗することも。学会活動との両立に悩んだ時期もあったが、「悩んで立ち止まる前に、今できることに精いっぱいチャレンジしよう」と、笑顔で前を向く。現在、3回目の地区婦人部長の任を受け、地域広布の拡大に走る。
 昼間の活動を支えてくれる担当の支部副婦人部長や地区副婦人部長に、感謝の思いは尽きない。日々、小まめに連携を取りながら、休日には思う存分、懇談・激励に動く。
 神薗さんは東京・墨田で地域の知人に折伏され入会。結婚し、しばらくして広島の地へ移った。
 夫のギャンブルや借金などに苦しみ、39歳で離婚。育ち盛りの3人の子どもを抱え、介護の道へと進んだ。「無我夢中で家事、仕事、そして学会活動に挑みました」と神薗さんは振り返る。
 3年間の現場経験を経て、介護福祉士の国家試験に合格。新たなスタートを切った直後、神薗さんを病魔が襲う。乳がんだった。
 「分かった時はショックで、頭が真っ白になりました。でも、子どもたちのために、“絶対に死ぬもんか!”と、自分に強く言い聞かせました」
手術は無事に成功。つらい抗がん剤治療が続き、心がくじけそうな時、池田先生の指導が目に留まった。
 「人間だれしも病気になることはある。肝心なのは『病気に負けない』ことだ。『強い心』『負けない心』があるかぎり、人間は、すべてをプラスに転じていける。いわんや、私どもには、最高の勇気と希望の源泉である『信心』がある」
 “そうだ、私には信心がある!”――神薗さんは「10年後の自分」という目標を掲げ、生き抜くことを誓い、ひたぶるに祈った。数カ月に及ぶ治療も、師の励ましを支えに耐え抜き、仕事にも学会活動にも復帰した。
 「あの時に待っていてくれた会社の同僚、励ましてくれた同志の皆さんがあって、今の私があるんです」と感謝を口にする神薗さん。経済革命など、掲げた目標の全てを果たすことができた。
 その後、長女もがんを患うなど、試練は続いたが、そのたびに強盛な信心を奮い起こし、勝ち越えてきた。
 神薗さんは語る。
 「自分が苦しんだ分、悩める人に寄り添える人でありたい――全部、学会の中で学んできたことです」。神薗さんはきょうも、感謝を胸に、職場でも、広布の現場でも笑顔で友に励ましを送る。

師とつづる幸福の劇ドラマ   小説『新・人間革命』と共に
人間の真価は、いざという時にすべて現れる。学会が難を受け、非難と中傷の集中砲火を浴びた時に、いかに行動するかが、いっさいの分かれ目です。難こそ自身の成長のチャンスであり、大飛躍の時です。ゆえに、ひとたび難があったならば、それを喜びとし、また、誇りとして、敢然と戦う師子王の如き皆さんであっていただきたい。
(第2巻「先駆」の章、36ページ)

2019年7月 8日 (月)

2019年7月8日(月)の聖教

2019年7月8日(月)の聖教

◆今週のことば

勝利を決するのは
不屈の折伏精神だ。
「いまだこりず候」
何があっても題目で
朗らかに攻めきろう!

◆名字の言

先日、学会の会館でトイレに行くと、一人の壮年が腰をかがめ、スリッパをそろえていた▼自分が使ったものだけではなく、6足のスリッパを等間隔に並べていく。お礼を言うと、壮年が気恥ずかしそうに話してくれた。「いつも気にせず使っていたんですが、友人の言葉にハッとしたんです」▼壮年が以前、仏法対話を重ねてきた友人と会館を訪れた時のこと。友人から「学会の会館は雰囲気が爽やかで、気持ちが良いね」と言われた。「特にトイレのスリッパ。いつもきれいに並べられている。使っている学会員の心が表れているよね」と。後日、友人は入会した。それ以来、壮年は来館するたびにスリッパを気に掛けるようになったという。「仏法を語るだけでなく、日頃の行動が大切」と▼古代インドでは、血筋などによって社会的地位が定まっていた。だが仏教を開いた釈尊は言った。「生れによって賤しい人となるのではない」「行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモン(尊敬されるべき人)ともなる」と(中村元訳『ブッダのことば スッタニパータ』岩波文庫)▼仏法の目的は心の安寧だけではない。すがすがしいあいさつ。こまやかな心遣い。一人を大切にする振る舞い。そうした「行動」にこそ仏法の輝きがある。(誼)

