2020年7月 2日 (木)

2020年7月2日(木)の聖教

2020年7月2日(木)の聖教

◆わが友に贈る

 仕事や生活の
 新たな日常を皆が模索。
 自身の感染防止対策が
 周囲の人の健康も守る。
 さらなる想像力を!


◆名字の言 漫画家から落語家になった林家木久扇氏。「『ああ、こっちでよかったんだ』と思える生き方を」  2020年7月2日

 「もともと僕は、落語家になるつもりなんて、少しもなかった」と語るのは、林家木久扇氏。18歳で会社に就職するも、4カ月で退社。漫画家に弟子入りした▼作品が雑誌に掲載され、漫画家として歩み始めた4年目のこと。師匠から、「絵が描けてしゃべれたら売れるぞ、ちょっと落語をやってみたら」と言われた。漫画の取材のつもりで、三代目桂三木助に入門。そして、そのまま落語家になった▼収入の少ない前座時代は、雑誌の挿絵を描き、生活費を工面したことも。苦労はあったが、後悔はないという。「飛び込んだあとで、状況や環境を自分の意に沿うようにしちゃえばいい。『ああ、こっちでよかったんだ』と思える生き方を、自分でつくっちゃえばいいんですよ」と氏。本年、高座生活60周年を迎えた(『イライラしたら豆を買いなさい』文春新書)▼人生、思ってもみなかった道に進むことがある。それを“なぜこんなことに”と嘆くより、“新しい自分になるための舞台”と捉えれば、その瞬間から可能性の扉は開いていく▼池田先生は「たとえ失敗しても、へこたれずに努力したことが、全部、自分自身の揺るぎない根っことなる」と。根が深いほど、木はたくましく育つ。青年の心で挑戦し、強い根を張る7月に。(銘)


◆寸鉄

強く正しき信仰は、必ず
明朗な人生を開く―恩師
苦境に勝つ勇気の祈りを
     ◇
夕張大会の日。北海天地
に轟いた正義の師子吼。
バトン持つ若人よ立て!
     ◇
きょう1年の“真ん中”。
希望は自分で創るもの。
目標を再度明確に大前進
     ◇
「あおり運転」は自転車も
犯罪として摘発対象に。
悪質な危険行為は撲滅!
     ◇
大雨が過ぎた後も土砂災
害に警戒。「無冠の友」の
皆さま、呉々も無事故で


◆社説 あす戸田先生の出獄から75年  「7・3」から不屈の歩みを

 7月3日――。それは「師と弟子の金剛不壊の魂が命懸けの闘争の中で結合し、永遠の歴史に刻まれた『師弟常勝の記念日』」と池田先生はつづった。
 今年の同日は、第2代会長・戸田城聖先生が、1945年に東京・中野の豊多摩刑務所を出獄して75年に当たる。
 戸田先生は初代会長・牧口常三郎先生と共に、治安維持法違反と不敬罪の容疑で捕らわれの身に。軍部政府の弾圧に屈せず信念を貫き、牧口先生は獄中で殉教。戸田先生は約2年の獄中闘争の末、生きて牢獄を出て学会再建に一人立った。
 この日はもう一つ、正義の闘争の刻印がある。12年後(1957年)の同日、新たな民衆勢力の台頭を恐れた権力によって、池田先生が無実の選挙違反容疑で不当逮捕、勾留されたのだ(大阪事件)
 最悪の事態も覚悟の上で大阪に向かう池田先生に、戸田先生は語った。「もしも、もしも、お前が死ぬようなことになったら、私も、すぐに駆けつけて、お前の上にうつぶして一緒に死ぬからな」
 作家の佐藤優氏は、週刊誌「AERA」で連載中の「池田大作研究」(第25回)で、この師弟の劇に言及し「師弟は運命を共にする。殉教するときも師弟は一緒だという戸田の強力なメッセージだった」とつづった。
 池田先生はかつて、「出獄と/入獄の日に/師弟あり」と詠んだ。正法正義のため、国家権力と戦い抜いた師弟は不二の絆で結ばれている。この「師弟不二」の精神こそ日蓮仏法の根幹であり、創価学会の永遠の原点である。
 そして人権闘争の歴史光る「7・3」は、創価の平和運動の起点でもある。
 戸田先生は75年前のこの日、終戦間近の焼け野原に立ち、地球上から悲惨の二字をなくすための歩みを誓った。
 この出獄の場面は現在、聖教電子版で配信中の劇画『人間革命』第2版の冒頭にも描かれている。男女青年部をはじめ、未来部の友ら新たな時代を担う世代が、劇画『人間革命』を活用し、師弟の平和闘争の軌跡を学んでいる。
 今年は戦後75年。この時に当たり、新型コロナウイルスがもたらした変化によって、世界は激動の時代を迎え、「第2次世界大戦以降で最も困難な危機」とされる。「7・3」に脈打つ精神とは、いかなる苦難にあっても、世界の平和と民衆の幸福という、正義の信念に生き抜くことにほかならない。今こそ、不屈の力を発揮し、敢然と、友のため、世界のために立ち上がる時である。
 池田先生は、こうも詠んでいる。
 「出獄と/入獄の日に/弟子よ 勝て」
 師との誓いを新たに、友の心に希望の光を届ける前進の一歩を踏み出したい。


◆きょうの発心 開目抄 神奈川・幸総区総合婦人部長 和泉明子2020年7月2日

御文 我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ(開目抄、234ページ・編464ページ)
通解 私と私の弟子は、多くの難があろうとも、疑う心を起こさなければ、自然に仏界に至るであろう。諸天の加護がないからと、疑ってはならない。現世が安穏でないことを嘆いてはならない。

“何があっても負けない”信心で
 いかなる難があっても疑うことなく信心を貫けば、成仏の境涯を得られると仰せです。
 唱題根本に、宿命転換に挑む両親のもと、幼い頃から家族で拝してきた一節です。
 1980年(昭和55年)、創価大学で行われた神奈川友好総会に参加。池田先生の温かな激励に感動し、「生涯、師匠と共に」と誓ったことが原点です。
 結婚後、試練に直面していた90年11月、学会創立60周年記念大文化祭に出演。“現実から逃げずに立ち向かい、勝利しよう”と奮起し、夫婦でこの御文を胸に信心に励みました。
 結婚14年目には念願の子宝に恵まれました。息子は現在、創価大学を卒業し、広布後継の道をまい進。感謝の思いでいっぱいです。
 幸総区は本年、「神奈川幸春会」結成35周年、幸文化会館の開館20周年を迎えます。師と共に、報恩の人生を歩んでいきます。


【聖教ニュース】

◆創価学会とITTOが共同プロジェクトを締結  2020年7月2日
 西アフリカ・トーゴ共和国の森林再生を支援

 創価学会と国際熱帯木材機関(ITTO)は、国連のSDGs(持続可能な開発目標)推進と気候変動対策の一環として、西アフリカのトーゴ共和国における森林再生のための共同プロジェクトを締結。ITTOのゲァハート・ディタレ事務局長が1日午後、東京・信濃町の総本部を訪れ、締結式が行われた。これには原田会長、ITTOのポリカルペ・マスパ・カンバレ森林経営部プロジェクトマネージャー、ラモン・カリーオ広報担当官、川口才文財務担当官らが出席した。

学会本部別館で行われた、ITTOのディタレ事務局長㊧と原田会長による締結式。学会の寺崎副会長、平和委員会の石渡議長、築地副議長、浅井事務局長も同席した

学会本部別館で行われた、ITTOのディタレ事務局長㊧と原田会長による締結式。学会の寺崎副会長、平和委員会の石渡議長、築地副議長、浅井事務局長も同席した

 地球の陸地の約3分の1を占める森林は、多様な生物の生存を支え、地球温暖化を抑える働きも担っている。
 しかし近年、世界では東京都とほぼ同じ面積の天然林が1週間ごとに失われているとされる。とりわけ西アフリカのトーゴでは、農地の拡大や異常気象の増加、エネルギーや住居利用を目的とした伐採などによって、森林の減少が加速。世界で最も深刻なレベルにあると懸念されている。
 ITTO(本部=神奈川県横浜市)は熱帯林の保全や木材資源の貿易などを扱う国際機関で、主要な熱帯木材の供給国と消費国74カ国が加盟する。アフリカでは「コミュニティ森林経営のためのアフリカ女性ネットワーク(REFACOF)」と連携し、特に貧困地域で生活する女性たちに、森林の管理や回復方法などの知識の提供や、技術支援を実施。植林や木材製品の生産などにつなげ、生活改善と森林の再生に取り組んできた。

コートジボワールでの植林(ITTOがアフリカで実施している取り組みから)

コートジボワールでの植林(ITTOがアフリカで実施している取り組みから)

SDGs推進、気候変動対策の一環
 今回締結された共同プロジェクトでは、新たにトーゴでこうした活動を展開していく。
 今秋以降に実施される予定となっており、気候変動への対策であるとともに、SDGsの目標1、5、13、15の推進につながるものとなる。
 また、トーゴでは現在、地球温暖化対策の国際枠組みである「パリ協定」に基づいて温室効果ガスの排出削減を進めており、そうした流れを後押ししていくことも期待される。
 締結式でディタレ事務局長は、新型コロナウイルスの感染拡大で貧困地域が大きな打撃を受ける中、重要な時期に始まるプロジェクトになると言及。森林の再生とともに、その地域に暮らす人々にも意義ある取り組みにしていきたいと語った。
 原田会長は池田大作先生の平和提言や環境保全への学会の活動を紹介し、プロジェクトの成功に向けて協力していきたいと応じた。


◆関西 希望の大前進月間   2020年7月2日

 逆境の今こそ、我らが立ち上がる時!――大関西の「『負けたらあかん!』希望の大前進月間」が、あす3日から始まる(8月24日まで)。常勝不敗の関西魂に燃える同志は、「7・3」から池田先生の入信記念日である「8・24」を目指し、オンラインや手紙等も駆使して地域や社会に励ましを届ける。
 7月と8月は、関西の友にとって忘れ得ぬ師弟原点の月である。
 1957年(昭和32年)7月17日は、事実無根の選挙違反容疑で同3日に不当逮捕された池田先生が2週間に及ぶ勾留の末に出獄した日。その日、中之島の中央公会堂で行われた大阪大会で、先生は“最後は信心しきった者が必ず勝つ”と師子吼した。また先生は、この「7・17」の精神を刻み、76年(同51年)7月に「人間革命の歌」を作詞・作曲。78年(同53年)7月17日には、先生が制作した関西の歌「常勝の空」が発表された。
 さらに52年(同27年)8月14日は、池田先生が関西広布の第一歩をしるした日。この日は、池田先生が戸田先生と初めて出会った記念の日でもあり、後に「関西・師弟原点の日」に定められた。
「常勝の空」高らかに
 こうした師弟の絆を胸に、どんな試練の時も、「常勝の空」を高らかに歌いながら勝利の金字塔を打ち立て、地域の希望と輝いてきた関西の友。月間では、「励ましの夏」「後継の夏」「研さんの夏」を掲げ、各家庭でのファミリー勤行会の開催や、小説『新・人間革命』の研さんなどに取り組む。
 山内関西長、直里婦人部長は語る。「いかなる状況にあっても、私たちは断じて負けません。関西家族の団結固く、『いざや前進 恐れなく』の心で常勝不敗のさらなる歴史を築いていきます!」


【特集記事・信仰体験など】

◆〈「新・人間革命」と私 心に刻む珠玉の言葉〉 メキシコ理事長 ネレオ・オルダスさん

 “(戸田)先生! 私は、世界を駆け巡っております。必ずや、世界広布の堅固な礎を築いてまいります。先生に代わって!”
 〈第30巻(上)「雄飛」の章〉

〈時代背景〉

 1981年1月、山本伸一は北・中米指導に出発。ところが、弁護士の山脇友政が学会への恐喝及び恐喝未遂の容疑で逮捕され、伸一は東京地検から事情聴取の要請を受け、いったん帰国する。2月、再びアメリカに戻り、パナマ、メキシコを訪問。メキシコでは、独立記念塔を仰ぎ、師・戸田城聖先生への広布の誓いを新たにする。

幸福の花園を師と同じ心で
 「雄飛」の章には、1981年の山本伸一のメキシコ訪問の様子が描かれています。中でも、逝去10日ほど前の戸田城聖先生が、メキシコに行った夢を語りつつ、「伸一、生きろ。うんと生きるんだぞ。そして、世界に征くんだ」と訴える回想シーンは、感動を禁じ得ませんでした。
 また同章には、伸一が日本・メキシコ親善文化祭に出席したことが記されていますが、私もこの文化祭に参加した一人でした。当時の感動は昨日のことのように思い出しますが、同章を読み、当時、反逆者と悪侶らが学会攻撃に狂奔する中で、師匠がどれほどの決意を持って、メキシコを訪問されたのかを知り、胸が熱くなりました。
 メキシコでは個人主義を称賛する文化があり、「師弟」という概念が理解されにくいことがあります。しかし、私たちは『新・人間革命』の勉強会を毎月、開催し、皆で感想を語り合い、“師弟の絆”を固く、強くしています。メキシコの同志は皆、戸田先生、池田先生が思いを馳せたこのメキシコの天地で、広布に走る誇りと喜びにあふれています。
 メキシコでも新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、3月12日から全ての会合を中止し、訪問による激励も自粛しました。このコロナ禍でも、師弟の精神を赤々と燃やし、皆が電話やメール、SNSを駆使して連絡を取り、オンラインを活用して会合を実施。“希望を絶やさない”と励まし合いを続けています。
 特に未来部では、学校の休校と外出制限によって、自宅に居続けるメンバーのために、未来部担当者が毎日のように夕方、オンラインの会合を開催し、未来部員の悩みや状況を聞き、寄り添っています。
 私自身も、「全メンバーを直接激励する」と心を定めて、日々、できる限り、多くの同志に連絡を取っています。
 伸一が独立記念塔の前で“戸田先生に代わって”と広布を誓うように、私も師と同じ心で立ち上がり、“池田先生に代わって”、メキシコに幸福の花園を築いていく決意です。

◆〈池田先生の会長就任60周年 青年部が原田会長に聞く Ⅱ部〉第12回 「御書根本」を貫く民衆仏法の学会教学①2020年7月2日

〈出席者〉西方男子部長、大串女子部長、樺澤学生部長、林女子学生部長 

“実践の教学”こそ学会の伝統 永遠に大聖人直結で進む!
 ◆西方 学会は日蓮大聖人の「民衆仏法」「人間主義の仏法」を現代によみがえらせ、草の根の教学運動を展開してきました。今回からは「大聖人直結」「御書根本」の学会教学をテーマに、お伺いしたいと思います。
  
 ◇原田 そもそも、学会の教学とは何か。それを一言で表せば、「実践の教学」です。
 池田先生は随筆で、「大聖人の教学とは、生き抜く力、戦い抜く力、広宣流布への力となってゆく教学」であり、「自身の血肉となって、あらゆる現実の人生と戦い進む、社会にあって断じて勝つための教学」であるとつづられました。
 つまり、観念の教学でも、知識としての教学でもありません。どこまでも「御書根本」に、現実の変革に挑みゆく「広宣流布のための教学」なのです。

「実践の教学」は、創価三代の師弟に貫かれた永遠の学会精神である(絵・間瀬健治)
 ◆樺澤 「実践の教学」「広宣流布のための教学」は、初代会長・牧口先生の時代からの学会の伝統です。それが宗門にはありませんでした。
  
 ◇原田 1942年(昭和17年)11月、創価教育学会の第5回総会で牧口先生は、「法華経の信者と行者と学者及び其研究法」と題して講演されています。その中で牧口先生は、同じ信心をしていても、「信者」と「行者」と「学者」の区別があると訴えられました。
 「信者」とは、「自分ばかり御利益を得て、他人に施さぬやうな個人主義」の信心のことで、旧信徒ら(法華講など)がこれに当たると。
 そして、「日蓮正宗の信者の中に『誰か三障四魔競へる人あるや』と問はねばなるまい。そして魔が起らないで、人を指導してゐるのは『悪道に人をつかはす獄卒』でないか。然らば魔が起るか起らないかで信者と行者の区別がわかるではないか」とも喝破されました。
  
 ◆西方 「信者」と「行者」――ここに、学会と宗門の決定的な違いがあります。
  
 ◇原田 戦時中、軍部政府の弾圧を恐れ、保身のため総本山に神札を祭り、御書の御文を14カ所も削除した宗門。一方、神札を厳然と拒否し、三障四魔を呼び起こして大聖人の正法正義を守り抜いた学会。この一事をもってしても、どちらが「行者」であるかは明白です。しかも宗門は学会の大発展を妬み、破和合僧の大罪を犯しました。宗門はもはや「信者」ですらなく、「悪道に人をつかはす獄卒」にほかならないのです。

「獄中の悟達」に創価の源流あり
 ◆大串 43年7月6日に、牧口先生と戸田先生が治安維持法違反と不敬罪の容疑で逮捕・投獄され、翌44年11月18日に牧口先生が殉教されました。ちょうど同じ頃、戸田先生は、独房の生活の中で「獄中の悟達」を得て、地涌の菩薩の大使命を自覚されます。池田先生は、「そこに創価の精神の源流が開かれた」と示されています。
  
 ◇原田 戸田先生の悟達については、小説『人間革命』第4巻「生命の庭」の章の中で、詳しくつづられています。私自身、それを初めて読んだ時の衝撃と感動は、今なお鮮明です。
 東京拘置所の3畳ほどの独房で、戸田先生は一日1万遍の題目を唱え、法華経を読み、思索を重ねられました。その中で、「仏とは生命なり」「われ地涌の菩薩なり」との悟達を得られます。戸田先生は、日蓮大聖人の仏法への確信を不動のものとするとともに、広宣流布の指導者としての自らの使命を自覚されたのです。
 戸田先生は49年7月に創刊された「大白蓮華」の巻頭言に、獄中での悟達をもとにした論文「生命論」を寄稿されました。その恩師の大論文を読まれた池田先生の感動は、「大白蓮華」の第2号に掲載された詩「若人に期す」に記されています。
 「ああ その刹那の感動!/驚嘆の生命のおののき/それは若人の心の跳躍だ」
 「若人よ わたしは身を投じよう/智あるものは知れ/人類を慈愛する者は動け/悠久の平和――広宣流布」
 この時、池田先生は入信してまだ2年です。しかし、そこには、弟子としての深い自覚と金剛の決意と姿勢が脈打っています。

戸田先生が池田先生に贈った初版の学会版御書全集。扉には「山を抜く 力はみちたり 若き身に 励み闘へ 妙法の途に」との和歌が、墨痕鮮やかに認められている

 ◆林 戸田先生は出獄後、“戦時中の弾圧で幹部が退転したのは、教学がなかったからだ”と厳しく指摘され、法華経の講義を開始されました。
  
 ◇原田 戸田先生が学会を再建する上で重要視されたのが教学です。戸田先生は戦後、広宣流布の歩みを始めるに当たり、仏法の真髄を知らしめるため、少数精鋭で法華経の講義を進められました。
 そして50年からは、事業の苦闘が続く中、並々ならぬ気迫を込め、池田先生をはじめとする後継の青年部の代表に御書講義を始められます。ほぼ毎週のように続く講義のペースは、戸田先生の会長就任が近づいても変わることはありませんでした。
  
 ◆西方 戸田先生が、51年の第2代会長就任後、学会常住御本尊の発願、学会の宗教法人の取得とともに決断されたのが、御書全集の発刊でした。
  
 ◇原田 当時、他宗派等が発刊した不十分な御書しかなく、大聖人の御真意を正確に伝えるものではありませんでした。
 51年6月の支部長会で戸田先生は、御書全集発刊を初めて明らかにされ、「たとい会員諸君が反対しようとも決行する」と、その決意を述べられました。ひとえに令法久住、広宣流布のためです。
 そして戸田先生が、御書の発刊を宗門に提案すると、“了承はするが、援助はしない”と冷たい態度を取ってきました。当時、宗門が夢中になってこだわっていたのは、大石寺の梵鐘の鋳造だったのです。
  
 ◆西方 戦時中、宗門は軍部に兵器資材として、梵鐘や仏具など約8トンを供出しました。そして立宗700年に合わせ、再び梵鐘を作ろうとし、「御書」よりも寺院の権威を取り繕うことを優先しました。
  
 ◇原田 結局、堀日亨元法主に編さんの協力をしていただいたほかは、校正作業をはじめ、資金の調達など、全て学会の手で行ったのです。
 そして、連日連夜にわたる編さん・校正作業を経て、52年4月28日、立宗700年の日に、戸田先生の発願からわずか10カ月で『日蓮大聖人御書全集』が完成しました。

強く・善く・賢くなるための宗教
 ◆大串 戸田先生は御書全集の「発刊の辞」で「諸法実相抄」の一節を拝し、「剣豪の修行を思わせるが如きその厳格なる鍛錬は、学会の伝統・名誉ある特徴」とつづられています。
  
 ◇原田 学会が発展したのは、剣豪の修行のごとき精神で「実践の教学」に徹してきたからにほかなりません。私たちは今一度、深く胸に刻んでいきたいと思います。
 ともかく、学会が大聖人直結で「信・行・学」に励み、仏道修行の王道を真っすぐに歩むことができるのも、御書があるからこそです。
 日蓮大聖人の仏法は、民衆仏法です。人間の尊厳に目覚めた一人一人が、迫害や非難、中傷にも屈せず、苦しむ人々のため、より良き社会建設のために、勇敢に粘り強く正法を弘めていく。人間が「強く」「善く」「賢く」なっていく「人間のための宗教」です。形式化、権威化して民衆を見下す「宗教のための宗教」ではない。だからこそ世界に広まったのです。
 20世紀最大の歴史家トインビー博士も、「日蓮の地平と関心は、日本の海岸線に限定されるものではなかった。日蓮は、自分の思い描く仏教は、全ての場所の人間の仲間を救済する手段であると考えた」
 そして、「創価学会は、人間革命の活動を通し、その日蓮の遺命を実行しているのである」と述べられています。

御書翻訳は10言語以上に 世界が人間主義の仏法哲理を希求
 ◆樺澤 その通りに、今日、学会の教学運動は、民衆による世界的な一大哲学運動になりました。
  
 ◇原田 戸田先生は「発刊の辞」の中で、「この貴重なる大経典が全東洋へ、全世界へ、と流布して行く事をひたすら祈念して止まぬものである」とも、つづられています。この時点で戸田先生は、世界宗教としての創価学会を明確に構想されていたのだと思います。
 戸田先生が念願された通り、御書は今や、英語、中国語、スペイン語、韓国語、フランス語、ドイツ語、イタリア語など10言語以上に翻訳され、世界192カ国・地域の同志が日々、大聖人の仏法を学び、自行化他の実践に励む時代になりました。
  
 ◆林 「本朝の聖語も広宣の日は亦仮字を訳して梵震に通ず可し」(御書1613ページ)との日興上人の仰せを現実のものにしたのも学会です。
  
 ◇原田 池田先生はかつて、このように語られました。
 「われら創価の師弟は御書全集を身をもって拝し、御書根本に一閻浮提への広宣流布を成し遂げている。『いよいよ頼もし』と誇りも高く、進んでまいりたい」「日本の安穏と世界の平和のために、われらはいやまして『立正安国』の大光を威風堂々と放っていくのだ」
 人類は今、未曽有の事態に直面しています。だからこそ生命尊厳、人間主義の仏法哲理が希求されています。
 私たちは永遠に大聖人直結で「実践の教学」を貫き、「広宣流布」と「立正安国」の旗を掲げながら、さらに励ましの対話を重ねていきたいと思います。

海外10言語以上に翻訳されている御書。世界中に、日蓮仏法の人間主義の哲学が広まっている


◆【みんなで学ぶ創価の心】
 「未来部ドリームチャレンジ期間」を応援! 読者投稿と合唱動画を紹介 

 今月1日から「未来部ドリームチャレンジ期間」(8月31日まで)がスタートしました。各種コンクールへの挑戦も始まっています。今回の「みんなで学ぶ創価の心」では、成長の日々を送る未来部員や親子の奮闘がつづられた「わたしの実践」のほか、富士中学生合唱団が作成した合唱動画を紹介します。?

【わたしの実践】
野球で恩返しする時!
 <千葉県市川市 恒田英寿さん(高校3年)>
 私は、3歳から野球を始めました。地元の少年野球チームやクラブチームに所属し、中学3年の時には、投手陣の一角を担い、全国大会で優勝を経験することができました。
 高校入学後は、レギュラーの座の確保と夢の甲子園の出場を目指し、厳しい練習に耐え抜いてきました。
 最高学年となってからは、投手陣のリーダー役を任され、自らの姿で模範を示そうと、人一倍、努力を重ねてきたつもりです。
 そんなさなか、新型コロナウイルスの感染拡大の影響により、2月末から部活動ができなくなりました。さらには、追い打ちをかけるように、甲子園そのものがなくなってしまったのです。
 甲子園という目標が奪われてしまった当初は、言葉では言い表せない悔しさで胸がいっぱいになりました。それでも、気持ちを前向きに切り替えることができたのは、信心のおかげです。
 私は3年前に祖母が脳出血で倒れて以来、「少しでも早く元気になりますように」との願いを込めて、勤行・唱題をするようになりました。その後、懸命な治療のかいあって、祖母は歩けるまでに回復しました。
 そうした経験があったからこそ、緊急事態宣言下でも、普段と変わることなく、「いつでも最高のプレーができるように」「けがをしないように」と祈りながら、自主練習に取り組んでくることができました。
 先日、授業の再開に合わせて野球部の練習も始まりました。さらに来月には、甲子園の代わりとして、県の代替大会が開催されることが決まりました。
 命懸けで信心を教えてくれた祖母、野球をするきっかけをつくってくれた祖父、野球を続けさせてくれた両親をはじめ、応援してくださる全ての方々に、高校最後のプレーを通して恩返しするチャンスがやって来た、と思っています。
 今後は、これまで以上に真剣な勤行・唱題に励み、3年間の努力の成果を存分に発揮できるよう、大会までの一日一日を大切に過ごしていきます。
 そして、チーム一丸となって優勝を勝ち取り、“諦めなければ願いはかなう”ことを証明していきたいです。

子どもと“世界”を広げて
 <横浜市緑区 金子慶子さん(パート)>
 わが家には、中学2年の長女と小学6年の次女、小学3年の長男がいます。
 長女は今年度から通級指導教室に通い、次女は昨年から特別支援学級で学んでいます。
 長女は、さまざまな悩みに負けず、6年間、頑張って小学校に通うことができました。中学に進学し、なかなか友達とのコミュニケーションがうまくいかず不安を覚えていたさなか、学校が休校となりました。
 どうすれば、子どもたちが安心し、自信を育んでいけるのか――日々、真剣に祈る中、家族で池田先生の書籍を読み、御書を学ぶ時間をつくろうと決意。今回、皆で深く心に刻んだのが、「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐をいのらん者か」(御書31ページ)との御文です。
 友達や近隣、また世界の人々の幸せを祈っていけば、自分の生命も磨かれ、輝いていくんだよ――そう語り合う中で、新型コロナウイルスのニュースに心を痛めた長女が、自ら勤行・唱題への挑戦を開始しました。
 下の子たちも一緒に祈るようになり、それぞれが学校の宿題や課題に前向きに取り組めるように。何より、親子でじっくり話す機会が増え、家族の絆が強くなったと思います。
 私自身、6月から、地元の小学校の特別支援教育支援員となり、さまざまな困難を抱えるお子さんや親御さんのサポートに当たっています。
 子育てを通して、自分一人では“気付けなかった世界”が見えるようになりました。より多くの人に尽くしていく力を、子どもたちが私に授けてくれているのだと感じています。
 どんなに仕事で疲れていても、家族の話をニコニコと聞いて、時には真心の手料理を振る舞ってくれる夫、そして、育児を支えてくれる同居の両親にも、感謝は尽きません。
 子どもたちと一緒に、“生涯、青春”の心意気で成長していきます。

富士中学生合唱団から動画――さあ「勇気の一歩」を!
【聖教新聞】富士中学生合唱団「勇気の一歩」

 首都圏中等部の人材グループ「富士中学生合唱団」から、合唱動画が届けられた。各自が自宅で撮影した動画を編集したものである。
 選んだ曲は未来部愛唱歌「勇気の一歩」。2番の歌詞には、こうある。
  ああ望み大きく 虹 えがいて
  英知を磨く 鍛えの季節
  さあ踏み出そう 歩いてゆこう
  力強く 勇気の一歩……  

  七つの実践項目に挑戦した「未来部レインボーチャレンジ」の取り組みから、「ドリームチャレンジ期間」へ――新たな一歩を踏み出した全国のメンバーへのエールである。  同合唱団の友にとって今回の動画作成は、コロナ禍によって直面した課題や悩みに「負けはしない!」と、自らの心に誓(ちか)う証(あか)しでもあった。
 「休校中、なかなか勉強が手につかない時、中学を今春卒業した合唱団の先輩たちから、どれほど励ましていただいたか」と、男子総合キャップの柳瀬哲也さん(中学3年)は言う。「先輩と交わした決意を思い出し、毎朝1時間の唱題を開始しました。学校の学級委員として最高のクラスをつくること、そして合唱団の全員と共に師弟の原点を築くことを真剣に祈っています」
合唱の練習に励む富士中学生合唱団のメンバー(昨年6月)
りりしく歌声を響かせて(昨年6月)
富士中学生合唱団の仲間たちと(昨年8月)
 女子総合キャップの小岩井真菜さん(同3年)も「卒業した先輩たちと一緒に“同盟唱題”をしています。たとえ練習ができない状況が続いても、“富士中”の誇りと自覚を忘れずに進んでいきます。私たちの歌声を全国の皆さんに、そして師匠・池田先生に届けたいです」と力強く。
 さあ自分を信じて、夢に向かって「正義の道」「英知の道」「平和の道」を共々に!
中等部結成55周年を記念する首都圏大会で、富士中学生合唱団の友が爽やかに。「森ケ崎海岸」や「勇気の一歩」などを歌い上げた(本年1月、東京戸田記念講堂で)

「わたしの実践」を大募集
 これまでの「レインボーチャレンジ」に加え、「ドリームチャレンジ期間」に新たな挑戦を始めたメンバーや、未来部育成に取り組む家族、担当者の声を大募集します。
 氏名、年齢、職業(学年)、住所、電話番号(※任意で携帯電話番号)を明記してください。当社のウェブサイトに掲載される場合があることも、ご了承ください。  
【ファクス】  03(5360)9613  
【メール】  ?kansou@seikyo-np.jp  


◆〈青年想 Essay from Youth〉5 仕事と向き合う 2020年7月2日
逆境に「心の財」輝く生き方    男子部長 西方光雄

新潟・牧口圏男子部のオンラインによる集いに参加する西方男子部長(先月6日)

 新型コロナウイルスの感染拡大により、社会が未曽有の困難に直面する中、青年部の代表が仏法の視点から価値創造の使命を考える「青年想」。今回は、西方男子部長が「仕事と向き合う」をテーマにつづる。

働くという難題
 北海道の会合を終え、10分後には沖縄の集い。時には一日の間に東北、東京、関東、九州へ――。距離を超えるオンライン会合の利点を生かし、日々、全国の男子部員と語らいの場をもっている。

 各地に共通して、皆が近況として語るのは、やはり仕事環境の変化である。

 日本では近年「働き方改革」が叫ばれてきた。コロナ禍という切迫した事態により、フィジカルディスタンス(身体的距離)に配慮して“改革”は進んだようである。だがもちろん一部にすぎない。
 在宅勤務などのリモートワークに対応できない企業は多く、エッセンシャルワーカー(社会の維持に不可欠な仕事の従事者)は心身ともに緊張の中で働く。先行きが見通せない分野もあれば、業態を変える試みもある。そして休業や失職の方々もいる。ウイルスが労働現場にもたらした影響は、不条理なほどにバラバラである。

 ほんの数カ月前には想像できなかった目まぐるしい状況変化の中で、青年世代の私たちが直面するのは、「働き方」の課題以前に、「働くこと」自体の難題なのかもしれない。

美・利・善の理想
 働く目的は何か。生活のため、自己実現のため、親孝行のため、社会貢献のため、趣味の充実のためなど、答えは十人十色であろう。

 アメリカの細菌学者ルネ・デュボス博士が寓話を紹介していた。

 ――通行人が、レンガを運ぶ3人に何をしているのか問うと、返事が異なっていた。一人目は「石運び」。二人目は「壁を積んでいる」。三人目は「聖堂を建てている」と(『生命の灯』思索社)。

 同じ作業をしていても、目的観や志の高さによって、業務の質や量、スキルアップ、成長の度合いは変わると感じる。

 そして仕事とは何かを考えるとき、初代会長・牧口先生が『価値論』で示された、人生の上に創造すべき「美・利・善」の価値が思い浮かぶ。利(経済的価値)は基本として、美(好き嫌いなどの感覚的価値)があれば充実感は増し、さらに善(社会的価値)を職場や世の中にもたらすことができれば、これ以上ない理想的な仕事といえよう。

 現実には、三つの価値が申し分なくそろう仕事と出合うことは、簡単なことではない。感染症の流行に直面し、その困難さは増しているように思う。

自己を磨く場所
 仕事に悩んでいた日蓮大聖人の門下に、四条金吾がいる。

 主君に仕える武士だった金吾は、同僚による讒言などのせいで、主君から理不尽にも遠ざけられてしまう。現代的にいえば、職場の人間関係の中でハラスメントを受け、まさに八方ふさがりだった。

 弱音を吐く金吾は、主君のもとを去り、より信仰にいそしむことができる入道の立場になろうと決意する。しかし大聖人は思いとどまらせた。悩みから逃げてはいけないことを教えられた。大聖人の仏法は、生活に生きる信仰なのである。

 苦境と向き合った金吾は信心を全うするなかで、さらなる危機に陥るが、やがて主君からの信頼を回復することができた。そんな金吾に大聖人は指針を送られる。

 「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」(御書1173ページ)

 物質的な財産(蔵の財)、技術・地位など(身の財)も大事だが、心の豊かさ(心の財)が第一である――。事態が好転しつつあっても、本当の勝負はこれからという局面での言葉である。仕事の悩みから逃げそうになったところを包み込むように励まし、そこから立ち上がって信心根本に進んでいく門下に対して、信仰と人生の本質を語られたと思えてならない。

 心の財は、根本的には信仰を通して磨かれるものであり、仕事の次元で見れば、どんな業務であれ、お金や技術等を得るとともに、心を豊かにすることが最高の働き方ということになろう。むしろ、蔵の財や身の財は労働環境によって左右されてしまうのに対し、心の財はどんな時や職場でも積める上に、何があっても失われないのである。

 大聖人は“何事においても人々から称賛されるようになりなさい”と金吾に願われている。心の財の具体的な現れが、あつい信頼であり、深い人格であるといえよう。

 仕事に関して大聖人は、「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」(同1295ページ)とも仰せである。「御みやづかい」、すなわち自分の仕事を、単なるビジネスではなく仏道修行と捉えるのである。

 そう思えば、職場で悩むことも、業務で行き詰まることも、ともすれば休業や失職という事態に陥ることがあっても、その中でもがき、奮闘すること自体が自身を磨き高め、心の財を積むことになるのではないだろうか。

三人前の責任感
 「信心は一人前、仕事は三人前」とは、第2代会長・戸田先生の指針である。「仕事は三人前」の意味について、かつて池田先生はこうつづられた。

 「大きな仕事を成し遂げるには、自分だけでなく、周囲にも目を配り、皆の仕事がうまくいくように心を砕くことが大切である。また、後輩も育て上げなければならない。さらに全体観に立ち、未来を見すえ、仕事の革新、向上に取り組むことも望まれる」(「随筆 人間世紀の光」〈わが社会部の友に贈る〉、『池田大作全集』第135巻所収)と。

 この学会精神ともいうべき責任感に燃えるドラマが、聖教電子版の投稿企画「青年部員と仕事」に寄せられている。

 兵庫のある男子部員は、かばんの設計の仕事をしていたが、コロナ禍で流通が止まり、売り上げが落ち込んだ。そんな中、マスク不足の解消のために技術を生かそうと決意。現在の設備で可能な縫製方法と、最適なマスク生地の研究を重ねた末、近隣特産の布地を使用した商品を開発できた。一般販売はもちろん、地元のこども園や小学校に無償配布し、社会貢献を果たせたという。

 池田先生は「苦しい時、大変な時こそ、不屈の負けじ魂で挑戦を続ければ、思いもよらぬ英知の底力が発揮される。必ず新しい価値を創造することができる」(2015年11月、創価学園「英知の日」へのメッセージ)と語られている。

 仕事にはその人の生き方が表れると思う。それは職種や業種、会社の規模などで決まるのではない。自分には何ができるか。現状をどう改善していくか。その責任感が強ければ強いほど、善の価値をもたらす創造と智慧が生まれる。ましてや、私たちには無限の希望を湧き出させる信仰の力がある。

 あまりに不安定な世の中で、「だからこそ」と前を向き、変毒為薬(毒を変じて薬となす)の誓願と確信をもって働く創価の同志の姿に、心の財の輝きを見る。目の前の仕事を通して、職場や社会に光を送る一人一人でありたい。

 

2020年7月 1日 (水)

2020年7月1日(水)の聖教

2020年7月1日(水)の聖教

◆わが友に贈る

 無限に向上する人には
 他者から学ぼうとする
 謙虚な姿勢がある。
 周囲への感謝を忘れず
 探求心を燃やしゆこう!


◆名字の言 人間の精神は「太陽」のように絶えず輝いている――ゲーテ  2020年7月1日

 気象情報会社の予想では、全国で梅雨が明けるのは7月下旬だという。日によって晴れ間があるとはいえ、太陽が恋しい季節。ただ、思えば雲のはるか上空には太陽が常に輝いている▼ゲーテは人間の精神とは“年を重ねても壊れることなく、永遠から永遠へと働き続ける”ものとし、「太陽」に例えた。「われわれの肉眼にだけは沈んで行くように見えるが、実際は決して没することなく、絶えず輝き続けているのだ」(高橋健二訳)▼ある多宝会の婦人は、入会以前から病を患っていた。知り合いの婦人部員から「強く生き抜くための仏法です」と聞き、教学部任用試験に挑戦。合格を機に入会した。だがその後、さらなる病を発症し、医師に余命3カ月半と告げられた▼その時、彼女は思った。“病という「魔」が競い起こった。本当に御書の通りだ”。そして確信した。“ならば、この信心で病魔に負けることなく、宿命転換できるんだ”と。あの日から3年半がたつ。米寿を迎えた彼女は、ますます元気で信心に励んでいる▼悩みという暗雲に覆われると、人は心に輝く“希望の太陽”を見失いそうになる。だが太陽の仏法を持ち、胸中に信心の確信を燃やし続ける限り、人生に闇はない。その信仰勝利の晴れ姿は周囲にも希望の光を届けることになる。(白)


◆寸鉄

「宿縁ふかしと思うて」
御書。さあ師弟の絆胸に。
創立90周年へ希望を拡大
     ◇
人間関係が希薄な今こそ
学会の役割に期待―日本
の識者。激励の声を益々
     ◇
今日から未来部ドリーム
チャレンジ期間。宝の友
を皆で応援。成長の夏を
     ◇
対策は一人一人が習慣化
してこそ効果が―専門家
手洗いなど、当たり前に
     ◇
国民安全の日。心の隙に
魔は付け込む。事故・火災
起こさぬ祈りと意識強く


◆社説 成長の夏、未来部員にエールを  子どもたちこそ社会の希望

 きょうから「未来部ドリームチャレンジ期間」が始まる。8月31日までの期間中、未来部員が「健康第一」「勉学第一」で夢に向かって挑戦を続けられるよう、創価家族で励ましを送っていく。

 この間、「未来部イングリッシュチャレンジ」「少年少女希望絵画展」「きぼう作文コンクール」「読書感想文コンクール」の各種コンクールの募集も行われる。毎年、多くの未来部員がチャレンジ精神を燃やし、創造の翼を大きく広げている。今年は“自分発”“家庭発”の取り組みとして、コンクールに挑む友を温かく見守り、激励していきたい。
 親と子、教師と生徒が「タテの関係」、同じ世代同士が「ヨコの関係」ならば、地域における未来部員と未来部担当者の関わりは、「ナナメの関係」に当たるだろうか。教育改革実践家の藤原和博氏はかつて、本紙のインタビューで次のように語っている。「親ではどうしても、『駄目!』と言わざるを得ないところを、ナナメの関係の人は、『それもいいんじゃない』と認め、勇気づけを中心にできます。その結果、子どもの自尊感情は高まります。タテとナナメの関係の双方が、うまく調和してこそ、子どもは健全に成長していくのです」
 現在、全面再開になった学校も多く、タテやヨコの関係が戻りつつある。その中で「ナナメの関係」は、建物でいえば「筋交い」のように、子どもを強固に支える重要な存在となろう。
 今、各地の未来部担当者は、その先駆を切るように、工夫をして、さまざまな形で未来部員に励ましを送っている。
 九州のある未来部担当者はオンラインで対話を。未来部員同士も画面越しに互いの不安な気持ちを赤裸々に語り、「気持ちが落ち着いた」と喜びを伝えていた。また、北海道からは「苦難を克服した信仰体験を織り交ぜた応援メッセージを手紙にして送った」、神奈川からは「未来部員同士の触発になればと、皆の挑戦をSNSなどで共有するようにしている」といった未来部担当者の声も届いている。
 未来部員への関わりには、子どもたちの心身の健康や家庭の状況に十分に配慮することが第一だが、「新しい生活様式」が呼び掛けられる中にあっても、こうした「ナナメの関わり」が、社会にとって希望の光になることは間違いない。
 「大白蓮華」7月号の「世界を照らす太陽の仏法」で池田先生は、未来部員に「皆さんが立ち上がることで、人類の未来を照らす希望の連帯は、いよいよ地球を大きく包んでいくのです」と期待を寄せている。成長の夏へ、ともどもに知恵を湧かせながら、子どもたちの心に希望と勇気の虹をかけていこう。


【先生のメッセージ】

◆<心に御書を>57 希望を送る確信の声を2020年7月1日

<御文>
 此の良薬を持たん女人等をば此の四人の大菩薩・前後左右に立そひて・此の女人たたせ給へば此の大菩薩も立たせ給ふ乃至此の女人・道を行く時は此の菩薩も道を行き給ふ(妙法曼陀羅供養事、1306ページ)
<通解>
 この良薬(妙法)を持った女性らを、この四人の地涌の大菩薩(上行・無辺行・浄行・安立行)が前後左右に添い立ち、この女性が立たれたならば、この四大菩薩も一緒に立たれるのである。この女性が道を行く時にはこれら四大菩薩も道を行かれるのである。

<池田先生が贈る指針>
 妙法は、生命の究極の大良薬である。妙法を行ずる友を、目には見えなくとも、四大菩薩は常に厳然と守護している。
 広布のためにわが地域を歩めば、あまたの菩薩を従える常楽我浄の地涌の行進となるのだ。
 不安や迷いを希望と勇気に転ずる「確信の声」を聡明に快活に広げゆこう!
 友の幸福と社会の安穏のために!


