2018年5月26日 (土)

2018年5月26日(土)の聖教

2018年5月26日(土)の聖教

◆わが友に贈る

「未来の果」は
「現在の因」にあり。
勇んで打って出よう!
「決意即行動」
「行動即歓喜」だ!

◆名字の言

  歌舞伎俳優の十八代目中村勘三郎さんは、暇さえあれば、いつでもぶつぶつ、ぼそぼそと口ずさむように台詞を覚えていたという。その動作を自ら“台詞を食う”と表現した▼そんな勘三郎さんは、芝居の舞台になっている場所をしばしば訪れていた。「情景をいつでも目に浮かぶようにしておけば台詞にもリアリティが出てくる」「家で覚えているよりも、実感として、湧く」と(『勘九郎とはずがたり』集英社文庫)。たゆまぬ鍛錬と工夫の積み重ねによって、観衆の心を動かす迫真の演技が生まれた▼私たちの活動の基本は、真心こもる励ましを目の前の友に送ること。そのためには、自ら友のもとへ足を運び、よく話を聞き、その状況を知る努力が欠かせない▼家庭や仕事の状況が分かれば、その心にしっかりと寄り添うことができる。生活の悩みや課題を知れば、具体的な助言もできるだろう。後で表情や声の様子を思い出せば、友の幸福を願う祈りにも、いっそう熱がこもるものだ▼池田先生は「人間は、自分のことを『わかってくれている人がいる』、それだけで生きる力がわいてくるものです」と語った。相手を理解すること自体が、時に最高の励ましにもなる。腰を据え、友の心のひだに分け入る対話を続けたい。(値)

◆寸鉄

  「日蓮と同意ならば地涌
 の菩薩」御書。広布誓願が
 創価の魂。心新たに出発
      ◇
 広島県女性の日。我らの
 対話が最高の平和の道。
 朗らかに心通う語らいを
      ◇
 苦労しない人間に、いっ
 たい何ができるか―戸田
 先生。青春の労苦は財産
      ◇
 ひったくり、各地で頻発。
 鞄は建物側、自転車には
 防犯網を。警戒心持って
      ◇
 大卒就職率、過去最高の
 98%と。若者の活躍こそ
 未来。公明よ、後押し更に

◆小説『新・人間革命』第30巻 誓願の章  五十二 2018年5月26日  (6382)

 山本伸一は、九月二十一日、初めて韓国を訪問した。ソウル市の中央日報社ビルの湖巌ギャラリーで開催される、東京富士美術館所蔵「西洋絵画名品展」韓国展の開幕式に、同美術館の創立者として出席するためである。
 伸一は、韓国は「日本の文化の大恩人」であり、東京富士美術館所蔵の西洋絵画を同国で初公開することによって、せめてもの「恩返しの一分」になればと考えていた。
 また、「人類の宝」を共有し合う文化の交流は、奥深い魂の共鳴を奏で、日韓友好を促進する道であるとの信念があった。さらに、それは、仏法の人間主義を基調に、平和・文化・教育の交流を推進している創価学会への理解となり、メンバーへの励ましになるにちがいないと確信していた。
 二十二日、韓国を発った伸一は、福岡、佐賀、熊本、鹿児島と回り、十月二日に東京へ戻った。
 そして、六、七の両日は、大石寺開創七百年慶讃大法要・初会に臨んだ。学会は、この時までに、正本堂の補修整備や、総一坊、総二坊の新築寄進などもしてきた。
 初会第二日の七日には、伸一が発願主となって寄進した大客殿天蓋の点灯式も行われた。八葉蓮華をデザインした大天蓋は、直径五・四メートル、高さ三・四五メートルで、伸一が点灯ボタンを押すと、透かし彫りの幢幡やカットグラスなどが金色の輝きを放った。
 この日、慶讃委員長として祝辞を述べた伸一は、胸中の厳たる思いを披瀝した。
 「宗祖大聖人は、開創の大檀越・南条時光殿に、『大難をもちてこそ・法華経しりたる人』(御書一五三八ページ)――大難にあってこそ法華経を知った人といえる――と仰せであります。いかなる難をも、正法弘通のためには決して恐れない。いな、大難こそ無上の誉れとしていく。この御聖訓の通りの金剛信を、私どもは、一生涯、深く持っていく決意でございます」
 まさに、その大難が競い起ころうとしていたのである。 

【先生のメッセージ】

◆〈御書と歩むⅡ――池田先生が贈る指針〉20  新しい人材を伸ばそう


御文 仏になりやすき事は別のやう候はず、旱魃にかわけるものに水をあたへ・寒冰にこごへたるものに火をあたふるがごとし(上野殿御返事、1574ページ)
通解 (人がものを教えるということは、重い車に油を塗って回りやすくし、船を水に浮かべて進みやすくすることである。)仏にたやすく成る道は、別なことではない。旱魃の時に喉が渇いた者に水を与え、寒さに凍えている者に火を与えるようなものである。

同志への指針

 学会は究極の「善知識」の世界だ。“これほどまでに”と祈り、心を砕き、励ましてくれる父母たちがいる。幾重にも良き先輩の触発がある。ゆえに、青年が輝き光るのだ。
 今、男子部の大学校生も、女子部・学生部の地涌の人材群も躍動している。
 後輩を自分以上に!――この大誠実が、自他共に「人間革命」しゆく推進力だ。

【聖教ニュース】

◆ブラジルのサンタカタリーナ州議会、ヴィラ・ヴェーリャ市議会が池田先生を顕彰
 「SGIは社会貢献の模範」


 サンタカタリーナ州議会からの顕彰プレート授与式。鼓笛隊の演奏などが花を添えた(フロリアノポリス会館で)
サンタカタリーナ州議会からの顕彰プレート授与式。鼓笛隊の演奏などが花を添えた(フロリアノポリス会館で)
 
 南米のブラジルで、池田大作先生への顕彰が相次いでいる。
 同国南部のサンタカタリーナ州議会から、人間の尊厳と世界平和促進への貢献をたたえ、顕彰プレートが贈られた。授与式は22日、州都フロリアノポリス市のフロリアノポリス会館で挙行された。
 きらめく海岸線と砂浜。緑豊かな牧草地帯と渓谷――サンタカタリーナ州は、美しき景観に恵まれた同国屈指の観光地として知られる。
 同州のSGI(創価学会インタナショナル)の友は、“良き市民”として社会の発展に尽力。2008年、150万人以上の被災者を出した集中豪雨災害の時も、支援物資の配布や、州内の会館を開放するなどして、全力で支援に当たった。
 そうした“市民の模範”と輝くSGIの社会貢献と、池田先生の地球規模の功績をたたえ、同州は09年、池田先生がブラジルを初訪問した10月19日を、同州の「ブラジルSGIの日」と制定した。
 今回の顕彰を発議したジェアン・クーマン州議会議員は、式典で次のように語った。
 「池田博士をはじめとするSGIの社会貢献の活動は、決して口先だけではない“実践の模範”です。未来の子どもたちのために、今後もSGIと手を携えて進んでいきたい」
                                                                       ◇ 
 また同国南東部エスピリトサント州のヴィラ・ヴェーリャ市議会から平和・文化・教育への貢献をたたえて、池田先生に顕彰状が贈られた。授与式は14日、同市議会議場で行われた。
 ヴィラ・ヴェーリャ市は、約48万人が暮らす同州最古の都市。今回の顕彰は、市議会の満場一致により決議されたものである。
 式典には、発議者のアルナルジニョ・ボルゴ市議をはじめ、市民の代表らが出席。
 席上、ボルゴ市議は「池田博士のリーダーシップによって、SGIは平和と非暴力の文化の普及に努め、一人一人の内面の開発を通して、平和社会の建設を推進してきました」と、その業績を心から賛嘆した。
 その後、ボルゴ市議から代理のブラジルSGI・メロ総合方面総合長に顕彰状が託され、会場に祝福の拍手が鳴り響いた。 
 
【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈虹を懸ける〉 池田先生とパナマ②    わが生命に”幸福の宮殿”を


日本とパナマの歌や踊りが披露された日パ親善文化祭。池田先生は友の熱演を心からたたえた(1981年2月21日、パナマ国立劇場で)


日本とパナマの歌や踊りが披露された日パ親善文化祭。 池田先生は友の熱演を心からたたえた(1981年2月21日、パナマ国立劇場で)
 
 「パナマ」と聞いて、パナマ運河、野球強豪国、パナマ帽を挙げる人は多いだろう。
 しかし、パナマ国民がどんな料理を食べ、どんな音楽を聴き、休日には何をして過ごすのかといった現地の暮らしぶりは、空路で20時間以上かかる日本では、ほとんど知られていないのではないか。
 日本との外交関係が樹立されたのは、パナマがコロンビアから独立した翌年の1904年。すでに100年以上が経過している。
 貿易大国・日本にとって、パナマ運河の存在は欠かせない。
 運河を利用する国々の中でも、その物流量は世界屈指である。パナマは距離は遠いが、実は私たちの生活に深く関わっているのである。
 池田先生の2度目の同国訪問(81年)は、両国の文化・教育交流を通じて、友情と平和の橋を架けるものとなった。
 2月19日。7年ぶりとなる先生の到着を待っていたのは、日本とパナマの国旗を手にした大勢の人々だった。その数は約1500人である。
 先生の再訪は、メンバーだけでなく、パナマ社会からも大きな注目を浴びていた。
 空港の貴賓室には、国営テレビの取材の席が用意されていた。
 「今回の訪問の目的は何でしょうか?」
 「創価学会はどういった団体ですか?」
 「パナマの国民に一言お願いします」
 インタビュアーからマイクを向けられた先生は、その一つ一つに丁寧に答えていく。
 「日本の理解、パナマ文化の理解を深めることです」
 「仏教を基調として、世界の平和・文化・教育を推進する団体です」
 「もっともっと日本に来てもらいたい」
 その様子は、テレビのニュース番組や新聞紙上で報じられた。
 インタビューを担当したのは、マヌエル・サンタマリアさん(故人)。SGIのメンバーだった。
 記者としての実力を買われ、職場で選ばれたのである。
 「主人はあの日、家に帰ってくるなり、興奮した面持ちで『最高に幸運なひとときだった』と言い、長い時間、御本尊の前に座っていました」と、妻のイダリアさんは振り返る。
 サンタマリアさんはこの出会いを生涯の誇りとして、広布一筋の人生を駆け抜けた。
 生まれつき、赤血球が壊れやすい遺伝性の病気を抱え、体が弱かった。しかし、学会活動に励む中で少しずつ健康になり、普通の生活ができるようになった。
 何度か発作を起こし、入院を余儀なくされたこともあったが、そのたび、心配そうに見つめる家族へ「大丈夫。仏法の素晴らしさを証明してくるよ」と語り、励ました。
 テレビ局を退職した後は、国立パナマ大学の教授となり、後進の育成にも努めた。SGIでは、支部長や本部長を歴任。2008年に息を引き取るまで、真実を伝える報道マンらしく、無理解や偏見の人にも誠実に仏法の素晴らしさや師の偉大さを訴え続けた。
 「父は、自分のこと以上に、友人や同志の幸福を祈る人でした。いつも、”お前たちに遺してやれるレガシー(遺産)は、この信心だけだ”と言っていました」(次男のジャセール・サンタマリアさん)
 今、この志を継ぐ友が、パナマ各地で奮闘している。

生活を大切に
 81年の池田先生の滞在は8日間。3日目の21日朝には、5年前(76年)に完成した新・パナマ会館に足を運んでいる。
 「ブエノス・ディアス(スペイン語で「おはようございます」)! お世話になります」
 先生は居合わせた同志に声を掛けると、次々と記念撮影を。その後。、メンバーと勤行・唱題。中南米各国から駆け付けた代表も交えて、3点にわたり懇談的に指導した。
 ――まず一つ目に、題目を唱えることは、自身の生命の中に”幸福の宮殿”を築くことです。たとえ現在が不幸であっても、最高の境涯が開いていくことを確信してください。
 二つ目に、「仲良く」を合言葉に進んでください。
 三つ目は、体を大切にすること。生活を大切にすること。職場を大切にすること。家庭を大切にすること。これが功徳を開いていく正しい法理です――
 そして、こう結んだ。「苦しい時、悩みがある時、お題目をあげることが、人生勝利の根本である」と。
 この日、エディルダ・デ・ロビンソンさんは、会館の2階に設けられた運営役員の部屋で、交流団を受け入れる準備を進めていた。先生は、その部屋にも顔を出した。
 「突然の出会いに、とても驚きました。先生は、私たち役員とも記念撮影をして、『広宣流布の労苦は、全てが福運となっていきますよ』と激励してくださったのです」
 ロビンソンさんは90年代、パナマ婦人部長として活躍する。
 就任直後、アメリカによるパナマ侵攻、夫の病、宗門事件と、社会にも組織にも自身にも試練の嵐が吹き荒れた。しかし、”先生から託された広布の灯を消してはならない”と、個人指導に徹し、「信仰即生活」の大切さを訴えていった。
 日本の多宝会に当たる「パナマ信心の王者・王女グループ」となった現在も、師と共に生きる喜びを語り伝えている。

平和と文化の力
 ”両国の友好関係に永続性をもたらし、実りあるものとするためには、教育と文化の交流以外にない”
 池田先生はパナマ初訪問(74年)の折、こう心情を述べた。
 81年の訪問では、この言葉の通り、日本とパナマの教育・文化交流の促進が図られた。
 その一環として、栃木や大分等の同志による交流団が結成され、パナマの各地で交歓の集いが開催された。
 21日には、そのメイン行事である「日パ親善文化祭」が、歴史あるパナマ市のパナマ国立劇場で昼夜2回に分けて行われた。
 テーマは「人間蘇生の歓喜舞」。
 第1部では、パナマのメンバーが各地方の伝統舞踊などを、第2部では、日本のメンバーがソーラン節などを披露した。
 フィナーレでは、全出演者が舞台に上がり、愛唱歌とパナマ国歌を大合唱した。
 夜の文化祭に出席した先生は、メンバーの熱演に喝采。「どこの国においても、どこの地域においても、きょうのこの日のように文化の華を咲かせ、民衆と民衆が合流し、融合していくところに、真実の恒久平和の華が咲くことを確信します」と、麗しい友情のステージをたたえた。
 当時、15歳だったルベン・ロドリゲスさんは、民族衣装を身にまとい、伝統舞踊を踊った。
 「立ち上がって惜しみない拍手を送ってくださった先生の姿は、この目に焼き付いています。81年の舞台は、私に”師匠を求める人生に限界はない”ことを教えてくれました」
 6歳で信心を始めたロドリゲスさん。これまで、15人以上の友に弘教を実らせた。
 腎臓の病を克服した体験を持ち、失業した時も、題目根本により良い条件で再就職を勝ち取った。何より、内向的な性格だったが、どんな困難にも自信を持って臨めるようになった。
 「文化活動を通じて社会に貢献したい」と力を込めるロドリゲスさんは、これまでパナマSGIの文化祭などで演出指導を担当。現在は、コーラスグループの団長を務める。
 平和と文化を愛する心は、パナマのメンバーの中に、生き生きと脈打っている。

◆〈6月度 男子部「御書活動者会」研さんのために〉 上野殿御返事(竜門御書)
 師弟不二の大願に立て 広布に生き抜く人生を

雪解け水が勢いよく流れる松川と残雪の北アルプス(長野県白馬村)。広布の大願を胸に、たゆまず前進の日々を


雪解け水が勢いよく流れる松川と残雪の北アルプス(長野県白馬村)。広布の大願を胸に、たゆまず前進の日々を

 6月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「上野殿御返事(竜門御書)」を研さん。師弟不二の「大願」に生き抜く重要性を学ぶ。

御文

 かりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへ・ちりを大地にうづむとをもへ(御書1561ページ)
通解
   かりにも法華経のために命を捨てなさい。露を大海に入れ、塵を大地に埋めるようなものと思いなさい。

背景と大意

 
本抄は、弘安2年(1279年)11月6日、日蓮大聖人が身延の地で認められ、駿河国(静岡県中央部)の門下・南条時光に送られたお手紙である。別名を「竜門御書」という。
 本抄の御執筆当時は、大聖人の門下が激しい弾圧を受けた「熱原の法難」の渦中だった。
 時光は、迫害に遭った人々を自邸にかくまうなどして、同志を守り抜いた。それゆえ、時光自身も幕府から不当な重税を課せられるなどの迫害を受けたが、不退の信心を貫いた。大聖人は本抄で、時光を「上野賢人」と呼んで、最大に称賛されている。
 本抄で大聖人は、凡夫が成仏するためには、数々の難を乗り越えなければならないことを教えられ、弟子たちに、今こそ大願を起こして法華経のために身命をなげうっていくよう呼び掛けられている。

解説
 拝読御文の前段で大聖人は、「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(御書1561ページ)と、迫害の渦中にいる弟子たちに力強く呼び掛けられている。
 当時の世相は、疫病の流行や蒙古が再襲来するかもしれないという状況にあり、誰もが「死」を身近に感じていた。さらに、大聖人門下には命に及ぶ大難が降りかかっていた。大聖人は、そうした状況を捉えて、「ともかく死は避けることができない」(同ページ、通解)と述べられ、拝読御文で、同じく死ぬのであれば、「法華経のゆへに命をすてよ」と示されたのである。
 無論、生命は守るべき尊極の宝である。「命をすてよ」との仰せは、決して自己犠牲を強いるものではなく、“広宣流布のために生き抜け”との呼び掛けであると拝したい。
 人間は誰しも、死を避けることができない。であればこそ、限りある時間をどう使うのか――。その選択が人生の価値を決める。
 続く御文で「つゆを大海にあつらへ・ちりを大地にうづむとをもへ」と仰せである。大宇宙から見れば、私たちの一生は、「つゆ」のようにはかなく、その存在は「ちり」のように些細なものであるかもしれない。
 しかし、「大願」を起こし、広布に生き抜くならば、露が大海に溶け込み、塵が大地と一体となるように、妙法という生命を貫く法と一体となり、崩れざる幸福境涯を確立していけるのだ。
 池田先生はつづっている。
 「勇んで広宣流布に生涯を捧げる覚悟を定める時、わが生命は、御本仏である日蓮大聖人に連なり、何ものをも恐れぬ大力が涌現し、仏の大歓喜の生命が脈打つのである」
 まさしく、この不惜身命の決意に立ち、大聖人直結の慈折広宣流布の道を歩んできたのが、三代会長であり、創価の師弟なのである。
 6月は、牧口先生の生誕の月(1871年6月6日)である。また今年は、牧口先生と戸田先生が入信してから90年の節目でもある。
 牧口先生、戸田先生は戦時中、死身弘法の精神で軍部政府の弾圧と戦い、大聖人の仏法の正法正義を守り抜いた。
 両先生の精神を継いだ第3代会長の池田先生もまた、あらゆる三障四魔、三類の強敵と戦い抜き、隆々たる創価学会、SGIを築き上げた。
 師と同じ「大願」に立つ不二の弟子の生命には、いかなる試練にも負けない力が涌現するのである。
 拝読御文の後で大聖人は、法華経化城喩品の「願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」(同ページ)の文を引かれている。
 広布に生きる功徳は、その人自身にとどまることなく、あらゆる人々を成仏に導いていける。だからこそ大切なことは、いかなる環境にあっても、「広宣流布のために戦う」との闘争心をたやさぬことだ。
 仕事などで、思う存分、学会活動ができない日もあるだろう。だが、心に「広布の炎」が燃えていれば、一言でも同志を励まし、悩める友人に仏法の偉大さを伝えることができる。
 私たち男子部は、日々、大願に生き抜くとの決意で、折伏に、人材育成に、勇んで挑戦していきたい。   

◆〈信仰体験〉 滝の如く 江戸木彫刻に懸けた60年  時流にあらがう男の意地

 
【東京都練馬区】ケヤキ、ヒノキ、サクラ……異なる特性を持つ木材を、鈴木靖雄さん(76)=雅号・昌雲、中里福徳支部、副区長=の手が芸術品へと変えていく。伝統工芸「江戸木彫刻」の道に入って60年。男は黙々と仕事に打ち込む。

 午前8時、勤行・唱題を終え、仏間の隣にある作業場へ入った。座布団に腰を下ろし、右手にノミを握って、神経を研ぎ澄ます。
 現在、彫っているのは模様をあしらった写真額だ。仕上げに入るほど、一彫りでも誤れば、頭に描く完成形と離れてしまう。
 一人きりの空間で積み重ねた半世紀。右手小指の硬いタコが、木と格闘してきた歴史を物語る。左手には、ねぎらいを込め「かわいそう」と苦笑い。修業時代、右手が滑り、ノミで切ったことは数知れない。
 天井は3メートルを超える。背丈以上の木材に彫刻を施すために必要な高さだった。かつては、欄間や書院など建築彫刻の注文に追われ、徹夜を重ねた。
 今はもっぱら、片手の上に乗る大きさの品を扱う。「鈴木美術木彫」の店頭には、妻・保子さん(75)=支部副婦人部長=のアドバイスを参考にして作った小さなキーホルダーが並ぶ。木材を動物やアルファベットの形に加工したもの。 
 来客は多くない。職の衰退が身に迫る。「時の流れだと思う。けど、店をやめる選択肢は頭にない。心の奥底には意地がある」
                         ◇
 東京に生まれ、幼少から疎開先の福島で過ごした。親戚に育てられ、内気な少年だった。中学卒業後、母から「手に職を」と説得され、東京へ戻る。
 住み込みで始めた江戸木彫刻の修業は、孤独だった。朝から晩まで師匠と二人でノミを握り、3畳の部屋で眠った。唯一の楽しみは月2回の休み。後楽園球場(当時)で野球を観戦し、一人で焼きそばを頰張った。
 変化の無い生活に嫌気が差す日もあった。心を変えたのが、19歳で始めた信心だった。先に創価学会に入会した親戚の勧め。題目を唱えると、不思議と彫刻に向かう姿勢に熱がこもった。いつしか、友情を広げ、人に囲まれる自分がいた。
 入会から6年が過ぎた1967年(昭和42年)に独立。翌年、学会本部で開かれた先生との記念撮影会に参加する。師の姿を命に焼き付けた。
 そして誓った。“生涯、先生への報恩に生きよう”と。仕事に打ち込み、折伏にも拍車が掛かった。
 当時、店を構える木彫刻師としては、都内で最若手の存在。やっていけるのか心配されたが、周囲の声を覆していく。
 依頼はやまず、経理を妻に任せ、制作に没頭した。欄間や書院のほか、高級ホテルに入る料理店などの装飾も担うまでになった。
 年を重ね、弟子を取ることも考えたが、彫刻の師に反対された。「この先も順調に生活できるかどうか分からない」と。
 時代の波は容赦なく襲ってきた。一般家庭の建築様式は、“和”から“洋”へ。やがて、大きな和室を構える家は減少した。バブル経済がはじけると、ぜいたく品の消費は抑えられた。
 建築彫刻のために磨いた腕。悔しさがにじむ心に光をともしたのが、御書だった。
 「法華経の信心を・とをし給へ」(1117ページ)。一貫した姿勢の大切さを示す御文は、こう続く。「火をき
るに・やすみぬれば火をえず、強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ」 
 昔のように、仕事に追われることはないかもしれない。それでも落胆せず、「彫刻の鈴木が頑張っているな」と喜ばれる生き方をしようと決めた。
 家紋や額装など美術彫刻へとかじを切る。新たな戦いも始めた。それが地域貢献だった。
 そこには、人見知りに悩んだ過去の姿はなかった。町内会や商店会の要職を歴任。東京都伝統工芸士としての工芸品普及や、多岐にわたる地域貢献がたたえられ、都や練馬区、警察署から次々と感謝状が贈られた。
 交流を広げ、縁を結んだ人の家に訪れると、心躍る瞬間があった。和室に設置された欄間を目にした。建具屋を通して注文を受けるため、制作した物の行き先は分からない。しかし、自分が手掛けたものは、時を経てもすぐに気が付いた。偶然の“再会”に、職人の誇りは深まった。
昨年夏、思いがけない依頼が飛び込んだ。他県から来店した壮年が、「ヨットの船首にエンブレムを 付けてほしい」と。久々の大仕事。ケヤキに彫刻を施し、3カ月をかけて完成させた。新たな境地が開けた思いだった。
 職人としての道は、果てがない。経机には、池田先生の「滝の詩」を置いている。
 青森県の奥入瀬渓流の滝を訪れて詠まれたもの。夫婦で現地に足を運んだことがある。この詩に、使命に生きる歩みを重ねる。
 〈滝の如く 激しく/滝の如く 撓まず/滝の如く 恐れず/滝の如く 朗らかに/滝の如く 堂々と/男は 王者の風格を持て〉
 今日もまた、朝の勤行・唱題に決意を込め、午前8時、時流にあらがう戦いを始める。

◆〈スタートライン〉 「G-SHOCK」の生みの親 カシオ計算機株式会社 伊部菊雄さん
 期待通りではつまらない   期待をはるかに超える “非常識”へ挑み続けたい

 2017年に出荷数が累計1億個を突破した、タフネス時計「G―SHOCK」。今回のスタートラインでは、生みの親であるカシオ計算機株式会社アドバイザリー・エンジニアの伊部菊雄さんに、開発秘話を通して、“不可能を可能にする”ヒントを伺った。

1行の企画書

 ――「G―SHOCK」の歴史は、たった1行の企画書から始まったという。
  
 それまで、腕時計は「壊れやすい」というのが常識でした。働き始めたある日、腕時計を床に落とし、壊してしまったんです。親に買ってもらった腕時計が壊れたショックよりも、「本当に壊れるんだ」と、なぜか感動したことが、ずっと頭にありました。
 当時、設計の部署にいた私は、毎月、企画書を出さなければならず、思いつきで「落としても壊れない丈夫な時計」とだけ書いて提出したら、通ってしまったんです(笑い)。
 ちょうどその頃、会社の目の前で道路工事が行われていて、作業員は誰も腕時計をしていませんでした。ハードな環境でも使える腕時計があれば、きっとあの人たちの役に立つ。できるかどうかよりも、そんな思いを優先していました。
  
 ――1981年5月、開発が始まった。
  
 当初は、「時計の周りに衝撃を吸収するゴムを付ければいいだろう」と気楽に考えていました。3階だった実験室の脇にトイレがあり、その窓からゴムを付けた時計を落として壊れるかどうか毎日試しました。しかし、4カ月ほどの実験で、保護材はどんどん厚くなり、ソフトボールぐらいまで大きくしないと壊れてしまうことが分かりました。
 これでは腕時計にならないと断念し、今度は時計の心臓部であるモジュールを5段階構造で守ることを思いつきました。しかし、落下の衝撃で部品が必ずどこか一つ壊れる、まるでモグラたたきのような事態が延々と続きました。開発開始からすでに1年が過ぎ、「これは90%無理かもしれない」と思いましたね。

劇的な解決策

 ――発売予定日は83年4月。すでに時計の名前も「G―SHOCK」と決定していた。
  
 発売日の半年前になっても、基本構造すらできていない状況でした。人間って、「もう無理だ」と思うと「諦め方」を考える。90%できないだろうと諦めかけていた私も、「どこまでやったら納得して諦められるか」を考え始めました。そして、「1週間、眠る時間以外全て使って考えて解決策が出てこなかったら諦めよう」と決めたんです。
 朝起きてから、食事中も、入浴中も、ずーっと時計のことだけを考えて。すると、寝ている時間も惜しくて、時計の夢が見られないかと枕元に試作品を置いたりもしました。月曜日から土曜日までひたすら考えても、結局アイデアは思い浮かびませんでした。
  
 ――月曜日に上司におわびを入れて、火曜日に辞表を出そうと決めた伊部さんだったが……。
  
 身辺整理のために、日曜日、職場に行きました。食堂がやっていなかったので外で昼食を済ませると、どうしても職場に戻る気になれず、近くの公園に寄ったんです。
 ベンチに座り、ぼーっとしていると、子どもがボールで遊んでいました。何げなく眺めていた時、ボールの中に時計のモジュールが浮いているように見えたんです。“もし、ゴムボールの中に浮かせられれば、どんな高さから落としても時計は壊れないのではないか”。この発想が劇的な解決策となり、これまでの5段階衝撃吸収構造に加えて、モジュールが浮いている状態に近づける構造を開発することができ、ついに「G―SHOCK」が誕生したんです。

原点を忘れず

 ――84年、アメリカで人気に火が付き、逆輸入される形で90年代、日本で一大ブームが巻き起こった。
  
 転機はアメリカで放映されたCMでした。アイスホッケーの選手が時計をパック(ボール)に見立てて、シュートを決めるというもの。誇大広告だと話題になり、人気テレビ番組で検証実験が行われたんです。スティックでたたいたり、大型トラックにひかせる実験もありました。そんな仕様にはしていなかったので、壊れたら今度こそ辞めないといけないと覚悟しましたが、壊れなかった。その強度には、私が一番驚きました(笑い)。
  
 ――今年で、誕生35周年。ラインアップは3000モデル以上あるが、その進化に終わりはない。
  
 「G―SHOCK」で、絶対に変えてはいけないのは「丈夫であること」。あとは、必ずその時代の最先端技術を取り入れることや、スタイルの充実にも挑戦しています。
 お客さまの声に耳を傾けることも大事ですが、期待通りではつまらないし、ファンの皆さんは満足してくれません。「これはできない」という、非常識に挑戦した原点は、これからも大切にしたい。非常識に挑戦するからこそ、期待をはるかに上回るものができると思います。夢は、宇宙空間でも使えるものを作ること。ぜひ宇宙人に着けてもらいたいですね(笑い)。
 どんなことでも、始めると壁や困難にぶつかるのは当たり前。でも、やってみたいと思うなら、チャレンジするべきだし、諦めるにしても納得するまでチャレンジして諦めた方が次につながっていく。私はいつも、そう自分に言い聞かせています。
 いべ・きくお 1976年カシオ計算機株式会社に入社、時計の設計部に配属される。自らの提案で「G―SHOCK」の耐衝撃構造を開発。その後、商品企画部では、話題性のある商品を数多く担当。2008年からは「G―SHOCK」を世界に広める目的の「ショック・ザ・ワールド・ツアー」に参加。「G―SHOCK」の魅力を伝えるため、これまで多くの国でプレゼンしてきたが、必ず現地の言葉で行うことを自分に課している。

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メール wakamono@seikyo-np.jp
ファクス 03-3353-5513
【編集】中村洋一郎 【写真】佐藤絢輝 【レイアウト】室積英雄

2018年5月25日 (金)

2018年5月25日(金)の聖教

2018年5月25日(金)の聖教

◆わが友に贈る

友の報告・相談に
電光石火で応えよう!
そのスピードに
誠実と責任感が表れる。
信頼光るリーダーたれ!

