2017年6月22日 (木)

2017年6月22日(木)の聖教

2017年6月22日(木)の聖教

◆わが友に贈る


本陣の壮年部よ
共に男らしい戦いを!
さあ打って出よう!
勇気凛々と恐れなく
わが最高峰に挑め!

◆〈名字の言〉 〈名字の言〉 2017年6月22日

 「戦争のない時代に生まれたかったということを生き残ったらのちの人々に伝えてほしい」――沖縄戦に出陣する鉄血勤皇隊の壮行会で男子学生が語った言葉だ。学生は戦地に散り、帰ることはなかった▼その言葉を聞いた一人に、ひめゆり学徒隊の生存者・宮良ルリさんがいる。沖縄戦末期、避難先の壕で米軍のガス弾攻撃から奇跡的に助かった。戦後は、学生の言葉を胸に、ひめゆり平和祈念資料館の証言員として、凄惨な沖縄戦と命の尊さを、語り伝えてきた▼戦後70年が経過した一昨年3月、同資料館では、戦争を体験した証言員による講話を、高齢化などの理由で終了した。一方で、若い世代の「説明員」を養成し、“ひめゆりの心”を伝え続けている▼沖縄青年部はこれまで、反戦出版や展示活動を通し、平和の尊さを訴えてきた。本年は「沖縄戦の絵」の貸し出しパネルを新たに作製。現在、四つの小中学校に展示されている。展示を見たある小学生は「絵を見て、悲しくなりました。戦争はやらない方がいいです。ずっと平和がいいです」と感想を。“伝え続けることの大切さ”を改めて感じた▼あすは「沖縄慰霊の日」。逝いた人々の思いを継ぎ、平和を守るために、何ができるのか。自らに問い掛ける日としたい。(結)

◆〈寸鉄〉 2017年6月22日
 

 守勢に回らず攻めること
 が肝心なのだ―戸田先生
 強気の対話で突破口開け
      ◇
 東村山・東大和・武蔵村山
 よ常勝軍の真価を!鉄の
 団結で新たな勝利史刻め
      ◇
 町田が一瀉千里の力走。
 炎となって語りまくれ!
 東京凱歌の夜明けを断固
      ◇
 人間は間違った風説でも
 聞きなれると迷わされる
 ―魯迅。毅然と正義叫べ
      ◇
 幸福度は散歩に出るだけ
 で上昇と。勇んで外へ!
 友のためなら喜びも倍加

◆社説  広宣流布の使命に決然と  時代変革の力は「一人立つ」魂


 広布とわが人生の途上には、必ず“勝負時”がある。
 今月の座談会拝読御書「弥三郎殿御返事」にある通り、各人が「但偏に思い切るべし」(御書1451ページ)との師子王の心で、千載一遇の「天の時」を勝利の凱歌で飾っていきたい。
 かつて池田先生は、第3代会長就任直後、法華経の「而強毒之」(而も強いて之を毒す)の文を引いて講演している。
 「どんなことがあっても、御本尊様を絶対に疑わない。これが、信心の究極である」と。
 弟子が戦いを起こし、異体同心の前進で完勝の歴史を築いていく。そして、学会の永遠性を確立する――その根本の力となるのは、全宇宙の諸天・諸仏を揺り動かす大確信の祈りだ。
 本紙に連載中の小説『新・人間革命』第30巻には、先生が第3代会長辞任を余儀なくされた1979年(昭和54年)当時の歴史がつづられている。
 中でも、辞任発表の10日前に誕生した神奈川文化会館から、一閻浮提広宣流布の新航路へ船出した歩みは輝きを放つ。
 先生は、不思議な縁の希望の宝城から、世界に広がる海を見つめ、墨痕鮮やかに「正義」「共戦」と揮毫した。
 「正義」の脇書には「われ一人正義の旗持つ也」。
 「共戦」の脇書には「生涯にわたり われ広布を 不動の心にて 決意あり 真実の同志あるを 信じつつ 合掌」と。
 狂気の讒言の中、師が祈り待ったのは、自らと同じ“一人立つ精神”で正義を叫ぶ、真正の池田門下の出現であったに違いない。
 以来38星霜――。
 師子王の一念の磁石に引き寄せられるように、今、人生の師を求める世界の仏子が、連日のように、東京・信濃町の広宣流布大誓堂に集い来る。
 その求道の一人一人が口々に語る。「ここが、私の人生のスターティング・ポイントです。どんな時もセンセイと一緒に出発し、必ずコウセンルフの道を、私が開きます!」
 このすがすがしい信心、潔い決意にこそ、師弟の魂が光る。いつも師と“信心のギア”を合わせるからこそ、岩盤のような宿命の壁を破る力が涌現する。
 かつて先生は、「世界宗教へ飛翔しゆく大切な力は、まず『一人立つ』精神である。自らの仏性に目覚め、広宣流布の使命に決然と『一人立つ』勇者がいれば、新たな変革の波が起こる」とつづった。「一人正義の旗持つ」覚悟の人が新たな時代の扉を開く。

◆きょうの発心  師弟誓願の祈りで幸福境涯を開く2017年6月22日

御文
 我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし(開目抄、234ページ・編464ページ)
通解 私と私の弟子は、多くの難があろうとも、疑う心を起こさなければ、自然に仏界に至るであろう。

 いかなる難があっても疑うことなく信心を貫けば、成仏の境涯を得られると仰せです。
 女子部時代、白蓮グループとして、幾度も池田先生との出会いを刻み、信心の原点を築きました。結婚後、母の大病や父の認知症、仕事の苦境と、試練が重なりましたが、その時、支えとなったのは、師や先輩からの励ましでした。今が“まことの時”と心を定め、一歩も退かず学会活動に励み、乗り越えてきました。
 そうした中で、白ゆり長、地区婦人部長時代に折伏を成就。また「東京国際池田記念講堂」の誕生を祝賀しようと、支部の皆さまと共に広布に走り、さらに弘教が実りました。この体験を通し、いざという時に師弟誓願の祈りで信心を貫けば、生命が喜びと感謝で満ち、自他共の幸福が開けると確信できたことが私の宝です。
 私たち江戸川黎明家族は今、東京凱歌へ、いまだかつてない仏縁の拡大に挑戦し、功徳の喜びにあふれています。
 千載一遇の「天の時」! 黎明区を先頭に、江戸川の地から“感激の同志”の皆さまとスクラム固く、師恩に報いる勝利のドラマを勝ち開いてまいります。 東京・江戸川黎明区婦人部長 有賀尊子

◆小説『新・人間革命』第30巻 雄飛の章 七 (6103)
 


 絵画「チョモランマ峰」の寄贈にあたり、常書鴻・李承仙夫妻から、この絵を制作した文革直後の時代は、絵の具の品質が良くないので、末永く絵を残すために、描き直したいとの話があった。
 山本伸一は、その心遣いに恐縮した。
 新たに制作された同じ主題、同じ大きさの絵が贈られ、一九九二年(平成四年)四月、除幕式が行われた。後にこの絵は、創価学会の重宝となり、八王子の東京牧口記念会館の一階ロビーに展示され、人類に希望の光を送ろうと奮闘する、世界の創価の同志を迎えることになる。
 また、常書鴻との出会いから始まった敦煌との交流は、さらに進展し、八五年(昭和六十年)秋からは、「中国敦煌展」が東京富士美術館をはじめ、全国の五会場で順次開催されている。広く日本中に、敦煌芸術が紹介されていったのである。
 九二年(平成四年)、敦煌研究院は、伸一に「名誉研究員」の称号を贈り、さらに、九四年(同六年)には、彼を「永久顕彰」し、肖像画を莫高窟の正面入り口に掲げたのである。
   
 第五次訪中で山本伸一たち一行が、中国共産党中央委員会の華国鋒主席(国務院総理)と会見したのは、二十四日の夕刻であった。
 人民大会堂での一時間半に及ぶ語らいで、「新十カ年計画」「文化大革命」「官僚主義の問題」「新しい世代と教育」などについて話し合われた。
 主席は、伸一に、笑顔で語りかけた。
 「このたびの中国訪問は五回目と聞いております。中国の古い友人である先生のお名前は、かねてから伺っておりました。
 私のように、山本先生にお会いしたことがない人も、先生のこと、そして、創価学会のことは、よく知っています。私は、学会の記録映画も拝見しました」
 人間革命を機軸にした学会の民衆運動に、華国鋒主席も注目していたのである。社会建設の眼目は、人間自身の改革にこそある。 一   

【聖教ニュース】

◆「健康と人生――生老病死を語る」ベトナム語版が発刊 
池田先生とカナダのシマー博士、ブルジョ博士とのてい談集
生命を巡る医学と仏法の対話

 池田大作先生と、カナダ・モントリオール大学元学長のルネ・シマー博士、ギー・ブルジョ博士とのてい談集『健康と人生――生老病死を語る』のベトナム語版が、国家政治出版社から発刊された。
 シマー博士は、モントリオール大学で医学博士を取得。同大学のがん研究所所長等を歴任し、1993年から学長を務めたがん研究の第一人者である。
 一方、ブルジョ博士は、同大学で哲学修士号等を取得した後、イタリア・グレゴリアナ大学で神学博士、倫理学博士を取得。モントリオール大学の生涯教育学部長やカナダ・ユネスコ協会会長等を歴任した生命倫理の大家である。
 シマー博士と池田先生の初の会談は90年12月に東京で行われた。その後も対話を続け、計4度にわたり、「生命の起源」「分子生物学および遺伝学の進歩がもつ意味」等について語り合った。
 ブルジョ博士は94年12月、東京で池田先生と会談。「健康観の確立の意義」「仏法と健康」等について対話を重ねた。
 以後、往復書簡等を通じて結ばれた3人の語らいが2000年、てい談集として日本語で発刊され、フランス語、英語、イタリア語、中国語(繁体字)、ポルトガル語に翻訳・出版されてきた。ベトナム語版は海外6言語目の発刊となる。
 同書は、アメリカの大手書籍業界誌「フォーワード・マガジン」による03年度最優秀書籍の健康書部門で「シルバー賞」を受賞。台湾では、「2007健康良書」に選定されるなど、世界各国で大きな反響を呼んできた。
 「すばらしい価値ある人生とは何か」「幸福の条件である『健康』な人生は、どうすればつくれるのか」等のテーマで進められた対談は、がんの予防と治療に対する具体的考察から、クローン技術、尊厳死についての意見、ひいては、生死論や教育論など、21世紀を「健康の世紀」としゆく方途を模索する多角的な語らいを繰り広げている。
 本書の中で、ブルジョ博士が「どこにも病気がないのが健康である、とは断定できません。むしろ、健康とは、崩れやすい均衡状態と、その均衡状態をいつも確立しておこうとする恒常的なダイナミズムとの間の緊張状態であるといえます」と語れば、池田先生はインドの古典医学書にある、「無病」であることが人生の根本であるとの一節を紹介した上で、「無病」とは単に病気がないことではないと指摘。そして、「病気を克服するプロセスそのものが、心身を鍛え、より幅の広い“均衡状態”をつくり出していくのであり、そこに健康が輝いているのではないでしょうか」と論じている。
 「人類の健康」をテーマに、3人の卓越した知見が凝縮された一書は、発展著しいベトナムの人々にとって、“真の健康”を思索するための大いなる糧となるに違いない。

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈負けじ魂ここにあり わが生命の学園生〉1 東京校 1968~69年度 
諸君のために道を開き、
陰ながら見守っていきます。
それが、私の人生です。

獅子から育った子は皆、獅子です。創価学園から育った人材は、どんな人であっても、栄光輝く使命を担った存在なのです――第2回栄光祭で語る池田先生(1969年7月17日、東京・創価学園の第1グラウンドで)
獅子から育った子は皆、獅子です。創価学園から育った人材は、どんな人であっても、栄光輝く使命を担った存在なのです――第2回栄光祭で語る池田先生(1969年7月17日、東京・創価学園の第1グラウンドで)

 今秋、創立50周年を迎える創価学園。新企画「負けじ魂ここにあり――わが生命の学園生」では、創立者・池田先生と学園生が一体で刻んできた、誉れの歴史を紹介する。第1回は、東京・創価学園(小平市)の開校からの2年間(1968~69年度)に迫る。
 真新しい白亜の校舎が立つキャンパスに、生徒や保護者が続々と集まって来た。1968年4月8日、創価中学・高校の「第1回入学式」である。
 武蔵野の面影を残す自然豊かな天地。校舎は、たくさんの木々に囲まれている。
 「木はできるだけ切らないで残しておこう」。それが先生の意向だった。まだ細い若木も多く、伸びゆく学園の未来を象徴するかのようである。
 ――66年に建設委員会が立ち上がる以前から、先生は一人、学校の設立について熟慮してきた。
 香峯子夫人を伴って、小平の候補地を視察したのは、60年4月5日である。
 ①武蔵野の大地にある②富士が見える③近くに清らかな水の流れがある④都心から車で1時間ほどの距離にある――そうした条件を全て満たすこの地に、先生は学園を建てることを決めた。
 本年の4月5日、先生ご夫妻は学園を訪問。半世紀の時を経て、世界が仰ぎ見る“大樹”となった発展の様子を心から祝福した。
                                                                      ◇ 
 入学式当日。“学校運営は、校長や理事長らが中心”と考え、式典の出席を見合わせた先生は、終了後に学園を訪れて生徒らを激励した。
 校舎とグラウンドを結ぶ「栄光橋」の渡り初めにも。玉川上水に架かる橋の上で、先生は1期生に語った。
 「創価学園は、周囲を、彼方の山と川、武蔵野の平野と木々の緑に囲まれている。山は王者であり、川は純粋な精神である。武蔵野の平野は限りない希望を、そして、緑は潤いのある人生を表している。どうか、この栄光橋を渡る時、自分も栄光の人生を渡っているとの確信に燃え、進んでほしい」
 ここに、未来に続く学園の歴史の一ページが開かれたのである。

堅固な礎を築け

 1期生として入学したのは、高校321人、中学217人。先生は、たびたび学園に足を運んでは、生徒と交流する機会をつくった。時には一緒に卓球やテニスを行い、かき氷やおしるこを食べたこともある。
 68年12月21日には、寮の会食会に参加。寮生の質問に答えた。
 「将来、南アフリカの人権問題に関する仕事がしたいと思っています」と言ったのは、木村明彦さん(高校1期)。「そのためには、法律、農業、経済など、どういった分野を学ぶべきでしょうか」と尋ねた。
 「今は語学を勉強しなさい」。先生の答えは明快だった。
 「何事も順序があります。東京駅の次は、有楽町駅でしょう。そのように目的地に向かうには、次の駅、また、その次の駅と順序があります」
 そう言うと、突然、英語で問い掛けた。「Can you speak English?(英語は話せる?)」
 思わず口ごもる木村さん。「No, I......」
 理想に燃える学園生に、先生は土台の重要性を訴えた。
 “語学は基礎です。大きな建物を造るには、地中を深く掘り、堅い堅い礎を築かなくてはいけない。それがあれば、どんなに高い建物でも建てられる。その土台をつくるのが、今の若い時代なのです”
 そうだ! 自身の礎はもちろん、学園の礎を築くためにも学び抜こう!
 1期生は奮い立った。
 卒業後、木村さんは創価大学の経済学部を経て商社に。後に独立し、広告会社を設立。社名を、スワヒリ語で「ありがとう」を意味する「アサンテ」とした。
 「直接、アフリカに携わる仕事はできていませんが」と苦笑するが、胸中には“誓いの一場面”が今も消えることなく輝いている。

父親の代わりに

 「学園生は、わが子以上に大事である」。それが先生の心である。
 69年4月8日の第2回入学式。会場に一人、浮かない表情で参加している学園生がいた。
 奄美大島から上京した新納一彦さん(高校2期)。学園の合格発表の日、交通事故で父を亡くしていたのだ。
 それを聞いた先生は新納さんを呼び寄せ、優しく包み込んだ。
 「私を父親だと思って、困ったことがあったら何でも言いなさい。悲しいかもしれないが、この学園でうんと勉強して立派になるんだ。それが親孝行だよ」
 その後も、学園に行くたびに、新納さんをはじめ家族を亡くした生徒を励まし続けた。
 「親というのは、いつかは亡くなるものなんだ。誰もがそうした悲しみを乗り越えていく。君たちは、他の人よりもその山を一つ先んじて越えているんだよ」
 「深い悲しみにあった人ほど、偉大な指導者になれるのです」
 新納さんは振り返る。
 「初めは、ふさぎ込んで、トイレで一人、泣いたこともありました。でも、先生の激励を思い出して頑張りました。支えてくれた学友たちと切磋琢磨した学園時代は、一生の宝です。送り出してくれた両親に感謝は尽きません」
 現在は、地元・奄美に戻り、船会社に勤務。悩んでいる人、困っている人の力になりたいと、地域に励ましの輪を広げている。

21世紀に会おう

 地方出身の生徒たちのために、夏休み前に何か思い出をつくってあげたい――。
 先生の提案で始まった“夏祭り”。それは「栄光祭」と命名された。
 「みんなと一緒に見てもいいかな」。その第2回が行われた69年7月17日、先生はグラウンドに到着すると、真っすぐに生徒席へ。近くにいた学園生に声を掛け、名前や出身地などを聞いて激励した。
 舞台では、学園生による民謡大会や、パントマイム、創作劇などが披露された。その一つ一つに誰よりも早く拍手を送る先生。皆で学園寮歌「草木は萌ゆる」を歌い終えると、学園生たちに呼び掛けた。
 「21世紀の初めには、この1期生、2期生から、社長や重役、ジャーナリスト、あるいは、科学者、芸術家、医師など、あらゆる世界で、立派に活躍する人がたくさん出ていると、私は信じます」
 「その21世紀に入った2001年の7月17日に、ここにいる先生方と、1000人の先駆の創価学園生全員が、集い合おうではないか」
 「私も、2001年を楽しみにして、諸君のために道を開き、陰ながら諸君を見守っていきます。それが、私の最大の喜びであるし、私の人生です」
 先生は終了後もグラウンドに残り、退場する学園生を、手を振って見送った。
 “2001年7月17日、成長した姿で創立者のもとへ”――この思いは、後に続く多くの学園生たちにとっても、大きな指標となっていく。
ご感想をお寄せください news-kikaku@seikyo-np.jp

◆〈座談会 栄光の峰をめざして〉40 反転攻勢へ「攻めの
 対話」を 学会精神とは「師子王の心」
 公明党 教育負担の軽減を実現
 
“功徳と正義を示せ! ここから火の手を上げよ”――東京・調布総区の同志が“常勝の錦州城”構築へ不屈の闘魂をたぎらせて(5月、調布文化会館で)
“功徳と正義を示せ! ここから火の手を上げよ”――東京・調布総区の同志が“常勝の錦州城”構築へ不屈の闘魂をたぎらせて(5月、調布文化会館で)

 原田 日本のため、世界のため、未来のために――全世界の「感激の同志」が「異体同心」の心で、「創価の凱歌」へ師子奮迅の闘争を続けてくださっています。心より感謝を申し上げます。本当にありがとうございます。
 永石 日蓮大聖人は、東京の門下・池上兄弟にこう仰せになられました。
 「信心強盛に歯をくいしばって難に耐え、たゆむ心があってはならない。例えば、日蓮が平左衛門尉の所で、堂々と振る舞い、言い切ったように、少しも畏れる心があってはならない」(御書1084ページ、通解)
 原田 御聖訓の通り、堂々と正義の信念を叫び切る「師子王の心」こそ、創価三代の師弟に貫かれた学会精神です。全てにおいて、「仏法は勝負」です。私たちは全同志の皆さまが、すがすがしい大功徳と喜びに包まれゆくよう、真剣に祈り、「師子王の心」で勝ち抜いてまいりたい。
 志賀 「彼等は野干のほう(吼)るなり日蓮が一門は師子の吼るなり」(同1190ページ)との仰せのまま、青年部が先頭に立ち、反転攻勢の「攻めの対話」を勢いよく繰り広げていきます。

信頼広げる団地部

 原田 6月25日は「団地部の日」です。“最も理想的な人間の協調の社会をつくり上げる主体者に”――この先生の期待を胸に、団地部の皆さまは、誠実な行動で信頼を広げてくださっています。
 永石 地域・近隣の繁栄と幸福のために尽くされる日頃の振る舞いが、今、大きく花開いています。団地の役員などの立場で真剣に活躍されている方も大勢いらっしゃいます。その姿には、「自他共の幸福」の精神が脈打っています。
 原田 先生はこう教えてくださっています。「人の心を動かし、とらえるものは、策でもなければ、技術でもない。ただ誠実と熱意によるのである。いかなる人も、広宣流布の味方に変えてみせる!――この烈々たる祈りと勇気と勢いで、栄光の歴史を開くのだ」と。私たちはどこまでも、「誠実と熱意」で新たな未来を開いていきたい。

都議選あす「告示」

 志賀 いよいよ明日、東京都議選(7月2日投票)の告示を迎えます。公明党は21選挙区で予定候補23人の全員当選に総力を挙げています。
 宮尾 今回の都議選は、小池都知事の「都政改革」の是非を問う選挙です。改革を前に進めるには、知事と議会が「車の両輪」となる必要があります。知事を支え、時には政策を競い合い、安定した都政運営を担うことができる政党・政治家を選ぶのが、今回の選挙といえます。
 
 伊藤 その小池都知事が「都政の頭脳」として強い期待を寄せているのが都議会公明党ですね。確かな経験と抜群の実績が光っています。公明党こそ「東京改革」の要、原動力です。
 永石 公明党のホームページ「都議選2017特設サイト」では、「3つの挑戦」の実績や「重点政策」、また各予定候補の最新情報や動画等が、分かりやすく掲載されていますね。
 伊藤 告示から投票日の前日まで、有権者はネットを通じて投票依頼ができます。たとえば、LINEなどのSNSで、政策や実績の情報発信、また候補者への投票を依頼することも可能になります。ただしメールを使った選挙運動はできません。政党と候補者に限定されています。
 永石 公明党の「重点政策」でポイントになっているのが、子どもたちの未来を開く教育への支援ですね。「幼児教育無償化の完全実施」「小・中学校給食の無償化」などに大きな期待が寄せられています。
 宮尾 公明党が既に実現した「私立高校授業料の実質無償化」も、さらなる対象の拡充を目指しています。待機児童の解消についても、受け皿整備や保育人材の育成に一段と力を注いでいます。

反対しても実績?

 志賀 一方で、「私立高校授業料の実質無償化」をはじめ、公明党の実績を臆面もなく「横取り」しているのが共産党です。
 宮尾 共産党は「この4年間で5万人分の認可保育所を増やした」と喧伝していますが、これも全くの大ウソです。共産党は、この4年間、認可保育所を増やすための財源を含んだ予算に全て反対してきました。
 志賀 近年、新たにできた認可保育所の多くが、企業参入による私立です。これは公明党が推進してきました。ところが、それを可能にする法律や予算に、国、都、市や区でも真っ向から反対してきたのが共産党です。
 宮尾 東京・豊島区の高野之夫区長も、「企業参入に反対し、“区直営の認可保育園しかだめ”と主張する共産党の言う通りにやっていたら、待機児童ゼロは実現できなかった」と明言しています。
 志賀 それにもかかわらず、反対し、批判してきた政策が実現すると、手のひらを返したように“実現した”と、まるで自分たちの手柄のごとく喧伝するのが共産党の手口です。
 宮尾 「実績横取り」「反対だけが実績」に加え、「反対しても実績」という卑劣なやり方に各地から怒りの声が上がっています。
 志賀 政治評論家の森田実氏は、「共産党は、政治的のみならず道徳的に見ても低劣な独善的政党」と指摘しています。
 宮尾 翻って、森田氏は公明党に対して、「倫理を遵守して地道に政治活動を展開されている」「こうした道徳的な政治家によって、平和な社会が構築されていくことを心から期待しています」と高く評価しています。
 原田 「都政改革の成否のカギは、公明党が握っている」(東北大学大学院・河村和徳准教授)、「都政改革を、真に都民第一の方向へと形づけていける都議会公明党」(淑徳大学・結城康博教授)等の期待を胸に、公明党は都民のため、改革の先頭を走ってもらいたい。

◆〈信仰体験〉 きょう6月22日は「奄美の日」 保育園の“若き園長”として奮闘


 【鹿児島県奄美市】きょう6月22日は「奄美の日」。54年前のこの日、池田先生が出席し、奄美総支部の結成大会が開催された。席上、初代総支部長の任命を受けた故・
 

2017年6月21日 (水)

2017年6月21日(水)の聖教

2017年6月21日(水)の聖教

◆わが友に贈る

広布に生きる人生は
毎日が新しい出発なり。
前進だ! 挑戦だ!
「今」この瞬間から
みずみずしい決意で!

