2017年9月25日 (月)

2017年9月25日(月)の聖教

2017年9月25日(月)の聖教

◆今週のことば

信心は「勇気」だ。
戦いは「勢い」だ。
満々たる生命力で
語りに語ろう!
「声仏事を為す」と。

◆〈名字の言〉 2017年9月25日
 

 唐の詩人・白居易に「点額魚」という詩がある。登り切れば竜になれるという「竜門の滝」の故事にちなんで詠んだもの▼「点額」とは“額に傷を受けること”を指し、点額魚は、滝を登り切れず、岩に打ち付けられて額に傷を負った魚のこと。その魚の気持ちはどんなものだろうと白居易は自問した▼「聞けば、竜になれば天に昇って雨を降らせる苦しみがあるそうだ。そんな苦しみをするよりは、永く魚となって自由に泳ぎまわっているほうが、あるいはかえって、ましかもしれない」(佐久節訳註『白楽天全詩集2』日本図書センター)▼大きな壁に挑み、背負わなくてもよい苦しみを背負うより、今いる場所で自由に生きているほうが幸せなのではないか――人生の岐路にさしかかった時、誰の胸にも湧いてくる微妙な心を、詩人は表現したのだろう▼しかし池田先生は、この詩を通し、論じた。「竜は竜なりに雨を降らす労苦がある。この労苦を苦悩ととるか、使命ととるか。この違いが、悪知識に敗れるか、成仏かの違いになる」「法華経の修行を完成させていくということは、より多くの人々の悩みを背負い、より大きな困難に立ち向かう使命を、喜び勇んで担うこと」だと。立正安国の大理想に挑み立つ。そこにこそ人間革命の道が開かれる。(朋)

◆〈寸鉄〉 2017年9月25日
 

 挑戦の歴史は「未来まで
 の・ものがたり」御書。
 さあ人間革命の劇を共に
      ◇
 会長ほど対話を実践して
 きた人物は類を見ない―
 米名誉教授。弟子よ続け
      ◇
 民衆よ!思いも及ばぬ巨
 大な姿を見せてやりなさ
 い―文豪。本領発揮の時
      ◇
 努力する大人の姿を見た
 赤ちゃんは我慢強くなる
 ―研究。親は子の鏡なり
      ◇
 特殊詐欺が都内で急増。
 警察装い暗証番号聞き出
 す手口も。警戒心高めて

◆小説『新・人間革命』第30巻 暁鐘の章 二十一 2017年9月25日 (6182)


 ブルガリア時間の五月二十五日午後三時二十分、ソフィア国際空港を出発した山本伸一の一行は、一路、オーストリアの首都ウィーンへ向かった。
 機中、伸一は、思った。
 “今回のブルガリア訪問で植えた文化交流と友情の苗は、大地深く根を張り、幹を伸ばし、二十一世紀の大空に、大きく枝を広げるにちがいない。また、やがて、この国にも、御聖訓に照らして、地涌の菩薩が陸続と出現する時が必ず来るはずだ。時代は変わる。ブルガリア広布の朝は、きっと来る!”
 この伸一のブルガリア初訪問から三年後の一九八四年(昭和五十九年)十月、創価大学とソフィア大学との学術交流協定が調印される。以来、創大生のソフィア大学への留学、ソフィア大学から創価大学への教員と学生の受け入れなど、活発な交流が行われていくことになる。また、九二年(平成四年)春には、伸一の「自然との対話」写真展(主催・東京富士美術館など)が、首都ソフィアの文化宮殿で開催され、開幕式にはジェリュ・ジェレフ大統領も出席している。
 九九年(同十一年)十一月には、ブルガリアを代表する知性であるソフィア大学教授のアクシニア・D・ジュロヴァ博士との対談集『美しき獅子の魂』が発刊され、その翌年には同書のブルガリア語版が完成した。
 この対談は、仏教とギリシャ正教という異なった基盤をもつ文化間の対話でもある。伸一は、東欧世界と日本を結ぶ一本の「新しい精神のシルクロード」になることを願い、対談を重ねてきたのだ。
 また、特筆すべきは、伸一の初訪問から二十年後、二十一世紀の開幕となった二〇〇一年(同十三年)の五月三日を記念し、ブルガリアにSGIの支部が結成されたことである。支部長は、創大生として初めてソフィア大学に留学したメンバーである。
 「一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか」(御書二六五ページ)――まさに、御聖訓のままに、時代は動き始めたのだ。   

【聖教ニュース】

◆全国で教学部初級試験、青年部教学試験3級を実施 16万人が受験 2017年9月25日
池田先生が受験者、役員・担当者に伝言
皆が幸福の大博士福徳の大長者
「立正安国論」「教学入門」などから出題

原田会長が、世田谷総区の受験者を激励。新入会の婦人部員は、「仕事との両立に挑戦しながらの研さんは大変でしたが、仏法の哲学を学んで、周囲のために尽くしたいとの思いを強くしました」と語っていた(東京池田記念講堂で)
原田会長が、世田谷総区の受験者を激励。新入会の婦人部員は、「仕事との両立に挑戦しながらの研さんは大変でしたが、仏法の哲学を学んで、周囲のために尽くしたいとの思いを強くしました」と語っていた(東京池田記念講堂で)

 学会伝統の「教学部初級試験・青年部教学試験3級」が24日午後1時半からと同7時半からの2回、全国1659会場で実施。16万人の尊き同志が挑戦した。池田大作先生は伝言を贈り、受験者、役員・担当者をたたえた。試験は御書2編と教学入門から出題。受験者は60分間の試験に臨み、研さんの成果を存分に発揮した。各地の会場では原田会長ら各部のリーダーが激励した。(2・3面に関連記事。5面に試験問題と解答)
 多忙な生活の合間を縫うように、日々、一生成仏と世界平和を実現する日蓮仏法の研さんに挑んだ友。
 池田先生は伝言の中で、世界第一の生命哲学を探究する求道の挑戦は、御本仏・日蓮大聖人が御照覧であり、その功徳は計り知れないと賞讃した。
 そして、皆が合否を超えて、「行学の闘士」「幸福哲学の大博士」「福徳無量の大長者」であると強調。
 さらに、混迷を深める現代の世界で「立正安国」の祈りと行動を貫く一人一人こそ「地涌の賢者」であると真情を語った。
 最後に、仏法の真髄を学んだ受験者に対して「どうか、胸を張って、『師子王の如くなる心』を燃え上がらせ、人間革命と広宣流布の希望の大道を進み抜いていってください。そして、異体同心の同志と仲良く明るく励まし合い、大きく仏縁を結び広げながら、『歓喜の中の大歓喜』の勝利劇を飾っていただきたい」と呼び掛けつつ、役員・担当者に心からの感謝を述べた。
 今回の試験は、全5問で構成されている。
 問1、問2はそれぞれ「立正安国論」「佐渡御書」から出題。御執筆の背景とともに、要文の正確な理解やその趣旨が問われた。
 問3、問4は「教学入門」から。法華経に説かれる法理や日蓮大聖人と法華経の関係性、一念三千、御本尊などについての問題が出された。
 問5は「世界広布と創価学会」から出題。仏教の人間主義の系譜について尋ねるとともに、御文に即して日顕宗の邪義を破折する力が求められた。
 原田会長は、世田谷区の東京池田記念講堂に集った受験者のもとに駆け付けた。
 日蓮仏法こそ人類の未来を開く力であると力説。御書を心肝に染め、自身の心に崩れざる幸福と勝利の基盤を築こうと語った。
 志賀男子部長は埼玉の上尾平和会館、伊藤女子部長は第2総東京の町田文化会館を訪れ、友を激励した。
◆SOKAチャンネルVODに新番組 「青年よ未開の広野を進め――池田先生と北海道」
「札幌・夏の陣」など広布史に短期決戦の勝利の要諦学ぶ

機中から見た北海道の空に“勝利のVサイン”を描く雲が(1994年8月、池田先生撮影)。VODの番組には、この写真を北海道の同志に紹介する場面も収録されている
機中から見た北海道の空に“勝利のVサイン”を描く雲が(1994年8月、池田先生撮影)。VODの番組には、この写真を北海道の同志に紹介する場面も収録されている

 SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)に新番組「青年よ 未開の広野を進め――池田先生と北海道」が追加された。
 創価三代の会長が青春の炎を燃やし、駆け抜けた天地・北海道。「難攻不落の三代城」とたたえられる師弟有縁のこの地の勝利劇には、常に、池田先生の青年の気迫と、障魔を打ち砕く正義の師子吼があった。
 1955年(昭和30年)8月の「札幌・夏の陣」――わずか10日間で、388世帯の全国一の弘教を成し遂げた折伏闘争である。
 池田先生の戦いは、主戦場である札幌に行く1カ月以上前から始まっていた。当時の中心者に何通もの手紙を送り、会合の式次第など細部にわたり準備を進めた。「共に十日間を、何年にも越ゆる斗争と致し度く、心を躍らして居ります」と。
 後に先生は、「戦いを決するのは全軍の勢いである」と随筆につづっている。池田先生の電光石火の行動から、短期決戦を勝利で飾る要諦を学ぶ。
 また、「小樽問答」や「夕張炭労事件」などでの池田先生の貴重な音声等を紹介。さらに、天売島の同志のエピソードを通し、北海道と先生の絆に迫る。
 15分。VODが利用できる会館等や「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴することができる。モバイルSTBで視聴する際は、インターネットを通して、ダウンロードが必要となる。

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈世界の機関紙・誌から〉 ペルーSGI ビルマ・コントレラスさん 2017年9月25日
社会福祉の総合コーディネーター  全ての人の可能性を信じ抜く
職場でなくてはならない人に
 

 地方で貧しい生活にあえいでいたわが家は、私が幼い頃に活路を求めて首都リマに移り住みました。母が営む野菜と果物売りの仕事を、子どもの私も手伝っていました。

2017年9月24日 (日)

2017年9月24日(日)の聖教

2017年9月24日(日)の聖教

◆わが友に贈る

私たち一人一人が
平和創造の主体者だ!
立正安国の大精神は
創価の連帯に脈々。
誇り高く進みゆこう!

◆〈名字の言〉 2017年9月24日

 160年前の幕末。8畳一間の「松下村塾」には多くの青年が入塾した。しかし吉田松陰が教えた期間は実質2年4カ月。門下には町民や農民の子もいた。なぜ短期間で逸材が育ち、日本を動かす力になったのか▼当時27歳の松陰は“草莽崛起”の思想を持つ。“時代を変革するのは支配層ではなく庶民”との意味。本年、山口市で開かれた聖教文化講演会で、講師の小山良昌氏は「国のために至誠を貫く松陰の立志が、庶民を“行動する志士”に育てた」と語った▼広布史に輝く「山口開拓指導」。28歳の池田先生を先頭に、山口の会員世帯は約10倍に拡大した。延べ22日間の短期間。同志もまた新入会者が多かった。後年、先生は松陰に学ぶ“短期戦の鉄則”を3点挙げた▼①「勝利への揺るぎなき一念」。“必ず勝つ”との師弟不二の一念に立てば、無限の知恵が湧く。次に②「祈りを合わせる」。広布の大願に祈りが合致すれば、団結の力は千倍、万倍に。そして③「電光石火のスピード」。時を逃さず、迅速に手を打つことが肝要である、と▼御書に「吼とは師弟共に唱うる所の音声なり」(748ページ)と。師匠と同じ心で「決めて」「祈って」「行動する」のが創価の勝利の方程式。この“師弟共戦の師子吼”から、新たな広布の夜明けが訪れる。(子)

◆〈寸鉄〉 2017年9月24日

 初級・3級試験。信心の挑
 戦者に功徳燦然。大聖人
 直結の歩みこそ凱歌の道
      ◇
 知識と勇気は偉大な仕事
 をつくる―哲人。青年よ
 行学の両輪で勝利せよ!
      ◇
 御書「かしこへ・おしかけ
 ・ここへおしよせ」。大胆
 に動いて大きく仏縁拡大
      ◇
 環境衛生週間が開始。小
 さな努力が地球を守る。
 まずは自分の意識変革を
      ◇
 糖尿病の疑い、初の1千
 万人超と。過度な飲食に
 注意。聡明な食生活から

◆社説  はつらつと友のもとへ  広布の活動こそ健康長寿の軌道

 健康は、全ての活動の源であり、大事な人生の礎である。
 季節の変わり目は、一日のうちでも寒暖差があり、体調を崩しやすくなる。御書に「貪り・瞋り・癡かの三毒が次第に強盛になっていくにしたがって、次第に人の寿命も縮まる」(1465ページ、通解)と仰せだ。煩悩に流されない聡明な生き方が求められよう。食生活や運動など、身近なところから生活リズムを整えて、万全の体調管理を心掛けたい。
 健康上の問題で日常生活が制限されず生活できる期間を「健康寿命」という。厚生労働省によると、平均寿命と健康寿命には、男性で約9年、女性で約12年の差がある(平成25年)。長寿社会を迎えた今、いかに健康な人生を歩むかが問われている。
 健康は、ある一定の状態を指すのではなく、変化するさまざまな環境への“適応”という視点が重要であるという。このことについて、池田先生は「仏法では、生命活動を支え、創造していく力のことを『妙』と表現しています」と語っている。
 その「妙」の力には三つの意義がある。すなわち、常に新しい局面に対して創造性を発揮する「蘇生」、身体全体をダイナミックに調和させる「具足(円満)」、環境に対して開かれた能動性で働きかける「開」。信心根本に生き抜く人には、この「妙」の力が涌現する。
 乳がんを乗り越えた、宮崎県のある婦人部員は、“まさか自分が病気になるなんて”と落ち込んだ。しかし、「地域の学会の皆さんが『祈っているよ』と励ましてくれて、“必ず健康に”と心が強くなっていきました」と。その後、病気を克服し、がん検診の受診を推進するボランティア団体を設立。「学会活動で教わった“人のために”行動する生き方に、本当の充実を感じます」と笑顔があふれる。
 友のために祈り、友のもとへ足を運び、友と共に語り、励まし合う――学会活動に走る人には、健康な生命が光る。池田先生は語っている。「学会員の皆さまは、広宣流布という『大目的』に向かっている。真実の『楽観主義』で進んでいる。エゴと独善がはびこる、社会の現実の真っただ中で、法のため、人のため、社会のために尽くし、みずから『生きがい』と『希望』をつくっている。どれほど尊い人生か。これ以上の健康長寿の軌道はない」
 誰もが、おのおのの状況に応じた生きがいある人生を歩み、生命の輝きを放つ創価の民衆運動。実りの秋を迎え、今日もはつらつと広布の活動に励もう。

◆きょうの発心   自身が変わり一家和楽を実現


御文
 妙荘厳王品と申すは殊に女人の御ために用る事なり、妻が夫をすすめたる品なり、末代に及びても女房の男をすすめんは名こそかわりたりとも功徳は但浄徳夫人のごとし(日女御前御返事、1249ページ)
通解 妙荘厳王品というのは特に女性のために大切な経であり、妻が夫を勧めた経である。末法においても妻が夫を勧める功徳は名は変わっても、浄徳夫人と同じである。  
 
 
法華経妙荘厳王本事品に説かれる、妻子が父・妙荘厳王を正法に帰依させた説話を通して、夫に信心を勧める妻の功徳を教えられています。
 結婚当初、夫は入会したものの、私が学会活動に参加することに反対していました。一家和楽を願っていた時に、池田先生の指導を通してこの御文に出あい、全てを夫のせいにしていた自身の姿勢を反省。"まず自分が変わろう"と祈るようになったのです。
 夫の前でも勤行・唱題をするようになり、折伏にも挑戦。入会した知人の夫が「私も学会に入りたい」と言ってきました。驚いたことに、それを聞いた私の夫も信心を勧めてくれたのです!
 以来、共に活動に励むようになり、現在、夫は本部長に。1989年(平成元年)には、創価大学で、親子4人が一家和楽の姿で、池田先生にお会いできました。
 報恩感謝の思いで、私たち所沢県から拡大の大波を起こしていきます。
  埼玉・所沢県婦人部長 中山あつむ

【先生のメッセージ】

◆〈池田大作先生 四季の励まし〉 今こそ「黄金の自分史」を綴ろう 2017年9月24日

 「いざ」という時が大事だ。
 その時に
 はじめて人間の真価が分かる。
 意気地なしであってはならない。
 圧迫が強ければ強いほど、
 朗らかに、
 堂々と正義を語り抜く――
 これが学会精神である。

 日々、前進だ!
 日々、決戦だ!
 日々、勝利だ!
 広宣流布に生き抜く我らに
 停滞はない。
 前進してやまぬ生命
 それ自体が常に勝利者である。
 時を逃すな!
 スピードが力だ。
 勢いで決まる。

 今この瞬間の一念が変われば、
 それが「現在の因」となって
 「未来の果」を
 いくらでも変えていける。
 日蓮仏法は、太陽の仏法である。
 わびしさや諦めなどない。
 愚痴をこぼすことなどない。
 今の一念がどうか。
 それによって、常勝の道が
 深く、強く、できあがっていく。

 ひるむ前に「行動」である。
 「行動」すれば、
 どんな困難の山も越えられる。
 まず足を踏み出すことである。
 前に進むことである。

 かけがえのない今この時に、
 何をすれば一番、価値的か。
 それを明確にして、
 「黄金の自分史」を
 綴り残していただきたい。
 師弟不二の歯車に、
 わが心のギアを、
 がっちりと、かみ合わせ、
 皆が力を合わせてこそ、
 勝利は輝く。
 心一つに進むのだ。
 紺碧の空のもと、白雪を冠したアンデスの山々が幾重にも連なる。1993年(平成5年)2月、池田大作先生が、南米パラグアイからチリへ向かう機中で撮影した。60年(昭和35年)10月から始まった世界広布の平和旅は、この時ちょうど、50カ国・地域目になろうとしていた。

 人生、誰にでも試練の山がある。まして、「広宣流布」という大いなる目標への途上には、必ず大きな山が立ちはだかる。しかし、臆していては、勝利の峰に到達できない。眼前にそびえる山が高く、険しければ険しいほど、登攀した喜びは大きい。洋々たる未来も開かれる。
 さあ、自身の勝利の峰へ、新たな一歩を力強く踏み出そう!

【聖教ニュース】

◆全国で秋季彼岸勤行法要 2017年9月24日

 
原田会長が出席した勤行法要(東京国際池田記念講堂で)
原田会長が出席した勤行法要(東京国際池田記念講堂で)

 創価学会秋季彼岸勤行法要が「秋分の日」である23日を中心に、全国の主要会館、墓地公園、納骨堂などで営まれている。
 池田先生は23日、総本部(東京・新宿区)の創価学会第2別館で厳粛に勤行・唱題。広宣流布の途上で亡くなられた全国・全世界の同志をはじめ、家族、先祖、全ての方々の三世永遠にわたる福徳・安穏を深く祈念した。

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆明日を求めて 池田先生の対話録 第4Ⅱ3回 周恩来総理との会見の通訳 林麗韞氏 「人民に奉仕」。この総理の心を中日の青年に伝えたい

八王子市の東京牧口記念会館に、林麗韞氏㊧を歓迎する池田先生ご夫妻。周恩来総理との思い出を巡る語らいは終始、日本語で和やかに。窓の外には秋の輝き――「周総理は桜がお好きでしたが、日本の紅葉をごらんになったら、きっと愛されたにちがいありません」と氏は語った(1999年11月5日)
八王子市の東京牧口記念会館に、林麗韞氏㊧を歓迎する池田先生ご夫妻。周恩来総理との思い出を巡る語らいは終始、日本語で和やかに。窓の外には秋の輝き――「周総理は桜がお好きでしたが、日本の紅葉をごらんになったら、きっと愛されたにちがいありません」と氏は語った(1999年11月5日)

 「あの日のことは、今も、私の心に鮮烈に刻まれています」
 林麗韞氏は、かつて本紙のインタビューで語った。
 氏が回想した「あの日」とは、1974年12月5日。池田先生が中国の周恩来総理と、北京市内の病院で会見した日である。氏は、通訳として同席していた。
 「周総理と池田先生がしっかりと手を握り合った瞬間をはっきりと覚えています。思い出すたびに胸が熱くなります。この歴史的な瞬間にまみえたことを、いつも自分の励みにしてまいりました」
 総理との会見に先立つ74年10月、中国中央楽団団長として来日していた氏を、先生は関西文化会館(当時)に歓迎している。
 2カ月ぶりの再会で、氏は、先生と総理の、最初で最後の会見の“証言者”となった。
 膀胱がんを患っていた総理が、北京の305病院に入院したのは会見の半年前だった。がん切除の手術を2度受けた総理の体は、極度に衰弱していた。
 “命の保証はできない”との医師の忠告を押し切って、総理は先生との会見を強く望んだ。
 会見中にも、「そろそろお休みください」と書かれたメモが、総理の手元に届いた。だが、それに目も通さず、総理は語り続けた。この時すでに、総理は自らの命が長くないことを知っていた。
 日中友好の未来を託すような総理の言葉を、心を、伝える役目を全うしたのが氏であった。
 「われわれは、世々代々にわたる友好を築かねばなりません」
 「20世紀の最後の25年間は、世界にとって最も大事な時期です。すべての国が平等な立場で助け合わなければなりません」
 この総理の心を継ぎ、先生は中国の歴代指導者らと出会いを結び、友好の未来を開いていった。
                     ◇ 
 林氏は33年、台湾生まれ。小学2年生の時に一家で来日し、兵庫県神戸市で12年間を過ごした。
 戦時中、大好きな神戸の町が焼かれた。平和のために働こうと決めたのは、その悲惨な光景を目に焼き付けたからである。
 高校卒業後は神戸中華同文学校で教壇に立ち、52年、建国されたばかりの新中国に渡る。54年からは、周総理の通訳を務めた。
 創価学会の発展に注目していた総理の指示で、関西文化祭(66年9月)の記録フィルムを見たのも氏である。雨の中で泥まみれになりながら演技をする青年の姿に、強く胸を打たれた氏は、“大衆を基盤とした活力のある団体”との印象を総理に伝えている。
 若き日の思い出を、氏が池田先生に語ったのは、99年11月5日。東京牧口記念会館での会見の折である。冒頭、先生は言った。
 「周総理は世界一の大政治家であり、傑出した指導者でした。天が遣わしたかのような不思議な方でした。周総理のもとで長らく通訳をされた林先生に、きょうは、さまざまに思い出を語っていただきたいのです」
 こうして会見は、総理との思い出などについて先生が質問し、氏が答える形で進んだ。
 ――行事を終えたある日の明け方、ドアを開けると、冷たい風が入ってきた。側にいる関係者に、総理はそっと自分のコートを掛けたという。
 ある時は、記念会の会場に入れなかった人たちに会うため、総理は第2、第3会場にも足を運び、丁重に歓迎した――。
 氏の回想の一つ一つから、総理の温かな人柄がにじみ出ていた。
 先生は「何と美しいお話でしょうか。この人柄、この振る舞い。日本を含め、全ての指導者に聞かせたい」と。
 さらに、先生が「中国語で一番好きな言葉は」と聞くと、氏は、総理が語ったという「人民に奉仕する」との言葉を挙げた。そして、こう続けた。
 「これを一生涯、やり通すためには、自分の修養を深めなければなりません。人民に奉仕――池田先生の『人類愛』に通じると思います」
 また、通訳に当たって総理が氏に送ったアドバイスについては、「単に『言葉』を伝えるだけでなく、『心』を伝えなければならない」と。
 心を伝える――そのために、総理が怒っている時は、自らも強い口調で。総理が喜んでいる時は、自分も弾む口調で。そうした通訳を、氏は心掛けたという。
 74年の総理との会見で、強く先生の印象に残った場面がある。薄着でいた香峯子夫人を見て、氏は「それでは寒いでしょう」と、自身のコートを貸したのである。
 先生は、後につづっている。
 「なにげない振る舞いのなかに、周総理の薫陶が染みこんでおられた。それは『総理の心を伝える』という通訳の使命に徹してこられた結果であるにちがいない」
                                                                             ◇ 
 99年の会見で、林氏は「若い人々には、心に、平和への愛の根を下ろしてほしい」と。
 それに先立ち創価大学を訪れた折にも、歓迎する学生たちを前にはつらつとした声で語った。「皆さまと、中国の青年たちが手を取り合って、『21世紀の友好』を築き、平和を守ってください!」
 先生の提案で、中国最大の青年団体・中華全国青年連合会(全青連)と学会青年部の間に「交流議定書」が交わされたのは、85年。
 総理が念願した「世々代々の友好」の証しともいうべき交流は、今も活発に続いている。
 今月、日本と中国の国交正常化から45周年の佳節を迎える。
 今日を開いた先人の心を知る青年たちがいる限り、友好の根から風雪に揺るがぬ大木が育ち、平和の空へと天高く伸びていく。

 林麗韞(りん・れいうん) 1933年、台湾生まれ。小学2年から日本の神戸に住む。兵庫県立湊川高等学校卒業後、神戸中華同文学校教師を務める。52年に中国に渡り、北京大学で学ぶ。日中友好のために働くようになり、54年から周恩来総理の通訳に。72年の日中国交正常化交渉や、74年の池田先生と周総理との会見の通訳等を務めた。党中央対外連絡部局長、中日友好協会理事、全国人民代表大会常務委員会委員、同華僑委員会副主任、全国婦女連合会副主席などを歴任した。
 〈引用・参考文献〉池田大作著『地球市民の讃歌――世界の指導者と語るⅡ』潮出版社、同著『新・人間革命』第20・28巻、張佐良著『周恩来・最後の十年』早坂義征訳・日本経済新聞社ほか。
ご感想をお寄せください news-kikaku@seikyo-np.jp

◆〈信仰体験 生きるよろこび〉 「網膜芽細胞腫」「脳腫瘍」と闘ったわが子と共に 

 【沖縄市】「病と闘ってきたわが子から、たくさんのことを教えられました」。石垣知恵さん(50)=中の町支部、地区婦人部長=の長女・愛華さん=大阪市鶴見区、華陽リーダー=は、生後4か月で「網膜牙細胞腫」と診断された。