◆寸鉄

「言ごとに・せめかえす」
 御書。青年よ毅然と語り
 抜け!民衆の大城を守れ
      ◇
 兵庫よ戦いはここからだ
 不屈の関西魂で勝ち捲れ
 痛快なる逆転勝利の劇を
      ◇
 我々の運命はいま決定す
 るのだ―詩人。大満足の
 人生を開く本因妙の前進
      ◇
 熱中症の発症は屋内が最
 多と。小まめな水分・塩分
 補給、冷房利用等で対策
      ◇
 世界の飢餓が8億人超。
 温暖化も大きな因。市民
 の声で国際社会を動かせ

◆社説 きょう白蓮グループの日  自身の舞台で“使命の華”を爛漫と

 女子部・池田華陽会の先頭を走る白蓮グループがきょう8日、「グループの日」を迎えた。
 1957年(昭和32年)5月、同部の「整理班」が発足。女子部幹部会等の諸行事の運営・整理などに献身した。この整理班が淵源となり、66年(同41年)に池田先生が、自発の心で清掃などの作業に取り組む女子部の友に「白蓮グループ」との名称を贈り、同年7月8日付の本紙で発表された。以来53年。
 「新時代1期生」が誕生した今期からは任務の際のスタイルも一新され、従来のグリーンのユニホームから、蓮をモチーフにしたカラフルなスカーフを私服に着用する姿に。全国から反響の声が相次いでいる。
 さらに本年、指導集『勝利の女王 白蓮グループ』が完成。池田先生は「発刊に寄せて」の中で「『勝利の女王』とは、私が皆さんに贈った“白蓮”の別名です」と強調。
「賢き『振る舞い』」「朗らかな『心の財』」「大らかな『友情と連帯』」の三つの勝利を通し、「どうか、皆が満天の星のように、仲良く賑やかに福智の青春を乱舞しながら、『人間革命』の清新なる勝利の光を思う存分、放っていってください」と万感こもる励ましを送っている。
 この指針の通り、今、“白蓮姉妹”の励ましのスクラムは、地球上の至る所で周囲に希望を広げ、幸福勝利を開く原動力として輝いている。
 兵庫の地で「新時代1期生」として奮闘する友。高校生の時に発症したパニック障害や不安障害と向き合いながら、白蓮グループへの挑戦を決意できたのは、いつも悩みを聞いては寄り添ってくれる先輩の激励のおかげだった。
 「蓮は泥の中から大きく咲く。苦悩が多い分だけ、きっと心にすてきな白蓮を咲かせられるはずだよ」
 以来、“自分も人を励ませるようになろう”と誓い、率先して学会活動に挑戦。本年3月には友人を座談会に招き、人生初の仏法対話にも臨んだ。
 高校時代に「NHK杯全国高校放送コンテスト」で日本一に輝いたこともある彼女は今、夢である声優を目指して“声”を磨き、広布の最前線で正義の言論戦に果敢に取り組んでいる。
 女子部は今、結成記念日の「7・19」を目指し、「誓いの拡大! 師弟勝利月間」を勢いよく前進する。その中核として誓いの青春を力強く歩む白蓮の友は、「勝利の女王」の誇りを胸に、きょうもわが舞台で“使命の華”を爛漫と咲かせている。

◆きょうの発心 大願に生きる人生に喜びと感謝 2019年7月8日

御文 浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり(顕仏未来記、509ページ・編562ページ)
通解 浅い教えは信じやすく理解しやすいが、深い教えは信じ難く理解し難い、とは釈尊の教判である。浅きを去って深きに就くのが仏の心である。

