2018年2月18日 (日)

2018年2月18日(日)の聖教

2018年2月18日(日)の聖教

◆わが友に贈る

「断じて勝つ!」
強き一念と行動が
新たな歴史を開く。
誓願の祈りを根本に
壁を破る勇気の挑戦を!

◆名字の言
 

  厳しい寒さが続く。通勤駅などの「立ち食いそば」は、庶民の強い味方だ。最近では、女性が入りやすいよう店内を改装したり、健康志向に合わせて、つゆの味付けを工夫したりしている▼「トルネードポテトそば」「まるごとトマトそば」……数々の斬新なメニューで売り上げを伸ばすある大手の立ち食いそばチェーン店。新メニューを開発するのは“商品企画の部署”ではなく、店長はじめ現場のスタッフだという▼若者の街では、肉がたっぷり入ったメニューが人気。お年寄りの集まる街では、サッパリ系が好まれる。同社の創業者は述べている。「日ごろお客様に接していて、その需要を目の前で感じているのは現場の従業員」「『こういうメニューがあれば売れるのに』という発想が生まれてくるのは自然なこと」(丹道夫『「富士そば」は、なぜアルバイトにボーナスを出すのか』集英社新書)▼「知恵は現場にあり」といわれる。だが、その知恵は、現場の課題と真剣に向き合い、乗り越えようとする人の強い責任感から生まれるものだ▼“誰かがやってくれる”と思えば、知恵など湧いてこないだろう。自分自身が“職場の第一人者に”“地域の幸福責任者に”との自覚に立って挑戦を始めた時、価値創造の未来は開ける。(朋)

◆寸鉄
 

  「一人として仏にならざ
 るはなし」御書。皆が使命
 の人だ。称え励まし前進
      ◇
 世界青年部総会に後継の
 参加を―列島を包む各部
 一体の劇。創価家族の絆
      ◇
 九州壮年部の日。先駆の
 広布拡大が我らの誇り!
 火の国の黄金柱が総決起
      ◇
 「折伏すれば信用が残る」
 戸田先生。相手を思う心
 は伝わる。大誠実で語れ
      ◇
 死亡事故起こした高齢者
 半数が認知症の恐れと。
 周囲も注意の目を向けて

◆社説    後継の弟子の誓いを未来に  世界青年部総会へ若き連帯を拡大


 「3・16」60周年を記念する「世界青年部総会」まで、残り1カ月を切った。今、日本中、世界中で、創価の若人が、後継の誓いを胸に、目覚ましい勢いで、弘教拡大へと挑んでいる。
 今月初頭、東京と関西で研修会を行ったアメリカ青年部の友。求道の心を燃やし、来日までに201人で577世帯の弘教を成就した。長旅の疲れもなんのその。はつらつとした笑顔には、師弟に生き抜く決意が凝縮されていた。
 青年を先頭に、弘教に全力を挙げるアメリカでは現在、壮年部と男子部、婦人部と女子部が一体となって、青年部を訪問激励する「ホームビジット・マラソン」や、1~3人のメンバーを担当する「ユニットリーダー」の任命を通し、“一人を大切にする”学会精神を育むなど、後継の人材を育成するさまざまな取り組みがなされている。
 昨年、アメリカSGIでは入会した半数以上は青年部世代であった。このことは、各部一体で“若い世代を仏法に縁させていこう”との思いが結実した証左といえるのではないだろうか。
 このように、青年部を応援する運動は、今、世界各地で壮年・婦人部を挙げての大潮流となっている。
 日本では本年、「3・16」に向け、高まる機運を後押しする形で、学会青年部のウェブサイト「SOKA YOUTH WEB」に、世界青年部総会の特設ページが開設された。
 池田先生の随筆や長編詩、本紙で掲載された「3・16」の研さんに活用できる記事等を日本語と英語で学ぶことができる。
 同ページは、写真共有アプリ「インスタグラム」と連動しており、各国・地域の集いに参加した友が、唱題表を手に、記念撮影をした画像が閲覧できる。
 また同ページから「LINE@登録」すれば、「世界青年部総会特設LINE@」につながることができ、日本の方面や世界の青年部のアピールムービーも視聴できる。「広宣流布記念の日」に向け、世界同時進行で湧き上がる妙法流布の息吹に触れることが可能だ。
 かつて池田先生は、「世界広布新時代の『3・16』――それは、世界中の創価の青年が、民衆の勝利と平和の建設という価値創造へ、誓願に燃え立つ日である」と呼び掛けた。
 二度とないこの時に、世界中の池田門下が心を合わせ、永遠に輝く師弟不二の誓いを打ち立てゆく「黄金の歴史」を築いていきたい。

◆きょうの発心   師が示した“不退の信心”を貫く2018年2月18日


御文 善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし(開目抄、232ページ・編462ページ)
通解 善につけ悪につけ、法華経を捨てるのは地獄の業である。

 いかなる理由があっても退転することなく、信心を貫き通していきなさいとの仰せです。
 学会2世として生まれた私は、温かな創価家族の中で育ちました。
 1978年(昭和53年)6月30日、学生部の代表として、部結成21周年を記念する幹部会に参加した際、新学生部歌「広布に走れ」が発表されました。
 池田先生は席上、この御文を拝して“21世紀こそ君たちの本舞台である。この本舞台に立つまでは、いかなる障害も、わが人間革命のための善知識である”と「不退の信心」を強く訴えられました。
 後で知りましたが、当時、悪徳弁護士と宗門の悪侶が結託して学会攻撃に狂奔する渦中でした。師の弟子に対する万感の期待に触れ、“広布のお役に立つ人材に”と固く誓ったことが原点です。
 以来、女子部・婦人部として「師弟共戦」を胸に奔走。家族の病など、さまざまな悩みに直面する時もありましたが、信心根本に歩みを進めてきました。
 2・27「栃木女性の日」を祝賀する「幸福の絆?拡大月間」の今月、婦女一体の麗しいスクラムと徹した励ましで弘教にまい進し、「世界広布新時代 栄光の年」を大勝利してまいります。
 栃木・足利総県婦人部長 岡田光子

【聖教ニュース】

◆池田先生の初訪問から30周年を祝賀 シンガポールが大会
「獅子の都」に広がる良き市民の連帯


師弟の誓い光るシンガポールの友。大会では、王曉風男子部長、翁可欣女子部長が「世界青年部総会」へ、拡大の決意を述べた(SSA本部で)
師弟の誓い光るシンガポールの友。大会では、王曉風男子部長、翁可欣女子部長が「世界青年部総会」へ、拡大の決意を述べた(SSA本部で)

 シンガポール創価学会(SSA)の大会が9日、SSA本部で開かれ、センジャ創価会館と中継を結び、1200人を超える同志が参加した。池田大作先生の同国初訪問30周年を祝賀するもの。
 池田先生は万感のメッセージを贈り、シンガポール創価家族の一人一人が、どこまでも「良き市民」として社会に貢献し、深き信頼と友情を広げゆくことを望んだ。
 ――池田先生が同国を初訪問したのは、1988年(昭和63年)2月8日のこと。4日間の滞在中、「建国の父」であるリー・クアンユー首相(当時)との会見や、国立シンガポール大学での図書贈呈を行い、友好の絆を結んでいった。また、長編詩「『獅子の都』に緑なす道」の発表や、二つの主要な会合でのスピーチ、記念撮影など同志に渾身の激励を送った。
 中でもシンガポールの友が心に刻むのは、「シンガポール広布の日」となった9日の出会いだ。この日、池田先生はシンガポール文化会館を訪れ、代表の友に語っている。「このうえなき貴重な『この一生』を、清らかな心で、悠々と、シンガポールのために働き、活躍し抜いていただきたい」と。
 以来30星霜――。
 この指針を胸に、SSAの友は社会貢献の道を歩み抜いてきた。
 国家行事「独立記念式典」「チンゲイ(粧芸)パレード」には長年にわたって出演。さらに、幅広いボランティア活動や多民族・多宗教の同国に調和をもたらす「宗教間対話」にも力を注ぐ。
 SSAへの共感は大きく広がり、30年前に比べ、その連帯は約4倍に拡大された。
 大会では、薛舜卿婦人部長、陳慶源副理事長が記念撮影をはじめ、30年前に刻まれた師との不滅の原点を述懐しつつ、さらなる前進の決意を語った。
 鄭永吉理事長は、師の励ましを胸に、次代を担う後継の陣列を拡大しようと訴えた。 

◆〈励ましの最前線 リーダーが走る〉 今村東北婦人部長
心を寄せて、耳を澄ませて

 今村東北婦人部長(右端)が小野真紀地区婦人部長(左端)宅へ。長女・妙音さん(左から3人目)、次女・舞さん(同2人目)とも和やかに(9日、会津若松市内で)
今村東北婦人部長(右端)が小野真紀地区婦人部長(左端)宅へ。長女・妙音さん(左から3人目)、次女・舞さん(同2人目)とも和やかに(9日、会津若松市内で)

 「東北女性❀勝ち鬨月間」(27日まで)を朗らかに進む東北婦人部・女子部。定期的に開く「東北女性勝利会議」で“婦女”の連携を密にしながら、地域の隅々まで励ましの光を届ける。
 その先頭に立って訪問激励に徹するのが、今村東北婦人部長だ。
 「励ましとは同苦すること。それを池田先生に教えていただきました。相手に真っすぐ心を寄せ、話に耳を澄ます――東日本大震災以来、その大切さを痛感しています」
 あるヤング・ミセスの友は、津波で自宅を失い、幼子2人を抱え、家族6人でアパートに身を寄せた。悲嘆に暮れる彼女に、どう言葉を掛けていいか分からない。それでも何度も通い、話を聞こう、師の心を届けようと決めた。心が少しでも軽くなり、歩みだせるその日まで――。
 やがて友は、再起を誓って自宅を再建。昨年1月からは地区婦人部長として、自身が“励ます側”へと立ち上がった。
 震災から間もなく7年。歩みの速度は人それぞれでいい。被災した同志、そして東北の全同志と一緒に、新生の未来を勝ち開くことが自身の使命と誓う。
 今月9日には、雪深い福島・会津若松市へ。原発事故の影響で移り住んできた同志も多い。
 この日も、訪ねた一人一人の話にじっくり耳を傾けながら、“共にわが人生の勝ち鬨を”と約し合った。 

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈負けじ魂ここにあり わが生命の学園生〉 8 関西校 1979~81年度 
父母を大切に! 強く明るい女性に! 幸福とは遠くではなく一番身近にあるのです。

 池田先生を迎えて喜びにあふれた第2回蛍友祭。先生の提案で、歌謡曲を歌い、父母をたたえて万歳三唱した(1981年11月15日、創価女子学園〈当時〉で)
池田先生を迎えて喜びにあふれた第2回蛍友祭。先生の提案で、歌謡曲を歌い、父母をたたえて万歳三唱した(1981年11月15日、創価女子学園〈当時〉で)

 あっ、飛んでいる!
 池のほとりで瞬く、小さな光を見つけた教員が歓声を上げた。
 1979年5月21日、大阪・交野市の創価女子学園(当時)に、“学園蛍”の第1号が舞った瞬間である。
 「蛍を呼び戻してはどうだろう」――教職員との懇談の折、創立者の池田先生がそう提案したのは、前年の4月のこと。豊かな自然環境が広がるこの地には、かつて「蛍川」があった。
 その後、担当の教員が決まり、生徒の有志が集まった。校内の水質を調査し、蛍が成育するための小川造りから始めた。
 シャベルや手押し車を使った慣れない土木作業。近くの用水路や川に出向いて行っては、幼虫のエサとなるカワニナという貝を採取した。
 「地道な作業の連続でしたが、初めて蛍が飛ぶのを目にした時、苦労は消え去りました」と、携わった卒業生は言う。
 初の蛍が観察されて以降、その数は日に日に増えていった。
 その様子を聞いた池田先生は、「ほたる飛ぶ 源氏も平家も ともどもに」との句を詠んだ。
 今や学園蛍は、交野の“夏の風物詩”に。毎年の観賞会には、多くの人が訪れる。“平和の象徴である蛍を地域の方々に見ていただきたい”――この思いもまた、先生の念願だった。
 当時を知る教員は述懐する。「先生の構想を何としても実現しようという熱意こそ、学園の伝統です」

獅子の子たれ

 80年4月19日。池田先生は中国に向かう直前、学園に立ち寄った。1年半ぶりの訪問である。
 校内の庭園で寮生たちとの茶話会に参加すると「何か困っていることはないかな?」と、新入生に尋ねた。
 「朝が起きられません」「すぐにおなかが痛くなります」「靴下とハンガーが足りません」
 次々と率直な声が上がる。先生は、その一つ一つに耳を傾け、困っている生徒たちに、すぐさま目覚まし時計や胃腸薬、靴下などを届けた。
 その慈父のごとき真心に、学園生も教職員も胸を熱くした。
 「ホームシックの人はいる?」
 先生の質問に、中学1年生の谷崎真紀さん(高校11期)が手を挙げた。名古屋出身。一人っ子で生まれつき体が弱く、両親から大切に育てられてきた。慣れない集団生活に、布団の中で涙する日もあった。
 先生は、谷崎さんの心境や両親の状況を聞きながら励ましを送り、人生の在り方を示した。
 「親元を離れて寂しい思いをすることもあるだろうが、その時こそ、一人で生きていける強い自分をつくる貴重な時期でもある。だから感傷的にならず、明るく伸び伸びと育ってほしい」
 そして、全員に力を込めて訴えている。「羊千匹より、獅子一匹だ。私は獅子だよ。学園生は獅子の子だ。強くなりなさい」
 帰りの車中、先生は校長に語った。「あの甘えん坊の子は大丈夫かな」
 谷崎さんは、強くなって両親や創立者に安心してもらおうと自分に言い聞かせた。不安を吹き飛ばしてくれたのは、不思議な縁で集い合った“学園姉妹”たちだった。
 2年後の卒業記念謝恩会。司会を務める谷崎さんに気付いた先生は「名古屋に帰ったのかと思っていたよ」と。
 谷崎さんが「私の中学生活は宝の日々になりました。高校も学園に行きます!」と元気に報告すると、「強くなったね。うれしいな」と、にっこりほほ笑んだ。
 今、東京で3人の子を育む谷崎さん。創価学園に送り出すなど、母として奮闘する毎日だ。

21世紀への宣誓

 後方から突然、拍手が沸き起こった。
 その中心には、池田先生の姿が。在校生や保護者、卒業生によって埋め尽くされた学園グラウンドでは、第2回蛍友祭のメイン行事である、全体集会が行われていた。
 81年11月15日、四国に滞在していた先生は、空路で大阪へ。到着して真っ先に向かったのが学園だった。
 誰もが待ち望んでいた訪問に、喜びを爆発させる友また友。目頭を押さえる生徒も多かった。
 それを見た先生は開口一番、「センチメンタルはやめようよ」と一言。“きょうはお祭りなんだから、いい格好をしようと肩肘を張らずに、歌やダンスでもして、朗らかにやろう”と語った。
 この席上、学園生は、21世紀への平和の誓いを読み上げる予定だった。だが、司会が宣誓の開始を告げようとした時、先生はそれを制するように優しく言った。「2001年といっても、今晩や明日が大事だよ」
 そして、“家に帰ったら両親の肩をもんだり、洗濯をしたり、といった宣言にしてはどうか”と提案したのである。
 あうんの呼吸で、司会の生徒が呼び掛ける。
 「今晩、家に帰りましたら、お父さんお母さんの肩をもみましょう!」「お洗濯も忘れずにやりましょう!」
 会場からは「はい!」と大きな返事が。
 さらに、先生が口にする言葉を受ける形で、司会の掛け声は続いた。
 「2001年まで、お父さんお母さんに長生きしてもらいましょう!」「はい!」
 「いいお婿さんを見つけて(爆笑)、お父さんお母さんに楽をしてもらいましょう!」「はい!」
 即興の“宣誓”をするたびに、グラウンドに笑いと拍手が響き渡った。
 この時、見事な司会を務めたのは、梅田妙子さん(高校7期)。大役を果たし終えると、先生から花束が贈られた。
 そんな梅田さんが試練の嵐に襲われたのは、10年ほど前。不況のあおりから、夫がリストラや勤め先の倒産などの憂き目に。加えて、父の胃がんが判明したのである。
 言い知れぬ苦闘の中で思い返したのは、あの日の原点だった。父を看病しながら、就職活動する夫を支える日々。娘として、妻として、懸命に家族に尽くす中、父は天寿を全うし、安らかに霊山へ。夫はこれ以上ない好条件で、再就職を勝ち取ることができた。
 同じく、高校3年生だった大黒暉生さん(同)は、この蛍友祭に父を招待していた。
 大黒さんは父が大反対する中、学園に入学。先生への事実無根の中傷記事などに影響を受けた父から、たびたび批判的な意見をぶつけられた。
 ところが蛍友祭に参加した後、父は一変した。
 「創立者は、私が抱いていた人物像とは全く違う、とても立派な方だった。“親孝行しよう”だなんて、ありがたいな。本当にいい学校だ」
 後年、病床に伏した父は、亡くなる直前、大黒さんに言った。
 「昔は多くの辛酸をなめる日々だったが、暉生を先生のもとに送り出してから、幸せな人生に変わったよ。私の反対を押し切ってまで、学園に行ってくれてありがとう」
                               ◇ 
 蛍友祭であいさつに立った池田先生は、学園生に訴えた。
 ――さわやかで明るい女性が一人いれば、一家はどれほどの潤いにあふれるか。反対に、お父さんやお母さんと対立やけんかばかりを繰り返し、もしも非行に走るようなことがあれば、両親は嘆き、苦しみ、家族が暗くなってしまう――と。
 そして、こう続けた。
 「幸福というものは、遠くにあるものではありません。一番、身近にあるのです」
ご感想をお寄せください news-kikaku@seikyo-np.jp

◆信仰体験 ターニングポイント 脳脊髄液減少症と向き合って 山本広通さん・真美さん夫妻   分かち合うことから生命力が湧

 真美が体に違和感を覚えたのは、2016年(平成28年)12月28日の朝からだった。
 “頭が痛い。疲れがたまっているのかな?”。看護師として働きながら、新たな資格取得のため、リポート作成にも頑張っていた。
 出勤したが、熱がどんどん上がり、自分では立っていられない。仕事納めのこ
の日、半日で早退した。
 “インフルエンザ? それにしては、この症状は異常かも”。夫と母に抱えられ、翌29日の深夜、脳外科に連れて行ってもらった。告げられたのは、脳脊髄液減少症の疑い――。
 「脳と脊髄を包む硬膜から、髄液がもれて圧が下がり、立ち上がるだけで頭痛を引き起こすんです」と説明を受けた。「まずは静養と点滴で様子をみるしかない」らしい。
 「入院しますか?」と聞かれたが、真美は断った。選べるのなら、一人で病室にいるよりも、家で過ごしたい。「点滴なら夫が」と伝えた。夫も看護師だから。
 “寝たきり”の療養生活が始まった。体を起こすと、頭が割れるように痛い。少し食べても、全部、吐いてしまう。栄養や水分を取るために、医師から処方された点滴は、一日2リットルほどもあった。
 夫は毎晩、深夜に起きて点滴パックを替えてくれた。朝も疲れを見せず、「行ってきます」と出掛けていく。
 笑顔の夫。けれど、その背中は、どこか小さく、寂しそうに見えた。
 広通は、17年1月22日、地元・八王子市にある東京牧口記念会館にいた。男子部の人材グループである牙城会。その首都圏総会が行われるからだ。
 妻の病の発症から1カ月近く。正月は、値段の高い、すき焼き肉を買った。妻は頭痛を避けるため、うつぶせになったまま、何とか1枚食べることができた。本当は、もっと食べさせてあげたかったのだが……。
 自分が看護師でよかった。点滴をしてあげられる。だが、それ以外に何ができる? 働いていても、いつも妻のことを考えている。
 目の前では、牙城会の会合が始まっていた。司会の声も、どこか遠くに聞こえている。
 “もしも病状が、ずっと、このままだとしたら……”。その時だった。
 「脳脊髄液減少症という病にかかってしまったのです」
 代表のメンバーによる、体験発表の声だった。
 「寝たきりの状態」「苦しい楽しいという感情も失う」。発表の一言一句が、広通の胸に刺さる。そのメンバーは、信心で立ち上がった。「生きねばならないという執念が湧いてきました。病魔に負けてたまるか!」と。
 感動が全身を駆ける。気が付いた。
 “妻だけの闘いじゃない。妻の一番そばにいる、俺の闘いなんだ。「どうなるんだろう?」じゃない。俺の祈りと行動で、病魔を打ち破るんだ!”腹が決まった。
 真美が目にしたのは、帰宅し、頬を赤くして決意を語る夫の姿だった。「絶対に治るよ。ううん、俺の信心の戦いで、治してみせるから」
 真美はうれしかった。自分以上に、自分を大切に思ってくれて。
 点滴の回数は減り、少しずつ、食べられるようになった。一方で、頭痛も目まいも、耳鳴りも続く。御本尊に向かおうと体を起こすけれど、痛みで意識が遠のいてしまう。眠るというより気絶する感覚。気持ちが不安定になると、涙が止まらなかった。
 「大丈夫よ。一遍の題目に無限の力がある。みんなも、題目を送ってくれているからね」――婦人部の先輩たちが、何度も手紙を届けてくれた。ある先輩は、池田先生の指導も添えて。
 〈強い心をもち、生命力にあふれた自分であれば、どんな試練にさらされても、負けることはない。何があろうが、悠々と宿命の大波を乗り越えていくことができます〉
 創価学会は、温かいなあと思った。元気になって、みんなと一緒に学会活動がしたい。
 2カ月、3カ月……。短時間なら動けるようになった。5月、「ブラッドパッチ」(※)を行うため、専門の病院に入院。そこで、思いがけないことを言われた。「脳脊髄液が、もれたと思われる場所がふさがっています。もう
少し安静にしていれば、改善が見込めるはずです」
  ※患者本人の血液を硬膜外に注入し、脳脊髄液の漏出部位をふさぐ治療法
 広通の姿は、再び東京牧口記念会館にあった。本年1月21日に行われた牙城会の首都圏総会。今度は、壇上で体験発表をする代表として。
 マイク越しに、この1年を振り返る。春以降、妻は体調をみて、会合に参加した。夏には一緒に、宮崎にある広通の実家へも。父母と一緒に、仏法対話に歩いた。
 その中で、母の友人と出会った。家族との関係、自身の性格で悩むその婦人に、広通は信心の話をした。交通事故から蘇生した妹の経験。経済苦を越え、創価大学へ送り出してくれた両親の奮闘。病魔と闘いながら、自分に勇気を与えてくれている妻の存在……。広通と真美の姿に感動した婦人は、昨秋、「私も自分を変えたい」と学会に入会した――。
 広通は会合参加者の一人一人を見ながら、述べる。「妻は病気を通し、信心のすごさを教えてくれたのです」
 1年前、自分に勇気を与えてくれた牙城会の仲間へ、感謝を伝えたかった。そして、“自分たち夫婦が誰かの希望になれたら”とも思った。発表が終わる頃、多くの参加者が、目頭をぬぐっていた。
 昨冬、妻は医師も驚くほどの回復をみせ、看護師として再就職を勝ち取ることができた。今、元気に笑い合える毎日がある。
 この先の人生、病魔以外にも、魔は競い起こってくるだろう。でも、一緒に乗り越えていきたい。
 共に戦う同志として。

やまもと・ひろみち 1981年(昭和56年)生まれ、翌年入会。東京都八王子市在住。創価大学卒業後、真美さんと出会い、働く姿に尊敬の念をいだき、自らも看護師を志した。看護学校に社会人枠で入学し、国家試験に合格。現在は市内の病院に勤務する。自身の突発性難聴も乗り越え、地元の男子部の仲間と励まし合いながら、信心の確信を深めてきた。男子部部長。椚田常勝支部。

やまもと・まみ
 高校時代、実家の家計が苦しい中で、看護学校へ進学できたことが信心の原点。その後も、祈りと努力を重ね、希望の進路を勝ち取ってきた。結婚を機に現在の地へ。新たな環境や仕事の忙しさに、学会活動ができない時期もあったが、「この病気があったから、また頑張ろうと思えました」と。健康を回復した今、週に1回、本紙の配達にも尽力する。白ゆり長。

2018年2月17日 (土)

2018年2月17日(土)の聖教

2018年2月17日(土)の聖教

◆わが友に贈る

限界を決めるのは自分。
その壁を破るのも自分。
今この瞬間の一念から
未来の勝利は始まる。
負けじ魂の挑戦者たれ!

◆名字の言

  創価学会青年部のサイト「SOKA YOUTH WEB」に、来月開催される世界青年部総会の特設ページが設けられている。3・16「広宣流布記念の日」に関する研さん資料とともに「世界共通唱題表」が好評だ▼特設ページと連動したインスタグラムには、唱題表を掲げた笑顔の青年の写真が投稿されている。日本はもちろん、アメリカ、インド、韓国、スペイン、ニュージーランドなど、世界の友からの投稿も多い。総会を目指し、“世界同時進行”で青年たちが祈り、自身の人間革命に挑んでいる▼戸田先生亡き後、「3・16」を“毎年、青年部の伝統ある節目に”と提案し、その意義を宣揚し続けたのは池田先生である。「3・16」とは決して“過去の出来事”ではない。私たちが常に立ち返り、「後継の証し」を打ち立てる原点の日である▼池田先生は語る。「私にとって、毎日が『3・16』であった。毎日が、恩師との対話であり、恩師への誓いであり、恩師との共戦であった」。心に師を抱き、師と対話しつつ、勇んで行動を起こす。「後継」とは師の戦いに連なる人だ▼世界青年部総会を荘厳するのは、ほかの誰かではなく「私自身の挑戦」である。千鈞の重みを持つ一日一日、広布の誓願を赤々と燃やし、たゆまぬ前進の歩みを。(澪)

◆寸鉄

  SGIは「寛容の精神」を
 育みながら世界に拡大―
 識者。多様性光る未来を
      ◇
 農漁光部が結成45周年。
 命支える聖業。国土の宿
 命転換に走る勇者万歳!
      ◇
 人材は特別な人間ではな
 い―戸田先生。桜梅桃李
 の仏法。自分らしく輝け
      ◇
 「苦労せざるものは幸運
 に値せず」偉人。広布の為
 の労苦は必ず生きてくる
      ◇
 ストーブによる火災多し
 と。消し忘れに注意を。
 衣類等の可燃物も離して

◆小説『新・人間革命』第30巻 勝ち鬨の章 五十九 2018年2月17日 (6300)

 喜びにあふれた、はつらつとした「田原坂」の歌声が、晴れた空に広がっていった。
 熊本の同志たちは、熱唱しながら、悪僧らとの攻防と忍耐の日々が脳裏に浮かんでは消えていった。しかし、今、皆が勝利の喜びを嚙み締めていた。
 山本伸一は、熊本の宝友の敢闘に対して、“おめでとう! ありがとう!”と、心で何度も叫びながら、共に合唱した。
   
 〽天下取るまで 大事な身体
  蚤にくわせて なるものか
    
 合唱が終わると、伸一は提案した。
 「凱歌は、高らかに轟きました。今、私たちは、見事に田原坂を越えました。万歳を三唱しましょう! 皆さんの大勝利と、二十一世紀への熊本の門出を祝しての万歳です」
 皆、大きく両手を振り上げ、胸を張り、天に届けとばかりに叫んだ。
 「万歳! 万歳! 万歳!」
 カメラマンがシャッターを切った。
 この熊本での写真は、十七日付の「聖教新聞」に、二・三面を使って大きく掲載された。無名の庶民による広布の凱歌の絵巻が、また一つ、描かれたのである。
 この日、伸一は、城南、天草の同志の代表に歌を贈った。
 「妙法の 城の南に 嵐をば 
     耐えに耐えたる 友や尊し」
 「天草に 老いも若きも 堂々と
     広布に生きゆく 笑顔忘れじ」
  
 伸一が、九日間にわたる九州指導を終えて東京に戻ったのは、十二月十六日であった。
 そして二十二日には、神奈川の小田原、静岡の御殿場方面の代表が集い、神奈川研修道場で開催された勤行会に出席した。これらの地域でも、悪僧らによって学会員は中傷され、非道な仕打ちを受けてきた。しかし、師弟の誓いに生きる同志は、決して負けなかった。師弟は魂の柱である。   

【聖教ニュース】

◆日蓮大聖人の御聖誕日を慶祝 各地で厳粛に広布誓願の勤行会

原田会長を中心に行われた「日蓮大聖人御聖誕の日」慶祝の勤行会。大聖人の不惜身命の御生涯を偲び、世界広布への誓願を新たにした(広宣会館で) 

原田会長を中心に行われた「日蓮大聖人御聖誕の日」慶祝の勤行会。大聖人の不惜身命の御生涯を偲び、世界広布への誓願を新たにした  (広宣会館で)
                   
  2月16日は「日蓮大聖人御聖誕の日」(1222年=貞応元年)である。この日を慶祝する勤行会が16日を中心に、全国の各会館・恩師記念室などで営まれた。
 総本部(東京・新宿区)では。同日、池田先生が創価学会第2別館で厳粛に勤行・唱題を行った。御本仏の末法御出現を寿ぐとともに、全民衆を救済しゆく死身弘法の大慈悲の御闘争を偲んだ。
 また広宣会館では、首都圏の代表が参加し、原田会長を中心に勤行会が開催された。
 原田会長は、御書の「片海の海人が子なり」(370ページ)、「日蓮今生には貧窮下賎の者と生れ栴陀羅が家より出たり」(958ページ)を拝読し、大聖人が「庶民」の出身であることを誇りとし、一切衆生の幸福のためにまい進されたことに言及。
 その幸福の大道に連なる報恩感謝の思いで、大聖人の御生誕の月であり、戸田先生の誕生月でもある「伝統の2月」を広布拡大で飾りたいと訴えた。そして歴史的な「3・16」60周年へ、強き団結で盤石な後継の陣列を築いていこうと呼び掛けた。

◆〈グローバルウオッチ〉 共生の未来へ 人をつなぐ訪問激励㊦  同じ目線で交わす
「会えてよかった」

学会員宅での訪問激励の様子。天井にファンが回るタイル張りの部屋で、車座になっての対話が弾む(先月15日)

学会員宅での訪問激励の様子。天井にファンが回るタイル張りの部屋で、車座になっての対話が弾む(先月15日)

 現代社会の課題と向き合う「グローバルウオッチ」。今月8日付に続く今回は、創価学会の活動の一つである「訪問激励」について、マレーシアでの取材をもとに考える。(記事=金田陽介)

一家全員

 きょうも、地球のあちこちで訪問激励が行われている。
 今、この瞬間も、世界各地の街角で、玄関の呼び鈴が鳴らされ、ドアが開き、笑顔のあいさつが交わされている。
 不在の家には、時に励ましの手紙が残される。そしてまた、次の家で、呼び鈴が鳴る。
                                                           * 
 先月15日の夜。マレーシアの首都クアラルンプール郊外で、一軒の会員宅に、創価学会のメンバー数人が集まった。
 クアラルンプール第3方面・第3本部・第1支部――略して「KL331」と呼ばれる支部で、リーダーたちが、これから訪問激励に向かうのだ。
 「壮年部員が少ない支部なので、婦人部の皆さんについていく感じ」と、符堅聡さん(支部長)は笑う。この夜は、壮年・婦人・女子部のリーダーが一緒に行くという。
 訪ねるのは、昨年に入会したメンバーの自宅。夫が信心して病を乗り越え、その姿を見て、程なく妻も入会した。黄可茘さん(女子部部長)は、「未入会の2人の娘さんにも会えるよう祈っています」と語った。
                                                                 * 
 「KL331」は約3平方キロの広さで、主に住宅地である。午後8時半過ぎ、車に乗って訪問先へ。10分ほどで6階建ての集合住宅に着いた。雨天が続いたからか、この時間でも各部屋のベランダには、色とりどりの洗濯物が干されている。
 エレベーターが故障していたため階段で4階へ。玄関先で、夫婦と娘2人の一家全員が待ってくれていた。
 皆で題目三唱をした後、自然に壮年部、婦人部、そして女子部世代の、三つの輪ができる。
 婦人部は早速、信仰体験を語り始めた。壮年部は健康や仕事について仏法用語を書き出しながら話す。もう一つの輪は自己紹介から始まり、仕事や進学の話題へ。壮年・婦人は広東語、女子部世代は中国語(北京語)だ。皆、話すうちに打ち解けてきて、顔の距離も近くなる。
 45分間ほどの訪問だった。玄関を出たメンバーと見送る一家が、笑顔で手を振り合った。
  
 福祉や医療などの分野で「アウトリーチ」という言葉が使われている。「訪問支援」などと訳され、支援が必要な人のもとへ支援者が出向いて支えることを指す。そのニーズが増す一方で、「これは支援する側にとってもコスト負担が掛かるため、どう展開していくかは今後の課題です」(認定NPO法人「育て上げネット」理事長・工藤啓氏、2016年10月19日付「創価新報」)という見方もある。
 創価学会の訪問激励は、福祉でいう「支援」とは異なるが、通じる部分もあろう。では、学会員のそうした行動の原動力はどこからくるのだろうか。
  
 当然ながら、訪問激励の形は国や地域によって異なる。地区や支部の実情に合わせた工夫もある。しかし、他者のために足を運ぶという点は、世界の創価学会に共通している。
 先月16日、クアラルンプール近郊の町カジャンで、婦人部の訪問激励に同行した。
 訪問先の謝麗萍さん(婦人部員)は、2013年の入会である。夫と5人の子。家計は楽ではない。「でも、皆さんが毎月来てくれるから、悩みに信心で向き合えた。私も今は、悩みのある人に信心を伝えていきたいと思っています」
 この日、謝さん宅に訪問していた婦人部メンバーは――。
 「家に行って顔を合わせないと聞けない話もあります。私も入会前は、先輩がうちを訪問してくれ、おかげでこうして信心できているので、恩返しの思いです」(呉淑芬さん、地区婦人部長)
 「訪問激励は相手の家族とも仲良くなれるし、自分も多くを学べます。夫は未入会ですが、私の学会活動を支えてくれ、感謝しています」(蔡愛芬さん、婦人部班長)
 「『人のために灯をともしてあげれば、自分の前も明るくなる』(御書1598ページ、通解)の御聖訓を身で感じてきたので、この信心を人にも共有せずにはいられない。信心で幸せにしてもらった感謝を、青年にも伝えていきたいですね」(陳招治さん、本部副婦人部長)

相手に学ぶ

 訪問激励という学会活動について、どう感じているか、入会35年の鄭麗玲さん(クアラルンプール第4方面第2本部、本部婦人部長)に聞いた。
 「数年前までマレーシアでは、学会活動というと会合が中心でした。そのためか、一対一の激励に力を入れ始めた頃は『家の中を見られたくない』と訪問に抵抗感を持つメンバーもいて。リーダーたちも、例えば学会活動に消極的なメンバーを訪ねる場合、“何を話せばいいか分からない”“信心を的確に語れる自信がない”という思いが先に立っていたんです」
 そうした時、鄭さんたちが学んだのが、池田大作先生の小説『新・人間革命』だった。
 「今、幹部の皆さんの、会合での指導と、個人指導の比率は、八対二ぐらいではないかと思う。しかし、二対八を目標にしていけば、もっと人材が育ちます。学会も強くなっていきます。また、何よりも、幹部の皆さんが大きく成長していくことができます」(第26巻「勇将」の章)
 一人一人のメンバーに丁寧な励ましを送る意義を、あらためて胸に刻んだという。
 「実際に、『ご自宅の御本尊にごあいさつさせてください』と訪問に歩くようになると、皆さんが、会合では話しにくい悩みや本音を語ってくれるようになった。信頼関係が深まり、組織が発展していきました。またご自宅だと、子どもたちが横で話を聞いていたりして、活動に参加する未来部や青年部も増えていったんです」