母 知恵さん
 <生後4ケ月の愛華さんが病魔に襲われたのは、1989年(平成元年)。眼球の網膜に発生する、両眼性の「網膜芽細胞腫」だった。特に左目は深刻で、医師の説明は「腫瘍を眼球とともに摘出するしかありません」と>
 自分の目で物を追えるようになった愛華が、大きな病になってしまうなんて。信じることなどできませんでした。
 心の整理が付かないまま、手術が行われたのです。左目には義眼が入りました。私が代わってあげたい。何度、そう思ったか分かりません。胸を引き裂かれるようでした。
 創価学会に入会していた夫の家族から仏法の話を聞き、「形だけ」と入会を決めたのは、愛華が小学1年の時でした。
 会合に行くと、病気や経済苦など、さまざまな困難を抱える同志が、前向きに生きている姿に感動しました。そして、「宿命を使命に変える」という池田先生の言葉は、私にとって大きな支えでした。”一家の宿命であるなら、まず私がこの信心で立ち向かおう”と、思えたのです。

娘 愛華さん
 <愛華さんは中学3年になると、頭痛と吐き気を訴えるようになる。検査の結果、脳の中心部に6センチの主要が見つかった。「手術で取り除くことはできません。抗がん剤で治療はできても、年単位で生きられるかどうか・・」と医師は告げた>
 病室でお母さんが、毎日読んでくれた聖教新聞。池田先生の指導や御書の一節に、勇気が湧きました。時には、「今の愛華のための言葉だね。頑張ろうね」と励ましてくれて。
 「必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり」(御書1091頁)の御文を、何度も声に出して読みました。
 「祈りは具体的にしようね」とお母さんからアドバイスされ、<絶対に退院する> <高校に合格する> <一家和楽、一歩前進・・・>と紙に書いて、題目を唱え続けました。
 入院以来、地区の同志の皆さんが毎日のように私のために祈ってくださって。その温かさに触れ、必ず元気になって恩返しをしようと決めました。

母 知恵さん
 <愛華さんは、大量の化学療法による副作用に苦しんだ。ひどい倦怠感。髪の毛も抜け落ちた。その後も、造血幹細胞の自家移植を行うなど、治療は約1年間続いた>
 つらい治療にも弱音を吐かず、ベッドの上で題目を唱える愛華の姿に、私の方がどれほど励まされたことか。希望を捨てずに、必ず乗り越えよう。その気持ちだけで前を向けました。
 「腫瘍がどんどん小さくなっています。ここまで抗がん剤が効くとは思いもしませんでした」との医師の言葉に、愛華とますます祈りに力を込めました。1年後、「腫瘍の集積は認められません」と言われ、退院することができたのです。
 高校を卒業した愛華は、盲学校へ、その後、マッサージ師・鍼灸師の資格を取るための挑戦が始まりました。
 国家試験の直前には、右目の視力が急激に低下しながらも、懸命に勉強に励み、合格することができました。何があっても努力を続けるわが子。頼もしくて誇らしかった。でも愛華は、人知れず、悩みに押しつぶされそうになっていたのです。

娘 愛華さん
 <3年前から、愛華さんの右目の視力は急激に悪化し、今では、明暗だけしか判別できない。愛華さんは、拭えない恐怖と不安を抱えた>
 ”以前のように見えるようになりたい”。それが私の祈りでした。それなのに、右目の視力まで失ってしまった。
 一人で歩くことはできず、何をするにも誰かの手を借りなければならなくなりました。いら立ちと情けなさ。誰もいない部屋で、たくさんの涙を流しました。”信心してきたのに、どうして・・・”と初めて疑う心も持ちました。
 これまでの人生を振り返りました。浮かぶのは、”お母さんに苦労を掛け続けてきたのでは”ということ。”お母さんを苦しめるために私は生まれてきたのか”と。
 お母さんは泣きながら伝えてくれた。「愛華が生きていてくれることが、お母さんの幸せなのよ」と。2人で泣きました。自分が生きるということ。それがお母さんにとって幸せになる。だから、今の私は、私らしく、ありのままで生きていこうとーー。

母 知恵さん
 <2015年(平成27年)一つの出会いをきっかけに、愛華さんは、使命の道を歩みだす。石垣さんは、わが子の挑戦を全力で応援しようと決めた>
 ある日、愛華は、視覚障がい者へ向けた「ブラインドメイク」記事と出あいました。自分の手指に口紅やアイシャドーを付け、指の感覚で化粧をしていくのです。「私もやってみたい」とうれしそうに話す姿。愛華は、迷わず「ブラインドメイク」を行う協会へ電話しました。
 白杖を使用するための生活訓練を経た後、昨年6月、職業訓練を受けるため大阪へ。
 土曜日曜には、メークのレッスンも受け、数カ月後には、一人でフルメークができるまでに。メーク道具をほとんど使わず、両手で化粧をする愛華のうれしそうな表情は忘れられません。
 初めて経験する一人での生活。炊事、洗濯、電車を使っての移動など、心配事は尽きません。しかし、大阪の同志の皆さんが家族のように見守ってくださり、これほど心強いことはありません。
 「大変なこともあるけど、頑張っているよ」と、電話で愛華の声を聞くと、私も元気をもらえます。

娘 愛華さん
 <来月、美容関係の職場に就職する愛華さん。事務職をしながら、後援会などにも出席し、「ブラインドメーク」の普及活動にも力を入れていく>
 振り返れば、病に苦しんできた青春時代でした。視力があれば・・・という気持ちは正直、今でも感じます。
 でもそれ以上に、今の私でなければ出会うことができなかった人がたくさんいます。こうして新しい道を探すこともできました。
 だから私は、今の私が好き。これからも、ありのままの姿で挑戦の人生を送りたい。
 この信心があれば、どんな苦労や悲しみも、捉え方一つで、心を磨いていくチャンスにしていける。それをお母さんが教えてくれた。感謝しかありません。
 私のもう一つの夢。それは、お母さんを世界一、幸せにしてあげること。池田先生がいつも教えてくださる”親孝行”をしたい。だからお母さん、いつまでも元気でいてください。



 

2017年9月23日 (土)

2017年9月23日(土)の聖教

2017年9月23日(土)の聖教

◆わが友に贈る

仏法者の真価は
「振る舞い」にあり!
礼儀や言葉遣いなど
大誠実の真心と行動に
納得と共感が広がる。

◆〈名字の言〉 2017年9月23日
 

 今年9月のカレンダーを見ると、同じ週に敬老の日(18日)と少年少女部結成記念日(23日)が並ぶ。まるで広布草創を生き抜いた多宝会の先輩の後方で、「次は任せてください!」と未来部メンバーが頼もしく構えているようでうれしくなる▼9月度の座談会での一幕。池田先生が多宝会の同志に贈った随筆を少年少女部の友が群読。続いて、参加した多宝会全員が「大いなる希望」を合唱し、エールを交換した▼随筆を読む子どもたちの力強い声が会場に響く。「何があっても負けることなく、『常楽我浄』の幸風を薫らせ、自他共に豊かな人生の四季を織り成していく最極の力が、妙法である。広布の幾山河を勝ち越えてきた多宝会の友の人生劇が、その何よりの実証ではないか」。来し方を思う多宝の友の瞳は涙で輝いていた▼次に広布の大先輩たちが若々しく合唱した後、代表して壮年部員が語った。「先生と共に広布に生きて、つかんだ信心の醍醐味と喜びを、余すことなく後継の宝に伝え切っていきます!」。その決意を参加者は喝采でたたえた▼世代を超えて、創価の心が引き継がれていく。その心を受けた後継者の活躍は、伝えた側と受けた側の双方に功徳をもたらす。人材育成は、未来とわが人生の勝利を盤石にする。(城)

◆〈寸鉄〉 2017年9月23日

 全国で彼岸法要。妙法は
 成仏の根源の法。広布の
 同志の祈りが最高の追善
      ◇
 少年少女部の結成記念日
 おめでとう!使命も深き
 若芽よ強く賢く伸びゆけ
      ◇
 信心は一瞬一瞬を大事に
 生きるということ∣戸田
 先生。さあ悔いなく挑戦
      ◇
 週末の寝だめは体内時計
 乱れ逆効果∣専門家。朝
 夕の勤行でリズム正しく
      ◇
 大卒内定率が過去最高。
 頑張れ未来の主役。更な
 る雇用改善へ公明が先導

◆小説『新・人間革命』第30巻 暁鐘の章  二十 2017年9月23日 (6181)



 ブルガリア建国千三百年を祝賀する「文化の日」のパレードが、二十四日午前、「九月九日広場」で盛大に行われた。山本伸一も招待され、ジフコフ国家評議会議長をはじめ、ブルガリアの政府閣僚らと共に、この祭典に出席した。
 前日の雨もあがり、初夏の太陽がまばゆかった。小・中学校や高校、大学、職場や地域のグループなど、老若男女の集団が、さっそうとパレードを繰り広げていく。キリル兄弟を讃えた大きな絵も掲げられ、パレードに花を添えていた。吹奏楽団は軽快な調べを奏で、バトントワラー隊は躍動の演技を披露しながら進む。
 ソフィア大学のパレードの先頭に立っているのはディミトロフ総長であり、教授、学生が続いていた。幼い子どもの手を引いたり、肩車をして歩く市民の姿もある。カーネーションを振っている人たちもいる。
 心は一つにつながりながら、笑みの花が咲く、伸びやかで人間味豊かな大行進である。
 来賓として招かれていたモスクワ大学のV・I・トローピン副総長は、伸一に言った。
 「ここにはヒューマニズムがあります。その理想は創価学会の精神にも通じています」
  
 翌二十五日の午後、伸一の一行はブルガリアを発った。ソフィアの空港に見送りに来たアレクサンドロフ文化委員会副議長は、頰を紅潮させながら語った。
 「私たちも、世界的な活躍をなさっている先生の、友人の一人に加えていただければ幸甚です。文化委員会のジフコワ議長も、先生ご夫妻の訪問を心から感謝し、『くれぐれもよろしく』と申しておりました」
 そのジフコワ議長は、二カ月後の七月二十一日に急逝する。享年三十八歳であった。早すぎる死を世界が惜しんだ。
 ブルガリアの美しき純白の花は、すべてを覚悟のうえで、全力で働き抜き、鮮やかに散った。伸一は峯子と共に、信念に生き抜いた気高き生涯を偲びつつ、冥福を祈った。 

◆〈季節の詩〉 埼玉・日高市 巾着田の曼珠沙華 2017年9月23日

 

 500万本の彼岸花が秋風に揺れていた。別名は曼珠沙華。法華経の序品では、釈尊が法華経を説こうとしたとき、天が祝福し散華したと記される。
 きょう23日は彼岸の中日。かつて、池田先生は語った。「『彼岸』は、太陽を巡る地球の運行リズムの区切りでもある」「縁ある方々への報恩感謝の祈りを忘れず、心新たに未来へ進みゆく出発点としていきたい」と。(9月19日=吉橋正勝記者撮影)

【先生のメッセージ】

◆〈随筆 永遠なれ創価の大城〉24 「行学の闘士」の誉れ 2017年9月23日

 
自信満々と学べ 語れ! 太陽の哲理を

さあ勇気凜々、希望の海へ!(池田先生撮影。21日、神奈川文化会館から)
さあ勇気凜々、希望の海へ!(池田先生撮影。21日、神奈川文化会館から)

 御本仏・日蓮大聖人は高らかに宣言なされた。
 「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」(御書二五四ページ)と。
 我らには「太陽の哲理」がある。「仏法」即「社会」という赫々たる英知の大光がある。
 ゆえに、いかなる混沌の闇にも惑わない。
 いかなる変化の乱気流にも怯まないのだ。
 夕張炭労事件の渦中、苦難をものともせぬ北海道の朗らかな同志と、この御文を心肝に染めて、意気天を衝く気迫で邁進したことも懐かしい。
 今年は、恩師・戸田城聖先生の熱誠によって、『日蓮大聖人御書全集』が出版されて六十五周年の佳節である。
 先生は「発刊の辞」に、我ら学会は「大聖人の御書を敬い之に親しむこと天日(=太陽)を拝するが如く」と綴られた。
 草創以来、創価家族は常に御書を開き、無限の生命の陽光を浴びて、確信の対話を広げながら一切を勝ち越えてきた。
 まさに、「御書根本で勝つ」ところに、学会精神の真髄がある。
 後半戦の出発に、わが愛する求道の同志は、教学部初級試験・青年部教学試験三級に取り組み、「行学の二道」の金の汗を流してきてくれた。
 合否を超えて、一人ももれなく信心の勝利者に――これが、私の偽らざる念願である。
 受験する宝友を支えてくれた先輩方に、満腔の感謝を捧げるとともに、この尊き研鑽を通して、実りの秋に“勝ち戦”の確かなリズムが刻まれたことを讃えたいのだ。

立正安国へ立つ

 この二十一日、私は妻と共に、三年ぶりに神奈川文化会館を訪問した。彼岸にあたり、追善回向をさせていただき、そして日本全国、全世界の同志に届けと真剣に勤行・唱題を行った。
 また、九州はじめ日本各地の台風の被災、カリブ海地域・米国南部を襲うハリケーンやメキシコの大地震等々、大規模な災害も続いている。
 「立正安国」を願われた大聖人の御心を拝しつつ、大切な宝友の無事安穏、速やかな復興、救援に当たる方々の健勝を強盛に祈る日々である。
 「正義」の神奈川は、まさしく大聖人が「立正安国」の大闘争を起こされた天地に他ならない。
 「立正安国論」には、「言わずんばある可からず」(同一七ページ)とある。一宗一派のためではない。民衆の幸福と安穏のため、「今、真実を語らずして、いつ叫ぶのか!」との炎の仰せであられる。
 一九五七年(昭和三十二年)の九月、核兵器の脅威が高まる中で、戸田先生は「原水爆禁止宣言」を、ここ神奈川から放たれた。それは、大聖人に直結する「立正安国」即「世界平和」への師子吼であったといってよい。
 この宣言の草稿を書き留められた先生の手帳も、懐かしく拝見した。
 六十周年の本年、神奈川の友は、世界の若人と共に、宣言の大精神を力強く響かせてくれた。
 折しも、国連本部で「核兵器禁止条約」の署名式が行われ、各国の署名も進む今、平和を願う市民社会の声をさらに結集し、強めてまいりたい。
 神奈川文化会館からの帰路、車窓から鶴見の記念講堂を眺めた。草創の鶴見支部の同志たちと「立正安国論」を学び合ったことも蘇る。
 「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」(同三一ページ)――今、お隣の韓国をはじめ世界中の同志も、「立正安国の対話」を誠実に繰り広げてくれている。
 わが一念の変革から、人生も、環境も、やがて世界も変えていける。その人間革命の哲理が、どれほど勇気と希望の光源となることか。
 「自他共の幸福」を祈り、友情の対話と社会への貢献を積み重ねることこそが、最も地道でありながら、最も確実な世界平和への直道なのだ。
 「立正安国論」の結論の段には、「汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり」(同三二ページ)と呼び掛けられている。
 「決意」は即「行動」である。
 立つべき時に立つ!
 時を逃さずに戦う!
 電光石火の共戦こそ、創価の師弟の心であり、楽土を築きゆく地涌の闘争なることを忘れまい。

カッシナの戦い

 人生も社会も「いざ」という時が勝負である。
 芸術の秋、広島県立美術館で開催中の「レオナルド・ダ・ヴィンチと『アンギアーリの戦い』展」(東京富士美術館企画)で展示されている、誠に示唆深い名画がある。
 巨匠ミケランジェロが描いた「カッシナの戦い」の下絵の模写である。
 その戦いは、一三六四年、フィレンツェ軍が勝利した史実である。しかし、周到に準備して臨めた戦いではなかった。
 暑さをしのぐため、軍が休憩をとり、アルノ川で水浴びをしている最中に、突如、敵軍の襲撃の報せを受けたのである。
 さぞかし驚いたに違いない。だが、フィレンツェ軍の兵士たちは直ちに川から上がり、身支度を整え、郷土のための戦いに渾身の力で挑んでいった。その逞しい勇者たちの群像を、ミケランジェロは描いたのである。
 現実は、思いも寄らぬ事態に遭う時がある。
 しかし、逡巡せず決然と行動を開始するのだ。そして自らのなし得る限りを、信ずる仲間と共に一気呵成に果たしていくのだ。この「やらんかな」の心意気に、逆転勝利の道は必ず開かれる。
 「わたしは自分の今あるもろもろの条件の下で最善をつくすだけだ」とは、ミケランジェロの信条であった。

わが境涯を開け

 広宣流布、立正安国の大闘争は、そのまま一人ひとりが宿命転換を加速し、一生成仏の大境涯を開く戦いに他ならない。
 竜の口の法難、佐渡流罪という大難の中で、勇気ある信心を貫き通してきた一人の鎌倉の女性門下がいた。夫に先立たれ、幼子たちを抱えて懸命に生きる母であった。
 大聖人は、亡き功労の夫君のことも追善されつつ、心を尽くして一家を励まされた。そして仰せになられたのである。
 「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」(御書一二五三ページ)
 試練の厳冬の中にある誰もが、一人残らず幸福勝利の大歓喜の春を迎えられるように!――この御本仏の大慈大悲が胸に迫ってならない。
 戸田先生は、こうした御聖訓を通されながら、「大聖人が、功徳の出ない、境涯の開けない戦いをさせるわけがないんだよ」と言われていた。
 御書には、一人にここまでも心を配られるのかという、大誠実の「人の振舞」が随所に示されている。その究極の人間主義を深く学びながら、私たちも、一人ひとりを大切にし、一人ひとりと仏縁を結んでいくのだ。
 「御義口伝」には、「日蓮に共する時は宝処に至る可し」(同七三四ページ)ともお約束である。
 我らは、どこまでも、大聖人と「共に」、広宣流布へ、立正安国へ、仲良く賑やかに大行進していく。そして周囲も、いな自分さえも、あっと驚くほどの実証と功徳を現していただきたい。そう私は祈り続けている。

異体同心で前進

 熱原の法難に屈しなかった烈士たちのことを、御書には「御勘気を蒙るの時・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と唱え奉ると云云、偏に只事に非ず」(同一四五五ページ)と讃嘆されている。
 あの六十年前の雷雨の大阪大会の後、戸田先生は、この御聖訓を私にそっと示された。そして、「御本仏は、大作と関西の同志たちをさぞかし褒めておられるよ。学会は、この民衆の正義の声と不二の団結で、これからも、あらゆる戦いを勝ち切っていくのだ」と。
 二カ月後の九月二十五日、私は東京・葛飾の総ブロック長として、模範の地域の建設へ、熱き心の同志と共に出陣した。
 それは恩師の生涯の願業たる「七十五万世帯」達成へ、弟子の総仕上げの挑戦であった。
 私たちは第一に、勤行・唱題の「誓願の祈り」の呼吸を深く合わせた。
 第二に、どこまでも、「御書根本」の「法華経の兵法」で、智慧と勇気を湧き出して戦った。
 第三に、「異体同心の団結」をがっちりと固めながら前進した。
 この鉄壁の大東京のスクラムは、威風も堂々と「七十五万世帯」成就の原動力となり、師弟凱歌の栄光を飾ったのである。
 「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし」(同一四六三ページ)
 創価の「一善」の陣列に恐れるものはない。
 我ら「行学の闘士」は、正義の勝利の太陽を、断固と勝ち昇らせようではないか!
 ――神奈川文化会館からは青い海を望んだ。かつて船上の四国の友を、懐中電灯を振って見送ったことも思い出される。
 館内に、私が揮毫した「ああ陽は昇る」(神奈川の歌)の歌詞も掲げてあった。それを見ながら、妻と一緒に

口ずさんだ。
この世悔いなく 暁鐘を 
広布の友は 雲と涌く
このリズムをば 誰人も
讃え仰がん 限りなく
ああ陽は昇る
   我等の同志にも
 
 (随時、掲載いたします)
 ミケランジェロの言葉は杉浦明平訳『ミケランジェロの手紙』(岩波書店)。

【聖教ニュース】

◆インドで平和提言シンポジウム 2017年9月23日
政府関係者、学識者など600人が出席
「池田博士の対話の精神に学びたい」登壇者

「希望の新時代を告げる青年の世界的連帯」とのテーマで行われたシンポジウム(ニューデリーで)
「希望の新時代を告げる青年の世界的連帯」とのテーマで行われたシンポジウム(ニューデリーで)

 池田大作先生が本年発表した「第42回『SGI(創価学会インタナショナル)の日』記念提言」に関するシンポジウムが8日、インドの首都ニューデリーで行われた。
 本年、3回目の開催となったシンポジウムには、政府関係者、学識者のほか、インド創価学会(BSG)のメンバーなど600人が出席。
 同国最大の英字紙「タイムズ・オブ・インディア」が同日付で提言の抜粋を掲載するなど、注目が集まる中での開催となった。
 シンポジウムでは、提言内容を伝える映像に続き、BSGのグプタ議長があいさつ。その後、4人の識者が講演した。
 政策問題学会のC・ウダイ・バスカル理事長は、核兵器の非人道性を強調しつつ、「SGIは恒久平和のために行動する団体です。今こそ、SGIの皆さん一人一人の存在が世界にとって必要です」と語った。
 また、基調講演に立った元インド政府計画委員会のアルン・マイラ氏は、これまでの提言を紹介し、「対話」の重要性に言及。「私たちは、自分とは異なる相手への恐怖を克服するために、勇気をもってその声に耳を傾けなければなりません。そこから慈悲の心が生まれます。池田博士が言われる“一対一”の対話の精神に学び、インドのあらゆる場所で対話の波を起こそうではありませんか」と呼び掛けた。
 共感の拍手で幕を閉じたシンポジウムには、多くの反響の声が寄せられた。
 「平和には、『聞く力』が必要です。他者の心の声に耳を澄ます大切さを教えられたシンポジウムです」(NGO団体「ビジョン・インディア」のワリシュ・マシ理事長)。
 「池田博士の提言を実現するのは、青年の責任だと感じました。私たちが先頭に立って、身近で小さな事から行動しようと決意しました」(レシカ・ルンバさん、学生)。
 シンポジウムの模様は、同国の有力紙誌や国営放送、ヒンディー語のニュースチャンネルなど、多くのメディアで報じられた。

◆ブラジル音楽隊・鼓笛隊 「9・7」独立記念日の祝賀行事で熱演 2017年9月23日

 
サンパウロ市のパレードでは、大観衆を前に音楽隊・鼓笛隊の友が堂々と演奏・演技を
サンパウロ市のパレードでは、大観衆を前に音楽隊・鼓笛隊の友が堂々と演奏・演技を

 「9月7日」のブラジルの独立記念日を祝う行事が7日、同国各地で行われた。
 ブラジルSGIのタイヨウ音楽隊、ノーヴァ・エラ鼓笛隊、ダンスグループ「タイガ」、イケダヒューマニズム交響楽団の「NDO(楽団養成グループ)」、世界の希望合唱団など、青年部・未来部4381人が54都市でのパレードに出演。ブラジルの未来を担おうとの情熱あふれる演奏に、沿道から喝采が送られた。
 サンパウロ市のパレードは、アニェンビのサンバ会場で。タイヨウ音楽隊が記念式典でパレードの開始を告げる演奏をした後、ノーヴァ・エラ鼓笛隊と共に市内を行進した。
 音楽隊のエンゾ・コウチーニョさんは「池田先生の弟子として、出演できたことを誇りに思います」と喜びを。鼓笛隊のガブリエラ・メンドンサさんは「家族の悩みを抱えていましたが、同志に支えられ、全てを乗り越えて参加できました。常に励ましを送ってくださる師への感謝を胸に、精一杯、演奏しました」とほほ笑んだ

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈この一節を胸に行学に励む〉 テーマ 御書根本 2017年9月23日
堅固な信心の骨格をつくり自身の人間革命の源泉に!

 今年は「日蓮大聖人御書全集(御書)」の発刊から65周年の佳節です。学会は常に「御書根本」に、広宣流布を進めてきました。今回は、御書根本の実践について確認していきます。

〈Q〉なぜ、教学を学ぶのでしょうか?
〈A〉「行学の二道」の実践こそ信心の基本だからです。


 行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし(諸法実相抄、御書1361ページ)
 日蓮大聖人は「諸法実相抄」で、「行学の二道を励んでいきなさい。行学が絶えてしまえば仏法はない。自分も行い、人をも教化していきなさい。行学は信心から起こる。力があるならば一文一句であっても人に語っていきなさい」(御書1361ページ、通解)と仰せです。
 創価学会第2代会長の戸田城聖先生は御書の「発刊の辞」で、この「諸法実相抄」の一節を拝し、「剣豪の修行を思わせるが如きその厳格なる鍛錬は、学会の伝統・名誉ある特徴」と、つづられました。
 「行学」の「行」とは信心の実践です。大聖人は「末法の今、日蓮が唱える題目は、これまでとは異なり、自行化他にわたる唱題行である」(同1022ページ、通解)と仰せです。
 「自行化他」の「自行」とは、勤行・唱題によって自身の仏界の生命を現していくこと。「化他行」とは、人々に仏法の歓喜を語る折伏・仏法対話です。
 この実践とともに重要なのが「学」、すなわち、信心の実践の中で御書を研さんし、仏法の生命哲理を学んでいくことです。
 私たちは教学の研さんによって信心を深め、正しい実践を進めていくことができるのです。

〈Q〉常に「御書根本」に生き抜こうと教わりました。
〈A〉御書を心肝に染めることで、正しい信心に励むことができます。


 当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して若し間有らば台家を聞く可き事(日興遺誡置文、御書1618ページ)
 日蓮大聖人の直弟子であった日興上人は、大聖人のお手紙や御述作を「御書」という尊称で呼ばれ、収集や書写に尽力されました。また、門下に対して御書講義を行ったほか、「日興遺誡置文」でも「御書根本」を繰り返し訴えられています。
 「日興遺誡置文」の序文では、「ひとえに広宣流布せよとの日蓮大聖人のお言葉を仰ぐため」(御書1617ページ、通解)に26カ条を定めたとあり、日興上人は大聖人の精神を後世に伝えるために尽力されたのです。
 日興上人は、「わが門流においては、御書を心肝に染め、極理を師から受け伝えて、そのうえで、もしも暇があるならば、天台の法門を学ぶべきである」(同1618ページ、通解)と仰せです。
 大事なのは、御聖訓をただの言葉や昔話、ひとごととして捉えるのではなく、「自分のこと」「現在のこと」として拝していくことです。池田先生は、つづられています。
 「たとえ一節でもよい。一行でもよい。『この仰せの通りだ!』『この御書は今の自分にいただいたものだ!』と深く生命に刻みつけ、厳然たる信心で、新たな広布の戦いを起こしゆくのだ! それが『御書を心肝に染め』よとの、日興上人の遺誡を守ることになるのだ」

〈Q〉御書を「身で読む」とは、どういうことですか?
〈A〉日蓮大聖人の仰せのままに、信心に取り組むことです。


 法華経は紙付に音をあげて・よめども彼の経文のごとくふれまう事かたく候か(転重軽受法門、御書1001ページ)
 日蓮大聖人は「法華経は、紙に書いてある通りに声をあげて読んだとしても、その経文に説かれる通りに振る舞うことは難しいであろう」(御書1001ページ、通解)と仰せです。
 その理由は、末法において広宣流布を進めようとすれば、現実の上で迫害や反発などの「難」が起こるからです。
 しかし、大聖人は、こうした難に屈することなく、末法に妙法を弘められました。さらに現代において「如説修行」、すなわち、「仏の説の如く修行せよ」との仰せのままに、広宣流布を進めてきたのが創価三代の会長です。
 戦時中、国家権力による学会への大弾圧の中、牧口先生と戸田先生以外は皆、退転してしまいました。
 戸田先生は「教学なきゆえに、信心がわからず、臆病になり、法難に負けてしまった」と語られました。それゆえ、戦後、学会の再建に際して戸田先生は、折伏とともに、教学の研さんに力を入れたのです。池田先生は、つづられています。
 「教学は、信心の軌道を照らし出す灯台である。競い起こる障魔の複雑な様相も、仏法の明鏡に照らせば、すべて明らかになる。自己の堅固なる信心の骨格をつくり、人間革命の源泉となっていくのが教学といってよい」

〈智慧の扉〉 「信・行・学」とは?