 浅い爾前権教を捨て、深い法華経につくことが、仏の心であり成仏の直道である、との釈です。

 学生時代に自身の宿命転換を願って入会し、初めて学んだのが、この一節です。
 就職後、仕事と学会活動の両立に行き詰まっていた時に、先輩・同志の皆さまが毎日のように激励してくれました。その真心に胸を熱くし、“もう一度、信心根本に自分と向き合おう”と決意。その後、創価班の一員になり、さまざまな薫陶を受けられたことが、大きな財産になっています。
 1982年(昭和57年)4月29日に開催された「第1回中部青年平和文化祭」に向けて、仕事など多忙の合間を縫って組み体操の練習に全力で挑戦。当日、池田先生との出会いを刻み、「生涯、学会と共に」との決意を定めることができました。
 三河創価県は、“師弟の月・7月に新たな歴史を築こう”と勇気の対話に励んでいます。
 師匠が示してくださった、“広布の大願に生きる人生”に喜びと感謝を忘れることなく、勝利の大道を歩んでまいります。
 愛知・三河創価県副県長 荒木準一


【先生のメッセージ】

◆御書と歩む――池田先生が贈る指針Ⅱ 78 「師子王の心」とは「勇気」

御文 悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し(佐渡御書、957ページ)
通解 悪王が正法を破ろうとし、邪法の僧らがその味方をして、智者をなきものにしようとする時は、
師子王の心を持つ者が必ず仏になるのである。例を挙げれば、日蓮である。

同志への指針
 この御本仏の仰せ通り、三類の強敵と戦い抜いてきたのが、我ら創価の師弟である。
 人間を軽賤し、民衆を攪乱する増上慢の魔性は、「師子王の心」でなければ打ち破れない。
 ここに立正安国の道があり、仏の道がある。いざ、題目の師子吼で無敵の勇気を!
 恐れなく正義の声を放つのだ。人間の尊厳のため、民衆の凱歌のために!


【聖教ニュース】

◆「先駆」こそ九州永遠の魂 指針発表からあす52周年 九州・福岡の記念月間  私が、全地区が“対話の新記録”を

昨年7月に、「九州総会」の意義を込めて開かれた本部幹部会。未来部・青年部の友が、後継の誓いを胸に大合唱した(福岡市の九州池田講堂で)





昨年7月に、「九州総会」の意義を込めて開かれた本部幹部会。未来部・青年部の友が、後継の誓いを胸に大合唱した(福岡市の九州池田講堂で)


 創価三代の師弟不二の大闘争が刻まれた7月。「九州・福岡 先駆完勝月間」がきょう8日、勢いよくスタートした(31日まで)。

 九州に「先駆」の使命が刻まれたのは1967年(昭和42年)7月9日、福岡で行われた九州本部幹部大会だった。
 池田大作先生は、福岡スポーツセンター(当時)に詰め掛けた1万2000人の友に“九州ここにありという、先駆の模範を”と力説。永遠の指針「常に先駆の九州たれ」を贈った。
 以来52星霜。九州広布の途上には、幾多の試練の坂も苦難の山もあった。しかし、“先駆とは一番弟子の異名”とたたえる池田先生の度重なる激励を力に、友は誓願の炎を燃やし、勝ち越えてきた。
 先生は折に触れ、九州の友に「先駆」の魂を打ち込んできた。
 「先駆は常に嵐である。先駆は常に激戦である。先駆は常に労苦である。だからこそ先駆は最も偉大であり、最も崇高なのである。功徳も大きい」
 「大九州が社会で勝つことが、全世界への大折伏です。九州の完勝こそが、立正安国の先駆だからです」
 「わが九州にみなぎる『先駆』の精神とは何か。第一に『自発能動』の信心である。第二に『大勇猛心』である。第三に『疾風迅雷』の行動力である。九州は、この精神で、戦って戦って戦い抜いて、三類の強敵の暴風を突き抜けてきた」
 「格好ではない。気取りなどもいらない。ほしいのは広宣流布のために、本気で戦う魂と行動だけだ。この大闘争心が『先駆』の魂であるからだ」
 そして2018年1月、池田先生は「永遠に先駆の大九州たれ」と、万感の期待を寄せている。
 7月は、「先駆」の指針52周年をはじめ、現在の九州広布の基礎をつくった霧島での未来部研修(1983年)など、幾多の先生の激励行が刻まれた月。
 福岡をはじめ全九州では、全地区の、私の“対話拡大の新記録”で師恩に報いる時と、共戦の炎をたぎらせる。平井九州長、川上同婦人部長は代表して誓う。
 「全同志が池田先生と心を合わせ、この戦いあったればこそ、福岡と九州に盤石な広布の基盤が築かれたと、後世に仰がれるような師弟共戦の凱歌の歴史を打ち立ててまいります!」