◆連載〈世界広布の大道〉小説「新・人間革命」に学ぶ 第21巻 基礎資料編2020年7月1日

イラスト・間瀬健治

イラスト・間瀬健治

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第21巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。挿絵は内田健一郎。
  
【物語の時期】1975年(昭和50年)1月26日~5月29日

「SGI」の章

 1975年(昭和50年)1月26日、世界51カ国・地域のメンバーの代表158人がグアムに集い、第1回「世界平和会議」が開催された。グアムは第2次世界大戦で日米の攻防戦の舞台となった島である。
 山本伸一は、恩師・戸田城聖の「地球民族主義」の言葉を胸に、会場にあった参加者署名簿の国籍欄に「世界」と記す。
 会議では、国際平和団体「IBL」(国際仏教者連盟)が誕生。そして、創価の精神を根幹とした国際的機構としてSGI(創価学会インタナショナル)が結成され、全参加者の総意で、伸一がSGI会長に就任する。また、生命の尊厳に目覚めた民衆の連帯を築き、恒久平和の創出を誓った「平和宣言」が採択される。
 スピーチに立った伸一は、「全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」と呼びかける。
 会場には、伸一が育んできた各国のリーダーが集っていたが、韓国は、一つにまとまることができずに、代表の姿はなかった。しかし、韓国の同志は、幾多の試練を乗り越え、後に大発展を遂げることになる。
  
「人間外交」の章

 1月28日に帰国した山本伸一は、ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作元総理をはじめ、国内外の各界のリーダーや識者らと精力的に対話していく。また、執筆活動にも力を注ぎ、一般紙に「私の履歴書」の連載を開始し、訪ソの印象をまとめた『私のソビエト紀行』も発刊する。
 さらに、作家の井上靖や福田赳夫副総理とも会談を重ねる。3月16日には、中国青年代表団を聖教新聞社で歓迎。また、日中国交正常化後、初の正式な中国からの留学生を迎える創価大学の入寮式に駆けつける。
 4月14日、3度目の訪中へ。北京大学などを訪れ、鄧小平副総理と会談。難局を迎えていた日中平和友好条約の締結への見解をあらためて確認する。17日、カンボジアの首都プノンペンが民族統一戦線によって陥落する。翌18日、北京で、カンボジアのシアヌーク殿下と会見。平和への全精魂を注ぐ「人間外交」が展開されていく。19日には、創大1期生との出会いが縁となり交流する、呉
月娥が教壇に立つ武漢大学での図書贈呈式に出席。21日、上海の復旦大学を訪問。誠意と信義の行動をもって、日中友好に尽力することを誓う。
  
「共鳴音」の章

 5月3日、山本伸一は会長就任15周年の式典に出席。「創価功労賞」等の授賞や会場提供者への表彰が行われる。その後、伸一は、男子部、学生部の代表の集いで、人材育成グループ「伸一会」を結成。5日の本部幹部会でも、参加者の隣で、学会歌を合唱し、渾身の激励を続ける。
 13日、仏・英・ソ連の訪問に出発。14日には、フランスのパリ大学ソルボンヌ校の総長と語り合う。15日、パリ会館での集いに臨み、16日、ローマクラブの創立者であるアウレリオ・ペッチェイ博士と会談する。伸一は欧州最高会議や友好祭などに出席する一方、陰で活躍する同志のグループを結成し、現地の中心的メンバーの家を訪問する。
 ロンドンに移動した伸一は、18日、市内で行われた代表者会でイギリスの理事長と再会。19日、トインビー博士に、対談集『21世紀への対話』(日本語版)と創大名誉教授称号の証書を届けるために、王立国際問題研究所を訪ねる。博士は病気療養中のため秘書に託し、再びフランスへ。作家のアンドレ・マルローや、美術史家ルネ・ユイグと会談し、魂の「共鳴音」を響かせる。
  
「宝冠」の章

 5月22日、フランスでの予定を終えた山本伸一は第2次訪ソへ。23日、ソ連対文連で、ポポワ議長らと語り合う。さらに、デミチェフ文化相と会談したあと、ショーロホフ生誕記念レセプションに出席。25日、レーニン臨終の地を訪れ、居合わせた子どもたちに声をかけ、交流する。
 伸一は26日も、連邦会議議長、モスクワ市長、海運相らと会見を続ける。夕方、婦人・女子部の代表とソ連婦人委員会を訪れ、世界初の女性宇宙飛行士である同委員会のテレシコワ議長らと会談を行う。
 27日、モスクワ大学から、伸一に知性の「宝冠」である「名誉博士号」が贈
られる。これが、世界の大学・学術機関からの、最初の名誉学術称号となる。彼は、「東西文化交流の新しい道」と題して記念講演し、“人間の心と心を結ぶ「精神のシルクロード」を”と訴える。
 翌28日、コスイギン首相と再会。中国への警戒を強くする首相に、訪中で周恩来総理、鄧小平副総理と会談したことを伝える。伸一は険悪化する中ソ関係を改善するため、自身が両者の懸け橋になろうと覚悟していたのである。
  
【山本伸一の平和旅】1975年1月~5月の訪問
◆世界平和会議でSGIが発足(1975年1月26日)
グアムで行われた第1回「世界平和会議」。51カ国・地域の代表が集い、SGIが発足した(1975年1月26日)

◆第3次訪中(1975年4月14日~21日)


中国の鄧小平副総理と会談(同年4月16日、北京の人民大会堂で)
北京市内を散策し、子どもと交流する池田先生ご夫妻(同年4月17日)

◆欧州訪問・第2次訪ソ(1975年5月13日~29日)




パリ会館でローマクラブ創立者のアウレリオ・ペッチェイ博士(右から2人目)と会

談(同年5月16日)。後年、対談集『21世紀への警鐘』が編まれた
作家アンドレ・マルロー氏㊧の自宅を訪れ、対話(同年5月19日)。二人の語らい
は後に対談集『人間革命と人間の条件』に結実
美術史家のルネ・ユイグ氏㊥と会談(同年5月20日、パリ会館で)。両者の対談集
『闇は暁を求めて』は1981年に発刊された
モスクワ大学で記念講演をする池田先生。この日、同大学から名誉博士号を受けた(同
年5月27日)


【聖教ニュース】

◆創価大学理工学部の国際共同研究がSATREPSに採択  2020年7月1日
 アフリカの環境・発展に貢献

創価大学の理工学部棟(東京・八王子市)。同学部では、グローバル人材を養成する海外研修やプログラムを実施している

創価大学の理工学部棟(東京・八王子市)。同学部では、グローバル人材を養成する海外研修やプログラムを実施している

 創価大学理工学部が中心となって推進するアフリカのエチオピアとの国際共同研究(代表・佐藤伸二郎教授)がこのほど、「地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム」(SATREPS)の今年度の研究課題に採択された。今年度の準備期間を経て、研究期間は2021年度から2025年度までの5年間となる。
 SATREPSとは、科学技術振興機構(JST)と日本医療研究開発機構(AMED)、および国際協力機構(JICA)が共同で実施する研究プロジェクトのこと。日本と開発途上国の国際科学技術協力の強化をはじめ、地球規模課題の解決や科学技術水準の向上、地球の未来を担う人材育成とネットワークの構築を目的としている。具体的な研究成果が、製品化されて市場に普及したり、行政サービスに反映されたりするなど、対象国の社会に役立つ形で還元される点が特徴となっている。
 今年度のプログラムには、国公立大学や国立研究所などから95件の応募があり、10件が採択された。そのうち、創大の研究課題が唯一、科学技術によるSDGs(持続可能な開発目標)の達成に向けて、国の外交政策上、重要な研究テーマであるとして、「トップダウン型SATREPS」に採用。今後の研究開発に大きな期待が寄せられている。

エチオピア・タナ湖の水草の有効活用へ

ホテイアオイが過剰に繁茂するエチオピア・タナ湖の様子。人が立っている場所より奥は湖面だが、水が見えない

ホテイアオイが過剰に繁茂するエチオピア・タナ湖の様子。人が立っている場所より奥は湖面だが、水が見えない

 今回、採択された研究課題名は「ナイルの源流エチオピア・タナ湖で過剰繁茂する水草バイオマスの管理手法と有効利用プロセスの確立」。現在、エチオピア最大の湖であるタナ湖には、水草のホテイアオイが湖面を覆うほど過剰に繁茂し、環境破壊や経済問題などを引き起こしている。このホテイアオイから得られるバイオマスの管理・処理手法の確立とともに、栄養価の高いスーパーフードの「スピルリナ」の生産や、農業生産性を向上させる肥料への有効活用を通して、エチオピアの環境問題の解決や経済の活性化、児童の栄養改善への貢献を目指す。
 創価大学では2017年度から、「PLANE3T Project」を展開。途上国における持続可能な循環型社会の構築に向けて、多くの成果を積み上げてきた。今回の採択は、マレーシアで創大が進めてきたSATREPS事業に次いで2件目となる。これまでに私立大学として、一つの学部で2件の研究課題が採択された前例はなく、創大理工学部の国際研究活動に関心が高まっている。
 本事業の実施チームは、創価大学を主幹校として、滋賀県立大学、滋賀県琵琶湖環境科学研究センター、三菱UFJリサーチ&コンサルティングの国内4機関と、バハルダール大学、インジバラ大学、タナ湖周辺水域保護開発機構のエチオピア3機関で構成。創大からは、各学部の教員や、大学院生らが参加予定である。
 創立者・池田大作先生の「21世紀はアフリカの世紀」との展望から60年――研究代表の佐藤教授は力を込める。「これまでに創価大学が培ってきた研究成果を踏まえつつ、日本とエチオピアの将来のために、さらなる事業の発展と有望な人材育成に全力を注ぎます」


◆創大理工学部教授を代表とする研究グループ 糖鎖科学のポータルサイトを開発 2020年7月1日

 創価大学糖鎖生命システム融合センターの副センター長で、同大学理工学部の木下フローラ聖子教授を代表とする研究グループが、糖鎖に関する研究を推進するための糖鎖科学ポータルサイト「GlyCosmos」を開発した。この研究成果は米科学誌「ネイチャー・メソッズ」7月号に掲載された。
 糖鎖とは、さまざまな種類の糖が鎖状に連なった物質のこと。神経や免疫の働きに関与するなど、生命活動を支える上で重要な役割を果たしている。一方、その構造や生合成の過程は複雑で、一般的に、成分や機能の分析・解明は困難であるといわれている。
 開発されたポータルサイトは、糖鎖に関連する遺伝子やタンパク質、疾患、病原体の情報などを網羅的に統合しており、利用者は必要な情報を、容易に検索・閲覧できるようになっている。昨年4月の正式公開に伴い、日本糖質学会のポータルサイトとして公認され、以降は収録データ数の拡充などを行ってきた。
 今後は、研究者のサポートのため、さらなる解析ツールやソフトウェアの開発などに取り組んでいく。


【特集記事・信仰体験など】


◆〈未来の宝と共に 池田先生の書籍に学ぶ〉沖縄女子未来部長 神谷有希乃さん 2020年7月1日
 テーマ「勤行・唱題するのは何のため?」
〈池田先生の言葉〉
 祈ることは、あくまで、あなたの「権利」です。祈りたいと思う分だけ、無理なく実践すればいいんです。「これだけ唱題しないと、だめ」なんて狭い考えは、仏法にはありません。特に、皆さんは、今は学業が本分だから、伸び伸びと考えてください。「一遍の題目」にも計り知れない力があります。
 朝、時間のない時などは、心を込めて題目三唱をすれば、必ず通じます。その上で、時間を見つけて、勇んで題目を唱えた福運は、“宇宙銀行”に積まれています。いざという時、限りない力となります。(『未来対話』130ページ)

信心の大切さを実感した出来事
 私は少女部時代から、家族で一緒に勤行・唱題に挑戦し、座談会にも参加していました。未来部コーナーを姉妹で担当。人前に立つのは緊張しましたが、温かく支えてくれる創価家族の励ましもあり、楽しく取り組めました。
 また、本部幹部会の中継行事にも欠かさず出席。母は、私たちが楽しく参加できるように「池田先生のネクタイは何色だった?」と、クイズを出す工夫などをしてくれました。
 勤行をしたくない日もありました。母は決して強制することはありませんでしたが、「福運が積めるのに、もったいないなー」と私のやる気に火が付くような声掛けを(笑い)。
 さまざまな形で信心を教えてくれた母のおかげで、勤行・唱題や学会活動が好きになったのです。
 信心の大切さを初めて実感したのは高校受験の時。志望校は私にとってレベルが高く、模擬試験の判定は合格ラインギリギリ。不安が募るばかりでした。それでも唱題根本に勉強も面接も対策をやり切って試験に臨むと、不思議と緊張せず力を出せたのです。そして合格を勝ち取りました。
 高校卒業後の進路に悩んでいた時も“自分が何をしたいのか”と真剣に題目を唱え、“まずは本当に自分がやりたいことを見つける”という気持ちを持てるように。周囲が進学や就職を決めていく中でしたが、“全てのことに意味があるから大丈夫”との強い思いで、不安もなく高校を卒業しました。
 その後、アルバイトをしたり、家庭のことを手伝う中で、やりたいことが見つかり、日商簿記やパソコンの資格を取得。20歳の時に“車で通勤ができる”など、私が望んでいた20の条件を満たす、現在の職場に就職できたのです。

祈りは勇気を出す原動力
 今でもさまざまなことに悩みますが、そんな時はすぐに題目を唱えます。祈りは勇気の一歩を踏み出す原動力であり、どんな壁も乗り越えていけるきっかけを与えてくれるからです。
 池田先生は「『信心』という希望の太陽を心に昇らせた人は、どんなに悔しい嵐があろうが、最後は必ず、晴れ晴れとした大満足の勝利の虹をかけることができる」とおっしゃっています。
 未来部の皆さんも、自分の思い通りにいかないことがあるかもしれません。そんな時こそ題目に挑戦してみてください。そうすれば自身の悩みを晴らす、きっかけがつかめます。私も一緒に、成長の日々を送れるように唱題していきます!


◆ 信仰体験 電話一本で物流守る“配車のプロ” パーキンソン病と闘いながら、昨年起業
 運ぶのは物じゃない 人との“つながり” 

 【山形県尾花沢市】“水屋(みずや)”と呼ばれる仕事がある。運送業界で使われる通称で、正式名称は、貨物利用運送事業。昔、水を売り歩く商人が飛脚(ひきゃく)などへの荷物の取り次ぎを行っていたことに由来(ゆらい)するという。電話一本で、トラックと荷物をつなぐ“配車のプロ”である。本間和智(ほんまかずとも)さん(64)=副県長=は、1日で100本以上もの電話をさばく。

 本間さんの元には、「トラックを探す荷主」と「荷物を探す運送会社」の両方から連絡が入る。トラックの種類や大きさ、どのルートを走るか。さまざまな条件を合わせ、マッチングさせる。   
 「きょうの便、10トンウイング、秋田から京都・大阪まで」
 慌ただしく依頼の電話が入る。本間さんはメモを取りながら、頭をフル回転させる。注文に合った路線を通るトラックをどう確保するか。「あの人なら」と当たりを付け、トラックを手配していく。成約すれば、手数料が本間さんの収入になる。   
 必要な情報を入力すれば、全国の業者と契約できるシステムもあるが、本間さんに依頼が集まるのは、やはり広い人脈と信頼の証し。地道な営業努力と、季節の変化を予測して先手で荷物を探す“読み”も冴(さ)える。そこに“差”が生まれる。
 トラックは荷物を積んで目的地に着いた時、そこで新たな荷物を積み込み、次の目的地を目指すのが理想だ。“空荷”で走行することは、経費分の損失になり、できる限り避けたい。そこで必要とされるのが水屋業だ。
 迅速な対応とともに、本間さんが大切にするのは「絶対に断らない」こと。いくら面倒でも活路を探し出す。
 ある時、初めての取引相手に泣きつかれたことがあった。荷物は少量で、東京から島根県の山奥まで運んでほしいと言う。ネットで求荷求車サービスを利用しても便が見つからない。
 断るのもやむを得ない案件だったが、本間さんは“そうはいかない”と諦めなかった。近くの都市まで運び、そこから先へ届けてくれる業者はいないか。業者リストに片っ端から電話をかけた。ようやく見つかった時、荷主の安堵(あんど)した声が電話口から聞こえた。
 後日、荷主はわざわざ山形まで会いに来てくれた。「顔を見て、お礼が言いたかった」と。
 “誰もやらないところまでやる”。本間さんの真骨頂(しんこっちょう)である。

 高校を卒業後、運送会社に就職。大型免許を取得すると、電飾と絵で彩ったトラックで全国を駆け巡った。
 信心強盛な父のもと、学会に入会したが、本間さんは多忙で活動に積極的ではなかった。意識が変わったのは、結婚を機に入会した妻・美代子さん(60)=県婦人部長=を通じてだった。
「勤行の仕方すら教えてもらってなかった」美代子さんだったが、夫婦で実家を離れて暮らした時期があり、そこで会合に参加するようになった。
 ある日、婦人部の先輩に誘われ、初めて家庭訪問へ。ところが玄関先で怒鳴(どな)られた。学会と疎遠(そえん)になっていた人だった。
 帰り道、先輩は笑みをたたえて美代子さんに言った。「おかげで、題目をあげさせてもらえる。また行くべな」   
 それから毎日のように、2人で通った。次第に「また来たの」と言う声が柔(やわ)らかくなり、応対も穏(おだ)やかに。
 40日目。「待ってたのよ」と家に招き入れられた時は、美代子さんに感動が込み上げた。
 「人の気持ちって、変わるんだね」。喜々として語る妻の変化を、本間さんは毎日見ていた。「学会の世界は、温かいな」。やがて夫婦は歩幅を合わせて、信心一筋に進むように。笑い声が絶えない家庭を築いていった。
 本間さんはその後、トラックを降りて、運行管理をつかさどる“配車マン”として活躍する。

 2014年(平成26年)、夫婦で圏長、圏婦人部長を務めていた時だった。本間さんに異変が。
流暢(りゅうちょう)に話しているはずが、舌(した)がもつれて言葉に詰まる。震(ふる)える手を止められなくなり、病院へ。パーキンソン病と診断され、「進行を遅らせる、合う薬を探すしかない」と告げられた。   
 ゆっくりと小刻みに歩くようになり、筋肉がこわばった。社交的でカラオケ好きなのに、人前に出ることを避(さ)けるように。「うちに春は来るのかな……」と悲嘆(ひたん)を妻にこぼしたこともあった。
 伝票へ記入する。数年前はパーキンソン病が進行し、書くこともできなかった
 しかし御本尊に向かうことだけは忘れなかった。題目を唱えるほどに、ありのままの姿で信仰者の強さを示したいとの覚悟(かくご)が定(さだ)まっていく。   
 池田先生の指導を胸に刻(きざ)んだ。「病苦が深ければ深いほど、それを克服(こくふく)すれば、仏法の偉大なる功力を証明することができ、広宣流布の大きな力となるではないですか」
 やがて、ぴたりと合う薬の量が見つかる。症状の進行が止まった。   
 19年春、本間さんは退職する。できる仕事を模索し、漬物屋への転職が決まりかけた時、運送会社の社長から水屋業を提案された。  
「自分でやったらいいべ。あんたほどの人脈と信用があれば、ぴったりだ」。病と闘う姿をずっと見守ってきた人だった。
昨年5月、社長が事務所の一角に机と電話、パソコンまで用意してくれ、起業した。経理や事務も請け負ってくれるという。想像すらしていなかったが、一台のトラックも持たず、電話一本で勝負ができる。天職だった。
 普段は静かな声が、仕事の電話だとハキハキと弾んだ。「良い“職業病”ってあるんだ」と美代子さんと笑った。
 朝から夕方までひっきりなしに電話に追われることがリハビリになったのか、医師も驚くほどの回復を見せる。
梅雨の晴れ間に、妻の美代子さん㊧と散歩。今春、孫の冴虎さんが創価大学に合格し、喜びをかみ締めた
  
 今年3月、緊急の依頼があった。「できるだけ早く、食器トレーを運んでほしい」。新型コロナウイルスの感染拡大により、多くの飲食店は、テークアウトへ切り替えた。持ち帰り用容器の需要から生まれた仕事だった。  
  運送業は変化の連続。これから夏にかけて、地元産のスイカが最盛期を迎え、青果が大きく動く。
「運ぶのは物じゃない。人とのつながりなんだ」。コロナ禍で再確認した思いを胸に、きょうも受話器を握る。

2020年6月30日 (火)

2020年6月30日(火)の聖教

2020年6月30日(火)の聖教

◆わが友に贈る

 「話すと元気になる」
 「あの人がいるから
 心強い」と慕われる
 安心と信頼の存在に!
 励ましの光を幾重にも!


◆名字の言 クラシック音楽は「変わらないから面白い」 2020年6月30日

 作曲家・ピアニストの山中惇史さんが、本紙の文化欄で語っていた。クラシック音楽は、楽譜に沿った忠実な演奏が求められる。その奏法は何百年も変わらない。「変わらないから面白いのです」と▼クラシックの名曲には、偉大な音楽家たちの“魂”が息づいている。魂の力は、時を経ても衰えない。そこに迫ろうとする限り、楽器や演奏者が変わっても人々を魅了し続けるだろう▼変化変化の社会。近年は、インターネット等が普及し、新しい情報、新しい製品が容易に手に入るようになった。が、どんな新情報や新製品もすぐに古くなる。しかも、そのサイクルはますます短くなるようだ。心したいのは、いかに技術が進歩しても、人間の本質に関わる「生老病死」という根本的な苦悩はなくならないということだ▼仏法は「生老病死」という四苦を「常楽我浄」の四徳に転じる哲理と実践を説く。すなわち、「生」を喜びと充実で満たし、「老」や「病」さえ大きな境涯を開く糧にし、「死」を永遠の幸福への晴れやかな出発にしていく。この仏法の叡智は、古くなることがない▼混迷を深める時代に、「生きた哲学」を共に学び、共に実践し、支え励まし合いながら希望を広げる創価の世界。この陣列の尊さを、改めて思う。(実)


◆寸鉄

「一切の法は皆是れ仏法」
御書。智慧の太陽が輝く
信心即生活の賢者たれ!
     ◇
学生部結成記念日。俊英
の使命は先駆!学び語り
新時代の扉を堂々と開け
     ◇
牧口先生は70歳でも「わ
れわれ青年は」が口癖と。
生涯青春の多宝会、尊し
     ◇
あすからレジ袋有料化。
地球守る鍵は一人一人の
意識変革と具体的行動に
     ◇
7月は「熱中症予防強化
月間」。絶対に油断せず。
健康こそ人生勝利の基盤


【先生のメッセージ】

◆〈忘れ得ぬ旅 太陽の心で――池田先生の連載エッセーから〉フィレンツェ 2020年6月30日

フィレンツェ最古の橋「ヴェッキオ橋」。14世紀に再建された(1992年6月、池田先生撮影)

フィレンツェ最古の橋「ヴェッキオ橋」。14世紀に再建された(1992年6月、池田先生撮影)

 月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「フィレンツェ――人間を見つめる花の都」を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。イタリアのフィレンツェは、絢爛たる「人間復興」の文化が花開いたルネサンスの中心地。新しい生活様式が求められる今、この街に薫るルネサンスの精神に学び、人間の絆を強く結びながら、一人一人が絶えず再生し偉大な価値を創造しゆく「負けない生命」の力を湧き立たせていきたい。
  
 世界まで
  つつむ 旭日の
    イタリアは
   ルネッサンスの
      満開 香りぬ
  
 わが街は「花の都」なり――。
 同じ暮らすのであれば、人それぞれに、自らが生きる地域を「花の都」と誇りにして、「花の人生」を飾っていきたいものです。
 たとえ、少々地味な街並みで、一見平凡な生活であったとしても、誰もが心一つで、明るい対話の花も、楽しい友情の花も、豊かな文化の花も、生き生きと咲かせていけるはずです。その香り高い手本が、文字通り「花の都」という名を持ったイタリアのフィレンツェです。
  
 ルネサンスの哲学者ピコ・デラ・ミランドラが、共感を込めて記した一節に、こうあります。
 「世界というこの舞台において、最も感嘆すべきものと見られるものは何か」「人間ほど素晴しいと見られるものはない」
 私たち人間自身のなかにこそ、何よりも素晴らしい宝があります。その宝を発見し、磨いていくならば、人間は一人一人が、わが生命の花を、もっともっと自分らしく色とりどりに咲き薫らせていくことができます――。
 フィレンツェは、そう語りかけ、人生のルネサンス(再生)を促してくれる、人間の花すなわち「人華」の都でもあるのです。

人間の絆を強く
 〈池田先生は、フィレンツェを初訪問した折に青年たちと語り合った思い出を述懐し、人間の絆にこそ、創造の花を育む力があると訴える。また、忘れ得ぬイタリアの一婦人の姿を紹介。病に負けず医師として使命を果たし、青年を励ましてきた不屈の歩みをつづった〉
  
 「いかなる距離も我らの友情を引き離すことはなく、いかなる忘却の力も我らの記憶を消し去ることはない」
 これは、フィレンツェの指導者で、ルネサンスの思想家であったブルーニの言葉です。
 街自体が「屋根のない美術館」とも称されるフィレンツェを、私が初めて訪れたのは、一九八一年の五月のことです。
 時に友人宅におじゃまし、時に陽光降り注ぐ芝生の上に座って、時にアルノ川に架かるヴェッキオ橋を渡り、時にミケランジェロ広場からフィレンツェの街を一望しながら、私は、とりわけ青年たちと徹して語り合いました。当時のイタリアでは、麻薬が蔓延するなど、青少年を取り巻く状況は厳しいものがありました。そうした風潮のなかで奮闘する健気な青年たちを、何とか励まし、力づけたかったのです。
 ――現実から逃避してはならない。希望の哲学を持って正面を向こう! 親に心配をかけぬよう、青年らしく、大いに学び、大いに働こう! 友と仲良く信頼し合って、共に前進するのだ、と。
 「秀でた人物が出現するとき、多くの場合たった一人だけでない」と語ったのは、ルネサンスの画家・建築家のヴァザーリです。
 どんなに才能に恵まれた人でも、一人で孤立していては、成長を続けられません。
 レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめ、きら星の如く優れた芸術家を生み出したルネサンスに、師弟の薫陶があり、先輩・後輩の継承があり、友と友との切磋琢磨があったことは、よく知られるところです。
 人間の絆にこそ、創造の花を育て、開花させゆく光線があり、水分があり、滋養があるのではないでしょうか。

イタリア広布20周年を祝う友好文化総会の会場で、池田先生が未来っ子の小さな手を握り、励ましを送る(81年5月、フィレンツェ郊外で)

 妻が近しいイタリアの婦人も、常に友や青年の話に耳を傾けて、励ましを贈り、多くの人材を育ててこられました。忘れ得ぬ方です。
 彼女は十五歳の時に、突然、ポリオ(小児まひ)を患い、両足が不自由になりました。しかし断じて負けませんでした。悲嘆に打ちひしがれるより、学びに学び抜いて医師になったのです。自分が病気に苦しんできたからこそ、病気に苦しむ人を助けようという心からです。
 慈愛の医師としての使命を果たして退職したあとに、仏法の生命哲学と出あいました。そして、かつて残酷な戦火に覆われたヨーロッパに、生命尊厳の哲学を伝え、人々の連帯を広げて、平和に貢献していくことを、人生の総仕上げとしていきます。
 お子さんのいない彼女は、杖で体を支えながら歩きに歩いて、縁する青年を、息子のように、娘のように、激励してきたのです。
 さらに日本語にも精通していた彼女の名翻訳が東洋の英知を紹介し、大きく道を開いて、今、イタリアでは幾万もの青年が続いて、生命ルネサンスの道を学んでいます。
 この婦人が聡明な笑顔で語られていた言葉が、思い起こされます。
 「どんな困難な状況があろうとも、一人一人とじっくり心の対話を重ねていけば、前進は可能です」
 「異なる個性を持つ人がしっかりとスクラムを組んでいくことが大切です。それなくして世界平和の実現はありません」

負けない生命
 〈先生は、歴史に名を刻んだ芸術家のごとく、今いる場所でベストを尽くし、偉大な価値を創造しゆく中に、「花の人生」が広がり、「花の都」が輝くとエールを送る〉
 世界的なロベルト・ロンギ美術史研究財団のミーナ・グレゴリー会長は、若き美の探究者たちを育成されてきた芸術の母です。会長は私に語られました。「『芸術』は、生活を潤し、人生を豊かにする不可欠の宝です」と。
 そして、「モノ」や「計算」や「利害」が中心となった殺伐たる時代を打ち破るために、芸術がもっと多くの人生に深く入っていくべきだと言われるのです。

アルノ川のほとりに広がる美しいフィレンツェの町並み(94年5月、池田先生撮影)

 フィレンツェのシンボルの一つであるヴェッキオ宮殿は、天井や壁、柱まで絵画や彫刻が配される美の殿堂であり、しかも中世から政治の中枢となってきました。
 現在も市庁舎として使われています。
 その広間の一角にさりげなく飾られているのが、大芸術家ミケランジェロの「勝利」の像です。
 数々の迫害と苦難に勝って、不滅の名作を創り上げてきた彼は、毅然と断言しました。
 「わたしは自分の今あるもろもろの条件の下で最善をつくすだけだ」
 今いる場所で、いかなる苦難もはね返して偉大な価値の創造をしていく「負けない生命」こそ、最高の人間芸術でしょう。それは、フィレンツェの紋章の百合の花の如く、何にも汚されない清らかな花です。
 この「花の心」から、「花の人生」が広がり、「花の都」が輝いていくのではないでしょうか。
  
 花の人
  花の心の
    花の旅
  
 (『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第2巻所収)
  
 ※ピコ・デラ・ミランドラの一節は『ルネサンスの人間論――原典翻訳集』佐藤三夫訳編(有信堂高文社)、ブルーニの言葉は『原典 イタリア・ルネサンス人文主義』池上俊一監修・髙田康成訳(名古屋大学出版会)、ヴァザーリは『ルネサンス画人伝《新装版》』小谷年司訳(白水社)、ミケランジェロは『ミケランジェロの手紙』杉浦明平訳(岩波書店)。


【教学】

◆〈教学随想 日蓮仏法の視座〉 学生部教学室長 三國秀夫
世界を結ぶ地涌の絆
激動の時代――“先駆”の実践で社会を照らす

 パソコンやスマートフォンの画面上に、就職活動の悩みを打ち明けるメンバーや、友への激励に奮闘するメンバーの顔が映し出される。身ぶり手ぶりを交えて近況を語る、友の明るい表情に、こちらも元気をもらう。
 オンライン上で喜びを分かち合い、励まし合う――今、全国各地の学生部で見られる光景だ。
 コロナ禍により、社会の“当たり前”も大きく変わった。感染拡大防止のための「新しい生活様式」に移行しつつある中、これまでの“常識”が問い直され、社会のさまざまな分野で思いもよらない変化が次々と起きていることを、日々、感じている。

知勇兼備の闘将の集い
 きょう6月30日は「学生部結成記念日」。1957年(昭和32年)のこの日、男女学生の代表約500人が集い、結成大会が開催された。
 その直前には、北海道・夕張で炭鉱労働組合が学会員を不当に弾圧した「夕張炭労事件」が起こった。直後の7月3日には、池田先生が不当逮捕される。「大阪事件」である。
 学生部は、権力の魔性との熾烈な闘争の渦中で産声を上げたのである。
 かつて先生は、「学生部こそ、無名の民衆を守り抜くことを使命として誕生した、知勇兼備の闘将の集いである」とつづられた。
 学生部の使命――それは、いかなる激動の時代にあろうとも、常に広宣流布に先駆し、英知の光で社会を照らしゆくことにほかならない。
 この誇りを胸に、私たち学生部は、社会が揺れ動く中でも、常に前を向く。
 ウイルスの感染が広がり、緊急事態宣言が発令された4月は、ちょうど入学・進級のシーズンだった。学生部でも、例年であれば新入生など、新たな友とつながる時期だったが、直接会えない、集まれない、という状況が続いていた。
 しかし、各地のメンバーは知恵を湧かせ、工夫を凝らしながら、電話やSNSなどを活用して“つながる”挑戦を重ねてきた。
 こうした状況の中で、私自身、あらためて気付かされたのは、「同志との“心の絆”は、試練の時ほど強靱さを増す」という紛れもない事実だ。

 “心の絆”で思い起こすのは、日蓮大聖人が身延の地から、遠く離れた佐渡の門下・千日尼に送られたお手紙である。
 「譬えば天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮び雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾に聞ゆ」(御書1316ページ)
 千日尼は、身延にいる大聖人に御供養を届けるため、夫の阿仏房を送り出し、佐渡の地で留守を預かっていた。
 その千日尼に対して、大聖人は、天空の月が瞬時に池に影を浮かべるように、また、古代中国の「雷門の鼓」の音が遠い距離を越えて直ちに伝わったとされるように、千日尼の身は佐渡にあっても、その心は、私(大聖人)のいる身延にまで届いていると励まされた。
 物理的な距離は離れていても、心は瞬時につながっている――この慈愛の励ましに、千日尼は深く勇気づけられたに違いない。
 心の絆に、距離や時間は関係ない。相手を思う心は“いつか”ではなく、“今この瞬間”に必ず伝わるのだ。
 さらに大聖人は、「我等は穢土に候へども心は霊山に住べし、御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ」(同ページ)――私たちは、けがれた国土におりますが、心は霊山浄土に住んでいるのです。お会いしたからといって、どうなりましょう。心こそ大切なのです――と仰せである。
 仏法の眼から見れば、私たちの絆は、“会う・会わない”の次元を超え、生命の次元で深い宿縁によって結ばれた、久遠からの“地涌の絆”なのである。
 また、「御義口伝」には、「霊山一会儼然未散」(霊山一会儼然として未だ散らず=同757ページ)との一節がある。
 これは、法華経が説かれた霊鷲山の会座は、いまなお厳然として散らず、永遠に常住しているとの意味である。「会座」とは、仏の説法を聞くために仏弟子達が集まった場所・儀式のことだ。
 このことについて池田先生は、「広く言えば、日蓮大聖人の門下として、異体同心で広宣流布に向かって進んでいる創価学会の姿そのものが、『霊山一会儼然未散』と言えます」と述べられた。
 深い縁で結ばれた創価の同志の心は、どんなに離れていても、いずこの地にいたとしても、一つである。目には見えなくても、心の絆は厳然としてあるのだ。
 私たちは今、“何としてもあのメンバーを励まそう”“あの友人に希望を送りたい”と、オンラインを活用して、一人また一人と心を通わせ、絆を結び広げている。ウイルスとの闘いで物理的な距離は離れようと、心の距離は絶対に離れない――この思いが脈打つ創価の絆の真価は、あらゆる分野で“分断”が広がる混迷の世界にあって、今後ますます光っていくだろう。
 思えば、自然災害や疫病などが打ち続いた鎌倉時代、苦悩にあえぐ民衆に蘇生の励ましを送られたのが、大聖人である。たとえ直接会えずとも、手紙をしたため、会われたのと同じように心を込めて、多くの門下を激励された。
 手紙を受け取った門下もまた、文字を通して大聖人のお心を感じ、師の心をわが心として、苦難に立ち向かっていった。
 善なる人と人とによって織り成される心の絆は、未曽有の災禍に遭っても変わらない。いやむしろ、世界中、同じ状況にある今こそ、さらに強く輝く希望となるに違いない。

「誓い」の共有
 ではなぜ、これほど強固な心の絆が、日本中、世界中で強く結ばれてきたのだろうか。
 私自身、信心に目覚めたのは、学生部の先輩の励ましがあったからだ。
 大学に進学すると、学生部の先輩が私のもとへ頻繁に訪れるようになり、私もやがて、学生部の集まりに参加した。
 そこで、池田先生の偉大さを語り合う同志の生き生きとした姿に触発を受け、「自分も、学生部の仲間たちと一緒に、広宣流布のために戦おう!」と決意したことを覚えている。
 特別なことは何もない。
 ただ、「師と共に広布に生き抜く」との誓いに燃え立つ一人から一人へ、いわば「誓い」が共有されていく中で、私たちの絆は結ばれてきたのだ。
 この方程式は、世界のどの地でも、また、いかなる時代になろうと、変わらないことだろう。
 妙法が、地涌の使命を自覚した一人から、「二人・三人・百人」(御書1360ページ)と唱え伝えられ、未来にまで続いていく――これが「地涌の義」であると大聖人が示された通りである。

学生部の使命とは
 今、学生は大きな不安と向き合う。授業や就職活動などの先行きは見通せず、すぐ近くで励まし合える仲間にも会えない。しかしそれでも、自宅の机で、パソコンの画面に向かって、自身の未来を開こうと、学業に励む。
 日本だけでなく、世界の学生もまた、同じだろう。
 状況は異なるが、2011年(平成23年)を思い出す。東日本大震災が日本を襲った、あの日だ。
 当時、創価高校の3年生で卒業を控えていた私は、震災を報じるテレビを前に、「これから先、どうなるのか」と大きな不安に襲われた。
 その5日後の3月16日。池田先生が、創価学園の卒業式に寄せられたメッセージは、今も私の心に刻まれている。
 「これから、どこにいようとも、私の心は常に、皆さんと一緒です。いつも成長を見守っています」
 その後も、困難に直面するたび、先生の励ましを思い起こし、自らを鼓舞して、挑み抜いてくることができた。
 1962年(昭和37年)、学生部への本格的な薫陶のため、先生は「大白蓮華」4月号の巻頭言で「学生部に与う」をつづり、呼び掛けられた。
 「青年のなかにあって、とくに学生部は、その先駆をきるべき責任と自覚をもつべきである」
 この“先駆”の誇りを胸に、私たち学生部は、広布を誓う絆を結びながら、希望の哲学を社会へ大きく広げゆく実践に、ともどもに挑んでいきたい。


【聖教ニュース】

◆きょう「学生部結成記念日」 希望の哲学で新たな歴史を開け  2020年6月30日


 きょう6月30日は「学生部結成記念日」である。1957年のこの日、第2代会長・戸田城聖先生のもとに男女学生の代表約500人が集って、学生部は結成。池田大作先生が祝電を送った。男女学生部の友は、今月を「希望の哲学を胸に! 先駆励まし月間」として、御書の研さんと希望の拡大に走ってきた。また結成記念日に寄せて、各国学生部のリーダーからメッセージが届けられた。

男子学生部の「6・30」記念の“全国オンライン総会”で、司会の呼び掛けに応える北海道の友。岐阜の大野優人さん、千葉の本間義弘さんが活動報告した

男子学生部の「6・30」記念の“全国オンライン総会”で、司会の呼び掛けに応える北海道の友。岐阜の大野優人さん、千葉の本間義弘さんが活動報告した

男子学生部は全国オンライン総会を開催
 新型コロナウイルスの世界的流行は、学生たちの生活に大きな影響をもたらしている。
 大学等の授業の多くはオンラインとなり、友人と直接会う機会は激減。不況による経済的困難に直面する学生も多く、就職活動でも不安な状況が続く。

 だからこそ、互いの「心の距離」を近づけ、「希望」を広げていこう!――男女学生部はインターネットを駆使して、多彩な取り組みを進めてきた。そうした中、共に唱題や仏法対話、研さんに励む友は例年よりも増加している。
 男子学生部は、ライブ講義「学生部スタディーチャンネル」を3月末から、ほぼ毎週配信。学生部のリーダーが、基礎教学や御書の講義を行ってきた。6月は「佐渡御書」を学び、「困難に負けずに頑張ります!」などの声が多数寄せられた。
 また、全国で8万人を超える友人に励ましの対話を広げてきた。28日には全学生部員を対象とした“オンライン総会”を動画配信で実施。さらなる成長を皆で誓い合った。

京都の女子学生部の集い(28日)に、上野関西女子学生部長が参加。有志が学生部結成の歴史をスライドで紹介し、柳井彩喜さんが決意を語った

京都の女子学生部の集い(28日)に、上野関西女子学生部長が参加。有志が学生部結成の歴史をス
ライドで紹介し、柳井彩喜さんが決意を語った

女子学生部は各地でオンラインの集い
 女子学生部は「開目抄」をはじめ「池田華陽会御書30編」の研さんに取り組んできた。

 同世代の友と勉強や信心について気軽に語り合える会合をオンラインで開く地域も。会合では、新入生から先輩への質問コーナーや広布史を学ぶクイズ、御書講義、信仰体験などを通し、福智のスクラムを拡大。「この集いが、自分が頑張れる原動力です!」など喜びの声が聞かれる。
 池田先生は、学生部の友に万感の期待を寄せている。
 「新たな地球文明の創造へ、創価の世界宗教の真価を、いよいよ発揮する本舞台が、わが不二の学生部を待っているのだ」
 さあ、共に希望の歴史の建設を!――師弟の誓いを胸に、若き友は前進を続ける。

活躍する友の話題を紹介
 富山の山谷祐貴さん(大学3年)は医学部で学ぶとともに、5月からは大学生への生活支援として、総菜を届けるボランティア活動に参加している。
 組織ではグループ長として「皆の成長の原動力になれば」と、オンラインの集いを毎週開催。自ら御書講義などを行う。
 集いには大学の友人も毎週のように参加しており、「ここに来ると、1週間頑張ろうと思えるんです」と感想を。その姿を見て、他の部員が自身の友人を集いに招くなど、決意の波が広がる。
 山谷さんは「周囲を安心させられる力と人格をもった医師となり、地域医療の発展に貢献したい」と誓う。
 神奈川の岩﨑優里花さん(大学6年)は、明年の歯科医師国家試験の合格を目指し全力を尽くす。昨年は勉強や人間関係の問題で悩んだこともあったが、同志と御書を学ぶ中で、自分を信じて進むことができた。
 その確信のままに、今月、新入生とオンライン御書学習会を開き、「諸法実相抄」を共に研さん。また、仏法対話にも挑戦し、先日は友人に『ワールド セイキョウ』を渡すことができた。
 岩﨑さんは力強く語る。「今まで支えてくれた家族、同志、そして池田先生への感謝を忘れず、勝利の実証を示してまいります」

各国のリーダーからメッセージ
フィリピン アンダヤ学生部長
 フィリピンの大学生は、通信環境が十分でない場合もある中、オンライン授業と、個人のレベルに合わせた課題に取り組むなどして学業に励んでいます。
 こうした状況下で、学生部は、各人がどのように自身の困難を乗り越えているかを共有する「Breakthrough(突破口を開こう)」運動を開始。早速、唱題根本に奨学生として大学入学を果たした体験や、御書の一節を胸に、自己への挑戦を重ねる様子が報告されています。
 今こそ信心への確信を胸に、物理的に離れていようとも、SNS等を駆使して部員へ、友人へ、励ましの輪を大きく広げる時と実感します。
 「逆境に打ち勝つ」との哲学に満ちた池田先生の指導などを、オンラインの学習会を通して深めながら、強固な心の団結を築き、民衆を守る学生部の使命を果たしていきます!