◆名字の言
 

  らせん階段を上から見たら、上ってくる人は同じ円をグルグルと回っているように見える。それを横から見ると、一回りすれば、少し高い位置に移動している▼視線の向け方によって目に映るものは変わる。人間関係も、俯瞰するだけではなく、目線の高さを合わせるように寄り添うことで見えてくるものがある▼長年、未来部の体験主張大会を定期的に開いてきた地域がある。少年少女部から中・高等部までの代表が発表する。当初、「子どもたち自身が信仰体験を原稿にまとめ、語れるだろうか」という心配の声もあった▼だが、それは杞憂だった。未来部員は、乾いた土が勢いよく水を吸い込むように、純粋な心で信心の素晴らしさを体得し、自分の言葉で語っていた。“うちの子が悩みに負けず、これほど頑張っていたとは”と感動し、多くの大人が心洗われる思いだった。当時の未来部は今や立派な青年部員となり、人材の水かさは増している▼らせん階段は一気に上昇できない。一段一段上り、巡り回って少しずつ高みへと進む。人も、真っすぐな階段を駆け上がるように急速に伸びる時もあれば、らせん階段を上がるように、緩やかだが着実に成長している時もある。その歩みを見逃さず、たたえ励ませる視点を磨きたい。(城)

◆寸鉄

  座談会から希望の波を!
 世代超えた励ましと対話
 の園。皆が主役の気概で
      ◇
 目的が明瞭でこそ実践へ
 の信念が起こる―牧口先
 生。祈りは強く、具体的に
      ◇
 「孤独」の健康リスクは
 アルコール依存症に匹敵
 ―研究。地域の絆こそ宝
      ◇
 熱中症による搬送急増。
 通気性良い衣服、帽子の
 着用等、暮らしの工夫を
      ◇
 1件の重大事故の陰には
 300の“ヒヤリ、ハッと”が。
 声掛けで危険の芽を根絶

◆小説『新・人間革命』第30巻 誓願の章  五十一 2018年5月25日  (6381)

 一九九〇年(平成二年)夏、総本山では、学会の青年たちが、九月二日に行われる大石寺開創七百年慶祝記念文化祭の準備に、連日、汗を流していた。この文化祭は、開創七百年の記念行事の幕開けとなるもので、十月には、慶讃大法要の初会、本会が営まれる。
 九月二日夕刻、慶祝記念文化祭が、「天座に輝け 幸の光彩」をテーマに掲げ、総本山・大客殿前の広場で盛大に開催された。
 宗門からは、日顕をはじめ、総監などの役僧、多数の僧らが、学会からは、名誉会長である山本伸一、会長の秋月英介、理事長の森川一正のほか、副会長らが出席した。
 文化祭では、芸術部、男女青年部による、邦楽演奏や優雅な寿ぎの舞、バレエなど、熱演が繰り広げられた。
 また、色とりどりの民族衣装に身を包んだ、世界六十七カ国・地域のメンバーが誇らかにパレードすると、会場からは大拍手が鳴りやまなかった。
 世界広布への誓いを胸に、満面の笑みで手を振る、メンバーの清らかな思いに応えようと、伸一も力いっぱい拍手を送った。
 隣には、日顕も、笑みを浮かべて演技を観賞していた。
 この年の十二月――宗門による、伸一と会員とを分離させ、学会を破壊しようとする陰謀が実行されることになるとは、誰も想像さえしなかった。
 慶祝記念文化祭を終えた伸一には、第五回日中民間人会議に出席するために来日した中国代表団との交歓会、第十二回SGI総会のほか、ブラジルのサンパウロ美術館の館長や国連事務次長、インドの文化団体ICDO(国際文化開発協会)の創立者らとの会談などが、連日、控えていた。
 日蓮大聖人は「日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり」(御書五八九ページ)と、世界広宣流布即世界平和を展望されている。その実現の流れを開くために、伸一は懸命に奮闘を重ねていた。彼にとっては、毎日が、平和建設への大切な歩みであった。 

【聖教ニュース】

◆新生のコートジボワール 喜びの新法人設立総会を開催  
 池田先生がメッセージ 学会こそ人類の希望の光源    新リーダーが誕生


 我らは異体同心で前進!――希望大陸アフリカの建設に向けて新出発したコートジボワールの代表が決意にあふれて(アビジャンで)
我らは異体同心で前進!――希望大陸アフリカの建設に向けて新出発したコートジボワールの代表が決意にあふれて(アビジャンで)

 「コートジボワール創価学会」の新法人設立総会が19日、同国最大の都市アビジャンで3回に分けて行われた。これには創価学会のアフリカ訪問団が出席。池田先生が、清新な決意で進む友にメッセージを贈った。
 先月、イリエ・ビ・ゴイ新理事長が誕生し、新たな布陣と決意で進むコートジボワールの友。総会は、新出発の誓いに燃える同志の熱気に満たされていた。
 「センセイ! アリガトウゴザイマス!」――会合の途中、参加者の歓呼の声が幾度も響き渡る。拳を高々と掲げて立ち上がる友、拡大の決意を叫ぶ友など、アフリカ広布の模範と輝くコートジボワールの“広布第2章”のスタートを、皆が思い思いの表現で喜んだ。
 総会に寄せたメッセージの中で、池田先生は、新生コートジボワールが偉大な前進を開始したことを心から祝福。「どこまでも仲良く、賢く、朗らかに、異体同心の信心と団結で、新たなコートジボワール創価学会の建設を」と語った。
 続いて、“創価学会の組織は戸田の命よりも大切”との戸田城聖先生の言葉を紹介し、「学会こそが真の民衆の幸福と平和をもたらす人類の希望の光源」と強調。さらに、「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」(御書1338ページ)の御文を拝し、「大聖人正統の信心の血脈は創価学会にのみあります。だからこそ創価学会を離れて正しい信心と実践はなく、歓喜も功徳もない。世界広宣流布実現は絶対にありえません」と訴えた。 
  そして、「いよいよ強盛なる信心で福徳に満ちあふれ、これ以上ないという所願満足の人生を晴ればれと勝ち開いていってください」と望んだ。
 ジョナス・トボエ書記長が先生のメッセージを紹介する間、メンバーは一言一言にうなずきながら、あるいは一点を見つめ真剣な面持ちで聞き入りながら、師の慈愛の言葉を全身で受け止めた。
 皆の思いを代弁するかのように、ゴイ理事長は晴れやかな笑顔を浮かべて語った。
 「永遠の師匠である三代の師弟によって創価学会は世界宗教となり、日蓮仏法の光は、コートジボワールにも降り注ぎました。我らは世界の同志と団結して進む、真実の師子です。題目を根本とした我らの師子吼でいかなる闇も打ち払い、幸福の大道を歩もう!」
 集いでは、マルティン・ヴァレ第1副理事長らがあいさつ。アフリカ訪問団団長のミナイ・アフリカ総合長が開拓の友をたたえた。
 さらに総会の席上、婦人部長にルーシー・バカヨロさん、男子部長にアボワジ・ベルタンさん、女子部長にアルメル・ナンゴネさんが就任したことが発表された。
 会合が終わり、帰路に就く貸し切りバスの中でも、歓喜のうねりは止まらない。「コートジボワールの広布は私たちが進めます!」――師の思想を真っすぐに求め、師の期待のままに進むコートジボワールの友。正義の師子たちの今再びの行進が、力強く始まった。

◆アフリカ訪問団 コートジボワール・エシー元外相と懇談

 

エシー元外務大臣(右から4人目)、コートジボワール創価学会のゴイ理事長(同3人目)、アフリカ訪問団の友らが記念のカメラに(アビジャンで)


エシー元外務大臣(右から4人目)、コートジボワール創価学会のゴイ理事長(同3人目)、アフリカ訪問団の友らが記念のカメラに(アビジャンで)

 アフリカ訪問団一行は21日、コートジボワールのアマラ・エシー元外務大臣と、アビジャンで懇談した。
 エシー氏は1999年7月、東京で池田先生と会見。ここでは、氏がかつて国連総会で議長を務め、核兵器廃絶に向けて尽力したことなどが話題となり、平和を築く方途を巡って語り合った。
 訪問団との会見で、エシー氏は当時を述懐。「池田先生は世界平和に貢献してこられました。どれほど時が流れようと、先生への尊敬の念と友情の絆は変わりません」と語った。 

◆創価大学 周恩来記念展が開幕 中国人民対外友好協会陳前会長が祝福
 


中国人民対外友好協会の陳昊蘇前会長(右から4人目)、西花庁連誼会の童丹寧会長(同3人目)、中国大使館の張梅参事官(左から3人目)、池田創大最高顧問(同4人目)らが開幕式でテープカット

中国人民対外友好協会の陳昊蘇前会長(右から4人目)、西花庁連誼会の童丹寧会長(同3人目)、中国大使館の張梅参事官(左から3人目)、池田創大最高顧問(同4人目)らが開幕式でテープカット

 「周恩来記念展」(主催=西花庁連誼会、創価大学)の開幕式が24日、東京・八王子市の創価大学池田記念講堂で行われた。
 西花庁連誼会訪日団の団長を務める中国人民対外友好協会の陳昊蘇前会長、西花庁連誼会の童丹寧会長らが、創大の池田博正最高顧問、田代理事長、馬場学長と共に出席した。同展は中国・周総理夫妻の住居および仕事場である「西花庁」で働いていた人、その子や孫からなる西花庁連誼会からの提案を受け、日中平和友好条約締結40周年を記念し、企画・開催されたもの。周総理の生涯をしのび、総理の胸像、写真パネル、関連書籍などが展示されている。
 開幕式では馬場学長、西花庁連誼会の童会長に続き、中国人民対外友好協会の陳前会長が、両国友好に尽力してきた池田先生に敬意を表しつつ、「創価大学で学ぶ学生たちと共に、中日の絆をさらに強めていきたい」と語った。
 池田最高顧問は、西花庁連誼会訪日団の来学を心から歓迎し、謝意を述べた。
 同展は、創大池田記念講堂で行事等が行われる際に開場。直近の一般公開は、オープンキャンパスが行われる7月28、29日となる。

◆〈友を励ます 私の挑戦〉自分の都合より相手本位の行動 熊本・玉名市 上杉 松子    総県副婦人部長
 人呼んで“玉名の肝っ玉母さん”。どんな人をも包み込む大きな心で、愛情たっぷりの励ましを送る対話の名手である。
 だから、いつも引っ張りだこ。個人指導だけではなく、頻繁に折伏の応援要請の声も掛かる。
 今年に入り、折伏に携わった12人全員が入会。また長年、関わってきた未入会の家族も入会したという。
 そのうちの一人に農業を営む壮年がいる。壮年の妻は一人で信心をしていた。上杉さんが、その婦人部員に会いに行くのは決まって雨の日だけだった。「自分の都合ではなく相手本位の行動が大事です」。礼儀正しい振る舞い、農作業のない雨の日に訪れるという誠実な上杉さんの心遣いを、壮年は見ていたのだ。
 「目の前の人をどう励ませるか、どうすれば不幸に泣く人に幸せになってもらえるか、と祈る毎日です。だから学会員だとか友人だとか、個人指導とか折伏とか、私には違いありません」
 上杉さんは10代の頃、相次いで両親と兄を病や事故で亡くした。多感な時期だった。人生を悲観したこともあった。
 そんな中、女子部の夏季講習会に代表で参加。そこで思いがけないことが起きた。「両親のいない人は?」――池田先生が呼び掛けた。手を挙げた上杉さんたちに、先生から励ましが。いくつもの悲しみを味わった青春だったからこそ、師匠の真心が身に染みた。”私も先生のようになりたい”と心に誓った。
 5月のある日、上杉さんは婦人部員宅にいた。茶を飲みながらの談笑。家主の足が悪いことが話題に。話を終え、すっと立ち上がった上杉さんは台所へ。遠慮する家主に「座ってて。いいのよ、洗わせて」と使った湯飲みを洗う。ごく自然な振る舞いだった。困っている人を放ってはおけないとの心があふれている。
 「私は縁する全ての人に”信心して良かった”って思ってもらいたいのよ。欲張りかしらね? あははは!」。
熊本の空に、上杉さんの快活な笑い声がこだました。


【特集記事・教学・信仰体験など】

◆韓国青年友好交流団の交歓会    師を求める我らの心は一つ


伊藤女子部長ら交流団が訪れた水晶文化会館では、互いに手を取り、笑顔を交わして忘れ得ぬ時を刻んだ(20日)

伊藤女子部長ら交流団が訪れた水晶文化会館では、互いに手を取り、笑顔を交わして忘れ得ぬ時を刻んだ(20日)
 日本の青年部の代表による「韓国青年友好交流団」(団長=竹岡青年部長)が今月、同国を訪問。現地のメンバーとの交流交歓会が18日から20日にかけて、全土47方面で開催された。

2018年5月24日 (木)

2018年5月24日(木)の聖教

2018年5月24日(木)の聖教

◆わが友に贈る

常に前を向こう!
常に一歩進もう!
仏法は「本因妙」だ。
「今」を生き抜く人が
最後に必ず勝利する。

◆名字の言

  「あっ!」。青年は会館のモニター画面を見て驚いた。そこに映っていたのは、初めて自分に仏法の話をしてくれた郷里の友人だったからだ▼信越で開催された今月の本部幹部会。東京の会館で中継行事に参加したその青年は、新潟・佐渡の出身。席上、母子のリレー体験を披露した男子部の友は、高校卒業後、共に上京した中学の同級生だった▼彼が同級生から信心の話を聞いたのは19歳の頃。入会はしなかったが、二人の友情は変わらなかった。やがて同級生は、Uターン就職で佐渡へ。最愛の家族との別れを乗り越え、故郷の発展に尽くす友と画面越しに“再会”を果たし、青年の胸に感謝と感動が込み上げた。同級生との対話から20年近くたった今年の5月3日、彼は職場の同僚の紹介で学会に入会したばかりだった▼ひとたびまいた妙法の種は、いつか必ず芽を出す。その花を咲かせるのは、「一人」の幸福を真剣に願う創価家族の真心にほかならない。最初に縁した学会員、入会する時の紹介者、地域の同志――さまざまな人々の祈りと関わりによって今、各地で次々と新会員が誕生する▼全ての新入会の方々が「信心して良かった!」と心から実感できる瞬間まで、励ましのリレーを途切れさせない。そこから広宣流布の緑野が広がる。(仁)

◆寸鉄

  人間革命こそ現代社会に
 必要な哲学―市議。自分
 が変わる。我らが模範に
      ◇
 愛知広布原点の日。堅塁
 の同志が元気なら学会は
 盤石。拡大の一番星輝け
      ◇
 「衆流あつまりて大海と」
 御書。笑顔一つ、声一つ。
 日々の振舞が信頼の土台
      ◇
 昨年の詐欺1万8千件で
 被害額も増加―警察庁。
 「私は大丈夫」と過信せず
      ◇
 7年後に介護職員34万人
 不足する恐れ。長寿時代
 の焦点だ。公明よ舵取れ

◆社説  万全な体調管理を   日々の学会活動が心身の健康に


 「健康」で「長生き」することは、人類の長年の願望である。「健康寿命」を延ばすには、定期的な健康診断を実施し、病を早期発見して治療することにとどまらず、健康を増進することが重要である。
 日本人の三大死因といわれる「がん」「心疾患」「脳血管疾患」。これらの危険因子となる「動脈硬化症」「糖尿病」「高血圧症」「脂質異常症」などは、いずれも「生活習慣病」とされる。
 「日本生活習慣病予防協会」では、正しい生活習慣を身に付けるポイントに、「一無」=禁煙、「二少」=少食・少酒、「三多」=多動・多休・多接を掲げる。「三多」の「多動」は体を活発に動かす健康づくり、「多休」は快眠による疲労やストレスの解消、「多接」は多くの人、事、物に接して創造的な生活を営むことをいう。
 本紙の配達を担う「無冠の友」に功徳の体験を尋ねると、“配達を始める前より健康になった”という声が圧倒的に多い。
 配達に伴う運動が快眠にもつながり、朝の爽やかなあいさつを交わしながら近隣と友好を深めるなど、「三多」に重なる点も。また、多くの友が体調を管理する規則正しい生活と無事故を祈念する朝晩の勤行・唱題の実践を心掛けているという。
 長年、健康セミナーで講師を務めてきたドクター部の友は、「日々の学会活動には、健康に結び付く要素がたくさんあります」と語る。
 彼の話によれば、医学的には人を励まし、互いに「笑う」ことには、「運動効果」「免疫効果」などがあるという。また、個人差はあるが、人間は1日8人以上と話すなどのコミュニケーションがないと元気が出ないという。そして、「あいさつ」「感謝の言葉」など、「利他的な行動」の習慣を身に付けることで、脳細胞に好影響を与えることなどを説明してくれた。
 「学会員の皆さんが一層、確信を深めて信心に励めるよう、医学の面からも全力で後押ししたい」と彼は語る。
 かつて池田先生はつづった。「健康は、自らの智慧と決心でつくるものだ。疲れをためないよう、また、季節の変化にも気をつけていくことだ。『信心即生活』である。学会活動は、心身共に健康になるためにある。題目をあげて、広布に動くことは、最高の健康法なのである」
 “信心しているから大丈夫”という油断や慢心を戒め、朗らかに前を向く“健康な信心”を貫きたい。

◆きょうの発心   師との共戦で苦難を乗り越える2018年5月24日


御文
 夫れ無始の生死を留めて此の度決定して無上菩提を証せんと思はばすべからく衆生本有の妙理を観ずべし(一生成仏抄、383ページ・編21ページ)
通解 無限の過去から繰り返されてきた生死の苦悩を留めて、今この人生で間違いなく最高の覚りを得ようと思うならば、必ず衆生に本来具わる妙理を自身の生命の中に見ていくべきである。

 成仏の覚りを開くためには、唱題して胸中の仏界の生命を涌現することである、と教えられた一節です。
 福岡・八女の地で祖父母が入会。信心一筋の両親のもと、学会3世として創価の庭で育ち、未来部では音楽隊で薫陶を受けました。
 北九州で過ごした学生部時代に、先輩からこの御文を教わり、仏法対話に励む中、初めて弘教を実らせることができました。
 1987年(昭和62年)の第8回世界青年平和文化祭や、94年のアジア青年平和音楽祭で池田先生とお会いし、“生涯、師弟共戦を”と誓ったことが原点です。創価班での戦いも、生涯の思い出です。信心根本に経済苦や父の闘病・死去など、さまざまな試練を乗り越えてきました。
 このたび、職場で重責を担うことになり、“池田門下として、組織と社会で勝利の実証を示そう”と決意を新たにしています。
 今、5・13「福岡大勝県の日」記念月間を朗らかに前進中です。弘教・人材の拡大に励み、異体同心の団結で勝利してまいります。
 福岡大勝県長 井手口忠信

◆小説『新・人間革命』第30巻 誓願の章  五十 2018年5月24日  (6380)

山本伸一は、日蓮大聖人の仏法の法理を根幹に、世界に平和の大潮流を起こそうと、あらゆる障害を乗り越えながら、渾身の力を尽くしてきた。
 また、広宣流布のために僧俗和合への最大の努力を払い、宗門の外護に全面的に取り組んでいった。
 宗門では、一九八一年(昭和五十六年)に日蓮大聖人第七百遠忌を終え、九〇年(平成二年)秋に挙行される大石寺開創七百年の式典を、いかに荘厳なものにし、大成功させるかが大きな課題となっていた。
 八四年(昭和五十九年)一月初め、伸一は再び、法華講総講頭に任命された。日顕の強い要請を受けての就任であった。
 三月、開創七百年記念慶祝準備会議の席上、伸一は、十年後を目標に、寺院二百カ寺の建立寄進を発表した。
 「『大願とは法華弘通なり』(御書七三六ページ)との御聖訓のままに、令法久住と広宣流布を願って、新寺院建立の発願を謹んでさせていただくものであります」
 その寄進は、僧俗和合を願う学会の、赤誠の発露であった。
 翌八五年(同六十年)十月、伸一は、日顕から、開創七百年記念慶讃委員会の委員長の辞令を受けた。彼は、最大の盛儀にしようと、全精魂を傾けて準備にあたっていった。
 二百カ寺についても、学会は万難を排して建立寄進を進め、やがて九〇年(平成二年)十二月には、百十一カ寺を数えることになる。
 伸一の念願は、僧たちが、日々、広宣流布のために戦う同志を、心から大切にしてほしいということであった。
 御聖訓には、「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(同一三六〇ページ)とある。日蓮大聖人の仰せ通りに、苦労し抜いて弘教に励む同志は、地涌の菩薩であり、仏子である。弘教の人を、「当に起ちて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし」(同一三八三ページ)というのが、大聖人の御精神である。仏子を讃え、守り、励ましてこそ、広布はある。 

【聖教ニュース】

◆6月開催の本部幹部会 関東総会へ前進
 全5県の県歌発表40周年を記念 敢闘精神で広布の突破口を
 

 「創価の柱」「学会の要」の大関東が勇み立つ! 「関東総会」の意義を込めて開催される6月の本部幹部会が目前に迫った。
 この総会を勝利の実証で飾ろうと、6・6「関東婦人部の日」の記念月間を走る婦人部をはじめ、壮年部、男子部、女子部、学生部の友が、かつてない折伏・弘教、人材育成、教学部任用試験の受験推進に奔走。各地で広布拡大の勢いが増している。
 本年は、池田大作先生の作詞による関東5県の県歌が誕生して40周年の佳節である。
 学会の前進を阻む障魔の嵐が吹き荒れた1978年(昭和53年)、師は大関東が勇躍立ち上がることを信じ、県歌に万感を託した。
 千葉の歌「旭日遙かに」(7月19日)をはじめ、茨城には「凱歌の人生」(10月21日)、埼玉には「広布の旗」(10月23日)、栃木には「誓いの友」(11月3日)、群馬には「広布の鐘」(11月22日)が、発表されたのである。
 以来、関東の友は誉れの県歌を高らかに歌いながら、正義の陣列を拡大し、幸福の楽土を築き上げてきた。
 今回の総会は、そうした共戦の歴史を留めるとともに、新たな師弟の大前進を開始する総会となる。
 また総会に合わせて、来日するSGI(創価学会インタナショナル)メンバーとの交流交歓会が全県でにぎやかに開催される予定である。
 鉄桶の団結・埼玉、旭日の千葉、直通の茨城、人材の王国・群馬、そして、広布源流の栃木。この永遠の指針を掲げ、力強く進む各県の同志の胸に脈打つもの――それが「敢闘精神」だ。
 池田先生は敢闘精神について、関東の友にこう訴えた。
 「『敢闘』とは、『敢えて闘う』と書く。『敢えて』挑戦するのだ。『敢えて』一歩を踏み出すのだ」
 「三世の生命を、勝利と栄光で飾りゆく、わが大関東の同志たちよ、さらに愉快に、一歩前進して、大いなる完勝の歌を、栄光の歌を、歌いゆこうではないか!」
 師の呼び掛けに呼応し、新時代の開拓に挑む関東の友。
 中井関東長、大高同婦人部長は語る。
 「関東は、どこまでも師と直結です。愛する県歌を歌いながら、『敢闘精神』で拡大の突破口を開き、異体同心の団結固く、新たな広布の金字塔を打ち立てます!」 

◆原田会長を中心に各部代表者会議  いよいよ強盛に いよいよ勇敢に 歓喜踊躍して進め

 世界広布新時代第55回の各部代表者会議が23日、東京・新宿区の常勝会館(本部第2別館内)で開催された。
 池田先生はメッセージを贈り、冒頭、婦人部総会が、日本全国で明るく楽しく開かれている模様を「妻と心を弾ませて伺っています」と祝福。
 さらに、世界各国から目覚ましい広布前進の様子が絶え間なく届いていると語り、翻訳等に携わる友の陰の献身に感謝。
 このうち、2001年にSGIに連なったアフリカのカボベルデ共和国で、広布の一粒種となった女性が、地域の行政のリーダーとして奮闘し、同志と共に社会貢献に尽力している――との報告を紹介し、心からたたえた。
 続いて、「日本国の中に但一人・南無妙法蓮華経と唱えたり、これは須弥山の始の一塵大海の始の一露なり、二人・三人・十人・百人・一国・二国・六十六箇国・已に島二にも及びぬらん、今は謗ぜし人人も唱へ給うらん」「木はしづかならんと思へども風やまず・春を留んと思へども夏となる」(御書1241ページ)を拝読。
 大聖人の仰せの通りに今、世界広布が壮大なスケールで勢いを加速していると述べ、その誇り高き推進力こそ、リーダー一人一人の「人間革命」の自転であり、「広宣流布」への公転であることを自覚したいと訴えた。
 最後に、戸田城聖先生が「学会員に功徳を受け切った生活をしてもらいたい。全世界に向かって、どうだ、この姿は、と言わせてもらいたい。そのために、私は闘争する」と言われた事実に言及。
 「この師弟の心で、我らはいよいよ強盛に祈り、いよいよ勇敢に動き、いよいよ励ましの薫風を広げよう!」「皆で歓喜踊躍して、福徳と勝利の実証を!」と呼び掛け、メッセージを結んだ。
 原田会長は、競い起こる障魔を見事に乗り越え、花開いた欧州広布の軌跡を紹介。その種となった原動力は、青年を励まし、友情を結び、発展への布石を打った池田先生の行動と、師に応える同志の団結の戦いにあったと強調し、決勝点である本年の「11・18」へ、世界の模範となる弘教拡大と人材育成へ総力を挙げようと望んだ。
 また会議では、長谷川理事長、谷川主任副会長があいさつし、竹岡青年部長が「韓国青年友好交流団」の現地での交流の模様を紹介。本社報道局の中谷伸幸記者が取材報告を行った。 


【特集記事・教学・信仰体験など】

◆パラオ・レメンゲサウ大統領 創価大学での講演(要旨)
 
パラオ共和国のレメンゲサウ大統領が、東京・八王子市の創価大学で記念講演を行った(21日)。ここでは、その要旨を紹介する。

   未来は学生の皆さんの双肩に 手を携えて環境保護と平和の運動を進めたい
  パラオ共和国の代表団と共に創価大学を訪問でき、大変に光栄です。また、貴大学の名誉博士として、再び来学できましたことを誇りに思います。
 日本における私の最も大切な思い出の一つは、2002年6月14日、東京の聖教新聞本社で池田SGI会長と初めてお会いしたことです。
 当時、パラオの大統領として1期目をスタートしたばかりの私と妻のデビーを池田会長は両手を広げて歓迎してくださいました。
 生涯心に残る、素晴らしい友好と文化交流の対話となりました。
 この訪問を通して、私たちは、本当に温かく、啓発に満ちた喜びを感じました。それはパラオと日本の重要かつ歴史的な出会いとなり、双方の絆と友情をさらに強固にするものとなりました。
 池田会長が私たちを歓迎するスピーチの冒頭で、パラオの歴史や人々の精神に言及されたことに、深く感動いたしました。また、会長は私のことを“環境の王者”と呼ばれました。大統領として、パラオのみならず世界の環境保護の第一人者になるべく奮起したことを思い起こします。
 かつて池田会長は述べられました。
 「自然も、人間が一方的に消費し支配する対象では絶対にない。自然も人間も同じ宇宙生命の部分であり全体である。自然と人間は一体です。ともに生態系の連鎖の環の中に見事に共存してきたがゆえに、自然を破壊することは、人間の存在基盤を破壊することになります」と。
 会長の深い英知は、パラオの伝統的信条である“環境に敬意を払う”との、私たちの生き方の核心と強く共鳴します。
 例えば、先祖の最も重要な伝統である漁業や土地保護の慣習は、月のリズムに従っています。これは国旗のデザインにも反映されています。
 池田会長と素晴らしいひとときを過ごした後、同行したアイバドール大族長とレクライ大族長も、会長の温かく、誠実で、寛大な歓迎に深く感動し、啓発を受けたと述べていました。
 これまで、大統領として、パラオのみならず世界の環境を守るため、太平洋地域のリーダーやグローバル社会の皆さんと積極的に連携し、気候変動に対する運動を展開してきました。その一つとして、パラオは太平洋諸国の生物多様性を保全し、持続可能な自然資源の利用を図る国際公約「ミクロネシア・チャレンジ」に参画しています。
 また、パラオの80%の沿岸管轄区域内の全ての海洋生物が保護される「パラオ国家海洋保護区設置法」や、プラスチック袋の使用禁止に向けた法律を制定しました。我々の海と環境を、次世代のために開発や搾取から保護することが目的です。他の国々も、同様の行動に着手しています。
 これらの立法と合わせ、近隣諸国と共に、化石燃料から脱却するための太陽光や再生可能エネルギーの開発にも取り組んでいます。これは、福島で開催された第8回「太平洋・島サミット」(18、19日)の主要なテーマでもありました。
 同サミットにおける日本のリーダーシップは、太平洋島しょ国にとって大変に重要です。この会議では、共通の課題である、太平洋諸島の経済成長と繁栄に不可欠な地域の安定と平和について討議しました。パラオはまた、このサミットと同様のテーマを検討する、パリ協定の批准国であることを誇りにしています。
 気候変動について、我々は、できることは全て実行する決意です。気候変動はパラオや太平洋諸国に限定されたものではなく、グローバルな問題です。気候変動の危機は、地球のため、子どもたちのため、そして次世代のために解決しなければなりません。
 パラオは2020年に、世界でも主要な海洋会議である「アワー・オーシャン(私たちの海洋)会合」を開催します。この会議を開く初めての“小さな島しょ国”として、“大きなインパクト”を与えていきたいと思います。
 パラオの大統領であり、市民であることは大きな責任を伴いますが、それは同時に環境保護のリーダーシップを発揮する大いなるチャンスでもあります。
 私と同様、学生の皆さんは、環境を守り、世界の国々が平和的に協力することを可能にする責任とチャンスを有しています。皆さんは次世代への道を開く“ベスト・ポジション(最も重要な位置)”にいるのです。
 創価大学の皆さんは、世界を守る情熱を燃やす、現代の平和運動の素晴らしいバトンを、創立者の池田会長から託されています。
 学業のみならず、明るい未来への関心を養うことが大事です。それこそが、世界平和を実現する最大の要素となります。
 池田会長が私に語られたのと同じ言葉を、私から皆さんに贈りたいと思います。
 皆さんこそが“環境の王者”です――と。
 皆さんが、このビジョンを確実なものとし、環境を守るための責任を引き受けてくださることを期待します。平和と環境のリーダーとなることに、誇りをもっていただきたいのです。
 この運動は、一人ではできません。皆で行動しなくてはなりません。
 パラオと日本の深い絆と友情を、未来に向かってますます強めながら、世界平和の運動を、引き続き、手を携えて進めてまいりましょう。
 ありがとうございました(大拍手)。




◆〈世界写真紀行〉第33回 ロシア・モスクワ クレムリン 2018年5月24日
実り豊かな友情の劇を

ロシアの首都モスクワの中心地にあるクレムリン。隣接する赤の広場とともに、世界文化遺産に登録され、周辺には多くの観光客が訪れる(2017年9月、本社カメラマン撮影)
ロシアの首都モスクワの中心地にあるクレムリン。隣接する赤の広場とともに、世界文化遺産に登録され、周辺には多くの観光客が訪れる(2017年9月、本社カメラマン撮影)


 激動の歴史を象徴するように、さまざまな建築様式の宮殿や塔が競い立っていた。
 ロシアの首都モスクワの中心にあるクレムリン。
 ロシア語で「城塞」という意味。その原型が築かれた12世紀以来、歴代の指導者たちが政務を行ってきた場所だ。
 池田先生が初めてクレムリンを訪れたのは、ロシアがまだソビエト連邦だった頃の1974年9月。当時のコスイギン首相らと会見した。
 東西冷戦の真っただ中。ソ連と中国の関係も緊張状態にあった。
 コスイギン首相との会見で、先生は、首相から中ソ関係改善への言葉を引き出す。さらに、永続的な日ソ友好のために、政治・経済の次元を超えた文化・教育の交流こそ不可欠であり、その実現へ誠意をもって尽力したいと決意を述べた。
 この訪問から、創価大学とモスクワ大学の交流も始まった。先生はモスクワ大学を訪れ、学術交流に関する議定書に調印。同年11月には、モスクワ大学のホフロフ総長が創大を訪れている。
 そして翌75年5月、先生は再びソ連へ向かった。
 この時の訪問団には、民主音楽協会や富士美術館の代表などが新たに加わった。先生は教育だけでなく、多角的・重層的な交流を目指したのである。
 2度目の訪ソに当たっての先生の決意が、小説『新・人間革命』第21巻「宝冠」の章につづられている。
 「二回目というのは極めて重要です。今後の流れが決まってしまうからです。対話だって、二の句が継げなければ、それで終わってしまう。この二の句に対話の進展がかかっている。二回目を成功させるには、どうすればよいか。それには、前回と同じことを、ただ繰り返すのではなく、一つ一つの物事を、すべて前進、発展させていくことです」
 「創価大学も、民音も、富士美術館も、また婦人部も、青年部も、“今こそ日ソ友好の新しい歴史を開くぞ!”と決めて、情熱を燃やし、真剣勝負で臨むことです。形式的、儀礼的な交流は惰性です。それでは失敗です」
 こうして第2次訪ソでは、議定書を具体化した創大とモスクワ大学の学術交流協定が締結された。また、前年に訪れたソ連対外友好文化交流団体連合会や文化省を再び訪問し、文化交流の実現へ具体的に話し合った。
 そして先生は、クレムリンに赴き、コスイギン首相と2度目の会見に臨んだ。席上、首相は、教育・文化交流を実際に推進した先生の行動を高く評価し、今後の両国の交流に大きな期待を寄せた。
 その後、冷戦の終結とソ連邦の解体など、ロシアは激動の時代に。しかし、創価大学との教育交流や、民音、東京富士美術館を通した文化交流は活発に行われ、日ロ友好の一翼を担っている。
 対話の根本は、どこまでも「誠実」である。その上で“どうしたら真心が伝わるだろうか”と努力と工夫を重ねていくことである。
 会うたびに、対話するたびに、互いの心が深まる。視野が大きく広がっていく――そうした実り豊かな友情のドラマをつづりたい。

◆〈座談会 師弟誓願の大行進〉36 「新・人間革命」30巻〈上〉が発刊へ 世界の同志と共に広布後継の道を!  組織を利用した「商売」は厳禁

〈出席者〉
原田会長
長谷川理事長
永石婦人部長
竹岡青年部長
伊藤女子部長

小説『新・人間革命』の冒頭の一節が刻まれたニュージーランドの「碑」

 
                      
                                                                                                                                       

小説『新・人間革命』の冒頭の一節が刻まれたニュージーランドの「碑」

 伊藤 このたび、「韓国青年友好交流団」として、韓国を訪問しました。支えてくださった全ての皆さまに心から感謝いたします。

 竹岡 この5月は、池田先生の韓国本部への初訪問から20周年です。今回、韓国の同志と触れ合う中で、先生が各国に築かれてきた世界広布の基盤は、韓国でも強固に発展していると、あらためて感じました。どの地でも、同志の方々は、師匠への熱い求道心を燃やし、広布への強い責任感に立っていました。その姿に、信心を学びました。

 原田 本当に、ご苦労さまでした。日本の青年部の皆さんにとっても、世界宗教として飛翔する創価学会の使命を再確認する機会になったと確信します。この経験を生かし、皆さんが世界広布の先頭を走りゆくことを期待しています。

創価学会仏の意義

 長谷川 さて、小説『新・人間革命』第30巻の上巻の予約が、全国の書店やSOKAオンラインストアなどで始まっています。

 永石 師弟共戦の日である「7・3」を記念して、6月21日に発売されます。聖教新聞の2017年1月1日付から始まった「大山」の章をはじめ、「雌伏」「雄飛」「暁鐘(前半)」の章が収録されます。

 原田 障魔の嵐が吹き荒れる中、池田先生の大激闘によって、広布の道は開かれました。「大山」の章には、第3代会長を辞任された際の心境が描かれており、「弟子のために道を開くのが師である。そして、その師が開いた道を大きく広げ、延ばしていってこそ、真の弟子なのである。この広布の継承のなかに真実の師弟がある」と書かれています。

 竹岡 この章には、「創価学会会則」の前文にも記されている「創価学会仏」の意義も描かれています。
 原田 かつて戸田先生は、「学会は、この末法にあって、これだけ大勢の人に法を弘め、救済してきた。未来の経典には、『創価学会仏』という名が厳然と記されるのだよ」と語られました。

 長谷川 法華経の不軽品には、「威音王仏」という名前の仏が登場します。この仏は、一人を指すのではなく、最初の威音王仏の入滅後、次に現れた仏も「威音王仏」といいました。

 原田 法華経に、「是くの如く次第に二万億の仏有し、皆同一の号なり」(法華経556ページ)と記されています。「二万億の仏」が皆、同じ「威音王仏」という名前で、長遠なる歳月にわたり、衆生を救済してきたと説かれているのです。

 長谷川 そこで戸田先生は、「これは、威音王仏の名を冠した『組織』『和合僧団』とはいえまいか」と洞察されます。その点を、池田先生も、「個人の今世の寿命は限られている。しかし、広宣流布に戦う根本精神が師匠から弟子へと脈々と受け継がれ、一つの組織体として活動し続けるならば、それは、民衆を救済し続ける恒久的な仏の生命力をもつことになる」とつづられています。

 原田 つまり、「創価学会仏」とは、初代会長・牧口先生、第2代会長・戸田先生、第3代会長・池田先生という師弟に連なり、広宣流布の大誓願の使命に生きる、同志のスクラムであり、地涌の菩薩の集いなのです。「創価学会仏」であればこそ、私たちは、永遠の後継の流れをつくり、広宣流布の大使命を果たし続けていかねばなりません。

 伊藤 また、「雌伏」の章では、功労者宅を訪問する模様が描かれ、さらに、広宣流布を目指す上での最第一の鉄則は、「金剛不壊の異体同心の団結」であることが強調されています。

 永石 そして、池田先生を求め、四国から船で神奈川にやってきた同志の様子などもつづられています。

 竹岡 さらには、第5次訪中からの帰途、長崎、福岡、大阪、愛知、岐阜など各地を回って、反転攻勢の戦いを開始し、新たな広布の「雄飛」を果たしていく様子も記されています。
 原田 「雌伏」の章に、「私は、世界の同志が、また、広宣流布のバトンを受け継ぐ後世の人たちが、創価の師弟の道をまっすぐに歩み通していけるように、小説『人間革命』を書き残している」とあります。私たちは徹底して、“師弟の一書”を学び、広布の道を走っていきたい。

「金銭貸借」も禁止

 長谷川 最後に、金銭トラブルについての注意です。それは、いわゆる、“マルチ商法”と呼ばれるものです。“簡単に高収入が得られる”などという、甘い話には警戒してください。特に、高齢の女性の方は気を付けてください。

 原田 言うまでもなく、学会の組織は、広宣流布のためにあります。一人一人が、信心の向上を図り、自他共の幸福を実現していくための組織です。したがって、「組織を利用した商売」は厳禁です。「戸田の命よりも大切」と言われた学会の組織を守り、発展させていくためにも、絶対にしてはいけません。
 組織の立場を利用して、物を売らない。万一、話を持ち掛けられた場合には、きっぱりと断り、すぐに組織のリーダーに相談してもらいたい。

 長谷川 併せて、会員間の「金銭貸借」も、あってはなりません。これが、学会の伝統です。借りる方はもちろん、貸す方も、良くありません。金銭的に困っている人に対し、本人が、信心根本に、自力で立ち上がっていくよう励ましていくのが、学会指導です。

 原田 組織利用の「商売」と、会員間の「金銭貸借」「共同事業」は厳禁――この点を、よく確認し合いながら、仲良き広布の前進を続けていきましょう。
◆〈信仰体験〉 民謡歌手 教壇に立つ
真心で可能性の花咲かせる 唄の普及へ海外公演も 自身の“口三味線”が教材用DVDに

【東京都江東区】「口おっきぐ(大きく)あげで歌うごど。みんな、いぐど? さんっしぃっ!」
 川崎市にキャンパスを置く洗足学園音楽大学の「日本民謡」の講義。講師の廣原竹美さん(41)=芸名・柿﨑竹美、昭和橋支部、副白ゆり長、芸術部員=は、最初から最後まで、故郷・秋田の方言でしゃべり通す。
 「民謡自体が方言から生まれていますから。その質感を学生の皆さんにも感じてほしくて、講義も秋田弁で行っています。それに、あたしだば、いっつも、方言だで(笑い)」
 現役の民謡歌手として活動しながら、教壇で未来ある学生たちと向き合う日々。そのきっかけとは――。
                     ◇
 幼い頃、勉強に自信はなかったが、歌うことは大好きで、自分が輝いていく気がした。民謡を本格的にやるなら、若いうちから専念したほうがいいと、中学卒業と同時に、秋田民謡の名人のもとで、住み込みの内弟子生活に入った。生活態度から厳しく鍛えられた。休みは月に1日。その日だけは、創価学会の会館で題目を唱え、勇気を湧かせた。
 19歳の時、国内最大の「日本民謡フェスティバル」でグランプリを受賞。6年間の内弟子生活を終え、22歳で上京し、著名な民謡歌手の事務所に所属。バンドメンバーとして活躍するようになった。
 2006年(平成18年)、民謡のさらなる可能性を追求するため、所属していた事務所から独立。だが、フリーになったことで、仕事が激減した。アルバイトをしながら、仕事が入ってくるよう、懸命に御本尊に祈り抜く毎日だった。
 ある時、池田先生の随筆で、「我以外皆我師」との作家・吉川英治の言葉を知る。
 “そうだ、新人になったつもりで、どんな人からも学んでいくんだ”。たとえ小さな仕事でも、自身の可能性を大きく開く機会になると、一つ一つ真剣に取り組んだ。
 独立から9年後の15年――。海外文化交流事業の一環として、ヨーロッパで民謡を披露してほしいとの依頼が。スペイン、デンマーク、フランスを巡るツアーへの参加が決まった。翌年には、豪華客船のクルーズやドイツでの公演にも出演を果たした。
 感謝の唱題をしていたある日。突然、電話が鳴った。洗足学園音楽大学の教授からだった。音楽教育コースの講師として招きたいとの打診。以前、学生が悩んでいる時、廣原さんが心から励ましてくれたと、とても喜んでいたことを思い出したという。
 実は独立前、同大学の民謡サークルへ学内公演の手ほどきに何度か訪れたことがあった。その時、一人の学生の相談にのっていたのだった。
 “でも、私なんて”。唄い手一筋に生きてきた自分が教育に関わるなど、想像もつかなかった。新たな分野へ挑戦したいという思いと、自分に講師が務まるのかという不安。その間で揺れた。
 背中を押してくれたのは、信心強盛な叔母の言葉だった。「祈る中で頂いた話なら必ず意味があるはず。まずは“挑戦する”と決めることだよ」
 確信あふれる励ましに、心が決まった。昨年4月、同大学の非常勤講師に就いた。
民謡の師匠のもとで教わったように、何度も歌って体で覚える実践的な講義を心掛け、こてこての秋田弁で、時に厳しく指摘し、時に温かく励ます。学生たちは「方言って雰囲気があって、かわいいですね」と心を開いてくれた。
 内弟子時代の実践経験も注目され、着任3カ月にして学術論文を執筆することに。さらに歌唱練習の際、楽器がない場合に補う「口三味線(三味線のフレーズを口ずさむ)」が、教育現場でも応用できるのではと教授陣の目に留まり、教材用にDVD化が決まるなど、1年間で大きな飛躍を遂げた。
 「人のために火をともせば、自分の前も明るくなる」(御書1598ページ、通解)。指標としてきた御書の一節。仏法に学んだ利他の振る舞いが、自分を大きく花開かせてくれるのを実感した。
 今、高齢者を対象に民謡講座も開いている。現役の唄い手として海外公演もある。
 それでも教室では、学生への心配りをたおやかに。みんなの“お母さん”として接し、講義が終われば「気をつけで帰るんだよお」と、一人一人に笑顔で声を掛ける。どこまでも自分らしく、方言多めの新米講師は、今日も自身の可能性に挑戦し続ける。

2018年5月23日 (水)

2018年5月23日(水)の聖教

2018年5月23日(水)の聖教

◆わが友に贈る

確信の一言は
百万言の理論に勝る。
さあ 和楽の座談会。
皆で体験を語り合い
仲良く愉快に前進を!