【特集記事・信仰体験など】

◆「友好交流覚書」に基づく訪日を終えて 中国人民対外友好協会 宋敬武副会長

 創価学会との「友好交流覚書」に基づき、中国人民対外友好協会の宋敬武副会長ら代表団が3日から6日にかけて来日。総本部や東北文化会館、創価大学などを訪れた。

◆〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉52 創価の誇りに燃える「一人」から大波が 勇気の師子吼が広布の原動力  公明は日本政治の安定に不可欠

〈出席者〉
原田会長
長谷川理事長
永石婦人部長
志賀男子部長
大串女子部長

広宣流布に生き抜く、私たちの「前進また前進」こそ、人類の平和を築きゆく希望――さあ、「人間革命」即「立正安国」の物語を世界へ、未来へ!(6月、四国・愛媛の代表幹部会)

 永石 大変うれしいことに、池田先生・奥さまが7月3日、東京牧口記念会館を訪問されました。牧口先生、戸田先生の生涯をしのび、勤行・唱題をされ、全世界の同志の健康と福徳と安穏、そして勝利を祈念してくださったのです。

 長谷川 さらに、創価大学のキャンパスを視察され、多くの学生らから喜びの声が届けられています。

 原田 先生は7月3日について、「師と弟子の金剛不壊の魂が命懸けの闘争の中で結合し、永遠の歴史に刻まれた『師弟常勝の記念日』なのである」と言われています。偉大な創価三代の師弟に連なる私たちは、必ずや広宣流布と立正安国の戦いに勝利し、報恩の誠を尽くしていきたい。

破邪顕正の「宝剣」
 長谷川 「青年の月」「師弟勝利の月」である7月。11日は、男子部の結成記念日です。今、広布の激戦の中で、破邪顕正の宝剣を磨き鍛える、男子部一人一人の成長を、先生は心から喜んでくださっています。

 志賀 先生は男子部結成の日を振り返り、「人数ではない。役職でもない。まず一人だ! まず一人である! 決意深き一人の青年の胸に、『創価』の誇りが燃えているかどうかだ! その不滅の炎が、次の一人、また次の一人へと、燦々と燃え広がり、広宣流布の大波となっていく」とつづられました。この指針を命に刻み、男子部は“不二の山本伸一”となり、広布の城を守り継承していきます。

 原田 青年の熱と力、そして勇気の師子吼こそ、仏の軍勢を勝利へ導く原動力です。御聖訓に「一の師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分にわる」(御書1316ページ)と仰せです。共々に勇敢に戦い抜き、師弟の正義を満天下に示していきたい。
与党内のリード役
 大串 参院選が公示され、期日前投票が始まっています(20日まで)。

 永石 21日の投票日に向け、マスコミ各社の報道も熱を帯びています。私たちが支援する公明党の山口代表は、今回の参院選の争点は、国内外で起きている荒波を前に、「与党の勝利で政治を安定させるか」それとも「混乱に陥るか」であると、述べています。

 志賀 確かに12年前の参院選で与党が敗北したことが、民主党政権の誕生につながりました。しかし、国民の期待を裏切る結果となったのです。実際、民主党政権は、読売新聞の世論調査で“平成で最も悪い影響を与えた政治的出来事”と評されています。