 日蓮大聖人の仏法における修行の基本は、「信・行・学」です。
 「信」は、末法の正法である大聖人の仏法、なかんずくその究極である御本尊を信じることです。この「信」こそ、仏道修行の出発点であり、帰着点です。
 「行」は生命を変革し、開拓していく具体的実践。
 そして「学」は、教えを学び求める実践であり、正しい信心と実践への指針を与え、「行」を助け、「信」をより深いものにさせる力となります。この三つのどれが欠けても、正しい仏道修行にはなりません。学会員は「信・行・学」の基本に立ち返りながら、日々、広布にまい進しています。

◆〈信仰体験 母ありて〉第20回 岐阜県多治見市 有賀韶子さん 2017年9月23日


 励ましの人生を悠々と歩む母娘がいる。母の有賀韶子さん(79)=大原支部、婦人部副本部長=と、娘の宣美さん(37)=婦人部員。

2017年9月22日 (金)

2017年9月22日(金)の聖教

2017年9月22日(金)の聖教

◆わが友に贈る

さあ今日も対話を!
最も身近な地域から
友情の輪を広げよう。
人と会い、人と語る。
それが広宣流布だ!

◆〈名字の言〉 2017年9月22日
 

 土星には耳がある――史上初めて望遠鏡で土星を見たガリレオ・ガリレイの言葉だ。17世紀、彼の望遠鏡では、土星の輪はドーナツ状に見えなかった▼その土星の探査機カッシーニが日本時間の15日夜、20年におよぶ使命を終えた。土星の軌道から、上空1915キロの大気層に突入。大気の直接観測を行い、計画通り、データを地球へ送った後、燃え尽きた▼カッシーニは1997年に打ち上げられ、2004年に土星の軌道に到達。05年には、搭載していた小型探査機ホイヘンスが衛星タイタンへ軟着陸し、メタンの海や川を発見した。また06年には別の衛星エンセラダスの南極で、地下から噴き出す水蒸気を確認。どちらの衛星にも生命が存在する可能性を示した▼地球外の天体に生命は存在するか――人類が抱き続けてきた大いなるロマンである。仏法では広大な宇宙に「仏土」が遍満し、地球と同じような星が無数に存在すると説く。日進月歩の科学技術が、いずれ生命の存在を突き止めるかもしれない▼さらに法華経には「いたるところの仏の国土に、師と弟子が常に共に生まれ、仏法を行じる」(317ページ、趣意)と。仏法の師弟は時空を超えて、共に妙法流布の大使命に生きゆく――大宇宙を仰ぎつつロマンの人生を生きたい。(朋)

◆〈寸鉄〉 2017年9月22日

 確信のある所、勇気に満
 ちる―戸田先生。必ず勝
 つ!この誓いで突き進め
      ◇
 東京・青梅総区の日。師弟
 共戦の炎は友の胸に赤々
 と。広布の理想郷今こそ
      ◇
 一人立てる時に強きもの
 は真正の勇者なり―詩人
 激闘が創価の青年の誉れ
      ◇
 “絶滅危惧”世界2万5千
 種。生態系保全へ自然と
 の共生哲学を人々の心に
      ◇
 公明議員には人間への深
 い愛情がある―識者。大
 衆の為、三千人が総力を

◆社説  少年少女部が結成記念日   夢の翼を広げ悠々と未来の大空へ


 あす23日は、少年少女部の結成記念日。1965年(昭和40年)9月23日、池田先生の提案で少年部(少年少女部の前身)が誕生。小中高という未来部の体制が確立した(高等部は64年6月、中等部は65年1月結成)。
 翌66年(同41年)には、先生の命名で「富士少年合唱団」「希望少女合唱団」が発足。以来、各地域に合唱団が生まれ、友情と文化の心を育みながら、信心を学び合う重要な人材育成の場となっている。
 今夏、日本の合唱団メンバーが、研修会で来日したブラジルSGI青年部と交流会を行った。踊りださんばかりの、求道心と信仰の歓喜にあふれた姿を目の当たりにし、合唱団員は感動と驚きで自然と笑顔満開に。
 交流会で、少女部員が質問した。「池田先生に応えるためにしていることは何ですか?」
 ブラジルの友は、次のように答えた。「一人でも多くの人を幸せにするために、友に仏法を語っています。私たちは陽気に見えるかもしれませんが、実は内気だったり、恥ずかしがり屋だったりする自分がいます。でも、そういった気持ちを乗り越えて、“一緒に幸せになろう!”と、友人たちに対話をしているんです」
 友人の幸福のため、自分と戦いながら前に進むSGIの“お兄さん、お姉さん”の話から、少年少女部員たちは勇気と希望を感じ取った。率直な大人たちとの真心の語らいは合唱団員の若き生命に響いたに違いない。
 未来っ子たちは、今いる場所で、人間関係で悩む友達に思い切って励ましの声を掛けたり、習い事や勉強が忙しくて逃げたくなる時にも「頑張ろう」と努力を続けたりと、地道に、信心と成長の道を歩む。
 この宝の一人一人に、先生は一貫してエールを送っている。過日、都内で行われた少年少女部の結成記念大会に、先生はメッセージを寄せ、ヘレン・ケラーの不屈の生涯を通して、①友情は「生命を輝かせる希望の光」②読書は「心を豊かにする知恵の扉」③負けじ魂は「未来を開く勝利の泉」――と示した。
 そして「皆さんが挑戦している勤行・唱題は、百獣の王の叫びのように、自分自身の勇気を湧かせ、周りの人にも勇気を送る力があるのです」と期待を寄せた。
 2030年の学会創立100周年、そして輝く未来を担い立つ王子・王女たち。無限の可能性を秘めた一人一人が、夢の翼を広げ、悠々と使命の大空へ羽ばたいていけるよう、各部一体で励ましを注ぎ続けたい。

◆きょうの発心  誓願の祈りで一家の宿業を転換 2017年9月22日

御文
 何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり(呵責謗法滅罪抄、1132ページ) 
通解 いかなる世の乱れにも、あなた方を法華経や十羅刹女よ助け給え、と湿った木から火を出し、乾いた土から水を出すように強盛に祈っている。

 強盛な祈りが、不可能を可能に転じると教えられています。
 幼い頃に家族と共に入会。自宅を広布の会場として提供し、多くの同志の方々に支えられ、学会活動に励んできました。
 女子部時代、わが家が多額の借金を抱えることに。一家で懸命に働き、宿命転換を懸けて学会活動に取り組んだ結果、解決することができました。
 婦人部となり3人の子宝に恵まれましたが、長男が2歳の時に急な発熱から脳症に。朝、普通に会話をしていたわが子が意識を失ってぐったりしている姿を見るのがつらく、題目を唱えてもはじめは涙があふれ声になりませんでした。しかし、婦人部の先輩の励ましに奮い立ち、真剣な唱題を重ねる中、長男は回復。その後も、主人、次男、そして父を病魔が襲いましたが、先生の指導を胸
に全て乗り越えることができました。
 母と主人、そして3人の子どもと共に広布の庭で活動できることに感謝でいっぱいです。どんな時も師弟誓願の祈りを根本に、広布拡大に走り抜いてまいります。
 強盛な祈りが、不可能を可能に転じると教えられています。
        神奈川・南横浜総県婦人部書記長 岡田万里子

◆小説『新・人間革命』第30巻 暁鐘の章 十九 2017年9月22日 (6180)
 


 あいさつに立ったジフコワ議長は、ブルガリアの「文化の日」の意義に触れ、この日は、キリル文字の原型を創ったキュリロス(スラブ読みはキリル)と兄メトディウスの永遠の功績を讃え、祝賀する日であることを語った。
 ――かつてブルガリアなどで使われているスラブ系言語を表記できる文字はなかった。九世紀にギリシャ人の宣教師であったキリル兄弟は、聖書等をスラブ系言語に翻訳するため、ギリシャ文字をもとにグラゴール文字を考案した。その後、弟子たちが修正を加えて、ブルガリアでキリル文字ができ、ロシアなど、広くスラブ語圏に伝わっていった。
 議長は、「平和の旗」の塔に刻まれた「調和」「創造」「美」の三つの言葉とともに、世界平和をめざしていきたいと呼びかけた。
 次いで山本伸一があいさつに立った。
 しとしとと雨が降り始めていたが、傘を差さずにマイクに向かった。
 「日本を代表して、かわいい、大切な皆さんに、ごあいさつを申し上げます」
 こう語ると彼は、用意してきた原稿を、ブルガリア語で通訳に読んでもらうだけにした。少しでも、子どもたちが雨に打たれる時間を短くしたかったのである。
 その原稿で彼は、「勇敢ななかにも、優しい思いやりにあふれた人に」「体と心を鍛えに鍛えていっていただきたい」と訴えた。
 また、人生そのものが闘いの異名であり、皆の夢多い前途にも幾多の試練や苦難が待ち受けているであろうと述べ、その時こそ、「障害や苦難は力を鍛える格好の場であると心に刻んで、雄々しく、たくましく成長していってください」と望んだ。
 子どもたちの大拍手が、丘に舞った。
 いよいよフィナーレを迎えた。
 世界各国から贈られた「平和の鐘」が鳴り響くなか、子どもの手で、聖火台に「平和の火」が点火され、赤々と燃え上がった。
 子どもたちの心に平和の火がともされるならば、二十一世紀の地球は、平和の光が満ちあふれる、輝く星となる。   

【聖教ニュース】

◆国連で核兵器禁止条約の署名式     2017年9月22日
グテーレス事務総長「市民社会が重要な役割果たした」    S
GIの代表も出席
 
中満国連軍縮担当上級代表の進行で進められた署名式。一国一国順番に署名し、書き終えるごとに会場から大きな拍手が送られた(国連本部で)©UN Photo/Paulo Filgueiras
中満国連軍縮担当上級代表の進行で進められた署名式。一国一国順番に署名し、書き終えるごとに会場から大きな拍手が送られた(国連本部で)©UN Photo/Paulo Filgueiras

 本年7月に国連で採択された「核兵器禁止条約」の署名式が20日午前8時(現地時間)から、アメリカ・ニューヨークの国連本部で行われた。これには、アントニオ・グテーレス国連事務総長、ミロスラフ・ライチャーク第72回国連総会議長、各国政府代表などのほか、市民社会の一員として、寺崎SGI(創価学会インタナショナル)平和運動総局長ら、SGIの代表が出席。グテーレス事務総長らのスピーチに続いて、署名が開放され、同日中に50カ国が署名した。核兵器禁止条約は、署名後に国内の手続きを経て批准した国が50カ国に至った日から90日後に発効する。
 核兵器禁止条約は、本年2回にわたり国連で開催された交渉会議を経て、7月に122カ国の賛成で採択された。核兵器の「保有」から「使用」、そして使用するとの「威嚇」に至るまで例外なく禁止しており、核兵器のない世界への“入り口”となる条約として期待されている。
 今なお世界に約1万5000発も存在する核兵器。人類の生存を脅かし続けるこの大量破壊兵器の廃絶に向けて創価学会、SGIは半世紀以上、草の根の運動を重ねてきた。
 特に最近10年では、池田大作先生の提案を受けて2007年から「核兵器廃絶への民衆行動の10年」を展開。ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)などと協力し、反核展示の世界巡回や署名活動を実施したほか、宗教者の立場から8度にわたり国連の会議などで宗教間共同声明を発表している。さらに、広島、長崎の被爆証言集の出版など、核兵器のない世界を求める民衆の声を結集し、広く社会に発信してきた。
 日本の被爆者も見つめる中で開かれた署名式では、初めにグテーレス事務総長が登壇。条約制定において市民社会が重要な役割を果たしたと述べ、広島と長崎の被爆者は核兵器がもたらす悲惨さを思い起こさせ続ける存在であると言及。同条約は核兵器のない世界への重要な一歩であるとし、署名の開放を宣言した。
 ライチャーク総会議長は、これで仕事が終わったわけではなく、今後も行動と対話を続ける必要があると述べた。コスタリカのソリス大統領、赤十字国際委員会のマウラー総裁に続いてICANのフィン事務局長は、進歩とは皆の準備が整った時に生まれるわけではない。時に戦い取らねばならなかったり、誰かが勇気を出して先導しなければならないこともあるとし、署名式に出席した各国代表の貢献をたたえた。
 続いて各国政府による署名が執り行われ、同日中に50カ国が署名を終えた。
 また署名式の後には、ICANとSGIの代表が今後の取り組みを協議した。

◆池田先生ご夫妻が神奈川文化会館へ 2017年9月22日
全同志の幸福を祈念し勤行


 池田先生ご夫妻は21日午前、横浜市中区の神奈川文化会館を訪問した。
 1957年(昭和32年)9月8日、戸田城聖先生が横浜・三ツ沢の競技場で、青年への「遺訓の第一」として「原水爆禁止宣言」を発表してから、今月で60周年。恩師の心を受け継ぎ、池田先生は仏法の人間主義を基調に、神奈川の天地から世界へ平和のうねりを広げてきた。
 先生は同会館で、こうした師弟の「共戦」と「正義」の魂が脈打つ神奈川広布史の展示を丹念に観賞。記念展示室の仏間で厳粛に勤行・唱題を行い、神奈川をはじめ、全国・全世界の同志の健康と幸福と勝利を深く祈念した。
 またこの後、車中から同市鶴見区の神奈川池田記念講堂を望み、広布の宝城を守りゆく同志に感謝と真心のエールを送った。
【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈世界写真紀行〉第23回 ハワイ・ワイキキの浜辺 2017年9月22日
皆が歴史をつくる主役

オアフ島の南東に位置するワイキキの浜辺(2014年、本社カメラマン撮影)。年間700万人以上が訪れる
オアフ島の南東に位置するワイキキの浜辺(2014年、本社カメラマン撮影)。年間700万人以上が訪れる

 寄せては返す波。風に揺れるヤシの葉。かなたには名勝「ダイヤモンドヘッド」が見える。“常夏の楽園”といえば、ここを思い浮かべる人も多いに違いない。
 ハワイの州都ホノルルに広がる、ワイキキの浜辺。
 世界有数のリゾート地として知られるハワイ。かつて、日本軍の真珠湾攻撃によって、太平洋戦争が始まった地でもある。
 戦火の地から平和の大光を――世界広宣流布は、ここハワイが起点となった。
 1960年10月2日の朝。
 池田先生は一人、この浜辺に立っていた。前夜、海外訪問の第一歩としてホノルルの空港に降り立ち、ワイキキの浜辺沿いのホテルに宿泊していた。
 早朝の海を眺める先生。この6年前の夏には、恩師・戸田先生と北海道・厚田の浜辺で語り合った。「ぼくは、日本の広宣流布の盤石な礎をつくる。君は、世界の広宣流布の道を開くんだ」――恩師の言葉を胸に、池田先生は“分身”として世界広布に雄飛したのである。
 2日午後の座談会。会場には、さまざまな悩みを持った友が集まっていた。
 「戦争花嫁」として渡米し、日本に帰りたいと涙する婦人。不遇の人生と必死に格闘してきた青年。文化や生活習慣の違いに人知れず苦しむ婦人――。先生は、一人一人を抱きかかえるように励ました。友は、師の期待を胸に、広布と人生の勝利を誓った。
 この2年後、先生は再びハワイへ。空港で出迎えたメンバーの姿は、見違えるように変わっていた。広布に生きる誇りと、人生を勝ち抜く喜びに輝いていたのである。
 前回と同じ宿舎で行われたメンバーとの懇談。その様子が、小説『新・人間革命』第7巻「萌芽」の章につづられている。
 2年前の座談会は日本語だけで通じたが、今回は英語の通訳が必要になっていた。それ自体が、ハワイ広布の発展を物語っていた。
 山本伸一会長は、創価学会は、今や300万世帯を突破し、日本や世界の指導者が、学会の行く手に注目する時代になっていると述べ、次のように語った。
 「世界中の人たちが学会に注目しているだけに、これからは、皆さんが功徳を受け、幸福になり、社会にも貢献していくことが、極めて大切になってきます。皆さん方こそ、学会の代表です」
 「歴史をつくるのは民衆です。一人ひとりが自己自身に挑み、わが人生、わが舞台の“主役”として力を出しきっていく時、必ず新しい時代の扉は開かれます。それぞれが広宣流布の大ドラマをつづりながら、力を合わせ、さらに、さらに、ハワイの平和と繁栄を築いていってください」
 192カ国・地域に広がった世界広布のスクラムも、師の期待に応えようと、一人また一人が、立ち上がるところから始まった。
 広宣流布に“脇役”などいない。全員が、なくてはならない“主役”である。誰にも遠慮などいらない。
 一人一人が自身の尊き使命に目覚め、わが本舞台に猛然と躍り出る時、新たな広布の新時代が開く。

◆〈信仰体験〉 網膜色素変性症に負けない  私は宿命を使命に変える“挑戦者”
鍼灸マッサージ院開業25年 妻の多発性硬化症も乗り越えて


【群馬県高崎市】齋藤松之さん(61)=吉井支部、副支部長=は、網膜色素変性症により、30歳を過ぎてから全盲になった。後に妻・和恵さん(56)=支部婦人部長=も病に倒れる。「でも一つ一つ困難を乗り越えていくと、見えてきたものがあるんです」。齋藤さんが生命で見いだした“不屈の光”とは――。
 

2017年9月21日 (木)

2017年9月21日(木)の聖教

2017年9月21日(木)の聖教

◆わが友に贈る

未来を開くのは
自らの意志と力だ。
「よし、やろう!」と
目標を定め祈ることだ。
そこから無限の勇気が!

◆〈名字の言〉 2017年9月21日

 中国・広州市の広東省社会科学院で開催中の「自然との対話――池田大作写真展」。開幕式で会場を訪れた際、作品を引き立たせる、さまざまな工夫に気付いた▼壁には至る所に小鳥や樹木の飾り。会場の中央には桃、あじさい、藤の花とともに、橋が架けられた日本庭園の大きなオブジェが。設営を担当した現地のスタッフに尋ねると「以前、別の展示会で見た池田先生の写真に、深く心を動かされました。人間の心と自然が融合した作品の魅力を、より深く味わってもらえればという思いから用意したのです」と▼このスタッフは、今回の写真展を成功させようと、日本の美術館や博物館を訪れ、展示の工夫を学んだと教えてくれた。また他のスタッフも、SNSで市民に来場を呼び掛け、近隣の図書館にチラシを置いてもらうなど広報に奔走したという▼同展の開幕は、池田先生が1968年に日中国交正常化提言を発表した9月8日。先生は1万数千人の青年を前に、両国の民間交流の重要性を訴えた。以来、一貫して文化・教育の交流をリードしてきた▼提言の発表から明年で50周年。先生が築いてきた友好の“金の橋”は、両国を往来する人々の友情の行動によって、何ものにも揺るがないほど強固になり、輝きを増している。(湧)

◆〈寸鉄〉2017年9月21日

 戦いは迅速であれ―戸田
 先生。スピードで勝て!
 民衆パワーの底力発揮を
      ◇
 国連・国際平和デー。不戦
 の砦を人々の心に。戦争
 の20世紀から平和世紀へ
      ◇
 情熱は必ず人を承服させ
 る雄弁家―文人。正義の
 対話で相手の心揺さぶれ
      ◇
 社会活動に参加する高齢
 者は活力向上と。我らの
 学会活動こそ健康の源泉
      ◇
 秋の全国交通安全運動が
 開始。早めの点灯、反射材
 着用など対策二重三重に 

◆小説『新・人間革命』第30巻 暁鐘の章  十八 2017年9月21日 (6179)
 


 山本伸一は、二十三日夕刻、文化委員会のジフコワ議長の招きを受け、「文化の日」の前夜祭として行われた「平和の旗」の集いに出席した。これには、建国千三百年を祝賀する意義も込められ、ソフィア市郊外の名峰ビトシャ山を望む丘の上で、盛大に開催された。
 丘には、三十メートルをはるかに超える「平和の旗」の記念塔がそびえ立つ。塔には「調和」「創造」「美」の文字が刻まれ、また、塔の入り口の上には、キリル文字を創り出し、ブルガリア文化の礎を築いたキュリロス、メトディウス兄弟の絵が掲げられていた。
 「平和の旗」の集いは、一九七九年(昭和五十四年)の「国際児童年」を記念して始まったものである。第一回の集いには、ブルガリアはもとより、世界七十九カ国から、二千五百人の子どもたちが参加して交歓し、平和を誓い合った。日本からも体の不自由な子どもたちがブルガリアを訪れ、代表が自作の詩「生きる」を朗読している。世界が絶讃した集いであった。
 この催しを実現させる大きな力となったのがジフコワ議長であった。彼女は、世界を回って、平和を、子どもの未来を守ることを訴え続けてきたのだ。
 午後五時過ぎ、伸一と峯子がジフコワ議長と共に席に向かうと、色とりどりの民族衣装を着た子どもたちが、白と緑と赤のブルガリア国旗の小旗を振って歓迎してくれた。
 一行が着席し、合唱が始まった。
 その歌の意味は、“子どもの笑いと喜びで全世界を満たしたい。ビトシャ山から友情の翼をつけて、空高く、世界へ飛んでいきましょう”であるという。
 歌あり、民族舞踊あり……。伴奏にも、古くから伝わる笛や太鼓が登場し、どの演目にも、自国の文化への誇りがあふれていた。
 ジフコワ議長は、一つ一つの演技、演奏に対して、「よくできたわ。すばらしいわよ」などと声をかけ、大きな拍手で応える。
 そこには、子どもを慈しみ、守ろうとする、優しく、強い、“母の顔”があった。   

【聖教ニュース】

◆南米に人間主義の大光 2017年9月21日
 ブラジル 南マットグロッソ州ポンタポラン市から池田先生に「市議会功労メダル」香峯子夫人に「顕彰状」

ポンタポラン市議会の議員らとSGIの友が、池田先生ご夫妻に授与された顕彰を囲んで(同市議会議場で)
ポンタポラン市議会の議員らとSGIの友が、池田先生ご夫妻に授与された顕彰を囲んで(同市議会議場で)

 池田大作先生ご夫妻のリーダーシップのもと、SGI(創価学会インタナショナル)が進める仏法を基調とした平和・文化・教育運動に、南米各国から信頼と賛同の声が寄せられている。このほど、ブラジル・南マットグロッソ州のポンタポラン市議会から、池田先生に「市議会功労メダル」が、香峯子夫人に「顕彰状」が贈られた。また、ボリビアのサンタクルス県女性連合協会からは、香峯子夫人に「感謝状」が授与された。
 ブラジルの南マットグロッソ州ポンタポラン市議会からの池田先生ご夫妻に対する顕彰の授与式は8月24日、同市議会議場で挙行された。
 「ポンタポラン」とは先住民の言葉で「美しい広場」の意。その言葉通り、同市の緑広がる大地は、ブラジル有数の穀倉地帯として知られる。
 パラグアイとの国境に位置する同市には、かつてブラジルとパラグアイの戦争(1864年~70年)で、激しい戦場となった歴史がある。
 戦禍の苦しみを乗り越え、現在、同市には先住民とヨーロッパからの移民が共生。平和と多様性を尊ぶ気風に満ちている。
 同市は2004年、池田先生に「名誉市民」称号を授与。翌05年に先生ご夫妻に「特別顕彰」、さらに13年には先生に「顕彰状」を贈っている。
 今回の授与式は、市議会議場に約120人の市民が集い、ブラジルSGIのタイヨウ音楽隊とノーヴァ・エラ(新世紀)鼓笛隊の演奏で厳粛にスタート。
 顕彰を発議したアギナウド・ミウジニョ市議から、同SGIのビエイラ分圏長、ナガタ分圏婦人部長に、先生への「市議会功労メダル」、香峯子夫人への「顕彰状」が託されると、会場は祝福の拍手に包まれた。
 「世界平和のために尽力する池田博士と香峯子夫人をたたえることは、私たち市議会にとって最高の栄誉です」。祝辞に立ったミウジニョ市議は、こう切り出した。
 そして、第2代会長・戸田城聖先生と池田先生との出会いの歴史に言及し、池田先生が世界に希望の連帯を広げる第一歩となった入信記念日の「8・24」を人類の歴史に刻むべきであると強調。
 最後に「私たちは池田博士の思想に深く学び、この国境の町を平和発信の大地に変えていきたいのです」と呼び掛け、あいさつを結んだ。
ボリビア サンタクルス県女性連合協会が香峯子夫人に「感謝状」
 ボリビアの「サンタクルス県女性連合協会」から池田香峯子夫人に贈られた、女性の地位向上への貢献をたたえる「感謝状」。
 授与式は1日、同協会の創立25周年記念式典の席上、行われ、同協会のサラ・メヒア会長からボリビアSGIのササキ婦人部長に代理授与された。
 同協会は、1992年に発足した約100万人の女性が所属する平和団体。市民の教育・文化の向上や医療保護の促進、奨学金制度の充実などを推進してきた。
 ボリビアSGIでは同協会と連携し、93年から子どもの人権や女性の地位向上のための活動を展開。「家庭教育セミナー」や「女性教育者の集い」などを共催してきた。
 そうした取り組みに対して同協会から池田先生に「顕彰盾」(2004年)、香峯子夫人に「名誉顧問」称号(同年)、「社会貢献賞」(08年)、「2009年の女性」賞(09年)が贈られている。
 今回の式典はサンタクルス市の同協会本部で行われ、メヒア会長をはじめ県内の15市の女性連合会長など、約100人が出席。ボリビアSGIからはササキ婦人部長ら6人が参加した。
 県歌の斉唱に続き、同協会のロサリオ・ウルタド書記長らがあいさつ。メヒア会長から感謝状が授与されると、会場から喝采が送られた。
 メヒア会長は香峯子夫人への祝福を語りつつ、「長年にわたるボリビアSGI婦人部の皆さまの献身的な活動に心から感謝します。共に地域の発展に貢献していきましょう」と期待を寄せた。

◆宮城で各県6紙がトップフォーラム 2017年9月21日
東北の未来と新聞社の使命

            
東北6紙のトップフォーラム参加者が記念のカメラに。最前列右3人目から岩手日報社の東根社長、山形新聞社の寒河江社長、東奥日報社の塩越社長、河北新報社の一力社長、秋田魁新報社の小笠原社長、福島民報社の高橋社長(東北文化会館で)
東北6紙のトップフォーラム参加者が記念のカメラに。最前列右3人目から岩手日報社の東根社長、山形新聞社の寒河江社長、東奥日報社の塩越社長、河北新報社の一力社長、秋田魁新報社の小笠原社長、福島民報社の高橋社長(東北文化会館で)

 東北を代表する各県紙のトップ6人を招いてのフォーラム「21世紀は東北の時代」が20日、仙台市の東北文化会館で行われた。
 2009年3月に始まり、東日本大震災を越えて、5回目の開催となった今回のフォーラムには、河北新報社の一力雅彦社長、岩手日報社の東根千万億社長、東奥日報社の塩越隆雄社長、秋田魁新報社の小笠原直樹社長、山形新聞社の寒河江浩二社長、福島民報社の高橋雅行社長らが出席した。
 フォーラムでは「東北の未来と新聞社の使命」と題し、震災からの復興など東北の課題を踏まえ、三つのテーマで語り合った。
 各社長は、未来へのビジョンの提供など新聞の発信力や提案力について言及。さまざまなアイデアで東北と全国・世界の人や地域を結ぶ具体的な事例を紹介した。さらに新聞の活用を含め、多様な分野で、次代の東北を担う若者への人材育成のあり方などについて意見を交わした。
 盛島東北長の主催者あいさつの後、本社の小島編集総局長は、本紙が発災以降、被災者に寄り添い、希望を送り続けてきた模様を紹介し、活字の持つ使命を語った。〈フォーラムの詳細は後日掲載〉

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆女性平和委員会が各地で被爆体験などの上映会 2017年9月21日

   
和歌山市の個人宅で行われた上映会。未来部のメンバーや友人も参加し、平和への語らいが広がった(本年7月)
和歌山市の個人宅で行われた上映会。未来部のメンバーや友人も参加し、平和への語らいが広がった(本年7月)

 婦人部の女性平和委員会(前多佳代委員長)ではこれまで、フォーラムや展示活動、講演会など、草の根の平和運動を進めてきた。

◆〈希望航路 池田先生と進む人生旅〉 オーストリア2  共に師弟栄光の劇を!
 