◆名字の言
 

  将棋棋士・大山康晴氏は50歳で挫折を知った。18期保持した名人位を二回り年下の若手に奪われる。さらに十段戦、王将戦などで敗れ、ついに無冠に。マスコミは「大山時代去る」と書き立て、呼称は“名人”から“大山さん”になった▼しかし氏は諦めていなかった。「五十歳の新人に候」と、再び立ち上がった。名人から陥落した年は58局、翌年は64局と自己最多の対局数を記録しつつ、上座に座る年下棋士に挑み続けた。その中で「受けの大山」といわれた指し方に積極性が加わり、通算優勝124回を数えた(『大山康晴――人生に勝つ』日本図書センター)▼学会活動に消極的だった岡山の壮年部員。彼の勤務していた会社が倒産した。職を探すが求人は若者ばかり。思い悩んだ日々を経て、30年ぶりに座談会へ。温かな励ましの中、信心で再起しようと腹を決めた▼勤行・唱題を地道に実践し、幹部に指導を求めた。縁する人々に、自身の失敗を赤裸々に語りながら対話すると、おいが入会。壮年の背中を見ていた娘も弘教を実らせた。新たに起こした鉄骨設計会社には今、発注が相次ぐ▼池田先生は「見栄や虚栄などをかなぐり捨てた人間ほど、強いものはない」と。自分を信じ、人生の勝利を諦めない。その最強のエンジンこそ信心である。(子)

◆寸鉄

  どんな人とも真っ向から
 渡り合える人に―戸田先
 生。激戦の中で己を磨け
      ◇
 婦人部総会を推進する全
 国のG長に喝采。地域を
 照らす主役に福徳は燦然
      ◇
 「足は経なり」御書。広布
 の為に動いた分だけ信頼
 は広がる。勇み友の元へ
      ◇
 食べられるのに捨てられ
 る食品ロス、約半数が家
 庭から。意識改革が急務
      ◇
 80、90代も運動で筋力増
 強、転倒予防にも。充実し
 た心身で人生の輝き更に

◆小説『新・人間革命』第30巻 誓願の章   四十九 2018年5月23日  (6379)

 山本伸一は、世界広布へ全力で突き進んでいった。時は待ってはくれない。
 日本国内では、学会への恐喝及び同未遂事件で逮捕された、山脇友政の裁判も続いていた。伸一は一九八二年(昭和五十七年)十月にも、その翌年にも、検察側証人として出廷していた。東京地裁での第一審判決は、八五年(同六十年)三月であった。
 判決は「被告人を懲役三年に処する」というものであった。当然、実刑である。「量刑の事由」では、「被害金額が大きいのみならず、弁護士の守秘義務に背き、背信性がきわめて強い犯罪であるといわなければならない」としていた。さらに、「活動家僧侶と結んでその学会攻撃を支援し、かつ週刊誌等による学会批判を煽るような行動に出ながら」、他方において、僧俗和合を願う学会を脅迫するという、山脇の卑劣で悪質な手口も明らかにした。
 しかも、裁判においても、さまざまな虚偽の工作を行ってきたことを指摘。「被告人は、捜査段階から本件事実を否定するのみならず、公判では幾多の虚構の弁解を作出し、虚偽の、証拠を提出するなど、全く反省の態度が見られない」「本件は犯情が悪く、被告人の罪責は重大」と断罪した。
 また、判決文では、「被告人の供述は、信用できない」といった表現が随所に見られた。法廷で虚言を重ねてきたことも明白になったのである。
 山脇は、「懲役三年」という東京地裁の判決に対して、直ちに控訴する。しかし、東京高裁においても、判決が覆ることはなかった。
 これを不服として上告するが、九一年(平成三年)一月、最高裁は棄却し、「懲役三年」の刑が確定するのである。
 八〇年(昭和五十五年)六月に、学会が警視庁に告訴し、八一年(同五十六年)一月、山脇は逮捕。それから十年がたっていた。
 広布の行く手に立ちはだかる、いかなる謀略も、学会の前進を阻むことはできない。御聖訓には、「悪は多けれども一善にかつ事なし」(御書一四六三ページ)と。

【聖教ニュース】

◆記念展示「友誼の道 池田大作と中国」が東京・中国文化センターで開幕  6月1日まで

開幕式でテープカット。左から中国文化センターの石永菁センター長、日中友好議員連盟の西田実仁事務局次長、日中友好協会の永田哲二常務理事、日中友好会館の荒井克之理事長、中国大使館の張梅参事官、谷川主任副会長、日中協会の服部健治理事長代行、日中文化交流協会の中野曉専務理事、東日本国際大学の西園寺一晃客員教授、東京大学・中国留学生学友会の金洪善会長
開幕式でテープカット。左から中国文化センターの石永菁センター長、日中友好議員連盟の西田実仁事務局次長、日中友好協会の永田哲二常務理事、日中友好会館の荒井克之理事長、中国大使館の張梅参事官、谷川主任副会長、日中協会の服部健治理事長代行、日中文化交流協会の中野曉専務理事、東日本国際大学の西園寺一晃客員教授、東京大学・中国留学生学友会の金洪善会長

 「友誼の道――池田大作と中国」展(主催=中国文化センター、中国人民対外友好協会、中日友好協会。後援=駐日中国大使館。協力=創価学会)の開幕式が22日、東京・港区の中国文化センターで行われた。
 同センターは、日中両国の相互理解と友好協力関係を促進するため、展覧会、公演、講演会等を行っている。日中の平和友好条約締結40周年、池田先生の日中国交正常化提言50周年を記念し、同センターが中心となり今回の展示会が実現した。
 同展は、池田先生が開いた中国各界の人々との友情の軌跡を、ゆかりの品々やパネル、映像とともに紹介している。池田先生は、次のようなあいさつを寄せた。
 「今こそ万代の友好へ、青年と青年がさらに手を携えて新たな日中の金の橋を築き輝かせつつ、共々に平和と希望のメッセージを未来に向けて発信しゆかれることを、私は心から願っております」
 日中友好のバトンを受け継ぎ、交流の道をさらに大きく、さらに未来へ――池田先生の期待に応えるかのように、会場には、両国の未来を担う多数の青年が集った。
 開幕式では、中国文化センターの石永菁センター長が、先駆者が開いた友好の道をより多くの人に知ってもらいたいと強調。駐日中国大使館の張梅参事官は、中日関係のさらなる発展に期待した。また谷川主任副会長があいさつした。
 来賓として参加した日中友好会館の荒井克之理事長は、「池田先生をはじめ日中友好に尽くした先人の努力を知ることは新時代を築くために重要であり、展示はとても意義のあるものです」と語った。
 【案内】
 ▽会期=6月1日(金)まで。会期中は毎日開館。
 ▽会場=中国文化センター(東京都港区虎ノ門3の5の1)
 ▽開館時間=午前10時半から午後5時半。最終日は同3時まで。入場無料。 

◆済州大学で韓日平和フォーラム  李寿成元首相が講演 青年部交流団が出席

 韓日青年平和フォーラムで、李元首相が講演。創価の青年の連帯に期待を寄せた(国立済州大学で)
韓日青年平和フォーラムで、李元首相が講演。創価の青年の連帯に期待を寄せた(国立済州大学で)

 韓国の国立済州大学で21日、「韓日青年平和フォーラム」が開かれ、韓国全土での交流交歓会から済州島に集った「韓国青年友好交流団」(団長=竹岡青年部長)が参加。韓国の李寿成元首相が記念講演を行った。
 フォーラムでは済州大学の姜永淳教務部長が、池田先生に「名誉文学博士号」を授与し、創価大学と学術交流を続けてきた歴史を紹介し、「平和の島」済州で東アジアと世界の平和を誓い合うフォーラムの意義をたたえた。
 次いで、韓国SGI(創価学会インタナショナル)の柳京模学生部長、藤原九州青年部長が、それぞれの平和運動について報告した。
 記念講演で李元首相は、「青年の姿を見れば、未来が分かる」と述べ、韓日の未来が正しい方向に向かうか否かは青年の双肩にかかっていると強調。昨年10月に創大を訪問した思い出を述懐しつつ、池田先生の青年育成の努力を称賛した。
 そして「尊い使命をもって生まれた皆さんです。悩みに負けないで、自身を大切にし、他者をも大切にできる人であってほしい。池田先生の精神を世界に宣揚していける人材、韓日の万年の友誼を築く柱になっていただきたい」と期待を寄せ、講演を結んだ。
 なお韓国青年友好交流団一行は22日、全行程を大成功で終え、帰国した。


【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈忘れ得ぬ瞬間 創立者の語らい〉第2回  創価女子短期大学 1985年4月 入学式 「理想」「鍛え」「教養」の女性に

 第1回入学式で、創立者・池田先生が一人一人を激励。新入生の胸元には、先生ご夫妻から贈られたエメラルドグリーンのスカーフとコサージュが(1985年4月、創価女子短大で)
第1回入学式で、創立者・池田先生が一人一人を激励。新入生の胸元には、先生ご夫妻から贈られたエメラルドグリーンのスカーフとコサージュが(1985年4月、創価女子短大で)

 「女性教育の殿堂」たる創価女子短期大学の第1回入学式が行われたのは、1985年4月9日。スピーチに立った創立者・池田先生は、高貴にして崩れざる道を後輩のためにつくりゆこうと語り、短大生に万感の期待を寄せた。
  
 短期大学に学ぶ2年間という歳月は、短いといえば短い。しかし、もっとも大切な人生の節目であると考えるならば、もっとも深く長い2年間と申し上げたい。この2年間に教授と学生が一体となって、4年制大学の卒業生以上の実力をつけることを、私は願望いたします。
土台を築く2年間
 この日、池田先生は1期生に三つの指針を示している。一つ目は「理想」である。青春時代は、魂の奥深くに「理想」の苗を植え付けていかねばならない。自分らしく、理想を高く掲げ、着実な日々の研さんをと望んだ。
  
 ある大作家の作品に「理想のあるものは歩く可き道を知っている。大なる理想のあるものは、大なる道を歩く……どうあっても、この道を歩かねば已まぬ。魂がこちらこちらと教えるからである」という私の大好きな一節があります。自分の生きるべき「理想」をつかんだ人は強い。それは、どんな迷路に踏みこもうとも、暗夜の灯のように、皆さんを前へ前へと確実に導いてくれると、私は思うからであります。
  
 二つ目は「鍛え」である。先生は、フランスの思想家モンテーニュの言葉「運命はわれわれに幸福も不幸も与えない。ただその素材と種子を提供するだけだ。それを、それよりも強いわれわれの心が好きなように変えたり、用いたりする。われわれの心がそれを幸福にも不幸にもする唯一の原因であり、支配者なのである」(『エセー〈一〉』原二郎訳、岩波文庫)を紹介。2年間の「心の鍛え」が土台となり、40代、50代になって、見事な人生の花を咲かせていけることを強調した。
  
 「鍛え」ということは、若い時代の特権です。脆弱な土台の上に建てられた建物は、すぐに崩れてしまう。と同じように、身体を鍛え、頭脳を鍛え、心を鍛える「鍛え」の青春なくしては、真実の幸福も、真実の満足もありえないと思うからであります。
  
 これから、若き皆さん方は、それぞれの運命を背負って生きていかねばならない。つまずいたり、絶望したり、挫折したりすることもあるにちがいない。しかし、それはたんなる「素材」であり、「種子」にすぎないのであります。
 それを、不幸と感じて人生の敗北者となるか、反対に、幸福への発条として生き抜いていくかは、いつに、モンテーニュの言う「それよりも強いわれわれの心」にかかっているのであります。
清き心を磨け
 三つ目は「教養」である。教養とは、たんなる知識や技能の習得だけではない。自分らしい人間性と人格の輝きであり、見識の母体である。また、よりよい人間関係を築きゆく潤滑油であり、人間にのみ与えられた清き心の昇華の姿と行動であると述べ、先生はこう言葉を継いだ。
  
 教養とは「高度な教養」また「一般的な教養」等々、さまざまに論じられていますが、端的に「洗練された常識」と、言えるのではないかと思います。正しいものを正しく見、美しいものを美しいと見ていける、清らかな広々とした健全なる心が、第一義となってくるのは理の当然でありましょう。
  
 名著を数多く読み、接することも大切であろうし、よき友やよき先輩と、語り交わることも大切ではないかと思うのであります。
  
 最後に、皆さん方が、本学のモットーである「知性と福徳ゆたかな女性」「自己の信条をもち人間共和をめざす女性」、そして「社会性と国際性に富む女性」に成長されんことを心から祈って、私のあいさつとさせていただきます。
ご感想をお寄せください news-kikaku@seikyo-np.jp

◆〈信仰体験〉 家族の団結で乳がんを克服
 女子部愛唱歌「緑の栄冠」などを作成 共に歌おう! “幸福を創る”師弟の曲を

 
【東京都世田谷区】民衆の前進は歌と共にある。創価学会の歩みも学会歌と共にあった。これまで女子部愛唱歌「緑の栄冠」や女子部歌「青春桜」などの作成に携わった早川治子さん(75)=南奥沢支部、婦人部副本部長。歌詞の一字一句、楽譜の一音符に至るまで学会精神を込める思いで創作してきた。「私自身が池田先生や同志に守られ、学会歌に励まされてきました」

“共詞”の誓い
 早川さんが手掛けた愛唱歌や各地の支部歌は、10曲を超える。
 「池田先生のご指導を心肝に染め、生命から絞り出して言葉を紡ぎました。“祈っては創作”の繰り返しでした」
 初めて取り組んだのが1967年(昭和42年)、女子学生部の歌の作成。有志と共に時には同志宅に泊まり込み、時には満天の星を仰いで広布の情熱を語り、五線譜と格闘した。
 皆の思いを集約し、早川さんが作詞・作曲した「緑の栄冠」が女子学生部の愛唱歌として歌われることに。
 池田先生への初披露は、68年5月26日、創価大学の建設予定地で実施された青年部の野外研修。無我夢中で合唱の指揮を執った。
 〽朝日に薫る 清新の
 若葉の樹々に 風そよぐ
 歌を聴き終えた先生は、“次の本部幹部会で全国の同志に聞かせてあげてはどうか”と提案。第3代会長就任から100回目の佳節となる本部幹部会で、歌うことができた。
 「池田先生に聴いていただいて、初めて『緑の栄冠』は完成したと思っています」
 後年、先生は、「『緑の栄冠』は、私の忘れ得ぬ歌となり、やがて全女子部の愛唱歌となった。今も私は、この乙女たちの“青春の心の歌”を聴くと、万感の思いが湧いてくる」とつづっている。
 10年後、新たな女子部歌が検討され、早川さんが作詞したのが「青春桜」。池田先生は、その原詩を基に全面的に推敲した。そして、78年3月16日、立川文化会館で新女子部歌として発表された。
 「女子部の思いを全て歌に込めていただき、皆で手を取り合って喜びました」
 作詞は池田先生のペンネーム「山本伸一」と「原(旧姓)治子」の共詞と決まった。
 「当時は第1次宗門事件の渦中。“共詞”としてくださったのは、私個人への励ましというよりも、師弟不二で戦う女子部との“共戦”の意義を感じました」

雨漏りの座談会
 早川さんは5人姉妹の末っ子。9歳の時、一家で創価学会に入会した。
 運送業を営む父・原徳次さん(故人)は、知人の連帯保証人になり、借金を背負った。母・サトさん(同)は近所から「病気の問屋」とささやかれるほど病弱だった。一家は貧しさや病に負けず、朗らかに信心に励んだ。
 55年、早川さん宅の座談会に池田先生が出席した。当日は雨。経済的に生活は苦しかったが、多くの会員が集えるようにと、父は自宅のバラックを自力で建て増し。そのため、屋根の継ぎ目から滝のように雨漏りしていた。
 12歳の早川さんは先生への申し訳なさと恥ずかしさで頰を染め、小さくなっていた。
 先生は、父の思いを包むように、したたる雨水に手をやりながら、「この家は風流でいいね」とユーモアを込めて語り、会場を和ませた。そして、立派な家が建てられる境涯に、と父を激励した。
 一念発起した父は、借金を完済。2階建ての自宅を新築し、師匠との誓いを果たした。
 「当時の座談会は学会歌で始まり、学会歌で終わりました。勇壮な歌が多かったのですが、私は学会歌が大好きでした」
 いつしか、“自分で学会歌を作ってみたい”と思うようになる。
 早川さんは女子部「富士合唱団」に所属。一度は就職したが、音楽の力で世界広布に尽くしたいと武蔵野音楽大学の声楽学科に進んだ。
 66年、父ががんに侵され、危篤状態に。「富士合唱団」が都の合唱コンクールに出場する前日のことだった。悩んだ末に「明日はコンクールに出場する」と告げると、父は力強くうなずき、送り出してくれた。
 合唱団はコンクールに2度目の出場ながら2位に入賞。発表と同時に父が亡くなったことを知らされた。
 後日、池田先生から早川さんに贈られた書籍を開くと、「幸福を創ることが父の最高の供養」との言葉が認められていた。
 「音楽の道に進んだことを、いつも父は応援してくれました。父のためにも生涯、音楽で広布のお役に立ちたいと心に決めました」

病魔との決着
 2006年(平成18年)、早川さんは乳がん(ステージ3)を発症。鎖骨のリンパ節にも転移が見つかった。
 家族の団結は堅固だった。長男・尊行さん(38)=男子部部長=は勤めていた会社を退職し、夫・博行さん(69)=副区長=が営む不動産業を手伝った。
 司法試験を目指す次男・俊明さん(37)=男子部ニュー・リーダー=も自宅から近い大学の法科大学院へ進路を変更。全員で早川さんを支えた。
 抗がん剤の投与が始まると、副作用で髪は全て抜け落ちた。発熱、吐き気、倦怠感に襲われ、体重も減少。何度も肺炎を患った。
 生と死のせめぎ合いが続いていた07年2月、本部幹部会の席上で「富士合唱団」が「青春桜」を歌った。早川さんは、創価の師弟を分断しようとする障魔の嵐が吹き荒れる中、「青春桜」が作成された感謝と、病魔との決着の誓いをつづり、池田先生に送った。
 すぐさま先生から、「絶対に元気になりなさい」との伝言が。何度も何度も読み返した。
中継行事にはマスクを2枚重ね、家族が付き添って2回、参加。合唱団の歌声に唱和し、自身を鼓舞した。
 〽薫れ生命の 青春桜
 闘病日誌には、「『青春桜』を思うと身体中に歓喜が湧いてくる」と。かつて誓った師との“共戦”に生命が躍動するのを感じた。
 落葉の冬に始まった抗がん剤治療は、桜爛漫の春を過ぎ、実りの秋まで続いた。左胸とリンパ節の摘出手術、放射線とホルモン療法にも耐え抜いた。
 14年、俊明さんは司法試験に合格し、現在は弁護士として働く。尊行さんは大手総合商社グループのIT系企業に転職し、契約社員から正社員に異例の登用を果たした。
 昨年、がんは完治。「父が倒れた病を乗り越えたことに、『願兼於業』(宿命を使命に変える生き方)を強く感じました」
 早川さんの闘病体験に4人が入会。さらに、一家は2年前から尊行さん、博行さん、俊明さんの順に毎年、弘教を実らせた。
 かつて「緑の栄冠」に込めたのは、師匠という朝日の慈光を浴びた弟子が大樹と育ちゆく「生命の栄冠」であり、「妙法の栄冠」。自他共の“幸福を創る”ため、早川さんは師弟の曲を歌い続ける。青春の心を抱いて――。

2018年5月22日 (火)

2018年5月22日(火)の聖教

2018年5月22日(火)の聖教

◆わが友に贈る

「陰徳あれば陽報あり」
仏法に無駄はない。
信心を根本とした
努力と持続は
必ず勝利の実を結ぶ。

◆名字の言
 

  愛媛県と高知県の県境にある集落を訪ねた。人口は約210人。高齢化率は49%を超える。「限界集落」に近いので寂れた山村かと思いきや、若い世代も多く、集落を訪れる人は人口の7倍に達する▼集落のスローガンは「元快衆楽」。日本ジオパークに認定された地域の魅力を楽しみながら歩く道(フットパス)の整備をはじめ、「元気で長生き、快適で住みよい、衆民と助け合い、楽しいイベントも盛りだくさん」の古里づくりに取り組む▼ジオガイドを務める女性は「特徴は、地域おこしを全員参加でやっていること。『そんなことはできない』ではなく、『やれることをやっちみる(やってみる)』が合言葉です」と笑顔で。一人一人が「主体者」として「前向き」なのが、取り組みを支える鍵なのだろう▼東京のある地域の太陽会(平日の昼間に活動できる壮年の集い)。毎月の「太陽会座談会」の名称を、「青年太陽座談会」と変更した。65歳以上のメンバーが多いが、だからこそ全員が生涯、「青年の心」「太陽の心」で進む心意気を示したかった、と。些細なことかもしれないが、「名は体を表す」。思いは言葉に表れる▼同じ生きるなら、自分も周囲も元気になる言葉を、心と心をつなぐ言葉を発していきたい。そう改めて思った。(川)

◆寸鉄

  「文字は是れ三世諸仏の
 気命なり」御聖訓。御書
 根本。これが勝利の王道
      ◇
 奈良広布誓願の日。大関
 西の柱は厳然。万葉の都
 に理想の民衆城を築け!
      ◇
 一生の全ての体験が生き
 てくる―戸田先生。眼前
 の課題に真正面から挑戦
      ◇
 青年は青年によって人間
 形成を促す―詩人。良き
 同志と共に人格の錬磨を
      ◇
 「国際生物多様性の日」。
 皆が“地球号”の一員だ。
 環境守る取組の主体者と
 

◆小説『新・人間革命』第30巻 誓願の章   四十八 2018年5月22日  (6378)

 山本伸一もまた、一九八五年(昭和六十年)十月には、体調を崩し、精密検査のために大学病院に入院しなければならなかった。
 青春時代に胸を患い、医師からは三十歳まで生きられないだろうと言われてきた体であったが、全力疾走の日々を送ってきた。会長辞任後も、世界を回り、以前にも増して多忙を極めた。さらに、会長の秋月英介が、一時期、体調を壊したこともあり、皆を支えるために、伸一は一段と力を注いできた。
 彼は、この時、師の戸田城聖が亡くなった五十八歳に、間もなくなろうとしていることを思った。また、自分のあとに会長となった十条潔も、五十八歳で他界したことを振り返りながら、決意を新たにした。
 “私には、恩師から託された、世界広布の使命がある。そのためには、断じて倒れるわけにはいかない。師の分までも、生きて生きて生き抜いて、世界広宣流布の永遠の基盤をつくらねばならない!”
 伸一は、健康管理に留意することの大切さを改めて感じながら、新しき広布の未来を展望するのであった。
 人生は、宿命との容赦なき闘争といえる。
 愛する人を失うこともあれば、自らが病に倒れることもある。あるいは、家庭の不和、子どもの非行、失業、倒産、生活苦……。これでもか、これでもかというほど、怒濤のごとく、苦難は襲いかかってくる。だからこそ、信心なのだ。自らを強くするのだ。信心で乗り越えられぬ宿命など、断じてない。
 苦難に負けず、労苦を重ねた分だけ、心は鍛えられ、強く、深くなり、どんな試練をも乗り越えていける力が培われていく。さらに、人の苦しみ、悲しみがわかり、悩める人と共感、同苦し、心から励ましていくことができる、大きな境涯の自分になれる。
 また、苦難に挫けることなく、敢然と戦い進む、その生き方自体が、仏法の偉大なる力の証明となっていく。つまり、広宣流布に生き抜く時、宿命は、そのまま自身の尊き使命となり、苦悩は心の財宝となるのだ。

【先生のメッセージ】

◆〈池田先生と共に 新時代を進む〉29  学ぶ誇り! 生命の大歓喜を

 先師・牧口常三郎先生が誕生した6月が巡り来る。先生が57歳の年(昭和3年)に、広布の戦いを開始されて、今年で90周年となる。
 仏法対話の折に、先生がよく語られた一言がある。「信仰に入るのではない。信仰の世界へ出るんだよ」
 すなわち、正しい信心とは、狭く堅苦しい形式に閉ざされることではない。苦しみの流転を断ち切って、心も広々と、歓喜と福徳の世界へ自由自在に羽ばたいていくことなのである。
 この希望と幸福の価値創造の翼を、万人が広げてもらいたい――これが、牧口先生の願いであった。みずみずしい青葉の季節、教学部任用試験へ研鑽する友の姿を、先生も笑顔で見守られているに違いない。
                  ― ◇ ― 
 「生老病死」の苦悩は、誰人も免れない。どう向き合い、どう打開していくか。
 この人類の最も本源的な探求から、仏法は生まれた。ゆえに全ての人に開かれた生命の哲理といってよい。
 私が対話を重ねた世界の知性も、トインビー博士をはじめ皆、生死という根本課題を真摯に見つめ、解明の智慧を求めておられた。だからこそ、仏法の生命観に深い共鳴を寄せられたのだ。
 今、「仏法入門」と銘打たれた任用試験には、新入会の友はもちろん、多くの会友の方々も、多忙な中、勇んで挑戦される。内外を問わず、「十界」「宿命転換」の法理や「日蓮大聖人の御生涯」などへの感銘の声を、うれしく頂く昨今である。
 御義口伝には、「喜とは自他共に喜ぶ事なり」「自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり」(御書761ページ)と仰せである。
 共に学び、教えてくれる方々にも、感謝は尽きない。受験する方も応援する方も「生命尊厳」と「人間尊敬」の最極の哲学を学ぶ誇りに胸を張っていただきたい。智慧と慈悲のスクラムで、「常楽我浄」という生命の大歓喜を地域に社会に漲らせていくのだ。
                   ― ◇ ― 
 98年5月、念願の韓国SGI本部を訪問した私は、世界に先駆して「21世紀の仏法ルネサンス」を進め、社会に奉仕し、人間性を広げゆく韓国の宝友を讃えた。
 満20年になる今月、韓国と日本の青年部が意義深い交流を刻んでくれた。妙法で結ばれた若き地涌の連帯こそ、平和の希望だ。
 生涯、正義を貫かれた牧口先生の如く、我らは、太陽の仏法の光で世界を照らしゆこう!