 原田 現在、国際社会は分断が深刻化しています。その中で日本の政治的・社会的な安定は際立っていると、国内外の多くの識者が評価しています。

 大串 それは政権の一翼を担う公明党が、生活者の視点に立ち、幅広い国民の声を国政に反映させているからこそですね。

 長谷川 日本は今、人口減少と少子高齢化の同時進行という、世界に類を見ない難局に直面しています。そこで公明党は、皆が安心して暮らせる社会を築くため、「子育て支援」から「老後の安心」までを見据えた「全世代型の社会保障」を訴えてきました。

 志賀 これについて、政治評論家の森田実氏が「安倍晋三首相は今年の施政方針演説で『全世代型の社会保障』を打ち出し、公明党の社会保障の方針が、政府の方針になった。公明党の55年の努力の成果だ」と語る通り、公明党の粘り強い働き掛けにより、政府が新たな動きを始めたのです。

 原田 たとえば教育。公明党が昨年、実施した「100万人訪問・調査」運動の中で、最も多かった意見の一つが「子どもの教育に、お金が掛かりすぎて心配。何とかしてもらいたい」との声だったそうです。

 長谷川 公明党は、そうした点を踏まえ、与党内での議論をリードし、「日本の教育政策において歴史的転換点」といわれる、幼児教育・保育の無償化、私立高校授業料の実質無償化、大学や専門学校などの無償化という、「3つの無償化」を実現させたのです。

 大串 また、高齢者支援としては、低年金の高齢者の年金支給額に最大で年6万円(月5000円)の上乗せをし、さらに所得の少ない高齢者の介護保険料も軽減させます。

 志賀 10月に実施予定の消費税率引き上げによる増収分が財源となります。

 大串 なお、増税による暮らしへの影響を少しでも緩和するため、公明党は、飲食料品などの税率を8%に据え置く「軽減税率」を実現させました。毎日の買い物で「税が重くなった」という感覚を和らげるための施策です。

 永石 住民税非課税世帯と3歳半未満の子どもがいる世帯を対象に「プレミアム付き商品券」も発行。住宅、自動車についての減税や給付も行われます。

 原田 さらに公明党は、“納税者の皆さんに重い負担をお願いする”からこそ、“自らも身を切るべきである”と、議員歳費10%の削減を公約に掲げています。

 永石 また、高齢の方による自動車のアクセルとブレーキの踏み間違い等による事故が相次いでいます。そこで公明党は「希望ある“幸齢社会”」を構築するため、安全運転サポート車の購入支援や、コミュニティーバスの整備等による、「新たな移動サービス」の実現を目指しています。

 原田 一橋大学大学院の中北浩爾教授は、「公明党が存在感を示すことは、日本政治を安定させる上で不可欠」と述べています。日本政治を安定させ、さらに国民の安心を守り、希望の未来を開くためにも、公明党は、今回の参院選を何としても勝ち抜いてもらいたい。そのためにも、議員OBや家族、そして全議員が死力を尽くしてほしい。