イタリア ヴァレンテ女子学生部長
 イタリア学生部はコロナ禍でも、友人を招いての集いをオンラインで継続。小説『新・人間革命』で学生部に触れられている箇所や「開目抄」「観心本尊抄」の研さんなどを通し、池田先生との絆を強め、学生部の使命を確認し合っています。
 さらに、人権の闘士・エスキベル博士と池田先生の共同声明をもとに、持続可能な社会への展望と提案をまとめた「イタリア学生部宣言」の実現へ、実践を続けています。
 きょう30日には、オンライン会議を開催します。学生部の代表が先生の平和提言や創価の社会活動などを紹介し、大学教授らがSDGs(持続可能な開発目標)について多様なテーマで講演する予定です。
 学生部員の成長こそ社会の希望と確信し、民衆のために学び行動できる一人一人に成長していく決意です。

◆音楽隊に世界記録のギネス認定証   2020年6月30日

国立競技場の完成イベントで“ボルト・ポーズ”

 音楽隊の創価ルネサンスバンガード・ジュニア(立澤孝亮楽団長)に、「ギネス認定証」が贈られた。
 東京・国立競技場の完成を祝賀する地域イベントの一環で行われた「ギネス世界記録」チャレンジ(昨年12月21日、明治神宮外苑)で、男子陸上の世界記録保持者ウサイン・ボルト氏がレース後などに披露する「ライトニング・ボルト・ポーズ」を同時に行った最多人数の記録を認定したもの。
 創価ルネサンスバンガード・ジュニアは、総本部近隣の商店会などの呼び掛けで参加。ボルト氏もゲストとして招かれ、団体や地域住民を含めた2682人がポーズを決め、世界記録を樹立した。
 同イベントで、創価ルネサンスバンガード・ジュニアは演奏も披露。同日の国立競技場オープニングイベントでも、音楽隊の創価ルネサンスバンガードと鼓笛隊がパレードを先導した。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈「新・人間革命」と私」〉北海道男子部長 平井祐嗣さん  2020年6月30日

〈心に刻む珠玉の言葉〉
 師弟の絆の強さは、物理的な距離によって決まるのではない。己心に師が常住していてこそ、最強の絆で結ばれた弟子であり、そこに師弟不二の大道があるのだ。<第27巻「求道」の章>

〈時代背景〉
 1978年(昭和53年)6月11日、北海道を訪れていた山本伸一は、厚田での北海道青年部の第6回総会に出席した。13日には、別海の北海道研修道場を初訪問し、役員の友を激励。14日、標津町にも足を運び、個人指導に力を注ぐ。16日には、上春別で雑貨店とドライブインを営む壮年と、77歳の求道心旺盛な母親をたたえ、真心の句を贈る。

師の激闘を書き写した日々
 本章では、1978年(昭和53年)6月の山本伸一の北海道指導の様子が描かれています。
 伸一は“草の根を分けるように同志を探し、たたえよう”との思いで道内を駆け巡り、16日間で約5000人の友と一緒に記念撮影し、延べ2万人を超える会員と会い、激励しました。
 冒頭の引用は、これまで伸一と一度も会ったことがなかった上春別の谷沢千秋・徳敬親子と出会いを刻んだ場面を通し、池田先生がつづられた言葉です。千秋はこの日まで、“師の心をもっと知りたい”と真剣に祈り、“今日も弟子らしく戦い抜きました”と、心の師に胸を張って報告できる自分であろうと純真に信心に励んでいました。
 この信心の姿勢は師弟不二の模範であると思います。この部分を読み、学生時代、初めて師匠の心を知ろうとした時のことを思い出しました。
 きっかけは、創価大学1年の時、“池田先生にお応えしよう”と奮闘する先輩や学友の姿に触発を受けたことです。そこで私は、“先生のことを学びたい”と、当時、聖教新聞に連載されていた小説『新・人間革命』を毎日、ノートに書き写すことにしたのです。
 そこで、心から感じました。先生があらゆる場所で絶え間なく、人を励ましていること。激務の中で『新・人間革命』を執筆されていることを。そして、書き写した一字一句から伝わる先生の闘争に、畏敬の念を抱きました。師匠の心を求めたこの日々は、“先生にお応えしゆく生涯を”と誓った原点となりました。
 後に、山本伸一の北海道での激闘がつづられた「厚田」の章、そして「求道」の章が聖教新聞に連載されました。この二つの章もノートに書き写し、伸一の激励行を心に刻みました。このノートは、今でもかばんに入れ、メンバーへの激励の際に使用しています。
 
 「求道」の章に「求道心を失った時、信心の向上は止まり、慢心に侵され始める」とあります。厳しい社会状況の中ですが、北海道男子部は求道の炎を絶やさず、「三代城」の弟子の底力を示していきます。


◆「学生部結成記念日」特集  信仰体験 一家和楽は僕の手で!

諦めない強さを胸に広布に走る
 きょう30日は「学生部結成記念日」。学会家族の温かさに触れ、励ましの尊さを実感しながら、英知と福智のスクラムを広げる学生部の友。ここでは、それぞれの使命の舞台で、「諦めない強さ」と「一歩踏み出す勇気」を胸に成長するメンバーの活躍を紹介します。

 【群馬県高崎市】大学進学を目前に控えた2017年(平成29年)3月。地元の兵庫を離れて、群馬で1人暮らしを始める矢先のことだった。
 「学会に入会してみない?」。近所の創価学会員の婦人に切り出され、塚本大介さん(21)=学生部部長=は「今は別にいいです」と断った。婦人は「今こそ信心する時だと思うの。また来るね」と言って帰っていった。
 ――父・克巳さん(55)=壮年部員=が、家族で唯一の学会員だった。小学生の頃、何度か座談会に参加したことはあったが、中学生になると、それもなくなった。
 “とっさに断ったけど……”。真剣に語る婦人の顔が忘れられない。
 婦人は、塚本さん家族をいつも気に掛けてくれた。道で会えば「大ちゃーん。最近元気にしてる?」と、いつも大きな声で話し掛けてくれる“優しい近所のおばちゃん”だった。一言二言、交わすだけの短いやりとりでも、向けられる笑顔がうれしかった。思えば、座談会で会う人たちは、みんな心からの笑顔で歓迎してくれた。
 “信仰のことは分からない。でも、あの笑顔が創価学会の世界なんだ”
 1週間後、今度は「やります」と即答した。
 親元を初めて離れての新生活。すぐに地域の学生部の先輩や、地区部長、地区婦人部長夫妻が訪ねて来てくれた。おかげで不安は消えていった。
 大学2年になると、学生部の人材グループ「誓城会」の一員に。東京の総本部に通い、同世代のメンバーと信心を学び合う時間は新鮮で、充実していた。
 任務に就いていると、そろって学会本部を訪れる家族をよく見掛けた。そのたびに“僕も家族みんなで信心してみたい”という気持ちが募っていく。
 先輩に相談すると、「挑戦してみようよ。みんなで祈るよ!」と背中を押してくれた。“一人じゃない”と思うと勇気が湧いた。
 果たして家族への折伏は簡単ではなかった。決意して帰省するも、話すタイミングを何度も逃した。意を決して弟を呼び出したのに、沈黙ばかりが二人の間で流れていったことも。
 それでも弟の気持ちは、塚本さんの成長した姿や近所の学会員の真心に触れる中で、確実に変わっていった。2018年に弟・涼さん(20)=男子部員=が入会した。
 母や妹は、「自分で決めたことなら」と認めてくれた。だが、「私たちはいいよ」と笑ってくぎを刺されると、それ以上は踏み込めなかった。
 それから2年――。今年の初めに学生部で「二月闘争」の歴史を学んだ。戸田先生の誕生月を、勝利の報告で祝福しようと戦う池田先生の姿に胸が熱くなった。その勢いのまま、大切にしていた、学生部指導集『先駆の誇り』を読み返す。
 「世界のどこかに、君にしかできない使命が、君の来る日を待っている。指折り数えて待っている。待たれている君は、あなたは生きなければ! めぐりあう、その日のために!」
 自分にしかできない使命。“絶対に家族全員で信心するんだ!”。心のベクトルが定まった時、迷いも臆病の心も消えていた。
 母と妹にもう一度、真剣な思いで語り抜いた。父も「みんなで一緒にやろう」と言ってくれた。
 今年の2月11日、母・有紀さん(51)=婦人部員=と妹・奈々さん(18)=女子部員=がそろって入会。家族で初めて会館で勤行・唱題をした時、込み上げる思いが、涙となってあふれた。横を見ると、母も泣いていた。

 それからは、題目を唱え聖教新聞を読むという何気ない日常が、何倍もうれしいものになった。
 地元学生部では部長として、決して人数の多い地域ではないが、「創価家族としてつながっていきたいんです。みんなが僕にそうしてくれたように」と、日々励ましを送る。
 現在、就職活動中。コロナ禍で思うようにいかないことも多いが、「信心して、家族と本気で向き合えました。かけがえのない仲間もできた。学生部での日々が、僕に諦めない強さをくれました」と前を向く。
 家族で歩み始めた新たな道。その一歩一歩を踏みしめながら広布に走る。?


◆「学生部結成記念日」特集 信仰体験 題目でキラキラをチャージ!

勇気の一歩から初の弘教
「オーストラリアではいろんな国の友人ができました」と内藤さん。その影響もあって今は華流(中国)ドラマにはまっている

【横浜市】県内の大学で国際分野について学ぶ内藤歩さん=女子地区リーダー=は、祖父の代からの“学会3世”。進学してすぐ、女子部の活動に参加するようになった。
 話を聞いて驚いた。いつも気に掛けてくれる先輩たちは、友人にも平気で学会のことを話している。
 “みんな、すごいな……”
 気が向いたら題目くらいの意識なら、なんとなくある。小・中学校で人間関係に悩んだ時、唱題してから学校に行くと、ギクシャクしていた相手とうまく話せるようになったことが何回もあった。
 でも胸を張って人に信心の話をする自分の姿なんて、想像できない。
 「“自分なりに祈っていこう”が、学会活動に参加し始めた時の“モットー”でした」
 1年の終わりの春休み。視野を広げたくて、大学の海外研修プログラムに参加した。
 オーストラリアで、5週間のホームステイ。自分の片言の英語では通じないだろうとは覚悟していたものの、予想以上にコミュニケーションがとれないことに、すっかり萎縮してしまう。
 英語の講座が始まっても、普段通りの自分が出せない。不安と緊張で息苦しい。部屋で一人、悶々としていると、思い出したようにスーツケースに手を伸ばした。

愛用の学会活動ノート
 取り出したのは女子部指導集『華陽の誓い』。出発の直前に買ったものだった。夢中でページをめくっていくと、池田先生のある言葉が目に飛び込んできた。
 「希望も、喜びも、人から与えられるのを、待つものではない。自分でつくり出し、皆に広げていくものだ」
 なんだか胸が熱くなった。“絶対、この研修を充実させたい!”
 次の日から、クラスメートに声を掛けるようにした。自身に課したルールは必ず違う人とも話をすること。すると友人がどんどん増えていった。自信がついた。
 そのうれしさを、部屋に戻ると祈りに変えた。
 「唱題すると、なんだか視界がキラキラして見えて、“明日も頑張ろう”って思えるんですよね!」
  帰国すると高校の同級生から、「なんか変わったね」と。
 新たに始めたアルバイト先で、話の合う友人ができた。お互いの将来像や、悩みを気兼ねなく言い合える仲になっていた。
 次第に自分でも驚きの感情が芽生えていた。
 “一緒に信心できたらいいな……”
 でも、うまく話せる自信なんてない。胸の内を母に相談した。
 「歩の思ったままを話せばいいんだよ」
 やり方があるのかと構えていただけに、少し肩の力が抜けた。

女子学生部の同志とオンラインで会合を
 友人に会う日。
 「あの……」
 内容は、「すごいんですよ!」とか、「前向きになるんですよ!」とか。文章という文章には、なっていなかったかも。その後も手紙を送って、自分なりに思いを伝えていくと、<自分も一緒にやってみたい>とのメールが。驚きと喜びで胸がいっぱいになった。
 今年の1月2日、友人は入会。初めての弘教が実った。
 どうして信心をしようと思ったのか尋ねてみると、「内藤さんが、なんだかキラキラしてたから」。
 ただただ、うれしかった。それは自分の実感でもあったから。
 「『南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり』(御書788ページ)って、本当にそうなんだなって思いました!」
 学会員に生まれてよかった。今は心からそう思う。「入学した頃の私に言ってあげたい。“学会活動って、折伏って元気になれるよ!”」。将来は模索中。不安もあるけど、以前より自信をもって向き合えている気がする。
 信心をつないでくれた家族、同志、そして池田先生への感謝を胸に、きょうの一歩を踏み出す。

 

2020年6月29日 (月)

2020年6月29日(月)の聖教

2020年6月29日(月)の聖教

◆今週のことば

 新時代の「青年の月」だ。
 地涌の誓願の若き命に
 越えられぬ試練はない。
 舞を舞うがごとく
 歓喜踊躍の前進を!


◆名字の言 新たな栄光の共戦譜を    2020年6月29日

 日に1度は必ず御書を手にし、年頭から全編拝読に挑む青年部員。彼は、充実の日々をこう表現する。「毎日、日蓮大聖人から個人指導を受けている気持ちになります」と▼「立正安国論」など法門についての論文に、教義の深遠さを知り、世界が開ける。門下を激励する御消息文に、自身も励まされ、勇気が湧く――時代を超え、大聖人から信心の薫陶を受けていると思うと、研さんにも真剣さが増す▼御聖訓に「(法華経の文字は)肉眼の者は文字と見る。(中略)仏は一字一字を金色の釈尊、つまり仏の生命そのものと見る」(御書1025ページ、通解)とある。同じ御文でも、拝する人の境涯や一念によって、理解の深さはいかようにも変わる▼現在、池田先生の会長就任60周年記念年譜『栄光の共戦譜』が友に贈呈されている。収録された年表に先生の死身弘法の軌跡を学びつつ、その行間から、当時の自身が宿命と戦いながらも師と紡いだ“わが栄光の共戦譜”がよみがえる友も多いことだろう▼同書は“あの時の誓いと奮闘を忘れてはならない”“これからも共に人生を開いていこう”との思いがこもる、先生から私たち一人一人への励ましともいえる。学会創立100周年へ、新たな師弟凱歌の歴史を築いていこう。(城)


◆寸鉄

「他人なれどもかたらひ
ぬれば命にも替る」御書。
一本の電話も真心込めて
     ◇
全てを価値創造に転じて
いけるのが創価の智慧―
恩師。勇敢に困難に挑め
     ◇
人は大きな目的があって
こそ大きくなる―詩人。
我らは立正安国のために
     ◇
感染の誤った情報に触れ
ていた人は7割―総務省
正確な情報が不安除く要
     ◇
警察等装い訪問する詐欺
多し。銀行カードは他人
に絶対渡すな。厳重管理


◆社説 2020・6・29 あす「学生部結成記念日」 歴史の転換点に立つ使命

 あす30日は「学生部結成記念日」。
 1957年(昭和32年)6月30日、第2代会長・戸田城聖先生のもとに500人の男女学生の代表が集い、学生部は誕生した。池田先生は、北海道・夕張の地から祝福の電報を送り、次代を担う俊英たちの成長に深い期待を寄せた。
 コロナ禍の中、男女学生部は、「結成の月」である6月を「希望の哲学を胸に! 先駆励まし月間」として、オンラインを中心とした励ましの拡大と、教学の研さんに取り組んできた。
 男子学生部のあるグループ長は、自身が主催したオンラインの集いに3人の友人を招待。自作のスライドを画面に映しながら、仏法の哲理を語った。3人とも熱心に聞いてくれ、学会への理解を広げることができたという。
 今、新型コロナウイルスの大流行で、人類は大きな試練の渦中にある。多数の人命が奪われるとともに、都市や国境の封鎖で人や経済の動きが止まったことにより、世界的な不況も危惧されている。
 日本の大学生らも、思うように進まない就職活動や授業の遅れ、経済的な苦境など、さまざまな困難に直面する。
 こうした「危機の時代」だからこそ、未来を開くためのビジョンや哲学、強き信念、希望の連帯が求められている。
 ノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・スティグリッツ氏らは、「ウィズコロナ」の時代に求められる力は「レジリエンス」だと語る(NHK NEWS WEBから)。レジリエンスとは「困難を乗り越える力」。心理学でも研究が進んでおり、レジリエンスを発揮する要素の一つとして、「信仰に基づく利他の行為」が挙げられている。
 自分だけの成功や幸福を願うのではなく、友の幸福を祈り、社会の繁栄、世界の平和のために行動していく――そうした生き方をしている人は、苦難に対して強い。人間の中には「他者のため」に行動するときに発揮される、「潜在的な力」があるのであろう。
 これは仏法の視点でいえば「菩薩界」の生命であり、私たち学会員が日々、実践している生き方である。
 池田先生は学生部に対して、「生命尊厳、人間尊重の大仏法を真摯に探究し、勇敢に実践する学生部こそ、父母をはじめ、恩ある衆生に誠実に尽くしながら、『同じ地球で共に生きる』平和と人道の大連帯を広げゆく先駆のリーダー群なのである」と万感の思いを寄せている。
 歴史の転換点に立つ今だからこそ、仏法の人間主義を学び、実践する学生部の使命は大きい。一人一人が英知と人格を磨き抜き、新たな時代を開く人材として羽ばたくことを祈りたい。


◆きょうの発心 御義口伝 福井総県副総県長 石橋壮一郎 2020年6月29日

御文 始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり(御義口伝、788ページ・編1634ページ)
通解 初めて自分の心が本来の仏であると知ることを、すなわち大歓喜と名づける。
いわゆる南無妙法蓮華経は、歓喜の中の大歓喜である。

日々、決意新たに誓願の人生を
 自身の中に仏の生命があると知り、唱題することこそ、最高の歓喜である、との仰せです。
 “何のために生きるのか”と、漠然とした迷いを抱えていた学生時代。友人から仏法の話を聞き、入会しました。
 題目を唱えると生命力が湧き、御書に説かれる仏法の深い生命哲理に、目が覚める思いでした。
 小説『人間革命』を読み、創価三代の師弟の精神に感動。さらに“師と共に広布に生き抜こう”と、使命を知った喜びを胸に、4人の友人に弘教を実らせることができました。
 その後、家業を継ぐため郷里の福井へ。無理解の両親のもと、妻と共に地域広布に励みました。周囲に共感が広がっていく姿を見て、母も入会。3人の娘たちも、創価の学びやで育んでいただき、使命の道を歩んでいます。
 日々、小説『新・人間革命』に学び、師への報恩を胸に、新たな決意で誓願の人生を歩んでまいります。


【先生のメッセージ】

◆〈心に御書を〉56題目の功力は絶大

〈御文〉
 法華経の題目をつねは・となへさせ給へば此の妙の文じ御つかひに変ぜさせ給い・或は文殊師利菩薩或は普賢菩薩或は上行菩薩或は不軽菩薩等とならせ給うなり
(妙心尼御前御返事、1484ページ)

〈通解〉
 (あなた<妙心尼>は)法華経の題目を常に唱えられているのだから、この「妙」の文字が(冥途の故入道殿への)御使いに変じられ、あるいは文殊師利菩薩、普賢菩薩、上行菩薩、不軽菩薩となられるのである。

〈池田先生が贈る指針〉
 最愛の家族を亡くした方への励ましである。
 妙法は、地球を動かし、太陽を輝かせ、大宇宙を運行させる究極のリズムである。十方の仏菩薩を味方にし、わが眷属も生死を超えて護り抜ける。
 題目の人に行き詰まりはない。最極の智慧も勇気も忍耐力も涌現する。必ず“一番、良かった”と言い切れる人生の軌道となるのだ。

【教学】

◆〈日蓮大聖人の慈愛の眼差し〉 大田乗明
 壮年こそ安心と確信の柱
 下総地域で富木常忍、曾谷教信らと共に奮闘 大聖人から重要な御抄を頂くなど信頼厚き門下

千葉・銚子市の犬吠埼の海岸から旭日を望む。今や日蓮仏法の人間主義の哲理は、混迷の闇を打ち破る光として、世界を照らす

千葉・銚子市の犬吠埼の海岸から旭日を望む。今や日蓮仏法の人間主義の哲理は、混迷の闇を打ち破る光として、世界を照らす


 壮年には、社会の荒波をくぐり抜けてきた経験がある。度胸がある。風格がある。

 一家も職場も地域も、重鎮たる壮年世代に覇気があれば、活気があふれ、隆々と発展していく。
 日蓮大聖人の御在世当時、多くの男性門下が信心の歩みを重ね、「広布の黄金柱」の壮年として活躍した。その一人が大田乗明である。
 大聖人の励ましを胸に、自らの苦難と立ち向かいながら、妙法流布に生き抜いた。大聖人のお手紙からは、その求道の姿勢に対する信頼や期待の大きさをうかがうことができる。

妻と共に真心の供養を行う
 大田乗明は、下総国葛飾郡八幡荘中山(現在の千葉県市川市中山)に住んでいた門下である。生年は大聖人と同じ貞応元年(1222年)と考えられている。早い時期から大聖人に帰依したとされ、下総方面(現在の千葉県などの一部)の中心的門下だった富木常忍や曾谷教信らと支え合いながら、純真な信心に励んだ。
 大聖人が乗明、教信ら3人の門下に宛てられた「転重軽受法門」の内容から、文永8年(1271年)の竜の口の法難の直後、相模国の依智(現在の神奈川県厚木市)に留め置かれた大聖人のもとに、お見舞いを申し上げていることが分かる。この時、3人一緒に大聖人を訪ねたのかどうかは定かではないが、師匠の最大の難にあっても信心を貫いたのである。
 また、大聖人が身延に入山された翌年の同12年(1275年)3月、乗明は教信との連名でお手紙を頂いている(御執筆年を、これ以前とする説もある)。当時、あらゆる難との闘争の中で、大聖人が所持されていた聖教(経釈などの書籍)の多くが失われていた。大聖人は、こうした経典類の収集を二人に依頼された。
 大聖人はその際、「両人共に大檀那為り」(御書1038ページ)と記されている。「檀那」とは、在家の有力な信仰者との意味で、仏教教団を経済的に支える人を指す。「大檀那」との仰せに、いかに大聖人が、この二人の門下を重んじられていたかを拝することができる。
 そんな乗明に試練が襲い掛かったのは、同じ年の建治元年(1275年)11月頃。病気に悩まされていることを、大聖人に御報告している。これに対する御返事の中で大聖人は、乗明の病気は、今までの真言の信仰を悔い改める心を起こしたゆえに、未来世に受ける重い苦しみを今、軽く受けているのであり、病を治して長寿とならないことがあるだろうか(同1011ページ、趣旨)と、万感の励ましを送られている。
 また、大聖人の身延入山後も、乗明は夫人と共に、米や銭、衣服などの御供養を続けている。大聖人は、そのたびに心からの感謝の念を表されるとともに、供養の功徳は、計り知れないほど偉大であることを教えられている。
 例えば、建治3年(1277年)11月に、乗明の夫人が小袖(袖丈の短い衣服)を御供養した際には、その功徳により、後生(未来世)において極寒に責められるという苦しみを免れるだけでなく、今生には種々の大きな難を払い、男女の子どもたちにまでその功徳が及ぶ(同1013ページ、趣旨)と仰せになっている。
 
 頂いたお手紙の内容から、乗明の夫人が、信心や法門の理解の上でも優れた女性であったことがうかがえる。真心の御供養をはじめ、師匠のために尽くし抜き、懸命に信心に励む功徳は、自らを包み守ることはもちろんのこと、子どもたちにまでも及んでいく――大聖人の確信の言葉に、夫人は夫と共に、偉大な師匠と最極の妙法を持つ人生の喜びを実感したに違いない。

師匠の精神を後世に伝える
 大聖人は、求道心にあふれた乗明の信心の姿勢を、最大に称賛されている。弘安元年(1278年)4月に送られたお手紙で、次のように述べられている。
 「あなた(乗明)が、私(大聖人)の教えを聞いてからは、それまで信仰していた真言宗への執着をきっぱり捨てて法華経に帰依し、ついには自己の身命よりも法華経を大事に思うほど、強盛な信心を確立するまでになった。これはまことに不思議なことである」(同1015ページ、趣旨)
 このような仰せからも、乗明が確固たる信仰の基盤を築いていたことが分かる。他の御抄では、「聖人」や「上人」とまでたたえられている。
 ところで、このお手紙を頂く前に、乗明は「自分は厄年に当たっており、そのためか、心身共に苦悩が多くなりました」(同1014ページ、趣旨)と、大聖人に報告したようだ。
 これに対して大聖人は、「法華経を受持する者は教主釈尊の御子であるので、どうして梵天・帝釈・日月・星々も、昼夜に、朝夕に守らないことがあろうか。厄の年の災難を払う秘法として法華経に過ぎるものはない。まことに頼もしいことである」(同1017ページ、通解)と仰せになっている。
 法華経を持つ者は、諸天善神に必ず守られる。いかなる難も法華経の信仰で免れることができる――師の励ましに、大きな勇気を得た乗明は、一層、信心を深めていっただろう。
 その後、乗明は「三大秘法禀承事(三大秘法抄)」を与えられている。三大秘法とは、大聖人が明かされた前代未聞の三つの重要な法理であり、大聖人の仏法における根幹である。この重書を後世へと託されたこと自体が、乗明に対する大聖人の深い信頼の表れであるといえよう。
 乗明は、大聖人が弘安5年(1282年)10月13日に御入滅になられた後、その翌年の同6年(1283年)4月26日に亡くなったとされている(他の説もある)。師匠から重要な御抄を頂くとともに、最期まで、それを後世に伝えゆく、使命の生涯を送ったのである。
 池田先生は、下総地域で奮闘した三人の男性門下について、次のようにつづっている。
 「下総方面の中心であった、富木常忍、大田乗明、曾谷教信も壮年である。(中略)この壮年たちが、今こそ立ち上がろうと、勇猛果敢に戦い、同志を励ましていったからこそ、大法難のなかでも確信の柱を得て、多くの人びとが、信仰を貫き通せたにちがいない。壮年がいれば、皆が安心する。壮年が立てば、皆が勇気を燃え上がらせる。壮年の存在は重い。その力はあまりにも大きい」
 一人の壮年が揺るぎなき信心で立ち上がり、師匠のため、広布のために尽くす実践は、全てが福徳となり、自身のみならず、一家の勝利を開いていく。そして、周囲の人々にも励ましの輪を幾重にも広げていけるのである。


【聖教ニュース】

◆〈SDGs特集〉京都産業大学 伊藤公雄教授に聞く 2020年6月29日
 生産性最優先から脱し、多様な“生”が輝く社会へ

 貧困や差別をなくし、誰も置き去りにしない社会を目指す国連のSDGs(持続可能な開発目標)。17ある目標の全てと深く関わるテーマが、女性に対する差別の克服と男女の平等だ。目標5「ジェンダー平等を実現しよう」の達成に向けて、現在の課題や今後の社会の在り方などについて京都産業大学の伊藤公雄教授に聞いた。(聞き手=南秀一)

 【プロフィル】1951年生まれ。京都大学名誉教授・大阪大学名誉教授。専門は文化社会学、メディア研究、ジェンダー論。内閣府男女共同参画会議専門調査会委員、同男女共同参画の将来像検討会座長代理、国連人口基金東京事務所アドバイザリーコミッティ委員、日本ジェンダー学会会長などを経て現職。日本学術会議会員、国立女性教育会館監事などを務める。
性の気質や役割は文化や時代によってつくられる

 ――「ジェンダー」という言葉は、「社会や文化によって(後から)形成される男女の性差」といった説明がされます。
 
 男性の役割、女性の役割といった性別に基づく枠付けは、ほとんどの社会に存在してきました。ヨーロッパの多くの言語には、男性名詞・女性名詞のように、男女区分が存在しています。男性と女性(の領域)という二分法は分かりやすいこともあり、人間が世界を把握するためのベースにあったのでしょう。 
 しかし、いわゆる“男らしさ”“女らしさ”が象徴するものは文化や時代によって異なります。つまり、男性・女性の気質や役割は、その文化や時代によってつくられたものだといえます。 
 思想家のイバン・イリイチは近代以前の人間社会を洞察し、地域や時代ごとに特殊な男女の役割があり、互いに助け合って社会が成立していたと論じました。前近代社会では、男女の役割は厳しく固定されていましたが、当時はそれが差別的だと意識されることはあまりなかったのです。

近代産業社会で男性優位が顕在化
 ――近代以降は、どのように変化してきたのでしょうか。
 
 工業化が進んだ近代産業社会においては、とかく生産性や効率が追求され、計算しやすい労働力の確保が重要になります。すると、妊娠・出産の期間がある女性は労働力として計算しにくくなる。
 結果、女性は結婚すると生産活動から排除され、労働力である男性、次世代の労働力となる子ども、かつての労働力だったお年寄りをケアする役割が割り振られるようになっていきました。
 そこでは生産労働である男性の労働が“公的なもの”とされ、女性は無償で“私的な労働”に従事することになる。前近代社会では見えていなかった男性優位の仕組みが、顕在化したのが近代産業社会の特徴といえるでしょう。この仕組みは経済的には非常にうまく機能したため、工業化が始まると世界中がほぼ同じ道をたどっていったのです。
 しかし、1970年代ごろから、社会は生産労働から情報やサービスを軸とする産業へと転換し始めました。そこで必要とされるのは主に企画力や調整能力であり、性別は関係ありません。こうした産業構造の変化もあって70年代以降、世界で女性の社会参画が進んできたのです。

日本には男女平等の先進的な制度が存在
 ――日本社会はどのような変遷をたどってきたのでしょうか。
 
 ヨーロッパと対比して“遅れた日本”と評されることがありますが、歴史的に見れば、必ずしもそうではありません。
 『万葉集』には7、8世紀の庶民の女性の歌も収録されており、10世紀には紫式部や清少納言、和泉式部らが活躍しています。これは古代の日本で女子教育が一定程度、存在していた証しでしょう。同時代のヨーロッパの女性作家がほとんどいないのと対照的です。
 また、1960年代後半以降の欧米を中心とするフェミニズム運動の二大テーマは、離婚と中絶の合法化でした。日本ではいずれも第2次世界大戦後に法的に認められており、当時、少なくとも法律上は、先進的な男女平等の制度が整っていたといえます。

アメリカ・ニューヨークの国連本部で開催された「女性の地位委員会」(昨年3月)。SGIの代表も出席し、公式関連行事を主催した

アメリカ・ニューヨークの国連本部で開催された「女性の地位委員会」(昨年3月)。SGIの代表も出席し、公式関連行事を主催した

成功体験から抜け出せない日本社会
 ――一方で、世界経済フォーラムが発表している「ジェンダー・ギャップ指数」(男女平等の度合いを示す指数)で日本は昨年、121位。SDGsにおいてもジェンダー平等の取り組みが課題だと指摘されています。
 
 世界が70年代にジェンダーの分野で大きな変化を遂げる中で、日本は変わらなかった。要因の一つに、団塊の世代が、巨大な労働力として社会に出た時期と重なったことがあります。
 いわゆる人口ボーナスで、人口の編成が経済成長に非常に有利に作用した。加えて、地方から都市への人口移動が起きました。都市に出た若い男女が結婚して、子どもが生まれる。すると祖父母や地域の支えがない都会では、どちらかが仕事を辞めなくてはならず、賃金格差を考えて女性が家に入る

――こうした仕組みが60年代から70年代に確立していったのです。
 
 一方、男性は長時間労働で所得が急激に上昇していく。そこに家族基盤充実政策の一環として、いわゆる税金の“103万円の壁”(編集部注=一般に、配偶者の年収が103万円を超えると控除の対象者とならなくなること)などができる。低い給料で抑えられる女性の労働力と長時間働く男性の労働力という組み合わせで、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の仕組みができあがったわけです。
 日本社会の安定には女性の社会参画が不可欠であることは、長く主張されてきました。しかし、70~80年代の成功体験からいまだ抜けきることができていないのです。

SDGsは共生と多様性の鍵
 ――SDGsの目標5は「ジェンダー平等を実現しよう」とうたっています。そのためには、どのような努力が必要でしょうか。
 
 繰り返しになりますが、男性主導の産業社会においては、生産性や効率、利益に価値が置かれていました。その追求のためには他者との関係や自然を破壊することもいとわず、人間関係はお金で換算されるようになり、自然を破壊して生産性を確保する社会になってしまったわけです。
 そうした価値観を転換しなければ、ジェンダー平等はもとより、自然との共生も、性的少数者や障がい者を含む多様な人が生を全うできる社会の構築は難しいでしょう。SDGsは、そうした転換の鍵を握ると思います。
 特に日本は、すでに高齢社会を迎えています。生産性優先の焦り過ぎ、急ぎ過ぎの仕組みとは違う社会の再設計を、少子高齢社会を見据えながら進める。そこに、日本ができる人類への貢献もあるのではないでしょうか。

女性平和文化会議が主催し、ジェンダー平等について学んだ講演会(昨年12月、東京・新宿区の戸田記念国際会館で)

女性平和文化会議が主催し、ジェンダー平等について学んだ講演会(昨年12月、東京・新宿区の戸田記念国際会館で)

異に配慮をしながら差別や排除のない仕組みを
 ――創価学会女性平和文化会議では昨年、10代から30代の女性を対象に、SDGsに関するアンケートを実施しました。ジェンダー平等への関心を高めるために、学校教育の重要性を指摘する声も多く寄せられました。
 
 学校教育は重要でしょう。アンケートの回答者の約7割が、ジェンダー問題について知っているという事実にも驚きました。
 日本で今後必要なのは、ジェンダー平等について男女で話し合っていくことだと思います。家庭や地域、職場等で、もう少し自由に語り合える仕組みが必要でしょう。
 男女平等といっても、男女の状況を機械的に「同じ」にすればよいということではありません。例えば男女のトイレの面積を「同じ」にしたら、女性の方がはるかに時間がかかるわけです。性差に対してきめの細かい配慮をしながら、性別が差別や排除につながらない仕組みをつくっていくことが男女平等の基本的な方向です。
 アンケート結果にもありましたが、ジェンダーの問題は女性の問題だと思っている人も多い。実際は男性の問題も大きいわけですから、互いの思いを伝える中で変化が起きていけばと願っています。


【特集記事・信仰体験など】

◆池田先生の会長就任60周年 青年部が原田会長に聞く Ⅱ部
 第11回 未来を照らす人間教育の光⑤

〈出席者〉西方男子部長、大串女子部長、樺澤学生部長、林女子学生部長

「人生最後の事業」と定め、発展に全力 
世界に広がる創価の学びや

香港創価幼稚園を初訪問する池田先生。園児たちに「香港幼稚園は 私の生命なり」との言葉を色紙にしたため、贈った(1993年5月15日)

香港創価幼稚園を初訪問する池田先生。園児たちに「香港幼稚園は 私の生命なり」との言葉を色紙にしたため、贈った(1993年5月15日)

 ◆西方 東西の創価学園、創価大学に続いて、1976年(昭和51年)には、札幌創価幼稚園が開園しました。なぜ、北海道だったのでしょうか。
  
 ◇原田 幼稚園設立も明確に戸田先生のお考えにありました。1955年1月、池田先生は、戸田先生と共に高知を訪問しました。その際の質問会で「学会は学校をつくらないのですか」との問いに対し、戸田先生は「今につくります。幼稚園から大学まで。一貫教育の学校をつくる。必ず、日本一の学校にするよ!」と答えられたのです。この時の、幼稚園から始まる創価一貫教育という戸田先生の構想を、池田先生はしっかりと受け止められていたのです。
 どこに幼稚園を開設されるか、先生は思案されていました。北海道は牧口先生、戸田先生の故郷です。そして、札幌は牧口先生が教師として初めて教壇に立った地です。池田先生が北海道の地を選ばれたことに、牧口、戸田両先生への深い敬意を感じずにはいられません。
  
 ◆大串 池田先生は開園の前日にも札幌創価幼稚園を訪問され、教職員と懇談してくださいました。そこで、「創価教育の最初の『教育の門』が完成しました」と語られています。
  
 ◇原田 そうです。入園式当日、先生は自ら園児を出迎えようと、幼稚園の玄関に立ち、一人一人に「よく来たね」「仲良くするんだよ」と優しく声を掛けられていました。また「一緒に記念撮影をしようね」と次から次へと、園児を招き寄せ、ひざの上に抱っこして、記念のカメラに納まっていました。
 入園式にも出席された先生は、式が終わってからも、ロビーで園児たちに童話を語ったり、皆にクレヨンやノートなどをプレゼントしたりと、励ましを送り続けました。
 入園式の日、当初は予定になかったのですが、先生は帰宅のバスの運行を提案し、ご自身も園児らと共に同乗されました。思い出をつくってあげたい、とのお気持ちと同時に、通園の状況、特に安全面も確認されたかったのだと思います。
 車内は、園児が先生を囲むように席に座り、歌をうたったり、なぞなぞをしたりと、和やかな雰囲気に包まれました。乗降場所で園児がバスから降りるたび、先生は、「さようなら。また明日ね」と、手を振って見送りました。子どもたちも「先生、ありがとう! さようなら」と元気いっぱい挨拶をし、心温まる交流を続けられたのです。
 成長を願い、全力で園児と関わる先生の姿に接した教職員や保護者も、深い感動に包まれたことは言うまでもありません。

各国の幼稚園も高い信頼と評価
 ◆大串 現在、創価幼稚園のネットワークは香港、シンガポール、マレーシア、ブラジル、韓国に広がりました。先生も海外指導のたびに足を運ばれ、園児たちと交流されています。
  
 ◇原田 92年9月、海外で初めてとなる創価幼稚園が香港の地に誕生しました。翌年5月には先生が初訪問されています。
 今、世界中が新型コロナウイルスの感染拡大と戦っていますが、2003年には新型肺炎(SARS)の猛威が香港を襲い、教育機関の休園・休校が広がりました。創立者である池田先生は即座に子ども用のマスクを多数用意し、香港創価幼稚園に贈られたのです。
 先生の真心に触れ、香港創価幼稚園では教職員が、自分たちも子どもたちのために、何かできることはないか、真剣に知恵を出し合いました。そして、各家庭で学習を進められるように、授業の内容を録画したビデオCDを作成し郵送しました。内容も素晴らしく、園児からも大好評だったそうです。
 こうした対応が評価され、約2カ月後、授業が再開した際には、香港の教育長官が同園を訪れました。衛生面での対策が万全であることから、香港創価幼稚園は衛生教育の「モデル校」として選ばれたのです。
 海外の創価幼稚園が現地で信頼され、実績を重ねている様子は、創価教育の持つ普遍的な力を社会に広く証明していることにほかならないと思います。 

2001年5月3日――待望のアメリカ創大が開学
師の構想を実現した弟子の闘争
 ◆林 2001年、アメリカ創価大学オレンジ郡キャンパスが開学しました。先生は、アメリカ創価大学の設立構想を、いつごろから練られていたのでしょうか。
  
 ◇原田 先生は創価大学が開学した当初から、アメリカにも大学をつくる構想を周囲に語られていました。その上で、本格的に着想されたのは1975年1月、SGI発足へ向かう戦いの中にあった時だと思います。この頃、先生は繰り返し繰り返し、「アメリカにも創価大学をつくりたいな」との思いを語られていました。先生の壮大な世界平和への構想のひとつに、アメリカ創価大学があったことは間違いありません。
 先生は80年10月、さらに翌81年前半には3度訪米されています。また、同年1月には、用地取得に向けた最初の視察団がアメリカを訪れるなど、具体的な動きが始まりました。
  
 ◆西方 この時期は第3代会長辞任から、反転攻勢の戦いを起こされていた時です。壮絶な闘争の中でも、創価教育のさらなる発展を願い、行動されていたことに感動を禁じえません。
  