【聖教ニュース】

◆太平洋の宝石・パラオ共和国 レメンゲサウ大統領を歓迎 
総本部で原田会長らと会見 大統領「青年と共に調和の未来を」
大統領が創価大学で記念講演も


 パラオ共和国のレメンゲサウ大統領㊧と原田会長が和やかに語らいを(学会本部別館で)
パラオ共和国のレメンゲサウ大統領㊧と原田会長が和やかに語らいを(学会本部別館で)

 パラオ共和国のレメンゲサウ大統領一行が21日午後、東京・信濃町の総本部を訪問し、原田会長、笠貫SGI(創価学会インタナショナル)女性部長らが歓迎した。これに先立ち大統領は同日午前、東京・八王子市の創価大学を訪れ、「パラオと日本の友情」と題して記念講演した。この日、大統領に「創大教育文化賞」が贈られた。諸行事には、パラオのアイメリーク州のデメイ・オバク州知事、テルオ・レングルバイ同州議会議長、フランシス・マリウル・マツタロウ駐日特命全権大使らが同席した。
 今月18、19日に福島・いわき市で開催された第8回「太平洋・島サミット」に出席するために来日したパラオ共和国のレメンゲサウ大統領。多忙なスケジュールの合間を縫って、信濃町の総本部を訪問した。
 大統領は1956年生まれの62歳。84年、パラオ議会の上院議員となり、2001年から09年にかけて2期8年、大統領を務めた。その後、12年に大統領に再選されて現在4期目である。
 会見の冒頭、原田会長が、池田大作先生の伝言を伝えると、大統領は、感慨を込めて語った。
 「池田SGI会長との16年前の出会いを昨日のことのように思い起こします。あの誠実な振る舞いは今なお忘れられません。総本部に来て、SGI会長の精神が至るところに脈打っており、感銘を受けました」 
日本とパラオを結ぶ友好の橋を万代へ

パラオ共和国の大統領一行と学生の代表らが、記念のカメラに諸行事にはヒラマツ・オセアニア長、
同国SGIのターコン議長も参加した  (創大本部棟で)
  

パラオ共和国の大統領一行と学生の代表らが、記念のカメラに。諸行事にはヒラマツ・オセアニア長、同国SGIのターコン議長も参加した(創大本部棟で)

 レメンゲサウ大統領と池田先生との出会いは2002年6月、聖教新聞本社で。パラオの環境や文化、人間の魅力等を語り合った。また、池田先生ご夫妻に「大統領最高栄誉賞」が授与。その際、池田先生は「21世紀こそ、パラオと日本に永遠の『友情の橋』を架けたい」と訴え、以来、真心の交友を重ねてきた。
 大統領は、原田会長に続けた。
 「SGI会長は、わが国の『名誉国民』(08年8月)でもあります。その多大な功績を顕彰できたことは、私どもにとって栄誉でありました」
 次に話題は、大統領が長年、尽力してきた環境問題に。大統領は今回の「太平洋・島サミット」の議論を踏まえながら、「人間と環境がいかに共存していくか。SGI会長も、私も考え続けてきたことです。私たちは、次世代の青年と共に、調和の未来を築いていかなければなりません」と語った。
 最後に、「青年」をテーマに語らいを。
 原田会長は学会が青年育成に力を入れ、世界中で今、青年が躍動している模様を紹介。大統領は共感しつつ、多様な機会を通じて、青年の交流を深めていきたいと述べた。
                      ◇
 大統領一行は総本部への訪問に先立ち、創価大学へ。本部棟で、創大の田代理事長、馬場学長、創価女子短大の石川学長はじめ教職員、学生の代表が歓迎した。開口一番、大統領は笑顔で語った。
 「16年前(02年6月)、私は創価大学を初訪問しました。その時と変わらない、温かい歓迎に心から感謝します。この場所に戻ってくることができて、うれしい」
その後、地域の繁栄と、教育・平和・文化向上への功績をたたえ大統領に「創大教育文化賞」が授与された。
 続いて、大統領が「パラオと日本の友情」と題して記念講演を行った。
 大統領は、02年の池田先生との語らいを述懐しつつ、現在、リーダーシップを発揮し、展開している環境保護の取り組みなどを紹介。世界を守るために、池田先生のバトンを受け継ぎ、創価大学の学生一人一人が、平和と環境のためのリーダーに成長してほしいと望んだ。
 講演を聞いた女子学生は語っていた。
 「一国の大統領が信頼し、敬意を表する池田先生のもとで学ぶ喜びをかみ締めました。今後も、パラオの環境問題への取り組みを学び、地球規模の課題解決への糸口を探っていきたいと思います」
 講演後、大統領一行は中央教育棟を視察。居合わせた学生の輪に次々と飛び込み、声を掛ける大統領の青年への思いは、地球と両国の友情の未来を担う学生たちの心に深く刻まれた。

パラオ共和国データ
 大小300ほどの島々で構成される常夏の国。首都はマルキョク。日本から約3000キロ南に位置し、鹿児島県の屋久島とほぼ同じ面積を有する。青く澄んだ大海原には、多様な生物が生息し、サンゴ礁が広がる。
 主要産業は観光業。美しい自然を楽しめるリゾート地として、訪問客が絶えず、“太平洋の宝石”とも、うたわれる。
 第1次世界大戦後から約30年、日本が統治していた。その名残で、パラオ語には「ベントウ」「ゾウリ」「センプウキ」など、日本語と同じ意味を持つ単語があり、今も使われている。

◆青年部交流団 韓国全土で交歓会 

京畿第1方面の同志との交歓会。志賀男子部長ら交流団一行が記念のカメラに(水原文化会館で)

 【ソウル】青年の手で、新しい韓日の「友好の道」「文化の道」「平和の道」を!――「韓国青年友好交流団」(団長=竹岡青年部長)の交流交歓会が19、20日(現地時間)を中心に韓国全土47方面で開催された。
 このうち、韓国SGIの水原文化会館で19日に開かれた京畿第1方面の集いには、志賀男子部長らが参加。会館に到着するや、韓国青年部が情熱あふれるダンスなどで熱烈に歓迎した。
 集いでは、韓国未来部の代表による合唱に続いて、水原圏男子部の孫旺翼さんが体験を発表。世界有数の大手企業に勤め、多忙な日々の中、仕事と学会活動に全力を挙げ、青年部の拡大と職場で実証をつかみ取った模様を語った。
 また、小泉奈穂総京都女子部長が、負けじ魂を胸に師弟共戦の道を歩む中で、今年に入って4人に弘教を実らせた喜びを紹介した。
 志賀男子部長は、韓国の同志の真心に感謝を述べるとともに、「師の心を受け継ぎ、共に世界平和へ前進を」と訴えた。京畿第1方面の宋得燮方面長が、両国の青年の活躍に期待を寄せた。
 一方、伊藤女子部長らは20日、水晶文化会館(釜山広域市)で行われた釜山第2方面の交歓会へ。
 集いでは、地元の未来部メンバーが元気いっぱいに合唱で歓迎。
 南孝正圏女子部長(西面圏)、南世正地域女子部長(水晶圏)の姉妹が、家族の宿命を乗り越えて広布拡大に駆ける様子を報告。大阪学園総県男子部の柳元綾さんが芸術部として、社会で勝利の花を咲かせた歓喜を述べた。
 伊藤女子部長は、韓日友好の新しき時代を切り開くのは、私たち青年であるとの決意で、手を取り合い進んでいきましょうと呼び掛けた。
 釜山第2方面の権時助方面長があいさつし、青年部の交流団一行を歓迎した。 


【特集記事・教学・信仰体験など】

◆結成から半年 カナダ最北の地区を訪ねて  大自然に輝く誓いの極光


 男子地区リーダーのマキシム・レニエさん㊧と、女子地区リーダーのジョアンナ・ゴーセンスさん
男子地区リーダーのマキシム・レニエさん㊧と、女子地区リーダーのジョアンナ・ゴーセンスさん

 カナダ“最北”の地区が誕生したと聞き、4月下旬、西海岸のバンクーバーからホワイトホースに飛んだ。
 眼下には、雪に覆われたカナディアン・ロッキーが白く波打つ。やがて緑が広がり、道路や家々が見えてきた。
 北極圏への玄関口であるホワイトホースは、アメリカのアラスカ州に隣接するユーコン準州の州都。冬は零下40度にもなる酷寒だが、この時季は数枚着込めば寒さは気にならない。
 「大自然を求めて、世界中から観光客がやって来ます」と話すのは、ツアーガイドとして活躍するマキシム・レニエさん(男子地区リーダー)。
 冬は、湖面の氷に穴を開けるアイスフィッシングや雪上を踏みしめて進むスノーシュー、オーロラウオッチングなどをサポート。夏は、公務員として公共施設を管理する傍ら、ユーコン川の川下りをガイドする。
 フランス出身のレニエさんがホワイトホースに移り住んだのは2013年4月。その直前、パートナーのジョアンナ・ゴーセンスさん(女子地区リーダー)から信心を勧められた。
 同じ言葉を繰り返す唱題行の意味がよく分からず、「“1回だけ唱えればいいじゃない”と意見したこともありました(笑い)」と振り返る。
 ある時、SGIの集いに参加し、大勢の人が唱和する題目を耳にする。
 “なんて力強い声だろう! エンジンをかけた乗り物のようだ!”と感嘆。自ら進んで唱題を実践し始めた。
 レニエさんがホワイトホースに転居した当初、この地にSGIメンバーはいなかった。
 壁に向かって一人、題目を唱え続ける日々。1年後に、ゴーセンスさんがやって来た。
 「この時、2人で唱えた題目の響きが忘れられません。同志のありがたさを身にしみて感じました」と語るレニエさん。2015年12月にSGIの一員となった。
 それから徐々に同志の転入者が増えていき、昨年11月、カナダ最北の地区となる「ギャロッピングホース地区」が誕生したのである。
 「住民の入れ替わりが激しい」とゴーセンスさん。永住権が比較的早く取得できるため、永住権を目的に来る人や、都会を離れ、新たな生活を夢見て来る人も多い。だが自然の厳しさを知り、ホワイトホースを去る人もたくさん見てきた。
 これまで15人の友人が座談会に参加。数人が唱題を始めたが、この地を離れた友人も多く、SNSなどで近況を交換し合っている。
 地区部長のデイビッド・フォーニアさんは物理学博士。言語療法士として活躍する妻のブリジット・ポワリエさん(地区婦人部長)と、バンクーバーから移り住んだ。
 「決して、活動しやすい地域とは言えません。以前の自分なら尻込みしたと思う。でも今は、ここで広宣流布したい」とフォーニアさん。「地区があるということ自体が“誇り”なんです」と決意をにじませる。
 ここに来る前、ポワリエさんと「たとえ自分たちだけになっても、座談会は欠かさず続けよう。メンバーが少なくても言い訳はせず、全てに責任を持とう」と約束した。
 「環境を変えれば何とかなると思って来た人、言うに言われぬ悩みを抱えて来た人も多い。だからこそ力ある信仰を求めていると感じます」と声をそろえる。
 フォーニアさんの勧めで信心を始めたポワリエさん。来月で入会10年となる。節目を迎える心境を笑顔で語った。
 「学会の同志というだけで、初対面でも心から信頼し合える。それが、どれほど素晴らしいことか。今度は私たちが、そういう希望の存在になっていきたい」
 友の広布の誓いを映し出したように、美しい極光が夜空を彩っている。

◆〈壮年部のページ〉 副役職者の活躍を追って  会って語る そこに生命の触発が


武知さん(右から2人目)の励ましが、友の心を開く(4月22日、上板町内で)

武知さん(右から2人目)の励ましが、友の心を開く(4月22日、上板町内で)

 池田先生はつづる。「人を動かすのは人だ。心を揺さぶるのは心だ。直接会う。会って語る。そこに生命の触発が生まれる」(壮年部指導集『黄金柱の誉れ』)。ここでは、励ましの力で人材を育む副役職の友を、心に刻む小説『新・人間革命』の抜粋と共に紹介する。

相手を信じる挑戦

   皆が等しく広宣流布の使命をもっていても、個々人の具体的な役割は異なっています。(中略)広宣流布の大偉業も、さまざまな役割の人が集まり、それぞれの分野、立場で、個性を発揮しながら、力を合わせることによってなされていく。分野、立場の違いはあっても、それは、人間の上下などではありません」
(小説『新・人間革命』第30巻「暁鐘」の章)

友に祈り共に前へ

 「その場所で、広宣流布の戦いを起こし、信頼の輪を広げ、幸せの実証、勝利の実証を打ち立てていくことです。どこへ行っても、〝自分は、仏からその地の広宣流布を託されて派遣されたのだ〟という自覚をもつことです。また、私と師弟であると決めているならば、私に代わって、そこにいるのだと確信してください」
(小説『新・人間革命』第25巻「福光」の章)

“励ましは”恩返し

 「御聖訓には『大悪を起これば大善きたる』(御書1300㌻)と仰せである。それは、何もせずして『大悪』のあとに、『大善』が訪れるということではない。〝ピンチ〟こそが〝チャンス〟ととらえ、苦難を飛躍台として断じて進み抜こうという、不屈の一念によって、『大善』は開かれるのだ」
(小説『新・人間革命』第14巻「烈風」の章)

◆世界広布新時代第34回本部幹部会・信越総会から(要旨) 海外活動体験 スペイン創価学会 エンリケ・カプート理事長  平和目指す宗教間対話をリード 仏法の人間主義に共感広がる

 一、私はアルゼンチンで生まれ育ち、13歳の時に信心を始めました。アルゼンチン青年部の中で信心の土台を築き、1990年の暮れに新天地を求めて、31歳でスペインにちょうどその頃、あの第2次宗門事件が起こりました。
   スペインでは当時の中心者が反逆し、邪宗門と結託。多くのメンバーが正邪に迷って脱会していきました。メディアに、無認識なデマを流されたことまでありました。
 障魔の嵐が渦巻く91年6月、池田先生は欧州を訪問してくださいました。
 フランス・トレッツの欧州研修道場で開催されたSGI総会には、スペインから100人のメンバーが参加しま した。先生は、私たちに「スペインの同志を守ってください」と万感の励 ましを送ってくださいました。
 さらに同年夏、代表が日本に集った時も、先生はご指導くださいました。「正しいから勝つとは限らない。正しいからこそ、勝たねばならない。悪に勝ってこそ、初めて、善であることが証明されるのだ」と。
 スペインは断じて邪悪に打ち勝つ。私たちは、この不退の一念で破邪顕正の言論戦を開始しました。
 学会が「魂の独立」を果たした同年11月28日は忘れることができません。スペインのメンバーに”宗門が学会を「破門」と言ってきた”と伝えると、大爆笑が沸き起こりました。なぜならスペイン語で「ハモン」といえば、名物の「生ハム」のことだからです(笑い)。私たちは”何が「ハモン」だ!”と笑い飛ばし、いよいよ一対一の勇気の対話に走りました。
 仏の軍勢の勢いが増せば、魔の蠢動は白日の下に晒されます。その後は坊主や退転者の策略も、ことごとく大失敗。のこのこスペインまでやって来た日顕も勤行中に居眠りをして、世界中の笑いものになりました。
 大勝利をして来日した98年1月8日の本部幹部会、池田先生と共に「スペイン創価学会、万歳」をすることができた喜びは、生涯、この胸から消えることはありません。
 さらなる勝利を先生に誓い、同志と共に戦い抜いてきた結果、「魂の独立」から27年を経た今、スペインの正義の陣列は、当時の60倍にまで発展したのです(拍手)。
 どこまでも明るく、どこよりも麗しい、スペインの異体同心の団結の姿こそ、極悪と戦い抜いてきた最高の実証であると確信しています。
 一、無知で、偏狭で、化石のように硬直した日顕宗と決別した私たちは、仏法の人間主義への理解を社会に広げようと、宗教間対話運動にも喜び勇んで取り組んできました。
 2008年には「スペイン仏教連盟」に加盟。他の団体と誠実に語り合い、積極的に活動を支えてきたところ、2年前、思いもかけないことに、加盟18団体の全会一致により、連盟の会長に、私が選出されました(拍手)。
 その年の国家の祝日「イスパニアデー」には、連盟の会長として、スペイン創価学会の理事長として、正式に王室主催のレセプションへの招待を受け、スペイン国王に謁見することもできました。そして本年1月、池田先生に創立500年の伝統を誇る名門・アルカラ大学から名誉教育学博士号が贈られました(拍手)。
 また、先月の原田会長のスペイン訪問の際は、わが国の主要宗教であるカトリックの司教協議会を表敬訪問。タマージョ事務総長と、平和と教育について語り合いました。
 さらに法務省では、カタラ法務大臣と会見。終了後、大臣は自らのSNSで「世界で最も重要な仏教団体の一つで宗教間対話と平和の文化のための教育の推進を通して寛容の精神を広げ、スペインでも強い存在感を示す創価学会の代表と会見」とのメッセージを写真入りで発信しました。
 同志一人一人の良き市民としての行動、開かれた対話が、かつてのデマ報道を見事に払拭したのです。学会の正義は厳然と証明されました(拍手)。
 さらなる勝利の実証を社会に堂々と示し、創価学会が平和への情熱あふれる世界宗教であることを、スペインから高らかに宣言していく決意です(拍手)。

◆世界広布新時代第34回本部幹部会・信越総会から(要旨) 活動体験 新潟 佐渡圏 頓宮愛子さん(圏総合婦人部長) 浩明さん(圏男子部長)移住。
 宿命乗り越え使命の道を


頓宮愛子さん
 一、日蓮大聖人有縁の地・佐渡で活動する頓宮愛子です。私は佐渡で生まれ育ち、7歳の時、母に続いて入会しました。
 唱題と御書が大好きだった母は、常に仏壇の横に「在在諸仏土常与師俱生」の経文を掲げていました。
   どこまでも池田先生一筋の母でした。どんなに家計が苦しくても、母は私を未来部の会合に送り出してくれました。1969年8月15日、東京の日大講堂(当時)で開催された「第2回高等部総会」に佐渡から出席し、先生とお会いできたことが最高の原点です。
 先生のご期待にお応えしたいと、高校卒業後は、東京で働きながら短大の夜学に通い、76年に佐渡へ帰郷。翌年には、佐渡広布に情熱を燃やす夫と結婚しました。
 夫は71年5月、佐渡に伝わる民謡「相川音頭」の踊りを先生の前で披露し、記念撮影していただいたことを最高の誇りにしていました。夫と二人三脚で広布に歩き、3人の子どもに囲まれ、一家和楽の幸福な日々を送っていました。しかし93年9月、夫が突然の心不全で倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。
 当時、私は41歳。中学3年、1年、小学5年の3人の子どもを抱え、ただただ呆然と立ち尽くしていました。そんな時、先生から弔意とともに「これからハーバード大学で“生も歓喜、死も歓喜”の講演を行います」とのご伝言を頂きました。2回目のハーバード大学での講演を前に、私たち家族を見守っていてくださる真心に、必ずや「生も歓喜、死も歓喜」と言い切れる勝利の人生でお応えしようと心に誓いました。
 それからは、昼間は農協で臨時職員として働いて家計を支え、夜は婦人部本部長として同志の激励に徹しました。それでも、試練は続きました。父を失ったショックからか、長女は摂食障害に。次男も不登校になりました。仕事帰りと活動の帰りに、子どもたちの無事を確認し、時間を見つけては、ただただ題目をあげる日々でした。
 そんな毎日が何年も続きましたが、やがて長女は病を完治させ、結婚して私にとっての初孫も誕生。次男も、はつらつと農業に従事できるようになりました。長男は東京の大学から佐渡にUターン就職し、圏男子部長を務めるまでに成長してくれました(拍手)。
 一、圏婦人部長をしていた2012年、待望の「佐渡平和会館」の落成式を迎えました。ロビーには、開館を記念して池田先生と佐渡の同志の絆を紹介した写真パネルが展示されました。その1971年の写真には、なんと先生のすぐ横で会心の笑みを浮かべる夫の姿が写っていたのです。家族の皆が、夫と共に、笑顔で会館の完成を迎えることができたと、感謝で胸がいっぱいになりました。
 しかし2年後、今度は31歳だった次男が、夫と同じ心不全で突然、他界しました。この時の数日間のことは、何をどうしていたのか、ほとんど記憶がありません。長男夫婦が、そばで支えてくれていなかったら、立ち上がることもできなかったと思います。
 池田先生からは、この時も「息子さんのことは残念でなりません。けれども、すぐに偉大な境涯に生まれてくるよ。ご主人のことも忘れていません」と、温かな励ましを頂きました。ご伝言を聞いた時、母が仏壇の横に掲げていた「在在諸仏土常与師俱生」の経文が脳裏に浮かびました。題目を唱え抜く中で、“三世永遠に家族みんなが師匠のもとで一緒なんだ、ただただ先生の言葉を信じて前進していこう”と、再び前を向くことができました。
 一、それから4年、深い悩みや悲しみを経験してきた分、さまざまな苦悩に沈む婦人部の方とお会いするたび、どこまでも相手に寄り添い、確信をもって励ませる自分になれたことへの感謝は尽きません。
 少子高齢化の進む佐渡ですが、婦人部ではヤング・ミセスの人材が陸続と育ち、佐渡平和会館には連日、後継の子どもたちのにぎやかな声が響いています。
 長男は3年前、元の敷地に2世帯住宅を新築してくれました。素晴らしいお嫁さんと3人のかわいい孫に囲まれ、また長女にも2人目の子どもが誕生し、今、人生で最も幸せな日々を送っています。不思議にも2歳になった長男の2番目の子は、顔も、やるいたずらも亡くなった次男そっくりになってきました(笑い)。
 大聖人は、佐渡の女性門下・千日尼に「日本国の一切の女人を扶けんと願ぜる志は・すてがたかるべし」(御書1313ページ)と仰せになられました。全ての女性を幸福に――私もこの心で、目の前の一人への励ましに徹し、三世の使命に生き抜く決意です(拍手)。
 一、長男の浩明です。東京から佐渡に帰り、男子部としての1世帯目の折伏を、誰よりも応援してくれたのは弟でした。家に友人を連れてくると、弟は私以上に意気投合し、自然と信心の方向へ、話を振り向けてくれました。
 圏男子部長になってから毎年、「塚原問答」の意義をとどめて開催している青年部の大会も、弟は得意のパソコンを駆使し、素晴らしい企画映像を制作。大会を盛り上げてくれました。
 その弟が突然、亡くなった時、これまで何があっても明るく一家を支えてきた母の、見たこともない憔悴しきった姿に“悲しんでいる時ではない。父の分も、弟の分も母を支えるのは自分しかいない”と腹を決めました。
 そんな私自身も、さまざまな方から“お父さんには世話になった”“弟さんが本当によくしてくれた”と、私の知らなかった父や弟の一面を教えてもらうたび、今も父や弟に支えられているように感じています。本年3月11日の世界青年部総会も、かつてない青年を結集し、大勝利することができました。
 一、学会の青年らしく、地域の発展にも尽くしたいと、「鬼太鼓」という伝統祭事にも積極的に携わってきました。当初は、学会員の私が鬼太鼓で地域の各家庭を回るたびに、相手の方が驚き、“お母さんは怒っていないのか”と確認されましたが(笑い)、母は怒るどころか、その一軒一軒を聖教新聞の購読推進に歩いていました(笑い、拍手)。今では私も、地域の青年会の会長を務めるまでになりました。
 本年は、池田先生が佐渡を訪問されてから60周年の佳節です。先生に勝利をご報告するため、これからも家族と共に、同志と共に、佐渡広布の未来を勝ち開いていきます(拍手)。

2018年5月21日 (月)

2018年5月21日(月)の聖教

2018年5月21日(月)の聖教

◆今週のことば

眼前の一人との語らいが
未来へ 世界へ広がる。
「弥(いよい)よ申し聞かすべし」
友の幸せを祈って
希望の声を凛々と!

◆名字の言

 プロバスケットボールBリーグ2部の秋田ノーザンハピネッツが今季、9割を超える圧倒的な勝率で1部リーグ(B1)への返り咲きを決めた▼躍進の秘密は新任ヘッドコーチによる戦術の変更にあった。それは“ボールを持つ相手にコート全面において密着する”という攻撃的な守備を敷くこと。終始、圧力をかけ続けなければならないので体力の消耗は激しいが、12人の登録選手を総動員すれば終盤まで足が止まることはない▼ヘッドコーチが最も大切にするのは「チームとして戦うこと」。主力選手だけではなく全員が主体者の自覚に立つ。「選手たちは常に100%の力を発揮できている」という▼池田先生の小説『フィールドにそよぐ風』の中で、主人公の恩師が教え子に問う場面がある。同じ戦力の軍勢AとBが、2回にわたり戦う。A軍は全員が続けて2回参戦。B軍は半数ずつに分かれて迎え撃つ。さて、勝つのはどちらか――正解はA軍。なぜなら、常に全員が戦うA軍に対し、B軍はいつも半数の兵士が休んでいるからだ。「戦いでは“遊び”のあるほうが負ける」と▼創価のスクラムにもまた、脇役は一人もいない。それぞれが主体者の自覚で立ち上がり、秘められた力を発揮すれば、広布の前進は大きく加速していく。(開)

◆寸鉄

  韓日両国の青年部が友情
 総会。師弟に生き抜く心
 は一つ。宝の橋を万代へ
      ◇
 池田先生の“山光提言”の
 日。地域に励ましの光を。
 鳥取・島根よ太陽と輝け
      ◇
 妙の一字の智剣を以て生
 死煩悩の繩を切るなり―
 御書。祈り強く。勝利の源
      ◇
 5月は自転車月間。イヤ
 ホンや携帯のながら運転
 は厳禁。呉々も無事故で
      ◇
 頻繁に怒る親の子どもは
 怒りっぽいと。家庭こそ
 人格育む教育環境と銘記

◆社説    「子どもの事故防止週間」 過去の教訓に学び賢明な日々を


 厚生労働省の人口動態調査によると、毎年300人以上の0歳から14歳の子どもが、遊具や水遊びなどの事故で命を落としている。
 こうした不慮の事故をなくす取り組みとして、昨年から消費者庁は「子どもの事故防止週間」を開始した。
 2回目となる今年は、きょう21日から実施される。27日までの期間中、ウェブサイト、SNSなどで、関係機関が集中的に啓発活動や情報提供を行う。
 今回は、「水の事故の防止」「幼児用座席付自転車の事故の防止」が重点テーマだ。
 「水の事故防止」では、海、川、湖沼池、プールなどでの注意を喚起している。
 過去10年間、4歳以下の海の事故は、件数的に多くはない。だが、保護責任者の監視が不十分だったことに起因する事故が7割近くにも上る。
 子どもは、「静かに溺れる」といわれる。子ども自身が溺れている状況を理解できず、声を出さないからだ。だからこそ、常に保護者が付き添い、子どもの安全を見守りたい。
 湖沼池や用水路では、周囲に柵がない場合、転落の危険がある。そうした場所を、子どもと一緒に確認しておくことも、事故を未然に防ぐことになる。
 「幼児用座席付自転車の事故の防止」では、乗車前の子どもの自転車用ヘルメットの着用、乗車後の子どものシートベルトの着用や、停車中も子どもを乗せたまま自転車を離れないことなどを呼び掛けている。
 2010年(平成22年)からの6年間で、6歳以下の子どもを乗せた幼児用座席付自転車の事故は600件を超える。3日に1回程度、どこかで事故が起こっている割合だ。
 また、この事故は、4月から7月の間で、救急搬送数が増加傾向になることが特徴である。幼稚園や保育所などへの送り迎えで、自転車を使う人が増えることが要因と考えられている。
 いずれにしても、「水の事故」「自転車の事故」も、大人の「ちょっとした注意」が事故防止のポイントだ。
 池田先生は、「事故をなくすには、一人一人の『意識革命』が大切である」と。“わが家は大丈夫”との油断・過信が「事故の因」となる。基本をおろそかにせず、過去の教訓から学び、賢明な一日一日を過ごしたい。
 無事故こそ幸福への第一歩。「小事が大事」と心に刻み、豊かな知恵と工夫で、子どもの命を守り、育んでいこう。

◆きょうの発心  伊豆の地で使命深き後継を育成2018年5月21日


御文
 大海へ衆流入る・されども大海は河の水を返す事ありや、法華大海の行者に諸河の水は大難の如く入れども・かへす事とがむる事なし(椎地四郎殿御書、1448ページ・編178ページ)
通解 大海には多くの河の水が流れ込む。しかし、大海は河の水を返すことがあるだろうか。法華経を持つ大海のごとき行者に、大難は諸河の水のように流れ込むけれども、押し返したり、とがめだてすることはない。
 いかなる大難をも、信心で悠々と勝ち越えていけると仰せです。
 戸田先生が出席された座談会で、私の祖母が入会。広布一筋に生きる両親に学びながら、学会の庭で育ち、池田先生と数多くの原点を刻んできました。
 1987年(昭和62年)11月23日、伊豆広布40周年記念の会合に女子部の代表として参加。席上、先生はこの御文を拝して、「伊豆から見る太平洋のごとき壮大なる自身の境涯を」と示してくださいました。
 結婚後は、姑の介護や、2人の息子の不登校、夫の失業など悩みが尽きませんでした。そうした中、この御文を支えに学会活動に励んだことで、苦難に負けない境涯を開くことができたのです。
 現在、使命深き未来部・女子部の育成に携わりながら、後継の人材の幸福と勝利を祈る日々です。
 伊豆広布の大発展を目指し、決意新たに報恩の前進を朗らかに開始してまいります。
 静岡・伊豆総県副婦人部長 長沢貴子

◆小説『新・人間革命』第30巻 誓願の章 四十七 2018年5月21日  (6377)

 山本伸一が、正信会僧らの理不尽な学会攻撃に対して、本格的な反転攻勢に踏みきり、勇躍、創価の同志が前進を開始すると、広宣流布の水かさは次第に増し、月々年々に、滔々たる大河の勢いを取り戻していった。
 しかし、広布の征路は険しく、さまざまな試練や、障害を越えて進まねばならない。
 伸一自身、個人的にも幾多の試練に遭遇した。一九八四年(昭和五十九年)十月三日には、次男の久弘が病のために急逝した。享年二十九歳である。彼は、創価大学法学部の修士課程を修了し、「次代のために創価教育の城を守りたい」と、母校の職員となった。
 九月の二十三日には、創価大学で行事の準備にあたっていたが、その後、胃の不調を訴えて入院した。亡くなる前日も、「創大祭」について、病院から電話で、関係者と打ち合わせをしていたようだ。
 久弘は、よく友人たちに、「創価大学を歴史に残る世界的な大学にしたい。それには、命がけで闘う本気の人が出なければならないと思う。ぼくは、その一人になる」と語っていたという。
 伸一は、関西の地にあって、第五回SGI総会に出席するなど、連日、メンバーの激励に奔走していた。
 訃報が入ったのは、十月三日夜であった。関西文化会館で追善の唱題をした。思えば、あまりにも若い死であった。しかし、精いっぱい、使命を果たし抜いての、決意通りの生涯であったと確信することができた。
 伸一は、久弘の死は、必ず、深い、何かの意味があると思った。
 広宣流布の途上に、さまざまなことがあるのは当然の理である。しかし、何があっても恐れず、惑わず、信心の眼で一切の事態を深く見つめ、乗り越えていくのが本物の信心である。広布の道は、長い長い、一歩も引くことのできぬ闘争の連続である。これを覚悟して「難来るを以て安楽と意得可きなり」(御書七五〇ページ)との原理を体得していくのが、大聖人の事の法門であり、学会精神である。

【聖教ニュース】

◆ソウルで韓日友情総会 両国の青年が後継を誓願 
池田先生がメッセージ「希望の未来を照らす光源たれ」

 韓日友好の新時代は私たちの手で!――両国の青年の熱い決意がみなぎった「韓日友情総会」(ソウルの韓国SGI池田記念講堂で)
韓日友好の新時代は私たちの手で!――両国の青年の熱い決意がみなぎった「韓日友情総会」(ソウルの韓国SGI池田記念講堂で)

 【ソウル】韓日両国の未来を担う若人たちの歓喜と情熱で、ソウルの池田記念講堂は沸き上がった――日本の「韓国青年友好交流団」と韓国SGI(創価学会インタナショナル)青年部による「韓日友情総会」が19日午後、同講堂で盛大に行われた。
 「日本の皆さん! ようこそ、韓国へ!」 交流団が入場するや、万雷の拍手と大歓声が鳴り響く。日本の友も大きく手を振り、満面の笑みで応える。会場のボルテージは早くも最高潮となった。
 その青年たちの友情のスクラムを見守るように、池田大作先生の万感のメッセージが紹介された。
 「韓日の青年の連帯にこそ、全世界の創価家族が団結していく要があり、一閻浮提広宣流布を成就しゆく原動力があると私は期待しております。いな確信してやまないのであります。その意味でも、このたびの韓日青年部が深め強めゆく友情の絆は、大いなる希望の未来を照らしゆく光源となるに違いありません」
 「これからも、両国青年部の皆さんは、勇敢にして朗らかな挑戦王として、広宣流布の大使命に生きゆく中で、楽しく、賢く、雄々しく一日、一日、自他共の人間革命の舞を舞いながら、全員が栄光凱歌の人生を晴れ晴れと勝ち開いていってください」
 師の期待に、参加者は深くうなずき、広布後継の誓いの大拍手で応えた。
 続いて韓国のアリラン鼓笛隊と、平和芸術団「蓮」が華麗な演技・演奏や伝統舞踊で、もてなしの心を表現すれば、日本の友も池田先生の長編詩を韓国語で群読し、共戦の誓いを歌い上げた。
 さらに、両国の代表による体験交流が。韓国・桂陽圏の鄭アラさんは高校時代、白血病を患った友人の死を機に医学を志す。大学院への受験勉強の最中、2人に弘教。遺伝子研究の専門医となった現在も、仕事と学会活動に一歩も引かずに奮闘する様子を語った。
 三重総県の濱地大規さんは5歳の時、交通事故で両親を亡くす。中学時代は非行に走ったが、祖母や男子部の同志の真心の激励で発心。現在、カキ養殖の分野で国内外で活躍する模様を報告した。
 式次第が進むごとに友情が一つに解け合う総会。席上、広布新時代を共に開きゆく熱願を「韓日青年宣言」として両国のリーダーが発表した。
 「池田先生の不惜身命、死身弘法の精神を受け継ぐ師弟不二の後継として、師匠と同志、学会を永遠に守っていきます!」
 「師匠より、開いていただいた韓日友好の黄金の大道を、万代にわたり、開いてまいります!」
 「韓日青年部は、師匠に誓ったこの誓願を果たし抜き、2050年を目指し、輝く創価の世紀の黄金の城を築いてまいります!」
 その決意を分かち合うように、賛同の大拍手が会場を包んだ。
 交流団団長である竹岡青年部長は、韓国の同志の真心の歓迎に感謝。全てを見守る師匠がいる誉れを語り、「創価三代の師弟が開いた大理想に、共に生き抜いていこう」と呼び掛けた。
 金仁洙理事長は、池田先生の韓国SGI本部初訪問から20周年の佳節を迎えた喜びを語り、当時の歴史や、池田先生の励ましに奮起した韓国の同志のこれまでの歩みを紹介。青年交流の大切さを強調しつつ、「先生の期待通り、従藍而青の韓日の青年が、全世界の異体同心の模範に」と訴えた。
 最後に、参加者全員で学会歌「誓いの青年よ」を大合唱。アジア広布史にひときわ輝く新たな一ページが開かれた。 

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈誓いの天地〉 岐阜市   使命の舞台で地域を支える

 ピアノを弾き、岐阜の友を励ます池田先生(1980年5月11日、旧・岐阜文化会館で)。この日、支部長・支部婦人部長と記念のカメラに納まるなど、寸暇を惜しんで同志を激励した
ピアノを弾き、岐阜の友を励ます池田先生(1980年5月11日、旧・岐阜文化会館で)。この日、支部長・支部婦人部長と記念のカメラに納まるなど、寸暇を惜しんで同志を激励した
 
 金華山にそびえ立つ岐阜城、鵜飼で有名な長良川。岐阜市は、歴史と文化が輝く町である。
 戦国武将・織田信長が、この地一帯を平定し、地名を「岐阜」と改めて昨年で450年。その名は、古代中国の名君・周の文王が決起した「岐山」、孔子が生まれた「曲阜」に由来するともいわれる。
 名古屋から電車で約20分とアクセスがよく、岐阜駅周辺は開発が進む。病院数や医師数は全国平均を上回るなど、東海地方で屈指の医療環境が整い、子どもからお年寄りまで、誰もが住みよい街づくりが進められている。
 荒木栄子さん(稲葉圏、女子部部長)は介護福祉士としてグループホームで働く。
 仕事を始めたばかりの頃は、利用者と思うようにコミュニケーションが取れず、感情的になってしまうこともあった。
 悩みながらも、女子部の活動に参加する中で、“自分に足りないのは、相手のことを第一に考えて接する姿勢”と気付いた。
 以来、毎朝、利用者の顔を思い浮かべ、健康を祈ってから出勤。次第に、利用者の言葉の後ろにある心に思いを馳せるようになった。相手を受け入れ、寄り添っていく心の余裕が生まれた。
 その中で考案した職場の改善方法が評価され、2014年(平成26年)には、全国のグループホーム事業所が参加する実践・研究報告会に、中部地区の代表として参加した。
 不規則な勤務形態の中でも学会活動に率先し、婦人部の先輩と共に地道に訪問・激励に歩く荒木さん。
 「未来部から創価家族の中で育ちました。恩返しの思いで、地域に華陽のスクラムを広げていきます」
                     ◇ 
 岐阜市で生まれ育った浦田一将さん(長良大勝圏、ニュー・リーダー)・拓馬さん(同)は、双子の兄弟。兄の一将さんは建築関係の会社に勤める傍ら、ボランティアで高校生を相手にバレーボールのコーチを。高校の講師として働く拓馬さんも、バレー部の監督を務める。
 父の影響でバレーボールを始め、小中高と全国大会に出場。高校時代には兄弟そろって地元・岐阜で開かれた国体にも出場した。
 一将さんは昨年、牙城会大学校に入校。友人の幸福を祈り、弘教に挑んだ。
 そうした中、縁あって現在のコーチの話が舞い込んだ。“バレーボールで地域に貢献したい”との願いが形になり、題目の力を実感した。昨年からヤング男子部の本部責任者に。拓馬さんも今年、男子部大学校1期生となった。
 2人には、大切にしている書籍がある。それは池田先生から贈られた『青春対話』。高校時代、部活動での決意を認めた手紙に対して届けられたものだ。
 未来を担う子どもと接する立場となり、再び同書を繙くように。「自身が対話拡大の先頭に立つとともに、子どもたちに、負けじ魂や団結の大切さを伝えていきたい」。2人は声を弾ませた。