◆〈開学20周年へ 未来を開くアメリカ創価大学〉第2回 全米トップの多様性  識者「池田先生の行動と理念に学ぶ時」

創立者・池田先生と、モアハウス大学教授のカーター氏が再会(2002年9月、聖教新聞本社で)。現在、氏はSUAの理事として大学の発展に尽力する


創立者・池田先生と、モアハウス大学教授のカーター氏が再会(2002年9月、聖教新聞本社で)。現在、氏はSUAの理事として大学の発展に尽力する

 アメリカ創価大学(SUA)には、文化や宗教の差異を超えて、創立者・池田先生の思想と行動に賛同する人々が世界中からやって来る。学生、教職員、そして各界の識者・リーダーである。
 2001年5月4日、開学翌日の記念講演会で、SUAの使命を巡りスピーチしたのは、アフリカ系アメリカ人のキリスト教の牧師――ローレンス・カーター氏だった。現在、SUA理事を務めている。
 カーター氏は、アメリカ公民権運動の指導者マーチン・ルーサー・キング博士の母校モアハウス大学の宗教学教授であり、キング国際チャペルの所長。キング博士の精神の継承と宣揚に生涯をささげる。
 氏には長年、ある問題意識があった。
 それは、歴史的人物が偉人として「神格化」されると、今を生きる人々から「疎遠」な存在になってしまうことだった。
 キング博士を「尊敬」する人は多い。だが、その思想を「実践」する人は、どれだけいるのか――。
 そんなある日、氏は一人の学者を通じて、池田先生の平和闘争を知る。SUA開学の前年に訪日し、先生との初会見が実現。“キングの非暴力の精神を現代に受け継ぐ人物こそ池田先生である”との確信を深めた。
 記念講演会で、氏は1000人の市民を前に力説している。「池田先生の行動と理念こそ、アメリカが必要としているものであり、アメリカ創価大学は、その創立者ゆえに、すでにアメリカの、そして世界の名門大学なのです」
 創価教育の新たな時代の開幕を告げるSUAの開学。その意義を、異なる背景をもつ人物が誰よりも深く理解し、たたえる姿自体が、多様性を尊重するSUAの理念の普遍性を象徴しているといえよう。

価値ある生き方
 米メディア会社「USニューズ・アンド・ワールド・リポート」が発表する大学ランキングによると、SUAは「国外からの留学生数の割合」が40%を超え、全米トップ。その数は、日本を筆頭に、ネパール、ベトナムと続く。
 なぜ、世界中から学生たちが集まるのか。ヒョン・ムーン学生部長は「新入生の多くが“貢献的人生を生きゆく世界市民の育成”という理念に共感したからだと思います」と分析する。
 SUAには今、新入生の入学審査を担当する職員として、国内外の高校生に大学案内を行う3人の同窓生がいる。皆、かつては「創価」という言葉を聞いたこともなかった。
 チェルシー・ダガーさん(10期)は、サンディエゴ出身。アーロン・ペリーさん(同)は、陸上競技のアスリートとして奨学金を得て入学した。二人は国内の受験生の募集を担う。アストリッド・ドランテスさん(7期)は、海外留学生の窓口だ。
 そんな彼らに、幾つかの質問をぶつけてみた。
  
 ――SUAに進学を決めた理由は?

 ダガーさん 「平和」「愛」「大学」といった言葉をインターネットで検索し、SUAを見つけました。“世界に貢献する”という理念を知り、“ここで学びたい”と思いました。多くの大学が「知識の習得」を中心とした宣伝を行う中で、SUAは何かが違うと直感したんです。

 ペリーさん SUAから車で30分ほどの場所で生まれ育ちました。でも、SUAについて何も知りませんでした。高校2年生の時に、SUAからパンフレットが届きました。“こんな美しいキャンパスは、どこにあるんだろう”と思い、所在地を確認すると、まさかの近所だったのです(笑い)。

 ドランテスさん 私が通っていた高校は、ハーバード大学などの名門校を目指す生徒が多い学校でした。漠然と“世界を良くしたい”という思いがありましたが、その方法は分かりませんでした。そんな中、今の職場の上司から、創立の理念や、全員が海外留学を経験する「スタディー・アブロード」について聞き、SUAに引かれました。
  
 ――4年間で得たものは?

 ダガーさん 以前は、勉強一筋の生真面目な性格でしたが、SUAで「価値創造」の意味を考えました。人間の価値は「生産性」だけでは決まらない。むしろ、友達や家族を、どこまで大切にできるか――そこに、人として最も大事な価値があると学びました。

 ペリーさん 異なる文化や言語の人たちに対する理解力と包容力を培うことができました。どんな人も、さまざまな悩みを抱えながら懸命に生きていることを知り、誰にでも共感できる自分になれたと思います。
 父は日本人とアフリカ系アメリカ人のハーフ、母はメキシカンで、両親も私もクリスチャンです。私がSUAで学び、素晴らしい友人たちと成長し続けている姿を見て、親族も皆、喜んでいます。