◆〈名字の言〉2017年6月21日
 

   ペンを「唇」でくわえると口がすぼむ。だが「歯」でくわえると口角が上がり、笑顔になる――。ドイツの心理学者ストラックは、この二つの条件のもと、いろいろな漫画を見せる実験を行った。その結果、被験者は笑顔を“つくった”場合の方が面白く感じると答えた▼これは、顔の筋肉運動が感情を左右する「顔面フィードバック仮説」と呼ばれるもの。「うれしいから笑顔になる」のは分かるが、その一方、人には「笑顔になるからうれしくなる」という心身の仕組みが備わっている▼さらには、顔に限らず、骨格筋の収縮によって気持ちが変化するという。医学博士の三村芳和氏は、「骨格筋はキモチより上位にある」「背筋をのばし、前を向いて堂々とするから自信をもって文字どおり前向きになれる」と指摘する(『カラダの知恵』中公新書)▼さまざま思い悩むより、行動すれば心は軽くなる――広布の活動の中で実感している人も多いだろう。使命の天地を歩き、対話を重ねる。誠実な振る舞いで、周囲を味方に変えていく。動いた後は、何ともいえない爽快感に包まれる。学会活動はそれ自体が“幸福を生み出す活動”なのだ▼地域のために勇んで動けば、生命も生き生きと躍動する。さあ、きょうも、広布の最前線へ!(速)

◆〈寸鉄〉 2017年6月21日
 

 「湿れる木より火を出し」
 御書。これが我らの祈り。
 大確信で不可能を可能に
      ◇
 東京・目黒が総反撃。大胆
 に攻め入り正義を語り抜
 け!勇将よ堂々の勝鬨を
      ◇
 品川が猛追!真剣さと勢
 いで勝れ。言論の剣鋭く。
 皆で誉れの大勝旗掲げよ
      ◇
 熊本の被災企業の46%、
 備蓄が役立ったと。日頃
 の備えを点検。油断なく
      ◇
 私立高授業料の無償化で
 都内約5万人が恩恵と。
 公明の実績に喜び広がる

◆社説  身近な人の励ましが力に   「絶対的幸福の軌道」を共々に歩む


 きょう6月21日は「がん支えあいの日」。国民の2人に1人が、がんにかかる時代になり、1981年(昭和56年)以降、死因の第1位を占める。また、自宅で死亡するよりも、病院でみとられるケースの方が多くなり、身内が間近で闘病する姿を見る人が減っているという。
 東京女子医科大学・がんセンター長の林和彦氏は自身の経験を通し、「私たち病院のスタッフの力よりも、患者さんのご家族や仲間が支えてくれる力のほうが、はるかに大きいことがある」と(『「がん」になるってどんなこと?』セブン&アイ出版)。がん闘病において、身近に寄り添い、支える人の存在が、いかに心強く、大切であるかを指摘しているのだ。
 大阪・堺市のある夫妻は、7年前、夫が突然、脳出血で倒れた。一命は取り留めたものの、高次脳機能障害と診断。左半身にまひが残った。夫が退院し、自宅での介護が始まってすぐ、今度は妻が乳がんのステージ3と診断される。不安に押しつぶされそうになった。
 しかし、婦人部の先輩が「信心根本で家族が団結し、祈っていけば必ず乗り越えられる」と励まし、陰に陽に支えてくれた。子どもたちも、一緒に祈ってくれた。妻は“絶対に負けたらあかん!”と決意した。
 御書や池田先生の指導を読み返しては希望を湧かせ、迎えた手術当日。家族や同志の題目に包まれて全てが無事成功。その後、転移も再発もない。夫も、懸命なリハビリの末、2年前に職場復帰を果たす。
 元気になった夫妻は「今まで“当たり前”と感じていたことが、かけがえのない『宝』だったのだと気付きました」と、心の底から感謝し、地域の同志と共に広布に駆ける。
 池田先生は、「私たちは、生老病死という人生の根本課題を、一つ一つ打開し、『変毒為薬』して、『常楽我浄』の香風を広げながら、縁する人々と一緒に、絶対的幸福の軌道を悠々と進んでいける」と語っている。
 どんな病にも果敢に挑み、やがて健康だけでなく、“本当の幸せ”をもつかみ取っていく。また、大切な家族や友を“失ってなるものか”と懸命に祈り、励ます中で成長し、時に自らも目覚め、自然と幸福の大道を歩んでいることに気付く――。そこに、創価の仏法運動の偉大さがあり、万人が納得する希望と幸福の哲学たるゆえんがある。
 友の悩みに耳を傾け、励ましの風を送り、幸の連帯をさらに大きく広げていきたい。

◆きょうの発心    覚悟の信心で全てを乗り越える2017年6月21日

御文
 但生涯本より思い切て候今に飜返ること無く其の上又遺恨無し諸の悪人は又善知識なり(富木殿御返事、962ページ・編477ページ)
通解 ただ私の生涯は、もとより覚悟のうえである。(佐渡へ流罪になった)今になって翻ることもないし、そのうえまた恨みもない。(迫害した)もろもろの悪人はまた善知識である。

 日蓮大聖人の不惜身命の御精神をとどめられた御文です。1959年(昭和34年)に一家4人で入会。当時、父は失業中でしたが、すぐに再就職が決まり、初信の功徳をいただきました。その後、独立した事業を私が継承しています。両親の姿を通して信心の偉大さを学びました。
 男子部時代は創価班として訓練を受けました。78年11月14日、着任していた時に、姫路を訪問された池田先生と記念撮影をしていただいたことが自身の原点です。
 壮年部に進出した後、不況の影響を受け、事業が不振に。家庭の問題も重なり、つらい思いをしましたが、先輩の激励に「今こそ覚悟の信心で挑む時」と決意。この御文を胸に妻と共に祈り抜き、全てを乗り越えることができました。
 3年前には創業以来、最高の売り上げを達成。2人の娘も創価大学を卒業し、現在、婦人部として使命の道を歩んでいます。
 師弟有縁の姫路の本陣・姫路光城県から拡大の波を起こし、難攻不落の人材城を築くとともに、師弟の凱歌を轟かせてまいります。  兵庫・姫路光城県副総合長 中尾幸弘

◆小説『新・人間革命』第30巻 雄飛の章(6102)

 


 一九九〇年(平成二年)十一月、静岡県にあった富士美術館で、常書鴻の絵画展が開催された。
 そのなかに、ひときわ目を引く作品があった。特別出品されていた「チョモランマ峰(科学技術の最高峰の同志に捧ぐ)」と題する、縦三メートル余、横五メートル余の大絵画である。チョモランマとは、世界最高峰のエベレストをさす土地の言葉で、「大地の母なる女神」の意味であるという。
 ――天をつくように、巍々堂々たる白雪の山がそびえる。その神々しいまでの頂をめざす人たちの姿もある。
 絵は、常書鴻が夫人の李承仙と共に描いた不朽の名作である。文化大革命の直後、満足に絵の具もない最も困難な時期に、「今は苦しいけれども、二人で文化の世界の最高峰をめざそう」と誓い、制作したものだ。
 山本伸一は、絵画展のために来日した夫妻と語り合った。常書鴻との会談は、これが六回目であった。彼は、この労苦の結晶ともいうべき超大作を、伸一に贈りたいと語った。あまりにも貴重な“魂の絵”である。伸一は、「お気持ちだけで……」と辞退した。
 しかし、常書鴻は「この絵にふさわしい方は、山本先生をおいてほかに断じていないと、私は信じます」と言明し、言葉をついだ。
 「私たちは、文革の渦中で、口には言い表せないほどの仕打ちを受けました。人生は暗闇に閉ざされ、ひとすじの光も差していませんでした。しかし、この絵を描くことで、権力にも縛られることのない希望の翼が、大空に広がっていきました。絵が完成すると、新たな希望が蘇っていました。
 山本先生はこれまで、多くの人びとに『希望』を与えてこられた方です。ですから、この絵は、先生にお贈りすることが、最もふさわしいと思うのです」
 過分な言葉であるが、この夫妻の真心に応えるべきではないかと伸一は思った。人類に希望の光を注がんとする全同志を代表して、謹んで受けることになったのである。  一   

【聖教ニュース】

◆世界で6・10「婦人部の日」を祝賀
   
フィリピン婦人部は国内4会場で記念の集いを開催。フィリピン文化会館では、サンパギータ合唱団とマブハイ合唱団の歌声などが彩りを添えた(10日)
フィリピン婦人部は国内4会場で記念の集いを開催。フィリピン文化会館では、サンパギータ合唱団とマブハイ合唱団の歌声などが彩りを添えた(10日)

 6・10「婦人部の日」を祝賀するSGI(創価学会インタナショナル)の集いが今月、世界各地で開かれた。
 池田大作先生は本年4月、随筆につづった。「誰かではない、自分である。まず自分が戦いを起こす。自分が壁を破るのだ。『一は万が母』(御書498ページ)である。自身の祈りと智慧、闘魂、行動からこそ、広布の万波が生まれる」と。
 この呼び掛けに呼応し、地涌の使命に燃える創価の女性が、広布拡大の波動を幾重にも広げている。
 フィリピンSGIのコン婦人部長は、先月の就任時に“リーダー率先”の拡大を決意し、誠実と執念の対話を。このほど、友人夫妻に弘教が実った。
 ケソン市のフィリピン文化会館での集い(10日)で、その喜びを報告したコン婦人部長は「“婦女一体”で、さらなる幸福の連帯を広げましょう」と力を込めた。
 また、ベルギーSGIの婦人部・女子部の合同総会(11日、首都ブリュッセルのベルギー文化会館)では、婦人部のファビアナ・ルゥッド・ミュザンさんの体験発表に感動が広がった。
 自身の病、父との不仲など、紛然と競い起こる苦悩に押しつぶされそうに。しかし、“今こそ宿命転換の時!”と題目根本に挑むと、全てが好転していった。信心の確信を深めたミュザンさんは「今度は私が、悩んでいる人を支える側に」と、励ましの対話に走る歓喜と誇りを述べた。
 今、世界中で、“太陽の婦人部”が、正義と慈愛の光彩で、地域と社会を明るく照らしている。

【先生のメッセージ】

◆「御書と歩む69 池田先生が贈る指針」「創価の女性は幸の太陽」

御文  妙の文字は月なり日なり星なりかがみなり衣なり食なり花なり大地なり大海なり、一切の功徳を合せて妙の文字とならせ給う、又は如意宝珠のたまなり (妙心尼御前御返事 1484ページ)
通解 「妙」の文字 は、月である。太陽である。星である。鏡である。衣服である。 食物である。花である。大地である。大海である。一切の功徳を合わせて「妙」の文字となられたのである。 または湖意宝珠意のままに何でも取り出すことができる宝の珠である。

同志への指針

 夫に先立たれ、幼子を抱えて毅然と信仰を貫く母への 御聖訓である。妙法は、どんな闇も晴(は)らす希望の光源だ。
 自行化他の題目を唱え


【特集記事・教学・信仰体験など】

◆「炎の東京大会」60年 師弟凱歌の旭日を昇らせよ
 
世界広布の本陣・東京。はるかには、富士の雄姿が映える。さあ、“感激の同志”のスクラムで、師弟凱歌を轟かせよう
世界広布の本陣・東京。はるかには、富士の雄姿が映える。さあ、“感激の同志”のスクラムで、師弟凱歌を轟かせよう

 歴史をひもとく時、しばしば民衆勢力を排除しようとする権力の抑圧がある。立正安国へ進んできた創価学会にもまた、幾多の迫害があった。60年前の1957年(昭和32年)7月、権力の魔性が学会に牙を剝いた「大阪事件」。弾圧を堂々と勝ち越えた一つの大きな転機が「炎の東京大会」である。
 降りしきる雨をものともせず、東京、埼玉、神奈川、千葉などから、続々と同志が詰め掛けていた。
 1957年(昭和32年)7月12日の夜、東京・台東区の蔵前の国技館は、2万人の学会員で埋め尽くされた。会場の外にも、傘を差した2万人の友が、怒りに震えていた。
 この日は当初、戸田先生の一般講義が行われる予定だった。それが中止となり、急きょ、「東京大会」が開催されたのである。
 同年7月3日、池田先生が3カ月前の参院選(大阪地方区の補欠選挙)に関する事実無根の容疑で、不当逮捕された。
 戦後、躍進した「創価学会」という民衆勢力の台頭を恐れた、権力による卑劣な迫害であった。
 これを徹底的に糾弾し、学会の正義を宣言したのが、「東京大会」である。
 戸田先生は大会の席上、質問会を行った。
 理解と納得が、前進の力を生む。疑問やしこりを抱えたままでは、空転に陥るからだ。
 学会本部の対応が手ぬるいと訴える友もいた。今後、どう対策を取るのかを尋ねる人もいた。
 一つ一つの質問に、戸田先生は明快に答えつつ、烈々と宣言した。
 「会長になった時から、この体は捨てるつもりでいるんだから何も怖くない」
 「おめおめと、負けてたまるものか!」
 恩師の師子吼に、同志は呼応した。破邪顕正の炎は、ここ東京から、全国へと一気に広がっていったのである。
 塚原孝雄さん(東京・荒川総区、副支部長)は、雨の中、場外の整理役員に就いていた。
 「集ってくる方々の表情が、怒りに満ちていたことを覚えています」
 場外にいた友は、館内の話を聞くことはできなかった。それでも、その場から離れようとしない。
 大会が終わると、場外の友は、会場から出てくる参加者に、誰彼かまわず声を掛け、内容を聞いて回っていた。同志のいちずな姿勢に、塚原さんの心は“断じて魔に負けてなるものか”と奮い立った。
 その後、池田先生が荒川で指揮を執った57年8月の「夏季ブロック指導」で、自身も弘教を実らせたことは、黄金の思い出だ。
 83歳の今も、広布の情熱を燃え上がらせ、意気揚々と対話に歩く。
 「荒川の底力を発揮し、新たな『荒川凱歌の歴史』を築きます」と力を込めた。
 末広良安さん(東京・北総区、区主事)は、録音係を務めた。
 53年(同28年)の入会。先輩から「池田室長(当時)は、すごい人だ」と何度も聞いてきた。
 その室長が無実の罪で投獄された。「館内には“絶対に池田室長を取り返すんだ”との怒りが充満していました」
 戸田先生の叫びに、末広さんの胸は震えた。その響きに、おごり高ぶった権力への激しい怒りと同時に、どこまでも弟子を思う深い慈愛を感じたからだ。
 「“同志を守り、師に応えゆく弟子に成長していこう”と決意しました」
 「東京大会」の感動を胸に、末広さんは北区を駆けてきた。広布の“北極星”と輝く天地に、「喜び多き万歳を」と誓う。
 ――「東京大会」終了後、戸田先生は大阪地検へ乗り込んだ。同行した友に体を支えられながら、地検の階段を上がる。そして、検事正に会うや、猛然と抗議した。
 「私の逮捕が狙いなら、今すぐ私を逮捕しなさい」
 一方で、池田先生への取り調べは過酷を極めていた。検事は、「罪を認めなければ、学会本部を手入れし、戸田会長を逮捕する」と恫喝した。
 恩師の身を案じ、呻吟の果てに、池田先生は裁判で真実を証明することを決断。逮捕から4年半の時を経て、「無罪」判決が出された。
 衰弱する体を押して、師は弟子を守ろうとした。
 弟子は師匠のために身を賭して戦い抜き、「勝利」によって、学会の正義を満天下に示したのである。
                                                                           ◆◇◆ 
 東京上野平和講堂に、「東京大会」を顕彰する碑がある。池田先生は、碑文につづっている。
 「万年の創価の勝利を決せんは 本陣・東京の責務なり」
 「師弟凱歌の旭日を元初の朝に示さんは 本陣・東京の使命なり」
 これこそ、「世界広布の本陣・東京」の永遠不滅の魂である。

大会に参加して 台東区婦人部主事 湯川藤江さん

●勝負決した正義の師子吼

 「東京大会」の当時、私は入会3年の女子部員。その頃、池田先生が戸田先生から薫陶を受けた“戸田大学”の講義を、共に受けさせていただく機会がありました。
 戸田先生の真正面に池田先生。お二人が話し始めると空気が一変します。私たちは邪魔にならないよう心掛けました。
 池田先生は姿勢を正され、メモは取られず、「ハイッ! ハイッ!」と、戸田先生をじっと見て返事される。“師匠の全てを吸収するぞ”という気迫がみなぎっていました。
 空気がビリビリして、咳を必死にこらえたのを覚えています。師弟の峻厳さを目の当たりにした思いがしました。
 池田先生が逮捕されたと聞いて、“早く出てきてください”と祈りに祈りました。誰の目から見ても無実は明らかなんですから。先生に万が一でも何かあったら、これからどうなってしまうのか……。
 先生の逮捕が学会にとって一番の痛手になる。だから狙われていたのだと思います。戸田先生は弁護士に憤慨しておられました。
 “即刻出せ! そうじゃないと大の体はダメになる”。尋常な怒りではありません。親以上の心です。
 「東京大会」の前日、“蔵前の国技館に集まれ”と連絡が。電話も少なく、隣の隣の家から呼び出してもらうような時代です。電報での連絡も多かった。
 7月12日は、午後から雨が降り続いていました。浅草橋駅から会場の国技館まで、水たまりがいっぱい。
 その日まで、私は国技館を見たことがありませんでした。周囲にテレビはなく、相撲はラジオでしたから。人だかりを追ううちに会場に着きました。
 交差点を曲がると、歓声が「ワーッ!」。国技館が揺れているようでした。
 戸田先生は体調を崩されていましたが、この日はとてもお元気でした。
 壇上で“(池田先生を)早く出せ!”と一喝。戸田先生の正義の師子吼によって、勝負が決したのだと思います。
 「そうだー!」「行くぞー!」と、会場の参加者の気迫もすさまじかった。全員で大阪に乗り込むような勢いでした。
 17日に池田先生は釈放されますが、裁判はずっと続きます。大阪への移動は夜行列車の時もありました。全ての行事を終えてから、先生は列車に乗られる。
 でも先生はいつも、朗らかなんです。「これから大阪に行くんだよ」って。
 時間がたてばたつほど、あの時の思い出は深く、重みを感じます。

◆〈信仰体験〉 地域に尽くして20年

 【東京都町田市】「あら、吉村さん! ここにも来てるの!?」
 吉村八重子さん(68)=池田支部、婦人部副本部長=は、神出鬼没。町内会の盆踊りや老人会のカラオケ
 

2017年6月20日 (火)

2017年6月20日(火)の聖教

2017年6月20日(火)の聖教

◆わが友に贈る

「がうじゃうにはがみを
してたゆむ心なかれ」
いかなる難も恐れるな!
破邪顕正の宝剣で
悪意のデマを断ち切れ!

◆〈名字の言〉 2017年6月20日

 明後年に没後500年を迎える画家レオナルド・ダ・ヴィンチは、“目に見えないもの”を描く天才でもあった。例えば戦争画では、兵士の「心の内面」をどう表現するかにこだわった▼勝者を描く際は、「砂埃りのため両眼から流れ出た涙とまざって泥だらけになった頰や眼を両手でぬぐい」「身をかがめて、これ(敵)に止めの一撃を与えようと力をふるって」「頭髪その他の軽いものを風に吹き靡かせながら疾駆する」様子を表現すべき、などと事細かくメモしている▼「心の情熱を表現する動作が人物にあらわれないかぎり、その人物画は賞讃に値しない」(杉浦明平訳『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記(上)』岩波文庫)。こうした彼の信念がうかがえる傑作と出あえるのが、全国巡回中の「レオナルド・ダ・ヴィンチと『アンギアーリの戦い』展」だ▼一口に「勝利」と言っても、それをつかみ取るまでに、人それぞれ、言い尽くせない思いがある。勝利を目指し、脇目も振らず全身全霊で進む人の心の奥底に、巨匠は至高の美を見いだしたのだろう▼上半期の総仕上げへ、各地の友が今、真心を込め、勇気を奮って、広布拡大に挑戦している。その心は目に見えずとも、名画のごとく、まばゆい輝きを放っている。(鉄)

◆〈寸鉄〉 2017年6月20日

 SGIは協調的な世界へ
 地球規模で対話を展開―
 識者。自身が全権大使と
      ◇
 東京・北が猛追。燃え立つ
 民衆パワーで攻め捲れ!
 歴史開く大金星をつかめ
      ◇
 豊島よ不屈の魂で進め!
 執念の拡大で追い上げよ
 ついには感激の凱旋劇を
      ◇
 大勇猛心で進む人が大功
 徳を受ける―戸田先生。
 大闘争に喜び勇んで進め
      ◇
 世界難民の日。教育確保
 が根本的解決の鍵。誰も
 置き去りにしない社会へ

◆小説『新・人間革命』第30巻 雄飛の章 五(6101)
 


 常書鴻が敦煌の莫高窟で暮らし始めたころ、そこは、まさに“陸の孤島”であった。
 周囲は砂漠であり、生活用品を手に入れるには約二十五キロも離れた町まで行かねばならなかった。もちろん、自家用車などない。
 土レンガで作った台にムシロを敷いて麦藁を置き、布で覆ってベッドにした。満足な飲み水さえない。冬は零下二〇度を下回ることも珍しくなかった。
 近くに医療施設などなく、病にかかった次女は五日後に亡くなった。彼より先に敦煌に住み、調査などを行っていた画家は、ここを去るにあたって、敦煌での生活は、「無期懲役だね」と、冗談まじりに語った。 
 しかし、常書鴻は、その時の気持ちを次のように述べている。
 「この古代仏教文明の海原に、無期懲役が受けられれば、私は喜んでそれを受けたいという心境でした」
 覚悟の人は強い。艱難辛苦の嵐の中へ突き進む決意を定めてこそ、初志貫徹があり、人生の勝利もある。また、それは仏法者の生き方でもある。ゆえに日蓮大聖人は、「よ(善)からんは不思議わる(悪)からんは一定とをもへ」(御書一一九〇ページ)と仰せである。
 莫高窟は、長年、流砂に埋もれ、砂や風の浸食を受け、放置されてきた結果、崩落の危機に瀕していた。その状態から、石窟内の壁画や塑像を保護し、修復していくのである。
 作業は、防風防砂のための植樹から始めなければならなかった。気の遠くなるような果てしない労作業である。だが、やがて彼の努力は実り、敦煌文物研究所は国際的に高い評価を受けるようになったのである。
 この日の、伸一と常書鴻の語らいは弾み、心はとけ合った。二人は、一九九二年(平成四年)までに七回の会談を重ねることになる。
 そして九〇年(同二年)には、それまでの意見交換をまとめ、対談集『敦煌の光彩――美と人生を語る』が発刊されている。
 未来に友好と精神文化のシルクロードを開きたいとの、熱い思いからの対話であった。

【聖教ニュース】

◆〈グローバルウオッチ〉 若者と社会 「仕事」と向き合う②
自ら“決めて”“動く”そこに使命の道が開く

 
職場の同僚と談笑する佐藤美和子さん㊧(宮崎市内で)
職場の同僚と談笑する佐藤美和子さん㊧(宮崎市内で)

 現代社会の課題を見つめ、創価の思想・哲学の価値について考える「グローバルウオッチ」。今を生きる青年は、仕事の悩みや行き詰まりにどう向き合っていけばよいのか。2人の青年部員のドラマを通して見つめた。(記事=小野顕一)

 今回取材したのは、2度の転職を経て活躍する女子部員と、大学の助教として研究・教育に取り組む男子部員。2人は周囲との人間関係に悩んでいた。
 思うようにいかない葛藤の中で、2人はどう問題を乗り越えたのか。その歩みを追うと、共通したあるステップが見えた。

全てに意味が


 「次に間違ったら、消えてくれるかな?」
 都内のクレジットカード会社に勤務していた佐藤美和子さん(女子部本部長)は、上司の威圧的な言葉に驚いた。
 創価女子短期大学を卒業後、地元・宮崎の企業に就職。その後、“得意な英語を生かせれば”と、2015年9月に転職して上京し、システムの運用・保守を担当していた。
 作成した書類を手渡すと、上司は「はい、0点」。そのままシュレッダーにかけられた。
 聞けば、佐藤さんの前任者は2週間で辞めたという。
 前職では入社2年目で教育部に配属され、仕事に手応えを感じていた佐藤さん。“負けるものか”と一層の笑顔を心掛け、上司の指示に食らいついた。
 だが心に体が追い付かなかったのか、ある朝、会社に向かう電車内で意識が遠のいた。
 気付くと、駅員に体を支えられていた。ホームの人が心配そうに佐藤さんを見ている。
 それ以後、たびたび動悸に襲われ、失神を繰り返した。
 異変に気付いたのは地区の婦人部員だった。上京以来、まるで母親のように、佐藤さんを気に掛けてくれていた。
 「何か飲まない?」。誘われて街角のベンチに座った。
 「実は……」と切り出すと、婦人部員は、かつて自分もパワハラを受けたこと、うつ病になったが克服できたことなどを通し、励ましてくれた。
 「絶対に大丈夫。でも無理はしないで。環境を変えることも必要だと思う。それは美和子ちゃんが決めるんだよ」
 職場の先輩にもアドバイスを受け、佐藤さんは退職を決断。祈りを重ねると“上司は暗に、私には別の使命があると教えてくれているのかも”と思えた。
 退職のあいさつとともに、これからの考えを伝えると、上司は“きつく当たってしまったが、君は負けてなかったよ”と。新しい道への背中を押してくれた。
 宮崎に戻った佐藤さんは、WEBを活用した教育支援システムを発展途上国等に提供する企業に職を得て、海外展開する部署へ。次第に体調も回復した。
 入社して2カ月、経験を見込まれてプロジェクトリーダーに。スキル面でも人間関係の上でも、以前に苦しんだ経験が生き、大きな成果が出せた。
 担当した企画は昨年、「攻めのIT経営中小企業百選(経済産業省主催)」に宮崎県で初選出され、佐藤さんの仕事ぶりは地方紙で特集されるまでに。
 会議等では通訳を担い、来年からミャンマーに出向する予定だ。気付けば、祈り続けてきた“英語を駆使して海外で活躍したい”との夢が実現。「全てに意味があった」と声を弾ませる。

姿勢が変わった


 南米コロンビアの大学院を卒業したゴンザレス・ファンさん(群馬・桐生県、男子部員)は、2009年に宮城県内の大学院博士課程に進んだ。
 専攻はエネルギー学。文部科学省からの奨学金を得ることができ、日本で順調な生活が始まったと思った矢先、ゴンザレスさんは研究室内の人間関係に思い悩む。コロンビアとの文化の違いもあり、研究成果もなかなか上がらない。
 そのまま3年が過ぎ、奨学金は打ち切りに。提出した2本の博士論文にも返答がなかった。
 母国へ帰るか、それとも論文が受理されるまで、残り少ない貯金で生計を立てるか――ゴンザレスさんは選択を迫られる。
 そんな時、県内で国際教育普及支援をしていた女子部員から、学会の座談会に誘われた。
 東日本大震災から1年半。災害の爪痕が残る七ケ浜や多賀城の集いでは、経済苦や病苦が赤裸々に語られた。苦難に負けず、励まし合って進む学会員の姿がゴンザレスさんの胸を打った。
 “苦しいのは自分だけじゃない”――そう感じ、唱題にも挑戦。「題目を唱えるごとに“ウエーブ(波)”を感じました。体の隅々に勇気が染み渡っていくんです」
 すると人間関係が好転し、研究室内の環境が目に見えて変わっていった。また、ゴンザレスさんの研究作業に対して、卒業するまで金銭面の援助が出るようになった。
 「祈ったから“環境が変わった”と思っていました。でもそうじゃなくて、“自分自身の周りの方々と向き合う姿勢”が変わったんです」とゴンザレスさん。
 「今までは意地を張ってしまい、自分の研究に対する周囲の指摘を素直に聞けなかった。今は感謝でいっぱいです」
 不思議にも唱題を始めて1カ月後、全く音沙汰がなかった論文が、2本続けて受理された。
 日本で研究職に就くには日本語が必須。留学生仲間が次々と日本を離れる中、ゴンザレスさんは日本語の習得に励み、卒業と国立大の助教の採用を勝ち取ることができた。
 東京インタナショナル・グループ(首都圏在住で英語を話す海外メンバーの集い)にも通い、“一切が自身を鍛える糧となる”と学んだゴンザレスさん。今、同グループの友の激励に率先し、日本で行われるSGI(創価学会インタナショナル)研修会等ではスペイン語通訳も担う。 
 昨年秋、北京での研究学会に議長の一人として招待された。先月には、最も権威のある専門誌への論文掲載が決まった。
 信心の喜びをかみ締めつつ、「研究で人類の幸せに貢献したい」とゴンザレスさんは語る。