ウィーン市立公園に集ったオーストリアの友に「皆、幸福で」「最高に楽しい人生を」と語り掛け、記念撮影に臨む池田先生(1992年6月10日)
ウィーン市立公園に集ったオーストリアの友に「皆、幸福で」「最高に楽しい人生を」と語り掛け、 記念撮影に臨む池田先生(1992年6月10日)

 オーストリア広布の拡大の転機は、1981年5月の池田先生の激励行である。
次の訪問(92年)までの11年間に入会した友は今、広布の中核を担う。  
 86年に御本尊を受持したラリー・ウィリアムス理事長も、83年に入会したヴァレリー・ルボー婦人部長も、そうしたメンバーだ。  
 また、日本とオーストリアの文化・教育交流が進み、SGIへの理解が広がった。  
 90年7月には、創価大学とクラーゲンフルト大学との間に、交流協定が結ばれている。翌91年6月、オーストリア芸術家協会は先生の写真芸術の業績を高く評価し、「在外会員」の証書を授与。92年には「自然との対話――池田大作写真展」が、オーストリア文部省の後援のもと、同協会と東京富士美術館の共催で開かれている。

 理事長のウィリアムスさんは、プロの写真家である。26歳の時、ウィーンの中心にスタジオを構えた。彼の広告写真は街路を飾り、全国に名をはせる。  
 だが、多忙を極め、体が悲鳴を上げた。28歳で肝臓病を患い、生命の危機にひんする。  
 重篤患者ばかりの病棟で毎日のように人の臨終に接し、“地位や名声を得ても、生老病死の苦しみからは逃れられない”と思った。  
 退院後、仕事を共にした新聞記者から仏法の話を聴く。85年秋、誘われて行ったのは、ベルヴェデーレ宮殿の傍らにあるアパート。4年前に先生ご夫妻が訪問し、オーストリア広布の発展を祈った、ナカムラ初代本部長の自宅だった。  
 「世界広布を願う先生の題目に導かれ、地涌の使命を自覚しました」と、ウィリアムスさんは言う。
 翌年、30歳で入会。日本でのSGI研修会に参加し、先生との出会いを重ねた。  
 男子部のリーダーとして広布をけん引し、第2次宗門事件の時も、正義の言論で同志を守った。
 92年6月10日、ウィーン市立公園で、先生ご夫妻、同志と共に記念撮影を行った。  
 終了後、先生はドイツ訪問のため、車でウィーンの空港へ。駐車場から出る際、車道で交通整理をしていたのがウィリアムスさんだった。  
 先生は、車の窓を開け、右手を胸に当ててお辞儀をし、感謝の心を示した。  
 “陰の人”を忘れない。真心には真心で応える。その時の先生の温かなまなざしが、ウィリアムスさんの胸を離れない。

 ルボー婦人部長は、フランス・マルセイユの出身。57歳でアルツハイマー病を発症した母を救いたいと、83年に入会した。闘病をわが事のように捉え、祈り、支えてくれたメンバーの真心に感激し、不退の信心を誓う。
 パリの大学を卒業した後、高校の非常勤講師として、英語とフランス語を教える。87年にオーストリアに移住し、国連職員になってからも広布の最前線を走り続けた。  
 オーストリアSGIの初代女子部長に就任し、91年6月、南仏トレッツの欧州研修道場で、先生から声を掛けられた。  
 「あなたのことは知っているよ。妻と一緒に聖教新聞で見たよ。女子部長だね」  
 女子部長就任の際に掲載された聖教新聞の小さな記事を、覚えていてくれたのだ。感激がこみ上げた。  
 彼女には、忘れられない記憶がある。ウィーン市立公園での記念撮影の折、地道な信心を貫いてきた老紳士の前で、先生は立ち止まり、深々と頭を下げた。撮影が終わった後、普段は寡黙な老紳士が、感動の面持ちで語った。
 「今まで、私に、あそこまで丁重に感謝を表し、関心を寄せてくれた人はいませんでした。先生の真心に涙の出る思いでした」
 「励まし」とは、目の前の相手を尊重し、感謝の心を表すことから始まる。先生の姿にそう教わった。  
 ルボーさんは、国連職員の要職を担いながら2人の子を育て、家庭を守ってきた。  
 夫のウィリアムス理事長と共に、広布拡大に尽力。長男のシンイチさん、長女のヒロミさんは英国の大学に在籍し、後継の人材に成長している。  
 多忙な日々にも、ルボーさんは、メンバーの激励を欠かさない。  
 女子部時代は、朝、出勤前に女子部員宅を訪問。メンバーと一緒に勤行・唱題し、同志と共に一日のスタートを切った。7年前に婦人部長に就任してからも訪問激励に徹し、心の絆を大切にする。
 青年部は、そんなルボーさんを“母”“姉”のように慕い、信心を学んでいる。
 ルイーゼ・シミズさん(副総合婦人部長)は欧州副女性部長を兼任し、主に東欧諸国を回りながら、同志の激励に奔走している。  
 シミズさんは、神奈川・鎌倉で生まれた。戸田先生の願業「75万世帯」への拡大の中、1955年5月、母・兄と共に入会。当時は父の酒乱に悩み、御本尊に向かう母の背中に信心を学んだ。
 父の仕事の関係で縁したドイツへの留学を志し、74年、ヴュルツブルクの大学へ。修士号を取得した。  
 日本の交流団の通訳を担当した際、婦人部の友から、当時本紙に連載されていた小説『人間革命』第10巻の切り抜きをもらった。  
 描かれていたのは、「大阪の戦い」。一心に師匠を求め、報恩を貫く山本伸一青年の姿に胸を熱くした。  
 81年、ドイツを訪問した先生は、運営役員だったシミズさんに、「ありがとう」と。  
 「その凜々しく誠実な姿は、私が思い描いていた山本伸一青年の姿そのものでした」  
 その後、彼女はドイツ語のSGI公認通訳として、先生と識者との会見に同席。83年6月には、ライン川の船上で行われた先生とドイツの哲学者ヨーゼフ・デルボラフ博士との会見で通訳を務めた。  
 その際、先生から父のことを聞かれ、「いい娘になるんだよ」と声を掛けられた。  
 また後年には、博士との対談集『21世紀への人間と哲学』に「思い出の 対話の一書 わが君に」と記し、贈ってくれた。  
 師の指針を胸に、父の幸せを真剣に祈った結果、信心に反対していた父が、自らすすんで先生の著作をひもとくように。教学試験に挑み、同志と家庭訪問に歩くようになり、大好きだった酒も飲まなくなった。師の激励に応え、一家和楽の信心を築いたのだ。  
 シミズさんは今、オーストリアSGIの書記長を務める夫のヒロユキさんと広布の道を歩む。2人の娘も信心を継承し、長女のタカコさんは婦人部グループ長、次女のヒロコさんも女子部員として、希望の人生を開いている。

 92年6月11日、ドイツ・フランクフルト市内でヨーロッパ代表者会議が開催された。  
 席上、先生は、前日に行われたウィーン市立公園での記念撮影で、オーストリアの同志に会えた喜びを語っている。
出会いの場所に立っていたのは、ワルツ王とたたえられたヨハン・シュトラウス2世の像。先生は ワルツの歴史に触れつつ、こう述べている。  
「ワルツは“市民の音楽”である。貴族文化に対して、新しく下から盛り上がっていった新興の市民層の感情を表現している。私ども、妙法で結ばれた世界市民も、軽快に、そして楽しく――ワルツを踊るような気持ちで、ともどもに広宣流布の旅を勝利してまいりたい」  
 偉大な師の境涯に触れれば、試練に立ち向かう勇気が湧く。師と共に戦う喜びは、いかなる苦難をも使命に転じていけるのだ。
 “広宣流布は、ワルツのように”――先生の指針に呼応し、広布の舞台に立つオーストリアの友は、師弟栄光の劇を舞いゆく。

◆<信仰体験> 不登校を見つめて3 いじめと「ナナメの関係」

  【山梨県甲府市】無理やり車に乗せた息子は、感情をなくしたように無表情。小学校に着くと、堀とめほさん(50)=新世紀支部、圏副婦人部長(圏婦人部書記長兼任)=は校門の前で、ただ見送るしかなかった。

   2005年(平成17年)、小学1年の長男・健一さん(18)=東京都八王子市、学生部員=が、登校をしぶるようになった。「何で行かないの!」。息子のわがままだと思い、厳しく叱責し、毎朝、学校まで送り届けた。
 いじめに遭っていたと知ったのは、随分、後になってからだった。それでも登校を勧めた。「逃げちゃいけない。頑張りなさい」と、息子の背中を押し続けた。
 健一さんのいじめは、高学年になるとエスカレートする。すれ違うたびに靴を踏まれ、後ろから突き飛ばされた。昼から登校することも増え、教室ではいつも独りぼっちだった。
 中学に進んでも、いじめは続いた。勉強が手に付かず、教員からもあきれられた。味方のいない学校では、酸欠状態のように息苦しい。
 家にいる日は部屋にこもり、食事も取らないほど、一日中、ゲームに熱中する。「ゲームの中だけは、自由だった。誰の目を気にすることなく、リアル(現実)を忘れられた」(健一さん)
 堀さんは不安だった。”この子の将来は、どうなるの・・・”。題目を唱えていても、にじむ涙で、目の前がかすむ。そんなある夜、健一さんが突然、叫び声を上げた。
 「もう嫌だ!学校のことを考えると、頭がおかしくなる!」”
 限界なんだ・・・”。堀さんは思わず抱き締め、「ごめんね。もう無理しなくていい。 学校に行かなくて大丈夫だから」。
 その後、創価学会教育部の「山梨教育相談室」(当時)を訪ねた。親身に話を聞いてくれ、「勉強はやる気になれば」、後から幾らでも取り返せます。今、大事なのは、健一君の心が元気になることです」と諭される。
 堀さんが感じていた”勉強が遅れる”との焦りは徐々に消え、「息子の傷だらけの胸に優しく薬を塗るように、ひたすら題目をあげました」。
 池田先生の「信心とは無限の希望です」との言葉を胸に、学会活動にわが子を連れて歩くように。行く先々で、健一さんは「偉いね」と褒められた。「いつもありがとう」と手渡された、おにぎりの味は今も忘れない。
 いじめにより、周りから否定され、傷付いた健一さんの心に、やがて自信が芽生えていった。
 親や教師との「タテの関係」や友人同士の「ヨコの関係」ではない、地域のおじさんやおばさんとの「ナナメの関係」が、子どもを守るセーフティネット(安全網)となり、自尊感情をも高めていくと、多くの研究者は指摘する。
 健一さんは勤行・唱題をするようになり、池田先生の『青春対話』をむさぼるように学んだ。「僕たちの成長を願ってくださる師匠の心を知って、本当にうれしかった。それに学会員さんだけは、どんな時も受け入れてくれて。学会活動は、僕にとって”心の回復”の時間でした」
 中学2年の3学期からは、市内の適応指導教室に通い始める。夫・雄一郎さん(53)=地区部長=も一緒にレンタルCDショップに行くなど、自然体で寄り添い続けた。
 健一さんは、私立高校を勧められたが、自ら選んで県立の定時制高校へ。「心の風船がしぼんだだけなら、普通の高校に行けるはず。だけど、僕の風船は破裂していたから、定時制に通って、自分のペースで勉強しようと思ったんです」
 早朝から、堀さんの本紙の配達を手伝い、ランニングや筋トレで体力も回復。高校3年間は休まず皆勤賞。卒業時には優秀模範生として表彰された。
 本年4月、念願だった創価大学経済学部に入学を果たした健一さん。今は「挑戦したいことがいっぱい!」と、勉強と学生部活動に全力投球している。
 息子を見つめる堀さんの笑顔は、温かさに満ちている。
 「いじめ、不登校を通して、わが子のことを”祈り切る”ことを教えてもらいました。今、”無限の希望”を実感しています」

2017年9月20日 (水)

2017年9月20日(水)の聖教

2017年9月20日(水)の聖教

◆わが友に贈る

「信心速行動」
「行動即栄光」だ!
時を逃さぬスピードで
先手先手を打とう!
価値創造の一日一日を!

◆〈名字の言〉 2017年9月20日

 原爆で焦土と化した広島。女性たちは、水に溶いた小麦粉と刻みネギを鉄板で焼いて売った。店を構えると、子どもや夫の名前をのれんに掲げた。「いっちゃん」「大ちゃん」……。生き別れの身内に所在を知らせるために――「広島風お好み焼き」誕生の逸話である。(那須正幹著『広島お好み焼物語』PHP研究所)▼この頃、産声を上げたのが「広島カープ」。飢えた市民は、お好み焼きで空腹を満たし、弱小球団に復興の希望を託した。被爆3世の新井貴浩選手は「今、野球ができる平和な時代に感謝します」と▼球団では、8月6日に選手が背番号「86」で試合に臨み、地元公式戦を「ピースナイター」と銘打つなど、平和企画を実施。子どもはお好み焼きを食べ、カープに声援を送る中で、平和の心を育んでいく▼松田元球団オーナーは「カープは“地域と地域、そして世代と世代をつなぐ”をテーマに掲げていますが、学会とカープの役割は大いに似ています」と。創価学会もまた、苦悩する庶民の心に希望の光を注いできた▼どんな世界であれ、庶民に愛されることが発展の条件。被爆72年の本年に、広島カープは8度目のリーグ優勝を飾った。平和の象徴でもある「赤ヘル」に、郷土愛と不屈の闘魂が真っ赤に燃えていた。(子)

◆〈寸鉄〉 2017年9月20日

 「軍には大将軍を魂とす」
 御書。決然たる勇者の叫
 びが勝利開く。さあ前進
      ◇
 中部婦人部の日。堅塁の
 母の幸光る大行進。今日
 も朗らかに友のもとへ!
      ◇
 正義を創り出す事によっ
 てのみ平和は生まれる―
 哲人。対話で連帯を拡大
      ◇
 90歳以上、初の2百万人。
 大満足の人生送る多宝会
 こそ人生100年時代の模範
      ◇
 国連本部で核禁止条約の
 署名式。「絶対悪」の兵器
 廃絶へ民衆の声更に強く

◆社説  共感広がる“展示運動”  草の根の対話で平和の潮流を

 
あす21日は国連の「国際平和デー」。人類が求めてやまない世界平和へ向けて、国連は、この日を停戦と非暴力の日とし、全ての人々に一切の敵対行為を停止するよう呼び掛けている。
 「地球上から悲惨の二字をなくしたい」――第2代会長・戸田先生の願いを実現しようと、仏法の平和哲学を世界へ未来へと広げてきた池田先生。創価学会は、その先生の行動に呼応し、1970年代に青年部の「反戦出版」活動を開始。幅広い平和運動の中で、一つの機軸となってきたのが展示を通じた意識啓発である。
 展示のテーマは、“核の脅威展”“戦争と平和展”など、不戦を訴える内容にとどまらず、人権、環境、家族、教育、女性と子どもなど、多岐にわたってきた。本年、国内では、地球規模の諸問題の解決のために地球市民の意識を育む「わたしと宇宙展」、環境問題の解決への取り組みを紹介する「わたしと地球の環境展」、池田先生が各国で折々に撮影した写真を紹介する「自然との対話――池田大作写真展」などが各地で開催され、反響を呼んでいる。
 このうち、昨年始まった「絵本とわたしの物語展」は、約250種600点の絵本を手にとって読むことができ、子どもだけでなく、大人も童心に帰って楽しめる点が好評を博している。
 「児童虐待などが騒がれる昨今、これほど親子の絆・家庭の愛情が薄れている時代はありません。大人になって絵本を読むことで、こうした絆の大切さを思い起こし、子どもとの触れ合い方も変わっていくと信じています」「絵本というものは大人にとっても、子どもにとっても最高の芸術です。これにより、子どもは将来、豊かな感性を持ち、人の痛みが分かる人に成長することができます。子ども時代に絵本を読んであげることが、その子の人生の土台を築いていくことにもつながります」など、来賓や観賞者から高い評価が寄せられている。
 池田先生は、展示運動の意義について、こう述べている。
 「地道な活動である。しかし、確実に『偉大な道』をつくっておられる。粘り強い努力。たゆまぬ実行。これしかない。これが盤石な建設への道である」
 世界平和の潮流を築くには草の根の運動こそが最も確実な道である。その一歩一歩は小さいかもしれないが、これこそが現実を変革する大きな力となる。
 家族や友人と交流しつつ、平和の心を育む展示会へ、この秋も足を運びたい。

◆きょうの発心   使命の地域を創価の理想郷に! 2017年9月20日

御文
 『我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし』(最蓮房御返事、1343ページ)
通解 私たちが住んで、法華経を修行する所は、いずれのところであっても、常寂光の都となるであろう。

 妙法広布の修行に励む人の住所は、いずこであっても仏国土である、と御教示されています。
 未来部時代から富山の同志の皆さんに育んでいただき学生部時代には池田先生との多くの金の思い出を刻みました。
 1984年(昭和59年)の北陸青年部勤行会の折に先制からいただいた”北陸に生まれ育った君たちだ。北陸を頼むよ”との指導を胸に、青年部時代、そして壮年部に進出してからも、富山のどこの地を担当してもその地域の同志の皆さんと心一つに、地域広布のため正義と励ましの対
話を続けてこました。
 現在の住まいに転居して4年目に地域の役員に推されました。それ以降地域活動にも積極的に取り組むなかで、地域の有力者が学会の行事に参加する理解者に。その間、相次いで家族を襲った病魔にも、同志の励ましで負けずに闘ってくることができました。
 富山総県は、草創の諸先輩方が、旧習深い地域にあっても、ひたすら人々の幸せを祈り、築いてきた”広布源流の地”です。この使命の地を誇りとしながら創価の理想郷を築いてまいります。
富山総県副総県長 若松 寿雄

◆小説『新・人間革命』第30巻 暁鐘の章 十七 2017年9月20日 (6178)



 山本伸一たちは、遺跡の町ともいうべきプロブディフの旧市街へ足を運んだ。ここにある、十九世紀のブルガリア・ルネサンス様式の重厚な建物で、ミシェフ市長から、市の歴史と現況について説明を受け、古い石畳を踏みしめながら市街を見学した。
 国定文化財である歴史的な建造物に案内されると、六十人ほどの少年合唱団が待っていた。濃い茶の上下に、フリルの付いた白いシャツを着た少年たちが、澄んだ美しい歌声で、次々と合唱を披露してくれた。
 そして、一人の少年が前に進み出て言った。
 「次は、日本のお客様のために、日本語で歌を歌います。『草津節』です」
 皆の心を和ませようとする配慮であろう。
    
 〽草津よいとこ 一度はおいで
  ハ ドッコイショ
  お湯の中にも コリャ花が咲くョ
    
 このあとに入る合いの手の「チョイナ チョイナ」が、「チェイナ チェイナ」という発音になってしまう。それがまた、いっそうかわいらしさを感じさせる。
 合唱が終わると伸一は、イスから立ち上がり、大きな拍手を送り、御礼を述べた。 
 「なんと清く、なんと美しく、なんと楽しい合唱でしょう。感動しました。ひと時の合唱のために、長い時間をかけて、一生懸命に練習してくださった、皆さんの真心が胸に染み渡ります。この短い出会いが、永遠の宝物となりました。ありがとう!
 一緒に日本で、温泉につかっているような、温かい気持ちになりました。どうか、日本へ来てください。友情を結んでください」
 子どもは“未来からの使者”である。伸一が、その使者たちに託して、未来に贈ろうとしたものは、“友情で世界を結び、平和を築いてほしい”とのメッセージであった。
 「子ども! 彼の小さな体には偉大なる魂が宿っている」(注)とは、伸一夫妻が親交を結んだ中国文学の母・謝冰心の言葉である。
 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 謝冰心著『冰心全集1』卓如編、海峡文芸出版社(中国語)   

【先生のメッセージ】

◆きょう核兵器禁止条約の署名スタート 国際メディアIDNに池田先生が寄稿 2017年9月20日


アメリカ・ニューヨークの国連本部で行われた核兵器禁止条約の交渉会議の席上、条約採択が決まり、喜び合う市民社会の代表ら(本年7月)
 国際通信社INPS(インターナショナル・プレス・シンジケート)の基幹媒体で、分析記事に定評があるIDN(インデプスニュース)が、18日付で池田大作先生の寄稿を掲載した。
 きょう20日から核兵器禁止条約への各国の署名が始まることに寄せたもの。
池田先生は、核兵器は安全保障の観点のみで判断され続けるべきものではないとし、問題の本質は核保有国と非核保有国との対立にあるのではなく、核兵器の脅威と人類の生存の権利との対立にあると指摘。こうした意識転換を促す力としてグローバルな市民社会の声が重要になるとし、核兵器のない世界に向け、一層努力していきたいと述べている。