 ドランテスさん やはり「価値創造」という哲学、生き方ではないでしょうか。私にとって「価値創造」とは「人々を励ますことを人生の目的に据える」といえます。
 日本語を学習し、3年次には札幌に留学しました。その後、ホストファミリーがわが家を訪れる機会があり、父と母はとても喜んでいました。
 両親は、私たちきょうだいの教育の機会を広げるために、メキシコからアメリカへ移住しました。SUAのおかげで、私は今、“両親の夢”を生きています。同窓生で、日本出身の夫にも出会うことができました(笑い)。

 ――高校生たちに伝えているSUAの魅力とは?

 ダガーさん 公立、私立、カトリック系、ユダヤ系と、さまざまな高校に足を運び、SUAをアピールしています。
 アメリカには数多くのリベラルアーツ(一般教養)の大学が存在する中で、「創価のリベラルアーツとは何か」を訴えています。あえて一言で言えば、「人々に尽くすための教育」です。そこには、創立者が言われる“大学は、大学に行けなかった人のためにある”との精神が脈打っています。

 ペリーさん 全米各地の大学フェアに参加したり、高校訪問などを行ったりしています。SUAは大学ランキングで上位にランクインしているので、さまざまな高校から問い合わせがあります(編集部注=全米のリベラルアーツ大学233校の中でSUAは総合22位)。
 高校生たちには、1クラス12人程度の少数精鋭の教育環境について訴えています。教職員との垣根がなく、授業以外の時間でも勉強や私生活のアドバイスをもらえる。この「学生第一」の気風はSUAの誇りです。

 ダガーさん 大学フェアで、ある男子高校生が尋ねてきました。「ウェブサイトでは分からない魅力は何ですか?」と聞かれ、私はすかさず「友情です」と答えました。
 学生ですから、普段は勉強で忙しいのは当然です。しかし、例えば学生祭となれば、皆でダンスを披露するために練習に集まること。寮生活では、国籍や習慣の違いを超えて、何でも語り合い、一生の友情が築けること……。「家族のような絆を結べる大学がSUAです」と語ると、彼は「受験します!」と決意してくれました。

 ドランテスさん 海外の多くの高校生たちが、「世界市民」という人材像に魅力を感じているようです。
 先日も、南米エクアドルのアマゾン地帯に住む高校生と連絡を取りました。毎日、さまざまな国や地域の生徒たちからメールが届きます。
 かつての私のように「世界をより良くしたい」と願っている高校生は、たくさんいます。だからこそ「社会変革の道を学ぶ場所がSUAです」と、これからも真剣に訴えていきます。

母校愛の人に
 去る5月24日、SUAの第15回卒業式が盛大に開催された。
 今回、晴れの門出を迎えたのは、18カ国・地域の124人。同窓生の代表も各地から祝福に駆け付け、「創宝会」(同窓の友の集い)のスクラムは、1400人を超えた。
 キャンパスでは毎年、卒業式に合わせて創宝会総会が開かれる。その模様はインターネットでも中継され、池田先生が“最優秀の卒業生”とたたえる一人一人が、青春の誓いを新たにする。
 “最優秀の卒業生”とは、どんな人を指すのか――。社会的に華々しく活躍する人物、それが世間一般の基準であろう。
 その上で、先生はハブキ学長ら大学首脳に語っている。
 「大学にとって一番、尊く、大切な卒業生とは誰か。それは母校を愛する人です。母校愛の人がいる限り、大学は発展していくのです」
 母校愛で結ばれた、多様性あふれる“同窓の光”が今、世界中で希望の輝きを放っている。


◆〈世界の機関紙・誌から〉 台湾SGI 張芳榜さん “円満”“調和”の哲学を形に4

 「美術一本で生活していけるだろうか」――。昨年7月、私がインタビューを受け、インターネット上に公開されている約25分間の番組のテーマです。

«2019年7月7日(日)の聖教