栄光の共戦譜

●天下にそびゆる広布の城を
 1959年(昭和34年)3月26日、岐阜市を訪れた池田先生は、幹部への指導会で御書を拝しつつ、語った。
 「信心することも折伏することも、全部が自分の幸福のためです」
 「今、どんなに苦しい宿命と戦っていても、必ず転換できる。宿命を転換し、福運を積み切っていく信仰が、日蓮仏法なのです」
 大確信の講義。友の心に広宣の炎が燃え上がる。
 60年(同35年)5月3日、広布史に燦然と輝く池田先生の第3代会長就任のその日、岐阜支部が誕生。
 青年会長の指揮のもと、一段と広布は拡大し、72年(同47年)3月11日、岐阜本部が落成する。
 開館式には先生が出席し、集まった地元の会員に温かく語った。
 「10年、20年、30年とまじめに信心に励んでいってください。幸せな功徳に満ちた家庭を築いていってください」
 この日、役員として参加していた宇野松子さん(長良大勝圏、圏副婦人部長)。作業していた部屋の裏口の扉が突然開き、先生が入ってきた。
 「陰で支えてくださる役員の皆さん、ご苦労さま!」
 そして、裏庭で宇野さんら婦人の役員と記念のカメラに納まった。「陰の人を大切にされる先生の慈愛を感じました」と宇野さん。
 夫の陞さん(同、副本部長)も、男子部の部隊長として整理役員を務めていた。
 その日、開館式の途中から雨が降りだした。先生は式典終了後、雨の中で片付けをしている青年部員を見つけると、側にいた幹部に言った。
 「大切な青年が雨に濡れているじゃないか。すぐ中に入れてあげなさい」
 近くにいた陞さんは、青年を思う師匠の真心に、衝撃にも似た感動を覚えた。
 以来、宇野さん夫妻は、師との原点を胸に広布拡大にまい進。松子さんがこれまでに実らせた弘教は、100世帯を超す。秘訣は、「よく話を聞くこと」、そして「日頃の心の交流」と。今年も弘教を成就した。
 陞さんは保護司を12年。自治会長も長く務め、学会では現在、圏の地域部長として奮闘する。夫妻は「報恩の心で、広布のため、地域のために二人三脚で前進します」と朗らかに語る。
                                                       ◇ 
 「よし、行こう! 岐阜へ!」
 第3代会長辞任から1年後の80年(同55年)5月10日、先生は、名古屋から岐阜へ向かった。岐阜文化会館(当時)の周辺に咲き誇る、レンゲ草の花々が先生夫妻を迎えた。
 障魔の嵐を耐え、広布の道を真っすぐに進んできた岐阜の友。11日に行われた支部結成20周年記念の支部長会で、先生は呼び掛けた。
 「師子は鎖を断ち切った!」「私は何も変わらない。恐れるな! さあ、私と共に戦おう!」
 ドクター部の川瀬晴美さん(岐阜圏、副圏長)はこの日、救護役員として、先輩と2人で待機していた。先生は会合終了後、わざわざ2人のもとを訪れ、ねぎらってくれた。
 「君は将来、どのような進路に進みたいのですか」と尋ねる先生に、川瀬さんは、大学で教員として働きたいと決意を述べた。
 先生は「分かった」と頷き、渾身の励ましを。漠然と抱いていた大学教員という夢が、不動の誓願に変わった瞬間だった。
 川瀬さんは当時、臨床検査技師として大学病院で働いていたが、誓いを果たすため、医学部の研究生に。男子部では副本部長、壮年部でも支部長、本部長など、広布の最前線を走りながら、時には深夜まで研究にいそしんだ。
 2006年(平成18年)、念願の医学博士号を取得。県内の大学で教壇に立ちつつ、山間部の遠隔医療にも携わる。「先生との約束を果たそうと挑戦を続けてきたからこそ、今の私があります。生涯、師との誓いに生きる人生を貫きます」
                                              ◇ 
 先生は同日、各務原文化会館へ。その帰路、会員宅を訪れ、居合わせた同志を激励している。
 神谷千代子さん(長良圏、地区副婦人部長)は、長男・広志さん(同、副圏長)の妻・和美さん(同、婦人部副本部長)と、幼い孫の友子さん、清志さんを連れて、4人で駆け付けた。
 「先生は私たちを包み込むように、両手をばっと広げられ、子どもたちの頭をなでてくださいました」
 先生は「お孫さんだね」と優しく千代子さんに語り掛け、心からの期待の言葉を贈った。
 千代子さんは貧乏のどん底の中、59年(昭和34年)に入会。みかん箱に御本尊を御安置して祈った。数年後、左官職人だった夫が独立し、経済的にも安定していった。50年以上前から自宅を広布の会場に提供している。
 “皆が楽しく暮らせる地域に”と始めた、ちぎり絵の同好会には多くの友人が参加。92歳の今も、押し車を使いながら対話に歩く日々だ。
 和美さんは大病を乗り越え、地域活動にも率先。孫の友子さんは地区婦人部長として広布に駆ける。清志さんは関西創価中学・高校、創価大学を卒業し、愛知県で教育関係の仕事に従事する。
 今、4人の子ども、8人の孫、6人のひ孫に囲まれる千代子さん。
 「先生のお陰で、“私ほど幸せな者はいない”と言える境涯になりました。その感謝を忘れず、“いよいよ、これから”との心で広布に走ります」
                                                                              ◇ 
 先生は岐阜の友への万感の思いをつづっている。
 「広宣流布の歴史を着実に進めてきた天下の岐阜よ! 天下にそびゆる、広宣流布の栄光城よ! いついつまでも勝ちゆけ! そして、日本一の楽しき同志の和楽の団結を示してくれ給え!」
 本年12月の岐阜広布65周年へ、友は天下に輝く栄光の人材城を築きゆく。

◆〈座談会 師弟誓願の大行進〉35 信越が心一つに対話と人材を拡大 共戦の勝利旅へ新たな出発!  広布の根本は強盛な祈り

〈出席者〉
原田会長
永石婦人部長
佐藤総新潟長
矢島総長野婦人部長
浦沢信越男子部長(総長野男子部長兼任)
桑原総新潟女子部長

長野研修道場を訪れたSGIの同志を、未来部員200人らが盛大に歓迎。「私たちも勉学第一で池田先生のお役に立てる世界広布の人材に成長します!」と決意も凛々しく(12日)

野研修道場を訪れたSGIの同志を、未来部員200人らが盛大に歓迎。「私たちも勉学第一で池田先生のお役に立てる世界広布の人材に成長します!」と決意も凛々しく(12日)

 永石 大成功の「信越総会」(本部幹部会)、本当におめでとうございます。

 浦沢 世界広布新時代の今、「池田先生に勝利のご報告をしたい」と、信越の全同志が心一つに対話拡大に挑戦する中、新潟・長野両県とも「ブロック1」の新入会者が誕生しました。

 佐藤 一人でも多くの友が対話に挑戦できるよう、励ましを送る日々でした。

 矢島 いまだかつてない唱題の渦と、訪問・激励を重ねたことが対話拡大、人材拡大につながりました。

 原田 方面長、方面婦人部長をはじめ、青年部のリーダーも次々に弘教を実らせるなど、率先の拡大に挑戦されました。先生がメッセージで「『共戦の勝利旅』へ出発しよう! 悪戦苦闘を突き抜けて!」と呼び掛けてくださった通り、さらなる広布の旅への出発になったと確信します。

創価家族の温かさ

 桑原 各地区が“わが地区の青年の勝利”のため、折伏を全力で応援してくださいました。壮年・婦人部の皆さまの真心に感謝の思いでいっぱいです。

 浦沢 長野の男子部本部長は、奥さんと2人のお子さんを、入会に導きました。一家和楽の信心を目指し、まず、お子さんと会合に参加することを心掛けるように。お父さんと楽しそうに会合から帰ってくるお子さんの姿が奥さんの入会のきっかけになりました。

 矢島 入会記念勤行会には地区の方々はじめ、約50人が、お祝いに駆け付けました。奥さんは「夫のように、皆さんのように、全てを信心で乗り越えていきます」と語っていました。

 永石 ご一家の幸福を真剣に祈ってきてくださった創価家族の温かさが伝わってきます。

 浦沢 男子部大学校では、両県の大学校事務局長が率先の弘教を達成。その姿に触発された多くのメンバーが対話に挑戦し、御本尊流布の結実も相次ぎました。また、学生部では、方面学生部長が折伏を成就するなど健闘が光りました。

 桑原 信越女子部では「ハッピーステップカード」を活用し、大きく対話を広げました。友人に「叶えたいこと」を記入してもらい、共に祈っていくものです。「祈ってくれてありがとう!」と感謝されることも多く、心軽やかに対話に挑戦できました。

 永石 華陽姉妹の連帯は地域を明るく照らします。けなげに拡大に励む女子部と一緒に活動できることは、私たち婦人部の喜びでもあります。

 桑原 新潟の圏女子部長は、農漁村ルネサンス体験主張大会の放映行事に友人と参加。その後、壮年・婦人部の方々と共に対話を重ねる中、友人は入会を決意され、晴れて御本尊流布が実りました。

 矢島 長野の白ゆり長は職場の同僚に折伏を成就。その同僚の方は信心の体験をつかみ、小学生の2人の娘さんと共に学会の会合に参加するようになりました。娘さんは、未来部の合唱団の姿などを通し、「私たちも学会に入りたい」と決意。その後、父親の承諾を得て、2人そろって入会されました。

 佐藤 お孫さんの幸せを長年祈り続け、入会に導いたおじいちゃん、おばあちゃんの体験など、感動的なドラマも数え切れないくらい生まれました。

 原田 未来部員が増えることは学会の永続的な発展にもつながります。多くの方が子どもや孫の信心継承を祈り、挑戦されました。素晴らしいことです。

 佐藤 壮年部も、下種拡大に挑戦しました。ある地区部長は小学校からの同級生に弘教。今、その新入会の方は任用試験の受験を決意しています。また、お隣に住む方と座談会参加を重ね、入会に導いた地区部長もいます。いずれも、婦人部をはじめ地区の方々の祈りに包まれて成就した折伏です。

 原田 日蓮大聖人は、信越・佐渡の地で「湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く」(御書1132ページ)祈り抜かれました。強盛な祈りは、広布拡大の根本です。

 佐藤 対話には、聖教新聞PR版も大いに活用しました。その結果、聖教拡大にもつながり、両県ともに、今月は先月を大幅に上回る部数となりました。

青年部育成の舞台

 永石 信越は、先生が小説『新・人間革命』の執筆を開始された地です。

 桑原 その誇りを胸に、小説を学び、実践するグループとして、長野には「創価信濃大学校」、新潟には「創価源流大学校」があります。

 矢島 先日、参加した集いでは小説の感想と同時に対話拡大の報告が止まらないほどの勢いでした。先生の著作を学び、師弟の精神に触れることが、どれほど力になるか実感しました。

 原田 先生は幾度となく夏の信越を訪れ、激励を重ねてくださっています。その焦点はいつの時代も青年です。先生にとって、信越こそ青年育成の舞台といっても過言ではありません。

 浦沢 私も中学生の時、長野研修道場で先生との出会いを刻んだ一人です。今も忘れ得ぬ原点です。今回の戦いでも、何としても先生にお応えしたいと対話に取り組み、私自身、弘教を成就することができました。

 原田 師匠への勝利の誓いこそが私たちの一切の原動力です。苦難を乗り越える無限の力が生まれます。

 佐藤 本年の「8・6」は小説『新・人間革命』執筆開始から25周年であり、「信越師弟誓願の日」から10周年の佳節です。総会を機に誕生した新しい人材と、新しい広布の歴史を築いていく決意です。

 原田 先生が期待されている通り、皆が不撓不屈の信心を燃やしながら、世界が理想郷と仰ぐ、美しき「常寂光の都」を信越の地に築いてまいりましょう。

◆〈信仰体験〉 県内売り上げ上位の石窯パン店
 諦めない! 情熱の炎で焼き上げろ 2度の閉店 妻の病を越え

 
【鹿児島県鹿屋市】九州南部の大隅半島に、県内上位の売り上げを誇るパン店がある。「石窯パン工房TRIGAL(トリガル)」だ。店内には、90種のパンが並び、1日平均700人が来店するに
ぎわいぶり。店主の秋山英男さん(60)=鹿屋太陽支部、支部長=が、誠心誠意焼き上げるパン。“多くの人の支えと励ましで今がある”と感謝する。

職人の横顔
 午前4時半。5人のパン職人が、7時の開店に向けて、黙々と厨房で作業をしていた。小麦粉を混ぜるミキサーや、生地をこねる際の音が小気味いい。
 秋山さんも左手で、生地をリズム良くたたいて、手のひらで延ばす。右手に握った麺棒を器用に操り、形を整える。例えば「コロネ」。わずか4秒で、あの美しい巻き貝の形が生まれる。
 こうして出来たパンの“タネ”は、発酵室で十分に発酵させた後、トリガル自慢のドイツ製とスペイン製の石窯の中へ。250度で、約5分。最高の焼き加減を逃さぬよう、窯の窓から様子をうかがう。
 「よし!」と、窯を開けた瞬間、小麦の甘い匂いが立ち込め、こんがりときつね色に焼けたパンが現れた。
 「石窯の特徴は、熱伝導性です。遠赤外線で、短い時間で熱が通るため、ふっくらと焼き上がるんです」
 そう語る秋山さんの表情は、真剣な職人からパンを愛する父親のような顔へ。
 「こだわりは、『焼きたて』『揚げたて』『作りたて』。それでいて、リーズナブルな値段での提供を目指しています」
 クロワッサン、メロンパン、食パン……。開店に向け、商品が次々と陳列されていく。店の外には客が並び始めた。今でこそ日常の風景だが、“決して当たり前ではない”と自戒する。秋山さんはこれまで、4店舗で働き、自店で2回の閉店を経験してきた。
 だからこそ、「いらっしゃいませ!」のあいさつ一つにも、心からの感謝がこもる。

2倍の努力
 6人きょうだいの末っ子として、東京の江東区に生まれた。上は全員、姉。初めての男の子だったこともあり、父親の和一さんはとても喜んだ。
 しかし、秋山さんが生後5カ月の時、父が心臓まひで他界。4畳と3畳の2部屋で、母子7人の暮らしが始まった。母親のきよさん(故人)は、懸命に働いた。姉たちは、温かいご飯を準備してくれた。たくさんの愛情に包まれ秋山さんは育った。
 高校卒業後、紳士服店で働くが、「食べ物で、人を幸せにしたい」と、20歳の時にパン職人の道を決意。母は、家を出る息子に冷蔵庫などの生活用品を持たせ、“これだけは忘れないで”と、御書の「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」(1295ページ)の一節を教えてくれた。
 朝早くから深夜まで働いた。厳しい職人の世界。仕事が遅いと叱声が飛ぶ。張り詰めた心をほぐしてくれたのは、24歳の時に結婚した妻の美智子さん(59)=婦人部員=だった。帰宅するといつも、笑顔で迎えてくれ、励ましの言葉を添えてくれた。「あなたは今はまだ不器用かもしれない。でも、だからこそ、きっといいパン職人になれると思う」と。“そうだ。一つのことしかできないのなら徹底的にやろう。一流の職人になってみせる”。秋山さんは御本尊の前で、“人の2倍の努力”を決意し祈った。
 秋山さんは左利き。両手で均等に生地をこねる練習を、ゴムボールを使って毎日、繰り返した。男子部でも、創価班として同志に尽くす生き方を学び、人間力も磨いていった。
 “30歳までに自分の店をオープンする。そして、いつか池田先生に、私のパンを食べていただきたい”と、固く誓った。
 懸命に働き、29歳の時、念願の店舗を構えることができた。だが、経営はうまくいかず、さらに、長男のぜんそくも悪化。34歳の時、仕方なく店をたたむことに。取り壊される店舗の姿が、涙でゆがんで見えた。“俺は、負けたのだろうか”――。

誓願の祈り
 再起を目指し、妻の実家がある鹿屋市に転居。トラックの運転手として家族を支えた。
 38歳の時、商業施設の中にあるパン店の店長として就職する。だが翌年、経営不振で店舗が撤退してしまう。それでも、もう後ろを向くことはなかった。状況を打開しようと、妻と弘教に駆けた。
 3カ月後、撤退した店舗を秋山さんの店として再オープンしないか、との話が舞い込む。信心の功力に心が震えた。“今度こそ!”との闘志がふつふつと湧いた。
 地域に愛される店を目指す中、客足も伸びていく。そして2011年、石窯パン工房「トリガル」をオープンさせた。
 素材を厳選し添加物もほとんど使わない。カレーパンには通常、牛肉が使われるが、ここは鹿児島、特産の黒豚を用いる工夫を。それが話題となり、行列ができる店となった。
 15年、新たな試練に襲われた。以前、ベーチェット病を患っていた妻・美智子さんが、今度は、膠原病の「多発性筋炎・皮膚筋炎」を発症し、間質性肺炎を合併した。
 いつも明るい妻が、人工呼吸器を付け、苦しそうにベッドに横たわっている。励ましの言葉が見つからない。
 しかし美智子さんは、入院先でも、店舗の日報や帳簿を見て収支のアドバイスをした。普段と同じように振る舞おうとする妻の姿に、秋山さんは弱気になる自身を奮い立たせる。池田先生の指導にはっとした。
 「地涌の菩薩たる我らの題目は、誓願の祈りである」
 “広布のために、断じて妻の病魔を打ち破る!”と、誓願の祈りを貫く。病状は徐々に快方に向かい、16年4月、退院。現在、美智子さんは、一緒に店で働けるまでになった。
 何があろうとも諦めない。人生の山を一つ一つ越えて今、店舗では25人の従業員が働き、県外から足を運ぶ客もいるほど繁盛するように。
 長男の英介さん(34)=男子部員=は、ぜんそくも完治し、すし職人として、鹿児島市内で2店舗を経営している。次男の智洋さん(32)=男子部員=は、福岡で修業した後、トリガルで働き、部長の職責を担う。
 秋山さんは最近、新たな目標を立てた。「一つは、味も売り上げも“九州一のパン屋”にすること。そして、それをかなえた時、師匠に自分のパンを届けたい!」と。

◆〈世界の体験プラザ〉 イタリアSGI カテリーナ・デ・レオさん 

 
旅行代理店「バイアーナ社」を経営するデ・レオさん

 花の都フィレンツェの象徴「ドゥオーモ」。そこから徒歩数分、歴史的な建造物が立ち並ぶ中心部の路地の一角に、旅行代理店「バイアーナ社」はオフィスを構える。

2018年5月20日 (日)

2018年5月20日(日)の聖教

2018年5月20日(日)の聖教

◆わが友に贈る

対話の要諦は
話をよく聞くことだ。
相手から学ぶことだ。
誠実と尊敬の心で
朗らかに友情を結ぼう!

◆名字の言
 

  本年の「本屋大賞」を受賞した小説『かがみの孤城』。主人公である中学1年の女の子・こころは、学校での居場所を失い、家に閉じこもってしまう▼教員も両親も、胸の痛みや葛藤を理解しようとはしてくれない。孤立無援の彼女に寄り添う大人が現れた。フリースクールの喜多嶋先生である。“怠け、逃げているだけだと皆から思われている私を、どうしてかばうの?”。その疑問に先生が答えた。「だって、こころちゃんは毎日、闘ってるでしょう?」▼これと似た場面に、居合わせたことがある。心の病を患った友がいた。責任感の強さゆえか「何もできない自分が情けない」と泣く。そんな彼に先輩は言った。「僕から見れば君は富士山なんだ」▼悠然たる富士。しかし山頂は常に烈風にさらされている。遠くから眺めるだけの人には知る由もないだろう。それでも富士は見る人に勇気を与えずにはおかない。先輩は言う。「君は不安や苦悩の嵐と毎日、闘っている。懸命に生きている。それがどれほどすごいか」。友の瞳に光が宿った▼文豪ゲーテは「信仰は、目に見えないものへの愛」(岩崎英二郎・関楠生訳)と。心は見えない。だが相手に寄り添うことで、互いの心を結ぶことはできる。友の“内なる闘い”をたたえる心を持ちたい。(之)

◆寸鉄
 

  自分が人と会って人脈を
 広げよ―戸田先生。一人
 立て。師弟の魂はそこに
      ◇
 岩手「女性の日」「青年部
 の日」。皆様の歩みが復興
 の光。幸の理想郷を皆で
      ◇
 行動によって未来全体に
 何が望めるかが問題だ―
 文豪。「何のため」忘れず
      ◇
 楽観的な人ほど健康にも
 好影響の可能性―研究。
 広布一筋の多宝会は模範
      ◇
 気温上昇に伴う食中毒に
 注意。手洗い・加熱調理の
 基本しっかり。油断なく

◆社説  各地で婦人部総会たけなわ  人間主義を広げる草の根の対話


 5・3「創価学会母の日」制定30周年、「グループ」発足40周年を祝賀する婦人部総会が、津々浦々で開かれている。
 総会を目指して、準備に励むグループ長。手紙やチラシを携えて地域への声掛けに走る友。“参加者を明るく迎えよう”と、設営に汗を流す会場提供者。日頃の感謝をそっとプレゼントに託す壮年部、大成功を祈る男女青年部……。
 一つ一つの総会が、そうした真心の結晶である。
 本紙でも連日、にぎやかな総会の様子を紹介。折り紙、アクセサリー作り、歌や踊りなど、各地で工夫を凝らした企画が行われている。九州のある婦人部員は、総会に参加する中で学会理解を深め、2年前に入会。今年は“もてなす側”となって、準備に奔走した。
 少人数のグループ単位で開かれる婦人部総会は、互いに顔の見える距離で、心を通い合わせる交流の場。飾らない、“ありのまま”の学会に触れてもらうこと自体が、温かな創価の世界を雄弁に物語ることになろう。
 現代は、インターネットの普及や生活スタイルの多様化により、“向こう三軒両隣”の付き合いすら持たない人もいる。こうした時代における婦人部総会の取り組みを、危機管理アドバイザーの国崎信江さんはこう評価する。「創価学会員だけではなく、近隣という、より身近な方々同士で声を掛け合い集まる――このこと自体が、人間関係の希薄化などが憂慮されている現代において、本当に大切なことだと思います」と。
 幸福感に関する研究でも、近年、人々の幸福に寄与する要因として「社会的つながり」に注目が集まる。心を開ける友人、知人が身近にいる人は、人生の幸福も深まるものだ。
 その点で、日常的に顔を合わせ、語り合う学会活動は、信頼を育み、互いを支え合う絆をつくる最良の場。その根本が、一人に寄り添う対話である。
 米・エマソン協会元会長のサーラ・ワイダー博士は、対話とは「聞く力」「分かち合う力」であり、「皆が互いの意見や発言に興味を示し、何でも言い合える空間」をつくり出すのが、対話に不可欠であると語る。そして、そうした対話の先頭を行くのが、婦人部であるとたたえている(本紙5月4日付)。
 人々を結ぶ、草の根の婦人部の連帯――この母たちありて、創価の人間主義は世界に広がった。深い感謝とともに、各地の婦人部総会の大成功へ、真心のエールを送りたい。

◆きょうの発心   “いよいよ”の心で情熱燃やし2018年5月20日


御文
 我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし(開目抄、234ページ・編464ページ)
通解 私と私の弟子は、多くの難があろうとも、疑う心を起こさなければ、自然に仏界に至るであろう。

 いかなる難があっても疑うことなく信心を貫けば、成仏の境涯を得られると仰せです。
 高校卒業後、機械製造会社に就職。連日の残業で人生に不安を感じていた頃、女子部であった妻に勧められ、22歳で入会しました。
 当時、周囲は旧習深い地域だったため、私の入会に対して親族は強く反対。それでも、信心で得た充実感が確信へと変わっていきました。やがて、周りの人々の学会への見方も変わり、折々に協力してくれるようになりました。
 6年前、腎臓にがんが見つかり、片方の腎臓を摘出。池田先生の“生きるということは戦いであり、ある意味で苦難の連続であるといえるかもしれない”との指導を胸に、家族で懸命に唱題を重ね、祈りました。同志の題目にも感謝です。現在も転移することなく、元気に活動に励んでいます。
 仕事での重責を務めた後、妻と共に地域活動にも積極的に参加しています。
 70歳を超えた今、“いよいよ”と広布の情熱を燃やして、太陽会をはじめ、全ての活動に全力で挑戦し、師弟不二の信心を生涯、実践していく決意です。
 愛知・三河本陣県副県長 鈴木好巳

【聖教ニュース】

◆池田先生ご夫妻の韓国SGI本部訪問20周年を祝賀 富川市から名誉市民証 青年部友好交流団も出席し授与式   「世界が尊敬する桂冠詩人」と平和・文化への貢献たたえ

 授与式の参加者が記念のカメラに。宋副市長(前列左から6番目)から名誉市民証が手渡された(素砂平和文化会館で)
授与式の参加者が記念のカメラに。宋副市長(前列左から6番目)から名誉市民証が手渡された(素砂平和文化会館で)

 【ソウル】韓国・京畿道の富川市から、池田大作先生と香峯子夫人に、それぞれ「名誉市民証」が贈られた。長年にわたる平和・文化の活動と韓国SGI(創価学会インタナショナル)メンバーの社会貢献に対するリーダーシップをたたえるもの。授与式は18日(現地時間)、素砂平和文化会館で行われ、宋遺勉副市長ら市関係者が列席。同SGIの金仁洙理事長、金暻希婦人部長らと共に、竹岡青年部長を団長とする「韓国青年友好交流団」の代表が参加した。(記事=星野太一、写真=菅野弘二)
 「大恩人の国 大文化の師の国に 栄光あれ! わが韓国の 仏師(子)に 幸福あれ!」――1998年5月18日、池田先生ご夫妻は韓国SGI本部を初訪問し、先生は、こう記した。それは、韓国の同志にとって、忘れ得ぬ「師弟の原点の日」である。
 ちょうど20周年の節を刻んだこの日、素砂平和文化会館は、ひときわ歓喜に沸いた。
 同SGIの京畿第4方面の代表、また韓国を訪問した「韓国青年友好交流団」の代表らが見守る中で行われた、池田先生ご夫妻への富川市「名誉市民証」の授与式は大佳節を飾る式典となった。
 富川市の市長は金晩洙氏。同市は文化の薫り高い都市である。国内最高峰の富川フィルハーモニックオーケストラ、毎年夏に開催される国際映画祭で知られる。昨年、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の「創造都市」に文学の分野で東アジアでは初めて認定された。
 首都ソウルに隣接し、ベッドタウンとして人口が増加する一方、産業の発展も目覚ましく、未来への希望があふれている。
 この地でもSGIの同志は、地域に根差して長年、信頼と友情を育んできた。国土大清掃運動をはじめ図書贈呈、植樹運動など、「良き市民」として愛する地域の発展に尽力している。
 そうした同SGIの社会貢献に対する池田先生のリーダーシップがたたえられ、97年に韓国の自治体として初めて、富川市議会から池田先生に「顕彰証書」「市の鍵」が贈呈された。また2014年には、先生ご夫妻に「特別顕彰牌」が贈られている。今回の「名誉市民証」は、これらに続く栄誉である。
 授与式では、婦人部の無窮花合唱団が祝賀の合唱を披露。流麗な歌声で、式典に花を添えた。
 宋副市長から、代理の金理事長と金婦人部長に証書が手渡されると、場内は割れんばかりの歓声と拍手に包まれた。金理事長に続いて、宋副市長は「韓国と世界から尊敬される『世界桂冠詩人』の池田先生、そして香峯子夫人が名誉市民となられたことに、心からお祝いを申し上げます」と述べた。
 宋副市長も、SGIの同志が地域貢献に汗を流す姿を見てきた一人。「山と川に囲まれた、わが富川市が美しいのはSGIの皆さんの活動のおかげです」と感謝を表した。
 池田先生の期待の通り、韓国各地で地域貢献の模範と輝く同志の姿。“20周年の式典”が、その師弟の勝利を象徴していた。 

◆福島で代表幹部会   原田会長が出席

 原田会長が出席した総福島代表幹部会。男女青年部の代表が、壮年・婦人部への感謝を込めて「母」を合唱した(福島文化会館で)
原田会長が出席した総福島代表幹部会。男女青年部の代表が、壮年・婦人部への感謝を込めて「母」を合唱した(福島文化会館で)

 総福島代表幹部会が19日、郡山市の福島文化会館で開催された。
 今月は池田先生の福島初訪問から65周年。
 ――1953年(昭和28年)5月、男子部の第1部隊長だった池田先生は、弾圧に苦しむ学会員を守るため、会津の地に来県の第一歩をしるした。先生は「福島は東北の玄関口だ。大事だぞ」との戸田城聖先生の言葉を心に刻み、破邪顕正の言論戦を展開。無理解を理解に変え、誤解を正し、正義の旗を掲げた。ここに福島広布の不滅の原点がある。
 以来、65星霜。友は「うつくしま青年拡大・躍進月間」(6月16日まで)と銘打ち、万代に輝く人材城の構築へ、弘教と青年の拡大に全力を挙げている。
 幹部会では盛島東北長のあいさつの後、代表が活動報告。
 女子部の猪俣ひかるさんが自身の悩みと向き合いながら対話に挑戦し、御本尊流布を実らせた喜びを語り、岡崎栄治さん・シツ子さん夫妻が、身近にいる孫や親族らを入会に導いた模様を語った。
 山内総福島長、菅野同婦人部長は、7月の福島青年大会へ、皆が青年の心で対話に打って出ようと訴えた。
 今村東北婦人部長に続き、原田会長は、師子のごとき池田先生の不惜身命の闘争によって今日の世界広布の大道は切り開かれたと力説。どこまでも師への報恩感謝を胸に、世界が見つめる福島の拡大で弟子の勝利の証しを示そうと呼び掛けた。 


【特集記事・教学・信仰体験など】

◆欧州に人間革命の波    オーストリアの全国幹部会   クロアチアで御書研さんの集い
 ドイツ・日本語教学研修会

オーストリアの全国幹部会に参加した友が、広布拡大の誓いに燃えて(オーストリア文化センターで)

オーストリアの全国幹部会に参加した友が、広布拡大の誓いに燃えて(オーストリア文化センターで)
 新緑の5月、欧州各国で、人間革命の哲学を学び広げる集いが活発に開かれている。
 オーストリアの全国幹部会は5日、首都ウィーンのオーストリア文化センターで意気軒高で行われた。

◆〈虹を懸ける〉 池田先生とパナマ①  福運の桜花に包まれた人生を

ビエンベニードス(ようこそ)!――民族衣装などを身に着けたパナマのメンバーが、空港に到着した池田先生を歓迎する(1974年3月18日)

ビエンベニードス(ようこそ)!――民族衣装などを身に着けたパナマのメンバーが、空港に到着した池田先生を歓迎する(1974年3月18日)

 北南米を結ぶ地峡に位置する中米パナマ。太平洋と大西洋をつなぐパナマ運河がある“世界の十字路”でも、SGIの友の活躍が目覚ましい。同国に妙法の種子がまかれて50年余り。メンバーは、池田先生の3度の訪問を原点に、共感と理解の輪を広げてきた。パナマでつづられた師弟のドラマを紹介する。
 北海道よりやや小さい国土に、約400万人が暮らすパナマ。
 同国で活動するSGIの陣容は現在、9本部26支部まで発展し、高層ビルが林立する都市部にも、コーヒー畑が広がる地方部にも、幸福の楽土建設に尽くす創価の友がいる。
 パナマSGIでは、これまで環境展示や平和フォーラムなどを開催。草の根の対話で、平和・文化・教育運動を多角的に推進してきた。その地道な貢献に対し、教育省の最高栄誉が贈られるなど、各界から厚い信頼が寄せられている。
 ――パナマ広布の始まりは、今から53年前にさかのぼる。
 当時、運河とその周辺地域には、米軍基地が置かれていた。そこに赴任してきた軍人の妻たちの中に、SGIメンバーがいた。
 1965年10月に7人で「班」が結成されると、翌年に「地区」、68年に「支部」へと発展していった。
 「いつか池田先生をパナマに!」――それが草創の母たちの願いだった。彼女らが夫の軍務の関係で別の地に移った後も、この熱願は現地の人々に受け継がれていた。
 待ちに待った“その日”がやって来たのは74年3月。
 この時、池田先生はアメリカ・ロサンゼルス近郊にいた。
 13日にブラジル入りを控えていたが、軍事政権下でビザが発給されず、予定を変えざるを得ない状況にあったのである。
 断腸の思いでブラジル行きの中止を決めた先生は、前日の12日に行程を変更し、メンバーや政府から強い訪問の要請を受けていたパナマへ向かうことを決断したのだった。
 “池田先生来る”の報は、瞬く間にパナマ中を駆け巡った。
 元々、この平和旅で先生が中米上空を通過することを聞いていたメンバーは、会館等で無事故と大成功を祈ってきた。
 そこに、パナマ訪問決定の知らせを耳にした同志が次から次へとやって来る。師の来訪を祈る題目のうねりは、日に日に大きくなっていった。
 それから1週間後の18日午後7時過ぎ。先生はパナマの空港に降り立った。
 すでに日は暮れていたが、懐中電灯や国旗を振って出迎える友また友。歓迎ムードに染まる空港には、メンバーやその家族、政府高官に加え、報道陣など約1500人が詰め掛けていた。
 「あの日の光景を忘れたことはありません」
 こう振り返るのは、マルタ・リベラさん(白ゆり長)。その半年前に入会したばかりだった。
 信心との出あいは、71年。消化器系の疾患がある息子を救いたいと、わらをもつかむ思いで唱題を始めた。すると、息子の体調は少しずつ改善。やがて、胃腸の不調がぴたりとやんだ。
 感謝の心で役員やコーラスの一員として、先生を迎えたリベラさん。訪問中には、たびたび先生の振る舞いを間近で目にした。
 「日本語は分かりませんでしたが、先生の一挙手一投足に、感動の連続でした。握手をしていただいた時には、力強いエネルギーを感じました」
 当時は夫が働きながら大学で学んでいた頃で、経済苦に悩まされていた。師の激励を胸に、さらなる宿命転換を決意したリベラさんは、先生の訪問直後、歯科助手としての仕事を得る。後年には資格を取得して歯科専門の診療放射線技師に。経済革命を成し遂げた。
 広布の最前線で訪問・激励に徹するリベラさん。師の真心を同志に語り伝える毎日だ。

師弟に生きる

 滞在2日目となる19日、池田先生は同国最初の国立大学である名門・パナマ大学へ。ロムロ・エスコバール・ベタンクール総長と会談し、大学の在り方や民間外交について意見を交わした。
 「私の全ての尊敬と感謝の念を込めて歓迎します」と言う総長。
 先生が友情のしるしとして、英文の蔵書3000冊の寄贈を申し出ると、「これを教育交流の輝ける第一歩としていきたい」と謝意を述べた。
 未来を見つめた対談は、終始、和やかな雰囲気の中で行われた。
 エドウィン・モリーナさんは、こうしたやりとりを感動の面持ちで見つめながら、夢中でカメラのシャッターを切った。
 同大学の視聴覚コミュニケーション研究所の担当教授だったモリーナさん。先生の歴史的な来訪の一部始終を残そうと、随行の記録係を買って出ていたのだ。
 いくつもの機材を抱えながら奮闘するモリーナさんに、先生はパナマを旅立つ直前、書籍に「いついつまでも英知と福運が輝き光ることを祈りつつ」と揮毫して贈った。
 「この時の激励が、いつも私を鼓舞し、最大の支えになってきました」
 モリーナさんはその後、支部長、本部長、副理事長などを歴任。90年代、パナマに宗門事件の嵐が吹き荒れた際には、マルティネス前理事長らと共に同志を守り抜いた。
 仕事では、大学総長や大統領からの要請で国家プロジェクトに携わり、外交団の一人としてアメリカ大陸の各国が集うサミットに参加したことも。
 「どんな困難も、全て勇気の信心で乗り越えてくることができました。先生の弟子として歩んでこられたこと自体が、人生最大の喜びです」

20年を目標に

 この19日の午後、池田先生はパナマ会館の開所式に出席。“幼児が20年もすれば立派な大人になるように、まずは一人一人が「信心20年」を目標にして、パナマの平和と繁栄を担う第一人者になってください”と訴えた。
 夜には、パナマ市内で行われた最高指導会議へ。全参加者の総意で、パナマ支部を「本部」にすることが決定した。
 翌20日には、再びパナマ大学を訪れ、大会議室を借りて行われたメンバーの集いでスピーチ。1000人を超す参加者の中には、大学関係者や学生たちの姿もあった。
 「非常に有意義な価値ある日々を過ごすことができ、心から感謝の意を申し上げたい」
 先生は、陰に陽に尽力してくれた友に御礼を述べると、パナマ国歌の斉唱を提案。その後、仏教の成り立ちや宿命転換の法理などを懇談的に指導した。
 「どうかパナマの愛する皆さん! 福運の桜花に包まれた人生を築き、パナマの輝く“平和の主役”となってください」
 そしてスピーチを終えると、最前列にいたメンバーの元に行き、一人一人の手を握り、抱きかかえるようにして励ました。
 「あの頃は、分かりやすく仏法を説明できる人は誰もいませんでした。先生のスピーチは、それまでの“奇跡を願うような信仰の姿勢”から、“自身の人間革命を懸けて、努力と向上を重ねる生き方”へと、一変させてくれました」
 こう述懐するのは、プロスコピオ・ロンドーニョさん(地区部長)。幼少期は、重度のぜんそくに悩まされ、3日に1回は病院に通い、注射を打っていた。
 師との出会いを機に、地道に行学の二道を歩んだロンドーニョさんは、着実に健康を取り戻していく。やがて、ぜんそくは完治。入会20年目となった87年、先生の第3次訪問で創価班の一員として任務に就いたことが生涯の誉れだ。
                  ◇ ◆ ◇ 
 3泊4日の訪問最終日(21日)。空港は、別れを惜しむ人たちであふれていた。
 「ムーチャス・グラシアス(スペイン語で「大変にありがとうございました」)!」と国旗を振るメンバー。
 先生も手渡された国旗を両手に持ち、同志の真心に応える。
 「“帰ります”ではありません。行ってまいります!」。そう言って、次の目的地であるペルーへと飛び立ったのである。
 その言葉を聞いた友は「アディオス(さようなら)」ではなく、再会を誓い、こう言って先生を見送った。
 「アスタ・ルエゴ(また会いましょう)」
 この“約束”は、7年後の81年に果たされることになる。
 ご感想をお寄せください news-kikaku@seikyo-np.jp