対話の達人

 鄭さんは語っていた。
 「個人主義を大切にする欧米の文化で育ったメンバーもいますし、青年世代はプライバシーの意識が強い傾向もある。ご自宅の訪問が難しい場合もあります。でも、うちの本部では『会合の専門家でなく、個人対話の達人になろう』という合言葉で知恵を絞っています」
 対話の達人――それは、「語ること」以上に「聞くこと」を大切にし、「あなたと会えて私は元気をもらいました。多くを学ばせてもらいました」と言える人なのかもしれない。
 池田先生の指針を思う。
 「利他だけを言うと、傲慢になる。人を救ってあげているという偽善になる。自分のためにもなっていることを自覚して初めて、『修行させてもらっている』という謙虚さが出る。自他不二です」(『法華経の智慧』)
 こうした、異なる他者同士が同じ目線で尊重し合って生きるという意味での「共生」は、自然に生まれるものではない。必ず、誰かの地道な行動で「つくられる」ものだ。訪問激励に歩く学会員も皆、その行動を自ら買って出た人だといえる。
 そうした「人をつなぐ人」を育むところに、創価の信仰の、世界に通じる価値がある。
感想・意見をお寄せください
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ファクス:03-5360-9613 

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈世界の識者の眼〉 ニュージーランド 平和運動家 ジョージ・アームストロング氏 オークランド宗教間評議会副会長 ジョセリン・アームストロング氏 
人類は「家族」。差異は超えられる  対話を! 友情が平和の土台に


 ジョージ・アームストロング氏㊧、ジョセリン・アームストロング氏
  
                      
                                                                                                                                                                                                                                                                                                       
ジョージ・アームストロング氏㊧、ジョセリン・アームストロング氏


 1987年、世界に先駆け、非核法を制定したニュージーランド。これに影響を与えた一人が、平和運動家のジョージ・アームストロング氏だ。妻のジョセリン氏と共に、宗教間対話の分野でも活躍する。ここでは、アームストロング夫妻に、宗教の役割や平和への方途などを聞いた。(聞き手=髙橋毅)

宗教は自己を見つめ直す鏡
 ――多民族国家として知られるニュージーランドは、多宗教の国でもあります。
 ジョセリン氏 この国にはキリスト教やマオリ宗教、ヒンズー教、仏教やイスラムなど、多種多様な宗教があります。私が所属する宗教的多様性センターでは、宗教への理解を促進するための教育や研究が行われています。
 同センターの調査により、わが国で“宗教離れ”が進んでいることが分かりました。2006年の時点で、人口の約半数がキリスト教を信仰していましたが、13年の時点で43・8%に減少。反対に増えたのが、「無宗教」と呼ばれる人たちです。06年では32・2%でしたが、13年の時点で38・6%に上昇しました。
 ジョージ氏 宗教離れが進む要因の一つは、宗教が権威主義に陥っているからだと思います。“この宗教は、こういうものだ”という既成概念を押し付けられることに、人々は嫌気が差したのでしょう。それで宗教への関心が薄れているのかもしれません。
 宗教とは本来、自分自身が平和と正義のために行動ができているかどうかを、見つめ直す“鏡のような存在”だと思います。人間は宗教という鏡によって、自己を磨き、公正でかつ平和に尽くす人間へと成長できるのです。
  
 ――宗教的価値の多様化が進み、ますます「宗教間対話」の重要性が叫ばれています。ジョージ氏は「宗教連合イニシアチブ(URI)」評議会の創設者の一人であり、ジョセリン氏はオークランド宗教間評議会で副会長を務めています。どのような姿勢で対話に臨んでいますか。
 ジョージ氏 私は、たとえ差異があっても、必ず友情は結べると信じて、一人一人と会っています。「URI」は「United Religions Initiative」の頭文字ですが、「You are I」、つまり“あなたと私は一つ”という意味も込められています。残念なことに、世界では宗教の名のもとに暴力が正当化され、多くの血が流れています。これを阻止し、平和で公正な文化を築くことが、URIの目的です。
 URIは、宗教と宗教をつなぐ“橋渡し”の役割を担っています。宗教といっても、人間の集まりにほかなりません。ですから、宗教間対話を行う前に、まず人間として友情を育んでいくことが重要となります。私たちの主な運動は、自分の大切な友人を別の友人に紹介し、新たな友情を広げていくことです。こうした草の根の友情を広げることこそ、平和を築く土台になると確信します。
 ジョセリン氏 私は宗教間対話をする際、三つのことを心掛けています。一つ目は、相手を心から歓待し、安心してもらうことです。二つ目は、自身の信仰への確信を持った上で、互いの信仰に、どのような相違点があるのかを話し合うことです。三つ目は、先入観を取り払い、尊敬の心で接していくことです。
 例えば、キリスト教といっても、さまざまな団体があり、多種多様な人間がいます。大切なことは、対話によって、お互いの信仰を理解し、世界平和のために手を取り合うことだと思います。
 その意味で、自己と他者の幸福を目指し、対話によって友情を結ぶSGIの運動に期待しています。
 ――SGIは生命尊厳の哲学を基調とした対話運動をはじめ、展示活動や講演会等を行ってきました。
 ジョージ氏 私も数回、SGIが主催する集いに招かれ、講演しました。初めて会合に参加した時、青年たちの反応、目の輝き、笑顔に感動しました。それは、生命力と学びへの意欲にあふれた姿でした。私は帰宅後、SGIについて調べ始めました。そこで知ったのが、平和のために命を懸けて戦ってきた創価学会の三代会長の歩みでした。
 第2次世界大戦の中、牧口常三郎初代会長、戸田城聖第2代会長は生命尊厳の哲学を掲げ、日本の軍国主義と対峙。二人は投獄され、牧口会長は獄死しました。池田SGI会長は初代・2代会長の遺志を受け継ぎ、平和の思想を世界へ広げてきました。
 私は、兄たちの戦争体験を通し、平和の重要性を感じています。だからこそ、SGIを信頼しているのです。
 また池田会長は、万人が理解できるように分かりやすい言葉で文章をつづる類いまれな作家でもあります。会長の英語版教育提言集『創価教育』を読んだ時、教育に対する情熱と発想に脱帽しました。この書籍の序文には、私が親しくしているURIのビクター・カザンジン事務局長の言葉もつづられていました。
 私は会長と直接、会ったことはありませんが、SGIの平和・文化・教育の理念に深く共感しています。ですから、皆さんのためなら、協力を惜しみません。
 ジョセリン氏 SGIの存在は、夫から聞いていました。4年ほど前、ある婦人の方に勧められ、ニュージーランドSGIの集いに初めて参加しました。
 その際、池田会長が平和を実現するために、世界中のリーダーや識者と対話している事実を知り、なんて素晴らしい平和の団体なんだと思いました。“一対一の対話でしか、真の友情は結べない”とは、私自身の信念でもあります。池田会長は、まさに、人間としての正しい生き方の手本を示すリーダーです。

女性の視点が社会を変える

 ――世界はテロや紛争、核戦争の危機など、さまざまな難題を抱えています。平和を築く上で、大切な視点とは何でしょうか。
 ジョージ氏 「人類が一つの家族である」ということを思い出すことです。18世紀の後半、ニュージーランドに西欧人が現れ、土地を巡り、先住民マオリとの争いが勃発しました。同じ地球人であるというルーツを忘れ、自分たちの利益のため、領地を奪っていては、「真の平和」は訪れません。
 宗教や科学が存在する最大の目的は「幸福」です。今こそ、“人類は一つの家族”という視点で、物事を見つめ直すことが必要だと考えます。
 ジョセリン氏 もう一つ重要なのは、生活に根差した「女性」の視点です。ニュージーランドは1893年、世界で初めて女性参政権を実現した国として知られています。昨年10月には、3人目となる女性の首相も誕生しました。
 それでも、まだまだ女性が活躍できる環境が整っているわけではありません。男性は物事を判断することにたけ、女性は生命を育むことに優れています。男性と女性が対立するのではなく、互いを補い、力を合わせていくことが重要です。
 ジョージ氏 今、あなたが日本からニュージーランドにわざわざ来て、白人の私と対話をしている。そして、日本に帰って、私の思いを伝える。人種や国籍が違っていても、こうした美しい交流がある限り、平和は生まれてくるのです。
 大切なことは、利他の精神を「行動」に移すことです。牧口初代会長が“善をしないのは、悪を助長しているのと変わらない”と語られていますが、まさにその通りだと思います。他者のために尽くす人間を育てていく。これこそ、善を広げ、平和をつくることに通じます。
 これからも、宗教や文化、人種の差異を超えて、友情を結んでいきたいと思います。信頼するSGIの皆さんと共に――。
 George Armstrong 1931年生まれ。米プリンストン神学校で神学博士に。聖公会の司祭であり、「宗教連合イニシアチブ(URI)」評議会の創設者の一人。核兵器廃絶のために反核活動を行う「ピーススコードロン」のリーダーとして、ニュージーランドの非核政策の確立に貢献した平和運動家である。
 Jocelyn Armstrong オークランド宗教間評議会副会長。宗教的多様性センター・信託委員会委員長。英国国教会の系統に属するキリスト教の教派「聖公会」に所属。長年、中高校生への宗教教育に携わる中、世界の宗教を紹介する参考書『多様性の発見』を発刊。宗教間対話でリーダーシップを発揮している。

◆御書池田大学運動のために 池田華陽会御書30編に学ぶ 顕仏未来記㊦ 
世界広布へ勇気と真心の対話を

幸福と友情のスクラムの拡大へ! 香るキャンドル作りなど、工夫を凝らして開催された「ロマン総会」(愛知・鳴海宝城本部)

幸福と友情のスクラムの拡大へ! 香るキャンドル作りなど、工夫を凝らして開催された「ロマン総会」(愛知・鳴海宝城本部)
 今月は、「顕仏未来記」の後半を学びます。第2代会長・戸田城聖先生は、「顕仏未来記」を拝して、次のように記されました。

◆信仰体験> “ネコ島”奮闘記    笑顔が輝く よか島だニャー!
東京から移住し、地域おこしに貢献


【熊本県上天草市】熊本・天草と長崎・島原半島のちょうど中間に、「湯島」は浮かんでいる。周囲約4キロ、人口約300人の小さな島。古賀聡さん(56)=大矢野支部、地区部長=は18年前、サラリーマンを辞めて東京から移住してきた。島で唯一の酒屋「古賀酒店」を経営しながら、島民のために汗を流している。

2018年2月16日 (金)

2018年2月16日(金)の聖教

2018年2月16日(金)の聖教

◆わが友に贈る

広宣流布は
仏と魔との戦いだ。
破折精神を忘れるな!
真実に勝る雄弁なし。
青年が言論戦の先頭に!

◆名字の言
 

  氷点下の平昌五輪スタジアムに聖火がともされて1週間がたった。連日、厳寒を吹き飛ばす熱戦が繰り広げられている。冬季では、史上最多となる92カ国・地域がエントリーした今大会。後半戦も、長野(1998年)を上回る日本選手団のメダルラッシュに期待が高まる▼14日には、一日で4個のメダルを獲得するという新たな歴史が生まれた。コンマ数秒を争う氷上の大接戦。体力の限界に挑戦する複合種目。そして、思わず息をのむ空中回転――。まさに手に汗握る白熱の展開だった。4年に一度の祭典も残り10日である▼勝負の世界である以上、結果にこだわるのは当然であろう。報道もまた“メダル”という壮挙を華々しく伝える。だが一番の醍醐味は、スポーツを通して描かれる「人間」のドラマではないだろうか。選手たちが見せるパフォーマンスも、本番に至るまでの栄光と挫折を知ればこそ、より一層胸に迫る▼信仰の世界も同じだ。想像を絶する苦境からの逆転劇。人生の障壁に挑み、乗り越え、歓喜の凱歌を響かせた姿に触れた時、人は心を揺さぶられる▼感動は“感じて動く”と書く。感動することで、新しい決意と行動が生まれる。我らは広布という舞台で信心の喜びを語り広げる、大感動の日々でありたい。(仁)

◆寸鉄
 

  大聖人御聖誕の日。広布
 誓願の実践に信心の血脈
 は厳然。192カ国の連帯に
      ◇
 千葉の日。旭日の天地に
 輝く民衆城。青年を先頭
 に拡大また拡大の旋風を
      ◇
 「法華経の功徳は虚空に
 も余りぬべし」御書。自行
 化他の題目に無量の福徳
      ◇
 除雪中の事故に注意。皆
 で声掛け複数人での作業
 を。無理せず安全優先で
      ◇
 次はもっといいレースを
 ―銀選手。挑戦の人は美
 し。我らも本舞台で飛翔

◆社説  17日は「農漁光部の日」  自らが地域を照らす希望の光源に


 明17日は「農漁光部の日」。1977年(昭和52年)の2月17日、池田先生が出席して開催された第1回「農村・団地部勤行集会」が淵源である。
 当時、異常気象に端を発した食糧問題が世界中の関心を集めていた。農漁光部の友への思いが小説『新・人間革命』第24巻「灯台」の章につづられている。「地域広布の先駆けとなっていただきたい」「皆さんの地域を頼みます! 今いるところで、幸せの大城を築いてください」と。
 農漁光部の友は、きょうも「地域の灯台たれ」「学会の灯台たれ」との指針を胸に、自らが地域を照らす希望の光源にと、地道に信頼を広げている。
 そんな中、日本におけるカロリーベースの食料自給率は38%(農林水産省の平成28年度調べ)と先進国の中でも最低水準。少子高齢化も相まった後継者不足の問題が叫ばれて久しい現代にあって、農漁光部の青年の活躍が一段と光っている。
 三重総県で男子部書記長を務めながら日々、カキ養殖に尽力する濱地大規さんもその一人。
 全国的にも最初期に養殖を実現した三重。現在、的矢湾で生産されるカキは、高い品質、出荷単価を誇るが、30年ほど前に比べ、養殖漁師の数は5分の1にまで減ったという。
 「愛する故郷に元気を取り戻してもらいたい!」――濱地さんは勤める会社の中心者として新たな栽培方法に挑む。カキの身を大きくする「オーストラリア方式」と、従来の欠点克服となる通年出荷を可能にする「三倍体」という技術を融合させたカキ養殖の挑戦に、地元メディアからも注目を浴びている。
 昨年11月に水産庁の認可を受け、「伊勢志摩プレミアムオイスター」と名付けられたカキは今、日本のみならず香港を中心としたアジア各地に輸出され、好調な売れ行きを見せている。
 異常気象や少子化など、農漁業を取り巻く環境は厳しさを増す。だからこそ、今いる場所を使命の場所と決めて地域振興を祈り奮闘する友の挑戦は尊い。
 池田先生はかつて、農漁光部の友に贈った。「『農村ルネサンス』こそが、『人間主義の復興』となり、『生命の世紀のルネサンス』となっていく」と。
 本年も、「農漁村ルネサンス体験主張大会」が開かれる(2月24日から4月30日まで「SOKAチャンネルVOD」が利用できる会館等〈モバイルSTBは除く〉で視聴可能)。信心根本に困難を乗り越えたドラマは、多くの人の心を打つに違いない。

◆きょうの発心   師弟の精神を継ぎ広布拡大へ2018年2月16日


御文
 苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ(四条金吾殿御返事、1143ページ・編880ページ)
通解 苦を苦と覚り、楽を楽と開き、苦しくても楽しくても南無妙法蓮華経と唱えきっていきなさい。これこそ自受法楽ではないか。ますます強盛な信心を貫いていきなさい。

 いかなる時も唱題し抜いていくことこそ最高の幸せである、との仰せです。
 男子部の部長時代、妻の胎内にいる子どもに腫瘍があることが判明。先輩から頂いた「苦難を題目で乗り越えよう」との激励を胸に、夫婦で真剣な唱題に挑戦すると、不思議と腫瘍が消え、無事に長男が誕生しました。
 信心の偉大さを教えてくれた子どもに感謝するとともに、“苦楽ともに御本尊を拝していく大切さ”を多くの友に語っています。
 1978年(昭和53年)2月、宗門事件の渦中に池田先生のもとで開催された第1回「信越男子部幹部会」から、本年で40周年。現在、「信越男子部飛翔月間」として師弟の精神を継承しようと、折伏と人材の拡大に挑んでいます。
 私自身、今年の元日に弘教を実らせ、師匠の卒寿をお祝いすることができました。「世界青年部総会」へ、信越男子部から広布拡大の大波を起こしてまいります。
 信越男子部長 浦沢茂樹

◆小説『新・人間革命』第30巻 勝ち鬨の章 五十八 2018年2月16日 (6299)


 山本伸一の話が終わると、会場には大きな拍手が広がった。なかでも、城南、天草の同志の多くは、感涙を拭い、頰を紅潮させ、立ち上がらんばかりにして、決意の拍手を送り続けるのであった。
 自由勤行会は、感動のなかに幕を閉じた。
 参加者は、熊本文化会館を出ると、足早に会館から歩いて二分ほどのところにある壱町畑公園に向かった。伸一の提案で、ここで記念撮影をすることになっていたのである。
 公園には、櫓が組まれていた。千五百人という大人数の撮影となるため、高い場所からでないと、全員がカメラに納まりきらないのである。
 皆が公園に集まったところに、伸一が姿を現した。
 うららかな春を思わせる陽気であった。
 「さあ、一緒に写真を撮りましょう!
 皆さんは耐えに耐え、戦い、勝った。まことの師子です。晴れやかな出発の記念撮影をしましょう。この写真は、『聖教新聞』に大きく載せてもらうようにします」
 歓声があがった。伸一は、皆に提案した。
 「皆さんは、試練の坂を、見事に越え、“勝利の春”を迎えた。一緒に、胸を張って、『田原坂』を大合唱しましょう!」
 熊本の愛唱歌ともいうべき、郷土の誇りの歌である。
 ゆっくりとした、力強い、歌声が響いた。
    
 〽雨はふるふる 人馬はぬれる
  越すにこされぬ 田原坂
    
  右手に血刀 左手に手綱
  馬上ゆたかな 美少年
    
 皆、勤行会での伸一の指導を嚙み締めながら、“これからも、どんな苦難の坂があろうが、断固、越えてみせます!”と誓いながら、声を限りに歌った。
 同志の目は、決意に燃え輝いていた。決意は、強さを引き出す力である。

【先生のメッセージ】


◆〈池田先生と共に 新時代を進む〉26  大願へ!大きく立ち上がれ


 記録的な豪雪の福井、石川、富山をはじめ新潟、そして東北、北海道など各地の友の無事安穏を日々、祈っております。
 特に、聖教新聞の配達をしてくださる尊き無冠の友の皆さまのご苦労はいかばかりか。
 どうか、絶対に無理をされず、くれぐれも安全最優先でお願いします。大切な大切な皆さまとご家族に、私も一生懸命、題目を送っております。
                    ― ◇ ― 
 御本仏・日蓮大聖人の御聖誕の日を、男女青年部を先頭に地涌の拡大の息吹の中で迎えることができた。
 同じく2月を誕生月とする戸田先生は、よく「文段」の「我等、妙法の力用に依って即蓮祖大聖人と顕るるなり」の一節を拝し、言われた。
 「この御本尊と大聖人と自分とが区別がないと信じ、感謝を込めて誓願の題目を唱えてごらん 
 そこに、大宇宙のリズムと我がリズムが調和して、偉大な生命力が涌現してくるんだよ」
 妙法を唱え、広布に走る命には、どれほどの力と智慧が漲るか。今この瞬間から、赫々たる希望の太陽が昇る。いかなる試練の冬も変毒為薬して、必ず歓喜の春を勝ち開いていくことができるのだ。
                    ― ◇ ― 
 戸田先生の生誕の日(11日)には、師恩を偲び、総本部の恩師記念会館で勤行・唱題した。
 師は直弟子に託された。
 ――人類の幸福と平和の実現こそ、仏法の本義である。ゆえに私に代わって、君は世界に征け! 全世界に妙法を弘め、地涌の菩薩を呼び出せ! と。
 以来、60星霜――。
 会館には、不二の同志と共に、世界の都市から頂いた800の名誉市民称号の記録が留められていた。
 戸田先生がご覧になられたら、どんなに喜ばれるでしょうと、妻が微笑んだ。
 全て、わが師に捧げる栄誉である。そして創価家族に贈られた信頼の宝冠にほかならない。仏法の因果の理法に照らし、この福徳は子々孫々に流れ通うことを確信していただきたい。
                    ― ◇ ― 
 戸田先生のお好きだった言葉「大立」を私が記した書も、会館に置かれていた。
 脇書は「わが友乃 決意を 祈りつつ」である。
 大いなる誓願に立つ時、若人の生命は、限りなく大きく、強くなれる。
 わが誉れの後継の青年部よ、大きく立て! 大きく立ち上がれ! 
 そして世界の友と大きくスクラムを組んで、勇気凜々と朗らかに進みゆけ!

  

【聖教ニュース】

◆多様性の人華の国 マレーシアが躍動の総会  池田先生の初訪問30周年を記念し


 世界に輝く異体同心のスクラム! 躍動のマレーシア総会に参加した友がさらなる前進を約し合って(マレーシア文化会館で)
世界に輝く異体同心のスクラム! 躍動のマレーシア総会に参加した友がさらなる前進を約し合って(マレーシア文化会館で)

 マレーシア創価学会(SGM)の総会が4日、首都クアラルンプール郊外のマレーシア文化会館で盛大に開催された。池田大作先生の同国初訪問30周年を記念するものである。
 池田先生は祝福のメッセージを贈り、「良き市民」「良き国民」として社会に希望の光を送る同志の奮闘を心から称賛。勇敢な信心で、さらなる幸福と平和のスクラムを広げゆこうと呼び掛けた。
 多民族・多宗教が共生するマレーシア。この“多様性が輝く人華の国”に池田先生が第一歩をしるしたのは、1988年2月5日である。
 翌6日には、マハティール首相との会見や、マラヤ大学への図書贈呈式へ。さらに民音(民主音楽協会)やマレーシア文化観光省等の共催で開かれた、日本・マレーシアの合同記念公演に首相らと出席し、友好を深めた。
 それだけではない。激務の合間を縫って、マレーシア広布を切り開いてきた同志に励ましを送った。7日には開館間もないマレーシア文化会館を訪れ、功労の友に語っている。
 「川は誰が気付かなくても、前へと流れている。マレーシアは川の流れのように、静かに、たゆまず前進していくんです」「これからは対話が大事です。友情の拡大が大事です」と――。
 これが、同志の不滅の指針となった。
 以来、友は、共生の社会を創出するための活動に尽力。学術講演会や国際シンポジウムを開催するなど「宗教間対話」に力を注ぐとともに、国家の独立記念行事への出演や、演奏会等の文化運動を通して、調和の心を広げてきた。2004年には同国政府から「芸術貢献賞」が贈られるなど、確かな信頼を築いている。
 SGMの平和・文化・教育運動への共感は広がり、創価の人間主義の連帯も大きく拡大した。
 総会では、彭作威副理事長が体験発表。30年前、青年部の歓迎メンバーとして、師との原点を築いて以来、広布に生き抜いてきた歴史と、さらなる決意を語った。池田先生初訪問の折、副女子部長として師との出会いを結んだ陳愛梅婦人部長は、報恩の道を歩み、幸福の輪を幾重にも広げたいと述べた。
 許錫輝理事長が、30年前の先生の激励行によってマレーシア広布が開かれたと力説。「この大道を歩み抜く新たな人材の流れを、さらに!」と望んだ。 

◆〈藍よりも青く 世界青年部総会へ〉第5回 アルゼンチン 社会に希望の光彩を


 人生と広布の勝利を誓い合うアルゼンチンの友(先月、アルゼンチン創価女性平和会館で)
人生と広布の勝利を誓い合うアルゼンチンの友(先月、アルゼンチン創価女性平和会館で)

 池田先生がアルゼンチンを初めて訪れたのは、1993年2月。先生は滞在中、同国の友に呼び掛けた。
 「どうかアルゼンチンの皆さまは、心広々と、太陽のように明るく、アルゼンチンの全国土、全民衆に希望の光彩を送っていただきたい」
 この言葉のままに、同国SGI(創価学会インタナショナル)の友は、友情の絆を結び、希望の励ましを送る灯台となって、地域貢献に走ってきた。
 さらに、宗教間対話や展示運動などを通して、社会に仏法の哲学を伝えるとともに、池田先生の世界的な平和・文化・教育運動を宣揚。これらが広く共感を呼び、国内24の全ての州から先生への顕彰が贈られるまでに。
 誇りも高く、喜々として広布の道を走り続けるアルゼンチン青年部。先生の初訪問25周年の2月から、「3・16」60周年へ!――友は今、1000人の弘教拡大を目標に掲げながら、各部一体の祈りと団結で、勇気の対話を進めている。
 その中で、「3・16」の歴史を皆で学び合い、広宣流布のバトンが師から弟子へ託された意義を思索しながら、後継の決意を固め合っている。
 カドゥリネリ青年部長は語る。
 「師弟不二という黄金の旗を高らかに掲げて、わが地域社会に、希望と幸福の人生を築きゆく、新たな道を開いていきます!」 

◆韓国・幸福幼稚園 卒園式を晴れやかに
 

ガウンに身を包んだ卒園生たちが笑顔で(ソウルの幸福幼稚園で)

ガウンに身を包んだ卒園生たちが笑顔で(ソウルの幸福幼稚園で)

 韓国・幸福幼稚園の第10回卒園式が10日、首都ソウルの同園で晴れやかに行われた。
 “大人になったら、ぼくは、オリンピックの選手になりたい!”“私はパティシエ!”――夢は大きく、希望は高く、充実した教育内容と環境の中で、成長してきた卒園生たち。その表情は、明るく輝いていた。
 「子どもの幸福」を第一とする創価教育を実践すべく、教職員と保護者が固い信頼関係を築き、一体となって園児の教育に当たるのが同園の誉れ高き特色だ。晴れの門出を迎えて、子どもたちだけでなく、見守る大人たちの胸にも、こみ上げるものがあった。
 創立者の池田先生は記念のメッセージを贈り、「学ぶ心」や「友だち」、「親孝行」を大切にしようと強調。「幸福幼稚園で学んだみなさんは、未来を照らす“太陽の子”です。みなさんが明るく元気に学んでいけば、そこに希望の春がきます」と語り、51人の“未来からの使者”の新出発を、心から祝福した。
 式典では、皆勤賞の授与の後、教員たちが心を込めてしたためた手紙を朗読。李多兼園長は、何があっても負けない心を燃やし、自身に具わる無限の力を信じて前進をと訴えた。来賓の金仁洙韓国SGI理事長が祝辞を述べた。

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈虹を懸ける〉 池田先生と香港⑤=完 ここに常楽の都を築こう

香港文化会館の前庭で行われた世界青年平和文化祭の祝賀会。熱演を披露した若き友に、池田先生がエールを送る(1988年2月)
香港文化会館の前庭で行われた世界青年平和文化祭の祝賀会。熱演を披露した若き友に、池田先生がエールを送る(1988年2月)

 「まだ、香港にいるのは十数人の同志にすぎない。しかし、二、三十年もすれば、何万人もの同志が誕生するはずです。皆さんが、その歴史をつくるんです」
 1961年の池田先生の確信は、30年近い歳月を経て、現実のものとなった。
 この初訪問を終え、離陸した飛行機の窓から先生が見たのは、有名な「獅子山」(ライオン・ロック)である。
 10度目の訪問となった88年1月、旭日のごとき発展の象徴として「香港文化会館」が開館した。
 裏手には獅子山がそびえ、香港広布の獅子たちを見つめる。
 九龍の文教地区の一角に完成した新会館。1000人規模の講堂をはじめ、隣接の会館等も含めると、現在は2000人以上を収容できる。土地が狭く、ビルが林立する香港には、それまで大勢が集える法城がなかったこともあり、同志の感激はひとしおだった。
負けない心を!
 1月28日の開館式では、池田先生と並び、青年部の代表らがテープカットを行った。
 梁愛群さん(婦人部企画長)は、香港女子部長としてテープにハサミを入れた。その胸中には、師と共に広布と社会の新時代を築く決意があふれていた。
 かつて先生は梁さんに言った。「しっかり頑張って、幸せな人生を送るんだよ」と。
 病気がきっかけで学会活動に取り組むようになった梁さん。入会前は将来に希望が見いだせずにいたが、信心に出あい、苦難に負けない自分に変わることができた。
 先輩から師弟の精神を学び、皆で励まし合って成長してきた女子部時代は、かけがえのない原点に。83年に女子部長に就くと、師匠の心を伝えながら、幸福のスクラムを大きく広げてきた。
 「先生が言われた通りに実践したおかげで福運が付き、皆が幸せになりました。香港社会は常に変化の連続です。だからこそ、何があっても純粋な信心を貫いていけるよう、目の前の一人一人を大切にしていきたい」
 現在は主に離島地域を担当。フェリーで海を渡り、訪問激励に歩きながら、あの地この地に同志がいる喜びをかみ締める日々だ。
幸の旭日よ昇れ
 88年の訪問の最大の眼目は、16カ国・地域のメンバーが参加する第9回「世界青年平和文化祭」であった。
 開館式の後の最高会議で、池田先生は香港広布の歴史を振り返りながら語っている。
 ――御書に「二陣三陣つづきて」(911ページ)と仰せのまま、当時はまだ生まれていなかった若き後継の世代の力で、アメリカに次ぎ、日本を除くアジアでは初となる「世界青年平和文化祭」が開催される。これこそ「一閻浮提広宣流布の大願成就」への大いなる証しである――と。
 アジア広布の起点・香港から、希望の大波は全世界に広がる――そう先生は信じていたのである。
 その万感の思いを込めて詠んだのが、長編詩「平和の港に 幸の旭日よ昇れ」だった。
 
  ああ いま 海の彼方
  旭日は昇り
  我らが待ちに待った
  まばゆき黄金の朝は
  訪れた
  それは アジアの
  そして 世界の
  永劫の平和の
  夜明けだ 
  
 文化祭前日(30日)の香港総会の席上、中国語で詩が朗読されると、会場の香港文化会館は深い感動に包まれた。
  
  地より涌くか
  不思議なる
  縁の君らよ
  元初の太陽を浴びて
  躍りいで
  後継のたいまつを
  掲げ 歓喜の
  ファンファーレも
  高らかに
  いま まさに
  世界青年平和
  文化祭の 幕を
  開かんとしている
 
 翌31日。先生が各界の来賓500人と共に見守った祭典は、「生命の歓喜 平和の光彩」とのテーマにふさわしい、圧巻のステージとなった。
 会場の香港コロシアムには、出演者やその家族、役員なども含めると、延べ3万人の参加者が。グランドフィナーレの後、マイクを手にした先生は、力強く呼び掛けた。
 「大変に素晴らしかった。大変に朗らかだった。大変に頼もしく、大変に美しかった。そして、私は心から感動いたしました」
 李然賛さんは、2500人が出演した文化祭を、舞台役員として陰で支えた。
 「ステージ裏にいた私は、先生にお目にかかることはありませんでしたが、出演者が歓喜する姿を見た時は、感無量でした」
 幼少期にポリオを患い、左足に軽度の障がいがある李さん。人には負けたくないと、空手などで体を鍛えたが、心はずっと劣等感にさいなまれていた。
 転機は、小説『人間革命』を読んだ中学生の時。戸田先生と池田先生の師弟一体の激闘に感動し、学会活動に参加するように。その中で大学に進み、漢方医(中医)になるという目標が定まった。
 だが志望校は不合格となり、専門学校を卒業後は営業職に。それでも夢を諦めることなく、仕事と活動に取り組み、真剣に唱題を重ねた。香港副青年部長や未来部長としても奮闘してきた。
 香港がイギリス領だった当時、中医は公的な資格がなかった。しかし、97年に中国に返還されると、香港政府が中医の免許制度を設けることに。猛勉強の末、資格を取得し、大学にも入学。大学院まで修了した。
 今、香港島のビジネス街に診療所を構える李さん。確かな実績が認められ、テレビに出演したことも。さらには受験で涙をのんだ香港中文大学の中医学会の名誉会長に就任。教壇にも立つ多忙な日々だが、師匠と信心への感謝を忘れず、支部長として広布の第一線を歩んでいる。
地涌の人材群
 香港では、世界青年平和文化祭に参加した学会2世、3世の成長が目覚ましい。
 未来部だった梁兆祺さん(本部副男子部長)も、その一人だ。
 祖母の代に始めた信心を継承し、幼い頃から母に連れられて学会活動へ。行く先々で出会う同志や同世代の子らと触れ合い、創価家族の温かさを肌身で感じてきた。
 文化祭で香港SGIが誇る文化本部の演技に魅了され、13歳で金鷹体操隊に入隊。鍛えの青春を過ごした。
 仏法への確信を強めたのは2005年。一家の経済苦を打開するため、懸命に祈り、現在の職場に転職を果たす。以来、「信心は一人前、仕事は三人前」をモットーとし、昇格を勝ち取るなど、社会で実証を示してきた。
 同じく文化本部で薫陶を受けた妻・亦沁さん(地区副婦人部長)との間に生まれた2人の子は、香港創価幼稚園の出身。それぞれ紫荊鼓笛隊と開心合唱団に所属する。親子2代で文化本部だ。
 牙城会のリーダーも務める梁さん。後年、先生が滞在中、香港総合文化センターに着任したことがあった。
 「夜が更けても、先生の部屋の明かりは付いたままでした。諸行事を終えられた後も、遅くまで私たちの幸福を祈り、執筆活動を続けておられることを知り、熱いものが込み上げました。生涯、学会厳護に尽くそうと誓った瞬間です」
 香港には、師弟の魂光る人材群が陸続と育っている。
                                                                  ◇ ◆ ◇ 
 文化祭の次の日からタイ、マレーシア、シンガポールを歴訪した先生は2月11日、再び香港へ。翌日には市街を歩き、「春節」(中国正月)を前に華やぐ香港の様子を、その目に焼き付けている。
 さらに14日には、第1回香港青年部合同総会でスピーチした後、世界青年平和文化祭の記念祝賀会に出席。功労の友をたたえ、地涌の若人を励まし、機上の人となったのは、翌15日であった。
 あれから30星霜――。
 きょう16日は、2018年の春節である。新年を迎えた香港の同志の胸に輝くのは、師から贈られた長編詩の一節一節に違いない。
  
  さあ 愛する
  この香港に 寂光の都
  常楽の都を築こう
  さあ 錨を上げよう
  旅立ちの銅鑼を
  高らかに打ち鳴らせ
  出発だ! 出発だ!
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◆信仰体験  平昌冬季五輪を支える韓国SGIの友 4 人間の中へ 社会の中へ