 ◇原田 84年3月10日には、先生が出席され、カリフォルニア州サンディエゴ市の郊外で、創価大学サンディエゴ校の起工式が行われました。
 先生はあいさつの中で「人間の人間たる一つの証しは、学問をすること、真理の探究にあるといってよい。平和と文化の発展といっても、学問つまり教育の向上がその基本となる」と訴えられ、人類社会に貢献する人材を輩出したいと語られました。そして「もし私の代に完成しない場合には、私の遺志を継いで何十年かかろうとも、その実現をお願いしたい」と語られたのです。
 私も参加しておりましたが、先生が語られた遠大な創価教育の未来像に会場から深い感動の拍手が送られました。
 その後、市当局の方針が変わり、同地での建設は見送られましたが、関係者らが尽力する中、87年2月3日にロサンゼルス市近郊のカラバサスに、創価大学ロサンゼルス分校が開所。先生は同キャンパスを幾度も訪問され、学生を激励されるとともに、識者との会見を重ねられました。
 ノーマン・カズンズ氏、ライナス・ポーリング博士、ローザ・パークス氏――いずれも、平和と人道のために生涯をささげられた方たちです。
  
 ◆樺澤 95年にはカリフォルニア州オレンジ郡に、待望のアメリカ創価大学の建設が決定しました。
 
 ◇原田 95年3月に開かれた、大学建設の認可を決定する郡の公聴会では、ローザ・パークス氏の代理人から開学を支援する書簡が朗読されました。
 「池田博士は、平和と未来への展望の人であります」「創価大学は、“世界の平和”と“人類の繁栄”という私の信念を共有する大学です。そして、この大学の教育プログラムが、次の世紀にとって極めて重要なものであると、私は考えます」
 公民権運動の闘士として戦ったパークス氏は、アメリカでは誰もが知っている“人権の母”といわれる女性です。そのパークス氏が、アメリカ創価大学の設立に、自ら尽力してくださったのです。
 公聴会では満場一致で開発が許可されました。先生が結んだ識者との信頼の絆が、大学建設への扉を開いていったのです。
  
 ◆林 そして、ついに2001年5月3日、アメリカ創価大学オレンジ郡キャンパスが開学の日を迎えました。
  
 ◇原田 世界中の全同志は、長年にわたって「2001年5月3日」を目指し、師弟の心で全ての活動に取り組んできました。その、あまりにも意義深き佳節に、世界に平和と文化の光を送りゆく「人間教育の最高学府」が誕生したのです。
  
 ◆樺澤 創価三代の会長が築かれた創価教育の真価は、卒業生一人一人がその理念を胸に、今いる場所で活躍することにあると自覚しています。
  
 ◇原田 先生は教育を「人生最後の事業」と定めて、創価教育の発展に尽くし抜いてこられました。そして、第3代会長就任以来、死身弘法の戦いの中、わずか60年で世界各地に教育機関を設立されたのです。その根本は、牧口先生、戸田先生の構想を実現しようとする、池田先生の弟子としての誓願にあったことは言うまでもありません。
 先生は「人間は等しく幸福になる権利をもっている。それを実現するための価値創造の教育、人間主義の教育が創価教育である。ゆえに、一人ひとりが、その実現に生涯を傾けていってこそ、創価教育の結実がある」とつづられています。この思いを胸に、創価同窓の皆さんが世界の平和のため、人々の幸福のために尽くす人生を歩まれることを、期待してやみません。


◆世界の体験プラザ  経済苦、母への怒りを乗り越えた米不動産会社の副社長
 アメリカSGI エリン・ダヤナンさん
 ねたみ、劣等感が募った10代

 私はフィリピン系アメリカ人として、ハワイで生まれ育ちました。祖父母が生活を改善しようと、ハワイ・オアフ島に移住し、サトウキビ栽培の仕事を始めたのです。
 重労働と自己犠牲の暮らしは私の両親に引き継がれましたが、彼らは経済苦に直面しながらも、わが子には良質な教育を受けさせたいと思い、私を私立の学校に通わせました。
 父はスポーツ競技場の管理人を務め、母は長時間労働の用務サービスに従事していました。私は母に会えずに就寝することも、よくありました。夜、父と一緒に、彼女の仕事を手伝ったことも。寝室を片付けたり、ゴミを拾ったり、掃除機やモップをかけたり……。
 経済的苦境はずっと続き、一時期、私たち家族は生活保護を受けていました。自宅からの立ち退きを強制されないよう懇願するため、母は大家に手紙を書き送っていました。私が18歳になるまでに、少なくとも10回の転居を繰り返したのです。
 一家の置かれた状況に恥ずかしさと怒りを覚えていた私は他の子どもたちに嫉妬し、劣等感を抱いていました。
 また、いつも近くにいた父と違い、母には不満が募っていきました。自身を彼女から遠ざけようと、できることは何でもしました。
 2002年、私は高校卒業後、大学に進学するため、米西部オレゴン州のポートランドに一人で住み始めました。両親は大変誇りにしていましたが、過去の人生と決別することばかりを考えていた私は学業に真剣に取り組むことができず、2年後には退学。実家に戻ることになったのです。

正規で働きながら学業に挑戦
 私は学業を途中で諦めたことを後悔しました。運よく就職することができましたが、自身の状況を変えられず、苦しんでいました。人生の未来が見えず、絶望感に覆われていた時、友人が日蓮仏法を紹介してくれたのです。
 何度も会合に誘われては断り続けましたが、ある日、しぶしぶ承諾し、地区座談会に出席しました。
 SGIメンバーとの対話と研さんの内容は、私がそれまで経験したことがないものでした。SGIメンバーは希望や幸福、南無妙法蓮華経の題目を唱えれば、どのように生命が躍動するかについて語ってくれ、陰鬱だった気分は一新しました。その後も、私は会合に参加。この仏法は間違いなく自身を変革することができると確信しました。
 そして05年4月、御本尊を受持したのです。
 私の人生が変わり始めました。両親が教育を重視していたことも、ようやく理解し、私は地元の大学に再び通うことに。正社員として働きながら学ぶことは大変でしたが、大学を卒業することができたのです。
 自身の状況は少しずつ改善されていきましたが、現状に満足するようになると、今度は信仰への情熱が薄れていきました。祈ることをやめ、SGIの活動に参加しなくなってしまったのです。
 10年、私は人生を見直す機会に迫られました。その年の8月、父が心不全で他界。母との関係は断絶してしまいました。
 また、交際中の男性と、その数年前に家を購入しましたが、彼が会社から解雇され、住宅ローンを支払えない状況に追い込まれたのです。
 私たちは互いを責め合うようになり、結局、別々に暮らすことに。その後、家を売却したものの、多額の負債を抱えることになりました。
 経済苦の宿命から逃れ、人生を立て直したい一心で、私は再び仏道修行に励むように。これまでにない真剣な祈りを重ね、池田先生の指導を学びました。
 数カ月がたった頃、銀行の担当者から連絡が入り、“保険の支払いによって負債がなくなった”と伝えられたのです。あの時の驚きと安堵感ははっきり覚えています。

世界広布の原点の地を駆ける
 2011年から大学院に通っていた私は、仕事と学業、SGIの活動に一段と真剣に取り組むようになりました。その頃には、SGIと両親の恩に報いたいと強く願う自分へと変わっていました。
 その当時、私は駐車場の運営会社に勤めていましたが、仕事の手応えを得られず、社会で実証を示したいと祈り続けていました。翌12年、商業不動産の会社から誘われ、転職。未経験の職種で不安でしたが、勤め始めると、やりがいのある、素晴らしい仕事であることが分かりました。
 大学院での研究にも多大な協力を得て、13年11月、私は金融学の修士号を取得することができたのです。
 「職場でなくてはならない存在になろう」と決意し、仕事を通じて自身の使命を実現したいと祈りました。どんな仕事も商業不動産について学ぶ機会と捉え、一つ一つの業務に誠実に取り組みました。
 苦労も多々ありましたが、地道な努力は実り、17年4月、不動産管理担当の副社長に昇格することができたのです。現在は、賃貸事業、財産の管理など、さまざまな業務を担当しています。
 過去を振り返ると、母は自身の姿を通して、困難な時期を粘り強く耐えることを教えてくれました。彼女は私に夢をかなえる機会を提供しようと、自らを犠牲にしました。私は仏道修行を通じ、そのことに感謝できるようになったのです。今では母への怒りはなく、彼女と良好な関係を築いています。
 SGIの組織では、女子部のリーダーとしてメンバーを激励する中、池田先生やハワイの草創期の同志への感謝の念をもつことができました。
 今は地区婦人部長として、広布の最前線で同志を励ましています。
 1960年10月、先生の世界広布の旅はハワイの地から始まりました。その誇りを胸に、太平洋に平和を築こうとされた先生のメッセージを、ハワイの地に広げ、永遠に刻みたいと決意しています。
 これからも報恩感謝の心を忘れず、自身の境涯革命に挑戦し続け、勝利の人生を歩んでいきます。

 

2020年6月28日 (日)

2020年6月28日(日)の聖教

2020年6月28日(日)の聖教

◆わが友に贈る

 いつも笑顔を忘れずに!
 心に不屈の太陽を!
 負けないことそれ自体が
 全ての勝利につながる。
 焦らず弛まず一歩ずつ!


◆名字の言 コロナ禍で実感する「歌の力」 2020年6月28日

 「歌は祈り」。オペラ歌手・佐藤しのぶさんが生前、自らの民音コンサートに掲げたタイトルである▼「私にとって歌うことと祈ることは、同じ」と、佐藤さんは本紙で語っていた。祈りも歌も、目には見えない。だが確かに人の心に届く。「今まで出会ったすべての方々への感謝の気持ちが、歌という形で伝えられたら」との願いを込めて、毎回のステージに全力で臨んでいたという▼“コロナ禍で歌の力を実感した”という人は少なくない。青年部の参加型プロジェクト「うたつく」(歌をつくろう)をはじめ、婦人部・白ゆり合唱団や未来部の代表、海外の友が作成した合唱動画を本紙電子版で視聴した読者も、多くおられるだろう▼信心に消極的だった青年が、同志の歌声を聞いた感想を寄せてくれた。一家を襲う宿命の嵐と戦っているさなかという彼。「“負けないで!”という祈りにも似た皆さんの思いが、僕の背中を押してくれました」。彼は友人にも合唱動画を送り、電話で仏法対話にも挑戦。“勇気の一歩”を踏み出した▼「歌は『訴う』こと」だと、池田先生は言う。「天に向かえば祈りとなり、人に向かえば心を伝えます」と。友の幸福を願う歌声は距離を超え、互いの心と心を結ぶ。そこから希望は生まれる。(之)


◆寸鉄

「青年の強みは燃ゆるが
如き熱情」戸田先生。さあ
若人の声の力で希望拡大
     ◇
悩みを知らぬ者は幸福を
知ることもない―文学者
祈り強く変毒為薬の劇を
     ◇
今後の社会で助け合いが
必要と思う―9割。激励
で心結ぶ我らの使命は大
     ◇
大気が不安定な時期。気
象情報を常に意識。無冠
の皆様も無事故最優先で
     ◇
空調の誤った洗浄方法で
火災事故多発。説明書を
必ず確認。自己流は禁物


◆〈きょうの発心〉三三蔵祈雨事 京都・伏見西区婦人部長 岡田真由美 2020年6月28日

御文 されば仏になるみちは善知識にはすぎず、わが智慧なににかせん、ただあつきつめたきばかりの智慧だにも候ならば善知識たいせちなり(三三蔵祈雨事、1468ページ)


【先生のメッセージ】

◆池田大作先生の写真と言葉 「四季の励まし」 青年の心で価値ある人生を

 みずみずしい緑。右手に、大相撲で知られる両国国技館(東京・墨田区)が見える。2017年(平成29年)6月、池田大作先生が撮影した。
 この付近には、かつて日大講堂があった。32歳の池田先生が第3代会長に就任した地であり、1万数千人の青年たちの前で「日中国交正常化提言」を発表した場でもある。先生は「ここから、広布の使命を自覚した、いかに多くの青年たちが、世界へ羽ばたいていったことか」と。
 一人の青年が立ち上がれば、勇気の炎は燃え広がり、時代が動く。来る6月30日は学生部の結成記念日。そして7月11日は男子部、同19日は女子部の結成記念日である。
 さあ、青年を先頭に、青年の心で励ましの光を広げよう!

 青年とは先駆者である。
 挑戦者である。
 開拓者である。
 すでに、
 でき上がった土台の上に、
 自分が
 花を咲かせるのではない。
 人のため、社会のため、
 あとに続く
 後輩たちのために、
 自分が礎
 いしずえ
 となる――。
 この青年の
 誇り高き闘魂によって、
 道なき道が開かれる。
  
 価値ある人生、なかんずく
 「価値ある青春」を
 開くもの――。
 それは「今まで、
 どうであったか」ではない。
 「これから、
 どう生きるか」。
 この力強い
 前向きの一念である。
 そこに勝利の道がある。
 今の自分を超える労作業に
 絶えず挑戦していく。
 その「向上する心」にこそ、
 青年の魂がある。
  
 青年の力は無限である。
 たとえ
 逆境に突き落とされても、
 ピンチを
 チャンスに変える。
 最後に勝つ
 ドラマをつくる。
 それが青年の強さである。
 偉大な使命に生き抜けば、
 偉大な自分を
 築いていける。
  
 青年の証しとは何か。
 それは年齢ではない。
 年老いても
 「心は青年」の人がいる。
 心が生きているか
 死んでいるか。
 わが胸に
 「戦う心」が燃えているか
 どうかである。
  
 さあ、いよいよ、
 太陽輝く7月へ!
 躍動する「青年の月」へ!
 偉大なる創価の師弟は、
 断固と全てに
 勝ちまくっていくのだ。
 人類の幸福と平和という、
 世界広宣流布の
 大願を高く掲げ、
 さらに壮大なる
 創価の「師弟の物語」を、
 来る日も来る日も、
 綴り築こうではないか!


【聖教ニュース】

◆寄稿「牧口先生の生誕の月に寄せて――世界が希求する“内なる変革”の教育」 創価大学・高橋強教授

 本年は、創価教育の父・牧口常三郎先生の生誕(6月6日)149周年であり、牧口先生の大著『創価教育学体系』の発刊(11月18日)から90周年を迎える。
 今や創価教育は、牧口先生から戸田城聖先生、そして池田大作先生へと受け継がれ、創価の学びやは世界7カ国・地域に設立。中国、アメリカ、スペインの大学等に創価教育を研究する機関も誕生している。
 ここでは、創価大学文学部の高橋強教授の「牧口先生の生誕の月に寄せて――世界が希求する“内なる変革”の教育」と題した寄稿を紹介する。

「子どもの幸福」に尽くす創価の人間教育を未来へ
 新型コロナウイルスの感染が広がる中、創価大学では、いち早くオンラインシステムを活用した授業を取り入れ、4月から新学期がスタートしました。
 大学のみならず小・中学・高校の学校現場など、さまざまな場面で、オンライン授業の導入をはじめとした教育環境の劇的な変化が起きています。今後も、教育の形は必要に応じて変わっていくでしょう。
 ゆえに今こそ、“いかなる変化の中でも「変わらない・変えてはいけない」教育の価値とは何か”を追求すべき時であると実感しています。
 私は長年にわたり、創立者・池田先生の思想を研究する中国の学者らと交流してきました。本稿では、教育に携わる方々の思索の一助となればとの思いで、私なりの「創価教育」の考察や中国の研究者の視点を紹介させていただければと思います。
海外の学識者が池田思想を研究
 「創価教育」とは何か?――創価大学で教壇に立つ中で常に自身に問い続けてきました。しかし、「自身に問い掛ける」だけでなく、「世界へ発信する」使命を自覚した大きな転換点が訪れました。それは、2001年12月に「池田大作研究会」を北京大学に設立した賈蕙萱教授との出会いでした。
 賈教授が交換教員として創大に滞在された当時、私は創大国際部の副部長として賈教授とよく語り合いました。池田先生のことについて、それはそれは多くのことを聞かれました。
 ある時、賈教授から「池田先生が一番よく使う言葉は何だと思いますか?」と尋ねられました。そして、「それは『勝つ』『勝利』ですよ」と言うのです。
 賈教授は日中友好に尽くす池田先生の功績を、よく知られていました。その上で、先生の思想は、幸福の人生を勝ち取るための実践の哲学であることを見いだし、深めていかれたのです。
 賈教授によって北京大学の池田大作研究会が設立されると、中国各地の大学に池田先生の思想を研究する機関や学生団体が次々と誕生。そして、各地の研究者が池田思想の研究成果を発表し合う国際学術シンポジウムが開催されるようになったのです。創大が共催し、中国全土の研究者が集まるシンポジウムは2005年に始まり、現在までに10回を数えています。
 私も創大の一教員として、創立者の人間教育について発表する機会を得ました。これが、創価教育について本格的に整理・思索するきっかけとなりました。

三代に継承され発展した理念
 賈教授をはじめ中国の交換教員から、創価教育や池田先生の教育思想について問われた時には、私は次のように答えています。
 牧口先生と池田先生の教育の目的は同じであり、池田先生の教育思想は、牧口先生の価値論、戸田先生の生命論を受け継ぎ、自身の人間革命論を通して発展させたものである、と。
 つまり、①人間の内なる無限の可能性を開き鍛え(生命論)、②そのエネルギーを価値の創造へと導き(価値論)、③社会を築き、時代を決する根源の力を引き出す(人間革命論)――これこそが創価教育であると捉えています。
 その要諦は、人間を基軸とし、人間の“内なる変革”を促す教育です。
北京大学の「池田大作研究会」と創価大学の共催で行われた、池田思想を巡る第1回の国際学術シンポジウム(2005年10月、北京大学で)
 池田先生は、中国教育学会の顧明遠名誉会長との対談集『平和の架け橋――人間教育を語る』でこう述べられています。
 “創価教育の目的は、美・利・善の価値を実生活のなかで創造しゆく人格を育むことである。創価教育を人間教育と表現するのは、こうした人格を育てていく作業を重視しているからである”と。
 池田先生の教育理念の大きな特徴は、創価教育学の理論を教育現場や日常生活の上で実践できるように展開されたことにあります。
 そして、自身の振る舞いでその理念を体現される「知行合一(知識と行動の一致)」の姿に皆、納得と共感を示すのです。

多彩な分野に展開される哲学
 研究が進むにつれ、改めて実感することは、池田先生の思想が、いかに遠大で深遠であるかということです。それぞれの学者が自身の専攻する学問を通して池田先生の思想を深め、現代社会に新たな価値を展開しているのです。
 ここで中国の研究者による視点の一端を紹介したいと思います。
 牧口先生は「教育の目的は子どもの幸福」と厳然と叫ばれました。「人格を育む教育」とは、どこまでも「目の前の一人の子どもの幸福」に尽くすということにほかなりません。
 中山大学「池田大作とアジア教育研究センター」副所長の王麗栄教授は「人格を育む」との観点から、「道徳教育」の側面に注目しました。
 「子どもを育む上では、単に知識を与えるだけでなく、人格的な成長を促し、健全に発育していくことが大事です。そのために何が美しく、人として価値があることなのかを教える『美育』が有効です」「(言葉や振る舞い、表情などを通して聴衆や対話の相手の善性を引き出す)池田先生の焦点は、常に『人間』です。自身の全人格を通して目の前の一人を励まし、育てる。この先生が実践してこられた人間主義の教育は、まさに美育のお手本なのです」と語っています。

中国の名門・復旦大学で開かれた第10回「池田大作思想国際学術シンポジウム」は、「人類運命共同体のビジョンと実践」をテーマに(2018年10月)

中国の名門・復旦大学で開かれた第10回「池田大作思想国際学術シンポジウム」は、「人類運命共同体のビジョンと実践」をテーマに(2018年10月)

 一方、佛山科学技術学院「池田大作思想研究所」副所長の李鋒講師は、池田先生の「世界市民教育」に大きな共感を示しています。
 牧口先生は著書『人生地理学』で、郷土こそ「自己の立脚地点」であることに着目しました。そして、一人の人間は地域に根差す「郷土民」であると同時に、国家に属する「国民」であり、世界を舞台とする「世界民」であり、この三つの自覚を併せ持つことで、人生の可能性を豊かに開花できると訴えました。ここに世界市民教育の魂があります。
 池田先生はコロンビア大学ティーチャーズカレッジでの講演(1996年6月)で、世界市民の三つの要件として、①生命の相関性を認識する「智慧」②差異を尊重し、成長の糧とする「勇気」③苦しむ人に同苦し、連帯する「慈悲」――を示しています。
 異文化コミュニケーションを研究する李講師は、“池田先生の世界市民教育は、異文化理解の教育に大きな示唆を与え、地域や民族等に対する偏見や差別を取り除き、世界の平和促進に有益である”と考察しています。
 また、陝西師範大学「池田大作・池田香峯子研究センター」副センター長の曹?副教授は、“善性の開発を目標とする人間主義の教育は、民族やイデオロギーの壁を克服し、智慧を引き出し、真の文化を創出することができる”と述べています。

1930年11月18日に第1巻が発刊された『創価教育学体系』。牧口先生の経験と理論を集大成した同書は、英語、スペイン語、中国語などで翻訳・出版されている


1930年11月18日に第1巻が発刊された『創価教育学体系』。牧口先生の経験と理論を集大成した同書は、英語、スペイン語、中国語などで翻訳・出版されている

 さらに、「子どもたちにとって、最大の教育環境は教師自身である」とは池田先生が示された指針です。
 肇慶学院「池田大作研究所」副所長である蒋菊副教授は、この指針から「教師論」を展開します。
 「教師と子どもの生命と生命の触発こそが教育の原点である」とし、教師自身の人生観、教育観、人間観の確立をはじめとした“人間的成長”が大切であると結論付けました。
変化の時代に挑む教育実践を
 今、中国をはじめ海外の研究者が注目しているのが、池田先生の提案によって創価学会の教育本部が推進している、人間教育の「実践記録」です。
 膨大な教育実践の記録が残っているという事実は驚嘆をもって受け止められています。
 教育本部の皆さまの使命は本当に大きいと思います。
 私自身も常に、小説『新・人間革命』第15巻「創価大学」の章に描かれる山本伸一の姿を模範として、自分なりに実践してきました。
 オンライン授業という新しい環境の中でも、池田先生の一人を大切にする理念を実践に移そうと、自宅などで受講する学生たちが孤独を感じていないか、一人で悩んでいないかに気を配りながら、グループディスカッションを多く取り入れたり、なるべく学生の名前を直接呼び掛けたりするなど知恵を絞り、工夫をこらす毎日です。
 三代にわたって受け継がれてきた創価教育は、今度は私たちの実践によって未来へと受け継がれていきます。未曽有のコロナ禍の中での教育実践は、正解の見えない、逡巡と決断の連続かもしれません。しかし「子どもの幸福」を追求してきた創価三代の人間教育も、激動の時代に挑み抜いた激闘によって現在の発展があります。
 その意味で、私たち教育者の日々の実践は、“私の小説『新・人間革命』”の新たな「人間教育」の章をつづりゆく挑戦である、とも言えるのではないでしょうか。
 10年後の創価教育100周年に向けて、共々に歩みを進めていこうではありませんか。


【特集記事・信仰体験など】

◆未来に輝く知性の宝冠――池田先生の名誉学術称号45周年  キューバ ハバナ大学
 何よりも美しきは「人間」

1996年6月、キューバ最古のハバナ大学から、日本人初となる「名誉人文学博士号」が池田先生に授与された。“芸術の粋(すい)”を集めた同大学のアウラ・マグナ(大講堂)での授与に続き、先生は「新世紀へ 大いなる精神の架橋を」と題して記念講演を行った

1996年6月、キューバ最古のハバナ大学から、日本人初となる「名誉人文学博士号」が池田先生に授与された。“芸術の粋(すい)”を集めた同大学のアウラ・マグナ(大講堂)での授与に続き、先生は「新世紀へ 大いなる精神の架橋を」と題して記念講演を行った

 「カリブ海の真珠」とうたわれる中米・キューバ。  ??
 その海の青さにも、街の壮麗さにもまして、何より美しいのは「人間」であった――池田先生はつづっている。  
 先生は1996年6月に同国を訪問し、幾多の困難に遭いながらも、心豊かに生きる人々の、誇りと力強さを感じ取った。  
 同月24日午後に到着し、26日午後には、次なる訪問地であるコスタリカへ。実質2日間に満たないキューバ滞在中、先生には、ハバナ市「最高賓客」称号、国家勲章である「フェリックス・バレラ勲章勲一等」、そして、ハバナ大学の「名誉人文学博士号」が相次ぎ授与された。  
 先生は、キューバと日本の間に友情の橋を架けるべく奔走してきた。民主音楽協会(民音)の招へいで、キューバの音楽・芸術団体による日本公演がスタートしたのは81年。駐日大使らと文化交流を巡る会見を重ね、キューバ訪問の要請も受けていた。  
 96年の訪問は、同国文化省の招へいによるもの。キューバ社会からの顕彰は、文化の力を通して、平和に尽くす先生への高い評価の表れにほかならなかった。  
 中でも、同国最古の歴史を誇るハバナ大学がたたえたのは、先生の長年の執筆活動であった。  
 6月25日、同大学のアウラ・マグナ(大講堂)で行われた「名誉人文学博士号」の授与式で、ヴァルデス総長(当時)は語った。  
 池田氏は、作家、詩人、哲学者であり、その著作活動は「民衆の興隆」と「平和への貢献」を基軸にしたものである――と。  
 「ペンの力」で民衆を鼓舞し、平和を開く。こうした先生の行動は、“キューバ独立の父”ホセ・マルティが、生涯貫いた闘争とも重なるものであった。

「ペンの力」で民衆を鼓舞し 「万人のため」の平和を開く
 1492年、コロンブスが“新大陸”への航海で到達した島の一つがキューバである。スペインの統治は約400年にわたり続き、人々は忍従を強いられた。  
 1868年、第1次独立戦争が勃発。10年間の長い戦いの末、独立革命は未遂に終わる。16歳で運動に身を投じたマルティは、政治犯として投獄された。  
 以降も何度となく追放され、その生涯を、祖国よりも長く海外で過ごした。  
 命の危機と隣り合わせの日々の中で、若き革命児は言論闘争に立ち上がった。16歳にして新聞を創刊。植民地政府の非道を告発する本を出版し、さらにラテンアメリカ各地の新聞に寄稿した。亡命先でも炎のペンを走らせ、「独立の心」を鼓舞していったのである。  
 革命党を創立し、95年に始まる第2次独立戦争ではその先頭に。そして同年5月、戦闘中に被弾し、独立の夜明けを見ることなく、42歳の生涯を閉じた。  
 革命のために武器を取りながらもマルティは、壮絶な精神闘争を繰り広げ、敵も味方も、全ての人の自由を願う、透徹した人間観を確立していったのである。  
 マルティは言った。  
 「祖国を代表し祖国をまえにしてその持っている一切のにくしみを捨てることを宣言する」(神代修訳『キューバ革命思想の基礎』理論社)

ハバナ市内の革命広場にある“キューバ独立の父”ホセ・マルティ像に献花する池田先生(1996年6月)

 憎悪に対する戦争こそ、「唯一の戦争」であると考えたマルティは、あくまでも「平和革命」を志向していた。  
 そして、人間の上に人間を置くことに警鐘を鳴らし、他の人々を利用しようとする野蛮性を、取り除く道を探っていった。 
 これは、先生とマルティ研究で著名なヴィティエール博士が、対談の中で語り合った点でもある。
 揺るがぬ人間への信頼と民衆奉仕の精神は、マルティの死後も、キューバ発展の道しるべとなっていく。  
 1902年にスペインから独立した同国は、その後もアメリカの事実上の支配下に置かれ、親米政権による独裁が始まった。  
 「キューバ革命」で独裁政権を打倒したのは59年。後に国家評議会議長に就くカストロ氏が、その中心的存在だった。  
 96年6月のキューバ訪問の折、池田先生は、ハバナ市内の革命宮殿にカストロ議長(当時)を表敬訪問。約1時間半にわたって会見している。
  議長は、革命の道徳的基盤はマルティにあり、公平と平等を掲げる「モラル革命」、「教育革命」であると位置付けていた。事実、キューバは、教育、医療の無料化や、ほぼ100%の識字率を実現。賃金格差を解消し、食糧や物資の配給制を敷いた。  
 ハバナ大学は、その推進力となった。  
 字が読めない国民のため、集まった“志願教師”の中核が同大学の学生や卒業生だった。都会の青年たちが、農村へ。昼は農作業を手伝い、夜は明かりの下で文字を教えた。  
 「万人とともに、万人のために」。このマルティの精神を携えてきたのが、同大学なのである。

池田先生がカストロ国家評議会議長(当時)を表敬訪問。議長はいつもの軍服ではなく、スーツに着替えて先生を迎えた(1996年6月、ハバナ市内の革命宮殿で)
 同じ社会主義国だったソ連の崩壊。アメリカとの関係の悪化。96年6月当時、キューバを取り巻く国際情勢は厳しかった。  
 それでも、“人間と会い、友情を結ぶ。全ての道は、そこから始まる”と、訪問を決めた先生。
 その後もマルティを通して、キューバの美しくも気高い精神を、世界に発信し続けてきた。  
 「皆さまのキューバ訪問は、平和に貢献する人間主義を主張する上で、重要なことと思っています」
  そう語ったカストロ議長をはじめ、歴代の文化大臣、ハバナ大学の関係者らキューバ各界の多くの識者が、先生への敬愛と信頼を深めていった。  
 名誉人文学博士号の授与式の3カ月後、ハバナ大学と創価大学は学術交流協定を締結した。以来、交換留学生が毎年のように往来している。2017年には、スアレス前総長も創大を訪問した。  
 また、歴代の駐日大使も創大を訪れ、学生や教職員と交流を重ねてきたほか、民音の招へいによる、キューバの音楽団体の日本公演も活発に行われてきた。  
 2007年に法人認可されたキューバ創価学会の同志も、“良き市民”となって社会貢献の道を歩む。
 「生きるということは世の中のために善を行うということである」(青木康征・柳沼孝一郎訳『ホセ・マルティ選集第2巻』日本経済評論社)  
 マルティの言葉を抱き締めて、先生が築いた平和と教育と文化の橋を、多くの若人たちが渡っている。

ガルシア教授の声
 (池田)博士は、人道主義を重んじ、民衆の中で寛容性と理解をもって「人間の尊厳」を守り、調和の未来へと昇華させる努力をされています。  
 よって当大学の義務は、これを認識し、池田大作氏に称号を授与することであります。なぜなら高潔な教えを語る人への感謝は、すべての人間の義務だからです。(中略)  
 池田氏は、精神的価値の興隆には、文化や社会の向上に向けての個人の参加が不可欠である、と考えておられます。理想を目指すたゆまぬ努力の人であり、同時に、当面の現実に対しても、たゆまぬ努力の人であります。この見地から、池田氏の思想の要素を、うかがうことができます。  
 すなわち、各個人が責任を有し、精神的に成長し、ドグマとエゴイズムを克服するところに、人間と人間、人間と自然が共生できる可能性を見いだしうる、とするものです。つまり、受け身的な消極性とか無益な神秘主義でもなく、我々の環境にとって真に必要である課題を呼び起こす思想なのです。(中略)  
 本日の式典は、ただ単に世界的な人物を、たたえているだけではありません。私どもが、「責任を果たす」という決意を表明することによって、氏に真の敬意を表す式典でもあるのです。すなわち、我々の知識を幅広い精神性へと高め、ハバナ大学に、独創的かつ完全なる良識と調和した場所を創出しゆくことをもって、私どもは、この「責任」を果たしたいと思うのであります。(名誉人文学博士号の授与式<1996年6月25日>から)

キューバ最古の大学 教育立国の発展リード
キューバ最古の歴史を誇るハバナ大学
 キューバの首都ハバナに立つ、ラテンアメリカ屈指の名門学府。1728年に設立され、同国最古の歴史を誇る。  
 小学校から大学までの教育費の無料化、100%に迫る識字率など「教育立国」として名高いキューバの発展をリード。カストロ国家評議会元議長ら国家元首をはじめ、各界に有為の人材を輩出している。  
 文学、生物学などの学部と研究所に、1万4000人の学部生や大学院生らが在籍。50以上の国際機関に所属し、海外の大学と400以上の学術協定を結ぶ。


◆信仰体験 イワシのみりん干しに懸けた46年 “おふくろの味”は多くのメディアで紹介

【福岡県・芦屋町】北九州市に隣接し、清流・遠賀川の河口にある芦屋町は、かつて石炭の積み出し港として栄えた港町。
 響灘に臨む海岸は「白砂青松」とうたわれる景観を見せる。この地で特産品のみりん干し「あしやみりん」を手作りしてきたのが、中西節子さん(72)=白ゆり長。
 昔ながらの味に染み込んだ“漁師町の名物お母ちゃん”の人生劇を追った。

脂の乗った新鮮なイワシを丁寧(いぇいねい)に手さばきし、特製のタレに2日間漬け込んで、仕上げは丸1日天日干し。手間暇かけた「みりん干し」は、弱火で両面をじっくり焼くと、脂がジュワジュワッと滴る。

 香ばしいにおいが食欲を誘い、柔らかい食感と、口に広がる甘辛さがやみつきになると評判だ。
 中西さんが水産加工品の製造販売などを手掛けて46年。町民が愛してやまない伝統の味を守り続けている。1日300匹のイワシを、来る日も来る日も、手さばきしてきた。
 「アホの一つ覚えですわ(笑い)。けど極上の魚と秘伝のタレ、そして、乾きの判断がポイントやねん。うちが作る“せっちゃんのみりん干し”は、そう簡単にはできひんよ」
 生まれは大阪。常勝関西の地で女子部時代を過ごした。
 「結婚前は、福岡に縁もゆかりもなくて。海はほとんど見たことない。魚は嫌い。そんな私が、漁師町に嫁ぐなんて夢にも思いませんでしたよ」
 ――1973年(昭和48年)、夫(正明さん)の故郷である芦屋町に、大阪から移り住んだ。
 当時から釣り人でにぎわう地域。夫婦で釣具店を始めた。
 「虫も触れんかった私にとって、魚の餌になるゴカイは気持ち悪うてたまらんでした」
 明るく気立てのいい性格。それでも店の経営だけでは、生活は困窮した。夫の両親と妹、息子と2人のおいっ子まで養い、8人が一つ屋根の下で暮らした。吹きさらしのような一軒家。冬は寒風が肌を突き刺し、雪が舞い込む。
 周りの視線も冷たかった。「あの人、今に耐えきれんで、逃げて帰るやろう……」
 “私はよそ者扱いされとる。けど絶対に負けへん”
 込み上げる悔しさを闘志に変えていった。また、この地で草創から信心を貫く、婦人部の先輩が中西さんを励まし続けた。
 「大変な場所に来たね。けど、学会の旗を掲げて頑張らんとね。崩れん信心があれば、絶対に大丈夫」
 中西さんは前を向いた。“この信心で幸せをつかむんや!”
 芦屋町で迎えた2度目の冬――。毎年、この季節は不漁となり、釣り具の売り上げも激減する。“このままじゃ家族は共倒れに……”
 窮地に立たされ、御本尊に向かった。祈ることで、それまで何の気なしに見ていた、町民の「みりん干し」を作る光景が、違ったものに見えてきた。
 “そうだ! 私もやってみよう。これをやるしかない”
 地元の人に頭を下げ、教えを請うた。冬場の作業に体は冷え込んだ。しかし、心には希望が燃えていた。「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)との一節を抱き締めて、一日一日を生き抜いた。
 作り上げた「みりん干し」を載せて、古びたリヤカーを押した。
 売れてもほんのわずかな数。「今のままではダメだ。もっともっと、広げなあかん」
 程なく車の運転免許を取得し郊外へ。移動の車中では題目を唱えて、勇気を奮い立たせる。“ここに行こう”“あっちはどうだ”と、次から次へと営業先に飛び込んでいった。
 その中でようやく、大量の卸先が見つかった。一人では賄えない数。“町の人にも知らせれば、全体が潤うに違いない”と、近隣に協力を持ち掛けた。だが、反応はいまひとつ。「だったら家族総出で、夜なべしてでもやってやる!」と、負けん気に火がついた。
 繁盛ぶりに誰もが目を見張った。驚いた住民からは「私の分も売ってほしい」と頼み込まれるまでになった。
 1980年代には、空前の釣りブームが到来。釣り具が飛ぶように売れ、家を新築。イカ釣り用の遊漁船も大当たり。家族で喜びに沸いた。
 90年代に入ると一転、一家を宿命が襲う。45歳の夫に異変が現れた。不可解な言動に加え、針への餌付けも、てこずるように。「若年性アルツハイマー病」だった。
 症状は次第に悪化。中西さんは仕事、家事、育児に加え、夫の介護も担いながら家族を支え続けた。
 多忙を極めた生活が続いて17年――「俺の分まで幸せになれよ」との言葉を残し、夫は霊山へ旅立った。
 ぽっかりと穴があいた。途方に暮れる中で、女子部時代の信心の原点を思い返した。
 66年9月の阪神甲子園球場。“雨の文化祭”にリズムダンスで出演した。泥だらけの熱演に応えて、渾身の激励を送る池田先生の姿を目に焼き付けた。
 先生はつづっている。「“常勝”とは、逆境に打ち勝ち続ける者に与えられる栄冠だ」と。
 胸に深く刻まれた“常勝の魂”――。“お父ちゃんの分まで頑張ろう。負けたらあかん”と自らに言い聞かせ、「みりん干し」に丹精を込めていった。
 中西さんが作る「みりん干し」は、NHKなど各種メディアでも取り上げられた。「なんだか“おふくろの味”を思い出す」とは周囲の評。
 広布の旗を掲げ、今や地域でなくてはならない存在に。2年前には「みりん干し」を教わった恩人の親子に、弘教を実らせることもできた。
 干物は潮風にさらされ、太陽の恵みを得ることで、得も言われぬ味を醸(かも)し出す。
 中西さんは語る。「信心に守られて、今の自分がある。人生の味は、甘辛くって深い“みりん干し”そのものや(笑い)。けど、ほんまの勝負は今からやで」
 名物お母ちゃんの朗らかな笑顔は、きょうも輝いている。

 

2020年6月27日 (土)

2020年6月27日(土)の聖教

2020年6月27日(土)の聖教

◆わが友に贈る

 「励まされる側」から
 「励ます側」へ!
 目の前の「一人」を
 徹して大切に!
 そこに広布の直道が。


◆名字の言 子どもたちの生命を守ったもの――映画「未来への伝言」 2020年6月27日

 「未来への伝言」という映画がある。大流行したポリオ(小児まひ)から子どもたちの生命を救うため、ソ連(当時)の生ワクチンを入手しようと運動した日本の母親たちと、大量のワクチンを製造したソ連の医学者たちの奮闘を描く▼日本で大流行したのは、東西冷戦下の1960年。北海道を中心に感染は瞬く間に拡大し、年間報告患者数は5000人を超えた。300人以上が犠牲になっている。当時、有効とされた生ワクチンは国内使用が認められておらず、研究が進んでいたソ連からのワクチン寄贈の申し出もストップがかかった▼翌61年も流行は続き、「ポリオ患者発生数即日集計」が毎日、報道された。生ワクチンを求める声は国民運動となり、国は1300万人分の緊急輸入を決定。ソ連からは1000万人分が届けられた。ワクチン投与後、流行は急速に収束した▼「私も克服を真剣に祈った」。池田先生は第3代会長就任直後でもあった状況を振り返り、こう強く語っている。「『わが子を救いたい!』という母親たちの一念と、『日本の子どもを救いたい!』というソ連の医師の一念が、国家のコンクリートの壁を壊した」▼尊き生命を守るためには国境を超えた「人間としての連帯」が不可欠――これが未来への伝言だろう。(側)


◆寸鉄

「法華経は宝の山なり人
は富人なり」御書。妙法の
力は偉大。確信の題目で
     ◇
天を晴らすような信心で
生活照らせ―牧口先生。
今いる場所で輝く実証を
     ◇
結成50周年の未来会の日
誓い貫く人生こそ崇高。
生涯、共戦の道を進め!
     ◇
「勝利は最も根気のある
者にもたらされる」英雄。
苦闘の先に歓喜は厳然と
     ◇
7~9月は平年より暑さ
厳しく。熱中症に注意を。
水分・塩分補給、小まめに


【教学】

◆〈みんなで学ぶ教学〉8  難を乗り越える信心  試練に打ち勝ち境涯を開こう

 カツヤ ユタカ支部長! 仏法対話に挑戦しようと決意していたのに、なぜこんなことに……。
 
 ユタカ カツヤくん。それはショックだよね。気持ちは分かるよ。でも、そんなことでせっかくの決意を失ってはいけないよ。
 私も“もっと広宣流布のために頑張ろう”と決意した直後、突然病気で入院することになって、同じように思ったことがあったなあ。
 
 カツヤ ユタカ支部長でも「信心しているのに、なぜ」と思ったことがあるんですね。
 
 ユタカ もちろんあるさ。でも、先輩や同志の励ましで、“絶対に負けられない”と毎日真剣な唱題に挑戦するようになったんだ。今は治って前よりも元気だし、病気のおかげで信心の確信が深まったと感じているよ。
 
 カツヤ そんなことがあったんですね。でも、どうして頑張ろうと思った時に邪魔されるんですか?
 
 ユタカ それを仏法では「魔」というんだ。信心を実践し、自身の生命を変革しようとしている人には、それを阻もうと「魔」が競い起こるんだ。
 御書に「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る」(御書1087ページ)とあるように、信心が深まると「三障四魔」というさまざまな障害が必ず現れる。
 試練に直面したということは、カツヤくんが前進しているということなんだ。
 
 カツヤ そうなんですか? 三障四魔は、3と4で7種類あったりするんですか?
 