◆〈信仰体験 スマイル 自分らしく〉 私の悩み・・・ 共働きの未来 子どもとの時間
 未入会の夫が書いた願い

私は新緑の時季が大好き。陽光を浴びて、緑も鴨川もキラキラ光る。平日の朝は、自転車に乗って、夫と一緒にひょうちゃんを保育園に送る。3人で過ごせる時間は短い。せやから一瞬一瞬が大切。あわただしい毎日も、忘れられない思い出になる

私は新緑の時季が大好き。陽光を浴びて、緑も鴨川もキラキラ光る。平日の朝は、自転車に乗って、夫と一緒にひょうちゃんを保育園に送る。3人で過ごせる時間は短い。せやから一瞬一瞬が大切。あわただしい毎日も、忘れられない思い出になる

 共働き世帯が増えている。専業主婦家庭の2倍ほどにもなる。一方で、家事や育児の主役は、大半が女性のまま。“全てに完璧であれ”。そんな社会的プレッシャーに苦しむ女性も少なくない。京都市左京区の青山美由紀さん(37)=新洞支部、白ゆり長=は、イタリア料理のコック兼ワインソムリエとして、和食料理人の夫・孝さん(48)と共に、市内で料理処「はな」を経営している。青山さんが描く共働きの未来とは――。

なあ、どこで息継ぎしてんの?
 私は人見知りな性格やった。高校時代、飲食店でバイトしてたけど、愛想が悪くて厨房に回された。
 でも、それが人生の転機。調理場が楽しくて、料理人に憧れた。
 大阪にあるイタリアンの店で修業してた時、近所のお店で働いていた夫と出会った。夫は、懐が深くて優しい人。でも、宗教に対する考え方は私と違う。
 学会の家に生まれた私。夫と一緒に信心したいと思って、何度も折伏したんやけど、「俺は無宗教っていう宗教をやってんねん」って、笑顔でかわされる。家で題目をあげてると、夫がニコニコ近づいてきて、「なあ、どこで息継ぎしてんの?」って話し掛けてくる。
 昼、婦人部の会合に行く時は、家のことを完璧にしてから出掛けるようにしてる。そんな私を見て、夫が笑う。「毎日、学会の活動があったら、ええのになあ」って。

「死産を覚悟して」と医師の言葉
 結婚から4年後、待望の赤ちゃんを授かった。13週目の健診。お医者さんの表情が曇った。夫婦そろって説明したいことがあるという。
 赤ちゃんの首の後ろの浮腫が平均より分厚くて、「最悪の場合、死産になります」と言われた……。いつも明るい夫が「こんなつらいことは初めてや」って落ち込んだ。
 夫に「一緒に祈ろう」と言うと、「せやな」って。夫婦で御本尊の前に座る。不安は大きかったけど、かけがえのない時間やった。
 仏壇に置いてある私の御祈念帳。ある日、祈りながらページをめくると、夫の字で、こう書き足されていた。「子どもが無事にうまれてきますように」
 2016年(平成28年)2月8日の夜、陣痛が始まった。ベッドの上で痛みをこらえる私。夫が大きな声で、「お題目送ってるからな!」って叫んだ。そばに助産師さんいるんやから、恥ずかしいやん。でも……ほんまにありがとう。
 元気な男の子やった。名前は、「秤太」。出産の1カ月後、ひょうちゃんは学会に入会した。夫は、「美由紀が入れさせたいんやったら」って、入会を認めてくれた。
 これをきっかけに、夫も一緒に信心してもらいたいな。祈り、思いを伝えたけど、願いはかなわず……。ひょうちゃんの入会記念勤行会の当日を迎えた。その日の『新・人間革命』に、こう書かれてあった。
 「家族が信心していないケースもあろう。しかし、そのことで、学会のなかで、肩身の狭い思いをする必要はないし、確信を失い、元気をなくしてしまうようなことがあってはならない」。池田先生は、全部、分かっていてくださるんや。うれしくて涙がこらえられんかった。

自慢のお母さんになりたい
 京都の鴨川のほとりに、夫と一緒に料理処を構えたのは11年前。
 夫の日本料理と私のイタリアンを重ね合わせた、新たな料理を提供する店。京都の朝採れ野菜や私の地元・香川の鎌田牛。食材にこだわり、努力を重ねる中で、多くのお客さまに愛していただいている。
 私は、食事に合うワインを提供できるようソムリエの資格を取った。おもてなしの作法を身に付けようと、茶道や華道も習った。
 おかげさまで経営は順調。けど、夫婦共働きは悩みの連続。仕事は大事。でも、ひょうちゃんとの時間を犠牲にしているようで、つらい。
 平日は、朝10時にひょうちゃんを保育園に預ける。少しでも長い時間をひょうちゃんと共有できるように、登園は家族3人一緒に。皆で手をつないで、鴨川沿いを歩く。
 保育士さんに預ける時、ひょうちゃんが泣くこともある。心を鬼にして背中を向ける。
 夜10時。夫より早く職場を出て、ひょうちゃんを迎えに行く。駆け寄ってくるひょうちゃん。クラスで最後の一人になった時は、涙目で私を待っていることがある。その姿を見ると胸が締め付けられる。
 家に帰ると、ひょうちゃんは、私や夫の後を追い掛けて、一緒に遊びたがる。でも、もう遅いから寝かしつけないといけない。
 すやすや眠るひょうちゃんの頰をなでて、「寂しくさせて、ごめんな」とつぶやく。
 夫は「ひょうちゃんのためにも、二人で店を守るんや」って。せやから、皆に愛される店にしたい。
 将来、ひょうちゃんに、「うちのお母さん、ソムリエなんやで」って、自慢してもらえるような、かっこいいお母さんになるからな。

信心できるんは当たり前じゃない
 私の負担が軽くなればと、夫は家事や育児を支えてくれる。私は生まれつき肌が弱くて、水仕事をすると手の皮膚が荒れ、腫れてしまう。
 何も言わんけど、夫は食器洗いやお風呂掃除をしてくれる。ソムリエの勉強をしている時は、ひょうちゃんのお守りも。おかげで昨年、イタリアワインのコンクールで、女性唯一のセミファイナリストになれた。これは、私がずっと御本尊に祈ってきた目標の一つやった。
 こないだは、家でブロック座談会の準備をしてた。いろんなトークテーマを紙に書いてたんやけど、「そんなん聞いて何がおもろいねん。センスないなあ」と笑う夫。どんなお題がいいか、一緒に考えてくれた。
 私は地域の学会婦人部のコーラスグループにも入っている。会合で合唱をする時は、夫がひょうちゃんを連れて見に来てくれる。でも、「もっと大きな声で歌わなあかんやん」って厳しい(笑い)。
 学会活動から帰ると、テーブルに夫が書いたメモが。私の似顔絵と「食べてね」の言葉。私の好きなお菓子が置いてある。夫に感謝。信心できるんは、当たり前じゃない。
 一番うれしく思ってるのは、家族3人で祈る時間が増えたこと。
 最近は、ひょうちゃんが「お父さん、はいどーぞ」って、夫にお数珠を渡して、仏壇の前に連れてくる。
 夫は言う。「3人やと、美由紀はいつもニコニコしてるなあ」って。当たり前やん。これが、私の祈り続けてきた幸せなんやから。

◆  〈トーク2018〉 第九(ベートーベン)初演100周年 「歓喜の歌」を高らかに!
   
全日本「第九を歌う会」連合会 名誉会長 亀井俊明さん/粘り強く信じた道を貫き通して 
   徳島総県長 松村大樹さん/一人を大切にする心で平和の道を


 年末になると各地で合唱の歌声が響く「歓喜の歌」。世界中で愛されるベートーベン作曲の「交響曲第九番ニ短調」、通称“第九”が、日本で初めて演奏されてから、この6月で100周年を迎えます。今回の「トーク2018」は、“第九”初演の地・徳島から全日本「第九を歌う会」連合会名誉会長の亀井俊明さんを迎えて、徳島総県長の松村大樹さんと、熱い語らいが繰り広げられました。

はじまりは鳴門から

 松村 いよいよ来月の2、3日、「ベートーヴェン『第九』交響曲演奏会」が徳島で行われます。今年は、“第九”アジア初演100周年を記念した演奏会ですね。
 
 亀井 37回目となる今回も、半年間かけて練習を重ねてきました。皆さんに喜んでいただけると確信しています。
 
 松村 私は青年部時代に創価学会の四国音楽隊長を務めていましたので、今日、お話を伺えるのを楽しみにしていました。
 
 亀井 若い時に音楽に親しむことは大切です。そもそも、この演奏会は、1980年(昭和55年)に当時の鳴門市長が、市民の手で、“鳴門の第九をよみがえらせたい”と、提案したのが始まりです。2年後の82年(同57年)、地元のオーケストラと合唱団によって、初めて開催することができました。
 私自身、中学時代に出合った音楽で、一人でも多くの方と感動を共有してきたことが、今日までの活動の原動力になっています。
 
 松村 新しい挑戦には、苦労がつきものですが……。
 
 亀井 合唱団を一から結成することから始めました。ドイツ語を覚えるのも一苦労。当時は、中学校の音楽室を借りての練習です。全てが手探りでした。大変でしたが、公演が終わった時の達成感は忘れられません。
 
 松村 今では毎年の演奏会に、全国の「第九を歌う会」のみならず、ドイツ、アメリカ、中国からも合唱団が参加するまでになっているそうですね。
 
 亀井 はい。“第九”を歌うだけでなく、人とのつながりを大切にしてきました。国境を超え、“第九”で結んだ友情は固い絆となっています。今回の演奏会には、徳島の板東俘虜収容所で暮らしたドイツ人の子孫の方も初めて合唱の一員として歌います。
 
 松村 そもそも、なぜ捕虜だったドイツ人たちが自由に演奏し、地元住民たちとも
交流をすることができたのでしょう?
 
 亀井 まず板東俘虜収容所の松江豊寿所長が人格者であったことが大きいでしょうね。それと、地域の人々に異文化を受け入れる器量があった。もともと、徳島は関西方面への海の玄関口でもあり、各地から訪れる旅人たちへの「おもてなし」の文化は、鳴門が誇れる貴重な財産です。

人と人を結ぶ合唱

 松村 ベートーベンは、“第九”の合唱部分に、ドイツの詩人シラーの詩「歓喜に寄す」を使っています。聴く人の琴線に触れる壮大な曲ですね。
 
 亀井 全ての人々は兄弟になる――ベートーベン自身が苦しみや悩みと戦い、その悩みを突き抜けて生き抜いた人生が、「歓喜の歌」に結晶していると思います。
 
 松村 青年時代からベートーベンをこよなく愛した池田先生は、「芸術や文化は、人間と人間を結び、心と心を結びつけることができる」と言われています。学会でも、小学生から高齢者に至るまで、数多くの合唱団がつくられており、心をつなぎ、心を磨く場になっています。
 
 亀井 私も学生時代に合唱部に所属し、これまで“第九”を歌ってきましたが、この合唱曲を通して世代を超えて、人と人の絆を強めてきました。
 
 松村 そうした経験が、“第九”の輪を全国に広げようと、全日本「第九を歌う会」連合会の設立につながったのですね。
 
 亀井 89年(平成元年)、全国各地の「第九を歌う会」との連携を深めるために設立しました。当初は、33団体からスタートしましたが、現在は、海外7団体を含め、87団体にまで増えています。連合会を通して、いろいろな人と出会い、ますます“第九”への思いが強くなりました。ひとたび行動を起こしたら、粘り強く継続し、自分が信じた道を貫き通した時、大きな目標に修練することの大切さを学びました。
 
 松村 鳴門公演には、毎年、中学生を無料で招待していると伺いましたが。
 
 亀井 親から子、孫の世代へと、“第九”を通し、故郷に誇りをもってもらう手助けになれば、との思いで3年前から始めました。一体感のある合唱が、感受性の強い青少年の感動の扉を開き、心豊かな人生に導かれることを願っています。

捕虜の子孫を捜して
 松村 鳴門に“第九”を残してくれたドイツ人への感謝の思いから、“第九”の「里帰り公演」も行っていますね。
 
 亀井 2001年(平成13年)から始め、昨年で4回目になりました。これまでドイツを訪問するたびに捕虜の子孫を捜し、「里帰り公演」にお招きしました。現在、49家族と手紙などを通じて交流しています。第1次世界大戦で戦ったドイツはもちろん、戦地となった中国・青島でも行いました。年々、海外からの参加者も増え、人と人をつなぐ音楽の力を実感しています。“第九”は、あらゆる苦境を乗り越えていける、平和の思想が込められた曲です。
 
 松村 94年(同6年)12月、私どもの「歓喜の歌」大勝利合唱祭の開催時には、徳島県内に“第九”の合唱運動を展開しました。3万5千人の歓びの賛歌が広がり、地域に開かれた大文化運動となりました。
 
 亀井 これまで鳴門の会館だけでなく、信濃町の総本部にも伺ったことがありますが、“第九”の心は、学会の皆さんの平和・文化運動と合致すると思います。
 
 松村 ありがとうございます。私たちの草の根から平和を築く運動は、池田先生から学んだ“一人を大切に”する励ましの心が根本になっています。
 
 亀井 世界には、いろいろな民族や宗教・思想がありますが、人々の平和を願う心、幸せを願う気持ちは同じです。“第九”を通して、文化や民族の多様性を認め合うことを大切にし、これからも社会貢献や国際交流に力を注ぎたいと思います。
 
 松村 同感です。私たちも、歓びの歌声を高らかに、文化の力、音楽の力で、世界平和に貢献できる取り組みをさらに進めてまいります。
 かめい・としあき 1943年、徳島県鳴門市生まれ。徳島大学卒。元鳴門市長。89年に設立の全日本「第九を歌う会」連合会名誉会長を務め、「第九」アジア初演100周年記念行事の推進に携わる。認定NPO法人「鳴門『第九』を歌う会」の副理事長。

 まつむら・だいき 1966年、香川県・三木町生まれ。創価大学を卒業後、機械工具の総合商社に勤務。四国音楽隊長、香川総県青年部長などを歴任。現在、徳島総県長として、自身の体験を語りながら、友の激励に奔走する。創価学会徳島文化会館に勤務。

2018年5月19日 (土)

2018年5月19日(土)の聖教

2018年5月19日(土)の聖教

◆わが友に贈る

身近な人こそ大切に!
家族・友人・同志の
支えあっての自分だ。
「当たり前」と思わず
感謝の言葉を伝えよう!

◆名字の言

  郵便ポストの前で、たたずむ少女がいた。しばらくの間、封書をおでこに当てた後、意を決したように投函した。先日、町で見たワンシーンである▼“思いが届いてほしい”と念じるような少女の姿に、ふと思った。電子メールに比べ、手紙は書き上げ、先方に配達されるまで時間がかかる。その分、「言葉」に込めた思いは熟成されて相手に届くのではないか、と▼ある壮年部員は20代の時、女性に折伏されたが、“信念と努力だけでは人生は開けない”との言葉に反発した。だがその後、壮年は大けがなどの不遇に見舞われ、意気消沈した。壮年の幸福を祈り続けてきた女性は再び言った。「あなたの信念と努力を最大に開花させ、宿命を使命に転換できるのが、この信心です」。その言葉に壮年は入会した▼後年、壮年は縁あって、その女性と結婚した。以来40年、妻は大病を重ね、今も闘っている。壮年が誓う。「あの日、君が教えてくれた言葉を、二人で必ず証明しよう」。夫妻は弘教も実らせ、広布拡大の日々を力強く歩む▼言葉は、書いたり、話したりする人の心を映す。それを読み、聞いた人が受け取るのは、相手の「心」である。言葉には、人の心を変え、人生を勝ち開く力がある。きょう5月18日は「ことばの日」。(白)

◆寸鉄

  「創価学会常住御本尊」の
 記念日。慈折広宣流布へ
 師匠と世界の友と前進!
      ◇
 「熊本の日」50周年。愛す
 る郷土に希望の花を満開
 に!不屈の友よ負けるな
      ◇
 御書「疑う心なくば自然
 に仏界にいたる」。唱題の
 人は無敵。確信の祈りで
      ◇
 人生の最大の失敗は失敗
 を恐れ続ける事―教育家
 若獅子よ大胆に踏みだせ
      ◇
 iPS細胞の心筋治療を
 承認。世界初の臨床研究
 開始へ。難病治療等に光

◆小説『新・人間革命』第30巻 誓願の章  四十六 2018年5月19日  (6376)

 ソ連の崩壊にともない、エリツィン率いるロシア共和国は、ロシア連邦となり、旧ソ連の国際的な諸権利等を継承するが、財政危機など、前途は多難であった。
 また、東側陣営であった国々は自由を手に入れたが、ユーゴスラビアをはじめ、アゼルバイジャン、アルメニア、チェチェンなどで、民族・地域紛争が起こっていった。テロも激しさを増した。
 さらに、世界のあちこちで民族、宗教、経済などをめぐって対立の溝は深まり、冷戦後は、局地的戦乱が広がりを見せていった。
 平和への道は、険路である。だからこそ、断じて、その歩みをとどめてはならない。
 山本伸一は、毎年の1・26「SGIの日」に発表する提言において、冷戦終結後の新しい世界秩序の構築へ、国連が中心となって平和的なシステム、ルールをつくり上げていくべきであることなどを、訴えていった。
 とともに、新しき時代の地平を開くには、平和と民主と自由を希求してきた人びとの心を覆う、絶望を、シニシズム(冷笑主義)を、不信を拭い去らねばならない。
 そのためには、開かれた心の対話の回路を、あらゆる次元でめぐらせていくことが必要となる。それは、時代の病理の対症療法ではなく、根本療法の次元の労作業といってよい。
 伸一は、ゴルバチョフが大統領を辞任したあとも、幾度となく会談を重ねていった。
 一九九三年(平成五年)四月にゴルバチョフ夫妻が来日した折、元大統領に創価大学から名誉博士の称号が、また、共に世界を駆けるライサ夫人には、創価女子短期大学から最高栄誉賞が贈られた。元大統領は、この日、大学の講堂で記念講演を行っている。
 そして、九六年(同八年)には、ゴルバチョフと伸一の語らいをまとめた『二十世紀の精神の教訓』が発刊されたのである。
 さらにゴルバチョフ夫妻は、九七年(同九年)十一月、関西創価学園にも訪れている。
 友情は、永続性のなかで、より深く根を張り、より美しく開花する。 

【聖教ニュース】

◆5・19「学会常住御本尊記念日」広宣流布大誓堂で勤行会  不惜身命の師弟の大道を

 広布拡大へ勇躍前進を!――厳粛に行われた5・19「創価学会常住御本尊記念日」の勤行会(広宣流布大誓堂で)
広布拡大へ勇躍前進を!――厳粛に行われた5・19「創価学会常住御本尊記念日」の勤行会(広宣流布大誓堂で)
 5・19「創価学会常住御本尊記念日」の意義をとどめた勤行会が17日、東京・信濃町の広宣流布大誓堂で行われた。
 これには原田会長、長谷川理事長、永石婦人部長が各部の代表と出席。大誓堂に御安置の創価学会常住御本尊に厳粛に勤行・唱題し、平和と幸福の大道を堂々と歩みゆくことを誓い願った。
 創価学会常住御本尊は、戸田城聖先生が、第2代会長に就任した直後の1951年(昭和26年)5月12日に学会前進の「金剛不壊の大車軸」として請願。同19日に書写された。
 そして、表装などを整え、7月22日に奉戴式が行われた。この日、戸田先生は、戦時中に宗門が軍部権力に迎合しようとした時、いかなる迫害があろうと国家諫暁をと叫ばれた牧口常三郎先生の「あの確信を想起せよ」と烈々と語った。
 常住御本尊には「大法弘通慈折広宣流布大願成就」としたためられている。戸田先生は“学会は「生命は永遠であり、われわれこそ、末法に七文字の法華経を流布すべき御本仏の眷属なり」との自覚を生じて、牧口先生が口癖に言われていた発迹顕本をなした。この確信において、広宣流布大願の曼荼羅の奉戴の式が営まれた”と述べた。
 この御本尊に題目の大音声を轟かせ、戸田先生は、自身の願業であった75万世帯の弘教を成就。そして、一切の後事を受け継いだ池田大作先生もまた、常にこの御本尊の前で世界広布の指揮を執り、日蓮仏法は今や192カ国・地域にまで広がったのである。
 勤行会で原田会長は、こうした創価三代の師弟の峻厳な不惜身命の歴史をひもときつつ、私たちも一生涯、御本仏の御遺命である広布大願に生き抜こうと強調。「相構へ相構へて心の師とはなるとも心を師とすべからずと仏は記し給ひしなり」(御書892ページ)との御聖訓を拝し、師弟不二の精神を根本に、広宣流布大誓堂完成5周年となる本年の「11・18」を、弟子の勝利の実証で飾ろうと呼び掛けた。 

◆小説「新・人間革命」第30巻〈上〉 6月21日に発売
 「大山」「雌伏」「雄飛」「暁鐘(前半)」の章を収録

 

 小説『新・人間革命』第30巻の上巻(写真)が、師弟の日「7・3」を記念して、6月21日に発売される。「大山」「雌伏」「雄飛」「暁鐘(前半)」の章を収録している。
 山本伸一は、1979年(昭和54年)2月、インド、香港を訪問し、平和・文化・教育交流の道を開き、帰国する。
 日本では、宗門の若手僧による学会への非難・中傷が続いていた。彼は、宗門僧の理不尽な攻撃にピリオドを打ち、会員を守るため、一切の責任を負って、法華講総講頭を辞任。さらに世界広布の新しい流れを開くために、創価学会の会長辞任を決断したのだ。
 4月24日、第3代会長の辞任が発表され、名誉会長に就任する。
 5月3日、伸一は、第40回本部総会に出席した後、自身の誓いと弟子たちへの思いを込め、「大山」と揮毫する。そこには、“いかなる烈風にも、大山のごとく不動であらねばならない”との、彼の魂の叫びが込められていた。
 さらに5月5日には「正義」としたため、脇書に「われ一人正義の旗持つ也」と記す。
 会長辞任後は、宗門僧らによって、“会合に出て指導してはならない”など、伸一と同志の、創価の師弟を分断する謀略が巡らされていた。
 しかし、伸一は、夏には長野研修道場にあって、個人指導や功労者宅を中心とした家庭訪問、記念撮影など、広宣流布の歩みを止めることなく、同志の激励に全力を注いだ。
 創価学会創立50周年を迎える80年(同55年)の1月、師を求め、四国の同志約800人が船で神奈川の地へ。2月には、奄美の女子部員が東京の立川文化会館に集った。約1年にわたる雌伏の時を経た伸一は、新生の飛翔を誓う。
 4月21日、彼は第5次訪中を果たし、故・周恩来総理夫人の鄧穎超氏や、中国共産党中央委員会の華国鋒主席らと会見した。日中友好の“金の橋”を、いっそう堅固なものにしていった。
 反転攻勢の決意を固めた伸一は、中国訪問の帰途、長崎へ向かい、福岡、大阪、愛知、岐阜など、各地を回り、新たな広布の戦いを開始する。
 学会が「青年の年」と定めた81年(同56年)、彼は、“いよいよ本格的に世界平和と広布の道を開かねばならない”と心を定め、同年5月、ソ連を訪問。
 引き続き、欧州を歴訪し、西ドイツ、ブルガリア、オーストリア、イタリア、フランスに赴く。識者等との会談を重ねるとともに、現地の友を励まし、信心の基本や創価の精神を伝える。
 フランスでは、青年たちの新しい出発を祝し、地下鉄のホームや車中で口述を重ね、詩を作り、贈った。
 伸一は、会長辞任という烈風の中から、世界広布の大空へと、大きく羽ばたいていったのである。
 本社刊。1337円(税込み)。全国の書店で予約受け付け中。6月21日に発売。SOKAオンラインストアでも注文、購入できます。
 ※電話・FAXで注文の場合は代金引換のみとなります。
 また、コンビニ通販サイト「セブンネットショッピング」「ローチケHMV」での注文、受け取りも可能です。 

◆<友を励ます 私の挑戦>    必ず約束を守る。小事が大事と
 東京 板橋区 大成 純一 総区副総合長

 さまざまな理由で、学会の組織から遠ざかっている壮年がいる。
 大成さんの行く所、そんな壮年が立ち上がる。結集をすれば、部員の7割以上が集う――。
 それを聞いて、思わず秘訣を尋ねた。
 「方法や策なんてありません。何度も何度も繰り返すだけ。それと常識豊かに接することです」
 いわく、約束したことや時間は必ず守る。相談やお願いされたことは、すぐに対応する。誕生日や記念日には、祝福の言葉を掛ける。当たり前といえば当たり前だが、この積み重ねが信頼になっていく。対話の糸口にもなる。小事が大事と。
 4月のある日、大成さんは活気のある商店街を抜けて、閑静な住宅街へ向かった。
 訪れたのは、昨年、病で妻を亡くした壮年部員宅。「追善の勤行をさせてもらっていいですか」「もちろんですよ。妻も喜びます」対話では、1人暮らしでの壮年の体調を気遣う。困っていることはないか、様子を聞く。気負いは一切ない。一つ一つの言動に、同志を思う優しさがにじみ出る。
 大成さんのモットーは「祈りと行動」だ。
 池田先生から「朝の題目は、金の題目だよ」と励まされて以来、毎朝2時間の唱題を欠かさない。18年間続く。
 そして毎日、訪問に歩く。休日は朝から晩までフル回転。中途半端な行動は、中途半端な結果にしかならない、と。
 ある支部を担当した時のこと。「私の所に来てもムダだ。ほかに行ってくれ」と、ドアも開けてくれない壮年がいた。「初対面ですから仕方ない。分かっていても少しなえますよね。だから題目です」
 祈っては生命力を湧かせ、再び通う。何回も訪れるうち信頼は深まり、ついに壮年は立ち上がった。婦人部の大応援も得て、支部50人の結集目標の会合に62人が集まった。
 「時間はかかっても立ち上がらない人はいません。だって皆さん、池田先生の弟子じゃないですか。私はそう信じて、使命ある壮年の皆さんと会っています」

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆世界広布新時代第34回本部幹部会 信越総会から(要旨) 原田稔会長
「真実に勝る雄弁なし」の確信で――   創価の正義を胸張り語ろう

 一、「世界広布新時代第34回本部幹部会」ならびに「信越総会」の開催、誠におめでとうございます(拍手)。
 本日は、12カ国・地域から、82人のSGIメンバーも参加されております。遠いところ、ようこそお越しくださいました。

 一、さて、先日、日中平和友好条約締結40周年を記念する中国・李克強首相の歓迎レセプションに出席してまいりました。
 池田先生から李首相に贈られた漢詩と共に、先生の歓迎の意をお伝えすると、李首相は「33年前の池田先生との出会いを、よく覚えております」と誠に懐かしそうに語っておりました。
 33年前の1985年(昭和60年)3月、若き李首相は中国青年代表団の副団長として、当時の胡錦濤団長と共に来日されました。それは、前年に日本から青年3000人の大交流団が訪中した、その返礼としての来日でした。
 この時、先生は“昨年、日本の青年がお世話になったことでもあり、大事な未来の指導者だから”と、地方指導の予定を変更して東京に戻り、代表団と会見されました。
 青年を心から大切にされ、そして誠実には大誠実をもって報いる池田先生の行動こそ、時を経るごとに輝きを増す友情の根幹なのだと、今回、改めて学ぶことができました。

 一、また、先月には、フランス、スペイン、イギリスを訪問してまいりました。
 スペインについては、カプート理事長の報告にあった通りですが、フランスでは、フランス学士院を訪れ、アブラハム友愛協会のエドモンド・リール会長夫妻、経済等の分野で活躍するベルナール・エザンベール氏らと会見。フランス・仏教学研究所のドミニック・トロティニヨン所長とも、有意義な対話を交わすことができました。
 さらに、「欧州会議」設立45周年を祝賀するフランスSGIの総会では、席上、大手出版社のアルマッタン社から、池田先生に「平和への対話特別賞」が贈られました。
 また、6000人を超す青年結集の大勝利に沸くイギリスでは、ロンドン市庁舎でマシュー・ライダー副市長と会見。タプロー・コート総合文化センターでの環境展示“希望の種子展”の開幕式には、多くの来賓が集い、地域貢献の努力が結実した式典となりました。
 多様な民族、言語、文化の人々がひしめき合うヨーロッパにあって、広宣流布を進めることが、どれほどの艱難辛苦を伴うか。
 だからこそ、かつて池田先生は「日蓮仏法もこのヨーロッパで実験証明されてこそ、初めて世界宗教として飛翔することができる。私はそう決めて祈り、欧州広布の第一歩を踏み出しました」と、つづられました。
 例えばフランスでは、「ライシテ」と呼ばれる原則があります。これは、私生活の信仰は自由だけれども、公共空間には宗教性は持ち込まないという考え方です。
 ライシテは、フランス革命以来の長い歴史的経緯に根差しており、こうした独自の事情によって、フランスでは創価学会に対して厳しい偏見の目が向けられた時代がありました。
 2001年12月のこと、ゴルバチョフ元ソ連大統領と、池田先生との対談集『20世紀の精神の教訓』のフランス語版が発刊され、ゴルバチョフ氏自身が出席しての出版記者会見が、パリ政治学院で行われました。
 その後、ゴルバチョフ氏は、パリで人気のテレビ番組に出演しました。ところが、その番組で司会者から、先生とSGIに関する無認識からくる質問が飛び出したのです。学会を取り巻く当時の社会状況を象徴する、ひと幕でした。
 しかし、質問が終わるや否や、ゴルバチョフ氏は毅然とした口調で語り始めました。
 「いいですか。池田会長に対して、一部の根拠なき言説があるようですが、私がそのような質問を受けたのはフランスだけです。どこからそのような話が出てくるのか理解できません。全く根も葉もないことです。
 この本は、すでにいくつかの国で出版され、各国の読者から多大な賛同と支持を得ています。まず、それが第一点。
 次に、池田氏は私との対話を行う前に、全大陸のおよそ100人ほどの識者と対談し、その中の誰一人として、池田氏を非難した人はいませんでした!」――こう明快に切り返したのです。
 慌てた司会者は、「それはその通りです。その通りです」と、ほうほうの体で退散してしまいました(笑い)。
 池田先生の結ばれた友情が、いかに強い絆であるか。そしてフランスの同志は、こうしたゴルバチョフ氏に負けず劣らずの言論戦を展開してこられました。それはスペインしかり、イギリスしかり、であります。ゆえに今、日蓮仏法が世界宗教として飛翔しゆく実証を、見事に示しきっているのであります。

 一、日蓮大聖人は「日蓮がごとく身命をすてて強敵の科を顕す」(御書1589ページ)と仰せになられました。
 広布が伸展すれば、三類の強敵が出来するのは必定です。ゆえに、こちらから斬り込み、根も葉もないデマの正体を暴き、責め抜く――。相手の心に深く入り込んだデマの“毒気”を抜き去らなければ、真に「心に刺さる対話」「心を変える対話」にはならないのです。
 私どもは「真実に勝る雄弁なし」そして「勇気に勝る信心なし」の大確信で、胸を張って、創価の正義と真実を語り広げていきたい(拍手)。

 一、ここ信越の地で書き起こされた小説『新・人間革命』は、以来、四半世紀を経て、いよいよ6月、その掉尾を飾る第30巻の上巻が発刊されます。
 師弟の月・7月へ、池田先生が命を削るようにして紡ぎ出された、一言一句に全身全霊で向き合い、実践しながら、私どももまた、「わが人間革命」の新たな一ページをつづる、一日また一日にしていこうではありませんか(拍手)。

◆〈友のもとへ 池田先生の激励行〉4 音楽隊  平和と文化の大英雄たれ

 第1回九州青年部総会で登壇する直前、池田先生が音楽隊の種田篤郎さんを激励。肩を抱きながら言葉を掛けた(1973年3月21日、北九州市内で)
第1回九州青年部総会で登壇する直前、池田先生が音楽隊の種田篤郎さんを激励。肩を抱きながら言葉を掛けた(1973年3月21日、北九州市内で)