自己を輝かせる


 正規・終身雇用等の「安定」が崩壊し、かつては当たり前のように得ることができた「働く場所」と「働く意義」を、若者は自ら問い、つかみ取る時代となっている。では価値ある選択のために、何が不可欠か。
 仏法では、「ありのままの姿(自体)を照らし顕していくこと」――つまり、「かけがえのない自分自身を正しく知り、自己の個性を最高に輝かせていくこと」を「自体顕照」と説く。
 ゴンザレスさんは、“ここで頑張る”と決めた。佐藤さんは“違う場所で頑張る”と決めた。
 その選択を可能にしたのは、信仰の実践によって磨いた自己の個性、そして同志の励ましによる視点の変化であり、一見違った2人の選択の背景には、大きな人間的成長が共通してあった。その歩みは自体顕照そのものといえよう。
 池田先生は、自体顕照の法理を示した法華経について語っている。「他人をうらやんで生きるのは爾前(法華経以前の経典)の生き方です。『自分はこれで行くんだ』と決めて生きるのが法華経です」と(『法華経の智慧』)。
 うまくいかないことを他人のせいにし、誰かに人生を委ねる限り、自身の成長はない。そうした考えで仕事を変えても、また同じ悩みに直面するだろう。
 自分らしく輝くには、自ら積極的に行動を起こしていくことだ。仕事で悩むなら、その仕事と向き合い、自ら次のステージを開く。そこに、自身のかけがえのない使命の道も見えてくるに違いない。
 感想・意見をお寄せください メール:g-w@seikyo-np.jp ファクス:03-5360-9613

【先生のメッセージ】

◆池田先生と共に新時代を進む 〈12〉前進! 正義の凱旋門へ
                                                          

 
 戸田城聖先生が、軍部政府との2年の獄中闘争を勝ち越え、出獄されたのは、東京・中野であった。
 それは、昭和20年(1945年)の7月3日。巡りくるその日を前に、有縁の地へ走り、中野南文化会館を視察した(18日)。
 会館には、朝から壮年部が意気軒昂に集われていた。いよいよ黄金柱の出番と「ああ感激の同志あり」を皆で大合唱したと伺った。王城会の厳護の雄姿も、頼もしい限りである。「父の日に本当に尊いですね」と妻が微笑んだ。
 勤行会を行っていた先駆の学生部も元気である。
 同会館には、隣接する杉並・方南支部の友も、太陽の婦人部を中心に集まられていた。
 方南支部といえば、昭和53年の1月、広布第2章の「支部制」開始に際し、私が結成大会に出席した忘れ得ぬ支部である。
 地域に信頼を広げる大発展が、何よりもうれしい。
 とともに、創価の凱歌へ師子奮迅の指揮を執る全国の支部長・支部婦人部長、また地区部長・地区婦人部長、ブロック長・白ゆり長をはじめ、リーダーの皆さま方の奮闘が偲ばれる。
 御本仏が、広布に献身する偉大な宝友たちを、いかばかり讃嘆されているか。
 「釈迦仏・地涌の菩薩・御身に入りかはらせ給うか」(御書1467ページ)の一節が、胸に迫ってならない。
                                                                  ― ◇ ― 
 中野南文化会館には、戸田先生が出所した豊多摩刑務所の鉄の門扉が保管されている。同刑務所が取り壊された折、中野の有志が譲り受けてくれたものだ。
 恩師の出獄は、沖縄戦で日本軍の組織的戦闘が終わった直後だった。6月23日は「沖縄慰霊の日」である。
 “命どぅ宝”――生命こそ最極の宝。これが、恩師も敬愛した沖縄の心だ。
 生きて獄門を出た恩師は、民衆が一人一人、仏の生命を最大に輝かせ、この世の悲惨を打ち破っていく「人間革命」の道を開かれた。最も苦労した人が、最も幸せを勝ち取っていける社会をつくるのが、我らの「立正安国」の戦いである。
 その先頭に立つ「平和の勝利島」沖縄の友に、思いを馳せぬ日は一日もない。
                                                                     ― ◇ ― 
 日蓮大聖人は、「いかに強敵重なるとも・ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ」(同504ページ)と仰せである。
 この御聖訓通り、恐れなき勇気を、限りない智慧を湧き上がらせて、前進だ。
 いざ、正義の凱旋門へ!

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆誓願を果たす時は今! 原田会長を中心に各部代表者会議


 世界広布新時代第44回の各部代表者会議が19日、東京・信濃町の広宣会館(学会本部別館内)で開催された。
 原田会長は、懸命に戦う同志に勝利の喜びを味わってもらうために献身するのが広布のリーダーの責任であると強調。

◆〈希望航路―池田先生と進む人生旅―〉 アメリカ・サンフランシスコ③

             
初訪問から20年――テレグラフヒルに立った池田先生は、地元の代表ら200人と懇談し、記念撮影を。草創の友の労をねぎらい、新体制の男女青年部に真心のエールを送った(1980年10月6日)
初訪問から20年――テレグラフヒルに立った池田先生は、地元の代表ら200人と懇談し、記念撮影を。草創の友の労をねぎらい、新体制の男女青年部に真心のエールを送った(1980年10月6日)

 会場は、熱気と歓喜に包まれていた。
 1980年(昭和55年)10月5日。サンフランシスコ市内のイベントホール「ガレリア」で、アメリカ広布20周年を記念する総会が開かれ北カリフォルニアの各地から3500人が集ったのである。
  サンフランシスコの同志は、この日を格別な思いで迎えた。
 20年前の同日、同地を初訪問していた池田先生は、市内を見下ろすテレグラフヒルに立った。「20年、50年たてば、この日は偉大な記念日となるだろう」
 この先生の展望のままに、約30人で出発したサンフランシスコの広布の連帯は、幾重にも拡大した。
 20年の節を刻み、迎えた総会。先生は語った。「大聖人の仏法は、自己も幸福になり、他人をも幸福にし、社会をも安穏にしていく実践である」
 さらにこう続けた。
 ――唱題し、御本尊の功力を一言一句でも語ることで、信仰の力が涌現し、現実生活と社会で幸福の実証を示すことができる。
 ゆえに、社会的地位や財産の有無にかかわらず、唱題と折伏をし抜いた人が、生命の勲章を輝かせていけるのである、と。
 ジョイス・ボイキンさん(多宝会圏婦人部責任者)は、その4年前に入会。仕事は小学校の教員だった。
 当時の黒人女性では珍しく、大学院修士課程まで進んだ。だが、社会ではまだ、人種や性別を理由に、教育や仕事の機会が限られていると感じていた。
 それだけに、「社会的地位や財産の有無にかかわらず」との先生の言葉は、深く胸に残ったという。
 彼女自身、女手一つで2人の子を育てていた。好条件の職を探していたが、転職は思うに任せず、まとまりかけた話が、直前で立ち消えになった時もあった。
 「“なぜ?”と思いましたが、もしその仕事に就いていれば、帰りが遅くなり、夜の会合には参加できませんでした。学会活動から離れないでいられたのだと、後にその意味に気付きました」
 結果としてボイキンさんは、その後も教育に携わり続けた。唱題と折伏の実践を貫き、広布の庭で培った他者に尽くす精神は、そのまま教育に生かされたと実感している。
 公立小学校の教員を35年、連邦政府の教育プログラムの教員を10年務め、子どもの可能性を最大に引き出せるよう心掛けてきた。
     
 ボブ・ハンソンさん(圏長)は当時、壮年部のリーダーとして、総会に参加。壇上で、先生と固く握手を交わした。
 大学を中退し、石油会社のトラック運転手として働いていた。同じく会場にいた妻のパットさん(支部副婦人部長)との間に、第1子が生まれて間もない頃である。経済的に困窮し、必死に生活をやりくりする中での、師との出会いだった。
 先生は、“全ての人は、等しく日蓮大聖人の子です。必ず幸せになれるのです”と語り、メンバーに渾身の励ましを送り続けた。その師の姿を、二人は目に焼き付けた。
 この前年、先生は第3代会長を辞任。師弟の絆を分断し、広布の組織を破壊しようとする障魔は、アメリカでも競い起こっていた。その中で実現した、サンフランシスコ訪問であった。
 「学会精神とは何なのか。それを学び深めたいと願っていた私たちに、先生は、同志と学会を守り抜く心を教えてくださいました」(ボブさん)
 「地区や青年部の活動が、一番困難だった時代に、先生は、新たな時代を開く手を打ってくださったのです」(パットさん)
 夫妻は“師の代わりに”との思いで、広布の最前線でメンバーを励ました。その一日一日が、何よりの宝だったと声をそろえる。
      
 総会の翌6日、先生はテレグラフヒルで、同志と記念撮影を。「今再び、21世紀への20年を目指そう」と力強く訴えた。
 サンフランシスコの男女青年部の人事も発表され、若き力を先頭に、希望に満ちた出発となった。
 この時、ケイ・ルードさん(多宝会圏婦人部責任者)には、思いがけない知らせが。広布の功労者であるルードさんの家を、先生が訪問するというのだ。
 「驚きと喜びで頭が真っ白になりました。急いで帰宅して、家を片付けたんです」
 彼女は笑顔で振り返る。
 自宅は広布の会場に提供していた。到着した先生は、ルードさんたちに深々とお辞儀を。同志の幸福に尽くしてきた労をねぎらい、心から感謝した。
 地元のメンバーらを交えて勤行をした後、先生は、世界広布の展望、アメリカ人の心をつかむ激励のあり方などを巡り、約1時間にわたって懇談した。
 その際、3歳だったルードさんの次男が、先生にクッキーを手渡した。先生は、その半分を彼の口へ。心温まる光景に、「先生は、まるで父親のように、わが子を慈愛で包んでくださいました」とルードさん。
 「何か質問はあるかい?」と促され、彼女は人間関係の悩みを打ち明けた。
 先生は語った。
 ――悩みに真正面から挑み、御本尊に祈っていけば、境涯が広がり、必ず解決の道が見つかります。人生に苦難は付きものです。しかし、法華経の兵法で戦えば、必ず勝てるのです、と。
 「生命に勇気の太陽が昇るようでした」とルードさん。この指針のままに、どんな時も強盛な信心を貫いてきた。
 昨年で入会50年。2人の息子も立派に育てあげた。
 広布一筋の彼女の姿を通し、師弟を学び、信仰の喜びを知った友は多い。
     
 10月7日、サンフランシスコ滞在を終え、ワシントンDCへと出発する先生を、スティーブ・ホウさん(副支部長)は空港で見送った。
 台湾出身。5歳の時に両親が離婚すると、荒れた青春を送った。明るい人生を取り戻す思いで、大学卒業後にアメリカに渡ったが、アジア人というだけでバカにされた。
 「仕事で見返してみせる」と、一心不乱に働いた。だが成功を収めると、同僚たちを見下すように。自分にはその権利があると思い込んでいた。
 人生観が変わったのは、妻のサンディーさん(地区副婦人部長)を通じて仏法を知ってからである。会合に行くと、多様な人種や国籍のメンバーがいるのが印象的だった。壁一つない、その世界こそ、探し求めていたものだった。
 真面目に信心に打ち込んだ。アメリカSGIの中国語グループの運営に携わり、自分が必要とされる喜びを感じた。やがて同グループの全米責任者に就任し、長年、使命を果たしてきた。
 夫妻がさらなる原点を刻むのは、93年3月のこと。3人の子を含む一家全員で、サンフランシスコに池田先生を迎えたのだ。
 5度目となった先生の訪問。平和・教育・文化の分野で、SGIが社会に大きく開かれていく転機となる。
 ご感想をお寄せください news-kikaku@seikyo-np.jp

◆〈信仰体験 ブラボーわが人生〉第30回 100年分の美しき涙 

 【兵庫県豊岡市】こんなにも美しい涙を見たのは、いつ以来だろう。関岡加津枝さん(100)=出石常楽支部、地区副婦人部長=は、言葉を一つずつ区切りながら、師弟の思いを語ってくれた。

2017年6月19日 (月)

2017年6月19日(月)の聖教

2017年6月19日(月)の聖教

◆今週のことば 2017年6月19日

「一度も退く心なし」
大聖人直結の勇気で
祈り抜き、走り切ろう!
「水魚の思」の同志と
励まし合いながら!

◆〈名字の言〉 2017年6月19日

 70代の壮年が転倒し、複雑骨折した。以来、出歩くのが怖くなり、家に閉じこもるように。1人暮らしで悩みを抱え込みがちな彼だが、周囲の励ましを力に再起を誓った▼人工関節にする手術は成功。懸命のリハビリに挑む。手術に臨む前、彼が語っていた。数年前、がんに侵された時、親身になってくれた先輩の言葉を思い起こしたという。「同じ病の体験者として言うよ。『担当する医師が名医の働きをするように』と強く祈ることだ」▼悩みや困難に直面すると、絶望して諦めるか、何とかなると甘く考えてしまうのが人間のさが。だが、それでは何一つ変わらない。環境に委ねる受け身の心を排し、「必ず打開してみせる」と決め、自ら行動を開始することだ。過去は変えられないが、現在の行動で未来を変え、過去の意味を変えることができる。強き祈りは、その偉大な一歩である▼今月の座談会拝読御書では、広宣流布の激戦に臨む姿勢を学ぶ。人を頼る心や中途半端な気持ちを退け、「但偏に思い切るべし」(1451ページ)と。直前の御文では「責めて」「責め給へ」と、折伏精神を強調されている。これが、日蓮大聖人が示された勝利の方程式である▼広布と人生の勝利へ、一日一日を大切に、黄金の自分史をつづっていこう!(川)

◆〈寸鉄〉2017年6月19日

 「只法華経の事のみさは
 くらせ給うべし」御書。
 信心を貫け。そこに栄冠
      ◇
 調布・狛江よ強気でいけ。
 対話の大旋風で逆転を!
 新時代の東京凱歌を共に
      ◇
 中野が力闘。破竹の勢い
 で反撃だ。激戦勝ち抜け。
 皆で勝利と歓喜の万歳を
      ◇
 勇者は運命に逆らっても
 希望を捨てぬ―歴史家。
 負けじ魂こそ創価の本領
      ◇
 熱中症は条件さえ揃えば
 誰もが発症―医師。水分・
 塩分補給を。油断排して

◆社説  あす「世界難民の日」  他者に同苦し、尊厳を見いだす心


 ヨーロッパ、アジア、アフリカに囲まれ、美しい景観で知られる地中海。夏が近づき波が穏やかになると、ここにヨーロッパを目指す大量の難民を乗せたボートが現れる。粗雑な作りで到達前に沈没するものも多く、沖で溺れる難民の悲劇は近年、後を絶たない。
 なぜ海を越えるのか。イタリアへ渡ったシリア人男性は言う。「自分の命よりも大きなもの、もっと大きな夢のために命の危険をおかすんだ」と。住んでいた町が破壊され、自分は夢も希望も失った。しかし子どもは違う。「うまくいけば、私は3人の子供たちの夢を叶えられるかもしれない。子供たち、そして孫たちの夢を」(パトリック・キングズレー著『シリア難民』ダイヤモンド社)
 あす6月20日は国連が定める「世界難民の日」。現在、紛争や自然災害などで難民・国内避難民生活になった人は、世界で6500万人を超える。
 先日、約130万人のシリア難民を受け入れているヨルダンから「ヨルダン・ハシェミット慈善団体」事務局長のアル=ムレフ氏が来日した。氏は本紙のインタビューで、難民に必要なのは「尊厳」であり、難民を数で見るのではなく“人間として扱う”姿勢であると語った。
 東日本大震災後、日本でも多くの人が惨状に心を痛め、自分にできる“何か”を模索した。創価学会は被災者の最後の一人が立ち上がるまで寄り添い続けるとの思いで、励ましを送ってきた。こうした“同じ人間として放ってはおけない”という心と行動こそ、切迫した状況を打開しゆく根本の力であろう。
 池田先生は、昨年発表した平和提言で「ささやかな行動だったとしても、それがあるかないかは、差し伸べられた人にとって決定的な重みをもつ大きな違いなのです」と述べている。
 先のシリア難民の男性は述懐する。戦争の恐怖、故郷を追われた苦しみ、粗雑な船で海を渡るつらさとトラウマ、新しい習慣や文化に適応する難しさ、未来への不安、子どもたちと家族の心配――「そうした大変なことはたくさんありましたが、私は多くのことを学びました。なかでもいちばん大きかったのは、どこに行っても
必ず、この暗闇をがんばって突き進もうという希望と決意を与えてくれる人たちが
いたことです」(前掲書)と。
 立ちはだかる問題がいかに大きくとも、目の前の一人に同苦し、希望を送り続ける。その先に国際社会が目指す「誰も置き去りにしない社会」はある。

◆きょうの発心   王者の誇りを胸に凱歌の歴史を2017年6月19日

御文
 過去の宿縁追い来って今度日蓮が弟子と成り給うか・釈迦多宝こそ御存知候らめ、「在在諸仏土常与師?生」よも虚事候はじ(生死一大事血脈抄、1338ページ・編402ページ)
通解 あなたは、過去の宿縁から今世で日蓮の弟子となられたのであろうか。釈迦・多宝の二仏こそご存じと思われる。法華経化城喩品の「在在の諸仏の土に 常に師と?に生ず」の経文は、よもや嘘とは思われない。
 三世にわたる仏法の深い師弟の関係を教えられた一節です。
 
 子どもの頃に両親・妹と共に入会。常によき先輩に支えられ、三世に結ばれた師弟の絆を確信して、信心に励んできました。
 1979年(昭和54年)11月14日、娘の誕生日に、思いがけず聖教新聞本社の前庭で池田先生と親子で記念撮影をしていただき、「生涯、師と共に」と心に誓いました。娘は創価高校・創価大学に進み、現在、女子部として広布に走っています。
 本紙販売店主を36年間にわたって務めた夫は、その後、大病に襲われましたが、師と同志の祈りに全て守られ、「今こそ宿命転換を」と一家団結して頑張っています。
 今月6日、池田先生ご夫妻が足立区を訪問してくださり、大歓喜の中で6・21「足立女性の日」を迎えます。明年夏の「足立文化会館」完成を目指し、不屈の王者・足立の誇りを胸に、凱歌の歴史を断じて築いてまいります。  東京・足立総区副婦人部長 友利敏子

◆小説『新・人間革命』第30巻 雄飛の章 四 (6100)


 北京大学では、講演に引き続き、四川大学への図書贈呈式が行われた。当初、山本伸一は、四川省の成都にある四川大学を訪問する予定であったが、どうしても日程の都合がつかず、ここでの贈呈式となったのである。
 四川大学の杜文科副学長に伸一から、図書一千冊の目録と贈書の一部が手渡されると、拍手が鳴り渡った。また一つ新たな教育・文化交流の端緒が開かれたのである。
  
 二十三日午前には、敦煌文物研究所(後の敦煌研究院)の常書鴻所長夫妻と、宿舎の北京飯店で会談した。
 常書鴻は七十六歳である。敦煌美術とシルクロード研究の世界的な権威として知られ、第五期全国人民代表大会代表でもある。彼は、前日、西ドイツ(当時)から帰国したばかりであったが、旅の疲れも見せずに会談に臨んだ。
 伸一はまず、常所長が、敦煌研究に突き進んでいった理由について尋ねた。
 興味深い答えが返ってきた。
 ――一九二七年(昭和二年)、二十三歳の時、西洋画を学ぶためにフランスへ留学した。そのパリで、敦煌に関する写真集と出合う。すばらしい芸術性に驚嘆した。しかし、それまで、祖国・中国にある敦煌のことを、全く知らなかったのである。これではいけないと思い、三六年(同十一年)、敦煌芸術の保護、研究、世界への紹介のために、すべてを捨てて中国に帰ってきたのだ。
 四三年(同十八年)、研究所設立の先遣隊として、念願の敦煌入りを果たす。以来、三十七年間にわたって敦煌で生活を続け、遺跡の保存、修復等に尽力してきた。
 「敦煌の大芸術は千年がかりでつくられたものです。ところが、その至宝が海外の探検隊によって、国外へ持ち去られていたんです」
 こう語る常書鴻の顔には、無念さがあふれていた。その悔しさを情熱と執念に変え、保護、研究にいそしんできたにちがいない。不撓不屈の執念こそが、大業成就の力となる。

【聖教ニュース】

◆韓国 忠清南道 礼山郡が特別顕彰牌 
池田先生ご夫妻の平和建設への尽力たたえ
郡守 SGIの青年こそ希望
 
韓国・忠清南道礼山郡の「特別顕彰牌」授与式。地域社会のさらなる発展を願い、参加者が記念のカメラに(礼山郡庁舎で)
韓国・忠清南道礼山郡の「特別顕彰牌」授与式。地域社会のさらなる発展を願い、参加者が記念のカメラに(礼山郡庁舎で)

 韓国・忠清南道の礼山郡から、池田大作先生ご夫妻に、「特別顕彰牌」が贈られた。世界平和と日韓の友好促進への貢献をたたえたもの。授与式は13日、同郡庁舎で挙行され、黄善奉郡守、韓国SGI(創価学会インタナショナル)の金仁洙理事長、金暻希婦人部長、忠南方面の代表らが出席した。
 韓国中西部に位置する忠清南道の礼山郡は、伽倻山などの美しい自然の景観に恵まれている。リンゴ等の特産地として名高い一方、先端産業を積極的に誘致するなど、「産業型田園都市」とのビジョンを掲げて力強く発展する。
 また昨年には、コウノトリの保護事業が評価され、東アジア地域の環境保全に貢献した団体・個人に贈られる「日韓国際環境賞」を受賞。自然との共生を図る取り組みが、国内外で大きな注目を集めている。
 この自然と人間社会が一体となる理想の天地にあって、SGIメンバーは青年部を先頭に国土大清掃運動をはじめ、各種ボランティア運動を幅広く推進。メンバーの一貫して変わらない献身的な振る舞いが、その精神的基盤となる池田先生への信頼と共感につながっていった。
 黄郡守も、友の姿に学会理解を深めてきた一人。さらに「自然との対話」写真展や“ガンジー・キング・イケダ展”などの各種展示、また地域の座談会への参加を通して、「一人」を大切にする創価の思想に共鳴するようになった。
 黄郡守は池田先生との“出会い”について、次のように語っている。
 「私がかつて苦境に立たされた時、韓国SGIの友人から『池田大作 名言100選』という書籍を贈られました。そこにつづられていた池田SGI会長の珠玉の言葉が、悩み疲れていた私の胸に、深く染み渡りました。読み進めるほどに、心に希望が湧き上がり、やがて試練の時を乗り越えることができたのです」
 郡庁舎で晴れやかに執り行われた授与式。
 あいさつに立った黄郡守は、世界平和と韓日友好に尽力する池田先生ご夫妻を顕彰できることに喜びを表しつつ、真情を語った。
 「SGI会長が育てられた青年たちの姿に、私は限りなく明るい未来、そして希望を見いだしました。これだけの人材を育成してこられたという事実こそ、SGIが世界宗教として飛躍し、SGI会長があらゆる人々から尊敬を集めている証左だと確信します」
 黄郡守から特別顕彰牌が託されると、会場から祝福の惜しみない拍手が寄せられた。
 韓国SGIの金理事長が謝辞を述べた。

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈誓いの天地〉 千葉・船橋市 2017年6月19日

   
船橋青年部の友は、7・13「船橋の日」を目指し、正義の連帯を広げる(10日、船橋港親水公園で)
船橋青年部の友は、7・13「船橋の日」を目指し、正義の連帯を広げる(10日、船橋港親水公園で)

 千葉県北西部に位置し、市川市、鎌ケ谷市などと隣接する船橋市。今年4月、市制施行80周年を迎えた。
 作家・太宰治が愛した地であり、川端康成も船橋の旅館で一時、…

◆〈座談会 栄光の峰をめざして〉39 勝利は「今」に――眼前の戦いに全力 信心は勇気! 己心の壁を破れ  都議会公明党 安全・安心の先進都市へ
 
“満々たる闘魂”で戦い勝ってきたのが“学会魂”――創価三代の有縁の天地、東京・豊島総区の友が“反転攻勢”の気概に燃えて(17日、東京戸田記念講堂で)
“満々たる闘魂”で戦い勝ってきたのが“学会魂”――創価三代の有縁の天地、東京・豊島総区の友が“反転攻勢”の気概に燃えて(17日、東京戸田記念講堂で)

 原田 世界広布の「千載一遇の天の時」を勝ち越えようと、全国・全世界の同志が、広布開拓の魂を燃やし、懸命に尽力してくださっています。尊き献身に心から感謝申し上げます。誠にありがとうございます。
 永石 池田先生はかつて、本陣・東京の同志に語られました。「広宣流布の前進には“時”がある。その一つ一つの“時”を逃すことなく、全力で仏道修行に励み抜いてこそ、自身の使命を果たし、一生成仏することができる」と。

 長谷川 御書に「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(231ページ)と仰せです。未来は「今」にあり、勝利は「今」にあります。“時”を捉え、眼前の戦いに全精魂を傾けていくことが大切なのです。
 竹岡 「誰かではない、自分である。まず自分が戦いを起こす。自分が壁を破るのだ」――この先生の言葉を胸に、強盛な祈りと満々たる勇気で「己心の壁」を打ち破り、我々青年部が先頭に立って「新たな開拓」に挑んでまいります。

随一の政策実現力


 長谷川 東京都議選(6月23日告示、7月2日投票)の告示まで、後4日となりました。都議会随一の「政策実現力」を発揮した公明党の「3つの挑戦」の実績、そして「重点政策」に期待が高まっています。

 河西 「重点政策」の柱の一つは、「『安全・安心』先進都市・東京へ――2020東京大会をめざして」です。「人にやさしいまちづくり」や、交通ネットワークの整備などが盛り込まれています。

 永石 視覚障がい者の利用が多い都立盲学校の最寄り駅に、優先的にホームドア整備を拡充することなども明記していますね。小池都知事は、「さすが、生活者の視点をもつ公明党ですね」と感嘆しています。