  ★テロを防ぐ海洋警察のチームリーダー/方面男子部長として多くの友に尽くす


【江原道東海市】世界各地で、人が多く集まる場所を狙ったテロが相次ぐ。平昌冬季五輪も、テロ特殊部隊が会場周辺に待機し、1万人の警察官が、厳戒態勢を敷いている。呉承民さん(37)=方面男子部長=は、海洋警察の一員として任務に当たる。
 「海上も、警備艦艇が24時間監視し、特別警戒を行っています」
 呉さんは、所管する警察署へ教育・訓練を行うチームリーダーの役割も務める。
 「わずかな油断や慢心が命取りになると訴えています。真剣に題目を唱えて、無事故を祈り抜く日々です」
 4年前に起きた事故のことを今も胸に刻んでいる。
                         *
 海上での任務を終えて、船を着岸させようとした時だった。
 直径10センチほどの係留ロープが、呉さんの左手を直撃。ロープが親指の先に引っ掛かり、第一関節から先を切断する事故に遭う。すぐに病院へ急行し、緊急手術。入院中、多くの同志が呉さんのことを心配し、見舞いに駆け付けてくれた。
 呉さんは、事故の瞬間を振り返って考えるほどに、「信心で守られた」との感慨を深くした。係留ロープが、体に直撃せずにすんだこと。飛んだ指先が海中ではなく、甲板に落ちたこと。着岸した時だったため、病院に直行できたこと……。
 感謝の思いがあふれ、病室で題目を唱えた。
 「当時の私は、周囲の同僚より早く昇進したことで慢心していました。仕事の忙しさで学会活動からも離れがち。
何でも頭で解決しようとして、上司との関係も、行き詰まっていた時だったのです」
 1カ月後には、職場に復帰。日常生活に支障がないまでに回復した。感謝の思いで、より真剣に、学会活動に励んだ。生まれ変わった決意で、信心の功徳を語り抜き、2カ月間で10人の友人を入会に導いた。
 SGI研修会で、来日したのは、2015年2月のこと。
 「各国のSGIメンバーの師匠を求める姿勢に大きな刺激を受けました。何より、私たちを“世界広布のリーダー”
とたたえてくださる池田先生の真心が忘れられません」
 この時、師匠は念願した。「朗々と題目を唱えながら、明るく軽快に、また忍耐強く、人間の中へ、社会の中へと行動してまいりたい」
 現在、江原第1方面の男子部長を務める呉さんは、多くのメンバーに師弟の精神を語り、一人一人に心を尽くす日々だ。
 「どんな悩みも、信心を根本にすれば、必ず乗り越えられる。『世界青年部総会』に向けて男子部のメンバーと前進していきます」

  ★カーリングセンターでボランティア/真心から一人を大切に

【江原道東海市】連日、熱戦が繰り広げられる江陵カーリングセンター。
 ここで、観客の入場券チェックを行う蔡志源さん=女子部グループ長。江原道立大学1年で観光学科に学んでいる。
 先日、何かに機嫌を損ねた様子の外国人親子を見掛けた。
 「温かな笑顔を心掛けて声を掛けました。ジェスチャーも交え、一生懸命に話すと、最後は笑顔で、肩をポンとたたいて去って行かれました。ホッとすると同時に、真心は通じることを改めて実感しました」
 昨年、無窮花班(白蓮グループ)の一員になった。
 研修会に参加し、学んだことは、“「当起遠迎、当如敬仏」(当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし=法華経677ページ)の心で一人を大切にする振る舞い”だ。
 「それまで、志望大学に入れなかったことを悔やんでいました。女子部のメンバーと唱題し、語り合う中で、いつまでも過去を振り返るのではなく、未来をどう生きるかが、より大切なことだと学んだのです」
 日々、小説『新・人間革命』を研さんしている。
 「池田先生が、“戸田先生の夢を実現する”との一念で築かれた広布史を学び、“私も今いる場所で、自他共の幸福を拡大しよう”と決意しているんです」
 カーリング競技もいよいよ佳境を迎える。
 「世界を舞台に活躍する人に」との師の心を胸に、きょうも各国から訪れる観客に笑顔で接する。

  ★4韓国の魅力を伝える未来部員/唱題すると勇気が湧く

【江原道江陵市】スピードスケートやフィギュアスケートなど氷上で行われる各種競技が開催される江陵市。
 「普段、こんなに多くの外国の方を地元で見ることはないので驚いています(笑い)。待ちに待ったオリンピックがこんなにもワクワクするなんて!」と語る趙玟紀さん(18)=高校2年。英語通訳のボランティアを務めている。以前の自分の姿からは想像できないと笑う。
 「小学6年からネットゲームにはまってしまって。初めは週末だけだったんですが、中学に入ると、平日も夢中になって、部屋にこもるようになっていきました」
 両親の注意も耳に入らない。一緒に遊んでいた友人たちは、年齢が上がるにつれて、次第にやめていった。趙さんもやめなきゃいけないと分かっていながら、抜け出せなかった。
 未来部担当者が自宅を訪れたのはそんな時だった。未来部研修会の参加の誘いを受け、「人生が変わった」。
 同年代のメンバーの姿や、代表の信仰体験に触発を受けた。皆で行う勤行・唱題は新鮮だった。
 「それまでは、いつも何かに追われて焦っていました。でも唱題すると、胸に温かい気持ちが広がっていったんです」
 研修会から帰宅した息子の姿に両親は、驚いたという。
 父・趙丙金さん(51)=副本部長=は、「今は、ゲームを楽しむ程度になったようです。『唱題すると、勉強の意欲が出てくる』なんて言うんですよ」
 今回のボランティアには、友人3人を誘って参加している。
 「将来は、観光ガイドになりたい。でも、その前に大学受験ですね。日本の創価大学も訪問してみたいです」
 生き生きと語る趙さんの笑顔が輝いている。

2018年2月15日 (木)

2018年2月15日(木)の聖教

2018年2月15日(木)の聖教

◆わが友に贈る

「御みやづかいを
法華経とをぼしめせ」
仕事に奮闘する友よ
「真剣」と「誠実」で
職場の第一人者に!

◆名字の言
 

  漢字の最も簡略化が進んだ書体を「草書」という。中華民国を樹立した辛亥革命で、孫文と共に活躍した革命家・于右任は「草聖」とたたえられる草書の達人でもあった▼彼の書は、悠久の歴史を誇る中国書道史の中でも、極めて独創的といわれる。生前から高価な値がついたが、「人びとのために書くことは、さらにも増して人生の一大快事である」と言い、求められれば、惜しげもなく書き与えた(『于右任傳 金銭糞土の如し』書道芸術社)▼死後、彼の遺品の中には借金の借用書があった。書によって自適の生活を送ることもできたはずである。だが革命家の彼は、“世界のために志を立て、民衆のために命を懸け”との信念に生きた。生涯、苦悩する庶民に手を差し伸べ続けた▼いつの時代も歴史を動かすのは「人々のために」との志に生きる人である。広布の歴史もまた、創価の三代会長に連なり、自他共の幸福を目指して、時にはわが身も顧みず、他者に尽くす無名の庶民の献身によって切り開かれてきた▼池田先生は日記につづっている。「青年ハ、革命ノ、闘士タレ。人類ヲ、愛スルガ故ニ、苦難モ、怒濤モ、如何ニセン」。誰が何と言おうと、自分は広布に生き抜く――そう言い切る信念こそが、崇高な人生を築き上げていく。(芯)

◆寸鉄

  「体曲れば影ななめなり」
 御書。何事も祈りから。
 深き信心こそ勝利の土台
      ◇
 青年部体験談集が好評。
 一つの真実は百万言にも
 勝る。自らも体験を語れ
      ◇
 恩を与える喜びは常に受
 ける側を上回る―作家。
 広布一筋の多宝会は模範
      ◇
 携帯は暗証番号等で画面
 ロックを。盗難・紛失対策
 の基本。情報漏洩を防げ
      ◇
 世界で10億の子供が暴力
 被害。断ち切る思潮更に。
 暴力は次の暴力生むゆえ

◆社説  あす、大聖人御聖誕の日   民衆を“希望の陽光”で照らす

 
あす2月16日は「日蓮大聖人御聖誕の日」。貞応元年(1222年)に、安房国(現在の千葉県南部)でお生まれになって796年になる。
 「日蓮今生には貧窮下賤の者と生れ旃陀羅が家より出たり」(御書958ページ)と仰せのように、出自は貧しい最下層の庶民であられた。
 災害や天変地異を理由に、2、3年ごとに改元があるなど、不安が渦巻く時代に生まれ育つ中で、大聖人のお心に“民衆救済”の願いが膨らんでいったことは想像に難くない。
 12歳で「日本第一の智者となし給へ」(同1292ページ)との誓いを立てられた大聖人は、生死の苦しみを乗り越える仏法の智慧を求めて、一切経を研さんされ、その真髄を究められた。その帰結として、法華経こそが最も勝れた経典であり、法華経の肝要である「南無妙法蓮華経」こそ、万人の成仏を可能にする大法であると宣言された。
 そして、「二辺の中には・いうべし」(同200ページ)――法華経に照らして、正法を誹謗する勢力からの迫害に遭うことも覚悟された上で、妙法弘通を開始されたのである。
 大聖人の忍難弘通の御精神を継承し、数々の大難を勝ち越えたのが創価の三代会長であることは論をまたない。そして、この闘争に連なっていることこそ、私たちの無上の誉れである。
 先月に発表された「SGIの日」記念提言で、池田先生は、「仏法には、苦難を抱えながらも、人々のために行動する一人一人の存在こそ、尊厳の光で社会を照らし出す当体に他ならないとの思想が脈打っているのです」と記された。
 この仏法の精神は、大聖人が、立宗時に名乗られた「日蓮」という名前に込められた意義にも重なるといえまいか。
 法華経では、上行菩薩は衆生の闇(迷いと不幸の根源)を照らす「日月」であると説かれる。また、「蓮」は泥沼から美しい花を咲かせることから、煩悩で汚れた現実世界での行動を指している。
 これらを踏まえ、大聖人は、御自身が末法の闇を照らす上行菩薩という御自覚の上から、「日蓮」と名乗られたのだ。
 私たちも自身の課題を抱えながら、自他共の幸福のために挑戦の日々を送っている。だからこそ、苦悩に沈む人に寄り添い、混迷する社会で“希望の陽光”として一段と輝きを増していけるのだ。末法の御本仏である大聖人の御聖誕の日を節目に、この尊き道を歩む誓願を新たにしたい。

◆きょうの発心   “常勝関西”の使命に生き抜く 2018年2月15日


御文 あひかまへて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給へ、何事か成就せざるべき
 (経王殿御返事、1124ページ・編569ページ)
通解 心して信心を奮い起こし、この御本尊に祈念していきなさい。何事か成就しないことがあろうか。

 御本尊を信じ唱題し抜いた人は、必ず願いを成就できると教えられています。幼少期、祖母からこの御文を教わり、宿命に押しつぶされそうな心に一筋の希望の光が差しました。
 地域の同志にも支えられ、創価女子学園(当時)に2期生として入学。一人の女子高生にも渾身の激励を重ねてくださる創立者・池田先生の姿に触れ、“生涯、師と共に生きよう”と誓いました。
 1982年(昭和57年)、大阪・長居陸上競技場で行われた「第1回関西青年平和文化祭」で先生の指導を聞き、“常勝関西”の使命を自覚。限界突破の祈りで弘教を実らせました。青春時代の戦いが今の私の基盤となっています。
 結婚を機に奈良へ。夫は急性心筋梗塞なども患いましたが、友の励ましと真剣な唱題で乗り越え、今では広布の最前線を駆けています。子どもたちを創価の学びやへ送り出し、4人全員が後継の道を歩めることに感謝は尽きません。
 昨年末、奈良国際友好会館がリニューアルオープン。大きな喜びを胸に大勝利で迎えた関西総会から勢いを増して、師恩に報いる拡大に挑戦してまいります。
  奈良国際県婦人部長 安村智子


◆小説『新・人間革命』第30巻 勝ち鬨の章 五十七 2018年2月15日 (6298)

 山本伸一は、確信のこもった声で言った。
 「広宣流布に生き、弘教に励むならば、経文、御書に照らして、難が競い起こることは間違いない。これまでに私たちが受けてきた難も、すべて法華経の信心をしたがゆえに起こったものです。
 しかし、『開目抄』に説かれているように難即成仏です。広宣流布に戦い、難を呼び起こし、それをバネに偉大なる人生へ、無上の幸福へと大飛躍していく力が信心なんです。
 また、万策尽きて、生活や人生で敗れるようなことがあったとしても、私たちには御本尊がある。信心さえ破られなければ、必ず最後は勝ちます。いや、すべての労苦を、その後の人生に、財産として生かしていけます。
 安穏な人生が、必ずしも幸福とは言い切れません。また、難があるから不幸なのではない。要は、何があっても負けない、強い自己自身をつくることができれば、悠々と、あたかも波乗りを楽しむように、試練の荒波も乗り越えていくことができる。そのための信心であり、仏道修行なんです。
 ゆえに、いかなる大難があろうが、感傷的になるのではなく、明るく、朗らかに、信念の人生を生き抜いていただきたい。
 熊本といえば、『田原坂』の歌が有名ですが、人生には、いろいろな坂がある。広宣流布の道にも、“越すにこされぬ”険路がある。しかし、広布の使命に生きる私たちは、その宿命的な坂を、一つ一つ、なんとしても乗り越えていかねばならない。その戦いが人生であり、信心です。小さな坂で、へこたれては、絶対になりません。
 『田原坂』の歌には、『右手に血刀 左手に手綱 馬上ゆたかな 美少年』とある。
 私たちは、『右手に慈悲 左手に生命の大哲学』を持つ、凜々しき後継の青年部に、次代の一切を託してまいりたい」
 そして、結びに、「城南並びに天草の同志が、ますますの精進と団結とをもって、福運と栄光の人生を歩まれんことを、心よりお祈り申し上げたい」と述べ、あいさつとした。   

【聖教ニュース】

◆民音タンゴ・シリーズ「巨匠(マエストロ)の魂」東京公演  33カ国の大使館関係者が鑑賞

 ドラマチック・タンゴ「巨匠の魂」の東京公演。情熱あふれる演奏・歌・ダンスの三要素が凝縮した華麗なステージが聴衆を魅了した(中野サンプラザホールで)
ドラマチック・タンゴ「巨匠の魂」の東京公演。情熱あふれる演奏・歌・ダンスの三要素が凝縮した華麗なステージが聴衆を魅了した(中野サンプラザホールで)

 第49回となる民音タンゴ・シリーズ「ドラマチック・タンゴ『巨匠の魂』」の東京公演が14日、中野サンプラザホールで行われ、33カ国の大使・大使館関係者が訪れた。同公演では、先月16日に民音創立者・池田大作先生に贈られた献呈曲「インテグラシオン」「ナイカン」が披露された。その模様とともに、今回来日した楽団のリーダーであるファビオ・ハーゲル氏の声を紹介する(別掲)。
 静寂に包まれた薄暗い場内が、一瞬にしてタンゴの世界に引き込まれる。
 開幕を告げたのは、タンゴの名曲「エピコ」と、民音創立者への献呈曲「ナイカン」。
 今世紀を代表するバンドネオン奏者と称されるファビオ・ハーゲル氏をはじめ、一流のアーティストによる迫力の演奏に、早くも場内の歓喜のボルテージは最高潮に達した。
 ステージを彩るピアノの響きと、バンドネオンが刻むリズム。それに寄り添い、4丁の弦楽器の旋律が躍るように絡み合う。
 そこに、コンスタンサ&ガスパル、アゴスティーナ&アクセル、ルシア&ニコラス、ロシオ&ヘルマンの4組のダンサーの情熱的な舞と、歌手のフェルナンド・ロダス氏の哀愁漂う歌声――場内の至る所から感嘆の声がもれた。
 オスバルド・プグリエーセ氏や、マリアーノ・モーレス氏といったアルゼンチン・タンゴ界を代表する巨匠の十八番の楽曲が次々と演奏される中、終盤に差し掛かり、ハーゲル氏がマイクを取り、次なる1曲を説明した。
 「インテグラシオン」――スペイン語で“結合”“融合”を意味する。文化を通して世界を結ぶ民音創立者の闘争への敬意を表した作品である。
 バイオリン1丁の音色から、一つ、二つと次第に楽器が加わり、より多彩なメロディーが響き合う……。
 演奏が終わるや、聴衆からは万雷の拍手が送られた。

●文化の力で人々結ぶステージに
今回来日した楽団リーダー ファビオ・ハーゲル氏

 私が「民音タンゴ・シリーズ」に初めて参加したのは1993年、24歳の時のことです。フアン・ダリエンソ楽団の一員として演奏しました。
 以来、今回の来日も含め、このシリーズで200を超えるステージに出演させていただきました。その中で、毎回、ある驚きと喜びを感じています。
 それは全国ツアーの回を重ねる度、ステージで披露する曲が、タンゴの定番曲から、より玄人好みの革新的な曲へと選曲されていったことです。これは、日本の聴衆の皆さんが、より深くアルゼンチン・タンゴを理解してくださっている証左にほかならないと思います。
 今回でタンゴ・シリーズは49回。民音の多大なるタンゴ振興への尽力あってこその、現在の発展であると、感謝は尽きません。
 私は来日に際し、小説『新・人間革命』を読み、民音創立者・池田博士に二つの献呈曲「インテグラシオン」「ナイカン」を作曲してきました。
 師匠である戸田城聖氏の遺志を継ぎ、一人の人間に備わる無限の可能性を示してきた博士の闘争や、文化の力で世界を結んできた博士の偉大な生涯を聴衆に伝えたい。その思いで舞台に立っています。 

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈地域を歩く〉 北海道 千歳市  青年の心輝かせて


 千歳・支笏湖氷濤まつり。色とりどりにライトアップしたオブジェが観光客を魅了する(先月31日、千歳市内で)
千歳・支笏湖氷濤まつり。色とりどりにライトアップしたオブジェが観光客を魅了する(先月31日、千歳市内で)
 北海道の空の玄関口・新千歳空港や、支笏湖を擁する千歳市は、古来、太平洋側と日本海側を結ぶ内陸交通の要衝として発展してきた。道央の主要都市となった現在、人口の増加を維持し、平均年齢が道内で最も若い、未来性に富んだ都市となっている。
 一方、人口の移動も活発で、毎年、市民の6~7%、15人に1人が転入・転出する。
 同市で青年の心を燃やして活動する千歳県(伊藤康文県長、白石明子婦人部長)のメンバーは、どう地域に根差し、貢献してきたのか。その象徴ともいうべきイベントが開催されると聞き、先月末、同市を訪問した。
                     ◇ 
 市の中心から、車で約30分――湖畔には、「支笏湖ブルー」と呼ばれる青色をした大小さまざまなオブジェが並んでいた。今年で第40回を迎えた「千歳・支笏湖氷濤まつり」(~18日)である。
 環境省による水質測定の結果、湖沼部門で「10年連続日本一」に輝いた支笏湖。オブジェは、その湖水を、スプリンクラーを使って吹き付け、凍らせたものである。夜には、ライトアップされて色とりどりに輝き、周囲を、幻想的な雰囲気に変える。
 観光客でにぎわう支笏湖ビジターセンターで働く木田橋幸子さん(副白ゆり長)は語った。「明るいあいさつを心掛けています。添乗員さんに『いつも笑顔で接してくれてホッとします』と言われてうれしかった」
 この木田橋さんの父親こそ、「氷濤まつり」に第1回から関わった千葉信一さん(副支部長)である。
  千葉さんが、共に千歳広布を進めてきた髙橋澄子さん(支部副婦人部長)の自宅を訪問していると聞いて、現地に向かった。
 千歳広布の第一歩は、池田先生が初来道(1954年〈昭和29年〉8月10日)の折、千歳飛行場(当時)に降り立ったところから始まる。
 その時、支笏湖にも足を運んだ先生。雄大な自然の中で生き抜く苦労に耳を傾けるとともに、挑戦の中にこそ真の人生の勝利があり、その勇気を湧き出させる根源が信心だ、と励ましを送った。
 千葉さんの入会は22歳の時である。以来、55年余にわたり、池田先生の心を胸に、商工会の会長など、愛する地域のためにできることは何でもやってきた。「最初の頃は創価学会といっても、村八分だったから、地域の役を受けても、いりいろ言われたよ」
 「氷濤まつり」は、観光客がまばらになる冬季に、支笏湖を元気にしようと、地元の有志と力を合わせて企画した。当初は何をしていいか分からず、北見や層雲峡、根室のイベントを見学することから始めた。
 千葉さんは、16年間にわたって発展の礎を築き上げ、90年代半ばには、後進に道を譲った。今や毎年の「氷濤まつり」には、国内外から約26万人ものひとびとが足を運ぶ。
 現在も、老人クラブの会長を務める千葉さん。「皆と一緒に肩を組んで目標に向かって挑戦していくことが大事ですね」
 高橋さんが、親しみを込めて「信ちゃん」と呼ぶ千葉さんに言った。
 「誰でも、大変な時もあるけど、幸せになるには、やっぱり信心から離れないことよpね」

 千歳県の友の、地域貢献の形はさまざまだ。
 千歳市には、第2次世界大戦後、食糧の増産や就業先の確保を目的に、国策で開拓事業が行われた歴史がある。
 久保田さん(副圏長)の両親は、その”開拓民1世”だ。親が開拓した土地を受け継いだ当初は酪農を手掛けてきた。
 忘れられない人生の原点がある。
 椎茸栽培に転換し、苦労を重ねていた1980年(昭和55年)、東京に行き、ピアノを弾いて同志を激励する池田先生の姿に触れたことだ。
 ”どんな時も先生は変わらない”――以来、久保田さんは、自らも不動の人生を貫こうと、妻・雅代さん(婦人部副本部長)と共に、栽培技術を研究するなど挑戦を続けた。その結果、全道の品評会で第2位に輝いた。
 98年(平成10年)頃、都市計画の変更を機に離農した久保田さん。現在は、不動産管理の仕事をしながら、町内会の福祉部長などを務める。
 一方、坂田正夫さん(副支部長)は、両親から継いだ開拓の土地を、家庭菜園として貸し出している。
 個人経営の貸し菜園はめずらしく、地域で愛され続けてきた。
 原動力は”広布のために”との思い。現在、妻・康子さん(婦人部副本部長)と共に、17軒に本紙の購読を推進する。
 久保田さん、坂田さんの両夫妻の胸には、信心の実証を示すとの情熱が燃えていた。

 地域に根差し、貢献する生き方は、青年たちにも伝わっている。
 市内の自動車整備工場に勤める小澤勇一さん(男子地区副リーダー)。中学3年生の時、不登校になった。変わるきっかけは、男子部の先輩が手渡した池田先生の「青年抄」だった。
 「人生は自分次第である」「自分が道を切り開くのだ」
そうだ。環境が幸・不幸を決めるのではない!
――そこから題目根本に挑戦の人生が始まった。
 工場の取締役でもある深川豊さん(圏長)は振り返る。「私も男子部の激励で、今の彼と同じ19歳で発心したんだ。加えて自分も親になり、その苦労を思うと、私と彼が二重写しにもなったね」
 周囲の学会員の励ましを支えに、小澤さんは現在、通信制の高校に通いながら働いている。
 先日、小澤さんが励まし続けてきた地区の2人が男子部大学校1期生として出発を切った。
 「お世話になった地域の人たちに、必ず恩返しする人生を歩みたい」と小澤さんは前を向いた。

 写真現像・プリント店の店長を務める松本伸子さん(県女子部主任部長)。2016年4月の売り上げ前年比が道内で第1位に、全国でも第3位に輝いた。
 また、昨年の既製はがきの売り上げへの貢献から社長表彰を受けた。
 20歳の時に父親を胃がんで亡くして以来、4にんきょうだいの長女として家計を支えてきた。
 心が折れそうな時、女子部の先輩の励ましが、”このままではいけない”と常に御本尊の前に向かわせてくれた。
 「学会家族の皆さんのおかげで、私も周囲を真剣に祈れるようになりました」――松本さんは、”楽しいところに、人は集まる”との池田先生の指針をモットーに、きょうも店頭に立っている。
                          ◇
 取材の最後、千歳広布の歴史を聞いた。
 2月は、千歳県の友にとって大事な月だ。96年2月8日、池田先生は3首の和歌を詠み贈った。
 「大雪の/道を堂々/歩み来る/仏のごとき/尊き君かな」
 「ひたすらに/また ひたすらに/祈るらむ/仏の使いの/尊きあなたを」
 「千歳城/何と偉大な/名前かな/あなたも生き抜け/千歳までもと」

 広布後継の春3月へ、「従藍而青」の決意で進む千歳県の創価家族。大雪の中、地域のため、友のために心を尽くす姿に、多くの青年が続いていくに違いない。
◆池田先生の「私の釈尊観」ロシア語版に反響の声 「仏教の人間主義を世界に発信」

 
ロシア語版『私の釈尊観』

 仏教の創始者である釈尊。その生涯の軌跡をたどりつつ、“人間・釈尊”の実像に迫ったのが池田先生の著作『私の釈尊観』である。これまで英語、中国語、ギリシャ語、セルビア語等で出版され、米ハーバード大学では講義教材として使用されてきた。このほど、ロシア語版(サンクトペテルブルク東洋学出版センター刊)を読んだウクライナとキルギスの識者から感想が寄せられた。その内容を抜粋して紹介する。

キエフ国立貿易経済大学 アナトーリー・マザラキ総長
 著者である池田大作氏は哲学者、人道主義者としてよく知られており、私たちの人生の根幹に関わる重要な問題についての深い思索を、世界に向けて発信している。
 『私の釈尊観』では、釈尊の生涯が、その思想のダイナミックな形成過程とともにつづられている。そこでは人種、社会的階層、性別、年齢に関係なく、あらゆる人間の中に無限のエネルギーの源泉があることを教えている。
 釈尊は人間の存在に関わる重要な問題を提起し、安穏な生活を捨て、真実を求める旅路に出る。そして、「人々を苦しみから救うにはどうしたらよいか」という問いへの答えを求め、長い思索を経て、生命の偉大な法則を覚知するに至る。
 深遠かつ思弁的な思索、豊かな思想性や世界観によって、その哲学思想は深化し、発展を遂げたのである。
 池田氏の深遠な哲学に基づく極めて人間主義的な世界観に、心からの敬意を表したい。
キルギス・ロシア・スラブ大学 ウラジーミル・ニファディエフ総長/アマンゲルディ・ベクバラエフ教授
 一、本書が、読者を強く引き付け、敬意の念を抱かせる理由は、三つある。
 第一に、古くからある世界宗教の一つであり、多くの人が信仰する仏教の本質や主な特質が述べられていることである。
 第二に、釈尊という仏教の創始者について語られていることである。
 第三に、その著者が、世界的に著名な仏教思想家、哲学者であり、作家、芸術家、教育者である池田大作という偉大な人物だからである。
 池田氏は、キルギス・ロシア・スラブ大学の名誉博士でもあり、本学の代表として、そのことを誇りに思う。
 一、仏教では、キリスト教やイスラムでいう絶対神の存在を説いていないことが大変興味深い。
 仏教では、神とは何か、いかに神は世界を創造したのか、神が及ぼす力とは何かなどは大きな問題ではない。
 それよりも、まずは神、仏を自分の中に求める必要があるのであり、優れた智慧によって自身の無明、無知を打ち破ることができ、仏界を湧現することができるのだと教えている。
 私たちは一神教の立場から仏教の教えを理解した。仏教には創造主としての超越した神の存在がないという事実が、私たちにとって新鮮であり、また大変興味深いことであった。
 というよりもむしろ、仏教にも神は存在している。しかし、それは一人一人の中に存在しているのだ。人は、自分の考えや振る舞いを顧みながら、自分自身と向き合って“神の境地”に達することができる。
 イエス・キリストやムハンマドが人類を代表する優れた預言者として神を代弁する使者だとすれば、釈尊という賢人は、自分自身の中に神を求め、絶対的な真理を追求する存在である。
 その追求のプロセスこそが、これまで存在し、これからも存在する永遠の生命の法の実践なのである。
 それと同時に、仏教の教えにあるように、私たちは皆、絶対的真理の体現者となることができるのであり、真理を悟ることは、人生の最高の価値である。
 一、世界宗教の創始者である釈尊は、由緒ある王族の釈迦族の出身でこそあれ、普通の人間であったという事実は、特筆すべきことである。
 恵まれた生活を捨て、釈尊は、当時の古代インドでは数多くいた、ごく普通の出家者になった。
 魔の誘惑と戦い、釈尊は悟りを開いた。釈尊は、この悟りのもと、衆生の教化を積極的に行った。
 王であろうと貧しい人であろうと、さまざまな階層の人々を等しく見る仏教の平等精神は、注目すべきものである。
 「生れによって賤しい人となるのではない。生れによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる」(中村元訳『ブッダのことば――スッタニパータ』岩波文庫)という釈尊の言葉を通し、池田氏は「この主張は、結局、真の人間の価値を決めるのは、その人の歩んだ人生そのものである」と論じている。
 一、『私の釈尊観』は、仏教哲学の分野に間違いなく大きな貢献をしている。
 まず池田氏は、仏教の起源を「人類愛に満ちた」宗教として説明している。
 本書の序文には「釈尊の教えはまた、当時のインドに君臨していたバラモン教の聖職者たちへの果敢なる批判であった。腐敗堕落したバラモンの硬直化した権威主義を打ち破り、すべての民衆に開かれた宗教を目指そうとしたところに仏教は生まれた」とある。
 また、仏教の教えは親しみやすく、分かりやすく、合理的で、かつ人類愛に貫かれていること、さらにその教えの中心には、日々の忙事や苦しみやつらさ、そして希望など、さまざまな思いを抱えた人間そのものが据えられていることが、明確に示されている。
 さらに、仏教は、他の宗教に見られるように私たちの死後の価値を説くだけではなく、今世、つまり一人一人の現実の人生の価値を説くことが明らかにされている。
 一、本書は、仏教哲学界のみならず、普遍的な哲学としても大きな価値を持っている。なぜなら人間の社会生活は、私たちの中にある最良の資質を開花させるために営まれるべきであることを教えているからだ。
 より良い人間性に根差した振る舞いをする人々を生み出すことこそが、豊かな社会を築く道である。
 本書を手にすることによって、読者は、生命の尊厳と、一人一人に無限の可能性が備わっていることを説く人間主義の思想――仏教への造詣を深めることができるだろう。

◆〈座談会 師弟誓願の大行進〉19 農漁光部に最大の感謝と最敬礼を 一番苦労した人が一番幸福に 好評の「体験主張大会」を今年も


〈出席者〉
原田会長
落合農漁光部長
奥谷農漁光部女性部長
竹岡青年部長
伊藤女子部長

友人同士で、声を掛け合って参加する地域もあるほど、定着している農漁村ルネサンス体験主張大会(昨年)

友人同士で、声を掛け合って参加する地域もあるほど、定着している農漁村ルネサンス体験主張大会(昨年)

 竹岡 本年から「創価新報」では、「動画」の配信がスタートしました。

 奥谷 青年部の機関紙らしい取り組みですね。「映像」には、文字や写真だけでは伝わりにくいことを伝える、分かりやすさとインパクトがあります。

 原田 早速、大きな反響が寄せられています。最新号(2月7日付)では、「3・16」60周年の「世界青年部総会」のための紙面が企画されています。広布後継の青年たちが集う、大事な総会が大成功するよう、壮年・婦人部も、しっかりと応援していきたい。

 伊藤 動画には、60年前の「3・16」の式典の模様が描かれた小説『人間革命』第12巻「後継」の章についての、池田主任副会長へのインタビューが収録されています。

 竹岡 創価新報1面に掲載されている「QRコード」を読み取っていただくと、映像が閲覧できます。会合や懇談などでも、視聴いただければと思います。

「食」は一切の土台

 伊藤 本年は、農漁光部の結成から45周年の佳節を迎えますね。

 原田 「農漁光部の日」の淵源である1977年(昭和52年)2月17日、池田先生は訴えられました。「私たちが、“断じて、国土の宿命を転換するのだ!”と、決然と立ち上がり、地涌の菩薩の底力を発揮していくならば、三世十方の仏菩薩にも勝る力が涌現します」と。農漁光部の皆さまは、この通りに、幾多の試練を勝ち越えてこられました。

 落合 今、農漁業を取り巻く環境も大きく変化しています。特に近年は、ユネスコの無形文化遺産に登録された「和食」が世界的ブームとなり、日本の農林水産物の輸出額は、5年連続で過去最高を更新し、8000億円を超えています。

 奥谷 一方、少子化による後継者不足など課題もあります。AI(人工知能)やIoT(モノのインターネット)が、効率化などの面で農漁業を画期的に変え始めてもいます。私たちはスローガンに「希望の新時代は我らの農漁村から!」と掲げていますが、その意義は大きいと実感します。

 原田 先生は言われています。「全ての民衆が平和と幸福を享受するには、『食』を生産する農漁業が一切の土台となります。私たちの生命の営みは、『食』を生産する方々の尊き尽力によってこそ成り立っているからです。この一点において、農漁村にこそ、最大の感謝と最敬礼が捧げられるべきであります。これが、正しき『人間の道』であり、『生命の道』です」

 伊藤 「食には三の徳あり、一には命をつぎ・二にはいろをまし・三には力をそう」(御書1598ページ)との御聖訓を通し、「生命を維持」「健康を増す」「心身の力を盛ん」にする「食」は、まさに「命」であるとも言われています。

 落合 社会の未来、農漁業の行く末を俯瞰した先生の哲学に今、多くの方から共感と称賛の声が寄せられています。農漁光部は、これからも、それぞれの使命の舞台で、創価の旗を堂々と掲げていく決意です。

仏法の偉大さ証明
 竹岡 その中、大きな期待を集めているのが、毎年開かれる「農漁村ルネサンス体験主張大会」ですね。

 落合 参加を楽しみにしている方も大勢います。本年は初めて、沖縄の方も登壇する予定です。2月24日から4月30日まで、「SOKAチャンネルVOD」が利用できる会館等(モバイルSTBは除く)で視聴可能です。来賓や友人を招きながら、各地で開催していただければと思います。

 奥谷 「ヒューマン体験プラザ」としても放映されますので、ぜひ、“仏法セミナー”としても活用してください。昨年は、栃木の102歳の副白ゆり長の方が、83歳の友人を主張大会の放映に誘い、人生初の弘教を実らせることができたとの報告もありました。

 落合 岩手では、「私は、この主張大会に参加し、入会することを改めて決めました。体験を聞き、信心をして題目をあげることにより、祈りがかない、自分の心が磨かれることに感動したからです」と語っていた方もいました。

 奥谷 特に昨年は、千葉女子部の“農ガール”をはじめ、登壇した4人のうち3人が女性であったことも、反響を呼びました。

 原田 農漁光部では、これ以外にも、町や村の単位で「体験主張大会」を開催していますね。信仰の力を生き生きと語る姿に、多くの人が感動し、地域における学会への認識を一変させる集いにもなっています。

 落合 これまで、ルネサンス体験主張大会には、約70人の方が登壇してくださいました。その多くの方が、発表後も数々の実証を示しています。たとえば、昨年、体験を発表した兵庫の稲作農家の井上芳子さんは、51人の友人と、放映に参加しました。

 奥谷 その中で、「近い将来、わが家の“日本一の山田錦”で“日本一のお酒”を造りたいと思います」と語る井上さんの姿に感動した友人から提案があり、早速、日本酒造りがスタートしたそうなんです。さらに、体験に感銘を受けた地域の有力者から懇願され、大勢の前で講演を行うことにもなりました。

 原田 「一番、苦労した人が、一番、幸福に」――これが、農漁光部の皆さまへの先生の思いです。その通りに今、一人一人が、地域の「なくてはならない存在」として輝いています。また、各地の農漁村で、創価の青年たちも活躍しています。先生は常に、大雨や台風などの天候不順に見舞われることなく、豊漁、豊作であることを祈念してくださっています。私たちも、農漁光部のますますの健勝と発展を祈っていきましょう。

◆信仰体験 さわやか寸景  離れて暮らす妻 心はそばに


【東京都新宿区】介護施設で暮らす妻の写真が、経机にある。その写真の前に、前田勤さん(84)=戸山凱歌支部、副支部長=は、妻の数珠を置いた。
「一緒に題目あげような」
   3歳年上の妻と結婚した。すらっとしたきれいな人。お見合いの日、このまま帰ると縁が切れると思い、バイクで送ると誘った。腰に腕を回してくれた。エンジン音が響く中、2人の間に沈黙と幸せの時が流れた。
   前田さんは大工だった。妻が編んだセーターを、ジャンパーの下に着て働いた。「けがの前田」と呼ばれるほど、生傷が絶えなかった。足場から落ちて頭を骨折したが、命を取り留めた。妻の祈りに守られた気がした。前田さんが学会活動から帰宅すると、子どもを寝かしつけた妻の静かな唱題が聞こえてきた。
前田さんが唱題する時、いつも妻は後ろに座った。「一緒にやった方が題目あがるもんね」。池田先生のことを、よく語り合いもした。
    73歳で大工をやめた。ようやく2人の時間を持てるようになり、全国の四季を一緒に追いかけた。妻の喜ぶ  横顔がうれしい半面、気になることもあった。「(死んだ)兄さんが来るの」。真夜中、妻は旅先の玄関に立っていた。
   妻が認知症と告げられ、前田さんが慣れない台所に立った。テレビの料理番組をまねた。味がまとまらず、何度も包丁で指を切った。前田さんはご飯をスプーンですくい、食べこぼす妻の口元に運んだ。「おいしい」と言ってくれた。胸元についた米粒を、前田さんは自分の口に入れた。
   メモ帳をちぎって、池田先生の言葉を書いた。〈希望がなければ、自分で希望をつくればよい〉。壁に貼ったその言葉を通して、前田さんのまなざしは妻に注がれた。
   4年前、妻は介護施設に入った。「前田勤が来たぞ」と、のぞき込んでも、横になったまま短い鼻歌を歌うだけ。
夢の中なら、冗談を言ってくれるのに。「でもニコニコしてるからそれでいい」。自分でつくった希望に、感傷は似合わない。全てが朗らかな出来事になった。
   前田さんは唱題の時間を2倍にした。妻の分まで祈ると決めたから。今度は自分が妻に題目を送る番。御書を聞かせるように拝読して、写真に呼び掛ける。「じゃあ勤行しような」。暮らしは離れていても、心はそばに。いつも後ろから、妻の唱題が聞こえる気がする。

2018年2月14日 (水)

2018年2月14日(水)の聖教

2018年2月14日(水)の聖教

◆わが友に贈る

"良き友を持つことが
仏道修行のすべて"
学会は善知識の集い。
高め合う同志の存在こそ
成長と向上の原動力だ!