 国連で、7月に採択された核兵器禁止条約の署名開放の日を迎えた。
 加盟国の3分の2近くが交渉に参加し成立をみた条約の発効に向けて、いよいよ動き出すことに特別の感慨を覚える。
 条約の採択に賛成した122ケ国をはじめ、多くの国の署名を得て、早期の発効を果たすことを切に望むものである。
 核兵器のない世界の追求は、そもそも、国連の誕生を受けての最初の総会決議(1946年1月)で焦点となったテーマであり、その後、何度も決議が積み重ねられてきた70年越しの課題であった。
 その突破口を開いたのは、近年の「核兵器の非人道性」に対する国際社会の認識の高まりである。
 ”同じ苦しみを誰にも味わわせてはならない!”との世界の被爆者の切なる思いが、長年にわたり訴え続けられる中で、核問題を巡る議論の流れを大きく変えてきたのだ。
 一石また一石と国際社会に投じられてきたこうした叫びが、まさに禁止条約の礎石となったのである。その重みを物語るように、条約の前文には「ヒバクシャ」の文字が2ケ所も刻まれている。
 条約の意義は、何と言っても、核兵器の保有から使用と威嚇にいたるまで、一切の例外を認めずに禁止したことにある。
 それは、96年の国際司法裁判所の勧告的意見で私的された”明示的な禁止規範の不在”の克服につながるものにほかならない。
 思い返せば、私の師である創価学会の戸田第2代会長が60年前の9月8日に発表した「原水爆禁止宣言」で訴えたのも、いかなる理由があろうと核兵器の使用は絶対に許されないという一点であった。
 私どもSGI(創価学会インターナショナル)はこの宣言を胸に、近年ではICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)などと条約づくりを後押しする活動を行ってきたほか、他のFBO(信仰を基盤とした団体)と連携し、核兵器を憂慮する宗教コミュニティーとして共同声明を8回にわたって発信してきた。
 「核兵器は、安全と尊厳の中で人類が生きる権利、良心と正義の要請、弱き者を守る義務、未来の世代のために地球を守る責任感といった、それぞれの宗教的伝統が掲げる価値観と相容れるものではない」と、倫理的観点からの問題提起を続けてきたのである。
 冷戦以来の「不信のスパイラル(悪循環)」が生み出した核抑止政策の奥には、”自国を守るために、どれだけ多くの民衆の犠牲が生じてもやむを得ない”とのの生命軽視の思想が横たわっている。
 戸田会長が「原水爆禁止宣言」で強調したように、核兵器の存在は一人一人の「生命の権利」、人類の「生存の権利」に対する最大の脅威なのだ。
 核兵器禁止条約は、その生命軽視の思想に楔(くさび)を打ち込むものであり、交渉会議で議長を務めたコスタリカのホワイト大使が述べたように、そこで打ち立てられた規範には「21世紀の新たな安全保障のパラダイムを発展させる」という歴史的な意義が込められている。
 禁止条約では、核保有国や核依存国の状況を踏まえた制度設計がなされている。つまり、「加盟前の核兵器全廃」を必ずしも前提とせず、「核兵器配備の解除と廃棄計画の提出」をもって条約に加わる道も開かれているのだ。
 交渉会議でオーストリアの代表が指摘した通り「国々や人々の安全を損ないたいと思っている者など誰もいない」はずだ。
 どの国にとっても平和や安全はかけがえのないものであり、その意味で問い直すべきは、核兵器の非人道性を踏まえてもなお、自国を守る方法が”核兵器を必須とする安全保障であり続けるしかないのか”との点ではないだろうか。
 その意味でも私は、唯一の戦争被爆国であり、非核三原則を掲げる日本が、”自分たちの生きている間で、明確になったところである。
 そうした議論の積み重ねの上に採択された核兵器禁止条約が問うているのは、「核保有の継続と安全保障とを同一視するような認識を改める必要性」ではないだろうか。
 核兵器の問題は、一国の安全保障の観点からのみ判断され続けて良いものでは決してない。人類全体の平和と世界の民衆の「生存の権利」に軸足を置き、「21世紀の新たな安全保障のパラダイム」を見いだす努力を傾ける中で廃絶への道を共同作業として開かねばならない。問題の本質は、核保有国と非核保有国との対立にあるのではなく、「核兵器の脅威」と「人類の生存の権利」の対立にこそあるのだ。
 私は、その意識転換を促す最大の原動力となるのが、グローバルな市民社会の声を結集することだと考える。
 「平和首長会議」に加盟する都市が、いまや162ケ国・地域、7400近くに及んでいるように、核兵器のない世界を求める声は、核保有国や核依存国の間でも広がっている。
 条約づくりの作業も、被爆者の方々をはじめとする市民社会の力強い後押しがなければ、前に進めなかったものだった。
 交渉会議の場で市民社会の席は後ろ側であったが、採択後にエジプトの代表がいみじくも、その情熱と献身ゆえ市民社会は”尊敬の最前列にある”と語った通りの大きな役割を担ってきたのだ。
 核兵器禁止条約の採択により、核兵器廃絶への挑戦は新たなステージに入った。条約の意義を普及させ、その支持をいかに幅広く堅固なものとしていけるかが、これからの課題となろう。
 条約の第12条には、「条約を普遍化するための努力」が規定されている。そのためには、被爆者の方々が訴え続けてきた原爆被害の実相に対する認識が、国や世代を超えて幅広く共有され維持されることが必要だ。
その鍵を握るのは、平和・軍縮教育である。それは、核保有国や核依存国が、「核兵器のない世界」という地球的な取り組みへの歩みを共にするために欠かせない基盤ともなる。
 そして、市民社会の参加と貢献を得て採択された条約の特質に鑑みれば、平和・軍縮教育の推進をはじめとする「条約を普遍化するための努力」を後押しすることが、市民社会の重要な役割となってくる。
 ICANなど多くの団体と協力しながら、条約の普遍化のための取り組みを進め、「核兵器のない世界」への道を力強く開いていくことを、この9月20日の署名開放の日に固く誓うものである。

【聖教ニュース】

◆遥かなるルネサンス展 東京富士美術館で開幕 12月3日まで 2017年9月20日
日本初の遣欧使節の足跡たどる70点
開会式に文化庁長官、駐日イタリア大使

イタリア・ルネサンスの輝きは時を超えて――熱心に鑑賞する列席者ら(八王子市の東京富士美術館で)
イタリア・ルネサンスの輝きは時を超えて――熱心に鑑賞する列席者ら(八王子市の東京富士美術館で)

 東京富士美術館の海外文化交流特別展「遥かなるルネサンス――天正遣欧少年使節がたどったイタリア」東京展の開会式が19日、八王子市の同美術館で行われ、宮田亮平文化庁長官、ジョルジョ・スタラーチェ駐日イタリア大使をはじめ、来賓約350人が出席した。一般公開は、あす21日(木)から12月3日(日)まで。主催は同美術館、朝日新聞社、NHKプロモーション。後援は外務省、イタリア文化財・文化活動・観光省、イタリア大使館、イタリア文化会館、八王子市、同市教育委員会。特別協力はウフィツィ美術館等。
 絢爛たるヨーロッパの文化に触れ、帰国した初めての日本人である「天正遣欧少年使節」。ルネサンスの花咲くイタリアの地で、彼らは何を見て、何を感じたのか――。
 戦国の世の1582年、10代前半の少年4人は、期待に胸を膨らませ、壮大なる旅路へと出発した。
 彼らは行く先々の都市で大歓迎を受けながら、イタリア各地を訪問。ローマ教皇にも謁見し、8年余りの歳月を経て日本に帰国したのである。
 本展では、4人が滞在した建物などに飾られていたと考えられる絵画をはじめ、イタリアを代表するウフィツィ美術館の所蔵品を中心に、工芸品、文献、彫刻、陶芸など約70点の至宝を出品。さらに地図や年表、豊富な解説を交えながら、4人の行程を追体験できる構成になっている。

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆「遥かなるルネサンス」展の開会式から 2017年9月20日
時空を超えた異文化への旅 感動との出会いが日伊の絆強める


ブロンズィーノ(アーニョロ・ディ・コジモ・トーリ)「ビア・デ・メディチの肖像」 1542年頃 油彩/板 64×48センチ ウフィツィ美術館 Antonio Quattrone,Firenze
                                                         
ブロンズィーノ(アーニョロ・ディ・コジモ・トーリ)「ビア・デ・メディチの肖像」 1542年頃 油彩/板 64×48センチ ウフィツィ美術館 Antonio Quattrone,Firenze

 本展の「遥かなるルネサンス」とは、とても素晴らしいタイトルです。
 本日、まさしく遥かなる時空を超えて、開会式を迎えることができました。伊東マンショをはじめ4人は、天空から、どのような思いで私たちを見つめていることでしょう。

◆〈ブラボーわが人生〉第34回 せがれがくれた6年間
「御本尊様に『こっちだよ』って手を引っ張られながら生きてきた」


【群馬県前橋市】粕川キクヱさん(93)=栄光支部、支部副婦人部長=は、仏具店の看板娘。朝昼晩の運動と、規則正しい食事を心掛け、店の番をしている。お釣りを暗算で手渡すが、多い時はご愛嬌。「おかげさまでボケそうでボケない」。ちゃめっ気たっぷりの笑顔のしわは、幸ある日々が刻んだ……わけではない。  
 セピア色のよれた写真を見せてくれた。そこには椅子に座った25歳の花嫁がいた。目についたのは、新郎がいたであろう部分が切り取られていること。キクヱさんにとって結婚は、記憶から消し去りたいほどつらいものだった。  
 終戦の年、農家の長男の嫁になった。家族8人の食事を世話し、風呂にまきをくべた。自分は畑仕事の疲れ果てた体で、ご飯の残りをすくい、あかの浮いた風呂に入った。  
 結婚すれば子を授かると思っていた。だが過労のせいか、子を授からなかった。不妊の焦りから居場所を失う。親同士が決めた結婚。姑の責めから逃げるに逃げられず、四面楚歌を耐え抜いた。
 そうした中で、35歳のキクヱさんは信心した。御書に「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(1190ページ)とある通り、家族に反対されようとも、疑念を抱かず、志を貫いた。  
 16年間過ごした家をとうとう追い出された。ぼろアパートの6畳一間。段ボール箱が食卓代わり。はた目には不幸と映ったが、題目の数を積めば積むほど、感激を味わえた。  
 ほどなくして、良縁があった。42歳の春、諦めていた小さな命を胸に抱いた。産声に涙が止まらなかった。祈りを込めて「勝利」と名付けた。後にこの一人息子が、母に信心の極意を教えていく。
 人生が幸せの方に動いた気がしますねえ。夫は植木が好きだったんです。仏具店をしてたもんで、桑畑を耕して、しきみを植えたんですよ。でも夫は、せがれが中学3年の時に亡くなりました。  
 せがれは寂しかったのかな。ぐれちゃった。どうしたもんかと思っていたら、高校を出た後、上京したんです。
 29歳の花火大会でした。洋子さん(47歳、地区婦人部長)を連れてきたんですよ。「結婚するんだ」って。やっと安心できた心地だね。  
 孫はかわいいですよ。13年前、私は乳がんの手術を受けたわけ。孫が病室に聖教新聞をいつも届けてくれた。病院食を食べた後は、入れ歯を洗ってくれるのよ。  
 せがれは幸せだったと思います。いい家族を持ったからね。家族で勤行した時、背中を見つめたの。いつの間にこんな大きくなったんだろうねえ。だけど試練に前触れは、ないんだね。
                      ◇   
 2010年(平成22年)6月10日です。せがれが新聞配達から帰ってきて、急に「頭が痛い」と玄関にうずくまったんですよ。すごい脂汗でした。救急車で大学病院に運ばれたんですよね。くも膜下出血で手術したんですけど、合併症で水頭症と脳梗塞にもなっちゃった。なんとか命だけは助かったって感じ。1カ月は意識がなかったわねえ。  
 半年して、ボールを少しだけ握れるようになったけど、ずっと寝たきり。電動ベッドを起こして、せがれの前に、みかんとりんごの絵を置いたの。「りんごはどっち?」と尋ねたら、みかんを指さしました。装具を着けて歩く練習もしたけど、支えてもらっても足が出ない。自分にできることは何でもやろうと思って、せがれの足をもんでやったんです。「勝利、題目だよ。南無妙法蓮華経を言うんだよ」。でも題目を言えないの。だから私が、せがれの分も唱題したんです。  
 随分ふびんな思いをさせてきました。暮らしが豊かじゃなかったから。小学生の時、自転車を買ってやれなかったんですよね。そしたら隣の人が捨てた自転車を拾ってきて、乗ってた。私はね、よそのお母さんの手前、笑っていましたけど、心は泣いていたんです。  
 思えば、せがれが高校を出てすぐ上京したのも、家計を考えてのことかもしれません。電気工事士の資格を取ったんですよ。あの子、甘え方を知らないんですよね。大学に行きたかったはずなんです。創価大学の通信教育部に入ったんだから。  
 24時間、せがれから目を離せないことは分かってた。在宅介護は想像以上でした。でも洋子さんと、最後は信心に結び付けて乗り越えた。夕方に面白いラジオがあるんだよね。それ聞いて、せがれは笑った顔をするんだよ。ちょっとのことに落ち込んで、ちょっとのことで喜んで。そんな日が1年2年と過ぎたわけです。  
 いつだったかなあ、私が花嫁だった時の写真が出てきたんだよ。悩みがいっぱいあった。でも御本尊様に「こっちだよ」って、手を引っ張られながら生きてきた。つないだ手を離さなければ、最後は必ず幸せになれるんだもん。
そうだよね、勝利。  
 本人としては寝返りも会話も、何一つできないから、最期まで笑顔で生きることは大変だったと思います。
                    ◇   
 一昨年の暮れ、せがれは腸閉塞で入院しました。寝たきりによる腸の癒着だそうです。年明けには高熱にうなされて。抗生物質を打ったけど、熱が下がらない。誤嚥性肺炎にもなって、耐性菌ができて抗生剤が効かなくなって……。  
 昨年9月、せがれは家族が集まるのを待ってくれました。享年51歳。私は掛ける言葉がないから、お題目をね。お題目しかないなと……。  
 あれから1年。洋子さんとよく話すんです。「あの6年は大変だったね」。すると洋子さんは、こんなことを言うんです。「でもね、あの6年が家族を強くしてくれたんだよ」
 考えてみれば、勤行を一度も休んだことがないなあ。どんな状況でも、池田先生の顔を思い浮かべて、くじけずに祈ってきた。そういう自分になれたっていう感激は、せがれのおかげかもしれない。  
 もちろん健康で生きてくれる方がいいに決まってる。せがれが倒れた時、なんでと思った。それでも水の流れるような信心であったなと。心がつらい時は、せがれが笑ってくれたから。それでまた、題目があがるんです。  
 苦悩は「煩悩即菩提」だもん。「生も歓喜、死も歓喜」の感激に手が届いたんですよ。生命は永遠なんだと。だから不安がなくなった。私がそうなるのを待って、せがれは命を閉じたんじゃないかな。  
 せがれとの別れを、みんな悲しんだ。でもみんな、やりきった。私は葬儀で泣きませんでした。せがれを褒めてあげたの。「よく頑張ったね」。だって名前の通りに生きたんだもん。親を「勝利」に導いてくれた孝行息子なんだから。
 私は唱題が大好きです。何時間でも御本尊様とお話しすんの。足は痛くないです。座椅子があるからね。この座椅子ですか? 乳がんの時、退院して家に戻ったら、私の部屋の御本尊様の前に置いてあったの。洋子さんが贈り主をこっそり教えてくれた。まったく、ぶっきらぼうな、せがれだよ。(天)

2017年9月19日 (火)

2017年9月19日(火)の聖教

2017年9月19日(火)の聖教

◆わが友に贈る

どうすれば悩める友に
希望の灯をともせるか。
真剣に祈り抜こう!
一人一人に同苦する
大誠実のリーダーたれ!

◆〈名字の言〉 2017年9月19日

 本当の美は「強いもの」――かつて本紙のインタビューで能楽シテ方喜多流の香川靖嗣さんが語っていた。「軟弱から、人の心を打つものは何も出てこない。人の心を打つのは、計算ではありません」と▼能役者は、時に数十キロの重さの装束を着けて、悠然と舞い続けなければならない。また“私生活=舞台”と捉え、日常の心の持ち方や振る舞いまで厳しく律するという。日本が世界に誇る伝統芸能の美しさは、不断の鍛えを基に生み出される▼岩手の男子部員は、職場でのいじめ、病魔、経済苦などの困難に遭い、自暴自棄に陥った。彼を支えたのは同志の存在。「自分を哀れんでいる暇はない。ピンチはチャンス。勝つまで戦おう」――真剣な励ましに、彼も腹を決めた▼題目を唱えると生命力が湧き上がった。同様の状況を勝ち越えた同志の体験が胸に刺さった。“負けてたまるか”と懸命に仕事に取り組む中、会社の合併等もあり、職場環境が劇的に改善。病気も治り、借金も完済した。昨年、彼を信頼する職場の後輩が入会し、共に広布に進む▼先日、彼が創価青年大会で体験を発表した。「不屈の心で挑むと、勇気と活力が湧いてきました。絶望を希望に変える信心に感謝しています」。彼の勇姿に、強いことが幸福と教えられた。(應)

◆〈寸鉄〉 2017年9月19日
 

 『人間革命』は民衆勝利の
 歴史を描いた偉大な小説
 ―博士。学び躍進の力に
      ◇
 「始中終すてずして大難
 を・とをす人・如来の使」
 御書。持続こそ信心の要
      ◇
 緻密であってこそ組織は
 潤滑に流れる―戸田先生
 短時間で充実の協議会を
      ◇
 子供座席未使用で致死率
 は約8倍と。6歳未満の
 着用は義務。油断を排せ
      ◇
 季節の変わり目は体調に
 留意。祈り根本に聡明な
 食生活・睡眠を。過信禁物

◆小説『新・人間革命』第30巻 暁鐘の章  十六 2017年9月19日 (6177)
 


 山本伸一は、さらにジフコフ議長に、「重工業も大切ですが、今後は軽工業を、もっと充実させていく必要があるのではないでしょうか」などの意見を伝えた。議長は「同感です」と述べ、今後の展望について語った。
 「最近、わが国は、次第に国民の生活レベルが上がりつつあるので、軽工業を重視し、人びとの生活を豊かにするように力を注いでいます。また、文化のレベルを、もっと上げることに取り組んでいます。パンは、今、豊富にあります。だから本を普及させ、各家庭の図書の充実に努めているところです」
 ジフコフは、戦後、ブルガリアが王制を廃止し、人民共和国となると、一九五四年(昭和二十九年)にはブルガリア共産党第一書記(後に書記長に改称)に就任し、首相も兼任した。以来、国家の最高指導者を務めてきた。
 テレビカメラが回るなかでの会見であった。伸一は、三十分ほどで辞去した。
  
 一行は、この日午後、ソフィアから車で二時間ほどのところにあるブルガリア第二の都市・プロブディフ市を視察した。新石器時代からの歴史をもつブルガリア最古の都市であり、木々の緑とレンガ色の屋根が美しいコントラストを描く街並みが続いていた。
 伸一は、地元の県議会副議長らと会談したあと、市内に建設されたトラキア団地に案内された。ここで記念に樅の木を植樹することになっていた。
 植樹をしようとすると、近くにいた子どもたちが集まって来た。「一緒に木を植えようよ」と語りかけると、皆、笑顔で頷いた。
 伸一は、「“この木が大樹に育ちますように。そして、ブルガリアと日本の友情が大きく育ちますように”との祈りを込めて、植樹させていただきます」と言って土をかけた。子どもたちが後に続いた。
 子らに、「将来、何になりたいの?」と尋ねると、目を輝かせて、口々に夢を語った。
 時代はどんなに激動したとしても、子どもが夢をいだけるならば、希望の未来がある。   

【先生のメッセージ】

◆少年少女部結成記念大会への池田先生のメッセージ 2017年9月19日

 大好きな少年少女部の皆さん! 朗らかな大会、誠におめでとう! 
 担当者の方々も、いつも本当にありがとう! 
  私は、未来を託しゆく宝の皆さん一人ひとりと心の握手を固く交わす思いで、すべてを見守っております。
 今日は、一人の偉大な女性の負けじ魂を通しながら、皆さんにメッセージを送ります。アメリカのヘレン・ケラーという人です。
 気の毒なことにヘレンは、幼い頃の病気が原因で、目が見えなくなり、耳が聞こえなくなり、話すこともできなくなってしまいました。
 しかし7歳になる頃から、サリバンという立派な先生に教わり、言葉を覚え、勉強を頑張り抜いていきました。そして、「人のために生きよう」と決め、体が不自由な人が暮らしやすい社会になるよう、世界を駆けめぐり、尽くしていったのです。
 なぜ、ヘレンは、苦しい試練を乗り越えることができたのか?
 一つは、いい友だちをたくさん作ったからです。ヘレンは自分の一生は“友情の宝の記録”というほど、よき友との励まし合いを大切にしました。
 友情は「生命を輝かせる希望の光」です。
 二つ目は、本をたくさん読んだからです。目が見えなくとも、指先で点字をなぞって本を読み、生き生きと学んで、心の世界を広げていきました。
 読書は「心を豊かにする知恵の扉」です。
 三つ目は、「絶対にへこたれない」執念です。ヘレンは話す練習に挑んで、何度失敗してもグチをこぼさず、ついに言葉がしゃべれるようになりました。
 負けじ魂は「未来を開く勝利の泉」です。
 日蓮大聖人は、「題目は、獅子(ライオン)が吼えるようなものです」(御書1124ページ、趣意)と仰せです。皆さんが挑戦している勤行・唱題は、百獣の王の叫びのように、自分自身の勇気を湧かせ、周りの人にも勇気を送る力があるのです。
 何があっても、題目を忘れず、「よし! やるぞ」と、明るく、ねばり強く、学び進んでいってください。
 皆さんの一歩また一歩の前進こそ、世界の創価家族の喜びです。
 愛する少年少女部、万歳! 笑顔で親孝行を頼みます。

【聖教ニュース】

◆地球を結ぶ民音公演  今秋 交流国が107ヵ国地域に  バーレーン王国の2大グループ    ニカラグア共和国が誇る歌姫
 
アラブの伝統楽器と西洋楽器を用いて、神秘的なハーモニーを奏でる「バーレーン芸術団」
アラブの伝統楽器と西洋楽器を用いて、神秘的なハーモニーを奏でる「バーレーン芸術団」

 音楽の力で世界平和の構築を!――創立者である池田大作先生の理念とリーダーシップのもと、地球を結んできた民主音楽協会(民音)。今秋、開催される公演で、新たに「ニカラグア共和国」「バーレーン王国」の2カ国との音楽交流が始まる。これによって民音の交流国は107カ国・地域となる。
 ニカラグア共和国の国民的女性歌手「カティア・カルデナル」の来日公演は9、10月、全国21都市で。
 カリブ海に面した同国には、歴史薫る古い町並みが残っており、“中米の秘境”とうたわれる。近年は観光業の発展も著しい。
 公演では、中米出身の女性アーティストとして、最大のアルバムリリース数を誇るカティア・カルデナルが、30年以上の音楽活動で培った確かな歌唱力をもって、愛や平和、環境保護をテーマに歌い上げる。
 また、共に来日するのは、同国の若者に大人気のバンドグループ「ラ・クネータ」。マリンバなどの伝統楽器でロックやヒップホップなどを奏でる演奏技術は折り紙付きで、グラミー賞ノミネートの経歴を持つ。陽気なトロピカル・サウンドに乗せて、“ニカラグアの風”を届けるステージとなろう。
 一方、10、11月に来日するバーレーン王国「バーレーン芸術団」の公演は全14都市で。
 同国は、ペルシャ湾に浮かぶ33の島々で構成される島国。古くからメソポタミア・インダス両文明の交易拠点として栄えてきた。良質な天然真珠の採取が行われてきたことでも有名だ。
 公演では王国を代表する2大グループ「モハメッド・ビン・ファリス・バンド」と「クァラリ・バンド」が、アラブの伝統楽器とバイオリンなどの西洋楽器を用いて、真珠採りの船乗りの歌や踊りを披露する。また同公演は、国の重要施設や遺跡などを保存するバーレーン文化・古代遺跡庁の全面協力のもとで開催される。数々の神話や伝説が息づく王国の文化を堪能できる舞台となるに違いない。
 問い合わせは各地の民音センターまで。

◆少年少女部結成52周年 首都圏の友が記念大会行う 2017年9月19日
勝利の未来へ獅子の心で

 9・23「少年少女部結成記念日」52周年の記念大会が18日、東京池田記念講堂で行われ、首都圏の代表約1000人が集った(写真)。

 池田先生はメッセージ(2面に掲載)を贈り、何があっても題目を忘れず、「よし! やるぞ」と、明るく、粘り強く、学び進もうと呼び掛けた。
 椎葉義寿君、河合陽子さんが司会を元気いっぱいに。池田総合未来部長の話の後、富士少年希望少女合唱団が皆に勇気を送るハーモニーを響かせた。
 富田少年部長、勝岡少女部長は「未来部7つの指針」を実践して成長の日々をと念願。細山政士君と山﨑裕美さんが抱負を述べ、尾﨑一輝君は真剣な唱題に挑む中、病を克服して臨んだキックボクシングの大会で好成績を残した喜びを語った。石黒未来本部長が励ました後、全員で少年部歌「Be Brave! 獅子の心で」を合唱した。“平和と希望と勝利の未来へ、出発だ!”との決意を込めて――。

◆〈季節の詩〉 沖縄 摩文仁に懸る二重の虹 2017年9月19日
   

 激しい通り雨が過ぎた後だった。
 太陽の光に照らされて、海と空の青の上に、七色の“天の芸術”が鮮やかに描き出された。沖縄・糸満市摩文仁の平和祈念公園に懸かった二重の虹である。
 ここは、かつて沖縄戦で最後の激戦が繰り広げられた地。池田先生は沖縄初訪問の折、この南部戦跡を訪れ、深き祈りと誓いを捧げている。
 風雨に打たれたこの大地に、人々の心に、永久に消えぬ平和と幸の虹よ懸かれ――私たちも師に続き、今いる場所で、友情の光を十重二十重に広げていこう。(9日=山口敬祐記者撮影)

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈新世紀の旭日 アメリカ創価大学〉第4回 セカンドホーム(第2の家) 
支えあう“家族”の絆
 