 原田 東京大学教授・福島智氏もこう語っていました。「公明党は、都の福祉分野の職員でさえ知らなかった私たち盲ろう者の声に耳を傾けてくれました」「公明党が先頭に立ち、子どもたちへの教育や福祉、弱い立場の人に対する施策に取り組み、心のバリアフリー化を進めていただきたい。それが活力ある社会を築く原動力になる」と。

“財政破綻”の市政


 河西 一方で「安全・安心」のための対策にも反対してきたのが共産党です。

 竹岡 最近、テレビの討論番組でも、「共産党は街中の防犯、監視カメラにずっと反対し続けてきた」(11日・18日のNHK「日曜討論」)と指摘されていました。生活者の「安全・安心」を守る上で、大きな効果を発揮している防犯カメラの設置に、共産党は各地で反対してきました。
 河西 東京都の「安全・安心まちづくり条例」(2003年7月成立)にも、共産党は「地域社会に防犯カメラを張り巡らせようとしている」(都議会本会議)等と、反対していました。

 竹岡 1996年から16年間、共産党員が市長を務めた東京都狛江市では、地元警察署から何度も要望があったにもかかわらず、「市内の公道上には防犯カメラが1台も設置されないという異常事態が続いていた」(現在の高橋都彦市長)のです。

 河西 狛江市では、大震災などの災害時に備えた、自衛隊の支援体制も心もとない状況でした。“自衛隊は憲法違反”とする党の方針からか、市民の「安全・安心」のために自衛隊を活用する姿勢も皆無でした。

 竹岡 狛江市で続いた共産市政は、“空白の16年”と呼ばれています。不測の事態に備えて積み立てておいた市の基金を、60億円も取り崩したにもかかわらず、借金はほとんど減らせないという“放漫経営”で、市財政を急激に悪化させたからです。

 河西 高橋市長は、こう語っています。「共産市政が、どれほど『当たり前の市政』からほど遠いものであったか」「共産市政は財政を破綻させるといわれますが、狛江市も例外ではありません」「聞こえのよい理想を掲げながら、実行できなかった。共産党の無責任な体質は明白です」
 他の共産系首長の自治体でも、無責任な実態が次々と明らかになっています。

 竹岡 翻って、高橋市長は公明党について、こう語っています。「公明党は共産党のようにイデオロギーで動く政党ではなく、市民本位で、いいと思うことについては協力し、よくないと思うことには逆にはっきりよくないと言ってくれる。市民の利益を第一に優先しようと心掛ける市長の立場からすると、これほど頼りになる政党はありません。公明党は、真の意味で現場の声を大切にしている政党と感じて
います」

 原田 こうした声を私もよく伺います。公明党はこれからも、「現場の声」を政治に届け、どこまでも「都民のため」に尽くし抜いてもらいたい。

模範の天地を構築


 原田 6月23日、「沖縄慰霊の日」を迎えます。72年前の沖縄戦で犠牲になられた全ての方々の冥福、そして世界の恒久平和を深く祈念申し上げます。

 竹岡 太平洋戦争末期、日本で唯一、凄惨な地上戦が行われたのが沖縄の地です。池田先生は、「一番苦しんだ人が一番幸せに」との思いで、沖縄の友を励まし続けてこられました。

 長谷川 「慰霊の日」に寄せ、先生はこう語られています。「この地上から悲惨の二字をなくす(戸田)先生の挑戦は、誰よりも苦しみ抜いた民衆と共にあった。その誓願を結実させるため、私は沖縄の天地で小説『人間革命』の執筆を開始した」と。

 永石 沖縄の皆さまは、先生の思いをわが誓いとし、「立正安国」の模範の天地を目指して、自らの「人間革命」の姿で地域に信頼を広げてこられました。

 原田 先生は今も、全同志と対話する思いで、『新・人間革命』を執筆されています。先日、「雄飛」の章の連載も始まりました。私たちは日々、戦いの糧としつつ躍進を果たしたい。

◆〈6・25「団地部の日」特集〉 神奈川・茅ヶ崎市 浜見平団地 
 
神奈川県茅ケ崎市の浜見平団地を舞台に活躍する団地部の友。奥に見えるのは、新しく建て替えられた建物
神奈川県茅ケ崎市の浜見平団地を舞台に活躍する団地部の友。奥に見えるのは、新しく建て替えられた建物

 6月25日は「団地部の日」。高度経済成長の時代に広がった日本各地の団地(集合住宅)は今、住民の高齢化や建物の老朽化など、さまざまな課題を抱える中で、将来の在り方が検討されている。
 

2017年6月18日 (日)

2017年6月18日(日)の聖教

2017年6月18日(日)の聖教

◆わが友に贈る

「声仏事を為す」だ。
誠意を尽くした言葉は
友の心に必ず届く!
勇敢なる正義の叫びが
地域の繁栄を築く!

◆〈名字の言〉 2017年6月18日
 

 東京・調布駅前の商店街に「妖怪」がいる。一反木綿、ねこ娘、目玉おやじを頭に乗せた鬼太郎……ご存じ、「ゲゲゲの鬼太郎」の像である。作者の故・水木しげるさんは調布市民だった▼自宅の仕事部屋には、ドイツの文豪ゲーテの格言を紙に書いて張っていたという。太平洋戦争勃発後、水木青年が“人生とは何か”と悩み、答えを求めた相手がゲーテだった。兵隊に召集され、『ゲーテとの対話』の文庫本を雑囊に忍ばせて戦地に赴いたとの逸話も(『ゲゲゲのゲーテ』双葉新書)▼池田先生も終戦後、10代でゲーテの著作と出合った。20代には、戸田先生のもとで文豪の作品を学びに学ぶ。以来、折に触れ、ゲーテを通して友に励ましを送ってきた。調布の青年たちに親しみを込めて「君シラー/我はゲーテと/創価かな」と詠んだこともある▼ゲーテは文豪シラーをはじめ、英国の歴史家カーライルやロシアの詩人プーシキン等とも、積極的に交友を結んだ。「何事かをなしとげようと思ったら、他人の協力と刺戟が必要だ」(山下肇訳)と考えたからだ▼思えば「ゲゲゲの鬼太郎」も、個性豊かな仲間と協力して悪い妖怪と戦い、平和な世界を築こうとする物語。立正安国を目指す創価の運動もまた、友情と団結の力で進んでいく。(之)

◆〈寸鉄〉 2017年6月18日

 「一日一時もゆるがせに
 せず闘い抜け」戸田先生。
 一歩前進の挑戦を今日も
      ◇
 東京・荒川よ頑張れ。疾風
 怒濤の反転攻勢で勝利の
 旗立てよ。全国が大声援
      ◇
 足立が総立ち。何ものを
 も勝ち越えるのが王者。
 師子奮迅の大闘争今こそ
      ◇
 きょう「父の日」。社会を
 支え、一家を守る黄金柱
 に「ありがとう」の言葉を
      ◇
 認知症による行方不明者
 が過去最多。地域一体の
 対策急務。公明よ舵取れ

◆社説   雨天時は余裕を持って  万全の注意払い無事故の日々を

   歩道に、色とりどりの傘が目立つ時期になった。北陸や東北地方も間もなく梅雨入りするとみられ、北海道を除く列島各地が、梅雨空の季節を迎えた。
 雨が降ればジメジメし、晴れればムシムシする日々が続くため、外に出るのも、おっくうになる。だが、この時期も毎朝、“無冠の友”の皆さまによって、本紙は届けられる。心から感謝の意をささげるとともに、配達員一人一人の無事故・健康を祈っていきたい。
 私たちも、こんな空模様の時だからこそ、心に“希望の太陽”を昇らせ、梅雨空を吹き飛ばす勢いで、広布に走る日々を送りたいと思う。
 その上で、普段にも増して注意したいのが、交通事故だ。言うまでもないが、雨天時は、晴天時に比べ、交通事故が多い傾向にある。
 先日、配達員の友から、雨天時に注意すべきことを伺った。最初に挙げられた点は、無事故への祈りとともに、前日の天気予報の確認だった。降水確率が高ければ、通常より早めに起きるなど、時間と心に、ゆとりを持つことが何より大事という。
 ほかにも、「明るめの服を着る」「ライトを必ず点灯する」など、具体的な雨天時の注意ポイントも教えていただいた。
 自転車を含む車両を運転する際、雨天時のリスク(危険性)を考えてみると、①視界が悪い②スリップしやすい③ブレーキが利きにくい――等が挙げられる。
 徒歩の人も同じだ。傘を差せば、通常より視界が悪くなる。また、水たまりなどを避けるため、足元に視線が偏り、周囲に目配りする余裕がなくなる。また、交通事故は自分が気を付けていても、相手の不注意で巻き込まれるケースもある。
 池田先生は、小説『新・人間革命』第9巻「新時代」の章でつづっている。
 「信心をしているから、また祈っているから、事故が起きないなどという考えは誤りです。信心をしているからこそ、絶対に事故など起こすものかという、強い決意、一念が大事なんです」
 無事故こそ、人生勝利の第一歩だ。御書に「さきざきよりも百千万億倍・御用心あるべし」(1169ページ)と仰せのように、用心は、し過ぎるということはない。リーダーも会合の際など、無事故の声掛けを怠らず、皆で注意し合い、安全確保に努めたい。
 さあ、きょうも強き祈りを根本に、無事故で、心弾む有意義な語らいを広げよう。


◆きょうの発心  報恩の誓い胸に対話拡大に勝利

御文
 仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや、此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか(報恩抄、293ページ)
通解 仏法を学ぶ人は、父母、師匠、国家社会の恩を忘れてはならない。この大恩に報いるには、必ず仏法の奥底を学び行じて、智者とならなければならない。

 
父母や師匠への報恩のために、智者となって広布に励むべきであるとの一節です。
 1983年(昭和58年)、中学3年生の時に、一家和楽を願って信心に励んでいた母の勧めで父、弟と共に入会。私は大学卒業を機に千葉へ転居しました。
 高等部の担当者をしていた99年(平成11年)12月18日、「21世紀使命会」を代表して、池田先生と記念撮影をする機会が。先生の慈愛あふれるまなざしと温かな激励に「報恩の人生を」と誓いました。
 男子部時代は、仕事や活動で何度も壁にぶつかりましたが、唱題を根本に全て乗り越え、多くの体験をつかむことができました。
 2012年には、妻に脳腫瘍が見つかりましたが、幸い腫瘍は良性。同志の題目にも守られ、術後の後遺症もなく、現在、支部婦人部長として組織の最前線で活動しています。
 内房総県は、“日蓮大聖人御聖誕の地”との誇りも高く、宝の青年部を先頭に対話拡大の大波を起こし、勝利の金字塔を築いてまいります。 千葉・内房総県長 小谷正弘


【聖教ニュース】

◆シンガポール広布50周年 記念総会に池田先生がメッセージ
 財務大臣はじめ各界の来賓が祝福

社会貢献のスクラムを幾重にも広げるシンガポール創価学会の友。次の50年へ、さらなる信頼の拡大を誓って(11日、SSA本部で)
社会貢献のスクラムを幾重にも広げるシンガポール創価学会の友。次の50年へ、さらなる信頼の拡大を誓って(11日、SSA本部で)

 シンガポール創価学会(SSA)の広布50周年を記念する総会が11日、SSA本部で盛大に開催され、代表800人が集った。
 これには、池田大作先生がメッセージを贈り、今日のシンガポール創価学会の発展を心から称賛。真剣な祈りを根本に、勇気を出して目の前の一人と仏縁を結ぶ挑戦こそ、立正安国の宝土を築く直道であると強調した。
 さらに、良き市民として、差異を超えて人々と協力し合い、自他共の幸福を開きながら広布と人生の勝利の歴史を刻んでいっていただきたいと念願した。
 総会に先立つ10日には50周年記念の集いが開かれ、ヘン・スイキャット財務大臣、シンガポール人民協会のデズモンド・タン理事長、シンガポール宗教連盟のラスタム・ガディアリ会長ら各界の来賓ら200人が列席した。
                                                                        ◇ 
 SSAは1967年、本格的な広布の前進を開始した。太平洋戦争で、日本軍による侵略と占領を経験した同国。草創期の同志は「日本の宗教なんか誰がやるか!」と罵倒された。しかし「良き市民たれ」の指針を胸に社会貢献に全力。やがて政府の要請を受け、青年部らが国家行事に出演するように。独立記念式典への参加は、31回を数えた。同国の繁栄と調和に貢献してきた半世紀の歩みの中で、SSAへの信頼は不動のものとなった。
 総会では草創の友2人が体験発表。入会48年の呉順興さんは約30人を入会に導いた喜びを、郭美金さんは信心根本に大病を乗り越えた模様を報告した。鄭永吉SSA理事長が、異体同心の団結でさらなる躍進をと訴えた。
 SSAの平和・文化・教育運動に共感を寄せるヘン財務大臣は、こう語っていた。
 「次の50年へ、愛するシンガポール社会に、さらに共生の心を発信してほしい!」

【先生のメッセージ】

◆御書と歩む 池田先生(SGI会長)が贈る指針  〈68〉「信」強き行動の知性たれ

御文
 今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と信受領納する故に無上宝聚不求自得の大宝珠を得るなり信は智慧の種なり
 (御義口伝、725ページ)
通解 いま日蓮と弟子檀那が南無妙法蓮華経と信じ唱えるが故に、自ずから求めずして、これ以上ない大宝珠を得るのである。信は智慧の種である。

■同志への指針
 今日の世界広布を築いたのは誰か。悪口罵詈にも怯まず、大法弘通に生き抜いてきた無名の庶民である。
 部結成60周年を迎える地涌の学徒は、この民衆凱歌の尊き信仰の真髄を誇り高く受け継いでいただきたい。
 わが後継の学生部よ、勇気凜々と「立正安国」の対話に打って出るのだ。祈り学び、走り語り、普賢の知性をいよいよ光らせてくれ給え!

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈明日を求めて 池田先生の対話録Ⅱ〉第37回 イラン出身の平和学者 テヘラニアン博士   「真実」を語る人が真実の「人間」 勇気の言論こそが「人間の証」

 
池田先生とテヘラニアン博士の初会見は「文明間の対話」「地球民族主義」などを巡って。テヘラニアン博士は「池田会長と話していると、心がなごみます。自分を繕う必要がありません」と(1992年7月29日、聖教新聞本社で)
池田先生とテヘラニアン博士の初会見は「文明間の対話」「地球民族主義」などを巡って。テヘラニアン博士は「池田会長と話していると、心がなごみます。自分を繕う必要がありません」と(1992年7月29日、聖教新聞本社で)


 学会の平和運動の原点である戸田先生の「原水爆禁止宣言」(1957年9月8日)から、本年で60周年を迎える。
 核兵器こそ戦争の抑止力と主張し、東西両陣営が核実験を繰り返していた冷戦下、戸田先生は核兵器を「絶対悪」と断じた。
 「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」
 「私の弟子であるならば、私のきょうの声明を継いで、全世界にこの意味を浸透させてもらいたい」
 この戸田先生の遺訓を胸に、対話で相互理解の橋を架け、生命尊厳の思想を世界に広げてきた池田先生にとって、恩師の名を冠した平和研究所の創設は長年の願望であった。
 戸田先生の生誕96年の日である1996年2月11日、「戸田記念国際平和研究所」が発足。その初代所長に就任したのが、イラン出身の平和学者マジッド・テヘラニアン博士である。
 発足直後の2月19日、SGI国際会議会館で会見。会うのは2度目だったが、旧知の同志のように語らいが弾んだ。
 「私は、うれしいのです。『戸田記念国際平和研究所』――これで恩師の構想を具体化できたからです」
 池田先生が喜びを伝えると、テヘラニアン博士は「戸田先生の名にふさわしい研究所にしてまいりたいと思います」と。
 博士から、研究所のモットーを「地球市民のための文明間の対話」に決定したことが伝えられた。
 「『対話』という言葉は安易に使われがちです。しかし、表面だけでなく深い次元の意義を知らなければなりません。人々の苦しみや痛みを直視し、さまざまな感情に心を砕き、人間的な側面を理解していくために『対話』が不可欠なのです」
 池田先生は応じた。
 「人間と人間が語り合うこと。これが全ての始まりです。宗教を前面に出して、『宗教と宗教』の話し合いをしても、そこからは友好は開けません。そうではなく、まず人間です。『人間と人間』の対話です。人間と人間が心を開き合い、知り合い、仲よくなれば、そこからいくらでも相互の違いに対する理解も生まれるものです」
 「かつて共産圏に対してそうだったように、今はイスラム圏に対して、多くの人たちは、偏った先入観を抱いていると思います。それでは全人類のために不幸です。だれかが、どこかで『道』をつくり、友好の大河へ『一滴』の水を通わせなければなりません」
                                                                         ◇ 
 テヘラニアン博士は1937年生まれ。池田先生と同様、戦乱の中で少年時代を過ごした。
 博士の故郷であるイランのマシュハドは、ソ連軍の爆撃を受けて占領された。砲弾の破片を避けるため、母の衣服に隠れて歩いた。
 ハーバード大学で学び、イラン学生協会の会長として祖国の民主化の旗を振った。時に身柄を拘束され、秘密警察に付け狙われた。
 池田先生との初の出会い(92年7月29日)では、かつてテヘラニアン博士が湾岸戦争を憂えて書いた詩が話題となった。
 「戦争は 我々の内なる 悪魔を現出させる」
 「(悪魔は)真っ赤な 毒の舌と 冷たい怒りの槍を 激しく動かしながら 限りない貪欲さと虚栄心で 人間性のすべてを 食い物にしようとしている」――。
 テヘラニアン博士もまた、人間を戦争へと駆り立てる「魔性」を見据え、行動を続けてきた。
  
 池田先生 祖国のため、自らの信念のために、毅然と戦った所長の“勇気”を尊敬します。牢に入ったかどうか、権力からの不当な迫害を受けたかどうかが、「人物」を見る私の大きな基準です。創価学会の初代、2代会長も、(3代の)私も、投獄されました。しかし、権力の弾圧には絶対に屈しなかった。これが私どもの永遠の誇りであり、原点です。
 テヘラニアン博士 学会の三代の会長の生き方に深い感動を覚えます。なぜなら、3人とも個人的な苦悩を乗り越えながら、なおかつ人類のために行動されているからです。崇高な、美しい価値を創造されているからです。世界には多くの苦悩する人々がいますが、そのように「人類のために戦う崇高な人生」へと自分を転換できる人は、限られています。
  
 池田先生は、創価の師弟への深い理解に感謝を述べ、博士の祖国であるイランの詩人サアディーの言葉を引いた。
 「人間は語ることによって獣にまさる、/よいことを語らなければ、獣が汝にまさる!」
 続けて博士に語った。
 「『真実』を語る人が、真実の『人間』です。本当のこと、正しいことを語る『勇気の言論』こそが、人間の証であり、平和の武器といえましょう」
 十数回に及ぶ2人の語らいは、2000年10月に、対談集『二十一世紀への選択』として結実した。
 イスラム世界に精通する博士との対談では、釈尊とムハンマドという仏教とイスラムの精神的源流にさかのぼり、平和創出の方途が探られている。
 その直後、「文明の衝突」を象徴するかのような米同時多発テロ事件(01年9月11日)が起こり、世界が震撼する中、同書で語られた「文明間の対話」の視座は重要な示唆を与えた。03年には英語版の『地球文明――仏教とイスラムの対話』が出版。同書はこれまで、アラビア語版、ペルシャ語版など11言語で発刊されている。
 テヘラニアン博士の尽力によって、戸田記念国際平和研究所は短日月に多大な成果を上げた。国際研究協力ネットワーク型の研究所として各国の研究機関や平和学者らと連携し、現代世界における平和構築への方途を探究している。
 2012年12月、テヘラニアン博士は75歳で永眠した。
 だが“対話こそ平和への道”との2人の信念は、世界中の後継の青年によって受け継がれていく。
 対談集で博士が紹介した、詩人ハーフィズの詩が響いてくる。
  
 対話をしよう
 二つの人生の十字路において
 いま別れたら
 もう二度と会えないのかもしれないのだから

 
マジッド・テヘラニアン 1937年、イラン・マシュハド生まれ。政治学、政治経済学、中東研究などを専攻し、ハーバード大学で修士号、博士号を取得。パリのユネスコ本部の勤務を経て、ハワイ大学教授、同大学スパーク・マツナガ平和研究所所長、タフツ大学外交大学院客員教授などを歴任。『グローバル・コミュニケーションと世界政治』など著書多数。戸田記念国際平和研究所の初代所長として発展に尽力した。2012年12月、逝去。

 〈引用・参考文献〉マジッド・テヘラニアン/池田大作著『二十一世紀への選択』潮出版社(『池田大作全集』第108巻所収)、池田大作著『大道を歩む 私の人生記録』毎日新聞社(『池田大作全集』第128巻所収)、マジッド・テヘラニアン/デイビッド・W・チャペル編『文明間の対話』戸田記念国際平和研究所監訳(潮出版社)ほか。
ご感想をお寄せください news-kikaku@seikyo-np.jp

◆〈信仰体験〉 京欄間彫刻師として60年

 【京都市右京区】截金や綴れ織などの伝統技術は、京都の固有の美意識によって、1000年を超える歴史の中で育まれてきた。「京都迎賓館」には、その“匠の技”が凝縮されている。

2017年6月17日 (土)

2017年6月17日(土)の聖教

2017年6月17日(土)の聖教

◆わが友に贈る

地域の幸福責任者こそ
地区部長・婦人部長だ。
本陣に立正安国の旗を!
この誓願と実証が
必ず創価の未来を開く!

◆〈名字の言〉 2017年6月17日
 

 小学4年生の子が、宿題で日記を付けていた。父が偶然、見てみると、どうもおかしい。一緒に出掛けたはずの日に、自分の知らない、全く別の行動が書いてある▼不思議に思って尋ねると、これは「他人日記」だという。つまり“自分ではなく友達の日記を、友達になったつもりで書く”という宿題なのだ▼例えば友達が公園に行ったとする。その子がどんな遊具が好きで、誰と遊んで、何を思ったかなどを、自分なりに想像を膨らませながらつづっていく。日記には直接、友達に聞いたことも含まれていた。その中で友達の長所に気付いたり、自分と共通する部分を発見したりするという▼他者の気持ちを想像することは、子らの心の成長に欠かせないばかりでなく、大人にも大切な姿勢だろう。人の気持ちは常に動いているもの。“相手は分かってくれている”と決め付けず、人情の機微を理解し、念には念を入れ、誠意をもって思いを伝えることが必要な時もある▼御書に「友達の一日に十度・二十度来れる人なりとも千里・二千里・来れる人の如く思ふて礼儀いささか・をろかに思うべからず」(1527ページ)と。日常的に触れ合う友にも、遠くの友にも真心を尽くすのが仏法者の振る舞いであり、広布を開く道であることを忘れまい。(行)

◆〈寸鉄〉 2017年6月17日
 

 「青年の成長なくして広
 宣流布もない」戸田先生。
 君よ激闘の中で強くなれ
      ◇
 東京・江東よ、大逆転を!
 庶民の力は偉大なり。勇
 気と団結で栄冠をつかめ
      ◇
 墨田が気迫の大攻勢!渾
 身の対話で混戦突破を。
 総立ちで勝利へ押し捲れ
      ◇
 茨城の日。師と共に凱歌
 の人生を歩む同志。祈り、
 語り、正義の連帯を拡大
      ◇
 日本の死亡率減少。健康
 志向の高まりが背景と。
 幸齢社会へ生き方も探求 

◆小説『新・人間革命』第30巻 雄飛の章 三 (6099)
 

 山本伸一たち訪中団一行は、二十二日の午後、北京大学を訪問し、季羨林副学長らの歓迎を受けた。同大学の臨湖軒で、創価大学との学術交流に関する議定書の調印が行われ、その際、北京大学から、伸一に名誉教授の称号授与の決定が伝えられた。
 伸一は、謝意を表したあと、この日を記念し、「新たな民衆像を求めて――中国に関する私の一考察」と題する講演を行った。
 中国は、「神のいない文明」(中国文学者・吉川幸次郎)と評され、おそらく世界で最も早く神話と決別した国であるといえよう。
 講演では、司馬遷が、匈奴の捕虜になった武将・李陵を弁護して武帝の怒りを買い、宮刑に処せられた時、「天道」は是か非かとの問いを発していることから話を起こした。わが身の悲劇という個別性のうえに立って、「天道」の是非をただす司馬遷の生き方は、「個別を通して普遍を見る」ことであり、それは中国文明の底流をなすものであるとし、こう論じていった。
 ――それに対して、西洋文明の場合、十九世紀末まで、この世を支配している絶対普遍の神の摂理の是非を、人間の側から問うというよりも、神という「普遍を通して個別を見る」ことが多かった。つまり、神というプリズムを通して、人間や自然をとらえてきた。そのプリズムを、歴史と伝統を異にする民族に、そのまま当てはめようとすれば、押しつけとなり、結局は、侵略的、排外的な植民地主義が、神のベールを被って横行してしまうと指摘したのである。
 さらに伸一は、現実そのものに目を向け、普遍的な法則性を探り出そうとする姿勢の大切さを強調。その伝統が中国にはあり、トインビー博士も、中国の人びとの歴史に世界精神を見ていたことを語った。そして、「新しい普遍主義」の主役となる、新たな民衆、庶民群像の誕生を期待したのである。
 伸一は、中国の大きな力を確信していた。それゆえに日中友好の促進とアジアの安定を願い、訪中を重ねたのである。

【聖教ニュース】

◆欧州SGI青年部が夏季研修会 
6・6「師弟の日」を記念 18カ国200人が参加
池田先生が祝福のメッセージ贈る

欧州青年部夏季研修会に参加した18カ国の代表が、世界広布新時代を担いゆく誓いにあふれて(フランクフルト池田平和文化会館で)
欧州青年部夏季研修会に参加した18カ国の代表が、世界広布新時代を担いゆく誓いにあふれて(フランクフルト池田平和文化会館で)