 〽誓いの青年よ 出発は今 広布の大願 いざや果たさん……
 日本中、世界中で歌われている学会歌「誓いの青年よ」。発表されたのは、2014年(平成26年)4月、「5・3」を祝賀する本部幹部会の席上である。
 作曲は音楽隊有志。音楽隊に作曲を提案したのは、「山本伸一」のペンネームで作詞した池田先生である。
 音楽隊の友にとって、「誓いの青年よ」の作曲に携わったことは、永遠に忘れ得ぬ黄金の歴史となった。
                     ◆◇◆ 
 音楽隊が結成されたのは、1954年(昭和29年)5月6日。池田先生の発案である。
 出発は11人。「音楽隊の日」の淵源となった同年5月9日の初出動では、戦時中に出征兵士を送るのに使われた中古品の楽器を借りた。先生は自ら資金を工面して、楽器を贈った。
 当時、先生は音楽隊に一つの提案をした。タイケ作曲の行進曲「旧友」の演奏である。だが、結成時の人数では、演奏の編成を組むことができなかった。
 音楽隊が初めて「旧友」を演奏したのは、56年(同31年)3月27日、東京都内で行われた練習会。じっと聞いていた先生は語った。
 「うまくなった。もっともっと音楽隊を大きくしよう!」
 57年(同32年)、北海道音楽隊、関西音楽隊が誕生。翌年には、九州音楽隊が結成された。
 九州音楽隊の第2代隊長を務めた種田篤郎さん(総福岡・門司共戦区、副区長)。60年(同35年)に入会し、男子部部隊長としても奮闘した。
 今から48年前、思わぬ苦境に直面する。
 妻が多額の借金をつくり、家を出て行った。幼子2人を抱え、早朝からゴミ収集のトラックを走らせ、夜はトランペッターとして生計を立てた。そんな生活に限界を感じ、“人生を終わりにしよう”と思い詰めたのも一度や二度ではない。
 転機となったのが、73年(同48年)3月21日、北九州市内で行われた第1回九州青年部総会。種田さんの苦境の報告を聞いていた池田先生は、登壇前に種田さんを控室に招いた。
 「よく来たね」。先生は2人掛けのソファに種田さんと座り、左手で肩を抱きながら近況を尋ねた。
 「世間の人はいろいろ言うかもしれない。しかし、君と私との間には関係ない。男がいったん踏み込んだ広布の道だ。老い枯れるまで頑張っていこう」
 そして、「最後の学会歌の指揮は、君が執るんだろう?」。
 指揮は既に九州音楽隊の後任に譲っていた。だが、その瞬間、種田さんは腹を決めた。「はい! 執らせていただきます!」
 先生は深々とうなずき、「じゃあ、最後の学会歌は2人でやろう」と。
 総会の会場に戻った種田さん。その表情を見た後任の指揮者は、タクトを種田さんに手渡した。
 扇子を手に、舞うように指揮する池田先生。種田さんは一心不乱にタクトを振った。“生涯、先生と共に広布に生きる”との誓いがあふれた。
 ある時、先生は種田さんにつづり贈っている。
 「僕も辛いことが多い。君も辛いことがあるだろう。しかし、仏法は勝負だ。しかし、仏法は師子王だ。
 故に、学会という広布の旅路を共に再び進もうよ。
 ――あの日、あの時の君の指揮を僕は決して忘れまい。君も僕の舞いを忘れないでくれたまえ」
 毎年、この3月21日を目指し、種田さんは苦闘に挑んだ。原点の日を迎えるたび、この日に着た背広に袖を通し、決意を深めた。
 7年をかけて全ての借金を返済し、新たな家庭を築くことができた。
 種田さんは音楽の喜びを伝えたいと、民音主催の市民コンサートに約450回出演。北九州市から5度、感謝状が贈られた。その後もジャズバンドを結成し、定期的にライブ活動を続けている。
 2013年(平成25年)、ステージ4の膀胱がんで余命4カ月の宣告を受けた。しかし、治療が功を奏し、病は影を潜めた。その中で心筋梗塞、脳梗塞も早期発見でき、適切な治療を受けることができた。
 83歳の今も現役トランペッターとして舞台に立つ。いくつもの荒波を勝ち越えた“師子の響き”が、勇気の共鳴を広げている。
                        ◆◇◆ 
 1974年(昭和49年)11月17日、中部音楽隊・鼓笛隊の友は、名古屋市内でパレードを行う予定だった。だが、雨がやまず、中止になった。
 待機場所の中学校体育館で悔しさを募らせるメンバー。この日、愛知県体育館で本部総会が開催されることになっていた。総会前の時間を割いて、その場に先生が激励に駆け付けた。
 先生は、「きょうの雨ということも意味がある。偉大な力を発揮して仕事をする人は、段階を経ていく必要がある」と強調。
 続けて、「この日を楽しみにしていた大勢の市民を代表して、私が皆さんの演奏を聞きたいと思います」と。さらに、本部総会への参加も提案。場内は大歓声に包まれた。
 学会歌「新世紀の歌」の演奏が始まると、先生は音楽隊・鼓笛隊の隊列の中へ。メンバーと握手し、励ましを送った。
 米澤富男さん(岐阜総県・中道圏、副圏長)は、この時の出会いが原点だ。
 幼少の頃、父が事業に失敗し、福岡から岐阜に引っ越した。周囲から蔑まされ、劣等感に苛まれた。その中で励ましてくれた男子部の先輩が、音楽隊員だった。
 寸暇を惜しんで励ましを送る師の姿に、米澤さんは“社会で実証を示す人材に”と決意。その誓いのままの人生を歩んできた。
 中学卒業後からプラスチック加工の工場で働き始めた。30代の時に独立。経営は順調だったが、バブル経済の崩壊とともに、仕事が激減した。
 妻・たつ子さん(同、圏婦人部総合長)と共に祈る中、長男が勤務していた焼き肉店から話があり、チェーン店をオープン。5年で負債を返済した。
 その後、“次の道へ進もう”と海鮮の飲食店を始めた。連日、多くの客が訪れる繁盛ぶりだ。
 岐阜音楽隊の副隊長として岐阜中を駆け回ってきた。音楽隊での薫陶が、人間としての基礎を築いてくれた――報恩を胸に、米澤さんは、さらなる勝利の実証を誓う。
                        ◆◇◆ 
 1997年(平成9年)5月19日、関西戸田記念講堂で開催された本部幹部会。席上、関西吹奏楽団がアメリカのマーチ「錨を上げて」、関西の歌「常勝の空」を演奏した。
 スピーチを終えた池田先生は、指揮棒を振る仕草をしながら、「きょう、指揮を執ってくれたのは?」と同楽団に問い掛けた。
 指揮者は、伊勢敏之さん(総大阪・大東池田圏、壮年部員)。前日のリハーサルでは演奏の呼吸が合わず、周囲から「そんな指揮では、『常勝の空』に魂が入らない」と檄が飛んだ。
 もともとトロンボーン奏者。指揮者に就任後、この時が初めての指揮だった。不安な気持ちを先輩にぶつけると、「誠心誠意の演奏は、必ず人の心に届く。思い切りやろう」と。その言葉に勇気を奮い起こし、幹部会に臨んだ。
 先生は、伊勢さんと前川洋一楽団長(当時)を壇上に招き、「文化褒章第1号、おめでとう」と、学会で制定されたばかりの同章を2人に授与した。
 さらに、「もっと世界に舞台をたくさんつくってあげたいんだ。その時は必ずよろしく。くれぐれも頼んだよ」と語り、「日本一、いや世界一だ」と同楽団をたたえた。
 翌年5月に同講堂で行われた本部幹部会では、同楽団の演奏で、先生が学会歌「威風堂々の歌」の指揮を。伊勢さんはタクトを振りながら、師と心を合わせることの大切さを命に刻んだ。
 大学卒業後、トロンボーン奏者として活動していたが、97年の本部幹部会後からは、吹奏楽指導者、指揮者としての仕事の依頼が増えた。
 今、関西大学応援団吹奏楽部の音楽監督、大阪音楽大学の特任准教授を務める。多忙な中、後輩から請われて、関西吹奏楽団で指揮を執り続けている。
 同楽団は80年(昭和55年)、第1次宗門事件の嵐の中、音楽隊として初となる全国大会の金賞を受賞。これまで17回、金賞に輝いている。
 創価の正義を宣揚する指揮者に――伊勢さんの心には、師への誓願が赤々と燃えている。
                         ◆◇◆ 
 音楽隊は今、世界の30カ国以上に誕生している。妙音の調べが、地球を包む時代を迎えた。
 先生は音楽隊へ万感の期待を込め、呼び掛ける。
 「誓いの青年よ! 最も信頼する創価の楽雄たちよ!」
 「透徹した信心と広布への大情熱で、世界をリードし、世紀をリードし続ける、平和と文化の大英雄であれ!」
 世界広布の力強い前進は、創価文化の旗手・音楽隊が奏でる師弟の凱歌と共に続いていく。

◆〈信仰体験 登攀者〉 国立療養所「多磨全生園」の元看護師長 森田宏子さん
 生きる力に寄り添う 本年から創価女子短大の保健室勤務


学生からの相談に親身に乗る。森田さんは、佐賀県の出身。経済苦だった幼少の頃。座談会の行き帰りに、女子部の先輩から「この信心に励めば、必ず幸せになれるよ」と励まされてきた。高校卒業後、働きながら看護学校へ。地元の病院勤務を皮切りに、総合病院などで経験を積んだ。2003年には、JICAの派遣でミャンマーへ。ハンセン病看護の専門家として支援を行ったことも

 爽やかな風が吹き抜ける新緑のキャンパス――。看護師の森田宏子さん(60)=東京都東村山市、常勝池田支部、地区婦人部長、白樺会=は、本年4月から、創価女子短期大学の保健室に勤務している。「学生たちの若さとパワーに圧倒される毎日です」。この3月まで勤めていたのは、ハンセン病(※メモ)の国立療養所「多磨全生園」。強く生き抜く入所者に尽くしながら、「看護の心」を深めてきた。
 森田さんが、「全生園」に赴任したのは、1999年(平成11年)、41歳の時。それまで勤めていた病院と違うのは、朝の看護ミーティングで、夜勤の看護師から引き継がれる内容。
 ハンセン病の後遺症により、変形した手や切断した指でも使えるよう改良されたスプーンが誰のものか。一人一人異なるばんそうこうやガーゼなどの処置方法、食事の時の注意点などが事細かに伝えられた。
 療養所では、入所者が自分でできることは、自分で行い、一人一人の生きる力を尊重していた。
 ある80代の壮年は、全盲で口唇下垂(下唇が下がること)の後遺症があった。
 食事中は、食べ物を口に入れたら手で下唇を上げて、咀嚼する。飲み込んだ後、また食べるという繰り返しだった。
森田さんが話し掛けようとすると、遮られた。
 「俺は命懸けで食事をしているんだ」
 それまで20年以上、総合病院などで、末期がんや終末期の患者に接し、多くの経験を積んできたはずだった。
 未熟さを思い知らされた。今までやってきた看護は、表面的なものだったのでは……と突き放されたようだった。
 毎日、真剣に題目を唱える。白樺会の先輩の言葉が思い起こされた。
 「ハンセン病療養所で勤務できたらいいね。看護の原点を教えていただけるよ」
 この言葉の真意を、分かるようになりたかった。
 あらゆる差別を受けてきた人たちにとって、日常生活の行動一つ一つを自身の力で行うことは、人間らしく生きる戦いでもあった。「らい予防法」が撤廃された時には既に高齢で、療養所を出て、生活を営むことなど、かなわない。
 “入所者さんの過去の苦しみを消し去ることはできない。けれど、生きてきて良かったと思ってもらえるよう尽くしたい”
 固く心に決め、毎朝、真剣に祈った。今日一日、ケアがうまくできるように。入所者さんに負担を掛けずに、手足の処置ができるように。真心の看護ができるように……。
 入所者の生活を深く見ていくと驚いた。両手足の欠損がありながら、食事、排泄を自分で行うだけでなく、日々の生活に彩りを加えようと工夫をしていた。落語や浪曲、時には、晩酌を楽しむことも。
 森田さんは、「人間の生きる力を過小評価してはならない」との言葉を思い起こした。
 数年がたったある日。高齢の全盲の入所者が、ぽつりと言った。「生きているうちに、両親のお墓参りに行きたい」
 いつも明るく歌を歌う、皆のムードメーカーのような婦人だった。介護員と協力し、都内の墓地を訪ねた。
 墓石の前に立ち尽くし、流れる涙を拭おうともせず号泣した。そのそばで、森田さんは体を支える。
 10代で愛する家族と引き離された胸中はいかばかりか。推し量ることなどできるはずがない。だからこそ一層、寄り添っていこうと決めた。
 「食事を取るのも命懸けだ」と言った壮年が米寿を迎えた時、しみじみと「ここまで生きてこられた」と漏らしていた。
 その言葉に、一日一日を生き抜くことの重みが森田さんの胸に迫った。
 “生命こそ宝”という信念を深く心に刻んだ。
 2008年から6年間、国立精神・神経医療研究センター病院の看護師長を務めた後、14年に看護師長として「全生園」に戻った。
 その後、退職までの2年間、「医療安全管理担当」の師長として、医療事故を未然に防ぐため、広大な園内をくまなく回った。
 入所者の高齢化も年々進み、わずかな段差も転倒の危険になる。廊下に休憩用のイスを設けてほしいといった要望など一つ一つに耳を傾け、実現した。
 退職を間近に控えたある日、廊下で、介護員に車いすを押される入所者に出会った。長年、少しずつ信頼関係を結んできた人だった。
 「こんにちは。森田です」
 耳元で、ゆっくり話し掛ける。
 「分かってるよ。今までありがとうな」
 そう言って、森田さんの手に、自身の節くれ立った手を重ねた。じんと伝わる温かさと優しさ。森田さんの胸に、ここで看護をできた喜びと感謝が湧き上がる。
 森田さんは、自身が目の当たりにしてきた“人間の強さ”“生命の素晴らしさ”を地域の小学校でも、「いのちとこころ」とのテーマで11年にわたり講演を行ってきた。
                     *
 森田さんが支えにしてきた池田先生の言葉がある。
 〈わが使命として/病める人/心の傷ついている人を/どうか 励ましていただきたい/それは 政治家にも/著名人にも でき得ぬ/根本的な慈愛の/貴女たちの尊い叫びしかない〉
 本年4月からは、創価女子短大の保健室に勤務する。
 「創立者・池田先生の“学生第一”の精神を、看護師の立場で実践していきます」と森田さん。
 そして、こうも思う。
 “今度生まれてきても、また看護師になろう。自身の磨いた生命で、他者に尽くすことができる最高の道だから”

メモ  ハンセン病
 「らい菌」によって起こる感染症。感染力は弱く、感染しても発症することはまれである。
 1931年(昭和6年)成立の「癩予防法」により、患者の強制隔離が進められた。第2次大戦後、「プロミン」による治療が始まり、確実に治る病となった後も、隔離政策は続き、法律が撤廃されたのは96年(平成8年)。2001年には、「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟で原告側が勝訴(熊本地裁)。
 09年、「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」が施行。全国に13ある国立療養所の入所者の高齢化対策と、名誉回復が課題となっている。

◆〈スタートライン〉 「ジャパネットたかた」創業者
 「V・ファーレン長崎」代表取締役社長 髙田明さん
 モノの先にある幸せのカタチに思い巡らせて   いくつになっても日々精進!

 時間をかけて必死に話しても、なかなか思いが相手に通じない――誰もが経験のあることではないだろうか。
 だが、この人の話を聞くと、魔法にかけられたように心が駆り立てられ、“確かに”と納得してしまう。
 今回は、長崎弁訛りに甲高い声でおなじみ、「ジャパネットたかた」の創業者で、サッカーチーム「V・ファーレン長崎」の髙田明社長に、伝える力を養う秘訣を聞いた。
 ――髙田さんは1990年、カメラの店頭販売から通販事業に進出する。家電量販店がしのぎを削る中、ジャパネットたかたを年商1700億円以上の企業へと発展させた。
  
 通販事業に進むきっかけになったのは、ラジオコマーシャルでした。5分間のコマーシャルを流しただけで、50台のカメラが売れたんです。これは当時のわが社の1年分の販売台数に相当するもので、全国ネットを作ろうと決意しました。
 通販の強みは、媒体を通じて、一度で何十万、何百万の人々に情報を発信できること。見る人、聞く人が家や車の中、出先などにいても問題ない。家電量販店は顧客に足を運んでもらわなければいけませんが、通販はその必要がありません。
 しかし、直接、会って話していない分、誰にも伝わっていない可能性がある。そこで、こちらが訴えたい商品の良さと、相手にとっての価値を一致させることが不可欠です。我見で言いたいことだけをいくら熱弁しても、馬耳東風です。
 私が心掛けてきた三つの視点があります。それは、室町時代に「能」の偉人として名をはせた世阿弥に倣ったものです。自分がどう見るかという「我見」。他者がどう見るかという「離見」。それら全体を俯瞰して見る「離見の見」です。
 通販にもコミュニケーション力が問われます。その第一歩は、他者の目線に立ち、相手が聞きたいこと、求めていることに気付く心の目を持つことなんです。
 現代の市場には、モノがあふれている。だからこそジャパネットでは、その中から厳選し、自信を持って提供できる商品のみを販売してきました。商品によって、伝えたい顧客を絞り、その人の姿を思い浮かべて話をしていました。
 顧客一人一人に、「ジャパネットが薦めるのだから間違いない」と信頼され、納得して購入していただく。それがリピーターの数に表れ、企業ブランドを高めているのだと思います。
  
 ――価格ではなく、魅力を伝える。髙田さんが着目したのは、商品の先にある幸せと、人々が喜ぶ姿だった。
  
 20年以上にわたり、テレビショッピング番組で最短の“尺”である“90秒”と格闘してきました。説明の順序、間の取り方、身振り等、何十回と試行錯誤しました。
 今もそうですが、自分が話し上手だと思ったことは一度もありません。実際、訛りは抜けないし、声は裏返る。言葉に詰まることもある。でも、それでいいんです。感動したことを言葉に表すことができれば、思いは届きます。
 モノの価値は、伝える側が真剣になればなるほど、生み出せる。食材、衣類、地域の名産品、大量生産の家電にしても、そこには姿なき無数の作り手、開発者の情熱が込められている。その熱が、私たちに感動とともに、商品の新たな価値を教えてくれるのです。
 例えばカメラを紹介する時は、画素数等を紹介するだけではなく、「お子さんの写真を撮る時には、両親も一緒に入ってください」と伝えてきました。子どもが大人になって写真を見返した時、若い頃の両親が写っていた方が、喜びは倍増すると考えたからです。
 一つの商品でも、見方を変えれば、違う魅力を引き出すことができる。私は、ただ商品を紹介するのではなく、商品の先にある家庭の“幸せのカタチ”を思い描き、発信してきました。
 ――ジャパネットでは、企業理念をまとめた「クレド(信条)」をポケットサイズに印刷し、全社員に配布している。社是を形骸化させないためだ。
  
 ジャパネットでクレドを作ったのは、2007年のことです。「『今を生きる楽しさ』を!」という言葉が企業理念で、その後、子会社を含めた、グループ内の各社にも、それぞれのクレドが出来ていきました。朝礼やミーティングの時はもとより、困った時は、社員の誰もがクレドに立ち返って、業務を遂行しています。
 企業も組織も、大きくなるほど、理念や原理原則の共有が難しくなります。しかし、これらがないと、会社は揺らぎ、窮地や非常事態に陥った時、迷いが生じる。クレドを明文化するのは重要なことなのです。
 また、長期間、同じ社是を掲げ過ぎると、理念が形骸化します。大事なのは、不易(=不変の)流行の不易の部分です。事業活動で利益を得ることは大事ですが、企業は、お客さまの幸せのためにこそあります。
 この信念は、いくら時代が進もうと変わらない不易。言い換えれば、私たちが“何のために生きているか”ということです。一方で、時流とともに変えていかねばならない部分もある。その点からすると、ジャパネットのクレドも、未完成なんです。
  
 ――髙田さんは2017年、経営不振が続いていたV・ファーレン長崎の社長に就任。その後、念願のJ1昇格を果たす。スポーツも、通販も、利益だけが目的ではない。ここにも、熱い思いがこもっている。
  
 V・ファーレンの社長に就いた時、会社の経営は苦しい状況でした。ですが、“サッカーのサの字も知らない私でも、経営を立て直せるかも”“故郷・長崎への恩返しのため、何より、サッカーという子どもの夢を奪ってはいけない”と、社長を引き受けました。
 地元が活気にあふれていれば、みんなうれしいし、元気になる。特に、スポーツには、見る人を奮い立たせる力がありますから。
 長崎は戦時中、被爆した過去がある。ゆえに、長崎がどこよりも明るく、平和を訴えたい。ジャパネットが、長崎の佐世保から拠点を移さない理由も、ここにあるのです。
  
 ――若い世代へエールを送ってもらった。
  
 「一日一生」という言葉がありますよね。私の人生も、この言葉通りに歩んできました。一瞬一瞬を、がむしゃらに生きて、努力すれば、必ず報われます。
 大事なのは“今”です。さらに、今を変えれば、明日が変わる。未来は明日を変えることで変わるし、明日を変えれば1年後も、10年後も変えていくことができる。だからこそ、過去にとらわれるのではなく、今日をどう生きるかなんです。
 人は年を重ねると、夢や目標を持とうとしなくなるもの。しかし、何を始めるにも遅すぎることはない。やると決めたら、今すぐに行動することです。
 私には、“失敗の経験”がありません。しなかったわけでなく、何事にも真剣に取り組むと、失敗は失敗でなくなり、自分を鍛える肥やしや滋養になります。若い人には、そういう気持ちで、何事にも挑戦をしてほしいと思います。
 たかた・あきら 1948年、長崎県生まれ。大阪経済大学を卒業後、機械メーカー勤務を経て、74年に実家が経営するカメラ店に入社。86年、「たかた(現・ジャパネットたかた)」を創業し、社長に。2015年に社長を退任し、17年にはサッカーJ2リーグ「V・ファーレン長崎」社長に就任。1年でJ1に昇格。著書に『90秒にかけた男』(日本経済新聞出版社)、『髙田明と読む世阿弥』(日経BP社)などがある。
編集後記
 髙田さんが「ジャパネットたかた」の社長職を、長男・旭人さんに委ねたのは2015年のこと。会長に就くことを固辞し、全権を次の世代に託した。
 「不安が消えるまで継承を待っていては、一向にバトンタッチはできない。後継者が台頭し、未来への期待が心配を超えた時こそ、絶好のタイミング」。こう髙田さんは語る。
 もちろん、受け継ぐ側にも葛藤があろう。
 だが、古希(70歳)を目前に控えた髙田さんは、自身の姿で後進に勇気を送る。今なお、経営者として、故郷とスポーツ界に貢献している。
 次代を担う人材を信じ、あえて言葉ではなく、己の姿で鼓舞する。髙田さんの人生に、後継育成の要諦を見た。
 【編集】久保田健一、田中正博 【写真】菅野弘二 【レイアウト】若林伸吾

2018年5月18日 (金)

2018年5月18日(金)の聖教

2018年5月18日(金)の聖教

◆わが友に贈る

人材育成の要諦は
育てる側の成長にある。
相手の長所を見つけ
伸ばしゆく力を磨こう!
共に人間革命の実証を!

◆名字の言

  郵便ポストの前で、たたずむ少女がいた。しばらくの間、封書をおでこに当てた後、意を決したように投函した。先日、町で見たワンシーンである▼“思いが届いてほしい”と念じるような少女の姿に、ふと思った。電子メールに比べ、手紙は書き上げ、先方に配達されるまで時間がかかる。その分、「言葉」に込めた思いは熟成されて相手に届くのではないか、と▼ある壮年部員は20代の時、女性に折伏されたが、“信念と努力だけでは人生は開けない”との言葉に反発した。だがその後、壮年は大けがなどの不遇に見舞われ、意気消沈した。壮年の幸福を祈り続けてきた女性は再び言った。「あなたの信念と努力を最大に開花させ、宿命を使命に転換できるのが、この信心です」。その言葉に壮年は入会した▼後年、壮年は縁あって、その女性と結婚した。以来40年、妻は大病を重ね、今も闘っている。壮年が誓う。「あの日、君が教えてくれた言葉を、二人で必ず証明しよう」。夫妻は弘教も実らせ、広布拡大の日々を力強く歩む▼言葉は、書いたり、話したりする人の心を映す。それを読み、聞いた人が受け取るのは、相手の「心」である。言葉には、人の心を変え、人生を勝ち開く力がある。きょう5月18日は「ことばの日」。(白)

◆寸鉄

  法華経にそめられ奉れば
 必ず仏に―御書。故に学
 ぼう。剣豪の如く真剣に
      ◇
 「秋田の日」。安心と喜び
 多い郷土の建設へ前進!
 励まし対話の旋風起こせ
      ◇
 中継行事の役員の皆さま
 ありがとう!陰で光る大
 功労者。福徳は無量無辺
      ◇
 打てば響く人間になれ―
 戸田先生。速度が道開く。
 幹部は友の声に即反応を
      ◇
 熱中症に注意。室内でも
 発症。暑さに慣れぬ季節、
 水分・塩分補給等で予防

◆社説  2度目の語らいから45周年   “平和への道”開くトインビー対談


 45年前(1973年)の5月、池田先生はロンドンで、20世紀最大の歴史家といわれるトインビー博士との2度目の対談に臨んだ。前年に続き行われた語らいは、英国論、殉教の意味、人間の死、日本の未来などをテーマに進んでいった。
 その際、博士は「あなたとお話をすると、私は、啓発され、感動する。本当の問題点を論じ合える人間とこのように率直に語れることは最高に価値あること」「あなたの話は、人間の生命に関する重大なことであり、しかも観念論ではなく、すでに現実の諸問題をいかに解決しようかと肉薄する熱い心に満たされている」と、その喜びと感動を語っている。
 この訪英の直前、先生は創価大学の入学式で学生たちに呼び掛けた。「戦争兵器がもつ平和への脅威はもちろん、進歩に対する誤った信仰が、人類の死への行進を後押ししている現代であります。人類が生き延びるために、われわれはいったい、何をすればよいのか。いったい、何ができるのか」(『池田大作全集』第59巻)
 トインビー博士もまた、「二度の世界大戦に生き残り、原子兵器の発明を目にするまで生きてきて……一個の人間としては、私は自分の目に映る世界を静かに眺めていることに甘んじることはできない」(『回想録Ⅰ』オックスフォード大学出版局)とつづっている。
 科学技術の進歩の末に核兵器という悪魔的兵器を手にした人類は、果たして生き延びることができるのか。この問題意識を共有していた二人は磁石が引きつけ合うように、必然的に出会った。その経緯と対談の内容が月刊誌「潮」の連載「民衆こそ王者」の1月号から6月号までのイギリス篇で、詳細な資料をもとに浮き彫りにされている。
 2年越し計40時間に及んだ語らいの一つの結論が――人類は自らの運命を変えることができるという点であった。それを先生は宿命転換の生命哲理をもとに語り、博士は現代の挑戦を乗り越えゆく応戦の力に託した。
 人類の共生の未来を開きゆく智慧と哲学がちりばめられた二人の語らいは、1975年に日本語版が『二十一世紀への対話』として発刊され、続く英語版のタイトルは、博士自らが『生への選択(CHOOSE LIFE)』と名付けた。現在まで29言語で出版。「世界の文化の道標」「人類の教科書」と評され、「この20年で中国に最も大きな影響を与えた100冊」に選ばれるなど、世紀を超えて読み続けられている。

◆きょうの発心   自らの人間革命こそ対話の肝要2018年5月18日


御文
 言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり(三世諸仏総勘文教相廃立、563ページ・編1226ページ)
通解 言葉というのは心の思いを響かせて、声に表したものをいうのである。

 言葉、声の大切さを教えられています。
 昨年から、母を通じて知り合った方との交流が始まりました。ある日、亡くなった娘さんが、学会員だったことを知りました。
 その心痛に思いをはせ、自身の迷いや不安と向き合いながら、“その方の仏性を信じ切れる自分に”と真剣な唱題を。「娘さんの代わりに、私がこの方を入会に導く使命があるのだ」との確信が湧き、真心を込めて対話を重ねました。
 そして、“世界中のあらゆる母に感謝と尊敬を”との思いが溢れる中、4月2日に弘教が実ったのです。折伏は、相手をどう変えるかではなく、自身の人間革命が肝要であることを改めて実感しました。先日、母が長年願ってきた、私の伯母も入会。先の方と母も含め、3人とも80代です。信仰に巡り合えた歓喜の姿に触れ、母と二人三脚で折伏ができたことに感動でいっぱいです。
 千葉市特別区では、対話の喜びが波及し、拡大の渦が巻き起こっています。これからも、友の幸せを心から祈り、真心と誠実の対話に挑戦してまいります。
 千葉婦人部長(千葉市特別区) 木下真理

◆小説『新・人間革命』第30巻 誓願の章  四十五 2018年5月18日  (6375)

 

 予言者の語った二つの道の一つ目は、「圧政によって王座を固めること」であった。そうすれば、王権の継承者として、強大無比な権力が与えられ、その恩恵に安住できる。
 そして、二つ目は、民に自由を与えることであり、それは「受難の厳しい道」である。
 なぜか――予言者は、そのわけを語る。
 「あなたが贈った『自由』は、それを受け取った者たちのどす黒い、恩知らずの心となって、あなたに返ってくるからです」
 「自由を得た人間は隷属から脱却するや、過去に対する復讐をあなたに向けるでしょう。群衆を前にあなたを非難し、嘲笑の声もかまびすしく、あなたと、あなたの近しい人びとを愚弄することでしょう。
 忠実な同志だった多くの者が公然と暴言を吐き、あなたの命令に反抗することでしょう。人生の最後の日まで、あなたをこき下ろし、その名を踏みにじろうとする、周囲の野望から逃れることはできないでしょう。
 偉大な君主よ、どちらの運命を選ぶかは、あなたの自由です」
 為政者は、熟慮し、七日後に結論を出すので、待っていてほしいと告げる――。
 アイトマートフが寓話を話し終え、帰ろうとすると、ゴルバチョフは口を開いた。
 「七日間も待つ必要はありません。七分でも長すぎるくらいです。私は、もう選択してしまったのです。私は、ひとたび決めた道から外れることはありません。ただ民主主義を、ただ自由を、そして、恐ろしい過去やあらゆる独裁からの脱却を――私がめざしているのは、ただただこれだけです。国民が私をどう評価するかは国民の自由です……。
 今いる人びとの多くが理解しなくとも、私はこの道を行く覚悟です……」
 アイトマートフが山本伸一に送った、この書簡には、ペレストロイカを推進するゴルバチョフの、並々ならぬ決意があふれていた。
 保身、名聞名利を欲する人間に、本当の改革はできない。広宣流布という偉業もまた、「覚悟の人」の手によってこそ成し遂げられる。 

【先生のメッセージ】

◆〈御書と歩むⅡ――池田先生が贈る指針〉19  今日も歓喜の題目を

御文
 口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ (法華初心成仏抄、557ページ)
通解 口で妙法をお呼びすれば、私たち自身の仏性も呼ばれて必ず現れる。梵王や帝釈の仏性は呼ばれて、私たちを守ってくださる。仏や菩薩の仏性は呼ばれて喜んでくださるのである。

同志への指針

 題目の音声は、全宇宙の仏性を呼び覚ます。ひたぶるに題目を唱える人を、仏天の働きが厳然と守りに護る。
 勤行は、小宇宙である自分を、大宇宙の根本のリズムに合致させゆく崇高な儀式だ。「何があっても負けない」という、絶対的な幸福境涯を築く源泉である。
 さあ今日も、すがすがしい勤行・唱題から出発しよう!

【聖教ニュース】

◆イギリスのタプロー・コートで世界市民教育国際会議 ロンドン大学教育研究所とSGIが共催

 1902年創立の名門ロンドン大学教育研究所とイギリスSGIが共催した国際会議(タプロー・コート総合文化センターで)
1902年創立の名門ロンドン大学教育研究所とイギリスSGIが共催した国際会議(タプロー・コート総合文化センターで)

 ロンドン大学教育研究所とイギリスSGI(創価学会インタナショナル)の共催による国際会議が15、16の両日(現地時間)、ロンドン近郊のタプロー・コート総合文化センターで行われた。
 初日が世界市民教育、2日目が世界市民とSDGs(持続可能な開発目標)をテーマに開催。欧州、北米、アジアから研究者や専門家が参加した。
 主題となった「世界市民教育」は、国際社会が抱える諸問題と向き合い、その解決のために地域や国際社会で積極的に貢献する人材の育成を目指すもの。
 気候変動をはじめ国境を越えた課題が山積する現代において、平和で持続可能な未来を築く重要な方途として関心が高まっている。
 池田大作先生は、イギリスの歴史学者トインビー博士との語らい(1972年、73年)以来、識者との対談や平和提言等で、一貫して世界市民教育の重要性を訴えてきた。
 今回の会議では、主に非西洋的視点からの世界市民教育研究や、創価教育と世界市民教育の関連性、SDGs推進における世界市民教育の役割等について議論が交わされた。
 初日の開幕式では、イギリスSGIのハラップ理事長、ロンドン大学教育研究所開発教育研究センターのマッシミリアーノ・タロッチ教授があいさつ。
 続いて三つの分科会が開かれ、「世界市民と創価の遺産」の分科会では、同研究所のテツコ・ワタナベ博士が教育学の観点から池田先生の教育提言を洞察。アメリカ・デポール大学のジェイソン・グーラー博士は、創価の三代会長が提示する世界市民への視点を紹介した。
 2日目は「教育」「市民団体」「ビジネス」「青年」の各分野の代表がSDGs推進に向けた活動例を報告。今後の市民社会の取り組みについて検証した。 

◆南米ボリビア・コンセプシオン市議会から池田先生に感謝状 平和への貢献たたえ


ボリビア・コンセプシオン市のイサベル・プタレ市議会議長(左から5人目)から代理のボリビアSGI・タケノ理事長に感謝状が託された(ボリビア文化会館で)

ボリビア・コンセプシオン市のイサベル・プタレ市議会議長(左から5人目)から代理のボリビアSGI・タケノ理事長に感謝状が託された(ボリビア文化会館で)

 南米・ボリビア多民族国のコンセプシオン市議会から、池田大作先生に「感謝状」が贈られた。長年にわたる世界平和への貢献をたたえたものである。
 授与式は6日(現地時間)、サンタクルス市のボリビア文化会館で開かれたボリビアSGIの総会の席上で挙行。コンセプシオン市のイサベル・プタレ市議会議長、フアナ・エリダ・エレラ市議、ディオニシオ・アルガラニャス市議らが出席した。
 同市はボリビア第2の都市・サンタクルス市から、北東に約300キロに位置する。林業や畜産が盛んで、郊外には、景観豊かなサバンナが広がる。
 同国SGIの友はこれまで、池田先生の「良き市民たれ」との指針のもと、社会貢献の取り組みを幅広く展開。特に創価の平和思想や教育哲学について学ぶ「青年教育セミナー」には、市民から多くの共感の声が寄せられてきた。2009年には、同市最大の公立学校であるグアダルーペ高等学校でセミナーを開催。その際、同校から池田先生に感謝状が授与されている。
 当時、グアダルーペ高校に教員として勤務していたのが、今回、コンセプシオン市議会からの「感謝状」を発議したエリダ市議である。セミナーを通して、池田先生の世界平和への尽力や、人々の幸福に寄与する創価教育の哲学を知り、感銘を受けたという。以来、市議は同SGIの機関紙などを通して、仏法を基調とした平和・文化・教育運動のリーダーシップを執る池田先生への理解を深めてきた。
 市議は「創価学会の日」「創価学会母の日」である5月3日を記念して池田先生の功績をたたえたいと、「感謝状」の授与を発議。市議会での厳正な審議を経て、全会一致で決議されたのである。
 授与式では、ボリビア文化会館に集った600人の同志が見守る中、エリダ市議が池田先生への敬意を表明。感謝状がプタレ市議会議長から同SGIのタケノ理事長に託されると、参加者から万雷の拍手が送られた。
 終了後、プタレ市議会議長は語った。「自身の変革によって社会の繁栄をもたらすという人間革命の哲学は、今の社会に不可欠な思想です。この哲学を根本に、世界平和に多大な尽力をされてきた池田先生を、皆が尊敬してやまないのです」 

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆「5・3」を祝賀する創価家族の集い 2018年5月18日

ウルグアイ

                                                                                                                                       

ウルグアイ

 師との誓いを胸に、使命の天地で信頼と友情を広げる同志が世界中にいる。創価の人間主義の連帯は今や、192カ国・地域に広がり、広宣流布は「世界同時進行」だ。地球の平和を願う友の祈りは、片時も絶えることはない。ここでは15日付に続き、5・3「創価学会の日」を祝賀する各国・地域の集いの模様を紹介する。

◆〈世界広布と新入会の友〉 カナダ・バンクーバー   この喜びを伝えたい!


本年は池田先生のバンクーバー訪問から25周年。先生が訪れたスタンレーパークで友が朗らかに。先住民の文化を伝えるトーテムポールは、同地のシンボルとして親しまれる(4月28日)

本年は池田先生のバンクーバー訪問から25周年。先生が訪れたスタンレーパークで友が朗らかに。先住民の文化を伝えるトーテムポールは、同地のシンボルとして親しまれる(4月28日)

 多様な文化や価値観が共生するカナダ西海岸のバンクーバー。この街でSGIの哲学はどのように広がっているのか。新入会の友に、入会の動機や信心の喜びを聞いた。

スーザン・リウさん(2016年入会)
●新しい自分に出会えた!