◆名字の言
 

  いつにも増して寒い冬だが、心は熱くなる。そんな集いが今、北海道の各地で開かれている。今年で36年の伝統を誇る「青年主張大会」だ▼本年は約150会場で開催。郷土を愛する地元青年部が、夢への挑戦、仕事の労苦、病との闘い、いじめの克服など、信仰を根本に挑んだ体験を語り、地域貢献への理想や決意を発表する。毎回、友人にも共感が広がっている▼「普通、人間は過去の嫌なこと、つらいことは隠すものです」と、かつて参加した地元企業の組合長が語っていた。「強い人でないと、こういう話はなかなかできない。主張してくれた方々は本当に強い人だと思います。こういう人たちにこそ、社会の力になってほしい」▼信仰の輝きは体験にこそ表れる。こうした青年の体験談を収録した「RUN IT!」(第三文明社)も好評。そこには、池田先生の「生命を完全燃焼させた思い出は、永遠に消えない」との言葉が掲載されている。同書で紹介された女子部員が、苦しい時に励みにした言葉だ▼悩みや葛藤多き青春時代。それらと真正面から向き合い、一歩また一歩と乗り越えゆく等身大の体験には、百万の名言もかなわない。永遠に消えることのない“わが宝のヒストリー”を語りながら、感動と共感の輪を広げたい。(鉄)

◆寸鉄

  創価家族の語らいが弾む
 伝統の座談会。青年の結
 集で壁破り2月を荘厳!
      ◇
 岡山の日。“広布拡大の
 発火点”の誉れ。希望の春
 呼ぶ先駆の対話の大波を
      ◇
 各地で新入会者が続々誕
 生!全員がもれなく幸福
 に。励ましの声絶やさず
      ◇
 人生の今の瞬間を大切に
 ―哲人。リーダーは時を
 逃さぬ真剣さで友の元へ
      ◇
 子どもはたった1週間で
 依存症に―専門家。賢き
 生活習慣の確立、家庭で

◆社説    多様性が輝く欧州SGI   幸福と平和を目指す精神の結合


 国民投票によってEU(欧州連合)からの離脱を決めたイギリス。今月6~9日、離脱後の激変緩和に備えた移行期間を巡る、EUとの初の事務レベル協議が行われたものの、双方の立場の違いから「暗礁に乗り上げている」などと報じられた。
 一方、欧州委員会は6日、西バルカン地域の6カ国(セルビア、モンテネグロ、アルバニア、マケドニア、コソボ、ボスニア・ヘルツェゴビナ)の早期加盟に向け、支援を強化する新たな方針を公表した。
 EUの加盟国数は現在、28カ国。その発展の原動力となってきたのが「多様性」である。
 EU初代大統領のヘルマン・ファンロンパイ氏はかつて「加盟国は、文学、芸術、言語のいずれも異なる。そして、それぞれの国に多様性がある。多様性は、私たちの財産、発展、力の源である。EUは寛容と尊厳の模範であり、また、そうでなければならない」と述べた。多様性から豊かな未来を生み出す、精神的基盤も重要になろう。
 先月、欧州SGIでは、新時代第5回「欧州広布サミット」がドイツ・フランクフルト池田平和文化会館で開かれた。
 会館の一室。そこには、33もの国からの参加者の氏名が張り出され、無事故を祈る題目の声が、ひっきりなしに響く。
 これほど多彩な国の人々が差異を超え、心を通わすことが、いかに難しいか。サミットの意義が、いかに大きいか。それを感じずにはいられなかった。
 同サミットの淵源は、池田先生の提案によって13カ国で発足した「ヨーロッパ会議」だ。
 小説『新・人間革命』第17巻「民衆城」の章には、統合化が進みつつあった欧州の当時の状況を踏まえ、会議設立の意義が次のようにつづられている。
 「人類の幸福と平和をめざす精神の結合ともいうべき『ヨーロッパ会議』の設立は、次元は異なるものの、時代を先取りする価値ある第一歩であった」
 その言葉通り、欧州の火薬庫と呼ばれたバルカン半島や、南欧の小さな島々でも今、青年を先頭に、御書や、池田先生の平和思想を学ぶSGIの運動が広がりを見せている。
 他の大陸に先駆け、政治・経済統合体となったEU。そこから、いかに共生社会を築いていけるか――。未来への試金石ともいえるだろう。
 私たちはEUの今後を見守りつつ、理想に向かって進む欧州各国のSGIのメンバーと同じく、足元であるわが地域から生命尊厳の哲学を語り広げたい。

◆きょうの発心   報恩を胸に拡大の歴史を!2018年2月14日


御文
 仏法を学せん人・知恩報恩なかるべしや、仏弟子は必ず四恩をしって知恩報恩をいたすべし(開目抄、192ページ・編419ページ)
通解 仏法を修学する人は、知恩報恩がなくてはならない。仏弟子は必ず四恩を知って知恩報恩するべきである。

 恩を知り、恩を報ずることこそ仏法の根幹であり、真髄であるとの御文です。1982年(昭和57年)、高等部員だった私は、「第1回関西青年平和文化祭」に出演。数カ月間、京都から大阪へ練習に通う中、学業にも挑戦し抜いて池田先生をお迎えできた喜びは、生涯忘れることができません。“師匠は健在なり!”と、満天下に示した6段円塔が立った瞬間、待機場所で成功を祈っていた私は感激で胸が震えました。
 未来部での感動と誓いを胸に、学生部時代は関西の地で信心の原点を刻み、88年に就職を機に千葉へ移り住みました。
 青年部時代から今日まで、仕事と学会活動の両立や自身の原因不明の病、母子共に命の危険に及ぶ長男の出産など、困難に見舞われました。そのたびに、多くの同志の祈り、何より先生との数々の出会いと励ましに奮起して乗り越えることができました。
 偉大な師匠と素晴らしき同志、家族の支えのおかげで使命の人生を歩むことができ、感謝の念に堪えません。報恩の決意も固く、第3総千葉の皆さまと広布拡大の歴史を築いてまいります。
 第3総千葉長 西中日出城

◆小説『新・人間革命』第30巻 勝ち鬨の章 五十六 2018年2月14日 (6297)



 自由勤行会は、希望みなぎる新しき旅立ちの集いとなった。地元・熊本の県長をはじめ、県幹部らのあいさつに続いて、地域広布への誓いを込めた、「天草宣言」「城南宣言」が、それぞれ採択された。
 「天草宣言」では、こう述べられていた。
 「天草の地は、歴史的に不幸な、あまりにも不幸な地であった。しかし、今我らは、日蓮大聖人の大仏法を根本として、楽土天草の建設に努力しあうことを誓う」
 「我ら“妙法の天草四郎”は、生涯青春の信心をもって、生き生きと、広宣流布の模範の地としゆくことを、ここに誓う」
 このあと、各県長らが登壇した。鹿児島県長は、明年中には鹿児島文化会館が完成の予定であることを報告し、佐賀県長は、明春、二万人の県友好総会を開催することを発表。長崎県長は、明春、諫早文化会館が完成の運びであることを紹介した。
 参加者の喜びのなか、マイクに向かった山本伸一は、熊本訪問に先立ち、十三年半ぶりに大分を訪れたことを述べ、西南戦争での大分・中津隊の戦いについて語っていった。
 「一八七七年(明治十年)、西郷隆盛の軍と政府軍は、田原坂で激戦を展開し、西郷軍は敗退してしまう。一方、大分の中津では、増田宋太郎と共に数十人が義勇軍として挙兵した。これが中津隊です。
 彼らは、阿蘇で西郷軍と合流し、見事な戦果をあげるが、最後は政府軍に敗れ、命を散らしてしまう。勇壮な戦いであったが、あまりにも悲惨です。
 広宣流布の前進にあっては、一人たりとも犠牲者を出してはならないというのが、私の決意であり、信条です。また、戦争で最も苦しむのは民衆であり、民衆は、常に苦渋を強いられてきた。それを幸せと希望の歩みへと転換していくのが、日蓮大聖人の御精神であり、創価学会の運動の原点でもあります」
 ――「君の無骨な手がふるえ 素朴な顔に輝きわたる生の歓喜を この地上に獲得するまで戦う」とは、彼の詩「民衆」の一節である。   

【先生のメッセージ】

◆〈御書と歩むⅡ――池田先生が贈る指針〉7   尊き農漁光部の友に感謝


御文 『人に食を施すに三の功徳あり・一には命をつぎ・二には色をまし・三には力を授く』
(妙密上人御消息、1237ページ)
通解 人に食物を施すのに三つの功徳がある。一つには生命を継ぎ、二つには色つやを増し、
三つには力を与えることである。

同志への指針
 御本仏のお心に照らせば、「食」は「命」であり、食を支え命を守りゆく人は、最大の感謝と福徳に包まれる。
 わが漁光部の友の奮闘が、どれほど尊く偉大であるか。不撓不屈の皆さま方の労作業こそ、生命を育み、未来を開く聖業なのだ。
 どうか、健康第一で!使命の天地で、いやまして信頼と希望の光を広げゆかれんことを!

【聖教ニュース】

◆3月の本部幹部会が北海道総会に   広布拡大の上げ潮は三代城の天地から
青年を先頭に新たな共戦の歴史を

 

昨年4月に開催された北海道の「三代城創価青年大会」(札幌市の真駒内セキスイハイムアイスアリーナで)。青年を先頭に、新たな師弟共戦の歴史を築く

 後継の月・3月の本部幹部会が「北海道総会」の意義を込め、三代会長有縁の天地「三代城」北海道で開催されることが決定した。
 総会当日は、北海道各地の会場に同時中継される。さらに、来日するSGI(創価学会インタナショナル)メンバーとの交流交歓会が盛大に行われる。
 本年は、1973年(昭和48年)に池田先生が「広宣流布は北海道から」「学会健児の手で、必ず世界一の理想郷に」との永遠の指針を発表して45周年を迎える。今回の総会は北海道の同志にとって、2023年の指針発表50周年を目指した“黄金の5年”の号砲を鳴らす集いとなる。
 さらに、戸田先生が戦後、故郷・厚田村を初めて訪れた1953年(同28年)から65周年。78年(同53年)に誕生した方面歌「ああ共戦の歌」が、2008年に池田先生の加筆により「三代城の歌」として生まれ変わって10周年と、北海道にとって幾重にも重要な節を刻む。
 小説『新・人間革命』の中で、50年前の1968年(同43年)9月に稚内を訪れた山本伸一は、航海の指標である北斗七星を見つめ、思いをつづった。「北海道は、この北斗七星のように、広宣流布の永遠なる希望の指標であらねばならぬ」
 日下北海道長、小松同婦人部長は誓う。
 「師匠が託した広布の大理想を、弟子がどこまで前進させられるのか。全国、全世界の広布の“指標”となるべく、青年を先頭に、広布拡大の上げ潮を三代城の天地から起こしていきます!」 

◆SGIの新たな英文情報サイト 核兵器廃絶運動など紹介 

 SGIの核兵器廃絶運動などに関する、英文情報発信サイト(写真=https://peoplesdecade2.wixsite.com/nuclear-abolition)が、このほど開設された。
 本年1月に発表された「SGIの日」記念提言で池田先生が、核兵器禁止条約の早期発効と普遍化の促進を目指し、“本年から「核兵器廃絶への民衆行動の10年」の第2期を”と表明したことを踏まえたもの。昨年の条約採択を受け、核兵器の問題に関する取り組みの情報をより広範囲に即時性をもって発信するべく、スマートフォンなどの携帯端末にも対応している。
 サイトのトップページでは、SGIによる核兵器廃絶運動に関連するニュース記事等を掲載しており、「核兵器なき世界への連帯」展や被爆証言集、核兵器禁止条約を紹介するアニメも見ることができる。
 また、SGIが国連での会議等に寄せた声明や国連に提出した文書、諸宗教者・団体と発表してきた宗教間共同声明などを紹介。2017年のノーベル平和賞受賞団体であるICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)とSGIの関係や歴史についても説明している。 


【特集記事・教学・信仰体験など】

◆スペイン・セルバンテス生誕の地を訪ねて  文豪「固い意志と信念をつねに保持せよ」 
広布の理想へ突き進め

                                                                                                                            「セルバンテス広場」の中央に立つ「セルバンテスの像」。「文学の町」のシンボルになっている


「セルバンテス広場」の中央に立つ「セルバンテスの像」。「文学の町」のシンボルになっている

 1月下旬、世界的な文豪セルバンテス(1547~1616年)生誕の地であるスペインのアルカラ・デ・エナーレス市を訪ねた。
 同市が誇るスペインの名門・アルカラ大学から池田先生への「名誉教育学博士号」の授与式が執り行われたのである(1月25日)。
 授与式会場は同大学の500年の伝統を象徴する壮麗な大講堂。そのたたずまいは歴史的な「文学の町」にふさわしい。
 ここでは、スペイン語圏で最も権威ある文学賞「セルバンテス賞」の授賞式も毎年、開催されている。
 同市は、アルカラ大学の発展と共に栄え、大学都市として発達してきた。そのメインキャンパスと周辺の歴史地区は、1998年にユネスコ(国連教育科学文化機関)の「世界遺産」に登録されている。
 メインキャンパス前に「セルバンテス広場」があり、その中心に「セルバンテスの像」が立っていた。
 広場にはカメラを構えた人があちこちに。観光客が目立ったが、市民らしき人の姿もあった。
 白髪の壮年に「あなたにとってセルバンテスとは」と尋ねてみた。
 「私の人生そのものですよ」。83歳だという。
 「セルバンテスの人生は、挫折あり、挑戦あり、そして笑いあり。私も同じです」
 ――セルバンテスの人生は波瀾万丈だった。
 貧困のため正規の教育を受けられなかったが、少年時代から道に落ちている紙切れでも、字が書かれていれば、手に取って読むほどの読書好きだった。
 その後、文筆活動に当たるが、海賊に襲われて捕虜生活を強いられるなど、困窮と下獄の辛酸をなめた。
 代表作『ドン・キホーテ』(前編)を出版したのは実に58歳の時(1605年)。創作意欲は老境に入ってますます盛んになり、逝去前年の1615年に『ドン・キホーテ』(後編)を世に送り出している。
 同書に「遍歴は人を賢くする」とあるが、幾多の風雪を乗り越えたセルバンテスは、400年の時を経た今なお、世界中で親しまれている(山崎信三ら編『ドン・キホーテ讃歌』行路社などを参照)。
 再び、像を仰ぎ見ながら、文豪の信念は市民の心に息づいていると感じた。
                    ◇ 
 その思いは、アルカラ・デ・エナーレス市内で行われたスペインSGIのグループの集いに参加した折、いっそう、強くなった。
 この日の参加者は十数人。唱題などを終えた後、「何か聞きたいことはありますか」と尋ねられた。率直に、「セルバンテス生誕の地で広布に駆ける思い」を聞いてみた。
 皆が、待っていましたとばかりに、満面の笑みでうなずいた。『ドン・キホーテ』の愛読者ばかりだったのだ。
 『ドン・キホーテ』は、ラ・マンチャに住む郷士ドン・キホーテが騎士道物語を読みふけり、遍歴の旅に出る話である。サンチョ・パンサを従者とし、この世の不正をただし、弱きを助けるために「風車との格闘」をはじめ数々の冒険を介して、現実の壁に衝突する。物語では、欲の深いサンチョが実利と現実主義を、ドン・キホーテが理想主義を体現している。
 集いでは、突然の質問にもかかわらず、すぐさま、意見が飛び交った。
 エステル・モネデロさん(婦人部本部長)は「ドン・キホーテは夢見る騎士です。私たちの広宣流布も、“夢”のように、ロマンあふれる活動ですよね」とほほ笑む。
 アルカラ大学で学ぶガブリエル・ソカッチ・ゲザさん(男子部グループ長)は言う。「ドン・キホーテとサンチョ・パンサは、対照的な二人ですが、行動を共にするうちに分かり合い、触発し合っていきます。僕たちの活動も、異体同心が大切です。作品から学ぶことがありますね」
 婦人部のノエリア・マルティネスさんは「ドン・キホーテの理想主義はラテンに共通する心だと思います。私たちの学会活動も理想が重要です」と。
 画家のテイジ・イシヅカさん(支部長)は語る。「特に風車を敵と思って突き進む場面は有名です。セルバンテスはこの物語を通し、“逆境にくじけない心”を伝えたかったのではないでしょうか」
 セルバンテス生誕の地で、広宣流布の理想に向かって進む友の心には、その精神が脈打っていた。
                   ◇ 
 池田先生も、若き日からセルバンテスの書を愛読してきた。折々の場面で文豪の箴言を紹介しながら、世界の友を鼓舞している。
  
 〈「戦さにかかわる一切の事柄は、ひたすら汗を流し、精根をかたむけ、死力をつくさないでは、しょせん実現はおぼつかない」(『セルバンテス』1、会田由訳、『世界古典文学全集』39所収、筑摩書房)
 いわんや、我らがなさんとするのは、正義と平和の永遠の都を築きゆく、広宣流布という高邁な大闘争だ!〉
  
 〈「お前に起こるあらゆる問題を過つことなく見事に解決するという、固い意志と信念をつねに保持せよということじゃ」(牛島信明訳『ドン・キホーテ 後篇(二)』岩波書店)
 目標に向かって進んでいけば、必ず何か問題は起こってくるだろう。それから逃げないことだ。断じて乗り越えていく――その強き意志を持つことだ〉
                   ◇ 
 セルバンテスは「正義」を象徴する偉人だ。
 スペインSGIの友の誇りもまた、池田先生の励ましを力に、「正義」を貫き通したことである。
 同国SGIの歩みも波瀾万丈だった。第2次宗門事件の折、邪智の退転者が出て、広布破壊の謀略の嵐が吹き荒れた。しかし、「師弟の道」「正義の道」を歩み抜いた友は決して負けなかった。
 池田先生は、その友をこうたたえている。「スペインの真の創価の同志たちの胸には、屈服の二字は微塵もなかった。不屈の闘魂が赤々と燃えていた」
 そして、同国SGIは邪宗門から「魂の独立」を果たした1991年以降、この四半世紀で約60倍の陣容に発展を遂げたのである。
 威風堂々とそびえ立つ「セルバンテスの像」は「正義」に生きる同志の大前進を見守っているようだった。
 (文=佐口博之、写真=笠松光一)

◆世界広布新時代第31回本部幹部会 関西総会から(要旨) 
  あいさつ アメリカSGI オリビア・サイトウ女子部長      社会に生命尊厳の連帯を
 

一、常勝の天地・関西に、アメリカSGIの201人で訪問することができました。
 本日を目指して全員が折伏に挑戦。この1年で、合計577世帯の御本尊流布を達成し、来日することができました(拍手)。
 アメリカは今、3月の世界青年部総会、さらに9月の全米青年大会での「正義の師子・5万人」の結集に向け、各部が団結して戦っています。
 対立や分断、生命軽視の風潮――アメリカは、これまで以上に苦しんでいると日々、感じています。
 一方で、若い世代は希望を求め、社会を良くするために何かをしたいと望んでいます。悩みや困難と向き合える強い自分になるための方法を探しています。
 だからこそ、青年部は一人一人が地涌の誓願を果たす時は「今」と、使命に燃えて仏法を語りに語っています。アメリカでは、昨年も1万人を超える新会員が誕生。5600人もの青年がSGI家族に加わりました(拍手)。
 5万人の結集。それは単なる青年部の集いにとどまりません。
 青年は、池田門下は、「人間の尊厳」を脅かす暴力や抑圧を目の前にして、ただ手をこまねいていることなど断じてない――このことを全米・全世界に示す、正義の連帯の大きな起点になると確信しています。

一、私自身、こうした使命を深く実感した出来事がありました。
 3年前、地元ニューオーリンズでパレードが行われている最中、私がいたすぐ近くで発砲事件が発生し、20代の男性が命を落としたのです。
 残念ながら、アメリカ各地では、こうした事件が後を絶ちません。私は身近で事件が起こったこと、それ以上に、皆が何事もなかったかのようにパレードに戻っていった姿に、強い衝撃を受けました。
 その夜、唱題しながら、“地域を変革するためには、一人一人に仏法を語り抜くしかない”と深く心に誓いました。
 数カ月後、私の対話に共感し、一人の友人が入会。その1週間後、友人は発砲事件に巻き込まれましたが、奇跡的に無傷でした。“私と1歳の娘を御本尊が守ってくれた”と語っていました。
 私はさらに確信を深め、サウス圏の女子部長として、八つの州にまたがる広大な地域を走り抜きました。この年、ついに300世帯の弘教を達成した時の歓喜は、信心の原点になっています(拍手)。

一、2年前、私がアメリカ女子部長に就任した時、1950年代に東京で信心を始めた祖父母は、大変に喜んでくれました。特に晩年、ニューオーリンズで一緒に暮らしていた93歳の祖母は、当時、寝たきりだったのにパッと目を覚まし、「急いで家を掃除しなくちゃ」と語ったそうです。亡くなる3日前でした。
 草創期から自宅に多くの同志を招き、亡くなる直前まで他者を思いやっていた祖母の真心、世界広布に生き抜こうとアメリカに渡った父母の開拓精神を受け継いでいくことが、私の誓願です。
 何よりアメリカ創価大学に在学中、最も価値ある生き方を示してくださった池田先生に勝利を報告するため、ここにいる200人の友と、また全米の女子部・青年部の同志と共に、必ずやアメリカに師弟の金字塔を築いていく決意です(拍手)。

◆世界広布新時代第31回本部幹部会 関西総会から(要旨) 活動体験
  京都 常勝京丹後圏 福光本部 伊藤真人本部長 「使命の場所」で勝ち抜く

一、私の入会は小学3年生の時です。先に信心を始め、すでに確信をつかんでいた母からは、「学会の人に何か聞かれたら、元気に『はい』と返事しなさい」と厳しく教育されました。
 6年生の時に参加した会合でも、元気に「はい」と返事したら、それは兵庫音楽隊の面接でした(笑い)。以来、高校卒業まで音楽隊で薫陶を受け、信心の基本を学ぶ大切な機会となりました。
 1990年に創価大学に進学。卒業後は大手人材派遣会社に就職し、大阪本社の営業に配属されました。
 後輩に道を開こうと全力で働き、入社1年目には最優秀新人賞を獲得、4年目には最年少で営業チームの責任者に抜てきされ、トップの成績を収めることもできました。
 しかしその分、プレッシャーも重くのしかかりました。ストレス解消と称し、夜な夜な飲み歩くようになり、信心からも遠ざかりました。上司とのあつれきや営業先からのクレームも増え、ついには人と話をすることすら怖くなり、昼間は公園のベンチで、ぼーっと過ごす時間が増えました。
 そんな中、2000年2月に池田先生が関西を訪問してくださり、地元・兵庫で本部幹部会が開催されました。
 男子部の先輩に誘っていただき、何年かぶりに中継行事に。映像で池田先生の姿を見た時、創大の思い出、今のふがいなさ、いろんな思いが一気に沸き上がり、涙が止まりませんでした。
 「今再びの 陣列に」――会場の同志と共に、「常勝の空」を力いっぱい歌った時は、もう1回、一からやり直そうと心から決意しました。

一、それからは、学会活動にも地道に取り組みました。原点である音楽隊にも志願して再び入隊。創価班の任務にも、時間をこじあけて挑戦しました。
 そんな矢先、職場で人事異動を告げられました。神戸に新しい子会社をつくるので、立ち上げにいくようにとの辞令でした。従業員3000人の親会社から、正社員は私一人、後はパートの事務員さんと定年を過ぎた顧問の3人だけの会社に移った時は、さすがに落ち込みました。
 しかし、地元・神戸で働けるようになったことで、学会活動に思う存分、取り組むことができると前向きに捉え、題目を根本に仕事にも励みました。あらゆることを一人でこなすのは大変でしたが、その分、さまざまな経験も積めました。
 やがて新会社が軌道に乗り、社員も6人に増えた時、立ち上げからの功績が認められ、最年少ながら取締役に抜てきされました(拍手)。折しも男子部部長の任命を受け、2世帯の折伏が実った時でした。
 感謝と決意を手紙につづり、新たな肩書の入った名刺と共に池田先生へお届けしたところ、思いもかけず、先生から名刺を頂戴し、”名刺交換”をさせてもらうことができました。
 さらに決意に燃え、仕事に活動にと真剣勝負で取り組む中、07年には35歳で代表取締役社長に就任することになりました(拍手)。
 その年、池田先生が258回目の関西指導に。7年前、再起を誓った「常勝の空」を、今度は音楽隊の一員として、先生の前で力いっぱい演奏することができました。大拍手でたたえてくださる先生に、心の中で”先生、勝ちました”と報告し、歓喜の涙が止まりませんでした。
 その後、会社も業績を伸ばし、ついには年商17億円、従業員500人にまで発展させることができました(拍手)。

一、11年、今度は家族を宿命が襲いました。2歳になった息子の「大動脈弁閉鎖不全症」という心臓の病が悪化。手術を余儀なくされたのです。
 医師からは「最悪の状況となるリスクもあることを覚悟してください」と告げられました。夜、寝汗をいっぱいにかいて眠る息子の小さな心臓が、今にも止まるのではないかと不安にかられ、妻は夜も寝られなくなりました。
 夫婦で関西婦人部の先輩に指導を受けました。「”不安”なのは”不信”の証拠。大確信で題目をあげなさい。医師が驚くくらいの大成功の手術になるよう、具体的に祈るんや。息子さんが本物の信心を教えてくれてるんやで」と、厳しくも本当に温かく励ましてくださいました。
 同居していた母も含め、手術の日まで家族で一丸となって祈り抜きました。一念が変われば、心の底から希望が湧くことを実感しました。
 家族のそんな前向きな姿を見た、息子の医療保険の外交員の方が感動し、入会を決意。御本尊を受持することができました(拍手)。
 8時間に及んだ手術は無事に終わりました。「大成功や!」外科医と内科医が手を取り合っている姿を見た時は、心から感謝しました。息子は現在、小学3年生。元気に学校に通い、座談会が大好きな学会っ子です。

一、仕事では3年前、再び新会社の社長に抜てきされました。京都府京丹後市にある、西日本最大級の「道の駅」を運営する事業です。また一からの挑戦になりましたが、おかげさまで来場者は2年半で累計130万人を突破。以前の5倍となり、売り上げも倍増しました。
 丹後の魅力を日本中・世界中に発信し、地域の活性化と人材育成に貢献することが今の目標です。
 組織では、昨年4月から夫婦で本部長の任命をいただきました。日本海を望む広大な地域で戦い抜いてこられた錦宝会(多宝会)の先輩方が、元気いっぱいな地域です。
 いくつになっても、心のど真ん中に師匠を置き、友の幸福を祈り、勇んで行動を続けられる姿に、
関西魂の神髄を学ばせてもらっています。
 私たち福光本部も「ブロック1」を超える折伏を達成し、本日を迎えことができました。
 先輩方の師弟の闘魂を青年と共に受け継ぎ、私も池田先生の弟子として、一生涯、使命の場所で戦い抜いていく決意です(拍手)。

2018年2月13日 (火)

2018年2月13日(火)の聖教

2018年2月13日(火)の聖教

◆わが友に贈る

価値ある一日は
朝の決意から始まる。
朗々たる勤行・唱題で
誓願の祈りも深く
快活に進みゆこう!