丘の上に立つSUA。写真奥の一番高い場所に並ぶ建物が学生寮
丘の上に立つSUA。写真奥の一番高い場所に並ぶ建物が学生寮

 三方を谷に囲まれた丘の上にあるアメリカ創価大学(SUA)。緩やかな傾斜が続くキャンパスの、一番高い場所には学生寮が立つ。
   SUAは「学生第一」。最も見晴らしの良い、美しい場所に学生寮を――創立者・池田先生の心である。
 サンライズ(日の出)、ホライズン(地平線)、オーロラなど、それぞれに名が付いた八つの寮で、世界中から集った学生たちが学ぶ。
 SUAの学生は、約4割が米国外からの留学生である。この割合は、先日、米メディア会社「USニューズ・アンド・ワールド・リポート」が発表した大学ランキングでも、全米の第1位に輝いた。
 入学を機に、初めて家族と離れて暮らす友も多い。そうした学生が安心して大学生活を送れるよう、さまざまなサポート体制が整う。
                                                                ◇ 
 リサ・ダイザーさんは、寮生活を支えるスタッフの中心。2001年の開学時から、寮に住み込みで学生に寄り添い続けてきた。
 24時間、部屋の設備の不具合などに対応しながら、学生の悩みの相談に乗ることもしばしば。新しい環境で、生まれ育った文化や背景が異なる人と共に送る寮生活。すれ違いや葛藤があるのは当然である。
 その一人一人に、「ありのままでいいんだよ」と訴えている。
 「寮は自分の良いところも、弱い部分も、全てをさらけ出せる“家”のような場所。互いを受け入れ合う家族のような絆が、寮生活の中で育まれていきます」
 SUAでは1年次、大学が割り当てたルームメートと、一つの部屋で共同生活を送る。2年次以降はルームメートを選択でき、個別の部屋に住みながら、バスルームを共有するのが一般的である。
 13期生のキャシディー・ブラッドフォードさん(アメリカ)とカオリ・ツジさん(日本)は、2年間をルームメートとして過ごした。
 1年次の、ツジさんの述懐。
 「理想に燃えて入学したものの、英語力に不安がありました。でもキャシディーが、会った瞬間から笑顔で話を聞いてくれたから、少しずつ自信を持てるようになりました」
 一方のブラッドフォードさんも、ツジさんに支えられた。「創価教育・学生研究プロジェクト」の責任者を務めた2年次。激務で身も心もへとへとになった時、部屋に帰ると、励ましの言葉が書かれたメモや、お菓子が置かれていた。
 3年次の留学では、アルゼンチンでスペイン語を学んだ。ホームシックになった彼女を、すでに留学を終えていたツジさんがスカイプ(テレビ電話)で励まし続けた。
 ブラッドフォードさんは言う。
 「母国語が使えない環境で生活をすることがどれほど大変か分かった時、英語を学んでSUAに入学した友人への、心からの尊敬の念が生まれました」
 これは、他の多くの学生にも共通する思いだ。言葉が通じない。文化になじめない。こうした苦労を皆が一様に経験し、乗り越えるのが3年次の留学である。
 学友への尊敬と感謝を一段と深めて、キャンパスで再会。SUAの多様性が、さらに輝きを放ち始める。
                                                                   ◇ 
 開学前のある時、設立準備委員会に出席した池田先生は、「創立者として、二つだけお願いしたい」と。
 1点目に、寮の環境を、学生にとって素晴らしいものにする。
 そして2点目が、食堂についてだった。「栄養バランスも良く、健康的で、食べるのが楽しみになるような食堂にしていただきたい。そうでないと勉強するにも力が出ません」
 この提案のもと、教職員が直接、他大学の学食を視察するなどして、SUAの業者を選定した。
 日々のカフェテリアは学生、教職員の触れ合いの場。勉学の合間の語らいが、活力の源になる。食事は毎日が食べ放題。経済的理由から、学生が節約しないようにとの配慮だ。
 各国の料理が並ぶことも多い。
 「母国の料理が出た時は、うれしかった。おいしい食事のおかげで、家族と離れていても頑張れます」。アフリカ出身の学生は語る。
 時には、食事を部屋に持ち帰り、一人でゆっくり食べたい日も。
 カフェテリアのスタッフは言う。「“元気がないな”と感じたら、声を掛ける時もあるよ。この大学はいい人たちばかりだから、何とか力になりたいと思ってね」
 寮で、カフェテリアで、SUAの日常を支える人たちがいる。自分らしくいられる場所だからこそ、学生は、SUAを“セカンドホーム(第2の家)”と呼ぶ。
                                                                      ◇ 
 学生に囲まれる教職員にとっても、SUAは“ホーム”だ。
 ホセ・ロペスさんとマリアさん夫妻は、04年から清掃スタッフとして働いている。
 メキシコ出身で、英語は片言しか話せない。人との関わりはそう多くはないだろう――。そう思っていたが、SUAは違った。
 スペイン語圏出身の学生や、スペイン語を学ぶ学生。そして時には、ほとんど話せないはずの学生が、「オラ(こんにちは)!」「コモエスタス(元気ですか)?」と話し掛けてくるではないか。その人懐っこさに押されて、二人も持ち前の陽気さで、学生たちに応じるようになっていった。
 「会話の半分くらいしか通じていない時もありますよ。でも、心は通じている気がする。彼らとのやりとりが、私たちの生きがいです」
 卒業生から、自宅にエアメールが届いたこともある。“私の父、母である二人へ”。それらは今も大切に飾っている。
 「学生も、教職員も大好き。皆さんのために、キャンパスをきれいにすることだけは任せてくださいね」
インタビュー 2017年卒業 ダレーナ・トランさん

●「思いやりの心」を学んだ 
 アメリカ生まれの私は、複雑な家庭環境で育ち、「家族」と呼べる存在はいませんでした。友人たちはSUAを“セカンドホーム”と呼びますが、私にとっては“ファーストホーム(第1の家)”です。
 自分一人で生きていける力を付けようと決め、学校では常にトップの成績を維持しました。他の有名大学にも合格しましたが、SUAへの進学を決めたのは、一人の先輩と話したのがきっかけです。SUAには「思いやりの文化」があるとの、彼の言葉が心に残ったのです。
 思いやり――それは最初、私には理解できないものでした。人に優しくされ、手を差し伸べられても、裏切られるのを恐れ、関わることを拒否してきたからです。
 しかし、SUAの友人たちは、落ち込んでいる私を見逃しません。「困った時は、いつでも話してよ」と声を掛けてくれました。体調を崩した時、一緒にカフェテリアまで歩いてくれた友人。病院に行きたい時、試験直前の勉強を中断して、車で送り迎えをしてくれた友人もいました。
 私がどれほど人間関係に懐疑的でも、友人たちは、変わらぬ愛情で包み込んでくれました。
 教職員も、いつも温かく励ましてくれました。そして世界中で、私たちを真心で支援してくださる寄付者の方々にも、深く感謝しています。
 こうした人たちのおかげで、私もまた、自身の思いやりの心を広げようと挑戦を始めました。新入生をサポートするスチューデント・オリエンテーション・リーダー(SOL)や、来学者のツアーガイドなど、進んで人の中に飛び込みました。
 もちろん最初は、ぎこちなさもありましたが、文化や価値観が異なる人と友情を育むためには、居心地のいい空間を抜け出すことが大切なのだと気付きました。SUAには、そうして自らの殻を破ろうと挑戦する友人が多くいます。だからこそ、どんな人をも受け入れる、思いやりの文化が生まれています。
 卒業100日前に開かれた伝統の行事で、4年生を代表して、自身の体験を発表した時のこと。ステージに立った私を、司会が紹介しました。「私たちの最愛の一人です」と。そして場内から大拍手が起きました。忘れられない瞬間でした。
 たとえ社会の無関心や無慈悲が叫ばれても、身近な人を思いやる一人がいれば、必ず社会は変わると確信します。思いやることを学んだSUAの卒業生として、私はそんな一人でありたいと願っています。
ご感想をお寄せください news-kikaku@seikyo-np.jp

◆「秋季彼岸勤行法要」のために 拝読御書「上野殿御返事」御書 1507ページ6行目~8行目      妙法の実践こそ最高の追善 亡き故人の分まで広布へ前進



 創価学会では、「秋分の日」である23日を中心に、全国の主要会館、墓地公園、納骨堂で「秋季彼岸勤行法要」を開催し、故人への追善の勤行・唱題、焼香を厳粛に行います。ここでは、勤行法要の拝読御書である「上野殿御返事」について、御文の理解を深める解説を掲載します。(「大白蓮華」9月号にも、拝読御文と解説が掲載されています)

拝読御文
 
 このほどよみ候御経の一分をことのへ廻向しまいらせ候、あわれ人はよき子はもつべかりけるものかなと、なみだかきあえずこそ候いし、妙荘厳王は二子にみちびかる、かの王は悪人なり、こうへのどのは善人なり、かれにはにるべくもなし、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経

本抄について
 
 流罪地・佐渡から鎌倉へ御帰還後、身延に入られた直後の日蓮大聖人のもとへ、南条家から御供養の品々が届けられました。本抄は文永11年(1274年)7月26日、その返礼として認められたお手紙であり、若き南条時光との再会の喜びをつづられています。
 時光の父・南条兵衛七郎が亡くなった時(文永2年)、時光は7歳の少年でした。以来、9年が過ぎ、立派な青年に成長したその姿に、大聖人は兵衛七郎の面影や人柄を偲ばれたのでしょう。この時に、兵衛七郎への追善の読経をされています。
 大聖人は本抄で、子に導かれて仏道に入った妙荘厳王の故事を引かれ、兵衛七郎と残された一家が成仏の軌道に入っていることは間違いないとたたえられています。


回向
  
 日蓮大聖人は拝読御文で、御自身の読誦した法華経の功徳の一分を故・南条兵衛七郎に廻向(=回向)したと仰せです。
 大聖人は続けて、子息の南条時光が、亡き父の信仰を受け継いでいることについて、“あふれる涙をぬぐうことができない”とたたえられています。時光が信仰を実践していることも、亡き父への追善となることは言うまでもありません。
 ここで回向とは、“回らし向ける”こと、すなわち自身が仏法を実践・修行した功徳を、他の人々へ手向けることです。また追善とは、故人に対して、故人が生前に積んだ功徳に追加して、遺族などが功徳を回向することをいいます。
 御書に照らせば、回向とは、①法華経(その真髄である南無妙法蓮華経)を信じ実践する功徳によって可能であること②その功徳は自身が関わる全ての人に手向けられるものであること、が明らかです。
 過去の一切の諸仏・菩薩が妙法への信によって成仏の境涯を開いてきたように、私たち自身も妙法を実践することで境涯を開き、偉大な功徳をわが身に具えることができます。その功徳を故人に回らし向けていくのが、日蓮仏法における「追善回向」です。
 大聖人は「自身仏にならずしては父母をだにもすくいがたし」(御書1429ページ)と仰せです。追善回向の本義は、私たち自身が御本尊を信じ、信心に励んでいくことにあります。
 大聖人の御遺命である広宣流布へ行動しているのは、創価学会以外にありません。
 勤行・唱題をはじめとする、広布を願っての信心の実践こそ、故人に対する最高の追善回向となるのです。

妙荘厳王
 
 御文で言及されている妙荘厳王は、法華経妙荘厳王本事品第27に説かれる故事の中に出てきます。故事のあらすじは次の通りです。
 ――無量無辺不可思議阿僧祇劫というはるか昔に、浄蔵・浄眼という2人の王子がいました。
 この2人は、雲雷音宿王華智仏のもとで菩薩行を修して覚りを得ました。
 2人は、雲雷音宿王華智仏から法華経の説法を聞いて歓喜し、母である浄徳夫人に“共に仏の所に詣でましょう”と勧めました。
 しかし、母は、まずバラモンの教えを信奉している父・妙荘厳王を仏教に帰依させるよう勧めます。
 浄蔵・浄眼の2人は、父王の前で、さまざまな神通力を現じました。
 この神通力に感心した父が、師はだれかと問い、浄蔵・浄眼が雲雷音宿王華智仏であることを告げたところ、父王は、夫人だけでなく多くの眷属を引き連れて仏の前に詣で、王と夫人は多くの眷属らと仏道を行じて成道を果たすことができたのです。
 この故事が示すように、たとえ父が(仏道に励んでいなかった)悪人であっても、子の信心で救うことができます。まして時光の父は、日蓮大聖人に帰依して善根を積んでおり、成仏は間違いありません。
 大聖人は、亡き南条兵衛七郎の功徳が妙荘厳王と比べようもないほど大きいこと、“親子一体の成仏”は間違いないことを教えられています。

謗法への布施を止めよ


●御聖訓 “悪に供養すれば悪道へ”
 
 日顕宗は、“坊主を呼んで追善しなければ、先祖は成仏しない”“塔婆を立てないと追善回向できない”等と主張していますが、これは御書のどこにも説かれていない全くの邪義です。
 日蓮大聖人は「四条金吾殿御書(盂蘭盆由来御書)」で、堕落した僧侶を「食法がき」(御書1111ページ)と痛烈に破折されています。
 日顕宗の坊主は「お経回り」と称して檀家を回り、僧侶の読経をありがたいものだと思わせては供養を稼いでいます。
 また、塔婆や戒名を“金もうけの道具”にするなど、仏法を利用して供養集めをしています。そうした姿こそ「食法餓鬼」そのものです。
 日顕宗は広布を破壊し、大聖人に違背する大謗法の邪宗です。大聖人は「真心からの供養であっても、悪への供養であれば功徳とならず、かえって悪道に堕ちてしまうことになる」(同1486ページ、趣意)と仰せになり、謗法への供養を戒められています。
 日顕宗に塔婆供養などを頼めば、謗法の与同罪で功徳どころか罰を受けてしまいます。日顕宗への供養は、全て「謗法への布施」となり、かえって自身が悪業を積むことになるのです。

池田先生の指針から
 
 信心は、どこまでも「現当二世」で進んでいかねばならない。ゆえに、たとえ家族に先立たれたとしても、残された家族は“遺族”というよりも、“後継者”との自覚を深くもつべきである。信心を継承し、亡くなった人の分までも、希望をもって妙法流布のために生きぬいていく――故人への追善回向をしつつも、そこに“後継”への思いを新たにしていくべきである、と私は思う。
 墓参といっても、世間一般のいわゆる過去に向いたものではなく、三世永遠の生命観に立って、力強く未来を志向していくものでありたいものだ。(『池田大作全集』第69巻)
                                                              ◇ ◆ ◇ 
 七歳の時に日蓮大聖人にお会いしたとされる南条時光は十六歳から、師のもとで直々の薫陶を受けた。
 大聖人は、亡き父の信心を立派に継承する時光の姿を讃えられ、こう仰せになられた。
 「あわれ人はよき子はもつべかりけるものかなと、なみだかきあえずこそ候いし」(御書1507ページ)と。
 門下の子弟を皆、わが子の如く慈しみ、育んでくださる。
 これが大聖人の御心であられた。(『随筆 対話の大道』)

◆〈男子部のページ〉 大学校生特集 2017年9月19日


 本年、創価班や牙城会をはじめとした男子部の各種グループの大学校生育成の主体が、大学校の団長から組織のリーダーに変わり、大学校生に関わるメンバーの人材育成と折伏

◆〈信仰体験〉 北陸発 気鋭のミュージシャン ここで歌う意味がある! 2017年9月19日
地元プロバスケットチーム、ご当地アイドルに楽曲提供

 【石川県野々市市】北陸を中心に活躍の場を広げるミュージシャンがいる。その名は「エイトMAN」こと、八万大介さん(27)=富奥支部、男子部部長。レゲエ、ヒップホップ、歌謡曲などを融合させた独特のサウンド。一度耳にしたら癖になる、その歌い回し。彼は何を思い、マイクを握るのか――。
 

2017年9月18日 (月)

2017年9月18日(月)の聖教

2017年9月18日(月)の聖教

◆今週のことば

教学試験へ挑む友へ
真心の励ましを!
「我もいたし
人をも教化候へ」
行学の二道を共々に!
2017年9月18日

◆〈名字の言〉 2017年9月18日

 沖縄県の今帰仁村が、65歳以上の方を対象に健康状態についてアンケートを実施。その後の要介護度や生存との関連などを追跡調査した結果が先日、発表された▼それによると「病気は自ら予防できる」と考えている人は、「できない」と回答した人に比べ、死亡リスクが56%減少。要介護2以上でも「介助があれば外出できる」と答えた人は「できない」と答えた人に比べ、要介護状態が悪化するリスクが67%減少した、と。また「家族との団らん」「子や孫からの電話」などを楽しみにしている人は「とても幸福」と答える割合が高かったという▼物事を前向きに捉え、外出する意欲や他者との関わりを持つことが、健康・長寿や幸福感につながっていることが分かる。87歳の壮年部員は、唱題と本紙の熟読から一日を出発。2時間歩くことを日課にしている。ただ散歩するのではない。「一人でも多くの友人に会って励ましを送るために、外に出るのです」▼日蓮大聖人は「年は・わかうなり福はかさなり候べし」(御書1135ページ)と。信心に励む人は年を重ねるごとに若くなり、福運に満ちていくとの仰せである▼きょうは「敬老の日」。広布を開いた多宝の先輩方を模範に、日々、学会活動という“最高の健康法”に励みたい。(結)

◆〈寸鉄〉 2017年9月18日

 会長の対話は「励ましの
 心」に溢れている―識者
 我らも一期一会の思いで
      ◇
 師子は打たれるほどに猛
 り立つ―恩師。苦難こそ
 宝。青年よ断固祈り勝て
      ◇
 「今日蓮が時に感じて此
 の法門広宣流布す」御書。
 大聖人直結で勇敢に前へ
      ◇
 会場提供の皆様に感謝。
 時間厳守で近隣への配慮
 忘れず。地域の宝城守れ
      ◇
 引き続き土砂崩れや河川
 の増水等に注意を。無冠
 の友も無事故最優先で。

◆社説  きょうは「敬老の日」     創価の大先輩は“幸福人生の達人”


 「2007年に日本で生まれた子どもの半分は107歳まで生きる」――先週、ニュース等であ
らためて注目された研究。ベストセラー『ライフ・シフト』の著者で、英ロンドンビジネススクール教授のリンダ・グラットン氏による予測である。
 同氏が、安倍政権の目玉政策「人づくり革命」の具体策を議論する「人生100年時代構想会議」
の初会合に招かれ、長寿時代の人生設計の在り方が話し合われた。多くの人が80代まで働き、1
00歳まで生きるようになるかもしれない。
 この類いの話になるとメディアは、どこか悲観的な報道が多くないだろうか。確かに医療や介護
などの課題はある。健康面や経済的な不安を抱く人も少なくない。一方で、わが事として実感が伴
わない人も。同氏は、今50歳未満の日本人は100歳以上生きる時代を考えておいた方がいい、
と述べている。
 今後ますます問われるのは、私たちの生き方であり、社会の在り方だろう。長寿という“人類の夢をかなえた国”ともいわれる日本は、世界に先駆けて、人生100年の模範的な姿を示せるかどうかだ。
 高校卒業後、銀行で定年まで働いた82歳の若宮正子さん。先の会議に招かれた識者の一人で今
年、アイフォーン用アプリを開発し話題となり、アップル社のCEO(最高経営責任者)と米国で
懇談。“勇気づけられる存在”として称賛された。
 若宮さんは定年退職後、親の介護等で家にいる時間が増えて友人との交流が減り、パソコンを初
めて購入。ネット掲示板で新たな友人ができるかもしれないと考えた。シニアが豊かに生きるため
に必要なのは、情報と友達だと実感している。
 いわんや創価の大先輩にして“幸福人生の達人”ともいえる多宝会(宝寿会=東京、錦宝会=関西)の方々は、広宣流布という使命を胸に世界宗教の礎を築いてきた、勇気の先覚者だ。
 その姿は、御書に「上行菩薩と申せし老人」(1458ページ)とあり、法華経で荘厳なまでの風
格を“百歳の人”とたとえられている姿に通じる。次代を担う後輩世代にとって「信心即勝利」のお手本といえよう。もちろん、人生の価値は、何歳まで長生きしたかよりも何を成し遂げたかにある。
 きょうは「敬老の日」。世間では老いの価値が揺らぐ今、私たちは、師弟の共戦譜をつづってき
た多宝の友を心から敬い、“未来までの物語”を受け継ぐ決意の日としていきたい。

◆きょうの発心   長女の障がいを使命に変えて 2017年9月18日


御文 『夫れ法華経第一方便品に云く「諸仏の智慧は甚深無量なり」云云、釈に云く「境淵無辺なる故に甚深と云い智水測り難き故に無量と云う」と』 (曾谷殿御返事、1055ページ)
通解 法華経の方便品に「諸仏の智慧は甚深無量である」と説かれている。この文について天台大師の釈には「境の淵が無辺であるので甚深といい、智慧の水が測り難いので無量という」とある。

 仏の深い境涯、満々たる智慧について教えられた一節です。
 青年部時代、「第2回世界青年平和文化祭」に役員として参加。雨の中、グランドを回って参加者を激励される池田先生の姿に「生涯、広布の道を」と誓いました。結婚後、生まれた長女には、先天性内反足、多発性関節拘縮症、側弯症、知的障がいがありました。「なぜ、わが娘が・・・」と悩みましたが、この御文を胸に夫婦で唱題を重ね、「宿命を使命に」との決意で学会活動に全力で取り組みました。その中で、長男も積極的に妹である長女の面倒を見てくれ、私たちの活動を助けてくれるように。長女は2度の手術を乗り越え、信心の功力を実感しした。
 現在、私は社会福祉法人の評議員、秩父手をつなぐ育成会会長等を務めており、ボランティア活動の中で仏法理解の輪を広げることもできました。これからも、報恩感謝の思いで、秩父の同志と共に広布拡大に励んでまいります。 埼玉・秩父県長 本橋 貢

◆小説『新・人間革命』第30巻 暁鐘の章 十五 2017年9月18日 (6176)
 


 一夜明けた二十二日午前、山本伸一たちは、ブルガリア国家評議会(後の大統領府)に、国家元首である同評議会のジフコフ議長を表敬訪問した。折からブルガリア建国千三百年祭で、外国の賓客が相次いでいることを考え、伸一は、最初に、「早くおいとまいたします」と告げて、語らいに入った。
 そして、黒海の汚染が進みつつあることを憂慮していた伸一は、沿岸諸国が協力し、浄化を進めていくことを提案した。
 黒海の海面から水深二百メートルより下は、地中海系の水が入り込み、停滞しているため、塩分が高い。溶存酸素もなく、硫化水素が多いことから、魚類はすめない状態であった。漁業は、主に、水深が浅く、各河川の流入で塩分の少なくなった北岸で行われてきた。しかし、この沿岸も、近年、各河川からの、流入泥土などによるヘドロ化が懸念されていたのである。
 「そこで、貴重な自然資源を守るうえからも、二十一世紀をめざして、黒海をたくさんの魚がすむ、豊かな“青い海”にしていってはどうでしょうか。
 その費用を捻出するために、沿岸諸国は、互いに少しずつ武器を減らし、力を合わせて、黒海をきれいにしていってはどうかと、提案したいと思います」
 議長は賛同しつつ、こう述べた。
 「そうです。お互いに武器を減らさない限り、その構想を実現することは不可能です。しかし、アメリカとソ連の緊張関係があり、北大西洋条約機構(NATO)とワルシャワ条約機構(WTO)の緊張関係があります」
 ソ連をはじめ、ブルガリアなどはワルシャワ条約機構の加盟国だが、黒海南側のトルコは北大西洋条約機構に加盟している。
 黒海の海はつながっている。しかし、沿岸諸国の背景にある東西両陣営の対立が、国と国との結束を阻み、環境破壊を放置させる結果になっているのだ。イデオロギーが人間の安全に優先する――その転倒を是正する必要性を訴え、伸一は世界を巡ってきたのである。   

【先生のメッセージ】

◆〈御書と歩む 池田先生が贈る指針〉83


御文 『いかにも・いかにも追善供養を心のをよぶほどはげみ給うべし、古徳のことばにも心地を九識にもち修行をば六識にせよと・をしへ給う・ことわりにもや候らん』 (上野殿後家尼御返事、1606㌻)
通解 何としても、追善供養を心の及ぶ限り、励まれるのがよいであろう。昔の智者の言葉にも「心の根底を第九識におき、修行は六識においてしなさい」と教えているが、道理ではないだろうか。

同志への指針
 家族や宝友との愛別離苦は誰人も避けられない。しかし、自行化他の題目を唱えることで、心の及ぶ限り追善供養できる。生死を超えて、共に妙法の光明に包まれるのだ。
 広宣流布を目指し、現実の生活の中で、日々、仏道修行に励むことこそ、最高の追善となる。その功徳が、無量の先祖、無量の子孫までの「常楽の旅路」を赫々と照らし晴らしゆくのだ。

 
【聖教ニュース】

◆女子学生部が希望の出発  「部の日」記念の首都圏大会 創大秀麗会に新リーダー誕生
 
“誓いの青春を勝ちゆこう”と約し合った首都圏女子学生部大会。9・9「部の日」の淵源を紹介する研究発表も行われた(16日、東京戸田記念講堂で)
“誓いの青春を勝ちゆこう”と約し合った首都圏女子学生部大会。9・9「部の日」の淵源を紹介する研究発表も行われた(16日、東京戸田記念講堂で)

 9・9「女子学生部の日」を記念する首都圏の大会が16日、巣鴨の東京戸田記念講堂で行われた。
 これには、池田大作先生ご夫妻がメッセージを贈り、「清々しく勝利の翼を広げゆく新出発の女子学生部大会、誠におめでとう!」と祝福。世界中の華陽姉妹の希望と光り、何でも励まし合いながら、聡明に伸び伸びと前進を、と万感の期待を寄せた。
 席上、原田会長から渡邉女子学生部長に部旗が授与され、会場は共戦と決意の拍手に包まれた。
 また、新任人事が発表され、副学生部長に青木信子さん、大山幸絵さん、佐々木律子さん、林美智子さんが就いた。創価大学・創価女子短期大学に学ぶ女子学生部員の集い「創大秀麗会」の委員長に佐々木律子さん、副委員長に藤下泰子さんが任命された。
 大会では、伊藤女子部長のあいさつの後、2人の代表の友が活動報告。
 上原正恵さんは、真剣な唱題の実践を根本に、第一志望の進路を勝ち取った喜びの体験を語った。
 永井沙友理さんは、幼なじみの友人に感謝の思いを込めて仏法対話を重ね、弘教を実らせた感激を伝えた。
 渡邉女子学生部長が、それぞれの舞台で対話拡大に先駆し、友に励ましの光を送る“福智の太陽”にと呼び掛けた。
 永石婦人部長は、どこまでも師の心を求め抜き、かけがえのない青春の一日一日を送ろうと語った。
 原田会長は「法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去って彼に行くには非ざるなり」(御書781ページ)を拝読し、今いる場所こそが“人間革命の道場”と定め、勇気の実践を貫こうと強調。一人一人が自身の使命を大きく開き、師の期待に応えゆく誉れの人生を歩んでほしいと望んだ。

関西でも朗らかに集い

 関西女子学生部の大会は16日、大阪市の関西文化会館で朗らかに開催された。
 奥田関西女子部長のあいさつに続き、佐藤悠さんは、友人への真心の対話に励む中で、最高峰の仏法哲理を学び深める歓喜を語った。
 有志による爽やかな合唱が披露された後、松下関西女子学生部長は、「使命のキャンパスで幸福のスクラムを広げよう」と強調。
 直里同婦人部長が、「祈りを根本に、目の前の友へ、希望を送る存在に」と激励した。

◆ドイツ ヴィラ・ザクセン総合文化センター 「歴史的建造物公開の日」にオープンデー

   
ドイツSGIの「緑の丘オーケストラ」が優雅な演奏を披露(ヴィラ・ザクセン総合文化センターで)
ドイツSGIの「緑の丘オーケストラ」が優雅な演奏を披露(ヴィラ・ザクセン総合文化センターで)

 ドイツSGI(創価学会インタナショナル)が10日、ビンゲン市の重要文化財となっているヴィラ・ザクセン総合文化センターで「オープンデー」を開催した。
 欧州各国で定められた「歴史的建造物公開の日」に合わせ、センターを広く開放し、地域の人々に親しんでもらおうという取り組み。今年は約1400人が参加した。
 毎年好評を博している「緑の丘オーケストラ」のコンサートでは、ブラームス作曲の「ハンガリー舞曲」などが演奏された。また平和をテーマとした講演会では、一人から一人へ友情を結ぶ対話の重要性が語られた。
 同市のトーマス・フェザー市長は「市民から、たくさんの喜びの声を聞いています」と、感謝の言葉を寄せた。