 6・6「欧州師弟の日」を記念する、欧州SGI(創価学会インタナショナル)の青年部夏季研修会が8日から11日まで、ドイツのフランクフルト池田平和文化会館で開催。欧州18カ国から代表が参加した。これには、池田大作先生がメッセージを贈り祝福。タカハシ欧州議長、プリチャード同女性部長、欧州青年委員会のオザワ委員長らが出席した。(2面に関連記事)
 「原点」を持つ人は強い。
 「誓願」に生き抜く人は負けない。
 欧州の同志にとっての原点――それは1981年(昭和56年)6月6日、池田先生が欧州の代表らと共に出席した、南仏トレッツの欧州研修道場での夏季研修会である。先生はこの日を「ヨーロッパの日」にしてはどうかと提案した。
 以来、欧州の友は、毎年巡り来る6月6日を、勝利の実証をもって迎え、また新たな決意で出発を切る、“誉れの原点”としてきたのである。
 2014年には「欧州師弟の日」と名称を改め、加速度を増して信頼の輪を広げ、人材の裾野を拡大。師弟誓願の精神は今、欧州各国の未来を担う青年に受け継がれている。
 今回の青年部研修会には、イタリア、イギリス、ドイツ、スペインなど18カ国の代表約200人が広布の誓いに燃えて参加した。
 池田先生はメッセージの中で、研修会に勇んで集った青年たち一人一人こそ「世界広布新時代の主役」であると強調。
 「何があっても『断じて負けない!』と決めて、それぞれの地域で、使命の舞台で、朗らかに仲良く進んでいってください。そして、大福運の人生を、隆々たる人間革命の大勝利の人生を共々に晴れ晴れと飾っていただきたい」と念願した。
 研修会は体験発表、御書講義、グループディスカッションなど多岐にわたる内容に。また、ビンゲン市のヴィラ・ザクセン総合文化センターにも足を運び、池田先生が同センターを訪問した際の模様や欧州の広布史を学び合い、師弟の心を胸に刻んだ。
 オザワ欧州青年委員長は「今こそ青年の手で、永遠に崩れない欧州広布の土台を築こう」と力説。タカハシ欧州議長が「新時代を担う誇りに燃え、一人一人が広布拡大の原動力に」と激励した。

◆〈季節の詩〉 東京・足立区 咲き誇る花菖蒲

  

 初夏の訪れを告げる花菖蒲。東京・足立区の「しょうぶ沼公園」に広がる青や薄紫、黄色などの“花のじゅうたん”は、見る人の心を躍らせる。
 かつて池田先生は、東京の同志から真心の菖蒲が届けられた歴史を述懐し、つづった。「仏法は『勝負』である。そして『菖蒲』もまた、『勝負』に通ずる」と。
 毅然と咲き誇る花菖蒲のごとく、我らもまた、わが生命を惜しみなく燃やし尽くし、“勝利のドラマ”を刻みゆく日々でありたい。(6月6日=宮田孝一記者撮影)
【先生のメッセージ】

◆〈随筆 永遠なれ創価の大城〉21 大東京に凱歌の朝
「いまだこりず候」と今日も前へ!
感激の同志と綴る誉れの歴史は不滅
 
荒川区、足立区……と活気ある街々を走り、やがて彼方には東京スカイツリーが。手前の流れは荒川(池田先生撮影。6日、葛飾区堀切付近で)
荒川区、足立区……と活気ある街々を走り、やがて彼方には東京スカイツリーが。手前の流れは荒川(池田先生撮影。6日、葛飾区堀切付近で)

 戸田先生と私との師弟の語らいは、常に御書と共にあった。
 一九五七年(昭和三十二年)の七月、「大阪事件」の渦中、関西本部で先生と拝した一節がある。
 「今の世間を見るに人をよくな(成)すものはかたうど(方人)よりも強敵が人をば・よくなしけるなり」(御書九一七ページ)
 先生は、私と一緒に難に立ち向かってくれた関西の同志を讃えられ、「これで、ますます強くなるぞ。福運に満ち満ちた、大境涯への飛躍を遂げた」と微笑まれた。
 私は申し上げた。
 「『いまだこりず候』――この仰せ通り、いよいよ強く朗らかに、民衆の正義の大連帯を拡大してみせます。どうか、ご安心ください」と(御文は御書一〇五六ページ)。
 東京に舞い戻り、私は直ちに常勝不敗の“東の錦州城”を築き始めた。けなげな宝友たちが、私と同じ不屈の闘魂で、汗を流し戦ってくれた。
 それが、愛する庶民の都・荒川であったのだ。

牧口先生と郷土


 以来六十年となる、この六月六日、私は懐かしい荒川へ向かった。西日暮里、町屋へと進み、わが友が模範の近隣友好を進める商店街の賑わいも、うれしく拝見した。
 牧口先生の生誕百四十六周年の日であり、荒川文化会館では、先師の遺徳を偲び、懇ろに勤行をさせていただいた。
 思えば、牧口先生の故郷は新潟の荒浜(現・柏崎市内)。荒川と同じ「荒」の字を含むことに、不思議な縁を感じる。
 先生は大著『人生地理学』において、郷土こそ「自己の立脚地点」なりと着目なされている。人が長じて国家、世界で活動しゆく“源の力”が郷土であるとされ、その大恩に報いていくべきことを強調されたのである。
 先生ご自身が、身近な縁を大事にされていた。同郷の集い「東京荒浜協会」の会長も務め、後輩たちに尽くされている。一九二八年(昭和三年)七月に、現在の東京・調布にあった京王閣で総会を開き、会長として挨拶されたことは、郷土の新聞でも報じられた。
 それは、牧口先生が、日蓮大聖人の仏法と巡り合われた直後であった。
 六月に先生は、豊島の池袋に住む紹介者のもとへ約十日間、通われた。そして五十七歳のこの年、日蓮仏法の実践を開始された。以来、ここ大東京を本陣として、広宣流布の対話の波を起こし、仏縁を広げ抜いていかれたのだ。
 まさに、「仏種は縁に従って起る」(御書一四六七ページ)である。
 東京中に留められた先師と恩師の足跡に思いを馳せつつ、私は荒川からの帰り道、思い出深き足立を回り、さらに隅田川沿いに進んだ。
 葛飾、墨田、台東、江東など、いずこも共戦の地涌の友らが走る街並みに題目を送りながら!

人生勝利の要諦


 日蓮大聖人は、大難の佐渡で綴られた。
 「法華経の行者は信心に退転無く身に詐親無く・一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥に後生は申すに及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得・広宣流布大願をも成就す可きなり」(同一三五七ページ)
 この御文を拝し、戸田先生は「法華経の行者」たる私たちの広布と人生の勝利の要諦を教えてくださった。
 第一に「信心に退転無く」である。「進まざるは退転」という。題目で元初の太陽を昇らせ、勇敢に、弛まず前へ進むのだ。
 第二に「身に詐親無く」とは、自らの行動にウソ偽りがないことだ。誰人にも誠実を貫き、真実を語り切る。それが仏の慈悲に通ずるのだ。
 第三に、「一切法華経に其の身を任せて」いくことである。何があろうとも、全てを御本尊への祈りに入れて、一つ一つ勝ち切っていくのだ。「法華経に勝る兵法なし」である。
 最後に、「金言の如く修行」である。如説修行であり、「権門をかっぱと破りかしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ」(同五〇二ページ)と、折伏精神を燃やして打って出るのだ。
 創価学会は、この通りに戦ってきたからこそ、「勝妙の大果報」を得て、世界広宣流布の大願成就へ大前進してくることができたのだ。

師弟共戦で勝つ


 わが故郷であり、創価の源流である東京――。
 牧口先生と戸田先生は暴走する国家主義と対峙し、共に巣鴨の牢獄に囚われ、先師は殉教された。
 恩師は敗戦直前に移送された中野の獄舎から出獄し、戦後の焼け野原にただ一人立ち、「妙法流布の大願」を高く掲げられたのである。
 学会再建への第一歩を踏み出したのは、目黒駅の近く、品川の上大崎に借りた事務所からであった。戦前に創価教育学を実践した時習学館があった地域でもある。
 私は大田で、この師と出会い、立正安国の戦いを起こした。
 東京には、仏意仏勅の教団たる学会の指揮を、三代の師弟が厳然と執ってきた不滅の歴史がある。それがゆえに、常に、障魔の嵐は我が東京に襲い掛かってきた。
 だが我らは、師と共に、「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」(同一四四八ページ)と胸張り、全ての強敵に打ち勝ってきた。
 師と同じ誓願、師と同じ責任感、そして師と同じ威光と勢力で、万年の創価の勝利を決するのが、本陣東京の永遠の誇り高き使命なのである。
 「東京は強い根っこだ。東京は徹して断じて強くあろうよ」と、東京・北区の十条で語り合った思い出がある。一九七九年(昭和五十四年)の七月のことだ。
 偉大な婦人部の献身に感謝を込め、東京の歌「ああ感激の同志あり」を、皆で声高らかに歌った。
 「感激の同志」との異体同心の前進ある限り、感激の逆転劇を必ず創っていける。師弟誓願の魂が燃える大東京は明るく、底抜けに朗らかだ。今こそ、創価家族の模範の団結で進むのだ。
 わが新宿・信濃町には、広宣流布大誓堂が、威風堂々と聳え立つ。
 時折しも、二〇二〇年の東京オリンピック・パラリンピック会場は、間近で建設されている。
 今、この時、世界広布の本陣で戦う我らには、どれだけ大きい使命があることか。計り知れない宿福深厚の人生を歩んでいるのである。

青年が立つ時だ


 六月から七月へ、学会は燃え上がる「青年」の勢いで進む。それが創価の栄えある伝統である。
 六月三十日には、男女学生部が結成六十周年の佳節を迎える。英知と智慧の若き諸君が、民衆勝利という父母の願いを胸に、希望の突破口を開いてくれていることを、私はよく知っている。
 さらに七月十一日は、わが後継の闘将・男子部の結成の日。
 七月十九日は、平和と幸福の門を開く女子部の結成の日――。いずれも六十六周年の節を刻む。直前の八日は、「白蓮グループの日」でもある。
 青年が立つ時だ。青年が戦い勝つ時だ。
 君よ、貴女よ、新時代の地涌の若人たちよ、創価の完勝を担いゆけ!夜明けが来た!
 今、何よりも有り難いことは、尊き多宝の父母が学会精神を満々と漲らせ、意気軒昂に奮闘してくれていることだ。
 「肉体は老いても、精神の若い老人がいる」
 これは、戸田先生が「妙悟空」の筆名で執筆された小説『人間革命』の一節である。
 私はこの一書を恩師より直接、賜った。
 六十年前(一九五七年)の七月三日――恩師の「出獄の日」より十二年。奇しくも私の「入獄の日」のことであった。
 「夕張炭労事件」を皆で勝ち越えた北海道から、大阪に向かう途中、羽田空港で飛行機を乗り換える待ち時間である。
 この折、権力の魔性が牙をむく「大阪事件」の嵐に突き進む私に、文京支部の婦人リーダーが必死の声で言った。
 「同志へのご伝言を!」
 私は一言、贈った。
 「『夜明けが来た』と伝えてください」
 獄中闘争は、約二週間に及んだ。七月十七日、中之島の中央公会堂で行われた大阪大会で、私は烈々と訴えた。
 ――最後は、信心しきったものが、また、正しい仏法が、必ず勝つという信念でやろうではありませんか!
 この師子の確信を、今、二十一世紀の後継の直弟子が、厳然と受け継いでくれている。
 いかに困難が立ち塞がろうが、最後は勝つ。断じて勝つ!
 これが我ら創価の信念であり、誓願であり、本懐なのだ。
 さあ、いよいよ世界広布新時代の本門の「夜明け」が来た!
 師弟の日「七月三日」の晴れやかな凱歌の朝を共に! 歓喜と感激の同志と万歳を共々に!
     
 後継の
  元初の生命よ
     勝ち昇れ
  万年照らす
    凱歌の朝に
    
 (随時、掲載いたします)

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆欧州青年部の夏季研修会から 世界広布新時代は私たちが主役!

   
同志の絆を強め合った欧州青年部。研修会の合間に、語らいの花が咲く(フランクフルト池田平和文化会館で)
同志の絆を強め合った欧州青年部。研修会の合間に、語らいの花が咲く(フランクフルト池田平和文化会館で)

 欧州青年部の友は、「歓喜の体験を語ろう」キャンペーンを展開している。同部の夏季研修会(8~11日、ドイツ・フランクフルト池田平和文化会館)でも、各国の代表が信仰体験を披露した。

◆〈生老病死を見つめて〉 悔いなき日々を 
「臨終只今」の心で、きょうも広布へ

 
                                                                                                                                                 

 連載「生老病死を見つめて」では、創価学会員が信心根本に、生老病死という「四苦」を乗り越えてつかんだ信仰の確信と仏法の哲理を紹介する。今回は24歳の娘を亡くした壮年の体験を通して考察したい。
心に刻む御聖訓
 百二十まで持ちて名を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ(崇峻天皇御書、1173ページ)

突然の「末期がん」の宣告


 御書には「所詮臨終只今にありと解りて信心を致して南無妙法蓮華経と唱うる人を『是人命終為千仏授手・令不恐怖不堕悪趣』と説かれて候」(1337ページ)とある。かつて池田先生は、この御文を通して次のように語った。
 「『所詮臨終只今』ということは、只今に全生命をかけていくということにほかならない。日々を懸命に生きていく、広宣流布に、一生成仏に、我が生命を燃焼させながら、戦い抜いていくということであります」と。
 今、この時を、力の限り悔いなく生き抜く――。岡山池田総県総合長の長江章行さん(61)は、この決意で学会活動に奔走している。脳裏には、今は亡き長女・章子さんの面影が鮮やかに残っている。
               ◇ ◆ ◇ 
 岡山県総社市で生まれ育った長江さんは2歳で家族と共に入会。幼い頃から学会の庭で育ち、男子部として薫陶を受けてきた。1980年(昭和55年)には妻・信江さん(61)=圏副婦人部長=を折伏して結婚し、その後、1男1女に恵まれる。青年部時代、また壮年部に移行後も広布の第一線で戦ってきた長江さんだったが、2006年(平成18年)4月、突然の試練に襲われた。長女・章子さんが末期の肝臓がんとの宣告を受けたのである。章子さんは当時24歳だった。
 長江さんは語る。
 「『腰が痛い』と言っていた娘が病院で診断を受けたところ、肝臓にピンポン球のようながんが二つあることが分かりました。がんは末期で、大腸と肺にも転移しており、手術は不可能とのこと。医者からは『もって2カ月』と言われました」
 病の宣告を受けた長江さん夫妻は、その晩、意を決して章子さんに病状を伝えた。妻・信江さんが振り返る。
 「章子は大きなショックを受けていましたが、すぐに病魔と闘う決意を固めたようでした。仲の良い友達に、がんが見つかったことを伝え、『絶対に病気に負けないから!』と力強く語っていました。その姿に触れて、私たち夫婦も“必ず宿命転換しよう!”と決意しました」

わが使命を果たしたい!

 ――章子さんは地元・岡山の高校から、創価女子短期大学に16期生として入学。鍛えの日々を送り、卒業後は地元・岡山の信用金庫に同短大卒業生として初めて採用された。
 入行以来、章子さんの営業成績は常にトップで、「後輩のために道を開きたい」と奮闘してきた。職場での面倒見もよく、将来を嘱望されていたという。
 学会の庭では女子部本部長、白蓮グループの県委員長として仕事と活動の両立に挑戦。未来部員の励ましにも足しげく通っていた。
 病が判明してから、章子さんはすぐに入院し、抗がん剤治療を受けた。だが、治療の効果は現れず、同年7月下旬には、医者から「できる限りのことはしましたが、状況が厳しくなりました。もっても、残り1週間ほどだと思います」と告げられる。
 「医者も一度はさじを投げました。しかし、章子は“自分の使命を果たしたい”と、電話で友人と対話し、聖教新聞の購読も推進しました。ある時、『どうしても折伏したい人がいる』と言って、勤め先の同僚を病室に呼んで仏法対話をしました。その同僚は入会を決意し、御本尊を受持することができました」(長江さん)
 この間、奇跡的にがん細胞の数値が下がり、章子さんは別の病院で、再び抗がん剤治療を受け始めた。9月になると、がん細胞が徐々に死滅し、治療の効果が現れ始める。だが、抗がん剤の影響で章子さんの体の抵抗力は落ち、体力的にもギリギリの状態になっていた。
 06年10月13日の夜、病室で章子さんと一緒に勤行をした信江さんは、「さあ、寝ようか。頑張って使命を果たそうよ!」と声を掛けた。章子さんは、笑顔で「はい!」と返事をすると、そのまま意識を失って倒れた。
 2日後の10月15日、家族に見守られながら、章子さんは眠るように静かに息を引き取った。病気の判明からわずか6カ月半。享年24歳だった。
 「病気が分かった時、医者から『激しい痛みに苦しむことになる』と言われましたが、章子は最期まで苦しむこともなく亡くなりました。その姿や臨終の相に接して、成仏を確信できました」(信江さん)

友に励ましを送り続ける


 長江さん夫妻にとって、章子さんを失った衝撃は大きかった。
 「あまりにも早い別れと、壮絶な闘病生活に、しばらく現実を受け入れられませんでした。ただ、本当に多くの同志が闘病中をはじめ、娘が亡くなった後も励ましてくれ、心から感謝しています」(長江さん)
 長江さん夫妻は、章子さんが亡くなってから、あらためて知ったことがある。それは、章子さんが多くの人を励まし続けていたという事実である。
 弔問に来た学会の同志や会社の同僚から、「章子さんの励ましに支えられた」「勇気づけられた」という話を何度も聞いた。また、「章子さんの笑顔が忘れられない」という声も多数あった。
 「臨終只今」――師から学んだこの生き方を、章子さんは、病を得る前から、そして、闘病の中にあっては、なおさら強く貫いて生きた。
 その生命は、両親の胸中に生き続けている。
 信江さんは言う。
 「娘を失った悲しみは筆舌に尽くしがたいものでした。でも、章子が白蓮グループとして、常に笑顔で会館に着任していたことを思い出し、私も会館に行く時は笑顔になろうと決意し、涙をぬぐってきました」
 長江さんも、章子さんの在りし日の思い出を聞かされるたびに、「娘に負けない人生を生きよう!」と自身を奮い立たせたという。そして、「百二十歳まで長生きしても悪い評判を残して一生を終わるよりは、生きて一日でも名をあげることこそ大切である」(御書1173ページ)との「崇峻天皇御書」の一節を何度も拝して御本尊に祈り、地域広布に走り抜いてきた。
 長江さんは語る。
 「最期まで戦い抜いた章子の姿から、私たち夫婦が学んだことは、一日一日を大切に生き抜くということです。病魔との闘いで、章子も怯んだり、負けそうになったりしたことがあったと思います。それでも、決して諦めずに戦い続けた娘を誇りに思います。私たち夫婦も娘に負けないように、さらに多くの人に励ましを送り、自他共の幸福のために生き抜いていきます」

取材メモ

 長女・章子さんが亡くなって4カ月後の2007年(平成19年)2月、池田先生から長江さん夫妻に一首の和歌が届けられた。その脇書きには、「ご夫妻共に/断じて負けないで/最愛の娘は必ず環ってくる/仏法の方程式を信じて/娘に叱られないように/大勝利の人生を!」と、したためられていた。
 「葬儀などでも決して泣きませんでしたが、この時ばかりは池田先生の真心に号泣しました。同時に、三世の生命観の上から『章子は必ず生まれ変わってくる』と心から確信することができ、“娘の分まで広布に生き抜こう”という腹が決まりました」
 その後、長江さんは県長・総県長を8年にわたり務めたが、この間、折に触れて章子さんの闘病の様子を語り、同志に「負けない信心」の大切さを訴えてきた。
 長江さん自身、娘を失った悲しみは今もある。だが、それ以上に、病魔と闘い、使命に生き抜いた娘を誇りに思う。だからこそ、「章子に負けないように!」との決意で、きょうも広布に走り抜いている。(秀)

◆〈信仰体験 白ゆりの詩〉 聴覚障がい、言語障がいに屈しない 

 苦労はすべて宝に変わる大井支部、婦人部副本部長。聴覚障がい、言語障がいに屈することなく、信心を土台に苦難と戦い、乗り越えてきた。信心一筋、広布の母の歩みとは――。
 【岐阜県恵那市】「御本尊様と学会の同志。そして、池田先生のおかげ。私の人生があるのは。本当にそれだけよ」と、笑みを浮かべて語ってくれた、梶田和美さん(67)=
 

2017年6月16日 (金)

2017年6月16日(金)の聖教

2017年6月16日(金)の聖教

◆わが友に贈る

最も苦しい時に
最大の力を出すのが
学会精神の真髄だ!
確信の題目を根本に
敢然と人間革命の劇を!

◆〈名字の言〉 2017年6月16日
 

 小学校教諭の教育部員が、常々、子どもたちに伝えていることがある。「人生は宝探しゲームだよ」。お金では買えない、けれど大切なものを、たくさん見つけよう、と▼「私は一日に『ありがとう』を100回言うの」と語る92歳の婦人を取材した。東京・足立区の団地で、一つ年上の夫を在宅介護する。最初の“ありがとう”は毎朝、目覚めた瞬間。「見える目に、聞こえる耳に」。ポストに届いた本紙を手にすれば、無冠の友のぬくもりを感じる。1時間かけて熟読。同志の信仰体験に、師の励ましに感謝する▼親切なケアマネジャーや介護スタッフに対しても必ず「ありがとう」。「父の日」を前に、夫へのプレゼントを持って来てくれた友人と対話が弾む。就寝前、御本尊に合掌する。「きょうも、たくさんの宝物が見つかりました」。これまで実らせた弘教は60世帯以上。子も孫も皆、広布後継の道を歩む▼最上の幸福とは? そう問われ、釈尊は答えた。「諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人々を尊敬すること」と(スッタニパータ)▼自分がどれほど多くの人やものに支えられているか、気付ける人には愚痴がない。「感謝」を心の基調にする人は、どんな試練も幸福への薪にできる。人生の宝は、すぐ近くにあるものである。(恭)

◆〈寸鉄〉 2017年6月16日

 平坦な道を歩いて宿命転
 換などできるか―戸田先
 生。強く祈り艱難に挑戦
      ◇
 東京・品川が急追。勇敢に
 語り断固攻め勝て!民衆
 の底力奮い起こし勝鬨を
      ◇
 特区・町田が激闘。決戦の
 時は今。限界突破の拡大
 で栄光の峰へ突き進め!
      ◇
 無事故が全ての礎。事故
 に遭わない起こさない―
 「百千万億倍の用心」で
      ◇
 家庭・学校・地域…居場所
 と感じる所が多い若者ほ
 ど、充実感強いと。絆は宝

◆社説  あさっては「父の日」   拡大の先頭に立つ創価の黄金柱


 「父の日」が広く知られるようになったのは、第28代アメリカ合衆国大統領のウッドロー・ウィルソンの演説からだといわれている。国際連盟の創設に尽力し、ノーベル平和賞に輝いた彼は自身の父親を「最高の教師で、最も励ましてくれる相手であり、少年にとって最も恵まれた最高の指導をしてくれる」人と語っている(アーサー・S・リンク著・草間秀三郎訳『ウッドロー・ウィルソン伝』南窓社)。
 父親の存在は、幼い日には分からなくても、成人し、社会の荒波にもまれ、時がたつと、その大きさに気付かされる。
 父親は、試練の時、ひときわ使命の炎を燃え上がらせる。
 「父の日は、父である私が感謝する日でもあります」と語る壮年部員がいる。彼は会社のトラブルを乗り越え、信頼を拡大する中、ステージ4の大腸がんが判明した。当時、一人娘は5歳。手術を受けるも再発した。
 「師匠のため、同志のため、負けるわけにいかなかった」と、抗がん剤の点滴を続けながら仕事と学会活動に奮闘。父の日に娘からもらった「家族の似顔絵」が力になったという。
 その後、見事に乗り越え、今では職場でも重責を担うほどに回復。一人娘は「お父さんは過酷な病との闘いの中でも笑顔を絶やさなかった。今も変わらないその笑顔が私の元気の源です」と感謝の言葉を述べている。
 “父親”とは、学会でいえば黄金柱の壮年部に当たる。北海道方面は昨年、「支部ブロック5勇士」の取り組みで、全国模範の達成率を打ち立てた。その後の弘教や新聞購読推進でも、「壮年部のおかげで、わが地区は勝利することができました」との声が後を絶たない。
 ある本部では、壮年部が地区1世帯に迫る弘教を達成。さらに男子部を励まして対話を後押し。歓喜の波動は婦人部、女子部にも伝わり、同志の笑顔が広がっている。壮年部が拡大の先頭を走り、北海道は昨年、堂々たる世帯増を成し遂げた。
 池田先生は、壮年部指導集『黄金柱の誉れ』の発刊の辞で、つづっている。
 「現実の闘争は熾烈だ。しかし、たとえ絶体絶命に思えたとしても、『柱』さえ厳然と屹立していれば、そこから反転攻勢の勝負が始まる」
 不撓不屈の黄金柱――豊かな経験に裏打ちされた不動の確信を持ち、どんな逆境をもはね返す百戦錬磨の行動力も備える。周囲の皆を安心の笑顔で包み込む包容力もある。あさっては「父の日」。創価の黄金柱の本領発揮の時が来た。

◆きょうの発心   師子吼の題目で病魔に打ち勝つ2017年6月16日

御文
 南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや(経王殿御返事、1124ページ・編569ページ)
通解 南無妙法蓮華経は師子吼のようなものである。どのような病が、障りをなすこ
とができようか。

 唱題によって、どんな病にも負けない境涯を築くことができるとの慈愛の励ましです。
 1967年(昭和42年)10月、池田先生が北区の旧赤羽会館を訪問。当時、小学3年生だった私もその場に参加し、煩悩即菩提の法理を教わりました。
 中学3年生の冬、高校受験の失敗と時を同じくして、急性腎炎を発病。失意のどん底でしたが、先生の指導を思い起こし、この御文を胸に高校生活をスタートしました。75年1月、高校1年生の私は、東京未来会5期として先生と記念撮影を。この時“師子の子は断じて負けるな”と励ましてくださったのです。高等部の先輩の激励もあり、唱題に挑戦。病は治り、信心の確信をつかみました。
 結婚後、支部婦人部長として奮闘するさなかに、すい臓炎を発症し、再び、この御文を真剣に拝しました。「健康な体になって、広布に走ります」と必死に祈り、活動に励む中、数年後に完治しました。感謝の思いでいっぱいです。
 先生は「北区よ、わが喜多区よ! 常勝の歴史をつくれ! 全員が常勝将軍と立て!」と呼び掛けてくださいました。必ずや北区に東京凱歌を轟かせる決意です。  東京・喜多戸田区総合婦人部長 大梶陽子