◆名字の言
 

  学校のクラスに問題行動を起こす子がいる。どうするか。教育本部の友は言う。「“困った子”ではなく、“困っている子”と見るんです」▼最初から大人を困らせたいと思う子はいない。勉強についていけなかったり、集団生活が苦手だったりして、心ならずも問題行動に及んでしまう。つまり“困っている”のだ。視点を転換して寄り添い、適切な手立てを講じれば子どもは安心し、大きく伸びていくという▼釈尊の教団にいた「須梨槃特」も、仲間から見れば“困った人”。自分の名前すら忘れるほど物覚えが悪かった。複雑な修行についていけず、兄弟子によって教団から追い出されてしまう。だが釈尊は違った。涙ぐむ彼の手を優しく取り、励ました。「一緒に頑張ろう」。そして短い言葉で、ゆっくり教えを説いたのだ。師の心を知り、教えを愚直に実践することにおいて、須梨槃特は誰にも負けなかった。やがて、見事に悟りを開いた▼100人いれば100の個性がある。仏はその「違い」を尊重した。全ての人に法を弘めるために、思索と工夫を重ねたのである▼仏法では、慈悲と智慧は一体であると説く。どうすれば困っている人、悩んでいる人に勇気と自信を送れるか。心を砕き、祈り抜く限り、智慧は必ず湧いてくる。(之)


◆寸鉄

  会長の著作を読めば崇高
 な生き方を永遠に学べる
 ―総長。勇躍・成長の糧に
      ◇
 未来の勝利は今にあり!
 あの人がいたから―そう
 言われる励ましの日々を
      ◇
 東京・葛飾の日。明るく
 粘り強く。青年を先頭に
 人間共和のスクラム拡大
      ◇
 会場提供者に感謝。周辺
 での私語等は厳禁。近隣
 に配慮し尊き宝処を守れ
      ◇
 流感の感染者は1400
 万人。過去最多を更新と。
 嗽や手洗い等、油断なく

◆小説『新・人間革命』第30巻 勝ち鬨の章 五十五 2018年2月13日 (6296)

 十四日夜、熊本文化会館に戻った山本伸一は、翌十五日午前、長崎・佐賀県の幹部を招いて今後の活動などを協議し、午後には同会館で自由勤行会を開催した。
 これには熊本市内をはじめ、城南地域の八代・人吉・水俣本部、天草の同志、さらに、鹿児島・佐賀・長崎・福岡県の代表も参加し、晴れやかで盛大な自由勤行会となった。
 城南地域や天草からは、バスを連ねて集って来た。皆、喜びに胸を弾ませていた。
 これらの地域では、悪僧の奸計によって、学会を辞めて檀徒になった幹部もいた。昨日まで、すべて学会のおかげだと言っていた人物が、衣の権威を振りかざす坊主の手先となって、学会を口汚く罵り、会員に脱会をそそのかしていったのだ。同志は、悔しさに、断腸の思いで日々を過ごしてきた。
 “寺の檀徒をつくりたいなら、自分たちで、折伏すればよいではないか! それもせずに、信心のよくわからぬ、気の弱い学会員を狙って脱会させ、寺につけようとする! 卑怯者のすることじゃ! 信仰者のやることではない!”
 同志の憤怒は激しかったが、皆、僧俗和合のためにと、黙していた。理不尽な状況があまりにも長く続き、耐え忍ぶしかないと考えるまでになっていたのだ。歯ぎしりしながらも、ひたすら広布の前進と、正邪が明らかになることを願っての唱題が続いた。
 そのなかで、“燦々と光が降り注ぐような、あの自由な学会を、また築こう!”と、自らを鼓舞し、弘教に走ってきたのだ。
 やがて、事態は動き始めた。そして、長い苦渋の時を経て、ようやく希望の曙光を仰ぎ、伸一の熊本訪問を迎えたのだ。
 メンバーは、勇んで熊本文化会館をめざした。苦闘を勝ち越えた同志の胸には、厳として師がいた。伸一も、苦労し抜いて戦い続けてきた同志と会い、一人ひとりを抱きかかえるようにして励ましたかった。
 遠く離れていようが、何があろうが、共に広布に戦う師弟は金剛の絆で結ばれている。   

【聖教ニュース】

◆アラブ首長国連邦のドバイで第7回「詩人の集い」 
「詩心は人間性を結ぶ」テーマに千人超が参加
池田先生に共鳴する識者らが自作の詩を披露


 「詩人の集い」の参加者の代表が記念のカメラに。有志による楽器演奏も行われ、晴れの集いに花を添えた(UAEのドバイで)
「詩人の集い」の参加者の代表が記念のカメラに。有志による楽器演奏も行われ、晴れの集いに花を添えた(UAEのドバイで)

 中東・アラブ首長国連邦(UAE)のドバイで4日、第7回「詩人の集い」が行われた(主催=湾岸SGI〈創価学会インタナショナル〉、エミレーツ・ナショナル・バンク・オブ・ドバイ、ドバイ文化科学協会など5団体)。
 これは「詩心は人間性を結ぶ」とのテーマのもと、池田大作先生の人間讃歌の詩に共鳴する詩人や学識者、学生らが集い、自作の詩を披露するもの。池田先生の中東初訪問50周年となった2012年以来、毎年開催されている。
 今回の集いには、著名な詩人、学生や報道関係者など1150人が詰め掛けた。この模様は、インターネットを通じて同時中継され、湾岸諸国の多くの人々が視聴した。
 詩人の集いは、湾岸SGIのコーラスグループ「ナシーム(そよ風)」による「母」の合唱で幕を開けた。
 午前の部では、学生からの応募265編の中から厳選された詩が披露された。ステージに立った代表33人は、平和や友情、環境保護などを表現した力作を情熱を込めて紹介。感動の輪が広がった。
 午後の部では、UAEの著名な詩人で、これまで池田先生の詩集等の翻訳を手掛けたシハブ・ガネム博士や、バーレーン王国・民俗芸術国際協会のアル・アブドラ・カリファ会長など、世界各地から集った12人の詩人が平和への願いや人間愛などを詠んだ。
 詩は、英語、アラビア語、ペルシャ語など8言語に翻訳され、会場に設置された大型モニターに映し出された。参加者は真剣なまなざしで見入っていた。
 また席上、池田先生の詩「平和よ! 幸福よ! 永遠なる世界平和を祈り詩う」をはじめ、「星」や「人生の歓び」などをめぐる先生の詩歌が朗読され、会場からは万雷の拍手が送られた。
 集いには、参加した識者や学生から多くの感想が寄せられた。
 「2年前から詩に興味を持ち始めました。この集いで多くの方の詩心に触れ、詩が持つ力を一段と深く学ぶことができました」(ドバイの学生)
 「5年前から参加しています。文化や言語は違えど、詩を通じて心がつながる素晴らしさに感動しています」(イラン出身の著名な女性詩人、シルバナ・サルマンプール氏)
 「池田博士の豊かな詩心に深く共感しています。愛され続けているこの集いを通して、世界に平和と調和の懸け橋を築く詩の役割を実感しています」(シハブ・ガネム博士) 

◆ロシア語版「法華経の智慧」第4巻 モスクワ大学出版会から発刊



 
 池田先生の著作『法華経の智慧』のロシア語版第4巻が、モスクワ大学出版会から発刊された(写真)。

 同書は、1995年から「大白蓮華」に掲載された連載をまとめたものであり、これまでに英語、ドイツ語、中国語などに翻訳され、ロシア語は12言語目となる。
 ロシア語版は、池田先生のロシア初訪問40周年を記念して2014年に出版された第1巻から順次、翻訳が進められてきた。全6巻を予定しており、完成に向けて、現在も作業が行われている。
 第4巻は、如来寿量品について述べられた箇所を収録。「十界互具」や法華経の後半における中心的な法理である「久遠実成(釈尊は実は久遠の昔に成仏して以来、この娑婆世界に常住する仏であるということ)」の考え方等を論じ、境涯革命や絶対的幸福の生き方などについて考察する。
 池田先生は語っている。
 「世界を変えるためには、自分自身が変わらなければならない。その『変える』べき根本は、生命観にある。生死観にある。自分観にある。この生死という問題に、根本の指針を与えるのが法華経の寿量品です」
 ロシア語圏の人々に、仏法の人間主義の視座を与える一書となろう。
 電子書籍は、希望小売価格875円(税込み)。
 「Kindleストア」で発売。世界各国で購入できます。 

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆藍よりも青く 「3・16」60周年へ走る 中部の若き友 自身の限界破る挑戦を


 知多国際圏・常勝本部の男子・壮年部が笑顔で語らう(常滑文化会館で)
知多国際圏・常勝本部の男子・壮年部が笑顔で語らう(常滑文化会館で)

 1953年(昭和28年)の冬12月――当時、男子部の第1部隊長であった25歳の池田大作先生が、中部を初訪問した時のことである。
 先生は名古屋市内での座談会へ。“折伏ができない”と環境を嘆く青年に力強く語った。
 「全国どこでも条件は同じです。やりやすいところなどありません。“名古屋だけ折伏はできない”と思っている、そのこと自体が、できない原因なのです!」
 その瞬間、青年の一念が鋭く変わった。先生の「名古屋は、やるか!」との師子吼に、参加者は皆、「やります! 断じて戦いきります!」と。ここから、中部広布のうねりが大きく広がっていったのである。
 「限界」とは、自らが自らの心につくりだしてしまうものにほかならない。師との誓いの原点から65星霜。世界青年部総会へと進む中部の青年たちは今、自身の限界を破る挑戦を重ねている。
 中部男子部は“部平均2”の弘教を掲げて奮闘中。リーダーを対象にした研修会を各地で開き、一対一の個人指導や折伏に対する姿勢を共有し合っている。小説『人間革命』を通して「3・16」の意義を学び合い、新春の会合で例年の1・5倍の結集を達成した地域も。
 その中で、新入会や若いメンバーを糾合しているのが知多国際圏の常勝本部(田中哲男男子部本部長)である。拡大の原動力は壮年・男子部合同で毎週開催している会合だ。その名も「常勝本部・漢の座談会」。活動に消極的な友も気軽に参加できる場をつくろうと、4年前から続けてきた。
 式次第は至ってシンプル。題目を30分程あげ、その後、VODや「大白蓮華」等で信仰体験や池田先生の指導を学び、皆で感想を共有する。終了後は歓談の時間だ。男子部員が家庭や仕事の悩みを話すと、壮年が自分の若い頃の話を踏まえてアドバイスを送る。また池田先生との原点の話に胸を熱くすることも。“人生の先輩から学ぶことが多いから”と参加する男子部員も少なくない。男子部大学校生の輩出も部平均2を達成した。
 谷川佑城さんは3年前に、壮年部の父から「漢の座談会」に誘われた。当時は勤行もしていなかったが、参加すると目を見張ることばかり。話し上手・聞き上手の面白い先輩や壮年の的確なアドバイス、そして心に染みいる池田先生のスピーチに触れ、自然と自ら参加するようになった。
 やがて、人生を前向きに捉えられるようになった。昔は学会員であることを後ろめたく思っていたが、輝く同志の姿を見て、創価の哲学と生き方に誇りを持つように。昨年は牙城会大学校にも入校し、初めて仏法対話にも挑戦した。弘教の成就へ誓いを燃やす。
 中部女子部は、池田先生の“会合と個人指導の比率は2対8”との指針のままに、励まし運動を展開している。その中で生まれた工夫の一つが、「励ましの達人BOOK」の作成だ。訪問激励の際の心構えが書かれているほか、メンバーの状況を書き込むことができるもので、これを手に「励ましをできるメンバーの増加」「訪問激励の内容の充実」が図られている。
 また白蓮グループでは「しゃちほこペア」と称して、互いの弘教したい友人や悩みの解決を祈り合うペアを結成。触発の機会が増え、初の弘教を実らせたメンバーが多く誕生した。
 西豊川圏の合内明日香さん(圏女子部書記長)は小学校時代からの幼なじみに、数年前から対話を重ねてきた。友人を座談会にも誘ったが、「一緒に信心しよう」との一言がなかなか言い出せないでいた。
 そんな合内さんを励ましたのは、酒井香織さん(同総合女子部長)。昨年4月に御本尊流布を達成するなど、自身の戦いで皆に勇気を与えてきた率先のリーダーだ。
 
 共に悩み、共に祈り、共に戦ってくれる同志を得た時、人は強くなれる。「木をうえ候には大風吹き候へどもつよきすけをかひぬれば・たうれず」(御書1468ページ)と。合内さんは保育士の仕事がどれほど忙しくても、“師匠に応える戦いを”と唱題時間を増やし、学会活動に一歩も引かず挑戦した。
 そして昨年12月、酒井さんも交えて仏法対話。「一緒に信心したい」との真心の言葉に、幼なじみは首を縦に振り、御本尊を受持したのである。
                   ◆◇◆ 
 昨年末の中部総会を、全国模範の拡大で荘厳した中部青年部。その勢いは今も止まらない。
 “天下の栄光城”と光る岐阜!
 “勝利の大鷲”の誇りに燃える三重!
 そして“偉大なる愛知”を加えた3県が、団結固く前進している。
 堅塁・中部の一人一人が心の中で師の師子吼を響かせながら、弟子の決意を轟かせながら、今日も広布へと走る。
 「中部は、やるか!」「やります! 断じて勝ちます!」――と。

◆虹を懸ける 池田先生と香港④   広布へ楽しくにぎやかに

 
 

君たちの勝利が私の勝利!――香港中文大学への図書贈呈を終えた池田先生が、駆け付けた創大生、卒業生とキャンパスで語り合う(1983年12月)

 1980年代、香港は大きく揺れていた。
 97年の「返還」に向けて、中英両国の交渉が難航していたからである。
  82年には、中国の鄧小平氏とイギリスのサッチャー首相が会談を行い、返還は現実味を帯び始めた。
 祖国への回帰は望むものの、それ以上に市民は、異なる政治体制のもとでの生活を心配していた。
 社会には不安が渦巻き、海外への移住者が続出。その数は何万人にも及んだ。
 さらに、83年9月には「ブラック・サタデー」と呼ばれる金融危機が発生。香港ドルが大暴落し、市場はパニックに陥った。
 「こういう時ほど、激励に駆け付けねばならない」――池田先生が香港に飛んだのは、この激動の渦中。同年の12月1日であった。

両立への挑戦
 79年以来、9度目となった香港訪問。翌2日の代表者会議で、池田先生は「97年問題」に直面する同志に、確信を込めて語った。
 「全く心配はいりません。自由と平和と文化の、国際的発展を誇る、この香港の大地で、妙法に照らされ、守られながら、尊い一生を送っていただきたい」
 一方で、こうも述べている。「香港広布の未来を展望する時、次代を担い立っていく青年たちの成長ぶりは、まことにうれしく、素晴らしい」
 初訪問から20年余。香港では、青年部の活躍が光っていた。その中には、創価大学に留学し、卒業した友も。今年で結成35周年となる学生部が誕生したのもこの折である。
 2日後には、若き力を中心に、第1回SGI香港文化祭が予定されていた。
 申宝来(サンホウロイ)さん(副理事長)は述懐する。
 「香港男子部長だった私は、文化祭の運営委員長を務めていました。会議の席上、『香港は大丈夫です。どうかご安心ください!』と、青年部の心意気をお伝えすると、先生はとても喜んでくださいました」
 迎えた当日(4日)は、朝から雲一つない青空が広がっていた。
 会場となった九龍(カオルーン)の香港コロシアムには、開会前から人、人、人の列が。前夜祭を含めると、参加者は2万人に上った。
 未来部のさわやかなダンス。女子部の華麗な舞踊。男子部の情熱あふれる組み体操。そして長編詩「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」の暗唱――。
 多数の来賓と共に観賞した先生は、熱演に喝采を送り、「頑張ったね。素晴らしい文化祭でした」と出演者らを称賛。申さんの胸にも感動が込み上げた。
 ファッションデザインノ4コンサルタントとして活躍する申さんの誇り。それは、仕事と学会活動を徹してやり抜いてきたことだ。そこには”世界にとって必要な香港”と”その発展をリードするSGI”を皆で築きたいという強い思いがあった。
 この以前の先生との出会いを機縁に、アメリカの大学へ留学。貿易会社勤務を経て独立し、海外にも足を運びながら、長きにわたりファッション業界で奮闘してきた。後の文化祭では衣装デザインを手掛けたことも。その中で、広布のために自由自在に活動できる境涯を開いてきた。
 香港SGIが取り組んだ展示運動では、著名な芸術家などへの渉外活動を展開。師から学んだ人間外交で、多くの味方をつくった。
 行学二道の人材を育む教学部長でもある。「社会で戦うほどに多くのチャンスが訪れ、自身を高めてくることができました。若き日から見守り、薫陶してくださった先生に感謝し、弘教と人材の拡大へ走り続けます!」

親子で創大へ
 池田先生の滞在中、文化祭を大成功に導いた各種グループに、名称がつけられた。
 男子部の宇宙音楽隊、金輝合唱団、金鷹体操隊、女子部の天虹舞踏グループ、紫荊鼓笛隊、壮年部の地涌合唱団、婦人部の白蘭合唱団などである。
 現在は芸術部などが加わり、13団体からなる「文化本部」に。社会に根差した文化運動を多角的に推進する。
 紫荊鼓笛隊の隊長として、先生の前で演技を披露したのは、麦蔡恵玉さん(支部副婦人部長)。指揮棒を振り、メンバーと共に青春の誉れの原点を刻んだ。
 幼い頃、両親と入会。日本語を学ぶために海を渡り、大阪で活動したことも。女子部時代を悔いなく戦い、やがて創価大学10期生の麦嘉友と結婚する。
 「晴れやかに 君の未来は香港に 希望の虹と われは待ちなむ」――創大卒業前に師から贈られた色紙を胸に、嘉友さんは使命の天地を駆けた。
 だがその後、嘉友さんは広布の途上で尊い生涯を終える。最愛の人を失った、深い悲しみ。麦さんを支えたのは、香港に到着した先生と空港で交わした握手の温もりだった。
 「夫との別れは、残された私たちの信心を深めてくれました。子どもたちもそう思っているはずです」
 先生が嘉友さんに詠んだ和歌は家族の指針に。2人の子は、そろって創価大学を卒業。香港創価幼稚園の1期生である長男・光一さんは、大手半導体メーカーで働きながら、男子部の部長を。シンガポール在住の次男・博俊さんは、大手映画配給会社に勤める。
 「夫の分まで、2人分の信心に励み、栄光の人生を飾っていきたい」。入会から50年がたち、麦さんは決意を新たにしている。

原点を忘れない
 文化祭の翌日には、第1回SGI香港総会が盛大に開催された。
 席上、申宝来さんが青年部長に。男子部長に任命されたのは、黄徳明さん(支部長)である。「びっくりしましたが、持てる力を全て出し切って、責任を果たしていこうと、池田先生に固く誓ったのを覚えています」
 先に入会した母に続き、病気を機に信心を始めた黄さん。腎臓を患い、結石を取り除く手術を控えていたが、題目を唱え抜くと、驚きの結果が。「結石がなくなっています」と診断され、手術する必要がなくなったのだ。
 初信の功徳で確信をつかみ、男子部の先輩の訪問激励によって、活動に参加するように。地道な信心を貫き、男子部長就任後は部員増へ奔走。師弟直結の陣列を拡大していった。
 転機は89年。事業が立ち行かなくなり、アパレル関連の仕事で南太平洋のフィジーへ。結婚直後でもあり、家庭を守るために、信心の実証を示すために、懸命に祈り働いた。
 家計も安定し、3年後に香港に戻ってからは玩具製造業に従事。社会の変化に伴い、かつて香港にあった工場は中国本土に移っていた。そのため、多くの人々と同様、黄さんも月に2、3日ほどしか香港に帰れない日々が続いた。それでも、時間があれば、同志のもとを訪れた。
 苦労を繰り返した分だけ、分かったことがある。どんなに多忙であっても、挑戦し続ける中に人間革命があること。そのために大切なのは、青年部時代に信心の原点をつくるということだ。
 「私自身が成長し続けることで、一人でも多くのメンバーに信仰の歓喜を伝えていきたい」。思う存分学会活動できるようになった今、黄さんは一段と若々しく、広布の最前線を歩いている。
                   ◇ ◆ ◇
 「『97年以後』も、これまでの何倍も、にぎやかに、何倍も楽しく交流しよう。未来永遠、一緒に勝利の歴史をつくろう!」
 池田先生の激励行は同志に勇気を送り、社会に希望を届けた。
 諸行事の合間には、各界の識者と意見交換を行っている。
 香港政庁行政評議会のジョンシーユン元主席には「機会を見て、香港の市民の率直な心情を、ありのままに、中国の首脳に、お伝えします」と約束。香港中文大学馬臨学長には「何があろうとも、香港に対する、また貴大学に対する心は変わりません」と語った。
 一民間人の立場で、中英両国の指導者と語らいを重ねてきた先生は、この半年後、周恩来総理夫人の鄧頴超政治協商会議主席、胡耀邦総書記らと北京で再会(84年6月)。香港の繁栄に尽くすという中国の思いを、改めて確認する。
 「中英共同声明」が発表され、返還が正式に決まったのは、この数ケ月後であった。
 後年、香港基本法の起草委員を務めた文豪・金庸氏は述べている。
 「返還にあたって、文化面で、精神の次元で、民衆の幸福という観点で、最大の功績者が、池田先生ではないでしょうか」

◆2月度「御書講義」の参考 法華証明抄   いかなる苦難も乗り越える妙法の大功力

 2月度の「御書講義」では「法華証明抄」を学びます。拝読範囲は「地にたうれたる人は・かへりて地よりをく~日蓮が言をいやしみて後悔あるべし・後悔あるべし」(御書全1586ページ12行目から1587ページ8行目まで)です。

背景と大意
 本抄は弘安5年(1282年)2月28日、日蓮大聖人が61歳の時に身延で著され、駿河国(静岡県中央部)の門下・南条時光に与えられたお手紙です。
 熱原の法難の渦中に、迫害の矢面に立って強盛な信心を貫いてきた時光は、この時、24歳でした。時光が重病であるとの報告を受けて、本抄は認められています。
 本抄の冒頭で大聖人は、末法において法華経を信受し実践する人が、いかに大善根を積んだ人であるかを示され、病床に伏す時光に、勇気と希望を送られます。
 続いて、時光について、(戦闘で人を殺したりする)武士の家に生まれたので悪人と言わなくてはならないところだが、心は善人であると仰せです。
 その理として、難が競い起ころうととも揺らぐことなく信心を貫いてきた両親に続き、自ら信心に励んでいるからであると述べられます。
 そして、時光が激しい障魔との戦いの中にあっても信心を貫いてきたことで、成仏は間違いないという境涯に達したからこそ、天魔や外道が病を起こし、信心を脅そうと試みているのだと教えられます。
 最後に、時光を苦しめる鬼神を厳しく呵責され、病魔をはね返す大境涯を示されています。


御文①
 又鬼神め奴らめ此の人をなやますは剣つるぎをさか逆さまに・のむか又大火をいだくか、三世十方の仏の大だい怨おん敵てきとなるか、あなかしこ・あなかしこ、此の人のやま病いを忽たちまちになを治して・かへりてまほ守りとなりて鬼道の大苦をぬくべきか、其の義なくして現在には頭ず破は七しち分ぶんの科とがに行われ・後生ごしょうには大無間地獄に堕おつべきか、永くとど止めよ・とど止めよ、日蓮が言ことばをいやしみて後悔あるべし・後悔あるべし

通解 また、鬼神どもよ。この人(南条時光)を悩ますとは、剣を逆さまにのむのか。自ら、大火を抱くのか。三世十方の仏の大怨敵となるのか。まことに恐れるべきである。
 この人の病をすぐに治して、反対に、この人の守りとなって、餓鬼道の大苦から免まぬかれるべきではないか。
 そうでなければ、現世には「頭こうべが七つに破われる」との罪を受け、後生には大無間地獄に堕ちるであろう。
 このことを肝きもに銘めいじよ。日蓮の言葉を卑いやしむならば、必ず後悔するであろう。

御文②
 地にたう倒れたる人は・かへりて地よりを起く、法華経謗法の人は三悪並びに人天の地には・たうれ候そうらへども・かへりて法華経の御み手てにかかりて仏になると・ことわられて候そうろう。

通解 地面に倒れた人は、かえって、その地面から起き上がるように、法華経への謗法を犯した人は、その罪によって、地獄・餓鬼・畜生の三悪道や、人界・天界の大地に倒れるけれども、逆縁でかえって法華経の御手によって仏に成ることができると、明かされています。

御文③
 しかるにこの上野の七郎次郎は末代の凡夫・武士の家に生れて悪人とは申すべけれども心は善人なり、其その故ゆえは日蓮が法門をば上一人より下万民まで信じ給たまはざる上たまたま信ずる人あれば或あるいは所領・或は田畠でんぱた等とうに・わづ煩らひをなし結句は命に及ぶ人人もあり信じがたき上・はは母故上野は信じまいらせ候いぬ、又此この者敵ちゃく子しとなりて人もすすめぬに心中より信じまいらせて・上下万人にあるいは・いさ諫め或はをどし候いつるに・ついに捨つる心なくて候へば・すでに仏になるべしと見へ候へば・天魔・外道が病をつけてをど威さんと心み候か、命はかぎりある事なり・すこしも・をどろく事なかれ、

通解 ところで、この上野の七郎次郎(南条なんじょう時光ときみつ)は、末法の凡夫であり、武士の家に生まれたので悪人と言わなければならないところですが、心は善人です。
 その理由はこうです。日蓮の法門を、上一人から下万民までが信ずることがないうえ、たまたま信ずる人があれば、所領や田畠などのことで苦しめられたり、あげくのはては、命に及ぶ人々もいます。これほどこの法門は信じがたいのに、あなたの母や、亡き父・上野殿(南条兵衛ひょうえ七郎しちろう)は、この法を信じられていました。
 そして、この者(南条時光)は、上野殿の跡あと継つぎとなって、誰から勧められたわけでもないのに、心中から信じてきました。そして、上も下もあらゆる人々から信心を止めるように諫いさめられたり、脅さおどれたりしましたが、ついにこの信仰を捨てる心はありませんでした。
 それゆえに、もはや仏に成ることは間違いないと見えたからこそ、天魔や外道が病にさせて脅そうと試こころみているのでしょう。人の命には限りがあります。ですから少しも驚いてはいけません。

過去の宿縁  「法華経」によって必ず成仏
 日蓮大聖人は拝読範囲の前段で、末法に法華経を信じる者が、いかに過去世から仏法と宿縁が深厚であるかを示されています。
 本抄の冒頭では、末代悪世で法華経を持つ者は、過去に十万億の仏を供養した人であることが強調され、このことは、釈尊一人の説法だけではなく、多宝如来も、十方の諸仏も証明していることであると明言されています。
 その上で大聖人は、「いかなる過去の宿習にて・かかる身とは生るらむと悦びまいらせ候」(御書1586㌻)と仰せです。混乱と苦悩が渦巻く末法にあって、法華経を持つことが、どれほどの福運であり、どれほどの宿縁であるか――。このことを確信して、法華経を実践すれば、いかなる苦難をも勝ち越え、成仏という絶対的な幸福境涯を得ることができると教えられているのです。
 一方、十万億の仏を供養した大福運の者が、悪世に生まれて苦労するのは、なぜでしょうか。それは、謗法、すなわち法華経への誹謗が過去世にあったからだと示されています。
 しかし、福徳があるゆえに、逆縁によって、今世で法華経を信ずる人として生まれて、最後は法華経の力によって成仏することができると断言されています。
 今回拝読範囲の冒頭で大聖人は、妙楽大師の「法華文句記」の文を踏まえて、「地にたうれたる人は・かへりて地よりをく」と仰せです。
 これは、たとえ法華経への誹謗によって、ひとたび悪道等に堕ちたとしても、正法との縁が結ばれたことによって、必ず、その正法によって救われることを譬えたものです。
 地によって倒れた者は、地によって立つことができる――。法華経を誹謗したものは、法華経によって必ず救われるという、妙法の計り知れない功徳が説かれています。

不退の信心    勇敢な心で広布へ前進!
 大聖人は本抄で、殺生をなりわいとする武士の家に生まれた南条時光であっても、「心は善人なり」と仰せになり、大聖人を外護し、妙法流布に懸けた純粋な信心を称賛されています。
 そして、「すでに仏になるべしと見へ候へば・天魔・外道が病をつけてをどさんと心み候か」と述べられ、さまざまな迫害の中をひるまずに信心を貫いてきたがゆえに、時光が成仏することは間違いない。その成仏を妨害しようとする魔の働きとして、このたびの病気が生じたのであると示されています。
 信心をしていても、さまざまな試練や苦難に直面することがあります。”なぜ、こうした問題に直面するのか?„という時光の疑問に対して大聖人は、”それは信心が進んだために起こるのである„と断言されています。
 難を乗り越えていくところに成仏の境涯が開かれていきます。
 大聖人は時光に、さらに深い確信に立って進んでいくように励まされていると拝されます。
 他の御書で大聖人は、「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起こる」(1087㌻)との天台大師の言葉を引用されています。信心に励むゆえに、信心を妨げる三障四魔が競い起こることは、仏法に照らして当然の道理です。
 拝読御文の「命かぎりある事なり・すこしも・をどろく事なかれ」との言葉には、妙法によっていかなる苦難をも打開できるという大確信が込められているのです。

病魔に勝つ   鬼人を叱咤する強盛な祈り
 拝読御文に、「鬼神めらめ此の人をなやますは剣をさかさまに・のむか又大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか」とあります。これは、南条時光を苦しめる病魔に向かって、日蓮大聖人が厳しく呵責されている箇所です。
 「鬼神」とは、超人的な働きをするもので、仏道修行を守護する働き(善鬼神)と、生命をむしばむ働き(悪鬼神)に大別されます。
 大聖人は「鬼神に二ふたつあり・一には善鬼・二には悪鬼なり、善鬼は法華経の怨あだを食す・悪鬼は法華経の行者を食す」(御書1246㌻)と示されています。
 拝読御文は、鬼神が病によって時光を苦しませることは、”法華経を持つ者を守護する„との法華経の会座での誓いを破ることになり、あらゆる仏の大怨敵となることなのだと強く戒められています。
 さらに、鬼神が善の働きを起こして、時光の病を治し守護する場合には、鬼神が餓鬼道の苦しみから免まぬかれられることを示されています。
 本抄を御執筆された当時、大聖人御自身も病と闘われていました。しかし、病魔と闘う時光を励ますために、本抄を著あらわす3日前に時光への激励の言葉を語り、それを弟子の日朗に代筆させて、お見舞いの書状を送られています。
 さらに今度は、大聖人自ら筆を執って本抄を認したためられたのです。しかも本抄には「法華経の行者 日蓮(花押)」と記されており、大聖人が「法華経の行者」として、妙法弘通の後継の弟子に厳愛の御指導をされるとともに、時光を苦しめる鬼神を叱咤しったされています。
 師匠の仰せ通りに信心を貫いた時光は、その後、大病を乗り越えて健康を回復し、74歳で亡くなるまで、広宣流布のために尽くしていきました。
 偉大な妙法への確信に立ち、鬼神をも従えて難を乗り越えていくとの、大聖人の強盛な祈りが、御文には込められているのです。


◆信仰体験 直方市石炭記念館の名物館長
郷土に生きる誇りを伝えたい  語りが市制作のDVDに

【福岡県直方市】福岡県の直方といえば、かつて筑豊炭田の中心都市として栄え、日本の近代化をリードした地域である。今、その郷土の歴史と魅力を発信しようと、直方市石炭記念館の館長を務める八尋孝司さん(71)=植木支部、副支部長=が燃えている。

ブームが到来
 ある日の午後、来館者の目という目が、八尋館長にくぎ付けになった。子どもや大人、全国各地、海外からの見学者もいる。
 まさに八尋館長による展示解説が始まろうとしていた。
 ジャンパーを羽織った八尋館長が、1回転するや、背中には〈燃ゆる石〉(石炭)との言葉が。息をのむ来館者。
 さらに、「この場を明るくしましょうね」と帽子を脱ぐと、その輝く頭に、なぜか来館者の絶妙な合いの手が入る。
 「まぶしい!」(爆笑)
 “よかった……。すべらなかった。ホッ”
 こんな調子で始まる八尋館長の語りが“名物”となり、石炭記念館が、市民の間でひそかなブームになっている。
 同館には、重さ2トンはある石炭の塊をはじめ、炭鉱で使われた機材の実物など、貴重な資料が並ぶ。
 “炭鉱(ヤマ)の絵師”山本作兵衛の炭鉱画や、2台の蒸気機関車も展示されている。
 八尋さんが館長に就任したのは2014年(平成26年)。記念館に残る資料を読み解く中で、次第に石炭の歴史にのめり込んでいった。
 かつての炭鉱経営者らが集った「旧筑豊石炭鉱業組合直方会議所」が残っていることも知った。築107年の歴史を誇る建物が、石炭記念館の「本館」である。
 “筑豊御三家”といわれた炭鉱財閥家、麻生太吉、安川敬一郎、貝島太助。そして「炭鉱王」と呼ばれた伊藤伝右衛門。
 こうした名だたる経営者らが、この場所で、鉱区の整理や販路の拡大など、重要な会議を行ったという。
 八尋館長の説明は、次第に熱を帯びてくる。
 「石炭どころの話ではありません。『日本の未来』が、ここから開かれたんです。この国の近代化の要が、直方だったんです!」
 八尋館長のユーモアと情熱の語りで、「目からウロコ」「聞きほれた」と人気は急上昇。15年度は、47年前の開館以来、年間の来館者が初めて、1万人を超えた。

今を完全燃焼

 八尋さんは1947年(昭和22年)、3人兄弟の長男として、直方市に生まれた。
 61年、中学生の時、母親に続いて、創価学会に入会。高校を卒業後、国鉄(現・JR)に入社する。蒸気機関車(SL)に乗務しながら、石炭の輸送にも携わった。
 学会の男子部でも、薫陶を受けた。
 「会合で、希望制の活動報告があるでしょう。挙手しなかったのは私だけ。容赦なく当てられました(笑い)。
おかげで、うじうじする性格を転換できました(笑い)」
 66年10月には、北九州市で行われた記念撮影会で、池田先生との出会いを刻んだ。
 72年には、道子さん(71)=副白ゆり長=と結婚。その後、恭子さん=女子地区リーダー、宣紀さん(41)=男子部員=と2人の子どもに恵まれた。広布の庭では地区部長、本紙の配達員等として奮闘した。
 92年、順風満帆かに見えた人生に試練が訪れる。台風一過の夏の日。八尋さんが屋根の修理をしていた時のこと。誤って脚立から落下し、胸椎を圧迫骨折。「下半身不随、車いすの生活を覚悟してください」と医師から告げられた。
 “仕事は? 家族の生活は? 俺の人生はどうなってしまうのか!? まだ40代半ばだ。いよいよこれから、という時に、なぜ……”
 絶望の淵に立たされた八尋さん夫妻を励ましてくれたのは、学会の同志だった。「今こそ御本尊を信じ、祈り抜くこと。必ず道は開けるよ!」
 八尋さんは、猛然と題目を唱え始めた。諦めの心をねじ伏せるように。
広布の「使命の道場」とは、他のどこかではなく、自分が今いるこの場所なのである――池田先生の指針が、心によみがえる。
“そうだ。俺の使命は、今を、この一瞬を、一日一日を完全燃焼で生き切ることだ!”
懸命のリハビリの末、入院から約2カ月後に職場復帰を果たす。
そして2010年(平成22年)、出向先のモノレール会社を退職。翌年、市報を見て何げなく応募したのが、石炭記念館の職員だった。

燃ゆる人に!
 忘れられない出会いがある。かつて炭鉱作業員だった父を持つ、ある男性の来館者が、思いを語ってくれた。
 「“炭鉱夫の子ども”というだけで、嫌な経験もしました」
 死と隣り合わせの過酷な環境。石油の台頭で、中小炭鉱は閉山。炭鉱労働者の生活も困窮した。
 「しかし、あなたと出会い、生まれて初めて、“炭鉱夫の子”として生まれた誇りを覚えました。今、幸せを感じています」。男性は涙を流していた。
 八尋さんの胸に、熱いものが込み上げる。
 自身は炭鉱で働いたことはない。けれど、心に寄り添い、“生きる誇り”を呼び覚ます手助けができたのではないか――そんな実感が湧き上がってきた。
 「あの大けがの時、諦めていたら今の私はありません。この信心、同志、そして池田先生のおかげです」
 八尋さんは、きょうも、会う人の心を揺さぶる“一期一会の物語を”と心掛ける。
 未来を担う青年や子どもたちと語らう時が最も楽しい、と目を細める。
 「話に込めるのは、“この郷土に生まれ育ったことに誇りと自信を持ってほしい”との願い。“人おこし”から“地域おこし”もできると信じています。それには、まず自分が、感動と驚きで“燃えているかどうか”でしょうね」
 八尋さんの語りと半生は、直方市制作のDVDとなり、幾重にも感動を広げている。その名も、「燃ゆる石 燃ゆる人 石と人のものがたり」――。

2018年2月12日 (月)

2018年2月12日(月)の聖教

2018年2月12日(月)の聖教

◆今週のことば

「屡 談話を致さん」
大聖人に直結の座談会は
生命の跳躍台だ。
友人も未来部も楽しく
皆が前進の金メダルを!