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆希望航路 池田先生と進む人生旅 オーストリア1  必ず幸福に! 仏法に犠牲はない

ウィーン近郊にある宿舎クライナーヒュッテの庭園で、懇談会に集った同志に真心の励ましを送る池田先生(1981年5月26日)
ウィーン近郊にある宿舎クライナーヒュッテの庭園で、懇談会に集った同志に真心の励ましを送る池田先生(1981年5月26日)

 池田先生はこれまで、オーストリアを3度(1961年10月、81年5月、92年6月)訪問している。この激励行を原点として、同国のSGIメンバーは、どのように広宣流布を進めてきたのだろうか。その師弟のストーリーをひもとく。
 20年ぶり2度目の訪問だった。81年5月25日、池田先生はブルガリアをたち、オーストリアの首都ウィーンに降り立った。
 この時、同国SGIのメンバー数は、わずか17人。この訪問から広布拡大の上げ潮が起こるのである。
 翌26日、先生は、ウィーン近郊で、英国オックスフォード大学のブライアン・ウィルソン教授と会談した後、SGIの懇談会に出席。オーストリア広布の未来を見据え、指針を贈った。
 「仏法の信仰者は、生命の尊厳をもととして、文化、平和を徹底的に愛し、行動していっていただきたい。そして、勤行・唱題が一切の源泉となることを忘れてはならない。自分を大切に、家庭を大切に、良き市民として世界に貢献してもらいたい」
 「オーストリアは、少人数の精鋭主義で、一人一人が身体的、精神的、社会的にも立派な輝く実証を示しゆくことが大切である。絶対に焦ってはならない。少人数で、長い将来の基盤を確実に築きゆく10年、20年であっていただきたい」
 そして先生は、「きょうは、ここに世界一小さな本部を結成しよう」と提案。「まずは、良い人50人を目指そう」との具体的な指標も示した。
 この席上、フルートの二重奏でオーストリア民謡を披露した夫妻がいる。キヨシ・ツクイさん(副理事長)と妻のエリカさん(ウィーン西本部総合婦人部長)である。
 14歳でフルートを始めたキヨシさん。中学時代は学会の音楽隊で青春の汗を流した。
 高等部の時、池田先生の「青年は世界を目指せ」との言葉を胸に刻み、音楽の都ウィーンに渡ったのは、74年のことである。
 3年後、チェコ・プラハの国際コンクールで、同門だったエリカさんと出会い、79年に結婚。夫妻で広布草創の道を駆けた。
 夫妻が奏でる麗しい音色を聴いた先生は、ウィーンの絵はがきにペンを走らせた。
 「忘れまじ 二人のフルート 幸あれと」
 さらに、先生は夫妻の熱演をたたえ、握手を交わした。夫妻の感激はひとしおだった。
 終了後、キヨシさんは先生に、「オーストリアの国籍を取ろうと思います」と、かねてから抱いていた決意を報告した。
 うなずいた先生は、「生涯、オーストリア広布に生き抜くんだよ」と励ました。
 だが、キヨシさんには心配なこともあった。日本で暮らす家族のこと。すでに父は他界し、妹が母の面倒を見ていた。
 「家族の将来をどう考えればよいでしょうか」と尋ねたキヨシさんに、間髪入れず、先生の力強い声が返ってきた。
 「仏法には犠牲はないよ。私がいるじゃないか。創価学会があるじゃないか。お母さんは絶対に幸せになれる。心配ないよ」
 そして、“日本に戻ったら、お母さまに必ずお会いするよ”と約束した。翌々月、先生は創価学園の栄光祭に、キヨシさんの母と妹を招待し、真心の励ましを送っている。
 ツクイさん夫妻は、信心で多くの苦難を乗り越えた。難産の末、未熟児で誕生した双子も後継の道を歩む。
 長女のサチエさんはウィーン経済大学で修士号を取得し、世界的な技術監査協会に勤務。SGIでは、ウィーン西本部で女子部本部長を務めている。
 長男のヒロシさんは、創価大学文学部を卒業し、グラフィックデザイナーとして大手企業で働く。ウィーン北本部の男子部本部長として、友の激励に力を注ぐ日々だ。
 キヨシさんは18年にわたり、オーストリアSGIの書記長を。
 音楽家として、ミュルツツーシュラーク市立ヨハネス・ブラームス音楽学校の副校長を長年務め、東京でのコンサートを通じた両国の文化交流にも貢献を果たしてきた。
 81年5月27日、先生はウィーン市内で、各界の名士と会見した。
 オーストリア文部省ではフレド・ジノワツ副首相と、ウィーン国立歌劇場ではエーゴン・ゼーフェルナー総監督と会談。話題の中心は、80年秋に民音が招へいした同歌劇場の日本公演。両者から高い評価が寄せられた。
 また、61年の初訪問時に宿泊したホテルの支配人・オスターダール氏やベートーベン博物館の管理人であるドボルジャック氏と懇談し、友情を育んでいる。
 その間隙を縫い、先生は、同国SGIの初代本部長に就任したヨシオ・ナカムラさんのアパートを訪ねた。
 先生は「皆で勤行しても大丈夫? お隣の迷惑にならないかな」と尋ね、了承を得ると、居合わせたメンバーと勤行・唱題した。
 前日の本部結成の場で地区担当員(現在の地区婦人部長)の任命を受けたアヤコ・ナカムラさん(副総合婦人部長)はこの時、アパートに隣接するベルヴェデーレ宮殿の広場で、未来っ子たちのお守りをしていた。
 「先生との勤行に参加できないことは残念でしたが、これも広布の重要な役目だと、遊んでいる子どもたちがけがをしないように、見守っていました」
 数十分後、役目を交代してアパートに戻ったアヤコさんを、先生は温かく迎え、「子どもたちの面倒を見てくれてありがとう」とオレンジジュースを手渡してくれた。「その先生のぬくもりは、今も忘れられません」
 新潟で生まれ育ったアヤコさん。夫の音楽留学を機に、オーストリアに渡り、78年7月に入会した。
 移住した当初は、ドイツ語ができず、生活に不安を抱えていた。また、体質の関係で、医師から「自然妊娠はできない」と言われ、悩んでいた。
 体調の優れない中、家計を支えるためにベビーシッターの仕事をし、片言のドイツ語で折伏にも挑んだ。
 仏縁を広げたが、弘教はなかなか実らなかった。そうした苦悩の中での81年5月の先生の訪問だった。
 26日の懇談会にも出席したアヤコさん。先生は握手し、「頑張るんだよ」と声を掛けてくれた。この時、先生は語っている。
 「仏法に巡り合うということが、どれほどまれなことか。皆さんは、その喜びと誇りを持ってもらいたい」
 アヤコさんは「確信に満ちた先生の声の響きに圧倒されました。仏法に出合えた感謝と、宿命転換しようという勇気が湧いたんです」と振り返る。
 学会活動と弘教に挑み抜き、翌82年12月、アヤコさんは“不可能”といわれた自然妊娠で、待望の第1子を出産した。今、先生の激励行の記憶を青年部に語り継いでいる。
 81年の先生の訪問を原点として、オーストリア広布は、着実な伸展を続けてきた。
 そして、11年後の92年6月、先生の3度目の訪問を、幸福と勝利の実証をもって迎えるのである。
ご感想をお寄せください news-kikaku@seikyo-np.jp

◆〈座談会 栄光の峰をめざして〉59 御聖訓「仏は文字に依って衆生を度し給う」 聖教新聞PR版を大いに活用! 没落する邪宗門 正義の言論戦を力強く

   
毎月、聖教拡大を達成している壮年に「推進の秘訣」を尋ねると「お題目」と。社会に人間主義の哲理を広げる、新聞長の皆さまに深く感謝(8月、中部池田記念会館での総愛知の区・圏新聞長会)
毎月、聖教拡大を達成している壮年に「推進の秘訣」を尋ねると「お題目」と。社会に人間主義の哲理を広げる、新聞長の皆さまに深く感謝(8月、中部池田記念会館での総愛知の区・圏新聞長会)

 原田 「聖教新聞PR版(秋季号)」が完成し、「素晴らしい内容ですね」などと、続々と反響が届いています。
 
 永石 「PR版」には、上半期に好評だった記事が、オールカラー12ページでまとめられていますね。しかも、持ち運びに便利なサイズ。「早速、友人に手渡しました!」との声も数多く伺っています。
 
 竹岡 そこで今回は、あらためて、「PR版」の魅力を語り合っていけたらと思います。
 
 永石 ええ。まず、今回のPR版のテーマは、「家族」です。テレビでも特集番組が放送されるなど、今、社会が大きく変化し、家族の危機・崩壊が、さまざまに言われています。
 
 伊藤 一方、「あなたにとって、一番大切なものは?」との問いに、「家族」と答えた人が半数近くにのぼるという、注目すべき調査結果もあります。
 
 原田 ご存じのように、創価学会は、「永遠の五指針」の中で、「一家和楽の信心」を第一に掲げています。それが、いかに重要で、混迷する社会の希望の光となっていることか。
 
 長谷川 PR版では、1面に、「家族」についての池田先生の指針が掲載されています。4・5面では、離婚によって母子家庭で育った岡山の男子部員や、学会の中で父への不信を乗り越えていく韓国の女子部員の姿が描かれています。
 
 永石 自分が成長して変化していく中で、迷惑をかけたお母さんや、恨み続けたお父さんに、感謝できるようになり、和楽の家庭を築いていくドラマを読んでいると、思わず目頭が熱くなりました。
 
 伊藤 このように学会が、青年を大切にし、育んでいることに、友人の皆さんも心を打たれ、共感してくれています。
 
 竹岡 12面には、「ひきこもり新聞」編集長の木村ナオヒロさんへのインタビューも掲載されています。
 
 志賀 自身がひきこもりだった木村さんの、「一方的な支援ではなく、じっくりと聴いてあげる。味方になってあげる。ひきこもりって周りは敵だらけですから」とのメッセージは、心にストレートに入ってきました。
 
 原田 「分かってくれている人がいると知り、涙があふれました」「生きる希望、生きる力が、ふつふつと湧いてきました」など、当事者やご家族の方からも、たくさんの声が届いたと聞いています。
 
 長谷川 さらに、「追い詰められている方が、100万人以上もいることに驚きました。友人や先輩、家族に相談できる私は、幸せ者だと感謝して生きていきます」「私も今いる場所で、目の前の一人に関わっていこうと力をいただきました」などの声もあったそうですね。
 
 伊藤 ある女子部員が、完成したばかりのPR版を持って、友人と対話したところ、購読を約束してくれました。決め手は、この「ひきこもり新聞」だったそうです。“こういう大切なことに光を当てる新聞なら”と、初めて購読してくれることになったそうです。
 
 永石 加えて、2・3面には、「原水爆禁止宣言60周年企画」が掲載されています。どれも大事な記事ばかりですね。
 
 原田 御書には、「仏は文字に依って衆生を度し給うなり」(153ページ)と仰せです。また、戸田先生が、「日本中、世界中の人に読ませたい」と言われた聖教新聞です。PR版を大いに活用し、“実りの秋”の対話拡大を楽しく進めていこうではありませんか。


全国で「彼岸法要」

 長谷川 さて、「秋分の日」となる23日を中心に、全国の会館等で「秋季彼岸勤行法要」が営まれます。
 
 原田 御聖訓に照らし、広布に生き抜いた故人の志を継ぎ、自身の仏道修行で積んだ功徳を、故人に回らし向けることこそが、追善回向の本義であることを深く確信し、法要に臨んでまいりたいと思います。
 
 志賀 一方、彼岸の時期になると、“塔婆を立てなければ、故人が成仏できない”とか“僧侶が拝まなければ、追善回向にならない”などと、御書のどこにも書かれていない邪義で、多くの人を誑かすのが、日顕宗(日蓮正宗)です。
 
 竹岡 そうした日顕宗の実態を、8月16日付の創価新報では、4ページにわたって特集しています。
 
 志賀 信者勧誘の成果や、支部登山・本山行事の参加数など、何から何まで数を押し付けられ、間断のないノルマ地獄にあえぐ末寺坊主と法華講の姿が暴かれています。
 
 竹岡 さらに、信じがたい不祥事を起こした坊主の正体や、遺骨を紛失した大石寺(日顕宗・総本山)の不誠実極まる対応、大石寺総代がいまだに神社参拝を繰り返している宗門の謗法の実態なども糾弾されています。
 
 志賀 これからも男子部は、教宣部の方々とも力を合わせながら、破邪顕正の言論戦を力強く進めてまいる決意です。

法令順守で無事故
 原田 最後に、「秋の全国交通安全運動」についてです。本年は、今月21日から30日までの10日間が、その期間となっています。
 
 伊藤 ここでは、交通安全思想の普及が図られ、交通ルールの順守と、正しい交通マナーの習慣化などが呼び掛けられています。
 
 長谷川 具体的には、「子どもと高齢者に、安全な通行を確保すること」や、「高齢運転者」「夕暮れ時と夜間の、歩行・自転車乗用中」の交通事故への注意、「全ての座席のシートベルトとチャイルドシートの正しい着用」「飲酒運転の根絶」などです。
 
 原田 私たちも、これを機に、あらためて法令順守を確認し、互いに注意喚起しながら、無事故の日々を送っていきましょう。

◆〈世界の体験プラザ〉 香港SGI 王妊汶さん  教育局で言語聴覚士として活躍
心通うコミュニケーションを   チームで中学生向け治療法を確立


心に残る母娘の絆
 
 私は現在、言語聴覚士(ST)として、日本の文部科学省に相当する「教育局」の特別支援教育サービス部門に勤務しています。
 言語や聴覚などに障がいがある小中学生や、その保護者、教員や学校向けに、治療や支援などを提供するためのプログラムを企画し、予算を組み、管理・監督などを担っています。
 いわば裏方のサポート役ですが、時には学校から相談を受け、判断が難しいケース、例えば“学習能力は高く、成績もいいのに、意思疎通が取りにくい児童や生徒”に対して、直接、話を聞くこともあります。
 印象的だったのは、ある中学3年の女子生徒でした。彼女は小学生の頃にADHD(注意欠陥多動性障がい)とディスレクシア(読み書き障がい)があるとの診断を受けました。しかし、その時点では言語発達障がいは発見できず、適切な対策を取ることができなかったのです。
 彼女に会って驚きました。これほど多重の発達障がいがあるにもかかわらず、成績は優秀で、当初、私はその結果が信じられない程でした。想像を絶する苦労がしのばれました。
 私は、本人はもちろん、お母さまにも「よく、ここまで頑張りましたね。他の生徒の何十倍も努力されていますよ」と最大にねぎらい、2人は涙を流して喜ばれていました。
 母が娘を思い、娘が母の期待に応えようとする姿を見た時、心と心の強い結び付きを感じました。医学の常識をはるかに超える力を目の当たりにしましたが、これは私自身の実感でもあったのです。

会長の重責を担う
 
 わが家がSGIの仏法と出合ったのは母の病がきっかけです。
 私が10歳の時、母に大腸がんが判明。再発でした。港湾の仕事をしていた父が職場の友人夫妻から仏法の話を聞き、一家で入会。がんの進行は早く、2年後に母は亡くなりましたが、紹介者の真心の励ましで、わが家の信仰は揺らぎませんでした。
 私が中学3年の時、父が再婚。新しい母もSGIメンバーで、温かく接してくれましたが、私はなかなか心が開けませんでした。
 ある時、ささいなことで私が家出を。家に戻っても一言も発しませんでしたが、3日目、ついに勇気を出して謝りました。母の目から大粒の涙があふれたのを見た時、どれほど心配してくれたかを痛感。以来、急速に親しくなりました。
 それでも、さまざまなストレスからか、中学4年の時に自己免疫疾患の一種・全身性エリテマトーデスを発症。入院は7週間にも及びましたが、父は毎日、見舞いに来てくれました。
 池田先生の「親孝行」の指導を思い起こし、心のどこかで再婚した父を許せなかった自身を反省。「二度と心配はかけない」と誓いました。3年後には薬も不要になり、これが私の初信の功徳になりました。
 1996年、香港大学教育学部に入学。言語聴覚学を学び、卒業時にはST資格を取得しました。特別支援学校で約1年間の現場経験を積んだ後、教育局のST募集に採用。働きながら香港大学大学院で修士号も取得しました。
 2003年にはSTアドバイザーに昇進し、04年からは1年間、会員500人が所属する香港ST協会会長の重責を。その中で、再び自身の宿命が立ちはだかったのです。全身性エリテマトーデスの再発でした。

病を3度乗り越え
 
 “この最も大事な時になぜ? 信心で克服したはずでは……”
 心の奥底では、疑いの気持ちさえ起こり始めた時、わが家に仏法を紹介した婦人が、穏やかに言ってくれたのです。
 「中学4年からあなたを知っているわ。純粋な信心を貫いてきたわね。でも今は、当時からどのくらい成長したかしら」 
   はっとしました。勤行・唱題し、会合に参加すれば、それでよしとしていたと猛省しました。この日から“進まざるは退転”の決意で、全ての活動に挑戦を開始し、病は寛解に。14年に再々発した時も微動だにせず、3度、乗り越えることができたのです。
 仕事もますます充実しました。それまで小学生向けのものしかなかった言語障がいの治療システムを中学生向けに構築することを依頼された時、私はひそかに“心”を通わせるものにしようと決意しました。
 「心こそ大切なれ」との学会指導を今こそ実践しようと思ったのです。
 思えば、私の心をとかしてくれたのは、母の温かなまなざしと、父の献身的な行動でした。また、あの発達障がいがあった中学3年の女子生徒とお母さまの顔も浮かびました。今こそ、その恩返しをしたいと思ったのです。
 障がい者にとって“話す”“聞く”ようになれることはもちろん大事ですが、不可欠の目標ではありません。何よりもコミュニケーションが取れること、心がつながり、心が伝わることこそが目的だと気付いたのです。
 その思いを込めた治療システムは、5年間かけて一般の中学校にも普及し、今や、なくてはならない基盤として高く評価されています。
 12年には専責教育主任1級になり、本年7月からは聴覚の部署に異動しました。これまでは言語が中心でしたが、現在は“聞こえ”の分野で研さんを重ねています。
 職場の第一人者を目指し、さらにアジアトップのSTを目標に、日々前進していく決意です。

2017年9月17日 (日)

2017年9月17日(日)の聖教

2017年9月17日(日)の聖教

◆わが友に贈る

非常に強い台風に警戒!
暴風雨や高波など
油断は絶対に禁物だ。
「前前の用心」怠らず
安全・無事故第一で!

◆〈名字の言〉 2017年9月17日

 近年の建築には、建物自体の機能やデザインの良さだけでなく、低炭素社会への貢献や人々のコミュニケーションの創出なども求められているという▼「スキーができるごみ処理発電所」「魚と海水浴が楽しめる美しい港」――デンマークの建築家ビャルケ・インゲルス氏は、人間生活の快適性と環境への配慮を両立させたデザイン性の高い建築で、世界的に注目される▼氏のモットーは「イエス・イズ・モア」。すなわち「イエス」と答えることで、より可能性が広がる、という考え方。相反する条件や制約に対しても、決して「ノー」とは言わない。実現の難しさは、むしろ「デザイン上のチャレンジ」の好機と捉える。そして斬新な発想で、周囲の予想を超える新しい建築を生み出してきた(吉成真由美インタビュー・編『人類の未来』NHK出版新書)▼掲げる目標が高いほど、さまざまな困難にぶつかるもの。これまでの経験だけで判断し、「できない」と決め付けてしまえば、新しい変化を起こすことはできない。「何のための目標か」との原点を手放さず、思い切って挑戦した時、壁は破れ、新たな価値が生まれる▼人生は「まず、やってみよう」との挑戦者精神で臨みたい。自身の発想の殻を打ち破る中に、真の価値創造がある。(朋)

◆〈寸鉄〉 2017年9月17日

 「必ず徳あるべし・なにし
 にか・なげ(歎)かん」
 御書。確信の祈りで前進
      ◇
 島根・鳥取の日。師弟
 誓願に生きる人材は山光に
 続々。拡大で新時代開け
      ◇
 広布に働く人を大事に。
 これが大聖人の弟子だ―
 恩師。幹部が率先し激励
      ◇
 勉強好きな人の脳は老化
 しにくい―医師。行学の
 錬磨こそ生涯向上の大道
      ◇
 交通死亡事故は日没前後
 が最多。車・自転車は早め                            
 の点灯を。反射材使用も

◆社説  新聞長制が発足して25年   広布と平和の“言論戦の要”に感謝

 栄光の「11・18」に向け、聖教新聞PR版(秋季号)を活用しながら、本紙の拡大が各地で活発に展開されている。購読推進に尽力してくださる方々に、心から感謝したい。
 聖教新聞は1951年(昭和26年)4月の創刊以来、読者に勇気と希望を送り続けてきた。一方で、平和・文化・教育の発展に寄与する“人間の機関紙”としての役割も果たしてきた。
 盤石な学会の組織を築くため、広布拡大の原動力となってきたのも本紙である。まさに聖教新聞の拡大とは、広布伸展、地域広布のバロメーターともいえよう。
 その購読推進を陰で支えてくださっているのが、支部や地区の新聞長の皆さまである。
 かつて池田先生は、各地で奮闘する友に「新聞長/皆様ありて/広宣と/創価の広がり/堂々 勝ちなむ」との和歌を贈り、尊い労苦をたたえた。
 92年(平成4年)8月、本紙購読推進を、より一層拡大していくため、支部や地区に新聞長を設置することが発表された。
 翌月から新聞長制がスタートし、本年で25年。聖教の拡大は、そのまま「現代における『聞法下種』」との心意気に燃え、列島の各地で新聞長が活躍している。
 初の開催となった「全国支部・地区新聞長会」(2002年)に先生はメッセージを寄せた。
 「地道なようであっても、一人また一人と、聖教新聞を広げゆく戦いの中にこそ、最も確実な勝利の大道がある」
 広布と平和の“言論戦の要”として、誉れの指針を胸に刻んだ同志は、地域により、さまざまな工夫を凝らす。神奈川のある地域では、新聞長の発案で、“拡大に挑戦した数”をたたえ合い、それを“どんまいポイント”と称した。一人の勇気を皆で共有し、共に励まし合う中で、団結と拡大のドラマが次々と生まれていった。このように各地で新聞長が各部と連携し、現場の知恵を発揮しながら聖教拡大のうねりを起こしている。
 本紙を創刊した第2代会長・戸田先生は熱願された。「聖教新聞を、日本中、世界中の人に読ませたい」
 池田先生は、この恩師の熱い魂の叫びを胸に今も小説『新・人間革命』をはじめとして随筆などに筆を執り続けている。
 師匠の心をわが心とし、本紙の購読推進に駆ける新聞長を最大限にたたえつつ、我らも聖教拡大へ、まずは身近な地域の友人や親戚から、愛読の輪を広げていきたい。

◆きょうの発心  どんな困難も勝利と幸福の因 2017年9月17日


御文
 『一生はゆめの上・明日をごせず・いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず』(四条金吾殿御返事、1163ページ)
通解 人間の一生は夢の上の出来事のように、はかなく、明日の命もわからないものである。いかなる乞食になっても、法華経に傷を付けてはならない。

 どんな境遇になろうとも、信心の戦いは一歩も引いてはならないと仰せです。
 創価大学を卒業後、専門学校に通い、夢であったゲームクリエーターに。”この職場で使命を果たそう”と心に決めてスタートしたものの、激務や人間関係の悩みに押しつぶされそうになった時に、脳裏に浮かんだのがこの御文です。
 以来、どんなに悔しく、逃げ出したくなっても、池田先生の姿を思い起こし「自分は世界一の師匠の弟子だ。負けてたまるか!」と踏みとどまれるようになりました。どんな泥沼の中でも、師匠の闘争に思いをはせれば、胸中に希望の花が咲き、朗らかに立ち向かっていけることを教えていただき、感謝の思いでいっぱいです。
 現実は厳しく、思い通りにいかないことも多いですが、池田先生の「信心の途上で起こってくる苦難は、すべて意味がある」との指導を胸に、あらゆる困難を勝利と幸福の因に変えていく決意です。
 人間の心の幸福を創る女子部デザイングループとして、連戦連勝の姿で師匠にお応えしてまいります。   女子部デザイングループ委員長 鎌倉 梓
【先生のメッセージ】

◆池田大作先生 四季の励まし あすは敬老の日 心の張りが健康をつくる


 「第三の人生」は
 「第三の青春」でありたい。
 青春は、年とともに
 消え去っていくものではない。
 自分がどう思うかである。
 いくつになっても、
 前向きの挑戦の心がある限り、
 ますます深みを増し、輝いていく。

 苦労さえも美しさに変えるような
 生き方とは何か。
 それは
 世界でたったひとつしかない
 自分の人生を愛おしみ、
 一日一日をていねいに生き、
 一生を自分らしく
 仕上げていくことではないか。
 その人には愚痴がないし、
 いつまでも
 若々しい心の張りがある。
 心の張りは
 健康もつくっていくのである。

 釈尊は、
 高齢者を大切にする人は、
 自らが「寿命」と「美しさ」と
 「楽しみ」と「力」を
 増していくと説いている。
 高齢者を尊敬する社会こそ
 人間を尊敬する社会であり、
 それでこそ
 生き生きと栄えゆく社会となろう。
 “よし、やるぞ!”との
 雄々しき心が大切である。
 信心とは、
 一に勇気、
 二に勇気といってもよい。
 一日一日を、
 自分らしく勝利していく――
 その繰り返しのなかにしか、
 三世にわたる
 幸福と勝利の軌道を
 築いていく道はない。
 


 青空に映える稜線。辺り一面に咲くキバナコスモスが、初秋の風に揺れる。2005年(平成17年)9月、池田大作先生が、山梨の山中湖周辺でシャッターを切った。
 嵐に襲われても、倒された茎から根を出し、再び立ち上がるコスモスの花。その姿は、池田先生と共に幾多の障魔と苦難を勝ち越え、世界広布の大道を開いてきた草創の同志と重なる。
 アメリカの詩人ホイットマンは謳った。「若い者は美しい――しかも老いたる者は若い者より更に美しい」(白鳥省吾訳)と。功労の父母の笑顔皺は、“人生凱歌の証し”と輝く。
 あすは「敬老の日」。人生の大先輩に心から感謝し、報恩の道を歩みゆこう。

【聖教ニュース】

◆イギリスの名門バッキンガム大学が「池田大作記念桜」「創価大学記念桜」を植樹


「池田大作記念桜」(中央の若木)の前で、教員・学生らが記念のカメラに(8月25日)
「池田大作記念桜」(中央の若木)の前で、教員・学生らが記念のカメラに(8月25日)
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 イギリスの名門・バッキンガム大学のキャンパスの木々の中に、「池田大作記念桜」「創価大学記念桜」が立っている。これは、両大学の教育交流によって築かれた友情の証し…

◆創価大学・女子短大の前期卒業式 2017年9月17日
 

創価大学、女子短大の前期卒業式では一人一人に学位記が手渡された。卒業生は人間教育の学府で学んだ誇りも高く、貢献の人生を誓い合った(創大本部棟の国際会議場で)
 創価大学、創価女子短期大学の平成29年度前期卒業式が16日、東京・八王子市の創大本部棟の国際会議場で挙行された。

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆アルゼンチン・タンゴ界に輝く「民音賞」 2017年9月17日
65万人が訪れる――大イベントで授与

   
「ステージ部門」の優勝ペアによる特別ステージ。二人の熱演に、喝采の嵐が起こった(先月、ブエノスアイレス市内で)                                                                          
  「ステージ部門」の優勝ペアによる特別ステージ。二人の熱演に、喝采の嵐が起こった(先月、ブエノスアイレス市内で)

 1970年から続く「民音タンゴ・シリーズ」。毎年、アルゼンチンから一流アーティストを日本に招へいし、のべ370万人もの人々を魅了してきた。こうした長年にわたる貢献をたたえ、2004年にはアルゼンチンで毎年開かれる「タンゴダンス選手権」ステージ部門に、主催者側の要請で、同選手権の最高栄誉として「民音賞」が創設。本年も、同選手権の花形である「ステージ部門」の優勝ペアに授与された。

◆〈ターニングポイント〉 不登校、いじめを越え小学校の教員に 2017年9月17日
自分を大切に思えるように

 言葉は人を傷つける。橋本美咲は、その恐ろしさを知っている。
 言葉は人に勇気を与える。美咲は、その温かさも知っている。
 苦しかった。でも、明日を生きようと思えた。池田先生のエールがあったから。

2017年9月16日 (土)

2017年9月16日(土)の聖教

2017年9月16日(土)の聖教

◆わが友に贈る

広布を担う青年は
実践の中でこそ育つ。
共に祈り 共に語り
一緒に行動しよう!
後輩を自分以上に!