 ユタカ 鋭いね! 「三障」とは「煩悩障」「業障」「報障」のことで、「障」とは、障り、妨げということなんだ。
 「四魔」には「陰魔」「煩悩魔」「死魔」「天子魔」があるんだ。「魔」とは、仏道修行者の生命から、輝きを奪うはたらきのことだよ。
 
 カツヤ なんか全部、強そうですね……。
 
 ユタカ 例えば、インターネットの動画に夢中になって勤行を忘れたり、上司や家族に信心を反対されて不安になったり、さまざまな形で現れるんだよ。
 
 カツヤ えー。なんか負けそうです。

 ユタカ 大事なことは、魔を魔と見破ることだよ。日蓮大聖人は「難来るを以て安楽と意得可きなり」(同750ページ)と仰せなんだ。
 信心に励んでいる時に起こる難は、例えるなら、自転車に乗っていて、長くて急な坂道に遭遇するようなものだよ。でも、その坂を登り切った時に、見晴らしの良い景色が広がる。心がぱっと明るくなるだろ。苦難の坂を登り切ることで、境涯を大きく開いていけるんだ。
 やがては、どんな坂でも登っていける力が付く。何があっても人生を楽しんでいくことができるんだ。
 
 カツヤ 最近、自転車で通勤しているので、実感があります。「難」が起きたとしても、乗り越えればいいんですね。
 
 ユタカ そうだね! “勤行しようかな”“学会活動をがんばろうかな”という時に、それを妨げることが起きたら、まずは「三障四魔だ!」と見破っていくことだよ。そして「成長している証し」と、負けずに信心に挑戦していこう。
 池田先生は「正しいからこそ、苦難がある。戦うからこそ、悩みも大きい。その試練を乗り越える中で、一段と境涯が開かれる」と指導されているよ。
 
 カツヤ 「対話は諦めよう」と思った今が、成長のチャンスなんですね! さっそく決意の唱題をしようと思います。
 
 ユタカ すばらしいね。じゃあ“同盟唱題”しようか!

質問BOX〉   家族や周囲から信心を反対されます。
質問
家族や周囲から信心を反対されます。

回答
 親しい人から反対されるのはつらいものです。しかし、反対されるということは、“自分のことを真剣に思ってくれている”と考えることもできます。親しい人からの批判や反対のほとんどは、創価学会に対する無認識から生じた、誤解によるものです。
 大事なことは、自分自身が信心によって成長することです。その中で“消極的な自分が積極的に変わった”“思いやりをもって行動できるようになった”という「人間革命」の姿が、必ず周囲の誤解を解いていきます。それこそが本当の意味で、家族や友人を大切にすることになります。
 池田先生は「決して焦ることはない。まず、自分が立派に成長する姿を見せて、安心してもらうことだ」と語っています。
 真心が家族や友人に伝わるよう、焦らず日々の学会活動に挑戦していきましょう。


【聖教ニュース】

◆東京富士美術館でフラワー展 7月3日にオープン  2020年6月27日
 「花」をテーマとした絵画や工芸品

    • ラウル・デュフィ 「アネモネ」 1942年 水彩・グァッシュ、紙 東京富士美術館蔵

ラウル・デュフィ 「アネモネ」 1942年 水彩・グァッシュ、紙 東京富士美術館蔵

 現在臨時休館中の東京富士美術館(八王子市)が7月3日から開館し、「Flower×Flower展」がオープンする。
 同展では、「花」をテーマにした古今東西の絵画や版画、ガラス工芸、陶器、写真などの名品が共演。全て同美術館の所蔵品から厳選されたものである。
 時代や国を超えて人々に愛されてきた花。その魅力をさまざまな芸術家の着想や構図、色彩表現を通して再発見する機会となろう。
 【案内】会期は7月3日(金)から8月23日(日)まで。月曜休館(ただし、8月10日は開館し、翌11日は休館)。開館時間は午前10時から午後5時(入館は同4時半まで)。入場料などの詳細は東京富士美術館のホームページを参照。
 ※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、来館の際は、マスク着用、健康チェックシートの提出をお願いします。入場制限等を行うことがあります。


◆独りにはさせない!――コロナ禍の在日外国人 連載〈危機の時代を生きる〉 2020年6月27日

 世界保健機関(WHO)は、世界の新型コロナウイルス感染者が急増し、近く1000万人に達すると警戒している。
 首都圏在住で英語を話す海外メンバーの集い「東京インタナショナル・グループ(TIG)」。今回、その青年たちを取材した。
 彼らの多くは母国に大切な家族がいる。
 困難に立ち向かう原動力は“師匠・池田先生と共に戦おう”という、弟子としての決意だった。(記事=橋本良太、野田栄一)
 
 エイジ・ナガイさん(32)=東京都北区、男子部員=は、東京大学大学院の特任助教。遺伝子解析の研究に尽力する。
 母国・ブラジルから海を渡ってはや6年。昨年結婚し、妻が来日準備を進めていたさなか、コロナ危機が起こった。
 妻はうつ病の経験もあり、気持ちが深く落ち込んでいた。妻を入会に導いてきたエイジさん。ハグして“大丈夫だよ”と安心させてあげたかった。
 しかし、各国が入国制限を設ける中、じかに会えるのは、いつになるか分からない。
 オンラインのビデオ通話が、夫妻にとってコミュニケーションの生命線となった。
 「見方を変えれば、地球の反対側でも、飛行機が飛ばなくても、顔を見て、心をつなぐことができる。池田先生が言われる“楽観主義”でいこうと思いました」
 

ブラジルにいる妻のアキコさんとオンライン上で会う
 毎日、3時間ほど画面上の妻を見つめ、元気づけようと言葉を掛けた。その中で、あることに気付く。
 「それは、妻の話を聞くことの大切さでした。不安を受け止めることから安心が生まれるし、元気になろうとする妻の力を信じようと」
 エイジさん自身、この信心で、可能性を開花させてきた青年だ。
 「シャイな性格」だった少年時代。SGI(創価学会インタナショナル)の活動に励む両親のもと、14歳からブラジルSGIの“ジュニア創価班”で信心を学んだ。
 「誰もが秘めている無限の可能性と、人のために尽くす人生の意義。そして志を持つ大切さ」を知った。
 
 エイジさんは科学者になると決め、猛勉強を。修士課程をブラジルの大学院で修め、キャンパスで妻と出会った。
 日本へ来て、博士号を取得する間も、遠距離恋愛を続け、絆を育んだ。
 3月から、時差に合わせ、エイジさんは毎朝5時30分から妻と同時に勤行・唱題を始めた。「今こうして離れていることにも、きっと意味があるね」
 やがて、妻の口から前向きな言葉が聞かれるようになった。
 先日、自分と妻の母校である大学院の同窓生らと、7年ぶりにオンライン上で集まった。
 周囲からは「コロナ禍でも、エイジは冷静さを失っていないな」と。
 「題目の力だよ」と答え、日本で最先端の研究に取り組める喜びを語った。
 一方、TIGの仲間へは、きめ細かく電話・SNSで声掛けを。互いの趣味の話に始まり、コロナ禍の影響や、ブラジルにいる妻を心配する胸中も話す。
 悩みをシェアすることで、決意の一歩も共に踏み出せる。
 「忙しいけれど、うれしい。仲間を励ました分だけ、自分も元気になれますから」

励ましの連鎖を私たちから
 「一本の電話で、命が守られることを実感しました」。そう語るのは、インド出身のアナンディタ・アウージャさん=東京都八王子市、女子部員。
 創価大学大学院への留学のため2年前に来日。今年9月の卒業に向け論文を執筆中だ。
 予定していた姉の一時来日は、コロナ禍で中止に。この状況下で“自分も何かできないか”と考えたが、自粛生活のストレスが重なり、過呼吸の症状が出るようになった。
 そんな時、電話をくれたのがTIGの女子部の先輩だ。アナンディタさんの生活の不安に、じっと耳を傾けてくれた。「仲間の存在が、私の心が孤立するのを、防いでくれたんです」
 
 2010年、17歳で母と共にインド創価学会に入会したアナンディタさん。当時は高校での成績不振に悩み、家族や周囲の過度な期待に反発していた。
 この時も学会の先輩が語ってくれた。「池田先生は病に負けず、夜間大学で学び、全世界の人たちを励ましてこられた。それが私たちの師匠なのよ」
 唱題を重ねる中、親への反発心が、教育を受けさせてくれることへの感謝に変わった。
 インドの名門大学を卒業し、ITコンサルタント会社に勤務。その後、経済学を学ぶため、創大大学院へやって来た。
 先月、父が網膜?離を起こした。新型コロナウイルスの感染リスクと隣り合わせの中、20日間ほどの通院と手術が必要に。糖尿病を患う母の血糖値も、良好でない時期が続いた。
 “私を愛し、守ってきてくれた両親を、今度は私の題目で守りたい”。懸命に祈る中、父の手術は成功し、母の健康状態も安定。インドは世界で4番目に感染者数の多い状況だが、家族の絆は一段と強くなった。
 
 アナンディタさんがTIGの女子部の先輩から教えてもらい「本当に助けられた」と感じているものがある。
 それは、学会青年部の公式サイト「SOKA YOUTH WEB」内に掲載されている、「青年部と医学者によるオンライン会議」の英訳情報だ。
 今回、母国や日本でも、さまざまな情報が流れ、TIGのメンバーは何が正しいのか困惑したという。
 エイジ・ナガイさんも語る。
 「信頼できる情報源からの発信が、異国での生活の安全を守ると言っても過言ではありません。オンライン会議で語られる医学情報、日本社会の考察や課題も、異文化理解の上で、不可欠な内容でした」
 TIGでは、リーダーによる電話やSNSを駆使した激励で、メンバーが多くの苦境に直面していることが分かった。ストレスに由来する心身の不調やリストラ等々。
 メンバーの数だけ状況は違うが、“つながる”ことが孤立を防ぎ、命を守ることにもなった。

東京インタナショナル・グループ(TIG)のメンバー(2019年5月撮影)

東京インタナショナル・グループ(TIG)のメンバー(2019年5月撮影)

 そして一人一人が立ち上がろうとした時、「“師弟に生きれば無限の力が出る。自身の壁を打ち破り、必ず勝利できる”という真実が、私たちを勇気づけた」とエイジさん。
 池田先生は、人類が試練に立ち向かう今、つづっている。
 「友の辛労に同苦し、無事安穏を祈る。周囲に心を向け、相手を気遣う。明るく賢く、大らかに、声を掛け合い、共に笑う――それ自体が、社会の中の分断を埋め、心と心を結び、希望の橋、信頼の橋を架けているのだ」
 アナンディタさんは“大学院卒業後はインドで就職活動を”と考えている。
 母国の経済状況も激変する中だが、「あらゆる貧困をなくし、全ての人に質の高い教育を提供できるよう、力を尽くしたい」。エンパワーメント(励まし)の連鎖は、そうして世界へ広がっていく。

 

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 ファクス 03―5360―9613
 kansou@seikyo-np.jp


【特集記事・信仰体験など】



◆〈「人類の議会」と歩む SGI国連事務所リポート〉⑤ 2020年6月27日
 気候変動に立ち向かう
 ジュネーブ アレクサンドラ・ゴセンス=イシイ氏

 昨年12月、私はスペイン・マドリードで開かれた、国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議に参加しました。
 同会議は、本年から運用が始まった「パリ協定」の実施ルールについて交渉するための会議でしたが、参加国間の対立によって、最終合意は次回に持ち越されました。
 気候変動は、21世紀の人類が直面する最大の課題の一つです。ここ数年間で、前例のない気温の上昇、海水の酸性化、生物種の絶滅、土壌劣化が記録されたほか、異常気象の頻発によって、世界各地で食糧や水が不足し、人々の命や安全が脅かされています。
 これらの問題に向き合うべく、温室効果ガス排出量を削減し、世界の平均気温の上昇を抑えることなどを定めたのがパリ協定です。15年の採択以降、実施のためのルール作りが行われてきましたが、交渉は困難の連続でした。
 その理由の一つに、主に先進国と開発途上国による対立が挙げられます。相手が約束を果たさなければ、自分たちも協力しないといった“信頼の欠如”こそ、私がマドリードで見た現実でした。
 会議では、温室効果ガスの削減目標を引き上げる案についても合意に至らず、グテーレス国連事務総長は“気候変動に立ち向かうための重要な機会を逃した”と落胆の思いを語りました。

マドリードで開かれた「国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議」の関連行事(昨年12月)

マドリードで開かれた「国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議」の関連行事(昨年12月)

 SGI国連事務所ではこれまで、他のFBO(信仰を基盤とする団体)や市民社会組織と協力しながら、倫理や人権の観点からの議論の醸成に尽力してきました。また、気候変動について「知る権利」「行動する権利」「意思決定に影響を与える能力」に焦点を当てた、教育啓発の運動にも参画しています。
 明年、イギリスのグラスゴーで開催される予定の第26回締約国会議に向けては、一人一人の行動を促すべく、気候変動の影響を大きく受ける地域で、社会変革に立ち上がる人々の体験を分かち合うプロジェクトの推進も検討しています。
 気候変動の問題に取り組む人たちの多くが、相手を尊重し、思いやることを大切にする創価の理念に、感謝と共感を寄せてくれています。
 
社会変革の行動は足元から
 気候問題を引き起こす社会・政治・経済のシステムを変革するための行動は、足元から始まります。だからこそ、パリ協定といっても、家庭や学校、地域社会における行動の連帯を生み出すことにその真価があります。
 そうした意識変革の大切さを一人一人と共有していくことが、私たちの使命であると実感します。
 池田先生は本年の「SGIの日」記念提言で、気候変動についての数値目標を追求するだけでなく、実現したいビジョンを分かち合い、その建設に向かって行動を共に起こす中に、課題の困難さに圧倒され、諦めてしまう“悲観主義”を超克する道があると教えてくださいました。
 この指針を胸に刻み、私も何があっても諦めず、行動してまいります。身近な家族や友人、地域の人たちにも対話を広げていく決意です。


◆〈扉をひらく 池田先生の対話録Ⅲ〉第11回 日本を代表する実業家 松下幸之助氏2020年6月27日

 「この目で見届けたい。池田先生の教えを中心に世界が回る21世紀を」

松下氏㊧と池田先生が和やかに会見(1983年11月、旧・聖教新聞本社で)。氏と先生の語らいは30回以上に及ぶ。氏は折々に語っていた。「池田先生にお会いできたことが、自分の人生で最高の出来事であった。最高の喜びであった」

松下氏㊧と池田先生が和やかに会見(1983年11月、旧・聖教新聞本社で)。氏と先生の語らいは30回以上に及ぶ。氏は折々に語っていた。「池田先生にお会いできたことが、自分の人生で最高の出来事であった。最高の喜びであった」

 1967年11月、紅に染まる京都の「真々庵」を、イギリスの歴史学者トインビー博士が訪れた。
 パナソニックの創業者・松下幸之助氏が思索の場としていた別邸である。
 「これからの日本にとって一番大切な人は誰か?」
 博士の問いに、氏の口から「池田大作」との名が挙がった。
 1カ月ほど前、松下氏は学会の東京文化祭に来賓として参加していた。氏には、甲子園球場で従業員の運動会を開いた経験がある。この日、千変万化の人文字やダンスにも驚嘆したが、とりわけ心に染みたのは、池田先生の気遣いだったという。大行事のさなか、担当者を通して何度も「不都合はありませんか」と挨拶があった。
 「この若さで、このまま成長されれば、将来、国の発展、人心の開発に非常に貢献し、日本の柱ともなる人だと思った」と松下氏は追想している。
                          ◇ 
 「池田先生に、どうしてもお会いしたい」――71年2月のある日、松下氏から人を介して連絡があった。
 当時、氏は76歳。病院で療養中にもかかわらず、「いつでもどこでも行かせていただく」との意気込みである。
 春4月、静岡で対談が実現。氏は、志なき日本社会への憂慮を語った。
 「これでは、日本はよくなりまへん」
 “経営の神様”と仰がれる氏には、創業の志こそが万事を決する基である――との強い確信があった。
 1918年、妻と義弟の3人で松下電気器具製作所を創立。技術特許も取り、経営は軌道に乗ったかに見えた。だが恐慌による不況のあおりも受け、製品は山のように売れ残ってしまう。
 猛省の末、氏は悟る。“自分は金儲けだけを考えていた。「創業の志」がなかったことに、失敗の本質はあった”と。その後、立て直しに奔走し、「人生に幸福をもたらし、この世に楽土を建設すること」を企業使命に定める。この32年を「創業の年」とした。
 戦後、人間の繁栄による平和と幸福を目指したPHP研究所を発足。氏の問題意識は、やがて日本の「国家の理念」へと鋭く向かっていく。
 先生との会見に至るまでの間、首相との会談や国際会議などで、正しい人間観の確立をと訴え抜いてきた。
 ――氏の心中を察し、先生は語った。
 「全く同感です。人びとの多くが欲望の奴隷のようになってしまい、自分のことしか考えていないのが現状といえます。社会をよくしていくには、人間自身を変革していくことが根本です。私どもは、それを人間革命と呼んでおります。そのためには、一人ひとりが、生死観、人間観、幸福観、宇宙観など、確かなる生命の哲学を確立するとともに、自身の生命を磨いていかなくてはなりません。実は、仏法というのは、その生命の哲学であり、人間革命の道を説いております」
 松下氏はピンと背筋を伸ばし、いっときも姿勢を崩そうとしない。
 「おっしゃる通りです。根本は人間です。人間をつくらなあきまへん。それが一番大事なことやと思います」
 散策も含め、6時間に及ぶ対談。帰路、「お疲れでしょう」と気遣う同行者に、氏は満面の笑みを返した。「いや、むしろ元気になった。ほんまに楽しかった。先生からは、日本と世界、人類に対する慈愛が感じられるんや」
                           ◇ 
 「松下電器は何をお作りに?」との質問に、「人を創っています。あわせて製品も作っています」と松下氏が答えたのは有名な逸話である。
 国家経営の根本も、同じく「人づくり」にある――氏は有為の人材を育む「松下政経塾」の構想を温めていた。71年初冬、真々庵で池田先生に相談を持ち掛けている。
 「今こそ、国家の経営哲学をもった、いい政治家をつくらなければいけません。それには、いい人を育てることです。そこで、そのための塾を、つくろうと計画しています」
 先生は松下氏の健康を心配したが、その決心は固かった。賛意を示すと、「先生には、ぜひ塾の総裁に」と嘆願される一幕もあった。
 その後も、政経塾の理念をはじめ、二人はたびたび意見を交換。75年には往復書簡をまとめた『人生問答』が発刊され、ベストセラーとなった。
 同書は双方、150ずつの質問からなる。人生論に始まり、生命論から文明論、さらには政治経済、社会観、世界観へ。縦横無尽の問答となった。
 当時、先生は中国、ソ連、北中南米などを駆け巡る激務の日々。イギリスではトインビー博士とも対談した。
 74年の初訪中では、空港に見送りにきた関係者が「松下相談役からです」と、質問をまとめた分厚い封筒を持参している。
 松下氏も真剣勝負で往復書簡に向き合っていた。PHPの研究員が質問を整理し、氏に伝え、回答を受ける。この作業が半年間、続いたという。
 この問答の一部は「週刊朝日」で連載されている。同誌のインタビューに氏は答えた。「池田先生とね、このえらい仕事をするようになってから、体がすっかり丈夫になりましてん」
                             ◇ 
 池田先生と松下氏が語らいを重ねた70年代、創価大学、関西創価学園が開学している。いずれにも氏は足を運び、創価教育の未来に期待を託した。
 先生が大阪から中国へ飛ぶ際は、必ず空港へ見送りに。松下政経塾の設立直後(79年)には、氏自身、初めて中国を訪れ、両国の経済交流を開いた。
 30回を超える両氏の語らいは、4時間、5時間と長時間に及ぶのが常だった。仕事以外でこれほど親交を結んだ人物はいなかったと、関係者は言う。
 ある歓談の折、姿勢を正した松下氏が毅然として言った。
 「これから私は、先生を、『お父さま』とお呼びしたい」 
 突然のことに、池田先生も驚く。氏の方が30歳以上も年輩なのである。
 「年は先生の方がお若いが、仏法のこともいろいろとお教えいただいた。私には『お父さま』のように感じられてなりません」
 「何をおっしゃいますか。とんでもないことです。あってはいけないことです。私の方こそ、『お父さま』と呼ばせてください」
 話はまとまらず、結局、互いに「お父さま」と呼ぶことで落ち着いた。
                                 ◇ 
 88年1月、還暦を迎えた池田先生に、松下氏は祝詞を贈っている。
 「もうひとつ『創価学会』をお作りになられる位の心意気で」と。
 翌年、94歳で亡くなる直前まで、世界に寄与する後進の育成を願い、命の炎を燃やし続けた。
 氏が生涯の指針としたのは、「素直な心」。私心無く、良いものは良いと、ありのままに心を開いて生き抜くことだ――その確信は、尽きせぬ挑戦とともに、限りなく深まっていた。
 生前、氏は何度も強調したという。
 「21世紀になると、池田先生の教えが中心になって、世界が回るようになる。それまで生きて生きて、何としてもこの目で見届けたい。そのためには21世紀まで生きねばならぬ」
 激動の世紀を駆けた氏の慧眼は、世界の未来を、私心無く、真っすぐに見つめている。
 松下幸之助 1894年、和歌山県生まれ。パナソニックの創業者、社会活動家。小学校を4年でやめ、火鉢店などで丁稚奉公した後、関西商工学校夜間部に学んだ。1918年、松下電気器具製作所を創立。卓越した経営手腕で、世界的家電メーカー(現・パナソニック株式会社)へと成長させた。社会の平和と繁栄のための思想研究、人材育成にも尽力。46年には「Peace and Happiness through Prosperity(繁栄によって平和と幸福を)」を理念とする「PHP研究所」を、79年には松下政経塾を創設した。数多くの著作を残し、池田先生とは往復書簡集『人生問答』を発刊。89年、94歳で死去。
 〈引用・参考文献〉 松下幸之助/池田大作著『人生問答』(『池田大作全集』第8巻所収)、池田大作著『新・人間革命』第22巻、同著『心に残る人びと』角川書店(『池田大作全集』第21巻所収)、同著『新たなる世紀を拓く』読売新聞社、松下幸之助著『人間を考える――新しい人間観の提唱』PHP研究所、同著『私の夢・日本の夢――21世紀の日本』同、木野親之著「創立者池田大作先生と松下幸之助創業者」(『創価経営論集』第42巻第1号所収)、水元昇著「創立者と人間・松下幸之助――人を育て、人を創るリーダーの語らい」(『創価教育研究』第4号所収)ほか。
●ご感想をお寄せください
 news-kikaku@seikyo-np.jp

◆〈婦人部のページ〉
エッセンシャルワーカーとして活躍する友――?健康・生活を支える奮闘に心から感謝

 不要不急の外出自粛が求められた期間も、医療従事者や保育、宅配、介護、食料品店の従業員など、人々の健康・生活を支える方たちの奮闘で、私たちの社会生活は守られ、維持されました。ここでは、エッセンシャルワーカー(社会生活の維持に不可欠な仕事に就く人)として暮らしを支えてきた方々に深い感謝をささげるとともに、代表の友を紹介します。  
     
看護〉 山本 恵美さん(東京)
 多摩地域の病院に看護師として勤務しています。夫も介護職に従事しているため、2人の娘の学校が休校だった期間は、夜の勤務を増やして仕事に。私の仕事を理解し、応援してくれた娘や、日頃から支えてくださる地域の皆さまに感謝でいっぱいです。
 これからも白樺の使命と自覚を深め、前進していきます。

〈金融〉 大髙 紘子さん(東京)
 都内の金融機関で働いています。コロナ禍では、職場の同僚でもある夫と協力しながら子育てと業務の両立に取り組みました。外出自粛期間も受け入れていただいた保育園をはじめ、いろんな方々に支えられて今の生活があることを実感しました。
 これからも創価大学出身という誇りを胸に、職場の第一人者を目指して頑張ります。
     
〈ガソリンスタンド〉 佐藤 惠美子さん(神奈川)
 川崎区内のガソリンスタンドに勤めて30年。主に事務作業を担い、お客さまに寄り添う接客も常に心掛けています。お顔を見れば、車のことまで分かるように。
 今は、感染予防の観点から接触機会を減らすことが求められていますが、寄り添う心と笑顔を忘れず、お客さま第一の心で尽くしていきます。   
   
〈輸送〉 吉岡 美枝子さん(埼玉)
 タクシー会社で配車オペレーターを担当しています。通院や買い物での利用者も多く、コロナ禍でも通常通りの業務を継続し、これまでにない緊張感で臨んできました。   
 今も消毒等の安全対策には余念がありません。日々、無事故を真剣に祈り、お客さまが安心して乗車できるよう、元気に丁寧な対応をしていきます。

〈行政〉 遠藤 邦代さん(和歌山)
 町役場に勤務し、今は新型コロナウイルスの影響を受けている子育て世帯への臨時特別給付金の受け付け等を担当しています。不安や悩みを抱える町民の皆さまに安心していただけるよう努力しています。   「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」(御書1295ページ)との思いで、誠実に町民へのサービスに尽くしていきます。  
    
〈介護〉 高橋 良子さん(北海道)
 有料老人ホームでヘルパーとして働いています。現在、施設では入居者と家族の面会や、入居者同士の交流が制限。それにより、不安やストレスを感じている利用者も少なくありません。“少しでも幸せを感じてほしい”と、笑顔第一を心掛けています。  地域でも幸せを届けられるよう、真心の励ましを送り続けます。
      
〈清掃〉 髙橋 真奈美さん(福島)
 地元の病院で清掃を担当しています。普段の仕事に加え、今は特に、消毒作業を丁寧に行っています。  家族に心配をかけてしまいますが、誰かがやらないといけない仕事。だからこそ“皆を守り抜く”との祈りを強くし、罹患しない、させないことに細心の注意を払いながら仕事に従事していきます。

〈医療〉 上野 真也子さん(愛知)
 私は、話す・聞く・食べるといった機能に不自由がある方の治療に携わる言語聴覚士です。コロナ禍に伴い、臨床業務に今まで以上の緊張感がある分、心が通うコミュニケーションの大切さを実感しています。  苦境の今こそ、“誰も置き去りにしない”との信念のままに、使命の職場で師弟の道を歩み続けていきます。  
     
〈保育〉 水口 恵子さん(新潟)
 保育園で園長を務めて3年目。保育へのやりがいと深い責任を感じています。保護者の皆さんから安心してお子さんを託してもらえるようにと、衛生面の対策など、できることは全てやろうと決め、保育を続けてきました。  地域の同志と励まし合いながら、苦難や悩みに立ち向かっていきます。  
     
〈スーパーマーケット〉 元女 弘美さん(石川)
 スーパーマーケットとホームセンターを併設した大型店で働いています。4月末からは買い物かごの消毒を担当。毎日1000個以上の除菌を行っていました。  6月上旬から鮮魚コーナーに復帰。マスク着用で表情が見えないため、今まで以上に心を込めて対応しています。生活を支える責任を胸に、これからも頑張ります。   
   
〈水道・電気・ガス〉 山城 洋子さん(山口)
 水道の検針員を、24年間続けています。防府市内を、1カ月で約2500軒回ります。コロナ禍の中でも、通常通りの業務に徹してきましたが、市民の生活を支えるという仕事の使命を、改めて認識しました。  これからの時期は、熱中症にも細心の注意を払いながら、信心根本で社会や地域に貢献していきます。


〈教育・福祉〉 伊勢 智子さん(愛媛)
 特別支援学校の教諭です。一人一人が小さな“できた”を実感できるように工夫を重ねています。休校期間は、他の教員と協力して手足を動かす音遊びの映像教材を作成。保護者からも喜びの連絡を頂くなど、改めて誇りとやりがいを感じました。  どこまでも子どもの幸福を祈り、行動する教師であり続けます。

〈配送〉 江上 敦子さん(福岡)
 私は空港内の宅配カウンターで働いています。荷物の受け付け業務や電話応対、空港内の店舗への配送や集荷を行います。  
 コロナ禍の影響で客足は減りましたが、人と人が直接会えない分、荷物に託す思いの深さを改めて感じることも。“心と心を結べるように”と日々祈り、より丁寧な仕事をと心掛ける毎日です。   
  
〈コンビニエンスストア〉 安座間 多恵子さん(沖縄)
 3人の子を育てるため、コンビニエンスストアに勤務して20年。今は外国人留学生の業務育成なども担っています。
 コロナ禍では、衛生面、レジ前の距離確保など、お客さまの安全確保を徹底。現在も情報収集し、対策を続けています。困難の今こそコロナ終息を祈りながら、地域のために尽力していきます。

◆信仰体験 地域に愛される皮膚科専門医

 人体の中で、最も大きな器官ともいえる皮膚。季節を問わず、年齢の別なく、多くの人にトラブルが生じやすい。
 東京都板橋区内の「さめしま皮フ科」で院長を務める鮫島俊朗さん(65)=副区長、東京副ドクター部長(総区ドクター部長兼任)=は、患部をよく診て、患者の話に慎重に耳を傾ける。
 心掛けるのは、治療だけでなく、患者の心の不安を取り除くこと。
 こうした一歩深い診察をするまでに、多くの苦難を信心で乗り越えてきた。

 患者の腕にできたイボ。治療には、マイナス196度にもなる液体窒素に浸した綿棒を使うが、いきなり患部に当てたりはしない。
 まず鮫島さん自身の手に付けてみせる。それだけで患者の心に、治療を受ける準備が整う。   ?
 幼児に多いとびひ、若者のニキビなども、薬のパンフレットや医学書を見せたり、時には自ら絵を描いたり。薬の塗り方、量、期間など、丁寧な説明を心掛ける。
 患部が治るまでの経過も伝え、最後に、「ちゃんと治りますから、大丈夫ですよ」と付け加える。
 皮膚科学会認定の「皮膚科専門医」として鮫島さんは、定期的に勉強会に参加。進展著しい専門分野の最新の知識を得ることに努めている。
 「最も心掛けていることは、“納得と安心の診察”です」

 鹿児島県の出身。父は内科医。母は医師の娘という家柄。だが、家庭不和に悩んだ。
 医学部への進学を機に上京した後も、都会の空気になじめない。
 “一人で生きていこう。誰にも迷惑をかけずに……”。そう思い詰めるほど、人間関係に苦悩した。
 転機は、皮膚科の研修医の時。多忙な職場で、はつらつと働く先輩ドクターがいた。
 聞けば、創価学会員だという。誘われた座談会で驚いた。
 難しそうな古文(御書)をそらんじる壮年。堂々と世界平和を語る婦人の姿。  鮫島さんは、思わず質問した。
 「この信心をやれば、私の人生は良くなりますか」
 「必ず、良くなりますよ」  温かで前向きな言葉が、心の暗闇に光となって差した。
 思えば、鹿児島の実家のすぐ隣に創価学会員が住んでいた。時折、見掛けるその人の目の輝きが印象的だったことを、子ども心に覚えていた。
 1984年(昭和59年)、29歳で入会。唱題に励むと、全身に活力がみなぎってくるのが分かった。半年後には、師匠・池田先生との出会いを刻んだ。
 信心根本に社会で奮闘するドクター部の先輩からは、「しっかり勉強して、医学博士を取るんだよ」との励まし。
 男子部でも組織の最前線を走り、牙城会として会館運営の任務にも就いた。日々の祈りの中に、明確な目標があった。
「40歳で開業する」
 時間をつくっては机に向かい、92年(平成4年)、がんの一つであるメラノーマ(悪性黒色腫)の研究で、医学博士号を取得。
 3年後、祈った通りに40歳で「さめしま皮フ科」を開業することができた。
 閑静な住宅街の一角で、立地も、間取りも理想的な地。
 感謝の思いで、日々の診察に励んだ。アトピー性皮膚炎やイボなど、さまざまな皮膚の症状。内科と異なり、患者自身も症状の改善具合を目で見て判断できる。
 医師としての実力が厳しく問われる仕事。その分、やりがいも大きかった。

 開業から10年。壮年部では支部長、本部長として奮闘した。ドクター部としても家庭訪問に走った。地域では、板橋区医師会の理事も務めるように。
 知らず知らずのうちに無理を重ねていたのだろう。
 ある日の明け方、異常な胸の痛みに目が覚めた。激しい動悸。救急外来に駆け込んだ。
 検査結果は、狭心症。心臓の冠動脈が細くなり、狭窄を起こしていた。血管を広げるステントを入れるカテーテル手術を受けた。
 当時、51歳。10日間の入院中、題目を唱えながら、自身の姿を振り返った。
 普段、患者には、食生活と睡眠の重要さを伝えてきた。
 だが、多忙を理由に“自分は大丈夫”という油断が心のどこかになかったか。深く反省した。同時に、多くの同志からの励ましが胸に迫った。
 さらに2年後。今度は、妻・明子さん(66)=婦人部副本部長=が病に倒れた。
 患者を診察中に、妻から「右半身がしびれて、動けない」との電話。
 大学病院での検査の結果、左脳動脈に血栓が流れた痕が見つかった。さらに精密検査をすると、心臓の腫瘍である心房粘液腫と診断された。主治医から、「すぐに手術をします」と。
 当時、中学3年の長女・裕美さん=女子部部長=と共に「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」(御書1124ページ)を拝し、題目を唱え抜いた。手術は、無事成功。
 自身と妻の大病という経験を通して、鮫島さんは改めて、医師としての使命感を深くした。患者はもちろん、その家族にも思いをはせるようになった。
 介護を受ける人と介護をする家族。乳幼児とその保護者。
 「もちろん全ての人に、平等にゆっくり時間をかけられるわけではありません。が、私は、患者さんの心の奥にある不安を取り除きたい。それには自身の生命を磨くしかない、と思っています」
 肌の状態は、ストレスなど精神的要因が大きい。だからこそ、安心感を与えられるよう医師の側の人間的成長が欠かせないという。

 両親の闘病と地域に尽くす姿を間近に見てきた裕美さんは現在、公認心理師として、困っている人、悩んでいる人のために働く道を歩む。
 かつて、“一人で生きていこう……”と思い悩んだ青年が、信心に巡り合い、医師として多くの人に、抜苦与楽(苦を抜き楽を与える)の医療を実践するまでになった。  
「人間の価値は、“人のために何ができるか”に尽きると思います。これからも、地域に根差した生き方を貫いていきます」

 

2020年6月26日 (金)

2020年6月26日(金)の聖教

2020年6月26日(金)の聖教

◆わが友に贈る

 集中豪雨や地震など
 突然の災害に警戒!
 「備えあれば憂いなし」
 避難経路の確認や
 備蓄品の準備を入念に!


◆名字の言 本当の自由とは?――車いすの青年に出会い感じたこと  2020年6月26日

 車いす生活を送りながら、書家として活動している青年がいる。小学校6年の時、交通事故で重い障がいを負った。何度も絶望のふちに立たされた。しかし家族や同志の支えもあり、見事に“復活の劇”を演じてきた▼「二度と動かないでしょう」と医師から告げられた手。“絶対に動かしてみせる”と祈り、つらい治療に耐えた。そして動いた! 「立つことは無理」と言われた足。だが、介助があれば歩けるまでに回復した▼もともとリハビリのために始めた書道だったが、その才能が開花する。躍動感あふれる書の数々。彼の作品展はメディアでも大きく紹介され、反響を呼んだ。「ぼくが頑張れば、周りも元気になってくれる。だから努力は怠れませんよ」。そう語り、筆を走らせる姿が凜々しかった▼自由とは何か――。自分のことだけ考えて楽をする。それは自由ではなく、わがまま。つらいこと、嫌なことはしない。それは逃避。そうした生き方を続けていると自分の可能性はどんどん狭まり、逆に不自由になる▼困難の壁にぶつかっても希望を捨てない。自分らしく1歩でも1ミリでも挑戦を続け、可能性を開いていく。その生き方にこそ、真の自由と満足がある。そして真の幸福がある。伸び伸びと活躍する青年を見て、そう感じた。(誠)


◆寸鉄

「一日・片時も・たゆむ
事なく」御書。信行学の
実践で一歩前進の日々を
     ◇
良き友に守られた人生は
絶対負けない―戸田先生
創価城は希望の安全地帯
     ◇
国連憲章の調印記念日。
不戦の誓いを共に、強く。
民衆の声こそ“変革の力”
     ◇
マスク着用による皮膚炎
が増加。汗の除去・保湿
などが有効と。賢く対策
     ◇
「国際麻薬乱用撲滅デー」
人間破壊の魔物を社会か
ら根絶。監視の目厳しく


◆きょうの発心 環境に負けず信心根本の挑戦を 岡山旭日総県長 寄尾健二郎 

御文 但し御信心によるべし、つるぎなんども・すすまざる人のためには用る事なし、法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼に・かなぼうたるべし(経王殿御返事、1124ページ・編569ページ)
通解 ただし、あなた方の信心によるのである。剣なども、進まない人のためには何の役にも立たない。法華経(御本尊)の剣は、信心の強い人が用いてこそ、役に立つ。まさに鬼に金棒である。

 潔い、勇気ある信心にこそ御本尊の功力は現れる、と仰せです。
 大学を卒業後、「社会で実証を」との決意で就職。必死に働くも、どこかむなしさを感じるように。何かを変えようと、創価班大学校(当時)に入校するも、思うように仏法対話ができないでいました。仕事の忙しさを言い訳にした時、先輩はこの御文を拝し、“広布のために、との戦う一念で信心に励もう。時間を作り出すんだ”と、厳しくも温かい激励を。
 「環境に負けず、信心根本に挑戦しよう」と奮起。懸命に祈り、仕事と学会活動に全力で挑み続け、大きく宿命転換することができました。今も、「師匠にお応えしよう」と、一日一日を完全燃焼し、広布に走る日々です。
 学会創立90周年の「11・18」を目指し、岡山旭日総県の皆さまと共に、功徳の体験を語り合い、元気に前進していきます。


【先生のメッセージ】

◆<心に御書を>55 未来を開く真の知性と光れ2020年6月26日

<御文>
 智者と申すは国のあやうきを・いさめ人の邪見を申しとどむるこそ智者にては候なれ(頼基陳状、1156ページ)
<通解>
 智者というのは、国の危機を諫め、人の邪見をとどめることこそ、智者ではないでしょうか。
<池田先生が贈る指針>
 讒言で陥れられた門下の冤罪を晴らすために執筆された御書である。
 激動の乱世だからこそ、正義と真実を語り、勇気と希望を贈るのが、真の知性だ。その原動力が、仏法の人間主義の大哲学である。
 虚偽や悪意が渦巻く社会に、創価の普賢たる男女学生部の言論は、凜と輝き光る。未来を開く「善の絆」を強固に!

◆マイ・ヒューマン・レボリューション――小説「新・人間革命」学習のために 「学生部」編2020年6月26日
 
先駆の同志よ 広布に走れ

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを、巻ごとに紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は「学生部」編を掲載する。次回の第14巻は7月3日付2面の予定。挿絵は内田健一郎。

情熱たぎらせ、学びに学べ!