◆名字の言
 

  島根県の足立美術館が、米国の専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」の日本庭園ランキングで15年連続の第1位となった。国内900カ所以上の庭園から選ばれ、「細部にまで維持管理がされた造園の大傑作」と絶賛される▼近現代の日本画コレクションを誇る同美術館も、48年前の開館から数年は来場者はわずかだった。苦境を打開しようと、創立者の足立全康氏は敷地面積を倍増。“建物も庭も立派な美術館”を目指した(『庭園日本一 足立美術館をつくった男』日本経済新聞出版社)▼現在、5万坪の敷地に六つの庭園がある。氏は「庭園もまた一幅の絵画である」との信念で、一木一草から白砂の一粒に至るまで心血を注いだ。氏の逝去後も、美術館職員は毎日、落ち葉拾いや庭掃除を欠かさない▼身の回りにある多くのものは、庭に限らず、人知れぬ努力の積み重ねに支えられているものだ。機能や美しさが保たれている陰には、必ず手入れに心を尽くす人がいる▼“当たり前”と思うと見えなくなるものがある。各地の学会の会館、個人会場もまた、陰で支える存在があってこそ。会場提供者、会館守る会、一日会館長はじめ、全ての役員の献身に感謝しつつ、わが“地域の宝城”を真心で荘厳したい。(子)

◆寸鉄

  御書「ちかいし願やぶる
 べからず」。果たしてこそ
 誓願。強き祈りで拡大へ
      ◇
 3月に海外65カ国の代表
 集い世界青年部総会。広
 布新時代は地球同時進行
      ◇
 時間を浪費するから時間
 がないのだ―哲人。挑戦
 の心で!今日も悔いなく
      ◇
 花粉症に悩む人、6割が
 対策まだ。間もなく飛散
 の季節。賢く健康管理を
      ◇
 列島各地で荒れ模様。外
 出前には天気予報の確認
 を。「前前の用心」怠るな

◆小説『新・人間革命』第30巻 勝ち鬨の章 五十四 2018年2月12日 (6295)
 

 山本伸一は、イギリスの首相チャーチルの姿を通し、指導者の在り方を語っていった。
 第二次世界大戦中、ヒトラーのナチス・ドイツは、イギリスの首都ロンドンを爆撃した。焼け跡に現れたチャーチルは、悠々と葉巻をくわえ、指でVの字をつくって歩いた。その姿に、人びとは勇気づけられた。
 「チャーチルには、“こんなことでロンドンは滅びない! イギリスは負けたりはしない!”という強い一念があった。その心意気を、多くのロンドン市民は感じ取り、奮い立っていった。一念は波動し、確信は共鳴し、勇気は燃え広がるんです。
 また、ヒトラーのやり口を見た市民たちには、“ヒトラーは異常な破壊者である。そんな人間が支配するナチス・ドイツに、断じて負けるわけにはいかない!”という強い思いがあった。それは、平和を欲する良識からの、正義の炎であったといってよい。
 今、正義の学会を攻撃し、破壊しようとする者もまた、いかに巧妙に善を装おうとも、常軌を逸した卑劣な正法の破壊者です。私たちは、その悪を鋭く見破り、断じて勝たなければならない。それなくして、広布の道を開くことはできないからです。
 リーダーである皆さんは、いかなる大難があろうが、巌のごとき信念で、絶対に勝つという強い一念で、悠々と、堂々と、使命の道を突き進んでください。その姿に接して、会員は、皆、安心し、勇気をもつからです。
 リーダーには、次の要件が求められます。
 『信念と確信の強い人でなければならない。
 誠実で魅力ある人でなければならない。
 さらに、健康でなければならない。常に生き生きと指揮を執り、リズム正しい生活であるように留意すべきである。
 仕事で、職場で、光った存在でなければならない。社会での実証は、指導力の輝きとなっていくからである。
 指導にあたっては、常に平等で、良識的でなくてはならない』
 以上を、心に刻んで進んでいただきたい」   

【聖教ニュース】

◆2・11 戸田城聖先生生誕の日 池田先生は恩師記念会館で勤行

2・11「港の日」45周年を記念する東京・港総区の集い。青年部の代表が拡大の模様を報告し、青木弘武さんがピアノ演奏を披露した(広宣会館で)

2・11「港の日」45周年を記念する東京・港総区の集い。青年部の代表が拡大の模様を報告し、
青木弘武さんがピアノ演奏を披露した  (広宣会館で)
                      
  第2代会長・戸田城聖先生の生誕日である11日、池田先生は総本部の創価学会恩師記念会館(東京・新宿区)で厳粛に勤行・唱題し、死身弘法の大闘争を貫かれた恩師の崇高な生涯を偲ぶとともに、全同志の健康・福徳・栄光を祈念した。
 本年の2月11日は、戸田先生の生誕119周年であり、池田先生の小説『人間革命』全12巻の連載完結から25周年の佳節を刻んだ。
 原田会長は同日、信濃町の広宣会館(学会本部別館内)で開かれた東京・港総区の総会に出席。参加者と共に勤行・唱題した。
 総会では、本多総区総合長のあいさつに続き、壮年部の渡辺登さんが体験発表。青年部時代に築いた池田先生との出会いを胸に信心を貫く中で、職場に信頼を広げ、家族を襲う病魔も勝ち越えた模様を報告した。原田総区長、柚木同婦人部長は「港の日」の淵源である1973年の記念撮影会の歴史に触れ、3月の世界青年部総会を目指し、皆が信心即生活の実証をと訴えた。
 川原総東京婦人部総合長に続いて原田会長は、道を開くのは策や方法ではなく、心の底からの確信の祈りであると強調。題目を朗々と唱えて宿命を乗り越え、広布拡大の金字塔を堂々と打ち立てようと呼び掛けた。

◆〈ワールドリポート〉 スペインの港湾都市マラガの友  笑顔あるところ、幸福は広がる
池田先生の“出よ、妙法のピカソよ”の祈りから半世紀


 コスタ・デル・ソルの玄関口としてにぎわうマラガ
                                                                                                                                                                                                                                                                                                       

コスタ・デル・ソルの玄関口としてにぎわうマラガ



 スペインSGI(創価学会インタナショナル)は今、中央・東・南・カナリア・北の5方面体制に発展している。1月末、南方面を訪れ、地中海沿岸部に位置する港湾都市マラガの友を取材した。(記事=佐口博之、写真=笠松光一)

 首都マドリードから南部のマラガに移動するため、スペインの高速鉄道「AVE」に乗車した。南下するにつれ、車窓には、屋根も壁もオレンジ色の家々や見渡す限りのオリーブ畑など“太陽の国”にふさわしい、豊かな風景が広がっていく。
 乗車から約3時間後、マラガに到着。ここは国際的なリゾート地で有名なコスタ・デル・ソル(太陽の海岸)の玄関口だ。20世紀最大の画家パブロ・ピカソを生んだ「芸術の町」としてもその名を知られている。
 1月末は、日本で寒波が続いた時期。スペインでも冬の季節に当たるが、マラガは南欧とあって、日中の最高気温は約15度で心地よい陽気だった。
 車で町を案内してくれたファビオ・ベッジィさんは、笑みを浮かべて語っていた。
 「マラガは観光地として活気がありますが、広布の活動も熱いですよ。今、青年をはじめ新しいメンバーが躍動しています。皆、家族のように仲がいいんです!」
 車中での話題は、小説『新・人間革命』第5巻「歓喜」の章の一場面に。そこには1961年10月、池田大作先生が初めてスペインを訪れた時の真情が描かれている。
 当時、同国にメンバーは皆無。しかし、先生は確信していた。スペインのここかしこに、地涌の同志が誕生することを。そして先生は、未来の同志を思いながら祈念した。
 “出よ! 妙法のピカソよ、妙法のカザルスよ”と――。
 以来、半世紀。先生の祈りに包まれ、スペインのここかしこに、そしてピカソ生誕の地・マラガにも、地涌の同志が躍り出ていることに胸が熱くなった。
 マラガの組織は“多国籍”だ。ベッジィさんもイタリア出身で、町の中心部・マラガ第1地区の地区部長を務める。
 同地区の地区婦人部長は、ベネズエラ出身のモニカ・メルセデス・アルギンソネス・ベルガラさん。結婚を機にマラガに移ったが、当初は開放的な町の雰囲気になじめなかったという。「でも、同志の皆さんの温かな振る舞いから、“環境のせいにしてはいけない”と気付かされました。“人に尽くせる自分になろう”と決めました」
 今では、マラガで広布に駆けることを誇りにしている。最も重視する活動は訪問激励だ。学会活動用のノートには、地区の婦人部員、友人の名前がぎっしりとつづられていた。
 「一人一人の顔を思い浮かべて祈ります。そして、常に池田先生の励ましの言葉を学んでから、友の元に足を運びます。先生の心を伝えたいから」
 マラガには、同志愛に満ちた真心の励ましが広がっている。
                    ◇ 
 スペインSGIの主な活動リズムは次の通りだ。
 1週目は座談会の準備期間。
 2週目は座談会。
 3週目は教学学習。
 4週目は訪問激励。
 1月4週目の日曜日、スペイン南方面のリーダーたちがマラガに訪問激励へ。南方面男子部長のドメニコ・マンシーニさんは、マラガ中心部のカルロ・ドミンゲス・スアレスさん(男子部グループ長)宅を訪ねた。
 マンシーニさんの入会は2003年。「もともと閉鎖的な人間で、自分の考えを人に伝えることは大の苦手だった」という。入会から15年。励ましのリーダーとして友の信頼は厚い。
 一方、ドミンゲスさんの入会は2013年。仏法の“絶対的幸福”の哲理に感銘した。2年前、大学院への進学を機にマラガへ。将来の夢は大学教授だ。
 2人の対話に耳を傾けてみると――
 ドミンゲスさん 僕はマラガが大好きです。ここに広布の使命を感じています。
 マンシーニさん 自分が今いる場所で勝つ。信頼を勝ち取っていくことが大切だよね!
 ドミンゲスさん 今年の目標として、グループから新たな人材を輩出したいと思います。
 マンシーニさん メンバーと一緒に祈り、動き、人間革命に挑戦しよう。自らが広布拡大のモーターになっていこうね。
 ――話題は、信仰の原点へ。
 ドミンゲスさん 教学の初級試験を受けてから、僕の人生観が変わりました。
 ドミンゲスさんの座右の御文は八風抄の一節「賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり」(御書1151ページ)だ。一喜一憂しない幸福境涯を目指す。
 マンシーニさん 僕の人生の中でも、初級試験は大切な思い出だよ。試験を終えた瞬間、池田先生への感謝の思い、仏法と巡り合えた喜びを感じることができたんだ!
 最後に握手を交わし、互いの健闘を約し合った2人の笑顔には決意が輝いていた。
                     ◇ 
 スペインには「白い町」がいくつかある。マラガ県ベナアビスもその一つだ。美しい白の家々が整然と並ぶ風景は、どこを切っても、1枚の絵はがきを見ているようだ。
 「ここに来て4年。私の自宅は広布の会場になっています」と語るのは、ビトリアナ・ボンディーさん(ディアマンテ地区・地区婦人部長)だ。この地域は人も、町も、ゆったりと時間が流れているという。「広布の活動も、皆マイペース(笑い)。だからこそ連携を大事にして、一人一人に合った活動のリズムをつくっています」
 この町の“一粒種”として奮闘するボンディーさんの自宅には、カルメン・デル・カンポ・ビジャールさん(南方面副婦人部長)らが激励に駆け付けた。終始、笑い声が絶えなかった。
 最後に、ボンディーさんは決意を語った。「私たちの地区名は英語でダイヤモンド。一人一人が、光り輝いていけるよう、工夫し、心を尽くします!」
 取材中、マラガの同志の笑顔に何度も引きつけられた。
 笑顔があるところ、人は集まり、幸福の広がりも、広布の前進もあろう。
 人々の最高の輝きを引き出すために尽くす“人生の芸術家たち”の笑顔は、マラガの美景を鮮やかに彩っていた。
ご感想をお寄せください
news-kikaku@seikyo-np.jp 

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆SGIの輝き〉 PHOTOS(写真編)

「この木は、もっともっと大きくなるよ!」――1997年に池田先生が植樹した木の前で、さらなる成長を誓う香港青年部の友。新たな「青年師子300人」の誕生を目指し、さっそうと弘教拡大に駆ける(昨年11月、香港総合文化センターで)

「この木は、もっともっと大きくなるよ!」――1997年に池田先生が植樹した木の前で、さらなる成長を誓う香港青年部の友。新たな「青年師子300人」の誕生を目指し、さっそうと弘教拡大に駆ける(昨年11月、香港総合文化センターで)
 海外で出会ったSGIの創価家族を紹介する本企画。師弟の誓願に生きる同志の笑顔は、あの国でもこの地でも美しく輝いていた。さあ進もう! 広布と人生の栄光の城の建設

◆座談会 師弟誓願の大行進 18 「折伏の関西」が大歓喜の総会 拡大の金字塔で新時代開く 原動力は「題目」と「励まし」  “常勝”の誇り胸に 世界の青年と共に躍進

一人一人が限界突破の拡大に挑戦し、大歓喜の中で迎えた「関西総会」。さらなる勝利の峰を目指し、関西の同志の前進は続く(4日、関西戸田記念講堂で)

一人一人が限界突破の拡大に挑戦し、大歓喜の中で迎えた「関西総会」。さらなる勝利の峰を目指し、関西の同志の前進は続く(4日、関西戸田記念講堂で)

〈出席者〉
原田会長
徳渕総大阪婦人部長
広崎総兵庫長
酒井総京都婦人部長
北乾奈良総県婦人部長
小代和歌山総県青年部長
戸田滋賀総県青年部長
海崎福井総県長

 原田 このたびの福井県、北陸を中心とした日本海側各地の豪雪で被害に遭われた方々に、心からお見舞い申し上げます。学会としても、災害対策本部を設置し対応に当たっています。

 海崎 現地でも学会本部と連携を取りながら被災状況の確認や会員・家族の激励に取り組んでいます。皆が「変毒為薬」できるよう強く祈るとともに、励ましに全力を挙げてまいります。

 原田 去る4日、拡大と前進の息吹あふれる「関西総会(本部幹部会)」が開催されました。運営などで尽力いただいた方々にも心から御礼申し上げます。

 広崎 関西の2府5県、全てが「ブロック1」を超える拡大で総会を迎えました。一人一人が題目根本に、自身の「壁」を破った結果です。

 原田 方面長、方面婦人部長はじめ、青年部のリーダーも続々と弘教を成就されたと聞きました。リーダーが率先し、各部が一丸となっての前進は、広布拡大の模範です。

 酒井 「勝利の結果で先生にお応えしよう」と団結できました。一人一人と池田先生との師弟の絆こそ関西の強さです。総会の開催が発表されて以来、「じっとしていられない!」と、毎日が折伏、毎日が励ましの日々でした。

 徳渕 第一線では自身の戦いを赤裸々に語り、励まし合い、にぎやかに対話に挑戦しました。だからこそ全員が大歓喜で総会を迎えられたのだと思います。

一家和楽のドラマ

 北乾 婦人部では「グループ」が前進の原動力になりました。奈良のある地区では、グループでの訪問・激励を通し、活動に励むようになった方がいました。昨年、唱題の実践で大きな体験も積み、その姿を見ていたお子さん2人が新年に入会。一人一人に光を当てるグループは、まさに“励ましの最前線”です。

 酒井 京都のある婦人部の方は、小説『新・人間革命』に学び、先生の指導の通り、未入会のご主人に対し聡明に、誠実に接することを心がけてきました。そして、苦楽を共にしてきたご主人に真心を込めて語り掛け、入会に導くことができました。実に50年越しの祈りが通じたのです。

 原田 「一家和楽の信心」は「創価学会永遠の五指針」の第一に掲げられた指標です。一家和楽のドラマの一つ一つは、それ自体が偉大なる広布史です。まさに「未来までの・ものがたり(物語)」(御書1086ページ)です。

 徳渕 ヤング・ミセスも奮闘しました。大阪のあるメンバーは、友人の子育ての悩みを聞いた際、勇気を出して仏法対話。友人も唱題の実践を通して、見違えるように元気になり、歓喜の中、入会されました。

 原田 池田先生は総会へのメッセージで「みんなは地涌の菩薩だ。そう決めて、祈り、楽しく語ってごらん。必ず、大勢の眷属が現れて仏の陣列に集ってくるよ」との、戸田先生の言葉を紹介されました。この通りの実践をされているのが、関西の尊き婦人部の皆さんです。

 海崎 壮年部も“黄金柱”の決意で拡大に取り組みました。福井の70代のリーダーは、自身の拡大の目標に挑戦するとともに、個人指導にも徹して取り組んでいます。総会に向けても、仕事で知り合った2人の青年に弘教を成就しました。

 原田 “生涯青春”の心意気で率先する壮年部の姿は、まさに信心のかがみです。

 戸田 滋賀では82歳の壮年部の方の戦いが波動を呼びました。その方も総会を目指す中、昨年2人の方を入会に導きました。うち1人は20代の青年です。
“一人ももれなく”
 広崎 拡大の戦いでは特に、後継の青年部が大躍進しました。

 原田 男子部、女子部、学生部が“折伏日本一”を達成したと聞きました。青年が育っているところには未来があります。

 戸田 滋賀に競走馬の調教に従事する圏男子部長がいます。彼は2年連続で弘教を成就。担当する競走馬が重賞レースで勝利するなど職場でも実証を示しています。「折伏に励めば仕事でも必ず結果が出る」と語る姿を通し、周囲の多くのメンバーが立ち上がっています。

 小代 和歌山のある男子部員は、先輩からの度重なる激励に奮起し折伏に挑戦。初めての本尊流布が実りました。その直後、自営業の彼のもとに人手が足りなくなるほどの仕事が舞い込んできました。他にも、家族の大病を唱題と折伏で乗り越えた体験なども生まれています。

 海崎 福井の男子部メンバーは、故郷・大分県の友人に折伏が実りました。この弘教のため、福井から大分へ、圏男子部長をはじめ4人の男子部が駆け付けてくれたのです。

 酒井 女子部では、幸のスクラムを広げる仏法対話に多くのメンバーがはつらつと挑戦しましたね。

 徳渕 大阪の総区女子部長の折伏体験が反響を呼びました。彼女は、病と闘う友人に励ましを送り続け、入会に導きました。その後、友人は病魔を克服し、唱題の功徳を確信。2人そろって、セミナーで体験発表をしました。入会間もないメンバーの「苦しい体験も使命を果たすためにあることに気付きました。創価学会と出あい、私は今、幸せです」との言葉に、参加者は感動で胸がいっぱいになりました。

 広崎 兵庫の華陽リーダーは、3月11日に開催される「世界青年部総会」のアピール映像を見た友人から「ぜひ、私も参加してみたい」と言われ、見事、弘教が実りました。

 酒井 京都の女子地区リーダーは、励ましを送ってきた友人と、女子部の集いに参加。友人は、女子部員の信仰体験や励ましに真剣に耳を傾け、涙を浮かべていたそうです。終了後、「温かい人ばかりでとてもよかった」と語り、後日、晴れて入会されました。

 小代 壮年・婦人部の方々の題目、日頃からの全面的な大応援があってこその結果です。心から感謝いたします。

 北乾 共に祈り、共に動く中で、私たちの方も自らの青年時代の原点を思い出し、元気をもらうことができました。

 戸田 関西青年部は、池田先生の期待を全身で感じながら勢いを加速させ、「世界青年部総会」をさらなる人材拡大で迎えてまいります。

 海崎 壮年・婦人部も“一人ももれなく”の精神で青年を励まし、青年部総会の大結集に向け全力を挙げていきます。


SGIメンバーと
 小代 アメリカ青年部を迎えて開かれた「世界広布新時代 関西ワールド総会」も、10会場の全てで大成功でした。

 北乾 奈良では全地区でワールド総会に向けて題目の目標を決め、達成するごとに折り鶴を一つ作成する取り組みに挑戦。その折り鶴100羽で作った首飾りをアメリカ青年部の一人一人に贈り、大変に喜んでいただきました。この運動を通じて起きた唱題の渦が原動力となり、多くの勝利のドラマが生まれました。

 広崎 兵庫の尼崎でのワールド総会にも多くの友人が参加。アメリカ青年部のメンバーは会合終了後、すぐに対話の輪の中に入ってくれました。体験を語りながら、質問にも丁寧に答えてくれ、入会を希望する方が相次ぎました。


新しい人材に光を
 原田 池田先生は関西の皆さまに、「これから、どれほど幸福と栄光の物語が綴られゆくことか。私の心は高鳴ります」とメッセージを贈られました。新会員の方々、さらに今回の総会を機に立ち上がった方々が、「信心、活動を通してこれだけ幸せになりました!」と胸を張れるまで、激励を送っていきたいと思います。

 徳渕 今年7月には関西の歌「常勝の空」誕生から40周年の佳節を迎えます。

 北乾 「常勝の空」を歌う時、私たちの心は先生と共にあります。その精神は永遠に変わりません。

 原田 今回の総会では「折伏の大関西」を満天下に示しました。「常勝の空」を高らかに歌い、「いざや前進 恐れなく」の気概で、さらなる拡大、前進を続けることを世界中の同志、そして池田先生が見守っておられます。

◆信仰体験 それゆけ! オタク道8 介護福祉士はラッパー
丸ハダカの心で歌う あるがままのリアル
フリースタイルバトルで活躍昨年、セカンドアルバムが完成


飾らず、取り繕わず――放たれたリアルな言葉たちが聴衆の心に響く。「ありのままの自分を出し切るために、真剣に祈りを込めるんです」と

【名古屋市名東区】
 ある時は、介護福祉士として病院に勤務し、また、ある時はHIPHOPラッパー「K.M」としてライブに立つ。異なる“顔”を併せ持つ立川哲平さん(30)=香流支部、男子部本部長=は、高校時代にラップにハマって以来の「HIPHOPオタク」。大学時代からフリースタイル(即興)のラップバトルで技を磨いて、昨年はセカンドアルバムをリリース。彼が見つけた、オタクのクールな“輝き方”とは――。

自ら選んだ道なんだ
後悔はない
この出会い未だかつてない
初期衝動忘れない
(「Reunion」)

 ライブハウスのステージでマイクを握る。思いの丈をぶち込んだリリック(歌詞)を吐き出すと、オーディエンス(聴衆)が手を高く掲げた。
 ライブは「心を丸ハダカにして歌って、オーディエンスの魂を揺さぶる」瞬間の連続だ。
 ――ラップとの出あいは、高校生の時。友人の家でHIPHOPグループのCDを初めて聴いた。「飾らない、リアルな言葉に完全にヤラれたっす!」
 ラップにのめり込む。時間さえあれば、CDショップやレコード店を巡り、ディグる(=CDやレコードを探す)生活が始まった。
 後に、隠れた名盤を探し求めるオタクの情熱を歌に込めた。

脇目も振らず無我夢中
sorry
こいつはもう病気
重傷 始まる禁断症状
もう欲しくって仕方がない
(「Digg」)

 レコード店に行くたびに、衝動に駆られた。だが、バイト代だけでは到底足りない。泣く泣くコレクションを売り、新たなCDを購入。それでも、別れた名盤が忘れられずに「売ったCDを今、買い直してるんすよ(笑い)」。
 聴くだけでは飽き足らず、友人に誘われ、フリースタイルのラップバトルの大会に参戦する。即興のラップで、相手を打ち負かす格闘技――ビートに乗せて、自分の生きざまをリリックにぶちまける。「あのテンションはマジやばい。超楽しくて……」
 一方で、高校卒業後の進路は介護の道を選ぶ。小学4年の時、両親が離婚してから、「ずっと“おばあちゃん子”だった」。自然と福祉に興味を持った。
 故郷・静岡から愛知の専門学校へ進学。大学に転入して、介護福祉士の資格を取得し、病院に勤め始めた。
 社会人になってからも、ラップはやめられなかった。仕事の合間を縫って、ライブ活動を。さらに、こじ開けるように学会活動へ……。昼と夜の勤務の間に、ライブを入れたこともあった。
 しかし、「むちゃしすぎて完全にノックアウト」。頑張ることに疲れ果て、全てが中途半端で空回り。そんな自分が大嫌いになり、「全部捨てて、逃げ出したかった」。

音楽は自分を照らす鏡
噓偽りない生身
ただあるがままに
このstyleで輝きたい
(「Reunion」)

 転機は2013年(平成25年)。男子部の創価班大学校(当時)に入校。先輩は「人生の壁は、信心で突破するしかない!」と。
 仲間と一緒に、池田先生の小説『人間革命』を学ぶ。小説の中で、信心していれば何とかなるだろうとの“おすがり信仰”を戸田先生が戒め、正しい信心の軌道を指導する場面に衝撃を受けた。
 〈いったい、御本尊様に真剣に唱題し、広宣流布のために戦ったことがあるんですか〉〈何もしないで、ただ願うのは横着だ〉
 「ガツンと殴られたような感じだった。人間革命って“戦いの哲学”なんだと腹が決まったんすよ」
 折伏に挑戦し、友人への弘教も実らせる。一人一人に心を尽くす学会活動――その実践を通して、“目の前の人に元気を!”と、腹の底から思える自分になっていく。
 紡ぎ出すリリックにも変化が――。ある時は、深夜勤務の休憩時間に、またある時は、駐車中の車内で……。ふとした瞬間に浮かぶ日常の“リアル”をそのまま歌にした。
 翌年、ファーストアルバムをリリース。「最初はダサすぎて聴けなかった。まだまだ未完成っていうか……」。しかし、今度は立ち戻る信心のホームグラウンドがあった。
 学会活動に励むうちに、信心で磨いた生き方が、曲ににじみ出てくるのを感じた。
 「いつからか、飾ったり、カッコつけたりしないで、丸ハダカの、あるがままを歌うようになったっす」
 昨年、セカンドアルバム「Firm Conclusion」が完成。タイトルは日本語で〈揺るぎない結論〉。
 「俺にとっては、信心の〈確信〉っすね」
 夢を追うから、祈りが深まる。信心で打ち込むから、音楽は深みを増す。
 「小手先のスキルは、すぐにバレる。だから、題目! ライブの前はめっちゃ祈りまくります」
 悩み、葛藤、喜び――全てを祈りで包み、ありのままのリアルを、ラップに込めて放つ。これこそが、自分にしか出せない“パンチライン(=決めのフレーズ)”と信じて――。

俺達は磨く程
輝き増すDiamond
代わりなんていないんだよ
ずっとこうしてたいんだよ
(「Reunion」)

◆世界の体験プラザ アメリカSGI ターニャ・ヘンダーソンさん
人生を名画に彩る「心ざし」の力 離婚、経済苦…試練に打ち勝つ仏法

 

社会正義に人生を捧げた

 ターニャ・ヘンダーソンさんは現在、男女平等と女性の社会・政治進出を支援するNPO(非営利団体)法人の代表として、途上国を中心に世界各国で、女性の権利向上に尽力している。
 アフガニスタンの国政選挙で女性の政治進出を推進するなど、これまで中央アジア、中東、アフリカの各国で支援活動に取り組んできた。
 「国際人権の分野で活動することは私の夢でした。それを実現することができたのも、仏法とSGI、何より師の存在があったからです」とヘンダーソンさんは語る。
 人生の夢と目標を決意したのは、今から四半世紀以上前のこと。
 1991年、池田先生はハーバード大学で講演を行うため、米国東部のボストンを訪問した。
 母親の入会と同時にアメリカSGIメンバーとなっていたヘンダーソンさんは当時、SGIの活動に参加していた。ボストン大学に在籍していた彼女は同志と共に、訪米中の池田先生と出会う機会を得た。握手を交わし、力強く励まされた。
 93年、池田先生が再びハーバード大学で講演した折にも出会いを重ねた。
 「当時の思い出は今も深く心に刻まれています。米国のSGIメンバーを温かく励まされる一方、先生は宗門や社会の不正義と戦い抜かれていました。その姿に触れて、私も正義のために人生を捧げたいと決意したのです」
 ヘンダーソンさんは、国際人権の分野で働くことを志望し、ロースクール(法科大学院)で専門知識を身に付けようと心を定める。
 師との誓いを立て大きな挑戦を掲げたが、その先の人生には、さまざまな苦難・困難が待ち受けていた。
法律家への挑戦を再び決意
 人生の使命を見いだし、ロースクールに出願したものの、94年に妊娠。大学を卒業したが、大学院への進学は断念した。結婚し、96年には次男も授かった。
 幸せな家庭を思い描いたが、夫のアルコール依存と暴力に悩まされ、わずか数年でシングルマザーに。その後は、経済苦と戦いながら2人の子どもを育てる日々を過ごした。
 「全てを自身の宿業と捉え、信心で乗り越えていこうと、真剣な唱題に励みました」
 仕事と子育てで精いっぱいな状態だったが、自身の宿命を断ち切りたいと願い、再び大学院進学を決意。周囲から心配する声が上がったが、「どんなに困難な挑戦も必ず信心で成し遂げられる」と弁護士への道を歩み始めた。
 奨学金を得て、運良く子どもたちを預けられるサービスも見つかり、働きながら大学院へ。可能な限り子どもと触れ合うことを心掛け、彼らが寝た後、夜中に勉強する日々を続けた。
 毎日の真剣な祈りを欠かさず、仏法対話も重ね、ロースクールの友人7人に弘教を実らせた。
 努力のかいあって、2001年、大学院を修了。米東部マサチューセッツ州で子どもへの虐待・育児放棄を専門とする弁護士として新たな出発を切った。
 法曹界の仕事にやりがいを感じたものの、弁護料を支払えない顧客ばかりだった。自身も経済苦から抜け出せない状況が続いたが、それも常に唱題根本に信仰を貫く中で克服した。
 「最大の功徳は、家庭の悩みや経済苦の宿命を乗り越える中、信心への確信を深められたことです」
夢を実現、師との誓い果たす
 弁護士となって数年が経った2008年、ヘンダーソンさんは、師との誓いを果たすため、国際人権の分野に取り組もうと、再び大学での研さんを決意する。
 東部の名門タフツ大学フレッチャー法律外交大学院を目指したが、不合格に。合格基準を満たすには、特に国際的な職務経験が不足していた。
 何としても合格したいと真剣に祈る中、ある日、息子の“ママ友”と語り合う機会があった。
 話すうち、医師として途上国の医療支援に当たっていた彼女から“この夏にアフリカ・エチオピアの調査でスタッフが必要だから参加してみない?”との提案があり、即答で引き受けた。
 09年、念願のタフツ大学フレッチャースクールに進学。世界各地から集った裁判官や首相の法律アドバイザーなど精鋭20人のプログラムで学ぶことになった。
 「児童福祉分野しか経験のない私が、優れたキャリアをもつ異分野の人々と一緒に研究を重ねることができ、この上ない“財産”を得ることができました」
 2000年、国連安全保障理事会は、武力紛争の予防や解決、平和構築や平和維持の場面から女性が排除されていたことに注目し、国際平和・安全保障面での女性の参加・活用を推進する安保理決議1325号を採択した。
 ヘンダーソンさんは1年間のプログラムを終えた後、主に中東・アフリカ各国を巡り、国連決議の内容に基づく支援活動に従事した。
 米国内でも政府や議会の関係者、社会と連携し、同様の活動に取り組んできた。
 そして14年、女性の権利向上を目指すNPO法人を設立した。
 「どういう自分になろうとしているのか、この人生で何を成し遂げたいのか。それをできるだけ具体的に心に描くことです(中略)そのデッサンにしたがって、実際に素晴らしき人生という名画を描けるというのが『心ざし』の力です。『一念三千』の法門です」(『永遠の経典「御書」に学ぶ』)――ヘンダーソンさんが心に刻む池田先生の指導だ。
 現在、アメリカSGIでは支部婦人部長として同志の激励に奔走する。
 「はるか遠くに思われた夢でしたが、師との誓いが私を支え続けてくれました」と感謝の思いは尽きない。

2018年2月11日 (日)

2018年2月11日(日)の聖教

2018年2月11日(日)の聖教

◆わが友に贈る

会合に参加できない人へ
温かな声掛けを!
「徹して一人を大切に」
これが創価の心だ。
希望の光を隅々まで!

◆名字の言

  アメリカ青年部の熱と力に圧倒された、今月の本部幹部会。幹部会の前日に行われた関西ワールド総会では、アメリカのメンバーが、会合に参加した日本の友人に仏法対話し、入会を決意する友の姿も▼東京のある女子部員は今月、日本とは地球の反対側に当たるブラジルに飛んだ。2016年に知り合ったブラジル人の青年が入会するからだ。現地の応援も得て、青年の幸福を願い、対話を重ねてきた。この真心に青年の母親も感動。親子共々、晴れてSGI家族の一員となった▼3月の世界青年部総会に向け、青年部の成長と活躍が目覚ましい。かつて先輩が話してくれた対話の意義を思い出す。「人生は一度きり。でも、全生命をかけて対話し、友人に真剣に関わる時、相手の人生を共に生きることになる。自分が何人の人生を生きているか――これが境涯なんだよ」▼対話の拡大は、青年部だけではない。各部が心ひとつに取り組む。入会57年、90歳の沖縄の婦人は、勤行で鳴らす鈴を例に、「団結」を訴える。鈴棒でたたく場所や強弱で鈴の音は異なるが、どれも同じ一つの鈴の音。同じように、若い世代とは意見もやり方も違うが、目的は同じ「広宣流布」と▼広宣流布は世界同時進行。だからこそ、異体同心の団結で進みたい。(川)

◆寸鉄
 

  戸田先生の生誕日。悲惨
 の二字をなくす!恩師の
 闘魂継ぐ陣列は192カ国に
      ◇
 国際部結成の日。語学と
 人間力で世界を一つに!
 広布の伸展支える賢者よ
      ◇
 若者は実行と決意。やれ
 ば必ずできる―牧口先生
 勇敢に正義語り、壁破れ
      ◇
 子どもの育成自体が平和
 の為の仕事―博士。鳳雛
 に励ましを。未来部の日
      ◇
 「おれおれ詐欺」の被害が
 過去最悪。慌てず焦らず。
 振り込む前に家族に相談

◆社説  きょう戸田先生の生誕日   差異を超え平和築く創価の使命


 1900年(明治33年)のきょう2月11日、第2代会長の戸田城聖先生は石川県・塩屋(現在の加賀市内)に生まれた。
 戸田先生は57年(昭和32年)の「原水爆禁止宣言」で、核兵器は人権を根本的に否定する“絶対悪”であると訴えた。それから60周年に当たる昨年、国連で122カ国の賛同を得て「核兵器禁止条約」が採択された。SGIが国際パートナーとなり、共に条約の制定に尽力してきたNGO「ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)」に、ノーベル平和賞が贈られた。
 授賞式で、広島の被爆者であるサーロー節子さんが演説した。「核兵器は必要悪ではありません。絶対悪なのです」と。平和のために戦う世界の人々と、この言葉を共有して、新しい一歩を踏み出した意義は大きい。
 ICANのベアトリス・フィン事務局長は「核兵器禁止条約の採択が、戸田第2代会長の原水爆禁止宣言から60周年の年であるということも、非常に意義深い」「たとえ希望が見いだせず、人々が諦めそうになった困難な時代にあっても、SGIが立ち上がるエネルギーと勇気を発揮し続けてきたことに多大な啓発を受ける」
と振り返る。
 池田先生は先月、「SGIの日」記念提言で、「核兵器廃絶への民衆行動の10年」の第2期を本年から開始し、市民社会の連帯をさらに広げていきたいと強調した。戸田先生が提唱した「地球民族主義」に立ち、グローバルな民衆の声を結集することが時代転換の力となろう。
 今、戸田先生の郷土・北陸の青年部も、自他共の幸福を目指して、「誓願ビクトリー地区」の取り組み(富山)や、「地区青年5スターズ」の推進(石川)に力を入れている。これらの“草の根の平和構築”ともいえる姿に、日常に生きる等身大の平和行動を見る。
 池田先生はかつて、北陸出身の哲学者・西田幾多郎の“健気なる決心より美しいものはない”との言葉を通して語っている。「私も深き決心で世界中の指導者、識者と会い、語らいを重ねてきた。そして、あらゆる人を学会の味方へと変えてきた。『学会はすごいですね!』『あなたのためなら協力します!』――こう言ってもらえるくらい、誠意を尽くして語り、友情を結んでいくことである」
 地球上から悲惨の二字をなくしたい――そのために、あらゆる差異を超えて人々
と対話し、人権の世紀へ、民衆連帯の大河を広げていくこと。それが戸田先生から託された使命である。

◆きょうの発心   希望あふれるスクラムを拡大 2018年2月11日


御文
 我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし
(開目抄、234ページ)
通解 私と私の弟子は、多くの難があろうとも、疑う心を起こさなければ、自然に仏界に至るであろう。

 いかなる難があっても疑うことなく信心を貫けば、成仏の境涯を得られると仰せです。
 学会4世として広布の庭で育ち、創価大学に進学。2004年(平成16年)1月8日、池田先生が法学部の講義に参観され、全力で学生を励ます姿に触れた私は、“生涯、師弟に生き抜こう”と誓いました。
 大学4年生の時に、この御文を心肝に染めて折伏に挑戦。師匠に心を合わせ、友の仏性を信じ、幸福を祈り抜けば必ず相手に通じることを実感しました。
 かつて先生が示された“北陸に生まれ育った君たちだ。北陸を頼むよ”との指導を胸に、地元・富山に帰郷し、念願の教師に。思う存分、仕事と学会活動に励む中、父が病を患いましたが、先生と同志の皆さまの激励と祈りに包まれ、乗り越えることができました。
 昨年、富山総県で開催した「創価青年大会」では、多くのメンバーが師との原点を築き、新たな前進を開始しました。
 富山華陽姉妹は、広布の大願を掲げ、「3・16」、そして栄光の「11・18」を目指し、師と共に希望あふれる地涌のスクラムを世界へ、未来へ広げてまいります。
 富山総県総合女子部長 中瀬潤子