◆〈名字の言〉 2017年9月16日

 多宝会の婦人を取材した際、「長寿の秘訣は?」と聞くと、「秘訣なんてありません。努力あるのみです」ときっぱり。医師が推奨する健康法“一十百千万のすすめ”を実践しているというので、内容を教わった▼日に「一回」は、少し長めの文章を読む。「十回」は大笑い。「百回」は深呼吸。「千字」は文字を書く。「一万歩」は歩く、とのこと▼婦人は「毎日、御書を開きます」「気取らず、笑いの絶えない会合や家庭訪問に行きます」「深く息を吸って、朗々と題目をあげます」「池田先生の指導を書き写したり、川柳を詠んだり、『5年日記』をつけたり、と筆まめです」と胸を張る。「でも、日に一万歩はさすがに……」と苦笑した。それでも取材中、電話が鳴ったり、来客があったりすると、年齢を感じさせない俊敏さで家中を歩き回っていた▼かつて池田先生の提案で、学会の永遠の指針に「健康長寿の信心」が加えられた。その際、先生は「何よりも大切な『命』である。どこまでも、健康で長寿で、かけがえのない一日また一日を生き切って、無量無辺の価値を創造していくことである」と▼仏法、学会、そして師に巡り合えた感謝を胸に、日々、広布に生き抜く。そこに「健康長寿」の喜びの人生が輝いている。(城)

◆〈寸鉄〉 2017年9月16日
 

 「随喜するは信心なり」
 御書。歓喜の生命が拡大
 の源。師と共に勇躍前進
      ◇
 東京・秋川「師弟原点の
 日」。正義の魂受け継ぐ同
 志。地域に和楽の連帯を
      ◇
 細かな問題に気付くのが
 本物の幹部―戸田先生。
 勇んで最前線を駆け巡れ
      ◇
 連休中、台風・大雨情報に
 注意。油断排して備えを。
 無冠の友も無事故最優先
      ◇
 国民医療費、過去最高を
 更新と。健康こそ人生の
 宝。生活習慣の改善から

◆小説『新・人間革命』第30巻 暁鐘の章 十四 2017年9月16日 (6175)
 
 


 山本伸一と峯子は、メキシコでの出会い以来、約二カ月半ぶりに、ジフコワ議長と再会したのである。
 議長は、白いスーツに白い帽子を被り、あの柔和な微笑をたたえながら言った。
 「先ほど、ソフィア大学の名誉博士になられ、本当におめでとうございます。この学位記の授与は、先生のこれまでの実績が、名誉博士にふさわしいからこそです。
 私たちは、先生を『平和の大使』と考えております。先生は、人間と人間との交流を促進することになる文化交流に、人生をかけていらっしゃいます。ブルガリア人は文化を重んじる国民ですから、先生の生き方を深く理解することができます」
 伸一は、感謝の意を表した。
 会談は、ブルガリア民族の歴史、文化的伝統、東洋の文化とブルガリアの関連性等に及んだ。そのなかで、議長は、ブルガリア人の民族的背景に触れ、ブルガリア人は、トラキア人、スラブ人、原ブルガリア人で構成され、このうち原ブルガリア人は中央アジアから出ており、仏教文化とも深い関係があると語った。人類は、どこかで深くつながっているというのが、彼女の洞察であった。
 また、今後の文化交流についても意見交換し、民音(民主音楽協会の略称)を通して合唱団を日本へ招くことや、少年少女の交流などが話し合われ、実りある語らいとなった。
 伸一は、文化政策の重責を担い、奔走し続ける議長に、気遣いの言葉をかけた。
 「長い人生です。長い戦いです。ブルガリアのため、世界のために、ご無理をなさらずに、どうか、お体を大切にしてください」
 彼女は笑顔で頷いたあと、毅然と語った。
 「ありがとうございます。でも、重い立場にいる人には、重い責任があります。その責任を自覚して、全力で働くしかありません。たとえ、そのために何があろうとも……。それは、覚悟のうえのことです」
 不動の決意が光っていた。覚悟なくして大業を果たすことはできない。   

【聖教ニュース】

◆イギリスの名門バッキンガム大学が「池田大作記念桜」「創価大学記念桜」を植樹 2017年9月16日
ロフタス前英語学科長にインタビュー
教育交流で結んだ友情の絆を万代に

「池田大作記念桜」(中央の若木)の前で、教員・学生らが記念のカメラに(8月25日)
「池田大作記念桜」(中央の若木)の前で、教員・学生らが記念のカメラに(8月25日)

 イギリスの名門・バッキンガム大学のキャンパスの木々の中に、「池田大作記念桜」「創価大学記念桜」が立っている。これは、両大学の教育交流によって築かれた友情の証しとして、創価大学と創立者の池田大作先生をたたえ、8月24日に植樹されたもの。植樹記念式典は同25日、バッキンガム大学のジョン・ドリュー人文学部長をはじめ多くの大学関係者、留学中の創大生、来賓としてイギリスSGI(創価学会インタナショナル)のハラップ理事長らが出席して行われた。本紙では、両大学の交流に尽力してきたバッキンガム大学のジェリー・ロフタス前英語学科長にインタビュー。創大との交流の歴史や教育の使命などについて語ってもらった(聞き手=木村輝明)。
 ――創価大学の印象を教えてください。
 私はこれまで、創価大学、創価学園を訪れるたびに、非常に温かい歓迎を受けてきました。とりわけ2011年、池田博士にバッキンガム大学の「名誉文学博士号」を授与させていただくために訪日した際の、学生の皆さんの真心の歓迎に心から感動したことが忘れられません。
 学生の可能性を大きく開く人間教育の理念に感銘を受けました。
 ――長年にわたり教育交流に尽力してこられました。
 創価大学との交流の始まりは2010年にさかのぼります。当時、短期語学研修の学生を受け入れました。12年度には、バッキンガム大学と創価大学の二つの大学の学位が同時に取得できる「ダブル・ディグリーコース」をスタートさせることができました。
 このほか、長期留学の学生を含め、これまでわが大学が受け入れた創大生、大学・学園の教員は150人を超えます。
 バッキンガム大学には、世界80カ国以上からの留学生が学んでいますが、その中でも、創大生に対する評価は非常に高いです。
 ――創大生にはどのような評価が寄せられていますか?
 ダブル・ディグリーコースの第1期として5人の学生を受け入れ、しばらくたった時のことです。ある教員が私に話し掛けてきました。「ジェリー、創大の留学生は、なんて素晴らしい学生たちなんだ!」と。
 1期生は本当によく学問に励みました。私自身、あまりに勉学に没頭している学生の姿を見て、「少しは休養を取るように」とアドバイスしたほどです(笑い)。
 1期生は努力の末、英語を母語とする学生でもなかなか取得できない最優秀の成績を収めるなど、全員が素晴らしい学業成果を上げて帰国しました。
 ダブル・ディグリーコースは本年で6年目に入りましたが、彼らは、学業において優秀であるのみならず、非常に勤勉で、礼儀正しく、他者に尽くそうとする思いやりにあふれています。こうした評価は、私個人だけでなく、創大生と触れ合った全教員の共通の意見となっているのです。
 ――教育の使命についてどのようにお考えですか?
 「教育の使命」とは、学生を「正しい道」へ導くことだと思います。すなわち、教育者の役割は、学生に「正しい世界観」「正しい知識」を提供し、「正しい理解」を促進することだと思っています。
 また教育は、社会に貢献する人材を輩出していく使命を担っています。知識を「得る」ことは、それを学んだ一個人を助けるものとなりますが、知識を「使う」ことは、社会全体への貢献につながります。
 池田博士は常々、「大学は大学に行けなかった人のためにある」との理念を創大生に語っておられると伺いましたが、まさに教育の使命を端的に示したものであると思います。
 ――創価大学は、文科省に採択されたスーパーグローバル大学として、世界との交流のさらなる推進を目指しています。
 情報網などの発達により、世界はますます“狭く”なってきました。他方、人間の分断を促す傾向が強まっている世界情勢において、一つの地域の一員としてだけではなく、地球社会の一員として生きていくことが求められる時代に入っています。
 自国の文化はもちろん、異文化理解の輪を広げていかねばなりません。そのためには、書籍などで異文化を吸収することも、もちろん大切ですが、他国に足を運び、その国の文化に触れ、理解を深めることが重要だと思います。そうした意味において、両大学の交流は非常に意義深いものといえるでしょう。
 ――今後の交流に期待することは?
 創価大学、創価学園を創立した池田博士は、これまで教育の発展を促進してきただけでなく、核兵器廃絶に向けたさまざまな取り組みをはじめ、世界平和に尽力されてきた傑出した方です。
 わが大学で学んだ創大生には、個人的なキャリアを積むだけでなく、他国の人々と心を分かち合う“良き大使”となって世界へ羽ばたいてくれることを期待しています。
 今後も、両大学の価値ある友好交流が末永く続くことを心から念願しています。

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈世界の識者の眼〉 米カリフォルニア大学サンフランシスコ校 臨床准教授 ジーン・オコンネル氏   自分の行動から全てが始まる 池田会長は「生命の名医」

オコンネル氏が創価大学看護学部で講演。看護師そして病院の最高経営責任者としての経験は、学生に多くの刺激を与えた(2014年5月20日、創大中央教育棟で)
オコンネル氏が創価大学看護学部で講演。看護師そして病院の最高経営責任者としての経験は、学生に多くの刺激を与えた(2014年5月20日、創大中央教育棟で)

 カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)は、1864年に創立された米国屈指の医療系大学院大学である。2014年、同校は創価大学看護学部と交流協定を締結した。ここでは、UCSFの臨床准教授であるジーン・オコンネル氏に、現在の介護の課題、生命尊厳の時代を築くために宗教が果たす役割などについて聞いた。(聞き手=山根信明記者)

介護する家族へのサポート
 
 ――日本では、少子高齢化が、世界と比べて速いスピードで進んでいます。それに伴い、介護のあり方などが課題として浮かび上がっています。
 
 オコンネル氏 今後、少子高齢化に対して、日本がどのような方向に進んでいくかは、アメリカをはじめ、先進諸国のモデルとなるでしょう。
 介護に関していえば、日本と同様、しばしばアメリカでも議論になります。介護の問題が問い掛けているのは、家族と社会のあり方ではないでしょうか。
 核家族化が進み、在宅介護が困難な現実があります。一方で、仕事と介護を両立することができず、介護離職をしてしまうケースもあります。
 重要なことは、介護を必要とする方を支えながら、介護する側の家族もサポートしていく、ということです。それは、個人や家族だけで解決できる問題ではありません。地域・社会が一体となって、向き合っていかねばならない課題です。
 その上で、介護される側の声に「耳を傾ける」ということが大切です。
  
 ――昨今、日本では家族の「介護疲れ」が問題として取り上げられます。
 
 氏 アメリカでも、家族の「介護疲れ」は、社会問題となっています。
 たとえば、認知症の高齢者は、繰り返し同じことを話します。支える家族は、嫌でも毎日、それを聞かねばなりません。「耳を傾ける」という行為ですら、精神的にも、身体的にも相当な負担となります。
 介護する家族は時に、介護している親に対して、怒りの感情が爆発します。本来、感謝すべき親に対して怒りが湧いてしまう。そこから、罪悪感が生まれます。その感情が、介護うつの原因になってしまいます。
 だからこそ、介護する家族へのサポートが重要なのです。アメリカでは、介護する家族が集まり、さまざまな悩みを共有する場があります。
 お互いの介護の状況を語り合うだけでも、家族の心の負担は軽減されます。そうした場を地域・社会が提供できるかが、豊かな高齢社会を築くカギとなるでしょう。

目の前の患者に尽くし抜く
 
 ――アメリカ社会における医療や看護の課題とは、どのようなことでしょうか?
 
 氏 日本と比較すると、アメリカでは医療費が非常に高く、残念ながら治療を必要としている方が受けられない実態があります。こうした状況を一刻も早く改善しなければなりません。
 近年、患者やその家族の医療に対するニーズは、複雑化・多様化しています。
 こうした声に応え、質の高い医療を提供するために、医師、看護師、栄養士などが協力して対応に当たるケースが増えてきています。今まで以上に、医療にチームワークが求められるようになりました。
 一方で、医療の高度化、専門化も進んでいます。ただ、その対応に追われ、医療現場が疲弊してしまうようなことは、防がねばなりません。
 今後も、医療は進歩し続け、看護師の役割も、多岐にわたると考えられます。ここで強調しておきたいのは、どれだけ時代が変わろうとも、看護師にとって最も大切なことは、「患者に寄り添う」ことです。
 目の前の患者に尽くし抜いてこそ、看護師です。この一点から離れてはいけません。
  
 ――アメリカで女性として初めて、総合病院の最高経営責任者(CEO)を務められました。
 
 氏 CEOをしていた間、さまざまな壁にぶつかりました。特に、財政面では困難の連続でしたが、一つ一つ課題をクリアしてきました。
 CEOの経験を通して、実感したことがあります。それは、最も幸福な瞬間とは、実は最も困難なことを乗り越えた時だということです。「幸福」と「苦難」は、表裏一体なのでしょう。
 私のオフィスには時々、医師が来て、医療に関する議論をすることがありました。その中で、確認し合ったことは、「患者の目線に立つ」ということです。
 私自身がCEOとして心掛けたことも、“患者のために、何ができるのか”という点です。その思いから、設備の充実や耐震性の強化など、医療環境の整備に力を注いできました。

創価大学生の向学心に感動
 
 ――2013年、創価大学に看護学部が開設されました。カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)とは、交流協定が結ばれています。
 
 氏 昨年、創価大学を訪れた教員が感動の面持ちで、こう言いました。「学生の向学心が素晴らしい。こちらが、すがすがしい気持ちになる。学生たちのために、私は何でもしたい」と。
 私も看護学部の学生と接するたび、心が若々しくなります。創立者・池田SGI会長の心が、学生の姿に表れていると感じます。
 交流を結んだ当初、「創価大学は、わが大学と交流できて、ラッキーだね」と言う教員もいました。しかし、私は「素晴らしい学生から、私たちが学ぶことができる。むしろ、私たちがラッキーだ」と思います。
 看護学部の学生たちには、看護の分野で世界をけん引するリーダーになってほしい。心から、そう願っています。
  
 ――池田SGI会長は繰り返し、「生命の尊厳」を基盤とする社会の構築を訴え続けてきました。そのためには、何が大切だと考えられますか?
 
 氏 池田会長は対話を通して、「自分の行動から全ては始まる」ことを示してこられました。「生命尊厳」を根幹とした社会の建設も、対話から始まります。
 池田会長の対話は、「励ましの心」にあふれています。事実、世界中の人々に励ましを送り、その方々の人生を蘇生してこられました。まさに、池田会長は「生命の名医」です。
 これまで私は、多くの方々の「死」に立ち会ってきました。特に自分自身に生き切った人の最期は荘厳です。
 池田会長は、ハーバード大学の講演で、「生も歓喜」「死も歓喜」との仏法の生死観を示されました。実に深い示唆に富んでいます。
 近年、無差別テロなどが繰り返されています。人種や民族などの差異を超えて、誰人の生命にも等しく尊厳があります。このことに、理論的根拠を与えるのが、宗教の本来の役割でしょう。
 暴力が新たな暴力を生む時代。「生命尊厳」の理念を時代精神へと高めていかねばなりません。その規範となる宗教・思想こそ仏法であり、池田会長の哲学なのです。

 Gene Marie O’Connell カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)臨床准教授。サンフランシスコ市立大学、カリフォルニア大学で看護学を専攻。アメリカで女性として初めて、総合病院の最高経営責任者(CEO)を務めた。

◆〈教学随想 日蓮仏法の視座〉 医療と信仰 不妊治療を経験して ~わが家の例~ 
 

 男子部教学室内の「生命倫理委員会」では、現代医療の諸課題について学び合うとともに、仏法の視点から、さまざまな議論を重ねてきた。ここでは、男子部教学室員が「不妊治療」をテーマに、自らの体験を交えつつ考察した原稿を掲載する。
                                                               ◇
 大好きな漫画が、最終回を迎えた。本年3月のことである。
 それは、「少年少女きぼう新聞」で連載されていた「ハッスル! パンチ」。1991年(平成3年)、私が小学生の時に、前身の「小学生文化新聞」で掲載が始まり、実に26年間も続いた。かつて毎月、夢中で読んでいただけに、最終回となることを知った時は、何ともいえない、深い感慨を覚えた。
 作者の堀田あきおさん・かよさん夫妻は、「パンチは自分たちの子どものような存在でした」と述べている。
 夫妻には子どもがいない。私がそれを知ったのは最近のことである。夫妻は、不妊治療に臨んだ(そして、その末に夫婦二人での人生を選択した)経験を漫画に描いており、その単行本を読んだのだ。これを手にしたのは、私自身も、夫婦で不妊治療を経験しているからだった。

医学・期待・迷い

 不妊治療を受ける人の数は、年々増えているという。想定される不妊の原因に応じた各種の治療法で、妊娠・出産を目指す。医療の発展によって人生の選択肢が増えること自体は、素晴らしい。
 一方、望む結果を得られない失望と、“次こそは”という期待との間で心を消耗し続ける不妊治療は、特に女性の身体・精神の負荷が非常に大きい。
 「不妊治療」と一言でいっても、治療の内容、ぶつかる壁も人それぞれで、孤独な思いに陥りやすい。費用の負担もある。「やめ時」の決断も難しい。医学的な可能性が広がるほど、心の迷いや苦しみが大きくなる――そうした場合もあることを、初めて知った。
 私たち夫婦は、結婚2年目から治療を始めた。検査の結果、不妊の因子と疑われる要因は、双方にあった。
 顕微授精で妊娠を確認できた時があった。エコーのモニターの中で、ミリ単位の命が、確かな心拍を刻んでいた。
 だが、9週目、その動きが止まった。
 妻は数日泣いた後、再び御本尊の前に座った。悲しみは癒えない。だが、「わが子になろうとしてくれた生命の、確かな姿を見て、宿ってくれたことに感謝した」と言った。“授からない”ことの意味ばかりを考えていた私は、目を覚まされる思いだった。
 これまで、3度の流産を経験した。不妊治療は期待と絶望の繰り返しである。時に夫婦の温度差もあり、周囲の善意からの励ましを素直に受け止められない時もある。どう祈ればいいのか分からなくなる時もある。
 そうした互いの心情を語り合う中で、私たち夫婦はやがて、二つのことに気付いた。
 一つは、不妊治療を通して、「命の尊さ」について考え抜く機会を得た、ということ。
 もう一つは、子どもを授かる困難、また流産を経験したことで、“この世に誕生してきた人間の生命は、意味があって生まれてきたのだ”と強く思うようになった、ということである。

日蓮大聖人の真心

 日蓮大聖人が、子どものいない門下に送られたお手紙がある。
 佐渡の国府入道夫妻へ宛てた「国府入道殿御返事」だ。
 「あなた方には子もなく、親ばかりです。法華経譬喩品第3の『其の中の衆生は、悉く是れ吾が子なり』の経文の通りであるならば、教主釈尊は入道殿と尼御前の慈父です。日蓮は、また、本来、あなた方の子どもです。ただ、日本国の人々を助けようと思って、(佐渡ではなく)しばらく国の中央にいるのです」(御書1323ページ、通解)
 国府入道夫妻は、大聖人の佐渡流罪中に帰依した門下である。大聖人の外護に努め、大聖人の身延入山後も、国府入道がはるばる身延を訪れて御供養するなど、純真な信心を貫いた。
 当時、跡継ぎがいないということは、現代に勝るとも劣らない多大な精神的負荷があったことと推察される。また、佐渡の地で共に信心に励んでいた阿仏房・千日尼夫妻には立派な息子がおり、国府入道の妻(国府尼)は、複雑な思いを抱いたかもしれない。
 大聖人は国府尼に対して、子どもがいない原因や意味などを“説明”しようとはしなかった。
 夫妻に、家族のように寄り添い、「私は本来、あなた方の子なのだ」と、人間的な温かみに満ちた真心の言葉を送られた。私には、大聖人が国府尼に「あなたは本来的に“母”なのだ」と語り掛けているように思える。
 また、「ご子息もおられない人ですから、年をとられた末には、こちらへ移ってくるよう、お考えなさい」(同ページ、通解)と、子どもがいない夫妻の老後の不安等も思いやり、励ましの言葉を送られている。
 その上で、大聖人は、「どの地も、永久のものではありません。仏になることこそ、“ついのすみか(=最終の住まい)”であると、心を決めていかれることです」(同ページ、通解)と述べられている。
 「自分自身が、真剣に信心に励み、成仏すること以外に、本当の永住の家はない」と断言されているのだ。
 どこまでも相手の感情に寄り添った上で、さらに大きな境涯へと弟子を導く大聖人の慈愛が、御文の一言一言にあふれている。

悩みがあってこそ
 「希望の経典である御書には/さまざまな境遇のなか/信心を貫き通した/健気な女性たちへの/熱き励ましの御手紙が/数多く収められている」
 「子どもを亡くした家庭もある。/子どものいない家庭もある。/大聖人に一度も/お目にかかったことがない/女性もいる。/一人で毅然と/生き抜いている女性もいる。/どのような/人生の逆境があろうが/『法華経を信ずる人は/冬のごとし/冬は必ず春となる』/これが厳然たる/大聖人のお約束であり/記別である」(長編詩「清き瞳の王女よ 晴ればれと幸福の城を築け!」)
 私たちは、夫婦二人での人生を選択したわけではない。だからこそ、さまざまな縁に触れるたび、心は常に揺れ動く。
 だが、そうした中で御本尊に向かい、「自他共の幸福の拡大」という大目的に生きようと学会活動に励むうちに、ふと視界の変化を感じる瞬間がある。
 「授かるかどうか」しか考えられなかった自分たちの中に、“さまざまな思いを抱きながら歩む今この時にも、必ず意味がある”という確信が生まれるのだ。この「今の悩みに意味を見いだす力」こそが、信心の力だ。
 「今の悩みがあったからこそ、といえる人生が、必ず開けるのだと信じたい」
 妻は最近、よく、そう口にする。

真実を知見する
 本稿を執筆するに当たり、私たち夫婦は今日までの歩みを振り返り、何をどう書くべきか何度も語り合ってきた。
 二人で、堀田さん夫妻に、今の心境を聞く機会があった。
 「この悩みがあったから、より人間を好きになれるのかも」と、堀田さん夫妻は語った。「さまざまな人の気持ちに思いを致すことができるようになったし、誰もが、それぞれの苦悩と戦っていること、幸福のかたちも人それぞれなんだということを、心から認められるようになったから」と――。
 「信心をしていく中では、時として『なぜ』『どうして』というような出来事が起こることがあります。しかし、凡夫の眼だけでは分からないことも、仏法の眼で見るなら、生命の次元から真実を知見することができます。この境地から見れば、さまざまな難には、必ず深い意味があるのです」(「大白蓮華」6月号「世界を照らす太陽の仏法」)と池田先生は語っている。
 私たち夫婦は決して、自身の現実に、不動の意味や確信を抱くことができているわけではない。ただ、私たちにとって不妊治療に臨んだことは良かった、という思いは固い。また、治療を始めてから“後継世代の人材と共に成長し、人に貢献できる生き方をしよう”と、夫婦で語り、誓い合う機会が増えた。
 そうした人生を共に歩み、本稿の作成を一緒に進めてくれた妻に、深い感謝と敬愛を表し、結びの言葉に代えたい。

◆信仰体験 熊本地震から1年5カ月 義足の美容師が営む人気店
何度でも立ち上がる! 私にしか果たせない使命

【熊本市中央区】
 熊本地震の本震から、きょうで1年5カ月を迎えた。被災者の置かれた状況はさまざまだが、多くの人が地震後、物事の考え方や生き方に変化を感じている。熊本市内で美容室「kofu」を営む村田智美さん(46)=渡鹿支部、地区婦人部長=は「悩んだ分、どんな宿命も使命に変えられると確信した」と語る。

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