◆小説『新・人間革命』第30巻 雄飛の章  二 (6098)
 


 二十二日午前、山本伸一たち訪中団は、北京市の中国歴史博物館で開催中の「周恩来総理展」を参観したあと、故・周総理の夫人で、全国人民代表大会常務委員会の副委員長等の要職を務める鄧穎超の招きを受け、中南海の自宅「西花庁」を訪れた。
 彼女の案内で、海棠やライラックの花が咲く美しい庭を回った。亡き総理が外国の賓客を迎えたという応接室で、伸一は一時間半にわたって懇談した。前年四月、日本の迎賓館で会見して以来、一年ぶりの対面であり、総理との思い出に話が弾んだ。
 この日午後、人民大会堂で行われた歓迎宴でも、周恩来の生き方が話題となり、鄧穎超は、総理の遺灰を飛行機から散布したことについて語った。胸を打たれる話であった。
 「若き日に恩来同志と私は、『生涯、人民のために奉仕していこう』と約束しました。
 後年、死んだあとも、その誓いを貫くために、『遺骨を保存することはやめよう』と話し合ったんです」
 遺骨を保存すれば、廟などの建物を造ることになり、場所も、労働力も必要となる。それでは、人民のために奉仕することにはならない。しかし、大地に撒けば、肥料となり、少しでも人民の役に立つこともできる。
 ところが、中国の風俗、習慣では、それはとうてい受け入れがたいことであり、実行することは、まさに革命的行動であった。
 「恩来同志は、病が重くなり、両脇を看護の人に支えられなければならなくなった時、私に念を押しました。
 『あの約束は、必ず実行するんだよ』
 そして、恩来同志は亡くなりました。私が党中央に出したお願いは、ただ一つ、『遺骨は保存しないでください。全国に撒いてください』ということでした。この願いを毛沢東主席と党中央が聞いてくれ、恩来同志との約束を果たすことができたんです」
 人民への奉仕に徹しきった周総理を象徴するエピソードである。意志は実行することで真の意志となり、貫くことで真の信念となる。 

【聖教ニュース】

◆南米ウルグアイで希望の種子展 
 政府長官、モンテビデオ市長らが開幕式へ
 
ウルグアイ文化会館で行われている“希望の種子展”。多くの市民が来場し、環境保護への意識を啓発する場となっている
ウルグアイ文化会館で行われている“希望の種子展”。多くの市民が来場し、環境保護への意識を啓発する場となっている

 環境展「希望の種子――持続可能性のビジョンと変革へのステップ」が5日(現地時間)、南米ウルグアイの首都モンテビデオにあるウルグアイ文化会館で開幕した(18日まで)。
 同展は、国連が実施した「持続可能な開発のための教育の10年」を支援する取り組みとして、SGI(創価学会インタナショナル)と地球憲章インタナショナルが共同企画・制作したもの。地球規模で進む環境危機に警鐘を鳴らし、その解決には一人一人の人間の心の変革こそが大きな力になることを訴える内容である。これまでに36カ国・地域を巡回してきた。
 ウルグアイ文化会館で行われた開幕式には同国政府の予算企画庁(OPP)のアルバレス長官、モンテビデオ市のマルティネス市長らの来賓をはじめ、多くの市民が参加した。
 アルバレス長官は、「一対一の関わり合いの中で人間の可能性を引き出し、世界を変えていこうとされているSGIの皆さんに期待したい」と語った。
 同国SGI婦人部の代表が同展の開催の経緯に言及。カエツ理事長が池田大作先生の小説『人間革命』の主題を通し、“一人の変革から一国、世界の変革は始まる”と述べた。
 テープカットに続いて、マルティネス市長が祝辞を。「より良き人間になるためには、精神の向上が不可欠である」と訴えつつ、それは、まさしくSGIが実践していることであり、現実の上で社会に貢献している団体であると賛辞を送った。
 このほか同展の開幕に当たって、国内の識者から祝福のメッセージが多く寄せられた。その中の一人、メルセデス・メナフラ・デ・バジェ元大統領夫人は2001年に池田先生ご夫妻と東京で会見している。その後もSGIの会合に参加するなど、創価の平和運動に共感を寄せてきた。
 ウルグアイの各界が注目する同展は今後、同国各地を巡回する。

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈インタビュー〉 ドミニカ共和国の識者に聞く 
 サントドミンゴ自治大学 フェルナンド・サンチェス・マルチーネス元総長
 池田会長は寛容の精神に満ちた対話で世界に平和建設の模範を示した

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                    池田先生は1987年2月、中米ドミニカ共和国を初訪問。その折、同国最高峰の学府であるサントドミンゴ自治大学から「名誉教授」称号が贈られている。2008年には、同大学の名誉博士号を受章した。名誉教授就任から30周年となる本年、当時、同大学の総長として池田先生に称号を授与したフェルナンド・サンチェス・マルチーネス博士に話を聞いた。(聞き手=谷口伸久記者)

 ――サンチェス博士は、池田先生がドミニカを訪問する約1年半前の1985年9月に、東京・信濃町の聖教新聞本社を訪れ、池田先生と会見されています。
 日本政府の招へいで訪日した際、表敬訪問しました。初対面の私に対し、池田SGI会長が穏やかに、親愛の情をもって迎えてくださったことを、今でも印象深く覚えております。
 事前に、トインビー博士と池田会長の対談集を読んでいた私は、会長との会談を楽しみにしていました。
 私たちは「大学の使命」などについて語り合い、「若い世代に、人類の生存権、社会正義などを正しく教育し、平和に貢献する人材を育成することこそ、大学の使命である」との意見で一致しました。会長は、地球規模の諸課題に対して深い洞察を持ちながら、非常に分かりやすく話をしてくださいました。その慧眼に感銘を受けました。
 その後、池田会長の卓越したリーダーシップと平和への貢献をたたえるために、87年に会長がドミニカを訪問した折、わが大学の法律政治学部の名誉教授に就任していただきました。
 以来30年以上にわたって、会長と交流を結んできました。2008年に、わが大学の名誉博士号をお受けいただいた際には、訪日した大学関係者に私のことを尋ねてくださるなど、変わらぬ友情を示し続けてくださり、心からうれしく思いました。
  
 ――サントドミンゴ自治大学にとって、名誉教授の称号を贈るということは、どのような意義があるのでしょうか。
 大学というのは高等教育機関です。その我々の目的は、「全人格的な教育」にあります。大学で学ぶ青年たちに、人間としての模範の生き方を示さなければなりません。
 全人格的な教育というのは、単に専門知識を与えるだけではなく、自分自身と世界との関連性を深く理解させ、社会的な問題がどこに起因しているのか見極める力を持たせることです。
 そうした意味から、世界的に最も重大な問題である核兵器の廃絶や平和問題などに対し、毎年、提言を発信し、民衆運動をリードしてこられた池田会長の行動の偉大さを、高く評価するに至ったのです。
 また、池田会長は、学園や大学を創立されており、国連や学術機関からの称賛が相次いでいます。会長のような、人間的に、かつ学術的に傑出した人物を顕彰できることは、わが大学にとって、大変に光栄なことであります。
 特に卓越していると思うのは、池田会長の「対話の力」です。
 平和を築くキーポイントは「相互理解」です。そのためには、恒常的に対話に臨む姿勢と、寛容の精神が必要です。個人や地域、国家など、いずれの次元においても、相互理解を深める対話によって平和が築けることを、池田会長は自身の行動をもって示してこられました。
 冷戦時代、池田会長は、核兵器が使用されるかもしれないという危機的状況に立ち向かわれました。アメリカやソ連をはじめ、世界各国の指導者と直接、対話を展開されました。
 また、アジアにおいても、第2次世界大戦で日本が侵略した歴史を踏まえながら、各国と積極的に友好の道を開かれたのです。

 ――博士は、SGIとも長年、交流を深めてこられました。
 これまでも多くのイベントに参加させていただきました。SGIの会館で講演をしたこともあります。
 メンバーが届けてくださる機関誌も読んでいます。SGIが、ドミニカ社会に広く受け入れられていることがよく分かり、私も友人として、大変うれしく思っています。
 本年2月に行われた池田会長の訪問30周年を記念する総会にも、出席させていただきました。そこにはドミニカの著名な識者らが招待され、内容はとても素晴らしいものでした。
 特に、治療が難しい病気と宣告された婦人の体験談に感動しました。希望を失わずに病気に立ち向かい続け、寛解を勝ち取られた。さらには、自身の経験を通じて同じ病に苦しむ人に勇気を送っている。病に侵されても負けない生き方に、会場にいた誰もが胸を打たれたことでしょう。
 精神科医である私の経験からいっても、病気は決して、身体的な問題だけではありません。病に立ち向かう心構えや精神状態の違いが、大きな“回復の差”となって現れます。例えば、家族と調和が取れている。職場や地域で良い人間関係を保っている。自分の人生の目的を自覚している――こうした人は、病に対して悲観的になりにくく、回復も早いものです。
  
 ――苦難に直面している人の心の支えになるには、どのように接すればいいのでしょうか。
 まず、話を聞いてあげることが大切です。そして、相手が話をしたいと思った時に、すぐに聞いてあげられるよう、日頃から関わりをもつことです。そこで大事なことは、単に相手に“合わせる”のではなく、互いを信頼し合う関係性を構築することです。
 こうしたことは、医療の現場でも行われています。
 私も現在、病気の予防や治療において、「グループセッション」を取り入れています。一方的に話をするのではなく、患者同士が語り合うことで、患者自身の中から問題を乗り越える力を引き出すのです。
 今日の社会では、人間関係の希薄化が、ますます深刻になってきています。技術の進歩によって、生活は便利になりました。インターネットやスマートフォンが普及し、家にいながら遠く離れた人と交流ができる一方で、すぐそばにいる家族との会話が減っているという指摘もあります。
 わが国でも、経済発展の陰で格差が広がり、共働きの家庭が増えたことで、親子が共に過ごす時間が減ってきています。一番身近なはずの家族間のコミュニケーションでさえ、少なくなりました。
 私は、こうした家庭内のコミュニケーション不足と、それによって引き起こされる孤立を非常に危惧しています。多くの人にとって家庭とは、“心に安らぎを与えてくれる場所”だからです。
 こうした時代にあって、地域や社会で人間を結ぶSGIの存在は、多くの人に希望を与えています。
 あの婦人の体験談のような話を、もっと多くの人に聞いてもらいたいと思います。そうすれば、人生の暗闇の中、出口を見いだせず、独りで、もがき苦しむ人々に、再び立ち上がる勇気を与えられるに違いないからです。
 SGIには、調和のとれた幸福な社会を築く力があります。池田会長の思想や哲学、SGIの力が、今後ますます刮目される時代になるでしょう。

◆〈信仰体験 登攀者〉 日本料理人 一色憲治さん 
 守りに入るな徹して攻め抜け

 空気がきりっと張り詰めた厨房――。9人の職人が、凜とした手際で会席料理の品々を調理している。揚げ帆立、白だこ、冬瓜スープ煮、福子押し鮨の新笹包み……。
 

2017年6月15日 (木)

2017年6月15日(木)の聖教

2017年6月15日(木)の聖教

◆わが友に贈る

朝の真剣な祈りこそ
価値創造のエンジンだ。
「きょう一日を
一週間分、十日分に」と
勢いよく出発しよう!

◆〈名字の言〉2017年6月15日

 知人の勧めで本紙を購読した婦人。記事の内容もさることながら、配達員のはつらつとした“あいさつ”に感動したという▼“何と温かく響くのだろう”。婦人は配達員に会うのが楽しみになり、いつしか玄関の前で待つように。購読の契約が切れる頃、知人に継続を願い出た。「あの声をまた聞きたくて。“私も明るくなろう”って勇気が湧くから」。婦人は長年の悩みに立ち向かう決意を固め、先日、入会を希望した▼「声を発する」という過程には喉と口だけでなく鼻や顎、さらに肺・気管など胴体の4分の3が携わっており、実は体のほとんどの部分と関連している。そのため、足首をくじいても声に影響するという。体中の器官の驚異的な連携によって声は生まれている。人は“全身”でしゃべっているのである▼加えて、声の高さや大きさ、速さによって伝わり方が変わる。このような発話に伴う言葉以外の特徴を「パラ言語」と呼ぶ。このパラ言語によって、言葉に“生命”が吹き込まれ、思いが相手に届く(アン・カープ著『「声」の秘密』草思社)▼法華経に「色心不二」と説かれる通り、心と体は一体である。満々たる生命力は、体を伝わって、生き生きとした声となって表れる。きょうも爽やかなあいさつから、友好を広げたい。(靖) 

◆〈寸鉄〉  2017年6月15日

 学会こそ最も不撓不屈の
 庶民の団体―学者。さあ
 まさかが実現の劇を共に
      ◇
 東京・中野が猛進撃。痛快
 に逆転を!徹底した攻め
 と粘りと団結で勝利掴め
      ◇
 新宿よ強気で押しまくれ
 常勝が本陣の使命なり。
 師子となって勝ち進め!
      ◇
 栃木婦人部の日。勇気の
 対話を今こそ!幸の絆を
 結ぶ母たちに福徳燦たり
      ◇
 国連で核兵器禁止条約の
 交渉第2会期。廃絶こそ
 民衆の悲願。必ず成立を

◆社説  言葉は人生を豊かにする  躍動する生命で朗らかな対話


 「緑陰に開く原書の冷ややかに」――人気の俳人・夏井いつきさんが、今月9日付の本紙インタビューに寄せた「初夏の3句」の一つである。
 緑陰が夏の季語。青々と茂る樹木の陰には涼風が時折吹く。原書は翻訳本ではない洋書。古典・原典の類いと解しても許されるだろうか。読み解くのに多少負荷のある本に没頭する時間が「冷ややかに」過ぎていく。
 木陰の情景、若々しい心を映す学びの姿。首夏らしいイメージを鮮やかに詠んだ一句だ。
 活字を読み、人が得るものとは一体何だろう。それは、まず「想像する豊かさ」だと、聖教歌壇選者の道浦母都子さんは語った。そして、さらに「言葉の豊かさで
す。語彙の豊かさは、生活の豊かさに通じる」とも。
 かつて鎌倉文学館の富岡幸一郎館長は、言語学者・丸山圭三郎の大学での講義の思い出を紹介してくれた。丸山教授は「窓の外を見てください。青空がありますね。しかし、青空はないのです。青空という言葉があるのです」と語ったという。つまり、これは「言葉は単なるコミュニケーションの道具ではなくて、私たちの世界を生成していく」のであり「そこにいる人々の世界観を生み、認識を秩序立て、流動する森羅万象を形あるものにする」ことを意味する。
 言葉が世界を成立させる。言葉の乱れは社会を混乱させる。それ故、第2代会長・戸田先生は、うそ偽りの輩を「信なき言論煙の如し」と一刀両断した。
 学会員が朝晩、読誦している法華経方便品第2の経文に「言辞柔軟。悦可衆心」――(如来は)言葉は柔らかであり、人々の心を喜ばせる、とある。
 柔和で凜とした確信ある言葉を響かせる。これは耳あたりの良い甘言で相手におもねるのではない。心を知り、琴線に触れること。礼儀と誠意を尽くして堂々と真実を語ることである。
 かつて池田先生は「仏は言葉を編むのに真剣です。悩み、工夫する。方便力を発揮する。そういう努力の結果が、『自在』の説法として表れる」と語った。どうすれば心が通うか、希望が湧くかと、心を砕く日々の努力自体が“如来の振る舞い”に通じると拝せよう。躍動する生命の喜びを広げゆく私たちの朗らかな「対話」で、薄暗い世に明かりをともすのだ。
 その中でこそ本に親しめる。言葉が味わえる。「読書は、智慧も、知識も、指導力も、そして御書の読み方にも、力を与えてくれる」と日記につづった、池田先生の若き日に倣いたい。

◆きょうの発心   広宣流布の大願に生き抜く2017年6月15日

御文
 願くは我が弟子等・大願ををこせ(上野殿御返事、1561ページ・編1241ページ)
通解 願わくは、わが弟子らは大願を起こしなさい。

 師弟の魂を胸に、広宣流布の大願に生き抜くことを教えられた一節です。
 
 私が幼少の頃に父が亡くなったため、母は女手一つで私たち3兄弟を育て、学会活動に奔走。経済的にも大変な中、温かい励ましを送ってくださった創価家族に本当に感謝しています。
 青年部になったばかりの1984年(昭和59年)、「神奈川青年平和音楽祭」に出演。仕事、練習、広布の活動と全てをやりきって迎えた当日、雨にぬれながら青年を励ます池田先生の姿を今も鮮明に記憶しています。この感動を語り、入会した妻と結婚し、2人の子どもに恵まれました。
 “自分自身に生きなさい”との池田先生の指導を心に刻み、生涯、広布の大願に生き抜こうと決意。今日まで、この誓いのままに歩んできました。
 わが家の後継も育ち、息子は2人の子を持つ親に。娘は県女子部長として活動しています。一昨年に妻が亡くなり、私自身「妻の分も頑張り、縁する全ての人を幸福に」との決意を新たにしました。
 今月で新「平塚文化会館」が完成して5周年。平塚県のスローガン「拡大の金字塔 連戦連勝の平塚県」を胸に人材城を構築し、青年部を先頭に勝利の実証を示してまいります。
 神奈川・平塚県長 吉村元司

◆小説『新・人間革命』第30巻 雄飛の章 一   (6097)
 


 北京は、うららかな陽光に包まれていた。空港の周囲に広がる、のどかな田園風景が、「北京の春」を感じさせた。
 一九八〇年(昭和五十五年)四月二十一日の午後二時半(現地時間)、山本伸一たち第五次訪中団一行は、北京の空港に到着した。
 この訪中は、伸一が会長を辞任して以来、初めての海外訪問であった。彼は、これまで民間交流によって築き上げてきた日中友好の金の橋を、いっそう堅固なものにするとともに、二十一世紀に向かって、平和の大道を広げていこうとの決意に燃えていた。
 空港で一行を出迎えた中日友好協会の孫平化副会長が、伸一に語り始めた。
 「北京は、この二、三日、『黄塵万丈』だったんですよ」
 「黄塵万丈」とは、強風で黄色い土煙が空高く舞い上がる様子をいう。
 「一寸先も見えない状態でした。昨日の夕方、やっと収まったんです。今日は春らしい日和となり、青空も広がりました。大自然も、先生の訪中を祝福しているようです」
 今回の中日友好協会からの招聘状には、「春の暖かく花が咲く季節」に一行を迎えたいとあり、まさにその通りの天候となった。
 伸一は、束の間、日本国内での学会を取り巻く状況を思った。
 “宗門の若手僧たちは、異様なまでの学会攻撃を繰り返している。まさに「黄塵万丈」といえる。しかし、こんな状態が、いつまでも続くわけがない。これを勝ち越えていけば、今日の青空のような、広宣流布の希望の未来が開かれていくにちがいない”
 案内された空港の貴賓室には、大きな滝の刺繡画が飾られていた。これは、黄河中流にある大瀑布で、さらに下ると、竜門の激流がある。ここを登った魚は竜になるとの故事が、「登竜門」という言葉の由来である。
 御書にも、竜門は仏道修行にあって成仏の難しさを示す譬えとして引かれている。
 一行は、幾度も激流を越えてきた創価の歩みを思いながら、滝の刺繡画に見入っていた。

【聖教ニュース】

◆〈ワールドリポート〉 世界の“ザダンカイ” 
 台湾・台北 青年の躍動支える“愛心ママ” 信仰の実証を示してみせる
          
台湾の金華地区永康組の5月度座談会では、青年部から婦人部へ、日頃の感謝を込めてカーネーションが贈られた。写真は、未来部の楊豐綸くん(右端)から母親の黄少薇・地区婦人部長へ(先月21日、台北市内で)

台湾の金華地区永康組の5月度座談会では、青年部から婦人部へ、日頃の感謝を込めてカーネーションが贈られた。写真は、未来部の楊豐綸くん(右端)から母親の黄少薇・地区婦人部長へ(先月21日、台北市内で)

   模範の社会貢献が光る台湾SGI(創価学会インタナショナル)。台湾行政院の内政部から「社会優良団体賞」を19回連続、「優良宗教団体賞」を14回連続で受賞している。それほどまでに社会から大きな信頼が寄せられる背景には何があるのだろうか。その一端でも学びたいという思いで、“台湾のザダンカイ”を取材した。(記事=村上進、写真=井﨑伸明)
 先月21日の日曜日。日本より一足先に梅雨に入り、曇りがちな台湾の空から時折、まぶしい陽光が差し込む。
 座談会場に向かう途中、発展する台湾を象徴する光景が。101階建ての「台北101」を東に望む大通り(信義路)には、世界をリードする台湾IT関連の企業や金融機関等が、所狭しと立ち並ぶ。その中に、観光客や台湾各地からの人でにぎわい、流行の先端をいく人気店が集まる商店街「永康街」がある。
 今回、訪れたのは、この台湾の中心地域を舞台とする、台北西区・金華地区永康組(ブロック)の座談会だ。
                                                               ◇ 
 午後2時開会。司会は男女青年部による軽妙な掛け合いで。ITが浸透する台湾らしく、お面をかぶってスマートフォンになりきった男子部員が“音声認識機能”を使い、女子部員が投げ掛ける質問に“人工知能”で答えていく流れ。座談会に初めて来てくれた友人や、青年・未来部も楽しめるように、「なぜ御書を学ぶのか」「信仰体験の力」などについて、分かりやすい説明を加えていた。
 さらに、座談会で発表される内容が理解しやすいように、青年部が事前にパソコンで作成した資料を、次々とテレビ画面に映し出すなど、いたるところに工夫が凝らされていた。 
 会合の中で続々と発表を行うのも青年部。5・3「創価学会の日」について研究発表をしたのは、出版社で働く社会人1年目の女子部・䔥閔云さん。「5・3の意義は、私にはよく分かりませんでしたが、今回、世界平和と人類の幸福を実現しようとする、戸田先生と池田先生の師弟の魂が込められていると、はっきり分かりました」と。
 本年の台湾青年部のスローガン「いまだかつてない歴史をつくろう!」を胸に、仕事でも生活でも新しい挑戦を続ける中、信心に消極的だった弟も、学会活動に励むように。その喜びを語る彼女に、大きな拍手が送られた。
 また、御書学習のコーナーで「立正安国論」の講義を担当したのは、名門・台湾大学の大学院生・鍾佩宏さん。今回、留学生の友人と共に参加。大学院生ならではの少々難しい講義も、熱心に耳を傾ける同志の温かさに包まれ、充実した学びの時間に。
 参加した友人は語った。「以前から、なぜSGIのメンバーは人に対して明るく、親切な振る舞いができるのか疑問でしたが、座談会に参加して分かりました。皆で励まし合える小さい単位の集まりがあることは、とても素晴らしいことですね」
 台湾でも日本と同様、激しい競争社会や人間関係の希薄化が進む中、仕事や生活上の壁に直面し、誰にも相談できずに悩む若者が多くいるといわれる。その中にあって、職場や家庭で信仰の実証を示そうと奮闘する青年を支え、活躍を応援するという思いに満ちた台湾SGIの座談会は、まさに若い人が安心して輝ける場所なのだろう。
 そんな温かな同志への感謝を青年部が語る中で、何度も登場したフレーズが“愛心ママ”。
 台湾婦人部では、親元を離れて暮らす学生部や地域の宝の未来部をはじめ、青年一人一人の状況に合わせて励ましを送る担当者を決め、“愛心ママ”と名付けて活動しているという。
 座談会の途中、「母の日」の5月にちなんでのサプライズが。「創価の母に感謝」「愛心ママありがとう」――地区の青年部それぞれが婦人部への感謝を語る映像が映し出された。
 さらに青年部が「母」の歌を歌いながら、婦人部にカーネーションを渡す姿に、会場は感動に包まれた。
 座談会は、さらに体験発表のコーナーへ。
 中正本部男子部長を務める楊英杰さんは、昨年末、念願の司法試験合格を果たした。
 妻の黄少薇さん(地区婦人部長)との結婚を機に、義母からの勧めで入会。長男・楊豐綸くんの出産の際、へその緒が首に巻き付いて生まれ、生命が危険な状態を、妻と共に唱題で乗り越えた。また8年前に乳がんを発症した妻が、信仰の力で克服した姿を目の当たりにし、自らも学会活動に参加しながら試験への挑戦を続けた。
 しかし、何度受けても不合格。次第に祈りへの確信が弱まり、活動からも遠ざかる。昨年、心が折れかけた夫に妻は語った。「信心根本で挑まなければ、不可能を可能にすることはできないよ」と。
 一念発起し、男子部の活動、創価班の任務も全てやり切りながら勉強を再開。地区の同志から励ましを受ける中で、「偉大な信仰の実証を自らの結果で示してみせる」との強い祈りに変わった。そして、13回目の挑戦で合格をつかんだ楊さんは、体験発表の最後に「妻そして義母、世界一の婦人部の皆さまの祈りに感謝です」と。今年、中学に進学する長男からは、母親であり、地区の“愛心ママ”である黄さんに花束が手渡された。
                                                                  ◇ 
 台湾初の支部となる台北支部が結成されたのは、55年前の1962年。しかし当時の台湾は、戒厳令のもと言論や集会の自由は著しく制限され、宗教活動が自由にできない時代が続いた。
 翌63年1月27日、海外訪問からの帰路にあった池田先生の飛行機が、給油のため台北・松山空港に一時着陸。待っていた草創の同志に、先生は語った。
 「本当の勝負は、30年、40年先です。最後は必ず勝ちます」「冬は必ず春となります」
 その指針を胸に、台湾SGIは、平和・文化・教育の運動で社会の発展に尽くし、一人一人が現実の中で良き市民として、信仰の実証を示す偉大な伝統を築き上げてきた。
 今や、その社会貢献の姿が台湾社会から模範とたたえられる“春の時代”が到来した。
 そして、“冬の時代”に培われた「社会で実証を示し抜く精神」は、“愛心ママ”をはじめ壮年・婦人による青年部への励ましの中で、後継の世代へと確かに受け継がれている。
 ご感想をお寄せください news-kikaku@seikyo-np.jp

【先生のメッセージ】

◆池田先生がジャパンタイムズに寄稿 2
 市民社会の声を反映させ核兵器禁止条約の成立を
 
ニューヨークの国連本部で行われた核兵器禁止条約交渉会議の第1会期。一般討論では市民社会の一員として、SGIも発言した(本年3月)
ニューヨークの国連本部で行われた核兵器禁止条約交渉会議の第1会期。一般討論では市民社会の一員として、SGIも発言した(本年3月)