【聖教ニュース】

◆きょう「2・11」 戸田城聖先生生誕の日 小説「新・人間革命」第30巻を発刊 上・下2分冊  師弟不二の大叙事詩が完結へ 上巻=6月刊行 下巻=11月刊行

 これまでに出版されている小説『新・人間革命』第1~29巻
れまでに出版されている小説『新・人間革命』第1~29巻

 きょう11日は、創価学会第2代会長・戸田城聖先生の生誕の日。恩師の後を継いだ池田大作先生の不惜身命の闘争によって、創価の人間主義の連帯は世界192カ国・地域へと拡大した。このほど、世界広布の壮大な伸展の歴史をつづる池田先生の小説『新・人間革命』の第30巻が、上・下2分冊で刊行されることが決定した。本年6月に上巻、11月に下巻が発刊となる。これで、小説『人間革命』全12巻と合わせて、“師弟不二の大叙事詩”は完結となる。
 『新・人間革命』第1巻の「あとがき」に池田先生はつづった。
 「生命の続く限り、私は書き続ける。正しい仏法とは何か。正しい人生とは何か。そして、何が歴史の『真実』か。人間にとって『正義』の戦いとは何かを。そこに、人類の未来を開く、一筋の道があるからだ」
 1993年(平成5年)8月6日――「広島原爆の日」に、池田先生は、恩師との思い出深き長野の軽井沢で筆を起こした。
 このとき、池田先生は65歳。執筆に当たり、「完結までに三十巻を予定している。その執筆は、限りある命の時間との、壮絶な闘争となるにちがいない」と述べた通り、世界広布の指揮を執る大激闘と平和実現への行動を重ねる中、一文字一文字に心血を注いできた。
 1945年(昭和20年)7月3日、敗戦間近の焼け野原に一人立った戸田先生が「75万世帯」の願業を成就し、民衆勝利の道を開いた歴史を描く『人間革命』。そして恩師亡き後、第3代会長に就任した山本伸一を中心に、弟子が織り成す「後継」の壮大な軌跡を描いた『新・人間革命』。
 池田先生は“世界広布の広がりこそが、恩師の本当の偉大さの証明になる”と考えるとともに、“恩師の精神を未来永遠に伝えるためには、後継の「弟子の道」を書き残さなければならない”との思いから、同書の執筆を決意。日々、全同志に手紙をつづる思いで、筆を執り続けてきた。
 『新・人間革命』執筆開始から、25星霜。
 同書は、日本の新聞小説史上、最多の連載回数を更新し続け、1509回にわたる『人間革命』と合わせると、7800回を超えるまでに。国内で記録的ベストセラーとなったほか、海外13言語、23カ国・地域で出版されている。
 第30巻は、上巻で「大山」「雌伏」「雄飛」の3章と「暁鐘」の章の途中までを収録。下巻では「暁鐘」の章の続きから、現在連載中の「勝ち鬨」の章、そして「誓願」の章から構成されることになる。
 「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」――『人間革命』『新・人間革命』に貫かれた主題は、未来へと永遠に光彩を放ち、世界の人々に無限の希望を贈り続けるだろう。 

◆小説「新・人間革命」第30巻を発刊――原田会長が談話   誓願こそ広布前進の力

 本年は活動方針で、小説『新・人間革命』第30巻までの熟読、読了に各人が取り組みながら、実践を通して自身の人間革命に挑戦していくことを掲げており、各地で活発に研さんが進んでいます。
 その中で、多くの皆さまから、現在も執筆が続く第30巻を、できるだけ早く単行本で研さんしたいとの声が寄せられています。またその全6章は相当な分量になることが予想されることも踏まえ、第30巻は上・下の2分冊として発刊される運びとなりました。
 世界宗教へと雄飛する創価学会の“精神の正史”、そして飛翔の原動力こそ、他ならぬ小説『人間革命』であり、『新・人間革命』です。とりわけ、池田先生が恩師への誓いを胸に海外指導の第一歩をしるした「旭日」の章から始まる『新・人間革命』は、これまで海外諸言語でも出版され、世界の全同志の勇気と希望の源泉になっています。
 『新・人間革命』の執筆開始から25年。池田先生は広布への大情熱、師弟の炎をたぎらせて、立正安国のペンの闘争を続けてくださっています。
 そして先月、その最終章のタイトルを「誓願」とすることを発表されました。先生は言われています。
 「『誓願』は、仏の生命と一体の智慧と力を湧き出していく勇気の泉です」「距離も時間も超え、『誓願』によって、師弟は永遠に不二なのであります」
 まさに創価の師弟の誓願こそ、幾多の苦難を勝ち越えて、世界広布を実現してきた不屈の力であります。
 私たちは、この師弟の誓願が脈打つ『新・人間革命』を日々、深く学びながら、「世界広布新時代」の弘教・拡大の歴史を堂々と開いていこうではありませんか。 


【特集記事・教学・信仰体験など】

◆壁破る二月闘争を 海外の同志が決意に燃えて

165人が参加したリーダー研修会。婦人部の友が信仰体験を発表し、キムラ婦人部長、ヒダカ教学部長らがあいさつした(首都サントドミンゴのドミニカ共和国文化会館で)

165人が参加したリーダー研修会。婦人部の友が信仰体験を発表し、キムラ婦人部長、ヒダカ教学部長らがあいさつした(首都サントドミンゴのドミニカ共和国文化会館で)

 1・26「SGI(創価学会インタナショナル)の日」を祝賀するフィリピンの集いが1月26日、国内4会館で開かれ、900人が集った。このうちフィリピン文化会館ではロキリオ・ラグロさんが一家を襲う幾多の試練を乗り越えた体験を披露。アルカンタラ理事長は人間主義の哲理を広げ、新時代の2月闘争を飾ろうと呼びかけた。
  ドミニカ共和国のリーダー研修会は1月14日、ドミニカ共和国文化会館で。新任のラウド・セスペデス男子部長、シンディ・デレオン女子部長が青年拡大への決意を述べ、ファミリア理事長を中心に皆で青年育成に進むことを約し合った。

◆みらいへの記 福島 相馬東支部 東日本大震災から6年11カ月 
  明日につながる芽

相馬市磯部の高台から太平洋側を望む。一面にソーラーパネルが広がり、海岸には堤防が整備されている

相馬市磯部の高台から太平洋側を望む。一面にソーラーパネルが広がり、海岸には堤防が整備されている

 毎月11日を中心に、今この時の東北の姿を紹介する本連載。東日本大震災から6年11カ月となる今回は、福島旭日県の相馬東支部を訪ねた。

◆信仰体験 平昌冬季五輪を支える韓国SGIの友〉3 史上最多92カ国・地域が参加 組織委員会でソフトウエア開発を進める方面女子部長 


 【江原道江陵市】内面に秘めた強き心は、試練の冬を乗り越え、つかみ取ったもの。「これまでも、そしてこれからも信心で立ち向かっていきます」と穏やかに語る金珉京さん=方面女子部長。平昌五輪の組織委員会で組織通信局に勤務し、IT技術者として大会の成功を支えている。
 

2018年2月10日 (土)

2018年2月10日(土)の聖教

2018年2月10日(土)の聖教

◆わが友に贈る

壁を破るのは
不撓不屈の執念と
粘り強い行動だ!
強盛な祈りを根本に
きょうも挑戦の一歩を!

◆名字の言
 

  中国の著名な詩人、書画家の饒宗頤氏が数え年101歳で逝去した。漢学、仏教学、儒学、考古学、言語学、敦煌学にも通暁した、同国最高峰の碩学である。まさに巨星落つの感が深い▼氏の生きる姿勢に触れたのは2007年、神戸市の関西国際文化センターで行われた「長流不息――饒宗頤」展。開幕式に出席するため、饒宗頤氏が来日した。当時、90歳である▼氏の創作活動は、展示会の開催が決まってから一段と勢いを増した。当日、展示された約200点のうち、実にその半数以上が新作。なぜ、そこまでできるのか。創作の原動力について、氏は池田先生との対談で語った。「香港という『地』への恩、現代という『時』への恩、そして出会った方々、つまり『人』への恩があります。その恩に報いるためにも、今の自分に止まっているわけにはいかないのです」▼恩を知る人は強い。池田先生は「お世話になった人に恩返しをしていこうという心が、一番、自分を成長させる。限りない向上のエネルギーとなっていく。報恩の人こそ、人生の勝利者である」と述べている▼自分を育み、支えてくれた人のために――そう思えば、心は広がり、力が湧く。恩ある人の笑顔を頭に浮かべつつ、わが人生の新たな挑戦を開始しよう。(澪)

◆寸鉄
 

  宗教は人生の背骨である
 ―牧口先生。絶対勝利の
 信心。自信満々に語ろう
      ◇
 御書「此の法華経の題目
 を弘めんと思うばかりな
 り」。折伏こそ幸福の大道
      ◇
 B長・白ゆり長の奮闘に
 感謝!地域広布の開拓者
 よ伝統の2月を勝ち開け
      ◇
 平昌五輪が開幕!限界突
 破の熱戦に期待高まる。
 我らも今いる場所で金を
      ◇
 公明こそ命と教育の権利
 を守り抜いてきた党―識
 者。立党精神を胸に進め

◆小説『新・人間革命』第30巻 勝ち鬨の章 五十三 2018年2月10日 (6294) 


 山本伸一が熊本支局で待っていると、ほどなく明十四日付の「聖教新聞」の早版が届いた。彼は、すぐにページを開いた。二・三面に見開きで掲載された、竹田の同志との記念写真が目に飛び込んできた。これほどの大きな写真の扱いは異例である。一人ひとりの顔までよくわかる。誇らかに胸を張り、凱歌が轟くような写真であった。
 そして、「雄々しき大分竹田の同志に、長寿と多幸あれ」「岡城趾で『荒城の月』を大合唱」「『涙』と『悔しさ』に耐え抜いた三百人と」との見出しが躍っていた。
 彼は、居合わせた記者たちに言った。
 「すばらしいね。迫力がある。これで、みんな大喜びするよ! ありがとう!」
 翌日、大分県では、早朝から同志の喜びが爆発した。その記念写真は、烈風を乗り越えて、創価の師弟が二十一世紀への広宣流布の長征を誓う一幅の“名画”であった。
 写真に写った同志の多くは、この新聞を額に入れて飾ったり、家宝として大切に保管した。その後の人生のなかで、苦しいことや悲しいことに出遭うと、新聞に載った写真を見ては自らを元気づけ、勇気を奮い起こして頑張り抜いたという人も少なくない。
 この十四日、伸一は、福岡県にも足を延ばし、久留米会館を訪れた。会館に集っていた同志と厳粛に勤行し、激励したあと、八女会館を初訪問した。八女は、初代会長・牧口常三郎も、第二代会長・戸田城聖も弘教に奔走した、広布開拓の歴史を刻む地である。さらに、八女支部の初代支部長を務めた功労者宅を訪ね、家族と語らいのひとときをもった。
 引き続き、筑後市内の中心会場となっている個人会館で、筑後の代表や福岡県の幹部らと勤行し、懇談会を開いた。伸一は、広宣流布の途上には予期せぬ困難が待ち受けており、その時こそ、リーダーの存在が、振る舞いが重要になることを確認しておきたかった。
 御聖訓には、「軍には大将軍を魂とす大将軍をく(臆)しぬれば歩兵臆病なり」(御書一二一九ページ)と仰せである。   

【先生のメッセージ】

◆〈御書と歩むⅡ――池田先生が贈る指針〉6  健康革命の日々を


御文
 御痛みの事一たびは歎き二たびは悦びぬ (太田入道殿御返事、1009ページ)
通解(病気で)お痛みのことについて、ひとたびは嘆き、ふたたびには悦んだ。

同志への指針

 大聖人は、門下の病の報告に同苦され、わが身のことと祈ってくださった。その上で、今こそ変毒為薬の時と喜ぶのだと大激励なされている。
 仏法は“健病不二”である。たじろぐことはない。妙法を唱え抜いて自他の病苦を迎え撃つのだ。必ず生命力を増し、宿命転換できる。悩める友を励ませる境涯ともなる。
 共々に勇気凜々と、健康革命の日々を歩みゆこう!

【聖教ニュース】

◆開催まであと1カ月 さあ!世界青年部総会へ  「3・16」60周年の佳節を荘厳
海外65カ国・地域から若人が集結 国内1200会館と各国にライブ中継

 師弟の魂の勝ち鬨を!世界青年部総会には海外65カ国・地域の地涌の若人が勇み集う(昨年9月)
師弟の魂の勝ち鬨を!世界青年部総会には海外65カ国・地域の地涌の若人が勇み集う(昨年9月)

 「3・16」60周年の佳節を荘厳する「世界青年部総会」が3月11日、盛大に行われる。
 全国・全世界の青年部は、いよいよ1カ月後に迫った総会を目指し、弘教拡大、人材育成、訪問激励に総力を挙げている。
 ――1957年(昭和32年)12月、若き池田大作先生が先頭に立ち、恩師・戸田城聖先生の願業である75万世帯の折伏が達成された。
 その3カ月後の58年(同33年)3月16日。全国から6000人の若人が馳せ参じ、広宣流布の模擬試験となる式典が挙行された。
 この時、戸田先生は「創価学会は、宗教界の王者である!」との大師子吼を放ち、池田先生を中心とした青年部に後事の一切を託した。厳粛なる「3・16」の歴史である。
 以来60星霜――。
 師弟の炎のバトンを受け継いだ池田先生は真正の弟子として決然と一人立ち、世界広布の大遠征を開始した。その師子奮迅の闘争で呼び出された地涌の陣列は今、192カ国・地域へと広がった。
 世界青年部総会には日本の青年部・未来部の代表と共に、海外65カ国・地域から250人の青年リーダーが参加予定。使命の勇者が一堂に会し、師の未聞の大偉業を宣揚するとともに、後継の宣言を堂々と打ち立てる。
 また総会は、国内1200会館のほか海外の代表の国でライブ中継され、「全ての会場が師弟直結の本会場」との意義が込められる。
 そして総会の最後に各国の青年部と同時刻に勤行・唱題を行う。万年の広宣流布を誓う凜々しき大音声で、同志が一つに結ばれる。
 池田先生は総会の成功を心から願い、こう期待を寄せた。「物理的な距離を超えて結合した、世界同時の3・16『師弟共戦の誓いの会座』となるに違いない。法華経に説かれた壮大な会座を仰ぐ思いで、私は青年たちの挑戦を見つめている」と。
 竹岡青年部長は固く誓う。
 「全世界の青年門下の空前の大連帯で後継の宣言を打ち立て、人類史の新たな朝を勝ち開きます!」 

◆民音創立者の池田先生に東京・昭島市から感謝状

東京・昭島市からの「感謝状」授与式。臼井市長(前列中央左)から、民音の伊藤代表理事(同右)に、池田先生への感謝状が託された(民音文化センターで)

東京・昭島市からの「感謝状」授与式。臼井市長(前列中央左)から、民音の伊藤代表理事(同右)に、池田先生への感謝状が託された  (民音文化センターで)
                  
 民音創立者の池田先生に、東京・昭島市から「感謝状」が贈られた。授与式は「民音の日」である2月9日、東京・信濃町の民音文化センターで行われ、昭島市の臼井伸介市長から民音の伊藤代表理事に託された。
 同市は2007年、東京富士美術館の創立者として、先生に感謝状を贈っている。
 今回の感謝状には、先生のリーダーシップのもと、民音が世界108ケ国・地域に及ぶ文化交流に貢献してきた事実とともに、多摩地域にあっても多くの公演を開催し、同地域の文化振興に尽力してきたことへの感謝が記されている。臼井市長が感謝状を読み上げ、伊藤代表理事が先生からの謝意を伝えた。
 

◆ブラジルで未来部研修会   栄光の青春を共に

池田先生との忘れ得ぬ思い出が輝くブラジルSGI自然文化センターで、「2030年後継池田会」の友らが記念のカメラに

池田先生との忘れ得ぬ思い出が輝くブラジルSGI自然文化センターで、「2030年後継池田会」の友らが記念のカメラに

 ブラジル未来部「2030年ブラジル後継池田会」の研修会が1月20、21の両日、サンパウロ州イタペビ市のブラジルSGI(創価学会インタナショナル)自然文化センタ―で開かれ、全土から未来部と担当者の代表ら2100人が参加した。
 これには、池田先生がメッセージを贈り、勇気に燃えて踏み出す「一歩」が何よりも大切であると強調。「ムイト・マイス・ダイモク(もっと題目を)」の精神を受け継ぎ、自分らしく青春の栄光の道をと呼びかけた。
 
【特集記事・教学・信仰体験など】

◆世界広布新時代第31回本部幹部会 関西総会から(要旨) 原田稔会長 
「個人指導」こそ自他共の成長の道   青年の気概で拡大の実証を


 一、大歓喜に沸く「世界広布新時代第31回本部幹部会」ならびに「関西総会」の開催、大変におめでとうございます(拍手)。
 池田先生は1月26日、「SGIの日」に寄せて、「人権の世紀へ 民衆の大河」と題する記念提言を発表されました。
 今回の提言では、唯一の戦争被爆国である日本が、核兵器禁止条約への参加に向けた意思表明を行うよう呼び掛けられるなど、国内外から広く注目を集めております。
 池田先生による、この「SGIの日」記念提言は、第1回の発表から本年で35周年。核戦争防止国際医師会議(IPPNW)のバーナード・ラウン博士が、「毎年、新鮮で示唆に富んだ提言を発表し続けていることを高く評価します。地球的なスケールで、これほど持続的に取り組んでいる人はいません」と語っているように、立正安国への信念の行動に世界的評価が寄せられております。
 このIPPNWは、昨年のノーベル平和賞を受賞した国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」の母体であります。
 池田先生は1987年(昭和62年)、このIPPNWの共同創設者である当時のラウン会長と出会われ、89年にはラウン会長、そしてミハイル・クジン会長と相次ぎ会見。核兵器廃絶に向けた努力を約し、深い友情を結ばれました。
 その後、2007年にICANが発足すると、学会本部を訪れた当時のティルマン・ラフ議長から、国際パートナーとしての協力要請があり、SGIとICANの歩みがスタートしました。
 先日、総本部に来られたICANのフィン事務局長は語っております。
 「SGIは、私たちICANにとって最も古く、一貫したサポーターの一つです。核兵器の禁止と廃絶を目指す戦いにおいて、計り知れないほど重要な役割を担ってきました」と。
 全ては池田先生の一貫した外交戦、言論戦のたまものであります。
 かつて先生は、ラウン博士に語られました。
 「人間として生きている限り、最高善の実践に生きるべきです。最高の『善』に対して反対すれば最大の『悪』となり、最高の『善』に賛同し共に行動すれば、自らもそれに連なっていくことができるというのが私の信念です」
 御書に「道理証文よりも現証にはすぎず」(1468ページ)と仰せの通り、事実にまさる雄弁はありません。私たちは自信満々と、「最高善」である立正安国の弘教拡大に、まい進していきたい(拍手)。
 一、折伏の推進に当たって大事なことは、「折伏と個人指導は車の両輪である」という点であります。それは、単に組織論的な側面だけではありません。
 池田先生は、小説『新・人間革命』第27巻「激闘」の章につづってくださっています。
 「私が多くの幹部を見てきて感じることは、個人指導を徹底してやり抜いてきた方は、退転していないということなんです。
 個人指導は、地味で目立たない永続的な忍耐の労作業であり、それを実践していくなかで、本当の信心の深化が図れるからです。さらに、個人指導を重ねていくなかで、自分自身を見つめ、指導することができるようになるんです。だから退転しないんです」と。
 「リーダー自身の成長」という観点からも、個人指導の実践が重要だということです。
 さらに先生は、こう続けられます。
 「もちろん折伏も大事です。ただし、折伏しただけで、入会後の指導をしっかりしていかないと、一時的な戦いに終わってしまう面があります。また、折伏の成果は、すぐに目に見えるかたちで表れるので、周囲の同志から賞讃もされます。それによって慢心になり、信心が崩れていってしまった人もいました。
 したがって、折伏とともに、個人指導に全力を傾けていくことが、自分の信心を鍛え、境涯を高めていく必須条件なんです」
 折伏の眼目は、「何人が幸せになったか」です。ゆえに、「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり」(御書1136ページ)であるからこそ、新入会者にとっても、また紹介者自身にとっても、個人指導の実践が絶対に必要なのです。
 今月から始まった「励まし週間」では、一人一人が池田先生との絆、同志との絆、御本尊との絆を強めゆく個人指導に徹していきたい。
 また、3月の「世界青年部総会」に向け、壮年部・婦人部が青年部と共に動く中で、折伏と結集の両面から青年を育成していきたいと思います。よろしくお願い申し上げます。
 一、池田先生は先月の本部幹部会で、小説『新・人間革命』の最終章となる「誓願」の章を執筆すると発表してくださいました。
 先生が『新・人間革命』の執筆を開始されたのは25年前、65歳の時でした。それを思えば、弟子の私たちは、まだまだ全員が「青年」であります。
 そして今、90歳になられた先生が、最終章を「誓願」の章と銘打ち、つづってくださる。であるならば今、弟子は何を誓願するのか。その誓願は本物なのか――。問われるのは「弟子の誓願」であり、「弟子の実証」であります。
 さあ、千載一遇の時、折伏・弘教の前進また前進をもって、「3・16」60周年を荘厳していこうではありませんか(拍手)。

◆〈グローバルウオッチ〉 共生の未来へ インタビュー 社会活動家 法政大学教授 湯浅誠さん   人と人が支え合える空間


 現代社会の課題と向き合う「グローバルウオッチ」。孤立や分断が深まる中で、人類の「共生の未来」を開くためには何が必要か。本年1回目のインタビューは、社会活動家で法政大学教授の湯浅誠さんに話を聞いた。
 ――現代社会を見つめると、至る所に「格差」が広がっているのを感じる。経済格差、教育格差、つながりの格差、さらには、よりよく生きようとする意欲の格差などが入り交じって、人が容易に孤立しかねない状況にある。
 また世界に目を向けると、人と情報が素早く移動するグローバル化が進展する一方で、文化や思想の違いによる対立や分断の傾向が強まっているともいえる。今ほど、人類が共に生きていく「共生」の思想・哲学が求められている時代はないのではなかろうか。
 湯浅誠さんは、リーマン・ショック後の2008年末の「年越し派遣村」など、一貫してホームレスの人や生活困窮者を支援してきた社会活動家であり、また貧困問題や共生社会等の研究者、時には内閣府参与としても社会問題の解決に携わってきた人である。
 本年の「グローバルウオッチ」を「共生の未来へ」とのテーマで開始するに当たり、今、私たちに求められている「共生」の在り方について、湯浅さんに聞いた。
  
 私は20代の頃からホームレスの方の支援に携わる中で多くのことを学びました。当初はボランティアで食事を作って提供していましたが、それだとなかなかうまくいかない。続けるのも大変になる。
 そこである時から食材と器材だけを持ち込んで、後はホームレスの人たちに頼んでみた。すると元料理人の方もいるわけで、学生ボランティアに「包丁の使い方も分からないのか。しょうがねえなあ」と笑いながら、張り切ってやってくれたりした。私自身、元内装職人から技術を学んで、内装業で稼いでいた時期もありました。
 私は現代社会は穴の開いた「たらい」だと思っていて、ポタポタと水が落ちるけど、上から見ても穴のありかは分からない。でも生活困窮者と同じ目線で見ると社会の穴に気付かせてもらえる。その穴をふさぐことで自分自身もこぼれ落ちにくい地域づくりができる。同じように、バリアフリーの社会にするために「どこの段差からなくしたらよいか」と考えたら、障がいがあって車いすを使用している人に聞くのが一番いいわけです。
 コミュニティーというのは「100パーセントの支え手も、支えられ手もいない空間」であって、人と人が支え合える関係の中でこそ共生は生まれると思います。
――生活困窮者への支援というと、弱者救済という側面ばかりがクローズアップされがちである。しかし現実生活の中で、支援を「する側」と「される側」が固定化していくと互いに息苦しくなり、「共生」のイメージとはかけ離れた状況になってしまうことがある。

 ”相手が支えられないといけない人だから支える”というのは、よい支援とはいいにくいと思います。なぜなら「あなたは無力だ」というイメージを伝えてしまい、相手をエンパワーメント(内発的な力の開花)することにはならない。そこで自然と相手に、自分の力が求められていると感じてもらえる支え方が大
事になります。
 実際、ボランティアで生活困窮者支援を続ける人たちは口をそろえて言います。誰かのためにやると思っていたけど「結局、自分が生かされ、助けられている」「自分の居場所になっている」と。
 そういった関りは、確かに気付きの連続であって、学び合うという意識もないぐらい学んでいるような感覚です。

――湯浅さんの昨年の著作『「なんとかする」子どもの貧困』の中では、外からは見えにくい相対的貧困と、どう向き合ったらよいかが重要なテーマになっている。
 ※相対的貧困率とは、社会におけるあらゆる世帯の所得の中央値の半分(貧困線)を下回っている世帯の人数の割合であり、日本はおよそ6人に1人で、先進国の中でも格差が大きい社会といえる。

 日本では、かつてのように、今すぐ生命に関わる絶対的貧困や、誰が見ても明らかな貧困というのは、少なくなっているようですが、その代わりに見た目では分かりにくい相対的貧困が増大し、抜け出せなくなっている。例えるなら、絶対的貧困は赤信号で、相対的貧困は黄信号。黄色は放っておけば、何かのきっかけですぐに赤になってしまうわけです。
 昨年の著書の中でも、困難な親子関係の中で生きた若者が、「自分はそもそも『努力する』エンジンが備わっていない」と語る言葉を紹介しています。私は今の貧困というのは、お金がないという貧しさだけでなく、自分を受け入れてくれる人とのつながりがない、だから自信が生まれないという「三つのない」を抱えた状態だと考えています。つまり、よりよく生きようとする「意欲の貧困」や「諦め」が広がっている。
 人間は生物学的に幼少期に愛着形成が行われるとされますが、人は人に支えられた経験によって頑張ろうという気持ちが育まれる。そういった経験が足りていない人にとっては、多様なつながりの中での支えを経験できる場が必要になってくる。私はそれが「溜め」のある社会だと思っています。
 溜めというのは「溜め池」の溜めで、日照り続きでも、水が枯渇して稲が枯れないように、地域の皆の共同作業でつくる場です。
 近年、各地に広がる「子ども食堂」も、見えにくい貧困と向き合う溜めの場です。また秋田県の藤里町では、プラチナバンクとよばれる人材登録制度があって、お裁縫が得意な高齢者が”週1回何円で教えます”とか自己申告で登録できる。人が社会とつながって何かの約に立てるように、溜めの機能をつくっている好例といえます。そうした溜めの場からいろんな人が養分を得て、支え合えるつながりをつくることが大切です。
 その上でもう一つ重要なのは、相対的貧困は、OECD(経済協力開発機構)という各国の経済成長を促進するための国際機関が定めている指標だということです。つまり世界では、社会の活力やイノベーション(新しい発展)を生み出すために「ある程度の格差」は必要だとする一方で、「行き過ぎた格差」が生まれると、諦めや治安の悪化が広がり、社会の発展の足を引っ張るというのが共通理解になっている。その行き過ぎた格差に入るラインとして、相対的貧困という基準を定め、日本も受け入れているのです。
 今や、黄信号の子たちが赤信号になったら支援するという時代ではなく、黄色から赤にならないように、予防的な対応をすることが重要になってきています。それが今の子どもや若者のためになり、将来的な「支え手」を育てていくことにもなって、社会全体の発展にもつながるという発想を広げていくことが大切だと考えています。

――私たちが暮らす足元から「共生の未来」をつくっていくためには何が必要か。またどのような人材が求められているのだろうか。

 現代は「正解のない問い」を皆で考え、100パーセントでなくても、できるだけ納得できる答えを探していくような時代です。そこで大事なのは、なるべく多くの人たちの理解を得ることです。
 地域の中には「昔はもっと大変だった」「若い人たちはもっと努力しなくちゃ」という声もあるかもしれませんん。そういった自己責任論では現代の貧困や課題は解決しにくいのは確かです。でも、そういう人たちを真っ向から否定して対立したら、地域に「溜め」をつくる道は開けない。ならば、「大変な苦労があったんですよね」と共感を示し、多様な考えを受け入れながら、「最近はこんな課題もあるんです」と語っていく中で、新たな共感が生まれていくのではないかと思います。
 最近、強調される「グローバル人材」は、何もニューヨークで多言語を操って取引をする人だけでなく、言葉も通じないアフリカの村で現地の人たちと何かを一緒にできる人も含まれると思います。文化も風習も伝統も違う人たちから作法を学び、目線を合わせて物事を共に進めていく。相手との関係をデザインしていける人です。
 実はそれは、同じ日本語を話す人同士でも同じだと思う。今まで生きてきた環境や経験も全く異なる人たちの中で、自分の当たり前を相対化しながら、相手と目線を合わせた関係を築いていける人はグローバル人材であり、今求められる広い意味での「ケアができる人材」でもあると思います。
 かといってそれは、何か特別な能力をもった人材ではありません。例えば、家族旅行でどこに行くかを決める時にバラバラな意見をまとめていくように、私たちが普段からやっていることの延長線上に、地域や社会の課題を解決していく道があると考えています。

――創価学会が各地で取り組む励まし合いの運動も、多様な人々の目線を合わせた対話にポイントがあるといえる。共生社会を実現する上での宗教の役割とは何か。

 支援する側・される側という垂直的な関係から、支え合うという水平的な関係に転換するためには、「本来、誰にもよりよく生きる力が備わっている」という証明しにくいことを、信じて向き合えるかどうかが重要だと感じます。
 実際の支援の現場で相談を受けると、中には全て解決してもらおうとすがってくる人もいますが、それは長期的に見れば、やれることでも、やっていいことでもありません。ただ、さまざまな支えを得ながら自ら解決することの大切さを伝えても、突き放されたと受け止められてしまうことがある。とても難しい状況があります。
 そこで例えば、お題目を唱えるという誰にでもできる行為の中で、自分の中で生きる力を感じることができたとしたら、それはすごいことだと思う。ある意味で宗教は、当事者が自らエンパワーメントできるように編み出された解決策なのではないか、信仰というのは究極のケアになり得るのではと思ったことがあったんです。
 望ましい支援というのは、当事者自身の中に灯がともるような支え方ができること。自分も何かきることはあるし、何とかなるんだと実感できることが大切です。
 私が考える宗教コミュニティーの在り方は、「誰にもよりよく生きる力があるんだ」という大前提を縁ある身近なつながりの中で気づき合うことを社会化していくこと。水平的な支え合いをつくっていくのに必要な社会的アクターの一つが宗教だと思いますし、私が考える共生社会のイメージとも相通じるものだと感じています。
 その上で、垂直から水平への関係性の転換は、やはり関わりそれ自体から生まれると思う。人は誰かに関心を寄せることで、その人を尊重できるし、そして自分も誰かから関心を寄せられることにつながっていく。特に、人と一緒に何かの作業をする中で、お互いに多くのことに気付くわけです。
 ですから、共生の在り方というのも、理屈で考えるよりも、まず身近な人との関わりの中で気付いていく。そういった実践を広げていくことが大切だと思います。

ゆあさ・まこと 1969年東京生まれ。20代の頃から、ホームレス・生活困窮者の支援に携わり、2008年末の「年越し派遣村村長を務めた。09年~12年にかけて内閣府参与として政策決定の現場に携わる。現在は法政大学教授を務めながら、社会活動かとして貧困問題等の社会問題の解決に、有意な発信を続ける。主な著作に『反貧困』『貧困についてとことん考えてみた』(茂木健一郎氏と共著)『「なんとかする」子どもの貧困』などがある

◆グローバルウオッチ×信仰体験  在日ブラジル人に寄り添う心理学者 
   愛知県豊橋市 ジュリアナ・カズエ・ナカサキさん
       あなたが私を強くする。発達障がい児の支援、うつ自殺を防ぐ活動に尽力


現代社会の課題と向き合う「グローバルウオッチ 共生の未来へ」。
ブラジルからの「デカセギ」など、多くの日系人が暮らす愛知県で、在日ブラジル人やペルー人の発達障がい児をサポートする心理学者がいる。日本に来て1年余り、彼女が見つめる真の支援とは――。

 ブラジルの州都・サンパウロから55キロほど離れたジュンジアイという田舎町で、ジュリアナさんは生まれ育った。
 祖父母の代からのSGIメンバー。ブラジルでは学会活動は通常、家族で動く。幼い頃から週末は両親に連れられ、バスを乗り継ぎ、メンバー宅を回った。多くの同志と触れ合い、自然と信心を始め、鼓笛隊でも活躍した。
 1993年(平成5年)、ブラジルを訪問していた池田先生と出会いを。当時、中学生。「大きな夢を持ちなさい」との師の呼び掛けに、“医師になる”と誓い、高校時代は勉学に励んだ。
 だが、17歳の時、妊娠が判明。突然の出来事に戸惑い、不安に駆られた。全ての葛藤を御本尊にぶつけるように祈れば祈るほど、おなかの子がいとおしくなっていく。
 “この子と強く生き抜いてみせる!”――ボーイフレンドには経済的な援助は望めず、シングルマザーになる決心を固める。両親にその思いを打ち明けると、父は語った。「子どもを産んだからといって、あなたの夢を諦めちゃいけない!」
 両親の助けもあり、出産直後から授業に出席し、高校を卒業。その後、2年間は育児に専念するも、娘が保育園に入ると営業の仕事を始めた。これ以上、両親には迷惑を掛けられない。生活費や大学進学の資金は自分で稼ぐしかなかった。
 子育て、仕事、それだけでも、倒れそうなほどの忙しさ。加えて、大学進学への勉強。何度も諦めかけた。そのたびに、池田先生の言葉に勇気づけられた。
 「人生には、大なり小なり、試練の決戦の時がある。いざという時の一念が決定的な勝敗を分ける」
 “自分の使命の道とは何なのか……”。ずっと御本尊に祈っていた。“社会のため、自分よりも困難を抱えた人のために私は生きたい”――そして、心理学に出あった。
 2004年、心理学者を目指して、大学に入学。学費を支払うため、働きながら夜間コースで学んだ。毎朝、夜明け前に家を出て、2時間ほどバスに揺られて会社へ。
 退社後は、その足で大学に向かい、帰宅は深夜。寝ている娘をハグし、そっとキスを。一日の睡眠時間は3時間。それでも、娘の寝顔を見ると踏ん張れた。
 4年で大学を卒業し、大学院に進学。09年からは自身のクリニックを開いた。学会活動では、支部の婦人部長として毎週末、メンバーの訪問激励に駆けた。当然、わが子も一緒に。娘も鼓笛隊に入り、信心に励み始める。
 心理学者としては、発達障がいを専門的に研究。自閉症の子どもたちの療育に携わる。若くして母となった経験が、仕事でも生きた。
 そんな16年4月、友人から、ある相談が――。
 「日本で暮らす在日ブラジル人の家庭に発達障がいの子が増えている。だが、支援する人が決定的に足りない」
 自分にしか果たせない使命だと思い、同年11月に来日。外国人の発達障がい児を受け入れる施設で働き始めた。
 言語の壁や風習の違い、外国人への偏見などに向き合うだけでも大変な上に、発達障がいの子を育てる不安は計り知れない。
 そんな家族に寄り添い、自分の献身で、子どもたちの人生をよりよく変えていける。やりがいと感謝でいっぱいだった。
 だが、日本語が話せず、生活には苦労した。ブラジルが恋しくなった時期もある。それでも、施設の子たちを思うと負けられなかった。
 「支援しているようで、私が彼らに支えられている。そして、困難を乗り越えるたびに、私はさらに強くなる」池田先生は語っている。
 「人の『生きる力』を引き出した分だけ、自分の『生きる力』も増していく。人の生命を拡大してあげた分だけ、自分の生命も拡大する。これが菩薩道の妙です。『利他』と『自利』の一致です」(『法華経の智慧』)
 日本の暮らしになじめず、母国への帰国も見通せないまま、うつ病になる在日ブラジル人も少なくない。ジュリアナさんはNPOと協力し、講演会やインターネットラジオに出演。うつ病の予防や自殺防止の啓発活動も行う。
 今でも彼女の最大の支えは、娘の存在。長女・ジウリアさんは現在、母の後を追うように、ブラジルの大学で心理学を学んでいる。

【在日ブラジル人について】

1990年に入国管理法が改正・施行され、日系2世、3世とその家族に就労制限のない在留資格が与えられたことで、日系ブラジル人の「デカセギ」が急増。2008年のリーマン・ショックで減少したが、近年は再び増加傾向にある。昨年6月時点の在日ブラジル人は約19万人。約3割が愛知県で暮らす(法務省統計)。現在は「デカセギ」が長期化し、家族の介護、うつ病の増加、発達障がい児への支援の遅れなど新たな問題が生じている。

ジュリアナ・カズエ・ナカサキ(Juliana Kazue Nakasaki) ブラジル・サンパウロ州のジュンジアイ市で生まれ育った学会3世。17歳でシングルマザーとなり、働きながら一人娘を育て上げた。24歳で大学に進学し、心理学者となって、29歳でクリニックを開業。発達障がい児の療育に携わってきた。人と会い、語ることが大好きな根っからのブラジル婦人部。常にメンバーの激励に駆け、現在は、在日外国人部「ブラジルグループ」豊橋支部の婦人部責任者としても活躍する。37歳。

◆スタートライン 視覚障害者のフリークライマー 小林幸一郎さん
できないことを数えるより 何がしたいか自分に問おう

 「いい年だし」「やったことないから」――そうやって何かを断念した経験がある人は少なくないだろう。だが、一歩踏み出せば何かが変わる。今回のスタートラインは、パラクライミング視覚障碍者部門の世界チャンピョン、小林幸一郎さんの登場だ。

2018年2月 9日 (金)

2018年2月9日(金)の聖教

2018年2月9日(金)の聖教

◆わが友に贈る


わが地域の青年を
最大に励まそう!
新しい人を伸ばせば
新しい力が生まれる。
後継が輝く新時代を!