 <第3代会長に就任した山本伸一は、1960年(昭和35年)6月、第3回学生部総会に出席し、学生部に期待を寄せた>
 
 彼(伸一)は、政治も、経済も、科学も、その根底には偉大なる哲学、偉大なる宗教が必要であることを述べ、色心不二の生命哲理である日蓮大聖人の仏法こそ、真実の人間文化を創造する源泉であると訴えた。そして、偉大なる文化を建設する担い手には、偉大なる信仰、偉大なる情熱がなければならないと語り、青年の生き方に言及していった。
 「今、皆さんが成すべきことは、大情熱をたぎらせ、人の何倍も勉強し、信仰の実践に取り組むことです。
 鍛えを忘れた青春の果てには、砂上の楼閣の人生しかない。
 決して、焦ることなく、未来の大成のために、黙々と学びに学び、自らを磨き抜いていっていただきたいのであります」(中略)
 真実の平和と民主主義の社会の建設は、急進的で、破壊的な革命によってなされるものではない。
 それは、人間一人ひとりの生命の大地を耕す人間革命を基調とし、どこまでも現実に根差した、広宣流布という漸進的な“希望の革命”によって実現されるのである。伸一は、最後に、祈るような思いで、こう話を結んだ。
 「私は、皆さん自身が幸福になるとともに、人びとを幸福にしていく社会のリーダーになっていただきたいんです。それが、最大の私の願いです。皆さんに、私の後を継いでいただく以外に、広宣流布の道はないからです。頼みますよ」
 彼は、学生部の未来に限りない期待を寄せていた。
 彼らこそ、新しき哲学の旗を掲げ、人間主義の文化を建設する使命をもった先駆者にほかならないからだ。  (第2巻「先駆」の章、47~48ページ)
 
「友情」の広がりが世界を結ぶ

 <61年(同36年)6月、第4回学生部総会で伸一は、語学を磨き、世界にたくさんの友人を作ってほしいと述べる。そうして、築いた友情が、人間同士の信頼となり、世界平和の構築へとつながると語る>
 
 「平和といっても、人間と人間の心の結びつきを抜きにしては成り立ちません。皆さんが世界の人びとと、深い友情で結ばれ、そのなかで、友人の方が、皆さんの生き方に感心し、共感していくなら、自然と仏法への理解も深まっていくものです。  
 この課題を担うのは、語学をしっかり学んでいる人でなければ難しいので、特に、学生部の皆さんにお願いしたいんです。世界の方は、一つよろしくお願いいたします」(中略)  
 世界を友情で結べ――さりげない言葉ではあるが、そこには、仏法者の生き方の本義がある。  
 仏法は、人間の善性を開発し、人への思いやりと同苦の心を育む。それゆえに仏法者の行くところには、友情の香しき花が咲くのである。  
 そして、布教も、その友情の、自然な発露にほかならない。  
 この総会に集った学生部員の多くは、口角泡を飛ばして宗教を論ずることのみが、仏法者の姿であると思っていた。  
 もちろん、教えの正邪を決するうえでは、それも必要なことではあるが、一面にすぎない。
 伸一は、次代を担う若き俊英たちが、宗教のために人間があるかのように錯覚し、偏狭な考えに陥ることを心配していた。
 柔軟にして、大海のような広い心をもってこそ、まことの仏法者であるからだ。
 彼は、学生部という若木を、おおらかに、すくすくと育てたかった。 (第4巻「青葉」の章、211~213ページ)
 
仏法と他思想の比較研究を

 <62年(同37年)7月、第5回学生部総会が行われた。伸一は講演の中で、世界の思想・哲学と仏法を比較する探究の心こそ大事であると述べる>
 
 「私は、学生部の皆さんには、日蓮大聖人の仏法と、実存主義やマルクス主義といった思想・哲学と、どちらが偉大であるのかを、徹底的に究明していってほしいのです。
 どちらが人間の生命の全体像を正しく把握しているのか、人間の苦悩を根本から解決し得るのか、現実生活のうえではどうなのか、現証の面からはどうなのかなど、大胆に、冷静に、独断に走ることなく、比較研究していってもらいたいのです。
 そして、“人類を救い得る世界最高の哲学は、確かにこれしかない”と確信したならば、その信念にしたがって、仏法の大哲理を胸に、民衆の味方となり、不幸な人びとを救うために、生涯、生き抜いていただきたい」
 伸一には、仏法への絶対の確信があった。学生部員が、本腰を入れて、日蓮仏法と他の思想・哲学との比較研究に取り組むならば、早晩、その高低浅深は明らかになることを、彼は十分に知悉していた。しかし、当時、学生部員のなかには、その確信をもてないメンバーが少なくなかったのである。(中略)
 学生部員の多くは、マルクス主義も、仏法も、徹底して掘り下げることをしなかったために、確信をもって語りきることができないでいた。
 伸一は、学生ならば、強い探究心をもってほしかった。
 探究なくしては、仏法の大哲理の真実の価値も、わからないからだ。さまざまな思想・哲学と比較相対すればするほど、その真価が明らかになるのが仏法である。  (第6巻「若鷲」の章、327~329ページ)
 
苦難への挑戦に人生の醍醐味

 <78年(同53年)6月30日、学生部結成記念幹部会が行われ、学生部歌「広布に走れ」が発表。伸一は学生部に託す思いを訴えた>
 
 「諸君のなかには、さまざまな苦悩を抱えて悶々としている人もいると思う。そして、いつか、苦悩など何もない、今とは全く異なる、きらびやかな人生が開けることを、欲している人もいるかもしれない。
 しかし、人生は、永遠に苦悩との戦いなんです。悩みは常にあります。要は、それに勝つか、負けるかなんです。何があっても負けない自分自身になる以外に、幸福はない。どんなに激しい苦難が襲い続けたとしても、唱題しながら突き進み、乗り越えていく――そこに、真実の人生の充実と醍醐味があり、幸福もあるんです。それが、本当の信仰の力なんです。
 その試練に立ち向かう、堅固な生命の骨格をつくり上げるのが、青年時代の今です。学会の世界にあって、進んで訓練を受け、自らの生命を磨き鍛えていく以外にないんです。二十一世紀の大指導者となる使命を担った諸君は、苦悩する友人一人ひとりと相対し、徹して励まし、仏法対話し、友を触発する指導力、人間力を、仏法への大確信を培っていってください。
 戸田先生は、青年たちに、常々、『次の学会を頼む』と、最大の期待を込めて言われていた。私は、そのお言葉通りに歩んできたつもりであります。
 同様に、今度は、諸君の番です。私は、万感の思いを込めて、『二十一世紀を頼む!』と申し上げておきたい。妙法の世界一の学徒集団として、人間味あふれる創価家族の、期待の後継者として、どこまでも仲良く、民衆のため、庶民の幸福のために生き抜き、新しき世紀を築いていっていただきたい」 (第28巻「広宣譜」の章、29~30ページ)
 
学生部の使命

第5回学生部総会で学生部旗を託す(1962年7月、東京・日比谷公会堂で)
 1973年(昭和48年)、学生部との記念撮影で伸一は、学生部の使命を示す。
 大学という最高学府に学ぶ意義は、庶民の上に君臨するためではない。
 民衆に仕え、民衆を守り、民衆を幸福にしていくためです。


【聖教ニュース】

◆東京・城北池田記念講堂 2022年春の完成目指し着工   2020年6月26日
 原田会長が出席 北区の建設地で起工式

            • 学会の会館は地域を照らす“希望の灯台”――城北池田記念講堂の完成予想図
              学会の会館は地域を照らす“希望の灯台”――城北池田記念講堂の完成予

 東京・北区に建設される「城北池田記念講堂」の起工式が24日、建設予定地で晴れやかに挙行された。
 これには原田会長、谷川主任副会長をはじめ、各部の代表、工事に携わる設計・施工各社の代表らが出席した。
 2022年春の完成を目指す同講堂は、地上3階建て。外壁に壮麗なタイルを使用し、気品と風格を兼ね備えた外観デザインとなっている。
 広さ550畳相当の講堂をはじめ、大小の礼拝室、会議室、事務室、応接室等を設置。北総区(柏原総区長、田口同婦人部長)の中心会館、東京・北部地域の友が利用する一大拠点となる。
 東京は、池田大作先生が若き日から広布の指揮を執り、不滅の金字塔を打ち立ててきた創価の本陣である。
 池田先生はかつて随筆でつづった。「見栄や格好などかなぐり捨てて、広宣流布のために、ひたぶるに戦い抜いてこそ、大東京は、未来永遠にわたる、師弟勝利の本陣となる」「師弟不二の東京、異体同心の東京は、一丸となれば無敵である。歴史が変わる」――と。
 本陣の“北の砦”と輝く新宝城が誕生するとあって、「区の日」の淵源である池田先生との記念撮影から本年で45周年を迎える北総区の友をはじめ、東京の友に大きな喜びが広がっている。
 起工式では、谷川主任副会長が経過報告した後、設計・施工各社の代表があいさつ。
 原田会長は、新型コロナウイルスが流行する中、新講堂の建設は東京をはじめ全国の同志にとって、希望の新時代の開幕を告げる暁鐘となると強調。関係各社の労苦に感謝の言葉を述べ、一切無事故の工事を皆で祈っていきたいと語った。
 その後、鍬入れを執り行った。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈虹を懸ける〉池田先生とポルトガル ② =完
 逆境は英雄をつくる――ポルトガル広布の発展に尽くした友の歩み

異体同心の団結が光るポルトガルSGIの友が、首都リスボン南西部にあるアジュダ宮殿の前で。同国を代表する博物館で、池田先生が創立した東京富士美術館とも縁が深い(昨年10月)

異体同心の団結が光るポルトガルSGIの友が、首都リスボン南西部にあるアジュダ宮殿の前で。同国を代表する博物館で、池田先生が創立した東京富士美術館とも縁が深い(昨年10月)

 ポルトガル広布史に黄金の一ページを刻んだ、2006年6月の本部幹部会。第1回ポルトガル研修会の参加者は皆、喜びで胸がいっぱいだった。
 1965年、池田先生の初訪問当時、学会員が皆無だったポルトガルは、メンバーの6割が「青年」という、勢いあふれる組織に発展していた。  

広布こそ使命
 「ポルトガルは勝ちました!」――本部幹部会でスピーチした池田先生の呼び掛けに、最高の笑顔で応える友また友。ヒロコ・アゼベドさん(総合婦人部長)は、婦人部長として、夫のジョゼ・アゼベドさん(総合壮年部長)と共に、師匠と感激の再会を果たした。

第1回ポルトガル研修会の参加者が出席した本部幹部会でスピーチする池田先生(2006年6月、八王子市の東京牧口記念会館で)

 入会は75年9月。人生の壁にぶつかり、心機一転を期して渡航したフランスで、知り合った語学学校の友人が学会員だった。
 この年の5月、先生がフランスへ。未入会だったヒロコさんは、会合に参加するメンバーから送迎を頼まれ、会場の外で、一人、待機していた。
 すると、そこに先生を乗せた車が。降りた先生は、ヒロコさんの方に近づき、じっと視線を注いだ。  そのあまりにも深いまなざしに、強く心を揺り動かされたヒロコさん。“池田先生とはどんな方なのだろう”と、片っ端から著作をひもといた。
 読めば読むほどに感動と尊敬の念が湧き上がる。“私も先生の弟子になりたい”と御本尊を受持し、使命の職場で働きながら、女子部の一員として信心の基礎を磨いていった。
 81年、同国を再訪した先生と懇談する機会が。6年前の出会いを覚えていた先生は再会を喜び、「みんなから愛される人になるんだよ」と、包み込むように激励。以来、先生が訪れた際は、役員として諸行事の運営を陰で支えてきた。  良縁に恵まれ、ポルトガル人のジョゼさんと結婚。婦人部となり、子育てに活動にと、慌ただしい日々を送っていた。

 そんな彼女を試練が襲う。子どもたちが大きくなるにつれ、生活が困窮。3人目の出産を機に仕事を辞めていたが、働かざるを得なくなったのだ。
 就職活動に臨むが、届くのは不採用通知ばかり。毎日、泣きながら御本尊に向かった。
 何とか見つけた販売業は、自分には苦手な職種に思えた。それでも、懸命に働き続けて5年がたったある日、仕事で親しくなった知人を介し、世界的なブランドメーカーから面接の話が舞い込む。
 婦人部の先輩に相談すると、「今こそ題目よ」と力強く。真剣な祈りを重ねた結果、転職を勝ち取ることができた。
 込み上げる感謝の思い。それはやがて広布に生き抜く誓願に変わる。時を同じくして、ジョゼさんにポルトガルで就職の話が。新しい職場で実証を示し始めていたヒロコさんだったが、98年、一家で同国北部の町・ポルトに移住した。
 それから半年後、期せずして初代のポルトガル婦人部長の任命を受けることに。ポルトにも地区が結成され、ジョゼさんが地区部長に就いた。
 当時のポルトガルSGIは、信心して数年という友が大半を占める“草創期”。ヒロコさんはポルトガル語ができなかったものの、“皆から愛される人に”との指針を胸に、一人一人を温かく励まし、新しい人材の登場をひたぶるに祈り、待った。
 その中で日本から仕事で赴任したエツコ・モトキさん(書記長)が青年部のリーダーに。各部の体制が整い、2000年9月、新出発の集いを開催。それ以降も、ヒロコさんは同志と共に、支部から本部への編成(05年)、法人認可(09年)、ポルトガル文化会館の開館(11年)と、一貫して同国広布の発展に尽くしてきた。
 3人の子は創価大学に学んだ長男・長女をはじめ、全員が後継の道を真っすぐに進む。
 師匠と出会い、入会して今年で45年。
 青年を育み、後輩を支えながら、夫婦二人三脚で、世界広布という壮大なロマンに生涯をささげる決意だ。  

自らが太陽に!
 クレア・ホニグスバウムさんは2015年5月、ヒロコさんの後を受け、ポルトガル婦人部長に就任した。  池田先生の友人で、20世紀最高峰のバイオリニスト、ユーディー・メニューイン氏が創設した財団で講師を務めるなど、社会での活躍が光るリーダーだ。

 ポルトガルに住んで30年。1992年1月の支部結成式に集ったパイオニアの一人でもある。
 イギリス・ロンドンの出身。正しい生き方を模索していた大学時代、日本人の友人から仏法の話を聞いた。
 題目を唱えると、心の奥底から生命力がみなぎるのを感じた。SGIの会合に参加し、創価家族の温かさに感動。世界平和の建設という理念にも深く共感し、入会を決めた。
 信心に出あう前は将来を悲観し、学業にも身が入らなかったが、大学院まで進学。音楽と芸術教育の分野で社会に貢献するという人生の目的が定まった。
 89年5月、池田先生が14年ぶりにイギリスへ。滞在中、ホニグスバウムさんは運営役員を担った。タプロー・コート総合文化センターで共にラジオ体操を行うなど、先生と過ごした思い出は、今も色あせない。

 翌年、さらなる飛躍を目指し、ポルトガルに移住。学会の中で培った、何ものにも負けない楽観主義で、音楽家としての経験を積んでいった。
 師の初訪問30周年となる95年10月には、日本で開かれたSGIの諸行事に出席。世界中から駆け付けた友に、先生は語った。  
「私どもは『無限の希望』の源泉である題目を楽しく唱えきって、堂々と、行き詰まりなき、この人生をともに生きぬいてまいりたい」
 女子部時代、CDの発売や有名音楽家との共演など、立てた目標を全て実現させてきたホニグスバウムさん。
 現在は2人の子を持つ母親に。仕事と家事がどんなに多忙でも、唱題を欠かさず、婦人部の第一線で同志の激励と友人との対話に率先してきた。  
「自らが太陽となって輝こう」をモットーに掲げるポルトガル婦人部。「ポルトガル広布の主役は女性です。婦人部・女子部のスクラムを一段と強くし、『無限の希望』である信心の光で、ポルトガル中を明るく照らしていきます!」

 「ここに地果て、海始まる」――リスボン近郊、ユーラシア大陸最西端のロカ岬には、ポルトガルの大詩人カモンイスの詩を刻んだ記念碑が立っている。 ?
 かつて池田先生は、この一節に触れ、陸から海へ目を転じ、大航海時代の主役となった同国の歴史を通して訴えた。
 「困難な状況に屈するのでなく、あえて未知の世界に飛び込んでいった」「ポルトガルのことわざに『逆境は英雄をつくる』とある通りで、逆境に挑戦してこそ、大きな事業を成し遂げることができる」と。
 先生の初訪問から55年。開拓魂みなぎるポルトガルの友は、いかなる嵐にもひるまず、師と共に“希望の新航路”を勝ち開く。  

(①は18日付に掲載)
 <取材に協力してくださった方々>エツコ・モトキさん、アントニオ・サライバさん

◆信仰体験 ?夢へと続く道 知的障がいと歩む? 「逃げる心」に勝った時 新たな自分に出会えた

 東龍也が、違和感を覚えるようになったのは、小学校に入ってから。
 教員が黒板に書く漢字が「暗号みたいに見える」。クラスメートは教科書をすらすら読めるのに、龍也はつっかえつっかえ。
 小学3年から、特別支援学級で授業を受けることになった。
 教員から検査を勧められ、両親と児童相談所へ。診断は「軽度の知的障がい」。障がい者手帳を受け取った。
 泣きながら、龍也を抱き締めた母。父が「大丈夫だよ」と手を握ってくれた。
 この時、龍也の胸には二つの思いが巡っていた。
 字が読めない原因が分かってホッとした気持ちと、“やっぱり、僕は人と違うんだ”という失望感。健常者との間に“見えない壁”を感じた。
  
 龍也は、笑うことが少なくなった。 ??
 学校で他の児童からバカにされるたび悔し涙を流し、自分の頭を何度もたたいた。
 できない自分を責め、母の前で「死にたい」と口にした。   
 母はどこまでも龍也の可能性を信じた。  
「桜梅桃李(おうばいとうり)。龍也にしかできない使命があるんだよ」
 そう言いながら、池田先生の本を読み聞かせてくれた。
 「使命なんて、僕には分からない!」
 感情をぶつけてしまうこともあったが、母の言葉が支えだった。   
 “もう、仲間はずれにはされたくない……”  偏見の目を恐れ、中学・高校は普通学級を選んだ。障がいがあることは、胸の奥にしまった。
 授業中、級友から「そんな簡単な字も読めないの?」と言われても、「俺、バカだから」と笑ってごまかせば、楽しい学校生活が送れた。
 龍也は、それで満足だった。

 高校卒業から5年後、23歳のある日、男子部の先輩が訪ねて来た。
 「龍也、牙城会大学校(当時)に入らないか?」
 「やらせてください!」と即答した。
 ――実は、大きな悩みがあった。
 “字が読めないから”と、就職活動はせず、父の働く建設会社の世話になった。だが、どんな仕事にも楽しさと厳しさがある。 
 防水工の見習として現場に入るも、「しっかりやれ!」「早くしろ!」との先輩の怒号に、打ちひしがれた。
 転職する勇気はない。焦りを感じるようになっていった。
 “このままじゃ、僕は生きがいを感じず、ずっと苦しいままだ”――
 大学校に入ってすぐ、龍也は自身の障がいのことを話した。
 男子部の先輩は、龍也の言葉を真正面から受け止めてくれた。
 「俺が全力で支えるから、一緒に頑張ろうな」と。
 それからというもの、会合で龍也が活動報告する時や御書を読む時、先輩は「できるか?」と優しく聞いてくれた。
 龍也が後ろ向きになった時は、「ここで逃げたら、前の龍也に戻るだけだぞ!」と涙ながらに叱ってくれた。真剣なまなざしに愛を感じた。
 地区座談会で御書講義を担(にな)うようにもなった。
 何度も練習し、緊張で声を震わせながらも懸命に語る。
 龍也を幼い頃から知る地区の人たちが「たっちゃん、よかったよ! 勉強になりました」と喝采を送ってくれた。
 学会の人たちと触れ合う中で、龍也は気付いた。
 「僕の進む道をふさいでいた“本当の障がい”は、あらゆることから逃げてきた『臆病な心』だったんだ」
  
 以来、龍也にとって学会活動は、自分の心を鍛える「道場」となった。
 ありのままの言葉で、いとこに語ると、弘教が実った。男子部部長、大学校の勝利長として、後輩の育成にも力を注いだ。
 悩みを聞き、誰かを励ますたび、支えてくれた先輩たちの顔が浮かんだ。
 「逃げない姿勢」は職場でも発揮された。
 職人としての腕を磨く中で上司から信頼され、一人で現場を任されるように。依頼主からの指名も増え、研修生の育成担当も務めるようになった。
 “父と会社を立ち上げたい”との夢を抱き、8年間勤めた会社を退職。昨秋、個人事業主として独立を果たした。
 その直後、コロナ危機に直面したが、題目を唱えながら一つ一つの仕事に感謝し、誠意をもって取り組んだ。受注は途切れずに続いている。
 龍也は今、大好きな池田先生の言葉を胸に刻む。
 「妙法を持った人材が使命の舞台で輝くことが広宣流布の実像だ。現実は厳しい。逆境も苦闘もある。だからこそ、信心の生命力と智慧が光る。唱題根本の人は必ず勝利する」
 龍也の挑戦は、まだ始まったばかり。夢への道は、平たんではないだろう。
 だが、龍也の胸は希望にあふれている。
 “学会活動から逃げなければ、どんな困難も成長のバネに変えていける”――そう強く信じているから。
 あずま・たつや 1993年(平成5年)生まれ、同年入会。横浜市泉区在住。
 小学4年の時、軽度の知的障がいと診断される。同級生からの心ない悪口に苦しむも、両親や同志の励ましを胸に高校を卒業。
 建設会社に就職し、8年間、防水工として腕を磨いた。昨年11月、個人事業主として独立を果たす。
 今年から総本部牙城会の一員になり、学会活動にも励む。男子部部長。
  
 ご意見、ご感想をお寄せください
 turning@seikyo-np.jp

2020年6月25日 (木)

2020年6月25日(木)の聖教

2020年6月25日(木)の聖教

◆わが友に贈る

 相手の思いを受け止め
 心を通わせよう!
 違いを認め 尊重する
 創価家族の姿こそ
 世界の共生の模範だ!


◆名字の言 団地の自治会長を務めた82歳壮年の心意気   2020年6月25日

 東京の板橋区と北区の境にある浮間公園の自然は、梅雨の季節も美しい。野鳥が憩う池の周辺ではアジサイなどが彩りを競う。隣接する都営団地で、一昨年まで自治会長を務めた82歳の壮年は、自治会のモットーに「和」を掲げ、尽力してきた▼一家で団地に入居したのは11年前。住民との心をつないだのは、ダウン症の長女だった。長女と一緒にいると、「こんにちは」と皆が声を掛けてくれるのだ。温かく迎え入れてくれた人たちのためにと、壮年は自治会で活動するように▼今年はコロナ禍で自治会行事は一切中止。現在、長女を自宅で介護する壮年は、「娘とゆっくり過ごす良い時間になりました」と。かつては信心に反対したが、長女の誕生を機に入会した▼「娘のおかげで私も妻も信心に目覚め、地域活動に頑張ることもできました。生まれてきてくれたことに感謝でいっぱいです」。自粛の中でも毎月2部以上の聖教の購読推進を。一昨年は同じ団地の若い壮年を入会に導いた▼池田先生は、団地を「小さな合衆国」と表現した。各人が自立しつつ、困難があれば共に分かち合い、支え合う。他者のために行動することで、地域も自分も豊かになる。美しい調和社会の建設に奮闘する団地部の姿は、コロナ禍の今、ますます輝いていく。(進)


◆寸鉄

「大闇をば日輪やぶる」
御書。題目で胸中に希望
の太陽を!逆境の闇破れ
     ◇
団地部の日。皆が友情と
信頼の輪広げる全権大使
励ましの声掛けを今こそ
     ◇
「人材養成の基本は自分
を養成するにある」恩師。
まず自分!これ幹部の心
     ◇
緊急事態宣言の全面解除
から1カ月。第2波警戒。
油断なく予防策の継続を
     ◇
コロナの偽情報を信じて
拡散した人35%。情報源
を必ず確認。賢明に看破


◆きょうの発心 高橋殿御返事 神奈川・泉区総合長 島倉誠2020年6月25日

御文
 其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、仏種は縁に従って起る是の故に一乗を説くなるべし(高橋殿御返事、1467ページ・編1427ページ)

通解 その国の仏法流布は、あなたにお任せする。仏種は縁によって起こる。その故に一乗(法華経)を説くのである。

地域広布に走り新たな歴史開く
 地域広布の使命と責任を教えられた一節です。
 学会活動に励みながら、夜遅くまで洋裁の内職をしていた母の背中を見て育ちました。1974年(昭和49年)、現在の泉区に移り住んだ直後、母が病に倒れ、1カ月後に急逝。見知らぬ地で真っ先に駆け付け、励ましてくれたのが、地元の同志でした。
 創価家族の温かさに触れ、「母の信心を継承しよう」と決意。創価班第1期生として薫陶を受けました。その間、2度も池田先生から激励していただき、「師匠の期待に応えたい」と折伏に挑戦。2人の友人に弘教を実らせ、原点を築くことができました。
 その後も、師弟の道をまい進。9年前には妻を乳がんで亡くしましたが、3人の子どもたちは、かつての私のように、母の信心を継ぎ、青年部のリーダーとして使命の道を歩んでいます。
 私は現在、地元に貢献しようと、数々の地域の役職を受け、汗を流しています。泉区の新たな歴史を開くため、さらなる前進をしてまいります。


【聖教ニュース】

◆未来部ドリームチャレンジ期間 7月1日から8月31日まで 2020年6月25日

 “負けじ魂”を燃やして、夢への一歩を踏み出そう!――7月1日から「未来部ドリームチャレンジ期間」が始まる(8月31日まで)。

 期間中、未来部員が「勉強第一」「健康第一」で、自らの夢に向かって挑戦を続けられるよう、創価家族でエールを送る。

期間中に英語スピーチコンテスト「イングリッシュチャレンジ」
 また、本年は「未来部E―1グランプリ」に代わり、英語スピーチコンテスト「未来部イングリッシュチャレンジ」を行う。
 対象は、少年少女部、中等部、高等部の全世代となる。テーマを「Toward the Dream!――未来へ希望の虹をかけよう!」と掲げて取り組む。
 併せて、6月1日から募集が開始されている「読書感想文コンクール」(中・高等部)、「きぼう作文コンクール」(少年少女部)、「少年少女希望絵画展」(同)についても、8月31日まで作品を募る。
 今後、各種コンクールを応援する紙面を本紙で随時掲載するほか、未来部機関紙「未来ジャーナル」「少年少女きぼう新聞」の7月号・8月号でも特集を予定している。
 これらは、“自分発”“家庭発”の取り組みとし、未来部担当者をはじめとした創価家族が温かく見守り、励ましていきたい。
 未来部イングリッシュチャレンジの少年少女部、中等部、高等部それぞれの「課題文」は、“池田先生の未来部書籍”からの引用である。先生は宝の子どもたちに対し、それぞれ次のように呼び掛けている。
 「これまでがどうあれ、くよくよせず、『よし、今から、がんばろう!』と決意して挑戦すれば、いいんです。すべては『今から』『これから』『きょうから』はじまるのです」(少年少女部の課題文)
 「こんな時だからこそ、若い皆さんには明るい夢を広げて、世界を変えていってほしい」(中等部の課題文)
 「未来を見つめれば、視界が広がる。希望の未来を見つめれば、今やるべきことも見えてくるのです」(高等部の課題文)
 コロナ禍によって大きな生活の変化を余儀なくされる夏となるが、未来部員一人一人が前を向いていけるよう、励ましの風を送っていきたい。

◆第3代会長就任60周年記念「師弟凱歌の記憶」第10回  「『総務』として奮闘」

恩師の肉声を残そうと、池田先生が主導して制作したレコードの一つ。戸田先生と識者の対談が収録されている

恩師の肉声を残そうと、池田先生が主導して制作したレコードの一つ。戸田先生と識者の対談が収録されている

 第2代会長・戸田城聖先生の逝去から3カ月になろうとする1958年(昭和33年)6月30日。池田先生は、新設された役職で、学会の運営を統括する「総務」に就任した。以来、学会の実質的な指揮を執ることになる。  

 先生は当時、戸田先生の精神を正しく継承することに全力を注いでいた。この頃の日記には「生死不二なれば、先生、今ここにあり」「私は戦います。先生、見ていてください」との誓いの言葉が連なる。  
 59年(同34年)の元日には、池田先生の提案で戸田先生の講義の録音テープを聴いた。「歳月
は、精神を風化させる。学会にあっては、それは、広宣流布の破綻(はたん)を意味する。彼は、戸田の叫びが、薄らいでいくことを憂
えたのだ」(小説『新・人間革命』第23巻「敢闘」の章)  
 池田先生は恩師の講義や質問会での指導などを収録したレコードの制作を推進。1枚目は「可延定業書」の御書講義で、同年の7月に完成した。ジャケットを飾る「創価学会々長 戸田城聖先生の教え」との力強い金文字は、池田先生の筆によるものである。

   総務としての先生の激励行は、全国に及んだ。御書講義で、質問会で、一人一人を奮起させていった。恩師亡き後、“学会は空中分解する”と世間がうわさする中で、同志の不安を晴らし、新たな前進への勇気を送った。  
 59年(同34年)1月には、炭労事件の舞台であった北海道・夕張へ赴いている。出迎えた同志に「戸田先生のお約束を果たすために、ここ夕張へ、まいりました!」と語った。
  前年の3月、夕張から静岡に駆け付けた女子部に戸田先生は言った。「学会員をいじめる権力は、許さない! 戸田が、夕張に行ってあげる。夕張は青年が立ちなさい。青年が立て! 青年が立て!」。その脇で恩師に寄り添っていた池田先生が、亡き師に代わって“約束”を果たしたのである。
  池田先生は後に戸田先生への感謝をつづった。「現在の私は、あの約十年にわたる師匠・戸田先生の訓練なくして存在しない」「私は、師匠に育てていただいたこの生命を、師の悲願であった『広宣流布』――民衆の幸福勝利のために捧げるのだ!」  
 不二の弟子の戦いによって、師の構想は現実となる。若き日から広布の一切の責任を担った先生の闘争が、それを証明している。


◆きょう「団地部の日」――奮闘する同志の活躍 2020年6月25日
友情輝く「人間共和の都」を!

 きょう25日は「団地部の日」。42年前の1978年6月25日に開かれた部結成5周年記念の第1回大会が淵源である。ここでは、“愛する団地を人間共和の都に”との誓いを胸に奮闘する同志の活躍を紹介する。

住民に寄り添う町内会長 北海道・苫小牧市 若草町市営住宅 橋本春季さん

 北海道苫小牧市の中心部にある若草町に、6年前に新築された1棟120戸からなる若草町市営住宅がある。橋本春季さん(副本部長)は、完成した当初からここに住んでいる。
 入居の際、市から「行政の補助が出る町内会をつくってはどうか」との提案を受け、入居者の代表9人で役員会を発足。話し合いの末、橋本さんが初代の町内会長に就任した。以来、周囲への声掛けを欠かさずに行い、居住者のために日々奮闘する。
 同団地の約3割に当たる40人が65歳以上の高齢者で、1人暮らしの世帯も少なくない。ある時、橋本さんのもとに「お腹が痛くて動けない」と、1人暮らしの高齢者から連絡が入った。駆け付けると、救急車を呼ぶなど迅速な対応を行い、大事に至らずに済んだ。
 また、団地内で、ぼやが起きた時には「高齢者でもすぐに消火活動ができるようにしたい」と、市に相談。全世帯にスプレー式の消火器を設置することができた。
 さらに市と連携し、地震などの災害対策として全世帯に防災グッズを配布。同町内会の女性部長を務める妻・久美子さん(地区副婦人部長)と共に、一人一人に寄り添うように、住民のための行動に徹している。
橋本さんの尽力で、防災グッズやスプレー式消火器が全世帯に配られた
 現在、コロナ禍のため町内会活動は制限されているが、市や住民との電話などでの連携は欠かさない。
 “地域貢献活動には率先垂範で”との、池田先生の団地部への指針を胸に行動する橋本さんは、意気軒高に語る。
 「この40年、毎日1万遍の唱題を目標に挑戦しています。好きな言葉は“持続は力なり”。これからも、どんな状況にも負けず、皆さんのために尽くし抜いていきます!」

手作りマスクが信頼広げる 愛知・安城市 市営門原住宅 近藤明子さん

 「品薄になると予想し、マスクを手作りしようと思ったんです」
 こう語るのは、愛知県安城市の桜井町にある市営門原住宅に住む近藤明子さん(婦人部副本部長)。
 1月下旬、新型コロナウイルスの感染拡大の影響が話題になり始めた頃、直感的にマスク不足を予想した。持ち前の行動力を生かし、素材となる布などを購入。スマートフォンで手作りマスクの動画を見ながら製作した。試行錯誤の末に完成したマスクは住民に配布。「本当に助かります」と笑顔で感謝された。
 また、町内会の福祉委員を務める近藤さんは、マスク不足が深刻化する中で“多くの人にこのマスクを届けたい”と、地域の福祉センターにこれまで100枚程度を寄付。さらに子ども用のマスクを製作し、児童施設にも贈呈した。これらの取り組みは反響を呼び、市の広報紙にも取り上げられた。
 市営門原住宅が完成した約30年前から住む近藤さんは、長年、地域に根差した貢献を続ける。老人会でも相談役として重責を担う。
 コロナ禍で直接の交流は減ってしまったが、今も電話を通じて、住民からさまざまな相談が寄せられるという。丁寧に話を聞き、“住民のため”“地域のため”にと行動する姿に多くの共感が集まる。
 まさに池田先生が団地部に示した「近隣を大切に、広く、大きな心で、皆と仲良く」との指針通りの模範の振る舞いだ。
 「マスクを寄付した時に『何があろうが、太陽は毎日昇る』という池田先生の言葉を添えて、私のメッセージと共に贈りました。先生の指針を胸に、今後も“人のために”との思いで励ましの行動を続け、地域に信頼の輪を広げます」と、近藤さんは笑顔で語った。

「互近所」の精神で防災を推進 東京・昭島市 つつじが丘ハイツ北住宅団地 宮田次朗さん

 災害時は、「ご近所」の絆が重要だといわれる。東京・昭島市の宮田次朗さん(副区長)は語る。「大切なのは『互いに近くで助け合う』との『互近助』の精神です」
 宮田さんが暮らす「昭島つつじが丘ハイツ北住宅団地」は、約1400世帯が在住する都内屈指の大規模団地だ。宮田さんは現在、同団地管理組合の理事長を務める傍ら、市の自治会連合会の相談役や地域の防災協議会の会長などを兼務している。
 防災システム研究所所長の山村武彦氏が提唱する「互近助」の精神で、長年にわたり地域の防災意識の向上に努めてきた。
 同団地の全世帯に災害時用のステッカーやネームプレートを配ったり、地域の中学校の全生徒と7年連続で合同防災訓練などを実施したりしてきた。また、被災地へ何度も足を運び、地域防災を肌身で学んだ。
団地の全世帯に配布されている災害時用のステッカーとネームプレート
 宮田さんが地域の防災に携わり28年。当初、防災と聞いても理解を示す人は少なかったが、慣れないパソコンで資料を作り、一人一人に防災の重要性を訴えていった。
 地域のために走り続けてきた宮田さんを支えたもの――それは、「地域貢献の大切さを教えてくださった池田先生にお応えしたいとの一心です」
 2000年5月、昭島に足を運んでいた池田先生から激励を受けた。その先生の真心に、苦労も悲哀も全て誓いに変わった。“わが地域を多摩で一番安全にする。その先頭に立とう”
 同団地の防災活動に対し、17年に「防災まちづくり大賞」の総務大臣賞などが贈られた。本年には防災関係の雑誌に宮田さんの活動が取り上げられた。
 宮田さんはこれからも、“ごきんじょ”の防災の先頭を行く。

「団地部の日」に寄せて 識者の声を紹介 福岡・九州産業大学地域共創学部 小池高史准教授

 高齢社会の日本において、私たちが幸せを感じる暮らしを実現するためには、人間関係や心身の健康、介護の在り方など、さまざまな側面からのアプローチが欠かせません。
 私は、大学で教壇に立つ一方、高齢期の人々のQOL(生活の質)の向上や“幸福な老い”とは何かを追究する「社会老年学」を研究しています。
 大学院時代から団地に住む1人暮らしのお年寄りの生活問題をはじめ、高齢者を支援する団体などについて調査を行ってきました。
 日本で団地の建設が本格化したのは、第2次世界大戦後のことです。戦後の復興需要や高度経済成長期を支えるため、1955年に日本住宅公団(現・都市再生機構)が設立され、以来、都市部を中心に団地建設が行われました。
 当時の居住者は、結婚間もない若い夫婦や子育て世代など20代、30代の若者が多く、「団地族」という流行語が誕生したほど注目を集めました。
 しかし、半世紀以上がたった現在、入居者も同じように年齢を重ね、高齢化が進む日本社会においても特に高齢者の割合が高い場所となっています。老老介護や孤独死などの社会課題が団地で目立つ点も、そこに起因します。
 また近年では、外国人の居住者が増え、生活文化の違いから起きる住民間のトラブルなども取りざたされています。
 しかし、国籍や経済的な理由などから、民間の住宅に住むことがかなわなかった人々にとっての公的なセーフティーネットとしての側面があることも事実です。
同じ信念持つ絆が課題に挑む力に
 こうした団地を取り巻く環境を調査する中、私が今、特に危惧していることがあります。それは、高齢化による自治会運営の継続が困難になっているという点です。“幸福な老い”を追求していく上で、団地内でのコミュニティーは欠かすことができません。
 私自身、調査でお話を伺う自治会の方は80代、90代の方がほとんどという現状にあって、そのネットワークを継続する担い手として、比較的若い60代、70代への世代交代が求められていると考えています。
 その点において、創価学会団地部の方が、自治会活動などに率先しておられることは非常に重要なことであると思います。
 昨年、九州団地部の方から、小説『新・人間革命』「灯台」の章を紹介してもらい、読ませていただきました。小説には、私も知識として知っていたエピソードがつづられており、その背景に“地域のために”と献身する団地部員の姿があったことを知りました。
 池田大作名誉会長が贈った「団地部への指針」も教えてもらい、同じ信念を持つ団地部の人々のネットワークの強さを実感しています。私自身、一人の研究者として皆さんが行ってきた地域貢献を学んでいきたいと思っています。
 現在、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、団地が抱える課題はより一層、深刻なものになっています。今は団地に足を運んでの調査を自粛しているため断定はできませんが、集会所などの閉鎖によって、取り残されている高齢者は必ずいるでしょう。
 そうした人々を支えるコミュニティーの構築・継続を含め、世代を超えて同じ信念でつながる創価学会団地部の方々であればこそ、直面するさまざまな課題に立ち向かっていく力があるのではないかと、期待しています。

 【プロフィル】こいけ・たかし 1983年生まれ。社会学研究者。人間総合科学大学保健医療学部非常勤講師、九州産業大学国際文化学部日本文化学科講師などを経て、現在、九州産業大学地域共創学部地域づくり学科准教授を務める。専門は老年社会学、社会老年学など。2015年、日本老年社会科学会奨励賞・論文賞・優秀演題賞を受賞。


【特集記事・信仰体験など】

◆〈池田先生の会長就任60周年 青年部が原田会長に聞く Ⅱ部〉第10回 未来を照らす人間教育の光④2020年6月25日

〈出席者〉西方男子部長、大串女子部長、樺澤学生部長、林女子学生部長

創立者との師弟の絆強き関西校 宝の学園生と生命の触れ合い
 ◆大串 1973年(昭和48年)には、大阪・交野市に創価女子学園(現在の関西創価中学・高校)が開校します。小説『新・人間革命』第17巻「希望」の章には、この時のことが詳しくつづられています。
  
 ◇原田 池田先生が初めて交野を訪れたのは、57年4月16日です。この日、先生は友の激励のため、大阪中を駆け巡っていました。
 後に「関西の共戦の友は、三世永遠の家族である。そのお子さんやお孫さんが胸を張って学びゆく理想の学園を、この佳き地につくりたいと、私は遠大な夢を、人知れず広げていたのである」と述懐されています。
 この2カ月半後、学会という民衆勢力の台頭を妬む権力により、池田先生が不当逮捕される「大阪事件」が勃発します。先生は迫り来る権力の魔性との激闘の中、教育運動の未来を展望されていたのです。
 先生は、「21世紀は女性の世紀である」との視点から、東京に男子校として創価学園の開校が決まった頃から、次は、創価女子学園を関西の地につくることを心に決めておられました。
 69年5月には女子学園の候補地となっていた交野の用地を視察されています。周囲に自然が残り、野鳥の鳴き声が響く、素晴らしい場所でした。
 先生は、女子学園の構想として、緑と水が豊かで風光明媚な所、という考えをお持ちでした。その構想に、交野はぴったりだったのです。未来の学園生のため、自ら足を運び、自らの目と耳で確かめて、建設の地を決めていかれたのです。
  
 ◆林 73年4月11日に行われた入学式には先生が出席され、原点となる指針を示してくださいました。
  
 ◇原田 あいさつの冒頭、「今朝、妻に『うちは男の子しかいないから、全員、娘にしたいな』って言ったら、妻も『そうしたいですね』って言うんですよ」と語られ、会場からは歓声が上がりました。先生と学園生の心の距離の近さを実感いたしました。
 参加者の中には、このような光景に「心の交流というよりも、生命の触れ合いを見た感じです」と目頭を押さえながら語る人もいました。
 さらに、この時、先生は「他人の不幸のうえに自分の幸福を築くことはしない」という信条を培うよう訴えられました。そして、「この心をもち、実践していったならば、まれにみる麗しい平和な学園が実現するでありましょう」と語られています。この言葉は、学園全体にとって永遠の指針となりました。
  
 ◆大串 開校から30年を経た2003年には、この指針を刻んだ「平和教育原点の碑」が設置されました。
  
 ◇原田 その通りです。第1回入学式の後には「卓球場開き」が行われました。先生は、式服から運動着に着替え、一緒に汗を流されました。生徒たちの「先生がんばって!」「ドンマイ、ドンマイ!」との掛け声にも全力で応えておられました。
 「テニスコート開き」でも先生はラケットを握られ、ダブルスでは、私も先生のパートナーを務めさせていただきました。まさに体当たりで学園生と接する先生の姿、そして先生を求め抜く学園生の姿に深く感動したことを覚えています。終了後も先生はグラウンドの片隅に腰をおろし、生徒たちの状況に耳を傾けながら懇談されました。
 同年5月にトインビー博士との対談などのためにヨーロッパに行かれた際も、女子学園のことを気に掛けていた先生は、訪れたパリでフランス人形を買い求め、帰国後、「園子」と名付けて、女子学園に贈られました。園子の名は女子学園生の愛称にもなりました。

関西創価学園の「金星寮」を訪問後、学園生との懇親会でピアノ演奏をされる池田先生。師弟の曲“大楠公”をはじめ、皆の健康と成長へ祈りを込めて(1995年10月10日)

関西創価学園の「金星寮」を訪問後、学園生との懇親会でピアノ演奏をされる池田先生。師弟の曲“大楠公”をはじめ、皆の健康と成長へ祈りを込めて(1995年10月10日)

海外訪問の予定を変更して来校
 ◆西方 その後も先生は激務の中、関西学園を何度も訪れ、生徒たちを直接、激励してくださいました。その一回、一回が学園生にとって宝の歴史です。
  
 ◇原田 1975年4月のことです。この年、女子学園では中学1年から高校3年までがそろい、関西創価小学校の起工式も行われる予定でした。先生は、第3次訪中の直前でしたが、「何としても関西の学園生を励ましてあげたい」と日程を調整し、出発を当初の予定の羽田から大阪に変更されたのです。
 4月12、13日と学園を訪問し、翌14日には訪中に出発されるという過密な日程でした。半年ぶりの学園訪問です。先生は、「大きくなったね」と一人一人を激励されていました。
 9日に入学式は終わっていましたが、式が行われた体育館にも立ち寄られました。そこには、入学式当日の飾り付けが残されていて、大きな幕には3羽の白鳥と共に「良識・健康・希望」とのモットー等が描かれていました。ご覧になった先生は、すぐにこの幕を制作したメンバーを招き、激励してくださったのです。先生は常に“陰の人の苦労”に光を当て、たたえられます。この時も、どこまでも一人を大切にする人間教育の真髄を見る思いでした。
  
 ◆西方 82年、東西の学園は男女共学になります。
 2000年2月28日、先生は卒業予定の関西創価高校・中学・小学生と記念撮影、懇談もしてくださいました。私も当時、中学3年生でその場にいました。
 ある女子生徒の「池田先生の夢は何ですか?」との質問に、先生は「夢を考える暇がないぐらい忙しいんだよ。世界中のことを考えているから」とユーモアを交えながらも、「私の夢は、戸田先生の夢を実現することです。戸田先生は、私の絶対の師匠です」と断言されました。真剣なまなざしで「師弟」を語られる先生のお姿は今も鮮明に覚えています。
  
 ◇原田 前日、先生はアルゼンチンの国立ノルデステ大学から名誉博士号を受けられました。このことに触れながら、「私への栄誉については、私自身は『創価大学生、学園生が世界で活躍しているおかげである』と思っている」「皆さんが将来、名実ともに立派な博士となり、指導者になってもらいたい。それが最大の私の夢である」とも語られています。
 また、1974年12月、中国で周恩来総理との会見後、宿舎に戻られた先生が「私には創大生、学園生がいる。20世紀後半には、必ず人材が陸続と出てくるんだ」と、誇らしげに語られていたことが、私は忘れられません。
 先生の万感の期待を胸に人生を歩む創価同窓の皆さんは、どれだけ幸せでしょうか。