 アメリカ・ニューヨークの国連本部で明15日から始まる核兵器禁止条約交渉会議の第2会期に向けて、池田先生は6日付の英字紙「ジャパンタイムズ」に「禁止条約は核兵器のない世界へ可能性を開く」と題し、寄稿した。ジャパンタイムズ紙の了承を得て、日本語の全文を掲載する。
 核兵器禁止条約の締結に向け、正念場となる交渉会議の第2会期が、今月15日からニューヨークの国連本部で始まる。
 3月末の第1会期には、加盟国の3分の2に及ぶ130カ国近くが参加し、市民社会の代表も交えて活発な討議が行われた。
 人類と地球の生態系を壊滅の危機にさらす核兵器――。その脅威は一向に解消されず、むしろ増幅しかねない方向に向かいつつある。交渉会議は、こうした状況の根本的な打開を目指すものだ。
 「私たちヒバクシャは、核兵器禁止条約は世界を変革できるものであり、変革しゆくものであるという点について、少しの疑いも抱いていない」
 第1会期での被爆者のこの発言に対し、会場でしばし拍手が鳴りやまなかったように、それは、国家の違いという垣根を超えて多くの参加者に共通する思いでもあるといえよう。
 先月22日には、交渉会議の議長から禁止条約の草案が発表された。核兵器が引き起こす壊滅的な人道的結末を深く憂慮し、核兵器の使用はもとより、保有や開発などを広く禁じる内容となっている。
 前文には、「核兵器の犠牲者(ヒバクシャ)や核兵器実験による被害者の苦痛に留意する」との一節も盛り込まれた。
 “二度と惨劇を繰り返してはならない!”という世界のヒバクシャの強い思いが、条約の精神を刻む前文に掲げられたのだ。
 核兵器と核兵器が対峙する状態は、あくまで時代状況の中でつくり出されたものであって、国際社会において絶対に動かすことができない“所与の条件”などではないはずだ。
 事実、これまで非核地帯が次々と設立される中、110以上の国々が核兵器に依存しない安全保障の道を選び取ってきた。その中には、一時は核開発を模索しながらも放棄した国も少なくない。
 “核兵器による安全保障”とは、広島と長崎での惨劇が他国で繰り返されてもやむを得ないとの前提に立った、極めて非人道的な安全保障観に他ならないという本質と向き合う必要がある。
 残念ながら、第1会期の討議には、核保有国をはじめ、日本を含む大半の核依存国が参加しなかった。
 しかし禁止条約の草案に記された、核兵器による壊滅的な人道的結末への深い懸念は、2010年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の最終文書において全会一致で示された通り、核保有国や核依存国を含め、今やどの国にも共有されているものだ。
 この共通認識に基づき、NPTの全加盟国が「核兵器のない世界という目的に完全に合致した政策を追求する」と明確に誓約したことを、第2会期での討議の土台に据えて、さらに多くの国が交渉の輪に加わる中で、核兵器禁止条約の具体的な条文として結晶させることを、私は強く呼び掛けたい。
 そこで重要な鍵を握るのは、核依存国の参加である。中でも、唯一の戦争被爆国である日本が果たすべき役割は大きい。
 昨年4月、広島で行われたG7(主要7カ国)外相会合で、日本は他の核保有国や核依存国と共同して、「我々は、核兵器は二度と使われてはならないという広島及び長崎の人々の心からの強い願いを共にしている」との宣言を世界に発信した。この宣言を胸に、日本は今こそ交渉会議への参加に踏み切るべきだ。
 広島と長崎の強い願い――。そこには、“どの国も核攻撃の対象にしてはならない”との思いとともに、“どの国も核攻撃に踏み切らせてはならない”との思いが脈打っている。核兵器禁止条約は、それを人類共通の規範として打ち立てるもので、日本の使命は、その実現のために最大の努力を払うことにあるといってよい。
 核兵器が地球上に存在し続ける限り、かつてのキューバ危機のような一触即発の事態が生じる恐れは消え去ることはない。
 「大量殲滅の時代における“世界大戦”ではなく、我々は、この自己決定の時代にあって“世界法”を選び取る」とは、1961年の国連総会でケネディ大統領(当時)が呼び掛けた言葉であった。
 多くの国々と市民社会が協働する形で、建設的な討議が進められてきた禁止条約は、まさにケネディ大統領が提起していた“世界法”にもつながるものといえよう。
 NPTの履行を確保する重要な基盤となり、核兵器廃絶への流れを決定的なものにする核兵器禁止条約を、7月7日まで行われる第2会期で、何としても成立させるべきだ。
 そして、この歴史的な条約が、市民社会からの声を十分に反映したものとして採択されることを切に望むものである。

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈世界写真紀行〉第16回 オランダの風車 2017年6月15日
一日一日、勝利の旗を

アムステルダム近郊の風景(2016年撮影)。この地域の風車は、主に粉をひくために使われてきた
アムステルダム近郊の風景(2016年撮影)。この地域の風車は、主に粉をひくために使われてきた

 ゆるやかな流れに沿って点在する風車。大小の水路に潤された草地が、陽光を浴びて黄金色に輝いている。まるで“おとぎの世界”のようだ。
 オランダの首都アムステルダム近郊。
 のどかな風景とは対照的に、同国の歴史は絶えざる「水との戦い」だった。
 正式な国名は「低地の国」を意味する「ネーデルラント王国」。面積は日本の九州ほどだが、その4分の1は海面より低いため、常に水害の危険にさらされてきた。
 15世紀に最初の風車が建造され、国土を広げるため、湖の干拓が始まる。堤防を築いて水を閉じ込め、風車の力で水を堤防の外へくみ出すのだ。16・17世紀には至る所に風車が立ち、大きな湖の干拓が次々と進められた。
 こうして、しばしば大洪水に見舞われながらも、商業をはじめ、農業・工業の発展によってオランダは黄金時代を迎えるのである。
 池田先生は、オランダの干拓の歴史に触れ、次のように述べている。
 「オランダの人たちは、人間の知恵と努力への信頼度が高い気がする。簡単に『しかたがない』とは、あきらめないのだ」
 オランダの美しい大地には、不撓不屈の精神が息づいているのである。
 1967年5月、先生がオランダを訪れた。61年に続き、2度目の訪問だった。
 当時の同国のメンバーは、わずか5人。しかし先生は、未来の大発展を展望して、支部を結成する。
 この時の模様が、小説『新・人間革命』第12巻「新緑」の章につづられている。
 友を宿舎に招き、近況に耳を傾ける山本伸一会長。
 仕事を失ったという青年には、力強く励ました後、こう語り掛けた。
 「人生の戦いというのは“もうだめだ”と思ったところから、どう立ち上がっていくかにある。そこから、本当の勝利への飛翔が始まるんだ」
 また伸一は、リーダーの団結の重要性を確認した上で、拡大の要諦に言及する。
 「広布の戦いは持続です。苦労に苦労を重ねて、あと一歩というところまで来ても、気が緩み、手を抜けば、そこから崩れてしまう」
 「決して油断したり、あきらめたりするのではなく、闘魂を、情熱を、いや増して燃え上がらせ、一つ、また一つと、着実に勝利の旗を打ち立てていくことです」
 油断せず、そして諦めず。一つ一つ、着実に――師の指針は、「水との戦い」を繰り返してきたオランダの友の胸に強く響いたに違いない。
 以来、友は新たな広布拡大への挑戦を開始。団結第一で、一人また一人と粘り強く対話を重ね、地域に友情と信頼を広げた。83年には、ルベルス首相(当時)と池田先生の会見が実現した。
 支部結成から本年で50周年。現在、オランダSGIは、5方面37支部に発展。社会に平和と人間主義の光を発信している。
 広宣流布は、永遠に仏と魔との激しい戦いである。どんなに努力を重ねてきても、“何とかなるだろう”“たぶん大丈夫”などという心の緩みがあれば、一気に崩れてしまいかねない。
 何があろうと前進をやめないことだ。強盛な祈りを根本に、一日一日、知恵を絞り、仏縁の拡大に全力を挙げる。そして一日一日、勝利の旗を厳然と打ち立てていく――。その着実な積み重ねが、偉大な栄光の扉を開く。

◆〈座談会 栄光の峰をめざして〉38 さあ、希望の新時代に向かって! 
 団結こそ広布を成就する力
 各地で梅雨入り 健康・無事故の毎日を
 

誠実と熱意が、人の心を動かす。いかなる人も、広宣流布の味方に!――この烈々たる祈りと勇気と勢いで、栄光の歴史を開きゆく時は今(13日、東京・北平和会館での北総区の地区部長会)
誠実と熱意が、人の心を動かす。いかなる人も、広宣流布の味方に!――この烈々たる祈りと勇気と勢いで、栄光の歴史を開きゆく時は今(13日、東京・北平和会館での北総区の地区部長会)

 伊藤 池田先生は先日、小説『新・人間革命』「雌伏」の章で、1980年(昭和55年)2月、鹿児島・奄美の女子部員の代表86人が、先生のいる東京を訪れた模様を綴ってくださいました。感動で胸がいっぱいになりました。
 原田 奄美は草創の同志の皆さんが、無理解による弾圧を乗り越え、広布の模範の前進を遂げられた天地です。そこから集った、師弟の心の強き女子部員たちに、先生は呼び掛けられます。「必ず幸せになるんだよ。私は、その姿を見ることがいちばん嬉しいし、それが、信心の正しさの証明になるんです」と。この言葉に、皆さんが、どれほどの勇気をもらい、希望を抱いたことか。
 長谷川 さらに、先生は、「皆さんは、それぞれが日本一、世界一、幸せになることを誓ってください。幸福のための信心であり、学会活動であり、広宣流布なんです」とも励まされています。
 永石 実は今月、東京・信濃町の広宣流布大誓堂での誓願勤行会に、奄美から大勢の方々が参加されました。
 その中には、小説に登場した人物のモデルとなった、奄美光城県の県副婦人部長をはじめ、当時上京した12人の方々もいました。
 伊藤 奄美の女子部員とその出身者の代表16人もおられ、私もお会いさせていただきましたが、求道の心を継承した皆さまの姿に、深く感動しました。
 原田 不滅の師弟の出会いから37年。あの時の女子部員と、その“子どもの世代”に当たる華陽の乙女たちが今、深き師弟の心で、上京されたことを聞かれた先生は、大変に喜ばれていました。
 永石 あの時の皆が、広布の道を歩んでいるとも伺いました。今も多くの方が奄美におり、さらに鹿児島、関西、関東、東京など、それぞれが、使命の舞台で師弟の原点を胸に頑張っているそうで、先生の深い激励に、感動と感謝の思いです。
 原田 先生は綴られています。「皆さんの求道心あふれる姿は、創価学会の希望です。何があっても揺るがない、皆さんの強く清らかな信心こそ、二十一世紀を開く力です。朗らかに、堂々と胸を張って、前進していきましょう」と。燃える「求道の心」こそ、自身の確かな成長をもたらし、時代を変える力です。「感激の同志」の皆さまと共に、何としても広布の新時代を開いてまいりたい。

学会永遠の黄金則

 長谷川 先生は常々、信心における「団結」の重要性を教えてくださいます。あらゆる戦いを「団結」で勝ち開いてきたのが、学会の歴史です。
 伊藤 先日の「雌伏」の章でも、「団結」について、綴られていましたね。
 志賀 広宣流布を目指す上での最第一の鉄則は、「金剛不壊の異体同心の団結」であると強調され、「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か」(御書1337ページ)との御文について指導してくださいました。
 長谷川 「自他彼此の心なく」とは、自分と他人の差異にとらわれることなく、“共に同志である”“等しく地涌の菩薩である”との意識に立つことです。
 永石 「水魚の思を成して」とは、皆が広布の大切な同志であると自覚して、互いに尊重し、守り合っていくことでもありますね。
 原田 そして、「異体同心」です。「異体」とは、一人一人の個性や特質を尊重することであり、「同心」とは、広宣流布という同じ目的に向かい、心を一つにしていくことです。
 大聖人は、この「異体同心」を実現できてこそ、広宣流布の大願が成就できると結論されています。団結こそ、魔を打ち破り、困難を乗り越える力です。
 志賀 先生は、「もしも、意見の違いなどによって感情的になり、怨嫉したりするようになれば、本末転倒です。何があろうが、“広宣流布のために心を合わせ、団結していこう”という一念で、異体同心の信心で進むことこそが私たちの鉄則です。いや、学会の永遠の“黄金則”です」とも言われています。
 原田 「千載一遇の天の時」を迎えた今だからこそ、私たちは、本陣・東京をはじめ、全同志が、強盛な祈りと信心の勢い、そして「金剛不壊の異体同心の団結」で、師弟凱歌の歴史を築いてまいりましょう。

度差が激しい時
 永石 各地で梅雨入りが発表されました。1日の温度差が激しい時期となり、健康の管理には一層の注意が必要です。
 長谷川 まず大切なのは、体温の調整です。急に寒くなることも考え、羽織る物を1枚持って行動するなどして、賢明な日々を送っていきたいと思います。
 原田 また、「雨」が降る日も増え、「交通事故」には、特に気を付けていかなければなりません。
 志賀 たとえば、車であれば、雨が降ると、視界が悪くなりますので、普段よりも一層、慎重な運転を心掛けていくことですね。
 永石 自転車に乗る方も多くいると思いますが、傘差し運転は絶対に厳禁です。雨がっぱなどを着て、対処しましょう。
 伊藤 歩行中であっても、雨で濡れたマンホールなど、滑りやすい場所が増えますので、注意することが大切ですね。
 原田 忙しい日々だからこそ、皆で声を掛け合い、「健康・無事故」の前進を続けていきましょう。

◆〈信仰体験〉 建機巧みに操る土木系女子(ドボジョ) 私が輝ける場所、見つけた!


 【横浜市栄区】ショベルカー、10トンのダンプカーにフォークリフト。さまざまな建機が
うなりを上げながら仕事を進めている。

2017年6月14日 (水)

2017年6月14日(水)の聖教

2017年6月14日(水)の聖教

◆わが友に贈る

団結と勝利の道を開く
使命深き副役職の友よ
いよいよ本領発揮の時!
〝長〟と同じ一念で
本陣に広布の理想郷を!

◆〈名字の言〉 2017年6月14日

 釈尊が初説法の地・鹿野苑へ向かう途中のこと。ウパカという修行者に出会い、対話が始まった▼“仏様”の言葉だからすぐに納得した――わけではなかった。ウパカは「そうかもしれないね」と皮肉交じりに頭を振り、去ってしまったという。仏教学者の中村元氏は、仏でさえも「伝道に関してやはり失敗があったということは、興味ある事実」と(『中村元選集決定版第11巻』春秋社)▼鹿野苑に着いた釈尊は、かつての修行仲間5人のもとへ。数日がかりの対話の末、ついに最初の一人、コンダンニャが教えを理解する。釈尊は感嘆の声を2度も上げた。「ああ、コンダンニャは悟ったのだ!」。やがて他の4人も続いた。なお、先述のウパカも後に釈尊に帰依したとされる▼仏典が伝える釈尊の、なんと人間らしい姿か。「仏」だから、何か特別な力を持っているわけではない。正道を広めたいという誓いの強さ、友に幸福になってほしいという慈悲の深さ、心を通わせようとする誠実と忍耐。仏の「力」といっても、そこに尽きよう▼御書に「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(1361ページ)と。自身の持てる精いっぱいの力を振り絞って、対話に挑もう。その人こそ、仏にも等しい、広宣流布の偉大な勇者である。(之)

◆〈寸鉄〉 2017年6月14日

 「強敵を伏して始て力士
 をしる」御書。青年は戦い
 に勝って弟子の証し残せ
      ◇
 東京・豊島が執念の猛追。
 ここからが正念場。正義
 の言論戦で栄光の扉開け
      ◇
 大田が勇戦。破れぬ壁は
 ない。今こそ爆発的拡大
 で東京凱歌の先陣を断固
      ◇
 油断をすれば濁流に流さ
 れる―戸田先生。仏法は
 勝負。日々発心の祈りを
      ◇
 働く意欲ある高齢者を後
 押しする自治体が続々。
 経験豊かな“日本の宝”

◆社説  食中毒に細心の注意   賢明で心豊かな食生活が健康守る


 食中毒予防に力を入れなければならない時季となった。食中毒を引き起こす細菌の多くは、人間や動物の体温ぐらいの温度で増殖のスピードが最も速くなる。また湿気を好むため、細菌が原因となる食中毒は夏場(6月~8月)に多く発生している。
 先月26日には、新潟・妙高市内の山中で湧き水を飲んだ小学生と家族ら43人が発熱や下痢などの症状を訴え、食中毒菌のカンピロバクターが検出された。ペットボトルに湧き水を入れて持ち帰った児童がいて、それを飲んだ家族も発症したという。県は、井戸水や湧き水などの水質は変化するので、煮沸してから飲むよう呼び掛けている。
 厚生労働省は食中毒菌を「付けない、増やさない、やっつける」との食中毒予防の3原則に基づき、「家庭でできる食中毒予防の6つのポイント」を発表している。①食品の購入――消費期限などを確認する。肉汁や魚などの水分が漏れないようにビニール袋などに分けて包む②家庭での保存――帰宅後は速やかに冷蔵庫へ。詰め
過ぎると冷気の循環が悪くなるので7割程度までに。肉、魚、卵などを取り扱う時には前後に手指を洗う③下準備――野菜などの食材を流水でよく洗う。冷凍食品の解凍は冷蔵庫や電子レンジを利用し、自然解凍は避ける。使用後の調理器具は洗った後、熱湯をかけて殺菌する④調理――肉や魚は十分に加熱。中心部を75度で1分間以上の加熱が目安⑤食事――清潔な食器を使う。作った料理は長時間、室温で放置しない⑥残った食品――温め直す時にも十分に加熱。時間がたち過ぎて、少しでも怪しいと思ったら絶対に口に入れずに捨てる。
 手作り弁当にも気を付けたい。清潔な容器を使い、おかずはしっかり加熱。おにぎりは素手ではなくラップを使うと安心だ。長時間持ち歩くなら保冷剤の活用も。また、バーベキューでは、食材を十分加熱し、生肉を扱ったトングや箸は食べる時に使わないなど、特に注意を。
 最近では、寄生虫アニサキスによる食中毒がテレビで取り上げられている。生鮮魚介類を生で食べる際には注意が必要だ。
 池田先生は、食中毒防止の心構えについて「『これぐらいなら』という油断が事故のもとです」と『健康の智慧―仏法の眼・医学の眼―』(池田大作全集第66巻に収録)で語っている。賢明で心豊かな食生活の積み重ねが健康と長寿につながっていく。忙しい日々にあっても「清潔」で「衛生的」な調理と食事を心掛けていきたい。

◆きょうの発心    行学の実践で「東京凱歌」を2017年6月14日

御文
 行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし(諸法実相抄、1361ページ・編550ページ)
通解 行学の二道を励んでいきなさい。行学が絶えてしまえば仏法はない。自分も行い、人をも教化していきなさい。行学は信心から起こる。力があるならば一文一句であっても人に語っていきなさい。

 信心根本に「行学の二道」にまい進することが仏道修行の根幹であるとの仰せです。
 1977年(昭和52年)12月、杉並文化会館を訪れた池田先生と“大楠公”を連弾でピアノ演奏。奏でる音色の荘厳な響きと力強さに圧倒されながら、「師弟の道、広宣流布の道を永遠に前進しよう」と決意しました。
 現在、楽しみにしているのが、毎月の婦人部の「グループ学習・懇談」です。「大白蓮華」に連載中の池田先生の御書講義などを10年以上、学び合い、歓喜のままに仏法対話に挑戦してきました。6年前、お世話になった音大の先生に20年越しの対話が実ったことが縁で、毎月、友人の家で近隣の方々を招いて“歌う会”を開催するように。友好を深める中で、学会理解の輪が広がっています。
 先生が練馬の友に贈ってくださった「勇気の信心」を実践し、断じて東京凱歌の歴史を開いてまいります。  東京・練馬創価区副総合婦人部長 近澤典子

◆小説『新・人間革命』第30巻 雌伏の章   六十八 (6096)
 


 戸田城聖の二十三回忌にあたる一九八〇年(昭和五十五年)四月二日付の「聖教新聞」に、山本伸一の「恩師の二十三回忌に思う」と題する一文が掲載された。
 そのなかで、彼は呼びかけた。
 「広宣流布の前進を亡失したならば、宗開両祖の御精神に背くことになるのを深く恐れるのであります。私どもは、以上を踏まえつつ、ふたたび、勇んで広宣流布のため、民衆救済の前進を開始してまいろうではありませんか」
 彼の胸には、常に恩師が生き続けていた。慈折広布に生涯を捧げ尽くした勇姿が、瞼から離れなかった。そして、その戸田の弟子らしく、自身もまた、広宣流布に邁進し抜いて、この一生を終わるのだという思いが、強く、強く、込み上げてくるのであった。
 さらに彼は、この原稿のなかで、「大聖人の仏法の実践は、後退を許さぬ生涯の旅路である」と記し、名誉会長として、インタナショナル会長として、同志のために、平和と文化のために、一段と力を尽くしていくことを宣言したのである。
 伸一は今、一年にわたる雌伏の時を経て、勇躍、飛翔を開始しようとしていた。
 学会という民衆の大地には、随所に師弟共戦の闘魂がほとばしり、あふれていた。
 師弟離間の工作が進み、「先生!」と呼ぶことさえ許されないなか、創価の城を守るために、われに「師匠あり」と、勇気の歌声を響かせた丈夫の壮年・男子の代表もいた。
 四国から、はるばる船で伸一のいる横浜を訪れた求道の勇者たち、遠く奄美の地から東京へ駆けつけた健気なる花の女子部……。また、全国各地の同志から、不撓不屈の前進を誓う、幾千、幾万の便りも届いていた。
 吹雪は激しく猛っていたが、深雪の下では、新生の芽が躍り出ていたのだ。この草の根の強さこそが、学会の強さである。その人たちこそが、創価の宝である。
 “この同志と共に、この同志のために、われは立つ! 風よ、吹け! われに吹け!”
 伸一は、深く心に誓った。 (この章終わり)

【聖教ニュース】

◆アメリカ創価大学に「科学棟」を建設  2020年3月完成へ 本年11月着工
 新コース「生命科学」の開設にともない理数系の設備を拡充

建設が発表されたアメリカ創価大学の「科学棟」の完成予想図
建設が発表されたアメリカ創価大学の「科学棟」の完成予想図

 生命尊厳の世界市民を育成するアメリカ創価大学(SUA)に、このほど「科学棟」が建設されることが発表された。2020年3月の完成を目指し、本年11月18日に起工式を行う予定である。
 科学棟は地上3階、地下1階建て。棟内には教室、実験室など理数系科目の授業に必要な施設が完備されるほか、教員研究室、事務室、会議室などが設置される。
 同棟の建設は、20年9月からスタートする新集中コース「生命科学」および「医学大学院進学準備プログラム」の開設にともなうものである。
 SUAではリベラルアーツ(一般教養)の教育課程のもと、幅広い分野の学問を修めるための授業が行われている。3年次からは、専門分野を深める集中コース(コンセントレーション)から一つを専攻することができる。
 現在、選択できるのは「人文科学」「社会・行動科学」「環境」「国際研究」の四つ。新たに加わる「生命科学」コースには、生物学、化学、物理学、数学などの理数系の授業が用意される。公衆衛生学、生理学、遺伝学などの科目も設けられる。
 また、「医学大学院進学準備プログラム」は、SUA生が卒業後、米国内のメディカルスクール(医学系の専門職大学院)に直接応募できる条件を満たすもの。「生命科学」以外のコースを専攻する学生も履修することができる。
 これまでSUAは、米メディア会社「USニューズ・アンド・ワールド・リポート」による全米大学ランキングにおいて、数々の部門で上位に輝くなど、教育界をはじめ、各界から高い評価を受けている。
 かつて創立者の池田大作先生は、学生たちに呼び掛けた。
 「SUAが、世界に誇る学風――それは、他者をどこまでも思いやり、共に苦楽を分かち合いながら、自他共の可能性を開いていく伝統です。ここに、SUAがSUAたる所以もあります」
 科学棟の建設により、教育環境が一層充実するSUAは、「貢献的人生」を生きゆく世界市民の潮流を、さらに大きく広げることとなろう。

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈誉れの学園 世界市民を育む創価教育〉第12回=完 母校愛
  人類の幸福の港を守り抜け!