◆名字の言
 

  最近、書店で『ざんねんな〇〇』や『しくじり〇〇』といった題名の本をよく目にする。歴史に残る偉人たちの“失敗談”が紹介され、広い世代の共感を呼んでいるという▼偉人といえども“完全無欠”ではなく、むしろ多くの欠点や失敗があったことにほっとする。同時に、そうした失敗から立ち上がり、信念を貫いたからこそ、偉業を成し遂げられたのだと改めて思う▼「失敗学」で知られる東京大学名誉教授の畑村洋太郎氏は、自らの失敗から学ぶ「体感学習」の大切さを強調する。すなわち、失敗して“つらい”“悔しい”と強く思う時、その失敗体験が心に根付き、新たな知識を受け入れる素地ができる。「その素地の有る無しが、失敗をバネにできるかできないかの差」と氏は語る(『図解 使える失敗学』KADOKAWA)▼“同じ失敗はしない”という負けじ魂が、成長への大きな力になる。だからこそ失敗した時に落ち込んだりせず、“なぜ失敗したのか”を考え抜くことを習慣とし、新たな行動を起こすのだ▼失敗から学ぶことができれば、その失敗は“成功”に変わるともいえよう。かけがえのない“宝の思い出”であり“後世への贈り物”にもなる。広布と人生の栄光へ、不屈の心で、何度でも立ち上がりたい。(靖)

◆寸鉄

  池田博士は対話を通して
 価値を創る人―教育者。
 我らも触発の対話を更に
      ◇
 民音の日。人々の心潤す
 音楽の城。推進委員の皆
 様こそ大文化運動の旗手
      ◇
 本幹中継スタート。温か
 く友を迎える全役員に感
 謝!さあ二月闘争を加速
      ◇
 賢い人ほど、思想を表現
 する言葉は簡潔―文豪。
 信心の歓喜を真っすぐに
      ◇
 100歳超の長生きの人は好
 奇心旺盛で社交的―調査
 挑戦重ねる多宝の同志よ

◆社説  あさって「国際部」結成47周年   “互学”の精神で自他共の幸福追求

 先日、アメリカSGIの代表201人が研修会のため来日した。2月4日午前には、大阪市の関西文化会館を訪問。池田先生と関西の歴史をとどめた常設展示を熱心に観賞した。
 「五月三日」の揮毫をはじめ、先生が寸暇を割いて同志に贈った言葉や激励の書を前に、同行のスタッフを呼び止め“この言葉はどういう意味なのか”等と幾度も問い、懸命にノートに筆を走らせる青年たちの姿が印象的だった。一人のメンバーに声を掛けると、「先生の言葉を一つでも多く伝えていきたいので」と力を込めて語っていた。
 11日、「国際部」が結成47周年を迎える。世界192カ国・地域に日蓮仏法の人間主義を広げ、世界宗教へと飛翔する学会の前進を、陰に陽に支え続けているメンバーの奮闘に、あらためて敬意を表したい。
 同部の淵源は1968年(昭和43年)、池田先生が“これからは語学の時代である”と、通訳や翻訳に携わる友を激励したことにある。3年後の71年(同46年)2月11日、国際舞台で活躍していた代表50人で発足。誕生から約半世紀を迎える現在、同部は通訳翻訳部、国際ボランティア部、国際交流部、在日外国人部の4部からなる「国際本部」へと発展した。「三代会長の精神を世界に」との気概に燃えて、国内外での活躍が光る。
 社会の国際化は一段と進む。昨年1年間の訪日外国人数は、2869万人を超え、過去最高を記録した。2020年に東京五輪を控え、海外の人と接する機会は増える一方だ。これを一つの契機として語学に挑戦するのもよいだろう。
 池田先生は、「未来ジャーナル」の連載「夢の翼」の中で、語学の習得とは「相手の側に立つ練習」であると述べている。「相手の側に立とう」「相手から学ぼう」という“生き方”を培うことが、語学を磨く醍醐味であり、それはお互いに学び合い、共に成長しゆく“互学”の道なのである、と。
 さらに「自分中心ではなく、世界の人々のため、平和のために、智慧と慈悲と勇気を発揮して行動している。『人のため』『社会のため』という大きな心こそ、国際人の根本の要件」であるとし、学会員こそ真の国際人のモデルであると語った。
 師匠と共に、世界の同志と共に、広布の勢いは一段と加速していく――。他者に学び、自他共の幸福に尽くす生き方を貫く国際本部の同志に続き、我らも堂々と、希望の対話を広げたい。
 






◆きょうの発心   “世界一心の富める人材”を輩出2018年2月8日

御文
 此の本法を受持するは信の一字なり、元品の無明を対治する利剣は信の一字なり(御義口伝、751ページ)
通解 この本法(三大秘法の南無妙法蓮華経)を受持するのは信の一字による。元品の無明(根本の迷い)を対治する利剣は信の一字である。
 どこまでも御本尊を信じ抜くことの大切さを教えられています。
 池田先生の“師子の子は泣いてはいけない”との激励を心に刻み、未来部の頃から温かな創価家族の中で育ちました。
 結婚を機に宿業が襲ってきましたが、先輩がこの御文を拝し、祈りの要諦を教えてくれました。
 私が妊娠初期に風疹にかかり、仮死状態で生まれた長男は心臓に病を抱えることに。1歳を過ぎた頃には、川崎病で入院。宿命転換を懸けて対話に励み、相次いで友人を入会に導きました。その後、長男は元気に成長し、関西創価高校に入学。野球部の一員として先生との出会いを結び、宝の青春時代を送ることができました。
 夫が仕事を独立する際も夫婦で弘教を実らせ、苦境を打開。この御文の通りに実践する中で、人生を大きく開くことができ、感謝の思いでいっぱいです。
 富田林創価県は千早赤阪村、河南町、太子町、富田林市からなる広大な地域です。師匠が魂魄をとどめてくださった歴史を胸に、「世界一心の富める人材の林立」を同志の皆さまと果たす決意です。
 大阪・富田林創価県婦人部長 中村峰代

◆小説『新・人間革命』第30巻 勝ち鬨の章 五十二 2018年2月9日(6293)



 ここで山本伸一は、今回の宗門事件のなかで、学会の組織を攪乱するなどした幹部がいたことから、その共通性に言及していった。
 「これまで、私の側近であるとか、特別な弟子であるなどと吹聴し、皆に迷惑をかけた幹部が一部におりました。結局、私を利用して自分の虚像をつくり、同志を騙す手段にしてきたんです。
 私は、日々、さまざまな会員の方々と接しておりますが、皆、平等に、指導・激励にあたってきたつもりです。信心のうえで特別なつながりなどというものはありません。
 強いて言えば、私の身近にいて、すべてを託してきたのは、十条前会長であり、秋月現会長です。したがって、“自分は側近である。特別な関係にある”――などという言葉に騙されないでいただきたい。そんな発言をすること自体、おかしな魂胆であると見破っていただきたい。どこまでも、会長を中心に力を合わせていくことが、広宣流布を推進していくうえでの団結の基本です。未来のためにも、あえて申し上げておきます」
 さらに伸一は、「甲斐無き者なれども・たすくる者強ければたうれず、すこし健の者も独なれば悪しきみちには・たうれぬ」(御書一四六八ページ)などの御文を拝して指導した。
 「信心を全うしていくうえで、大事なのは善知識であり、よき同志の存在です。不甲斐ない者であっても、助ける人が強ければ倒れない。反対に、少しばかり強くとも一人であれば、悪路では倒れてしまう。どうか、同志の強い励ましの絆で、一人も漏れなく、広宣流布の二十一世紀の山を登攀していっていただきたいことをお願い申し上げ、私のあいさつとさせていただきます」
 県幹部会を終えた伸一は、熊本文化会館内にある「聖教新聞」熊本支局の編集室を訪れた。翌日付の、岡城址での記念撮影が載った新聞の早版を、見ておきたかったのである。彼は、竹田から阿蘇に向かうバスのなかで、できる限り大きく写真を掲載してあげてほしいと、担当の記者に頼んでいたのだ。





【先生のメッセージ】

◆〈御書と歩むⅡ――池田先生が贈る指針〉6   健康革命の日々を


御文 『御痛みの事一たびは歎き二たびは悦びぬ』
(太田入道殿御返事、1009ページ)
通解 (病気で)お痛みのことについて、ひとたびは嘆き、ふたたびには悦んだ。

同志への指針
 大聖人は、門下の病の報告に同苦され、わが身のことと祈ってくださった。
 その上で、今こそ変毒為薬の時と喜ぶのだと大激励されている。
 仏法は”健病不二”である。たじろくことはない。妙法を唱え抜いて自他の病苦を迎え撃つのだ。必ず生命力を増し、宿命転換できる。悩める友を励ませる境涯ともなる。
 共々に勇気凛々と、健康革命の日々を歩みゆこう!

【聖教ニュース】

◆池田先生の平和行動に各国から共感と称賛 2018年2月9日

韓国の束草市から池田先生への特別顕彰牌の授与式。李市長(右から6人目)が韓国SGIの金理事長(同7人目)らと共に(束草平和文化会館で)

韓国の束草市から池田先生への特別顕彰牌の授与式。李市長(右から6人目)が韓国SGIの金理事長(同7人目)らと共に(束草平和文化会館で)

 池田大作先生の長年の平和行動に対して、各国から共感と称賛が相次いで寄せられている。韓国・江原道の束草市は、池田先生に「特別顕彰牌」を贈った。日本と韓国の友好促進と地域社会の発展への力強いリーダーシップをたたえたもの。授与式は1月27日、同市の李秉宣市長が出席して韓国SGI(創価学会インタナショナル)の束草平和文化会館で盛大に行われ、金仁洙理事長が代理で受けた。地元SGIの代表ら400人が祝福した。
韓国の江原道 束草市が池田先生に顕彰牌
 美しい海と、国立公園に指定されている秀峰・雪岳山に囲まれる束草市。夏は海水浴、秋は紅葉と韓国有数の観光都市として知られる。近年、高速道路の整備が進み、さらに多くの人々が同市を訪れるようになった。
 また、きょう9日には、同じ江原道に属する平昌郡で、平和の祭典であるオリンピックが開幕。束草市も大きな高揚感に包まれている。
 束草市は北緯38度に位置し、北朝鮮との軍事境界線から近い。だからこそ、市民は平和の促進を強く念願しているのだ。
 市の行政関係者はこれまで、韓日友好と世界平和に尽くす池田先生に注目。2005年には、「名誉市民」称号を贈っている。
 現在の李市長も、池田先生の思想と行動に共感を寄せてきた。
 市長は8年前、知人を介して韓国SGIの機関紙・和光新聞や池田先生の書籍を手にするように。“自身の一念が定まれば、必ず勝利の道は開ける”――池田先生の言葉は市長が困難に直面した時の支えとなった。
 また、座談会をはじめとしたSGIの会合への参加や、学生部が全国の大学で行う平和展示活動「ユニピース」の観賞などを通して、池田先生の哲学がメンバーに浸透していることを実感。SGIの友が、「良き市民たれ」との師の指針を胸に社会貢献に励んでいることに、深い感銘を受けてきた。
 晴れの式典では、有志による合唱の後、李市長から金理事長に特別顕彰牌が託されると、会場は万雷の拍手に包まれた。
 登壇した李市長は、にこやかに語った。
 「人類の繁栄のために貢献する池田先生に特別顕彰牌を授与することができ、とても光栄です」「わが市も、先生の人間主義の思想を学び、市民の幸福のために最善を尽くしていきたい」
米グアムは1月26日を「SGI感謝の日」と宣言
 SGI発足の地・アメリカのグアム準州(エディ・カルボ知事)は、池田先生の長年にわたる世界平和への貢献をたたえ、2018年1月26日を「ダイサク・イケダ博士とSGI感謝の日」と宣言。宣言書の授与式は同20日、経済の中心都市タムニンで開かれた第6回「ラッテ平和祭」の席上で行われた。
 これには、グアム準州議会のベンジャミン・クルーズ議長、タムニン市のルイーズ・リベラ市長らが出席。同市の公園内にある「SGI発足記念碑」の前で、アメリカSGIの代表に宣言書が託された。
 宣言書では、池田先生の90歳の誕生日(1月2日)を祝賀するとともに、「池田博士は、世界平和を目指す運動の傑出した指導者であり、戸田城聖第2代会長による核兵器廃絶への呼び掛けに応え、SGIの青年たちにも、これらの運動に参画することを訴えている」と記されている。 
 
【特集記事・教学・信仰体験など】

◆舞え、希望の空へ――中部鼓笛隊の奮闘を追う 2018年2月9日

姉妹のような仲良き団結で、幸福勝利の青春を歩む中部鼓笛隊の友(今月、名古屋市の中部池田記念講堂で)

姉妹のような仲良き団結で、幸福勝利の青春を歩む中部鼓笛隊の友(今月、名古屋市の中部池田記念講堂で)
 炎暑の下でのパレードや、一糸乱れぬ見事な隊形変化――鼓笛隊(櫻井広枝部長)の爽やかな演奏・演技は観衆を魅了する。池田先生が示した“平和の天使”の使命を果たそうと、鼓笛隊の友は日々、信心根本に心と技を磨いている。

◆世界に魂を 心に翼を 第1回 創立の精神  音楽を民衆の手に取り戻す

 シュクラン!(アラビア語で「ありがとう!」) 将来、ぜひ日本へ!――民音創立者の池田先生がエジプトのオペラハウスを訪問。「母」の歌の合唱で歓迎した少年少女に真心で応える(1992年6月17日、カイロで)
シュクラン!(アラビア語で「ありがとう!」) 将来、ぜひ日本へ!――民音創立者の池田先生がエジプトのオペラハウスを訪問。「母」の歌の合唱で歓迎した少年少女に真心で応える(1992年6月17日、カイロで)

 “音楽は世界に魂を吹き込み、心に翼を与える”(プラトン)――きょう2月9日は「民音(民主音楽協会)の日」。1961年、創立者の池田先生が民音の設立構想を示した日である。2年後の10月18日に民音が設立され、今年で55周年。新連載「世界に魂を 心に翼を」では、音楽文化の地平を開いた民音の軌跡を追う。
 雲上の機中からは、国境地帯に広がる青々とした緑が見えた。
 57年前(61年)の2月9日――。
 インドを訪問し、東洋広布の碑の埋納を終えた池田先生はビルマ(現・ミャンマー)からタイへ。会長就任後、初となるアジア訪問だった。
 約2時間の空路。先生は窓際の席で思案をめぐらせていた。
 この前日(2月8日)の夕刻、一行は首都ラングーン(当時)の日本人墓地を訪れている。
 先生より12歳年上の長兄は、太平洋戦争で最も無謀といわれたインパール作戦の犠牲となり、ビルマで命を落としていた。
 戦没者の碑に祈りを捧げる先生。燃えるような夕焼けが、あたりを赤く染め上げる。
 “兄も、この夕日を見たに違いない……”
 終戦から15年余り。確かに太平洋戦争は終わった。だが世界では、人々はいまだ戦火に追われていた。
 タイに向かう機内で、先生は同行の秋谷青年部長(当時。現在は最高指導会議議長)に語った。
 “あらゆる差異を超え、人間と人間を結ぶものは何か。例えば文化の交流によって、民衆間の相互理解を深めることはできないだろうか”
 その夜、先生はバンコクの宿舎で明確な構想を示している。
 「真の世界平和のためには、民衆と民衆が分かり合うことが絶対に重要だ。特に芸術の交流が不可欠だと思う。これから国境を超えて進めたい」
 アジアの地で、新たな民衆文化の胎動が始まった。
                                                             ◇ ◆ ◇     
 戦後の荒廃から精神的に立ち上がるには「文化」しかない――。
 それは恩師・戸田先生から受け継いだ確信であり、誓いだった。
 アジア訪問から帰国すると、「3・16」を記念する青年部音楽祭を開催。翌年8月には富士吹奏楽団、10月には富士合唱団が結成され、初の文化祭が行われた。
 文化祭の淵源となった体育大会を提案したのも池田先生である。
 当初、学会の理事らは“信心に関係がない”と難色を示した。池田先生が“青年のために”と訴えると、戸田先生は「大(池田先生)が言うならいいよ」と了承し、54年に第1回の体育大会が実現している。
 同年に音楽隊、その2年後に鼓笛隊が誕生。結成に当たり、池田先生自ら費用を工面し、楽器を贈った。
 「池田先生は戸田先生の構想を全て実現されました。75万世帯達成とともに、平和と文化の推進を模索され続けた。その具現化のために、先生お一人で学会に文化の土壌をつくってくださったのです」(秋谷議長)
                                                         ◇ ◆ ◇     
 「名前は“民音”がいいね」
 池田先生の提案をもとに、63年8月、団体の準備委員会が発足する。
 2カ月後の10月18日に創立記念演奏会を行うことが決まったが、検討すべき課題は山ほどあった。
 まず活動の「柱」である。
 民音が果たすべき使命とは何か。アジア訪問で池田先生が示された平和への思いに、どう迫るか。――スローガンの案を練り、五つの骨子を定めた。
  
 一、広く民衆の間に、健康で明るい音楽運動を起こす。
 一、新しい民衆音楽を創造し、これを育成する。
 一、青少年の音楽教育を推進し、並びに一般音楽レベルの向上を図り、以て情操豊かな民衆文化の興隆を目指す。
 一、音楽を通じ国際間の文化交流を推進し、世界の民衆と友誼を結ぶ。
 一、日本の音楽家を育成し、その優秀な作品、並びに演奏を、広く内外に紹介する。
  
 原案に目を通した池田先生は「いいね」と一言。折に触れ、具体的な活動について助言した。
 当初、首脳で協議を重ね、団体の正式名称を「民衆音楽協会」と考えていたが、先生の考えは異なった。
 “民衆が主体となっていくのだから、「民主」にしてはどうだろう。音楽・芸術を育成していく主役が民衆なんだから”
 創立記念演奏会は、吹奏楽団による行進曲「錨を上げて」で開幕。バイオリンの諏訪根自子氏、チェロの清水勝雄氏、琴の唯是震一氏……一流の音楽家が顔を並べた。
 フィナーレでは、近衛秀麿氏が行進曲「旧友」を指揮。「民主音楽協会」の正式名称とスローガンが発表され、民音は船出を果たした。
                                                             ◇ ◆ ◇     
 「私は一度もベートーベンを聴いたことがありません。ベートーベンを聴きたい」――民音設立の直後、市民から寄せられた手紙である。
 現代のように、携帯プレーヤーや動画サイトなどで自由に音楽を楽しむなど、想像もつかない時代。歌謡曲やポップスは親しまれていたものの、クラシックやオペラは高価で、庶民にはなかなか手が出なかった。
 著名な交響楽団の演奏会ともなれば入場料は1000円を超え、鑑賞する際の服装も指定された。映画の観覧料が150円の時代である(森永卓郎監修『物価の文化史事典』展望社)。
 ところが民音では、同様の交響楽団の演奏会を、何と300円前後で楽しむことができた。
 スローガンの第一にある「広く民衆の間に、健康で明るい音楽運動を起こす」。その一つの答えだった。
 66年5月には、早くも「民音コンクール(現・東京国際音楽コンクール)」の声楽部門を実施している。
 同コンクールの指揮部門も準備が進められ、民音専任理事の秋谷青年部長は、世界的指揮者・チェリストである齋藤秀雄氏を訪ねた。
 音楽そのものについては素人かもしれない。だが創立者の構想を語る中で、音楽界に貢献したいという熱が言葉となってあふれた。
 黙って聞いていた齋藤氏。
 「分かった。やりましょう」
 審査委員長を快諾。今に続く指揮者コンクールの始まりとなった。
                                                              ◇ ◆ ◇     
 “存在そのものが日本のオーケストラ史”といわれた朝比奈隆氏。
 「(聴衆が)目を輝かせながら聴くものですから、勢い私たちも真剣に演奏をしました」と、民音の演奏会での指揮を振り返っている。
 終戦直後、戦災の爪痕が残る大阪で関西交響楽団を創設し、半世紀以上にわたって常任指揮者を歴任。後に日本指揮者協会会長を務めた。
 忘れられない思い出がある。
 戦前、日本の聴衆の層を広げたいと、50銭で聴ける演奏会を企画。食堂の定食ほどの価格である。新聞社に売り込んだが実現しなかった。
 「青春時代に描いたその夢は、今日、こうして民音の手で実現されている。うれしく思っているんですよ」
 齋藤秀雄氏の後を継ぎ、21年にわたって指揮者コンクールの審査委員長を務め、数多の俊英を世界の楽壇に送り出してきた。
 民音創立20周年の折に、朝比奈氏は、その発展の源について語った。
 「ひとえに池田先生の卓越した創立精神によるものである、と思っています。平たく言えば“音楽の花束を広くみんなの手に”といったところでしょうか。この“憲法”がある限り大丈夫」
 同じ理想を描く民音に期待し、目を細めた。
 「これからが本番です。音楽界を支える重みは数倍にも増してきますよ」

◆座談会 師弟誓願の大行進〉17 聖教新聞PR版、「RUN IT!」(第三文明社)が刊行―― 青年の等身大の体験に共感   「3・16」60周年へ師子の前進を!


各地の女子部「ロマン総会」の様子。参加者からは「学会は楽しいし、温かい」との声が

各地の女子部「ロマン総会」の様子。参加者からは「学会は楽しいし、温かい」との声が

 伊藤 常勝の青空のもと、「関西総会」の意義を込めた「本部幹部会」が4日、大阪府豊中市の関西戸田記念講堂で盛大に開催されました。

 永石 来日中のアメリカSGIの代表201人も参加し、「伝統の2月」を飾る素晴らしい集いでした。

 志賀 実は今回、訪日の希望者を募ったところ、アメリカ全土から、たくさんの応募があったそうです。その中から選抜された青年たちだからこそ、全てのメンバーの思いも背負って、戦い抜こうと決意し、この1年間で、合計577世帯の御本尊流布を成し遂げ、来日を果たしました。

 伊藤 そのアメリカ青年部の代表が、新しい同部の歌「正義の師子の誓い」を合唱した際には、感動で胸が震えました。師に世界広布を誓う熱い思いが、強く伝わってきました。

 原田 「我らは師子と立つ」「決して負けない/決して退かない/これこそ我らの誓い」と力強く歌う姿は、世界広布の洋々たる未来を象徴しているかのようでした。池田先生が、「世界広布の永遠の原点」と定めたアメリカの天地に今、多くの地涌の若人が厳然と立ち上がっていることを心から実感しました。

 永石 先生は、「わが愛する青年に贈る」と題した、大白蓮華で連載中の講義「世界を照らす太陽の仏法」の中で、創価後継の男女青年部は、「師子王の集い」であると断言されています。

 長谷川 「師子王」とは、仏の偉大な生命をたとえたもので、「何ものにも負けない」「断じて勝つ」境涯のことです。アメリカ青年部が作成した歌詞には、この「師子」の心が、あふれていました。

 原田 総会を大拡大で飾った関西の同志の、折伏の歓喜も爆発していた幹部会でした。9日から13日の中継(会場と時間は、各県・区で決定)を楽しみにしていただければと思います。

幸福を広げる連帯

 永石 「栄光の年」が開幕し、各地で行われた女子部の「ロマン総会」が大成功で終了しました。どの地にあっても、女子部の皆さんの麗しい励ましのスクラムが光っていました。

 長谷川 先生も、寒い中、友の喜ぶ姿を思い浮かべて準備に奔走する女子部の皆さんの奮闘を最大にたたえられ、「乙女たちの賑やかなスクラムは、世界へ未来へ、幸の華を広げゆく平和の大地なのだ」と呼び掛けてくださいました。

 伊藤 先生の温かな励まし、そして各部の皆さまの応援のおかげで、歓喜の総会となりました。御書に「仏になるみちは善知識にはすぎず」(1468ページ)と仰せの通り、善き友と支え合い、励まし合う中にこそ、「一生成仏」という確かな幸福への軌道があると確信しています。

 原田 孤独や不安が渦巻く現代社会にあって、幸の連帯を広げる女子部の皆さんが、どれほど尊貴な存在であるか。共に悩み、共に祈り、共に笑い、共に前進する。その歩みは、必ずしも華やかではないかもしれません。けれども、その着実な草の根の語らいにこそ、時代を開く鍵があります。どうか、これからも楽しく朗らかに華陽のスクラムを広げていただきたい。

宝のように大切に

 長谷川 さて、聖教新聞の「PR版」(春季号)が完成しました。今回は、オールカラー8ページ建てで、持ち運びに便利なタブロイド判(通常の2分の1の大きさ)となっています。

 原田 「PR版」は、聖教新聞の魅力を、より多くの方に知っていただくために作成しているものです。

 この春季号では、「3・16」60周年記念の「世界青年部総会」に向かって躍動する、「青年」を特集しています。

 長谷川 池田先生の、青年への「励ましの指針」をはじめ、日本中、世界中で活躍する「創価の青年」の姿が紹介されています。
 永石 早速、PR版を読んだ友人から、「学会には、素晴らしい青年がたくさんいますね」「若い人たちの、はじける笑顔が印象的です」「青年へのまなざしが温かいですね」などの感想が寄せられています。

 志賀 聖教新聞の購読者の方は語っていました。「いつも、学会員の方々の強い絆と優しさを感じています。皆さまの生き方に、大きな感銘を受け、参考にさせてもらっています」

 原田 「文化・芸術への視野が広い聖教新聞を読むたびに、感動しています」と言う方もいます。学会の真実の姿を伝える「PR版」を通じ、平和と幸福の輪を、さらに大きく広げていきましょう。
 志賀 また、このたび、青年部体験談特集「RUN IT!」(第三文明社)が発売となりました。

 伊藤 これは、聖教新聞や大白蓮華に掲載された青年部員の体験談を、まとめた冊子です。おしゃれなデザインが特徴で、日本、世界の15人の青年の体験が紹介されています。
 志賀 等身大の青年の姿と、青年が信仰を実践する意味などが描かれ、多くの人に納得と共感を呼ぶこと間違いなしです。

 原田 「青年を宝のごとく大切に」――これが先生に教えていただいた、学会の永遠の理念です。先日、社会部の会合に出席した折も、ゲーム・デザイナーの男子部員、救急救命士の女子部員と、社会で大きく実証を示す2人の青年の体験を伺い、深く感銘しました。

 長谷川 学会は今、青年が躍動しています。池田先生が心血を注いで育成してきた青年が躍り出ているのです。

 原田 さあ、3月の「世界青年部総会」へ、頼もしい青年たちと共に、世界広布の勝ち鬨も高らかに、勢いある前進を続けていこうではありませんか。

◆信仰体験 平昌冬季五輪を支える韓国SGIの友 2 きょう開幕 大会を盛り上げる聖火ランナー 

婦人部の活動を通して、「自身の明るさがより増したようです」と語る許さん。 人材育成グループ「無窮花大学校」の一員でもある

 きょう9日、開会式を迎える平昌冬季オリンピック。ギリシャで採火され、101日間にわたって韓国各地を巡った聖火が、ついに平昌オリンピックスタジアムの聖火台にともされる。心をつなぎ、希望をつないだ聖火ランナー。その2人のメンバーを紹介する。

陸上選手から体育教師に 8度目の挑戦で教員試験に合格

【江原道原州市】笑顔があふれ出ていた。「聖火ランナーを務めた3分間は、生徒たちに、“夢を諦めないで”というメッセージを込めて走りました」と振り返る。
 許惠銀さん(37)=白ゆり長=は、女子中学校に体育教師として勤務している。
 「最近の生徒たちは、うまくいかないことがあるとすぐに諦めてしまう。失敗することを恐れているようにも見えます。でも人生に必要なのは、“苦難を乗り越えた経験だよ”って、いつも言っています」
 それは、許さんの歩んできた人生そのものだ。
                   *
 幼い頃から運動が得意。小学生になると陸上の育成選手に選抜され、大学まで一貫して専門的なトレーニングを受けた。
 ところが、大学3年の時。大学陸上部が突然の廃部。陸上部の指導者と大学側の意見のすれ違いが原因というが、詳しいことは分からなかった。大きなショックを受けた。
 無念の思いをぶつけるように、御本尊に向かった。真剣に祈るうち、考えが変わっていく。
 “あのまま選手生活を続けても、結果を出し続けられただろうか”
 予期せぬ事態にも、意味があると捉えようと心に決めた。
 元々、人と接することが好きで、後輩への指導も得意だった許さん。それなら、と志したのが教師の道。
 「でも問題は、それまで教職の勉強を全くしてこなかったということ。競技に専念してきたので……」
 実技や面接には自信があったが、筆記試験が大きな壁になった。
 遅れを取り戻すように机に向かった。教育学、心理学、体育理論……。山積みの教科書を読み込んだ。
 1次試験を突破するまで、実に7年の歳月を要した。何度も試験に落ちて、自分には教師になる使命がないのでは、と弱気になったこともある。
 不安を振り払うように、題目を唱え、さまざまな学会指導を読みあさった。
 〈自分自身に生きることである。その人が幸福者である〉
 〈人がどうあれ、環境がどうあれ、状況がどうあれ、要は自分が強くなればよい〉
 「池田先生の言葉は、いつも進むべき道を照らしてくれる光でした。先生が見守ってくれていることを思うと、力が湧きました」
 夫・朴尹鎬さん(34)=男子部員=との結婚を控えた2013年を、最後の挑戦にしようと決めた。その年の初め、夫も新たなスタートを切る。SGIに入会したのだ。
 初めは、SGIに対して偏見を抱いていたという。しかし、会館を初めて訪れた時、未来部の合唱練習を目にした。高校で教師を務め、多感な年頃の生徒を指導する難しさを知る夫は、未来部員が生き生きとした表情で元気いっぱい歌う様子に、「この信心は、すごい」と確信したという。
 入会した夫の後押しも許さんの力になった。8度目にして、教員採用試験に合格。筆記試験を乗り越えた後は、体育実技、面接、授業実演も高得点で突破した。
                   *
 許さんがいつも授業で心掛けていることは、生徒たちを笑顔にすること。
 「教育の目的は、子どもたちの幸せですから」と言い切る。
 7年間の挑戦は、自身の使命を深める時間となった。
 「挑戦することの素晴らしさを子どもたちに伝えたい。“芽が出ない時も、目に見えない根は、地中深くに伸びているよ”って!」

誠実で勝負する営業マン

【ソウル特別市】「どんな悪路も駆け抜けていく男子部らしく、走り抜きました!」と申京民さん(38)=方面男子部長。
 韓国コカ・コーラに勤める。昨年の営業実績で模範の結果を残した社員の代表として、聖火ランナーに選ばれた。
 申さんが、担当する区域は、ソウル市南部にある35店舗。
 「正直、例年と比べると売り上げ自体は良くなかったんです。でも、その他の指標で、高い評価を受けることができました」
 その他の指標とは、新商品の配置率、主力商品の数、取り扱いの全体数など。
 高い数値は、代理店オーナーとの信頼関係がしっかりしていることの証しだ。
 「青年の財産は誠実と信用」との学会指導を自身のテーマにしてきた。
 「中でも、大事なことは、失敗した時に誠実を貫けるかどうかです。その時点では、マイナス要因ですが、そこから挽回できた時、より強い信頼を結べるのですから」
 2002年、妻・崔正さん(40)=支部副婦人部長=から信心の話を聞き、SGIに入会した。家族のような学会同志の温かさに触れ、「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)との御金言に希望を見いだした。
 仕事の姿勢にも変化が生じた。新商品が出れば、オーナーと試飲会を開催したり、店のレイアウトを考えたりすることも。常に、結果を出し続ける申さんに、後輩たちからの信頼も厚い。
 「かつては、人見知りだった自分が営業の仕事で結果を出すなんて、本当に驚きです。相手の立場になって、配慮できるようになれたのは、信心のおかげです」
 韓国も「世界青年部総会」に向けて壁を破る戦いを展開中だ。
 「一人一人が仏法対話に挑戦する中で、どれだけ信心を深め、人間革命できるか。師匠を心の真ん中に据え、走り抜きます!」

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