諸君の成長の姿を見るとき、未来へ私の胸は躍ります――先生の後継者育成の舞台・関西校(1987年4月、池田先生撮影)

私の最大の夢は――「将来、皆が立派な博士、指導者に」
 ◆樺澤 今の学生部にも、修学旅行での先生との出会いを生涯の原点としている関西創価小学校の出身者が多くいます。
  
 ◇原田 05年9月16日には、創価大学の本部棟前で、修学旅行中の関西創価小学校6年生と出会いを刻んでくださいました。先生は児童たちの方へと歩み寄られ、「よく来たね!」「会えて、うれしい」「みんな優秀だ」と温かく声を掛けられ、その場にいた6年生110人全員と握手をされました。小柄な子には、「私もね、6年生の時は、小さかったんだ。同じだよ」と声を掛けられる一幕もありました。まさに一人一人を抱きかかえるように励ましてくださったのです。
 また、07年には、先生は東京・信濃町で関西小の児童を迎えられました。
 全員に言葉を掛けたあと、マイクをとり「みんな、どうもありがとう! この中から、ノーベル賞をとる人も出ます。必ず出ます。そうなるように、先生も祈るからね」と、呼び掛けられました。子どもたちも「池田先生、6年間ありがとうございます!」「立派な人材になります!」と感謝や決意の言葉を精いっぱい、先生に伝えました。子どもたちの心には一生の思い出が刻まれたことと思います。
  
 ◆樺澤 15年度には関西創価高校、16年度には東京・創価高校が、文部科学省が国際的なリーダーの育成を支援する教育事業「スーパーグローバルハイスクール」の指定を受けました(関西校は昨年度で期間満了)。
  
 ◇原田 両校共に“創造性豊かな世界市民の育成”との理念のもと、国際性豊かな人材の輩出に取り組んできました。今、その先見性ある教育方針と、確かな成果は教育関係者はじめ、各界から注目を集めています。
  
 ◆林 昨年11月に関西校を訪問したイギリス・ケント大学名誉教授のヒュー・マイアル博士は「平和の心を世界に広げたいと学び、行動を起こす学園生の姿に、感銘を受けました」と語っていました。
  
 ◇原田 ハーバード大学名誉教授のヌール・ヤーマン博士も「創価の学舎には、対話の気風があふれていました。対話が平和建設に不可欠であることは、歴史を見ても明らかです」と鋭く述べています。相次ぐ高い評価も、すべて、創立以来、池田先生が誰よりも学園の発展を願い、学園生のために尽くし抜いてくださったからなのです。

「平和教育原点の碑」には開校時に示された指針が刻まれている


◆〈2020 学会史メモリアル〉 7月   2020年6月25日

 ◎7・3「戸田先生出獄の日、池田先生入獄の日」
 1945年(昭和20年)7月3日は、軍部政府により不敬罪、治安維持法違反の罪に問われ、投獄されていた戸田城聖先生(当時・理事長)が出獄した日。戸田先生は、獄死した初代会長・牧口常三郎先生の遺志を継ぎ、学会の再建に立ち上がった。本年は出獄から75年。
 57年(同32年)7月3日、大阪府警が、参議院大阪地方区の補欠選挙で支援の責任者であった池田大作先生(当時・青年部の室長)を、選挙違反の容疑で不当逮捕(大阪事件)。同月12日、蔵前の国技館(当時)で大阪事件に抗議する「東京大会」が行われた。
 池田先生は、17日に釈放され、同日、中之島の大阪市中央公会堂で「大阪大会」が開かれた。62年(同37年)1月25日に無罪判決が出された。※参考資料=小説『人間革命』第1巻「黎明」、第11巻「大阪」、『新・人間革命』第4巻「立正安国」、第5巻「獅子」、『池田大作全集』第22巻、『法華経の智慧』普及版〈下〉

大阪・中之島の大阪市中央公会堂

大阪・中之島の大阪市中央公会堂
 
 ◎7・3「東北の日」
 87年(昭和62年)7月3日、池田先生は東北・仙台を訪問。“仏法は勝負であり、信心は絶えざる魔との戦いである”と語り、東北広布のさらなる発展に期待した。
  
 ◎7・11「男子部結成記念日」
 51年(昭和26年)7月11日、東京・西神田の旧学会本部で、戸田先生のもと、百数十人が集い、男子部が結成された。75万世帯達成に向け、男子部は弘教に奮闘。若き池田先生は蒲田、関西などで折伏・弘教の金字塔を打ち立てた。※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」

東京・西神田の旧・創価学会本部

東京・西神田の旧・創価学会本部
   
 ◎7・15 聖教新聞「日刊化」55周年
 聖教新聞は65年(昭和40年)7月15日付から日刊化がスタートし、本年で55周年となる。※参考資料=『新・人間革命』第10巻「言論城」
  
 ◎7・16「沖縄初訪問」60周年
 日蓮大聖人の「立正安国論」提出から700年となる60年(昭和35年)7月16日、池田先生は沖縄を初訪問。本年で60周年。沖縄は当時、米国の施政権下にあった。※参考資料=『新・人間革命』第2巻「先駆」
  
 ◎7・19「女子部結成記念日」
 女子部の結成式は51年(昭和26年)7月19日、西神田の旧学会本部で行われた。戸田先生は、集った74人に、「女子部員は、一人残らず幸福に」と激励した。※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」
  
 ◎7・27「中部の日」
 76年(昭和51年)7月27日、池田先生は名古屋での中部記念幹部会に出席し、“異体同心こそ広布実現の要諦である”とスピーチ。「中部旗」を授与した。


◆〈さわやか寸景〉信仰体験 3家族でオンライン勉強会膵臓がん・サルコイドーシスと闘う父の願い

 【群馬県桐生市】瀧澤孝さん(60)=副総群馬長=が月に1度、子どもたちと小説『新・人間革命』の勉強会を始めて1年になる。?
 参加者は、瀧澤さんと妻・裕美子さん(58)=婦人部本部長、昨年結婚した長女夫婦、本年5月に結婚した次女夫婦の6人。毎月1巻ずつ読んで、感想などを語り合う。
 長女・中嶋美香さん(30)=副白ゆり長=の夫・勇允さん(34)=男子部員=は結婚を機に入会した。仏法用語に初めて触れた。瀧澤さんは感謝の思いで、用語を解説した資料を作成し、少しでも理解が進むよう入念に準備を行う。  
「でも、教えるというより、一緒に池田先生のことを学んでいくという感じです。『新・人間革命』は読み返すたび、新しい発見があり感動する箇所が違います。その時その時の境涯なんですかね」
 4年前、ステージ2bの「膵臓がん」と診断された。リンパにも複数の転移があり、切除手術と抗がん剤治療が行われた。「3年生存率15%」の壁は越えたが、医師から渡された資料には「5年生存率5%」とあった。  
「生かされた命。だから『臨終只今(りんじゅうただいま)』の思いで、時間の許す限り池田先生のことを語っておきたい」。その思いが、勉強会を始めたきっかけだと教えてくれた。

 2018年(平成30年)末、がんに続き、肉芽腫がさまざまな臓器にできる厚生労働省の指定難病「サルコイドーシス」を発症。翌年には「肺MAC症」を患い入院した。
 これでもかと襲い来る病魔。“もうダメかも……”。折れそうな心に、ふと一つの後悔が押し寄せた。  “仕事では、大手自動車部品メーカーで工場長など重責を担ってきた。広布の活動でも青年部のリーダーを務めさせていただいた。けど忙しさを理由に、子育ては全て妻任せ。父親として、子どもたちに信心を伝えていないのでは……”  そう思うと、“このまま死ぬわけにはいかない。池田先生のことを語り抜かなくては”と。不思議に生きる力が湧いてきた。唱題にも力がこもった。
 早速、病室から子どもたちへメールを送った。<退院したら家族で勉強会をやりたい>。教材は小説『新・人間革命』に決めた。
 19年7月から勉強会が始まった。
 病に負けず、池田先生を語る父の姿に、次女の永山光子さん(27)=婦人部員=は何度も胸を熱くしたという。
 「それまでの私は信心に消極的なところがあり、父ともあまり話をしませんでした。でも父は、病気になってから驚くほど変わりました。人の痛みに敏感になり、感謝をよく口にするようになって」
 光子さんは当時、化粧品メーカーに勤務。仕事を終え帰宅すると、クタクタだった。それでも、眠い目をこすりながら『新・人間革命』を開いた。女子部の白蓮グループの一員として、学会活動にも励むようになった。
 父が教えてくれた池田先生の言葉がある。「自分は何のために生きるか。使命とは、その自覚の異名である」
 光子さんは「池田先生が何をしてきたのか、どういう人かを学ぶと、先生を身近に感じられるようになって。姉とも約束したんです。父から教わった池田先生のこと、信心のことを、私たちの子どもの世代にも伝えていこうね、と。それが使命なのかなって」

 瀧澤さんは現在も、三つの病と闘っている。がんの転移・再発こそないが、新型コロナウイルスの感染拡大により、細心の注意が必要だ。
 今年4月、家族で集まることが難しくなり沈む父に、長女・美香さんがオンラインでの開催を提案した。勉強会は先月も行われ、互いに決意を固め合った。
 瀧澤さんは、感謝を祈りに込める。  
「青年部時代から、一対一の膝詰めの対話をしてきたから、オンラインで、信心の熱まで伝わるかは半信半疑。でも案外、分かってくれているようで。コロナ禍の一日であろうと、二度とない一日です。きょう一日を悔いなく、信心と師弟のすごさを伝えていきます」


◆信仰体験 根張るPHOTO 一貫に心込め

【札幌市】この5月、すすきのの飲食店は新型コロナウイルスの影響で売上高が前年同月比、9割落ち込んだ。休業要請や移動自粛が解除されても、まだ客足の戻りは鈍い。
 「鮨処桐」を営む小野寺晃彦さん(45)=地区幹事。店を開けても薄利だが「仕入れ先の魚屋も少しは助かる」と踏ん張っている。持ち帰りを増やし、定休日でも予約が入れば営業した。たった1組のお客でも、米はいつも通り1升炊いた。「量を変えると味が変わる」。妥協(だきょう)はしなかった。
 中学を出て、この道に入った頃から煮え切らないものがあった。
 正しい人生とは何なのか――。
 いろんな宗教をかじり、哲学書を求めた。6年前、創価学会にたどり着く。仕事の姿勢が変わり、若くして店長に起用された。自分の店もすすきのの一等地に構えてみせた。
 疎遠になっていた実家に向かった。がんを患った母が横になっていた。「絶対に守ってみせる」。息子の揺るぎない姿に、母も父も信心を始めた。
 両親は息子の頑張りがうれしそうだった。親が喜ぶ道が正しい人生だよ。池田先生から言われた気がした。
 コロナ禍で経営の厳しさは増しても、店の壁には「心こそ大切なれ」(御書1192ページ)という言葉が掲げてある。すしの形を整える一瞬、小野寺さんは静かに目をつぶる。お客の前に、職人の心をそっと置く。

 

2020年6月24日 (水)

2020年6月24日(水)の聖教

2020年6月24日(水)の聖教

◆わが友に贈る

 就職活動に挑む友を
 皆で励まし応援しよう!
 新たな時代を切り開く
 社会の宝となる存在だ。
 使命の航路へ追い風を!


◆名字の言 生活に根差した戸田先生の『推理式指導算術』 2020年6月24日

 梅雨の風物詩にちなんだクイズを一つ。「カタツムリがいる。昼間に木を3メートル登るが、夜間には2メートル下がってしまう。高さ9メートルの頂上に達するには、何日かかるか」▼“1日に1メートルずつ登る”と決めてかかると、正解にならない。答えは「7日」。7日目の昼に3メートル登れば頂上に着く。戸田先生の『推理式指導算術』に出てくる問いだ。発刊は1930年6月25日で、当時のベストセラーに。カタツムリ算の他にも「旅人算」「年齢算」など内容は多彩である▼哲学者の鶴見俊輔氏も少年時代に同書で学び、難関の中学受験を突破したという。「受験勉強の書であるにもかかわらず、人生経験から勉強に入るように仕組まれていた」と(『鶴見俊輔著作集』筑摩書房)▼どうすれば子どもたちが幸せな人生を送れるか。創価教育を提唱した牧口、戸田両先生の主眼はそこにあった。受験勉強すらも「人生」や「正しさ」について自ら考える機会にと促したのである▼「たゆまざる 歩みおそろし かたつむり」(北村西望)。かつて池田先生はこの句を創価学園生に紹介し、「努力の歩みを決して止めてはならない」と訴えた。環境が大きく変化する中で、一歩を重ねる受験生へのエールにも通じよう。学び続ける人は必ず、青春勝利という頂にたどり着ける。(之)


◆寸鉄

「現世安穏・後生善処」
の妙法。不退の信心を今。
乗り越えられぬ試練なし
     ◇
東京・世田谷女性の日。
婦女の仲良き模範の前進
希望の対話拡大に先駆!
     ◇
体内時計の乱れは心身の
健康悪化に。生活リズム
正しく。朝の祈り根本に
     ◇
小学1年生の交通事故が
多い時期。運転は歩行者
優先で。思いやり持って
     ◇
コロナ関連詐欺が横行。
個人情報は教えず。銀行
カードも渡さず。要警戒


◆社説   あすは「団地部の日」  “幸福責任者”の誇りで進む友

 あす25日は「団地部の日」。1978年(昭和53年)のこの日、第1回「団地部全国大会」が東西で開催され、池田先生が立川文化会館での東日本の大会に出席。「団地それ自体が連帯の象徴であり、そこで信心していることは、家族以上の強い絆で結ばれた社会であると確信していただきたい」と語った。
 三世の生命を説く仏法の眼で捉えれば、同じ団地に住んだことは、決して偶然ではない。家族以上の深い縁をもった間柄なのだ――その思いで、わが団地の発展に尽くし、信頼と友好の絆を広げてきたのが、団地部の友である。
 感染症拡大という未曽有の試練の中でも、友は、粘り強く人々の心を結んできた。
 大阪市住之江区の南港ポートタウン。有名なユニバーサル・スタジオ・ジャパンや海遊館など多くの観光スポットに囲まれ、観光業に従事する方も多い。
 コロナ禍で仕事が激減するなど厳しい状況の中、南港花支部の婦人部では週1回、30分間の“同盟唱題”を実践し、団地全員の安穏と幸福を祈る。唱題後は、ビデオ通話で近況を語り合ってきた
 支部婦人部長と4人の地区婦人部長から始まった“励ましの集い”は現在、音声通話に切り替わり、25人が参加するまでに。
 オンラインの集いには、家族への配慮が必要だ。通信料等の負担が増えないよう、集いを20分にするなどルールも決めた。
 ヤング白ゆり世代のグループ長は、未入会の夫に丁寧に話をし、理解を得て参加。
 また、特筆すべきは、70歳以上の錦宝会(多宝会)のメンバーが、常時6人参加していること。「コロナに負けたらあかん」と家族の手を借りたり、同志にスマホの操作を教わったりと、試行錯誤して挑戦した結果だ。
 その一人、78歳の白ゆり長は「地域の皆さんのお役に立ちたい」と奮起。ホテルの調理場の仕事が休業になった時間、洋裁の腕を生かしてマスクを作り、近所に配って喜ばれた。
 他の地域でも、本紙の切り抜きと共に励ましの手紙を送る友、感染防止や給付金等の情報をまとめ、地域に届ける友、老人会の友人と約300枚のマスクを手作りして配布した友、事前に連絡してベランダ越しに笑顔を交わし合う友など、真心と知恵にあふれている。
 産業社会学等を専門とする流通科学大学専任講師の新雅史氏は、「第三文明」5月号で、創価学会の団地部が「住民と住民、住民と公共(自治体など)をつなぐ『懸け橋』となっている」と語る。
 “人と人とのつながり”を最も大切にする団地部の実践は、コロナ後の社会を考える上でも、先駆の光を放つ。
 「皆が地域の幸福責任者たれ!」との誇りで進む友の奮闘に心から敬意を表したい。


◆きょうの発心 祈祷抄 京都・宇治大城県長 永澤伸一2020年6月24日
御文 大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず(祈?抄、1351ページ・編519ページ)
通解 大地をさして外れることがあっても、大空をつなぐ者があっても、潮の満ち干がなくなっても、日が西から出ることがあっても、法華経の行者の祈りのかなわないことは絶対にない。

何があっても“生涯求道”貫く
 法華経の行者の祈りは必ずかなうと仰せです。
 1971年(昭和46年)2月6日、中学2年の時に京都未来会の結成式に参加。池田先生の指導に、「何があっても“生涯求道”の精神で実証を」と誓いました。
 その時、私の決意を聞いた中等部の担当者の方が、この一節を拝して励ましてくれました。
 以来、広布の道を唱題根本にまい進する中、生後半年の長男に大病が見つかったり、両親が病を患ったりするなど多くの苦難に直面。それでも、“生涯求道”との原点を胸に、家族一丸となって祈り抜き、勝ち越えてきました。昨年には、長年の経済苦も好転しました。
 「威風堂々の歌」が京都の地で誕生してから65周年となる本年。一人ももれなく勝利できるよう、同志の皆さまと、異体同心の団結で大前進をしていきます。


【先生のメッセージ】

◆〈心に御書を〉54 創価の若師子が対話に勇進2020年6月24日

〈御文〉
 経に云く「若し法を聞くこと有らん者は一として成仏せざること無し」云云、文の心は此の経をつ人は百人は百人ながら・千人は千人ながら・一人もかけ
ず仏に成ると申す文なり(上野尼御前御返事、1580ページ)
〈通解〉
 法華経方便品に「もし法を聞いた者は、一人として成仏しない者はいない」と説かれている。経文の心は、この経を持つ人は、百人は百人すべて、千人は千人すべて、一人も欠けずに仏に成るという文である。

〈池田先生が贈る指針〉
 妙法の世界は大きい。どんな差異も超えて、平等に「一人も欠けず仏になる」法理である。
 創価の若師子たる男子部が、同世代を包み、地涌の対話を広げている。誠実と確信の声は、不安や悲嘆を払い、友を蘇生させずにはおかない。
 分断の世相にも勇気の師子吼を響かせ、希望と信頼の連帯を築いてくれ給
え!

◆連載〈世界広布の大道〉小説「新・人間革命」に学ぶ 第20巻 解説編 池田主任副会長の紙上講座

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第20巻の「解説編」。池田博正主任副会長の紙上講座とともに、同巻につづられた珠玉の名言を紹介する。

ポイント
①中ソ和平への覚悟
②「懸け橋」の対話
③信念が花を開かせる

 池田先生の初の訪中・訪ソ、そして、第2次訪中は、1974年(昭和49年)のわずか半年の間に行われました。その激闘が第20巻で描かれます。

 同巻のテーマの一つが、宗教否定のマルクス・レーニン主義を基調とする中国、ソ連と、日蓮仏法を基調とする創価学会の対話が、なぜ実現できたかということです。
 当時の世界情勢は、複雑な様相を呈していました。第2次世界大戦後の米ソの冷戦構造が続く中で、社会主義国同士である中ソも、路線の違いから対立していたのです。
 その中で、68年(同43年)、山本伸一はいち早く、「日中国交正常化提言」を発表します。日中の友好が「アジアのなかにある東西の対立を緩和することになる」(11ページ)、「それは、やがては東西対立そのものを解消するにいたる」(12ページ)との強い思いからでした。
 彼は、提言を発表したことで非難を浴び、宗教者がなぜ“赤いネクタイ”をするのか、との批判もありました。
 しかし、伸一は覚悟していました。「命を捨てる覚悟なくしては、平和のための、本当の戦いなど起こせない」(同ページ)――日中友好への行動は、まさに命懸けの“戦い”であったのです。
 中ソの指導者は、そうした伸一の“本気”の平和行動と、創価学会の存在に着目していました。中ソへの訪問が具体化したのは、どちらも73年(同48年)12月です。そして、翌年、伸一の訪中・訪ソが実現します。
 「分断され、敵対し合う世界を、融合へ、平和へと向かわせる、第一歩にしよう」(156ページ)――伸一の訪問の目的は、社会主義の国で布教することでも、政治交渉のためでもありません。仏法者として、国益やイデオロギーで分断する世界を、連帯へと導くことが第一義でした。
 「社会の制度やイデオロギーは異なっていようが、そこにいるのは同じ人間である」(64ページ)、「人間に会いに私は行くのです」(167ページ)、「人間の心と心に橋を架け、結ぶために行く」(168ページ)との伸一の信念が、中ソ和平の対話へと突き動かしたのです。

水面の向こう側に、中国の伝統的な建造物と柳の木が調和した光景が広がる――北京の釣魚台国賓館で池田先生が撮影した(1992年10月)

壁の向こう側
 74年(同49年)5月、初訪中に出発する際、伸一は「対立する中ソの懸け橋となるのだ!」(166ページ)と自身に言い聞かせました。その決意は、実際に中ソの人々と触れ合う中で、強固なものになっていきます。
 北京の中学校を訪れた折、彼は、ソ連からの攻撃に備え、生徒たちが地下教室を造る光景を目の当たりにします。第2次世界大戦下の日本で、あちこちで防空壕が掘られたことと重ね合わせ、こうした現実を変えねばならないと深く心に誓います。   
 9月の初訪ソの時には、レニングラード(現・サンクトペテルブルク)の墓地を訪れ、戦争への怒りを強い口調で語ります。   
 伸一が寄り添ったのは、民衆の苦しみでした。民衆と同苦しながら、周恩来総理をはじめとする中ソの指導者や、教育者、文化人、青少年など、あらゆる立場の人々と語り合いました。社会体制の壁を超え、「共鳴の和音」(64ページ)が、中国・ソ連の大地に奏でられたのです。
 第1次訪中の折、伸一は、「中国が他国を侵略することは、絶対にありません」(59ページ)との発言を聞きます。
 ソ連のコスイギン首相との会見では、中国訪問の実感を率直に伝え、首相から「中国を攻撃するつもりはありません」「(中国の首脳に)伝えてくださって結構です」(278ページ)との言葉を引き出しました。
 12月の第2次訪中では、鄧小平副総理など中国の首脳に直接、ソ連の意向を伝えます。伸一は、まさに中ソの“懸け橋”となりました。
 「懸け橋」の章には、「勇気をもって真実を語ってこそ、心の扉は開かれ、魂の光が差し込む。それが、信頼の苗を育んでいくのだ」(211ページ)と記されています。伸一の、率直にして誠実な対話が、心の扉を開き、信頼を結んだのです。
 佐藤優氏は、週刊誌「AERA」(6月22日号)で連載されている「池田大作研究」で、先生の対話行動に言及しています。
 「壁に突き当たった場合、政治革命家はその壁を壊そうとする。これに対して池田は、壁の向こう側の人に対話を呼びかける。対話によって、壁の向こう側にいる立場が異なる者の中に理解者を作ろうとする」
 どんなに立場が異なろうと、「人間主義」「平和主義」の連帯を築いてきたのが、池田先生です。対話には、「壁」も「限界」もないのです。

忍耐強い作業
 伸一の願いに反して、初訪中・訪ソの後、中ソ対立は悪化の一途をたどってしまいます。彼の対話は、すぐに花開いたわけではありません。
 しかし、伸一は決して諦めませんでした。20世紀を代表するイギリスの歴史学者トインビー博士から、次のように託されていたのです。
 「米ソも、中ソも対立していますが、あなたが、ロシア人とも、アメリカ人とも、中国人とも対話を重ねていけば、それが契機になって、やがてはロシア人とアメリカ人、ロシア人と中国人などの対話へと、発展していくでしょう」(第16巻「対話」の章、216ページ)
  
 伸一は、初訪中・訪ソの後も、中ソ両国の指導者と対話を重ねました。中国側から、ソ連を訪問することで中日の友情に支障をきたすと、苦言を呈されたこともありました。
 それでも、「私は中国を愛してます。中国は大事です。同時に人間を愛します。人類全体が大事なんです」(351ページ)と訴え、「あらゆる人の『仏性』を信じて、人類の平和を願う心を確信して語りかけ続けた」(352ページ)のです。
 ようやく春が訪れたのは、伸一が、中ソの“懸け橋”として対話を開始してから15年後のことでした。
 89年(平成元年)5月、ソ連のゴルバチョフ書記長が、鄧小平氏と会談し、遂に中ソ関係が正常化されたのです。伸一は、誰よりも喜びました。
 花はすぐ開くとは限りません。しかし、鉄のごとき強い信念を持ち続けながら、諦めずに行動すれば、必ず開花します。「大業とは、目立たぬ、忍耐強い作業の繰り返しによって、成就されるもの」(357ページ)なのです。
 「信義の絆」の章に、「人類の幸福と世界の平和の実現が、広宣流布だ。私は仏法者として、そのために走り抜く」(354ページ)とあります。私たちも、仏法者の使命に燃え、「平和の道」を広げていこうではありませんか。

初訪ソの際、モスクワ市内で子どもたちと交流する池田先生(1974年9月)

言集
●仏法者の在り方
 人民のため、社会のために身を挺して戦う――それが菩薩であり、仏です。仏法者の在り方です。その行動のない仏教は、まやかしです。(「友誼の道」の章、74ページ)
●普遍の鉄則
 人間の生命を大切にし、人間を守るということ――それは、人類が生きていくうえの普遍の鉄則です。(「友誼の道」の章、120ページ)
●幅広い交流
 国家による政治や経済次元の交流は、利害の対立によって分断されてしまうことが少なくない。だからこそ、平和と友好のためには、民間による、文化、教育、学術などの幅広い交流が不可欠である。(「懸け橋」の章、157ページ)
●民衆こそ王
 万人に「仏」の生命をみる仏法は、本来、民衆を王ととらえる思想でもある。民衆が本当の主権者となり、幸福を享受できる社会の建設が、われらの広宣流布なのだ。(「懸け橋」の章、204ページ)
●歴史の必然
 地球は一つである。人類も一つである。人間同士、手を取り合うことは歴史の必然である。(「懸け橋」の章、238ページ)
●人間を結ぶ絆
 「誠実」への共感に国境はない。「誠実」こそが、人間を結ぶ心の絆となるのである。(「信義の絆」の章、318ページ)


【聖教ニュース】

◆6・23「沖縄慰霊の日」 沖縄青年部が「平和の礎」に献花 2020年6月24日
 「沖縄青年部平和宣言」を発表

    • 沖縄青年部の代表が「平和の礎」に献花し、世界平和を祈念した(糸満市の平和祈念公園で)

沖縄青年部の代表が「平和の礎」に献花し、世界平和を祈念した(糸満市の平和祈念公園で)

 沖縄青年部の代表が戦後75年の「慰霊の日」を迎えた23日、糸満市の平和祈念公園にある記念碑「平和の礎」を訪れ、献花した。
 沖縄青年平和委員会の砂川委員長、沖縄女性平和文化会議の嘉手納議長を中心に、沖縄戦犠牲者の冥福と世界の平和・安穏を祈念した。
 その後、前島沖縄青年部長が「沖縄青年部平和宣言」を発表。学会創立100周年でもある、戦後85年の2030年を目指し、沖縄戦の記憶の継承の取り組みをさらに発展させるとともに、人間革命の哲学を語り広げ、沖縄から恒久平和の潮流を世界に広げていくことを誓った。


◆〈危機の時代を生きる〉コロナ禍で見落とせない「多様なリスク」への視点 立命館大学開沼博准教授   

 「ウィズコロナ」という言葉が表すように、当分の間、私たちの生活は、新型コロナウイルスとの“共存”が想定される。こうした状況下で、私たちが向き合うべき課題は何か――。東日本大震災の被災地復興に携わり続ける、立命館大学の開沼博准教授に話を聞いた。(聞き手=志村清志・村上進)

 ――コロナ禍が長期化する現状を、どのように考えていますか。
  
 日本においては、ウイルス感染による「直接的なリスク」は、抑えられつつあるといえます。むしろ今後は、コロナ禍の影響で起こる「間接的なリスク」を一層、考慮していくべきでしょう。
 具体例の一つは「健康リスク」です。外出や人との交流が減っていることで、心身に不調をきたす恐れがあります。社会的孤立から、自死に至る場合も想定されます。また「経済的リスク」も深刻です。今は飲食業や観光業などが影響を受けていますが、今後、他の業種へも広がっていくでしょう。
 他にも、高齢者の認知機能の低下や児童虐待・DV(家庭内暴力)の増加など、挙げればキリがありません。
 今日の状況は、2011年の東日本大震災後の状況とよく似ています。福島県において、地震や津波で亡くなった方は、1605人を数えます。一方、避難生活の中で心身の体調を崩して亡くなった「震災関連死」の数は、2308人に上ります(本年6月16日現在)。「直接的リスク」もさることながら、「間接的リスク」も、私たちの社会に深刻な影響を与えるのです。
 かつての日本社会は「貧・病・争」(貧乏・病気・争いなど)が、人々にとっての主要なリスクでした。ある意味では、分かりやすかった。その後、経済発展に伴い、国民全体の生活水準が高まると、人々の生活が多様になり、立ち現れるリスクも多様化・細分化されました。そのため、一般には“見えづらい”リスクが増えていったのです。
 社会全体が、こうした細かなリスクを見落としてしまえば、東日本大震災の後に「震災関連死」が問題になったように、「コロナ関連死」と呼ばれる問題が顕在化するのではないかと危惧しています。
  
 ――今後、コロナ禍と向き合う上で必要な視点は?
  
 小さなリスクにも目を配る「多元的なリスク観」が求められます。
 そうした視点に立つことで、全体の被害逓減に大きく貢献する場合もあります。1853年に起きたクリミア戦争の際、ナイチンゲールは、戦死者の死因が、戦闘で受けた傷自体よりも、治療現場の不衛生によるものの方が多かったことを、統計を用いて解明しています。その後、衛生管理を改善し、死者数を大きく減少させました。こうした彼女の姿勢は「多元的なリスク観」に立ったものといえるでしょう。
 しかし現状を見ると、「感染リスクの抑制か、経済危機からの復興か」という二項対立の議論ばかりが目立ちます。3・11の後、「原発か、脱原発か」との論争が多く取り上げられた構図と同じです。
 こうした問題は早々に解決できるわけではありません。それにもかかわらず、延々と二項対立の議論が続けば、課題解決に向けた本質的な議論は一向に深まらず、多くの人が抱える「多様なリスク」が抜け落ちてしまう恐れがあります。
  
オンラインなどの活用を通して 新たな「顔の見える関係」をつくる
 ――危機的な状況に直面した場合、多様なリスクがこぼれ落ちてしまう理由は何だと考えますか。
  
 さまざまな理由がありますが、一つは、日本社会の“特殊性”といえるでしょう。
 社会学には「社会統制」と「社会化」という概念があります。「社会統制」とは、秩序の維持のために、個人の行動を規制するメカニズムのことで、法や制度などを指します。一方で「社会化」とは、人々が、集団や社会の行動様式を取り入れる過程を意味します。ここでは“暗黙のルール”と考えてもよいでしょう。
 4月に発令された「緊急事態宣言」は「社会統制」に分類されます。ただし、この宣言には、法的な強制力はほとんどありません。それにもかかわらず、国民の多くは宣言に従い、外出や店舗の営業などを自発的に控えるようになり、5月25日には「緊急事態宣言」が全面解除になりました。これは、政府の提示した行動様式を取り入れる「社会化」が、強く働いたことを意味します。
 しかし、その一方、“自粛警察”と呼ばれる、一般市民による私的な取り締まりや攻撃、感染者のあぶり出し、医療従事者やその家族への差別行為など、「社会化」の“負の側面”も多く見られました。
 人々のライフスタイルや生活環境は多種多様です。中には、止むに止まれぬ事情から、緊急事態宣言下であっても店舗の営業を続けた人もいたでしょう。
 それにもかかわらず、日本社会には、そうした人たちへの想像力に欠ける部分があり、全体から逸脱する人を「悪」と捉えてしまう傾向がある。言ってしまえば「社会化」の行き過ぎが、多様なリスクを“見えづらい”ものにしている原因といえます。
  
 ――多様なリスクを見逃さないためには、何が必要でしょうか。
  
 地域のつながりが豊かになることが大切だと考えています。そうすれば、ある人がリスクを抱えたとしても、皆で助け合うことができるからです。そのためにも、人とのつながりを形成する、「サードプレイス」(第3の場所)のコミュニティーが求められます。
 これは、社会学者オルデンバーグの提唱した概念で、家庭(第1の場所)や会社・学校(第2の場所)とは異なる「場」のことです。地元の喫茶店や居酒屋、身近な集会での交流などを指します。こうした場では、ゆるやかな「顔の見える関係」の中で、豊かな教養やつながりがつくられやすい。そこで生まれる信頼や安心感は、「共助」(助け合い)の輪を育む上で大変に有効です。
 しかし、「個人化」の進展した現代社会にあっては、そもそも「サードプレイス」の存在が減少している。さらに追い打ちをかけるように、新型コロナウイルスの感染拡大によって、そうした「場」に集まりづらい状況が生まれています。
 こうした苦境の中で、どのように「顔の見える関係」を構築できるか――つまり、“新たな日常”における新たなコミュニティーのあり方、「共助」のあり方が、今後、求められます。

今、青年部を中心に、“オンラインによる集い”の取り組みが各地で推進されている
個人間の情報格差をなくし 社会の中に共助の流れを
 ――ここ最近、オンライン上での交流が活発に行われるようになってきています。
  
 直接会っての交流がしづらい状況は、しばらくの間、続くでしょう。そうした中で、オンラインを活用して交流し、支え合う流れをつくることは、有効だと考えています。
 しかし、その裏で、見逃してはいけないのは、「デジタルディバイド」(情報格差)の問題です。インターネットを使えなければ、即座にこうした「共助」の流れから脱落してしまいます。加えて、オンラインによる教育や医療、公的サービスの申請などからも取り残されれば、大きな格差につながりかねません。
 日本におけるインターネット利用率は79・8%です(総務省・令和元年版「情報通信白書」)。単純に考えて、人口の約2割が、インターネットへのアクセス手段を持っていないことになります。この2割にあてはまる層は、高齢者や経済的に恵まれない人が想定されます。つまり、もともと多くのリスクを抱えている層です。
 東日本大震災の時もそうでしたが、もともとリスクを抱えていた人ほど、災害などの非常事態が起こった際、さらなるリスクに見舞われます。今回のコロナ禍にあって、「デジタルディバイド」の問題は、その象徴的な例といえます。
 単に技術的な問題と捉えられがちな「デジタルディバイド」ですが、この状況下では、人の命・生活に関わる重要な問題です。そうした人々へのサポートは、ますます希求されるでしょう。
  
 ――“コロナ以前”のように、直接会っての交流がしづらい状況の中で、この問題を乗り越えるためには?
  
 個人間の情報格差をなくすには、行政による「公助」が必要になってきます。社会の中で「共助」の流れが生まれるような基盤をつくってほしいと思います。
 その上で留意してほしいのは、この問題は今に始まったわけではないということです。個人化された社会では、人と人とのつながりは希薄になり、そもそも「共助」の流れがつくられづらい。長らく棚上げされてきた課題が、今回のコロナ禍で可視化されただけといえます。
 だからこそ、私たちは、この課題に真摯に向き合い、新しい「共助」のあり方を構築していかなければいけません。そうした意味で、創価学会をはじめ、個人と社会を結ぶ「中間集団」の果たす役割は大きいでしょう。「共助」には、人と人のつながりが欠かせません。東日本大震災の時も、学会の励ましのネットワークが、多くの人を勇気づけたように、今回のコロナ禍でも、「共助」の流れを生み出す起点として、その力を発揮してほしいと思います。
  
〈プロフィル〉
 かいぬま・ひろし 1984年生まれ。福島県出身。東京大学卒。専攻は社会学。福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)ワーキンググループメンバー、復興庁東日本大震災生活復興プロジェクト委員などを歴任。2016年から、立命館大学准教授を務めている。主な著書として、『はじめての福島学』『漂白される社会』『フクシマの正義』などがある。 


【特集記事・信仰体験など】

◆〈未来の宝と共に 池田先生の書籍に学ぶ〉 総千葉少女部長 鯉渕佳代さん
 テーマ「私の“いいところ”が分からない」

〈池田先生の言葉〉
 がんばっても、がんばっても、なかなか、うまくいかない。自分の「いいところ」なんてわからない――そんな時は、題目を唱えてみてください。題目を唱えれば、元気が出てきます。自信がつきます。そして、よし、がんばってみようという勇気がわいてきます。   ?
 「ありのまま」になやみ、祈り、また胸をはって挑戦していく――そうすることで、自分の心がみがかれる。心の中の宝物が光っていく。きみの、あなたの「いいところ」が、必ず見えてくるのです。(『希望の虹』68ページ)
 
少しでも挑戦したこと褒(ほ)める
 少女部時代の私は口べたで恥ずかしがり屋。人と比べては「自分はあの子よりできていない」と、マイナスに考えてしまうことがよくありました。
 また、「毎朝7時に起きよう」と目標を立てて挑戦しても、寝坊してしまうと、「目標を達成できなくて、私はダメな子だ……」と落ち込むことが多かったのです。
 そんな私が前向きな考えに変わるきっかけを与えてくれたのは、「千葉王子王女合唱団」でした。小学5年の時に入団し、練習に取り組む中で、担当者のお姉さんや合唱団のメンバーと励まし合うように。  
 さらに当時、連載中だった池田先生の「希望対話」を学び、「『3日』坊主も、『10回』やれば、『1カ月』やったことになる」「1日でも2日でも、やった分だけ、自分が得をする。自分が『実力』をつけているかどうかです。人と比べて一喜一憂(いっきいちゆう)しても、しようがない」「人の3倍やれば必ずできる」との指針に感動しました。
 できない自分に対して気落ちするのではなく、少しでも挑戦した自分を褒めようとの考え方に変わったのです。  

自分にしかできない使命がある
 中学校に進学後、テニス部で汗を流し、学級委員にも挑戦。前向きにさまざまなことに挑む中で、忘れられない出来事が起きました。  
 ある日、友人が「佳代ちゃんは自分らしさがなくて、つまらないよね」と話している姿を見てしまったのです。まるで自分を否定されているような悲しい気持ちになり、ショックを受けました。帰宅し、泣きながら家族に相談すると、一緒に題目をあげてくれ、池田先生の『青春対話』の一節を教えてくれました。  
「たとえ諸君が、自分なんかダメだと思っても、私はそう思わない。私は信じている。私は諸君を尊敬している。必ず、あなたにしかできない使命をもった人だと信じている」  
 自分のことを信じられない状態の時でも、先生は私のことを信じ抜いてくださっている――この真心に気付いた時、人からの陰口や見られ方を気にするのではなく、自らのやるべきことに取り組む中で、自分の良さを磨いていけばいいのだと思えたのです。  
 未来部の皆さんには、それぞれにしか果たせない使命が必ずあります。題目をあげ、先生の指針を学び、目の前のことに挑戦していけば、果たすべき使命の道が少しずつ見えてくるでしょう。
 皆さんが自信を持って前進できるよう祈り、これからも励ましの風を送り続けていきます。

◆信仰体験 不屈の努力で脳科学の博士に 亡き母から信心を継承

師に誓った“この道”貫く
 【愛知県日進市】脳の視覚情報処理を研究する満倉英一さん(36)=圏男子部書記長。愛知県内の大学で助教として研究に取り組んでいる。   
 人間が奥行きや色、形状などの視覚情報をどのように知覚しているのかを、数学やコンピューターシミュレーション、心理実験などで明らかにする。
 研究や論文執筆で、行き詰まることはたびたび。その時、必ず思い起こすのは、幼いころの師との原点――。  
  1992年(平成4年)4月3日、生まれ育った東京・調布市の調布文化会館前の河川敷で、家族らと遊んでいた。
 すると、青年部の役員が駆け寄ってきて「急いで来てください」と呼ばれ、そのまま会館の中へ。会館を訪れていた池田先生と一緒に勤行・唱題を。その時の励ましは家族の宝となり、苦難に挑む時の大きな支えになっている。   
 大学入試では、受験した全てが不合格に。学生部の先輩に勧められ、創価大学通信教育部に入学した。
 通教で学ぶ中、創立者・池田先生の「私の最後の事業は教育である」との言葉に胸を打たれた。いつしか“大学の教員になりたい”と夢が膨らんだ。
 翌年、創大工学部に合格。誰よりも喜んでくれたのは母・訓子(のりこ)さんだった。  
  在学中の2006年10月、先生の200番目の名誉学術称号授与式に参加する機会が。先生は呼び掛けた。
 「学生の皆さんは、自分を支えてくれる人への感謝を忘れないでください」「お父さんを大切に! お母さんを、もっと大切に!」「環境がよくないとか、生活が大変だとか、いろいろなことがあるかもしれませんが、困難の中で勝利してこそ、『価値創造』です。創価教育で学んだ人の根本の生き方なのです」   
 式典を終えると、満倉さんの心に新たな誓いが芽生えた。“必ず博士号を取得する!”  ところが、卒業論文を執筆しているさなか、一家に宿命の嵐が襲う。母が重度のC型肝炎と診断されたのだ。  
 “なぜ、母が”と動揺する気持ちを抑えつつ、母のためにも、必ず博士になろうと決めた。そして都内の大学院へと進む。
 修士論文に向かっていた大学院2年の時、母の回復を懸命に祈り続ける中で、友人への弘教が実った。このことを一番喜んでくれたのも母だった。  
  経済的な負担に悩みながらも、博士課程へと進んだ。“人間の脳を数学で解明して役に立ちたい”と専門を数学から脳科学に変えた。
 学位取得の道は険しかった。論文を提出したが、なかなか認められず、何度も悔しい思いをした。
 奨学金が途絶え、途方に暮れる中、2015年からは、非常勤講師として創価学園で数学と情報の教員を務めることに。日々、奮闘を続けた。   

 翌年、母の容体が悪化し、集中治療室へ運ばれた。“今しかない。安心させてあげたい”――満倉さんは思わず「博士号が決まったよ」と伝えていた。実際はまだ論文も提出できていない。  
 母は泣きながら喜んでくれた。「池田先生のために奮戦できる子どもを育てるのが夢だった。あなたが生まれる前から、ずっと祈っていたんだよ」   
 2月20日、最愛の母は霊山へと旅立った。信心の先輩から「お母さんの使命は、君たち家族に、本当の信心を教えることだったんだよ」と励まされ、“悲しんでばかりではいけない”と前を向いた。
  その後、長男として家族を支えながら、講師としての授業、論文の執筆、学会活動と、一歩も引かずに取り組んだ。そして、再投稿した論文が認められ、18年3月、工学博士号の取得を改めて母に報告した。
 “先生、勝ちました!”“母さん、やったよ!”  
  昨年春、愛知へ。大学では講義を担当しているが、今はオンラインでも学生に課題を送り、連絡を取る日々だ。  
  時折、胸の中で母に呼び掛ける。  “母さん、僕は今、新天地で、大学の教員として日々、学生たちと切磋琢磨(せっさたくま)しています。少しは、親孝行できていますか”  
  一人前の研究者に、次代を育てる教育者に――満倉さんは師に誓った使命の“この道”を貫くと決めている。 (中部支社編集部発)


◆信仰体験 150カ所の福祉施設に1万食を提供 度重なる経営危機を越え

行き詰まった時が勝負!
 【大阪府堺市】委託給食の世界では、現地で一から仕込みを行うことが多い。だが、直田勝彦(なおたかつひこ)さん(69)=副支部長(常勝長<ブロック長>兼任)=が代表を務める「マルフクメディカルフーズ」では、自社工場で煮炊(にた)きや味付けをした後、それぞれの施設に配送し再加熱・盛り付けを行う方式を採っている。 ?
 「その方が衛生管理に万全を期せますし、味も安定します。施設の厨房設備も最小限で済みますので」  
  創業40年を迎え、従業員は800人。老人ホームやデイサービスセンターなど大阪府内150カ所の福祉施設に、毎日1万食以上を提供している。
 「鶏肉が苦手」「卵アレルギーがある」など個々の要望にも対応するほか、「47都道府県グルメ献立」「花見弁当」等のイベント食も実施。栄養士監修のメニューが「安心」「安全」「おいしい」と評判だ。  
  営業は直田さん一人。それでも売り上げは右肩上がり。3年前には新しい事務所も完成した。   
 鹿児島県の離島・中之島で育った。電気も水道も整備されていない島で、石油ランプをともして勉学に励んだ。
 高校卒業後は働くつもりだったが、高等部の会合で“全員、大学へ”との池田先生の呼び掛けが胸に響き、大阪工業大学の工学部に進んだ。  
  製造業に就職した後、29歳で脱サラ。“食を通して、お客さんを喜ばせたい”と10坪の店舗で一日50食の宅配弁当を始めた。体を酷使する日々でも、「おいしかったよ」の一言にやりがいを感じ、事業を拡大していった。   
 1997年(平成9年)、46歳の時には一日2000食を達成。新工場も完成。だが、この年から“平成不況”に巻き込まれる。
 赤字に転落し、銀行に返済条件を変更してもらう「リスケ(リスケジュール)」を余儀(よぎ)なくされた。   
 「一度傾いた事業を立て直すのは容易ではありませんでした」  2008年のリーマン・ショックで2度目のリスケ。“今月支払う給料が、ない……”と何度も頭を抱えた。
 それでも“従業員の生活は絶対に守り抜く”と、懸命に経営のかじを取った。   
 14年、盛り付け担当者の中からノロウイルスの陽性者が出た。この事態を重く受け止めた直田さんは外部企業と業務提携。社内の衛生管理の体制強化に取り組んだ。
 さらに、食品への殺菌効果がある微酸性次亜塩素酸水の生成装置を共同開発し、法人を設立。
 そして高齢者食に特化した委託給食と衛生の2本柱で事業を立て直そうと、宅配弁当業からの撤退を決断する。
 “どんなに行き詰まっても信心から離れたらあかん!”と自身に言い聞かせた。広布の活動から一歩も引かず、弘教も実らせる。   
 事態が動いたのは翌15年。別の金融機関から思ってもみなかった額の融資を受けることに。再建した事業の業績が高く評価された結果だった。“救われた”。長き苦境から抜け出すことができた。  
  4年前の熊本地震の際、直田さんは「避難所の衛生管理に役立ててほしい」と、除菌対策の装置と300本のスプレーボトルを御船町(みふねまち)に寄贈。かつての経験からだった。  
  食品事業家となってからは苦難続きだった。そのたびに、池田先生の「行き詰まりを感じた時に、大信力、大行力を奮い起こして、それを乗り越えていくことだ。これが、私たちの『発迹顕本(はっしゃくけんぽん)』となる」との指導を胸に刻んできた。   
 自身の一念の変革から、現実の変革が始まる。“厳しい苦難も境涯を開くチャンス”と心する直田さんに、停滞はない。 (関西支社編集部発)

 

2020年6月23日 (火)

2020年6月23日(火)の聖教

2020年6月23日(火)の聖教

◆わが友に贈る

 苦難の中だからこそ
 人の絆を一層強く!
 友の不安を取り除く
 慈愛の声を届けよう。
 抜苦与楽の実践者たれ!