             
1990年5月5日、大阪・交野市の関西創価学園で開かれた同窓の集い。創立者・池田先生は、「創立者にとって、自分の創立した学校の生徒や学生、そして卒業生が、いかに、いとおしく、誇りに思えることか。それは、親の情愛とは、また違った次元の、深い、深い思いなのである」と語り、参加した卒業生・学園生らに真心の励ましを送った
1990年5月5日、大阪・交野市の関西創価学園で開かれた同窓の集い。創立者・池田先生は、「創立者にとって、自分の創立した学校の生徒や学生、そして卒業生が、いかに、いとおしく、誇りに思えることか。それは、親の情愛とは、また違った次元の、深い、深い思いなのである」と語り、参加した卒業生・学園生らに真心の励ましを送った

 今春も、北海道の札幌創価幼稚園には、多くの卒園生が帰ってきた。ある卒園生は、手に小さな瓶を持って、当時の担任のもとを訪ねた。その小瓶に入っていたのは、「甲子園の土」だった――。
 彼は今、高校3年生。卒園後、北海道の小・中・高校に学び、野球に打ち込んだ。憧れの甲子園を目指す日々。厳しい練習に耐え、けがを乗り越えた彼の胸奥には、“池田先生に、幼稚園の先生方に、甲子園出場を報告したい”との思いがあった。
 そしてこの春、北海道代表校の投手として、甲子園のマウンドに立ったのである。
 試合の4日前、彼のもとに、創立者・池田先生からの伝言が届いた。“創価幼稚園出身で甲子園か。本当にうれしい”
 試合当日、創価幼稚園の職員室では、当時の担任をはじめ教職員が、祈るようにテレビを見つめ、声援を送っていた。
 チームは敗れたが、彼は甲子園の土を札幌に持ち帰り、小瓶に移した。そして、創価幼稚園の職員室を訪ね、当時の担任に手渡したのである。その瓶の中には、彼の「母校愛」が詰まっていた。
 札幌創価幼稚園では、1期生が卒園した1977年以来、小学1年生を対象に、卒園生の集いを開催してきた。2001年からは、小学1・4年、中学1年、高校1年と、卒園生が3年ごとに集う「21世紀卒園生大会」に拡充されている。
 卒園生大会には、北海道外からも多数の卒園生が参加する。東西の学園に進学して戻ってくる子も。親子2代にわたる卒園生も増えてきた。ある年の卒園生大会、一人の高校生が近況報告に立った。彼女は、卒園後、父親の転勤で北海道外の小学校へ。だが、クラスメートから言葉のなまりをからかわれ、仲間はずれにされてしまう。
 そんな小学4年次、彼女は卒園生大会で幼稚園に帰った。玄関に入った瞬間、先生方が駆け寄り、優しく抱き締めてくれた。手をつなぎ、そばで悩みを聴いてくれた。
 後日、彼女のもとに、教員の手紙が届く。「良い時も悪い時も連絡ちょうだいね」。悲しみを分かってくれる人がいる。いつでも帰れる場所がある。安心感に包まれた。
 彼女は猛勉強の末、念願の創価高校(東京・小平市)に合格。今、海外の創価幼稚園の先生になりたいと、勉学に励む。
 教員のもとには、卒園生だけでなく、保護者からも多くの電話やメールが届く。保護者と綿密に連携する中で、卒園生の近況や悩みを知り、「的確な励まし」を送ることができる。教員は、創価教育の父・牧口常三郎先生の“真の教育は、子どもに情熱を注ぐ教師と、教育者を全面的に信頼する父母が一体とならなければできない”との教育理念を体現し、卒園後の成長をも見守り続けているのである。
 札幌創価幼稚園の「母校愛」を象徴する一つのデータがある。それは、教職員の半数以上が卒園生だということ。8期生の八木伸子さんもその一人。在園当時から、「創価幼稚園の先生」に憧れていた。
 八木さんは、卒園の時、教員から掛けられた言葉を今も心に刻んでいる。それは、「自分から勇気を出して友達に声を掛けていくんだよ」。小学校では、この言葉を思い出し、そばにいた子に声を掛けた。その子とは今も、何でも話せる親友である。
 八木さんは語る。「先生方は、幼い私たちの未来まで見据えて、強く生きるための指針を送ってくれていたのだと感じます」
 池田先生は語っている。「この幼稚園からは一人も不幸な人を出さない」と。その信念を「わが決意」とする教員の声だからこそ、その言葉が光となって、子どもたちの未来を照らしていくのだろう。
 3月、札幌創価幼稚園に、卒園の歌「ずっと ともだち」が誕生した。離れていても心は一つ。僕も、私も、太陽の子。だから、皆を照らしていける――歌詞には、そうした園児の心が表現された。最後は、池田先生の言葉で結ばれている。「いつまでも ここがこころのふるさと」と。
 ◇
 近年、日本の教育現場では、「愛校心」を育てる授業が重視されている。その一例が「自校教育」の推進だ。それぞれの大学が授業の中で、自らの建学の精神や大学史、社会的使命などを学生に教えている。
 それによって、大学への愛着や誇りが芽生え、研究や課外活動、社会貢献への意欲向上につながり、それが後輩の良き手本になるという好循環をもたらすという。
 母校のことを知るのは簡単だ。しかし、母校愛は、一朝一夕に深まるものではない。創価学園では、約半世紀にわたり、母校愛を育む教育に力を注いできた。その推進役を担ったのは、池田先生である。
 先生は、「真の優等生とは、『母校を愛し続ける人』」との理念を掲げ、学園生に校訓、モットー、五原則、合言葉などを贈り、小説『新・人間革命』などでは、学園創立の淵源を示してきた。
 さらに先生は、生徒たちと共に、建学の精神を刻む校歌や愛唱歌も作ってきた。学園生の「母校愛」は、こうした池田先生の人間教育の中で育まれてきたのである。
 これまで、創価学園の卒業生は、さまざまな形で、母校への貢献を重ねてきた。
 受験相談に乗る人、クラブの後輩に技術を教える人、委員会の後輩を激励する人、寮生・下宿生の後輩を支援する人、定期的に学園の校舎を清掃している人もいる。
 また、学園に寄付や記念品等を寄贈する卒業生もいる。毎年のように、教育ソフトやクラブの備品などが贈られてきた。寮生・下宿生には、少しでも長い時間、郷里の両親に電話をさせてあげたいと、「テレホンカード」が贈られたことも。ハンバーガーやカップラーメン、お菓子が届くこともある。図書委員会の出身者の中には、毎年、図書の寄贈を続けている人もいる。
 また、東西の創価学園出身者による母校への寄付金は、「鳳雛奨学金」として、後輩をサポートしている。学園生の日常を支える“物”の中には、卒業生の真心が詰まった品が多くあるのだ。
 また、東西学園の各校では、卒業生らによる“講演会”が、毎年、定期的に開催されている。これは、多職種で活躍する方々を講師に招き、夢を実現した軌跡や仕事の魅力を話してもらうものだ。
 また、各校では、毎年、定期的に“キャリアガイダンス”も実施している。多分野に進出した数十人ほどの卒業生が、生徒との懇談や進路相談に乗るもの。そのほか、アメリカ創価大学に進学した卒業生らによる受験相談の場も設けられている。
 懇談に参加した生徒たちは、「先輩方のように、私も夢を実現し、学園に帰って来て、後輩をサポートしたい」と感想を。帰校した卒業生たちは、「毎年、学園に帰って来る日を目標にして、仕事で成果を出そうと努力しています」と。学園生も卒業生も、母校を「決意と成長の基点」として、自身の課題と向き合っている。
                                                                      ◇
 1990年7月17日、東京・創価学園の第23回「栄光祭」が開かれた。池田先生は、百年戦争で、イギリス軍に包囲されたフランスの港町カレーを救った英雄サンピエールの信念に触れ、学園生にこう語った。
 「この学園も、ひとつの、人類のための“幸福の港”である。大切な、この宝の港を断じて守り抜かねばならない。悪に蹂躙されてはならない。権威に利用されてもならない。人類のため、正義のために」
 開校以来、どんな時も、“慈父”のように、学園生を信じ、支え、励ましてきた創立者・池田先生。その思いを受け継いだ卒業生たちは、“兄”“姉”のように、愛する後輩たちの成長を見守っている。
 創立50周年の「誉れの学園」。池田先生と心を一つに、母校を守り抜く「英雄たち」がいるかぎり、創価学園は永遠に発展していく――。
池田先生の指針
 母校には、人生の原点がある。
 母校への誇りは自身の人生への誇りでもある。
 本当の優等生とは、一生涯、母校を愛し、同窓の友を大切にする人だ。
 ケンブリッジ、オックスフォードという、イギリスを代表する両大学の偉大さは、単に多くのノーベル賞受賞者や国家の指導者を出したことにあるのではない。真の偉大さは、そこに学んだ者に、生涯にわたる誇りを育んだことだ。
 そして、その誇りとは、自分こそが大学自体であり、母校の栄光を担いゆくのだとの自覚である。
 〈『新・人間革命』「対話」の章〉
ご感想をお寄せください news-kikaku@seikyo-np.jp

◆〈座談会 栄光の峰をめざして〉37 太陽の婦人部が結成66年 
 困難の壁越える力は誓願の祈り
 「熱中症」には十分な注意を
 
 
私たちが動き語る、誠実な言葉が、どれほど幸の仏縁を結んでいることか。この勇気の対話が、信頼を固め、友情を結び、希望の安全地帯をつくり広げていく(1日、東京・目黒総区の婦人部・女子部の大会)
私たちが動き語る、誠実な言葉が、どれほど幸の仏縁を結んでいることか。この勇気の対話が、信頼を固め、友情を結び、希望の安全地帯をつくり広げていく(1日、東京・目黒総区の婦人部・女子部の大会)

 原田 10日は、「婦人部の日」です。池田先生は常々、“婦人部の皆さまが、深い祈りを根本に、一対一の地道な対話を積み重ね、力の限り正義を叫び抜いてこられたからこそ、現実に広宣流布は大きく進んでいるのだ”と言われています。日夜、広布のために献身してくださる婦人部の皆さまの奮闘に、あらためて心から感謝いたします。
 永石 今、全国の同志が、無限の明るさと勇気で、朗らかに対話を大拡大しています。
 長谷川 先生はかつて、そうした婦人部の皆さまの前進を“正しいことは「正しい」と、おかしいことは「おかしい」と、厳然と言い切る。その論法には、学者も政治家もかなわない”とたたえられました。
 沼倉 「サン?フラワー キャンペーン」として、先生の思想と行動を次の世代にも継承する、婦女一体の活動も活発です。
 永石 ヤング世代の働く婦人部の集いも各地で開かれ、「新しい力」が立ち上がっています。
 沼倉 広布拡大の原動力である「グループ」での学習・懇談の充実や強化も進み、一人一人が、“幸福博士”と光る、信心の成長も図られています。
 原田 この6月は、世界中で婦人部や、女子部「池田華陽会」の記念の会合が開催されています。今、広布は世界同時進行です。
 伊藤 その中、本年は、シンガポール国立植物園が新種の蘭に、先生の奥さまの名を冠し「デンドロビューム・カネコ・イケダ」と命名して10周年となります。
 永石 これは、奥さまの「世界平和の推進への無私の貢献」をたたえたものです。奥さまの、何があっても負けない生き方、ほほ笑みを絶やさない姿、決然と祈り抜く姿勢は、私たち婦人部の模範であり、お手本です。

千載一遇の天の時

 原田 御書では、南無妙法蓮華経の題目は「太陽」に、たとえられています。たとえば、「太陽が東の空に昇れば、その明るさによって、全ての星の光は跡形もなく消え去ってしまう」(1393ページ、趣意)と仰せです。これは、日蓮大聖人の教えが、全民衆を救う「太陽の仏法」であることを表しています。
 長谷川 婦人部の皆さまの強さは、その確信で、何があっても御本尊に強盛に祈り、そこから出発して体験をつかみ、生き生きと前進されてきたことです。
 伊藤 婦人部「実践の五指針」の第一も「祈りからすべては始まる」ですね。
 永石 婦人部は、その指針を胸に、“どんな宿命にも、絶対に勝つ!”と決めて祈り抜いてきました。
 原田 大聖人は「法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」(御書1352ページ)と御断言です。婦人部の66年の歴史は、その偉大な人間革命と宿命転換の実証の歴史です。
 長谷川 風雪を乗り越え、つかんだ春ほど、美しいものはありません。「頂上を登攀するのに楽な道などない」「一つ一つの苦闘が勝利なのだ」とヘレン・ケラーが言ったように、婦人部の皆さまが歯を食いしばって、一歩一歩、目の前の“困難の壁”を乗り越えてきたからこそ、学会の今があるのです。
 原田 正しい信仰ゆえ、誤解による迫害を受けることもあります。けれども大聖人は、大難の中、勇気ある信心を貫き通した千日尼に仰せです。
 「いよいよ信心に励んでいきなさい。仏法の道理を人に語ろうとする者を、多くの人が必ず憎むであろう。憎むなら憎めばよい」「仏の金言の通りに実践する、その人こそ、如説修行の人なのである」(同1308ページ、趣意)と。
 沼倉 「如説修行の人」とは、法華経の行者のことです。その最も尊い称号を厳しい環境で勇敢に戦う女性の弟子に与えられたことに深い感動を覚えます。
 原田 大聖人はまた、遠方から駆け付けた、求道心の厚い一人のけなげな女性信徒を「日本第一の法華経の行者の女人」(同1217ページ)と称賛され、さらに強く激励されます。「前々からの信心の志は、言い尽くせぬほど立派なものでした。しかし、これからは、なお一層、強盛な信心を奮い起こしていきなさい。その時は、ますます十羅刹女の御守護も強くなると確信していきなさい」(同1220ページ、通解)
 沼倉 先生は、この御文を通し、「人生には、これまでの壁を破り、生まれ変わったように立ち上がるべき時がある」と言われ、「過去の壁を破って、決然と立ち上がれ! 自分が今いるその場所から!」と指導されています。
 永石 かつてない激戦に挑戦する私たちにとって、今こそ、「千載一遇の天の時」です。いかなる闇をも打ち払う婦人部の「強き誓願の祈り」と「勇気の行動」で、広布の新たな歴史を開いてまいります。

小まめな水分補給

 長谷川 暑い日が増え、「熱中症」を発症される方が多くいます。
 永石 暑さに慣れない、この時期も、熱中症には十分な注意が必要です。
 伊藤 予防には、「暑さを避けること」と「水分の補給」が大切です。
 沼倉 たとえば、外では「日陰を選んで歩く」、屋内では「我慢せず冷房を入れる」、「襟元がゆるく、通気の良い服を着る」ことなどを心掛けたいですね。
 原田 喉が渇いていなくても、暑いところに出る前から、水分を取っておくことも重要です。
 また、忙しい中だからこそ、自転車や歩行中の転倒事故にも注意を払っていきたい。皆で声を掛け合いながら、有意義な日々を送っていきましょう。

◆〈信仰体験〉 クローン病と闘い17年 負けない人が最後に勝つ


 【北海道・余市町】「心の温かい穏やかな人」。周囲からそう慕われる石谷県一さん(38)=余市支部、県青年部長=は今、介護福祉士として社会福祉法人の高齢者施設で働
 

2017年6月13日 (火)

2017年6月13日(火)の聖教

2017年6月13日(火)の聖教

◆わが友に贈る

社会も 人生も
「変化」という試練に
勇んで「応戦」する中に
成長と発展がある。
悔いなき黄金の日々を!

◆〈名字の言〉 2017年6月13日

 米国は“人種のるつぼ”といわれる。西海岸のシアトルにも多様なルーツを持つ人々が存在し、街は異なる価値観を受け入れる雰囲気にあふれていた▼シアトルの人々は友好的な一方で、親しい友人になりにくいという。それを表す言葉が「シアトル・フリーズ」。「フリーズ」は「凍結」「固まる」等の意味。自分とは違う他者の考えにも理解は示すが、自分の“本音”はなかなか語らない。心の奥を知ろうとする相手には、拒否反応を示す傾向があるそうだ▼“建前”で語り合っても、本当の友情は築けない。そうした状況の中でSGIの友は、どう対話を広げているのか。男子部のリーダーが、三つのポイントを挙げた。「友の心を開く祈り」「友を信じる真心」「友に語り抜く勇気」と▼「祈り」「真心」「勇気」――日本の私たちも実践していることだ。今、シアトルは全米をリードする広布拡大を成し遂げているが、そこに何か特別な方法があったわけではない。「『御書』と『師弟』が、シアトルの“驀進”の原動力です」との彼の言葉が、強く印象に残った▼「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」(御書1192ページ)を心に前進したい。“広布の壁”を破る力は、どこまでも師弟を根幹とする「法華経の兵法」である。(芯)

◆〈寸鉄〉 2017年6月13日

 「必ず心の固きに仮りて
 神の守り則ち強し」御書。
 諸天動かす祈りを今こそ
      ◇
 東京・北区よ逆転勝利へ
 攻め上がれ。総力の拡大
 で喜び多き万歳を断じて
      ◇
 青森の日。何事にも2倍
 の戦いを!挑戦の心漲る
 人材の森から新時代開け
      ◇
 浮足立たず現実の大地に
 しっかりと立て―戸田先
 生。地道に友のもとへ!
      ◇
 朝食を抜く人は食べる人
 より脳卒中の割合が高い
 と。リズム正しき生活を

◆小説『新・人間革命』第30巻 雌伏の章   六十七  (6095)



 山本伸一は、十条潔をはじめ首脳幹部たちが、宗門僧らの学会攻撃など、諸問題の対応に神経をすり減らし、苦悩していることをよく知っていた。
 しかし、学会の運営については、執行部に任せ、見守っていくしかなかった。
 会長を辞任してから伸一は、毎月の本部幹部会に出席することも、本部職員が一堂に集う会議に出ることも、ほとんどなかった。また、彼の行動が聖教新聞に報道されることもわずかであった。それは、伸一を封じ込めれば、学会員を自分たちの思い通りに従わせていくことができるという、退転・反逆者や宗門僧らの策略であったのだ。
 そうしたなかでも、多くの学会員は創価の師弟の誇りを抱いて、試練の逆風に立ち向かっていった。だが、一部には、広布への覇気や確信をなくしたり、わがままな言動が目立ったりする幹部も出始めた。
 学会の根幹をなす師弟の精神が失われてしまえば、創価の使命は果たせず、大聖人の御遺命である広宣流布の道は閉ざされてしまう。
 これまで伸一は、常に広宣流布への闘魂を発光し続けてきた。その光こそが、同志の前進の原動力であった。しかし、伸一が会合で自由に話をすることもできない状況が一年近くも続くなかで、皆の活力は次第に失われつつあったのである。
 師による弟子たちへの生命の触発があってこそ、勇気と確信は増し、歓喜が湧き起こる。広布に生きる創価の師弟は不二であり、その絆は、永遠不滅でなければならない。
 伸一は、心を定めた。
 “本来、師弟の結合を阻む権利など、誰にもないはずだ。たとえ、宗門僧から、いかなる攻撃を受けようが、仏子である学会員を守るために、この魔の暗雲を、断じて打ち破らねばならぬ!”
 彼は時を逸してはならないと思った。熾烈な攻防戦になればなるほど、一瞬一瞬が勝負であり、迅速な行動こそが勝利の門を開くからだ。遂に、反転攻勢の朝が到来したのだ。

【聖教ニュース】

◆名門オレゴン大学が立つ文教都市にアメリカSGIのユージン会館が誕生
開館式の6月3日を「池田大作博士平和の日」に
ヴィニス市長が来場し宣言書を授与
宣言書「正義と平和の世界を目指す行動を賛嘆」
 
ユージン市のヴィニス市長(左から3人目)と共に、代表が、新会館の前でテープカットを(3日)
ユージン市のヴィニス市長(左から3人目)と共に、代表が、新会館の前でテープカットを(3日)

 “世界広布の電源地”アメリカSGI(創価学会インタナショナル)に待望の新法城!――米国オレゴン州ユージン市に、ユージン会館が完成した。開館式は3、4の両日、同会館で盛大に行われた。初日には、同市のルーシー・ヴィニス市長が出席し、2017年6月3日を、市の「池田大作博士 平和の日」とすることを宣言した。
 ユージン市は人口16万人超で、アメリカ北西部・オレゴン州の第3の都市である。約2万4千人の学生が学ぶ総合学府・オレゴン大学(1876年創立)が立つ文教都市として知られる。
 今回、新たにオープンしたユージン会館は、同大学のほど近くに位置する。三つの礼拝室と多目的室を備えており、今後、オレゴン本部のミッド・オレゴン支部、ユージン・サウス支部の中心拠点となる。
 新会館のオープンを心待ちにしていた友はこれまで、池田先生が示してきた「良き市民たれ」との指針を心に刻み、市の行事やパレード等に積極的に参加。地域社会に、創価の人間主義の哲学を広げてきた。
 今回の宣言書の授与は、こうした地元メンバーの取り組みと、池田先生の一貫したリーダーシップに対する、深い理解と共感の証左といえる。
 「池田大作博士 平和の日」の宣言書は、池田先生の長年にわたる「平和の文化」構築への献身を称賛。「正義と平和に基づく世界の建設を目指すSGIを賛嘆する」とつづられている。
 二重の歓喜に包まれた開館式(3日)では、市長とSGIの代表がテープカットを行い、メリッサ・ジェンソンさん、デーブ・コランダさんが信仰体験を披露した。
 席上、この日新たに入会した友に御本尊が授与されると、参加者から喝采が送られた。
 アメリカSGIのモータン西部方面長は、新会館完成の歓喜と感謝を胸に、明2018年に向け、全米で取り組んでいる「青年5万人」の結集を目指して、希望の大前進を開始していこうと呼び掛けた。

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆希望航路―池田先生と進む人生旅―〉 アメリカ・サンフランシスコ②
 
サンフランシスコ・コミュニティー・センターの開所式に参加し、未来の宝を励ます池田先生(1974年3月9日、サンフランシスコ近郊で)。このサンフランシスコ訪問に始まり、北中南米での指導は1カ月以上に及んだ
サンフランシスコ・コミュニティー・センターの開所式に参加し、未来の宝を励ます池田先生(1974年3月9日、サンフランシスコ近郊で)。このサンフランシスコ訪問に始まり、北中南米での指導は1カ月以上に及んだ

 サンフランシスコからベイブリッジを渡ると、バークレー市に至る。同市には、ハーバード大学などと並び称される、名門・カリフォルニア大学バークレー校がある。

◆〈この一節を胸に 行学に励む〉 テーマ 使命の自覚
 自他共の幸福のために勇んで正法を語り抜く

 
                                                                                                                                                 

                

 池田先生は、「使命の自覚は、人に力を与え、勇気を与え、元気を与える。使命に生き抜く時、人間は最も輝きを放つのである」と、つづられています。今回は、広布に生き抜く「使命の自覚」について確認します。

〈Q〉自分に自信が持てず悩んでいます。
〈A〉仏法では、一人一人が「かけがえのない存在」と説かれています。


  末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり(阿仏房御書、御書1304ページ)
 末法において妙法を持った私たちが、いかなる存在か――。日蓮大聖人は弟子の阿仏房に送られたお手紙で、次のように仰せです。
 「末法に入って、法華経を持つ男女の姿よりほかには宝塔はないのである。もしそうであれば、身分の貴さや賤しさ、立場の上と下は関係なく、南無妙法蓮華経と唱える人は、その人自身が宝塔であり、また、その人自身が多宝如来なのである」(御書1304ページ、通解)
 「宝塔」とは、法華経に説かれた、金、銀、瑠璃など、七宝をもって飾られた壮大な塔のこと。多宝如来とは、法華経こそ万人成仏が説かれた真実の教えであることを証明(保証)する仏です。大聖人は、この巨大な宝塔が「法華経を持つ男女の・すがた」の偉大さを説いたものにほかならない、と教えられています。
 すなわち、現実の世界で日々苦闘する生身の人間が、信心に励むことによって、そのままの姿で妙法の当体、すなわち宝塔として光り輝き、多宝如来として真の仏法の偉大さを証明していけると、断言されているのです。
 こうした大聖人の温かな励ましは、阿仏房自身の使命の自覚を促したことでしょう。

〈Q〉「地涌の菩薩」とは誰のことですか?

〈A〉末法において、妙法を弘める私たち学会員のことです。

  いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか(諸法実相抄、御書1360ページ)
 法華経において釈尊が、滅後の弘通を託したのが「地涌の菩薩」です。
 御書には、「なんとしてもこのたびは、信心を貫いて、法華経の行者として生き抜き、日蓮の一門となり通していきなさい。日蓮と同意であるならば、地涌の菩薩であろうか」(1360ページ、通解)とあります。
 末法において、日蓮大聖人と同じ心で広宣流布にまい進する同志は、皆、尊き使命をもった「地涌の菩薩」である、と大聖人は仰せです。私たちは、深き使命を持った一人一人なのです。
 創価学会にとっての「地涌の使命」の自覚――。それは、第2代会長の戸田城聖先生が、戦時中に正義の信念を貫いて投獄され、獄中にあって“われ地涌の菩薩なり”と悟達したことにあります。
 戸田先生は、亡き牧口常三郎先生の遺志を胸に出獄し、広布に一人立たれました。そして、75万世帯の弘教を達成されたのです。
 池田先生は、この事実を通して、次のようにつづられています。「“地涌の使命”とは、広宣流布だ! 自他共の幸せのために、勇んで大正法を語りに語り抜いていくのだ。苦難と絶望の淵から雄々しく立ち上がり、人間蘇生の大ドラマを演じ、仏法の偉大なる功力を証明するのだ」

〈Q〉どうすれば広布の人材に成長していけますか?

〈A〉自身の使命を自覚し、日々の課題に挑戦していくことです。


 かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり(寂日房御書、御書903ページ)
 御書には、「このような日蓮の弟子檀那となろうとする人々は、宿縁が深いと思って日蓮と同じく法華経を弘めるべきである」(903ページ、通解)とあります。
 日蓮大聖人は、門下の一人一人に、大聖人との宿縁を自覚し、大聖人と同じく法華経を弘めるべきであると教えられています。広布に生き抜く中でこそ、自身の使命を果たしていくことができるのです。
 池田先生は、広布の人材として成長するための要諦として、「使命の自覚」を挙げられています。
 「人材として大成していくうえで、最も重要なことは、使命に目覚めることではないでしょうか。私たちには、地涌の菩薩として、すべての人を幸福にし、世界の平和を築く、広宣流布という大使命があります。何よりも、その根本的な使命感に立つことが、自分の力を伸ばしていく最大の道である」と。
 使命を自覚した一人一人が、自らの人生の目標を定め、日々の課題に挑戦していく時、大きく自身の境涯を開くことができます。また、使命の自覚は、困難にも屈しない強い心を育んでいきます。
 わが使命を自覚し、向上心と忍耐で進む中に、自身の成長もある――。こう確信して、日々、前進していきましょう。

〈智慧の扉〉 「願兼於業」とは


 法華経法師品には、悪世で苦しむ人々を救うために、菩薩が願って悪世に生まれると説かれています。
 これを「願兼於業(願いが業を兼ねる)」といいます。
 この言葉の意味は、衆生を救済しようとする願いの力によって、本来、安住の境涯に生まれることができるところを、あえて悪世に生まれる、ということです。
 この「願兼於業」の法理をふまえた生き方を、池田先生は「宿命を使命に変える」と分かりやすく示しています。創価学会員は宿命転換の戦いを通して、仏法の偉大さを証明しているのです。

◆〈婦人部のページ〉 小説「新・人間革命」を胸に前進するメンバーの体験記 

 婦人部では、池田先生の著作である小説『人間革命』『新・人間革命』の学習運動が各地で活発に行われている。先生は『新・人間革命』に綴った。「母という太陽がある限り、風説の暗夜があろうと、希望の夜明けは必ず来る」と。ここでは、同書を自身の人生や信心の糧とし、広布拡大に奔走するメンバーの体験記を紹介する。

◆〈信仰体験 生きるよろこび〉 妻がうつ病に――夫婦の歩みは白樺の木と共に
  ありのままの自分でいい


 【山梨県北杜市】自宅の庭で、白樺の木は伸び続けた。台風の風雨も、豪雪の重みもあったが、枝を広げ、白い木肌を空へ空へ。
 

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