 将来性の乏しい零細企業に勤務していた一昨年3月、親友に勧められ、唱題を始めました。
 消極的だった私に“自分から動くんだ”という積極性が生まれ、1カ月後、大手銀行に転職することができたのです。
 “この信心はすごい”――ずっと探していたものを見つけた気持ちでした。“よし、もっとお題目をあげよう”と思った矢先、問題にぶつかったのです。
 大きな会社で働いたことがない私は、同僚との付き合い方が分からず、いじめにあってしまったのです。毎日、監獄へ出勤している気分でした。
 親友に“もう辞める。元の会社に戻りたい”とメールすると、すぐに返信がありました。
 「逃げちゃだめ! 正面からぶつかれば解決できる。勇気を出して。必ずそばにいるから」
 自らの経験を通し、親友は付きっきりで励ましてくれました。その思いに応えたくて、どんなに疲れていても唱題は欠かしませんでした。
 すると以前、転職活動で接触したことのある別の大手銀行から、“あなたのことは覚えています。ぜひ面接に来てほしい”と連絡がありました。
 同じ面接の受験者に、何と、私の同僚もいました。彼女は私よりずっと能力が高い人です。“でも、負けない”と祈り、面接に臨みました。数日後、当初の条件より、さらに良い待遇で、採用が決まったのです。
 今、職場に行くのが楽しくて仕方ありません。同僚や上司との関係もうまく築けるようになりました。
 一昨年の10月2日に入会しました。この日は紹介者である親友の誕生日でもあります。
 入会記念勤行会で、体験発表を行いました。
 家族全員が祝福に来てくれたのですが、体験発表をすることは伝えていませんでした。
 私は緊張しやすい性格で、人前で話すなど想像もできません。家族もそう思っていました。
 その私が、約200人の参加者を前に話す姿を見て、家族は何が起きているのか信じられない様子でした。
 私自身、人前で堂々と話している自分に驚きました。信心を教えてくれた親友は、私を見て、涙をこぼしていました。
 SGIでは、相手の人生を決めつけません。誰もが“やってごらん”と言ってくれます。
 昨年の広布勤行会では司会を無事に務めることができ、そんな私の変化を見て、姉もSGIメンバーになりました。
 SGIがなかったら、今の私はありません。それに比べて、何もSGIに貢献できていなくて、申し訳ないくらい。
 今、“起きること全てに意味がある”と感じます。困難があるたびに、“新しい自分に出会えるチャンスだ!”と思えるようになりました。

サーラブ・ガンヒルさん(2016年入会)
●同志のありがたさを実感

 2016年7月にインドで入会しました。
 アメリカに本社がある旅行会社に勤めていましたが、上司にとても気になる人がいました。どんなに多忙であっても、謙虚で、爽やかな振る舞いを崩さないのです。この人から座談会に誘われ、喜んで参加しました。
 75人が出席していましたが、これほどたくさんの人が歓喜に満ちている情景を初めて見ました。幸せな感情と前向きな姿勢が、ぎっしり詰まっているかのようでした。
 職業や立場もさまざまで、温かく歓迎してくれた人たちが、企業のトップや幹部だったと後から知って驚きました。
 何より、参加者一人一人が、簡単に幸福を手にした訳ではないことに感動しました。苦難を乗り越えたからこそ、この表情があると気付き、この信心は本物だと確信しました。
 実はこの時、将来について悩んでいました。
 職場では重責を担い、それをやり遂げる自信がありました。結婚したばかりで、プライベートも充実していました。
 ですが自分の将来を考えると、漠然とした不安が拭えなかったのです。
 しかし、座談会で体験を聞き、信心で不安を打ち消せると直感。後日、入会を申し出ました。
 “この素晴らしい座談会を、ぜひ自分の家でも開催したい”――地区の先輩に相談し、家具を配置し直してスペースを確保。何とか参加者全員が入ることができました。
 座談会には感動が詰まっています。私の一番の幸せは、座談会に参加すること。そして座談会を自宅で開くことです。
 自分と一緒に悩み、祈り、共に勝ってくれる人がいる。それがSGIのコミュニティーです。
 バンクーバーに来た当初、仕事に不可欠な運転免許の更新がうまくいかずに諦めかけていた時、学会の先輩は“必ず解決できるから”と、一緒に祈り続けてくれました。
 不思議にも、同じ状況にある人の中で、私だけが無事に更新することができたのです。
 先輩は私以上に喜んでいました。誰よりも心配し、祈ってくれていた証しに違いありません。これほどありがたい人間の絆が、どこにあるでしょうか。
 本年3月、念願の御本尊を受持しました。仏壇の扉を開け、御本尊にお会いできる喜びは例えようがありません。私にとって祈りとは、“素晴らしい信心に巡り合えたこと”、そして“最高の同志に恵まれていること”を確認する時間です。
 たくさんの目標がありますが、まずはSGIのコミュニティーにもっと貢献したい。自分の振る舞いを通して周囲に良い刺激を送りたい。
 誰かのために題目をあげ、行動することで、はじめて「信心」の名に値すると思うからです。

ジャック・チョウさん(2010年入会)
●社会に実証を示す支部長

 バンクーバーの南にあるリッチモンド市で、本年2月から支部長として活動しています。
 一緒に信心を始めた妻のロレーナは、南米チリの出身。地区婦人部長を務め、今年から支部副婦人部長になりました。
 私たちがSGIメンバーになったのは2010年10月。知人から「この題目で全てを変えていける。自分も世の中も、何一つ例外はないよ」と聞き、一家で入会しました。
 当時、私たちは経済的な困難に直面していました。持ち家を手放さなければならなくなり、買い手を探していたのです。
 私は台湾出身です。新しく信仰を持つことを故郷の母に相談すると、母の態度が急変しました。その頃、台湾では、宗教に名を借りた悪質な金もうけがはやっていたようです。でも、団体の名称がSGIであることを伝えると、母は「それならいいわ」と。
 母は台湾SGIの活動を評価しており、私たちも安心して唱題に励むことができました。
 やがて、願っていた通りの金額で買い手が見つかり、初信の功徳をつかむことができたのです。
 また同時期に金銭のトラブルに巻き込まれ、裁判で争うことになりました。
 唱題するうち、“相手にも何か事情があるはず。話し合いで解決できないか”“街中で会った時に、何事もなかったようにあいさつできる関係でいたい”という気持ちが湧いてきました。
 仏法でいう“慈悲”の働きによるものでしょうか。気が付くと、私は相手のことばかりを祈っていました。
 ある日、相手のもとに相談に行き、「将来のために、平和的に解決できないか」と話しました。驚く彼に、私は率直に気持ちを伝えました。すると彼は私の意見に同意。そのまま話し合いで解決に至ったのです。
 池田先生は「『変毒為薬』の哲理である。変えられぬ宿命など断じてない」と言われています。この時、まだ池田先生のことがよく分かりませんでした。でも先生のご指導通りに祈れたのは、同志のおかげです。
 現在、世界中で親しまれている玩具会社と提携し、商品を販売しています。
 仕事上でも多くの体験があります。商品保管のため、スプリンクラー設備のある大規模な倉庫を探していた時は、条件通りの物件を近隣の知人から借りることができました。祈りの力を実感する日々です。
 来月、インド出身の友人が入会します。組織も発展し、この数年で支部内に新しく地区も誕生しました。
 師弟に生き抜いた四条金吾のように、“仏法といえばジャックだ”と言ってもらえるよう、純粋な信心を貫き通します。

◆〈ライフスタイル〉 ざんねんから見える生き物の魅力  高橋書店 山下利奈さん

 先日の「小学生がえらぶ! “こどもの本”総選挙」(ポプラ社主催)で1位に輝いた『おもしろい! 進化のふしぎ ざんねんないきもの事典』(高橋書店)。「ホッキョクグマの毛がぬけると、肌は黒い」など“衝撃の事実”が盛りだくさん。編集担当の山下利奈さんに、図鑑として異例の人気(シリーズ累計180万部)の理由と生き物たちの魅力について聞きました。

実はたまたまそうなっただけ
■なぜ“ざんねん”に注目を?
 これまで作ってきた図鑑の多くは、体の大きさや走るスピードなど生き物の“すごい”がテーマでした。そこで気付いたのが、生き物ってすごいところだけじゃない。「なんでそうなったの?」と、思わずツッコミたくなる生き物が意外と多いこと。
 キリンの首が長いことはよく知られていますが、鼻の穴に舌を突っ込むなんてみんな知らないですよね。そういう、今までの図鑑にはなかった情報って、生き物好きの子には面白いのではないか。それがきっかけでした。
 “ざんねん”というタイトルも、初めは賛否両論でした。生き物への愛情を持っているからこそ使える言葉だと思っています。
 例えば、ワニが口を開く力は おじいちゃんの握力に負ける――「凶暴と思っていたワニが、まさか!」との驚きと同時に、なんだかいとおしさが込み上げますよね(笑い)。
 なぜ、短所にも思える面があるのか――監修者である動物学者の今泉忠明さんに聞いてみたところ、カギとなるのが「進化」でした。進化というと“強くなる”というイメージを持っている人が多いと思います。私もそう思っていました。
 しかし、生き物からしてみると、長い年月をかけて環境に適応してきたら「たまたまこうなった」だけ。「自分たちがこうなりたい」と思って、今の姿に変化してきたわけではないんです。
 人間には無駄に思える能力も、生き物にとっては大昔には必要だった。あるいは何百年先に、その能力のおかげで生き残れるかもしれません。そういった進化の歴史も感じてほしいと思います。

「なぜ?」は身近なところに
■読者からはどういった声がありますか?
 
 生き物のことが好きではなかった子が興味を持つようになった、という感想はたくさんあります。親御さんからは「子どもが本の内容を話してくれる」「初めは興味を持たなかった夫が、夜こっそりと読んで笑っています」などの声も寄せられています。
 印象的だったのは、「孫娘が遊びに来ていて、何を話せばいいか分からなかった。この本をきっかけに孫との会話が生まれ、一緒に動物園にも行きました」というお手紙です。
 他にも、本物を見に動物園や水族館へ行ったり、家族で“ざんねんないきもの”クイズを出し合ったりと楽しみ方もさまざま。世代に関係なく喜んでいただいているのを実感します。
 実は、初めから大人の読者を意識したわけではないんです。当初の対象は、動物や虫取りが好きな小学校3、4年生の男の子。そのため、文章も短く分かりやすい表現に。また、イラストも含め全体的にゆるく、シュールな内容にしました。
 結果的にそうした工夫が、大人も楽しめることにつながったと思います。ある会社員の方からは「僕も頑張ります!」という声も(笑い)。生き物のざんねんな姿に癒やされている方も多いですね。

■本を通して感じてほしいことは。
 生き物たちへの関心を持つきっかけになれると、うれしいです。
 実は“ざんねんないきもの”を見つけるカギは、身近なところにあるんです。動物園や水族館、あるいはテレビで生き物を見ている時。「どうして、この生き物はこんな形なのだろう」「今の動きは何?」という疑問を大切にすることです。
 その“なぜ?”について、詳しく調べると予想外の理由があったり、進化の歴史があったりするんです。
 これまで紹介した以外にも“ざんねん”を持った生き物はたくさんいます。第3弾の『続々ざんねんないきもの事典』(5月28日発刊予定)では、微生物や植物も仲間入りする予定です。
 本を通して、生き物たちにも得意なことやすごい面もあれば、ざんねんな面もあることを知って親しみを抱いてもらえたらと思います。
 ご感想をお寄せください life@seikyo-np.jp
 【編集】山本信子 【写真】伊野光 【レイアウト】奥住雄太

◆〈信仰体験〉 ウッドバーニング(焼き絵)コンテストで入賞
 都内のギャラリーで入選作品を鑑賞する柴田さん夫妻。「支えてくれた妻に感謝は尽きません」

 
【川崎市宮前区】先月、江東区・東京ビッグサイトで開催された「第42回2018
日本ホビーショー」。場内のメインステージで、「第18回ウッドバーニングコンテスト」の表彰式が行われ、柴田憲武さん(78)=有馬支部、区主事=が、協賛社賞(ブティック社賞)を受賞した。
 ウッドバーニングとは、電気で熱した専用のペンを使い、木版を焦がして絵や模様を描く技法のこと。
 入選作品は「ハシビロコウ」。主にアフリカに生息する、全長1メートルを超える大型の鳥で、ふてぶてしいたたずまいと、めったにその場を動かないという特徴が、密かなブームを呼んでいる。
 柴田さんがウッドバーニングを始めたのは、2011年(平成23年)。がんとの闘病のさなかだった。作品には、自身が歩んだ足跡が刻まれている。
 ――06年9月、不調を感じ病院へ。検査の結果、直腸に3センチもの腫瘍が。手術による、直腸の全摘出を告げられた。
 「今こそ題目だ! 手術の大成功を祈ろう」との学会の先輩の励ましに、病と向き合う決意を固めた。
 手術は成功。ステージ2で転移は見られなかったが、全身麻酔による「術後せん妄」に陥り、たびたび幻覚症状にさいなまれる。さらに直腸を摘出したことから、腹部に人工肛門をつけての生活に。苦闘の日が続くも、つないだ腸の機能は次第に回復し、翌年の1月には人工肛門を外すことができた。
 胸をなでおろしたのもつかの間、その年の暮れ、大腸の近くにも悪性腫瘍が見つかる。医師の診断では、五分五分の確率で、人工肛門での生活になるという。
 たじろぐ自分の弱さを何度も振り払い、御本尊に祈り抜いた。”これは信心を深める好機なんだ。絶対に負けてなるものか” ”「完治」の方に必ず引き寄せてみせる!”と、腹を据えた。
 意を決して臨んだ手術。無事に腫瘍は取り除かれ、人工肛門の装着も免れた。
 だが、再発の可能性は、常に付きまとう。
 最初にがんと告知を受けた時、池田先生に決意の手紙を書いた。「お題目を送ります」との伝言に、”病魔を断ち切り、必ず師匠に勝利を報告するんだ!”と、師の励ましを思い起こしては、自らを鼓舞した。
 6年の経過の後、医師から完治を告げられる。病に打ち勝った瞬間であった。
 思えば青年部時代、「更賜」と認められた揮毫を池田先生から贈られていた。法華経寿量品にある「更賜寿命=更に寿命を賜え」。”闘病は、この揮毫の意味を、この身で知るためにあったのか”と感動で震えた。「これで同じ苦しみにある人に、心から寄り添えます」と実感する。
 この闘病中、友人の勧めで始めたのがウッドバーニングだった。自身の作品を見て喜んでくれる人の姿が励みとなった。
 昨年11月、コンテストへ向け作品作りに取り掛かる。ハシビロコウが獲物を捕るため、悠然と好機を待つ姿が、苦難と対峙してきた自身の姿に重なった。”これだ!”と膝をたたく。
 木版の焦げの濃淡のみで、絵を仕上げる地道な作業。それでも、妻・幹子さん(72)=区副婦人部長=をはじめ、支えてくれた師匠を思うと、電熱ペンを持つ手は走った。
 4カ月をかけ、作品が完成した。厳しき大自然の中で不敵に生き抜くたくましき姿。苦難にあっても、泰然と勝ち越えてきた勇士の顔(かんばせ)がそこに浮かぶ

2018年5月17日 (木)

2018年5月17日(木)の聖教

2018年5月17日(木)の聖教

◆わが友に贈る

「一日の命は三千界の
財にもすぎて候なり」
今日という一日を
最高の価値あるものに!
その原動力が信心だ!

◆名字の言
 

  サッカーのワールドカップ・ロシア大会開幕まで1カ月を切った。今回の初出場はアイスランドとパナマ。なかでも激戦の欧州予選を突破したアイスランドは大会史上、最も人口の少ない出場国である。北海道と四国を足したほどの国土面積、東京・新宿区ほどの人口の、この島国に注目が集まっている▼強化が本格的に始まったのは21世紀に入ってから。同国の連盟が打った手は、5、6歳からの育成プログラムだった。世代別の指導者を育成し、個々の能力に合わせた、こまやかな指導体制を整備。この取り組みによって若い選手が成長し、大舞台をつかんだ▼世界で花開くために、長い目で若い力を育てる――優勝候補のドイツ、フランス、スペインなどもたどった、サッカー界の勝利の方程式だ。創価の平和と教育の道も同じである。青年を“未来の指導者”と仰ぎ、心を尽くし励ました池田先生。その恩を忘れず、力を磨いた青年たちが今、各国で重責を担う▼W杯の開催国ロシアの新駐日大使は、かつて創価大学に留学したガルージン氏。11日に総本部を訪れ、“創大は第二の母校”と、創立者への感謝を繰り返し語った▼小さな苗木もやがて仰ぎ見る大木となる。その日を信じて、人材の種をまき、守り育てる努力を惜しむまい。(差)

◆寸鉄

  「友の喜び友の歎き一つ
 なり」御書。共に挑み、共
 に勝つ。団結が創価の要
      ◇
 男女青年部の「部長」よ
 頑張れ!生涯の原点築く
 時は今。拡大の黄金史を
      ◇
 他人に尽くす事で自己の
 力を量れる―作家。広布
 の人生こそ人間向上の道
      ◇
 ベルト着用で死亡事故の
 8割が助かった可能性―
 調査。全席で徹底を厳守
      ◇
 世界高血圧デー。重篤な
 疾患引き起こす因。睡眠・
 食事の見直しで生活改善

◆小説『新・人間革命』第30巻 誓願の章 四十四 2018年5月17日  (6374)
 

 保守派指導者によるクーデターは、ロシア大統領のエリツィンが打倒を呼びかけ、民主化を求める民衆がこれに続き、鎮圧された。
 解放されたゴルバチョフが、モスクワに戻ると、既に実権はエリツィンに移り、その流れは、加速していった。
 一九九一年(平成三年)八月、ゴルバチョフは共産党書記長を辞任し、党解散に踏み切る。九月には、バルト三国の独立をソ連国家評議会が承認。十二月、ロシアのエリツィンの主導で、ウクライナ、ベラルーシの三共和国が、ソ連邦に代わる独立国家共同体の創設を宣言する。この創設の協定には、十一の共和国が調印し、ソ連邦消滅が決まり、ゴルバチョフはソ連大統領を辞任する。
 ロシア革命から七十四年、東側陣営を率いてきたソ連は、歴史の大激流にのみ込まれるようにして幕を閉じた。
 ソ連の最初にして最後の大統領となったゴルバチョフは、激しい批判にさらされたが、彼の決断と行動は、ソ連、東欧に、自由と民主の新風を送り、人類史の転換点をつくった。
 ゴルバチョフの親友で、彼のペレストロイカを支援した著名な作家のチンギス・アイトマートフは、ゴルバチョフの大統領辞任直後、山本伸一に一文を送った。「ゴルバチョフに語られた寓話」と題するもので、ペレストロイカに対する、ゴルバチョフの信念を伝えるエピソードを綴ったものであった。
 アイトマートフは、ペレストロイカが実行に移され、未曾有の民主的改革として脚光を浴びていた時、ゴルバチョフに呼ばれ、クレムリンの執務室に出向いた。そこで、こんな寓話を語ったという。
 ――ある時、偉大な為政者のもとに、一人の予言者が訪れ、「民の幸福を願い、完全な自由と平等を与えようとしているというのは、本当なのか」と尋ねる。その通りであると述べる為政者に、予言者は告げる。
 「あなたには二つの道、二つの運命、二つの可能性があります。どちらを選ぶかは、あなたの自由です」   
【聖教ニュース】

◆発表開始35周年を記念 「SGI提言」中国語版(繁体字)が発刊 
香港の大手出版社・商務印書館から

発刊された中国語版(繁体字)の提言集
                               
発刊された中国語版(繁体字)の提言集




 本年は池田大作先生による1・26「SGI(創価学会インタナショナル)の日」記念提言の発表開始から35周年。この佳節に合わせ、同提言を収録した中国語版(繁体字)の書籍『生命の尊厳を守る世紀の建設へ』が、香港の大手出版社である商務印書館から発刊された。
 同社はこれまでに、エッセー集『大道を歩む――私の人生記録』『幸福抄』のほか、「日中国交正常化提言」や教育提言等をまとめた『時代精神の潮流』など、多数の池田先生の著作を出版している。
 今回、発刊された書籍には、2005年から12年までの提言8編が収められている。
 このうち08年の提言で先生は、東アジアの平和について論じ、1970年代の日中友好の実現に向けた交流の歴史や、2000年以降、地域協力を模索する議論が行われてきたことに言及。「対話こそ人間主義の“黄金律”」との信念を訴えつつ、各国が平和と共生へ粘り強く歩みを続けていくならば「不戦の制度化」は実現できると強調している。
 さらに青年交流や軍縮・環境教育の促進など、青年による国境を超えた平和への共通意識を育む重要性を述べている。
 現代の東アジアをも照らしゆく先生の平和哲学が、本書の刊行によって、中国語圏にさらに広がりゆくことになろう。 
 
【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈地域を歩く〉 長野県 岡谷市、下諏訪町   “感謝の花”が咲く5月

 婦人部の増澤さん㊧に日頃の感謝を伝える女子部の野沢さん。増澤さんは「これからも“婦女一体”で一緒に成長していきましょう」と
婦人部の増澤さん㊧に日頃の感謝を伝える女子部の野沢さん。増澤さんは「これからも“婦女一体”で一緒に成長していきましょう」と

 全国でたけなわの婦人部総会。
 「母の日」には、感謝の気持ちを花に託して伝えよう――一般的に、そう考える壮年や青年は少なくない。
 長野県は、標高の高さや一日の気温差を生かした、花の栽培が盛んな都道府県の一つである。
 今回の「地域を歩く」では、そんな長野の岡谷圏(牛澤源文圏長、増澤光代婦人部長)で“感謝の花”の話を聞いた。
 毎年、身近な“創価の母”に花を贈る女子部の友や、「母の日」の定番でもあるカーネーションの栽培を営んできた壮年部の友。花に込めた、それぞれの思いとは――。
                    ◇ 
 「創価学会母の日」を迎えた5月上旬、岡谷圏を構成する岡谷市と下諏訪町では、この佳節を寿ぐように、赤やピンク、白などのツツジが咲いていた。
 「婦人部の皆さんは、娘を育てるように、女子部のメンバーに接してくださいます」――北條香奈さん(圏女子部長)はこう語る。感謝の思いで毎年5月、お世話になっている婦人部の先輩にささやかな花を贈っているという。今年は“成長の姿で恩返しする”との決意を、花に託した。
 どんな思いで始めたのか。北條さんに尋ねると、一緒に贈呈しているという前任の野沢洋子さん(総県女子部長)を紹介してくれた。
 「2014年の『創価学会母の日』から始めたんです」と野沢さん。「広宣流布大誓堂が完成したのが、前年の13年秋でしたので、よく覚えています」

“創価の母”に贈る成長・実証の恩返し

 鳥居平やまびこ公園から諏訪湖畔に広がる岡谷市、下諏訪町の市街地を望む
鳥居平やまびこ公園から諏訪湖畔に広がる岡谷市、下諏訪町の市街地を望む

 広宣流布大誓堂の完成と、野沢さんが圏女子部長に就任したのは同じ時期だったという。
 当時、野沢さんは仕事でも学会活動でも自身の使命を果たそうと誓いを立てたが、なかなか友人に思うような対話拡大ができないでいた。
 そんな野沢さんに、婦人部の友は「題目をあげていけば絶対に大丈夫」「本物の友情が残るよ」と、信心の確信を込めて語ってくれた。
 そして、半年が過ぎた2014年の「創価学会母の日」――。
 この日、女子部のメンバーは、皆で題目をあげていた。
 「そこに、多くの婦人部の方が、一緒に友人の幸せを祈るため、応援に駆け付けてくださいました。いつもそんなふうに支えていただいて、“何かで感謝を伝えたい”との思いが芽生えたんです」(野沢さん)
 翌日、身近な婦人部の一人一人に、小さな花を手渡す野沢さんの姿があった。
 以来、毎年の「創価学会母の日」に合わせ、野沢さんたちは感謝と広布拡大への誓いを込めて、花を贈っている。
 野沢さんは14年、大叔母を入会に導いた。
 さらに本年は、3月に仕事と両立してきた創価大学通信教育部を卒業。4月には会社の同僚に弘教を実らせ、先日行われた信越総会を晴れやかに迎えた。
 そんな野沢さんを幼い頃から見守ってきた増澤光代さん(圏婦人部長)は「本当に立派になってうれしい気持ちでいっぱいです」とほほ笑む。
 婦人部の励ましで心に希望の花を咲かせた青年部メンバーは、岡谷圏に数え切れないほどいる。
 花岡梨沙さん(女子地区リーダー)は13年秋に入会した。きっかけは、その年のはじめ、脳腫瘍で母・京子さんを亡くしたことだった。
 もともと両親は学会員だった。亡くなる1年前に京子さんが倒れ、花岡さんは完治を祈って看病を続けていた。
 悲しみに沈む花岡さんを激励してくれたのが、小阪恵子さん(圏副婦人部長)をはじめとする婦人部の友だった。
 花岡さんは、折に触れて自宅を訪ねてくる小阪さんから、「いつでも相談に乗るから」と何度も声を掛けてもらった。そのたびに、元気を取り戻していく気がした。
 「母の死も、寿命を1年延ばすことができたという意味で、信心の実証と捉えられるようになりました。そして自他共の幸福を祈れるようになりました」と花岡さん。現在は、小説『新・人間革命』を学ぶ創価信濃大学校に入校。また、池田華陽会御書30編も学び、苦悩を抱える友人を励ませる自分になった。
 「小阪さんをはじめ、婦人部の皆さんのおかげで、前向きな自分になれたと感謝しています。ありがとうございます」
 それを聞いた小阪さんは「私の方が勇気をもらって感謝しているのよ」と目を潤ませた。
 カーネーションは、長野県が作付面積・出荷量ともに日本一を誇る。岡谷圏周辺は、戦後早くから栽培が始まっている。
 両親の代から栽培を続けるのは、花岡英和さん(副支部長)。
 大学卒業後に選んだのは会社勤め。ただ、心の片隅には“いずれ家業の栽培を継ぐ”との思いは抱いていた。
 会社を退職し、栽培に本格的に携わり始めたのは1995年。当時、両親のカーネーションは農協の品評会で優秀賞や組合長賞を受賞するなど、高い評価を受けていた。
 しかし、カーネーション栽培をめぐる環境は、海外の安価な品種が流通するなど、大きく変化していく。
 「両親は、苦労して品質の改良に努めてきました。大学に行かせてもらった私は、カーネーションに育てられたようなものです。だから、信心の実証としても、栽培をやめるわけにはいかないという思いでした」
 農業は天候や土壌などの条件が毎年違うため、“毎年1年生”ともいわれる。携わるようになった当初は、生花店でアルバイトをして一から花のことを学んだ。新しい販路を開拓したり、野菜苗の育成も手掛けたりするなどの挑戦も重ねた。
 現在、たくさんの種類が出回るカーネーション。その中で、花岡さんはソネットと呼ばれる特殊な品種を育てている。
 「時代の変化の中、信心のおかげで、勇気を要するいくつもの決断をしながら、今日まで栽培を続けてくることができました」――こう語る花岡さんは、これからも、カーネーションを通して信心の確信を教えてくれた両親への感謝を胸に、人生を歩んでいく。
 「右も左も分からない地区部長に、婦人部の皆さんは、地域広布とは何かを教えてくださいました」――こう語るのは、村松信幸さん(支部長)。
 信心強盛な両親のもとで育ち、学生部の時代までは学会活動に奔走していた。しかし、社会人になって、13年ほど信心から離れてしまった。
 その後、“学会の庭”に戻ってきた村松さん。2009年の年末に、地区部長に就いた。
 「そんな村松さんの姿を見て、夫は安心して亡くなりました」。村松さんが「一番お世話になった」という田中悦子さん(支部副婦人部長)は思い出す。
 夫の俊光さんは生前、村松さんと共に地域広布に歩いてきた。俊光さんは、村松さんの地区部長就任から程なく、心筋梗塞で亡くなった。
 以来、田中さんは、俊光さんの分まで、地区部長として奮闘する村松さんを全力で支えた。
 そうした中、翌10年、村松さんは本紙に掲載された“創価の母に幸福と平和の花を!”との池田先生の指針を目にする。
 “そうだ。今度の「創価学会母の日」に、日頃の感謝を込めて、花をプレゼントしよう”――こう思い立ち、カーネーションの切り花を、真心込めてラッピング。地区の婦人部の友に贈った。
 その後、村松さんは地区部長時代の5年間、毎年、花を贈り続けた。
 本紙の購読推進や地区総会、未来部の育成。地区の皆で築いた数々の思い出を振り返りながら、村松さんは言った。「大変だったけど、婦人部の皆さんに励ましていただいたおかげで、明るく楽しく頑張れたかな」
                                                                      ◇ 
 池田先生はかつて婦人部の友を花になぞらえ、「どんなに可憐な野の花も、決して、ひ弱ではない。弱いように見えて強い。風にも、雨にも負けない。同じように、『何があっても負けない!』というのが、私たちの合言葉だ」とつづって励ました。
 共に泣き、笑ってきた同志に、自身の成長と実証で応える。岡谷圏には、そんな美しい“感謝の花”が咲いていた。

◆〈信仰体験 生きるよろこび〉義足の長女と見つめた使命 
   「少年の主張 全国大会」で3位
 母「泣いて笑って、全てが宝物」 娘「私は、私の足で生きていく」


プロローグ
【群馬県太田市】分娩室に産声が響いた。女の子を出産し、森田麻依子さん(44)=沢野支部、
地区婦人部長=が安心したのは一瞬だった。目にした小さな体の右足は短く、かかとはねじれ、指は2本しかない。医師は「右足形成異常」「腓骨欠損」と説明した。
 この日、2002年(平成14年)8月1日、長女・愛美さん(15)=高校1年=の誕生日は、母が“生まれ変わる”出発の日となる。
 あれから15年――。昨年11月、中学生が自らの意見や体験を発表する「第39回 少年の主張 全国大会」の会場に、中学3年になった愛美さんがいた。約54万人の応募者から代表12人の一人に選ばれた。
 森田さんは夫・守さん(48)=県書記長(本部長兼任)=や次女・美穂さん(8)=小学3年=と見守った。「群馬県代表、森田愛美さん」「はい!」。右足に義足を着けた娘が演壇へ。主張のテーマは、「私は、私の足で生きていく」。澄んだ声が会場に響きわたった――。
 「私は花の14歳。メークにも、流行のファッションにも興味がある、青春真っただ中のいまどき女子。
 挙げればキリがないほどのやりたいことがある『今』を、精いっぱい生きている。今の言葉に噓はありませんが、実際の私は少し違っています」
 産後、森田さんは涙に暮れた。“私は母親なんだ”。そう自分に言い聞かせても、心がついてこない。娘の将来に思いをはせては、不安に沈んだ。
 「題目を唱えよう」。絞り出すような夫の言葉に、夫婦で祈った。自分を支えようとしてくれる夫の思いが伝わってくる。森田さんは守さんとの出会いを機に創価学会に入会した。「幸せになれる」。その言葉を信じたのに、心は揺らいだ。
 「使命がある子なんだよ」。多くの同志が励ましてくれた。傷つき、生きづらさが待ち構える未来に、どんな使命があるのだろう。見つけたくて、祈り続けた。
 「思い返してみても、この足のせいで挑戦できなかったことがたくさんあったように思うので、私はこの足が好きではありません。
 今思えば、障がいが私から奪ったものは足だけでなく、『勇気』だったのかもしれません」
 母の歩みにも、勇気を失った日々がある。生後2年が過ぎ、暑い季節が来ても、愛美さんの足を長い靴下で覆った。ある時、『香峯子抄』を読み、こんな生き方ではいけないと感じた。
 〈結局は「子に親の何を見せて育てるか」ということだと思います〉
 心が晴れた。障がいを引け目に感じる必要はない。“コソコソするのはやめよう。私が勇気を出すんだ”。親子で毎日のように、公園へと出掛けた。娘は義足を着けると、駆け回って木に登るほど活発に育っていった。激しい運動で義足が割れても、元気の証しと何度でも修理へ出した。
 思春期を迎えると、愛美さんの心が揺れる。義足に入り込む水を気にせず、プールに入りたい。底が厚いサンダルも履いてみたい。長い靴下で、義足を隠すようになった。
 森田さん夫妻は家庭の中で、あえて足の障がいを話題にしなかった。感傷には浸らないと決め、どんな時も変わらず明るく。そんな振る舞いが、子へと伝わっていったのか、中学生になった愛美さんは演劇部に入った。裏方志望のはずが、やがて、演じる側に。愛美さんは、達成感や表現する喜びを通して自信をつけていった。
 「舞台の上では、『義足の女の子』という呪縛から解き放たれているからだと思います。
 自信を持って表現する『勇気』は、義足によって奪われたのではなく、自分自身が義足の中にしまいこんでいたのかもしれない。そんなふうに考えるようになりました」
 小人からヤンキー役まで、愛美さんは「いろんなキャラを演じることが楽しい」とのめり込んだ。引っ込み思案な性格を思わせない演技っぷり。毎回の舞台で、娘の成長を見てきた母には、昔の自分と重なる部分があった。
 ――中学校でいじめを受け、家庭では厳しく育てられた。“環境”を嘆き、生きる意味が見いだせなかった。自分自身の存在が認められず、人知れず闇を抱えた。
 結婚後、学会活動で人に会い、励まし、励まされるように。たたえてくれる声や笑顔に囲まれない日はなかった。
そんな月日の中で、自分らしく輝く生き方を知る。2015年、地区婦人部長として、今度は地域を照らす役割を担った。
 「思うに個性とは、私が私の境遇の中で感じたことや考えたことの先に見えるものなのではないでしょうか。障がいの有無にかかわらず、自分の境遇を憂えたり、悲観したりすることは誰にでもあります。
 その中で、自分を納得させようと必死に葛藤する。その先にたどり着いたものが、かけがえのない個性として自らを輝かせるものになると思うのです」
 国語の授業で取り組んだ「少年の主張」は、右足をテーマにしようと決めた。その話を聞いた時、母は娘の強さを感じ、胸を熱くした。
 かみ締めた池田先生の言葉がある。
 〈親子の縁は不思議です。三世の生命観から見れば、どれほどの深い絆で結ばれていることか。その子どもが、自分に、そしてまた家族に、最高の生き方へと進むきっかけを与えてくれるのです〉
 森田さんは思う。
 “使命って何だろう”。その輪郭は、くっきりと浮かび上がった。
 使命は、環境から与えられるものでも、人から教えられるものでもない。もがき苦しみ、自らの手でたぐり寄せるもの。壇上で堂々と述べる娘の姿に教わった。
 「一度きりの人生なら、私はその個性を磨き、勇気をもって『私』を表現して生きていきたいのです。まだぼんやりとした形の私の『個性』。自分を輝かせてくれるそれを見つけるために、義足に足を引っ張られるわけにはいきません。
 私は、私の足で生きていく」

エピローグ
 思いを込めた一言で主張を締めくくると、会場から大きな拍手が。今までの歩みが詰まった5分間だった。表彰式に移り、国立青少年教育振興機構理事長賞の発表で、愛美さんの名前が呼ばれた。
 「人との違いが宝物になった」と語る愛美さんは、今春、高校の制服に袖を通した。自己紹介の時間では、義足のことを真っ先に伝えた。
 これまで、さまざまな出来事があった。守さんの職場が倒産してしまい、苦闘した日々も。それでも家庭の中心には、いつも、森田さんの笑顔があった。「泣いて笑って、忙しく過ぎる毎日の全てが宝物です」。何があっても、家族で一緒に成長する。

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