◆名字の言 きょう沖縄「慰霊の日」。“声なき声”を世界へ   2020年6月23日

 75年前、沖縄は残酷な戦場と化した。軍は「ひめゆり学徒隊」など、10代後半の女子生徒を看護隊に動員。ところが6月18日に突然、壕の中にいた同学徒隊に「解散命令」が下された。少女らは砲弾の飛び交う外へ追い出され、若い命が奪われた▼先日、激戦地の一つの糸満市に立つ「梯梧之塔」を訪れた。「梯梧学徒隊」はじめ私立昭和高等女学校同窓生の慰霊碑は、「ひめゆりの塔」に近い林の中にある。脇の献歌には「一人来て 抱きしめて見ぬ わが友の 名の刻まれし 濡れし碑文」と。生き残った同窓生が戦地に散った友を思い、つづった言葉である▼沖縄戦などの犠牲者約24万人の名を刻む糸満市の「平和の礎」に、今年も新たに30人が刻銘された。戦争体験者の婦人の言葉を思い出す。「単なる名前と思わないでください」「ここに刻まれた方々の“声なき声”を、全世界の人に伝える使命があるから、私は生きているんです」▼60年前の7月、沖縄を初訪問した池田先生は「ひめゆりの塔」へ。沖縄戦で生き残った関係者から当時の模様を聞くと、平和への祈りを込めて合掌。「二度とこの悲劇を繰り返してはならない」と強く語った▼きょう23日は沖縄「慰霊の日」。“不戦の願い”を未来へつなぐのは、私たちの大きな使命である。(踊)


◆寸鉄

「根ふかきときんば枝葉
かれず」御書。信心こそ
人生勝利の力。祈り深く
     ◇
沖縄慰霊の日。心に光る
命どぅ宝の精神。不戦の
誓い新たに対話の波を!
     ◇
青年は決して、へこたれ
てはいけない―戸田先生
逆境に挑め!戦えば成長
     ◇
エコバッグ洗わない人が
51%と。食中毒につなが
る恐れ。洗濯・除菌が有効
     ◇
「あおり運転」厳罰化の
改正道交法が今月末施行
危険行為は断じて許すな


【先生のメッセージ】

◆〈池田先生と共に 新時代を築く〉 「勇気と理想」に生き抜け!2020年6月23日

 6月23日は、愛する沖縄の「慰霊の日」である。今年は戦後75年。全ての戦争犠牲者に追善の題目を捧げ、世界不戦の誓いを新たにしたい。
 筆舌に尽くせぬ戦禍に苦しめられた沖縄で、私は憤?を込め、小説『人間革命』を書き始めた。この一念を汲み、人類の宿命転換へ平和の起点となって、たゆみなく「立正安国」の金波を起こしてくれているのが、沖縄家族である。
 「命どぅ宝(命こそ宝)」という深き心が光る沖縄で、自行化他の妙法を唱え弘めてきた父母たちこそ、最極の生命の「宝塔」にほかならない。
 「世界で最初の広宣流布の地帯」へと進みゆく沖縄を、御本仏は「ここさながら宝塔の住処なり」(御書1304ページ)と、ご照覧であろう。
 『人間革命』起稿の日、私は瞳凜々しき沖縄学生部の友と固い握手を交わした。何があっても、朗らかに舞い戦う沖縄健児たちは、二陣三陣と不退の人材群を築いてくれた。
 そして今も、私は沖縄青年部・未来部の一人一人と心の握手を交わす思いで、成長を祈りゆく日々である。
                      * * * 
 1957年の6月30日、恩師・戸田城聖先生のもと、学生部は、夕張炭労事件、大阪事件という正義の人権闘争の渦中に結成された。
 私は、師弟の故郷たる北海道から祝電を送った。権力の魔性に立ち向かう共戦の同志たちが、「我らの学会に学生部が誕生した!」と誇り高く喝采した笑顔も蘇る。
 恩師は「多彩な学生が集えば校舎なき総合大学だ」と喜ばれ、「地球民族主義」の連帯の核となることを望まれた。
 今、日本はもとより世界中で、男女学生部がオンラインなどを活用して励まし合い、平等大慧の仏法を研鑽し、地涌のスクラムを広げている。
 さまざまな制約の中での学業、アルバイト、就職活動等、辛労は絶えないことだろう。
 しかし、大変な時に、歯を食いしばって学び鍛えたことが、偉大な底力となる。真心を尽くして結んだつながりが、一生涯の陣列となる。
 草創の学生部と学んだ御義口伝に、「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは生死の闇を照し晴して涅槃の智火明了なり」「煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり」(同710ページ)と仰せである。
 妙法は、人生と社会のいかなる苦悩も幸福前進の力に変えながら、人類を覆う「生死の闇」を照らし晴らしゆく「絶対勝利」の智慧の炎なのだ。
                        * * * 
 学生部結成の翌年の6月30日、私は新設の総務に就任した。恩師逝去後の全学会の指揮を不二の心で執り始めたのである。その日の日記に、「勇気と理想に生きる、純真なる信仰者で生涯を、ただただ貫きたい」と記した。

 わが創価の学徒たちよ!
 わが普賢の若人たちよ!
 
 この「勇気と理想」を、しかと受け継いでくれ給え。


【教学】

◆〈森中教学部長「SOKAnet」の講義から〉 6月度「座談会拝読御書」 曾谷殿御返事(輪陀王御書)
 強盛な祈りで安穏な社会を

 現在、創価学会公式ホームページ「SOKAnet」で、森中教学部長による、6月度拝読御書(座談会・研修教材)講義の動画が配信されています。ここでは、「座談会拝読御書」の講義の抜粋を掲載します。「大白蓮華」6月号と共にご活用ください。
 ※講義の動画は約20分。字幕あり。SOKAnetで6月30日まで視聴可能。

はじめに
 本抄は、別名に「輪陀王御書」とあるように、輪陀王と白馬の有名な故事が描かれている御書として知られています。
 ――昔、輪陀王という王がいました。この王は、白馬のいななきを聞くことで生命力を高め、その力で国も栄えていました。
 この白馬は、白鳥を見て、いなないていたのですが、ある日、白鳥が突然いなくなってしまい、白馬は鳴かなくなります。すると、王の生命力が弱まり、国は衰え、外国からの侵略も始まりました。
 さまざまな人が祈りましたが白鳥は戻りません。そこに馬鳴菩薩が現れて、祈ったところ、たちまち白鳥が現れ、白馬は喜び、いななきます。王は以前の百千万倍の力に満ち、人々も活気を取り戻し、国に安穏が戻った――というお話です。
 日蓮大聖人が、この故事を通して、何を仰せられているのかを、念頭に置いて学んでいきましょう。
 
背景と大意
 本抄は、弘安2年(1279年)8月、日蓮大聖人が、曾谷教信の子息である曾谷道宗に送られたとされているお手紙です。
 この当時、“蒙古が再び攻めてくるのではないか”と懸念されており、人々は、恐怖におびえていました。
 1度目の蒙古襲来の後、その恐ろしさを知り、日本中が騒然としている中で、戦乱の危機に加えて、飢饉や疫病が日本中に広がり、天候不順も続いていました。誰もが、「死」という現実を目の当たりにしている状況だったのです。
 反対にいえば、武士から庶民に至るまで、誰もが「生きる意味」について、何らかの問い掛けをしていた時代であったとも考えられます。
 本抄を頂いた曾谷道宗について、詳細は分かりません。しかし、父・教信は、富木常忍や大田乗明と並んで、下総国(現在の千葉県北部など)で活躍した門下です。
 この御書を頂いた2年後の弘安4年(1281年)7月には、教信は、蒙古との戦闘に備えて筑紫(現在の九州北部)に行くことになります。まさに、こうした時代の動乱の中で、大聖人は、曾谷殿親子に信仰の本質を教え、希望を送られます。

拝読御文
 白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり、此の声をきかせ給う梵天・帝釈・日月・四天等いかでか色をましひかりをさかんになし給はざるべき、いかでか我等を守護し給はざるべきと・つよづよと・をぼしめすべし(御書全集1065ページ3行目~5行目、編年体御書1204ページ15行目~17行目)

諸天を動かす
 日蓮大聖人は、「白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり」と仰せです。“白馬のいななき”を、大聖人門下の「南無妙法蓮華経の声」に例えられています。
 続いて、題目の声によって、梵天・帝釈をはじめとする一切の諸天善神の色つやが増し、威光が強くなると仰せです。
 諸天善神とは、法華経の行者や国土を守る、あらゆる善の働きです。
 そして、大聖人は門下に「いかでか我等を守護し給はざるべきと・つよづよと・をぼしめすべし」と呼び掛けられます。
 この御文を拝して、曾谷氏が、“全ては信心が根本だ”“強く強く信心を深めていこう”と、一切の不安や困難に力強く立ち向かい、立正安国の闘争を誓ったことは間違いないでしょう。

題目の意義
 池田先生は、本抄を講義した『勝利の経典「御書」に学ぶ』で、私たちが唱える題目の意義を三点にわたって講義しています(別掲)。
 ①「題目は、『宿命転換の根源力』です。いかに強固なる宿命の鉄鎖も、わが生命の根源の力を呼び現す題目の妙用で断ち切っていけるのです」
 ②「題目は、『人間革命の源泉』です。わが生命に本来具わる仏の命を題目で呼び現し、その自由で晴れ晴れとした生命力を満喫するとき、『歓喜の中の大歓喜』と言うべき大境涯を開くことができるのです」
 ③「題目は、『立正安国の原動力』です。題目でわが生命に開かれた歓喜の波動は、全宇宙へと瞬時に広がっていきます。それゆえ、必ず、一切衆生の歓喜の波動を呼び起こし、わが家庭、わが地域、わが国土が歓喜で包まれていくのです」

難を乗り越える
 さらに、先生は「師弟誓願の題目」を訴えています。
 本抄で大聖人が曾谷殿に教えられているのは、“師弟が共に誓願に立つこと”です。
 拝読御文の直前に、「白馬は日蓮なり・白鳥は我らが一門なり」(御書1065ページ)とあります。
 弟子である白鳥の声で、白馬が元気になる――白鳥と白馬の声が国を変えるのです。
 つまり、師匠と弟子が心を合わせた「師弟誓願の題目」が原動力となって、一人一人が悩みや苦難を乗り越え、一国、そして人類の宿命をも転換することができるのです。
 あらためて、師弟の宿縁がどれほど強い絆であることか。本抄には、「しかるに日蓮が一るいいかなる過去の宿じうにや法華経の題目のだんなとなり給うらん」(同ページ)と仰せです。
 私たちで言えば、創価学会の師弟に連なることが、どれほど意義深いことか。
 池田先生は、「大白蓮華」6月号の巻頭言で述べています。
 「御本仏とご一緒に、牧口先生が命を賭して示し遺してくださった、何ものにも負けない『師子王の心』こそ、我ら師弟の不滅の原点といってよい。
 広布と人生の途上において、いかに先の見えない苦境に追い込まれても、殉教の先師の忍難弘通の姿を思えば、何を嘆くことがあろうか。何を惑うことがあろうか」
 「人類が一丸となって試練に立ち向かう今、『生命尊厳』の信念と『変毒為薬』の英知輝く、若き創価の世界市民の連帯は何と頼もしいことか」
 私たちは、ますます「生命尊厳」の旗を掲げ、世界に地涌の連帯を強め、人類の境涯を高めていく――師弟誓願の唱題で、一切の困難をたくましく乗り越えていきましょう。

 

【聖教ニュース】

◆〈季節の詩〉 沖縄・慰霊75年の世界平和の碑  2020年6月23日

恩納村の沖縄研修道場に立つ「世界平和の碑」。池田先生が記した碑文には「沖縄は永遠平和の砦にして まさに世界不戦の象徴なり」と

恩納村の沖縄研修道場に立つ「世界平和の碑」。池田先生が記した碑文には「沖縄は永遠平和の砦にして まさに世界不戦の象徴なり」と

 きょう23日は沖縄「慰霊の日」。75年前、20万人以上が犠牲となった沖縄戦で、日本軍の組織的戦闘が終結したとされる日である。
 沖縄研修道場は1977年、かつて米軍の中距離弾道ミサイル「メースB」の発射基地があった場所に建設された。
 池田先生は83年3月、恩納村の同研修道場を初訪問。取り壊そうとしていた道場内の基地跡を視察し、“あえて残す”ことを提案した。翌84年、6体のブロンズ像が立つ「世界平和の碑」が誕生。“核ミサイルの基地”は“平和の発信基地”へと生まれ変わった。
 池田先生はつづった。「核も、戦争も、人の心から生まれた。ならば、まず人の一念の『発射の向き』を変えよ! その逆転の作業を! 『碑』は、その象徴である」
 先生は同研修道場を舞台に、世界の平和の指導者らと語らいを重ね、生命尊厳と不戦のメッセージを発信してきた。研修道場には毎年、国内外から多くの人々が訪れ、平和の心を学ぶ。
 沖縄に脈打つ「命どぅ宝(命こそ宝)」の精神は今、世界の光と輝いている。(15日=仲地健一記者撮影)

同研修道場の「平和大歓喜の像」。平和のたいまつを掲げた女性像には不戦の願いが込められている

同研修道場の「平和大歓喜の像」。平和のたいまつを掲げた女性像には不戦の願いが込められている


◆〈民音公式SNSで公開 各国アーティストからエール〉2 オーストリア・ウィーン「ヤーノシュカ・アンサンブル」  2020年6月23日

 日本で本年1月に開催された公演ツアーのことを、今も思い出しております。多くのインスピレーションとエネルギーをくださいました日本の観客の皆さまに、心より御礼を申し上げます。
 時のリズムを鈍化させるコロナウイルスによって、私たちの生活が、このように劇的に変化するとは思ってもいませんでした。
 実際、私たち「ヤーノシュカ・アンサンブル」の公演活動も削減され、近々予定されていた公演は、すべて中止となりました。
 しかしそうした状況下で、最も大切なことは私たち自身の“健康”であると思います。皆さまが最善を尽くされ、健康を保ち、忍耐強く生活される中で、コロナウイルスのない平常の生活が一日も早く訪れることを願っております。
 一日も早く皆さまと会場でお目にかかれることを、楽しみにしております。私たちは「ヤーノシュカ・スタイル」を携えて、必ずステージに戻ってまいります!
 

◆「世界の友は今」 第10回 タイ創価学会・ウサニー婦人部長  2020年6月23日
「希望の声」響かせ前へ

 タイでは新型コロナウイルスの感染者が3151人(22日時点)にとどまっており、現在は新たな感染も抑えられている。経済の回復と“新たな日常”構築への模索が続く中で、創価の友も着実に広布の歩みを進めている。タイ創価学会のウサニー婦人部長に、現在の状況や取り組みを聞いた。


段階的に進む規制の緩和
 ――タイでは経済活動再開の動きが強まっており、外国人の入国規制の緩和も検討されています。
 
 タイでは新型コロナウイルスの拡大を防ぐために、3月下旬に非常事態宣言が発令され、夜間の外出禁止、飲食店や商業施設、学校の閉鎖などの措置が決まりました。
 今も宣言は続いていますが、段階的に規制の緩和が進んでおり、今月15日には夜間の外出禁止が完全に解除されました。レストランやデパートをはじめ、劇場や映画館なども再開しています。
 5月下旬以降、海外から帰国した人の感染は確認されていますが、国内での感染者は出ていません。
 感染拡大の封じ込めに成功したタイの公衆衛生機関の対応には、高い評価が寄せられていますし、国民の団結があっての成果であると思っています。

首都バンコク近郊に立つタイ創価学会本部。「アジアの灯台」との誇りに燃え、メンバーは地域・社会で活躍する

首都バンコク近郊に立つタイ創価学会本部。「アジアの灯台」との誇りに燃え、メンバーは地域・社会で活躍する

 ――ウサニー婦人部長は大学で教育に携わっていると伺いました。教育機関の状況はいかがでしょうか。
 
 大学では、教員が自宅で講義を配信するオンライン授業を積極的に取り入れています。
 私たち教職員は、今月から交代で出勤できるようになり、身体的距離を保っての会議も開催できるようになりました。
 小中学校に関しては、政府が原則7月からの授業再開を認めていますが、生徒たちのマスク着用やアルコール消毒など、感染リスクを減らすための措置を求めています。

「地域・社会のために」と行動
 ――タイでも、経済の落ち込みが激しくなっています。
 
 深刻なのは、コロナによって、800万人以上が職を失うともいわれていることです。会社の人員整理や倒産などで、卒業したばかりの学生が仕事を見つけることができない状況に私自身、胸を痛めています。
 特に観光産業への影響は甚大で、製造業等も需要の低下で大きな被害が出ています。
 政府は失業者や農業従事者などを対象とした経済支援も行っていますが、まだまだ大勢の人が困窮している状態です。
 そんな状況にあって、民間による困窮者への支援プロジェクトが多数立ち上がるなど、麗しいニュースも報じられています。
 その中には、タイ創価学会のメンバーもいます。縫製の仕事を生かし、布製のマスクを作って無料で配布している人もいますし、食品販売会社を営んでいることから、食品やお菓子、ミルクなどを無償で提供している人もいます。
 実は、こうした方々も、自らが不況の影響を受けて厳しい状況にあります。しかし“地域や社会のために”と行動できるのは、池田大作先生の「良き市民たれ」との指針を、心に刻んできたからだと思います。

各部で活発な取り組みを行う
 ――今、タイ創価学会では、どのような取り組みを行っていますか。
 
 タイでは現在、①1日2時間の唱題②1日1人への励まし③1日30分の御書・池田先生の指導の研さん――に取り組んでいます。
 青年部ではこれを元に、「5WEs」というキャンペーンに挑戦中です。「私たち(WE)が行う5項目の実践」という意味です。
 具体的には「1日2時間の唱題」「1日1人に励ましのメッセージを送る」「月1回のオンラインの小グループ会合の開催」「1日1人への電話での励まし」「月1回のオンライン教学勉強会開催」を目標にしています。
 婦人部では、日本の聖教新聞に掲載された「わが友に贈る」を毎日、タイ語に翻訳し、文字とともに、録音した音声データをSNSを通じてメンバーと共有しています。
 音声で送るのは、読むのが苦手な年配の方のためです。録音は20代、30代の若いメンバーを中心に行っており、皆、「声仏事を為す」(御書708ページ)との御聖訓を胸に、全国の同志を励ますとの使命に燃えて取り組んでいます。携わった婦人部員は、100人を超えました。
 また4月には、タイ創価学会の公式YouTubeチャンネルを開設。池田先生の童話アニメ、『新・人間革命』や先生の指導を紹介するコンテンツ、音楽隊や鼓笛隊の演奏動画なども配信しています。

タイ創価学会の公式YouTubeチャンネルでは、婦人部の合唱団の歌声を配信。このほか、さまざまな動画を視聴することができる

タイ創価学会の公式YouTubeチャンネルでは、婦人部の合唱団の歌声を配信。このほか、さまざまな動画を視聴することができる

オンラインで婦人部結成の集いを開催
 ――オンラインの会合が、各地で行われているんですね。
 
 はい。座談会をはじめ、御書学習会や各部の集いを活発に行っています。
 当初は、年配者などパソコンやスマホの操作に抵抗がある人もいましたが、青年部が使い方の手引きを作ってくれたり、家族が
サポートもあり、今では多くの人が積極的にオンラインを活用しています。
 女子部は5月に「池田華陽会」の集いをオンラインで開催。各地での少人数の会合を「青年の誓願の集い」と名付け、御書や池田先生の指導を学んだり、信仰体験を語り合ったりしています。
 6月10日に結成記念日を迎えた婦人部は「皆が前進、皆が人材、皆が主役」をスローガンに、記念のオンラインの集いを各地でにぎやかに開催。信心根本に苦境を乗り越えていこうと、決意を深め合っています。

苦境を越えた体験が次々と
 ――素晴らしいですね。励まし合って進む中で、困難を打開した体験が数多く生まれていると聞きました。
 
 ホテルや旅行会社などを経営する婦人部のメンバーは、この2月から収入がほとんどなくなり、事業の閉鎖や休業を余儀なくされ、従業員との紛争も発生しました。
 しかし、“今こそ題目しかない!”と徹底して祈り、さまざまな手を尽くしました。そうした中で銀行から融資が受けられるようになり、従業員との紛争も解決したのです。
 また、海外から帰国したタイ人を2週間滞在させる宿泊施設として、自身が経営するホテルが選ばれました。800室以上の部屋が使用され、国の対策に貢献するとともに経済的にも守られました。
 また飲食店を営む婦人部員は、新たに弁当の宅配サービスを始めるなど知恵を発揮して活路を開いています。

「大悪をこれば大善きたる」の御聖訓を胸に
 ――最後に、現在の思いや決意を聞かせてください。
 
 コロナ禍は人類全体に起きた大きな災難であり、多くの人が希望を失っています。
 今、私が改めて深く心に刻むのは「大悪を(起)これば大善きたる」(御書1300ページ)との一節です。
 これは“悪いことの後には、自動的に良いことが起こる”といったことを教えられたものではありません。
 “どんな苦難も必ず意味あるもの、大善へと転換できる”ことを示された御文であり、強き信心によって、全てを変毒為薬していけることを教えてくださった御文なのだと思います。
 大切なのは、私たちが強盛な信心、師弟不二の精神で立ち上がることです。大変な中だからこそ同志と励まし合い、「希望の声」「勇気の声」を響かせて、全てに勝利していきます。


【特集記事・信仰体験など】

◆私がつくる平和の文化 Ⅱ
 インタビュー ジャーナリスト 国谷裕子さん――情報と正しく向き合う





「私がつくる平和の文化Ⅱ」の第6回に登場していただくのは、ジャーナリストの国谷裕子さんです。長年、報道番組のキャスターを務めてこられた視点から、コロナ禍における情報発信とコミュニケーションのあり方、そして、危機の時代を乗り越える意識変革の大切さについて語ってもらいました。(聞き手=木﨑哲郎、歌橋智也)?

心の内を聴く直接の対話を
 ――NHK「クローズアップ現代」のキャスターとして、長年にわたり、多くの方にインタビューをしてこられました。
 現在、テレビ報道では、直接対面して取材することが困難となり、オンラインでのインタビューが行われています。オンラインでは、距離を超えて、わざわざ会いに行かなくても話ができ、情報を得たり、相手の考え・意見を聞いたりできるというメリットがあります。
 一方で、会ってこそできる真の意味での「対話」も、やはり求められてきます。相手が本当に言いたいことは何なのかを汲み取ろうとすれば、対面のインタビューで、相手が全身から発するメッセージを、こちらも全身で受け止める必要があります。
 そばにいて、ちょっとした仕草や表情、言葉の選び方などに触れることで、何かを感じ取ったり、気付いたりすることができる。「本当はもう少し話してもいい」と思っていることを感じて、もう一歩、深めて心の底のところを引き出すこともできます。
 特にこのコロナの時代、心の内を聴いたり、琴線に触れたりする深い対話が、とても大事だと思うんです。その意味では、インタビューに限らず、一対一で直接会って語り合うことの意義や重みといったことが、改めて認識されたと思います。

 ――今回の事態ではテレビ報道をはじめメディアも困難に直面しました。
 かつてテレビ報道に関わった一人として、制作側の焦り、悩みを感じました。安全上、今まで当たり前のようにできていた取材ができなくなり、感染拡大がもたらす医療や経済への影響など、伝えなければならないことが多くあるにもかかわらず、思うように伝えられないからです。
 そうした状況もあるためか、「PCR検査がなぜ増えないのだろう」といった、一般の人々が持ち続けている疑問にどこまで答え切れたか、背景が十分に届いていなかったのではないかとも感じます。
 ただ制作側も、取材を放棄してはならないという強い思いで工夫して取り組まれている。まさにジャーナリズムの使命感が試されていると思います。
 ジャーナリズムは、政府や自治体が政策決定の際に、どのような科学的な根拠をもとに、どんな議論がなされたのか、透明性を追求しなければならない。それが、私たちが納得し、結束して行動を変えていく上で、大事なベースになるからです。

立ち止まって、考える
 ――私たちは情報の受け手であると同時に、「情報の発信者」にもなれます。心すべきことは何でしょうか? 
 私たちは自分の取り巻く状況に不安を覚え、何らかの確かな情報がほしくなると、一生懸命、いろんな情報にアクセスします。その際、知らず知らずのうちに、信じたい情報、共感できる情報ばかりを入手してしまう傾向があります。友人や知人からも自分の考えと似通った情報が手元に集まってくる。  それを見て、「やっぱりそうなんだ」と、自分の考えをさらに補強し、強固にして、偏(かたよ)った情報に取り囲まれてしまう。そうなれば真に多様な考えを知る機会を失ってしまいます。
 結果として、自分たちとは異なる意見を排除することにつながっていく。さらに、許せないと思える情報が入ってくると、強いリアクションを取ってしまい、攻撃的・差別的な言葉を発信しがちになり、それが感情の対立や分断を生み出すことにつながります。
 自分の考えが正しいかどうか、正しい状況判断ができているかどうかを確認するには、あえて自分と異なった意見や見方に接し、一度立ち止まって、深く考えてみることが大切です。それは楽なことではないですが、自分の感情に訴え掛ける情報だけを取り込んでいては、先入観や偏見から逃れることはできないでしょう。
 今はSNSなどで誰もが情報を発信することができますが、発信する前には、自分と反対の立場の人や違った考えを持っている人がいるかもしれない、この発信で傷つく人がいるかもしれないと想像し、一呼吸おく冷静さを持ってほしい。一人一人が情報と正しく向き合うことで、「対話の文化」ひいては「平和の文化」が築かれていくと思います。

市民の称賛に応えるニューヨークの医療従事者(4月、Noam Galai/Getty Images) 

市民の称賛に応えるニューヨークの医療従事者(4月、Noam Galai/Getty Images)

 ――今回のステイホームでは、いわゆる「ネット弱者」の課題も浮き彫りになりました。

 お子さんがいるご家庭だと、両親も家でネットで仕事をしなければいけないのに、子どももオンライン学習があったりします。家に何台のパソコンが必要だろうってなりますよね。
 それ以上に、ネットで買い物ができない人たちは、リスクを冒して買い物に行かなければならない。ネット環境がないゆえに仕事が受けられない人もいます。高齢者の方々の中にも環境がなかったり、操作ができなかったりする人もいます。私の母もスマホを持っていませんので安否確認は電話でしています。
 そう考えると、誰もがネット弱者になり得るし、あらゆる面でネット弱者が被る不利益は大きい。課題は非常に重いと感じます。政治や行政が動かなければなりませんが、地域としても、あらゆる知恵を絞って、支え合っていくしかないですよね。
 大阪のある社会福祉協議会では、高齢者の安否確認やつながりを保つために、往復はがきを使っていました。「お元気ですか?」ってお手紙を出して、向こうからも「元気です」ってお返事が来たりする。そうしたやり取りで心の交流を図っていました。また食事の提供ができなくなったので、お弁当を取りに来てもらいますが、手渡しする際、声を掛けて、お顔や様子を確認して帰ってもらう。苦心しながらも、できることを精いっぱいされていました。
 こういう時こそ、心の絆を強く結び直し、つながり続けなければならないと思いますし、誰ひとり取り残さないという「持続可能な開発目標(SDGs)」の理念が、まさに現実の中で発揮されなければならないと痛感します。

警鐘は鳴らされていた
 ――今回のコロナが問い掛けたことは何でしょうか?
 このパンデミックは、私たちに多くの貴重な教訓を与えました。
 感染拡大に驚き、不意を突かれたように感じますが、実は、感染症の発生と急速かつ広範囲な蔓延は、すでに何年も前から科学者等から警鐘が鳴らされていました。それに対しての準備を怠っていたのです。
 いったん起きてしまうと、医療体制や社会のセーフティーネットなどの脆弱性を露呈させ、一番弱いところに被害や痛みをもたらした。危機に備えるための体制の整備や投資は、決して怠ってはならないと改めて思います。
 それと同時に、自分たちさえ良ければいいという一国主義的な考えは、もはや通用しないということです。他が良くならなければ、結局、自分のところに返ってくる。社会全体が結束し、そして、グローバルに協調して戦わないと打ち勝つことはできません。そのためには、他者への意識と行動こそが大切になってくると思うのです。
 さらに今、世界で警鐘が鳴らされている最大のリスクが気候危機です。これまでのように二酸化炭素などの温室効果ガスの排出を続ければ、地球温暖化によって生じるさまざまな気象災害、海面上昇、生物多様性の喪失、食料生産への打撃などにより、地球上の生命が安全に生きられる持続可能な環境を維持することはできなくなります。
 今回の危機をきっかけに、電力をはじめとする産業や消費生活において、二酸化炭素の排出を最大限に減らす脱炭素化を進めるために、ビジネスや生活、社会のあり方を徹底的に考え直し、システムチェンジをしなければならないのです。そのためには若い人たちのアイデア、発想が大事です。どんどん出してほしい。それが社会を変える力になります。
 これからの時代を創造し、社会を構築していく主役は若者です。大人世代は若者を対等のパートナーとし、持っている技術力や経済力、ノウハウを提供する。それぞれが蛸壺から出て、若者と共に縦横無尽に連携しながら、新しく変えていく議論をしなければなりません。今、始めなければ、本当に手遅れになってしまうのです。

くにや・ひろこ 大阪府生まれ。米国ブラウン大学卒。1981年、NHK総合「7時のニュース」英語放送の翻訳・アナウンスを担当。87年からキャスターとしてNHK・BS「ワールドニュース」「世界を読む」などの番組に出演。93年から2016年までNHK総合「クローズアップ現代」のキャスターを務める。1998年「放送ウーマン賞’97」、2002年「菊池寛賞」(国谷さんと「クローズアップ現代」のスタッフ)、11年「日本記者クラブ賞」、16年「ギャラクシー賞特別賞」を受賞。

※ご感想はこちらまで heiwanobunka@seikyo-np.jp

池田先生の写真と言葉

1991年6月、ロンドン郊外のテムズ川のほとりで



1991年6月、ロンドン郊外のテムズ川のほとりで

 「聞くこと」「耳を傾けること」――それは、「心を開く」ことであり、「相手の生命を敬うこと」です。そこに、互いの触発が生まれ、新しい創造が始まります。  
                                                                     ◆◇◆    
「国家中心」から「人間中心」へ、そして、「世界は一つ」と考えていくべき時が既に来ているはずだ。  そのために必要なのは、人間の多様性を尊重し、調和と融合を図り、人類を結び合う生命の哲学だ。(中略)
 一人ひとりがエゴイズムの殻を破り、蔑視や偏見を克服して、人間性の尊き輝きを放つことだ。  
 (上は『母への讃歌』、下は小説『新・人間革命』第3巻「平和の光」から)


◆脳性まひの次女と歩む幸せになる道〈信仰体験〉 2020年6月23日
 明日になれば、空も必ず晴れる!
  
 【大阪府松原市】「人よりは、ゆっくりかもしれない。それでも、私らしく、強く生きていこうと決めています」。尾﨑真弓さん(58)=地区副婦人部長=の人生は、はたから見れば、“苦労の連続”と映るかもしれない。
 生まれてきたわが子の重い障がいが、その後の生活を大きく変えた。自身の病や、長女の不登校にも悩んだ。
 しかし悲哀の涙を越えて今、尾﨑さんの言葉には、揺るぎがない。

予想を覆す発育
 1993年(平成5年)5月29日。次女・志野さん=女子部員=が体重3020グラムで無事に生まれた時、尾﨑さんは安堵を覚えた。
 すぐ保育器に入れられはしたが、小さなわが子のしぐさは愛らしかった。
 長女、長男に加えて5人家族となり、一層、にぎやかな毎日が始まると思っていた。
 ところが何日たっても、赤ちゃんは退院できなかった。夫・直士さん(58)=常勝長(ブロック長)=は、娘の体に障がいがあり、「長く生きられないかもしれない」との医師の診断を、妻に伝えられずにいた。
 脳の形成障害のため左半身にまひがあり、心臓には3カ所の穴が開いていた。
 赤ちゃんを連れて自宅へ戻ったのは、1カ月以上も後のこと。
 退院前に、医師から説明を受けた。
 「泣きすぎたり、風邪をひいたりすると、命取りになることがあります」
 神経をすり減らす育児に、疲れ果てる毎日が始まった。なかなか御本尊にも向かえなかった。
 婦人部の先輩が何度も励ましてくれた。
 「私たちには、医学の常識さえ覆すほどの素晴らしい御本尊があるじゃない」
 尾﨑さんは、動きが少ない娘の左手足をさすりながら、一遍一遍の題目を染み込ませるように祈りを重ねていった。
 ある日、会館での中継行事に参加した時のこと。発育の遅れていた志野さんが、初めてコロンと寝返りを打った。
 その後も、固く握られていた左手が開くようになり、無理だと言われていたハイハイができるようになり……。
 少しずつ成長を重ねる娘の姿は、尾﨑さんの信心を燃え上がらせた。生後11カ月の頃には、心臓の穴が全て自然にふさがっていた。
 1歳を過ぎると、てんかん発作が起こるなど尾﨑さんの心労は絶えなかったが、池田先生の指導を支えに前を向いた。
 「お母さんが楽天的で、くよくよしないこと」「何があっても『明日になれば、空も晴れるよ!』と、楽観主義で生き抜いていただきたい」

容赦のない試練
 志野さんの成長を夫婦で喜び合う一方、日ごと尾﨑さんを苦しめたのは、“世間の目”だった。
 障がいに対する理解が、今ほど進んでいなかった当時。
 買い物に志野さんを連れて歩くだけで、容赦ない視線や言葉を投げつけられた。
 「志野ちゃんの顔、怖い」。悪気はなくても、近所の子どもたちの言葉はストレートで、胸をえぐられた。
 試練は、容赦なく襲ってくる。中学生だった長女・あすかさん(36)=婦人部員=が、学校に通えなくなったのだ。
 尾﨑さんは、これまでの自身の接し方を省みた。
 志野さんが生まれてからは、ずっとかかりきり。あすかさんに、我慢や寂しい思いをさせてきたのではないか。やむを得ない転居で、友達と離れ離れになる経験もさせてしまった。
 反抗的な態度を取る娘と、夜が明けるまでリビングで語り合った日も数知れない。わが子の“心の空”が晴れわたる日を祈り抜いた。
  
 あすかさんは、その後、21歳で定時制高校へ。一度、通えなくなったこともあったが、教員らの励ましに支えられ卒業を果たし、短大に進学。
 そして、女子部の活動に励み、やがて介護福祉士として働くように。献身的な介護実践が評価されて、母校の短大で講演を行ったこともある。
 この間、尾﨑さん自身も緑内障を患った。視野の一部は現在も欠けたまま。病と闘いながら、苦境を乗り越えた日々は、祈りの姿勢を変えたと尾﨑さんは言う。
 「それまでは、娘の障がいが“治るように”とばかり祈っていました。かなわないことを嘆く日もありました。今は、障がいがあっても幸せになる道はあると、確信できます」
 志野さんは、出生時の医師の言葉を覆すように、成長を続けた。
 兄で長男の駿行さん(30)=千葉県松戸市、男子部員=に支えられながら、地元の小学校にも登校した。
 特別支援学校を卒業した後は、地域の作業所に通っている。人前ではあまり話さないが、作業所では、人一倍おしゃべりになるという。

ずっと見ていたよ
 尾﨑さんは30代の頃、本紙の配達員を務めていたが、緑内障を発症して辞めていた。
 病の進行が落ち着き、日常生活にも支障がなくなってきたことから2013年、再び、“無冠の友”に復帰した。
 ある日のこと。配達先の家の人から「あなたと娘さんの姿を、ずっと見ていましたよ」と声を掛けられた。
 毎朝、作業所に通う志野さんを、尾﨑さんはバス乗り場まで送っていた。その2人のけなげな様子を、感心して見ていたという。
 かつて、他人からの視線や言葉に、深く傷ついた日があった。外出が怖くて、ふさぎ込んだ日もあった。
 それを思うと、“ずっと見ていたよ”との言葉は、苦悩に負けなかった自分への、最大の称賛の言葉と思えた。
  
 夫の直士さんも、前向きに歩む妻の姿に接して、学会活動に励むようになった。
 仕事上の困難にぶつかった時、夫婦で真剣に祈り、勝ち越えたことも、信心の確信へとつながっている。
 あすかさんは現在、3児の子育てで多忙な毎日を送る。
 駿行さんは千葉に住んでおり、家族5人が集まれる機会は多くない。
 それでも家族の絆は、かつてないほど強いと、尾﨑さんは感じている。
 天気の日には、尾﨑さん、直士さん、志野さんの3人で、近所を散歩する。
 ドライブに出掛けるのも、ささやかな楽しみだ。目的地があるわけではなく、最近は車から降りることもあまりないが、志野さんは気にしていない様子。
 大好きなお父さんの隣に座って、お気に入りのCDを聞いている。その上機嫌な表情を見ていると、尾﨑さんは自分の心にまで、喜びが広がっていくのを感じる。
(関西支社編集部発)

 

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